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2006/12/07 第165回国会 参議院 参議院会議録情報 第165回国会 教育基本法に関する特別委員会 第9号
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2006/12/07 第165回国会 参議院

参議院会議録情報 第165回国会 教育基本法に関する特別委員会 第9号

#1
第165回国会 教育基本法に関する特別委員会 第9号
平成十八年十二月七日(木曜日)
   午前九時七分開会
    ─────────────
   委員の異動
 十二月五日
    辞任         補欠選任
     近藤 正道君     渕上 貞雄君
 十二月六日
    辞任         補欠選任
     広中和歌子君     辻  泰弘君
     渕上 貞雄君     福島みずほ君
 十二月七日
    辞任         補欠選任
     福島みずほ君     近藤 正道君
     亀井 郁夫君     後藤 博子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         中曽根弘文君
    理 事
                岸  信夫君
                北岡 秀二君
                保坂 三蔵君
                佐藤 泰介君
                櫻井  充君
                蓮   舫君
                風間  昶君
    委 員
                岩城 光英君
                小野 清子君
                岡田 直樹君
                岡田  広君
                小泉 昭男君
                鴻池 祥肇君
                坂本由紀子君
                中島 啓雄君
                舛添 要一君
                松村 祥史君
                神本美恵子君
                下田 敦子君
                鈴木  寛君
                辻  泰弘君
                西岡 武夫君
                林 久美子君
                福山 哲郎君
                藤本 祐司君
                水岡 俊一君
                浮島とも子君
                山下 栄一君
                鰐淵 洋子君
                井上 哲士君
                近藤 正道君
                福島みずほ君
                亀井 郁夫君
                後藤 博子君
       発議者      西岡 武夫君
       発議者      鈴木  寛君
       発議者      水岡 俊一君
       発議者      林 久美子君
   国務大臣
       文部科学大臣   伊吹 文明君
       国務大臣
       (内閣官房長官) 塩崎 恭久君
       国務大臣
       (内閣府特命担
       当大臣(少子化
       ・男女共同参画
       ))       高市 早苗君
       国務大臣     佐田玄一郎君
   副大臣
       文部科学副大臣  池坊 保子君
   大臣政務官
       文部科学大臣政
       務官       水落 敏栄君
   政府特別補佐人
       内閣法制局長官  宮崎 礼壹君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        山口 俊史君
   政府参考人
       内閣官房内閣審
       議官       山中 伸一君
       内閣官房構造改
       革特区推進室長
       兼内閣府構造改
       革特区担当室長  大前  忠君
       内閣法制局第二
       部長       横畠 裕介君
       内閣府大臣官房
       長        山本信一郎君
       警察庁生活安全
       局長       竹花  豊君
       文部科学大臣官
       房長       玉井日出夫君
       文部科学大臣官
       房総括審議官   金森 越哉君
       文部科学省生涯
       学習政策局長   田中壮一郎君
       文部科学省初等
       中等教育局長   銭谷 眞美君
       文部科学省高等
       教育局長     清水  潔君
       文部科学省高等
       教育局私学部長  磯田 文雄君
   参考人
       明海大学長    高倉  翔君
       杉並区立和田中
       学校校長     藤原 和博君
       古山教育研究所
       所長       古山 明男君
       名古屋大学大学
       院教育発達科学
       研究科教授
       犬山市教育委員  中嶋 哲彦君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
 百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
 案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
 に関する法律案(輿石東君外六名発議)
○派遣委員の報告
○公聴会開会承認要求に関する件
    ─────────────
#2
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、近藤正道君及び広中和歌子君が委員を辞任され、その補欠として辻泰弘君及び福島みずほ君が選任されました。
    ─────────────
#3
○委員長(中曽根弘文君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査のため、本日の委員会に明海大学長高倉翔君、杉並区立和田中学校校長藤原和博君、古山教育研究所所長古山明男君及び名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授・犬山市教育委員中嶋哲彦君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#5
○委員長(中曽根弘文君) 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題といたします。
 この際、参考人の方々に、本委員会を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。
 皆様から忌憚のない御意見をいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いをいたします。
 それでは、議事の進め方について申し上げます。
 まず、高倉参考人、藤原参考人、古山参考人、中嶋参考人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 それでは、まず高倉参考人からお願いいたします。高倉参考人。
#6
○参考人(高倉翔君) おはようございます。高倉でございます。
 私は、教育基本法の改正につきまして、大きく二つの柱でお話をさせていただきたいと思います。最初には、基本法改正に関する基本的な考え方、全体的な考え方について、二つ目は、政府原案及び民主党案における教育行政の条文というものをめぐりまして意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、前半の教育基本法の改正に関する基本的な考え、全体的な考えでございます。
 現行の教育基本法は、日本国憲法の精神にのっとり教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本の確立を目指した優れた内容を有していると考えます。この教育基本法が公布された昭和二十二年三月、私は旧制中学校二年生のときでございました。その公布の時期からちょっと時間が過ぎましたけれども、教頭先生が朝礼の時間のときに教育の機会均等についてということで、教育基本法から引用してお話をしてくださったということが鮮明に記憶としてよみがえってまいります。
 我が国が戦後復興を遂げ、豊かで民主的な社会を築き上げ、国際的にも一定の地位を確立する過程で教育が果たした役割について否定する者はいないというように確信しております。その意味で、教育の基本理念を定め、あらゆる教育制度の根本となってきた教育基本法の意義は十分に評価されなければならないと思っております。
 ところで、一方では、教育基本法が制定されて以来今日までの間に、私どもを取り巻く社会状況が大きく変化してまいりました。よく言われるように、東西冷戦の終結によって国際関係が変化した、グローバル化や情報化の進展、地球環境問題の深刻化など、現行法制定の時期にはだれも予想だにしなかった変化が生じております。また、個人と個人との関係、個人と家族、あるいは個人と地域などの関係も大きく変化し、人間関係の希薄化や地域コミュニティーの弱体化が進行しております。
 こうした変化の中で、教育においても、陰湿で執拗ないじめの問題、校内や家庭内での暴力の問題、学ぶ意欲の低下、学習離れなどと言われておりますけれども、こういった問題、あるいは、いわゆる格差の問題も教育の中に入り込むというように、現在、教育はたくさんの課題を抱えるようになっております。
 また、非常に大きな流れといたしましては、生涯学習ということが大きく叫ばれて、よく言われるように、フロントエンドモデル、前のところでもって終わってしまうというような教育のモデルからリカレントモデル、何遍も何遍も教育学習の場へ流れ戻ってくるというようなモデルへ教育のモデルが変換しているということが言われます。あるいは、これもよく知識基盤社会の進展ということが言われると。あるいは、教育の機会均等ということについて、これまでの障害の除去というような事柄から更に前進いたしまして、障害の補償と、コンペンセーション、こういったことが大きな課題として言われるようになっているというふうに思います。
 このような様々な課題に対応しながら、新しい時代を切り開く若い世代を育てていくためには教育の抜本的な改革が必要であり、その根本を定める教育基本法についても、現行の普遍的な理念を生かしながら、これからの時代に求められる内容を盛り込んだものへと改正することが必要であり、政府提出の教育基本法案に賛成をさせていただきたいと思います。
 具体的にちょっと申し上げますと、互いに支え合い協力し合いながら地域の形成に主体的に参画する公共の精神が前文と教育の目標にうたわれていること、あるいは我が国と郷土を愛するとともに、他の国、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度が教育目標に掲げられるなど特筆すべき内容となっております。ただ、言葉には意味と同時に意識と感情を伴うために、国と郷土を愛するという文言がかつての愛国心と二重写しになるなど、一部に反発が見られることは残念なことでございます。
 若干、あと中身について触れさせていただきますと、先ほど申しましたように、第三条に生涯学習の理念ということが新しく設けられたということは、正に今日的な課題に対応したものだというふうに思っております。
 あと二つ、三つのところを、教育行政にかかわる規定の新設などと関連させて、新しく設けたことなどと関連して若干の意見を述べさせていただきたいと思います。
 第四条の教育の機会均等、先ほども申し上げさせていただきましたけれども、その第二項に「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」と、こういったことが新しく規定されました。
 このことにつきましては、私、昨年の十二月に中教審の特別支援教育特別委員会の委員長といたしまして特別支援教育の答申をまとめたというような、そういった立場にございますので、非常にこの新しい文言の書き込みというものに対して感謝の意を表しております。と同時に、これは教育行政の責務というものを積極的に規定したものであるというように理解しております。
 第五条の義務教育の目的と国及び地方公共団体の責務、つまり行政責任が明文規定されたと、このことも、単に義務教育の規定だけではなくて、教育行政における国、地方公共団体の責務と関連した書き込みがなされていること。
 そして、第七条、大学と、あるいは第八条、私立学校。私、私立大学に移りまして十年たつということですっかり私立学校人になっておりますが、この私立学校が、あるいは私立学校の持つ公共性というものが大きくうたわれていると。しかも、国及び地方公共団体が私立学校にどういうふうな役割を果たすかということにかかわりまして、その努力義務が新たに設けられている、これも非常にうれしく思います。
 第十条の家庭教育、第十一条の幼児教育、ともに国及び地方公共団体の努力義務、行政の努力義務が書き込まれていると、これも同じでございます。
 第十六条の教育行政の二項から四項、これにつきましては新しく設けられたものでございまして、国と地方公共団体の行政的な責務というものが書き込まれ、特にその財政措置というふうなことにまで積極的に明記されているということに対して敬意を表しているところでございます。
 最後に、第十七条の教育振興基本計画については、これは当然、政府と地方公共団体の責務あるいは努力義務ということが明文規定されておりまして、これらはすべて教育行政にかかわる条文に成長したと申しますか、なってきていると。これまでの基本法では、それぞれのねらいなどが書かれているということでございましたけれども、それが国や地方公共団体の責務という形で、行政的な責務ということで明確な表現でそれが示されているということに本当に敬意を表しております。
 次、少し急ぎますけれども、政府原案及び民主党案における教育行政の条文についてでございます。
 政府の改正案の第十六条は、先ほど申しましたように、現行法第十条と比べて充実した、つまり行政責任ということまで書き込んだという意味で充実した内容になっているという感想を強く持っております。先ほど申したとおりでございます。
 やや繰り返しになりますけれども、一つには、国と地方公共団体の役割分担について基本的な考え方が示されている。国は全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を担い、地方はその地域の実情に応じて施策を実施するということが規定されております。
 また、第五条三項には、これもまた先ほど申しましたけれども、国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下にその実施に責任を負うと、これもまた行政的な責務が規定されております。
 もう一つ、財政上の措置が明記されていることといたしまして、いろいろとトータルで考えてみますと、教育再生を掲げておられる安倍政権において、未来への先行投資である教育に対し優先的な予算措置がなされるということを期待しております。
 次に、民主党案第十八条についてでございます。
 これについて見ますと、財政措置については非常に積極的な書き込みがなされている、あるいは学校理事会制度の導入を明記するなど、非常に意欲的な内容であるというように感じ取っております。しかし、若干疑問を感じる点もございます。
 それは、民主党案では教育委員会制度が否定されていると、それ、否定されているということでございます。自ら学校を設置し、その教育内容や教員の人事に責任を持っている地方公共団体においては、政治的中立の確保が強く求められていると思います。首長の地方公共団体における権限は大統領的と言われるように非常に強いものであり、首長が、教育だけに教育行政をゆだねることにはいささか疑問を感じざるを得ません。
 さらに、昭和二十三年ですか、地方教育行政法が成立して以来、一貫して教育委員会制度の根幹的な理念として、教育行政の中立性、とりわけ政治的な中立性というものの理念がずっと続いてまいりましたけれども、それがここで放棄されるというような感じを強く持ち、やはり一つの何と申しますか、感慨無量のものが、感慨無量と申しますか、どうしてもそのことには素直に納得できないものを感ずるわけでございます。
 以上、教育基本法改正に際しまして、教育行政の在り方を中心にお話を申し上げました。教育はあらゆる社会システムの基盤になるものであると考えます。教育基本法の早期成立と、それを踏まえた教育基本計画の策定、あるいは、何度も申しましたけれども、教育予算の一層の充実というものを期待させていただいております。
 まだちょっとあるようですので、最後ちょっと蛇足になりますが、今後の教育委員会制度、一体どういうふうにその在り方を考えたらいいのかと。なかなか難しいところがあろうかと思いますが、まず第一点は縦の関係で、国と地方の役割分担を一層明確にし、そしてどのように連携を強化するかということをもっともっと考えていかなきゃならないんではないかと。
 それから、第二番目は横の線でございますけれども、首長部局と教育委員会の役割分担の明確化と、その連携協力というものを更に推し進めていくというようなことではないかと思います。
 それから、最後になりましたけれども、教育改革国民会議の十七の提案のうちの一つにもうたわれておりますように、どうも教育委員会は組織マネジメントというような発想が弱いんではないか、こういうものを取り入れてはいかがかというような提言がございます。このことは、言ってみれば、あの臨教審当時に、教育委員会の活性化、若しくは教育委員会が形骸化してしまっているというような提言あるいは問題指摘をいただきまして、私、その後、教育委員会の活性化のための協力者会議のメンバーで作業をし、報告書をまとめた経験がございますけれども、そういったことを考えますと、今申し上げたような三つの考え方あるいは柱、そういったものを基にいたしまして、教育委員会をより活性化し、その強固な姿というものをつくり上げていくための努力というものをここで国民一丸となってしていくというようなことが求められるんではなかろうかと思います。
 失礼いたしました。二十四分になりました。以上でございます。
#7
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、藤原参考人、お願いいたします。藤原参考人。
#8
○参考人(藤原和博君) おはようございます。藤原でございます。
 顔を見ていただきますと分かりますように、教育界のさだまさしというふうに呼ばれております。よろしくお見知りおきをと思います。
 私は現職の校長でございますので、基本的には現行法を遵守する立場にございまして、現行法の法律の条文並びに新しい案の条文につきましてコメントをすることは差し控えたいと思います。
 その代わり、せっかく現場から来ておりますので、現場で今何が起こっているか、その現場で起こっていることと教育委員会との関係、あるいは地域社会との関係、それから校長という人間と学校経営との関係を少し明らかにしてみたいかなというふうに思っています。
 その前に、和田中学校を御存じない方のためにちょっと紹介をさせていただきます。恐らく公立の中学校としては今最も注目されている中学校だと思います。なぜかといいますと、現行法で、現在の制度下で、指導要領も遵守しながら、特区も取らずに、どこまで学校が変わるかということを、言わば実験的な挑戦をしている学校です。最初の二年で二百ほどの改善をいたしましたが、これ、すべて現行法下で行っておりますし、指導要領も逸脱しておりません。
 杉並区では最もCS、カスタマーサティスファクションですね、生徒とそれから保護者とそれから教員の満足度が高い学校です。これはデータがそれを明らかにしております。また、先ごろ、給食が非常においしいということと食育の実践が認められまして、文部科学大臣賞を今年いただいております。
 二つほど私がやりました改革には核がございまして、一つは、報道をさんざんされておりますから御存じだと思いますけれども、「よのなか科」という授業、これを校長自らやりまして、ほとんど毎週ですね、ほとんど毎週、公開授業が行われている。それも、世の中で役に立つ知恵と技術を、まあ学校の知識をどういうふうに組み合わせるとそれができるのかという視点で教えております。最初はハンバーガー一個から世界が見えるという経済の本質を教える授業、非常に入りやすい授業から入りますけれども、秋口になりますと、この間、NHKの一時間半のドキュメンタリーにもなりましたけれども、少年法下で殺人を犯しちゃった少年をどう裁くかという、裁判員制度の実施を見込んで、今から、やっぱり中学生からそういう視点を授けたいということで模擬裁判を行ったり、あるいはこの間、TBSのドキュメンタリー、三十分物も放映されましたけれども、自殺といじめにつきまして、それをディベートするような授業も行っております。
 そういう授業が言わば学校という閉ざされた世界の中で出島のような機能を果たして、大体これ、二年間で三千人ぐらいの保護者、地域の人、それからPTAのOG、OB、学校のOG、OB、それから教育関係者が続々と来る。その中にもう病み付きになっちゃう人が現れて、何度もそういう授業に出る。こんな授業があったら自分の人生変わったんじゃないか、中学のときにこういう授業を受けたかったという、そういう感想が多いんです。
 そういうファンの人たちを集めまして、もう一つの改革ですけれども、地域本部という組織をつくります。学校の中に地域を構成する、言わば学校を核に地域社会を再生するということをやっているわけです。現在では六、七十人のボランティアが、入れ替わり立ち替わり和田中の放課後の図書室の運営ですね、それから土曜日、学校の運営、あるいは五千坪あります敷地の緑のお世話という、そういうもの、本来、教員が力を合わせてやらなければならないものなのかもしれませんけれども、教員にとってはちょっと余計な仕事ですね。私は、教員は授業と中学校においては部活を中心とした生活指導に特化してもらいたいと思っていますので、それに集中してもらいたいと思っていますので、生徒の学びを豊かにするためにはすごく大事だけれども教員がやるにはちょっと負担になっちゃう、そういう仕事を地域本部の仕事としてボランティアにやってもらっているわけなんですね。
 ですから、和田中では三百人の生徒で十八人ほどの教員でやっておりますけれども、ほぼ同じ数の大人がもう入れ替わり立ち替わり、もうなじみの大人というような形になります。おじさん、おばさん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんが毎日訪れる。つまり、和田中というのは教員だけで経営している学校ではなくて、その倍の数、同じ数ですね、地域の大人が入りますので、倍の数の大人で経営している学校という、こういうことになります。
 そういうスタッフが増えてきますといろんなことができるようになり、例えば四十五分授業にしているんです。中学校は普通五十分授業で二十八こま、週の授業が普通ですが、うちは四十五分で三十二こまの授業にしております。このことによりまして、一年生では英数国理社のすべてでほかの公立校よりも一こま多い。したがって、その一こま多い週に四こまになっていることで、英語でも数学でも反復の学習が利いています。このことが学力の底支えをしています。東京大学の苅谷先生のチームが入りまして三年間検証しておりますけれども、そういうデータも出ております。これも現在の指導要領下でやろうと思えばできるんですね、ということ。あるいは、英語のAコースというのを設けまして、週九時間英語を勉強するコースを土曜日ですね、プラスアルファして九時間英語をやるコースを設ける等、そういう工夫をしておるわけです。
 私が何を言いたいかといいますと、もちろん法律はより良きものに変わってほしいわけですけれども、現場の運用ですね、現場の運用をおざなりにしておきますと、どのようにいい法律ができてもそれが生かされない、それがこの十年ぐらいの姿だったんじゃないかなと思います。現場を変えなければ、どんなにいい法律が来ても運用されません。運用の問題なんですね、今起こっていることは、ということを強調したいわけです。
 それでは、もう少し時間を使いまして、現場で起こっていることのうち三つぐらいのことについて、現行のシステムで無理が起こっている部分ですね、三つの無理というふうに言ってもいいんですが、それをちょっと軽く報告しておきたいかなと思います。
 一つ目は、学校と教育委員会との関係ですね。
 小中学校の校長にとりましては、自分の上に市区町村の教育委員会があり、更に都道府県の教育委員会があり、更に文科省があるという四層構造になっています。高校は三層の構造になりますけれども、四層ですね。ということで、私はこれを称して、今ほかの業界で、卸売業者が二枚も入っている業界はどこにもないんじゃないかという例えを言うんですけれども。こういうことが、例えば今回のいじめ、自殺のあの問題に関しましても、一体だれが責任者か全く分からないという、こういうことが起こってくるんです。
 小中学校に関しましては、もう圧倒的に市区町村の教育委員会しか分からないと思います。いじめがどのようなメカニズムで起こり、そこにどういう対処の仕方をすればよいのかは圧倒的に現場に知識があるわけで、仮にそこで文科省をたたいても、そこで例えばいじめ対応マニュアルみたいなものを印刷されてまた何百万部とまいたところで、私はこれは無駄だと思います。
 是非、小中学校に関しましては、主たる権限をなるべく下に下ろしていただく方が正しいと思っておりますし、都道府県は高校の経営がございます、文科省は大学というような形の役割分担をもうちょっと進めるべきじゃないかなというようなことは感じます。四層構造には無理があるということをお話ししました。
 二番目、地域社会と学校の問題なんですが、実は、地域社会という言葉、皆さん簡単に、容易に使いますけれども、じゃだれのことを指すのか、これが通常、見過ごされてしまうわけです。
 実際には、昔で言う地域社会は町会、商店会ですね、町会か商店会だったと思います。でも、これらがほとんど衰退していることは皆さんもお分かりだと思います。地方都市もしかりですね。したがって、学校を開いて外の地域社会と交わろうとか外の地域社会のエネルギーを学校に取り込もうといっても、それは無理です。つまり、商店会や町会そのものが疲弊し切っていますし、会長は大体七十歳、八十歳で引継ぎ手もいないということが特に都市部では起こっています。したがって、地域社会を再生するには、学校の中に全く新しい構成員で地域社会を再生する必要があります。
 もちろん、町会長や商店会長や、あるいは青少年委員とか児童委員とか、そういう人たちは防災とか防犯のときにはすばらしく活躍しますので、これは大事にしなければなりませんけれども、新しく学校経営を支える地域社会は学校の中に、教師になりたい学生、それからPTAではなくPTAのOG、OBですね。PTAだと、やっぱり息子、娘第一になっちゃいがちですので、それが卒業した後のPTAのOG、OB、非常に頼りになります。特に、末っ子が中学を卒業したタイミングでつかまえるのが一番コツだなということでございます。会社でばりばりやっていた方で、家に入ってそれから三人ぐらい子供を育てられて、下の子が中学を卒業したって、いらっしゃるんです。うちの地域本部を立ち上げたのも元IBMのSEをやっていた女性です。
 そういう地域社会をもう一度学校を核に再生することが子供たちに、親と子、先生と生徒というこの行き詰まる縦の関係から解放し、もうちょっと、昔ここにいらっしゃる皆さんが残らず育ったあの地域社会、つまり斜めの関係が豊かな地域社会ですね、子供と直接の利害関係がないお兄さんお姉さん、おじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんとの関係が豊かにはぐくめる、そういう地域社会を学校の中につくることが必要。これはただではできません。私は、ここにこそ国のお金を投じるべきだと思っていまして、これは新しい時代の公共事業です。昔の公共事業はコンクリートと鉄に投資していたと思いますが、これからの公共事業はこの地域社会の再生、これにお金を使わないととても厄介です。
 いじめがなぜあんなに発見されないか、あるいは対処がなぜ遅れるかも、地域社会というものがなくなっちゃって、この斜めの関係がなくなっちゃったことが主要因です。子供にもプライドがありますので、小学生でもプライドがありますので、先生とか親には言わないんですよ。分からなくて当然なんです。言わないんです。分からないようにやるんですから。というようなことで、是非この地域社会の復興を学校を核にという、こういうことを実現してもらいたいなと思っています。
 最後です。校長、先ほど言いました、どんなにいい法律になっても運用者が現在の校長では非常に危うい。特に中学校が問題です。私は小学校はそれほど実は問題だとは思っていないんですが、中学校。中学生が大人になる大事な時期ですということで、その大事な時期に本物の大人を充てたいと考えるわけです。
 一万校中学校がございますので、私は、三千人ほど、三千人ほどです、今、民間校長って八十人ぐらいなんですけれども、もっと束になって、これはもう国策として三千人、学校外の世界から校長を導入すべきだと思います。そうでなければあの隠ぺい体質は改まりません。無理です。隠そうとすると思います、どうしたって。やっぱり開かせなきゃならない。そのためには外から大量に送らなきゃならない。
 でも、現在の給与構造では、ビジネスマンで辞めてやってくださいと言っても、相当な物好きしかやらないと思います。なので私は、兼業で、兼業で識見ある人ならば校長ができる体制、そういう体制にすべきだと思っています。例えば、文科省の官僚が、教育長になるんではなく現場に下りて、二年とか五年とか学校の現場を経験して戻る。文科省がこれによって現場を持てますね。それから、塾の経営者で、補習塾の経営者なんかにすばらしい人一杯います。人間的にもすばらしい人一杯います。そういう、必ずしもビジネスマンではないんです。民間校長というとみんなビジネスマンというふうになっちゃうんですが、そうじゃない。NPOの経営者でもいいと思います。そういうことを含めまして、是非、学校外から校長を導入して、もっとオープンな経営が行われるようにしたらよいんではないかと思います。
 今、三つの無理、四層の構造では無理、それから学校はもう教員だけに経営させていたら無理、地域と一緒になってコミュニティースクールを目指すべきだということ、それから最後に、現在の校長だけでは無理ということをお話しいたしました。
 以上です。
#9
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、古山参考人、お願いいたします。古山参考人。
#10
○参考人(古山明男君) 古山です。千葉市で私塾をやっております。
 今、藤原さんの方が公立学校の中でと、法令の中でとおっしゃったんですけれども、私は法令の外側におりましたんで、法令の限界というのがよく見えるような立場にいましたんで、そういうことをちょっとお話しできればというふうに思っております。
 私塾やっていましたんだけれども、私はいわゆる学力の私塾じゃなくて、生徒を絶対に選びませんという方針でやっていました。そうしましたら、不登校、あるいは落ちこぼれ、落ち着きがない、無気力、その他これはちょっと学校の守備範囲じゃカバーできないだろうという、そういうお子さんと親御さんが一杯来たんですね。そういうものに対する対応というのが非常に多かったんです。フリースクールもやっていまして、不登校のお子さんたち見ていました。不登校のお子さんと親御さんというのは、本当に立場のない人たちなんですね。学校へ行かなきゃならない、分かっているんだけれどもどうにも教育の道が付かない、せめてできることをやっておりました。
 こういうお母さん方に話聞きますと、異口同音に聞くのが、学校というのはしゃくし定規である、それからきれい事ばっかり言う。これ何でかなと思いまして、少し自分で制度の研究なんか始めまして、それから外国の取材なんかもいたしまして、法律と制度をかなり調べていまして、それで今思っていますのは、日本でいろいろ教育問題出てくる、またなかなか解決の道が付かない。これは学校教育法と地方教育行政の組織及び運営に関する法律、この二本の取り合わせというのが非常に悪くて、問題が起こったときにフィードバックすることができないシステムできているというふうに思っているんです。そういうことを現場の視点からも含めましてちょっとお話しできたらと思っています。
 大変面白い実例に出会ったことあったんです。あるお母さん、小学校のお子さんをお持ちのお母さんだったんですけれども、子供にお弁当を持たせたかったんですね。学校へ行きまして担任の先生にいいですかって聞きましたら、担任の先生、いろんなことおっしゃったんだけれども、まあとにかく校長に聞いてみないとということで、それで一緒に校長先生のところへ行ったわけです。そうしますと、校長先生もいろんなことをおっしゃったんだけど、結局市の教育委員会に聞いてみないと。これ実は、給食は全員に施すことという文部省の告示があるんですね。そこで、教育委員会に出向いたところ、市の教育委員会に行ったところ、いろんなことをおっしゃったんだけれども、結局これは県教委に聞いてみないと。県教委の指導下にあるんですね。それで、県教委に行きましたら、県教委は、行ったんじゃない、電話したんですけれども、そうしたら文部省に聞いてくださいと。で、文部省に電話したんです。そうしましたら、そういうことは教育委員会の御判断なさることでという。それでこれ、それでうやむやになっちゃったんですけれどもね、この件ね。
 これ、普通のたらい回しに見えるんです。ところが、これは権限関係がどうなっていたかよく調べますと、実は正式権限がこうなっているんですね。
 順に見ていきますと、担任は校長の指揮下にあります、独断でできないわけです。校長先生は市教委に強く指導されております。特に法令絡みのこと難しいです。ところが、市教委というのは、いろんな市教委あるんですけれども、多くの場合非常に権限持ってないところで、事務処理だけやっているような場合多いんですね。それで、こちらも法令絡みなもので言えない。それから、もし前例作っちゃって、ほかからもいいですかなんて言われたら困っちゃう。そこで、県教委へ行ってくれと。県教委の方は、もしオーケー出しちゃいますと、これオーケーでもノーでもそうなんです、前例作っちゃう。それから、市教委の頭越しでやっちゃうことになるんですね。これはまずいというんで、県教委なかなかできない。それから、法令絡みなものですから、万が一文科省と、当時、文部省だった時代の話なんですけれども、トラブルがあったときの対応までしなければならない。とても当時、その一担当者の決断でできないんです。
 ところが、じゃ文部省はといいますと、これ実は文部省は指導、助言しかできなくて、指揮しちゃいけないんですね、学校を。ですから、もしこれに対して文部省がはっきりした判断とかこうしたらと言ったら、これは教育委員会に対して越権行為になっちゃうんです。
 それで、文部省は学校の基準を定めるのが仕事です。そして、教育委員会はそれを運用するのが仕事です。だもんで、これ運用に入るというので、文部省としては、そういうことは教育委員会の御判断なさることでと言うしかないんですね。言わないと越権行為になっちゃうんです。
 これ見てみますと、このどこにもそれぞれの方が無理がないんですね、それぞれの職分。なんだけれども、これ要するにたらい回しなんです。
 それで、これ一般行政ですと、こういうたらい回しがありますと、親御さん、次の選挙で市長を落とすとか何とかできるんですけれども、教育は一般行政と分離していますので、市町村は責任負っているわけじゃないんです。そこで、だれを落選させることもできないんですね。それで、これは結局うやむや、泣き寝入りになるわけなんです。
 それで、日本でのたくさんの教育問題があるんですけれども、これがだれが責任持っているのかはっきりしないという構造がありまして、うやむやなっていく、泣き寝入りになっていく。特に、不登校問題なんというのは、今の教育では対応できない事態が起こっているという意味なんですね。
 ところが、これ本格的に解決するには大変な予算、法令、人員、全部集めなきゃならないんだけど、これ持っているところなくて対応できない。それで、私みたいなアパート一室のフリースクールなんかに一杯お子さん来るわけです。
 じゃ、何でそんな無責任な体制できたかというのをちょっと歴史的な経過から御説明したいと思っていまして、ちょっと資料の方をごらんいただきたいんです。「教育行政の変遷」と題しましたペーパーです。
 まずは、戦前の教育行政なんですけれども、これはトップに内務省と文部省がありまして、その下に道府県、その下に市町村、で、市町村が直接学校をつくって運用するという形になっていました。それから、トップに内務省があるのを不思議に思われると思うんですけれども、これは実は、当時、地方自治というのがなくて地方のことはみんな内務省の管轄になっているものですから、学校に対しても内務省が絶大な権限持っています。この特徴は、学校も一般行政に組み入れられちゃっていること。そうしますと、当然、国の政策と教育が一致しますんで、これが軍国主義教育のもとになった、そういう深刻な反省生じまして、で、戦後、教育委員会ができてきます、一九四八年です。
 それで、教育委員会は独立性を高めなきゃならないということで、行政委員会としてつくりました。これは選挙管理委員会ですとか公正取引委員会、これと同じような構造ですので、首長さんも指揮しちゃいけない、議会も指揮しちゃいけない、そういう行政委員会としてつくって、この教育委員会が公立学校を運営すると。ただ、これが独善的になっちゃいけないというので、教育委員会は公選制、それから文部省が学校基準を定めて、その基準の中でやってもらうと、そういう構造になっていました。当然、この構造の特徴は、教育が一般行政と別建てになっていまして、自治体が登場しません。これは、教育と住民は教育委員選挙を通じてつながっています。
 この現実だったんですけれども、実はこの教育委員会、さほど機能してないんですね。その最大の理由は、実は六三制施行、これより教育委員会の発足が一年遅れちゃうんです、どうしても議論がまとまらなくて。そうしますと、六三制、暫定的に文部省が運営しなきゃなりません。そして、今度こそ恣意的にやらないぞという反省がありますんで、きちんとすべて法令を作った上で文部省は運営なさった。そうしますと、膨大な法令の体系ができるんですね。これが学校教育法及びそれに伴う政省令でありまして、これは現在もそのまま続いております。そのため、現在も非常に規制の多い法教育体系というのができております。
 この制度なんですけれども、実は教育委員会はほとんど仕事がなかったんですね。学校基準を定める仕事が本当は教育委員会の仕事なんですけれども、それを文部省が持っている。それから、委員選挙をやっていますと、三流の政治家が出てきたり教員組合が組織票で入るとかあったんで、かえって選挙をやるんで政治持ち込むんじゃないかと、そういう心配あったものですから、地方教育行政法というのが一九五六年にできまして、この教育委員選挙をなくしました。
 それから、教育委員会に対して文部省が指導、助言、指揮じゃないんです、指導、助言できる体制つくりました。文部省、都道府県教委、市教委、学校というのが一つのラインになります。この特徴は、ライン上に、保護者、住民に信任を問われる役職というのがどこにも入っていないんですね。よく市長さんがと思われているんですが、これは実は一般行政別建てなもので、市長さんは責任を負ってないんです。ただ、法制上のちょっと都合があるもので、もしいじめ自殺なんかあった場合、訴訟の主体になっちゃうのは市長さんなんです。
 それで、ここで、教育委員会は非常に文部省の支部みたいな形に傾斜していくんですけれども、なぜかといいますと、この教育委員会というのは、元々非常に独立性が高く設計してあります。そこで選挙をやめちゃって文部省の指導、助言付けましたら、教育委員会に意見言える立場はもう文部省しかないんですね。だもんで、教育委員会はどんどんどんどん文部省の方に傾斜していっちゃいます。それから、法律がいろいろあるものですから、条例優先というわけにいかないんで、非常に国の法令にいきます。
 そして、ちょっと飛ばします。次のページです。この権限構造がどうなっているかを模式図化したものです。
 戦後の日本教育、なかなかうまくいきまして、高度成長を支えました。学力も高かった。これ、実質的に指導してきたのは文部省なんですね。ところが、面白いことに、文部省はこれ、直接権限は全く持ってなかったんです。間接指揮のルートを三本使ってやっていました。
 一本は、学校教育法を始めとした法律とそれに伴う省令。省令の部分に非常に権限が一杯ありますんで、文部省の一存で決められることがたくさんあります。議会通さなくていいんです。それから、教育委員会を通じて指導、助言していく。もう一つは、国庫補助をやっていますんで、それに対して補助を受けるについてはこれだけの基準満たしてくれという、標準化ありますんで、学校の一クラス人数とか、こちらは国庫補助からの標準化でコントロールしていました。
 それで、このシステムの問題点、二つありまして、一つは問題が起こったときに責任者がどこだか分かんないんですね。というのは、文科省が方針を出しまして、教育委員会がそれを自主的に判断して実行するという形式、今取っております。だもんですから、問題があったときに、教育委員会の方の責任なのか文部省の責任なのか、どっちも責任の取りようがない形になっちゃうんですね。
 もう一つは、一方通行の形になっていまして、現場の実情、問題点、これ、くみ上げる能力が非常に低い。また、対応能力が非常に低い。そもそも、住民が信任を問える役職、どこにも入ってませんで、それから教育委員会も上の方ばっかり見ますんで、なかなかその実情伝わらない。
 そこで、その権限構造のちょっと下に、非常に権限が分散しています、新しい施策なんか立てる場合に何が起こるかという図にしたんですけれども、新施策という家の下に四本柱が立っています。これ、予算は首長にあります、今。それから、法令を握ってるのは文科省です。人事権者は県教委、そして実行責任持ってるのは市教委です。この柱のどれか一本でも抜けちゃうと施策が立たないんですね。そのため、施策どっかでやりたい人はみんなこのお互いの了解を求めて回るんですけれども、そのたびに、まあいいけどもちょっとここは何とかしてくれというのを付けられて、非常に妥協的な案ばっかり出てくるんですね。
 一方、教育の本当の当事者、教室の中のことを知っているのは先生と生徒だけです。教職員、それから生徒、さらに保護者もある程度関係している。こちらの、もちろん何のかの言えるんですけれども、正式な法律で保障された発言権と運営参加権、持っていないんですね。このため、どんどん実情と離れちゃうわけです。
 そして、将来像なんですけれども、欧米の例なんかいろいろ調べまして、やっぱり教育の当事者というのは先生と生徒とそして保護者。この三者のどこかがへそ曲げちゃったりつぶれちゃったりすると、教育もう運営できないんですね。この三者の立場をきちきちんとして、チェック・アンド・バランスできちんと作り上げていく。欧米にたくさん例がありますので、そういう方向で作っていくことかなというふうに思っております。
#11
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、中嶋参考人、お願いいたします。中嶋参考人。
#12
○参考人(中嶋哲彦君) こんにちは。中嶋と申します。よろしくお願いいたします。
 私は、名古屋大学の教育発達科学研究科で教育行政学、教育法学の研究と教育に携わっています。また、二〇〇〇年の秋から犬山市の教育委員として教育行政にかかわっております。その立場から今日は発言させていただく機会を与えられたものと思います。
 本来、こういう場には市長、石田市長あるいは教育長が来てお話しすべきところかもしれませんが、石田市長はこの前知事選に立候補するために辞任いたしまして、それから教育長はとてもシャイな人で、こういう場はおまえが行けということで行かされてしまいます。本当はとても気が弱いので、今日はお手柔らかにお願いしたいと思います。
 それで、私は今日、この教育基本法に関して、教育委員会制度が主なテーマになっているということで、それにかかわりながら、そこに集中して御意見を申し上げたいと思います。
 一つは、教育というものはそもそも国民の学びと育ちを保障するということが公教育の役割であろうと思います。
 ただ、その際に一つ念頭に置かなければならないのは、人が学び、育つというのは基本的には個人的な事柄であって、個人として学び、育つ、そこに自由と権利がまずあるんだ、そのことが前提になると思います。その上で、公教育制度においてその国民の学びと育ちをどのようにして保障するかということが問題となっていると。そのことが教育基本法の大きな課題であると思います。
 それにかかわる国民の権利、自由と、それからそれに対応する公教育制度の原理、国の責務が今日の教育基本法には規定されていると思っています。その意味で、私は、今日の教育基本法の持っている意義は極めて高いものであると思います。したがって、私は、教育基本法を改正する必要がないと考えています。
 もう一つ、犬山に──ごめんなさい、それはちょっと後で申し上げたいと思います。
 まず、教育委員会制度について、少しおさらい的に申し上げておきたいことがあります。
 それは、まず第一に、教育は地方自治を原則としているということです。これは、地方自治法にも地方教育行政法にも、そして根本的に言えば憲法や教育基本法において、教育は地方公共団体によって担われるべき事務であるということが規定されています。
 具体的には、例えば、学校管理権は、首長、その学校を設置した主体によって保持されるべきものであって、例えば公立の小中学校は、市町村そしてその教育委員会が学校管理権を有するものであると。これが教育の地方自治を具体的な学校制度の中に位置付けたものであるというふうに思います。まず、そのことを大事にしなければならない原理であると考えます。
 さらに、その地方公共団体内部にあって、現在の教育基本法及び地方教育行政法の原則は、首長から相対的に独立した教育委員会によってその教育行政が担われるべきであるというふうに定められています。これも私はとても大事な原則であると思います。
 それは、教育というものは一般の行政あるいは選挙によって、政治的選挙によって選任される首長の体現している政治的な諸価値とは相対的に区別されるべき教育と文化にかかわる固有の価値を教育行政が担っていくんだということであろうと思います。要するに、教育や文化の中に政治的な価値が直接に反映するということは適切ではないと考えます。
 そのために、例えば教育委員を選任する場合には、教育委員五名おりますけれども、そのうちの過半数、三名が同一政党に属さないようにしなければならないという規定も地方教育行政法に置かれています。そのようにして教育はあくまで政治的に中立であることが極めて重要な事柄であるということを私どもは確認しておきたいと思います。
 さらに、そうなりますと、今申し上げたのは、二つの独立について申し上げたんですね。これは、地方自治という意味では地方の教育行政は国の教育行政から独立していなければならないということと、それから地方の内部においては一般行政から教育行政は独立しているべきであるという二つの独立を申し上げました。
 では、教育行政を担う教育委員会はどこからもコントロールされないのかというと、そうではないと。教育行政というのは、つまり教育委員会というのは、これは基本的に住民の教育に対する意思、教育意思と私ども呼んでいますが、教育意思を反映する仕組みとして教育委員会制度というのは機能しなければならないと思います。
 その意味で、教育委員会の選任は、首長による任命よりも住民の直接公選による制度の方が望ましいと考えています。しかしながら、現在の地方教育行政法の下ではこれが首長任命となっていることから、一定の後退をしたと考えざるを得ないかと思います。ただ、その一方で議会による同意制があること、それから責任の仕組みがないという御発言も先ほどございましたけれども、教育委員も特別職公務員ですので、リコールによって住民による解職請求をなすことができるということも念頭に置かなければならないと思います。その意味で、教育委員会制度というものは、住民の意思、その保護者の意思に基づいて、それを教育行政、そして学校経営、運営に反映させるルートであるというふうに考えます。
 そうしますと、先ほど教育行政また教育委員会の学校管理権ということを申しました。そうすると、学校管理権というのはどういうことになるかというと、国や都道府県から独立して市町村の教育委員会が学校を管理運営するということを言ったもの、それが学校管理権ということになります。
 しかし、ここで私たちが考えなければいけないのは、教育委員会による学校の管理運営というものの具体的な在り方です。
 これは、学校に対して教育委員会が指揮命令をし、学校の自由を制約するような管理の仕方、これを認めたものではないと考えています。学校は、あるいは教育は自主的に行われなければならない、自主性が尊重されなければならない、これが現行教育基本法第十条の精神です。教育行政は、教育の自主性を尊重して教育の条件整備に努めなければならないという原則があります。その原則に立つならば、学校に対して、とりわけ教育の内容であるとか方法に対して指揮命令に及ぶような管理運営については、これは慎まなければならないと考えています。基本的に学校の自主性を尊重しつつ教育行政は条件整備に努めなければならないと考えています。
 これが私の今日の教育行政及び教育委員会制度の在り方についての基本的な考え方、あるいは現行法の認識です。
 その上で、では犬山ではどういうことをしてきたかということをお話ししたいと思います。
 それは、資料に、二つの、クリップで留めていただきましたが、一つは、犬山市の今年度の重要施策、「学びの学校づくり」というものです。十二ページあります。今は申し上げる時間は到底ありませんので、後でごらんいただければと思いますが。
 ここのこの学校づくりの基本的な考え方は、この表紙に三つ挙げてあります。読み上げさせていただきます。犬山の教育は、人格の完成を目指し、自ら学ぶ力を人格形成の重要な要素と位置付ける。学校教育というものは学力向上だけに偏重して行われればよいというものではない。学校教育は人格の完成を目指すものであって、そこで獲得すべき学力は自ら学ぶ力でなければならないと考えています。
 二つ目に、犬山の学校づくりは、子供が学ぶ喜びを実感し、教師が喜びを感じ取り、親の願いや地域の期待にこたえようとするものである。そのようなものでなければならないというふうに考えています。これは、学校教育というものは、競争によって、子供同士の競争、教師同士の競争、そして学校同士の競争、地域の競争によって向上するものではないと考えています。私たちは、子供が学ぶ喜び、これが学校教育にとっては一番大事なことなんだと、その顔を見たいんだということです。そのためには、教師が喜ぶ、教師もやはり学ぶ、教えることに喜びを感じなければならない。そういう教師の力を引き出したいんだということを考えています。そのために、教育委員会が学校に対して指揮命令をするというのはもってのほかであるし、教師を競争させるということではないと。彼らの持っている力を引き出したいんだということです。それによって様々な成果を生み出したと思っています。
 三番目に、犬山の教育改革は、目の前の子供を見詰め、教師の地道な教育実践の積み重ねによる手づくりの学校づくりであると。これは、国や都道府県の政策を待つのではないということです。犬山で現に目の前にいる子供、この子たちをどうするかということを教師の目で見る、教育委員会の目で見る、親の目で見る、そういう、私たちが具体的に目の前にいる子供たちをどうするかというところから出発するんだと。だから、これは国の教育政策がどうか、どちらに向かって走っていくか、それとは相対的には別なんだ。全くのその国の政策と別の方向を走るということはできないかもしれないけれども、私たちの目の前にいる子供に私たちが何をするか、それが地方自治で、そのために私たちは目の前にいる子供たちに対応したいんだということです。
 時間が余りなくなってしまいましたので、犬山についてはこのぐらいにして、さらに、そのことについてはもう一つ、「日本の教育と基礎学力」という明石書店から出ている書物の中で犬山のことを紹介させていただいております、私が執筆しておりますが。これは、この書物自体が大変好評いただいておりまして、三刷りが決まったところということで、犬山の教育改革も高く評価されているものと考えます。
 そこで、教育基本法の提案されている問題点、これ余り時間がありませんが、急いで申し上げたいと思います。
 一つは、第十六条についてです。第十六条の不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところによると、教育は行われなければならないとありますが、これは国や地方公共団体の法解釈にも誤りがあり得ると、これは文科大臣のお認めになったところではないかと思いますが、それが一点。
 それから、法律に対して忠実に政策立案の活動を行ったとしても、なお、その政策の具体的内容が教育の実態に即して適切でない場合があり得るということがあります。法律に従っていれば、それは中身が適切であるとは限りません。その意味では、教育の具体的内容や方法について一番よく知り得る学校、教師、そして地方教育委員会が自主的に教育を行うという枠組みを是非確保していく必要があると考えます。それが一点目です。
 それから、第十六条においては国と地方の関係が二項、三項において定められていますが、この国と地方の関係も十分にまだ審議の中で明らかになったというふうには私は考えておりません。ここについては更に明らかにしていただきたいと考えます。
 次に、第十七条についてです。これも国の法解釈に誤りがあり得るとするならば、教育振興基本計画の策定内容において誤りが生じ得る、法令の解釈を誤って教育振興基本計画が設計される可能性があり得るということであろうと思います。そのためには、教育振興基本計画という制度を作るのであるならば、これは国会による承認を必要とすると、事前に国会の承認を必要とし、そのことによって内容の適切性を確保する必要があると考えます。
 他の基本法においては承認制を取っているということでありますが、学校教育というのは一度行われればそれっきりであると、そこで何か問題が生じた場合のその回復が非常に困難であるという性格を持っている。その点で他の領域とは違うと思いますので、これは是非とも事前の国会承認を必要とする制度にしなければならない、もし作るのであればですが、と考えます。
 さらに、その教育振興基本計画の中に地方公共団体の意見を取り入れる仕組みを是非とも作るべきであろうと思います。国が一方的に振興計画を作り地方に行わせる、地方はそれを参酌して制度を作ると、地域の計画を作るというのでは適切ではないと思います。
 さらに、これは地方にとっては国の計画を参酌して自らの計画を作るとありますが、その場合、参酌した結果、国の振興計画のお金はいただかないとなった場合に、では地方は地域の教育振興基本計画を自ら策定する際の財源はどうやって確保するのかという問題があります。財源が確保できない可能性が非常に高いですので、結果として国の振興計画を受け入れざるを得ない、そういう仕組みになってしまうのではないかということを非常に危惧しております。
 私ども、犬山の教育改革を更に今後発展させていきたいと思いますが、この教育基本法が新たに改正されたものができた場合には、現在の犬山市として自立した教育を進めていくということが非常に困難になるのではないかということを危惧しております。
 以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。
#13
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#14
○北岡秀二君 自由民主党の北岡秀二でございます。
 今日は、参考人のそれぞれの先生方、お忙しいところ御出席をいただいて、それぞれの立場から大変貴重な御意見をいただきました。本当に改めて私の立場からも御礼を申し上げたいと思います。
 今日は、教育委員会制度についてということで、それぞれのお立場の御意見いただいたんですが、私どもも、党内あるいは委員会含めて、教育委員会の問題、特に最近のいじめ騒動に関連して、特に教育委員会の無責任というか、その体質的な問題をいろいろ取りざたをされております。
 そしてまた、なおかつこの無責任体制、まあすべてがそうではないんですが、しっかりその責任を取って、しっかりと、先ほどの先生のお話ではないですが、運用次第のところも多少あるんで、しっかりと運用をされながら稼働されておる教育委員会もございます。しかし、まあおおむね我々の認識の中では、今の教育委員会の無責任制度をどう変えていったらいいんだろうかと。そしてまた、なおかつ、先ほども話ありましたが、形骸化している制度をどう変えていったらいいんだろうかというような部分がございました。
 その辺りに関してそれぞれのお立場で参考になる御意見をいただいたんですが、私は、もう既に今それぞれのお立場でお話をいただいた中にも入っておったんですが、この無責任体制の大きな要因の一つというのは、先ほどの不当介入のその条項から派生している部分もかなりあるんじゃなかろうかというふうに私は個人的に思っております。と申しますのは、不当介入という以上、主体があってしかるべきなんですよね。その主体が果たしてどこにあるのかという部分で、片や、このたびの法改正でも多くの認識をされておるところでございますが、特に義務教育に関しては最終の責任は国が負うというのは、これはもう衆目の一致する大きな事実だろうと思うんですが、責任の所在は国にありながら、実際の主体は解釈によって、今までの現行法の中にあってはいろんなところが主体だと。
 その衆目の一致するところの、まあ国民が主体だというのは一番きれいな言葉で、これはもう決して否定できないんですが、特に校長先生、学校現場で御活躍されていらっしゃる方からいうと、国民というと、片やこちらのこういう意見もある、あちらのこういう意見がある、また右、左、上、下、斜め、横、いろんな意見が出てくる中で、もう現場自体で果たして、じゃ、国民が主体だと思いながらも、その主体の基準がどこにあるのかというのがまたそれぞれの取り方によって変わってくるし、あるいは教育現場が主体なんだ、あるいは地方自治体が主体なんだと、あるいは国が主体なんだと、まあそれぞれのとらえ方があると。
 私は、これはもうお答えをしづらい質問でございますので、こうだという確定のお答えもいただかなくてもいいんですが、四人の先生方に、この不当介入に関するその主体、これだというしっかりとした御意見をお持ちの方ははっきり申し上げていただいてもいいんですが、これに関する御意見も含めて、ダブるところもございますが、それぞれにお答えをいただいたらと思います。
#15
○委員長(中曽根弘文君) 最初に高倉参考人、お願いいたします。
#16
○参考人(高倉翔君) 不当な介入、不当な支配ということに関して今までいろんな議論がなされてまいりましたけれども、束ねてみると、あらゆる主体が不当な介入の主体になり得るというようなところが落ち着き先であるというふうに私は理解しております。したがいまして、この問題の解決というのはそう簡単なことではない、これ一点ですね。
 もう一点は、不当な介入云々、その前に、教委の無責任体制云々というようなことについて、先生御指摘くださいました。それにつきまして、先ほどちょっと私、発表のときに、お話のときに触れさせていただきました、昭和六十二年、臨教審の後を受けた教育委員会の活性化、あの報告書というのはしっかり書いて、それなりの何かフォローアップもしたつもりなんですが、どこかですうっと立ち消えになっていた。そういった報告あるいはいろんな事例集というようなものが何で立ち消えになってしまうんだろうかというふうなことについての原因というものを、今からでも遅くないので、やはりしっかりとその原因を明らかにしておくということも大切かと思います。
#17
○参考人(藤原和博君) 教育委員会というものを取り上げるときに、教育委員五名が集まっているこの教育委員会と、それから教育委員会事務局を両方称するところがありまして、これは非常に混乱をすると思うんですが、この教育委員五名のこの教育委員会がきちっと責任が取れる体制になっているかというと、これ非常に危ういと思います。
 教科書の採択などの例を取りましても、この教育委員が九科目でそれぞれ五社、六社あります教科書、しかも一年から三年まであります。百冊以上になります。さらに最近では、英語なんか特にそうなんですが、関連の教材、例えばテープだったりDVDだったり、そういうものを本当はすべて使いやすいかどうかを検討しなきゃならない。そういうことはほとんど不可能ですね。
 というようなことで、教育委員そのものが実態として名誉職になってしまっているということをこの場では申し上げたいと思います。恐らく、本当にごく一部の犬山市とか、あるいは東京都の一部の市区町村では機能しているところあるでしょうが、九割方、この教育委員によって構成される教育委員会は名誉職という形になってしまっていると思います。
 以上です。
#18
○参考人(古山明男君) 不当な介入ということなんですけれども、不当な介入というのはこれはあらゆるところがあり得るわけなんですね。しかしながら、法律で守ってあげなきゃならない不当な介入となりますと、これは政治家と官僚だと思います。
 というのは、いわゆる本当に不当なやつは分かるんですよ、地域ボスなんかの。これはだれが見たって不当なんですよね。しかし、政治家と行政はしっかりした法令の名の下に、あるいは国民の信託の下に介入してきますので、非常に不当な介入になりやすいと。
 それで、なぜ不当な介入になるかといいますと、言っているのが悪いんじゃなくて、現場の方にそれ実情に合わないんですよということを言い返せるものが付いていれば、周りから何言ったってそれは不当な介入じゃないんですよ。それはまずいんですよとちゃんと意見を言えて話し合える、そういうシステムをきちんとつくらなかったら、これは何もかも不当な介入になっちゃうんですね。
 それで、現実問題、本当に現実問題としては、文科省が法令で運営して、これ議会も通していません、ほとんど。これ文科省、もちろん善意で一生懸命やっているんですけれども、ちょっと余りに実情に遠いところにいらっしゃるもので、これやると下はみんな、ああ下りてきたからというので一生懸命やる。その結果として、ちょっとちぐはぐなことをやっちゃう。本当、結果としてなんですけれども、これは不当な介入であったと。
 今後、立法に当たっては、この点よく審議していただいたらというふうに思っております。
#19
○参考人(中嶋哲彦君) 不当な介入の主体という点では、既に皆さんがおっしゃったように、あらゆるものが不当な介入の主体となり得ると考えます。
 ただ、私も、やはり国及び地方教育委員会は不当な介入の主体となり得ると。とりわけ、それは制度的にその立場にあるということから、制度的に継続的にこの不当な介入になり、主体となっていくだろうと思います。
 もう一つ、教育委員会の無責任体質ということについての御質問がありました。これは、例えて言うならば、親が過干渉の子供はなかなか自立できないということだろうと思います。これまでの日本の教育行政は、国及び都道府県教育委員会による市町村教育委員会に対する過干渉があったというふうに考えています。過干渉を断ち切って自らの足で立とうと、それが教育委員会のこれからの進むべき道だと思っています。私たちの犬山はそのような道を歩みました。
 じゃ、そのときにだれのどこに立脚するか。それが住民の意思の上に立脚する。それは不当な介入ではないんだろうと思います。
 先ほど、教科書採択が、これは教育委員会は自らしていないというお話がありました。確かに、教科書を一ページ一ページ開いて教育委員会において採択しているわけではないです。ただ、それを言うならば、教科書検定権はこれは文部科学大臣が有している、じゃ文部科学大臣が自ら教科書検定を行っているかといえば、そんなことはしてないわけです。つまり、権限がどこにあるかということと、その権限をどのように行使し、どのように具体的に役割を果たしていくかということは別の問題であると。教育委員会の権限の下で教育委員会が責任を持って採択委員を選出し、そこから上がってくる採択の結論に基づいて今度は責任を持って採択をすると、それが教育委員会の役割の果たし方だと思います。教育委員が一ページ一ページ開いていくというものでは決してないと思います。
 その意味でこれは、これまでの教育委員会が役割を果たしていない、無責任であるという議論は、確かに一方において自立していない面があることは確かですけれども、教育委員会制度そのものが自立させていないのではなくて、教育委員会に対する過干渉ですね、これが原因であると考えています。
 以上です。
#20
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 多少のニュアンスの違いありましたが、それぞれの立場で表現をいただいて参考になりました。
 ちなみに、改正案の政府案は御承知だろうと思いますが、そこの部分を、法律あるいは云々というところで主体の確立というのを何とか補佐しようということで工夫をしている部分に、私は一歩前進のところがあるという認識をさせていただいております。
 続いて、高倉参考人にお伺いをしたいと思うんですが、先ほどお話をお伺いいただくところの中に、最近これも大きく議論が出てきておりますが、教育委員会の不要論。審議の中でいろいろ議論されたこともおありだろうと思うんですが、私も、不要論で不要になってしまうと非常に危機感を持っておる者の一人でございます。
 今の状況からすると確かに教育委員会、問題ありますが、今やるべきことは、先ほどからそれぞれの御提案はいただいておりますが、教育委員会の大改革と、責任体制の確立ということが大きなテーマになってくるその改革ということなんでしょうけど、不要論で、政府の中でもその辺りの見解の相違も一部ございます。
 その部分で、先ほど先生の方は政治的中立性を欠くというような表現で解説をされました。時間の関係で簡単に表現をされたように思うんですが、この政治的中立性を欠くというところで先生の御見解、更に突っ込んだ部分、お聞かせをいただきたいと思います。教育委員会がなくなればこうなるんだということに対して、改めてお伺いしたいと思います。
#21
○参考人(高倉翔君) 前半の部分の不要論云々ということに関連しまして、かつて臨時教育審議会の答申は、制度として形骸化していたり活力を失ってしまったりしているところも少なくなく、制度本来の機能を十分に果たしているとは言い難いということで、不要論ではなくて、何かこれにカンフル注射、あるいはそれの生き返る、あるいは生き生きと出直す道はないかということを模索する提言をされたと私理解しております。それを受けまして、私どもそういった作業をして提言をまとめさせていただいた。何だかそれがどこかお蔵に入ってしまったような気もしないではないので、その辺りもう一遍洗い直しをして、決して不要論ではなくて、活力を失ってしまっているのをどう活力を取り戻すかという議論がひとつ大切なんではなかろうか。
 もう一つは、行政的中立性の問題。これもよく言われておりますように、先ほど私は首長大統領論というようなことを申しましたけれども、やはり選挙によって直接選ばれる、このことは確かに民意の結集だということが言えると思いますけれども、場合によってはそれが必ずしも民意の結集と言えない、そういった状況が出てくる可能性というものも現実には見られるのではなかろうか。
 そういうことから考えまして、やはり二十三年の教育委員会法以来ずっと、地方公共団体の長から独立した行政委員会というような基本的な理念というものがずっと貫かれているということの重みをもう一度認識したいと、こういうことでございます。
#22
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 時間が経過しましたので最後の一問にさせていただきたいと思いますが、藤原先生にお伺いしたいと思います。
 私ども、今この審議の過程の中で、地方公聴会、先日も行ってまいったんですが、徳島であったときに教育長経験者から非常に的を射た発言をいただいたんですが、今の教育委員会の活性化の問題に関連しても同じことが言えるんですけど、要はその教育長の人選次第、あるいは教育委員長の人選次第ということにも相通じるんだろうと。私は、その人選をするに当たって首長がどれだけ情熱を持っているか、教育に関して、そしてまたなおかつその意気込みを持っておるか、それにすべてかかわっていますと、制度の問題じゃないというようなちょっと部分も話をされていらっしゃいました。
 私はその話を、先生の話を聞きながら連想して思い起こしたんですが、正に先生も校長先生として情熱を持ってやっているからこそ先ほどおっしゃられたすばらしいいろいろな制度というかシステムが稼働しておるんだろうと思うんです。
 そっちの方はそれでいいんですが、これも大きなテーマになっている一つの問題として、教育長の人選の在り方、これはどうあるべきか、あるいは教育委員長でもいいんですが、当然今の段階では首長が、議会で承認されるということもありますが、内々人選していくということですけど、このことに関して、私も、先ほど申し上げた情熱とあるいはやる気というのはなかなか文章でも評価できないし、制度でも担保できないし、それでもなおかつそういう人選をやっていかなければならないということからすると、何らかの、まあ制度的にも決めたいという思いもあるんですけど、先生なりに何かその辺りの人選の御見解ございましたら聞かせていただきたいと思います。
#23
○参考人(藤原和博君) 実際に今東京で一番教育改革が進んでいるのは杉並区、品川区だと思います。ここがどういうスタイルを取っているかは、やはり首長にもうとにかく非常な情熱があります。恐らく今の住民、市民は、教育についてもきちっとした考えを持ち施策を実行できる首長でなければ選ばないでしょう。その首長と全く反するようなそういう教育長が出てきても、これは恐らく区政がストップしてしまうと思います。
 実際、杉並区とそれから品川区がどういう教育長を据えているかといいますと、これは二人とも教員出身です。ですが、途中から行政の力があるので行政の職に転じた人で、行政の仕事をよく知っている、しかも現場をよく知っている、そういう人がやっています。この組合せですと、つまり、情熱のある首長と、それから現場のことをよく知り、かつ、やっぱり議会で質問に答えなければなりませんから、行政のこともよく知っている教育長の組合せが結果的にはその教育改革を進めています。
 御指摘の中にありました教育委員長というのは、五人の教育委員の代表となっておりますが、基本的にはこれは名誉職になっていると思います。何か例えばいじめのようなことで事件が起こった場合、あそこにだれが出てくるかで分かると思います。校長それから教育長ですね、これがラインとしての責任の取り方だと思います。教育委員長というのは余り出てきません。もちろん教科書の採択などのときには出てきますけど。
 以上です。
#24
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 終わります。
#25
○鈴木寛君 四人の参考人の皆様方、本当に今日は貴重な御意見、大変ありがとうございました。
 まず高倉参考人にお伺いをしたいと思いますが、民主党案におきましては、教育委員会を教育監査委員会ということに改組していくと、こういう案を提示をさせていただいているわけでありますが、私どももこの過程で、今日は四人の参考人、それぞれ非常にすばらしい的を射た御意見をいただいていまして、そのようなことを我々も十分参考にしながら党内で、そして党内外の方々からの御意見もいただきながら議論させていただいたんですね。
 それで、高倉参考人には二つのことについてお伺いをしたいと思いますが、私どもも、やはり杉並区あるいは品川区、それから犬山市、この事例を、私は議員になる前から相当御一緒にやらせていただいたということもあって、明らかに首長のリーダーシップというものがその地域の教育の活性化に直結をしているということは、これはもう実感として感じておりますし、それは実態だというふうに思います。
 しかしながら、なぜその首長でリーダーシップを発揮する人がかくも少ないのかという原因の一つに、政治的中立性というものの解釈に幅がある。例えば、犬山の石田市長は、これ学校の教員と保護者と、そして今日の参考人を始めとする専門家が入った大集会といいますか、本当のタウンミーティングをその犬山市教育委員会が主催されて、これ私も参加させていただいたことあるけれども、すばらしいこれはもうタウンミーティングが行われているんですね。そこに自ら出席をされて、そして御自身も御意見を言っておられるわけであります。こうしたことは私、大変すてきなことだと思いますし、いいことだと思っているんですけれども、政治的中立性の立場からすると、ややグレーゾーンに近いことをやっておられるということも事実だと思います。
 それから、品川区長あるいは杉並区長、御本人を前に申し上げるのは少しあれですが、藤原和博さんのようなすばらしい方をなぜ杉並区だけがオファーをし、そして校長に据えたか。先ほど民間から、別にそれはビジネスからということではありませんけれども、広く世の中の教育の運営について志と情熱とそして能力を持っている人を起用すると、これができたのはひとえに、やはり現杉並区長のリーダーシップと情熱があったからだと思います。この行為もかなり政治的中立の観点からするとグレーゾーンに近い行動をされていたということ事実だと思うんですね。
 したがいまして、この政治的中立というものをもっともっと首長が存分に市民、有権者の御意向を受けて発揮できるように私はすべきだろうということの観点から、首長にもっとその権限を集中し、そして今現在においては首長こそが民主的な選挙によって、正に民主的統制に服する、先ほど古山参考人からもお話がありましたが、ラインの中で保護者、住民に信任を問われないわけでありますから、今の制度の中では首長だけが、あるいは議会だけがその信任を問われると、こういうことになっております。
 一方、しかしながら政治的中立性の確保というのは重要でございます。したがいまして、私どもは、教育監査委員ということで、正にオンブズパーソン制度を設けて、そしてオンブズパーソンである教育監査委員の構成については正に現行の教育委員の選考における政治的中立性、あるいは選挙管理委員と同様の選考過程を設けることによって教育監査委員は政治的中立性を持たせ、そして教育監査委員が正に首長の行う教育行政に関する政治的中立性をチェックをするという、こういうスキームを導入をしたわけでありますが、この二点について、要するに監査委員ではなぜ不十分なのかと、二点目についてはですね、それから一点目は、政治的中立条項が首長のリーダーシップの発揮を阻んでいるのではないかと、この二点について御意見をお聞かせいただきたいと思います。
#26
○参考人(高倉翔君) 中立性の議論というのは、教育をめぐる議論の中で一番難しいようで、例えば公教育というものを考える場合に、義務制、無償制、中立性と分けて、みんな義務制と無償制のところまでは研究をさっさと進めていくけれども、中立性のことになるとどうもブレーキが掛かってしまう。そして、結局は逃げ込むところはどういうことかといいますと、コンドルセの第四権というような話になってきまして、教育権を司法、立法、行政のほかの外側の第四権として考えていくべきだというような話になっていって、それ以上なかなか議論が進んでないというようなところも現実にはあろうかと思います。
 これは、行政における中立性どうするかということとは別に、教育学あるいはこういった教育行政を考えるというような立場にある者が何かその辺りで一つブレーキになっているというようなことがあると。私自身、そのことは深く反省しておりまして、そこから一歩踏み出すためにどういった研究の手法というものが必要なのかということを非常に強く感じております。
 それからもう一つは、監査委員のことでございますが、これが監査をするというような、ある意味での厳しさというものを前面に出すシステムなのか、それとも見守る、ドイツ語でバッヘンという言葉がございますが、見守るというようなそういった意味合いでの監査委員なのか、その辺りの何といいますか、その性格付けによりまして、この監査委員会というものの実際の機能というものもかなり分かれてくるんではなかろうかというように考えております。
 したがいまして、この監査委員会の議論というものも、その機能というものに求められる一体機能というのは何なのかということを明示して、あるいは類型的に示して、その一つ一つについて議論をするというようなことが必要なんではなかろうかというふうに感じております。
#27
○鈴木寛君 ありがとうございます。
 中嶋参考人に御質問させていただきたいと思います。
 私どもも、教育委員会の公選制といいますか、正に住民の教育意思というものをきちっと反映するスキームに改変をしていくということは、中長期的な課題としては非常に興味を持って研究、検討をしているということは事実でございます。
 私どもは、さらにいろいろな実践例を見ますと、やはり人口規模で申し上げますと五十万程度、杉並区が五十万程度でありますので、それぐらいが教育行政の適正規模としては非常に望ましいのかなと。ですから、それに満たないところは市町村連合とか事務組合みたいなことで、そうしたいわゆる市町村の、地方自治体の一般行政区とは異なるそうした教育行政のサイズというものができた暁には、そこにおける住民意思を反映させるという意味で、基本的には中嶋参考人のおっしゃっていることについては我々も興味を持って勉強しているところなんですが。
 ただ、過去なぜ教育委員会が公選制が廃止をされたのかと。もちろん当時の時代状況ということ等もありますけれども、行政制度論からすると、首長とか議会と、このレジティマシーをめぐっての競合関係があったということ。アメリカは、すなわち、もう先生御承知のとおり、一般行政区と教育特区といいますか、は別ですよね。それから、さらにそこが徴税権まで持っているという、完全に教育委員会が、一般行政区とは地域割りも違うし、徴税権、予算執行権もこれは完全に独立した形態になっていると。
 しかし、日本の場合は、徴税権あるいは予算編成権を首長に残したものという中で競合関係が存在してしまったということがあって、今の地方教育行政法になっているんだろうというふうに思いますが、この点は公選制ということを考える上でどういうふうにクリアしていくというふうにお考えかをお聞かせいただきたいと思います。
#28
○参考人(中嶋哲彦君) どうもありがとうございます。御質問ありがとうございます。
 今委員がおっしゃったとおりで、アメリカにおいては教育行政区とそれから一般行政区というのが区別されている場合がある、一緒の場合もありますけれども。これについては、では、その行政区それぞれの関係なんですけれども、先ほど委員がおっしゃったのは、教育行政の適正規模としては五十万人ほどだということがおっしゃられたんですが、教育行政区の設定としてはむしろ逆で、教育行政区の方が狭く設定される場合が多いと思います。例えば、ニューヨーク市のように大きな市の中で考える場合には、その中をまた分けていくということなんですね。つまり、教育行政というのは、やはり地域の、それぞれの地域の違いがありますし、学校の違いがある。それぞれに対応していくためには可能な限り身近なところに教育行政を行う組織が必要であると。その意味では五十万というとかなり大きいんですね。
 まあ犬山のことばかり言ってしまいますけれども、犬山というのは七万人の人口です。人口七万人規模というのは比較的いいんじゃないかと思っています。ですから、私がもし政策をそのようにつくるとすれば、一つの市の中を更に分けて教育行政区を設定し、そこに教育委員会を置くと。ただし、そこには財政的な補助というのは必要ですから、それはもう少し大きい行政区の中で考えていくという、そういう考え方があるんじゃないかと思います。
#29
○鈴木寛君 私どもも、おっしゃるとおりで、そういう意味でのレーマンコントロールとか、地域住民とか保護者の正に教育意思を反映させるためには、極力学校に近い方がいいと。我々が学校理事会あるいは地域立学校制度を導入しているということは、正にそこを教育委員会的にしてしまおうと、こういうアイデアでございます。一方、五十万と申し上げたのは、教員の採用とか研修とか人事異動ということで考えると、それぐらいの規模がないと、小さ過ぎるとなかなか難しいということなんですが、まあよく分かりました。
 それで、藤原参考人にお伺いをしたいんでありますけれども、教育委員会が現状として、委員の方はですね、実態として名誉職であるということ、あるいはやはり首長のリーダーシップが重要であるということで、今現職の校長でいらっしゃいますので、制度論についてはコメントはということでございますが。
 私、お伺いしたいのは、私どもも、まあ元々私はコミュニティ・スクール構想の提案を前職の慶応大学助教授時代にさせていただきましたし、正に和田中学校は地域本部というものが、私どもが念頭に置いていた文字どおりのコミュニティ・スクールだというふうに思っております。今文部省が言っておられるのは、我々は、一番最初にコミュニティ・スクールという言葉を作り出した者からするとまだコミュニティ・スクールになっていないということで、和田中こそがコミュニティ・スクールだというふうに思いますが、やっぱりそこで極めて重要なのは、もちろん学校理事会によるガバナンスということもありますけれども、やっぱり地域の皆様方の参画、そして正に老若男女の斜めの関係がそこに投入をされるということだと思っております。
 それで、私が伺いたいのは、運営会議で、ここは学校関係者とその地域本部の事務局長さんですか、そういう方が入って、正にそうしたことを日々、この学校にとってプロが何をやり、ボランティアが何をやり、保護者が何をやるということの正にマネジメントをここでやっておられるんだと思いますが、その辺りをどういうふうにうまくコラボレーションをしていくのかというところの工夫を、そして何か制度論的あるいは予算的な支援の方法があれば教えていただきたいというのと。
 それから私、いつも思いますのは、藤原参考人のお話は、まさしく現場のマネジメントが大事なんだということ、もうそのとおりだと思います。しかし、杉並区になかなか、あるいは東京都に、まあ私も「よのなか科」につきましてはいろいろのお手伝いをさせていただき、立ち上がりのところからこんなにすばらしいものはないというふうに思っていますが、思ったほどは広がっていないということはあろうかと思います。それから、地域本部も思ったほどは広がっていないと。であれば、ある程度やっぱり制度論として地域本部的なものを位置付けることにしましょうと、こういう教育行政制度といいますか学校教育制度というものをその枠組みとして用意をすると、それが正に学校理事会あるいは地域立学校制度なわけでありますが、今の二点についてお話をいただければと思います。
#30
○参考人(藤原和博君) 地域本部という組織ですね。地域のお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんが、言ってしまえば生徒の直接の利害関係者ではない大人が斜めの関係をつくるという。この人たちが大体六、七十人プールされて、そして機動的に動いているわけですね。これをまとめているのが元のPTAの会長の地域本部の事務局長となります。この人は、今もう二代目になっているんです。
 和田中の特色は、学校を動かす職員の組織ありますね、ここに、その主任格が全部集まる運営会議というのがまずほとんどの学校にあるんです。大体平日のある曜日の一時間、一こま分けて主任格が全部集まって、校長、教頭、事務も含めて、そこにこの地域本部の事務局長が出ているんですね。言ってしまえば教務を預かる教員の組織と、それから放課後と土曜日の生徒たちの生活を豊かにする地域本部の長が一緒になって、平日の昼にミーティングをしているんです。この懸け橋ができている。言ってしまえば二枚歯になっているというようなことです。これが非常に大きいです。
 今まで三年間、立ち上げてから三年間ほとんど、まあ有償といってももう本当に交通費程度のボランティアでやってきていまして、この事務局長というのは百日ぐらい恐らく学校出てくると思うんです。それで、去年振り返ってみましたら、杉並区の学校サポーター制度というのを使いまして、一日出てきますと、何時間であろうと交通費程度の二千二百円という、これで計算しましたら二十万円出ていませんでした、百日のすばらしい働きでですね。ですから、これが広まるためにはその予算的なことにつきましては私はちょっと期待するところがございます。
 和田中のような三年間たった地域本部、図書室の運営、土曜日寺子屋の運営、それから部活で顧問のいないクラブへのコーチの供給、それから緑の全体の維持ですね、しば刈り含めて、それから英語の特別コースというような五つ、六つの活動をやるには、大体人件費にして、本部の事務局の人件費で三百万ぐらいあればいいと思っています。
 そして、あと七十人からいるボランティアにその都度払うボランティアの運営費ですね。ごめんなさい、これは事業費と言った方がいいかもしれません。要するに、運営人件費と事業費というふうに分けますと、運営人件費に三百万ぐらい、中心になる実行委員会にちゃんと仕事として有償でお金を渡すということです。それから、ボランティアの人たちは、二千二百円の掛ける何口という形になりますけど、これがやはり三百万。合わせて六百万ぐらいが、例えば各中学校に行けばすべての中学校でこのような地域本部組織、学校支援組織が組成可能だと思います。
 でも、いきなり和田中が今やっているところには到達しないでしょうから、百万ぐらいからでいいと思いますけれども、今、和田中がやっているものを維持しようとすればそれぐらいの予算。こういうものが新しい公共事業になるんじゃないかと私は思っているわけです。
 それを制度的に裏付けていただけるんであれば非常にうれしいし、もう一度言いますけれども、いじめのあの自殺までの根幹ですね、あの問題の根幹には、とにかく先生、生徒、それから親子という直属の関係ではほとんどもう処理できない部分が七割なんですね。この斜めの関係をもっと豊かにつくること。
 ここにいらっしゃる皆さんも見学している皆さんも全部含めて、地域社会が豊かにあった時代に育っていますから、今の子供たちの苦しさが分からないんです。斜めの関係、利害の関係のないお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさんに何となく勇気付けてもらうとか、そういうことが絶対あったはずなんですね。それが今の子にはない。それを学校の中につくり出すことが大事だということです。
 もう一つの条件は、そういうことをやる場合、学校の職員会議の教員の組織とそれから地域本部の組織、両方をマネジメントするという技術が要ります。これ、私はネットワーク型の教師若しくはネットワーク型の校長と言っていて、ネットワークという感覚がない校長には経営不能です。ここは非常に大事なところなんです。今の教頭先生がほとんど事務長になっちゃっている今の現状では、その教頭先生が校長になってもほとんど無理じゃないかと思うんですね。中にはそういうふうに一皮むける人もいますので、そういう人たちと合わせて、どうしても十年間で三千人ほどのネットワークという感覚が分かる人ですね、これを大量に国策として導入して、まず中学校を何とかよみがえらせるべきだと思います。そうしなければ、学校が信じられる学校にならないんじゃないかとさえ思います。
 以上です。
#31
○鈴木寛君 今の、正にネットワーク型経営を実現し、今日は古山参考人、済みません、時間がなかったんですが、古山参考人がおっしゃったことを正に実現するのが我々主張している学校理事会制度、地域立学校だということを申し上げて、感謝の言葉に代えさせていただきたいと思います。
 今日はどうもありがとうございました。
#32
○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。
 参考人の皆様、本日は朝早くから国会にまでお越しくださいまして、また貴重な御意見をちょうだいいたしました。心より感謝を申し上げます。大変にありがとうございました。
 それでは、まず初めに古山参考人の方にお伺いをしたいと思います。
 今日は、現場の御経験から御指摘、御提案をいただいておりまして、将来像ということでこのように御説明もいただきました。極めて、現場からの御意見ということで大変重要な御指摘でもありますし、私たち公明党といたしましても、やはりこの現場からの改革、この現場、学校もそうですし、地域、また教育委員会含めまして、どう活性化させていくか、そこが重要かと思っております。
 その点で、是非、先ほども限られた時間の中でございましたので、参考人のまた御経験、様々経験されてきていらっしゃるかと思いますので、その現場で経験されたことを踏まえた上で、時間内で言い足りなかったこともあるかと思いますので、是非とも再度この教育行政の課題につきまして御意見、御要望をちょうだいしたいと思います。
 それと併せまして、参考人は不登校の子供にもかかわってこられたと伺っておりまして、是非この不登校児対策、これも先日、私たちの山下委員も政府に対しまして質問をしているところでもありますけれども、やはり小中校、今十三、四万人いるということで、これも大きな一つの教育課題でもあるかと思っております。この不登校児に対する要望、御意見も含めまして、これも併せて御意見ちょうだいしたいと思います。
#33
○参考人(古山明男君) 教育行政の在り方、それから不登校についてということなんですけれども、先に不登校の方からしゃべらせていただきます。
 自分でたくさん不登校の子供たちと接してきまして、一言で言ったら、立場も言葉も失っちゃった人たちと。原因いろいろあるんですけれども、では何でおまえは学校行かないんだとこう言われる、それでますますもうどうしようもなくなっていく。それで、こういうのに付き合っていまして、じゃ学校はどうしているんだというと、もちろん学校の先生たち一生懸命やっているんですけれども、結局、学校の仕事の枠の中では学校に何とか来させる以外のことはできないんですね。ほかの試みもなされていますけれども、大筋そうなんです。また、来させても、そういう、こういう感じになっちゃった子供たちに、じゃ特別の手どうやって伸ばすかというと、人員もクラスもいろいろ限られていまして、できること本当に少ないんですね。
 それで、私、本来義務教育というのは、すべての親御さんに教育義務、課しているわけです。また、憲法二十六条の一項はすべての人の教育を受ける権利あると言っていますんで、単に在籍したから教育を受けたんだと、それやっちゃいけないと思うんですね。今学校が、在籍したから教育したんだと、そういうふうになっちゃっているのは、これは正に官僚運営の弊害じゃないか。特に書類の方にばっかり行っちゃうと。実質その子のために何できたのかという、そこから配慮しなきゃいけないと思うんです。
 これ最大の問題点が、やっぱり僕は法律にあると思うんです。法律が就学義務定めているんですね。教育義務じゃないんです。憲法と教育基本法、現行法も改正案もこれは教育を受けさせる義務というふうになっているんです。ところが、学校教育法でがらっと就学義務になるんですね。そうすると、ここで、本来はどんな人にでもちゃんと教育を保障してあげなきゃいけなかったものが、学校に行かせる義務に変わっちゃう。ところが、現実の学校というのはいろんなこと起こるわけですわ。それは人間同士の関係ですから、人間同士で反目、対立、いじめ、少なくすることはできるけれどもゼロということは無理なんですね。
 実は、不登校のいろんなお子さん接しまして、何が原因か、正直申し上げまして分かんないです。子供がただただこうなっちゃってるだけなんです。いろんなアンケート調査は出てきますけれども、私はあれ信用しないです。私が会った子供たちは、言葉がなくなっちゃった子供たちなんです。自分の立場も言えない。もう、おまえときたら、おまえときたらとこう言われちゃったもんで、ああと、こうなっちゃっているだけなんですね。それで、そのときは原因分かんないから、ぽろっと勉強がとかだれ君がとか、こういうことを言うから、じゃ学力不振じゃないかとアンケートに書いたり友達とのもつれじゃないかと書いたりするんですけれども、これ大体子供が安定してからやっと理由が分かるというのが普通なんです。これ、数か月ないし年単位で時間掛かります。安定してきますと、いや実はあのとき先生にこんなこと言われて、それを更に友達にからかわれて、もうとてもいられなかったんだと。ところが、子供がそれ言えるようになったときというのは、もうそれとやっていけるようになったときなんですね、子供が。我々のフリースクールでやっていた仕事は、子供が何とかしゃべられるようになるところまでサポートしてあげる、君の味方もいるんだという。
 ところが、こういう実態に関して学校の方は結局調査なんかやっても原因もよく分からない。それから、私の見るところ、この不登校の原因というのは本当に様々です。これ、どう見てもこれは家庭の方に問題あると。親子で完全にもつれちゃっていて、これは専門家が扱うしかしようがないケースもあります。
 それから、どう見てもこれは学校の方が悪いと。先生がよく犯人捜しやるんですね、クラスの中で。ところが、実際の学校の中は三権分立ありませんので、ぬれぎぬ着せちゃうことあったりするんです、だれか、おまえだろうって。ぬれぎぬ着せられた生徒はもう、ちょっと立場なくなっちゃう、学校行けなくなっちゃう。あるいは、転校生がただ美人で成績がいいという、それだけでいじめ食っちゃうなんていう、そういうこともあったりするわけです。
 そういう実態というのを、これなかなか調査にも応じない。ただ、原因は分かんないけれども何したらいいかははっきりしているんです。とにかくその子の味方があるんだってまず伝え、君の居場所もあるんだと伝え、そうして元気になってきたら、そういうことはまずいんだよとか、こういう考え方もあるよとか、非常にきめ細かくやっていくわけなんですね。したがって、不登校の対策一本ということは絶対ないと思います。
 私もやっていて痛感したんですけれども、自分のやり方ありました。合っている子と合っていない子いました。行政の方がいわゆる教室、昔は適応指導教室というのをつくっていましたけれども、大体利用者一割なんですね。最初、こんなの駄目じゃないかと僕は思ったんですけれども、のぞいてみたことありましたら、ミニ学校みたいなきちんとしたのをつくったんだけれども、これが合っている子供もいるなと本当に感じました。そういうものもつくってもらわなきゃいけない。だけど、私が見た、特に私みたいな民間の方に来る子供たちというのはそういうのじゃどうしようもなかった。
 それで、不登校の一括解決というのはあり得なくて、いろんな、学校が吸収する、あるいは家庭の方、家庭教育で何とかやっていく、NPOみたいなところに学校でもつくってもらう、あるいは私塾でもいいんじゃないかと。とにかく法律の方から発想するんじゃなくて、義務教育なんですから、とにかくその子供が権利持っている、親御さんも教育の義務を負っているわけですから、その実情の中で何ができるかと、それができるような法制構造をつくって、しかも多少なりとも予算も付かなきゃいけないと、そういうふうに思っております。
 それから、教育行政。最大の問題は、人事権と予算権を持ったところがアドバイスしているんです。でも、アドバイスがアドバイスじゃなくて命令になっちゃうんですね。
 諸外国、ヨーロッパなんか見ますと、例えばオランダなんか、本当の援助機関というのはこれを、予算とも人事とも全く関係ない。それから、教育委員会とそういう第三者機関が交流してちゃいけないんですよ。全く人事的にも独立採用の、そういう本当の第三者機関つくらないと、評価も難しい、本当の姿もさらけ出してくれない、命令になっちゃう。
 そこで、今は教育委員会は第三者機関じゃないんですね。学校の上司なんです。責任負っています。学校の不祥事はそのまま教育委員会の不祥事なんです。こういったところで隠ぺい体質が起こるのは当たり前で、これにいかに掛け声掛けたってしようがないと思うんですね。でも、教育委員会には教育委員会の大事な仕事があると思うんです。それと、運営にかかわる部分と第三者じゃなきゃできない部分、きちんと分けることだと思っています。
#34
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 それでは、四人の参考人の皆様にお伺いしたいと思います。
 先ほど藤原参考人の方からも、地域社会の重要性、この斜めの関係の重要性、お話ちょうだいいたしました。私自身も、やはりこの今子供たちの取り巻く環境、これ、言うまでもなくいじめ、不登校、虐待、学級崩壊、こういった様々な課題が山積している中で、やはりこれは学校だけの、先生だけの問題ではなくて、親御さん、そして教育委員会も含めまして、地域、こういった一体となって取り組んでいくことが地域力を上げていく、地域の教育力を上げていくことが一つの問題を未然に防ぐ方法でもありますし、また、問題が起きたときも早期発見、早期解決につながっていく一つの大きな課題といいますか、ポイントになるかと思っております。
 そこで、先ほど藤原参考人からもこの重要性、お話しいただきましたが、追加がございましたら是非またお話ししていただきたいと思います。
 三人の参考人の方にも、是非、地域における教育力をどのように向上していけばいいか、お考えがありましたらお伺いしたいと思います。
#35
○参考人(藤原和博君) 私は、教育を再生させる一番大事なことがそこだと思っています。ただ、もう一度言いますが、学校を地域に開いても、外にある地域は、これを復興するのはもう莫大な予算が掛かると思いますし、非常に難しいと思っております。なので、学校の中に、学校を核に新しい地域社会を再生していくという方法が取れる。それが今、和田中がやっている地域本部、学校支援組織のチャレンジです。
 先ほど私が、本当は本部人件費に三百万、それから事業費に三百万というふうに申し上げました。もうちょっと細かく言いますと、この本部人件費、事務局長に九十万ぐらい渡したいんです。それだけ仕事をしている人に、スーパーのレジに行かないでこっちで仕事してと。そんなに多い必要はないんです、ものすごくやりがいのある仕事ですから。ですが、やっぱり多少、もうちょっと渡せたらいいなというのが本音なんですね。あと会計の仕事、非常に細かくなります、会計が。二千二百円とか千百円とかあるいはゼロの無償のボランティアの人も全部交ぜて延べ人数で何千人という人が動くわけですから、実数は六、七十人でもですね。そういう会計の仕事。それから、それぞれのプロジェクトで、例えば放課後の図書室を守る図書館長のような仕事の人にも三十万とか、年間ですよ。
 合わせて六百万というのは、大体教員の人件費、一般管理費にしますと半額です。教員一人の半分の予算で六、七十人のボランティアが地域から戦力化できるということなんで、是非これはお考えいただきたいと思います。
 この斜めの関係を豊かにすることでいじめの発見若しくはその後の対処ですね、もっと柔らかな対処です。親には言えない、先生にも言えない、でも図書室のおばちゃんには言えちゃうということがあるんです。
 最後に言いますと、そういうこと、そういう場所を増やすことが保健室をたくさん多様に増やすことに近いんです。第二の保健室、第三の保健室です。和田中では、放課後の図書室が第二の保健室になっていますし、校長室もオープンにしていますから、昼休みの第三の保健室になっていますし、土曜日寺子屋、先生は来ないでお兄さん、お姉さんたちが来ます、第四、第五の保健室になっているわけです。これが非常に大事です。強調しておきます。
#36
○参考人(中嶋哲彦君) お答えしたいと思います。
 地域の役割が極めて重要であるというのは私も賛成です。例えば、先ほどお配りした資料の中で、「日本の教育と基礎学力」、それの百八十二ページをごらんいただきますと、犬山市では算数の副教材を市で作る際に、その原案の段階で保護者の意見も集めています。具体的なゲラができた段階で保護者にお示しして、全教職員にも示していますが、保護者にもお示しして、それについて意見を集めています。その中で、算数では七百件、理科のときは千件を超える意見が集められています。そこには保護者の意見も来ているんですね。
 この取組はどういうことかというと、学校教育を保護者と教職員と一緒になってつくっていこうということです。これまで、ややもすると、教育内容というのは学校にお任せで、学力、学力。親は学力向上させてくれとは言うんだけれども、具体的に学力って何なのか、子供が一体何をそこで学んでいるかというのは知らない。その中で抽象的に学力を論じていた、抽象的に学力が低下していると心配している。それは良くない。具体的に子供たちが何を学んでいるのかということを知っていただく、そして学校教育づくりに参加していただく、そして地域が学校を支えていく力を持っていく、そういう意識をつくっていくためにこういう取組をしました。その意味でも、私どもは地域というのは大事だと思っています。
 ただ、今回の教育基本法改正案、政府案の中には家庭や地域についての条項が入っています。ただ、私ども、ここに非常に危惧を持つのは、学校や地域の役割が規範主義的に定められていて、地域はこうあらねばならない、家庭はこうあらねばならないという定め方をしていることです。そのことによって、かえって地域、学校において自主的に具体的な目の前にある問題を取り組むよりも、むしろそこに、規範に定められていることに集中してしまう。そういう、かえって地域と学校を切り離されていくということが起きてしまうのではないかということを大変心配しています。
 以上です。
#37
○鰐淵洋子君 先ほど質問させていただいたこの地域における教育委員会の在り方、それを含めまして、是非、高倉参考人、古山参考人からも御意見がありましたらちょうだいしたいと思いますが。
#38
○参考人(高倉翔君) ありがとうございました。
 地域の教育機能の向上をどうするかというようなことで、実は私、今朝大急ぎでまた復習のために持ち出しましたけれども、平成十年に中央教育審議会が「今後の地方教育行政の在り方について」という答申を出し、その最後のところの第四章は「地域の教育機能の向上と地域コミュニティーの育成及び地域振興に教育委員会の果たすべき役割」と、教育委員会にこれを振っているんですね。
 その中をこれ少しよく読んでみますと、教育委員会はいろいろな役割を果たしておりますけれども、よく教育委員会は学校委員会だというような言い方もなくはない。つまり、余りにも教育委員会の働きのうちの相当な部分を学校教育というものに集中して、それ以外にいろいろと文化、スポーツ等々幅広い分野を所管しているにもかかわらず、なかなかそちらの方に力が行かない。それはスタッフィングの問題もあるかもしれません。それから、一方からいうと、首長部局もやはり文化、スポーツ等々に関しては相当な施策を講じている。そういうふうなところで、この答申では、そういった教育委員会あるいは首長部局、それ以外に地域の様々な団体をどう連携させるかというような、そういうネットワーキングというようなことの仕掛けが重要だということを指摘しているわけでございます。
 ただ、問題は、そういった仕掛けをだれがどうやったらいいのかというふうなことについてはなかなか名案が出てきてないというようなことがこの答申では見られるんではないか。ただしかし、この答申の第四章で高らかにやはり教育委員会の役割として、地域の協力、教育力を高める役割ということをうたっておりますので、その意味で、教育委員会がもう一度そういった役割を果たすという考え方に戻って、そしてやはり努力をしていただきたいと、こういうふうに思っております。失礼いたしました。
#39
○参考人(古山明男君) 地域とのつながりをつくるのに二つタイプあると思います。一つは、比較的コミュニティー意識、地域意識の残っている、端的に言えば田舎みたいなところで、これは従来型の共同意識、これを高めていって子供を引き受けていけばいいです。
 ところが、都会型になってきますとこれ非常に難しいんですね。で、これ外国の例をいろいろ見ますと、カナダの例なんか見たんですけれども、そういう社会に対していわゆる地域おこしの方じゃもう無理だと。そこで、いろんなカウンセラー的なあるいはアドバイザー的なそういう役職を置いて、子育てあるいは教育、社会の何だかんだ、そういうことをやっていく非常に機能的なもので、それに行政も金を出すと。都会に関してはそういうような方向から行った方がうまくいくだろうと思います。
 それからもう一つは、学校の関係なんですけれども、今、部活を学校に負わせているの、これかなり特殊な状況なんですね。ヨーロッパの学校をいろいろ見ましたら、大体部活は社会教育の方に入っているんです。こちらはちゃんと人員も手配している。学校の先生は本当に忙しいんですよ。めちゃくちゃ忙しい。そこへなおかつこうやって審議すると、またあれせい、これせいと、こう行くわけですよね。部活を社会教育の方に持っていってあげて先生の負担外してあげたら随分いいし、また子供も一つのところに属していると息詰まっちゃうんだよね。重層的に、こういうところにも属し、こういうところにも属しとやっていく方が子供も楽なんですわ。部活を社会教育の方に移すという、これ非常にいいんじゃないかなと思っています。
#40
○鰐淵洋子君 参考人の皆様、本日は貴重な御意見を賜りまして心より感謝申し上げます。大変にありがとうございました。
#41
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は四人の参考人の皆さん、大変急なお願いにもかかわらず、本当に貴重な意見をいただきましてありがとうございます。
 私ども、昨日も地方公聴会をやりまして、この間、様々な御意見を承ってまいりました。ただ、こうしてテーマを絞って参考人質疑をしたのは実は初めてでありまして、私は大変良かったなと思っております。本当に朝から新しい角度の御意見も聴くことができました。こういう皆さんの御意見を生かして更に審議を重ねていくということが私たち大変大事な仕事だということを思いますし、とりわけ与党の皆さんに強く申し上げておきたいと思います。
 その上で、まず高倉参考人と古山参考人にお伺いいたします。
 教育委員会制度が本当に犬山のようにすばらしく行われるところと、残念ながら隠ぺい体質などのように十分な機能をしていないところがあるということは共通の認識かと思います。
 ところが、国会の審議の中でいいますと、こういう状況の中で、例えば文部大臣などは、そもそも地方分権の中で国の関与を弱めてしまったことが大変問題だというふうな御発言がありまして、改めて国の関与を強めた方がいいんじゃないかという答弁がかなりあるんです。私は、今回の基本法の改定案というものが、そういう国家関与を強めるというやっぱり基本的発想があるからそういう答弁が出てくるのではないかと思っておるんですが、改めて、この教育委員会に対しての国の関与を更に強めるという方向に、元に戻すということについてはそれぞれどうお考えか、まずお願いしたいと思います。
#42
○参考人(高倉翔君) ありがとうございます。
 教育委員会の制度の概要という、こういった旧文部省の編集した冊子がございますが、この冒頭に、教育委員会の理念といたしまして地方自治の尊重というのが冒頭に書いてございます。正に教育委員会制度というのは地方自治の尊重というものをやはり一番大切に考えていかなきゃならない、そういった制度であるというふうに考えております。
 そういうふうな考え方をより徹底していくために、平成十一年の地教行法改正では、四十八条でございましょうか、指導、助言若しくは援助をするものとするということを、することができるというように非常に、できる規定に改めたということ、あるいは措置要求というような規定を除外したと、削除したというふうなことがあるわけでございます。私は、やはりそういった線を貫きながら、やはり本当の意味での指導、助言、援助というものの中身を考え、それが機能することを期待していると、こういうことでございます。
 ただ、よくこれも世間で言われることでございますが、指導、助言という名の指揮監督という言葉があるんだそうですね。ですから、言葉は指導、助言であるけれども、その内実は指揮監督だというふうなことがよく言われるわけでございます。そういった事実があるかないかというようなことは別といたしまして、いずれにせよ、そういったことのないよう、指導、助言は指導、助言だと、それもしかもできる規定だという、そういった考え方はずっと貫いていくと。それが教育行政に携わる文部科学省あるいは都道府県教育委員会等の責務ではなかろうかというように思います。
 以上でございます。
#43
○参考人(古山明男君) 国の関与ということなんですけれども、今、国の関与という名前で何もかも一緒くたに話されていると思うんです。私、見まして、これは国がちゃんと見てやらなきゃならないなという部分と、そんなことまで国が口出すのかいという、そこをいかに現場の立場、ほかのも含めてそこをいかに具体的な話で明らかにするかが本当に重要だと思うんですね。
 端的に言っちゃいますと、国の一番の仕事、予算分捕ってくることですよ。もうこれが最大の仕事。もっと平たく言えば、みんなに教育費、できればみんな無償で教育受けられる。例えばスウェーデンなんか、いつでもどこでも無償で、このいつでもというのは何歳でもというのを入れています。それで生涯教育体系つくり上げた本当の生涯教育体系です。四十の人、五十の人が大学入り直すというのがざらにある。だもので産業構造の転換が非常に楽なんですね、学び直してはまた行くという。
 それから、特に教育の機会均等。これも狭い意味じゃなくて、どんな人もその気さえあれば教育を受けられるんだ。これはちょっと国でないとやっぱり担保できない仕事だと思うんです。
 一方で、教育の内容と方法、これはもう国じゃ運営できなくなっちゃったのが、それが現在の事態だと思うんですよ。昔のタイプだと、こういうことをやって、ばあっとやられてそれで済んだんだけれども、これアメリカでもヨーロッパでも、大体戦後終わって何十年かしたところでちょっと行き詰まっちゃうんですね。それで、画一的なのじゃ嫌だという声が非常に高まって教育改革起こっていく。ところが、日本はその教育改革が後れちゃっているんですね。大体三十年後れています。国がまだこれ抱え込んだままだと。
 そこで、何が国がやるべきことか。おおむね、教育の条件整備。それから、教育の具体的な内容、これはもっと現場ないし現場に非常に近いところに渡した方がいい。
 それから、教育委員会について言いますと、私は、理念はとってもいい、しかし、なかなか運用の難しいところで今まで運用できなかったと。日本の場合は、まずアメリカ型と違って権限が非常に少ないんです。文部省が非常に握った上でやっている。その中にアメリカと同じ構造を持ち込んできた。だもので、教育長と教育委員の関係もよく分からないんです。本当に教育やっているのは教育長です、教育委員じゃなくて。そういう条件が非常に違っているんですけれども。
 済みません、ちょっと混乱して済みませんけれども、一般行政と教育の分離というのは非常に大事なテーマでして、これ世界じゅうどこでもあります、先進国では。このやり方に大きく言って二つあるんですね。一つは、行政の内部で教育行政を別建てにしちゃうというやり方。日本、このタイプ取っています。もう一つは、これヨーロッパなんかに多いんですけれども、学校の独立性を非常に高めるんですね。特に、校長人事権を管理者の方が持たなくて、理事会か何かに渡すんです。それからカリキュラムの独立性です。いわゆるコミュニティ・スクールみたいなタイプですね。
 それで、この両者の中できちんと、現場のも反映されて、しかも実用的なことにはよく対応できるという、ちょっと抽象的で申し訳ないんですけど、本当に実情あるんで、私は、これがいいとはっきり言えるものはないけれども、ヨーロッパやアメリカにいい例はたくさんありますという、そういうことだけ申し上げておきます。
#44
○井上哲士君 ありがとうございました。
 次に、藤原参考人と中嶋参考人にお聞きをいたします。
 藤原参考人は著書の中で、区と都の教育委員会から提出を求められる調査や管理上の文書が公式なものだけで年間百五十点を超える、この書類と判この提出事務のリストラが何よりの教育改革の優先事項かとも思えるほどだと、こういうふうに書かれておりました。これ、事務的整理と同時に、学校と教育委員会の在り方にも深くかかわることだと思うんです。そういう点で、言わば一部下請のようなことがさせられているという実態などをどう改善するべきか。これは、中嶋参考人には教育委員会という立場で同じ質問をしたいと思います。
#45
○参考人(藤原和博君) 先ほど、最初にお話ししましたように、小中学校の現場を預かる者としては、四層構造になっていますので、例えばいじめの問題がこのような感じで持ち上がります。そうしますと、区教委それから都教委それから文科省からそれぞれのアンケートが来るというふうにお考えください。それは、それなり、非常に民主的だからこそでもあるんです。つまり、国会議員の方が質問すれば文科省がアンケートを取るということになります。都議会議員の方が同じ質問をすれば都が取るわけですね。区議会議員がまた質問しますから、質問しないわけにいかないと思いますので、こういう大事な問題は。そういうこともあるわけなんです。
 でも、それが累積しますとどうなるかというと、一般的には今小学校で年間に四百、中学校でも二百、アンケートが来ると言われていまして、その仲立ちをする教育委員会にいる指導主事という、昔はいい指導例がありますとそれを波及させる非常に大事な役割だった人たちが、もう文書の代理人になってしまっていて、機能ストップしています。
 それから、学校現場ではだれがそれにこたえるかというと、教頭なんですね。東京都では副校長。ですから、この教頭と指導主事がほとんどこの文書の山で機能ストップしている。これをよみがえらせるだけでもかなり現場は活性化してくると思うんですね。やむを得ない部分、非常にあると思います。この文書を削減するためにはどうしてもこの四層構造をがっと変えていきませんと難しいと思います。
 それから、IT化というのを非常に安易にやっちゃった市区町村が多くて、普通、私企業ではIT化をやる前にビジネス・プロセス・リストラクチャリング、BPRというんですけれども、文書をがっと削減するんです。要らない仕事をがんとやめて、新しい改革を進める。この要らない仕事をやめるというリストラをしないでIT化しちゃったために、ITの中を行き交っている文書とそれから実際の文書とがもうそれで二倍になっちゃっているという現実もあります。これを相当削減するだけでも、もう一度言いますが、教員の事務の負担を減らして、相当現場、今機能不全確かに起こしていると思いますけれども、それが少しよみがえるというふうに確信しています。
 以上です。
#46
○参考人(中嶋哲彦君) それでは、まず犬山がどういうことをしているかということをお答えしたいと思いますが、犬山では、例えば学校の機能を更に果たしていただくために、校長、教頭、主任クラスの人たちの仕事を可能な限り軽減しよう、そして一般の教員も授業にあるいは子供の育ちに専念していただく、そのためのディスカッションが行えるようにしよう。そのためにはまず仕事の軽減が必要であると。そのための職員を市費で任用して学校に配置しています。そうすることによって、学校の先生方が、校長も含めてですね、校長、教頭を始めとして先生方が学校の教育に専念していただくという仕組みをつくろうということです。
 また、毎年度、県の教育委員会が学校訪問ということで学校を訪問し、授業の指導を行うというようなことをなさっています。これに対して犬山市は、それは必要ないことであると、犬山市は「学びの学校づくり」の取組をしていて、その中で指導主事も市費で任用して充実させ、市内での指導を行っている。あるいは、学校ごとの研究活動を十分に行っていただくための仕組みをつくっている。それで、それとしてできているのだ、だからそこへ県の指導をいただく必要はない。これは、権限上も県には指導の権限ありませんので、それはお断りしています。そうすることによって、学校訪問一つあるということでかなり学校は負担が大きいんですけれども、それを解消することができます。
 それから、県の研究指定校というのがありますけれども、これも指定を受けてしまうとレポートを作ったりとか大変なことになるんですが、これも可能な限りお断りというか引き受けない。校長先生方が是非、あるいは学校から是非これはやりたいんだということがある場合にはともかくとして、教育委員会として学校に押し付けてこの研究をやってくれということは言わないということをしています。
 これは、今具体的なことをお話ししたわけですが、これはどういうことかといえば、これは各学校の自主的な運営を教育委員会はサポートする立場にあるのだと思っています。つまり、あっちを向け、こっちを向けということを教育委員会が指揮するのではなくて、学校の自主的な判断、あるいは各学校の保護者の御意見を聞いて学校が自主的に運営されていくようにするんだと。そのためには様々な人の配置も必要ですし、お金も必要です。
 あるいは、県の教育委員会などからの指導、助言という形での、さっきそういう名前での指揮命令というようなお話がありましたが、そういったことからブロックすると、学校を守るということが教育委員会の仕事だと思っています。
 これは、学校というのは自主的であるべきです。その意味では、学校を独立させよう、あるいは各学校に理事会とか評議会を置いて、教育委員会から独立した運営をしていくようにしようという御意見があるということも承知しておりますけれども、これは、そのようにした場合に、果たして国あるいは都道府県教育委員会による学校に対する指導、助言という名の指揮命令に対して堪えることができるのかということ、そこをもう少しリアルに考えてみる必要があるのではないかと思っています。
 私、犬山市というのは、国、学校に対して、いや、そうじゃないんだ、学校が判断することが大事なんだ、だからそこには入らないでくださいと、学校というのは地方自治的に行うものなんだということで、地方自治という形をまず前面に押し出すことによって学校が自律できる条件をつくっているということを申し上げておきたいと思います。
 以上です。
#47
○井上哲士君 もう一点中嶋参考人にお聞きしますが、今のともかかわるんですが、犬山市は来年予定されている全国一斉学力テストへの不参加を表明をされていると思います。政府などは学力の到達、実態を調べて学力向上等につなげるんだと、こういうことで言われているわけですが、やはり犬山市としては、学力向上をさせる上でもむしろそれは違うんだというお考えなんだろうと思うんですが、その辺のお考えを是非お聞きしたいと思います。
#48
○参考人(中嶋哲彦君) ありがとうございます。先ほど最初のところで時間がなくて申し上げられなかったことで御質問いただけて大変ありがとうございます。
 これは、まず学力テスト、まず全体的なことを少しだけ申し上げたいと思います。
 それは、先ほど井上委員がおっしゃられた国の権限強化、国の関与を強めるという議論があるということをおっしゃられていましたが、私どももこの間、そういう動きが強まっていると思います。これは、国が教育に最終的に責任を負うのだという言葉がありますけれども、そのことによって、この最終的に責任を負うという言葉によって何をどこまで意味しているかということが極めてあいまいであるという問題があると思います。教育というのは非常に様々な領域から成り立っていますから、そこに教育委員会が果たす役割、県の教育委員会が果たす役割、学校、教師、そして国と、いろいろありますけれども、それを一般的、抽象的に国が最終的に責任があるといっただけでは、これはどこまででも拡張していく、どこまででも権限が強まっていく議論になってしまうと思います。やはり、国には財政的なサポートをすることによって教育の機会均等をきちっと図っていただきたいと思います。
 私、この間、テレビでニュースを見ておりますと、北海道の夕張市で学校を中学校、高校一つずつにしてしまうというような議論が起きています。これを果たして国として黙っていて、国がここにサポートせずにいて、国が最終的に責任を果たしていると言えるのかということを非常に疑問を持ちながら考えています。そういう形での責任の果たし方を是非お願いしたいと思っています。
 それに対して、全国学力調査は、これは保護者の方々からは、学力調査を通じて学力を向上させるのだ、学力を向上させるためのテストであるというふうに受け止められがちであろうと思いますが、私はそうではないと思っています。これは、学校の中に競争、子供がテストの点数を争う、そのことによって学力を向上させていく、そういう仕組みがつくられてしまうことになるであろうと思います。
 また、これによって学校ごと、地方公共団体ごとの平均点が出るならば、それによって、恐らく市町村教育委員会の首長や議会は、これは何としても私たちの町の平均点を上げなければいけない、そういう形での予算配置であるとか学校に対する督励を行う。そうすることによって、学校が本来子供の学びを豊かに育て、取り組まなければならないところを、学力向上とテストに出てくるものに答えていく力だけを育てていくような、そういう取組に偏重してしまうのではないか。そういう子供の学びをゆがめてしまう政策を今後引き出してしまう、そのような役割をこの全国学力調査は果たしていくのではないかと考えます。その点で、この全国学力調査は行うべきではない、私ども教育委員会、犬山市教育委員会としては参加すべきではないと考えています。
 その一方で、私ども犬山市教育委員会は、先ほどの資料でもお渡しいたしましたように、学びを豊かにしていくのだ、文科省さんは確かな学力とおっしゃっていますが、私どもは豊かな学力と言っています。この豊かというのは、ただ単に平均点、点数が高いということではありません。学び、そのことによって得る力、知の力といいますか、この力というのは個人的なものではなくて、むしろ知の力というのは社会が共有して獲得することによって初めて力を示していくものだと思っています。社会共同のものだと思います、学力、知というものは。
 そのためには共同で学習することが大事だ。その中で、今はできない子供ができる子供から教えてもらう。その中で、自分はできると思っているけれども本当は分かってないことに気付いて、より深く学んでいく。あるいはほかの子供から教えてもらうことによってより深く理解していく。あるいは教えることによってより深く理解する。教える喜び、あるいは教えてもらったということに対しての人に対する信頼。そういう、学力というのは人格の中核にあるものであって、学力獲得と人格の形成というものはセットであると私ども考えています。
 その意味で、共同で学習するんだ。一人一人に学習を個別化してしまうのではなくて、共同の学習。したがって、少人数授業を行い、それをグループの活動を通じて一緒に学び合っていく学校をつくっていきたいと思っています。
 私どものある学校では、通知表の中で、分からない子に教えるではなくて、分からない子が、自分はここが分からないから教えてくれというふうに、他の子供に教えてくれと言ったことを高く評価する通知表を作っている学校もあります。つまり、分からないことは恥ずかしいことじゃない、分かろうとすることが評価すべきことだ、これも学力を子供が自主的に獲得していくための道筋だと思います。
 ですから、学力調査によって学力を獲得させるという道は誤りだと。これは私ども犬山市教育委員会が責任を持って町の学校教育としてやろうとしていることなんです。二〇〇一年の学習指導要領のスタートから、私どもはあれではいけないと考えて取り組んできたことです。それを今度全国学力調査を実施すると、これを強行することによって、むしろこういった地域の一つ一つの取組を台なしにしてしまう可能性があるということについて、国はもっとよくお考えいただきたいと思っています。
 以上です。
#49
○井上哲士君 ありがとうございました。
 終わります。
#50
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 今日は四人の参考人の皆さん、本当にどうもありがとうございました。
 それぞれ四人の皆さんの教育に懸ける情熱と、子供たちのために一体今の時点で何ができるのかという実践と哲学とについて、大変感激をいたしました。私たちもそのことを国会の場で本当に生かしていきたいというふうに考えております。
 四人の参考人の皆さん全員に共通をしていたのは、教育予算をきちっと付けるべき、もっと教育を大事にしてほしいという点は四人の皆さん本当に共通だったと思います。
 古山参考人にお聞きをいたします。
 今日、国の関与ということが非常に問題になっておりますが、私は、国は教育内容に口を出すべきではない、個人の内心に口を出すべきではない、環境整備に国は頑張るべきだというふうに思いますが、その点について改めていかがでしょうか。
#51
○参考人(古山明男君) いろいろ、先進国になってきちゃいますと、画一的なのは無理なんですね。先進国は学校の独立性が非常に高くて、おおむね教育内容を文化領域みたいなものとしてとらえて、行政は箱、要するに箱をちゃんとつくると。それから、その中身を運営するのは教育者であり、保護者なんだと。この分担というのはきちんとやっていますし、これはどこの国でも、憲法上の要請というのはやはり内心の自由というのはあります。
 それで、子供に対してどこまで踏み込めるか、もちろんあるんですけれども、基本は子供が勝手にまねするんですね。ただ、押し付けたって入らないというのは、これはみんなどこの御家庭でも承知で、でも大人が本当にこれいいなと思っていると自然に親に伝わるというようなもので、そしてこれはもう法律もくそも、内心へというのは方法はないんですね、本当の意味で立ち入るというのは。ふりをさせることしかできないわけです。そういう意味で、当たり前の話として内心まで法的にはできないと。グレーゾーンみたいなのがいろいろあるんですけれども、そこはまあ御審議いただいてというふうに思うんですけれども。
 ちょっとこれに関連してなんですけれども、教育基本法を作ろうと言い出したのは田中耕太郎という文部大臣なんですね。今回これが話題になっていますので、この人が「教育基本法の理論」という大変分厚い本を出しているんで、これ読んでみたんです。ちょっとびっくりしました。こんな高い水準の研究があの時代にあったのかと。私は、これはアメリカより水準高いことをやっていたと思います。
 この本でもって、教育とその社会、それから法律、この関係はどうなっているのかということを明らかにしようとしているんですね。結論だけ申しますと、教育というのは文化現象であると。思想、技術、文化、科学、そしてそれを、文化現象をサポートしていくのが行政の役割なんだと。これが基本じゃないかと思っています。
#52
○福島みずほ君 参考人の皆さんの御本を読みましたが、古山参考人の「変えよう 日本の学校システム 教育に競争はいらない」という御本を拝読させていただきました。
 教育に競争は要らないというのはどういう意味でしょうか。
#53
○参考人(古山明男君) 実際に自分で生徒を相手にしていまして、それは私、勉強主義じゃないんだけれども、親御さんも点数期待するし、子供が取れればいいと思っているわけですよ。それで、じゃ、どうやったら点数が取れるようになるかと。競争意識をあおり立てて伸びる子は既にいい点取っている子だけです。こういう子はもう自分でこうやればいいというやり方が分かっているから、もっとこうなるといいんじゃない、だれ君よりも、何番になればいいんじゃないなんて言うと、うんなんて頑張る子供ができるんですね。ところが、本当にこの子は援助をしてやらなきゃならぬという子は、頑張れと言ったって頑張り方を知らないんですよ。やり方も知らない、習慣付けもない、それから思考パターンもできてない。そういう子供たちに競争を持ち込んじゃうと、かえって逆効果なんですね、ああ、僕駄目だって。
 大体中学生を見て、偏差値、現実問題としては業者がやっていますので、私、本当に義務教育課程、本当の意味で身に付いているのは大体上三割から四割だと思います。残りは競争をやっているもので、かえって行っちゃうんですよ。で、競争をやると大体三層できるんですね。上はこなせている層なんです。これはもっと伸びようと頑張って一生懸命やるんですね。それで、真ん中の層というのは、一生懸命頑張ってつじつま合わせてまあ何とか付いていく。一番下の層というのは、もう競争の中にいないんですね、もう知らないよで。いつも寝ているだけ、いつ遊べるかなと考えているだけ。それで、競争させて、この中下層に対してはかえってマイナスに働いちゃう。上層だけ。しかも、上層の子もいつも落ちるんじゃないかと不安になる。それよりも的確な技術と親切です。もう結局それに尽きます。
#54
○福島みずほ君 藤原参考人にお聞きをいたします。
 今日、非常に、実践の話を聞かせていただいて何かとてもわくわく、楽しく、今の中でかなりいろいろできるということもとても分かって、元気付けられました。
 教育基本法、現行教育基本法の一条は、自主的精神に満ちた国民の育成ということを掲げているわけですが、私も、指令を受けて何かをやるとか画一的に何かをやるということではなく、一生の中で自分の判断で物を考えられて、自分として行動できるという子供たち、国民をつくることが、民主主義の中で、批判精神も持ち、議論し、討論し、民主主義にとって一番大事だと。この自主的精神に満ちたということが一番大事だと思うのですが。
 もっとも、地域の中で教育主権在民のような形で、本当に子供たちが自主的精神に満ちた中で、またネットワーク型で子供たちを地域で支えていくという実践をされているということで、その教育の関与、国家の関与などについてと、その民主主義ということについて一言お聞きします。
#55
○参考人(藤原和博君) 私、三十七歳のときに、リクルートにおりましたけれども、四歳になる長男を連れましてイギリスに渡りました。その後、ロンドンとパリに二年四か月暮らしたんですが、現地の小学校に入れまして、そのときに担任の、インド系の先生でしたけれども、この人が言った言葉が非常に印象的だったんです。自分たちが子供を見る際に、それが四歳の子であっても、インディペンデンスとコントリビューションという言い方をしまして、どれぐらい自立性を持っているかということと、それからクラスにどういう貢献をするかと言うんですね、そういうことだったんです。私は、これが、ああいう百年前に頂点を極めてからゆっくりと美しく衰えている成熟社会のその市民を支えている原則だなと思ったんです。
 それで、今、和田中の教育目標は、もう私が赴任しました四年前から自立貢献という、これを教育目標にしています。非常に大事なことだと思いますし、またOECDが全世界の研究成果を集めまして、これから三つの力が非常に大事になると言った中にもこの自主性、自立性というのが出てきます。非常に大事だというふうに思います。
 ただ、ここで一つ皆さんにも分かっていただきたいことがあるんですが、これを阻害するものがあるとしたら何かといいますと、テレビを見過ぎていることです。
 今、小学校、中学校の子たちは二時間以上のテレビを見ておりまして、二時間十五分、平均としますと一年で八百時間テレビ漬けになっています。一方、学校の授業の総授業時間数は、道徳や国語や体育や学活全部入れて八百時間なんです。学力に関する英数国理社の時間数は四百時間です。テレビ八百時間以上対学力にかかわる英数国理社の授業四百時間。これ、勝負はっきり付いていると思います。
 もう一つ、自立を促進するものと考えられると思いますが、中毒になっちゃうとこれが全く逆方向に働くのが携帯です。
 携帯メール、今、中学二年生、持たせまして放置しておきますと、二時間、夜中に二百通ぐらいのショートメールを交換します。ほとんどですね、テレビを見ている最中も、あるいは携帯でメール打っている最中も、自主的な意識というのは働かないと思うんですね。これは非常に大きな問題だということ。
 学校はそういうこととも闘っているということを是非御理解いただければと思います。
 ありがとうございました。
#56
○福島みずほ君 今日は、教育委員会の在り方論ですが、本来の教育委員会、例えば公選制であるとか地域に根差したという形になっていれば本当によかったんですが、そうなっていない。だから、本日、活性化という議論も出ていると思います。
 今日御指摘があったとおり、文部科学省の下部機関になっているという面と、それから、下部機関どころか、もっと突出して学校現場に命令をしていく、チェックをしていくという、そういう教育委員会の問題点も大変あると思います。
 ところで、先日、東京地方裁判所で東京都の教育委員会が出している通達、日の丸・君が代に関する通達などが内心の自由を侵して憲法違反であるという画期的な判決が出ました。この判決について、教育委員会の在り方とも絡めて、中嶋参考人、いかがでしょうか。
#57
○参考人(中嶋哲彦君) 私、その判決を見まして、今委員が御質問というかおっしゃられたとおり、非常に画期的な判決であると思います。
 これは教育委員会として、学校の教育にかかわる際に、学校教育の具体的な内容にかかわる際に、どこまで踏み込んでよいか、どこから先は踏み込んではならないかということにかかわって言えば、教育の具体的な在り方、とりわけ個人個人の価値にかかわる事柄について、これは教育委員会は踏み込んではならない領域であろうと思います。これがたとえ学習指導要領に、そこに書き込まれていたとしても、それを促進する方向で教育委員会が学校に働き掛けるというのは適切なことではないと思っています。よろしいでしょうか。
#58
○福島みずほ君 はい。
 ところで、教育基本法改定法案の中には、法案の中身で、教育振興基本計画というのが十七条で新設をされています。政府が基本計画を作り、地方公共団体がそれを基にまた基本的な計画を定めるよう努めなければならないというのが法案の中身です。これは、一歩間違えると中央集権的なもの、国家の統制を非常に強めてしまう、自治体に対してというふうに思いますが、中嶋参考人、いかがでしょうか。
#59
○参考人(中嶋哲彦君) 私もそのように考えています。この振興基本計画は、他の基本計画と、基本法がありますけれども、三十数本ありますね、それと比べてみてはっきり違うと思うのは、一つは、この教育振興基本計画を策定する際の具体的な手続が明確に定められていないということ、それから、振興基本計画の対象とすべき領域が明確に定められてない、限定されていない、どこまでも教育振興基本計画の内容として書き込むことができる内容になっていると思います。
 それで、これは、大変危惧しているのは、これを所管する官庁が文部科学省だけではなくて、すべての省庁が教育振興基本計画の内容を提出できる、で、それが認められれば、政府が認めれば、それが振興計画の内容となるということです。
 これは、例えばアメリカにおいてはNCLB法といいまして、ノー・チャイルド・レフト・ビハインド法という大部な法律がありますけれども、その中に、新兵を、軍隊ですが、軍隊に高校生をリクルートすることを促進する内容の規定があります。で、それを実施した学校には補助金が出るという形の制度があります。
 これは、日本においても、この振興基本計画が全く無限定に定められているために、例えば防衛庁、まあ防衛省になるかもしれませんが、防衛庁のそのような計画が入ってしまう可能性もあると。で、それは、基本的な財政が枯渇しつつある地方行政にとっては、そのお金が欲しい、地方行政を支えていくためにはそういったお金が欲しいということで、そういった中央集権的な教育政策を進めていくお金を受け取らざるを得ない状況が生まれるのではないかということを大変危惧しています。
 以上です。
#60
○福島みずほ君 先ほど古山参考人から教育基本法についての田中先生の御著書の御紹介がありました。で、教育委員会は戦前の教育の反省を踏まえて戦後できたものだと思いますが、古山参考人、教育勅語、そして戦前の教育、何が問題だったとお考えでしょうか。
#61
○参考人(古山明男君) これはやっぱりお国のための教育だっていう、それだけだったっていう。で、それぞれの人が国をつくっていくんですよ、あるいはそれぞれの人が社会をつくっていくんですよという、そういう視点が非常になかった。で、これはただ考え方にすぎないんですけれども、行政機構というのが非常に厳しくできてて、上で決めたことをやっていくと。例えば授業の内容も、教科書がありますと、その教科書どおりに先生が読んで、それ全部を覚えさせるというのが、それが戦前の教育なんですよね。その名残で、今も教科書をやっていく。だけど、あれじゃ本当の意味で考える子供を伸ばせっこない。それで、国家関与が非常に内容にまで強過ぎたことが戦前の最大の問題。それから、教育行政の方では、教育行政と一般行政が分離されていなかった、これが問題だと思っています。
#62
○福島みずほ君 今日、藤原参考人に、非常に現場で生き生きとというか、苦労されているのかもしれません、頑張っていらっしゃる実践を聞いて、とても興味深くお聞きをいたしました。
 例えば、指導要領が阻害要因になるとか、ちょっと、こういううるさいことを行政言わないでくれよみたいなことを、ざっくばらんにありますか。
#63
○参考人(藤原和博君) 私、マネジメント的には超ですね、超が付くぐらい自由な雰囲気のあるリクルートというところから参りました。
 で、どれぐらいたがはめられるのかなというふうに思って来たんですが、実際やってみまして、校長というのは現在でも、正確な意味での人事権と予算権がないということを除けば、かなり自由な立場です。ですが、これは杉並区がそういう、例えば時間をどう設定するかとか、儀式についてももう任せるというようなことを方針として出しているからそうなんですね。
 一部の県では、例えば私が取りました四十五分の授業にしますと、荒れている学校じゃできないんですが、四十五分の授業にしますと、効率が上がって四こまになりますね、それによって丁寧な指導ができますから、底上げができるわけですね。
 これは、ちょっと県は申し上げられませんけれども、ある県でそれを実施して、非常に生徒にも保護者にも評判の良かった学校があるんです。これに対して県教委が翌年、そろえてほしいと、五十分に。だから、非常におかしな話が起こっているわけで、特色を出せと一方で言っておいて、現場で言っておいて、それに対して特色を出すなというのが、これダブルバインドと言うんですけれども、そういうことが起こる。実際に四十五分制を取り入れて、荒れている学校を治めたという例も長野県にあったりするんですね。だから、そういうものがむしろ波及する方が、波及する仕事が私は教育委員会の仕事だと思うんですけれども、上位の、それが逆になっちゃっている。特色を出せと言って、一方でそろえろ、これは非常におかしな話だとは思います。
 以上です。
#64
○福島みずほ君 もうあらゆる現場でもっと自律性を保障される方がいいということの御意見は大変参考になりました。
 高倉参考人、先ほど御説明で、もっと教育に予算を付けるべきだとおっしゃいましたが、そのことについて一言お願いします。
#65
○参考人(高倉翔君) よく引き合いに出されるのは、OECD加盟国での教育予算、GNP比ですね、これを私どももよく取り上げて議論するわけでございますが、非常に残念なことながら、もう一番どん底に低迷していると。別にOECDの統計がどうのということではございませんけれども、やはり教育に対してもっと手厚い財政的な手だてをすべきではなかろうか。
 今度、教育基本法の改正というものの原案が二つ出ておりますが、そのいずれも、やはり教育予算、財政措置ということについては非常に積極的な書き込みをされていると。別な言葉で言うと、教育基本法というものが、これまでの単なる理念法というものではなくて、もっともっと財政支出というような行政的責任を伴うものとして書かれているということに私は非常に強い賛成の意を表したいと思います。
 以上でございます。
#66
○福島みずほ君 あと一分。
 古山参考人に一言お聞きをいたします。御本の中で、地教行法の改正によって教育委員会の権限が機能不全になったとありますが、やはりこの点について一言お願いします。
#67
○参考人(古山明男君) ああ、これは長くて難しいな。
 要するに、せっかく独立性を保った行政委員会にしたのに、そこに指導を付けちゃったら行政委員会の意味なくなっちゃうと、そういうことです。
#68
○福島みずほ君 終わります。
 ありがとうございました。
#69
○亀井郁夫君 参考人の皆さん方、御苦労さまでございます。今日はいろいろと貴重な意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございます。
 最後になりましたので、もうちょっと我慢してくださいね。よろしくお願いしたいと思います。
 今日は教育委員会中心にということでございますけれども、教育委員会の在り方についてはいろいろ問題があるわけですね。現実に今、日本では人事権もなければあるいは予算権もないと、執行権だけあると。町によって、町の委員会になると非常に小さな委員会になって、まあ町にもよりますけど、非常に問題があるわけでございます。そういう意味では、これから教育委員会をどのように位置付けていくかということが大きな課題ですけれども、いろいろ考えておってもいい名案が浮かんでこないわけですけど、あれもこれもということになるんですけれども、四人の参考人の皆さん方にそれぞれ教育委員会の在り方についてどうしたらいいんだというふうな御意見をお聞かせ願いたいと思います。
#70
○参考人(高倉翔君) どうもありがとうございました。予算編成権のことについて御発言いただきました。ありがとうございました。
 御案内のように、旧教育委員会法の場合には予算の原案作成権、あるいはその原案が議会で否決された場合に二重提案権というような権限が教育委員会に与えられておりました。それが三十一年以降の地教行法になりますと大きく変わってまいりまして、意見を聴取しなければならないというようなことに相なっていると。したがって、教育委員会は教育予算の編成について首長に意見を、首長は意見を聴取しなければならないですから意見は聴かなきゃならない。しかし、それは意見を聴くことはそうしなければならないけれども、意見を尊重しなければならないというような含みがあるのかどうか、その辺り非常にまだ問題があるんではないかというように認識しております。
 また、何遍も同じようなことを繰り返して申し訳ございませんが、臨教審の後の教育委員会の活性化の議論のときにも、やはり大きなポイントはその予算の編成どうするかというようなことでございました。できれば元のような予算原案の作成権というふうなところまで戻したいと。しかし、それが不可能な場合にはもう少し定期的に、教育委員会サイドと首長部局が定期的にあるいは連続的に予算の編成について意見を交わすというような、そういうふうな仕掛けを各地方自治体でもって用意すべきだと、そういうふうな報告書の中の書き込みをしたことを記憶しております。
 いずれにしましても、予算の編成権というようなことにつきましては、ほとんど教育委員会が力を持ち得ないというような状況を何らかの形で克服していく、そのために今度の教育基本法の改正、幾つかの案が出ておりますが、いずれも教育財政あるいは財源の保障ということについて非常に大きな提言をされていらっしゃるわけでございますから、それを一つの追い風としまして、そういった教育予算の編成に関する仕組みというものが変えられていくような、そういったことを期待しております。
 以上でございます。ありがとうございました。
#71
○参考人(藤原和博君) そうですね、三つ触れたいと思うんですが、先ほどもお話ししましたように、小中学校につきましてはとにかく下に下ろしてほしいと思いますね。市区町村教委だけを見ていればいいような形、つまり上司を一人にすべきだということです。でなければ責任が取れません。
 その市区町村教委なんですが、教育委員については先ほど言いましたように名誉職になってしまっています。これはもしかしたら、その監査ですね、クオリティー監査の機能だけを残して、必要ないかもしれません。ただ、教育委員会事務局の機能は、これは皆さん御存じでしょうか。給食のお世話から、入退学のお世話から、障害者のお世話から、障害児教育のお世話から、本当に大変な仕事をしております。これとは一緒くたにしないでいただきたいと思います。教育委員会事務局は絶対に必要だし、拡充する必要がありますし、予算をもっと与える必要があると思います。
 それからもう一つ、今回のいじめの件で非常にはっきりしたことがあるんですけれども、例えば杉並区の場合どんな指示が来たかというと、もう十月の二十四日には、生徒一人一人にこのアンケート調査で調査してくれますかというのが来たんです。各学校の判断だったんですが、私はすぐに調査したいと思いまして、三百人の子供たちに、いじめをやった、やられた、見た、聞いた、全部ですね、いじめをやったという子が大体報告することはありませんけれども、それをすぐに取りました。翌週には、大体もう教員が捕捉しているものがほとんどだったんですが、それでも二、三件取り漏らしがございましたので、それに対して方針を決めて、全部事情聴取で事実をきちっと確定して、翌週には指導が終わっておりましたので、先々週の職員会議でもう既にその報告を全部私は聞いています。全教員がそういう意味では十件近くあった案件につきまして共有をしているわけです。
 ところが、じゃそれが例えば上の層になればなるほどそれが遅れていって、例えば緊急調査しなければいけないみたいなのが、今の国のそういう、上まで行っちゃうとそうなっちゃうわけです。もうとっくに終わっているんですね、まともな市区町村だったら。だから、まだそういう調査もしないで対策が終わっていない市区町村の教育長こそ首にすべきで、私はそういう考え方を取るべきだと思います。
 それから、最後なんですが、とかく教育の現場で自由と権利というような話が出るわけですが、今教員の人たちが本当に困っているのは保護者の過剰な権利の主張です。もうこの三十年ほど、日本は自分の気持ち至上主義で来ちゃっていますから、今保護者で、大体小学校の高学年ぐらいまでの保護者がこの感じで、雑誌なんかにあおられて、自分探しをし、自分の気持ち至上主義でブランド追いをし、来た人たちが多いです。なので、ベテランの先生たちが何を言うかというと、子供の向こうにいるのが親じゃないと、もう一人子供がいると言うんですね。だから、四十人の学級預かったら八十人預からなきゃならない。しかも、すごい重い、重い子供です。
 なので、私はやっぱり義務と責任ということについてもきっちりすべきだと思いますし、それがもし上位の教育委員会がやるのであれば、そういうキャンペーンをきっちりやっぱりやらなきゃならない。親の教育というのがもうどうしても学校の課題になっちゃって、それも現場に全部押し付けられている状況だということを御理解いただきたいと思います。
 以上です。
#72
○参考人(古山明男君) 今、親の方の問題出たんですけど、私は親御さんからいろいろ事情を聞く立場で、そうすると聞きますのが、学校の紋切り型と先生の専横ですね、勝手にやったと。
 しかし、私は先生の側の立場も聞くと、非常に不幸なことが起こっていると思うんです。保護者と先生が敵対しちゃっているんです。それで、どっちも相手が常識外れねとか言うわけですね。ところが、常識ができてくる場があるかというと、ないんですよ。本当に一緒に運営するような場ができて、多少はぶつかり合って、それはあんまりだとかいろいろやって、それで初めて常識という線が出てくるんだけど、それが今、あいつときたら、あの親ときたら、あの教師ときたらってみんなやって、国会まで話が出てくるわけですね。
 これ、きちんとやっぱりルール付けしなきゃならない。そして、教育行政、教育委員会の元々の理念は三つありました。一つは、一般行政と教育の分離です。もう一つは地方分権です。もう一つが民意の反映です。
 このうち、この三つのうち、一般行政との分離はある程度、地方はかなりよくできているんですけれども、中央の文部省の設計がちょっと悪いと思っています。あれ、政党を送り込んで、地方はせっかく代議士入っちゃいけないようにしているんですけれども、中央は文部省に政党から入ってきます。それから、分権もある程度はいっているんですけど、この民意反映というのが全然なくなっちゃって、これ大変で、変な風土ができちゃったんですね、親入れたら大変だって。僕これ事実だとは思うんです、事実です。事実ですけれども、これ大変だと言ったらいつまでも後進国だと思うんです。
 やはり、国民に対して責任を負ってやっている教育ですので、要するに、僕は法律作るときの一番大事なのは、もし問題があったらどのようにそれを、こういう問題があると言うことができてどのように解決できるかと。そういう意味で、ちゃんと作らなかったら何やってもしり抜けになっちゃうと。
 したがって、今の先生たちのそれを言う機能、それから親御さんたちの言う機能、生徒の言う機能、これをきっちり付けることだと思っています。それが教育行政のお仕事だと思っています。
#73
○参考人(中嶋哲彦君) 先ほどの御発言の中で教育委員会事務局の強化が必要であるという御意見があって、私も賛成です。
 ただ、教育委員が名誉職化していて事務局が支えているんだ、だから事務局の活性化が必要であると考えるならばこれはおかしな話で、というのは、現在の文科省、都道府県教委、市町村教委、そして学校というこの縦の系列、それは一体何によって支えられているかというと、教育委員会じゃないんです。つまり、教育委員がそれを支えているのではなくて、事務局がそれを支えているんです。要するに事務局の体制が縦系列をつくり出していると。そこを見落としちゃいけないと思います。
 したがって、教育委員会を廃止して事務局だけで運営していく、首長と事務局で教育行政を運営をするということになれば、これは縦系列を強めるだけです。更にそこに文科省だけではなくて総務省の系列もきっと入ってくることになると思いますから、教育行政に対する様々な制限がそこに入ってきてしまう。そこを見落としちゃいけないと思っています。
 ですから、教育の地方自治を進めるべきであると考えるならば、そこへ事務局の強化ということではなくて、やはり教育委員が名誉職であるというならば、現在の名誉職でないような、役割を果たせるような権限を与える、あるいは責任を持たせるという方向で考えていくべきだろうと思います。
 そして、今御質問があった中の、最初の御質問をいただいたのは人事権とそれから予算権のことだったと思います。
 人事権に関して言うと、これは確かに任免権は都道府県教委にあります。市町村教委には任免権はありません。その意味で、これを人事権がないというふうに一般的に言っているのだろうと思います。
 しかし、それだけ言ったのではこれは間違いだと思います。というのは、市町村教育委員会には内申権があります。これは地方教育行政法の第三十八条に定められています。九条かもしれない。その辺りに定められています。この内申権というのはどういう意味を持つかというと、都道府県教育委員会が教員の人事を行う際には内申を待って、市町村教育委員会からの内申を待って、それに基づいて人事権を行使するのだという定めがあります。それが現実には機能していないと。そこが問題なんですね。
 現実にはどんなことが起きるかというと、都道府県教委から先に内申すべき内容を市町村教育委員会の方に示して、それを内申させてしまうというようなことも起きているんですね。そういう中で内申権が有名無実化しているということです。
 私たち犬山市の場合は、この内申権の奪還から始めました。内申権を取り返すと。まあ取り返すも何も、内申権を実質的なものとして機能させる。内申に基づいて人事を行使しなければ愛知県教育委員会は法律違反をしているんだぞとまあ脅しました。そうすることによって内申権を確保し、それによって学校を自律的に運営していく基礎をつくったということです。それを他の教育委員会も是非していただきたいし、それができるような枠組みをつくっていっていただきたいと思います。
 二つ目の予算権です。
 確かに予算権、現在の教育委員会制度では教育委員会には予算提出権がありません。あるいは、それこそ徴税権はないわけですね。その意味では予算を、独自の予算権を行使することはできません。
 しかし、ここで大事なことは市区町村長ですね、首長との関係をどうやってつくり出していくかということだろうと思います。教育委員会としての教育政策を明確に打ち出して、それによってそれを実現するためにはお金が要るのだ。その政策を実現していくことは、首長にとっても、あなたにとってもこれは有益なことでしょうと。有益というのは、選挙で有益ということだけではなくて、首長としての責任を果たすことなんだと。そういうことで、首長からお金を出してもらうということが大事だろうと思います。
 私ども犬山市の場合は、市費で非常勤講師を任用しています。これに掛かるお金が二億円ぐらい掛かっているんです。そのお金を市長から、これは是非とも必要な政策であって、これは犬山の将来のために必要なお金だから出してほしいんだということで市長にお願いし、それを市長が合意してくださってお金が出ています。
 多くの場合、犬山市は首長、市長さんが教育改革を進めたとおっしゃられている。先ほど鈴木委員さんもそうおっしゃられましたが、それは若干誤解があります。教育委員会として見識ある政策を持つことによって首長さんがお金を出してくれていると。首長の功績は、そのような政策を打ち出すことのできる教育委員会を任命したことと、それからそこにきちっとお金を付けていること、このことだと思います。そういう制度を作らなければならないと思います。
 それが今回の教育基本法改正によって実現するかといえば、そうではないと、そこが問題だと思っています。
 以上です。
#74
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 もう時間も余りなくなってしまったんですが、もう一点聞きたいと思ったのは、イギリスのサッチャーさんの教育改革について、始めらしいんですけれども、直してきたと。日本も是非そういうことをしたいということなんですが、それについては、イギリスの場合は視学官を、日本でいう視学官ですけれども、そういう教育水準局をつくって、四千名の非常勤の人と四百名ぐらいの常勤の人で各二万何千校を全部見て回って教育困難校を千二百校示したと。そしてまた、二百校近くはやめられたということなんですけれども、こういうふうなやり方を日本の場合やるべきかどうかということがあるんですけれども、文部省には視学官が十人いるそうですけど、十人じゃ何もできないと思うんですけれども、これに対して、もう四分しかありませんからね、高倉さんにちょっとお話ししたい。
#75
○参考人(高倉翔君) どうも済みません。
 イギリスのインスペクターの制度というのは非常に有名だということを私も存じておりますし、ちょっとあの辺りで仕事したこともございますので、実感として感じております。
 ただ、そのインスペクターが働く、機能を果たすという場合に、やはりそのバックになる学校ないしは教育の生まれ方、育ち方というものが、体質みたいな、DNAみたいなものというものがかなり大きいんではないかと。よく言われるように、日本の学校制度というのはガイデッドシステム、つまりつくられた学校だと。それに対して、イギリスなどの学校制度はグラスルーツシステムと、まあ草の根型といいますか、生まれた学校だと。そういった生まれた学校というようなところではそのインスペクターというものが実にうまく機能すると。しかし、つくられた学校というところの日本の体質の中では、インスペクターが、何といいますか、正に指揮監督的な、指導助言的な役割よりも指揮監督的な役割を果たしやすいんではなかろうかというような、そういう実感も私持っているわけでございます。
 そういうことで考えていきますと、今後、インスペクターと視学官というのは似たような名称あるいは役割かもしれませんけれども、日本の場合にやはり視学官が本当に果たすべき役割、視学官に求められている役割というのは一体何なのかと、その辺りについてもきちっとやはり議論をして詰めていくべきだというように考えております。
 ありがとうございました。
#76
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 あとわずか二分ですけれども、じゃ藤原さんにちょっと今のことについてお尋ねしたいと思います。
#77
○参考人(藤原和博君) 教育のクオリティーを監査する人を国が抱えて、数百人抱えて、あとはもうとにかく権限を、予算も人事もすべて地域の方にという、まあイギリスが取った非常に激しいやり方ですね。
 日本は、例えば五十年、百年掛けてそこに進む手はあると思うんですが、今もしそれをやったらかなりぼろぼろになると思っています。先ほど言いましたように、イギリスがそれができるのは幼稚園から、四歳から自立と貢献ということを教えているからなんですね。そういう市民を育てているからできるんだと私は思います。今、多分、日本の校長三万数千人います、公立の小中だけでもそれぐらいいるんですね。この人たちに完全な人事権と完全な予算権を与えて経営できる人は恐らく一割しかいないと思います。まあそういうことなんです。
 私は和田中で「自立と貢献」というのを教育目標にしていますけれども、これ実は、三年間学ぶと分かるんですが、貢献が先なんですね。貢献すると自立が生まれるんです。この順番が非常に大事なんです。これをやっぱり、来るべき日本の成熟社会を担う市民を育てるためには絶対にその精神が大事だというふうに考えています。
 以上です。
#78
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 じゃ、終わります。ありがとうございました。
#79
○委員長(中曽根弘文君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。
 皆様には、本日は、長時間にわたり御出席いただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)
 午後一時に再開することとし、休憩いたします。
   午後零時十五分休憩
     ─────・─────
   午後一時二分開会
#80
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を再開いたします。
 この際、委員の異動について御報告いたします。
 本日、亀井郁夫君が委員を辞任され、その補欠として後藤博子君が選任されました。
    ─────────────
#81
○委員長(中曽根弘文君) 休憩前に引き続き、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題といたします。
 昨六日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。
 まず、第一班の御報告を願います。佐藤泰介君。
#82
○佐藤泰介君 第一班につきまして御報告いたします。
 派遣委員は、中曽根弘文委員長、北岡秀二理事、岡田直樹委員、小泉昭男委員、水岡俊一委員、浮島とも子委員、渕上貞雄委員、亀井郁夫委員及び私、佐藤泰介の九名であり、昨日、甲府市において地方公聴会を開催し、四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。
 まず、公述の要旨を御報告申し上げます。
 最初に、山梨県高等学校PTA連合会事務局長浅川宏雄君からは、元気な若者が社会的弱者から金品を強奪するなど、社会のたがや歯止めが外れてしまったと、やるせない思いでいる。「公」と「私」のバランスを欠いているのではないかと痛感する。こうしたことから、今回の教育基本法改正で特に期待している点は、政府案第二条の教育の目標に公共の精神が盛り込まれたこと、同じく日本の伝統と文化の尊重、郷土や国を愛する態度が規定されたこと、政府案第三条に生涯学習の理念が、また、同第十条に家庭教育が明記されたこと、同第十三条に学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力がうたわれていることである。新しい時代を担う子どもたちのために、教育基本法改正案の早期成立と施策を裏付ける教育予算の充実を願うものであるなどの意見が述べられました。
 次に、山梨学院大学法学部教授で生涯学習センター長の黒沢惟昭君からは、今急に教育基本法を改正する意味や必要があるとは思えないこと、愛国心は自然に芽生えるものであり、法律による強制は危険であり、現場の教員を萎縮させるので、是非やめてもらいたいこと、政府案第三条で生涯学習の理念をうたっているが、社会教育法の規定で十分と考えること、政府案第七条で大学についてだけ目的を定めているのは、国際競争力を回復するための知的資源動員のためであり、教育改革はその手段であると思われること、教員について定めた政府案第九条において「全体の奉仕者」の文言が、また、政府案第十六条において、教育は、「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきもの」との文言がそれぞれ削除されているが、国民ではなく国家に奉仕することを考えているのではないかと危惧されること、などの意見が述べられました。
 次に、川崎市立川崎高等学校教諭小林和紀君からは、学ぶ楽しさと生きるすばらしさを生徒に伝えられる魅力ある教員をいかに増やしていくかが教育の課題であること、「減点主義」の教育管理から「加点主義」の教育支援体制へと教育行政を転換する必要があること、教員の研修については、受講型から参加型・作業型にウエートを置くこと、学校は児童・生徒に対し、学力という角度に偏り過ぎることなく、学校行事等の特別活動に学校全体で取り組むことにより、子どもに「生きる力」を身に付けさせることも重要であること、各種書類作成事務の精選などを行って子どもにかかわる時間を増やさなければならないこと、また、教育振興基本計画により、子どもが気軽に安心して相談できる窓口の学校外への設置が求められることなどの意見が述べられました。
 最後に、早稲田大学文学部教授喜多明人君からは、諸外国に比べ日本の子どもたちの自己肯定感の低下や落下が顕著であること、自己肯定感こそ生きる力の源であり、いじめ問題解決のかぎを握っていること、それが落ち込んでしまった一因は、子どもの問題を大人だけで議論し解決できると考えてきたことにあること、教育基本法改正問題の意思決定プロセスにも子どもを参加させることが望ましいと考えており、子ども国会の実績を持つ参議院の良識に期待するなどの意見が述べられました。
 公述人の意見に対し、各委員より、学校でのボランティア活動の意義と導入状況、他職種を実体験させる長期派遣型教員研修の評価、民主党の日本国教育基本法案に対する意見、子どもの安全確保を教育基本法に明記する必要性、子どもの成長を助ける体験活動の具体策、教員が子どもと向き合う時間の実情と確保策、教育費負担が家庭に及ぼす影響と格差問題とのつながり、地域社会全体で子どもを育てることの大切さ、教育改革を進めるにふさわしい手法・プロセスの追究、中教審答申が示した宗教的情操教育の重要性、国や伝統文化を大切にする態度と心との関係など、多岐にわたる質疑が行われました。
 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
 以上で第一班の報告を終わります。
 ありがとうございました。
#83
○委員長(中曽根弘文君) 次に、第二班の御報告を願います。岸信夫君。
#84
○岸信夫君 第二班につきまして御報告いたします。
 派遣委員は、櫻井充理事、風間昶理事、小泉顕雄委員、坂本由紀子委員、中島啓雄委員、松村祥史委員、下田敦子委員、藤本祐司委員、井上哲士委員及び団長を務めました私、岸信夫の十名であり、昨日、静岡市において地方公聴会を開催し、四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。
 まず、公述の要旨を御報告申し上げます。
 最初に、静岡県西遠女子学園理事長・校長岡本肇君からは、私学の立場から教育基本法の改正には賛成であり、遅かったとも言える。政府案、民主党案とも私学振興が取り上げられ、有り難い。私学には自主性の尊重が一番大切である。家庭教育等の項目の追加は、時代の流れである。教育振興基本計画については、法律で教育の振興を義務付け、国と地方の教育行政に責任ある立場の人が短期・中期・長期の計画を作り、実行していくことは大変必要なことであり、財政上実現しない場合は、その理由を世間に説明する必要があるなどの意見が述べられました。
 次に、専修大学経営学部教授嶺井正也君からは、慎重かつ徹底審議を更に求めたい。政府案については、提出に至る審議の過程、手続に問題がある。教育の目標が社会教育、家庭教育に及ぶとの国会答弁もあり、法の規定の仕方に問題がある。家庭教育については、子どもの権利条約でも親の第一義的責任を書いているが、一定の家庭のモデルをつくって、責任を法的に課すのはいかがなものか。いろいろな家庭のタイプがあることを想像して支援する書き方ならよいが、親に縛りを掛けるのは問題である。政府案は、権利の主体としての子どもの位置付けが弱い。この点、民主党案については配慮があるなどの意見が述べられました。
 次に、静岡産業大学情報学部助教授松永由弥子君からは、政府案は生涯学習や家庭教育を規定しており賛成である。長寿社会においては、今必要な学習と次の人生活動の準備のための学習を同時並行的に行うと考えられ、生涯学習の保障が法定されたことは意義深い。家庭教育が学校教育、社会教育とともに対等な形で条文化されたことも重要である。具体的には、情報教育に関心がありながら学ぶ機会のない親が子どもと一緒に学ぶという新しい情報モラル教育が全国で行われることが大切であるなどの意見が述べられました。
 最後に、静岡県高等学校障害児学校教職員組合委員長粕谷たか子君からは、子どもや学校は、様々な問題に直面している。特に現在のトップダウンの教育改革は、少子化に伴う学級減が教員定数削減、学校統廃合につながり、学校間の競争を激化させ、数値目標の導入により現場の教師を脅かしている。現行法第十条の趣旨を実践し、教育諸条件の整備をするなど、教育基本法を変えるのではなく生かすことこそ必要であり、子ども・保護者・地域住民・教職員が共同して参加する学校づくりが求められているなどの意見が述べられました。
 公述人の意見に対し、各委員より、伝統と文化の尊重を学校教育に取り入れる手法と人格形成に及ぼす効果、学校現場が家庭教育を補っている現状、少子化対策としての幼児教育無償化に対する認識、民主党案の情報文化社会に関する教育条項への見解、学校教育と社会教育の連携・融合の必要性、親に対する教育機会の提供の在り方、現行の教育基本法の変えるべき部分、教員評価制度の現状と教員の資質向上の関係など、多岐にわたる質疑が行われました。
 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
 以上で第二班の報告を終わります。
#85
○委員長(中曽根弘文君) これをもって派遣委員の報告は終了いたしました。
 なお、地方公聴会の速記録につきましては、これを本日の会議録の末尾に掲載することといたします。
    ─────────────
#86
○委員長(中曽根弘文君) これよりいじめ問題等についての集中審議を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#87
○辻泰弘君 民主党・新緑風会、辻泰弘でございます。
 本委員会において初参加、初質問ということになるわけでございますけれども、望むらくはあと二回、三回と質問させていただきたい、このような時間を取って議論していきたいと、このように思う次第でございます。
 まず、いろいろこれまでの議事録等を拝見させていただきまして、ひとつ伊吹大臣に敬意を表しておきたいと思いますことは、十一月二十九日に、通告外の御質問があれば、どうぞ御自由にしていただいて結構でございますと、こういうふうにおっしゃっておられます。大変我々からいたしますと有り難いことでもございますが、是非、政府、閣内全員にお伝えいただいて、そのような精神で各委員会でそのようにお構えいただければと、このように思うわけでございます。
 さて、今日は「いじめ問題等」ということでございまして、「等」の方が結果として多くなるかもしれませんけれども、冒頭でございますので、いじめの問題に絡めて御質問をしておきたいと思っております。
 補正予算が必要になってくるという状況があるわけでございまして、政府としてお取り組みになっているところでございますけれども、当然のことながら、今日的な意味においてのいじめの対策、学校校舎の耐震化、あるいは学校安全の問題等々についての予算化というものが急務だというふうに思うわけでございます。
 本予算でももちろんでございますけれども、当面する補正予算において、このいじめ対策、学校校舎、安全問題等への御方針、お伺いしたいと思います。
#88
○国務大臣(伊吹文明君) 補正予算については現在編成中でございますけれども、緊急を要するもの、特に安心、安全等についてと閣議では限定をした編成方針になっております。
 文教科学委員会で御党の佐藤理事から強烈な私はハッパを掛けられまして、その範囲の中ではありますが、自分なりにはかなり努力をしたつもりでございますので、学校の耐震の予算、いじめの予算等について、従来にはない予算を確保できると思っております。
#89
○辻泰弘君 しからば、その内容はどういうものでしょうか。
#90
○国務大臣(伊吹文明君) 補正予算の内容は閣議決定をして国会にお諮りすることになっておりますので、詳細はここで申し上げる立場にはございませんが、安心、安全ということになると耐震の工事、あるいはまたいじめに対する、何というんでしょうか、相談を受ける電話網の拡充、これは総理が御答弁をしているとおりですから、そういうものを中心に補正予算が計上されると思います。
#91
○辻泰弘君 スクールカウンセラー等々、人員のこともあるんでしょうけれども、やはり子供が実際に相談できる状況をつくるということが大事だと思いますので、スクールカウンセラーの要件というのもあるようでございますけれども、そういったことの在り方も含めてお取り組みいただきたいと思いますし、やはりこういった問題は結果として予算、人員、まあ人員ということも含めてトータルとして突き詰めてみれば予算ということにもなってくるんだろうと思うわけでございまして、そういった意味で、全体の財政状況多端の折柄とはいえども、やはり極めて重要な部分でございますので、大臣におかれましては積極的にお取り組みいただいて、補正予算においても十分な予算を確保していただくように御要請申し上げておきたいと思います。
 さて、そこで本法にかかわるということになるわけでございますけれども、一つのポイントとして、かねがね本委員会でも議論をされてきているところでございますけれども、やはり拙速な結論を導くべきではないということについて申し上げておきたいと思います。
 私は兵庫県選出でございますけれども、さきの神戸の公聴会でも、与党の自民党推薦の方も、教育基本法は憲法の次に大切である、国家百年の大計である教育を審議するには時間が少ないという御趣旨の御発言があったというふうにお聞きしているところでございます。
 また、これも何度もおっしゃっておられることでございましょうけれども、マスコミ等の直近の調査を拝見いたしましても、今国会にこだわるべきではない、五五%で最も多いと。自民党の支持層でも今国会成立は二五%止まりで、今国会にこだわるべきではない、五三%であると、こういった状況があるわけでございます。
 そういったことを思いますとき、やはり教育、憲法の次に大切という御指摘もあった、正に教育における憲法というべき教育基本法において、拙速を慎むべし、やはり審議する時間を確保するということがあるべき姿だと思っておりますが、大臣としての御所見をお伺いしたい。
#92
○国務大臣(伊吹文明君) 何度もこの場で答弁で申し上げておりますので、ずっとお聞きいただいていればお分かりだと思いますが、よろしいですか。
#93
○辻泰弘君 どうぞ。
#94
○国務大臣(伊吹文明君) やはり世論の集約の最大のものは、全国民が参加をし、投票によって選ばれた国会であるという自負と自信だけは我々は失いたくはないと思います。
 世論調査はそれを補完する大切な手段でありますが、世論調査で国家意思が決定されるわけではなく、国会で国家意思が決定されるわけです。ですから、ここでの議論、それから世論調査、各種新聞の社説、いろいろなものを総合的に判断をされて、国会が濃密な議論を重ねていただいて最終的に御判断をいただくべきものだと考えております。
#95
○辻泰弘君 まず、それはかつての答弁でもその趣旨をおっしゃっているんですけれども、要は自由民主党のマニフェストに書いてあると、こういうこともおっしゃっているわけです。しかし、マニフェストでは、教育基本法の改正を推進します、こういうことが書いているのであって、何も、当然ですけれども、この国会で上げるという、早急にというか、そういうことまでしているわけじゃなくて、そういったマニフェストを出されて、結果として勝利を獲得されて、今、現政府をつくっていらっしゃる。そして、その国会の中で、皆さん方の自民党の支持の方の五十何%まで、五三%も今国会にこだわるべきではないと、こうおっしゃっているということですから、それは、何もそのマニフェストがそうあったから、何が何でも今国会でなきゃならないという、そういった結論というのは、私は必ずしも妥当する論理ではないというふうに一つ思っているということ。
 それからもう一つは、いつも国会でお決めいただいたらいいんだとおっしゃるわけですけれども、しかしこれは安倍さんの、総理の一つの大きな方針であるわけですね。参議院の本会議においても、「今国会における教育基本法案の成立を期して、しっかりと取り組んでまいります。」と、こうおっしゃっているわけです。ですから、今は若干いろんなことをおっしゃったけれども、今までは基本的に国会で御協議いただいてと、与野党で協議いただいてと、こういうことになっているわけですけれども、私は、総理がこうおっしゃっているからこそ内閣の方針として掲げられ、与党の方々もそれに沿ってやっていらっしゃると。
 だから、そういった状況の下で大臣が、いろいろな国民の意見を直接所掌されているのは文部科学大臣なわけですから、いろいろな公述人の方々の御意見等々も踏まえるならば、やはりもう少し時間を掛けてやるべきだということを総理におっしゃって、その結果、少し今までとトーンが違うということはあってしかるべきことであって、そのことを、今おっしゃったことが否定することにはならない。私は、今日的な国民的な状況の中で、今、国会で結論を出さなきゃいかぬということを今までの大臣の答弁から正当化することはできないと思うんですけれども、いかがでしょう。
#96
○国務大臣(伊吹文明君) 日本国憲法の下で存在する選挙、そして国会ということに関して、辻先生がおっしゃったことは辻先生の御意見として承らせていただきます。
#97
○辻泰弘君 いずれにいたしましても、このことの対応一つを見ても、やはり国民の意見を尊重しない姿勢、この姿勢があるというふうに言わざるを得ない。この点において、私はやはり反対であるということをまず申し上げておかなければならないと思っています。
 そこで、法案の中身について御質問していきたいと思っています。教育基本法案の第十七条、教育振興基本計画についてでございます。
 これ、新設をされているわけでございますけれども、この計画は二項で成り立っているということになるわけでございますけれども、率直なところ殺風景な感じがいたしますけれども、せっかく鳴り物入り的に作られている基本計画にもかかわらず、二つの項目だけで非常に寂しい思いがいたしますが、財政的な対応についての規定がないということだと思うんですが、何ゆえそうなったんでしょうか。
#98
○国務大臣(伊吹文明君) これは、現行の御提案している法律の十六条の四項をごらんいただければ、「国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。」という規定がございます。
#99
○辻泰弘君 そういうふうに答えると思ったんですけれども、それは、実はその十七条の計画の前に出ているわけなんですね。だから、その計画を受けてと、それは一体だという理屈をおっしゃるんでしょうけれども、しかし、その本質は、私はそこは書いていないということが本質だろうと思います。
 そして、片や平成七年に成立している科学技術基本法、これがあるわけですが、これの九条の科学技術基本計画ですね、これの六項めですか、ちょっと読みますと、「政府は、科学技術基本計画について、その実施に要する経費に関し必要な資金の確保を図るため、毎年度、国の財政の許す範囲内で、これを予算に計上する等その円滑な実施に必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」と、こういうふうに書いてあるわけでございます。これが計画の中で「政府は、」ということで、もちろん限られた予算の中というふうなことはあるわけですが、しかし、それでもこれだけ明記されているわけでございます。私ども民主党の案も、もちろんそういったことはより強固に書いてあるわけですが、その点、何ゆえそういったことを書き込まれなかったのか、そのことについて御説明いただきたい。
#100
○国務大臣(伊吹文明君) それは、十六条の第一項に「国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、」とあるからです。そして、御承知のように、国民負担は国税及び地方税において担保されておりますから、義務教育の費用においても国の義務教育国庫負担金は現在三分の一、残りは地方単費によって賄われていることは先生御承知のとおりです。
 科学技術振興法は国が主体になる法律であるからそのように書かれているわけで、これは立法の対象をお考えになれば当然の記述だと思います。
#101
○辻泰弘君 科学技術基本法も国及び地方はというのがあるんですね。そして計画があって、その中には、計画の中は「政府は、」となっているんです、主語が。このおっしゃった十六条は「国及び地方公共団体は、」でございますから、その政府が作るというふうになったその基本計画の財政を政府がすべしという科学技術基本法とはやはり明確に書き方が違うと言わざるを得ないわけでございます。その点はどうですか。
#102
○国務大臣(伊吹文明君) 先生御承知のように、全教育関係の費用は、国民負担は二十兆円ございます。そのうちで国の文教関係の予算は幾らかというのは、ここで御質問になっているわけですから、当然御承知のとおりだと思います。
 科学技術振興費と比べて、科学技術振興費のような、何というんでしょうか、記述をしてないというのは、この基本法の今申し上げた分担その他のいろいろな記述があって、現実を踏まえてこのような表現になっているということです。
#103
○辻泰弘君 現実というのはどういうことですか。
#104
○国務大臣(伊吹文明君) それは、今申し上げたことをお聞きいただいたら分かるんじゃないですか。国の教育に関する全国民負担は二十兆円なんですよ。そのうち、国の文教費は御承知のような金額ですから。
#105
○辻泰弘君 ちょっと今のよく分からないですね。トータル二十兆で、文教と科学がどうだからこの書き方が違うということですか。その論理を言ってください。
#106
○国務大臣(伊吹文明君) 教育の全費用は国と地方と合わせて二十兆円。義務教育の全国民負担は約十兆円弱ですね。そのうち、国が負担している文教関係費は五兆二千六百七十一億円というのが十八年度歳出予算の中身です。ですから、国と地方は適切な分担を行って初めて教育は成り立っているから、先ほど申し上げたような条文になっていることの財政的な裏付けを私は御説明をしているわけです。
#107
○辻泰弘君 ですから、国と地方という、ちょっと何か御指摘がよく分かりませんけれどもね。
 要は、私がお聞きしているのは、文部科学省、文部科学大臣でございますから、文部が片やあり、科学が片やあるわけですね。それで実際、文部科学省設置法を見ましても、文部科学省は、教育の振興、学術、スポーツ、文化の振興並びに科学技術の総合的な振興と、こうなっているわけですね。ですから、総じて言えば、文部片やあり、科学片やありと、こういうことだと思うんですね。
 科学技術振興法には、国、地方公共団体という書き方がある中で計画があり、そして計画の中に「政府は、」ということが、財政的なことが書いてあるわけです。にもかかわらず、文部の方のマターですね、まあ言い方とすれば、教育基本法案の方へは、国、地方ということはあるけれども、計画を政府が定めるべしと言っていながら、その中に政府としての財政的な確保ということにつながっていない、書いていない。ここは明確に、ある意味では文部科学省で二つのことを統括しておられるにもかかわらず、片っ方と片っ方が違うような基本法になっていませんかということです。
#108
○国務大臣(伊吹文明君) これは、まあ民主党の中でもいろいろ御意見があるんだと思いますが、民主党案として出てきたものは、国……
#109
○辻泰弘君 民主党関係ないですよ。
#110
○国務大臣(伊吹文明君) いや、ちょっと待ってください、答弁しているんですから。
 国は、公教育の責任は、最終責任は国にあると書いてありますね、民主党案は。だけど、我々が提案している案は、国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下にその実施の責任を負うと書いてあるわけですから、今の義務教育国庫負担金だって、私は非常に残念なことだったと思いますが、二分の一から三分の一の負担になるように税源の配分をしちゃっているわけですから、お互いに協力してやっていくという意味を申し上げているわけです。
#111
○辻泰弘君 義務教の話はまたお聞きするとしまして、今のは、今までのこととか現行制度じゃなくて、今後の基本計画についてなんですよね。今後どうするかという計画について定めるということで、科学技術の方は、政府が計画を定めて、かつ政府がそれに見合う予算を獲得するよう措置を講ずるよう努めなければならない、こういう書きぶりになっているわけですよ。しかし、教育の方は、計画は公表しなきゃいかぬ、作らなきゃならぬと、こうなっているわけですが、それに見合う財政の規定がないわけです。政府はという主語がないわけなんですよ。国はというのはありますけれども、それは別の話ですからね。
 計画については、科学技術基本法はその計画の規定の中に、政府は財政措置に努めよと、こうなっている。しかし、文部科学省という科学と文部、大きく分けたときに二つだろうというふうにひとつ分けたとすれば、文部サイドの基本法と言うべき教育基本法においてそのことが全く同じような位置付けになってないということは私は非常に不可思議なことでございますし、これは非常に瑕疵があるというふうに私は思っております。
 私ども、民主党のことを、議論と言わないけれども、民主党はもちろんより細かくといいますか、より具体的な形での予算の確保を言っておりますけれども、いずれにいたしましても、ここは私は非常に瑕疵あるといいますか、欠落しているというふうに思っています。そのことをもう一遍、どう御説明になりますか。
#112
○国務大臣(伊吹文明君) 何度も申し上げているように、それじゃ、科学技術振興法にそう書かれているからといって、毎年毎年の予算が先生がおっしゃっているような状況で確保されているかどうかは、これは見る人によってみんな違いますよ。予算というのは、財政法の規定によって、単年度主義によって各々の毎年の予算査定で必ず計上されて国会の御審議を得るわけですから、我々は、教育の改革は実効あるように必要な予算を確保していくという姿勢には何の変更もございません。
#113
○辻泰弘君 しかし、科学技術についてはそのことをある意味では法に書いてあるわけです。毎年度国の財政の許す範囲内で必要な措置を講ずるよう努めなければならないと、こういうふうになっているわけで、それはそういったことも当然加味されるわけですよ。しかし、そういう中でもやはりその精神は、やはり国にとって科学技術振興というのは、やっぱりひとつ将来にわたって極めて重要であるということからそういう位置付けが、規定があるというふうに思うし、それは大事なことだと私は思うんです。それは教育においても同じであって、より重要ではあり得ても、より重要でないということはないという性質のものだろうと思うわけです。
 ですから、その点については、私は完全にその点が欠落している、この点は非常に大きな瑕疵があるというふうに思います。ですから、そういう意味において、ほかのことの議論はもとよりでございますけれども、少なくともこの一点においてもこの法案は国民の期待にこたえるものではないし、少なくとも、あえて言えば、ここだけでも修正しなければならない、追加しなきゃならない、このように私は思っているということを申し上げておかなければなりません。そのように申し上げておきたいと思います。
 それで、ここでももっと時間取りたいところですが、時間が限られておりますので次の点に移らせていただきますけれども。
 いわゆる過般の例えば神戸の公述人、与党の方の御発言を見ましても、改正案に交じっているように感じる復古的な国家重視の人間観と、こういったことを与党の御推薦の方もおっしゃっているということがあったわけでございます。私自身、この新しい法案を拝見させていただいて、態度を養うという表現に私は率直なところなじまないものがあったというのが正直なところでございます。私のボキャブラリーでいって、日本語的に余りなじまないような感じにも思うわけでございます。
 それで、そういった見地から伊吹大臣の発言を追っ掛けさせていただいても、どうもはっきりとした説明がなされていないと言わざるを得ないんですね。その点、態度を養うということ、「心にもないことを言うという表現もあれば、」みたいなことをおっしゃっていますけれども、その辺についての御説明をいただきたいと思います。
#114
○国務大臣(伊吹文明君) 具体的には二条のことをおっしゃっているんですか。条文に即して、態度を養うというのはどこの条の御質問なんでしょう。
#115
○辻泰弘君 直接的には二条ということになりますけれども、トータルとしてということになりますが、そういう表現は公述人の方もトータルとしてとおっしゃっているわけですからね、何条に即してということでないでしょうけれども、直接的にそういうふうにとられるならば全体としての態度を養うという、その部分ということになりますけれどもね。
#116
○国務大臣(伊吹文明君) これは、二条に書いておりますのは、御承知のように、教育の目標を定めているわけですから、一条の目的に向かってどういう目標、つまり日本人がこれから身に付けていく態度としてどういうものが望ましいかということをずっと記述をしているわけで、先生の御理解ではなじまないとおっしゃられるのは大変残念ですが、私はなじむと思っておりますし、これは立法者の意図はなじむと思うからそうしたということであって、それ以上の御議論をしても水掛け論になると思います。
#117
○辻泰弘君 いや、例えば大臣がこういうことをおっしゃっているわけですよ、十一月二十七日ですよ、本委員会で。「心にもないことを言うという表現もあれば、」ということもおっしゃっているわけですが、心にもないことを言うということは、心と態度が違うということの意味をおっしゃっているのかもしれませんけれども、そういう表現もあったんですけどね。それで、結論的にですよ、「一体として考えて、将来は考えていくというのがまあ常識的な考え」と、これよく分からないんですね。「一体として考えて、将来は考えていくというのがまあ常識的な考え」と、この常識がちょっと私はよく分からないんですね。そして、余りそこを詰めずに理解していくということがよろしいんじゃないですかと、こうなっているわけなんですね。
 しかし、これは十一月二十七日でございますから、十日ほど前で、私らはもっともっと議論させていただきたいと思っていますから、そういう意味ではまだ序盤かもしれませんが、皆さん方のお考えからすれば最終局面かもしれませんが、その段階においても、こんな全く詰めずに理解していくことがよろしいんじゃないですかという、こんなはっきり言って不明確で、こんな説明に値しないような答弁をしているということ自体がこの法案がやはり極めて問題があるというか、瑕疵があるというのか、大臣自身自分のものになっていないじゃないかというふうに思うんですが、いかがですか。
#118
○国務大臣(伊吹文明君) 失礼でございますが、随分早口に前後を省略しておっしゃられると、聞いておられる方も大変誤解をされると思いますが、そこは多分二条五項についての私が答弁をしているところじゃないでしょうか。
 私が申し上げているのは、国というものは主権の下に置かれているのであるから、主権下にある領土と、そこにいる人間と、そして人間が悠久の歴史の中で営んできたもろもろの営みと、そういうものの中から自然発生的に出てきた伝統、文化、慣習というものがあると。だから、その伝統と文化をまず尊重して、その伝統と文化をつくり出してきた国と郷土とを愛する態度を養うということですから、結果的にそういう態度を持っている人はそういう心を持つだろうと。持つという心がしかしどういう心かというのは人それぞれによって違いますから、辻先生の愛国心と、辻先生の伝統と文化を尊重する気持ちと私の気持ちは違うだろうし、愛する態度も少しずつ違うだろうから、だからそこから出てくる心というものを一義的に決めるわけにいかないから、そこを別に詰めて、どちらが正しいとか正しくないとかいうものではないだろうという趣旨の御答弁を申し上げていると思いますよ。
 だから、速記録は一ページ、二ページの前後関係、そのときの御質問の全文をずっと読んで引用していただかないと、何か私が全くばかなような、ばかだというようなことをおっしゃいましたが、それはちょっと違うんじゃないでしょうか。
#119
○辻泰弘君 いや、そういうことを言ってません。私は前後も読んでいるんですけどね。ただ、この質疑者も、どっちでもいいんじゃないかということなんだというふうにおっしゃっているわけで、だからそれは、私のとらえ方はそんなおかしいと思っていませんけど。
 別の角度から聞かせてもらいますけれども、安倍総理も、これトータルとしてというふうにとらえていいと思うんですけど、今回の法案を通じて国が国家管理を強めることにはならないと、こういうふうにおっしゃっているわけなんですね。大臣もそういうお立場になるんでしょうけど、ただ、振り返りますと、安倍総理が総理になられる直前に出された「美しい国へ」という本があったわけですけれども、その中にはボランティア活動の義務付けというのを提唱されていると。たとえ最初は強制であっても大きな意味があると、こういう主張だったわけですね。この強制ということは、やはり何らかの公的な部分からする強制ということになるんでしょう。管理ということかもしれません。
 ですから、そういうことを併せて見ると、幾ら管理を強めることにはならないというふうな御発言になっているんだけれども、その基本的なお考えにそういうものも底流に流れているんじゃないかというふうに思わざるを得ないと思うんですが、このことについては大臣はどうなんでしょう、このボランティア活動の義務付け、国家管理、最初は強制であってもという、ここは。
#120
○国務大臣(伊吹文明君) まず、時々この場の御質問は、安倍現首相が首相になる前に総裁として書かれた本を読んで、それがいかにも国家の政策になるようなトラウマにとらわれながら御質問をしておられるように私は思いますが、総裁選のときに、これも総裁選の別に彼の公約ではありませんよね。安倍晋三という人が書いた、総理になる前に書いた考えがありますから、その中で正しいものがあれば法律にして国会にお伺いして、国権の最高機関のお許しを得ればそれが法律になって国民の権利義務関係になっていくわけであって、何もこの法律の中にそんなことはどこにも書いていないんじゃないですか。
#121
○辻泰弘君 いや、この法律を踏まえての教育行政ということにもつながるという意味で言っているんですけれどもね。
 ただ、今のおっしゃったのは、総理になる前って、まあ、ほぼ確実と言われていた時期に出されているわけで、それはやはりそのことを意識していなければ、それは総理たる資格がないとは言いませんけれども、そういうことなんで、だからそれはそういった考え方を底流に持っていらっしゃる方が総理になられて、そのことを申し上げているんだけれども。
#122
○国務大臣(伊吹文明君) それはね、先生、書物に書いたことをポジションに就いた者が、ポジションデューティーがあるわけですから、そのまますべてやるかやらないかは、それは判断なんですよ。私は昔、「日本改造計画」という本を読んだことありますよ。その中にどういうことが書いてありましたか。少数政党のわがままで国会に出てこないとか、そういうことを許していたら議会制民主主義は成り立たないということが書いてありますよ。しかし、今その方はある党の党首ですよね。だから、みんなそのポジションになればそれは変わったって構わないじゃないですか。
 しかも、日本の総理になっておられる限りは、日本の総理として国会に服するのは当たり前のことなんですよ。安倍さんがどういうことをやりたいと考えておられても、それは行政府、内閣の中でみんなで相談をして、やろうということになれば先生方にお伺いするんですよ。ここのお許しが出ないものは総理といえども実行はできませんよ、それは、日本国憲法では。
#123
○辻泰弘君 我が民主党の党の中のことを言っていただくのももちろん結構ですけれども、しかしこれはやはり日本における最高の、総理大臣という権力者にかかわることですから、そこはおのずと違うわけですよ。それはね、根本的に違いますよ。
 そして、それは、もう自民党総裁になられてからでしたか、その辺厳密には分かりませんが、いずれにしてもそのことが既定路線であるときに、総理になられることがだれが見ても衆目の一致するところだった時点で出していらっしゃるということ自体は、やはりほかの党のだれが言っている云々というのとはまたこれは当然根本的に質が違う、そのことは申し上げておかなければならないと思います。
 それでは、もう一点聞いておきますけれども、いわゆる内心の評価という議論がございました、衆議院とかでですね、小坂さんが多く答弁をされてきているわけですが。このことについて、大臣として改めて、今の御所管なわけですから、そこについての御所見を求めておきたいと思います。
#124
○国務大臣(伊吹文明君) 内心の評価というのは、一般論としてですか。いわゆる愛国心と言われるものについてでしょうか。
#125
○辻泰弘君 どちらでもいいです。
#126
○国務大臣(伊吹文明君) どちらでもいい。
#127
○辻泰弘君 両方でどうぞ。
#128
○国務大臣(伊吹文明君) 先生の心の中は分からぬですよ。先生も私の心の中は分からないと思います。そして、どういう心を持つかというのは、その人の人生観、価値観によってみんな違いますから、評価をするということはできません、それは。
#129
○辻泰弘君 ですから、私が聞きたいのは、それはそれでいいんですけれども、小坂前大臣が、基本法における記述が新たにそういった内心の評価につながることのないようにしっかりと伝え、指導を行っていくということをおっしゃっているけれども、そのとおりのことですかという、だから、そこを言ってくださいということです。
#130
○国務大臣(伊吹文明君) 小坂前大臣の答弁は正しいと思います。
#131
○辻泰弘君 正しいと思うというんじゃなくて、このことについて、今の現大臣としてどのような考え方でおられて、それにどういうふうに取り組んでいかれるかということをお答えください。
 前の大臣が言ったとおりだというんじゃなくて、どうされるのかということを御自身の主体性の下に言ってください。
#132
○国務大臣(伊吹文明君) 小坂大臣がそのように答えたけれどもどう思うかとおっしゃったから、正しいと思うとお答えしたわけです。
#133
○辻泰弘君 まあ、禅問答みたいですけれども、だから、改めて、その点についてどうお考えか、お聞かせください。
#134
○国務大臣(伊吹文明君) 私は、先ほど来申し上げているように、心の中というのはだれも分かりませんし、心根というものはその人の価値観、人生観によって異なるものですから、それを一義的に評価をするということは、評価をしている者の価値観、人生観によって評価をすることですから、適当じゃないと思っております。
#135
○辻泰弘君 いや、だから、適当でないということを前提にして、小坂大臣は、そういった内心の評価につながることのないようにしっかり伝え、指導を行っているとおっしゃっていて、そして政府委員の答弁では、実際、六月ぐらいの答弁ですけれども、先月、今月にかけまして、指導主事会議等で指導していると、こういうふうにおっしゃっているわけです。
 ですから、その部分に向けての、そういう基本的なお考えの中でどうしていくのかということについての御言及をいただきたいということを申し上げているわけです。
#136
○国務大臣(伊吹文明君) 今後の行政というか、私が預かっておる行政の上で具体的にどうするかということですね。
 それは、この法案をお認めいただけば、当然、学校教育法の改正が行われるでしょうし、教育法の改正に従って指導要領その他を改正しなければなりません。要録その他、あるいは各教育委員会を通じてのお願いその他をすることになりますから、今私の申し上げたようなことを間違いなく伝えるように努力をしなければならないと思っておりますし、現在でも、これは一部の学校というか、校長にゆだねられている権限なんですけれども、心を評価するような通知表があるんですよ。それはなかなか難しいことだということは、我が文部科学省としては教育委員会を通じて指導しております。
#137
○辻泰弘君 小坂さんのときはもう少し明確におっしゃっていたと思うんですね。少し何か間に挟んで御意見を入れられているんですが、私は、私どもは反対ですし、もっと時間を掛けるべきだと思いますが、一つの論理として、政府案が出されて、それが通った暁のそのお考えとしてですよ、この基本法における記述が新たにそういった内心の評価につながることがないように指導していくというふうな小坂さんのお考えですね、これはそのとおりなんだろうということなのかどうかですね、それをちょっと御自身のお言葉で言っていただきたいんですが。
#138
○国務大臣(伊吹文明君) 私自身の言葉で、そのとおりだと思います。
#139
○辻泰弘君 いずれにいたしましても、トータルとしての統制的な安倍さんの御発言といいますか、お考えの下で、この辺についての懸念、疑念、また態度を養うという表現自体、私自身は少し、まだまだ議論させていただきたいし、問題があるというふうに御指摘をしておきたいと思います。
 さて、それで、資料をお配りさせていただいていると思いますが、タウンミーティングのことでお聞きしたいと思っています。
 それで、まず、幾つか論点はございますけど、これまでの議事録も拝見しておりますけれども、官房長官にお伺いしておきたいと思いますが、調査結果報告はいつ出すおつもりでございますか。
#140
○国務大臣(塩崎恭久君) 調査委員会、百七十四のタウンミーティング全部について今精力的に調査をしておりまして、これまで八回開催をされてございます。
 いつまでかということでございましたが、これはもう何度も繰り返し申し上げておりますけれども、国会の審議に資するようなタイミングに間に合うように何とか頑張ってくださいということでお願いをしているところでございます。
#141
○辻泰弘君 国会の審議に資するようにというのは、その国会の審議というのはどこの審議ですか。
#142
○国務大臣(塩崎恭久君) 国会は日本に一つしかありません。
#143
○辻泰弘君 そういうことではなくて、国会の審議という、あなたが国会審議に資するようにとおっしゃっているわけですから、具体的にどこかで議論をするということが想定されているべきでしょうし、それが誠実なことじゃないですか。そのことを言っているんですから。
#144
○国務大臣(塩崎恭久君) 国会の中であればどこでも審議をしていただけるように、間に合うように出したいと思っております。
#145
○辻泰弘君 まず、教育とそれ以外の百六十六をセットにしていること自体が私は問題だと思っています。
 そもそも、教育からそのタウンミーティングの問題が出たにもかかわらず、その八をほかの百六十六と一緒にして百七十四としてとらえて、百七十四全部の答えが出なかったら報告をしないんだという、しかも、その報告は教育以外のことはむしろ後であって、それはもちろん調べたらいいんだけれども、教育は八件なんだから、もっとそれだけに集中すればできるはずですよね、もっと詳しい報告が。
 ですから、今報告があったと言ったのは十一月七日、九日のことをおっしゃっているのか二十七日のことをおっしゃっているのか分からないけれども、それじゃ全部答えになっていないわけですよ。ですから、その部分は八件だけに絞ればいいわけですよ。なぜ百七十四に、トータルにしてそれを報告するところまで持っていって、そしてどこで審議してもいいですよなんて、そんないい加減なことが出てくるのかという。ですから、そこは八件である、八件の集約、集中してやるということをあえてわざとはぐらかして逃げているというふうにしか理解できないんですよ。そこ、どうですか。
#146
○国務大臣(塩崎恭久君) 民主党の方々から他の委員会でもこのタウンミーティングについては御質問があって、調査をするようにということを言われておりました。また、世の中的にも、記者会見等々で百七十四すべてについての質問が出てまいりました。
 我々としても、教育で出てきたような問題が他にもあるということは容易に推察ができましたので、百七十四すべてについてやはりこれはきちっと調べて御報告を申し上げるのが責任のある政府としての立場だろうと、こういうことを考えたわけでございます。
 そして、教育については、衆議院の段階でまず八回分については調査結果を出させていただきました。その後も、特に教育のことに関しては委員会で理事会にお諮りをいただいて、どういうものが必要なのかということはお出しをいただいて、他の調査との兼ね合いで十分出しても何も問題がないというもの、プライバシー等々も考えて、そういうものについては理事会でお諮りをいただいて決めていただくと。そして、調査委員会と御相談の上でお決めをいただいて、出せるものは出してきたはずでございます。
#147
○辻泰弘君 いやいや、まず、なぜ百七十四にしなきゃ駄目なのかということは、そもそも教育のことから八つのタウンミーティングの問題が出たら、そのことについて答えればいいことで、そもそも、これも議論になってきておりますけれども、小坂さんのときにタウンミーティング等での議論を踏まえてこの法案の提出に至ったというわけですし、そのことの疑念が呈せられたわけですから、そこに絞って答えを出して、そういうことをクリアした上でほかの百六十六についても取り組むということが本来の筋であって、何ゆえそこまで一緒にしなかったら答えを出さないのかということになるわけなんですね。しかも……(発言する者あり)いや、ですから、調査中とおっしゃるんだけれども、八つについてだけ集中してやればいいじゃないかということを申し上げているわけです。
 例えばですよ、塩崎さんは十一月十四日に、幸い……(発言する者あり)
#148
○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。
   〔速記中止〕
#149
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#150
○辻泰弘君 理事会の経緯というのはちょっと私はつまびらかにしておりませんけれども、まあ、それはそれにゆだねる部分も持つのはいいんですけれども、ただ、私が官房長官に言っておきたいのは、その八つのタウンミーティングを調べるのに一週間以上掛かっておりましてと、こうおっしゃっているんですね。それで、「幸いそんなに古いものじゃなかったので一週間少々で、まあみんな徹夜でやりましたが、できたので、できる限り早くやりたい」とおっしゃっている。ただ、それ、要は八つについては一週間でできたけれども、あと百七十四やるのかってことなのかもしれませんけれども、百六十六やるのかっていうことをおっしゃったのかもしれませんけれども、要は、幸いそんなに古いものじゃなかったので、一週間少々で調べができたと言っているわけですよ。
 実際、そうだと思いますよ、はっきり言いまして。私が立場を逆にして、私、それなりの権限とスタッフそろえてもらったら、すぐ調べる自信がありますよ、これぐらいのことだったら。だけど、それをですよ、ほかのことまで広げてという、その部分は私は非常に問題だと思う。それは理事会で協議されているようですから、その部分はそれにゆだねる部分を持つとしても、しかし、やはりこれは極めて重要な逃げであって、ごまかしであって、隠ぺいであるというふうに指摘せざるを得ないと、そのことは申し上げておきたいと思っております。
 それで、今お配りしておる調査結果が、さっき御指摘があった十一月七日のものは、八戸についてのタウンミーティングの概要をコピーしております。それから、次の十一月九日のものは、一、二、三、四、五、六、七ということで、他の七か所分についての結果の概要といいますか、ほんの数行でございますけれども、そのことが書いてあると、こういうことになっているわけです。
 私は、ただこれだけを見ても、このことだけを見ても、これで出したというふうにお答えにもなっているんだけれども、しからばこれだけ、具体的に私は是非、少なくともそれぐらい出すべきじゃないかということを申し上げたいのは、少なくとも、この八戸の二枚つづりがあるわけですけれども、各回において書いてあるのを、岐阜とか山形と書いていますね。発言なかったというのは、それはそれで、それが答えならばそれは一つの答えでしょうけれども、そうでないものについてですね、この八戸ぐらいのものは当然あってしかるべきことだし、あるはずだと思いますよ、はっきり言いまして。なきゃうそですよ。
 これは八戸だけ二枚紙になっているんだけれども、ほかのは全部三分の一ぐらいの行でしか答えていないわけですよ、ね。その部分、少なくとも私は、各回においてこれぐらいの、八戸分ぐらい作るべきだと思うし、八戸においても、この最後のところで、九月二日のタウンミーティングの開催で、発言候補者二名が発言したと。三名予定されていたわけですね。そうすると、一名の方については「当日の参加は確認できず。」となっているんだけれども、別にそれはプライバシーにかかわることならそんなこといいですけれども、その「確認できず。」というので終わっているというのは、やっぱりこれは私はおかしいと思いますね。これ、なぜ確認をしないのか。できるはずですよね、三人と決めていたわけですから。それは、個別の何らかの事情があってということであればあれですが、でも、そうでは多分ないんでしょう、この表現だったら。だから、その辺についてもしっかりとお調べいただくべきじゃないかと思っているということなんですね。
 まず、これは官房長官ですか、そのことについてですよ、このことぐらいは出していただけませんか。
#151
○政府参考人(山本信一郎君) 委員にお答えいたします。
 今委員がお示しいただきました十一月七日、それから十一月九日の資料でございますが、これが調査結果のまとめの資料でございまして、恐縮でございますが、この資料の後に、これに至ります発言案を、国が示しているその発言案の内容ですとか、それをまとめるに至ったその参加者の事前意見でございますとか、それから議事要旨でございますとか、メールでございますとか、そういったものを付けてお出ししておりますので、ちょっと委員にその点は御理解をいただきたいと思います。
#152
○辻泰弘君 私も持っておりますけれども、私が申し上げたいのは、もしそれがあるとしてもですよ、あるとしてもですよ、どちらも後ろ付いているんですから。八戸はこうやって時系列的に書いてあるわけですね。それ以外のは数行でしかないわけです。ですから、それぞれ確認されなかったというのは本当にそれだったらそれはそれでいいんですが、それ以外のところについても、あと何か所になるんですか、五、六か所になるんでしょうか、その分についても少なくともこの八戸バージョンぐらいあってしかるべきじゃないかということを申し上げている。
#153
○国務大臣(塩崎恭久君) この十一月の七日に出した時系列で出ているやつについても、これ三連休があったり、いろんなことがあって大変だったわけでありますけれども、一人一人かかわった人に裏取りにちゃんと回って事情を聞いた上でこの流れをつくっているわけでございます。それは大変な作業でありまして、おまけに内閣府から県に行き、教育委員会に行き、そこからまた学校に行ったりいろんな形で流れていって、そういう人たち一人一人に当たっていくという作業をやらなきゃいけなかったと、それでなければいい加減な調査になってしまいますから。それで、この十一月七日については、この分については出せるということで、ここまで頑張って頑張って頑張ってここで出したわけであります。
 したがって、そういうものと同じことをやろうということで百七十四について今やっているわけでありまして、議員が自分だったらば簡単にできるとおっしゃいましたが、一番最初は平成十三年でありますから、当然のことながらそれぞれのポジションにいる方々はみんな転勤をしたり異動をしたりして、そういう人たちに当たっていかなきゃいけないというのはそう簡単なことではないと思うんですね。
 ですから、お言葉でありますけれども、今内閣府、そしてまた外の、他の役所からも来てもらって鋭意頑張ってもらっているわけでありまして、もうそろそろ出てくるタイミングではありますが、何しろ国会で御審議をいただけるようなタイミングに出すべく頑張ってもらっているということでございます。決して隠ぺいをしているわけでも何でもないわけでありますので、当然名前が出てくれば相手のプライバシーには配慮をしなければいけないと、そういうこともございますので、御理解を賜れれば有り難いところでございます。(発言する者あり)
#154
○委員長(中曽根弘文君) ちょっと速記止めてください。
   〔速記中止〕
#155
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#156
○辻泰弘君 いや、官房長官がおっしゃったけれども、十三年からとおっしゃる。私が教育の八つだけに絞ったらいいということを申し上げているんですよ。だから、そこはずらさないでくださいよ。
 だから、ちょっと待ってください、幸いそんなに古いものじゃなかったので一週間少々でできたと、八つのことを調べて、そうだったんでしょう。だから、そのことについてしっかりやれば、その部分についての答えは出ているじゃないですか。それ以外のことを時間は掛かるというのは、それは私は分からなくはないですよ、平成十三年とおっしゃったからじゃないですか。だけど、一週間で、幸いそんな古いものじゃなかったので、一週間少々で、まあみんな徹夜でやりましょうよ、できたので、と書いてある。で、言っているんだよ。
 だから、それはそうだと思いますよ、はっきり言いまして。で、その部分についてお答えがまずあったらいいじゃないかということを申し上げている。
#157
○国務大臣(塩崎恭久君) この教育については二〇〇三年の十二月がまあ一回目でございまして、今から三年前でございます。役所の人事ローテーションというのは大体二年ぐらいで替わられるわけでありますので、そういった人たちに一人一人、まあ分厚いやつをお出ししたのをごらんになって分かるように、いろんな方々がいろんな作業をしてああいうことになってくるものですから、大変時間が掛かるということでございます。
 また、これは参議院のこの委員会での審議でもいろんな問題が指摘をされて、契約の問題等々出てまいりました。そういうことで、さっき申し上げたように、教育に関しては八つすべて出しましたけれども、追加的に要るものについては調査委員会の方に、理事会の議を経て御要望をいただいて、そこで判断をしてもらうと、こういうふうになっておりますので、そのようなことで御理解を賜れればと思います。
#158
○辻泰弘君 理事会ということでおっしゃるんだけれども、しかしやはり私は、そこに不誠実な対応というものをやっぱり私は指摘せざるを得ないと思います。
 やっぱり教育のタウンミーティングのことから、教育の衆議院の委員会から出てきたことで、それはほかのことがあるから、そのことの時間が掛かるのはそれは分かるんですが、その教育のことだけだったら、それはそれほど古くなかったとおっしゃるのはそのとおりだと思いますよ。それは時間が掛かるのは分からなくはないんですよ。しかし、それはもう一か月以上たっている話ですからね。
 ですから、そういった意味で、私はほかのものと一緒にして、しかも会期末の日程が慌ただしくなっているような状況のときに、まあ便宜に供するといいますか、そのタイミングに合うようにというふうなことをおっしゃるというのは、私は非常に誠実な対応ではないというふうに言わざるを得ないと思います。いかがですか。
#159
○国務大臣(塩崎恭久君) 民主党や野党の理事の方に私はお聞きをしたいわけで、理事会で御要望されて調査委員会と掛け合っていただくということになっていたはずでありますが、そういうことではなかったんでしょうか。
#160
○辻泰弘君 ちょっと理事のことは私は分からないので、そこはどうお答えしたらいいか。
#161
○国務大臣(塩崎恭久君) じゃ、申し上げますと、私の対応が誠実ではないというふうにおっしゃるものですから、誠実でないとするならば、それは理事会での協議の結果を御判断をいただかないといけないんじゃないですかと申し上げているんです。(発言する者あり)
#162
○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。
   〔速記中止〕
#163
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#164
○辻泰弘君 結論的に、実はさっき私、既に申し上げたことになりますけれども、この今までの経過報告といいますか調査結果、十一月七日と九日を拝見しましたときに、七日の八戸については二枚で時系列的に表記があるわけですね。そして、片や十一月九日、その二日後に出ているものの各地域のものは三分の一ページぐらいのものでしかないと。
 だから、この分について、少なくとも八戸と同じぐらいのものは出してしかるべきじゃないかということを申し上げておるわけで、先ほど申し上げたとおりですけれども、そのことについて、私は当然これぐらいのことはあってしかるべきだと思っておりますので、その点については要求をしておきたいと思いますが、その点について、委員長、いかがでしょう。
#165
○委員長(中曽根弘文君) ただいまの件につきましては、後刻理事会で協議をいたしたいと思います。
#166
○辻泰弘君 それからもう一点、ペーパーとしてお配りしておりますけれども、これは十一月九日の結城事務次官の会見の概要ということで、これは役所から入手したものでございますが、ここで、ちょっと線を引いておるのはこれは私が引いたんでございますので、そこは抜いて考えていただいても結構だと思うんですけれども。
 要は、マスコミからの質問に対して、「室長まで了解していたことは確認しています。」とおっしゃっていて、そして記者が「それでは室長の判断でそうされたということですか。」ということで、次官は「そういうことになるかと思います。それから上の者に話があったということは確認されていません。」と、こうなっているわけです。「それ以外の和歌山、大分はいかがでしたか。八戸についても。」と。「現在、手元に資料がありませんが同じような状況かと思いますが。」と、こういうふうになっていて、大きな問題なのできちっとしていただきたい、調べて報告しますと、こうなっているのが次官の会見で、私が知るところ、これに答えたことはないように私は思っていますが、受け止めていますけど、それがもしあるならそれはあれなんですが。
 そこで、いずれにしても、お聞きしたいのは、「それから上の者に話があったということは確認されていません。」ということなんですけれども、そこを確認して答えがいただくべきところだと思うんですね。そこはどうなのかということです。
#167
○国務大臣(伊吹文明君) これは我が省の次官の会見の要旨ですから、私からお答えをいたします。
 これは、まず、日本共産党の皆さんがこの八戸の資料を提出をされて、衆議院でね。それからこの話がずっと広がって、民主党さんも御質問をしておられるわけですが、正に、正に、なぜ先ほど官房長官が言ったように時間が掛かるかというのは、ここのところなんですよ。私はここでも御答弁していますし、記者会見でも言っていますが、窓口の者に責任を負わせるというようなことをやっちゃいけないと。上の者が知っていたかどうかを確認しなければならない。
 そして、上の者といっても、役人の組織ですからいろいろございます。それで、人事異動がございます。同時に、本人だけに聞いちゃ駄目なんですよ、これ。裏を取らないといけないわけですね。ここで何度も何度も処分をしろ、処分をしろという御意見もあります。だから、人の一身上にかかわることですから、よほど慎重に調べないといけないと。
 だから、文部科学省でも、当時のラインに乗っかっていなかった者をトップにしまして、これ、ずうっと調査をさせているわけです。そして、その当時の裏を取り、例えば八戸の教育委員会のだれに頼んだか、頼んだ相手からも裏を取り、それを今ずうっと詰めておるわけです。冤罪をつくっちゃいけませんからね、処分の場合には。だから、よほどやっぱりこれは慎重にしないと、先生、いけないということです。
#168
○辻泰弘君 おっしゃっている部分はそのとおりだと思いますけれども、いずれにいたしましても、私は、理事会の部分もございましょうけれども、やはり教育の部分で起こってきた八件について早急にお詰めをいただいて出していただく、そのことについて、この場においてその八件についての御質問もさせていただきたいと、このように思うところでございますが、同時に今、責任ということをおっしゃって、今までもいろんな御答弁がございますけれども、安倍総理自身がタウンミーティングについては当時の私の所管であったと、所管である事柄については責任を持って当たっていくというふうにおっしゃっておられる、そして、具体的に運営に携わった者たちの責任というのは、これはやはり明確にしていかなければならないと、こういうふうにおっしゃっているわけですね。ですから、それはそのとおりだと思いますんで、そのことについてはしっかりとお取り組みいただかなければならない。
 そのことは、そうすると文部科学大臣として、まあ私はそこが一緒になって分離されてないということが私はおかしいと思っていますけれども、いずれにいたしましても、そういった、ほかのことはほかのことでまたほかの委員会でやるんでしょうけれども、少なくとも文教に関してはここ、ここといいますか、文教科学委員会になるのか分かりませんけれども、そこでの所掌的なことになるわけですが、そういったことについて、今度の教育に関するタウンミーティングについて本来あるべからざることがあったと。それにかかわっていたということが、何らかの形で明らかに結果が出たという場合において、どういうふうにお取り組みになるのか、対処されるのか、お伺いしたい。
#169
○国務大臣(伊吹文明君) それは、この委員会での私の答弁を聞いていただいたら、もう何度も何度もお答えをしておりますから、上の者がどこまで知っていたかということは、やっぱりきちっと慎重に調べねばなりません。
 しかし、同時に、私として非常にショックなのは、上の者が知らずに行政が行われているということももっとショックなんですよ。これは、師団長が知らないのに青年将校が何かやったということはあっちゃ戦時中と同じことになりますから、だからそういうことも含めて、文部科学省の行政の流れその他について最終的に結論が出れば私が私の判断をいたします。
#170
○辻泰弘君 両面があるのかもしれませんが、かつての答弁では、何か担当者だけがいけないということで幕引きするのは感心しないと、こういうふうにおっしゃっていて、そういう側面も大事なところだと思いますんで、御決意のほどは伺いましたけれども、是非そのことについては真相を明らかにしていただくと同時に、そのことについての責任というものをやはりしっかりとけじめを付けていただくということで、これは文教マターについてまず申し上げておくと、それ以外のことはまた、私今追っ掛けておりませんので分かりませんが、それはそれでまたその局面でまた質問をし、お聞きしていくということになろうと思います。
 それで、時間ももう限られておりますけれども、途中のときに大臣がおっしゃった、義務教育の国庫負担のことをおっしゃっていただきましたんで、せっかくですから、というか予定もしておりましたけれども、お聞きをしておきたいと思います。
 大臣は、就任当初の会見でございましたか、義務教育国庫負担金、これは補助金ではない、国庫負担金だと、だから憲法の規定を考えたときにああいう削減の仕方をしたことがよかったのかどうか、個人的にはいろいろ意見があるというふうにおっしゃっておられたし、さっきおっしゃったこともそれに符合するものがあるかと思います。結果として二分の一から三分の一になって、その部分については当面は所得譲与税になったんでしょうから、そういう意味では当面は従来どおりと、入口が違うけど出口のところでは同じ額が出ると。ただし、将来的には交付税になっていって、そういう形……
#171
○国務大臣(伊吹文明君) いやいや、交付税にはなりません。
#172
○辻泰弘君 そこはそれじゃあれですが、いずれにいたしましても、その義務教育国庫負担制度をそもそもその二分の一から三分の一にしたのが違うと。違うというか、違和感があるといいますか、お考えが違うというふうなことをおっしゃっているわけですが、やはりそのことについての御見解をお聞きするということと、しからば、今後そのことについての財政的な措置というもの、国の責任というものをどういうふうに考えていかれるのか、そこをお聞きしたいと思います。
#173
○国務大臣(伊吹文明君) まず、先生、税の仕組みを御説明申し上げなければいけませんが、所得譲与税にしたのは二分の一と三分の一の差の六分の一の義務を地方へ結果的に渡しちゃったわけですよ、歳出の。そして、その歳出に見合う本来所得税をお渡ししなければいけないわけですよ、住民税としてね。ところが、所得税と住民税との制度的な違いがあって、課税標準が一年ずつ遅れてきますから、その間をつなぐ措置として譲与税方式を取ったのであって、今はもう所得税が減じられて住民税が税率が上がっているわけですから、その財源は地方へ行っているわけです。だから、交付税でその部分をカバーするという論理にはなりません。
 私は、個人的にということを先生が注意深くおっしゃっていただいたことに感謝をしたいと思いますが、私はやはり義務教育の責任というものは、安倍総理も申し上げているように、全国一律の規範意識と学力という限りは、全国一律を見渡せるのはやっぱり国だろうと。だから、最低私は二分の一は国が、義務教育の補助金ではなくて国庫負担金という形でこれを持っているのが私自身は個人的には望ましいと今も思っております。ですから、今後も地方にできるだけ迷惑を掛けないように、私はできるだけ予算の確保に努力したいと思っております。
#174
○辻泰弘君 時間が参りましたので、これで終わります。
#175
○櫻井充君 民主党・新緑風会の櫻井でございます。
 この間ちょっと積み残した件を幾つか質問させていただきたいと思います。
 まず最初に、やはりちょっと法文上気になるところがありまして、今日は内閣法制局に来ていただいておりますが、まず二条のところにあります、新しい方は学問の自由を尊重しつつとなっておりまして、現在の二条は学問の自由を尊重しというふうになっております。
 これは、法制局の御見解をお伺いしたいんですが、尊重しと尊重しつつというのは、法律上全く同義語でございましょうか。
#176
○政府参考人(横畠裕介君) 尊重しと尊重しつつの違いというお尋ねでございますけれども、それぞれ規定の構文といいますか、何を主体としてその規定を定め、その中で、この場合でいいますれば、学問の自由を尊重するということがどのような位置付けとして規定するかによって書きぶり、表現ぶりが異なるということになろうかと思います。
 本法案におきまして学問の自由を尊重しつつと書いておりますのは、本法案二条が教育の目標というものを中心に各号に具体的に規定すると、そういう形式を取っているために、目標そのものではない学問の自由の尊重ということが「しつつ」という形で規定されているわけであります。
 そのような書き方をしたがゆえに、学問の自由を尊重するということが何か軽く扱われているのではないかという御懸念かとも思いますけれども、決してそのようなことはないと考えております。
#177
○櫻井充君 今大事なことをおっしゃられたんですが、この文章の中心の文章がやはり、教育は目標を達成するよう行われるものとするということなんだろうと思うんですね。
 ですから、要するに、内容からすれば学問の自由が尊重されないということではないんだというお話ですが、文章上読むときには、今御答弁のあったとおり目標の達成が中心になるんじゃないんでしょうか。違いますか。
#178
○政府参考人(横畠裕介君) 規定の趣旨が、教育の目標を具体的に規定するということであるためにこのような書きぶりになっているわけであります。
 「しつつ」ということで、それが軽く扱われているのかという御懸念かと思いますけれども、例えば刑事訴訟法という法律がございますけれども、その第一条におきまして、この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現することを目的とするというような規定例もございまして、例えばこの今の刑事訴訟法におきまして、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を全うしつつということが軽い扱いで書かれているというふうには解されておりません。
#179
○櫻井充君 基本的人権、ちょっとごめんなさい、基本的人権を尊重しつつということですか、今のは。それで、そこの上で、後は事件を明らかにすることというのが最後に書かれていて、もしその基本的人権を尊重できないような、相反するような事態が起こったときはどちらが優先されるのかといえば、結果的にはその事件を明らかにするようなことが優先されるような話になるんじゃないですか。
 これは感染症もそうですよ。感染症の予防法なんかに関してみても、その基本的な患者さんの人権を実は今までは尊重しつつと書いてない、尊重と書いてないんです、配意という言葉で書かれていましたが。ですが、それとて最終的には、その国が判断した際にこの患者さんが感染源になってしまうようなことがあった場合には、言葉は悪いかもしれませんが、隔離せざるを得ないような状況が生まれてくると。そうすると、その患者さんの人権に関していうと、申し訳ないけれどもその方の意思は尊重されないまま、結果的には入院させるという手だてになっていくわけですね。ですから、そういうことから考えてくると、必ずしも絶対的に両立はしないと、こういうふうに私は思います。
 そういうことから考えると、やはりその尊重しと尊重しつつということ、そのもの自体が違うんじゃないかと思いますが、いかがですか。
#180
○政府参考人(横畠裕介君) 先ほど刑事訴訟法の規定で御説明申し上げましたけれども、この「しつつ」という言葉遣いでございますけれども、これはやはりその法文上あるいは法規上重要な価値が相並び、そのいずれをも満たさなければならない、そういう要請がある場合において用いられているもので、やはりそのいずれの要請も満たさなければいけないという意味で使われているものと理解しております。
#181
○櫻井充君 いずれの場合も両立させるときには、現在の教育基本法の第二条は「学問の自由を尊重し、」になり、「実際生活に即し、自発的精神を養い、」というふうに全部並列で書かれていくわけですよ。ところが、今回の場合は並列に書かれていないんですね。前も指摘したとおり、主文は、教育は、目標を達成するように行われるものとすると、そこの中に学問の自由を尊重しつつというのが申し訳程度に書かれているということになっているわけであって、ここが大事な点なんです。要するに、主文に対してこれは副文だと私は思いますから、ですからおかしいんじゃないかと。おかしいというのは、最終的に相反するようなことが起こった場合には、どちらが優先されるというふうにじゃ解釈することになりますか。
#182
○政府参考人(横畠裕介君) これはどちらが優先するということではなくて、いずれの要請も満たして行わなければならないという意味に解しております。
#183
○国務大臣(伊吹文明君) 前回も櫻井先生からこの点がお尋ねがありまして、今法制局が答えましたとおりのことを私も申し上げたと思いますが、これは正に立法の意図を持っている者、提案者である私が、学問の自由を尊重しつつと規定しているのは、学問の自由に比べて教育の目標の達成の方を重視する趣旨ではない、これが立法者の意図であるということを、立法作成者の意図であるということを申し上げている、これを議事録に残していただく。そして、もし個別具体的な事案について、私の答弁と違って、学問の自由が尊重されずに、ここにある目標の達成の方が、達成するために学問の自由が侵されたという事案があれば、これは司法の場で判断を求めていただくより仕方がないんで、先生がおっしゃっているような意図をこの立法作成者、提案者としては持っておりません。
#184
○櫻井充君 大臣の答弁というのは、私は極めて重いものだと思っております。ただし、郵政の民営化の際に、あの当時の大臣は、郵政の民営化を行わないんだと、この条文の中身はそういうことなんだということで答弁されました。しかし、時代が変わってくると、あの中身はあの時点での話であるとか、状況が変わってしまったら全然違うような形で結局あの議論は進められていくわけですよ。そうすると、大臣の答弁がこうだからということで。
 それともう一つ、では大臣に僕はお伺いしたいのは、そうすると、元々第二条のところに、まず最初に、学問の自由は尊重されなければならないと一行書けばいいだけなんですよ。そしてその上で、教育はその次に掲げる目標を達成するように行われるという。
 もし、これから僕はちょっと目標がおかしいと思うんでまたお話しますが、つまり、現在の教育の方針に書かれているように並列に書かれる文に関して言えば、それはそれで納得はいたします。ですから、その学問の自由を尊重しつつではなくて、学問の自由をまず尊重し、教育はこういう目標を実現するために達成しなきゃいけないというふうに書かれれば、並列に書かれれば、そこはよく理解できるんですよ。ですが、そういう書き方をしていないところが問題なんであって、それは制作者の意思が正しく伝わっている文章ではないから、だからここの法案上に私は問題があるんじゃないですかと申し上げているんですよ。
#185
○国務大臣(伊吹文明君) それは先生の御解釈です。私はそうは思いません。
 これは、だから学問の自由の尊重を重要な配慮事項として引き続き規定をして、そして同条に掲げるいろいろな教育の目標を達成するよう行われるものとするということを規定しているわけですから、両者をつなぐ言葉として「つつ」という表現を用いているわけで、これは法制局に聞いていただいたらいいと思いますが、こういう立法形式はあるんですよ、先ほど刑訴法のことを申し上げたように。
 そして、これはどちらが優先するとかというものではなくて、例えば郵政は民営化しないと大臣が言ったけれども結果的に民営化したということと、このことは法制上違いますよ。ここはウイズ・ザ・コンディションということを言われていて、その条件をもってこれを行うというときに、この条件が実は目的のために阻却されちゃったということがあれば、それは、どうもそれは法律の立法趣旨と違うんじゃないかということを司法で争っていただけるというのが日本の三権分立の建前じゃないんですか。
 だから、先生がおっしゃっているのは先生の御解釈としては分かります。しかし、私はそういう解釈は取りません。
#186
○櫻井充君 解釈を取らないと言われてしまうと、これはもう議論にならないんです、ここのところは。すごく、極めて大事なことです。
 それから、私は、これで法律を作っているような方々にも話をお伺いしました。その結果、尊重しと尊重しつつは違うと、そういうふうに言われました、ここのところは。
 それから、先ほどの刑事訴訟法でも、ちょっと詳しい文章分かりませんが、少なくとも基本的人権を尊重しと、これは尊重してちゃんとやるんです。しかし、最後にその事件の内容を明らかにしなければいけないような場合には、どちらが優先されるかというと、基本的人権が必ずしも守られないような場合も出てくるはずなんです。これは捜査上ですね。捜査上、社会全体の利益があった場合には、捜査上、社会全体の利益があった場合には、そこの部分が無視され得ることも、捜査上です、それは私はあることだと思っております。
 それはそういうことですね。その点については、大臣、いかがですか。
#187
○国務大臣(伊吹文明君) ですから、それは……
#188
○櫻井充君 その点についてどうかということです。
#189
○国務大臣(伊吹文明君) いやいや、それは当然のことなんですよ。そのときに、先生は、社会全体の公益が人権を無視してもいいというような公益じゃないのに人権が無視をされたと、今の刑訴法でいえば、と感じる人がいれば、そういう刑事訴訟法に基づいて捜査をしたところは当然憲法違反で訴えられるんですよ。訴えられて、司法の場でその決着が付いていくわけです。
 だから、憲法にだって人権の大切さはうたわれていますよ。しかし、それはあくまで公益の範囲の中で尊重されねばならないわけでしょう。だから、どれが尊重さるべき公益なのか、その公益の範囲がどうなのかということは、個別事案の一つ一つについて人権とのバランスにおいて判断されねばならないですね。だから、憲法違反の判断を最高裁にゆだねているというのが我が国の三権分立の建前だと思います。
 私、ちょっと法律の専門家じゃありませんので、違えば、法制局に聞いていただいたら結構です。
#190
○櫻井充君 例えばこういう、もっと分かりやすく言うと、私は食事をし車に乗ったというのと、私は食事をしつつ車に乗ったというのは、これ違いますよ。(発言する者あり)違う、全然違います。要するに、食事をしてそれが終わった後に車に乗ったのと、しつつというのは、しながらですから。ですから、要するにこういうふうに、よって誤解されるような文章になるわけですよ。もうここは、済みません、ちょっと議論の(発言する者あり)いや、そこは、まあこれはほかの方々には決してそういうふうには言われておりません。ちょっと待ってください。
 これはなぜそういう心配をしているのかというと、やはりもう一つは教育の目標ということを掲げたからなんですよ。私はすごく怖いと思っているのは、教育の方針というのはある方向性だと思っているんです。例えば、会社の方針なら会社の方針というのがありますが、今度は会社の今月の目標はといったときにはこれ全然違います。ですから、方向性を示すことに関して言うと、これはそれなりに理解できるわけですよ。つまり、もう一つは努めなければならないという努力規定を置かれているだけの話ですが、こちら側は達成するように行われるものとするという形になってきているわけであって、さもノルマを課されているような形の書かれ方だと僕は思うんですね、この書かれ方そのものがですよ。文章から普通に読み取れば、そのような格好になっていると思っています。
 そこで、まず法制局にお伺いしておきたいのは、この間大臣は、目標というのは最近は法律用語としてこう書くんだと、そういうことが多いんだというふうなお話、御答弁がございました。そこでまず、方針という言葉と目標という言葉そのもの自体が同一語として法律上取り扱われているのか、まずその点について法制局、お答えいただけますでしょうか。
#191
○政府参考人(横畠裕介君) 方針と目標でございますけれども、もちろんその言葉は異なります。どのように異なるかでありますけれども、一般に方針と申しますのは、物事を行うときの目指す方向や原則といった意味であろうかと思います。また、目標といいますのは、もう少し具体的でありまして、あることを行う場合の具体の目当てといった意味合いであり、そのような差異があるのではないかと思います。
 また、法令用語としてどのように使うのかというお尋ねかと思いますけれども、やはりその方針、目標というその言葉の意味に即しまして、一般的な原則、方向のようなものを示すときには方針を用いましょうし、もう少し具体的な目当てといったようなものを書き記すときには目標というような言葉を用いるのではないかと思います。
#192
○櫻井充君 これは基本法で理念法なんだろうと思うんですね。そうすると、その理念法の中に目標ということを定めることがいいことなのかどうかだと私は思っております。
 私は、もしここを定めるとすれば、時間がないので私なりの考えをまず申し上げておきますが、教育の目標ではなく、教育の理念ということで提案されれば、ここは何も問題なかったと思っているんです。そしてしかも、目標を達成するよう行われるものとするのではなくて、この理念を達成するように、その理念、ちょっと達成という言葉はいいかどうか分かりませんが、努めなければならないというような形にしていただければ、強制権もありませんし、それからもう一つは、その学問の自由を尊重する部分とバッティングしてきたときに一体どちらが重いのかとかいう、そういう議論にならなかったんだと思うんですね。
 そういう点で、是非ここは本当は検討していただきたい大きな僕にとっては課題でして、むしろ目標ということよりも理念という言葉を使われた方がいいんじゃないでしょうか。
#193
○国務大臣(伊吹文明君) 立法技術を教えていただいて、ありがとうございました。
 私どもの考えでは、「ものとする」というのは、これはまた法制局に確かめていただいたらいいですが、「ものとする」というのは、一般的な原則などを示して一定の義務を課すものではない場合に用いられると。したがって、教育の目標は教育の目的、一条を実現するために今日的に重要と考える事柄を掲げていたものであって、具体的な義務を課すものではないと私たちは理解しております。
 したがって、具体的な義務を課すものではないということは、先生がおっしゃった努力目標ということとは何ら私は変わらないんじゃないかと思いますが、先生のような御解釈があるということは、別にそのことに、法律だっていろいろな学説があるわけですから、私もそれに、いや、それは絶対的に間違っているということは言える立場にはありませんが、我々は今申し上げたような立法意図を持っていたということです。
#194
○櫻井充君 もう一つ、その目標という言葉が本当にふさわしいかどうかだと思うんですよ。
 先ほど法制局からお話がありましたが、方針の場合には方向性であるとか原則であるということであるとすると、これはこれで納得ができるんですが、ある程度具体的にこういうこと、形なんですというふうに落としてくると、これはその理念とかそういうものから外れてきていることが起こり得るんじゃないだろうか。そして、ここに五つこういう形で並べられて、何回も申し上げておりますが、その目標を達成するということを主文に書かれているからには、この五つのその項目そのもの自体に対して、何らかの我々がその責務を負ってくるような形の僕は書き方になっていると思うんですね。
 ですから、そこのところを、そういう懸念を払拭するためにも、まず目標という言葉ではなくて理念という言葉に置き換えれば、何ら問題ないんじゃないのかなと思いますが、いかがですか。
#195
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと法制局に後で委員長にお願いして補足をさせていただきたいんですが、間違っているといけませんので。
 私は理念という言葉は、教育の理念というとかなり価値観の入ってくる、むしろ先生が御懸念されている方向に行く言葉じゃないかという、念というのは念ずるということで心が入っておりますよね、漢字に。ですから非常に、理念と書けば理念と書いたのでかえってまた議論を呼ぶんじゃないかと。一条を達成するために、一条という大前提があるわけですから、一条を達成するために二条を目指してやろうじゃないかという構成になっていると思います。理念という言葉がいいかどうかはちょっと法制局へ確認してください。
#196
○政府参考人(横畠裕介君) なかなか立場上その良しあしを直接申し上げることは難しいのでございますけれども。この法案におきまして、やはり目的と目標という形で一条、二条を書き分けまして、大原則である教育の目的というものを第一条に書き、さらに、その目的を実現するための目標、目当てとして第二条に一号から五号までのそれぞれ事項を掲げたという、そのような条文の構成からいたしますと、やはり第二条の実質はやはり目標というのが適当ではないかと考えます。
#197
○櫻井充君 内閣法制局にお尋ねすると、内閣の都合のいいように大体答弁されるんです、これ、これは内閣法制局ですから。ですから、それは客観的にと先ほどおっしゃいましたが、決してそうならないんですね。
 やはり、僕が今回の法律を本当に、私は今まで文部科学委員会などに所属したこともありませんし、第三者的な立場でこの法律をまず読ませていただきました。そこの中で、本当に一番気になったのがここの章でして、それからここの学問の自由の使い方のところが物すごく抵抗がありました。国家として、やはりその目標というのをこういう法律の中に大々的に書かれるということそのもの自体が私はおかしいと思っておりますし、それから常々大臣が、この基本法というのは、要するに教育の理念だということも、僕、たしか答弁でおっしゃっていたんじゃないかなと。
 ですから、その意味で、私はここの中に理念ってある、理念法であるんであれば理念なんだと、こういうことなんですということで書かれるか、若しくは前は否定されましたが、教育の方針という形に収めていただいた方がはるかによかったんじゃないのかなと、個人的にはそう思っております。
 ただ、ちょっと今日は案件が一杯あるので、済みません、ここでとどめさせていただいて……。
#198
○国務大臣(伊吹文明君) 先生の御懸念のような立法作成上の意図は私どもにはございませんけれども、今のような御注意あるいは御不安があるということも伺いましたので、この法案が国会でお認めいただいた暁には、具体的な学校教育法その他学習指導要領で今のような御懸念が出ないように、私どもは注意して措置したいと思います。
#199
○櫻井充君 ありがとうございます。
 それは、この間も申し上げましたが、もし目標を達成しろというふうに言われて、今でも数学、算数などは目標を達成できない子が一杯おります。小学校で三割、中学校ではもう五割いると。そうしてくると、その子たちが一体どういうふうになってくるのかと。それからもう一つは、それを達成することができなかった教えた側の教職員の方々は一体どういうふうになるのかと。それから、家庭教育とかいろんな部分が入ってくるとすると、この御家族は一体、親は一体どういうふうになっていくんだろうかと。
 つまり、そういった懸念があります、こちら側からするとですね。ですから、何回もしつこくお伺いしておりました。
 済みません、ちょっと時間がないので次行きますが、もう一つ、今回新しく大学というものが起こされました。その大学のほかに学校教育等がありますが、まず確認しておきたいことは、予備校や塾というのはこの教育基本法の中に入るんでしょうか。
#200
○政府参考人(田中壮一郎君) 教育基本法に言う教育は教育一般を指しておりますので、予備校それから地域で行われているいろんな教育が入るというふうに考えております。
#201
○櫻井充君 もう一度確認しますが、予備校はこの教育基本法の中に入るんですね。
#202
○政府参考人(田中壮一郎君) 予備校に関しましても、この教育基本法の教育の中に含まれておると考えております。
#203
○櫻井充君 そうしますと、予備校はどこで読み取れるんでしょうか。
#204
○政府参考人(田中壮一郎君) 予備校に関しましては、恐縮でございますけれども、教育基本法における教育の中では、いわゆるこの法律において教育とは何々を言うといったような形での定義は設けておらないわけでございまして、教育一般に対してこの教育基本法は作られておるというふうに考えておるところでございます。
#205
○櫻井充君 この間は、ここに書かれていることが教育すべてですとおっしゃいました。そして、この間、佐藤理事が質問されたときに、専門学校等はここで読めますと、ちゃんと訂正されてました。ですから、私はあえてお伺いしているんですね。予備校はどの条文で読めるんですか。
#206
○政府参考人(田中壮一郎君) 先般お答え申し上げましたのは、教育基本法の対象となる教育につきましては、大きく言えば学校教育、家庭教育、社会教育に分かれるわけでございまして、今回の教育基本法の中にも学校教育、社会教育、家庭教育というような規定を置きまして、教育一般に対してこの教育基本法が適用されるということを明らかにしておるものでございます。
#207
○櫻井充君 駄目です。駄目です、いいです、もう言っているあの人は駄目な人ですから。(発言する者あり)
#208
○委員長(中曽根弘文君) 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
#209
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#210
○政府参考人(田中壮一郎君) 失礼いたしました。
 教育基本法の中で学校教育という定めをしておりますけれども、この学校教育の中身に関しましては学校教育法の中で一条学校、それから各種学校、専修学校とこう分かれておるわけでございますけれども、御指摘のございました予備校につきましては、この専修学校、各種学校という形で認められておる予備校もございますし、認められておらない予備校もあるところでございます。
#211
○櫻井充君 本当に、最初からそう言っていただければいいんですよ。毎回、この間も、答弁の内容が変わってくるので、どこがどういうふうなのかということが全然分からないんですよ。
 それで、なぜこういうことをお伺いしているのかというと、この間問題にいたしました株式会社立大学の一つですが、ここは元々予備校でございました。その予備校生と実は大学生が同じ教室で授業を受けている、しかも、混在しながら受けてきていると。こういう大学そのもの自体が認可されているわけですね。
 そして、今回の教育基本法の中で大学というのはどうかというと、七条のところに全部きちんと決められておりますが、この間認可されました株式会社立大学はこの七条の規定に合致するんでしょうか。──時間がもったいない。速記止めてくださいよ。
#212
○委員長(中曽根弘文君) 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
#213
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#214
○国務大臣(伊吹文明君) 先生がおっしゃった、今回の七条に規定しております、大学は学術の中心として高い教養と専門的能力を養う云々云々云々とありまして、一項、二項がございます。これを受けて諸法があって、そしてその法律に従って大学を認可するときのいろいろな条件があって、そして審議会にかけてこれを認可するという手続を取っております。
 現実問題としては、先般も先生から御指摘を受けましたように、最初書面で認可の条件を満たしているとして認可をした後、事後的な調査あるいは監査、実地検査をしたときに不具合がいろいろあったということでございますから、それはさかのぼっていえば、後から考えればこの七条に言っている、深く真理を探求して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供できることにより、社会の発展に寄与するものとするという目的からすると、かなり遺憾な点があったと私は言わざるを得ないと思います。
#215
○櫻井充君 それでは、その当時はこの七条に合っていなかった、現在は合っているんですか。
#216
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと答弁の調整をする間、私がきちっとお答えしますが、一番最初、書面で大学の認可の、この手順は先生御承知のとおりですから、書面で審査をしたときは合っているんですよ。合っているんだけれども、しかしだまされていたのかどうかは分かりません、これは。しかし、第一度目のスクリーンは書面審査なんです。そして、それで審議会にかけてオーケーをもらっている。しかし、その後、ずっと実地検査や何かをしてみると、どうも言っていることと違うじゃないかということが出てきて、それに対する行政措置を重ねてきているわけですから、一番最初の書面審査のときは形式的には合っていたと、しかしその後どうも違うと。
#217
○櫻井充君 現在はどうか。
#218
○国務大臣(伊吹文明君) 現在はどうか、今お答えさせますから。
#219
○政府参考人(清水潔君) 大学の設置認可についてでございますけれども、当然のことながら、大学の設置認可につきましては、大学の規定を受けながら大学設置基準等に基づきまして、その設置計画の履行を条件として認可したところでございます。
 また、御指摘の大学教育と予備校教育が同一化しているということについてのお尋ねでございますけれども、設置審査の過程を経まして、けれども、大学教育と予備校教育が……
#220
○櫻井充君 時間稼ぎしないでよ。ちょっと待ってよ、時間の無駄だよ。ちょっと待ってください。駄目駄目。(発言する者あり)
#221
○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。
   〔速記中止〕
#222
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#223
○櫻井充君 私は、なぜこのことを問題にしているかというと、是非、委員の方々、それから今日は傍聴の方もいらっしゃいますが、この大学の退学率は今一二・五%でございます。国立大学は、これ私の大学の同級生の内田千代子先生が調べた結果です。これは文部科学省に退学率を聞いたら、知らないと言われました、調査していないと言われました。でも、彼女はちゃんと調べていて、国立大学の場合の退学率が一・六%でしかない。そして、私立大学も三・三%でしかない。それなのにもかかわらず、ここの大学は一二・五%も退学者がいる。
 それだけではありません。認可を受けたわずか二日後からその生徒の募集を始めました。その生徒の募集を始める前に、PR活動をもうやっております。そして、そのPR活動をやることに対して文部科学省は、PRはいいと、募集は駄目だと。そして、埼玉県のとある大学は、そういうことを事前にやっていたから開校が一年延期されています。しかも、経済産業省から補助金を申請して別建てで補助金を受けていますが、これを不正流用しております、この大学は。
 こんなまともじゃない大学がわずか三か月で認可されていくわけです。困っているのは学生たちです。この学生たちの授業料を、じゃ、あなた方文部科学省がちゃんと責任持って払ってくれるんですか。私は、そういうその子供たちのことそのもの自体の、こうやって被害に遭っているにもかかわらず、余りに、余りに対応がなおざりだから、僕は問題だと思っているわけですよ。もう一度お伺いしますが、そういう観点で申し上げているんです。本当にひどい大学ですよ。
 そこで、今の七条に照らし合わせて、この大学はちゃんとこの七条をきちんと守っている大学だと言えますか。
#224
○政府参考人(清水潔君) 現在、この当該大学につきましては様々な指導等を行ってきているわけでございますけれども、なお残る問題として、例えば御指摘もございました大学の授業が予備校の授業と同じものであり、テキストも予備校のものを使用するといった状況について、段階的には解消されつつあるものの、実態として完全に分離された状況になっていないというふうな状態。あるいは、これまでの指導により一定の改善が、そのほかなお残る問題としては、専任教員の問題、あるいは運動場の利用の措置の問題等がございますけれども、これまでの指導により一定の改善が見られた問題としては、予備校の科目と事実上同一化し、固有のシラバスが存在していなかったこと、あるいは科目履修生の単位認定法の不適切、あるいはカリキュラムの内容を審議する組織がなく、教育研究上の責任体制が不明確であったこと、あるいは教授会の審議機関としての位置付けが不明瞭であった等々につきましては改善を見ていると、このような状況でございます。
 したがいまして、今、先ほど七条についてというお尋ねでございますが、大学として設置を認可されたわけでございますが、問題として、いろんな形の問題点は現にまだ存在しているというのが状況でございます。
#225
○櫻井充君 答えていないよ、答えていないよ。これは、ちょっと止めてください。(発言する者あり)
#226
○委員長(中曽根弘文君) 速記を止めてください。
   〔速記中止〕
#227
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
#228
○櫻井充君 では、問題があることは分かりました。もう一度お伺いしますが、この七条に合っているんですか。
#229
○政府参考人(清水潔君) 失礼いたしました。
 当該大学については、今現在の問題状況では、必ずしもこのような趣旨に合致した状態とは言えない状態でございます。
#230
○櫻井充君 最初からそのように答弁していただきたいんですね。そうすれば次に行けるのに、何でそうやって全然違うことだけをおっしゃるのかがよく分かりません。
 そうすると、もう一つ、これがあの時点で本当に文書では分からなかったというようなお話ですが、私は決してそんなことないんだと思うんですね。その大学の設置の際にいろいろ調べるものがあるということを教えていただきました。認可当時の基準も全部見さしていただきました。そこの中の、例えば教授の資格というのが十四条の中にこれは定められております、大学設置基準の中のですね。
 そうすると、この大学は、その当時です、認可当時、教授は何人いて、予備校の先生だった人が何人繰り上がりの教授になったんでしょうか。
#231
○政府参考人(清水潔君) お答えを申し上げます。
 設置認可の当時の時点でございますが、審査を踏まえまして、全体として認可時は専任教員数六十人うち教授十四人ということでございまして、当該大学の予備校で、当時把握していなかったわけでございますが、現在、当該大学のうち予備校で授業を教えている者は当時どのぐらいの人数であったかということにつきましては、認可時の時点では六十人のうち四十一人ということでございました。
 なお、申請の時点で、当初六十四人で申請がございましたが、これについては相当数を差し替えを求めまして、認可時がそういうような数になったということでございます。
#232
○櫻井充君 認可時に相当数差し替えて四十一人の人がそうなったということですね、今の御答弁は。
 しかも、教授というのは、教授というのは資格がありまして、ちゃんと博士の学位であるとか研究上の業績だとか、結構高いハードルがあるんですが、あとは最後に、六番に、だれでもなれますとは申し上げませんが、かなり甘い条項を設けているんですね。
 じゃ、ここの大学の教授の資格は、一から六までありますが、どの資格で取られてますか。
#233
○政府参考人(清水潔君) 御指摘のように、教授の資格は設置基準に定められて各号で列記されているわけでございますけれども、基準の適合性自体につきましてはいろんな学歴、職責、研究業績を基にそれぞれについて総合的に判断しておりますので、審査結果は何号で何人という形で整理はしておらないところでございます。
#234
○櫻井充君 そういうことをしてきちんとした教授が本当に選任されるんでしょうか。
 つまり、大学というのは箱があるからちゃんとした大学になるわけではなくて、ここにあるように、学術の中心として高い教養と専門的能力を培う、こういうことをやれるためには、そういうことをきちんと教えられる人たちがいなければいけないし、そういう研究者がいなければいけないはずなんですね。
 ですから、その点についてふさわしいとその当時、もう一度じゃお伺いしますが、そういうその繰り上がりの方が四十人もいらっしゃる中で、大学の教授としてふさわしいというふうに文部科学省は判断されたんですよね。
#235
○政府参考人(清水潔君) 御指摘のとおりでございます。
#236
○櫻井充君 その結果、一二・五%の子供たちがやめていくということになっております。
 ここは指摘を相当受けておりまして、本当は今日資料でお配りすればよかったのかもしれませんが、あるときは定員を上回って実は募集をしていたような時期もあったようにここには書いてありますが、それは事実でございましょうか。
#237
○政府参考人(清水潔君) 御指摘のような募集を、この大学は千代田と大阪のキャンパスで百六十人の入学定員で設置を認められたわけでございますけれども、そこの点につきまして、私どもホームページ等でそれ以外のキャンパスにおいて百六十人を超えるような募集をしているというふうな実態を把握いたしまして、指導を行いました。それは、そういうあれは以後行っておりません。
#238
○櫻井充君 違法を行っておりませんというというのは、これは当たり前のことなんですね。当たり前でないことばかりやっているから問題視して指摘しているわけですよ。
 私は不思議なのは、こうやって学校に認可しましたと。じゃ、文部科学省に取消し権限はあるんでしょうか。
#239
○政府参考人(清水潔君) 学校教育法の規定によりまして、大学に、十五条でございますけれども、法令違反があった場合には勧告を、そしてそれによって法令違反がなお是正されない場合には変更命令を、そして是正命令を、そして、それにもかかわらずなお是正されない場合には当該組織の廃止命令を出せるという形でございまして、大学全体としての閉鎖命令につきましては、それらを経た上でという段階的なそういう規定になっておるところでございます。
#240
○櫻井充君 現在、どの段階にあるんでしょうか。
#241
○政府参考人(清水潔君) 現在、設置認可後のアフターケアを経まして、今、法令違反あるいは法令違反が疑われるような事態が、幾つか把握いたしまして、今実地調査中でございます。
 そういう意味で、現在行っておりますのは、留意事項ということで改善を指導しているわけでございますけれども、そういう実地調査の結果も踏まえまして、法令違反がそれで確定いたしましたところでいわゆる勧告を行うか行わないかという判断をする、こういう状況でございます。
#242
○櫻井充君 これだけひどいことをやっていて、何でそんな勧告すらされないんですか。不思議でなりません。
 もう一度お伺いしますが、これだけひどい状況だと、しかも、お伺いしてみると、十六年度は実地調査やってないんですよね、たしか。それでいいですね。文科省、十六年度実地調査してませんよね。
#243
○政府参考人(清水潔君) 御指摘のとおりでございます。
 なお、申し上げれば、通常、大学の新設の場合は実地調査は大体四年目に行うという形で、それが慣例になっております。
#244
○櫻井充君 これは十五年度に何項目あったんでしょうか、山のように問題挙げているんですね。山のように問題挙げておいて実地調査にも行かないんですか。それで本当にその学生たちが困っていたにもかかわらずそういうことをやっていて、あなた方が、だからそういう行政を、教育行政をやるのにふさわしくないんじゃないかと私は思ってならないんですね。
 なぜ十六年度に、これだけ十五年度におかしいということを把握しておきながら十六年度は実地調査に行かなかったんですか。
#245
○政府参考人(清水潔君) 先ほど申し上げたように、通常は四年目に実地調査を実施することとしているわけでございますけれども、十六年度は書面調査のみで行いましたけれども、十七年度はこのような問題状況にかんがみて実地調査を行い、そして今年度もまた実地調査を行って問題点の把握に今努めているところでございます。
 今から振り返れば、十六年度に実地調査を行わなかったということは、ある意味で、そういう意味でのこういう問題状況に対する速やかな是正という観点から問題があったというふうに考えております。
#246
○櫻井充君 ある意味でってどういうことですか。
#247
○政府参考人(清水潔君) 私どもが実地調査を十六年に直ちに実施しなかったということについて反省を申し上げたときに、ちょっと不適切な言い方であったかもしれませんけれども、速やかな把握等、是正の対応が遅れがちになったということを反省する、そういうあれとして申し上げたわけでございます。
#248
○櫻井充君 今の言葉も僕は不適切だと思いますよ。かもっていうこと、どうしてですか。そういう、不適切でしたと言えば終わることなのに、不適切かもしれないとか、そういうことを言うから、こっち側もおかしいじゃないかというふうな話をしたくなるだけですよ。
 さて、これだけの被害者を出していて、僕は文部科学省は責任があると思いますよ。文部科学省に責任はおありだとお考えですか。
#249
○政府参考人(清水潔君) 今様々、この設置認可については、規制緩和の流れの中で、いわゆる準則主義、法令に定めた基準の適合を審査するということについて対応する余り、全体の状況としては様々なこういう適切でない問題の状況が生じているということであれば、詰めが甘かったというおしかりを受けても甘受しなければならない、そういうものであると思っております。(発言する者あり)
#250
○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。
   〔速記中止〕
#251
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
 政府参考人は正確に答弁してください。
#252
○櫻井充君 文部科学省にこの一連の件で責任がありますか。
#253
○政府参考人(清水潔君) 設置認可のシステムを含め、私どもに結果として責任があるというふうに思っております。
#254
○櫻井充君 最初からそのようにお答えいただきたいと思います。本当であれば責任を取れと言いたいところです。
 それは、何回も申し上げますが、一二・五%の人たちが退学に追い込まれているという実態がある。入学金だって支払っているんですよ。そして、その間、結局は辞めなきゃいけなかったら、もう一度大学に入り直さなきゃいけない。無駄な人生を送っているんですね。だから、僕は、さっきから何回もこのことが重いんだと言っているんですよ。しかし、文科省の今の答弁を聞いていると、そこまでその責任を感じているとはとても思えない。その人の人生をめちゃくちゃ軽く扱っているような気がしてなりませんよ。
 そういう点で、何回も申し上げますが、文科省そのもの自体が教育行政をやるにふさわしいかどうかというのは、僕は甚だ疑問です。そして、こういうところが、先ほどのような目標というようなものを掲げて、その先どういうことにしてくるのかが極めて不安なんですよ。だから、こういうところに関して目標みたいな形で書いてほしくないというのが私の思いでございます。
 もう一点、これとはちょっと離れますが、法文上、ちょっと民主党案との違いでもう一度きちんと読んでみると、教育の権利というのが書き込まれているか書き込まれていないかという点で、僕はすごく大きな違いがあるんじゃないのかなと感じています。
 なぜそう感じるかというと、まず一つは、義務教育という言葉がふさわしいのかどうかなんですね。法文上の、これは民主党の案にも義務教育というふうな文言は書かれています。その義務というのは、教育を受ける側の義務ではなくて、教育を受ける人たちの保護者に課している義務ということになっています。ですが、本当にそれは保護者の義務なのか、若しくは国や地方自治体が背負うべき義務なのか、それとも、義務教育という言葉ではなくて、社会に自分たちが出て生活ができるようになるために教育を受ける権利を有しているからその期間は教育を受けることができるのかとか、併せてきちんとした議論が僕は必要なんだと思うんですね。しかし、その教育の権利ということに対して国会で余り議論されていなかったような気がしております。
 そこで、まずお伺いしたいのは、今回の改正案の方に、教育基本法案の方にその権利そのもの自体が明確に書かれていない、その理由をまず教えていただけますでしょうか。その上で、民主党案の方には教育権というものをうたっておりますが、なぜその点をうたっているのか、御答弁いただけますか。
#255
○政府参考人(田中壮一郎君) 先生御指摘のように、憲法二十六条で教育を受ける権利が規定されておるところでございますけれども、教育基本法におきましては、この教育を受ける権利を実現するために、一つには、生涯学習の理念を新たに書かしていただいておるところでございますし、また四条では、これは現行法にもあるわけでございますけれども、教育の機会均等ということで、ここには、すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならずという形で、国、地方公共団体がこういう国民に対して教育を受ける機会を与えなければならないという規定も引き続き置かしていただいておるところでございます。
 また、義務教育に関しましては、これは保護者に対する義務、それからそれを国として、具体的な義務教育を、国、地方公共団体の責務も規定しておるところでございます。これは、先生今おっしゃられたように、日本国憲法二十六条で保障された子供たちが教育を受ける権利を、それを実現するために保護者に義務を掛け、また国、地方公共団体に責務を負わしているものだと考えておるところでございます。
#256
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。
 民主党の法案では第二条で明確に、学ぶ権利の保障ということで、権利を有すると、これは何人も権利を有するということを明記させていただいておりますし、それから第三条におきましても、何人も、その発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育の機会及び環境を享受する権利を有するということ、それから七条でも、普通教育を受ける権利を有すると、これも何人もという主語で権利を明記をさせていただいております。
 加えまして、例えば三条の三項におきましては、国及び地方公共団体は、すべての幼児、児童及び生徒の発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育の機会及び環境の確保及び整備のための施策を策定し、及びこれを実施する責務を負うとか、四条の第一項におきましても、国及び地方公共団体の責務を規定させていただいているということでございます。
 これはどういうことかといいますと、権利というのは、正に学習者の権利というのは、すべての人に権利があることを主張することができます。したがいまして、例えば学校法人等においても、あるいは学校法人の理事者あるいはそこで教鞭を執る教員に対しても権利は行使することができると。そのために権利規定と、そして、もちろん国及び地方公共団体というのは最も率先してすべての人々の学ぶ権利の実施に努力をする責務があるわけでありますから、そのことも両サイドからきちっと明記することによって実質的に学ぶ権利をきちっと保障していくということが民主党案の最大の眼目であるということで、このような規定を重層的に置かせていただいているということで御理解をいただきたいと思います。
#257
○櫻井充君 ありがとうございました。
 大臣はどうお考えでしょうか。
 私は、例えばこの今の政府案の四条のところも、機会を与えられなければならずという極めて受け身の表現になっている。何か、どこからか何かが来るみたいなそういう格好で権利の保障がされるということそのもの自体、私はおかしいんじゃないのかなと。
 憲法の二十六条のところは、ひとしく教育を受ける権利を有すると、これは国民がちゃんと主語になっていて、しかも能動的になっているわけですが、ここの文章でいうと、結果的には受動態みたいな形になるんですね。
 ですから、能動的な権利というものが本来こういう基本法の中に書き加えられるべきではないのかなと、そう考えますけれども、大臣、いかがでございましょう。
#258
○国務大臣(伊吹文明君) 憲法の規定をいかにこの基本法において具現していくかということでしょうから、権利を先ほど民主党の提出者がおっしゃったような形で書くという立法形式をお取りになるということは何ら否定しませんが、我々が、先ほど政府参考人が申し上げましたように、三条、四条、五条という規定を置いて、それをこの基本法の下位法及び予算で補完をしていくということで、私は憲法上の国民の権利は十分守られるという立法意図でこの法案を作成しているということです。
#259
○櫻井充君 どういう形に表現するかということはいろんなやり方があると思います。ですが、申し上げたとおり、この文言の、この条文の書き方だとあくまで受け身の形であって、自分たちのところから発生してきているような権利とはちょっと思い難いところがあるんです。
 つまり、与えられなければならずという言葉なんですね。その与えられなければならずという言葉ではなくて、憲法上きちんと書かれているような教育を受ける権利を有するという、何回も繰り返しになりますが、能動的な表現にした方が私はいいんじゃないかなとそう思いますが、じゃ、民主党の発議者から今手が挙がっておりますので御答弁いただきたいと思います。
#260
○鈴木寛君 憲法二十六条に定めます学習権は、プログラム規定説、抽象的権利説、具体的権利説が存在いたしておりまして、これがどの説を取るかということについてはまだきちっと確定をいたしておりません。
 今回、私どもが教育基本法を作る際には、こうした憲法上の解釈の疑義を正に憲法附属法であります教育基本法において確定をさせる、正に具体的権利として学ぶ権利を確定するために先ほど御説明を申し上げたような諸規定を置かせていただいたということで御理解をいただきたいと思います。
#261
○櫻井充君 大臣、今の答弁も踏まえて、いかがでございましょうか。
#262
○国務大臣(伊吹文明君) 先ほど来私は答弁を申し上げているように、これは立法形式の問題だと思いますから、憲法上の権利は我々が提出した法案においても何ら侵されることはないと思っております。
#263
○櫻井充君 だれも侵されるとは言っておりません。侵されるとは言ってなくて、あくまで受け身の書き方になることではなくて、自分がもう少し積極的に進んでいって、例えば言葉を聞くと、義務教育というと何となく自分たちが本当は義務を負って教育を受けなきゃいけないのかみたいな感覚になります。でも、実際は違っていて、本来は保護者がその義務を負っているわけですが。
 その物の考え方を変えていく必要性が私はやはりあるような気がしていて、子供たちも教育を受ける権利を有しているとかいうことであるとすると、ここは民主党の案も義務教育にはなっていますが、何かもうちょっと違ういい言葉がないのかなと思ったりするんですね。先ほど申し上げたとおり、社会に出るために必要な知識なりいろんなものを、慣習なりなんなりを身に付けていく、道徳とかですね、そういうようなことであったときに、自分たちにはちゃんと学ぶ権利があって、自分たちが積極的にこうやって学んでいくんですというような表現方法にした方が私はいいんじゃないのかなあと。そこのところを、別に二十六条が守られていないと言っているわけではなくて、受け身という形ではなくて主体そのもの自体が権利を有しているという形にしていった方が表現としてはいいんじゃないか、私はそう思うんですけど、それに関していかがですか。
#264
○国務大臣(伊吹文明君) 私が考えているというか、提出者として考えていることと、目指していることと、先生が目指しておられることは多分、お話を伺っていて、違わないと思いますし、それを具体的にどういう立法に表すかということについては、先生の御意見は一つの御卓見だと思います。
#265
○櫻井充君 結局、先ほどからお話をすると、法律作成者の意図は私の意図とほとんど変わっていないと。ですが、その表現ぶりそのもの自体がやはり取れない心配があるのでこちら側としては申し上げておりますし。それから、何十年ぶりの大改定であったとすると、その権利というところそのもの自体をやっぱりどう見るかということの議論をもう一回きちんとした方がよかった、まあされたと思いますよ、されたとは思いますが、その教育権そのもの自体ということが、より踏み込んだ形で書かれた方がよかったんじゃないのかなあと。
 何というか、やっぱり言葉として受ける印象が、義務教育というともう自分たちは教育を義務的に受けなきゃいけないというふうに、実は恥ずかしながらずうっと子供のころは思っていたわけですよ。ところが、そうじゃないんですよね。我々は権利を有していて、親がそういうふうにしなきゃいけないという義務を負っていて、実は教育を受ける子供たちは権利をちゃんと持っているわけですよね。だから、そういったことがもう少し分かるように書かれた方がいいのではないかなあと、そう思います。
 ただ、残念ながら、また見解の、見解というか、思いは同じだ、見解は一緒だけど表現が違うと……(発言する者あり)見解違うんですか。
#266
○国務大臣(伊吹文明君) いやいや、水掛け論をするために私はこういう議論をしているわけじゃないんですよ。先生が御質問になっているということは、これはもう議会制民主主義の中で極めて大切な御質問をしておられるわけです。私どもの、提出者の立法した意図を確認しておられるわけですから、今。だから、その確認にお答えしているということでね。
 例えば、義務教育のところについては、別に民主党案も政府案も全く同じ書き方になっておりますよ。民主党案も、何人も、別に法律で定める期間のというから、これは六年、三年を定めれば中学校までの義務教育という意味ですよね、を受ける権利を有すると。国民は、その保護する子供に当該教育を受けさせる義務を負うと。で、政府案は、その保護する子供に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負うと。全く同じ表現ですよ、こういうところはね。
 だから、何も先生とは違うことを意図的に、そうおっしゃらなくても、同じ考えを持っているわけですから。そして、私の提出意図を確認していただいているわけですから、これは非常に大切な作業だと思って私はお答えしているつもりです。
#267
○櫻井充君 ありがとうございます。
 ですから、私先ほど申し上げたとおり、僕は文部科学委員会などに所属したことがなくて、第三者の立場から立って見たときに、どちらも私にとっては若干違和感を感じると、これは正直に申し上げたまでです。
 ただ、一方で、民主党の場合にはきちんとした形で権利というものをうたっていて、改めて全部読み直してみた際に、そう言った方がより権利そのもの自体が明確になっていいんじゃないのかなと。主体が、何回も申し上げますが、主体がどこにあるかであって、その小学校や中学校の間、やはり子供たちが自分たちに本当は受ける権利があって、そしてもっといろんな形で教育に自分たちがいろんなことを言っていいんだよということなんだろうと思うんですね。何か義務という形だけを言われると、何かちょっと違うかなと。済みません、これは私の思いです。
 あともう少し、逐条的に幾つかお伺いしたいと思うんですが、そこの中で、例えば、今度は家庭教育の中、十条のところ、これ、ちょっと済みません、通告していないかもしれませんが、生活のために必要な習慣を身に付けさせるという文言があります。新しく起こしてこの十条のところに出てきていますが、この生活のために必要な習慣というのは一体どういったものを指すんでしょうか。
#268
○国務大臣(伊吹文明君) 私たちが形成している日本社会において共通に生きていくための最低限の規範意識、そういうものだと思います。
#269
○櫻井充君 ここにわざわざ家庭教育といって起こしているわけですね。起こしているそこの中で、その保護者そのもの自体がこういうことの身に付けさせるというふうになってくると、これは、最後は努めるものとするとなっていますから、基本的には努力規定ということになるんでしょうか。
#270
○国務大臣(伊吹文明君) 現行法には、これは家庭教育という欄はございませんですよね、御承知のように。
 それは、やはり随分社会の変遷があったと思います。今は、残念なことですが、従来家庭でやっていたこともみんな学校の先生が結果的にはかぶっているという面が非常に多いですね。ですから、一義的に子供の社会生活を進めていく規範というのは御家庭で努力をしていただくし、そういう意味では、先生のおっしゃったように努力義務というのか、やっても付いたか付かないかというのは判断ができませんからね、これは。絶対的な判断基準を権力者が決めるわけにはいきませんから。ですから、こういう、おっしゃったような表現になっているんで、それは御理解によって、努力義務と理解していただいて結構だと思います。
#271
○櫻井充君 そして、この家庭教育を条項に起こしたもう一つ理由、そして、このように書かざるを得なくなったもう一つ理由と、併せてですが、同じかもしれません、そしてその上でどういうような人間像を描いていらっしゃるのか、それについて御説明いただけますか。
#272
○国務大臣(伊吹文明君) まず、どういう人間像を描いているかということは、この前文及び第一条に書かれている、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」ということを念頭に置いていると思います。その中で、家庭の果たしていただく一義的役割というのはあるんだと、みんなそれに向かって努力をしようと。
 多分これ、なぜ現行の教育基本法にこの条項がなかったか。これは二十二年の法律ですから、私はそのときの提出者の意図が、議事録等を読み返してみたんですが、家庭教育の欄についての御質疑がないんですね。それは、ないのはなぜかというと、家庭教育というのはごく当たり前のように当時は受け入れられていたと。そして、共働きもなかったし核家族もなかった。ほとんどの人、ほとんどの人というんでしょうか、当時一番大きな産業は農業だったと思いますよ。そういう中で、御家庭での自然に規範意識みたいなものは身に付く環境にあったと。しかし、現在はそうではないと。しかし、それを学校だけに、学校でやってくれないのはけしからぬじゃないかということではないということはみんなで再確認したいということでこの条項が入ったと理解していただいていいと思います。
#273
○櫻井充君 今、私は、細々ですが、月二回程度、不登校と引きこもりと拒食症の患者さんの治療に当たっています。そこの中で確かに家庭教育がすごく大事だと思っておりまして、不登校の子供さんたち、これ御両親いらっしゃる方ですが、その御両親いらっしゃる方に三人で病院に来てくださいませんかとお願いすると、半分ぐらいしか実は来ないんですね。そして、半分来られた方は、私の治療法がいいか悪いかは別として、八割程度の方は学校に行けるようになります。来なかった子たちはどうなのかというと、親に対しての期待感を捨てると、二割ぐらいでしょうか、もうあきらめて、親に対して訴えるのをやめて、自分で立ち上がっていかなきゃいけないという形で学校に行けるようになっていくし、親に対しての思いを捨てられない子たちはなかなか学校に行けないという、そういった状況があるんです。
 ただ、家庭教育の中で、じゃ、不登校になっているところの子供さんたちの親が駄目かというと、決してそうでないんですね。皆さんむしろ逆に言うとすごくまじめな方が多くて、子供たちに対して、こうしなければいけないんだとか、ここの部分をちゃんとしないと社会に対して迷惑を掛けるからこういうところはちゃんと正しなさいとか、むしろ規範をきちんと言って、まあ問題は、できたときに余り褒めてない、余り認めていないから、そういう、何というんですか、自信のないような子たちが生まれてきていて、そのために、自分が周りからどう見られているのか分からない、自分がこうあらねばならぬ、そういう思いが強いがために学校に行けないような子供たちが育ってきているというのが現状です。
 そういう意味において、果たしてこれだけの文言の中の、こういう言葉で書くこと自体が大臣としてふさわしいとお思いでしょうか。
#274
○国務大臣(伊吹文明君) これは非常に難しい質問だと思いますが、いろいろな、ケース・バイ・ケースだと思いますね。
 ですから、法律というのはやはり一般原則を書いていますから、先生がおっしゃったようなケースに適応できない方についてどうするかという問題はやっぱり残るんじゃないでしょうか。だからこそ努力義務になっているということですよね。
#275
○櫻井充君 それと、いじめの問題のところで、大臣がよくその子たちにプライドがあるから言えないという話をされますが、僕の認識はちょっと違っていまして、プライドではなくて責任感じゃないかと思っているんですね。
 それは、親からきちんと教育を受けてくると、こうでなきゃいけないんだというふうに育ってきます。それからもう一つは、周りの人たちのことを大事にしなさいと言うと、周りの人たちに迷惑を掛けちゃいけないんだという、そういうような気持ちを持ってきている。それから、今申し上げたとおり、自信がなかったりすると、このことを本当にだれかに言っていいんだろうか、だれかに迷惑を掛けちゃうんじゃないかというんで自分一人で抱え込んでしまって、処理できなくなってある日突然ということが起こってきています。
 そういう点でいうと、大臣がよくプライドがあるからその子たちが言えないと言っていますが、私が見ている子たちで言うと、プライドというよりはむしろその子たちの責任感の強さということになるんじゃないかと思うんですけど、いかがでしょうか。
#276
○国務大臣(伊吹文明君) 実は、プライドがあるというのは、心理学者の方が私に教えられた言葉を実は私は使っているんですが、責任感があるからプライドがあるんじゃないでしょうか。責任感のないところにプライドというものはないと思いますけれども。
#277
○櫻井充君 そこのところは、プライドとこれ責任感はやはり全然違う感覚だと思っていますし、是非分かっていただきたいのは、エゴグラムという自我のテストをやると、批判的な親の感覚が高くなっていることと、それから周りの顔色をうかがってくる、適合しようとする子供の感覚と、この二つは大体みんな高くなっているんですよ、傾向からすると。そうすると、そういう子たちが学校に行けなかったり様々な病気を抱えていくことになるんですね。その子たち自身が、話をすると、やっぱりほかの人に迷惑を掛けちゃいけないとか自分で何とかしなきゃいけないんだという感覚になってきていて、決して自分自身に、何というんでしょうか、プライドというのは日本語で言えば自尊心でしょうか、その自尊心のためにそこのところが言えないということにはなってきていない。
 なぜもう一つこういうことを申し上げるかというと、大臣のメッセージはやっぱり極めて僕は重いと思っておりまして、子供たちにこの間、自殺をするときに、自殺をしないでくれとかいろんな呼び掛けをされますが、その今診療している子たちは、やっぱり一番問題なのは、自分たちの気持ちを分かってくれないんだというところが問題で、その理解者を求めてきている。本当は一番いいのは親が理解者になることなんですが、なかなかその親が理解者になれてきていない。だれもみんな自分の気持ちなんかどうせ分からないだろうと思って、そういうところに、例えば電話一一〇番をしようが何しようが、なかなか訴えることができない、これが現状です。
 病院に来ると、その子たちはどうするかというと、診療者のことを試します。つまり、自分たちのところを理解しているのかどうかとか、心配してくれているのかどうか、人間関係をつくるときにはそれはすごく当然のことなんだろうと思うんです。心ない医者は、自分たちをだましているとか、こういう子たちはうそつきだという話をするんですが、決してそうではなくて、本当は頼って何とかしたいんだけど、本当に信じていいかどうか分かんない、そこのところでそういう行動に出てしまっている子たちが随分一杯いるんですね。
 その意味で、やはり大臣がこういう自分たちの気持ちを分かってくれているんだと、そういうようなメッセージが送られた方が私はいいと思うので、いろんなもう少し専門家の方々とお話をいただければ有り難いなと思いますが、いかがですか。
#278
○国務大臣(伊吹文明君) 先生がおっしゃっている御注意は、私はかなり大切なことだと思っておりまして、前回、私が呼び掛け文を出したときも、最初はお役人が呼び掛け文を書いてきたのを、私が全部自分で書き直したんです。心理学者の方だとかなんかにある程度見てもらって出しておりますので、全く先生がおっしゃったようなことに配慮をせずに出したわけではございません。
#279
○櫻井充君 ありがとうございます。
 本当に大事な問題だし、それから、診療していると、そういう子たちが物すごく増えてきている。それは、学校に行けなくなったとか物を食べられなくなったという子たちだけじゃなくて、その予備軍という人たちがかなり一杯いる。
 今日は残念ながら時間がなくてできなかったんですが、大学の退学者の率も、あの大学以外でも随分増えているだけじゃなくて、休学者の数も随分増えてきているんです。中学校や高校のいじめの問題が随分クローズアップされていますが、大学で学んでいる人たちも様々な問題を抱えているということも是非知っていただきたいし、それから様々な問題がまだありますから、是非、委員会の場できちんと徹底的に審議していただきますことをお願い申し上げまして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
#280
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 まず最初に、教育再生会議が十一月の二十九日にまとめたいじめ問題の緊急提言について官房長官にお聞きをいたします。
 この提言によりますと、学校は、問題を起こす子供に対して指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応を取る、それから、教育委員会は、いじめにかかわったり、放置、助長した教員に懲戒処分を適用するなどを盛り込むなど、非常に懲罰的対応が目立っております。
 私は、いじめられる側にも問題があるという考えは一掃しなくてはならないと思いますが、じゃ、懲罰的対応だけでいいのかということも大変疑問であります。実際、様々な識者等から、いじめられる側といじめる側が逆転するケースもある、そういう今の実態を分かっているんだろうかという声が上がっているのも事実であります。
 一方、あの提言は、いじめを生む素地をつくらないということも書いております。この点、非常に大事だと思うんですが、余りこれには具体的な言及がありません。
 そこで、いじめを生む素地ということはどういう内容をお考えなのか、お示しいただきたいと思います。
#281
○国務大臣(塩崎恭久君) この再生会議での提言で、いじめを生まない素地をつくりと、こういうことで、その素地、いじめを生まない素地とは何かと、こういうお話であります。
 これは、提言の七番目にいろいろ書いてあると思いますが、一言で言ってしまえば、社会総掛かりでやっぱり子供たちを育てていかないといけないということを言っているんではないかと思います。その辺が偏って、昔だったらおじいちゃん、おばあちゃんもいるし、隣のおばちゃんも怖かったりとか、先生も責任を持ってしかるときもあれば、家に呼んでくれて一緒に御飯食べちゃったりとか、いろんなことがあって、いろんな形で社会が子供にかかわっていた。そういう中で、もちろんいじめ自体はなかったわけではありませんけれども、どこかで救済される仕組みというのがあった。その社会がどうも子供に総掛かりで正面向いて向かってないんじゃないかと。そういうことを多分言いたいんではないかと思うんですね。
 ですから、社会を構成する人たちがやっぱり子供に正面から全部向き合っていじめの素地というものをなくしていく。言ってみれば、日本の社会全体を変えていかないといけないということを言っているに等しいのかも分かりませんが、かつて日本ではいじめがあってもどこかで救われるという社会がちょっと変質してきているのかなということをもう一回反省をしながら再構築していこうじゃないか、こんなことで広い意味での教育というものをやっぱり言っているんだろうと思います。
#282
○井上哲士君 今あった社会の様々な問題が子供たちに反映をしている、事実だと思います。
 もう一方、やはり学校と教育の在り方全体というものを見る必要があるのではないかと思うんです。このいじめを生む素地となっている問題に子供たちが様々なストレスにさらされているということを私たち指摘をしてまいりました。これは、国連の子どもの権利委員会も、日本に対しまして、教育制度の過度に競争的な性格が子供の肉体的及び精神的な健康に否定的な影響を及ぼし、かつ子供が最大限可能なまでに発達することを妨げていると、こういう指摘をし、その是正を勧告をしておりますが、先ほどの提言にはこういう問題は触れておらぬということになっております。
 そこで、文部科学大臣にお聞きするんですが、やはりこういう国連などが指摘している問題にしっかりメスを入れるということなしにこのいじめ問題が解決の方向に向かわないのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
#283
○国務大臣(伊吹文明君) 多分、先生あるいは先生の政党の御主張としては、競争原理でこういうことが起こっているということをおっしゃっているんだと思いますが。
 確かに、いろいろな意味で子供にストレスがあるということは私は否定しません。しかし、自由と民主主義の国においては、基本的には競争というか、自由競争ということは普遍の価値として受け入れているわけですよ。これをどこまで、教育の場でどこまで使うかということについては、教育というのは競争の結果生み出される効率とかそういうものを超えた価値を扱っている部分がありますから、それは心してやらねばならないということだと思います。
 ですから、子供の、例えば学校で授業内容に満足をしているクラスの子供は比較的いじめが少ないとか、御家庭で家族の対話のある子供はストレスが少ないとか、いろんな要因が掛かっておりますから、それを一律に学校の競争ということに集約していくというのは、私は少し慎重でありたいと思います。
#284
○井上哲士君 私どもの党の主張ということで言われましたが、私が聞きましたのは、国連が教育制度の過度に競争的な性格がこういうことを及ぼしていることについての見解をお聞きしたんです。
 これはいろんなところで実は指摘もされておりまして、昨日の新聞などで一斉に報道されておりましたけれども、ある研究調査が発表されておりましたけれども、学級内のストレスの要因として、今もありましたが、これは授業が分からない、だから興味が持てない、それからそれに加えて、管理型の学級では教師が威圧的だとか特定の子供だけが認められていると、こういうことがいろんなストレス要因になっているということが言われているわけですね。やっぱりここにメスを入れずに、いわゆる厳罰化的対応だけすれば、私はいじめが一層陰湿化するというんでしょうか、見えなくなっていくんではないか、ここを正す必要があるというふうに思っているんです。
 そこで、安倍総理は盛んにイギリスの教育改革を一つの手本として言われてまいりました。このイギリスでも大変いじめが深刻だということが盛んに今報道もされております。サッチャー改革の下で一斉学力テストが実施をされまして、学校選択制と、非常に競争が激しくなった。そのころからいじめ問題というものが認識をされまして、今、市民団体の調査によりますと、高校生まで児童生徒七百万人のうちいじめられたことがある子供というのは六九%、それからいじめで学校を欠席した経験がある人も四二%いたというのがイギリスの調査で発表をされております。また、毎日二万人がいじめが嫌で学校を休んでいるという推計もありまして、大変深刻な問題になっているということなわけですね。
 イギリスでは、こういう学校と子供にこの徹底した競争やふるい分けの教育が行われ、そしてさらに、問題があるとされた子供たちを学校から追い出していくという異常な事態があるんですね。今義務教育の修了資格を持たずに学校を去る子供というのは約八%です。不登校などが毎年百万人以上、停学処分が十万人以上、退学処分が一万人以上という報告もこれは出されておりますが、こういう言わば義務教育修了資格を持たずに一割近い子供が学校を去るというふうな、こういう事態について大臣はいかが評価をされるでしょうか。
   〔委員長退席、理事保坂三蔵君着席〕
#285
○国務大臣(伊吹文明君) 英国では法律によっていじめを行った子供を強制的に学校へ来させないとか、そういうことが規定されているということは私も存じております。しかし、各々の国の法律をどう作るかはその国の長い歴史あるいは社会の状況によって違うわけですから、英国がやったことが日本に即いいとは私は思っておりません。
#286
○井上哲士君 イギリスの中ではこういう競争教育についての見直しの動きが強まっていることは先日もこの委員会で議論になりました。ただ一方で、むしろ家庭にも厳罰主義を持ち込もうという動きもあるんですね。ジョンソン教育相は、家庭にも厳罰主義を導入をするように強調して、いじめをやめるように指導しても児童生徒が従わなかった子の親に一千ポンド、二十二万ぐらいですけれども、こういう罰金を科すというような法案が検討されているということでありますが、私は日本はこういうような方向は取るべきでないと考えていますが、大臣はいかがでしょうか。
#287
○国務大臣(伊吹文明君) おっしゃっているのはあれですか、犯罪及び秩序違反法という英国の法ですね。
#288
○井上哲士君 今、今後検討されているものです。
#289
○国務大臣(伊吹文明君) ああ、検討されている。
#290
○井上哲士君 家庭の。
#291
○国務大臣(伊吹文明君) それ、家庭に対して罰金を科すかどうか。これはまあ一律にそういうことはやるべきじゃないでしょうね。ただ、日本でもいろいろな法制がありますから、親が適切な管理義務を、保護者としての義務を怠った場合は、当然日本の既存の法律でも親は訴えられたり損害賠償を求められることはあるのは御存じのとおりだと思いますが、一律にそういうことを法制化するというのは私は日本にはなじまないんじゃないかという気がしますし、例えばいじめの子供を不登校にしろというような話もあります、学校へ来させるなというような話もありますが、いじめというのはいろんな態様がありまして、いじめ即登校停止というのはやっぱり乱暴なことなんですよね。各々のケース・バイ・ケースで判断していかねばならないわけですから、すべてを否定する必要はありませんから、それを、すべてを一般化することは私は適当じゃないと思います。
#292
○井上哲士君 ただ、安倍総理はこのイギリスのやり方について様々書かれております。あの「美しい国へ」では次のように書いているんですね。
 ブレア政権は二〇〇五年五月の総選挙に勝って三期目に入ったが、その後、政権の大きな柱としてリスペクト・アクション・プランを発表した。教育や子育て、青少年の育成、地域づくり、治安まで含めた省庁横断的な政策である。具体的には、例えば問題を起こす児童生徒に対する教員のしつけの権限を法制化したり、地域に悪影響を及ぼすおそれのある問題家庭を二十四時間監視するなど、善悪のけじめをきちっと付けることだといって大変評価をされております。
 そうしますと、こういう厳罰化の方向がいわゆる総理の教育改革の下で持ち込まれてくるんじゃないかという懸念の声が出てくるのも当然だと思うんですが、大臣、いかがですか。
#293
○国務大臣(伊吹文明君) 先ほど辻先生の御質問にもお答えしましたように、安倍総理が総裁候補であったときに書いた書物が国会の議決も経ずに実現できるといったら日本国は独裁国家になりますよ。そんなことはあり得ないんで、そういうトラウマにとらわれる必要は私はないと思います。
#294
○井上哲士君 過去に総裁選挙の公約だと言って、例えば靖国の公式参拝を行ったり、そして非常に郵政で強引にやった総理を私たちは知っていますから、こういう懸念があるんです。
 なぜ懸念が生まれるかには、それだけじゃありませんで、今回の基本法の第十条で「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、」云々という項目があります。実は、イギリスでも一九九六年教育法で、子供がきちんと学校へ行くのは第一義的に保護者の責任だと、こういうふうにしているんですね。第一義的に保護者の責任という点では同じなんです。
 そこで、イギリスでは、こういう不登校などの保護者にもその責任として刑罰の対象とするという法律がその後できているんです。これは御存じでしょうか。
#295
○国務大臣(伊吹文明君) 先生から御質問があるということで、読んでみました。
#296
○井上哲士君 犯罪及び秩序違反法、今いわゆる子育て命令法というような言い方もされておりますが、これは不登校や遅刻も対象になって、保護者が刑罰の対象になります。
 例えば、娘の無許可欠席で六十日間の実刑を宣告され投獄されたという例もあります。これは刑期は二週間に短縮されて釈放されたっていうんですけれども、この娘の無許可欠席の理由というのは、十五歳の子が百九十日の登校日のうち五十五日だけ登校して、それ以外休んだ。その理由は、いじめと、それからおばあちゃんの死が原因で、おばあちゃんが死んだ後、お母さんを一人にさせたくなかったということだったそうでありますけれども、こういう実刑が親に科せられたという例がありますし、ロンドンのある区では子供の遅刻を理由に保護者を起訴という事態も生まれております。
 私は、同じ第一義的責任ということが今回の基本法に盛り込まれているわけですが、こういうような言わば下位法が作られるべきではないと、こう思っておりますけれども、大臣、いかがでしょうか。
#297
○国務大臣(伊吹文明君) 基本的には先生のお考えに私は異論を差し挟むものではないと思いますが、今の質問の形に私がまた簡単にうなずくと、明日赤旗に書かれたりしたら困りますからね。
 率直に申し上げておきたいのは、今先生がおっしゃったことは現象面のことをおっしゃっているわけですよ。しかし、それに親がどのように、子供がそういう行為に走ったことについて親の責任があったかどうかということについて、かなりケース・バイ・ケースで判断しなければならないんで、私はすべてを否定するわけじゃないけれども、すべてにこのことを適用するのは適当じゃないと言ったのは、正にそういうことなんですよ。その親に一律に刑罰を科すとかですね。ですから、それはケース・バイ・ケースなんです。
 ですから、今の日本の法律でも、親が子供をいろいろ虐待をした結果、子供が学校へ来れなくなったときは親は当然処罰されますよ。ですから、一律に私はそういうことを適用することについては反対だと。これは先生と同じ意見です。
#298
○井上哲士君 親の虐待とか、これは正に今の日本の国内で罰されるわけですね。私が問題にしていますのは、先ほど言っていますように、不登校とか遅刻と、要するに子供がやったことがそれは親の責任だということで一律に罰するようなことはあってはならないと思うし、そういう下位法は作らないんだということはちょっと明言をしていただきたいと思います。
#299
○国務大臣(伊吹文明君) 下位法は作るつもりはありません。
 しかし、子供が不登校だとか遅刻をした理由が子供自身にあるのに親を罰するということはできませんよ、それは。しかし、親が子供を働かせてしまったから行けなかったとか、いろいろなケースがあるわけでしょう。だから申し上げているんですよ。現象面だけをとらえて御質問に相づちを打つのは危ないと申し上げたのはそういうことです。
#300
○井上哲士君 私は、逆に危ないと思っているから質問しているんですよ。
 先ほども言いましたように、同じような、この保護者の第一義的責任という文言があります。そして、総理も書いておられる。そして、総理が教育再生会議の担当に指名された山谷えり子さんは、これは平成十六年の十一月二十四日の参議院の調査会で質問をされているんですが、ブレアも子育て命令法という法律を作りまして、親には子育てをちゃんとしようと、不登校の親に罰金刑までするような、そんなことをやっています、日本はどう探っていくのか検討していただきたいと。要するに、不登校の親に罰金刑を掛けるというようなことも検討するべきだということをその教育担当の補佐官が主張されている。
 私は、こういうのを見ましたら、教育再生会議等でこういうことが現実に検討されかねないと、こういう危惧を覚えるから聞いているわけでありまして、やはりこういう形で罰則をもって家庭教育に、家庭内におけるそういう虐待とかそれは今でも取り締まるわけですけれども、そういう家庭教育の中身に刑罰をもって介入するような、そういうものは作らないんだということは改めて明らかにしていただきたいと思います。
#301
○国務大臣(伊吹文明君) まず、刑罰を科する科さないの前に、家庭教育についての法律を作るかどうかというのは、これはやはりかなり慎重な、何というんでしょうか、検討が必要なんですね。是非、井上先生も自信をお持ちになるのは、先生が日本の立法者なんですよ、再生会議がどう言うかということは関係ないんですから。
#302
○井上哲士君 いや、関係ないようなものを今官邸でやっているんですか。いや、そんないい加減なものを国民の税金で内閣府に設置してやるというのは、これは私、問題発言だと思いますよ。
 現実に、しかし私たちが国会で議論する間にも内閣府でああいうものがやられて、そして例えばいじめの緊急提言というのを出されているんです。そして、今後これが最終的な様々なことになってくるのを見たときに、やはりこれは国会においてきちっと議論をして、そして今の教育基本法との関係どうなのかというのは、私は議論しなくちゃいけないからこそこうやってお聞きしているわけです。いかがですか。
#303
○国務大臣(伊吹文明君) いや、先生の今の御質問こそ私は問題発言だと思いますよ。だって、国権の最高機関として立法権を持っておられるんでしょう。
 ですから、再生委員会はいろいろな意見を言いますよ。中にそれは法律になって出てくるかも分からない。その中で私は、できること、いや、これはまずいんじゃないか、これはこうすべきだということは、それは責任ある大臣として当然申し上げます。そして、国会に出てきたときにおかしいと思われたら、それを通さないのが国会でしょう。その方が何か再生会議がやったら決まるようなことを言っちゃったら、日本国憲法はぐちゃぐちゃになっちゃうんじゃないですか。
#304
○井上哲士君 多数をもって強行採決をするような与党がある下で私たちはこういう国会があるわけですから、こういう懸念があるからこそ私は質問をしているんです。
 改めて確認をしますけれども、例えば衆議院の前大臣の答弁では、そういう個々の家庭における具体的な教育内容等について規定するものではないと、この十条は。そのような法律を新たに設けることを意図するものではないということを明言をされておるわけですが、これは立法者意思として確認をしていただけますか。
#305
○国務大臣(伊吹文明君) 私が先ほど御答弁したのはその趣旨に沿ってございます。
#306
○井上哲士君 先ほどから言っておりますように、確かに法律として出てくるものがあります。同時に、様々な、先日もやりましたけれども、裁量行政として国会にかからずに行える様々なことがあるんですね。先ほど、一番最初に申し上げましたように、例えばそういう懲戒基準などというものは、私ども国会に一々出てくるんじゃないんです。そういうものが結局行政主導でどんどんいくんじゃないかと、こういう懸念は私は持っているし、そういうことがあってはならないということは申し上げておきたいと思います。
 それで、高市大臣にお聞きをするわけですが、私はやっぱり政府が行うべきことは、今の教育基本法が明記していますように、家庭教育の奨励とか支援であって、命令をすることではないと思うんですね。先日、少子化白書が閣議決定をされておりますが、その中では、夫が外で働き妻は家庭を守るべきだと、こういう意識が強くて妻に育児を任せ切りにする現状があるということを指摘をしておりまして、父親の育児参加とか働き方、意識改革の必要性というものを強調しております。
 長時間労働など現状の仕事優先の働き方を変えて、いわゆるワーク・ライフ・バランスを実現する、こういう支援が必要だと思いますけれども、その点お考えを聞かせていただきたいと思います。
#307
○国務大臣(高市早苗君) 今先生、少子化白書を挙げてくださいましたけれども、男女共同参画基本計画、第二次の方なんですけれども、ここにも目標が書いてあります。「概ね平成二十六年度までに育児休業取得率を男性一〇%、女性八〇%にすることを目指し、」というようなことが書いてあり、男性の場合はまだまだなかなか取りにくい職場の雰囲気もありますし、これは自分の仕事をこなし切れないというような事情もあるんだろうと思います。
 とにかく、生活と仕事の調和が取れたいわゆるワーク・ライフ・バランスに立脚した働き方というのは、少子化対策でも大いに効果がありますし、それからまた企業にとってもいい人材がちゃんと定着する、またいい人材が来てくれるというメリットがあると思います。
 これからは、やはり育児休業が取りやすい、それから短時間労働ですね、この勤務が普及していくような形で今年六月の新しい少子化対策にも書き込まれていますんで、努力をしてまいりたいと思います。
#308
○井上哲士君 そういう様々な形での家庭への支援こそ必要だと思いますが、法案は全体としてやはり命令的な条文が前面に出ていると思います。
 やはり家庭教育に困難を押し付けて命令するようなやり方は絶対すべきではありませんし、現行教育基本法の制定に携わった田中耕太郎氏はこう書いております。国家以前に人類発生とともに存在し、したがってそれがいかに良心によって行使されるかは、良心にとって道徳的問題であり、国家の干渉外の問題であると。国家の家庭への干渉は許されないことであると。それは個人についての思想の自由、良心の自由及び宗教の自由が保障されているのと同様であると、こういうふうに述べておられます。
 私は、やはり家庭教育まで踏み込むようなことをやるようなことはやるべきでないということを申し上げまして、質問を終わります。
#309
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 文科省の発表してきた一九九〇年以降いじめ自殺ゼロの調査報告が全く信用できないと指摘し、社民党は見直しを求めてきました。
 お手元に資料がありますが、平成十五年、警察庁生活安全局が作った統計と文科省が作った統計は全く違うものになっております。
 警察庁のは、二〇〇三年、学校問題を理由にした小中高の自殺数、遺書がある場合は、小学生はゼロ、中学生は十人、高校生は二十人で、三十人です。にもかかわらず、文科省の統計は、中学校が三名、高校が三名、合計六名となっています。
 この差はどうして生ずるのでしょうか。この点は何度も指摘されていますが、どう精査をされたでしょうか。
#310
○政府参考人(銭谷眞美君) 警察庁の調査と文部科学省の調査における自殺者数の違いあるいはその原因、背景等の違いにつきましては、この委員会でも度々御指摘をいただいているところでございます。
 基本的に、文部科学省の調査は、各学校から上がりました数を教育委員会を通じて集計をしているものでございますが、各学校が亡くなられた子供の親御さんからいろいろと事情を把握をして、そして各学校の方でこれは自殺であるということを判断をして教育委員会を通じて上げてきているものでございますので、御遺族との関係あるいは学校の方で十分確認できなかったような場合に上がってこないというケースがあるわけでございます。
 警察の調査の方は、もちろん捜査権限のある警察による検視、事情聴取の結果を集計したものでございますので、私ども文部科学省の調査結果に比べまして数が多いということになっているわけでございます。
 私ども、学校と警察の連携を密にするとともに、この今までの調査方法につきましては、その調査の内容等について十分見直しをしていく必要があると今思っているところで、その検討に入っているところでございます。
#311
○福島みずほ君 ひどい話です。しかも非常に遅いです。このような指摘はずっと以前から行われていました。
 松江のタウンミーティングについてお聞きをします。
 島根県に住むこの女性は、このいじめの件数が違うということに気が付いて、警察庁によってコンピューターを全部使ってもらってクロス統計をしてもらい、先ほど挙げた警察庁からのちゃんとした統計を出してもらいました。
 文科省の二〇〇四年十二月二十日、文科省児童生徒課に出向き、おかしいんじゃないか、きちっとやってくれということを今から二年前に文科省にきちっと言いに行っております。対応したのは吉田室長。三時間やり取りをして文書を作成しております。なぜこの意見が反映されなかったんでしょうか。
 更に問題なのは、先日福山委員からも質問がありました、タウンミーティングで、この女性は事前にも自分はきちっと発言をしたいと、こういう問題があるということを内閣府に行きまして説明をし、去年の三月五日、出席をしてずっと手を挙げ続けておりましたが、彼女は当てられませんでした。御本人とも私はお話をしました。当てられない、しかし文科省は、この間、福山委員の質問にあったとおり想定問答集を作っているんですよ。当てないけど想定問答集を作る、こんなひどいことがあるんですか。謝罪してください。
#312
○政府参考人(山本信一郎君) タウンミーティングを主催しました内閣府の方としてお答えを申し上げます。
   〔理事保坂三蔵君退席、委員長着席〕
 教育改革タウンミーティング、八回行われまして、御承知のように五回においてはあらかじめ発言案をお願いをするという非常に行き過ぎた行為がございまして、これは重く受け止めておるところでございます。
 島根で行われましたタウンミーティングにつきましては、そのような事実はなかったわけでございますけれども、今委員御指摘のように、四百二十人ほど御参加いただきましてタウンミーティングが開かれました。この中において、発言者につきましては、会場で挙手があった皆さんの中からコーディネーターが指名して発言していただくというやり方で、十二人の方が発言をしておられます。内閣府の当時の担当者に確認をいたしましたところ、特定の参加者の方を排除するようなことはやっていないという具合に確認をしているところでございます。
#313
○福島みずほ君 全く不可解です。想定問答集をきちっと作っているんですね。そして、このタウンミーティングが終わった後、御本人のところに公印のない文書が封書で来ました。文科省初等中等教育局児童生徒課で、あなたの要望について、三点彼女は文書で出していたんですが、次のとおりですというふうに文書で回答しています。私は、これこそが想定問答集のペーパーをもったいないから使ったんじゃないかというふうに思っております。そして、これにはっきり、要望事項について、本調査とともに警察庁や厚生労働省の統計も参考にしつつ、自殺の実態の把握に努めているとはっきり明言をしているのが平成十七年三月十日です。
 私がここで問題にしているのは二点あります。いじめという極めて重要な問題に対して関心があったり心を痛めている、遺族の知り合いの人やいろんな人からきちっとした指摘があるんですよ。文科省は下から上がってくるものしか扱わないから正確じゃない。警察は時間を掛けてコンピューター使って出してくれたんですよ、文科省はきちっと精査せよと。文科省は去年三月十日に、ちゃんとやりますと、実態把握に努めているところですと言っています。ところが、今特別委員会になるまでいじめゼロといって平然と言っていたわけじゃないですか。
 大臣、これ謝罪すべきではないですか。
#314
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、事実関係について御説明をさせていただきます。
 平成十六年の十二月二十日に、児童生徒の自殺につきましてその方から三点御要請をいただいております。一点が警察と連携をした実態把握に努めること、二点が私立の学校に関する実態把握に努めること、三点目が実態を正確に把握するよう都道府県教育委員会に対する指導を行うこと、この三点でございます。
 それに対しまして、これは文書でいただいておりますが、平成十七年の三月十日に児童生徒課の方から、一点目につきましては各学校においてはそれぞれの地域の実情に応じ警察との連携を図りつつ自殺の実態の把握に努めていると承知をしていること、二点目につきましては私立学校を対象に加えるかどうかについて検討を行っていること、三点目につきましては調査が児童生徒の自殺の実態をより一層反映したものとなるよう都道府県に対して適切に指導をしていくことなどを回答をしているところでございます。
#315
○福島みずほ君 では、そういう要望書を出し、警察庁と連絡を取ってちゃんとやると言ったんであれば、なぜこの一年以上放置されてて、直ってなかったんですか。謝罪すべきですよ。
#316
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、三点の回答について私どもの取組が十分でなかったことについてはきちんと反省をしなければならないと私は思っております。
 まず第一点目の警察との連携につきましては、各学校段階での連携を促していたのは事実でございますけれども、それ以外、数字の違い等について十分な突合ができていないという状況でございました。
#317
○福島みずほ君 反省するとおっしゃいましたが、では警察庁に聞いて、どういうデータを取って、どの違いがあって、どの部分を文科省が把握していないのか、精査をされましたか。この文書を出した後やったのかという質問です。
#318
○委員長(中曽根弘文君) どなたに質問ですか。
#319
○福島みずほ君 文科省です。銭谷さん、お願いします。
#320
○政府参考人(銭谷眞美君) 文部科学省と警察庁と、今お尋ねの件につきましては、十分な、十分というか連絡はしていないということでございます。大変申し訳なく思っております。(発言する者あり)
#321
○福島みずほ君 全然連絡をしてないんですか。
#322
○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆる生徒指導につきましては警察庁と連絡はもちろん取っているわけでございますが、この自殺の件数につきましては警察庁と直接突合したということはないわけでございます。
#323
○福島みずほ君 いや、これはひどいですよ。つまり、国民の声ですよ。やっぱりいじめの件数がおかしい、ちゃんと当たってくれと。遺書があるのに自殺と扱わないことにみんな怒っているわけですよ、ひどいと。自殺ゼロと言っていたんですよ、今まで、いじめによる自殺ゼロ。
 この人は、そのことに気が付いて一生懸命やって、警察庁にデータを出してもらった。やっぱりタウンミーティングに、全然取り扱って実はもらわなかったんです。タウンミーティングに行って何とか発言したいと思ったが、どんなに言っても当ててもらえなかった、手を挙げても。だから、何とか問題にしたい。
 文書が来ました、去年の三月十日。銭谷局長がおっしゃったとおり、警察庁と連携を取って、はっきり書いてます。さっき読み上げられたでしょう、銭谷局長。本調査とともに警察庁などや厚生労働省の統計も参考にしつつ、自殺の実態の把握に努めている。
 一年以上たちましたが、全く警察庁と連絡を取ってない。これは文科省の完全な怠慢。いじめの問題についてどう思っていたのか。謝罪をすべきだと思いますが、大臣、いかがですか。(発言する者あり)
#324
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと静かにお話をしたいと思いますが、先生、そういう文書を、それは文科省が先生にお出しした文書なんですか。
#325
○福島みずほ君 本人からもらいました。
#326
○国務大臣(伊吹文明君) 本人から。
#327
○福島みずほ君 先ほど言ったのと同じです。
#328
○国務大臣(伊吹文明君) その個別の案件について、どのように警察と連絡を取ってやったかということについては、いろいろな……
#329
○福島みずほ君 やってない。
#330
○国務大臣(伊吹文明君) いやいや、やってないかどうかは分かりませんよ。
#331
○福島みずほ君 やってない。
#332
○国務大臣(伊吹文明君) 人が答弁しているんだから。
 それはこれからもう一度政府参考人から答弁させますが、一般論として言えば、警察には捜査権があるんですよ。だけれども、文部科学省は、学校が教育委員会に報告した数字をもらうという立場しかないんですよ。ですから、それで統計数字に違いがあるということは私も分かります。分かるから、そのときに違うから、もう一度、教育委員会これでいいのか、あるいは教育委員会が、学校がいいのかと尋ねる感性に欠けていたと思いますよ、確かに。
 しかし、個別の何とかという先生が持っておられる方のペーパーについて、そういう御返事をしたのであれば、どこまで警察とお話をしてどうしたのか、あるいは捜査権の問題があり、プライベートな、プライバシーの問題があるからお話しできないのか、それはきちっと説明をさせましょう。
#333
○福島みずほ君 委員長、時間がないので。
#334
○委員長(中曽根弘文君) 銭谷局長、先に。
#335
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほども申し上げましたけれども、文部科学省では学校から上がってまいりました数字を集計をしているわけでございます。
 なお、警察庁からはもちろん警察庁調査の数字はいただいておりますけれども、個別の自殺の案件について、これはどうだ、これはどうだという突き合わせはしていないということを先ほど来申し上げているわけでございます。
#336
○福島みずほ君 放置をしていたという問題です。個別のケースについて聞いているのではありません。いじめについて、文科省が把握している実態が違うのではないかと思った。現にそうだったわけですよ。警察と違うのであれば、突き合わせて実態調査に踏み込んでくれと有権者の人が思ったわけです。どうしてもそれがタウンミーティングでも酌んでもらえないので、ただ文書に出しているじゃないですか、文科省は。これは個別のケースではありません。さっき局長が読み上げ、私も読み上げたとおり、はっきりと何で数が違うかについて、警察庁や厚生労働省の統計も参考にしつつ自殺の実態の把握に努めていると。
 今日の答弁で警察庁と連絡してないと言ったので驚いたわけです。文科省の一〇〇%の怠慢じゃないですか。いじめ問題について、じゃ警察庁はどうしてそういうデータになったのか突き合わせるべきじゃないですか。そもそも連絡もやってない。文科省は文科省のやり方と警察庁のやり方違うのは分かります。どうして食い違いが起きるのか。文科省はいじめの実態に迫るべきなんですよ。大臣。
 じゃ、なぜ連絡しなかったんですか。
#337
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど来申し上げておりますように、文部省の調査と警察庁の調査は、調査のやり方が違うわけでございます。それで……
#338
○福島みずほ君 そんなこと聞いてません。(発言する者あり)
#339
○委員長(中曽根弘文君) 静かにしてください。
#340
○政府参考人(銭谷眞美君) それで、数につきましては、きちんと警察庁から今年の自殺の数はこうですというのはもちろんいただいているわけでございますが、私どもとしては、どうしてもやっぱり長年の経験で、文部科学省の方の学校から来る数字が少ないという、そういう前提である意味ではずっと今日まで来たということでございます。
#341
○福島みずほ君 非常に問題なのは、本調査とともに、統計も参考にしつつ、自殺の実態の把握に努めていると言い、指摘を受けているんですよ。そうしたら、それは文科省はきちっと自殺の究明をすべきですよ。それをやらないで放置してきて、これからやりますと言うんじゃ駄目ですよ。自殺の問題に関して、(発言する者あり)いや、これについては、いや、もういい。これについては、自殺の、いじめの実態について文科省が本当に積極的にやってない。
 今日私が質問するのは、これを貴重な貴重な提言をした声を見事につぶしているということです、タウンミーティングで。封殺をした。文科省は、自分の都合のいいことをこう言え、ああ言えと指示し、右向け右、こう言えといって指示を出してお金を払って質問させる。本当に問題があると、貴重な声は握りつぶしてきたんですよ。言論封殺して、主権者の声に全然聞いてません。
 次に、大分のタウンミーティングについてお聞きします。
 これを見て驚きました。事前調査で、タウンミーティングに参加したい人は自分の意見を書く欄があります。それが一覧表になっていて、事前調査の中に、教育基本法は変えるべきではない、教育基本法を生かすべきだと、それだけ書いてあります。で、文科省が出している質問案の中には、初め三つ、教育基本法については書いてありません。しかし、メールの中に、最後の段階で、四つの質問の依頼した中に、教育基本法は変えるべきだと書いています。これが最大の問題点です。
 なぜ、事前調査で、教育基本法を変えるべきでない、むしろ義務教育国庫負担とかの声が多いですよ。でも教育基本法については変えるべきでない、生かすべきだという声しか寄せられてないにもかかわらず、なぜ文科省はそれと百八十度違う、教育基本法は改正すべきだという質問依頼をしているんですか。
#342
○政府参考人(金森越哉君) お答えを申し上げます。
 教育改革タウンミーティングにおける一連の問題につきましては、文部科学省におきまして、大臣の指示の下、私、総括審議官を中心に調査を進めているところでございます。
 御指摘のように、発言候補者の推薦を依頼し、発言のための資料を作成いたしましたのは、教育改革タウンミーティングにおいて活発な議論が行われるようにと考えの下、教育基本法の改正につきましては、賛否両論、幅広い意見が出るよう配慮する必要があると考えたのではないかと思いますが、これらの点につきましては、引き続きしっかりと事実関係の把握に努めてまいりたいと考えております。
#343
○福島みずほ君 既に公表されている資料で明らかです。事前調査票の集計では、教育基本法を変えるべきでないというものしかありません。ところが、依頼した文科省は、教育基本法を変えるべきだとなっているんですよ。捏造ではないですか。しかも、今日、活発な議論をいただきたく質問を依頼したなんということであれば、こんな委員会やってられないですよ。
 大臣、民意を百八十度ゆがめ、捏造する文科省の役人に愛国心はあるんでしょうか。国家を誤らせます。
#344
○国務大臣(伊吹文明君) 愛国心という言葉は御提案している教育基本法にはございません。
#345
○福島みずほ君 そんなこと聞いていません。愛国心があるのかと、じゃ、国を愛する態度、これがあるんでしょうか。
#346
○国務大臣(伊吹文明君) 先生が何度も何度も問題にされているように、愛国心という言葉を使う場合は、先生の考えておられる愛国心、私の考えている愛国心、文科省の諸君が考えている愛国心はみんな違いますから、一律にあるかないかということは申し上げられません。
#347
○福島みずほ君 だからこそ入れるべきではありません。
 私は民意を……(発言する者あり)いや違う、愛国心と入ってませんが、国や郷土を愛するということが入っているので同じことです。これ、このタウンミーティングで存在していない教育基本法を変えるべきだというのをお金払って想定質問でやらせた、これこそ教育基本法十条が禁止している教育に関する不当な介入そのものだ、不当な支配に当たると考えますが、いかがですか。
#348
○国務大臣(伊吹文明君) 教育基本法は教育について書いているわけで、タウンミーティングにとって書いているわけではございません。
#349
○福島みずほ君 いや、それはひどいですよ。これは教育のことに関するタウンミーティングで、教育基本法を変えるべきでない、生かすべきだというふうに、事前調査では出ていないにもかかわらず、教育基本法を変えるべきだと想定問答でやっているんですよ。これこそ、文科省がありもしない人々の意見を捏造して、お金を払って、うそのタウンミーティングをやったんですよ。これこそ問題じゃないですか。介入してるじゃないですか。存在してない意見を何で突然作るんですか。これこそ教育に関する介入で、存在していない教育基本法を改正すべきだという議論を捏造しているんですよ。(発言する者あり)
 いや、ここで、事前調査でないんですよ。申し込んだ人間の中にだれもいないにもかかわらず作っているじゃないですか。賛否両方聞くなんていうかわいらしいものじゃないですよ。ないにもかかわらずその場で作っていて、これこそ教育に関する不当な介入です。文科省がこんな不当な介入を続けていると、その中で行われる教育基本法の改悪など、どんな角度からも許すわけにはいきません。
 戦前の教育についてお聞きします。
 戦前の教育の問題点、教育勅語の問題点を教えてください。
#350
○国務大臣(伊吹文明君) これはもう、話し始めると随分時間が掛かりますが、私は戦前の教育がすべて悪かったと思いません。戦前の教育があったから日本は近代国家になったわけです。しかし、大変残念なこともたくさんあったということは認識しなければなりませんね。
 それは、戦争を遂行するために国家というものを余りにも重視し過ぎて、個人の権利その他が抑制をされたと。その反省に立って、戦後、現在の教育基本法ができたと理解しております。
#351
○福島みずほ君 田中二郎さん、そして当時の文部省の役人が作った本の中に、戦前の教育の問題点が書かれております。教育内容が画一的、形式的に流れたことや、道徳に関して決まった型に当てはめられ、知育の面からも一方的な知識注入教育が行われた。国家を唯一の価値の標準とし、国家を超える普遍的政治道徳を無視する教育を行った結果、武力崇拝の思想が教育の中に侵入してきたというものなどが反省点としてあります。
 教育勅語、これは何が問題だったでしょうか。
#352
○国務大臣(伊吹文明君) 教育勅語の中にも、私はいい、例えば家族愛とかその他の規範が述べられていると思いますが、私は一番のやはり問題は、大日本帝国憲法が公布される前に天皇陛下のお言葉という形で出された勅語、これが言うならば、戦前までの教育のある意味では基本法的役割を果たしてきたと。そして、このことは戦後の日本の政治体制、あるいは今先生がおっしゃった戦中の教育に対する反省等から見て、この天皇陛下のお言葉というものを基本に戦後の教育をつくるということは、これは戦後の日本の政治体制にそぐわないということになったから教育基本法を作り、同時に、その教育基本法が作られることによって、衆参両院の議決によって教育勅語というものは実質的に廃止されたということだと理解しています。
#353
○福島みずほ君 六月七日、堀尾輝久参考人が衆議院で述べていることに、近代国家は、人間の内面的な領域には国が関与しないというのが近代原則なのですと、極めて重要なことを述べておられます。人の心の中に国家は入ってはいけない、これはとても大事な近代の原則です。だからこそ、国を愛する態度、道徳というものが二条に書かれるということに関して、これは大変問題、極めて問題であるというふうに私は思います。
 というのは、人間は自分の頭で考えて自分で物が判断できる。今の教育基本法が言っているとおり、自主的な人間をつくっていく、自主的な人間が主権者として批判し合い、国家も場合によっては批判し、民主主義をつくる、これが国家を非常に誤らせない大きな方法です。にもかかわらず、文科省がやっているのは、こういうふうに答えろ、こういうふうに質問しろと、国民に命令をするものです。二条の中に書いてあることで国民の内面に国家が介入してくる、それを文科省は地でいっていると。いや、改正する前から、もう先取りして大いにやっているというふうに言えると思います。
 それで、教育振興基本計画もどうなるのかというふうに大変懸念があります。学習指導要領もそうですが、この中に、やはり内面に反することや個人の内面にかかわること、教育内容、環境整備ではなく、政府が教育の中身を決め、自治体が基本計画を決め、それが個人の内面を侵していくという危険性があると思います。
 教育基本法改定法案は、思想、良心の自由を定めた憲法十九条に明確に違反し、許されないということを申し上げ、私の質問を終わります。
#354
○後藤博子君 国民新党の後藤博子でございます。
 今日は、亀井郁夫先生の差し替えでこの質問に立たせていただきました。機会をいただきまして、ありがとうございます。
 久しぶりといいますか、初めてといいますか、入ってきたのでちょっと雰囲気がなじまない点もあるかと思いますし、また質問の内容が、先ほど来ましたので重なる点もあるかと思いますけれども、よろしくお願いを申し上げます。
 さて、毎日毎日とどまることなく自殺の問題やいじめの問題が新聞紙上からまた飛び込み、また報道関係から飛び込んできます。毎回毎回のことで、もう心が幾つあっても足らないぐらい痛めているのは私だけじゃないかと思っております。早くこのいじめの問題を学校現場からなくし、また学校だけではなくて、いろんな場所から、大人の社会の中でもいじめがありますし、そういう問題を早くこの日本というか、人間の社会の中から途絶えていければなと、毎日そういうことを考えている今日このごろでございます。
 今朝のニュースにもありましたけれども、教育再生会議では、教員の質や能力の向上を目指すための免許制の更新とか、免許の更新制の見直しとか、あるいはゆとり教育を見直して国語や数学の時間を増やすと、そういうことが朝のニュースで私の目に飛び込んでまいりました。
 ちょっと質問通達が早急になりましたので、前後する場合もありますし、ちょっと質問通達がないところでまた質問が少しさせていただくかもしれませんけれども、御了承ください。
 そして、今の続きですけれども、大臣がお考えになっておられます教員の質とか能力とかいうものはどのようなものを考えていらっしゃいますでしょうか。
#355
○国務大臣(伊吹文明君) これは大変難しいと思いますけれども、まず子供を教えるということに対する情熱、それからある程度の規範意識を持っていること、そして子供を教えるだけの最低限の学力を持っていること、同時に社会の一員としての調和できる気持ちというんでしょうか、一方的に人を責めないとか、こういうことが大切な要素だと思います。
#356
○後藤博子君 ありがとうございます。
 今大臣がおっしゃっていただきました教員、先生方、現場の先生方と私もよく話をすることがありますし、友達のその子供さんが小学校の先生であったり中学の先生であったりしております。そういう先生と話したときには、今大臣がおっしゃったような情熱だとか規範意識だとか学力とか調和とか持っている先生が多いんですね、現場の中に。そして、ですけれども、いじめがあったり、学校の先生の責任が問われたり、あるいは校長先生の責任が問われたり、そういうことで先生自身も自分自身の命をなくしてしまうというか、自殺をしてしまうような、そういう学校の現場があります。本来、先生方が、いじめがあったからその先生を追及していく。もちろん、先生の落ち度といいますか、至らなかった点もあるかもしれませんけれども、大半の先生方が、現場の中では一生懸命にやっておられる先生方が多いです。
 先日もある先生と東京でお会いいたしまして、現場の声を聞きました。先生方は生徒と本当に触れ合っていきたいんだと、生徒と授業を通してでも、あるいは放課後でも。その先生は、朝、学級の生徒の顔を見ただけで、ああ、今日は何かあったかなとか元気がないなということをすぐ分かって、一日その生徒の顔色を見ながら、声を掛けていきながら、その生徒のケアをし、また心をほぐしていくということをやっておられますけれども、こういう先生方がたくさんおられる中で、先生がおっしゃるには、自分の能力とか自分の先生としての、教師としての限界は、数からいえば、三十人とか四十人学級ではなかなか一人一人に対応できる自分の理想とする教師ということができないと、そういうことがありまして、是非、その先生方が言われるのは、自分が教える生徒の数は教室が三十人、四十人を二十人学級にしていただければ一人一人にもっともっときめの細かい対応ができるということをおっしゃっておられました。四十人学級からもう半分になる二十人学級にするということは思い切った政策展開をしていかなければならないと思っておりますけれども、その学級で子供たちを見るためにはそのくらいの場所と時間が必要だということ。
 そして、先生方のもう一つの主張といいますか、お聞きしたことは、学校の事務がすごく多過ぎて、こういうことまで私がやらなきゃいけないのというようなところまで学校の担任の先生が多くをやっていらっしゃると。だから、事務的な補助してくれる教員といいますか、事務員といいますか、そういう人がそばにいれば書類の整理だとか、いろんな細かなことはその方と一緒にやっていけると。だからそういう補助教員、補助的な事務的なことをしてくださる方がいればこの学校の問題、いじめの問題ももっともっと解決に持っていけるんじゃないかということをおっしゃっておられました。これは先生方一人じゃなくて多くの先生方から意見をいただきました。
 これについて、四十人学級から二十人学級にすること、それから職員の学級の事務補助員を付けること、そういうことについてお考えがあればお聞きしたいと思います。
#357
○国務大臣(伊吹文明君) まず、学校の先生の多くの方は一生懸命努力をしておられる。しかも、昭和二十年代、三十年代のように核家族でもなければ共働きでもなく、学校現場に今期待されていることの多くを家庭教育の中でやっていた時代とは違いますから、だから大変だということはよく分かります。そして多くの方が、多くの先生方は立派にお仕事をなすっておられるからこそ、ああいう事件が起こると大騒動になって新聞に出るんですよ。こんなことが当たり前のように起こっていたらニュースになりませんよ。だから、まず学校の先生はそういう立場でも頑張っておられるということはみんなでやはり確認をしてあげないといけないですね。
 その上で、それは先生がおっしゃっている二十人学級や一人ずつセクレタリーを付けろという話は、それはまあ理想だと思いますよ。しかし、それには膨大な国民負担を必要としますね。そことの折り合いをどう付けながら現実を動かしていくかということですから、教育は教育の現場だけでは、現場がいいという理想論だけでは論じられないんですよ。裏にはやはりその費用を負担してくださる納税者の理解というものがなければなりませんね。そして、多くの納税者が今持っている気持ちは、これは納税者というのはみんなそういう気持ちを持つんです。福祉の現状について不満だ、そして教育の現状について不満だというお気持ちを持っておられますから、そのお気持ちを少しずつでも和らげていくことによって負担を求めるという素地をやはりつくっていかないといけないわけで、先生がおっしゃっていることは、そのことだけを取り上げると理想ですが、そのことだけで社会は動かせるわけではないということも御理解いただきたいと思います。
#358
○後藤博子君 ありがとうございます。
 そのとおりですね、大臣。私たちもそれだけではないと思っておりますが、どこから手を付ければいいのか、何をすればいいのか。大臣もコメントを出していただいたり、自殺をするという予告に対してもコメントを出していただいたり、それによって助かった生徒もおられるし、またその後、じゃそれでなくなったかといえばまた自殺が起こってしまうという、もうこれはどこをどう触っていけば本当にこの社会からそういう問題がなくなっていくのかということは、本当に答えはないかもしれませんが、しかし私たちは、そういう中でも何とかそこに対策を講じ、手を差し伸べ、そういうことをやっていかなければならないということの苦しさはございます。
 ですから、先生の質が悪いとか、先生の質ということを、そこだけを見るのではなく、先生方がいかに自分が持っている能力を発揮できる学校の現場、学校の環境の質を逆に整えていくかということになってくるかと思っております。
 ですから、何か起こったら、学校の先生と父兄とか、先生と教育委員会とか、校長と何とかとかいうふうに、もうすごく鋭い線でつながっているように思うんですね。これはちょっとイメージ的な問題で申し訳ないんですが。そのつながりを、たくさんつながっていけば、先生同士でつながり、教育委員会と先生がもっともっとつながり、父兄と教育委員会、学校がもっともっとつながっていって、線だけのものを面ということでとらえていって、子供たちを真ん中にした包み込むような社会ができていければいいと。これはちょっと抽象的で申し訳ないんですけれども、そういう思いがしてなりません。
 それで、子供たちにとって、教育委員会と先生とか、校長と教育委員会とかいうことは、子供たちはその中におりませんが、子供たちにとって居心地のいい場所、安心していれるとても気持ちのいいところ、それは私はやはり家庭ではないかと思っております。まず家庭があって、地域があって、社会があってという、その家庭そのものが今はだんだんだんだん親子のつながりさえも薄くなっていくような、そういう社会になっていってしまっているような気がしてなりません。
 私が聞きたいことというのがなかなかうまく表現できずに質問に立ってしまっているんですけれども、そういう先生方と教育委員会と学校と国と、そういうものを結ぶもののつながり、それは大臣や皆さん方がお考えになっている、そのつながりを強化するためには何をすればいいのかということにお考えがあればお聞きしたいと思います。
#359
○国務大臣(伊吹文明君) これはやっぱり非常に難しいと思いますが、一人一人が、今先生がおっしゃったように、日本の未来を担ってくれるであろう子供に対して常に関心を持って、学校、地域社会、そして家庭が、先生の言葉で言えばくるんでいくというんでしょうか、そういう気持ちを持ち続けて、それは教師も、共働きの御夫婦も大変だと思いますけれども、みんながそういう意識を持って自分のできる範囲で最善のことをしているという姿をやっぱり見せるということだと思いますね。
#360
○後藤博子君 ありがとうございます。
 今日は、私も急に昨日ちょっと質問作ったものですからなかなか細かいところまでできていないんですが、私も今まで少子化対策委員会だとか教育の文部科学委員会だとか、いろんなところで主張をしてきたことがあります。
 やはり子供が生まれて、せめて十年間やはり家庭による、お母さんによる子育て、そしてそのお母さんを国や周りが支えていくシステム、そしてお母さんが、子供がある程度育っていったらまた社会に帰っていって仕事をしていけると、そういうところにもっともっと国は時間もお金も、その補助というものを、手を差し伸べることが必要ではないかと思っております。家族の手当だとか児童手当だとか、いろんなことが手当としてありますし、エンゼルプランとか、自民党のエンゼルプランとか、私も自民党にいましたときにもいろんな問題に対して携わってきました。
 お母さんが、母ということは、母に限定してしまうとまたこれ問題がありますが、誕生して母による子育て、そして子育ての場が家庭である、その家庭が今壊れつつありますが、その母の子育てに時間と予算、お金を費やしていただけるような対策を講じていただければ大変私は有り難いし、お母さん方にとっても有り難いことだと思っております。
 そして、先日、私が考えていることはもしかしたら古いのかなと思って、三十代前後のキャリアウーマンと言われる、もう第一流の、第一線の現場で働く女性たちを集めて話を聞きました。中には、三十九歳で独身でばりばり仕事しておられます、決してぎすぎすしていることなく、すてきな女性もおられました。でも、集まってくれた方十二人がすべて同じことをおっしゃったのは、いや、私たちは決して仕事をしたいんじゃないと、もし結婚する相手がいて、結婚をして、家庭に入って子供を産み育てられるような環境であるんであれば今すぐ結婚したい。まあそれには相手が要るので、なかなかその理想的な相手にはぶつからないんですけどとおっしゃっていましたが、働く女性たちは必ずしもずっと働き続けることを望んでいるのではなくて、やはり母として子供を産み育てられるような、女性としても成熟していきたいという、そういう意見が言われました。
 だから、是非そういう社会をつくっていただきたいと思うんですけれども、今私が申し上げましたように、誕生してせめて十年間、お母さんによる子育て、それを支援する国の体制づくりということについて、大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
#361
○国務大臣(伊吹文明君) 非常にいいことだと思いますが、先生、先生は国がと、こうおっしゃいましたが、封建時代は一方的に年貢を取り立てて、国というかお殿様が勝手に使うということはあるんですよ。でも、今はお殿様は、主権在民ですから国民なんですよね。国民が多くを望めば、それだけの国民は負担をしなければならないです。だから、十年間、例えば今共働きの人を御家庭に置いて、その間の共働きの収入を保障するということになると、これ膨大な費用が掛かるんですよ。市場経済で我が日本社会は動いていますから、一応原則としてはノーワーク・ノーペイですよね。
 私は、やるべきことは、やはり労働基準法その他を見直して、例えば共働きの方は二歳ぐらいまでは六時まで、あるいは五時までの八時間労働を厳守させるとか、そういうことはいいと思いますよ、私はね。大いにこれから検討課題としてやるべきだと思いますし、また子育ての二年間ぐらいは育児休業を取られたら、後、職場へ戻れるような労働法規を整備するとか、これはしかし、経営者サイドの合意がなければできませんよ。そういうものは私はむしろ積極的にやるべきだと私自身は思っていますが、十年間、国がとおっしゃるその国というのは納税者がという言葉に置き換えてお考えになると、ちょっとなかなかにわかにすべての納税者がオーケーを言うとは私は思えませんけどね。
#362
○後藤博子君 ありがとうございます。
 納税者がというと私たちがということになりますよね。だから、私たちがそういう子供たちを私たちの手で育てていく。日本の将来、未来を考えたら、やはり子供をどこがどう育てていくか。その育てる場所は家庭であっても、それを支えるのが納税者というか地域社会。そして、その納税をするその国というものがあると思うんです。
 大臣のお言葉の中に、よくお金の問題とか、やはり費用の問題を先ほども言われました。そういうことも大事ですけれども、やはりそれは経済を優先するということとちょっとまた違うかもしれませんけれども、そういうことではなくて、母といいますか、母性を大事にする、その経済優先、大臣のお言葉に反論するんじゃなくて、経済優先社会からやはり母性を大切にする社会へ切り替えていく、その努力を私たちはしなければならないと、そういうことを申し上げたいと思っております。
 あと一分ありますが、そういうことで、大臣、どうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。
#363
○国務大臣(伊吹文明君) お考えは私は全く反対じゃないんですよ。今先生がおっしゃっていることだけを聞けば、有権者の皆さんはみんな大変いいなと。しかし、そのために要する費用が、あと消費税を一〇%上げますよと言ったら、多分全員反対されますよ。だから、そこのバランスをどう取りながらやっていくというのが現実の政治じゃないだろうかと。
 だから、先生がおっしゃっている理想へ少しずつ少しずつ、例えば、増税をしなくても、労働法規をやはり経営者とか話しながら変えて、子供さんを持っておられる、二歳までは五時以降の超過勤務は原則禁止だとか、そういうできるところから手を付けていかないとなかなか理想論だけでは動かないじゃないかという感じは持っております。
#364
○後藤博子君 分かりました。ありがとうございます。
 理想を追い続けること、私たちはしっかりやっていかなきゃいけませんし、そういうことによっていじめがなくなると、そういう社会をつくっていきましょう。よろしくお願いします。
 ありがとうございました。
#365
○山下栄一君 今日はいじめ問題等についての集中審議ということをお聞きしておりまして、いじめ問題を中心に御質問させていただきたいと思いますけれども、その前に何点か確認したいことがございます。
 一つは、この教育基本法の法的な性格、これちょっと法制局にお聞きしたいんですけれども。我が党は、教育基本法というのは準憲法的性格を持った非常に重たい法律だという考え方で取り組んでまいりました。そういう学説もございます。それで、最高裁のよく引用されます昭和五十一年の旭川学テ判決におきましてそのことに触れておられるところがございます。教育基本法は、憲法において教育の在り方の基本を定めることに代えて制定されたと。まあそういう観点から私たちは憲法に準ずるような特別の性格を持った法律が教育基本法だと、こういうふうに考えておるわけですけれども、法制局長官の御見解をお聞きしたいと思います。
#366
○政府特別補佐人(宮崎礼壹君) お答え申し上げます。
 教育基本法は、その前文におきまして、日本国憲法の精神にのっとりこの法律を制定すると規定しておりますように、日本国憲法の精神、理念を教育において具体化するために制定されたものであり、また、その内容におきましても、日本国憲法と密接に関連する重要な法律であると理解しております。御指摘の旭川学力テスト判決が代えてと判示しておりますのも、基本的には今述べたようなこの法律の特色を指摘したものだと考えております。
 しかしながら、教育基本法も、国法の形式としましてはあくまでも法律でありまして、その形式的効力におきましては他の法律と異なるものではないと考えております。ただ、基本法という形式の法律の特色といたしまして、国政における重要な分野につきまして他の個別法律の解釈、運用に当たっての指針を示すといった役割をこの教育基本法も有しておりますことは明らかでありまして、この趣旨は、御指摘の最高裁判所の昭和五十一年のいわゆる旭川学力テスト事件判決におきましても、教育基本法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力を持つものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教育基本法の規定及び同法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきであると判示されておりますところだと考えております。
#367
○山下栄一君 現行の教育基本法は、前文では「われらは、」というふうに主語がなっております。改正案の前文の表現は「我々日本国民は、」と、また、これは憲法も「日本国民は、」というふうに書いて、前文ですけれども、あると思いますけれども、私は教育基本法も憲法も、国民の総意として教育基本法を定めると、教育宣言的なそういう趣旨を持った法律ではないかなというふうに思っております。具体的なこの条文一つ一つが法的拘束力を持つというよりも、国民が総意として教育の基本的な考え方を示したと、そういうふうに理解しておるわけでございます。だから、場合によっては三権に対してもそういうことを、統治機構ですけど、確認すべきだということを国民が総意として表現したと、こういう理解をもしておるわけですけど。
 この点は法制局長官、答えにくいか分かりませんけど、答えられる範囲で答えてください。
#368
○政府特別補佐人(宮崎礼壹君) 先ほど申し上げたとおりでございますが、三権という、特に行政権に対して法律はその規範性を示すものでございますので、それに、先ほど申し上げたように、各個別、教育の分野におけます個別法律の解釈、運用についてその主導的な指針を示すという規範的な意味合いというのは、その行政権に対して持たれるということは言うまでもないと存じます。
#369
○山下栄一君 行政権に限らずということを言いたかったんですけど、限界あると思います。長官、後の御予定をある程度お聞きしておりますので、どうもありがとうございました、結構でございます。
 二点目に、学問の自由。これも先ほど櫻井委員おっしゃっておりましたが、私はちょっと角度が違うんですけれども。
 学問の自由は憲法の言葉でございます。学問の自由は、これを保障すると。無制限の内心の自由にかかわる表現、場合によっては学問、教育の自主性ということを表現したのかなというふうにも思うわけでございます。学問の自由は、これを保障すると。これはもう絶対的な権利だと、基本的人権だということを憲法に書いてあるわけでございます。この扱いを、現行では第二条、教育の方針のところに書いてございますし、改正案では、教育の目標の一号から五号をもう前提として学問の自由を尊重しつつと、こう書いてあるわけでございます。
 いろいろな議論があったと思うんですけども、例えば七条でしたか、大学のところに学問の自由を書くという考え方もあり得る、またあったかも分かりません。しかし、あえて総論、第一章、教育の目的と理念、こういう改正案でそうなっておりますが、特に第二条の冒頭に、個々の目標の前提として学問の自由を尊重することは大前提なんだよということを表現した重みは私は小さくないと、このように意義を見いだしておるわけでございますけれども、これについての大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
#370
○国務大臣(伊吹文明君) 一条の目的を達成するために二条の目標に向かって努力をするわけですが、その二条の目標すべてに学問の自由というのは掛かっているわけですから、大学だけに学問の自由があるわけではなくて、後に規定されるもろもろの教育においてもすべて学問の自由というのは保障されるという意味では、先生がおっしゃったことは非常に大きいと思います。
#371
○山下栄一君 いじめ問題に移りたいと思います。
 このいじめ問題にはもう本当に私は、単に文科省とか教育行政という、今日はもう少子化大臣も来られておりますけれども、もう各省庁もそうですし、これはもう国民一人一人の意識改革、働き方の在り方も含めまして、大変な大きな問題提起をしている深刻な課題だというふうに思っております。
 先日、十一月二十七日の当委員会でも私この問題質問させていただいて、教育行政が余り機能してないのではないかという観点から質問させていただきました。それで、再生会議も有識者一同という形でメッセージを送っておりますが、このことについては余り今日触れません。具体的には後ほど触れますけれども。
 今度は、今日、池坊副大臣来ていただいておりますけれども、文科省におきましても対策本部ですか、子どもを守り育てる、後から副大臣にちゃんと答えていただきたいと思いますけど、推進本部ですかね、そういう本部をつくって、その下で有識者会議をつくって、池坊副大臣が指揮の下と。有識者会議がつくられておりまして、そこでも十二月四日に中間、緊急のいじめ問題についての提言ですか、提案ですね。こちらの方、これも提案されて、これも有識者会議の名前でございます。
 同じ有識者なんですけれども、トーンが全然違うと。私は、この文科省の方の有識者会議の提案の方がまともだなと。再生会議の方は、有識者会議の名前で、言っていることはもう行政そのもののことを言っている。ちょっと何かちぐはぐな感じを受けました。そのことについてはもう先ほども言いましたから触れませんけど。
 この有識者会議を含めて、文科省で取り組んでおられるいじめ問題、これ今後どのように取り組まれて、国民へのメッセージという形、余り私は通知とかそういう形でやってほしくないんですけど、そういうことはもう飽き飽き最近していると思いますのでね。参考になるようなアドバイスという形で有識者の皆さんが言っていただくことが大事だと思います。非常に私も賛同する。これ、単に学校の問題だけじゃないと、福祉も含めて、場合によっては司法関係も含めて、警察も含めて、もう地域ぐるみ、総力を挙げて各地域の地域資源を総動員してこの問題に当たっていこうというようなことも提案されておりまして、非常に私も共鳴しておるわけでございますけど、今申し上げましたこれ、どのようにして今後方向性を示されていくのかということを副大臣にお聞きしたいと思います。
#372
○副大臣(池坊保子君) 私が本部長をいたしております子どもを守り育てるための体制づくりのための有識者会議、まともだと言っていただきまして安心いたしました。
 私どもは三回会合を開きまして、月曜日の日には様々な問題を抱えております中学校も視察してまいりました。兵庫教育大学の先生でいらっしゃる梶田先生を座長として、抜本的に、表面的に突発的ないろんなアピールではなくて、根本的にいじめを解消するにはどうしたらいいかを地味な努力の中で積み上げていきたいというふうに思っております。
 この間、中学校を視察いたしまして、四つの提言を緊急ということで提案をいただきました。
 その一つには、二十四時間体制の子ども一一〇番というような体制づくり。これは安倍総理も文部科学大臣も言っていらっしゃいますが、夜になりますと子供はやっぱり沈むんじゃないか、今まで二十四時間がございませんでしたから。これは補正で対処できるというふうに考えております。
 また、子供たちは、学校の先生とあるいは保護者以外に大人とかかわる場が今はなくなってまいりました。で、大人たちと学校の空き教室とかいろんな場で大人とかかわれたらいいんではないか。これは十九年度の予算の中で放課後子どもプランがございます。これは、厚生労働省が百九十億、文部科学省が百三十億、地方自治体千億です。すべての小学校、すべての子供たちにということで今考えております。これも知恵を出したらいいものができるのではないかと思いますが、中学校、本来はこういうことをしたいと思っておりますので、これは予算がございませんけれども、拡大できるように二十年度などには財務省にも交渉していきたいと思っております。
 それからまた、緊急時に精神科医や警察、児童相談所など外部の専門家チームが学校を支援する仕組みの構築、これも大変大切だというふうに思っておりまして、これは山口などにいい事例がございますので、これを参考にしながら全国的に広げていきたいというふうに思っております。
 四つ目には、実態を把握し分析するとともに、良い取組を共有することが必要だと思います。先生方は、いじめが分かってもどのように解決したらいいか分かっておりませんので、その辺を、これは教育委員会や学校との連携の中で、予算はなくてもできることでございます。文部科学省の中でいじめ相談所というホームページを作りましたら、これが何と十日間の間に五千三百五十二件クリックされました。子供たちはそれだけ悩みが多いのだと思いますので、こういうことを積み重ねていきたいと思っております。
#373
○山下栄一君 今、予算の手当て、そしてまた良い取組を事例集等で紹介していこうという、私はそういう在り方が教育行政として大事だと。評価してチェックして萎縮させるんじゃなくて、サポートしていく、応援をするということが今一番現場が求めているのではないかと。そういう意味で、この予算の観点とか、それからいい事例を紹介していくという取組は大事な取組だというふうに思っておりまして、御報告ありがとうございました。
 それで、先ほどの再生会議の中に出てくる話なんですけど、小中学校、義務教育で懲戒の基準を学校として明確にして、毅然とした態度でやるんだと、対応でしたか、そういう表現がございます。
 これは、私は内閣官房長官に聞くものじゃないんですけど、要するに文科省として、これ学校教育法にあることだと思いますので。小中学校で懲戒という言葉は余りふさわしくないのではないかと。現行の学校教育法ではそういうことを児童生徒に適用できるような条文がございますけれども、懲戒の基準を学校でつくって毅然とした対応を取れみたいなことを、それは、まず懲戒という言葉はもう別の表現に今度改正するときに変えてもらいたいなと。昭和二十二年当時そういう表現あったのかも分かりませんけど、ちょっとなじまない言葉だなというふうに思いますし、この点、いかがでしょうか。
#374
○政府参考人(銭谷眞美君) 学校教育法の十一条には児童生徒の懲戒についての規定があるわけでございます。懲戒といいますと、子供に対して懲らしめ戒めるということになるわけでございますけれども、やはり子供たちに対して教育的な観点から指導を行うためのこの懲戒ということは必要な場面があるわけでございます。
 懲戒には二種類ございまして、事実行為としての懲戒と、言わば子供の法的な地位に変動を及ぼすような法的効果を伴う懲戒があるわけでございますが、公立の小学校、中学校では退学とか停学という処分はできないというのは先生御案内のとおりでございます。したがって、公立の小学校、中学校では、いわゆる対外的に校長名で処分の表示などを行う訓告ということが懲戒としてはあるわけでございます。
 今後とも、懲戒ということはやはり教育指導上必要な場合がございますので、これはきちんと配慮をした上でやはり今後とも必要なものと考えております。
#375
○山下栄一君 これ行政処分じゃないですよね。出席停止はこれ行政処分、ちょっと別の話になりますけれども、出席停止というのは小中学校でもあり得るわけですね。これは、大臣はこういうのは慎重にやらないかぬのだという御発言をされて、私も同じ考え方でございますが。
 小中学校における出席停止は、これ行政処分になるんですね。
#376
○政府参考人(銭谷眞美君) 今お話のございました小中学校における出席停止は、いわゆる懲戒処分ではなくて行政処分でございます。
#377
○山下栄一君 小中学校で、公立なんですけど、確かに一面、学校も市町村教育委員会という教育行政機関の末端の組織という一面はあると思いますけど、学校は行政機関というイメージで余り、そういう場面も確かにないことはないんでしょうけど、何か学校は行政機関であり、校長がその仕切り役みたいなイメージの、そういう出席停止とか懲戒とか、そういうことは本来教育になじまないと、そういうふうに私は思います。
 校則ってありますよね、これは校則というのは法令の一番最末端のものなんでしょうか。公立の話ですよ、これ今言っているのは。だから、もう最初は学校教育法から始まって施行規則があり、告示があり、通知もあると。教育委員会は教育委員会で教育委員会規則があると、学校管理規則もあると。その辺までは確かに法的拘束力のあるルールかも分かりませんけれども、学校の校則というのは行政機関といえども、これは法令じゃないですよね、法令という形式じゃないですな、学校の校則の話をしています。
#378
○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆる校則というのは、それぞれの学校で定めるものでございます。呼び方もいろいろございまして、例えば生徒心得というふうに呼んでいるような学校もございますし、何とか中学校校則というふうに呼んでいるところもございます。言わば学校の教育を実施していく上での、最終的には学校長が定める生徒の行動の仕方についての定めということになろうかと思います。
#379
○山下栄一君 だから、法的拘束力のある法令の一環の形式じゃないでしょうということを確認してください。大事なことなんでちょっとお願いします。
#380
○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆるきちんと法的な拘束力があるものとしては学則というのがございます。それは、その学校の学習の期間とか単位は何単位取らなきゃいけないかとか、そういうのはあらかじめ学則という形で学校が決める、これは法的拘束力ありますが、いわゆる校則というのはいろんなものがございますので、それは決め方によるというふうに思っております。
#381
○山下栄一君 学校の校内の教員の秩序ということにかかわるかも分かりませんけれども、校則とよく言うでしょう、制服とか、派手やとか。それは法的拘束力がないでいいんでしょう、もう一回聞くけど、ないんでしょう、これは。校則で縛るんですか、それ。制服の話しました、今。制服の話ですよ。
#382
○政府参考人(銭谷眞美君) ですから、決め方によるということでございます。
#383
○山下栄一君 こんなこと議論していたら、やっぱりちょっとなじまないと私は思います。学校でいろいろルール作る、生徒と先生が相談しながら作っていく、一方的に作るんやなくというようなことも私大事やなと思うんですけれども、そういうところに、何か悪さしたら校長先生が怒られますよみたいな、そういう懲戒というような言葉は余り言わぬ方がいいと。それは私は学校教育法を改正するときによく考えていただきたいなと思います。
 学校は行政機関という性格が公立だからあるけれども、その色合いはできるだけ少なくするような運営をしないと、もう窮屈で、前も言いましたけれども、創意工夫とか活力なんか出てくるはずがないと思います。
 それで、この小中学校の、公立の学校の管理運営の最終責任は市町村教育委員会にあると、現行法上、市町村の教育委員会にあるということをこの前確認させていただきました。学校の管理運営は市町村教育委員会に責任があるんだと、管理運営責任ですね。
 それで、いじめ問題なんですけれども、特にこのいじめ問題の対応は本当に今、子供の状況が変わり、社会が変わり、非常に難しい状況だと思います。しかし、私は、校長先生の対応とか教育長さんの対応を見ながら、前もお話ししましたけれども、本当にかわいそうな対応になってしまっていると。責任を取らないかぬけれども取れないみたいな雰囲気でやっておられる。私は、責任取れるような体制になっていないんじゃないかというふうに思っております。学校の管理運営の責任、責任ですよ、権限じゃありません、責任は市町村教育委員会にあるということに法令上なっておるけれども、それに見合う権限も体制もできていないと、だからあんな対応になってしまうと。これ何かすっきりせぬなということになってしまっているというふうに感じるんですけれども、大臣はどのようにお考えでしょうか。
#384
○国務大臣(伊吹文明君) そのとおりだと思いますね。
 それと同時に、国においても責任をいろいろ国会等で問われるわけですが、通達、通知、依頼その他いろいろなことをやっておりますが、やはり市町村の教育委員会は、学校の先生に対する人事権ありませんよね、基本的には、お気の毒なことだけど。これは県が持っているわけですから、法令上ですね。ですから、先生がおっしゃっているように、非常に気の毒な立場にありますよ。
 それと同時に、国も私はやや、行政を浸透させていく上には、国家管理的なことを申し上げているわけじゃないんですが、やややはり少し難しい立場にあるんじゃないかなという気がいたしますね。
#385
○山下栄一君 率直にお述べいただいてありがとうございます。
 要するに今は、今大臣がおっしゃったとおりやと思います、市町村教育委員会に学校の管理運営責任はあると。いじめで自殺事件が起きたら、責任取らないかぬというふうになっているんですね、法令上は。しかし、それは取れぬ、取ろう思うても取れないというふうな法律にしてしまっている面があると。これは地教行法の欠陥だというふうに思いまして、これは改正せないかぬと思います。
 それで、大臣おっしゃったように、責任に見合う権限を与えないかぬと。与えてもらったら困ると言うかも分かりませんけど。だけれども、権限を与えて初めて責任が追及できるわけで、責任を取れる体制、その責任は一体だれに向かって取るんだと。それは、そこに通う子供であり、保護者だと思うんですね。
 それで、このことをちょっと大臣にお聞き願いたいんですけど、この対応は本当に、責任取ろうと思いますと、もう責任取れるようなことを学校だけではとてもできないというふうに思いまして、この前、第三者機関の助けが必要ということを申し上げました。だけど、学校におけるいじめが原因で自殺しましたということを校長先生が認めたり教育長が認めたりするケースが出てきております、最近。それも、せぬと騒いで、マスコミも騒いでそういうふうに追い込まれてそうなってしまっている面があるというふうに感じるんですけどね。
 保護者の方は真実を知りたいと。うちの子供が何で自殺したんだと。認めてくれたかしらぬけれども、それは、何でそんなことになったのかという真実を知りたいと。なぜ死ななきゃならなかったのかと。いじめをなくす闘いをしたいと。この前も福岡のお父さんおっしゃっておりました。一生息子の死と向き合って生きたいと、もうもどかしくてたまらないと、こういうことをおっしゃっておりました。
 このような言葉にストレートに受け止めようと思いますと、これは今の時代状況、大変なことだなというふうに思います。そういう学校にほかの子供たちは、ちゃんと対応してくれないんだったら学校に行かせられないなと。不安を抱えつつ、ほかのお母さんも、いつ自分の子供がそうなるか分からないと。どんな子供にも起こり得るという考え方の下に立った責任の体制をつくらないかぬと思いますし、そのためには私は、教育行政だけではできないんではないかなと。原因は、今もう子供を取り巻く環境は全く変わっておりますし、そういうことを感じるので、先ほどの池坊副大臣おっしゃったああいう提言は非常に大事だと思うんですけれども。
 まず私は、この前も申し上げましたけど、再度確認したい。大臣にこれ確認したいんですけれども、とにかく調査すると、何でそうなったのかの調査すると。調査は学校でやらざるを得ないと。学校は、だけど、市町村教育委員会が管理運営責任持っているわけですから、その委任を受けて校長先生はやるわけで、校長は責任取れないと。だから、市町村教育委員会というもの、教育委員会というのもまたこれ、どこに責任があるか分からないような仕組みになっていると、合議制でね。それで、教育委員会は現場におりませんから、報告を受けるしかないと。私は、そういうときは教育委員長が学校に行って一緒に調査したらいいと思うんです、そこに責任があるというんだったらですね。
 そんな体制にもう、中途半端にやっても自分に降り掛かってくるからなかなかできない、責任も取れない、権限も与えられていない状況になってそうなっていると。調査も、これは内部調査というふうに私は思うんですね、学校における。教育委員会も一緒やと思います。学校の校長の上に教育委員会いらっしゃるわけです。同じこの行政機関ですからね。教育行政機関ですから。
 そこで、学校の不祥事ですよね。不祥事を内部調査しても、その亡くなったお母さんが、保護者が納得できるような調査なんてできるはずがないという、調査の限界があると思う。だから第三者機関の助けをかりてという言い方をしましたけど、恒常的にそういう委員会をつくるかどうかはちょっとまたこれは、これはこの前、塩崎官房長官に御検討をいただくことをお約束していただきましたけどね。子供の人権を守るためにそういう、学校に来い言われ、就学義務を課して預かっているわけですから、そういう事件が起きたときにちゃんと調査できるような体制をつくらないとこれは責任果たせないと、果たせる仕組みはこれは私はないと思います、今は、日本のこの教育行政体制の中では。
 私は、小中学校、義務教育のことを言っております。責任は市町村教育委員会にある。だから、そういう問題意識を私は持っているんですけれども、両親や保護者たちが説明会開いてやっていますよ、いろいろ集めて。それはもうやらにゃいかぬからやっているという。納得してどれだけやっているか分かりませんけど、物すごく中途半端で消化不良で終わって、一回二回やって終わっているみたいな。責任ある調査をして、列車事故の事故調査委員会みたいにきちっと調べて、第三者委員会がつくってやる責任が私は教育行政にあると思うんですよ。
 それは、最終責任は市町村教育委員会いうんだったら、そこで責任取れるような体制、地域資源も総動員して、先ほど池坊副大臣もおっしゃいました。そして、調査をして、精一杯の誠意を示すと。そこまでやってくれるんだったら、安心して子供を預けられるようなことをやらないと、もう逃げ腰でやっていたんではこれは駄目だというふうに思います。
 それで、大臣にお聞きしたいのは、改正案の十六条でございます。これは前も申し上げましたけれども、教育行政は「公正かつ適正に行われなければならない。」と。教育行政は公正かつ適正に行われなきゃならないと。だけど、今はとても公正と言えない。調査の在り方もそうですし、責任の取り方も全部あいまいになっていると。校長も市町村教育委員会も県教育委員会も文部科学省も、全部責任あいまいにするような形で教育行政が行われているから、いじめによる自殺事件が起きたときにおろおろする対応しかできないと。それだったら初めから就学義務を掛けるなよということになっていくのではないかと思います。
 安心して、そういう体制をつくる必要があると思うんです。そうでないと、教育行政は公正かつ適正に行われなきゃならないという言葉は空文化していくというふうに、公正でも何でもない、適正でも何でもない実態が今の日本の、特に小中学校のいじめ事件の、自殺事件に対する対応が表しているのではないかと、このように私は思いますけど、大臣はいかがお考えでしょうか。
#386
○国務大臣(伊吹文明君) 今度の改正案にもありますが、「不当な支配に服することなく、」というのはまず出てくるわけですね。で、「不当な支配に服することなく、」ということを考えると、国と地方公共団体の適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正にという文言を引きずってくるわけですね。ですから、国が関与する、あるいは地方自治体が関与することによって「不当な支配に服することなく、」ということを避けようとして、結果的に公正かつ適正なという文章を引っ張ってきて、結果的にだれが決断力とその責任を持ってやるかということが、今のこの教育行政の流れの中だと、最終的な責任と権限というのは非常にあいまいになっているというのは、私は先生の御指摘、当たっていると思いますね。
 ですから、この法律というよりも教育委員会に関する法律を今後どう改めていくかということは非常に大切な御指摘だと考えております。
#387
○山下栄一君 大切な御指摘は有り難いんですけれども、自殺したお父さん、お母さんの叫びにこたえられる体制をつくれないんだったら、それは責任果たせませんという責任放棄になっていくと思うんですよ。それやったら、もう公立全部やめる方がいいと。
 だから、そういう憲法の教育を受ける権利を保障してそういうことをやるんだと、これつくる以外にないと思う。できなかったらいろんな力をかりて、そして私は、自治事務だし、設置責任者は市町村なんですから、市町村教育委員会ができるような仕組みをつくり上げる以外にないと、全力を挙げて。そうしないと、この問題はもうずうっと続いて、いつもあり得ることですし、いつもお父さん、お母さんには学校を信任して預けているのに責任が取れないような状況になってしまうと思うんですよ。
 この適正とか公正をどのようにして担保できるんでしょうね、これ。
#388
○国務大臣(伊吹文明君) いじめの問題について、そういうことが出た場合に第三者機関の調査をやるとかどうかということは、これはやはり当該教育委員会の感性あるいは実行力によって私はやれる範囲でやるべきだと思いますし、ただ、それを何か恒常的な常設機関にするということは、一種の行政裁判所というか判断所のような形になりますから、これは非常にやっぱり難しいと思いますね。ですから、アドホックに一つ一つつくってやっていくということじゃないでしょうか。
#389
○山下栄一君 だから、そういうことを私申し上げているわけで、恒常的につくる必要はないけどもと言っているわけで、だけど、じゃ、内部調査には限界が私はあるとは思うんです。それは、大臣はどうお考えでしょうか。協力していただけますんでしょうか。
#390
○国務大臣(伊吹文明君) いや、何事にも限界はありますよ、それは。
#391
○山下栄一君 そういう一般論を言っているんやないんですけどね、ちょっと。
 これ、公正かつ適正な教育行政に預けておられる御両親、御両親というのは一番身近な有権者、国民、主権者ですからね、そういう方々に納得できるような、説明責任を果たせるような体制をつくらなきゃ駄目なんですよ。そのために、やっぱりいろんな力をかりて責任者が果たしていけるような仕組みをつくらなきゃいけませんし、それはもう緊急の課題やというふうに思います。
 だから、このいじめ問題はそういう問題、そういうことを突き付けているということだと思いますし、教育行政が公正かつ適正に行われなきゃならないということを条文に書いてあるし、そのとおりしなきゃならないと。これができないんだったら、私は、大臣、人の命を大事にしない教育行政になってしまうと思うんですよ。そういうところに道徳教育を語る資格があるかと。人の命を大事にせい言うて、運営している方が責任取らない、取れない。公正でも何でもないということをみんな感じていると。そうだったら道徳教育は語れないと思うんですね、私は。
 だから、第三者機関をつくるという話は、これは私は当然の話やと思うんです、責任果たそうと思うたらね。調査はとことんやらないと納得してくれませんよ、そんな保護者集会を開いたからって。中途半端なことは分かるわけですから、そんなことは。だから私は第三者機関を御提案したわけで、それは感性とかとおっしゃるけど、これは当然そういうことを考えて、内部調査には限界がある、自分らの責任問われるわけですからそんな調査できるはずがないと、行政機構ですから、それは。
 だからそういうことを申し上げているわけで、だから、公正かつ適正な教育行政が担保できないんだったら道徳教育は語るなというふうに、私は教育行政の最高責任者の大臣にこの考えを共有したいと思うんですけど、いかがでしょうか。
#392
○国務大臣(伊吹文明君) いや、できなければ道徳教育を語るなということにすぐなるかどうかは分かりませんが、やはりこの命というのは非常に尊いものですから、そういうことになったときに、その原因を究明するような組織をどういうふうにつくっていくかというのは、それは当然のことであるし、第三者機関をつくってやっていくということは、それは一つ一つの事案が起こったときに当然教育委員会として考えるべきだと思いますね。それは今の法体系ではべきだとしか私はここで申し上げられないんですよ。私にもう少し権限があれば先生のおっしゃるようなことについてお答えができますが、今の教育委員会制度の法制下においては、各教育委員会においてそういう事案があったときに第三者機関をつくって調査に当たってもらいたいということを申し上げるということだと思います。
#393
○山下栄一君 私は、だから不十分な体制であるということを前提にして、だからきちっとした体制をつくるべきだと。だけど、それが担保できないんだったら、それを教育基本法でも提案しているわけやから、担保できないようなことだったら、それは道徳教育って語れないんじゃないでしょうかと、命を大事に本当しているんですかと、それは、というふうになっていくと思うんです。
 それで、大臣今おっしゃいましたけど、私に権限がないからという言葉は私、物すごい引っ掛かるんですけど、じゃ権限与えたら責任取れますかと、こうなると思うんですよ。責任取れないような権限与えたら、これ最悪ですわ、これは。権限あって責任なしということが横行しているから、今、何か中途半端な教育になっているんではないかと、私の意見なんですけど。
 だから私は、大臣ときどきおっしゃるんですけど、権限がありましたらいいけどと、じゃ、とことん責任取らないけませんよと。それはだけど……(発言する者あり)じゃ、当然だとおっしゃったら、全国三万四千校、五千校の学校で起こる事件ね、それは報告受けるしかしゃあないですよ。そうでなかったら保護者に、学校預けている保護者に説明できませんよ、そんな。それはちょっと私は、大臣のお言葉ですけれども、ちょっと納得できないですね。
#394
○国務大臣(伊吹文明君) それは、権限のあるところに結果責任を取るということは生ずるんですよ。ですから、全国の学校でいろいろなことが起こっても、社長は末端のことを知らなくても、社長が人事権を持ち予算権を持っている限りは、全然知らなくても代表取締役社長は辞めなければいけないときは一杯あるんです。
 今、残念ながら、先生が御指摘になっているように、学校現場の人事権を持っている人と予算権を持っている人とそれから調査を依頼する人との間の権限関係がはっきりしていないから結果責任があいまいになっている、これは先生の御指摘に私は全く同感です。
#395
○山下栄一君 分かりました。
 私、先ほど池坊さんがおっしゃっていただいた……(発言する者あり)済みません、時間が……
#396
○委員長(中曽根弘文君) 時間になりましたのでまとめてください。
#397
○山下栄一君 時間が来ていますので終わります。済みません。ありがとうございました。
#398
○委員長(中曽根弘文君) 本日の質疑はこの程度にとどめます。
 暫時休憩いたします。
   午後五時三十八分休憩
     ─────・─────
   午後六時十九分開会
#399
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を再開いたします。
 この際、委員の異動について御報告いたします。
 本日、福島みずほ君が委員を辞任され、その補欠として近藤正道君が選任されました。
    ─────────────
#400
○委員長(中曽根弘文君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査のため、参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#401
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#402
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#403
○委員長(中曽根弘文君) 公聴会の開会承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査のため、十二月十二日午後一時に公聴会を開会いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#404
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認めます。
 つきましては、公述人の数及び選定等は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#405
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後六時二十一分散会
     ─────・─────
   〔参照〕
   甲府地方公聴会速記録
 期日 平成十八年十二月六日(水曜日)
 場所 甲府市 ベルクラシック甲府
   派遣委員
    団長 委員長      中曽根弘文君
       理 事      北岡 秀二君
       理 事      佐藤 泰介君
                岡田 直樹君
                小泉 昭男君
                水岡 俊一君
                浮島とも子君
                渕上 貞雄君
                亀井 郁夫君
   公述人
       山梨県高等学校
       PTA連合会事
       務局長      浅川 宏雄君
       山梨学院大学法
       学部教授
       山梨学院生涯学
       習センター長   黒沢 惟昭君
       川崎市立川崎高
       等学校教諭    小林 和紀君
       早稲田大学文学
       部教授      喜多 明人君
    ─────────────
   〔午後二時三十一分開会〕
#406
○団長(中曽根弘文君) ただいまから参議院教育基本法に関する特別委員会甲府地方公聴会を開会いたします。
 私は、本日の会議を主宰いたします教育基本法に関する特別委員長の中曽根弘文でございます。よろしくお願い申し上げます。
 まず、私どもの委員を御紹介申し上げます。
 私の右隣から、自由民主党の北岡秀二理事でございます。
 同じく自由民主党の小泉昭男委員でございます。
 同じく自由民主党の岡田直樹委員でございます。
 公明党の浮島とも子委員でございます。
 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の佐藤泰介理事でございます。
 同じく民主党・新緑風会の水岡俊一委員でございます。
 社会民主党・護憲連合の渕上貞雄委員でございます。
 国民新党の亀井郁夫委員でございます。
 以上九名でございます。
 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。
 山梨県高等学校PTA連合会事務局長浅川宏雄公述人でございます。
 山梨学院大学法学部教授・山梨学院生涯学習センター長黒沢惟昭公述人でございます。
 川崎市立川崎高等学校教諭小林和紀公述人でございます。
 早稲田大学文学部教授喜多明人公述人でございます。
 以上四名の方々でございます。
 当委員会におきましては、目下、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査を行っておりますが、本日は、四案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙のところ御出席をいただきまして、大変ありがとうございました。
 皆様から忌憚のない御意見を拝聴いたしまして、今後の本委員会の審査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、浅川公述人、黒沢公述人、小林公述人、喜多公述人の順序でそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。
 まず、浅川公述人にお願いいたします。浅川公述人。
#407
○公述人(浅川宏雄君) 私は、ただいま御紹介いただきました山梨県高等学校PTA連合会の事務局長をしております浅川宏雄と申します。
 実は、初め、このお話を承ったとき、素人でございますし、きつく御辞退申したわけですが、それでも関心があるのならと大変温かくお勧めいただいたものですから、別に教育学者でも法律の専門家でもない、元現場の教員だったというだけの、ほんの平たい市民感覚に根差すそうした感想や意見でもよろしいのならばと申し上げましたら、それで結構ですのでということで、それではということで、恥を承知の上でこの席へ参らせていただいた次第です。どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、私が教育の現場を去って七年になりますが、今もって心にずしんとこたえますのは、若者の非行や犯罪のニュース、さらには、三十数年前に教壇から見送った、今五十代の働き盛りの社会の中心を成す大人たちの一部が様々な分野で引き起こす残念な行状の数々です。責任重大な交通加害事故から、かっ払いや暴力や殺人や子供の親殺し、若い親の子殺し、詐欺、横領、地位利用の公務員の不正、特につらくて情けないのは、元気な若者が路上生活者や老女、果ては車いすの身体障害者からさえ、あるいは特にそういった弱者に絞ってハイエナのごとく平気で金品を強奪する事件の報道等であります。やりきれない思いで我に返ると、一体なぜとこう自問しながら、自らの責任も思い回しながら、やっぱり教育のせいかなとの結論にたどり着くのであります。
 弱者から奪うというのは、本来人間としての自分への嫌悪感と裏腹のためらいの行為ではなかったか。あるいは、よしんば他人にやいばは向けることがあっても、自らの親や、まして自分の腹を痛めた子をあやめるなどということが、こんなにありふれた事件になってしまうものなのでございましょうか。かつてそこに超えられぬ何がしかのたがが、あるいは歯止めがおのずとあったのではなかったか、一体それがいつどこへ行ってしまったのだろうと、唐突かもしれませんが、そんな素朴な思いが今の私の教育基本法問題との接点となります。
 私は、現在山梨県の高等学校PTA連合会に御厄介になっておりますが、平成十五年の七月、そのPTA連合会の関東地区の大会が我が山梨で開催されまして、そのときの大会宣言の起草にかかわりました者ですが、そのときの考えが今の私の考えとも重なりますので、少し引用させていただきますと、次のようでございます。
 二十一世紀を目前にした平成十二年十二月、前首相、森元首相でございますが、の諮問機関の教育改革国民会議はその報告書で、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、凶悪な青少年犯罪の続発など、教育をめぐる現状は深刻で、このままでは社会が立ち行かなくなってしまうと、今日の日本の教育が未曾有の危機に直面しているとの厳しい認識を示した。その上で報告書は、今までの教育は個人が要求することを主力に置いたものであったが、これからは、与えられ、与えることの双方が個人と社会の中で温かい潮流をつくる方向に向かわねば、日本は将来取り返しの付かないことになるだろうと続け、希望を語るべき新世紀を前に悲壮な警告を発せざるを得なかった。
 戦後日本は、過去への反省から、社会のありようを民主的で個人が尊重される個人第一主義へ大きくシフトしました。それは当初、過去を清算する新生日本の希望の理念として大歓迎された。しかし、それから半世紀余り、かつての公、国家でございますが、その公偏重へのアレルギーもあって、その後の過剰とも思える個人重視の風潮は、いつしか結果的に私と公の望ましいバランスを超えた、私至上主義の利己的で無秩序な社会をつくり上げてしまったと言えないだろうか。
 私と他者、その総体としての社会、そうした大きな秩序への配慮を軽視し、ギブとテークのバランスを欠いた個々人の他者への一方的要求、主張のはんらんこそが今日の社会や教育の混乱と閉塞を招いた一大要因と言って差し支えないだろう。
 個人の安寧、幸福は社会という安定した土台があって初めて成り立つという余りにも自明な理を、我々は今日から学校教育の場で、同時に自らの家庭で子供たちに改めて説き諭すところからすべてを始めなければならないのかもしれない。こういうふうにしておりまして、これが宣言でございます。
 今もその宣言を起草した当時の思いはほとんど変わっておりません。何とかしなければと、元一教育者としてのそんな思いが、戦後六十年と言われる様々な見直し、改革の流れの中で、私に教育の改革への関心、あちこちから起こった教育基本法の見直しの動きに若干の期待の気持ちを抱くようになり、今日につながっております。
 時間の関係もございますから、今回の政府の教育基本法改正案の特に重要と考える点を端的にこれから五点ほど述べさせていただきます。
 まず、第一点は、第二条の教育の目標に公共の精神が盛り込まれた点でございます。
 戦後の我が国の教育は、戦前への反省に立ち、個人の価値に重点を置きながら進められてまいりました。個人の価値は普遍的な理念であり、今後とも教育において重視しなければならないことはもちろんでございます。しかしながら、これまでの教育においては、個人の価値とセットになるべき公共の精神が必ずしも十分に尊重されてきたとは言えなかったのではないでしょうか。このことが、自分さえ良ければといった今の風潮にもつながっているのではないか。どうでしょうか。
 しかし、人は、人とのつながり、社会を形成する中で、互いに思いやり、助け合いながら生きるものであります。今の子供たちにそうした気持ちがないとは考えたくございません。そうした気持ちを体験する機会が少ないだけではないかというふうに思うわけであります。実際にボランティア活動などで人と助け合い、だれかに喜ばれる経験をすると生徒たちの目は輝き出します。そうした人としての当たり前の基点を教育の根本法であります教育基本法で再確認することは大切なことだと考えます。
 第二点目は、これも第二条の目標の一つとして、日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する態度が盛り込まれたことです。
 国際化が進む中で、国際社会の発展に尽くすことが今一層求められています。その際の前提は、まず自分の国や地域の伝統や文化を理解すること、日本人としての自覚や郷土を愛する姿勢等でありましょう。その上で、他国やその地域の伝統、文化を尊重し、国際社会の一員として信頼されることを目指すのが重要でありましょう。
 英語教師としての個人的経験からも、外国人と接したとき、相手が知りたがる自国のことをうまく説明できなくて冷や汗をかいた苦い経験が思い出されます。まず、自国をよく理解し、愛していることが何よりも大切になると思います。こうしたことはこれまでも学習指導要領で指導が行われてきたはずですが、今後、基本法に明記し、一層の指導の充実を図っていく必要があろうかと考えます。
 第三点は、第三条に生涯学習の理念が明記されたことであります。
 現在、私はPTA関係の仕事をしておりますが、これも生涯学習の一環を形成しております。教育は学校を終えた段階で終了するものではありません。教育の目的は人格の完成を目指すことでして、生涯にわたって追求をされるべきものでしょう。生涯を通じて社会の中で生き生きと自分を生かすことができるような、そんな社会を実現していくことが強く求められていると思います。問題のまたフリーターやニート問題の解決にも、こうしたいつでも学んで再びチャレンジすることのできる社会の実現が極めて重要であると考えております。
 第四点でございますが、第十条として家庭教育についての項目が盛り込まれたことでございます。
 家庭教育はすべての教育の出発点であり、その重要性は時代にかかわらず不変なものがあります。しかしながら、最近は親による子供の虐待など悲惨な事件が相次ぎまして、家庭の教育力の低下が問題視されております。こうした事態の改善のためには、まず親が子供としっかり向き合っていくことが重要であり、また行政等も側面から家庭教育の支援を十分に行っていく必要もあると考えます。このような点で、家庭教育の重要性が盛り込まれたことは一定の評価ができると思います。
 第五点目でございますが、第十三条に学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力が盛り込まれたことでございます。
 言うまでもなく、教育は学校だけで行えるものではございません。学校とともに家庭、地域における教育が相互に連携して、社会全体で子供を育てるという意識を共有することが大いに必要であろうと思います。
 しかし、現実にはコミュニティーの人間関係が大変希薄化しておりまして、ひどい場合には、隣に住んでいながら住人の顔も知らないというような状況もあり、社会全体で子供を育てる状況にはほど遠いケースが多々あるようでございます。これからの教育を考えていくとき、我々がもっと考えなければならないのは、自分の子供とともに、地域の他の子供たちにも手を差し伸べていくことではないでしょうか。私たち高等学校PTA連合会の取り組んできましたアンケート調査の結果からも、人間関係が希薄であることが高校生を万引きや暴力、自傷行為などの様々なリスク行動に走らせてしまっていることが明らかになっております。地域の教育力の再生こそが急務でありまして、学校、家庭、地域が連携して、大人が本気で子育てにかかわり、進んで公共の精神を発揮していく必要があり、その意味で第十三条は非常に意味があるかと考えております。
 雑駁でございますが、以上、教育基本法改正に関する私の素朴な感想や意見を申させていただきました。
 新しい時代を担う子供たちのために、政府の御提出なさった教育基本法案の早期成立を図るとともに、施策を裏付ける教育予算の一層の充実を是非よろしくとお願いしながら、以上で私の素朴な意見発表を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
#408
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、黒沢公述人にお願いいたします。黒沢公述人。
#409
○公述人(黒沢惟昭君) 今紹介いただきました黒沢でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 率直な意見を申し上げたいと思います。
 私は、今急に教育基本法を改正する意味とか必要があるとはどうしても思えない立場なんでございます。これは大変議員さんに対し失礼かもしれませんけれども、そのような印象を持っております。ただ、教育基本法というのは別に不磨の大典ではございませんので、これはいずれ時代がそれを要求すれば改正をすることに別にやぶさかではございません。
 しかし、教育は危機的な状況にあるということは、十分認めるに決してやぶさかではございません。
 例えば、その一つの例を挙げれば、一九九九年から二〇〇六年までの間に正社員が四百三十九万人減る一方、非正社員は六百六十九万人増えて、雇用者数に占める非正社員の割合は三人に一人が非正社員という事態が報告されておりますし、十五歳から二十四歳の若年層では実に二人に一人という状況でございます。しかも、非正社員は年齢が上がっても正社員のように賃金の上昇カーブが働きませんから、所得格差の固定化につながります。これが婚期や少子化に波及し、年金、社会扶助など社会関係資本の存続にも影響しておるわけでございます。
 一方、以上のような縦の格差は地域間格差に連動し、地方都市の衰退化などが顕著になっている例は皆さんも御承知だろうと思います。こういう傾向とともに、社会の凝集性が損なわれ、社会的紐帯は断片化していかざるを得ない、これは既に周知のことと思うんでございます。
 これが教育法改正によってすぐ直るというようなふうに私は到底思えないんでございます。これは市場原理主義の遂行によって事態が進行しているんでありまして、教育基本法を改正する前にもっとやるべきことが多々あるんではないだろうかということが私が考えていることなんでございます。ということを前提にいたしまして、教育基本法の改正について私見を率直に申し上げたいと思います。
 まず第一点は、第二条の教育の目的ということについてでございます。これもいろいろ議論のあるところでございますが、あえて私の意見を率直に申し上げます。
 改正法第二条につきましては、教育目標に多くの徳目が盛り込んであることが目立ちます。現行法の教育の目的についても学会等でいろいろ議論があったところでございますが、今回は現行法の約四倍近いいろいろなものが盛り込んでございます。これは読めばすぐ分かるところでございますが、一から五にわたって幾つかのことが盛りだくさん盛り込まれております。道徳心とか公共の精神とか生命の問題とか伝統とか愛国心の問題とか郷土の問題とかですね。
 特に私は議論を呼んでいるところが愛国心の問題ではないだろうかと思います。私個人としては、日本の国を心から愛しているものに人後に落ちないつもりでございますが、これを法律、特に教育の基本の法律によって規定するということはいかがなものか。大変これは弊害があるところではないだろうかというふうに私は考えざるを得ないんですね。特に、法律によってこれを強制するということは極めて危険ではないだろうかというふうに私は考えざるを得ません。
 特に、日の丸・君が代の例を出すことがいい例だと思いますが、最初はこれは大丈夫だというように言われていたんですが、東京都の例などを見ましても、また裁判所の判決の例などに見ましても、いろいろな問題を生じておりまして、現場の教員が非常に萎縮しているという例は先生方もよく御存じではないでしょうか。これが教育基本法の改正によって法律としてきちっと決まってしまうと、大変な混乱を起こすことになるというふうに私は考えるわけなんですね。だから、これは是非やめてもらいたいなというのが私の率直な気持ちです。
 国を愛するということはこれは自然な感情でありまして、むしろ愛するような国をつくっていくことが大事で、そうすれば自然にそういう感情は起こってくるのではないでしょうか。
 それから、国というふうに一般に言いますけれども、政治学の常識として、国というものは領土とかそれから権力あるいは国民と三つの三要素から成っているわけでありまして、国というのは一体何かというものをもうちょっと細かく分けて教えたり考えたりする必要があるだろうということで、私は国というものを愛するということは大変大事なことだろうと思うんですが、これを法律によって強制していくということは大変危険であるから反対せざるを得ません。これが第一点です。
 こういう徳目というものを盛り込んでいくというのは、ちょっとこれは考え過ぎかもしれませんけれども、戦前の教育勅語を何か連想させるような危険性があるんじゃないでしょうか。国を愛するということは大変大事だと、これは前提としましてなお懸念を表明せざるを得ないという点が第一点です。
 それから第二は、第三条の生涯学習の理念でございます。
 これは私、生涯学習の専門を教える者ですが、何か社会教育法の考えとそごをする面が見られるような気がするんです。社会教育法の規定で十分であって、ここになぜこの生涯学習の理念というものを改めて規定しなきゃいけないのかということにちょっと私は違和感を感ずるんです。
 ちょっと勘ぐりかもしれませんけれども、学校教育以外の領域に教育基本計画による資金を配分するためにわざわざこれを規定したんじゃないかという、これは私の勘ぐりかもしれませんが、ちょっとそういう印象を受けたものですから、疑問として提起したいと思います。
 それから三番目でございますが、第七条の大学でございます。
 私は高等教育に従事している者ですから、高等教育を盛んにするということについては異存はないわけなんですが、様々ある校種の中で大学についてだけこの目的を定めているということは、全体のバランスを欠いているというようなどうしても印象を受けざるを得ない。
 これもあるいは勘ぐりじゃないか、考え過ぎじゃないかという御批判を受けるかもしれませんけれども、やはり国際競争力を回復するための知的資源の動員のためにあえて高等教育に重点を置いたんではないだろうか、教育改革はその手段ではないかという、これも勘ぐりという御批判を受けるかもしれませんけれども、なぜ高等教育だけを突出してこういう規定をされたのかという、これも私の批判点でございます。あえてこの点も申し上げたいと思います。
 それから四番目は、第九条の教員でございます。
 これは、教員にもいろいろ問題があるし、教員に頑張ってもらいたい。私も教員の端くれでございますので自分のこととして考えたいと思いますが、全体の奉仕者というものが削除をされております。これはどうして削除をされてしまったのかということについて、私は大変不安を持っております。これと関連しまして、第十六条の国民全体に対する直接責任というものも同時に削除をされております。
 これも勘ぐりだと言われればそれまでかもしれませんけれども、これもこれと併せて考えますと、あえて、これも私の考えでございますが、国民ではなくて国家へ奉仕するということを考えているんではないだろうかとどうしても心配をするわけなんです。
 教師は崇高な云々という文言、これはまあこれはこれでいいとしまして、教師が伸び伸びとその使命を果たしていただきたいという、これはもう当然私も先生方もみんな考えていられると思うんですが、最近どうも教師に対するバッシングが強い面がございます。だから、評価をして、こう競争させてたたけばいいんだというようなこと、一定程度のそういうことも必要かもしれませんけれども、そういうことでいいんだろうかということを考えざるを得ないわけです。
 そして、教師が一体どこを向いているのか、ヒラメのように上ばっかり向いている、あるいは校長さんの管理者の方だけ向いていていいのか、その管理者も更に上の方を向いている、そんな教師で本当に教育ができるんだろうか。本当に教師というものはそういう教師でいいんだろうかと、私はそれは本当に間違っていると思うんです。
 ですから、是非、そんな文言があってもなくてもいいんだというふうに考えるのはこれは大きな間違いでありまして、国民全体に奉仕するということを入れることによって、教師が伸び伸びと国民全体に対して奉仕する、そういう教師というものによってこそ、本当の教育が担保できるというふうに私は考えます。現場を回ってみて本当にそういうことを考えるんですね。これが削られることによってどうも上を向く、管理者の方を向くんじゃないだろうかという心配があります。これが四点目なんですね。
 それから五点目。これはちょっと私専門外なんで自信がちょっとないところなんですが、不安として、改正案では、「父母その他の保護」に「子の教育について第一義的責任を有する」と変更されております。現行法では社会教育の中で家庭の問題というものは奨励というふうな軟らかい表現になっているんですが、昨今の家庭教育の低下ということを心配されてあえてこういう表現になったと思いますが、ここはちょっと考えていただきたいですね。
 家庭教育をかなり皆さん考えられてこういう法律になっていくということについて私は理解するものでございますが、そして支援するということの重要性は十分私は認めますが、公法があえて家庭のこういうプライバシーの中にまで法律として介入するというようなことについては、現行法についてもいろいろ専門家の間で議論があったところでございます。これは子供の権利というものと何かそごは来さないんでしょうか、ここは十分議論されたんでしょうか。家庭の教育力を取り戻すということだけでこういう規定になる、そしてそういうことを侵害していくようなおそれはないかどうかもうちょっと議論をする必要があるんじゃないだろうか。公法が家庭教育の内容まで踏み込んでよいのか、疑問が残るところでございます。
 以上、五点にわたって私の疑問あるいはお願いを申し上げました。
 以上でございます。失礼いたしました。
#410
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に小林公述人にお願いいたします。小林公述人。
#411
○公述人(小林和紀君) よろしくお願いします。
 今回、なぜ川崎から来たのかという話もあるのですが、私自身、約十年弱、この山梨の地で公立私立にわたって教員生活を過ごさせていただきました。クラブ活動では二種目でインターハイに行かしていただくことができまして、また平成八年の山梨のインターハイでは、本当に大変な中、自分自身もいろんなところで運営をお手伝いしていた中で、本当にこの地でいろいろな思い出をつくらさせていただきまして、現在の仕事に至っております。また、それ以外のところでも、専門学校の専任講師をした経験、また、最近、特にこの数年大きく変わってきた生徒、保護者の教師への見方、この辺を、まだ三十代ですが、本当に若造で申し訳ございませんが、現場の声として述べさせていただければと思っております。よろしくお願いいたします。
 まず最初に私自身思っているのは、今回教育基本法に対しての様々な改正、いろんな話があると思います。いろいろな意見があると思いますけれども、私自身、本当に今、毎年毎年来る生徒来る生徒がどんどんどんどん変わっていく姿を見たときに、やはり国全体で、大きなところから何かを起こさなければ、一ミリでも二ミリでもいいから何かを変えていくという流れをつくっていかなければならないのではないかと思っております。それが、当然いい方向悪い方向あると思いますし、途中で止まるものではないとは思っておりますけれども、そういった意味での改正というところで、多くの国民の方々が論議に参加する形というのがとてもすばらしいかなと思っております。
 そこで、私自身、教師というところの資質の部分でお話を最初にさせていただくんですが、生徒一人一人の人格の完成に大きく影響するのがやはりそのすぐ近くにいる教師の存在ではないかなと思っております。子供にとって最大の教育環境というのは教師であり、常に向上していく教師の姿が子供にとって大きな影響を与えていくのではないかなと思っております。生徒にとって魅力ある、またすてきな人格を教師自身が日々磨き続けていかなくてはならないのではないかと思っております。
 まず、この魅力ある教員というものをいかに増やしていくか、また、授業を始めクラブ活動、委員会活動など生徒とかかわる機会に人格の触発を与えられる、いい意味で与えられる教員をいかに多く社会全体が育てていくかが私は最重要課題であるかと思っております。先ほど黒沢公述人からありましたけれども、残念ながら教師の不祥事の衝撃的な報道による全体への教師の不信が信頼関係の構築を非常に阻害していると思っております。ゼロからの人間関係のスタートではなく、マイナスからのスタートという意味では非常に苦しい現実があると思います。
 そして、今求められている教師像とは、そつなくこなす教員ではなく、学ぶ楽しさ、生きるすばらしさを情熱を持って、また工夫して生徒にぶつけることができる教師であるかなと私自身は思っております。
 特に、最近様々な部分で増加する減点主義というか懲罰主義というか、そういった管理体制を脱して、褒めていくまたたたえていく加点主義、また予防していく修正していく予防修正主義、こういう教育支援体制の教育行政が求められるのではないかと思っております。私もかつて恩師に、育てるとローマ字で書いてごらんと言われました。ローマ字で育てると書いて、頭のSを隠してごらん、おだてるとなるんだよ、教育というのは励ましながら、激励しながらやっていくものだということを非常に今でも心に残っております。
 ただし、これは実際に現場で感ずる、どこの学校でも感ずることなんですけれども、協調性のない自分のことしかしない教員に対しては、これは厳しく話をしていかなければならないと思っております。私自身の経験上、一人いるだけで教員間のまた教員組織全体の士気が著しく低下するおそれがある、このことに対してはしっかりした指導が求められると思っております。
 また、九条の教員のところの部分についてですけれども、養成と研修の充実ということが示されているというふうに聞いておりますが、魅力ある授業ができる教師というより前に、常に向上していく魅力ある一個の人間でなければ教師は務まらないのではないかと思っております。
 特に、受講型の研修が多くあると思います。学識経験者の研修等ありますけれども、実際のところを考えると、参加型、作業型の研修でなければ実際効果がないと思っております。特にベテランの先生方に対しては、他職種を知るだけではなく、他職種を実体験させるため、長期間にわたる派遣研修などが望まれると思っております。
 また、新規の採用試験については、内容に多様な、選考に工夫、また一定期間の見る時間、また一定期間のところでかかわる時間を持った上での選考というのもこれからは必要になってくるかと思っております。
 私自身の体験を話をさせていただきますが、私自身、山梨の教員を退職をしました。そしてその後、先ほど申し上げたとおり専門学校の専任講師になりましたが、その間、失業保険をいただく時期がありました。妻子いる中での失業保険ということで非常に厳しい現実を見せ付けられました。また、そういった中で次にどうなるのか、あしたどうなるのかということを考える中で、本当に死に物狂いで様々なところを受験し、様々なところに履歴書を送り、そして何とかかち取ってきた今があります。そのときの火事場のばか力というか、追い込まれた状況になったときに本当の意味で自分自身の殻を破ることができ、より広がりのある今授業の展開ができるようになったことを踏まえてこのような話をさせていただきました。
 そして、その中で様々な、特に専門学校等ですけれども、いろいろな教育産業を見ていく中で、今まであった教師として、また生徒に対してのあいさつの仕方であるとかそういったものについて、ふと一般のそういう社会に出たときに、教師として身に付いてしまったあかを自分自身はそぎ落とされた感じで、またもう一回新たな初心の気持ちで今頑張ろうと日々思っております。
 教育の目標については、すべての万物の関連性ということを考えれば、今いる場所と周囲の人を大切にすることができなければどうして自分自身を大切にすることができようかということにつながると思っております。学校、家庭、地域が連携し合い、地域の子供を地域全体で育てていく、教育のための社会であることが大切であると感じております。地域社会全体で子供たちに強く良い刺激をどれだけ与えられるかが重要になってくると思っております。その意味で、地域の役割について法律で示されたことはとても心強く思っております。
 また、一般の今年の採用の状況も踏まえ、また社会全体が学力より問題解決能力、コミュニケーション能力などを求める、人材に変化している状況を踏まえ、学校も生徒児童に対し学力という角度に偏り過ぎることなく、特別活動、なかんずく学校行事を中心に学校全体で取り組み、多角的に生徒に光を当てていくことが大事であると思っております。
 生徒というのは、いろんなところで光が当たる、また自分はできるんだ、自分のクラスの中でなくてはならない存在なんだと、そういうところの部分が出てくるところで生きる力、また喜んで学校に行く、またそこの中で一つ一つ教科等いろいろなものを学んでいこうという気になっていくと私自身は思っております。様々な場面で、やればできる、自分は周囲から必要とされているという感覚を持たせることが生きる力につながると私は考えております。いかに子供をその気にさせるかが重要であり、それに費やす時間と工夫が教師に求められると思います。
 これを確保するためには、各種の書類作成の精選が求められるかと思っております。情報公開に堪え得る資料作成の時間より子供にかかわる時間を増やさなくては、何のために学校に勤務しているのか分からなくなってしまうと私自身は思っております。
 また、家庭教育に関しては、保護者に対する学習の機会について、善に関する態度、善に関する言葉の啓発を推進していただきたいと願っております。また、幼児期の教育についても同様のことをお願いしたいと思っております。具体的には、勇気、努力、忍耐、正義、希望、愛などに対する行動を堂々と振る舞う姿を子供は求めていると思うからでございます。
 そして、今後になるかと思いますが、教育振興基本計画の中でのお願いですが、是非気軽に安心して相談できる窓口を学校以外また行政機関以外に、多くのところでそういうところを設置していただいて、いつでもどこでも話が聞かれる、またそれが変なところに広まることなく、そういう安心して相談できる窓口というのを是非多くつくっていただきたいなと思っております。
 また、読書というのが非常に今は注目をされていますが、更にそれをより進めて、じっくり考え、そして自分自身のことに当てはめ、悩み、考え、自分の力で答えを探し出す力、こういったものに力を置いての基本計画を願っております。
 以上です。ありがとうございました。
#412
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、喜多公述人にお願いいたします。喜多公述人。
#413
○公述人(喜多明人君) 早稲田大学の喜多と申します。
 限られた時間ですので、私の意見陳述は、今日の子供問題の根幹にかかわる事柄に触れながら、その解決のために教育基本法改正問題において何をなすべきか、この一点に絞って述べさせていただきたいと存じます。
 まず第一に、今日の子供問題の基本としての自己肯定感の低下の問題でございます。
 言うまでもなく、今、日本の子供たちは苦しんでいます。いじめを苦にした自殺の連鎖はとどまることなく、極めて深刻です。その深刻さは、一九八六年に東京都中野区で起きた鹿川君事件、九四年に愛知県西尾市で起きた大河内君事件の際の連鎖問題とは比較になりません。私は、この深刻な事態を招いてきた基本的な問題の一つは、日本の子供たちの自己肯定感の低下、むしろ低下と表現するよりは落下といってよいほどの落ち込み状態にあると考えております。
 レジュメをお配りしていますが、資料一をごらんください。ここでは日本青少年研究所が今年二〇〇六年三月に公表した高校生の友人関係と生活意識の調査結果が示されております。そこで、自分自身について、とても満足と答えた高校生は、日本はわずか六・三%にすぎず、アメリカは三四・一%、中国一五・六%、韓国一一・一%と比較しても大変な落ち込みです。まあ満足を足しても四三・四%と五割を割っております。他国はすべて五割以上、アメリカは実に八三・三%に上がっています。
 同研究所は、資料二のとおり、二〇〇二年十一月に中学生の生活意識調査結果を発表しております。そこで、自分に大体満足しているという意識について、日本の中学生は、やや当てはまるを含めても三九・四%足らずです。これに対してアメリカは八九・六%、中国でも七一・〇%と、これに比べても大きな開きがございます。しかも、一九九〇年当時の調査結果と比べると、日本の中学生の自己肯定感は四七・二%から三九・四%と約一〇ポイント近くダウンしているのです。
 このような中高校生世代の自己肯定感の落ち込みは、資料三のとおり、文部科学省が二〇〇二年度に実施した児童生徒の心の健康と生活習慣に関する調査結果においても裏付けられております。私は自分に価値がないか他人より劣っていると思うという質問に対して、やや当てはまるを含めると、中学二年生が男女とも八七%を超えております。しかも、私なんかいない方がよいと思うという自己否定的な意識を持つ子供についても、当てはまると答えた中高校生二年生がほぼ六%、やや当てはまるを足すと、中学、高校ともに二年生が二五から三〇%、四人に一人に上っております。このような意識状況では、いじめなど自分自身が苦境に立たされたときに、何とか立ち直ろう、まだまだ自分はやれるんだという気持ちを持つことができるでしょうか。
 自己肯定感は、自分を肯定できる感性や意識であり、立ち直る力、信念を貫く力、生きる力の源であり、自分が受け入れられているという感情を伴って高まるものです。最近はマスコミなどを通して、いじめはいけない、友達を大切にしてほしいといったメッセージが送られていますが、自己肯定感が奪われていて、自分という存在が受け入れられていない、自分が大切にされていないと感じている子供が果たして友達を大切にできるでしょうか。また、自分の命を大切にというメッセージをもらっても、自分という存在を受け止めてもらえずに否定されている子供たちが、自分という生命を肯定し、生きているだけですばらしいんだと感じられるでしょうか。
 これまでいじめ自殺問題に関しては、政府、国会においても大変な努力を重ねておられることについては敬意を表しておりますが、しかし、このいじめ問題解決のかぎを握る子供の自己肯定感の低下という基本問題へのメスが十分入れられてこなかったのではないかと危惧しております。また、その点については、今回の教育基本法の改定に当たってどれだけ自覚化されていたのか。今回の改定では学校の規律は強調されておりますが、子供の自己肯定感を高めていくための教育の在り方について十分に検討されていたとは言い難いと思われます。
 では、なぜ日本の子供たちの自己肯定感がこれほど落ち込んでしまったのでしょうか。その低下の原因について述べたいと思います。
 私は、この落ち込みは大人の責任が大であると感じております。子供の問題について何事も大人側だけで議論し、大人側だけで何とかしてやろうと思い、大人だけで解決できると考えてきたことのツケであると考えます。子供は常に問題解決の対象であって主体ではなかった。そのような受け身の立場に置かれて、子供たちは常に大人を当てにし、大人がいなくては何もできない存在と信じ込まされてきました。自己肯定感の落ち込みは、このような大人の優位、優先社会における子供の自信喪失状態をよく表現しております。そこでは、子供問題に向き合う大人側の姿勢が問われているのではないでしょうか。
 教育基本法問題は、そのような意味を含めて、子供と大人とのいい関係をつくっていくことなど、実際的な子供問題とのかかわりで検討していくことが肝要であると考えております。
 特に、政府、国会は、子供との向き合い方についての見直しを図るよう国際的に要請されてきた文書、すなわち国連子どもの権利条約にもっと目を向けていただきたい。残念ながら、この条約は教育基本法の審議において生かされていたとは言えませんし、また子ども権利条約が無視されてきたことによって、今日の子供の問題をかえって解決しにくくしてきたのではないかとも思われるわけです。
 第三に、子供支援、子供の権利の視点からのとらえ直しについて述べます。
 日本は一九九四年に国連子どもの権利条約を批准しました。この条約は、子供の最善の利益をうたい、子供を励まし、支援していくために、私たち大人が何をすべきか、その大事な原則を提示してきました。特に、条約十二条に述べられているとおり、子供に影響を及ぼす問題は子供抜きでは議論しないこと、必ず子供の意見を求め、尊重すること、この原則について日本政府は国際社会に対して約束してきたことに注目すべきです。
 子供の権利の保障とは、子供側の意思やニーズを社会的に承認し、実現していく営みです。この少子高齢化時代を迎えて、ますます大人側の意思やニーズが肥大化し、大人の期待や意思に子供が押しつぶされそうになっている現時点においては、子供の権利の視点に立って、子供の意思とニーズを受け止めていくことが大変重要になっております。
 資料四は、子どもの権利条約の普及、実施を推進し、子供参加を奨励してきたユニセフの提案です。
 ユニセフは、子供たちは参加する機会があれば、自分たちの周りの世界を変えられることを証明してきた、子供たちは大人の理解を豊かにし、大人の行動に前向きな貢献をできるようなアイデア、経験、洞察力を備えていると強調しております。
 第四に、これに対して日本政府の子供の意思決定過程における参加する権利の承認の問題です。
 お手元の資料五は、日本政府がこうした国際状況を踏まえて、条約実施の監視機関である国連子どもの権利委員会に対して報告した文書です。そこで、日本政府は、(d)として、児童が意思決定過程に参加する権利を有する機関及び機会についての情報と題して以下のように述べております。
 百二十九項ですが、近年、国民に広くかかわりを持つ政策立案に当たっては、国民からの直接意見を聴取する機会、今回がそうですが、を設けることがしばしば行われており、児童も国民の一部としてこうした意見表明の機会に積極的に参加することが期待されている。児童に直接関係のある政策分野においても、児童は重要な利害関係者の一部であり、そうした政策の立案には児童も参加させるべきであるという認識は、政策立案に携わる公務員の間で浸透しつつある。こういうふうに日本政府は国連に報告しております。この公聴会も正にその一部だというふうに思うわけです。
 では、この間、子供に直接関係のある教育政策の分野で子供が重要な利害関係者の一員として意見を聞かれてきたでしょうか。いじめは子供社会の中で発生しますから、子供側にこそ解決の力が求められている問題です。そのような当事者である子供に対して、いじめ問題とかかわる政策判断に際して意見が聞かれてきたでしょうか。そして、何よりも、二十一世紀の日本の教育の方向性を左右する重大な問題について、子供、生徒に意見を聞こうという姿勢が大人たちにあったのでしょうか。
 第五に、私は、教育基本法問題の意思決定プロセスに是非子供の参加をと、これで締めくくらせていただきますが、この公聴会で重大な利害関係者である子供や生徒が意見陳述したという話はまだ私には聞こえてきておりません。このまま子供抜きで子供の教育の在り方について大人側だけで決めてしまう、それでよいのでしょうか。何でも大人頼み、大人依存を強めていくことは、ますます子供の自立をしにくく、自己肯定感を奪っていくことになるのではないでしょうか。しかも、そのことは、子供たちが私たちの社会を支えていく市民として活動し、成長していく機会をも奪うことになっております。
 残念ながら、日本では子供の意見に耳を傾けようという姿勢が大人社会の多数意見にはなっておりません。資料六のように、せっかく札幌市内の女子中学生、高校生が教育基本法改正問題を学び、意見表明しても、励ますのではなく、大人に操られているといった発想で学校が責め立てられる事態に至っております。国連が日本政府に対して勧告したように、大人が何でもしてやるといった日本社会の伝統的な考え方が子供の意見表明、参加を妨げているのです。
 私自身の身近な経験ですが、教育と文化を世界に開く会の事務局を担当し、教育基本法問題について文化講座を開いてまいりました。その記録は、岩波書店から「なぜ変える?教育基本法」にまとめられております。私は、この文化講座に度々フリースクールの子供たちが参加してきたことを思い出します。このフリースクールでは、この子たち独自に、子供たちが独自に学習会を開いて、例えば二〇〇六年の五月二十六日に教育基本法改正案について勉強会をしたそうです。その際、教育の目標部分で態度を養うという言葉が五回も出てきたことについて、態度で見せるということは、ふりをする、ふりをしなくてはならない、そう感じる、二重人格が増えるんじゃないかなといった意見が出ていたそうです。
 参議院はこれまで、子供の声を国会に反映させていくために子ども国会を開催してきました。一度、国会にフリースクールの子供たちを呼んで意見を求めてもよいのではないでしょうか。この公聴会で終わらせることなく、子供からの意見をあらゆる方法を使って聴取していただきたいと是非お願いしたいと存じます。それは、私たち大人世代の責任であり、人類としての義務なのだと感じております。そうでなければ、子供たちはますます自信を失っていく、自己肯定感を低めていくのではないでしょうか。
 良識の府である参議院でこそ、大人だけの教育論議で終始するような時代感覚を問い直し、子供の教育の基本を問う今の時点でこそ子供参加の道を開いていただきたい、その点について是非御検討いただきたいと願うものでございます。
 以上で私の意見陳述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。
#414
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。
 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
#415
○岡田直樹君 自由民主党の岡田直樹と申します。
 本日は、四人の公述人の皆様にはそれぞれの角度から貴重な御意見を賜りまして誠にありがとうございます。限られた時間の中でお一方に一つずつお伺いをし、お答えをいただきたいと思います。
 まず、浅川公述人のお話の中で、私は、人としての当たり前の基点を据えるというこの言葉に非常に深い印象を受けました。そのことが今回の教育基本法改正の目的ではなかろうかと、こう思っております。
 我々与党の案、政府案でございますが、これはそうした目的でございますし、民主党の出された案も大きく違いはないのではないかと思っているわけであります。決して子供を徳目で縛るというつもりはないんですが、外れてしまったたがといいますか歯止めといいますか、先ほどおっしゃいました。これを回復するためにどうすればいいのか、現場でもいろんな試行錯誤がなされておると思います。その手掛かりとして、先ほどボランティアということをおっしゃいました。これは大変有効なものであると思いますが、特に学校でのボランティアの導入、これについて御意見がございましたら、後ほどお伺いをしたいと思います。
 続いて黒沢公述人には、政府案に対して様々な御懸念や御批判をいただきました。
 私は、こうした公聴会を開く主な目的というのは、法案に対する厳しい御意見を伺うことだと思っておりますので、その意味で深く感謝を申し上げたいと思います。
 先ほどは、主に政府案に対する御懸念や御批判をいただきましたので、この際、民主党さんも大変立派な対案を、日本国教育基本法案というのを出しておられますので、これに対する評価というものをお伺いしたいと思います。
 日本国教育基本法案は、前文に「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、」という大変すばらしい表現が盛り込まれておりますし、また、十六条で「宗教的感性の涵養」ということもうたわれております。
 こうした民主党の対案については、教育現場からの代表も多く含まれておられる民主党として大変な御英断だったと私どもは思うわけです。我々、政府案の方がベターだとは思っておりますが、民主党案にも見るべきものは多いというのが我々の見解でございます。この民主党案に対する御評価もお伺いをしたいと思います。
 続いて小林公述人には、大変生き生きとした御意見ありがとうございました。
 学校の先生の研修の在り方について、受講型の研修ではなくて、参加型、作業型の研修が望ましいという御意見でございました。そして、長期間派遣型の研修をすることはできないかという御提言は、私、先日、参議院のこの教育基本法の特別委員会で文部科学大臣にもそういう提案をしたところであります。
 先生は学校で学び、そして学校で教えるわけですが、学校を飛び出して広い社会の中でいろんな体験を積んで学んでいかれることが子供たちを導く力にもなると思いますので、その辺り、もう少しお考えがありましたら、お伺いをしたいと思います。
 最後に、喜多公述人からは、子供の意見を聞く場が少なかったのではないかという御指摘がございました。
 子供さんの意見陳述を国会で聞くというのはなかなか我々の考えの及ばないところでございますが、今回、そうした機会がございませんでしたので、喜多先生から、子供たちが、現下の教育の問題あるいは学校の問題をどう変えていったらいいか、どうしてほしいと彼らは思っているか、その具体的な意見、声というものを先生に是非代弁をしていただきたいと思います。
 以上、今いただいた御意見に基づいてお尋ねを申し上げますので、どうかよろしくお願いをいたします。
#416
○公述人(浅川宏雄君) 今、岡田委員から学校でのボランティアについてというふうなお尋ねでございます。
 私も既に現役を退いておりますが、七年前まで山梨県の甲府南高等学校という現場におりまして、一般の教諭、それから、しばらく置いて校長をそこでさせていただいたわけですが、山梨県でも甲府南高校というのは大変いわゆる進学校でございました。そういう中で、ボランティアというふうなことを一つの人間としての基本的な何か資質を養うための手段として大変有益、有効であると考えるわけですが、泣き言になってしまいますが、現場では、世間様の期待もございまして、いかに進学実績を上げるかということのニーズが大変強うございまして、何かそうした要望に教員もこたえざるを得ないという言い方は変でございますけれども、いわゆる有名校、ネームバリューのある学校へ何人入れるかというふうな、そういうことに大変強い御期待あるいはプレッシャーというものがございます。したがいまして、そっちの方に力を入れていますというと、教科に関係しない部分については、まあまた学校を卒業したらしっかりやれというふうなついつい傾向になることがございまして、私がということじゃございませんけれども、大変厳しい状況ではあったと。
 その中で、私も努めて、何というんでしょうか、進学校の校長としてはあるいは資格を欠くことになったのかもしれませんが、実は校内で、一日の授業を始めるに当たって十分間だけ自由な時間、小中学校では読書の時間というのを今大変設けているようですが、私は、読書を中心でいいと、ただし、じいっと物を考えていてもいい、眠るなよと。何か心をまとめる時間を十分間だけ、学校の中でいつも君らは他律的な中で生かされざるを得なくて、これは恥ずかしい話ですが、しかも、こうしろ、ああしろの中で生きているから、自分が学校という場でちょっと我を取り戻す時間をつくるために十分間のということを、まず教師仲間に提案をいたしました。ところが、総スカンを食らいまして、校長は何を考えているのかと。あれは、問題があって生徒指導が大変困っている学校が窮余の一策としてそういうものを設けているんであって、うちの学校は幸いそうした問題もないから、そんな時間があるんならもっと古典の単語の暗記をさせろとか英単語の勉強をさせろとか。
 現実に、私は、それでとにかく熱心に訴えまして、時間を一切り掛けて、じゃ、仕方がない、校長がうるさく言うから何とかしようという、もちろん賛成者も若干いたわけですが、何とかその方向で。本当は一日の初めに当たってそれをしたかったんですが、まあそんなことを言うなと、授業の始まる前にそんなことをしてという私とは全然逆な考えが大勢だったんです。じゃ、昼休みの午後の授業へ入る前でもいいと。それで私も妥協いたしまして始めたんでございますが、実際にその中では、私にこっそりと単語の勉強をさせていた担任もかなりいたようでございます。
 肝心な話それてしまいましたが、そうした大変厳しい状況の中ですから、委員様に申し上げるような華々しいあれもございませんけれども、ただ、クラブ活動として一部の生徒がいろいろと、施設の慰問ですとか幼稚園ですとか、そういうところへ出向いていろいろな活動はしておりました。それはその子たちはそれなりにそこから充実感を得ていった、そして卒業していったと思うわけでございますけれども、数がいかにも少のうございまして、それから、はっきり申し上げて、いわゆる超優秀校を目指すような子供はもちろん比較的少なく、多少進学の方についてはゆとりのあるという言い方は変でございましょうか、そういうあれが多かった。
 したがいまして、そういうことで、人間というのは、何か私の個人、ちょっと長くなって申し訳ございません、子供についてもこの間ちょっといさかいをしたんでございますけれども、近所のごみ出しといいますか、有価物回収というのを子供クラブなんかでやっているんですが、その荷物を日曜日に出すことになりまして、朝八時ごろですか、一緒におります息子に手伝えと、こう言いまして、まだ寝ておりましたですが、遂に最終的には手伝わずに親がやって終わってしまったのは自分でも大変反省するんですが。そのときに、恐らく小さいころからそういう癖が付いていれば、はいと言って目をこすりながら起きてきてやってくれたかと思うんですが、親も甘かったんでしょうか、結局やらせずに、大変、後ちょっといさかいをいたしましたけれども。
 自分自身の足下もそうでございますけれども、何かそうした人が生きていくというのはやっぱり汗をしながら手に物を得て、それを食べていくんだということの原点を分かるような機会をつくりたいと。学校なんかで特にそうしたものを、機会を設けられればいいんですが、いかにせん、そういうことをしていたら、恐らく、あの学校は何しているんだと、進学校だろうというふうな強烈な批判を浴びる、それも覚悟してやればいいんでございましょうが、教員が付いてきてくれないという面も場合にはございます。大変難しい状況があるのかなというふうなことを感じました。
 大変雑駁になって恐縮でありますが、ただ、是非そういう方向ができれば積極的に求めていきたいなという気持ちは強うございました。
#417
○岡田直樹君 ありがとうございます。
#418
○公述人(黒沢惟昭君) 私は、研究者の端くれとして、国民の一人として、愛国心というようなことは法律に盛らない方がいいという意見を率直に申し上げたわけでございまして、ただ、政党の中にいろんな意見があるということはこれは当然でございまして、十分議論をして、そして決まれば、これはもうこれで民主主義の社会ですから致し方ないことで、多数派として私もそれに従わざるを得ないだろうと思います。ただ、十分議論をしてほしいということを申し上げたいんですね。
 それで、民主党さんの中にもこれは教員の議員もいらっしゃるし、十分議論してほしいし、この間の衆議院のように、野党が全然いないところで何か採決してというようなことを是非参議院ではやめていただきたいということを最低私はお願いしたいという気持ちでございまして、議会で決めたことについては私はこれは従わざるを得ないし、それは認めざるを得ない、そういうふうに私は考えます。議論は是非尽くしてほしい、参議院では是非お願いしたいということを最低申し上げたいという立場でございます。よろしくお願いします。
#419
○岡田直樹君 ありがとうございます。
#420
○公述人(小林和紀君) 先ほど話のあったところでもう少し詳しくというところがありました。私自身、学校の外で学んだこと、学校の外で働いたところの部分でいろいろ知ったことの部分について、わずかですから、ちょっと話をさせていただければと思います。
 学校の外ということと、また学校を辞めてからほかのところに行ったところでも、前の生徒から連絡をいただいたときの部分のことも含めてなんですけれども、とてもつらい環境にいる生徒に対して、やはり本当に苦しいときに横にいてあげられる時間というのが欲しかったなと思っております。また、そういう大変な中でも無理して頑張って学校に来ているところに対してどうかかわるかという時間が本当に欲しいなと思っておりました。
 また、あと、先ほどもちょっと言ったんですけれども、教員自身のチームワークというところの部分にもう少しいろいろな手が入れば良くなるのではないかなと思っております。聞いた話ですけれども、仲のいい教員団の学校ではいじめ、暴力等が非常に減ってくると。また、そういうところが乱れてくると、どうしてもほつれが出て、いろんなところから問題が出てくるという話を聞いたことがあります。
 また、様々な学校行事ということも先ほど話をさせていただきました。儀典的な行事であったり、また体育祭、文化祭等、様々なところで、いろいろなところでいろいろな角度から子供たちに光を当てていくところに対して、もう少し学校全体で、勉学が大変だ、いろいろあると思うんですけれども、いろんなところの部分で教師自らそういった学校行事に対して力を入れていくところからいろんな光を当てていけば、今まで見えなかった輝きというのがどんどん出てくるのではないかなと思っております。
 そういった意味で、一見遠回りのように見えるかもしれないところですけれども、やはりいろいろな角度から子供たちにかかわっていく、そういうところを奨励していくということと、また、そういうところの部分を教員同士が研さんし、また強いチームワークで一つの問題を変えていこうというところに対して、やっぱり外のところで私は特にその部分を学ばせていただきました。
 以上です。
#421
○岡田直樹君 ありがとうございました。
#422
○公述人(喜多明人君) 子供の声についてもう少し具体的にという御質問でございました。
 私が意見陳述した中では、資料の六は一例でございますが、あと、フリースクールの子供ということで、両者とも非常に強い動機があって教育基本法を学んで自分なりの意見を持ったという、そういう子供たちでございます。札幌の子供たちは、どちらかというと強制されることに対して非常に嫌がっているという状況があるようでございますし、それから、フリースクールの子供たちは、やはり非常に競争原理が働いていく学校、社会で、自分たちがどういうふうに今後置かれていくのか、特に不登校の子供たちとか、言わばマイノリティーの立場にいる子供たちが非常に不安感を持っているということが表れとして指摘できるのではないかというふうに思います。
 ただ、これは非常に限られた子供たちが関心を持った、特別な何か動機を持って関心を持った子たちが勉強してそういう意見を述べているにすぎないというふうにも思います。
 それで、実は今回の法案の中に、民主党さんだと思うんですけれども、学校理事会が入っている法案が出されておりますが、元々モデルはイギリスの学校理事会があるわけでございますけれども、実は子供参加というのは、イギリスの学校理事会は子供が入ってないんですが、フランスやドイツ、イタリア、大体、欧米、アメリカの州の幾つかはそうなんですが、子供も含めた四者での協議会で学校を運営していくという考え方がございます。
 例えば、ドイツのノルトライン・ウェストファーレンの州法ですけれども、学校参加法というのがあるんですが、そこでももちろん生徒参加が入っているわけですが、そのときに、生徒には参加し、意思を表明するために必要な情報を得る権利というのが規定されているわけです。つまり、情報がなければ意見表明はできません。参加はできないんですね。ですから、当然、教育基本法についての情報が子供たちに入っていなければ、子供たちが意見を述べるということは一般の子供では考えにくいわけです。
 今、教育基本法についてなかなか国民的論議にならないということでいろいろ問題になっておりますが、それは当たり前なんです。だれも習ったことがないからなんです。教育基本法を皆さん方が子供のときに習いましたか。学校の教育内容として教育基本法を学んだ経験があるかどうかということですね。これ憲法改正問題との基本的な違いなんですね。憲法はだれでも学んだことがあるから、その問題に対して改正というとイメージがわくんですが、子供の場合あるいは一般の市民にとって、教育基本法というのは、元々学んだことがないものに対して意見を持つわけがないんです。ですから、そういう意味では、子供たちに教育基本法に関する適切な情報をやはり提供していくということから実は子供たちの意見を聞くことが出発せざるを得ないというふうに感じております。
 それから最後に、じゃ、情報提供したら今の子供たちは意見を言うかというと、私たちのいろんな自治体調査で、大体社会参加とか、学校でも児童会、生徒会に参加してくる子はもう二、三割です。残念ながら、私ども早稲田大学の学生も含めてですが、社会的に何か意見表明、参加するという動きはほとんどなくなってきております。学級崩壊というのがございますけれども、私たち、うかつに自主的なゼミなんといいますとゼミ崩壊します。学生たちも、もうかかわるのがうっとうしい。非常にその参加に対して、前向きに何か参加していくことに対して面倒くさがるという意識が非常に働いております。
 その根源は何かというと、今日私が強調したように、子供や若者の中に、やっぱり自分を肯定的に見ていく、自己肯定感というのは能動的な活動源なんです。自分が何か積極的に物事を進めていこうという活動源が失われてきている。その自己肯定感の低下が今の若者や子供たちからエネルギーを奪っているんではないかと。
 そういう状態ですので、最後に、長くなって済みませんが、ほっておいても意見は出てきません。これはもうそういう時代ですので、そういう子供たち、面倒くさがっている子供たちを支えていく支援というのが非常に重要です。大人側が子供たちの意見を引き出していく支援、支えるという活動が今求められている時代です。これは、ユニセフも今の大人の責任だと言っています。子供の意見を聞く力を大人の側が持つべきだということをユニセフの世界子供白書がそういうふうに語っております。これは今の時代の問題として、私たちが子供の意見をむしろ前向き、積極的に我々から聞きに行くというか、我々自治体では出前型の、我々が聞きに行かないと子供たちが来てくれるわけではないという、そういう時代だということも申し上げておきたいと思います。
#423
○岡田直樹君 どうもありがとうございました。
#424
○水岡俊一君 民主党の水岡俊一でございます。
 本日は、公述人の皆さん、公私ともに大変お忙しい中を御協力をいただきました。私も委員の一人として、改めて心から御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。
 さて、貴重な時間でありますので早速質問に入ってまいりたいんですが、この参議院での特別委員会、実は教育基本法案、これは政府案、それから民主党案として日本国教育基本法案、そして教育振興法案、さらに新地教行法案というこの四つの法律を一括して審議をしているわけです。この審議というのは、参議院の方でももう五十時間を超えたということではありますが、この審議が十分であるのか、いや、まだまだこれからしっかりと深めていかなきゃいけないのか、そういったことについて皆さん方はどういうふうにお感じになっているかということをまずお伺いをしたいんです。
 それで、四人の公述人の皆さん、順に、簡単でも結構でございます、どう思われるか、そしてそれはなぜそう思われるのかということをお述べをいただきたいと思います。黒沢さんには、先ほどとちょっとダブるかもしれませんが、ひとつよろしくお願いいたします。
#425
○公述人(浅川宏雄君) 大変答えにくい質問でございまして、実は巷間あるいは新聞報道等でも、審議を十分尽くしていないのになぜ採決をするかというようなあれがいつも出てくるわけで、これは実際に現場にいらっしゃる先生方が審議をなさっていて、まだ不十分だ、足りないというふうな御意見がきっと出るのかもしれませんが。私どもは時々国会中継なんかをNHKで拝見しておるわけですが、そこで厳しいやり取りを拝見していて、先ほど五十時間ということをおっしゃいましたが、問題の内容と、それからそれについての皆さんのいろいろな発言の機会、議論の様子、そうしたものが、五十時間というのが短いのか長いのか正直言いまして私にも分からないんですが、専門の方が選出されて集まっている場でございますから、いろんな立場から能率的な意見があれこれ飛び交って、かなりそれなりの進展をなさっているのではないかという気がしないでもないんです。確信はございません。
 こんなことでよろしゅうございましょうか。失礼いたしました。
#426
○公述人(黒沢惟昭君) 本当に、さっき申し上げたように、五十時間とか何かそういうふうに聞くんですけど、私どもとしては、学生と一緒に教育基本法について急遽ここ一か月ぐらいコピーしながら議論をしているんですけれども、喜多先生もおっしゃったけど、学生の方にほとんど反応がないんです。私、法学部にいますから、憲法については確かに多少、多少と言っては恐縮ですけれども、関心はあって、それなりに勉強はしているんですが、教育基本法については、私、逐条読み上げて説明して、やっとそれで関心を持っているんですが、今先生がおっしゃったほかの法律については全然関心がない状況なんですね。だから、私、本当に、うちの大学だけかもしれませんけど、情けなくなるほど無関心なんです。
 それで、ここへ呼ばれるために三日ぐらい前から急遽私自身も読み直している状況なんです。だから、恐らく、私、教員で法学部にいるという状況ですからかろうじてほかよりは多少とも読んでいる方かなと思いますので、普通の人にとってはもっともっと無関心かなと思うんで、更に何かそういう時間を与えて議論をしてほしいなというのが率直な希望でございます。
#427
○公述人(小林和紀君) 私自身も本当に、今お話があったように、ほんのわずかながらの勉強でしかないので分からないと思うんですが、日本国教育基本法案のところの十七条のインターネット等の部分のところで、そういった限界、問題、人間関係構築とあるんですけれども、やはり人間と人間は目と目を合って、向き合って、そしていろんな話をしていく、時には悩みがあったり誤解があったりぶつかり合いながら、また同じかまの飯を食う等ありますけれども、そんなかかわりをする中での人間関係の構築のところが私自身はもう少し光を当てていただく中で、その後の部分でああいったものの、仮想情報空間のコミュニケーションというのは、その後に、また情報伝達というところの部分の、思いの部分よりも記録の部分で生かすべきものであるかなと思っております。
 あともう一つ、様々な内容のところの項目で自主的な運営というところが非常に光が当たっているかなと思うんですけれども、私自身、様々なところに行かせていただく中で、どうしても自主的な運営のところになるとある程度の形ができてしまう、どうしても低い方に流れてしまうところの部分がどうしても頭をもたげているなという教員集団があります。そういったところを見て、やはり本当に高い目的のところの部分で切磋琢磨していくところの部分がもう少し前面に出てくるといいように生かせるのではないかなと思っております。
 以上です。
#428
○公述人(喜多明人君) 私、以前、目黒区というところでの子ども条例の審議をさせていただいたことがあるんですけれども、そのときにやっぱり親の問題で、家庭教育や親の問題で、いろんな問題のある親に対してきちっと責任感を持ってほしいという意見と、しかし、そんなふうに責任ばっかり追及していたら、もうだれも育てなくなるんじゃないのと。親の問題も教師の問題も子供の問題も共通なんですが、いろんな事件やトラブルあります。そのときに、どちら、つまり親の問題点とか教師の問題点、あるいは子供の問題点、少年事件なんかも含めて、そっちを重視して政策的な文書を作っていくのか、むしろ親や子供や教師を支えて励ましていくという視点で政策というものが推進されるべきなのかという、これは時代時代によって問われ方が違うと思うんです。
 例えば、今、親の問題でいいますと、やはり何か事件があると親が責められるその問題と、一・二五という出生率、百六万という出産数、そういうもう少子化が止まらないこの現状というのは僕は非常にかかわりが深いと思っているんですね。つまり、今の親の問題でいえば、確かに問題も抱えている、そこを支えなきゃいけない、虐待の問題も支えなきゃいけないけれども、しかし支援が必要だと。支援しなければやっぱり親が本当に楽しく子育てができない。だから支援というのが非常に重要なキーワードだと僕は思っています、この時代だからこそ。それは教師にも言えるし、子供にも言えるんですね。
 さっき、私は自己肯定感が今落下現象だと言いました。やっぱり子供たちというのが今本当に大人の側から見れば責められ続けていて問題だと。いじめの問題も含めてですけれども、子供は常に大人の側から見れば厄介者扱いされるような、そういう見方をされていくことによって子供たちが自信を失っていく。いろんな問題を抱えていくというのは、そこにやっぱり子供を支援していくということが今政策の基本にならなきゃいけないんじゃないか。
 僕は、学校も教師も同じだと思います。学校に限界があるのは当然なんで、その限界があるからこそ地域や自治体、国がむしろ学校を支えていく、支援していくという視点で政策というものをやっぱり立てていただきたいと。
 法案の個別の問題はここでは時間がございませんけれども、全体の法案についての基本的な立脚点というものを申し上げました。
 よろしくお願いします。
#429
○公述人(黒沢惟昭君) ちょっとよろしゅうございますか。十秒だけ。
 さっき申し上げたのは、岡田先生、私の個人的じゃなくて、授業でそういう話が出たんです。教育基本法について学生に聞いたら、何が関心あるかと言ったら、先生、そんなのあんまり関心ありませんよ、私が出ているフリーターの話、そっちの方が私よっぽど関心があって、それでさっき冒頭に申し上げました、正社員になりたいんだけれども全然なれない、こっちの方が先生よっぽど問題があると言う。昨日の授業でも三人からそういう質問がありました。一つ、そうです。
 それから、じゃ、教育基本法について何かイメージないかと言ったら、さっき私が何か勝手にイデオロギーで言っているんじゃなくて、愛国心が問題なんでしょうと、でもそんなのはもう何十年も昔の話でしょうということで、それで急遽、私、先生方に差し上げたレジュメで、アレンジして作ったんですね。それだけちょっと申し上げたいと思います。
 失礼いたしました。
#430
○水岡俊一君 ありがとうございました。
 黒沢さんに重ねてお伺いをしたいんでありますが、この政府案の教育基本法については、政府側の答弁としては、これからの日本の教育の姿をここに表していると、こういう見解なんですね。
 ところが、私たちは果たしてそうだろうかという思いを持って審議をしているわけですが、例えば後期中等教育についてこの教育基本法案はほとんど述べていません。それから、高等教育は、これは国の態度として無償化を求めていくんだということは、これは絶対あるべきだと思うんですが、そういったことについても書いていないというようなことを私自身も思うんですけれども、黒沢先生としてはそういった点についてはどういうふうにお感じになっているか、お聞かせをいただきたいと思います。
#431
○公述人(黒沢惟昭君) 私もそういう印象を持っております。先ほど申しましたように、高等教育だけが何かバランスを欠いて出ておりまして、むしろ後期中等教育の中学校と高等教育の接続の問題とか、ここら辺に大きな問題を、私、十年ぐらい調査して感じておるんですが、そこについてはほとんど書かれておりませんし、その辺の問題についてどういうふうに認識されておるのか、こういう点についてはどうなんだろうかと。例えば全入の問題とか、これは一貫して私なんか、この前、衆議院の文教委員会でも私参考人として申し上げましたけれども、そういう点についてどういうふうに書かれておられるのか。
 ここからはちょっと私の私見になりますけれども、グローバリゼーションの中で、急遽、国の形を前進させて出すために高等教育に重点を置いて、そういう面が非常に強く出された教育基本法改正になっているんじゃないかというふうな印象を受けたものですから、先ほどのような私の意見になっておるわけでございます。その辺がちょっと私見が強かったかなという反省をしておるんですが。
 以上でございます。
#432
○水岡俊一君 ありがとうございました。
 それでは、喜多先生にお伺いをしたいんでありますが、やはり教育基本法という法律においては日本における教育の条件整備をしっかりとしていくことを明記をして、国のスタンスをはっきりさせるべきだというふうに私は考えているんですが、そういった意味では、先生これまでから子供の安全であるとか、そういったことについてもいろいろとお考えを述べていらっしゃるので、この子供の安全、子供を学校という中でどうやって守っていくのかということについて教育基本法に書かなくていいのか、あるいはどういうふうな記述がいいのかということに関して、先生、今現時点で何かお考えがあればお聞かせをいただきたいんです。お願いします。
#433
○公述人(喜多明人君) 民主党の方では、教基法に関した法案と、もう一つ条件整備の学校環境の整備法で安全についてもうたっていらっしゃいまして、そういう意味で、私は先ほど申し上げたように、今学校をただ批判するだけでは何も解決しないので、やっぱり限界があるなら、その限界を踏まえながら支えていくという支援法的なものの枠組みとして、行政が条件整備を中心とした法体系を持っていただくということは僕は非常に重要な意味を持っていると思います。
 特に安全に係っては、大阪府の寝屋川の事件が象徴的でございますが、文科省が出している危機管理マニュアルに沿って一生懸命現場が努力した結果、先生が亡くなったり重傷を負うという、教職員も命を落とすという時代になったわけですね。その中で求められているのは何かといったら、安全については、やっぱりこれは行政も痛みを分かち合うという姿勢が必要だと思うんですね。
 行政が痛みを分かち合うとは何かといったら、金を出すということなんです。これは人件費です。ですから、僕は、我々学会では学校安全法の法案を出させていただきましたけれども、中心はやっぱり安全についての専任職を学校はもう置くべきだと。今の現行の教職員ではもうとても手に負えない、命を懸けてやっているわけですから。第二の寝屋川、第三の寝屋川を出さないためにどうするか。そのためには行政も痛みを分かち合う、そのための安全職員を含めた学校の条件整備というものをやはりきちっとお願いしたいというふうに考えているわけでございます。
 今ボランティアで保護者や住民がパトロールしておりますが、安全はボランティアでは済まないと思います。防犯とか安全というのをボランティアに頼っていてはいけないと思います。それは、第二の寝屋川が保護者になったり第二の寝屋川が住民になる可能性は高いわけでございますので、やはり防犯は、安全というのは、行政がきちっと制度的な保障、財政的な担保を持っていないと解決しない問題ではないかと。そういう意味で、その条件整備を中心とした学校や教育の支援というのは非常に重要だというふうに考えております。
#434
○水岡俊一君 喜多さんにもう一度お伺いしたいんですが、ちょっと別な件で。
 先ほどのお話の中で、子供の声がこの審議にも生かされていないというお話がありました。学校という社会の中で子供の意見を生かしていくということを第一に考えるとすればどんな方法があるかということになると思うんですね。例えば、民主党は学校理事会というものを民主党案の第十八条に掲げておりますが、その中に子供の声を聞くという形はまだ入れられていないという意味では不十分だというふうに思いますが、先生としては、どういった形でこの教育基本法の中にそのことを盛り込むことができるのか、その点については何かお考えがありますでしょうか。
#435
○公述人(喜多明人君) 教育基本法案の、私の前提は、私の意見は、一般論として教育基本法の改正というのはあり得ると思っております。例えば子どもの権利条約を批准している日本の立場として、子供の権利の視点から教育基本法というものを見直すということはあり得ると思います。
 ただし、今回の改正案の問題については、私は少なくともプロセスがまだ十分とは言えないんではないかと。本当に国民の支持が得られるような教育基本法の改正になっていないんではないかと。たとえ中身が良くてもプロセスが悪けりゃ駄目なんですね。やっぱりプロセスというものはきちっとしているのが民主主義の社会、民主主義のルールなので、そういう意味では、残念ながら今回の改正問題は必ずしも国民が納得できるような改正手続であったというふうには私はちょっと感じてないものですから、そこは一つ言っておきたいんです。
 一般的に改正はあり得るというレベルで言えば、やっぱり子供たちの参加というものが僕は教育理念の一つの重要な柱になってほしいというふうに思っております。
 それで、単純に運営面だけに子供参加を要請しても、今の子供は出てきません。これはもう自治体でもどこでもそうですが、先ほど申し上げたように、自己肯定感の低下、そして面倒くさい派がもう多数派になっている今の子供や若者世代は、残念ながら社会参加に対しては非常に否定的です。
 ですから、先ほど申し上げたように、子供たちが参加をしていけるような支え、支援が必要でございますので、そういう教育、教師の役割としても、いわゆる指導という枠を超えて、支援という、子供たち自身が考えを持ち、行動し、結果にも責任を負っていけるような、そういう子供たちの活動を支援していくという理念が教育の中にもう一歩、もう一つ含めていくような方向が望ましいのではないかと。
 つまり、制度としての参加だけでは形骸化する。やっぱりそれを支えていく支援という理念を是非盛り込むことが重要かなというふうに思っております。
#436
○水岡俊一君 ありがとうございました。
 私は終わります。
#437
○浮島とも子君 公明党の浮島とも子です。
 本日は、四人の公述人の皆様方には本当に大変貴重な時間帯をいただき、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
 私は、今回の改正で最も大切、重要なのは、現場が一番重要だ、大切だというふうに思っております。そんな観点から何点かお伺いをさしていただきたいと思うんでございますけれども、まず初めに浅川公述人に、先ほど、人は人とのつながり、互いに思いやる、体験が少ないのではないかと。子供たちが体験すると生徒の目が輝くとおっしゃっておられたんですけれども、私も本当にそのとおりだと思っております。直接体験というものが本当に子供たちには必要ではないかなと思っているんですけれども、そんな観点から、具体的にどのような体験活動が子供たちに必要であるかということをまずお伺いをさしていただきたいと思います。
 それで二点目に、小林公述人の方には、地域の子供を地域全体で育てていく、教育のための社会であることが大切であると感じると先ほどおっしゃっていただいていたんですけれども、地域が果たす役割について、具体的にどのようなことが考えられるかということをお伺いをさしていただきたいということ。
 あと、最後には、四人の公述人の皆様にお伺いをさしていただきたいんですけれども、現場の先生のお話をお伺いしたところによりますと、なかなか生徒たちと直接時間を取ることができない、事務作業などに追われてなかなか子供たちと時間を、話し合ったりする時間が取れないという現場の声を数多く伺います。
 そこで、私もOECDの調査、これ二〇〇四年なんですけれども、調べさしていただいたところによりますと、法定勤務時間数というのが日本は諸外国に比べて、千九百六時間と一番、最も長くなっております。しかし、年間授業数というのが残念ながら、一番勤務数が多いにかかわらず、そこで子供たちとかかわる時間が多いのかなと思って調べたところ、年間の授業数というのが何と一番少ないのが日本でございました。
 そこで、教育現場で何が一番問題であると考えていらっしゃるか。教育行政上の問題又は要望でも結構なんですけれども、何かありましたら、四人の皆様にお聞かせいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
#438
○公述人(浅川宏雄君) 先生の御質問、どんな種類の体験がというふうにおっしゃったんですね。
#439
○浮島とも子君 はい。
#440
○公述人(浅川宏雄君) 私も、学校という現場では、先ほどちょっと岡田委員の質問に答える中で、なかなか時間がつくりにくいという、言い逃れのようなことになってしまいました。それは、今の受験体制が、特に進学を中心に取っている学校にとっては大変厳しい、その中を突破すればいいんでしょうけれども、そういう学校へは人が来なくなるというようなことが出てきますし、それはまた、学校というよりも、保護者がそれをかなり希望しておられるというその辺のつらさが大分ございます。
 それはそれとしまして、地域でも私ども、何というんでしょうか、自治会というのがございまして、そこの役員なんかもさせていただいている中で、努めて地域の子供を引っ張り出そうということを役員の中でいろいろ考えまして、いろんな行事を考えるんですが、例えばもちつきをやってみるとか花火大会をやるとか、もちろんゲームをやる、ソフトボールのあれに参加させる。それなりの子供は出てくるんですが、ただ、何か目を輝かせて出てくるという感じがなかなかないんですが。
 変なことを考えますんですが、実際にまだそういうことはできないんですけど、考え方として、何か、今大変満ちあふれて、いろいろふんだんに恵まれた環境で育っている子供たちに、ここが難しいんでありますが、何か足りなかったり欠けていたり苦労したりというふうな、何かそういうことを、またこれもやり過ぎますと、すぐ保護者の方々や親御さんからうちの子供に何をするかというような、訴訟も起こされかねませんので大変難しいんですが。
 しかし、私たちが自分の経験を考えますに、それを売るわけではございませんが、例えば夏の暑い中で、私の実家といいましょうか親元が農業をやっておりましたんで、炎天下で暑い中、草取りをさせられるわけですが、何か収穫ですとまだそれなりの楽しみがあるんですが、草取りというのは全く、ただひたすら前を向いて、立ち鉋といいましょうか、器械というか道具で草を取る作業で、のろいながら小学校、中学校のころ手伝ったものです。ただ、それが何か、手前みそですが、いろんな形で物事を続けるとか何かいうときに、割合今でも、まあしようがない、やっちまおうかというふうなことで続けられるんですが、何か自分の子供を見た場合に、それができるのかな、これまたやらせなきゃいけないわけですが。
 したがいまして、何かそうした、目を輝かすかどうかは分かりませんが、ある段階を過ぎれば輝かすかもしれません、そういう、足りないもの、欠けているもの、耐えなきゃならないもの、そういう体験を是非させたいと。本当にそれが、できれば早いうちからということを考えるんですが。ただ、親御さんにはかなり反発があるだろうという気もしないではございません。
 よろしゅうございましょうか。
#441
○浮島とも子君 ありがとうございました。
#442
○公述人(小林和紀君) 先ほど地域とともにということがありました。今、浅川公述人のお話のとおり、本当にいろんな、様々な年中行事というかそういったものが非常に大切だと私自身も思っております。
 そこの中で私自身思うのは、地域の振興の中心拠点が学校でなければならないんじゃないかなと。そこに中心軸を置くことによって、いろいろなものが、学校を活用しながら、もういろいろなものが、人が集まり、物が集まり、いろいろなものが動いていくことが大事じゃないかと思っております。これは大分先のことだし、遠い先のことかもしれないですけれども、土日であっても、いつ学校に行っても何かやっている、何か楽しいことがある、何かいろんなものが学べる、そういった学校を中心とした地域の支えというものが大事ではないかなと思っております。それがまず一つです。
 あと、その部分の、同じような多くの人とのかかわりで、最近の場合は、人に声を掛けられる、また人が会う、そうすると、はっとする時間が多いわけですね。やっぱりそういう中で、はっとさせるところなのか、ほっとする場所なのかというところの部分のとらえ方、また子供たちに対する、同じ目線でのかかわりというところが大切ではないかなと思っております。
 また、様々、先ほど安全とかの話もありました。そういったところで私思うことは、これは、ほかのいろいろな管理体制のことがあると思うんですけれども、やはり様々な通達、いろいろなものが出ていますけれども、なかなか、破られ、実際にはいろんな不祥事が起きている部分あるんですけれども、やはり、私たち自身が生徒に例えば宿題を、紙を渡してやってこい、やってくるわけないわけですね。やっぱり一緒にやろうとか、そういったところの部分が大事なんですけれども、この部分のいろいろな問題、いろいろなものの通達、いろいろなもののこういったことに対する指導というのも、念のためにやっているのか、何のためにやっているのかという部分の違いが非常に大きく出ているのではないかと思っております。
 地域が大事、家庭が大事、これも念のための話が非常に多く私の目から見ると見受けられることがあります。念のためというのは、当然後ろ向きであるし我流であると思います。何のためというのは、基本に忠実だし、前向きなところ、一番大切なときに一番本当の力が出る、そういったものになると思います。
 そういった意味でのいろいろな意義付け、いろんな提案、そういったものの一つ一つが何のためなのか、これからどうしていくのか、どうしてこれが必要なのか、そしてこれがこの後どう生きるのか、そういった部分のものを大切にしながら、いろいろなものの諸政策が進んでいけばすばらしいものになるかと私自身は思っております。
 以上です。
#443
○浮島とも子君 ありがとうございます。
#444
○団長(中曽根弘文君) 全員への御質問ですから、喜多公述人からどうぞ。
#445
○公述人(喜多明人君) 先ほど、ちょっと態度の問題で、フリースクールの子供たちが、ふりをする、ふりをしていなきゃいけないというと何か二重人格になるんじゃないかという意見が出ていたという話を紹介しました。私は、今の現場の教師はふりをすることが多くなり過ぎたんじゃないかと思うんですね。そういう姿勢を取らなきゃいけない、教師らしい姿勢を取らなきゃいけないというか。今後、恐らく国会、政府でも問題になる学校評価、常に評価のまなざしで見られている。だから、教師らしくしてなきゃいけないということに、もう常に周りを気にして頑張らなきゃいけないと。
 教師というのは、僕は、どんなに過酷な条件でも本当に何か子供のためだと思ったら頑張っちゃう、そういう人たちだと思うんですね。それは、あくまでもやっぱり教師が人間の顔をしているときなんですよね。仮面をかぶっていたら、やっぱり教師はつらいです。ですから、そういう意味では、教師が仮面をかぶらざるを得ないようなそういう評価システムではない、もっと子供と教師が生き生きと活動できる自己評価的な学校評価であってほしいし、親も住民も消費者感覚で物を見ないでほしいと。いわゆる教育は商品の品定めではないので、むしろ親も住民も、学校理事会の発想というのはそういう発想だと思うんですが、一緒に学校を支えていく一員として保護者や住民も教師を支えていくという体制をつくっていってほしいなというふうに思います。お互いが人間の顔、そういうコミュニティーを学校の中に実現していくような方向で、政策、教員、あるいは学校の運営について是非御検討いただければと、それがやっぱり教師が人間の顔を取り戻すということが僕はすごく大事だと思っております。
 以上です。
#446
○公述人(小林和紀君) 先ほどの話と大分かぶさってしまった話をしてしまったんですけれども、少し残したところをお話しさせていただきます。
 先ほど、正に目を輝かせるという意味では、浅川公述人の方で、足りない、欠けているところを感じさせていくというところがありました。また、地域の部分のところでは、様々な人がいろいろかかわり合っていく中で、是非、教えているし、また教えていきたい、またかかわっていきたいところの部分で、やはり今までの学校、また今までの受け身の体制の授業の中ではどうしても、いつかどこかでだれかが何かをしてくれるんじゃないかというのが非常に強くなっているかなと思います。やはり、いろんなところの体験、いろんな地域、また思いも寄らない言葉、いろいろな声掛けのところで、今ここで自分が何をするのかというところを教えていく、そういうところが地域としてのかかわりとして大事なところではないかなと思っております。
 以上です。
#447
○公述人(黒沢惟昭君) 大変、浮島先生がおっしゃったことは重要だと思うんですが、私も、先ほど申しましたように、生涯学習といいますか、社会教育で現場を回りまして、地域の教育力というもののすごみといいますか、それにはいつもはっとします。
 ただ、これが一点だけ大きな問題というのは、学年が次第に上がっていくにつれて、やっぱり受験の問題と非常にバッティングする面が多いんですね。
 先ほど、私、水岡先生のときに申しましたけれども、中学校と高等学校のこの接続の問題のときに一つバッティングしてしまうと。その一つの例が必修科目の未履修というような問題になって現れていると、私はこう思うんですね。ですから、是非こういう制度的なガンといいますか、ことを問題として考える必要があるだろうと、私はこう思うんですね。これが学習力というものを非常に阻害してしまう。
 ですから、中学校から高校へ行くような、すっと行けるような制度的な保障を同時にしていかないと、地域の学習力といいますか、力がスムースに発揮できない面があるんではないだろうかと私は考えるわけでございます。その辺を同時にやっていかないと、地域の教育力といっても、山梨を回ってみますと非常に多くあります。地域の人が、遊びこそ最大の学びですよと、私、何回もそういう言葉を地域で聞きました。それをスムースに発揮させるには、やっぱり制度的な入試の問題とかそういうものを緩和していくような政策を同時にやる必要があるということを痛感いたします。
#448
○公述人(浅川宏雄君) 大変申し訳ないですが、浮島先生、最初にちょうだいした、どんな体験がという質問を考えている間に、続けて何かおっしゃったようですが、もう一度、時間のことをたしか何かおっしゃっていましたか。恐れ入ります。
#449
○浮島とも子君 私から話させていただいたのは、子供たちとかかわる教師が時間が少ないんではないかというふうにお話をさせていただいたんですけれども、教育現場では何が一番問題でしょうかということをお伺いを。
#450
○公述人(浅川宏雄君) 時間ではなくてですか。
#451
○浮島とも子君 時間ではなくて、もし教育行政上の問題があるか、あるいは御要望でも結構なんですけれども、何かそういったものがあればということでお伺いいたします。
#452
○公述人(浅川宏雄君) 行政の方への注文というのはいろいろそれなりにあったわけでございますけれども、何か教員として生徒を現場で、との付き合いをしている中でやっぱり一番つらかったのは、先ほどからしきりに受験受験と話しておりますが、それは行政への注文というよりも社会そのものが、今先ほどの未履修の問題も随分山梨でも話題になっておりまして、いろいろ犯人捜しみたいなことがなされているわけですが、実際に人間の未来が十八歳で決まってしまうというのは大変おかしい話なんでございますけれども、どうしてもそこのところでみんなふるいに掛けて、くしに掛けて、ここはいい、あそこは悪いというふうなことになってしまうんですが、人間が本当に動き出すのは、そうした準備を経ながらやがて二十代、三十代で社会へ出て活躍するところで本当の力量が出てくると思うんでございますけれども、そのためのゆとりがもう親御さんの中にもないんではないかと。とにかくいい学校、いい会社というふうなことですべてを突き付けられますので。
 また、教員も、それは君たちの人生は十八で決まるんじゃないからとずどんと構えていられればよろしいんですが、結局、そういう結果が出たところを評価されて、いい学校だ悪い学校だというようなことになってしまいますから、是非その辺について社会一般の考え方も変わるような方向で、教育基本法なんかの考え方もそうでございましょうけれども、だんだんだんだん変えていくような方向で何かをしなければいけないのかなという気がしてしようがございません。
 人生がどこに、何というんですか、成績が、学力が低下したという話もしょっちゅう問題になっておりますが、ゆとり教育というのは私は大変なファンでございまして、せっかく、学校にいろいろ問題が生じて学校が混乱したときに、もう少しゆとりがあってもいいのではないかという話が出たときに、授業時間を減らしてでも、その分を例えば総合学習というふうな、何か自分が体験したり考えたりする、将来生きていくために、人の支えがなくなったときどうやって考えて進んでいくかという、そういうことを考えたり体験する時間をさせたかったんですが、その間に何かいろいろ外国のテストの結果なんかが入ってきますというと、それごらん、時間減らしたから、もう遅い。時間を例えば三割減らせば点数が三割減っても当たり前だというふうな、どうして開き直れないのかと。それより、もっとその先へ行って大事な国際化時代に一人の人間が生きていく、そうした教育を学校ではするぞと、そういうことをみんなで何かお互いに粘り合えないのかなということが大変寂しく思ったことがございます。
 よろしいでしょうか。
#453
○浮島とも子君 ありがとうございました。
#454
○渕上貞雄君 社会民主党の渕上でございます。
 公述人の皆さん方、本当に御苦労さんでございました。今日はありがとうございます。
 まずは、浅川公述人にお伺いをいたしますが、その前に私は、やはり今教育基本法をめぐって教育問題の様々な課題がようやく国民の皆さん方の入口のところで議論ができるような雰囲気になってきたのではないかと。
 大体、国会の運営を見ますと、こういう重要な法案のときには、衆議院で、ちょっと言葉は非常に雑になりますけれども、ちょうちょうはっしやり合った後、参議院に来て静かに議論をし始めたらだんだん国民の方も関心を持ってくるというようなのが大体今までの国会における重要法案の審議の中なんですよね。ですから、参議院に来ましたから、ようやく国民の方々も教育基本法というものが非常に大事な問題だなというふうに考え始めてきたのではないかと。
 したがって、この教育基本法議論を始めてようやく問題になってきたのが、今の教育はどうなっているんだというようなことに始まって、学校ではどうなっているのか、子供たちはどうなっているのか、家庭はどうなっているのか、労働現場はどうなっているのか、そして一体教育基本法は何を考えておるのかというようにだんだんなってきたんじゃないかと思うんですね。したがって、私はもう少しやはり教育をめぐるこれらの多くの課題というものをもう少しきちっと丁寧に議論をしていくべきではないかというのが私の立場なんです。
 そこで、浅川参考人にお伺いしますが、教育の現場にいて、そして教育を離れてPTAというところに今現在おられるわけですね。そういう目から見て、やはり今までの学校教育の偏差値教育、そして受験教育、そこを離れて今度は塾というものが非常に重要な問題になってくる。これもすべて一部のエリートをつくっていくような教育の在り方というところが問題ではなかったのか。これは、どんなに公のことを説いたにしてもやっぱり個になっていくのではないか。
 そこで、例えば今度の未履修問題についても、今度の教育基本法で述べている歴史だとか伝統だとか文化だとか、そういう教育はこっちに置いて投げてしまっているじゃないですか。具体的に教えていないですよ。そういう問題があるときに、いわゆる教育基本法を改正をしようということになっているんですが、今この教育基本法を改正するに当たってどのような感想を持っておられるか、お伺いいたします。
#455
○公述人(浅川宏雄君) 最初の方で意見で言わせていただいたんですが、とにかく、大変素朴で単純で申し訳ないんですが、何とかしなきゃ困るという強い、それは自分の息子たちの将来について、あるいは孫たちの将来についても考えるわけでございますけれども、何とかしなきゃ困るなというその思いが大変強うございまして、そうすると、何とかしなきゃならない、ぼつぼつ何とかしなきゃならない、早く何とかしなきゃならないに通ずるところがございますけれども。
 確かに、いろいろ先ほど来お話を伺っていますというと、一般に法律論というのは、議案なんかの問題はそうかもしれませんですが、一般の人たちに十分しみわたるというのはかなり時間が掛かるようでございまして、先ほど来何人かの方がおっしゃっていますが、私も教育基本法、たまたま教育現場におった者ですし、教育委員会なんかにも籍を置いたことがございますから、いろいろ、平成の六、七年からもう何か教育審議会とか何かいろいろなところ、教育臨調とかいうところでそういう問題が出てきたことを承知しておりますから、私の個人的な感覚ではもうかなり時間が、教育、問題だぞと言ってからたってきているような気がするんでございますけれども、それと、いわゆる世間の一般の皆さんの、私もこうやってこういう場面で発言させていただくためにもそれぞれ勉強し直すわけですが、そうしたことの距離はやっぱりあるようでございますね。それは、十分皆さんのあれを全部尽くして、さあというふうなことが望ましいのかもしれません。それが民主的かもしれませんですが、ただ、やっぱり何かしないとどんどんどんどん先へ進んでいってしまうぞという気がございますので、先生方の十分な、十分なといいましょうか、熱心な御論議を尽くしたところで、ある段階でまた決断しなきゃならないなというのは正直な感想でございますけれども。
 よろしゅうございますか。答えになったでしょうか。
#456
○渕上貞雄君 では次に黒沢公述人にお伺いをいたしますが、今の社会的な全体的な状況をとらえた上で、社会的な現象として起きてきている格差問題という問題を考えていく場合に、教育の持つ意味というところをもう少しちょっと具体的に御説明いただければというふうに思うんですが、この格差社会のもう一つの側面として、私は、教育にかかわる費用という問題ですね、幼児教育、幼稚園の教育、義務教育、高等学校、大学、途中専門学校もあるでしょう。そこで非常に莫大な教育費用というものが家庭に及ぼす影響というのが大きくなってきている。ここのところもある程度、いわゆる教育に対して影響を与えているのではないかというふうに私は思っているわけで、そこら辺りのところを御説明をひとついただければというふうに思います。
 それと、我が国の歴史的な経験から踏まえてみて、過去の反省から、民主教育をどう行っていくかという教育基本法ができ上がってくる、それを再度変えようとしたときに愛国心という問題が出てきていると。そこで、国を愛するというのはだれしも私は持っていると思うんですね。とりわけ、我が国の国内におるときにはそう感じませんけれども、外国なんかに行くと特にそういう気を持つわけですが、いわゆるそういうものを入れて教育基本法が変えられたときに、結果として、社会や教育の現場や家庭という中でどのように結果として事態が変化していくのか、変わっていくのか、どういうふうに推測されておるのか、お伺いをしたいと思います。
#457
○公述人(黒沢惟昭君) ちょっと大変難しくて、私、統計等を用意してございませんので具体的に統計等で申し上げられませんけれども、先ほどちょっと教育の危機的な状況の中で申し上げましたけれども、ここ十年近く教育の現場の中で格差社会ということがかなり顕著に現れているということは言えるんではないかと思います。
 その例は、先ほどちょっと、口頭で恐縮ですけれども、一九九五年から二〇〇六年の間に正社員と非正社員の統計は出ているんでございます。その中で、奨学金の問題等についても、これちょっと今数字を私用意してきませんので言えないんですけれども、かなり格差の底辺化とそうでない裕福な家庭と、いわゆる今の流行語で言えば勝ち組、負け組の状況が出ているんですね。私の身近な例を見ましても、私学へ行ける人と、そうでない公立へしか行けない人、これはかなり顕著に出ております。
 それで、前は公立というものはかなり学力の普通の人が行けたんですけれども、今は学力が低い人しか行けなくて、奨学金ももらえないような人が出て、そこに格差構造が、私今横浜に住んでいますけれども、見られると。そういうような格差構造がどんどんどんどん広がっている状況なんですね。これは今どんどんこれからも広がってしまうんじゃないだろうかと。
 だから、先ほどちょっと私僣越な言い方で、かちんとこられた先生方もいらっしゃるかもしれませんけれども、教育基本法の前にそういう問題をもうちょっと解決してもらいたいなと。これは教育基本法による愛国心の問題よりも、むしろ市場原理主義の進行を何とか是正してほしいんだという、これは先ほどの私の教えている学生の悲痛な叫びなんですよね。だから学生が、そんな改正の問題よりはむしろおれたちのフリーターの問題を何とかしてくれよというふうな、そういうことになってきているということなんですね。これ統計がないものですから、ちょっと済みません。そういうことが、今、渕上先生がおっしゃったことがどんどん私の身近でも起こっているということだろうと思います。
 それから、私、愛国心の問題が教育基本法によって固定化してどんどんいってしまうということを恐れているわけです。
 先ほど岡田先生からも言われたように、私自身は国を愛しているんですけれども、これがそうでない人もいるわけなんですよね。特に、身近に在日の人とか、私以外にそういう人もどんどんどんどん増えて、そういう労働者も入れなければ日本の雇用がやっていけないときに、そういう人を排除していっちゃうような傾向が出てきた場合にどうするのかという、そこにまた国民の二層化というものが出てくる、そして非常にぎくしゃくしてしまう。そして、そういう人を労働力として使わなければ日本がやっていけないときに日本の二極分解というものが出てくる。そしてそこにぎくしゃくした日本社会というものが出てくる。そういうものにこの愛国心問題というものが非常に大きな問題になっていくんじゃないかということを私は恐れているんですね。
 だけれども、誤解のないように言っておきますけれども、国民として日本を、愛国心を持つことは当然だと思うんですけれども、これを法律問題として殊更強く出していくものはいかがなものかと。何かここに附帯条件とか付けるようなことが必要ではないだろうかということなんですね。
 ちょっと、答えになっているかどうか分かりませんけれども、以上でございます。
#458
○渕上貞雄君 次は小林公述人にお伺いをいたしますが、先生の経験され、そして専門学校に行って教師として教えられて、そういう経験からだと思うんですが、地域社会全体で子供を育てていこう、こういうふうに先ほど述べられたと思うんですね。そしてもう一つは、相談できる窓口、これも恐らく地域で相談できるような窓口というふうに私は聞いたわけですが、これ大変難しい私は問題じゃないかと思うし、逆に我が地域社会を育てていく場合の一つの方法として、地域全体で子供たちを見ていこうというような在り方、ありようというものを、大体どのようなことで地域全体で子供を育てていこうと考えられておるのか、その辺お伺いします。
#459
○公述人(小林和紀君) 今お話しいただきましたそこの部分で、先ほど、学校を変わった、専門学校へ行ったというところの部分で最初感じたのは、非常に生徒のかかわり方が楽であったということが感じられました。それはどういうことかというと、例えば生活指導の問題であったりとか、様々いろんな部分というのは、小中高と様々ないろんな集団生活がありますので、ルールがあります。そんなところで、言いたくても言えなかったこととか、本当はこういうかかわりをしたいのにできなかった部分とか、そういったことが先ほどのどうしてもかかわれない、時間が欲しいという話につながったと思うんですけれども、やはり学校とかには、また近いところには言えないところがあったとしても、地域のところで、言うこと自体が解決にはならないかもしれないけれども、聞いてもらう、聞いてもらえる人がいる、又はそういう自分自身の思いを理解しようとしている人がいる、こういったところでもやはり子供たち自身はそこのところを一つのばねにして変わっていくこともあるんではないかなと思っております。
 また、先ほど言った、学校以外のそういういろんなところの部分での人のかかわりで、当然小さい子もいれば高齢者の方もいれば障害を持っている方、いろんな方がいると思うんですね。そんなところに自分から、要するに来た人を受け入れるというよりも、自分たちからどんどん入っていくところでいろんな出会いをしていく、いろんなところのかかわりを知っていく、いろんなルールを知っていく、そういったものが地域としてかかわっていくことでは大事かなと思います。
 あともう一つは、先ほどの、国家とか郷土とかもいろいろあると思うんですけれども、やはり私たち自身、自分の生まれたところというんですか、住んでいるところというか、やっぱり今いる場所、今いる周りの人を大切にしていくという部分では、やっぱり地域のところとのかかわりがなければ、どうしてもその辺が分断されていってしまうんではないかな、そのように感じてそのような話をさせていただきました。
 以上です。
#460
○渕上貞雄君 では、最後になりますが、喜多公述人にお伺いいたしますが、やはり我が国の基本的な物事の考え方、それから物事を解決をしていく仕方というところにも多少問題があるのではないかというふうに先生のお話を聞きながら思ったわけですが、それはやはり我が国といいましょうか、今まで、問題が起これば、当座そこだけ解決をして基本的なところは先送りしていく、そして場当たり的な問題でその場だけ繕って解決をしたようにしていくし、やはりどこに責任があるかということは余り明確にならないうちに、その場の事件が終わればそれで終わりというような形でずっと今まで私は進んできているところに先生の意見があるんではないかというふうに思うんですが。
 そのときに、例えば今度の教育基本法を変えようといったときに、子供の参加もない、そういうところはやはり、我が国としては物事を組み立てていく基準というものについてもう少し丁寧にやっていくべきではないかというふうに私は先生のお話を聞いたんですけれども。
 では、我が国が国連の子ども権利条約を具体的にこの基本法の中に取り込まない、取り入れない、取り込もうとしないというところは、やはりこれ子供が参加してないだけではなくて、一部の人たちの意見だけになっているのか、そこら辺のところは一体どうなんでしょうかね。
 結局、物事をつくっていくときに責任を明らかにしていくということも非常に大事なことだけれども、その責任を明らかにしていく前に、その責任の取り方として、参加をしていく人たちの意見というものをきちっと聞いた上で、どこに問題点があるかということをはっきりした上で法律なら法律をちゃんと変えていく、基本法なら基本法を変えていくということがいいのではないかというふうに思うんですが、ちょっとその点、先生いかがでございましょうか。
#461
○公述人(喜多明人君) 私は常々、教育改革、実際私も随分、七〇年ぐらいから、中教審の改革からずっと勉強させて、臨教審改革、随分改革やっています、というかいつも改革やっていますが、日本の国は。だけれども、残念ながら日本の教育は良くなっていない現実があります。
 僕はその一つの大きな欠陥は何かというと、やっぱり改革の手法だと思いますね。つまり、何がいいかという改革の中身だけが常に議論されているけれども、手法、つまりプロセスをもっと大事にしていきたいというのがあって、何をやるにしてもトップダウンなんですよね、日本の国というのは。だれかがいいことを考えてそれを下に下ろすという、そういうやり方でしかやっていない。そうじゃなくてもうちょっと、ボトムアップという言い方もありますけれども、積み上げていく、現場から、あるいは保護者や市民あるいは子供たちからもっと意見を出してもらって、参加型で改革をしていくというプロセスがあると、つまり主体が育っていくんですね。改革の主体が育たない限り改革というのは本物にならない。だれかがいいことを言ったからといって下ろしていくというやり方は、その場限りです。ですから、私は、そういう意味での対症療法というのが日本の教育改革の、確かにおっしゃるとおりで一番大きな欠陥ではないかなというふうに一つは思っております。
 いじめの問題も実は対症療法で来ました。今のスクールカウンセラーの制度というのは、私が知る限りでいえば、大河内清輝君事件のときにそういう対応が始まった出発点だと思うんですけれども。だけど、いじめの問題もやっぱり、最終的には文科省の統計の問題も出てきましたけれども、根本解決しないまま先送りされてきた、そして非常に深く潜行しながら一気に今回噴き出してきたという状況で、これも実は私たちから見れば、前からずっと問題になっていたさっき言った自己肯定感の問題とか、あるいは関係性の不全状態ですね、子供たちのかかわり、関係が非常に弱くなっている。いじめを規制していく力が今子供社会に失われている、そういう子供社会のオートノミー、自治の問題がやっぱり問われていますし、そういう根本的な問題が問われないまま、ただ対策的に大人が何とかしてやろうという発想で物事を考えてきたツケが今来ているんじゃないかというふうに思っております。
 最後に、子どもの権利条約と教育基本法の関係ですが、私は、教育基本法と子どもの権利条約というのは基本的には不離一体の関係にあると、これは政府も言っております。改正しないで、憲法、教育基本法と子ども権利条約は一体のものであるということは政府も説明して批准をしたわけでございます。
 違いは何かというと、やっぱり子ども権利条約は、何といっても現代の中で子供の権利や教育の問題についてきちっとした改革案を通してきている条約であって、教育基本法は御承知のとおり、確かに大分前、もう半世紀以上たっている、六十年近くたっている法律です。ですから、当然時代の制約というのはございますけれども、僕は、子ども権利条約と教基法、子ども権利条約は国内法ですから、自動執行的条約で日本の子ども権利条約というのは国内法ですので、子ども権利条約と教育基本法をセットすれば、つまり、例えば環境教育とかいろいろうたわれていない問題が教基法にあるじゃないかと、今の問題に合っていないじゃないかという部分については、実は子ども権利条約でかなりカバーされているんじゃないかと。ですから、それも国内法ならば、子ども権利条約と教育基本法を一体的な運用で進めていけば、僕は特別に今回改正しなければ現代に合わないというふうに見ることは決してないんではないかというふうに思っております。
 ただし、そうはいっても、やはり先ほど水岡委員との話合いの中でもありましたように、やっぱりそういうさっき言った改革の手法の問題、僕は一貫して日本の教育の改革の中で一番問題になるのは手法だと。やっぱり参加型が弱い。トップダウンで常にだれかがいいことを言う、だれか審議会で改革案をまとめて下に下ろすというこの手法そのものを改革する、改革手法の改革が必要だということが、僕はここは基本だと思っていますから、そういう意味で子供参加や市民参加、そういう視点を今の法規の手続法的な部分で是非入れてほしいということを申し上げたかったんです。
#462
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございますけれども、今日は四人の方、ありがとうございました。いろいろとそれぞれの立場から貴重な御意見を御披露いただきまして、非常に参考になりました。
 私は二つだけお聞きしたいと思うんですけれども、それぞれの方々にお尋ねしたいと思うんですが、実は今日、まだ四人とも余り触れられなかったんですけれども、宗教的情操教育の問題ですけれども。
 私たちはもう子供のころから、この地方でも一緒だと思いますけれども、山には山の神様がおると、川には川の神さんがあると、どこにも大自然の中には人知を超えたものがあるんだということを教えられ、御飯を食べるときには手を合わして感謝しながら食べるということを教えられたもんで、そういった特定の宗派には関係しない形での情操教育ですね、そういうことをやるべきだと。民主党では宗教的感性の涵養ということになっておりますけれども、自民党の方にはこの問題が入っていないということで、政府提案には入っていないと、これは自民党と公明党なんですけれどもね。
 そういうことを考えますと、この問題について、子供の心を育てる上において非常に大事なことでございますので、この問題についてどう考えられるか、皆さん方にお尋ねしたいと思います。順番にお願いします。
#463
○公述人(浅川宏雄君) 大変難しい問題をお尋ねいただきまして、私見でございますけれども、もちろん宗教的な教育についてはおのずと限界がございましたものですから、我々も、現役の教員のころもこの辺はかなり慎重にやってきたつもりでおります。
 委員のおっしゃったのは、そういう何々教を信ずるとか何かそういうところではありませんで、日本古来のいろいろ万物に神がというふうなこと、そうしたものを、情緒を涵養、情緒教育の一環として触れるということについては当然伝統の問題として大事なことであろうと思います。
 いろいろ教科の中で、古典ですとか国語ですとか、そういう中で、あるいは僕は英語の教員でございますが、外国の、いろいろな授業の中でよその国の宗教の問題とか、ちょっと日本のあれと離れちゃいますが、そうした問題についてはいろいろ触れる機会もありまして、こういうものがあるんだと、こういうことで人たちはこういうふうな反応をするんだよというところまではいろいろ触れますし、それは大変大事なことであろうと思いますし、一つの、先ほど私申し上げたたがという問題にも日本人の場合はかかわってくるのかもしれません。ですから、こうしなさい、ああしなさいに行ってしまってはいけないわけですが、その辺についても十分尊重すべきだと考えております。
 以上でございます。
#464
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
#465
○公述人(黒沢惟昭君) 私もだんだん年を取ってきたせいか、個人的に申し上げますと、先ほど言ったこととちょっと矛盾するかもしれませんけれども、この世の中には人知を超えた何か恐れといいますか、そういうものを認めることにやぶさかではないんですね。ただ、日本の歴史を考えてみますと、何かそれを、何かためにするといいますか、そういうのを何か殊更にはやし立てて一つのイデオロギーにしたり、そういう歴史がございますので、まかり間違うとそれを、自然科学的なものを阻害したり、そういうことについて私は厳密に批判していかなきゃいけないと、そういうふうに思います。
 しかし私は、人知を超えた何かがあるし、私もいよいよ死が近づいてくる、こういうことになってきますから、何か恐れがあるとか、人の死に対して敬けんな何かはあると、こういう気持ちを失ってはいけないし、これを子供たちに何か自然に、ごく自然に教えなきゃいけないというものはずっと持ち続けていきたいなという点で亀井先生とは同意見だと思います。
 ただ、それを法律によって強制しようとかというのはちょっと問題があろうかなという懸念はございますけれども、それが率直な私の意見でございます。失礼いたしました。
#466
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
#467
○公述人(小林和紀君) 私自身、先ほどちょっと申し上げたんですけれども、今いる場所、今いる周りの人を大切にする、これも極めて基本的な、また常識というか、大切なことだと思います。また、相手の立場に立って物事を考える、そういうところからいろいろ物事を見たときに、例えば親孝行をするであったり、また人に迷惑を掛けないであったり、弱い者いじめをしないとか、あとは一番大きいものは、正しいことをすることは恥ずかしいことではないんだ、そういったものですね。
 また、先ほど私、最初の方に言わせていただいたとおり、魅力ある人間というところの部分で、私自身は訴えているところは、悩んでいる人、困っている人らに手を差し伸べて、見るだけではなく一緒に引き上がっていく、一緒に上って変わっていく、そういうような相手を思うという心の部分のところで大切だと、そういったところの部分に重きを置いて物事を見ていくことが大事だし、どうしてもそれが、冷笑主義というんですかね、冷ややかに見て、正しいこと、一生懸命やることをばかにしてしまうような、そういうような雰囲気というところをしっかり消していって、本当に当たり前のこと、正しいこと、一生懸命やること、そういったことに対して本当にもろ手を挙げて評価をしていく、そういう社会に対しての部分で教育基本法の改正に生かしていければ、またその後の基本計画に生かしていただければすばらしいことではないかなと思っております。
 以上です。
#468
○亀井郁夫君 ありがとうございます。
#469
○公述人(喜多明人君) 私は、早稲田大学に来る前には、前任校が立正大学という日蓮宗系の宗門を抱えた大学で二十年近く勤務させていただきました。それで、私の教え子には随分けさの、僧侶の教え子がたくさんいるものですから、同窓会になりますと結構そういう連中と、いつも、だんだん檀家が減っていく、その悩みを僕らもよく伺うわけで、やっぱり私学、私立で、宗教法人で学校をつくっていく、僕は、自分たちの教育機関をつくってきちっと後継者を養成していく、それがやっぱり宗教教育で一番私もなじんだ部分なんですけれども、それが公教育、公立学校を含めた部分でどこまで可能なのかというと、ここはちょっと別問題だろうと。
 ですから、これはかなり宗派、宗教の本体とは区別された非常に人間的な支えというか、精神的な支えの部分で宗教的情操がかかわる部分というのは、僕も教育学的な意味というものを理解しているものではあります。ただ、先ほどからずっとありますように、法律で強制力を持たせる部分に、こういった子供の、まあ人間のと言った方がいいでしょう、その精神的な部分についてどこまで介入できるかという部分が、やはり非常に教育基本法の改正の問題でいえば、やはり慎重にやっていただかなければならないだろうというふうに思います。
 私は、どちらかというと、そういう私立の分野での宗教教育を大いにやってほしいというふうに思っております。
 以上です。
#470
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 最後に一点だけお尋ねしたいのは、皆さん方にお聞きしたいんですが、この原案では、国を愛することやら伝統、文化を尊重するということが書いてあるんですが、それが態度になっているんですね、態度という言葉になっています。心じゃなくて態度という表現になっているんですが、態度は、さっき喜多公述人が言われたように、ふりをするということにつながるものですから、そういうことで、そういう格好だけすればいいんだというのはどうだろうかというふうに思いますんで、我々はそういう意味では、国を愛する心という格好ではっきり書くべきではないかという意見を持っておりますけれども、これについて、態度と心について御意見をお聞かせ願いたいと思います。
#471
○公述人(浅川宏雄君) 私ども教員としての在り方の中で幾つか教わったことがございますが、教員はやっぱり役者でなければいけないというふうなことを言われたことがございまして、生徒の前で何かを演ずるということも一つは大変大事なことかなということです。
 先ほど来、態度について大変否定的なお話もございましたが、態度は態度でそれも大事なことだという場合があろうかと思います。その使い分けがきちんと本心があってできるものならばそれでもいいんじゃないかなという気がいたしますが、ただ、心と言った方がストレートで純粋な感じはいたします。
 以上でございます。
#472
○公述人(黒沢惟昭君) 僕は、演技とか扮技とかですね、そういうことは教育上非常に大事だと思うんですが、そういうことを、必要がある場合もあるんでしょうけれども、しかし、そういうふうにやらない人間をいけないとかいいとかという、何かそういうことについて罰則付けたり評価したりするようになるとこれは大変危険だというふうな立場なんですね。そういうことを私は言いたいんです。それを何か教育とか法律で決めちゃうと、非常に大きな問題になるということを繰り返し言いたい立場なんですけれども。ちょっと私、誤解しているかもしれませんけど。そういう立場でございます。
#473
○公述人(小林和紀君) 態度、心、あると思うんです。例えば、私自身が思うのは、今後のいろいろな教育活動のところで、態度というのは評価するということはできると思うんですけれども、心というのはなかなか評価するというところにならないなと感じております。
 しかし、心というのは目には見えないですけれども、この見えないものを大切にするということはとても大事だと思いますし、その見えないものを、見えない心を大切にすることが、初めて本当に生徒が動いてくる、動かしていくという部分につながるということは大事だと思います。
 でも、評価とかそういったものの部分ということでは態度という言葉が合っているかなとも感じております。
 以上です。
#474
○公述人(喜多明人君) 先ほど、宗教的情操のところでも申し上げたように、やっぱり心の問題とか人間の精神にかかわる部分に法がどこまで介入、かかわれるのかという問題は、これは愛国心も同じ問題だというように思っております。
 ですから、そこにはおのずとやはり限界点というものを置いて、むしろ日常的な教育実践の場と、教育活動の場と、その法によって何か、法というのは元々権力作用ですので、非常に画一的な権力作用を持っている法の枠の中で心や精神の問題に踏み込むということには僕は非常に慎重であってほしいし、できればそういうことは避けてほしいというふうに感じております。
 それから、同時に、子供の側からの問題でいえば、やっぱり子供には常に選択肢が欲しいんですね。これは正しい、これは絶対だという形で何か教育されるのではなくて、やはり子供たち自身が自分たちの価値というものを選択できる、今の多様な社会の中でですね。そういう子供たちの主体的な学びとか主体的な活動を何か支えていけるような、そういう形での情操教育なり、まあ愛国心についてもですけれども、そういう選択肢が欲しいというのが私の考えでございます。
#475
○亀井郁夫君 まだ時間はいいですか。
#476
○団長(中曽根弘文君) 大丈夫です。
#477
○亀井郁夫君 それでは、時間がまだありますので、ちょっと四人の方にお尋ねしたいんですが、「不当な支配に服することなく、」という言葉がこれ残っておるわけですけれども、これは、私の地元の広島では、教育委員会の介入というのとは違って、部落解放同盟が著しく介入してほとんど教育の現場を支配しちゃったのが原因で何人もの校長先生、先生が自殺するという状況でした。こちらの方、それ以外に、最近では教育委員会が逆に介入するなといって日教組が訴訟を起こしたりなんかしておりますけれどもね、逆なんですが。
 そういう意味で、不当な支配については非常に敏感なわけですけれども、ですから、それだけに、こういう文言は入れない方がいいという意見が強いんですけれども、これについてはどのようにお考えになるか、意見だけ聞かせてもらえればいいと思います。
#478
○公述人(浅川宏雄君) 私どもの山梨には、先ほどちょっとお話になった同和問題なんかについては割合少ないような気がいたしておりますが、話には随分聞いております。
 教育というのは可能性を探る世界ですから、そういうふうなことで、なるべく心をフリーにしておきたいというのは一方にあると思いますものですから、不当な介入というのはやっぱり望ましくないと、それは一点、確実にあると思います。
 ただ、不当なという解釈がいろいろ、それぞれあるでしょうから、そこが大変難しいところだとは思いますが。
 以上でございます。
#479
○公述人(黒沢惟昭君) 広島の問題も具体的に調査してみないと、私よく分からないんでございますけれども。しかし、それも一つの不当な権力なんだろうと思いますけれども、一番恐ろしいのはやっぱり国家の権力だろうと思うんですよね、強大なのは。だから、やっぱり、私さっき申しましたように、いかなる権力も不当に介入しないようなこういう規定は必要だろうと思うんですね。そういう意味でございます。でも、一番怖いのはやっぱり国家の権力だろうと私は思っておりますので、これは絶対に入れてほしいなというのは私個人の希望でございます。
#480
○公述人(小林和紀君) 最近、パワーハラスメントとか、いろいろなところの現場でそういうようなものがあります。そこのところで、先ほどの不当なというところの部分に自分自身思うことは、やはり言えない雰囲気が形成されてしまうというところがよくないと思っております。
 しかし、そのところの部分の対立するまた権力がまた同じようなものになってしまうという、そういったところの部分、やり取りやもう既にいろいろな歴史もあるし、いろいろな思惑もあると思うんですけれども、やはり一番自身、やっぱり一番大切だと思うのは、生徒に向き合う、先ほど言った、何度も言うようでも、時間のところの部分に無駄な、生徒と離れてしまう時間が増えるのではなくて、生徒とかかわる時間を増やすというところの部分を譲らないで考えていくという、もっと言えば、生徒、子供たちのところが一番の中心になっていく中での我々の論議であることが大事かと思っております。
 以上です。
#481
○公述人(喜多明人君) この不当な支配の理解の仕方ですけれども、その文言だけで解釈するということよりも、やはり教育基本法の全体の構造とか、それから十条であれば十条全体の構造の中で不当な支配というものを解釈するのが通常の解釈の仕方なんですね。
 例えば八条、九条、十条を全部読みますと、つまり政治的な不当な支配から教育が独立するというところは八条にありますし、それから、宗教的な、ある特定宗派の介入に対してきちっと公教育が独立するという意味での介入防止が九条に入っています。
 それで、十条はタイトルが教育行政です。タイトルが教育行政で、しかも、主語が、第一項で、教育は、不当な支配に服さない、第二項で、教育行政は、教育の条件整備をするというふうに書いてあるんですね。ですから、全体の法の構造として解釈するときは、残念ながら、まあ御趣旨はよく分かります。その教育委員会と運動団体の問題というのは、それはまたその個別の問題ですけれども、そうではなくて、十条の理解としては、教育と教育行政というのはどういう関係なのかということを十条で規定しているんです、これは。これはもう間違いないんです。
 ですから、その主語、教育は不当な支配に服さないで、自主的であってほしいという条文と、教育行政は教育の目的を遂行するに必要な条件整備が大事なんだということを二項で書いてある。これは、教育活動、それから条件整備の行政、この両者が学校とか日本の教育を支えていくんだという、そういう考え方なんですね。ですから、この解釈はもうどうしようもないです、文章がそうなっておりますんで。だから、それを改正するかどうかはあるわけですけれども、おっしゃる不当な支配ということの解釈は、少なくとも十条、それから二項との関連で言えば、やっぱり行政の不当な介入もあり得るということを一応想定しているというふうに、これはごく自然な解釈だというふうに思っております。
 済みません。
#482
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
#483
○団長(中曽根弘文君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、長時間にわたり御出席をいただき、また貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。拝聴いたしました数々の御意見は今後の本委員会の審査の参考にさせていただきたいと思います。本委員会を代表して、厚く御礼を申し上げます。今日はどうもありがとうございました。
 以上をもちまして参議院教育基本法に関する特別委員会甲府地方公聴会を閉会いたします。
 どうもありがとうございました。
   〔午後五時一分閉会〕
     ─────・─────
   静岡地方公聴会速記録
 期日 平成十八年十二月六日(水曜日)
 場所 静岡市 日本平ホテル
   派遣委員
    団長 理 事      岸  信夫君
       理 事      櫻井  充君
       理 事      風間  昶君
                小泉 顕雄君
                坂本由紀子君
                中島 啓雄君
                松村 祥史君
                下田 敦子君
                藤本 祐司君
                井上 哲士君
   公述人
       静岡県西遠女子
       学園理事長・校
       長        岡本  肇君
       専修大学経営学
       部教授      嶺井 正也君
       静岡産業大学情
       報学部助教授   松永由弥子君
       静岡県高等学校
       障害児学校教職
       員組合委員長   粕谷たか子君
    ─────────────
   〔午後三時開会〕
#484
○団長(岸信夫君) ただいまから参議院教育基本法に関する特別委員会静岡地方公聴会を開会いたします。
 私は、本日の会議を主宰いたします教育基本法に関する特別委員会理事の岸信夫でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、私どもの委員を御紹介いたします。
 私の右隣から、公明党の風間昶理事でございます。
 自由民主党の中島啓雄委員でございます。
 同じく自由民主党の小泉顕雄委員でございます。
 同じく自由民主党の坂本由紀子委員でございます。
 同じく自由民主党の松村祥史委員でございます。
 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の櫻井充理事でございます。
 同じく民主党・新緑風会の下田敦子委員でございます。
 同じく民主党・新緑風会の藤本祐司委員でございます。
 日本共産党の井上哲士委員でございます。
 以上の十名でございます。
 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。
 静岡県西遠女子学園理事長・校長岡本肇公述人でございます。
 専修大学経営学部教授嶺井正也公述人でございます。
 静岡産業大学情報学部助教授松永由弥子公述人でございます。
 静岡県高等学校障害児学校教職員組合委員長粕谷たか子公述人でございます。
 以上の四名の方々でございます。
 当委員会におきましては、目下、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査を行っておりますが、本日は、四案について関心の深い関係各界の皆様から貴重な御意見を承るため、本公聴会を開会することになった次第でございます。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございました。
 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の四案審査の参考にしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、岡本公述人、嶺井公述人、松永公述人、粕谷公述人の順序で、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。
 まず、岡本公述人にお願いいたします。岡本公述人。
#485
○公述人(岡本肇君) それでは、着席のまま失礼させていただきます。
 この公述人のお話が急だったものですから、少し準備の時間が足りませんで、レジュメを持ってくることができなくて失礼申し上げます。これは私だけのお話ということになりますけれども、よろしくお願いします。
 私は、浜松で中高一貫の女子校の理事長・校長を現在しております。中学が六百人、高校が六百人で、全校千二百人という女子校です。
 私は、昭和十五年生まれで、終戦の翌々年の昭和二十二年に小学校に入学しております。したがって、現教育基本法が成立したのと同じ年に小学校に入っているわけですけれども、私の小学校入ったときの入学式というか入学のときの写真が、先生が撮ってくれたもの一枚だけありますけれども、何人かの人ははだしという状態でした。本当にまだ給食もありませんでしたし、大変貧しい、どん底の中から日本の教育は出発したんだなと。今考えると、いわゆるアメリカの民主化政策の一本の柱である教育の、明治以来最大の教育改革の一番最初の洗礼を受けて私たちは育ってきたなと思います。
 中学卒業するときには、多分私たちの年代の半数以上の人たちはそのまま社会へ出て、そして東北とかあるいは九州から集団就職という、そういう時代でした。
 私は、昭和四十年に大学卒業しましたけれども、私が最初に持った生徒たちというのは、ちょうどベビーブームの世代で、一教室七十人という大変な時代でした。その後、いろいろ紆余曲折がありまして、現在、田舎の女学校を経営していますけれども、今は少子化ということで、これもまた大変な時代です。
 今回の教育基本法案について私の考えを述べさせていただきますけれども、あくまでも私学という立場での意見になると思います。
 まず、この時期に教育基本法を改正することについて、内容にはいろいろ御意見があると思いますけれども、私は賛成です。六十年間という時間を考えれば、むしろ遅かったのかなというふうに思っております。
 現行法ができたときから、現在は高校の進学率が九七%ということで、本当に、私も今高校の現場におりますけれども、多様な生徒を預かって現場は大変です。今回の未履修問題でも本当にお騒がせをしましたけれども、ただ、やはりあれは履修ということだけを言っているわけで、習得云々ということになると、これはまたもっと大変なことになるわけで、履修した内容が本当に習得できているかどうかということになると、九七%の高校生が、よく七五三とかいろいろ言われますけれども、大きな問題を抱えていると思います。
 それから、大学への進学率ももう半数を超えておりますので、いわゆる教育の大衆化というのが非常に進んだ時代になっています。児童生徒を取り巻く社会的な環境の変化でも、国際化であるとか情報化、あるいは家庭、地域の様変わりということで、私が教員になった今から四十年前に比べると、本当に教師そのものの仕事というのも随分変わってきておりますし、また社会から見る学校あるいは教師という立場も変わってきています。要するに、教師対生徒、あるいは家庭対学校というその関係が本当に様変わりしているなということを大変強く思います。そういう意味で、この教育基本法が改正されることについては、私は必要なことだというふうに思っています。
 二番目ですけれども、現行の教育法では私立学校という言葉が出ておりません。今回の改正案でも、それから日本国教育法案ですか、両方で私立学校のことを取り上げていただいていることは大変有り難いことだなと思いますし、同時にこれは我々私学の六十年間、この六十年間の先輩たちの一つの教育の果たした役割が評価されたものだなと私は受け止めております。
 改正案の中の第八条に私学のことが取り上げられておりますけれども、私学の自主性を尊重しという文言が入っていることが、これが私学にとって一番大切なことに思っております。やはり私学というのは、よく言いますけれども、建学の精神であるとか、あるいはそれぞれの学校の校訓であるとか、あるいは伝統とか校風とか、これが私学の、言ってみると命のようなものですから、その私学の独自性というのは、これはあくまでも尊重されなければならないことだというふうに思っております。
 その後、国又は地方公共団体が私学教育の振興に努めなければならないというふうに明記されておりますけれども、これは我々私学関係者が本当に待ち望んだ文言ではないのかなというふうに思います。
 私立学校助成法という法律がこれ昭和五十年に成立しましたけれども、あれはあくまでも国の、文部科学省の方のいわゆる補助金であって、なかなか我々私学にとってはまだまだ二分の一助成というところまで到達していないわけなんで、これは今後私たち私学にとっても非常に大きな問題になってくると思います。
 したがって、この八条の中で、基本的には財政の裏付けも本当は言及していただきたかったんですけれども、そこまで言うのはちょっと厚かましいのかなと思わないわけでもありません。
 それから、第三番目に、第五条の義務教育のところで年限が取られていますけれども、今後の教育制度を基本的に考える点ではこれは良かったのかなというふうに私は思っております。
 今現在、小中一貫とか、あるいは中高一貫とか高大一貫と、いろいろな形の試みがされておりますけれども、結局、そういう試みがされている意味は、今までの六三三制ではどうしても細かく切れてしまって、いわゆる人間の教育といいますか、心の教育というのが十分にできないということがその現れだと思いますので、今後、この義務教育の年限についてはもう少し大きな形で、あるいはもっと広い視野で考えられるべきではないかと思います。
 この現行の教育基本法ができた昭和二十二年というのは、戦争が終わって世界的にどの国でもこの義務教育というのが問題になった時代なんですけれども、六十年たってもう少し言うと、もう義務教育をしっかりやらなければいけないという時代は終わっているとも言えます。アメリカのケネディ大統領のときに、ハイアー・エデュケーション・オン・フォー・オールという、すべての人に高度な教育をというのが、これが政治目標として掲げられたことがありますけれども、もうそういう時代に移っておりますし、日本も五〇%以上の高校生がその上級の学校に進学していく、あるいは、ユネスコは生涯教育を提言して、それが世界的に普及していく時代なんで、この第五条のところはその枠を取って良かったのかなというふうに思います。
 それから、四番目ですけれども、生涯教育、あるいは家庭教育、幼児教育、それから社会教育という新たな項目が加えられましたけれども、これも私は時代の流れだというふうに思っております。
 人生、平均寿命が八十歳という大変長い時代に延びて、これは人生のゼロ歳から八十歳までが均等に延びたわけじゃなくて、老後が延びただけなんですよね。そこをどういうふうに暮らすかということは、これは大変大きな問題だと思いますし、それから、家庭教育については、私たち現場であずかっていて、この四十年間、本当に感じることは、家庭とか家族というのがもう日本で変わってきてしまっているんですね。私たちの世代ですと、家庭とか家族というと頭に浮かぶのはサザエさんの磯野家ですか、あれが家庭、家族なんですけれども、今、本当に一歩生徒の問題に踏み込んでいってみると、本当に今の日本の家庭とか家族というのは様変わりしているなと、そこからいろいろな問題が出てくるなということを実感します。
 それから、幼児教育、社会教育についても、それぞれ時代の流れで、要請のある問題ではないのかなというふうに思っております。
 五番目ですけれども、十七条、一番最後に教育振興基本計画という項目が取り上げられていますけれども、法律で教育振興を義務付けて、国及び地方、各都道府県の教育行政に責任のある立場の人が短期あるいは中期、長期の教育基本計画を作って、それを事前に発表して、発表どおりに実行していくということは、これは大変必要なことだというふうに思います。
 特に、私たち地方にいますと、県知事さんがこれは選挙で替わるわけですし、これから県知事さんの再任の年限も区切られるようですけれども、県知事さんが替わることによって教育行政というのはがらっと変わるんですね。これはやっぱり、教育というのはよく百年の計というふうに言われますけれども、やはり余り基本的な内容が大きく変わるというのは、非常にこれは問題があると思います。むしろ、行政の責任で短期、中期、それから長期の教育基本計画をきちっと作って、それを事前に発表して、発表どおり実行していくべきだと思います。ただ、予算とか財政面でその計画ができなかったときには、できなくてもいいわけで、だけど、どうしてできなかったと、できなかったという理由をやっぱり世間にきちんと説明する必要があるなというふうに思っています。
 現在、日本の国の教育に対する教育的な財政支出はOECDで見てもかなり下の方に来ているわけなんで、私はやっぱりこの教育にどういうふうにお金を掛けていくかということは大変重要な問題だと思います。
 これは多分、民主政治というのはそういうふうになっていくんでしょうけれども、年配者というのはみんな選挙権があるわけですよね。九十になっても百になっても選挙権があるわけです。ところが、二十歳以下の子供は選挙権がないわけですね。どうしても、私ももう六十五過ぎていますから、その恩恵にあずかっているんですけれども、例えば汽車の切符、乗るとですね、私の生徒より私の方が安いんですよ。ジパング何とかというのがあってですね、私、三割引きなんです。今、生徒の学割、たしか二割引きなんですよね。高校三年生がこれから受験だからといってインフルエンザの予防注射打つと、今、四、五千円掛かるんですね。私、千五百円なんですよね。映画も私の方が安いんですよね。私は千円で見ていますから、映画は。高校生、千六百円、生徒、千六百円で見ていると思うんですよね。
 要するに、我々年寄りの方に手厚くなっていて、子供の方に薄くなっていくというのが、これが一つ今後大きな問題だというふうに私は思っております。
 それから、もう時間が多分ないと思いますけれども、愛国心の問題については、私は余り触れたくないんですけれども、この一年間ずっと、新聞の切り抜きを取ってきました。その中でほとんど、今度のこの教育基本法の問題が新聞、テレビと取り上げられるところが、多分八割ぐらいが愛国心の問題じゃないですかね。私は、この部分だけが教育基本法の問題として取り上げて、ほかの問題に手が届かないで、むしろそのことによって肝心の子供が何かこの教育基本法の枠の外に置かれてきてしまったのかなというような感じがして、大変残念に思っております。
 以上で私の発表を終わらせていただきます。
#486
○団長(岸信夫君) ありがとうございました。
 次に、嶺井公述人にお願いいたします。嶺井公述人。
#487
○公述人(嶺井正也君) お手元にレジュメを作ってまいりましたので、それに基づいて発言をさせていただきます。なお、一部訂正等がございます。急いで準備したものですから、間違いがございますので、そこのところは触れさせていただきます。
 私は、一九四七年、昭和二十二年生まれですから、憲法、教育基本法とともに生まれてきました。そういう意味では、戦後教育を体験しているのかなという感じがしております。そういう私は、今日は教育学の研究者として、また子育てをしている親として、そういう立場から幾つかの意見を述べさせていただきます。
 結論は、慎重かつ徹底審議を更に求めたいということでございます。
 まず、教育学研究者としてというところに資料というのがございますが、通し番号の四ページになりますけれども、ちょっと間に合わなかったんですが、参議院の特別委員会の皆様方にも教育学関連の学会の会長経験者の要望書を出しております。これは、基本的には今出されております法案について根本的に見直すようにという、そういう意見でございます。ずらずらずらっとたくさんの教育学会の関連学会がございますが、これは主としまして六ページ以下の日本教育学会という、これらの学会を束ねる学会の会長及び事務局長が出しました審議に関する見解と要望についてこれを支持するという立場でまとめられたものでございます。なかなか新聞等に報道されませんので、この場をおかりしまして、教育学研究者が非常に心配をしてこの審議を見守っているということをお伝えしておきたいと思います。
 それでは、内容に参りたいと思います。私は、大きく二つの点で慎重かつ徹底審議を求めたいということを申し上げたいと思います。
 一つ目は、手続の問題でございます。
 この間、教育改革国民会議の答申を、教育を変えるための十七の提言を受けまして、中央教育審議会で議論をされ、それが二〇〇三年の三月二十三日に最終答申が出されたかと思います。実は、文部科学大臣から中教審への答申の際に、かなり細部にわたって審議の要請がございました。これは極めて異例のことではないかなと思っております。つまり、ある種のもう縛りが掛かった改正の方向が出されていたということに一つ問題があるのではないかと私は考えております。
 二つ目は、これの答申を受けまして、与党の方で審議をされました、協議会で審議をされた経過がございます。長い年月を掛けて審議をされたということはよく承知をしておりますけれども、実はその間の審議の状況がよく私たちには見えませんでした。特に中間報告段階と最終報告段階で幾つか大きく変わったところがありましたけれども、それがなぜどういう理由で変えられたのかということが分かりませんでした。私たちとしては、一番その辺りを知りたく思ったところでございます。
 例えば第一条に関しましては、中間報告では平和的な国家という、現行法にあるんですが、平和的で民主的な国家というのがあるんですが、その平和的なというのが削られておりましたが、最終段階では平和なという言葉が戻っております。これはどうして中間でなくなって最終で出てきたんだろうかと、その辺りの率直な議論をお聞きしたかったというふうに考えております。
 また、第四条の教育の機会均等のところですが、現行では能力に応じてひとしくという、ひとしくという文字が入っております。教育の機会をすべての国民に平等に保障するんだという、そういう観点で書かれておりますが、中間報告では実はひとしくが抜け落ちておりました。しかし、最終的にはまた戻っておりますので、私はその点は評価をしたいと思っているんですが、その間どんな議論があったんだろうかということをお伝えいただけると議員の皆様方の認識というものを知ることができたのではないかと考えております。
 あわせまして、第十六条の教育行政のところですが、中間報告では教育行政は不当な支配に服することなくというふうに現行法と違った内容になっておりました。現行法は、教育は不当な支配にとなっているんですが、中間報告では教育行政はとなっておりました。これは最終的にはまた教育はというふうに変わってきておりますが、後の方で法律の定めるところによりということで、教育行政に主導権があるような書き方になっておりますが、この点もどうしてそういう曲折があったんだろうかということを知りたいと思いましたけれども、残念ながらその間が一切明らかにされておりません。そういう意味で、手続的に私は問題があったのではないかなと思っております。
 大きな二つ目に参ります。
 特に政府案において審議を深めるべき問題ということで、内容上の問題について幾つか触れさしていただきます。
 改正案の前文には伝統という言葉が入っております。しかし、中央教育審議会でもそれからいろいろな国会での議論でも、何をもって伝統というのかについてははっきり分かりませんです。もちろん、国会で日本の伝統を決めるなんということはあり得ないと思いますが、どういうことが想定されているんだろうかということは非常に気になったのでございます。
 なぜかといいますと、現在の教育基本法を制定するときに、教育刷新委員会というのが内閣総理大臣の下に設けられまして、その第一特別委員会で集中審議を行います。その第十回会議、昭和二十一年十一月十五日ですが、羽渓了諦という龍谷大学の先生が主査をされていたんですが、この方が、ここに言う伝統は忠と孝だと、忠孝だというふうに発言をされているんです。最終的には、御存じのように伝統という言葉はなくなりまして現行法から消えておるんですが、そういう日本の伝統を忠と孝というふうなところに収れんさせて考えるようなことがあっていいんだろうかと。私は、もっと生活伝統でありますとか、様々な少数民族の方でありますとか、地域の文化だとかそういう非常に幅広い日本の伝統というものを考えるのであればいいんですが、どうもこの間の伝統論議はそういうところが欠けていたのではないかというふうに考えております。
 二点目ですが、これは改正案の第一条ではなくて第二条に教育目標が書いてございます。この第二条の教育目標が学校教育に掛かるというならまだ理解はできるんですが、どうも国会での審議を聞いておりますと、家庭教育や社会教育にまで及ぶような内容になっているのではないかと懸念されます。そうしますと、第十六条に教育行政の責任ということが出てまいりますと、第二条に掲げます教育の目標が学校教育だけではなくて家庭教育、社会教育にも及ぶことになりますと、いろいろ議論のある、特に国を愛する態度というようなことについて、これがあらゆる文部教育にかかわってくるんではないかというおそれがあります。この点については、前の中央教育審議会委員でありました市川昭午国立大学経営財務センター名誉教授も、こういうことがされるとこれはファッショ体制だというようなことを私と話の中で話をされておりました。そういうことがないということを強く望みたいと思いますが、そういう意味では、法の規定の仕方にやっぱり問題があるのではないかという気がいたしております。
 続いて、第十六条の問題ですが、この教育行政につきましては、第百六十四通常国会、それから今回の第百六十五臨時国会でも、衆議院でそして参議院でも既に多くの議論がされておりますので、私はやはりこの規定については非常に問題があるということだけを申し述べておきたいと思います。
 続きまして、家庭教育の問題でございます。
 先ほどの公述人の方も家庭教育について触れていらっしゃいました。子どもの権利条約につきましても、親の責任という、第一義的な責任というのを書いてございます。ただ、本当に今家庭は大きく変わっておりますので、ある一定の家庭のモデルというものをつくって、そしてそこに責任を法的に課すということはいかがなものかなというふうに思います。
 今、本当に親は子育てに苦労をしております。単親家庭の親も非常に多いです。そういう家庭を、いろんなタイプの家庭があることを想像して、どうやって子育てがうまくできるかを支援するという、そういう感じでの書き方ならまだともかく、第一義的責任があるんだということでは非常に親に対して縛りを掛けるような気が私しております。なおかつ、第一義的責任があるというふうに私は思っております。それを法的に書くかどうかは別としまして、思ってはいるんですが、もう一つ、家庭には、保護者には権利というものもあります。それは、ほかの親に対して、あるいは対社会に対して子供の権利は守るという意味で保護者に第一義的な権利もあるということも考えなければいけないと思います。
 それは、例えば障害のある子供がどういう学校に行きたいかというときに、今全く保護者の権利が認められていない状況がございます。子どもの権利条約でも第一義的責任は言っておりますけど、一方で権利ということを言っておりますから、権利と義務、責任ということを併せて考えていく必要があるのではないかと考えております。その点が非常に不十分であるということでございます。
 続きまして、もう少し大きな内容になりますが、国際条約との関係が一体どうなるのであろうか。いろいろまだまだ議論を深めるべきところがたくさんあるのではないかと私は考えます。子どもの権利条約、一九八九年に国連で採択をされましてもう十年以上が過ぎておりますが、この間二回ほど国連の子どもの権利委員会から勧告がございました。そういうものを見ておりますと、まだまだ日本の場合には権利主体としての子供という位置付けが弱いのではないかと思います。
 子供たちの問題行動から、子供たちは権利権利と言って責任を果たさない、義務を果たさないという議論がありますが、私は、基本的人権というのを基本的に教えることが、権利主体として認めることが子供たちにちゃんと責任を果たす存在としても自覚させることになるというふうに思っています。子どもの権利条約はそういう趣旨で書かれているのではないかと思います。
 そういう意味では、改正案の第六条第二項に規律を重んじてというふうにしか書いてございませんし、子供の権利というところに及んでいないのは問題があるかなと思います。ただ、この点については、民主党案の方については配慮があるのではないかと思っております。
 それから、教育の目的でございますが、子どもの権利条約の第二十九条には、平和でありますとか人権でありますとか寛容でありますとか子供たちの全面的な発達でありますとか、そういう教育目標が書かれてございます。教育目的が書いてございます。これと改正案の第一条及び第二条の教育の目的、教育の目標とそごがないのかどうか、その点きちっと吟味がされているのかどうか私は懸念をしております。
 もう一つは、子どもの権利条約にあります少数者、先住民の子供の権利についてどう触れているんだろうかということもございます。
 二つ目の大きな問題ですが、国際人権規約、日本も批准をしておりますが、特に社会権規約の第十三条、教育への権利が規定されておりまして、それは解釈では、外国籍の子供にもこれ及ぶんだというふうに日本政府も解釈をしているかと思いますが、どうも政府案を見ますと、外国籍の子供たちについての配慮に欠けているのではないかと思われます。
 お手元の資料の十ページの方に、つい先月出しました外国人集住都市会議よっかいち宣言がございます。集住都市会議というのは、御存じのように浜松で二〇〇一年から始まりまして、浜松宣言が出され、この間、東海地域のところで数多くの日系外国人の方たちが働いているところでの教育問題をどうするかということが大きな課題になっているはずでございます。これを見ますと、ちょうど真ん中辺りになりますが、日本住民と外国住民が互いの文化や価値観に対する理解と尊重を深める中で、健全な都市生活に欠かせない権利の尊重と義務の遂行を基本とした多文化共生社会の形成に向けということを強く要望されております。
 この多文化共生という観点が政府案の中には私は欠けているのではないか。日本の伝統と文化ということは強調されていますが、グローバル化の中でのこういう視点がちょっと欠けているのではないかと、そういう意味で慎重な審議を求めたいというふうに思います。なお、衆議院での十一月十五日の中央公聴会で、日大の広田照幸教授もグローバル化の対応に欠けているのではないかという発言をされておりました。
 もう一つ、最後になりますが、改正案の第四条第二項に、障害がある子供たちの教育について触れてございますが、そこでは「その障害の状態に応じ、十分な教育を」という形で、現行の特殊教育に関する考え方とほぼ同じものがございます。特別支援教育が来年から始まります。私もこの間、参議院のこの問題に関する参考人で意見を述べさせていただいたんですけれども、もうすぐ国連で障害者権利条約が採択をされます。そこでは、インクルーシブエデュケーションということが基本になっております。この問題とこれは私は矛盾してくるのではないかと考えております。
 つい昨日の特別委員会での発言、民主党の水岡委員に対しまして伊吹文部科学大臣が、インクルーシブ教育は理想だ、だがそれには莫大な費用が掛かる、税負担とのバランスだというお答えをされておりますが、九四年のサラマンカ宣言では、インクルーシブ教育はむしろ教育の節約といいますか、無駄な経費を掛けないということを強調しております。これはお金を掛けないということではなくて、無駄な経費を掛けないということであります。
 最後の方の資料にございますが、これは中央教育審議会の答申の資料でございます。養護学校や特殊学級の数とその在籍者が増えているという資料でございます。これが日本の現状かと思います。
 以上でございます。ちょっとオーバーして申し訳ございません。
#488
○団長(岸信夫君) ありがとうございました。
 次に、松永公述人にお願いいたします。松永公述人。
#489
○公述人(松永由弥子君) 静岡産業大学情報学部の松永でございます。
 私は、教育基本法案に賛成の立場から、特に生涯学習と家庭教育について私の資料に沿って意見を述べさせていただきます。
 まず、一つ目の生涯学習についてですが、生涯学習は現行の教育基本法制定時にはなかったものです。これは、一九六五年のユネスコの成人教育会議にて生涯教育という日本語で訳されたライフロングエデュケーションの理念が提唱されて以来、我が国でもその考え方に基づいて様々な実践がなされてきました。一九八〇年代に臨時教育審議会などが開かれまして、その中では生涯教育というよりは学ぶ側のその行動や状況を重視するという形で生涯学習という言葉が多く用いられるようになりまして、そして今では生涯教育は生涯学習の支援という言い方をしまして、私たちの人生において重要な位置を占める教育活動になっています。
 その中で、私たちの人生というか生き方が随分変わってきている現状があります。これは長寿社会と言われるように、昔だったら五十歳ぐらいで人生が終わっているところが八十歳ぐらいまで生きるようになったこと、それから変化がとても激しい時代になっているという二点がかかわってきていると思います。
 昔の時代だったら、子供は成人になるまでに、成人になっていろんなことをして、人生の活動、仕事に就くとかそれから子供を育てるという、生きていくのにとても大事な活動を主にしていくために、その準備の教育を、学習をそのときに全部してしまって、大人になるとその子供のときのためていたものを使って人生をやりくりしていて、ちょっと困ったなというときにはまたちょっと勉強してという形で一生を終えていた時代だったと思います。それが今は人生活動も少し幅が広がってきています。これが寿命が延びたことと関係していることだと思います。
 人間が生きていく上で必要な、仕事をするとか子供を育てる、それ以外に人間が人間らしく生きていくための生きがい追求というですかね、特に高齢の方が主になるとは思いますが、そういう幅の広い人生活動を人間がするようになってきた。そうしますと、自分が今いろいろな活動するに当たって必要な学習と、次の人生のステップが進んだときに、その活動をしていくための準備としての活動を並行して人生の中で送っていかなければならない。
 具体的に言いますと、私は今二児の母親としても生きているんですけれども、そうすると仕事と子育てとやっておりますが、これはあと何十年かすると終わってしまって今度は私がまた一人で、主人と二人で生きていけるか分かりませんが、また生きていく。そのときに、じゃ何をしていこうといった準備は私が今この人生活動を行いながらも準備として学習していかなければならない。そう考えると、生涯にわたってだれでもいつでも学習できることが保障されるということがとても重要になってくると思います。そういう意味で生涯学習が重要であって、そのことがこの基本法案に載ったということはとても意義深いものだと考えます。
 二つ目に、家庭教育について述べさせていただきます。
 この生涯学習の考え方に基づきますと、教育、教育というか学習支援をする場というのは学校に限らず学校、家庭、社会の三つと言われています。この学校教育、家庭教育、社会教育が対等な形でこの基本法に載っているということは、法案の十三条にありますけれども、教育の場で連携、協力をしながら人々の学習支援をしていくという際に対等になっているというところがとても大切だと感じます。
 そして、家庭教育については、教育基本法案第十条に載っていますけれども、その中の二の条文の中に、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するための必要な施策云々とありますけれども、この保護者に対する学習の機会及び情報の提供というのが重要だと私は考えております。そして、その保護者の家庭教育に関する学習を今よりも幅広く体系的に提供できる仕組みを早急に整備していかなければいけないなということをこれは親として強く感じております。
 なぜかというと、私は九年前に初めて子供を産んだときに、正直なところ、その我が子をどうしていいのかさっぱり分からなくて、それは、私は弟がいますけれども、弟が生まれた三十年ぐらい前から赤ん坊をそんなに生で、身近で見たことがほとんどなくて、それが首も据わらない子供を見たときにもうどうしていいのかなという戸惑いを感じざるを得ない、本当にそれは強く覚えています、その不安を。妊娠すると一応母親学級とか、今はパパママ教室と言って家庭教育に関する教育が始まる、学習をさせてもらえるんですけれども、実際そこでやっていることというと、お風呂の入れ方とかおむつの替え方という本当にハウツー物というか実用的なところで、これは子供が生まれてから何か月かすればもうやって終わっちゃうような内容で、ただ本当にそういうものだけの教室が多いような気がします。
 しかしながら、本当に親として暮らしていくときにもっと重要なものというのはたくさんありまして、よくいろいろなところで子供さんに優しく接しましょうとか、感情で怒らずに理性でちゃんとしかるときはしかって、駄目なときは厳しくするけれども、優しくしましょうとか、怒るときはそんな殴っちゃ駄目ですよとか言われるんですけれど、そういう気持ちとか子供への態度のようなものは、そうそう妊娠してから何か月間かの間でその人に身に付くものではなかなかないわけですね。私も優しい母親にならなければならないと思って一年ぐらいずっと怒らずに頑張っていたんですけれども、上の子が一歳過ぎたころに、余りにもひどいことをしてくるので、ひどいって子供は別に意図はないんですけれども、ひどいことをしてくるのでもうそのときに優しい母親はやめたと思って生の感情で生きていこうと思ったりもしたこともありましたけれども、そういうような心構えのようなものはもっと、親になることが多分ほとんどの人には前提となる話なので、もっと準備教育として、一のところで挙げましたけれども、子育てという人生活動を行うための準備活動としてもっと、妊娠してからというのではなくて、早い時期から体系立てて伝えていくということが親になったときの人たちの安心につながるのかなというふうに感じています。
 三つ目ですけれども、この生涯学習と家庭教育が明確にされることで解決が期待できる例ということで三つ挙げましたけれども、私が言いたいのは、一つ目が特に申し上げたいので、そこを特に申し上げたいと思います。これらはあくまでも例ですけれども。
 この変化の激しい時代の中で子育てをしていくというと、今までは子育ては伝承文化だとおっしゃる方もいらして、確かにそういう部分はあると思います。自分が親からしてきてもらったことをまた子供に伝えていく、これは確かに大切なことであって、その経験的なものでまた経験をしていく、経験というか、子育てをまたしていくというのはとても大事だと思うんですけれども、その部分もかなり伝承されているかというと、問題はありますが、それとはちょっと別に、子育てが伝承文化として受け継がれているとしても成り立たない例というのがあると思います。それが一点目に挙げました情報モラル教育です。
 学校の方では平成十五年度より、ちょっとこれ資料が間違っておりますけれども、高校の普通科で教科情報、情報科ではありません、教科として情報が設置されました。また、小中学校では総合的な学習の時間で情報について学習する機会があります。
 一方で、関心のある大人の人たちは情報について随分勉強されるわけですけれども、それがすべての、特に親に学ぶ機会が提供されているかというと、どうも少ないように感じます。
 情報社会の中で情報社会の負の側面から子供をどうやって守っていくか。例えば、インターネットの有害サイトを子供に見せないようにするにはどうしたらいいか、携帯電話に入ってくる業者のメールをどうやって止めたらいいか、こういうことについて、サービスを提供している側は、最終的には親が家庭でフィルタリングソフトを入れてくださいとか、子供に気を付けてくださいと言うんですけれど、実際に家庭でフィルタリングソフトが入っているというのは数%にしか満たないという調査結果もあります。これはやはり大人のというか、親側の情報に関する認識不足とか、認識していても、私もそうなんですが、フィルタリングソフトをどこから手に入れて、どうやってインストールしたらうちのパソコンでそれが動いて、ちゃんと子供に見せないようになるのかなんというちょっと難しい話になるともう分からないから、まあいいや、おいとけとか思って過ごしてしまうわけですね。大人だったらこれ見ない方がいいなと思えばそこで消せますけど、子供がその環境に置かれてしまったときに、興味本位で入っていった場合などにはとても危険な事件、事故につながる場合もあると思います。
 じゃ、情報に関してのモラルはどうしていったらいいのかといったときに、これはおじいさん、おばあさん、今の父親、母親のお父さん、お母さんの時代にはなかった世界ですから、伝えるべきものもないので、もうここについては大人も子供も一緒に学ぶというのが重要になってくると思います。大人が生涯学習の機会として学ぶ、親として必要なことだから学ぶ、そして子供が学校で学んでくることと一緒になって、うちでは、じゃこうしていこうよというような場面ができ上がって初めて新しい文化として情報モラルが日本に形成されるのではないかと考えています。
 こういうふうに、大人は本当に、昔自分が学んだこととか、だれかから教わったことだけでこれからの社会は生きていけなくて、大人だからもう何でも知っているよ、子供だけが勉強すればいいんだではなくて、大人と子供がともに学んでいく、そういうことが取組として広く全国で行われることが大切ではないかなと思います。
 環境問題と書きましたけれども、これも同じようなことです。ごみの捨て方について私がこの間ちょっとうちで話をしていたら、古着をこのごろは捨てられないんだなって主人の父が言うので、ああ、そうなの。綿は引き取ってくれるんだけど、ナイロンは駄目だって言うんだって。多分ナイロンは燃えたりもしない、ダイオキシンが出ちゃうとかそういうのがあると思うんですが、昔と変わっちゃったよなって文句を言うので、でも、文句言ってももう今はそういう環境を大切にしなきゃいけない時代になってしまったので、そのことについて子供は随分勉強をしているんですね。大人の方が知らないぐらいで、せっかく勉強した子供の行動を規制してしまったりしているところがあると思います。
 そういう意味で、この新しい、変化の激しい社会の中で、大人も子供もともに学ぶことでより良い生活を送っていくということがとても大切になってくると思いますので、その根拠になる生涯学習と家庭教育の規定というのは私としてはとてもいい規定だなというふうに考えております。
 以上で私の発言を終わらせていただきます。
#490
○団長(岸信夫君) ありがとうございました。
 次に、粕谷公述人にお願いいたします。粕谷公述人。
#491
○公述人(粕谷たか子君) それでは、お願いします。
 私は、静岡県の高等学校障害児学校教職員組合の委員長をしております。委員長という看板をしょっておりますが、学校の現場で教員をやりながら組合の仕事もやっておりますので、今の子供たち、それから学校の状況はかなり分かっているつもりでございます。
 それから、今までに、私の教職歴ですけれども、分校から独立して十年目の学校を振出しに、いわゆる受験校、それから農業高校、そして現在は商業高校で教えておりますので、いろいろな子供たちに接し、それからいろいろな先生たちの悩みにも接して今日までやってまいりました。
 そういうことですので、私は、今子供たちとそれから学校、教育をめぐる状況がどのようになっておるのか、それから現場の教職員、学校は何を求めておるのか、それからこの教基法が、改正案が通ったらどのような影響があるかということについて述べたいと思います。この改正案には反対の立場でございます。
 まず一点目、子供と学校が直面している困難、問題点なんですけれども、まず一つ目は、経済状況の悪化が子供の学びと未来を奪っているような状況になってきてしまっております。
 親の経済力の格差が子供たちの教育の格差にも表われておりますし、それから一生懸命勉強しても職に就けるのか、あるいは本当にせっかく得た職でも、夜遅くまで働いてそれで心を病んでしまったりという、そのような状況を見ておりますと、非常に難しく、どこにどのように対応したらいいかということが非常に今悩んでおる一つの問題でございます。
 もう一つ目は、子供たちをターゲットにした消費文化と享楽的な文化、この影響でございます。携帯とかインターネットとか様々な、私たち学校が手が届かないような文化と言っていいと思いますが、その影響を子供たちが非常に受けておるということです。
 それから、三つ目は、大人の世界の金の力、権力に物を言わせ、あるいは暴力でもって自分たちの目的を達成しようとする、そして道徳的には非常に退廃した、今そのような状況があるわけですけれども、それが子供たちに大きな影響をやっぱり及ぼしている。私は、このような状況を見るにつれ、子供たちが本当に人間不信に陥ってしまわないか、本当に暗い気持ちになって、いい、こういうことが起きているけど、でもまず人間に対する信頼感を失わないでねっていうことを子供たちに言いながら、接しております。
 そして、このような状況の中で政府の方は教育改革と次々と打ち出してきているわけですけれども、それはあくまでもトップダウンのもので、私たち現場が本当に必要としているものではないという現状でございます。
 例えば、どういうものがあるかと申しますと高校の入試制度ですね、大きく変えられました。その弊害があって今、静岡県では見直しに入っておりますが、入試制度とか、それから学校の学校評価制度、開かれた学校ということを名目にはしておりますが、これが空回りしていたり、あるいは首を絞めるものになったり、それから各種の官製の教職員に対する研修です。初任研、それから十年研、あるいは中学校との交流とか資質向上研修とかいろいろな研修が入ってきておりますが、これが残念ながら、私たち本当に求めているもの、あるいは教員の指導力の向上にはつながってないという現状がございます。
 そして、一つ大きな変化、少子化の問題でどのようなことが起きておるかと申しますと、学級減がここずっと行われております。来年度も静岡県で四十一学級が減らされるという発表がありました。一学級が減らされますと、正規の教員が二人減らされます。ですので、来年度は教員が八十二名減らされるということになります。
 こういうふうに教員が減らされて、授業の持ち時間というかそれは少なくなっても、私たちが抱えている仕事そのものは減らないわけです。授業以外に学校運営に係る、まあ分掌の仕事と申しますが、分掌とかクラブとか様々な仕事があるわけですけども、それをこなすのにも本当に足りなくて、非常に多忙な状況になっておるということでございます。
 そして、その中で、定数減は学校の統廃合につながるということで、静岡県でも学校の統廃合計画が発表されたわけですが、これが非常に現場を脅かしております。定員割れを起こせば学校がつぶされるかもしれないと、そのようにつぶされないためには何としてでも生徒を確保しなければいけない。ですから、私たちは中学校を訪問して、何とか生徒さんを学校に送ってくださいというふうに回っておりますし、学校の実績を上げなければ駄目だという行政の指導もありますので、実績づくりのために奮闘しているわけですが。実績というのは大学進学実績であり、あるいはクラブ活動での実績であり、あるいは検定の合格率とか様々な数値を目標とした実績づくり、これが押し付けられてきております。
 そのような中で、私たちは本当に新しく下ろされてくることをこなすことに本当にもうきゅうきゅうとしておりますが、目の前の子供たちをほうっておくわけにはいきません。子供たちも、先ほど申したように本当にいろいろな問題を抱えて悩んでおります。で、子供たちと接してきちっと聞いてやる。
 それから、まずやっぱりいい授業をしたいという、そういうことでございますが、その授業のための準備、教材準備は、ほかの仕事が、どうしてもやらなければならない、締切りなんかを迫られるわけです、書類なぞの。そういう仕事をやってから、遅くまで学校に残って、今では十時まで学校に残っている職員が多いということが話題になっております。
 どうしても、女性を始め学校に残れない教員は、家に帰って、持ち帰りの仕事をしております。このような形で、自分の健康、家族、それからほかのものを犠牲にして教職員は今奮闘しておるわけですが、その中でメンタルの問題を抱えている教職員が非常に多くなっているという数字が発表されております。
 それで、今このような状況は、そこにちょっと書きましたが、教育の五Kとでも言えるような、Kは競争、管理、それから強制。競争をさせる、そして、でもなかなか言うことを聞かない子たちには様々な形の管理が課せられ、そして、それでも言うことを聞かなければ力ずくで強制的にやらせる。そして、手が掛かる子、それでも駄目な子、学校に来れなくなってしまったり、切れてしまったり、問題行動を起こしたりした子たちはもう切り捨てられていくような、そのような状況になっております。
 とにかく、こういうような現状で私たちが望むことは、そこに書きましたが、まず第一に、教育基本法を変えることではなくて現行の教育基本法を生かすこと、それが何よりも求められていることだと思います。
 第一に、現行法第十条にうたっておりますように、教育行政は、不当な支配に服することなく、教育全体に責任を負って、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。この十条をとにかく実践すること、それが必要だと思います。
 具体的には、まずやはり教職員を増やしていただきたい。この少子化の機会に少人数学級、今四十人が定員でございますが、欧米先進国並みに二十人にすれば、今のクラス数、学校数でやっていけるわけでございます。それから、学校統廃合を行わない。これは、やはりどうしても過疎地の学校が統廃合されなくなったり、そして非常に、高校の場合は輪切りという言い方をしますが、いわゆる受験校トップの学校から、なかなか勉強が追い付かない大変な子たちが集まるような困難校と言いますが、そのような学校にきれいに輪切りにされているような状況でございます。その中で、本当に教職員増やして、子供の生徒、学級の人数を減らして、子供たち一人一人に目が届き、直接かかわれるような、本当に子供たちに直接責任を負って教育活動ができるような、そのような条件整備をしていただきたいと思います。
 新たな家庭の教育の問題とか、あるいは生涯教育の問題とか、これなんかもすべて現行のこの教育基本法で対応できるものではないかと思っております。
 二番目の反対の理由なんですけれども、様々な方たちが声を大にして言っておられます、国家の教育への統制が強まるということです。前文には、平和を希求しという言葉があったわけですが、その平和が正義を希求しに変えられて、それから教育の目的の第一条、そこでは国家が必要な資質を決めて行うと。そして第二条の目標には、事具体的に、愛国心とか徳目ですね、各種の徳目、態度を養うという形で細かに挙げられております。
 これが通ると学校現場ではどういう形になるか、なかなかここが、残念ながらこれまでの審議の過程では明らかにされていないと思うんです。だもんですから、まだこの危険性が十分理解されていない一つの原因になっておると思うんですが、私は六月に衆議院の特別委員会を傍聴に参りました。そこで、文科大臣が、この改正案が通ったらどういうふうにするのだというほかの議員からの質問にお答えになって、指導要領を変えて各教科で指導ができるようにするのだというふうにお答えになっていました。
 これは、指導要領は、まあ私どもは大綱的な基準であって法的な拘束力を持つものではないと思っておりますが、でも、現状ではこれが非常に強い力を持っております。指導要領が変えられれば、教科書が変えられます。それから行政の様々な施策も変わってきますし、教育への直接的な介入になってきます。
 その中で、具体的にやはり、まず真っ先にこの辺が変わるだろうなと思うことは歴史観ですね。侵略戦争を美化した歴史観、それは平和を取ってしまえば戦争をということに行くわけですが、その歴史観がじわりじわりと、まあそんな露骨な、最初は露骨な形ではないと思います、入ってきたり、あるいは教えないという形で現場には入って、知らない、子供たちが知らない、無知はやはり非常に恐ろしいものだと思いますけれども、知らないという形で出てくると思います。
 先日、私、たまたま十二月三日に靖国神社の遊就館を見学に行ってまいりました。驚きました。本当に戦争賛美の遊就館で、そこへ前首相は参拝に行かれたわけですけれども、安倍現首相もそこのところについては否定はしないとおっしゃっているわけですが、非常にあのような形のものが入ってくることを懸念しております。
 それから、国とかあるいは公共の精神、非常に大事なことだとは思います、愛国心も公共の精神も。ですが、今のような形で進みますと、公共の精神というのは全体の秩序を乱すもので悪いことだということで、それで、例えば私ども労働組合の運動、基本的人権を守る、労働者の基本的人権を守る。それは、教え子たちがこれから世界へ出ていく、企業の現場ですね、労働現場、本当にきちっと人権が守られるものにしたいと思いますから、その基本的人権が侵されるようなことになっては本当にいけないと思っております。
 それから、平和と民主主義の教育を規制するようなものになっていて、これは憲法違反になります。そして、それはもう憲法の改悪、安倍首相は五年間のうちにやるとおっしゃっているわけですが、この憲法改悪につながるものであると思います。
 現行法で、じゃ子供たちに国のことを本当に考えて公共のモラルですね、そういうものを身に付けることができないのかと。そうではないと思います。現行法の第一条には、平和的な国家及び社会の形成者を育成するとうたってございます。ここのところをしっかり徹底させていけばできること。ほかにもまた申しますが、現行法をきちっとやればちゃんとした子供たちが育っていく、そのように思っております。
 それから、もう一つ大きな反対理由ですが、新たな第十七条、教育振興基本計画ですね。法律で定めて、それを、国が法律で定めたものをどんどん教育で実践するようになるのだという、これは報告だけでいいのだということになっているわけですが、これが実際行われたら本当に大変だなと思います。教育改革の、今具体的にはどういうものかというものは教育再生会議で議論になっておりますが、教職員評価、それから学校評価、バウチャー制とか免許更新制ですね、そのようなものが行われるようになるわけですが、教職員評価は学校経営目標を……
#492
○団長(岸信夫君) 時間が経過しておりますので、そろそろおまとめください。
#493
○公述人(粕谷たか子君) はい。
 それでは、教職員評価の問題点はアンケートを私ども資料として付けました。それをごらんになっていただきたいと思います。これは資質向上にもつながらないし、かえって学校の統制を強めるものになると思います。
 そして、教育の、本当にいい教育をしていくためには、四番目にございます、これだけ、済みません、言わせてください。私たちは、やはり子供と保護者と地域住民と教職員が本当に参加して共同し合って学校をつくるということが求められていると思います。形だけで評価を入れていくとか、お互いに対立させるようなそういうことをあおるのではなくて、その現行の第二条ですね、これ削除されておりますが、これを徹底させることが必要だと思います。
 それでは、今回の公聴会をやったということを強行採決の前提にしないようにお願いします。
#494
○団長(岸信夫君) ありがとうございました。
 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。
 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。
 時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
#495
○坂本由紀子君 自由民主党、坂本由紀子でございます。
 本日は、四人の公述人の皆様、大変お忙しい中、突然の公聴会の開催でしたが、御出席をいただきまして貴重な御意見をお述べいただき、誠にありがとうございます。
 時間が限られておりますので、四人の方全員に重ねてお伺いすることができないかもしれませんが、その際はお許しいただきたいと思います。
 私たち日本は、戦後六十年、新しい憲法の下で基本的人権が享受され、平和で自由な社会がもたらされたのは教育の大きな成果であったろうと思います。ただ、昨今は非常に自己中心的で思いやりがない人間が増えている、あるいは規範意識が欠けている、自分に自信が持てない子供たちが増えている、あるいは生きる力が弱くなった。それは生命に対する意識であるとか、あるいは社会の中でたくましく生きていくという力が弱くなっているということが大変心配をされておるところでございます。
 このため、教育の枠組みを大きく変えようということで、今般、教育基本法の改正が審議をされておるわけでございますが、今般は、教育の目標を一号から五号まで明確に政府案においては記述をいたしております。
 その中の一つに、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うというふうにしております。ここは、私たちの伝統と文化を尊重して、それらをはぐくんできた私たちの国土や歴史や郷土を愛するということでございます。
 そこで、岡本公述人に伺いますが、岡本公述人の学校では、百年にわたる歴史を持たれ、優れた人材を育成してこられましたが、その教育の中において、私たち国、社会の伝統、文化をその教育の中に取り入れてやってこられている部分があるのかどうか。そして、そういうものが子供たちの人格形成においてどのような成果をもたらしているかということについてお伺いをいたします。
#496
○公述人(岡本肇君) 私が感じるのは、私の学校は本当に小さな学校ですけれども、有り難いことは、卒業生が子供を大変寄こしていただいているということです。その理由として、やはり百年女子教育ということだけで創立者の建学の精神に基づいて教育してきましたので。
 私は、教育で今大切なのは、親が学んだことと同じ価値観を子供が学ぶということが、これがとても大切だと思います。やっぱり今、日本の教育の一番の悲劇は、戦後のところでいわゆる価値観ががらりと変わってしまったという、したがって、親が学んだ価値観と、それから子供が社会から受ける価値観がこれ違っているという、そこのところが一番大きな問題だと私は思っております。
 以上です。
#497
○坂本由紀子君 ありがとうございます。
 今、家庭教育について、公述人何人かの方々から言及がございました。家族がばらばらになっている、あるいはしつけが十分にできていないということが言われております。
 学校現場におきまして、この点での家庭教育の変質を具体的にどのように受け止めて、学校教育がその点を補っていらっしゃるのか、中学、高校を実際やっていらっしゃる岡本公述人に重ねてお伺いいたします。
#498
○公述人(岡本肇君) 今、やはり親が非常に変わってきているということは、一つは、私が教員になったころは保護者はほとんどが中学卒業か高校卒業ということで、教員の方が大学卒業ですので、一応私も若いころは、本当に今思い出せば顔が赤くなるようなことを言ったりやったりしていましたけれども、一応親が教師というふうに認めてくれていました。
 ところが今は、うちの学校で見るともう多分八割ぐらいが大学を出ていられて、そしてこういうような、今我々が話しているような情報というのは一杯あふれているわけですから、ほぼ、私たちプロの教師と言っていますけれども、そういう知識の量においては同じなんですね、親も子供も。したがって、見ていると、若い教員たちはそういう親を前にして、大変クラス経営あるいは授業で苦慮をしております。その辺のところを、私の学校ではやはり問題があればすぐ年配の教員が出ていって親のクレームに対して一つ一つ丁寧に対応していくという、現在のところ、方法としてはそれしかありません。
 以上です。
#499
○坂本由紀子君 ありがとうございます。
 かつての子供に比べて今の子供が家庭教育が行き届いていないというようなところが現実出ているんでしょうか。岡本公述人、その部分について少し述べていただきたいと思います。
#500
○公述人(岡本肇君) 私の学校は女子の学校ですから、女のお子さんをお預かりしているわけですけれども、これはもうやっぱり家庭の差だと思います。本当に以前と変わらないような形で、人と話をするときも話せる子供もいますし、それからもう本当に単語でしか話さない子供もいます。例えば、先生、ほうきなんと言うと、何だ、先生はほうきなのかということになっちゃうんですけれども、ほうきはどこにありますかということですよね、これは。そういう単語でしか話せない言葉、要するに、これはやっぱり家庭の中での会話の問題だと思います。
 私は思いますけれども、今、学校五日制その他で実際に生徒が登校する日数は、私は私学ですから二百三十日登校日数を稼いでいますけれども、全部土日休んでやると大体二百日が限度だと思います。授業をやると多分百九十日ぐらいになると思いますけれども、その中で一日来るのは八時間で三分の一で、一年間の二分の一ですから、学校が預かっている時間というのは六分の一ですよ。そういうことでしょう。で、学校がすべてしょい込むというのは、これはどだい無理な話なんです。
 以上です。
#501
○坂本由紀子君 嶺井公述人に伺います。
 先ほど家庭教育を法律で縛ることは問題だという御意見でしたが、今の家庭教育が、かつて六十年前、四十年前、三十年前に比べて家庭の教育力がその当時に比べて落ちてきているというような、その辺の教育力についてはどういう御認識でしょうか。
#502
○公述人(嶺井正也君) 個々の家庭の教育力というよりも、地域がそういう家庭を包み込んで、家庭と地域が一体となって共同的な子育てをするという、そういう力は弱まってきているのではないかと思います。
 かつての個別の家庭でも親がたくさん働いていましたので、本当に日々接する中で子育てをやっていたかというとそうではないので、その形態が変わってきているのではないかと思っております。
#503
○坂本由紀子君 重ねて嶺井公述人に伺いますが、それは地域、家庭、学校というその三つの教育空間があるわけですが、学校を除いた家庭、地域の教育力がトータルとして少し低下してきているという意味でしょうか。
#504
○公述人(嶺井正也君) 私が言いたかったのは、共同して地域で子育てをするという、そういう関係がなくなってきている、そのことが全体として教育力を落としているというふうに考えております。
#505
○坂本由紀子君 その場合に、家庭の教育力全体として落ちてくると、それは子供にとっては大変大きな問題であると思いますが、そこを解決するためにどのような手だてを講ずべきだとお考えでしょうか。
#506
○公述人(嶺井正也君) 家庭の教育力の中身をもう少し議論しなければいけないと思いますが、今本当に子供たちが一人前に育つための教育を家庭がしているかというと、していないと思います。
 一方、受験教育についてはすごく今親は熱心であります。そういう意味での教育力はあります。その違いを踏まえて対処していかないと問題が、課題がたくさん残るのではないかと思います。
#507
○坂本由紀子君 教育は社会のかがみでありますので、社会がどういうものを求めているかということにかなり左右されているところがございますので、そういう意味では、社会が求めているのが単なる学歴であるとか知力だけではなくて、そういう人格面全体を求めるということが確かに必要でありますが、それはそれとして、それぞれの、今の現状の家庭における教育をどう立て直していくか、あるいは学校の中の教育を今後ともどう伸ばしていくかということは大事な課題だろうと思います。
 それで、先ほど松永公述人、生涯教育の重要性を御指摘になりました。御指摘のとおり、長寿化いたしておりますので、豊かな人生を送るためにも生涯教育は欠くことができないものだと思います。公述人の大学でもこの点では大変意欲的なお取り組みをしていらっしゃるかと思いますが、この生涯教育を充実するために特に大事な課題としてお考えがございましたらお述べいただきたいと思います。
#508
○公述人(松永由弥子君) 現在でも様々な生涯学習支援の取組は行われておりますので、私は、学校、家庭、社会が協力、連携あるいは融合して、今ある資源をつなげていろいろな人たちが一堂に会してもどの人たちにも有益になるような学習機会が提供できるといいと思います。また、学歴以外に学習歴が保障されるような社会になりますと、もっと生涯学習が盛んに行われるようになるかなと考えております。
#509
○坂本由紀子君 ありがとうございます。
 今般の教育基本法の改正の中では、これからの私たちの時代が知識基盤が大変重要になってくるということで、大学についての記述もされております。大学が、「学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、」というようなことで、大学教育についての記述が新たに加わることになりました。
 この点につきまして、現在大学で教授をしておられます嶺井公述人はどのようにお受け取りになっていらっしゃるでしょうか。
#510
○公述人(嶺井正也君) 私は、ここの点は、もし規定するとすれば、高等教育ということで専門学校なども含めて本来であれば規定すべきではなかったかなと思います。それが一点ですが。
 二点目、私立大学、たくさん私学助成をいただいていますが、先ほどもありましたように、まだ二分の一の助成などというのはほど遠い状況であります。
 私の大学でも二万人の学生を抱えております。そういう中で研究学術をどうやってやっていくかということは極めてまだまだ厳しい条件にあるかなというふうに思いますので、やはり条件整備の面を是非考えていただきたいというふうに思います。
#511
○坂本由紀子君 最後の質問になりますが、幼児期の教育というのが新しく今般の基本法の改正案の中に加えられております。
 幼児期の教育が生涯にわたる人格形成の基礎であることは、これはだれしも同じ考えだろうと思います。本日は幼児期の教育に直接携わっていらっしゃる方はいらっしゃらないわけでございますが、この幼児期の教育の現状と重要性についてお考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
 先ほど御自身も子供をお育てになったとおっしゃっていた松永公述人と、あと女子教育をやっていらっしゃる岡本公述人から伺いたいと思います。
#512
○公述人(松永由弥子君) やはり幼児期の教育が取り上げられているということは、その重要性を示しているものだと思います。
 まだ私、下の子供が四歳ですけれども、もう四歳になっちゃったので人格が決まってしまったかなと不安なところもありますけれども、穏やかな状態で幼児期を過ごすことが最も人格形成には重要であり、そしてその幼児期はほとんど家庭で過ごすわけですから、家庭教育と並んでこの幼児期の教育が取り上げられることですべての子供たちが平和で落ち着いた環境の中で人格を醸成していける社会ができることを望んでおります。
#513
○公述人(岡本肇君) 以前、いわゆる少子化が進行していく中で、私たち私立の中高もこれから大変な時代だぞということを心配したときに、一番最初に波風かぶるのは幼稚園なんですよね。
 幼稚園を見てみましたら、結局それに対応するために特色教育をすると。例えば、論語の素読をするとか、あるいは空手をやって礼儀作法を教えるとか、あの手この手で英語教育をするとか、いろいろなことをやったんですけれども、結局今どうなっているかというと、これは幼稚園の方から聞いたんですけど、幼稚園の三種の神器は給食と長時間保育と送迎バスだと。
 要するに、親ができるだけ手が掛からない、要するに親が手を掛けるべきものを、今のアウトソーシングですかね、そういう形になりつつあるわけで、この辺のところをもう一度やっぱり親のところへ戻す方法を何かの形で考えないと、やっぱり子供というのは親と向き合って育っていくものであって、どんなにすばらしい幼稚園の施設があろうと、どんなに熟練した幼児教育の先生がいようと、やっぱり最終的には親かなというふうに思います。
#514
○坂本由紀子君 ありがとうございます。
 時間が参りましたが、先ほど岡本公述人から御指摘がありました学校、家庭、地域住民等の相互の連携協力、松永公述人からもございましたが、これが静岡県で人づくり百年の計委員会で御指摘されました三つの教育観が大事だということと正に軌を一にいたしております。こういう枠組みの中できちっとした教育を実現していくことが重要だということを最後に申し述べまして、私の質問を終わります。
#515
○藤本祐司君 民主党・新緑風会の藤本でございます。
 今日は本当に急な要請にもかかわりませずこのようにお集まりいただきましたこと、まず感謝をしたいと思います。ありがとうございます。
 一つ宣伝といいますか、もあるんですが、今回の教育基本法の改正というのは政府案だけではございませんで、民主党も案を出しておりますので、ちょっとそこの辺り、民主党案そして政府案、その違う面も含めまして幾つかお聞きしたいなというふうに思っております。
 今日は教育基本法に関することでございますが、いろんな教育については幅広い御意見をいただきたいところではございますが、まずはその法案につきましての質問を中心にやらせていただきたいと思います。
 まず、皆さんには態度を明らかにしていただいております。岡本公述人は教育基本法の改正案に賛成だということを冒頭おっしゃっていただきましたが、これは政府案に賛成だということであって、民主党案には賛成ではないと、そういう感じ、それはどういうふうに解釈したらよろしいんでしょうか。
#516
○公述人(岡本肇君) これ、残念ながら、私もこの民主党案というのは一度新聞に掲載されたのを見て、それだけで、民主党がいわゆる国を愛する心ということをうたっていて、自民党の方がこっちの方がいいじゃないかと言う方もいたというぐらいのところを認識しているところで、大変申し訳ないんですけれども、多分これで、国会で通っていくのはこちらの改正案の方だろうということで改正案の方を見ておりました。
 実はこのお話があって、インターネットでこのニホン国教育基本法案というんですか、これも見せていただきましたけれども、私としては特に抵抗はありません、この内容について。
 以上です。
#517
○藤本祐司君 まあ我々のPR不足だったのか、あるいはタウンミーティング等々でやるのはやはり政府広報ですから、あれは。そちらの方がどうしても報道においても圧倒的に多くなるというところの差もあるのかなと思いますが。ニホン国ではなくて、これニッポン国教育基本法でございますので、一応そのことだけ申し上げておきたいと思います。
 それで、じゃ一点だけ、岡本公述人、先ほど幼児教育とか家庭教育とか、そういう項目が、条項が入ったことに関しては非常にいいことであると。これは我々の方も入ってございます。
 具体的に言いますと、民主党案の第六条と政府案の第十一条に幼児教育の項目を入れておるんですけれども、一つだけ特徴の違いがございまして、我々民主党案の方は少子化ということをやはり意識をしてございまして、単に幼児教育が大事だよということ以上に、それはもっともっと幼児教育をしやすい環境をつくるんだということで、第二項の方に「幼児期の子どもに対する無償教育」ということを明確にうたっております。これにつきましては我々の特徴だというふうに考えておるんですけれども、その点につきまして、岡本公述人、どのようにお考えになりますでしょうか。
#518
○公述人(岡本肇君) 私の学校でも中学一年生から高校三年生までお預かりしていますけれども、やっぱり中学一年生のときのお父さんって本当若いんですね。まだ係長ぐらい。高校ぐらいになるとある程度余裕が出てくるんで、これが小学校、幼稚園のお父さんぐらいになると多分この教育費の負担というのはかなり大変じゃないのかなというふうに思います。そういう意味ではこれは一つの見識だと私は思います。
 以上です。
#519
○藤本祐司君 ありがとうございます。
 やはり先ほど来からいろんな教育の格差とかいう話がありますけれども、この格差というのがいわゆる希望格差という、要するに希望を持てるか持てないかという、例えば無償化をすることによってやはり多少なりともそれが、負担が軽減できるんじゃないかということから、少子化にも一つの影響を及ぼすことができるんではないかというそういう意図もございまして、こういうところが入っているわけでございます。
 皆さんに順番にまず行って、一回りしたらまた戻らせていただきたいと思いますが。
 嶺井公述人にお聞きしたいと思うんですが、先ほどいわゆる個人の権利というところをやはりもっともっとしっかり見ていかないといけないんだというお話がありました。公述人、最近、日本と海外、いわゆる障害者の教育であるとか、あるいはイギリスあるいはイタリア、フィンランド、いろんなところでの障害者に対する教育ということも日本との差があるんではないかというようなことがいろんなところで言われておりますけれども、公述人といたしまして、日本といわゆる海外、どこでも代表的なところで結構なんですけれども、障害者に対する教育といいますか、その仕組みなど、支援策など、どの点が大きく違っているかということをちょっと御説明いただければと思います。
#520
○公述人(嶺井正也君) 私はイタリアの教育を専門にしておりますが、イタリアでは一九七六年に特殊学級を廃止いたしております。それから、就学先の決定に当たりましては、地域の学校をまず指定して、そこでの教育が不十分であるといえば特別学校を選べるという、そういうシステムに変わって、徐々に地域の学校での教育が主流になって特別学校が少なくなってきております。
 その関係で障害児教育の充実がないかということになりますと、そんなことはございません。一学級当たりの定員が障害のある子供が入りますと二十人になりますし、支援教師が付きますし、サポートが付きます。それから、子供一人一人のための個別の教育計画も作られます。
 そういう障害のない子供たちとの中でその子のニーズに合った教育をどうするかというシステムをやっておりますので、私はそういう方向を望みたいと思っております。それが国連が求めるインクルーシブ教育だというふうに考えております。
#521
○藤本祐司君 我々民主党案の方には、第十三条で「特別な状況に応じた教育」ということで、障害を有する子供たちに対しての教育のところを明確にうたっております。政府案の方は、これは教育機会の均等ということで、その中の第二項で「障害のある者が、」ということでうたってはあるんですけれども、やはり我々としては、子どもの権利条約などをうたわれていることをやはりきちっととらえて明確なその精神を明記をしているということも是非御理解をいただきたいと思うんですけれども、その点につきましては、嶺井公述人、いかが評価していただけますでしょうか。
#522
○公述人(嶺井正也君) ここの中では、障害のある子供たちがともに学ぶ機会を確保するというふうなことがございます。これは障害者基本法改正のときの参議院での附帯決議の中にも設けられてございますし、今回の学校教育法改正等についてもいろいろ議論をされたところでございます。
 こういうベースがあって、その上で一人一人の子供たちにニーズに合った教育をするという、こういう視点につきましては評価したいと考えております。
#523
○藤本祐司君 ありがとうございます。
 それでは、松永公述人にお聞きしたいと思います。
 先ほど松永公述人も教育基本法改正には賛成であるという立場だというふうに明確におっしゃっていただいたんですが、教育基本法改正に賛成であるのかということと、先ほど私、岡本公述人に同じ質問をさせていただきましたが、民主党案あるいは政府案、それに関して改正するということに賛成であって政府案だけに賛成するというものではないのかあるのか、ちょっとそこのところをお聞きしたいと思います。
#524
○公述人(松永由弥子君) 基本的には政府案に賛成という立場です。
 私も余り民主党さんの案をよく見たことがないので申し訳なかったですが、見させていただいて、私は生涯学習が専門だものですから、やはり生涯学習に関する条項が載っているという点で政府案の方に賛成したいと考えました。
#525
○藤本祐司君 我々の案の特徴の一つに、先ほど松永公述人が懸念をされていたいわゆる情報の問題、これは私が小学校であった四十年前と比較してということ以上に、もうこの五年、六年あるいは二年、三年の間に大きく通信という部分に関しては変化があります。その環境が全く変化をしてしまったと。放送と通信が完全にもう融合して、放送と通信の境目がなくなってきてしまった。そして、我々、先ほどフィルタリングの話がありましたが、フィルタリングを掛けようとしても難しいというお話がありました。確かに、家庭で掛けるのも難しいのかもしれませんが、家のパソコンに掛けたとしても、これ、いろんなところで全部いろんな情報が入り込んでくる。これはもうイタチごっこでして、いろんな規制というものは、通信の自由、通信の秘密性というところを考えますと、これは規制をすることというのはほとんど不可能に近いと。その中で、やはり情報というものに対しての接し方ということを小さなころから、小学校ぐらいのころからやはりそれはきちっと教えていかなければいけないんではないかという問題意識がありまして、いわゆるメディアリテラシーというところがやはりそれを考えていく、活用できる能力というのを考えていかなければいけないということで、我々はそれを「情報文化社会に関する教育」というのを改めて単独の条項としてうたっております。
 これは政府案に関して言うと、第二条の「教育の目標」の中でインクルードできるんではないかという、つまり第二条というのはすべての教育に当てはまるという、そういう解釈になるわけなんですが、ということで、一つだけ我々として、一つだけというか、ここは一つ大きな特徴として出しておるんですが、それにつきまして、現実に非常にいろんな有害サイトが当たり前のように出てきているし、大人に対しても問題多いサイトがいとも簡単に入手できると。こういう現実を見たときに、この条文というのを入れた我々なんですが、それにつきましては公述人、どのようにお考えになりますでしょうか。
#526
○公述人(松永由弥子君) 今おっしゃられるように、現状では本当にこれは解決しなければならない切迫した問題だと思います。ですので、この点について御指摘をなさっている民主党さんの案は評価はしたいと思うんですけれども、ただ、私がこれを出した理由というのは、多分これ以外にもこれから社会が変化したときにはもっと違う問題が出てきて、そのときにもまた大人も学び子供も学んで解決していかなければならないだろうというふうに私考えておりますので、この情報のことだけを取り上げることで基本法としていいかどうかというところがちょっと私としては逆に心配というんですかね、もっといろんなものを取り上げられるような条文の方が基本法としては無難ではないのかなというふうに考えております。
#527
○藤本祐司君 粕谷公述人にお聞きしたいと思いますが、基本的には教育基本法を変えることには反対であると、生かすことを考えていくべきだというふうにおっしゃっておりますが、社会の変化というのは非常に著しくて、今の情報の話だけではなくて、グローバル化であるとか少子化、高齢化、いろんなところで出てきていると思いますし、昔と違っていわゆる職業との密接性というのが、ちょっとつなぎ目が広くなってしまって、努力した人が必ずしも報われるわけではないという社会になってきているという、そういう現実的な対応を考えたときでさえも、やはりこれは変えるべきではないと、精神は残してもやはり条文すら変えるべきではないと、新しい条項を入れるべきではないというお考えであるのかどうか、ちょっとそこを教えていただきたいと思います。
#528
○公述人(粕谷たか子君) 基本的には現行の教育基本法で対応できるのではないかと思います。
 ただ、具体的に私もほかの法体系のことを学んできたわけではございませんのでそのようなことしか申し上げられませんけれども、対応できるのではないかと思っております。
#529
○藤本祐司君 先ほど、学校の現場で非常に過度なストレスが、労働時間も含めてなんですが掛かっているというお話がありまして、私もいろんなところからお話を聞くと、大学を卒業して教職に就いたばかりの方が担任を持ってクラブ活動もやって、本当に休む時間も非常に少ない、そういう中で非常にストレスがたまってじっくり考えることもなかなかできにくい状況になってきているというような話はいろんなところでお聞きするんですけれども、その学校の現場でそういうことが起きたときにどういう対応の仕方が今の段階ではあるのかなという、ちょっと一つ心配ではあるものですから、現実的にはどのような対応をされているのかということを教えていただきたいと思います。
#530
○公述人(粕谷たか子君) 管理職も含めて、学校の職員、同僚たちがまずきちっと話を聞いてあげる。それで、どうしてそういう問題が出てきたのか。御本人の対応、どのようなふうに取ってきてそれがどういう結果を招いたのか。やはり事実に即してきちっと話を聞く。それで、単にその問題への表面的な対処じゃなくて、根本的なところをじっくり考え、それへの対策を考え探っていくという、そのことがまず大切だと思います。
 それから、やはり何か問題が起きた場合に外部に対してどう説明しようかという、そういうことが先立つかもしれませんが、共感的な気持ちでもって職員に対していただきたいと。それが特に管理職、それから行政に対してはそういうふうに思っております。
#531
○藤本祐司君 岡本公述人と松永公述人にちょっとお聞きしたいんですが、先ほど民主党案が余りしっかり見たことがないという、我々のPR不足というところもあるのかもしれないとは思うんですが、そういう意味で考えた場合に、やはり同じところ、非常に共通する部分もありますし、実際に条項として入っているもの入っていないもの、あるいは違う記述をしているものというところが多数あるわけですので、賛成というお立場だとは思いますけれども、これは例えば、もう少しその辺りも含めて慎重な、あるいは民主党案を含めて検討をするべきだというふうにはお考えになりますでしょうか、お二人にお聞きしたいと思います。
#532
○公述人(岡本肇君) 私は本当に、先ほど申し上げたように、民主党案を細かく見ているわけではありませんので、ちょっと何とも申し上げられませんけれども、今度の改正案が五月ですか六月ですか、一回延期になって、そして今度また上程されているので、これをやっぱり、こういう問題をいつまでも延ばしていくというのは、多分これ民主党案と並列して検討していくと今度の会期では間に合わないわけですよね。だからまた次の国会ということになっていくと思うんですけれども、私の気持ちとしては、やっぱりこの教育基本法の問題は早く決着を付けて、そして次の問題へ移っていただきたいなという気持ちを持っております。
 以上です。
#533
○公述人(松永由弥子君) ちょっとうまく言えないかもしれませんけれども、見ていなかったわけではないので、民主党さんの案を。若干の感想は、私法律については素人ですけれども、何というのかな、基本法としてのいでたちというか成り立ちとしては、やはり政府案の方が完成度が高いような感じはいたします。
 それから、十分な論議をという点では、今、岡本公述人がおっしゃったように、随分長い期間を検討なさっていると思いますので、やはり私も早い決着で実践に移していただける方が、そしてまた基本法ですけれども、悪いところは見直していくというような形の方が、現状がどんどん進んでいってしまいますので、いいかなというふうに感じております。
#534
○藤本祐司君 時間がなくなりましたので、最後に嶺井公述人に同じような質問でございますけれども、公述人は慎重かつ、何といいますか、徹底審議を求めたいということでございます。これ百年の大計と言われている教育の問題でございますので、時間を、とにかく期間までにやるということがどれほどの価値があるのかという、そういう問題意識もあるんだろうと思いますけれども、慎重かつ徹底した審議を求めるという、その一番根本的な理由というのは、先ほどいろんな課題がまだ山積されているじゃないかと、解決していないじゃないかというふうに理解をしておりますけれども、いかがでございますでしょうか。
#535
○公述人(嶺井正也君) それが一番大きな私の観点でございます。
 ただ、御指摘もありましたように、民主党案がほとんど審議されていないというのもまたこれ不思議なものでありまして、だれも知らない中で公述人の委員会が開かれるのもいいのかなと思うぐらいでありますので、乗ったんであればやっぱり突き合わせて議論をするのが筋ではないかなと、そういう意味での時間が足りないのではないかと思っております。
#536
○藤本祐司君 どうもありがとうございました。
#537
○風間昶君 公明党の風間でございます。本日はありがとうございます。
 まず、岡本公述人にお伺いしたいと思います。
 三点。団塊の世代から団塊ジュニア世代になって、正に今度は少子世代に。少子化の中で生まれた親が子供を育てるというような、三ステップぐらい動いてきていると思うんですけれども。そういう中で、要するにゲームやITを他者とコミュニケートする道具にして、人間と話するあるいは人間とコミュニケートすることが今ない状態で先生の学校においでになってきている子が結構いらっしゃると思うんですよ、特に中学生がそうだと思うんですけれども。
 そういう中で、子供たちが生きる場として学校が多元化していく必要が私はあると思っているんですが。そうなると、むしろ中高一貫教育の中で、私から見ると、ややこれは実際はそうでないかもしれないけれども、言わば閉ざされた社会の中で同じ先生に中高と会うから多様な師匠が私は必要だと思うので、その部分をどういうふうに工夫されていらっしゃるのかというのが一点。
 それからもう一点は、さっきもお話が先生の方からありましたけれども、高齢者に厚く子供に薄い世界、まあ高厚子薄というか、高厚子薄というふうに言った方がいいかどうか分からない。いずれにしても、人口減少社会に向かっていく教育基本法でなければならないと私は思うんです。そういうことで言うと、この中であるいはもっと改善しなきゃならない部分を軟着陸をどうやってするかということが大事だと思うので、そこで教育振興計画にもう少し具体的に入れよう、具体的な項目があるんだというようにお話し、その具体的な項目、何か一つ手掛かりになるようなものをちょっと教えていただきたい。難しい問題だと思いますが、まあファジーで結構です。
 それから三点目に、私学の中高一貫教育を推進していく上で最も大事なのは、やっぱり、人、物、金の中で私はやっぱり財源の問題だと思っておりますんで。審議中のこの教育基本法の中で振興という言葉が入っていますけれども、民主党さんは財源を私学に限らず入れ込んでる法案、条項をつくっていますけれども。具体的に、これはむしろ入れなきゃならない事項として私も考えていますが、法律案の中に、これ理念法ですから入れ込むことはなかなか難しいので、財源は適度に措置するという形でしかないと思うんですけれども、これもだから振興計画の中で具体的に入れ込むか、省令か何かで、政令か何かで入れ込むことになろうかと思いますけれども。先ほどちょっと嶺井さんからも、たかだか二分の一助成だという話がありました。何ぼぐらいだったらいいんですかねというざっくりした意見をいただきたいと思います。
#538
○公述人(岡本肇君) 第一点で、私立学校の中高一貫で閉ざされた世界の中で多様化ができるのかというお話なんですけれども、私は私学そのものが多様化だと思っております、学校そのものが。ですから、私学というのは非常に小規模の学校がいろいろあって、それがそれぞれ特色が多様化そのものになっているわけで、それを選んでというか、そのことを承知で来ていただければいいと思っています。
 ついでに一点言わせていただきますと、なぜ私学が必要かということを言わせていただきますと、一つはその多様化にあると思います。社会主義の国でも全部私学をつぶして一元的な教育をやったところはその体制が変わったときに非常に困っています、人材がありませんから。
 それからもう一つは、私学というのは理事会があって、私、理事長と校長をやっていますけど、教育委員会と現場が一緒になっているようなものですので、非常に冒険的な試行が行うことができます。その私学が失敗したのもありますし成功したのもあって、その成功した部分をそれを国の公教育に生かしていくという、そういう役割が私は私学の役割だと思っています。
 それから二番目の高齢化、人口減少をどうするかということで、結局、この人口の減少云々ということは、まあ言ってみると政治がかかわれない部分だというふうに思っております。これはシンガポールも非常にもう以前頭痛めてやったんですけど、結局ああいう国でもうまくいかなかったということなんで。じゃ静観しろと言うのかというと困るし、まあ私も女子教育なんで何かもう少し柔らかい教育しておけばよかったのかなとも思わぬわけじゃありませんけれども、なかなかこれは難しい問題だなというふうに思っております。
 それから三番目のどれくらいかというので、これは私学の中で分かれています。私も昭和五十年に私学助成やるときに真っ二つに分かれました。要するに、二分の一を超えれば私学の独自性が失われるんじゃないかと。だから二分の一以下であるべきだということで。これは大変意見が対立しましたけど、先ほど言ったように、私学の独自性というのは、これは私はまず一番だと思います。二番目が経営だと思います。そういう意味では二分の一以下というふうに思っております。
 以上です。
#539
○風間昶君 ありがとうございます。
 それでは嶺井公述人に伺います。
 家庭教育の問題で、十条、教育で縛るのはいかがかという論点の中で、子供の権利規定がきちっとなされていないことが一つの問題だと。問題だというか、権利規定がない中で責任が押し付けられるのはいかがなものかという御発言がありました。じゃ、子供の権利規定をきちっと入れ込むというか担保するようなものになればいいんですかというのが単純な質問です。
 もう一つ、十三条の話です。
 学校教育、社会教育、家庭教育の中で、私は学校教育と社会教育を融合していく、あるいは連携していくということが極めて大事だと思っておりますので、政府案で審議を深めるべき問題の二項目、三の2にあります一条の教育目標にかかわることにつながっていますけれども、学社連携というか学校教育、社会教育の融合というのは私は大事だと思っていますが、それについて御意見をいただければと思います。
#540
○公述人(嶺井正也君) まず、最初の御指摘なんですが、ちょっと誤解されていると思いますけれども、教育で縛るのではなくて法律で家庭の第一義的責任を規定するのはいかがなものかというお話をさせていただきました。そのときに、仮に法的に規定するにしても、例えば子どもの権利条約にありますように、家庭の保護者の権利と責任、この二つを同時に規定をしておかないと、家庭に対する社会的な、逆のある意味の圧力、あるいは権力的な圧力といったものに対して家庭の個別の主体性みたいなものが侵される可能性もあるということで、そういう意味での指摘でございます。
 それから二つ目のことは、学社連携、私も大賛成でございます。否定はしておりません。その具体的な在り方をどうするかということは個別の教育法の方でやればいいとは思っておりますが、この中に書き込むかどうかについてはちょっと疑義があるというふうに思っておりますが、趣旨そのものについては賛成であります。
#541
○風間昶君 書き込むかどうかというか、まあ一応文面からいきますと、連携ということは要するに学社融合の基本的な考え方だと私は思っているんですけれども、そこはどうですか。
#542
○公述人(嶺井正也君) その学社連携とか学社融合については私も賛成をしております、考え方につきましては。
#543
○風間昶君 分かりました。
 松永公述人に伺います。
 さっきもちょっとお話しさせていただきましたが、岡本先生にも聞いたとき、少子世代が子供を今育てる時代になっていて、子供たちが親の姿を見ないで、子供自身がまた人とかかわらないで育っていく状況が今ある中で、家庭の教育力を付けなきゃならないというふうに今議論がなされている中で、家庭の教育力よりも家庭をつくること、家をつくること、家族をつくることが私は問題だと。というか、そういう意識とか意欲とか意思とか知恵をどうやって社会全体あるいは法律の中で、義務ではなくて進めていくようなインセンティブを与えられるようにしていくことが大事だと私は思っているんですね。家庭をつくることの大事さ、大切さを。そこについて、主婦の観点、母の観点からこうしたらどうというのに一つ生涯学習があるんでないかと私は思うんですが、生涯学習だけじゃなくて、それを一つ伺いたいと思います。
 先ほどの、親が例えば子供の携帯電話やあるいはソフトの問題でもありましたように、親自身に対する教育、学習、何というか、機会、チャンスがないので、それを親に対してどういう、何というか、教育や情報を出していくかということが極めて大切だというお話をされていました。アメリカでは、親、特に父親に対するカウンセリング、あるいは子供に対するカウンセリングなどがいじめとか何か以外でも頻繁に行われているようであります、州によっても違うようですが。
 ですから、そういうのも一つあるのかなと思いますが、もうちょっと具体的に情報社会にどうやって向き合えるのか、子供と一緒の価値観は持てないにしても、共有する情報をどうやって向き合って取れていくのかということについて、もうちょっと具体的にこうしたらどうかというのがあれば教えていただきたいと思います。
#544
○公述人(松永由弥子君) 第一点ですけれども、意見のとき述べました幅広く体系的に家庭教育に関する学習を提供する中で、家庭をつくり始めたときから家庭教育に関する学習を始めるのではなくて、もうちょっと前の段階で、具体的に言うと結婚するとか子供を産むとかという年代の前から、人間一人で生きていけないんだよとか、自分の一番基礎になる生活の単位が家族というものがあって、そういうものをつくっていくということも人生の中では重要な仕事なんだよということをやはりいろいろな場で教えていく。これは学校教育も想定していますけれども、そういう形で啓蒙できたらいいのではないかというふうに考えています。
 それから、現実の母親の声というのは、今の母親は強くないので文句しか言わないんですね、もう大変、寝る時間もないとか母乳あげるのに起こされて寝不足だとかって。家庭教育に関する意見を現実の母親から聴取しちゃうと、ああ、子育てって大変だ、家族って大変だ、そんなんだったら嫌だという意見しかなかなか出てこないんですが、本当は、気持ちとしては子供産んでよかったとか、家族ってすごい幸せな、家族といるということがすごい幸せな空間だというのは基本的には思ってはいるので、その辺のいい面も発信できるような仕組みがあって、だけど子育てって大変だからちょっと勉強してからやろうねみたいな、そういういろんな情報がちゃんと提供できるような仕組みができていれば、家庭をつくることの啓蒙になっていくかなと考えます。
 それから二点目ですけれども、情報社会に関する親自身の学習機会をどういうふうに提供していくのかということでは、学社融合のような形で学習機会を提供できればいいかなと思います。
 具体的に言えば、高校の情報の時間を保護者と一緒に受けさせる、親も連れてきて一緒に情報の勉強をしてもらって、ですからそれは親が学校に行く時間はちゃんと有給で取れて、しかも親もその勉強をすると単位、単位というと変ですけど、修了証みたいのがもらえて、別に正式な認定がちゃんと下りるというような形で。今情報に関する学習機会というのはないことはないので、そういうところをうまく連携や融合でつなげていけば十分保障できると、十分というわけではないですけれども、そういうところをきっかけに学習機会が提供できればいいなというふうに考えています。
#545
○風間昶君 ありがとうございます。
 もう一点、子供さんを産むのは女性だけれども、育てるのも女性という時代でずっときていて、私、子供七人いるんですけれども、育てるよりも産んだだけの男で、今非常にそういう意味では、いや家内には申し訳なかったなと思って、積極的に今この年になってやろうと思っても、もう子供は手掛からない状態に今なりつつある状態ですが。
 何といいましょうか、男女共同参画の観点からも、どうやってお父さんに対する、何というんですかね、カウンセリングじゃなくてアプローチをしていくかというのはもう極めて大事であるんですが、そこは例えば大学でもどういうふうに教えられていらっしゃるのか。教えてなかったらお考えをお伺いしたい。
#546
○公述人(松永由弥子君) 父親の方が母親より父親になるのが大変だと思います。母親は、子供がおなかにいる間に、ああ、だんだん私はお母さんになっていくんだなと思うので、出てきたらお母さんになれるんですけど、うちの主人を見ていてもそうだったんですが、現実問題、目の前に来て初めて僕って親になったのみたいな感じで、うちの場合はそういう恥ずかしい話ですが、夜中、子供が泣いても起きないぐらいの人だったので、何でしょうと思いましたけれども。
 大学では、お父さんとお母さんと子供が生まれてきたことに関しては二分の一ずつ責任があるんだからというか、意味があるんだから一緒に協力していくことが大切だよと言っています。
 現実問題、私も働いておりますので、パートナーである夫の協力がなくてはやっていけない状態ですけれども、そういうことに関しても専業主婦の人に育てられてしまった男性の方は、ああ、でもそういう方はちょっと偏っちゃうのかな、いろいろな人生観があると思うんですけれども、今の若い人は意外と男女で子育てをやっていくという人は多いとは思いますので、女性、産む性としての女性とはちょっと違ったやはりサポートというのは大事だと思います。
#547
○風間昶君 ありがとうございます。
 粕谷公述人にお伺いします。
 障害児教育をずっとされていらっしゃると思うんですけれども、障害児の方々とのお付き合いの中で、いじめあるいはいじめられるという例はあるんでしょうか、教育基本法自身と余り関係ない話で恐縮でありますけれども。それで、もしあるとするならば、そのいじめる側といじめられる側の分かれ目というのは一体どんなこと。もしないとするならば、どういうことが考えられるのか、ちょっと御示唆いただければ有り難いと思います。
#548
○公述人(粕谷たか子君) 私自身は普通高校で英語を教えておりまして、障害児学校の現場には行ったことはございませんが、教職員組合のメンバーの方から障害児学校の状況なんかは聞いております。
 いじめはほかの学校で、普通学校ですね、そちらでいじめの対象になったりして心に傷を負ったりした子たちも障害児学校に来ているという話は聞いてはおります。それよりは、先生たちがどれだけ献身的に子供たちに接しているかという、そういうことがよく報告されて、それから、そのためにどれだけ教員が大変だからもっと増やしてくださいという、そういう話を聞いております。
#549
○風間昶君 分かりました。
 もう一点だけ、済みません、粕谷公述人に。
 教育は、授業を教えるだけじゃなくて、教員の行動をもっと厳しく注意する必要があるといったように、教員も資質を問われる時代になってきています。したがって、例えば時間のルールを守れないような教員に教員の質を高めるためにはどうしたらいいか、何が一番ポイントとして必要かということを一点教えていただければ有り難いと思います。お考えがある部分で結構でございます。
#550
○公述人(粕谷たか子君) 時間のルールを守れないというのは、何か会合とか何かに遅刻してくるとか、そういうようなことでございますか。
 まあ、それはもうとにかくそういうことはいけないということで、常にそういう話合いをして、それから本人もきちっと自覚を高めていくようにということでございます。
#551
○風間昶君 ありがとうございました。
#552
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、公述人の皆さん、急なお願いの中、大変貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。
 まず、岡本公述人と松永公述人にお聞きをいたします。
 教育基本法を変えること、政府案に賛成だというお立場から御意見がございました。それぞれ、例えば私学への援助の拡大であるとか、それから松永参考人からは、例えばごみの捨て方一つ取ってみても子供たちが学んだことを親の世代も学ぶし、また逆、そういう生涯教育の問題などでも強化がされるんじゃないかと、こういう御意見もありました。
 私、それぞれに非常に大事なことだとは思うんですが、例えば私学助成の拡充にしても、私どもいろいろな皆さんと運動しますが、現行法でも十分に対応できることだし、対応できるんであれば今もっとするべきだと思うんですね。
 そこで、今の教育基本法のこの部分が問題だ、この部分を変えなくちゃいけないと、こういうところが、それぞれどこがあるとお考えなのか、お願いをしたいと思います。
#553
○公述人(岡本肇君) 現行教育基本法でいえば、私学という言葉が一つもないことです。
 現状の私学の助成の制度でどこが問題かといいますけれども、要するに、国庫補助金というのは、これは生徒一人当たり六万円ぐらい来て、あと地方交付税交付金という形で地方公共団体へ来ます。この地方交付税交付金というのは教育の積算で来ますけれども、地方に行くと一緒になっちゃうんですね。現実問題として、今、全国の各都道府県で私学の方に来たはずを割り込んで、要するに県の財政が厳しいんで割り込んで削られてというところが出てきております。こういうところがやっぱり現行の基本法では問題で、本来でしたらば国庫補助金という形でもっときちんとした形で、法で裏付けられた形で補助金というのは出されるべきだというふうに思っております。
 以上です。
#554
○公述人(松永由弥子君) 私も意見陳述のときに申し上げましたが、生涯学習という、現行の教育基本法が制定されたときはなかった考え方が盛り込まれたことと、それから家庭教育が社会教育と一緒になっているんではなくて、家庭教育という条項が上がって、学校教育、家庭教育、社会教育の三つの場が並列に上げられたことというところが現行法にはない部分ですので、その点を評価したいと思います。
#555
○井上哲士君 私聞きたかったのは、足らざる部分を足したいという御意見はよく分かるんですが、要するに、今のここは変えなくちゃいけないと、この部分はどこなのかということをそれぞれにお聞きしたいということなんです。もう一回お願いします。
#556
○公述人(岡本肇君) ちょっと質問の意味、私よく理解していないかもしれませんけれども、一番最初に私のところでお話ししたように、この部分という具体的な部分というと、現行法のところでいうと、むしろ新しく付け加えられている部分が今度の改正案の方には非常に多いわけでして、これは最初に申し上げたように、この六十年の時代の流れのところで随分やっぱり教育の問題というのは足らざるところが出てきたんだなと。それを補わないと、今、日本の社会が抱えている、もう学校だけでなくてすべてのことを含めて、教育の問題というのはもう一度見直されていかないんだなというふうな意味で私は考えております。
#557
○公述人(松永由弥子君) 現行法でということであれば、私も新設の部分について述べましたので、生涯学習については何もちょっと言えないんですけれども、現行法の第七条に「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、」ということでまとめてあるという部分が、現行法ですと学校教育は条項としてたしか六条にありますけれども、学校教育と社会教育、家庭教育ってまとまっちゃっているので、それよりは家庭教育が独立したという部分の方がいいかなと思っています。
#558
○井上哲士君 どうもありがとうございました。
 嶺井公述人にお聞きするんですが、時間の関係もあったんでしょうか、十六条の部分については特に議論もされていますということでお述べにならなかったと思うんですが、この点の嶺井公述人のもう少し詳しい御意見をお聞きしたいと思います。
#559
○公述人(嶺井正也君) 現行の教育基本法ができたときに、教育は、不当な支配に服することなく、直接責任というのは、極めて戦前の教育を反省することの中から出てきたものだと考えています。その中の不当な支配というのは、当時の文部省の解釈の中でも、教育行政もその場合もあり得るんだという解釈でございます。
 基本的に、やはり教育というのは自立的な営みの中で地域社会あるいは学校の中で行われるべきだということを踏まえて規定されたものですから、ここのところの精神が全く変わってしまうような中身になっておりますので、そこのところが一番大きな問題だと考えております。
#560
○井上哲士君 次に、粕谷公述人にお伺いしますが、現場のいろんな思いもあったかと思うんですが、少し教職員評価の問題で十分にお話ができなかったのではないかと思っております。せっかくのアンケートなども出ておりますので、是非これについてもう少し詳しくお話をいただきたいと思います。
#561
○公述人(粕谷たか子君) 教職員評価制度は、静岡ではただいま九校、県立高校、高等学校と障害児学校含めて九校で試行が行われております。義務制も含めますと二十二校ですが、私どもは県立高校の試行校の教職員に対してアンケートを行いました。
 その評価、ちょっとどういう形で行われるか、済みません、少し簡単に説明させてください。
 まず、教員は個々に学校経営目標にのっとって自己の目標を定めなければならないと。この学校経営目標は校長がつくるものであると。それで、学校経営目標に基づいて各自が目標を定めて、そして一年間の達成度を評価する。これは、評価は教頭とそれから校長、二人の面接を受けて評価を受けるということです。そして、一年ごとに評価は出される。そして、将来的には賃金、処遇に反映させるという、そういうものになっております。それで、目的は、教職員の資質向上、それから学校組織の活性化の二つが挙げられております。それですので、私どもはそのことについてアンケート項目を作りました。
 ごらんいただいているように、まず教職員評価制度そのものについて賛成か反対かと聞きましたところ、賛成は七%、反対は六七%でございます、回答者は二百八十八名ですけれども。それで、賛成の方の理由は、そこに、二番に書いてあるとおりですが、反対の理由として挙げられたものの一番多くが公正な評価ができないのではないかというところですね。右側の図表の四番。それは設問のエになるんですけれども、評価者が全員の教育活動を把握して、公正に評価をすることができない、それを試行の中で感じ取っているという、これが一番大きな理由。それから、その次が、教職員の資質能力に資するものではない、これは目的として掲げているその目的が達成されるものではないというふうに皆さんお答えになっております。それから、その次が、八番ですね、多忙になる。それから、あとは職場のチームワーク、これがとても大事なんですけれども、チームワークが壊されてしまうという、そういう教育の本質、根幹にかかわるような点で問題があるから反対であるという具体的な回答を得ております。
 そして、評価の試行、今年度行ったと、来年全校試行を一斉に行うとしているんですが、まだこの試行の検証が十分できないわけです。このような反対意見があるのに、ですが、県教委は全校試行を来年度以降行う予定であると。それについては試行反対であるという意見、五番ですね、この試行は、七二%ですか、反対であるということで、とにかく上から下ろされてきたことを早く進めなければならないという形で行政の方進んでいるんですが、これはやはり時間掛けてきちっと討議して、私どもは反対ですけれども、そのような問題が起きております。
#562
○井上哲士君 私たちも、教職員の皆さんが指導力をより向上さしていく様々な自主的研修など必要だと思っておりますし、これは多くの国民、父母の願いだと思うんですが、必ずしも評価制度を受けている皆さんからはそれに資するものでないというお答えがあったということなんですが。
 そこで、嶺井公述人にお聞きしたいんですが、こういういわゆる評価制度というものが果たしてそういういわゆる教職員の資質向上に資するものになるのだろうか、その辺の考えをお聞きしたいと思います。
#563
○公述人(嶺井正也君) ユネスコの教員の地位に関する勧告を見ますと、教員の評価につきまして規定をしております。ただし、それは当該の教職員とそれから実施する方とがともに協議をして、どういう評価が望ましいのかということを協議した上でやる場合には、そしてその中身は教職員の動機を上げるような、そういう評価ならば望ましいというふうには書いてあるんですが、今日の日本の教職員評価の導入過程を見ますと、とてもそういうふうになっていないところが問題でございますので、私は現行の評価制度については疑義を持っております。
#564
○井上哲士君 高校の未履修問題の中で、学習指導要領の問題というのが改めてクローズアップをされました。大学の受験の数を追うだけに未履修問題が起きたというのは大変私は問題だと思っておりますが、一方で学習指導要領の現場での在り方ということもまた問い掛けたと思うんですね。私たちも大綱的な基準として、例えば転校したら全然違うことをやっていたと、これは困ると思うんですが、一方でそれぞれの地域やクラス、それぞれの授業があるという中での現場でそれに合った教育をするということも大変大事だと思うんですが、この辺の学習指導要領の現状がどうなっていて、学校現場にどういうことになっているのか、粕谷公述人の御意見をお聞きしたいと思います。
#565
○公述人(粕谷たか子君) 先ほど申しましたように、学習指導要領そのものを、私ども正直申して毎日の座右の銘として置いて、それを見ながらやっているわけではございません。教科書とか、それから行政の指導という形でそれが私どもに下りてまいります。
 それで、この必修科目の未履修問題につきましては、学習指導要領に必修と書かれていたものが行われなかったということにつきましては、結局、かなり文科省の方もそれはつかんでおられたのではないかと思います、黙認をされていたということで。私どもとしましては、大綱的基準、それはあくまでもやはり教育基本法に定められた目標を達成するためにこれだけの学習は必要だということで定められているもので参考にはします。
 ですが、子供たちの状況などはそれぞれ学校によって違うものですから、やはり教育課程の編集権というか、自主的な、それは学校にあるというところは、あっては欲しくないという、そういうふうに思っております。学習指導要領があって、それは何が何でも守らなければならないものだという形で下ろされると非常に問題が大きくなってきます。
#566
○井上哲士君 嶺井公述人にも同じ問題についてお聞きしたいと思います。
#567
○公述人(嶺井正也君) 今、学習指導要領につきましては非常に試行錯誤になっているんではないかと思います。といいますのも、構造改革特区のところではほとんど学習指導要領は逸脱してやられているわけですね。それは認められております。そういう意味で、指導要領自体をどう位置付けるのかという基本的な議論をしなければいけない時期に来ているんではないかと思います。
 フィンランドとか諸外国の中ではあれだけ細かな指導要領にはなっていないのではないかということもございますので、教育課程行政自体を見直す中で再度議論をする必要がある時期ではないかと考えています。
#568
○井上哲士君 岡本公述人は私学ですので、学習指導要領の扱い、また違うところがあると思うんですが、御意見があればお願いしたいと思います。
#569
○公述人(岡本肇君) これはもう既にいろいろなところで言われていることですけれども、やっぱり今度の新指導要領の中で、小学校で三割削減、中学で三割削減ということで来て、そして大学の方は余り変わっていないわけですね。そして、実際、今年辺りで入学希望とそれから募集の方が大体バランスが取れて、行きたきゃどこでも行けるというけれども、行きたい大学はもう限定されているわけなんで、そういうところはますます競争が激しくなるということです。
 まあ、私の学校なんかでも、見ているともう本当に多様なんです、進路が。もう本当に、極端なことを言うと宝塚から始まって、音楽、美術ですね。それから、私の田舎みたいな、私みたいな学校でも毎年十五人ぐらいはいきなりアメリカの大学なんですよね。何で田舎の校長がこんな英語のサインしているかなと自分自身不思議に思うぐらいなんで。
 大変多様化なんですけど、大学の方はそれぞれ、私、多分、大学の先生おいて悪いんですけれども、何か学部ごとでみんな勝手にうちの学部は受験科目こうだと決めて、うちはここまで譲らぬとか、隣の学部と見てあっちに負けられぬからこうだとか、何かそういうような感じで、実際、高校でどれだけこのキャパシティーでできるできないという関係なしに受験科目が決まってくると。
 ただ、やはりお子さんをお預かりした以上は、やっぱり高校というところは子供や親が行きたいという大学へ入れるというのも、これも大変大切な役割だと思っているわけなんで、そういう意味でいうと勢い私の学校でも七時間目、八時間目というのをやっています、学年によっては。それから、授業によっては二人とか三人、音楽の授業なんて、この間見たら三人並べて何かソルフェージュだとかなんとかやっていました。
 この辺はやっぱり建前と本音のところで指導要領というのは大学入試の関係でもう一度整理されるべきだと思っております。
#570
○井上哲士君 ありがとうございました。
 終わります。
#571
○団長(岸信夫君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、長時間御出席をいただき、また貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。本委員会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 以上をもちまして参議院教育基本法に関する特別委員会静岡地方公聴会を閉会いたします。
   〔午後五時二十九分閉会〕
ソース: 国立国会図書館
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