くにさくロゴ
2005/03/02 第162回国会 参議院 参議院会議録情報 第162回国会 少子高齢社会に関する調査会 第4号
姉妹サイト
 
2005/03/02 第162回国会 参議院

参議院会議録情報 第162回国会 少子高齢社会に関する調査会 第4号

#1
第162回国会 少子高齢社会に関する調査会 第4号
平成十七年三月二日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         清水嘉与子君
    理 事
                中島 啓雄君
                中原  爽君
                山谷えり子君
                神本美恵子君
                羽田雄一郎君
                山本 香苗君
    委 員
                荒井 広幸君
                岩城 光英君
                後藤 博子君
                坂本由紀子君
                関口 昌一君
                中村 博彦君
                小川 勝也君
                加藤 敏幸君
                島田智哉子君
                柳澤 光美君
                山本 孝史君
                蓮   舫君
                山本  保君
                鰐淵 洋子君
                小林美恵子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        岩波 成行君
   参考人
       白梅学園短期大
       学学長      無藤  隆君
       教育評論家
       法政大学キャリ
       アデザイン学部
       教授       尾木 直樹君
       山口大学教育学
       部専任講師    田中 理絵君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○少子高齢社会に関する調査
 (派遣委員の報告)
 (「少子高齢社会への対応の在り方について」
 のうち少子化の要因及び社会・経済への影響に
 関する件)
    ─────────────
#2
○会長(清水嘉与子君) ただいまから少子高齢社会に関する調査会を開会いたします。
 少子高齢社会に関する調査を議題といたします。
 先般、本調査会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。神本美恵子さん。
#3
○神本美恵子君 去る二月十七日及び十八日の二日間、大阪府及び兵庫県において、少子高齢社会に関する実情調査を行いました。
 派遣委員は、清水会長、中島理事、中原理事、山谷理事、羽田理事、山本香苗理事、荻原委員、狩野委員、後藤委員、坂本委員、岡崎委員、加藤委員、柳澤委員、山本孝史委員、山本保委員、鰐淵委員、小林委員及び私、神本の十八名であります。
 以下、調査の概要を御報告申し上げます。
 一日目は、まず、大阪府より、少子高齢化に対する取組の概要を聴取いたしました。
 大阪府は、平成三十七年には総人口が八百十六万人となり、平成十二年に比べて約六十五万人減少すると見込まれております。合計特殊出生率は平成十五年時点で一・二〇で全国平均より低くなっており、高齢化率については平成十九年には一九・六%となって、五人に一人が高齢者になると推計されております。
 大阪府では、ふれあいおおさか高齢者計画二〇〇三に基づき、介護保険制度の円滑な推進、社会参加を促進するための条件整備、高齢者保健福祉サービスの推進に取り組むとともに、子ども総合プランに基づき、子供の人権尊重と権利擁護、地域における子供の健やかな成長支援、援助を要する子供、親への支援等に取り組んでおります。また、平成十七年度からは、社会全体で子供を産み育てやすい環境をつくることを目的とした次世代育成支援行動計画を市町村やNPO、各種団体と連携を図りながら進めていくこととしております。
 派遣委員からは、保育ニーズの把握の方法、子供の安全を守るための具体的施策、子育て家庭の経済的負担の軽減策等について質疑が行われました。
 次に、株式会社長谷工ライフ関西の視察を行いました。
 長谷工ライフ関西は、マンションの管理員業務と清掃業務を事業の柱としております。従業員の平均年齢は六十二歳と高く、採用時の年齢が五十歳以上の方が八五%を占めておりますが、ほとんどが一般公募であるとのことであります。六十歳の定年後から六十九歳までの継続雇用制度を導入し、厚生労働省等が主催する平成十六年度高年齢者雇用開発コンテストにおいて奨励賞を受賞しております。継続雇用制度適用者である六十歳代の従業員の方々からも直接お話を伺いましたが、皆さんはつらつと働いていらっしゃることを実感することができました。
 派遣委員からは、採用状況、待遇、最終雇用期限、六十歳以上の採用者への研修の具体的内容等について質疑が行われました。
 次に、JOBカフェOSAKAの視察を行いました。
 ジョブカフェは、平成十五年に策定された若者自立・挑戦プランに基づいた、一か所でまとめて雇用関連サービスを提供する若年者のためのワンストップサービスセンターの通称ですが、大阪府は若年失業者が全国最多であることなどから、そのモデル地域に指定されました。
 JOBカフェOSAKAは、平成十六年七月に開設され、若年失業者、就職困難者に対する就職支援と中小企業等の経営革新に携わる人材育成を二本の柱として事業を行っております。大阪府の高卒者に対する求人倍率は約二倍である一方、若年失業率は全体の失業率の二倍近いという雇用ミスマッチの状況を踏まえ、大阪商工会議所と連携して、カウンセリング、研修、情報提供などを行っており、市町村、学校等へのイベントの出張サービスも行っております。併設のハローワークでは職業紹介を実施するなどの連携も図られており、開設以来、一日平均百二十から百三十人の利用があります。
 派遣委員からは、モデル地域指定終了後の方向性、求人と求職のミスマッチが起きる理由、利用者の年齢層、利用者がジョブカフェを知った経路等について質疑が行われました。
 次に、大阪府立健康科学センターの視察を行いました。
 大阪府立健康科学センターは、大阪府民の健康づくりの拠点施設であり、科学的、実践的な健康づくり技法の開発研究、健康情報発信、健康づくりを推進する指導者育成等を行っております。また、展示や健康クイズなどにより、来館者が楽しみながら健康に関する知識を習得できる取組も行われておりました。
 二日目は、まず、P&Gの略称で知られておりますプロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク日本本社の視察を行いました。
 P&Gは、世界最大級の家庭用消費財メーカーですが、男女を問わずすべての社員が最大限の能力を発揮できる組織の実現に取り組んでおります。特に、性別、年齢、国籍、専門知識など多様性に富んだ人材の活用を進める多様性、ダイバーシティーの促進に力を入れており、具体的な行動計画と数値目標を掲げて成果を上げております。
 フレックスタイム、時間短縮勤務、在宅勤務等の柔軟な勤務形態や、育児・介護休業、看護休暇等の休暇制度などの支援制度も充実しており、制度活用促進のための意識改革や情報提供にも取り組んでおります。全社員に占める女性社員の割合は六二%、総合職の中の係長級以上に占める女性の割合は三二%となっており、女性社員のネットワークを活性化して、出産・育児情報等を掲載したサイトの運営なども行っております。また、平成十六年七月には、兵庫県と男女共同参画社会づくり協定を締結しております。
 派遣委員からは、時間短縮勤務の具体的内容、採用の状況、先輩社員への相談制度、他企業がP&Gと同様の取組をする際に障害となること等の質疑が行われました。
 次に、兵庫県立こども病院の視察を行いました。
 兵庫県立こども病院は、昭和四十五年に子供専門病院として開設され、平成十二年には厚生労働省の定める総合周産期母子医療センターとして指定を受けております。年間、ハイリスク妊婦約四百名、ハイリスク新生児約六百名の診療を行い、出生体重千グラム未満の超低出生体重児の救命率も高いなど、全国トップクラスの高度な周産期医療を提供しております。
 近年、不妊治療による多胎が増えていることを背景として、超低出生体重児の出生数が増加し、人工呼吸などを行う新生児集中治療室のベッド不足が生じているとのことであります。また、長期入院の子供のための訪問学級が実施されておりますが、集団学習の機会が少ない、転校手続が煩雑であるなどの課題もあるとのことであります。
 派遣委員からは、ハイリスク新生児へのケアの具体的内容等の質疑が行われました。
 最後に、兵庫県より、少子高齢化に対する取組の概要を聴取いたしました。
 兵庫県の高齢化率や合計特殊出生率は全国の状況と同様の推移を見せております。兵庫県では、合計特殊出生率が高い市町ほど二十五歳から三十四歳までの女子の有配偶率が高く、三世代同居率も高いという特徴があるため、結婚に対する支援や三世代同居を補完する地域での子育て支援を進めております。
 また、子育てと仕事の両立支援、子供が健全に育つ環境づくり、若者が自立しやすい環境づくりを推進しております。平成十七年度には、まちの子育てひろば事業において、専門家による相談機能の強化や親子の社会性の涵養につながる体験活動の取組を推進することとしております。
 派遣委員からは、郡部の過疎化の状況、中学生の地域体験活動トライやる・ウイークの成果、小児医療体制を充実させる上での要望等について質疑が行われました。
 以上の日程を通じて、日ごろ最前線で少子高齢社会の諸問題と取り組んでいる方々のお話を伺い、意見を交換することができ、本調査会として内容の濃い充実した調査を行うことができました。
 最後に、今回の調査に当たりお世話になった関係各位の御協力に対し心から感謝を申し上げ、報告を終わります。
#4
○会長(清水嘉与子君) 以上で派遣委員の報告は終了いたしました。
    ─────────────
#5
○会長(清水嘉与子君) 次に、「少子高齢社会への対応の在り方について」のうち、少子化の要因及び社会・経済への影響に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、白梅学園短期大学学長無藤隆さん、教育評論家・法政大学キャリアデザイン学部教授尾木直樹さん、山口大学教育学部専任講師田中理絵さんに参考人として御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
 参考人の方々から、「少子高齢社会への対応の在り方について」のうち、少子化の要因及び社会・経済への影響に関する件につきまして忌憚のない御意見をちょうだいいたし、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますけれども、まず、参考人の方々からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。
 また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
 それでは、無藤参考人からお願いいたします。無藤参考人、どうぞ。
#6
○参考人(無藤隆君) 白梅学園短期大学の無藤でございます。よろしくお願いいたします。
 私のお話につきましては、お手元に資料が二枚組でありますのでごらんください。
 私の方は、少子化の要因というよりは少子化というものがもう既に大きく言えば三十年ぐらいそうなっておりまして、既に少子化で育ってきた方々が親になり子供を産みという中で子供の人間形成が行われております。その辺りについて、少し私の調査、観察、また教育現場や親御さんの養育にかかわる専門家の御意見などを整理いたしました。
 二十分ということで非常に、データを示さずに結論だけ申し上げたいと思いますけれども、特にこの三十年間の日本の変化というものを四つのキーワードでまとめられると思います。それが一番に書きました少子化、情報化、富裕化、長寿化というものであります。
 これは言うまでもなく、いろいろなところで指摘されておりますけれども、特に多少歴史的にさかのぼれば、高度成長期というものが一九六〇年代中心にあったわけですが、それが一つあったと思いますけれども、もう少し間近なところでは、様々な調査データを見ますと、かなり大きな子供の生活パターンや感覚の変化というのが大体一九八〇年代後半ぐらいに出てきたんだろうというふうに思います。一九八〇年代後半というのは何かというと、思い出していただければ分かりますが、日本がバブルに入ったころであります。日本が世界ナンバーワンと言われたりしたというようなことがあります。
 それからもう一つ子供の世界で大きいのは、いわゆるファミコン、ファミリーコンピューターが子供の世界に入った時期であります。そのころがかなり大きなインパクトで、例えば今、文部科学省の学校教育の問題いろいろ出ておりますけれども、そういう学習意欲あるいは子供の勉強時間の低下というのが進み始めたのがそのころからであります。
 恐らくもう一つは、今進行中だろうと思いますけれども、携帯電話に代表されるような、またインターネットの広範な利用というものが中学生から更に小学生に入りつつあるというのがこの二、三年の状況、二〇〇〇年過ぎてからの状況ですけれども、その結果はまだ見えておりませんが、恐らく子供の生活を相当変えるには違いないというふうに思われます。
 ともあれ、まず少子化というのは何かと、その結果が何かといいますと、一番大きな問題は、子供同士の付き合いというものが小さい時期から減ったということと子供同士の友達関係というのが少人数化したということがあります。
 また、情報化ということで、特にテレビ、テレビゲーム、この三年ほどは携帯電話ですけれども、携帯電話、例えば昨年の調査ですと、中学生の女子については五〇%を超えつつあります。男子はもう少し小さい数字ですけれども。ということで、まだ今年の調査は出ておりませんけれども、そろそろ小学生の高学年にかなりの率で入っていっているというふうに思います。
 いずれにしても、そういったものが、特にテレビ、テレビゲームの影響というものが、幼児から小学生においては外遊びを劇的に減らしたということがあります。外で遊ばないと。その結果としていろんなことが起こりますけれども、一つは運動が減ると。それからもう一つは大人数の付き合いというものが減るということがあるわけです。中高生の一部というのは、これは携帯電話の普及が恐らく高校生における外に出る行動を増やしているだろうというふうに思いますが、これはまだ明確な調査出ておりませんが、どうもそのように思います。
 それから、その次が、富裕化といいますか、要するに豊かになったということでありますけれども、先ほど言ったように、豊かになったという実感が完全に広まったのが一九八〇年代後半だと思うのですけれども、それによって、例えばほとんどの子供に個室が与えられる。また、特に最近では子供部屋にテレビを持っている、テレビゲームを持っている等々と、自分のものを持つということがあります。また、後でも申し上げますが、一人一人の子供に掛ける様々な経費というのが増えておりまして、トータルとしての教育費が上がってきているということがあります。
 また、長寿化、長生きするというようなことがありまして、これが子供にとっても先が見えないということが出てくるし、二十代のフリーターも生むわけでありますけれども、同時に親、特に母親の大人としての生きがいというものの追求を必然的にするのではないかというふうに思います。簡単に言えば、子育てが終わっても人生まだ半分以上残っているという時代に入ったときにどうするかという問題です。
 それが大きな変化だと思うのですが、それを受けた上で、もう少し細かく考えてみますと、第二に、貴重財としての子供というふうに書きましたが、基本的に子供にたくさんのお金を掛けるようになった。同時に、お金を掛けることが子供を大事にするんだという感覚を広げるようになったということです。それから、少子化のもう一つの点は、一人一人の子供を大事にするということで、それはいいことでありますけれども、同時に、子育ての失敗というものが許されないという感覚を広げたということがあろうと思います。という意味で、大事にされ、個性を伸ばすという良さと、逆に非常にひ弱な面とが子供に見られるのではないかと思います。
 それから三番目が、子供の社会性の乏しさということが言えそうだということであります。要するに、子供同士の付き合いが非常に少なくなり、かつ気の合う同士の関係にとどまるという中で、子供たちは非常に互いに気を遣うということが増えたということと、また広い意味での公共的なしつけというものの機会がほとんどなくなりました。また、子供同士が衝突し、対立するということによってもまれるということが非常に減ったということがあります。例えば、いじめというのは、特に小学生では最近減ってきているように思いますけれども、それはいいことですけれども、そのいじめる以前の、多少気に食わない相手と付き合うということ自体が減っているということの問題はあるわけであります。いろいろなところでの打たれ弱さというものが顕著に見られていて、これはもう既に会社の中などでも非常に強くあるように思いますし、また、大きな集団を作るときの技術、技能というものが乏しいということが言えます。
 それから、四番目でありますけれども、向上心の低下ということがどうもあるのではないかというふうに思います。
 今の子供たちは、基本的に以前の世代よりも自分に対する肯定感や自信を持つことが増えてきているように思います。また、自尊感情が、まあ肥大と言うとすごく悪い意味になりますが、割と高い方に行っているということがありますし、それからまた自尊感情を追求するということが増えてきたように思います。
 これは当たり前のようでありますが、豊かな社会で子供が大事にされるということで、そういう肯定感、感情をたくさん持つわけですけれども、これは実は、国際比較調査がいろいろありますが、その中で、従来は特に欧米、それも特にアメリカと比較した場合に、一般にアメリカ人は日本人あるいは韓国などと比べても非常に自尊感情が高い傾向があります。また、特に子供で、小中学生で見ますと、アメリカ人の子供は、自分の成績が客観的には余り芳しくなくても割と高いと思うとか、それから親も子供のことを非常にいい子だと褒める、それから能力が高いとみなす傾向が強い。それに対して日本人は、子供自身も、また親も子供を低めに見るという傾向があります。
 これは、基本的に日本人の動機付けというものが自分を低くとらえることによって頑張るという基本的な構造を持っているからだとも思いますけれども、どうもこのところ、その構造がどうも崩れ始めているのではないかということであります。といって、アメリカ型の自分を褒め、他人を褒める中で長所を伸ばすというスタイルでもないというところで、今どういうふうになっているかは調査から見てもはっきりしなくなってきておりますが、いずれにしても、日本の伝統的なスタイルというものがどうも変わってきているんではないかということです。
 その結果として、努力の価値の減少ということがどうもあるように思います。国際的に比べたときに、日本人が一番好きな言葉は努力とか頑張るということですね。それから、いろいろな達成、ノーベル賞でなくてもいいんですが、そういう場合に、日本人は基本的にその理由を、原因を頑張ったからだと、努力したからだと言う傾向があります。これは大学受験で合格したとかいい成績とかいうことでも基本的にそうなのですけれども、どうもその点が変わりつつあるということです。つまり、努力というものをあきらめる傾向が出てきているように思われます。
 また、それと関連して、忍耐していくとか、遠い先の目標を持ってそれに向かって進むという傾向が崩れ始めているというふうに思われます。
 二枚目ですけれども、また、非常に豊かになった中で、基本的には子供が商品経済に組み込まれるということがあるわけです。
 これは既に三十年以上前から、例えば子供向けのキャラクター商品のはんらんとかいうような形で出てきているわけでありますけれども、現在では次第に子供と大人の社会的な区切り目というものがなくなりつつありますし、また商品にしても子供向け、大人向けの区切り目というのが明確でなくなってきていると。それから、子供自身が使うお金の量というのも、まあ親が出すにしても、かなり増えてまいりました。
 また、そういう中でいわゆるブランド化しつつあって、実際の使用価値よりは見掛けの価値というのを子供も求めるということで、見掛けの価値というものが非常に過大になっているように思われます。
 この辺りはすべての子供がそうかどうか分かりませんけれども、例えば中学生の女子の、中高生の女子の一部、ごく一部ですけれども、売買春といいますか援助交際といいますか、そういう中でよく持ち出される理由がブランド商品が欲しいというようなことで、本当に生活に困ってということはほとんどないわけですけれども、そういうことにも表れてきているように思います。
 また、子供の進学などでも、どういう学校にはいれたかというのもかなりブランド的に友達に自慢ができるというような形が増えているように思われます。
 それから六番目、情報化というもので様々な知識を得ているということで、今の子供たちの知識は以前の子供たちの知識よりも広いというふうに思います。しかし、その広さはいいのですけれども、基本的にテレビで見て、あるいはインターネットで眺めて分かった気になるというようなことで、知識が浅くなってきているのではないか。ちょうどインターネットで様々なサイトをクリックして通り過ぎるような感じの知識になってはしないかというふうに思われます。
 つまり、じっくりと体験してそこから物を考えるとか、難しい本を読んでそこで考えて自分の考えを表していくという機会が少なくなっているということが深刻な問題であろうというふうに思います。
 この辺りは、文部科学省が行った国際比較調査が大々的に報道されましたけれども、とりわけ日本が下がった、国際的に学力で下がったのがPISA調査と呼ばれるものでありますけれども、の読解力の部分ですが、そこで言う読解力というのは、かなり答えが一律でないものについて考えて自分の考えを長い文章で書くというところなのですけれども、そこら辺が著しく点数が下がったということが一つの危機であろうというふうに思います。
 最後に七番目ですけれども、実は、一律に子供の傾向、親の傾向を述べましたけれども、実は子供にしても、学力の問題で二極化と言われるように、全員が勉強しないわけではなくて、やはり恐らく同時代でいえば二割から三割ぐらいは相当よく勉強しております。それに対して、高校生でいえば二割から四割ぐらいがほとんど勉強していないというふうに思われますが、しかし、今まで述べた大きな傾向は、どういう子供の層であれ、かなり共通しているというふうに観察できます。
 しかし、親の方は相当に様々ではないかというふうに思います。つまり、親については後でまたお話があるんだと思いますけれども、基本的に子供への関心が非常に深い層と少ない層、そういう子供への関心の大小という軸を一方に考えてみます。もう一つで、消費あるいは商品への関心というものの大小というのを組み合わせてみます。
 そうすると、子供への関心が高い、同時に消費への関心も強いというのは、要するに子供にお金を掛ける層ということになります。それに対して、少数だと思いますけれども、ほとんど子供を放任するという傾向の人たちもいます。その場合に、もちろんお金を掛ける人と、お金すら掛けない人がいるわけでありますが。また少数だと思いますけれども、子供の関心は大きく、しかし消費に走らない層もいるわけであります。
 ということで、その二つの軸の掛け算の四つのグループがあり得ると思うので、その辺はもう少し丁寧な議論が必要です。
 ただ、少子化との関連で申し上げると、子供に多大の関心を持ち、かつお金を掛ける、掛けたいと思う層は少子化にならざるを得ないわけです。特別のお金持ちでない限りは、例えば、私学に子供をやれば、小学校でも一年間の授業料は百万超えるわけでありますので、到底耐えられないわけです。それから、大学についても、国立大学ですら法人化した後で一年間に五十万を超えるようになってまいりました。ということで、かなりのお金を要するということでありますね。また、子供を大事にしながらもお金を掛けないという層にしても、そこで子供をたくさん産むというよりは、子供を少数にして、かつ手を掛けるということになります。また、子供への関心がほとんどない場合には、これは自分の生活の楽しみを追求するわけで、避妊技術の発展とともに、子供を産むということに向かわないということで少子化というものが止まらない傾向があるだろうなということです。
 そういう意味では、少子化をもし考えるならば、子供に対する関心の在り方や価値観それ自体をとらえ直す必要があるのではないかというふうに考えております。
 ということで、お時間が来たようですのでここまでにいたします。どうもありがとうございました。
#7
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 次に、尾木参考人にお願いいたします。尾木参考人、どうぞ。
#8
○参考人(尾木直樹君) 教育評論家で法政大学の尾木直樹です。よろしくお願いします。
 僕は、教育評論家という立場で本当に全国あちこち歩き回りながら現状を把握していくのが主な仕事なものですから、そんなところ辺でかなり大ざっぱになるか分かりませんけれども、状況を報告したいというふうに思っています。
 まず、僕の方のレジュメですけれども、二枚と、それからちょっとB4判の大きな資料が入っているかと思うんですけれども、最初に、もう先生方御承知のところ何か申し訳ないんですけれども、資料の方で、少子化の現状ということで私の専門の教育の領域のところに引き寄せるとどういうふうになっているのかというのを確認させていただきたいというふうに思います。
 これ、朝日新聞の世論調査ですけれども、去年の十一月に発表されています。少子化の進行状況については、社会の問題だととらえる人々が約五八%ですね。少子化の背景は、じゃ何かといいますと、一番多かったのが男女の結婚への意識が変わったというのが三七、次に子供にお金が掛かるが二六で、それから三番目が、家族の在り方が多様化したというふうに述べています。
 この男女の結婚への意識が変わったという問題でいいますと、実は読売新聞がこの二〇〇五年の二月の十二、十三日、二日間にわたって全国調査をしたんですけれども、その結果、結婚しなくても幸せだというふうに答えた未婚の女性は七三%に上っています。これは、前年度に比べると何と一〇%も増えているんですね。ですから、いわゆる保育政策のところの充実だけで少子化が防げるかということには必ずしもならないんじゃないかと、その傾向は加速しているというふうに思います。
 それからあと、夫の育休取得については困難だというのが八三%に達していますし、それから何よりも、子育てというのは楽しくないと子供をつくろうというふうに思えないと思うんですけれども、子育てが楽しいというふうに答えた方は四五%、半分に達していません。しかも、苦しいと答えた方が四四で、ほとんど拮抗しているんですね。子育てが苦しい方が四四%いて少子化を解決というのは、これはかなり難しいなと思います。この苦しい理由についてまた聞いているんですけれども、教育にお金が掛かるというのが一八%、それから次、安心して育てられる環境にないからというのが一五%で続いています。
 あと、その下のところをちょっとかいつまんで見ていきますと、真ん中の辺ですけれども、「あなたは子育てにどういう印象をもっていますか。」と、子育てに対するイメージを聞いていますけれども、それで、希望とか充実という、そういうプラス思考というかしら、感覚を持っている方は三四%にしかすぎなくて、責任があって負担が大きいみたいなそういうとらえ方は六割に達しているわけですよね。ここら辺も大きな問題。
 それから、上の段の真ん中のところですけれども、「いまの日本は子どもを育てやすい社会だと思いますか。」という問いに対して、思わないと、明確に思わないという方が七四%にも達している。
 こういう状況をどういうふうにして打開していくのかというのは、もちろん政府の方も考えて、いろんな施策、新新エンゼルプランなんか非常に切り口の鋭いのが出てきているわけですけれども、私の教育や子育ての領域から見ると、こういう点についてはどういう問題が出てくるのかということについてちょっと御報告したいと思います。
 レジュメの二番目のところに入っていきますけれども、やっぱり何よりも、先ほどの朝日の世論調査の結果にもありましたけれども、今日の子供不信、子供への不信感と、それから子育てへの不安感というのが物すごく蔓延しているような感じを私は持ちます。
 例えば、二年前の七月でしたけれども、長崎県で中学一年生の少年が四歳の少年をビルの屋上から突き落として命をなくすという悲惨な事件が起きました。あのとき、本当にエピソードで申し訳ありませんけれども、僕は近くのクリーニング屋さんへ行っていたら、三、四歳の男の子の手を引いたお母さんがいたんですけれども、しっかりと手を握っておられるんですね。もう先生、片時も子供から手を放すなんてもうできなくなりましたというので、しっかり握っているわけですよね。そして、そうおっしゃった後、間髪を入れずにおっしゃったのが、でも、あと十年もたつとこの子が加害者になりかねないんですよと。あっ、五年もたつとと言いましたね、五、六年たつとこの子が加害者にならないかという心配をしなきゃならないんですと言うわけですね。つまり、四、五歳か三、四歳の子供の手を引きながら、被害に遭わないという不安感と同時に、あと数年たてば加害者になりかねない状況なんだというこの不安感、これは今まで日本の子育ての歴史の中ではなかったというふうに私は思っています。
 それから、不幸なことが続いていますけれども、昨年の六月一日には、同じ長崎県の佐世保で小学六年生の女の子が同級生の女の子を学校で殺害するという事件が起きましたよね、命をなくしましたけれども。あの直後に佐世保のNPOの子供の団体から連絡がありまして、先生、講演に来てくれと言うんですね。どうしたんだろうというふうに聞いてみたら、もう親たちが、佐世保の親たちが子供を産むのが怖いと言っているというんですよ。この不安、何とかしてほしいというので僕は駆け付けました。
 そういうちょっとした身近なところの聞こえてくる声を聞いても、子育てに対する不安感、子供そのものに対する不安感みたいなものですね、こんな広がりが相当あるんじゃないかというふうに思います。
 それは単なるエピソードだけではなくて、そこにもポツをして四つぐらい書きましたけれども、一つは、青少年の凶悪事件が非常に急増しているという問題。ただ、これはお断りしておきますと、この十年間に限っては急増しているんであって、戦後の歴史的な経過で見ると、半分に激減しているというとらえ方もできるんですね。ただ、量の問題ではなくて、質の問題に着目すべきだというふうに私は思っています。
 かつては、一九六一年は四百数十件の凶悪事件、子供たちが逮捕されていますけれども、今は二百件か百五十件、あるいは百件ちょっとというところを推移しているんですけれども、半減したという意見もありますけれども、質が全く変わりました。今、子供たち、お母さん方がうちの子が加害者になりかねないんじゃないかという不安を抱くのは、つまり普通の子という、変な差別的な意味ではありませんけれども、全く今まで非行の逮捕歴や補導歴があるわけでもない、成績はむしろみんないい子が単独犯で事件、殺人事件を起こしている子は成績がいいというのが大きな特徴ですね。今まで非行を起こしていないというのも大きな特徴です。
 そうしたら、私たちが子育てで目指している子供像、学校の先生方がこんな子供になってほしい、成績も良くて、ちゃんと素直で明るく、あいさつができてというのにぴたっとはまる形だったわけですよね、今回の佐世保の少女にしても。そうしたら、怖くなっちゃいますね、これは。そこのところの質をきちっととらえるべきだろうと思います。そんなふうに一つ、この凶悪事件の質の変化の問題ですね。
 それから二つ目は、青少年の発達不全の問題。これは先ほど無藤参考人からもありましたけれども、コミュニケーションスキルが非常に落ちてしまったということですね。
 これは今、法政の私の授業でアンケートを取ったんですけれども、そのときにも、携帯が今の若者のコミュニケーション不全を決定的に変えてしまっているということが分かりました。例えばある学生は、携帯はとっても怖いです、表面的には仲良くなさそうにしているのに実は仲がいいとか、携帯でだれがつながっているのか考えると怖くなるときがあります。大学に来てから、心から相談していない、笑えていない自分が多いと思います、なかなか腹を割って話せないですと。こういう声だとか、あるいはもう一つは、チャットや2ちゃんねる、2ちゃんねるというのはインターネットのですね、チャットや2ちゃんねるでは自分を出せるのに、実際の人との触れ合いの中では自己表現ができない、そんな状況は僕が小学生のころはなかった、現代特有の問題だと思うと言っていますけれども、子供たちの人間関係をすっかり質を変えてきていると、急激にこの数年間で変わってきたということを改めて認識させられます。
 そういうことが、現象的には不登校だとかあるいはいじめ、いじめというのも、ついに、文科省のデータによりますと八年ぶりに増加に転じたということで、減少傾向がひっくり返り始めました。それから学級崩壊、依然として止まっていません。暴力行為も昨年の文科省の発表では小中高とも増えてきて、小学校の暴力行為については二八%増ということが言われています。あるいは引きこもりの問題ですね、これは厚生労働省の発表でも四十一万人ぐらいになるんじゃないかと。私の調査研究では八十一万人ぐらいになるだろうと。親の会は百二十四万という数字を出しておられます。それから、ニートが五十二万人になったとか、あるいはフリーター、これはカウントの仕方、文科省と違うところがありますけれども、四百十七万人とか、トータルすると四、五人の青年に一人がいろんな状況に置かれている、困難なという我が国の状況です。
 それからもう一つ、今度は子供たちが被害に遭っている状況でいいますと、いつも子供たちの加害状況がクローズアップされるんですけれども、とんでもありません。例えば誘拐される事件なんか、〇三年についていえば四百十五件も発生しています。それから、学校がこの間襲撃されたりとか、あるいは子供虐待は一九九〇年にデータ取り始めたときには千件ちょっとでしたけれども、今や二万七千件近くに達しています。それから子供たちの性被害、これも無藤参考人からもありましたけれども、〇三年でいえば六千二百三十三件に達しているわけですね。凶悪事件に遭った子供たちは二千二百四件です。凶悪事件というのは、殺人、それから強姦、放火、こんなところですかね、を指していますけれども、大変な状況です。
 もう一つは、大きな問題、今教育改革が非常な勢いで進んでいます、教育領域はですね。教育政策への不安感が非常に現場では大きいということですね。もちろんヒットしているのもないことはないんですけれども、それは、先ほどもありました学力低下の問題というのは一つありますね。それから学習指導要領、この間、大臣が見直しもというので、今、中教審始まりましたけれども、この問題。それから、学校選択の自由というのが、今東京ではもうかなりの、十六、十八の区で始めていますけれども、これが北海道でも取り入れられたり、あるいは広島、三重だとか全国各地に広がっていっていますけれども、これは、親たちは結構賛成している人が多いんですが、ただ、結構厳しいのは、自己選択、自己責任の問題というのが当然出てくるわけですよね、そこでの重さ。それから、英語教育についてもいろいろ今議論されていますけれども、保育園、幼稚園に講演に行きますと、質疑応答で一番多いのが、三歳から始めるのがいいんだろうか四歳からだろうかと、早期英語教育ですね、本当に必死の状況でお尋ねになっていて、そんなん幾つからやったって余り変わらないんですけれども、本当に不安感は増しているという感じですね。
 それから三番目。子供と、じゃそういう状況に対して私たち教育政策やいろんなところでどういう現状打開しようとしているのかという特徴だけちょっととらえていきますと、一つは、これは、僕は子供の立場から仕事をしている人間からいうととても残念なんですけれども、子供たちをバッシングしているような、封じ込め策を取っているように見えてしまいます。もちろん、おやりくださっている人々はそうではないんですけれども。つまり、例えば少年への厳罰化の兆しというのですね、これなんかも最近の新聞のコピーなんですけれども、タイトル見てくだされば、十四歳未満も警察調書をとか、実際に行われたのが佐世保で、六年生たちは夕方六時半まで残されて警察に調書を取られましたね。拇印まで押さされています。
 それから、これなんかも、少年犯罪、顔や氏名公開とか、各紙で、新聞で発表される子供への私たちの目線というのは、子供たちをぐっと押さえ込もう、厳罰化しようと。それによって犯罪の抑止効果をねらおうというアメリカスタイルを取っているわけですけれども、これが続々と今流れています。そして、実際、法整備もそういう下で行われているんじゃないかと思います。
 だけれども、結論からいいますと、これはほとんど役に立ちません。今、学校の安全でセキュリティーの問題というのは、これは整えなきゃいけないというのは前提の問題ですけれども、それで安全な学校が確保できるかというと、ほとんどそれは無理ですよね。金属探知器入れてスクールポリスに散弾銃を所持させてもアメリカでは絶えないわけですから、その方向だけでは駄目なんですね。その方向が無駄だというふうには全く思いませんけれども。
 それから、十七歳のこの間の寝屋川の少年が昨日の自供の中で、先生を殺して自分も自殺するつもりだったという、はっきりまだ分かりませんけれども、述べています。つまり、優秀な少年たち、佐賀のバスジャック事件もそうですけれども、自殺願望として犯罪を起こしている例がもう圧倒的に多いんですね。そうしたら、どんなに厳罰化しても、そういう少年にとっては有り難いことにしかすぎないんですよ。ああ、じゃ、国家に殺してもらえるんなら有り難いというので望んでやってしまうかもしれないというふうに思います。私たち、抑止効果が出るような子供たちは元々そんなことはしないんですよね。そこら辺かなり、僕、盲点になっているというふうに思います。
 それからもう一つは、子供観が大人への発達途上人、もちろん発達論でいえば当然そういう側面ありますけれども、そこのみに限定されている傾向がないんだろうかということです。
 つまり、これが、具体的に言いますと、例えば子供たちの学力が低下しているという心配の下で、じゃ、学力を回復しなきゃというので授業時間数を増やしたりとか教科書を単純に厚くしたり、それからトレーニング主義を強化したり、いろんな、授業時間、学校の始業時間を早くしたりとか、あるいは読書を量的に増やしたりとか、かなり単純な対応をしているというふうに思います。
 そうすると、結局、私たちの思いは間違いじゃないんですけれども、結果どうなるかというと、無責任な若者を増やしていくだけ。だって、おれが好きで決めたことじゃないんだというふうに必ず反論します。それから、受け身の子供をつくっていくんじゃないかというような不安ですね。
 それからもう一つ、少子化による親たちの過剰期待と子育て責任の重圧が掛かっていくという問題があります。これは、少子化の中で端的に、先ほどこれも無藤参考人からありましたけれども、出てきていると。特に、失敗をさせてはならないという思いを物すごく親たち今持っているんですね。それにしてはうまくやってないじゃないかという御批判もあるかと思うんですが、主観的には一生懸命です、親たちは。それから、そういうのが子供たちに、良い子ストレスと私たちは呼んでいますけれども、ストレス、ストレッサーになっていっているという問題ですね。
 それで、これは去年の十二月に発表されましたけれども、文科省の研究助成を受けて北海道大学の医学部の先生がされた調査研究で、うつ病が小中学生で一三%と、八人に一人という数字が出てきています。政府がうつ病の調査をしなきゃならないような事態に入っているという問題ですね。学力低下を防ごうというお気持ちは有り難いんですけれども、方向を間違っちゃうとうつ病を増加さしていくような状況という、抑うつ傾向ですね、抑うつ傾向が一三%。それから、今、子供たちの安全が不安になっていますから、道徳教育とかセキュリティーの強化とか、いろんなことが言われていますけれども、かなり対症療法であるということですね、実効性に疑問があると。
 それから教育改革、形を変えていくというところに今重点が置かれています。今の文科省の教育改革の目玉は教育の構造改革ですので、構造を変えるところで、形の変えるというところで各地方は入っていますので、相当親たちが右往左往して翻弄されているようなところがあります。
 じゃ、四番目ですけれども、子供と子育てに希望を抱くためにはどうするのかという問題です。これも無藤参考人と重なることが多いんですが、自己肯定心情の問題ですね。ここのところを私はもっとストレートに、いかにはぐくんでいくのかという点で報告したいと思うんですけれども、ここの拡大の問題というのがもっと徹底されなけりゃならないというふうに私は思っています。
 例えば、それが社会政策としてとらえたときには、だれもが安心できる生活あるいは社会、地域づくりということが問題になってくるだろうと。それについては、このたびの新新エンゼルプランと呼ばれるのが極めて僕は大胆で、本当に実行されればすばらしいなという感じがしていますけれども、これを本当に行政とかあるいは企業努力で実行されていってほしいというふうに思います。それから地域づくりも、新たなネットワークをどうつくっていくのかというのは極めて大胆な提言されていますけれども、これなんかも今地域で随分、先ほど関西の方の報告もありましたけれども、そんなんで随分あちこちでできてきました。これがどんどん広がっていけばいいなと思っています。
 それから次ちょっと飛ばしまして、若者の自立、それから就業支援の拡大の問題ですね。これも、若者のジョブサポートをあちこちで展開され始めましたけれども、その効果を出しているところとそうでもないところ、開店休業とまでは言いませんけれども、落差がはっきりしてきています。どこが違うのかといいますと、やっぱり若者が参加しているかというところですね。若者に意見を聴き、若者が運営委員に入ってきたりとか、若者が、職を得た若者がまだフリーターの若者を応援するだとか、そこのところが一つのポイントだというふうに思います。
 ちょっと時間が来ましたので、二枚目、ちょっと大急ぎで。
 それから、これも無藤委員の方からありましたので省略します、メディアの役割の問題ですね。
 学校とか教育政策のところではやっぱり質の問題というのが重視されてしかるべきだろうと、少子化の中でそれを長所として生かせばですね。ポイントだけ言いますと、少人数学級を、やっぱり今この状況だからこそ、例えば二十五人学級をやるべきだろうというふうに私は思っています。
 それから、あとは、キャリア教育元年というので、二〇〇四年度、文科省、去年ですね、キャリア教育元年というのでキャリア教育にうんと重点入れ始めましたけれども、これを本当に全国の小中高に行き渡らせてほしいなということを思っています。
 それから、あとは、小中高を貫く保育実習とか保育体験、これが物すごく効果が大きいということが明らかになってきました。保育実習を是非もっと拡大してほしいと。
 それから、あと、父母、子供、住民参加の大胆な拡大、これは今政府の方ではコミュニティ・スクールという言い方されていますけれども、僕は逆転してスクールコミュニティーと呼んでいますけれども、学校にコミュニティーをどうつくるのかというところで考えていくと。
 それからもう一つは、成果主義に基づく競争万能傾向というのが非常に激しくなっていて、今東京なんかはこれ激しいんですが、いろんな矛盾が出てきています。この競争が万能というのを、競争すべてがいけないわけではありませんけれども、教育の領域は非常に慎重にならなきゃいけないところがありまして、二極分化が、学力だけじゃなくて生活や意欲のところまで完全な日本は二極分化の子供の状況に入ってきました。
 それから、児童生徒参加をいかに拡大していくのかと。これは二つのメリットがあります。一つは子供たちに自己責任感というのを形成していくという問題、それから今回の大きなテーマです自己肯定心情も同時にはぐくんでいくという問題ですね。私たち大人と子供がパートナーシップを営みながら、学校や地域やあるいは日本の国づくりにどういうふうに挑んでいけるのかということがあると思います。
 最後、ちょっと残りましたけれども、省略させていただきます。
 以上です。
#9
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 次に、田中参考人にお願いいたします。田中参考人、どうぞ。
#10
○参考人(田中理絵君) 山口大学の田中といいます。よろしくお願いいたします。
 ふだん、私は家族崩壊の研究をしていまして、家族崩壊後の子供の健全な育成、発達という問題について研究しています。ですから、私が会う親というのは、ちょっとシンナー吸ってインタビューにやってきたりとか、どうしても子供をうまく育てられないような親、そういう人に限られているので、ちょっと限った話になるかもしれません。
 今回は、少子社会における家族の在り方について、特に家庭教育の面についてお話をさせていただきたいと思います。
 最初に、子供の教育に対する家族の重要性について考えた後で、現代の家族の状況とその検討課題について話を進めていきたいと思います。レジュメの最初の方から読み進める形で見ていきます。
 家族の機能というのはいろいろありますが、タルコット・パーソンズという社会学者は、家族の最小の機能というのは政治のパーソナリティーの安定と子供の社会化であるというふうに言いました。この社会化とは、レジュメに簡単に書いていますが、生物学的個体として生まれた人間が周囲の他者とのやり取りを通してその社会のメンバーとして必要な価値、知識、技能、こういうものを習得していく過程のことをいいます。端的に言えば社会的発達のことです。社会化されるから人間はその社会で生きていけるようになりますし、新参者を社会化するので、その社会自体が再生産され、維持されていくというわけです。
 ところで、社会は常に経済、政治、文化とともに変化していますから、社会化もまた生涯を通じて行われることになります。しかし、その中でも最も可塑性に富む乳幼児期、あるいは子供期にかけての社会化が重要であるというふうに言われています。
 といいますのも、その時期に習得した善悪の区別とか情緒的関係、生理的安定性、こういったものがその人のパーソナリティーの基盤を形成し、その後の人格形成に大きな影響力を与えるというふうに言われているためです。そして、この時期に子供の社会化を担うのは家族ですので、したがって家族は子供の人格形成において重要な役割を担うというふうにされてきました。そして、家族の中で基礎的な社会化がなされた子供は徐々に活動範囲を広げていき、近隣集団、仲間集団、学校集団、職場集団へと準拠集団を移行していくことになります。
 社会化理論の中では、子供はまず母親と母子一体という時期を過ごします。母親は、生まれたばかりの子供を全面的に擁護し、単に必要な栄養を摂取させるだけでなく、精神的安定を与え、愛情に満ちた母子関係を築きます。このきずなは原信頼というふうに呼ばれ、これが子供のパーソナリティー形成の基盤を成すということになります。
 しかし、子供はやがて母親への依存状態から自立しなければならなくなります。そのために、社会の一員として必要な社会規範とかモラルとか、そういった価値基準を教え込む権威的な存在が必要になります。それが父親の役割です。つまり、子供を家族へとつなぐのが母親であり、さらに全体社会へとつなぐのが父親だというわけです。権威的な父親と優しい母親の間で子供がすくすく育っていく、こういったホームドラマに出てきそうな家族を近代家族というふうに言います。ただし、この家族モデルは、核家族、それと固定的な性役割、この二つを前提にしていますので、実は批判もされ続けているわけです。
 事前に配付された資料と重複しますけれども、次に、現代家族の特徴、状況について概観し、その上で家族や親の役割について考えていこうかと思います。
 二番になりますが、そもそも現在のようなトーンで家族が問題になり始めたのは高度経済成長期以降です。
 周知のとおり、産業化は都市化をもたらします。工業化とともに、人口の急激に増えた都市部では若い夫婦とその子供から成る核家族が増加し、家族規模が縮小していきました。その変化と同時に、家族内部の役割構造が変わり、夫は外で働き、妻は家で家事、育児という性別分業体制が定着していきます。このような相補完的な分業体制は小さな家族の中では合理的ですし、また労働者が家庭を顧みずに長時間効率良く生産活動に従事する姿というのは産業界にとっても都合がよいものでした。そして、この結果、家庭はもはや生産の場ではなくなり、専ら消費、休息、そして子供の社会化を担う場となります。
 さらに、夫婦間の役割分担は、親役割の分担と重なって、先ほど言ったような近代家族モデルを形成し、それが日本全体へと広く普及、浸透していきます。
 しかし、こうした家族は外部社会から孤立していたという点で、元々無理を内包させて成り立っていたと言えます。急激な都市化によって人々は血縁ネットワークあるいは地縁ネットワークから物理的に切り離され、また家族の内部では、父親がいませんので、母親への育児責任の集中が起きていたわけです。特に、小規模化した家族にとって地縁とか血縁ネットワークの寸断というものは家族支援資源の乏しさに直結することになります。
 例えば、母親あるいは父親が病気になって倒れた場合、その代替要員がいないわけですから、その途端にたちまち家族機能が滞るという危機が生じます。あるいは、大家族ならば育児に関する知識、技術も伝達が容易ですし、子供を同居親族に託して共働きに出るということも容易ですが、家族の内外部から孤立した母親はそうした機会を得ることが困難なため、育児不安や育児ノイローゼに陥ることが指摘されてきました。こうした育児環境の孤立化は、子供にとっても様々な大人の手によって育てられるというマルチプルペアレンティングの機会を喪失していくことにもつながっています。
 しかし、一九七〇年代半ば以降、日本は脱工業化社会に入り、女性の就労機会の拡大や性別役割分業の否定など、家族意識の著しい変化が生じてきました。これは近年、多様化と個人化というキーワードでとらえられています。
 現代社会では、特に若い世代において、女性の教育機会、就労機会の拡大や男女間の賃金格差の縮小によって女性の経済的自立が可能になり、また男性も、家電製品の進展や外食産業の普及によって身辺の自立が容易になってきました。したがって、こうした個人にとっては、従来のようなお互いを補い合う形で統合される結婚は必ずしも必要なものではなくなります。この結果、伝統的な家族規範の弛緩が進み、未婚率、非婚率の上昇、晩婚化、適齢期の拡散、あるいは不幸な結婚を続けるよりも離婚した方がよいというように、離婚に対する許容度が高まり、離婚率が上昇するなど、家族の多様化が進行しています。
 表一のところに離婚率を載せていますが、一九六〇年代から二〇〇〇年まで取り上げていますが、この急激な離婚率の上昇というのはEU全体の平均よりもずっと速いということです。
 このように、現代では、家族をつくる契機においても家族を解消する契機においても個人の選択の度合いが強まってきており、家族意識の多様化とともに、社会の基礎的単位が家族から個人へ移行する個人化という現象が進展してきているというふうに指摘されています。
 二枚目に入りますが、こうした家族の変容は子供の生活へも少なからず影響を及ぼしています。
 第一に、親が近隣ネットワークとの結び付きが弱いということは、子供も同様に地域社会から孤立するということを意味しています。その結果、子供の社会化は、更に家族、主に母親に集中するという循環が起きています。
 次に、大人の選択制の拡大は、先ほど言いましたように離婚率を上昇させるなどしており、そのことによって子供は親の選択にいや応なく巻き込まれ、不安定な家族状況を経験する危険性を大きくしています。
 先ほど無藤先生のお話にもありましたが、そのほかにも、子供数の減少に伴って子供世界が大分変わってきたということも今後の家族の在り方を考えていく上で考慮に入れなければならない要素となっています。
 以前、子供の仲間集団というのは、異年齢あるいは男女を混ぜた比較的大きな規模での遊び集団でした。しかし、近年の子供の仲間集団は、二人から四人ぐらいというふうに小規模化していますし、異年齢集団で遊ぶことが減っている中で、年上の子が年下の子をかばうとか、そういうふうな遊び文化というものも衰退してきています。
 また、かつてのような遊びを目的とした活動集団は衰退し、仲よし同士で集まる交友集団ばかりが増えています。活動集団ですと、嫌いな子供同士であっても協力し合って遊んだり、けんかして仲直りをするとか、リーダーが指示を出してそれをメンバーが従うとか、そういう子供世界の秩序を教え込む機会でもありました。この中で子供たちは自己中心性というものを脱却し、他者承認を学んでいたわけです。ですから、活動集団の衰退は自我形成の脆弱化にもつながるというわけです。
 では、今後、少子社会の進行が予想される中で、現在子供はどのような課題を抱えているのかについて、三番目のところから見ていきたいと思います。
 現在のトレンドが急に変化するということは考えにくく、女性の社会進出、家族の多様化はますます進行すると予想されます。また、少子化対策になろうがなるまいが男女共同参画社会は進められるべきですし、だから、育児環境の整備あるいは家族支援ネットワークの拡充施策というのは急務の課題です。
 さらに、家族教育について考慮すべき点としては幾つか考えられますが、ここでは五点挙げました。
 第一に、子育ての社会的単位としての家族の在り方を問い直すということ、そして第二に、親役割の再検討の必要性があるのではないかということです。
 三枚目の表二というのをごらんください。これは、母親の役割と父親の役割の中で最も重要だと思うことについて尋ねた結果をまとめたものです。
 まず分かりますのが、世代間によって親役割のイメージが大きく異なるということです。もう一つ、大人と子供の間でも期待される親の役割というものが大分違っているということ、また、子供の中でも年齢によって親へ期待する役割が異なっているということです。例えば、大人が思うよりも子供は、父親に対しては尊敬の対象であってほしいというよりも愛情や心の支えであってほしい、そういう機能を期待しています。また、子供も、ほんの二年間ずつ違うだけなんですけれども、親への期待というのが年齢がちょっと違うだけで大分変わっているということが分かります。
 したがって、先ほど近代的な家族、父親とか母親の役割についてお話ししましたが、現代においては、そういうものだけでなく、子供の発達に応じた親役割というものを検討する必要があるかと思われます。
 戻りますが、二ページ目の三の(3)に入ります。
 第三に、子供世界への大人の適切な介入が現在もしかしたら必要になっているのではないかということです。
 小規模化した交友集団の中で生活している子供というのはトラブルに直面したときにどのように対処していいか分からないということをよく言います。ですから、そういうときに、子供の求めに応じて、親子密着になってはいけませんけれども、適切な対処方法を示唆してあげる、そういう大人の存在が必要になっているというふうに思います。
 第四に、家族モデルを提唱するということのバランスの問題が考えられます。
 性別役割分業というものを否定する風潮がある反面、親業に関しては性別役割モデルが根強く、母親へ育児責任が集中しています。ですから、父親の役割を見直す必要があるわけです。父親の復権を目指すことで父母によってバランスの取れた社会化機能の遂行が可能になります。とはいっても、一般に何らかの家族モデルというものが必要で、それをベースにして親としての義務とか責任とかあるいは権利を習得して親役割が社会化されています。しかし、その一方で、特定の家族モデルを強調し過ぎると、それに当てはまらない子供は、自分にマイナスのレッテルを張ったり、あるいは他者にマイナスのレッテルを張られたりして劣等感を覚えるなど、自我形成にも影響を及ぼしています。ですから、一方で家族モデルというのが必要なのですけれども、もう一方では、ある一定の特定の家族モデルに固執しない、そういうことが必要になっているかというふうに考えられます。
 最後に、子供の問題は何でも家族に原因がある、責任があるというふうに題目のように唱えられて、その実態を余り問うことなく家族に問題を押し付けている、そういう傾向について考え直す必要があるかと思います。言わば、家族という言葉がその内実を置き去りにしてブラックボックス化されてきたので、以上、上に挙げた四つの課題と同時に、家族をブラックボックス化させてその過重負担を強いている現状の問い直しということも課題として提言したいと思います。
 結局、子供の福祉というものを重視し、社会的現実に沿った家族モデルの模索が今後の家族の在り方を考える際の課題であるというふうにまとめることができるかと思います。
 以上です。
#11
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時をめどとさせていただきます。
 なお、質疑者及び各参考人にお願い申し上げます。質疑及び御答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようにお願いいたします。
 また、多くの方が御発言できますよう、一回の発言はおおむね三分程度とさせていただきます。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べいただきたいと存じます。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いします。
 中原爽さん。
#12
○中原爽君 済みません。自由民主党の中原でございます。
 三人の先生方、お話を聞かせていただきましたけれども、各論的な細かいことを一つだけお尋ねしようと思います。
 現在、私どもは、知育、徳育、体育に加えまして食育というような形のものが政府から提案をされているわけであります。食事の食に育てるということでありますけれども、その言葉の定義はさておきまして、現在、家族のきずなということの原点に近いものを考えますと、日々の家族がそろって食事をすると。しかし、その状況が、もう子供が一人で夕食をしている、あと家族だれもいない、だれも帰ってきていない。それと、帰ってくるんですけれども、一人一人の家族が別の時間帯で食事をする。個・孤食とかなんか言うらしいんですけれども、そういうような状況であります。あるいは、朝送り出すときに食事をしない小学生、朝食べてない、昼の給食から始まると。
 こういうような状況の中で、いろいろアンケート調査をやっていただいておりますけれども、この食事ということについて、先生方どなたでも結構ですから、御意見がございましたらお聞かせいただきたいと思います。
#13
○会長(清水嘉与子君) 参考人の方、じゃ、尾木参考人、どうぞ。
#14
○参考人(尾木直樹君) この食育の問題というのは本当に重要な課題になってきたというふうに思います。
 御承知のとおり、政府がこの食事の調査を始めたのは国民栄養調査で、一九八二年だったと思います。ここで小学生が朝御飯を子供だけで食べることを孤食というふうに定義されました、当時の厚生省ですね。当時二二%ぐらいだったんですね。ただ、二二%というのは相当大きい数字ということで反響を呼びまして、NHKスペシャルなんかでも番組を作られたぐらいです。ところが、二〇〇〇年に入ってくると、これは調査団体は民間になってきてちょっと違いますけれども、朝御飯を小学生が子供だけで食べているのは五一%で、半数を突破してきましたよね。政府の調査でも急増しています。
 今おっしゃったように、朝御飯を食べないのがある意味ではもう普通という状況に家族そろってなってきて、しかも問題は、数値の急上昇だけではなくて、質が変わってきたという問題ですね。
 かつての、二十年前の孤食というのは、お父さんが今日は早番でとかあるいは遠距離通勤で、お兄ちゃんも早く御飯を食べなきゃいけないとかいろんなことがあって、時差を設けながら食堂でみんなが順番に食べていくと。やむを得ず孤食になっているという実態だったんですね。ところが、近年の孤食というのはすっかり変わってきまして、食事は、朝御飯を食べている時間は、例えば家族四人、五人、七時半だったら七時半、同じなんですね。同じなのに孤食になっていると。つまり、自分の部屋で食べちゃっているわけですよね。しかも、食べているメニューまで変わってきたと。夕食はメニューも違うというのが今かなり常識になってきて、子供の部屋にお母さんがお盆に乗っけて何々ちゃんと言って持っていって、その部屋でテレビを見ながら子供は食べるという風景に変わってきましたけれども、朝御飯も、つまり食べようと思ったら食べられるのにばらばらになっているという問題ですね。
 それからもう一つ大きな衝撃的なことは、かつての子供たちは家族みんなで食べたいと思っていたわけですよ。ところが、今聞き取り調査を深くおやりになっている報告なんかを読みますと、一人で食べた方がおいしいと言うんですね、一人だとラッキーと言ってしまっている。それは四人に一人です。つまり、親と一緒に食べていると、先ほどの子育て圧力なんかが掛かってきていますので、今日は忘れ物ないのかとか、今日テストあるだろうとかいろいろごちゃごちゃ言われて、おいしい御飯までおいしくないと、一人だとラッキーだというふうになってきたりという、そういう側面がありますよね、形に見る。
 それからもう一つ食育の問題で重要なのは、栄養の感覚というのは親たち今非常に優れてきていますので、栄養のバランスを取らなきゃいけないというので五、六種類のサプリメントをぱぱぱと飲ませるとか、そういう栄養本位というかしら、食文化を楽しむとかコミュニケーションを楽しむとか、そこに重点があるのを、そこも大きな問題なのに、生理学的というかしらね、そこに、誤った方向に行っちゃっているという問題もありますね。
 それから、今、保育園なんかを全国回っていますと、朝御飯を朝食に取らせる保育園が出始めました。つまり、朝御飯を食べさしてないので、お昼まで子供はもたなくていらいらしてかみ付いたりとか赤ちゃんは泣きっ放しだとかになっているので、そうしたら朝御飯を食べさした方がいいというので、もちろん民間ですけれども、朝御飯を準備すると、昼御飯だけではなくてという。すっかり状況が変わってきて、僕は非常に大変な事態だと思っています。食育は包括的に政策立てなきゃいけないなという感じがしています。
 以上です。
#15
○会長(清水嘉与子君) それでは、無藤参考人、どうぞ。
#16
○参考人(無藤隆君) 私はいろいろな調査を主にやっているので、その立場でお話ししますけれども、家族と食べるかどうかの要因というのは朝食と夕食では意味が異なるわけですね。
 それからもう一つは、子供の年齢によって大きく変わります。非常に大ざっぱに申し上げると、小学校高学年ぐらいまでは大体は親と食べていると。それに対して中学になりますと、塾の問題、夜更かしの問題、夜更かしは今度は朝寝坊になって、中学生のかなりが朝御飯をそもそも食べませんので、当然親とは食べないということが一つあります。
 それから、一般に多くの家庭で朝食の比重は非常に小さくなりつつあると。これは栄養的にもカロリー的にもそうだと思いますけれども、要するに食べない親、大人、子供が非常に増えてきているということが、せいぜい牛乳ぐらいとかですね、あるわけです。
 それから、今小学校高学年ぐらいまでは大体夕食については少なくとも親と食べていると申し上げましたが、実は最大の問題は、大都市圏における父親の問題です。これが通常、小さい子供ですと、大ざっぱに言えば夜七時前後が夕食の時間になるだろうと思いますけれども、それに間に合う会社勤めの父親が少ないということです。これは地方都市と大都市圏は全然事情が違いますけれども、地方都市に行くと通勤三十分程度ですから間に合いますが、首都圏ですと間に合わない場合が非常に多いということですので、もし家族そろってということの会食ということが大事だとすれば、そもそもは私はその父親の働き方自体を見直さなければそれは無理だというふうに思います。
#17
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございます。
 よろしいですか。
 田中参考人、どうぞ。一言どうぞ。ございましたらどうぞ。
#18
○参考人(田中理絵君) 一言だけ。
 さっき無藤先生からお話もありましたように、子供の年齢によっても意味が異なってくるようです。
 例えば、都市部では朝にマクドナルドで女子高生が集まって朝御飯を食べて学校に行く、そういうことがあるわけですね。朝御飯は食べるんですけれども、体にも悪いもので、わざわざファーストフードを取るとか、そういう仲間文化の方を大事にする、家族に対して余り帰属心がなくなっているということも考えられるかと思います。あるいは、女の子になりますとダイエットという問題が入ってきますので、親と一緒だと食べなさい食べなさいと言われるから、わざわざ自分の部屋に入って食べたふりをするとか、そういうことも見受けられます。そうすると、もう親はあきらめて、それならキャベツだけでいいから家族の前で食べてくれとかお願いするような、そういうふうな状況も見られます。
#19
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 じゃ、中村博彦さん、どうぞ。
#20
○中村博彦君 今三人の参考人の皆さんから現象面での分析、すばらしいものをいただいたんですが、基本的に今の問題点を探ってみると、今の子供たちとそれと親の皆さんということになりますが、三人の参考人の皆さんは、その親をつくってきた戦後教育ですね、憲法もありますし、教育基本法もございますが、その辺はどのように総括されてこういう形の現象が生まれてきたかをそれぞれお三人さん、御意見をいただけたら有り難いと思いますが。
#21
○会長(清水嘉与子君) それでは、無藤参考人からよろしくお願いします。
#22
○参考人(無藤隆君) 私は主に調査によって子供の生活の変化を調べておりますので、そういう立場で申し上げると、先ほど申し上げたような社会全体の高度化というのが一番大きな要因であるというふうに思います。
 また次には、御質問は必ずしも学力問題の話じゃない、もっと大きな問題だと思いますけれども、私は子供に限って申し上げると、情報化のことが非常に大きな影響があって、例えば子供が勉強しない云々という場合も、勉強しない代わりに何をしているかといえば、テレビを見たりテレビゲームをしたりということで、今や日本は世界トップクラスのテレビ及びテレビゲームの消費時間が長い国になったわけです。
 ですから、そういうことが背景としてあるということでありますが、もう一つは、先ほどお話ししませんでしたけれども、同時にやはり、国際比較調査その他で、例えば親が子供をしつけるときの、子供をしかるとか注意するとかといったことについて、また逆に子供側でいうと、親の言うことを聞く、先生の言うことを聞く、社会の規範を守るという意識の低さ、これまた日本は世界的に飛び抜けているわけです。これは欧米と比べてもそうですし、東アジアの韓国、中国、台湾と比べてもそうでありまして、いろいろな意味で日本が突出してきました。
 その原因は何かというのは、私の狭い専門ですとなかなか難しくてよく分かりませんけれども、学校教育を含めた大きな戦後の価値観というものが影響しているというふうに思います。ただそれは、例えば個別の学習指導要領が云々というよりはもう少し、そういった言葉づらではなくて、具体的に親が子供に接する、あるいは教師が子供に接する、さらにはマスメディアの報道などに表れる価値観ということだろうと思います。
 ですから、その辺りの、社会における基本的な生き方というものの最低限を上の世代が下の世代に伝えるんだということの在り方の見直しが必要だというふうに私は考えております。
#23
○会長(清水嘉与子君) 尾木参考人、どうぞ。
#24
○参考人(尾木直樹君) やっぱり一番大きなのは、学校の権威というかしら、教師の権威も含めて、これは学校の責任というより、もう本当に歴史的に相当変わってしまったという、非常に厳しい状況が生まれているということが大きいかなというふうに思います。
 これまで、特にバブルの崩壊する一九八〇年代までは、やっぱり、これ評価は別にしてですけれども、学歴社会という構造があって、そして労働界の方も産業界の方も基本的に日本型の雇用システムという、終身雇用制、年功序列という、そういう安定した構造がありました。そして、そこのところに入っていくための良い成績を取っていく、中学校時代、いい高校に入っていい大学に入って、大手の企業さんにお世話になって幸せな生活を送っていくという、そういう構造的なものが本当に九〇年代に入って崩壊してきて、そして具体的に、じゃ我が国はどういう方向でこれからの未来社会を切り開いていくのかというビジョンですね、子供たちに分かる形でなかなか示せていないと。
 だから、今学校現場で先生方が困っているのは、学習意欲の問題ですね。先ほどから無藤委員がおっしゃっているように、学習意欲が国際的に世界最低クラスに来ているわけですよね。勉強しません。意欲もなくなっている。昔のように、そんなこと言っていたらいい高校に入れないでしょうなんて言い方は、しても今成り立たないから、親の方もしないんですよね。そして、親もそこに価値を余り求めなくなっていますので。じゃ何のために勉強するのか、何のために学校に行くのかというところが、新しい価値観なりビジョンなり、それから、じゃそういうようなのを体現しているお父さんだとか、あるいは隣のおじさんでもいいんですけれども、大人のモデルが身近にもうないという中で、非常に学校の機能性を発揮する、教師の影響力を出すというのが難しくなっているというところが僕は非常に大きいと思います。
 よく教育基本法とか憲法問題と連動させてという御意見もあるんですけれども、むしろ、僕なんか教育領域から見ていますと、教育基本法をもっと徹底させていくというかしら、あの理念をですね、そこの方が先決の問題であって、どこかこう字句をいじれば何とか展望が開けるというほど甘くはないなというふうに思っています。
#25
○参考人(田中理絵君) 私は、都市化というのが一つやっぱり大きな影響だと思います。物理的な切離しがそこであったわけですよね。ですから、それまであったような上の世代から下の世代へ自然と受け継がれていたしつけとか、そういう文化の寸断というのがあった。それは子供たちの側からすると、若者の側からすれば、自由を謳歌するという、新しい家族とか教育とか社会へつながっていくということもありました。
 もう一つ大きいのは、高度経済成長期までの中高生というのは、幾ら勉強が好きでも家が貧しいから進学ができないということがあったわけです。ですから、そういう人たちが大人になると、自分の子供には勉強をさせたいとか、自分と同じ悔しい思いをさせたくないとか、そういう思いで、とにかく勉強しなさい、受験を頑張りなさいというふうに、勉強を頑張ればもういいというふうな風潮を生み出したかと思います。そこからまた、その世代もまた大きく、それまでの上の世代と、何というんでしょう、社会化される文化とか、そういう内容が変わってきたんじゃないかなというふうに感じています。
#26
○会長(清水嘉与子君) 中村さん、よろしいですか。
#27
○中村博彦君 いいです。
#28
○会長(清水嘉与子君) ほかには。
 小林美恵子さん、どうぞ。
#29
○小林美恵子君 日本共産党の小林美恵子でございます。
 今日は貴重な御意見を本当にありがとうございました。
 先ほどの質問ともちょっと関連するかもしれませんけれども、先ほどからの無藤先生、尾木先生のお話をお聞きしていますと、やっぱり子供の変化というのが随分指摘をされました。そして、子供への不信、子育て不安の現象としてもそのことが指摘されたと思うんですけれども、私は、子供はやっぱり、生まれてきて、自分で犯罪を起こそうと思って生まれてくる子はだれもいないわけで、やっぱりその育ちの中で影響があるんだなというふうに思うんですけれども、その影響というのを、やっぱり大人社会の変化、変容を抜きにしては絶対語れないものだというふうに思います。
 そういう点で、今の子供たちへの反映というのは、大人社会の例えば雇用に対する不安であるとか将来への不安であるとか、そういう大人が生きていく上での不安が一つは子供にも反映しているのではないかというふうに思いがあるんですけれども、その点で、大人社会との関連でどのようにお考えかというのを一つお聞きしたいんです。それは、できましたら三人の先生にお聞きしたいと思います。
 それと、二つ目に尾木先生にお聞きしたいんですけれども、先ほどの質問もございましたけれども、国連からも、日本の教育というのは、過度な競争の教育で子供の発達のゆがみをもたらしていると二度も勧告を受けている実態があると思います。私は、やっぱりそういう過度な競争教育というのが今日の社会にもたらしている影響というのも結構大きいのではないかというふうに感じるところがあるんですね。
 教育というのは、やっぱり五十年、百年単位で社会に影響をもたらすとも言われていますので、そういう点で、今までの日本の教育政策といいますか、それが社会に与えてきた影響というのはどういうふうにとらえておられるかというのを二つ目にお聞きしたいと思います。
#30
○会長(清水嘉与子君) よろしいですか。
 それでは、無藤参考人からどうぞ。
#31
○参考人(無藤隆君) 最初の方の、大人の社会の問題がどう反映されているかということについて私の意見を述べたいと思いますけれども、特に中高生の非行などの問題行動を念頭に置きながらお話ししたいと思うんですけれども、非行行動につきましては、私どもも調査しておりますが、非常に大ざっぱに言いますと二種類のタイプがあると思います。
 一つは、遊び型とでも言いましょうか、友達やその他の悪いことを含んだ遊びに巻き込まれていくタイプのものです。もう一つのタイプが、子供の抑うつという話がありましたが、そういうものを背景にして、それが外に現れていくタイプのものがあるわけです。三番目は、あえて入れますと、非行というよりは、先ほども御指摘ありましたが、突発的なもの、これは非行と言うんでしょうかね、犯罪行動のある種の突発的なもの、これはかなり特定の個人の素質あるいは家族のゆがみなどが背景にあるように思います。
 最初に申し上げた二つにつきましては、ほかの国と比べても、どこの国にもある現象ではありますけれども、大人との関連で申し上げると、一つは、現代日本における多くの大人、親が抱えている先の見えない不安といったものではないかというのがあります。これは具体的にリストラされるという以前の、今日本がどこに行くのか、自分の会社はどうなるのかといったこと、また母親でいえば、夫はという問題とともに、自分自身はどうなるかという不安というのが一つあって、様々なところでの自信のなさというのがあると思います。
 もう一つは、特に顕著に日本の特徴として、大人の行動範囲と子供の行動範囲がごちゃ混ぜになっているという部分があります。これは欧米においては、特にゾーニングという形で大人の接するものと子供の接するものを厳密に分けるということがありますけれども、アジア圏全般にそれが弱いんですが、特に日本ではそれが非常に従来は弱かったということがあって、出会い系サイトもそうですけれども、様々なポルノグラフィー的なものへのアクセス、それから繁華街において、例えば歌舞伎町のような繁華街のかなり問題のあるところに制服を着た高校生が歩くということ自体が欧米ではちょっと考えにくいことだと思いますけれども、例えばそういう具合の分け方のなさということがあって、それがかなり遊び型の非行を助長しているように思います。
 というのが、二つほど御指摘いたしました。
#32
○会長(清水嘉与子君) それでは、尾木参考人、二点ございましたのでよろしくお願いします。
#33
○参考人(尾木直樹君) 一つは、子供社会の反映という問題で考えてみますと、今、無藤先生のと重なってしまうところが多いんですが、重ならないところでちょっとお話ししていきますと、読売新聞の二年前の世論調査で、日本の未来に希望を持てるかという調査あるんですけれども、子供たちが希望が持てないと答えたのが六五%ぐらいでしたね。今度、親の方に、同じそのお子さんの親御さんにも聞いているんですけれども、親の方は九〇%なんですね。親が希望を持てていないのに何で子供だけが希望を持てるかというので、例えば端的に言えば、そんなことなんかはもう見事に大人社会の反映です。
 それから、ITの問題というのが急速に今子供たちの中に入ってきて、文科省もe―ラーニングプランというので全力を挙げて、スキルとか、ハードの面は頑張られたんですが、本当に今僕、怖いなと思います。
 佐世保の少女の事件、インターネットの問題ということが言われていたり、余り軽々には言うことできませんけれども、ポルノメールの問題ですね、今おっしゃったような。振り込め詐欺ではありませんけれども、ワンクリックでもうつながってしまう、登録されるような状況と。次々と、業者さんっていうんですかね、知恵があるんですね。僕なんか分からないんですけれども。どんどん進歩しているというかしらね。子供たちのところに確実に襲っていて、恐らく被害調査したら何百億では済まないほど子供たちのところに今被害が出ていると思うんです。これ、全然どこも調査もされていないんですけれども、振り込め詐欺どころの被害ではない状況が今進行しているんだろうと思うんですね。こういうようなのが放置されている日本の国というのは一体何だろうと。
 それから、いつも被害者側でとらえていくんですが、実はボーダーレス化という問題が子供たちを加害者としても成長させてしまっていると、ITに関して言えば。
 今偽札問題が話題になっていますけれども、ある中学二年生でしたか、この間捕まった子なんかは、インターネットのネットオークションで偽札の作り方の本を購入して、それを見て偽札を六十枚作っていたでしょう。逮捕されましたけれども。そんな問題とか、あるいはモーニング娘のサインをうそのを作ってネットオークションで売って、百二万円もうけていたとか。引っ掛かっていたのは全部大人ですけれども。それから、出会い系サイトの問題も九〇%が子供から大人への勧誘なんですよね、警察庁のデータによりますと。
 そんなんで、このボーダーレス化の問題は被害を拡大していくだけじゃなくて、加害者としても成長させてしまっている。つまり、加害者としての被害者というとらえ方ですよね。すごく僕、大人のネット文化というかしらね、モラルがまだ確立していかない状況で、どんどん先に進んでいってしまっていて、私たち世代的に後れてしまっているという。議員の先生方も、年配の先生方はちょっと厳しいものがあると思うんですけれども。あっと、こちらがぼやっとしているうちにもう事態が物すごく悪化しているというような、これ何とかしてほしいなと思いますね。
 それから、例えばリストラへの不安というのは、親、今労働者の、この間、政府の調査でも六〇%に達していますよね、を抱えながら働いていると。これは今、子供たち、高校生、少し回復傾向が出てきましたけれども、就職がなかなか安定していかないという問題。大学生の方も結構厳しい状況です。回復したとはいえ、非常に厳しい状況にありますけれども。そういう社会全体の見通しが立たない状況というのが、それから不安な状況というのがそのまま子供たちに全部反映しているし、悪いところの、まあこれ良く使えばもっと良くなるんですけれども、ITの問題なんかもそのままイコールで子供たちに襲い掛かっているというような印象を持っています。
 それから、僕は非常に残念なのが、日本のメディアが子供たちを意識してくれていないという問題です。
 五時―九時の規制の問題というのは御承知のことかと思いますけれども、大体五時―九時の規制なんという国は極めてまれで、もっと、普通は朝の七時とか、夜の九時、十時までとかが圧倒的なわけですけれども、日本は本当に入口でとどまっています。
 それから、重要なのは、優れた子供番組を作るということも重要なんですが、僕はNHKの、例えば七時や十時のニュースでも子供を意識したアナウンサーの発言であってほしいと思うんですね。残酷なシーンだとか、この間の、一家五人の殺害のシーンなんか映りますよね。そうすると、ササのところでシェパード二匹殺された。血のりがべっとり付いているのを平気で映すわけですね。それをもし映さなきゃいけないとしたら、子供たちにはちょっときついシーンでごめんなさいとか、ちょっと一言入れてから報道してほしいというふうに私思います。アメリカの放送なんか見ていると、そういうところちょっと入るんですよね。子供には申し訳ありません、子供にはきつい映像ですがとか、ふっとキャスターが断りますけれども、子供も視聴者でいるんだということをちゃんと意識しているという証拠なんですけれども、日本はNHKさんから民放まで含めてそんなことおっしゃったの聞いたことありません。そこはやっぱりボーダーレス化してしまっていて、子供とは違うんだと、子供を大事にしているんだというメッセージとして僕は伝えるべきだと思います。
 それから、国連が、子どもの権利委員会のことだと思いますけれども、勧告、あれは一九九八年だったと思いますね、第一回、六月に勧告出て、この間、二〇〇一年でしたかね、また出ましたけれども。確かに国の政策そのものが批判されたのは日本ぐらいだと私は認識しています。過度な競争に基づく教育政策が子供たちにストレスを増大させて、人格障害とか、精神障害でしたか、人格障害ですか、なんかを引き起こしかねないという、かなり厳しい、どきっとするような勧告文が出されましたけれども、ついこの間それが、実効が、子供の虐待防止なんかでは成果上げているという、評価するところは評価してくれていますけれども、かなり厳しい評価だったというふうに思っています。
 ここはやっぱり、そういう国連からの勧告が出ていても、実際現場の都道府県段階でいくと全く関係ないんですよね。関係なくて、今教育、学力向上策なんかもやっぱり学力テストをして、そして区ごとの順位を発表したり、学校ごとのを発表したりとかいうので、それで競い合いながら学力を向上させていこうとしているんですけれども、これはなかなか難しい問題があります。果たしてそれでうまくいくんだろうかということは慎重に考えなきゃいけないと。
 歴史的に言いますと、一九六一年から六四年のあの例の有名な学力テストの、四回でやめてしまいましたね、当時の文部省は。あれと同じような今弊害が続々と、例えば東京なんかひどい状況で出ていますし、地方のある県なんかでも、県ぐるみで今大変な問題が発生してきていて、そのうち新聞に載るんじゃないかなと思いますけれども。
 やっぱり順位を上げるとか、数値だけというのは教育の領域では非常に厳しいものがあるんですね。そこら辺、子供たちの実態とか現場の声をしっかり聞きながら改革の手を打ってほしいなと思います。思いはとても分かるんですけれども、我々の、大人が考えたのと微妙に違ってきてしまって、本質がずれてしまうという感じはしています。
#34
○会長(清水嘉与子君) 田中参考人、どうぞ。
#35
○参考人(田中理絵君) 三点ほど挙げたいと思うんですが、一つは、そのリストラの関係でいいますと、頑張れば報われるというのが信じられない社会になってきた。そういう中ですと、取りあえず高校生なんか聞いていると、二、三年は働いて、働いたらまた考えるというふうなことを言う高校生が非常に多いです。何かもう、ずっと続けるとかキャリアをどうこうというふうに考えないで、せつな的に動くという子供が増えているような気がします。
 二点目に、非常に開けっ広げな社会になってきたんじゃないかということです。メディアのお話が二人の先生の方からありましたけれども、そういう大人がばかなことをしているメディアを見ると子供は大人をやっぱり尊敬しなくなりますから、大人はばかなんだという、ふだんだったら見せれないような場面を子供たちは見るわけですよね。で、尊敬できなくなってしまう。
 三点目は、今日、資料として付録としてお配りしたんですけれども、子供に対する大人の行動力というのが減っているんじゃないかということです。
 これは、大人の世界の変容が子供の社会の変容へつながるかどうかというのはちょっと分からないんですけれども、大人が、例えば子供が何か危ないことをしているときに、それを見て注意をしますかというアンケートを取ったことがあります。そうすると、年配の方は割と、六十代、五十代の方は注意をするというのが七割ぐらいいるんですね。だけれども、若い世代、二十代、三十代になると、見て見ぬふりをするというのが四人に一人います。どんなに危ないことをしていても見なかったことにする、注意をしないという世代が若い方に多いわけです。
 あるいは、子供はどのように育てていきたいですかというのをレジュメの方に載せていますが、そういうふうに聞くと、若い世代ほど自分の興味、関心に従って楽しく暮らせるように子供が育っていけばいいというふうに答えている。年齢が高くなるほど、社会の決まりを守り公共性を持つとか、社会をより良くしていこうとか、社会に役立つような能力を持つ、そういう子供に育てたいというふうになってきている。
 大人世界のこういうふうな変化というのが、もしかしたら子供の生活、世界に大きな影響を与えていて、子供が変わってきたのかもしれないなというふうに考えます。
#36
○会長(清水嘉与子君) 小林さん、よろしいですか。
 それでは、山本香苗さん。
#37
○山本香苗君 今日は、三人の参考人の先生方、大変貴重な御意見ありがとうございました。
 そこで、もう時間も大分たってまいりました。端的にお伺いしたいと思うんですが、先ほど田中参考人の方からは家族の在り方についてお話ございましたけれども、無藤先生と尾木先生の方に改めて、今こうした、本当に追い付いていけないほど子供たちの状況も変わってきて、親の周りの状況も変わってくる中で、やはり家族の在り方、親と子の関係の在り方というものをどのようにお考えになっていらっしゃるのか、お伺いしたいと思います。
 と同時に、よく問題が起こるたびに家族力の低下ということが言われます。そうした中で、家族がすべてもう対応できるような状況ではなく、外に訴えて出るというか、こういう問題があって、一緒にこう解決して、地域といったところにも広がっていくべきじゃないかということも常に言われることでありますけれども、地域の方もなかなか対応していくのが難しいというのが、地域の方に振られてもなかなかなという感じが現状としてございます。しかし、ここでやはりそうした家族や地域というものをもう一度立て直していくというか、同じ形、昔に戻すのではなくて、新たな形で対応していくことが必要だと思うんですが、この点については田中参考人にもお伺いしたいと思っております。
#38
○会長(清水嘉与子君) では、無藤参考人、どうぞ。
#39
○参考人(無藤隆君) 家族の在り方についてですけれども、一つは、先ほど食育のところでも申し上げましたけれども、母親、父親、両方健在の場合には、やはりその両方の親がかかわっていかないと難しいだろうと。これは小さい子供の場合には明らかですけれども、私どもの調査でも、やはり中学生、高校生でも、例えば母親に対して父親の独自の役割があり影響力がありますので、本当に子供が大人になるまで両方の親の役割は重要だというのは一つあると思います。
 もう一つは、現代の家族というものが様々な機能、働きを言わば外注化し、外に出してきたわけで、それが便利な文明社会の在り方ではあるんですけれども、そうすると、家族が一緒にする活動とか一緒にすべき活動というのは今非常に少ないわけです。夕御飯を一緒に食べるぐらいでありまして、あと、御飯を作るというのは、買ってくればいいわけですし、その他の生産活動は基本的に特に家族内ではしていない。それから、テレビを見たり、あるいは何か娯楽とか勉強とかその他も個室で行うというふうになると、家族一緒という活動は相当に家族が意識して行わないと難しくなっております。そういう意味では、自然に家族が成り立つわけではなくて、家族というのが家族全員の努力によって初めて可能だということをよく考えていかないと、これから非常に難しい時代に更に入っていくだろうということです。
 そのうち、例えば、一緒におふろに入るというのは日本の伝統的な家族の在り方で大事だったでしょうけれど、最近、家族同士一緒に入るということは、まあバス、おふろ場が小さくなったせいもあって非常に小さい子供以外はほとんどないわけですね、まあ温泉に行くぐらい、ないと思います。そういう意味では、家族というものは肌と肌が接すると当たり前のように思っていましたが、そういう関係は非常に少なくなってきているということです。
 欧米の家族などを見ていると、やはり、特に欧米の中流階級ですと非常に意識して家族同士の接触をつくっているわけですね。例えば親が子供に抱擁をしたりキスをしたりというのもある種の文化的伝統でありますけれども、日本の場合には恐らくある年齢以降親が子供に触れるということはほとんどないわけです。これが以前と非常に違う今の特徴でありまして、その意味で、家族というものも、つなぎというものが赤ちゃん時代を除くと非常に薄くなりつつあるということをどう立て直すかが問われているというふうに思います。
#40
○会長(清水嘉与子君) 尾木参考人、どうぞ。
#41
○参考人(尾木直樹君) 家族の問題では、今の家族というのがどう変わってしまったのかというのを抜きに、その家族力の、さっき先生がおっしゃったとおりだと思うんですけれども、それはなぜなのかというのをもっと丁寧に僕見たいなと思うんです。
 実は、作文教育なんか熱心な先生いて昔から作文教育をやっているんですが、私も国語の教師だったんですけれども、ある先生が、家族って一体何だという作文の中で子供がこういうふうに書いたと言うんですね。家族とは、人込みの中で見ればただの人、昔使っていたおもちゃのようなもので懐かしいと思うものと。これ、日本作文の会の先生の中に出てくるんですけれども。つまり、人込みの中で見たら、わあ、お母ちゃん、父ちゃんとか言って寄ってくるのが我々の感覚なんですけれども、ただの人にしかすぎない状況になっていると。
 それから、ついこの間ですけれども、栃木県のある町、教育熱心な町なんですね、教育長もとてもすてきな方でしたけれども、そこでは小学五、六年生と中学生全員のアンケートを取ってまとめておられる。パンフレットもらったんですけれども、本当に私はショックを受けました。家族と遊ぶのが楽しいというふうに答えたのは、小学生四%ですね、中学生一%なんですよ、これ、ここ、すごく行き届いた町でこうだということですね。それから、家族への注文は何かという聞き取り調査をしているんですけれども、何かといったら、朝御飯作りや家事をちゃんとやってくれと言うんですよ。これがトップなんですね。二つ目、子供の話をよく聞いてくれ、三つ目が頭ごなしにしかるなと、この三つです。やっぱり朝御飯って、やっぱりさっきの食育の問題、もうトップで子供たち作ってくれと言っているわけですよね。
 こういうふうにして、家族の形、本当に変わってきたと。昔は本当に家族というのはしっかりしていて、家族を核にしながら地域があり、国家というのが動いていったんですけれども、今問題あると、家庭教育問題だと、今度の教育基本法でも家庭教育のことを考えようじゃないかということで議論されているんですが。
 実は、かつて家庭の教育力あるいは家族力というのが効力を発揮していたのはなぜなのかということを歴史的に振り返りますと、やっぱり一つは、家庭内労働というのが基本として生計を営んでいたというかしら、例えば第一次産業が非常に高かったですね。七十あれは五年ぐらいですか、ひっくり返り始めたのは。それ、つまり一言で言うと、サラリーマン化して労働の形が外に出るようになってきましたよね、男の人が皆外に出るようになってきたと。
 それが、家で農業やったり、林業や漁業やあるいは商売をやっていれば、お父さんの働いている姿というのはもう丸見えですよね。そして、それをお手伝いする労働力としての子供というのも必要だったわけで、終戦直後でいえば、子供たくさんいなかったら、生活が大人もできないと。みんな手伝わさなきゃいけないので、本当に有力な家庭の労働力でもあったわけですよね。あるいは子供の兄弟を子守をしてくれたりとか。
 そういう状況の中で、自分の親に対するかなわない思い、尊敬心と言ってもいいと思うんですけれども、それがあったと。だからこそ、お父さんのしかり方が下手でも、ぐっとにらみ付けるだけで子供は震え上がっていくと。そして、そういう生き方をしている隣のおじさんやおばさんや村全体の人たちという思いがあるものですから、全然知らない人が、尾木君、そんなことしたら駄目でしょうといってしかられるとびくっとしたわけですよね。そして言うことを聞こうという気持ちにもなりました。だけれども、今そこのところが崩壊してしまっていて、お父さん、本当に給料も銀行振り込みで見えないし、酒飲んでナイター見て喜んでいる姿しか見てないのを尊敬しろと言う方が無理なんですよね。ここのところをどうするのかということで、さっき先生がおっしゃったような新たな地域の共同体というものがつくられるべきだろうと。
 だから、現代で言うと、昔は核がはっきりしていましたけれども、崩壊してきましたので、新たな地域のネットワークづくり、子育てサポートというのを今あちこちで行われ始めましたよね。それがしっかりしてくると一つ一つの家庭も落ち着き始めるのかなと、逆のアプローチじゃないかなという気がします。
 そして、幸いなことに、先ほど、僕は朝日新聞の資料を作りましたけれども、その一番下の段の真ん中のところに、見ていただきますと分かりますが、「あなた自身は、子どもを育てている人を手助けしたい気持ちはありますか。」と聞いているんですよ。つまり、他人の子育てサポートしたいかというのに対して、「大いにある」が二七%で「少しはある」というのが五七%。トータルすると七八%の方が子育て手助けしたいとか思っているわけですよね。それは、孫の手の反対のおばあちゃんの手であってもおじいちゃんの手であってもいいでしょうし、あるいは子育て最中の人々がともに、それこそインターネットで情報を交換しながら連帯してもいいでしょうし、そういう可能性はあるわけですね、素朴な心情として。そこら辺をどういうふうにして現代の感覚に合うような形で、今の若いお母さん方の支持を得る形でつくり上げていくかというのが、やっぱり少子化対策としてもね、すごく重要だろうというふうに思います。
#42
○会長(清水嘉与子君) 田中参考人、どうぞ。
#43
○参考人(田中理絵君) 家族力の低下というのと地域のサポートのお話だったと思うんですが、家族力の低下というのは逆に地域が崩壊したから起きているというふうに私は考えています。地域社会とうまくいっている家族で、家族力がない家族というのがちょっとイメージできませんよね。ということは都市化以降の話だということになります。なぜ家族、地域がしっかりしていると家族力というのが盛り返せるかというと、地域の周りの人がその家族をサポートする、衝撃を和らげてあげる緩衝材になる、そういう意味で地域というのは使われるべきだというふうに思います。
 ただ、PTAの調査をしてみましても、もうPTAはなすり付け合いで、できればもうやりたくない、もうなくしてもいいんじゃないかという地方が増えてきている中で、自分の子供のことですらそうですから、じゃ、どういうふうに地域社会のネットワークをつくっていくかというと、またこれも大きな難しい問題になるかと思います。
#44
○会長(清水嘉与子君) よろしいですか。
 ほかに御発言ございますか。
 山谷えり子さん。
#45
○山谷えり子君 どうもありがとうございます。自由民主党山谷えり子でございます。
 無藤先生に、ちょっとゲーム脳についてどんなふうにお感じになっていらっしゃるかを聞きたいんですが、脳神経科の先生なんかが、ゲームをやり過ぎると前頭前野のベータ波が低下して、切れる状態になって無表情になって自己抑制力も低下して情緒も低下するというような研究発表もなさいまして、ゲームに限らずパソコンとかメールとか、要するに子供たちのライフスタイルが非常に変わったことによる影響がもしこう感じられる部分があったらお教えいただきたく思います。
 それから、尾木先生には、キャリア教育に関して、私、アメリカにおりましたときに、アメリカではキャリアカウンセラーというのがもう二十万人ぐらいいて、そして要するに働くとか体験とか、そういうものと教育というのが結び付かなければ何の教育だというような発想から法律もできまして、例えばインターンシップとか、要するに体験学習に対して事業所や各団体が協力しやすいような法律によって支えるというような動きが九〇年代にあったんですけれども、日本の場合も、そういうような体験学習あるいはキャリア形成のための支援学習というものをこの際もっと進めるためには、何かいい知恵があるかどうかをお教えいただきたいと思います。
#46
○会長(清水嘉与子君) それでは、無藤参考人、どうぞ。
#47
○参考人(無藤隆君) ゲーム脳なりテレビゲーム、あるいはもう少し広くインターネット等の影響の問題ですけれども、一つは、そのゲーム脳と称されるものはお一人の研究者の提言だと思いますけれども、脳科学のその後の検討では十分な証拠はまだ得られてないというふうに思います。そういう意味では、ゲーム脳というのはまだマスメディアのはやり言葉ではあるでしょうけれども、学問的には明確なサポートはないと思います。では、テレビゲームなりインターネットの過剰な利用が問題を引き起こさないのかというと、実験的な心理学者の様々な研究ではその影響はそう大きくはないということははっきりしております。
 で、私どもも実はいろいろな調査を行って、特にもう非常に最近ですが先週マスメディアに発表もいたしましたけれども、そういうのを見ますと、テレビあるいはテレビゲームの長時間の使用というものが多少様々な問題を起こしているように思います。
 ただし、それは家族の問題、友達との問題と非常に絡み合っているというのが一つです。それからもう一つは、小中学生においては特に夜遅くまで起きている傾向と結び付くということがより深刻な影響をもたらします。これは、夜遅くまで起きているというのはそもそもそういうことをしているから起きているわけですが、しかし同時に、朝は学校に行く以上は起きますので、その辺で寝不足を生み、それが脳の問題につながるだろうと。それからもう一つは、寝不足のまま学校へ行けばほとんど授業は聞いているような聞いてないようなということで様々な問題を起こすというようなことで、それが恐らく中間的な媒介要因になっているというふうに思います。
 また、十分な証拠はまだ得られてはおりませんが、テレビゲームやインターネットによるサイトをぱちぱちとこう見ていくようなところで、どうも浅い思考といいますか、瞬間的、反射的な思考とでもいいましょうか、あるいは思考しないというのか、そういう傾向の青少年がかなり出てきているかもしれないと。この辺、私どもも十分なデータ得ておりませんが、懸念されるところです。
 ということで、まあ今のところは部分的には影響しているだろうなという程度にとどまると思います。
 以上です。
#48
○会長(清水嘉与子君) 尾木参考人、どうぞ。
#49
○参考人(尾木直樹君) このキャリア教育の問題というのは本当に、キャリア教育という言葉が我が国で、政府が特に使われ始めたのは一九九九年ですかね、十二月ぐらいだったと思いますけれども、本当に近年なんですね。だけれども、委員会で報告がまとめられたりして、先ほども言いました二〇〇四年度から小中高それぞれキャリア教育入ろうとしているところです、まだ一年目ですから大きな成果は上がっていませんけれども。
 ただ、方向性として僕が大きく期待したいのは、今学力問題で揺れていますよね。まあ、もちろん文科省の先生方は揺れているとはおっしゃいませんけれども、右に左にとこうちょっと揺れを感じます、末端まで行くと現場では非常に激しい揺れになるわけですけれども。学力、点数を上げるか上げないかというところで言っちゃうと、あるいはゆとりか詰め込みかとか、そういう二極対立的なとらえ方じゃなくて新しい視点が僕は必要だと思うんですね。それになってくれるのが、僕、このキャリア教育じゃないかと思うんです。
 つまり、働くということと学ぶということとの結合という、アメリカから入ってきているわけですけれども、それを私たち、日本の委員会の報告見ますと、働くというよりもうちょっと広く、生涯にわたった生き方の問題というふうにとらえておられて、これは非常に現場的に言いますとなじむんですね。小学校からキャリア教育は成り立ってきて、単なる職業教育ではなくて生き方の問題、死ぬまで発達していく生涯発達の視点でキャリア教育をとらえていくという。そうしたら、そのために学んでいくんだということは、非常に据わりやすいんですよ。
 そしたらば、単純に順位を上げるとか、こせこせした、ちまちましたところではないところでダイナミックな学習意欲というのを喚起することができるんじゃないかと。親御さんたちも、新しい、単に就職を良くするとかいい大学だけじゃなくて、あなたの豊かな人生を生きるために、みんながいい社会をつくれるために学ぼうという呼び掛けというか視点を持てれば僕はすごくいいなというので、キャリア教育には大きな期待を寄せているんですね。
 政府の方は五万人のキャリアカウンセラーという計画、予定も出しておられますし、これがうまくいけばいいなと思うんですが、実践現場を見ていますと、やっぱり、研究発表の、ちょこちょこ出始めたんですけれども、どうしてもやっぱり職業教育の方にこう狭くなっていっているんですよね。だから、うまくいくのかなって、進学指導的な感じなんです、どうしてもなかなか抜けなくて。
 そこで一つ不安なのと、それと、日本でうまくいってほしいという思いがありながらうまくいかないんじゃないかという思いがどんどん膨らんでくるのは、アメリカの場合はキャリア教育支援法案だとか、おっしゃったように法律で整備したわけですよね。我が国は理念だけ物すごくすばらしいんですけれども、法的な支援体制はないわけですよね。僕、一〇〇%法律で政策化するのが正しいというその判断は付かないんですけれども、今の現段階では分からないんですが、かなり強力な支援体制を組まないと、かなり大きな転換ですから厳しいかなという感じはしていますね。だから、法律なりなんなりで支援を強力にしていただければ有り難いというふうに思います。
 それがうまくいく可能性も、例えば去年、おととしとでしたか、「十三歳のハローワーク」、村上龍さんのが、あれ一冊二千六百円かな、高い本なのに百万部からついに突破していますよね。その状況を見ても、今までのような労働観ではなくて、好きなことを大事に生きていこうというとらえ方、これはかなり支持を受けるんだなというふうに思っています。
 ただし、僕はちょっと物足りないなと思うのは、例えばエッチなことが好きな人はこういう商売があるよとか、ナイフが好きな少年はこんなのがあるとか、何でも載っていますよね。ただしリスクをしょうよとか言うて警戒はしていますけれども。一つ肝心なのは、やっぱり社会性の問題が抜けているんじゃないかなということがあの本についてはちょっと心配をしています。
 だから、その社会性というのと個の主体的な多様な生き方の支援というキャリア教育とをどういうふうに統合していくかというところがこれから問われると、今後の課題だという気がしています。
#50
○会長(清水嘉与子君) 山谷さん、どうぞ。
#51
○山谷えり子君 私も今、キャリア教育の支援法のようなものをちょっと議員立法で出させていただいているんですけれども。
 といいますのは、アメリカにいたときに、大体皆さん、スクールカウンセラーとキャリアカウンセラーとそれから先生の免許を持っていらして、友人間の悩みなんかがあって心理的なやり取りがある。そうすると、オーケー、じゃキャリアガイダンスに変えようといって、その子がもしアナウンサーなんかになりたいという志望であれば近所の読み聞かせのボランティアグループに紹介状を書いてあげたりというような、つまり、本当に先生おっしゃるように、狭い就職支援ではなくて、生涯にわたって自分の持ち味を発揮して、自分もうれしいし人にも喜んでいただけるという、そういう体験を積み重ねてあげるための橋渡し役なんですよね。
 ところが、日本の場合、五万人育成されたキャリアカウンセラーの質を見ると、とてもとてもそういう発想で育成されているとは思えないものですから、まずそういう新しいタイプの質のキャリアカウンセラーという方たちを育成することと、やっぱり橋渡し役のためには法整備で、法で支えてやらないとこれは発展しないんじゃないかという問題意識からちょっと議員立法を作っているんですけれども、今の先生の説明はそういう意味で非常に共感いたしましたし、是非これからも教育関係者にそういう考え方を広めていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
#52
○会長(清水嘉与子君) ほかに御質問ございますか。
 山本孝史さん。
#53
○山本孝史君 今日は三人の先生方、ありがとうございました。
 無藤先生にお伺いをしたいんですが、白梅というと保育、幼児教育で大変実績のある学校でいらっしゃいますけれども、今の、これからの保育所あるいは幼稚園の在り方というものについて、大変大きな質問で恐縮でございますが、思っておられることがありましたらお聞かせをいただけますでしょうか。
#54
○会長(清水嘉与子君) 無藤参考人、どうぞ。
#55
○参考人(無藤隆君) これからの保育所、幼稚園の在り方というのは、ちょうど文部科学省は中央教育審議会、厚生労働省は社会保障審議会の方でそれぞれちょうど議論したばっかりでありますけれども、例えば小学校一年生で小一プロブレムということで学級にいろいろ混乱があるというような話がありますけれども、ああいったことは、幼稚園では学級崩壊という言い方はしませんが、かなり幼稚園に入ってくる三、四歳でもう既にいろいろな問題を抱える場合が増えてきているような印象があります。それは結局はその家庭の問題ということになってくると思いますが、それは親のしつけが良くないということもあるんだろうと思いますけれども、やはり少子化というのはかなり響いているような気がいたします。
 例えば、幼稚園に来て初めてほかの子供と一緒に遊ぶという子供たちがいるわけで、そういう子は当然慣れていませんから、どうしていいか分からないというようなことが増えてきているわけですね。また、先生の指示に従うという習慣がありませんから、そこから始める。それから、最近幼稚園で困っているのは、おむつをしている子がかなり増えてきておりますので、普通そういうのが取れた段階で初めて幼稚園教育なんですが、なかなか難しいというようなことがあります。
 ということもありまして、最近、厚労省、文科省両方の方針で幼児教育と子育て支援とやはり両面を含めて保育所、幼稚園でしっかりやっていかなきゃならないだろうというふうになってきたと思います。というのは、もっとありていに言えば、親についての支援というのか親を教育するというのか分かりませんが、そういうことから始めないといけないと。特に、今の親というのは既に、特に二十代の親であれば様々な問題状況がある中で育ってきた人たちですから、既にもうそういう中で育った三世代目ぐらいに入ってきていますので、かなり深刻になりつつあります。
 そういう意味で、これからの幼児教育なり保育というものが家庭と集団保育の場をつなげるということをやっていく必要があって、ただ現実に、そういう施策が来年度から始まっていきますけれども、現場の先生方がそれにどこまで応じられるかというのは非常に難しい問題がある。それから、先生方も若い方、二十歳ぐらいの方があって、親は三十前後ですから、なかなか世代の差はあると。また、いろいろな費用削減の中で人手不足ということもありまして非常に難しい状況があるので、現場としてはどうしたらいいかということで来年度以降試行錯誤が始まっていくと、そういう段階にあると思います。
#56
○会長(清水嘉与子君) よろしいですか。
 では、神本美恵子さん。
#57
○神本美恵子君 今日は三人の参考人の先生方、ありがとうございました。
 お話を聞きながら、子供に視点を当てたお話で、この少子高齢化というとどうしても安心して産み育てるためにはというような女性の立場とか、それから、どうしてもそちら側からで、子供に視点を当てた話がなかなかなりにくかったんですけれども、今日はそういう意味では大変興味深く聞かせていただきました。
 様々な影響の中で子供たち、この少子化という社会の中で、マイノリティー化しているその子供たちが少数化しているがために受けている影響などのお話も随分聞かせていただいたんですが、これをひとつ、マイノリティーではなくて社会の中心に子供が置かれるような、というのは子供の育ちが中心に置かれるという意味です。
 そういう意味で、私は、事前にいただいた資料の中に尾木さん、田中さん、男性の育児への参加というようなことが書かれていたと思うんですけれども、無藤参考人も当然保育の領分でかかわっていらっしゃると思いますが、男性が、これは父親だけではなくて社会全体の男性が育児というものや教育、子供の育ちということに参加することの意義と、それをもっと促進していくにはどうしたらいいのか。今度の子育て応援プランの中でも男性の育児休業取得だとか、企業がそのためにどういう努力をするかというふうなことも計画立てるようにというのが出ているんですけれども、もしそういった点で、その意義とそれから推進、促進のための何かいいお知恵があったら教えていただきたいと思います。
#58
○会長(清水嘉与子君) お三人にということでございますが、最初にお名前が出ました尾木参考人からどうぞ。
#59
○参考人(尾木直樹君) 男性の育児参加の問題というのは、本当にこれは大きな影響力があるというふうに思いますね。データで見ますと今四十八分ですか、男性の育児参加というのは。女性が四、五時間だと思いますけど。ちょっと前までは二十四分だったんですけれども。
 実は、私の今大学一年生の娘が中学校一年生のときに担任になった先生が二年生になったら持ち上がりしてくれなくなったんですね。何かというと、男性の先生なんですけれども、育休に入ったんですよ。これ、僕ね、説明を受けても一瞬分からなかった、本当に恥ずかしいんですけれども。何でというふうに思ったんですが、考えたら九二年から育児休業法でなっているわけですから、当たり前なんですけれども。そして、今度は高校一年生になったときの社会科の先生が日本で最初に当たるぐらいの育休を取られた。やっぱり男性の先生で、中高一貫校だったんですけれども、六年間で二人の先生に会ったんですね。それで、僕は興味深くその先生の様子とか子供たちの様子見たんですけれども、何よりもすごいなと思ったのは、そうすると、育児休業中の先生のところに遊びに行くんですよね。先生が一生懸命おしめを替えたりしている姿を子供たちは見るわけですね。それで、先生がこんなことをやっていたというのを家へ帰ってきて一生懸命娘が、中学生が報告してくれるんですが、わあ、これは教育効果大きいなと思いましたね。
 だから、政府の方も、企業に対して年に一人は取れるようにとか、いろんな数値目標出されていますけれども、僕は企業で頑張ってくださるのももうもちろん有り難いんですけれども、むしろ官公庁とか、文科省も含めて、一番大事なのはやっぱり学校現場の先生方が、別にそんな長期間と言わなくても、二週間でも三週間でもいいですから、育児休暇をおれは取るぞというので男の先生が取ってほしいと。そして、それに対してお母さんたちきっと文句言いますよ、女性の先生が産休に入っても文句言うんですから。文句言うんだけれども、男の方がもう取るんだというような、実践的に見せることによって、で、みんながまたサポートする、職員だけではなくてお母さん方もサポートするという、そういう動きの中で、実に僕は意義が大きいと思います。
 そして、高校のときの先生は、本にまで出されて、出版されているんですね、その経験が。で、それを子供たち読んだりして、本当に貴重ないい経験させてもらったし、それから、やっぱりその学校はふんわかとしていてとても温かいムードの学校でした、ええ。だから、やっぱりそれは子供たちに大きな影響を与えるというふうに思います。
 それと、父親にとって育児参加していくことが、やっぱりお父さんの、企業のかなり今競争の厳しい中で、すごいいやしになっていくというかしら、安心の場というか、子供の顔を見るとだれだって表情緩みますよね。そういうやっぱり子供との触れ合いを保障していくことが実はお父さんの人間性を保障していくことにもつながるんだと。何も奥さんを、奥さんというか、女性をサポートするという、そういう狭いんじゃなくて、自分自身が豊かな人間として発達していくために育児参加、家事参加をしていこうということが僕はすごく重要だと思います。それが意義の問題です。
 それから、促進のためにはどうするのかというのは、これは今計画化、今企業で一生懸命されておると思いますけれども、特に学校関係、教育関係ですね、精力的にこれを、変な数値目標じゃなくて、自分たちのこの数値目標を掲げて、男の方の育児参加、あるいは家事への参加みたいなのをきちっとアピールしていけるような姿勢と、それから具体的な数なんかも出してほしいなというふうに思います。
 以上です。
#60
○参考人(田中理絵君) 二点、お話しさせてください。
 一点目は、家族の中で男性の育児参加が増えるとどういうことが起きるかというと、これは、調査をした結果によりますと、母親の育児不安というのが物すごく減るんですね。母親の育児不安が減るということは子供へ与える悪影響が減るということですから、子供を中心に考えるという面ではやはり有効なことだと思います。
 で、二点目は、社会全体で男性の育児参加、子育てへ参加するということだったと思いますけれども、ちょっと私事ですが、うちの父は二十年間子供の、少年野球団のコーチをしているんですね。二十年ですから、最初の取り掛かりは私の弟が少年野球に入ったのがきっかけだったんですが、その後ずっと辞めなかった。で、今もずっとその少年野球を教え続けているということです。
 それを見ていて思うんですけれども、求める人材というのが地域社会にあるわけですね。こういうときは男の人がやってほしいとか、こういう面は男性にやってほしいというような面があるわけです。だけど、それをできる人もたくさんいるのに、情報交換がうまくいっていないために、せっかく使える人材が使えなかったり、そういうことが起きているように感じます。ですから、欲しい人材と出せる能力との情報がうまく回る、そういう対策が必要なんじゃないかというふうに感じています。
#61
○会長(清水嘉与子君) 無藤参考人、どうぞ。
#62
○参考人(無藤隆君) 父親の役割ですけれども、やはり、国際調査を見ますと、日本の父親の育児参加、家事参加の時間というものが著しく低いということで、これまた世界ナンバーワンなんです、低さのナンバーワンなんですけれども。
 ところが、この十年間、様々な調査を見ますと、父親の育児参加の時間がかなり上がってきております。これは主には土曜日休みが広がったせいだと思いますけれども、その部分で相当広がっているので、基本的に、特に乳幼児を持つ小さい子供の父親は、家庭にいる時間がある程度あれば、最近のお父さん方は家事、育児の手伝いをするものになってきたということで、上の世代の方とは大分違う感覚が生まれてきているように思います。ということを考えてみますと、育児参加、家事参加を更に増やすには、今度は平日の早めに仕事を終えて家に帰るということが大事だと私は思っております。
 最初に食育の話のところで申し上げましたけれども、今の家庭で家族が一緒にする活動として一番重要なものが夕食です。それ以外に家族全員がそろうべきというものはほとんどなくなってきているわけなんですね。そこに父親がいないということが非常に大きな問題でありまして、やはり、特に、せめて小さい子供がいる間は、父親は早く帰れる、夕食に間に合うということを、これは会社の方で努力すべきではないかというのが一つ思います。
 それからもう一つの、父親の役割としてということで、母親と違う面がいろいろあると思いますけれども、固定的な性役割を前提としない立場で考えると、要するに二人の大人がいて、違う見方をし、違う経験をし、違う価値観のいる人間が子育てをともにすることによって、子供にとっての経験が広がるということが一番大事ではないかというふうに思います。好き合ってということで、父親、母親は当然似ているでしょうけど、それにしても、長い人生の経験、現在の活動は様々に異なりますので、そういう必要がある。これは昔でも、専業母親がいて、たった独りで育児してということは昔でもなくて、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人がいたわけですが、現在そういう者はいないという中では、母親とともに父親の役割は昔に比べてはるかに大きくなり得るものだというふうに思います。
#63
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 ほかに御発言ございますか。
 後藤博子さん。
#64
○後藤博子君 ありがとうございます。
 実は質問しようかどうしようか迷ったんですけど、時間がありそうなので。
 ちょっと私は、ちょっと視点が違うか、もしかしたら古い人間と言われるかもしれないんですけれども、随分前でしたけれども、ちょっと詩を、産経新聞で詩を読んだことがあるんですね。
 何かつれえことがあったら母ちゃんを思い出せ。人様に当たるんじゃない。まあちょっと中忘れました。ほら、窓に日が差してきたよ。鳥が鳴いてるよ。元気出せ、元気出せ。ほら、鳥が鳴いてるよ。聞こえるか、健一。
 という、産経新聞に「朝の詩」の詩が載っていました。何かつれえことがあったら母ちゃんを思い出せ、あるいはこれは父ちゃんでもいいんですが、私たちはそういう親であるだろうかとまず疑問に思いました。
 そして、おととい、私の、我が高校の、母校で卒業式がありまして、参加しました。今年の卒業生は非常にしつけがいいと。どういうしつけがいいかというと、先生、今お話ししてよろしいでしょうかと。先生、今こうこうこういうことをお聞きしたいんですが、今よろしいでしょうかと。あるいは、職員室に入るときに、失礼しますと。何々先生、今お時間いただいてよろしいでしょうか、そういうことを言う生徒が非常に多かったと。その親が非常にしつけができていてすばらしいという先生の評価があったんですね。その親もすばらしいし、その親を育てた親も非常に私はすばらしいと思います。私たち親は、そういう親として育っているかどうかということです。
 そして、ある先生から、保育園に行ったり、あるいは産婦人科に、産婦人科じゃない、幼児の病院に行ったりして、来ている親を見ると非常に幼稚な親が多いと。親として育っていない親が多い。
 で、そういう、じゃ親をどう育てるか、親をどう教育するかということは、私は、まあ五十数年生きてきまして二人の子供しか育てておりませんけれども、結局、親が育つ、子も育つということは、親も親業をしなきゃいけないし、その親業は何によってできるかというと、子を育てることによってできると思うんですよね。それが、今、子を育てることを人様に任せてしまおうとしている。子供を産んですぐ自分が仕事をするがために、保育園に預けたり幼稚園に預けたりしていく親の価値観といいますか、そういうものがあると。
 だから、社会現象に何か逆に合わせ過ぎて、もっと私は国策として、親を育てるためには時間は要らないんです。子供が育つ、三歳、六歳、あるいは十年でいいんですね、親が育つためには。で、子供も育つし親も育つと思うんです。その十年間の間にどれだけの国が社会保障していくかというものですね。子供育てて、そしてまた社会に出ていく、親にとってどれだけのものを与えていくかというか、そういうことをしていくかということが一つあると思うんです。
 田中先生書かれております家族のあるべき姿、これを一つしか設定していないことはということに書いておられますけれども、家族のあるべき姿となると、私は基本的には一つでいいんじゃないかと思うんですね。それにいろんな生き方があっていいし、その生き方を支えるための社会がつくられていくのが大事であって、いろんなものに合わせていくんじゃなくて、本来、自分たちが基本としているものに、どうやってそこを大事にしてやっていくかということが今抜け落ちているんじゃないかなと思うんですね。
 働き方の見直しや、女性が働くことによって、もちろん人生を行くためには大事なことではありますけれども、子供を育てるということと自分の人生を行くということを一つ一つと考えるんじゃなくて、自分の子供をきちっと育てて、なおかつ自分の人生がそこにあると。だから、子供を育てて、あと自分の長い人生をどう生きていくかという、その価値観を見いだせるような、何といいましょう、教育といいますか、そういうことが大事じゃないかと私自身考えておりまして、そういうことに関してお三人の先生方の御意見をいただければ有り難いと思います。
 よろしくお願いいたします。
#65
○会長(清水嘉与子君) それでは、無藤先生からでよろしいですか。無藤参考人、どうぞ。
#66
○参考人(無藤隆君) おっしゃるように、非常にしっかりしている親御さん、家庭があり、またそうでない幼稚な親御さんもいるというふうに、以前に比べて非常に幅が広がってきたように思います。
 それは、昔もそういういろんな親がいたんだろうと思いますが、昔なら他の家族がい、親族がい、近所がいて支えられていましたのでマイナスもカバーされていたと思いますが、今は一人一人の親の個性がもろに出てきてしまう、むき出しになっているという感じを持っております。
 私は、そういったことにどう対処するかということで、先ほど幼稚園、保育園との関係で子育て支援ということを言及しましたが、実は親教育というのはもっと前に始めないとちょっと間に合わないというふうに思うわけです。最近は、中学、高校から始めて、独身の間、また妊娠期というふうに徐々に踏んでいくべきだという意見がかなり強くなったと思いますが、それはまだ形としては非常に弱い段階でありまして、それをどう具体的な形にするかということが問われるように思います。
 その際の中身はいろいろあるでしょうけれど、これまでの議論の流れで申し上げると、一つは、家族というものが、どういう形であれ親密な関係の中でお互いをいたわるということが基本だということが第一だと思います。もう一つは、親の世代が子供の世代に、愛情のみならず、しつけなり教育なり価値観を伝えるものだと、それは親にしかできないのだと、そういう覚悟というものを明確に持つということをしっかりと分かっていただく必要があるんじゃないかというふうに考えております。
#67
○参考人(尾木直樹君) 今、無藤先生のおっしゃったこと、基本的に賛成というか重なりますけれども、やっぱりこの親教育をどうしていくのかという点では、もう本当に核家族化になってきましたし、地域も崩壊してきた中で、今から二十年以上前ですと、親御さんがこんなにいい加減なのに子供がしっかりしているなとかいう、そういう感動的な発見、家庭訪問なんか行くと発見したんですよね。だけど、今、本当に失礼な言い方になりますけれども、親御さんがだらしないと子供もだらしないと。イコールになっちゃったんですね。それは、おじいちゃん、おばあちゃんがいないし、近所のつながりが弱くなってきたりしている中でまともに影響を受けてしまうというかしら、いうのを実感しました、現場ではですね。
 やっぱり、そういう意味では、親をどう育てていくのかというのは、先生のおっしゃることも分からないわけではないんですけれども、地域のやっぱりコミュニティーの在り方とか、今度の新新エンゼルプランで地域の新たなネットワークということを強調されていますけれども、そこのところは入らざるを得ないだろうというふうに思いますね。
 それから、僕、今から三年前ですか、カナダのトロントが、国際的に言えば非常に親育てというかしら、発展しているというかしら、モデル地域というふうによく言われるんですけれども、そこへ行ってみて驚いたのは、ペアレンティングセンターといいまして、日本だと子供が生まれたらもうそのまま親になっていくみたいですけれども、とにかくお父さんとお母さん両方セットで親教育というのは徹底していますよね。
 やっぱりカナダでも、日本と同じように、最もそういうところに来てほしい人ほど来てくれないという問題があるわけですよね。そうすると、あそこはアドボカシーという思想で語られていますけれども、権利の代行というかしら、そうしたら、例えばバスを仕立てて、市の福祉の、何か家庭教育学級か何かが夜の、日曜日の夜の十二時でも行くと、その時間しか空いていないと言えば行っちゃうというところまで徹底しています。もちろん、それは意識が高いというよりも、多民族国家で、非常な厳しい条件がむしろその前進面を生んでいるというとらえ方もできるんだろうと思うんですけれども。
 そういう、本当にアウトリーチと言われる、外まで出掛けていくような、日本の場合、ちょっと語弊があるかも分かりませんけれども、アドバイス行政に終わっているようなところを感じるんですが、そこまで奮闘しないと、何というんですかね、親育て、親教育というのが新たなレールに乗っかっていくというのは非常に難しいという気がしますね。
#68
○会長(清水嘉与子君) 田中参考人、どうぞ。
#69
○参考人(田中理絵君) あるべき姿というのがやっぱり、先ほど報告でもしましたけれども、一つ形としては必要だというふうに思います。それがないと子供も親になれませんから、どう向かっていいか分かりませんよね。母親というのはこういうものだという形がないとそうできませんので、やっぱりあるべき姿というのは必要だと思います。
 ただし、それを一つに設定して余りに強調し過ぎると、それに当てはまらない親、先ほどありましたけれども、ちょっとだらしがないとか、あるいは幼稚な親、あるいはもう自分に暴力を振るう親とか、そういう親を抱えている子供というのは物すごくストレスを感じます。私はもう普通の人間じゃないんだと、そういうふうに自己定義をしてしまうようなことも多いんですね、虐待を受けている子供なんか見ていますと。
 ですから、母親はこうあるべきだ、父親はこうあるべきだというのを余り強く言い過ぎないで、でも、こういう形があるべきだというのがある方がいいんじゃないかと。そこで、そのバランスの問題が難しいという報告をさせていただきました。
#70
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 後藤さん、よろしいですか。──もう一言。はい、どうぞ。
#71
○後藤博子君 そうですね。子を育てる私たちは、親はこうあるべきだ、父親はこうあるべきだということすら考える暇さえないぐらい子育てをしてきているわけです。その中で模索しながら、苦しみながら、やっぱり私たちもぶつかりながら、たまには子供を怒ってみたりして、ああ、しまった、ちょっとしかり過ぎたわなという反省をしながらいくわけですよ。
 だから、先生のおっしゃるのもよく分かるんですけれども、そこをモデルでこうあるべきだという、逆に言わなくて、こうしない方がいいよというぐらいの、逆に、こうあるべきだと、いい姿じゃなくて、こういうふうにすると親としてどうかなというような、視点をちょっと変えていただく方が分かりやすいかなとちょっと思いました。
 だから、正論はこうだということじゃなくて、こういう親は問題ですよねというふうな、ちょっと違う面から言っていただいた方が、何かがんじがらめになってしまいそうな、特に今はブルーのおしっこをしたら、うちの子供はブルーのおしっこが出ないんだけどなんて言うぐらいの親がいるわけですから、そこは余りがんじがらめにしてしまうとどうかなという気がいたしました。済みません、年がずっと上なものですから。済みません。
 ありがとうございました。
#72
○会長(清水嘉与子君) 田中参考人、よろしいですか。
#73
○参考人(田中理絵君) はい。
#74
○会長(清水嘉与子君) それでは、島田智哉子さん、どうぞ。
#75
○島田智哉子君 民主党の島田智哉子でございます。今日はありがとうございます。
 尾木先生にお聞きしたいんですけれども、レジュメの中で、二番で、青少年の凶悪事件が多発している、その質がとても問題なんだということでしたけれども、子供そのものに不信感を覚えていく、そしてそれがもしかしたら子供を産み育てていくのが怖いとかという女性の意見になっていかないかなというふうに、私もちょっと怖いなという感じがするんですけれども。
 厚生労働省も引きこもりなどに関しては力を入れているようなんですけれども、やはり一般の人からするとそこにちょっと距離を感じることもあると思うんですけれども、それをもっと、この思春期の親子関係に対する行政の支援の在り方をもっと身近にといいますか、気軽に相談できる窓口が必要なのではないかなと思うんですけれども、先生は今後必要とされるものは何か、お考えがございましたらお聞きしたいんですけれども。やっぱり今、親戚に相談するとか御近所の方に相談するとか、そういうことも相談もできなくて、しかしながら子供はどこかでそれを、SOSを発していたとか、何か見逃していることがあるとか、いろんな御意見があると思うんですけれども、お教えいただければ、お願いいたします。
#76
○参考人(尾木直樹君) この引きこもりの問題の支援というのは、御本人への支援はもちろん必要なんですけれども、それより第一義的な支援というのは家族への支援なんですよね。引きこもりの場合、家族ぐるみ引きこもってしまわれるという状況で、それから、引きこもりの御本人は引きこもっているのが特徴ですから、支援といっても窓口に来てくれないし、お医者さんやカウンセラーのところにも来てくれなくて、来てくれたらある意味ではもうけものなんですよね。ですから、むしろ、本人も苦しいんですけれども、それ以上とか同じぐらい苦しんでおられるのは御家族苦しんでおられるわけで、家族支援の体制をどうするのかというところです。
 ここは厚生労働の方でもかなり今施策を次々に打ち出されて、それで窓口も精神保健センター、各県が担当すると。それから、保健師ですね、今の。保健師が担当するよということが明確に出て、あれでやっぱり全国の引きこもりの親たちはほっとしましたね、相談の窓口、責任、所在が明らかにされたということで。それは僕、大きな前進だろうと思います。
 実は、今回の十七歳の寝屋川の少年も、彼は引きこもりなんですよね、定義からいうと。厚生労働の定義からいうと引きこもりに当たります。つまり、小学校高学年から不登校傾向になって、中一はぽつぽつしか出れなくて、ほとんど中一の途中から不登校の状況で、そのまま卒業式も出ないで、高校にも行かないで苦しんでいたわけです。そして、大検を十五歳で全部取って、そして同志社大学目指してという、合格ラインのところまで学力も上げてきて、相当頑張っていたわけですよね。
 ところが、彼は引きこもり状況で、塾には行っていましたけれども、予備校には、それは勉強というところだけしていただけで、対人的な関係とか、交通事故を起こしてから挫折したときに、苦しい状況の中で、あなた頑張っているんだから大丈夫だよとか声を掛け合う仲間もいない状況でしたよね。だから、そのときに茶髪にしたりとか変化が出てきて、それがSOSだったんですけれども、親の方もSOSだって見抜けないわけですよね。
 だから、とりわけ引きこもりの青年たちというのは、中学校卒業した後はだれもかかわってくれないんです。不登校と引きこもりをセットで語られる方が多いんですが、これは違います。不登校というのは文科省の定義では小中学校ですよね、高校生は不登校とは言いませんので、義務教育ではありませんので。小中学校の段階ですと学校がちゃんとカウントして見てくれているんですよ。教育委員会も見てくれていますよね。だけど、高校になって、今回の少年の、十七歳の少年のように、何していてもだれもかかわらないわけです。責任もないわけですし、プライバシーの侵害だと言われちゃうほどのことなわけですから。
 だから、そういう青年たちを、引きこもりの状況の子供たちをだれがケアしていくのかというのを、政府も精神保健センターというのをちゃんと決めましたけれども、そこにかかわってまだいけないわけですよね。そのときにどうするのかと。もっときめ細かい、地域に密着した形でサポート体制をどう取るかというのが物すごく問われると思うんですね。だから、高校中退関係では高校が頑張ってほしいというふうに私は思っています、あいつやめたんだからもうかかわりないじゃなくて。中学校も、どこにも所属しない状況で卒業式送り出したら、その後やっぱりケアをしていくべきだろうと思いますよね、どうしているのかというのをね。そして、どこかを紹介していくとか一緒に連れていってあげるとか、そういう思春期の引きこもり状況の青年たちにどういうようなケアをするかというのはもう一つ緻密さが要求されるような状況だろうと思います。
 実は、去年の、水戸で十九歳の少年が、御両親とも、片方教師で、元教師の両親を殺すという事件ありましたよね。あの場合は、例えばお母さんの方は道徳教育の権威でカウンセリングもできる方なんですね。で、経済的な余力もあると。そうすると、相談機関に行かないで自ら解決しようとされてしまいましたよね。土浦の事件も同じなんです、お金もあってという状況の中で。だから、家庭、家族で頑張っちゃったり、頑張れる力量があるとああいう悲惨な事件になって倒すべき対象が両親になってきてしまいますので、開かなきゃいけないんですよね。だから、そこら辺で、あそこは力があるんだからというので安心して見過ごしてしまわないで、やっぱり第三者機関だとかいろんなところが、複数がサポートするような、そういう新規の対応というのが僕は引きこもり問題では重要だと思います。
 それから、引きこもりの八割は男性ですから、八割が男性で、しかも圧倒的多数が長男なんですよね。そこら辺のジェンダーの問題というのがあるんじゃないかなというふうに思います。
#77
○会長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
 ほかに御発言ございますか。
 坂本由紀子さん。
#78
○坂本由紀子君 自由民主党の坂本由紀子です。
 無藤参考人にお伺いしたいのですが、子供と親とのきずなをつくる上で、時間的なかかわりと質的なかかわりの深さとの掛け算で私は関係ができるのではないかと思っておるんですが、時間的に、例えば非常にある程度の時間、母親なり父親が子供と一緒にいないとかかわりが薄れてくるというような、そういう時間的な境目のようなものというのがあるのかどうかということと、それからもう一点は全然違う問題で、今、親が割合幼児化しているとか、あるいは家庭教育が非常に、家庭教育力が弱くなっているというふうに一方で言われていますけれども、現に、子供がいて親をやっているとすると、現に親である人に親の教育をすると同時に、その親の子供に対してもまた働き掛けをしていくことが必要だと思うんですが、そういう親と子の両方に育ちの働き掛けをするときに、比較的有効な、効果のある手だてというのはどんなものがあるのか、ちょっと教えていただければ有り難いですが。
#79
○会長(清水嘉与子君) 無藤参考人、どうそ。
#80
○参考人(無藤隆君) きずな形成にかかわって、時間と質の問題ですけれども、まず、非常にはっきりしていることは、夜間、寝る場所が家庭であるか否か、これが最大の要因だと思うんですね。
 これはイスラエルのキブツの研究で非常にはっきりしましたけれども、昼間だけ預けている場合と寄宿舎型で夜まで預けちゃう場合ではかなり親と子のきずなの形成に違いがあると、これは非常にはっきりしております。もう少しそれをきめ細かく考えますと、基本的には子供の心の状態がかなり弱っているときに信頼できる相手がいるかというのが第一だと思うんですね。それはどういう状態かというと、寝る前と朝起きたとき、それからおふろとか食事の時期です。それからもう一つが病気のときですね。これらのときに信頼できる相手がそばにいるということが必要で、例えば、夜、子供が目覚めたときに、全く声出してもだれも来ないというのはかなり不安をつくると、例えばそういう状況です。ですから、そういう意味では基本的には質が重要ですけれども、どういう時間帯かが重要で、時間の絶対的長さでは必ずしもないということですね。
 それからもう一つの要因は、それにしても親と子がある程度仲良く遊ぶとかやり取りをする時間が必要です。これが基本的には毎日要るだろうと思われますが、これは実は家庭で専業母親がかかわってもう一日いて、一緒にいてもべったり一緒に遊んでいるわけではないので、恐らく平均的には二、三時間ぐらいだと思います、なかなか大小長短いろいろありますけれども。
 ということを合わせますと、通常の保育所で長時間、長時間というのは十二時間超えるぐらいですが、まで行かない限りでは重大な問題は起こらないだろうというふうに考えていいと思います。
 ただし、二つ条件があります。
 一つは、保育所の保育条件がある程度のレベル以上であるということですね。
 それからもう一つは、家庭にいるとき、迎えに行って家庭に戻ってきたときに先ほど言った幾つかの条件が満たされているということであって、家庭に引き戻したときに子供を放置したらそれはまずいわけです。ということが重要で、逆に言えば、親と子がずっと一緒にいても、先ほどの条件が十分保たれなければ問題が生ずるだろうと、こういうふうになると思います。
 それから二番目の問題ですけれども、親と子両方に対しての働き掛けというのは、非常に今現場で苦労している部分で難しい問題ですけれども、例えば、保育所、幼稚園などで最近始めていることは、親と子両方が集まる広場を作ろうというようなことで、就園前の小さい時期の育ちの広場を作る。これは厚労省の事業でも入っておりますけれども。また、既に就園している場合に、親が保育に参加するとか一緒に遊ぶ時間帯をつくるとかいう形で、親と子をセットにしてなるべくやっていくという形で具体的に子育て支援の場を広げるという努力を始めております。
 恐らくこれからは、先ほども言いましたが、妊娠期から出産前後までそれを下げないといけないと。これも厚労省の事業に入っておりますけれどもまだうまく動いておりませんが、そこまで広げていく。それから、上の方は、幼児期から小学校の低学年ぐらいまでそれを広げられないかというのが大きな課題に今なっているというふうに思います。
 以上です。
#81
○会長(清水嘉与子君) よろしいですか。
 ほかに御発言ございますでしょうか。──他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑は終了したいと存じます。
 参考人の方々には、大変長時間にわたりまして貴重で有意義な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御発言につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたく存じます。本調査会を代表して厚く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト