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2004/04/07 第159回国会 参議院 参議院会議録情報 第159回国会 国民生活・経済に関する調査会 第2号
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2004/04/07 第159回国会 参議院

参議院会議録情報 第159回国会 国民生活・経済に関する調査会 第2号

#1
第159回国会 国民生活・経済に関する調査会 第2号
平成十六年四月七日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         勝木 健司君
    理 事
                山東 昭子君
                山内 俊夫君
                伊藤 基隆君
                和田ひろ子君
                渡辺 孝男君
                西山登紀子君
    委 員
                加治屋義人君
                小斉平敏文君
                田村耕太郎君
                伊達 忠一君
                藤井 基之君
                松村 龍二君
                朝日 俊弘君
                谷  博之君
                辻  泰弘君
                藁科 滿治君
                松 あきら君
                畑野 君枝君
                島袋 宗康君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        村松  帝君
   参考人
       東京大学先端科
       学技術研究セン
       ター助教授    福島  智君
        (指点字通訳 池田 祥代君)
        (指点字通訳 金田由紀子君)
       三鷹市長     清原 慶子君
       株式会社日立製
       作所デザイン本
       部長
       国際ユニヴァー
       サルデザイン協
       議会理事長    川口 光男君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「真に豊かな社会の構築」のうち、ユニバー
 サル社会の形成促進について)
    ─────────────
#2
○会長(勝木健司君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「真に豊かな社会の構築」のうち、ユニバーサル社会の形成促進について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、東京大学先端科学技術研究センター助教授福島智君、三鷹市長清原慶子君及び株式会社日立製作所デザイン本部長・国際ユニヴァーサルデザイン協議会理事長川口光男君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人の皆様におかれましては、御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております「真に豊かな社会の構築」のうち、ユニバーサル社会の形成促進について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、まず福島参考人、清原参考人、川口参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間半程度、午後四時三十分までの間、各委員からの質疑にお答えいただく方法で議事進行を行いたいと存じます。
 この質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行いたいと存じます。
 また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようお願いをいたします。
 なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも御着席のままで結構でございます。
 それでは、福島参考人からお願いをいたします。
#3
○参考人(福島智君) 福島と申します。
 本日はお招きいただきましてありがとうございます。二十分ということですので、まず私の体験などを基にお話ししようと思います。
 といいますのは、私自身、本日伺っておりますが、お話しする場合に立場が三つぐらいあるかなというふうに思っております。目と耳に障害を持っておりまして、盲聾者、デフブラインドパーソンと言いますが、盲聾者としての個人としての障害を持っている立場と、もう一つは、そうした盲聾者に対して福祉サービスを提供する社会福祉の活動あるいは社会福祉法人の理事をしておりますので、そうした立場、あともう一つが、私の職業であります東京大学先端科学技術研究センターのバリアフリー分野の助教授としての立場と、三つございますので、二十分ではすべてを網羅できませんので、最初のこの時間を拝借して、私自身の体験を基に、また若干、バリアフリーやユニバーサルデザインについての考え、障害というものについての考えなどをお話しして、具体的な福祉施策についてのお話や東京大学での仕事の状況、あるいは東大や先端研の組織としての取組などにつきましては、後ほど御質問いただいた段階でお話ししようと存じます。
 この盲聾者という言葉なんですが、なかなか一般的ではありません。国語辞書などにも載っておりませんので、なかなか盲聾者と言っても何のことかお分かりいただけないことがあるんですが、ヘレン・ケラーさん、有名なヘレン・ケラーさんが盲聾者だと申し上げればイメージを持っていただけるかと存じます。見えなくて聞こえない、そういう障害を持っている人を盲聾者、英語でデフブラインドパーソンなどと言います。
 何人ぐらいいるのか。いろいろな推計値があるんですが、大体人口数千人に一人ぐらいだろうと言われています。日本の場合も一万数千人から二万数千人ぐらいまで厚生労働省の調査でも若干幅がございますので、私はまあ二万人前後だろうというふうに申し上げています。
 私はこうやって今声で話をしておりますが、自分の声は聞こえておりません。盲聾者になったのが十八歳です。その前に、九つのとき、九歳のときに目が見えなくなって、そして十八歳で耳が聞こえなくなって盲聾者となりました。盲聾者になったのは今から二十三年前、一九八一年のことです。
 どんな状況だったか。これはなかなか言葉ではうまく説明できないのですけれども、例えば皆さんがテレビをごらんになっているときに、画面を消して音だけでテレビ番組を見るといいますか聞く状況を考えたとき、これが目が見えない人の内面的な感覚のイメージです。私がまずその状況に九つのときになりました。一方、それとは逆に、画面は残して、テレビの画面は残してスピーカーの音を消したらどうなるか、これは耳が聞こえない聾の皆さんの感覚のイメージですね。
 私の場合は、最初に画面を消して音だけが残る、そうした全盲の状態になった後、今度は十八歳のときに音まで消えてしまいました。すなわち画面を消した後、スピーカーの音も消してしまうということですね。これはテレビのスイッチを切るあるいはコンセントを抜いてしまうというイメージです。何も映らない暗黒の真空の無音の世界です。
 非常に衝撃を受けまして、最初に九つのときに目が見えなくなったときはそれほどでもなかったんですけれども、盲聾者になったときはまるで宇宙空間に放り出されたような、そんな感じがしておりました。
 何が一番つらかったか、何が一番しんどかったかと申し上げますと、見えなくて聞こえないということそれ自体よりも、周囲の人と話ができなくなったということ、コミュニケーションができなくなったということが一番つらかったです。
 私はこうやって今声で話していますが、ですから二十三年前盲聾者になったときも声では話せたわけですけれども、しかし、自分でも不思議だったんですが、幾ら自分がしゃべれても、聞こえないと話をしようという気持ちが起こらないんですね。コミュニケーションは相互的なもの、お互いが言葉を発して語り合わないと成立しないものと言われますが、本当にそのとおりだと思いました。自分で一方的にしゃべるだけでは話そうという気持ちが起こってこない。で、だんだんと家族ともコミュニケーションする気持ちが薄れてきたんですけれども、それでどうしたかといいますと、点字で筆談をしたんですよね。
 今ここに点字の用紙がございます。点字を書く一番簡単な道具は、こういう板に用紙を挟みまして、点字を書くための金属製の針があるんですけれども、こういうものですが、これで一つ一つ穴を開けるわけですね。「あ」「い」「う」「え」「お」と。例えば、ここは参議院調査会ですと、こうやって例えば書いて、この紙を外して、指で触って読む。今、これ自分で書きましたけれども、盲聾者になったときは、私の母親がたまたま点字を知っていたので、こういうもの、メモを書いて私に見せるわけですね。買物に行くとき何が欲しいかとか、そういったことをメモに書かれて出される。それを私が触って、じゃ、ミカンでも買ってきてくれと言って声で答える。だけれども、こういうものは会話じゃないんですよね。用事は済むかもしれないけれども、会話とは言えない。すごく寂しくて、非常につらかったです。
 そうこうしているときに、たまたまある日、今私が使っている指点字という方法を母親が見付けました。こちらの方、母親ではありませんけれども、金田さんと申し上げますけれども、ちょっと、どうするかな、これでいいかな、私の左右の指、人さし指から薬指までの計六本の指を点字のタイプライターに見立ててタッチするということを思い付きました。今、先ほど書いた、この小さな板に点字を書くものも六つの点に書いているんですけれども、その六つの点の組合せを指にタッチしてやるわけですね。ちょっと何か、例えば「あ」だったら、「あ」だったらこれ一つ、「い」だったら、「い」「う」「え」「お」。私の名前は智というんですが、最初に「さ」「と」「し」と母親は打ちました。「さ」「と」「し」と。たまたま読めたんですね、これが。このボチボチと点字を打つよりもこちらの方が便利だと思いましたので、この指点字という方法でコミュニケーションをしようと決めて周りの人たちと話してみると、これは非常にうまくいきました。これが私の言わば人生におけるバリアフリーの重要なポイントです。盲聾というのが大きなバリアとして私の前に立ちふさがったんですけれども、そこにコミュニケーション手段というものが出てきて、その第一段階のバリアが取り除かれた、それが大きなステップでした。
 しかし、それだけではすべてではなくて、やはり重要なハードルがその後にも待っておりまして、非常に簡単に申し上げますと、一つ目がこのコミュニケーション手段をめぐるハードルで、二つ目がそのコミュニケーションを使って実際にかかわりを持つ身近な他者との関係、人の存在でした。そして、三つ目が個人的なかかわりから支援グループ、最終的には福祉制度へと、あるいは後に大学に勤めるようになってからは大学の組織的な取組と、言わば制度としてサポートがなされる。こういう手段、人、制度という三つの段階を通って私の人生におけるバリアが取り除かれてきた、解放されてきたというふうに思っています。
 ところで、バリアフリーということをよく言われます。この調査会はユニバーサル社会促進というテーマですので、議員の皆さんもバリアフリーとユニバーサルデザインとはどういう関係なのかということは関心を持っていると思います。
 いろいろな定義があると思いますが、私なりの整理を若干お伝えいたしますと、バリアフリーというのは狭い意味と広い意味、二つあるかなというふうに思っています。狭く取れば、車いす用のスロープを付けますとか、あるいは段差をなくして、階段をなくしてエレベーターにするとか、そういった物理的な障壁の除去ということに使われますけれども、それだけではなく、一般には物理的なバリア、情報と文化のバリア、心や意識のバリア、法律や制度のバリアという、四つぐらいの側面のバリアがあるだろうと言われています。
 一方、ユニバーサルデザインは、元々は商品や品物の設計をめぐる発想ですね。みんなが使えるようにする。ですが、このユニバーサル社会という御議論もそうだと思いますが、もっと広い意味で、みんなにとっての社会、みんなが参加できる社会という、そういう広い意味で使われているんだろうと思います。
 そうすると、どっちがいいのか、あるいはバリアフリーはもう古くて、ユニバーサルデザインが新しいのか。私はそうではないと思っています。どちらの言葉がいいかという問題ではなくて、両者意味するところが重要であって、恐らくお互いに補い合う関係にあるのだろうなと。
 すなわち、バリアフリーというのは、ある課題がある、ある壁がある、そうした困難な課題を乗り越えていくという、言わば課題解決型のスタンス、そういう発想ですね。一方では、ユニバーサルな発想は、みんなが参加できる、みんなが使える、あるいはみんながアクセスできる、そういった環境を作っていこうという発想ですので、それぞれメリット、デメリットがあるだろうと思っています。ユニバーサルな発想には普遍的で非常に共通のという側面はありますが、一方ではやや静かな固定的な面がある。そして、バリアフリーの方は特定の課題解決型に対してアグレッシブに取り組むという積極的な面もあるんですが、ややもすると対症療法的な側面もある。
 ですから、これは恐らくどのような領域の営みでも両方必要なものなのであって、したがってバリアフリーかユニバーサルデザインかという議論自体は不毛だと思っています。両方必要、それが私の考えです。
 では、障害とは何か。障害という言葉はよくないのでほかの言葉にしようという議論もあります。私もよい言葉があればほかの言葉に置き換えられるといいかなと思っておりますが、ここでは便宜上障害を使いますが、障害とは何かということなんですが、私のイメージは、例えば野球のグラウンド、野球をするときのグラウンドのコンディションみたいなものかなと思っています。つまり、人生を野球に例えた場合、そのグラウンドでプレーをする。野球のプレーをして、どちらかというと観戦するんじゃなくて自分でやる場合をイメージするんですが、プレーをするのが人生であると、そのときのグラウンドコンディションがいろいろあるわけですね。ある人にとっては非常にすばらしいコンディションが整っていて、東京ドームのようなそうしたきれいなグラウンドになっている。だけれども、ある人にとっては凸凹のグラウンドになっている。障害を持っているという人たちは、そのグラウンドコンディションが相対的にハンディを抱えている、そういう状況だろうと思います。ですから、ここで重要なのは何か。コンディションを良くすることか。
 もちろん、コンディションが良くできれば、それは可能な限りやればいいと思いますが、どう頑張ってもできない人がいる。できない場合がある。だけれども、重要なことは、どんなプレーをするかだろうと思うんですね。
 先生方の中にも、特に男性の先生方の中には御記憶が、御経験がおありの方もいらっしゃるかもしれませんが、小さいとき、原っぱで三角ベースの野球というのを私はやりました。草ぼうぼうの凸凹のところで、ボールがすぐなくなってしまうところで野球をする、非常に悪いコンディションで野球をする。だけれども、そのときのはじけるような喜び、あれは人生の輝きですね。例えばそれと似たようなことが、障害やその他の様々な心身の諸条件、コンディションとその人が生きる人生の在り方との間にあるんではないか。
 条件や環境が悪いということを私たちはよく言います。確かに条件や環境の整備は必要です。だけれども、与えられた条件や環境の中でいかに生きるか、いかにプレーをするか、そちらの方がより本質的だろうと思うんですね。それが私の障害と人生についてのイメージです。
 最後に、私がコミュニケーションについて抱いているイメージを一つの短いポエムにしたものがありますので、朗読したいと思います。これは、今から三年前、二〇〇一年の十月に世界盲ろう者連盟という国際的な初めての盲聾者の組織ができたときに自分の気持ちをスピーチの中でうたったものです。
 ぼくが光と音を失ったとき
 そこにはことばがなかった
 そして世界がなかった
 ぼくは闇と静寂の中でただ一人
 ことばをなくして座っていた
 ぼくの指にきみの指が触れたとき
 そこにことばが生まれた
 ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
 ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
 そこに新たな宇宙が生まれ
 ぼくは再び世界を発見した
 コミュニケーションはぼくの命
 ぼくの命はいつもことばとともにある
 指先の宇宙で紡ぎ出されたことばとともに
 ありがとうございました。(拍手)
#4
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
 次に、清原参考人にお願いいたします。
#5
○参考人(清原慶子君) 皆様こんにちは。東京都の三鷹市長の清原慶子でございます。本日は、国民生活・経済に関する調査会にお招きをいただきましてどうもありがとうございます。
 私のプロフィールは、本日配付の資料の五ページにありますように、まだ実は市長になりましたのは昨年の四月三十日でございまして、市長になりまして一年足らずの新人でございます。
 私は、市長になります前に大学の教員をしておりましたが、そのときの私自身の主たる研究テーマが情報のバリアフリーということ、そして高齢者、障害者の社会参加を促すための情報の在り方はどのようなものかということでございました。前回、参考人として御報告をされましたチャレンジド・ジャパン・フォーラムを進めていらっしゃる竹中ナミさんとは、私、平成七年、一九九五年に郵政省に置かれました高齢者・障害者の社会参加を支えるための情報通信の在り方に関する研究会でございました。チャレンジドを納税者にということでチャレンジド・ジャパン・フォーラムを立ち上げるときに副座長をお引き受けして、市長になるまで務めさせていただいた経過がございます。
 私自身、研究者時代のテーマを基に、また学生時代から地域社会で社会参加をしてきました立場から、今はバリアフリーのまちづくり、ユニバーサルデザインのまちづくりを市長として取り組む立場に立たせていただきましたので、本日は、その地域社会でのバリアフリーのまちづくり、ユニバーサルデザインへの取組について、二十七ページ以降の資料に沿いながら、いただいたお時間で意見発表をさせていただきたいと思います。
 東京都の三鷹市といいますのは、都心から約十八キロ、ほぼ東京都の中央に位置しまして、面積は十六・五平方キロ、人口は約十七万二千人で、実は人口が近年、ファミリー層を中心に増加傾向にある住宅都市でございます。
 三鷹市は、昭和二十五年に市制施行後、これまでの歴史の中で幸いにも、特に井の頭公園に代表されるような緑が残り、玉川上水もあり、そして太宰治や三木露風、山本有三などの文人が好んで住み、著名な作品を残しているところでもございます。
 三鷹市は、市民の視点に立った行財政改革に基づきまして、高いと書きます高環境・高福祉を目指した市民と行政との協働のまちづくりを進めてきております。最近では、世界でも有名になりましたスタジオジブリのアニメーションを中心とした市立のアニメーション美術館、三鷹の森ジブリ美術館がある町でもございます。
 こうした町の中で、正に住宅都市でございますが、いかに小さな基礎的な自治体が人々にとって住みやすい町をつくっていくかというときに、このバリアフリーあるいはユニバーサルデザインの概念、コンセプトは重要なものとなってまいります。特に最近、三鷹市でも少子高齢化、子供が少なくなって長寿の方が多くなる、そして、老いて初めて障害に出会う方が増えているわけでございます。そうした地域社会においては、私たちは環境を守りながら、福祉を充実しながら、しかし、だれもが自立して人生を最後まで生きることができる、そうした暮らしが必要になってくるわけでございます。
 そこで二点目に、だれにも優しいまちづくりとバリアフリーの考え方ということが改めて重要になってまいりますので、その点について申し述べたいと思います。
 自治体が目指すべき地域社会のビジョンに共通して言えることは、私たちが年齢、性別、障害の有無など、いかなる属性によっても差別されず、だれもが平等に生きる権利を保障されるべきだということです。
 長寿化、高齢化が進みますと、中高年で視覚障害、聴覚障害、あるいは、例えば最近では、糖尿病等で壊死が起こり足を切断せざるを得ない、そうした方も顕著に増えてまいりました。そうした傾向の中で、だれもの基本的人権が保障され、生活環境として地域社会が障害の少ない、だれにも優しいまちづくりを進めるためには、人に優しいまちづくりから、だれにも優しいまちづくりと、大きく考え方を変えざるを得ない、そうした状況が目の前にございます。
 議員の皆様も、地域社会と触れ合う中で、そうした大きな社会の変化に常に気付かれていらっしゃり、そのことがこのユニバーサルデザインということへの注目にもつながっているのではないかと推察するところでございます。
 近年、広く使われ始めましたバリアフリーやユニバーサルデザインという概念は、当初、社会福祉の領域において、とりわけ建築分野や公共施設の設計の中で配慮した設計の方向を、バリアを少なくする、とりわけ障害のある人が社会生活や移動に困難がないような、バリアを除去するという意味でバリアフリーという言葉が定着を始めたということは御承知のとおりだと思います。したがって、スロープとかエレベーターとかエスカレーター、点字ブロックが代表的な事例とされるわけです。
 しかしながら、バリアフリー概念を広くとらえる傾向が見られたのは、先ほど福島先生が御指摘のとおりでございまして、単なる交通機関や建築物における物理的障壁にとどまらず、例えば資格でありますとか教育機会の制限等に関する制度的な障壁、あるいは点字や手話サービスの欠如による文化や情報面の障壁、あるいは障害者を庇護されるべき存在としてとらえるなどの意識上の障壁があるのであるから、それを除くバリアフリーの方向性が強く言われるようになってきたわけでございます。
 こうしたバリアフリーの概念の成り立ちから考えますと、人にとって優しいまちづくりの在り方を志向する視点から申し上げますと、単に物理的な障壁を避けるという意味にとどまらず、実は基本的には心のバリアフリーに向けた取組がその根底にあることが求められてきていると考えます。
 私は、だれにも優しい、つまりユニバーサルデザインの問題、それを考えていくときには、やはり心のバリアフリーにまで広げた取組を私たちのような基礎的自治体の者もしていかなければならない。ユニバーサル社会の形成とは、心のバリアフリーを具体的にまず地域から広げていくということが重要と考えます。
 そこで、三鷹市が進めるバリアフリーのまちづくりについて御紹介をさせていただきます。
 三鷹市では、一九七〇年代からいわゆるコミュニティー行政を進めてきました。これは、おおむね中学校区に一つのコミュニティーセンターを設計段階から市民参加によりまして建設しまして、全員ボランティアの公募市民による住民協議会に運営をゆだねるという市民自治の取組です。
 これは、どうしても新興の住宅都市は古くからの住民と新しく転居してきた住民との間に交流を必要としながら交流しにくい状況がある、そこでこうしたコミュニティーの取組が進められてきたわけでございます。それが積極的に進められまして、単に施設を利用するだけではなくて、地域の課題を市民が洗い出し、正に先ほど福島先生もおっしゃいましたが、課題を発見してそれを解決していくところにも市民がかかわるという参加の形を生み出していったわけでございます。
 そういう取組をしてまいりますと、どうしても市民が相互にあるバリアを乗り越えたい、乗り越えることこそ地域の防災力あるいは安全度を増していくことだと気付いてくるわけでございます。
 地域生活を進める上で、自助、公助、共助ということがよく言われますけれども、まず最初に自助がある、その次に市民同士の共助があり、最後に公、公助が必要になってくるのではないか。むしろ、自治体に依存するのではなくて、市民ができることを提案し、担っていこう、こうした取組の経過がこの三十年ぐらい、三鷹市では積み上げられてまいりました。
 その中で、一昨年から昨年にかけて多くの市民が参加しまして、特に障害のある方あるいは交通の関係者、JRの方やあるいはバス会社の方、そうした方も参加していただいて進めましたのがこの三鷹市のバリアフリーのまちづくりの取組です。これは、専門家の方の見地だけではなくて、むしろ市民の方が自ら町を歩き、自ら不便なところ、不自由なところ、改善すべきところを提案しながら、車いすの方や視覚障害の方の提案を反映したプランを作るべきであるというところから取り組まれたものでございます。
 そうした取組の中で、実はさきに御紹介しましたように、心のバリアフリーの実現、すなわち、すべての人が年齢や性別、障害の有無や国籍などにかかわりなく、それぞれ尊重し合って暮らしていく、そういう観点が道路や公共施設などハード面の物理的整備を進めることにもつながり、さらには社会参加、教育、人々の意識、情報利用などあらゆる分野でのバリアフリー化の基礎になるということの確認でございました。
 例えば、昨年、同じように、三鷹市では健康・福祉総合計画二〇一〇というのをまとめましたが、これにつきましても多くの市民、四十九名の市民代表と三人の助言者というようなことで、市民会議方式で計画を検討していただきました。副題は、参考資料にも付けさせていただきましたが、「人がふれあう 支えあう やさしいまち三鷹の実現をめざして」でございまして、計画の重点事業には、高齢者や障害者が安心して暮らすためのバリアフリーのまちづくり、そしてサービス利用者の視点に立った地域ケアの新たな仕組み作りなどが挙げられました。
 都市整備の観点からバリアフリーが言われ、健康・福祉の観点からバリアフリーが提案されてくる。地域に住まう人たちというのは、正に敷居のない、あるいは壁のない交流、コミュニケーションを求める中からこのバリアフリーのまちづくり推進協議会では出会いが生まれ、計画が提案されてきたという経過がございます。
 提言書では、言うまでもなく、要望が高かったのは、道路や公共施設あるいは交通機関などにおける自由な移動の確保を中心としたバリアフリーでございました。けれども、こうしたハード面のみならず、使い勝手の面、例えば基準に則した高齢者用、障害者用のトイレであっても、実は実際に車いすに乗って使ってみたら使いにくいということも発見されました。三鷹市役所では、四月から、人工肛門を付けていらっしゃる方にも使っていただけるユニバーサルデザインの洗面台付きのトイレを設置いたしました。実は、トイレというのはかなりユニバーサル社会には重要な場所になってくるかもしれない、私はそのようなことも市民の方の取組の中から感じたところでございます。
 このバリアフリーの推進の市民会議の取組の中から、市民、事業者、行政の各々の役割が明らかになってまいりました。市民においては、地域のまちづくりに向けて一人一人が主体となった草の根的な活動や計画協議への参画が必要なこと。また、事業者においては、まちづくりの調査や計画作成に積極的に参加するとともに、市民の願いに応じた事業を実施していく努力。また、行政においては、市民、事業者との協働体制、そして市民の主体的活動に対する支援体制の確立が求められており、市民だけでも、事業者だけでも、行政だけでもバリアフリーは推進されない、正に三者一体、三位一体となってこそバリアフリーが進むのであると、このようなことが確認されて、大きな影響を私たちに与えました。
 例えば、私たちは、昨年設置いたしました障害者の地域生活自立支援センターのお仕事を車いす利用者も含む障害者によって設立されたNPO法人に委託させていただくことにしました。また、高齢者の就労支援の相談は、高齢者によって作られているNPO法人に委託をさせていただいております。皆様も御承知のように、正にピアサポート、障害者が障害者を支援する、高齢者が高齢者を支援する、あるいは子育てに関するホームページの運営の委託を、子育てコンビニというNPO法人、正に子育て中のお母さん、お父さんが作っていらっしゃるNPO法人に委託しまして、子育て中の人を子育て中の人がサポートするという取組も開始しております。
 こうした、行政が何から何まで提供するのではなく、行政が市民のニーズとそして必要なサービスをつなぎ合わせるコーディネーター役を果たさせていただくことでユニバーサル社会化が進むのではないか、このような実感を持っております。
 次に、情報バリアフリーの確保に向けての取組を御紹介いたしますと、三鷹市ではIT講習会、継続しておりますが、担い手は五十五歳以上の高齢者によって構成されておりますNPO法人にお願いしております。また、市のホームページもスリートップページ、つまり市民向け、訪問者向け、そして事業者向けと分けさせていただき、そうした入口を分けるのみならず、障害者の方にも御利用しやすいように、音声でも読み上げが容易なユニバーサルデザインを取らせていただきました。
 まだまだ不十分なところがございますけれども、広報紙をお配りして終わる時代ではございませんので、このような取組をさせていただきました。なお、広報紙につきましてはシルバー人材センターにお願いをして全戸配布をしております。だれにも届く広報紙を私たちが提供させていただくことでユニバーサル社会化、情報の共有を進める努力もさせていただいております。
 最後にまとめをさせていただきますが、私たち基礎的自治体、だれよりも住民の生命と財産をまず第一義的に守る、そうした責を持っている自治体では、だれにも優しいまちづくり、声の大きいニーズだけにこたえるのではない、力のある人の力だけを尊重し頼るのではない、そうした取組が求められております自治体では、まず住まう方のニーズを反映するとともに、訪れる方の視点に立った取組も重要だなと思っております。
 つい内向きになりがちなユニバーサルデザインの取組でしたが、来訪者の方へのホスピタリティー、おもてなしの気持ちを持つことによって、実は交通機関も道路も、改めて住む人の視点以外の視点で見直すことができ始めております。観光を主たる事業としない三鷹市でございますが、冒頭御紹介しましたような井の頭公園を始めとするそうしたスポットには、住まう方はもちろんのこと、訪れてくださる方にもおもてなしの気持ちでお迎えしたい、そこに、外に開かれたユニバーサル社会が地域からより発信できるのではないかと思っております。
 そして、今年の予算では、心のバリアフリーを実現するための予算も計上させていただきました。バリアフリーのまちづくりを市の重点プロジェクトに掲げさせていただいている三鷹市でございますが、とかく、道路の段差をなくす、エレベーター、エスカレーターを作る、そうしたことが注目されておりますので、実はそうではなく、そのことは何のためにというならば、繰り返しになりますが、すべての人がそれぞれの自己実現ができる地域社会、障害者であっても、高齢者であっても、社会において、職業以外の場を開くことによってそのお力を発揮していただける社会が必要です。そうしたときに、高齢者であるがゆえ、障害者であるがゆえ、あるいは子育て中の女性であるがゆえに参画しにくい地域であってはいけません。私たちは、心の壁を取り除く、出会いを多くする地域社会にすることによりまして、偏見を防ぎ、ともに尊重し合うまちづくりができると思います。
 最後に、協働という言葉を自治体ではよく使うようになりました。協力の協に働くと書きます。行政と市民、事業者がともに役割と責務を担い合うという概念です。けれども、これを普通の市民がするには、何よりも行政が開かれたものでなければいけない、情報が分かりやすく提供されなければいけない、いろいろな組織が出会う、そうした、福島先生もおっしゃった、コミュニケーションが活性化されなければならないと思います。
 そうした取組の中で感動が生まれ、それが地域の躍動を生み出すものであることを、まだ十二か月目に入ったばかりの新人の市長でございますが、日々の市民との出会いの中から実感しておりますことを最後に申し述べまして、私からの意見発表を終えさせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)
#6
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
 次に、川口参考人にお願いいたします。
#7
○参考人(川口光男君) 日立製作所デザイン本部の川口と申します。また、先ほど御紹介ありましたけれども、昨年十一月に発足させていただきました国際ユニヴァーサルデザイン協議会の理事長も拝命しております。
 本日は本調査会での意見発表の機会をいただきまして、誠にありがとうございます。こういった機会は始めてなので、皆様の御期待に沿えるかどうか不安で一杯ですけれども、よろしくお願いいたします。
 今日は、国際ユニヴァーサルデザイン協議会の活動を中心にしまして、私の所属する日立の取組を交えて御紹介して、私どもが推進していますユニバーサルデザインに対する御理解及び御意見を賜ればと考えております。
 まず、国際ユニヴァーサルデザイン協議会についてですけれども、本協議会は、昨年の九月三十日に記者発表、十一月二十八日に発会式を行い、本年三月現在の会員数は、正会員として一般企業百二十社、準会員として二団体、賛助会員として個人二十二名から成る業種、業態を超えた任意団体というふうに位置付けております。
 本協議会設立の契機なんですけれども、一昨年、二〇〇二年になりますけれども、横浜で開催しました国際ユニバーサルデザイン会議二〇〇二、この国際会議が成功裏に終えたということを受けまして、本国際会議で総裁をお願いしました寛仁親王殿下より、この会議の理念と成果を一過性で終わらせることなく、継承発展させることという御下命をいただいたことから始まっております。
 それでは、本協議会の設立趣旨あるいは活動内容等につきまして、お手元のパンフレットを配付させていただいておりますけれども、これに基づいて御説明をさせていただきます。
 まず、設立趣旨ですけれども、もう御存じのように、我が国は世界一の高齢化先進国であるとともに、技術革新の急激な発展によりまして高齢者や様々な障害を持つ人々に新たなディバイドを生み出してきているという事実もございます。
 若くて健康な人だけを念頭に置いた商品開発だけでなく、年齢、性別、人種や能力の違いなどによって生活に不便さを感じることのない物づくり、社会づくりが必要だと実感しております。私どもは、このような現実を踏まえ、できる限り多くの人々に利用可能なように、最初から意図して、機器、建築、身の回りの生活空間などをデザインすることをユニバーサルデザインと定義しております。
 つまり、ユニバーサルデザインとは、すべての人のためのデザインであり、本来あるべき物づくりの姿だととらえております。ユニバーサルデザインの実践は、企業にとってはユーザー層の拡大と顧客満足度の向上につながりますし、僣越ですけれども、行政にとっては様々な立場の人々とともに真に豊かなまちづくり、社会づくり、さらに国づくりを進める礎ともなるのではと考えております。これは、我が国の国民のみならず、全世界のすべての人々にとっても有益なことだと認識しております。
 こうした認識の下、前述しました国際ユニバーサルデザイン会議二〇〇二では、官学産の垣根を越えて国内外の専門家が一堂に会し、ユニバーサルデザインをより高い水準へ到達させようという目的意識で、これまでに蓄積されたユニバーサルデザインの成果の発表、そして情報の共有化と人的交流を行わさせていただきました。
 最終日には国際ユニバーサルデザイン宣言二〇〇二というものを発表させていただき、ここでは詳細は省略いたしますけれども、その中で、使い手と作り手との関係を再構築することで、物づくりにとどまらず、社会のすべての面に適用されるべき使い手中心の仕組み作りを急ぐことの重要性を確認いたしました。そして、我々は、この会議の理念と成果を踏まえ、その継続と発展を願い、ユニバーサルデザイン活動を進めていくことを決意した次第です。
 こうした経緯から、ユニバーサルデザインの更なる普及と実現を通して、日本経済の活性化と社会の健全な発展に貢献するために、また日本発のユニバーサルデザインを広く世界に発信し、ひいては人類全体の福祉向上に寄与することを願いまして国際ユニヴァーサルデザイン協議会を設立させていただきました。
 以上が設立趣旨ですけれども、日本のユニバーサルデザインの現状は、先ほどから福島先生あるいは清原市長の方からお話が出ていますけれども、まだまだユニバーサルデザインという概念の理解までには私は至っていないというふうに考え、ユニバーサルデザインという言葉すら、まだその認知度は低いのではないでしょうか。
 私なりにその理由を考えてみたわけですけれども、私どものようなユニバーサルデザインにかかわる側からの情報発信量の少なさ、そして、それは日本固有の謙虚さに起因しているのではないかとも考えております。つまり、ユニバーサルデザインという言葉の持つ役割とか責任が社会的に非常に重いものであるがゆえに、その技術やノウハウ、あるいは考え方がある一定レベル以上のものであるにもかかわらず、会社基準あるいは内部基準として言葉の露出、つまり情報発信を控え目にしてきたのではないのかと考えております。
 弊社のことで恐縮ですけれども、日立では一九八〇年代からバリアフリーというテーマで研究を始め、二〇〇一年に、若干後れているんですけれども、ユニバーサルデザイングループというグループを立ち上げ組織化しまして、現在でも基礎的な研究と並行しまして、商品開発プロセスへの落とし込みということを継続に推進しております。それなりに研究や事業としての実績はあるというふうに自負しておりますけれども、エレベーターなど一部の商品にユニバーサルデザイン対応と表記したのは割と最近のことでした。
 先ほどから述べさせていただいています一昨年の国際ユニバーサルデザイン会議二〇〇二の話にもう一度戻りますけれども、こうした日本のユニバーサルデザインの実態を具体的な形で世の中に示したいというこの思いで会議と併設で展示会を開催させていただきました。おかげさまで、多くの企業の御参加を賜りまして、日本のユニバーサルデザインに関するいろんな取組を実際の製品やプロトタイプあるいは映像やパネル等で御紹介することができました。結果的に、海外から御参加いただいた有識者からは、日本のユニバーサルデザインに関するきめ細かく質の高い取組に大きな称賛をいただき、情報発信の大切さを改めて認識させていただくとともに、私ども関係者の大きな自信につながりまして、この協議会発足の原動力にもなりました。
 本来、ユニバーサルデザインという言葉は、広く世に問い、フィードバックを掛けて社会基準にまで持っていくべき性格のものではないかと考えております。そういった意味では、最近、車、家電あるいは事務用品など一部のメーカーが積極的にユニバーサルデザインという言葉を使いまして訴求されているということは大変敬意を表したいというふうに考えております。
 私は、ユニバーサルデザインは、環境問題がたどった道と同じように、社会への基盤技術であるとともに、企業でいえば企業の経営理念に反映すべき理念であるのではないかと考えております。また、最近、企業経営上で課題となっておりますCSR、コーポレート・ソーシャル・リスポンシビリティーという考え方、つまり企業の社会的責任として、企業の果たすべき役割の一つと言っても過言ではないと考えております。
 次に、本協議会の具体的な活動について若干触れさせていただきます。
 本協議会では、ユニバーサルデザインの普及と実現を目的に、テーマ研究、事業開発、そして活動成果の発信という三つの事業を柱として活動を行います。
 テーマ研究では、会員各社、団体、個人の皆様、それぞれが保有するユニバーサルデザインに関する技術、ノウハウ、考え方などを持ち寄り、生活者や企業にとって必要な標準化など、意識や情報を共有するためのプラットホーム作りを行います。
 また、事業開発では、会員の皆様方からの御要望も募りながら、テーマごとの個別プロジェクトによる共同開発やニーズに応じたコンサルティングなど、業種、業態の壁を超えたユニバーサルデザインに関する事業開発を行います。
 さらに、活動成果の発信では、このようなテーマ研究や事業開発活動を通して得た成果や情報をいろんなメディアを活用し、世界に向けてタイムリーに発信していきたいと考えております。
 そして、会員の皆様は、会員同士の協働、先ほど三鷹市長からもありましたけれども、協働ということにより得られました技術あるいはノウハウ、スキルなどの具体的な成果を持ち帰りまして、それぞれの活動に反映させることにより質の高いメード・イン・ジャパンの物づくりが可能になり、日本経済の活性化に貢献できるのではないかと考えております。
 以上、国際ユニヴァーサルデザイン協議会の目指すところを、協議会の基本となる考え方や事業計画として御説明させていただきましたが、最終的にはユニバーサルデザインという言葉が一般化し、この協議会が解散できるレベルにまで引き上げていきたいというふうに考えております。
 そのためには、官学産一体となった取組が必要です。是非、この機会に忌憚のない御意見を賜りたいと考えますとともに、今後ともユニバーサルデザインの更なる普及と実現のために本協議会に対する御指導、御鞭撻をよろしくお願いいたします。
 私からは以上です。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)
#8
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑はおおむね午後四時三十分をめどとさせていただきます。
 なお、時間が限られておりますので、発言は質疑者、答弁者ともそれぞれ一回当たり三分程度でおまとめいただくようお願いをいたします。また、各委員におかれましては、質疑時間が質疑及び答弁を含め全体で十五分以内となるよう、質疑は簡潔にお願いをいたします。なお、追加質問がある場合には、この十五分の持ち時間の範囲内で行っていただくようお願いをいたします。質疑の御希望は挙手をもってお知らせいただくこととし、質疑は会長の指名を待って行われますようお願いをいたします。
 それでは、質疑を希望される方は挙手をお願いをいたします。
#9
○西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。今日は本当に貴重な御意見をお三方の参考人からいただきまして、ありがとうございます。
 本調査会は、三年という長いスパンで調査を行っているわけですけれども、大きなテーマは、日本の、経済大国と言われている日本なんだけれども、国民が本当に真の豊かさというものを実感できないのはなぜだろう、真に豊かな社会の構築は一体何が必要なんだろうかということを共通のテーマにして調査を進めております。
 そこで、三人の参考人の方々にそれぞれにお答えいただきたいんですが、真の豊かさとは何か、お一人ずついただきたいというのが一つです。
 それから、先に全部質問を言ってしまいます。
 福島参考人にお伺いをいたしますが、いただいた資料では、日本の盲聾者福祉運動の歴史はかなりの部分私自身のライフヒストリーと重なっていると述べられておられますけれども、今、これからの盲聾者を取り巻く諸課題ということでお述べになりたいことがおありだろうと思いますので、その点をお聞かせいただきたいのと、東大の先端科学技術研究センターの助教授として、今研究のテーマはどのようなテーマなのか、お聞かせいただければと思います。それが福島参考人への御質問でございます。
 それから、川口参考人にお伺いしたいんですが、企業の場合、UDを企業の経営理念になさるということはとてもいいことだと思います。ただ、企業の場合はやはり利潤というものを上げなければなりません。そういった場合に、障害の重い人だとか、あるいはユーザーが非常に少ないような場合にそのことがテーマになるのかどうかという、こういう心配があるんですが、そういうことを日立の場合はどんなふうにお考えになって、これまでUDを積極的にお進めになっていらっしゃるんですけれども、その辺のところをお聞かせいただければと思います。
 私の質問はそれだけです。
#10
○会長(勝木健司君) それでは、福島参考人、よろしくお願いします。
#11
○参考人(福島智君) まず、真に豊かな社会、真に豊かな人生は一体何かという御質問なんですけれども、非常に難しい御質問ですが、ちょっと話違うんですが、私は元々都立大学にいまして、その後あそこで助手をやって、金沢大学の教育学部では助教授をやって、今、東大でまた助教授をやっておりますが、三つの大学を経験して、学生諸君に共通することがあるんですね。
 それは何かというと、例えば障害者の話をすると、マニュアル的な対応を、何といいますか、求めて質問をするんですね。つまり、どうすればいいでしょうということを聞く。この真に豊かな人生というのも恐らく同じことであって、真に豊かなものとは何かというマニュアルがあるのではなくて、それは各人が作っていく、そういったことが重要だろうと思います。ですから、私はそういうときにみんなに言うのは、マニュアルはないんだと、マニュアルは君らが一人一人で作るんだ、君らの人生で作るんだ、障害者とのかかわりだろうがほかの人とのかかわりだろうが、自分のかかわりの中で自分で作っていく、恐らくそれが唯一のマニュアルだろうというふうに答えています。
 真の豊かさというのも、各人が、障害があろうがなかろうが、性別が違おうが民族その他の属性が違おうが、各人が自分の豊かな人生を追求できる、そういった条件が整えられて、そして各人がそれぞれの追求をできるという、そういったこと自体が恐らく真の豊かさであって、答えがあるのではないだろうと思っています。
 盲聾者のことについてですが、盲聾者の福祉、非常に特殊なニーズを抱えておりますので短い時間では言えないのですけれども、一言だけ申し上げれば、一番有名なヘレン・ケラーさんがなぜ社会的に活躍できたかというと、それは、一つには言葉と出会ったということ、そしてその言葉を提供するサリバン先生始めサポートの人がいたということですが、同じことが多くの盲聾者にも言えます。
 そして、アメリカにはヘレン・ケラー・ナショナルセンターという盲聾者のためのリハビリセンターがあります。ずっとそこに入って暮らすのではなくて、一定期間そこに入って、訓練を受けたりサービスや教育を受けて、また地域に帰って仕事や学校に戻る、そういったセンターがございまして、しかし日本には何もありません。なぜかというと、盲聾者ということが法的に位置付けられていない、盲聾者へのサービスがきちんと認知されていないという事情がありますので、今後はそうした、やはり一つでもいいので、盲聾者のことをきちんと考える機関が日本にできれば良いかなというふうに思っております。
 東大での私の研究のテーマですが、これはちょっと、話すと長くなりますので、既に三分を過ぎておりますけれども、そうですね、今一言だけ申し上げれば、先端研ではバリアフリー分野というところ、専任教官は私だけで、助教授でおります。ただし、任期付の、パートタイムも含めて何年間かの任期の付いた研究者を集めて研究チームを作っておりまして、そこでバリアフリープロジェクトというのを主宰しております、私がディレクターになって。
 そこでは二つのテーマで研究を進めておりまして、一つは文理融合、文系と理系を融合させていく。私は教育学が専門ですけれども、様々な文系、理系の超えた異なる分野の専門分野の人たちが集まって、異質なアカデミックなバックグラウンドを生かしながら研究していく。
 もう一つは、当事者の視点。これまで学問、科学あるいは技術の中で欠落をしていた障害を取り巻く当事者性といったものを持ち込んで、当事者の視点を学問や科学研究の中に導入する。これは恐らく川口さんのお仕事などとも関係があるかなと思っておりますが、デザインの段階で当事者の視点を導入したり、そういった取組によってこれまでになかった新しい視点で研究を進めていくということです。
 また後ほど補足させていただきますが、既に五分たちましたので、ここで、どうも。
#12
○会長(勝木健司君) ありがとうございました。
 続いて、川口参考人。
#13
○参考人(川口光男君) まず、真に豊かさとは何か、これも今福島先生がおっしゃられたように非常に難しい質問でございますけれども、私の立場から言えば、物づくりに対するバリア、あるいは清原市長からも話がございましたように心のバリア、こういったものがない社会ではないかというふうにとらえております。
 それから、日立製作所の取組ということで、企業の利潤追求ということと企業理念の中でのユニバーサルデザインということが若干反するようなことではないかということだと思うんですけれども、私どもとしましては、そのユニバーサルデザインという物の考え方は、まず、経営のコンセプトあるいは事業のコンセプトの段階からユニバーサルデザインという物の考え方をデザインなり設計に反映していけば、コストが掛かるものではないというふうにとらえております。
 したがって、先ほど環境問題の話をさせていただきましたけれども、最初、環境環境と言われたときには、企業としては環境報告書を作るとかいろんな作業あるいはコストが掛かることも企業としてはやってきました。ただ、最近ではそれがもう当たり前ということのようになりまして、企業理念の中に環境という言葉がいろんなところで入っていると思っております。
 私ども日立も、もちろん企業ですから、最近ちょっともうかっていないんで問題だと思うんですけれども、利潤、利潤追求というものが一つの目的だというふうにとらえております。ただし、日立の創業者理念の中に、技術をもって信頼性の高い商品を提供して社会に貢献するという言葉がございます。この言葉どおり現在も進めているわけでございまして、先ほどの話に戻りますけれども、ユニバーサルデザインという考え方を最初から企業の経営理念として導入しておけば、コストが掛かるものでもないし、それをうまく事業化していけば利益にもつながっていくというふうにとらえております。
 以上です。
#14
○参考人(清原慶子君) 西山理事さんからいただきました真の豊かさをどうとらえるかということですが、御指摘のように、日本国内では一定の平和が続いていること、あるいは経済的な成長は低迷しているとはいえ人々の暮らしの一定の平準化が進んでいることから、豊かさといった場合に、物やお金に換算できる量的な豊かさという点で、高度経済成長期のように、急激な変化の中で実感として豊かになったというところがとらえられにくくなっていて、私はいい意味で幸いだと思っているんですが、物やお金に象徴される豊かさではない、人が生まれて生きる、その人生の中で実感できる自分の生きることの意味とか価値とか、そういったものに豊かさを感じるべきである、しかしそれがなかなか見いだせない、そういう中からその豊かさに関する私たちの豊かさ探しがここのところ続いているのではないかなというふうに思います。
 特に、年長者の方以上に、先ほど福島先生も御指摘のように、若い層にその豊かさを実感できない、言い換えれば自分の生きる意味やあるいはこれからの人生設計の見通しが立ちにくいというような声をよく聞きます。
 私は、そうした意味で、自分が生きることの意味、あるいはあなたがいてこそ私は生きられるということを実感していただく交流の機会が本当に必要なのではないかなと思います。
 ですから、真の豊かさが実感できる社会というのは、一人一人の誇りが、尊厳が確認できる、そういう機会が用意されていかなければならないと、これは物理的な豊かさを目指す社会よりも私たちの正に創意工夫が必要であって、政治家の皆様の出番ではないかなと感じているところでございます。
 以上でございます。
#15
○西山登紀子君 終わります。ありがとうございました。
#16
○島袋宗康君 私は無所属の会の島袋宗康といいます。本日は、お三方それぞれの立場から貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございます。
 最初に、福島参考人からお伺いしたいと思います。
 福島参考人は、盲聾者を取り巻く諸問題、諸課題への取組として四点を挙げられましたが、その第四は、すべての取組の集約として、盲聾者への総合的なサービス、サポートの提供、盲聾者関係者・支援者・家族等の支援、教育、研修等の拠点として日本版ヘレン・ケラー・センターを設立することを挙げておられます。その点について何か具体的なイメージをお持ちでしたらお聞かせいただきたいと思います。また、それを実現するための具体的な条件などがありましたら、併せて御説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
#17
○参考人(福島智君) まず、ヘレン・ケラー・センターということですけれども、先ほども少し申し上げましたが、米国にございます。一九六七年に設立されました。ヘレン・ケラーが亡くなる前年ですね。ヘレン・ケラーさんが一九六八年に亡くなったんですけれども、彼女がずっと望んでいて、そして亡くなる直前にできました。これは連邦法で、連邦の法律で盲聾者へのサービスや盲聾者の定義も規定されて、そして先ほど申し上げましたように様々な訓練やサービスを提供する拠点としてニューヨークに作られております。また、全米に十の支部がございまして、地域と連携しながら進めています。
 私も二度ばかり見学に行ったことがありますが、やはり感心したのは盲聾者自身が職員として複数採用されて、そしてその訓練を受けに来る盲聾の人たちにも指導を行うというところがすばらしいと思いました。
 日本では、一九九一年に社会福祉法人全国盲ろう者協会というところが作られました。その十年前に私が盲聾になったんですけれども、私のライフヒストリーと重なると申し上げましたのは、たまたま私が条件に恵まれて、周りの人たちに恵まれて、支援を受けて大学に行って脚光を浴びて、そして周りとのつながりができてきた、それがきっかけになったということですね。そして、これまで何か言いたくても言えなかった盲聾の人たち、約二万人もいるのに社会に対して物が言えなかった。なぜ言えないかというと、情報がないので、情報が入らないところ、コミュニケーションがないところには判断が生まれませんし、発言ができないわけですね。私はたまたま条件に、周囲の条件に恵まれましたので、アピールすることができましたので、協力者の力を得て盲ろう者協会ができた。そして、今十三年たちましたけれども、まだまだ小さなオフィスで展開するだけで、サービスが十分には提供できておりません。
 そして、この日本版ヘレン・ケラー・センターのイメージなんですけれども、例えば大きな建物が必要だということではなく、やはり法的にきちんと位置付けられるということが一つ。もう一つは、大規模でなくても継続的に財政的な支援がやはり必要だろうと思っています。また、そこに盲聾者が入って暮らすという入所施設ではなく、あくまでも一時的にサービスを受けて、そして地域に戻って仕事に就いたり、また地域の学校に戻って教育を受けるといった、そういったサービス提供の機関として位置付けられるべきだろうと思っています。
 今の日本の福祉の流れとして総合化ということが言われておりまして、様々な障害種別を総合してサービスを提供するということが流れなんですが、それはコスト面では確かに良いのですけれども、独自のニーズというものがございます。先ほど申し上げたテレビの例でお分かりだと思いますが、テレビのコンセントを引っこ抜いてしまった状態で生きている人がいる。その人たちに、例えば車いすに乗っている人たちと同じようなサービスを提供しても意味がないわけですね。独自のサービス、独自のニーズ、コミュニケーションの訓練といったものがどうしても必要で、それは本人及び本人の関係者でないと分からない非常に独自のニーズがございますので、やはりコスト面だけでの問題では解決できない特殊なニーズに対応したある程度のセンター、機関が必要だろうというふうに思っております。
 私の人生の目標の一つがこのセンターの設立で、今四十一歳ですけれども、何とか生きている間にこのセンターを日本に作りたい、そしてアジアの盲聾の人たちに対してのサービスを提供する、そういった取組を死ぬまでにやりたいという夢がございますので、是非、先生方の御協力をちょうだいしたいと存じます。
#18
○島袋宗康君 ありがとうございました。
 次に、清原参考人にお伺いいたしたいと思います。
 清原参考人は心のバリアフリーの実現、すべての人が年齢や性別、障害の有無や国籍などにかかわりなく、人権を尊重し合い、生き生きと安心して暮らせる町を作るために、道路や公共施設などハード面での物理的整備を進めるとともに、社会参加、教育、人々の意識、情報利用等、あらゆる分野でバリアフリーを進めることが有意義であると述べておられます。私も全く同感でございます。
 そこで、三鷹市のまちづくりの中で市民が主体的に参加する仕組みが幾つか紹介されておりますけれども、例えば三鷹市バリアフリーまちづくりの推進協議会やNPOシニアSOHO普及サロン三鷹などでございますけれども、このような組織の実際の担い手がどのような方々であるのか。例えば、職業や年齢や性別など、どういう人たちが担っているのか。そして、このような組織の運営上の課題などがありましたらお聞かせ願いたいと思います。
#19
○参考人(清原慶子君) 三鷹市のバリアフリーの取組に関連して、そうした担い手の組織がどのような運営であるかという御質問をいただきました。
 例えば、この三鷹市バリアフリーのまちづくりの基本構想をまとめていただくような市民会議につきましては、市役所の方でお呼び掛けをしまして、そして、交通事業者とかあるいは学識経験者にはこちらが御依頼いたしますが、市民公募の枠を設けまして、本当に市民の方に手を挙げていただき、多い場合には抽せんでしていただいて、いろいろな市民会議ございますが、本当に大半をすべて公募の委員の方に加わっていただいて、そして意見交換をし、一定の報告書、提言をいただくということになっております。
 また、NPO法人の場合の担い手でございますが、最近多様化してまいりまして、例えば一例として、NPO法人シニアSOHO普及サロン三鷹の場合は、実は、企業にお勤めの方で退職を控えられた方が地域で何らかの活動をしたいということで自主的にだれかれなく集まられて、そしてパソコンの講習会を開いたりしているうちに、五十五歳以上の方で、今代表理事を務められている方はたまたま定年退職前にNPOで頑張ろうということで退職をされて担っていらっしゃいますけれども、その他、最近三鷹市で顕著なのは、退職後の方が職業生活以外に新たに地域のコミュニティービジネスであるとか、あるいはボランティア活動であるとか、そうした取組を起こされたり、あるいはこちらが用意させていただいた機会に出てこられる、そういうケースが増えております。
 言い換えれば、五十代以降の方の場合には第二の人生の活躍の場として地域社会をお選びいただく、そういう動きにNPO法人やボランティア団体がある。あるいは、子育て期間を終えて何らかの形で再就職等考えていらっしゃる女性の方が、その前段階として取り組まれてNPOを始められたらそれが定着している例とか、そういうことでございますので、人生のライフステージの中で出会った機会を生かされている市民の方が顕在化してきた、外に出てきたと、そのような傾向を強く感じているところでございます。
#20
○島袋宗康君 次に、川口参考人にお尋ねいたしたいと思います。
 川口参考人は、企業の中ではぐくまれ、錬磨されたデザインのエキスパートというようなお方だと拝察しております。川口参考人は、デザインは価値を創造する感性の技術であると述べておられます。
 そこで、優れたデザイナーを育てていくためにはどのような人材教育が必要なのか、そのために行政や国は何をすべきかというようなことについてお話をしていただきたいというふうに思います。
 また、ユニバーサル社会の実現のために今国が最優先で取り組むべき課題は何かという点について、もしお話しいただければ有り難いと思います。よろしくお願いします。
#21
○参考人(川口光男君) 二つ御質問があったと思います。
 まず、デザイナーの育成という観点からお話しさせていただきますと、感性をベースにした技術、アナログ型の技術であるというのが私は私どもが取り組んでいるデザインの定義というふうに申しておりますけれども、感性であるがゆえに定量的にできない、したがってその人材育成という面では非常に難しい領域だというふうに考えております。
 そういった中で、いろいろの経済産業省の方々とお話しさせていただいたことはあるんですけれども、デザインというその学問体系がまずないというのが一つ大きな課題だととらえております。技術士の中にもデザインという科目はございません。それから最近、大学の方で芸術工学等で大学院ができまして、ドクターも数年前からできておりますが、基本的には工学士の範囲であったり芸術工学士の範囲であったりということで、デザイン学の資格制度というものはございません。こういったものを非常に、認定制度は非常に難しいとは思うんですが、こういったものに是非、官としては取り組んでいただきたいというのが一つだというふうに考えております。
 それから、二番目のUD、ユニバーサルデザインの育成のための課題、これも似たようなものだと思うんですけれども、これも一つには、ユニバーサルデザインと一口に言っても、今世の中には、これに周辺技術も含めて、御存じだと思いますけれども、ユーザビリティーデザインでありますとかあるいはアクセシビリティーデザインでありますとか、いろんなその言葉も、我々専門、専門と言ったら変ですけれども、こういうユニバーサルデザインに取り組んでいる世界では言葉の乱立というのも一つございます。こういったものが行政の御指導で、例えば、言葉の定義を明確化するあるいはプラットホーム化する、それから先ほど言いましたいろんな言葉の階層付けもする、そういった整理をまず始めないと、バリアフリーとユニバーサルデザインというのは全くそうだと思うんですけれども、国民の皆様にはまず御理解を得られないんじゃないのかなというふうに考えております。
 よろしいでしょうか。
#22
○島袋宗康君 どうもありがとうございました。
 終わります。
#23
○和田ひろ子君 先に質問させていただいて済みません。先生方、ありがとうございます。
 今日は、お三人の先生方、本当にありがとうございます。大変いろいろ問題、考えさせられる問題、たくさんお聞きしたというふうに思います。
 まず、福島参考人にお尋ねをいたします。
 御自身は与えられた条件の中でいかに生きるか、すばらしい御主張をされておられますことに心から敬服、感謝、敬意を表したいというふうに思います。
 私は地元に聴覚障害の施設を作っています。でも、聴覚障害という一つの障害の施設というのはなかなか作りにくくて、厚生省は複数の障害じゃないと駄目とか人数がそろわないと駄目とか、なかなかその施設を作りにくいんですけれども、先生が今、盲聾のセンターを作りたいなんというふうに大きな夢をお持ちなんですけれども、行き当たってしまう壁とか、そういうことがあればお尋ねをしたいと思います。
 そして、清原市長さんには、声の小さい人のために、力のない人のために本当に有り難いというふうに思います。こういうことを聞かな過ぎた今の社会が、大きな子供のいろんなことがあったり、社会現象になっているというふうに私も思っていますので、本当にお取り組みに感謝をしたいというふうに思います。
 住んでいる人と訪れる人のためにというのは私も日ごろ考えています。例えば、知らない町に行って交通標識を見たら、それは本当に知らない人にはとっても分かりにくい交通標識なんですね。隣の町のことしか出ていないんですね。本当はこの道ずっと行ったらどこに行くのというのを私たちは知りたいのに、交通標識ってそういうところがありますので、本当に言われていることがとってもよく分かりました。
 そして、自分たちのことを一番よく知っているお年寄りのNPOはお年寄りのためにというのも本当に参考になるな、これは絶対に地元に教えたいなというふうに思います。
 質問はとっても単純なんです。市長さんは一年間市長をされたということなんですが、実は議員の皆さんも市長と一緒に替わられたわけではなくて、ずっとやっていらっしゃった人たちが市長のこの御主張に全部賛成してやっておられるというふうにはなかなか思えないので御苦労があるんじゃないかなという思いがいたします。そういう御苦労をちょっとお聞かせをいただきたいと思います。
 あと、川口参考人にお尋ねをいたします。
 人類の犯してしまった負の遺産というのを二十世紀は本当に引きずって、二十一世紀は絶対にもっといい国にしたいというふうに思った、いい地球にしたいと思ったはずですのに、今いろんな、本当に心に傷を負うようなことばかりなんですけれども、絶対に今日本が発信してやっていかなければいけないというようなことだというふうに思います。
 このいただいた資料の中にネットワーク作りをされているというふうに書いてありますけれども、結局今まで、何というか、全部、過ごしてきてしまった人たちにはよく分かるんですが、発展してくる人たちにはなかなか理解のできないことも多いというふうに思いますが、そういうことで何かあればお知らせをいただきたいと思います。
 お三人の先生、よろしくお願いします。
#24
○参考人(福島智君) そうですね、おっしゃるように、何か施設を作るというのはとても様々なハードルがあるだろうと思います。
 聴覚障害、単一の聴覚障害というふうにおっしゃっていましたが、聴覚障害の場合、そうですね、厚生労働省の方の数字では三十五、六万人だったと思いますが、盲聾者が二万人、つまり数が少ないので、希少性といいますが、まれで少ないという性質がありますので全国にばらまかれている、そして効果的に声が発信できない、つまり要求運動などが組織しにくいという問題があります。そこを、最近テクノロジーの発展で、例えば電子メールなどで盲聾者もコミュニケーションができるようになって、盲聾者同士の遠隔地へのコミュニケーションあるいは支援者とのコミュニケーションというものができるようになったことが一つの大きな転機になったかなとは思っております。
 例えば、電子手帳、たまたま私自分の、メモをするかもしれないと思って持ってきましたが、こういう電子手帳がございます。これは二メガバイトほどのデータが入っておりますが、パソコンからデータを移して点字で読めるディスプレーなんですね。こういった、これは小さなものですが、もう少し大きなものでパソコンにつないでメールのやり取りなどをするわけです。本日、今日伺うに当たって事務局の方とも電子メールのやり取りをさせていただきましたし、先月、三月のこちらの議事録もメールでいただきましたので、ざっと拝見をしております。
 そういったITの発展が今後の盲聾者の運動の組織化にも役立つだろうなと思っておりますが、しかしやはり壁がございまして、せっかく優れたテクノロジーがあっても一人一人が使いこなせないという問題があるわけですね。これは盲聾者だけじゃなくて、一般の高齢の皆さんにも言えるかもしれませんが、インストラクターがいない。あるいは、いても盲聾者の場合はコミュニケーションがうまくできないので、特に地方の盲聾者は使いこなせないという問題があります。その意味で、ITのインストラクターなどを養成して派遣をするという問題が非常に回り回って重要な取組だろうと思っています。
 もう一つは、もっと基礎的な問題なんですけれども、例えばセンターを作るといっても、そこでセンターを作って訓練をして、その後、仕事があるのか、仕事ができるのかという問題ですね。先月、竹中さんがプロップの活動を御紹介になっていたようですけれども、非常に仕事ということは重要で、その意味では盲聾者の場合、ITを活用して仕事ができるかもしれないということはとてもすばらしいことなんですが、やはりそれだけでは難しい面がある。
 例えば、今私は大学で通訳者を大学の経費で付けてもらって仕事をしておりますけれども、これは非常に例外的なことであって、一般に盲聾の人が仕事をしようと思うときに、福祉制度では通訳者は付けられないわけですね。御承知のように、営業活動あるいは雇用の面で福祉制度を付けることは基本的にできない。これは労働行政の所管なので、今は厚生労働省一緒になっていますが、しかし基本的な制度は変わっておりません。つまり、おかしなことになっていて、買物に行ったり、あるいは仕事とは関係ない、収入とは関係ない活動であれば福祉サービスは受けられるけれども、仕事をしようと思うと、その瞬間に福祉サービスは受けられないということになって通訳者が付かないという。
 だから、能力があって意欲があっても、例えばあんま、はり、きゅうなどの技術があって免許を持っている盲聾者でも、自分が職場に移動をしたり患者さんとのコミュニケートが難しいからだれかサポートを付けてもらおうと思って既存の福祉制度を利用しようと思うと、それは認められない。だけれども、仕事をやらないでぶらぶらしているんであれば、それは福祉サービスは受けられるというおかしな状況になっております。
 こういった問題が、センターを、センターそのものを作るかどうかという問題の背後にこういった制度的なねじれ現象がありますので、そこを何とかうまくできないか、是非先生方にも御協力いただきたいと思っております。
#25
○和田ひろ子君 ありがとうございます。
#26
○参考人(清原慶子君) 議会との関係について和田理事さんから御質問いただきました。
 私たちが今基本として置いております平成十三年、二〇〇一年に定められました基本構想、基本計画の中で最重点課題の一つにバリアフリーのまちづくりを掲げております。そして、実はこの基本構想は、地方自治法上は議会の議決事項でございますけれども、その基となる案は、三鷹市の場合、白紙から市民参加で行った経過がございます。公募の市民三百七十五名で基本構想、基本計画の素案を当時の市長に提出したわけですが、その組織の三人の代表のうちの一人を私は務めておりました。そうした初めての試みで、市民提案の素案を生かした基本構想でございましたので、当時、議会では全会一致で可決され、修正意見は付きましたけれども、その結果、今の基本計画の最重点課題にバリアフリーのまちづくりが掲げられております。
 したがいまして、三鷹市におきましては、昨年の統一地方選挙で市長も替わり、議会の議員さん二十八名のうち九名が新人の方ということでございましたけれども、基礎となる基本構想、基本計画を尊重してくださっておりますので、事バリアフリーのまちづくりに関しましては、文字どおりユニバーサルに、会派の別なく御支持いただいているという経過がございます。
 なお、付け加えますと、基礎的自治体というのは本当に市民に身近なところでございますので、このバリアフリー、ユニバーサル社会に関しましては、やはりどの時代に可決されたからということではなくて、恐らく今後は自治体の取組の基礎の理念になるのではないかなと思われますので、今後もバリアフリーに関することに関しては議会の皆様の強い御支持もいただけるのではないかと思っております。
 幸い、今まで市長になりまして提案させていただいた議案の現状では、すべてが可決されるという、ぎりぎりのもございますが、そういう状態でございまして、私としては丁寧に議会の皆様に御説明し実行していくことで、是々非々で御支持いただけるのではないかなと、このように思っております。御心配いただきましてどうもありがとうございます。
#27
○和田ひろ子君 いえいえ、とんでもないです。ありがとうございます。
#28
○参考人(川口光男君) 大変申し訳ないんですが、ちょっと質問を聞き漏らしちゃったんですけれども。申し訳ございません。
#29
○和田ひろ子君 川口さんがやっておられるようなことを日本が世界に発信すべきだというふうに思いますので、ただ、今発展を途上にされる国々にはなかなか御理解を得られないんじゃないかという思いがいたしまして、いかがなんですかというふうにお尋ねをしました。言葉足りなくて済みません。
#30
○参考人(川口光男君) いえ、済みません。申し訳ございません。
 おっしゃるとおりでして、実は私どもも、この国際ユニヴァーサルデザイン協議会としましては、そういった国々に対してどういう取組をしたらいいのかというのは、まだ正直結論は出ておりません。また、我々がただやろうとしていることは、日本が考えるユニバーサルデザインとはどういうものか、その理念、考え方、あるいは企業が取り組む製品へ落とし込んだ事例をもちまして、それを世界に発信することにより理解を求めようということで考えております。
 そういったことでよろしいでしょうか。
#31
○和田ひろ子君 はい、ありがとうございます。
#32
○山東昭子君 まず、川口理事長にお伺いしたいんですけれども、アメリカに駐在をしていらしたということを伺いましたけれども、私、二十年ぐらい前にフェニックスのサンシティーを視察いたしまして、高齢者たちの町ということで、大変そのときには感動したんでございますけれども、現在は何やら余り高齢者たちばかりが集まり過ぎてという、不評だということも聞いておりますが。
 今までアメリカを始めいろいろな国を訪れられて、何やら、アメリカというのは非常にビジネスライクなところと、思いやりのあるところと、奥の深い国だと私は思っているんでございますが、何か視点というんでしょう、思い掛けない視点での成功例であるとか、あるいは何か、川口さんがごらんになっての参考になる町というものを教えていただきたいということと、それからもう一つ、今までの日本人というのは技術は優れておりましたけれども、その感性という点で非常に劣っていたような気がするんですけれども、その感性を磨くための何かコツとでも申しましょうか、川口さんがお考えになってのことをちょっとお聞かせ願いたいと思っております。
#33
○参考人(川口光男君) サンシティーの件につきましては、私も駐在時代に、オレンジカウンティーにある市だと思っておりますけれども。
#34
○山東昭子君 ごめんなさい。
#35
○参考人(川口光男君) 非常に当時は先進的な取組ということで話題にはなりました。ただ、私は現実どうなっているかは知らないんですが、山東議員がおっしゃるように、そういったことも考えられるというふうに思っております。
 私もいろいろ海外を見させていただきましたけれども、その中で、気になるというよりも、逆に、先ほど私の意見の中でも言わせていただきましたけれども、日本の日本らしい取組の方が逆に外から見て優れているのではないのかなというふうに感じております。日本には伝統的な、例えば間でありますとか、非常な心の奥に深く刺さるような感情のやり取りといったものもあると思います。あうんの呼吸とかですね。こういった物の考え方が日本の物づくりのきめ細かなところに反映されていると思っております。
 アメリカにいて、アメリカでデザインも実際に取り組んでいたわけですけれども、そういった面でいえば、アメリカの場合は非常にやり方というかプロセスが大胆です。記録に残るということで非常に言いにくい面があるんですが、非常に思い切った取組ということをやられています。それに対して日本は、思い切った取組ということではなくて、本当に、繰り返しですが、きめ細かな取組、例えば触ったときに気持ちいい、使ったときに操作性がいい、こういったところは、外から見ましてむしろ日本を優れた物づくりをやっている国だというふうに理解いたしました。そういったことでよろしいでしょうか。
 あと、感性を磨くためのコツですね。これは私ども、会社の方にも百四十名ほどのデザイナーがいるんですけれども、感性を磨くためには、OJTとよく言われるような取組よりも、むしろ私は個人個人の資質にかかわる問題が大きいと思っていまして、とにかく外を歩き、物を見る。もっと平たく言えば、よく遊ぶということで感性を磨くというふうに若いデザイナーには言っております。更に言えば、好奇心を持って物を見る。デザイナーのデザイナーたる資質の中に、私は好奇心といったものがあると思います。好奇心がないと感性は高まりませんし、その感性を武器にして、デザイナーとしたそのプロの仕事もこなせないのではないのかなと思っております。
 以上です。
#36
○山東昭子君 ありがとうございました。
 清原市長にお伺いしたいんですけれども、行政のトップとしていろいろなボランティア活動をしている方たちと接することが多くていらっしゃるんだと思うんですけれども、中には、善かれと思って、私は奉仕者なんだから何でも私のやることは正しいというような形で、独り善がりであるとか、あるいは自己主張が強いというようなボランティアの方も中にはおられるんではないかなという気がするんでございますが、行政の上でのそうしたコントロールというんでしょうか、いろんな方々との接し方というものについてちょっとお伺いしたいなと思っております。
#37
○参考人(清原慶子君) ただいま御質問いただきましたそのボランティアの方の意識の面でございますけれども、御指摘のように、ボランティアをされる動機付けの中に、こちらの善意が前面に出て、それが場合によっては対象者には独り善がりに映ったり、言葉は表現しにくいんですが、余計なお世話になったりということがあることはあると思います。
 ただ、ボランティアといいましても最近では多様な広がりがございまして、どちらかといえば社会福祉の領域だけではなくて、例えば三鷹市の場合ですと、学校教育の中で指導者として、コミュニティーティーチャーという形で、地域の方が子供たちに昔の慣習であるとか行事であるとか、あるいは手遊びであるとかを教えてくださる例とか、あるいは地域のお店が皆さんに職業体験をしていただこうということで開いてくださったり、工場が開いてくださったり、つまり、どちらかといえば、相手を対等ではなくて低く見がちのところから、慈善というような形で始まったボランティア活動が、三鷹市のこれまでの取組の中では、対等性、パートナーシップで他者にお役に立つのが真のボランティアではないかというような風土が長い間にだんだんだんだん築かれてきているというふうに思います。
 そういう意味で、市民の方同士のそうしたやり取りは、市民同士が上下関係ではなくて対等がいいのだよというような風土が育ってきていますし、それを行政が支援させていただくのは、行政も市民の方といろいろな事業をするときには対等でさせていただくと。行政が市民にやらせているんだとか、やらせてあげているんだとかという思いもしませんし、市民の人も、行政の代わりにやっているんだから、自分たちはサービス対象者よりも上ですというふうに思わず、もうすべてがフラットに、対等な関係こそ真のボランタリーな精神であると。そういうようなことを行政も心掛ける、市民の皆様も心掛けるという中で、独り善がりや自己主張の強さが淘汰されてくると、こういうことになっていると思います。
#38
○山東昭子君 福島さんにお伺いしたいんですけれども、今随分いろんなロボットが誕生していると思うんですけれども、福島さんが研究されておられたり、あるいは御自身でいろいろな壁を越えて現在生きておられる中で、こんなロボットのこんなところが必要だというようなものが何かおありでしょうか。それがございましたらお聞かせ願いたいなと思うんですが。
#39
○参考人(福島智君) それはロボットにこだわっておられますか。それとも……
#40
○山東昭子君 いえ、ロボットでなくても結構、すべての技術で結構でございますけれども。
#41
○参考人(福島智君) そうですね、ロボット、ロボット工学の方ともお話ししたことがございますし、ほかにも様々な、私自身は文系の人間ですのでテクノロジーの研究者ではございませんが、ただ、障害を持つ立場からテクノロジーの可能性を考えたときに、例えばロボットというものを考えたときに、どういうサポートがしてもらえるか。いろいろ可能性はあると思うんですが、ただ、今こうやって指に、私はこの指点字というものを打ってもらっているわけですが、よく技術者の方が、会ったときに、これは機械的にできるのではないかというふうにおっしゃるんですよね。
 確かに、音声認識の技術と、それからこの指点字のアウトプットの部分を機械的にできれば、例えばロボットの通訳者ができるかというと、それは実際は難しいだろうと。例えば一対一で話していて、電話などであればできるかもしれませんが、いろんな人がいろんなことを言っている例えば飲み会のような場面ではどうするのかとか、あるいは今、突然地震が起こったらどう対応するかとか、そういうようなことを考えると、やはりできない。もしロボットができるようになったら、それは恐らく人間と同じ、ほぼ同じ能力を持った、そして、川口さんのお話に出てくる感性を持ったアンドロイドができればそういうこともできるかもしれませんが、それは恐らく私たちここにいる全員が生きている間は無理だろうと思いますので、私には関係ないかなと。
 ただ、人間か機械かという二分法ではなくて、両方必要だと思っています。人間の力とロボットを含めたテクノロジーの力が相互に補い合いながらやっていく、そうですね、そういったサポートの在り方が重要だろうと思いますので、人間か機械かではなくて両方大切だと思っています。別に、ロボットを悪者にするんでありませんので。
 はい、以上です。
#42
○山東昭子君 ありがとうございました。
#43
○渡辺孝男君 私は、福島智参考人にまず質問をさしていただきたいんですが、前に、障害者のボランティア、家族の方も含めたボランティアの方の集まりでマジカルトーイボックスさんというのがありまして、そのイベントに参加さしていただきました。そういう団体は、障害児の意思疎通を助ける最新機器の普及を呼び掛けている、そういう団体でした。スイッチ一つで障害児もコミュニケーションができるテクノロジーがあることを多くの人に知ってもらいたいと、また、障害児の意思疎通を助けるということで、保護者の方々も思い付かないようなそういう、障害を持っている子供さんでも能力が開発できるというようなことで、私も大変感動をしたわけです。
 そういう意味で、そういうスイッチの開発ですね、障害を持っている方の遊びに、子供さんの遊びに参加できるようなスイッチの開発とか、あるいはユニバーサルデザインの遊びと、子供さんが遊びを通して成長する、ユニバーサルデザインの遊びというようなものを開発していただければ有り難いなと思うんですが、その点をお伺いしたいと思います。
 それから、次に三鷹市長の清原慶子様にお伺いしたいんですが、やはり最近子供の事故が多く起こっております。そういう事故を防ぐということもバリアフリーにとって、あるいはユニバーサルデザインのまちづくりにとって大事だと思うんですね。そういう意味で、外国にはキッド・セーフ・センターといいますか、子供事故防止センターが作られております。そういうものを三鷹市としても既にお作りになっているのか、そういう事故を防止するための子供の教育ですね、センター、それをお聞きしたいと思います。
 それから、三番目の川口参考人には、ユニバーサルデザインの開発で、だれでも使えるというデザインと同時に、私は個々の人の能力に応じたデザインという、何といいますか、オーダーメードのデザインも一緒に併せ持つような機器のデザインの開発というのは大事なんじゃないか。例えば取っ手でも、粘土みたいに、私はこういう形の取っ手が使いやすいと、私はこういうデザインの取っ手が使いやすいと、そういう、消費者が可変できるような、そういうものを含んだユニバーサルデザインの開発というのはどういうものなのか、その点をお聞きをしたいと思います。
 以上です。
#44
○参考人(福島智君) おっしゃったその団体のことは具体的には存じ上げていませんけれども、恐らくポイントが二つあるだろうと。今、先生がおっしゃったのはコミュニケーションを助けるテクノロジー、それと遊びですね、レクリエーションにつながるテクノロジーということだろうと。
 非常に重要な視点で、私自身、コミュニケーションを一度奪われて、なくなった状態で、どん底を経験して、そこからよみがえった、生還してきたという経験がありますので、本当に生活の中での豊かさ、真に豊かな生活というものの重要なファクターはコミュニケーションだと思っています。
 今おっしゃられたのは、言語に制約を持つ言語障害の子供たち、あるいは認知的な障害、あるいは知的なハンディを持った子供たちがコミュニケーションする際のコミュニケーションエードの一種だろうと思いますが、いろいろなものが内外で開発されています。
 それで、その子供たちそれぞれのニーズに合わせて、例えばその子供の生活に合わせて、自分の自己紹介のメッセージをあらかじめ入れておいて、スイッチを押すと、その子供が好きなものについての紹介があったり自己紹介的なものが流れる。そうすると、自分でしゃべるのはなかなか難しかったり時間が掛かるけれども、そのコミュニケーションエードで相手に伝わって、そこからコミュニケーションが広がるということもあるでしょうし、様々なバリエーションがあるだろうと思っています。非常にコミュニケーションのエードのテクノロジーは重要だろうと思っています。
 もう一つの遊びの部分も私はとても大切だと思っていて、これは川口さんがおっしゃった感性の問題ともつながるだろうと思いますが、まじめな実用的な目的だけでは広がらないと思うんですね。特に子供たちのコミュニケーション、子供同士の関係というものを考えたときに、ビジネスの上での話とかとは違いますので、一緒に遊びながら楽しめるもの、これはおもちゃなどでも障害のある子とない子が一緒に遊べるものを開発研究するメーカーなどございますが、もっともっと広がって、大人も含めていろんな場面でレクリエーションや遊びを助けるテクノロジーというものが広がってくればよいなと思っています。
 何か、こう、バリアフリーとかユニバーサルデザインといったときに、非常にまじめな感じ、あるいは福祉というようなイメージがあってちょっとまじめな感じがするんですが、人間は遊ぶということが非常に大事だろうと思いますので、レクリエーションを助ける技術というものがとても大事だろうと思いますので、是非これは川口さんにも頑張っていただいて、日立でですね、みんなで遊べるものをもっとどんどん売っていただければいいかなと思います。
 はい、以上です。
#45
○渡辺孝男君 ありがとうございました。
#46
○参考人(清原慶子君) 子供の事故を防ぐという観点もバリアフリーから大切ではないかという御指摘いただきました。
 最近、高槻市で、遊具で子供がけがをするということがございました。三鷹市でも児童遊園、遊具のある公園を百以上持っております。定期的に調べているんですけれども、今回の事故を契機に早速調べたところ、やはり同種の遊具で若干のねじの緩みなどが見付かりまして、より定期点検の頻度を高めなければと、こう話し合っているところでございますが、同時に、子供が犯罪に巻き込まれる、あるいは暴力の対象になるというような事案も生活が都市化するに従って増えておりまして、三鷹市ではいわゆる子供事故防止センターというものは置いておりませんけれども、児童館あるいは小学校の一部で、CAPと言いますが、CAPワークショップと言いますが、チャイルド・アソールト・プリベンションという、子供が自ら暴力から自分を守る、子供の暴力防止のワークショップを実施しておりまして、こうした取組の中で自らが自らの身を守るというような、そうした経験も子供たちにしてもらっております。
 なお、子育て支援室というのを健康福祉部に置いておりますが、そこではかねてからの取組で子育て支援センターという、すくすくひろばとかのびのびひろばとか呼んでいるんですが、そうしたところにむしろ子育て中のお母さんが自由に出入りしてくださることによって、子供たちが虐待の対象になっていないかどうか、保護者が知らず知らずのうちに虐待の当事者になっていないかどうか、普通の相談の中からそれを探り出して子供を危険から防ぐというような、言わば虐待防止センターと銘打ってはいないのですが、そうした取組などをしております。
 いずれにしましても、御指摘のように、子供の視点からバリアフリーを考えるということは有効でございまして、例えば歩道で私たちは善かれと思って樹木を植えていたりするんですが、その葉っぱが子供たちの乳母車にちょうど当たって赤ちゃんがほおにけがするとか、そういう声を身近に聞く中で、実は善かれと思ってしていることが子供の視点あるいは車いすの視点に立つと危険であるというようなことも私たちが未然防止をしていこうという取組などをしています。
 御指摘の子供の事故だけにとどまらない答弁になって恐縮でございますが、バリアフリーを考えていくときに、あるいはユニバーサル社会を考えていくときに、声が出しにくい赤ちゃんや子供たちの視点で考えていくという御指摘を私も共感いたしますし、そういう視点を更に重視してまいりたいと思います。
 ありがとうございました。
#47
○参考人(川口光男君) 御質問は、だれでも使えるデザインと個々の能力に応じたデザインという、両方満足するデザインとはどういうものかということだと思うんですけれども、これは一つには、ユニバーサルデザインといったものは、万能ナイフとか万能ばさみと言われるようなものを作ることではなくて、私どもとしましては、一つはメニュー作りではないのかなというふうに思っております。例えば、エレベーター、エスカレーター等の開発におきましては、パーツのオプション、パーツをオプション化するとかメニュー化する、そういったことだと思いますし、家庭用商品であれば、例えば着せ替え型の商品を作るという、どちらかというと多品種少量生産的な考え方でメニュー作りをし、個々のお客様のニーズに合わせた物づくりをするというのがユニバーサルデザインの一つの企業側からのやり方かなというふうに考えております。
 よろしいでしょうか。
#48
○渡辺孝男君 ありがとうございました。
#49
○松あきら君 今日は、お三人の参考人の先生方、ありがとうございます。公明党の松あきらでございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 私は、今いろいろ伺っておりまして、まず最初に感じたことは、福島先生がお出しになりました点字の機械と申しましょうか、鉄筆のようなものを持って穴を空けていく。あれは私の母が、私が小さいときに、母がとても読書が好きで、目に障害を持っているお友達たちのためにそうした名作ですとか、いろいろないい本を点字で読ませてあげたいということから、当時は、今はこう機械が、パソコンのような機械で点字も打てるらしいですけれども、やはり一つ一つこうやってぱたんとして紙にこう穴を空けておりまして、それを見ておりましたんです。そのころはまだボランティアなんという言葉もない時代でしたけれども、今さっき先生がそれをお出しになったので、何かこう胸が熱くなって、本当に御苦労して今こうしていらっしゃる。福島先生がこうして東大の助教授ですばらしい御研究をなさって、またいろいろな方々の前へ出て講演をなさって、こういう活動をなさるということそのものが、やはり私はそうしたいろいろな障害を持っていらっしゃる方たちのために大きな光であると、まずそういうふうに感じております。
 それから、清原市長は本当に、一年とおっしゃいましたけれども、すばらしい取組をしていらっしゃるなと。私も先ほど、あ、帰られましたね、おっしゃいましたけれども、要するに障害を持っていらっしゃる方のNPOの方にいわゆる障害を持っていらっしゃる方たちの支援をしていただく、あるいは高齢者のNPOの方たちに高齢者のための支援をしていただく、子育て中のNPOは子育て中と、そういう本当にそれぞれの当事者であればより良くその方たちが分かるという、こういう取組はすばらしいし、正にフラットな社会ということが大事であるというふうに思っております。
 それから、川口理事長は正にそのユニバーサルデザインの協議会の会長をしていらっしゃいますけれども、そうしたいろいろなすべての人のためのデザイン、ユニバーサルデザイン、こういうことをやっているという世の中にその取組を知らしめたいというふうにもおっしゃっておられましたけれども、本当にすばらしいことをやっていらっしゃるし、また私は日立の社長さんが川口さんを抜てきされたという、そこからやはり若い能力を、そしてそうした広い意味でのデザインというか、そのデザイン学、デザインそのものというよりも、広い意味でのデザインというために抜てきなさったんだなという、そうした意味でも感心をいたしております。
 実は、私は与党の中でユニバーサル社会の構築のための基本法を作ろうというPTに入っているんですけれども、先週も、少し前ですけれども竹中さんにもこちらに参考人として来ていただいて、チャレンジド、つまり障害者と呼ばないでくれと、チャレンジする人なんだという、正に本当にそうであるなというふうに思いましたけれども、やはり何かお上から、あるいはだれからか福祉を与えられるということではなくて、自分たちも納税者になりたい、働いて社会に貢献がしたいという、本当にこういうお話でございました。
 私どもは、そのユニバーサル社会の構築の基本法を作ろうと思っているんです。これ、実は反対が多くて、一つはこういうものを要するに作ってどうするんだと、実は子ども読書推進基本法も反対があり、あるいは循環型社会推進基本法も反対があった中で作ったんですけれども、こういう基本法を作ると、それぞれ予算が付いたり、また細かないろいろな法律ができてまたそこに予算が付くということで、そのユニバーサル社会というのは私は申し上げるまでもなく、要するに障害者基本法があるからいいじゃないかと、こうおっしゃる方がいるんですけれども、このユニバーサルデザイン、ユニバーサル社会というのは、何も障害を持っていらっしゃる方たちのためだけでなく、高齢者も、あるいは子供たちも、もちろん健常者も、すべての人がより良い生活を送れるための社会というふうに認識をしておりますんで、何か障害者基本法があればそれでいいという考え方は、私はちょっとそうではないんじゃないかなというふうに思っております。
 ただ一つだけの質問でございます。この考え方につきまして、それぞれの先生方いかがお考えになられますか。また、それについての御意見等ございましたらよろしくお願い申し上げます。
#50
○参考人(福島智君) 障害者基本法の改正が今進みつつ、そろそろ国会に出るのではないかというタイミングですので、今何か水を差すようなことを言うとどうかなという気もいたしますけれども、しかし、一歩前進とは思いますが、おっしゃるように、障害者基本法だけでは私は不十分であろうと思います。これは私だけではなくて、恐らく多くの障害者、関係者はそう思っているだろうと。やはり、例えば差別はいけませんよという項目を設けても、特に罰則規定もなく、あるいは予算的な裏付けもなければ、それは掛け声で終わってしまいますので、おっしゃるように、ユニバーサル社会基本法というものがどういった中身になるのかということが、私は詳しくは存じ上げてはおりませんが、障害者のためということではなくて、元は障害者も含めてですが、様々な属性を持った、様々な条件を持った人が社会にいるんだということ、そしてみんながかかわり合って、コミュニケーションをし合って、そして働き掛け合って社会を活性化させていくという、そういう基本理念の下に、そしてそれも掛け声だけではなくて、実際の予算的裏付けも含めた施策に反映できるような拘束力を持った、そういった法律を作っていくべきだろうというふうに思っています。
 そのためには、私は法律の専門家ではございませんが、一つの方法として、今例えば憲法改正の議論が少しずつ高まってきておりますが、仮にもし憲法を改正することがあれば、例えば十四条とかに性別や門地等の違いによらずという文言がございますが、そこにやはり障害という言葉、あるいは心身の諸条件等の表現も入れていただいて、様々な条件にかかわらずみんなが平等だという表現を盛り込めたらなと。そうすると、様々な立法や行政の施策の上で今後非常に大きな意味があるんではないかなと。例えば、スイスという国では憲法にそういう趣旨の条項を入れていると聞いております。そういった一つの、究極的には憲法レベルでの取組。
 もう一つは、法律レベルでも、今の障害者基本法の改正ということだけではなくて、包括的で実効性のある強力な法律、それも一見予算が掛かる、財政的な負担があるように思えても、回り回って、そして中長期的には持続的発展をする社会を作る上で、少子高齢化が進む社会の中で、日本が今後持続的な発展をしていく国づくりのために必要な非常に重要な投資ではないかなというふうに思いますので、目先のコスト的な問題だけではなく、社会全体が様々な属性を持った人たちが一緒に生きていく、そういった元気が出るような、そういった法律を作っていただきたいなというふうに思っております。
#51
○参考人(清原慶子君) 具体的に地域のいろいろな問題を解決していくときに、やはり障害者の方は障害者の方の問題、高齢者の方は高齢者の方の問題、あるいは子供たちの問題はと個別に分けていくことが、もちろんそれは深くそれぞれの当該の対象者の問題を明らかにし、的確な行政サービスを提供していくという意味では有効ではないかとは思います。けれども、実際に自治体で仕事をしておりますと、実はこういう細かい分け方ではなくて、地域全体の安全、安心度の向上とか地域ケアの推進とか、いろいろ市役所の中でも課題別プロジェクトを作りますと、部を超えて横割りで連携をしながら取り組まなければいけない、そういう課題は頻繁にございます。
 そういうことから考えますと、例えば御指摘のユニバーサル社会の構築にかかわる基本の在り方について定められたとするならば、より自治体の場合も縦割りでの対応ではなくて横割りの共通の分野への取組に具体性が出てくるし、根拠が持たされるのではないかなというような感じはいたします。
 特に、先ほど御紹介いたしましたバリアフリーのまちづくり基本構想を作る際にも、担当は健康福祉部とそれから都市整備部と二ついたしました。つまり、福祉の観点から高齢者、障害者に向けてのサービス、在り方を考える視点も重要ですし、まちづくりの観点から交通、道路あるいは施設、建築、そういうところから取り組むことも有用で、したがって、市のような自治体では、バリアフリーという概念を考えていくときに最低二つの部門がかかわるということで、しかしバリアフリー基本条例なるものを三鷹市は持っておりませんから、むしろ基本構想というところで取組を総合化して、一元化していこうといたしました。
 そういう観点から申し上げますと、障害者福祉の問題、高齢者の問題、それぞれの基本法をきちんと作っていただくということは基本的なことだと思いますが、そうした対象者の類型を超えて社会の中で一定のビジョンを展開していただくときには、このユニバーサルという概念がひょっとしたら非常に有効なものになるのではないかしらと思いますが、私としては、今現状、そうした動きについてつまびらかに承知しておりませんので、印象を感想的に申し上げることでお許しいただければと思います。
#52
○参考人(川口光男君) 私ども企業側としましては、二十一世紀はIT社会あるいはユビキタス社会あるいは高福祉化社会ということでとらえておりまして、IT社会においては機器が、技術が高度化しますから、どうしても操作系が複雑化する。そういった中で使い勝手を高めるということが必要になってくるのではないのかなと。それから、ユビキタスという観点でいえば、いつでも、どこでも、だれとでもという観点からいえば、常時監視されている社会。この常時監視から人間らしさを取り戻すような取組も必要ではないのかなと。それから、高福祉化社会では、やはり先ほどから出ているユニバーサルデザインという観点ですべて、あるいはだれもが使える。
 このIT、ユビキタス、高福祉というのはすべて私はユニバーサルデザインに通じる物の考え方だ、技術というよりは物の考え方だというふうにとらえておりまして、今お話しになりましたユニバーサル社会ということでのプラットホーム作りみたいな概念で基本法をお定めになるということに対しては、私どもとしては逆に有り難いかなと。
 ただ、そこで、どこまで定めるかということにもよると思うんですが、やはりこういった概念、あるいは概念が物づくりに反映するということでいえば技術にもつながっていくと思うんですけれども、やはり競争という中で技術あるいは考え方が発展していくと思っています。
 したがって、中でどういう項目をどのように織り込むか、私は、そういった意味ではプラットホームを作るということでは必要だと思いますし、同時に、先ほど意見のところで述べさせていただきましたけれども、ユニバーサルとかユニバーサルデザインという概念が広く社会に通用するということでいえば、是非というふうにお願いしたいとも考えます。
 以上です。
#53
○松あきら君 ありがとうございました。とても参考にさせていただきました。
 もちろん、こうした概念、構想を作った暁には、個々の予算というものが一番大事であるということはよく認識しておりますので、その点もしっかり踏まえて取り組んでまいりたいというふうに思っております。
 ありがとうございました。
#54
○伊藤基隆君 民主党・新緑風会の伊藤基隆と申します。
 今日は大変ありがとうございます。
 私は、今まで、参議院議員でもうすぐやがて九年になるんですが、財政金融委員会、総務委員会というところにずっとおりまして、実はこの国民生活調査会、初めて参加して、前回、ユニバーサル社会の構築ということでの参考人の皆さんのお話を聞きました。今日またお三人に話を聞きました。目の覚めるような感じが実はいたしましたが、今日もプロップ・ステーションの竹中さんも傍聴席においでですけれども、今日も前回の静岡県知事に続いて三鷹市長がおいでになっている。企業から初めての参加で、福島さんは、見ると、今日初めてお会いしまして、非常に何か感動的であります。人間の可能性というものについて物すごく感動的であります。多くの影響を受けまして、私はユニバーサル社会なんていう概念は全く知らなかったんですが、実は聞いているうちに、ああ、ユニバーサルサービスという言葉はずっと使っていたなという気がいたします。
 私は郵便局員です。田舎の郵便局員で、全逓信労働組合という労働組合をずっとやって、それから参議院議員になってきました。当時からユニバーサルサービスを貫徹するということが私どもの組合の社会的な目指す目標ということでやってまいりました。もちろん労働組合ですから、労働条件の向上を図ることは日常的に頑張るわけですが、そういう運動をやってきました。全国どこでもだれにでも同じサービスが行き届くようにするということであります。
 私、三鷹市長さんが自助、共助、公助とおっしゃいましたが、今から二十年ぐらい前に我が組合員に対して言ったのは、まず人間というのは自分の力で何事も解決していく、そういうものでなきゃならないと。自助だと。しかし、限界があると。限界も起こると。そのとき公助が必要なんじゃないかと。公助とは行政の力だろうと。しかし、行政の力にもおのずから限界があると。税収の限界があるんで共助がそこにあるんじゃないかと。共助は、私もその当時言ったんですが、余りにも楽観的に過ぎるかもしれないけれども、無限の可能性があるんじゃないかと、ひょっとしたらということを言いまして、前回に引き続き今回も参考人の皆さんからお話を聞いて、これは本当に無限の可能性があるんじゃないかなという感じがしております。
 私は、公助ということは行政のサービスということだけで考えてはならないんじゃないかと。郵便局ネットワークにずっと携わって、ネットワーク論をずっとやってきましたからよく分かるんですが、ユニバーサル社会を作っていくには、一つの問題提起をお三人にして後で見解をお伺いしたいんですが、ユニバーサル社会を作っていくには、言ってみれば三百六十五日、二十四時間機能できる、あるいは対応できる、そういう社会システムがなけりゃならないんじゃないかと。これはどうしても必要なんじゃないかと。もう費用対効果のことも当然考えなきゃならないですが、しかもそれが幾つか重層的になけりゃ対応できないんじゃないかと、自助でも共助であってもというふうに思いますが、この辺についてそれぞれの皆さんがどのように考えられるだろうか。
 もう一つは、今、私は、二十一世紀に入ってきて、二十一世紀は義理人情の時代になるだろう、これからは義理人情が社会の中心に据えられるべきだというふうに思っていますし、言っています。義理人情、すなわち人間関係をどう厚くしていくか、広くするかというところに二十一世紀のトレンドがあるんじゃないかというふうに思っております。
 というのは、今、世界といいますか、地球といいますか、資源の限界ということはだれしも皆強く感じているんですが、余りそのことを知りたくないような感じがします。もう一方で、私は、今、日本の社会の状況を見ると、社会的アノミー現象が余りにも急激に広がってきたということを思うと、世界じゅうにどのようになっているかということを思うと、人間は社会的な存在であって、社会生活を送るときに人間の精神活動、そういう社会生活に対する対応に限界が来たんじゃないかと。余りにも複雑化したためか、ハイテクノロジーのためか、余りにも物質的要求の強さからか分かりませんが、精神活動の限界が生まれてきているんじゃないかというと、義理人情の世界ということからすれば、今までテクノロジーと資源の活用ということで生活の豊かさというものを作ってきて、ずっと今日まで来たんですが、今までもそれは、技術革新によって人間の生活豊かにしようということで研究者は頑張って、製造業も頑張って、技術者の努力あったというふうに思いますが、結果するところは資源も技術も人間の生活を良くするために、そのことでやってきたんだと、そういうふうには思いますけれども、もっと根源的な意味で人間の、物質というよりは精神的な豊かさというものを、物質がなけりゃどうしようもないんですが、豊かさというものを根源的に考えてテクノロジーも資源の活用も考えていく、社会の構成も社会活動も考えていくというところにパラダイムの転換を大胆にする必要があるんじゃないかというふうに、この調査会で参考人の六人の方の話を聞いて思っています。
 そうすると、そういうときに私は、皆さんがいろんな分野で非常に、正に個人の力を尽くして様々なことをやられているということに非常に感じ入るんですが、そういった個々の努力、ジャンルは違っても全力を挙げているものがもっと日本じゅう、世界じゅうといいましょうか、数多くあるので、それを結集する、集中する必要があるんじゃないかとまず思いました。
 しかし、今日ずっとお話聞いている間に、集中することが果たしてユニバーサル社会を構築する上に有効なのかというと、私は、分散というか分化というか、また集団でも個人でも、個々の活動、行動というものがずっと続けられながら、おのずから集中するということの方が近道なんじゃないかというふうには二つ目に思います。
 もう一つは、集中する認識をまず打ち立てると、そういう共通認識を打ち立てるための努力があって、その上で個々の行動、活動、実験、研究というものがあって、それがまたいいんじゃないかというふうに、三つのカテゴリーといいましょうか、ことが考えられるんです、と思うんですが、果たしてどういう方向がいいんだろうかと。しかし、事は急がなきゃならないような気もしますので、あるいは集中かなというようなふうに思いますけれども、皆さんの御認識をお伺いしたいと思います。
 郵便局ネットワークを守るというのが私の思っている政策のまず第一番で、またすべてでもあるんですが、ユニバーサルサービスを徹底していくことの苦労というものは実際携わってみるとよく分かるわけで、もちろん効率化を上げることにも様々やってきました。
 その中で、どこでもだれでも同じサービスを受けさせるということのつらさもあるんですけれども、あるとき、思い付いてといいましょうか、全逓の組合員に対して、郵便配達をしていて独り住まいの老人がいたら声を掛けろと、声が掛けられない距離だったら振り返ってでもいいから見ろと、手を振れということを言いました。実際始めましたら、勤務時間内の労働運動はやってはいけないということが郵政省側から来まして、けしからぬとは思いませんでして、まあそうだろうなと、企業は。だったら、何でそうなのかといったら、郵便物を持たない人間が一般家庭に入ってはいけないと。それはそうですわな。郵便配達で行っているので、用もないのに入っていってはいけないと。
 それで、全国でこの活動を展開している人たちを集めて実態、体験を聞いたところ、雪の中で、独り住まいのばあちゃんのところへ行っても郵便物がないと。だから、縁側から吹雪の中で声を掛けるんだと。ばっぱ生きているか、本当に。ばっぱ生きているかと言うと、そのばっぱがふざけたような声で生きているどと言うと、言うのでおれは安心して次のうちへ行くんだということを体験を語られました。これもユニバーサルサービスのうちなのかなと。
 問題提起を二つほどさせていただきましたが、皆さんの考えというか、お考え、認識をお伺いしたいと思います。ちょっと長くなっちゃって済みません。
#55
○会長(勝木健司君) 福島参考人からよろしくお願いします。
#56
○参考人(福島智君) 郵便局は、実は非常に私は親近感を持っておりまして、以前盲聾者の数を調べた数値が二万四千人で、郵便局も約二万四千だというふうに聞いておりまして、つまり郵便局の数だけ盲聾者がいるという、そういうふうに聞いております。
 今おっしゃられたように、例えば郵便局のネットワークを使って、そのばば生きているかというような、その真心の、何でしたか、その地域でそういう実践をされているところもあると聞いておりますが、郵便局の二万四千、あるいはコンビニエンスストアの四万という、こういった社会的資源が、今後全国をネットワーク化して実際のサービスやコミュニケーションを展開していく上で一つの重要な拠点になるかもしれないなとは思っております。
 今先生がおっしゃられたことはいろいろなことが混ざっておりましたので、失礼ながらなかなか整理して私には聞き取れませんでしたが、ただ、最初の方でおっしゃっていた、清原市長の話を受けての、自助、共助、公助という三層構造での把握というのは、私はお聞きしながら、私が先ほど別の言葉で言ったことと同じことなのかなと。すなわち、個人、自分自身のエンパワーメント、元気付けられるということと、他者との協力関係、身近な方との関係、そして制度という表現で申し上げましたが、個人と他者との関係と社会という三層構造と同じことが、別の言葉で言うと、自助、共助、公助なのかなと。
 そして、恐らくこれはどちらがどちらを規定するということではなくて、三つの階層がそれぞれ補い合っている。個人の力をはぐくんでいくということは、他者との関係をも活性化し、それは社会全体の公的な部分をも活性化する。また、その逆もある。あるいは、真ん中にある共助、その人間同士の生の関係が個人レベルにも公にも波及効果をもたらすという、そういった非常に重層的な波及効果があるのかなと感じました。
 もう一つ、義理人情とおっしゃったのも、一瞬とっぴなことをおっしゃるなと思いましたけれども、これは一体何かというふうに考えると、今風の言葉で言えば、義理というのは、例えば人権であり権利であり義務である、そういった私たちが社会的に構築しているモラルでありますとか権利関係であろうと。人情というのは、ヒューマニティーであったりあるいは共感、シンパシーであるだろうと。でも、こういう硬い言葉に変えちゃうと、生活から少し離れた感じがする。だけれども、義理人情と言われると確かに日常生活にフィットしますので、おっしゃろうとすること、すなわち一方で権利関係や人権がその筋を通すということがあって、他方で生身の人間の温かさや共感というものが両方必要かなと。これはもう私の体験や障害を持つ人たちの日々の生活の中で、この二つの部分ですよね、これが実際に非常に現実の問題として浮かび上がってくるだろうというふうに思っております。
 郵便局ということが最後に出てきましたので、私の結論では、郵便局は親近感があると、そこで終わりたいと思います。
#57
○参考人(清原慶子君) まず一点目、ユニバーサル社会を作っていくためには二十四時間対応できる社会システムが必要であり、その中で郵便局も有力な担い手になるのではないかというお考えにつきましては、私たちも地域社会を見ておりまして、郵便局は大変住民の方に身近な機関として密接な関係を持ったこれまでの暮らしというのがございます。実際に市民の皆様には、郵便局で納税始め公共的な料金の支払などを含めてお世話になっておりますし、典型的な例では、鳥取県の智頭町が最初にひまわりサービスということで、郵便局員の方が、郵便物がなくても町と契約をして高齢者の独り暮らしなどを訪問されるという福祉的なサービスも提供されている、そういう担い手になっているということも承知しております。
 そういう意味で、私たちがユニバーサル社会の強さを図っていくときに、郵便局のみならず、例えば、三鷹市ですと消防団が十個分団ありまして、これは全くボランティアの方にお願いしている消防団ですが、一市一消防署でございますが、大変防災あるいは防火活動等に活躍をしていただいておりますし、そうした重層的な、町会等も含めた担い手がユニバーサル社会の中で更に改めて役割を担っていただく意義があるのではないかなというふうに考えております。
 二点目の、二十一世紀は義理人情、言い換えれば、人間関係が大変重要な社会の中で、個々の努力というものが結集した方がいい部分もあるかもしれないけれども、分散、分化した方がいい部分もあるかもしれない、それをどうとらえるかということでございますが、私はユニバーサル社会が成り立つ上で、先ほど来二人の参考人の方からの御意見にもありますように、やはり情報通信技術というものの進展は大いなる重要な基盤になっていると思うんですね。
 情報通信技術が携帯電話であれインターネットであれ私たちに開いてきた、あるいは向上させてきたのは、やはり今までなかなかコミュニケーションしにくかった方がコミュニケーションしやすくなる、ゆえに情報共有が比較的前の時代よりも容易になるということで、集中か分化かというよりは、共有すること、ともに同じ情報を持ち合う、そして個別の意見を多様に出しやすくなる。今までの社会では声が出しにくかった高齢者や障害者や子供たちの声も、世の中に出やすくなるという意味で、幅広い情報共有、意見の交流ができるという方向がユニバーサル社会の基盤でもあり、望ましさではないかなと思いますので、集中か分散かというよりは、キーワードは共有。必ずしも、意見が違う人との間でも、お互いの違いを知るきっかけが共有できるといいましょうか、共有とか交流ということにユニバーサル社会の在り方は考えられるのではないかと思います。
 はい、以上でございます。
#58
○参考人(川口光男君) 私の方からも三点ばかり、御質問というか御意見がいただきたいということがあったと思うんですが、一点目の、三百六十五日、二十四時間機能する社会システムが必要ということに対しましては、確かにそのとおりだと思いますが、私先ほど述べましたように、逆に二十四時間、三百六十五日監視されているという、常時監視されているというこの心理的な圧迫感というものも実はお客様側には、あるいは生活者側にはあるのかなと。こういったものをハード、ソフト含めて意識させない、私ども、どうしてもメーカーサイドからの発言になりますけれども、意識させない物づくり、あるいは機器の在り方といったものが私どもとしては必要かなというふうに考えております。
 それから二点目の、二十一世紀は義理人情の世界。
 これは正に私もそうだと思っていまして、先ほどこれも言わせていただきましたけれども、どちらかというと、やっぱりITが進展しますと、どうしても機能とか効率、例えば操作でいえばスピードだけが重視される。これ、ほかのことで恐縮ですが、券売機あるいは銀行のATM等で、余りにもスピードが速いタッチパネルに向かったときに、どぎまぎ、間違えて押したときにもう次の画面へ変わっちゃうとか、こういったことが本当にいいのかというものを私どもは実は今検証しております。そういったように、技術はハイテクであったとしても、操作性というものはやはり人間に近い、あるいは非常にアナログ的な操作感が必要ではないのかなといったものも考えております。
 そういった意味では、正に私は義理人情というか人間の心理、深層に刺さるような物づくりをしていかなければいけないのかなというふうに考えております。
 それから、三点目のものも同じことだと思っております。
 テクノロジーとか資源の活用で豊かさをこれまで作ってきたと。それに対して、これからは人間の精神的な豊かさを考えてテクノロジーや資源の活用を考えていく、パラダイムを変えていくことが必要だ。これはもう、正に今私が先ほど言いましたように、やはりお客様視点、生活者視点に立って技術をいかに活用しながら物づくりをしていくということが必要かな。そこには、やはり我々、日立製作所のことで恐縮ですが、デザイン本部というところでは、いかに高度な技術をいかに分かりやすく提供していくかということに心掛けております。
 それから、集中と分散というのもありましたけれども、これについても、これも日立のことで恐縮なんですが、日本というのはどうしてもメーカー人間、日立でいえば日立人という考え方でずっと内向きに仕事をやってきたということがございます。最近では個の尊重、個の自立といいながら、個が集を作るという考え方で行っております。いかに個人の能力を引き伸ばすかによってその企業の力が付いていくということでいえば、むしろ集中から分散、分化の方向ではないのかなというふうに考えております。
 以上です。
#59
○伊藤基隆君 ありがとうございました。
#60
○谷博之君 私は民主党・新緑風会の谷博之でございます。
 今日は、三人の参考人の皆さんには大変貴重な御意見、ありがとうございました。
 私は、いつも参考人の皆さん方にお越しいただくときに先生方が書かれておられる本を読ましていただいておりまして、前回の竹中参考人のときもそうだったんですが、そういうものを参考にさしていただきながら、限られた時間ですが、それぞれ一問ずつお伺いしていきたいと思っております。
 まず、福島参考人の書かれている「渡辺荘の宇宙人」、そして「盲ろう者とノーマライゼーション」、こういう本を読ましていただいておりまして、いろんなことが書かれておりますけれども、特に私は端的な文章として、感じましたのは、例えば障害者福祉を進めていく担い手として先生は次の五つの主体を考えていると。第一は障害者自身やその家族、第二は地域の住民、第三は障害者福祉に関する活動を職業としている人々、第四はボランティア、そして第五は企業であると、こういうふうなことですね。それから、それらを含めて、特に二十一世紀の障害者施策の基本というのは、障害者自身と地域住民、専門ワーカーとボランティア、そして企業をも巻き込んだ社会全体の変革の流れの中に展望することができると。また、おまとめの中に、自分が盲聾者となった自らの体験を基に、私たちと最後の部分でつなぎ止める命綱が心に響くコミュニケーションなのではないかと思うと、こういうふうに書かれておられます。
 こういう文章を読んでおりまして、私は、この担い手にしろ、あるいは将来の二十一世紀の障害者福祉の先ほど挙げられたいろんな方々、こういうものの中に行政という言葉、国家という、国という言葉が直接的には出てこない。そういう中に、この指摘をされている方々が当然そこに行政というものも含まれて考えているのか。
 お配りいただいたこの参考資料を見ておりますと、二十ページに先生こういうふうに書かれておりますが、知的障害者を含む障害者の解放を目指す上で重要な側面として、第一に障害者自身のエンパワーメント、第二に障害者一人一人の身近な関係者によるサポート、第三に法的枠組みを含む社会の制度的インフラの整備、この三つの側面を挙げておりますけれども、この第三のところにそういうものが含まれているというふうに解釈していいのかどうか、そこのところの説明をしていただきたいというふうに思っております。
 それから、清原参考人にも、実は「三鷹が創る自治体新時代」という本を読ましていただきました。市制五十周年の二〇〇〇年の記念ということで書かれた御本人が清原参考人でございまして、前安田市長の後を継がれまして、今、三鷹の市長として行政のトップで活動されておられると、こういうことであります。
 一つ具体的にお伺いをしたいんですけれども、この本の中にも幾つかのワークショップの取組について出されております。私も、実は地元が栃木県なものですから、地元でいろんなそういうまちづくりにワークショップを取り入れて、地元の国立大学の工学部の先生、学生と一緒にそういう作業に参加したことがございます。
 今、一つ問題になっておりますのは、こういう具体的なケース、ちょっと課題として抱えておりまして、そういうものに対する市長としてのアドバイスをいただきたいと思っているんですが、実は、今年の五月に全国から宇都宮に脊椎損傷の方々が三百人ほど集まって全国大会を開く。こういう方々がどうしても日光を見たい、東照宮、陽明門を見たいんだということで、我々は一年ほど前からそういうことで地元の市とか関係者と打合せをしておりますが、玉砂利とあの石段はどうしても車いすで上がれない。これはやむを得ないものですから、我々は業者に頼みまして、車いすが通るようなそういうふうな板を敷いて、そしてその彼らのそういうのが見たいという、そういうことについて何とかしようと、そういうふうなことを考えているわけですが。
 そういう中で、これを機会に何とかそういうふうな、先ほどお話ありましたように、ほかから訪れた人たちに対してそういうふうな、言うならばユニバーサルサービスあるいはユニバーサルデザイン、さらにまた人に優しいそういうまちづくりを、作っていこうじゃないかと、こういうことで市民の有志が立ち上がっているわけですけれども、なかなかそういう意味での町全体のそういうふうな構造上の問題、あるいは古い町ですからそういう意味の理解がなかなかまだまだ得られないと、こんなようなことがございます。
 そういう点で、三鷹市の場合は非常に先進的に、この本にも書いてありますように、進んでおられる。そういうふうな経験を是非我々のそういうふうな地域にもアドバイスをしていただきたいと思うんですけれども、そういう今の現状に対してどのような具体的な取組、これ、現に我々は意識的な方々、具体的にはJRや東武の駅長さん始めいろんなそういう方々と、部分部分では駅前のそういうふうな関係者が集まってまちづくりの相談をいろいろしているというようなことがあるわけですけれども、なかなかそれが全体に広がっていかないという、そういうふうな悩みを抱えていますけれども、そこら辺の三鷹におけるそういうふうな長い経験の中で何かアドバイスしていただくことがあればお聞かせをいただきたいと思っております。
 それから、川口参考人には、いろいろお話ございましたけれども、私は前回の参考人質疑のときにも申し上げたんですけれども、国内的なやっぱり物事の見方と世界的なやっぱり視野の中で、このITとかユビキタスの問題、そういうものは当然これは取り組んで、日本がその正に指導的、リードを取ってやっているわけですけれども、そういう中に、一つはやっぱりいろんなインフラの整備とか、そういう社会的なやっぱりそういうふうな整備というものがどうしてもやっぱり必要になってきているんだろうと思うんです。
 したがって、こういう協議会を作られていろいろ研究され、企業なり関係者が取組をされておられるわけですけれども、こういうものが例えばイベントとか国際会議とか、そういう展示場でいろんなそういう技術が明らかにされていくということはもちろん大事なことですが、その先の、具体的には、例えば世界的に言えばアフリカなんかは特に具体的にそうですけれども、そういうふうな社会を作ろうとしてもなかなかできないという今の現状ですね。
 国内でもそういうふうな、いわゆる財政との問題とかいろんな課題があって、その技術をその地域なりそういうふうなまちづくりのためになかなか生かせない、あるいはいろんな福祉の現場でそういう技術が十分取り入れられないというふうなこともあると思うんですけれども、そこら辺のこの協議会がどのようにこれからそういう部分で働き掛け、取組をしようとしていこうとしているのか、その点についてお答えをいただきたいと思います。
#61
○参考人(福島智君) なかなか鋭い御指摘で、その論文を書いたとき、もう十年ぐらい前なので今正確には覚えていない部分もあるんですが、国や行政や法制度というものについてはもちろん前提として踏まえるべきだと思っております。恐らくそのときは、ボランティアという観点に注目していたことと、もう一つは福祉ワーカー、職業人としてかかわる福祉ワーカーというものの背景には、当然、行政施策があり、予算的裏付けがあり、さらにはその背景にはそういった制度を作る根底と立法措置があるということで、直接、国、自治体という表現はしていないんだろうと思いますが、もう一つで御紹介いただいた、この知的障害者の方ですね。
 これは昨年行われたアジア知的障害者会議で行った基調講演の記録だろうと思いますが、そのときは三つの枠組み、つまり個人のエンパワーメントと、それから他者によるサポート、身近な方によるサポートと、制度的、法制度的枠組みということ、先ほど申し上げていたこととつながりますが、そういう三つの階層でお話ししていたと思います。その点では、三つ目の法制度的枠組みというのが行政や立法にかかわる部分だろうと。
 いろいろな文脈でどういうふうに分けるかというのはあると思うんですが、ちなみに職業人ということで少し申し上げますと、私が障害を持つ立場でボランティアの皆さんの支援を受けたりあるいは日常的なサポートを受ける中で感じてきたことは、やはり個人的なつながりでありますとかボランティア的なかかわりは非常に重要なんですが、それだけでは限界があるだろうというふうに思っております。やはり法的な規定にのっとった行政施策、さらに公的なサービスとしての、職業人としての福祉サービスというものは必ず必要だろうと。
 私は、多分十二年ぐらい前ですが、当時の厚生白書にごく短い文を載せたことがあるんですが、例えば警察や消防という仕事、これはボランティアではなされていないわけですね。火事が起こったときに消防の方が来る。もちろん近所の人が自発的に火を消すということはあるけれども、職業人としての消防士の方々が火事を消してくださる。そのことに対して、ほかの人たちはボランティアだとは思わない。きちんと敬意を払い、コストを払い、公的な責任として税金でその方たちに給与を払う。
 しかし、例えば障害を持っている人やお年寄りが命にかかわるような状況になって、その人たちに対してサポートをするという場合でも、それがボランティアだったり、あるいは家族のお世話ということの延長でなされたりする。そのことについての疑問というものは余り起こってこなかったりする。なぜなのか。なぜ障害や加齢、高齢になるということで発生するニーズやトラブルに対するときはボランティアや奉仕や家族の愛情ということが言われて、例えば火事やあるいは犯罪といったものに対しては当然公的になされるべきだというふうに考えているのかということが非常に感覚的に違和感がありますが、つまりボランティア精神というのは重要なんですが、ボランティアを強調するだけではなく、一方できちんとミニマムの部分は公的に保障するということが重要だろうというふうに思っておりますので、公的な、あるいは法制度的な、あるいは行政的な枠組みを軽視しているわけではございませんので、是非、その点は誤解していただかないように是非お願いいたします。
 以上です。
#62
○参考人(清原慶子君) 谷委員が現在栃木県内で直面していらっしゃる具体的な事例について、私から何か提言できることはないかという御質問でございますが、今、谷委員が直面していらっしゃる問題というのは正に、とりわけ車いす利用の障害者の方が移動して旅行をするという場合に、これまでも大きく問題視されていた課題を、正に人数が三百人という規模であるがゆえにより大きく難しくなってきている課題ではないかなというふうに承りました。
 元々、障害者の方が社会参加をする上でやはり何よりも優先されたのが教育機会の提供であり、あるいは参政権の行使であり、そういうことであるならば、就業の問題も個別具体的に難しいと同様に、より移動して、とりわけこのような文化遺産をごらんになりたいという気持ちを尊重するような条件整備が不十分であるということの表れた顕著な事例だろうというふうに思います。
 私は、実は研究者のときに、ある業界の御依頼いただきまして店舗のバリアフリーについて調べますときに、自ら車いすに乗ってみて、そしてその店舗の移動の困難を体験するということを学生とともにいたしました。
 私は、すぐさま、車いすの方をどうお手伝いしたらいいか、あるいはどのような場所にどのような板を置いたらいいのかということを、図上で分かることは難しいとも思いますので、実際にボランタリーに健常者の方であっても車いすに乗っていただいて、そして日光の町の玉砂利を例えば自ら動いていただく体験をしていただく有意義な、高校生あるいは大学生あるいは若い勤労者の方などの体験ワークショップというんでしょうか、そういうのをしていただいて、障害者が、とりわけ車いす利用者が直面している課題を体感していただいたら、そういう方がせっかく日光に来ていただいてごらんになるのであれば、その日光の市民のみならず、周辺の方々がその御苦労を軽減させようという知恵もわいていくでしょうし、あるいはどのような道筋を通ればより文化遺産でありますものを傷付けずに景観等も少し我慢していただいて、板あるいは布等で越えられるところもあるかもしれませんし、そうした建築業界あるいは施設の業界あるいは川口さんの関係者のお知恵など、デザイナーのお知恵などをかりることで比較的というか、相対的に容易なルートが探せるかもしれませんし、手だてが講じられるかもしれません。
 あるいは、三百人が一斉になら無理だけれども、例えば一日百人ずつ三日間ならできるかもしれないのであれば、大会の前後にそうした機会を作るというようなこともあるかもしれません。
 そんなことはとっくに谷委員周辺で取り組まれていらっしゃるかもしれませんけれども、私は、頭で理解するのではなくて体で理解する体験が体験学習、ワークショップとして有効ではないかと思うものですから、是非車いすに乗って、つかの間でも脊椎損傷の方の体の痛み、心の御苦労を体験される層を増やされ、そしてできれば私は体力のある、あるいは時間的に比較的融通の利く若い層がこうした担い手となって結集していただければ有り難い。必ずしも栃木県周辺の、あるいは栃木県内の大学生や若い層だけではなくて、ひょっとしたら周辺の、そのときにやってきて手助けしてくださる、そうした有意なボランタリーの方がいらっしゃるかもしれません。
 ただ、その中で御配慮って悩まれているのは、ひょっとして事故でもあってはいけないし、けがでもされてはいけないし、また支援する方、補助する方が不慣れのためにかえってそうした支援が災いをもたらしてはいけないのではないか。そんなような多様な問題をきっと整理して、お悩みを深くされているとは思うんですけれども、今申し上げましたようなことで、三鷹市の場合でもこうした大規模な障害者の方の移動を支援した事例は余りないと思いますし、私自身もそれほどの経験はないわけでございますけれども、もしこれが成功されることであれば大いに栃木県のユニバーサル社会化は進むでしょうし、ほかにも影響が及ぶと思いますので、御苦労多いと思いますけれども、御成功を応援させていただきます。
 御質問ありがとうございました。
#63
○参考人(川口光男君) 谷議員の御質問は、我々協議会の今後出す成果をどのように活用し、どのような役割を担っていくのかということだと思いますけれども、現在、先ほど述べましたけれども昨年末に発足しまして、現在〇四年度の事業計画を作ったところでございます。
 と同時に、現在の私たちの一つの大きな課題は会員の拡大ということもございます。この会員の拡大というのは、単に会費の増収を得るということだけではなくて、現在も既に企業としては百二十社、各界を代表する企業に入っていただいて百二十社というふうに集まっているんですが、それ以上に準会員として団体あるいは自治体の方々に参画をいただこうと思っています。この辺のその勧誘活動がまだ不十分で、現在のところ二団体ということになっております。
 なぜその会員を拡大していくかということを言いますと、会員に入っていただき、その会員の方々が既に持っているユニバーサルデザインに関する、あるいはバリアフリーデザインに関する知識あるいは技術あるいは実績、こういったものを持ち寄っていただいて会員同士で共有すべきところは共有しようと、そしてお互い高めていこうという一つの役割がございます。
 したがって、先ほど詳しくは述べませんでしたけれども、テーマ研究の中の一つの目標としまして分野ごとの標準化みたいなものをやっていこう、あるいはガイドライン作りをやっていこう、それが社会インフラの整備にもつながっていくんではないのかなというふうに考えております。こういった協議会の各分科会でやる、ワーキングでやる成果を共有する場として、先ほど議員がおっしゃった展示会とかイベント等を考えております。
 ただ、これを、成果をそういったところで発表するだけが私たちの役割ではなくて、会員がそれぞれ地元あるいは自分の企業に持ち帰って、その事業あるいは経営の中に生かしてこそこの本来の役割があると思っています。その役割を果たすときに更に協議会に対して、もうちょっとこういうふうに、こんなことを聞きたい、あるいはこんなことをしてほしいといったことで、コンサルティングといったものも一つの事業というふうに考えております。
 したがって、会員を拡大し、事例を増やして、インフラの、標準化としてのそのインフラが整備できれば、結果としてその社会づくり、まちづくりに生かしていけるのではないのかなというふうに考えております。
 以上です。
#64
○谷博之君 どうもありがとうございました。
#65
○会長(勝木健司君) 質疑を希望される方は挙手をお願いいたします。
#66
○加治屋義人君 清原市長さん、本当にあなた立派だと、話を聞かしていただきました。
 まあ一年で、首長がこれだけ頑張ると形として成り立ってくるんだなと思っている一方では、首長さんの力強さとか、あるいは首長の熱意で町は変わるんだなということを思っているんですが、まあ話聞いていて三鷹の市長にはもったいないなと、そう思っておりますけれども、一方で、この今お持ちのその気持ちを全国の首長さんに大きく情報発信するような、そういうお仕事もされたら非常に全国的に展開、このことができるんじゃないかと、まずそういうことを思いました。いかがでしょうか。
 それと、福島参考人にお聞きしたいんですが、三鷹市のまちづくり、これはすばらしいまちづくりを進めておられるんですけれども、あなたとしての立場でのこの三鷹市に対するコメントがあれば、お聞かせいただきたいと。
 以上です。
#67
○参考人(清原慶子君) 御質問、激励いただきまして、どうもありがとうございます。
 今回配付させていただきました資料の二十七ページの冒頭にこのように書いてあります。「市民と行政との協働で進める「バリアフリーのまちづくり」」、全国市長会主催の第六十五回全国都市問題会議パネルディスカッションの資料であると。実は、これは講演記録ではなくて、講演の前に出させていただいた原稿を一部修正して御紹介させていただきました。
 後にパネルディスカッションそのものはこういう報告書になっているんですが、私、大変びっくりしたんですが、市長に就任しまして直ちに全国市長会の事務局から御連絡がありまして、実は第六十五回、これは昨年の十月に開催されたものですが、全国市長会等の主催で全国都市問題会議というのをするんだけれども、そのテーマが「誰にもやさしいまちづくり」であると。そういうテーマであれば、清原がその研究者時代にやっていたこと、それから市長として進めようとしていることと一致するので是非、新人、まだ数か月の、市長二か月目か三か月目に御依頼があったのですが、パネリストとして発表してほしいという御依頼いただきました。
 私、感謝しておりますのは、そうしたその新人の市長にも全国市長会は目を配っていただいて、しかもその全国大会で事例等を発表させていただくという機会がありますと、私も改めて考え方ですとか実践をまとめ直します。そういうことで発表させていただいて、またいろいろ御意見、御提案いただいて強められてきたということを、市長になって六か月目の秋のこの会議で経験させていただきました。そうしたこともありまして、それまでのこともあって、今回は参議院議員の皆様からその調査会で是非という御依頼もいただきました。
 私は、自らが取り組んでいることはまだまだ前市長から引き継いだものが圧倒的に多くて、私自身がこれから進めていくべきものはようやく今年度に少しでも芽が出、そしてつぼみに、つぼみまで行かないかもしれませんが、そういうことかなと思っておりますので、こういう機会をいただくことによりまして、私自身が短期間の間に早く市民のためにも成長しなさいということではないかなと思っておりますので、いただいた激励を感謝いたしますとともに、今後も是非、小さな自治体の事例ではございますが、それを御紹介させていただくことで正にユニバーサル化されて、全国的な理念に結び付いていけば有り難いし、さらには、参議院の皆様通じて国の新しい取組にも反映していただければこの上ない幸いと思います。
 どうもありがとうございます。
#68
○参考人(福島智君) 地域福祉ということが今の大きな流れになっております。厚生労働省で話をしていても、とにかく国の施策には限界がある、やはり皆さんが住んでいるその地域の、その市町村の施策が重要であるという議論になりますし、実際の制度もそのようにシフトしてきておりますので、清原市長が三鷹市で展開なされている取組、非常にすばらしいと思います。
 今、先ほどのお話にもございましたが、市長がバックグラウンドとして大学で学生さんたちとのかかわりを持ってこられた、教育研究を展開されていたということも重要なのではないかと思っています。すなわち、そこで育てた学生さんたちが大学を出て、また様々な地域に散っていく、様々な分野に進出していくということも非常に意味があることだろうと思っております。
 私、今日は大学の話をする機会がこれまでございませんでしたので、同じ大学のバックグラウンドをお持ちということで少し関連して私もお話しさせていただきたいんですけれども、この東京大学というところで今勤務して三年になりますが、やはり大学というところでも非常にバリアがあり、ユニバーサルデザインが進んでいないということなんですね。
 例えば障害学生ということを考えた場合、東京大学は学生が二万人ぐらいおりますが、障害学生は十人ぐらいしかいない。教員に至っては、四千人の教員の中で重度の障害者は私一人しかいない。そういう状況では非常に寂しいと思っております。
 そして、私が着任して、総長始め何人かの先生方にも励まされまして、学内のバリアフリー化を進めるという取組をしてまいりました。そうすると、大学で、教官側もそうですし、それから学生もそうですが、障害を持った教員がいたり学生がいるということ、あるいは先ほど疑似体験のことを清原市長もおっしゃっていましたけれども、車いす体験ですね、そういったシミュレーション体験を行ったりして障害学生の気持ちを疑似的に体験するといったことなどをしていくと学生の反応が随分変わってきます。
 学生が大学を出て様々な社会に散っていくときに、そういった体験を大学時代にしたかどうかということも非常に重要な意味があるのではないかなというふうに思っておりますので、ユニバーサル社会を生み出す上での一つの切り口として、大学におけるユニバーサルデザインあるいはバリアフリー化、言わばユニバーサルユニバーシティーを目指すのが重要なんではないかなと。ちょっとこれを言うと駄じゃれかと言われるんですが、そうではなくてみんなが参加できる大学ということです。
 東京大学も、この四月からちょうど全学のバリアフリー支援室というものが正式発足しましたので、是非これから障害学生をどんどん受け入れていきたいというふうに思っております。
 済みません、三鷹市のお話から東大の話に移ってしまいましたが、どちらも重要ではないかなというふうに思っております。
#69
○会長(勝木健司君) 加治屋さん、いいですか。
#70
○加治屋義人君 いいです。
#71
○会長(勝木健司君) 他に御発言はございませんか。
 それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑を終了いたします。
 福島参考人、清原参考人及び川口参考人には、御多用の中、本調査会に御出席をいただきまして、有意義なお話をいただきまして、誠にありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の私どもの調査の参考にさせていただきたいと思います。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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