くにさくロゴ
2003/04/02 第156回国会 参議院 参議院会議録情報 第156回国会 共生社会に関する調査会 第4号
姉妹サイト
 
2003/04/02 第156回国会 参議院

参議院会議録情報 第156回国会 共生社会に関する調査会 第4号

#1
第156回国会 共生社会に関する調査会 第4号
平成十五年四月二日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月十一日
    辞任         補欠選任
     小宮山洋子君     神本美恵子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         小野 清子君
    理 事
                有馬 朗人君
                清水嘉与子君
                橋本 聖子君
                羽田雄一郎君
                山本 香苗君
                吉川 春子君
                高橋紀世子君
    委 員
                有村 治子君
                後藤 博子君
                南野知惠子君
                山下 英利君
                岡崎トミ子君
                神本美恵子君
                郡司  彰君
                鈴木  寛君
                千葉 景子君
                風間  昶君
                弘友 和夫君
                林  紀子君
                福島 瑞穂君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        岩波 成行君
   参考人
       桃山学院大学法
       学部法律学科教
       授        瀧澤 仁唱君
       弁護士
       日本弁護士連合
       会人権擁護委員
       会障害のある人
       に対する差別を
       禁止する法律調
       査研究委員会事
       務局長      野村 茂樹君
       障害者インター
       ナショナル日本
       会議権利擁護セ
       ンター所長    金  政玉君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○共生社会に関する調査
 (派遣委員の報告)
 (「共生社会の構築に向けて」のうち障害者の
 自立と社会参加に関する件(障害者の権利))

    ─────────────
#2
○会長(小野清子君) ただいまから共生社会に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る三月十一日、小宮山洋子君が委員を辞任され、その補欠として神本美恵子君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(小野清子君) 共生社会に関する調査を議題といたします。
 先般本調査会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。清水嘉与子君。
#4
○清水嘉与子君 去る二月十八日から二十日までの三日間、兵庫県及び京都府において、共生社会に関する実情調査を行いました。
 派遣委員は、小野会長、有馬理事、橋本理事、羽田理事、山本理事、吉川理事、高橋理事、有村委員、小泉委員、後藤委員、段本委員、南野委員、小宮山委員、鈴木委員、林委員及び私、清水の十六名であります。
 以下、調査の概要を御報告申し上げます。
 一日目は、最初に兵庫県より、障害者福祉、児童虐待、DVに関する取組の概要を聴取し、意見交換を行いました。まず、齋藤副知事よりあいさつがあり、阪神・淡路大震災から八年、復興が進む一方、障害者、高齢者等の災害弱者に対する施策の重要性が再認識され、県を挙げての課題として取り組んでいるとの説明があり、次いで、担当部局より、障害者福祉に関し、圏域アクションプログラムを策定、市町の障害者計画策定を支援するとともに、重度心身障害者の医療費を公費で負担する等、各種施策を実施しているとの説明がありました。
 DVに関しては、単に配偶者の問題のみならず、多重債務に伴う金銭トラブル、暴力団、児童虐待、失業等の問題が複雑に絡んでおり、事例の中には、女性からDVを受けている男性からの相談を受けるケースも三例あったとの説明がありました。
 また、児童虐待に関して、平成十三年八月、尼崎市で男子児童が両親の虐待を受けて死亡、遺棄される事件が発生し、こうした痛ましい事件が繰り返されることのないよう、平成十四年一月、児童虐待防止プログラムを取りまとめ、総合的に施策を推進しているところである。これらを通じて、こどもセンターが今後とも大きな役割を果たしていくことが期待されるが、市町が主体となったネットワーク構築にも取り組んでいきたいとの説明がありました。
 派遣委員との間では、支援費制度に係る市町の施策、障害者相談員の処遇、震災等で注目されたトラウマやPTSDに関する調査研究を行うこころのケア研究・研修センターの概要、精神障害者の社会復帰推進策、共生社会実現のためのボランティアの在り方、盲導犬育成、DV法の見直しの内容、縦割り行政の改革等について活発な意見交換が行われました。
 次いで、神戸市東灘区にあります社会福祉法人プロップ・ステーションを訪問しました。
 同法人は「チャレンジドを納税者に」との方針の下、コンピューターのネットワークを活用して障害を持つ人たちの自立と社会参画に取り組んでいる団体であります。
 竹中理事長からは、現在、障害者の就労を支援するものとしては法定雇用率制度のみであり、障害者のための就労制度を整備し働きたい人にチャンスを提供してほしい、企業から障害者へのアウトソーシングが法定雇用率に反映されるような仕組みを作るべきであるとの意見が述べられました。
 二日目は、まず、神戸市西区にあります県立総合リハビリテーションセンターを訪問いたしました。同センターは、病院のほか、研究・補装具製作施設、家庭介護・リハビリ研修センター、自立生活訓練センター、身体障害者授産施設、特別養護老人ホーム、救護施設等で構成される総合施設であります。同センターでは、車いすや福祉用具の試用体験を通じて障害を理解する試みが行われており、派遣委員一同は、これらを実際に体験してまいりました。また、同センターは、職業リハビリテーション、障害者スポーツにも力を入れ、外国人研修生受入れを通じ国際交流を行っているとの説明がありました。
 午後は京都府に移動しました。最初に、社会福祉法人「太陽の家」京都事業本部を視察いたしました。同事業本部は、オムロン株式会社との共同出資により会社を設立、電子制御機器等の製造を通じ、地域との交流、環境活動等に取り組んでおります。施設見学の際、派遣委員との間で、障害者の勤続年数及び定年、障害者雇用と景気動向との関連、職場のノーマライゼーション、障害者雇用促進のための方策等について意見交換を行いました。
 次いで、京都府より、障害者福祉、児童虐待、DVに関する取組についての説明を聴取いたしました。初めに山田知事から、支援費制度導入に際しての予算上の諸問題、府財政の厳しい現状に対する認識の下、障害者の生活向上のため尽力していくとのあいさつがあり、次いで担当部局より、重度身体障害者に対するデイサービス事業の実施、また全国初となる全国手話研修センター誘致等、障害者福祉に関し各種施策を行っているとの説明がありました。
 また、児童虐待に関しては、相談件数急増、事件深刻化の傾向が見られ、昨年十月には児童虐待ゼロを目指すストップ・ザ・児童虐待宣言を行い、併せて市町及び府全域を調整するネットワーク会議を設立し諸施策を実施している、新たな動きとして民間による児童養護施設建設、福祉基金設立の計画も進んでいるとの説明がありました。
 DVに関しては、DV法施行当初に比べ、相談件数が六・五倍、一時保護の件数も三倍近く増加しており、婦人相談所の相談体制の強化などを図っているところであるが、都市部、特に政令指定都市である京都市における相談件数の急増にかんがみ、新たな対応を検討するよう国等に対し要請中であるとの説明がありました。
 派遣委員との間では、障害者雇用におけるノーマライゼーション施策の内容、民間企業が福祉分野に参入する際の問題点、ストップ・ザ・児童虐待宣言の意義及び効果、児童虐待対策における周産期・周生期への留意の必要性、一時保護を行う民間シェルターに対する財政支援の在り方、DVセンターの位置付け等について活発な意見交換が行われました。
 三日目は、まず、京都市聴覚言語障害センターを視察いたしました。同センターは、聴覚障害者の更生施設及び授産施設のほか、手話通訳等の養成、生活情報やコミュニケーション支援のための情報提供等を行っております。視察に際し、以前、茨城県東海村で発生した臨界事故の際、聴覚障害者に対する情報伝達が大幅に遅れた事例にかんがみ、緊急災害時における聴覚障害者に対する情報伝達等について早急に対策が必要との意見が述べられました。また、派遣委員との間で、聴覚言語障害者が医療サービスを受ける際の問題点、健常者とのスポーツを通じた交流等について意見交換が行われました。
 次に視察いたしました施設は、母子生活支援を目的とした児童福祉施設で、入所した母親のため保育所や学童保育室が整備されています。同施設より、現在入所している十八世帯のうち十五世帯がDVによる入所であるとの説明があり、派遣委員との間で、入所者の住民登録の問題、二年程度の入所期間内での経済的自立の可能性、警察との連携等について意見交換が行われました。
 次いで、真言宗総本山東寺を視察いたしました。現在、京都府では、すべての人が安心して快適に暮らし、自由な移動と社会参加ができる町の実現を目指して建築物等の整備や環境づくりが進められており、東寺を始め多くの歴史的文化施設でも車いす用トイレやスロープの設置等バリアフリー化が進められています。
 東寺より、バリアフリー化によって観光客や参拝者が急増するような現象は生じなかったが、職員一人一人が障害者に対して様々な配慮を自発的に行うようになり精神的な面で大きな成果を見いだした等の説明がありました。
 以上の日程を通じて、日ごろ障害者福祉、児童虐待及びDVの諸問題に取り組んでおられる方々の話をつぶさに伺い、また意見を交わすことができ、本調査会として極めて充実した内容の濃い調査を行うことができました。
 最後に、今回の調査に当たりお世話になった関係各位の御協力に対し心から感謝を申し上げ、報告を終わります。
#5
○会長(小野清子君) 以上で派遣委員の報告は終了いたしました。
    ─────────────
#6
○会長(小野清子君) 共生社会に関する調査のうち、「共生社会の構築に向けて」を議題といたします。
 この際、御報告いたします。
 お手元に配付いたしましたとおり、現在、議場又は委員会議室に入る者がつえや車いすを使用する場合に、本院規則二百九条ただし書によりまして議長の許可を得ることとなっております。この携杖許可制度につきまして、ノーマライゼーションの観点から見直し、つえのうち、歩行補助つえ及び盲人安全つえの携帯を原則として認める方向での本院規則の改正について、早期に議院運営委員会において検討がなされるよう、本調査会各会派の総意として、去る三月二十四日、議院運営委員長に申入れを行うとともに、本日、議長に御説明申し上げました。
 委員各位におかれましては、御理解、御協力をよろしくお願い申し上げます。
    ─────────────
#7
○会長(小野清子君) 障害者の自立と社会参加に関する件のうち、障害者の権利について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、桃山学院大学法学部法律学科教授瀧澤仁唱君、弁護士・日本弁護士連合会人権擁護委員会障害のある人に対する差別を禁止する法律調査研究委員会事務局長野村茂樹君及び障害者インターナショナル日本会議権利擁護センター所長金政玉君に参考人として御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙の中を本調査会に御出席をいただきまして誠にありがとうございました。
 参考人の方々から、障害者の自立と社会参加に関する件のうち、障害者の権利について忌憚のない御意見をお述べをいただき、調査の参考とさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、まず、参考人からそれぞれ十五分程度御意見をお述べをいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えしていただく方法で進めさせていただきたいと思います。
 なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。
 また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
 それでは、瀧澤参考人からお願いいたします。瀧澤参考人。
#8
○参考人(瀧澤仁唱君) こんにちは。桃山学院大学法学部の瀧澤でございます。
 本日は、障害者の自立と社会参加につきまして意見を陳述いたします。
 お手元に十二ページにわたります資料が渡っていると思いますので、それを御参考にお願いいたします。
 私は、人権擁護法案の障害者差別禁止に関する内容を全面否定するものではありませんが、法の実効性に疑問を持っておりまして、いわゆる障害者差別禁止法案、その積極面を評価しつつも、更に充足すべき点があることを述べてまいります。
 細かい文字につきましては、これは参考にするものでありますので読み上げません。
 二番目の日本の現行障害者法制の問題点ですが、私は、日本の障害者法制で問題となるものは大きく三点あると考えております。第一に障害者概念、第二に障害者の法的地位及び第三に障害者の法律上の分断であります。
 二の一としまして、障害者概念あるいは障害概念をめぐる問題でありますが、日本の法制における障害者の定義は一つではありません。障害者基本法では、二条「定義」で、「この法律において「障害者」とは、身体障害、知的障害又は精神障害があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。」と定めておりますが、基本法という名前はありましても、他の障害者に関係する法律に対する基本的な法律、つまり総則的法律となっておりません。
 以下、それぞれの法律について述べますが、これは事前に参考文献といたしまして配付文献がされておりますので、その三の一及び三の二にかかわるものは省略させていただきます。
 ですから、この二の一の一から二の一の一の四まででございますが、まとめますと、日本の障害者法制はそれぞれの障害者概念がばらばらであるということにまとめられると思います。
 次に、三ページの二の一の二の他法における障害概念に移ります。恩給法と労災保険法につきまして陳述いたします。
 障害内容につき身体障害者福祉法施行規則別表の障害に一致しないか一致しにくいものを戦傷病者特別援護法の援護対象者であります恩給法別表一号表ノ二及び三から選び出すと以下のようになっております。これは省略いたします。
 これらの障害に特徴的なのは、まず第一に、身体障害者福祉法では取り上げられていない総合的な障害概念が取り上げられていることであります。ア、ウないしカは、心身障害のため日常生活活動が妨げられるものとあります。心身障害でありますから、身体障害だけでなく、精神障害を原因とする日常生活活動の障害も含んでおります。戦傷病は、身体障害ばかりでなく、精神障害も引き起こす可能性がありますから、障害の原因を心身障害とするのは当然であります。しかし、日常生活を妨げるという要件は、身体障害者福祉基本問題検討委員会報告書では、本人の意欲に左右されるとしまして障害認定の基準を疑問視されたものであります。
 次に、身体障害者福祉法に言う内部障害者に当たるものの範囲が広いことであります。障害の範囲が広いのはいわゆる戦特援法だけではないわけでありまして、よく似ているものに労災保険法がございます。障害内容につきまして身障者福祉法施行規則別表の障害に不一致若しくは一致困難なものを挙げますと以下のようになっています。
 例えば、この中段にありますトの女子の外貌に著しい醜状を残すもの、これは卵状の傷があったりする場合でありますが、これは労災保険給付の対象になるわけです。これは身体障害者福祉法では、当然、こういう傷があったとしましてもそのままでは障害者になるということはございません。これらは労災保険給付の対象となる障害で、福祉サービス給付にかかわる身体障害者福祉法などの対象要件と同じものとして論じることは当然できません。しかし、障害に何らかの給付が結び付き、それが事実上の福祉サービスにつながることを考えますと、身体障害者福祉法施行規則別表には全く該当しない障害があることは注目に値するわけであります。
 次に、二の二の社会福祉法における障害者の法的地位であります。
 これは本会におきましても前に参考人などが述べていることもございますが、繰り返し述べますが、社会福祉法三条の「福祉サービスの基本的理念」にそれは端的に表れております。そこでは、「福祉サービスの利用者が心身ともに健やかに育成され、」とありますように、いわゆる受動態の表現になっております。児童福祉法一条二項、それから障害者基本法三条、身体障害者福祉法二条、老人福祉法二条、それから母子及び寡婦福祉法二条、こういったものは理念規定がすべて「られる」、「られる」という規定になっております。同じような規定がなかった知的障害者福祉法にも、社会福祉事業法改正法によりまして、一条の二で「参加する機会を与えられるものとする。」が付け加えられたわけであります。
 要援護者が常に施策の対象であることが明示され、このような規定がなかった知的障害者福祉法にもほとんど同じ文言が入れられたのは決して偶然ではありません。サービス利用者は権利主体と考えたならばこのような表現を取り続けられたであろうか、疑問に思うわけであります。
 次に、二の三でありますが、障害者間の差別的取扱いについて陳述いたします。
 障害者差別を論じる場合は障害者全体が差別されているものととらえる場合が多く、障害者対非障害者の構図でとらえることが多かったように見受けられます。ここでは、少し別の視点から日本の障害者をめぐる問題を考えてみます。
 障害者に最も厚い援護などを規定する戦傷病者特別援護法が日常生活動作の制約についてまで定めているのは、障害者のニーズを重視した表れであります。障害概念が私的な原因による障害を持つ者に広げられなかったのは、国家第一主義、生産第一主義の国家観に基づく障害者観があったためであると考えております。日本の法制では環境要因を障害原因とせず、むしろ戦傷病者である軍人軍属と労災被害労働者への援助などを見ると、国家や資本への寄与度に左右された障害者政策が貫徹してきたと言えます。刑罰で強制された軍務などへの従事による被害者援護を更に向上させることを私は主張いたしますが、戦争被害者であれば、一般民間人と旧軍人軍属との差を更に縮める必要があると考えております。
 ドイツでの戦争被害者に対する補償の厚さを見ますと、余りにも日本の法制は一般民間人に補償が少ない、補う方の補償ですが、少ないと思っております。初めに寄与論ありきで、およそ障害者を権利の主体と見ておりません。また、ドイツの障害者法制に見られるような多くの権利規定が日本の障害者法制にあるわけではなく、障害者はあくまで施策の対象にすぎません。
 日本では行政に対するチェック制度がほとんどないこと、障害者の権利を司法上確認したくとも根拠法規が少なく、裁判制度の機能不全により権利侵害に対する救済がなされてきませんでした。そのため、障害者が実定法上の無権利状態に近い法的地位に置かれてきたのであり、それが実質的な福祉サービスの対象認定にもちぐはぐに現れてきたのではないかと思います。
 次に、三に、日本の障害者差別禁止法制案について陳述いたします。
 日本の障害者法制の問題点を大まかに見たので、次に日本の障害者差別禁止にかかわる法律案などについて検討いたします。
 人権擁護法案に対する疑問であります。
 三の一の一ですが、定義にかかわる疑問としまして、人権擁護法案の障害の定義は、同法案第二条「定義」、第三項、「この法律において「障害」とは、長期にわたり日常生活又は社会生活が相当な制限を受ける程度の身体障害、知的障害又は精神障害をいう。」とあります。この定義は、障害者基本法の二条の定義とほぼ同じであります。障害者概念が広くとらえられるならばともかく、障害者基本法と同じようにあいまいな障害者概念で法の適用が図られかねません。新しい障害概念で運用され、手帳保持が必要条件でなくなると期待されておりました四月一日から始まりました支援費支給制度が、結局手帳保持者が原則適用になるとされました。このように、実質的には各福祉法により適用が制限され、狭い概念の障害者しか適用にならないのであれば、実効性の少ないものになってしまいかねません。
 次に、三の一の二でありますが、国などの制度による差別が是正できるかどうかへの疑問であります。
 障害者の分断とその処遇における差別又は区別がある日本では、同法案第三条一項一号イ、「国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」をしてはならないとあっても、公権力の行使にかかわって差別的な取扱いが禁じられるわけでありまして、そもそも立法上の不備を問題にすることは最初から考えられていないのではないかと考えられます。
 三の一の三、障害者雇用をめぐる疑問であります。
 同法案第三条一項一号ハで、「事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」をしてはならないことになっております。しかし、この規定と障害者雇用促進法の規定を使っても、果たして障害者の雇用差別がなくなるでしょうか。
 障害者雇用促進法に定める障害者は、基本的に障害者福祉法に言う障害者と同じと言ってよいわけです。このような場合に、人権擁護法案で障害者の範囲が広がると言えるでしょうか。
 障害者雇用促進法によります民間企業の雇用率は現在一・八%です。一番後ろのグラフと表をごらんいただきたいんですが。しかし、厚生労働省資料を基に未達成企業の割合を数値化しまして作成した表とグラフを見ますと、一貫して大企業が未達成率が高く、中小企業ほど低くなっております。これは一九八三年から九二年の国連障害者の十年においても改善されませんでした。近年では、不況の影響で未達成率が徐々に上がってきております。本来大企業などは累進的に雇用率を上げてもよいはずですが、雇用納付金さえ払えば雇わなくてよいという風潮さえあります。
 さらに、日本航空の株主代表訴訟においては、被告会社側答弁書の中には、航空会社は元々障害者を雇える職場が少ないのに国の決めた除外率が低いから雇えなかった、つまりは国の制度が悪いという、およそ法を守る意識が最初からないような反論までされました。このような反論については人権擁護法案が対抗できるでしょうか。
 三の一の四、移動障害などの是正に関する疑問であります。
 いわゆるバリアフリー法、それからハートビル法でありますが、人権擁護法案がどういう関係に立つのか検討する必要があります。例えば、バリアフリー法施行令一条によりますと、法が適用されるものの一つである特定旅客施設の要件は五千人以上の利用者又は身体障害者の一定数の利用者のある駅などです。しかし、ここで算定される身体障害者は、「身体障害者福祉法施行令第四条第一項に規定する身体障害者手帳交付台帳に記載されている身体障害者の人数」でありますから、身体障害者手帳を持たない身体障害者が人権擁護法案に基づいて差別があると主張できるでしょうか。
 三の一の五、実効性に関する疑問であります。
 人権擁護法案に対する大きな疑問としましては、具体的実効性がどの程度あるかであります。制度としては、人権委員会、二万人を超えない数の人権擁護委員などが設けられるので、制度として機能することを期待したいです。しかし、一般救済手続及び特別救済手続が行われるに当たって、差別的取扱いを現実に取り除くことがどれほどできるか疑問であります。とりわけ知的障害者、意思表示が難しい身体障害者又は精神障害者などが種々の主張をするのは極めて困難であることが軽視されております。知的障害者、精神障害者、精神病罹患者だけでなく、身体障害者も安価で気軽に利用できるドイツの世話人制度のようなものがないと機能しないと考えております。
 三の一の六、挙証責任に対する疑問であります。
 加害者側に差別的取扱いをしていないという挙証責任を負わす規定がありません。これでは、現在問題になっている知的障害者施設などでの諸問題解決にはほど遠いと思われます。
 次に、障害者差別禁止法要綱案、JDA案でありますが、これにつきまして少し充足すべきものを挙げます。
 定義につきましては、「この法律において、障害とは、傷害や病気などを原因とする個人の特性にかかわらず、その個人に対して、ある程度以上の能力や機能を要求する社会的環境との関係で生じる障壁をいう。」とあります。これは、一部が二〇〇二年一月一日から施行されたドイツ連邦共和国の障害者の平等化及び他法規の改正のための法律、いわゆる平等化法三条の定義よりも進んでいると思います。新しい国際障害分類第二版、ICFの定義と比べましても、これは私の参考文献で挙げておきましたが、見るべきものがございます。ただし、日本の現行の障害者法制とかなり違うものがあり、法制化に当たっては調整が必要であろうと考えております。
 三の二の二の、障害者の家族あるいは保護者の権利も充実すべきではないかと思います。
 知的障害児・者を抱える三千三十九家族の全国調査、これは私が属しておる研究会でやったんですが、分かったことは、主な介護者の九三・六%が母親であることであります。また、障害者が親族にいる場合の他者から受ける差別的取扱いをどのように取り扱うべきか、更なる検討が必要であるように思われます。
 次に、実効性についてでありますが、障害者差別禁止委員会を中央と都道府県単位で設置するというのは介護保険制度の審査請求制度に似ております。しかし、介護保険制度のそれは必ずしもその目的が十全に果たされているとは言えません。むしろ、保険者である地方公共団体窓口などでの苦情処理がかなりなされている現状があります。元々、移動困難であったり、意思伝達が難しかったりする者にとっては、遠くまで出向いたりしにくいわけです。また、通常と違う場所に行くだけで精神的な安定が損なわれる者もおります。より身近な苦情解決制度を設けるべきでありまして、更に細かいことでありますが、要綱案にある救済委員又は権利擁護という名称は一考を要すると思います。差別是正とか差別問題解決とすべきではないかと考えております。
 最後に四番目、「まとめにかえて」でございますが、一般市民と同じように障害者に機会の平等だけが保障されればよいかというと、そうではないと考えております。ADA制定の際のロビー活動の主張とはいいながら、働ける障害者が増えれば扶助的支出が減らせるという経済合理性に立つ発想では差別的取扱いはなくならないと思います。ADAの優れた面を私は評価いたしますが、雇用に関する差別禁止は必ずしも評価しておりません。有資格障害者が使える法律でありましても、そうでない障害者にとっては余り使えないものであることは種々指摘されてきたところであります。
 私自身は、差別的取扱いを禁じることは極めて重要であり、障害者差別禁止法又は平等化法を早急に制定すべきであると考えます。しかし、いかに機会の平等を定めましても、その機会に至る手段を何らかの社会保障制度によって保障しなければその機会は絵にかいたもちであります。また、同じ機会を得たとしましても、それぞれの障害者が持つ能力に差があることを直視しまして、その機会が十全に生かせる制度的保障が必要であると考えます。それゆえ、社会保障制度を充実させた上で、障害者差別禁止法などを重畳的に適用すべきであると考えております。
 人権擁護法案も障害者差別禁止法要綱案も社会保障制度の上に乗った制度でないと障害者と非障害者の対立、あるいは不穏当な述べ方をお許しいただくならば、能力のある障害者とそうでない障害者の対立で終わる可能性があります。形式的平等化だけでは、長期にわたる裁判や多額な裁判費用などが必要となる、権利を元々主張しにくい我が国にあっては、本来、最も権利主張が必要な者の権利実現が難しくなることに思いを致すべきであると思います。
 御清聴ありがとうございました。
#9
○会長(小野清子君) ありがとうございました。
 次に、野村参考人にお願いいたします。野村参考人。
#10
○参考人(野村茂樹君) ただいま紹介にあずかりました野村茂樹です。
 私は、三十年前に目を患いまして、右がゼロで左が〇・〇三です。テレビ式の拡大読書器という機械を用いまして文字を二十倍に拡大して読み書きをしております。
 それまで日本では、裁判官とか検察官とか弁護士になられた方が途中で目が悪くなられた方はおられたわけですが、視覚に障害がある者として司法試験に合格した者は、私ともう一人の弱視者が初めてであります。
 その後、全盲の点字受験者も合格して弁護士をやっているわけですが、こうした弁護士の集まりである日本弁護士連合会は、一昨年の人権擁護大会で差別禁止法制定を求めるという大会宣言をいたしました。そして、そのシンポジウムでシンポジウム実行委員会の試案に係る差別禁止法要綱案も発表いたしました。今日お手元に配付しております差別禁止法の制定を求める決議案、決議ですね、その提案理由、それからあと差別禁止法の要綱案は今お手元に配付したとおりでございます。
 それを基に、日弁連では、これはまだ要綱案はあくまでたたき台でございまして、それを日弁連としての案に高めるべく、調査研究会を設けまして、現在その調査研究活動を続けておるところでございます。私はその事務局長をしているわけでございます。その委員の中では、私自身も視覚障害者ですが、委員長は全盲、それから耳の不自由な弁護士あるいは車いすの弁護士も仲間に入って一生懸命研究をしているところでございます。
 さて、世界に目を転じますと、既に国連の委員会は日本が差別禁止法を制定すべきであるということを勧告しております。また、国連のアドホック委員会は権利条約化についても議論を始めております。諸先生方も御存じのように、既に四十を超える国で何らかの形で差別禁止を、障害のある者に対する差別を禁止するという法律を作っておりますし、ADA、DDA、アメリカ、イギリスのように民事法のレベルにおいて差別禁止法を制定している国はもう二十を超えておるわけであります。日本は大変立ち後れていると言うほかありません。
 そこで、今日のテーマである障害のある人の自立と社会参加というテーマについて、選挙権の行使ということで考えていきたいと思います。今日お手元に配付しました投票の機会の保障を求める意見書、日弁連の意見書、これつい最近出たばかりでございますが、これも御参照ください。
 これはもう釈迦に説法でございますが、投票というのは、原則として投票当日投票所に赴いて選挙人が投票用紙に書いてくるということが原則とされています。その例外として不在者投票制度と代理投票制度があるわけです。
 不在者投票制度としての郵便投票は、しかしながら選挙人の範囲を一定の身障者手帳、戦傷者手帳の交付を受けた者に限られております。したがいまして、妊婦であるとか、病気した、風邪を引いた、けがをした、あるいは引きこもり症の方は投票したくても投票できないという現実がございます。
 また、郵便投票は、自分で書かなきゃいけないんですね。代理投票が認められていない、自分で書かなきゃいけませんので。ALS、これはイギリスの著名なホーキンス博士を思い起こしていただければいいと思うんですが、本当にまぶたとか眼球運動で意思表示をする大変すばらしい、意識は大変はっきりしているんですね。そういう方々はもう投票所には行けないということなんですが、投票できないという現実がありますし、それから点字使用者はただでさえなかなか行動不自由なんですが、年を取られて足腰不自由になったときに本当に投票所に行けなくて、自分で書かなきゃいけないから投票ができないという現実がございます。
 次に、代理投票を申し上げたいんですが、諸先生方は耳が不自由な方は字が書けるからいいじゃないかというふうに思われるかもしれませんが、耳が不自由な方は実は文字情報が大変苦手なんですね。したがって、代理投票は非常に重要な有効な手段であるんですが、ところが、代理投票に当たっては、投票管理者が補助者を二名選任して、一人に代筆してもらって一人に立ち会わせるという、そういうシステムなんですが、選挙管理者が必ずしも手話通訳ができる人を選任できるとは限りません。
 それから、障害のある人は本当に個別の大変すばらしいコミュニケーションの手段を持っている方がおられまして、そういった個別の、何といいますか、コミュニケーションの手段をできる、そういう補助者を選挙管理者は選任できるとは限らないんですね。そういった問題があって、結局どうなっているかといったら、やっぱり棄権を生み出しているわけですね、選挙の棄権を生み出している。
 こうした状況の中で、相次いで判決が出されました。東京地裁についてはALS患者の起こされた訴訟に対して、大阪地裁については引きこもり症の患者の方に対して判決が出されました。記憶に新しいことだと思いますが、ALSの訴訟につきましては、こういった方々が投票できないことは憲法の定める平等に違反すると、違憲状態であるとはっきり判決が明示しているわけでございます。
 大阪地方裁判所で言い渡された引きこもり症のことに関しましても、憲法は投票の機会をちゃんと保障しているんだということを前提として、そうしたことからすると、現行の不在者投票制度の拡充が図られてしかるべきであるということをはっきり指摘されているわけでございます。
 それで意見書の、投票の機会に関する保障を求める意見書の二十二ページ以下をごらんください。及び後ろに、その意見書の最後の方にあります要綱案をごらんください。
 日本弁護士連合会は、こうした事情を踏まえ、まず郵便投票制度において選挙人の範囲を拡大すべきである、それから代理投票を認めるべきである、そして点字投票も認めるべきである、あるいは巡回投票の制度を創設すべきである。それから、代理投票にあっては、補助者二名のうち一名は、つまり代筆をする人は選挙人が選任する、立会人は選挙管理者が選任すると、そういう制度に改めるべきだということを具体的な改正案を示して提案している次第でございます。是非とも御検討いただきたいと思います。
 投票につきましては、最近の新しい動向として、電子投票制度があるということは御存じのとおりだと思います。まだ新見市と広島市で実現しているだけでございますが、これを導入したいと考えている市町村は数多くに及んでおりますし、それから総務省は国政選挙の方に導入をするということを考えているようですね。
 総務省の研究会の中では、この電子投票は、今、投票所におけて第一段階であるけれども、第二段階を経て、第三段階では自宅からコンピューター端末から投票できるようなシステムを考えようとしております。そうすると、引きこもり症の方とかALSの方が在宅で投票ができることが可能なんですね。
 しかも、この総務省の研究書によりますと、その操作の仕方について、肢体の不自由な方は指先だけじゃないと、操作するんじゃなくてそのほかの手段も考えるべきだということも指摘しているんですよ。正に、ALSの方がまばたきであるとか眼球運動であるとかということの中で自宅のコンピューターを使用して投票ができるということも技術的に可能であることを指摘しているんです。
 ですから、制度として最初の、制度のスタートとして是非ともユニバーサルデザインということを頭に置いていただきたいんです。こういったコンピューター化というのは、IT化というのは、障害のある者にとって大変福音になります。情報バリアということについて非常にチャンスなんですが、ただ、これを最初の段階で少し見失われますと、そのデジタルデバイドというのはもう回復不可能なんですね。
 例えば、国とか政府はいろんなサービスを今提供しているんですが、画像ファイルをたくさん用いているために、例えば財務省のやっている官報、それから法務省のやっている登記情報サービス、それから郵政庁のやっている電子内容証明郵便サービス、これはすべて画像ファイルなものですから、視覚に障害のある人は今端末で、音声で出るそういう端末、それが使えないんです。これは、最初の段階でコンピューター、すごくお金を掛けるんです、国が予算掛けて組む。そのときに、最初にお金掛けるときに、そういった目でなぜ障害のある人の意見を聞いてくれなかったかと思うんですね。そういうときが大切です。
 してみると、今の電子投票のシステムはどうかということなんですが、これも意見書の二十二ページ以下を見ていただきたいんですが、特例法のこの電子投票機の選定は市町村の選挙管理委員会が行うわけですが、それは六条ですけれども、四条の条件を満たした機械を選定するとなっています。その四条の中にバリアフリー基準を満たしたものであるということがないんですね。
 そのために、どういうことになるかと。ただでさえ今財政が厳しいです。一般競争入札になったら、安かろうという機械がもう行くわけですね。今すごいいろんな企業が参入していますけれども、みんなバリアフリー基準とどうもうたっているようですけれども、それは音が出ればいいという問題じゃないんです。視覚障害のある人が、音が出れば使えるというものじゃないんです。やっぱりいろいろテストをしてやっていくんですね。そういったことをテストやっているのは私の聞く範囲では一機種しかありません。
 是非、最初の段階でこういったバリアフリー基準を満たしたことということを制度のスタートの段階で法制度にしていただいて、ユニバーサルデザインで設計していただきたいと考えている次第です。
 そこで、今申し上げてきたようなことでもう一度、完全参加と平等とか機会均等ということを考えてみたいと思うんですね、投票を例にして。例えば、国会議事堂の前に一つ投票箱を置きまして、来られた方、あなた、納税額関係ありません、どうぞ投票してください、女性、どうぞ投票してください。これは一九二五年、一九四六年にそうなっているわけですが、それで本当に、これで機会を与えたと、平等ですと言えるんでしょうか。これはもう多分、諸先生方は国会議事堂に一個の投票箱じゃねえというふうに思われると思いますけれども、ちょっと考えていただきたいと思うんです。
 沖縄の人が国会議事堂の前の投票箱に来るのは大変遠いですよ。しかし、仮に沖縄にALSの患者の方がおられて、地域に、沖縄の地域の小学校の投票所に行くといっても、沖縄の人が国会議事堂に来るよりはるかにはるかに遠いんです、命懸けですから。そのために郵便投票があるのにその郵便投票が使えない、おかしいんですよ。
 それから、私は小野清子先生の大ファンで何とか投票したいと思って、体操のマット運動をやっていたら、けがしちゃったと、できないと、何と皮肉なことかと、投票所へ行けないと。あるいは、赤ちゃん息づいている妊婦の方が、女の子だったら聖子と名付けて是非オリンピック出てもらいたい、だから橋本聖子さんと名前を入れたい、でももうすぐ生まれそうだから投票へ行けない、投票できない。これは仕方がないことでしょうか。
 WHOが、先ほどの先生も言われましたICF、国際生活機能分類ということも、今そういう概念になってきているんですが、その中では健康状態という形で取り上げているんです。そうすると、年を取った人、けがをした人、病気をした人、それから妊婦の方、あるいはそういうことも全部含めて考えているんですね。そして、このWHO、いわゆる世界の考え方は、医療モデルということをはるかにはるかに過ぎて、もう今では人間と環境の相互作用モデルということで枠組みを考えているんです。日本が今のように一定の身障者手帳、戦傷者手帳の交付者に限るというようなことを、もし法律でそれにしがみつくとすれば、それは世界に対して恥をさらしていると言っても過言ではないと私は思っています。
 それから、ITのことで述べましたけれども、結局差別というのは二つの側面があるということですね。合理的配慮義務ということで説明しやすいと思うので、先ほどの電子投票を例に挙げたいと思うんですが、皆さん方、例えば障害のある人だからといって選挙権がないといったら、これは差別であるとどなたも認められると思うんですね。だけれども、選挙権があるといっても投票ができなきゃ、ないと等しいわけです。
 したがいまして、電子投票となったときに、手の不自由な人、目の不自由な人あるいは認識障害のある人がそういった機械が使えなければ、あるいは車いすの人がもう本当に遠くて、画面が高くて使えなければ全く意味がないんですね。それは、やっぱり投票を行う者がそういう方のために一定の配慮を負う義務がある。これは合理的配慮義務というんですけれども、合理的配慮義務があると。その合理的配慮義務に違反することが正に差別なんだということを皆さんに分かっていただきたいと思います。
 そう考えていきますと、例えば銀行のATMとか駅の券売機なんかもそうですね。私、銀行のATMに目を近づけてやりますけれども、もう知らぬ間にまつげがピッとやって、何か全然知らぬところが作動しちゃって、ああ、どうなっちゃったのかしらというふうに思うことがありますね。それから、一度いすに座られて銀行のATMへ行ったり駅の券売機に行ったりして、いかに画面が高いか、あるいは届かないかということを車いすの立場の方になって考えていただきたいと思います。
 それから、銀行のATMなどは全盲の方などは自分の暗証番号を見ず知らずのお客に伝えてお金を出し入れする、そんなような現実であります。やはり電子投票機でも、今技術的には目の不自由な人、手の不自由な人もできるわけですから、そういったことを公共的な一定の事業者ですね、銀行であるとか鉄道旅客事業者とか、そういったものにやっぱり課すべきであると、そういう時代をもう迎えてきているんではないかと思うんです。
 差別の二つの側面ということを申し上げましたが、例えば飛行機の搭乗拒否、これは今でもあるんですよ、随分あるんです。やれ、足の不自由な人はもう何人以上乗っちゃいかぬとか、あるいは精神障害のある人は知的障害のある人ということで航空機搭乗拒否というのが結構あったんです。だけれども他方で、搭乗拒否はしないけれども、例えば長距離の特急電車に車いす用のトイレがなかったら、乗っていいですよと言ったって、結局乗車拒否しているのと同じですね。これはそういうサービスを、公共的なサービスを提供している者に対しては、やはりそういう車いす用のトイレを設ける合理的配慮義務があるということを考える時代に来ていると思います。
 不利益的取扱いということになりますと、大きなのは、一番分かりやすいのは欠格条項ですね。それから虐待、これは虐待は絶えません。つい最近出た判決でサン・グループ事件というのを載せておきましたけれども、知的障害のある人が工場経営者に物すごく暴行を受け、あるいは言葉で虐待、あるいは鎖で縛られ、そういう虐待を受けてきたわけです。不利益取扱いを受けてきたわけです。その責任を裁判所は強く認めると同時に、それを放置してきた職業安定所であるとかそれから労働基準監督署であるとか、更生施設とか、そういったものについて責任を認めているわけです。やっぱりこういう不利益取扱いということはまだ後を絶たない。
 それから、今まで随分強調してきましたけれども、合理的配慮義務ということを考える時代に来たのではないかというふうに思いますけれども、これはやはりかなり一定の、失礼しました、各いろんな生活レベルにおいて個々具体的に決めていくことが必要ですね。法的安定で何が差別かということですから、どの事業者にどの合理的配慮義務かと。これはやっぱり細かく定めていく必要があります。ADAやDDA、今日お配りした日弁連のシンポジウム実行委員会の試案、あるいはつい最近の政策研、後で金さんが発表されると思いますけれども、政策研で作られたそういう差別禁止要綱案はいずれもそういう各生活のレベルにおいて、雇用とか教育とかあるいは暮らしのレベルにおいて個々具体的に定めている規定を設けております。
 最後になりましたが、今、人権擁護法案が国会に上程されていると聞いています。確かに、障害のある人に対する不当な差別的取扱いを禁止するということでございますが、じゃ、差別とは何かということが全く規定がありません。判例法国であるイギリスやアメリカではきっちり法律の中で書いてあるんですね。日本は国会が充実して法律で定めるんだと、そういうことを誇りにしているはずです。そうした日本がこういったことを、差別の定義を設けないと、後は実務の運用に任せるといった法律を作るとは、私にはとても信じられません。
 それから、障害者基本法とか交通バリアフリー法、ハートビル法というのがありますが、これは基本的には国や地方公共団体の施策義務を定める規定でありますし、それから事業者も多少ありますけれども、基本的には努力義務になっています。最近、措置から契約へということになって、障害のある人も契約当事者ということで当然いろんな情報を知る、知らなければサービスを選ぶことはできないんですが、社会福祉法七十五条は、そういった情報提供義務、これは経営者であるとか国とか地方公共団体の情報提供義務は努力義務にとどまっているんですね。
 私は申し上げたいんですが、こういう障害者基本法であるとかハートビル法とかあるいは交通バリアフリーとか、そういう言わば社会のインフラ整備という法律は非常に充実すべきだと思います。しかし、日本の法律の中で、こういう国とか地方公共団体とか事業者から障害者の方に矢印が向いた法律はあるんですが、障害のある人から国とか地方公共団体とか事業者に向かって放たれた矢印を、矢印が定められたそういった法律がないんですよね。先ほど話したICF、WHOのICFは人間と環境の相互作用モデル、相互に作用するわけですから、矢印が一方的であってはいけないわけです。双方でようやく法律体系が成立するというふうに私は考えます。
 確かに、人権擁護法案は障害のある人からの矢印が放てるようになっています。しかし、差別の定義も何もないままもしやるとすれば、私は、その人権擁護法案で救済を申し立てた、その判断する人権擁護委員の人は全員障害のある人になるべきだと思います。それがバランスがもし失するのではないかというふうに先生がお思いでしたら、考えてください、サービスの定義もなく、そういう救済を申し立てた中で障害のある人が恐らく一人もいない、そういうもので判断されることがやっぱりバランスを失していると、そういうふうに思いを致していただきたいんですよ。
 そうすると私は、結局のところ、障害のある人から意見を聞き、それから事業者から、いろんな人から意見を聞き、そして将来のあるべき共生社会というルールはこうだということをいろいろ議論して定められるのは、国会以外にないではないかと思うんです。是非とも、DVと同じように、議員立法の形で障害者差別禁止法制定をお願いしたくということを強調いたしまして、私の話を最後にさせていただきます。
 どうもありがとうございました。
#11
○会長(小野清子君) ありがとうございました。
 次に、金参考人にお願いいたします。金参考人。
#12
○参考人(金政玉君) 本日は、大変貴重な場を提供していただき、感謝しております。
 私の所属しています障害者インターナショナルは、古い話にもうなってしまいますが、一九八一年、国連が提唱した国際障害者年の年に、障害を持つ当事者の国際的なリーダーの方たちが中心となって、国際的な障害者のNGOとしての連帯組織として結成をされております。
 今現在、百三十五の国において障害者団体が加盟をしておりまして、昨年十月に障害者インターナショナルの世界会議が札幌で行われまして、百十の国から障害を持つ当事者のリーダーの方たちが参加をし、全体でも三千名を超える参加者で成功裏に世界会議を終えることができました。
 その世界会議において最終日に決議をした重要なことがあります。それは、二〇〇一年の十二月に国連総会で、障害を持つ人の差別撤廃に関する権利条約について検討をするための特別委員会を設置するという決議がその二〇〇一年十二月の国連総会で採択されました。その決議を受けまして、私どもの所属している今申し上げた障害者インターナショナル世界会議において、最終日の決議において、国連に向けて障害者の権利条約の採択を求めていくということと、その批准を自国の政府にも求めていくと。その上で、それとともに、自国、各国内における障害者に対する差別の禁止を制定する、そういう法律の制定を求めていくということも同時に決議においてDPI札幌宣言として採択をいたしました。
 そういったことをまず前置きをさせていただいて、私としては、障害を持っている当事者の視点から、障害種別を超えて権利を確立するための取組の中から今日は意見を述べさせていただきます。
 御存じかと思いますが、私たちが今非常に問題として思っていることをまず述べたいと思うんですが、二〇〇一年の八月に、国連の社会権規約委員会、ジュネーブにあります社会権規約委員会において大変重要な勧告が日本政府に行われております。それは、障害者の差別禁止を強化するよう強く勧告するものであるということで、障害者への差別の禁止をする法律を日本政府が制定するように勧告をするということが出されました。その社会権規約の勧告を受けて、その後、昨年になりますが、二〇〇二年の三月に通常国会の衆議院本会議において、その点についての質問に答えて政府答弁が行われております。この政府答弁の内容が、私どもとしては、まず非常に今後の課題として認識しなければいけないものとして受け止めております。
 どういうことかといいますと、まず政府答弁では二つのことがその質問に対して述べられています。
 一つは、差別禁止法については、我が国においては、アメリカのADA、障害を持つアメリカ人法制定の動きを踏まえて障害者基本法を制定しているということが述べられています。もう一つは、障害者などに対する不当な差別的取扱いの禁止については、今国会、昨年の通常国会においての話ですが、人権擁護法案では手当てをしているところであるということが政府見解としては述べられているわけですね。
 先ほど両参考人からも、障害者基本法と人権擁護法案については幾つかの問題点の指摘をされておりますので、それとできるだけ重複しない点について私の方から問題点を述べさせていただきたいと思います。
 まず、障害者基本法についての問題点であります。
 これは一九九三年に制定をされておるんですが、もう既に十年前の法律であります。私たちが今現在の問題認識として、この障害者基本法がアメリカのADAに代わるものになっているかどうかについては、基本的になっていないというふうに考えております。その理由について、主に三点について述べたいと思います。
 まず一点目として、障害者基本法の総則に当たりますけれども、第一条の「目的」と第三条の基本理念に係る話です。
 特に、第三条の基本理念においては、「すべて障害者は」「あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる」となっています。この「与えられる」という表現は、私たちから見れば、上から恩恵的に与えられるということをやっぱり言っているのではないかというふうに受け止めざるを得ません。そういった意味で、障害者の社会参加を恩恵的に、そういう機会を、社会参加の機会を与えられるという対象として障害者をみなしている。それは、相変わらず、やっぱり保護をしてあげなければいけない対象として障害者を見ているということが基本法の基本理念の中にまだ根強く残っているということがあると思っています。
 二点目に、今先ほど一点目に述べたこととも重なりますが、障害者への更生と保護という考え方がやはり根強く残っているがために、障害者基本法の第十条の二の一項において、重度の障害を持って地域生活が困難な人は施設への入所を進めましょうということが述べられているんですね。
 これは、私どもから見たら、基本的に障害を持つ人の権利として、どんなに重度の障害があっても地域において生活ができる権利がきちんと明確に認められなければいけないというふうに思っております。そういったところから見ますと、重度の障害を持って地域生活が困難な障害者については引き続き施設への入所を認めると、推進していくということになっておりますので、そのこと自体が非常にやっぱり今現状においては大きな問題になっているのかなというふうに思います。
 三点目でございますが、自治体の障害者計画の策定にかかわる話であります。
 障害者計画というのは、もう言うまでもなく行政計画でありまして、これが国における障害者計画の策定については、義務付けが確かに障害者基本法においてはなされています。この障害者基本法において義務規定として規定しているのが、この国における障害者基本計画の策定だけが義務付けられているということがありまして、あとは軒並み努力規定にとどまっているというのが現状であります。ですから、国においては障害者基本計画は策定が義務付けられておるのですが、都道府県、市町村の地方自治体における障害者計画になりますと努力規定にとどまっているという問題があります。
 その結果、この基本法が策定されて、九三年に新長期計画ができまして、障害者対策に関する新長期計画ができまして、これが基本計画に当たるものですけれども、九五年にその実施計画としての障害者プランが策定されて二〇〇二年度末で終了を迎えるということになっているわけですが、都道府県、市町村の障害者計画の策定状況を見ますと、確かに都道府県、指定都市では十割、策定がなされております。
 ただ、問題は、やはり私ども障害を持つ当事者が生活をする一番身近な市町村において、障害者計画の策定の割合がやっと八割になったと。この八割というのは、その中には広域で障害者計画を策定することもオーケーですよということも含めて八割ということですね。単独の町や村ではとても障害者計画は作れないという、そういう市や町や村の事情に合わせて、幾つかの町や村が一緒に合併して広域で作ってもいいですよということが認められているために、それも含めて八割。
 で、より問題なのは、実際に障害者施策を計画に基づいて実施していくためには一定の数値目標が非常に重要な意味を持ちます。しかしながら、市町村の障害者計画の策定における数値目標を設定している割合というのはその中の四割ぐらいにとどまっているわけですね。これが、やはり障害者基本法の中で障害者計画の策定が努力規定になっているということが、それが根拠になってしまって、否定的な意味での根拠になってしまって、そういう障害者計画の策定がそのような状況になってしまっているということをまず踏まえていただきたいなということを強く思います。
 そういったことで、じゃ、これからの障害者計画は今どうなっているんだろうかということですが、昨年の十二月に、内閣府の障害者施策の懇談会などで今意見を聞きながら、政府としても障害者基本計画が策定、それに合わせて新しい五年間の重点計画、策定計画ということで実施計画も新しい新プランとしてセットで公表されております。ただ、私どもから見ると非常に、新しい基本計画と新障害者プラン、新しい実施計画の問題点が幾つかありまして、それをポイントだけ述べさせていただきます。
 まず、新しい障害者基本計画で数値目標の問題で最も私たちが非常に失望した点があります。それはどういうことかといいますと、御存じのようにこのもう四月から支援費制度が実施されますが、その中で最も重要な柱となると私たちは考えています居宅介護支援費におけるホームヘルプサービス、ホームヘルパーの増員計画というものが非常に立ち後れているということが新しい基本計画と実施計画の中では際立っております。
 どういうことかといいますと、一九九五年から二〇〇二年度末までの前の障害者プランにおいては四万五千人ほどのホームヘルパーを増員するという計画で、毎年毎年六千四百三十人ずつ増やしていくということで数値目標が立てられていたわけです。新しいプランの数値目標としては、じゃ、どういうことが言われているかといいますと、今現在四万五千人のホームヘルパーがいるということで考えますと、新プランの数値目標、これは二〇〇三年の四月から二〇〇七年度末ということの五か年計画ですが、その中で六万人のホームヘルパーを増やしていくということになっております。六万人ということは、今現在四万五千人ですから、一万五千人をこの五年間かけて増やしていくということになります。ということは、単年度で割り振っていきますと、一万五千人割る五ですから、毎年三千人ずつ増やしていくということになるんですね。この三千人ずつ増やしていくということは、前の障害者プランと比べて、毎年六千四百三十人を増やしていくということから比べるともう二分の一以下になってしまっている、数値目標として毎年、単年度ごとでいいますと二分の一以下になってしまっているというのがまずあります。
 それで、もう一つ言いますと、毎年これから五年間の中で三千人ずつ増やしていくということは、市町村、全国で三千二百前後ぐらいあるわけですが、単純に三千人で割ってみても、何と一つの市町村で一人のホームヘルパーを増やせばいいという勘定になってしまうわけですね。これは非常に私たちは本当に裏切られたなという、支援費制度の基本的な理念になっている社会福祉基礎構造改革で言われたその基本理念ですね、それはすばらしいものがあったから私たちもそういった意味では、中身はともかく理念としては賛成していこうということがあったんですが、非常に私どもとしてはこの数値目標、ホームヘルパーの数値目標を見るだけで、はっきり言って裏切られた気持ちがしております。
 そういったこととも関係するということも幾つかあるんですが、この新基本計画においては、そういった意味では前の障害者プランと比べても非常に理念の部分が低調になっている、後退しているというふうに思います。
 というのがなぜかといいますと、新しい新障害者基本計画の中では、まず重点的に実施する施策のところに、まず一番目に、障害の原因となる疾病の予防だとか治療などのリハビリテーションがまず重点施策の第一番目に来るべきであるということが基本計画の、新しい基本計画の中では述べられています。私たちはこれは逆であると思っています。
 なぜ逆であるかというと、障害の原因となるそういう予防だとか治療、リハビリテーションというのは、そういったものが重点施策の第一番に来るということは、相変わらず障害の問題というのを個人の問題、その人の個人の問題として考えている、そういう考え方が一番最初に来てしまっているということがやっぱり第一の問題であるというふうに私たちは思っているわけですね。
 前の障害者プランなどでは四つの障壁論というのがありまして、やっぱり社会の障壁として四つの障壁があると。物理的なバリアだとか、情報アクセスのバリア、三つ目には法制度上のバリア、四つ目には社会の意識や偏見のバリアというのがあると。それは社会の障壁としてこれからそれを取り除いていかなければいけないという、非常に哲学的な物の考え方がそれなりに明確に入っていたと思うんですが、今回の新基本計画においてはそういった理念に当たる、哲学的な理念に当たる部分が全く私たちから見ると見ることができない、そういうふうに言わざるを得ないというふうに思います。
 話がちょっと戻りますが、次に、政府答弁で言われたところの……
#13
○会長(小野清子君) 恐れ入りますが、そろそろおまとめをいただきとうございます。質疑の中でもまたお話しさせていただけると思いますので。
#14
○参考人(金政玉君) はい、分かりました。
 人権擁護法案で手当てをしているというふうに政府答弁では述べられておるのですが、私たちも、先ほども両参考人から人権擁護法案の問題点が言われております。一つだけ言わせていただきますと、やはり差別の定義のところで非常に問題が残っておりまして、これでは障害者への差別なり人権侵害に人権擁護法案では対応できないのではないかという懸念、強い懸念を持っております。
 特に、特別救済のところで言われている差別、虐待とか差別的言動に続いて、そのほかの被害者自らが排除できない深刻な人権侵害も特別救済に含めましょうと言っているんですね。しかしながら、通常、障害を持っている当事者が被害を受けて、救済機関に申立て、相談に来る場合は、自らが解決できないために相談に来るんであって、それは一般救済であれ特別救済であれ全く一緒なわけですよね。そのことをもって特別救済なのか一般救済なのかということが、そのほかの人権侵害に当たるところでどのように判断されるかという、解釈できる基準が全くまだ今のところ見えていないということがまず最も大きな問題、強い問題点として危惧されるところであります。
 ということで、私の方からの問題提起として終わりたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#15
○会長(小野清子君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わらせていただきます。
 これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね三時から三時半をめどとさせていただきます。
 なお、質疑者及び各参考人にお願い申し上げます。質疑及び御答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただきますようお願いをいたします。
 また、多くの方が御発言できますように、一回の発言はおおむね三分程度とさせていただきたいと思います。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
#16
○林紀子君 さきにいただいた文献も読ませていただいたんですけれども、今お聞きいたしましたところと関係して、まず瀧澤参考人にお伺いしたいんですけれども、今、金参考人の方から支援費制度という状況になって裏切られたような思いだというお話がありましたけれども、措置費が支援費の方にただ切り替えただけということであってはならないという、このさきにいただきました文書では拝見いたしましたが、どういう点がどういうふうになっていかなければいけないのか、ちょっと大ざっぱで申し訳ありませんが、その辺、お答えできる範囲でお答えいただけたらと思います。
#17
○参考人(瀧澤仁唱君) 非常に大きな質問なんでありまして、簡単にはお答えできないんですけれども、大体四千億円ぐらいの措置費がそのまま支援費制度に移るというふうに言われておりまして、その際、ノーマライゼーションを図るということで、いろいろな選択ができるからというようなことでいろいろ利点を挙げられておったわけでございます。私どもが驚いたのは、そのノーマライゼーションという言葉が、要するに一般の民間の方々が契約を結ぶようにできるという意味でノーマライゼーションを使われたということが非常に驚いたわけです。
 つまり、私は八十ほどの知的障害者施設のネットワークの苦情解決委員をしておりますけれども、いわゆる知能指数が三五以下、あるいは測定不能以下の方々なども、例えば成年被後見人でなければ、実際にはそれぞれの契約当事者として立ち会われてしまうんですね。厚生労働省は、そうじゃなくて親も代行するというようなことを言っておりますけれども、必ずしもそれが法律的には、ここには弁護士の先生方何人かいらっしゃいますけれども、これは非常におかしなことであります。ですから、ある意味では、一対一の形式的な平等の図られるような、そういう法律関係に障害児の方を追い込んでしまったという、そういう状況があるということをまず問題にしているわけです。
 ですから、措置制度から、たまたま今まで福祉事務所などが、あなたはこの施設に行きなさい、あなたはこのサービスを受けなさいと言っていたことにつきまして一定の選択ができると申しましても、選択の幅が広がったとしましても、実際にはその選択をできる量がありません、数量の量ですけれども、その量がございません。
 ですから、そういったところを考えますと、現在の措置制度から契約制度になったといたしましても、実際の選択の自由、これは、契約の自由には選択の自由とか内容の自由とか、方式の自由とか締結の自由がございますね。そういう自由を行使できる状況にないということで問題があるということを言っているわけであります。
 大まかに言えばそういうことでございますが。
#18
○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。今日はありがとうございます。
 障害者差別禁止法を作る必要があるというすごい熱意と、もう一つは、現在も運用面で本当に様々な点で配慮をしてほしいという二つのことが話題になったと思うんですが、ちょっと細かいことで済みませんが、瀧澤参考人に二点お聞きします。
 以前から、この障害者概念の等級が非常におかしいと思っていまして、男性と女性で顔、外貌に著しい障害を起こすのが男性と女性で全く違うとか、男の顔の傷はどうなるんだとか思いますけれども。また、さっきおっしゃったように、障害ということから見てもおかしいということをおっしゃいましたが、これは早急に全面的に、全面的といいますか、見直す必要があるのではないかという点についてと、それからもう一つは、家族が、特に母親が九三%見ているということで、家族の問題をおっしゃって、資料の中には家族がいることを理由に電磁調理器を給付されなかった例が挙げられています。
 民法と例えば生活保護法の関係でも、生活保護法は民法の扶養義務を優先していますし、いわゆる障害者問題と考えたときに、家族の負担、家族が見るものだということが基本的にあって、それが本当に自立やいろんなことを物すごく阻んでいると、援助の面で。おかしいと思うんですが、その点についてちょっと御意見をお聞かせください。
#19
○参考人(瀧澤仁唱君) まず第一点目、見直しにつきましてですが、私は身体障害者の等級というもの、あれは非常におかしなものだと思っております。それはなぜかと申しますと、障害を持っている方は、それは、それぞれのニーズに応じましてそれぞれの障害というものが社会的な環境との関係で出てまいります。これは、ドイツを私ちょっとやっておるものですからお話を申し上げたいんですけれども、各年齢、性別、それぞれの状況に応じまして障害のニーズというのも変わってまいります。ですから、例えば人さし指がない方の場合でも、ワープロを打つ場合とピアノを弾く場合とで違ってまいりますし、それぞれに状況が違いますね。それから、その方が引退してしまって年金生活をしている場合、そういった場合は違います。
 ですから、いわゆるこれも言葉として正確、あるいは不穏当かもしれませんけれども、いわゆる肉屋方式と申しまして、各体を切り刻みまして、どの辺がどうこうということでもって等級を付けているという、これは、私は、そういう点で等級をまず廃止すべきだということと。それから、いわゆる社会環境要因との関係で障害の概念をとらえていかないと、何度も私申しましたように、実例で幾つか挙げておきました肝機能障害の方などの場合は身体障害者手帳ももらえませんので、ですから例えば医療費の助成制度を受けられないとか、そういったようなところもございます。ですから、手帳をもらっていないばかりに障害者じゃなくて、手帳を持っていれば障害者であるというようなそういう風潮があるということについて、等級も含めて見直すべきだと思っております。
 それから、家族の問題につきましては、支援費支給制度で若干扶養義務者の範囲が狭められました。それは良いのでありますが、ただ今後、地域に障害を持った方々が暮らすようになるといった場合に、実際には家族の苦労というものは並大抵ではございません。特に、障害を持っている母親の例でございますけれども、これは私ども、障害者支援システム研究会というので本を出したんですが、母親ですね、これも物議を醸す発言かもしれませんけれどもお許しいただきたいんですが、母親はやはり障害児・者を持った場合、三つの苦悩があるというふうに考えます。
 一つは、障害児・者を産んだことへの苦悩と、それから障害児・者を介護していく苦悩、それからもう一つは、これは高齢者と違いまして障害児・者はどんどん大きくなっていきます。最初のうちはかわいいんですけれども、だんだん大きくなりますと親が体力が衰えていって、逆に子どもたちの方の力が付いてきますと親がなかなか見ることができません。その子たちを残して死んでいかなければならない苦悩というのがあるというようなことが語られました。
 ですから、その苦悩というものをどういうふうにいろいろな形でもってなくしていって、逆に障害児・者を持ったゆえに喜びがあると、そういう障害者観に立って私たちは研究しているわけなんでありますけれども。実際にいろんな社会的環境を整備したりすることによってそれぞれやっていく必要があるわけですから、そういう点では、地域にこれから、今度の厚生労働省などの支援費支給制度では、施設から地域にだんだん移すようにするというふうに言っておりますけれども、それにつきましては家族の負担をできる限り減らしていくような状況でやっていかないと、例えば公団住宅などですと、知的障害者ですと暴れたりするんですね。その場合に、うるさくてかなわぬということでパトカーを呼ばれるといったような状況がございます。
 そういったことがないようにするためには、住宅環境を整備するとか、あるいはいろいろな形でもって一人で生活できるような方策を取っていくとか、そういったこと。つまり、当たり前の、一般の方々と同じように平等に生活するためには、それぞれの社会保障制度が手厚くないとできないというふうに考えるからでありまして、単なる障害者差別禁止法だけではいかないのではないかというふうに考えるわけでございます。
#20
○岡崎トミ子君 今日は参考人の皆様から大変貴重な御意見を伺うことができました。ありがとうございます。
 既に四十か国以上が障害者差別禁止法を持っているということでございました。昨年のDPI世界会議におきましても、既に他の国々ではどのように改善をしなければならないかということについて議論をされておりました。日本も早くそのレベルに達していかなければならないというふうに思います。
 私は、差別が良くないということに関しては異論のないところだと思っております。しかし、実質的に改善していくためにはたくさんの気付きが必要なんだろうと思います。意図しない差別というのが一番難しいと思っております。悪気がないだけに、通り一遍の広報活動では解決できないというふうに思っております。法律で明確に差別禁止をうたうということは、そういう意味でも非常に重要だと思っております。
 そこで、金参考人と瀧澤参考人にお伺いしますが、今の日本社会においては、加害者において気付きにくい、しかし被害者によっては大変深刻な意図しない差別ということについて、具体的な権利侵害あるいは事例がありましたら御紹介いただきたいと思います。どのような対応を望まれるか、今の法制度、施策ではなぜ駄目であるか、併せて御説明いただければ有り難いと思います。
#21
○参考人(金政玉君) 私たちとしても、障害を持つ当事者なり関係者からの相談業務をやっておりまして、それは権利擁護の視点からの相談業務ということでありますが、その対応した中で非常に象徴的な事例がございます。
 それはどういうことかといいますと、具体的には、電動の車いすをふだん使われている重度の身体障害の方が、これまで三年間ほどずっと利用されていた理髪店、散髪屋さんですが、利用していたところに、突然、もうこれからは来ないでほしいというふうに店長から言われているのでということで、入店拒否をされてしまったという事例がありました。
 私どもは、相談を受けて、その店の店長と連絡を取ったところ、そういう拒否をしたわけではなくて、あなたの自宅に自分から出張して髪を刈ってあげようというふうに言っているんだからそれでいいじゃないか、それを本人はそれじゃ嫌だということで拒否をしたんだ、これじゃ話にならぬ、人の親切心をそもそも理解できないような障害者は社会では理解されない、そういう障害者こそもっと反省すべきだというような言われ方をされたんですね。
 これは、私はもう象徴的な出来事だなということを率直に思いました。店の店長さんは決して自分が差別をしたとか全く思っていなくて、むしろ本人のためを思って親切心で言ってあげているんだということなんですね。しかしながら、本人にとっては、少なくとも毎月一回ぐらい外出をして、自分でちゃんと対価を払って、お金を払って、そういう利用をしたい、散髪をしたいということが日常の楽しみである。それは障害を持つ人、持たない人かかわらず、それは楽しみとしてあって当然だと思うんですが、それが店の店長からの親切心によって、括弧付きの親切心によってそういう機会を奪われているということで、じゃ、これが差別に該当するのかしないのかということが非常に問題になってくるんだろうと思うんですね。
 そういった意味で、差別の定義を考えるときに、やっぱり結果として、障害を持っている当事者の思いだとかニーズだとか、当たり前の権利といいますか、そういったことが理解できないがために、一方的な押し付けによって結果として本人の気持ちを傷付けたりとか、本人の思いを無視してしまうことによって権利侵害が起こってくる事例が、私たちがふだん相談業務をやっていても八割ぐらいはそういう事例に該当することが多いというふうに思っております。
 以上です。
#22
○参考人(瀧澤仁唱君) 一点、では一つ例を申し上げます、点字ブロックにつきまして。
 私は、この十ページのところに文献表で一、二番で点字ブロックについて書いておるわけでございますが、もしお暇がございましたら、議員の先生方におかれましては高田馬場駅をお降りになって点字ブロックをごらんください。あそこは日本点字図書館とか視覚障害者施設がありますので引いてあるんですが、あの点字ブロックは逆に視覚障害者は訳が分からなくなる点字ブロックだというので有名なんですね。つまり、点字ブロックが引き過ぎてありまして、どこへ行っていいか分からないという、そういうような点字ブロックでございます。ですから、これは意図しないというよりも、親切心が逆に非常にまずい状況になっている場合がございます。
 しかしながら、もう一つ私は、くどいようですが、障害者の間の今度はニーズの違いによる、これは差別と言ってよろしいんでしょうか、新たな障害の発生と言ってよろしいんでしょうか、申し上げますと、例えば、点字ブロックにつきましては、あれは脳性麻痺の歩行困難者の人にとりましてはつまずきやすいものです。それは、当然足裏の凸凹によりまして覚知させると。これは、あるいは女性でよく分かると思いますが、ハイヒールのかかとをあれで飛ばしてしまったというような御経験のある方もおられると思います。そういうように、ある方のニーズを充足するためにある方のいわゆる歩行の安全に対する基本的人権、そういったものが阻害されてしまう場合もあります。
 これは、もちろん私は点字ブロックを否定するものではありません。しかしながら、ある一定の幅の通路でもって点字ブロックが引いていないと、非常に狭いところに点字ブロックを引かれますとかえって危険になる場合もあります。
 これは二十年以上前のことでございますが、目の御不自由でない、いわゆる晴眼者の方が点字ブロックにつまずいて、雨降りの日だったと思いますが、落ちて、そこへ電車が来て亡くなったという例がございます。これ、裁判しようかということで弁護士の方から相談を持ち掛けられたことがございますけれども、結局、裁判にはなりませんでした。そのとき大分、視覚障害者の団体は動揺したんですね、点字ブロックを引けということでやっておりましたので。
 ですから、いろいろな形でもって、ホームの構造とか、そういういろいろなものを見ないと、そういう意図しないでいながら実際にはいろんな問題を起こしていくと。私は、差別と言っていいかどうか分かりませんけれども、問題を起こす可能性があるということを申し上げたいと思います。
#23
○風間昶君 十年前に障害者基本法ができて、いろんな形で個々のジャンルというか形態、種類で、例えば交通バリア法とかできてきて、ある意味では障害者基本法そのものが性格的に中身が少し付加されてきて変わってきているなという感じがするんです、私は。
 それで、障害を持っている人と、今も金さんも瀧澤先生もお話ありましたように、一般の人が考えている障害者の、障害のありようというか人権侵害が、障害を持っていらっしゃる方、例えば知的障害であれ身体障害で持っている方々が受けている、感じている人権擁護の考え方と、人権擁護というか人権侵害の考え方と、受け止め方と、一般の人が受け止めている人権侵害の考え方とちょっと違うような気がするんで、そこのギャップ、どう埋めるかということでひとつお話をいただきたいのと、もう一つは、今ある障害者基本法を手直ししていくことの最終ゴールに障害者差別禁止法を置いた方がいいのか。
 ちょっと、ですから、大きな議論ですけれども、そのアプローチの仕方によって違うと思うんです。今ある障害者基本法はそのまま、日本版ADA法を含めた差別禁止法を新しく作った方が、どっちかに収れんされて包含されたものになるのか。どっちがいいのかも含めて、いいのかというか、いい悪いの問題じゃなくて、より近づけれるのか、人権擁護に。
 ということの二つ大きなタイトルですけれども、それぞれお聞かせいただければ有り難いと思います。
#24
○参考人(金政玉君) まず一点目の人権侵害について、障害を持っている当事者とそうでない場合の人たちとの認識のギャップという点についてでありますが、私はやはりまだまだその認識のギャップは現にあるというふうに思っております。
 じゃ、そのギャップをどのように埋めて本当にそういった意味での対等な関係として、ともに社会を築いていく関係として作れていけるのかということになるかと思いますが、この点については私は難しく考える必要は全然ないと思っているんですね。
 まず、障害を持っている当事者の気持ち、思い、何を望んでいるのかということを話を聞くことから始める。それができているようでできていないことから、現実の日常的な差別的な取扱いだとか、差別的な結果として起こる、いわゆる意図しない結果として起こる、場合によっては親切心としてやってあげているのになかなか本人は理解してもらえないとか、そういったことが、いろんな行き違いが起こってくるわけでして、そこはまず第一歩として、本人の思い、ニーズを本人の言葉なり表現からまず受け止めて理解しようとする、そういう関係作りがやっぱりできているようでできていないと思いますので、それが必要だと思います。
 二点目の、非常に大きな難しいテーマだろうと思いますが、私たちはやっぱり基本的に障害者基本法は、特に第二章の各施策の基本事項のところを見ていただけるとお分かりだと思うんですが、先ほども申し上げたように、障害者基本計画なりについての定めが非常に大きな位置を持っておると思います。
 それで、そういった意味でいうと、国や地方公共団体が障害者施策を進めていくための根拠法としての役割は一定のものを果たしていると思います。それは確かに思いますが、その根拠法としての役割というときに、それがほとんどが努力規定で定められていることによって実効性がなかなか上がってこない。場合によっては、そのときの経済事情などによって、さっきも、ホームヘルパーの増員の数値目標にもありますように、むしろ後退してしまうことが出てくる。そういった意味で、障害者施策の推進のための基本法だというふうに私たちとしては思っています。
 それで、もう一方の差別禁止法というのは、基本的にやっぱり私的な関係、個人と個人なり個人と団体、個人と公といういわゆる個人を基本とした様々な利害関係、差別と被差別の関係が基本だと思います。だから、あえて言えば、民法上、民事法上のアプローチから考えていくものであると思うんですね。
 そういった意味では、障害者施策を推進するための法律、基本法と、そういう差別を禁止する、民法上のアプローチから差別を禁止する法律を考えていくということは出発点が違っている部分があると思うんですね。
 ただ、出発点は違ってもやっぱり重なり合うところは当然あるわけでして、差別禁止法の中で国や地方公共団体が障害者を取り巻く環境の整備を責任を持ってしなければいけない部分はあるわけですから、それをカバーするための社会サービス法的なものが、これから障害者基本法がそういった社会サービス法的な役割を果たしていく根拠法に是非なっていただきたいなというふうに思っております。
#25
○風間昶君 じゃ、禁止法が親で、それを支える社会サービス法として障害者基本法を置くべきだという考え方ですか。
#26
○参考人(金政玉君) そうですね、そういう方向で見直しをすべきだと思っています。
#27
○風間昶君 分かりました。
#28
○参考人(野村茂樹君) まず第一の問題ですが、確かにギャップはまだまだあると思います。ただ、これは金参考人が言われたのと同じなんですが、余り深刻に考えなくて、結局、ギャップを要するにまず認識することから理解が始まるわけですから、やっぱりいろんなことで、ああ、随分考え違いされているなとかいうようなことを、障害のある人もやっぱりそれを言葉にして分かるように説明しなきゃいけないし、それから、そういうことをやっぱりいろいろ意見交換できる機会、そういうものが必要になってくるんじゃないかなと思います。それがやっぱり王道ではないだろうかと思います。
 第二のことですが、やはり私は基本法と差別禁止法は両建てで必要だと考えております。ちょっと大ざっぱな議論かもしれませんけれども、障害者基本法は、あえて言えば憲法二十五条のですね、国とか地方公共団体のいろいろ施策やっていくと、障害者差別禁止法というのは憲法十三条の幸福追求権ということで、やはりこれは車の両輪でありまして、施策という中で整備していく、インフラ整備をしていくということのすべてのスタートとなる障害者基本法は必要だと思いますし、それから、やはり個人個人が自分はこうやって幸せに生きていくんだ、間違っているんだ、こうしてほしいんだと言える、そういう根拠となる差別禁止法といったものが両方必要になるんではないかなと。ですから、どちらかに収れんするんじゃなくて、両方必要であるというふうに考えております。
 以上です。
#29
○参考人(瀧澤仁唱君) まず、差別につきましてはいろいろありまして、差別の本質とは何かということをいつも考えるわけです。男女差別とか人種差別、あるいはいわゆる被差別部落の差別などですね、そういった場合は比較的差別というのは見えやすいんですね。つまり、同じ能力があってなぜ差別するんだということでありますが、逆に今度は障害者差別につきましては、これはアメリカ合衆国、ADAなどでもいろいろ出たんですけれども、実際には、例えば能力が、元々障害があってこの仕事ができないという場合、そういう場合にも一定の要件があれば当然その差別は合理性があるものというふうにされております。ですから、能力差があることによって差別があるというようなことを一般には理解しやすいんです。これが非常に問題があるんですね。
 なぜかと申しますと、その障害というのは、現状においてはそういう能力差があるかもしれませんが、何らかの形でもってその能力差というのを縮めることができるはずです。ですから、そのために私は社会福祉や社会保障制度というものが必要であるというふうに考えておるわけでありまして、それは国民一般の意識、そういったものを含めて、親切心から逆に差別になるような場合もありますので、それを啓発していく必要があると思います。
 それとの関連で、二点目になりますが、障害者基本法と障害者差別禁止法ですね、これは私は、先ほど野村参考人がおっしゃいましたように、両立すべきだと思っております。一つは、これは国あるいは地方公共団体の責務を定めているものでありますが、もう一つは、障害者差別禁止法の方は、これはどちらかといいますと、具体的な権利を主張する一つの手段ですね、ある意味では、戦術的と言うと言葉は良くございませんけれども、いろいろな形でもって国民のそういう意識、差別のあるようなものを解消していくための一つの手段になると思っております。
 ですから、そういう点では私はどちらかが発展するということではなくて、やはり別々のものであって、それを基本的に発展させていくことが、重畳的に適用させていくことが必要ではないかというふうに考えております。
#30
○吉川春子君 日本共産党の吉川春子です。三人の参考人の皆さんの言葉がもう本当に心に響きました。私たち国会も何かしなくてはということを一層感じたわけです。
 それで、まず瀧澤参考人にお伺いしたいんですが、国家第一主義、生産第一主義の国家観に基づく障害者観があったということで、戦傷病者特別援護法についてお述べいただきまして、もう私、あっ、そうなのかということで、本当に啓発されました。この考え方は現在は払拭されているんでしょうか。それとも、現在の法律の中にまだ色濃く残っているものがあれば御指摘いただきたいと思います。
 瀧澤参考人について二点目なんですけれども、加害者側に差別的取扱いをしていないとの挙証責任を負わすという御指摘がありました。これは具体的にどういうことなのか。立法例もあればお示しいただきたいと思います。
 それから野村参考人にお伺いいたします。
 司法試験という日本でももう難関中の難関の国家試験を突破されたということで、こういうところに門戸が開かれているということは大変喜ばしいことでありますが、同時に、御本人の努力も並大抵のものではないと思うんですね。そういう中でやっぱり弁護士として活動されているということは、障害を持つ人たちにとってはどんなに心強いことかと思いました。それは感想なんですが。
 電子投票制度についてお述べいただきましたけれども、私は実は電子投票制について一般的に疑問視というか、消極的な考え方を従来から持っております。障害者の皆さんにとって非常に有効なものなんだ、権利を行使するのに大切なものなんだということは今のお話でよく分かりました。
 それでお伺いしたいのですが、電子投票制ですと、とにかく、リアルタイムで、ある人たちは、あっ、この人は当選している、この人はもう一歩だという情報が分かるわけですね。その情報の漏えいという非常に難しい問題があると思うんです。いろいろ日本も情報化社会になりまして、いろんな個人情報が、何というんですか、権力を持っている人たちの手に握られて、それが必ず漏れるんですね。必ず漏れる、漏らす人がいる。そういう悩ましい問題に直面しておりまして、住基ネットの問題なども国会で大議論しました。それとの関係で、そういう一般的な悩みがあるんですけれども、そのことについて何かお考えがあるでしょうか。
 私は、是非、障害者の皆さんの権利確保のためにはITの力を活用すべきだともう信じております。それで、それは必要だと思っております。同時に、さっきの点字ブロックの話じゃないんですけれども、そういうもう一方での心配、弊害を取り除くためにどうすればいいかというお考えがあればお知らせいただきたいと思います。
#31
○参考人(瀧澤仁唱君) 戦傷病者特別援護法につきましてまずお答え申し上げます。
 誤解のないようにお願いしたいんですが、私は戦傷病者に対しましてはより手厚い援護をもっと広げるべきだとは思っております。しかし、差があるということについては問題があるということを言っているわけであります。
 まず、戦傷病者特別援護法でありますが、これは国家補償の観点ということで、補償の補の字が補う方の補償なんですね。つまり社会保障の保障ですと、ゼロだったところが、ある一定のところまで上げるというのが保障ですが、にんべんとこざとへんの保障ですね。ところが、補う方の補償は、あったもの下がっていたからそれを上げるという、労災補償などの補償はその意味で使っておりますね、実際に。
 ですから、少なくとも国家補償ということで、ある一定の能力があって一定の収入が確保されたであろうけれども、それが実際に下がっているから補償しようという考え方ですね。そういう考え方があります。
 ですから、戦傷病者特別援護法に基づきますと、例えばこれは旅客運賃などの割引制度では戦特援法の対象者は、全部ではございませんけれども、無賃ということを法律上規定しているものもあります。これは障害のレベルによって違います。それから半額というのもございます。
 ところが、身体障害者福祉法の場合ですと、これは実は障害者基本法の、心身障害者対策基本法の昔の二十三条の二項に国鉄はということでもって、いわゆる割引制度といったような趣旨のことが書いてあったんですが、一九八七年の国鉄消滅とともにそれはなくなっちゃったんですが、そういうようなことに基づきまして障害者に旅客運賃割引を規則に基づきまして、その会社の規則に基づいて半額と、重度障害者につきましては介助者が半額、それから障害者も半額といったものもございます。
 しかし、いわゆる交通機関を利用する場合でありましても、戦傷病者につきましては無賃あるいは半額扱いということが法律上規定されているというふうに、かなり別の扱いをされているというふうになっております。
 それから、二点目の挙証責任の転換でございますけれども、これは私は障害者差別禁止法全部、四十号あるというふうに言っていますが、全部精査したわけではないので私の知っている限りだけお話し申し上げますが、これはほかの参考人、もしほかに調べたものがあれば教えていただきたい部分もありますけれども。ADAにつきましては、実際には、例えば障害者であるということをまず立証した上で、これは原告がした上で、その後で、今度は被告側が障害者であるから差別していないということを、それを立証しなければならないというふうになっております。
 ですから、そういう点では、これは立法例と言うべきなのか判例法と言うべきなのかちょっと議論の分かれるところになりまして、学説がちょっと分かれている部分もありますけれども、そういうものがあるということだけお話し申し上げたいと思います。
 それから、ドイツの平等化法、いわゆる差別禁止法ですが、これにつきましては、挙証責任の転換というのはないです。ただし、裁判制度におきましては、実際にいろいろな社会裁判所あるいは行政裁判所に訴えていく場合に、裁判官が職権的にいろんなことをやりまして、それでやっていきますので、日本のように民事訴訟のように原告、被告でもって攻撃、防御を繰り返すというようなことはしておりません。ですから、そういう点では立証などは比較的しやすくなっているというふうに考えております。
#32
○参考人(野村茂樹君) 電子投票のことでございますけれども、確かに情報の、これは特に投票になりますと、正に個人の政治的信条が場合によって国家によって知られてしまうという危険を内包しているわけでございます。そういったことでの、あるいは必要以上にある一部の者に分かってしまう。こういったことが制度的に絶対起こってはならないということの言わばかぎですね、そういうものが、そういう政府にするかぎがあるということが前提でございます。それは、そうでないとやっぱり制度全体が非常に危険なものになるわけですから、それはもう是非検討をしていただきたいと思います。
 ただ、他方で、障害のある人はこういう議論もあるんですね。点字投票を認められていまして、これは点字投票は、やはり機械にどうしても苦手な人がいますので点字投票は併存していただきたいんですが、仮に電子投票がやっても。点字投票は、地方へ行きますと、結局点字投票をする人はほとんど一人か二人なんですね。開票をする人も、大体点字を読める人はそんなに残念ながらいませんので、結局あいつはだれに投票したと分かっちゃうというんですかね、少なくとも分かってしまうんじゃないかなという投票の秘密に対する不安というのは障害者の人たちは持っておられるんですね。そういうことはよく訴えられます。そんなこともあるので、仮に電子投票でそういう制度がきっちりできているのであれば、本当に自分で操作してだれにも分からないような形で投票ができると、そういうことを、期待を表明する視覚障害のある方は結構いるんですね。
 それから、ちょっと、先ほど瀧澤参考人が言われたんですが、日弁連が出している要綱案の中でも差別を推定するとか、ちょっと私、目が悪くて、今何条ということを言えないんですけれども、あるいはこういったものを過失があるものと推定するというようなところが規定がございますので、そういったことの推定規定を設けることによって、こういう言わば表に出た事実だけを、ある行為事実だけを障害のある方が言えば、いや差別したんじゃないんだということを、逆に訴えられた側の方が立証しなきゃいけないという規定を設けることは技術的に十分可能です。
#33
○岡崎トミ子君 努力規定は駄目で義務規定が必要だというお話はよく分かりました。
 差別禁止法が目指す上でやはり一番障害になるのは義務規定の中身だというふうに思います。事業者と経済界は過度の負担を課されるのではないかというふうに心配しているわけですね。
 そこでお伺いしたいんですが、野村参考人と金参考人に伺いたいと思いますが、新たに必要になる負担について、程度によっては、あるいは質によっては過度の負担であると認めることができるのか。それはできるとすればどういうような基準によって認めるのか。また、新たに生じる負担についてはだれが一体負担すべきかということについてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
 それからもう一つ、よく私も委員会の中で、当事者本人を審議会あるいは検討会、委員会などには参加をさせるべきだということについて質問をしてまいりましたけれども、障害を持つ人たちが参加できるのは大体一割から二割、精神障害者やあるいは知的障害者においては本当にごくまれだという、そういう状況になっていると思いますけれども、これは瀧澤参考人と金参考人に伺いたいと思いますが、当事者の参画が必要な場合、必要なんですけれども、その代表の選び方について御示唆いただきたいと思います。
#34
○参考人(金政玉君) まず、過度な負担の問題についてなんですが、先ほどの挙証責任のこととも関連する部分があるかと思いますが、民間の事業者などがそういう財政負担などによってどうしても過度な負担が生じて、差別をするというふうには、差別的な取扱いをすることは考えていない、したくはない。しかしながら、現実にそれを解消しようと思ったときに、コストが掛かる場合にどうしても過度な負担は生じる、そういう悩ましい事例は当然起こることはあり得ると思うんですね。
 ただ、これはあくまでも例外的な場合というふうに位置付けをするべきであって、それでは私たちが思うのは、やはり説明責任の在り方として、じゃ差別をしてはいないんだということ、しかしながら過度な負担がある、そのときのやっぱり証明をしっかりどこまでできるのかどうなのかということをきちんと見極めていくようなことが、第三者的な立場ですね、見ていく必要があると思います。
 そういった意味では、差別禁止法ができたときには救済機関なり実施機関というものをしっかり置いて、第三者的な委員会で、しかも障害を持つ当事者の代表が過半数を占める委員会、これはイギリスの障害者差別禁止法の中でも障害者権利委員会ということでそういう構成立てを既にしている事例もありますので、決してできないことではないというふうに私どもも思っております。
 それと、審議会などへの当事者参画というお話でございますが、今現状の審議会なり、これは国や地方自治体でもそうですが、非常にやっぱり当事者の参画ということでいえばまだまだ不十分な点があるかと思います。ただ、不十分な場合があるということと、余りにも慣習化しておりまして、もう機械的に大きな障害者団体なり家族団体が自動的にその委員に入るということがあるわけですね。そういったことが中身の議論をしていくときに本当に当事者参画ということが言えるのかどうなのか。当事者がきちんと参画をして、例えば障害者計画などの内容についてどこまできちんと意見の反映ができているかどうかというようなこともあるかと思います。
 それは、ですから一つの解決方法として私どもが提案しているのは、やはり公募方式というものをもっと積極的にいろいろな工夫をしながら取り入れていくべき話だと思うんですね。公募方式でそういう自らが手を挙げて自分がその委員になっていきたいんだということを意思表示をする、そういう意思表示をする方が複数なりたくさんいたとすれば、それはもうその人たち同士でよく話し合って調整をしていただいて、どうしても定数との関係があれば、その上でその中で持ち回りなどのやり方で代表を送っていくと。
 要は、中身をどのように当事者の意見を反映させながら当事者参画ということをきちんと盛り込んでいくかということですから、そういったことは当事者団体なり当事者の方と連携をしながらやっていくべき話だろうという、それはできることだと思います。
 以上です。
#35
○参考人(野村茂樹君) 確かにコストの面ということは現実の問題であると思います。ただ、特に合理的配慮義務ということになりますと、いかにも何かお金が掛かるのではないかということをちょっと連想されるかもしれませんけれども、実はいろいろ、たしか共用化推進機構がアンケートを取ったことがあったと思うんですけれども、内容を見ますとかなりソフトの面の合理的配慮をしてほしいというものが、かなりソフトの面で解決できるんですね。本当に簡単なことです。例えば、スーパーで通路に物を置かない。車いす通れませんよね、あるいは目の不自由な人はけつまずいちゃいますよね。あるいは、ちょっと背の届くところにある、あるいは見やすいように表示をすると。そういう割と細かなことでちょっとすぐできることから、多いんです。そういうところでの合理的配慮というのが多いんですね。DDAなんかの成立見ますと、まずソフトの面からすぐ試行しているんです。ハードの面については少し試行期間を置いたりして何年後に整備する、そういうような、普通やっていますね。
 それからあと、かなり技術が進歩してきまして、昔は本当に難しいかなというようなこともかなりできるようになってきています。例えばさっきのITもそうですけれども。そういうことで、だんだん時代とともに変わっていくわけですから、その辺のところは、時代とともに、あるいはいろいろな社会の全体の中で、正に共生社会を今の時代においてどういうところを設定していくかと。
 先ほど私、かなり最後声を上げてしまいましたけれども、そういう国民の声をいろいろ集約できるのは、正にそういうことができるのは国会ではありませんかということは申し上げたんですが、是非ともそういうことをその観点でやっていただきたいなと思っています。
 ちょっと私、質問なかったんですが、やっぱり一言、その障害のある人の選び方ということで一言申し上げたいんですが、私は、本当にできるだけぺいぺいの人を選んでくださいと言いたいんです。というのは、私、学生時代に目悪くなったんですが、そのときに定期を買いに行きました。そうしたら、白杖を持っていったんですよ、白杖を持っていったんですけれども、ここに書き込んでくださいと言われましたね、どこからどこへと。私、目悪いから書けないんですと言ったんです。そういう規則になっていますと言って、本当にちょっと私はむっとしてしまいましたけれども。今、私、そういう失礼されません。おかげさまで弁護士になってこういう秘書がいて、買ってきてと言ってそれで済んじゃうんですよ。
 その人の意見聞いても余り意味ないんですよね。ですから、できるだけ本当に一人でやっていて悔しい思いをしている人を是非選んでいただきたいなと。ちょっと一言言いたくて申し上げた次第です。
 以上です。
#36
○岡崎トミ子君 ありがとうございます。
#37
○参考人(瀧澤仁唱君) まず、当事者参加につきましては、これは必ず過半数以上入れるべきだというふうに思いますし、これはドイツなどでも、そういった各施設の運営でもそういう動きが出てきております。
 ただ、問題は、知的障害、特に重度の知的障害の方などをどういうふうに代表として参加させるかということですが、これは私、意思表示をいろんな形でしていかないと、意思表示をいろんな形で酌んでいく方法というのは、実はかなり身近でいろんな形でもってかかわっていればそれなりの意思表示はやっぱり出てまいります。もちろん全部とは言い切れません。ですから、そういう点では、突然ちょっと行って、それで不満はないのと言ったら不満はないと言いますね。場合によっては、給料を上げてほしいと、幾ら上げてほしいと、百円というようなのがあります。これは最賃法の適用がありませんから、月一万円ぐらいの給料しかもらえない施設一杯あります、現実に。
 そういった場合に、そこにどういうふうに酌み取るかということが、実はその意思表示を媒介する方ですね、いわゆる代理してしゃべる。アドボカシーというのは本当はそこから来ていまして、日本はそれを権利擁護というふうに訳しちゃっていますから私はどう考えてもおかしいと思っているんですけれども、あれは代言とか代弁でありまして、ある一人の人が主体、もう一人の人がそれを支援する形でしかないはずでありまして、ちょっと変な感じがしているんですが、それはおいておきまして。実際には、その意思表示をいろんな形でもってそれぞれ酌み出すということにつきましては、一定の力を持った専門家が必要であるというふうに考えております。
 その次に、代表につきましては、これは、特定の団体を排除したり、あるいは特定の団体だけが使われるという場合があります、はっきり申しまして。例えば、いろんな調査をする場合でありましても、ある特定の団体は排除して、それである一定の団体に所属している団体だけ調査をして回るといったような例があります。これを公費を使ってやられている例があるんですね、実際には。本来それは公費の不当な使途ではないかと私は思っておるのでありますが、実際にはそういった例があります。ところが、それについていろいろとやかく言っても、法律上問題に余りできません。そういったことも含めまして、いろいろな、公費の支出も含めて、特定の団体は排除したり、そういったことがないようにする方途もやっぱり取るべきではないかというふうに考えているわけであります。
 以上です。
#38
○岡崎トミ子君 ありがとうございました。
#39
○清水嘉与子君 今日、参考人の皆様方、本当にありがとうございます。
 何点かお伺いしたいんですけれども、まず一点。
 お三人とも基本法のように施策を進めるための法律のほかにやはり差別禁止法が必要だというお話でございますけれども、現実問題として、基本法なり人権擁護法なりの、あるいは個別法の推進法の中での差別にかかわる部分を修正することによって、あるいは改正することによって所期の目的を達成することは本当に駄目なのかどうか。一点。
 それから、幾つかの国で差別禁止法をきちんと持って成功している国が、御紹介ございましたけれども、同時に、日本で言っている基本法のような施策、推進するような法律があって、それとうまく整合性取りながらやっている国、どんな国があるのか、それが本当に実効が上がっているのかどうか。
 つまり、私たちも前回アメリカに視察に参りました。そして、ADA法が非常に機能しているということを実感したんですが、しかしそれはかなり、そのことによって活動できるような方々とのお話の中ですからそういうお話が出てまいりましたけれども、一方において、例えば日本における障害者を雇用する率を作るというようなことに対してはやはり反対だと、むしろそんなことすることによって差が、限定されてしまうから、むしろそんなことはなくて自由にやった方がいいんだというお話も聞きましたけれども、一方において、町に行けばヘルプ・ミーなんて書いている障害者の方々がいるというような状況を見ますと、必ずしもこれ、やっぱり施策を充実しながらやらなきゃいけないんじゃないかというふうに私は思ってしまうわけですね。その辺のところを本当にどう考えたらいいのか。もし、両方の法律を作ってうまくやっているような国があったら、まずそこを教えていただきたいことと、幾つか申しましたけれども。
 それと、もう一つ。私たち、幾らこういうふうにして法律を作っていろいろ施策を進めようと思いましても、現実問題、障害者の方々がもっと一般の地域に帰ってきてほしいと思っても、それを受け入れないといいましょうか、まだ風土が国民のサイドにたくさんあるんだろうと思うんです。そういうことをうまく進めている国、何か方法があったら是非教えていただきたい。
 私なんか特に精神障害者の問題、非常に関心があるわけですけれども、多くの方々がもう本当に、受入先さえあればというか、受入れ条件さえあれば家庭に帰ってこれるような状況で、訓練もし、すべていろんな準備をしている方々があってもなかなか帰ってこれない、もう家族もいないというような状況の中で本当に困っているというか、もう何とかしたいという思いが非常にするわけですけれども、そういうのがかなり外国ではもう収容主義じゃなくなっていますよね。もう地域に出していらっしゃいますけれども、それをどうやって住民、国民が受け止めるのか。その辺に何かうまい策があったら是非教えていただきたい。お願いします。
#40
○会長(小野清子君) どなたに。
#41
○清水嘉与子君 できればお三人の方お願い、どこでもお願いできればと思います。
#42
○会長(小野清子君) 分かりました。それでは、一言ずつお三人にお願いいたします。
#43
○参考人(瀧澤仁唱君) うまくいっているかどうかという、どこに評価点を持つかということであると思いますので簡単にはちょっと言えませんが、私はちょっと余り良くない例としてドイツの例を、似ているんですね、これ、実は。
 つまり、障害者雇用につきましては重度障害者法、社会法典第九編になってちょっと変わりましたけれども、六%、あるいは今度五%になっていますけれども、二十人以上の企業で雇うと。ところが、大企業もやはり余り、日本と似たように雇用納付金のような制度がございまして、実際に大企業なども余り雇っていないということがございます。ただ、そこで何やっているかというと、国が例えば八割まで賃金を、一定の保障をするような、重度の障害者の場合ですけれども、するとか、社会保障制度によって上乗せをしているというふうにして、何らかの形でもって障害者の雇用をすると。あるいは、障害者の雇用につきましては、いろいろなアシスタントを付けるとか、あるいは意思表示が難しい場合なんかですと、その意思表示を媒介するような人を付けるとか、これはさっき申しました雇用納付金に当たるようなものでやはり払った企業からのそのお金でやっているわけでありますが、そういったようなことをしているわけです。
 ただ、うまくいっているというのをどういうふうにちょっと言っていいかは分かりませんけれども、私は、ADAなどで見ていますと、やはりかなりの点で、アメリカ合衆国ですけれども、移動とかそれからあるいは字幕ですね、聴覚障害者の字幕などについて、あれは物すごくITなんかを利用しているせいもあるんですけれども、うまくいっている例だと思います。ただし、雇用につきましては、私は余りアメリカのは参考にしていませんので、その辺ではちょっとうまくいっていないと。ですから、いわゆるまだら模様と言ったらちょっと良くないんですけれども、そういう状況ではないかというふうに考えます。
 ただ、これは評価点もやり方によりまして違いますので、私の意見はそうだということを申し上げておきます。
#44
○参考人(野村茂樹君) まず第一の、基本法と差別禁止法というのは一体化できないものだろうか、どうしても一体化できないものだろうかという御趣旨だったと思うんですが、私は、例えば今、差別禁止法ということを作ってくださいと申し上げているんですが、できれば、じゃ障害者基本法は消えていいのかといったら、そうは思いません。やっぱり障害者基本法で国とか地方公共団体、やっぱりそこを推進して充実していくということは大切ですし、それから差別禁止法は、ちょっと刑罰ということを思っているのかもしれないですけれども、差別禁止法の根本は民民なんですね。やっぱり司法のレベルなものですから、ちょっと働く場所が、もちろん関連してくるわけですけれども、やはりそういう意味では両方必要であるというふうに思います。
 諸外国の例というのは、本当に私まだ不勉強で申し訳ないんですが、今少しずつ日弁連の方でも勉強しているんですが、ただ、やっぱり結構差別禁止法という、いわゆる発展途上国あるいは国自体が小さい国も設けているんですね。そういったところも結構参考になるのかなと思って、今コスタリカはちょっと研究に入っているところなんですけれども、ちょっとまだ先生方に報告できるようなところまで私自信持っていませんで、申し訳ありません。
#45
○参考人(金政玉君) 私も十分な諸外国の実情を調査しているというわけではないのですが、国によってやっぱり経過、成り立ちが随分違いがあるなと思います。
 アメリカの場合ですと、もう七〇年代ぐらいから、一九七〇年代ぐらいから、例えばリハビリテーション法においてのそういう差別の禁止ということが盛り込まれたりとか、大規模収容施設についてはもう廃止をして地域に帰していくというようなことが、法律上もそういうことで認められたりとか、あと障害児教育についてもあったりとか、そういった積み重ねが幾つかあって、それで九〇年のADAの成立に至って、ADAでカバーしている範囲というのは、今もお話にありましたように、移動アクセスのことだとか、一応雇用の問題とか建物のお話だとか、そういうことで幾つかの既存の法律でカバーできていない部分をADAでカバーしているということで、それ自体はかみ合った形で機能しているんだろうというふうに思います。
 ただ、日本ではじゃどうなのかという、随分成り立ちが、経過が違いますので余り一概には比較はできないだろうとは思います。ただ、障害者基本法が、さっきも野村参考人がおっしゃいましたように、基本的にやっぱり差別禁止法というのは民民との関係を軸にそういう法律上は考えられている、基本的な性格がやっぱり違う部分がありますので、そこは基本法の改正の中でそれが、どこまでそういった観点が盛り込んでいけるのかというのは、仮にそれが盛り込んでいけるとしますと、基本法が基本法でなくなってしまうようなことに、それぐらいのやっぱりものになっていくんじゃないかなというふうに思いますので、それは私たちの受け止め方からするともう基本法の改正ということではなくなってくるということにも言えないのかなという、これまだ疑問ですけれども、そういう疑問を持っております。
 ただ、要するに、要は何が必要かと申しますと、やっぱり障害を持っている当事者が実際に差別や人権侵害を受けたときに、第三者機関に、救済機関に訴えたりとか司法の場でそれを訴えたりとか、そういったときに、やはり判決を出すときの根拠法になり得るかどうかということが私たちにとっての一番の大きな問題なんですね。
 やっぱり裁判に訴えるということは、障害を持っている当事者は人生を懸けて、自分の全存在を懸けて訴えるわけですから、そのときに何ら救う根拠法になるものが今の基本法では少なくともあり得ない。やっぱり努力規定にとどまっている限りは、加害者の側が、一定のこういう努力はしましたということを何らかの証明ができれば法律違反とまでは言えないという判決にどうしてもなってしまいますから、そういった意味では、基本法は裁判の場合の根拠法にはなり得ませんので、要はそういう役割を果たせるかどうかということが一番の大きな課題ではないかなというふうに私どもは思っております。
#46
○林紀子君 瀧澤参考人に再びお聞きしたいんですけれども、参考人が最後に、今日の発言の中で「まとめにかえて」というところで書いていただいていることなんですけれども、私も去年の秋にアメリカそれからカナダ、視察をしてまいりまして、そのとき、このADAの説明の中で障害者の方が説明をしてくださったんですが、その方は非常に、視覚障害者だったんですが、達者にパソコンを操って、私たちがしゃべっているようなこともどんどんどんどん打ち込んでいくようなそういう方だったんですね。そのときに説明を、私の理解では、私はこういうふうな能力を持っているし資格も持っている、だから健常者、同じようなそういう能力を持っている健常者と比べて私が雇用をされないというときは差別なんだというお話を伺ったと思うんです。
 そのとき私が、今、先生がここへ書いていらっしゃるような、そういう能力のある人はじゃそういう就職の差別がなくして平等になるということがあっても、そういう力のない人はじゃ駄目なのかなということを疑問に思いまして、先生がここに、機会の平等というのを幾ら定めても、それに至る道筋というんですか、手段を何らかの社会保障制度によって保障しなければ絵にかいたもちになるんではないかというので、あのときのことを思い出しながらそうだなと思ったんですが、具体的に、じゃその機会に至る手段を社会保障制度によって保障するというのは、何か具体例を挙げて御説明いただけましたらよく分かるんじゃないかと思うので、お願いしたいと思います。
#47
○参考人(瀧澤仁唱君) 実は議員おっしゃったように、このADAにつきましては、特に全身性で重い障害を持った人は余り期待していないんですね。この「ADAの衝撃」という八代英太議員などが編になっている本がございますけれども、この中でも触れられておるんですが、つまり有資格障害者、例えばタイプライターを一分間に何ワード打つ、それが同じ場合ですと、実際には、片方が車いすに乗っておられて、片方は車いすに乗っていない、そうしますと、車いすを利用している方はある程度通路の幅を作ったりとか、それからどうしても机をいろいろ改造したりしなくちゃなりません。その際に差別をしてはいけないというのが基本です、ADAの例でありまして。ただし、これは非常に簡単に言ってしまっていますので、そう単純なものではないんですけれども、つまり有資格障害者は差別してはいけないと。
 そうしましたら、逆に言うと、これはアメリカなども、あるいはドイツなどもそうですが、一定の資格を持っている人については雇用される権利があるとか、そういったことを考えられるんですが、日本の場合は、じゃ果たして会社に入る場合に、一定の資格、例えばタイプライターだけをやるとか、あるいは電話交換だけをやるという方はそんなにおられないわけです、実際には。会社に入るのであって、一定の仕事ですね、ある仕事でしたらそれの一時間当たり幾らの金額というものをもらうというものになっておりません。これが日本とドイツ、アメリカなどとの大きな違いでもあるんですけれども、そういう点では簡単にはちょっと比較できないんです。
 ですから、その際に、じゃ有資格でない障害者をどうするかというときには、その有資格でない障害者の能力を高める方法もあると思うんですね。実は私は、視覚障害者の問題から入っておりますので、実はやっておるんですが、オプタゴンと申しまして、指先でもって字を振動でもって読む機械の訓練する資格を持っているんでありますけれども、あれがあることによりまして、アメリカ合衆国では全盲の方がブラウン管を読み取りまして航空券の発券業務までやっているんです。じゃ日本でそれをやれるかといいますと、今買うだけでも、大分値段は下がりましたけれども、百万円近い機材でありまして。大学生ですと、たしか今、貸与か給与かちょっと今正確じゃないんですけれども、文部科学省は大学生にはそれを、全盲の大学生にはそれを貸与か給与しているはずなんです、実際には。そういう制度がございますので、あるんですが、じゃ浪人しているときはどうするかとか私はいろいろ言ったことがあるんですが。
 そういうふうに、一定の公費によりましてそういう手段ですね、私はITだけですべて解決するとは思っておりませんけれども、そういう形でもってやれるということについては、やはりその機会に至るまでにその有資格、同じ、現在有資格だけじゃなくて、これから有資格になる人も作り出すということも必要ではないか。その際に社会保障制度も何らかの形で、社会福祉あるいは社会保障、何でもよろしいんですけれども、そういった形でやる必要があるんではないかというふうに考えているわけであります。
#48
○神本美恵子君 今日はありがとうございます。
 ずっとお話を聞いていまして、一つずっと分からないことがあるんですが、三人の方にお聞きしたいと思います。
 先ほど瀧澤参考人が、女性差別や部落差別というようなものは割と見えやすいと言われたんですかね、だけれども、障害者差別は能力差があるのだから差別されるのは合理的だというような社会的なものがあってなかなか見えにくいというふうなことをおっしゃったように伺ったんですけれども、女性差別も、例えば江戸時代やそれから戦前というと存在そのものが否定されるような場面、間引きされるとか、障害者はもとよりだったと思うんですが、それが戦後、法制度的に女性差別は一応男女平等ということが整備されても、それでもなお差別がずっと残るのは何なのかということで、女性差別撤廃条約で女性に対する差別とはという定義がされたんですね。それで随分と見えなかった差別が見えてきたと思うんです。
 それで、日本でも男女共同参画基本法ができて、ただ、私はあれは非常に不十分な法律だと思っていますが、障害者差別禁止法を作るに当たって、障害者に対する差別とは現時点でどのようにとらえていらっしゃるのか。例えば女性に対する差別は、条約の中で規定されているのは、性に基づく区別、制限、排除であって、社会的、経済的、精神的に差別されるあるいはその権利を享有することを阻む、そのことを女性に対する差別というふうにうたわれているんですね。区別さえも差別だというふうにうたったことが、見えなかった差別を、ジェンダー差別というのをより明確にしたと思うんですけれども。
 この障害者差別は、私は、今、有資格の障害者とそうでないと、ちょっとお話に出ましたけれども、能力に対する差別だと思うんです。私自身も重度の障害のある子どもさんを小学校で受け持ったことがあるんですが、全く言葉が出なくても、出ないことがその人の、その子の存在、個性であるというとらえ方で考えてきたんですけれども、現時点での障害者に対する差別とはという定義付けをするとすれば、あるいは国際的にそういうものがあるとすれば教えていただきたいんですけれども。
#49
○参考人(金政玉君) あえて誤解を恐れずに言わせていただきたいと思いますが、障害者差別とほかの人権問題、いろんな重要な人権問題があるわけですが、ほかの人権問題との違いはじゃ何なのかということに、今の趣旨はそういうことになるのかなと思うんですね。
 私はやっぱり、先ほど議論になった合理的配慮義務ですね、合理的配慮義務が、この障害者差別を認定するときに配慮義務がどこまできちんと行われたかどうか、加害者の側がそれを行ったかどうかというのが、それが怠っている場合は差別に当たるという規定を盛り込もうということになると思うんですね。そういったいわゆる配慮義務ということが女性の問題なり外国人の問題なり、ほかの人権問題の中にはそれほどの多くがそこで言われているかというと、やっぱりそれは違うのではないかなというふうにあえて思います。
 それはやっぱり、その背景になっているのが、やっぱり原則的に同一労働同一賃金、働く性による差別とか国籍による差別だとか、そういった差別がなければ、その人の属性による差別がなければ、同じ働けるにもかかわらずその属性によって差別を受けているんだから、そういう属性による差別を廃止しましょうというところで、差別的な取扱いの禁止というところでおよその問題はある程度解決できるということがあるかと思うんですが、障害者差別の場合はそれを言うだけではやはり非常にまだ決定的に不十分であって、そういった必要な配慮というものがなされるかどうか、なされていないこと自体が差別だというところまで踏み込んで定義をするというところに特徴が私はあるんではないかなというふうに思います。
 そういった意味で、さっき瀧澤参考人の方から有資格についての、障害を持つ人が有資格なのかどうなのかというようなお話があったかと思いますが、例えば欠格条項という問題があって、専門的な資格を取る場合に、障害を理由にそもそも法律上排除されていたということがあったわけですが、それが見直しをされて、今後も、だけれどもやっぱり課題が残っているんですね。資格を取るまでは取ったけれども、実際に能力なり適性はありながら、仕事をしようとするためには補助的な手段が必要であると。その場合に、じゃ、事業者が補助的な手段というものを自分の責任、自分の負担でどこまで配慮をして受け入れるかどうかということが非常に大きな争点になってくる。
 ということでいえば、やっぱりそういう配慮義務という問題が有資格ということと併せて事業者の側に求められるということが、障害者差別の定義を考えるときの非常に大きなポイントなのではないかなというふうに思います。
#50
○参考人(野村茂樹君) つい最近、私、法律相談を受けたんですが、同じ職場で離婚をした女性の方から相談を受けまして、その後の、特に明確な、それで地位がどうなったか、職場での地位がどうなったかこうなったかということはないんだけれども、やっぱり上司から何とか、みんなやっぱり別れた側の夫の味方をするというふうにおっしゃるんですね。
 ああ、やっぱりこれは、本当にそれは私自身も反省しなきゃ、日本の男性自身が反省しなきゃいけないんだろうけれども、やっぱり男性社会ということが、もうそれが抜け切らないんだねという話をして、じゃ、どうやったら救えるのかと、本当に私自身も弁護士としての力、何ができるのかといろいろ考えたんですけれども。仮に、これは仮に障害者に対する差別禁止法ができても、そういった差別の実態というのはこれからもどんどんどんどん生み出されるとは思うんですが、だけれども、それを恐れたら一歩も進まないんですね。
 差別の定義はどこにあるかというのは、結局、最終的には本当に一人一人の個性が息づけるような、それを邪魔するなということですよね。そういう障壁をなくするということ、障壁を起こすこと自体が差別していることですが、具体的な法技術的には、雇用であるとか労働であるとか教育とか、あるいは住まいであるとか交通であるとか、あるいは情報であるとか、あるいはサービスを受けるとか、そういう個々具体的に差別を規定していくということになっていくんだろうと思います。
 確かに、しかし非常に御指摘の点は重い問題でありまして、本当に障害の方は重い思い、実は私の原点はそういう方々にあるんですけれども、そういった方々が本当に個性を持って生き生き生きるような社会をどういうふうに求めていくか、私自身も考えていきたいなと思っているところです。
#51
○参考人(瀧澤仁唱君) 私は、差別というのはどういうふうに考えるかと申しますと、あらゆる機会への参加の制限だというふうに考えております。それは、ただし、あらゆる機会に参加を制限されるといいましても、一定の合理的なやっぱり配慮は必要なわけなんですね。
 ですから、どうしても、例えば視覚に重い障害があった場合に、車の運転、現在の状況ではできません。だからといって、例えばバス会社に全盲の運転手がいないからといって、差別しているとは多分言えないと思いますね。しかし、これは場合によっては、これ何らかの形でもってそういう運転ができるようなシステムができれば運転できるかもしれません。そういう点では、それぞれの文化状況あるいは産業の発展によって変わってくると思っております。
 それともう一つは、障害者文化論とかかわることでありますが、私は、障害を持っていること自体が即個性だというふうには考えておりません。障害者というのは個々別個でありまして、それぞれの個性があるわけなんですね。
 これは私自身直接かかわった事例でございますけれども、子どものときに早く難聴が分かれば、もっと早くですね、言語の発達ができたであろうというようなことで、それに触発されて論文を書いた方がおられます。それに対しまして、学会報告のときに、耳が聞こえない文化というのもあるんだからそれでいいんじゃないかというようなことを言われました。私は、これについては反対しています。なぜかと申しますと、聞こえないままでいいという、あるいは聞こえなくても、それの前にまだ、例えば口話法、いわゆる読唇術でありますけれども、唇を読むものですね、そういったものを習っていて、自分は聞こえない世界に生きるかどうか、それは子どもの選択に任せればいいわけでありまして、親が勝手に、もうこれは耳が聞こえないんだからそのまますべて手話の世界だけで生きればいいんだというわけにはいかないと思うんですね。そういう点では、私は単に障害個性論というのは取りませんので。
 ですから、それぞれの社会状況とかいろんな文化状況に応じましてそういう障害を持っている方の差別を取り除くというのは、これはかなり相対的、いわゆる比較的なものであるというふうに考えております。
#52
○後藤博子君 ありがとうございます。
 今日は、ずっとお聞きをしておりまして、一つは感想で申し訳ないんですけれども、やはり共に生きられる社会をこの共生社会の中でももっともっと取り入れて、教育の現場の中で障害を持つ方も持たない方も本当に一緒に協力し合って生きていくんだという、そういうことを教育の現場の中にももっともっと取り入れていく必要があるのではないかと感じました。
 私も、今年になりまして、私の身近な友人の妹さんが第二子が生まれまして、障害者だったんですね。そのために、ショックが大き過ぎたんでしょう、その方が自殺をしてしまいました。そういう非常に悲しい体験をつい最近しまして、この方々に何かもっとこう、子どもさんが生まれる前に何かできることはなかったんだろうかと思ったときに、例えばその予防といいますか、産婦人科に掛かっていて、これは例えばなんですけれども、産婦人科に行ったときに、もしあなたの赤ちゃんが障害者で生まれたとしても大丈夫ですよという何か、社会ではこうやって受皿がありますよ、大丈夫ですよというふうな投げ掛けがその窓口でできないのかなと、そういうふうに思っていまして、今日はこれお尋ねするつもりはなかったんですが、いろいろお話聞いていて、いろいろその法案を作ること、人権のこと、障害者の差別の禁止法を作ることも非常に大事なことですが、それと併せて、現実としてそういう問題もたくさん起こっているんですね。
 だから、そういうことをもっともっと具体的な取組として何かできることはないんだろうかと思って、今もし産婦人科の窓口でそういうものがあって、そういうことは起こっちゃいけないんだけれども、もし起こったときには、まずこういうことが今、日本としては法律的にもあるから大丈夫ですよとか、そういうことであれば受け入れていただける社会になっていますよとか、何かそういうものがあるといいなというふうに私自身が感じるものですから、何かお考えがありましたらまたお三人の方にそれぞれお聞きしたいと思っております。
 ちょっと漠然としておりますけれども、申し訳ありません。よろしくお願いします。
#53
○参考人(瀧澤仁唱君) 実は、羊水診断とか障害者が生まれることに対してどうするかという問題がありまして、私はこれはたしかアメリカ合衆国のカリフォルニアの例だったと思いますが、羊水診断によって障害胎児を中絶してしまって、何億円か何十億円かそのための費用が掛からなかったといったような記事を見て、非常に驚いたといいますか、怒りで打ち震えた記憶がございます。
 場合によってはそういう可能性が出てくるわけなんですね、現在の状況を見ますと。あるいは、遺伝子診断によっては、この人は大体どのぐらいになったらこういう障害を持つだろうとか、こういう病気になるだろうということが分かるようになってきます。
 しかし、産む産まないはこれは女性の権利の問題でありますが、しかしその状況でありましても、私が先ほどから申し上げておりますように、これは差別禁止だけではなくて、それ以外にやはり社会保障制度のいろんな充実があって初めてできるわけなんですね。ですから、例えば女性がそういう妊娠をしてしまって障害児を産む可能性があるという場合でありましても、そういうような障害児を産んだ場合であっても社会がどういうように支えていくかという、これは広報をしていく、広く教えていくといったようなことも必要でありますし、そこがいわゆる懐の深い社会、あるいはこれからの日本の、いかに景気が悪くても、外国へ行けば分かりますが、日本人は大金持ちというイメージがあるわけでありますから、少なくともそういう懐は幾らでもあると思います。その辺のところはこれは私は権利として構成していこうというふうに考えております。
 以上です。
#54
○後藤博子君 ありがとうございます。
#55
○参考人(野村茂樹君) やはり非常に重い問題で、胎児であるときに障害があることが分かったときにというところで、特に政策研のチームの作られた差別禁止法の中にそれもやっぱりとらえて、後で金さんの方から御報告があると思うんですが、大きな問題があると思います。
 それから、やはりおっしゃるとおり差別禁止法、法律があればいいということじゃなくて、やはり全体の社会のシステムとして社会保障制度も含めていろんなケアのシステムがある、そういう意味での広がりというんですかね。私は医者に対する教育も必要だと思うんですね。医療モデルじゃなくて、人として生きていくために、ずっと人は変わっていくというところの、単に対症的な、単に医療モデルで考える医者だけじゃなくて、やはり医者そのものも変わってもらってそういうことがケアできる、全体にそういう医療の現場にならなきゃいけないと思いますし、そういう意味で社会全体の問題であると思っております。
 以上です。
#56
○後藤博子君 ありがとうございます。
#57
○参考人(金政玉君) 非常に根本的な問題に当たると思います。
 障害者インターナショナルが結成したときに、生命倫理に関することが綱領的な立場で主張しておりまして、障害を持つこと自体が決して不幸なことではないんだという立場から生命倫理のことについては主張しております。
 先ほど野村参考人から少し紹介をされました、私たちも障害を持つ当事者団体として障害者差別禁止法の要綱案作りを今行っております。その中の、要綱案の中の基本事項の中の一つに、出生における差別の禁止というものを掲げております。それは、もう胎児の段階で障害を持つ胎児だと分かった場合に、その場合に中絶するということを、障害を理由に中絶するということを禁止するということでその中に設けております。それはまた改めて、その要綱案全体を説明させていただける機会がありましたらいつでもお邪魔したいと思いますが。
 その問題をやっぱり考えていくときに、先ほども御指摘がありましたように、じゃ障害を持つ子どもを産んで育てていけるための社会環境をどうやって作るか、それは社会サービス的な観点からやっぱり環境の整備条件というものを同時進行的に整えていくということが当然必要になってくるわけですけれども、いずれにしてもそういう深い意識にある、障害を持つこと自体が不幸で、不良な子孫として障害者を見ていくというようなそういった考え方というのは、確かに法律上は優生保護法は今なくなりましたけれども、経済的な理由による中絶のいわゆるグレーゾーンの部分の中にやっぱりそれはまだ残っていると思いますし、実際、医療現場では続いている実態があると思います。そこについてはやっぱり差別禁止ということでやらなければいけないんですが。
 ただ、これも非常に私たちも悩んだ話なんですが、それをじゃ、被害を受けた、実際に中絶された当事者はこの世の中にはいないわけですね。被害者としての権利救済ということがじゃ実際上差別禁止法を使ってできないじゃないかという非常に悩ましい問題もありまして、じゃその場合、だれが代わりに訴えていくのかという、訴えられる側、加害者は親だったりお医者さんだったり、そういったこともあるかもしれませんし、やっぱりそれを実際に考えていくとなると非常に難しい問題が出てくる。しかしながら、やはり何かの形できちんと問題提起はしていかなきゃいけないというふうに思っております。
#58
○後藤博子君 ありがとうございます。
#59
○会長(小野清子君) 質問も尽きないようでございますが、予定の時間も参りましたので、以上で参考人に対する質疑は終了いたします。
 参考人の方々には、長時間にわたりまして大変貴重で有意義な御意見をお述べをいただきまして、誠にありがとうございました。ただいまお述べをいただきました御発言につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 次回は来る四月十六日午後一時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後三時三十分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト