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2002/10/18 第155回国会 参議院 参議院会議録情報 第155回国会 本会議 第1号
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2002/10/18 第155回国会 参議院

参議院会議録情報 第155回国会 本会議 第1号

#1
第155回国会 本会議 第1号
平成十四年十月十八日(金曜日)
   午前十時一分開議
    ━━━━━━━━━━━━━
#2
○議事日程 第一号
  平成十四年十月十八日
   午前十時開議
 第一 議席の指定
 第二 会期の件
 第三 国務大臣の演説に関する件
    ━━━━━━━━━━━━━
○本日の会議に付した案件
 一、日程第一
 一、新議員の紹介
 一、議員今井澄君逝去につき哀悼の件
 一、常任委員長辞任の件
 一、常任委員長の選挙
 一、特別委員会設置の件
 一、日程第二
 一、請暇の件
 一、日程第三
     ─────・─────
#3
○議長(倉田寛之君) 第百五十五回国会は本日をもって召集されました。
 これより会議を開きます。
 日程第一 議席の指定
 議長は、本院規則第十四条の規定により、諸君の議席をただいまの仮議席のとおりに指定いたします。
     ─────・─────
#4
○議長(倉田寛之君) この際、新たに議席に着かれました議員を御紹介いたします。
 議席第百五十八番、比例代表選出議員、信田邦雄君。
   〔信田邦雄君起立、拍手〕
     ─────・─────
#5
○議長(倉田寛之君) 議員今井澄君は、去る九月一日逝去されました。誠に痛惜哀悼の至りに堪えません。
 同君に対しましては、既に弔詞をささげました。
 ここにその弔詞を朗読いたします。
   〔総員起立〕
 参議院は わが国 民主政治発展のため力を尽くされ さきに厚生委員長 決算委員長の重任にあたられました 議員今井澄君の長逝に対し つつしんで哀悼の意を表し うやうやしく弔詞をささげます
    ─────────────
#6
○議長(倉田寛之君) 阿部正俊君から発言を求められております。この際、発言を許します。阿部正俊君。
   〔阿部正俊君登壇〕
#7
○阿部正俊君 本院議員今井澄先生は、平成十四年九月一日、胃がんのため長野県茅野市の御自宅で逝去されました。享年六十二歳でありました。誠に痛惜哀悼の念に堪えません。
 今井先生は、一昨年十二月二十二日、東京巣鴨の癌研究会附属病院において胃がんの手術を受けられました。一時は元の健康を回復されたかにお見受けいたしましたが、昨年四月には肝臓への転移が発見され、更には脊椎までも侵されていることをお身内にも打ち明けられておられたとお聞きしました。
 さきの国会での健康保険法改正法案の審議に際しては、全身をむしばむがんとの壮絶な闘いのさなかにもかかわらず、車いすで参議院本会議場に入られ、立ち続けることもつらい病状を押して、この演壇に立たれたのでございます。そして、あるときは小泉総理に対し鋭く質問を発し、また、あるときは議場の議員各位に切々と自説を説かれたのであります。静かな語り口ながら、聞く者の魂を揺さぶる、気迫にあふれる御質問でありました。
 私は今、その光景を思い浮かべながら、今井先生と同じ壇上に立っていることに深い感慨を覚えます。先生は末期がんに侵されながらも、追い求められておられた自らの理想に生命を懸けられ、最期まで国会議員としての職責を全うされたのであります。そのお姿を先生の御逝去と重ね合わせたとき、政治家今井澄は、言わばこの議場においてその生涯を閉じられたような思いに駆られます。
 私は、ここに、同僚議員各位の御同意を得て、議員一同を代表し、今井先生のみたまに対し、謹んで哀悼の言葉をささげたいと思います。
 今井先生は昭和十四年十一月十七日、旧満州国ハルビンに生まれ、四歳のころ内地に戻られました。本籍地の千葉県に移り住まれた後、御尊父の伊豆逓信病院への転勤に伴い、小学校三年から高校卒業まで伊豆で成長されました。
 静岡県立沼津東高校を卒業された先生は、昭和三十三年、東京大学に入学されました。時あたかも六〇年安保の時代、デモに奔走された先生は、医学部への進級試験で不合格となり退学されましたが、翌年には合格し、復学されております。先生は、医学生となってからも大学管理法反対運動を指導し、学外者を含めた総決起集会の責任を問われ、退学処分となりました。
 その後、再び復学を果たされた先生は、今度はいわゆる東大紛争が起こり、全学ストライキに突入するという事態が発生しました。先生は、卒業を目前にしていたので余りかかわるつもりはなかったと回想しておられますが、実際には、全共闘防衛隊長として安田講堂に立てこもった末に逮捕され、一年間東京拘置所に拘留されることとなりました。出所後、改めて卒業試験を受け、晴れて念願の医師となられましたが、そのときには既に東京大学入学から十二年の歳月が流れておりました。
 それから、今井先生は医師として東京都内の病院で研さんを積まれましたが、都会での医療に疑問を持たれた先生は、本来の医療の在り方を求めて長野県に移られ、かの地の地域医療に精力的に取り組まれたのであります。
 先生は、佐久市国保浅間総合病院を経て、昭和四十九年には諏訪中央病院に赴かれ、五十五年に院長になられました。四十歳のときでありました。先生は、地域医療による在宅ケアこそが老人医療の理想の姿であるとの信念をお持ちでした。病院に行かないでいい地域づくりを合い言葉に、看護師や保健指導員の方々とともに住民の中に溶け込み、地域住民の食生活や保健予防意識の徹底に精魂を傾けられました。先生はこうして、現在は長野モデルとして全国に知られる健康にして長寿たる高齢者医療の礎を築かれたのであります。
 また、先生は、年間の総収入を超えた累積赤字を出し、いつまでもつのかねと言われた当時の諏訪中央病院を引き受けられ、閉鎖寸前の病院を見事に立て直されたのであります。病院に行かなくてもいい地域づくりの理想と病院の再建を同時に成し遂げられたわけで、今井先生の正に真骨頂と言ってもいいでしょう。
 付け加えれば、この諏訪中央病院が従来の病院の形にとらわれない患者本位の病院として第一回の病院建築協会賞を受賞されたことや、この病院でホスピタルコンサートが行われるようになったことなどに、改めて先生の人間を愛する優しさを見る思いです。
 このように理想の医療を追い求め、実践されてこられた先生は、平成四年、健康長寿の長野モデルの全国への普及の志を持って参議院選挙に立候補され、長野県民の広範な支持を受けて当選され、さらに平成十年には、比例区から再び当選を果たされたのでありました。
 参議院議員となられた今井先生は、本院においては決算委員長、厚生委員長を歴任されました。厚生委員長在任中は、いわゆる薬害エイズ事件の真相究明と恒久対策の確立のため、委員会の運営に当たり公正かつ強力な指導力を発揮されました。また、長く委員を務められた決算委員会におきましては決算男を自認され、決算の審査を予算審議に反映させることが参議院の使命であると常々言われておりました。
 印象深いことは、委員会の御質疑で度々今井節が炸裂したことであります。腰の引けた答弁に対しましては、烈火のごとく怒られ、雷を落とされました。皆、余りのけんまくに肝を冷やしたわけですが、激しく叱責された官僚は、むしろ困難に立ち向かっていく勇気を与えられたと言います。
 党務においては、村山内閣における与党福祉プロジェクトの座長、民主党に移られた後は、民主党医療制度改革小委員会事務局長、ネクストキャビネットの雇用・社会保障担当大臣、医療制度改革ワーキングチームの座長などを務められ、一貫して社会保障の改革に携わってこられました。
 先生は、社会保障の主体は国民であり、人間の尊厳を大切にするとの理念の下、人間中心の社会保障改革に取り組まれ、我が国の福祉の在り方を大きく変える新ゴールドプランの策定や介護保険法の制定に御尽力をなされました。当時の私は厚生省の立場でありましたが、幸いにして、今井先生に様々なお話をさせていただきました。その中で、立場を超えて御支援と御教示をいただきました。感謝の念に堪えません。
 先生は、全国の市町村長の方々を説得するため、各地で講演や懇談を重ねられ、地方の自主的な取組と責任による地方分権の確立に全力を尽くされました。特に、住民に最も身近な基礎自治体が高齢者の自立を支援するという介護保険の理念を地方の現場に浸透させるべく、全国を奔走されました。そのお姿は、いちずな社会保障の伝道師のごとくでありました。
 また、昨年来、今井先生は、いわゆる患者の権利法の制定に執念を燃やされ、中心となって法案を立案されました。そして、昨年十一月の厚生労働委員会で、先生自らその趣旨を御説明され、医療に対する信頼が大きく揺らぐ中、医療を受ける者の権利が擁護される必要性を強く訴えられたのであります。
 さきの国会が閉会し、茅野に帰られた先生は、主治医から何か心残りがありますかと尋ねられたとき、患者の権利法を制定できなかった、患者の権利を法律にしておきたかったと悔しそうな顔をされたと伝え聞きました。
 今井先生には、長野の高く青い空がお似合いでした。そうした自然に包まれて生きたいとの思いだったのでしょうか、先生は御自宅で最期の医療を受けることを希望され、求めてきた医療の姿を自ら実践され、その生涯を閉じられたのであります。
 告別式では、厚子夫人がはなむけにと望まれた先生が大好きな「夏の思い出」の歌を参列者全員で合唱してお送りしたと伺っております。壇上に飾られた御遺影は、夏の日の太陽のように明るく、長野の高原に吹く風のごとく、どこまでもすがすがしくほほ笑んでおられたと聞き及びました。
 今井先生は、何事にも深い情熱を持って取り組まれ、ひたむきに邁進してこられました。そのことが、先生に接した人に困難に立ち向かうエネルギーを与え、多くの人々の心を一つにすることにつながることになったと思います。
 この時期に先生を失ったことは、御遺族の悲しみはもとより、国民生活の課題が山積する我が国の国会や政府にとりましても大きな損失であると言わなければなりません。特に、これからの年金や医療制度の改革については今井先生の存在が不可欠であったとの思いを断つことができません。誠に痛恨の極みであります。
 しかし、我々は、先生を失ったことを嘆いてばかりはおられません。先生が残された「今日の利害よりも将来に備えるために、党派を超えて、この国の未来を考えよう」という、その志を受け継いでいかなければなりません。
 今井先生、天上から見ていてください。先生がともされた情熱の火が、必ずや次の世代に引き継がれ、この国の改革に生かされるものと信じております。
 今井先生、あなたのお名前は、我が国の社会保障の歴史にしっかりと刻み込まれました。先生が身をもって示された正義と倫理、民主政治における英知と勇気がこの国にあって実を結ぶことを願ってやみません。
 ここに、謹んで故今井澄先生の高い御見識、燃えるばかりの理想、たぐいまれな指導力、そして幾重もの御功績をたたえるとともに、先生のお人柄をしのび、院を代表して、心から哀悼の意を表する次第であります。
 ありがとうございました。
     ─────・─────
#8
○議長(倉田寛之君) この際、常任委員長の辞任についてお諮りいたします。
 内閣委員長佐藤泰介君、財政金融委員長山下八洲夫君、国土交通委員長北澤俊美君、環境委員長堀利和君、国家基本政策委員長広中和歌子君、予算委員長真鍋賢二君から、それぞれ常任委員長を辞任いたしたいとの申出がございました。
 いずれも許可することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(倉田寛之君) 御異議ないと認めます。
 よって、いずれも許可することに決しました。
     ─────・─────
#10
○議長(倉田寛之君) この際、欠員となりました常任委員長の選挙を行います。
 つきましては、常任委員長の選挙は、その手続を省略し、いずれも議長において指名することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#11
○議長(倉田寛之君) 御異議ないと認めます。
 よって、議長は、
 内閣委員長に小川敏夫君を指名いたします。
   〔拍手〕
 財政金融委員長に柳田稔君を指名いたします。
   〔拍手〕
 国土交通委員長に藤井俊男君を指名いたします。
   〔拍手〕
 環境委員長に小宮山洋子君を指名いたします。
   〔拍手〕
 国家基本政策委員長に江田五月君を指名いたします。
   〔拍手〕
 予算委員長に陣内孝雄君を指名いたします。
   〔拍手〕
     ─────・─────
#12
○議長(倉田寛之君) この際、特別委員会の設置についてお諮りいたします。
 災害に関する諸問題を調査し、その対策樹立に資するため、委員二十名から成る災害対策特別委員会を、
 沖縄及び北方問題に関する対策樹立に資するため、委員二十名から成る沖縄及び北方問題に関する特別委員会を、
 国会等の移転に関する調査のため、委員二十名から成る国会等の移転に関する特別委員会を、
 金融問題及び経済活性化に関する調査のため、委員二十五名から成る金融問題及び経済活性化に関する特別委員会を、
 また、政治倫理の確立及び選挙制度に関する調査のため、委員三十五名から成る政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会を、
それぞれ設置いたしたいと存じます。
 まず、災害対策特別委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会、金融問題及び経済活性化に関する特別委員会並びに政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会を設置することについて採決をいたします。
 以上の四特別委員会を設置することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#13
○議長(倉田寛之君) 御異議ないと認めます。
 よって、災害対策特別委員会外三特別委員会を設置することに決しました。
 次に、国会等の移転に関する特別委員会を設置することについて採決をいたします。
 本特別委員会を設置することに賛成の諸君の起立を求めます。
   〔賛成者起立〕
#14
○議長(倉田寛之君) 過半数と認めます。
 よって、本特別委員会を設置することに決しました。
 本院規則第三十条の規定により、議長は、議席に配付いたしました氏名表のとおり特別委員を指名いたします。
    ─────────────
   議長の指名した委員は左のとおり
○災害対策特別委員
      大仁田 厚君    加治屋義人君
      景山俊太郎君    柏村 武昭君
      小泉 顕雄君    斉藤 滋宣君
      鶴保 庸介君    中川 義雄君
      宮崎 秀樹君    森下 博之君
      朝日 俊弘君    今泉  昭君
      木俣 佳丈君    谷  博之君
      内藤 正光君    日笠 勝之君
      福本 潤一君    大沢 辰美君
      大門実紀史君    山本 正和君
○沖縄及び北方問題に関する特別委員
      入澤  肇君    後藤 博子君
      佐藤 泰三君    伊達 忠一君
      中川 義雄君    仲道 俊哉君
      西田 吉宏君    西銘順志郎君
      脇  雅史君    岩本  司君
      大塚 耕平君    小林  元君
      信田 邦雄君    本田 良一君
      風間  昶君    遠山 清彦君
      紙  智子君    小泉 親司君
      田村 秀昭君    大田 昌秀君
○国会等の移転に関する特別委員
      有馬 朗人君    大島 慶久君
      太田 豊秋君    河本 英典君
      沓掛 哲男君    国井 正幸君
      保坂 三蔵君    松田 岩夫君
      山下 善彦君    江本 孟紀君
      佐藤 泰介君    長谷川 清君
      平田 健二君    和田ひろ子君
      加藤 修一君    草川 昭三君
      浜田卓二郎君    井上 美代君
      島袋 宗康君    西川きよし君
○金融問題及び経済活性化に関する特別委員
      荒井 正吾君    小斉平敏文君
      小林  温君    近藤  剛君
      佐々木知子君    清水 達雄君
      田中 直紀君    野上浩太郎君
      林  芳正君    福島啓史郎君
      山下 英利君    若林 正俊君
      浅尾慶一郎君    小川 敏夫君
      櫻井  充君    辻  泰弘君
      広中和歌子君    山根 隆治君
      荒木 清寛君    魚住裕一郎君
      池田 幹幸君    小池  晃君
      岩本 荘太君    平野 達男君
      大渕 絹子君          
○政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員
      阿部 正俊君    愛知 治郎君
      有村 治子君    泉  信也君
      岩井 國臣君    尾辻 秀久君
      狩野  安君    亀井 郁夫君
      木村  仁君    沓掛 哲男君
      田村 公平君    段本 幸男君
      中島 眞人君    南野知惠子君
      藤井 基之君    森元 恒雄君
      吉田 博美君    小川 勝也君
      佐藤 道夫君    千葉 景子君
      福山 哲郎君    藤井 俊男君
      堀  利和君    簗瀬  進君
      柳田  稔君    山下八洲夫君
      木庭健太郎君    森本 晃司君
      山本  保君    井上 哲士君
      池田 幹幸君    八田ひろ子君
      大江 康弘君    広野ただし君
      又市 征治君
    ─────────────
#15
○議長(倉田寛之君) これにて午後三時まで休憩いたします。
   午前十時二十三分休憩
     ─────・─────
   午後三時一分開議
#16
○議長(倉田寛之君) 休憩前に引き続き、会議を開きます。
 日程第二 会期の件
 議長は、今期国会の会期を五十七日間といたしたいと存じます。
 会期を五十七日間とすることに賛成の諸君の起立を求めます。
   〔賛成者起立〕
#17
○議長(倉田寛之君) 総員起立と認めます。
 よって、会期は全会一致をもって五十七日間と決定いたしました。
     ─────・─────
#18
○議長(倉田寛之君) この際、お諮りいたします。
 緒方靖夫君から海外渡航のため十一日間の請暇の申出がございました。
 これを許可することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#19
○議長(倉田寛之君) 御異議ないと認めます。
 よって、許可することに決しました。
     ─────・─────
#20
○議長(倉田寛之君) 日程第三 国務大臣の演説に関する件
 内閣総理大臣から所信について発言を求められております。これより発言を許します。小泉内閣総理大臣。
   〔内閣総理大臣小泉純一郎君登壇、拍手〕
#21
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 私は、就任以来、内政にあっては聖域なき構造改革を断行し、外交においては国際協調を基本に主体的な役割を果たすとの揺るぎない姿勢を貫いてまいりました。この一年半、厳しい状況の中でしたが、自由民主党、公明党、保守党三党による連立政権の強固な基盤に立って、政策の実現に努めてまいりました。
 先般、構造改革をより一層進めるため、内閣改造を行いました。新しい体制の下、改革なくして成長なしとの小泉内閣の路線を、確固たる軌道に乗せてまいります。
 去る九月十七日、私は、日本の総理大臣として初めて北朝鮮を訪れ、金正日国防委員長と会談を行いました。金委員長の発言は、拉致問題への北朝鮮の関与を認めた上で、謝罪と再発防止の決意を明確に示すものであり、工作船やミサイル、核開発問題など、安全保障を始めとする諸問題についても、包括的な促進を図りたいとの意向が読み取れました。
 拉致された方々の安否に関して北朝鮮から示された情報は誠に悲惨な内容であり、厳しい決断を迫るものでした。二度とこのような痛ましい事件を起こさせてはなりません。そのためにも、朝鮮半島地域の安定的な平和が不可欠です。この地域の緊張緩和は、我が国のみならず、北東アジア地域、ひいては、世界の平和と安定に貢献するものです。私は、この際、交渉を通じて日朝間に横たわる深刻な懸念を払拭し、敵対関係から協調関係に向けて大きな歩みを始めることこそ、日本の国益にかなう選択であると判断し、交渉再開を決断しました。
 「他策なかりしを信ぜむと欲す。」、これは、内閣制度草創期、第二次伊藤博文内閣において外務大臣を務めた陸奥宗光の言葉です。「他の誰であっても、これ以外の策はなかったに違いない。」、真の国益とは何か、考えに考え抜いた末の結論であるとの確信を込めたこの言葉は、私自身の思いでもあります。
 国交正常化交渉は、今月二十九日に再開します。日朝平壌宣言の原則と精神が誠実に守られることが交渉進展の大前提です。交渉に当たっては、米国、韓国を始めとする関係諸国と緊密に連携してまいります。
 拉致被害者やその御家族の長年にわたる苦悩を思うとき、私は胸が痛みます。十五日に拉致被害者のうち五名の方の帰国が実現しましたが、これは問題解決の第一歩にすぎません。交渉を通じて拉致問題の真相解明に努め、被害者や御家族に対する支援に政府を挙げて取り組みます。
 今直面する最重点の課題は、厳しさを増す環境の中にある日本経済の再生です。経済の活力を取り戻すため、これからの半年間で改革を加速することとし、早急に総合的な対応策を取りまとめます。
 デフレ克服に向け、政府、日本銀行は、一体となって総合的に取り組みます。経済情勢に応じては、大胆かつ柔軟な措置を講じ、金融システムと経済の安定を確保します。
 不良債権処理を本格的に加速し、平成十六年度には不良債権問題を終結させます。
 ペイオフについては、決済機能の安定を確保するための制度面での手当てを行い、解禁の準備を整えます。金融システム改革を進める中、預金者の不安や混乱を避けるため、実施は、不良債権問題終結後の平成十七年四月とします。金融機関等の経営基盤を強化するため、組織再編を促進する措置を講じます。
 不良債権処理の加速に伴う雇用や中小企業経営への影響に対しては細心の注意を払い、セーフティーネットには万全を期します。産業再編、企業の早期再生や新規開業支援のための施策を強化します。
 税制については、持続的な経済社会の活性化を実現するためのあるべき税制の構築に向けて、抜本的な改革に取り組みます。現下の経済情勢を踏まえ、一兆円を超える、できる限りの規模を目指した減税を先行させます。公正かつ簡素で分かりやすい税制を目指し、多年度税収中立の枠組みの下で、全体を一括の法律案として次期通常国会に提出すべく検討を進めます。
 不動産や証券など資産市場活性化のため、税制を含め必要な措置を講じてまいります。
 日本経済を活性化させる大きな柱として、構造改革特区を実現します。規制は全国一律という発想を、地方の特性に応じた規制に転換します。四百を超える提案に示された知恵と意欲をしっかり受け止めて、教育、農業、福祉などの分野で思い切った規制改革を実行します。
 地方と民間の意欲は、都市再生の分野で具体的な動きとなっています。全国で四十四か所の都市再生緊急整備地域において、日本で最大級の容積率となる名古屋駅前の再開発ビル計画など、合計約七兆円の民間事業投資が予定されています。波及効果などを含めると、二十兆円に上る経済効果が見込まれます。構造改革特区と併せて活用することにより、経済の活性化につなげてまいります。
 司法制度については、第一審の結果が二年以内に出ることを目指すなど、総合的かつ集中的な改革を行います。
 知的財産の創造、保護及び活用を国家戦略として進めます。
 世界最先端のIT国家の実現を図り、電子政府、電子自治体を推進します。
 さきの通常国会では、郵便事業への民間参入法と郵政公社法が成立し、本格的な郵政改革に向け大きな一歩を踏み出しました。民営化の具体案は既に国民に提示しており、これを基に議論を進めてまいります。道路関係四公団についても、民営化推進委員会設置法が成立し、現在、改革の志に富んだ委員が民営化の在り方について精力的に議論を進めています。医療改革関連法も成立しました。構造改革は着実に進んでいます。
 引き続き、肥大化した公的部門の抜本的縮小に取り組みます。官から民へ、国から地方への流れを一層加速し、活力ある民間と個性ある地方が中心となった経済社会を実現します。
 税金の使い方を根本から見直し、簡素で効率的な政府を作り上げます。
 経済財政諮問会議で閣僚から示された改革案も踏まえ、年金などの社会保障、米を始めとする農業、義務教育、公共事業、特定財源など重要な課題について議論を深め、改革の方向を示します。特殊法人改革も着実に進めます。
 国と地方の在り方については、国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む税源配分の在り方を三位一体で検討し、一部は平成十五年度予算に反映させます。市町村合併については、現在、約二千五百の市町村が検討しており、より一層強力に推進してまいります。
 平成十五年度予算編成に当たっては、歳出を厳しく見直しつつ、将来の発展につながる分野に重点的に配分します。
 行政自らも痛みを避けて通ることはできません。民間企業が厳しい状況にある中、国家公務員の給与や退職手当の水準の引下げを行います。
 米国同時多発テロの発生から一年余りがたちました。私は、ニューヨークにおいて追悼式典に出席し、改めて傷跡の深さを実感いたしました。去る十二日、バリ島において数百名が死傷する爆弾テロ事件が発生しました。テロリズムとの闘いは長く厳しいものであることを覚悟しなければなりません。国民の安全と安心の確保に万全を期するとともに、国際社会の一員として、日本の役割を積極的に果たし、世界の平和と安定に貢献してまいります。
 イラクの大量破壊兵器開発問題は国際社会共通の問題であります。国連査察官の無条件の復帰を認めるとイラクが表明したことは解決への第一歩です。しかし、重要なことは、イラクが実際に査察を即時、無条件、無制限に受け入れ、大量破壊兵器の廃棄を含むすべての関連する国連安保理決議を履行することです。私は、ブッシュ大統領に、イラク問題に対処する上で国際協調が重要であることを明確に伝えました。我が国として、国際社会と協調しつつ外交努力を継続してまいります。
 九月以降、環境と開発に関するヨハネスブルグ・サミット、ASEM首脳会合への参加や米国訪問などを通じ、私は各国首脳と国際社会が直面する課題について率直な意見交換を行い、信頼関係を構築してまいりました。月末にはメキシコで開催されるAPEC首脳会議、十一月初旬にはカンボジアで開催されるASEANプラス日中韓首脳会議に出席する予定です。今後も、米国を始めとする各国との揺るぎない協調関係を築いてまいります。
 国民の政治への信頼なくして改革の実現は望めません。閣僚自らが襟を正し、指導力を発揮して、政と官の適正な役割分担と協力関係の下、改革を進めてまいります。
 食肉をめぐる問題や食品の虚偽表示の問題、原子力発電所における点検をめぐる不正の問題など、安全が何よりも大切な分野において不祥事が相次ぎ、国民の信頼を大きく損ねていることはゆゆしい事態であります。情報の公開を基本に、再発防止と安全確保の仕組みを整備します。
 今国会においては、有事法制や個人情報保護法制など継続審査となっている法案に優先的に取り組み、成立を期します。また、構造改革を推進する上で重要な各種法案を提出します。
 有事への備えに関する法制については、さきの通常国会での議論を踏まえ、基本的な枠組みに加え、国民保護のための法制など個別の法制について検討してまいりました。法案審議を通じて、国民の理解と協力を得られるよう取り組みます。
 日本経済は、構造改革の途上にあり、厳しい状況が続いていますが、国民のたゆまぬ努力で培われた潜在力は失われていません。
 東大阪市では、独自技術を持つ地元の中小企業が数十社集まり、三年後を目指して小型の人工衛星を開発する計画を進めております。
 東京の大田区には、職人の技術によって、日用品からロケットまで多様な特殊部品を製造している企業や、IT技術を活用して携帯電話の金型を自動製造し、開発スピードを武器に世界のメーカーと取引をしている企業があります。
 遺伝子研究素材など最先端の分野で画期的な技術開発に成功し、中には売上げを二年間で六倍に伸ばした企業もあります。
 厳しい環境の中で、我が国の中小企業は果敢な挑戦を続けています。
 今年のノーベル賞は、日本人から三年連続、しかも初めてお二人の同時受賞となりました。科学技術の振興に大きな弾みとなります。ニュートリノの史上初の観測で物理学賞受賞の小柴昌俊さんは七十六歳、たんぱく質の分析法の開発で化学賞受賞の田中耕一さんは四十三歳。世代も活躍の場も異なるお二人の受賞は、我が国の研究水準の高さや層の厚さを世界に示しました。我々に元気を与えてくれるすばらしいことです。
 プロディ欧州委員会委員長は、去る四月、我が国国会での演説において、「経済、技術、科学、マーケティングのいずれをとっても、日本の能力には目を見張るものがある。このような資産は決して消えることはない。」と指摘し、日本の将来について悲観主義に陥ることに警告を発しています。各国の首脳も、日本の潜在的な経済力を評価し、その発展が世界繁栄の原動力となることに大きな期待を寄せています。
 構造改革こそが日本の潜在力を発揮させるための道です。自信と希望を持って改革に立ち向かおうではありませんか。
 国民並びに議員各位の御理解、御協力を心からお願い申し上げます。(拍手)
#22
○議長(倉田寛之君) ただいまの演説に対する質疑は次会に譲りたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#23
○議長(倉田寛之君) 御異議ないと認めます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時十七分散会
ソース: 国立国会図書館
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