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2002/11/05 第155回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第155回国会 本会議 第6号
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2002/11/05 第155回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第155回国会 本会議 第6号

#1
第155回国会 本会議 第6号
平成十四年十一月五日(火曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第四号
  平成十四年十一月五日
    午後一時開議
 第一 警備業法の一部を改正する法律案(第百五十四回国会、内閣提出)
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 久間章生君の故議員古賀正浩君に対する追悼演説
 日程第一 警備業法の一部を改正する法律案(第百五十四回国会、内閣提出)

    午後一時三分開議
#2
○議長(綿貫民輔君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
#3
○議長(綿貫民輔君) 御報告することがあります。
 議員古賀正浩君は、去る九月六日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 古賀正浩君に対する弔詞は、議長において去る九月二十四日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は 多年憲政のために尽力し さきに商工委員長の要職にあたられた議員正四位勲二等古賀正浩君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます
    ―――――――――――――
 故議員古賀正浩君に対する追悼演説
#4
○議長(綿貫民輔君) この際、弔意を表するため、久間章生君から発言を求められております。これを許します。久間章生君。
    〔久間章生君登壇〕
#5
○久間章生君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員古賀正浩先生は、去る九月六日、国立国際医療センターにおいて逝去されました。
 私は、先生が体調を崩され、昨年来入退院を繰り返されておられるとお伺いし、心を痛め、御回復の一日も早からんことを祈っておりました。
 先生は必死に療養に努められ、快方に向かわれていたとのことですが、御病状急変し、奥様を初めとする御家族の懸命の御看護のかいもなく、ついに不帰の客となられました。いかに天命とは申せ、残念至極であり、誠に痛惜の念に堪えません。
 私は、ここに、ありし日の先生の面影を偲び、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
 先生は、昭和九年八月、軍人であられた父君の任地、朝鮮平安北道において、文吉さん、サツキさん御夫妻の三男としてお生まれになりました。
 慈愛に満ちた御両親に育まれた先生でありましたが、わずか三歳のときに父君を戦争で亡くされました。以来、先生は、福岡県久留米市に移られ、雄大な筑後平野のもとで、母君の限りなき愛情と献身を受けて成長されたのであります。
 先生が過ごされた少年期は、戦中戦後の大変厳しい時代でありました。空襲のつらい日々を送られた先生は、十一歳になられた八月に終戦を迎えられました。戦火による国土の荒廃は深刻な食糧難をもたらし、人々は生きるために食糧の確保に追われました。
 こうした中、育ち盛りであった先生も自ら、母君の御実家で農業のお手伝いをされるなど、逞しく働かれたと聞いております。多感な時期に食糧の大切さ、農業の尊さをまさに身をもって体験された先生は、後年、戦後の飢餓の時代を振り返り、「農業食糧問題に私の情熱を捧げる大きなバネになった」と述懐しておられます。この苦しくも貴重な経験が後に先生が農業政策のエキスパートとなられる上での大きな礎となり、また、困難に打ち克つ自信を培ったものと想像するにかたくありません。
 長じて、福岡県立明善高校で学び、東京大学法学部へ進まれた先生は、学業に秀でたばかりでなく、スポーツも万能でありました。とりわけ中学、高校を通じてバレーボールの選手として、また、大学時代は「山の会」草創期の登山メンバーとして、大いに青春の情熱を燃やされました。
 昭和三十四年、先生は、大学卒業と同時に農林省に入省され、行政官としての第一歩を踏み出されました。少年時代の思いをもとに、農林水産の各分野で若き力を注ぎ、本領を発揮されていた先生は、その後、国際労働機関第五十九回総会に日本政府代表顧問に抜てきされ、さらに、食糧庁主計課長、福岡県農政部長、農林水産省農業協同組合課長などを歴任されました。短い期間ではありましたが、この間私も先生と同じく農林省時代の後輩として、温かく御指導を賜った日々が、今、懐かしく思い出されます。
 農林行政官として二十年有余、冷静・的確な仕事ぶりとともに、先生は、一貫して正義感が強く、部下には温かい思いやりを持って接し、多くの人々を惹きつけておられました。そして、「農業が国の基礎である」との強い信念のもと、終始日本農業の発展・推進に尽力・邁進されてきた先生は、長年の行政経験を通じて、理想や情熱、世の中のロマンを究極的に満たすには政治の世界を目指すしかないことを痛感されたのでありました。
 私事になりますが、昭和五十五年、私が農林省をやめて長崎一区から衆議院選挙に出馬したときは、当時福岡県の農政部長をしておられましたが、わざわざ長崎まで出てこられ、激励していただきましたが、先生もその時にはすでに自らの出馬を意識しておられたのだということを後に知ることができました。
 当時の農林水産大臣は亀岡高夫先生でありました。戦争で九死に一生を得られ、これからは亡き戦友のかわりに働くとの決意のもとで農政に心魂を傾けられていた亀岡先生に以前から心服されていた先生は「政治の場で故郷のために働きたい。」と訴えられ、熱き思いに動かされた亀岡先生の御指導もあり、政界への転身を決意されたのであります。
 昭和五十七年に農林水産省を退官し、翌五十八年十二月の第三十七回総選挙に勇躍立候補され、健闘されましたが、善戦もむなしく、次点で苦杯を喫しました。しかしながら、先生の志はいよいよ固く、捲土重来を期して、昭和六十一年七月の第三十八回総選挙に再立候補、選挙民の力強い支持を集めて、見事最高点をもって初当選の栄冠に輝かれたのであります。(拍手)
 本院に議席を得られてからの先生は、ライフワークの農林水産政策はもちろんのこと、文教、商工等の各常任委員会、あるいは石炭対策等の特別委員会の委員、理事を歴任し、国政の各分野において熱心かつ真摯に審議に当たられました。
 とりわけ、平成十年八月には商工委員長に選任され、温厚篤実なお人柄そのままの誠実さで公正な立場を堅持し、厳しい金融環境におかれておりました中小企業の保護育成対策を初め、我が国産業の活力再生、特殊法人の整理合理化の推進等重要な諸課題に当たられたお姿は、与野党の別なく、同僚議員からひとしく敬服されていたところであります。
 この間、政府においては、平成三年十一月に発足した宮澤内閣における通商産業政務次官として大臣を補佐し、産業の地方分散を推進する、地方拠点及び再配置の促進に関する法律案の成立に精力的に取り組まれたのであります。
 さらに、平成四年六月にブラジルのリオデジャネイロにおいて開かれたいわゆる地球サミットに日本政府代表として参加されました。会議では、先進国と開発途上国が対立する中、合意は困難と言われていた環境と開発に関するリオ宣言等が採択されました。これらの実現に向けて真っ向から取り組まれた先生はよくその重責を果たされたのであります。
 かくして、先生は、本院議員に連続して当選すること五回、在職十六年四カ月に及び、その間、我が国政に残された功績は誠に偉大なものがあります。
 振り返れば、初登院した先生は、「私は出来上がった政治家として皆さんから支持してもらったのではない。古賀正浩という政治家は皆さん一人ひとりにつくってもらったんだ」と述べられ、「国民の声を素直に聞く耳を持ち続けたい、国民との交流を何よりも大切にしたい」と願い、電話による「テレフォン国会週間レポート」を始められました。「やあ、古賀正浩です」で始まるレポートの中で発露された政治やふるさと筑後への熱き思い、そして、不正に怒り、四季の移り変わりに感動し、人々との交流に胸はずませるお姿は、国会議員としても、一人の社会人、父親としても多くの方々の共感を呼んだことでありましょう。
 また、学生時代から山をこよなく愛された先生は、車を利用せずに麓から歩くことに徹し、カメラを持たずにスケッチを楽しみ、山に挑戦するのではなく、また征服することでもなく、山懐に己を預けられていたとのことであります。山に登る理由を聞かれると「いろいろなことの平衡感覚を確認し、取り戻せると思うのだよ」と静かに語っておられました。私には、こうした自然への思いの中に、先生の優しさ、そして、いかなる局面にも冷静な判断を下されていた源泉を見る思いがするのであります。
 先生は「熟慮断行」を座右の銘とされておりました。まさにこの言葉どおりに強い正義感のもと、常に広く先々のことに意を配りながら、信念をもって真正面から物事に当たり、国政に献身されてきたのであります。
 こうして、常に郷土を思い、国家を愛し続けてこられた先生が、いよいよその成熟を増し、大成の政治家たらんとしたやさき、志半ばにして倒れられた御無念を察するとき、痛恨哀惜の情ひとしお深いものを覚えるのであります。
 今日、我が国をめぐる内外の諸情勢は厳しいものがあります。この中にあって的確な判断と実行力をもって幅広く政治課題に取り組んでこられた前途有為の政治家古賀正浩先生を失いましたことは、本院はもとより、国家国民にとりましても大きな損失であると言わなければなりません。
 ここに、謹んで古賀正浩先生の生前の御功績をたたえ、その人となりを偲び、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
 日程第一 警備業法の一部を改正する法律案(第百五十四回国会、内閣提出)
#6
○議長(綿貫民輔君) 日程第一、警備業法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 委員長の報告を求めます。内閣委員長佐々木秀典君。
    ―――――――――――――
 警備業法の一部を改正する法律案及び同報告書
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
    〔佐々木秀典君登壇〕
#7
○佐々木秀典君 ただいま議題となりました警備業法の一部を改正する法律案につきまして、内閣委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
 本案は、最近における警備業の実情にかんがみ、警備業者等の欠格事由について、暴力団員と密接な関係にある者等を追加するとともに、精神病者に係る事由の見直しを行うほか、変更の届け出手続の簡素化等を行おうとするものであります。
 本案は、第百五十四回国会に提出され、継続審査となっていたもので、去る十月三十日谷垣国家公安委員会委員長から提案理由の説明を聴取いたしました。十一月一日質疑を行い、採決いたしましたところ、全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決した次第であります。
 以上、御報告申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
#8
○議長(綿貫民輔君) 採決いたします。
 本案は委員長報告のとおり決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(綿貫民輔君) 御異議なしと認めます。よって、本案は委員長報告のとおり可決いたしました。
     ――――◇―――――
#10
○議長(綿貫民輔君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後一時十七分散会
     ――――◇―――――
 出席国務大臣
        国務大臣    谷垣 禎一君
ソース: 国立国会図書館
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