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2002/02/13 第154回国会 参議院 参議院会議録情報 第154回国会 国際問題に関する調査会 第2号
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2002/02/13 第154回国会 参議院

参議院会議録情報 第154回国会 国際問題に関する調査会 第2号

#1
第154回国会 国際問題に関する調査会 第2号
平成十四年二月十三日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    理 事
                世耕 弘成君
                山崎  力君
                山本 一太君
                藁科 滿治君
                沢 たまき君
                緒方 靖夫君
                田村 秀昭君
    委 員
                入澤  肇君
                小林  温君
                桜井  新君
                西銘順志郎君
                野上浩太郎君
                森元 恒雄君
                吉田 博美君
                今井  澄君
                小川 勝也君
                木俣 佳丈君
                佐藤 雄平君
                山根 隆治君
                若林 秀樹君
                高野 博師君
                井上 哲士君
                大田 昌秀君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       防衛大学校教授  立山 良司君
       日本貿易振興会
       アジア経済研究
       所地域研究第二
       部副主任研究員  酒井 啓子君
       白鴎大学経営学
       部教授      平山健太郎君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題に関する調査
 (「新しい共存の時代における日本の役割」の
 うち、イスラム世界と日本の対応(イスラム世
 界と国際政治)について)

    ─────────────
#2
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、本調査会の調査テーマである「新しい共存の時代における日本の役割」のうち、イスラム世界と日本の対応に関し、イスラム世界と国際政治について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、防衛大学校教授立山良司参考人、日本貿易振興会アジア経済研究所地域研究第二部副主任研究員酒井啓子参考人及び白鴎大学経営学部教授平山健太郎参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
 本調査会では、イスラム世界と日本の対応について重点的かつ多角的な調査を進めており、本日はイスラム世界と国際政治について参考人から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず立山参考人、酒井参考人、平山参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時三十分ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いを申し上げます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、立山参考人から御意見をお述べいただきます。立山参考人。
#3
○参考人(立山良司君) ただいま御紹介いただきました防衛大学校の立山と申します。
 今日、私がお話をするのは米国の対中東政策。この研究会は、イスラム世界の国際関係ということでございますが、中東政策に絞ってお話をしますけれども、同時に中東地域というのは非常に今幅広くなっておりまして、アフガニスタン問題でもお分かりのとおり、通常はかつてはアフガニスタン辺りあるいはイラン辺りからずっと西の方が中東とされていたんですけれども、今は中央アジアもある程度視野に入ってくるといいますか、あるいは同じような一つの地域としての有機的な動きを見せておりますので、今日、私の方がお配りいたしましたレジュメに白黒の地図がございます。これがかなり中央アジアからいわゆる中東と呼ばれている地域全体を指しております。そのほかに、事務局の方からでしょうか、カラーの地図がございますが、今、私たちが通常中東と呼んでいる地域はもうちょっと広くて、北アフリカ、地中海をずっと西に行ったモロッコ、大西洋岸まで続いているわけです。
 ですから、今日お話しするのは、対中東政策といいましても、中央アジアからカフカス地域、つまりカスピ海と黒海の間の地域、更には通常我々が中東と呼んでおりますアフガニスタンからイラン、更にはアラブ地域でございますね、なんかについてのアメリカの政策を申し上げたいと思います。
 若干歴史的なことで振り返りながらお話をさせていただきますけれども、冷戦期、八〇年代末までのアメリカの中東政策というのは基本的に三つの国益を基盤にして成っていたと考えられます。
 まず一つは、もちろん冷戦中でございますので、ソ連を封じ込める、ソ連の影響力が中東地域へ拡大していくことを阻止し、他方でアメリカの影響力を中東に拡大していくという言わばゼロサム的な対立関係を中東でも展開をしていたわけです。
 御承知のとおり、ソ連は、あるいはロシアの時代から、かつてのロシアの時代から南下政策というのを取ってきておりまして、いずれソ連が中東地域に南下してくるのではないかということがアメリカの強い懸念であったわけです。ですから、一九四〇年代、冷戦の始まったもう初期の段階で既にトルーマン・ドクトリン、トルーマン大統領が発表しましたトルーマン・ドクトリンということで、それではトルコとかイラン、イラクとかを、中東をソ連の影響力から守るというドクトリンを発表をしております。
 そのころは、当時は、中東でも北の方、いわゆるトルコとかイラクとかイランとかパキスタン辺りの、ソ連と直接接するあるいは極めて近い諸国へのソ連の影響力の拡大を防止するということで、この地域は北の断層、中東地域の北側の断層地帯ということで、そこからそれ以南に、南の方にソ連の影響力が拡大することを防止するということが主眼に置かれていたわけです。
 同じような考え方は、一九五〇年代に入ってきますとアイゼンハワー大統領の時代にアイゼンハワー・ドクトリンということで、中東の親米的な国家にソ連の影響力が拡大することを防止するという政策が打ち出されますが、そのころになりますと若干その防衛ラインといいますか、防衛ラインという言葉は変ですけれども、が南の方に下がってまいりまして、レバノン辺りの問題も議論をされてくるようになってくるわけです。それ以降、後ほど申し上げますけれども、その中東全域でソ連とアメリカとが影響力拡大についての様々な対立を繰り広げたというのが八〇年代末までのことでございます。
 二番目の権益あるいは国益というのは、もちろん申すまでもないんですけれども、石油資源、特にペルシャ湾における石油資源を確保し、それに対してのアメリカ資本あるいは国際資本の自由なアクセスを確保するということと、もう一つは、その地域から出てくる石油の供給を、アメリカないしは自由主義陣営諸国に対する供給の流れを止めない、安定的に供給をしてくるということであったわけです。
 それから三番目の国益、これを国益と言っていいかどうかというのは議論はあるかもしれませんけれども、イスラエルの安全を確保する、イスラエルの防衛をあくまでも維持するということだったわけです。
 イスラエルとアメリカの関係というのは非常に複雑でございますので、ここで簡単に申し上げることは難しいわけですけれども、一九四八年にイスラエルが独立をしたときに、アメリカがすぐ、当時のトルーマン大統領がすぐに承認をしたことということは話がよく出てくるわけで、それ以降ずっとアメリカはイスラエルを支援している、あるいは援助しているというふうに考えられがちですが、実際にアメリカがイスラエルに対して武器援助その他を行い出しましたのは一九六〇年代に入ってからであるわけです。それ以降、アメリカは、七〇年代、八〇年代と大量の経済援助、軍事援助を行ってきて現在に至っているわけです。
 そういうことから、六〇年代以降に入ってきますと、イスラエルを支援しているアメリカ、それからアラブ諸国を支援しているソ連というような形で、アラブとイスラエルとの対立というのに米ソの対立、東西関係の対立が重なり合って国際政治を形成をしていたわけです。
 つまり、逆に考えてみますと、アメリカの中東政策というのはここではいつもジレンマを抱えていたわけで、一方で、石油を産出する多くの国々というのはアラブ諸国でありイスラム諸国であるわけです。ところが、そのアラブ諸国が対立しているイスラエルをずっと支持をしなければならない、あるいは支援をしなければならないということで、中東和平問題に関してイスラエルを支持しながらもアラブ諸国との関係を維持する、それで他方でソ連の影響力の拡大を阻止するという、非常にある意味では調和の取りにくい中東政策というのをアメリカは八〇年代の末まで、冷戦が崩壊する、冷戦構造が終えんするまで取っていたわけでございます。
 しかし、その八〇年代末あるいは九〇年代の初頭から冷戦構造が終えんをいたしまして現在に至っているわけですけれども、それ以降のアメリカの中東に対する基本的な国益というのは、最初に申し上げた冷戦期の国益の第一点目、つまりソ連の影響力拡大を阻止するというのが抜けまして、逆に石油資源の自由なアクセスと安定供給という、これは全く同じでございます、それと二番目のイスラエルの安全の維持という二つが主として国益になったわけです。
 ただし、石油資源に関しましては、ペルシャ湾域だけでなくカスピ海周辺地域での石油資源へのアクセスないし、まだこれは本格化していませんけれども、カスピ海周辺地域からの石油の安定的な供給というのも新しい国益として入ってきたわけです。ですから、アメリカの中東政策もかなり幅が広がったということが言えるかと思います。
 イスラエルとの関係に関しましては、八〇年代末ごろ若干、ちょうど冷戦が終わるころでございますね、ソ連との関係が改善され始めたころ、イスラエルに対する援助を削減をしたらどうかという議論が一部で、例えばアメリカの議会関係者などから出たことがございますが、結局その議論というのはほんのわずか出ただけで、それ以降は全く出ておりませんで、現在までアメリカのイスラエルに対する援助、軍事援助、経済援助は基本的には同じまま続いております。経済援助は若干、イスラエル側の要請でこの数年徐々に減らしてきてはおりますけれども、ごくわずかしか減らしておりませんし、逆に軍事援助は増やしているということで、プラス、マイナスで考えてみるとほとんど変わらないという状態になっているわけです。
 このほかに、こういうグローバル化の世の中でございますので、例えばアメリカにとっての市場を確保する、中東あるいは中央アジア・カフカス地域におけるアメリカの市場を確保するといったような国益も重要かと思いますが、取りあえずこういった国益で行動をアメリカはしていると考えられます。
 特に九〇年代以降、主としてクリントン政権以降というふうに申し上げた方がいいかと思うんですが、アメリカの中東政策の柱というのは二つあるかと思います。
 まず一つは、中東和平プロセスを推進していくこと、中東和平、アラブ・イスラエル紛争を解決していく、あるいはパレスチナ問題を解決していくという意味での中東和平プロセスの推進ということでございます。
 この点に関しては後ほどまたお話があるかと思うんですけれども、結局、これは中東における最も重要な問題という意味で、アラブ・イスラエル紛争あるいはパレスチナ問題というのは中東和平問題、中東における、和平問題という代表格になっているわけですけれども、中東における、中東和平問題、言ってみればアラブ・イスラエル紛争ないしパレスチナ問題をできるだけ小さなものにする、少なくとも和平の動きがずっと動いているという状況で、完全に解決はしなくても和平への動きが進んでいるんだという形で、対立を激化させない、あるいは中東における様々な国際政治の第一の問題にしないという形での中東和平問題のマージナル化ということをねらったわけでございます。
 これは、もちろん六〇年代以降の動きの中で、先ほど申し上げましたように、イスラエルを支援するアメリカとアラブを支援するソ連という冷戦時代のジレンマがあったわけですけれども、たとえソ連が消滅して冷戦が終わりましても、アラブとイスラエルとの対立の間でアメリカがどちらの側に付くのかという絶えず、何というんでしょうか、挑戦を突き付けられているわけですので、アラブ・イスラエル紛争が完全に解決しなくても、少なくとも解決の方向に向かっているということになれば、どちらの側に付くのかという極めて二者択一的な選択を迫られないで済むということがあったかと思います。
 それからもう一点は、これも後ほどもっと詳しいお話が、酒井さんの方からお話があると思うんですけれども、二重封じ込め政策と、これはクリントン政権時代に打ち出されたものでございますけれども、国際秩序、新しい国際秩序に挑戦する国家としてイランとイラクを名を挙げて批判をして、この二つの国を同時に封じ込めていくという、ソ連の封じ込めに代わってイラン、イラクを同時に封じ込めるという形で中東政策というのが立てられていったわけです。
 このイランとイラクを二重、同時に封じ込めるという政策は、後には拡大をしていきまして、ごろつき国家あるいはよた者国家とかいろんな訳し方がありますが、ローグステーツというふうに呼ばれている国家、ここに掲げた五つの国家ですけれども、これを封じ込めるという、これはテロを支援しているだとか、あるいは大量破壊兵器の開発に、開発あるいは入手に奔走しているということで、やはりアメリカが掲げている冷戦後の新しい秩序に刃向かう国家であるということで、これらの五つの国を封じ込めるというふうに発展をしていったわけです。それは、クリントン政権の後期、クリントン政権の二期目ごろからこういうごろつき国家といった言葉が使われるようになったわけです。
 いずれにしましても、九〇年代以降のアメリカの中東政策というのは、一方で中東和平プロセスをできるだけ推進してアラブとイスラエルとの対立を緩和する、一番いいのは解消するということでしょうけれども、なかなか解消は難しいわけですので緩和をするということが一つと、もう一つは、アメリカが掲げている新しい秩序に刃向かうとアメリカが見ている国家を封じ込めていくという二つの柱があったかと思います。
 ちょっとここで話が、また行ったり来たりで恐縮なんですけれども、元に戻りますけれども、では、特にペルシャ湾における政策というのを、あるいはアメリカのペルシャ湾との関係というのを改めて考えてみたいと思うんですけれども、今、この昨年からのアフガニスタンに対する戦争でアメリカが、アメリカ軍が作戦を行っているわけですけれども、それは当然ペルシャ湾岸地域からインド洋に掛けて展開している部隊が中心になって行っているわけです。しかし、ペルシャ湾地域からインド洋に掛けての地域でアメリカが軍事的なプレゼンスを確保し始めたというのは、あるいは確保したというのは、まだそれほど歴史的には古いことではございませんで、この十年程度の話であります。
 七〇年代──六〇年代までは、ペルシャ湾地域というのはむしろイギリスの海、イギリスがある意味で安全保障を確保していたわけですけれども、イギリスが七つの海を支配するような時代の最後ということでペルシャ湾からも撤退をしていく。代わってアメリカは出ていく姿勢を見せたのですけれども、ちょうどベトナム戦争の最も重要な場面を迎えておりましたし、ドルの下落といったような問題を抱えていて、結局、アメリカとしては地域の主要な親米国家にその地域の安全確保を、安全保障の体制の、安全保障体制の維持を任せるという政策を取っておりました。それがニクソン・ドクトリンあるいはグアム・ドクトリンと呼ばれるものでございまして、日本もそうした対応を迫られたわけですけれども、ペルシャ湾地域におきましては、イランとサウジアラビアがアメリカの言わば代理人ということで選ばれたといいますか、あるいはアメリカの支援を受けて軍事的な地域の大国に成長するように後押しをされたということであります。
 ただ、サウジアラビアが実際に代理人の役割を果たしたかというと、これはかなり疑問でありまして、むしろイランが、当時パーレビ国王の支配している、イラン革命の前のイランでございますけれども、パーレビ国王が支配しているイランがアメリカの代理人となって、当時よくペルシャ湾の憲兵とかそういう言い方を、あるいはペルシャ湾の警察官という言い方があったわけですが、ペルシャ湾における安全確保ということをイランが基本的には一国でアメリカに代わってやっていたということでございます。
 しかし、御承知のとおり、一九七九年にイラン革命が起きまして、革命以降のイランの政治体制は、アメリカを大悪魔と呼んで、アメリカとの関係を断絶といいますか、断絶したのはアメリカ側の方からですけれども、非常に関係が悪いものになってしまったわけです。ちょうどそれと同じ時期にアフガニスタンにソ連軍が侵攻をしたわけです、それも一九七九年の十二月のことでございますけれども。
 冒頭申し上げましたように、ソ連はいずれ中東、特にペルシャ湾地域の石油資源を求めて南下してくるという考え方はあったわけですが、アフガニスタンに軍事侵攻した結果、アメリカ側は、ソ連の意図がどこにあったにせよ、アメリカ側は、ソ連がペルシャ湾に向けて南下してきたと、まず最初にアフガニスタンを取ったと、今度、混乱をしている、革命直後で混乱をしているイランをステップにしてペルシャ湾に出てくるのではないかという議論が当時のアメリカでは盛んに行われたわけです。
 しかし、アメリカは、軍事的なプレゼンスをペルシャ湾に全く持っていない状態であったわけですので、緊急展開部隊という部隊を創設をいたしまして、アメリカから空身で来て、事前集積をしている武器・弾薬を現地で装備いたしまして展開をするというコンセプトの部隊を作り上げたわけです。それが後に中央軍、今、アフガニスタンでの戦争でも正面で作戦を行っているCENTCOMという名前に変わっていったわけですけれども。
 結局、アメリカが実際にペルシャ湾地域にごくわずか、八〇年代に軍事的プレゼンスは持っていましたけれども、大掛かりなプレゼンスを持てなかったというのは、やはりサウジアラビア等のアラブ諸国がアメリカ軍のプレゼンスを嫌った、目に見えるプレゼンスを嫌ったということかと思います。
 それはやはりサウジアラビア、諸国にあるアメリカに対する一般国民の反発、それはイスラエルとの関係でもあるでしょうし、あるいはイスラムの聖地であるメッカとメディナのある国を外国に守ってもらっていいのかという議論もあるでしょうけれども、いずれにしましても、アメリカ軍がサウジアラビアに目に見える形で軍事的なプレゼンスを示すということを嫌ったがゆえに、アメリカは、地平線のかなたにいて、いざというときには駆け付けてやってくるという、当時、オーバー・ザ・ホライズン、地平線のかなた政策というふうに言われた政策を行っていたわけです。
 しかし、九〇年代に入りまして大きく転換したわけです。これは申すまでもなく、湾岸戦争があり、サウジアラビア、クウェート防衛にアメリカ軍が実際に戦闘を行って戦ったということであったわけです。それ以降、アメリカ軍は、現時点で私はどの程度のアメリカ軍がサウジその他の周辺地域に展開しているかは知りませんけれども、大体、常時二万から二万五千の部隊がサウジアラビアやクウェート、それからペルシャ湾、湾岸、湾の湾内、あるいは周辺のインド洋等にいるという状況になっております。
 よく、今、私ずっとペルシャ湾という言葉を使ってきたわけですけれども、ペルシャ湾という言葉はイラン側から見た言葉でありまして、アラブの人たちはあれはアラブ、アラビア湾であるということをよく言います。その湾をどちら側で呼ぶかということで、アメリカ人はよく、どちらとも言わずに、ザ・ガルフという言い方をして、ペルシャでもなければアラビアでもない、中立的な表現をしておりますけれども。九〇年代の半ばにロンドンで開かれた学会で、ペルシャ湾かアラビア湾かという論争、論争といいますか対立が生じたときに、ある一人の学者が手を挙げて、いや、もう今はここはアメリカ湾であるというふうに言ったというジョークがありますけれども、正にアメリカがもう完全にペルシャ湾地域は九〇年代に入って押さえてしまったという状況になっているわけです。
 ですから、アメリカのある政治学者は、中東の学者は、八〇年代の政策がオーバー・ザ・ホライズン、地平線のかなたであったならば、九〇年代のアメリカのペルシャ湾におけるプレゼンスは、裏庭に入ってきた政策であると。つまり、地平線のかなたじゃなくて、もうすぐそこにいるというような表現をしているわけです。こういった状況が九〇年代、ずっと続いてきたわけです。
 昨年の一月に発足しましたブッシュ政権は、ではこうしたクリントン政権の中東政策を引き継いで、どのような形で進めてきたかということを簡単にお話をしたいのですけれども、やはり民主党と共和党という政党の違いもございますし、元々選挙戦の中でクリントンの様々な、クリントン政権の様々な政策を批判してきたということもあって、ブッシュ政権は、中東政策に関しましてもクリントン政権とは違うんだということを見せようという努力を政権発足当時かなりしておりました。
 三つぐらい柱があると思うんですけれども、一つは、まず中東和平プロセスに関してはそれほど積極的に関与しないと。中東和平プロセスを推進するのは当事者が推進するべきであって、第三者が仲介を幾らしたところで当事者がその気がなければ余りしても仕方がないというやや距離を置いた政策を行っていた、取っていたわけです。
 それから、二番目には、イランとの関係を見直すべきであると。先ほど申し上げましたように、アメリカは、クリントン政権時代はイランはイラクとともに二重封じ込め政策の対象になっていたわけですけれども、イランとの関係を見直すべきであるという議論が、正式ではございませんけれども、ブッシュ政権の中であったようでございます。
 さらには、イラクに対する政策も、クリントン政権は、時折イラクに対して爆撃等を行ってはおりましたけれども極めて場当たり的であると、もっと全面的に見直すべきであるという議論をブッシュ政権の発足前あるいは発足直後にはしていたわけです。
 しかし、九月十一日に同時多発テロ事件が起きまして、それ以降アメリカの中東政策というのも大きく変化をしたわけですが、だからといって全部が変わってはないという部分があるかと思います。
 まず一つは、中東和平プロセスに対する消極姿勢というのは依然として変わっていないという感じを持っております。九月十一日以降、ブッシュ大統領あるいはパウエル国務長官というのは積極的な働き掛けをしているようですが、具体的な中身というのはほとんどないというのが私の印象であります。むしろ、現在のブッシュ政権の根底にあるものというのは、やはりアメリカの共和党の右派の考え方が表に出てきているのではないかという気がします。
 つまり、秩序をある意味では、ちょっと乱暴な言い方ですけれども、力で作っていくということでありまして、テロとの闘いという言葉にそれはある意味では表れているわけですが、そのことが現在のイスラエルのシャロン政権とある意味で極めて調和しているといいますか、ぴったりと重なり合ってしまっている、そういった感じがするわけです。
 それから、イランとの政策、イラン、対イラン関係の見直しということも、これはほとんど結局進まずに、逆に、一月の末に出されました一般教書では、テロとの闘い、それからテロ支援国家封じ込め、大量破壊兵器の防止という三点を掲げて、悪の枢軸と、この言葉はもう非常に有名になってしまいましたけれども、イランとイラクと北朝鮮に対して断固とした措置を取っていくと、それが具体的にどういう措置になるのか、これは私にも分かりませんけれども、そういう対応になってきたかと思います。
 それから同時に、カスピ海周辺地域での影響力拡大、これはクリントン政権からずっと引き継いでいるものでございますけれども、NATO、北大西洋条約機構のプログラムであります平和のためのパートナーシップという、PFPと通常呼ばれている、そのプログラムを使って、中央アジアの国々、例えばカザフスタンですとかウズベキスタンですとか、あるいはキルギスタンですとか、そういった国々との軍事的な関係、軍事的な協力関係というのを拡大をしていくという政策を取ってきたわけで、例えば昨年にもやはり、昨年の六月ですか、そういった国々との合同の、軍事演習とまでは言えないんですけれども、共同訓練、小規模なものですけれども、をやっております。
 それ以降、九月十一日以降は、今度はこういった国々との関係というのを更に拡大をしてきまして、アフガニスタンへの軍事攻撃に関しましては、中央アジアの幾つかの国の空港を使って実際にオペレーションをやるということになってきているわけです。
 ですから、今この二十年ぐらいのプロセスを考えてみますと、ペルシャ湾におけるアメリカの軍事的なプレゼンスというのは九〇年代に確立をされ、さらに九〇年代半ば以降、中央アジアにおける、あるいはコーカサス地域ですね、カフカス地域におけるアメリカの軍事的なプレゼンスというのもやはり徐々に確立をされてきている。
 今回のアフガニスタンへの戦争の結果、これがどういうふうになるかということは分からないわけですけれども、その中央アジアにおけるアメリカの軍事的なプレゼンスというのは、これが長期的に維持をされるということになれば、やはりロシアあるいは中国の懸念というのは当然ながら拡大をしていくということになるかと思います。しかし、現実に現時点におきましては、そういう状況が出てきているというのは間違いないことかと思います。
 もう一点、こういったアメリカの政策に関しまして、アラブあるいはイスラム世界は非常な反発を一方では行っているわけです。特に、中東和平問題でアメリカが余りにもイスラエルに対して支援、支持をし過ぎているのではないかという反発が当然強いわけですし、あるいは九月十一日以降の状況を考えてみましても、イスラム諸国に対する厳しい批判、そういったものをイスラム諸国が逆に敵対的な考えであるというふうに見ているわけです。
 最近の議論を聞いていましても、アメリカとサウジアラビアとの関係というのが非常にぎくしゃくをしている。今日のヘラルド・トリビューンの書き方を読みましても、この三十年間、第一次石油ショックがあった一九七三年以来、最もアメリカとサウジアラビアの関係がぎくしゃくをしているというような書き方をしておりました。
 現実に、同時多発テロの犯人の中の十五人がサウジアラビア国籍であったということから、アメリカ国内でサウジ批判がいろんな形でマスコミあるいは議会で起きているのも事実でございますし、それに対してサウジの王家が、サウド王家がそれをどう対応するかということに強い懸念を示している。しかし一方で、アメリカはサウジアラビアに大きな軍事的なプレゼンスを持ち、これ以降、現在あるいは将来もそれを維持していくであろうという、ある意味では矛盾した状況というのが出てきているわけであります。
 最後に、あと一、二分ですけれども時間をいただいて、こういった状況の中で、じゃ日本はどう考えるべきかということを数点だけお話をさせていただきたいと思うのですけれども、やはり今アメリカが、といいますか、日本の中東外交というのは、ある意味で対米外交とそれから石油の安定供給という二つの基本的な柱があったかと思います。
 アメリカとの関係を重視する、これはもう当然な政策でございますけれども、一方で、石油資源のない日本は、例えばつい最近の数字では八八%の石油は中東、アラブ世界からやってきているわけで、中東からやってきているわけですので、そのアラブ諸国あるいはイスラム諸国との関係をいかに良くするか、拡大をするかということに腐心をしてきたわけです。しかし、それはその対イスラエル関係、あるいは対テロとの関係といったような状況になりますと、アメリカとの関係、それからアラブ、イスラム諸国との関係というのを同時に推進をしていけないというジレンマに陥ってしまうわけです。
 特に、ですから日本は中東和平政策を推進することによってアラブ、イスラエル対立を若干でも緩和して、アメリカに協力しつつアラブ諸国との関係を拡大するという、かなり難しい努力を九〇年代にしてきたわけですが、現時点においてはそのアラブ、イスラエル中東和平プロセスというのは極めて混乱状態にあるわけですし、それからもう一つの問題は、アメリカが、一般教書に表れたようなレトリックがそのままもし政策になるとすれば、こちらの側かあちらの側かという選択肢、二者択一的な選択肢をもし日本に迫ってくるとすれば、それに対して日本がどう対応するかというのは極めて難しい問題かと思います。
 ちょっともう時間も過ぎてしまいましたので、私の発言はこれで取りあえず終わらせていただきます。
#4
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、酒井参考人から御意見をお述べいただきます。酒井参考人。
#5
○参考人(酒井啓子君) ただいま御紹介にあずかりました酒井でございます。
 私は、ただいまの立山参考人の御報告の中で後半触れられました、正にその悪の枢軸と名指しをされて、今後テロ、対テロ作戦の新たなターゲットになるのではないかというふうに目されております国々、その中でもとりわけイラクに対する政策展開がどのような形で行われるのかということに焦点を当てたお話をしたいかと思っております。
 ただ、ここで一点だけ申し上げておきたいのは、今回この調査会がイスラム世界と国際政治というタイトルで、いわゆるイスラム世界全体をどう見るかという議論の中で進められているかと思いますけれども、私はイラクを研究していく上で常に考えておりますのは、イラクをこういういわゆるイスラム世界という枠の中で、そのイスラム性、イスラム的なるものというようなものにイラクの言動、イラクの国家体質の根源を探ることはしてはいけないのではないかというふうに考えております。
 ただいまの立山参考人のお話もある意味ではそういう点だったかもしれませんけれども、イスラム世界というレトリックが、特に九月十一日事件以降、非常に世界じゅうで定着しているわけですけれども、実際のところ、そのイスラム世界というふうに言った場合に、内実はそれぞればらばらの、あるいは独自の問題を抱えて展開しているという部分が余りにも捨象されてしまってはいけないというふうに考えております。
 その意味では、今回、九月十一日のテロ事件以降、ビンラーデン及びアフガニスタンのタリバン政権を打倒するという形でテロ、対テロ政策を進めてきたアメリカが次はイラクだというふうに方向を転じた場合、これを同じイスラムの枠で語っていいのかどうかという問題になります。つまり、ビンラーデンとイラクの間に何かつながりがあるか、あるいは共通性があるのか、あるいはこれを一くくりにまとめる形で議論を進めていっていいのかどうかということを注意して見ていかなければいけないと思います。
 そこで、今更ながらと思われるかと思いますけれども、まず最初に、いかに現在のいわゆるイスラム世界と言われる国々の国家体制がいかにイスラム的ではないかということをまず確認しておきたいと思います。それがまず一点目に挙げました、一点目の@で挙げました「現代イスラーム世界の政治的多様性」というふうに書いてある部分であります。
 立山参考人の御報告で付けていただきました地図が非常にわかりやすうございますので、それをちらちらと眺めながら見ていただければ有り難いのですけれども、例えば現在のイスラム世界においてもさまざまな政体がございます。ここには重立ったものとして三つ挙げておりますけれども、世俗共和制を取る国々、そして世俗の王政体制を取る国、そして最後にイスラム国家体制を取る国というふうに三分類してみますけれども、そうしますと、実際には世俗共和制の国家体制を取る国がいまだに、いまだにといいますか、現在でも大半を占めております。
 特に、国名を挙げておりますけれども、現在のイスラム世界における政治的なアクターとして最も重要であるというふうにされているエジプトやイラク、シリア、レバノン、トルコといった国々、これらはすべてイスラム的なるものをむしろ排除してきた世俗的な共和制国家、しかもこれらの国々の多くは共和制革命の折に左派勢力、左派民族主義勢力が中心になって政権を取った、そういう国、国家体制を取っているわけです。ですから、国際関係というある意味では国家がアクターとなって政治を動かしていく場面においては、いまだにそのイスラム的なるものという要素は、むしろ、いわゆる国際間、地域連合のレトリックの中で使われることはあっても、実態として本質的なものとして取り上げられることはむしろ少ないと考えた方がよろしいかと思います。
 そういった中に一番典型的な例として挙げられるのがイラクでありまして、その意味では、常日ごろ言われるイラクの脅威、あるいはイラクの軍事大国化、あるいはイラクの大量破壊兵器の保有問題とかイラクの独裁体制というような様々な脅威とされる問題というのは、これはむしろ世俗国家としての性格から出てくるものであって、イスラムの中にその原因を見付けることはできないというふうに考えた方がよろしいかと思います。
 これは、非常に対照的に見られるのはイランであります。イランは正にそういう意味ではイスラム国家としてイスラムに基づく国家づくりということで国づくりを行ってきた国でありますけれども、しかし、その国家体制自体を見る限りではイランの方が圧倒的に民主的な制度を整えている。議会があり、発言の自由度があり、もちろん様々な制約がまだあるとはいっても、イラクと比較をした場合、イラクを独裁国家と位置付ければイランの方が民主国家というふうに位置付けられるという。そのイスラムであるかないかという問題と独裁的であるか民主的であるかという問題は、これまた別の次元の問題なのだということを確認しておきたいと思います。
 さて、そのような形でイラクという国の問題を取り上げる上でイスラムの脅威というような枠組みで語るべきではないということを申し上げたわけですけれども、しかし、それではなぜアメリカがビンラーデンやアフガニスタンのタリバン政権に代表されるようないわゆるイスラム勢力とサダム・フセインをともにテロリストあるいはテロリスト支援国家という形で一くくりにして敵視している、そういう環境が生まれたのはなぜか、一言で言えばビンラーデンとサダム・フセインの共通項は何かということを触れておきたいと思います。
 そこで、2のところで、先ほど立山報告の方にもありましたように、ごろつき国家、アメリカがごろつき国家あるいはならず者国家という形で位置付けている、国もあれば国ではない主体も、政治主体もあるわけですけれども、それを大ざっぱに分ければ二つの種類があります。
 一つは、これは恐らく平山参考人の方の報告でも触れられるかと思いますけれども、イランやパレスチナあるいはレバノンなどにおけるイスラム勢力であります。これは比較的分かりやすい範疇でありまして、すなわちその地域地域における外国支配、あるいは植民地支配、あるいはマイノリティーによる独裁というようなそれぞれの土地における問題に対して人民抵抗運動が進んでいく、その人民抵抗運動の一種としてイスラム主義が台頭してきた、そういう展開を示しているグループであります。
 ところが、これと全く別の範疇に入るものとして、二番目の冷戦構造下で育成された非左翼の対米協力者という範疇があります。これは多少説明が必要かと思います。この二番目のところに、実はイラクのサダム・フセインもビンラーデンも含まれるというふうに考えてよろしいかと思います。
 先ほど、立山参考人の報告の中で、アメリカの対中東政策が冷戦期にはソ連の脅威を押し込め、石油の安全確保を維持し、そしてイスラエルの安全を確保するというこの三つの柱であった。それが、冷戦後のアメリカの中東政策がソ連の脅威を押しとどめるというその対ソ政策の部分が抜け落ちたんだという説明がありました。この変化は、実は非常に大きな問題といいますか、遺恨をこの中東地域に残す結果になります。
 といいますのは、この冷戦期におけるアメリカのソ連に対する政策、ソ連をいかに中東地域に南下させないかという形で展開してきたこの政策の中に、先ほどオーバー・ザ・ホライズンという表現がございましたけれども、正にアメリカが姿を現さずに、アメリカが利用できるような現地の勢力を利用してソ連に対抗させる、ソ連の南下を押しとどめるという方向があったわけです。
 すなわち、具体的に言えば、反共勢力、中東における現地の反共勢力を利用するという形になります。アメリカが専ら利用したのは正に右派勢力であるところのイスラム主義勢力、いわゆるイスラム原理主義集団という人たちが専ら反共政策の一環として使われるということになります。
 これはもう正に、ビンラーデンがなぜアフガニスタンで反ソ抵抗運動をやったかということを最も如実に示すことになるわけですけれども、同様にアメリカが利用したのは、一部の右派の民族主義グループであります。ここでイラクのサダム・フセインが浮き上がってまいります。
 イラクのサダム・フセイン政権といいますと、どうしても元々親ソ政権であり、ソ連ブロックに入っていたソ連との関係性の強い政権であるというふうに思われがちではありますけれども、しかし実際には、七〇年代にフセイン政権が成立した際に、過去歴代の社会主義政権の中で最も西側寄りで、最も西側に対してプラグマティックな政策を取るというふうに、むしろ西側諸国から期待されて出てきた政権であるわけです。そういう意味で、イラクのフセイン・バース党政権というのは、むしろ反共政策の一環として利用され得るような余地を持っていたということがございます。
 以上のように、冷戦期でアメリカの関心がソ連を封じ込めることという点に集中していたのに加えて、先ほどの報告にもありましたように、アメリカの中東政策を一転して大きく変えた事件として、一九七九年のイラン革命がございます。これは、先ほどの説明にもありましたように、イランという最も親米的な、それまでアメリカの代理人としてこの地域を守ってきた親米政権が一転して反米政権になると、その反米の根拠が正にイスラム主義であるというイスラム革命の輸出という脅威をイラン革命は生み出すことになったわけです。
 そこで、アメリカの中東政策が複雑化せざるを得なくなる。つまり、片やソ連の南下を封じ込めると同時に、この地域内でのイラン型のイスラム革命を起こさないようにイスラム主義を封じ込めておくという必要が出てまいります。そのために白羽の矢が立ったのがイラクのフセイン政権ということになるわけです。
 イラクのフセイン政権は、イラン・イラク戦争という形で一九八〇年から八八年までの間、八年間にわたりこの革命イラン政権にチャレンジするわけなんですけれども、この際にだれの、どこの国のバックアップを受けたか、イラクがどこからの支援を受けたかといえば、正に英、米及び西側先進国全部、さらに湾岸のサウジアラビアやクウェートあるいはアラブ首長国連邦といった名立たる産油国、親米産油国すべてがイラクをバックアップする。そしてイランのイスラム主義に抵抗する、対抗するという形態を取ります。
 その意味で、イラクは一時的ではあるけれども、八〇年代の後半、アメリカのある意味では代理人を務めてイランというその脅威を封じ込める役割を担われたわけです。
 このような形で見ていく限りでは、イラクとビンラーデンの共通性というものがおぼろげながらに浮き上がってくる。すなわち、アメリカが一時的でも反共政策のために利用したそうした国際政治における政治的なアクターが、ある時点で、すなわち冷戦が終了した時点で不要になる、あるいはイラン・イラク戦争という戦争が終わった時点で不要になる。気が付いてみれば、それまで反ソ抵抗あるいは対イラン防衛ということで膨大なお金と軍備をつぎ込んできたこれらのビンラーデンにしてもフセインにしても、両者ともにとんでもないならず者あるいは軍事大国となって残ってしまったという問題があるわけです。
 ですから、その意味では現在アメリカが行っているならず者対策、ごろつき国家の封じ込めというものの一部は、確実にそのアメリカが冷戦期に取ってきた政策のツケを払っているという表現はちょっとあれですけれども、その清算を行っているというふうにみなすことができるかと思います。
 そうした構造の中で、最後に、それではイラクをめぐるそのアメリカの政策が今後どのような形で展開していくのかということを最後に触れておきたいと思いますけれども。
 今申し上げましたように、アメリカがイラクを脅威視する、敵視する原因の最大の原因は、自らが作り上げてしまったフランケンシュタインであるというところに負うている部分が大きいというところがございます。その同じ要素が逆にアメリカのそのイラク政策の中途半端さを指摘する原因にもなっております。
 つまり、これまで湾岸戦争以降十年たちますけれども、湾岸戦争からずっとこの間言われ続けてきたことは、十一年ですけれども、十一年間言われ続けてきましたことは、アメリカは本当にイラクのサダム・フセイン政権を本当にもう不要としているのかと。つまり、これまで子飼いで代理人として利用してきたフセイン政権であるからこそ、まだ使い道があるというふうに考えているのではないか。あるいは、まだほかの政権が立つよりはフセイン政権の方がましであるというふうに考えているのではないか。だからこそ、イラクに対して、徹底的な討伐といいますか、その処罰を行わないのではないかという疑念が常に出されております。
 これは、特にイラクの反政府勢力などに話を聞きますと、完全にアメリカとフセイン政権は結託しているという見方を取っているわけです。こうした見方がいまだにささやかれる。アメリカは何だかんだ言ってフセイン政権をまだ必要としているんだというふうに言うその根拠としてしばしば語られるのが、アメリカはイラクに対する攻撃をイラクが最も強いときに行うだけであって、イラクが最も、イラクのサダム・フセイン政権が最も弱体化したとき、最も政権転覆のチャンスであるときには何もしない。むしろ、そのフセイン政権を助けるような形で行動するということがあります。
 それは、具体的に申し上げれば、湾岸戦争の直後の一九九一年の三月に発生したイラクでの全国暴動のときと、一九九五年に発生したイラクのフセインの娘婿に当たる国内ではナンバースリーと、当初ナンバースリーと言われた人物の国外亡命、そして彼を中心とした反政府運動の盛り上がりというこの二つの時期にサダム・フセイン政権は最も弱体化したというふうに言われているわけですけれども、この双方の時期にアメリカが何をしたかというと、正に何もしなかったということになります。
 そうしたアメリカの過去の対応を踏まえて、今回も、パウエル国務長官が今日のお昼のニュースでも、イラクはフセイン政権の転覆の必要があるということを言っておりましたけれども、本当にアメリカがそう思っているかということを改めて問い直したときに、過去の事例から推測するに、実際にはそう思っていないはずだというふうにどうしても考えてしまう状況があります。
 それでは、なぜアメリカがフセイン政権を生かしているか、フセイン政権に対して徹底的な行動を取らないかという点については理由が二点ございます。
 一点目の理由は、一言で言いまして、ポスト・フセインの政権としてふさわしい政権のめどが立っていないという問題であります。
 これは、ふさわしい政権といいますのは正にアメリカにとってふさわしい政権という意味であります。イラクのフセイン政権に反対派がいないというわけではございません。ある意味では、国内国外合わせて多くの反政府勢力に囲まれている政権であります。しかし、これらの反政府勢力でどのグループが一番強いかと申しますと、一番強いのはイスラム勢力です。二番目に強いのは共産主義勢力です。すなわち、アメリカが最も忌避してきた二大勢力が最も国内で力を持ち、フセイン政権を転覆できる能力を持つという状況にあるわけです。
 そうしたことから、アメリカとしては、そうしたオルタナティブに比べれば、フセイン政権の方がましであるというふうに考えているに違いないというのが理由の第一点目であります。
 二番目の理由は、これも一言で申し上げますと、イラクの経済的な価値、すなわち産油国イラクの先進国にとっての経済パートナーとしての役割の大きさという点であります。
 イラクは、埋蔵量、現在は制裁を受けておりまして石油生産も十分ままならないという状況ではございますけれども、埋蔵量でカウントいたしますと、サウジアラビアに次ぐ第二位の埋蔵量を持つ産油国であります。しかも軽油、バスラからとキルクークの二つから主に石油が出るわけなんですけれども、軽油が中心になりますので比較的先進国の工業体系には非常に使いやすい、いい石油であるというふうに言われております。
 この産油国としてのイラクの持つポテンシャリティーというものをどうしても先進国としては無視するわけにいかない。これはアメリカのみならず欧米、西欧諸国は既にイラクとの経済取引を活発化させております。
 ただいま申し上げましたように、湾岸戦争あるいは湾岸危機以降、十一年にわたってイラクに対しては経済制裁が科せられております。しかしこの経済制裁、一九九六年から、完全に石油の輸出を禁止するというのは無理があろうということで、一部部分的に石油の輸出を認めます、しかしその石油の輸出によって得た収入は人道物資を輸入することだけに使うようにという、いわゆる限定的なオイル・フォー・フードと言われる計画が導入されてきております。
 こうした経済制裁の中で部分的な制裁解除という形で始まったオイル・フォー・フードのスキームなわけですけれども、それが七年たつうちに限定的とはとても言えないような規模の広がりを示しております。
 イラクの現在の石油輸出量は、日量二百万バレルに上っております。昨年、最も多い時期で二百六十万バレルという量が出ておりまして、これはイラン・イラク戦争以前の最大輸出量を若干下回る程度の規模でしかありません。その意味では、イラクの原油というのは現在、世界の原油のうち四%を占めるという分量にまでなっております。すなわち、イラクの原油が止まる止まらないということで世界の石油市況が大きく揺れ動くだけのシェアを既に確保しているという点があります。
 そうした産油国としての役割の大きさというのに加えまして、イラクに関して言えば、イラクに債務を持つ西側先進国がたくさん存在するという問題があります。これは、七〇年代のオイルブームから八〇年代に掛けてイラクに対して相当な分量の輸出を行った国々が多いわけですけれども、その代金をまだ返済してもらっていない国々が多数に上ります。最も代表的な例はもちろんロシアでありまして、百六十億の債権を抱えている。次いで多いのがフランス、百億ドル近いこれもまた債権を抱えている。これをどうやって回収するかということを考えれば、長く経済制裁を続けていくわけにいかないという問題がございます。
 その意味では、こうしたロシア、フランスを中心としたヨーロッパ諸国の大半は、制裁が問題のない形で早く解除をされてほしい、あるいはもう少し突っ込んで言えば、制裁が解除されなくても同等の形でイラクと交易が復活できることが望ましいというふうに考えている国々が増えているということであります。
 こうした環境の中でアメリカとしては、先ほど立山報告の方にもありましたように、イラクを封じ込めておく、イランとイラクを双方封じ込めておくということはなかなかコストが掛かってできなくなっている。イラクとの経済取引を再開したいと考えているフランスやロシアに対して、それを我慢させるだけの、見合うようなメリットを提示することがアメリカとしてはできなくなっている。
 更に言えば、アメリカの石油業界あるいはアメリカの財界としても、西側、西ヨーロッパ諸国に対イラク経済進出という意味では随分後れを取っているという認識がございます。その意味で、アメリカの財界の中に、後れを取ってはいけない、イラクが経済的に国際復帰するのであればこれにアメリカの企業が乗り遅れてはいけないという焦りが同時にございます。
 そうしたところを考えれば、アメリカの現在の対イラク政策というのは、正にこうした経済的なメリット、現在のフセイン政権を残したままでのイラクの経済大国としてのポテンシャリティーを重視すべきか、あるいは現在の対テロキャンペーンという世論の流れの中に乗って一気に強硬策を取るかという、その二方向ラインというのはいまだに変わっていないという側面があります。
 その強硬ラインというのは、これは特に共和党政権内に昔から、湾岸戦争以降常にある考え方でありまして、当然、湾岸戦争後、フセイン政権をつぶし損ねたという遺恨がアメリカの中にあることは確かであります。しかし、これについては、そのシミュレーションが既にできておりまして、実際に軍事活動によってフセイン政権を転覆することは可能であるという結論は出されております。ただし、その場合は相当な年月及び相当な米軍兵のカジュアリティーを出すことを覚悟した上で実行可能であるという、そういう結論が出されているというふうに聞いております。
 こうした両極端の議論がある中で、結論としては甚だ不十分ではありますけれども、いまだにアメリカとしては、どちらの方向で推移するのか結論は出ていないというふうに見た方がよろしいかと思います。
 逆に言えば、現在、プロパガンダ的には対イラク強硬論が非常に声高に叫ばれている状況ではありますけれども、底流として流れる、イラクを経済大国としてみなし、交易パートナーとして何とか国際復帰させようという国際的な流れがあることは、これは否定できません。その意味では、ふたを開けてみれば、アメリカの企業がイラクに次々に突如として進出していくというような事態も全く考えられないというわけではないという事態になっていようかと思います。
 長々と述べてまいりましたけれども、イラクの情勢を今後見極めていく上で重要な点は、冒頭に申し上げましたように、ビンラーデンに代表されるようなイスラムの、イスラム世界の問題というような構造的な、あるいは恒常的な問題として考えるよりは、後半で申し上げましたような、むしろパワーポリティックス的な、あるいは西側先進国と産油国という経済関係を中心にした国際関係の枠内で議論していく方がより現実的であり、より間違わない方向になるのではないかというふうに考えております。
 長くなりましたけれども、以上で私の方の報告は終えさせていただきたいと思います。
#6
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、平山参考人から御意見をお述べいただきます。平山参考人。
#7
○参考人(平山健太郎君) よろしくお願いいたします。
 パレスチナ問題です。
 いろいろ宗教問題とか冷戦を含む様々な大国の思惑が重なり合ったパワーポリティックスの舞台にもなってきたんですけれども、裸にしてみますと、結局、せんじ詰めれば土地問題なんですね。その土地問題に絞ってお話をさせていただきます。
 今から十一年前、あの湾岸戦争があってアメリカが勝利いたしましたけれども、その湾岸戦争の始まる前にクウェートを占領しておりましたイラクのサダム・フセインは、クウェートが占領地と言うならばイスラエルが占領しているパレスチナ占領地はどうしてくれるんだと。この問題を一括解決しようということも含めたいわゆるパレスチナ・リンケージ論というものを言い出すわけですね。
 アメリカは大変当惑いたします。ブッシュ、お父さんの方ですけれども、これを握りつぶして、泥棒に追い銭をやるようなことはできないとクウェートは武力で奪還するんですけれども、クウェートを武力で奪還した直後、三月六日、三十分間のテレビ演説をいたしまして、そのうちの二十分間を費やして、クウェートは終わった、今度はパレスチナだ、それは外交努力でやるので、それもアメリカがやるという方針を打ち出しております。
 つまり、サダム・フセインのパレスチナ・リンケージ論というのは、今回のビンラーデンのときも非常に似ている局面が現れましたけれども、アラブあるいはイスラム教徒の関心を引き付ける一番大きな最大公約数だったからですね。それをほうっておいてはアメリカに対する反感は募るばかりであるというセキュリティーの計算もあったんでしょう。当時のベーカー国務長官が半年の間に七回、現地に足を運んで、当時のイスラエル、今のシャロン政権と同じタカ派のリクード政権の、シャミル政権ですけれども、この嫌がるのを無理やり説得して、同じ年の十月、スペインのマドリードで初めてアラブとイスラエル政府の代表が同席する平和会議を招集しております。その際に、アメリカの招集の基本ガイドラインとして挙げられた言葉がランド・フォー・ピース、土地と平和の交換です。
 それじゃ、どの土地かというのは非常にそれぞれの受け取り方、思惑が違いますので、その領土、境界線の変遷を地図で御説明していきたいと思います。お手元にお配りした資料の中にそれが入ってございます。(OHP映写)
 イスラエルの建国は一九四八年、昭和二十三年ですね、今から五十四年前になります。その前の年に国連総会が、当時、イギリスが委任統治領にしておりましたパレスチナをアラブ人の国とユダヤ人の国に分割する決議を採択いたします。大体半分ずつ分けるんですね。エルサレムは国際管理、少なくも十年間は国際管理にして、残りを何か市松模様みたいに六つに分けて、その六つのうちの三つずつ、この白いところはユダヤ人の国を作ると。それから、斜線を施した今のヨルダン川西岸辺りですね、それからガザ寄りやや広い部分、それからレバノン国境、これはアラブに渡すと。白い部分はユダヤというような仕分をいたします。
 当時、ユダヤ人側はこの決議を受け入れるんですが、アラブは拒絶いたします。アラブが拒絶した理由は当時の人口比です。アラブは当時、百二十万人おりまして、それに対してユダヤ人は五十万人です。しかも、ユダヤ人五十万人のうちの半分はナチス・ドイツの迫害を逃れて第二次大戦直前に流入してきたか、あるいは強制収容所で生き残った人が戦後入ってきた、そういうような言わば駆け込み移民ですね。アラブは、アラブを主体にした、ユダヤ人を少数民族として抱え込んだ独立国家を作りたいという構想があったわけですから、ですから分割に反対だったわけですね。ユダヤ人側は自前の、水入らずの国が欲しいと、分割を取りあえず受け入れます。
 イギリスは、第二次大戦で国力を使い果たしてパレスチナどころではなくなって、国連に押し付けた形で撤退してしまいます。撤退の当日、イスラエルは建国を宣言いたしまして、当日、戦争を始めました。三つのことが一度に起きるんですね。それが一九四八年の五月です。九か月間戦争をやった挙げ句、アラブは国の頭数は多いんですけれども統制が取れておりませんで、アラブに割り当てられた土地のちょうど半分ぐらいを失ってしまいます。ガザが小さくなりまして、ヨルダン川西岸も小さくなり、北部のイエス・キリストが生涯の大部分を過ごしたナザレなんかがある部分ですね、これはすっかり消えてしまいます。
 こういう形で、お互いにといいますか、周りのアラブの国々はイスラエルを承認することなく、休戦ラインと言うんですけれども、これを挟んだ形でのにらみ合いが十九年間続きます。そして、今度は今から三十五年前、一九六七年の第三次中東戦争で、アラブ側の手にわずかに残っておりましたこのヨルダン川西岸、ガザも占領されてしまい、更にエジプトはシナイ半島を全部取られ、新たにシリアはゴラン高原を奪われます。
 その後、あのオイルショックのありました一九七三年の第四次中東戦争で、それをきっかけにエジプトは単独講和をいたしまして、シナイ半島を返してもらって戦線から脱落します。残りは基本的にはそのままと、それを拡大いたしますとこういうことになります。
 今日、国際的な用語で占領地と言われておりますのはこのヨルダン川西岸それからガザ、それからシリアがその戦争で奪われましたゴラン高原もありますけれども、これはパレスチナじゃございませんでイスラエルとシリアの関係になりますので、今日はそれには触れません。パレスチナ占領地と言われておりますのはヨルダン川西岸とガザです。
 この中で、この占領地が生まれたときに、同じ年、六七年の十月、戦争が起きてからもう五か月ぐらいたってから、有名な国連安全保障理事会決議二百四十二号というものが採択されます。それは、この線を基本にして妥結しなさいと。イスラエルはこの戦争での占領地から撤退し、アラブは以後イスラエルを認めて共存しなさいというガイドラインですね。
 ただし、この二百四十二号決議というのは大変あいまいさがある。あいまいだったから通過したようなもので、この戦争での占領地からの撤退、占領地のところの表現が英語でテリトリーズという言葉が使われておりますね。アラブ側あるいは当時、アラブを全面的に支援しておりましたソビエトはザ・テリトリーズと、つまり全面撤退という文面に固執したんですけれども、それはイスラエルが頑として聞かない。イギリスの妥協案でテリトリーズという格好になっておりますので、どれだけ撤退したらそれじゃ妥結するかということが国連決議の中で示されないまま今日に至っております。
 今申し上げましたように、アラブ側はこれは全部と受け取っておりますし、イスラエルはおしるし程度に返せばそれでいいんだと考えておりますし、じゃアメリカ、かぎを握っておりますアメリカはどう考えているかというと、大部分と考えているのが相場ですね。若干の手直しは必要であろうと。つまり、テルアビブの空港から首都エルサレムまで行くハイウエーも占領地を通っているようなところがあるわけですから、それを手直しするというようなことは非常に技術的にも困難なので、大部分、多少の手直しという考えです。
 次に、イスラエル政府部内なんですけれども、政治勢力の中でいつも二つの傾向というものが対立しております。一つは土地で譲歩してもアラブとの関係を正常化した方がいいと考えるいわゆるハト派ですね、これは労働党が中心であります。ここに名前を挙げておりますのはいずれも首相をやった人たちですけれども、ラビン、ペレス、バラクといったような人々。それから、占領地保持に固執いたしましてアラブとの平和の約束というのを信用していない、これはリクードを中心とするシャミル、ネタニヤフ、シャロン、現在の政権もそうですね、そういう人々であります。
 このマドリード会議でシャミル・イスラエル、当時の首相は、出席はしたんですけれどもアメリカの要請に対して面従腹背です。のらりくらりと土地の返還問題についてはまともに取り組もうとしない。彼は政界を引退したときに記者会見でもって本音を漏らしたんですね。十年間、話を引き延ばしておいてうやむやにしてしまうつもりであったと。彼がよく使っておりましたキャッチフレーズ、響きはいいんですけれども、ランド・フォー・ピースじゃなくてピース・フォー・ピース、平和と平和の交換、つまり平和になれば君も楽だろうと。土地は返さないよということですね。その思想は今のシャロン政権にもつながってきております。テロをやめろ、テロをやめれば封鎖を解除する、おまえの方も楽だろうと。ただし、土地は返すとは言わないわけですね。そういう二つの傾向があって、それが政権がこっちへ行ったりあっちへ行ったりしております。
 ちょっと余談になりますけれども、労働党はいわゆる左派勢力と言われておりますし、リクードは右派と言われているんですけれども、これがイスラエルの場合は国内問題についての社会主義とか資本主義とかいう尺度じゃなしに、領土問題でタカ派的であるかハト派的であるかということですね。ハト派的な人々のことは便宜上、左派と呼ばれている傾向もあります。財産は左派の人たちはたくさん持っています。むしろ、右派の方が貧しい人たちが多いんです。
 それで、結局、ブッシュお父さんの方はどうしたかというと、シャミル政権に圧力を掛けます。当時、ソ連崩壊でたくさんソ連圏からイスラエルに移住者が、百万人入ってまいりましたけれども、それに住宅を提供するためにアメリカから百億ドルの借金を、アメリカの市中銀行から借りようとして当時のシャミル政権、特使が何回も参ります。それは、アメリカ政府の債務保証が必要だったんですけれども、それに応じないという形で圧力を掛けます。
 それも一つの要素になって、そのマドリード会議の翌年、九二年の選挙にシャロンは負けてしまいます。シャロンを破って登場したのがあのラビン首相ですね、軍人出身。ようやくイスラエル部内にハト派が登場してブッシュさんはやりやすくなったんですけれども、そのイスラエルに圧力を掛けたことがたたって、ブッシュさんの方は落選してしまいます。当選したのはクリントンさんですね。
 それから一年後、話合いがまとまりましたということで、ワシントン、ホワイトハウスであの劇的な歴史的和解のセレモニーが行われます。間に立っているクリントンさんは何もしないで、棚からぼたもち、頼まれ仲人をやって、彼の中東和平推進に対する関心が非常に個人的にも高まります。途中であのモニカ・ルインスキー事件なんというのが起きて名誉が失墜したのを何とか一発逆転、ノーベル賞でももらいたいという動機になったのが、出発点になったのがこれです。
 それで、じゃ、この合意のことをオスロ合意と言うんですね。ワシントンでサインしているんですけれどもなぜオスロ合意かというと、その下交渉をノルウェー政府も若干かかわり合った形でパレスチナとイスラエルの間でそこで仮調印が行われているからです。
 このオスロ合意の骨子は何かというと、パレスチナ側がテロを放棄する代わりに、イスラエル側はPLO、アラファト議長の組織を交渉の相手方として認知する。それから、いきなりその占領地全部返すというようなところにはとても行けないので、暫定自治というものを発足させ、それを五年間やる。五年間の三年目から最終地位交渉というものをやって、最終的な着地点を決める。その最終地位交渉の議題を特定したんですね。そこに書いてございますように、占領地にイスラエルが造った入植地をどうするか、最終的には境界線をどうするか、エルサレムをどうするか、それから難民、パレスチナ難民の帰国をどうするか、そういうことです。
 これを議題だけ書いたのは、両方とも自分の選挙区があるからですね。アラファトさんの方はエルサレム問題あるいは難民帰国、議題に押し込んだんだ。必ず五年間我慢してくれ、これは達成できる目標だという形で提示し、またラビンさんの方は、議題として提示されただけで、向こうの要求はその議論の場で値切るあるいは断れば済む話だと。お互いに自分の陣営をだましだましでまとめた合意です。そこから今日の問題がいろいろ発生してくるわけですね。
 ここでは最終着地点としてのパレスチナ独立国家ということは全く言及されておりません。これもイスラエル側のお家の事情からです。しかし、ラビン首相の労働党は、オスロ合意の前の選挙、九二年の春の選挙で党の綱領の中から、これまで抱いてきたパレスチナ国家は認めないという条項を削除しております。つまり、どういうふうにも対応できる下準備、布石は打ったという形でしょう。
 それで、その翌年、九四年から暫定自治というものが始まります。初めはごく小さなものをだんだん膨らまして、これは皆さんのお手元にお配りしてありますが、これが自治区の現状です。これはヨルダン川西岸とガザと二つありますけれども、大きい方の固まりがヨルダン川西岸ですね。イスラエルと占領地を合わせた面積が大体四国ぐらいです。ヨルダン川西岸が茨城県ぐらいの大きさです。
 なぜヨルダン川西岸と言うかというと、ここにヨルダン川が流れていて、どうしてここだけをヨルダン川西岸と言ってイスラエルがそう呼ばれないかというと、戦争で取られる前はここは隣のヨルダン王国が併合していたんですね。ヨルダン王国の中の地域の呼び名で、こちら側がヨルダン王国のヨルダン川東岸、こちらが西岸だったわけです。その名前が国際的に定着して、今ウエストバンクとかヨルダン川西岸と言われているのがこれです。
 そのヨルダン川西岸でパレスチナ自治区になっておりますのはごらんのとおりです。この白塗りの部分ですね。全体の四一%です。警察権ぐるみ、完全な自治区、いわゆるAゾーンとなっておりますのはこのうち更に三分の一です。あとの三分の二は、行政権だけはパレスチナ側に渡したことになっておりますけれども、イスラエル軍の立入り自由な地域です。警備、公安、すべてイスラエルが入り込める。ゾーンAというその三分の一のところですね、そこには立ち入らないという約束だったんですけれども、ここのところは連日中に入り込んでパレスチナ人捕まえたりいわゆる爆薬で壊したりしております。お互いにつながっておりません。
 アラファト議長はラマラーというここの町に今いるんですけれども、ここから去年の十二月以来外に出られないでいるんですね。ここにイエス・キリスト誕生のベツレヘムという町があって、そこの教会にアラファト議長は、自分はイスラム教徒なんですけれども、キリスト教国へのPRも兼ねて毎年クリスマスにはミサに参加していたんですけれども、今年はイスラエル軍に拒絶されてここからここに動くことができない。アラファトばかりじゃなしに、この辺でも全部で、白塗りのところ、小さいのを合わせると二百か所ぐらいに分断されております。隣の自治区の学校にも行けない、病院にも通えない。ふだんは通れるんですけれども、ちょっと治安状態が悪く、テロなんかが起きるとここが封鎖されます。イスラエル軍が戦車、機関銃で封鎖してしまうんですね。
 どうしてこんなずたずたの形になっているかというと、この三角印、イスラエルが国連、同盟国アメリカの批判さえ無視して三十五年間の間に造ってきた入植地があるからですね。入植者を守るために軍隊が駐留します。入植者や軍隊が使うための道路が造られます。それらはすべてパレスチナの土地の収奪の上に成り立っております。これじゃ独立国の体を成さないですね。隣の国ともつながっていません。出入国管理はすべてイスラエルが一手に握っているという形です。
 もしラビンさんが生きていたらどういうシナリオが考えられたかというと、だんだんだんだんこれを膨らませていって三分の二、この全体の三分の二あるいは八割ぐらいのところまで自治区を膨らませる、それで邪魔になる入植地はできるだけのけていく、それで最終的に境界を決めるという考え方だったんです。
 ところが、ラビンさんが暗殺されてネタニヤフというタカ派の政権ができてきます。この人が新しい概念を打ち出すんです。それは合意の双務性ということです。合意は、テロをやらないという約束をパレスチナ側はやったんだ、テロをやったらばこの和平プロセス、つまり自治区の拡大もおしまいですよ、あるいはお休みですよという、そういう考え方です。
 それに比べて、ラビンさんの名せりふで今でも鮮明に覚えているんですけれども、テロ対策と土地を返すこと、和平プロセスというものを切り離したんですね。和平プロセスはテロなどあたかもなかったように進める、テロ対策は和平プロセスなどなかったように厳しくやると。その切り離しによって、テロ対策で弾圧しながら土地は広げていった。つまり、ラビンはこの形そのものが治安悪化の原因であると。境界線を単純化する、土地を返すことによって平和という大枠を作ることが一番安全につながるということを認識していたわけですね。しかし、今のシャロンさんあるいはネタニヤフさんにつながる人たちはそうではないという。
 それで、アメリカ、クリントン時代に行われた調停工作のところまでお話しして、私の今の話を中断したいと思います。
 これがおととしの七月、クリントン大統領が大統領の山荘、キャンプ・デービッドにアラファトそれからバラク、当時のイスラエルの首相、バラク、両者を呼んで、ちょうど沖縄サミットと重なった時期です。そこで出たイスラエル側の提案がこれです。大体ヨルダン川西岸のうちの九%ぐらい、お手元に地図をお配りしておりますけれども、左側から、西側からこう入り込んだこの地域をイスラエルが併合する、つまり入植地を整理統合してイスラエル領土にしてしまうんですね。その代わり、ばらばらではなしにもうちょっと固まりの大きくした領土をパレスチナ側に引き渡すというものです。
 ただ、この併合だけでは済みませんで、併合は九%と言われていましたけれども、それと同じぐらいの大きさ、東の方から、右側からこう横線で触れている部分があります。これは租借するというんですね、大体十五年ぐらい。その租借の理由は、東側からの軍事的脅威。ヨルダン王国というのはおとなしい国ですけれども、その隣にイラク、イランという順に並んでいます。両方ともイスラエルから見れば脅威です。それらの国が東側から攻めてきた場合、ここで防衛するという名目で、その脅威が消えたらば返すと。パレスチナ側で返してくれると信じている者は一人もいません。
 要するに、こういう形でアメリカのメディア、イスラエルのメディアはもちろんですけれども、かつてない寛大な、気前のいい領土上の譲歩であるということを言いまくりました。しかし、ごらんのように領土は分断されています。隣の国とつながっておりません。パレスチナ側が拒絶するんですね。それがおととしの七月です。九月に暴動が始まります。インティファーダ、第二次インティファーダと呼ばれますね。今日までまだ続いております。
 当時のバラク首相は、仮にもラビンさんの弟子ですから、弾圧しながら交渉というラビン流のやり方を踏襲いたしまして、去年の一月、ちょうどクリントン大統領の任期ぎりぎりぐらいにもう一回、エジプトのタバというところで新しい譲歩の案を出します。それは、この安全上の租借地というのが消えてなくなります。それから、併合地域が九%から四%に減ります。この安全保障は、当時のクリントンさんが米軍がやってやるという提案をするんですね。これで領土問題については妥結寸前という共同声明が出るところまで行くんですけれども、その一週間後の選挙でバラクさんは負けてしまって今のシャロン政権が登場します。
 シャロンさんの立場は元のもくあみです。これもこれも国会の承認を得ないで、経ないでバラクが勝手にやったことだから、これは御破算であると、この状態です。この状態のままにらみ合いが今でも続いているんですけれども、最終的にシャロンさんがどの辺の着地点を考えているかというと、これに非常によく似た地図、これは皆さんのお手元にお配りしておりませんけれども、シャロンさんが在野のころに言っていたシャロン・プランと言われている地図ですね。内陸封じ込めです。二百何か所ではなしに、もうちょっと数は大ざっぱにまとまっておりますけれども、これが、これではパレスチナ人の独立国家の願望には到底結び付きませんから、テロは減らないというか、形になります。
 テロが起きればそれに対する非常に強圧的な懲罰行為が加えられますし、通常この周りは取り巻かれております。この形、私はテレビでも言ってるんですけれども、ソルジェニーツィンの小説には収容所列島というのがありますね、収容所列島ですね。この収容所列島では最終着地点になり得ないということはイスラエルでも知識のある人たちはみんな知っているんですね。しかし、どんなにつばを吐かれようが、外国で軽べつされようが、とにかく自分たちにとって一番必要なのは土地だと思い込んでいるのがリクードのグループ、特にシャロンさんという形になります。
 それで、ガザの方は七五%、ヨルダン川西岸よりも多少はパレスチナの方が多いんですけれども、これはこんな具合になっていまして──もうちょっと広角にしてください、引いてください。
 これはこのエジプトとの国境ですね。こちらが北側になります。地中海です。ここが四十キロ、この幅の狭いところは七キロぐらい、広いところでも十キロちょっとです。そこに入植地がこういう形で割り込んでおりまして、その入植地とイスラエル本土をつなぐための道路が横からこう入り込んでいます。ちょうどパレスチナ側の主な国道がちょうどつくねのくしみたいに、こういうふうに入っているんですけれども、それを横からつっつくような形でイスラエル側の入植地専用道路があって、この交差点がいつも衝突現場になるところです。これが二五%ぐらい、この土地の面積が入植地として収用されています。
 ここに飛行場が一本あります。これガザ飛行場ですけれども、今、使われておりません。イスラエル軍が報復攻撃の一部としてブルドーザーでもって滑走路のペーブメントをはがしてしまったんですね。アラファトさんがどこへも行けないようにこうしてしまった。そういう行為に対して、ヨーロッパ連合は損害賠償を求めるなんて言って息巻いてイスラエルに抗議をしているという形であります。
 それで、また和平プロセスの、こちらに移ります。
 この間に大きな違いがあります。キャンプ・デービッドはパレスチナ側がのまなかった。しかし、タバは妥結寸前まで行って、何が変化の要素になったか。一つは暴動ですね。それからもう一つはアメリカです。
 おととしの十二月二十三日、クリスマスイブの前夜に、アメリカの当時のクリントン大統領がこういう形を提示したんですね。地図まで書いて渡さなかったんですけれども、趣旨としてはバイアブル・パレスチナ・ステート、自立し得るパレスチナ国家ができるようにしろと。アメリカの意向とすり合わせながらバラク政権が作った地図がこれです。
 同時多発テロ事件の起きる二日前に、私はテルアビブで、このタバの交渉にイスラエル側の代表として出席しておりましたヨシ・ベイリンというバラク政権の閣僚で、ちょうどラビン・アラファトの握手のおぜん立てをしたオスロ合意の裏交渉をまとめた功労者ですけれども、その人、今浪人していますけれども、その人にテルアビブで会いました。
 そこで、あれ残念だったねと。ここで七月に交渉が不調に終わって九月には暴動が始まった。八月は、アメリカは一体クリントンさん何をしていたんだと。もっと早く介入していい案を出してくれたらこんなことにならなかっただろうと言ったら、彼の答えは、クリントンがすべきだったことは、七月にキャンプ・デービッド、招集したその場でアメリカはこう考えるというこの線に近いものを出してくれたらば局面打開できたはずだと言ったですね。本当にそうかどうか分かりません。
 ただ、それが非常にできにくいのは、先ほど立山参考人が触れておりましたように、アメリカの国内事情、一つは民主党と共和党が非常に接戦で張り合っているような中で、有権者の数は少なくても集票あるいは世論、集金、そういった点で非常に影響力を持っておりますユダヤ・ロビーが強いことと、それから四千万に上るクリスチャンライトと言われているキリスト教系の原理主義といいますか、初めからイスラエルびいきの人たちがいて、ですからアメリカ行政府が独自にイスラエルにプレッシャーを掛けるようなことをやるのは、ブッシュさんのお父さんの落選の轍を踏みたくない、アメリカの政治家たちにとっては非常に困るわけですね。ですから、アメリカの政治家たちが一番願っているシナリオというのは、イスラエル自体でハト派が政権を握ってくれると、それを全面的にバックアップして自分は目立たないように。目立たないようにといっても、結局は目立ちたかったのはクリントンさんではあるんですけれども。
 その辺りが、ブッシュ大統領が今回のテロ撲滅作戦で自立可能なパレスチナ国家という言葉は口走ってはおります。それは十月初めの話で、案外、非常にアフガニスタンのタリバン撲滅戦争が楽勝で済んでしまったものですから余りこだわらなくなってしまったといいますか、実際に身を入れて動くか動かないかというのは今後の決め手になってくると思うんですね。
 ただ、ここ二、三日見ていますと、ブッシュさんが、先ほど立山さんがおっしゃったサウジアラビアとの関係修復のためにサウジアラビア政府、王室に向けた手紙の中で、サウジアラビアがかなり納得するような、つまりパレスチナ問題についてアメリカの見解を述べていると言われます。どう動くか分かりませんけれども、とにかくかぎを握るのはアメリカであり、そして中心の問題は土地であるということだけ強調して、今の発言は終わらせていただきます。
#8
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 本日も、あらかじめ質疑者を定めず、質疑応答を行います。
 質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。
 できるだけ多くの委員の先生方が質疑を行うことができますよう、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いをいたします。
 また、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、理事会協議の結果でございますが、まず大きな会派順に各会派一人一巡するよう指名をいたしたいと存じます。
 それでは、まずは山崎力君。
#9
○山崎力君 自由民主党の山崎でございます。
 非常に何というんでしょう、詳しい御議論というかお考えを伺った後でございますのですが、非常に有り難く思うんですが、知識量からいきまして非常に大ざっぱに質問する形で申し訳ないんですが、今、三先生のお話について私なりの解釈を申し上げますので、大ざっぱに、もちろん大ざっぱにですが、そこのところが、ここが一番そういう考え方はまずいんだというところがあったらまず御指摘願いたいという前提でお聞き願いたいと思います。
 今のお話聞くと、要するにバックグラウンドが、簡単に言えば中近東諸国に対してのアメリカを中心とする西欧の考え方というのは、石油の安定供給さえきちっとしてくれればいいんだ、そこでもうけさせてくれればいいんだというのが一番の根本にありまして、そのためには、何とかそこのところの政権が安定してほしい、その政体はもう問わないと、国民はある意味じゃどうでもいいけれどもというような印象を受けました。そして、西洋の基準で言えばまともな政体の国家が少ない、法治主義ではないという意味で少ない。そういった中で、どうやって実際の動きに対して対応しているかということが今までのお話の経過じゃないのかなと非常に大ざっぱに感じた次第です。
 そして、そこのところでやはり大きな影響を受けているのがイスラム教であり、そこのところに政教が分離が余り、未分化であるという背景もあって、人民、世論に対する影響力も強いと。そこで、民族主義的な部分もあれば、アラブの民族主義的な部分もあれば、今までの歴史的経過の中での置かれた立場に対する反発心、それから実際の外交上のプレッシャーに対する反発心、そういったものがあって、それがアメリカに対して向かっている。特に、後半、平山先生おっしゃったようなパレスチナ問題に対するイスラエル、それに対するアメリカの、非常に、これは歴史的に言えば西欧、イギリスのせいかもしれませんけれども、非常に何というんでしょう、言葉に言えばとんでもないことをやっていると。そういうことに対する実態を見るにつけ、そこがばねとなって今のいろいろな問題を起こしているというふうに、歴史的背景もこれありで、宗教的な背景もありということだというふうに大ざっぱに受け止めました。
 非常にそこのところの考え方で問題があるといえば、そこのところを指摘していただきたい。
 それで、一番私がそこの現状において問題になるのは、この間の同時多発テロにも見られたように、そういったフラストレーションが、アメリカと、イスラエルに対するテロであればともかく、それだけであればともかく、自爆・無差別テロが全世界に広がりかねない、それがアメリカを中心とする世界の秩序に対して大きな影響を与えかねないということの現実が、今それぞれの国の対応になって現れてきているんではないか。特に、アメリカが強硬な姿勢を取っている背景にあって、それに付いてこなければそれだったらそれでいいよというような脅かしまがいの発言までアメリカから出てきている。
 そういった認識の下に、非常にネガティブですが、日本がどこまでこの問題に頭突っ込めるのかという立場からいきますと、今の話からすると、非常に悲観的な言い方で恐縮ですが、国連というバッファーはおくとしても、人道援助に金を払う以上のところが日本としてできるんだろうかねというのが私の今の感想なんですが、先ほどの問題点の指摘と併せて、そういった感想を持っていることについてお答えいただければと。
 三先生、それぞれお願いしたいんですが。
#10
○参考人(立山良司君) 今、山崎先生がおっしゃいました基本的な認識といいますか、アメリカあるいはヨーロッパ諸国が、石油の安定あるいは経済的な利益のために、政体は問わずに安定していればいいと、政治的に安定していればいい、そのことが、加えてパレスチナ問題等があり、あるいは歴史的な問題があり、アメリカに対する反感を招いているのではないか、正におっしゃるとおりだと思います。
 元々、イスラム諸国というのは、あるいはイスラム世界というのは、ヨーロッパ文明に勝る文明を中世から近世に掛けて築いてきたわけですけれども、それが現在では逆転してしまって、むしろどちらかというと利用されている、石油を供給するためのある意味では基地のようになってしまっているというようなこと、あるいはその政権を様々な形でアメリカないしヨーロッパ諸国、冷戦時代はソ連もそうでしたけれども、支援をしているということに対する反感というのは非常に強いのだろうと思います。
 日本が、じゃ、こういう状況の中で、特にアメリカが今敵か味方かというような二者択一的な選択を迫っているときに何ができるのかということですけれども、極めて、おっしゃるとおり、できることは少ないかと思います。しかし、例えばパレスチナ問題に関しましても、九〇年代、様々な形で日本は発言もしてきましたし、実際的に援助を行ってきて、町づくり、人づくりにも貢献をしてきたわけです。やはりそういった地道な努力というのは今後とも続けていくべきだと思いますし、それから、EUとどこまで連携ができるかというのは難しいところかと思いますけれども、イランとの関係は日本は長く持ってきているわけですし、あるいは私が冒頭申し上げた中央アジアも、中東の中あるいはイスラム世界の中で重要性を増してきているわけですから、そういう中央アジアとの関係も拡大をしていくという形で、人道援助以外でも様々な協力、発言というのはできるのではないかと思っております。
 ただ、じゃ、すぐ具体的に何をという、大きなものというのは個々の問題では申し上げることはできるかと思いますけれども、取りあえずそういうことは可能かと思っております。
#11
○参考人(酒井啓子君) 非常に大きなテーマでございますので明確に答えられるかどうかあれですけれども、私なりの考え方を申し上げさせていただければ、正におっしゃるとおり、欧米諸国の中近東に対する利害優先的な関係というものはおっしゃるとおりだと思います。
 ただ、中近東諸国の中でそうした欧米に対するフラストレーションが高いということはそれも確かなんですけれども、ただ一点、私が重視しておりますのは、それは民衆レベルでのフラストレーションであって、つまり欧米が自分たちを利用しているだけであるというような感覚は民衆レベルには強いわけですけれども、逆に国家レベルではどうかといいますと、必ずしもそれを反映したものにはなっていないというのが私の見方でございます。
 逆に、国家レベルではそうした民衆レベルのフラストレーションを利用してアメリカを追い立てるような、むしろアメリカを利用するような、これだけ我が国では反米感情が、反米というか、アメリカの例えばイスラエル偏向姿勢が問題になっているのだから我々の国にも援助をもう少し増やしてほしいとか、そういうような形で、逆にアメリカの関心をイスラム諸国あるいはアラブ諸国に向けさせるような形で政策的に利用するという問題があるかと思うんですね。
 ですから、そういう意味では民衆レベルの対欧米感情と国家レベルの政策的な利用というものに乖離がやはりあるというそのこと、その乖離自体が更にまた民衆の中でフラストレーションを生むという、正に乖離しているという状況、おっしゃったとおり中東諸国ではまだまだ民主的なプロセスが確立されていない国が多うございますので、そこが一層フラストレーションを高めるという、正に今回のテロのような事件につながっていくという問題があるかと思います。
 そこで、日本がどのような形でかかわっていけるか、あるいは問題の解決にその役割を果たせるかということですけれども、これは一つの例としてお考えいただければよろしいかと思いますけれども、確かに、アメリカがこちらに付くかあちらに付くかというような二分法で迫ってくる際に、なかなか態度を決めかねる難しい問題かとは思いますけれども、アメリカの今回の対応の中で唯一非常にもったいないな、極めてもったいないなと思うことはイランに対する対応であります。
 イランは、先ほども申し上げましたように、正にイスラム原理主義国家の筆頭として成立したわけですけれども、これは革命から二十年以上たちまして少しずつ普通の国家ということで生まれてきております。先ほど申しました国家と民衆の意識の乖離という意味では、イランほどこれがつながっている国はないと。つまり、民衆の政治意識なり社会意識といったものが今のハタミ政権ほど密接に反映されているような国はない。その意味では、ある意味で中東の中で最も民主的と言っていいかもしれないような状況がございます。
 それに対してアメリカがどうしても今回の事件をイスラムという枠でくくろうとしておりますので、ついついやはりイランがイスラム、昔ながらの、二十年前のトラウマというものがどうしてもやはりあるとは思いますけれども、イスラム原理主義の脅威の親玉としてのイランという、そこの部分で逆にイランを、民主化しつつあるイランを反対側に押しやるような姿勢を取っております。
 それに対して、日本は若干やはりスタンスを違えております。これは過去二年間の間の日本・イラン外交関係を見れば明白ではありますけれども、非常に文化レベルから始めて密接な関係を維持しております。
 イラン最大のアザデガンという油田を日本企業が優先権を持って交渉に今当たっているところですけれども、そうした、アメリカの外交にどうしても追随せざるを得ない日本外交といえども、イランに関してはある程度の独自のパイプを維持している。逆にアメリカも、建前上イランと接触できないというような環境の中で、むしろ日本を通じてイランとパイプをつなごうというような水面下の動き、これは民間レベルでございますけれども、あるように聞いております。そういうアメリカが建前的にどうしても話ができないような相手にこそ、日本が何らかの形でつなぎ役として役割を果たすことが可能なのではないかというふうに考えております。
#12
○参考人(平山健太郎君) 酒井さんのお話で、アメリカができないようなところを肩代わりしてやって貢献するというのは、湾岸危機のとき、ヨルダンを支援しているんですね。ヨルダン側のサダム・フセインとの特殊関係があって、アメリカに言わばにらまれて、アメリカに干し上げられていた苦境のどん底にあったときに、日本は援助を続けて、それがわずか半年後には、マドリード会議でパレスチナ側の参加をイスラエルがどうしても拒絶したときに、そのヨルダン代表団の中に抱え込んで出席させるという、和平のための受け皿を温存することに大変協力してあげているんですよね。その種のことが、日本のできることはいろいろあると思うんです。
 少し理屈っぽくなりますけれども、日本がこのパレスチナ問題について割合旗幟鮮明に、占領地は返すべきだ、パレスチナ人の民族自決権を認めるべきだという方向を打ち出したのは、一九七三年のあのオイルショックの後であります。当時の二階堂進さんが官房長官ですか、が談話を発表して、その趣旨のことを言って、それからレールが、大体その敷かれたレールに従って動いてきております。
 当時は油ごいの外交なんという自嘲的なマスコミのコメントもあったんですけれども、必ずしもそうじゃなくて、北方領土問題にもつながる、要するに占領とか併合というのは認めないと。両方同じ基準で物が言える立場に日本はあると思うんですね。
 さらに、過去を振り返ってみるならば、日本がかつて朝鮮、満州、台湾を占領し併合して、その結果はどうなったかと。その後遺症がいまだに残っている。そういう日本の負の遺産の部分も含めて振り返ってみた場合に、イスラエルに対してもっと正々堂々と、あるいは国際社会に向かって発言できるはずだろうと思うんですね。事務方がやってきた地味な援助ばかりじゃなしに、何か公の場所で日本はこう思うということをもっと積極的に発言できると思うんです。
 その中には北方領土の問題も当然含まれてまいります。他国の領土の占領の永続あるいはその併合というのは、ろくなことにはならないんだと。それらをなくして近隣関係をよくする、日本をモデルにしてみたらどうかということを、もっと大きな声で目立つ場所でも発言を続けるべきだろうと思います。これが一つ。
 それから、日本は、例のアラファト、ラビンのあの歴史的和解のオスロ合意の調印式、ホワイトハウスの南側の芝生で行われておりますけれども、そこに参列しておりました外務大臣は四人です。アメリカと、共同議長国のロシア、それから裏で合意の成立に尽力したノルウェー、もう一人は日本です。当時の羽田外相ですね。一番前列に座ってにこにこしている映像を覚えておりますけれども、やはりお祭りと同じで一番いい席に座る人はたくさん包んで持っていくわけで、日本もその辺が期待されて呼ばれたんだろうと思うんですけれども、そのとおり日本はパレスチナ自治機関への支援では断トツでアメリカと並んでトップの位置を占めている。
 それらの援助というのは、ODA資金や何かでJICAが現場を監督していかなきゃならない、その人たちが今、騒乱が始まって以来その現場に近づけないというか、退去勧告が出たりしているものですから、行き詰まってはいるんですけれども、一つ非常にこの騒乱の下で感謝されていることがあります。
 それは、パレスチナの市町村に対する失業対策費を供与しているんですね。それによって、日当千五百円ぐらいですけれども、パレスチナでは食料は安いですからかなりの金額になります。それで延べ二十万人が雇用されています。日本がそれをやったものですから、デンマーク、フランス、アメリカがそれに倣ってそのプロジェクトに参加してきています、国連のUNDPという組織を経由しているんですけれども。
 何をその失業対策費でやっているかというと、イスラエル軍の軍事報復で壊された家屋の補修、それから、イスラエル軍が物陰からパレスチナ側が狙撃したりするからという治安上の理由で交差点近くのパレスチナ人の畑のオリーブの木を引き抜いてしまったその後のオリーブの再植林とか、そういうようなこと。使い道はパレスチナ側に任せておりますから、それに日本の援助資金が使われているということについて、大変パレスチナ側は感謝しております。
 それが、日本によってそれらの補修がなされたかということが分かるように記録されているのかと、何か札でも立てているのかと聞いたら、立てているそうです。何語で書いてあるか聞いたら、英語とアラビア語だと。それじゃ駄目だ、もっとヘブライ語で大きく書いてイスラエルの兵隊の方に向けておかないとお守り効果が薄いんじゃないかなと言ってきました。
 ヨーロッパもそれと似たような問題を抱えておりまして、先ほど申し上げたように、イスラエルが軍事報復で壊したパレスチナの放送局、警察署、そういった建物がEUの寄贈、ドネーションによるものが多いんですね。それに対する損害賠償をイスラエルに求めるというようなことも言っておりました。
 筋からいっても、やはり占領地を返さないということはやっぱり国際的な違法行為なんですから、その辺についての認識は日本は代々歴代政権は持ってこられたわけですから、実際の動きが出てきたときにやはり、対米関係はもちろん大事ですけれども、先日、EUの外相会議でフランスのベドリヌ外相が非常に明確な形で、EUは、あるいはフランスはと言ったんですかね、フランスはアメリカの同盟国である、九月十一日の事件については同情を禁じ得ない、テロ撲滅には協力する、しかしあのイスラエルの政策に対するアメリカの盲目的な支援は一体何事だと、それにはとても付いていけない、EUは別のやり方をするということで、いろいろ今提案を出しております。
 その辺、外務省の方々は当然御存じだろうと思うんですけれども、日本はやはり何らかの形でこのプレゼンス、政治的なイニシアチブを示して、同盟国であるアメリカに対する説得を試みる人道上の義務があるように私は思います。
#13
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、今井澄君。
#14
○今井澄君 今日は大変整理されたお話、また非常に生々しい現実の、特にパレスチナ問題、お話ありがとうございました。
 今、山崎委員から大きな質問が出ちゃったので、私は個別にちょっと質問したいと思うんですが。
 一つは酒井参考人に、このレジュメの一番最後から二つ目のスマート・サンクションについて御説明がなかったのでこれをいただきたいということと、それからその前に、イラクに対する対処の仕方で、アメリカでは軍事的なシミュレーションで政権転覆はできると、しかしコストが大き過ぎるということができている、結果が出ているというお話がありましたが、それはいつのシミュレーションかもし分かったら教えていただきたいのと、ただ、コストというふうに言われましたが、今度のアフガン攻撃を見ていますと、アメリカ人の血が流れるというふうなことは、かなり厳しい自然条件あるいは山岳条件と言われながらなかったように思うんですね。
 そうすると、これは人的なコストとそれからあとは軍事的というか経済的コストだと思うんですけれども、これについてどうなのかということ、どの程度のシミュレーションがされたのかということをお聞きしたいのと、あわせて、そのことに関連して、前の湾岸戦争のときもちょっと感じたことで、今度のアフガンでも感じたんですけれども、アメリカはいわゆるいろいろ近代兵器を開発したりいろんな新しい戦略を立てたり、いわゆる何でしたか、軍事革命じゃなくて、何という言葉でしたか、最近言われている、日本の自衛隊でも言われている何とかレボリューション、ミリタリーレボリューション、MR、そういう観点から、やっぱり使ってみたい、実践してみたいということはあるんじゃないかというのをふと感ずるんですね。あるいは、古い考え方でいえば、過剰設備というか過剰兵器はある程度廃棄しないと次のことができないという、そういうことなんかもある、要素があるのかなと思ったんですが、そういうことからコストというのはどう考えるか。
 これは、あわせて、立山参考人、防衛大学校の教授でおられるので、そういうことについて、その軍事的コストという問題について、今のシミュレーションのことももし御存じでしたらお聞きしたいと思います。
 それから、平山参考人にお聞きしたいのは、たまたま数年前、何年前でしたか、ちょうどワイリバーで、クリントンとそれからヨルダンの国王がまだ生きておられるときに交渉がありましたね、アラファト・ネタニヤフですか。ちょうどあのとき、実は参議院の外交防衛の派遣がありまして、私は幸いそれに加えていただいて、それでちょうど交渉の真っただ中でエジプト、シリア、ヨルダン、イスラエル、そしてゴラン高原まで行ってきたんですよね。本当にはらはらはらはら、毎日CNNや何かで報道される交渉の経過を聞きながら行ってきました。ですから、予定していた外務大臣と突然会えなくなるんですよね、アラブの外務大臣が急遽どこに集まったから今日は会談キャンセルだなんという中で行ってきたんですが。
 それで、今ちょうど外務省の次官になられた川島さんがイスラエル大使のころで、ちょうどパレスチナ自治区に夕飯に連れていっていただいたときに、そこここにバリケードがあって、後から次官から、今はもうあそこ通れませんよなんて聞いて、今本当にそうなんだなと、移動もできないんだなということもまざまざと目に浮かべながら先ほどのお話をお聞きしたんですが。
 そのことで、ちょっと先ほども幾つかお話がありましたが、私どももヨルダンからアレンビー橋を渡って歩いてイスラエルに入ったんですが、先ほど防衛上の西岸の意味というのを言われましたけれども、ヨルダンが西岸地区を簡単に放してあきらめちゃったということからも、それからあのヨルダン川なんてアレンビー橋のところも歩いて渡れるぐらいのどぶ川ですよね、極端に言えば。だから、防衛的には余り意味がないんじゃないかなという気がしたんですが、それは軍事的には西岸地区がそんなに意味があるんじゃないという気がしたんですが、それはどうなんでしょうかと。
 それからもう一つ、先ほどのお話をお聞きして私もなるほどなと思ったのは、ソ連の崩壊がいかにまたパレスチナ問題に影響を与えたかということで、ソ連邦が崩壊してから非常に貧しいユダヤ人たちがどっとイスラエルに帰国といいますか帰った。そのことが、ある意味で入植地を拡大し、住宅を造らなきゃならないということにもなった。そのことが、せっかく進んでいた和平合意をマイナスに推し進めてリクード政権ができた要因かなと思って、さっきなるほどなと思ってお聞きしたんですけれども、その辺のところは面白いなと思ったので確認の意味で、お答えいただかなくても結構なんですが。
 同時に、入植地、ここにどんどん世界から帰ってくる貧しいユダヤ人たちのために入植地を拡大せざるを得ないという裏側のある意味で制約条件もあるのかなと、要件もあるのかなと思ったんですが、同時に、あの辺りは岩石砂漠といいますか、入植地とかパレスチナ、西岸といったって、本当に我々日本人から見ると、何でこんな貧しい土地に、みんな変な何にもない土地に住みたがるんだろうなと思うところなんですが、水の問題が物すごく重要ですよね。
 そうすると、先ほどの領土、土地の問題というのは、単に防衛上の問題だけじゃなくて、実は水源の確保というのが非常に大事なんだと私、現地でお聞きしてきたんですが、その辺、どうしても土地を返さないというイスラエル側の条件の中には水の確保ということがあるんじゃないだろうか。
 例えば、ゴラン高原も、行ってみると、あそこからすぐダマスカスの町がはるかに見下ろせる。なるほど、これは軍事的要衝だなと。いざ事があったら丘を攻め下ればいいわけですからね。だけれども、軍事的要衝というよりも、むしろあれはこちら側の、イスラエル側、パレスチナ側の水源確保という意味が非常に強い。非常に、緑の山はむしろゴラン高原、あの北の方にあるわけですよね。そんなことだというふうに私一つ理解したんですが、それはいかがかということですね。
 それで、最後に、山崎委員が質問したんでもうあれなんですけれども、よく言われるのは、今、九月十一日以降、日本には日本ができることがある、それはかつて軍事的にあの地域に侵攻したこともなければ政治的に抑圧したこともないと、したがって日本は抵抗なく受け入れられるんだという議論が一方にあって、私もそれはそれで一つじゃないかと思うんですが、しかし、先ほどの酒井参考人のお話にあったように、民衆レベルの受け取り方と、これは国によって違うと思うんですが、それと政権担当者の受け取り方と、いろいろ違うというんですが、日本はやっぱり中近東各国で欧米と同じようにやっぱり単なる経済の利害があるからだと見られているのか、それとも、日本というのはまあまあある意味で強引なところがない国で、くみしやすしというか、あるいは、いろいろまあ心を許してもいいなと思われているか、その辺のことがもしあれば、三人の参考人に、時間のことがありますから簡単にお答えいただければと思います。
 あと一つ、ちょっと長くなりましたが付け加えると、イスラエルに行って感じたのは、ちょうどマハティールが日本を一つの見本とした、あの貧しい中からこうあれしたということで日本との共通性感じているようですが、イスラエルもやっぱり日本のこの戦後の高度成長というものに対して非常な親近感を持っているんですね。我々は金はない、貧乏だったけれども、知恵と努力というものがあるという、そういう意味で日本が敬意を持って見られているのかどうかということも併せてお願いしたいと思います。
#15
○参考人(酒井啓子君) 三つプラス一つという形で御質問いただいたかと思います。
 まず、スマート・サンクションについて、時間がちょっと押しておりましたものですから説明を省略してしまいました、申し訳ございません。スマート・サンクションと申しますのは、昨年六月に国連で提案されましたイギリスとアメリカが中心になって作っております新しい制裁、対イラク制裁の案であります。
 これは具体的にどういうものかというふうに申し上げますと、先ほど御説明いたしましたように、これまでの対イラク経済制裁は、基本的に、部分的に解除しますよという話から始まって、徐々に徐々に拡大解釈されていって、もう随分なし崩し状態になってしまった、どこからどこまでが許可されているその輸出入であるのか、どこからどこまでがその禁止項目なのかということが非常にあいまいになってしまったという問題があります。
   〔会長退席、理事山崎力君着席〕
 加えて、そのいわゆる公式に国連が認めた貿易以外でも、周辺国、特にヨルダンとかトルコ、イランといった国々がいわゆる密貿易をしている。特に、一昨年には石油価格が予想外にちょっと上がった時期がございまして、イラク原油が相対的に非常に低い、お買い得の時期が続いたものですから、そういうこともありまして、その国連の制裁が周辺国にとってもうほとんど意味をなさないというような状態になってしまったわけです。
 これを最も危惧したのがイギリスとアメリカでありまして、このままではなし崩し的に早い者勝ちでその石油を買われてしまう、あるいはそのイラク市場に参入されてしまうということで、ここではっきりと、その何が禁止されていて何が許可されているかということをはっきり色分けしましょうということで出してきたのがこのスマート・サンクションという案であります。
 で、具体的には、その経緯、どういう形で議論されていったかという経緯は、実はお配りしておりますこちらの緑の方の資料の三ですね、資料三の四十五ページに、それのその経緯についてまとめましたレポートを掲げさせております。そちらの方を見ていただければ細かい点についてはお分かりかと思いますけれども、昨年の六月に、ロシアが徹底的に反対いたしましてこの案はつぶれておりますけれども、昨年の十一月に、アメリカは同時多発テロ以降ロシアを説得いたしまして、共同歩調を取らせて、このスマート・サンクションの導入について基本的に合意させております。
 これが執行されるのが今年の五月の終わり、六月からこのスマート・サンクションに移行するものというふうにされておりますけれども、まだまだ具体的にそのどの品目が駄目なのかというような、リストと呼ばれておりますけれども、そのリストの決着には、まだ決着が付いていないというロシア側の言い分と、アメリカの、もう決着が付いた、終わったと、もうすんなりとスマート・サンクションに移行しようというアメリカとの間で若干そごがございまして、そこをめぐって次の軍事的な脅威、衝突の危機が訪れるのではないかという意味で、焦点として今年の五月の終わりというふうに書かせていただいているわけです。
 さて、実際にじゃその軍事的な衝突が起こった場合に、アメリカがシミュレーションをして、コストが大きいというふうに報告されているというふうに申し上げましたが、これは実はいろんなところで言われておりますけれども、私、現物を見たことがございません。これはさすがにちょっと私も現物を見たという人に会ったことは今のところないんですけれども、現在のブッシュ政権ができる直前に共和党がシミュレーションをしたというふうに言われております。
   〔理事山崎力君退席、会長着席〕
 これも又聞きで恐縮なんですけれども、アイデアとしては、数年を要する行動である、これは空爆を含め地上戦を主に取るものなわけですけれども、まず南部のバスラを制圧すると、南部、バスラから南部の油田地域を制圧するとともに、そこに現在の反政府グループを集結させて、暫定政権をそこに確立するというやり方を取って、その暫定政権にその石油収入を自由にさせて、政権を転覆させるというアイデアでありまして、コスト、見積もられているコストは、これは数百から数千、イラク人十人に対してアメリカ人が一人死ぬ覚悟で考えるべきであろうという報告が、これは宣伝になりますけれども、こちらのお手元にお配りいたしました当研究所から先般出版いたしましたこちらの本の、レポートの百八ページの注の部分に付けてございますアメリカのブルッキングス研究所が、シミュレーションしたのはまた共和党の政権内ですけれども、予想、カジュアリティーを予想しているのは、ブルッキングス研究所が数百から数千ということで言っております。
 それから、実践してみたいのではという意見は、これはもう常に湾岸戦争のときからございまして、実際にそういう側面はないわけではなかろうかと思います。湾岸戦争のときにイギリスの戦闘機が何機もおっこちまして、そのイギリスの軍事産業が今後、いわゆるデモンストレーションに失敗したということで注文が来なくなるのではないかという懸念をしたという話もあるぐらいに、一種の対外的な軍事産業のデモンストレーション効果はあるというのはよく言われることではございますし、十年置きに在庫整理という話もありますけれども、単純にそれだけで軍事攻撃を企画立案するというほど単純ではないのではないかというふうに見ております。
 最後に、日本のイメージですけれども、一言で申し上げれば、アラブ・イスラム世界における日本のイメージは非常に良い。欧米といういわゆる西側の合理主義的ないわゆる文化風土というものに対して、日本的なあるいは東洋的な、一種の和魂的なものに対するあこがれといいますか、親しみというものは一般的にあるというふうに申し上げてよろしいかと思います。
 長くなりましたが。
#16
○参考人(平山健太郎君) まず、ヨルダン川の防衛上の価値ですね。川そのものは本当にどぶ川程度、といいましても、割合深くて、流水量が多摩川と同じぐらいあるんですね。
 それで、問題は地形なんですね。エルサレムとかあるいはヨルダン川西岸の人口稠密地帯というのは標高六百、七百メートルぐらいの山で、ヨルダンも大体それに見合ったものがあるんですけれども、間にあるヨルダン渓谷というのが、その一番低いところは海抜マイナス四百メートルぐらいですから、一千メートルぐらいの高度差があって非常に急斜面の、東に向かった斜面がございますので、それを、その斜面そのものが防衛線として不可欠であるというのがイスラエル側の言い方です。その山の頂上には電子警戒ステーションが方々にあって東側の軍事的な動きは把握できるという構えであります。
 それから、次にソ連系ユダヤ人ですけれども、現在、ソ連崩壊前後、八〇年代から始まって今日に至っている。これが、イスラエル国民、現在六百万人のうちの百万人が旧ロシア系ですね。百万人アラブ系がおりますので、ユダヤ人の中の二〇%がロシア系であります。
 彼らは、西岸占領地に進んで入植するという人はほとんどありませんですが、イスラエルがそれらの人たちをテルアビブとか海岸部の低コスト住宅に受け入れて、はじき出されたイスラエルのプアホワイトですね、プアホワイトということで、非ロシア、在来ユダヤ人、イスラエル人、この連中が政府の補助金に釣られて西岸、ガザ占領地に移住している例もあります。
 ただ、その占領地と土地の問題と直結しないんですけれども、彼らの政治意識というのは、初めは中立的だったんですけれども、リーダーたちがだんだん右傾していって、右傾というのは、尺度が、その土地にこだわるようになって今シャロン政権の支えになっております。
 ちょっと余談になりますけれども、そのシャロン政権の首相府の副大臣というのをやっているロシア新移住者に会ったんですね。彼の意見、それから日本に対する、日本の役割に対する期待みたいなことを聞いたときに、パレスチナ人に対する金銭的な援助を日本は続けてくれ、金がなくなるともっと暴れるから、品物があるような状態にしておいてくれた方がこっちは楽だと。これはハト派、タカ派を問わずみんなが言うことなんですけれども、それで、その援助をてこにパレスチナ人たちに説得してくれと。その説得の根拠として、次の二点を挙げておきたいと。
 その中身でちょっとあきれ返ってしまったんですけれども、第一は、第二次大戦後の世界の平和は戦争の結果生じた境界線をお互いに認め合うことで成り立っていると。ドイツとポーランドの国境線を見てごらん、日本の近くにもあるでしょうと言うんですね。北方領土のことを言っているんですね。だから、占領地全部返せなんと言うのは正気のさたじゃないということを、パレスチナ人に引導を渡してくれということですよね。
 そこでの基本的な論理のごまかしは、第二次大戦で連合国の一員としてナチス側のアラブと戦って奪った占領地じゃないんですね。第二次大戦が終わってから二十二年もたってから全く別個の原因で、どうして起きたかいろいろなぞの部分が多いんですけれども、アラブ側に仮に好戦的な態度があってアラブ側の挑発があったにせよ、もっけの幸いに取ってしまった土地である。にもかかわらず、それを第二次大戦後の境界線はというような言い方というのは、アメリカじゃ通用する議論だろうと思うんですね。非常に、ブッシュさんなんかにはそれで十分通用可能な単純論理。歴史の中から都合のいいところをつまみ食いして理屈を並べるというのはイスラエルのタカ派の連中の通弊みたいなところがありますね。あのシャロン首相がアラファト・イコール・ビンラーデンみたいな、タリバンみたいな言い方をする。非常にそういう詭弁が多い。これもそうだなと思ってあきれ返ったのが一つ。
 それからもう一つは、パレスチナ人に言ってくれと。すべての少数民族が独立できるとは限らないと。そこでまた、日本にもいるでしょうと言うんですね。何のことを言うのかと思ったら、北海道のアイヌのことを言っているんですね。アイヌさんには大変失礼な話で、パレスチナ人に対してアイヌのような対等な扱いはしてきていないわけですから。それは、イスラエルでもかなり極右のイスラエル我が家、イスラエル・ベイテヌという政党に所属しているソ連人だったですけれども、何か物の言い方が旧ソ連官僚みたいな言い方で非常に腹が立った。
 ただし、大部分の人たちは比較的教育水準が高くて、しかも貧しい人たちで、イスラエルにハト派の政権が出てきて十分経済的なインセンティブを与えられればそれに協力してくる可能性が十分あります。リクードに付くか労働党に付くかは提示される条件次第というような、浮動票ではないですけれども、まとまった一種の圧力団体になり掛けている感じです。
 それから、次に水でございますけれども、イスラエルの都市用水あるいは農業用水の三分の一は、先生がおっしゃいましたゴラン高原からガリラヤ湖という淡水湖に流れ込んだその水を水源から引き抜いて導水管でもって南に流しているわけですね。これが三分の一です。残りの三分の二がヨルダン川西岸六、七百メートルの高台に、冬、たくさん雨が降ります、雪も降ります、その地下水ですね。その地下水の上というのは手放そうとしません。
 現在、ヨルダン川西岸の占領地では、水の割当て、イスラエル側が一方的に決めて押し付けている水の割当ては、パレスチナ人一に対してユダヤ人入植者は四です。ですから、水の公正な割当て、それからゴラン高原の場合には、シリアに仮に返還した場合に下流への流水の保障とか水に関する取決めをきちんとしておかなければいけないだろうと思います。
 さらに、そう言っても水不足なので、そういう足りない水は海水淡水化、これは日本の技術にパレスチナ側もイスラエル側も大変期待しております。それから、トルコから無駄に海に流れてしまう、ジェイハン川という川があるんですけれども、そこから水を持ってくるという計画もあります。しかし、それには莫大な資金、それからパイプラインの敷地とか、やっぱり平和を前提としないと考えられないことがありますが、それは将来の問題として残ると思います。
 それから、イスラエルの人たちの日本に対する期待ですけれども、やっぱりハイテク産業の面でお客さんとしてあるいはパートナーとしての日本に対する期待がありますし、それから、政治状況とはほとんど無関係にそういう人間の交流はあります。
 それからもう一つ、比較的知られていないのは、中央アジア、今は、アフガン戦争以後、中央アジアの資源開発、あるいはそれに付随したいろんな経済的な参入ということが日本の経済界でも大きな関心事になっておりますけれども、それが、アメリカはトルコをパートナーとして中に入り込んでいるんですけれども、さらにその先端部分に多国籍ユダヤ人といいますか、ソ連からイスラエルに移住しないでまだいとこが残っているなんという、そういう人間的なパイプがたくさんあるんですね。そういう連中とイスラエルのユダヤ人、それからアメリカのユダヤ人、それが連絡を取り合って中央アジアのかなり独裁的な、イスラム圏ではありますけれども世俗化した国々の大統領顧問なんかやっているようなユダヤ人がたくさんいて、そういう連中が一種のブローカー的な役割を果たして、それは日本にとっても役に立つ有益な関係にもあるんですね。ですから、アラブに付いてイスラエルとは断絶するというようなことは得策ではないんで、両方ともそのつながりを持ちながら日本はできることを平和のために貢献していくのがいいんではないかなというふうに思います。
 以上でございます。
#17
○参考人(立山良司君) 私は防衛大学校に勤めてはいるんですけれども、軍事の専門家ではございませんので明確なお答えはできないかと思うんですけれども、先ほど今井先生がおっしゃいましたように、この十年ほどの間に、通常、軍事革命と呼ばれているレボリューション・イン・ミリタリー・アフェアーズという非常に大きな技術革新といいますか、技術改革が軍事部門で起きているというのはもう御承知のとおりであるわけです。それは御指摘のとおりであるわけです。
 特に、例えば湾岸戦争のときに、地上戦でクウェートにいるイラク軍をアメリカ軍が攻撃したときに砂漠を横断して戦車が行ったわけですけれども、そのときに使われたのはGPSという、グローバル・ポジショニング・システムという人工衛星で自分の位置を確認するシステムですけれども、それは今十万円ぐらいでカーナビとしてその辺で売っているシステムになってしまっているわけですね。その意味で、非常にこの十年ないし十五年の間に技術的に大きな革新があり、兵器体系、兵器システムも大きな変更が進んでいるわけです。
 しかし他方で、冷戦が終えんして、軍事予算を削減する要請というのも非常に強いという二つの間で、やはり軍事予算なんかの専門家に聞きますと、アメリカの軍の中でも一定の脅威を作るといいますか、脅威の認識を新たにするといいますか、そういう作業というのは行われて、九〇年代に、四年ごとに一回軍事戦略を見直すシステムがございますけれども、その中でも次の脅威は何だというような議論というのは行われていたようでございます。
 特に、やはりブッシュ政権というのは、冒頭の御報告でも申し上げましたけれども、クリントン政権に対する批判として当然出てきているわけですので、ブッシュ政権の基本的な考え方は、クリントン政権下において余りにも予算を削減し、かつシステムとしての安全保障体制あるいは軍事体制というのを守ってこなかったために極めてもろいものになっているという認識があって、ミサイル防衛システムというのを打ち出したんだろうと思います。ただ、テロに対する認識というのはやはり九月十一日以前にはほとんど強くなかったというふうに言われていますので、その意味で改めて軍事作戦、軍事予算を更に拡大していくという状況が今出てきているのではないかと思います。
 それから二番目に、日本はどう見られているかということですけれども、やはり極めてある意味で日本は経済的に発展をした、あるいは技術的にすばらしい国であるということは広く認識をされておりまして、例えば私は八〇年代の後半にパレスチナ難民に対する支援を行っている国連の機関の職員として働いていたんですけれども、パレスチナ難民その他、彼らが言うには、いつも日本は技術的にすごい、経済的にすごい、日本のようになりたいということを言うわけですけれども、同時に彼らがいつも言うのは、その経済的にあるいは技術的にすごい日本がなぜ政治的には力を発揮できないのかと。もっと厳しいことを言う中東の人たちは、何で日本はアメリカの言うとおりになっているんだというような議論まであるわけです、あれだけ経済力を持っているのに。
 今はもうそれまで余り言いませんけれども、日本の経済がよくないということは認識をされてきておりますけれども。ですから、その意味で日本への期待と同時に日本に対する、フラストレーションまではいきませんけれども、もうちょっと日本も何か国際的な場で発言をしてほしい、あるいはアメリカに物を言ってほしいというような考え方は持っているんだろうと思います。
 他方で、日本が、日本政府がといいますか、あるいは外務省がといいますか、ずっと言ってきたのは、例えばアラブ・イスラエル紛争にしても、あるいはイラン・イラク戦争にしても、手が汚れていないから日本は仲介役をできるということをずっと議論をしてきているわけですけれども、手が汚れていないから仲介役をできるという認識はやはり、レトリックとしては正しいんですけれども、実際の政治ではほとんど不可能なことであろうかと思うんですね。やはり、両方に手を突っ込んでいない限り影響力を行使できない。全く第三者として幾ら口で言ってみたところで、双方の紛争当事者に影響力を行使できないと思うんです。
 ですから、その意味で日本は九〇年代に入って様々な形で直接的に、もちろん大きな形ではありませんけれどもかかわってきた。例えば、ゴラン高原のUNDOFに自衛隊がPKOの一部として参加するとか、パレスチナ自治選挙への監視団を送るとか、一時、アメリカと若干対立をしてもイランに対して経済援助を行ったとか、そういう、地味ですけれども着々とやってきている。そうしたことを今後とも続けていく必要があるかと思います。
#18
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 それでは次に、沢たまき君。
#19
○沢たまき君 ありがとうございました。
 立山参考人にまずお伺いさせていただきます。
 今日のお話と事前の配付の論文からアメリカの対中東政策の概要というのは大体分かったんで、大変いい勉強をさせていただきました。一点、アメリカの対イランに対する政策について伺わせていただこうと思うんですが、先生の御説明によりますと、アメリカは中東プロセスを推し進める一方で、イランとイラクの両方を封じ込めようとする政策を取っているんだ、しかしカスピ海のところの二千億バレルの石油ですか、が眠っていることから、イランと中央アジアとカフカス地域との密接な関係は無視はできないと。だとすると、中央アジアとカフカス地域への接近はイラン封じ込め政策と相反することになるんじゃないかと思うんですが。また、ハタミ政権の民主化とかあるいは文明間の対話というのがありますが、この路線、アメリカは反対できないんじゃないかと思うんですね。だとすると、今後、アメリカの対イランの政策に大きな変化があるのかどうか、その可能性について伺いたいと。
 それから、酒井参考人には、最近書かれたこの中ちょっと読ませていただいたんですが、印象的だったのが、アメリカのメディアはイスラム諸国が民主化した場合の先の姿を想定していないと書いていらっしゃいますね。彼らがイメージしているのは西欧型近代化であり、欧米型民主主義・自由主義制度の導入であると先生のところに書いてあったんですが、こうした一方的な価値観とかその時々の状況で反転する外交政策によって、逆にイスラム世界独自の民主化を阻害していると理解しているんですが、我が国も含めて先進国諸国というのはイスラム世界の民主化についてもう少し長期的な目で眺める必要があると思いますし、民主化といっても西欧型とは全く同一ではならないと思うんですが、そこら辺の御意見を伺いたいということ。
 それから、平山先生には、先生のお話と資料の論文から、オスロ合意もやってくださったんですが、このオスロ合意なんですが、今は全然もう何かなくなっちゃってしまって、またオスロ合意以前のような逆戻りしているような感じですよね。この流れをまたオスロ合意のときみたいに和平の方に持ってくるというのは、私はもう最大の課題なんじゃないかなと思っているんですが、大変難しいかもしれませんけれども、どうしたらそれができるようになるんでしょうかね。参考人の御意見を伺いたいと。
 以上です。
#20
○参考人(立山良司君) 今、おっしゃられていましたとおり、先生がおっしゃられていましたとおり極めて、一方で、カスピ海周辺、二十億バレルあるかどうかというのはよく分からないところなんですけれども、相当量の石油あるいは天然ガス資源が周辺地域にあると。そこに対してのアクセス、あるいはそこから資源を出す、パイプラインのルートを作らなければいけないということが一方でありながら、他方ではイランを封じ込めておくということは極めて矛盾した政策であるということはクリントン時代からずっと批判をされ続けております。アメリカ国内においてもされ続けております。
 特に、イランの場合にはカスピ海とペルシャ湾あるいはアラビア海、要するにインド洋につながっていく海に両方に面している唯一の国でございますので、カスピ海地域で採れる石油ないし天然ガスをもし外の世界に出す場合にパイプラインを引くとすれば、イランから出すのが一番コスト的には当然安いといいますか、安いわけです。ですから、例えばアメリカ国内でも、ブレジンスキー元大統領補佐官、彼なんかは、イランに対する政策を変えるべきである、イランに対する封じ込め政策を変えるべきであるというのをクリントン政権時代からずっと言い続けております。
 ブッシュ政権も、政権発足前あるいは政権発足当時はイランに対しての政策を変えるようなシグナルというのを出しておりました。それは、やはりイラン封じ込めはまずいのではないかという議論がありましたし、御承知のとおり、ブッシュ政権の主要な人たちというのは石油産業とかかわっておりますので、イランとの関係をもう一度見直すという期待はかなり高かったのは事実かと思います。
 しかし、他方で、例えば昨年の八月にも、七月にもワシントンに行って中東専門家、アメリカの中東専門家と話をしたんですけれども、そのときにはかなり対イラン政策をブッシュ政権が見直すのではないかという期待を持っておりました。ですが、結局、九月の十一日以降の対応を見ておりますと、現在のブッシュ政権の支持率の大きな要因というのは対テロの戦いということが重大なファクターになっていると思いますので、その対テロの敵か味方かという極めて分かりやすいレトリックで物事を説明していくという方法を取っている以上、イランに対する政策というのが今後、近い将来大きく変化するとは私は思えないような気がいたします。
 それからもう一点、昨年の八月、まだ九月十一日以前ですけれども、イランに対するアメリカ企業あるいは第三国企業が、第三国企業ですね、第三国企業がイラン及びリビアのエネルギー分野に対して投資をした場合に、その第三国企業に制裁を科すというイラン・リビア制裁法というのがございますが、それがクリントン政権時代にできて、五年間の時限立法で、五年目の昨年、それをどうするのかという議論がアメリカの中でありまして、ひょっとしたら延長しないのではないか、あるいは延長したとしても三年の延長で、五年ではなくて三年の延長で終わるのではないかという見通しがあったんですけれども、結果的にはやはり五年の延長になりました。
 その理由は何かといいますと、いろんな理由があると思うんですけれども、やはり一つには、イスラエル・ロビー、ユダヤ・ロビーといいますか、がかなりブッシュ政権に働き掛けて、イランは敵であると、その敵を封じ込めておくためにはこのイラン制裁法を五年間継続すべきであるという議論を行ったようです。といいますのは、イスラエル・ロビーのホームページにこの直後、五年間延長をかち取ったというような感じの文章が出ておりましたので、彼らが積極的に働き掛けたのはもう間違いのない事実かと思います。
 ですから、そういう点を考えますと、今、アメリカとイスラエルというのは、ブッシュ政権とシャロン政権というのは、ある意味でサウジアラビアとの関係でぎくしゃくをしつつも、ある意味で二人三脚的なところがございますので、その点を含めましても、対イラン政策が大きく近い将来変わるということはないのではないかと思います。
#21
○参考人(酒井啓子君) 御指摘のイスラム世界の民主化をむしろ進めるような形で何かできるのではないかという点について、正におっしゃるとおりでございまして、先ほど立山参考人の方にされました質問の中で、イランのハタミ政権が民主化しつつあると、これに対するアメリカの政策が今後変わるのではないかというそういう御指摘があったかと思いますけれども、それと関連、非常に密接に関連しているかと思うんですね。
 すなわち、イランのハタミ政権の民主化姿勢というのは正に欧米型ではない、アメリカやヨーロッパが期待しているような自由主義型、欧米型の民主的な体制というのではない、ある意味ではイスラム政権の中が自分の中で模索していった中で活路を見いだしてきた民主化という形になるわけなんですね。
 これに対して、そういう意味では、先ほど申し上げましたように、アメリカ、欧米諸国の多くは、そんなものは民主化でも何でもないと、やはりイスラム保守政権の、基本的には狂信的な宗教政権なんだという認識をどうしても払拭することができないでこれまでいたと。
 しかし、実際に九月十一日のテロ事件が起こった以降、やはりハタミ政権がアメリカに対して示したアプローチというのは、非常にテロに対して遺憾であると、同情を禁じ得ない、これからはともにテロ撲滅に向けて歩んでいこうという、むしろ共闘呼び掛けだったわけです。このときに初めて、これまでイランのイスラム政権は何か機会があるごとにアメリカに死をといってアメリカを攻撃するようなスローガンをあちらこちらで掲げていたわけですけれども、初めてテロ後そうしたスローガンが掲げられなくなったということがございました。
 そうしたイランのメッセージ、歩み寄りをする余地が十分あるんだというメッセージに対して、イギリスなどは早速外相を送り込んで、それを評価すると。そういう意味ではイランの、イラン型の民主化を後押しするような姿勢を示した。で、十一月辺りに、昨年の年末にはパウエル国務長官自身も国連の場でこっそりイラン外務大臣と握手をするとか、これまでにない、非常に急速な関係の改善を期待できるような動きがあったわけです。
 ところが、先ほど非常に残念なことにと申し上げましたように、しかし一転して、今年あるいは年末ごろから再び、やはりイランは悪の枢軸の一つであるという元のレトリックに戻ってしまうようなところがあり、そうやって戻ってしまうと、またイランもそれに対して、そんなことを言うのであればイギリスから新しく派遣されてきた大使は認めませんよというような形で強硬姿勢に出るという、正にイラン側はメッセージを投げ掛けているにもかかわらず、イスラム型という、あるいは欧米型ではないということ一点でそれをバックアップできない欧米の問題というのは非常に強くあるかと思います。
 そういう意味では、先ほどちょっと申し上げましたように、日本ができることとして、そうした欧米がなかなかそういう基本的な立場にからめ捕られて動けない部分で地道な、例えば草の根援助であるとかいうような形で草の根からの民主化を進めていくというようなやり方は十分取り得るかと思いますし、実際に今イスラム主義の中で過激化して武闘勢力になっているような人たちというのは、大抵がいったん民主化に失敗している国がほとんどなわけですね。アルジェリアが一番典型的な例で、いったん国会で多数派を取りながら、結局イスラム勢力に政権を渡したくない、その当時の大統領勢力が国会を解散して封じ込めるという非民主的な制度を取ったがために、本来、国会の場で議論しなければいけないようなイスラムの問題が水面下に潜ってしまったと、反政府活動の中でしか行われなくなったということが今のイスラム運動を過激化している最大の要因ということにもなりますので、正におっしゃっている点が一番今後問題になるかと思います。
#22
○参考人(平山健太郎君) オスロ合意が事実上死んでしまっていて和平路線に引き戻すためのシナリオはどこにあるのであろうかという趣旨の御質問であったと思います。
 アメリカ政府が今掲げておりますのは、去年の春に元アメリカ上院議員のミッチェル氏の、アイルランド紛争の調停で功績を上げた人ですけれども、この人の処方せんですね。まず暴力停止、それから信頼醸成期間を経て対話に戻ると。これが唯一の処方せんであるということはブッシュ政権の公式見解なんですけれども、その入口のところに、シャロン氏の挙げている暴力ゼロの状態が一週間、今度、石一つ投げてもまた振出しに戻ってタイムリセットだというやつだと、そこが始まらないわけですよね。
 そこで、それじゃ駄目なんで、それに代わるべき新しい枠組みが必要であるという議論がいろいろ出ておりまして、その一つは、先ほど立山さんがおっしゃっていたブレジンスキー氏が最近アメリカのワシントン・ポストに投書している文章は、アメリカが独自の仕切り、最終案はこれで行けというやつを打ち出せば、必ずロシアもEUもアラブのエジプトとかサウジアラビアとかといった国々も乗ってくるんだから、それでやるべきであると。その境界線といいますか土地の問題については、大体、占領地のおおむねすべての返還ですね、六七年ボーダーを基礎にして微調整、アメリカ側の独自案を示せという見解です。
 それから、これはイスラエル側でも同調する声というか、イスラエル側でむしろそれを先に言い出した人がバラク政権で外相代行をやっておりましたシュロモ・ベン・アミという人ですけれども、これはキャンプ・デービッド、タバ、二つの交渉がアウトになった直後から今でも言い続けている。アメリカ、あるいはそのアメリカが音頭取りになって、ロシア、EUを含めた国際的な大国による強制裁定ですね、それで仕切ってくれと。ただし、そのベン・アミさんは、アメリカ、EU、ロシア、アラブ、日本の名前は出てこないんですけれども、G7というのが出てきて、この中にようやく入っているわけですね、やっぱりそれには金が掛かるから、まあ日本に対する期待というのはその程度なのかなとちょっと悲しい気はするんですけれども。要するに、アメリカの強制裁定であれば、シャロンさんにせよアラファトさんにせよ、相手側に屈服したんじゃなしに、やはりフォルスマジョールで、アメリカの言うことならばしようがない、選挙区に申し開きができるということで、アメリカがそれをやってくれと。ブレジンスキー、ベン・アミ。
 それから、先ほどちょっと触れましたけれども、EU、フランスが、治安回復を待つのではなしに、オーダーを逆転して、まずパレスチナ独立国家を承認して、それと引換えに暴力を停止させると。それから、パレスチナで選挙をもう一回やり直して、アラファトは法律的な正統性を持たないというそのイスラエルの議論を封じ込めるためにももう一回選挙をやって、パレスチナ自治政府の、立法府、行政府全域にわたった選挙をやると。穴空きの自治区を母体に取りあえずはパレスチナ独立国家が発足して、それから積み残された問題、最終的な境界線、エルサレム問題、難民、そういったことは国と国の関係という枠組みの中でやるべきであるというそういう議論も出ております。
 しかし、肝心のブッシュさんが、それに対して今のところ処方せんは出ている、それはミッチェル・プランであると。ところが、ミッチェル・プランには暴力ゼロ一週間というシャロンの条件がぶら下がっているものですから先に進まない。その先に進まない状態がいつまでも続いて、もっと流血が続いた場合に、何らかの決断をしなきゃならない時期が来るだろうと思います。
 立山さんもちょっとさっき触れていらっしゃいましたけれども、ブッシュさんが最近サウジアラビアにあてた手紙の中で、パレスチナのバイアブル・パレスティニアン・ステート、ちゃんと自立するパレスチナ国家の建設に向けてアメリカはかかわり合いを強めていくというような発言をしておりますから、アメリカ自体の国益に照らしてもそう動かざるを得ないと私どもは考えるんですけれども、本当にそう動くかどうかは分からないということですね。
 それから、御質問事項じゃないんですけれども、草の根の運動についてパレスチナで目撃した日本人の活動のことを一、二御紹介しておきたいんですけれども。
 イエス誕生の地のベツレヘムに「地に平和」というカトリック系のNGOの方々が活動されておりまして、その基本的な任務といいますかテーマは平和教育、ちょうど和平が軌道に乗っていたころに入った方々なので、今のこの争乱の中で、パレスチナ自治政府のテレビを見ていても、殉教、自爆死が称賛されているような中ではとてもやりにくい逆風の中なんですけれども、NGOは逃げたらもう信頼を失う、欧米は逃げないんだから日本も逃げないと、立派な女性の方ですね、残って何をしているか。子供を集めて、子供にいろいろ遊びを教える、その遊びを指導する若者を育てる。つまり、ほとんど狂乱状態になっている中で日常性を取り戻せるようなコーナーを作って守り続けるということをやっていらっしゃるんですね。大変敬服いたしました。そういうことをなさっている、お金ばかりじゃなくて、そういう活動をなさっている方がいるということを、私に対する御質問の内容じゃございませんけれども、ちょっと酒井さんの御答弁に便乗して御紹介しておきます。
#23
○沢たまき君 ありがとうございました。
#24
○会長(関谷勝嗣君) 緒方靖夫君。
#25
○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫と申します。
 立山先生にお伺いしたいんですけれども、ブッシュの一般教書演説の中で、悪の枢軸ということで、この地域でいえばイラン、イラクが挙げられたと。それに対してOICとかアラブ連盟が当然予想されるような反応をする。あるいはまた、中国、ロシア、ヨーロッパ、かなりいろんな形で程度の差はあってもそれに不同意ということを表す。特に私注目したのは、パッテンEC委員が、この間ちょっと見たらガーディアンにインタビューをしていまして、やはり非常に単純化された論理で、こういうアメリカ一国主義的なそういう暴走をストップしなきゃいけない、そういう非常に明確なメッセージを述べていたことが印象的だったんですね。
 それで、中東と世界にとって、名指しで悪の枢軸という形での提起と、それに対して、本当にやるかどうかは別として先制攻撃をするということも言葉では言われていますけれども、そういったことが与える影響、それについてお伺いしたいと思います。
 それから、酒井先生に大変面白いお話を伺いました。アメリカが、言わば敵の敵は味方という論理で、味方が敵になってしまうと。確かにこれはいろんなところで起こっていると思うんですよね。コソボでもそういうことが起こりました。あるいは地域は離れますけれども、パナマでのノリエガもそういうことかなと、話をお聞きしながら思ったんですね。
 そうすると、アメリカという国は、よく言われますけれども、自分の価値観については非常にはっきりしている。しかし、価値観の違う国々との付き合いについては非常にその関係が、共存関係が下手な国だとよく言われますね。確かに自分の価値観を押し付ければそれが文明の衝突になっていく。そしてイスラムが、今お話があったように様々な政治的な多様性を持っているにもかかわらず、イスラムがあたかもそういう敵対するような価値観のようなそういう立場から文明の衝突ということも言われてしまうと。私は、この文明の衝突という考え方は現実に照らしても間違っていると思うんですけれども。やはり異なる文明の、また宗教の共存、平和的共存ということが非常に今大事になっているし、これを強調する必要があると思うんですけれども。
 この問題で何が大事か、例えば中東和平のプロセスをしっかりとして支援するということはそのあかしになると思いますけれども、何が大事かという、その点についてお伺いしたいと思います。
 それから、平山先生には、今ちょうどお話しになりましたオスロ合意なんですけれども、事実上死んでいるというお話を今伺ったばかりなんですけれども、そこのところをもう少し詰めた形で、そこをどう評価するか。つまり、皮一枚でもつながっている、そしてこれを元に戻していくという可能性はないのかどうかということをお伺いしたいと思うんです。
 と申しますのは、私は、やはりイスラエル政府とそれからPLOが直接交渉して合意を作った、当時の力関係が見事に表れていると思うんですけれども、やはりお話にあったように独立国家について触れられていない、あるいは国連諸決議についての関与の関係が明確でないとかいろんな弱点はあったと思うんですね。ただ私、こういう今の非常に危機的な事態になって改めてオスロ合意が非常に大事な意味を持っていることを、また歴史的に意味を持っていることを改めて痛感したんですよね。
 ですから、ここに立ち戻るという方策ですね、ミッチェル・プランとかそういうような今お話がありましたけれども、両当事者がそこに戻るという何らかの手掛かりというか、それはあるのかどうか。皮一枚でもつながっていて、そこに何らかのたどっていく可能性があるならば、それを非常に大事にしたいという気持ちがあるんですけれども、その点についてお伺いしたいと思います。
#26
○参考人(立山良司君) 今、緒方先生がおっしゃったブッシュ政権、ブッシュ大統領の悪の枢軸に対する様々な地域からの批判、欧州を含めた正にそういう批判というのはそのとおりなんだろうと思います。
 では、それが中東にどういう影響を与えるのかということですけれども、最も明確に一つ現れてきたのは、もう既に酒井参考人からも何回か指摘がありましたけれども、イランの中における新たな反米機運といいますか、つい数日前に反米デモが起きましたけれども、それでハタミ大統領が反米的なレトリックを使って演説をしましたけれども、レトリックの応酬、それが実際にレトリックで止まるのか、もっと更に拡大していくのかは分かりませんけれども、せっかく穏健主義派あるいは現実派と言われるような形で出てきて、アメリカとの関係を改善していこうというシグナルを送り続けてきているハタミ政権を、逆に強硬派といいますか、あるいは反米派の方に押し込んでしまう、あるいは押しやってしまうというマイナス面が、もうわずかこの十日ほどの間に出てきているかと思うんですね。
 さらに、一般的な形で言いますと、やはり一番冒頭の、山崎先生の御質問にもあったわけですけれども、なぜアメリカに対してあれだけ反発を持っているのか、あるいは反感を持っているのか。いろんな理由があるんですけれども、やはり一つにはアメリカ的な価値観というのを押し付ける、正にアメリカの一国主義外交といいますか、ユニラテラリズムといいますか、そういう面というのが非常に特に冷戦後に強く出てきていると思うんですね。
 アメリカの外交というのはよくミッション外交、使命を持った外交というふうに言われるわけですけれども、やはりアメリカの建国の歴史からさかのぼって考えてみますと、アメリカ的な民主主義、自由主義を世界に拡大していかなければいけないという使命を帯びているという意識はあると思うんですね。それは、ある意味では正しい部分はあるわけですけれども、ある意味ではそれをごり押しをされると押された方はたまらないといいますか、非常に反感を持つということがあると思うんです。そういうその基準に、そのアメリカ的な基準、アメリカ的な価値観に基づいた基準によって、この国とこの国は悪の枢軸であるという名指しで批判をしていくということが、今度はイスラム世界から見ると、イスラム世界そのものをアメリカの基準によって裁定するといいますか、あるいは分断するといいますか、そういう反感あるいはアメリカに対する批判というのは当然出てくるんだと思うんです。
 アメリカは一方で、その政権がたとえどうであれ、親米的な政権というのは支持をしているわけです。それがサウジアラビアであれ、エジプトであれ、ヨルダンであれ、支持をしているわけですけれども、そういう国々の中の国民というのは反米的な感情を持っていると同時に、その政権に対して批判ないし、極めて強い批判を持っているわけですね、それは民主的なプロセスがない、そういう形でありますので。そうすると、その政権そのものが、例えばサウジの政権に正に現れているわけですけれども、ジレンマに陥ってしまう。アメリカとの関係を良好にしなければいけないけれども、同時にアメリカを批判し続けねばいけない。それは、アメリカという関係を重視する、他方で国民の不満にどう対処していくかということで、逆にむしろ中東の不安定な状況というのを醸し出してしまう可能性があるのではないかと思います。
 それが一点と、もう一つは、かえって中東、アラブ世界においては非常に陰謀論というのが蔓延をしていて、もうすべてはアメリカが悪い、あるいはアメリカとイスラエルが組んで、あるいはアメリカとユダヤ人が組んで世界を、すべてこういう支配をしようとしているという陰謀論が非常に強いわけですけれども、こういった陰謀論を逆に中東、イスラム世界で拡大をする一つの原因にもなってしまう、要素にもなってしまうという、冷静なレトリックによる応酬が冷静な相互理解を阻んでしまうという、長期的に言えばそういった悪影響も出てくるのではないかと思います。
 以上です。
#27
○参考人(酒井啓子君) 御指摘の、アメリカが価値観の違う国との共存が下手な状況の中で、文明の衝突というような懸念される、事態が懸念されるという御指摘については正に一番大きな問題でございまして、それに対する私の意見、今の立山参考人の御説明にあったポイントとほとんど変わるところはございません。
 正に今、発言の中でございましたように、アメリカの持つ理念を掲げてその国策、国の政策を国際政治に反映させていくという、そうしたスタンスというのは、やはりヨーロッパ諸国とは随分違っている。一種、これはアメリカの一種の原理主義ではないかという言い方をする人もおりますし、ミッション外交というのは正にそのとおりだと思います。
 その意味では、おっしゃるとおり、文明の衝突という枠で単純化してしまってはいけないわけなんですけれども、やはり理念と理念のぶつかり合いという意味ではイスラム、いわゆるイスラム原理主義の掲げる主義に基づく国づくりという発想とぶつかり合ってしまうということは、これは避けられない部分はあるかと思います。
 ただ、問題は、何がこうした枠組みの中で一番大事かという御質問ですけれども、最も大事なことを挙げろと言われれば、こうした理念と理念をぶつけ合うようないわゆるイスラム原理主義というものは、すべてのイスラム教徒に共有されるものでは決してない。極めて一部のいわゆる政治思想として掲げられているものであって、たまたまイスラム教徒に生まれた人たちがすべてそうした発想を持つというようなものでは決してないんだということをきっぱり切り分けて考えていく必要があるかと思うんですね。
 これは、更に言えば、当然イスラム教徒であるがゆえに要求する自治とかあるいは文化的な独立性とか、そういったものは当然あるわけです。例えば、コソボなどでもそうですけれども、ムスリム人と呼ばれる人々がムスリム人としての生活を行う、モスクに通うとか礼拝をするとか、そうした一般的な日常的な儀礼を遂行する上での権利を要求する、自治を要求するということは、これはしばしば見られるわけです。しかし、それと、イスラムを主義として掲げて、それに基づいてすべての国のシステムをそれでまとめていくんだというようなタリバンであるとか、あるいはビンラーデンのような発想というのは、これはごく、私の報告の冒頭でも申し上げましたようにごくごく少数派であります。
 さらに、そうした発想を持つ人たちの中でも、武力に依存してまで国を、政権を樹立しようというような一種の軍事志向、軍事クーデター志向の勢力というのは更にまたその少数派になっていくということになるわけでして、その意味では、それを今のアメリカの政策の非常に危ういと思われるところは、一部のそうした武闘化した勢力を打倒するために、そうしたものではない一般のいわゆる庶民としてのイスラム教徒までをいわゆる容疑者扱いするというような発想が広がる、正に文明の衝突というような形で一くくりにしてしまうということ自体がやはり一番危ぶまれるところではないか。大事な点という意味では、そうしたところを切り分けて見る視点を常に維持していかなければいけない。
 今の立山参考人の御発言にあった、正に陰謀論に取り込まれないようにしなければという点は正にそういう意味で、すべてイスラムが悪いんだというような短絡的な陰謀論を日本としてはやはり取り入れるべきではないのではないかという気がいたします。
#28
○参考人(平山健太郎君) オスロ合意というのは単一の合意じゃなくて、あるプロセスの始まりといいますか、だんだん自治区を広げていって最終的な着地点をこういう形でこういう議題でやるという手続を決めたのがそうですよね。
 それで、広い意味でいいますと、その方針に従ってその後、進められてまいりましたガザとエリコの自治協定、それからそれを拡大する協定、先ほど出ましたワイリバーというふうに、それらのトータルをひっくるめてオスロ合意という。その結果として、今はパレスチナ自治機関があり、そして自治区が細々ながらあるわけですけれども、それらの果実を守るという意味では、オスロ合意による以外にないわけですよね。唯一の彼らの合法的な根拠ということになります。
 じゃ、これから先に現実に進めることができるかというと、現状では非常に難しい。イスラエル側にその気がないとするならば、新しいその枠組みを作らなきゃならない。
 それからもう一つ、パレスチナ側を見ても、オスロ合意にしがみつこうとしているのはアラファト議長を始めとするパレスチナ自治機関の執行部の幹部たちで、実際にイスラエルと武闘をやっている連中は、アラファト直系のファタハも含めて、このオスロ合意はもう死んだと、新しい論理に従った戦いであるというのが彼らの認識であって、そのモデルになっているのはレバノンです。
 レバノンでは、イランに支援されたヒズボラの二十年にわたる武闘によってイスラエル軍が疲労こんぱいの挙げ句、バラクの決断でおととしの五月に一方的に撤退するわけですね。それをモデルにしてやるというのは、ちょっとその地形の違い、それから国際情勢の違いなんかを考慮に入れると、非常に短絡的な発想ではあるんですけれども、下部の活動家たちはそういう考えで動いているということが一つ。
 それからもう一つ、アラファトの言うことを聞かずに武闘をやっている連中は、イスラエル軍を占領地から追い出すというばかりではなしに、パレスチナ自治機関の執行部に対する非常に強い不満、不信感があって、奪権闘争の一部としてやっているわけですね。攘夷倒幕論みたいなものですよね。アラファト体制はしかしいつ倒すかの問題で、イスラエル軍の撤退を先にまずかち取って、その後は現執行部、亡命地から帰ってきて腐敗している連中を一緒に倒してしまって、自分たちのもっと清潔な民主的な国を作るという考え。
 非常にそういう混沌とした、イスラエル側もパレスチナ側も一枚岩ではないその混沌状態の中で動いているわけで、どういう形で抜け出せるかわかりません。もし国際的に力をかすことができるとすれば、先ほどから繰り返して申し上げているように、やはりイスラエルに対して影響力を持っている唯一の国、大国アメリカが決断し引っ張ることであり、そのアメリカに対して影響力を同盟国なり他の大国は行使していくということしかないのではないかというふうに思います。
 それから、お尋ねの事項ではなくて、また余計なことですけれども、皆さん、議員の皆さんなので、一つ希望の持てるというか、力にはならないと思うんですけれども、イスラエルの国会、クネセットといいます。そこの議長は、労働党のこの間党首選挙でベンエリエザーという国防相に負けたブルグという割合若い、五十ちょっと前ぐらいの方がやっているんですね。労働党は、票は減っていますけれども、百二十議席のうち二十四議席を持つ最大政党ですから、そこの党首候補にまで擬せられたそのブルグという人が今議長をやっているんですけれども、この人が二週間ばかり前に国会で大変名演説をやって、占領体制は占領者をも腐敗させると。牢番とそれから囚人の関係で、両方とも、囚人パレスチナ人、牢番イスラエルですね、これが刑務所の希望のない壁の中でもっていたずらに歳月を過ごしているんだという大演説を打って、自分はパレスチナの国会に行って平和を訴えると提案しているんですけれども、それは政府に足を引っ張られてなかなか実現できない。そういう人がいると。
 そういう人を中核にして、あの同時多発テロより前、パレスチナの騒乱が始まってからイスラエルの和平推進派というのはくしゅんとしていたんですけれども、だんだん元気を取り戻してきて、デモの人数が増えるとか、予備役兵でヨルダン川西岸、ガザでの勤務を拒絶する人たちが何百人も出てきて、そのうち半分が将校であるとか、そういう動きが出ているんですよね。
 ただ、それだけでは単独に和平の歯車は回り始まらないので、外からの衝撃、支援が必要であり、そこで大きな責任を持っているのはアメリカという議論は変わりありません。
#29
○緒方靖夫君 ありがとうございました。
#30
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、大田昌秀君。
#31
○大田昌秀君 三人の先生方のお話は大変インフォーマティブでいろいろと教えていただきまして、ありがとうございました。
 立山参考人にお伺いします。
 アメリカ主導のグローバリゼーションの進展に対するイスラム世界の反応はどのようなものでしょうか。一説によりますと、グローバリゼーションはイスラムへの抑圧とみなされているようですが、なぜ抑圧とするのでしょうか、簡単で結構ですので、お願いします。
 それから、イスラム世界と西洋文明との対話は可能だとお考えですか。もし、不可能だというのであれば、どのような障害があるのでしょうか。
 酒井参考人にお願いいたします。
 アメリカは中東諸国と経済的利害関係を持っていながら、ブッシュ大統領はなぜ現時点であえてイラン、イラクを北朝鮮と一緒にして悪の枢軸と名指しで攻撃するとお考えですか。イラン、イラクと北朝鮮は大量破壊兵器の問題を除いては枢軸と言われるほどの類似性はないと見るわけですが、その点について教えてください。
 それから、イラクなどの一部のイスラム世界がイスラム的なものを排除しようとしている趣旨のお話がございましたが、なぜですか。
 それとあと一つ、現代イスラム世界の政治的多様性について述べられたわけですが、中国の華僑のように世界に散在するイスラム世界の人々が協力し合うという、そういう可能性はありますか、ありませんか。
 平山参考人にお願いいたします。
 中東情勢は今後どのように展開すると見ておられますか。アラファト議長の退任などあり得るとお考えですか。もし、アラファト議長が退任するとすれば、替わり得る人物はどういう方がおられますか。
 それから、パレスチナ問題との関連で土地問題が重要だと御指摘になりましたが、土地はすべて国有ですか。
 以上でございます。
#32
○参考人(立山良司君) 大変難しいグローバリゼーションの、グローバル化のお話と、アメリカ、反米感情ということの御質問ですけれども、やはり今、様々な意味でアメリカ文明といいますか文化というのが世界じゅうに拡大をしているのは事実だと思うんですね。
 例えば、端的に言えば、一昨年、その前、三年前ですけれども、アゼルバイジャンのバクーに行ったときに青年と話をしていたら、彼が目を輝かせて言うのは映画の「タイタニック」を見たかということであるわけですね。それで、彼は三回も見に行って、大変よかった、もう感動したということを言っているわけです。
 そういうアメリカのハリウッド映画であれ、様々な音楽、ポップスの音楽であれ、あるいはアメリカ的なファストフード店が方々にできていると。そういうことがある意味では非常に受け入れられているわけですけれども、他方で、それは別にイスラム世界がその結果モラルが堕落したということではありませんけれども、一部の論者から言わせれば、イスラム世界の中の一部の論者から言わせると、そういう非イスラム的なアメリカ文明が入ってきたこと自体が、例えば男女関係のモラルを悪くしているとか、あるいは元々大家族主義であるわけですけれども、それが核家族化といいますか、そういうような風潮を生み出しているとか、場合によってはもっとポルノ映画が入ってきているとか、そういうような批判になってきている、そういうことがグローバル化、特に文化の文化侵略のような形で見られているというのが一点ございますね。
 それからもう一点は、先ほどもお話をしましたけれども、陰謀論のような形でアメリカはイスラム世界を駄目にするために退廃的な文化を我々に押し付けている、あるいは垂れ流しているというような見方まであるわけです。その結果として、アメリカに対する、それは政治的な問題や様々な問題、パレスチナ問題への不満とかそういうことと結び付いて反米感情を高める要因になっているかと思います。
 文明の対話は、イスラム世界と西洋文明との文明の対話は可能かということは、私は可能だと思います。
 一つ、それは恐らくイスラム文明と西洋文明というのは一つ、全く一つずつのものとして対話ということを考えてみればそれは不可能かと思います。ただ、イスラム文明といっても様々な要素が入っているわけですし、現代社会ですから様々な人々がいて、イスラムの解釈も様々であるわけです。それは恐らく、我々が西洋文明と言ったときに最終的に何を意味するのかというと、人によって、思想によって考え方が違うのと同じように、イスラム文明というのを一固まりとしてとらえることは不可能だろうと思います。それは、かなり共通な要素というのはありますけれども、同時に様々な違いを持った、考え方の違い、思想の違いを持った人々がいるしあるいは集団がいるわけですので、様々な集団と様々な形で、それも西洋の方にも様々な人々がいるわけですから、対話を行っていく、そしてそれを拡大していくというような考え方の方でやっていくのがむしろ好ましい、あるいは正しいのではないかと思います。
 以上でございます。
#33
○参考人(酒井啓子君) 御質問三点いただいたかと思います。
 まず一点目は、アメリカはイラクに対して膨大な経済利益を抱えていながらなぜイラクを敵視するかという点でございますけれども、これはやはりイラクというよりはむしろ現フセイン政権に対する敵視ということになろうかと思います。
 これは一言で申し上げれば、十一年前、十二年前のイラクがクウェートに侵攻したという、そういう、軍事大国化すれば周辺国に武力介入を行うような性格を持つ政権がそのまままだ残っているという意味で状況は変わらない、そういう危険性が常にあるという形で危険視しております。それに加えて、湾岸戦争でイラクに対して徹底的に攻撃を加えたということ。これに対するフセイン政権が当然反感を持っており、機会があればアメリカに対して報復を行おうとしているに違いないという、そういう要素が加わって、イラクがアメリカに対して常に反撃の機会をねらっているという認識がアメリカの中で広く定着している。それが、アメリカが常にイラクを危険視する最大の原因だろうと思います。これは空想だけではなくある程度現実味のある問題であろうかというふうに見ております。
 二番目の、アラブ諸国、アラブ・イスラム諸国がイスラム的なるものをなぜ排除してきたかという問題ですけれども、ただいまの立山参考人の説明にもございましたように、アラブ・イスラム諸国の大半は、二十世紀の前半から中半に掛けては基本的には欧米化を進める、すなわち近代化を進める中で最大のモデルとして欧米型の近代化、社会政治の近代化というものがあったわけでありまして、その根底にありますのは、やはりイスラムに基づいてこれまで国づくりをしてきたことが国を遅らせる原因になったのだ、十九世紀になぜ植民地化され、なぜ西側諸国に負けたのかということの原因をやはりイスラムにこだわって古い体制を取ってきたから問題だったんだということで、文明開化の必要があると。正に日本がたどってきた近代化の過程と同じような過程で欧米化、近代化を進めるわけです。
 それが六〇年代、七〇年代まで、反動として、イスラムが遅れたもの、イスラムこそが文明を、近代化を阻害してきた要因なのであるというような考え方をずっと取ってきておりましたので、その反動として、いやイスラムをもう一回見直す必要があるのではないかという動きが出てきた、それが現在のイスラム主義の発端である。行き過ぎた近代化、行き過ぎた西洋化の反動として今再びイスラムが見直されているという、そういう過程で考えられるというふうに思われます。
 最後の御質問として、世界のイスラムが、イスラム教徒が協力し合うことはあるかという問題ですけれども、これは確かにイスラム教徒同士の共感意識、連帯意識というのは幅広く存在することは確かです。特に、先ほどグローバリゼーションに反発するイスラムという議論がございましたけれども、ある意味ではグローバリゼーションの影響をイスラム世界も非常に強く受けておりまして、例えばインターネットであるとか衛星放送であるとかいったグローバルな情報網というものはイスラム教徒も共有している。
 むしろ、そうしたグローバライゼーションの結果として、お互いのイスラム教徒が、例えばマレーシアのイスラム教徒がパレスチナでのインティファーダの状況をライブで見る、あるいはチェチェンで行われているロシアによる弾圧というものがインドネシアのムスリムやイギリスに住むパキスタン人の心を揺さぶるというような、そういうイスラム教徒であるからというよりはむしろグローバリゼーションの結果として新たにイスラム教徒同士の共感関係が生まれてきているという問題はあるかと思います。
 ただ、これは、比較で出された華僑のような経済的あるいは密接な連帯関係が構築されているかというと、まだそこまでは行っていないのではないか。もちろん、一部に信者間の経済的なネットワークというのはございますけれども、全イスラム教徒を包括するようなネットワークが確立しているというような状況ではまだないというふうに考えております。
 以上です。
#34
○参考人(平山健太郎君) 御質問は三つ。
 中東をどう展開するかは、これはちょっと余りにも包括的でお答えしにくいんですけれども、差し当たりブッシュ政権下ではその力を基盤にした覇権主義がしばらく続き、その結果どこでほころびが出るか分かりませんけれども、対米テロの動機は消えないということぐらいです。
 アラファトさんの後継者については、本人が最近、先週ぐらいに、パレスチナ自治機関の後継者はアブ・アラという国会議長ですね、その人が継いで、六十一日以内に選挙をするというようなことを言っておりますし、パレスチナ解放機構、PLO組織の方については、アブ・マーゼンという、これはオスロ合意にサインをした人、両方とも年配が六十代半ばぐらいの人たちですね。
 しかし、それだけじゃとてもアラファトさんの持っていたカリスマ性あるいは部内の各武装勢力をコントロールするようなことは到底できませんので、取りざたされているのは、パレスチナの治安機関の中でもヨルダン川西岸での実力者でラジューブという男と、それからガザのダハランというこの二人、軍隊式の階級で呼ぶと大佐クラスなんですけれども。この連中は、大体第一次インティファーダ世代のローカルにいた指導者で、イスラエル軍に逮捕されて、追放されてから亡命先でアラファトさんと一緒になって、一緒に戻ってきた。軸足を亡命組ではなしに本土に置いているんですけれども、その腕っぷし組には同世代のライバルがいて、このライバルはアラファト体制、オスロ体制ひっくり返してしまうという連中ですから、そういう集団指導制を取ったところで大変その先行きは波は荒いものがあるだろうと思います。
 それから、土地の話ですけれども、イスラエルは、立山先生、御存じですか、本来的には土地は国有で占有権だけ認めるんですよね、イスラエルは。
#35
○参考人(立山良司君) そうです。
#36
○参考人(平山健太郎君) 事実上私有地みたいになっているんですけれども、これは百年とか長期にわたるリースであって国有です。それから、パレスチナ人の方は普通の土地所有形態、私有若しくはモスクなどの財団所有地です。イスラエルは、公共の名においてアラブの私有地をどんどんイスラエルの国有地にして、それを住宅ディベロッパーに下げ渡したりして、土地の収奪、入植地づくりに励んでいるという格好です。
#37
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 以上で各会派一人一巡しましたのですが、ちょうど四時半の時間になりましたので、他の先生方もずっとお待ちで御質問がたくさんあるところでございますが、今日はこれで質疑を終わらせていただきたいと思います。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげで大変有意義な調査を行うことができました。
 参考人のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼とさせていただきます。誠にありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時三十分散会
ソース: 国立国会図書館
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