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2002/02/27 第154回国会 参議院 参議院会議録情報 第154回国会 国際問題に関する調査会 第4号
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2002/02/27 第154回国会 参議院

参議院会議録情報 第154回国会 国際問題に関する調査会 第4号

#1
第154回国会 国際問題に関する調査会 第4号
平成十四年二月二十七日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    理 事
                世耕 弘成君
                山崎  力君
                山本 一太君
                藁科 滿治君
                沢 たまき君
                緒方 靖夫君
                田村 秀昭君
    委 員
                入澤  肇君
                小林  温君
                西銘順志郎君
                野上浩太郎君
                舛添 要一君
                森元 恒雄君
                吉田 博美君
                小川 勝也君
                佐藤 雄平君
                山根 隆治君
                若林 秀樹君
                高野 博師君
                井上 哲士君
                大田 昌秀君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       宇都宮大学国際
       学部教授     清水  学君
       拓殖大学海外事
       情研究所教授   遠藤 義雄君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題に関する調査
 (「新しい共存の時代における日本の役割」の
 うち、イスラム世界と日本の対応(イスラム社
 会と開発協力)について)

    ─────────────
#2
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、本調査会の調査テーマでございます「新しい共存の時代における日本の役割」のうち、イスラム世界と日本の対応に関し、イスラム社会と開発協力について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、宇都宮大学国際学部教授清水学参考人及び拓殖大学海外事情研究所教授遠藤義雄参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本調査会では、イスラム世界と日本の対応につきまして重点的かつ多角的な調査を進めており、本日はイスラム社会と開発協力について参考人から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず清水参考人、遠藤参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただきました後、午後四時ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、早速清水参考人から御意見をお述べいただきます。清水参考人。
#3
○参考人(清水学君) 御紹介いただきました清水でございます。
 それでは、限られた三十分の間にできるだけ簡潔にお話しさせていただきたいと思います。
 レジュメをごらんいただきまして、時間の関係からすべてを触れることはできませんが、できるだけレジュメに沿ってお話しさせていただきたいと思います。
 いわゆるイスラム世界に対する開発協力ということを考える場合であっても、当然、昨年のテロ事件の影があるということは言うまでもありませんが、その中で、二、三点最初に指摘させていただきたいんですが、一点は、イスラム世界の主要な指導者、例えばエジプトのアズハル大学の学長とか、その他のイスラム指導者の圧倒的多数が同時多発テロを非難しているということです。それはイスラムの論理でも合理化できないと。これは、テロ、目的のためには手段を選ばないという、これは一種のニヒリズムの論理が入っていると思いますが、これはイスラムとは両立しないという立場の人が圧倒的だということです。
 それから二番目は、たまたまテロの実行犯とされる人たちの出身国がエジプトとサウジアラビアということであるわけですが、エジプトとサウジアラビア、特に親米国ということでありながら今回の軍事行動に対しては微妙な立場を取ったということが指摘できると思います。これは、国内の社会経済的な問題を当然反映していると考えられるわけです。
 それから三番目ですが、本当にテロを絶滅するため、根絶するためには何が必要かということが一番重要な課題だと思いますけれども、ただ、これは私の印象ですけれども、一体なぜテロが起きるのかとか、あるいはそれを根絶するためには一体どうしたらいいのかと、そういう議論が必ずしも十分行われていないという印象を持っています。
 つまり、テロリストが何か突然現れて、そして無辜の人々を理由なく殺害する、そういうことは語られるわけですけれども、一体そういうテロリズムを肯定する考え方とか、あるいは場合によってはそれを感情的には、感情的に支持するというか受け入れるという、そういうようなものがどこから出てくるのかとか、それからあと、仮にイスラムのイデオロギーとの関係を、あえて言うならば、そういうのがどういう論理で合理化されているのか、それから、果たして宗教という言葉でもって問題を語ることができるのかどうか、テロリズムを語ることができるのかどうかというような、そういうことも含めまして議論が不十分ではないかという印象を持っております。
 それとの関連で、やはりイスラム世界の社会的な、社会経済的な背景、それからイスラムの復興の背景について若干お話しした方がいいのかなと思います。
 二番目のイスラム復興のことですが、これはテロリズムと関係がある、直接関係があるわけではありません。ただ、復興主義というのがいわゆる反植民地主義の一つのイデオロギーとして人々にアピールするそういう側面があった。これは十九世紀から二十世紀の半ばに掛けてこの傾向はずっとあるわけですが。
 それから二番目に、植民地支配から脱却して独立した国々、その国々の中における民族的、文化的な、ある意味ではアイデンティティーの回復としてイスラム復興が出てきていると思います。
 一つ例を挙げますと、カザフスタン、中央アジアのカザフスタンですけれども、これは中央アジアの中ではイスラムの影響力というのは相対的に弱いというふうに言われている地域ですけれども、私が昨年の九月に新しい首都アスタナに行ったときに、たまたまカザフスタン政府の経済官僚の方たちと数人と会うことがありました。
 この方たちはいわゆる課長さんとか局長さんというクラスですけれども、ある方が、これは雑談の過程ですけれども、今年から私は断食を始めようかと思うという発言をされました。で、どうしてですかというふうに私が聞きましたら、いや、言葉ではちょっと説明できないんだけれども、何となくそういう気持ちになってきたと。しかも、たまたま同僚の数人が今年から断食を始めるというふうに言っているということなんですね。これは非常に面白いことかなと思いました。
 それから、マレーシアですが、私が個人的に知っております経済研究所の所長さんですが、ムハンマド・アリフさんという方なんですけれども、この方とたまたまクアラルンプールで経済の話をしていたんですが、そのときに私は、その後インドネシアのスマトラ島にちょっと行きましてイスラムの問題をちょっと見ていこうと思うというふうに言いますと、彼が、いや、実は私は最近三冊の本を出版したと。これはすべてイスラムについてであるということなんですね。それは、「イスラムとNGO」、「イスラム経済」等ですね。これ、それぞれ東南アジアのいろんな研究者を集めて、三か国語で出したということで、その経済学者とイスラムの問題が私はすぐに結びつかなかったのでちょっとびっくりいたしました。
 そうしますと、彼は、やはりイスラムの良さというか、そういうものが植民地時代にはむしろ抑えられていたと、ようやく我々は自由にイスラムの良さ、相互扶助を含めて、それを実施できるような段階に来たんだということで、私にその意義を語ってくれました。これも一種の民族的、文化的なアイデンティティーの回復の動きだというふうに思います。
 そのことから、イスラム復興については、これは植民地主義的な動きとか大国主義的な動きに対しては元々敏感な側面があるということです。これをイスラム復興について申し上げたいと思います。
 三番目になりますが、イスラム世界というのは、御存じのように、人によって推計値が違いますけれども、約十億人からあるいは十二億人という、地球上の人間の五分の一がイスラム教徒であると、しかもそれは増えているということなんですが、その彼らの圧倒的多数というのはやはり南の世界と重なっているわけです。
 たまたまここにイスラム人口の多い国をほぼ上位から書いてみましたけれども、インドネシア、これは二億人近いわけですが、それからインドとパキスタン、これ、最近どうも逆転しているようで、インドの方が多い、インドのイスラム教徒の方がちょっと多いように伺っております。それからバングラデシュ、それからトルコ、イラン、エジプト、それからナイジェリアと。
 これを見ますと、実はアジアが人口あるいは数の点からいうと中心的であって、むしろ中東の方が人口という点では必ずしも一番多いというわけではありません。この点は、逆に申しますと、イスラム世界というのを見るときに、アジアの問題、特に東南アジアの問題と重ねて見る必要があるということを示していると思います。
 それから、先進国のイスラムは省略させていただきまして、三番目に今後の課題として、やはりイスラム世界の問題を解決していく上において貧困とか抑圧の排除の問題とか、環境問題とか民主化の問題とか価値の多元性と共存、それから、先ほど申し上げたように、一種の文化的なプライドの回復というか、そういうような問題等も含めて見ていく必要があるだろうと思います。
 次に、イスラム世界ということになりますと、これは言うまでもなく実に多くの紛争が集中している地域であるわけです。それで、たまたま列挙しただけですが、例えば地中海世界と中東世界、いわゆる中東世界ということになりますが、地中海と言った場合も北アフリカを指しますので中東世界ということになると思うんですけれども、これについて、ちょうど一年ほど前、読売新聞にアメリカの元国務長官のキッシンジャー氏が評論というか、を寄せていたんですが、その中でこんなことを言っていました。
 それはどういうことかといいますと、現在、北アフリカといわゆる中東世界においての問題点というのは、一つは人口増加圧力、それから、当然、人口増加圧力に伴っていわゆる就業機会を必要なだけ増やすことができないという失業の危険性の問題、それからさらに、石油収入が増加するにしても、その増加分だけでは人口圧力をかわすことができないということで、この地域は今後十年から二十年すると、いわゆるバルカンでの民族浄化とかいう非常に凄惨なエスニック間、民族間の対立があったわけですけれども、そういうものはもう大したことないというくらいの大きな問題が起きる可能性があるということを指摘しておりました。
 これが正しいかどうかということは別にいたしまして、一言指摘できるのは、発展途上国の中でいわゆる北アフリカ中東世界は人口増加率が低下するペースがほかのところより遅かったんです。全世界やっぱり低下しているんですけれども、その地域は約十年ぐらいから十五年ぐらい遅れたんです。ですから、これからこの地域は人口増の問題がほかの地域よりも大きくなっていく、これは確実でございます。
 それから、中央アジアの方に参りますが、中央アジアは過去十年間いわゆる市場経済化ということで来ているわけですが、これはまだ大きな問題を抱えたままになっています。
 これは、後から御質問があったらお答えさせていただきたいと思いますけれども、市場化ということに込められていたいわゆる民主化というか、そういうものはむしろ後退の過程にと言っていいと思いますし、それから、市場化という過程も、一部資源に恵まれているカザフスタン、トルクメニスタンあるいはアゼルバイジャン等においてはいわゆる債務の問題は乗り越えていけると思いますが、ほかの国は対外債務の問題がこれからかなり深刻になってくる可能性がございます。
 それから、南アジアですが、南アジアは、インド、パキスタンが両方とも核を持って対抗しているということもありますが、同時に、宗派主義というか、政治の中に宗派主義が色濃く反映するようになってきているということ、特にパキスタンの場合は、逆にムシャラフ大統領はどちらかというと世俗化の方に今軸足を置きつつあるわけですが、インドの方がいわゆるヒンドゥー主義というのを一層前面に掲げてパキスタンに対する圧力を掛けているということがありまして、この宗派主義の問題というのが南アジアの問題では重要だろうと思います。
 東南アジアにつきましては、先ほど文化的なアイデンティティーの問題ございましたので、ちょっと省略させていただきます。
 次に、日本の独自のビジョンを持った開発協力というところで話をさせていただきたいと思いますが、いわゆるテロを合理化する論理としてパレスチナ問題というのが言及されているわけですが、パレスチナ問題というのが現在、御存じのように極めて危機的な状況が続いております。
 一昨年の九月末に始まりましたイスラエルとパレスチナ人の衝突というのがイスラエル側による国家的な武力というか、軍事力を使ったテロ容疑者の直接的殺害というようなことが片方で行われている一方で、それに対抗するための自爆、パレスチナ人側の自爆テロという悪循環が続いておりまして、現在までのところパレスチナ人の死者が約九百人を超える、それでイスラエル人の死者が三百人に今近づきつつあるということでありまして、この打開に向けての動きが大変重要なんですが、一番大きな影響力を及ぼせる立場にあるアメリカが、残念ながら積極的なイニシアチブをまだ取っていない状況が続いております。
 この過程でパレスチナ人の絶望感というのが非常に深まっているわけですが、この中では、例えば日本はいわゆる主要先進国の中でパレスチナ側に対して積極的な援助をしてきたわけです。ところが、その日本側の援助したものが場合によっては、作られた例えば警察の宿舎とかその他が現在破壊されている可能性があるわけですね、攻撃その他で。ですから、せっかく国民の税金で作られた、援助、作られたものが一体どういう状況になっているかということについては、日本としてもこれは質問する、あるいは問う権利が恐らくあるだろうと思います。そういう形のかかわり方ということで日本の和平への姿勢というのを示すことができるのではないかと思います。
 それから二番目に、先日、ブッシュ大統領が悪の枢軸ということを言われて、その中にイラン、イラク、北朝鮮、そこでイランが入ったわけですが、イランが入ったということにつきましてはイランも含めてかなり違和感を持って、あるいは予想外という印象を持った向きが強かったのではないかと思っています。
 それで、我々の研究者の立場というか、言いますと、中東世界の中でイランというのは最も予想がしにくい国の一つであります。どういう意味で予想がしにくいかといいますと、選挙ですね。選挙が行われるときに、一体だれが勝つかと。例えば、大統領選でだれが勝つかというようなことを予想ができない。つまり、前々回ハタミ大統領が当選しましたけれども、その後も当選しましたが、そのときに、恐らく世界のイラン研究者の中でハタミ大統領が勝つというふうに予測したという人は、恐らく一%かあるいはそれよりも少なかったのではないかと思います。ほとんどの人がヌーテックアリーという保守派が勝つというふうにほぼ当然のごとく議論を進めておりました。
 これは、イラン社会というのが一種のイスラム世界あるいは中東世界の中で、珍しくと言うと言葉はいい言葉ではないんですが、いわゆる市民社会が成立しつつある、そういう世界ではないかと思います。選挙になると、インターネットその他で、あるいはメールその他でそれぞれ訴えて、オーガナイズしていく。そして選挙戦をやっているようなんですが、これは、ほかの中東世界の多くのところは大体選挙前にだれが勝つかというのは大体何となく予想が付くことが多い、あるいは圧倒的に予想が付いてしまうというところが違うわけですね。
 イラン社会というのは、もちろん政府が全部コントロールしているかどうかという問題があるわけですが、しかし動きとしてはいわゆる民主化が進んでいる、あるいは民主化の動きが非常に強いと、強まっているという国でありまして、それをやはり悪の枢軸のという形をというのは非常に一方的ではないかという感じがいたします。
 それから、今回のアフガンの軍事行動に対して、イランは基本的には支持をしたことは御存じのとおりです。
 それから、三番目のアフガニスタンの統一と安定の回復ということですが、これは遠藤参考人が後から詳しくお話ししていただけると思いますので、私はその後もしコメントがあればさせていただきたいと思います。
 それから、イラクの問題につきましても、これは十年前の議論が十分詰められない形でイラク攻撃の可能性が語られているわけですけれども、イラクという国が置かれている民族的な構成というか、クルド問題あり、それから宗派的なシーア派の問題があり、こういうところで軍事力による政権の交代というか転覆というか、いうようなことが一体どういうようなことを引き起こしていくか、特に隣接国を含めて。これについての見通しもない状況の中では非常に危険な白黒論では解決できない問題があるのではないかと思います。
 時間が大変限られてきましたので急ぎます。
 あと、中東それから中央アジア等も含めまして、やはりこれから大きな紛争事項になり得る問題として、やはり水の問題というのが私は特に強調しておきたいと思います。
 例えば、中央アジアでウズベキスタンとカザフスタンの間にアム・ダリヤ、シル・ダリヤという中央アジアの二つの大きな川が例えば流れているんですけれども、この水の水量の問題をめぐって、あるいは汚染の問題をめぐって非常に厳しい対立が実は続いております。それで、ウズベキスタンのある戦略問題の研究者と話しておりますと、ある日突然水の問題をめぐってカザフスタンとウズベキスタンが戦争状態に入ったというようなニュースが伝わってきても、私は一向に驚きませんということを私に語ったことがあります。これについて、水の問題というのは大変重要だということです。
 あと、地球温暖化の問題、京都議定書を出発点とする地球温暖化の対策ということですが、モルディブという南アジアの島があるのを御存じだと思いますが、あそこはイスラムなんですね。イスラム国なんですが、あそこの三千ぐらい、あるいはもう少し少ないと思いますが島があるわけですけれども、これは多くの島がちょうど海面、わずか一メートルから二メートルぐらいのところが多いんですね。これはまさに地球温暖化によって多くの島が沈んでいく、人間が住めなくなっていく、そういう可能性を持っているところです。
 ですから、現在、地球大の問題になっているわけで、いわゆる一時的な視点だけで環境問題を、地球温暖化対策をサボっていると、これは地球の別のところで一つの小さな島の国がなくなっていく、あるいは環境難民と言うんでしょうか、そういう問題が起きてくるという状況ですので、その問題もあえて申し上げておきたいと思います。
 六番目に、この開発協力援助というのは、これは日本の税収の問題もありますし、いずれにしてもこれからは量から質の時代ということを重点に置かなくちゃいけないと思います。
 ここに列挙させていただきましたけれども、技術協力、人づくりというある意味では地道な分野での協力を更に進めるということは重要ですし、それからインフラの整備も今後はその効果とか効率性とか、あるいは環境との共存とか住民意思の尊重というようなことを重点に置いて、量的にどんどん増やせばいいという、そういうことではなくて、もっと事前の調査を含めた、効果を考えたそういう方向に行くべきだろうと思います。あと、自立性を促す援助、あるいはNGOの役割。NGOの役割は、最近議論になっておりますけれども、これは国ではできない分野が数多くありますので、大変重要だと思います。
 それから五番目に、地域研究の重要性というので、たまたま研究者という立場からあえて書かせていただいたんですけれども、私は中東あるいは中央アジアに行きましてよくやっているなと思うのは、例えばフランスですね。フランスは、例えばウズベキスタンのタシケントに中央アジア研究所というのを独立直後に作りました。これは、フランスから研究者が五、六人常駐しておりまして、それで、その駐在の期間というのは二年とか三年という生易しいものではありませんで、いったん行きますと七年とか八年、あるいは十年ぐらいもうそこに張り付くということで研究をやっております。一月の末にちょっと私、ウズベキスタンへ行ったんですが、そのスタッフは、もちろんフランス人ですからフランス語はできるんですが、もちろん英語も、それからロシア語も、それからウズベク語も、全く流暢に四か国語を駆使しながらやっているのに大変びっくりいたしました。
 それで、このようなフランスの、例えばいわゆる中央研究所というのは、私の知る限り、例えばエジプトのカイロにもあります。それから、シリアのダマスカスにもあります。それから、バングラデシュのダッカにもあります。インドのデリーにもあります。ここでは、必ずしも現在起きていることをやるというよりも、かなり古い歴史のことも非常に地道に資料を集めてやっています。こういう粘り強い調査の力というのは長期的には大変意味のあることだと思いますが、日本の場合は、なかなか長期に研究者を向こうに派遣してその現地の事情を研究させるということが必ずしもうまくメカナイズしておりません。
 私は元はアジア経済研究所にいたんですけれども、アジア経済研究所は比較的恵まれているわけですが、大学へ参りまして、大学ではなかなか地域研究者というのは育ちにくい状況かなと実は思っています。これは、やはり二年とか三年単位で現地へ派遣するということができないと地域研究者は育たない。今後はそういう地域研究者というのが本当の意味で宝になるというふうに私は考えております。
 時間をちょっとオーバーしてしまいましたので、ここで私の報告は終えさせていただきまして、あとはまた御質問等にお答えする形でお話しさせていただきたいと思います。
#4
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、遠藤参考人から御意見をお述べいただきます。遠藤参考人。
#5
○参考人(遠藤義雄君) ただいま御紹介いただきました遠藤でございます。
 既に前半で清水参考人が広い立場というか、広い視覚からイスラム社会とその開発という問題に言及されましたので、私の場合はあえてぐっと地域を絞り込んで、アフガニスタンという地域に絞り込んだ形で話をしてみたいと思います。
 まず最初に、このアフガニスタン問題というのは、九・一一事件以降、今年の一月二十一日の東京の支援会議まで新聞、テレビ等で大変に注目され報道もされましたので、いろいろな印象やら御感想を先生方はお持ちでないかと思いますが、ここであえて私は強調したいことは、アフガニスタンというのは、タリバンという勢力が出てくるのが必然であったということでは全くない、全く逆行して、やっと本来のアフガニスタンが百年掛けて目指してきた社会作りにもう一遍復帰したと、この時点にあるんだということを理解していただけるような形で話を進めてみたいと思っております。
 アフガニスタンというのは御存じのとおりイスラム社会であります。人口のほぼ、一〇〇%とは言えませんが、九七、八%がイスラム教徒であります。人口は現在、推定でありますけれども二千二百万人くらい、国土は日本の一・八倍の広さであります。
 この地域には、イスラムには二つの大きな派閥といいますか、宗派がございます。イスラム世界で一般的なのがスンニー派と言われるものでありますが、このスンニー派がアフガニスタンにおけるところの多数派であります。少数派、といっても約国民の二〇%がイランの国教となっておりますシーア派に属しております。
 シーア派に属しているのは少しユニークなところがございますので、多少説明をしてみたいと思いますが、アフガニスタンでモンゴル系の民族が住んでおります。それがハザラと言われる人々でありますが、この人たちのほとんどがこのシーア派に属します。もう一つ、キズルバッシという少数民族がございます。しかし、このキズルバッシというのはアフガニスタンのブレーンなんです。歴代のアフガニスタンの王朝は、このキズルバッシというごく少数の民族から政府の役人をほとんど調達している。これはイスラム世界に共通したところです。バグダッドのイスラム世界もトルコ人だけを大切にするという政策がある。アフガニスタンやイランではこのキズルバッシというモンゴル系の人であります。ハザラ人と非常に区別が付きにくい、付けにくいくらいに似たような表情をしている人です。しかし、ごく少数です。しかし、この人たちが実はそのアフガニスタンの王朝においてそのセクレタリーの部分を占めてきたという人です。この人たちもシーア派であります。
 あと、ごく一部のタジクの人たちがシーア派に属しています。しかし、この三つの民族を合わせますと人口の約二〇%くらいになる。ハザラそのものが二五%もいると言われておりますが、二〇%と計算しましても、ハザラの人が全部がシーア派じゃございませんので、アフガニスタンの人口の二〇%がこのシーア派に属する人たちであります。
 もう一つ、イスラム世界にはイスマイール派というセクトがございます。このセクトの管長はパリに豪邸を構えておりますアガ・ハーンという人です。アガ・ハーンという人は、そのイスラム世界で病院を建てたり学校を建てたりということですね、アフリカやアジアの恵まれない地域に、そういう恵まれない地域を目指して福祉事業をしている、そのセクトがございます。このセクトに属する人たちも、ごくわずかではありますが存在しております。これはバダフシャン地方、要するにパミール高原という高地に住んでいる人たちです。このイスマイール派というのは隣の国のタジキスタンにも大勢おります。
 このような三つの宗派があります。この宗派間の対立というのはそんなに深刻ではありません。この二十数年間の内戦で宗派の対立が激化したと、こう言われるようにはなりました。しかし、この宗派の対立はそんなに深刻ではありません。むしろ、タリバンという勢力が出てきて以降の方がこの宗派間の違いというものが対立の道具に使われるようになって、多少深刻になりました。宗派間の対立が最もひどいのはインドとか、それ以上にひどいのはパキスタンであります。アフガニスタンは宗派間の対立が比較的少ない国であります。それくらいにアフガニスタンというのは穏やかなイスラム教徒の住んでいる国であるということであります。
 二番目の、イスラム政策とイスラム運動という二つの軸でこの百年をざっと見てみたいと思います。
 アフガニスタンというのは一七四七年に王朝ができまして、それ以降、今日までアフガニスタンという国が存在しているわけです。アラブの世界がほとんど植民地になってしまった十九世紀の後半に、アフガニスタンは独立を維持して今日まで来ております。むしろこの独立が、完全な独立ではないわけですが、独立を維持してきたということ。ですから、アラブの世界、イスラムの世界でも植民地の経験が非常に薄い国であります。
 その植民地主義の影が薄いアフガニスタンの十九世紀の後半にアブドゥル・ラフマンという国王が出ます。鉄の王とも言われた王ですが、この王が、アフガニスタンはまだそのときは部族主義の強い国です。そこから近代的な国家づくりを彼が開始します。このアブドゥル・ラフマン国王がやったことは、宗教よりもイスラムの勢力よりも国王の力が上であるという立場を築くことに力を注ぎます。
 普通は、イスラム世界ではウラマーというイスラム法とか何かを操る、そういった知識人たちが大変な力を持っているんです。しかし、アフガニスタンは部族社会から近代国家になるこの転換期の時期にウラマーを国王、王権の下に置くという政策を断行します。ですから、イスラム法から見ると、あなた、国王がやっているその政策がいいとか悪いとかと一切干渉させない。あるいはウラマーの意見を聞きます。しかし、最終的判断はラフマン国王そのものが下すと。
 十九世紀の後半において、イスラム世界はほとんど植民地化されていて発言力を持っていない時代に、このアフガンの国王、ラフマン国王はこの問題をします。つまり、世俗主義政治を導入することをイスラム社会で早い時期に着手したということでございます。そして、ウラマー、要するにイスラムのいろんな勢力を監視する制度を作っていきます。イスラムのウラマーたちや、あるいはモスクと言われているところにはいろんな特権が許されているわけですが、この特権を監視する、あるいはある一部を剥奪してしまいます、例えばモスクの土地とか何かを。モスクに属するものなんです、しかしそれを管理します。つまり、王権がそれを剥奪したりあるいはそれを管理するということによって王権の管理下に入れてしまうということをいたします。
 この一方で、ほとんどがイスラム教徒の世界でこれをやるわけですから相当の反発が出るに違いありません。実際にそういう反発が強くあったわけですね。そこでこの国王は、アフガンのウラマーとか宗教界の人たちは十分な勉強をしておらぬという考えから、インドの先進地域の学校、あるいは中央アジアの今のウズベキスタンのブハラにあるナクシバンディとかというそういう本山に、イスラム教徒の人たちにもっと勉強しなさいということで、そういうところに留学させます。
 こういうことからデオバンド、今のインドのデオバンドという地域、デリーから車で三十分くらい北に行ったところにある大学がございます、民間の大学ですね。ここに学ばすためにアフガン人を送り込みます。このデオバンドというのはタリバンのふるさとであります。学派的に見ますとここなんですね。こういう政策をします。それで宗教を管理化するけれども、しかし宗教についてもっと勉強しなさいと。そうすることになると私の政策が分かるというふうな政策をして絶対君主制の体制を築いていきます。
 次に、彼の、このラフマンの孫王アマヌラーという国王が出現します。この国王は日本とも大変に関係を持った国王であります。一九一九年から二九年、約十年間アフガニスタンを支配するわけですが、この国王は祖父のやった政策に甘んじることができずに絶対君主から立憲君主制に変える、非常に、開明君主とも言われたように進歩的な政策を打ち出してきます。それで、かつての祖父の時代はイスラムの学校にイスラム教徒を送ってイスラムを勉強させるという程度でしたが、今度は、この孫の国王は近代的な学校を作ります。フランス語の、ドイツ語の、英語の学校という専門、高等学校を作ります。官立の学校を作って若者をどんどんどんどんこの官立の学校に入れます。
 その一方で、祖父はデオバンドとかナクシバンディという伝統的なイスラムの学校にアフガン人を送りましたが、この孫王は、インドにイギリスが作ったアリガル・イスラム大学というのがあります。近代的なイスラム大学であります。そこに若者を送ります。自分自身もこの大学を視察に行っております。そして、つまり近代主義というものを取り入れることにこの孫王は努めたわけであります。
 この孫王の進歩的な政策が、まだ部族主義の意識の強く残っているアフガン人ですから反発が出まして、彼は追放されます。ドイツに亡命し、戦後に亡くなります、この国王は。しかし、彼がやった近代化政策、それは宗教面においても、また政治、制度の面においてもですが、多くのアフガン人から誤解されます。つまり、宗教改革、女の人にベールを外してもよろしいとかいうふうなことをやったことが反発が来たんだというふうにずっと説明されてきていました。実はそうではなかったんですね。
 アフガニスタンというのは、経済的に自立できない、略奪王朝としてスタートしたアフガニスタンは、イギリスとロシアの帝国に押されて領土が小さくなって今日のアフガニスタンになる。そういうことから、略奪することによって国民経済を、国庫を潤してきた。略奪が二十世紀になってできなくなった。しかも、英ロという両帝国に領土を取られて小さいアフガニスタンにされてしまった。このことで、実は自分の国を強くしよう、あるいは近代化しようとしても、その資金源を税金からしか取れない。そのために、アマヌラーというこの近代主義者、開明君主は税金を取り立てることになった。そうしたら、そっちこっちから反発が出てきて彼は追放されることになりました。
 それをイスラムの復古的な考える方は声を大きくして国王を追放したんだというふうにずっと今日まで説明されてきました。しかし、そうじゃなかったんです。国民経済が築かれないアフガニスタンの中で大胆な近代化主義をやった、その資金源は税金だったということから反発を受けた。ですから、イスラムの改革を唱えたから反発が来たと普通の人は考えたものですから、次の王朝は、今のローマにおられるザーヘル国王のお父さんの時代に入ります。
 イスラムを更に復古的なイスラム主義、穏健なイスラム主義中心に変わっていきます。ですから、インドの近代的なイスラム大学に送るよりも、デオバンドとかナクシバンディという伝統的な学校にアフガン人を送って、イスラムを勉強させるという政策に変わっていきます。
 そして戦後です。戦後は、イスラムに対して今の元国王であるザーヘル・シャーの時代も戦後続くわけですが、この過程で行われたことは何かというと、戦後のイスラム運動は、要するにアマヌラー国王の反動として行われたイスラム政策に対して飽き足らない人たちが増えていきます。そこで、イスラムの改革を唱える人、あるいは今日の言葉で言うとイスラム主義者。イスラム主義者というのを簡単に定義すると、現在あるイスラムの制度とかあるいは尊重されている慣行というものは本来のイスラムとは違うものだ、だから、それを本来のものに変える、あるいは本来のものに近づけようという考えを持つ人をイスラム主義者と言っていいと思います。イスラム教徒とイスラム主義の違いはそこにあるかと思います。このイスラム主義を唱える人が出てきたということですね。
 こういうイスラム主義者に対して、実はザーヘル・シャーのいとこであるダウドという皇太子がおりましたが、この人たちはアマヌラー国王の後継者、近代主義ということを標榜してきたけれども、イスラム主義者を非常に煙たがって弾圧します。この弾圧にアフガニスタンの共産党が協力します。
 こういうことで、戦後のアフガニスタンのイスラムというのは、片方でイスラムに目覚めて、あるいはイスラムというものを本当のイスラムの姿に戻そうという動きに対して、共産主義というアフガニスタンの近代化を早くしようというマルキストの闘いになってくる。これでソ連軍が来て、この闘いにある程度の決着が付けられたような形になりました。しかし、このイスラム主義者たちは、アフガンのゲリラとして、アメリカとかサウジアラビアとかパキスタンの援助を受けて、十年間ソ連軍と戦って、ソ連軍を追い返すというふうなことになって、イスラム政府を作るわけですね。しかし、このイスラム政府というのは、いろんな内部の紛争に巻き込まれた、あるいはその周辺国の干渉を受けて四年でつぶれて、そしてタリバーンという勢力が出てきます。
 タリバーンというのは、アフガニスタンのこれまでのイスラムの系譜から見ますと、デオバンド学派という学派に所属します。しかし、インドでは、デオバンド学派とアリガル・イスラム大学、一八七七年に作られた大学で、二つの流れがある。デオバンドの特徴というのは、イスラムの中から、植民地などされない、あるいはそれをされてもイスラムをもう一遍取り戻すことができるんだという考えを持った人たちです。一方のアリガル・イスラム大学というのは、建物はイスラム的な建物、内部は全く近代的な教育をするんです。英語で徹底的にイギリス式をやる。こういう二つの対立があります。この対立というのはアフガニスタンでも演じてこられているわけですが、タリバンはどっちにも属しないような性格を持った勢力だということが言えるのではないかと思います。
 どっちにも属さないとはどういうことかということなんですが、彼たちは長いイスラムの復興運動をしたり、あるいは反ソ連軍闘争したとか、あるいは近代主義という、イスラム主義者に対抗してきたということをしてきていない。ぽっくりと現れてきて、そして二年間の戦いの中で首都を取ってしまうということが行われているんですね。彼たちはイスラム主義とは何かとかということを余り唱えてきていない。そして、首都を取る。それは全く外国、特にパキスタンから支援されたグループであると。そういう外圧的な成果から彼たちが政権を取るというふうなことになったわけです。
 ですから、デオバンド、私もこのデオバンドの実際の本部に行って学生たちに聞いてみました。タリバンがやっているの、あなたたちどう思うと言うと、良く理解できないと言うんですね。デオバンドの考え方は、イスラムの考えの中にいろんな外国勢力にも対抗していけるアイデアとか解決策がある、それを掘り起こすことというのがデオバンドの考えです。タリバンはそのことをほとんど口にしなかった。しかし、女には働きに出るな、女の子供には学校に行くな、男はひげを伸ばせというイスラムのスタイルを強調した。ですから、非常にアフガニスタンの百年のイスラムの歴史の中で見ても際立った特徴を持っている。そして余り生産的なことを言わなかったという勢力であります。
 さて、この勢力も、皆さん御承知のとおり、昨年の暮れに、十二月の初期に崩壊しました。そして、そのアフガニスタンは久しぶりに、二十数年ぶりにして近代主義者たち、マルキシズムでない近代主義者たちが政権の座に座ることになるわけです。
 この三番目でございますが、そういう意味で私はアフガニスタンの再出発とそしてまた復興プログラムという項目を立てたわけでありますが、このことについて触れてみたいと思います。
 アフガニスタンの今の政権は暫定政権であります。が、この軸に座っている人たちはローマ・グループと北部同盟の二つと言っていいと思います。
 ローマ・グループは王党派と言ってもいいと思いますが、ローマに亡命生活を送ってこられて、近々アフガニスタンに戻るということを主張しておられますザーヘル・シャーであります。このグループにはドイツに亡命していたりしている人が多く接近をしておりまして、元大学教授であったりあるいは官僚を務めた人たちがこのローマ・グループ、王党派におります。その人たちは、かつてはアメリカやヨーロッパや、あるいは何人かは日本にといったように、留学したインテリであると同時にインテレクチュアル、インテリゲンチアです。しかも、近代主義者であります。こういう人たちがこのローマ・グループにおります。
 一方、この北部同盟に関してはいろいろな報道をされました。しかし権力の、今の暫定政権の権力の中にいる北部同盟というのは実は、既にイスラム運動の中で触れたことがありますが、イスラム近代主義者たちです。外務大臣のアブドラー・アブドラー、内務大臣のユヌス・カヌニー、あるいは国防大臣を務めているファヒムという、こういった顔ぶれがこの北部同盟の顔ぶれでありますが、この人たちに共通していることはカブール大学の卒業生であります。そして、どちらかというと工学系の人たちが多い。そして、かつて学生運動をして彼たちは指導者になってくるわけですが、その中で主張したことは何かというと、イスラムの近代主義、要するに預言者ムハマッドの時代に戻れということは言わない。コンピューターや科学、そういった技術をどんどん導入してアフガニスタンを近代的な社会、近代的な国家にするんだと主張してきた人たちであります。
 北部同盟にはもう一つの、ウズベクのドスタム勢力などというのがあります。しかし、この人たちにはこういう背景はない。だが、この北部同盟で今、権力の中枢にいる人たちはそういう経歴を踏んできた人であります。ですから、私は、このローマ・グループと北部同盟の人を合わせても、共通していることは近代主義者たちだ。近代主義者たちが復権を図ったということであります。
 さて、この近代主義者が復権を図ったのは、彼たちの独自の力で復権を図ったわけではありません。アメリカの支援が物を言ったわけですね。その象徴的なのが、ドイツのボンで昨年の十一月から十二月にかけて政権協議が行われたわけですが、このボンで交わした合意事項に注目してみる必要があると思います。
 このボン合意の内容を簡単にお話ししますと、要するに、二年半の期間を掛けてアフガニスタンを新しい憲法の下で選挙を行ってそして本格的な国民に選ばれた政府を作るというのがこのボン合意の真髄であります。
 急に、二十数年間内戦に明け暮れてきたアフガニスタンですから、すぐに選挙をするなどということは非現実であります。また、アフガンの人たちは、一九六〇年代に二回選挙した経験を持っているけれども、それ以降、選挙したという経験を持ってきておりません。そういうことで、二年半の期間を掛けて選挙を行って本格的な国民的な政府を作るということがこのボン合意の目標であるわけですが、この二年半の中で何が行われると。ロヤ・ジルガといって、代表者による二回の会議が開かれて、この二年半の民主化へ、あるいは本格的政権発足への、何というんですか、通過儀礼を行います。これが重要であります。
 アフガニスタンはジルガの国家、ジルガの社会と言われるように、代表者によっていろんな重要なことを決めて、そしてそれがそのジルガで通れば、日本で言ったなら国会を通過したと同じような意味を持つわけであります。これが二回開かれます。
 今年の七月に開かれます、第一回目。ここでは、今は臨時の内閣でありますから、本格的な暫定政権、移行政権と彼たちは言っておりますが、この移行政権を作ると。で、このロヤ・ジルガで移行政権のメンバーが承認されますと、このメンバーたちは新憲法作りの草案と、そして選挙をするための準備をします。準備が終わった時点で、来年の後半ころになるんでしょうか、そのころにもう一度ロヤ・ジルガという代表者会議が開かれます。この代表者会議が新憲法と選挙のやり方を承認しますと、半年以内に選挙が行われる。そして、来年か再来年には新政府が誕生するという、こういったプログラムが立てられているわけです。
 しかし、問題は、この二年半、この暫定政権がもつのかもたないのかということであります。国際社会はこの暫定政府と暫定政府の二年半のプログラムを承認しているわけですね。アフガンの多くの人たちも承認しております。問題は、二年半もち続けることができるかできないかという問題があります。二年半この暫定政権がもって、本格的な政権ができるまでの間をどう、何ですか、そのプロセスを動かしていくかという問題がありますが、そこで大事なことは、やっぱり早く、暫定政権とはいえど中央政府の姿を作り出すという必要があります。ここでは中央権力の確立と、こう私はレジュメには書いておりますが、それをする必要があります。
 むしろ、ボン合意の重要なところは、国際社会が二年半世話をするという約束をしているわけです。援助を、切れ目のない援助が行われる必要があります。暫定政権は公務員に給料を払うお金もない、国庫ゼロから始まります。ですから、公務員に、半年間、公務員は給料をもらっていなかった。その人たちに働く意欲をもたらすために、取りあえず十八億ドルの金が必要になる。その十八億ドルの金、まだ実はできていない。こういうことになりますと、この暫定政府というのは二年半の期間ですから、もたないかもしれません。今年要するにつぶれちゃうかもしれません。ですから、切れ目のない国際援助、世話が必要だということですね。
 もう一つは、アフガニスタンの周辺国で一番重要なのがパキスタンであります。そして、イランです。この二か国が、少なくともアフガニスタンの二年半の猶予を与えられた中で、アフガニスタンの人たちが本格的な政府を作ることができる方向に協力するかしないかということにも懸かってくると。この三つの要素が相まって暫定政権は二年半の任期を全うし、そして選挙で選ばれた新政権を作るということになるわけでありますが。
 もう既に去年の十二月の二十二日から暫定政権は発足して動いているわけです。最近になればなるほど非常に憂鬱なニュースが一杯続いてくる。要するに、かつての軍閥がいろんな地方で、何ですか基盤作りをしているとか、あるいはNGOも、あるいは国際の人道援助団体も活動しにくいような治安の乱れが生じているとか。ごく最近では、暫定政権の観光大臣がサウジアラビアに、ハッジに行こうとした飛行機に乗るその時点で殺されてしまうと。これは、派閥対立というか、対立が演じられて殺されるというふうなことが起こっております。
 恐らく、一つには、そのまだ暫定政府の人たちが警察力を、あるいは軍事力を全然持っていない。それをイギリスの国際治安部隊という、三千人しかまだ入っていない、五千人規模のものがまだ三千人しか入っていないということなんですが、このように治安が悪い。そして、暫定政府が二年間の中で優先しているのは国軍の創設なんです。全国ににらみを利かせる軍隊をもう一遍作るということです。これには、アメリカとかイギリスが協力することなんですが、それを課題としているが、この機能も全くゼロで、外国の治安部隊に依存しなくちゃならないという状態にあるわけですね。
 ですから、どんな、復興プログラムとか、あるいは向こう十年にわたって百八十億ドルですか、という膨大な国際社会からの援助があるように言われているんですけれども、その膨大な復興資金だって全く使われずに済んで終わってしまうかもしれないんです。国内の治安が悪かったら外国の援助をする人、スタッフが行って活動できませんし、援助の物資を必要な村や町に届けることができません。ですから、治安を確保することが最大の課題になっております。
 ところが、それがうまくいっていない。要するに、国際社会の援助、東京で約束されたお金が十分に今のところ流れていないという問題があります。アフガンの人たちは、どこに金があるのかということが重要なんです。金があるところに人は顔を向けるんです。アフガン人に限りませんでしょう。しかし、アフガン人は二十数年間で何もない。ですから、権力にすがるか、お金にすがるかなんです。
 二年半の時間しかもらっていない暫定政府は、外国の金で公務員に金を払って、小麦をもらって、医療費をアフガニスタンにまくことによって中央権力をもう一遍復活させようとしているわけです。アイデアはそうなっているけれども、それに附属する、それを実現させる実弾が、お金が伴わないといけないわけです。お金ばかりじゃなくて、要するに、そっちこっちに軍閥がいるわけですね。それがロシアのひもが付いていたり、イランのひもが付いていたり、パキスタンのひもが付いて、アメリカのひもが付いているわけです。それを束ねていくためには軍事力が必要なわけです。国軍を創設する必要がある。しかし、そのお金すらないということでありまして、復興プログラムも、もしかすると空プログラムになりかねない危険性を持っているということであります。
 ですから、支援の、アフガンの復興のためには、いわゆるツーリトル・ツーレートはいけない。レッドテープもいけない。どんどんどんどんやれることを速やかにやっていく必要があると。そういうことによって、分裂しているアフガニスタンをさらに分裂させないため、中央に、カブールに人が目を向けるように仕向けていく。これは、アフガン人の責任であると同時に、ボン合意を交わさせた国際社会の責任でもあると、僕はそう思っております。
 ここで重要なことは、ですから、早く政府を運転させる資金を注入する必要があります。そして、国際治安部隊を広げる必要があります。まだ三千人しか入れていない。これからトルコとかいろんな国が派遣をします。イギリスも五千を約束していて、三千しか出していない。フランス、ドイツがこれから続きます。こういった国際部隊が、首都のカブールだけじゃなくて、主要なマザリシャリフとかジャララバードとかヘラートとかカンダハルという、少なくとも五つの都市の治安を確保するのに展開される必要が出てくるかもしれません。アフガン人にやれと言ってもそれはできないんです。アフガン人はまだ軍閥に分かれたりいろんな部族に割れたりして、セクト争い、セクト感情が強くて、国軍を創設するというところまで意識が達していないわけです。その間、国際社会がカバーしてやらなくちゃならないと、こう私は見ております。
 もっと大事なことは何か。アメリカのコミットメントが継続するということをきちっとアメリカが示す必要があるということであります。ボン合意の保証なんというのはアメリカであります。そして、アメリカは今のところアルカイダのリーダーとかタリバンのリーダーを捕まえるという作戦に終始しているわけですが、いずれ、近いうちに治安のためにもアメリカ軍は協力するというふうなことにならないといけないのではないかと思います。恐らく、二、三日前、ブッシュ政権はそういうふうにしていくかもしれないという意向を示してきております。
 以上、私からの話を終わらせていただきたいと思います。
#6
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 本日も、あらかじめ質疑者を定めず、質疑応答を行いたいと思います。
 質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。
 できるだけ多くの委員が質疑を行うことができるよう、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いをいたします。
 また、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
#7
○世耕弘成君 自由民主党の世耕弘成でございます。
 まず、清水参考人に一つお伺いをしたいと思います。
 テロの原因の究明が不十分であるという御発言がございました。私も全く同感でございます。
 私なりにそのテロの原因というのを少ない情報の中でいろいろ考えていくと、やはり二つにまとまってくるのかなと思っています。一つは、やはり貧困あるいはそれに伴う絶望というのが一つの原因だろうと思っています。そして、もう一つが、清水参考人からも御指摘のあった、民族・文化的なアイデンティティーというものが非常に高まってきている。この二つが大きなテロの原因ではないかなというふうに思っておりますけれども。
 このまず第一番の原因である貧困を解決するためには、今日のテーマである、当然、開発協力といったものが必要不可欠になってくるわけですけれども、この開発協力というものの背後にはやはり必ずアメリカ流のグローバル経済というものが存在をするわけでございまして、この開発協力をしていくことによって逆にもう一つのテロの原因である民族的、文化的なアイデンティティーといったところを刺激してしまうことにはならないかと。この貧困の解決と民族・文化的アイデンティティーへの対応というのが果たして開発協力という中で両立していけるのかどうかということをまず第一にお伺いをしたいと思います。
 そして、まとめてお伺いしますが、もう一つ清水参考人にお伺いをしたいのは、地域研究者、これを充実させる必要があるということをおっしゃいました。全くこれも私も同じ気持ちでございます。何か外務省の中には、ある国に精通した専門分析官なんかがいるようでありますけれども、まだまだ日本は人数は足りないと思っております。これを具体的にどういう形で養成をしていったらいいんだろうか。大学の場面でやっていくのか、あるいは民間主導でやっていくのか、あるいは政府の情報収集という文脈の中でやっていくのか、あるいはNGOを使っていくのか。その辺を、例えば欧米ではどういうふうにしているのか。アメリカでも今回アフガンの事態が起こるまではアフガンの専門家というのは全然いなかったという話も聞いておりますので、その辺なんかも踏まえながらお伺いをできればと思っております。
 そして、遠藤参考人にお伺いしたいことは、今、治安を維持して国軍を創設していく必要をうたわれました。その過程を伺っておりますと、私、日本の明治維新のころを今ちょっとほうふつとしたところがございます。あのときは、やはり明治維新はかなりシステマチックに国軍の創設というところへ進んでいったと思います。やはり廃藩置県という形で、アフガンで言えば軍閥に当たる藩の力を完全に抑えて、そしてまた廃刀令というのを出して武士というものを抑えて、武力を持っているのは政府軍という形に集めていって、そしてまたその政府軍を運営していく資金的バックアップとして地租というものを定めて、税を集める仕組みを作っていった。これが恐らく明治政府が最初、国軍を整備していくに当たって行ったことだろうと思っているんですけれども。
 今、このアフガンで実際に国軍をどういう手順でやっていくのがいいのか。今、資金が全然ないから、まずは外国に頼らなきゃいけないということもおっしゃいました。あるいは軍閥との関係も、恐らくこれ明治維新のときの藩と明治政府の関係というようにはなかなかうまくいかない、困難がかなりあるのではないかと思いますが、具体的にどういう手順でやっていかれるのかということをお伺いをしたいと思います。
 そして最後に、遠藤参考人にお伺いをしたいのは、米国のコミットメントの継続が非常に重要であるという御指摘でございました。しかし、一方で、アメリカというのは、今イスラム社会において、特にパレスチナ問題を中心としまして、先ほどの民族・文化的アイデンティティーもかかわってまいりますが、ある意味、非常に反発を受けているところでもあります。このアメリカのコミットメントが強くなり過ぎることによってアフガンが、今は近代主義者が主導権を握っているということでございますが、これがまた再び近代主義者ではない人たちの手に動いていくきっかけになってしまう懸念があるのではないかと思いますが、その辺についてどうお考えか、お伺いしたいと思います。
 以上、四点、お二人、二つずつお伺いしたいと思います。
#8
○参考人(清水学君) ありがとうございます。
 テロの原因の一つとして貧困の問題があるという、これはおっしゃるとおりだと思います。
 それで、開発協力というレベルで、いわゆるグローバライゼーションとそれからそれぞれの地域での民族的なアイデンティティーとの衝突という問題、これは現に起きている問題だと思います。
 グローバライゼーションといってもいろんな事件があるわけでして、例えばイスラム世界で、実は、例えば情報の交換とかそういう点では逆にインターネットその他を使って彼ら自身が一種のグローバライゼーションを利用しているわけですね。それで、アラブ世界で、アラブ世界というのはいわゆるアラビア語を使う世界というふうに考えていいんですが、アラビア語を使う世界の間でも、アラブ人の間でも、実は英語でもって相互に意見交換をやる、つまりインターネットを使ってやるというような局面も出ておりまして、彼ら自身もある意味では非常にインターナショナライゼーションというか、グローバライゼーションが多分進んでいます。
 しかし、問題は、そのグローバライゼーションの問題とそれぞれの国内における貧富の差の拡大という問題が一体化するとこれが非常に大きな問題になると思うんですね。
 それで、現に、例えばエジプトなんかでは、やはりグローバライゼーションが進むということとそれから国内における貧富の差が拡大するという問題を、かなりそれを一体化して見るような動きは広まってきているんですね。
 それで、これはちょっと一年半ほど前ですが、エジプトに伺ったときに、これはIMFとか世銀の関係で仕事をしている有名なエコノミストの女性がいるんですが、彼女はIMFの立場それから世銀の立場に基本的に賛成の立場なんですね。その彼女が私に語ったことによると、私、今非常に心配なのは、エジプトにおいて中産階級が大幅に没落しつつあるんじゃないかと。それで、私はそのことを大統領夫人にも、つまりムバラク大統領夫人にも申し上げたんですが、ムバラク大統領夫人もそんなになっているんですかということで大変驚いていましたということで、グローバライゼーションの問題と国内の貧富の差の問題というのをリンクさせないようなシステムというのはどういうことなのかということを考える必要があると思うんですね。
 そういう場合に、例えば一九九七年の東アジアでの、東南アジアでの通貨危機のときに、マレーシアのマハティール首相がかなりドラスチックないわゆる通貨管理をやりましたけれども、ああいう対応というかそういうのもこれは一種のディフェンシブ、自衛の問題としてやっぱり認めていくような、そういうものを国際金融システムの中にビルトインしていくというようなことも必要ではないかというふうに考えております。
 それから、やはりこの貧富の差の拡大という問題とつながりますと、例えばいわゆるイスラム教徒とキリスト教徒の、コプト・キリスト教徒ですけれども、その対立の要因というか口実の一つに、コプト教徒の一部はクリスチャンだから外国語がうまくて、それからヨーロッパ社会と、あるいは外国とつながりがある、彼らは外資系の企業に雇われるチャンスが多い、それで外資系の賃金は高いと。ということでそれをイスラムの過激派の人たちは利用して、クリスチャンの連中はグローバライゼーションでうまくやっているという形の攻撃の理由にするというような問題があるということを指摘させていただきたいと思います。
 それから二番目の、地域研究を深めるという問題で、先ほど御紹介いたしましたフランスのケースは、これは外務省の、フランス外務省の管轄です。ですから、事実上、大使館が管轄しているということになっているんですが、しかし、実際の運営については基本的に自立性が認められていて、大使館から研究内容その他について言われることはないというふうには言っていました。
 それで、日本がどういうふうにしたらいいかというと、私、今ちょっと御質問を受けた後まだ考えがまとまっていないんですが、できたら、何というか、民間というか、民間と、政府の直接というよりも、民間の研究所みたいなものを例えば各現地に作って、そこに例えば大学の先生が長期にそこに行けるようなシステム、それからあるいは官庁からもそこに行ける、派遣する、あるいは民間によっても行ける、その場合に、もし本人が望むならば、かなりそこで長期的に働いてキャリアが積めるような、そういうシステムを考えていくということも重要ではないかと。つまり、現地の外国語もできて、そして事情も分かって、そういう研究者というのをやっぱりつくっておかないといけないのではないかというように思います。
#9
○参考人(遠藤義雄君) 治安を確保するために国軍を作る。じゃ、一体どういう手順で作るのかという御質問でございますが、一つの方法は外側の問題があります。
 具体的に申しますと、地方に軍閥、強い力を持った軍閥がおります。マザリシャリフにはドスタム将軍、あるいはヘラートというイランの近くの方にはイスマイル・ハーンとか、こういう人にまずひもを付けている周辺の国はそのひもを弱めてもらう必要があります。ですから、国際社会がそういうひもを持っている国に対して監視の目を光らせ動きをいろいろモニターしていく、そしてそれを世界に公表する必要があると思います。そういうことによって、軍閥の力がこれ以上強くならないという対策を講ずる必要があります。
 もう一つには、この軍閥の力の回復のスピードが速いという問題と関係していることなんですが、アフガンの復興援助はなるべく二国間援助を少なくするという必要があります。二国間援助というのは、当然AとBという関係で行われることです。少なくとも、アフガンの復興はできる限り中央政府、その暫定政府の窓口を通じる形態を取っていく。このことにはまだ国際社会の合意ができていないんですね。これを早く作る必要があると思うんですね。そういうことによって、二国間でどうしてもお金を出す方はその見返りを期待します。あるいは見返りは期待しなくても、我が国はこういうことをやっていますよと日の丸を立てているのを見せたいんです。我が国にも見せたい、アフガンの人にも見せたいということになります。この気持ちは、税金を使うわけですから仕方がないところはあります。しかし、なるべくこれを抑える必要があると思います。問題は、アフガニスタンの復興が重要なのであって、そのことによってその出資国は見返りを得たとする、そういう気持ちを強くしてもらう必要があると思うんですね。
 今度は、国軍を作るその手続そのものであります。これには大変に時間が掛かるわけですね。恐らく二年半を掛けても実現し得ないものであるかもしれない、それほどに難しい問題であります。しかし、このアフガンの国軍というのは、アフガン共産党政権が崩壊するまできちっと政府軍として存続してきたわけですね。多くの幹部、軍幹部はモスクワにいるんです。モスクワには今十五万のアフガン人が住んでいるんですね。最大のアフガンの頭脳がモスクワに逃げていっている。こういう人たちに帰ってきてと言っても、アフガンの人たちは嫌がっているわけですね。ですから、帰るチャンスはなかなかない。
 じゃ、今ある中で、今ある中のそういう能力を持っている人というのは、かつてゲリラ戦争だけをしてきた経験を持っている人たちなんです。この人たちに国軍を作れということを要求するのは非常に酷であります。しかし、もう着手されていることは、何人かずつアメリカの指導を受けるとかイギリスの指導を受ける、トルコの指導を受けるということで、早くスタッフを今は作ろうとしているわけです。核になるその人材を作ろうとしております。この作業というか、このことは継続していかなくちゃいけないと思います。そして、その人たちがもう半年間とか短期の訓練を受けて国の国軍作りに貢献するというそのシステムが確立される必要があると思います。
 もう一つ、それだけでは駄目でありまして、やはり一年とか二年、二年半でもできないような難しい問題ですから、実は国際社会が送り出している国連の安保理が承認している治安部隊というのは、今のところ五千でカブールだけに、しかも今度の夏にロヤ・ジルガというものが開かれるまでの六か月間という短い期間に限定している、これは非現実的だと思います。つまり、送る側の国を考えれば、一人でも兵隊が死ぬとそれは問題だから、なるべく短くして展開部隊も限定されたところという気持ちは分かるんです。しかし、それをしていてツーリトル・ツーレートになってしまったら元も子もないんですね。
 ですから、アフガニスタンの実情がこうだとなれば、それに即した形の現実的な対応をする必要があると思います。ですから、少なくともカブールだけじゃなくてジャララバードとかマザリシャリフとかヘラートとかカンダハル、この主要都市には、何千何万という展開は要りませんが、少なくとも千人単位の駐留で治安の目を光らせるということが現実的ではないか。少なくともそれは一年間、その間に外国に派遣したりあるいは外国人の協力を得て国軍作りをするコアが固まってくれば、この人たちが徐々に百人とか二百人単位で首都や地方や必要な場所に展開できるようになって、そして国連の治安部隊と取って代わっていけるようなことになるわけですね。そういう手続を、手順を踏む必要があるのではないかと思います。
 次に、アメリカのコミットメントが重要だと私は主張した。余りコミットメントが強くなっていったり長引いたら反動が起こるのではないかという御質問、全くそのとおりだと思います。
 しかし、アフガンの人たちは、これは恐らく湾岸の地域とかあるいは東南アジアのイスラム教徒と違った問題があります。二十年間、治安が乱れて生活が、悲惨な生活をさせられてきたという、この問題があります。
 現実の問題として、治安の確保、あるいは治安をアフガンが確保できないなら外国人部隊をも使っても治安を確保したいという要求は実はあるんです。これにこたえていかないと自分たちの生活が乱れますから、そうすると、今芽を、もう一遍吹き出し掛けている派閥間の争いあるいは人種間の対立などが起きてくるんですね。つまり、中央権力が確立されていない、そして、それぞれの地方がいろんな勢力争いやって略奪したり殺害をしたりするということになるわけですね。つまり、法と秩序が全くない状態です。それを確保するためには、やはりアメリカのにらみだとかあるいは国際治安部隊等の手助けが必要だということはアフガン人が認めている。だから、それが、そういう状況があるということが認識されていて、それにどう対応するかというときに、アフガンだけじゃ対応し切れないという問題があるわけです。
 ですから、私はその問題、その反動が起こるであろうということは十分に考えられるし、それも現実的な判断なんですが、しかし、その反動を怖がっていて何もしなかった場合の反動というのは、つまりタリバンをもう一度復活させるような話になるのではないかと思っております。
#10
○若林秀樹君 まず、清水参考人にお伺いしたいと思います。
 質問の大枠は、我が国のODAに関することでございます。
 先ほども参考人は、これからは復興支援、量から質だというお話もありましたけれども、一方、我が国のODAのこれまでの流れを見ると、かつてのオイルショックとか湾岸戦争、その時々において、何か問題があると急にODAが増え、安定するとまた減ってしまう。私は、量から質というのもありますけれども、むしろ私は量が足りないんじゃないかという感じがします。そういう意味じゃ、もうちょっと中長期的な視点あるいは戦略、我が国のエネルギー、石油資源の確保という観点から、私は、質も大事ですけれども、安定したもう少し拡大した支援もあってもいいんではないかという思いがある。そのことについてどう思われるかということです。
 その中で、例えばサウジアラビアに対しても、あれは何会社でしたか、採掘権の問題で失いましたよね。
#11
○参考人(清水学君) アラビア石油です。
#12
○若林秀樹君 一方、傍らでは平気でやっぱり相当の援助をやっていて、必ずしもこの援助が評価されてないということに、やはりODAだけじゃなくて政治的な対話なりいろんなものがやっぱり欠けているんだろうなというふうに思うわけで、そういう意味ではODAがなぜ評価されていないか、それが石油安定供給のために結び付いていないかという、その原因についてちょっと教えていただきたいなというふうに思います。
 それと関連して、一方、中東の石油の依存度というのはどんどん高まっていますが、我が国の輸出なりあるいは投資というのはほとんど逆に下がっているというか、もう両極端ですよね。石油がどんどん依存が高まり、一方、投資、そういうものが伸びないというこの両極端の中で、私はODAの果たす役割というのはこれからそういう面において呼び水的な発想でやっぱりあるんじゃないかという観点から、やっぱりODAの中身を見直すべきではないかなという感じがしていますので、そこの内容についてこれまでの中身がどうだったか。
 もう一つ、どういう方向に行ったらいいかと。御存じのように、今の人口の増の問題もありますし、失業の問題も、いろいろありますけれども、そこの、我が国の経済と投資と輸出との関係、石油安定の供給の関係とその中身についてのお話をちょっとお聞かせ願えればと思います。
 それから、遠藤参考人にお伺いしたいのは、アフガンの復興の我が国の関与の仕方でございます。
 現実に今日本が主張をしているのは、どっちかというと女性の地位向上とか保健とか幾つかありまして、私から見ると今一番大事なのはやっぱり政治的な安定ではないかと。これがない限り、その後の、平和になってからそれから起こそうというときに、幾らそこへ行こうと思ってもたどり着かないと思うんですよね。
 そういう意味では、我が国もどちらかというと苦手とされた復興の本当の前の部分の政治的な安定にもう少しやっぱり関与していくべきではないかという思いもありますので、そんなところから、我が国のある意味でのこれまでの関係から、周辺のイスラム諸国との対話から、そういう一国の安定に期するようなかかわり方とか様々私はあると思うんですけれども、その辺について、我が国の役割についてどう思われるか、お聞きしたいと思います。
 以上です。
#13
○参考人(清水学君) まず最初に、今日本のODAの問題につきまして私が量から質へという言い方をさせていただいたわけですが、これに対して、まだ量が決して多いとは言えないのではないかというまず御質問というか御意見だと思います。
 それで、これは、ODAというのはこれはむしろ国全体の政策の方向性の問題と関連していると思いますが、現在の日本の財政状況というのがやはり頭に一つあるわけですけれども、こういうような状況の中で、国内の経済関係の支出との関連で更にODAを伸ばすことが現実的な問題として可能なのかどうかというような問題が一つ私の方からは逆に感ずるところがあるわけですが、それはさておきまして、おっしゃるとおり、例えば日本の石油への依存度、石油というか中東原油、湾岸への依存度というのは、第一次石油ショックのときにやはり高いというのでそれをいかにして下げるかということで、いわゆるデバシフィケーションというか石油の輸出先の分散化ということを図ってまいってきたわけですが、それで一時期、六〇%台にちょっと一時期入ったことがありますけれども、またここ二、三年急速に戻りまして、ついには湾岸への依存度が八〇%を超えるという、再びもう異常な事態に戻ってきたことは事実でございます。
 それで、確かにおっしゃるとおり、これからの見通しを見てまいりましても、恐らく湾岸への依存度というのはそう簡単に減らすことはむしろ難しいだろうということが一つと、それから、アジアの近隣諸国の問題を一つ考慮する必要があると思うんですね。
 特に中国はこれから更に石油の輸入が増えてくると思うんですが、恐らく二〇二〇年ぐらいを想定いたしますと、恐らく日本の輸入よりも中国の輸入の方が増えてくる可能性がある。それから、韓国も御存じのように一〇〇%輸入ですから、これがほとんど湾岸と。それからインドが、これが一九九一年から比較的急速な成長を遂げるようになってきたわけですけれども、インドは国内の石油、天然ガスの供給というのは約半分でしかないと。これから更に成長するようになると、インドもやはり湾岸の方に向かっていくと。そうすると、アジアがみんな大挙して湾岸に向かうという事態が、これが生じてくると思います。それで、他方、インドネシア等は逆に国内の需要が増えてきまして、そうすると輸出余力というのもだんだん言わば減ってくるという、そういう問題も生じてくる。
 そうなってくると、やはり湾岸へのかかわり方というのは、日本一国ベースの問題ということよりも、アジア全体でどういうふうに需給関係を考えるか、それからエネルギーの相互のいわゆる需給を補う問題とか、それから全体としてエネルギーの使用の効率化をどう考えるかとか、そういうようなことで例えば日本が一つのイニシアチブをもっと積極的に取って、省エネ、省技術の問題とか省石油の問題とか、こういう問題を恐らく考えていくというのが一つのODAの、石油確保という問題では考えておかなきゃいけない別の面があるような気がいたします。
 それから、先ほどアラビア石油の問題が出てまいりましたけれども、日本はサウジアラビアにODAレベルでの額というのは必ずしも多くないと思います。むしろサウジアラビアが要求しているのは民間の直接投資でございまして、その直接投資という場合はどうしても民間のイニシアチブというところに依存するところが大きいわけですが、まだ例えばサウジアラビアに積極的に民間レベルのイニシアチブでいくにはインセンティブがやっぱり弱いと思います。その点ではもっと別の方向というか関係を考える必要があるのかなと思います。
 それで、ちなみに、アメリカは例えばイランとかイラクとか関係というのが国家レベルでは非常に問題があるわけですが、アメリカの石油会社の動向を例えば見てまいりますと、例えばイランなんかですと、これは幾つかの情報から私が得たものですけれども、アメリカの主要な石油会社は、もしアメリカとイランの関係が改善するならば直ちに新しい契約を結べる、つまり公然化させる準備ができていると思います。その点では日本の方がむしろ後れているということが指摘できるかと思います。
 それから、イラクでさえも、今非常に問題があるわけですけれども、イラクサイドから見たら、もしアメリカの石油会社がコミットしてくれるんだったらむしろ歓迎と。つまり、ある意味ではアメリカの政府の意向とは違った形で入ってくることになりますから、それには賛成ということでありまして、ただし、日本の石油会社が入ることに対してはかなりネガティブな姿勢を取っているというふうに私は理解しております。
 そういう点では、これは日本のむしろ外交政策全体の流れの問題として、やはりパレスチナ問題とか、それからイランなどの問題に対して独自の立場をちゃんと主張するとか、そういうところでの日本の、何というか、影響というか立場の表明というか、そういうことが相手側の信頼をあるいは獲得していくということにつながるのではないかというふうに私は考えております。
#14
○参考人(遠藤義雄君) 我が国のアフガン復興への関与の仕方あるいはその役割がどういうものが考えられるかという御質問でございますが、御質問にありましたように、非常にかかわり方、復興へのかかわり方というのは人道的なことを日本は中心にしている。それを優先するというか、それを大切にするという精神でこの復興にかかわることを表明しているわけですが、問題は、人道的な援助をするにしても、アフガンの治安とかそういうものが改善しないとそれがなかなか展開できないわけですね。その展開しづらい状況が実は今できつつある、それがもう目に付き始めてきたわけです。これは、ですから、問題は、この二年半という期間は、実は非常に政治的なサポートあるいは軍事的なサポートが要請されている時期なんですね。
 我が国は、東チモールにPKOで自衛官が派遣されるというふうな動きが今動いております。アフガニスタンでこういう展開もというふうなところまで行くかどうかは、全く私の判断では判断しづらいところであるので何とも言えませんが、問題は、我が国ができないならば、そういったことをすることを表明して、例えばイギリスだとかヨーロッパの各国がそうです、フランス、ドイツと相次いでそういった側面での積極的な関与というものを示してきております。こういうことをしようとしている国に対する間接的なサポートというものもあっていいと思うんですね。例えば、インド洋で日本の船が行って後ろの警護をしたとかということが既にありましたが、今度、国内でのそれが要請される時期、段階に来たわけですね。その国内の治安の改善にどれだけ貢献するかというのは、繰り返すようですが、非常に我が国は難しい側面を持っています。しかし、間接的にその側面でもやれる場面を探すということが大事だと思いますね。
 あるいは、その周辺国、例えばタジキスタンとかウズベキスタンとかトルクメニスタンが、アフガニスタンが更にその治安が悪化してこの二年半のそのプロセスが崩れるようなことには、彼自身たちも実は心配しているわけですね。そういった国に対しても、心配する必要はない、だからもっとアフガンの復興にプラスの思考で取り組むようにというふうなシグナル、そういったかかわり方も重要であるかと思うんですね。
 そういう形で、日本のその復興へのかかわり方、この地域の全体を見て考える必要があるんじゃないかと、こう思います。
#15
○沢たまき君 公明党の沢でございます。
 両先生には本当にありがとうございました。
 遠藤先生と清水先生に一問ずつさせていただきます。
 今日のお話とは別に先生の論文なんかも読ませていただいた結果なんですけれども、先生の論文によりますと、アゼルバイジャンとかトルクメニスタンとかカザフスタンとか、いわゆる石油とかガスとかの資源を持っている輸出国でさえも、国民生活として自立できるその条件が整わないうちに対外債務のその返還期間がもう迫ってきているということでございました。また、徴税のシステムとか金融のシステムとか、まだ基盤が整わないというか、未成熟なときからこのガスとか石油の収入がうまく利用されにくくて、更にそこのこういう部分だけに投資が集中してしまって庶民の生活が、庶民の経済が何かそこだけ独立して再生産ができないというような、いわゆるエンクレーブ経済というんでしょうか、飛び地経済となる危険もあると、そう書いてございました。
 その石油とかガスなんかあるところはいいですけれども、また、全くない国は日本としては、もっと石油なんかあるところでも厳しいのに、ないところに一体どういうふうな、今ODAはとおっしゃっていましたけれども、ODAに頼らず、先ほど民間の話もなさっていらっしゃいましたし、特にどんな分野を重点にするべきなんであろうかなと。
 先生のお話で、そのセンターみたいなのが、長期に大学の先生なんかが滞在してとおっしゃっておりましたけれども、大学の先生とともにそこがもう一つ我が国と、我が国だけではなくても結構ですが、アジアとしてでも結構ですが、何か文化の交流をする、いわゆる、本当にまだ治安が安定していないとはいいながらも、復興直後にアメリカの映画とか音楽会をやったなんというのを見ますと、庶民というか、民間レベルでそういう文化交流ができる、そういうセンターみたいのがあればとても私はいいと思いますし、日本のあるいは韓国のでも結構ですけれども、庶民のレベルでも交流ができるようなそういう文化センターのような、それがずっと長期にそこにあるというようなものもいかがかなと思っているんですが、それがいかがでしょうかというのと、それから、もう一つ。
 遠藤先生、アフガンに限るとおっしゃっていらっしゃいましたけれども、確かに治安は大事だろうし、我が党の代表代行とか若手の外交に関係していた、あるいはNPO、NGOに関係していた人たちがすぐ難民を視察したんでございますが、帰ってきて言ったことは、この国のリーダーは一体何をしていたんだろうと、こんなに国民にひどい生活を強いてこのリーダーたちは一体何を考えて生きていたんだろうかというのが、もう本当に腹立たしかったというふうに、第一声、戻ってそういう感想を漏らしたのから見ますと、私は、治安が第一とはおっしゃいましたし、また女性の問題云々とおっしゃいましたけれども、しかし一番嫌な目を見るのは子供と女でございますので、女性の自立とか女性の進出が遅れている云々もございますけれども、もう少し女性が、社会進出というのかな、もう少し自分の意見をしっかり言えるそういう社会。
 何か今見ていると、どうしても何か、タリバンの影響が強いのかどうか分かりませんが、制限されてしまっているようなことがあろうかと思うんですが、遠藤先生には、イスラムの教義にかかわる問題なのかどうか分かりませんが、なぜそのイスラム世界では女性が社会進出というのを制限されてしまうのか、それから、この点を踏まえた上でどのような支援が効果的であるのか。まずその治安が第一とおっしゃいましたけれども、この復興に向けて女性と子供にもう少し視点を当てて支援をするとしたらどういうのがいいのか、ちょっと伺わせていただきたいと思います。
#16
○参考人(清水学君) 御質問、どうもありがとうございました。
 まず、たまたま議論にされているところが中央アジア地域だと思いますので、それで、中央アジアは、その五か国、それからカスピ海の向こうのコーカサスを三か国入れますと八か国がある意味では対象になると思うんですが、おっしゃるとおり、その中でアゼルバイジャンとトルクメニスタンとカザフスタンが石油と天然ガスが比較的採れる、これからも恐らく増加すると思いますので、そういう点では、これらの国については、やはり対外関係の債務という点だけを限って言いますと、当分は何とか乗り切っていけるであろうと。しかし、ほかの国、キルギスとか、それから国内で戦争、内戦がありましたタジキスタン等はこれからやはり厳しい時期を迎えると思います。
 それで、これをどうやったらいいのか。実は妙案がないんですが、妙案はないんですが、例えばキルギスが今回アメリカ軍の駐留を受け入れたということの背景の一つは、やはり経済的なものが非常に大きいと思います。それで、とにかくほっておきますと、恐らく二、三年の間にその債務返済が非常に厳しくなることが見えておりますので、この時期に米軍と協力することによって、援助それからあるいは航空使用料というか、そういうもので何とか乗り切ろうということを考えていると思いますが、そういう形というのは本来望ましくないわけで、そこから産業でもって自立できることを考えなくちゃいけないわけです。
 ただし、現在、キルギスについても金などの一部の鉱物資源への依存度が非常に高いんですね。ですから、キルギスのGDPの成長率を見れば、金の生産と価格でもって大きく影響を受けてしまうという、ある意味では一つの製品に依存するという形になっています。ですから、それ以外の工業とか農業をどうやって育成していくかということが、復活させていくかということが大事でありまして、そのために、農業それから中小企業等の復興のための非常に技術協力、それから経営のための協力、それから、場合によっては金融的な協力ということが必要だろうと思います。
 それで、第二点ですね、日本のプレゼンスというか、文化とかその他を相手側に伝えて、いろいろ交流の場ということですが、実はJICAのイニシアチブもありまして、現在、中央アジアに三か所でジャパンセンターというのができております。それで、これはウズベキスタンとそれからキルギスとカザフスタンです。
 それで、ここでは日本語とか日本文化を相手国に伝えるということと同時に、知的支援ということで、例えば日本の経営ノウハウとかそれから金融システムとか財政の問題とか、そういうような問題、つまり逆に言うと、相手は大学生レベルからあるいは公務員レベル、あるいは更にかなりクラスの高い人たち、例えば局長さんとか次官クラスの人たちも場合によっては対象とするような、そういうことも長期的に考えたことをやっております。
 それで、理念はそういうことですので、今後どうやってそれを埋めていくかと。つまり、掲げている目標を実現するためにはどうしたらいいかということがこれから問われていくことになると思います。そういう点では、これから中身をどう埋めていくかということが、一応箱はできていると、あとは中身ということになると思います。
 それから三番目に、石油が入る国もそれからそうでない国もそうなんですが、結局、入ってくる収入がどう使われていくかということがその国を左右していくということになると思うんですが、問題はそれがどのくらい透明性なものであるかということが非常に問題なんです。
 それで、国によっては、今、例えばアゼルバイジャンとかカザフスタンは石油ファンドというのを作りました。それで、石油収入はそこに入れて、それから税金が、税収が減ったときにそこから一部補てんすると。それから、あるいは将来石油はなくなるかもしれない、そのときのために、将来の世代のためにそれを残して積み立てていくと。これはクウェートでもやっていることなんですが、これを一応導入いたしました。ただ、問題はこれがどのくらい透明度を持ってやれるかどうかというのは必ずしもはっきりしておりません。トルクメニスタンはほとんどわかりません、率直に言って。大統領が特別勘定を作っていて、そこから出しておりますのでよくわかりません。
 その点では、中央アジア地域の経済発展の問題とトランスペアレント、ペアレンシーというか、あるいは民主化という言葉になるかもしれませんけれども、そういうものとが両輪になっていかないと、文字どおり、資源輸出だけのエンクレーブ経済になってしまうという、そういう意味では経済がバランス取れて発展していくという問題と民主化の問題というものが逆にセットになっていく、そういう時期になっているのではないかと思います。
#17
○参考人(遠藤義雄君) 女性や子供がその復興にどんな役割が果たせるのか、あるいはそういう層にどういう目配りをしてあげるかという御質問だったと思います。
 アフガニスタンの女性は、イスラムの考えに制約されて社会活動がなかなかオープンにできないという側面はあります。しかし、この二十年間の内戦の中で、実は女性の活動舞台が非常に広がっていたということなんですね。その広がっていた活動をぎゅっと狭めたのがタリバンの勢力です。これは六年間です。
 女性の活動の場が広がったというのはどういう意味かといいますと、男は十年間、一九八〇年代の十年間ソ連軍と戦って、ゲリラ戦争が展開された時代です。男たちはゲリラ戦争あるいはそれに関連することに時間を取られました。そして、教育の場面、医療の場面では女性が圧倒的に多くなった。学校の教員の七割が女性になった。そして、カブールの市民の多くは女性たちが、男手が少なくなっているので女性が家族の支えになってきた。それが、タリバンが登場して病院に行って医療活動をするな、お医者、女医を抑える、学校の先生に学校に行って子供たちに教えるなというふうなことをしたわけです。
 実は、アフガンの人たちはこの二十年間が非常にプラクティカルになっているんです。女がつましく家の奥に座って炊事等それだけというわけにはもはやいかなくなっている。それで、現に、去年の十二月、東京でNGO会議が行われました。ここにはアフガンのNGOの代表が百人近く来られたでしょうか。私もそのNGOの、ここの清水参考人もその一人でしたが、オブザーバーとしてあるセクションの会議をずっと目撃することができました。実は、ここのアフガンの女性たち、NGOの人たちが発言を男以上にしまして、積極的なのが女性なんです。この二十数年間、自分の家族あるいはアフガンの社会のあるいは重要な部分、教育とか文化の維持に女性が活動してきたわけですね。ですから、私はあのNGO会議、それを出たアフガン女性の姿、発言あるいはその積極性というのを見まして、私は、もしかするとこの人たちはほっておいても自分たちの国づくりにどんどん貢献していくんじゃないかとすら思ったわけです。イスラムの考えからしても、決して女性がつましく家の中にいなきゃならない、外に出るときはベールを必ずかぶらなくちゃならないということはないんです。現に、復興のためにいろんな、ユニセフを始めとしてアフガンで世論調査をされております。そのデータによりますと、男であれ女であれもっと女性は社会的に貢献すべきだというふうな積極的な考えに変わってきているんですね。
 むしろ難民社会というか、アフガニスタンの多くの、三百万人とか四百万人の人が難民としてパキスタンとかイランにおりました。この社会でこそいわゆる伝統的なイスラムのスタイルが維持されてしまう。つまり、テント生活ですからプライバシーが皆ばれちゃうというか開け開けです。ですから、むしろイスラム的な習慣がいいとされるようなことが復活したところがこの難民キャンプです。国内では逆です。女もくわを持って畑を耕さなくちゃならない。現に、イスマイール派と言われるイスラムのセクトは男も女も一緒に畑で仕事をするんです。スンニー派でお金があってという家族になればなるほど男女の格差は狭まりません。男女の差別が少なくなった、お金がなく、貧しければ貧しいほどそういうものはなくなっているんです。働かなくちゃというのが基本の考えになっているからですね。ですから、イスラムだからこうなんだということはアフガニスタンでは大分変わってきていると私は思います。
 そういう意味では、ある意味ではほっておいても女の人たちが動き出すという可能性があるんです。私は、男の人よりも、男はこの二十年、この国、代表団が、ここの国の男ども何していたんだと第一声を東京で発せられたという、そのとおりだと思います。男どもは戦うことだけを考えて建設のことを女に任せてきているということです。
 ですから、女の人が今創造的に再建のために力を出したい、汗を流したいというその欲望物すごくあると思うんです。それに私たちの援助のお金が、あるいは技術がそこに届けば意外とうまくいくんではないかと思います。
#18
○沢たまき君 ありがとうございました。
#19
○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。
 最初に、清水先生にお尋ねいたします。
 今日の世界について、文明の衝突というそういう見方がありますけれども、私はこれは間違っていて、やはり異なる文明、宗教が共存する、それをどう促進するかということが非常に大事だと思うんですね。先生は非常に広い視野から見解を述べられましたけれども、この共存をどう進めていくのか、何が必要か、それについてお考えを伺いたいと思います。
 それからもう一つ、日本の有償・無償援助、ODAの在り方についてなんですけれども、今そのことが非常に大きな問題になっていると思いますけれども、西南アジア、それから中央アジア、援助について言うと大体十何%か占めると思う、一三、四%ですか、占めると思うんですけれども、私、ちょっと場所は違うんですけれども、インドネシアの国会議員から、ASEANの国会議員の総会に行ったときに、スハルト時代のODAの在り方ですね、これはやめてほしいと、もうそれを直接言われました。自民党の団長と一緒に行って一緒に聞いたわけですけれども、そうずばり言われましたね。今、メガワティ政権からもそのことは直接出されていると思うんです。
 やはり、本当に役に立つ、そして現地の人に喜ばれる援助、これが求められていると思うんです。そのためには、やはり何といっても大事なことは経済援助のプランを押し付けないということです、日本の側から。現地の人たちが望むものをということが当然だと思います。それから、文化に配慮したきめの細かい援助も必要だと思います。あるいは、石油産油国等々でしたら、やはりその資源活用の自主性ですか、それを尊重するということも非常に大事だと思いますけれども。
 そういうことで、質の高い援助ということを述べられましたけれども、質が高くて役に立つ援助、そのために何が必要か。それから、それを進めた上でやはり援助する側の透明性ですか、の確保、客観的に数値が分かるというのは非常に大事だと思うんですが、往々にしてその数値があいまいだったり数値がなかったりする、これが非常に大きな問題だと思うんです。数値、統計数値の信頼性の問題、これがなぜ整えられなかったのかということと、それからそれを克服するために何が必要か、それについてお伺いしたいと思います。
 それから、遠藤先生には、実は私、ソ連がアフガニスタンに侵略したときにちょうどそのときにカブールに行っていて、彼らが何をやったか、アミン政権を打倒するときにどんな謀略を用いたかということを本当に目の当たりにしたわけです。日本共産党はこのアフガニスタンの侵略に対して反対して、ソ連共産党と大論争をやったという、そういう経過もあるんです。
 私は、今のアフガニスタンの不幸、これはやはり何といってもソ連の侵略、占領の試み、十年間やってできなかったわけですけれども、そこに非常に大きな原因があると思うんです。おっしゃられたように、私は、例えばもう部族社会ですから、結局、信頼するのは自分の部族とその私兵しかないという、そういう風潮をうんと強めたのがソ連の侵略だったと思うんです。
 そういう点で、先生はカブールにずっとおられて実感をその点で持たれていると思うんですけれども、この侵略、占領の試みの十年間のその害悪が今日どれだけ大きなものになっているのか、それについてお伺いしたいと思います。
 以上です。
#20
○参考人(清水学君) 難しい御質問だと思いますが、文明の衝突論というのがいわゆる現在の軍事外衝突とか、あるいは軍事まで行かなくても衝突の理由として挙げられている向きがあるわけですが、確かにおっしゃるとおり、文明が違うということが直接衝突の理由になるということは間違いというか、間違っていると思います。というのは、宗教が違うとか文化が違うということ自身が即それが対立の要因になるのではなくて、ある別の要因がその違いをある意味では利用するというか、そういうことになると思うんです。
 それで、たまたま遠藤参考人の方からタリバンの話が出たんですが、いわゆるタリバンの思想というのは、説明がありましたように、デオバンド派なんですけれども、そのデオバンド派でも、インドに残っているデオバンド派と、それからパキスタンでのデオバンド派というのは全然違うんですね。それで、インドのデオバンド派の場合は実はインドの大統領も出したことがあるんです。それで、インドの場合はむしろヒンドゥーとの共存ということを非常に重視した、そういう傾向を持っておりまして、ところがパキスタンへ行った場合は、いわゆるほかの宗派が非常に少ない中で、ある意味では特殊な発展をしてしまった、それがタリバンだというふうに考えます。
 それから、ジャマーアテ・イスラーミーという、イスラム協会という、パキスタンにある、これもいわゆるイスラム過激派という形でよく言われるわけですが、これもインドにおけるジャマーアテ・イスラーミーはまだ残っているわけですけれども、インドのジャマーアテ・イスラーミーは現在は世俗主義ということを受け入れています。それで、インドにおいては世俗主義でいく以外にないという。そういう点でも同じイスラムと団体でありながら、状況において違ったという見解を出しているということは指摘をしておいていいのじゃないかと思います。
 それから、いわゆるインドネシアのアンボンなんかで起きているキリスト教徒とイスラム教徒の衝突がありますけれども、これについてはかなり専門家の筋の判断では、むしろ宗教的な対立というよりも、スハルト政権側がある意味では現体制を揺さぶろうとして言わば起こした、そういう政治的な目的を持つ紛争であって、これは宗教対立ではないというふうに見る見方が私は多数派だと考えています。
 確かに、異なった文明をお互いに理解し合うということは非常に重要なことでありまして、むしろそれを理解をする中で、実は違いがどのくらいあるのかという、相違点というよりも、共通点というのが随分発見できることが多いと思います。そういう点では、お互いに相互の価値観を尊重しながら異なった宗教なり考え方を理解していくということはこれからますます重要になってきますし、何か衝突が起きたときに、それを宗教というよりもむしろそれを作っている別の要因というか、政治的、経済的、社会的要因の中でまず考えてみるということが私は重要ではないかと考えています。
 それから、ODAの問題になりますが、これも、何でしょうか、相手側の文化を尊重しなくちゃいけないし、それからもちろん相手側の要望というのを尊重しなくちゃいけないということなんですが、そのとおりなんですが、問題は、日本がいわゆる要請主義ということで援助の要請を受ける場合、この要請が一体どの筋から出てくるのかということです。その筋が例えばかなり独裁的な、大統領というか、そういうところから出てくる場合はかなり、国民生活に余り関係なくて、非常に派手な何か劇場とかそういうものになったりすることがあります。
 それで、これは国の名前はちょっと申し上げない方がいいと思うんですが、中央アジアの国で、例えば比較的風通しのいい国というかそういうところでは、例えばこういうことも聞いたことがあります。ある、かなりポストの高い方から、役人の方から、今うちの大統領はこういう形で日本に要請を出しているけれども、我々自身は疑問に思っている、だからできたら日本側で何とかしてくれという、実はこういう発言を受けたことがあります。
 それで、その点では相手側の風通しの良さと、それから日本側の風通しの良さと、両方の風通しの良さをどうやって進めていくかということが、日本の皆さん方というか、我々自身の税金でやっているわけですので、せっかくの援助が相手側にも意味があり、相手にプラスになって、それから日本の国民から見ても、ああやって良かったと、そういうような形になれば望ましいという、要するに透明性をどうやって確保していくかということに尽きるのかなという感じがいたします。
#21
○参考人(遠藤義雄君) 十年間のソ連の駐留あるいは占領というものがどんな影響を残したのかという御質問でございますが、これはいろんなところに影響を及ぼしています。それは今もその影響を引きずっております。
 例えば、アフガンの各ゲリラは、民族的な対立をも生じている、起こしている、そういう現象を見せているというのは、これはソ連軍が撤退するときにやった政策の名残なんです。その影響も相当に受けています。その問題は何かというと、国民和解政策というのを打ち出します。ソ連の支配の後半部分で、この国民和解政策というのは、あるいは民族和解政策とも言われています。地域紛争の終結の仕方の一つの方法として国民和解とか民族和解というのが打ち出されたことがありますが、アフガニスタンでもこれが展開されているんですね。
 ソ連がやった政策とは何か。隣村は、意外とアフガニスタンというのは部族主義とか村落主義が強いものですから対立しているのが普通なんです。Aというところに金を出してBという村の、何ですか、嫉妬を駆り立てるとか、対立の芽を見付けて、どっちかに加担してその対立を更に深めさせるという政策をやりました。そのときに買収をほとんどやっているんですね。ソ連軍は、アフガン共産党政権が定着するために、買収でそういう飛び地的に村とか何かを政府に顔を向けさせるように、そういう政策をしました。これが国民和解政策です。つまり、古い対立で眠っていたようなものもそこで掘り起こされているわけですね。こういうことをやって、何ですか、ゲリラたちがまとまれないように、アフガンの人たちがまとまれないようにというやり方をしました。つまり、ディバイド・アンド・ルールをやったということですね。この影響は今でも引きずっていて、なかなかまとまれないということがあります。
 そしてまた、この国民和解政策を金で釣るということをやりました。金で釣るというやり方は、軍閥に対する依存度をアフガン人に植え付けることになります。つまり、セキュリティーは中央政府がやらなくてそれぞれの村とか軍閥がやっているわけですね。すると、我が身の治安を維持してくれるのはカブールの政権ではなくて現場に支配権を確立している軍閥なんです。軍閥に依存しているなら我が身が守られる。アフガニスタンの統一とか統合性は二の次になるわけです。これもソ連の長い十年間の政策の中で定着したものであります。昔からアフガン人にはそういう性格がありました。しかし、少なくとも近代化のプロセスの五十年、七十年の中でそれが弱くなってきたんです。しかし、ソ連軍の十年間の支配でそれがもう一遍復活させられたということがあります。
 もう一つには、民族政策があります。アフガン共産党は、中央アジアでソ連がやったと同じような意味で、民族重視政策といって言語を、例えばウズベク人のためにウズベク語を保護するという形でラジオ放送とかをさせます。アフガニスタンはペルシャ語で統一された人たちなんです。戦後、アフガニスタンはパシュトーン人が主要民族で支配民族だということで、ようやくにして実はパシュトーン語が国語になる。そのように、言語の問題ではほとんどなかったところに、つまりこのソ連のイデオロギーによるところの民族政策をやったことによって言語のちょっとした対立も生じるようになる。そのことが今でも後を引いているわけですね。
 それからもう一つは、国語を作るのに非常に難しいという問題は何かということです。ソ連軍は民兵を、共産党政府軍の補助機関として民兵を育てます。その最大の民兵がドスタム将軍です。ウズベク人勢力です。この民兵を使ってそしていろんなゲリラをたたきました。ここにウズベク人とそうでないタジク人とかパシュトーン人と対立を生じさせることになります。民兵を特定の民族に構成させるわけですね。それを使ってたたくわけです。過酷なゲリラ対策、撲滅というか鎮圧政策を打たせます。民兵の最大の勢力であったドスタムさんは今政府軍に入ってきているわけですけれども、しかしここでたたかれた恨みつらみは依然として残っているんです、ハザラ人とかたたかれた。そして、その政策が今度はタリバンが出たときに逆にウズベクをたたくとかという、こういう報復政策が取られました。このことで実は国語を作ることも非常に難しくなってくる。
 わずか十年であった。しかし、この十年間にやった不適切なソ連のやり方が尾を引いているんです。
#22
○緒方靖夫君 ありがとうございました。
#23
○大田昌秀君 清水参考人に三点ばかりお伺いしたいと思います。
 イスラム復興主義との関連で、ポスト植民地主義の民族的、文化的アイデンティティーの回復が図られているという趣旨のお話がございました。植民地下で民族的、文化的アイデンティティーというのはどのような状況下に置かれていたのか教えていただきたいと思います。それと、この民族的、文化的アイデンティティーの中身というのはどういった点ですか。
 それから二番目に、一九九九年の夏にカシャガン油田が発見されたことによって油田地域のあるカザフスタン及び中央アジア諸国にどういうインパクトを与えたとお考えですか。
 それから三番目に、中央アジア、コーカサス地域の国々は、半世紀以上にわたって旧ソ連に組み入れられてソ連邦の崩壊で独立国家になったわけですが、独立直後は、今の歴史的な、今も御説明がありましたような背景から、反ソ的な状態だったようですが、最近は一部の国々を除いてどちらかというと親ソ的な対応を見せているようですが、そういうロシアの中央アジアに対する基本的な政策というのは一体どういうものですか。
 以上三点、簡潔で結構ですので教えていただきたいと思います。
 それから、遠藤参考人に二点ばかり教えていただきたいと思いますが、よくマスコミ報道によって、米国のウサマ・ビンラディン、アルカイダ掃討作戦あるいはタリバン政権への軍事制裁というものは、結局はカスピ海石油・天然ガス開発をめぐってアフガニスタンでの親米政権作りに本当のねらいがあるという報道がなされるわけですが、その点についてどうお考えかということを教えていただきたいと思います。
 それから、最近の東京におけるアフガニスタンの復興会議においてカルザイ首相が緊急課題として四つの点を挙げておりますね。国軍の創設、統一通貨の発行、地域産業の振興、雇用創出と市場経済の確立というのを挙げておりますけれども、報道によりますと、アフガニスタン全土に一千万発以上の地雷があるといいますけれども、この地雷を除去しないことにはこの緊急課題の解決はなかなか困難だと思いますが、その地雷の除去に関連して、我が国との関連で、あるいは諸外国との関連で結構ですが、どういうふうにこの問題を解決しようとしているのか、教えていただきたいと思います。
 それから、公教育の面が非常に重要視されると思いますが、子供たちの教育をどのような形でこれから新しい政権が手を付けていこうとしているのか、それに対して我が国はどういう支援策を講じるのかという点についてもうちょっと教えていただきたいと思います。
#24
○参考人(清水学君) それでは、できるだけ簡潔にお答えさせていただきたいと思います。
 まず、植民地下のイスラム・アイデンティティーの問題でございますけれども、一つだけ、例えばマレーシア人、マレーシアのイスラム知識人の発言で申し上げますと、やっぱり植民地時代には、イスラムの持つ能動的な側面、例えば社会を、共同体を自分たちで作っていくあるいは不公平なシステムを変えていくとか、そういうようなやや政治的な問題、政治的な課題というようなところにイスラムが入ろうとすると、それを抑えられたと。イスラムというのはあくまで個人の心の中だけの問題というような感じの、そういう形でやられた。
 ところが今、独立した後は、イスラムの持ついろんな可能性を今や花を開かせられると。もちろん、これはいろんな可能性がありますけれども、マイナスもあるかもしれませんが、ただしその中でやはり社会的な問題、政治的な問題についても積極的に発言していけるとか、そういうことができるようになったと。そうすると、イスラムの持っていた生き生きとした側面が今や自分たちのものとして戻ってきたと。それで、イスラム教徒であるということが今や恥ずかしいことではなくて、非常に誇りの問題、これで社会を作っていくんだという誇りの源泉になったという発言があります。これは一つ例として。
 それから、もう一つ例を挙げますと、イラン革命を指導したあのホメイニ師がいますが、私はかつてちょっと翻訳をしたことがあるんですけれども、その中で彼は、イギリスは何をイスラムで、イランのイスラムで嫌ったかというと、イスラムが反植民地運動になることを嫌ったと。だから、イスラムがお祈りをしているときはイギリスは何にも言わなかった、しかしイスラムの名の下で植民地主義はけしからぬというようになったときはイギリスはすごくそれを弾圧したと。だから、イギリスがいろいろ言うのは、イスラムに対する介入は、それが植民地主義に問題ないときは全然言わない、しかしちょっとそれに触れるようなことになってくると問題がある、そこが問題であるというふうに彼は言っています。
 それから、二番目のカシャガン油田、カスピ海の北の方の比較的大きな油田が発見されたことのインパクトでございますけれども、直接のインパクトということになりますと、むしろロシアとカザフスタンが、カスピ海の北部のいわゆる鉱区というか領域というか、海底油田の、海底というか大陸棚についての権限についての意見の違いがあったわけですけれども、つまりどういうことかというと、ロシアは、カスピ海というのは基本的に湖だから、沿岸国すべてが同一の権限でもって石油、いわゆる海底の資源に発言し得るという、基本的にはそういう言い方を取ったんですけれども、実際は現実的に妥協していったということの一つのきっかけにはなったと思います。
 それで、もう一つの影響としては、やはり、これはカシャガン油田だけではないんですが、あそこで採れる石油をどうやって海へ運ぶかという問題がある。これは今でも実はずっとくすぶっているんです。
 それで、アゼルバイジャンのバクーからグルジアを経て、それからトルコのジェイハンというところに抜ける、これはいわゆるジェイハン・ルートという構想があります。これはアメリカ、トルコ、アゼルバイジャンが中心になって推し進めているわけですが、これは幾つか問題がありまして、一つは距離が長いということと、それから一定量以上の、例えば一日百万バレルぐらいの量が流れないと採算が合わないとか、そういう問題があるわけです。それで、カシャガン油田あるいはカザフスタンのテンギス油田、これの石油をできたらそれに合流させれば採算が合うということで、ジェイハン油田を支える論理としてそれを使いたいんですね。
 ところが、カザフスタンはそれなら別の考え方を持っておりまして、一つはテンギス油田からカスピ海北の、陸の北を通りまして、地中海側のノボロシースクに抜ける、黒海に抜ける、このルートが完成いたしまして、今そこを主要に流れています。しかし、カザフスタンとしては、場合によってはカシャガン油田も考えていると思うんですが、できたらイラン・ルートということも、イラン向けのパイプラインを造ってそこで海へ出すということも実は考えているんです。それで、カザフスタンの発言は時によって揺れ動くんですが、私の印象では、少なくとも昨年のテロ事件前まではカザフスタンの意見はかなりイラン・ルートのパイプラインに傾き掛かっておりました。
 ただ、問題は、イランとアメリカとの関係がありまして、アメリカはとにかくイラン・ルートを作らせないというか、ということで頑張っておりますね。その政治的な兼ね合いがあります。しかし、それにもかかわらず、カザフスタンとしてはイラン・オプションというのを自ら閉ざさないという形でこれからもいくのではないかと考えております。
 それから三番目ですが、中央アジアとロシアの関係ですけれども、端的に申し上げますと、中央アジア、コーカサスと二つの地域に仮に分けた場合、やはり大きな違いは、コーカサスの場合は下からかなり激しい民族運動があって、それが独立運動とつながったというふうに言っていいと思います。アゼルバイジャンにしてもグルジアにしても、あるいはアルメニアにしても。
 ところが、中央アジアの場合は各国の民族運動が、なかったとは言いませんけれども、その力が非常に強くて、だから独立したというよりも、ソ連が独立したという、独立というか崩壊したということがある意味では条件であって、その中で各国のトップの指導者が、場合によっては自らが生き残る方法として独立というような選択をしたという側面も考えられると。例えば、ウズベキスタンのカリモフ大統領としては、ちょうど一九九一年に起きたモスクワのクーデター騒ぎの直後に独立ということを言っているわけですが、それはカリモフ大統領としてはソ連共産党と自ら一体であるというイメージからとにかく自らを切り離したかったということと、独立という問題とある意味ではつながっていたと思うんですね。
 ですから、中央アジアの独立というのは、大衆的な基盤が支えた独立というよりも、トップの指導者が先に独立して、それから民族意思を今度は上から注入していくということだったろうと思います。ですから、国家のまとめるイデオロギーというか、それを作るというのにそれぞれの国の指導者が苦労していると。それで、ウズベキスタンの場合はチムールを、かつてのチムール王国のチムールを持ち出してきて、これを一つの国家の統合のシンボルにしようとしているということだと思います。
 ロシアとの関係は、したがって必ずしも最初から悪いというよりも、幾つかの大きな──ウズベキスタンが割合にロシアとの距離を置こうとはしていましたけれども、ほかのところは必ずしも、ウズベキスタンとトルクメニスタンはそういう傾向はありましたけれども、カザフスタンとかキルギスとかタジキスタンは必ずしもそうではありませんでした。ですから、反ロ的から親ロ的になったというような形で描くのは必ずしも正確ではないと思います。
 それで、CISが作っているいわゆる安全保障条約に加盟しているのは、中央アジアが加盟しているのはキルギスとカザフスタンとタジキスタンでありまして、ウズベキスタンとトルクメニスタンは加盟しておりません。
 そういう意味で、傾向でそうなったというよりも、こういうふうに揺れているというふうに考えていただいた方が実態に合うんではないかと思います。
#25
○参考人(遠藤義雄君) 第一番目の質問は、アメリカの目的は中央アジアのエネルギーではないのかということでございます。この指摘は間違いはないと思います。しかし、それがアメリカの差し迫ってのインタレストでは全くないということですね。
 差し迫ってのインタレストは、やはり国際テロリズムを起こすようなネットワークをつぶす、それを確実なものにする、そして、もしアルカイダのリーダーとか、あるいはタリバンのリーダーの拘束、捕まえるということに成功しなかったとしても、その人たちがどこかに行ってまた活動をするという芽をできるだけ小さくするというのがアメリカの現在の関心事であろうと思われます。ただ、長期的にはこの中央アジアのエネルギーというのがアメリカの視野に入っていることは間違いありません。
 特に、中央アジアに米軍の展開が拡大しているということの理由の一つには、この九・一一事件の問題で湾岸地域、特にサウジアラビアの将来が不安定になったということがアメリカにとって大変な心配事なんです。長期的に、イスラムの動きがどういうふうになるかというのは読み切れない。特にアメリカ、我が国にとってもそうですが、サウジアラビアの政権がどうなっていくかというのが心配なんです。そうして、しかもそういうことを、長期的にそういう問題をも視野に入れれば中央アジアのエネルギーが重要になってきますから、そっちをもにらんだ形のアメリカの中央アジアにおけるプレゼンスというものが拡大しました。もう一つは、先ほどの湾岸のエネルギーが不安定化してくるという問題と抱き合わせになっているのが、ロシアが持っているエネルギーがこれからOPECのエネルギーの重要な役割を果たすということなんですね。
 こういった九・一一を境にする、境にしなくても、恐らくこの二つの大きな傾向は表に出てくるのは時間の問題だったと思うんです。たまたま九・一一がきっかけになって早く表に出てきた、これに対応するというのがアメリカの戦略であると思います。ですから、中央アジアのエネルギーは、実はロシアのエネルギーとドッキングする問題です。特にこの中央アジアとロシアのエネルギーはヨーロッパに流れる。ですから、ヨーロッパはロシアとの関係をそんなに悪くしようとも考えません。
 ただ、ロシアとヨーロッパの関係がエネルギーでつながっているということを、アメリカもちゃんと計算しなくちゃいけなくなってきているわけですね。そういうことから、大きなエネルギー絡みの戦略のシフトが今起ころうとしている。ですから、アメリカはエネルギーも考えていることは確かであります。
 次の質問ですね、カルザイという新政権というか臨時政権は、大田委員が御指摘のように四つの課題を掲げています。国軍の創設、通貨を統一する、あるいは産業を興すというような四つの問題を掲げているわけですが、しかし、御指摘のように数百万とも言われる地雷の問題がございます。
 地雷は我が国の復興援助の目玉になっております。我が国では東南アジア、ラオスでしたか、での地雷の撤去でいろいろ経験を積んだということもあって、アフガニスタンには東南アジアの地雷よりももっと多い地雷が埋められているわけですね。この撤去に力を入れて協力するということであります。どうするかですね。
 問題は、地雷の撤去をするのに、一つの方法は、日本から大勢の専門家をあの国に派遣するということも考えられます。が、復興というのは、全部日本人が行ってセットを上げて、その相手に手をこまねいて見ていなさいというのは復興の仕方の一つの方法ですが、アフガンの復興は、やはりアフガン人に働いてもらって汗流してもらって、そしてそれから労賃を入れて自分たちの生活が回転していくような、そういう復興の仕方を考えるのがいいのではないかと考えるならば、数人の地雷を撤去するプロの人に行ってもらって、アフガン人に協力、その訓練を三か月とか六か月コースで訓練して、そして彼たちが自分たちで地雷が撤去していくことができるような能力を身に付ける、そういう形の援助の仕方がいいんだろうと思います。
 既に、イギリスの元軍人でそういった能力を持っている人たちがアフガン人にいろいろ協力、教育をして、アフガン人が結構な数の人たちが地雷を撤去するようなことをしてきているんです。しかし、膨大な数ですから、それだけじゃとても追い付かないわけですね。ですから、大勢のアフガン人がその地雷を撤去する能力を身に付ける必要があります。その訓練のための手当てをするとかということでそれは解決していくものじゃないかと思います。
 とにかく時間が掛かります。一年二年でこの問題が解決する問題じゃなくて、十年あるいはそれ以上掛かる問題だと思います。ですから、これはある意味で、何というんですか、切れ目のない側面への支援、目配りというものが必要だと思います。
 もう一つは、公教育の問題です。
 アフガニスタンは学校を、最初にゲリラ戦争で壊したのは学校でありました。ソ連軍と戦うときにゲリラが壊したのは、村々にある学校だったんですね。つまり、学校はプロパガンダの基地に使われたわけです。アフガンの共産党政権、男女平等あるいは何ですか文盲撲滅で、女、子供、学校に来いと、学校に強制的に呼びました。そこで、おまえのじいさん、父さん、母さん、夕べ何をしゃべったのと全部情報を集めて、いや、ああこうだと言ったら、そしたら翌日警察がやってきてその家族逮捕するということが大々的にやられた。
 ですから、アフガン人は、学校を壊せばプロパガンダの基地に使われないということで学校を壊しました。本当は学校を壊すのは最後であってよかったのかもしれませんが、真っ先に学校が壊されました。ですから、アフガンの人たちは今学校がないわけです。私立の学校で、ちっちゃな中庭で、青空の教室で勉強を始めたわけです。でも、最近のニュースですね、大学の試験をやったら大勢の女性が受験を受けたという。アフガンの人たちは、自分の子供に早く上がってくださいということで、早く学校を作ってもらいたいと思っているわけですね。ですから、これは治安が悪くないところからどんどんどんどん学校を作っていくことがいいかと思いますね。そうして、速成の先生でも仕方がありません。恐らく女性の先生が一杯活躍する場がこの教育の場になるだろうと思われます。
 そういう意味からも、公教育でも、小学校レベルの学校の再建と教育システムの再確立ということに対しては大いに日本は貢献できるのではないかと思っております。
#26
○大田昌秀君 ありがとうございました。
#27
○入澤肇君 大変いろんなことを教えていただきまして、ありがとうございました。
 まず、遠藤参考人、先ほど、二年半の暫定政権の維持のために援助を集中的に継続することが必要であると、それから、アメリカのコミットメントの継続が何よりも必要だということが言われましたけれども、現にアフガンの状況を見ていると、少数民族が非常に争っていますね。チトーがユーゴを統一したときに、あのカリスマ性と、さらにあめとむちですね、これによって見事に統一がなされたけれども、冷戦構造の崩壊の後、ばらばらになっちゃいましたね、大変な争いになった。
 今、そういうふうな過去の歴史的な経緯を踏まえて、この少数民族を束ねる力、これは一体何なんだろうかと。少数民族ごとに、例えば生活水準がどのくらい違うのか、教育水準が違うのか、あるいは慣習、習慣、これに違いがあるのか、そこら辺を踏まえて、宗教は分かるんですけれども、宗教以外でそれぞれを共存共栄に導く手段は一体何が考えられるのかということを一点教えてください。
 それから清水参考人には、もう一つ、その少数民族の有力者、それぞれ有力者が背景にいて、その資金源は、有力者が束ねる資金源は一体何かということ、特別なことがあったら教えていただきたい。
 それから清水参考人には、先ほどテロの要因についていろんな話がございました。貧困の撲滅がその最大の課題だというんだけれども、ロストウの経済発展段階説じゃないですけれども、アフガンの経済社会の発展段階というのはどのぐらいにとらえているのか、何から始めたらいいのかということを教えていただきたい。
 地域研究が必要だということで、その成果を踏まえていろんなプログラムを作るべきだというふうな話はさっきもありましたし、よく分かります。アメリカが日本を占領する場合にも、「菊と刀」、ルース・ベネディクトを中心にして国家挙げて研究をして、その成果を日本占領に生かしたということがあります。
 今回もアフガン戦略、アフガンに対する支援を有効にするためには、やっぱり相当国が金入れ、つぎ込んで、官民挙げてイスラムあるいはアフガンの研究をすべきじゃないかというふうに思っているんですけれども、そういう研究成果を踏まえた上で、何から始めるのが一番いいのかということについてちょっと教えていただきたい。
#28
○参考人(遠藤義雄君) この少数民族の対立をどう解消する、束ねていくのかという問題は、宗教からの、少数民族の対立というのは、宗教的な側面は少ないんです。ただ、この少数民族の対立がひどくなってきたのは政策的なものなんですね。ですから、そういう政策を打たないということによって溝、対立の広がりというものを狭めたり解消していったりすることができたと思います。政策的にはどういうことか、例えば共産党の場合、先ほど申し上げましたように、イデオロギー的にやっていったと、そういうことをしない。
 もう一つは、言語もばらばらになろうとしているわけですが、もう一遍、今度、緒方特別代表が強調しておられることですが、ラジオ放送とかテレビ放送を早くしなさい。
 私は、これには一つの知恵があると思うんですね。テレビとかラジオの放送、電波を通じることによって、どんな山奥ででも電波を聞くことができるわけですから、そういうことによって、全国一律のニュースとか、そういった話題を提供することが重要だと思います。言葉の標準化、平準化もこれで図っていくことができます。そうすれば、山の奥に育った子供でも、村にどこか学校ができれば、そこに来てすぐ普通の町や村の子供たちと一緒に勉強できる環境が整うと、そういう方法を取る必要があると思います。ですから、これからは対立になるような政策を打たないということです。
 もう一つ、少数民族が戦ってきて、あるいは対立しているその資金源は何かということでございます。
 一つには、麻薬、アフガニスタンから採れる宝石類であり、あるいはその密輸です。これが資金源です。あと、もちろん外国から援助されているひも付きの少数民族や特定の地域は外国からの支援があります。これが主な資金源だと考えられます。
#29
○参考人(清水学君) 何から始めたらいいかというのは、これはもう本当にないない尽くしということをカルザイさんもおっしゃっていたように、非常に難しい問題が多いと思うんですが、一つ、これはすぐ解決できるというわけじゃないんですが、地道にやらざるを得ないんですが、いわゆるカラシニコフ文化というと言葉としてちょっとあれですが、要するに矛盾とか何か意見の対立がある場合に、これを話をして話合いとか意見の違いを明らかにすることじゃなくて、まず先にずどんとやってしまうような、そういう文化がある意味ではできてきてしまったと思うんですね。そういう点では、いわゆるカラシニコフ文化というか、こういうものをなくしていくための文字どおり粘り強い教育ということになると思うんですが、問題は、外部から武器を供給したり、それからそれを、武器を買える金を供給するというメカニズムを断ち切るということが大事だと思うんですね。
 それで、昨年の、遠藤参考人も一緒に参加した昨年十二月のNGOのアフガン復興支援会議のときに、あるアフガンのNGOの方がこういうことを言っていたんですが、NGOという場合であっても非常に厳しく見てほしいと。最悪の場合は、NGOにお金をやったのが、それがどこかのある特定の軍閥の武器に変わってしまうという、そういう可能性も否定はできないんだと。だから、NGOという名前を掲げているからといって、実態は何なのかということについては吟味に吟味を重ねてほしいというのがアフガン側のNGOからの要望でした。
 そういう、それが一つと、あとは、援助する側の問題としてやはり外部の介入の問題で、特に今まで議論に出ていますように、パキスタンとイラン両国の問題が大きいと思うんですが、それで、今カルザイ議長は与えられた条件の中ではかなり頑張っていると思うんですね。パキスタンにも行きましたし、それからこの間は、ちょっと前まではイランに行きまして、それで、しかもイランのときには、ちょうどカルザイさんがアメリカの議会にいるときにブッシュさんが例の悪の枢軸の発言をしているんだけれども、そこに居合わせているんですね。しかし、彼はイランとアフガンの関係はそれとはまた別の問題であるということをはっきり言っていますので、その点でカルザイさんの手腕にかなり期待したいということが一つあります。
 それで、具体的に復興というのはいろいろとあると思う。もちろん地雷の問題もありますし、あるんですが、生産の問題としてやっぱり、農業の問題でやっぱりカレーズ、地下水の運河で、あれですね、これをかなり、今度の戦争でもちょっと破壊されたと思うんですが、これをどうやって復活していくかという、これもかなり真剣に考える援助対象ではないかというか、協力対象ではないかと思います。
#30
○吉田博美君 自民党の吉田でございます。
 まず、清水参考人にお伺いしたいんですが、中央アジアの五か国につきましては、民意からほうふつした独立運動ではなくて、むしろトップダウンの独立であったというようなお話もお聞きしたわけでございますが、そんな中でこの五か国の独立後の非常に財政状況あるいは経済状況、非常に厳しい現状というものをお聞きしたわけでございますが、特にその中でウズベキスタンは四分の三、GDPが、程度であると。そして、あとの四か国については二分の一程度にGDPがなっているということを先生の文献から見せていただいたわけでございますが、その原因は何なのかと。先ほど来お話しになったことも一つ参考になると思うんですけれども。
 それと、どのぐらい実質的に経済状況が悪いのかということで数値をちょっと比較して、もし分かれば教えていただきたいんですけど、GDPの国民一人当たりはどのぐらいの額かということは、また日本と比較の中で教えていただければと思うんですけど。もし、簡単で結構でございますので、お願いいたします。
 また、遠藤参考人にお聞きしますけど、私は、教育の問題についてお聞きしたいと思ったんですけど、もう大田委員の方から質問がございましたが、学校を作るということで女性が非常に熱心であるということをお聞きしたんですけど、ただ、タリバン政権下の下で六年間、女の子は学校へ行けなかったという現状の中で、家庭教育で字を教えたのか、読み書きを教えたのかということも一つの疑問点でございますけど、文盲率というのはどのぐらいの割合であるのかということと、そして、先ほど来の、学校をそれぞれの地域で作るということでございますが、その言語というか、ペルシャ語での教育でいいのか、それとも、それぞれの部族がありますから、また違う言葉で教育をするのかということで、その辺の御意見等をお聞かせいただきたいと思います。
#31
○参考人(清水学君) 最初に中央アジアの経済の話ですが、生産が低下した理由というのは、もちろんいろいろな要因が重なっているんですが、一つは、ソ連時代には、ソ連全体として一つの分業体制というか、これができていたわけですね。ところが、それが独立してしまったことによって国内の分業関係から国際貿易の関係になると。ところが、その間の通貨の問題についても十分解決できないうちに分かれてしまったために、分かれてしまったというか、その後、独自通貨になっていったために、相互の通貨の交換性、信頼性も低下した。そうすると、ソ連時代の分業体制が崩壊するというか、これによって相互に縮小プロセスに入ってしまうということが一つありました。
 それから、二番目は、市場化への、つまり今までのソ連型のシステムからいわゆる市場経済に入っていくという、そのシステムの転換ですけれども、この転換がどこの国も極めて厳しい状況に置かれました。というのは、税収が他方では減少すると。しかし、歳出の方は必ずしも簡単には減らせないということからくる大きな今インフレの問題等ですね。それで、生産も、原材料とか部品が回らなくなるということからくる生産低下、それからマーケットがなくなってくるということからスパイラル状に落ちていったんですね。
 それで、私が書きましたように、大体、ウズベキスタンを除きますと大体二分の一ぐらいに下がりました。それで、ウズベキスタンが、どちらかというとソ連型の計画システムをかなり残しておいたということと、それからウズベキスタンはたまたま、何というか、自給システムがある程度できるような資源の賦存度であるというようなことも幸いして、若干落ち方は少なかったと。現在はまた状況も少し変わってまいりまして、カザフスタンがここ二年ぐらいかなり急成長をしております。それ、全く石油のせいで、大体一〇%ぐらいの成長を続けています。恐らく今後ともかなりいいところに行くのではないかと思います。だから、問題は、あとは配分の問題ということになってくると思うんですが。
 それで、所得水準が、これはほとんど、余り比較していいかどうか分かりませんけれども、カザフスタンが若干高くて、恐らく今千二、三百ドルじゃないかと思う、一人当たりですね。それから、あと、ほかのところはかなり低くて、キルギスなんかですと恐らく四百とかもう少し、四百ドルぐらいではないかと思います。──間違えていますか、大体同じですね。済みません、資料を今教えていただきましてあれですが。それで、あとウズベキスタンが大体九百五十ドルぐらい。結局、キルギス、タジクが、今私が申し上げたように、これ若干、答えの数字としては三百七、八十というところだと思います。
 それから、あとは何でしたかしら、御質問はこれでよかったでしょうか。
#32
○参考人(遠藤義雄君) アフガニスタンの文盲率、逆に言えば識字率がどれくらいか。これは、正確なデータはないんです、調査が正確に行われたことがないからなんですが。ただ、今まで言われたこと、あるいは復興に際してのサンプル的な調査があります。これが一つの参考になるデータでございますので、それに基づきますと、文字を読める人たちは女性が男よりも少し低くて、やはり平均にしますと二割五分から三割の間です。三割というのはちょっといい方で、これは地域差があると思いますが。ですから、二割から三割の間、二、三〇%の間ということでございますね。ですから、それでも約七割は文盲であるということです。
 こういう状態ですので、今は恐らく特にパキスタンとかにいる難民三百万人、二百万人前後いるわけですが、そういう人たちは、差し当たって帰ろうとすれば首都のカブールに帰ろうとするわけですね。しかし、教育の面で、地方に学校ができていれば、子供の教育のためにカブールに行かなくちゃならぬなんという状況でないものをつくっておくことが重要だと思うんですね。ですから、復興と、その首都への人口の集積というものを回避する政策の一つとしても、教育、学校というものを適当に全国に早く再建させるという方法が重要だと思います。
 もう一つ、じゃ、どの言語で教えるのかという問題でございますね。伝統的には、アフガニスタンの普通の政府系の学校であれ私立の学校であれ、言語、教育言語はペルシャ語であります。アフガニスタンの人たちは二か国語、三か国語、要するにバイリンガリスト、トリリンガリストであります。それで、一番多いのが、ペルシャ語が公共用語というか、国語と言わなくても公共用語であります。ラジオ、テレビもペルシャ語で話せばだれもが分かります。
 次に、国民の四〇%が主要民族と言われるパシュトーン人です。歴代王朝はこのパシュトーン人から国王が出されているという問題があります。しかし、このパシュトーン語が教育用語として使われたのは戦後であります。まだ三十年の歴史、しかも過去二十年間は教育、公教育がなかったわけです。十数年の時間しか歴史としては刻んでいないんですね。ですから、差し当たってウズベク語をどうするかとかという問題はあります。しかし、アフガニスタンの伝統的に教育言語として使われたのがペルシャ語だったと。あと、政府の文書が、すべての文書がペルシャ語で書かれていると。ですから、アフガニスタンの古典を読むにもペルシャ語は必要なわけです。政府の文書を読むのにもペルシャ語が必要だということであれば、差し当たってはペルシャ語を教育言語と選べばよろしいと思いますね。
#33
○佐藤雄平君 両参考人、貴重なお話ありがとうございました。
 入澤さんからもありましたけれども、最大の問題というのは、これ貧困が絶望になっていろんな事件が起きていると。その前提に立つと、まず経済復興だと思うんです。
 経済復興で二点。一つは、このアフガンを中心とした中東地域における自立経済、これは具体的にどういうふうな産業が将来的に立地できるであろうかということと、もう一つは、いつまでも、未来永劫援助というのはあり得ないわけですから、その中で自立の前にいろんな資本が入っていく、市場経済が入っていく、そのときに宗教それから民族、こういうふうなものは障害にならないのか、この二点について両参考人からお伺いしたいなと思います。
#34
○参考人(清水学君) 大変難しい御質問だと思うんですが、仮に今アフガニスタンというふうに限って、を一つの焦点として考えた場合に、どうした経済復興ということを考えていくかということになると思うんですが、とりあえずは農業の復興ということで、それからこれは小麦、それからあと綿花、それから更にもう一つは、農業以外ではいわゆる畜産というか、これは羊等の頭数を復活して、それからカシミヤとかカラクルというような特産物があるんですが、そういうものの伝統も更に復活させるということになるのかなと思います。
 それで、あとは中小企業、つまりそれの加工を、どのくらい競争力のある加工製品ができるのかどうかちょっと分かりませんが、できるだけ伝統的なものを生かすような形の加工業というか、これが一つのポイントになるのかなと思います。
 あとは、これはまだ先の話ですけれども、中央アジア全体がある意味ではシルクロードのいろんな遺産がありますので、現在は中央アジアというといわゆる観光地としてはウズベキスタンが大体中心なんで、今は、最近、ウズベキスタンも今はちょっと落ち込んでいますけれども、そうするとアフガニスタン、ウズベキスタン等も含めた中央アジア観光みたいな、こういうツーリズムというような問題も、現在は夢物語に見えますけれども、中長期的にやっぱりこれは考えておくべきあれではないかなと思います。
 ただ、何かこう大規模な機械産業をどんどん作るとか、そういうようなことは必ずしも現実的では当面はないのではないかと考えています。それから、輸送の問題もありますし。
 それから、あともう一つ、もしアフガニスタンで和平が本当に達成できますと、例えば中央アジアのウズベキスタンの一番南のテルメズという町がありますけれども、テルメズからマザリシャリフ、それからヘラート、それから更に南へ下りてきましてカンダハル通ってパキスタンのカラチに抜けるこの道ができますと、大体トラックの輸送で二十四時間でテルメズからカラチに来れるようなんですね。そうすると、今までのあの地域の輸送ルートが東西になっているわけですが、南北の道というのも開けるようになると。そうすると、輸送通路としても、それからあるいは全体として、あの地域全体としても新しい発展の可能性というのも出てくるのではないかというふうに考えられます。
#35
○参考人(遠藤義雄君) アフガニスタンに限定したものと、中央アジア、南アジア含めた広い地域と、二つの方法があると思います。
 アフガニスタンに限定しての経済復興というものを考えますと、アフガニスタンはこの紛争に巻き込まれる二十数年前に農業部門での自立というのか自給が達成されていたということですね。ですから、アフガニスタンの大地を耕し始めれば、今二千万人の人口がいるわけですが、この人たちが自給できるだけの農業の復活を図ることができるということでありますね。ですから、永久にここの地域の人たちが外国の小麦に依存しなくちゃならないということではないと思います。もちろん、人口増加とその生産がどういう関係になっていくかによりますけれども、潜在的にはアフガニスタンの田畑を耕せばここの国民は食べられるという、そういう環境にあるということですね。
 もう一つは、この二十年間の中でアフガニスタンで生産高が落ちてなかったものが一つあるんです。じゅうたんであります。アフガニスタンのじゅうたんというのは非常に頑丈でありまして、百年間全く使うことができる、傷まないというじゅうたんです。ペルシャじゅうたんは美術品になるかもしれません。これは実用のじゅうたんであります。難民キャンプで女子供がせっせと作っていたのがこのじゅうたんであります。今、そのじゅうたん、更に生産を増やして世界から注目され、このじゅうたんを欲しいというバイヤーが増えてきています。これはいいことです。つまり、家内工業あるいは地域産業の一つの有力な目玉を持っているということですね。
 あと、宝石類もまだこの国から掘り出すことができます。そして、伝統的なものに、先ほど清水参考人も言われましたように、カラクルという特殊な毛皮を生産する技術を持っています。羊をもっとどんどん増やしていけば、このカラクルの生産も増えていきます。世界の女性たちがカラクルでコートを着たいというようになれば、このカラクルは非常に売れる製品になります。
 あと、これはアフガニスタンのいろんな木の実、ピスタチオとか松の実とか、日本人でも今大変食べるようになりました。小さなスーパーマーケットにもこういうものが置かれるようになりました。アフガニスタンのこういった木の実は世界一級品であります。イランとアフガニスタンの生産品はいいものなんですね。そういうものを、それも木とか何かが切られてしまって生産落ちています。しかし、そういうものに着目すれば、彼たちの伝統的な生産品というものに注目すれば、彼たちが少しずつ自活していく力を回復してきます。
 あと、ソ連の地質学者たちはアフガニスタンに天然資源、石油、天然ガスはわずかしかないということでありますが、アメリカの地質学者の調査によると結構あるということなんですね。ですから、もう一遍地下資源がどれだけあるのかないのかを探索しまして、もしあるのなら、これも復興の材料に使うことができると思います。
 今度は地域的なもの、近くからアフガニスタンを見た場合、既に清水参考人も言われましたように、アフガニスタンが和平が達成しますと、中央アジアとのルートがインド洋につながって最短距離になるということがあります。ですから、貿易が活発になるということ。
 もう一つは、エネルギーの問題です。アフガニスタンに潜在的にあるなしにかかわらず、中央アジアには結構なエネルギーが眠っている。そして、それが今ヨーロッパに持っていかれ、そしてまたロシアの問題がある。あるいはどうのこうのという問題があります。
 しかし、インドの人口は十億です。中国の人口も十数億で、あと十年も待たずして恐らくインドの人口は中国の人口を上回ります。インドの人口、バングラデシュの人口、パキスタンの人口を合わせますと恐らく二十億近くになろうとしています。
 この地域のエネルギーはやはり中央アジアに依存しなくちゃならない。中央アジアからエネルギーを南アジアに運んでくるには幾つもルートが考えられます。しかし、アフガニスタンルートが一番安く上がる。そういった地域全体のエネルギーの移動の通過点になるということも、通過料がアフガニスタンに落ちるということがあります。
 こういうことを考えますと、地域の安定化が、ある意味で、アフガニスタンだけに限らず中央アジアの各国、南アジアの各国にプラスの経済的な効果を生み出してくれるものがあるということ。ですから、アフガニスタンの復興というのは、単なる人道的なものばかりじゃなくて、十年先、二十年先から見たときにも必要な復興、つまり先を見越した投資に当たるというふうにも考えることができるものだと僕は思っております。
#36
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 予定の四時の時刻が参りましたので、本日の質疑はこれで終わらせていただきたいと思います。
 参考人に一言お礼のごあいさつを述べさせていただきます。
 長時間にわたりまして大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な調査を行うことができました。
 参考人のますますの今後の御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時三分散会
ソース: 国立国会図書館
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