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2002/04/03 第154回国会 参議院 参議院会議録情報 第154回国会 国際問題に関する調査会 第5号
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2002/04/03 第154回国会 参議院

参議院会議録情報 第154回国会 国際問題に関する調査会 第5号

#1
第154回国会 国際問題に関する調査会 第5号
平成十四年四月三日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月三日
    辞任         補欠選任
     緒方 靖夫君     池田 幹幸君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    理 事
                世耕 弘成君
                山崎  力君
                山本 一太君
                藁科 滿治君
                沢 たまき君
                田村 秀昭君
    委 員
                入澤  肇君
                小林  温君
                桜井  新君
                西銘順志郎君
                野上浩太郎君
                舛添 要一君
                森元 恒雄君
                吉田 博美君
                小川 勝也君
                木俣 佳丈君
                佐藤 雄平君
                山根 隆治君
                若林 秀樹君
                高野 博師君
                井上 哲士君
                池田 幹幸君
                大田 昌秀君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       日本学術会議第
       一部長
       東京大学名誉教
       授
       東京経済大学名
       誉教授      板垣 雄三君
       東京都立大学人
       文学部教授    大塚 和夫君
       一橋大学大学院
       社会学研究科教
       授        梶田 孝道君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題に関する調査
 (「新しい共存の時代における日本の役割」の
 うち、イスラム世界と日本の対応(文明間の対
 話)について)

    ─────────────
#2
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告をいたします。
 本日、緒方靖夫君が委員を辞任され、その補欠として池田幹幸君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(関谷勝嗣君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、本調査会の調査テーマであります「新しい共存の時代における日本の役割」のうち、イスラム世界と日本の対応に関し、文明間の対話について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行いたいと思います。
 本日は、日本学術会議第一部長・東京大学名誉教授・東京経済大学名誉教授の板垣雄三参考人、東京都立大学人文学部教授大塚和夫参考人及び一橋大学大学院社会学研究科教授梶田孝道参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本調査会では、イスラム世界と日本の対応につきまして重点的かつ多角的な調査を進めており、本日は文明間の対話について参考人から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず板垣参考人、大塚参考人、梶田参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時三十分ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いを申し上げます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、板垣参考人から御意見をお述べいただきます。板垣参考人。
#4
○参考人(板垣雄三君) 板垣でございます。
 文明間の対話ということを中心として、私の日ごろ考えておりますことをお話しさせていただきます。
 先月の十二日、十三日でありますが、日本外務省とそれからバハレーンの外務省、バハレーンはこのたび王国になりました。バハレーン王国外務省と、その両者が共催する形で、バハレーンにおきましてイスラム世界と日本との文明間対話という会議が行われまして、それに私もいささかお手伝いをしておりましたものですから、その会議に参加いたしました。
 その会議では、十三か国の、日本、バハレーンを含めまして十三か国の知識人が一堂に会してそして対話をするという、そういう会議でありました。その際、ほとんどはアラブの国の人々でありまして、イランがそれに加わっておりました。湾岸の国々が多かったのでありますが、チュニジアとかモロッコとかエジプトも含めて北アフリカの国々なども加わっておりまして、広くアラブ世界プラスイランという、こういう国々からの人々と日本側の六名の知識人が対話をするという、そういうことになりました。
 その際、イラン人側から出た日本に対する意見として私の印象に残っておりますのは、主として昨年の九月十一日の事件以降のことでありますけれども、自分たちはあのニューヨークやワシントンにおけるあの事件に出会ってすぐ思い浮かべたのは日本のことであったと。広島、長崎の惨禍、惨劇というものを思い浮かべた。日本の人々は一体そういうことに関してはどういうふうに考えているんだろうかというこういう問い掛けとか、それからパレスチナ問題に関して、彼らは非常に最近日本の側のパレスチナ問題に対する立場というものに対して懸念を持っていると。両者、イスラエルとパレスチナ人がともに紛争の当事者というそういうことで、言わばどちらもどちらというそういう対等の紛争当事者として扱われている。占領というそういうふうな問題に対して日本は一体どういうふうに考えているんだろうか。そしてさらに、この昨年の九月の事件以降、殊に湾岸の地域におきまして日本の企業の事務所のかなりの部分が閉鎖されてしまったと。日本は非常にイスラム世界に対して、とのかかわりを進めようということに関して逃げ腰ではないかという、こういうふうなかなり厳しい意見が述べられました。
 こういう率直な意見を彼らが言うという、そういうふうな雰囲気の中で対話をするという、そういうこと自体は、非常にこれは、今後長い目で考えれば非常にプラスのことであり、日本として試みた第一回目の文明間対話の実験としてはその意味では成功であったというふうに私は考えております。
 そういうところで、いろいろ考えましたことも含めまして、今日、私の方でお手元にございます資料1と2というものを用意いたしました。これから手短に、大変な駆け足でありますが、この資料1と2を交互にごらんいただきながら私の意見陳述をお聞きいただければと存じます。
 まず、この図の方のAという最初のマップ・フォー・シビリゼーショナル・ストラテジーという、文明戦略マップというふうに私が称しておりまして、これは三十年余り前に私が作って、それから後使ってきている図でありますが、このような形で文明戦略というものを日本として考えていく必要があるのではないかということで作ってみた図であります。
 これは、ユーラシアサークルとインド洋サークルと地中海・アフリカサークルという三つのサークルが三重に交差している、こういう言わば歴史的な世界というものを考えまして、そこでその三つのコミュニケーションが相互に非常に密な、そういう区切りとしての言わば歴史的サブ世界としてのユーラシア、インド洋、地中海・アフリカというこの三つが全部そこに集約されている、全部が重なり合っているところ、そこが中東であろう、そして二重に重なっているこの斜線を引いてあります部分が、これが中東の拡張部分であろうと。この中東と中東の拡張部分というものを合わせました言わば三つ葉のクローバー状の場、地域、それがイスラム世界の核であると、こういうふうに考えております。
 そして、この三つどもえの歴史的な世界の背後に、これをちょっと立体的に見て考えていただきたいのでありますが、裏側にアメリカ大陸というものがある。そういうところで、中東とそれから裏側のアメリカ大陸というのはその手前の三つどもえの世界というものを全部持っているという点で共通しているところがある。つまり、裏側のアメリカ大陸にはユーラシアからアメリカの先住民と言われるインディオ、インディアンと呼ばれるような人々が移ってまいりましたし、それからイベリア半島やヨーロッパやアフリカからも人々がたくさん移ってまいりました。また、このインド洋世界というところからオセアニア、太平洋を越えてアメリカ大陸との間にこの人間活動のつながりがあったということも次第に最近明らかになってきております。
 そういう意味で、中東はこの手前の三つどもえの世界が全部重なっているところであると同時に、裏側のアメリカ大陸というところも手前の三つどもえの世界が全部重なり合うような形である。こういうふうなことで、この中東とアメリカ大陸というものの親近性というものをこの図は考えております。
 そして、問題の日本でありますが、日本はこのユーラシア世界とインド洋世界の交点、外側の交点にあります。これは、ちょうどユーラシア世界と地中海・アフリカ世界の外側の交点のこの西ヨーロッパとちょうど非常に対照的な位置にある。日本と西欧というものが、これが非常に親近性を持った、また対照的な存在としてあるという、こういうことを考えよう、考え直してみようという図であります。
 日本と西欧は歴史的な世界の全くの辺境にありますが、しかし同時に、この海を隔ててアメリカ大陸をも望見、はるかに眺める、そういう立場にあり、そこから、一番端にあるということによって世界全体が見渡せるという、そういうまた逆に有利な位置にあるという、こういうことも言えるわけであります。
 さてそこで、この日本とそしてイスラム世界との関係というものを考えてみますときに、歴史的にはこの日本とイスラム世界というものは非常に特異なつながりを持っていた、関係の中にあったという、そういうことをまず問題にしてみたいわけであります。
 この資料2の方の、比較的前の方でありますが、歴史的関係のこの間接性というものは否定できないということをまず言わざるを得ません。確かに、現在日本人は、この中東とかイスラム世界ということになりますと、非常に遠い存在というそういう気持ちが非常に強いわけでありますが、その前提として歴史的関係の間接性というものは否定できない。そこの下に幾つかの例を挙げておきましたけれども、いずれもこの間接的なかかわりであります。
 例えば、この慶政上人、十三世紀の初めに慶政上人が中国の泉州という港でイラン人と出会った、そこで記念に一筆書いてもらった、それは慶政上人は、これは仏様の国から来た人に書いてもらったと思って日本に持ち帰ったわけでありますが、二十世紀になりまして、この文書はペルシャ語の詩がそこに書かれているということが分かってきている。こういうふうな式でありまして、非常に言わばエピソードという格好のつながりであります。新井白石に関しましても、宣教師の、カトリックの宣教師シドッチというのが日本に潜入しようとした、布教のために潜入しようとした、これが捕らえられて、それを白石が尋問いたしました。そこでいろいろイスラム世界の話を聞く、それを書き留める、こういうふうな形の知り方であります。
 こういうふうにして、間接的なのでありますが、関係は非常に不思議なパラレリズム、ここで同時並行性というふうに言っておりますが、こういう不思議な並行性というものを持っております。
 これは、国家の形成というのは、イスラムにおいても日本においても西暦七世紀というのが非常に重要な目印になるところであります。聖徳太子と預言者ムハンマドというのは、全く同時代、全く重なり合った時を生きた人々でありまして、しかもそこで強調された和というのと、それからこのサラームという、このイスラームという言葉とも関係がありますが、平和という言葉、このアラビア語のサラームと和という、こういうふうな対照においても不思議なパラレルを考えることができるわけであります。しかも、日本はその当時、日本の国号といいますか国の名称は和国という、そういう平和の国というそういうものであったということと、このイスラムの国家が成立したということが同時である、そして、その二つの歴史が非常に並行したものとしてあるという、そういうことに注目したいわけであります。
 それから、諸宗教の共生という、そしてまたその相互の関係付けという、そういう点でも日本とイスラムとの間には非常に不思議なパラレリズムがあります。イスラムの方は、この資料に書きましたように、いろいろな宗教というものが神によって定められる、イスラムという宗教もそのワン・オブ・ゼムである、非常にたくさんの異なった宗教が神の前に言わば横並びにある、その諸宗教というものがどういう関係を持ち合うべきであるかということに関して、イスラムは非常に注意を払ってきたわけであります。そこで注意されるのは、非常に法的に制度を固めていく、そういう諸宗教の間の安全保障にかかわる協約関係、契約関係というものをどうやって安定的に整えるかという、そういう言わば制度化の方向を向いている。
 それに対して日本の方は、神道とか仏教とか儒教とか道教とか、後にはキリシタンも含めまして、そこでそういうものを言わば混ぜ合わせる、そういう習合、シンクレティズムという、こういう社会の日常生活の中で諸宗教というものが重なり合うそういう状況というものを作り出すという、こういうところで絶えず諸宗教の間の関係ということを考え続けてきたわけであります。この本地垂迹とか根本枝葉花実説とか、そこに書きましたけれども、これは全部、日本の神々とそれから仏、仏陀、菩薩と、それから儒教の考え方と、こういうものの関係付けを問題にしようとしたものであります。
 その下にずらっといろんなことを書き並べましたけれども、これはちょっとずらっとごらんいただければと存じます。いろんな意味で日本とイスラムというものは、遠く離れているんだけれども、不思議なこのパラレリズムにおいてつながり合っている。
 そして、この二ページでありますが、一世紀前の日本人というのはイスラムに非常に重大な関心というものを持って対話いたしました。これは、現在の我々からすれば信じ難いほどに明治の日本人はイスラムのことを知っておりましたし、イスラムに対して非常に強い関心を持っておりました。
 そこにいろいろな事例を書いてありますが、その中でも、特に条約改正の問題にかかわって、エジプトにおいて実施されていた混合裁判所というものを列強は日本においても実施するようにということを要求したわけです。それがこの条約改正の、不平等条約を平等なものに変えるための前提条件として要求されたわけであります。したがって、明治期の日本人はこの条約改正というものを追求するところでは、いや応なくオスマン帝国やエジプトの法制の状況というものを、あるいは裁判制度というものを研究せざるを得なかった。例えば、現在東京大学法学部の図書室などに著しいそういうエジプト関係の法制に関する資料、研究が所蔵されているという、そういうようなことを考えましても、日本の法学の出発点というのは、実はそういうイスラム世界においてヨーロッパが一体どういうふうな法というものを言わば押し付けようとしているのかということに関する研究から始まったという、そういうことであります。
 なお、二十世紀の初めにおいては、この二ページの真ん中辺にありますように、このジ・イスラミック・フラタニティーという、イスラムの友愛というそういう、兄弟愛というこういうタイトルの定期刊行物が東京で発行されておりました。これが広くイスラム世界に行き渡る、そういうものでありました。インド人のムスリムのムハンマド・バラカトッラー、これは当時の東京外国語学校の教授でありますが、それとエジプト人のアフマド・ファドリーという、この二人の人物が東京でこういうものを発行していたわけであります。
 こういうふうな形で、一世紀前の日本というのは非常にイスラムに対して関心を持っておりました。その下の二十世紀の国際政治における中東と日本のリンケージというところをごらんいただきますと、この二十世紀の初頭においては、エジプトをイギリスが取り、モロッコをフランスが取るというこの英仏協商、それから、イランを南北に分割して、北側をロシアが勢力範囲とし、南側はイギリスが勢力範囲とするという英露協商、この二つを組み合わせた三国協商というものが成立する。これが第一次大戦の片側のブロックを形成するわけでありますが、この三国協商というものができ上がるそのきっかけは日露戦争であります。
 また、日本はパレスチナ問題において手を汚したことがないというふうなことが一般によく言われておりますが、そのイギリスのパレスチナ委任統治という、このパレスチナ問題の出発点でありますが、それを定めたサンレモ会議に日本は参加しております。したがって、例えばパレスチナ人の側からは、日本がパレスチナ問題で全くかかわりがなかったというふうなことは、それは彼らの常識としてもそんなふうには考えていない。ここでも日本とイスラム世界との間の行き違いといいましょうか、が起こっていると思います。
 二十世紀の中葉においては、イスラエルが生まれ、スエズ戦争で植民地主義が退潮をする。こういうふうなところでナショナリズムの運動が、第三世界のナショナリズム運動が起こってくる。そういうところで日本は高度成長期を迎えたわけでありまして、専ら中東の石油というものに依存するところでは、実は日本は深くアラブ・ナショナリズムの運動等パレスチナ問題、あるいはやがてやってくるイラン・イスラム革命、こういうものにかかわらざるを得なかったわけであります。
 二十世紀の末になりますと湾岸戦争ということになります。この三ページに下線を引いて書いてありますように、現代日本の大きな曲がり角、つまり第一次石油危機、ここで日本の高度成長は終わりました。この石油危機においても、それから湾岸戦争、ここにおいて国際社会における日本の国としての在り方、これが非常に大きく変化いたしました。こういうふうな日本の大きな曲がり角というのは必ず中東における大事件と絡み合っている、しかもそこにはイスラムというものが絡んでいるという、そういうことであります。
 三ページの真ん中辺りに、「二十世紀から二十一世紀へ」というところで、「イスラム問題のグローバル化」としてたくさんの事件を書き並べました。これをざっとごらんいただきたいのでありますが、一九九〇年から現在に至る十年余りに起こった世界の大事件をここに挙げました。これをごらんいただいて、誠に不思議なことは、この大事件がみんなどれもこれもイスラム絡みであるという、そういうことであります。
 そこで、この二番目の問題に移りたいと思います。「西洋中心主義を脱却する」というところでありますが、世界を見る見方というものを我々としては今転換する必要があるのではないか。イスラム世界がヨーロッパの覇権に屈したのは近々二百年ほどのことでありますが、このわずか二百年ほどの前はイスラムが、言わばイスラム文明が隆々としてむしろヨーロッパに威圧を加えていたわけでありますけれども、この二百年ほどの間、どうして西洋が覇権を握り、そして西洋中心主義の考え方が優勢になったのかということであります。
 さて、そこでまた資料の1の図の方をごらんいただきたいのでありますが、これのBの図に、一ページ目のBの図に、ヨーロッパ中心主義というものがどうして、またいかに起こってきたかというところで、この二つの世界論というものを、ツー・ワールド・セオリーという、そういうものをまず最初に挙げました。この資料のこの図をごらんいただきますと、これに更にエフィシェンシーという、効率性という、こういうものが加わって、その考え方を土台にして、軍事化、ミリタリゼーションと、それから大量生産方式の産業主義、こういうふうなものがヨーロッパの覇権というものを、近々二百年でありますけれども、の世界でありますが、生み出したということなのでありますけれども、この中で、この二つの世界論というところにちょっと目を留めていただきたいと思います。
 この資料の2の、文字を書きました資料の方の四ページをごらんいただきたいと思います。
 そこに、最初のところに「西欧オリエンタリズムの秘密」というのが書いてありますが、実はヨーロッパは、イスラム文明と切り離してはヨーロッパの文明というものを考えることができないのであります。ヨーロッパ人はこのことをもう百も承知、もう十分にだれも、インテリだけじゃなくて庶民もそのことは感じております。しかし、それが分かっているだけに、そのことを言わない。そういうところで日本は言わばヨーロッパ研究が足りなかったといいますか、ヨーロッパを読み違えてきたと。ヨーロッパ人はイスラム世界というものに対してどういうふうなかかわり方を彼ら自身感じているのかということを十分に見分けることができなかったのであります。
 最近は、この西欧オリエンタリズムということが盛んに問題になっております。つまり、西洋のゆがんだイスラム観、アジア観という、これをオリエンタリズムというふうに称しておりますが、このイスラム文明に対する非常に強烈なコンプレックスというものを持っている。それが敵意にまでなって、そこで自分たちとイスラム、自分たちとアジア、こういうふうな対抗関係で世界を二つに分けて考えるという、こういう見方になっている。
 東洋と西洋というものをまるっきり反対の、東洋は、そこに書きましたように停滞的、後進的、受動的、被浸透的、官能的、非合理的、専制的で、それに対して、西洋というのは発展的で、先進的で、能動的で、浸透的で、理性的で、合理的で、民主主義的であると。もうすべて東洋の方は駄目で、西洋の方は光り輝く存在、こういうふうな格好で考える、この二分法の考え方。そして自分たちと駄目な相手という、こういう見方ですね。これがその下に書き並べましたような、物事を絶えず二つに分けて対立的に考える、ユダヤ人と非ユダヤ人とか、心と体とか、物質と精神とか、宗教と科学とか、政治と宗教とかですね。こういうふうな二分法、それがこのヨーロッパとイスラムとか、ヨーロッパと非ヨーロッパという、こういうことになっているわけであります。
 なぜ現代の世界でこのイスラムがかかわると欧米の方は非常に力が入るのかという、そういうことは実はこういうふうなことと絡み合っている。これは十字軍以来の長い長いヨーロッパの抱え込んできた歴史の問題であります。
 そこで、こういうふうな西洋中心主義というものに対しまして、私が、図の方の二枚目にありますCの図でありますが、この対案としてモダナイジング・プロセス・イン・ワールド・ヒストリーという、こういう図を作ってみました。
 これはイスラム文明、イスラム文明のここでは本質は都市性とそれから近代性という、アーバニズムとモダニティーという、こういうふうなものとしてここで考えておりますが、ヨーロッパというのは言わばそれの地続きの単なるヨーロッパ的展開といいますか、そういうものがヨーロッパの近代であると。ヨーロッパ近代というものがまず出発点で、それが世界に広まっていくというような、こういう西洋中心主義を、今我々は大きく頭を切り替える必要がある。むしろイスラムから受け取ったものによってヨーロッパは近代化したんだということでありますね。そこにアッシジの聖フランチェスコやダンテから始まって、ヨーロッパがいかに多くのものをイスラム世界から受け取り続けてきたかという、そういうことをちょっとちらっと書き出しておきました。それを後にもうちょっとまた触れることにいたします。
 ところが、同時に東の方にも、このイスラムの都市性、都市を生きる生き方と、それから近代的な物の考え方、これがネットワークを広げてきまして、中国やインドや日本、そういう東の方にもその近代化のきっかけを作ったということがこの資料2の四ぺージの下の方に挙げてあります。
 中国の場合には、例えば宋代以降この儒教というものが新しい体系化をする、こういうところでイスラムの思想というものとそれを切り離して、単なる中国思想史としてそれを考えるような、こういう考え方は非常に今や大きく見直されることになってきております。日本でも非常に研究されております李卓吾という思想家を、そこに名前を挙げておきましたけれども、この人は中国のそういう儒教、そして仏教の思想の中で重要人物とずっと考えられてまいりましたが、彼は中国におけるイスラム教徒であります。
 インドや日本のこともそこにずらっと書いておきました。
 そこで、五ページに参りますが、ここの資料の2の五ページの「イスラムの成立と世界史の「近代」」というところでは、これは図の方のDというのと対応し合っております。しかし、こちらの資料の文字の方だけをごらんいただきたいと思いますが、そこに書き並べておきましたような、我々がもう専らヨーロッパ発のものである、ヨーロッパから起こってきたものであるというふうに言わば日本の教育ではもう小学校から大学まで教えている、そういう中身がここで大きく読み替えられなければならないということをここで主張しているものであります。
 個人主義とか合理主義とか普遍主義というこういうものも、イスラムと切り離してヨーロッパの個人主義、合理主義、普遍主義を理解することができない。この市場経済とか、市民社会とか、国民国家とか、共和国とか、社会契約の観念とか、知識、情報の価値とか、知識人の役割とか、大学とか、こういうたぐいのことも、これみんな言わばヨーロッパはイスラムから受け取ったものであります。こういうふうなことを考え直そうとするところで、どうしても日本人の物の考え方の中で、これはただ教育の中身を考え直すというだけではなしになかなか大変なことがある。それは日本のオリエンタリズムというものがあるからであります。
 日本は、ヨーロッパのこういうオリエンタリズムを輸入する前にもう既に三国意識という、そういう世界イメージというものを持っておりました。日本の歴史を通じまして、三国意識というのは本朝、これは日本でありますが、唐、天竺、唐が中国、天竺はインドですが、言わば世界は日本と中国とインドから成っているという、こういう見方。三国一の花嫁というのは世界で一番の美人という、そういうことでありますが、この三国意識というところで日本人はずっと我々はいかに中国と違うのか、我々はいかにインドと違うのかという、そういうことを一生懸命考え続けてきた。そこで、日本人アイデンティティーというものを何とか探し求めてきたということであります。
 そこに源氏物語やら神皇正統記やらいろんなことを書き並べましたけれども、例えば根本枝葉花実説というのは、先ほど言いましたように、日本の神々とそのほかの宗教との関係を考えたところで出てきた考えですけれども、根本は日本である、枝葉は中国である、花や実はインドである、こういうふうな格好で日本中心の世界というものを描き出そうと。これが「やまとごころ」やら「みくにぶり」などにもなりますし、こういうふうな史記の言わばアジア離れを一生懸命どこかで考える、その思想がヨーロッパのオリエンタリズムと結び付いたということであります。
 イスラム、その下に四角形でイスラム、西欧、中国、日本という、そういう四角形と斜線の関係を示しましたけれども、西欧がイスラムに実は本当は頭が上がらない、物すごく多くのものを負っているというこの関係は、日本が中国に対して文明的に非常に多くのものを負っている、こういう日本人の中国に対するある非常に特殊な感覚というもの、これは西欧の人々がイスラムに対して感じているものとパラレルであるという、こういう問題でもあるわけであります。ですから、我々が、日本の側からこの斜線でイスラムをどう理解するかというところでは我々のアジア観というものがそこでまた問い直されるという、そういうことになるわけであります。
 さて、その最後のV、時計数字Vでありますが、資料2の五ページの下のところでありますけれども、これからの世界というものを考えますと、非常に国際紛争の巣というか国際紛争の焦点というものが次第次第に東の方へ移ってきているという、こういうことに注目したいわけであります。
 この図の方のEやFでもそのことを示そうとしたのでありますが、このFの図は、皆様のお手元にあるFの図はちょっとかすみを掛けた部分が消えてしまいましたので、これはこの図としてちょっと意味がよく分からないことになってしまっていると思います。専ら資料2の方の、この文字を書きました資料の六ページのところをごらんいただきたいと存じます。
 国際紛争の焦点というものが東へ移ってくるというこのことは、この六ページのところにちょっとその考え方を記しておきましたが、これ簡単に申しますと、まず二十世紀の初めに設定されたパレスチナ問題というものがこれがうまく管理できなくなってきたところで、一九六〇年代の末に湾岸問題というものが設定されました。ところが、この湾岸問題というものがこれがまたうまく管理運営できなくなる、そこでこの中央アジア問題というものが起こってくる、これが現在の問題であります。今日のこのアフガニスタンの戦争やその後ですね、現在、これが表している問題は、中央アジアというものをどういうふうにうまく管理するようにできるかという問題であります。
 このパレスチナ問題、湾岸問題、そして中央アジア問題という、こういうふうにして問題が積み重なってきたわけでありますが、中央アジア問題の行き着く先はこれは東アジア・東南アジア問題であります。我々は、やがて間もなくそういう国際紛争の巣というか焦点の真っただ中に存在するという、そういうことになるに違いないということを覚悟しておかなければならないということであります。
 例えば、具体的に申しますと、この新疆ウイグル自治区の問題というのはもう既に中央アジアの問題でもありますけれども、そういう形で東に寄ったところの、東南アジアも含めてでありますが、イスラムの問題というものがこれから大きく浮上してくる。そしてまた、イスラエルはアメリカに依存するというかアメリカと結び付く、そういうことをいつまでも続けることができない。二十世紀の四〇年代にイギリスからアメリカに言わば移り変わったように、イスラエルと結び付く強国としてやがて新しい提携相手というものをイスラエルは探し当てなければならない、こういう研究がイスラエルの中でも盛んに戦略研究が行われております。そこで考えられている一つのアイデアは、中国や東南アジアの華人という存在であります。
 そういうふうなことを考えてみましても、これからの世界というものを考えたときに、この東アジア・東南アジア問題というものが焦点になってくる。そこで、改めてイスラムというものが大きく浮かび上がってくるという、そういうことであります。
 さて、一番最後の七ページ目のところでありますけれども、そういうところで他方、この開放型日本社会というものへの国際的要求というのがこれから著しく高まるであろう、更に高まってくるであろう。これは単に難民受入れをもっとやれというような、そういうことではとどまらないということであります。日本社会の将来にとってそれは不可避的である。そして、日本社会がこの内向き性向というものをどういうふうに変えていくことができるかということが今問われる。しかも、そこで来るべき開放性というものをどういうふうにコントロールしていくかという、そのコントロールシステムの設計ということが問い直されることになるということであります。
 例えば、一九八〇年代において日本が非常に思い切った開放政策というものをもし取っていたとしたら、恐らく現在のような日本の言わば非常に元気の出ない、こういう状況というものはもっと違う形であったであろうと考えられるわけでありますが、そういうことを考え直してみるということも重要でありますし、それから先ほど言いました、一世紀前の明治日本というのは言わば非常に開放的な社会でもありました。そういうふうな社会がいつ、どうして変わったのかという、こういうことも考え直してみる必要があるわけであります。
 最後でありますが、この新しい文明間対話力というコンセプトを内外に向かって提起し定着化させるという、こういうことが非常に重要であろうと思います。この言わば新しい国力というものの概念において、この文明間対話力というそういうことがこれから非常に重要な意味を持つのではないか。今言いましたような、ある意味での思い切った開放という、社会の開放という、オープネスというものを考えるところで、その下に一杯書き並べましたような様々な分野で我々の文明間対話力というのがどうなっていったらいいのか、これを設計し直すという、こういうことが、これはもう我々を取り巻くこの問題の全部にかかわることでありますが、問題であろうと。
 ついでに、この七ページの今見ていただきましたところのちょっと上に、一神教というものと日本の神々との関係をちょっとそこに書いておきましたが、日本では一神教はとても理解できないと。オサマ・ビンラーディンも理解できないし、それから善と悪との戦いと言われるブッシュ大統領も、やっぱりあれは一神教というものを背景にしているからああいう考えになるんだという、そういうような格好で、日本の神々の世界というのとこれは随分違う世界の話ではないかというような考え方がありますが、ここに書きましたように、実はイスラムもこのやおよろずというのを認めていると。
 コーランを読んでみますと、始めから終わりまでもう至るところに神のみしるしというものをちゃんと見極める、見分けるという、そういうことが言われているわけであります。この神のみしるしは、そこに書き並べましたように、空であったり太陽であったり星であったり山であったり川であったり、もういろんなありとあらゆるものがみんな神のマニフェステーション、現れであるという考え、これは全く我々と、神、やおよろずの神々という考え方と全く全然違ったところのものではない。
 我々の考えている一神教というもののまた思い込み、こういうふうなものを取り払うこと、これが我々の文明間対話力を強めることであり、そしてこれから二〇二五年には世界の人口の三分の一がイスラム教徒になると言われている。こういうふうなところで、これからのイスラム文明との対話というものを開いていくきっかけになるだろうと、こういうふうに思っております。
 今日、私がお話ししたかったことの要点は、この今日のレジュメのところに「発言のまとめ」というところで、別の紙でありますが、五点に分けて書きました。ちょっと長くなりまして申し訳ありません。ありがとうございました。
#5
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、大塚参考人から御意見をお述べいただきます。大塚参考人、よろしくお願いします。
#6
○参考人(大塚和夫君) はい、承知しました。
 御紹介にあずかりました大塚と申します。
 最初に、この参考資料の訂正、二〇〇一年と書いていますけれども、当然これは二〇〇二年の間違いでして、何かパソコンを打ち込むときに間違ってしまいまして申し訳ありません。
 今、板垣先生の方から大きな世界史的、文明史的なお話があったわけなんですけれども、私自身が専門としていますのは社会人類学と申しております。一般には文化人類学という言葉で言われる方が通りがいいと思いますけれども、基本的には私の場合にはアラブ・ムスリム、アラビア語を話すイスラム教徒の社会である程度の期間、一緒に暮らして、彼らの生活、日常生活、衣食住から始まりましてそういうものを調べてくる、それが私の主な仕事になっております。これまでエジプトとかスーダンの北部などである程度の期間滞在したことがございます。そういう立場からしまして、自分なりにアラブ・ムスリムとの付き合いはあるわけでして、その経験に基づきながら今日はお話を進めていきたいと思います。
 大きく二つに分けて、このレジュメの方は大きく二つに分けてあります。一つは、いわゆるイスラム原理主義、マスコミ等々で語られている、アカデミズムでも一部語られていますけれども、そういう現象を私はどうとらえているかという問題が一点。これがローマ数字のTの方です。ローマ数字のUの方が、今回の今日の調査会のテーマであります文明間の対話という問題を、そういう長期的なフィールドワーク、現地での調査ですけれども、そういうものに基づいて学問を行っている人間がどういうふうに考えるかということに関して述べてみたいと思います。
 細かい話を言い出しますと、これはもう時間が、この内容を言い出しますと、これはかなり時間が取りますので、非常にこうラフなスケッチだけで済ませていただきます。もし、事実関係等で御質問がありましたら、また後ほど質疑応答の時間にお願いいたします。
 いわゆるイスラム原理主義と呼ばれている現象、それに関しては私はイスラム原理主義という言葉は使いません。この言葉自体が非常にミスリーディングな言葉だと思っています。
 私はここに「近代的現象としてのイスラーム復興とイスラーム主義」という言葉を使っております。これは何かといいますと、こういう今起きている、いわゆるイスラム原理主義という言葉で大きなカバーでくくられているような現象をこういう言葉で説明していこうと。
 じゃ、これは近代的な現象と書きましたけれども、じゃ前近代においてはどうなのか。実は前近代からイスラムの改革運動というものがあった。これは何かと申しますと、これはまた日本人一般にこれ行き渡っている考え方なんですけれども、行き渡っているというか誤解なんですけれども、イスラムと言えば、イスラムをちょっと勉強すればそれでイスラム世界のことがすべて分かるという考え方、これは私は決定的に間違いだと思っています。
 欧米社会が、例えばキリスト教を勉強したならばそれですべて分かるか、そういう問題。日本社会が仏教若しくは神道を勉強したらそれで分かるか、到底そういうことはありません。もちろん、ある側面は分かるんですけれども、そこからこぼれ落ちることがたくさんある。更に、同じ仏教といいましても、例えば日本の仏教とタイ、ミャンマー、あちらの方のテラヴァダ仏教若しくは上座部仏教、かつての言葉で言うと小乗仏教ですけれども、それが、じゃ同じ仏教といってくくれるか、当然くくれないわけです。
 そういうことを考えていきますと、まず前提としまして、イスラムは一枚岩ではない、様々な、これパソコンで打ちますと、この言葉は赤線が入りまして間違いだとなるんですけれども、小文字のイスラームズ、つまり様々なイスラムがある、それが私の理論の大前提になります。
 つまり、そういうところから、これまでのイスラムの歴史の中においてもイスラム若しくはムスリム、イスラム教徒の王権、王朝がたくさんありました。現在でもそれが指導者になっている国民国家がたくさんあります。とりわけ前近代においてはその王朝の正統性というものはイスラム的に正しい王朝であるか否かというのが非常に大きなポイントであった。ただし、そこで問題はそういう原理原則が守られたとしても、じゃ何が正しいイスラムかということに関しては、ムスリムの間でも様々な意見がある、これがポイントです。
 したがいまして、ある王権に対して、これはイスラム王権であると。その王権に対しましてムスリムが批判をしていく、なぜならば、それは正しいイスラムの統治の在り方ではないからだという形で。こういう意味でのイスラムの内部的な改革運動、これは近代以前のイスラム世界の様々な王朝の盛衰というものを見ていきますと、そういう形で説明できる部分が幾つもあります。少なくともイデオロギーの面ではそういう形で説明できる部分があります。これが大前提です。私が言うイスラム主義というものも、そういう流れを、前近代からのイスラムの流れを現代、近現代において持っている、そういう側面があると、そういう話になってきます。
 じゃ、イスラムにとって、イスラム世界にとって近代と前近代を分かつ大きなポイントは何か。ここで先ほど板垣先生から恐らく、のお話とはちょっとずれてきまして、もしかしたら板垣先生から後で怒られるかもしれませんけれども、私はやはりある程度ウエスタンインパクトといいましょうか、西洋の衝撃というものを重視します。
 もちろん、板垣先生がおっしゃっているようなその西洋自身、近代西洋、近世西洋自身がどういう形で形成されてきたか、その過程におけるイスラム文明の力、これはもう十二分に認めた上で、しかし実際にイスラム世界の、板垣先生の言葉を使うと括弧付きになっちゃいますけれども、近代というものを考える場合に、この西洋による植民地支配というものはやっぱり大きな、彼らにとって大きな経験であっただろうという前提に立ちます。
 つまり、それは御存じのように、イスラムというのは七世紀に生まれて、初期の時代には百年もたたないうちにいわゆる今の中東それからその周辺地域に大きな帝国を作っていきました。それが後には幾つかに分裂していくわけですけれども、しかし軍事的に非常に大きな広がりを持っていった。つまり、イスラムというものは、例えばキリスト教、最初に迫害を受けたキリスト教などと違いまして、言ってしまうと破竹の勢いでイスラムの歴史、とりわけ初期の歴史というのは世界に広がっていった歴史です。つまり、勝者の歴史です。抑圧された者の歴史じゃありません。
 ところが、そういう形が、勢いが止まって、しかしそれでもある程度の帝国というものを維持していくと。維持していった、しかしそれが初めてといいましょうか、恐らく、この前に実はモンゴルの問題がありますけれども、それをはしょりますと、やはりイスラム世界全体が軍事的に、そして政治的、経済的に支配される状態になったのがこの西洋による植民地時代。ある意味では、イスラム世界にとって初めて経験する絶対的な政治、経済、軍事、文化的な劣勢の経験であったと。
 そして、そこの場合に様々な抵抗運動、これはイスラム世界だけではありませんで、例えばアフリカにしても東南アジアにしても南アジアにしても、そういう植民地経験、西洋の植民地に対する様々な抵抗運動が起きてくるわけです。そこでは、ナショナリズムという形を取ったものもあれば、社会主義というか、的なものを、イデオロギーを持ってきたものもあれば、イスラム世界の一部で、これすべてではありません、ここで言うイスラム主義、いわゆる原理主義と呼ばれているようなものですけれども、そういう抵抗運動が起きてきた。少なくともそういう側面から見ていくことができるということです。
 そして、ここでポイントが、そのイスラム主義者の多くというものが西洋の影響を受けたモダニスト、ここでつまり一般に宗教から世俗へといいましょうか、社会学にしても歴史にしても世俗化という考え方がありまして、これは日本人のある意味では常識になっていますけれども、この世俗化理論からいったら、宗教というのは近代化が進めば進むほど、何というか生活に占める割合というのは非常に小さくなり、個人の信仰心の問題、若しくは私の、私化といいましょうか、そういう私の問題になってしまうというとらえ方、これは世俗化の理念になってきますけれども、そういうとらえ方からすると分かりづらいんですけれども、実はその西洋化が進んで、進んでも必ずしもそういう意味での世俗化とはパラレルには進行しない。
 実際に、このイスラム主義者と呼ばれている人たち、これが大体二十世紀の初頭ぐらいから私は考えておりますけれども、この人たちは、実はその植民地経験の中で導入された西洋近代的な教育制度、伝統的なイスラムの教育制度ではなく、西洋近代的なカリキュラムを持った教育制度、高等教育の機関の中で知的な形成をした人たちが指導層には多いわけです。イスラムのことしか勉強してこなかったからそういうふうになったんだというわけではありません。
 つまり、そういう意味でこういうイスラム主義者というものは基本的にモダニストであると、今申し上げたような意味で。つまり、これが近代化イコール西洋化イコール世俗化という仮説、今の日本ではかなりこれが常識に近いものになっておりますけれども、この仮説自体が私は誤りである、若しくは大幅に修正しなければならないものであるというふうに考えております。
 さらに、最近の話題に少し持っていきますと、このイスラム主義という動きが二十世紀の初頭ぐらいからあったとお話ししましたけれども、むしろこのイスラムが日本において、とりわけ今の我々にとって非常に大きな問題となってきたのが大体一九七〇年代ぐらいからと思われますけれども、そのころから実はイスラム世界、これ私は念頭にエジプトなんかを大体イメージとして置いていますけれども、において、ここでイスラム復興、私はイスラム復興とイスラム主義というのは後で御説明しますけれども区別しております、そういう現象が強まってきた。
 ここに定義していますように、七〇年代ごろから顕著になってきた、個人的アイデンティティーの第一の根拠をイスラムに置き、それに従った、少なくともそう考えられる行動を取る人々が増えてきた現象であると。つまり、ここで個人のアイデンティティーというものを考えますと、どんな個人であっても複数のアイデンティティーを持っているわけです。とりわけ日本の場合には、何といいましょうか多民族性というものは非常に日常生活で意識しなくてもいい場面が多いんですけれども、中東世界などに行きますと、民族にせよ、宗教にせよ、自分とは違った宗教、宗派、自分とは違った民族、更には部族という言葉も使いますけれども、そういうものに属している人間と日々共存していく、日々付き合っていく、そういう状況があります。
 そういうところでは、こういう複数のアイデンティティーのうちの、自分が持っている複数のアイデンティティーのうちのどれを優先するかということが大きな問題になってくるんですけれども、そういう場合に、それ以前の例えばエジプト人という意識よりもムスリムという意識をより前面に出す。これは、例えばエジプト人とかアラブ人という意識を否定するわけじゃありません。否定するわけではないけれども、イスラムに基づくアイデンティティーをより前面に出す傾向が強くなったのは一九七〇年代ぐらいからではないかというふうに考えております。これは私の仮説です。
 実はこの時期に、エジプトなどの都市部において、ベールと普通言われていますけれども、顔は隠す人は非常に数は少ないです。しかし、髪の毛を覆う、スカーフ等々で、そういう人々が増えてきました。実は一九二〇年代に、それまで完全に顔を隠していたエジプトの女性たちが、そのベールを外し、街頭に出るようになりました。更にはそれから今度、スカーフを、髪覆いも取る、そういう時代になりました。一九六〇年代になりますと、世界的なミニスカートの流行がありましたけれども、エジプトでもそういうミニスカート、ひざ上何センチというスカートをはいている女性がいました、若い女性で。ところが、そういう傾向が七〇年代辺りから徐々に徐々に、服装も肌を出さない服装を身に付ける人が多くなり、髪の毛、更には一部は顔も隠す、そういう傾向が見えてくる。これが本人たちは基本的にイスラム的な服装であると考えている。
 もちろんこれには実は社会科学的にはいろんな分析の仕方があるんですけれども、そのことは触れません。問題なのは、本人たちがこれをイスラム的な象徴である、イスラム的な服装であると考えている、そういう現象が目立つようになってきたということです。ここでは、先ほど言ったような意味での世俗化論は当てはまりません。むしろ、こういう現象が起きてくることによって、社会学等々における世俗化論というものを、また読み直しというものが始まっています。
 そして、こういうような形の中で、実はそのイスラム主義というものは、こういう傾向を背景にしながら、それ以前からイスラムに基づく国家、社会、共同体を築こうとする運動、そういうものはあったんですけれども、それがより顕著な形で社会の表面に現われるようになってきた。それを、日本も含む西側のマスコミがイスラミックファンダメンタリズムという言葉を使い、それを我々はイスラム原理主義という言葉で呼んでいる。つまり、それだけ目立つような現象になってきたということです。
 私は、このイスラム復興というのは、基本的に社会、文化的な現象ととらえています。それに対してイスラム主義といった場合には、これは政治的なイデオロギー及び運動という形でとらえています。これは一応区別して、分析的には区別して考えていかなければならないものであると。ただ、これはある部分では密接につながる、ただ、別な部分では全く切れてしまう。別な言い方をしますと、ベールをかぶっている女性のすべてがいわゆるイスラム原理主義者の過激な行動に賛成しているわけじゃありません。もし賛成していたら今ごろ革命が起きています。むしろ、ベールをかぶっている女性たちであっても、いわゆる過激なイスラム主義者の行動をあれはイスラム的なものではないと、先ほど申しました複数のイスラムがあるという前提です、そういう形でそれを否定している。ここの複雑さといいましょうか、それが現代のイスラム世界に起きている現象であり、これを、イスラムが分かればイスラム世界に起きていることがすべて分かるということにはなりません。
 さて、もうちょっと近代の、現代の話に持っていきますと、グローバル化という概念、私はここで、人とか物とか情報などの移動・伝達手段が飛躍的に発達し、地球世界、いわゆるグローブでの時間、空間が実質的に縮減、短くなって、空間的に縮まってきたという現象として一応とらえております。これは僕は完全にテクノロジーの問題としてとらえています。イデオロギーの問題じゃありません。通信技術等々、輸送技術等々がこの三十年、五十年の間に飛躍的に増大してきたということは、これ客観的な事実と私は考えます、技術の問題として。それをどういう形で利用するかというのはまた別な話になってくるわけですけれども。
 しかし一方では、ここで書きましたように、デジタルデバイドによって象徴されるような、グローバル化の現象を自分の役に立つように享受していく、そういう人たちが世界全体を見渡せば限定されているという現象もこれ考えなければならない。日本においては、こういう情報のグローバル化等々というものが世界を一つにまとめていく非常にいいことなんだ、グローバル化が進むことはいいことなんだという論調がとりわけ経済の分野などでかなり議論されていますけれども、そこで決定的に見落とされているのは、グローブというレベルで考えていく、地球世界ということで考えていったら、このデジタルデバイドに当たるような現象が、そしてこの間の政治的、経済的な格差の広がりというものが広がって、ますます広がっていると。とりわけ、サブサハラ・アフリカ、サハラ以南のアフリカ、いわゆる日本で普通、アフリカと言っている世界ですけれども。そこの地域などにおいては、こういうデジタルデバイドに匹敵、と象徴されるような政治的、経済的情報の面でも、そういう面での格差というものが国内でも国際レベルでも広がっています。
 こういうこともちょっと考えなければならないんですけれども、基本的には九・一一も含めたイスラム主義の政治的イデオロギー及び運動というものはこの、先ほど申しましたように、初期のイスラム主義者がモダニストであったというところと絡めて、そういう近代化、さらには現代のグローバル化の産物であると。
 そして、そのグローバル化というものが実際に生み出したものが何かというと、ここでグローバリズム、僕ちょっとまたこれを区別して使います。アメリカ中心主義的なイデオロギー及び現象、政治にしても経済にしても文化にしても、アメリカ的なるものが世界を席巻していくという、そしてそれが良いことなんだという考え方。そういう現象に関して、このグローバル化の産物、イスラム主義もグローバル化の産物の一つです。それがグローバリズムに対して反抗しているという構図、これは一種のグローバル化のパラドックスだという言い方もしていますけれども。ここで、具体例は下に書いておいたようなものです。
 時間がありませんので、次、Uの方に入ります。
 じゃ、こういうことを前提にした上で、文明間の衝突、対話、又は他者への無関心という形で問題を立ててみました。
 一般に文明間の対話という議論をする場合には、その前にサミュエル・ハンチントンの文明の衝突という議論があって、それに対する一つのアンチとして文明間の対話というものが出てくる、そういう構図になっています。
 さて、私は、こういう国政とかそういうものに直接携わる者じゃありません。また、そういうことを学問の、自分の学問の対象にしている者でもありません。文明とか文化とか、そういうことに関しては自分の学問の対象にはしておりますけれども。
 そういう立場から考えますと、そのサミュエル・ハンチントンの議論というのは一種の文明論としてとらえられた部分もありますけれども、私はそう思いません。彼の言っている文明のとらえ方は非常に陳腐です。非常に、何というか通俗的な文明の在り方です。彼自身のオリジナリティーは全くありません。
 しかし、さらには、その文明ということを、実はこれまでの国際関係論などにおいて、どちらかというと、こういう文明とか文化とか意味とか象徴という要素はそれほど重視されてこなかったところにそういう要素を入れてきたという点は私は評価すべきだとは思うんですけれども。しかし、もし入れてきたことによって逆に、国際関係論とか政治経済学、恐らくハンチントンの専門分野であるそういうところで議論すべき政治経済的な分析の側面というものが非常に弱いのではないか。文明ということを持ち出した、これはプラスの面があると同時に、逆にそれによってすべてを、かなりの部分を説明しちゃおうというところから、政治経済分析が非常に弱いのではないかと。むしろ、ここら辺はまた皆様方の方で御意見があるかと思いますけれども、素人の立場から見ますと、ハンチントンの議論というのはむしろアメリカの国策の一つの雰囲気というものを代表している議論なのではないか。
 実は、ここでなぜこういうことを申しますかというと、ハンチントンの議論は社会科学的な議論として考えていくと非常に問題があります、今申し上げましたような意味で。細かいことをまたいろいろ言うことができますけれども。ただし、じゃ、そうだからといってそれを全く捨てちゃっていいのかと申しますと、私自身は、紛争当事者、実際に今、民族とか宗教とか文明という形で紛争が起きています、血が流されています。そういう紛争の当事者たちの主観的な意識の中では、ハンチントン流の文明の衝突、この文明という言葉は、ほかに宗教とか文化とか民族とか、そういう言葉に置き換えていくことも可能だと思っていますけれども。その彼らの、実際衝突を、紛争をしている当事者たちの意識の中ではハンチントンの議論というものは説得力がある、若しくはそれを非常にうまく表現しているのがハンチントンなんではないかと。
 もちろん、実際の紛争が起きる、民族紛争、宗教紛争が起きる場合に、民族の民族意識、宗教意識だけで起きるのではありません。その底には常に政治経済的なある種の不平等、そういう要素が含まれております。社会科学をやる人間はそういうところを地道に分析すべきだと思いますけれども。と同時に、当事者たちの意識がこの世界というものをどういうふうに見ているかということに対する理解というのを持っていかなければならない。
 その場合に、ハンチントンが言っていることは、ある意味では、紛争当事者たち、もしかしたらアメリカも、アメリカ合衆国政府もその一つのプレーヤーかもしれません。そういうものを反映しているのではないか。当然、イスラム主義者の意識もそういうような一種の文明の衝突論で説明できるような、少なくとも意識を持っている人たちが多くいます。そういう意味で、ハンチントンの議論というものを全く捨ててしまうことはならない。
 それを、じゃ社会科学的にどういうふうに考えていくかといいますと、まだ私の分析は深くはないんですけれども、その2のところで書きましたように、ここで文明とか宗教とか民族とか、さらには文化という言葉なんかも使ってもいいんですけれども、そういうものが、の間での紛争とか衝突が様々マスコミなどで報じられている、そういうものをどうとらえていくか。
 一見、例えば民族と宗教と文明というのは全然違った言葉なんですけれども、しかし一種のこれも集団であると。ある種の集団同士の争いである。その場合に、紛争当事者たちの民族、宗教、文明等々に関する意識をどうとらえているかというとらえ方は、中身は違いますが形式論、形式的といいましょうか、構造的にはかなり類似している。宗教とそれから民族というのは、これまた全然別な側面があるんですけれども、しかし形式若しくは構造の面では類似している。
 次に挙げておきましたように、これは恐らく近代的なネーション、これ国家とか国民とか民族なんというふうに訳される言葉ですけれども、という主体、こういう集団的な主体の在り方を考えていくと、次に挙げたような一、二、三の特徴が指摘できる。
 そして、この特徴というものは、宗教紛争とか民族対立とか、さらには、この言葉を使うこと自体が私は批判的ですけれども、サハラ以南のアフリカでは部族紛争なんというふうに言われているあの問題。私は、サハラ以南のアフリカも部族という言葉を使うのは基本的に反対していますけれども、マスコミではまだ使われております。
 今ここで述べたような自集団の特性が永続的である、昔からずっと我々の民族は、我々の宗教は不変であった、歴史的な変化というのはなかった。我々も民族、文化、文明の本質は昔からずっと変わっていないというとらえ方。
 そして、自分と他者というものを、境界を明確に分ける。先ほどの板垣先生の言葉で言うと、一種の二元論的に分けていく。これも、二元論が白か黒かというわけでそのグレーゾーンを認めないような分け方、ここを強調していくやり方。
 そして次は、それにひっくり返って今度、じゃ自分たちの宗教、民族、文明、そこに属している人間はみんな一枚岩的であると。みんな同じようにその民族性、民族意識、文明の意識等々を持っている、そして同じように行動し得るはずだ、すべきであるというとらえ方。こういう特徴を、今のその民族紛争等々というものの当事者たちはこういう側面を持っているんではないかというふうに考えております。
 さて、こういういわゆるここまでが文明の衝突論の方の話になっているわけですけれども、次に対話の問題を考えてみますと、もちろん文化的若しくは文明的若しくは宗教的、民族的他者との対話は重要であるということは、もうこれは言うまでもありません。当然の話です。しかし、対話というのが言葉だけで済むものかどうか。とりわけ、対話というのはダイアログ、これ言葉を交わすという問題です。果たして、異なった民族、異なった文明、異なった宗教と共存していくのは対話だけで済むのであろうか。となってきますと、こういう共存していくための対話というものを、これ単に言葉の上だけではなく、全身をもって、身体的な部分から対話をしていくという、これ一種の比喩になります、そういうふうにしなければ、恐らくこの文明間の対話というのはきれい事で終わってしまう可能性がある。
 恐らく、これは次に梶田先生の方でもっと詳しい話が出てくると思いますけれども、日本にも様々な形での異民族といいましょうか、そういう人たちが、異文化の人たちが住む傾向が、とりわけこの数十年の間に強くなってきています。もちろんこれ、在日コリアンの問題はちょっといったんこっちに置いておきますけれども、それから在日チャイニーズの問題も置いておきますけれども、それとは違って、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ辺りからの人たちが日本社会により顕著に暮らすようになってきている。こういう場合に、単に対話という言葉だけではなく、やはり身体的な、つまりある種の五感を通じて、単に言葉だけじゃなく、極端なこと、体臭とか、それから彼らの音楽とか音に対する趣味とか、そういうものもある程度認め合うような形での対話、これはもう完全にここでは対話というのは比喩になっていますけれども、そういうことをしなければ、諸民族の若しくは諸文明の、諸文化の共存ということはあり得ないだろう。ここが非常に大きなポイントである。ただし、実際にこれ、言うはやすく行うは難しです。
 こういうことは、会話、対話だけだったらまだきれい事で済まされることがあるかもしれませんけれども、日常生活で異なった慣習を持つ人たちと一緒に暮らすということは、これ、かなりしんどい話です。ここら辺の問題は恐らく梶田先生の方からもお話があると思います。しかし、それをやっていかなければならない状態になってきている、こういうことを我々は自覚しなければならないんではないか。
 そしてさらには、実はこの文明間の衝突、文明間の対話というこの理論、ハンチントン、それから対話に関してはイランのハタミ大統領が提唱した形になっていますけれども、それが、それを単に我々は、何といいましょうか、よその理論というか、そういう形で受け入れて、それを、じゃどう展開をするかということを考えていますけれども、果たして今の日本社会を見ていくと、我々は本当に衝突とか対話ということを理解しているんだろうかという感じがあるんです。
 つまり、いずれにせよ、衝突にしても対話にしても、これは他者、文化的、文明的、民族的な他者の存在というものを前提にします。それがなければ衝突も起きないし、対話も起きません。
 ただ、これは全く個人的な感想ですけれども、九・一一以降の日本のマスコミ等々の論調を見ていくと、果たしてあの問題が、我々は自分たちにどこまで密接な、どこまでつながっている問題としてあれを受け止めたんだろうか。しょせんテレビ等で映される、ショーと言ったら言い過ぎになっちゃいますけれども、それに近いようなもの、本当の、自分たちがこれから時には衝突するかもしれないけれども基本的には共存していかない他者、他者たちの問題としてあの問題をとらえてきているだろうか。
 つまり、全く個人的な感想なんですけれども、日本一般においては文化的な他者に対する無関心、一時的にわっと関心を持ってもすぐ忘れていく、若しくはそういう存在を初めから認めていないというか、ワイドショーの話題の一つとしては使うかもしれないけれども、しかし、それは真剣に自分の問題として考えない。そういう形の自分の中に閉じこもっている。引きこもりなんという言葉も書きましたけれども、そういうもの、そういう傾向がないだろうか。つまり、他者の存在を意識的、無意識的に否認すること、そういう傾向がないだろうか。これは考えてみなければならない部分だと思います。
 実際に、他者を自分の手持ちのイメージの中に閉じ込めて、その範囲内で理解若しくは誤解したつもりになること。先ほど板垣先生がおっしゃった、西洋のオリエンタリズムというもの、機能、役割というのはそういう部分があったと私は考えております。
 そういうものが我々の中でも、果たしてアメリカ、果たしてイスラムというものを真の他者としてとらえて、そこでの、きちんとしたネゴシエーションをする対象として我々はとらえているんだろうかという思いが九・一一以降非常に強くなってきました。
 基本的には、実は先ほどの、日常生活も含めた他者との共存ということを考えていった場合に、これはかなりしんどいことだと私申し上げました。こういう形で他者というものを、存在を認めて、そして、我々がそれと真剣に、時には対立することもあると思います、しかし時には、しかし、基本的にはどこかで共存の線を探っていく。この場合には、我々が動かない、今自分があるままで他者と話をしよう、共存しようとしても、これは駄目なんです。やはり共存をする、対話をするというときには、相手のことも分かると同時に、相手にもこちらを分からせる。それは、相手もこちらも今ある姿から少しずつ変わっていく、自分が変わっていくという契機がなければ、そういうことを認めなければ、絶対に対話にしても対話は成り立ちません。自分が今あるポジションというものをそのまま保持して対話をしようとしても、言葉の単なる儀礼的なやり取りに終わってしまう可能性がある。
 ですから、この文明間の対話、これは断固推進していくべきテーマだと思いますが、それは同時に、自分が変わっていくという覚悟も持たなければならない、そういうものであろうというふうに考えております。
 ちょっと超過しましたけれども、以上でお話を終わらせていただきます。
#7
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、梶田参考人から御意見をお述べいただきます。梶田参考人、よろしくお願いします。
#8
○参考人(梶田孝道君) 梶田です。
 最初、このお話がありましたときに、私自身が適任かどうかということを非常に迷いました。というのは、お二人、既にお話しになりましたお二人とは違いまして、私はイスラムの専門家ではありませんし、それから中東、アラブの専門家でもありません。これまで、どちらかといいますとヨーロッパ、日本もそうですけれども、ヨーロッパの外国人問題とか移民問題とか、そういった問題を研究してきた者です。
 そういう点で、今日のお話は、ヨーロッパにおいてどういった現実が起こっているのかということについて御報告させていただきたいというふうに思います。そういう意味では、イスラムとは何かといった本質論ではなくて、現実にどういうふうに問題が起こっているのかということを中心にお話ししたいと思います。それも、非常に過激な政治問題というよりも、日常生活の中でどういうことが起こっているのかということをお話ししたいというふうに思います。
 御承知のように、日本は高度成長期に外国人労働者の受入れを基本的にはいたしませんでした。もし、それが良かったか悪かったかは別として、ヨーロッパと同じように外国人労働者の受入れをもししたとしましたら、数十万人あるいは数百万人になるかもしれませんけれども、の潜在的なムスリムを抱えるということになっただろうというふうに思います。にもかかわらず、オーバーステイのバングラデシュ人とかパキスタン人、あるいはインドネシアからの研修生とか、こういった人たちが現実にいることは事実です。しかし、ヨーロッパのレベルの数百万人規模のムスリムを抱えるということには現実にはなっていないということは事実なんです。しかし、そういった可能性もあるし、あるいは今後そういう可能性がないわけではないということです。
 そういうことで、一つの思考実験として、ヨーロッパというのはどういうところなんだということで終わらせるんではなくて、少し日本にそういった形で引き付けて考えてみるということもできるんではないかというふうに思います。
 レジュメに沿った形で簡単にお話しさせていただきたいというふうに思います。
 今申しましたように、大体、高度成長期にヨーロッパ諸国は移民を受け入れました。その結果として、ドイツでは三百万人、フランスでは四百万人以上、イギリスでは百四十万人、ヨーロッパ全体で一千万人以上のムスリム、このムスリムの定義は問題ですけれども、を抱えるという現実になっています。ですから、先ほどのお話ですと、ヨーロッパとイスラムがどう対峙するかという、一対一あるいは二項対立という話がありましたが、ヨーロッパの場合、アメリカもそうだと思いますけれども、むしろそういう形ではなくて、もう文明の対話あるいは文明の衝突がヨーロッパの中で起こっているというふうに考えるのが自然だろうというふうに思います。こういう現実がヨーロッパの歴史の中で起こったということなんですね。それが今後続いていくだろうということも確かだということです。こういった現象をある学者は移植されたイスラムというふうに言っています。
 先ほどの話にもありましたけれども、ヨーロッパ社会をどういうふうに定義するかというのは、いろんな定義の仕方があると思います。世俗社会、あるいはキリスト教社会、あるいはユダヤ社会、まあ一部ですけれども、そういった社会、いろいろの定義があると思いますけれども、これまでと非常に違う点は、マイノリティーとしてのイスラムという形でヨーロッパに入っていったということです。北アフリカやアラブ世界ではマジョリティーだったわけですけれども、それが一転してマイノリティーとして存在するという形になったということは非常に大きな変化だろうというふうに思います。
 それから、これも自明のことですけれども、最初は出稼ぎという形でほんの一時のつもりの滞在だったのが、家族を呼び寄せて永住するという形になりました。これがヨーロッパにおけるイスラムという表現から、これはヨーロッパで使われている表現ですけれども、ヨーロッパのイスラム、つまりヨーロッパ自身のイスラムという、そういう言葉に変わっていったということです。幾つかの国では、定住化に伴って国籍が与えられ、あるいは国籍を獲得し、選挙にも参加するということになってまいりました。
 最初はやはり、さっきもありましたように、世俗化が非常にヨーロッパの場合は進んでいます。個人主義化が非常に進んでいます。例えば、結婚というような問題もありますけれども、現在の、教育に携わっていて現在の日本でも感じることなんですけれども、個人主義化が非常に強い、結婚したがらない、子供を持ちたがらないというようなことがあるわけですけれども、そういうことが極度に進んでいるのがヨーロッパです。フランスではPACS法案というもの、つまり事実婚も正式の結婚に準じて認めるというような法案が昨年辺り通ったというふうに聞いておりますけれども、これはもう端的な表れではないかというふうに思います。こういった状況の中にイスラムが数百万人の規模で入ってきて定住化しているという状況があるということです。
 イスラムの場合、ヨーロッパの場合ですけれども、農村からやってきたということがあります。家族あるいは親族という形でやってきたということがあります。したがって、ヨーロッパで進んでいるそういう世俗化とか個人主義化と対比されるような、ある面で共同体の意識も非常に強いという、そういうずれというか、そういったものも非常に強く感じます。
 こういう状況の中で、詳しくはお話ししませんけれども、いろんな事件が起こりました。去年には九月十一日の事件が起こりましたし、今現在、パレスチナでも問題が起こっているという状況であります。
 それでは、だれがムスリムなのか、イスラム教徒なのかという問題が起こってくるというふうに思います。
 先ほども大塚先生がおっしゃいましたけれども、イスラムは複数形で語らなければならないということが言われています。ムスリム自体が非常に多義的な存在であります。国籍、それから言葉、それから宗派、それから実際に何というかお祈りをしたりとか、そういった戒律をちゃんと守る人もいるし、そうでない人もいるという、行動という面もあるかというふうに思います。
 特に、今現在は、こういった移民の第二世代あるいは第三世代の時代に入っております。ここでは、先ほどの議論とは矛盾するかもしれませんけれども、一部ではイスラムの個人主義化ということも実は起こっているということを指摘しておきたいというふうに思います。
 あるいは、ヨーロッパの文化を持ちながら、これは当然のことでして、学校は例えばフランス、ドイツの学校に行ってということですから、友達もそういう人たちですから、ヨーロッパの文化を基底としながら、しかし家に帰ると北アフリカあるいはアラブの文化も持っているというようなことで、文化のブリコラージュ、一種の寄せ木細工というか寄せ集めというか、こういった現象が起こっているということです。
 ただ、一般的に言えることは、ヨーロッパと中東、アラブ世界と比べると全然違いまして、服装あるいはあごひげ等で可視的な面でイスラムを強調するということはそれほど多いわけではありません。ないわけではないですけれども、多いわけではないということです。国際結婚も進行しています。ムスリム系の男性とヨーロッパ人との、ヨーロッパ人系の女性との結婚が多い。これは、戒律の問題があると思いますけれども、逆のケースもないわけではないということです。あるいは、ムスリム系の女性の場合には、異教徒と結婚できないというようなことがあるために独身化、独身というような道を選ぶ若い人たちも少なくないというふうに聞いております。
 こういうように、第二世代に入るに従いまして、これまで生まれ落ちて自然に与えられるイスラムというものから、自分で選び取っていくイスラムと、そういうものに変化しつつあるというふうに私は思います。
 だれがムスリムなのかという点に関していいますと、そういう点で非常に線が引きにくいということはありますけれども、しかし、あえて言えば、最小限の条件としてハラールミート、豚肉を食べないとかというようなことがありますけれども、そういったハラールを守るということ、それからラマダン、断食月に参加するということ、こういったことぐらいを挙げるのが適当かなというふうに私は思います。
 こうしたことを前提にして、特に第一世によってイスラムが復興されました。それは、皮肉なことではありますけれども、ヨーロッパに入っていくと、大家族ではありませんし、家長の権威も地に落ちるというか、あるいは日本流に言えば三K労働に就かざるを得ないということがありまして、権威の低下ということが起こりました。家族内で権威を強めるためにイスラムを復興させるというかイスラムに回帰するという、こういう現象が起こりました。これは移民の第一世の男性を中心に起こった現象です。最初はそういったものだったんですけれども、第二世、第三世がそういったところでコーランを学ぶ、あるいはアラビア語を学ぶというようなことが始まりました。
 しかし、それからもう一つ重要なことは、そういうことに伴いまして、モスクとか、これは普通の民間のアパート、アパルトマンの中なんかが多いんですけれども、祈りの場が非常にたくさん作られてきました。こういうことは数えられないと思いますけれども、もう千を超える規模でヨーロッパでは存在しているというふうに私は思います。ただ、それは第三者というか、にとって必ずしも見えるものではないという、可視的な存在では必ずしもないということがあります。現時点においては、後で述べる理由によりまして、やはりイスラムへの回帰とかイスラムの強化とかいうことが起こっております。それが目に見えるものとなってきているということが新しい状況ではないかなというふうに思います。
 そうしますと、ヨーロッパのイスラムというものが今後永遠に続いていくとしますと、イスラムをだれが教えるかという問題が起こってきます。イマームの問題です。外国から派遣するのか、それとも西欧社会自身の中でそういう人たちを生み出していくのかという、そういう問題すら起こってくるということです。
 外国という点では、例えばフランスを例に取りますと、アルジェリアとの関係がありますし、モロッコも一定の関係を持っています。あるいはサウジアラビアは世界イスラム連盟といった、そういったネットワークを持っています。こういった外交的な問題にもつながる要素をはらんでいるということであります。
 今現在のフランス、ドイツ等々で言えることは、やはり日本と同じように経済状況が非常に悪いということがありまして、失業者が非常に多いということです。その失業者の多くが若者に集中しているということ、しかもその多くが移民二世に集中しているということ、彼らに集中しているということです。こういう状況があります。その背後には、もちろん植民地主義の名残であるとか、あるいは人種差別であるとか、そういったこともあるかと思います。ただし、そういうことが背景になりまして、第二世、第三世を中心にして新しいイスラムの活動を行っていくというようなことが頻繁になってきているということです。
 フランスを例に取りますと、様々な結社が作られるようになっていまして、これは外国人でも可能なんですけれども、こういった結社の活動を通して、単に宗教を教えるということだけではなくて、社会福祉であるとか、あるいは学校での教育の後れを取り戻すとか、そういったことまで広まってきております。
 よくこれも言われることですけれども、ヨーロッパの場合、ジェンダーの問題を抜きにして語れないわけですけれども、ムスリム系の女性に特有の問題がしばしばクローズアップされます。それはもう当然のことでありまして、家族形態が変わって、彼女たちが労働し、社会活動に参加するということになりますから、私的領域から公的領域に出ていくということになるわけですね。そうしたことによって、例えばスカーフをかぶって仕事をすることは是か非かとかという問題が起こってきたわけです。
 ただし、こういったイスラムの復興ですね、さっきの言葉を使いますと、そういった現象があるわけですけれども、これは非常にアナーキーな形で起こっているということです。様々な潮流があり、穏健なイスラムもありますし、そうでないイスラムもある。あるいは政治的な志向性を強く持ったイスラムもあるし、そうでないイスラムもあるということです。そういったことで、各宗派間の競合ということがあります。ここでも複数のイスラムということがお分かりになるというふうに思います。これが逆に、別の言い方をしますと、イスラムの場合にはハイアラーキーがないというふうにも言うことができると思います。
 したがって、キリスト教とかユダヤ教と違いまして、ハイアラーキーがないためになかなか代表制が、つまりイスラムの代表はだれかということを特定ができないということで、国家との、フランスとかドイツという意味ですけれども、交渉になかなか入れないというような問題もあるというふうに聞いております。
 ヨーロッパの国々はイスラムに対してどのような対応をしているかということなんですけれども、基本的には宗教というのは個人の権利であるという形で宗教的な自由が保障されています。しかし、国家と宗教の関係は、日本の問題とはちょっとずれますけれども、国によって非常に違うということがあります。国家自体が自国の宗教を定めている国もある。英国国教会がその一例ですけれども、国家自体が宗教に対して財政的な援助を行っているという場合もあります。
 そういうことを反映しまして、例えば公共施設、つまり学校であるとか軍隊であるとか、あるいは刑務所であるとか、こういったところでの給食、例えばイスラムのハラールミートを保障するかどうかというような問題。あるいは日曜日が休日というのはこれは世界じゅうどこでもそうだと思いますけれども、多くのところではそうだと思いますけれども、基本的にはキリスト教に基づいているわけですね。しかし、イスラムの場合には金曜日が安息日であるというようなことがあって、これはどう折り合いを付けるのかというような問題。
 あるいは一部の西欧諸国では宗教教育自体を公立学校で行っています。公立学校の中でカトリックとかプロテスタントを実際に教えています。だとすれば、その場でどうしてイスラムは教えられないのかというような問題も出てきております。あるいはさらに、イスラム側からは、宗派別の学校を作ってほしい、イスラム系の公立学校を作ってほしいとか、あるいは男女別の学校を作ってほしいというような、そういう要求も一部では出ています。
 こういったことがありますが、これは国によって相当違いがありまして、代表例がこうであるというふうにはなかなか言えないというのが現実であります。
 もう少しミクロな話に戻りますと、やはり一番、私は社会学という学問をやっている者なんですけれども、やはりもう少し生々しいのは、家族をめぐる問題だというふうに思います。
 先ほど言いましたように、移民の場合には農村出身のムスリム家族がやってくるというケースが多いわけです。息子と娘の育て方も違うということですね。息子は比較的奔放に育てるけれども、娘の場合にはなかなか外出も難しいというような問題もあります。あるいは結婚は親が設定するというケースがかなり多いわけです。こういったことが先ほど述べましたような個人主義的な選択ということと真正面からぶつかるということになるわけです。
 そういう意味では、私は、文明の衝突という言葉は意味がないとは言いませんけれども、Aという文明とBという文明が真正面から衝突しているというよりは、そういう場面もないとは言いませんけれども、家族の内部で、あるいは個人の内部で文明の衝突あるいは交渉あるいは妥協が行われているというふうに私は感じます。特にムスリム系の女性の場合にはそういう傾向が非常に強いのではないかというふうに思います。
 特に、こういった家族法ですね、国際私法と言ったらいいんでしょうか、そういった領域において出身国の法律を適用すべきなのか、あるいはフランスとかドイツの法律を適用すべきなのかという問題が浮上してきております。例えば、夫から一方的に離婚を通告されるというようなこと、あるいはその場合に子供をどちらが養育するかという問題、あるいは親による結婚の強制、強制という言葉が適当かどうか分かりませんけれども、そういう現実、そういうことについて、これは一般的にどういう意見を持つかということも重要ですけれども、裁判所というか、そういったところでどういう判断を下すかというようなことで様々な問題が起こってきているということです。多文化的な解釈、つまり出身者の出身国の文化を一定程度考慮した判例も出ているようですけれども、国によってまちまちで流動的だというのが現状ではないかというふうに思います。
 一例だけ挙げますと、例えば離婚というようなことになりますと、大体日本では母親が養育権を持つというケースが多いように思いますけれども、イスラムの場合には子供を連れて母国に帰ってしまうということになるわけですね。国際結婚の場合には、それが何というか、解釈によれば、解釈の仕方によれば誘拐というふうにも解釈できなくはないということです。それは一つの、文明の衝突の一つの例というふうに言えるかもしれません。
 先ほども言いましたように、しかも問題を非常に難しくしているのは経済状態が非常に悪いということです。その経済状態の悪さに加えて、人種差別が非常に多いということです。その中で若者たちの多くが失業を経験し、アイデンティティーの危機を経験しているということです。一部ではありますけれども、そうした人たちの中でイスラム志向というかイスラム主義というか、そういったところに走るという人たちも出ているというように聞いております。これは数としては非常に多いものではありませんけれども、決して無視できない動きではないかなというふうに思います。
 ヨーロッパ全体として見た場合には、各国によってイスラムの扱い方というのは非常に違います。例えばフランスですと政教分離という原則がありますので、公立学校では宗教教育は一切しないということですけれども、例えばドイツなどではキリスト教、ドイツ基本法の中にキリスト教の国であるということが書いてありますので、キリスト教を教えています。そういうところで、一部の州ではイスラムを教えるというようなことも始まっているように聞いております。
 そのように国によって非常に違いがあるということがありまして、これはイスラムに限りませんけれども、EU域外からの移民の場合、これはフランスのようにフランス人に既になっている場合もありますし、それから相変わらず外国人のままという場合もあって様々なんですけれども、こういった人たちに対してそれぞれの国の対応が非常に違うということで、なかなか一筋縄ではいきません。EUとしての対応というのはまだないというふうに私は考えております。
 しかし、ムスリム組織自体は国境を越えてヨーロッパ化しつつあるということも事実です。様々な党派が国境を越えてネットワークを持っているということです。ハラールミートを販売する組織すら持っているというふうに聞いております。こういうのがEUの状況ではないかというふうに思います。
 最後に、日本も含めて今後の課題ということについて少しお話ししたいと思います。
 先ほどの話もありましたけれども、日常生活の中の様々な活動を通して、これは結構厳しいというか、きつい問題であるということをもう痛感いたします。しかし、共存する以外にはないだろうということですね、ということです。そのためには何が必要かというと、西欧に住んでいるムスリムは、その第一世代のムスリムのままであることは恐らくできないだろうというふうに思います。ムスリム自体が変わらなきゃいけないということです。それから、彼らを受け入れる西欧社会の在り方自体も変わらなきゃいけないだろうということです。学校とか、先ほど述べた様々な制度の運営自体も変えていかなきゃいけないだろうということです。それは、フランス人とは何かとかドイツ人とは何かということが変わっていくということとも関連している問題だろうというふうに思います。
 日本の場合には大量の多くの外国人労働者を受け入れてこなかったということがありまして、ただ、オーバーステイの外国人は多いわけですけれども、その意味でヨーロッパに見られるような対立は多いわけではありません。ただし、日本自体が、一番最初の報告にもありましたように、ヨーロッパをモデルにし、画一社会というか、国民国家を築いてきたという経緯があります。
 したがって、例えば小学校、中学校の制服とか、一斉主義というか、こういった傾向が非常に強いわけですけれども、そういった社会の中でイスラム的な行動というものが奇妙な行動というふうに取られて排除される可能性は決して少なくないだろうというふうに思います。そうしたことを避けるためには、イスラムの正しい理解がもちろん必要だろうというふうに思います。
 西欧の国民国家をモデルにしてきた均質な日本国家、日本社会なんですけれども、その弱点がこれからは現れてくる可能性が非常に高いと思います。これは相手がムスリムでなくても同じことが言えるだろうというふうに思います。
 今日のテーマとは直接関係ありませんけれども、九〇年の入管法の改正によりまして、日系ブラジル人を中心とする人たちが、日系人の人たちがたくさん入って日本で働いています。二十万から三十万と言われています。ある団地では、一万人以上の団地ですけれども、そのうちの三千人から四千人が日系人である、日系ブラジル人であるというような町も登場してきているということです。こういったことが日本でも起きつつあるということです。これはイスラムの問題ではもちろんありませんけれども、そういうことが起こっているということであります。
 少子化あるいは高齢化という中でヨーロッパの国々も同じ問題に直面しておりまして、先日、ドイツは移民法あるいは外国人法を変えました。外国人をこれまでは一時的な滞在しか認めないというような、そういった原則を持ってきたわけですけれども、それを変えてきたというところがあります。あるいは積極的に優れた外国人を受け入れるという、そういう路線に転換しつつ、しました。
 こういった状況があるわけですけれども、日本の場合にはどうかと申しますと、外国人は実際にはオーバーステイ、あるいは研修生あるいは日系人等々非常に、非常にとは言えないかもしれないけれども、八十万人程度の、百万前後の人たちが存在するという状況があります。しかし、縦割り行政によって、外国人の受入れあるいは統合あるいはコミュニケーション、こういったものを統括する国の総合的な機関はございません。
 結果はどういうことになっているかというと、一部の自治体、つまり外国人労働者が働いている工場を多く持つ自治体という意味ですけれども、そういう自治体に問題が集中しているということであります。これは特に日系ブラジル人の集住問題というような形で起こっているということです。直接イスラムとは関係ありませんけれども、各省庁の連携の取れた外国人政策とか、あるいは組織の確立が国のレベルでも必要な時期になっているのではないかなというふうに思います。
 もう時間も終わってしまいましたけれども、最後に一点だけお話ししますと、九月十一日の事件以降、ヨーロッパの場合、私の知る限りですと、反応としましては湾岸戦争時の、例えばフランスなんかそうですけれども、在仏ムスリムの反応に今似ているのではないかなというふうに思います。ムスリムに対して一定の同情はあるけれども、政治的な意思表示は必ずしも行っていないということです、落書き程度はあるというふうに思いますけれども。それよりももっと大きな問題は、やはり今現在起こっているパレスチナ問題の方が大きな問題だろうというふうに思います。これはユダヤ人にとってのホロコーストに今匹敵する問題であるというふうにムスリムたちは把握しているというふうに私は理解しています。
 こういった、例えばフランスではムスリムもあるいはユダヤ人も両方とも抱えているということがありまして、ある事件が起こるとすぐさまそれが国境を越えてヨーロッパに波及するということが起こっているわけです。昨日だったかおとといだったか忘れましたけれども、ユダヤ関係のお肉屋さんが攻撃されたとか、シナゴーグが攻撃された、だれか分かりませんけれども、そういう事件すら起こっているということです。
 どうもちょっと中途半端な報告になりましたけれども、一つの事実の報告として聞いていただければ幸いです。
 どうもありがとうございました。
#9
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 本日も、あらかじめ質疑者を定めず、質疑応答を行いたいと思います。
 質疑を希望される方は、挙手の上、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。
 できるだけ多くの委員の先生方が質疑を行うことができますよう、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いをいたします。
 また、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
 なお、理事会協議の結果でございますが、まず大会派順に各会派一人一巡するよう指名いたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 それでは、早速山崎力君。
#10
○山崎力君 自民党の山崎でございます。ありがとうございました。
 時間の関係で、質問の前提の考え方を述べてからというのが礼儀だと思いますが、そこは省かせていただいて、御賢察の上、三先生に以下の点についてお考えをお述べいただければと思います。
 今、私どもがやっておりますイスラムとの対話というテーマでございますが、これは御承知のとおり、九・一一が大きな影響があったということは否定できません。その意味で、私なりに考えているときに、いわゆるアラブのファンダメンタリストというんでしょうか、そういった人たちが西欧の近代化に対して対話を拒否したということが一番のあのときのショックではないかと。その拒否によって多大の悪影響が近代、我々の享受する近代文明、西欧文明に対して及ぼすことが明々白々となってしまったと。小さな摩擦では済まないということがあって、そのことにどう対応するかということが今世界的に問われている。その中で日本がどう動くかということで、今の一連のアフガニスタンを始めとする戦争、その前提といいますか、根底にあるパレスチナの問題というのもこれだけ悪化しているんではないかなというのが私なりの考え方です。
 そういった今のイスラムの原理主義者たちといいますか、それはいろいろ定義もあるんでしょうけれども、そのところで我々が今、一つの基本的な、教養というと言葉はおかしいんですが、知識としてイスラムを理解する上で、私なりに考えて疑問といいますか、どういうふうにしていかなければいけないか。
 おっしゃられたいろいろな点、うなずくところ多いんですが、そこは一つは、まずイスラムという名前があるように、宗教というものが日常生活のみならず政治の世界に影響の度合いが大きいと。要するに、私どもが日本の歴史でいう比叡山、織田信長の比叡山焼き打ちで日本は宗教からの政治の束縛を逃れたという評価があり、あるいはルネサンスからの近代哲学を始めとする、ニーチェの神は死んだではないんですが、そういった西欧的な脱宗教といいますか、祭政一致からの離脱といいますか、そういった、言葉を換えれば、近代法治国家というようなところがイスラム国家あるいはイスラム社会に欠けているんではないかと。
 あるいはそういう、欠けていないとすれば違った価値観の下のそういったものがある、そういった人たちと今我々が自然と身に付いてしまった宗教からの隔離といいますか、ギャップといいますか、言葉を換えれば、我々は人間が一番大切だということで社会を運営していると。人の命というものには代えられないものだ、これを最重点、最優先の政治課題であり、社会の基盤にしようとしているんですが、彼らはそれよりも、一人一人の人間の命よりももっと大切なものがあるんだという神という存在、アラーでも何でもいいんですけれども、そういった価値観の下の人たちとどう共存していくかということが、今回パレスチナの自爆テロというものも背景に、西欧社会においてはそこに対する不安感といいますか、危惧感が強まっている。それをどう対話で持っていくのかなというところの点が一つあるんではないかと。
 それと同時に、民衆レベルでいうと、西欧の民主主義社会というものが、多数決、民衆の意思を尊重するという考え方が、逆の面、先ほどの先生方のお話にも伺ってきまして出てきた部分ありますけれども、要するに、民衆が望んでいる、宗教的なことを望んでいると。国家間の約束、あるいはイランの米大使館の占拠事件なんかもありますけれども、そういった民衆の望んでいるものと国家間の約束事がギャップが生じたときに、近代のアラブ世界における民主主義の発達というものが、そこのところでどう調和を取るつもりなんだろうかというのが見えてこないということがございます。その辺のお考えと。
 それからもう一つ、いわゆるイスラム社会の近代化、西欧化というと、私どもの知識でいえば、第一次世界大戦後のトルコ、ケマル・アタチュルクのオスマン帝国崩壊後の国の在り方というもの、近代化、西欧化というものがあるわけですけれども、それがやはりイスラム社会のリーダーたり得なかったと。歴史的にもそういったリーダーになれない背景あったのかもしれませんが、そういった意味で、近代化、西欧化の一つのメルクマールである産業あるいは経済といったものが、今のグローバル経済、グローバル社会において、イスラム社会において成り立つ要素があるんだろうかないんだろうかと。もし、なければ、正に石油があるからこそ日本人は付き合っていたという、アラブじゃなくてアブラだという言葉もあったような形のことを、向こう側がそこの付き合える形の社会経済状況、そういったものを構築できるんだろうかという疑問がございます。
 その辺、こっちの一方的な見方でございますけれども、先生方のいろいろなお話はそのとおり受け入れたとしてという前提でその辺のところをお答え願えればと思います。順次お願いします。
#11
○参考人(板垣雄三君) 非常に広範な問題についてのお話でありましたので、全面的にお答えするのはなかなか短い時間では困難なのですけれども、私は、考えておりますのは、先ほど来、他の参考人も言われたように、イスラムというのもいろいろなイスラムがあるという、そういう問題と関連いたしますが、九月十一日の事件の背後にあるというふうに一般に考えられている世に言う原理主義者、イスラム原理主義者と言われているような人々、これを私はイスラムの思想潮流の中で考えますと、著しく言わば西欧化した人々というふうに考えております。
 言わば、イスラムの、本来のイスラムからはかなり逸脱した人々だというふうに私は考えておりますが、先ほど申しました二分法というものを受け入れて、欧米対イスラムという、そういう欧米の側で設定した対立の構図、これを、それに乗っかって、欧米に対する対抗主義といいましょうか、そういうイスラムの立場を打ち立てようという、こういう人々で、これは西欧の論理に、言わば西欧のオリエンタリズムに同化した人々というふうに考えております。
 私の方で提出いたしました資料の2の六ページのところの真ん中より少し下のところに書いてございますが、私が考えておりますのは、イスラムのタウヒードという立場、これはイスラム教徒に、どのイスラム教徒でもよろしいんですが、イスラムとはそもそも、結局はどういうことなんですかということを尋ねれば、彼らの考えるイスラムというのはそれはタウヒードですという、こういう答えが一様に返ってくるわけですけれども、このタウヒードは、一つにすることとか、一と決めることとか、神の唯一性の信仰とかいうことなんですけれども、私は、徹底した多元主義的な普遍主義というふうに考えております。
 この宇宙万物の多様性、個別性、差異性、異なっていることですね、違っていること、そういうものを全部挙げていこうと。もう気も遠くなるようなことですけれども、そういうことを考えて一つ一つの違いというものを見ていくと、結局、最後のところでそれを一つにまとめる。世界、万物を作った神という、一という、究極の一という存在で、そこでその多様性が一つにまとまるんだという、こういう考え方ですね。これが言わばそういう二項対立的な、二分法的な立場とは違うイスラムの本来の立場ではないか。
 先ほど申しました六ページの真ん中より下のところに、人類の共倒れを避けるために必須の課題として二点を挙げました。覇権的グローバリズムに対して多元主義的な多文化共生というものを強めていくという、これが非常に重要な我々の課題であり、その観点からもイスラム文明のタウヒードの、今言いましたそういう多元主義的普遍主義の本来の論理を、それをスーパーモダン原理として活性化するという、イスラム世界の中の本来のタウヒードの力というものを再活性化するように我々もそれに協力するという、こういうことが非常に重要だというふうに考えております。
 したがって、現在言われているような対決主義的なイスラムだけがイスラムではないと、これをはっきりと見分けることが重要である、しかもそちらの方が多数派であるということですね。
 それから、自爆テロの問題は、これは実際には最近になって起こってきたというような問題として考えるよりは、一九四八年、イスラエルという国が作られて、そこでそこに住んでいた人々が言わば追い出されるという、こういうことになったこの半世紀を超える問題。そしてさらには、一九六七年の六日戦争以降の、それも三十五年になんなんとする軍事占領というそういう状況、そういうものが積もり積もってとうとう最後にこういう形になってきているということであって、この自爆テロをイスラムの問題につなげてだけ理解するということは難しいと思います。現実に、パレスチナ人はイスラム教徒ばかりではありません。今、自爆をしているような人たちもクリスチャンもいるわけです。ですから、これをイスラムの問題にだけつなげるという理解は間違っております。
 それから最後に、イスラム経済の問題ですけれども、現在のグローバル経済に適応できるのかということですが、イスラム経済論というのはいろいろな角度から今、むしろこれから新しい世界の経済の問題を考えるところで今見直されております。パートナーシップの経済とか、それからPLSという利子なしの経済と関係いたしますけれども、損益分担方式というそういう考え方とか、それから現在日本でも、例えば生協などの関係の人たちが盛んにマイクロ金融なんかのところでイスラム経済の問題、勉強をしようとしておりますが、いろんな意味でむしろより新しい段階の世界の経済というものに対してイスラム経済論というものが持っている可能性というものをまた認識する必要もあるのではないか。決して、そういう非常に時代後れの、何といいますか、イスラムというそういうふうな次元でだけで見ているわけにはいかないというふうに考えております。
#12
○参考人(大塚和夫君) 私の方も大変いろんなところにわたった質問ですので、恐らく二点か三点にだけ焦点を絞ってお話しさせていただきます。
 まず、原理主義者、括弧付きですけれども、それが近代を拒否したというお話になりますけれども、私が今日お話ししたことは、基本的に原理主義者と呼ばれている人たちも……
#13
○山崎力君 いや、近代性を拒否したという問題じゃなくて、近代性との対話を拒否したというふうに私は質問したんです。
#14
○参考人(大塚和夫君) 近代性との対話。逆に、じゃこういうふうにしましょう。そこでもおっしゃっている近代性とは何かという問題に話を展開していきたいと思います。
 近代性イコール西洋性イコール世俗性というのが我々の常識に近いものだと思いますけれども、その考え方自体を考える、考え直すべきであるというのは私の基本的な立場になっております。先ほど、近代化とか西洋化というものがほぼイコールで御質問の中にあったと思いますけれども、それをばらして考えてみよう、そうしなければその近代、近代なるものも、それから西洋なるものも我々には理解できない、というか、これからの世界の動きということを考える場合にはそれを区別しながら考えていかなければならないというのは私の基本的なスタンスです。
 さらに、そこでその近代化、それが最後の方の御質問、いわゆる産業的なもの、それから経済発展等々というものが、イスラム世界がそれから取り残されているというか、そういうような話とも実はつながってくるんですけれども、そもそも産業化とかそういう要素を考えていきますと、これはイスラム世界が取り残されているという話ではないと私は考えております。つまり、もっとグローバルに考えた上での世界における経済構造の問題であり、たまたまイスラム世界と申しましても、恐らくそこで念頭に置かれているのは中東の世界だと思いますけれども、また中東でも産油国と非産油国によって大変な経済格差がございます。
 そういう部分を考えていきますと、つまりこの経済、世界的に経済格差が広がっている、たまたまそこでイスラム世界のかなり、若しくはイスラム諸国のかなりの国家がその下の方に位置付けられている。そんなことを申し上げますと、例えばサハラ以南アフリカの諸国の経済の問題になると、別にあれはイスラム諸国じゃありません。じゃないところが多いです。それなどはもっと、例えばエジプトとかなどと比べるともっと悲惨な状態になっております。そういう構造の中で、イスラム世界のある部分がそういう位置付けになっている。
 逆に言いますと、私の資料、お配りした資料で説明しなかったんですけれども、地図をちょっと載せておきましたけれども、世界でイスラム教徒がどういう形で分布しているかということなんですけれども、世界での国民国家のレベルで考えますと、イスラム教徒が一番多いのはインドネシアです。インドネシアもかつてNIESとかNICSとかという形で言われ、しかしアジア金融危機という形で、またそれ以降の政治的な様々な動きの中で経済は、何といいましょうか、停滞しておりますけれども、必ずしもイスラム社会だからその産業化、工業化に遅れたという説明の仕方は、私は正しくはないだろうと。逆に、世界の産業化、経済構造というものは何かということを考えた上で、その中でイスラムという地域が若しくはイスラム諸国若しくはムスリムがマジョリティーである地域がどういう位置になっているかということで考えていくべきだろうと考えております。
 さらに、もう一点だけ申し上げますと、御質問は恐らく宗教が政治に影響する点が多いというお話ですけれども、これは正に近代的と申しますよりも、実は梶田先生のところで、ヨーロッパにおいても若しくは西洋においても、様々な宗教と政治の関係には様々なものがあるというお話があったと思います。むしろ、我々が一つのイメージとして持っているのはフランス型の公的な領域に宗教、具体的にはこれキリスト教の教会の影響力を公的な領域から排除するという形の政教分離の一つのパターンがありまして、そういうようなものを一つのモデルにしている。確かに、戦後日本というものは、戦前における国家神道ってどう考えるかは別としまして、戦後日本というのはそういうモデルというものを一つの前提に置いております。
 しかし、じゃ政教分離というものが、先進国だけに限った上でもすべてその政教分離の原則というものが貫徹しているか、私は疑問に思います。具体例を申し上げますと、九・一一以降のアメリカ合衆国における愛国心の高揚というものがどれだけ宗教的なファクターが絡んでいたか、果たしてああいう意味でアメリカ合衆国というものが完全な政教分離の国家であるかどうかということに関しては、もう一回この問題も考えてみなければならないと思っています。
 一応、まだ幾つかありますけれども、時間がありませんので、これで。
#15
○参考人(梶田孝道君) 私のフィールドでは必ずしもないので、正面からお答えする能力がありませんということを最初にお断りしておきます。
 その上でですけれども、イスラム経済とグローバル化ということについては、これは私は分かりません。EUが統合進行して、EUにおいて統合が進行していますけれども、これ自体がグローバリゼーションの一部だというふうに私は思います。
 そういう意味では、日本では、規制緩和というのはディレギュレーション、英語ではそう言いますけれども、ヨーロッパの場合、そういうディレギュレーションの側面と、それからリレギュレーションというか再度、統合、規制をするというか、そういうものを兼ね備えたものだろうというふうに思います。そういった、EUと北アフリカ諸国が経済的に自由貿易地域をこれから結んだりとか、そういった協議等々は行われておりますけれども、それ以上のことについては私は分かりません。
 それから、やはり、これは門外漢ですけれども、イスラム自体が複数であるということですね。平和なイスラムということを主張する人たちがいる一方で、そうでない人たちもいるということが事実だというふうに思います。問題なのは、その現状を統御する主体がないということだと思います。それは私はもう素直に認めざるを得ないというふうに思います。ただし、今日お話ししましたヨーロッパのイスラムに限りますと、こういったイスラム原理主義と言われる潮流あるいは現象はほとんどない、あるいは非常に少ないだろうというふうに思います。そういう意味で、やはり地域性がかなりあるということは認めざるを得ないということです。
 それから、政治と宗教の問題は、これはもう本当に難しい問題で簡単にはいかないんですけれども、先ほどフランス型というような話がありましたけれども、実に様々なケースがあります。
 今、大塚委員がおっしゃいましたように、公的領域には宗教を一切持ち込まない、私的領域においてのみ認めるというようなフランス型があります。こういった形にフランスのムスリムを押さえ込むことができるかどうかということが実は大きな論争になっています。それ自体が学問的にもあるいは政治的にも非常に大きな問題であって、即座に答えが出る問題ではないというふうに思います。
 他方、それとは対極的に、オランダのようにあらゆる宗派に対して対等な、等距離の対等な対応をするというような、これも何というか、別の意味での政教分離なんですけれども、こういったタイプもあるというふうに思います。
 ちょっとだけ付け加えたいと思いますけれども、大部分の人たちは、フランス、たまたま私の関心のある領域の一つがフランスなんですけれども、フランス語でアラブを逆さ読みするとブールというふうになるんですけれども、梶田というのを逆さ読みするとタジカになるという、こういうようなものなんですけれども、これはブールという言葉自体が本人たちが使っている、ムスリム系の第二世代が使っている言葉です。ある意味で自嘲的に、ある意味で、何というか斜に構えてというか、そういうものなんですけれども、そういうところに一つの、何というか第二世代の姿勢が現れているんじゃないかなというふうに思います。
 もちろん、こういったブール世代の中から、たまにではありますけれども、過激な原理主義と言われている潮流に参加する人間がいないわけではもちろんありません。しかし、大部分においてはそうではないということが現実だろうというふうに思います。
 ブールという言葉がありますけれども、それをもじってブールジョワジー、ブールとブルジョワジーを足して作った言葉ですけれども、そういった言葉が登場するほどある面では新しい世代のリーダーたちも登場しているということです。
 直接の答えにはなっていませんけれども、私のフィールドで言えることはその程度のことです。
#16
○会長(関谷勝嗣君) 続きまして、藁科滿治君。
#17
○藁科滿治君 貴重なお話、ありがとうございました。
 お話にもありましたように、我が国の中東への対応あるいはイスラムとの関係、大きな期待があるにもかかわらず対応ができていないということを私も認識いたしております。
 思い起こしますと、昨年の臨時国会、テロ対策の集中審議がございました。この際にもテロ対策の現象面にばかり目が行ってしまって、その根幹にあるもの、背景にあるものというものがなかなか出てこない、目を向けないと。私は、その観点から幾つか事例を挙げながら代表質問をしたわけでございます。
 更に加えて、現在、イスラエルとパレスチナの問題、大変危機的な状況でございます。にもかかわらず我が国は一向に立ち上がらない。私は昨日、私の会派の中で、こういう問題こそ参議院が手を挙げるべきだという主張をして、かなり合意が形成されつつあります。
 イスラエルに対して国際世論も大変厳しい、また国連も一定の見解を表明していると、こういうときに日本がなぜ動けないのか、誠に残念でなりません。
 私は、これらの経過を振り返って考えますと、やはりその底流には過度の米国追従主義というものがあると思います。これは我々自身も大いに反省をしなきゃならないことであります。
 そういう状況の下で、今お話もありましたけれども、ようやくイスラム研究会というようなものが設置され、また、それにかかわる研究者の交流というようなものも発足しているように伺っております。まだこれは緒に就いたばかりでありますから今後の発展は全く想定できませんけれども、しかし、この流れが非常に重要であるというふうに考えておりますので。
 そこで先生方にお伺いするんですけれども、この流れを定着させ発展させるためにはどうしたらいいのか、どういうところに留意したらいいのか、アドバイスなり助言があれば是非お尋ねをしたいというふうに思っております。
 それから、第二の質問は、二五年には世界の人口の三分の一をイスラム教徒が占めると、こういう予測が出ております。当然、我が国においても、出稼ぎであるとか、お話のありました国際結婚であるとか、それに見合った形で増加をしていくということが十分予測をされるわけであります。もちろん、我が国は言うまでもなく完全な政教分離国家でありますから、それが即大きな影響を与えるということはないと思いますけれども、しかし予断も許さないと。
 特に梶田先生からはヨーロッパの例等々も紹介されているようでありますから、これから日本にそういう事態が出た場合にどんな形のものが、どんな問題が浮上してくる可能性があるのか、この点についてもお尋ねをしたいと思います。
 以上です。
#18
○参考人(板垣雄三君) ただいまのお話に対して私の方でお答えしたいことは、この九月十一日の事件が起きる前、まあ半年ほど前から、あるいは一年弱かもしれませんが、いろいろな形であの種の非常に深刻な問題が発生する危険性があるということを、私は、専門的に研究している研究者としての立場から極力機会をとらえては社会的にも警告してきたつもりでありました。しかし、非常に残念ながらああいうことが起こってしまったのでありますが。
 したがいまして、そういうところで考えますと、今ここで急にどうするということよりは、もう私自身、これまで半世紀にわたって、日本の社会の中での一般的な通念というものに対していろいろ違うところがあるんじゃないかということについて繰り返し指摘してきたつもりなんですけれども、そういうことが、ついに私の生きている間には事はならないのかという、そういうような非常に今残念な気持ちで一杯でありまして、したがって、今、先生言われたようなアドバイスというようなことを、ここで急に何か気の利いたことを言おうという、そういうふうな気持ちにはなかなかなれない、何かもっと問題は深刻なことではないかというふうに思っております。
 しかし、そういうところで強いて申しますと、私のこの資料2の七ページの頭のところに書きましたように、これは外務省のイスラム研究会の一昨年の暮れに出しました報告書にも記したことでありますけれども、やはり社会教育、学校教育における文化多様性の理解をどういうふうに推進するか、強めるかという、そういうたぐいのことから始めなければならないのではないか。しかも、文化多様性の理解というところでは宗教の理解という、そういうものを含むわけであります。
 これは先ほど来、他の参考人の方々から問題にされていたような、そういう問題でありまして、憲法二十条の三項にもいろいろ直接かかわりのある問題でありますが、政教分離というものについての考え方はそれはそれとして、少なくともそういう世界の文化の多様性という、あるいは文明の多様性という、そういう次元で宗教に関する理解をも含めて、またあるいは宗教がかかわらないのはどういうところでかかわっていない問題なのかということをもちゃんと見極められるような、そういう文化多様性の理解というものを進めるという、そういうことが一つ。
 それからもう一つは、やはり七ページの上の方に続けて書いたことでありますけれども、世界の諸文明の態様とその動向に関して的確な情報を収集し蓄積するような、そういう地域研究の、国としての地域研究の体制の整備という、そういうことが抜本的に考え直されなければならないという、そういうことではないかと思います。
 いずれにしましても、御指摘があったように、もうあと間もなく、十年、十数年もすれば、世界の状況というのは非常に大きく変わる、そういうところでもう世界のうちの三人に一人がイスラム教徒であるというような、そういう世界が現出するという可能性があるというふうに考えられているところで、我々としては、この今申しましたようなことは非常に迂遠なことのように思われるかもしれませんけれども、緊急の課題ではないかというふうに考えております。
#19
○参考人(大塚和夫君) 私も今の板垣先生のお話にほぼ尽きると思います。つまり、一方での社会教育、一方での広い意味での地域研究といいましょうか、そういう研究機関を、国のレベルになるのかどういうことになるか分かりませんけれども、そういうものを充実させていく。やはりこれが一番重要なこと、つまり小手先といいましょうか、対症療法というよりも、これから五年、十年、五十年、百年という形での長いスパンを、短いスパンから長いスパンまでを含めた形で世界がどう動いていくか、それをある程度地道に資料も蓄積し、研究も続けていくというか、そしてそれを同時に社会に還元していく、そういう制度的な保障というものがなければ、恐らく小手先だけの対応になって、何か事件が起きたときに右往左往するということになるんではないかと思います。
 それは、別な言い方をしますと、私の報告のところで最後に触れましたように、何となく現代の日本社会が内にこもっているというか、内の問題、内部の問題だけで議論をしているような傾向があるように感じますので、それをできるだけ開いていく。
 日本は情報化社会と言われていますけれども、私は全く情報化社会じゃないと思っています。つまり、日本の中にあふれている情報がどこが発信源であるかということを考えますと、明らかに欧米偏重の情報であると。そういうものを何とかもう少しバランスがいい情報を日本の中に発信するような制度的な保障、そういうものが必要になってくるんではないかと思います。
 以上です。
#20
○参考人(梶田孝道君) 米国追従主義という言葉がありましたけれども、一つの例として、黒人差別の問題というのは昔からずっと言われていますし、様々な改善策にもかかわらず根本的に解決されていない問題だというふうに思います。そういった人たちの中で、ネーション・オブ・イスラムでしたっけ、というような団体が登場し、つまりイスラムに改宗するという、で、六十万人ほどの行進を行うというようなことが起こっております。こういったイスラムをもちろん本場のイスラムの人たちはイスラムとは思っていないかもしれませんけれども、そういう、ですから、本国である米国自体の中にやはりアンダークラスの人たちの問題を解決できていないということがやっぱりあって、そのことがこういった現象を起こしているという事実があると思います。
 ですから、何というか、いろんな問題に介入するということも必要なことは多いと思いますけれども、足下から問題を解決していく、一つ一つ、先ほど日常生活の様々な問題についてお話しいたしましたけれども、そういったものを積み重ねて、例えば法令という形で一つ一つ積み重ねていく以外に方法というものはないんではないかというふうに思います。
 それから、これはよく言われていることなんですけれども、原理主義と言われている人たちが拡大していく理由はいろいろあると思いますけれども、原理主義という言葉にもかかわらず拡大しているという側面もまたあると思います。ということは、彼ら自身は宗教だけではなくてかなりの福祉活動を実際にやっているということなんですね。そういう、パレスチナなんかはそうだと思いますけれども、国家と言われるようなものが崩壊あるいはないというような状況の中で、それに代わるようなものを実際に行っていることがこういった勢力を拡大させている原因でもあるということもまたちょっと忘れるべきではないことではないかなというふうに思います。
 日本について言いますと、先ほども言いましたように、それほど多くのムスリムが存在するわけではありませんから今すぐどうこうという問題ではないかと思います。
 おととしだったかな、二〇〇〇年にイラン人あるいは幾つかのムスリムを含んだオーバーステイの外国人たちが十年近く日本に滞在しているということで、法務省に在留特別許可を求めるというような運動を行ったことがあります。その結果として、何家族かが認められています。その人たちを見てみますと、その中にはイスラム教徒も一定程度含まれていますけれども、やはり長い間日本で生活してきたということがありまして、日本語は分かりますし、日本でしかもう生きていけないという状況です。
 それに対して、例えば先ほど挙げました日系ブラジル人の場合、違ったエスニック集団間の結婚が非常に多いというブラジルの特性を反映しておりますけれども、したがって、今現在は、三世ともなると日系ブラジル人ではなくてブラジル人だという、そういう人も非常に多いわけですけれども、その人たちは日系人という言葉にもかかわらず日本語はほとんどしゃべれないし、ある種の、何というか文化摩擦が頻繁に起こっているという現実があります。
 ですから、何というか、私は、イスラムだからどうこうというようなことが、仮に日本の社会の中でそういったこと、一定程度のイスラム、ムスリムを抱えるというようなことが起こってきても、ヨーロッパ的な状況とは大分違うだろうなというふうに思います。ただ、それが具体的にどういう形を取るのかということになると、なかなかよく分からないというのが本音のところです。日本でも、オーバーステイの外国人を中心にして、そういう人たちが多いところにモスクができているわけですね。例えば伊勢崎市なんかもそうだと思いますけれども、そういったところでは特に文化摩擦が起こっているということも聞きません。これはまだまだ少ないからというふうにも言えるかもしれませんけれども、無理に悲観的になる必要もないんではないかなというふうに思います。
 それから、さっきほかの参考人から文化的な多様性にできるだけオープンにという話がありましたけれども、これはイスラムに限りませんけれども、例えば日本に外国人が入ってくる場合、通常の場合ですけれども、入国に関しては法務省が扱う、それから子供の教育については文部科学省が扱う、あるいは社会保障については厚生労働省が扱う、元厚生省が扱う、あるいは労働については元労働省が扱うというような形で、もうばらばらなんですね。最低限、その様々な省庁間の連携が取れた、しかも様々な価値観を持った人たちに対応できるような、エフィシェンシーというんでしょうか、機能性を持った体制が望まれるというふうに私は思いますけれども。
#21
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、沢たまき君。
#22
○沢たまき君 公明党の沢たまきでございます。
 本日は、本当に貴重なお話、お三方、大変ありがとうございました。大変勉強になりました。ありがとうございました。
 最初に、板垣参考人にお伺いいたしますが、こちらの資料ちょっと読ませていただきまして、先生が述べていらっしゃいますように、日本の文明戦略においてイスラム世界の日本への特別な親近感が大変貴重である、あこがれを持っているなどという、朝日新聞のを読ませていただきました。また、「日本がテロリズムとその温床に対する明瞭な批判とともに、イスラーム文明との対話・協力を進める方向に踏み出す日本の文明戦略を明示することは、日本にしかできない主体的国際貢献となる」というのも読ませていただいて、その御指摘にそのとおりだと感銘をしているところでございますが、そこで、そのためには、いろいろお話、皆さん開放的であるべきだとかいろいろおっしゃいましたけれども、何が、どうすべきが重要であるのか、今の日本に欠けている、最も欠けているものは何なのか、先生の御意見を伺えればと思っております。
 それから、大塚参考人には、伺いたいんですが、論文を読ませていただきましたが、文化的他者との対話が重要であると、その対話も言葉だけでは駄目とおっしゃいましたね。日常生活での体、身体的な、も不可欠であると。御指南はそのとおりだろうと思います。
 私ども公明党は、とにかくどの地球民族、地球の人たちと対話を重ねることが本当に大事だというのを常々思っているところなんですけれども、先生もさっきは対話と言うのにダイアログとおっしゃって、やっぱりカンバセーションとは違うんだという。これはやっぱり対話をすることによってお互いの違いが分かって、またお互いの意見を押し付け合うことではなくて新しい価値が、要するに価値のすり合わせといいましょうか、そこで新しい価値観がお互いに出てきて、そういう出てきたということも喜ぶべきだろうという、私は思うんですが、そういうお考えだろうと思うんですが、日本人はなかなか難しいだろうけれどもとおっしゃいましたけれども、私たち国会議員として何ができるかと。文明とか文化とか芸術とか、そういうことも大変大切ですし、正しくイスラムを認識させるには教育と、板垣先生もおっしゃいましたけれども、もちろんそうなんですけれども、正しいイスラムに対する認識というのをどう、やっぱり学校教育でしかないか、何かもし御提案があったら大塚先生に伺わせていただきたいと。
 それから、最後に梶田先生に伺いますが、ヨーロッパの国々がイスラムとどう対応しているかという具体的なお話を聞かせていただきました。また、日本が抱える、今おっしゃるとおり、省庁にいろいろまたがるので今いらっしゃる外国の方々に機能的なその役所という、もう本当にこれは国会議員がやるべきことなのかなと伺わせていただきました。
 また、フランスで何かスカーフの事件とか、それから日本でも、高校野球のときにたまたまクリスチャンの高校生がクルスやっていたら、審判におしゃれかと思ってやめなさいと言われたとか、同様に日本も何というか中央集権的ですからいろんな摩擦が、もっと厄介な問題も起こってくるんではないかなと思っているんですが、今おっしゃったように、行政府がもっと機能的とおっしゃいますけど、特に文科省、昔の文部省ですけれども、文教政策に関して参考人の何か御提案があったら是非聞かせていただきたいと思っております。
 それからもう一つ、これは大塚参考人にちょっと私、私見なんですけれども、あの九・一一で飛行機がばんとぶつかったの、ハリウッドみたいだって思っている日本人が多いだろうとおっしゃったんですが、私みたいな年になりますと、あれは戦争で、焼け跡、それから機関銃でババッと機銃掃射とか、母に連れられて逃げ惑った人間としては、ああ、きっとこれはショックだろうなと。まあとにかく九段からもうずっと見渡せちゃうぐらい焼け野原でしたから。もうきっとアメリカの人は、よその国ではそういうことをやっているけれども、御自分の国の中ではああいう惨事、初めてだったんじゃないかなと思ったので、パニックになっているなという気がいたしました。だから、日本の中で、人ごとと、これは映画と思っていない人もいるんですよ。それだけはちょっと、まだ先生お若いからかもしれませんけれども、我々は戦争、第二次世界大戦を思い出しましたんです。
 これは余計なことでございますが、よろしくお願いいたします。
#23
○参考人(板垣雄三君) 私が書いたものについて注意、御注目いただいて、ありがとうございました。
 ともかくイスラム世界の人々の日本に対する目というのは、我々日本人の側でのイスラム世界に対する目と著しゅう擦れ違いがありまして、全くのあちら側の片思いという、そういう状況であります。ただ私は、今日一番最初のところで申し上げましたように、バハレーンでの文明対話の会議などでかなり率直に日本に対する心配とか、何というか、自分たちの抱いていた期待が今裏切られつつあるというような、そういうことの発言もあったということから、いつまでも片思い、あちら側が我々を片思いしていてくれるというふうにはいかないというふうに思っております。
 そのことで、こちら側からのメッセージとして私は、今日お話しの最後のところで申しましたような新しい文明間対話力という、そういう国力についての、我々の国力というものについての新しい考え方を、それを内外に向かってはっきりさせると。そして同時に、もうここに挙げました外交、防衛、警察、防災、司法、地方行政、教育、科学技術、社会福祉、医療、国民生活、環境、産業、経済システム云々ですね、もうずらずら書き並べましたが、こういうすべての項目に関して我々の文明対話力というものをどういうふうに構築するのかという、そういうことを検討する必要があると思うんですが、現在の日本の社会でやはり非常に大きな問題は、国としての目標というのが分からなくなってきている。非常に目先の、何を解決しなきゃいけないかという、そういう問題ははっきりあるわけですけれども、殊に若い世代の人々にとって、将来のビジョンという、日本はどうなっていくのか、どういう姿が将来の日本の姿なのかということについてよく見えなくなってきてしまっている。そういうところで、この文明間対話力というこういう問題設定というものは、内側にとっても非常に重要ではないかというふうに思います。
 そこで、何が欠けているのかということについて指摘せよというお話に対してお答えしますと、私は、やはりこの今日のお話の中である程度強調いたしましたような、そういう我々の頭、体に染み付いてしまった西洋中心主義、もうこれをどう、何というか脱却するかという、そこのところが非常に大きな問題ではないか。非常に我々の体に染み付いてもう毒が十分に回ってしまっているという、そういう状況ではないかと思うんですね。
 例えば、一つの例として申しますと、イスラムというとコーランか剣かという、こういう西洋で発明したイスラムに対する悪口の言葉ですけれども、十字軍以来ヨーロッパで使ってきたイスラムへの悪口言葉ですが、コーランか剣かという、これでイスラムを推し量ってしまうという、これがずっともう尾を引いているわけですね。
 イスラムは、先ほども申しましたように、世界に人知をもってしては知り得ないほどたくさんの宗教があると。そのたくさんの宗教が、たくさんの宗教というのはたくさんの言語と言い換えてもいいですし、たくさんの文化と言い換えてもいいんですけれども、それは全部神によって作られた、一つの、一という存在であるところの神によって作られたんだと、一からその多様性がわっと出てきているんだという、そしてその中の自分たちは一つだという、そういうことで最初からイスラムの場合には他者との共生という、そういう問題が、そういう問題の立て方が既に内的にセットされているという、そういうことを我々は見落としてきているわけですね。絶えず、偏狭で排他的で攻撃的でという、そういうコーランか剣かというそういう見方でもう割り切ってしまう、そういう考え方をしている。
 ですから、今日の世界の中で、もう一つのグローバリズムとして、それこそ今日の梶田さんのお話にありましたような、ヨーロッパでもアメリカでも、イスラムというものが、それぞれのイスラムがあるという、こういうグローバリズムというものが見えなくなってしまっている。
 それから、もう一つの例として申しますと、これは先ほど山崎先生、御指摘くださった経済の問題とも関係しますけれども、例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という、これは、マックス・ウェーバーはイスラムの勉強をしなかったんで、それであのプロテスタンティズムの話になっちゃったんです。しかし実際には、よくよく考えてみれば、あれはイスラムの考え方を参照しないであの議論は成り立たない。
 例えば、今日のイスラム教徒のイスラム経済論の一番眼目は、一人一人の人間がパソコンを持って、自分が投資したお金がどういうふうにしてある経済プロジェクトの中で生きて働いていくか、こういうことをちゃんと全部そのプロセスを追求するという、これが人間の理想だというふうに考える、これがイスラム経済論です。
 ですから、銀行にお金を預けたら、今の日本ではそうなりませんけれども、時々通帳を見ればお金が殖えている、利子が付いてくるという、こういうのは人間としてのくずだという、こういう考え方ですね。徹底的な経済人間、もう自主的に自分として経済活動をやっていく、そういうふうな人間がイスラムの理想なんですね、人間としての。そういうふうな個人の経済活動という、自由な経済活動という、こういうふうな問題の立て方についても我々は非常に大きな誤解をしているんじゃないか。
 そういうところで、やはり我々に染み付いた西洋中心主義というものをどうそこから足を洗うかという、ここが問題だと思います。
#24
○参考人(大塚和夫君) 恐らく、私に対する質問も今の板垣先生に投げられた質問にかなり似たようなものだと思うんですけれども、イスラムの知識が、どういう形で普及させればいいか、そういうふうな御質問だと思うんですけれども、それは先ほどのところでもちょっとお話ししました。ただ、それにちょっと絡めて申しますと、私は一介の学者ですので、何か制度的な改革等々の話まではできないんですけれども。
 今、沢先生の方から、対話と会話という区別されましたよね。実は、私、会話とたしか言わなかったんですけれども、ただ、このお話が非常に僕にとって物すごくいいんです。といいますのは、あるアメリカの哲学者なんですけれども、この対話と会話というのを区別して使っているんですね。実は、僕は、文明間の対話というよりも文明間の会話の方がいいと思っているんです。その哲学者の定義によると、対話というのは、ある種の、二人で対話をして、ある種の正反合になるのか何か分かりませんけれども、何かどこかで妥協点が見付かるという前提で対話という言葉が使われると。それに対し、会話というのは、そういう最終的な目標がどこへ行くか分からないけれども、まず話をしていこうと。
 私は、イスラム、さらにはイスラム以外の様々な文明、これ、日本人にとっては恐らく中国の問題とか、アメリカ、ヨーロッパなんかもそうなんですけれども、そういうところでの人たちと話すときには、何といいましょうか、理想的な一致点が初めから存在するべきだというよりも、常に会話を繰り返して、その場その場でもう一致点を見つけて、しかしそれが最終目標ではないと。それはまた、時代によって、相手によって変わってくるかもしれない、しかし、やらなければならないことは、話合いを続けることであると。そういうイメージで考えていくべきだろうと思っています。
 ですから、実は対話という言葉は余り好きじゃないんです、何かもうそれで一致点が見付かるというようなもし前提があるとしたならば。そういう形で、そういうイメージで考えていかなければ、イスラムを理解するという言い方もそうなんですけれども、イスラムって、先ほど私申しましたように、様々なイスラムがあると同時に、イスラム自体も変わっていくんですね。先ほど申しましたように、一九七〇年代ぐらいからは、イスラム復興という形でそれまでのイスラム、実はムスリムの考え方自体が変わってきていると。これは、じゃ五十年たったら、百年たったらどうなるか分かりません。
 そういうような意味で、永遠に話合いを続けていって、なるべく武力的な、暴力的な手段に頼ることはやめよう。しかし、だからといって、何というか、すべて分かり合えるような到達点、そういうものを最終目標に設定するということは恐らく難しいだろうなというのは、個人的な考え方です。
 そういう意味で、実は、こういう場に呼んでいただいたということも私にとっては非常に有り難いことでして、実は、私は、そういう自分なりの理解したイスラムの在り方というものをいろんな形で、授業とかそれから社会教育といいましょうか、そういう場などでもう十年以上話をしていますけれども、差し当たり自分ができることはそういうことなんだろうなと。制度的な問題等々は、先ほどお話ししました。
 それと最後の一点。九・一一の惨劇の話で、全くそのとおりだと思います。私は、そういう意味では、戦後派ですのでそういう経験はございません。全くそのとおりだと思います。
 ただし、そのときに、一言、生意気ながら付け加えさせていただきますと、アメリカの惨劇、ニューヨークの惨劇、確かに、あれによって多くの人々が亡くなり、多くの人々がある意味じゃ精神的な打撃を受けて、その後遺症というのはどういうふうになるか分からない。そういうことをもし指摘されるならば、同時に、例えば、パレスチナで、先ほど板垣先生がおっしゃったように、もうこの五十年、いや若しくはそれ以前からというふうに考えた方がいいんですけれども、起きている惨劇、その惨劇によってパレスチナに生きている人々がどういうトラウマを持っているか、そういうことに関しても同時に考えなければならないだろうと。
 今、パレスチナだけを申し上げましたけれども、これを例えばルワンダの問題に持っていってもいいです、旧ユーゴスラビアの問題に持っていってもいいです、印パのカシミールの問題に持っていってもいいです、どこに持っていってもいいんですけれども。アメリカの惨劇は確かに惨劇ですけれども、同時に、そういう惨劇が世界のかなりのいろんなところでこれまで起きてきたし、これからも起きるかもしれない。そういうことを考えながらあのアメリカの問題というものを考えていかなければならないだろう。あの事件だけを特権化する必要はないと私は思っています。個人的な考え方ですけれども。
#25
○参考人(梶田孝道君) スカーフのお話がありまして、日本の高校野球でも云々という話はうかつにも私は知りませんで、大変失礼しました。
 この問題自体は、ヨーロッパにおいては国、先ほど言いましたように国によってまだ基本的に違いがありまして、全く認めているところもありますし、いまだにフランスのように続いている、論争が続いているというところもあります。単純にスカーフをかぶるということと、例えばクルスを付けるとか、あるいはユダヤ人が帽子をかぶるとか、かなり似たというか、ほとんど私は同じだと思いますけれども。ですから、単なる宗教帰属の、としてそういった行為がなされる場合には、私はもう全く問題ないんじゃないか。それは宗教行為ではないんじゃないかというふうに個人的には思います。ただし、それは、それ自体が宣伝行為というか、ある種の宣伝活動というような、あるいは政治活動というふうにみなされた場合には、これはまた別だと思いますけれども、私自身はそういうふうに思っています。
 例えばフランスでは、例えばさっきも言いましたように、名前がアラブ系の名前だと就職しにくいとか、日本でも同じような問題があるわけですけれども、あるいはスカーフをかぶってオフィスで働くことが許されないとか、そういったこと自体がやっぱりおかしいと思います。ある種の能力主義、私は能力主義的な判断というのは避けられないと思いますけれども、そうしたものの結果として人間は区別されるということは、それは必要悪としてしようがないと思いますけれども、そうでない形で、しかも大量に若い人たちがある種の仕事に就けないとか、あるいは失業が集中しているということは、本人たちにとってはやっぱり不正義だというふうに自覚するでしょうね。そういったことが、ある面ではイスラムへの回帰の引き金になっているということをちょっとお話ししたかったということです。
 それから、もう一つ別のテーマで、日本の外国人に対する行政の問題なんですけれども、文化庁等々という御提案がございましたけれども、それも一つの考え方かと思います。ただ、やはりこの問題自体はかなり総合的な問題でありまして、文化の違いをどういうふうに今は考えるかという、文化庁といっても国によっていろいろ違いがありますけれども、その領域に限られないと思います。実際にどう入ってくるのか、あるいはどう例えば優れた外国人を受け入れる、つまり今の出入国管理制度を取り続けている限りにおいては、優れた例えばIT技術者とか、様々な人たちはアメリカに行き、カナダに行くという、こういう形になるわけですね。一種の、結果的には競争になっているわけですよ。日本の省庁、あるいはそういう、この場合は法務省ですけれども、そういうことをどの程度意識されているかどうか分かりませんけれども、結果的にはそういった事態が起こっているというふうに思います。
 問題なのは、そういうそれぞれの省庁が取っている政策自体が省庁間でお互いに矛盾し合っているというか、そういうことがまだ非常に多くて、ですから、何というか、客観的に実際の官僚の中枢にいる人たち、実務の経験のある人たちが、労働、医療、あるいは教育、法務等々等々、これは非常に垣根が高いんですけれども、再編するのが難しければ新しい部署を作るのでもいいと思いますけれども、何らかの形で対応しないとちょっとどうしようもない事態に至っているのではないかなと思います。
 特にこれはイスラムとは関係ありませんけれども、さっきも言いましたように、外国人が非常に多い、例えば静岡県の浜松市とかあるいは愛知県の豊田市とか、こういったところですと、五千人とか一万人とか、そういったオーダーになっているわけです。ほとんどそれはニューカマーです。日系人が多いですけれども、それ以外にオーバーステイの外国人も多いと。その中に、当然ながらムスリムも含まれているということです。
 そういったところでは、もうほとんど、しかも例えばほとんどというか、子供というか家族でやっていらっしゃっている人たちが非常に多いわけですから、子供が日本の学校へ行っているということですね。日本語が分からないということですよね。そういう、ですから、そういう日本語を理解できない子供を多数抱えた学校が非常に増えてきているということです。しかし、それは日本全体に平均して増えてきているわけではないんですよ。ある種の、自動車産業であるとかあるいはIT産業であるとか、そういったものに非常に特化した労働力を必要としているところに集中しているということなんです。
 そういうところで、何というか、率直に言って自治体の能力を超えた現実になっていると思います。そういったことを、例えば去年の十月には十三都市会議というのがありまして、十三の外国人が集中する都市が集まって、それぞれの省庁を回って、何とか統一した対策を取ってくださいよということを申し入れたという記事が新聞にも出ていましたけれども、私は、それは大げさなことでも何でもなくて、本音だろうというふうに思います。
#26
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 次に、井上哲士君。
#27
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、大変貴重な御意見をありがとうございました。板垣先生に二点、大塚先生に一点、御質問をいたします。
 日本の文明とイスラム文明が非常に共通の基盤があるというお話を興味深くお聞きをいたしました。私、地元が京都なもんですから、祇園祭りの山鉾に確かにイスラムの織物などが掲げてあるのを改めて思い出しておりました。そしてまた、一世紀前までは大変対話があったということも興味深く聞いたわけですが、残念ながら、これが言わば途切れてしまった。その最大の問題は何なのか。この文化という問題に限って、回復していく上で今一番何が必要かということが第一点です。
 それから二つ目に、新しい国力の概念としての文明間の対話力という提起も大変新鮮に聞いたわけです。やはり対話力といった場合に、聞く力とそして自分の頭と言葉で語る力ということが大変必要だと思います。
   〔会長退席、理事山崎力君着席〕
 その点で、先ほども御発言でありましたけれども、過度の対米追従があるんではないかとかということもありますし、この調査会でも過去にも議論になりましたが、例えば悪の枢軸という発言に世界的にはいろんな批判がある中で、日本のみ理解を示したということがあると思うんです。
 先生の著作の中でも、第二次世界大戦後は世界への関与が米国お任せとなってイスラムは自分たちの守備範囲外という気分になってしまった。言わば、日米安保条約体制の肉体化としてイスラムを外在化する思考の癖が身に付いてしまったのではないかと、こういう御指摘もされておりますし、アメリカのえんま帳の成績を気にする点取り虫をやめて、今こそ国際社会から尊敬される文明戦略を正面から提示すべきだ。日本独特の役割を演じなければならないということを繰り返し言われているかと思うんですが、日本が国際社会から尊敬されるべき独特の、独自の役割というのはどういうものかとお考えか、お聞かせいただきたいと思います。
 それから、大塚先生にお聞きをいたしますが、対話については、他者との出会いを契機とした自己反省と自己変革が必要だということが言われておりましたけれども、端的に今このイスラムとの対話で日本が求められている自己変革とは何とお考えか、この一点、お聞きをいたします。
#28
○参考人(板垣雄三君) お答えいたします。
 その日本とイスラム文明との、日本文明とイスラム文明との間の共通の基盤というそういうものがあるにもかかわらず、そしてまた一世紀前の日本人は、つまり明治の日本はイスラム文明に対する、イスラム世界に対する十分な関心というものを払っていたにもかかわらずそれがどこかで途切れてしまった、それは何かという御質問でありますけれども、今のお話の中で私が書いたものについて触れてくださいましたように、私は、やはり一九四五年の敗戦以降、状況が随分大きく変わったのではないかというふうに思っております。それ以降の日本社会において、例えばアジアといいますと、もう本当に中国と朝鮮半島と東南アジアと、そしてその東南アジアの向こうにインドが半分ぐらい見えるかという、そのぐらいが日本人の考えていたアジアでありまして、サッカーのアジア・カップとか、サッカーのゲームなどを通じて初めて、ああサウジアラビアもアジアなんだとかレバノンもアジアなんだというようなことをやっと気が付くというようなそういうふうな状況という。これは言ってみれば、どこかに世界認識を預けてしまって、そして見える範囲というのを何となく極東というような範囲に限定してしまった、そういうアジア認識の矮小化といいますか、そういうところにある。そして、これは先ほどから大塚さんが盛んに言っておられますように、参考人が言っておられますように、日本社会というものの内向きというそういう問題と非常に深く関係していると思います。
 それから、第二番目の対話力というものをどういうふうな格好で発揮できるのかという、そういうことでありますけれども、直接イスラム世界との関係を別としましても、例えば私はアメリカの中東研究者あるいはアメリカのイスラム研究者、そういう人たちともいや応なくいろいろな付き合いをするわけですけれども、そういうところで、アメリカの中にもいろんな認識がある。そういうところで、アメリカの、アメリカ合衆国という国、社会の中での様々な世界認識の在り方というものに対して我々はもっと目を向ける必要がある。公的なアメリカ合衆国としての対外政策上の政治的立場という、そういうことだけではなしに、アメリカの国民の様々な、殊にそういうイスラムの問題に関連いたしますと、アメリカの中のイスラム教徒、そしてまたアメリカの中のイスラム研究者、こういうふうなものとのそれこそ会話のポテンシャルという、それをもっと開発していく必要があるのではないか。そういうふうな中で、日本としては、アメリカに対してもまた、日本の立場からの忠告なり助言なりももっとできるようになるのではないかというふうに思っております。
 直接にイスラム世界との関係で申しますと、今日私が申しましたようなタウヒードといったような言葉の意味、それも我々がどれだけちゃんと理解しているのかということをあちら側の人々に示すことがどういうふうに効果的にできるか、そしてまた、何かイスラムとは我々は違うんだという、そういうことをもう頭から言ってしまうのではなしに、今日私の提出しました資料の中にいろいろと例を書きましたけれども、様々な意味での共通の基盤というか、もう我々は一緒なんだというそういう人類意識と申しますか、そういうものを相手側に提示する、そういうことが具体的にできていくという、そういうことが必要だろうと思います。
 例えば、イスラム教徒の、どこかの国のイスラム教徒の国会議員が来られるというそういう場合もあると思うんですけれども、そういうときに、イスラム教徒同士のあいさつというのはアッサラーム・アライクムという、こういう敬礼して胸に手を当てる、アッサラーム・アライクムというこれがあいさつですけれども、アッサラームが平和でアライクムがあなたの上にという、ピース・アポン・ユーというそういうあいさつです。あなたの上に平和があるようにと。例えば、そういうどこかの国の国会議員のイスラム教徒の方が見えたときに、アッサラーム・アライクムというそういう一言が先生方の方からも自然に出るという、こういうふうなことがやっぱりそういうイスラム世界との文明対話力の問題だろうと思います。
#29
○参考人(大塚和夫君) 対話における自己変革、その具体的なという御質問だとも思いますけれども、実は先ほどの沢先生のお話のときに対話と会話が違うというお話をしまして、そのことをもうちょっと説明した方がよかったかなと思ったんですけれども、結局、対話という言葉、これが予定調和的な、どこかのゴールといいましょうか、というイメージなんですけれども、会話というのはそういう予定調和的なところを最初に設定しないというふうに私は考えます。
 つまり、そこで何が言いたいかといいますと、板垣先生が今日、日本の文化でしょうか歴史でしょうかとイスラムのそれとの間の共通点というのをかなり幾つかお話しいただきました。全く同感するんです。しかし、同感すると同時に、私はやっぱり差異、違いもあるということもついでに述べておきたい。逆に言いますと、やはりそこでは、初めから白か黒かで同じか違うかという話ではなくて、同じ部分もあれば違うところもある、そういう形で積み上げていく。だから、時には僕は摩擦も起きる、摩擦も起きても当然だと思っています。そういう意味で、予定調和的な一致点というものを前提にしない会話という言葉の方がよりいいのではないかというようなことで、先ほどの質問に対する補足なんですけれども、これが今の井上先生の御質問に対する答えの一部にもなります。つまり、そういう意味で、やはりある意味でいうと、彼らとの違いもあるわけです。
 また、彼らと今私言いましたけれども、実は彼らも当然一枚岩じゃありませんで、同じムスリムといったっていろんな人たちがいます。そこで、これはだれでもそうなんですけれども、話が通じる人間もいればなかなか通じない人間もいる。ムスリムだからみんな同じ考え方をしているということは当然これは言えないわけでして、これは当たり前といえば当たり前のそういう常識を持った上で彼らと対していくという前提を持たなければならないだろう。
 そういう前提の上で、自己変革という言葉、具体的にどういうことかということですけれども、実はこれは、もう常にここに並んでいる三人がいろんな形で言っていることに絡んできます。それをより抽象的な言葉で申しますと、やはり現在の、日本、日本人であるというか日本国民であるというその持っている前提、その持っている世界認識というものが、それを少し相対化してみるというかもう少し距離を取ってみるというか、具体的にどうするかというと、やはり例えばイスラムだったらイスラムのことを、直接そのムスリムと出会って、時には意見の衝突もあると思います。しかし、そういうプロセスを経た上で彼らときちんと対峙して、他者として、他者であると同時に共存する他者として対応していかなければならない。
 つまり、それは逆に言いますと、先ほど報告のときに申し上げましたように、我々が変わっていく。変わっていくというのはどういうことかというと、我々が持っている常識、この常識の中に世界の戦略といいましょうか世界の構図、今の世界はどういうふうに構成されているか、それをある方は恐らく対米追従という形で言われる、説明されるかもしれませんし、別な方はやはりそのアメリカ的な価値観というものをそれなりに評価して言われるかもしれません。しかし、そういうものを、しかしそこで問題になっているのは、やはり対アメリカとの関係であって、対アジア若しくは対イスラム、さらにはもっとアフリカ等々も含めたそちらの具体的な世界の情報を我々はどの程度持った上で世界観を語っているか、世界戦略を語っているか。
 確かに今の、何といいましょうか日本人の多くが持っている常識というもの、世界認識というのは、アメリカをどう評価するかは別として、やはりアメリカ、更には欧米的な、欧米から発信された情報に基づいたものがベースになっていると思います。それ自体を相対化していく、そういう形。
 これはもう少し具体的に申し上げますと、例えばマスコミ等々を見ましても、世界のニュースというものは、発信源の圧倒的多数が欧米であると。それをもっとダイレクトに、それ以外の世界の人たちが、どういう生の声を、どういうことを考えているか、どういうことを、どういう価値観で生きているか、それを、何というかな、あの人たちは後れているとかあの人たちはちょっと間違っているという形で考えるのではなく、それを一回そしゃくして、その彼らの言っていることを自分の中に取り込んでいく。これは、いや応なく自分の世界認識、地球世界というのはどういうものであるかということを変えなければならなくなります。
 そういうような形での、何というかな、世界をどう理解していくかという姿勢をより強めていく、そういうことが重要なのではないかと思います。
#30
○理事(山崎力君) それでは、田村先生お願いします。
#31
○田村秀昭君 自由党の田村でございます。
 三先生に御質問させていただきますが、その前にイスラム世界、中東について御言及されたことについて大変敬意を表すものであります。
 九月十一日に同時多発テロが起きましたけれども、ああいうことというのは相当な憎しみと敵意がないと普通できないと私は思っておりますが、なぜあのような事件が起きたのかということについてお聞きしたいと思います。
 そして、またああいうのは再度起こる可能性があるのかないのか、そして日本ではそういうことが起きる可能性はあるのかないのか、その二点について三先生に御質問させていただきます。
#32
○参考人(板垣雄三君) お答えいたします。
 まず、九月十一日の事件は、私自身いろいろな意味で疑問を持っておりまして、一般的にはオサマ・ビンラーディン率いるところのアルカーイダがその後ろにいるんだという、そういうことが言われておりますけれども、そういう人々が、あるいはアフガニスタンからの指令で、それにつながる人々があの事件を引き起こしたという、そういうふうなことが仮にあったとしても、それだけでああいう事件になったのかどうかという点については、実はまだよく分からない状況です。
 そして、しかし、お話、言われるとおり、そこには非常に大きな憎しみや敵意が込められている、このことは間違いないと思いますけれども、なぜああいう事件がああいう形で起きたのかというところでは、単純にある原理主義者の組織があって、それがある指令で動いてああいう事件を引き起こしたというふうなことではないということについて、私自身岩波新書で「「対テロ戦争」とイスラム世界」という本を編さんいたしましたけれども、その中で書いておきました。
 あの事件が、やはりいろんな意味で、アメリカの中で起きた事件だというそのことを見落とすわけにいかない。様々な意味で、アメリカの航空関係のシステムに基づいて起こったことであり、そしてもし仮にアルカーイダと言われるようなグループが直接に関与していたとしても、その人々のあの考え方というのは、先ほど申しましたように、著しく欧米の二項対立的な考え方に基づいた考え方であるという、そういうところでイスラムの事件、イスラムの人々が引き起こした事件というふうに単純化できないというふうに思っております。
   〔理事山崎力君退席、会長着席〕
 現実に今、これは湾岸の国々、例えばサウジアラビアとかアラブ首長国連邦とかカタールとか、そういうたぐいのああいうペルシャ湾岸の地域の国々の人々でありますけれども、その国民の圧倒的多数は、何というかオサマ・ビンラーディンが本当の犯人であるというふうには思っていない人が非常に多いわけであります。これは、その認識がおかしいとか、事実認識がおかしいとか、そういうふうにして情報を操作されているとかいうふうな単純なことではないように思います。
 したがって、むしろそういう事件が引き起こされる、その前の全体の国際政治状況、その雰囲気、そういう問題を考えてみる必要があり、そこでは、先ほども触れましたが、十分に蓄積されてしまったパレスチナ問題の行き詰まり、この問題がなぜというところではまず一番根元的なこととして考え直されなければならないというふうに私は考えております。
 それから、再度ああいう事件が起きるかという、起きると思うかという点に関しましては、私はそれは十分にあり得ると思います。というよりは、今現実に、ニューヨークの世界貿易センターのあのツインタワーが崩壊するというような、そういう格好で起きるかどうかは別としまして、現実に今この時間にも展開しているパレスチナとイスラエルとの関係の問題での、現在のもう本当にどうしようもない悲劇的な状況、これが引き起こすであろう、これから先において中東において起こってくるであろう状況というのは、これはもしかしたらニューヨークやワシントンで起きた事件などに比べてはるかにもっと深刻な状況が起こってくる可能性があります。
 それは、例えばサウジアラビアという国の体制に著しい大きな変動が生じるとか、あの辺りの国々の至るところで今、何といいましょうか、あの地域の国民のすべてがイスラエルに対する怒りと同時に、何もできないでいる自分の国の政府に対する怒りという、そういうものに目を、話が向きつつあるわけですね。ですから、今のまま放置した場合には、あの地域の様々な政治的なレジームがいろんな意味で大きな変動を引き起こすことになりかねない、そういう状況があります。
 したがって、九月十一日の事件が再現するかどうか、もっと深刻な、はるかに深刻な形で事態は展開していく可能性があるということを私としては申したいと思います。
 それから、日本で似たような事件が起きるかという問題でありますが、これは理屈としてはなかなか難しい問題でありますけれども、私として指摘したいのは、私の方で提出しました資料2の中の七ページの、失礼しました、三ページです。三ページのところに「二十世紀から二十一世紀へ」というところで、一九九〇年代から二〇〇一年に掛けての様々な世界の重大事件というものを書き並べましたけれども、この中で、例えばエジプトのルクソール観光客襲撃事件というのがあります。それから、タジキスタンで武装勢力が国連政務官秋野豊を殺害という、こういうことがあります。それから、その下にキルギスタンでの日本人技師人質事件というのがあります。つまり、この一九九〇年代から二〇〇一年に掛けての世界の重大、重要事件というものを書き並べただけでもう既に日本はこれだけかかわらせられているという、そういうことに御注目いただきたいと思います。
 十分に、日本ないしは日本人が、今のまま安易に推移する場合には様々な問題に巻き込まれる。それは日本をも舞台とすることもあり得る。殊に、沖縄の問題というのは私は非常に重要な意味を持っているというふうに考えております。
#33
○参考人(大塚和夫君) 私も大体板垣先生に近いんですけれども、若干違った側面からコメントさせていただきますと、九・一一がなぜ起きたかということは私もよく分かりません。そういう具体的な問題等々に関しては分かりません。ただ、あれが起きたときもそれほど不思議はなかったという感想があったということは申し上げます。
 なぜならば、これはイスラム世界だけの問題ではなく、あえてここで第三世界という言葉をちょっと使いますけれども、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ等々を使いますけれども、そういうところの地域においてある種のかつての西洋の支配、これは植民地時代、植民地主義の時代からの蓄積の問題があります。それと、現在において、先ほどもちょっと申し上げましたように、圧倒的な経済的格差であり、同時にそれが政治的な従属という現実、そういうものが持っているときにあの事件。そういう世界的な政治経済、更にもしかしたらそれは文化も含めた不平等の構造の中で、イスラム世界、もしあの犯人がアルカイーダのグループだとしたらば、におけるああいう現れ方をしたと。しかし、それは形は違ってもほかの非イスラム世界、非イスラム的な第三世界においても形は違っても起きている。
 たしか今ジンバブエでしたっけ、白人が持っていた土地を黒人の政府が取り上げるということに関して様々な問題が起きて、たしかイギリスはジンバブエを制裁、そういう形を取っていると思いますけれども、あの問題なども、黒人の側の理屈は、植民地主義の時代のツケをあいつらに払わせるんだと、そういう世界認識を持っている。
 同じように、九・一一の前、八月の末だと思いましたけれども、南アで行われた、これは正式な名称は忘れましたけれども、人種差別に反対する国際会議、あのときにアメリカ及びイスラエルがどういう対応をしたか。一種のシオニズムというのを人種差別だという理論をアラブとかアフリカの国々が出そうとしたときに、アメリカはそれを拒否して席を立っていると。
 そういうような形で考えていきますと、九・一一は確かにイスラム世界にかなり焦点が合わされていますけれども、あれに対して非イスラムの第三世界の国々、若しくは途上国の国々においてもあれにどこかで喝采をしている人々がいる、そういう側面がある。実際、いろんなうわさ話等々、目撃談で私も聞いていますけれども、そういうことを考えた上で、あの九・一一というものをそういう文脈の中に位置付けていかなければ、単純なアメリカ対イスラムという枠組みだけで考えていったら正に長期的な国際戦略は誤ると私は思っております。
 再度起きるかということに関しましても、今、板垣先生がおっしゃったような可能性、大いにあり得ると思います。つまり、それだけある種のマグマは非常にたまっている。もちろん、ああいうジェット機をハイジャックするという形はもう起きないかもしれません。しかし、違った形で様々な火種が、火が燃え上がるということは当然あり得る。
 そして、じゃ日本ではという話ですけれども、短期的にはもちろんああいうことは起きづらいかもしれません。ただ、日本人という形で、今、板垣先生がお話がありましたけれども、それに一つ付け加えるならば、これもまだ犯人はきちんとは明確になっていませんけれども、「悪魔の詩」という本を翻訳した五十嵐さんが殺害された事件、あれも本当の犯人はまだ分かりませんけれども、あれなども国内においてそういう問題が起きている。いや応なく、正にグローバル化ってそういうことだと思います。いや応なく日本はもう取り込まれているんだと。その覚悟というか、そこから物を考えていかなきゃならない。
 同じことをもう一つ申し上げますと、去年あったあの富山での、コーランを何というかばらばらにされた事件、あれは何かかなり個人的な、犯人が非常に個人的な問題でやって、思想的、宗教的な理由がないという形で解決したわけですけれども、あれがもしかしてそういう宗教的、思想的な背景などがあった場合にはこれまた大きな問題になる。逆に言うならば、あれなども、もし犯人の方が、何というかコーランというものの持っている、少なくともイスラム教徒に持っている意味というものを分かっていたらああいうことはできなかった可能性もある。若しくは、あれをやったことによってどういうことが起きるかということを考えたならば、ああいうことをやらなかった可能性もあるんですけれども、これなども、イスラムにおいてコーランというものがどういう位置が、どういうものであるかということを日本人の圧倒的多数が知らない、そういうところからきた事件でして、ああいうことがこれから在日のムスリムが増えてくる過程で起きないとも限らない。そうなってくると、もっと深刻な出来事が我々の目の前に、国内においても起きるかもしれない、そういうふうに考えております。
#34
○参考人(梶田孝道君) この今提出された問題に対して私が答えるべきかどうかというか、適任であるかどうかというのは疑問なところが多いんですけれども、関連した限りでお答えしたいというふうに思います。
 九月十一日のあの事件が起きたときに、当然アメリカで起きたわけですけれども、同時に世界貿易センタービルを標的としたということで、グローバリゼーションというか、この場合経済的なグローバリズムと言った方がいいと思いますけれども、そういったものが敵という側面をも持っていたかと思います。そういう意味で、当初、その当事者がだれを敵としたのかということについてよく分からなかったというか、今でもそうですけれども、というところがありました。ただし、グローバリズムとアメリカの戦略というのは非常に重なっているところが大きいですから、まあ理解、一定の理解は可能かというふうに思います。
 EUの場合、イギリスはアメリカ寄りでほとんど同じ行動を取っていますので、ほぼ同じ可能性でというか、起こり得るというふうに思いますが、EUの姿勢自体は、お二人の参考人はユーロセントリズム等々という言葉を使われましたけれども、アメリカとは一定程度違った対応を取っているということがありまして、同じ程度に起こり得るというふうには私は必ずしも思いません。ただし、これまでもフランスがある政策を取ったということに関連してテロが起きたりということは頻発しておりますので、こういったことが、これほど大きな事件が起こるとは思いませんけれども、可能性としてはあり得るというふうに思います。
 さっきも言いましたように、大半のムスリムの場合には、聞けば反対、反対というか、それはイスラムのすることではないというような対応をするわけですけれども、しかしある種のシンパシーも持っているということも否定できないという状況だろうというふうに思います。
 先ほど板垣参考人がおっしゃいましたけれども、例えばフランスですと、反ユダヤ主義の歴史がかなり長いということがありまして、今イスラエルでああいったことが進行していますけれども、それがもう一日ぐらいのタイムラグを経てフランスでいろんな事件という形で発展しているという現実があります。ユダヤ人も多いし、それからアルジェリアから独立によって帰ってきたピエノワールと申しますけれども、フランス人も多い。それから、六〇年代以降入ってきたマグレブ系の北アフリカ系の移民も多いということで、正にそういった点でグローバル化の中に入っていて、一つの何というか、あるところで起きたことが次々と波及していくということは大いにあり得ることだろうというふうに思います。
 日本については、お二人の方とそれほど違った意見ではありませんが、特に今すぐどうこうということは多分ないと思いますけれども、板垣参考人のメモにもありますように、例えば、インドネシアで起きた味の素事件というような形で、日本の企業の活動というのはグローバル化しているわけですから、そういったツーリズムとか、あるいは企業活動であるとか、様々なグローバリゼーションの過程の中で、日本そのものを標的にしてという悪意はないにしても、そういった事件に巻き込まれる、あるいは利用されるということは大いにあり得るというふうに思います。
 そんなところが私の答えられるところで、それ以上のことはちょっと私の能力を超えているということで御勘弁願いたいと思います。
#35
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 予定の四時半の時刻は参ったんでございますが、各会派の代表の一巡が終わっておりません。大田昌秀先生、あとお一人でございますので、そうしたら二十分ぐらいでございますので、参考人の先生方、恐縮でございますが、御理解をいただき、また委員の先生方もよろしくお願いいたします。
 それでは、大田昌秀君。
#36
○大田昌秀君 いろいろとお伺いしたいんですが、時間がありませんので、一問ずつ三人の先生方にお願いします。
 板垣先生にお伺いしますけれども、一昨年の初めに先生も中心になられて外務省にイスラム研究会が発足しまして、その報告書が二〇〇〇年末に出されております。その中で、「二十一世紀の日本とイスラムの関係強化に向けた政策目標(試論)」というのが提起されておりますが、その中で、特に日本外交におけるイスラムの位置付けという点と、日本の国民世論におけるイスラム認識の啓発という点が提起されています。その先生方の御提案が現在の外務省を始め政府の対イスラム政策にどのように生かされているのか、御見解を伺いたいと思います。
 それから、大塚先生には、ごく端的に伺いますが、ムスリムの若者たちによるいわゆる自爆テロと、戦時中の日本の若者たちの特攻隊との違いについて、もし御理解がありましたら教えていただきたいと思います。
 それから、梶田先生には、いろいろとお伺いしたいことがありますが、ただ一点だけ、日本のイスラム研究者と外国のイスラム研究者と比較されて、質、量の面でどういうことが言えるか、おっしゃっていただきたいと思います。
 以上です。
#37
○参考人(板垣雄三君) お答えいたします。
 イスラム研究会は一昨年の二月の末ぐらいから動き始めまして、正式には一昨年三月から活動を開始したわけでありますが、コアメンバーというふうに言っておりましたイスラム研究関係の専門家と、それから随時テーマごとに関係の研究者をお招きして、毎月のように研究会をいたしました。
 そして、御紹介ありましたように一昨年の十二月にその報告書を出したわけでありますが、それがその後どういうふうに生かされているかということに関しては、その報告書が出ました翌月でありますが、昨年の一月に当時の河野外務大臣が湾岸諸国を訪問され、そして一番最初の訪問国であったカタールの首都ドーハにおいて、当時河野イニシアチブというふうに呼ばれておりましたが、そのイスラム研究会の報告書に盛られた提言をいろいろな形で生かした形で、日本のイスラム世界に対する言わば政策的メッセージを提起されました。そして、これに基づきまして、今日冒頭に御報告いたしました今年三月の半ばにバハレーンで開かれましたイスラム世界と日本との文明対話の知識人ネットワークに基づく会議というそういうものが開催されるようにもなったわけであります。
 その昨年の九・一一の事件よりも、に先んじて、既に日本がそういう今、河野イニシアチブというふうに呼ばれたようなそういうイスラム世界に対するメッセージを発していたというそういう事実は、これは湾岸諸国のみならずインドネシアやマレーシア、フィリピン、タイ──フィリピンというとキリスト教国、タイというと仏教国というふうに思っている人が日本の社会には多いんですけれども、それらの国々にもイスラム教徒はたくさんおりますので、そういういろいろな国々でもそのことに関する積極的な受け止めがされているというふうに思っております。
 したがって、九月十一日の事件は非常に残念なことでありますが、しかし、そういうことに先んじて日本の外交としてそういう国際的な表明が行われていたと。しかも、具体的な形でのプログラムを示そうとしていたという、そういうことはせめてもの救いではないかというふうに私は思っております。
 外交の問題についてはそういうことでありますが、報告書に盛った事柄はもっと広い範囲のことでありまして、殊にそういう社会的、社会教育や学校教育の面での事柄でありますけれども、この九・一一の事件以降、私はいろんなところで国際会議に出ました。そして、欧米の人たちも含め、イスラム世界の人たちと様々な議論をいたしましたが、それは会議はハノイで開かれたものもありましたし、チュニスで開かれたものもありますし、様々なところで様々な目的の会議が開かれたわけですが、そういうところで九・一一以降、どこでも国際的な会議で、結局最終的な結論は教育とメディア、これが一番重要だと。ここのところが何か変わらないとああいう事件をもうこれから防ぐことはできないというそういう考え方が出てきました。
 これは正しくイスラム研究会の報告書で強調していた点と一致することでありまして、決して日本の側から提起した問題ではない。もっとグローバルな規模で国際的に受け入れられるそういう考え方を我々は出している、日本は出しているというふうに自信を持ってよろしいのではないかと考えております。
#38
○大田昌秀君 ありがとうございます。
#39
○参考人(大塚和夫君) 沢先生は今、退席されているようですけれども、先ほど言われましたように私、戦後派ですので、もしかしてこのとらえ方が間違っていましたら御指摘いただきたいんですけれども。
 御質問は自爆テロと特攻隊の共通性若しくは相違性といいましょうか、そういう点だと思いました。一応、この少なくとも私が理解している限りでは、どちらも軍事的といいましょうか、政治的、軍事的にかなり追い詰められた状態における起死回生の熱情といいましょうか、そういう意味での共通性はあると思います。それがどういうふうに、客観的に判断してそれがどうかということは別としまして、少なくとも本人たち、当事者たちにとってはそういう共通性を持ったものだと思います。
 じゃ、そういうところ、逆に言いますと、いわゆる自爆テロというものも、それだけパレスチナの人たちが絶望している表現であるというふうに私は考えております。つまり、絶望せざるを得ないような客観的な状況の中に置かれていると。じゃ、相違点ということで、もちろんこれは個人的な、その自爆テロをしている人たち、また日本の特攻隊の人たち、個人的にはいろんな考え方があったと思います。しかし、一応イデオロギーの面で、つまりそれを説明するイデオロギーということで相違点というのを述べていくとしましたら、ここら辺は戦後派の私はちょっと弱いところなんですけれども、特攻隊の場合に、こういう説明するとき、私はこう言うんですけれども、よろしいでしょうか。
 七生報国といいましょうか、ああいうイデオロギー、戦前にあったイデオロギー、そういうものが、その特攻隊に行く人たちの、もちろん個人的にはいろんな考え方があったと思いますけれども、それを正当化するイデオロギーとしてあったという前提でお話ししてよろしいでしょうか。──だとしたらば、その前提でお話しさせていただきます。同じく自爆テロの方も、これはいわゆるイスラムのジハードという考え方、一種のイスラム世界を守るための戦いであり、それによる殉教であるという前提で話します。
 その場合に、相違点というのは、私は、特攻隊の場合には、正に七回生まれ変わって国のためにというイデオロギーがあったと。これは、端的に日本の宗教観における輪廻転生観、これが前提になければ当然そういうことは、そういうイデオロギーでは説明できません。
 じゃ、イスラムの場合には何か。あそこで言う殉教ということになってきますと、あれは、イスラムの大義のために死んだ人間は来世、ただしこの来世という言葉も日本語における来世とは意味が違ってきます。日本語の来世という場合には、前世、現世、来世、これは輪廻転生観です。昨日、今日、明日みたいな感じで、そういう感じであるわけですね、来世というのは。そういう前提での来世なんですけれども、イスラムにおける来世というのはそういう意味は全くありません。輪廻転生観はございません。一部の宗派でちょっとそれらしいのがあるんですけれども、少なくとも主流においてはそれはございません。
 じゃ、何か。世界はアッラーによって、神によって創造された、いつか終末を迎える、その終末に最後の審判が行われ、そこで、現世においていいことをした人間、このいいことというのはイスラム法的、イスラム的な視点からいって善いことという基準になりますけれども、善いことをした人間は天国に行けるし、悪いことをした人間は地獄に行くという世界観、若しくは、こういう言い方をすれば、死生観といいますでしょうか、死と生というものをどういうふうに考えるか、そのとらえ方が前提になります。
 殉教の場合には、そこで殉教をしたならば、殉教と認められた死であるならば、それは来世において天国に行くことが保証されると。つまり、そういう意味では、自分の死の、というか現世における死の後の来世における生、こういうとらえ方をしたら、何と普通の日本人から見たら後れているというか、まだそんなこと考えているのかと、こう思われる方が多いかもしれませんけれども、しかしそういうとらえ方が、私がこれまでイスラム世界と付き合ってきた限りでは、世俗化されたムスリムでもどこかでそういうことを意識している人たちが多いというふうに私は考えております。
 ですから、そういう死生観を前提にした場合に、その同じ死の意味が、そこで言う輪廻転生観的な位置の中における死と、それからそういう、これはイスラムだけじゃなく、ユダヤ教、キリスト教と全部つながるセム系の一神教と我々言っておりますけれども、そこにおける世界というものはどういうものであり、生とは何、死とは何か、またそういうとらえ方の違いでその相違というのは説明できると私は考えております。
#40
○大田昌秀君 ありがとうございました。
#41
○参考人(梶田孝道君) 私に対する質問ではありませんですけれども、一つ紹介しておきますと、カミカゼという言葉はもう世界語になりつつありますね。フランス語では最後の、カミカーゼというか、アクセントがちょっと違いますけれども、そういう状況だというふうに思います。
 私に、私自身も、先ほど何度も申しているようにイスラム研究者ではありませんので、イスラム研究の状況について評価せよというのもこれはまた非常に酷な議論、質問だなというふうに率直に思っていますけれども、第三者から見て言えることを若干申し上げたいというふうに思います。
 やはり、ここにも大塚参考人もいらっしゃっていますけれども、やはり四十代あるいは五十代の若い、若いかどうか分かりませんけれども、相対的に若いイスラム研究者がやっぱり層を成して出てきたのがこの十年だったんじゃないかなというふうに私は思います。そういう意味で、イスラムルネサンスというような、イスラム研究のルネサンスというような表現を使う人もいますけれども、やはり、私は第三者ですけれども、第三者の目から見てもやはりそれだけ層が厚くなったということは否定できないことではないかというふうに思います。
 過去三年ぐらいですか、イスラムのプロジェクトがありましたね。五年ですね。過去五年に当たってかなり大規模なイスラム研究のプロジェクトが文部科学省の科学研究費で出されまして、それが五年間進行してきたわけですけれども、こういった研究が次の世代というか、若い世代に与える影響というのは非常に大きいというふうに思います。そういう意味で、何というか、欧米のイスラム研究そのものについて私はよく存じ上げませんけれども、決して引けを取らないというか、そういったものになっている。つまり、個人レベルの問題ではなくて、そういった集団というか、集団的な意見交換を通して学界のレベルを引き上げていくということに非常に貢献しているのではないかというふうに私は思います。
 ヨーロッパの場合は、イスラム研究に限らず移民研究もそうですけれども、やはり第二世代に入っているということがありまして、やはり主流は三十代、四十代ということで、その多くがやはり移民自身です。あるいはムスリム自身です。そういった人たちがフランス人になり、フランスの研究者として第一線に活躍しているということが言えるというふうに思います。そういう点で、やっぱりある種の、何というか動機を内在している人たちが当然第一線で活躍するというのは当たり前のことなんですけれども、こういったことがヨーロッパの場合ですけれども言えるかなというふうに思います。
 以上です。
#42
○大田昌秀君 ありがとうございました。
#43
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 本日の質疑はこの程度といたします。
 一言ごあいさつをさせていただきます。
 お三方の参考人におかれましては、長時間にわたりまして大変貴重な御意見をお述べいただきまして、大変有意義な調査を行うことができました。
 参考人の皆様方の御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼のごあいさつとさせていただきます。大変ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時五十分散会
ソース: 国立国会図書館
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