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2001/11/28 第153回国会 参議院 参議院会議録情報 第153回国会 国際問題に関する調査会 第3号
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2001/11/28 第153回国会 参議院

参議院会議録情報 第153回国会 国際問題に関する調査会 第3号

#1
第153回国会 国際問題に関する調査会 第3号
平成十三年十一月二十八日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 十一月二十七日
    辞任         補欠選任
     大田 昌秀君     田嶋 陽子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         関谷 勝嗣君
    理 事
                世耕 弘成君
                山崎  力君
                山本 一太君
                藁科 滿治君
                沢 たまき君
    委 員
                入澤  肇君
                小林  温君
                桜井  新君
                西銘順志郎君
                野上浩太郎君
                森元 恒雄君
                吉田 博美君
                今井  澄君
                小川 勝也君
                山根 隆治君
                若林 秀樹君
                高野 博師君
                井上 哲士君
                田嶋 陽子君
                田村 秀昭君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       東京大学東洋文
       化研究所教授   後藤  明君
       京都大学大学院
       アジア・アフリ
       カ地域研究研究
       科教授      小杉  泰君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○国際問題に関する調査
 (「新しい共存の時代における日本の役割」の
 うち、イスラム世界と日本の対応(イスラム世
 界の歴史と現在)について)

    ─────────────
#2
○会長(関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨二十七日、大田昌秀君が委員を辞任され、その補欠として田嶋陽子君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(関谷勝嗣君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国際問題に関する調査のため、本日の調査会に東京大学東洋文化研究所教授後藤明君及び京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授小杉泰君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(関谷勝嗣君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#5
○会長(関谷勝嗣君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、本調査会の調査テーマである「新しい共存の時代における日本の役割」のうち、イスラム世界と日本の対応に関し、イスラム世界の歴史と現在について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 本調査会では、イスラム世界と日本の対応について重点的かつ多角的な調査を進める予定でおり、本日はその第一回目としまして、イスラム世界の歴史と現在について参考人から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞどうぞよろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、後藤参考人、小杉参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、早速後藤参考人から御意見をお述べいただきます。後藤参考人、よろしくお願いします。
#6
○参考人(後藤明君) 後藤でございます。
 イスラム世界の歴史と現在につきまして、ごく簡単に御報告させていただきます。
 現在、イスラム世界、つまりイスラム教徒、ムスリムと言いますが、ムスリムたちが人口の過半数を占めるような地域は、東南アジア島嶼部、インドネシア、マレーシア、あるいはフィリピン南部からアフリカ大陸の北半分に広がっております。それ以外にも世界にはムスリムがたくさんおりまして、一番ムスリムが少ない、イスラム教徒が少ない国は恐らく日本だろうと思います。つまり、日本は非常に例外的な国であるというふうに私は認識しております。
 イスラム世界といいますと、どうしても中心は中東地域、つまり西アジアや北アフリカだと考えられがちですが、現在のムスリムは、人口およそ十数億人、十一億、十二億、十三億人と推定されておりますが、その半分以上はインダス川から東、つまりインド亜大陸、南アジアや東南アジアにおります。したがって、イスラム世界というものは決して中東だけではございません。しかし、イスラムが始まりまして、そして広がったその中核はやはり中東地域でございます。
 イスラム教というものは、唯一なる神、ただ一つの神に対する信仰であります。その神を普通アラビア語でアッラーと言いますが、これは単にアラビア語でアッラーと言うだけでありまして、英語で言えばゴッドであります。したがって、旧約聖書、新約聖書、その他の文献にありますユダヤ教やキリスト教が言う神と全く同じ存在でございます。言うならば、同じ存在、同じ神に対する信仰がユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教に分かれているというのが現状だろうと思っております。したがって、イスラムは特殊な宗教ではありませんで、ユダヤ教、キリスト教と兄弟宗教である。
 この三つの一神教、唯一なる神に対する信者、信仰を持った人々というのはおよそ世界の人口の半数であります。もちろん熱心でないそういう信者の方もいらっしゃいますが、そういう一神教的な文化を背景にした社会に住んでいる人たちはおよそ世界の半数である、そのうちのまた何割かがイスラム教徒であるというふうに私は認識しております。
 日本は、この一神教について非常に影響力が薄い社会であります。もちろん日本にもキリスト教徒は何百万人かの単位でおりますけれども、一億二千数百万の人口に対すれば本当に数%でしかありません。恐らく日本が世界で一番一神教徒が少ない社会だというふうに私などは認識しております。
 そういう一神教がいつから始まるかというと、非常に難しいことですが、大体紀元前後のころからユダヤ教が宗教としては形を整えていったというふうに考えておりますが、ユダヤ教は歴史の中でほぼ一貫して、ごく少数の例外的な時期はありますけれども、一貫して世界のどこに行っても少数派であり続けました。現在のイスラエルという国家では国民の大多数がユダヤ教徒ですが、それは非常に例外的な存在であります。
 それに対しましてキリスト教は、紀元後の話ですが、四世紀、五世紀ごろ、ローマ帝国という、当時地中海世界、地中海の沿岸、今のヨーロッパの南部から北アフリカ一帯、あるいはトルコとかシリアといった西アジアの一部、地中海を取り巻く世界のすべてを支配しておりました。そのローマ帝国がキリスト教を国教にするという大きな歴史の転換がございました。
 一口に国教にすると申しますけれども、その実は、要するにキリスト教あるいはキリスト教の母体となりましたユダヤ教という一神教以外の宗教は否定する、そういう国の政策であったわけです。つまり、一神教の神以外の神々、異教の神々はすべて神ではないというふうに認識いたしまして、しかも巨大な帝国の政治と結びついてそういう運動が行われましたから、徹底して異教の神々は地中海世界から消えてしまった、そういう事態が起こります。
 よく私が例に引くんですが、例えばギリシャの首都にあります、アテネのアクロポリスにあります神殿というのは、恐らく千年以上にわたって神々のための神殿であり続けたわけですけれども、この時期に神殿ではなくて単なる廃墟になってしまった。あるいはエジプトのルクソールという大きな神殿、これは紀元前千数百年の昔からずっと神殿であって、二千数百年間神殿として栄えたわけですけれども、この時期に廃墟になってしまった。それ以外の異教の神々と、キリスト教から見た異教の神々に結びつく神話、文学、音楽、芸術その他が一切いわば抹殺されてしまったと。
 今でいえばギリシャにありますミロ島にあったビーナス像が海に捨てられてしまった、それを十九世紀になってフランス人が海から拾い上げて、今ルーブル博物館に飾られておりますけれども、なぜ捨てられたかといえば、この時期、キリスト教から見た異教の神々が要するに神ではないと否定された、その結果であります。つまり、タリバンが仏像を破壊してしまいましたけれども、それと同じような行為が非常に広範にわたって繰り広げられた。それを私は一神教革命などと呼んでおりますが、そういう事態がイスラムの勃興に先行しております。
 しかし、このような要するに異教の神々を一切禁じるという、いわば政治を背景にした、あるいは国家というものを背景にした運動は、その国家の領域外では通用いたしません。したがって、ローマ帝国から外れたところでは、キリスト教やユダヤ教はある程度浸透するんですが、異教の神々を抹殺するわけにはいかなかった。そういう地域が、これからお話しいたします七世紀のアラビアでございました。
 つまり、アラビアはローマ帝国に隣接しておりますけれども、ローマ帝国の領域外にあった地域であります。そこにはまだまだ異教の神々、つまりキリスト教から見た異教の神々がたくさん祭られておりました。そういう異教の神々をたくさん祭っている町の一つがメッカという町であります。そこに生まれたムハンマドという人物が、メッカのカーバという神殿に祭られている神々はすべてこれは神ではない、そして唯一なる神、キリスト教やユダヤ教が言う神だけが神なのだと、そういうことを主張した宗教運動を始めた、それがイスラムの始まりであります。
 私が想定いたしますに、当時のメッカという町はおよそ人口一万人内外の人口の社会であったろうというふうに認識しております。当時、日本は聖徳太子の時代でございますけれども、人口一万人の都市は恐らくなかった。日本で見れば大きな都市ですけれども、数千年の都市の歴史を持っています中東にあっては小さな町にすぎなかったわけです。その町でイスラム、ムハンマドという人物が新しい宗教を説きまして、唯一なる神に対する信仰を説きまして、およそ二百数十名、三百名弱の信者を得た、そういうふうに私などは考えております。したがって、人口の圧倒的多数はいわば新しい宗教を弾圧し、迫害する側に回りまして、新しい宗教の信者は本当に少数である。
 今日でも、イスラムの中にはこういうごくごく少数の人間が圧倒的多数の人間から迫害を受ける、その迫害に耐えて信仰を守るという側面が残っております。そして、イスラムの聖典はムハンマドという人物が神から啓示された、神から与えられた言葉を集めたというふうに考えております、神の言葉の集積でありますコーランというものがイスラムの聖典でありますが、そのコーランの中にもそういう迫害に耐えるごく少数の宗教信者という側面が色濃く残っております。
 その後、ムハンマドはメッカ、圧倒的多数の人がいわば迫害をしている町メッカを捨てまして、およそ三百数十キロ離れた北にありますメディナという町に移ります。それを普通ヒジュラと言いまして、ヒジュラというのは移る、住所を変えるという意味ですが、これからメディナを中心にして新しいイスラム教徒の社会ができていくということになります。なぜそのメッカではできなかったことがメディナでできたか、非常に難しい問題なんですが、結果においてはメディナで、大部分のメディナの住民、私は恐らく二万人程度の人間だと思いますが、二万人程度の人口が大体がイスラム教徒になった、ムスリムになったという社会を十年間かけてつくることに成功いたします。
 このヒジュラという行為によってでき上がったイスラム教徒の社会、それをウンマと言いますが、そのウンマができたことがイスラムの歴史にとっては非常に重要だということで、このヒジュラがあった年を紀元にして今日のイスラム暦、一般にヒジュラ暦と呼ばれているものができ上がっている。西暦でいえば六二二年という年がイスラム教徒の社会の始まりだというふうに認識されているわけです。
 メディナでムハンマドという人物が活躍したのは十年と少しにすぎませんけれども、その間、彼はウンマ、イスラム教徒の社会のありとあらゆる面の最高指導者でありました。当時のメディナは内乱、内部でさまざまな勢力が対立している、そういう状況を仲介して和平をもたらした、そういう結果でありますけれども、新しい社会の政治面あるいは軍事面あるいは司法の面あるいはいろんなさまざまな社会生活、例えば結婚、離婚、そういった問題まで含めてすべてをムハンマドに相談して、ムハンマドがそれを裁いていった。そのムハンマドの行動に現在のイスラム法の起源、もとがあります。つまり、この時期ムハンマドがしたこと、言ったことが人間がどう生きるべきかということの指針であるイスラム法の判断基準になっている、そういうふうに考えることができます。
 そして、神から直接言葉を預かっていた預言者ムハンマドに直接指導されたこの十年近い、十年ぐらいの間のウンマが現在でもイスラム教徒たちにとっては理想の社会とみなされております。つまり、この時代のウンマに帰れということが今日のイスラム運動の政治思想の大きな基盤であります。
 さて、そのムハンマドが死んだ後ですが、ムハンマドは人間でしたので結局は死んでしまった。決して、イスラム教徒はムハンマドを神ないしは神の代理人とはしておりません。やはり人間ですから死んでしまった。しかし、死んでしまったけれども、生きていた時代のムハンマドの行動を基準に物事を考える、そういうことになるわけですが、その後、イスラム教徒はまとまりまして、アラビアのイスラム教徒たちがまとまりまして非常に大きな世界、今日の中東と呼ばれている世界の大部分を征服することになります。
 そのとき、征服軍の軍人として中東地域に散っていった人間、支配した人間は、およそ数十万人単位の二十万人とか三十万人程度ではなかったかというふうに私などは考えております。その家族も含めまして百万人足らずの人々が、ムスリム、イスラム教徒として広大な地域を支配した。その支配下にあった人々の人口は、もちろん正確にはわかりませんが、恐らく数千万人の人々を支配する、そういう大きな国家のいわば中核になったわけであります。
 そして、そういう征服された人々に対しては、税金さえ納めれば従来の信仰は守ってよろしい、生命、財産は保障してあげます、安全を保障してあげますという政策で臨みました。数千万人を支配した百万人足らずのムスリムたちの社会、これがおよそ三十年間続きます。この間は、まだムハンマドから直接教えを受けていた人物がさまざまな面で指導者でありました。したがって、この時代の全体像、つまり数千万人の社会じゃなくて、あくまでも百万人足らずの社会、イスラム教徒の社会が、ムハンマドの時代に続くやはりイスラム教徒にとっての理想の社会の継続でありました。この時代まで含めたイスラム教徒の社会というものが、今日から見ていわば理想の社会、理想の時代であるわけです。
 さて、そういう時代もどんどん歴史の過程の中で過ぎていきまして、九世紀、十世紀ぐらいから少しずつイスラム教、イスラムへの信仰がだんだん民衆化していきます。つまり、単に征服者、圧倒的少数の征服者が圧倒的多数の非イスラム教徒を支配するという構造が変わっていきまして、イスラムそのものが次第次第に中東の民衆の間に入っていく、それと同時にイスラムもまた民衆化していく、そういう過程が八世紀、九世紀ぐらいから始まりまして、十一世紀、十二世紀には頂点に達していきます。恐らく十一世紀ぐらいになりますと中東各地で、今のエジプトあるいはシリア、レバノン、ヨルダン、その他のいわゆる大きな東アラブ地域、あるいはイランなどでムスリム、イスラム教徒が人口の面でも多数派になっていったというふうに考えられます。つまり、イスラム教徒が中東を征服してから数百年間かけて徐々にイスラム教徒がふえていってイスラム教が支配的な宗教になっていく、そういう歴史の過程がございます。
 イスラムが民衆化したことというのは、神秘主義という思想、余りにも隔絶した唯一なる天地万物を創造した神、人間から遠い、ほど遠い存在をいかに身近に感じるかということが神秘主義思想の根本ですが、そういう思想がはやっていく。そして、神を認識するために一種の恍惚の状態に陥る、例えば一晩踊るとか、そういうことでもって神を認識する、そういうための儀礼を行う非常に緩やかな組織である神秘主義教団が各地にでき上がります。そういった教団のさまざまな儀礼を通じてイスラム教徒がふえていくということになるかと思います。それから、十一世紀、十二世紀ごろから始まりますが、十三世紀、十四世紀に一挙に拡大するのは、イスラム世界が地理的に拡大をしていきます。
 冒頭に、イスラム教徒は今日インダス川以東に半数以上住んでいると申し上げましたが、十二、三世紀以降からインド亜大陸あるいは東南アジアにイスラムが伝わりイスラム教徒がふえていく、あるいはアフリカの黒人社会にもイスラム教徒がふえていく、十三世紀ぐらいからそういう傾向がはっきりと見えてきます。そして、今日の地域的に見ればイスラム世界というものが大体十四、五世紀にはでき上がるということになります。その間、恐らく十四、五世紀までは、私はイスラム世界が世界の最先端の地域であったと。産業の面、科学技術の面あるいは教育の面において最先端であったというふうに認識しております。
 しかし、十四、五世紀ぐらいから、ヨーロッパで黒死病と呼ばれておりますペストがはやりましたけれども、これはヨーロッパにもはやったのでありまして、実はイスラム世界も大変な被害を受けます。人口が激減してしまいます。その後、もちろん回復もしたり、また激減したり、繰り返すのですが、一種の活力が次第次第に失われていくという過程があったかというふうに私は認識しております。
 特に十八世紀になりますと、それまであった大きな政治権力、要するに国家がいずれも解体の時代を迎えてしまいます。インドではムガール朝という大きな帝国が解体して、やがてイギリスの植民地になっていくという過程になります。それから、イランを中心に現在のアフガニスタンまで含めてサファビー朝という王朝がありましたが、十八世紀には崩壊してしまうと。それから、イスタンブールを中心にしましてバルカン半島からアラブ諸国を広く支配しておりましたオスマン帝国も、中央が大分がたがたしてしまいまして、各地で独立あるいは自立の動きが強まっていくと。
 もちろん、十八世紀はヨーロッパ、西ヨーロッパ諸国が急速に発展し始める時期でありますけれども、それと並行的に、ヨーロッパからの圧力というよりは、むしろ内部の問題でもってイスラム世界の大きな政治的体系が壊れていく、そういう時代を迎えることになります。その中で、今日につながるイスラム運動の原型みたいなものができ上がっていきます。
 一つは、一九七九年にイランでイスラム革命が起こりましたけれども、それを主導したのはホメイニという方でありますが、そういうイスラム教の法学者を中心としたイスラム社会のあり方というものが十八世紀のイランで確立されます。
 あるいは、今日、サウジアラビアという国家があって、そこはワッハーブ派という一つのイスラムの中の法学派、あるいはイスラム運動の成果としてサウジアラビアがあるわけですが、そういうワッハーブ派の運動も十八世紀にアラビア半島で始まります。
 それから、先ほど申し上げた神秘主義教団ですが、ワッハーブ派みたいな運動はそういう教団のあり方を厳しく批判いたします。そういう批判に対して教団内部で改革が進んでいきまして、単にそのイスラム、神に対する一種の盲目的な信仰あるいは儀礼ではなくて、ちゃんとイスラム法も勉強しましょう、コーランも勉強しましょうという形の教団にだんだん変化していく、そういう動きが十八世紀から十九世紀にずっと始まっていくことになります。
 そういう動きが、同時に、今度は、十八世紀後半から少しずつイスラム世界の、政治的にはイスラム世界の一部でありましたインドがイギリスの植民地になっていく、あるいは恐らく百を超える小さなスルタン国というイスラム国家があったインドネシアが、一つ一つのスルタン国が全部オランダの保護下に置かれていって、やがて取りつぶされてオランダの植民地ができていく。そういうヨーロッパが十八世紀後半から十九世紀あるいは二十世紀の前半までイスラム世界を植民地化していくわけですけれども、それの抵抗運動を行ったのはいわば十八世紀から始まる新しい形での神秘主義教団が中核でありました。
 そういう意味で、ヨーロッパの当時の、植民地を獲得しよう、そこを支配しようとした人々にとってみれば、イスラム教の特に教団組織というのはとても悪い組織だと、そういう認識になっていったわけです。
 さて、第二次世界大戦前後のころから、植民地であったイスラム世界の国々はいずれも独立をしていきます。もちろん、ごく一部は、例えばイランとかトルコあるいはアフガニスタンはもちろんずっと独立を保っていたわけですけれども、大部分が植民地になってしまった、そこから独立をした、言うならば新しい国民国家が二十世紀の中ごろからでき上がっていくわけです。
 今日のインドネシアにしましても、マレーシアにしましても、あるいはエジプトにしましても、いずれもその土地の歴史は非常に古いんですが、国家としての歴史はそれほど古くはないということになります。
 国民国家を建設するときの大きなイデオロギーはナショナリズム、民族主義でありました。したがって、当時そのナショナリズムのいわばヒーローでありましたエジプトのナセル大統領あるいはインドネシアのスカルノ大統領などにとってみますと、イスラムは必ずしも表に出ては好ましくない存在でありました。むしろ、イスラムということよりはアラブ民族あるいはインドネシア人の精神といったものが重要であったわけです。あと、どちらかといえばイスラム運動は政治的に弾圧される傾向にありました。
 しかし、そういうナショナリズムに基づく国民国家建設が必ずしも順調に進んだとは言えません。 そこで、特に一九六七年、第三次中東戦争でエジプト軍が壊滅的な敗北をこうむったことを契機にしまして、ナショナリズムは急速に下火になっていきます。
 それにかわってくるのがイスラム運動でありまして、次第次第にイスラム世界の国家というものはイスラムを無視できなくなっていく。国家自体がおれたちは立派なイスラム国家をつくるんだということを主張し始めていきます。特に一九七九年のイランにおけるイスラム革命以降は、イスラム運動というものがイスラム世界でもって政治的にも文化的にも社会的にも非常に重要な意味を持つようになって今日に至っているかと思います。
 最後にですが、今日、イスラム教徒が十億人を超えて、もちろん正確な数はだれも知るわけないんですが、十二億人程度おります。つまり、世界の人口のおよそ六十億人のうちの二〇%程度はムスリム、イスラム教徒だろうというふうに考えられております。
 国連の推計によりますと、これから五十年後、二〇五〇年には、世界の人口はおよそ九十億人から百億人の間になるだろう、ムスリム人口は三十億人をはるかに超えるだろうと。つまり、世界の三分の一ぐらいはムスリムになるだろうというふうに推定されております。もちろん、人口の推定はなかなか難しいのでそれが正しいかどうかはわかりませんが、現在ムスリム人口はどんどんふえております。また、地理的にもどんどん膨らんでおります。それは、主たる原因は、もちろん新しい改宗者が出るということもございますけれども、主たる原因はムスリム人口自体がどんどんふえているということであります。
 世界の人口は十八世紀から少しずつふえてきました。十八世紀には私の認識では中国と西ヨーロッパでもって人口爆発が始まったというふうに考えております。それ以降、例えば日本ですと明治維新まではそれほど人口増加がなかったんですが、明治維新以降、つまり十九世紀半ば以降急速に人口がふえていきます。世界でも、特にイスラム地域でも、十九世紀後半以降人口が爆発的にふえていく。日本の場合には、江戸時代に比べて今日人口がおよそ四倍になっております。しかし、恐らく十九世紀後半、一八五〇年ぐらいと今日を比べてみますと、イスラム世界の人口は十倍以上になっていると。それだけの人口増加率があったということでございます。それが現在なお衰えていないという、そういう問題が一つございます。
 それからもう一つは、移民が非常に盛んであったと。十八世紀、世界に先んじて人口を爆発させた中国は、東南アジアに華僑としてたくさんの移民を送り込みました。また、西ヨーロッパはアメリカ大陸にたくさんの移民を送り込みました。十九世紀以降、つまりおくれて人口を爆発させたイスラム世界では、イスラム世界内部でもちろん人口がどんどん膨らんでいくんですが、同時に世界各地にムスリムたちが移住していく。その結果、今日ではアメリカ大陸にもヨーロッパにもたくさんのムスリムがいると、そういう結果になっているかと思っております。
 以上で私の発表を終わらせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。
#7
○会長(関谷勝嗣君) 大変ありがとうございました。
 次に、小杉参考人から御意見をお述べいただきます。小杉参考人。
#8
○参考人(小杉泰君) 私は、専門が現代でございますので、歴史と現在の中でどちらかというと現在のところに集中してお話を申させていただきます。よろしくお願いいたします。
 私たち、今イスラム世界というものが国際社会の中にあって、それでイスラムというものを一つの共通項としていろんなことを主張している、あるいはそういうふうにして何かのまとまりを持っているというふうに理解しているわけです。それで、昨今イスラムをめぐる問題も非常に大きな動きがございまして、その中で当然イスラム諸国の中でもそれに対していろんな反応が出てくるというような形で、イスラム世界というものが、国際社会の動きあるいはいろんなアメリカも含めて先進国が動いているのに対して、いろんな意見を言う、そういうことを理解しなければいけないというふうに考えるわけですけれども。
 世界史の中で私たちがイスラム世界というふうに呼んでいるようなものと、今、国際社会の中でイスラム世界と言っているものの間には一つ違いがあるんではないかというのが私の申し上げたい一つのポイントであります。
 外から見てイスラムが広がっている世界をイスラム世界というふうに呼ぶのはよろしいんですけれども、本人たちがイスラム世界であると、我々はイスラムでまとまっているものなんだというふうに主張するかどうかということでいえば必ずしもそうではありませんで、二十世紀の全体を見ますと、やはり過去三十年ぐらいにそういう動きがはっきりと出てきた。その前はイスラム世界という言葉も彼らは使いませんでしたし、イスラムで共通なんだということも余り言わない時代が長く続きました。
 それで、二十世紀の初めを考えますと、伝統的な意味でのイスラム世界、それはオスマン帝国ですとか、あるいは南アジアのムガール帝国ですとか、そういうような大きな帝国があって、そういうものがイスラム世界を代表している。それで、いろいろの小さな王朝がそれとつながっているというような、そういうイスラム世界というのが大体第一次世界大戦のところで終わりまして、特に一番その当時イスラム世界を代表していると思われていたオスマン帝国が解体してしまった。その解体した後にできたのは現在のトルコ共和国でございますが、このトルコ共和国はナショナリズムを原点にして、当時、国土が列強によって蚕食されておりましたので、祖国解放戦争をするというような形で国づくりをしたわけですけれども、当然ながら、それででき上がった国というのはイスラム王朝とかイスラム共和国ということではなくて、民族国家としてのトルコであると、こういうことだったと思います。
 それで、トルコは独立を保ちましたけれども、イスラム世界のほとんどは列強によって植民地化をされまして、それでその植民地から独立を二十世紀の半ばにどんどん達成していくわけですけれども、そのときにはイスラムを旗印にするということはほとんどございませんで、民族主義あるいは場合によっては社会主義などを旗印にしながら独立する。独立すれば、国民国家として主権を確立して国際社会に入っていくというような形になりました。
 そういう国々が、もう一度、二十世紀の中ぐらいからイスラム意識みたいなものを強く持ち始めた。国が持ち始めたというよりは、国民レベルでそういう意識が出てきて、それぞれの国がそれに対応したというふうに考えた方がよろしいかと思いますけれども、そういうものがなぜ出てきたのかということをウンマという言葉でちょっと御説明させていただきたいと思います。
 このウンマという言葉はイスラム共同体という意味でございます。ウンマそのものは共同体という意味でございますので、イスラムの考え方でいえば、キリスト教のウンマ、共同体というのもあるし、仏教のウンマというのもあるんだろうと。そういういろんなウンマがある中に我々イスラムのウンマがあるんだというふうに言うわけですけれども、彼らがこのウンマのある種の一体感というんでしょうか、我々は一つの共同体だというような意識を持っていることが今日のイスラム世界の連帯とか結束とかいうことにつながっているんだろうと思います。
 それで、聖典クルアーン、いわゆるコーランと言われている聖典の中にウンマというのが書かれております。「これは汝らのウンマ、単一のウンマである」というのが、諸預言者章という章がありますが、その中の一節でございます。それから、部屋章という名前の章の中に「信徒たちは同胞である。それゆえ同胞の間を融和せよ」という言葉がありますけれども。あと、ほかにも連帯を勧めるとか仲よくしなさいというようなことについて書かれたのはあっちこっちにございますけれども、そのコーランの教えでは、イスラム教徒というものは全員が一つの共同体をなしているんだと。ここに、世界の十二億とか十三億と呼ばれる人たちが、自分たちはどこに住んでいてもこの一つの共同体のメンバーなんだというふうに考える元種があるということであります。
 ただ、こういうウンマというようなものの意識があるのはあるとしても、あるいはそれが宗教の教えだとしても、だからといって直ちに国際的な協力をするとか、あるいは現在行われているようなアフガニスタンでの戦争のようなときになったときに、同胞が、同じ共同体のメンバーが爆撃されるのは許されないというような意見を言うというふうには直ちにはなりませんで、なぜこのウンマという意識が復興してきたのかというのはちょっと考える必要があると思います。
 それで、二十世紀には昔の王朝がだんだんとなくなっていって国民国家になったわけですので、普通はそれぞれの国の、エジプトならエジプト人ですし、バングラデシュならバングラデシュ人だという意識を持っているわけですので、そういう人たちが、イスラムが復活してきたときに、やはり国々は違っていても共同体なんだというようなことを言うというそこのところがポイントだと思うんですが。
 私の理解では、一つは、もちろん政治的な動きもございますけれども、イスラム教徒が日常に行っている宗教儀礼というのがございますが、それ自体がウンマの意識を醸し出すような仕組みになっているというそこのところがあって、それは日常生活ですので必ずしも、我々は同じ共同体で同胞なんだと思ったからといって政治行動には結びつかないんですが、それがベースにあって政治的な動きが出てくると何か強い動きになってくるということだろうと思います。
 それで、一つは、ここにアラビア語のあいさつということで書かせていただきましたが、アッサラーム・アライクムという、あなたの上に平安をというアラビア語のあいさつがございますが、イスラム教徒はこのあいさつを交わすわけです。
 それで、何人であっても、自分がしゃべっている母語が何語であってもとにかくあいさつはこういう、この一種類ということに決まっておりまして、もとはアラビア語なんですが、インドネシアへ行っても話しておりますし、ナイジェリアに行っても話すというかこの言葉を使っていると。それで、当然ヨーロッパに移民している人たちも、あるいは日本に滞在しているようなイスラム教徒もこういう言葉でとにかく会って話す。しゃべっている言葉が違えば、このあいさつの先は何か英語を使ってみたり、日本にいる人なら日本語で話してみたりということなんでしょうけれども、とにかくどこへ行ってもこの言葉で相手とあいさつができるという。このあいさつは割と便利でございまして、朝昼晩とか関係ないんですね。どんな時間でも使いますし、それから会ったときだけじゃなくて、別れるときもこれを言いますのですごく手軽なんですが。
 例えば、そういうあいさつができる相手という、これが共同体だという。そうすると、世界いろんなところ旅行していって、どこかへ行ってモスクへ行くと、とにかく会ったらこのあいさつをするという、それが自分たちの共同体意識をもたらすというふうに言えると思います。
 それで、イスラムには五行、五つの行というのがございますが、ここに並べました信仰告白、それから礼拝、喜捨、断食、巡礼というのが健康な成人の大人のイスラム教徒であればしなければいけない義務ということになっておりますけれども、これが普通は我々は宗教的な行為だというふうにとるんですけれども、その宗教的な行為をする中に世界的なイスラムの共同体意識が出てくるというふうに考えられます。
 信仰告白というのはイスラムに入る入り口のところでありまして、唯一の神であるアッラーと預言者ムハンマドを信じますということなんですが、イスラム教徒というのはだれかというときの最低の条件というのはこれを信じているというだけでございまして、逆に言うとイスラム教徒にイスラムって何ですかということを聞きますと、大体これだけを言うという。ほかはいろんなことはあるのかもしれませんが、その単純さというのがあると思います。彼らは、ですからウンマだと言う、我々はイスラムの共同体だと言うときに、そのメンバーは少なくともここの共通項を持っているという、こういう意識を持っております。
 礼拝は一日に五回するということになっております。世界じゅうでメッカの方を向いてするわけですけれども、モスクでするなり、あるいは自分のうちでするなりするときに、どっちがメッカかなというような方角を考えてすると。それを世界じゅうのイスラム教徒がやっているという自覚は非常に持つわけですね。
 それから、例えばモスクで礼拝しているのを見ますと、先頭にイマーム、導師、導く人というのが立って先頭でやるんですけれども、その後ろにモスクに入ってきた順になって列をつくってやります。その列になるときの順番というのは一切ありませんで、お金持ちでも貧しい人でも、あるいは力のある人でも弱い人でも、みんな兄弟だから同じなんだという、それで一列に並んで神に向かうというのが兄弟としての平等なんだということを彼らは強く言います。そうすると、いろんな国でいろんなところで礼拝をしているわけですが、とにかく世界のただ一つの一点、メッカにあるカーバ神殿に向かっているという意識を非常に強く持ってしている。それを世界じゅうのイスラム教徒は同じようにしているという自覚も同時にあるわけですね。ですから、毎日お祈りをするたびに、ある自分たちの共通観を持っていくというようなそういう効果があるだろうと思います。
 それから、喜捨というのは、貧しい人のために財産から一定比率、お金で考えれば四十分の一、二・五%ということなんですが、持っているお金から毎年その分を貧しい人に出しなさいということですけれども、これは当然ながら、イスラム教徒が共同体をなしていてお互いに兄弟だから助け合いなさいという考え方に基づいておりますので、お金を出す、あるいは貧しければ今度はもらう側になるわけですが、それをするたびにそういう共同体みたいな感覚になると。そうすると、当然、例えばどこかの国で非常に困っているとか飢饉があるとか、あるいは戦争があって難民が出ているというと、それもやはり助けるべきだという、こういう議論が出てくるわけです。
 それから、次が断食でございますが、これはラマダン月一月間、太陰暦ですので二十九日または三十日の間、日の出前から日没まで水も飲まない、食事もとらないということをするわけです。今たまたまイスラム世界はラマダン月に入っておりますけれども、そうすると、最近ですとニュースでどこの国は月を、太陰暦ですので月を見ないと断食月が始まらないんですが、どこの国では見たので断食が始まりましたというようなことが国際ニュースでも流れますけれども、ああいう形で世界じゅうのイスラム教徒が断食をしているというふうに思う、あるいは実際自分の住んでいる社会の中ではみんながしている一体感があるわけですね。
 それで、断食月というのは、何か我々の理解では食べない苦行なんだというふうに考えるんですが、イスラムの断食というのは何日も延々と食べないということではありませんで、日の出前から日の入りまで食べないということですから、日が沈むと食べるわけですね、というか盛大に食べるのが普通なんですが。そうしますと、食べるというときに、家族がみんな集まって食べる、あるいは友人が集まって食べる、さらに食べられないような貧しい人がいるとかわいそうだということで、大体イスラム世界では日が沈んだときに無料で食事を配るというようなこともやっておりますけれども、そうしますと、とにかく食べ物を分かち合う喜びというんでしょうか、そういうものを共有するという。だから、断食というと苦行っぽいんですが、現地へ行って見ていますと、むしろ一緒に御飯を食べる月みたいな感じがいたしますけれども、それでやはり同胞意識が出てくる。
 最後に、巡礼でございますが、巡礼は一生に一度行けばいいということになっておりますけれども、聖地メッカを訪れる、メッカを訪れたらついでに預言者ムハンマドのメディナにあるモスクを訪れるのがよいとされておりますけれども、そのときに、今ですと、特に七〇年代ぐらいから石油ショックの後でございますね、いろいろ石油のオイルダラーが出たとか、資金が潤沢になったというようなこともありますし、それから国際的に旅行が簡単になったということもありまして、大体百万とか二百万人が集まるようになっております。その前ですと万単位だったと思うんですけれども。
 それに集まってきますと、とにかくいろんな色の人、いろんな人種、いろんな言語の人たちが集まるというのを目の当たりにするわけですね。巡礼に行った人たちというのはまた国に帰って巡礼のことを語りますし、それで巡礼をしたというのは尊敬されますので、みんな帰ってそのことを言うわけです。そうすると、理屈で世界じゅうで礼拝を同じ方向にしているんだとか喜捨をしているんだとかというようなことを言ってもぴんとはこないんですが、巡礼へ行きますと完全に世界じゅうから集まっていると。百万人とか二百万人が集まって同じ儀礼をして、これがみんな共同体なんだと、そういう感じでございます。
 それが続いてきたというところが、そうするとナショナリズムの時代とか国家の時代になるんですが、宗教儀礼はこれが続いていると。続いているとやはりイスラム世界の一体性というのが日常レベルで続いてきたんだろうと。そこへ、ですから政治的な動きが出てくるとかなり一体感が強まるということだろうと思います。
 政治的な動きの方なんですが、イスラム復興というのはいつからどのように始まったかというのはいろいろ考えることができますけれども、十九世紀の終わりから二十世紀の初めごろにはそういう考え方が出てまいりますが、カワーキビーという人が「メッカ会議」という作品をちょうど百年ほど前に発表したんですが、これが非常におもしろいものでございまして、一八九九年に巡礼のときにイスラム世界の各地からリーダーが集まって国際会議をした、その議事録という形の本なんです。実際にそういう会議があったわけではございませんで、それはカワーキビーの想像の産物なんですが、その中で二つ特徴がありまして、一つは、その中でみんなが集まって、イスラム世界は非常に衰えている、これをどうにかしなきゃいけないという、そういう話し合いをするわけです。ですから、イスラム世界が助け合って復興の努力をしなきゃいけないという主張をしているんですが、もう一つは体裁そのものが彼のメッセージでありまして、もう王朝とかそういう帝国の時代じゃない、これからはイスラム世界の人が集まって国際的な会議をして全体のことを決めようじゃないかという、そういうメッセージだったわけです。
 それで、そのメッセージの実現というのは、一九二〇年代から五〇年代ぐらいまでの間を見ますと、カイロですとかメッカですとかエルサレムとかでいろんなイスラム国際会議が開かれますけれども、それはイスラム世界のリーダーのある一部が集まっただけということでありましたけれども、一九六九年になって第一回イスラム首脳会議が開かれました。ですから、大体七十年ぐらいかかって彼の主張したことが実際に国家の代表たちが集まるような形になって実現したと。
 そのときに決めたのがイスラム諸国会議機構という組織でありまして、諸国会議機構の憲章ができたのは七二年なんですけれども、会議そのものは六九年の首脳会議で結成されたと。この首脳会議が、当時は二十五カ国ですけれども、現在は五十七、正確に言うと五十六カ国プラス一機構、パレスチナ解放機構はまだ独立国家になっておりませんので、ということになります。ただ、イスラム諸国会議の中ではパレスチナはもう一つの国として扱われていますので、彼らの言い方では五十七カ国。それで、ことしの六月にコートジボワールが五十七番目の加盟国として入りました。
 ですから、ここのところで初めてイスラム諸国というものが国際社会の中の一つのまとまりとして出てきたわけです。国際社会の中でイスラム世界という集合がこういう形で出てきたというのは、やはりこの首脳会議が始まり、諸国会議機構というようなものが出てきて初めてなんだというふうに考えられます。
 それで、この集まりがどういう意味があるのかということを考えると、政治的に言うと必ずしもそんなに強くはない。例えば国連の中で考えますと、結構数がございますので、例えば国連の職員の休日、公休日にイスラムのお祭り、断食明けの祭りと犠牲祭という二つのお祭りがありますが、お祭りを休みにするとかそういうようなことをするのには大きな力はありますけれども、例えば軍事面ではほとんど力がない。イスラム諸国会議機構には軍事同盟はありませんので、軍事的なことでは影響力が余りないと思うんですけれども。
 ただ、それにしてもまず人口的に、今は五分の一ですけれども、先ほど半世紀のうちに三分の一ぐらいになるんではないかということを伺いましたが、あと二、三十年の単位で考えると、恐らく世界の四分の一ぐらい。それで、このイスラム諸国会議機構というのはどんどんメンバーがふえておりますので、六十五カ国ぐらいには、数は大体の私の推測ですけれども、なるんではないかと、イスラム国もふえておりますし。
 それで、イスラム諸国会議機構というのは非常におもしろい。というのは、国際的な機構をいろいろ考えた場合に、地域統合という場合には大体地域的なまとまりがございますし、宗教で国が集まっているというのはほかに例が全くないわけですね。宗教組織の国際的な連合というのはいろいろございますけれども、イスラム諸国会議機構というのはあくまで国連に加盟している主権国家がイスラムという宗教を紐帯にして集まっているという形ですので、これはほかに例がございません。それは、イスラムは政治と宗教を分けないということをしばしば言われますけれども、まさにそういう性格が出ているんだろうと思います。
 それで、おもしろいのは、このイスラム諸国会議機構というのは、参加資格というのは特に決まっていないんです。我々は、イスラム国ってどんな国ですかというときに、イスラム諸国会議機構に入っている国はイスラム国と言っていいですというふうに申し上げるんですが、入る国はどういう資格、例えば人口の半分以上がイスラム教徒であるとか、あるいは憲法にイスラムが国の宗教、国教であると書いてあるとかという、そういうルールがあれば単純なんですが、そういうのは一切ありません。ですから、どこかの国が入りたいと言って、イスラム諸国会議機構の方で受理すればそれで入れるというだけの仕組みになっております。
 ですから、現実にイスラム諸国会議機構に入っている国を見ると、イスラム教徒はその国の中でマイノリティーでしかない国は結構あるわけですね。ただ、その国の政府が、うちにはイスラム教徒の住民がいるからここに入りたいと言えば入れると。イスラム諸国会議機構の中でやっているいろんな活動、特に水平ODAとかいろいろなこと、経済協力のとかやっておりますので、例えばそういうことに参加したいと思えば入れるということがあるわけです。ですから、何というんでしょうか、例えば人口の半分イスラム教徒がいないと入れないということであれば数も想像がつくんですが、わからないわけですね。入りたいという国があれば、マイノリティーでイスラム教徒がいる国はまだたくさんございますので、まだまだふえていくだろうと。
 それで我々は、南アメリカでも二カ国加盟国がありますけれども、イスラムがやはり南アメリカまで広がっているというのは、我々の理解からするとちょっと驚くことなわけです。
 このイスラム諸国会議機構に入っている国の経済水準を考えますと、途上国の平均値よりも低いあたりにございます。ですから、全体とすればより貧しい国が多いというふうに言ってよろしいと思うんですが、そういう国々が集まって、確かに数がございますので、国連で投票したりするようなときには、例えばパレスチナ問題を何とかしようというような決議に投票する、そういうときに票が集まるというのはわかるんですけれども、それ以外でいうと、どうしてこれだけの存在感があるのかというのはいま一つはっきりしない面があると思います。
 それは、恐らく政治的な力とか軍事的な力ということではありませんので、ましてや経済的な力ということではない。一つ大きいのは、やはりエネルギー資源ということだろうと思います。石油にしても天然ガスにしても、世界的な分布を見ると、イスラム圏の中にかなり大きな量が集中していると、こういうことが言えます。
 それからもう一つ、やはりソフトパワーというふうな言い方がございますけれども、ルールをつくったり知的な貢献をすることで存在感を出していくという、軍事だとか経済の力というのをハードパワーと呼ぶのに対していえば、イスラム圏の力というのはこのソフトパワーなんではないかと。イスラムを広める力、あるいはイスラムだといってこれだけの大きな人間を一体感を持たせて、ある国際世論を形成していくような力という、それはどこか中に政治力とか軍事力が飛び抜けた国があってリーダーシップを発揮しているのならもうちょっとわかりやすいんですが、そうでないというところが不思議といえば不思議ですし、特徴なんだろうと思います。
 それで今、イスラム世界、だんだんまとまりを持ってきた。三十年ぐらいの間にかなりまとまりを持ち直してきたと言った方がいいと思うんですけれども、植民地化とか国民国家の成立を通じてかなりばらばらになっていたのがまとまりをもう一回持ち直して一生懸命やっているという状態の中で、今どういうことが彼らにとって一番問題なんだろうかということを最後に申し上げたいと思います。
 一つは、イスラム法の現代化というのが大きな課題になっております。イスラム法というのは、イスラームの法ですので経典コーランをもとにしてつくられておりますが、これもイスラム世界の共通項としてあるんですが、イスラム法というのは前近代のかなり安定した時期に安定した形をしておりましたので、近代に入ったところでかなりそごが出てきたと。出てきた当時、十九世紀から二十世紀の前半については、もうイスラムは古いんだという議論が専らだったんですが、実際には、イスラム法というのは柔軟な解釈ができますので現代化できないということは全然ありませんで、二十世紀の半ばぐらいから現代化の努力が非常に続けられております。
 以前は西洋の法律を移植するということが専らだったんですが、そうですと、どうしても現地の文化とのそごがあるということで、近代的なものとイスラム的なものを合わせたものという努力が非常に進んでおります。が、まだまだ時間がかかると。それで、イスラム世界は割合一体感がありますが、コンセンサスを大事にいたしますので、イスラム諸国会議機構でも多数決はとらないわけですね。全部コンセンサスでいくんですが、そのかわり時間がかかるということで、イスラム法の現代化もそんなスピードでは進まないという、それが一つの課題。
 それから二番目は、穏健・中道派の形成ということだろうと思います。今、非常に過激なイスラム急進派の動きが大変国際的にも問題になっておりますけれども、非常に伝統的な考え方、それから近代主義的なイスラムの考え方、それから復興の考え方、復興の中にも穏健な人たちと急進派とございますので、イスラム世界の中、かなり意見が分かれていると。これをやはりコンセンサスを集約していくというのにかなり苦労して、次第にでき上がりつつはあると思うんですけれども、スピードがいまいち出ない。例えばイスラム諸国会議機構が国際フォーラムとして機能しておりますけれども、それがうまく機能していかないとどうしても急進派が成長するというようなことがあって、なかなか中道派が主流になり切れないような、そういうような部分の問題があると思います。
 それから三番目は、パレスチナ問題、エルサレム問題。これはやはりイスラム世界が一番問題にして、それでイスラム諸国会議機構というものもパレスチナ問題、エルサレム問題をきっかけにできましたので、これを何とか国際的にきちんと解決したいという強い希望を持ち続けております。
 それから、加盟国間の紛争防止ですね。イランとイラクの戦争にしても、まだあちこちにある国境紛争にしても、こういう問題が、イスラム諸国は、イスラムはみんな共同体なんだと、同胞なんだと言いながらも、国のメンバーの間でかなり紛争がございますので、これを何とかしなきゃいけないと。
 それで、イスラム諸国会議機構は国際イスラム司法裁判所というものを八七年に設置することに決めたのですが、それがもし設置されればイスラム諸国の間の調停はイスラームの法に従ってするというようなことも可能になるんですが、まだ実際には設置されておりません。ここら辺が課題になっていると思います。
 最後は、一つ一つの国はかなり途上国が多うございますので、経済発展をする、それからイスラム諸国の間の水平貿易、経済協力を拡大していくということでございます。それで、イスラム諸国会議は七五年にイスラム開発銀行というものを設立いたしまして、貿易の拡大とかそれぞれの国の経済発展、あるいは職業訓練などを含めた教育の問題とかに取り組んでおりますが、七五年時点では大体五%ぐらい加盟国間の貿易があったのが、十年ぐらい前に一一%ぐらいになって、これは倍増ですのでかなり、一一%が多いか少ないかは、ちょっと余り多いとも言えないと思いますが、成果があったようですが、昨年ぐらいの数字だとどうも八%ぐらいで、むしろグローバライゼーションの進展の中で先進国との関係が強まっているのかなというふうに思いますけれども、その辺が、一生懸命やっているのはやっておりますけれども、まだまだ課題としては大きなものが残されていると。そういうようなのが大体の現状ではないかと思います。
 以上で私の報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。
#9
○会長(関谷勝嗣君) 大変ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 本日も、あらかじめ質疑者を定めておりません。質疑を希望される方は、挙手の上、私の指示を待って質疑を行っていただきたいと存じます。
 できるだけ多くの委員が質疑を行うことができますように、委員の一回の発言時間は五分程度でお願いをいたします。
 また、質疑及び答弁とも発言は着席のままで結構でございます。
 なお、理事会の協議の結果でございますが、いつものとおりでございますが、まず大会派順に各会派一人一巡するよう指名をいたしたいと思います。
 それでは、各会派順でお一人ずつ一巡の指名をさせていただきたいと思います。まず、山崎力君。
#10
○山崎力君 自由民主党の山崎力と申します。
 まず、後藤参考人、後藤教授にお伺いいたしますが、何点かございます。
 一番根源的な問題として、日本人としては一神教に対する理解がこれは非常に薄いんだということがございました。ただ、私どもの感覚からすれば、西欧社会、キリスト教文明、これは一神教で、それなりに、理解というところまでいくかどうかは別として、ある程度のめどはついていると。ところが、どうもイスラム社会というと、そことまた兄弟宗教ということ自体、知識として国民の間に広まっているかどうかは疑問と言われるくらい遠い存在になっている、ここのところの原因は何なんだろうかと。
 やはり、最後の方に持ってくると思いますが、どうもキリスト教というのは近代文明とともに日本に入ってきたのに対して、イスラム教、イスラム社会あるいはイスラムのいろいろな文物というものは何か近代以前のような印象で日本に受けとめられている、その辺のところが一番私、個人的には背景にあるんではないかなと思っております。そこのところを含めた意味で、どうイスラム社会と我々がつき合うべきなのかという、歴史的背景を含めた形で御意見いただければと思います。
 それからもう一つ、途中、先生のお話の中で、イスラム内部での宗派間の争い、歴史というものがかなりあったと思いますし、昨今の報道においてもシーア派であるとかスンニ派であるとかという言葉も出ておりますが、これは我々が、一言で言えば無視してかかって見ていいものなのか、それとも、やはり相当程度の違いがその宗派ということにおいてあるものなのかどうなのか、その辺のお話を承りたいと思います。
 それから、小杉先生含めて両参考人にお伺いしたいんですが、やはり現代の一番の我々にとっての問題は、イスラムがほかの社会とどうつき合うかという点で、いわゆる近代法的な世界的な枠組み、もっと大上段に振りかぶれば、国際法を遵守した形での国家形態、政治形態をとれるのかどうか、とっているのかどうかというところが一つのポイントになろうかと思います。
 確かに、いろいろ宗教の共通性において国家を超えたグローバリズムというものも一つの価値観として出てきているのかもしれませんが、まだまだやはり国単位の政治というのは、国連を見てもわかるようにどうしてもあるわけでございます。そういった中でのイスラム社会の取り組み方、向こう側からの意識というものを両参考人からお伺いしたいと思います。
#11
○参考人(後藤明君) 三つの質問でございますが、第一点、日本人は比較的キリスト教に関しては理解しているが、イスラムについては余り理解ができていないと、そういう御指摘は半ば正しいと私は思っております。しかし日本が、例えば私は現在、東京大学に勤めておりますが、東京大学というのは、明治に西洋の学術を日本に輸入するためにできた機関でございます。
 それはもちろん現在少し変わっておりますけれども、基本的には、日本の大学というのは西洋の学問というものを、欧米の学問を日本に輸入しようという、そういうことででき上がっている組織でございますけれども、そのときに我々の先輩たちが輸入しようと思った西洋の学問というものは、実は彼ら自身の自覚的には宗教を超えたものであったんですね。つまり、十八世紀から始まりまして、十九世紀の人文主義、つまり人間中心主義、もう我々は神中心の神学からは離れて、人間中心の世界、学問というものをつくっていくんだと。それを日本が受け入れようとしたというのが私が認識していることでございます。
 したがって、例えば有名な経済学者、アダム・スミスという人は大変信仰深い人でして、彼の経済学を根本から理解するためにはキリスト教信仰がわかっていなければいけないなどという意見がございますけれども、日本人はその部分はすっぱり捨てまして、いわば彼のキリスト教徒としての神学あるいは信仰のあり方は無視して経済学だけを受け入れるということをしてきたんじゃないかなという気がいたしております。
 したがって、欧米社会、もうこれはキリスト教から離れて毎日ミサに行く人は非常に少なくなっておりますけれども、基本的にはキリスト教文化の伝統は非常に根強いと思いますが、我々はそのキリスト教の伝統にどれだけ知識を持っているかというと、私はいささか疑問に思っております。
 そういう神を超えて、人間中心主義という考え方はイスラム世界にはもちろん入ってきます。それは、いわば西洋化であり、西洋思想のイスラム世界への導入であったわけですが、それに対する反発、つまり、やはり神中心、イスラム法というのは神の意思をどういうふうに人間が理解するかということだと私は理解しておりますが、まだまだ神を中心とした法体系あるいは社会の秩序ということを模索している、そういうものでございますから、神を一切超えて人間中心の学問を輸入しようとした日本人にはなかなか理解できないという側面がまだあるという気がいたしております。
 したがって、ユダヤ教にしましても、人間中心じゃない、神中心だと主張するキリスト教の運動にしましてもイスラムにしましても、私たちはどうも一神教というもの全体に対する知識がないんじゃないかというのが、山崎先生の御質問といささかちょっと変わった考えを持っておる次第であります。
 次に、イスラムの中の宗派ですが、例えば一番有名なのがシーア派と、シーア派は少数派でして、それに多数派であるスンナ派、スンニ派。スンナ派とかスンニ派と言いますが、その対立抗争ということは歴史的にもございますし、現在でも、例えばシーア派の信者に対して、メッカ巡礼の際に多数派のスンナ派が、何だあいつらはといって、同じ同胞ではありますけれども、いささか違和感を持つということも現実にはあるかと思うんです。しかし、それもありますけれども、基本的にはやはり共通する部分が圧倒的に多くて、違う部分は非常に少ないというのが現実です。そして、シーア派とスンナ派の一番大きな違いは、歴史理解をめぐって違うのでありまして、現状に関してはそれほど問題にはなっていない。
 それから、もう一つの大きな考え方は、イスラム法をどういうふうに理解するか。その法手続に関していろいろな意見がある。それが学派と呼ばれているイスラム法の法学派であるわけですけれども、大変厳しくコーランと預言者ムハンマドの言行、言ったこと、行ったことだけに依拠すべきだというような考え方から、もっと自由に法学者たちが神の意思をそんたくして、こういうことが大体神が考えているんじゃないかと議論の結果、合意すればいいんじゃないかという考え方までさまざまであります。その中にシーア派も一つの法学派として存在しているというのが現実でして、必ずしも圧倒的に違うんだという意識よりは、むしろ共通項の方を尊重したいと思っております。
 あと、無視してよろしいかといえば、ちゃんと細かく研究するためには決して無視してはいけない。スンナ派なんて一本で考えてはいけなくて、さまざまな法学派があるんだということも認識しなければいけないんですけれども、しかし大きく見れば、イスラムというものは一つの価値の体系、物の考え方の体系だと考えてよろしいかと思っております。
 それから最後の、これは小杉先生に対する御質問と共同の質問なんですが、イスラム社会というものといわばほかの社会との関係ですが、国民国家という国家組織を運営していこうという方々、それに責任を持っている人たち、つまり政治家であるとか行政官であるとかそういう方々、そういう人たちは明らかに国民国家というものを現代風に運営しなければいけない立場ですから、ほかの社会と多くの共通点を持っております。
 したがって、例えば外交官でありますとか、その他のいろんな経済官僚でありますとか、そういう方々は日本に来ても幾らでも同じ日本の立場の人と話ができるというそういう関係はあります。
 しかし、一方で、イスラムというものは国民国家を超えている存在なんですね。つまり、イスラム法というのは国家が定める法律ではありませんで神の意思に基づいておりますから、国家の枠組みにはとらわれていない、そういう意味では一種の国際法であるわけです。それに対して、十八世紀以来ヨーロッパ諸国が発展させてきた国際法、これとは全く性格が異なっている。したがって、この二つの国際法が決して一致することはあり得ないというふうに私は考えております。
 そういう意味では、ヨーロッパ中心の国際法とイスラム法というのは、かなり矛盾したというか、なかなか合致することができない。その辺がこれから世界にとってどういう、要するにヨーロッパ中心の国際法も変わらなきゃいけないし、イスラム法も変わらなきゃいけないというふうに私などは考えております。
 以上です。
#12
○山崎力君 最初のところのあれで、簡単に私なりのあれなんですが、いや、私の質問したかったのは、いわゆる西洋の考えている、今の最後の質問と同じなんですが、いわゆる近代法、近代的な考え方というのは一神教であっても確かにベースにありますが、西洋の場合はそれを外れた形でやろうという、構築しようとした形が近代法体系であり、そして人間中心主義と言えるかもしれません。そして、それが国際法に反映されてきている。そういう意味で、日本人というのは非常に西欧の知識というものを、先ほどのキリスト教をカットした部分の知識に対しては非常にすんなりして理解したつもりにしていって、それがある意味では国際社会を動かす一つの国際法のベースにもなっていると思っているというふうな意味なんですが、やはりその点では、イスラム社会の考え方というのは、我々がなかなかキリスト教以上に理解しにくいものだというふうな形になっているということでよろしいのかというのが私の意図だったんですが、それでよろしゅうございますか。
#13
○参考人(後藤明君) はい。まさにおっしゃるとおりだと思います。やはり、まだ神を中心とした社会秩序を考えているという点では、我々にとっては非常に理解しにくい点があるというふうに考えております。
#14
○参考人(小杉泰君) イスラム世界が近代的な枠組みの中でどうつき合うのかという、対応できるのかということですけれども、私、三つ申し上げたいと思うんですが、一つは、近代的な国家体制というものを前提にして国際社会はつき合っていくんだということを言えば、まさにそういうようになっているんだろうと思います。
 というのは、イスラム諸国会議機構というのは、国連に加盟しているような主権国家がメンバーになっている国でございまして、それで、最初にイスラム諸国会議機構ができるときに、イスラム世界の中にはかなり反対があったわけですね。その最大の理由は、イスラム共同体というのは一つなんだから、それをこういう民族でいろんな国に分割するということがけしからないというのがあって、しかもそれを是認したままこういうふうに集まってイスラム諸国会議機構だと、むしろこれは分裂とか分断を固定するような性質を持つんではないかと、本当はそういう国の垣根を取り払うような形でイスラム世界の統一を図るべきなんだという、こういう論調がかなり強くございました。
 今は、理念的にはそういうことを言う人がいなくなったわけではないとは思いますけれども、基本的にイスラム諸国会議機構というものは、イスラム世界の中で受け入れられ、安定しておりますし、それから、国民国家を単位としたからといって、そのイスラムの協力、イスラムの連帯ができないということでは全然ないという認識になっておりますので、そういう意味ではむしろ、イスラムの協力のあり方もこういうような近代的な主権国家を前提とするということは定着していると思います。それが一点目です。
 二番目は、国際法を守るような形で彼らがちゃんとできるのかということなんですけれども、恐らくイスラム世界にそういう問いを投げたときに彼らが答える、一つは国際法を守れと彼らが言っているんだという、つまり典型的なのはパレスチナの問題だと思いますけれども、あるいはエルサレムの問題だと思いますけれども、軍事的な占領で人の領土をとることは許されないというのが国際法なんではないかと、こういう主張を彼らはしておりまして、それで、そのことを考えますと、私たち普通、今の国際社会のあり方というのは西洋近代的なものから発展したというふうに考えておりますけれども、イスラム世界あるいはもうちょっと広くアジア、アフリカと言ってもよろしいかもしれませんけれども、彼らの理解は少し違うわけですね。
 彼らの話を聞いていると、主権国家とかあるいは主権国家は平等であるとかいうようなことは確かに西洋で始まったけれども、西洋の列強、彼らは植民地体験を前提に話しますので、西洋の列強はそれを守らないというか、自分たちだけのものにしていったと。それをちゃんと実行して、我々にも独立を与えろということをやって、それでこれだけの国が独立して国際社会をつくるようになったのは自分たちの努力のせいではないかという、つまり理念としては近代的なものが西洋で生まれたのは間違いないですけれども、それを実行するようになったのは自分たちが頑張ってきたということも非常に大きいんだというふうに思っているわけですね。
 そこら辺の感覚からすると、国際法を守るのは当然だという主張が彼らの中にもあって、その中には、だから自分たちが主張しているような部分のところも国際法でやってもらいたいという、これが二番目のところで、それはですから、彼らの主張からすると、あるところでは国際法を守るけれども、あるところでは守らないという、ダブルスタンダードがあるという批判がありますけれども、そういうような言い方にもなるわけですね。そこのところは、ですから逆に言うと、彼らも国際法を非常に信奉しているし、むしろそれをより普遍的なものにするに当たっては貢献してきたんだという自負もあると。
 ところが、三番目の問題は、今申し上げたのとは違う部分でありまして、むしろ国際法にチャレンジする側面というのがあります。それはイスラム法というのが、先ほど申し上げましたようにイスラム法はもっと現代化しなきゃいけないという側面もありますけれども、少なくとも前近代においてはイスラム法というのは世界的な法として非常に有効に機能してきたと。むしろ国際法についても、かつてはイスラム世界の方が西洋よりも先進的だったんだというふうな、こういう自負がございますので、そうすると、いろんな共通する部分もたくさんあると思うんですが、やはり考え方において紛争になるような、対立するような側面もあって、そのときに今の国際法の方が正しいんで、イスラム的なものは時代おくれで間違いなんだと言っても納得しない部分というのはやはりあると思います。
 ですから、そこの主張では、彼らはやはりもう少しイスラム法、あるいはイスラム世界の主張を国際社会全体が取り入れてくれるべきだというような、場合によっては、だからそこが摩擦になるという面もあります。
 その三つの側面、現在の国家体制できちっといくというのと、国際法そのものを彼らがだからもっと執行してもらいたいという要求を持っている、三番目はむしろチャレンジする、こういう三つのものがまざり合っているのが現状ではないかというふうに思います。
#15
○山崎力君 ありがとうございました。
#16
○会長(関谷勝嗣君) 次に、藁科滿治君。
#17
○藁科滿治君 ちょっと消化不良で申しわけないんですが、二、三質問させていただきます。
 後藤先生に、タリバンのアフガン支配というのは歴史的な一つの産物であるというように私ども認識しておりますけれども、これはイスラムの歴史の流れからいうと、どういう位置づけになるんでしょうか。改めて伺います。
 それから二つ目は、かつてのアフガンの社会主義化というようなことが言われましたけれども、これは歴史的にどういう意味を持ったんでしょうか。
 それから、小杉先生に伺いますけれども、今回の一連の事件で、西側諸国のイスラムに対する物の見方というのはますます先鋭化されていくんではないかというように思うんですね。そういう状況の中で、イスラム側がどういう対応をしたらいいのか、あるいはどういう対応が望まれるかということについて、何かコメントがありましたらいただきたい。とりあえず、その三つです。
#18
○参考人(後藤明君) 最初のタリバンの問題ですが、宗教勢力タリバンは明らかに、タリバンというのはイスラムについてあるいは神について学ぶ人々という意味ですので、そういうイスラムについて、神について学ぶ人々が中心となって国をつくり、政権をつくり運営していく、そういう現象がここ十年近くアフガニスタンで続いていたということです。
 そのような宗教に非常に関心の強い、あるいは一種の宗教運動が国家をつくる、あるいは政権をつくって一定の領域を支配するということは、イスラム世界の歴史に非常に多く見られました。
 これは現在だけではありませんで、時代区分で中世という言葉を使っていいかどうかわかりませんが、十世紀、十一世紀ぐらいにもそういう運動はありますし、十八世紀、十九世紀にもあります。現在のサウジアラビアという国家もそういう一種の宗教運動によってできた国家であります。それから、一九七九年以来のイラン・イスラム共和国も同じような、宗教運動によってとは言えませんが、宗教を旗印にした勢力が政権をとってイランという国家を運営している。
 そういう意味では、そういう流れの中の一環であったというふうに理解はできなくはないと思っております。ただ、タリバン政権の具体な実像についてはなかなか情報がありませんので、私もはっきりしたことはよく存じておりません。
 それから第二点目ですが、その前に、つまりタリバン政権ができる前に激しい内戦がありました。その前に、アフガニスタンは一時期社会主義政党が政権をとるという、そういう事態がございました。これはアフガニスタンに限らず、先ほど小杉先生のお話にもありましたが、イスラム世界の大部分は非常に貧しい国々であります。ほとんどが日本に比べますと極貧と言っていいような状態の国民を多数抱えている。そういう貧しい人々にとってみれば、常に現状は不満であります。現状の不満をどういう形でもって表現して、より新しいよりよい社会をつくっていくかというときのイデオロギーとして社会主義ないしは共産主義がある時期非常に魅力があった主義主張であります。
 そういう意味では、一九五〇年代、六〇年代から七〇年代にかけまして、イスラム世界では社会主義政党が非常な力を持っておりました。もちろん、民族主義だけではなくて、例えばエジプトでもナセル、サダトの時代というのはずっと社会主義を一応唱えていた、そういう時代であります。その流れがやはりアフガニスタンにも及んでいたというふうに私は考えております。
#19
○参考人(小杉泰君) 西側と今対立が深まる中でイスラム側はどういう対応があり得るか、あるいはあるべきかということでございますが、正直に申し上げて非常に対応がとりにくくなっているというのが現状だろうと思います。
 それで、今テロリストを根絶しなければいけないということが言われておりまして、イスラム諸国会議機構もそれについては賛成をしておりますけれども、問題は、こういう過激な人たちがいなくなれば穏健な人たちが力を増すのかというと、そうではないわけですね。それとこれは別な問題でございますので、例えばパレスチナ問題について、とにかく武装闘争を頑張り続けるしかないと言っている人たちもおりますけれども、イスラム世界の主流はやはり国際的な交渉で何らかの解決策を見出したいと、こういうことだろうと思うんですけれども。
 例えば、今そのイスラム世界であるべきなのはその過激な部分あるいは急進的な部分ではなくて、そういういわば常識的なというんでしょうか、穏健な部分が力を持って、それが例えばイスラム諸国会議機構に代表されるような国際フォーラムで発言していく。そこを見ると、これがイスラム世界の主流であり公式見解なんだと言えるような状態が望ましい。彼らもそうしたいし、そうあるべきだと思っています。
 そうであれば、国際社会とかあるいはイスラム世界の外側もつき合い方が非常に容易になってくるということだろうと思いますが、ただ問題はそれがなかなかいかないという。いかないのは、彼ら、例えばパレスチナの問題について交渉で解決すべきだと言っていますが、今、和平プロセスがとまっておりますですね。
 そこが、だからイスラム世界の主流形成というんでしょうか、穏健派が主流化するような状態がなかなかなくて、それで実際問題として、例えばテロをイスラム世界の普通の人たちが支持しているかというと、そういうことはないと思いますけれども、じゃ、その普通の人たちというんですか、サイレントマジョリティーが何を望んでいるのかというと、そもそもテロとかなんとかは彼らにとっての関心事ではないわけですね、主要な。本当は、だから例えばパレスチナ問題とか、あるいはむしろ生活をよくしたい、経済開発を何とかしたいという、その経済発展とか経済協力のところでむしろもっと国際協力をしたいということなんだろうと思いますが、そこら辺でうまくかみ合ってこないと今のような問題は解決しませんし、西洋側からもやっぱりイスラムは全体として過激なんじゃないかというようなイメージが強まってしまうと。そこら辺で、何か鶏と卵みたいなところございますけれども、何か苦しんでいるんじゃないかというふうに思います。
#20
○会長(関谷勝嗣君) 高野博師君。
#21
○高野博師君 最初に、後藤先生の方にお伺いしたいと思いますが、後藤先生の論文をちょっと興味深く読ませていただいたんですが、私は全く同感でありまして、世界史を見るときに、この世界そのものを、我々が学んできた世界史というのは、ヨーロッパがつくった、ヨーロッパの人がつくった世界史ではないのかと。もともとヨーロッパというのは世界全体から見ると辺境の地にあったものだと。それが近代化の中で急激に発展をして世界史の中に登場してきたんですが、この「我々のヨーロッパ」という先生の言葉をかりますと、我々のヨーロッパという視点で歴史を、世界史を書いてきたと。したがって、ヨーロッパにとって都合の悪い事実あるいは歴史は抹殺するとか排除してきた、こういうことであります。
 それでは、この人類全体の五千年以上の、あるいはもっと七千年ぐらいの歴史の中で、歴史をとらえ直すときの歴史観というか、認識の方法論というのはどうあるべきなのか。このイスラム世界の歴史も見直した上で、あるいは文明史論的に、あるいは宗教的な視点から、さらには経済的あるいは近代化というような視点からもう一回見直すのかどうか、そこのところをお伺いしたいと思います。
 それから、小杉先生の方にはイスラム原理主義とは何かということについてお伺いしたいんですが、イスラム教というのはもともと寛容だと、こうよく言われるんですが、その寛容というのは、これは解釈の多様性、これは後藤先生の言葉なんですが、多様性をいろいろ持っていると、その多様性から来るものなのか。このイスラム原理主義というのは、過激で暴力を肯定しているのかどうか。実は、中南米にもキリスト教の解放の神学というのがありまして、キリストの理想社会を実現するためには、自由とか平等とか博愛とか、そういう理想を実現するためには暴力を使うことは許されるんだと。これをテロリストとかゲリラが政治的に利用したわけですが、このイスラム原理主義の中で、例えばジハードというような考えはどこから出てくるのか教えていただきたいと思います。
 ちょっとついでなんですが、このグローバリゼーションの中で、あるいは市場原理が広まる中で、最も影響を受けるのがイスラム世界ではないか、イスラム世界のほとんどが発展途上国だと。ということになると、かつては植民地支配をされていたわけですから、貧困という問題がある、貧富の差があるということで、今よく言われる文明の衝突というようなことが、今回のアフガンの問題は別にしまして将来的に起きないかどうか。ある意味では、グローバリゼーションとこのイスラムの対決というか衝突というか、そういうことが起こる可能性はないのかどうか、お伺いしたいと思います。
#22
○参考人(後藤明君) 歴史をどう描くか、あるいは歴史をどう認識するかという大変大きな問題でございますけれども、特にその歴史でもグローバル、つまり全地球の、地球上に住んでいるすべての人間を視野に入れて歴史を考えるということは、恐らく一人の人間では不可能だろうと思うんですね。
 私が思っていますのは、さまざまな人間がさまざまな歴史を描いてみること、それをお互いに交換する、意見を交換すること、一つの立場あるいは一つの地域をこれが絶対のものだと。例えばヨーロッパ文明というのは、ある人に言わせれば、トインビーという人に言わせれば、世界の歴史の中にはさまざまな文明があった、そして現在でも、トインビーはもう亡くなりましたけれども、トインビーが生きていた時代の二十世紀全般の、現代でもさまざまな文明がある、しかしいずれはヨーロッパ文明によってすべてが統一されていくと、そういうふうに考えた上での歴史叙述なんですね。それがいいかどうかは別にしまして、さまざまな文明があり、さまざまな宗教があり、さまざまな生き方がある、それは現在もある、恐らく未来もあるだろうということを想定して、そしてさまざまな人がさまざまな歴史を考え、認識していくということが僕は重要だというふうに考えております。
 以上です。
#23
○高野博師君 ありがとうございました。
#24
○参考人(小杉泰君) 原理主義とは何かということですけれども、私自身は原理主義という言葉に反対しておりまして、なぜかというと、原理主義は暴力を肯定しているのかということも御質問いただきましたけれども、むしろ我々は暴力をするような人たちを原理主義と呼ぶというルールになっているんだろうと思うんです。
 それで、イスラムでいろんな問題が二十年ぐらい前に起こり始めたときに、一体これは何なんだということで問題になりまして、それで、原理主義という言い方は、そのときによくわからない状態を指す方法として出てきたと思うんですけれども、私はイスラム復興運動という言葉を使っておりますが、どこが違うかというと、イスラム復興というのはイスラムを現代にもう一回よみがえらせようという運動ですので、そういう運動というのは、現実に見ると、例えばコーランの教えを広めましょうとか、モスクをつくりましょうとか、先ほど申し上げた喜捨ですね、お金を集めて貧しい人を助けましょうとか、それから貧しい人のために病院をつくりましょうとか、そういう運動が多いわけですね。それはどこの国でもありますけれども、それ自体はニュースになるようなことではありませんので、余り話題にならないんですけれども。
 それで、そういう人たちだけであればよろしいんですが、そういう中にやはりイスラムを復興させましょうというときに、政治の面で復興させなきゃいけないという運動があって、その中にさらに暴力あるいは武装闘争をしてでもそれをしなきゃいけないという過激な人たちがいるというのが現実だろうと思うんですが、それで、原理主義というのは、そういう過激な部分だけを指しますので、そうでない人たちの話はしないという、こういうルールなわけですね。
 それで、これをやりますと、我々も原理主義ばかりに注意が行きますし、彼らも、だからそれはある意味喜ばしいわけですよね、そのテロをやるような人たちというのは世界の注目を引きたいわけですから。そうしますと、当然、文明の衝突の型になってくるわけですね、過激な人たちを話題にしているわけですから。
 私は、イスラム復興運動という中にいて、すそ野を見ていったときに、やはりそういうすそ野の運動がたくさんあって、しかも国がそれなりに民主的なところというのは余り過激派が出ないわけですね。彼らの要求というのは合法的なチャンネルでそれなりに実現していくと。逆に、そういうものが全然閉ざされていて、イスラム復興というようなことが出てくると、政府の側でもかなり危険視をして抑えにかかるというようなことをしていくと、悪循環で暴力になっていくというようなことがよく起こるわけです。
 それからもう一つは、イスラム復興が起こっているのに暴力的な組織がない国は一体なぜなのか。そういうところも結構あると思うんですが、そういうところは、そもそもそれほど、何というんですか、社会矛盾が深刻化していないわけですね。イスラムの過激派が出ているような国を三十年ぐらい巻き戻してみると、あの当時はやっぱり民族主義の過激派だとか社会主義の過激派がいたというところだと思うんですが、それで、イスラム世界の中で社会主義がもう影響力がなくなったようなこととか、あるいは民族主義が衰えるとか、いろんなことが起こったと思うんですが、そうしますと、今、イスラム復興を背景にして何か政治的に動員しようと思うと、そういうイデオロギーになるという側面があると思うんです。割と穏健な、穏やかな復興だけが起こっている社会を見ると、いわば社会矛盾がそれほど深刻化していないということだろうと思うんですね。
 それで、そういう意味では、先ほどおっしゃいました解放の神学というようなものをある政治運動とかテロリストが利用していくというようなのと同じ側面がやはりあるだろうと思います。本人たちは利用していると思っていないにしても、そういう言葉を語ればみんなに訴えることができるという。そのときに、原理主義と呼ばれるような組織はそもそもそういう闘争をしたい組織なんだと、それがイスラムというものを使ってイデオロギーをつくっているんだということでいえば、暴力を肯定しているというふうに言うことができるんだろうと思います。
 逆に、そうしたら、そもそもそれはイスラムの中から出てくるのかといえば、そうではないんだろうと思うんですね。おっしゃいましたように、非常に解釈の多様性というのがありますし、それから、普通のイスラム世界に住んでいる人たちがイスラムを一生懸命やるというと、お祈りをやるとかあるいはとにかく巡礼にぜひ出かけたいものだとかと思って暮らしていて、毎年こういういろんな政治事件はありますけれども、百万人、二百万人集まるという巡礼、ちっとも人数が衰えるわけじゃありませんので、ですからそこのところでいうと、やはり暴力的な政治運動がそういうものをするという、それはイスラムであってもなくても同じだろうという側面はどうしてもあると思います。
 ただ、ジハードの問題なんですが、ジハードというのはイスラムの場合、聖なる戦いとして、特にイスラムの領土とか聖地の防衛をするという理論があります。それで、それがそういうテロ的なものにつながっているのかどうかということですけれども、一つは、ジハードというのは少なくとも二十世紀の初めぐらいまでは国家に管理されていたわけですね。イスラムの王朝が対外戦争を行う、あるいは敵が攻めてきたので防衛をするというときに、それがジハードかどうかと。イスラム的に正当であればジハードと宣言する、あるいは学者に諮って宣言するというようなことをやっていたわけですが、二十世紀の半ばまでのところでイスラム国家と称する国がなくなって、いわばそれが浮いてしまったということがあると思うんです、ジハードが。そのために、本来は国家でもない組織が自分たちこそがそれを担う組織なんだと主張して、ジハードと称して武装闘争をするということがあると思います。
 ですから、逆にイスラム世界の国家体制あるいはイスラム諸国の団結みたいなものが非常に強くなれば、むしろそういう恣意的なジハードというんでしょうか、いろんな組織が勝手に我々がそれを担うんだというようなことを言っている状態はむしろ減るのではないかというふうに思われます。
#25
○高野博師君 ありがとうございました。
#26
○会長(関谷勝嗣君) 井上哲士君。
#27
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 きょうは、お二人の先生のお話、大変興味深く聞かせていただきました。
   〔会長退席、理事山崎力君着席〕
 今、文明の衝突というお話もありましたけれども、既に今回の事件をめぐってこういう議論が随分言われておりますが、これは私は問題だと思っておりまして、こういう論の一つに、イスラムの社会は歴史の進歩の外にあるというような議論と結びついてあると思います。その点は、きょう、長いスパンでのお話とともに、二十世紀でもさまざまな民族の独立の運動などあって、やはり二十世紀全体のこの進歩の流れの中にこのイスラムの世界もあるということがお話しされたかと思うんです。
 歴史の進歩の外にイスラムがあるという見方と結びついて、欧米文明絶対みたいな物差しの押しつけがありまして、よく日本の首相も我が国はアメリカと価値観を共有するというような言い方をされますが、この価値観論というのが大変イスラムやまたアジア諸国からのいろんな抵抗もあるということがあります。そういう点からいいますと、自分たちの価値観を絶対的善として押しつけるようなことではなくて、さまざまな文明の平和的な共存ということが今本当に大事だと思うんです。
 その点から、幾つか理解を深める上でお伺いをするんですが、まず、小杉先生にお伺いしますが、政治体制にかかわりまして、イスラム社会での宗教と政治の一体化ということが言われました。
 その中でのいろんな模索と国際社会から批判されるべき圧制とは区別をして見るべきだと思うんですが、先生の論文の中でも、そういう中で大変インドネシアに注目をされていると思うんです。多くのところでイスラム政党が一党、二党という中で、インドネシアでは多党化をしているわけですが、こういう流れというものが全体でいえばどういう位置づけになり、今後どう広がっていくとお考えか、インドネシアの問題で一つお聞きをしたいと。
 それから、もう一つは経済の問題で、やはり小杉先生にお伺いするんですが、イスラム銀行のお話がありました。コーランの中で利子を禁止しているという中で、このイスラム銀行が予想を超えて広がったということも書かれておりました。そもそも、利子の問題というのはイスラムだけにかかわるのではなくて、途上国を債務で苦しめているのは利子を前提とした世界的な仕組みだという声がイスラムから上がっているということもありましたが、今の国際的な政治経済システムへの異議申し立てとも言えると思うんですが、こういうイスラム銀行の予想を超えた発展の背景と今後の展望についてどうお考えか、お聞かせ願いたいということです。
 それから最後、後藤先生にお伺いをいたします。
 女性の権利の問題なんですが、今回のアフガニスタンでも、タリバン政権の支配がなくなる中で女性のいろんな復権ということが報道もされているわけですが、いわゆる原理主義と言われるもとでああいうことが随分行われましたが、一方で、インドネシアなど女性の元首とか、イスラム世界でもそういう女性の政治への進出というのは著しいわけですけれども、こういう女性の権利のいわば抑圧とも言える現象と一方で違う方向と、イスラムのいわば教義との関係でいうとどういうふうに考えたらいいのか、教えていただきたいと思います。
 以上です。
#28
○参考人(小杉泰君) イスラムの宗教と政治の一体化というような原則がある中で、インドネシアのような動きがどういう意味を持つのか。もう一つ、イスラム経済の行方という御質問でしたが、私、インドネシアに注目しているのは、インドネシアの場合、民主化を行うようになってからイスラム政党がたくさん出てきたと。それで、先ほども少し申し上げましたが、このイスラム復興というのはいろんな形をとって出てくるんですけれども、民主的にやらないとどうも偏ってしまうということがあるわけですね。
 それで、イスラム政党が一つか二つがあるところは、それがどの程度穏健であるか急進的であるか、国によっても違うんですけれども、彼らがイスラムを独占するような傾向が出てくるわけですね。つまり、我々はイスラムに乗ってやっていると、政府はやっていないというようなことを言ったときに、問題があたかもその政府とイスラムの闘いであるかのようになってしまうと。
 ところが、イスラム政党がたくさんあるということは、イスラムが特定の政党のものではなくて、そういういろんな考え方があるという。それで、イスラム政党というのは、イスラムの中にはいろんな解釈がございますので、そうすると、イスラム政党はそれぞれが自分たちの解釈が一番国民の生活に役立つとか、あるいはその教えにうまく合うんだということを言わないといけない。そういうことが生じますと、イスラムの解釈の多様性みたいなものが生きてくるし、実際、それで切磋琢磨していくと有効な方法も出てくるということだろうと思うんです。
 そうでありませんと、今実際にある政府と、それに対して野党として頑張っている一つのイスラム政党というような図式が中東の場合はかなりありますけれども、そうすると、我々の方から見てみましても、イスラムを名乗る政党が体制を脅かしているというようなイメージが出てきますし、それからイスラムそのものも独占されていますから、イスラムとはこういうものだという。それで、何か急進的なことを言っていれば非常に原理主義的だというイメージになる。それがあると、我々の方の見方も非常にかたくなってしまうので、対応がよくわからなくなりますし、向こう側もだから対応の仕方が出てこない。
 それで、イスラムを独占しているような組織はイスラムを掲げていますから、自分たちが攻撃されるとイスラムが攻撃されているというふうに思うという傾向もあるわけですね。ところが、イスラム政党が三つ四つ五つとあると、彼ら自身の間でも分かれていますし、一つの政党が批判されてもそれはイスラムそのものを批判されていることに全然ならないという。そういう状態にならないと、国際社会の方でもイスラムに対応のしようがありませんし、それからイスラム社会そのものも健全な発展をしないんじゃないかというふうに思うわけです。
 それで、何か例えばイスラム復興が出てくるとかあるいは原理主義の組織があるとかというとき、我々はついイスラムという言葉で語るんですが、イスラムの中というのは非常に多様だというのと、もう一つは、一つ一つの国の歴史がありますので、イスラム一般ではとても語れないことがたくさんあるわけですね。
 それで、例えば民主的な政治を行ってこなかった国でイスラム運動が出てくると、余り民主的でないことがよくあるんです。それはやはり現実の政治体験として、民主的なやり方というものがどういうものかよくわかっていないということがあるわけですね。だから、民主的なやり方をやっているところで出てくると、イスラムでも何でも、ほかの党でも割合民主的にやる。それで、一党独裁みたいなことをずっと長くやっていると、イスラム政党がとると今度はイスラム政党が一党独裁するみたいなことが割合よく出てきやすいという。そういう意味で、インドネシアのようなケースで、割合民主的な中でいろんなイスラムが出てきて切磋琢磨していくというのが割合いいことなのではないか。
   〔理事山崎力君退席、会長着席〕
 もう一つは、イスラム世界というのはやはり共同体意識があるせいもありますし、思想的な影響がありますので、一つのところでうまくいくとそれが影響を及ぼすということがたくさんあるわけですね。イスラム経済についても、アジアの方がむしろ今私、進んでいると思いますけれども、成功例が出てくるとそれをまねしていくというようなことがたくさんありますので、そういう意味でも民主的な実験というのは高く評価できる。それはインドネシアに限らないことで、これからやはりどのぐらい民主化の中でいろんなイスラムが出てきて、それが民主的なルールでやっていくのかというのがイスラム世界の一つのかぎだと思います。
 イスラム経済でございますが、イスラム銀行というのは一九七〇年代の半ばから始まって、始まったときはやはり利子を取らない、無利子金融という名前も、言葉を聞いても一種矛盾のような感じがいたしますので、かなり否定的だったと思いますが、今はイスラム銀行というのが成立するということはもう常識になりましたし、実際かなりの預金量を持っていると。
 ただ、この先どういうふうになるのかということなんですけれども、今のイスラム銀行というのはあくまで資本主義体制の中でイスラム銀行として機能していると。ということは、ほかの銀行と、イスラム銀行は利子を払わないかわりに利益を還元するということをやるわけですから、全然お金はやらないけれども預金してくれというわけにいきませんので、そうすると、利子を払っている銀行と競争して営業的に勝たなければいけない。ということは、逆に不良債権なんかやたらに抱えられませんので、かなり選択的に投資をしていくわけですね。それで競争しているということですから、例えばイスラム諸国でイスラム銀行だけになって回るのかというふうに考えると、それは容易ではないわけですね。今はまだシェアが二、三割ぐらいのところで、その他の普通の銀行と対抗できればいいという条件下でやっていますから、かなり成功していると。この先成功するというのはかなり問題というか、難しいものがあると思います。
 それから、世界経済が一つになっておりますので、一国イスラム経済みたいなものがあり得るかと考えると、これは現実的じゃないと思うんですが、そうすると、世界の今のこういう経済システムの中でイスラム国の経済をどう回していくかというときに、純粋のイスラム経済あるいはイスラム銀行みたいなものだけで回るのかといえば、これも非常に難しい。
 ですから、ある意味では非常に成功してきておりますけれども、成功がこの先進むと、そういう大きな問題にぶつからざるを得ないと。そこら辺をどうしていくのかというのは興味深い点ですけれども、全然答えはないんだろうと思います。
#29
○参考人(後藤明君) 女性の問題ですけれども、イスラムという一つの理念での女性と、それから現実のイスラム世界でのさまざまな場面での女性の問題と、二つ別な問題があるというふうに私は認識しております。
 理念としてのイスラムでは、これは男も女も全く同じ人間であります。つまり、女も人間というのがイスラムの基本でありまして、私に言わせますと、近代西欧の最初のいろんな人権とか民主主義とかというのは女は人間でないことを前提にしたものですからウーマンリブが起きてきたというのが私の認識なんですけれども、イスラムにおいては女も男も人間であります。
 したがって、小杉先生が挙げられたアッサラーム・アライクムというあいさつは男も女もすると。それから五つの義務は男も女も同じようにするというのは基本であります。そして、イスラムという信仰は、男も女も、一人一人の個人と神との契約関係というふうに考えられておりますけれども、同時に、男も女も含めて人間同士の契約というものが社会を成り立たせている原則であります。
 契約は、もちろん売買の契約もあれば、賃貸の契約もあれば、結婚ということも契約であります。したがって、結婚は必ず、私に言わせれば離婚を伴うと。つまり、契約ですから、当事者の一方が死んでしまえばそこで夫婦の縁は切れる、つまり離婚になるという、そういう契約の体系であります。したがって、男も女もその契約の当事者ということになるんですね。その意味での差別というものは一切ないというのがイスラムの理念であります。
 しかし、一方、現実はさまざまであります。それは地域社会の伝統ということが非常に大きく絡んでおります。例えば、東南アジアのインドネシアとかマレーシアですと、インドネシア、マレーシアの世界というのは、人類学的にいきますと父系とか母系に対して双系、つまり両方の系統だと。したがって、男女平等の社会がイスラム世界でもかなり実現している。ところが、アフガニスタンから中東にかけてというのは、伝統的に男女が別な世界をつくるという非常に長い歴史的伝統があります。男は男の社会をつくる、女は女の社会をつくると。
 例えば、私がよく例を引くんですけれども、男と女が共同生活をしている、一つの夫婦があると。もちろん子供もいて、一つの家があると。そこは男と女と共同の生活の場なんですね。そこに、例えば奥さんのところに女の友達がやってくると、そこはあっという間に女の空間になってしまって、もう亭主はいることができない。すると、亭主は外に行ってコーヒーでも飲んでいるよりしようがないと。そういうのは女の空間なわけです。
 一方、市場、マーケットに行っていろんな買い物をする、そこは男の空間なわけです。したがって、そこは男が大体買い物をする。それで、男の空間に女が入るときには、ちゃんと男に遠慮してベールをつけなきゃいけないと。そういう男女が別々な世界をつくるという伝統を持った地域もあると。その地域の伝統をイスラムの名でもって説明する、そういう風習が大変強くあります。
 それは、だけれども、イスラムのある地域におけるイスラムの理解でありまして、イスラム全体の理解ではないということになります。特にアフガニスタンみたいに、従来、一つの国家のもとで人間がまとまって生活するということがほとんどなかった社会でして、さまざまな血縁集団、一般に部族と呼ばれている血縁集団が非常に強い社会では、そういう男女の別々な空間というものは伝統的に非常に強かったということになります。
 では、学校教育とかそういうものが男の空間なのかといえば、現代では一般的には否定されております。男女両方とも教育を受けるべきだと。しかし、タリバン政権のもとでのアフガニスタンにあっては、経済的にも現実的にはそれはできなかったと。男もほとんど教育を受けていませんけれども、特に女の人は教育を受ける機会がほとんどなかったという、そういう不幸な環境にあったかと思っております。
 したがって、イスラムの本当にイスラム法だけを純粋に考えていったときには、男も女も全く同じ人間として存在している、また契約の主体であると。しかし、地域地域によってさまざまな男女のあり方があるということになるかと思っております。
#30
○会長(関谷勝嗣君) 次に、田嶋陽子君。
#31
○田嶋陽子君 コーランも読んでいないので、いろいろお聞きするのはちょっとはばかられるんですけれども、でもよろしくお願いします。
 最初に後藤先生がお話ししてくださったことで、今、井上先生がお聞きになった女性の権利の問題とも関係あるんですけれども、一つは、十九世紀後半ですか、イスラム世界での人口爆発と移民ということですよね。この人口爆発のことに関してはイスラム世界の人たちはどう考えているのか。この人口爆発を許容するようなものが宗教的な考え方の中にあるのか。あるいは、そこに現代的な考え方を取り入れて、貧困が人口爆発と関係するというふうに考えると、これに対してイスラム世界は何らかの対応をしているのかどうか。どのくらいの危機感があるのかどうかということが一つ。
 それから、今、女性の権利の問題なんですが、私の知識ではイスラム圏は女性器切除が、約一億人の人たちが、これは国連で禁じられましたけれども今もって行われているというようなことを、いろいろなもので聞いたり読んだり、あるいはそういう、なくそうという運動にも加担しておりますが、その辺は先生はどんなふうに理解といいますか、情報を得ていらっしゃるのか。あるいは、イスラム世界でそういうことに対して国のレベルでどういうことをしようとしているのか。
 それから、もう一つ後藤先生にお聞きしたいのは、国家が没落していきますというお話をしてくださいまして、そのときに、十八世紀、国家解体するというお話を伺ったわけですけれども、そのとき西欧社会に、本当に常識がなくて申しわけないんですけれども、私として今のお話聞いて疑問に思ったことなんですけれども、西欧世界に対抗し切れなかったその原因、メンタリティーというものが宗教の中のどういうものとかかわっているのか。さっき、国家よりも神の方が上だというようなお話をなさっていらっしゃいましたけれども、そういうこととも関係あるのかどうか、そのことでお伺いしたいと思います。
 それから、小杉先生はさっき一体感ということで五行、五つのことをおっしゃいましたね、信仰告白とか礼拝とか喜捨とか。これはウンマ意識を醸成する装置としての儀礼ということで、これが二十世紀イスラムの人たちを一つにするのに役立ったということですが、別にキリスト教でもこれに相当するものはあるわけですね。神に対する礼拝のときに胸に手をやってこうやれば、ああ、カソリックだなとか、それから、ああ、あの宗派は何なんだなとか、いろいろわかりますね。キリスト教はやっぱり聖書を、一つみんな同じものを読んでいるということで、いざとなるとキリスト教の世界は一つにまとまるわけですから、これは別に一神教であれば、このウンマの思想はアラブの世界に、イスラムの世界に限ったことだけではないと思うんですね。
 ただ、恐らくここでもって民族意識が芽生えてきたときに、こういうものがあることで一体意識をつくりやすかったというふうに考えればわかりますが。それでも、例えば、いろんなことはなかなか緩やかであって決まっていかないわけですよね、これだけの一体感がありながら。するとそれはその宗教とどんなふうにかかわるのか。
 それともう一つ、そこで次の質問になってしまうんですけれども、一体イスラムの世界では西欧人が重んじている個人主義とか民主主義というものに対してどういう考え方をしているのか。さっき、例えば国際法を守れと言っているのはむしろイスラムの世界の人たちであると、西欧人は勝手だと、そういう発想のもとにあるのはこの民主主義だとか個人主義だとか、そういう物の考え方なのか。でも、一方でさっきのお話ですと、イスラム諸国会議などではコンセンサスがないといろんなものが決まらないというと、ちょっと私は聞き及んだところによると日本の自民党さんみたいなところもあるわけでして、するとそれはまたどういうふうに絡まっているのか、ちょっといろいろ理解しにくいところがありますので、一気にいろんなことを申し上げましたが、質問としてよろしくお願いいたします。
#32
○参考人(後藤明君) 最初の人口の問題ですけれども、一種の産児制限とかあるいはそういう問題にも当然つながっている問題ですが、つい最近、二十年ほど前まで、世界の人口がどんどんどんどんふえていく、爆発的にふえている、そういう現象の主な原因は貧困にあるというふうに国連の人口問題の専門家なども考えておりました。貧困が、要するに経済的な開発が進み、都市化が進み、また人々の教育水準が上がれば、おのずと人口増加率は減るものだというのが国連の人口問題の専門家の考え方であったわけです。
 現実にはそういう方向に大きくは動いているんですけれども、十年ほど前までは、どういうわけかイスラム世界だけは、教育水準が上がっても都市化が進んでも貧困がある程度改善されても一向に人口の増加率は減らないと、これは何だという、そういう話になったんですね。最近は、やはりここ十年の間では急速に人口増加率は減っております。
 その原因は別にしまして、では、そのイスラム諸国の中で要するにバースコントロール、そういう産児制限ということがどういうふうに問題になっているかといいますと、何年前でしたか、カイロで世界人口会議が開かれまして、あのときにイスラム世界の国レベルも、それからイスラム世界のウラマーと呼ばれているいわゆるイスラム法の専門家たち、学識者たち、もう意見が真っ二つに分かれました。つまり、産児制限をすることはイスラム法から見て合法であるという考え方と、いや、それは違法であるという考えと真っ二つに分かれて、ついに意見の統一はできなかったというのが現状であります。ちなみに、もちろんキリスト教のローマ教会、カトリックは産児制限に絶対反対であります。
 つまり、イスラム世界の中で子供というのは神からの授かり物であると。それを人間の浅知恵でコントロールする、制限するとは何事かという議論が一方で強くある。もう一方では、現実に政治なり社会に責任を持っている立場からいけば、人口がただひたすらふえていくことはもう地球全体、人類全体の破滅につながるという現実的な認識も当然のことながらあると。
 したがって、イスラム世界では、それは現在、意見が真っ二つに割れているというのが現状だと思います。しかし、急速な人口増加率はやはりある程度下がっているということは言えます。
 それから第二点の、女性の性器のいわゆる削除の問題ですけれども、割礼と言いますが、イスラム法では割礼は勧められております。しかし、女性についての割礼は厳密には根拠はありません。したがって、法学者による意見がばらばらであります。男は割礼することは、これはほとんどのイスラム世界、ただインドネシアなんかは少し例外的になりますけれども、ほとんどのイスラム世界で大体行われております。それから、女性の割礼は必ずしも一般的ではありません。非常に少ないです。ただし、地域によっては依然として女性の割礼が幅広く行われている地域もあると。
 したがって、これも先ほどの御質問とも同じなんですが、女性の問題、男女の問題とも同じなんですが、イスラムの理念の問題と地域の歴史的な伝統の問題と両方別でして、やはり地域によっては今でも女性の割礼というものが励行される場合があるということであります。ただ、これはイスラム全体の問題ではないということになります。
 それから第三番目の、十八世紀に幾つかのイスラム世界の巨大な国家がいわば解体、没落の憂き目に遭ったと、その中で新しいイスラム運動が起きてきたというお話をいたしましたが、もちろんイスラム世界、七世紀に成立して以来多くの巨大な帝国ができては壊れていくという、そういう歴史のサイクルがありました。それはもう無数の王朝ができて無数の王朝が破壊されていったと。その一環として十八世紀にもあったという意味でして、イスラム世界全体が十八世紀にだめになったということではありません。しかし、十八世紀にいわば象徴的な大帝国が解体ないしは中央の力が急速に弱まるという、そういう並行的にイスラム世界全体で起きたこともまた事実であります。
 それに対する当時の認識の一つが、要するに我々はだめなイスラム教徒である、あるいは社会全体がだめなイスラム社会である、だからちゃんとしたイスラム的な生活あるいはイスラム的な社会をつくろうと、そういう動きが現代のイスラム運動につながる運動をつくっていったんですね。それが今日まで、それほど巨大な政治体制をつくるには至っていませんけれども、要するにその政治的な混乱の克服としてきちんとしたイスラムを求めるという、そういう運動があったということになります。
 ただし、それがなかなか、十八世紀以降、西欧が急速に成長していきまして世界全体を覆ってしまうと。例外として日本や、あと若干が西欧と同じように成長したということなんですけれども、それはイスラム世界の問題というよりは、むしろなぜ西ヨーロッパがあれだけ発展できたのか、あるいはなぜ日本がそれに追随できたのかという問題に僕はなるんであって、イスラムの問題ではないんだろうという気がしております。私の考えでは、やはり半ば武力と半ば政治力をもって多くの植民地をつくったことがヨーロッパの成功であり、日本の成功であったというふうに考えています。
 したがって、後の小杉先生の質問にも関連いたしますけれども、例えば民主主義、イギリスの十九世紀は議会制民主主義が非常に発達してよい政治が行われていたといいますけれども、十九世紀のイギリスはインドを支配し、香港を支配し、エジプトを支配し、イギリス帝国全体から見れば決して民主主義ではない。大正時代のデモクラシー、日本の一つのデモクラシーの頂点ではありますけれども、同時期、朝鮮半島を支配し、台湾を支配したのもまた現実なんですね。
 そういう現実が要するにヨーロッパの発展をもたらしたというふうに理解しておりまして、その犠牲になったのが多くのイスラム世界であったというふうに理解しております。
#33
○田嶋陽子君 質問はしてもいいんですか、折り返し。だめですか。
#34
○会長(関谷勝嗣君) 後藤先生にですか。
#35
○田嶋陽子君 今の疑問に。
#36
○会長(関谷勝嗣君) では、どうぞ。
#37
○田嶋陽子君 済みません。
 それですと、さっき、宗教は、理念としての女性のある姿と現実と違うと言いましたね。私の理解の仕方では、現実というのはその差別されている状況なわけですけれども。
 それと、今おっしゃったように、西欧では民主主義とか個人主義といいながら植民地をつくったというのと同じように、イスラムの世界でも、コーランの世界に生きようとしながらやっぱり女性は現実と宗教の理念と違う生き方をさせていたということで、そういう反省はイスラム世界にあるんですか。女性に対してはそういうダブルスタンダードで生きてきたという、そういう反省はあるんでしょうか。
#38
○参考人(後藤明君) イスラム世界全体にあるかと問われれば、何とも言えないんですね。
 ただ、イスラム世界で一番、出版物の多くは女性問題であります。そういう意味では非常に議論が活発ではあるんですけれども、先ほど申し上げましたように、理念では別に女性も一人前の人間として扱っていると。ただし、現実にはさまざまな社会があって、さまざまなところであつれきはあって、抑圧もあったと。したがって、理念の問題を語る限り抑圧はなかったということになるんですね。
 そして、現実を語るときには、それは例えばエジプトのウーマンリブの理論家なんかの著作によれば、要するにヨーロッパがエジプトの男も女も抑圧した、その抑圧を受けてエジプトの男は我々女をもっと抑圧したと、そういう告発をする文章などは幾らでもありますけれども、むしろそれはイスラムとは離れたところで議論されているというのもまた一つの現実だと思っています。
#39
○田嶋陽子君 残念です。
#40
○参考人(小杉泰君) ウンマの一体感というものがキリスト教でもあるんではないかということですけれども、確かにそうだと思います。
 それで、やはり一神教の場合は神が唯一ですので割合そういう統一性みたいなものを図りやすいと。多神教ですと、神の序列とか、あるいはどの神を主神にするかということでもいろんなニュアンスの違いが出てきますけれども、そういう意味でいえば、きょう後藤先生がおっしゃっていた兄弟宗教という側面から見れば非常に似ているということがあると思うんですが。
 ただ、似ているところがあるとはいえ、例えばキリスト教でも聖書は共通するとおっしゃいましたけれども、キリスト教の場合は聖書は翻訳してよろしいわけですね、精神ですので。ところが、イスラムの場合は、コーランは翻訳できませんので、アラビア語のものがインドネシアへ行ってもアフリカの国へ行っても置いてある、置いてあるというか、読んでいるということになりますので、モスクで行うお祈りもアラビア語で行いますので、それはアラビア語をしゃべらない人たちでも、儀礼の言葉ですからアラビア語でするわけですね。そういう意味において、だから一体性がより強いということは言えるんではないか。
 それからもう一つは、私は、なぜイスラム世界が一体感を持っている、つまりこのような現代の時代になっても持ち続けることができるのかという、その装置が日常に埋め込まれているということで申し上げましたけれども、イスラム諸国会議機構のような、国家を単位としながらやはり宗教で結びつくというようなことが起こるということ、そこまで一体感が強いという。キリスト教諸国連合だとか、あるいは仏教国家連合というものがあるわけではありませんので、その意味でやはり一体感の強さとかあるいは質においてちょっと特異なものがあるんじゃないかというふうに思いますので。
 ただ、それが、それだけの一体感がありながら、なぜ緩やかでなかなか物事が決まらないんだということでございますが、二つ申し上げたいと思うんですけれども、一つは、二十世紀の半ばぐらいですと、そもそもイスラムでみんな固まるかどうかすら意見が一致していなかったわけですので、過去三十年ぐらいを見ると、やはり例えばイスラム諸国会議機構でいろんなことを論じましょうとか、あるいはそれでいろいろ決議をして国際社会にもアピールしましょうとかいうような形で、緩やかながらも次第に凝縮力が出ていると思うんです。ですから、非常にゆっくりですが、もう一回一体感の方へ戻ってきていると。
 二十世紀の頭ぐらいまであった伝統的な一体感は、植民地化されたり国ごとに割れていく中で失われてきたという、それが逆転現象が起こっているということですので、まだ一つのプロセスなんだというふうに思います。
 二番目は、もっと一般論をすると、イスラム世界はコンセンサスを重視するんですが、コンセンサスはもともと容易に決まらないわけですね。それは、教会とか公会議のようなキリスト教でいえば組織が全くございませんので、ですからコンセンサスといっても延々と論争をしていく中でコンセンサスになるということでありますので、したがって、今、後藤先生もいろんな問題について意見が割れているということを御指摘なさいましたけれども、それは、そうやって議論をどんどんどんどん煮詰めていく間にコンセンサスは成立するものはしていくという。
 それで、イスラム世界の場合は柔軟で多様な解釈もたくさんありますが、同時に、コンセンサスが成立するとそれはかなり長持ちしますので、余り一気に決まらないということがございます。それと、近代あるいは現代社会の問題というのはかなり複雑でございますので、イスラム法を持ってきたらぽんと答えが出るというわけにいきませんので、やはり世界そのものが激動しているというのに対応してなかなかコンセンサスが決まらないということはあると思います。
 それで、その一体感に対して、今度、西洋的な個人主義とか民主主義についてどう考えているのかということでございますが、いささか乱暴なまとめ方をさせていただけるならば、個人主義についてはやはり賛成しないと。
 イスラム世界は、人間は一人一人が個人であるという考え方に賛成じゃないんだと思います。人間の考え方として、これはキリスト教でも人間の始めはアダムとイブから生まれたというふうに考えますけれども、イスラム世界も同じ発想ですので、人類というのはそもそも一つの一体のものだという発想から始めていますから、だから西洋的な意味での原始化された個人みたいな認識を前提とする個人主義というのには賛成ではないだろうと思います。
 ただ、それは個人の人権とか自由の話とはまたちょっと別なわけですね。つまり、個人はしかし非常にはっきり認めるという。先ほど後藤先生のお話にもありましたように、人間は皆同じであり平等である、それで契約関係だという考え方ですから、個人は認めるわけですね。しかし、その認めるというベースにイスラムという共通性があるという考え方ですので、個人主義ですと一人一人が考え、あるいはそれが社会契約をして合意したから合意があるんだという考え方ですけれども、イスラムの場合はイスラムという共通性があって、しかし個々人というのは全部きちっとあるんだという考え方ですから、そこのところはやはり西洋的な考え方としてはすり合わないんだろうと思います。
 ただ、民主主義については、まず民主主義という考え方そのものが非常に浸透しつつあると思います。浸透している最大の理由は、イスラム世界も近代化が進んでおりますので、民衆的なというか、あるいは大衆的な社会と言ってもよろしいと思うんですけれども、教育水準も上がっておりますし、昔のように、前近代のように、どこかに君主とか偉い学者がいて国の方針を決めていて普通の人たちは関係ないという時代じゃございませんから、そういう意味でやはり発言を求めていると。
 それからもう一つは、ウンマの一体意識というのがある分だけ全員がウンマに責任がありますから、普通の人たちは何も黙っていて発言しなくていいんだというふうにはならないわけですね。むしろ、ウンマというようなことを言い出すと、普通の人もみんなそれに、共同体の建設とかあるいは国づくりをするのに参加すべきだという議論になりますので、そういう意味で民主主義は浸透していると。
 しかし、理念としての民主主義ということでいえば、西洋的な民主主義とは少しやっぱり違うところもあると思います。それは、イスラム法と合致しなきゃいけないというような議論をいたしますので、ですから、民主的に物事を決めなければいけない、あるいは決めてほしいという、民主的でない国もたくさんあると思うんですが、普通の国民の間の意見は、イスラム世界のコンセンサスとしては、もう今の時代、イスラムの世界をまとめていくためには民主的にやらなきゃいけないという方に物すごい勢いで進んでいると思います。
 民主的であるということと、西洋的な意味での民主主義がどのぐらい浸透しているのかというと、ちょうどその間ぐらいのところでの理解で民主主義が広まっているというふうに言っていいんじゃないかと思います。
#41
○田嶋陽子君 一つだけ質問。
 今、一体感、ウンマのところの説明で、例えばバイブルだったら男と女がというようなお話をなさいましたけれども、例えば今西洋ではバイブルに関しては問い直しがされていて、どういうことかというと、女はアダムの、男の肋骨三本から生まれたという、みんなこれに異議を唱えているわけですね、逆でしょうがって。ですから、聖書そのものが男性中心につくられた聖典であるということから、それは今、神様も例えばゴッド・アンド・シーで両方で受けるとか、私たちも、ヒーだけで人はと言うとき受けるのを、ヒー・アンド・シーでやるとか、そういう見直しがされているわけですね。
 だから、その辺ではやっぱり見直しされているところで、やっぱりコーランに関してはそれどころの騒ぎではないというか、ウンマのもとをなしているコーランそのものが、例えば理念は男女平等だって言いながら、もしかしたらコーランの中にも、キリスト教の聖書に書いてある、これは新約聖書なんです、旧約はまた違うんですけれども、新約聖書の中であるようなそういう言い方はあるんですか、女の人は男の人の肋骨三本から生まれたというような、そういう言い方は。
#42
○参考人(小杉泰君) コーランの中にはそういう記述は全くありません。
 それで、神、アッラーという言葉にも、文法上の性はともかくとして性はありませんので、父なる神というような概念もありませんし、ですから、後藤先生がおっしゃったように理念と現実の差はありますけれども、コーランに帰れという主張をする人たちはむしろそこが、男女も平等だし、人間は皆平等だし、それを守る方がむしろ権利が確立されるんだという議論をする人はたくさんおります。
 そういう意味では、聖書の読み直しとかあるいはフェミニスト的な聖書の再解釈とか、言葉の言いかえみたいな運動はイスラム圏には全くないと言ってよろしいと思います。
#43
○田嶋陽子君 ありがとうございました。
#44
○会長(関谷勝嗣君) 田村秀昭君。
#45
○田村秀昭君 自由党の田村でございます。
 本日は、両先生から貴重なお話を承りまして、ありがとうございます。両先生に同じ質問をさせていただきます。
 ビンラーディンという人が、何かサウジで金持ちな人がアフガニスタンのタリバンで軍事キャンプをやって、米国の世界貿易センタービルにああいう形で突っ込んでいったということ自身について、イスラムを代表する人かどうかは知りませんが、こういうことというのは、普通貧しいから金持ちのところに行ってそんなことをするという話とちょっと違うんじゃないかと思うんですね。憎しみの極限の敵意を持たないとこういうことはできない。どうしてアメリカはイスラムの社会からそういう憎しみの極限である敵意を持たれているのか、お聞きしたいと思います。
#46
○参考人(後藤明君) 私は、情報が不足しておりまして、ビンラーディンが本当にアメリカのニューヨークのあのテロ事件の真犯人であるのかどうかわかっておりません。そして、あの十何名、二十名近い実行犯というものが一体だれで、どういう素性を持った人なのか、ほとんど情報を私持っておりません。その実行犯とビンラーディンがどういうふうにつながっているのか、それすら何にも私はわかっておりません。
 ただ、想像できますことは、実行犯の大部分は、要するにアメリカというのは悪の権化であるというふうに信じて実行に移したに違いないと思っております。それから、ビンラーディンの我々が知る限りの日ごろの言動を使えると、ほぼ私が想像する実行犯の思想と同じ思想を共有していることは間違いないと思っております。つまり、アメリカは徹底した悪であると。
 その場合に、アメリカは徹底した悪であるとなぜ彼らが考えるかという問題ですけれども、これを確かにビンラーディンその他の一部の人はイスラムという名前で語っております。別にこれが、キリスト教の名前で語っても、あるいはユダヤ教の名前で語っても、あるいは別の名前で語ってもいいんだろうと思いますが、たまたまビンラーディンたちはムスリムであって、したがってイスラムの名前で語っているということだろうと思います。
 そして、アメリカがなぜ悪であるかといえば、現代社会は悪いことがたくさんあります、貧しい人もたくさんおります。およそ私の考えでは、六十億人人間が住んで、十億人は日本人を含めて豊かな生活をしておりますけれども、十億人は飢えているというのが現実ですね。それからまた、政治的にも、例えば小杉先生がおっしゃるようにパレスチナ、エルサレムの問題は何ら解決しておりません。そういう現代世界秩序は悪いことがいっぱいある、それを守っている一番大きな力はアメリカ合衆国であると、そういうふうに考える人々が少なからずいて、そういう人たちの中のまた特別な過激派がああいうテロ事件をつくるんだろうと思っております。
 ただ、直接、本当に貧しい人々にはそういう能力はありませんし、したがって比較的豊かな人々でそういう思想を、貧しい人たちの気分を代表すると自分が信じて、それで現代世界は悪いことがたくさんある、その現代世界の秩序維持の象徴としてアメリカという国を選んで攻撃したんだというのが私の理解でありまして、そこにたまたまイスラムという宗教の名前を絡ませただけだというのが私の理解です。
 以上です。
#47
○参考人(小杉泰君) 私も後藤先生と同じで、実際のだれが、実行犯のディテールについては一般にメディアに流れている以上のことは存じませんけれども、ただビンラーデンがアメリカを攻撃すべきだという声明とかは幾つか出しておりますので、それを読んで私が理解したのは、ビンラーデンの考えていることとイスラム世界の常識とは少しずれていると思うんですけれども、どこが一番ずれているのかということで読んで思いましたのは、ビンラーデンの主張は、アメリカがサウジアラビアを占領しているという主張をしているわけですね、これは客観的事実には全然合わないと思いますけれども。
 それで、イスラム世界のほとんどの人はそういう見解に賛成しないと思いますけれども、彼の主張では、アメリカ軍がアラビア半島に駐留しているのは占領であると、占領軍を追い出さなければいけないという、こういう議論ですので、そうすると、何というかレジスタンスの論理というか、あるいは解放闘争の論理のイスラム版、イスラム過激派版なのかなというふうには私、理解しております。
 それで、恐らくそこら辺の宗教的な側面というのは、サウジアラビアというのは彼にとって自分の祖国だというだけではなくて、メッカとメディナという二大聖地がある場所であると。したがって、これは単なるイスラム国の一つを占領しているのではなくて聖地の国を占領しているのだから最も悪い占領なんだという、こういうロジックを展開しているんだというふうに理解しております。
#48
○会長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
 以上で各会派一人ずつの一巡は終わりましたので、これから自由質疑に入ります。約三十五分ぐらいございます。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
#49
○沢たまき君 きょうは大変ありがとうございます。
 簡単なことをちょっと伺いたいんですが、私たちは先生のレジュメをいただいているんですが、後藤先生のレジュメの一番下の方の11のところにも書いてございますし、それから小杉先生のにも書いてあるんですが、私たちはイスラムと言っているんですが、ここではイスラームと、こう長くなっているんですけれども、これはどういうことなのか、ちょっと教えていただければと思います。
#50
○参考人(後藤明君) 特にイスラムとイスラーム、私はこだわるつもりはないんですけれども、ただ、イスラームという信仰体系のもとはアラビア語にありまして、アラビア語ではイスラームと伸ばしているということで、時々イスラームという言葉を使うということです。
 それからもう一つ、つまらないことをつけ加えさせていただければ、日本語はRとLの区別がなかなかない言語でありまして、イスラームの場合にはイスラームのラはLであります。それで日本語で何となく伸ばしますとLの音に近づきまして、短くするとRの音に近づいてしまいますので、なるべくならばイスラームと呼んだ方が原音に近いかなと、ただそれだけの話です、私の場合には。
#51
○沢たまき君 ありがとうございました。
#52
○山根隆治君 二つありますので分けて、適切な分け方かどうかわからないんですが、小杉先生の方にお伺いしたいのは、男女の問題が先ほど来いろいろとお話ございましたが、女性への差別ということがありましたけれども、性の倒錯者ですね、ニューハーフというか、そういう人たちが迫害されているのか、無視されているのか、侮べつされているのか、その辺、実態はどうなっているのかというのを一つお伺いします。
 それから、後藤先生にお伺いしたいんですけれども、コーラン、私も三十年以上前に読んだので記憶がちょっと残っていないところがあるんですが、思想的に体系立てたものじゃなかったような気が一つしているのと、それから、どうも物語風じゃないということで非常に何か自分の心の中に溶け込みにくかったという部分があるんですけれども、コーランは極めて簡潔でセンテンスが短かったような気がしているんですけれども、ということは非常にいろんな理解が多岐にわたってできる宗教思想なのかなという感じがするんですね、まあ合っているかどうかわかりませんけれども。ということからすると、いろんな理解によって宗派がかなり大きくたくさん分かれているのかしらという気がするんですけれども、その辺、大きな宗派というのはイスラム教はかなりあるんでしょうか。もしかしたら基調講演の中であったかもわかりませんが、ちょっと私、ほかの委員会とかち合っていましたので、失礼だったらお許しをいただきたいと思います。
 以上です。
#53
○参考人(後藤明君) まず、コーランに関してですけれども、確かにコーランは体系的ではありませんし、それから物語性は、一部コーランの中で物語もあるんですけれども、概して物語性は薄いということは言えます。それは、コーランというものは、ムスリムたちが信じるところ、イスラム教徒が信じるところによれば、神の言葉であります。もちろん、これははっきりしたことはわかりませんが、私が理解する限り、ムハンマドは時々、二十年間神の使徒、預言者として行動するんですが、その間、間欠的に要するに神の啓示を受けていると。受けるというのがどういう状況かよくわかりませんが、ともかく周りの人が見て明らかに異常な状態になって、それから正常に戻ったときに彼の口から美しい言葉が出てくる、それが神の言葉とされているんですが、その言葉は非常に断片的なわけです。それだけをまとめたものがコーランであるわけです。したがって、神の言葉以外は入っていないというそういう原則になっていますので、我々が読んでもなかなかこれは体系的ではない、わかりにくいという、そういう側面はあります。ただ、これは人間の言葉ではなくて神の言葉と信じるところにイスラムの一番の基本的な態度がございます。
 そのコーランは、したがって多義的に解釈できるのかというと、多義的に解釈できます。したがって、例えばの話ですけれども、私がよく引く例を挙げますと、お酒を飲んで酔っぱらったら礼拝に行ってはいけないという神の文言もありますし、酒を飲むことは悪魔のわざだという神の言葉もありますし、一体、神は我々に泥酔を禁じているのか、酒飲むこと自体を禁じているのか、なかなか難しい議論がそこから出てまいります。それをめぐってさまざまな議論が当然あるわけです。それは、例えば一つの例ですけれども、実に多義的に解釈されて、それをめぐってイスラム法学者たちがさんざん議論をしております。しかし、全体として見ればそれは個々の一つ一つの細かな議論でありまして、それが一つの学派、法学派をつくる基礎にはなっておりますけれども、それでもって主義主張、イデオロギーの対立ということはなかなか起きてはいない、あくまでも法学をめぐる細かな議論として存在しているというふうに私は理解しております。
 以上です。
#54
○山根隆治君 宗派は。
#55
○参考人(後藤明君) 宗派はもちろんあります。先ほどもちょっと申し上げたんですが、スンニ派とシーア派という宗派がありますけれども、大きく分ければ、そこも特にコーラン解釈をめぐっての対立ということではなくて、むしろその後の歴史的な発展の中でさまざまな政治的な対立あるいは法学理解の対立からできているものであります。
 どうも失礼いたしました。
#56
○参考人(小杉泰君) ニューハーフに代表されるような性的な事柄ということですけれども、私、そういうことを調査したことがあるわけではありませんので全般的な印象で申し上げますが、まずイスラムの場合、性的に許されない行為についての考え方が日本なんかよりもはるかに狭いわけですね。それで、結婚契約を結んでいる男女の間の性行為以外の性行為はすべて非合法だというのがまずイスラムの立場であります。したがって、普通の男女関係でも結婚していなければ許されないというような考え方をいたしますので、当然同じ性の、同性同士の関係とかというようなことについても非常に否定的であります。それはまず一般的な原則なんですね。
 それで、イスラムというと、法のそういう解釈が厳しいというのと戒律が厳格だというようなイメージが非常にあるんですけれども、その一方で、イスラム法の原則という非常に大事なものとして、隠されている悪事をばらしてはいけないということがあるわけですね。つまり、例えば自分が何か悪いことをしていても、それをしているというふうに言うことは別な罪を構成するわけです。神が隠したものをあらわにしてはいけないという、なぜならば社会的に悪影響があるということですね。
 したがって、イスラムではお酒を飲んではいけないということはよく知られておりますけれども、自分のうちで一人で飲んでいる、それは本人だけのことですので、それについてとがめるということ、あるいはそれを、そういうことをやたらに問題にすること自体がまた問題であるという考え方をいたしますので、そうすると、そういうプライベートなことは余り出さないという。
 そういたしますと、だから理念としてこういうことはイスラムで許されていないということについて実際の社会では起こるわけですね。起こることについて普通のイスラム社会がどう考えているかというと、プライベートな限りは問題にしない方がいいというのが大勢なんではないかと思うんです。そういう意味では、仄聞するところではいろんなこともあるし、それから、それについては余りとやかく言わないという。逆に言うと、だから大っぴらにできるかといえば、それは否定的であります。
#57
○小林温君 きょうは大変参考になるお話をいただきまして、いろいろ理解が深まったわけです。
 お二人の先生のお話で、もう既にお答えいただいている部分もあって重なるところもあるかと思いますが、ちょっと認識を深めるために御質問させていただきたいんです。
 一つは、後藤先生にお聞きしたいと思うんですが、今までの歴史的な経緯も含めて、イスラム世界が今、人口の爆発も含めて拡散していっている、拡散している力がまだあるという部分なんですけれども、とはいいながら、民主化とか経済発展ということを考えると、やっぱり国家の機能、それと宗教との関係というものも変わっていくという部分もあるのかと思うんですが、今までの歴史的な経緯から見て、例えば、国とイスラム、宗教の関係というものが具体的にどのように今後変化していくのかという、先生の御所見をちょっとお聞きしたいというのが一つでございます。
 それから、小杉先生への御質問でございますが、例えば、今回のアフガンのことも含めて、一般的には日本がいろんな役割を果たすことができるんじゃないかという議論があるわけでございます。
 例えば、中東紛争あるいは湾岸戦争も含めて、今まで日本というのはいろんな形で独自のパイプをつくってきた、あるいはイスラムとキリスト教、西欧社会との文明の衝突の中で第三者的な立場で日本はかかわることができるんではないかと。そんな論調もあるわけですが、きょうのお話も含めて聞いていて、本当に日本がそこまでの役割を果たし得るのか。あるいは、今度は、イスラムの今の拡散する力も含めてそういうものにのみ込まれてしまうのが、今の日本の外交力を考えたときに、その程度の力しか発揮できないんじゃないかという気もするわけですけれども、本当に今の現状の中で日本が果たし得る部分、特にテロ以後の世界の中でどんなことが可能なのかということについて、ちょっと御意見を伺えればというふうに思います。
#58
○参考人(後藤明君) 国家と宗教、とりわけイスラムという宗教のかかわりの将来の展望でございますけれども、イスラム諸国で、もちろん古くからの国もありますけれども、先ほど申し上げましたように大部分が一九五〇年前後に誕生した国家でありまして、誕生してから数十年間、二十年、三十年は国家建設ということが一番大事な目標でありました。そのために、先ほどちょっと申し上げましたように、必ずしもイスラムは社会運動、政治運動の前面には出ていなかったと。それが、国家建設が順調ではないということがだんだん明らかになってくるにつれてイスラム運動が盛んになってきたという、そういう側面がございます。
 将来、国家建設あるいは経済開発、そういう国を運営しようと思っている方々、その中心になっている方々にとって思うに任せないいろいろな勢力というのは当然のことながらあります、例えばエジプトという国家をとってもインドネシアという国家をとっても。
 その一つは、当然のことながら、国際的な社会、国際社会を無視して勝手な行動をすると場合によっては武力制裁されてしまうと。それから、国際的な資本の動き、金融というのも、なかなかそれは一国の政治指導者にとってはなかなか難しい問題を含んでいる。さらには労働力の移動という、そういう国を超えたいろいろな環境を考えなければいけない。それから、経済開発するにしても、今度は環境問題という人類共通の大きな問題と常にぶつかって開発を考えていかなきゃいけない。そういうさまざまなファクターが国民国家を取り巻く外側にあると僕は思っているんですね。
 そのうちの大きな問題の一つが、やっぱり宗教、特にイスラムだと思っています。つまり、イスラムというのは、国家建設を順調に進めようと思ったらしばしばそれは敵になる、しかしそれを完全に敵だと認識してしまったら、それは環境問題、国際金融と同じで、それはもう相手にならない。やはりイスラムも取り込んで国家建設をしなければいけない、しかしイスラムは国家を超えて存在しているという、そういうアンビバレント、矛盾した存在がこれからも続いていくんじゃないかなという、そういう気が私はしております。
#59
○参考人(小杉泰君) 日本の果たせる役割がどのぐらいあるかということでございますけれども、イスラム世界の方からは日本は非常に高く評価されていると思います。
 評価されている理由は幾つかありますけれども、一つは、やはり西洋以外の国で、アジアの国でこれだけ近代化に成功したということ、それとイスラム世界が目指している近代化というもの。もちろん、イスラム世界の中にも西洋的な近代を目指す人がおりますし、いろんな流れがあるということは申し上げましたけれども、例えばイスラムを復興させようというような人たちの考えも近代は肯定しているわけですから、イスラムのアイデンティティーと近代化というものを合致させたいというような考え方が強いわけですが、そうしたときに、世界を見渡したときに、そういう固有の文化と近代というものの結合に成功したのはどう見ても日本が一番でございますので、やはり現実の問題としては、アラブ世界が日本をどうここ百年間とらえてきたかというものを見ても、日本がそういうアジアで近代化に成功し続けたということのインパクトは非常に大きなものがあって、そういう意味でも、我々が自覚している以上に手本なんだというところがあると思います。
 それで、最近、日本は少し自分たちの道に自信をなくしているような感じも私はするんですけれども、日本の現状、発展したときにどうするかという問題と途上国がどうするかという問題とちょっと違うと思うわけですね。それで、イスラム世界の多くを占めている途上国がこれからどう国づくりをしていくかというようなときに、日本の過去というか、これまでやってきたことのモデル性というんでしょうか、物すごい大きなものがあって、それで、どうもグローバリゼーションの議論の中でそこら辺の評価も少し影が薄くなっているのは私は気になるんですが、その点からいいますと、むしろ僕は、日本的なもの、あるいは日本のこれまでのあり方、あるいは日本の達成、あるいはそれを達成してきたやり方みたいなものをずっと強く押し出した方が恐らく貢献ができるんだろうと思うんです。
 それから、例えばテロの問題についても、日本人はああいうテロは絶対に許せないと思っているわけですね、みんなして。ただ、そのことは、今の国際社会に表立って出ているわけではありませんけれども、例えばイスラム世界に対しても、我々はなぜああいうテロを許さないのか、日本の論理というものを語っていく方が彼らはむしろ、我々はどうも出ていくと意見が違って摩擦するんじゃないかというような気持ちがちょっとありますけれども、むしろ向こうは言ってもらいたいということだろうと思います。
 日本というのは非常に大きな存在になっておりますし、実際の援助もいろいろ行っておりますけれども、その手本ということでも、それから経済協力のドナーという点でも高く評価されておりますので、むしろ日本的なやり方あるいは日本的な発想というものを出していけば、恐らくイスラム世界はもっとポジティブに反応してくるし、その中で具体的な貢献策というのは幾らでも出てくるんじゃないかというふうに私は思っております。
#60
○山本一太君 お二人の御参考人に全体で二問だけ簡潔にお聞きしたいと思います。
 私自身は、ずっと両御参考人がおっしゃったようにイスラム世界が広がり続けている、人口がふえ続けている、こういうお話を聞きながら、そのパワーの源泉とは何だろうとずっと今まで考えてまいりました。
 きょう来られている小杉先生の論文の中で、イスラムのパワーの源泉はもちろん経済力でもない、軍事力でもない、それは理念の力だというお話があったように思っているんですけれども、なるほどなというふうに思ったわけですが、十三億人のイスラム教徒が一つの、先ほどもお話がありましたが、共同体の意識を持っているということは、これは確かにすさまじい力ではないかというふうに思いました。
 そして、グローバリズムとかIT革命とかニューエコノミーとか、まさにアメリカのつくったグローバルスタンダードに対してイスラムが提供するのは新しいパラダイムであって、すなわちこの世界において経済的な敗者が必ずしも敗者のままでいないシステムみたいなものを、新しいアメリカ的なグローバリズムとは違った形の新しいパラダイムを提供する源泉になっているという話も大変目からうろこという感じがしたんですが、ただ、新しいパラダイムということはいいんですけれども、今回の同時多発テロを見ていまして、もちろんああいうことがイスラムの教義だとは思わないんですけれども、異なった、今のグローバリズムと違う反グローバリズム的な新しいパラダイムというものが、恐らくきょう後藤先生もおっしゃっていた、十四世紀には世界で最先端の文化がいつの間にかいわゆる開発途上国のレベルまで落ちてしまって、近代においてはかなり後進国になってしまったという、恐らくイスラム知識人あるいは若者の中のフラストレーションも相まってネガティブな方向に行った一つの帰結があのテロなのかなという感じもしているんですけれども。
 両御参考人に聞きたい最初の質問は、こういう新しいパラダイムというものが、ああいうテロみたいな方向に行かないで、もっと建設的な方向に進んで、別にハンチントンの文明の衝突じゃないんですけれども、違うパラダイムを持った文明として共存していけるのかどうかということをぜひ一問お聞きしたいと思うのと、もう一問、なるべく簡潔に言いますが、外交についてなんですけれども、この間の合同審査の質問でもちょっと総理にお聞きしたんですが、ことし一月にカタールで行われた河野外務大臣の会見、これイスラムのいろんな人たちを集めて行ったんですけれども、その中で、日本のイスラム世界に対する、アラブ世界に対する外交の柱の一つとしてイスラム文明との対話というのを河野大臣が打ち出して、これはかなり向こうの方では評判を呼んだんですけれども、ぜひ両御参考人にお聞きしたいんですが、日本がイスラムを理解していくためにはどうしたらいいのか。例えば、イスラムの留学生をふやせばいいのか、あるいはマレーシアに今マハティールがつくっているイスラム研究所みたいなところと連携をして、そこを取り入れていったらいいのか。
 今回の同時多発テロの世界の取り組みの中での日本外交の要諦というのが、アラブ穏健派諸国、イスラム穏健派諸国の離反を防ぐというこの一点に尽きるということを考えると、どうやって日本がイスラム文明とのコミュニケーションを図って、それを外交に利用していけばいいのかということについて、もし具体的なお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。
#61
○参考人(小杉泰君) まず、新しいパラダイムがいかに建設的な方向に行き得るのかという御質問ですが、今、我々にとって非常に深刻な問題になっているテロ事件というのは、私はイスラムが提供しているパラダイムとは何も関係がないと。実際、あれは現在ある仕組みに対する異議申し立ての面はあるかもしれませんけれども、それ自体は何か新しいものを提出しているわけでは全然ないだろうと思います。
 そういう意味では、テロで何か建設的な方に行くとは思わないんですが、ただ問題は、建設的な方向を目指しているパラダイムがどうやって成長していくのかという、やはり恐らくイスラム世界の中でも、そういう新しいパラダイムを出して新しい形での国際社会づくりに参加していくという流れと、ああいう過激派の流れと、そういうものが対抗しているんだろうと思いますが、それで今はああいう事件が起こってしまいましたので、我々の目もそちらに向いておりますけれども、それはまた一つ問題なんだろうと思います。ああいう問題について対処することは必要なんですが、やはり建設的な方向が何なのかということを彼らも出していますけれども、それにより耳を傾けてその勢力を力づけていかないと共存というのはなかなか達成できないと。
 文明の衝突という議論がありますけれども、文明の衝突を望んでいるような勢力が出てくるときに、それにばかり対抗すると肝心かなめの共存を追求する勢力に行かないという。そういう意味では、もちろん安全保障というようなことを考えると、そういうテロの問題についての研究も必要なんですけれども、今御質問なさったような文明の対話をしていくというような共存を求めていくということであれば、そういう勢力あるいはそういう流れについてより研究をし、掘り起こしていくような努力がこちら側でも恐らく必要なんだろうというふうに思います。
 二番目に、その対話をどうやって推進していくのかということなんですけれども、日本がイスラムを理解する努力というのは確かに必要なんだろうと思いますが、最近、私が思いますのは、イスラム世界が日本を理解する努力もかなり必要であると。
 それで、私自身は日本人として向こうの文明を理解するようなことをずっと仕事としておりますけれども、その考え方からすると、私、ずっと日本を相手が理解するのは相手の責任であると、そういうふうに思っていたんです。彼らにもそういうふうに言ってきたんですが、しかし、経済的な体力の差というものがあるわけで、それから日本がやはり世界の先進国としてリーダーシップをとっていかなきゃいけないという問題も考えますと、これは相手の責任だから相手がやれと言っているだけではやはりだめなんではないかと。最近、つまりイスラム諸国が日本を理解することについても援助していく必要があるんではないかという、力づけていく必要が。
 それで、日本がイスラム文明と対話するということは、こちらが理解すると同時にあちら側にも理解してもらうということですので、だから、どうしても経済発展とかいろんなプライオリティーがありますと向こうはそちらに力が割けないというところがありますので、そこに協力をしていくということも一つ大事なんではないかと最近思っております。
 それで、文明を理解するというのは言うは易しくなかなか困難なところがございますけれども、私などですと、日本人のロジックであの世界がどうなっているのかを理解しようとすると。それを逆に考えますと、イスラム世界はイスラムのロジックで日本ってこういう文明なんだというふうに理解すると何か腑に落ちるというようなことがあるんだろうと思いますけれども、何かそういうようなことを奨励し、しかもやはりこれはかなり緊急の責務に今なっていると思うんですね、時代がこうなっておりますので。そこら辺で日本が対話を推進していくというのはすごく大事なことだろうと思う。対話に際しては、双方向で行くように日本側からむしろ強く働きかけ、奨励していくと、そこが大事なんではないかというふうに思っております。
#62
○参考人(後藤明君) 最初の御質問の、イスラム文明というものと全世界のほかの文明との共存という問題ですが、イスラム諸国会議、小杉先生が御紹介しましたイスラム諸国会議の下部組織としてイセスコという組織がございます。ユネスコがありますと、あれはユナイテッドネーションズのいろんな教育、科学の問題ですけれども、それに対してイスラミックステーツの同じ組織、ユネスコのイスラム版だとお考えいただければいいんですが、それが活発な活動をしておりまして、実に多くの国際会議をいたしまして、他文明との要するに共存を中心にしてイスラム文明を考えてみる、あるいはイスラム文明の中で近代というものをとらえ直して新しい学問というものを創造しようと、そういう努力をしております。そういう意味で、イスラムの知識人たちの努力というのは一つの方向を見ているんじゃないかなという気はしております。
 それから、二番目の問題に関しましては、小杉先生がおっしゃったことと全く私は同じことを考えておりました。もちろん、一つは私たち日本人がイスラム世界を理解する。そのためには、私や小杉先生みたいに、ある程度イスラム世界について関心を持って研究をしている人間だけじゃない、もっと多様な分野の人間がイスラム世界に関して興味を持ってもらわなければいけない。そのためには、日本人のそういう例えば政治学にしても経済学にしても自然科学の先生にしても、どんどんイスラム世界に行ってもらわなければいけない、そういう努力を少しずつ我々も始めております。
 それからもう一つは、やはりイスラム世界の人に日本をよく知ってもらわなければいけない。御指摘がありました河野前外務大臣のもとで外務省でイスラム研究会というのが組織されまして、私もそのメンバーの一人としてずっと参加してまいりましたが、ともかくそういう意味での対話、交流、それを積極的にして、単に我々が知るのじゃなくて相手にどんどん知ってもらわなきゃいけない。そのためには、例えば文部省の国費留学生の枠をどんどんイスラム世界に広げるとか、さまざまな工夫が政府としては必要なんじゃないかというような話をしております。
 そして、その成果の一つとして、来年の二月、三月──三月になると思いますが、バハレーンで日本とイスラム諸国、主としてアラブ諸国の知識人の対話ということを外務省が企画しておりまして、私も機会が与えられれば出る予定でおりますけれども、そういうところには、なるべく我々みたいな人間じゃない日本人に参加していただくと。それから、日本のことは余り知らないイスラム世界の知識人に参加していただいて、要するにお互いの知識の絶対量をふやそうという、そういう努力が必要だと私は思っております。
#63
○今井澄君 済みません。私、きょうお二人の参考人のお話をもう聞きたくてしようがなかったんですが、別の委員会があったりしてお聞きできませんでした。それで、その上で質問するなんというのは大変失礼なんですが、ちょっと情緒的な経験に基づく質問になります。なぜこの問題を私自身も勉強したかったかということも含めてなんですが。
 私はかつてこの参議院の派遣で、エジプトといってもカイロですね、それからシリア、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルと、ちょうどあのとき、あの場所、ワイリバーで交渉が進んでいる最中ですね。まだ前のヨルダン国王が生きておられて、病院から通いながらクリントンと一緒にやっている最中に回った物すごい生々しい経験で、私自身の持っていた偏見といいますか、乏しい知識が打ち破られた経験があるので、その二つのことについて、ちょっとこれ先ほどから言われております、それで常識になっておりますこれを、何か今度の問題に関してイスラム世界と何かの対立にしちゃいけないとか、文明の衝突なんということでこれを理解しちゃいけないという、ある意味ではもう常識になってきている。先ほどのお話にもあると思うんですが、その中で、理解する上で教えていただきたいんです。
 やっぱり文明という問題、宗教という問題、あるいはそこに政治的な思想や理念、いろいろ絡んできたり、もう一つは非常に大きな問題、経済発展、貧しさとか、そういう問題があると思うんですね。これが複雑に絡み合って国の成り立ちとか、あるいは国と国との関係、国際関係はできると思うので、何か一般的に文明が対立するんだとか理解し合えるかどうか、それはまた何か宗教が理解し合えるのかどうかというものとパラレルに考えることが、単純にはそう考えられる傾向があると思うんですが、私はどうも随分違うんじゃないかということを感じた。
 それは、きょうのレジュメを拝見させていただきますと、後藤先生の二番目のところに、イスラム教とユダヤ教とキリスト教は根は同じなんだと。現地に行ってみて初めて気がついて、私もこんなこと知らなかったと思ったんですけれども、全部同じなんです。そうすると、そもそもその宗教の根本的な違いによる対立と、本当はイスラムとキリスト教世界、あり得るはずがないと。例えばパレスチナ問題なんかだと、もともとユダヤとキリスト教ですから、そうすると、イスラムですからこれもおかしいし、もともとイスラエルの建国問題なんかは、これはキリスト教とユダヤとの対立という宗教でいえば、そういう中でユダヤ人が迫害されたということから起こった問題でもあるというふうに考えると、そういうふうになかなか単純にいかないんだなと。むしろそういう意味では、日本なんかは宗教的にいったらアメリカとアフガニスタンとパレスチナとイスラエルの宗教的つながりとは全然無縁なところにあるわけですから、まさにこっちの方が文明は違うと言えるぐらい。
 そういう意味から考えると、やっぱりそういうふうに単純に考えられないなという感じがするんですけれども、その辺をどういうふうに、文明と宗教と、あるいは現実に歴史的に展開してきた経済発展とか政治的な問題との関係をどう整理したらいいのか、なかなか難しいと思いますけれども、キーワードを教えていただければと思います。
 それから二番目は、私もそう多くはないんですが、国会議員になって二十数カ国旅をしてみましたけれども、一番心安らいで、簡単に言えばすりの心配をしないで町を歩けたのはシリアのダマスカスのスークだったんです。最初はやっぱり何かすられるんじゃないかとこうやって腕を組んで心配して歩いていたけれども、そのうち何の警戒心もなくなったのは世界広しといえどもあそこの国とある発展途上国の田舎町の二つしかなかったんですが、そこで私は常々、今度のイスラム原理主義というものを怖いものだと理解しちゃいけないので、むしろその底にあるのは非常な温かさというものなんだよということを人によく話しするんですが、それはある意味でかなり間違ったというか、考え過ぎ、好意的過ぎる見方なんでしょうか。
 そういうイスラムという宗教、ある意味で貧しい地域では宗教的な色彩が非常に強いと思うんですけれども、あの例えばダマスカスの町の温かさとか共同体的なことというのは、これはやっぱり宗教的なものがそうなのか、それともあのシリアという国の強権政治がそうなさしめているのか、その辺について教えていただきたいと思います。
#64
○参考人(後藤明君) 最初の問題は余りにも大き過ぎまして、私、なかなか答えにくいんですけれども、こういうふうに例えたらいかがでしょうか。
 私たちはいろんな感情を持っていますけれども、それを言葉で表現します。しかし、言葉はたくさんあります。我々は日本語を使いますけれども、イギリス人は英語を使う、フランス人はフランス語を使う、エジプトの人はアラビア語を使う。言っていることは仮に内容が同じであっても、言葉は多様である。お互いに言葉が違うために意思疎通ができない場合もしばしばある。それと同じことが文明というものにも言えるし、宗教にも言えるし、その他いろんなことで言えるんじゃないかという気がするんです。経済開発という言葉をとっても、やはりその中身によって発言の仕方が違ってしまえばお互いに理解できない側面も出てきてしまうと。したがって、同じことを宗教で言っても、キリスト教的な表現で言うかイスラム的な表現で言うか、あるいは仏教的な表現で言うかによって、場合によっては誤解を生んでしまう。
 それから、文明の基本も同じようなものを言ったとしても、その言葉が違う、発想の仕方が違う、論理が違うことによって互いに誤解を生むかもしれない。それはやっぱり言葉と言語というのが世界に何千かある、それと同じように価値体系も宗教も、あるいは経済開発と環境とか、その他のいろんな関係の表現の仕方も違っているんだと。
 したがって、多様であることを最初に前提にして、その中からどれだけ我々が共通項をくくれるかという、そういう知的努力を繰り返すよりしようがないんじゃないかという、そういう気が私はしております。それが第一点目の私なりの頑張った答えであります。
 それから、二番目のダマスカスのスーク、確かにすてきなスークでして、あそこにいれば余り不安はありません。私の経験ですと大体中東の国々というのは大変安全な国であります。もちろん、机の上に財布を置いて手洗いに立ったら必ず財布はなくなっています。それは間違いのない事実なんです。しかし、財布を懐中に入れて歩いていて強引に強奪されるという経験はまずありません。そういう心配はない国なんです。
 それは、恐らくイスラムということも一つのキーワードの一つかもしれませんけれども、やはり長い数千年にわたって都市生活を続けてきていた、お互いに見知らぬ人間同士が常に行き合ってきたという、そういう文明、文化の伝統というものがやっぱり大きいんじゃないかなと、そんな気がしております。
#65
○参考人(小杉泰君) 私も、最初の問題は非常に大きゅうございますので、少しずれたお答えになるかもしれませんけれども、確かに、文明とか宗教ということと現実の一つ一つの国が持っている政治とか経済発展の問題、どう切り分けていくのかということは大きな問題だと思うんですけれども、ただ私、文明というのは今の段階では非常にいいキーワードではないかというふうに思っております。
 というのは、文明の衝突論というのはやはり危険だということを我々思っておりますけれども、文明の衝突論が出たときに私が少し驚きましたのは、もうちょっと前ですと、アメリカの方が文明と言えば、普通それは西洋近代文明のことを言うのであって、今の世界に幾つかの文明があって対立しているというような議論ではなかったわけですね。我々は文明間の対話とか融和とか共存ということを主張しますけれども、少なくともその文明ということによって互いに対等に語り合うんだという、そういう仕組みは、何かそういう形ができるんだろうと思います。
 それで、恐らくイスラム文明との対話というときに、アラブ諸国の方でも非常に反応がよろしいのは、そういうふうに対等にお互い認めて話し合おうという姿勢が理解できるということなんだと思うんですね。それをした上で、今度は個別のやはり政治とか経済の問題というのにきちっと入っていくと。それで、文明というのを何文明と呼ぶかというのはそれぞれ勝手でありまして、イスラム世界はイスラムという宗教と非常に結びつきの深いものを言っておりますけれども、彼らは西洋文明と言うときに、必ずしもキリスト教ではもはやないというのを理解しておりますし、日本文明も当然違いますから、そういう意味では、文明というのは必ずしも一緒くたにする装置ではなくて、区分ける力もあるんではないかというふうに思います。
 二番目のことで、私もダマスカスへ行って非常に楽しい思いをした記憶がございますけれども、後藤先生もおっしゃいますように、中東は非常に安全なところが多い。それは恐らく、その町そのものが安全だということだけではなくて、恐らく彼らの持っているホスピタリティーというようなものがあって、それはアラブ的なものと思うかイスラム的なものと思うかということはあると思いますが、それとつまり原理主義という危険なものというその落差は何だろうかということだろうと思うんですけれども、私が思うのは、例えば中東ですと危ないというイメージがありますけれども、実際に現地へ行くと安全なわけですね。ということは、普通の我々が一般に理解している犯罪のレベルでは非常に安全であると、凶悪犯罪もやはり少ないというふうに理解されております。
 ところが、その一方で原理主義、あるいはそれとかかわるテロのような問題があると。これはみんな政治犯罪なわけですね。ですから、僕は、やはり原理主義の問題というのは基本的に政治問題である、政治的に政治の矛盾を解決しなければやっぱり払拭できない問題ではないかと。だから、この温かさとそういうテロとがなぜ並立するのかというのはそういう問題ではないかというふうに思います。
#66
○会長(関谷勝嗣君) 時間が参りましたので、きょうはこれで終わらせていただきます。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 両参考人におかれましては、長時間にわたりまして大変貴重なる御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 両先生の今後のますますの御発展を心からお祈り申し上げまして、お礼のごあいさつといたします。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時四分散会
ソース: 国立国会図書館
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