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2001/03/29 第151回国会 参議院 参議院会議録情報 第151回国会 文教科学委員会 第6号
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2001/03/29 第151回国会 参議院

参議院会議録情報 第151回国会 文教科学委員会 第6号

#1
第151回国会 文教科学委員会 第6号
平成十三年三月二十九日(木曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月二十九日
    辞任         補欠選任
     阿南 一成君     吉村剛太郎君
     扇  千景君     星野 朋市君
     松村 龍二君     鹿熊 安正君
     柳川 覺治君     森下 博之君
     小林  元君     岡崎トミ子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         市川 一朗君
    理 事
                亀井 郁夫君
                佐藤 泰介君
                内藤 正光君
                山下 栄一君
    委 員
                有馬 朗人君
                鹿熊 安正君
                佐藤 泰三君
                中曽根弘文君
                星野 朋市君
                水島  裕君
                森下 博之君
                柳川 覺治君
                吉村剛太郎君
                石田 美栄君
                岡崎トミ子君
                本岡 昭次君
                松 あきら君
                阿部 幸代君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
                高橋紀世子君
       発議者      本岡 昭次君
       発議者      佐藤 泰介君
       発議者      阿部 幸代君
       発議者     日下部禧代子君
       発議者      高橋紀世子君
   国務大臣
       文部科学大臣   町村 信孝君
   副大臣
       文部科学副大臣  河村 建夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        巻端 俊兒君
   政府参考人
       文部科学大臣官
       房長       結城 章夫君
       文部科学省初等
       中等教育局長   矢野 重典君
       文部科学省高等
       教育局長     工藤 智規君
       文部科学省科学
       技術・学術政策
       局長       大熊 健司君
       文部科学省スポ
       ーツ・青少年局
       長        遠藤純一郎君
       文化庁次長    銭谷 眞美君
   参考人
       千葉大学教育学
       部教授      天笠  茂君
       教育評論家    長谷川 孝君
       千葉大学教育学
       部教授      三輪 定宣君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数
 の標準に関する法律等の一部を改正する法律案
 (内閣提出、衆議院送付)
○公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数
 の標準に関する法律等の一部を改正する法律案
 (本岡昭次君外四名発議)
○政府参考人の出席要求に関する件
○独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合
 センター法の一部を改正する法律案(内閣提出
 、衆議院送付)

    ─────────────
#2
○委員長(市川一朗君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第二〇号)及び公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(参第一五号)の両案を一括して議題といたします。
 本日は、両案の審査のため、参考人として千葉大学教育学部教授天笠茂君、教育評論家長谷川孝君及び千葉大学教育学部教授三輪定宣君の三名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、両案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の進め方でございますが、まず天笠参考人、長谷川参考人、三輪参考人の順序でそれぞれ十五分程度で御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままでお願いいたします。
 それでは、まず天笠参考人から御意見をお述べいただきます。天笠参考人。
#3
○参考人(天笠茂君) 今御紹介のありました千葉大学の天笠と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 また、本日はこのような場におきまして意見を述べる機会を与えていただきましたことを深く感謝申し上げます。また、第七次定数改善の計画の実現に向けて審議を進められております関係の皆様に心より敬意を表したいというふうに思います。
 私は、教職員配置の在り方等に関する調査研究協力者会議におきまして調査研究協力者の一員でありました立場から、提出されております政府案等につきまして、お手元に資料を配らせていただきましたが、これに基づきながら、五点にわたって意見を述べさせていただきたいというふうに思います。どうぞお手元の資料をごらんになりながらお聞きいただければというふうに思います。
 政府案につきまして、幾つか注目すべき点ということで申し上げさせていただきたいと思いますけれども、まず一つ目は、地方分権の精神を生かし、いわゆる護送船団方式からの脱却を目指している点に注目いたします。そしてまた評価すべき点というふうに思っております。学級編制における都道府県の裁量をより認める方針を打ち出したことにあります。
 すなわち、都道府県の政策判断を重視する姿勢を示し、必要と判断した場合、義務標準法で定める学級編制の標準を下回る基準を定めることができ、小学校、中学校別、小学校の低学年と中・高等学校別など、地域の実態などに応じて基準を定めることを可能にしております。これまでの学級編制については、統一基準を決めて厳格に運用を図るものでありました。これに対して、都道府県の裁量を認め、国の基準を下回る数を基準として基準を定めることを可能としております。これは、地方分権の精神を生かし、これまで維持してきた学級編制をめぐるいわゆる護送船団方式に風穴をあける措置であると理解しております。
 続きまして、第二点目ということになりますが、本政府案は明治以来の学級観、学級担任制を柱とする学校観の転換を図ろうとしている点に注目しております。この点もまた評価できるところだと思っております。
 御承知のように、学級担任制は一人の教師が一つの学級の児童生徒の教科指導及び生徒指導のすべてにわたって担当し、一義的に責任を負う教授学習システムであって、我が国の学校において教育組織の根幹をなすものであります。しかし、この学級担任制は、教科指導の専門性の低下、学級間の格差、学級王国化などの問題が生じやすいとこれまでにも指摘されてきました。本法案は、このような学級や学級担任制の改善を促しております。すなわち、学習集団と生活集団の両機能を一元的に果たしてきた学級について、学習集団については形態の多様化を図り、生活集団については学級を重視するとして、学習指導と生徒指導に機能を分化させる考え方を提起しております。
 本法案のもとになりました調査研究協力者会議の報告書は、学級の基本的な考え方を次のように述べております。すなわち、「学級は生徒指導や学校生活の場である生活集団としての機能を主とするものと位置づけ、学習集団は、学級単位で学習指導が行われる場合が多いとしても、児童生徒の状況や教科等の特性に応じて多様な学習指導の場が設定できるものであり、学級にとらわれないものとして整理することが適当である。」と、生活集団としての機能を重視し、学習集団については従来の学級にとらわれない多様な編成を求めています。
 また報告書は、学級について、学習集団と生活集団の機能を分離するとらえ方を次のように提起しております。すなわち、「一元的な学級の捉え方を見直し、今後、学級は生徒指導や学校生活の場である生活集団としての機能を主としたものとして位置付け、これまで一体のものとして含まれていた学習集団としての機能については、学級という概念にとらわれずに、より柔軟に考えることが効果的と考えられる。」と述べています。このような点からも、政府案には、学級編制の基準のあり方はもとより、学級経営のあり方や指導方法などについての改善、さらに言うならば、これからの学校のあり方にかかわる重要な内容が含まれていると思われます。
 政府案は、各学校においては教職員やその他のスタッフの協力のもとに、生活集団としての学級を離れ、必要に応じて自由に学習集団を編成できる方向を示しております。これは、特色ある学校づくりについて、教育課程の編成や教育方法の工夫を組織編制面から支えるものであり、これまでの学級担任制を柱とする学校の教育組織について固定的なイメージの転換を図るものとしてとらえることができるかと思われます。
 続きまして第三点目であります。
 ところで、学級担任制をとっている小学校では学級の壁を越える取り組みをさまざまに試みてきましたが、学級担任の学級王国意識を十分に払拭できないところがあります。そして、このことが教師間の連携協力や柔軟な学年経営や教科経営の発展を阻んできたことも否めず、この学級王国意識の克服が学校にとって古くて新しいテーマとなっております。
 今学校に求められていることは、指導体制の工夫、改善に取り組むことであります。この一環として、これまで授業に余りかかわりを持たなかった養護教諭、学校栄養職員、それに事務職員などを初めさまざまな教職員について、指導体制の一翼を担う一員としてその存在感を高めていくことが課題になっています。学校はさまざまなスタッフに支えられ、それら人々が機能することによってより教育の成果を得ることができるものと思われます。しかし、これまで学校は学級担任や教科担任を中心に組織されてきた歴史を持ち、それ以外の教職員の存在の重要性が広く認められるにはなかなか至りませんでした。
 しかし、学校はそれぞれの教職員が連携協力を図ることによって教育の成果も得られるものと思われます。さらに、多様な学習集団の編成や総合的な学習の時間の実施に当たって、校内のさまざまなスタッフの参加、協力が大きな力を発揮し、欠かせない存在になるものと思われます。一方、保護者や地域社会の人々が学校に参加する機会や場をふやし、さまざまな教育活動にかかわりを持つ開かれた学校の名において求められるとしていますが、その実権を握っているのは校内の先生方で教職員の方々であり、そのチームワークの存在であると思われます。
 いずれにしましても、今学校に求められているのはチームによる教育ではないかと思っております。お手元の資料の(3)のところになりますが、それぞれの学級担任が自分の学級を守り、その中で教育を進めていけば済むというわけにはいかなくなっております。すなわち、学級担任一人では解決困難な問題も増加しており、学級担任間、教職員間のチームワークが問われております。
 学校を取り巻く高度化、複雑化に対応するには専門職としてのチームワークが欠かせなくなっており、学年全体で指導に当たる方法や学級や学年の枠を柔軟にした教授学習組織を編成、運用する方法など、学級担任間の協力のあり方をより洗練していくことが求められております。
 お手元の資料で(4)ということになりますが、これに関連して、チームティーチングについて若干述べさせていただきます。
 チームティーチングは、授業場面において二人以上の教職員が連携協力して一人一人の子供及び集団の指導に責任を持ち展開を図る指導方法であり、組織であると思います。学級内における教師間の協力や学習形態の工夫を図るとともに、子供たちも学級にとらわれずに適宜移動して学習集団を柔軟に編成するところに、すなわち学習内容、興味、関心などに応じて、学年、学級の枠にとらわれずに適宜柔軟な学習集団の編成を可能にするところに特徴が見られます。
 このようなチームティーチングは第六次の改善計画の柱ということになっておりましたが、このような動きというのが学級担任制を取り入れてきた我が国の学校においてもようやく受け入れられつつあるんではないかというふうに受けとめております。今回、政府より提出された法案は、チームティーチングなどの指導体制の工夫改善について、さらに継承、発展を図るものと位置づけることができ、また、チームワークを学校に生み出す上で大きな効果をもたらすことが期待できるものと思っております。
 次に、四点目ということになります。
 ところで、学級の人数について述べさせていただきます。
 この点について学級規模を縮小すれば教育効果が上がるという考え方が社会に広く浸透しているように思われます。しかし、学級規模と教育効果に関する実験的、実証的な先行研究はさまざまな結論を導き出しており、適正規模が明らかにされているとは必ずしも言えない現状にあるかと思います。その意味で一義的に適正規模を求めることは難しい現状にあるかというふうに思っております。
 すなわち、従来の研究を要約すると、適正規模なるものは明確にするということは難しいということであって、教師の指導方法などの要因が大きく複雑に変動することですとか、学級規模と教育効果の関係を一律にとらえるということはなかなか困難である、こういうことを申し上げさせていただきたいというふうに思います。
 いずれにしましても、一人の学級担任が受け持つ子供の数の多少によって学校教育の教育効果を見定めようとする発想や手法だけでは限界があり、学校の抱えるさまざまな問題を解決することはなかなか現状では難しいかと思われます。その意味で、学校として複数の教師の連携協力によって教育の効果を上げていく発想と方法の開発を通して課題に迫っていくことが妥当ではないかというふうに考えております。また、学習集団を弾力的に編成できることとし、それぞれ教科や教育内容、単元などによって、一斉授業やグループ学習、学級を越えた学習集団の編成など、多様な教育活動を展開することによって成果を上げようとする考え方や方策を選び取る方が賢明な選択ではないかというふうに思っております。
 さて、五点目になりますけれども、政府案と比較して野党案の大きな特徴は、四十人ではなく三十人学級を、しかも一律に引き下げて提案しているところにその特徴があるかというふうに思います。また、その意味で、学級担任制のシステムについてはこれを維持していく立場での提案ではないかというふうに思います。したがいまして、学習集団を弾力的に図っていくという、そういう取り組みについては余り強調されなかったのではないかというふうに受けとめております。
 これに対して、学級の人数を一律に減らすということでなく、これからの教育の方向を求め、これに見合う条件整備を目指すところに政府案の特徴が見られます。すなわち、今日の学校教育、学校の組織をめぐる課題に対応したものであり、生活集団としての学級と弾力的な学習集団とを活用して新たな時代にふさわしい教育活動を創造していくことを求め、そのための制度的条件の整備を図ろうとするものというふうに受けとめております。
 以上、私の意見を述べさせていただきました。今回の政府案はこういった意味で現状の教育課題に対応するものであるというふうに私自身は受けとめております。その意味で、政府案に基づく学級編制と教職員定数の改善が実施されますことを強く期待したいというふうに思います。本委員会におかれましても、このような意見を参考にしていただき本法案の審議を行っていただければ幸いに存じます。
 どうもありがとうございました。
#4
○委員長(市川一朗君) ありがとうございました。
 次に、長谷川参考人にお願いいたします。長谷川参考人。
#5
○参考人(長谷川孝君) 長谷川でございます。
 私は元新聞記者で現在教育評論等をやっておりますので、取材者として感じてきたことを中心に自分で授業をした経験で感じたことも踏まえて話をさせていただきたいと思っています。
 結論から言いますと、学級定員の標準を四十人に据え置いたままで教員などの加配によって対応するというやり方は、ほころびに継ぎ当てをする対策だという感が大変強い。それで、学校教育の改革のためには、学級の人員を三十人程度に抑えるということがやはり極めて大事だというふうに感じております。これは、これから挙げるような事例から実感してきたことです。私が取材で出会っている先生方というのは大変力量のある先生方ですが、そういう先生方の声などからの実感です。
 普通、演説をしたり講演をしたりするときには、どんなに聞き手が多くても聴衆は石だと思えとよく言います。ここでは票だと思えと言った方がいいのかもしれませんけれども。当然のことながら、授業においては子供や学生を石だと思うわけにはいかない、このことをどこか念頭に置いて聞いていただければいいかなと思います。票だとすれば、子供たちは個々に意思を持った主権者として教室にいるということだと思います。
 先生たちから聞いた声ですが、例えば人数が多いと、子供たちが帰った後に、あれ、きょう、あの子どんな様子だったのかなとふと思い出せないことがあると言います。これは大変困ったことなわけですね。その子の表情とか様子とか記憶に残っていれば、その日に手当てできなくても翌日フォローできる。だけれども、記憶に残っていないことがあると言うんですね。これはとても困る、また恐ろしいことだというふうに言っています。
 それから、これはある授業に出かけたときですが、理科の実験ではないんですが、実験的な授業をしていたときに、一人の子がみんながやっているのと違う方法でその実験をやっていたんですね。担任の先生は全くそれに気がついていない。後で聞いたら、本当に気がついていないんです。あの人数では無理かなというふうに思いましたけれども、もしその一人のみんなと違うやり方にその先生が気がついていれば、恐らくあの授業はもっと内容の豊かなおもしろいものになっただろうな、膨らませることができただろうなというふうに思ったことがあります。あれが何かほかの実験であれば、種類によってはそういうことに気づかないというのは安全性の問題になってくるというふうにそのときに思いました。
 それから、こういうふうに言っている先生がいました。三十数人の学級を担任していて、一人ふえると、そのときのふえた重さというか、それは一人がふえたんじゃなくて、それこそ人数が倍になったような重さを感じるというふうにあるベテランの先生が言っていました。これは授業だけじゃなくて、後のいろんな点検も含めて、一人一人に大変時間をかけて心を砕いて接しているということなんですね。ですから、その一人の重さというのが、三十数人から一人ふえるとどっと重さを感じる、これはやっぱり学級の人数の意味というものを示しているというふうに思います。
 次に、これは三十数人の一年生の学級を担任した四十代後半のある先生の例ですが、子供たちが帰った後に教室の床にしばらく横になったと言っていました。子供たちときっちりかかわろうとすれば、しかもそれが一年生であれば、どれほど体力的、精神的な負担が大きいかということを示していると思います。
 また、あるベテランの先生は、経験からいえば三十人以下が教師の立場からも子供の立場からも最もやりやすい、加配による対策は学校現場に混乱を招くこともあり、現場を知らない行政のやり方だという感じが非常に強いというふうに言っていました。また、別のベテランの先生は、やっぱり学級の人員が三十数人ぐらいまではそれほど気にしないけれども、これまでに経験した中では二十八人のクラスの人数のときがベストだったというふうに実感を語っていました。現場の先生たちの実感としては、二十七、八人が一番学級規模としては適正であるという実感が多いのではないかという気がします。
 それから、今施行中の総合学習に関して考えてみますと、現在の校舎などの施設や設備、それから図書館などの資料といったものが極めて不備です。びっくりするほど不備です。その中での取り組みということは、教師たちに大きな努力を要請せざるを得なくなっている。つまり、総合学習が少しでもうまくいくためには、教師の負担が大変大きいというふうになっていると思います。総合学習というのは、一人一人の課題とか学習の状況などをきちんと把握しながら進めていかないととんでもないマイナスになりかねない。学級の人数が多いと、こういう総合的な学習というものを取り入れた目的の実現にとってはむしろ大きな困難があるというふうに言えるような気がします。
 本気で総合的な学習を成果のあるものにしようというふうに考えるのであれば、施設、設備などの充実というのも図らなければいけないと思いますけれども、同時に学級の子供数を三十人以下に減らすということは不可欠だと思います。三十人以下にするということは、TTとかそれから専科制とかそのほかのいろんな教職員の増員の問題とは別個の問題だという気がします。
 それから、今の四十人の標準というのを会計検査院の指摘で厳格に適用するようになってから、四月の始業式の直前まで学級が決まらないとか、教師の異動が急に起こるとかというようなケースをよく聞くようになりました。これは学校現場が大変困るだけでなく、子供と保護者にとっても大変な迷惑です。子供にとっての最善よりも行政の標準を優先しているというふうに言わざるを得ない。これはやっぱり悪政じゃないかなという気がします。
 それから、私自身が小学校でも時々授業をしたりしますし、大学で授業をやるんですが、大学の授業でいいますと、四月当初、百数十人とか数十人の学生が受講します。五月の連休を過ぎるとほぼ三分の二に減ります。出席者が減ることは好ましいことじゃないんですけれども、実は正直言ってほっとします。ですから、四月にすごい人数の学生を目の前にしながら、連休が過ぎれば少し減るよなというふうにやっぱり心の中で思ってしまいます。もちろん資料の準備だとか提出物の整理などの大変さもあるんですけれども、受講生が多いということ自体の精神的、肉体的な疲れというのがやっぱりあります。これは、さっき言ったように学生を石だと思って接するわけにいかないからで、日常的に子供とかかわっている小中学校の先生たちの場合というのは、僕みたいな大学講師の立場とは比べものにならないだろうというふうに思います。
 以上のことをもう一回まとめてみますと、以前、何年か前ですが、たしかオランダで学級定員を二十人にするということが議論になって、そのときにオランダで、二十人じゃクラスの中でもってサッカーの試合もできないじゃないかという意見が出たということが話題として報道されたことがあります。議論のレベルが違うんですよね。四十人をどうするかというのと二十人じゃ困るよという話と随分レベルが違う。
 最近、ベンチャー企業の育成のためにあちこちでインキュベーターの設置なんということが広がってきていますけれども、学校教育というのは社会を受け継いでいく人たちを育てるためのまさに社会のインキュベーターなわけで、そういう意味では子供のためにもっと優先的に予算が回されていいと思いますし、破れ目を継ぎはぎするような対応というのは選ぶべきではないというふうに私は思います。
 先ほども取り上げた新指導要領の総合的な学習の時間の目的の中でも挙げられていますけれども、指導要領というのは余り読まれていないんですけれども、ここにいらっしゃる皆さんは当然指導要領をお読みだと思いますが、子供たちがみずから学ぶ力を発揮して自分の考えをプレゼンテーションできる、そういう力を育てることが求められていると思います。
 これまでの学校教育というのは、これは私が言っている物の言い方ですけれども、専ら教えられ上手の学び下手を育ててきたと言ってきました。本当に教えられたことを覚えたりするのは上手です。だけれども、自分で学ぶことが大変下手になってきている。これからは主体的に学べる子供、学び上手を育てていく必要があると思います。
 それには、日々、子供たち一人一人の様子や表情や学びの状況を教師たちがきっちりつかんでいくことが大変大事なことになってきます。その上で、例えば、きのうどうだったというふうに教師が声をかけたり、それから、けさは何か元気なかったねとかと言って声をかける、そういうフォローをするということができれば子供が救われることは大変多いと思います。特に不登校の子など、さまざまな問題を抱えている子の場合にはその意味は大変大きい。それには学級の子供数が恐らく二十七、八人であることが極めて望ましいのではないかというふうに考えています。
 以上、私が取材等で出会ってきたことから意見を申し上げました。どうもありがとうございました。
#6
○委員長(市川一朗君) ありがとうございました。
 次に、三輪参考人にお願いいたします。三輪参考人。
#7
○参考人(三輪定宣君) 三輪でございます。よろしくお願いいたします。
 私は、二つの法案につきまして、内閣提出法案には基本的に反対、四会派提出法案には基本的に賛成の立場から意見を申し述べます。
 私は最近、学級規模等に関して幾つかの調査研究に参加いたしましたので、初めに主にそれらを踏まえて意見を申し述べます。
 まず、内閣提出法案につきましては、第一の問題は、いわゆる四十人学級基準を維持したことでございます。私どもの共同研究では、学級規模の標準は二十人程度とすべきであるという結論でございます。教育学者で組織する日本教育学会のチーム、私も含めて総勢三十三名が三年間、最近、科学研究費の交付を受けて、学校・学級の適正編制に関する総合的研究を行いまして、その総括の提言で次のように述べております。
 学級規模の標準は、二十人程度とすべきである。(中略)財政状況などの事情により標準規模を大きくする場合も、二十五人以下に設定しなければその効果は少ない。こうして初めて国際水準に到達する。なお、加配よりも学級定員の標準を一人でも下げるべきであるというのが現場教員の判断である。(中略)現在、学校教育はたくさんの問題を抱えている。これらの問題解決のかぎ的条件は、学校現場におけるゆとりの創出である。ゆとりの中心は人間関係のゆとりである。教職員配置の改善は、このゆとり創出の基本条件である。学校改革政策の最優先事項として、上の提言をまず第一に実現していただきたいということでございます。
 その基礎には、具体的な調査研究あるいは原理、歴史研究や政策予測研究とともに、最新の国際比較研究がございます。例えば、四十五カ国の初等学校四学年の学級編制基準は、二十五人以下が十三カ国、二十六から三十が九カ国、三十一から三十五人が六カ国、三十六から四十人が九カ国、そして四十一人以上が八カ国。まとめますと、三十人以下が四八・四%、約半分、三十五人以下が六二・二%で約六割であります。その根拠には、学級規模と教育効果に関する研究の蓄積があり、この報告書も内外で百三十五点の文献一覧を載せております。中でも、アメリカのグラス・スミス曲線がよく知られております。また、パーソナルスペース、つまり個人の縄張り範囲、占有空間の理論も注目されております。
 次に、四十人学級は、現場の教員や保護者、国民の要求からも遊離しております。民主教育研究所の教職員研究委員会、責任者は私ですが、二年間、学級規模と教職員定数に関する調査を行いました。その中で調査項目の一つに、あなたの望む学級規模はどのくらいですかというものの回答は、学習指導の面からでは、三十人以下が、教員八四・七%、父母八三・四%、二十五人以下がそれぞれ五三・八%、五六・六%。そして、先生と子供とのコミュニケーションの面からでは、三十人以下が、教員九一・九%、父母八八・八%、二十五人以下が、それぞれ六八・四%、六八・七%でした。
 今の教育学会の調査では、小学校教員四千六百六十三人の回答は、三十人以下が、低学年で九六・〇%、中学年で九四・一%、高学年で九一・二%、二十五人以下が、それぞれ八六・八%、六五・三%、五二・三%。要するに、教員、父母ともに八、九割が三十人以下を、そして六、七割が二十五人以下の学級を望んでおります。
 全国連合小学校長会の調査、校長七百八十五人の回答でも、適正な学級規模三十人以下が九〇・〇%です。各団体の学級規模改善目標は、教職員組合は三十人以下であり、それらの実現を求める三千万署名運動では、十年来、署名数は毎年ほぼ二千万を超えております。政党では、自民党を除いてほぼ三十人以下、自民党でも千葉県連は二十五人です。財界では、経団連が二十から三十人程度、九六年。社会生産性本部が二十人程度、九九年であります。自治体では、二〇〇一年三月現在、全国三千二百七十九自治体のうち、過去四年間に千五百七十八自治体、四八・一%が三十人以下学級を国に求める意見書を採択し、千葉県議会は全会一致で二十五人学級の要望を決議しております。三十人以下学級のコンセンサスは熟していると言えます。
 三十人以下学級の実現は、教員の年齢構成の極端な不均衡を是正し、若い教員を継続的に採用し、学校の活力を高めるためにも不可欠であります。日本教師教育学会のチームが、最近、私が研究代表となりまして、科学研究費の交付を受けて、教員の年齢構成と教職活動・教育効果に関する調査研究を行いました。
 それによりますと、現在、首都圏等の都市部では教員の年齢構成が極端に不均衡です。例えば調査時点の九七年度、小学校の場合、千葉市では二十代教員は五・二%、四十代教員は五七・七%、東葛地域、松戸市や柏市の地域ですが、二十代が二・九%で五十代が五五・一%。四年余を経過してそのアンバランスはさらに進んでいると思います。教員の年齢幅は二十二から六十歳くらい。ですから各二五%程度が均衡のとれた年齢構成ですが、現状では極端に不均衡で、子供や教員がいわば若い先生に飢えている状態で教育活動に多大の支障が生じ、教員採用・養成にも甚大な影響が及んでおります。報告書はまとめで、教員採用の前倒し、平準化などとともに、若い教員の大量不足解決のために三十人学級の緊急実施を提案しております。
 第二の問題は、四十人学級を前提とした都道府県のそれを下回る基準設定の問題です。
 地方分権や機関委任事務廃止のもとでそれは当然ですが、国庫負担金や地方交付税等の財源措置が伴っておりません。今日の自治体財政の危機的、破局的状況では、実施されても局所的、しかも自治体の財政格差は避けられず、その場合も、子供の居住地域にかかわらず行き届いた教育条件を平等に受けるという教育の機会均等に反します。現に、財政力指数、基準財政需要額に対する基準財政収入額の割合ですが、九七年から九九年度の平均は、四十七都道府県の場合で自治体数が、指数が〇・三未満が十一、〇・三から〇・五未満が十九、〇・五から一未満が十六、そして一以上はわずか一で、市町村は都道府県よりもさらに大きな格差があります。自治体の学級規模改善の努力や方針が、均等の論理で国から制約されるおそれもあります。
 今次改善ではその自然減を補うにすぎず、実質的増加ではありません。しかも、義務制、高校のそれぞれの人数も、少人数授業やあるいは教諭以外の定数改善のために法で縛られて、または行政指導で誘導されて、学級規模の基準引き下げに活用できる余地がほとんどないと思います。自治体が住民要求とのはざまで苦境に立つなど、矛盾の激化は必至だと考えます。
 第三の問題は、少人数集団指導の加配であります。
 本来、少人数教育は小中三教科だけではなくて、すべての学校、学年、教科で必要で、大きな限界がそこにあります。当面三教科でも、その加配は小学校では五年間で八千六百人、毎年千七百二十人、全国の小学校は二万三千八百六十一校ですから、毎年度七%ずつ、完了時でも三分の一の学校に一人の計算です。平均的な十二学級規模の学校、一学年二クラスでは、六学年のうち一学年だけの三教科、あるいは三学年で一教科ずつくらいしか少人数授業ができないわけであります。中学校では五年かかって各校平均一・三人程度で、三学年のうち一学年の一・五教科程度がせいぜい。高校では少人数加配は新教科の情報に限られております。第六次計画のチームティーチング等の個に応じた教育の加配で一・六万人や、授業を持たない教員の活用の一部は、学級規模基準の引き下げ、例えば一年生を三十五人学級にするとか、いわゆる境界学級、つまり一、二名の変動で学級数が変わる学級等の対応に使う余地を考慮しますと、少人数加配に多くの定数が割けません。また、TT加配は新規加配とは違う性質の定数でございます。非常勤講師の採用でもそれほど拡大は見込めないと思います。基本三教科で二十人授業といいますと、すべての学校や学年で実現するようですが、それは錯覚、幻想で、一斉に少人数学級を求める要求や必要からほど遠いものと思います。
 しかも、少人数授業が生活集団と学習集団を分離して、クラスを解体して行われることも問題であります。それは学級づくりを困難にするでしょうし、学習の効果を妨げるでしょう。また、習熟度集団に編制して行われれば、実質的には能力差別を生んで、学級崩壊を制度的に助長しかねません。少人数授業加配がいわゆるひもつきになり、学校現場の実態、必要、あるいは要求に即した適正な利用を妨げることも懸念されます。
 第四の問題は、非常勤講師の任用拡大であります。
 非常勤講師は、近年、経費節減や需給の調整要員として増加しております。いわゆる定数崩しによって正規教員定数を複数の非常勤講師に換算、分割する新制度は、経費節約等のため乱用されるおそれがあります。非常勤講師は、教職員集団の一員として教育活動を担っておりますが、総じて身分不安定、待遇は劣悪、差別的で、教員採用試験の受験勉強にも追われ、正規教員のような研修の機会もないなど、教職に十分に専念することが困難な状態であります。
 本来、教育に臨時はあってはならないものであります。就職難のもとで非常勤講師の希望者は不足しないでしょうが、その乱用は若い教員の使い捨てになり、将来の教職の土台を掘り崩すことになりかねません。非常勤講師の当面大幅な待遇改善とともに、正規採用の拡大、正規任用化などが必要だと思います。
 第五の問題は、この教職員定数の改善に教職員のオーバーワークや多忙、過労状況の改善措置を欠き、超過勤務や授業時間の軽減、権利行使などが考慮されていないことであります。
 神戸小学生殺害事件の直後、NHKが全国の教師の緊急アンケートとして、有効回答九百七十七人の結果を放映しました。九七年七月二十六日の「教育トゥデイ」でありますが、あなたは今本当にやりたい教育、納得のいく教育ができていますかという質問に対して、はいはわずか一一%でいいえが七九%でありました。八割の教師は力量が発揮されていないのです。そのいいえの理由は、ゆとりのない多忙、カリキュラムが多い、クラスの人数が多いでした。定年までもたないという教師がふえ、中途退職者の割合は九七年三月、京都府の場合で小学校七七・五、中学校六九・八%で、七、八割に上ります。教師の勤務実態を正確に調査し、その条件を抜本的に改善するという観点から教職員定数の見直しをすることが必要と思います。
 第六は、教職員定数の改善に学級や授業を担当しない、または担当の少ない教員の定数や職務の見直しがなく、教頭複数配置のような、それを拡大するような措置になっていることであります。
 最後に、四会派の提案は、公立小中学校三十人学級を十年間で完全実施することを骨格としており、基本的に賛成いたします。
 私は、二十一世紀を展望して、当面、国公私立学校の小中学校、高校の三十人学級、続いて二十五人学級、標準二十人程度を実現すべきものと考えますので、その一過程として評価いたします。三十一人以上の学級の割合は、小学校で四八・五%、中学校で八〇・六%です、資料によりますと。三十一人以上の学級の平均数を三十四人と仮定しますと、そこに在籍する児童生徒数とその割合はそれぞれ四百四十三万人、六二・七%、三百二十七万人、九六・五%という膨大な人数ですし、高校ではほとんどが三十一人学級であります。今回の措置はこの実態を放置したことになります。
 教育基本法は、個人の尊厳、人格の完成を教育目的の根幹に据えまして、そのための教育条件整備を政府の責務として規定しております。一人一人の子供を人間として大切にし、それぞれの人間的可能性を最大限開花させることは、教育への権利の保障であるとともに、極端な少子化のもとで日本社会の将来の発展を左右する大きな課題だと思います。教育条件の根幹として学級規模の改善、二十人程度の少人数学級の実現が望まれるわけであります。
 公教育の対GNP比は、八一年度から九八年度の間に五・七七%から四・七六%に低下しております。九八年度のGNPが五百四兆円ですから、一年度だけでも五兆円が削減された計算です。その水準を幾らか復元すれば、三十人学級実現の経費、推定約一・五兆円程度は確保されます。
 また、国際比較で公教育費の対GDP比は、OECD二十九カ国中、日本はワースト二、最低から二番目で、OECD平均の七一%にとどまります。これはOECDのエデュケーション・アト・ア・グランス、教育一覧の二〇〇〇年版からでありますが、このように教育財政の立ちおくれが教育条件の深刻な停滞を招いていることは明らかであります。
 学級規模の推移に照らして、近年の少子化はその飛躍的改善の絶好のチャンスであったと思います。大型土木事業や銀行救済など約何十兆円もの公的資金が投入されるのに比べますと、一兆円程度を教育費に振り分けることは決して不可能ではなく、要は政策選択の問題だと思います。
 子供たちは私たちの未来であり、教育費は未来をつくる真に公共的な費用です。最高の公共事業とも言うべき教育に財政の重点を転換させ、国の総力を挙げて三十人学級達成を急ぐことは、日本の未来にかかわる重大な課題と考えます。
 政党会派を超えて、本委員会の議員各位が結束し、牽引車となって、三十人学級実現に向けて御奮闘くださることをお願いし、私の意見陳述といたします。
 ちょっと時間をオーバーいたしまして、大変失礼いたしました。
#8
○委員長(市川一朗君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 なお、各参考人にお願いを申し上げます。
 御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、恐縮でございますが、できるだけ簡潔におまとめいただきます。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#9
○亀井郁夫君 自由民主党の亀井でございます。
 きょうは、先生方にはお忙しい中おいでいただきまして、貴重な御意見をちょうだいいたしましたことを心からお礼申し上げたいと思います。
 私は、申すまでもなく、最近の学級崩壊等大変教育の現場が荒れているわけでございますけれども、そういう状況の中で、二十一世紀最初のこの国会で、教育国会として教育関係について幾つかの法案が出されておるわけでございまして、そういう意味では、この標準法は学校の先生の数を決める等、骨格を決める非常に重要な法案でもあるわけでございますけれども、これについていろいろとお話をちょうだいしたわけでございます。
 特に、今は四十人学級でございますけれども、これを三十人にすべきだ、二十五人にすべきだというお話がいろいろあったわけでございます。日本の場合、調べてみますと、確かに四十人を限度とするという形でございますけれども、実際に一学級当たりの生徒の数というのは、小学校では二十七人、中学では三十二人です。イギリスなんかでも二十七・六人ということで、そんなにむちゃくちゃに離れているものではありませんし、また教員一人当たりの児童生徒数を調べてみますと、日本の小学校では十九・二人、中学校では十六・四人、高校では十四・六人という形で、アメリカの小中の十八・六人あるいは中等学校の十四・二人、こういうのに比べましてもそう差がないわけでございます。
 そういう意味では、さらにまた今度生徒が減る分に見合う教師の減少を、減らさないでふやしていってやろうというのが今度の案でございますけれども、事実を考えますと、やっぱり先生の数ということもさることながら、指導体制がこれでいいのかということだろうと私は思うわけで、そういう意味では、今度は生活集団であるクラスと学習集団と分けて、それについて考えていこうということで、生活集団のクラスは四十名に置いても、学習集団については弾力的に編成していこうということで、そういう意味では二十人授業も実現しようという形で考えられているのが今回の法案だと思うんですけれども、こういう点についてお尋ねしたいと思うんです。
 私は、こういった問題以前にぜひ先生方にお尋ねしたいと思うのは、学校の教育風土の問題なんです。教育風土の問題について考えてみますと、戦後の教育で個人の尊厳ということが非常に大事にされたと。確かにこれは大事なことで、すばらしいことでありますけれども、反面、生徒と先生というのが平等ということで、先生に対する尊厳というものが、尊敬というものがなくなってしまったことに大きな問題があるんじゃないかなと私は思うわけでありまして、そういった教育風土がやはり学級崩壊等を招いているんじゃないかなという思いもするわけでございます。
 古いかもしれませんが、私たちは三歩下がって師の影を踏まずという形で先生は尊敬するものだといって教えられ、尊敬してまいりましたし、卒業式には仰げばとうとし我が師の恩という歌を歌ったんですが、最近ではそういう歌を歌う学校は全くないようでございます。
 また、よく教壇に立つと言いますけれども、先生が教壇に立って我々は教えてもらったんですが、今では先生と生徒が平等だという考え方なんでしょうね、教壇のある教室は全く見当たらないのが実態でございまして、そういう意味では先生が子供の目で視線を低くして見られるということは非常に大事なことではございますけれども、しかし教える立場、教えられる立場、それぞれの立場をしっかり先生も子供も理解し合って、そして教える人の心、教えられる人の心というものを見詰めていく、そこの中で結ばれた現場というものができていかなきゃいけないんじゃないかと思うんですけれども、そういう意味では教育風土が非常に問題だろうと思うんですね。
 もう一つ教育風土の問題については、学校の現場では先生方は、新米の先生でもベテランの先生でも平等だということでお互いに上下関係はない、もちろん権力関係の上下関係はないんですが、それ以外の方の非権力的な関係についても上下関係はなくて、そういう意味では主任制ももちろん定着しておりませんし、非管理組織となってしまっているという状況の中で、先生は自分の担任のクラスに閉じこもって、そこで王国を築きやすくなっているという、これも実態ですし、先生が相互に研さんし合うというふうな場面もなかなか少なくなってきておるわけでございますけれども、そういう意味ではこうした教育風土を変えなきゃならぬのじゃないかなと。もちろん、数を減すことも大事なんですけれども、それ以上にそういうことが私は大事ではないかなと思うんです。
 きょうは教育学部の先生がお二人と評論家の先生がおられますので、こういう教育風土の問題についてちょっとお教えいただければと思うんですが、ひとつよろしくお願いいたします。
#10
○参考人(天笠茂君) 私、教育学関係の幾つかの学会に属しておりますけれども、その一つに教育経営学会という学会があります。そこでは、今のお話のようなことについて関心を持った、制度ですとか経営ですとか、そういう研究者グループがおりまして、そこの一つの関心事が、今教育風土とおっしゃいましたけれども、組織文化という言葉で、学校の中のまさに風土ですとか先生方の規範意識ですとか価値観ですとか、あるいは行動様式ですとか、そういうものを突き詰めていこうという、こんな関心を持った集団がおります。
 その中で、組織というのは御承知のようにいろんな仕組みですとか、そういう紙の上で書くこともできる側面もありますけれども、もう一つはそこの先生方を動かしているいわゆる組織文化、教育風土の重要性というのがありまして、そのところをどうつくっていくのか、どう動かしていくのかということが大きなテーマになっていて、どちらかというと、これまでずっとそのあたりのところは温存したような形でここまで来て、改めてこれからの教育を考えるときには、仕組みもさることながら、そういった教育組織文化、教育風土のあり方、それをいわゆる開かれたとか外へ向けてとかという、そういう言葉で新しい姿をつくり出していくべきではないか、こういう意見がありまして、私は基本的にその考え方に賛同している一人であります。
 以上です。
#11
○参考人(長谷川孝君) 先生への尊敬ということなんですが、制度として先に先生を尊敬しなさいということは成り立たないと思います。
 今お話を伺いながら僕がぽっと思い浮かべた言葉は同行という言葉ですが、同行というのは、弘法大師が同行二人というときのあの同行ですね。きちんと同行してくれる先生は、子供はわかります。同行してくれている先生を尊敬しない子供はいないと思います。何か頭から制度として尊敬しろと言ってもそれは無理なことで、やっぱり先生たちがいかに子供たちと一緒にいられるか、子供たちの声を、また心の叫びをきちんと聞き取れるかという条件ができてくる中で先生を尊敬するということが出てくるんだろうというふうに思います。
 それから、最初に学級崩壊という話がありましたが、学級崩壊も何か子供のせいと先生の力量のせいに全部されていますけれども、先日僕は、昨年度学級崩壊したという学年の子たちに授業をしてきたんですが、はきはきととってもすばらしい子たちでした。つまり、あのすばらしい子たちを反乱させるものは何かということを考えないと学級崩壊を見る見方がちょっと間違ってくるんじゃないかなというふうに僕は思います。
 そういう意味でも、学級定員を減らす、それから先生と子供がもっと人間対人間でかかわれるようにするという条件をつくっていくことが必要だし、子供たちが望んでいることじゃないかなというふうに私は考えております。
 以上です。
#12
○参考人(三輪定宣君) 子供の心を本当によく理解してくれる先生に対して、子供たちも尊敬し、あるいは信頼をするのだと思います。子供と教師の心の溝が今開いているかもしれません。それだけに、一層そういう実践、取り組みが必要なのではないかと思います。また、子供たちを本当に大事にしてくれる先生に対して、父母もまた尊敬をするんだろうと思います。
 今、それを困難にすることの一つとして、チームワークが非常に難しい、連帯が難しいということがあると思います。一九六〇年ころ、四十年ほど前には、教職員組合もほとんど一〇〇%でした。ところが、現在では五〇%程度に下がっておりますし、教職員同士がお互いに協力をするという環境が学校の中で失われているのではないか。そのことが、一人一人の子供に対してもばらばらな教育をやったりちぐはぐな方針で臨んだりということがあって、子供からも父母からも次第に離れていっているというふうな気がいたします。
 また、もう一つは、やはり教職員が非常に多忙で、なかなか十分に子供と触れ合ったり父母と話し合ったり、あるいは研修をしたりという条件が足りないように思います。その部分をもっとゆとりが持てるように改善をしていくということが、教職員のすぐれた可能性を発揮させる大変大事な行政側の、政府の側のやはりサポートのあり方だというふうに思います。
#13
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 それでは、時間もございませんので一点だけ長谷川先生にちょっとお尋ねしたいと思うんですけれども、先生はクラスの人間を減すことが、数を減すことが大事だと、確かに減った方がいいだろうと思うんですけれども。
 ただ、野党案では十年間で三十人学級にするということで、これには約十九万人の先生を採用しなきゃいけない、その費用は国費四兆四千億、地方四兆四千億です。大変な金がかかるわけでありますが、そうした中で政府案というのは、現在の数を維持していく、結果的には二万六千九百人の数をふやすことになるんですけれども、そういう形の中でやりながら二十人授業を実現していこうという形で、できるだけ子供たちに合った格好で先生のやり方というものを、授業のやり方というものを変えていくことによって、子供たちとの接点をふやし子供たちの要求も満たしていこうという考え方で、これ基本的に成っているわけですね。だから、クラス編制等についてもかなり弾力的にできるような形に今度法案はなっているんですけれども、こういうことについて、先生、どのようにお考えでしょうか。
#14
○参考人(長谷川孝君) 基本的に、クラスの人数を減らしていくという方向性をまず立てることが大事だと僕は思っています。
 先日もある親が、もう一人いれば学級が三つに割れる、何とかふやしてほしい、三つにしてほしいというふうに校長先生に話をしたら、実はねお母さん、一人ふえたために学級が一つふえると一年間に千五百万かかるんですよと言われて、だめだと言われたそうです。だけれども、千五百万というお金がそれほど大きいお金でしょうか。僕は、子供に投資するという意味ではもっとそこを思い切って考えていいんじゃないかと思っているんですけれども。
#15
○亀井郁夫君 今の点で、ちょっと誤解されている点があるように思いました。
#16
○石田美栄君 民主党・新緑風会の石田美栄でございます。参考人の方々に質問させていただきます。
 まず天笠参考人なんですが、私も民主党におりまして、三十人学級についてはもう今度で三度目の提案をさせていただいている立場なので、ちょっと最初に誤解を解いておきたいと思います。
 一律の引き下げを提案しているということで、学級担任制のシステムについて、これを維持していく立場に立っての提案というふうなことを言われていますけれども、私たちが提案していますのは標準を三十人で教員を配置するということであって、弾力的な運用というのは最も主張しているところですし、さまざまなクラスの形態、そういうことも含めての案でございますので、その点の誤解はまず解いておいていただきたいというふうに思います。
 先生のお話の中で、確かに学者でいらっしゃいますから机上の話としてはもう全部そのとおりで、私も賛成ですし、教育の分権、都道府県の裁量を認めるという、こういう方向もいいことでありますし、いわゆる学級担任制から学習集団ですか、こういう今回の政府案の方にかかわることですけれども、一つ一つの、このペーパーを読ませていただいても、お話を聞いても全く賛成なんですが、問題は、現実がそうなっていないというところに非常に問題があるわけで、その点についてお伺いしたいと思うのです。
 「必要に応じて自由に学習集団を編成できる方向」とか、それから「見合う条件整備をめざすところに政府案の特徴が認められる。」と、「学習集団を弾力的に編成し、多様な教育活動を展開することによって」と、幾つか言葉を使わせていただくと、現実が本当にそうできるようになっているのだったら非常にいいのですが、先ほどからも議論にありますように、三十人クラスを基本にいろんな運用をしていくという案では十九万人も先生をふやさなくちゃいけない、お金が一兆円もかかるという話が出ていて、それはできない。だけれども、今、政府案のように来年度は二十二億円で四千五百人先生をふやして、そして二十人のクラスが実現するという、こんな夢みたいなことが実現するわけがないので、こういうところについて天笠先生はどのように認識していらっしゃいますでしょうか。
#17
○参考人(天笠茂君) 今二つ御質問があったかというふうに私は受けとめましたけれども、一つは、そういう柔軟な学習集団の編成が本当に現実に即してのものなのかという御質問と、もう一つは二十人のサイズというんでしょうか、それをどんなふうに考えるのかという、これがあったかと思うんです。
 後の方についてなんですけれども、二十人学級ではなくて二十人を一つの規模とする学習、例えば算数ですとか理科ですとか、そういう教科の授業を行うに際して二十人の子供のサイズというんでしょうか、ということで行うというふうに私は学習集団というのを理解しております。ですから、常に二十人が固定的にというふうなことではなくて、教科の内容ですとか単元に応じて適宜二十人のサイズのものも生まれるというふうに理解したいと思います。
 それから、一点目についてなんですけれども、果たしてそういうふうに学習集団と学級とが適宜うまくいくかということについてなんですけれども、私はこんなふうに理解しております。
 これまで行ってきた第六次の定数改善の一つの柱に先ほど申し上げましたようにチームティーチングということがあったかと思うんですけれども、この導入の当初は、さすがに学校現場も非常に戸惑いがあったりですとか、先生方お一人お一人に戸惑いがあった。言うならば、長く学級担任制でやってきましたから。
 ということですけれども、私が見ていますと、大分そのあたりのところに学校も手なれてきたというんでしょうか、TTを自分ものにかなりしてきているんじゃないか。それは、ただ単に先生方だけじゃなくて、子供たちも、TTによって授業を進めていくやり方というのを子供が習熟するようになってきているというのが一つ注目すべき点ではないかと思います。言うならば、子供が一つの学級に入って一日ずっといすに座って授業を受けるというスタイルから、必要に応じて適宜教室を越えていったりですとか、そこで学習をつくっていったりと、こういう姿というのが随分TTの導入によって見えるようになってきたわけです。
 ですから、そういう点では私は、今回の第七次というのは第六次をさらに充実させるものの一つの取り組みとして提案されているんではないか、こんな理解の仕方をしております。ですから、そういう点では、全くそれによってできないものが提案されているんではないかというふうには私は理解はしておりませんです。
#18
○石田美栄君 天笠参考人と私とが議論ばかりしても本当はいけないんですが、参考人のおっしゃっていること、全く異論はございません。しかし、現実にそれだけの先生が配置されていないんですね。というのが、先ほど平均の話も出ましたけれども、確かに子供たちが非常に少ない学校、過疎地とかそういうところというのはもっと合併して、ある集団がないと子供たちにも不幸だというふうに思います。
 だから、平均を言うと、私なんか頭にあるのは、自分の地域、実際今孫が四年生ですけれども、小学校に入ったときから三十九人から四十人のクラスが四つ、五つとあって、中学の入学式や卒業式に行きますと、私の地域では、卒業式、八クラスから九クラスあって、それが全部三十九人から四十人のクラスで、一人の先生がわっと連れて出ていく。
 それを見ていて、じゃこの春、今回の改正でどれだけの変化が起こるかというと、恐らく、岡山県なんですが、中学一年生に集中しますから、小学校なんかは何ら現実は変わらないと思いますし、中学に一人先生が多く来たとしても、現実はそうならないということが頭にしっかりあるものですから、例えば天笠参考人がおっしゃっている、総合学習の時間の実施に当たって校内のさまざまなスタッフの参加協力が、これも非常にいいことだと思う。例えば、図書館を使う授業を考えますと、じゃ図書館に学校司書がいるかというと、いないわけですね。だから、現実に何にもできない。それから、養護の先生も、小学校で四学級あるとすれば、四、六、二十四学級あって、総合学習をやって養護の先生が一人はいて、本当にかかわることはいいことなんですが、それだけの人員がいない現実があるということが頭にあるものですからこういう議論をさせていただいているわけです。
 ですから、先ほどから教育効果の話も随分出るんですが、私はいつも思うんですが、調査研究はいろいろあるわけですね。私も教員経験三十年以上ありますから、英語の授業なんというのは人数が少ないほど学習効果が上がるのはもう当然です。一対一ですればどんな子だって英語ができるようにしてあげることはできるという実感もあるのに、実体験もあるのに、加えてそういうデータもある程度あるのに、この国は、事公共事業なんかについては、どうですか、どれだけの調査があって効果があってそれをやっているか。結果としてはむだなもの、失敗がいっぱいあって、それに物すごいお金をかけているわけですね。ところが、教育となってくるとどうしてみんな、教育者も含めて、教育効果が確実でない、明確でない、政府も含めて、どうしてこんなにこのことだけ明確性を求めるのか。少人数でいろんな問題ありなら、私はそのことに非常に憤りというか、感じております。そういう点についても、天笠参考人に集中していけないんですが、御意見を伺いたいと思います。
 それから、小学校の低学年ですね。特に一年生とかいうところは学級担任制とこの教科学習集団、そういうあたりのことは小学校一年生と中学生なんか一律には言えないと思うんですけれども、ちょっと質問がはっきりしませんが、やっぱり教育に非常に影響力の多いお立場にいらっしゃいますので、少し御意見を伺いたいと思います。
#19
○参考人(天笠茂君) 今のお話の中に小規模の学校というふうなことも少し触れていたかと思うんですけれども、確かにTTの学校対応を見ていますと、一定の規模を持った学校が先ほど申し上げたような動きがかなり出てきたんですけれども、ところが大変小さな規模あたりのところというのは、そういう規模の学校に比べると動きが鈍いかなというふうに私も理解しております。そういう点では、これからそういう規模の小さな学校がどういうふうに内部組織をより活力あるような形で出していくのかということについては課題があるのではないかと、そんなふうに思っております。
 以上です。
#20
○石田美栄君 そうですね、今の財政的なことについては参考人の先生方に余り議論を吹っかけても、そういうお立場にいらっしゃらないわけで無理かと思いますが。
 次、長谷川参考人にお伺いいたします。
 総合学習とそれからクラス規模、今の教職員の配置、定数の現状とで問題提起されましたけれども、これから奉仕活動といったものも入ってまいります。私も子供たちを、総合学習もそうですが、学校外に連れて出るということになると、今のような学校の現状、特に大規模の子供の多い学校では先生は一体どうするんだろうというふうに思います、準備を。私も学生を外に連れて出るときには非常に準備が大変ですし、そのことの調査、企画、いろんな安全も含めて考えなくちゃいけない。特に奉仕活動なんかもう入ってまいります。そういう点で、今までの現場での調査等々を含めてもう少し御意見を伺えたらと思います。
#21
○参考人(長谷川孝君) 総合学習、僕が取材した幾つかの場合でいえば、学級の座席表に近いものですけれども、全部の個人について、この子は今どういう課題をやっていて、どこで困っていて、どこでつまずいていてとか、何を思っていてとかということを一人一人全員、座席表のような形でつくっている学校が幾つかありました。これ、大変な作業ですね。
 ある学校で学校長が、今まではまとめてバスでばっとどこかへ連れていっていたのを、子供たちが自宅からじかに社会見学の場所までグループで行くようにしようじゃないかと提案したら、先生方全員が反対しました。要するに、責任が持てないと言うんですね。校長が説得して、私が責任を持つと言って実施しました。グループで行った子供たちは先生たちがびっくりするぐらいきちんとできていました。
 これはやっぱり人数が多いと、どうしても先生たちはちょっと待ってくれと言うようになっていくだろうなという気がしますね。もちろん、グループに分けるわけですから、子供たちに安心して任せて大丈夫なんですけれども、先生たちが子供たちに任せて大丈夫だよというふうな気持ちになれる環境があるかどうかということも僕はすごく大きいんだろうと思います。
 そういう意味で、日常的に子供たちと先生とがもっと密に関係をつくれるような、そういう環境をつくってやらないと、総合的学習というのは失敗しかねないというふうに僕は心配しています。多くの学校で何かそういうおそれを感じさせる現実があるような気がします。
 そんなことでよろしいでしょうか。
#22
○松あきら君 本日は三人の先生方、本当にお忙しいところをありがとうございます。
 公明党の松あきらでございます。
 私も基本的には子供たちの人数が多いよりは少ない方がいいという個人的な意見を持っております。やはり、一人一人の生徒に目を向けることが非常に大事であるという意見を持っております。
 しかし、今までこの四十人学級ということである程度固定化をされておりました。今回のこの法案の大きな特徴は本当に弾力化なんですね。これを認めたということが非常に大きいというふうに思っております。今までは都道府県の裁量というのを本当に認めていなかったというか、文部省はそうではないと言うかもしれませんけれども、現実的には認めないと。これを今回は下回る数を基準として、その基準を定めることを可能としている、地方分権の精神を生かしているという、私は大きな特徴があるというふうに思います。もちろん、石田先生もおっしゃったような現実はあるかと思いますけれども、私はまずこれを文部省が打ち出したということは非常に大きな画期的なことではないかというふうに思っている次第でございます。
 今、先生は、もちろん皆さん努力をしてくださっておりますけれども、問題の教師も多いというふうに指摘をされているところでございます。昨今、新聞などでも随分取り上げられておりますけれども、特に四十代、五十代、大体平均すると教師になって十年くらいたつと一つの壁があるのではないか、こういうふうに言われているそうでございます。
 これは、新卒で教師になると、もうそこで先生という地位があって、そして普通の学生ですと、新卒で就職をしますと、そこから自分の能力なりいろいろなところで評価を受けて、だんだん自分の地位が上がっていったり、あるいは年収が上がっていったりと、さまざまなことが起こってくるわけですけれども、先生は大変な御努力を強いられるにもかかわらず、例えば十年たって先生というその地位は変わらず、あるいは年収ということをとってもそれほどのあれはない。一生懸命やっていらっしゃる先生、あるいはもしかして自分よりは努力していないと思われる先生でも評価が余り変わらないのではないか。このようなところで、十年ぐらいたつとさまざまなそういう諸問題にぶち当たってくるのではないかな。そこで、やる気がある先生もだんだんやる気がなくなってきてしまったりする、こういう問題が起きるのかなというふうに思うわけでございます。
 例えば、アメリカの大学などでは、これは全大学学生が評価を全部つけております。東京都などでも勤務評定制度を五段階で実施しているわけでございますけれども、この先生の評価という点につきまして、三人の参考人の先生に御感想を伺いたいと思います。
#23
○参考人(天笠茂君) 今のお話に直接お答えできるかどうかわかりませんけれども、とかく先生方に対するお話のような周囲の目というのは非常に厳しいものがあって、そして先生方に対する今のような評価というんでしょうか、それをよりシビアにしていこうという主張、またその具体的な動きというのがあるかと思います。それは社会全体のそういう一つの考え方、見方のあらわれというふうな受けとめ方が一方においてできるかと思うんです。また、それなりに受けとめていかなければいけない点というのは私はあるかと思っております。
 それと同時に、もう一つは、先生方の今の教職員集団に占める割合というのは、四十代、五十代の先生方の占める割合というのはかなり大きいわけで、この先生方にやはりその気になってお仕事をしていただくということもまた非常に大切なことではないかというふうに思っております。そういう点では、四十代の先生、五十代の先生が、今いろいろ言われているけれども、さらにやる気になっていく、やっていただくというふうな手当て、手だてということとあわせて考えていく必要が私はあるのではないかというふうに思っております。
 そういう側面がないと、シビアな形だけでさあやれこうやれというふうな形で詰めていくというやり方は必ずしも私は適切ではないんじゃないか、そういうふうに思っております。ですから、そういう意味では、両面があっての迫り方というのは必要ではないかとこんなふうに考えます。
 以上です。
#24
○参考人(長谷川孝君) 先生の評価ということですが、地域に開かれた学校をつくるという中で工夫していかないといけないなというふうには思っています。それから、子供たちによる評価ということも当然その中でもって考えられていいことだと思います。
 ただ、実際にいろんな先生とつき合ってみますと、いい先生だなと思う先生というのは十分に子供の評価にさらされていると思います。もっと言えば、子供たちに励まされたり育てられたりしてきた先生が実はいい先生なんですよね。そういう意味では、先生というのはシステム的な評価の前に実は子供たちの評価にさらされている、そのことが甘受できる、受けとめることができる先生というのはいい先生に育っていくんだと思います。
 そのときに、実は職場というのがとても大事で、一九八〇年代ごろから職場ががたがたになったと思います。先生たちが協力して助け合っていく体制というのが職場にないと先生たちは育たないということがあると思いますし、組織的な評価ということだけでもって論じてはいけないかなというふうには思っています。
#25
○参考人(三輪定宣君) 私は、教育というのは非常に測定が困難だという特徴、本質を持っていると思います。それだけに、一番いいのは、やはり日常触れ合う子供たちとか親たちといろんな意見を聞きながら、それを日常の教育実践に生かし、自分の足りないところを反省したり高めていくという関係が豊かに保障されることが一番重要ではないかと思います。
 これに対して、行政当局が上から一方的に教員評価をやりますと、どうしても先生の間に上中下というふうなランクをつけてせっかくの教師の集団をばらばらにし、そして競争を持ち込んで、上に向かって一生懸命努力するというふうな形になってしまいますので、そうすると先生の目も自然と、子供よりは、父母よりは、上を見るということになって、相互の溝がだんだん深まっていくんではないかというふうに思います。
 ですから、本当に豊かな子供と教師の触れ合いが大事にできるような、自由で自主的な権限をもっと教師が行使できるように、そして仲間や父母とも共同で仕事ができるように、そしてそういうことができるような教育条件を、勤務条件を整備するということが大事で、私は、四十人を三十人に下げるというのは、そういう意味の教師の勤務条件を抜本的に変えると、そして本当に対話をしながら、子供たちの評価を受けとめながら実践ができるような仕組みづくりにつながっていくのではないかというふうに思います。
#26
○松あきら君 三輪先生にお尋ねいたしますけれども、八〇%の先生が雑用が多いから力が発揮できないというふうに先ほどおっしゃっておられたと思います。やはり勤務実態を調査すべきというふうにおっしゃっておりましたけれども、四十人でなくて三十人学級であればどの程度それが解消されるというふうにお思いでしょうか。
#27
○参考人(三輪定宣君) そうですね、やはり先生一人当たりの子供の人数が減ります。そうしますと、当然それだけ一人当たりの指導時間がふえてまいります。そうすれば、そのことが学力、人格面での効果に確実につながっていきますから、一番明確なことではないかと思いますね。
 だから、定量的には簡単には申せませんけれども、四十が三十になるということは、その分だけやはり先生たちの負担が軽減をされて、教育に専念できる条件がそれだけ広がるんだというふうに考えていただいてよろしいと思います。これについてのいろんな基礎的な調査がございますが、ちょっと時間の関係で紹介をすることは省きますけれども。
#28
○松あきら君 授業時間と教科内容を削減することが日本の子供たちの学力を低下させるかもしれない、こういう心配もあるわけでございます。
 今、学ぶ力を育てることが大切だと長谷川先生もおっしゃいましたけれども、この学ぶ力が弱くなっているのかなというのは、例えば反復学習が足りないというのも言われているんですね。つまり、家で漢字とか計算問題を復習させても、なかなか子供たちが理解していないので詰まることが多いと、こういう親御さんの指摘もあるわけでございます。この学ぶ力、学び上手、こういうふうにするためにはどうしたらいいか、あるいは削減するということに対して、お三人の先生一言ずつ、時間がないんですけれども、御意見を伺いたいと思います。
#29
○参考人(天笠茂君) 今の中にあった反復するというのは、いわゆるスリー・アールズというふうに言われてきている部分にかなり重なるんではないかと、読み、書き、そろばんという部分だと思うんですけれども、私はこの点については、学校の持っている力というのを信じております。もう学校にはさまざまなノウハウがありますし、それなりにこれまでも取り組んできたというふうに思います。確かに現在のいろんな教育論調の中ではそちらの方に光が当たっていないところもあったかと思うんですが、この間の、そのあたりのところはもう一度改めてその面についての適切な対応ということを学校に求めたと思いますので、先生方はしっかりとそれを受けとめるということを私はされるんではないかと、そんなふうに思っております。
 その上で、私は、今子供たちが抱えている課題というのはここの部分ではないんじゃないか、もっといわゆる生きる力とか生活する力とか、こういうところが相まって反復するその部分というのが意味があるわけで、ですからそういう生きる力というのを切り離された形で反復練習を積み重ねるということだけでは、今子供たちが抱えているあるいは学校が抱えている課題に迫れないんではないかと、こんなふうに認識しております。
 以上です。
#30
○参考人(長谷川孝君) まず反復のことですが、確かに反復も必要な部分があるかもしれませんけれども、実は今問われているのは、それは例えば反復して身につけた知識や技能を活用できる力があるかどうかだと思うんです。それが落ちているというふうに言えるんじゃないかなと思います。
 それからもう一つは、与えられた問いに答えるという形の学習は幾らやっても自主的な学習力は育たない。やっぱり自分の中に自分の問いを持つ、自分の問いに自分で答えを探していく、また自問自答できるということがとても大事で、これは実は時間がかかる。そういう意味でも、学校がゆったりしてこないと無理だなという気がしています。
#31
○参考人(三輪定宣君) やはり学ぶ力が身につくには、わからないところを丁寧に教えてもらうというその条件が決定的に必要で、わかることによってますます意欲が燃えてくるわけですね。そういう意味では、少人数の集団の中で初めて子供たちは本当に学ぶ喜びが実感できるようになっていくのではないかと思います。
 また、受け身で学ぶのではなくて、仲間とともに話し合ったり、人の意見を聞いたりしながら力をつけていくというのも、これからの時代の学力の質の問題として、演習形式のあるいはグループ学習とか、そういうものをどんどん取り入れていく必要があるのではないかと思います。
#32
○松あきら君 私はかねてより学校半日制というのを提唱しておりまして、日本の今の学校ではなかなか小学校の低学年ぐらいしか無理かもしれないんですけれども、ドイツなどでは小中高というふうにやっておりまして、ただ、今ドイツなどでは反対に全日制に少しシフトをしている、それも全体の言ってみれば五%以下ぐらいなんですけれども、そういうふうになっているわけでございます。
 要するに、生きる力というものを身につけるためには、学校の知識だけではなくて、そういったいろいろさまざまな体験から学んでいかれる、これについて天笠先生。
#33
○参考人(天笠茂君) 私は、総合的学習の時間をしっかりしている学校は学力も上がっていくんではないかと、そういうふうに考えて現場と対応していきたいと、そういう形で先生方と実際に御一緒させてもらっています。
 それは学ぶ力というんでしょうか、あるいは学んでいること、あるいは得た知識をどう体験等々を通して実際の生活につなげていくのか、そういうことを通して実際に力を身につけていくという意味で、基礎的なものと体験的なものとをつなぎ合わせる、そういう教育活動が必要ではないかと、こんなふうに思います。
#34
○松あきら君 ありがとうございました。
#35
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。
 三人の参考人の方々、本当にありがとうございます。
 まず初めに、三輪先生にお伺いをいたします。
 政府案につきまして、学級編制をめぐる自治体への影響はどのように予想されるんでしょうか。
#36
○参考人(三輪定宣君) 千葉県議会が、先ほど申しましたように、九九年三月に全会一致で二十五人学級を決議したのですが、県の教育委員会の方は、文部科学省のこれそのままの文章ですが、少人数学級検討会議という中間まとめ、一月三十一日のもので、県単独で一律に学級編制基準を引き下げることについては望ましくないという、そういう文言を引用しまして、現行の編制基準を維持すると述べておられます。このような形で、一面では弾力的に、裁量でと言いながらも、一方ではそういう行政指導の中でそれが規制をされるという問題が、財政力とは別の問題としてあるいはあろうかと思います。また、県民の要求にこたえて県議会が二十五人学級を求めたんですが、そういう意味での乖離が非常に目立って、板挟みになっていくんだろうと思います。
 また、そこで提起されている資料の中では、クラスはどれくらいの人数がよろしいですかという、これは千百六十人の子供たちに対する調査会議のアンケートなんですが、子供たちは三十人くらい以下が七八・〇%、それに対して先生が二人で教える授業というものに賛成は二七・三%、そして二十人ぐらいで受ける授業、これも三八・六%で、小中学生が三十人以下の学級を八割も求めていると。チームティーチングや少人数授業は、子供たちの声としては三、四割以下だと。こういう子供たちの声とずれがあるわけです。そういうずれがどんどん大きくなっていく。
 ことし、浦安市は六十人の少人数教育推進教員というものを市単独で雇って各校に三名ずつ配置したんですが、こういう住民の要求にこたえられるのは、浦安のように財政力指数が一・三六、九十数%が一以下で、全国トップクラスなんですね。ディズニーランドのような観光施設を持ったり、あるいは比較的高所得者が住んでいる町だからこそできる。
 ですから、なかなかそういうことが、ただやってごらんなさいと言われてもできない、板挟みの現状に自治体は置かれるんだというふうに思います。
#37
○畑野君枝君 あわせまして、政府の案では少人数授業ということで生活集団と学習集団を分離する、クラスを解体して行うという問題について三輪先生お話しになりました。学級崩壊の問題など含めて先ほどお話がございましたが、もう少し詳しく学校の現場の実態など含めてお話しいただけないでしょうか。
#38
○参考人(三輪定宣君) 先ほど紹介しました民主教育研究所の調査で、教師や父母や子供たちに学級のイメージを聞いているんです。それに対して、学級を仲間、友達をつくるところというとらえ方が非常に高いんですね。特に子供は高い。それからもう一つは勉強するところ、両面からとらえている。生活集団と学習集団、子供はもう統一的にとらえているわけです。
 そもそも人格と学力の形成というのは一体的なものでして、分けられません。やはり仲間と一緒に勉強し、互いに学び合い、そして人間的にも成長できるのが本物の勉強で、これはまた塾とも違うところじゃないかというふうに思うわけです。ですから、その両者を分けるということ自体やっぱり基本的に問題があると思います。
 また、そもそも土台である生活集団が余りにも大き過ぎるわけですね。四十人という学級を生活集団にしておいて、そこのところの人間関係とかあるいは生活指導面での困難をそのままにしておいて学習集団を分けても、これは決して発展的なものにならないと思います。
 その調査でも、学級規模を縮小することの生活指導への影響という質問がありまして、例えば子供の名前を覚えるとか人格や個性を把握できるとか、会話がふえる、気持ちを理解しやすくする、あるいはしやすくなる、コミュニケーションが密接になる、学級での人間関係が円滑になる、こういう項目をずっと並べて、それについての効果を教師、父母に聞いているんですが、いずれの項目も九割から十割近い肯定率なんです。ですから、生活集団が生活集団として成り立つためにはそこのところをもっと小さくしなくちゃいけないと。分離よりもそこを小さくすることが先決だということで、特に子供とのコミュニケーションでは、教師、父母とも七割が二十五人以下学級を求めているということがここでも出ております。
#39
○畑野君枝君 非常勤講師をいわゆる定数崩しによって数を拡大するという問題についても三輪先生お話しになりました。特に、学校現場への影響、それから教員採用や教員養成の影響ということについて、もう少し具体的なお話を伺いたいと思います。
#40
○参考人(三輪定宣君) 私は、先ほど首都圏の地域での年齢構成のことを報告いたしましたが、これは首都圏以外でも大変深刻です。
 先日、富山大学教育学部の知人から学生の進路意識調査をまとめた論文が送られてきたんですが、それによりますと、二〇〇〇年の三月卒業の教員養成課程の学生百七十九人のうち、教員に就職できた者は十五人です。八・四%なんですよ。そして、未定の者が三月末なのに五〇・八%もいる。そして、そのうちの教員志望者が三四・六%であります。
 教育学部に入っても一〇%以下しか就職できないということが教員養成の効果としてどういう問題を生み出しているかということをちょっと申しますと、この論文では、入学時には教員志望者は八四・六%、八割以上が先生になりたいと思っていた。それが三年生の四月には六五・四%、四年の四月には五三・一%、そして卒業時には四六・九%というように半分に減ってしまうんですね。そして、実際に就職できた者が八・四%ということで、教員採用率が極端に低下をしています。これは決して千葉大学とか富山大学だけではなくて、全国平均が九九年三月で一四%しか正規に採用されていないから、決して例外的なことではないわけです。
 そうしますと、非常勤講師というのは結局教師になりたいですからだんだん二年、三年と積もっていくわけですが、なかなかそれができない。その間にいろんな仕事をしたりして、大事な時期にそうしたある種むだなことをやらざるを得ない。そして、結局は少数しか採れませんから、むだ、使い捨てみたいにしてしまうというようなことになりますと、こんなに大事な教職に挑戦する若者というものの一番基礎のところが崩れてしまうということを私は懸念するわけでございます。
 ユネスコの教員の地位と役割に関する勧告が九六年に出ておりますが、そこではユネスコの教育最優先の立場から最もすぐれた青年を教職に導くべきだという原則を出しているんですね。本当にこれから教育が大事です。一番すぐれた青年が教職に来てほしい、にもかかわらず実際に扱いはこういう措置なわけです。
 ですから、非常勤で入ってもやがてまたやめていきますから、なかなか現場で蓄積になっていかないわけですよ。そのことによって先生同士の間の力量の継承発展もできませんし、そういう意味では本当に日本の将来にとって大きな土台を崩しているようなことになっているんじゃないか。それを乱用するというのは私は決してやるべきではないというふうに思います。正規の安定した採用をして、じっくり勉強しながら将来伸びていく、そういう基盤を若い時代はつくってほしいというふうに思います。
#41
○委員長(市川一朗君) 畑野君枝君、極端に集中しないようお願いします。
#42
○畑野君枝君 はい、わかりました。
 天笠先生に伺いたいと思います。
 TTの問題でいろいろと研究されていらっしゃいます。一つの教室で二人の教師ということで授業されているところが多いということだと思いますけれども、このTTが授業以外、生活指導へのかかわり、この点についても先生いろいろと御提案されていると思うんですけれども、その点について伺いたいと思います。
#43
○参考人(天笠茂君) 私は、TTの導入は、学習指導面だけではなくて生徒指導面にもいい効果をもたらしているのではないかと、そんなふうに思っております。
 これまではどちらかというと、自分の学級で困難な子供だとその学級担任の先生が抱え込んでしまって、非常に何か困難な状況にならないとほかの先生に相談できないというところで、他の先生に相談したときにはもうどうにもならないというふうな、いわゆるこれが学級崩壊等々の問題に連なっていく部分だと思うんです。そういう学校の体制ですと学級崩壊が出てくるわけですけれども、その前の段階として、例えば隣の先生ですとかあるいは先輩の先生、同僚の先生に何げなく子供の指導について相談できる、あるいは一緒に協力してもらえるという、こういうふうな学校になっている場合に、破局的な状況まで進まないで、その前の段階で子供が救われたりですとか、学級も改善が図られたりですとか、こういうことというのがあるというふうに思います。
 ですから、そういう点ではTTが一つの呼び水になって、生徒指導面についての効果、あるいは学級経営が他の先生との連携を促していくという、そういう新しい状況をつくり出すのに私は意味のある、成果のある、そういうところがあるんではないかと、そんなふうに理解しております。
#44
○畑野君枝君 次に、長谷川先生に伺いたいと思います。
 先ほど先生が子供は一人一人意見を持った主権者だというふうにおっしゃっておりました。子供たちをどういうふうに見ていくのかというのがこれからますます大事になっていくと思うんですが、それでは学校では、子供それから教師、そして父母、保護者、そういう三者が大きく言えると思うんですが、それぞれどのような役割をこれから学校で担っていくのか。その点で、今後、政府案や野党案が出ているわけですけれども、どのようにお考えになっていらっしゃるか伺いたいと思います。
#45
○参考人(長谷川孝君) 先生の役割ということですか。
#46
○畑野君枝君 はい。先生の役割、それから父母の役割、位置づけ。
#47
○参考人(長谷川孝君) 先生の役割というのは、基本的にはコーディネーター的な部分がふえていかなければいけないと思っています。その中には地域とのかかわりを広げるとか、そういう役割も入ってきますし、子供の学習を方向づけていくような役割も入ってきますし、そういう意味でいうと、今までのように一方的に授業を教えるという形からは変わってくるだろうと。
 それから、親の役割ですけれども、これは親だけではなく地域の人も入れていいと思うんですが、今の子供たちというのは大人との出会いを極端に欠いています。特にきっちりと地域で仕事をして生活している大人との出会いを欠いています。そういう大人たちと子供がもっと出会えるようにしていくということが大変大事なことで、これは多分知識では補えない重要な要素だと思います。
 総合学習をやっている子たちは総合が大好きだという子が多いんですけれども、その理由を聞いてみると、三つになると思うんですね。
 一つは、自分でするなんです。自分でできるからうれしい、好きだと言います。
 二つ目は、みんなと一緒だと言います。学級でふだん一緒にいるはずなのに、総合でもって一緒ということを実感するんですね。ということは逆に言えば、ふだんのクラス、特に人数の多いクラスというのは一緒でばらばらなんです。だけれども、子供たちは総合学習の中でもって、自分でもって、ばらばらで一緒、つまり一人一人は全部違うけれども一緒だよということを実感するんですね。
 それから、三つ目が出会うです。これはクラスの仲間とも出会え直しますし、それから地域の人たちと出会える、それから地域の自然だとか文物だとか伝統だとかということに出会えるということも含めて出会うというのが要素です。それで、一緒と出会うの中には先生とも出会えています、出会い直しています。
 そういう意味で、それをやっぱり先生がどうコーディネートしていけるかということは大変大事なことですし、これは総合学習だけではなくて普通の教科の授業にもかかわってくることだと思います。
#48
○畑野君枝君 どうも三人の先生方、ありがとうございました。
#49
○日下部禧代子君 社会民主党の日下部禧代子でございます。
 きょうは、お三人の先生方の御意見、非常に興味深く拝聴させていただきました。ありがとうございました。
 まず天笠参考人にお尋ねしたいのでございますが、先生は明治以来の学校観を今変えるときであると。確かに私、学校観を変えるときであるという点に関しては全く異論のないところでございます。しかし、私の場合、なぜ転換すべきかということは、一つは学校の目的という点で、明治以来の学校の目的というのを変えるべきである。もう一つは教師と生徒の関係ということで、明治以来のあり方を変えるべきだというふうに思います。
 明治からの学校の目的というのは、いわばお手本主義といいましょうか、一つの国家の望む方向といいましょうか、一律的な国家目標に合うような価値観を涵養するというような目的があったと思います。そうしますと、当然授業の形というのも、大勢の子供たち、そして一人の先生がそれに対面するというような、いわゆるみんな一緒主義的な授業の形態というのもそれに非常に合っていたんじゃないかなと思います。教師と子供の関係というのも、やはり教えるということ、何かお手本を教えるということに目的を置いていたというふうに私思うんですね。
 しかし、これからはそうではなくて、やはり教育あるいは学校の目的というのは、子供たちがこれから長い人生、これは人生五十年の時代ではございません、人生八十年時代でございます。百年時代にもなろうかというときに、そしてまた国際化が進んでいる、さまざまな価値観がある、さまざまな人生の状況、そういうものに対応できるような、つまり自分でそのときに応じて考え判断できる、そういった子供たちであってほしいということが目的にならなきゃならないんだなというふうに思うんですね。
 そういたしますと、やはり教師が一方的に教え込むというのではない、そういう上下関係、お手本主義から脱皮するということ、そういった意味で私は明治以来の学校観というものは転換すべきであるというふうにとらえているわけでございます。
 この点、先生は非常にシステムの問題として、いわゆる学級担任制というそのシステムから変えていこうというふうになさっていらっしゃるわけでございますが、しかしながら、複数の教師がそれぞれ協力するという、そういう観点から見るとなるほどというふうに思うんですが、やはり子供の立場からすると、どの先生が本当に自分のことを真っ正面からとらえてくれているのかなと。この先生もいる、この先生もこの先生もいるという、そういうことになりますと、やはり非常にその責任といいましょうか、複数の教師がいるということは一見いいようでございますけれども、やはりある意味でどなたに相談していいのかもわからないというふうな、そういう問題も現実には起きてくるのではないかなというふうに思うんですね。一対一というのなら、それは結構です。
 例えば、大学なんかでも、欧米の大学のように一対一でチュートリアルとかスーパーバイズでやるという、そういうことなら別でございますが、何人かの先生がいるという形になると、ある意味では無責任体制ということにもなりかねないというふうに思うんですが、この点も含めていかがでございましょうか。
#50
○参考人(天笠茂君) 私は、レジュメにも書かせていただきましたように、明治以来の学級観とか学校観、それでやってきて、もうここもぎりぎりのところまで来ているんじゃないかという認識を持っておりまして、この学校のあり方というのを変えていかなければいけないんではないか、こういうふうに思っております。
 先ほどお話にありました明治のそれというのは、言うなら、国がつくって、そしてそれをおろしていくというふうなやり方で制度を整え、来たわけですけれども、あえてそれを言うならば、これからの学校というのは、地域がかなりその学校の帰趨を握るというんでしょうか、地域が支えていくということがこれからの学校のあり方として非常に重要なんではないかと。したがって、地域と学校とどういう関係がつくれるかということがこれからの学校にとって非常に重要なんではないかというふうに思っております。
 また、今御指摘のありました中で、いわゆるお手本主義とか、あるいは授業も教え込むという、それもまさに明治以来の一つの大きな特徴をなしている我が国の教育の姿ではないかというふうに思うんですけれども、私は、その一つの象徴が学級担任制という形をとっているのではないか、こういうふうに理解をしております。御異論もあるかと思いますけれども。
 そういう点で、学級担任制を改善していく、変えていくということが一つの窓口になるという、そんな理解の仕方をしておりまして、このあり方を変えていく一つの手だてとして、例えば隣の先生と一緒に協力していくという、もちろんこれまでも日本の先生はそういう形で努力をされてきたということもたくさんあるわけでして、全くそれぞれ教室で独立だったというふうには私も認識しておりませんけれども、ただ、どうしても壁が厚かったというふうなことというのはやっぱり否定できないんではないか。要するに、それぞれの教室でということだと思っております。
 そうしますと、そこから何が出てきたかというと、自分の教室の子供はそこでは理想の世界をつくろうとしているけれども、場合によっては隣がどうあろうと自分のところがという、こういう気持ちもまた出てきてしまうということがいわゆる学級王国意識というふうに言われたそれではないかと思います。ここのところをどう先生方が越えていけるかいけないかということが明治以来の学校改革の転換のやっぱりもう一つの柱になるのではないか。
 ですから、先ほど申し上げた地域からということと同時に、内部においては先生方が学級を越えてお互いに連帯感を、コミュニケーションをつくり出していく、そういうふうなことを学校の中に今働きかける、そういうインパクトというのが必要なんではないか、こんなふうに思っております。
 ですから、そういう点では、御指摘のありました教師の責任体制という意味では学級王国というのはいわゆるもろ刃の剣というんでしょうか、一方においてはそういう意味では責任を先生方は我がクラス、我が子供ということで負うわけですけれども、一方においてはそれは非常に閉鎖的になったりですとか、まさに学級の王国として君臨してしまう。ですから、そういう点ではプラスの面を強調しながらマイナス面を抑制していくという、そのやり方として先生方の連携、協力というところをどうつくり出していくかということが一つのポイントになるんじゃないか、こんなふうに思っております。
 そういう点で、今回のこの政府案というのは、そのあたりのところを促そうとするそういうインパクトを私は持っているんではないか、こんなふうに理解して先ほど来申し上げさせていただいております。
 以上です。
#51
○日下部禧代子君 今の天笠先生の御主張に対しまして、長谷川先生、三輪先生、いわゆる学級担任制の問題点を天笠先生は御指摘なさっていらっしゃって、そしてそれがいわゆる明治以来の学校観を転換させる非常に重要な点であるというふうな御主張だというふうにお聞きしたわけでございますが、その学級担任制の問題点、教科指導の専門性の低下だとか学級間の格差だとか閉鎖的であるとか、そういう問題点を御指摘になりました。
 長谷川先生、三輪先生の御意見を承りたいと存じます。
#52
○参考人(長谷川孝君) 学級王国という問題があったことは間違いなく事実だと思いますけれども、学級の果たしている役割というのは大事なものだと思います。
 ただ、学級が例えば学級王国になってしまうという理由は、単に先生の資質とかだけではなくて、例えば今のような閉鎖式の教室単位でクラスをやっていればなりかねない。だけれども、これはオープンスペースのある校舎になったら学級王国になりようがないんですね。ですから、そういう側面からも考えていくべきじゃないかなと。つまり、教育の中身を変えようと思ったら、校舎等の設備だとか、そういうことも全部変えていかないと実は本当には変わり切れないんだという問題が僕はあると思います。さっきも言いましたけれども、例えば総合学習、総合的な学習というのを本当にやろうと思うんだったら、校舎は当然オープンスペースの校舎にどんどん変えていかないと先生の負担は大きくなるんだと思いますし、例えば教室と廊下を一体にして広々としたスペースがある、それがずっと並んでいる、そういう学校で考えると学級王国になるということはまずあり得ないと思いますね。
 それから、四十人という標準で学級をつくっているのをどうして例えば三十五人の標準に下げていくことができないんだろうかと。そうやって少しずつでも学級の人数を減らしていく、最大の人数を減らしていくということをやっていくと学級の持っている意味が変わってくると思います。
 先ほどから例えば二十人というお話もありましたけれども、最大で三十五、六人、適正というか、ベストでもって二十七、八人というあたりが、多分そこまで持ってこれれば学級の意味が変わってきて、例えば学級王国ではなくて学級共和国という形でもって取り組んできたクラスもいっぱいあるわけですよ。学級共和国になっていけば、それはそれで大変おもしろい取り組みができます。ただ、学級共和国というものをつくっていくためには、やっぱり多いと大変なんですよね、三十人前後ぐらいまで下げていかないとなかなかそういう取り組みはできない。
 もっと学校の中に自治ということを植えつけていかないと、子供たちが自治能力を育てることができない。現状を見ていると、戦後五十年の学校教育というのが子供たちの中にどれだけ自治の力を育て得たかということは大変首をかしげる状況があると思います。現在の学校は、先生たちと話していると、もう今の学校では自治という言葉は死語だよと言う先生がいるほどの状態になっていると思います。
 ですから、学級がいいかどうかの問題ではむしろないんで、今の学級というのがどう機能できるようにするのか、子供にとっていい機能をする学級にするにはどうしたらいいかという発想を持たないといけないんじゃないかなと。特に小学校の場合には学級が大事だと思います。
 以上です。
#53
○参考人(三輪定宣君) 学級の持つ意義ですが、ある程度人間形成には一定の安定した継続的な教育集団あるいは教育関係が必要だと思います。
 人間が育つというのはそう簡単なことではなくて、家族が一貫して赤ちゃんのころから二十歳くらいまでずっと育てていくという意味で家庭の教育機能というのがあるわけですが、学校もそういう意味での、同じ先生に一年間とか二年間とか、小学校低学年であればクラス中心にしっかりと育って、その間にさまざまな人間的な関係を豊かにしていくということがないと、あらゆる知識や道徳等のコアになる人間そのものが形成できないんじゃないかと思うんです。
 シュタイナー学校というのは、御承知のように、八年間同じ先生がずっと担当するということ、その魅力がある意味で世界的に広がる要因になっています。ですから、そういう人間形成の根幹にかかわる問題ですから、ここは相当慎重に考えなくてはならないというふうに思います。
 私は、そういうシステムや形式の問題というより、学校全体がもっと協力して風通しのよい関係になって、そしてお互いに子供も教師も交流して、そしてみんなで一人一人の子供をかわいがる。学校だけではなくて地域にも開いて、もう学級王国じゃなくて学校王国になっていると思いますから、そういう部分を開いていくということが大事なのではないかというふうに思います。
 私は、四十人も詰め込まれていたら、これは学級王国というより学級収容所みたいになって、本当にいらいら状態で、こういうのが王国と言えるかどうか。もっとそこのところを本当に人間が形成できるような適正な集団にしていくということが必要だと思います。できれば学校全体が一人一人の子供とかかわれるような、そのくらいの適正な規模。WHO、世界保健機構が学校の規模は百人を上回らないということを原則として出していますよね。子供の精神的な健康などを考えると、学校規模は、学級じゃない、学校規模は百人を上回らないという原則を出していますけれども、本当にそういうふうに学校全体で、地域全体で子供を育てるようなそういう関係が、いろんな人が交流しながら子供を育てているという本来の状況をつくり出していく決定的に大事なポイントじゃないかというふうに思います。
#54
○日下部禧代子君 もう御質問ができませんので、今お三方の御意見をいただきまして、本当に一言で言えば大変いいお言葉をお二人からいただいたのでございますが、いわゆる学級王国から学級学校共和国へ、そして収容所からやはり共和国へというふうな形で我々も努力させていただきたいと思います。
 本当にありがとうございました。
#55
○高橋紀世子君 高橋紀世子でございます。
 私、ちょっと間違えまして、参考人の皆さんにお尋ねするところをどなたかお一人に決めて伺うと思ったものですから、準備がうまくいっておりませんが、長谷川参考人に伺うことに準備してありますので、お許しください。
 そして、先ほどのお話にありましたように、予算のことについてですが、やはり公共事業その他に大きな予算をとっているのですから、学校の教育の現場に少数のクラスをつくるのにどうしても予算がとれないなどという、そういうアンバランスなことは本当に何とかしていきたいと思います。
 それからもう一つ、長谷川参考人がおっしゃった先生方の評価なんですけれども、やはり児童や子供たちが評価をして、それに対して先生たちがその評価を受けて、それによってまた成長するんだと先ほどおっしゃいましたけれども、あの部分はとても感動的でしたし、それができる柔軟性のある先生方や教育界の方たちがふえたら日本の教育もどんどんよくなると思いました。
 それから、私は、規制緩和を推し進めることで教育制度の決定権を国から教育の現場に移すべきだと、それを強く考えている人間です。国が教育のあり方について指導する立場であり続ければ、学校の先生や教育を受ける子供たちは指導されていることを教育されることになると思うんです。そこから育った子供たちは、自分たちの人生を自分で切り開く気力のない、人生に受け身である、または日和見と言うと大げさですけれども、そんな人間になりがちのような気がします。今日の学校崩壊の原因は、国が指導して、指導型教育制度が生み出す、教育の現場における生徒や先生方の無力感にあると思えて仕方がないのです。
 私は、教育の現場にカリキュラムを初めとする教育システム全般の決定権を持っていただくことが何よりも大切だと思います。文部大臣や文部省の指導ではなく、教師や生徒、家族や学校、地域にかかわる人たちの、教育現場にかかわる人たちが教育のあり方を自分たちで決める仕組みにすることこそ真に自立した、想像力あふれる人間を育てると思っているんです。
 そこで、長谷川参考人に質問します。先生の書いたものをちらっと読みましたが、参考人の主張する地域主権や自治の精神に基づいた教育のあり方を達成する上で、教育制度の決定権はだれが持つべきだとお考えになりますでしょうか。私は、教育の現場から遠く離れた国会や行政府は教育制度を決定する場としてもはやふさわしくないと思うのです。既に少人数クラスを実現している国は、教師や学校の理事など教育現場の決定権が強いという点で共通しているんです。国会で定めた一クラス当たりの生徒の基準を、全国の学校にそれを決めて強制すること自体が日本の教育を何かむなしいものにしていくのではないでしょうか。現実的ではないと思うんです。この点について、長谷川参考人の御意見を伺いたいと思います。
 柔軟な教育システムを樹立していく上で、だれが決定者であるべきなのかという点は非常に大切なことです。長谷川参考人は、地域主権の教育システムを達成していく上で、私たち国会議員の役割は何だとお考えでしょうか。それもお話しください。
#56
○参考人(長谷川孝君) 前段のことについては議員が今おっしゃったとおりだと思います。地域というものが大変大事だと思います。子供たちが生活し、育っている世界、全世界が地域なわけです。その地域にきちっと根を張って育つことができることによって、もっと広い世界に安定して広がっていけると僕は考えています。その地域というのを拠点にして教育というのは考えられるべきだと思います。そうすると、教育ということについて決めていくのも地域の市民の自治だと思います。市民という言葉が嫌いな方もいらっしゃるようですけれども、これからはやっぱり市民ということをきちっと据えていかないといけないだろうなと思っています。
 それから、国会議員さんの役割とは、どう言っていいかちょっとわかりませんけれども、少なくとも国家が教育について細かいところまで決めていくということをどんどん外していってほしいと思います。もっと地域の人たちに任せてほしい。ただ、ほっておくと地域格差が広がっていったりする可能性がありますから、例えば財源をどういうふうに公平に配分していくかとか、それから地方の税財源をもっと豊かにするとか、そういうことをきちっとやっていかないと格差が広がると思います。そういうところをきちっとバックアップしていただけるといいなというふうに僕は思っていますけれども。
 そんなところでよろしいですか。
#57
○高橋紀世子君 ありがとうございました。
 格差が広がらないように、それを国会議員が調整するということですね。
#58
○参考人(長谷川孝君) 調整できるようにバックアップしていただきたいということです。
#59
○高橋紀世子君 今伺いたいことをみんな伺わせていただきましたので。
 ありがとうございました。
#60
○委員長(市川一朗君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 午後一時三十分まで休憩いたします。
   午後零時九分休憩
     ─────・─────
   午後一時三十一分開会
#61
○委員長(市川一朗君) ただいまから文教科学委員会を再開いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 本日、扇千景君及び小林元君が委員を辞任され、その補欠として星野朋市君及び岡崎トミ子君が選任されました。
    ─────────────
#62
○委員長(市川一朗君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第二〇号)及び公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(参第一五号)の審査のため、文部科学大臣官房長結城章夫君、文部科学省初等中等教育局長矢野重典君、文部科学省高等教育局長工藤智規君、文部科学省科学技術・学術政策局長大熊健司君、文部科学省スポーツ・青少年局長遠藤純一郎君及び文化庁次長銭谷眞美君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#63
○委員長(市川一朗君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#64
○委員長(市川一朗君) 休憩前に引き続き、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第二〇号)及び公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(参第一五号)の両案を一括して議題といたします。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#65
○石田美栄君 民主党・新緑風会の石田美栄でございます。
 政府案と野党共同提案、両方あるわけですが、まずは政府案の方を中心に質問させていただきます。
 政府案の学級編制基準の弾力化によって、都道府県の判断によって特に必要があると認める場合には国の標準を下回る数を特例的に認めるが、ふえる教員の人件費は都道府県負担となっております。今回のこの法案、法改正の準備としていろんな県からそれぞれいろんな案が出てきておりますが、秋田県や鹿児島県では学級定数減を打ち出しているようです。しかし、長野県の小海町ではかなり以前から町費でもって三十人以下学級を実行しておりました。そして、現地へ行きますと県も応援というか、長い間黙認していた。でも、これが世間から注目されるようになって、いろんな人が視察に行くようになってきた途端に県そして文部省から圧力がかかったといういきさつがありました。
 私も三十人学級推進法案をつくるのに現地視察をさせてもらいました。この視察に基づいて、予算委員会でもあるいは当委員会でも質問させていただいたことがございましたが、長野県小海町の場合はその後どういう経緯をたどって、そして現在どうなっておりますか、お教えください。
 また、茨城県の総和町でも九九年から少人数学級を実現しようとして非常勤講師を採用するために町の条例を改正しようとしたが、文部省の圧力によってできなかったと聞いております。同じくこれもどういう経過で、どうなっているのでしょうか。
 しかし、今度の法改正ができます、そうするとどうなっていくのか。よいということになるんでしょうか、まずお伺いいたします。
#66
○政府参考人(矢野重典君) まず御指摘の事例でございますが、平成十年に小海町が独自に教員を採用し、小学校低学年において少人数学級を編制しようとしたものでございます。これは長野県との協議の結果、現行制度に即した学級編制が行われ、あわせてチームティーチングによる指導が行われているというふうに聞いておるところでございます。
 また、もう一つの事例として御指摘がございました茨城県総和町のケースでございますが、これは平成十一年に総和町が同じく独自に教員を採用し、中学校において少人数学級を編制しようとしたものでございます。これも茨城県との協議の結果、現行制度に即した学級編制が行われ、あわせてチームティーチングによる指導が行われているというふうに私ども承知をいたしているところでございます。
 そこで、今回の改正により、このような取り組みがどういうことになるかというお尋ねでございますが、今回の改正におきましては、制度の基本的な仕組みは変えませんで、都道府県教育委員会の判断によりまして、児童生徒の実態を考慮して、特に必要があると認める場合には特例的に国の基準を下回る数を基準として定めることを可能とするものでございます。
 この基準を定める場合には、都道府県教育委員会におきまして、市町村教育委員会の意向あるいは特別な事情を配慮して、把握して行われるものと考えられるところでございまして、都道府県教育委員会がそのような特例的な基準が必要だと判断する場合には、例えば先ほど御紹介ございましたような小海町のような例も可能となるわけでございます。
#67
○石田美栄君 小海町、ここでは実際、全く正規の先生と同じ採用をして、研修なんかも、もう正規の先生なんですね、実際やっていたわけです。
 いいです、なかったとおっしゃる。指導されてから実際現地に行きましたら、形は四十人のクラスに戻しておいて、チームティーチングということで実際は授業を二つに分けて、現実は二十人くらいのクラスでやっている現状を見ました。一応紋切り型のお答えになりましたが、まあ、いいでしょう。何回聞いても変わらないからいいでしょう。
 長野県のこの小海町、当委員会で質問したとき、これはなぜいけないかというと、教育の機会均等を損なうので認めるわけにはいかないというのがもう何回も繰り返された答弁でございました。
 そうすると、このたび弾力化で、本当に県がやれば少人数の学級も、特例的とは言いながら、できるわけですね、現実には。理由が変わるんですか、あるいはこれまでの均等を損なうというのはごまかしだったんでしょうか。
#68
○国務大臣(町村信孝君) ごまかしているわけでも何でもございませんで、今回の考え方の基本は機会均等を保ちつつということで、原則は原則としてあります。ただし、都道府県の教育委員会の判断によって特例的な基準を定めてもいいですよと。したがって、そういう判断があれば、今までは小海町のようなケースは一言で言えばだめだということだったのが、今回からは小海町のような例も可能となるということでございまして、より実態に即した、弾力的な実態に合った判断をしていこう、してもいいんですよということにしたわけでございます。
 もう一度申し上げますが、原則としての機会均等というところは変えていないわけでございます。だからこそ、私どもは標準というものを定めているわけでありますから。
#69
○石田美栄君 そのときは、二十人学級なんてつくったら均等を損なうということ、やっぱりちょっとなかなか理解できませんよね。いいでしょう。これ何だか本当に、先生をしていた私なんかの立場だと、どうももうちょっと正直にいかないのかな、ため息出ます。いいです。
 本会議でも質問しましたが、政府案は小学校と中学校の主要三教科で二十人の学習集団をつくることが目玉になっています。ですから、今周りではいつも言われているんです。石田さん、あなたがいつも言っていたあれが実現する、今度は二十人だって、二十人の授業ができるなんて、普通単純に皆さんそう言われます。どう言おうかなと思いますが。
 実際、現実には小学校低学年について特定の教科だけ少人数授業が実施されると、これは一年生なんかは特にそうですが、特に新しい環境、小学校に入ったとき、何か行事のときだとお母さんでしょうね、安定する柱がいるわけですけれども、かえって不安定な学級となりはしないかという心配がありますが、例えばこの小学校低学年に限っては学級編制の基準を三十人とするという都道府県が出てきた場合、いろんな工夫をするでしょう。そういうときに、加配の定数を活用するだとか、今まででいえば、主要教科の二十人授業をやるとかTTなどのいろんなそういう制度の中で工夫して人を集約して取り組む、こういうことがいわゆる学級編制の弾力化ということで加配定数を活用した場合にはいいんですか、そういうのをやっても。
#70
○政府参考人(矢野重典君) 今回の改正により可能となる特例的な学級編制基準を定めた場合でございます。
 今、御指摘のようなケースも含めてでございますが、新たに必要となる教職員が出てまいるわけでございますが、それは当然には国庫負担の対象となるものではないわけでございます。しかしながら、教職員定数は都道府県全体の教職員の総数を示すものでございまして、当該定数の具体的な配分はそれぞれの都道府県の判断にゆだねられているものでございます。
 したがいまして、特例的な学級編制基準を定めた場合に新たに必要となります教職員につきましては、都道府県の判断で、学級担任外教員や今回の改正による少人数指導のための加配による定数なども含めました当該都道府県全体の教職員定数の総数を活用することは可能であるわけでございます。
#71
○石田美栄君 はい、わかりました。
 そうすると、このことについては文部省が細かく指導はしない、都道府県に任されて、例えば小学校一年生、新入生はうちの県はもう二十人でいこうということができるというふうに確認いたしました。
 今回、恐らく文部省もそのように認識しておられると思いますが、確かにこれは都道府県に任される、あるいはそれぞれの小中学校の校長先生、教職員の議論で、うちの学校はどうするかというふうなことが盛んに議論が行われて、表を見ても県によっていろんな方針が出ています。そのことは、自主的に学校教育をやっていくということでいろんな効果が出ているんでしょうけれども、現実には大混乱というか、大変な状況があるんだと思いますが、ぜひ今のようなことも含めて、それぞれの県、どんな決定がされたのか、結果どういう状況になったのか、初年度でありますから、半年くらいたったとき、あるいは一年後にそれぞれの状況を、結果を公表していただく、情報公開が必要だと思いますが、これはしていただけますね。
#72
○政府参考人(矢野重典君) 御指摘のように、今回こういう新たな計画をスタートさせます。そしてまた、新たな制度をつくるわけでございますので、今回予算をお認めいただき、また制度改正をお認めいただきますれば、それに従って各県から要望を聞き、私どもとして各県に配当する内容を決定いたしたいと思うわけでございますので、決定後におきましては、適当な機会や方法を通じてその状態を関係の皆様方にお知らせすることといたしたいと思っております。
#73
○石田美栄君 今回、こうした二十人学習のクラスを目玉にして定数の改善が行われ、今までの加配とか、いろいろなそういう小手先とはいえ、どれも少しずつは改善していく、そういうものを集約して少しはよくなっていく、そのことを現場の先生たちも喜んでおられるし、悪いことではありませんが、しかしこういう議論の中で、いつも私たちは、それをもう思い切って三十人のクラスを標準にしていけば、実際には今言っているようなことは全部しようと思えばできる、さらにもっともっといい状況にできるわけですけれども、それを言うと、いつも教育効果がはっきりしていないというふうに言われます。
 少人数のクラスがいいということは、これ文部省の科研での調査もございますね。学校・学級の適正編制に関する総合的研究とか、教育の多様化に伴う学習集団の規模とその教育効果についてというふうな研究の中では、少人数の方が教育効果があるという報告はされています。しかし、これなんかも明確ではないというふうにいつも言われるわけですが、午前中の参考人質疑のときも私もちょっと声を荒らげてしまったんですが、もう教育になると非常に明確な効果がということを繰り返されるんです。
 現実に公共事業なんかは、もうあれは何ですかと繰り返し言いたいです。ある程度の調査をして実行はするんでしょうけれども、その調査がずさんなのはいっぱいあるし、結果としては、私は瀬戸内海に面したところですけれども、瀬戸内海に三つも橋をかければ、そこに交通量がふえて経済が活性化してなんという理由でかけたけれども、結局は活性化するどころか、中四国は全国に先駆けて人口減少が始まるなんてこういう失敗がいっぱいあるんですが、どうして教育になると物すごくこういうふうに言わなくちゃいけないのか。教育こそ逆の効果が出ることはないというふうに思います。
 そのことについて、日本の教育の最高責任者である文部科学大臣、今の政府を代表したお立場でいらっしゃいますから、教育費のことについて御所見をお伺いしたいと思います。
#74
○国務大臣(町村信孝君) 私どもも、国全体の財政の中での教育予算でございますから、もう他の条件が全く自由で、私どもだけのことを考えてみるならば、もうすべての省庁の予算を全部分捕ってきて文部科学省でと言いたいところではあります。しかし、なかなかそうにもまいらぬでしょう。しかし、その与えられた国全体の厳しい財政の中の範囲で私どもとしては最大限の努力をしていきたいと、こう思っておりますし、これまでもやってきたつもりであります。
 ちなみに、今回の定数改善につきましても、去年の春の段階、そして夏の概算要求の段階、それぞれ大変ないろんなレベルでいろんな努力をして概算要求をいたしました。さらに、秋から冬にかけてまたさまざまな努力をし、結局、概算要求どおりという形で、十二月に私と最終的には当時の宮澤大蔵大臣との間で決着を見たのが今回御提案申し上げているものでございまして、その間には本当に並々ならぬ努力をしてきた成果がこの今回の予算であるし、今回の法律であるというふうに思っております。
 これからもまた私どもとしては、少しでもいい環境、条件で児童生徒が学び、また充実した学習生活が、学校生活が送れるように、財政面を初めとして各般の努力を力いっぱいこれからもやっていきたいと、かように考えておるところでございます。
#75
○石田美栄君 政府提案の制度が通るのが国会でありますから、それが通るとして、来年度は二百二十億円で、常勤で換算すれば四千五百人小中全体で増員ということにしかなりませんけれども、将来的にはぜひ、もし政府案でいくとすれば、私は小学校低学年であれば三年生までは運用して二十人のクラスくらいを実現していく、低学年は学習集団もそれでいいんじゃないかというふうに思いますし、高学年はクラスは四十人単位としても、理科とか算数とか国語といったものは政府の今度の提案のように二十人のクラスが完全にできることを希望します。中学校はましてやそうでしょう。学級は四十にしても、特に英語なんというのは十人でもいいでしょう。二十人の授業が英語とか理科とか数学で本当にどこでも実施できるような方向に御努力いただきたいな、現実がそうなるようになるといいなと希望いたします。
 さて、野党共同提案の場合ですが、これは基準を三十人にするわけですから現実に現場の先生たちが非常にふえるということになります。例えば、私の地元の小学校というのは、学年が本当に三十九人のクラスが四つと五つの小学校がございます。そして、中学になればそれが一緒になりますから、まだことしは行っていませんが、去年の入学式に行きましたら、どのクラスも三十八か九で九学級がぞろっと入ってきます。
 もし皆さんの法案の三十人学級が実現したとしたら、どういうふうに現実が変わりますでしょうか。
#76
○佐藤泰介君 石田委員の三十人学級の具体例についてという問いにお答えをさせていただきたいと思いますが、その前に一学級当たりの児童生徒数の平均を平成十二年度の文部省調査で見ますと、小学校で二十七・〇、中学校では三十二・一となっております。しかし、三十一人以上の学級数は、小学校では十三万二百五十二学級、全小学校の学級数の五三・五%、中学校で何と八六・七%となっていると思います。
 よく例を出す場合に特別な例を引用する場合が多いわけですが、今、石田委員が申された例は決して岡山だけの特別な例ではなくて、全国に見られる例だということを申し上げながら、参法により学級編制を三十人にしますと、小学校の場合ですと現状の三十八、三十九と言われた学級の人数が二十五から二十八名、中学校の場合ですと三十八から三十九と言われた学級が二十八から三十ぐらいの規模の人数になると思います。
 このような学級が実現すれば、今日、学校現場で起きているさまざまな問題が解決なり減少すると思いますし、三十人学級になれば学校は決定的に変わるものであると、こんなふうに私は考えていることを申し添えてお答えとさせていただきます。
#77
○内藤正光君 民主党・新緑風会の内藤正光でございます。
 きょうは、理事になって初めてということですが、三十分間質問をさせていただきたいと思います。
 私は、議員になってこの二年間、実を言うとIT、情報通信を中心として活動を続けてきたわけでございます。ですから、私は昨年からことしにかけて、インド、シンガポール、そして韓国を訪れました。いずれもアジアのIT先進国と言われる国々です。
 どうしてこういった国々が突然IT立国になったのか、私はいろいろ調査をいたしました。各国それぞれの政策を展開しているということもあるんですが、突き詰めれば、行き着くところ結局は教育だということにたどり着いたんです。特に、インドについては、インドのIT政策の真髄、本質はまさに教育だと言っても過言ではないんだろうと私は確信するに至りました。私は、日本の将来、このまま伸びゆくか、また浮沈するか、これはまさに教育にかかっているんだろうと思います。
 ところが、日本はどうかといいますと、残念ながら数ある省庁の中でも文部科学省、旧文部省は、どちらかというと一番保守的で、また改革に決して前向きではない省庁だというふうに言われていることも皆さん御存じではないかなと思います。
 私は、教育に対する情熱が人一倍強い町村文部大臣には、ぜひ政治的なリーダーシップでもってこの文部省を改革していってもらいたい、そしてさらには日本の教育をよりよくしていってもらいたい、そんな期待を込めながら三十分間いろいろ質疑をさせていただきたいと思います。
 まず、文部大臣にお伺いしたいのは、義務教育というのは一体どういうものだと考えるのか、子供たちにあるいは生徒児童たちに一体何を教えるべきなのか、御所見をお尋ねいたします。
#78
○国務大臣(町村信孝君) 義務教育の目標、小学校、中学校における教育の目標、これは一番わかりやすい話をするならば、学校教育法の中に、第十八条、小学校の目標はここにいろいろ書いてありますし、中学校であれば学校教育法第三十六条にそれぞれの目標が掲げてあり、それを達成しなければならない、こういうことになるわけでございます。
 私は、やっぱり人間として、家族の一員として、社会の一員として、また国家の一員として、どうしても共通的に身につけてもらいたいさまざまな事柄、基礎基本があると思っておりまして、それは知識に関する学科とか、そういう面もあるでしょうし、生活態度といった面もあるでしょうし、あるいは倫理観とか人を思いやる心、そういった心にかかわる部分、いろいろあろうと思いますが、そうしたものの、どこまでかわかりませんけれども、とにかくできるだけこの義務教育段階でそうした基礎基本をしっかりと身につけること、それが義務教育の目的ではないだろうかと考えております。
#79
○内藤正光君 ということは、義務教育というのは、単に国語、算数、理科、社会、そういったものを勉強、学習するというだけではなくて、その他一般の社会のルール、集団生活をしていく上での基本的なルールを学ぶ場だということですね。
 そういうことになりますと、塾だとか高校だとかとは違って、やはり児童や生徒一人一人が生活ルールを学ばなきゃいけないということは、その裏返しとして一人の先生が子供たち一人一人をちゃんと理解できなきゃいけない、把握できなきゃいけない、何を考えているのか、心に何かいろいろな問題を抱えていやしないか、そういったものをやっぱり理解できるようでなければならない。もうこれは義務教育においては大前提なんだろうと思います。特に、ちょっと誤解を恐れずに言うならば、さまざまな子供たちが集まる公立の小中学校では、このことは特に大切になってくるんだろうと思います。
 そういった点でお尋ねしますが、四十人学級と三十人学級、どちらがその目的を達するのにより適切だとお考えでしょう。
#80
○副大臣(河村建夫君) これは、今、委員が言われたように、一人の先生が子供に対してあらゆることを知る、また理解をする、それはもう少人数であるほど、それこそ一対一が一番理解しやすいかもしれない。それは、教師の方から見た子供に対する一方的な思いであればそうかもしれません。しかし、今度は子供の方からも教師を見ているわけですね。その場合に、一対一が必ずしもいいかどうかということは、それは家庭のしつけとかなんとかも一対一でまさにやらなきゃいけませんが、事教育ですから。
 実は、私は、小学校三年までは五人のクラスで複々式で一年、二年、三年は先生一人でやりました。四年からは四十五人教室へ、本校に今度は分教場から通いました。私は、どっちもよかったと思っているんです。確かに、三年間は五人ずつが家族のようにやった。そういう経験もよかったし、しかし今度は四年ぐらいからたくさんの中でもまれるというか、そういう教育も非常に私はよかったと、こう思っています。
 三十人がいいのか四十人がいいかとよく言われるんですが、私はこれはその十人の違いがどうこうという問題ではないだろうというふうに考えております。だから、そのときの教師の持つ能力とか迫力とか、いろんなこともあろうし、私はそれで一概に三十人、四十人がどっちがいいかということに対しては明確な答えはない。ただ、教師が一方的にこの子供のことをよく知りたい、できるだけいろんなことを知ろうと思う、それだけの考え方でいけば少ないにこしたことはないという思いが私自身は抱いております。だから、そういう意味では少ない方がいい。
 しかし、今回の改正においては、ただ基礎をしっかり教えるにはむしろ三十人よりも二十人ぐらいでやる方がいいんじゃないか、四十人学級を半分にしてやれるじゃないか、そういうやり方でやってみようということで今回の定数改善等々で考えていって、特に基礎科目、また差がつきやすい科目にはそういうことで集中的にしっかり教え込んでいこうということから今回の改正がなされておるというふうに考え、私は今回それでやってみるべきだと、こう思ってこの法案を推進してきた立場にあるわけです。
#81
○内藤正光君 今までの審議を聞いていますと、大臣あるいは副大臣あるいは政府は、生活集団というものと学習集団というものを巧みに何かいろいろ使い分けて御答弁されているんですが、生活集団というのはやっぱり生活を学ぶ場、学習集団は学習を学ぶ場。今一番いろいろ言われているのがやっぱり生活面での問題なんだろうと思います。ちょっとそのことは後半の方で出させていただきますので、ひとまずそこは置いておきたいと思うんです。
 先ほど、多くてもそれなりによし、少なければそれなりによいところもあるということをおっしゃったんですが、私の、小学校ではないんですが、大学院での経験を申し上げさせていただきますと、私はアメリカの大学院、日本の大学院、両方を経験させていただきました。日本の大学院は大体六十名とか七十名、大変大きな規模のクラスなんです。一方、アメリカの大学院というのは大体二十名なんです。私自身の経験に基づいて言わしていただくならば、やはり二十名とか、それぐらいの規模の方がこのつたない英語でもっても教師とのコミュニケーションがより活性化されて、より授業への参加意識というのが高まるわけなんです。
 私は、やはり授業というのは、一対一というのは極端だと思います。十人というのも少な過ぎるのかもしれません、社会性を身につけるためには。やはり私は四十人がいいか三十人がいいかと聞かれたら、三十人の方がいいんじゃないかなというふうに私は経験を踏まえて申し上げさせていただきます。
 そして、さらに言うならば、少人数クラスの効用をやっぱり肯定的にとらえる研究成果も数多くあるわけです。大臣自身、教育改革を声高に唱えられているわけですから、そういった研究成果があるからには、いきなり全部とは言わないまでも、部分的にでも実験的にでも始めてみる価値があるんじゃないかと思いますが、その辺のお考えはないんでしょうか。
#82
○国務大臣(町村信孝君) 当委員会でも累次御議論があったとおり、いろいろな研究成果が発表されております。先般もアメリカのケースやらイギリスのケース、いろいろな形で、それは効果がある効果がない、有意な差は見られない、いろんな結果がありますから、一概に学級規模と教育効果の関係、必ずしもまだ明らかだということではないのではなかろうかと私は思います。
 また、学習集団と生活集団のお話がございました。確かに、生徒指導とか学校生活、いろんな面で、生活面での問題も確かにあるわけでございますが、しかし昨今、例えば学力低下というような話が、大分皆さん心配になっておられるようなお話も随所にありますし、つい二、三日前でしたでしょうか、これまたどこかの大学の先生の調査結果で明らかな学力低下があるというような、これも一つの研究が出されておりました。
 したがいまして、私どもは、今回の中で学習集団としての二十人学級を特定の科目についてできるようにする、そして基礎基本をしっかり身につけてもらうというようなことも、学習集団として見た場合にその必要性ということを感じて今回の御提案に至っているというふうに御理解いただければありがたいわけでございます。
#83
○内藤正光君 大臣は学習集団の場を改善していこうということなんですが、今学校現場で大きな問題になっているのは何なのかと考えたときに、いじめ、学級崩壊、不登校、こういった問題が一番やはり大きいんだろうと思います。ところが、これらの問題一つ一つを考えていきますと、どれも皆生活に密着した問題ばかりなんですね。決して学習ではない。やっぱりこういった問題は生活集団の場でこそ徹底的に解決に取り組まれるべき問題なんだろうと私は思います。
 政府の考えは、勉強が理解できないから荒れるんだとかいうことで、学習集団の場の改善を図ることでこういった問題も取り組んでいこうという考えなんでしょうが、ここでちょっと一つ私問題提起をしたいんですが、特に小学校の低学年を考えていただきたいんです。小学校の低学年で一番大きな問題は何かというと、学級崩壊なんです。果たして学級崩壊と学習とが結びつくか、この低学年の段階で。
 というのは、端的に私質問させていただきますと、幾ら今回閣法が通って少人数の学習集団を実現したとしても、果たして小学校低学年で起こるそういった学級崩壊という問題が私は解決できるとは決して思わないんですが、大臣は思われるんですか。
#84
○国務大臣(町村信孝君) 学級崩壊の原因、これは年齢により、また学年により、また地域により、また個々のクラスによりいろいろな理由があるんだろうと思います。
 一つの理由が、やはり授業がわからない、学校へ行ってもおもしろくないというのは、それは一つのあくまでも理由だろうと思います。ほかにもいろいろ理由はあると思います、学校に行きたくなくなる理由が、あるいはクラスの中がぐしゃぐしゃになる理由が。この先生と生徒との心理的な葛藤とでも言いましょうか、平たい言葉でなかなか合わないとか、どうもこの先生は自分を嫌っているとか、自分はこの先生が嫌いだとか、あるいは今度は友達同士の関係でどうしてもあの子がいると自分はこの学校に、このクラスに行きたくないとか、友達同士の人間関係もあるでしょう。これはもうさまざまな理由がある。
 まして、今、委員御指摘の小学校の低学年ということになりますと、例えばそれは家庭でのしつけ、家庭の教育、あるいはその前段階にある幼稚園のあり方というところから考えないと、そこを例えば十人にしたから、二十人にしたから低学年の生活面での目が行き届くから学級崩壊が起きないか、起きなくなるかもしれませんけれども、決してそう単純なことでもないんじゃないのかな。だから、僕はやっぱりそこは個々のケースに応じて一番合った形で対応していくことが必要だろうと思います。
 したがって、今回の中でも、例えば小学校低学年、先ほど石田先生も言われた一年生、二年生のうちは二十人という方法がいいと思えば、それは特例的にやってもいいですよという選択肢もあるでありましょうし、また先生一人でそれにかかわるのではなくて、複数の先生がかかわる、あるいはもっと言えば学校全体の校長先生以下すべての先生たちがかかわりを持つ中で学級崩壊等の事象に対応していく。
 いろいろな、一概にこれをやったから一遍にぱっとよくなるという性格ではどうもないと思われますので、私は、二十人、三十人にするのも一つの方法、でも、それでじゃ学級崩壊がなくなるかというと、私、そう単純でもないところがこの昨今の問題の難しさなんだなと、こう思っております。
#85
○内藤正光君 確かに、大臣おっしゃるように、この問題は、学級崩壊、いじめ、不登校の問題、余りにも複雑過ぎて、算数のようにここを突けば絶対解決できるとか、そういった問題ではないことは重々承知なんです。
 確かに、大臣のおっしゃるように、学級崩壊、家庭でのしつけの問題も私は多分にあるんだろうと思います。家庭でのしつけの問題があるあると言っておきながら、じゃ実際にそこに効果的な何か対策が打てたかどうかというと、私はまだ打てていないと思います。現実問題として、もう本当に共働き家庭がふえたり、何かいろいろ核家族がどんどんふえていくという、そういった現実を考えると、家庭でのしつけ、これは大事なことはわかります。私も十分に認識しています。しかし、そればかり言って現実から目をそらしていたら、ますます私は教育というのは荒れていっちゃうんじゃないのか、だめになっていってしまうんじゃないか。だから、できるところからどんどんやっていく、これが私は大臣としてのやるべきことなんじゃないかなと思うんです。
 そこで、また小学校の、特に低学年に絞って質問をさせていただきますが、小学校の低学年というのは、まさに児童一人一人が個の形成過程、人格の形成過程にあるんだろうと思います。そういった中、今回二十人の少人数学習集団をつくれるようにして、それで問題解決を図ろうということなんですが、私はそこに大きな問題があると思うんです。人格の形成過程において、果たして本当に学習集団と生活集団というのを明確に切り分けることができるんだろうか。私はそこは大きな問題だろうと思います。
 私はこう考えるんです。特に低学年においては集団生活の中で培われる先生と児童との信頼関係、この上にやっぱり学習指導というのが成り立つんだろうと思います。逆に、学習を通じての信頼関係が生活集団へフィードバックされる。こういった相乗効果というのが私は大事なんだろうと思います。
 そこで、改めてお伺いしたいのは、小学校の低学年において、生活集団と学習集団を本当に切り分けることができるんですか。本当にそう思っていらっしゃるんですか。
#86
○国務大臣(町村信孝君) 二十人学級で習熟度に差がつきやすい分野ということで、例えば小学校は国語とか算数とか理科、こう言っておりますが、それとはまた別の考え方で、委員御指摘の低学年の二十人、これは生活集団イコール学習集団という形のものができるかどうかということでありますが、それは今回少人数指導が可能になるような積算がなっておりますから、小学校低学年であってもその加配に対応してそういうことをやろうと言って都道府県教育委員会が考え、市町村のそういう御要望があれば、それはそういう形でやることは構わないということに今回からなったわけであります。なったというか、今回の法律改正でそれはいいですよということにしたわけであります。
#87
○内藤正光君 構わないと言うんですが、本当にそれは財政的な措置とか、そういったものは講じられるんですか。
#88
○国務大臣(町村信孝君) これは累次申し上げておりますとおり、まず都道府県に総枠として何百人とか何千人とかいう枠が行くわけでありますね。その中のやりくりの中で、やろうと思えばそれはできます。
#89
○内藤正光君 やろうと思えばできるということなんですが、いろんな学校、さまざまな問題を抱えていて、確かに頭の中ではそういったところへ配分できるんでしょうとおっしゃるかもしれませんが、現実問題、そういったところへ十分配分できずにほかの問題の解決のためにそちらに多くの力が割かれちゃうというのが現実だというふうに聞いております。おとといも大臣は、地方分権の流れの中でやはりそれぞれの小中学校は地域に任せるのが本筋であろうということをおっしゃっているんですが、果たして本当にそんなことができる財政的な余裕のある地方があるかというと、現在そんな地方なんかありゃしないんですよ。みんな苦しいですよ、かなり。
 そういった現実に目を閉ざして、地方はやる気になればできるんですよと言うのは、私はこれは政治の責任放棄ではないかと思うんですが、いかがですか。
#90
○国務大臣(町村信孝君) 例えば、先ほど例に出されました小海町がどれほど財政的に豊かかわかりませんが、もし先ほどの石田委員の御議論が実態をあらわしているのであれば、小海町のような小さな町でも特別に先生かあるいは先生に準ずるような人を雇おうと思えばそれはできるわけですよ。そこはまさにそれぞれの都道府県の判断で、どれだけの資源配分を教育分野にするか、他の公共事業に配分をするのか、あるいは福祉に配分するのか、それはまさに都道府県の判断で、だからそこは違いがあってもいい分野としての地方分権の姿ではないかということを先般申し上げたわけでありまして、我が県は他の事業をかなり無視しても教育でいこうと思えば、それはできるのであります。だからこそ地方分権なんじゃないんでしょうか。
#91
○内藤正光君 何か私は地方分権というものをいいように使っているような気がしないでもないんです。
 私は、充実した義務教育というのは機会の平等の観点から国が全力で取り組んでいくべきこと、国がやはり保障すべきことなんだろうと思います。諸外国がそうであるように、少なくとも私は現実的に低学年から標準数を下げる。いきなり三十人が無理であるならば、例えば計画をちゃんとつくって数年以内には三十五人にする、そしてさらにまた数年先には三十人にまで下げると。私はそういう計画があってもいいと思うんですが、大臣、そういうことをするお考えはないんですか、少なくとも小学校一、二年に絞って。
#92
○国務大臣(町村信孝君) 今そういう計画があるかないかと言われれば、今はありません。
#93
○内藤正光君 そうするつもりは大臣御自身おありですか。
#94
○国務大臣(町村信孝君) これは今いろいろなことを考えて決めなきゃなりませんので、その一点だけでどうかと言われれば、それはその方が望ましいということはあるのかもしれませんが、しかしそこを今私が、他の財政事情、あるいは他の教育の分野、あるいは文部科学省全体の中で考えたときに、今直ちにじゃ五年後に二十人に全部しましょうというようなことを申し上げるのは、それはいささか文部科学大臣としては無責任なお答えになるんじゃないかと思いますし、まず第一に本当にそれが各都道府県の一番のプライオリティーであるならば、そこに充てればいいんですよ、それは。それが可能になっていますよということを先ほど来から申し上げているんです。
#95
○内藤正光君 先日の委員会でもそうなんですが、よく財政事情、財政事情とおっしゃるんですが、例えばアメリカの前大統領クリントンがそうであったように、またイギリスのブレア首相がそうであったように、優先順位をつけるのはまさに政治なんですよ。教育が大事だと思ったら、その意思を大臣が示される、私はこれは大臣としての責務じゃないかなと思うんです。教育が本当に大事だと思ったらば、例えばほかにむだだと言われているいろいろな予算の使い方があるわけです。それを削ってでもやっぱり教育にお金をかける、そういう意思を示されるべきだと思うんですが、いかがですか。
#96
○国務大臣(町村信孝君) 私は、委員おっしゃるように、むだな予算があるとはそもそも考えておりません。それぞれの必要性があり、それぞれのニーズに合わせた形で各省庁それぞれ予算があるので、あらかじめむだな予算がと、それは百人が百人むだだと思う予算があるならそれは削るべきでしょう。しかし、そんな予算があるとは私は到底思えませんし、それぞれのニーズがあって予算要求というのは成り立っているわけでありますから、むだな予算を削れとおっしゃっても、それを私がやる立場にはございません。
 ただ、今回の定数改善の計画、そしてこの法律、予算、法律で担保していこうというここに至るプロセスも、先ほど議論になりましたけれども、さまざまな議論を積み重ね、最終的には私と宮澤大蔵大臣との間でようやっと到達した一つの姿でありますから、それは内藤議員がどうぞ総理大臣になったときにクリントンさんと同じような御決断をしていただければ、それはすばらしい決断なんだろうと思います。
#97
○内藤正光君 では、むだな予算があるかどうかはわきへ置いておいて、少なくとも大臣御自身が、小学校低学年で今の四十人が多過ぎる、何年か先には三十人にしたい、そういう強い意思を示されないことには何も始まらないわけなんです。
 だから、私が尋ねているのは、財政事情云々というのはあるかと思いますが、まず大臣御自身が今のままでいいと考えているのか、何年か先にはやはりこれじゃだめだ、変えていかなきゃいけない、そういう思いを持たれているのか、そこをお伺いしたいと思います。
#98
○国務大臣(町村信孝君) こういう委員会の場で余り個人的な感想なり印象論なりを申し上げるのが適切だとは私はそもそも思っておりません。私は文部科学大臣という職にあって今お答えをしているのでありますから、余り私が個人的にこれがいい、あれがいいと言うことは、やっぱり私としても組織というものを代表して今この場で責任を持ってお答えしているわけでありますから、余り個人的な感想を述べるのは差し控えたいと思います。
#99
○内藤正光君 私はちょっとそれは違うんじゃないかなと思うんです。
 やはりまず大臣というのが政治的なリーダーシップを発揮していただかなきゃいけないんです。このままだったら何も変わらないんですよ。やれ財政事情だ何なんだということで何も変わらない。それを変えるのがやはり大臣の思いなんだと思います。ぜひ語っていただきたいと思います。
#100
○国務大臣(町村信孝君) 個人的なおしゃべりをする場ではないと、私は委員会の審議はそう思っております。
#101
○内藤正光君 いや、大臣として今の状態がいいのかどうか、それをお伺いしているんです。私は個人的なおしゃべりでも何でもないと思っています。いかがですか。
#102
○国務大臣(町村信孝君) いや、先ほど来から個人的な考えを言えと、こういう委員からの御要求でありましたから、私は、あえてこうやって予算とか法律制度とか全部絡む問題について余り個人的な印象なり感想なりを申し上げるのは、今まさに法案の審議を私はいただいているわけですから、それは適切ではなかろうと申し上げております。
#103
○内藤正光君 個人的な意見と言われてしまうと、これ以上何か質問できなくなってしまうんですが。
 じゃ、もう最後にします、これが。大臣として、じゃ集団生活の場としての学級、将来ビジョン、どのようなものをお持ちですか。
#104
○国務大臣(町村信孝君) 先ほど河村副大臣からは、一、二、三年生の学級から、四年からは大きな本校の方に通ったと。それぞれみんな自分の体験があるわけですね。私のときは、小学校のころかなり大人数でした。最近はもっと明らかに数が減っておりましょう。
 それじゃ、生活集団イコール学習集団であった例えば一クラス五十人のときに、本当にきちんとした行き届いた教育が行われていなかったかといえば、当時としてはそれはそれでちゃんとできていたと思います。私を含めて私どもの仲間五十人の生徒がいて、ひどい成果しか上げていなかったかといえば、そういうことはないと私は思います。
 ただ、当時の、我々が小さかったころの例えば十八歳の高校三年生と今の高校三年生は、それはいろんな面で違っております。豊かさも違っておれば、携帯電話を持っているかいないかとか、それは物の考え方からもういろいろな面で違っていますから、だから余り過去と比較して単純などっちがいい悪いということは難しいと思います。
 でも、先ほど来から河村副大臣も言ったし、私もそう思っておりますけれども、クラスの人数と、学習集団であれ生活集団であれ、その人数とそこから出てくる成果というものが本当にパラレルに動くものなのかどうなのかということについては、私は率直に人数が少なければ少ないほどいい成果が上がるというものでは必ずしもないんではないかと、こう思っておりますから、三十人がいいだろう、二十人がいいだろう、十人がいいだろう、最後は一人がいいだろうということにはやっぱりそう単純にはならないのではなかろうか、かように思います。
#105
○山下栄一君 一昨日にも矢野局長にお答えいただいたこと、ちょっともう一回確認させていただきたいんですけれども、特に小中学校の担当の教員の加配、改善計画にかかわることなんですけれども、平成五年に改善措置として法律改正され施行規則も追加された部分の中に、この前も確認させていただきました不登校生徒への指導からの加配措置、それから外国籍の子供たちへの日本語指導並びにその他の指導にかかわる加配措置、通級指導にかかわる加配措置、それからそのほかにも、この平成五年には入っておりませんけれども、今後課題になるであろう問題行動を起こす子供に対する手厚い指導、こういう観点からのいわゆる平成五年に改正された改善措置は七次においても継続されるのかということを再度確認させていただきます。
#106
○政府参考人(矢野重典君) 義務標準法第十五条に基づきましてこれまで措置してまいりました、先ほど御指摘がございました不登校対応あるいは外国人子女等への日本語指導対応、さらには通級指導などの定数措置は、これは今後も継続することといたしておりまして、必要な定数を第七次計画においても確保いたしているところでございます。
#107
○山下栄一君 それから、聾学校において軽度の言語障害等を有する児童生徒に対しての特別の指導、こういう観点からの改善計画も今回措置されることになっておるわけですけれども、これは聾学校の先生をふやすわけですけれども、その先生が養護学校ではない一般の小中学校に例えば通級指導で行く場合にもこれは配慮されると、こういう考え方でよろしいですか。
 要するに、一般の子供たちが養護学校に来て授業を受ける場合の加配措置ということに法律上書いてあるわけですけれども、そうじゃなくて、聾学校の先生が小中学校に行って通級指導、その他の特別指導を行う場合も配慮を当然すべきだと思うんですけれども、こういう考え方でいいわけですか。
#108
○政府参考人(矢野重典君) 通級による指導は、これは平成五年度から実施しているところでございますが、第六次の改善計画におきましては、小中学校にトータルで一千五百二十九人の通級指導にかかわります加配措置を措置いたしたところでございまして、このたびの新しい改善計画におきましては、これに加えまして、聾学校の教員が通級指導を行えるように、新たに百九十四人の定数改善を行っているところでございます。
 この聾学校通級指導担当教員は、聾学校におきまして小中学校から通う児童生徒に対して指導をいたしたり、逆に当該教員が小中学校に出向いて指導することが可能であるわけでございまして、そのような指導の仕方、方法につきましては、これは各学校で地域の実情に応じて取り組んでいただきたいと考えているところでございます。
#109
○山下栄一君 どうもありがとうございました。
 非常勤講師に対する国庫負担の適用が小中学校でもできると、今回の法改正の重要な観点だと思うわけですけれども、この非常勤講師の先生を放課後の部活動の例えば顧問として、指導担当として、放課後の運動クラブ、文化部の活動の指導教官としてのみ、それだけのために配置できるか、こういうことを確認させていただきたいんですけれども、いかがでしょうか。
#110
○政府参考人(矢野重典君) 今回の制度改正におきまして、教員定数を非常勤講師の数に換算して非常勤講師を活用することができることといたしてございますけれども、そこでお尋ねの課外の部活動でございますが、これは教育課程に位置づけられているものではございませんけれども、学校の教育方針に基づき一定の教育目的を達成するために学校の教育活動の一環として行われているものでございまして、したがいまして、部活動を指導することも、これは非常勤講師の職務に属し得るものでございます。
 したがって、御指摘のように部活動の指導だけを行うために非常勤講師を採用することも可能であるわけでございまして、そのことは今回新設する制度によります非常勤講師についても同様に適用されるものというふうに考えているところでございます。
#111
○山下栄一君 今の御答弁は本当に大事な御答弁だと思うんです。要するに、今もさまざまな議論がございましたけれども、授業を通して、またさまざまな生活指導を通して、先生と子供たちの信頼関係が築かれて、そして教育的効果が大きく上がるための今回のさまざまな改善措置だと思うんです。小学校もそうでしょうし、特に中学校、放課後の部活動の教育的効果というのは非常に期待されておると私は思うわけです。そのために外部指導者の活用等がさまざまな検討機関でも充実を叫ばれてきたわけです。
 要するに、教員の高齢化とともに運動部の顧問のなり手がないとか、指導も素人がやるとなかなか中学生も納得しないとか、まして土曜日、日曜日なんというのは本当に引率も含めてさまざまな大会で大変だと。運動クラブもそうです。また文化系クラブも、これが非常にうまくかみ合えば授業ではできないさまざまな能力の開発も文化部の部活動を通してできるという非常に重要な、放課後の部活動といえども教育的な効果があると。そのときに、現在いらっしゃる先生だけでこれを担当しようと思うと大変だと。放課後のこの部活動、場合によると重荷になる場合もあると。教材の研究もできないと。
 こういう状況の中で、今回の非常勤講師の、何といいますか国庫負担の適用によりまして、私はこういう観点からの効果も期待できるのではないかというふうに考えますので、今の局長答弁というのは大事な答弁だというふうに思います。
 この放課後の部活動の充実につきましては、スポーツ・青少年局でしたか、また文化庁でも予算措置を十三年度もうされておるわけですけれども、これちょっとそれぞれ御説明を簡単にお願いします。
#112
○政府参考人(遠藤純一郎君) 御指摘のように、運動部活動は大変大きな教育的意義を有しておるわけでございまして、また、御指摘のような問題もいろいろ生じてきていると、こういうことでございます。
 したがいまして、こういった運動部活動をさらに活性化するために平成十三年度の予算では、部活動わくわくプラン21、こういう総称をいたしまして種々の事業に対する補助等を行うということにしているわけでございます。
 その一つに、やはり指導者の問題が非常に大きいということで、地域の指導者を運動部活動に活用するスポーツエキスパート活用事業、こういうものを一つ行います。これは十二年度は予算的には二千四百人分措置しておったわけでございますが、これを倍増いたしまして四千七百人分を十三年度措置する、こういうことにしておるわけでございます。
 それから二番目に、有名スポーツ選手を学校に派遣しまして、生徒の指導とともにいろんなお話を聞かせる、こういうスポーツ選手ふれあい事業というものも予定をしてございます。
 それから、指導者の問題につきましては、運動部活動を指導する教員で、例えばバレーを専門にやってきたけれどもバスケットを教える先生がいない、指導者がいないというような際に、その分野での指導経験が浅いという人に対しまして専門的な実技指導の研修会を行う運動部活動指導者研修事業、こういうものも行うと。その他いろいろ行っておるわけでございますが、先生御指摘の心配の点についてはこんなような事業を行うということにしておるわけでございます。
#113
○政府参考人(銭谷眞美君) 学校の文化部活動についてでございますけれども、例えば高等学校の例でございますけれども、高校生の中で文化部活動に参加をしている子供の数は大体三分の一ぐらいの子供に及んでいるわけでございまして、学校の教育活動の中でも大変重要な位置を占めていると私どもは考えているわけでございます。
 文化庁におきましては、平成十三年度から学校の文化部活動活性化事業という新たな事業を実施することといたしております。
 この事業は大きく二つの内容で構成をいたしておりまして、一つが、芸術文化ふれあい教室という事業でございます。この芸術文化ふれあい教室は、小学校、中学校、高等学校を対象といたしまして、すぐれた舞台芸術の公演、オーケストラでございますとか演劇でございますとか、そういった公演を実施いたしますとともに、その芸術団体の方々によりまして文化部活動の指導もあわせて実施をしていただこうという事業でございます。
 もう一つの事業が文化部活動指導者派遣事業というものでございまして、これは小中学校の文化部活動を指導するために、その学校に地域の伝統文化の担い手や地域の芸術団体の関係者を派遣いたしまして文化部活動の活性化を図ろうという事業でございます。
 こういった事業を通じまして、芸術文化あるいは伝統文化に関する子供たちの体験や触れ合いの機会を充実し、地域の伝統文化の担い手や芸術団体、芸術家による文化部活動の指導を通じまして文化部活動の活性化を図ってまいりたいと考えております。なお、予算額は約七億円を予定いたしております。
#114
○山下栄一君 それぞれ運動部、文化部ともにすぐれた指導者を、外部指導者という観点だと思うんですけれども、派遣して指導していただくという。私は、これは特に小学校高学年、中学生の段階で、すぐれた運動能力またはそういう指導ができる人、それから文化的な、それこそお茶、お花を初めとして音楽、また特に舞台にかかわることとか、そういうすぐれた指導者に出会うことそのことがもう教育そのものだというふうに思いますので、特に文化庁関係は十三年度新規予算ですし、スポーツ・青少年局の方はそういう指導者の派遣を倍増するという、これは非常に重要な観点だと思うんです。
 今説明いただいたのは、あくまでもこれは教員免許を持っていない方の人件費を支援しようという観点なんですね。それはそれとして大事だと思いますけれども、限られた予算の中で非常にモデル的な派遣にならざるを得ない。したがって、先ほど申し上げた非常勤講師という形で、免許を持っている人が、例えば運動能力を持っている人もなかなか採用試験が通らないというようなこともありまして、能力はあるけれども仕事先がないというような方もいらっしゃるわけですね。そういう方たちを非常勤講師として、例えば放課後の運動クラブの顧問として採用する。それは場合によっては二校かけ持ちでやるとかということもあるかもわからぬけれども、そういうふうにして運動クラブ、文化部を補強するという観点は、非常勤講師の配置の観点からも非常に私は大事な取り組みではないかと。
 これをぜひ市町村、都道府県にこういうことにも使えますよということを教えていただかないと、こんなことはやったことないと思いますので、ぜひそういう啓蒙も、啓蒙というのもおかしいけれども、そのための法改正でもあるというふうなことぐらいに私は思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
 残された時間、話す能力の話をちょっと、済みません。
 日本は大体、教育は読み書きそろばんと。先ほど義務教育の内容は何かという話もありましたけれども、読み書きそろばんと言ってきた。それで、話す力というのは余り言ってこなかったという。読み書きの次にそろばんと行くのじゃなくて、読み書き話す、コミュニケーション能力、自己表現する力、そしてそろばんと。そろばんばかりが先行した国づくりじゃなかったとは思うけれども、この自己表現というような観点は余り日本は重視してこなかったかもわからないというふうに思うんですね。そういう意味で、話す力、コミュニケーション能力を育てることというのは私は非常に大事な観点だと思います。
 教育課程でも学習指導要領でも徐々に強化されているということはお聞きしているんですけれども、私はこういうことをできる人というのは日本に余りいてないんじゃないのかと。例えば、党首討論もやっていますけれども、討論する力、自己表現、扇大臣なんかはもう自己表現抜群ですけれども、そういう能力というか、実践的な能力を持っている人、モデルがないから、これはだれが担当するんだと、教員は。国語の先生だと。国語の先生というのは、文法の先生とか文学、そういうことをやってきた先生。国語のところでこういう話す力を養うようになっているんやけど、僕は国語の先生だって急にそんなことを言われたら国語の先生も困ると思うんですよ。
 そういうふうに考えたときに、私は、日本の初等教育、中等教育、高等教育の、特に高等教育の中でそんな専門家を育てる部門というのはないんじゃないのかと、ないことはないかもわからぬけれども。例えば、高等教育においてはどういうところでそれをやっているんだということをちょっとお聞きしたいと思うんです。
#115
○国務大臣(町村信孝君) 確かに私ども、つい読み書きそろばんと言ってしまう。確かに、話すということ、あるいはコミュニケーション能力、今までややもすると軽視をしてきたかもしれません。
 しかし、新しい学習指導要領、先ほどお触れいただきましたけれども、例えば国語の時間の目標の中に「伝え合う力を高める」、要するにコミュニケーション能力を高めるということで、小学校、中学校、高等学校、それぞれそうしたことをかなり強調しておりまして、聞いてみると、我々のころは本当にしゃべるということを余り意識したことはなかったんですが、最近はかなり意図的にディベートさせたりスピーチさせたり、国語であれ英語であれ、そういうことに心がけているようであります。
 ただ、おっしゃるように、それを指導する人がどれだけいるかというと確かに御指摘のとおりだろうと思いますので、例えば、今ちょっと調べてきたんですけれども、小学校の国語の研修のときに俳優さんを呼んできたり、あるいはNHKの元アナウンサーを呼んできたり、あるいはこれは初任者研修で新潟県の場合はお笑い集団NAMARA代表を呼ぶとか、このNAMARAさんという人を私ちょっとよく存じ上げませんが、これがいいかどうかは別にいたしましても、いろいろな努力をして、やっぱり外部のそういう専門家の力もかりながら、表現力を確保するというような努力は従前よりは大分行われているようだと思います。でも、さらにまたそういう努力も必要なんだろうなと思っております。
#116
○山下栄一君 今、大臣おっしゃったように、例えば国語の先生に、話す能力という新しい観点からの指導要領の強化があるから研修を受けてもらって、そういう授業ができるような能力を養おうと思っても、その担当する先生、研修できる先生が、今おっしゃったように、よく考えてみれば、高等教育で訓練を受けたというよりも実践的な中で、例えば落語協会とか吉本興業とかアナウンサーの世界とか、そういう今現在実践的に活躍、俳優さんもそうかもわかりません、そういう方々以外にどれだけいらっしゃるのかと考えたときに、私は、この基本的な人間の能力である話す能力、討論する力、わかりやすく人に自分の意思を伝える、また表現力、そういう観点からも本格的に養成する体制づくりが必要なのではないかと。この前は日本語の話をしましたけれども、今回はそういう観点なんですけれども。
 僕は、例えばこれは浅利慶太先生がおっしゃっているんですけれども、要するに民主主義の基本的な力として、例えば義務教育の正課として西ヨーロッパ系では演劇を正課に入れていくような、そういう国もあると。義務教育でこういう演劇を正課にするということは一遍にいかないかもわからないけれども、人生は劇という観点から考えたら、どう表現して生きていくんだという観点からも非常に大事なものではないかと私は思いますので、この辺の研究もしっかりやる必要があるのではないか。
 演劇は河原こじきというふうに言われてべっ視してきた面があるけれども、自己表現する力というのは今極めて求められているというふうに考えましたときに、日本の教育における話す力、コミュニケーション能力の育成は創造的日本人をつくるための大事な課題ではないかというふうに思いますので、これはやはり本格的に、指導者養成のあり方も含めてしっかり文部科学省におかれましても御検討していただければと思いますけれども、所感を最後にお聞きしたい。大臣にお願いします。
#117
○国務大臣(町村信孝君) 山下委員から大変貴重な御示唆をいつもいただいておりますけれども、今の点、確かに今までややもすれば軽んじていた部分かもしれません。そういう意味で、より一層の充実を、例えば今御指摘になった大学における教員の養成の段階からそうしたことがより強化されますように、一層努めてまいりたいと思います。
#118
○阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代でございます。
 政府案と野党案の違いは、学級編制の標準を四十人に据え置くのか、それとも三十人学級に踏み出していくのか、ここにあるんだと思うんですが、単刀直入にお伺いしたいんですけれども、野党の言うように、十年間かけて四十人を三十九人、三十八人、三十七人、三十六人、三十五人、こうやっていって三十人学級を実現するのはよくなくて、四十人に据え置くのがよいというのが文部省の考えですか。
#119
○国務大臣(町村信孝君) 今回は、私どもは標準は四十人、しかしそれに加えまして、例えば習熟度に差がつきやすいような教科については二十人程度の少人数による指導ができるようにするなどを初めといたしまして、特に必要があるというときにはそうした学習集団をつくることが可能であるというようなことを弾力的に考えていこうということでありまして、四十人のまま何もかも一切びた一文変えないという提案をしているわけではないということは、阿部委員もよくおわかりのとおりだろうと思います。
#120
○阿部幸代君 私は物事を一つ一つ片づけていきたいんですけれども、学級編制の標準です。
 野党案のように、十年間かけて、本当にささやかですよね、三十九人、三十八人、三十七人、三十六人、三十五人、三十四人、こうやっていって三十人学級に踏み出していくのはよくなくて、四十人に据え置くのがよいと、こういうふうに考えているのが文部省ですか。学級編制の標準。
#121
○国務大臣(町村信孝君) そこだけをとらえてどっちがいいんですか悪いんですかというふうに見ないで、トータルの御提案で御判断をいただきたいと申し上げているのであります。
#122
○阿部幸代君 でも、それだとわからないんですよ。学級編制をどうするのかということで、考え方。学級編制の標準、四十人に据え置くのがよいということですか。
#123
○国務大臣(町村信孝君) どうも何かテレビのマルとバツみたいな、こういうゲーム的御質問なので非常に困ってしまうのでありますけれども、私どもは、原則の学級編制は四十人と、それはしかしそれだけではありませんよ、ほかにもいろいろやろうとしていることがあるんですよということを申し上げているので、四十ですか三十ですか、どっちがいいんですかと、そういう単純な質問の立て方は今回の法案のある一部分だけを見ている話であって、トータルでやっぱりごらんいただきたいということを何度も申し上げているのであります。
#124
○阿部幸代君 じゃ、四十人でよいとは言えないということですよね。
#125
○国務大臣(町村信孝君) いや、そうやってすぐ共産党の方は逆にとって、一方的に決めつけるというのは甚だ困るんですね。そんなことを言っておりませんでしょう。
#126
○阿部幸代君 じゃ、よいとも言えないし悪いとも言えないし、これはちょっと保留ということになるんですね。だって、一番ここに関心が集まっているんですよ。
 教育改革国民会議の委員でもあり、参議院の予算委員会公聴会の意見陳述をなさったグレゴリー・クラークさんはおっしゃっていますよね。「小中学校の四十人学級は改善すべきです。日本人が自己主張ができず創造性がないのは、大集団で一方的な教育を受けるからです。これから少子化で生徒児童が減るのに二十人や三十人学級にしないというのは、世界から見れば不思議といわざるを得ません。」、こうおっしゃっているんです。世界の非常識と私は言いたいんですけれども、実は世界から見て不思議なだけではなくて、日本の国民から見ても不思議になっているんですよ。
 全国連合小学校長会の標準法委員会の調査によりますと、小学校の校長先生たちが学級の適正規模を何人くらいと考えているかというと、三十人が四五・九%、二十五人が二九・七%、二十人が六・七%で、これらを合わせますと八二・三%になります。四十人と答えているのは一・二%にしかすぎないんです。
 こういう考え方もよくないとでもおっしゃるんでしょうか。そんなこと言いませんね。
#127
○国務大臣(町村信孝君) ですから、単純にそれだけでいいとか悪いとか、四十人だから三十五人だから三十何人だから、だからそれでいいんですか悪いんですかという、そういう問題設定の仕方が非常に私は一面的なんじゃないんですかと。ほかにいろいろやろうとしていることも全部トータルで、ワンセットで私どもは御提案をしているんだから、それで御判断をください、こう申し上げているのであって、だからどうなんですか、これはどうなんですかという、一見論理的に見えて非常に論理の飛躍がある、私はそういう問題設定そのものに疑問を持っていると先ほど来から申し上げているのであります。
#128
○阿部幸代君 だって、物事は本当に単純なんです。多くの人たちの関心事は今ここにあるということですから、そのことを何だかんだ言ってあいまいにするのは私やっぱり誠実でないと思うんです、文部行政の姿勢として。
#129
○国務大臣(町村信孝君) 私は、誠実にお答えをし、今回の法律も予算も誠実に考えて国会にお出しをして御議論いただいているのでありますから、誠実でないという御発言は撤回をしてください。
#130
○阿部幸代君 文部大臣が誠実かどうかは国民が判断すると思います。
 子供と学校教育現場の苦労をよく知っている校長先生たちですよね。そういう校長会やあるいは国民など、下からの声を大事にしないというのは、私は文部行政として本当に情けない姿勢だということを指摘したいと思います。
 次に、習熟度別学習に関して質問いたします。
 習熟度に差がつきやすい特定の教科について、習熟度別の少人数指導を導入しようという意向が繰り返し明らかにされてきたと思います。今も大臣おっしゃいました。
 そこで伺いたいんですけれども、習熟度というのは何なんでしょう。どのように測定されるのでしょう。
#131
○政府参考人(矢野重典君) 習熟度といいますのは、私どもの理解といたしましては、これは児童生徒の学習内容の理解あるいは習得の程度を言うものというふうに理解をいたしているところでございます。
 そして、その場合どのようにして習熟度別に分けるのかということでございますが、習熟度別の学習集団を編成するに当たりましては、日常の学習状況の観察、あるいは小テスト等を通じまして個々の児童生徒の学習状況を把握して編成するという方法もございますし、また児童生徒の自己評価によって編成する方法なども考えられるところでございますが、いずれにいたしましても、各学校において子供の実情等を踏まえて適切な方法によってそういう編成がなされると、そのことがまた大事であろうかと考えているところでございます。
#132
○阿部幸代君 ちょっと局長は何か飛躍をしてしまったんですけれども、つまり単元とか題材とか、こういう指導を行った際、基礎的、基本的事項がどこまで身についたのか、その達成の度合いですよね。そういうものをとらえる必要がありますね。この達成の度合いのことを習熟度と言うんですよね。
#133
○政府参考人(矢野重典君) まさに、児童生徒のある時点における学習内容の理解、あるいは習得の程度というものを習熟度というふうに理解をいたしているところでございます。
#134
○阿部幸代君 先ほど習熟度のはかり方ということで、観察とかあるいはショートテストとかあるいは自己評価とかいろいろおっしゃいましたけれども、いろいろ方法はあると思いますが、子供はわかるまで教えてほしいし、教師はわかるまで教えたいし、その必要があると思うんです。そのために必要なのが、一人一人の子供が基礎的、基本的事項をどこまで身につけたのかということ、つまり到達度、習熟度を知ることではないかと思うんです。
 つまり、習熟度というのは個別指導のための資料としてまず必要なのではないかと思うんです。グループ分けの手段ではなくて個別指導のための資料としてまず必要なのではないでしょうか。
#135
○政府参考人(矢野重典君) これからの学校教育において大事なことは、一律主義を改めて一人一人に応じたきめ細かな指導を行うということであろうかと思うわけでございます。
 そういう意味で、個に応じた指導ということが大変大事になるわけでございまして、その個に応じた指導の一つの形態として私ども習熟度別の指導方法というのがあるわけでございますし、それはまさに各学校等において判断をして、適切にそうしたものを導入していただくということが大事になろうかと思うわけでございます。
#136
○阿部幸代君 局長はいつも飛躍してしまうんですが、要するに習熟度別の指導というグループ分けじゃなくて、まず個別指導に必要な資料として習熟度を把握することが必要なんですよね。もう一度。
   〔委員長退席、理事亀井郁夫君着席〕
#137
○政府参考人(矢野重典君) 個に応じた指導ということが大事であるということを申し上げまして、その個に応じた指導の一つとして習熟度別指導ということがあるわけでございます。
 その習熟度別指導の一つのあり方というんでしょうか、大事な一つの、編成方法等における一つの重要な資料として習熟度があるというふうに私は理解をいたしておるところでございます。
#138
○阿部幸代君 私はうんと強調したいんですけれども、どの子もわかるまで教えてほしい、どの先生もわかるまで教えたい、その必要もある。そのための資料として習熟度をはかるんです。つかむんです。グループ分けのための材料じゃないと思います。まずそこが大事なところだと思うんです。
 それで、この習熟度を知り、習熟度に応じた個別指導をする上で四十人学級の四十人では無理だから、きめ細かな指導を目指して二十人規模の少人数授業を導入しようとしているのではないんですか。
#139
○政府参考人(矢野重典君) これは繰り返しになって恐縮でございますけれども、これからの学校教育においては、先ほども申し上げましたように、一律主義を改めて一人一人に応じたきめ細かな指導を通じて基礎基本の確実な定着を図り、また個性を生かす教育を一層充実させることが必要かつ大事なわけでございます。
 こうした観点から、今回教職員定数を改善し、習熟度別指導を初めとして個に応じた少人数の指導を可能とし、そしてその指導を通じて基礎学力の向上ときめ細かな学習指導の充実に努めたい、こういうことで今回の御提言を申し上げているわけでございます。
#140
○阿部幸代君 個別指導がやりやすいようにということですね。
#141
○政府参考人(矢野重典君) 個に応じた一つの指導形態として習熟度別指導が考えられるということでございます。
#142
○阿部幸代君 大臣、お聞きしたいんですけれども、いろんなことがごっちゃになって議論されていくんですけれども、大臣もずっと習熟度ということを強調されておりましたね。やっぱり、この習熟度を知り、習熟度に応じた個別指導をする上で四十人学級の四十人なんというのではとても無理だから、だからきめ細かな指導を目指して二十人規模の少人数授業を導入しようとしているんですよね。違いますか、大臣。
   〔理事亀井郁夫君退席、委員長着席〕
#143
○国務大臣(町村信孝君) 習熟度に差がつきやすいとよく言われております国語とか算数とか理科、小学校では。中学校では英語とか数学とか理科、そういうもの、これは例示であって、それ以外であってももちろんいいんですけれども、そうしたもので習熟度というものを一つのメルクマールとして、個に応じた指導をやった方が、そういった差がつきやすい教科なものですから、あるいは現実に差がついてしまった教科が何かあるならば、そういうときにはそういうのもやっていいんですよということをお勧めをしているのであって、四十人であれ三十人であれ余り一斉に、クラスの大体真ん中ら辺に焦点を定めて授業をやるということの難しさが現実に伸びる子供の芽を摘むし、また、今委員がおっしゃったように全員がわかろうとする際には理解のゆっくりした子供にも行き届かなくなる、両方にとってまずいということが私はあるんだろうと思います。
#144
○阿部幸代君 主要三教科だけではなくてそのほかの教科でもということを今おっしゃったと思うんですが、ということは学級標準、学級の人数を二十人、その前に三十人にするのが一番いいんですよ。論理としてはそうなんです。
 次の、生活集団と学習集団との関係について質問いたします。
 一昨日紹介した小学校五年生の作文ですが、もう一度繰り返します。「学校はなにをしに行くのか」。「私も最初は勉強するためって考えていたけど、よく考えてみると、友達をつくって、ふだんから大人になるため準備をするところ、六年間友達として、自分勝手なせいかくにならないようにして、やさしさをつくるところかなあと思う。勉強ももちろん大切だけれど、外で遊ぶことも大切だと思う。」。
 この子がここまで心を整理するようになったのは本当に時間がかかった。年度の初めには、どうしたら仲間外れにならないか、仲間から自分はどう受けとめられどう見られているのか、こんなところにエネルギーの八割をつぎ込んできている子供が、やっぱり例えば社会科の情報社会の勉強で阪神・淡路の大震災、生きるということを勉強した、みんなと学び合った。それから、国語の授業で金子みすゞさんの「みすゞさがしの旅」、自分探しの旅をみんなで学び合った。そういうプロセスを経てここまでたどり着くんですね。
 私、学習集団でもあり生活集団でもあるこの学級集団の中で子供たちが学び合うことの積極的な意義というのは大切にされなければならないと思うんですけれども、大臣どう思いますか。
#145
○国務大臣(町村信孝君) ちょっと御質問の意味がわかりづらいのでありますけれども、今までは生活集団、学級という形で生活集団イコール学習集団というふうにやってきたわけですね。私は、今回の提案は生活集団は生活集団として学習集団と必ずしもイコールである必要がないんじゃないのだろうかというふうに考えて、学習集団の方はもう少し小さい人数で、先ほど来幾つか申し上げたようなケースで二十人にしてもいいんですよということを今回御提案をしているのであって、それが常にイコールでなければならないということは、かつてはそうだったのかもしれませんが、やっぱりこれだけ、例えば学力低下の問題でありますとかいろいろな問題が提起されている折でありますから、私はそこは必ずしも生活集団イコール学習集団でなくてもいいんだろうと、こう思っております。
#146
○阿部幸代君 観念的に考えると、学習集団とか生活集団とか簡単に言うんですけれども、学校というのは子供という人間の集まりなんですよね。午前中の参考人の意見陳述の中でも、今学校に必要なのは人間関係におけるゆとりだということを指摘された先生がいました。人間を見ていただきたいんですね。現実問題として学級集団は残るんです。三科目ぐらいで学習集団を別にするなんて言ったって学級集団は残るんです。やっぱり、子供たちはこの学級集団で学びもし、人間的な交流もしていくんですね。
 文部省は少人数指導を特定の科目だけで習熟度別にやろうという意図を示しています。でも、学級とは別の学習集団をつくろうとしているんですけれども、これは生活集団でもあり学習集団でもあり、その学級の指導に今より一層の困難がもたらされるように私は思います。
 つまり、今でも学級崩壊ということが言われているんですね。その学級崩壊を政策的につくっていく、そういう危険がありはしないかと思うんですけれども、文部大臣、具体的に人間を考えて答えていただきたいのですが。
#147
○国務大臣(町村信孝君) もちろん一人一人の児童生徒がよかれと、こう思って私どももいろいろな政策を考えるわけであります。
 例えば現実に私も幾つかの学校を見に行って、例えば一学年三クラスあってそれが全部一緒になって、少し大き目のホールを使ってみんな一斉に同じことをやるというケースもありました。あるいはこれは総合学習の時間だったでしょうか、一学年が百人ぐらいいて、それを七つぐらいの集団に分けて、また個別にテーマをつくってやっているケースもありました。そこはだから、まさに目的に応じてさまざまな組み合わせでやっていいんだろうなと、僕はそう思って見ておりました。
 ですから、常に学級イコール生活集団イコール学習集団イコール何十人という固定的に考え過ぎることというのは、僕は子供本位に考えたときにかえってそれはよくないんだろうというふうにさえ思いました。
#148
○阿部幸代君 今まででも合同授業とかそれからグループごとの授業とか、それからほかの学級、学年との交流とか幾らでもやっているんです。学年経営、学校経営で幾らでもやっているんです。でも今度の政府の法律が実施されるに当たって、学級集団というのは残る。ここのところを直視していただきたいということですね。困難がもたらされると私は危惧をしています。
 それで、少なくとも大臣、これから教育現場の下からの声をやっぱり大事にする、耳を傾ける姿勢を文部省には持っていただきたいんですけれども、このことはいいですね。
#149
○国務大臣(町村信孝君) 私ども現場の声に常に耳を傾け、子供たちの考え、先生たちの考え、校長さんたちの考え、あるいは教育委員会、すべてのそういう関係する方々、特に現場のお声に私どもは常に耳を傾けなければこうしたいろんな政策は出てこないわけであります。
#150
○阿部幸代君 これからもいいですね。
#151
○国務大臣(町村信孝君) もう当たり前です。
#152
○阿部幸代君 そういうことを言うのはどうしてかというと、具体的に今度の法律改正で、文部大臣は主要三科目を強調して、それで二十人の指導ができるということを何度も何度も繰り返しておられたんですけれども、私はこれはどうも誇大広告ではないかというそういう心配も持っているんですよ。
 文部省の積算では、この二十人授業は今回の加配分の二万二千五百人だけではできなくて、第六次のチームティーチング加配などの一万五千九百人も活用しなければできないということを既に答弁しているんですね。そうすると、チームティーチングをやっていたのに、これを変えなければならないというような事態も起こりかねないわけですよ。それで、チームティーチングでいくか少人数二十人指導にするかは各学校の判断を尊重するべきだと思うんですが、どうですか。
#153
○政府参考人(矢野重典君) 指導方法の工夫改善の加配ということでございますけれども、ただいま御提言申し上げております少人数指導だけでなくて、前回の第六次改善計画の際に設けられましたチームティーチングなどの指導方法につきましても加配の対象としているところでございまして、私どもといたしましては自治体や学校における主体的な取り組みを支援する、そういう観点から定数措置を行うことといたしているところでございまして、御指摘の点につきましては、これは各自治体や学校の判断にゆだねたいと考えているところでございます。
#154
○日下部禧代子君 社会民主党の日下部禧代子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 これまで法案の趣旨に沿いまして学級規模の縮小について主に議論が行われてきたというふうに思います。学級規模の御議論、これは当然法案の趣旨に沿って重要でございますけれども、学校規模というのも、これも重要な課題ではないかというふうに思うわけでございます。午前中の参考人の御意見にも、やはり学校規模ということも考慮に入れるべきであるという御意見も承ったところでございます。
 ところで、これ文部科学省に伺いますが、今の小学校、中学校、平均生徒数というのはどのようになっておりますか。最大はどうなんでしょうか。
#155
○政府参考人(矢野重典君) 学校の規模でございますけれども、学校教育法施行規則におきまして、小中学校では十二学級以上十八学級以下が標準の規模となっているところでございます。
#156
○日下部禧代子君 生徒数ということを言ったので。
#157
○政府参考人(矢野重典君) 小学校でいいますと、一校当たりの児童生徒数が三百三人、また中学校でいいますと、一校当たりの生徒数が三百六十六人となっているところでございます。
#158
○日下部禧代子君 いただいた資料によりますと、小学校でいまだに千五百人から千五百九十九人の小学校がございます。これ最高ですね。それから中学の場合には、千百から千百九十九人の生徒数を持つ中学校が十四校もあるということがこのいただいた表から出ているわけでございます。
 そうなりますと、これは都市別とか地域別にという数字はないかもわかりませんけれども、大体これは過疎過密といいますと、大きな都市にやはり生徒数の多い学校が集中するだろうというふうには、これは想像ができるわけでございます。
 ある数字によりますと、校内暴力の発生率というのと学校規模の相関関係というのを調べた方があるそうでございまして、それによりますと、例えば六学級の中学と三十六学級の中学だと、生徒一人当たりの校内暴力の発生率、対教師暴力で六十倍になるし、対生徒だと三十倍になるなんという数字も私見たことがございます。これは、例えば学校規模が大きくなればなるほど教師の仕事も過密になるだろうし、あるいは千人もいる学校なんかですと、どの生徒がどうなのかと、生徒間の交流も難しいでしょうし、それから教員も当然多いでしょうから、そうなりますと教員間の意思疎通というのも非常に難しくなるんじゃないかなと。そういうことからこういう相関関係も出てくるのかなというふうに容易にこううなずけるわけでございます。
 大臣、この学校規模ということについてどのようにお考えでしょうか。そして、文部省としては、願わくばどのくらいの学校規模であればいいというふうに、これもまた非常に難しい御質問かもわかりませんが、お考えでいらっしゃるのか。また、そういう学校規模について、どういうふうな学校規模にこれからしていこうとしていらっしゃるのかという方向のようなもの、そういった御計画がございますればお伺いしたいと思うんです。
 例えば、これは自分自身の経験でございますが、イギリスの小学校とか中学というのは学校規模が小さいですから、校長先生が朝必ず、来る子供たちに一人一人のファーストネームを呼んで握手しているんです。これ千人なんかだったら、幾らコンピューターみたいな頭の校長先生でもファーストネームを一人ずつ顔と一致させるというのは、もうこれは至難の業だと思います。そういうコミュニケーションによって非常に子供と校長先生、そして先生との間というのがコミュニケーションが図られていく。これやはり規模というのは、学級規模にしろ学校規模にしろかなり大きな意味を持っているなというふうに思うんです。
 日本で校長先生が子供たちのファーストネームをちゃんと呼んで、朝握手している学校というのは、どこかあるのかな、おはようございますというふうにおっしゃっているのは、よくそういう風景は見るんですけれども、一々その子のファーストネームを呼んで握手しているというのは余りないのではないかなというふうに思います。これもやはり小さな規模であれば可能だと思うんですが、そういうことも含めまして、大臣の御所見を伺いたいと存じます。
#159
○国務大臣(町村信孝君) 学校規模については、先ほどちょっと局長が言いかけましたけれども、小中学校では十二学級以上十八学級以下というのが一つの標準パターンになっておりまして、それこそ戦後間もなく、あるいはベビーブームの時代は相当確かに大規模な学校がありました。そういうのは、かなり学校を分割するような形でやってまいりまして、今一部、御指摘のような大規模な学校も依然としてありますけれども、かなりそういう非常に大きな学校というのは減ってきていると思います。逆に、むしろ都心の過疎化している地域とか、あるいはまさに地方の過疎化しているところの小規模学校の統合の問題というのが、しばしばこれ、新聞等を見てもおわかりのとおり、話題になったり、また紛争になったりしているわけであります。
 したがって、これは文部省の方で一律に、十二学級から十八学級とは申し上げてはいますものの、どの人数でということを明示的に言うのは、それぞれの地域の歴史の成り立ちとか、あるいは文化圏といいましょうか経済圏といいましょうか、そうしたもののまとまりのよさといったようなものもあるようでありますから、そこまで私どもが全部を把握するのはなかなか難しゅうございますので、そこはやっぱり設置者である市町村段階でどのまとまりがいいかということを考えていただくしか現実には方法がないんじゃないんだろうかなと、こう考えます。
#160
○日下部禧代子君 まあ市町村のこれは采配でということでございましょうが、学級規模の問題がこれだけ論じられたわけでございますから、学校規模の問題に関しても、文部省は管轄外かもわかりませんが、やはりこれからそういうことを視野に入れた御議論というのもこれは当然必要になってくるのではないかなというふうに思うわけでございます。その点、ぜひ要望をさせていただきたいと存じます。
 次に、いわゆる障害を持った子供の問題でございますね、これは一九九三年から通常の学級に在籍して障害に応じて特別の指導を受けるという、いわゆる通級指導というのが行われている。その生徒の数も次第にふえて、平成十一年度では二万六千人程度にまでなっているということは、本委員会におきまして私申し上げたところでございますけれども、文部科学省が去る一月十五日に、二十一世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議の最終報告で、やはり通常の学級で障害を持つ子供と持たない子供がともに学ぶという方向というのをサジェスチョンしていらっしゃいましたし、そういう当局側のお答えもいただいたというふうに思うわけでございます。
 しかし、そういう方向で進めていくためには、やはり教室あるいは学校内部のバリアフリー化ということ、つまりそういう方向を具体的に実現させるためにも、環境整備ということがなければ、これはただ理念を言うだけで、その理念というのは有名無実になる可能性がございます。現在、学校がどのくらいバリアフリー化を進めているのか、そのための予算措置というのは、これは計画があるのか、どのような形で予算措置あるいはバリアフリー化が進められているのかを御説明いただきたいと存じます。
#161
○政府参考人(矢野重典君) バリアフリー化の状況でございますが、平成十一年の調査によりますと、公立学校施設におけるバリアフリー施設の整備状況は、小中学校においては四四%、また高等学校では六一%の学校につきまして、エレベーター、障害者トイレ等の何らかのバリアフリーのための設備が整備されているところでございます。
 直近の状況につきましては、その後さらに整備が進んでいるものと考えられるところでございまして、現在、各都道府県また市町村等に協力をいただきながら調査を進めているところでございまして、直近の状況につきましては、五月初旬には結果を取りまとめることといたしているところでございます。
 また、予算でございますけれども、これは公立学校施設整備費全体といたしまして、平成十三年度予算におきましては一千六百十九億円を計上いたしているところでございまして、その中で先ほど申し上げましたエレベーター、障害者トイレ等の整備を図るための大規模改造事業というのがあるわけでございますが、その大規模改造事業予算といたしまして百十四億円を計上いたしているところでございます。
#162
○日下部禧代子君 ところで、学校のバリアフリー化というのは、その進め方ですけれども、どういう進め方なんでしょう。例えば建築基準法みたいな、学校を建てるときにどういうところとどういうところとどういうところは、例えばエレベータとかそれからお手洗いとか、そういったところはもうバリアフリーにするべきだというふうに言っているような、そういう指針のようなものはあるんでしょうか。
#163
○政府参考人(矢野重典君) 全国の公立学校整備のために私どもの方で学校整備指針というのをお示しをしているわけでございますが、その中ではバリアフリー化の施設整備をできる限り進めるようにという、そういう一般的、基本的な方針は示しておりますけれども、今、委員のお尋ねのような個々具体的な基準までは示していないという状況にございます。
#164
○日下部禧代子君 これは普通のおうちでもそうですけれども、改築するとか増築するというのは非常にお金がかかるものなんですね。だから、バリアフリーを進めるという法律が最近、これは平成六年のもの、そしてまた平成十二年でございましたか、いわゆるバリアフリー法と言われるような法律ができているわけです。
 しかしながら、これは例えば平成六年の高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律というのは、特定建築物でございますから、病院、劇場、集会場、展示場、百貨店その他の不特定かつ多数の者が利用する政令で定める建築物という限定がございます。これはいわゆる公立の、公の建物といいましても、学校は公の建物ですけれどもそれは入っていないわけです。そうしますと、やはり学校の施設というものはそれなりの対応を法的にした方がいいんじゃないかというふうに思います。
 これは、今までのお話を伺っておりますと、例えば補助をする国庫補助金というのがあるわけですけれども、それはやはりこういうエレベーターが必要だと。例えば、児童生徒などが障害を有して歩行困難だからこそ増改築をするということでその補助をするという形になっておりますけれども、障害のある子供がいるいないにかかわらず学校そのものの建物をバリアフリー化するという、その方がお金も節約できると思うんですね。そういうような法的な手だてというものを必要だとお考えになっていらっしゃいましょうか。
#165
○政府参考人(矢野重典君) 先生御指摘のように、平成六年につくられました高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律、これはハートビル法というのだそうでございますが、その中では対象の建物として学校建物は入っていないわけでございますが、私どもといたしましてはその趣旨にかんがみまして学校建物におきましても、学校施設におきましてもバリアフリー化を推進をしてまいっているところでございます。
 このために、私どもの政策手段といたしましては、そのための施設整備費に対する補助の充実を図るという形で支援をしてまいっているところでございまして、例えば増改築事業におきましては平成三年度から、また大規模改造事業におきましては平成八年度から一般の公立小中学校におきましても先ほど申し上げたようなバリアフリー化のための事業についての補助を行うことといたしているところでございます。
 ただ、先生おっしゃいますように、補助対象となる学校につきましては肢体不自由児が就学している場合とかいろいろ限定があるわけでございますが、実際はその対象を今日まで拡大いたしておりまして、現実にはバリアフリー化を実施しようという事業あるいはそういう計画につきましてはほとんどその補助の対象となっている、そういう実情にございます。
#166
○日下部禧代子君 ですから私は、その発想の転換をすべきだというふうに申し上げているわけです。必要だからはいどうぞというのではなくて、もともとそういうバリアフリーは必要だというのは、これはもう他の先進国では当たり前なんですね。だから、エレベーターが必要だからつける。国会もそうでした、障害を持った議員が選出されるということでエレベーターができました。それから目の不自由な議員が選出されたということでやっとそこに黄色い点字ブロックができました。
 というふうに、工事をするというのはこれはかなり大変だと思う。首相官邸にもたしかお一人障害を持った方が大臣になられたときにエレベーターをおつけになったと思います。それに関する費用というのもこれはかなり大変なものだと思うんです。学校を新しくつくるんだったらば、もともとそういうバリアフリー化が前提であるというような、せめて公共の建物の中でも学校にはそういう手だてを先に法的にできないものかということを伺ったんですが、大臣、いかがでございますか。
#167
○国務大臣(町村信孝君) 大変貴重な御指摘であると、こう今伺っておりました。
 公立学校の施設整備の指針というものを先ほど申し上げましたが、そこではシックスクール対策とかいろんなことが述べられているのでありますけれども、必ずそれをどこどこまでやりなさいというところまで先ほど御答弁のようにいっていないようであります。
 それは、願わくばすべての学校でたちどころに全部と言いたいところですが、これまたなかなか難しい点もあると思いますので、一体どのくらいのペースでどこまで整備できるか、できるだけ前向きの方向で検討させていただきたいと思っております。
#168
○日下部禧代子君 少なくともこれから新築される学校に関してはバリアフリー化が前提であるというふうな進め方をしていただければ、財政的に困難であるという時期であるだけにそれは大変大きな節約にもなるという意味での効率化というのを私はどんどん進めるべきではないかというふうに思っております。
 これは、今私は学校のことを申し上げたんですが、国立大学の場合には一体どういうふうになっているんでしょうか。障害を持つ学生のための配慮というのはどのような配慮が行われているのでありましょうか。
#169
○政府参考人(結城章夫君) 文部科学省の方で直接設置いたしております国立学校でございます。具体的には国立大学、高等専門学校、大学共同利用機関などがあるわけでございます。こういった施設につきましては、障害のある学生などが支障なく教育研究活動を行うことができるようにするとともに、地域社会における学習活動の場としても利用されることから、公共施設として多くの人々が支障なく活用できるよう整備されることが必要であると考えております。
 このような観点から、文部科学省といたしましては、国立学校の施設のバリアフリー対策として、エレベーターやスロープ、身障者用トイレなどの設置を順次進めてきておるところでございます。具体的な予算といたしましては、平成七年度から十一年度までの過去五年間で百三十億円の予算措置を講じたところでございます。
 今後とも、引き続き、国立学校における施設のバリアフリー化の推進に努力していきたいというふうに考えております。
#170
○日下部禧代子君 今、どのくらいという金額が示されたわけでございますが、やはりこれからは政策評価ということが行政の非常に大きな重要な課題だと思うんですね。そうしますと、幾らのお金をかけたからどのようなことに具体的になっているかという、その政策評価ということの視点を大切にしたお金の計算、そしてまた私どもに対する御報告ということがこれから非常に重要なことだというふうに思うんです。
 だから、今の百三十億円が一体どの程度そのニーズに合っているのか。だから、お答えの中にそれが含まれると非常に、私は大学の教師でございましたから、いい点を差し上げたいんですけれども、今のでございますと、どうもこれだけのお金が一体どういうふうになっているのか、お聞きになっている方たちもイメージがおわきにならないだろうというふうに思うんです。ぜひこれからの御回答はそのような視点を含めて御回答いただきたいというふうに、全くないわけではございませんけれども、何かもしつけ加えることがございましたら。
#171
○政府参考人(結城章夫君) その御指摘、全くごもっともだと思いますので、これからはそういう政策評価の観点も含めてよく政策を立案し、評価をしていきたいと思います。
    ─────────────
#172
○委員長(市川一朗君) この際、委員の異動について御報告いたします。
 本日、阿南一成君、柳川覺治君及び松村龍二君が委員を辞任され、その補欠として吉村剛太郎君、森下博之君及び鹿熊安正君が選任されました。
    ─────────────
#173
○高橋紀世子君 私は、昼間、参考人の皆様の前で申し上げたことと大変類似したことを申し上げますので、そこにいらした方はお聞き苦しい点がありますけれども、お許しいただきたいと思います。
 これからの教育のあり方を考える場として、国会や委員会はやはり本当にはふさわしくないと考えております。それは、教育の現場から余りにも遠く離れているからです。
 私たち国会議員のすべきことは何でしょうと考えました。そう言うとおかしいんですけれども、教育のあり方を国会議員が決めないということを決めることではないかと考えました。私たち国会議員は、過去に教育のあり方を指導する権限を内閣に与えることを決めました。それは、勉強の内容などを文部省が全部決めることを決めたのも国会でしたし、今こそその権限をお役所から教育現場に返すときであると思っています。
 真に自立した人間育成の土壌となるのは、自分の人生を苦労してでも自分で切り開いていくこと、そういう機会ではないかと思います。教育のあり方をだれかに指導されながら、自立した人間を多く輩出することはできないように思います。教育の現場が教育のあり方を自決してこそ、それが達成できると思うんです。
 したがって、一学級の生徒数を考える場としても、やはり国会だけで考えてはふさわしくないと思います。国会議員が全国一律の生徒数の基準を全部決めるのは無理があると思うんです。なぜなら、学ぶ内容によって、少人数で学ぶ方がよりよい場合と大人数で学ぶ方がよりよい場合と、いろいろ柔軟にあると思うんです。教育制度を教師や生徒自身が考えれば、自然に臨機応変な教育が可能になると思います。
 本来、教育制度は決まった固定的なものではなく、やわらかい柔軟なものであるべきでしょう。なぜなら、人間は創造的な生き物であり、日々変化、成長する本当に自由な生き物だからです。今後、教育制度を考える場を教育現場に移す大胆さと勇気を私も皆さんも持つべきだとこのごろ考えます。
 その辺のことについて、大臣のお考えを聞かせていただけますでしょうか。きょうの私の質問です。
#174
○国務大臣(町村信孝君) 高橋議員からは前回もほぼ同趣旨のお話もいただきまして、確かに教えられる点がございました。できるだけ教育の現場で物事を決めた方がいい、そのお考えもよくわかるわけであります。
 ただ、じゃすべてを、全部ゆだねることができるのかなということを考えたときに、例えば、よく例に出して恐縮でございますけれども、アメリカのように、基本的にはそれぞれの地域、市町村単位の固定資産税で、それが市町村単位の基準的な収入になり、それがかなりの程度学校の教員のお給料の原資になるという姿があります。もちろん、学校の施設整備も含めてでありますけれども。
 そうすると、例えば私がたまたまニューヨークで勤務をしておりましたときに、まあまあ普通のところに住んでいたから、普通の学校でした。お隣町はもう超お金持ちの弁護士さん等々が住んでいる。そこの学校は物すごく立派ですし、セキュリティーもいいですし、先生のお給料もいいですし、したがって優秀な先生方がどんどん入ってくるんです。もうちょっと下町の方に行きますと、ややスラム化したようなところになると、もう学校も乱れて荒れ果てておりますし、先生の数も少のうございますし、聞いてみると、お給料が安いから余りいい先生が来ないと。
 地方分権も、それでいいんだと言って割り切れば、それは一つのあるべき姿なのかもしれません。もともとアメリカの国というのはそうやって成り立ってきた、コミュニティーがだんだん大きくなって州になり国になってきたところですから、そういう歴史背景のあるところではそういうことも多分許されるんだろうなと、こう思ったりもいたします。
 じゃ、翻って、日本でそれをやったらどうなるだろうかということを考えると、それは確かに、全部これは市町村の財政でやってくださいという割り切り方も、それは一つの考え方としては、あるいは都道府県でやってくださいという割り切り方も、それは一つの哲学としてはあり得るかなと思いますけれども、この場での御議論でも、やはり教育というのは余り極端な差があってはいけないという、まだまだ機会の均等を半ば通り越して結果の平等にまで行ってしまうような議論がこの委員会においてもあるし、国民の中にもやっぱりあると思うんです。
 ですから、私は、一挙にアメリカスタイルにいって、全部現場に任せます、その学校に必要な経費の入りも出も全部学校単位で決めますということはやっぱり私は日本ではなじまないんだろうと思っております。それじゃ、全部国が決めればいいかと、決してそれはそうではないと私も思っております。
 ですから、例えば学習指導要領一つとっても、かつてはかなりきめ細かなことを書いてありました。今はかなり大綱的なものにし、そして今回思い切って厳選をいたしましたから、一つの基準、最低基準としてお示しをし、そこから上、どんどんやりたい方は、その子供のまさに習熟の度合いに応じ、発達の度合いに応じて、小学校三年生が中学生のことを勉強したってそれはいいんですよという形で、個々の児童生徒のレベルといいましょうか、理解の度合いに応じて弾力的に学ぶこともできる。
 個々の学校に着目しても、今まではどちらかというと、施設も教え方も何もかもできるだけ全国均一がよかったという時代もあったんですが、これからは私は公立学校も私立の学校のように特色を持ってもらう、校長先生中心に学校経営をしてもらって、特色を持ってもらう。そして、その特色を情報発信して、それに引かれて、親やあるいは子供たちがあの学校に行きたいといって選べるようにする。そうやって学校自身にも特色を出していく。これは、小中学校はもとより、大学に行けばもっとそうだろうと思います。
 そういうような形で、私は、今まではどちらかというと均一に均一にと、それは文部省がそういう行政をやってきたのも事実であります。そうしたことを率直に反省するということも踏まえながら、私どもは、これからできるだけバラエティーに富んだ教育が行えるようにしていく。そのバラエティーという意味は、まさにできるだけ現場のニーズに合った形でいろいろな物事が決められる。学校の校長先生の裁量できる経費もできるだけふやしていく。教員も全部それは校長先生が決めるというわけにはいかないけれども、校長先生の意見ができるだけ市町村あるいは都道府県教育委員会で重視してもらえるように、今回法律改正もお出しするわけでありますが、そんな形でできるだけの弾力性を持たせつつ、教科書も幾つもありますけれども、一応検定をさせていただいて、一応合格ラインのものだけの中から選んでいただく。全く全部自由というところも、そこはちょっと行き過ぎなんじゃないのかなと、こんなようなことで考えております。
 あるポイント、ポイントの基準は押さえながら、できるだけ現場重視でやっていくということが今我々が進めております教育改革の基本的な考え方でありますし、委員の御意見と合うかどうかわかりませんけれども、私どもは今そういうふうに考えているということを申し上げさせていただきます。
 ちょっと長い答弁で済みませんでした。
#175
○高橋紀世子君 今、大臣がお話しくださって、よくわかりました。
 しかし、地方分権というか、地方が主体になる、分権と言うと私はどうも気に食わないので、地方が主権を持った場合に、やはりどうしてもいろんなことがばらばらになると思うんです。そのときの問題点と、じゃ中央が全部決めて画一的になったときの問題点と比べると、やはり私は、中央が決めてしまったときの、画一的になって無気力になったときの問題点の方が危険を感じますので、どちらかといえば地方が主権になって、少々リスクはあるけれども、そちらにかけてみたいというか、そちらに意見を持って政治活動をしていきたいと考えています。
 学校のことはそんなに簡単なことではないと思いますけれども、自分の子供たちを見ましても、どう考えても、私たちのときよりももっと一字一句画一的になってしまっていることは少々残念だし、それが学校全体の無気力につながっていると私は思っているので、やはり少々今度の変革で変わってほしいと思っています。
 ありがとうございました。
#176
○委員長(市川一朗君) 他に御発言もなければ、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第二〇号)に対する質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#177
○委員長(市川一朗君) 御異議ないと認めます。
 これより討論に入ります。
 御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
#178
○佐藤泰介君 私は、民主党・新緑風会、社会民主党・護憲連合を代表いたしまして、政府提出の公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案に反対の立場から討論を行うものであります。
 政府提出法案に反対する主な理由は、政府案が、学級編制の標準を四十人に据え置いたまま、部分的に少人数授業の導入を図ろうとしていることであります。
 委員会審議でも明らかになりましたように、学級編制の標準を変更しないままでの小手先の改革では、生活指導、生徒指導が今以上に手薄になることや、児童生徒と教師が触れ合う時間がますます少なくなることは明白であります。生活指導の充実と学力向上をバランスよく実現していくためには、学級規模自体の縮小が不可欠であり、参法で言うように、学級編制の標準を三十人に引き下げることからまず着手すべきであります。
 政府案に反対するもう一つの大きな理由は、いかに低予算で教育改革を実現させるかという政府案全体に貫かれた考え方であります。特に、学級編制の標準を見直すことなく、非常勤講師を教職員の定数を取り崩して活用するという政府案の発想は、まさに教職員を安上がりにふやそうとするものであり、教育哲学の貧困を指摘せざるを得ません。まずは、必要な教職員を配置することが先決であります。その上で、弾力的な配置を行うのであるならば、参法にあるように定数の枠外で多様な人材を活用すべきであります。
 教育は未来への先行投資であります。欧米諸国でも少人数学級が主流となりつつある中で、世界の趨勢にも背を向け、財政上の理由から学級編制の標準を四十人に据え置こうとする政府案は、断じて容認できるものではありません。
 以上、述べてきた理由から、私どもは、ここに改めて政府法案に反対であることを表明し、討論を終わります。
#179
○亀井郁夫君 私は、自由民主党・保守党及び公明党を代表して、政府提出法案につきまして賛成の討論をいたします。
 近年、児童生徒をめぐる教育環境はますます複雑、多様化しており、個に応じたきめ細かな学習指導を通じて人格形成と基礎学力の向上を図ることがより一層必要となってきており、そのための指導体制の改善充実が強く求められています。また、地方分権の観点からも、地方の実情に応じた多様な教育の展開が求められています。
 一方、現下の厳しい財政状況のもとでは、この点も考慮した政策を実施することが必要であり、今後の教職員定数や学級編制のあり方についても、これらの点を踏まえた上で、より効果的な施策を実施することが必要であります。
 以上のような点にかんがみますと、政府提出法案につきましては、児童生徒に対して基礎学力の向上ときめ細かな指導を進めるため、教科等に応じて少人数指導を行うことが可能となるような定数改善を行うとともに、学級編制について、地方分権推進等の観点から、児童生徒の実態を考慮して特に必要がある場合には、国の標準を下回る基準を都道府県の判断により設定することができることなどを内容とするものであり、学校教育の充実に資する時宜にかなった適切なものであると考えるものであります。
 一方、四党派共同提出法案につきましては、全国一律の三十人学級の実施や教職員の配置基準の大幅な改善をその主な内容とするものでありますが、学級規模と教育効果の関連については必ずしも明確ではないこと、また、三十人学級とした場合には十数人という規模の学級も増加しますが、集団の中での人間関係の形成や切磋琢磨という面からはある程度の規模は必要であると考えられること、さらに、三十人学級の実施等のためには膨大な経費が必要であり、国及び地方公共団体の財政に重大な影響を及ぼすことが予想されるものであることなどが問題であります。
 以上のことから、我々は、政府提出法案に基づき、より有効適切な施策が実施されることを確信し、政府提出法案に賛成するものであります。
 以上であります。
#180
○畑野君枝君 私は、日本共産党を代表して、政府提出の公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案に反対の立場から討論を行います。
 その理由の第一は、政府案は、国民的要求となっている三十人以下学級実現を見送るからであります。
 今日、世界の流れは、学習効果や人格形成の点でもその効果の認められた少人数学級となっています。一九九九年の日本教育学会でも、学級は二十人程度が適当であると判断しています。ここ数年で地方議会の半数近くが、既に三十人学級、少人数学級の意見書、決議を出しています。一九八九年以来毎年、憲法の精神に基づいて行われている三十人以下学級等を求める請願署名は毎年約二千万、十二年で人口をはるかに超える数になっています。このように、三十人学級は国民の願いになっています。また、三十人学級実現の財政的裏づけも十分にあります。
 ところが、文部科学大臣は、これまでの三十人学級、少人数学級を求める意見書、決議がどれだけあるか数えることは、そこまでやるいとまはないなどと自治体や国民の声をまともに扱おうとせず、アメリカのような科学的実証研究もしないで四十人学級のままに据え置こうとしています。こうした態度は言語道断と言わざるを得ません。
 第二は、三十人以下学級を実現しないで四十人学級のままで、学級を基盤としない基本三教科での少人数授業を打ち出し、習熟度別授業を進めようとしているからです。
 今、子供たちの間では、いじめ、学級崩壊、不登校など深刻な状況が生まれ、授業以前の生活の場である学級が立ち行かなくなっています。子供と教育活動にとって学習と生活は切り離せないものであり、学級規模の縮小こそが求められています。また、子供同士が互いに学び合うためにも少人数学級が求められていることが審議の中で明らかになりました。
 また、日本の教育制度は、国連子どもの権利委員会から、子供たちをストレスにさらし発達をゆがめる高度に競争的な教育制度と指摘され、過度なストレス及び不登校、登校拒否を防止し、闘うための適切な措置をとるべきとの勧告が出されています。
 少人数指導の名で子供たちをふるい分け、新たな競争を強いる習熟度別学習、能力別編成を行うことはやめるべきです。既に、中京大学やイギリス・ロンドン大学の研究は、能力別授業が教育効果を上げないことを示しています。
 第三は、常勤の教職員定数を取り崩して非常勤講師にかえることは、教職員の身分が不安定になり、教職員の集団的な論議や協力による教育活動を難しくするおそれがあるからです。非常勤講師の定数内採用は、一九六六年のユネスコで採択された教員の地位に関する勧告にもある教育の利益に反します。
 こうした問題点を抜本的に解決し、子供たちの深刻な現状を打開するためには、四会派共同提案の三十人学級法案によるほかありません。そのことを強く主張して、私の政府案への反対討論を終わります。
#181
○委員長(市川一朗君) 他に御意見もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#182
○委員長(市川一朗君) 御異議ないと認めます。
 これより採決に入ります。
 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第二〇号)に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
#183
○委員長(市川一朗君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
 なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#184
○委員長(市川一朗君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#185
○委員長(市川一朗君) 独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 政府から趣旨説明を聴取いたします。町村文部科学大臣。
#186
○国務大臣(町村信孝君) このたび、政府から提出いたしました独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター法の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 今日、少年による凶悪事件や問題行動が大きな社会問題となり、子供たちを取り巻く状況の悪化が懸念されておりますが、二十一世紀を担う心豊かなたくましい子供たちをはぐくむためには、子供の健全な育成を目的とする民間の諸活動に対する一層の支援が不可欠であります。
 また、昨年十二月に出された教育改革国民会議報告においては、子供たちの社会性の育成を重視する観点から、自然体験活動等の体験活動の充実や言葉の教育の重視などが指摘されております。
 今回の改正は、このような観点から、子供の健全な育成の一層の推進を図るため、独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センターに基金を設け、青少年教育に関する団体が行う子供の自然体験活動の振興を図る活動等に対して助成金を交付するためのものであり、その内容の概要は次のとおりであります。
 第一に、センターの目的に、青少年教育に関する団体に対する助成金の交付を行うことを追加することといたしております。
 第二に、センターの業務に、青少年教育に関する団体の行う(一)子供の自然体験活動、社会奉仕体験活動その他の体験活動の振興を図る活動、(二)子供を対象とする読書会の開催その他の子供の読書活動の振興を図る活動、(三)インターネットその他の高度情報通信ネットワークを通じて提供することができる子供向けの教材の開発に対して助成金を交付することを追加することといたしております。
 第三に、センターは、前述した業務の財源をその運用によって得るために基金を設け、政府からの出資金及び政府以外の者からの出捐金をもってこれに充てるものとする等、基金に関する規定の整備を行うことといたしております。
 このほか、所要の規定の整備を行うこととしております。
 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いを申し上げます。
#187
○委員長(市川一朗君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 本案に対する質疑は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後三時五十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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