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2000/02/23 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 共生社会に関する調査会 第2号
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2000/02/23 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 共生社会に関する調査会 第2号

#1
第147回国会 共生社会に関する調査会 第2号
平成十二年二月二十三日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十二日
    辞任         補欠選任
     渡辺 孝男君     福本 潤一君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         石井 道子君
    理 事
                有馬 朗人君
                南野知惠子君
                佐藤 雄平君
                大森 礼子君
                林  紀子君
                鶴保 庸介君
    委 員
                岩永 浩美君
                大島 慶久君
                末広まきこ君
                竹山  裕君
                仲道 俊哉君
                橋本 聖子君
                森下 博之君
                小川 敏夫君
                小宮山洋子君
                千葉 景子君
                福山 哲郎君
                福本 潤一君
                小池  晃君
                八田ひろ子君
                堂本 暁子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        大場 敏彦君
   参考人
       三重大学人文学
       部教授      岩本美砂子君
       中央大学教授   植野妙実子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○共生社会に関する調査
 (男女等共生社会の構築に向けてのうち女性の
 政策決定過程への参画についての現状と課題に
 関する件)

    ─────────────
#2
○会長(石井道子君) ただいまから共生社会に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨二十二日、渡辺孝男君が委員を辞任され、その補欠として福本潤一君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(石井道子君) 共生社会に関する調査を議題といたします。
 「男女等共生社会の構築に向けて」のうち、女性の政策決定過程への参画についての現状と課題に関する件について、参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、三重大学人文学部教授岩本美砂子君及び中央大学教授植野妙実子君に参考人として御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。
 参考人の方々から、「男女等共生社会の構築に向けて」のうち、女性の政策決定過程への参画についての現状と課題に関して忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、まず、参考人からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、岩本参考人からお願いいたします。岩本参考人。
#4
○参考人(岩本美砂子君) 三重大学の岩本でございます。本日は、議員の皆様の前で話す機会をいただき、感謝しております。
 私は、日本の行政官と政治家への女性の参画のおくれについて幾つかのお話をしたいと考えております。
 私のものは二枚つづりになっておりますけれども、図表をお配りしてございます。ここにあります欧米諸国では、国家公務員の女性比率は一般の労働力に占める女性比率よりも高くなっております。なぜなら、民間企業では差別はいけないといっても男性が女性より優遇されてしまいます。これに対して、公務の世界ではより女性の進出を後押ししており、女性比率が民間より高めに出ます。
 ところが、日本の公務員の世界ではこうしたことはなく、女性比率は国家公務員全体で約二割、民間よりも低くなっております。逆転現象であります。そうしますと、公務員の世界は男女平等などとよく申しますが、それは建前だけではないかと思われるのです。
 私は、去る九月に合衆国政府の交流事業の招きでワシントンほか四都市を回り、女性政治家等に会ってまいりました。特にワシントンでは、議員のみならず議会スタッフ、議員スタッフ、行政官、そのスタッフに白人女性のみならず黒人女性が多いことに大変強い印象を受けてまいりました。男性だらけの日本の霞が関とは随分様子が違っておりました。
 私は、現在四十三歳です。二十二年前の大学四年生のときに国家公務員の上級試験を受験しております。実は、大学院に進学するのが本当の希望でしたんですけれども、京大の指導教官に、女は大学院を出ても採用されるポストがないから大学に残るななどと言われまして、途方に暮れていたので公務員を受けたわけであります。
 その年は行政職という区分で三十数名が合格いたしましたが、私の人事院の試験の席次は九番でした。合格がわかる前後から霞が関で出身大学のOB、OG訪問ということを行うのが慣例になっております。
 そこで多くの省庁で言われましたのは、うちは上級の女性は採っていないとか、法律職ならともかく行政職の女性は初めから採用しないとかいうことでありました。例外は、当時の総理府、それから文部省、通産省、労働省、厚生省でした。通産省ではごくたまに採用するというので、今は民間に出られた坂本春生さんにお目にかかったことがあります。今度大阪府知事になった太田房江さんはその次に採用されたキャリア女性ではないかというふうに思っております。
 私が志望しました厚生省では、当時、女性キャリアは三年に一人しか採らない、ことしは外れ年であるというふうに言われました。それから労働省は、女性は毎年採っているが枠は一人であるというふうに言われました。私は結局どちらの省にも振られてしまいました。
 私は京大ですが、東大卒の法律職の方が両方の省に入ったということを後で耳にいたしました。したがって、私と同級の昭和五十四年入省の女性キャリアのうち法律職、行政職は二、三人にすぎないということになると思います。
 女性だけの特別の枠が実は国家公務員上級にはありまして、それも優遇のための枠ではなく、女性をより狭い門に追い込む枠であったわけです。最新のデータでは、T種公務員の受験者に占める合格者の割合が男性が四・〇%、女性が一・九%と、合格者の率も低いのですが、合格者の中の採用率は男性が四五%、女性が三七%というふうに女性の方が合格率、採用率ともに狭い門になっているという傾向は変わっていないのではないかと思われます。
 また、さきの大阪府知事の例にありますように、上級職の官僚は政治家の候補生でもあります。ここに女性が少ないということは、女性の政治家のなり手の少なさの一つの要因にもなっているわけです。女性の大臣経験者のうち官僚出身者を見ますと、労働省三名、厚生省一名です。両省が霞が関の例外として女性を登用してきた、逆に言うと他の省庁で女性キャリアが採用されていない一つの証明になるかというふうに存じます。
 また、仮に女性の採用がふえたといたしましても、現在の労働条件、特に予算や国会があると午前様が当たり前という状況が続きますと、母親とかしゅうとめなど家事の専従者とかあるいは男の方の専業主夫でもいない限り、出産後も仕事を続けることは大変困難であります。女性のみならず、男性の公務員も家庭責任と両立するような労働条件が公務の世界に確立されることが必要だというふうに考えております。公務員の世界での男女平等を建前ではなく実質的なものにしていくために、立法府の皆様方の監視が必要だと存じております。
 なお、近々予定されております行政改革で、国立病院や国立大学は純粋公務員の枠からは外れるということになっているそうであります。独立行政法人ということになりますと、私、国立大学の教員ですので自分の身分の問題も若干心配なのですけれども、国立病院と国立大学附属病院の看護婦さんが国家公務員の枠から外れます。そうすると、日本の国家公務員は統計上一層男性ばかりになってしまうということにも注意していただきたいというふうに思っております。
 話を政治家に移したいと思います。
 日本の国会への女性の進出は世界のランキング表等によって一目でわかるように、特に衆議院で世界水準からはるかにおくれています。参議院ではマドンナブーム後にランキングで一けた入りしたこともありますが、その後伸びは緩やかであります。
 知事につきましては、女性参政権獲得後五十三年目にして初めて、民選知事誕生後五十三年目にして初めて誕生いたしました。市町村長は現職がようやく六名となりました。全体の〇・二%に足りません。地方議会では女性候補の活躍が注目された昨年一九九九年、統一選挙を経て改選議席中で女性は七%、非改選との合計で五・九%となりました。まだ九四・一%が男性議員であります。
 諸外国を見ますと、地方議会での女性の進出は国会と同等かそれ以上というのが常識ですので、日本は参議院の方が多く地方議員が少ないという逆ピラミッドになっております。特に、町村議会では四・〇%にとどまっております。地方に行けば行くほど家父長主義が強い、女性が立候補しにくいということです。
 他方、参議院は衆議院より一層日常から遠いと思われている存在なので、しがらみが少なく女性に投票しやすいとでも説明するしかないのではないかと思っております。地方へ行けば行くほど女性が政治に口を出すことはまだまだタブーであります。
 私は、愛知、岐阜、三重、東海三県の女性議員の方に会うことがちょくちょくありますが、男性議員からのセクハラ発言でありますとか、女性を外した夜の席で重要なことが決められてしまうとかといった女性議員バッシングはどこにでも転がっております。また、素人には大変わかりにくい日本の選挙法が女性や新人の立候補のハードルになっているという話も彼女たちからよく聞くところであります。
 女に政治ができるかという発言は、一九八九年のいわゆるマドンナ選挙の参議院選挙の真っただ中に三重県内で当時の農林水産大臣が発言され、物議を醸しました。私も当時の新聞の名古屋本社版に投書して載ったこともございますけれども、こうした女に政治ができるかという発言は公の席ではそのときから言わないことになってきました。しかし、建前はともかく男性の本音としては今でも非常に重く存在しているというふうに思っております。
 女性政治家が少ないもう一つの背景として、女性は文学部などに進学し法学部、政経学部、経済学部といった社会科学の分野に進むことが従来少なかったということも指摘できると思います。最近では女子学生が法学部の三割を占めるということも普通になりました。もっともアメリカのロースクールのように女性の方が多いという状況には至っておりません。
 こうした女子学生を前に、学会で私と顔を合わせて質問をされる男性教授もおられます。一体彼女たちにどう接したらいいものだろうかと言うのであります。私は励ましてやってほしい、彼女たちから裁判官や官僚どころか政治家も出るようになるのだからと答えるようにしておりますが、そうしますと、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をなさる方もあります。女性が議員になるということが法学部の教授の考えの及ばないところなのであります。女子学生がふえることも必要ですが、女の政治学者、法学者もふえ、男性教授陣の頭を改造しないといけないと思っております。
 最後に、選挙法など国会への参画の道筋の話をしたいと思います。
 一般に比例代表制では女性が一定のパーセント入っていることが見えやすく、女性が進出しやすいと言われています。中選挙区時代の日本は、比例代表の国はもとより、小選挙区のアメリカ、イギリス、フランスよりも女性の参画率が低いものでした。比例代表で女性の多い北欧については、岡澤先生も参考人として見えるということですのでお任せいたしますが、ほかの国について少しコメントしたいと思います。
 ドイツは、小選挙区と比例を組み合わせた仕組みです。比例の方が女性が出やすくなっております。フランスは、戦後すぐは比例代表制でありました。一九五八年に小選挙区二回投票制に変え、八六年に比例にして、八八年にまた小選挙区二回投票制に戻しました。比例のときの方が女性が出やすかったというデータがあります。私は、この女性の議会進出という点からは、比例代表の議席を減らすことには反対です。
 フランスは、女性政治家の少ないことではヨーロッパ最低水準で日本に近いような状況なんですけれども、女性国会議員が少ない原因の一つに、フランスで女性が地方議会からも締め出されているということが国会にも出にくいということの原因と言われております。ところが、締め出されているといいながらフランスの市町村議会でも女性は二二%進出しております。市長と市議会議長は兼ねるのですけれども、七・五%が女性です。〇・二%の日本と比べますと、三十七倍も女性市町村長が進出しているわけであります。フランスの市町村議会選挙は名簿への投票です。日本の地方議会の大選挙区単記制という選挙法が女性の参画の足を引っ張っているのではないかとも思われます。
 では、小選挙区や小選挙区比例代表並立制では、女性は絶対的に排除されるのかというとそうではありません。小選挙区のイギリスでは労働党が、各選挙区で候補者の候補者名簿というのがあるのですが、これをつくるときに必ず一人女性を入れてから選考するという原則を立てました。そして、女性が最終的に候補に残るときに、労働党の負けが決まっている選挙区に偏らないように党の中央で調整することになったわけであります。その結果、九七年の選挙、労働党のブレア首相が勝った選挙ですけれども、劇的に女性議員がふえたのは御記憶に新しいと思います。
 フランスでも、社会党が小選挙区候補全体に占める女性の割合をふやす工夫をして九七年選挙でついに女性下院議員一〇%の壁を破ったのであります。アメリカでは、党というよりもエミリーズ・リストを初め女性候補の立ち上がりを支援する基金やNGOが成果を上げております。小選挙区の国においても選挙法の壁は絶対ではありません。工夫次第であります。
 地盤、看板、かばんがなくても女性が立候補できるような政党からのバックアップが必要であります。当選可能性の高い選挙区や比例名簿の上位に女性候補を立てていくこと、現職議員が引退または死亡したときに看板があるからと安易に世襲男性候補を担ぎ出すのではなく、広く候補者を募り民主的な手続で全国レベルの女性比率を考慮しつつ候補者を選定すること、女性が候補者になるために必要な訓練を受けられるよう配慮すること、女性候補に資金援助をすること、党内人事において年功序列を重視しますと当選回数や党活動歴の低いケースの多い女性は結果的に劣位になりますが、そういうことのないように注意することなどが必要です。
 以上のことは、女性ひいきなのではなくて、現状の女性の過少代表、余りにも少な過ぎる代表を是正し、社会のニーズを正しく議会に反映し男女共同参画社会を築くための必要な通過点と考えられます。
 他方、地盤、看板、かばんがなくても公明党や共産党の候補は当選できると言われていますけれども、党外から候補者選定過程が見えにくいのでこの人が候補に決まったと言われても支援団体などとは無縁な無党派女性にとっては何だか疎遠な感じがしてしまいます。特に、両党の女性候補はお母さんイメージを売り込むことが多いのですが、現在は結婚しないかもしれない、子供を産まないかもしれないという意識を持つ若い女性がふえています。お母さんイメージを強調し過ぎることはこうした女性にとって政治はださい、古いという感覚を助長しかねないと私は懸念しております。
 一九六八年から七〇年安保と言われた戦後生まれの若者の政治の季節に、さまざまな運動の中で女性に対して行われた差別や性的虐待について解明、克服されていないことがたくさんあります。当時の政治青年たちが、ついに当時は批判の的とした代議制民主主義の現場に登場してきました。特にベビーブーマーというか、七〇年安保世代の人々が同じ政党の同僚に大量の女性を迎える度量があるのかどうか正念場を迎えていると思われます。
 ドイツでもイギリスでも、政権交代が起きる選挙においては女性がキャスチングボートを握っています。現在の世論調査では、若い女性の無党派志向が指摘されております。この無党派志向の女性たちをどの党が取り込むのか、そしてその女性候補の取り込む媒体として、どの党が女性候補や女性議員を増加させるのか、現在非常に重要なところに来ていると思います。
 また、諸外国の例を見ますと、大政党からではなく、まず小政党が女性を党首にしたり大幅に議員に抜てきしたりして女性票を引きつけ、これに危機感を抱いた大政党が女性登用に本格的に取り組むというふうなダイナミックスも見られています。
 女性候補をどのようにふやしていくのかということは、女性票獲得ということに関して各党が現在直面している非常に重要な問題だというふうに考えております。
 以上であります。
#5
○会長(石井道子君) どうもありがとうございました。
 次に、植野参考人にお願いいたします。植野参考人。
#6
○参考人(植野妙実子君) 中央大学の植野です。座って話をさせていただきます。
 意見陳述の機会を与えていただきまして大変ありがとうございます。
 私の方の報告は、レジュメを用意させていただきましたが、レジュメでかなり細かく述べておりますけれども、かいつまんでまずお話しさせていただき、そして質疑応答の中で補完させていただくという形をとりたいというふうに思います。
 まず第一に確認をしておきたいことは何であるかといいますと、日本国憲法の中には、十三条に個人の尊重というものがあり、十四条に法のもとの平等、しかもその法のもとの平等の項目の中には性別における差別の禁止ということが明示されているわけです。しかしながら、この憲法の条文がありながら、実は、一九八〇年代以降になってから大きな女性問題の解決に対するうねりというものが見られますけれども、それまではなかったといいますか、そのままであったという状況、それがなぜあったのかということを確認しておかなければいけないと思うんです。
 本来であるならば、憲法が性別による差別の禁止を明示しているのであるならばそれで十分であったわけで、そこから男女平等ということの明確な確立ということが成ったはずであったわけです。
 そこで注意をしなければいけないのは、実は解釈というものにおける限界というものがありまして、これは実は今日までも続いている解釈なのでありますけれども、合理的差別を容認すると。合理的差別を容認するということは、異なるものを異なるものとして取り扱うということは差別ではない。このことを男女に当てはめますと、男性と女性では肉体的な差がある、そのほかの差がもし認められるとするならば、そこから異なるものとしての取り扱いということを幅広く認めてしまうという結果になりかねないことであったわけです。そして、それが今日まで実は続いていたということになります。
 もう一つは、私人間への人権規定の直接効力の否定ということがあります。これは、憲法で書かれてある人権規定というのは歴史的な経緯からして専ら国家の権力を規制するものである、したがって私人間においては、私人間ということは、例えば家庭の中であるとかあるいは労働者と企業、使用者との間の関係ということにもなりますけれども、そういう中では直接的な効力は持たない。したがって、十四条が書かれてあっても、それらは優先されるのは私的契約という概念であって、そして直接的な効力は持たない。しかしながら、間接的には効力を持ち得るとするのが多数説でありまして、間接的に効力を持ち得るということは、直接的には効力はないけれども、それを実現する法律があったときにそれを通して実現されるとするということです。しかし、これはワンクッション置くということになりますから、直接的な効力を持っているということからするとどうしても弱いものになります。
 それから、男女平等についての判例というものは、専ら解決を図る場合に十四条というものに言及はいたしますけれども、直接的には民法の規定の公序良俗というものの違反であるというような形で、やはりこれはワンクッションを置くというような解決方法をとってきたわけです。こうした解釈上の限界があったということなんです。
 それから、もう一つ申し述べておきたいと思いますのは、憲法には同時に二十四条に家族生活における個人の尊厳と男女平等というものがあります。しかし、この条文といいますのは、これは方針であるという考え方が非常に強い解釈としてありまして、具体的な権利というものを導くものではないという考え方が長い間とられてきました。しかしながら、今回のように民法の改正ということが浮上したときには、この二十四条というものを援用して、ここから家庭の中における両性間の平等や個人の尊重というものを確立しようというような動きが出てきているということです。したがって、憲法上においても、実はこの十四条や二十四条の解釈がある意味では曲がり角に来ているというふうに考えられるということです。
 こうした解釈上の限界というものをいわば吹っ切るような形になったのが女性差別撤廃条約だというふうに思われます。
 この女性差別撤廃条約の意義を私、四つにまとめて書いておきました。妊娠、出産のみが男女の違いであって伝統的、固定的な男女の役割分担の廃止が不可欠である。それから、差別的法律のみならず、偏見、慣習その他のあらゆる差別的慣行の撤廃を目指す。そして、条約の実効性が確保され、アファーマティブアクションも承認されているという形になって、いわば法上の平等からさらに進んだ実質上の平等というもの、事実上の平等を確保するという手だてが明示されていたわけです。中でも、妊娠、出産のみが男女の違いであるということは、これまで憲法研究者の解釈として男女の違いと言って述べられておりましたものが、私の方で資料として、これはジュリストに憲法の性による差別というものについて書いたものをお持ちいたしましたけれども、それの中にも見られますように、肉体的条件の違いのみならず生理的条件の違い、果てはさまざまな条件の違いをここに持ってくる研究者がいたわけでありますけれども、そうしたものがようやく吹っ切れるという形になり、妊娠、出産のみが男女の違い、そういう形で事実上国内法の整備なども進められ、そして今回労働基準法の改正とかそういうものにも結びついているということが見られるわけです。
 そして、この国際的な観念というものは、男女平等の観念の明確化、それが男女がともに社会的責任と家族的責任を果たすというものであって、違いというものは妊娠、出産だけであるという形でそれが次々に確認されてきているということになります。
 さらに、第四回世界女性会議の中でも、四つに私はまとめさせていただきましたが、女性の経済的自立、女性の労働の男性と同等の正当な評価ということが確認され、人権としての女性の権利、それからリプロダクティブヘルス・アンド・ライツ、性的自己決定権を含むかどうかは別な話ですけれども、そういうものがあることの確認、そして平和と平等、その基本としては人間の安全保障の考え方、この最後のことも非常に重要なものであって、実はこれは九四年の人間開発報告書の中で述べられていることなんですけれども、国家を中心とする安全保障から人間を中心とする安全保障へという道筋がありまして、そうしたことの延長として社会的な不安定要因をなくすことが平等というものであり、そしてさらには平和の確立につながっていくんだという考え方が明示されているということです。そして、この北京の女性会議の中でとられた宣言と行動綱領の中でもアファーマティブアクションが承認される分野として労働、教育、政治という分野が挙げられているわけです。
 日本の現状と課題ということについてはちょっと置かせていただきまして、実は私、大学の方でもフランス法、公法を教えております。フランス法も専門としておりますところからこうした話もさせていただきたいと思います。
 先ほどの岩本先生の意見陳述の中でも出てきましたけれども、フランスは最近まで決して高い女性の地位があったというわけではありませんでした。しかしながら、一九九四年に、私、中央大学の中で日本比較法研究所というところがあるんですが、そこの女性の権利グループを主宰しておりまして、そこで東京女性財団からお金を援助いただきまして九四年に調査をいたしました。そのときの調査の題目というものは、専業主婦に対する保護政策の批判的検討、日仏比較を通してということでありまして、専業主婦に対する保護政策が女性問題の解決を阻害しているのではないかということに着目して日仏比較をしようというふうに試みたものでありました。
 その結果、実はフランスではどこでも聞かれることは、法的平等というものは達成した、残るは事実上の平等、すなわち意識の上での平等である。その平等を達成した現状というのは、保育それから介護というようなことの制度の充実、とりわけ私たちが注目いたしましたのは、寝たきりの高齢者を抱えてもキャリアウーマンが休むことなく自分の仕事というものに邁進できるというような状態がある。それから、オプションでつけられるものはあるけれども、最低限の介護というものに関しては自分自身の年金で賄うことができるというような現状も見ました。
 そして、さらに重要なことは、その保育をする側あるいは介護をする側といった、そうした人たちの権利の保障ということも十分に考えられている。すなわち、どういうことであるかというと、労働時間の短縮それから休暇の充実、そういうものによって補完ができるという部分があるということです。さらに、フレックスタイムなどの導入というのも企業で図られておりまして、父親の家族的責任というのも十分に図られるようになっているということです。
 しかしながら、当時でも政治の場における過少代表ということは問題になっておりました。しかし、これについては、私たちの方からは小選挙区制が弊害なのではないかというような質問の矛先を向けますと、返ってくる答えは、いや、そうじゃない、政党内改革の問題なんだ、政党内で男女平等というものが成り立たない限り平等というものは政治の場において出てこないという力強い言葉というものを受けたわけであります。
 そして、最近ではようやく、先ほどの話にもありましたように一〇%以上になったということですが、まず注目すべきはどういうことであるかといいますと、組閣のあり方、これが違う。発足時、ジョスパン首相のもとでは二十六人中八人ということでありましたけれども、現在は十人になっております、女性閣僚。しかも重要な点は、女性に向いているというような職域の大臣に女性を入れるということではなくて、非常に政治の重要課題となっているところに女性大臣を入れている。例えば法務大臣、労働大臣、環境大臣といったような課題の解決が非常に重要であると思われるところに入れているということです。しかも、ジョスパン首相は、もとよりパリテというようなことについて公約をしておりました。このパリテというのは男女同数という考え方であります。
 実は、「フランスの動向」の中の三以降について書いてありますところがこのことにかかるわけなんですけれども、このパリテの関係する条項、すなわちパリテという言葉自体を実は使ってはおりませんけれども、パリテ条項というふうに言われるものが昨年の七月、憲法改正になりまして、改正として入っております。男女同数という考え方が入っているということです。
 こうしたような、このパリテの考え方が入ったということによって、これまで日本では、先進国の中ではフランスが比較的政治における過少代表があるということで、昨年の男女共同参画白書などにおいてもフランスとの比較をしている部分というのが随分あったわけですけれども、これによってかなり状況が変わってくるだろうということが想像できるわけです。この憲法改正に伴いまして、ことしに入ってから候補者リストにパリテを適用する法律の採択というようなものにも至っております。
 実は、ここに至るまでの経緯というものがありまして、これは決して簡単なものではありませんでした。後ほど御質問があれば詳しくお話ししたいというふうに思いますけれども、八二年に実は市町村の候補者リスト、議員の候補者リストの中に、いわゆるフランスではディスクリミネーションポジティブ、日本語に訳しますと積極的差別というふうに訳せるんですけれども、アファーマティブアクションということです。これを入れた法律というものが実はフランスでは違憲判決を下されてしまったわけです。
 すなわち、政治の場面で何とかこの状況を打破したいというふうに思ったんですけれども、まず地方からということで入ったにもかかわらず、そうした法律が違憲判決を受けてしまったということに対して、これはどうしたものかということで、にわかにこのパリテ、同数という考え方が入ってきたんです。
 アファーマティブアクションであるとどういうような面が問題になるかといいますと、アファーマティブアクションというのは、三〇%にするのかあるいは四〇%がいいというふうに目標数値を設定するのか、これは甚だ実はあいまいなわけです。実は人口比率からいいますと、フランスでも女性の方が過半数を占めているわけです。人口比率で過半数を占めていながら、実際上そうしたアファーマティブアクションでパーセンテージは開きがあるということをどのように説明するのか。
 それから、アファーマティブアクションというのは、これは暫定的な措置というふうに言われるわけですけれども、じゃ、暫定的な措置ならば、達成したというふうに見られるときは一体いつだというふうに判断をすべきなのか、判断をした場合にはその法律は引っ込めるというふうになるのかどうなのかというような、そうした難しい面をいろいろと抱えているというようなことで、これは平等ということを推し進めている方からもいろいろと疑問があった点であったわけです。
 そして、むしろそうであるならば、代表性というものに着目すると、人間というものは女と男しかいないんだ。そういうものからすると、女と男が同数程度代表されているということになれば、それは本当の意味での平等ということを確保できるのではないだろうかというような考え方が非常に広まっていったということです。
 しかし、このパリテというものを実際に法律に入れるということに関しては、女性団体などもかなり運動を繰り広げておりましたけれども、なかなか法律学者の中ではパリテでもやはりもちろん難しい、すなわちどういう形でそれを取り入れるのかというようなことについて疑問がある、あるいは憲法のよって立つ根拠条文をどうするのかなどというようなことに非常に疑問があったわけです。しかしながら、今回、憲法改正という形で入りました。
 これは、ある意味ではジョスパン首相の公約がある程度結実したというような形になるわけですが、そういうふうな形で成ったと。そして、日本においてこれを引き比べて考えますならば、やはりフランスのようなある意味ではカンフル剤というようなものが日本においても必要ではないのか。日本ではよく時期尚早というような言葉が使われますけれども、平等というものはある意味でつくり上げてこなければならないわけです。なぜならば、やはり差別意識というものは固定化して長い間あるものなわけです。アファーマティブアクションというものも決して平等達成になるというふうに確認されているわけではないわけですけれども、しかし、このようなものを用いるということによって、女性がさまざまに今まで受けていた固定観念、そうしたものを排除する、そういうようなことになっていくだろう。
 私は、考えますならば、このアファーマティブアクションに対しては、日本の憲法学者ももちろん容認しているわけではありません。こういうようなことについても御質問があればお答えしたいというふうに思いますけれども、いろいろな難しさもあります。それから司法の場においても、平等ということに対して、先ほども言いましたようになかなか難しい面があるというようなことを打破しなければいけない。
 もう時間が過ぎましたから一つだけ申し上げておきたいと思いますけれども、司法の場で考えておかなければいけないことは、これまで男女平等ということが成り立ってきたのは国際的な動向を受けてということが大きかったわけです。しかしながら、立法の部門でもそうかというふうに思いますけれども、司法の部門でもなおのこと国際的な動向を受けてこういうふうにしなければいけないんだというようなことは出てきておりません。
 すなわちどういうことであるかというと、司法の分野においては国際法規というものの重要性というようなことはまだ非常に消極的にしか考えられていない。弁護士さんの方では国際法規にのっとって弁論を展開するということもございますけれども、しかしながら、それを裁判官の側が受け入れるというようなことは極めて限られた場面でしかない、非常に少ないというふうに言わざるを得ない。むしろ国際的な動向というものによってやはり日本も変わらざるを得ないし、本当の意味での平等確立のためにはこういうようなことをしなければいけないんだ、そういうような認識が必要であるというふうに思います。
 男女共同参画社会基本法ができたところでありますけれども、ここの五条に政策決定過程への参画ということが書かれておりますが、ここのところで何らかのもう少し強い文言が欲しかったところだなというのが実は私の感想であります。
 以上であります。ありがとうございました。
#7
○会長(石井道子君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#8
○岩永浩美君 自由民主党の岩永浩美です。
 きょうは、岩本先生並びに植野先生、本当にお忙しい中ありがとうございました。今、両先生から日ごろお考えになっていることをいろいろ御指摘いただきましたが、二、三それぞれ御質問させていただきたいと思います。
 まず、岩本先生に、女性の方の政治への参加が非常に少ないということ、議員や政治職への進出状況を見ると諸外国に比べてかなり低いことを私は承知いたしています。また、その理由の大きなものに、女性は政治に口を出さないという過去の一つの思いが多分にあったと私は思います。
 特に、私は九州佐賀県ですが、家父長的な感じの中で、女性の政治参加というのがかなり低くて、女性の政治参加を否定してきている部分が多分にあったことを、現実の問題として私はそれは認めます。しかし、女性の方にもそういう一つの風土に甘えて政治職へ進出をしていこうという意気込みがなかったことも事実ではないのかなという思いも正直私はいたします。
 そういう意味で、制度とか環境の問題よりも、そういった自覚した女性というのが、今ここでこうやって共生社会の議論をしていく議員さんあるいはそれにかかわる皆さん方は非常に政治意識も高うございますが、現実にそれぞれの地域に帰って議論するときに、それは男性の方に任せておこう、それはうちのお父さんに話をしておいてくださいというような感じで、積極的に参加するというのがない部分というのが、都市部において私はまだそういう一つの懇談の場を持ったことがないのでわかりませんが、田舎の場合ではえてしてそういうふうなことを正直非常に強く私は感じます。
 そういったものがあったからやっぱり政治への参画というのが少なかったのではないかと私は思いますが、その点について、先生はどうお考えなのか、またそれを打破して、現実に女性議員をふやしていこうとするためには何をどういう形で強く訴えていくことが必要なのか、お感じになっていることの一端を教えていただければと思います。
#9
○参考人(岩本美砂子君) お答え申し上げます。
 ただいま指摘されました点は大変胸にこたえますといいますか、女性にとって辛口でしかも現実をつかれた御指摘だと思います。
 女性の側に意気込みが足りないということなのですけれども、これは小さいときから女性は他人の言うこと、男の言うこと、夫の言うこと、父の言うこと、偉い人の言うことには従うべきだという教育が、二十になる、有権者になるくらいまでにずっとしみついてしまっているということが非常に大きいのではないかと思います。素直なよい娘であるということは、人に逆らわない、言挙げをしない、政治に参加をしないという人間づくりになっているのだと思います。望まれる女性像というものが女性も男性も通じて大きく変化していかなくてはいけないのではないかというふうに思っております。
 これはそれぞれの意識変革の問題であると同時に教育の場の問題でありまして、例えばようやく最近になって家庭科の男女共修というものも入ってまいりましたし、名簿においても男が先、女が後ではなくて、男女混合ということがありましたけれども、例えばホームルームの時間に男女平等の話し合いをしようと言っているのに、その場で女の子はみんなスカート、男の子はみんなズボンをはいて話し合っていて、男女の同等の参加について話し合おうというのは何か一つの漫画のようなおもしろい気がしてしまうんです。そういう男らしさ女らしさについて二十になるまでに教育の場ですり込まれてしまって、消極的なのがよい女性だというふうな考え方があるというのを随分改めていかなくてはいけないのではないか、教育上の工夫が必要なのではないかというふうに考えております。
 それから、日本の政治におきましては政治腐敗ということが何度も繰り返して問題になってきました。政治というのは汚いものだという観念がありまして、これが女性が政治を敬遠する一つの大きな原因になってきたのではないかと思います。今はもちろん男性の方の比重が非常に大きいわけですけれども、現状の中でも政治をクリーンなものに変えていくことによって女性の方が政治を遠ざけるという気持ちをなくしていく、政治というのはだれかほかの人がやる汚いものではなく、自分たちがやる、社会にとって当然必要なものなんだというふうに、政治というものの受けとめ方を女性も男性も変えていくということが必要なのではないかというふうに思っております。
 以上です。
#10
○岩永浩美君 今それぞれ先生のお考えを申されましたが、私自身、去年統一地方選挙で当選をされた市町村、県議会の女性の議員さんたちを囲んでの研修会を年四回持っています。それは、女性議員さんが議会の中における質疑の質を高めていくためにどうすべきかというような問題、私自身地方議会に二十年ほどいましたので、どういう形で質疑していくことによってその意見を政策の中に反映するかという一つの経験を通して、一年四回地方議会がありますが、その議会の前にそれぞれのテーマを構えていろいろな勉強会をいたしています。
 そんな中で、先ほど先生から言われたように、長い年月をかけて家父長主義的な環境の中で育ってこられた女性議員の人たちが、こんなことを言って大丈夫かなという、質疑のテーマが少し遠慮がちになって本質的な議論をあえて避けようとしておられる部分が多分にあったりして、本心を引き出すことに非常にやっぱりちゅうちょしておられる面がございます。それと同時に、そういう一つの環境の中で成長してきた過程から、これを言おうあれを言おうという技術の錬磨ができていない。そういう技術的な錬磨をしていくためにどういう場でどういう形の研修をしていけばいいのか、そういうことについて何かのお考えがあれば教えていただきたいということが一点。
 それから、過日、市川房枝記念会の方で出されたそれぞれのアンケートを読ませていただきました。国会議員の先生方はそれぞれ政党の御支援をいただいて立候補し当選をされていますが、市町村地方議会においては、市民運動をされた方、あるいは生協やPTAあるいは消費者団体等々の中で活動された方が地方議会に多く進出をしておられます。それぞれの地域にある地域婦人会の代表というような方は余り議会活動の中には出ておられません。そういうことをよく私は見ると、市民運動やPTAの活動、そういうところを通して自分の一つの政策PRをしていく技術やそういうものを会得してこられたのかなという思いを私は強くいたしています。
 先ほど、日本の国内においては市町村あるいは国会、衆議院、参議院と女性議員の比率についていろいろ申されましたが、私はいずれ地方議会においてもこの比率はだんだん高まってくると思います。そこで、先ほどから御指摘をいただいているように、欧米諸国における女性の比率が非常に高くなってきたのは比例代表制の中でやっぱりその比重が高くなってきた。国内における選挙も、参議院の方がその比率が高いのは比例代表の議員の皆さん方の率が高いというお話をされましたが、皆さん、先生方は、女性の数が多くなっていくことで、比例代表であろうと小選挙区であろうとどちらの方から余計出てこられる方がいいというふうに考えられるのか。それぞれ政党の代表として女性議員の比率が高くなっていくことがいいとお考えになるのか、あるいはそれと同時に小選挙区からもそれぞれ議員の方々が数多くお出になってくることが望ましいというふうにお考えなのか、お尋ねをしたい。
 それから、先ほど岩本先生は、お母さん的政治家はださいという意見があるというお話をされましたが、お母さん的政治家がださいというのは何が根拠なのか。私からすると、現実の問題をよく理解しているお母さん的政治家も一面において存在することが政治の一つの幅を広めることであって、キャリアの女性だけがずっと前面に出てくるということが必ずしも望ましいことばかりではないという考えを私は持ちますが、その件についてどうお考えなのか、お聞かせ願いたい。
#11
○参考人(岩本美砂子君) では、お答えいたしたいと思います。
 今、岩永先生が一年四回の地方議会ごとに地方議員のための研修会をやっておられるということを言われましたけれども、これは自民党でもどの県でもあるとは限らないことだというふうに存じております。愛知、岐阜、三重の事例しか私存じませんけれども、特に自民党、社会民主党につきましては地方議会前の研修とかというものはないに等しい。党の方針というものがなくて、自分たちがその場その場で考えなきゃいけないことが多くて大変困っているということを聞いております。女性議員から聞いているわけです。これは女性男性問わず、党の方で地方議会ごとに研修会をやられるということは議員の質を高めていく上で非常に重要なことで、立派なことをやっておられるなというふうに思いました。
 女性の側の問題として、さらに本質的な議論を回避してしまうような傾向でありますとか、あるいは議論の技術の錬磨ができていないというふうなことを言われましたけれども、先ほど言われましたように、市民運動その他の中で鍛えられていくということもあると思いますし、それから日本の学校教育は読み書きということが中心になっておりまして、口で何かを言ったりやりとりをしたりということについての訓練がほとんどなされておりません。ですから、議論、ディベートとか、そういうことにつきまして、女子も男子もですけれども、口頭のやりとりの技術を身につけさせていくということは学校教育を変えていく上でこれから非常に重要なことになってくるのではないかというふうに考えております。
 さらに、比例と小選挙区のお話をされました。比例は女性が出やすい、もちろん女性は出てほしいわけですが、では小選挙区の方は後回しでよいかというと、決してそういうふうには思っておりません。ただし、小選挙区で女性候補者あるいは女性議員をふやすのは非常に工夫が必要なんですね。だから、その党その党の各地区各地区、各選挙区ごとに選考していたのでは、ふたをあけてみると最後に残った人は結局どの選挙区も男性候補だったということになりかねないわけでして、最終候補を決定する前に党が、全政党が全国レベルで女性の比率はこれぐらいにしなきゃいかぬという調整をやっていただく、ブロックレベルか全国レベルかでというふうな比例以上の政党内での工夫がないと小選挙区で女性が出ることは困難と思いますが、そういう工夫が必要で、小選挙区からもぜひたくさん女性は出ていただきたいというふうに思っております。
 それから、ちょっとお母さん的政治家ということについて私何か辛目のことを言ってしまいましたけれども、私自身は体が余り丈夫でないものですから、実際は今一人子供おりますけれども、子供を産まないまま生きていく人生というものになるかなというふうに若いころは常々思っていたことがあります。そうすると、演説をなさる方、男性の方でも女性の方でもですけれども、例えばそこのお母さん方というふうに言われてしまうと、中年の、子供がいて当たり前の年齢の女性だとみんなお母さんだというふうにくくられてしまうと、子供を持っていないとか結婚をしていない人が持つ疎外感というのは非常に大きいんですね。
 だから、お母さん的なものを大事にされることは非常に大切なのですけれども、シングルで生きているとか子供を産まない、あるいは産めないという立場の人がいる、その人たちはちょっとした言の葉にも傷つきやすいということを忘れないで対応していただきたいなという意味で申し上げました。
 以上が私の答えです。
#12
○参考人(植野妙実子君) 私の方からも少しお話しさせていただきたいというふうに思います。
 まず、女性の参加が少ない、その原因には女性の方にも政治に対する意欲というものが欠ける点があるのではないかというお話ですけれども、女性の政治進出の問題というのは非常に広い問題とかかわっているというふうに思います。結局、この社会内におけるあらゆる差別といいますか、そういうものがやはりこういうものに一番あらわれやすいということがあると思うんです。
 私は、ですから女性というものが自由で自立するという、男性と対等の立場というふうになるということは、まず経済的自立ということでありますし、その次に政治的な自立、自分で考え、自分で行動できる、もちろん投票するあるいは政治家として立つというような、そういう女性であり、なおかつこれから国連の方でも問題になってくるかと思いますけれども、性的自由ということですね、身体の自由、こうした三つが確立されて初めて男性と対等の女性になるというふうに考えておりますが、この政治の問題というのは非常に広くかかわっておりまして、やはり先ほど出ましたように、教育の場においてまず長い間女性というのは何となく補佐的な立場というようなところに追いやられてきた傾向があると思うんです。
 例えば、自治会活動などでも、女性に向いたもの、それが書記であるとかあるいは会計であるとか、そうした自治会活動などの場所においても役割分担がなされていた。それから、PTAなどでも、もっと出てくればどうかという話が出ましたけれども、しかしながらPTAの、私がもう少し小さかったときの話ですけれども、どういうような状態であったかというと、実際に活動しているのはお母さんたちでありながら、実はPTA会長は男の人がなっている。重要な場面ではそういう男の人が何か話をするという、それが当たり前であったと思うんです。
 やっぱりいろいろな場面で役割分担をずっとやってきて、何か常に女性は補佐的であるというようなそういうものが非常に長い間植えつけられていますと、そうそうなかなか女性に、じゃ自覚しなさい、政治に出なさいと言っても難しいと思うんです。そこが結局、国連などにおいてアファーマティブアクションということが必要なんだよと、長い間スティグマといいますか、烙印を押されたそういう差別的な観念というものを払拭するための方法としてこういうのがあるんだということを見せているというふうに思います。
 それからもう一つは、これも非常に辛口のことになるかというふうに思いますけれども、確かに女性の投票行動の調査などを見ますと、女性の投票率が低下傾向であるとか、男性より高かったんですけれども、しかしながら低下傾向になっているとか、それから選挙への関心が薄れているとか、政策を考えないとかあるいは政策がわからないというような形で投票する場合が多いとかというそういう調査結果などが出てきますが、これは女性が政治に関心をなぜ持てないのかということも分析する必要があると思うんです。女性にとって魅力的な政治が行われているんだろうかということです。何となく口では男女平等というようなものが先行していながら、実質的な方策として出てくるものがかなり後退しているといいますか、ある意味ではあいまいであるというようなものが多ければ、一体これは何を指しているのかということがわからない、そして興味が持てなくなる。政治不信というものがそもそもあるのだということが問題だと思います。
 それから、これは政治の問題に関しては女性だけではなくて男性もそうだと思うんですけれども、政治のことに関する関心が薄れてきているということは、政治自体の重要性、民主主義の重要性とかそういうものがやはりわからなくなってきている、あるいは政治のメカニズムというものが非常にわかりにくくなっているということが原因だというふうに思います。
 そして、先ほど教育の話も出ましたけれども、教育の中でも、主権者教育ということを憲法学者や教育法学者は申しますけれども、しかしながら主権者教育というのが中学や高校の中で行われているというふうには思えないわけです。つまり、自分は主権者になっていくんだ、一票を投じるということがいかに重要なことになるのかということが教育の過程の中で認識されていないということが非常に大きい。そして、ディベートですね。議論をする、議論をしてどういうものを選ぶかというようなことについて、そういうチャンスもない、そういう教育を受けてきていないということが非常に、言ってみれば民主主義の危機であるというふうにとらえるべきだというふうに思われます。
 フランスの話をしますと、フランスなどではこのディベートというのは非常に重要視されております。大体私たちも国際的な場所に行って他国の人たちと渡り合うというのは非常に大変なわけです。つまり、彼らはその場で言いたいことを箇条書きに、一何々、二何々、三何々というふうにまとめるそういうような能力、話をしながら、話し合いをしながらまとめる能力というものを備えるようなそういう教育を受けてきている。これでは国際的な立場において、実は外交面などにおいてこれから日本がどうやって太刀打ちしてやっていくのかというふうにも思われるわけです。
 そういうことから、考える、そして意見を述べる、発表するというようなそういう教育というものをもっともっと広めていかない限りは、女性のみならず、男性もなかなか政治の場所に出にくい、あるいは政治に投票することの重要性ということがわからないというふうに思われます。
 そして、女性議員をどうやってふやすかということに関しては、やはり長い間そういう差別的な構造の中で女性が生きてきたということを考えますと、女性リーダーというものを何とかして育成していく、こういうようなところを例えば地域などにおいてするというようなことが考えられますし、あるいは女性の政策決定機関等を研究しているNGOであるとか研究機関というようなものを支援し女性の参加促進計画に活用していくというようなものも考えられると思います。それから、先ほど私も指摘しましたように、政党内改革の問題、これも非常に重要な問題だと思います。
 選挙制度のことが出てきました。選挙制度では、先ほど岩本先生の方の御検討ということで十分かというふうに思いますけれども、やはり小選挙区制は出にくいというのは事実だと思うんです。女性がすそ野にたくさんいるところであれば小選挙区制で女性も出るチャンスというのはあると思いますけれども、まずもってすそ野が狭い、つまり候補者になる人間が少ないというのは、これは何とか解消していかなければいけないというふうな問題だと思います。
 それから、もう一つつけ加えさせていただきたいと思いますけれども、選挙における動向等の調査、それから分析というようなもの、これをもっともっとする必要があるのではないだろうかというふうに思われるわけです。
 例えば、日本においては選挙というふうに一くくりの中で語ることができるのだろうか。国会議員のレベルの選挙とそれから地方議員の選挙とはかなりかけ離れたものがあるのではないだろうか。例えば、国会関係はやはり何といっても政党中心ということですけれども、私がさっき申しました政党内改革が重要だというのは、政党中心の選挙をやっているところの話になるわけです。地方議会になりますと、これは圧倒的に無所属の議員が多いわけです。
 そうしますと、その無所属の議員、実はこの無所属議員の出てくるパターンというのがあるかというふうに思うんですけれども、そういう全体の八〇%を占める無所属地方議員のこの内容をもう少し調査してみないと、なお一層、その少ない女性が無所属としてどうやって出てくるのかというようなことになるんですね。実際上、女性が地方議会の議員で活躍されているというような場合は、ある程度の政党のバックがあるとか、あるいはかなり多いのは夫の身がわりとか、こういう身がわり選挙が多いと思うんです。したがって、なかなか市民運動などを通して出てくる、これをいわゆるすき間といいますか、さまざまな議員が活躍している中から市民運動などを通して女性が出てくるというようなことは非常に難しいようなことがあるのではないだろうか。
 それからもう一つ地方議員のふえないことの大きな原因というのは、地方政治そのもののあり方ということと関連していると思うんです。地方議会の議員に期待されている役割というものは何であるかというと、これはやはり補助金をとってくる、あるいは地方の商工業の活性化というようなものになってきて、こういうものと女性とがなかなか結びつかないということをやはり分析しておく必要があると思うんです。こういうことを認識しておきませんと、そういう分析ができておりませんと、やはり女性そのものが出てくるためにはどうしたらいいんだろうかというようなことに結びつかないというふうに思われるわけです。ですから、地方政治のそうした構造的な変革というものは必要だということ。
 しかし、これに対しては私は暗いというふうには思っておりません。もちろん改革すべきであるのは当たり前なんですけれども、地方においても、そうした地方の商工業の活性化であるとかそれから補助金を引っ張ってくるとかというようなことが重要視されていた時代というのはある意味では終わりを告げて、これからは地域の身の回りの事柄をする政治ということが非常に地方に課せられる。例えば介護保険法などを通してみてもわかりますように、そうしたものが重要になってくるだろうと。
 そういうことを考えますと、身近な地域の福祉の充実など生活中心型になる必要がある、現実に必要とされるというふうになりますと、地方政治もそういう意味では変わってきて、女性も、これまで女性の役割だというふうに言われたところからでも少しずつ出てくるということもあるのではないだろうかというふうに思われるわけです。
 以上です。
#13
○岩永浩美君 植野先生は、女性の政界進出について、差別的制度の中で女性が非常にやっぱり政界に進出するのができなくなったんじゃないかと。私は差別的という言葉は余り使いたくないんで、私の田舎では、家父長的なそういう一つの習慣の中で、出てくることが少しおくれていたんじゃないかというふうに私は理解していますんで、差別を受けて、女は出るなとかそういう極端な感じではなく、今までの長い歴史の中でそういう一つの地方の習慣がそういうふうにせしめていたのではないのかなという一つの思いを私自身は強くしています。そのことをちょっと先生に申しておきたいと思います。
 それと、先ほど経済的な自立と政治的自立、身体的自立、この三つが整っていないとやっぱり女性の政治への進出というのはできないのではないかと言われるけど、経済的自立ということはどういうことなのか。政治的に自立というのはわかります。身体的自立というのは、自由な時間を持つということなのか、それはどういうことを意味するのか。経済的自立というのは、自分が政治をやっていくためにふさわしいそれだけのファンドがなければいけないということなのか、それはどういうことを意味するのか教えていただきたい。
#14
○参考人(植野妙実子君) お答えしたいと思いますけれども、私、最後の問題の方からお答えさせていただきますと、先ほど申し上げましたのは、女性の三つの自由と自立の確立が必要だというものは、男女平等というものを確立するためにということで、政治の世界でのというようなことで限定しているのではありません。
 しかしながら、お話が出ましたのでついでにさせていただきますと、経済的なバックが女性議員が出にくいということについて関係があるかどうかというようなことを言いますと、それはやはり経済的なバックがなければ政治の世界に出られないというのは、これはある意味では当たり前なんではないでしょうか。当然のことだと思います。そういう意味で、女性に対して政界へ出てくるためには経済的なバックも必要だということです。
 ただ、御質問であった政治的にとって必要かどうなのかということに関しては、男女平等においてということです。私の方のレジュメの二枚目の六の「日本の課題」というようなところで、まとめる形で星印のところに書いてあることが先ほど申しましたことに該当いたします。
 それから、岩永議員のおっしゃった差別というのではないんだというのは言葉の使い方であって、はっきりさせたいというようなことで私は差別という言葉を使いましたが、申し上げたい趣旨は岩永議員のことと同じでありまして、やはり長い間家父長的なそういうものがあって、私としては結果的には差別にそれが結びついていたということを申し上げたいということであります。
#15
○参考人(岩本美砂子君) 今の御質問の中で、身体的自立ということは時間があいているということかというふうに言われましたので、それは違うということを一言申し上げたいと思います。
 身体的自立といいますのは、例えばセクシュアルハラスメントに遭わない自由でありますとか、妊娠、出産の権利が認められている、現在問題になっております産休の件も含めまして母性保護が、余り過度にあってはかえって女性の足を引っ張ることもあるかと思いますが、適切に母性保護が認められているということと、それから議会でもまだ胸をさわっただのなんだの、発言にいたしましてもとんでもないことがございますけれども、性的な自立を政治の場においてもその他の場においても阻害されないというのが身体的自立という意味でございます。
#16
○佐藤雄平君 佐藤雄平でございます。
 今いろいろお話を聞いている中で、私自身、会津の出身でございまして、ある意味では佐賀県と同じようなところがあるのかなと。実は先日も女白虎隊のなぎなたの会に行ってきまして、まだ戊辰戦争が終わっていないぞなんて、そんな地域の中で生まれました。
 きょうは、楽しい話、ホットな話からまずさせていただきますけれども、ちょうど橋本議員がおられて、両先生とも、きのう議運の中で、橋本先生のおめでたの中で産休の議論がなされて、制度としてはあるが改めて国会の中でお認めになっていただいたと。
 私は、これはきょうのお話のもっと基本的な話についてお伺いしたいと思うんですけれども、先般、ちょうど一週間前なんですけれども、日本経済新聞にいわゆる不妊治療ということでOLのいろんな苦労話が実は載っておりました。会社社会の中で、子供が欲しい、そして不妊の治療に行くには一週間に二回ほど早引きしなきゃいけない、そういうふうな中で、不妊の治療に行っているとどうしてもやっぱり周りから白い目で見られ、しかもその成功率というのはちょっと低くて、結果的には治療ができなかったというふうな例もあったりしておやめになるケースがあると。
 今の時代の、小渕さんも一生懸命やっている中で、いわゆる景気対策が一番大事だ、経済対策それぞれやっていると思うんですけれども、その一番の原因というのは、私はやっぱり少子化の問題であろうと。そういうふうな中で、私は、そういう赤ちゃんが欲しい人がなかなかそういうふうな会社の事情の中でつらい思いをしているときに橋本さんの話があって、これについてまず両参考人のお話をお伺いして、さらに、これをまた世の中にどういうふうな普及というか進め方、伝道の仕方、しかも会社のトップ等が納得するような、そんな方法論、意見でもあればお伺いしたいなと思います。
#17
○参考人(岩本美砂子君) 少し大きな質問をされましたので答えにくいところもございますけれども、諸外国におきましては、まず国会議員も大臣も産休が認められております。それから、男性議員、男性大臣につきましても、出産すぐは別にしまして、育児に関しましては育児休暇が認められているという国もございます。今の日本でも、育休は男女を問わずということになっておりますが、議員においても育児休業をどういうふうに考えるのかということも検討されるべきだと思います。
 それから、文部省に託児所がつくられるというお話を聞いておりますけれども、国会におきましても、託児所の必要というのは女性議員に限らず男性議員でも、共稼ぎできょうは妻の方がどうしても面倒を見られないというときには預けるということが必要だという場合もあるかと思いますので、国会に託児所をというのは実はそんなに奇妙な主張ではなくて、普通になってきている国がある。あるいは地方議会などにおいては、もう普通にやらなくてはいけないことなのではないかと考えられるというふうに思います。
 それから、不妊治療につきましては、一つは、やはり少子化を論じるときに、やっぱり子供をふやそうということが行き過ぎますと、子供を持たないあるいは持てない人に対して非難がましい論調になってしまうことが往々にしてあるので、それだけは注意をしなければいけない、戒めなければいけないというふうに思います。
 それから、不妊であると、実は男性の側に原因があったにもかかわらず、女性の方がどうしたんだろうということで追い詰められて二年も三年も治療に通っていたけれども全然何ともならなかったというふうなことがありますので、不妊についての社会の冷たい目、あるいは女性にだけ冷たい目が向けられるということは改めていかなくてはいけないと思います。
 しかし、その上で、子供が欲しいという方が適切な治療を受けられるということは重要かと思います。不妊治療に関しまして健康保険の適用がないということが問題になっておりまして、これはいずれ別のところで議論になろうかと思いますけれども、実は、出産につきましても健康保険の適用はございません。それで、例の消費税で問題になったころは、いっとき、三%の消費税がかかる、なぜなら自由診療だからということも二年ほどはございました。フランスでは人工妊娠中絶も保険適用でございます。妊娠、出産は今は消費税がかかりませんが、人工妊娠中絶や避妊治療につきましては、自由診療ですので消費税もかかっております。不妊治療につきましても同じだと思います。保険適用どころか消費税の問題もございます。
 こうした経済的なバックアップを十分になされていくということが重要ではないかと思いますし、こういう問題を論じるためにも、あるいは保険適用をどこまで広げるべきか、消費税を取らないようにするのはどこまでになるのかということについて論じるためにも女性議員が多くいるということが必要だというふうに考えるわけであります。
#18
○参考人(植野妙実子君) お話しさせていただきたいと思いますけれども、かなり岩本先生の方からお話がありましたけれども、別の側面を申し述べさせていただきたいというふうに思います。
 こういう問題というのは、要するに家族にかかわる問題だというふうに思うんです。こうした家族にかかわる問題が、実は日本では軽視されてきたということを指摘しておきたいというふうに思うわけです。
 つまり、男女平等というふうなことは、よく家族というものを考えないと、女性が職場で働くと家族の生活がおろそかになるとかそういうふうな形でとらえられてきていると思いますが、そうでは決してないんです。男女平等ということは、男も女も家族の責任というものにかかわるものだということなんです。
 先ほどちょっと私、最初のところで話をいたしましたけれども、日本では二十四条の家族生活における個人の尊厳と両性の平等というのは実は軽視されてきたというふうに思うんです。ここには何らの権利概念はない、ここから出てくる権利というのは結局は十四条で解消できるじゃないかというようなことが大方の憲法研究者の考え方であったわけです。
 実は、この家族を大切にするということが、これは制定経緯の話ともかかわるわけなんですけれども、家族ということがそれまでの、それまでのというのは大日本帝国憲法下では当時の天皇制と結びついていたということがあって、それを払拭するということがあり家族の保護というのが入らない、そういう形になったわけですが、ここの条文はやっぱり家族の保護というようなことが含まれている、そういう条文であると。
 それは一体具体的には何を意味しているのかというと、例えば結婚の自由、離婚の、これを自由と言うかわかりませんけれども、消極的な自由というふうになるのか、家族生活についての自由であるとか、それから通常の家族生活を送る自由とか、そういうような形で実は家族の権利というのは例えばフランスなどでは考えられているわけです。
 そこからどういうようなことが出てくるかというと、これは少子化対策と非常に関係するわけなんですが、日本では例えば職場結婚などをいたしますと、同じ職場に二人を置いておかない、一人はどこか遠くにやってしまうとかというようなことをやっているわけです。しかしながら、フランスなどの場合は、同じところにいるということを決して非難するということではなくて、一緒のところにいた方が何かと便利だろうというようなことでやっているわけです。
 それから、これは通達でも出ていますけれども、公務員などの場合には、例えば地方公務員と国家公務員が夫婦でいたとしても、なるべく同じ任地先にやって夫婦生活が送れるようにするというふうにしているわけで、こういうようなことがあるということで職業と家庭とが両立していくわけです。こういうことがない限りは、なかなかこれは女性の進出とか、それから少子化を防ぐとかというようなことが実質上難しくなっていくわけです。例えば、これは民間の会社でも行われておりまして、エールフランスなどでは同じ飛行機の中に夫婦で乗せる回数をちゃんと設けていて、そして同じ場所で休暇を持てるようにするというようなことをやっているわけです。
 そうしたようなことというのがやはり日本になかった。そして、何か職場結婚すると必ず片方はやめさせられるか、片方はというのは大体女性はであったわけですけれども、やめさせられたりあるいは別の場所に飛ばされたりというような形になって、不利なことをしてきたというようなこととつながる問題だというふうに思うんです。
 それからもう一つは、不妊治療の話が出ましたけれども、家族を育てるというようなことについてやはり重要な課題なのだということを受けとめるということが必要だと思うんです。これは家族といってもいろいろな形態がありますから、例えばフランスなどは養子であっても育児休暇と同じように休暇がとれるわけです。こういうふうに養子であってもとれる。
 いろいろな形で家族というものを大切にしていくというようなことがこれまでなかったということが、やはりいろいろな問題というものを引き起こしているのではないかというようなこと。そういう点では、この二十四条の持っている意味というようなことを改めて問い直していく必要があるだろうというふうに思うわけです。
#19
○佐藤雄平君 今、話の中でいろいろ政治、行政への女性の参画という話がそれぞれ述べられておりますが、私は、この共生社会そのものは機会均等なのか結果平等なのか、この辺もある程度考えなきゃいけない。しかし、やっぱり世の中は結果平等というのはあり得ない、機会均等であるべきだ、私はそういう考えでおります。
 そういうふうな中で、諸外国のいろんな話、例えば三〇%、四〇%、私はやっぱり政治家の女性議員が参画するについては、非常に比例の場合はこれはもう入りやすいと、それはもう当然党の問題ですから。ただ、選挙になると殊さら違うような結果が出ている、特に地方議会の場合はそうであるのかなと。そんなことを思うと、私はやっぱり選挙というものは機会均等であるべきであるが、結果についてはこれまたそれぞれの結果であるから、それは平等であるというふうなことは決してよろしいことでもないのかな、目標としては理解できるけれども。
 その辺ですけれども、殊さら選挙について機会均等、結果平等、この辺のお考え方はどんなお考え方ですか。
#20
○会長(石井道子君) 時間の都合でお一人だけお願いいたします。
#21
○参考人(岩本美砂子君) 結果の平等ではなく機会均等がと言われましたけれども、地方議会では現在九四・一%が男性、五・九%が女性という結果になっております。結果を見たときに、まあ、これぐらいはしようがないかなと思われるぐらいではなく、とんでもなくかけ離れているというのが現状ではないかと思いますので、結果から見て過少代表になっているのにはさまざまな目に見えないハードルがあるのではないかということで、実は機会均等も形式的にはあるようで実質的には妨げられているのではないかというふうに、結果の方から顧みるということが必要ではないかというふうに思っております。
#22
○千葉景子君 本日は、両参考人に大変貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。限られた時間でございますので、二、三点になろうかと思いますが、お尋ねをさせていただきたいと思います。
 まず、植野参考人にお聞きをさせていただきますけれども、パリテ条項といいますか、これは大変興味のある部分であろうというふうに思います。私たちもクオータ制度等を導入すべきかどうか、あるいは何とかそういう形で女性の意思決定の場への参画というのを進めたいという気持ちもあると同時に、御指摘のあるようなクオータ制についての問題点ということが指摘できようかというふうに思うんです。もう少しパリテ条項について、例えば日本の社会の中でどんな可能性があるのか、あるいは問題点があるか、そのあたりをもう少し御説明いただければ大変ありがたいというふうに思います。
 先に質問をもう一点。
 それからもう一つ、司法の問題を御指摘されました。
 日本は割と外圧というのは弱い国なんですけれども、事この人権等に関しますとなかなか国際的な動向、こういうものが制度とかあるいは裁判などに十分に反映されない。どうもこれも日本の憲法を頂点とした法体系と国際法との関係などもあろうかというふうに思いますけれども、この司法の問題点についてもう少し問題点を御指摘、御説明いただければというふうに思います。
#23
○参考人(植野妙実子君) お答えします。
 まず最初に、フランスでのパリテ条項ということなんですけれども、これはフランスの現行憲法であります一九五八年憲法の三条というところが主権行使と選挙という部分になっておりますけれども、そこのところに次のような文言が加わりました。
 法律は、選挙によって選出される議員職及び選挙によって選ばれる役職への女性と男性の平等なアクセスを促すという言葉が入っております。そして、四条が政党及び政治団体についての規定なんですけれども、これにも付加がされまして、政党及び政治団体は、法律により決定された条件の中で三条の最後の項に宣言された原則の実施に貢献するという形です。ですから、パリテという言葉は入っておりませんけれども、女性と男性の平等なアクセスを促すという形で憲法改正が入りまして、これによってジョスパン首相が公約として掲げたことが成立した。そして、提案理由ではパリテという言葉を用いておりまして、公的生活への女性の進出が不十分であるので男女間のパリテを推進することが必要であるという提案理由からこうした憲法改正に至ったということになります。
 アファーマティブアクションがとれるかどうかという問題なんですが、先ほども申しましたように、アファーマティブアクションというのは、これは国連での考え方でありますけれども、実は非常に広い範囲の概念なんです。その一つにいわゆるクオータ制というものがありますが、優先処遇ということでありますので、何もアファーマティブアクションに限られるわけではないわけですから、実はこのパリテというのもアファーマティブアクションのもちろん一つというふうに見るかどうか、これは同数という形をそういうふうに見るかどうかはまた別ですけれども、そういうものとしても見られるという論調もあったわけです。
 このクオータ制のような考え方というのは、実はフランスで既に先ほど申しました一九八二年の違憲判決がありますが、そのときの法律の内容というのは、市町村会議員選挙について、人口が三千五百人を超える選挙において候補者名簿は同一の性に属する候補者によって七五%を超えることはできないという条件を付した。それが違憲というふうになったわけです。そこで、選挙制度にクオータ制を取り入れるということはできないということが始まって、それから、じゃクオータ制以外の考え方としては何なのかということで同数という考え方が広まっていったわけです。
 他方、選挙にかかわる問題についてはこういうふうに違憲判決は出ておりますけれども、それ以外の問題ではいわゆる優先処遇というのは認められております。例えば、地域的に格差があるところに何らかの形で優先処遇をするようなそういう政策とか、あるいは教育問題において非常に、郊外問題というのはフランスもありますから、郊外での教育のおくれ、そういうようなものを取り戻すためにはどうしたらいいかというようなことで援助金を出すとかあるいは教師を余分につけるとか、そういうような形のいわゆる優先処遇というのは認められて、しかしながら選挙というようなものはだめだと。
 実は、一九八二年の違憲判決に関しても男女平等という議論で違憲判決を出しているんじゃないんです。主権という概念からするとどうなのかということです。結局、選挙のような場合にこういうことがとり得るのかという議論を引き起こしたというような形になっているわけです。できたばかりの憲法改正でありますから、これからこの解釈とかこれに伴ってもっと充実させるためにはどうしたらいいかというようなことが出てくるような状況だということです。
 しかしながら、このパリテ条項が入った陰には、フランスの場合には女性差別撤廃条約よりもヨーロッパ連合での動きが非常に大きくて、ヨーロッパでの女性サミット、政治サミットというのがあるんですが、これが九二年ですか、パリテということを推進していこうというような決定をしているわけです。こういうものはもちろんバックにあって、それからもちろんそれを支える女性の運動というのが非常にあってこういう現実的な問題になった。
 他方では、すそ野としては非常に女性が、例えば政策決定機関などでは、議会以外では日本と比べますとかなりおりますし、例えば岩本参考人の話から出てきたような国家公務員の女性の進出などというのも八〇年代にもう既に全体では五〇%を超して、そして今や三〇%近くのいわゆる管理職と言われるような女性たちが活躍をしているという、やはりすそ野が大きかったということも関係しているというふうに思われます。
 それから、司法の場での問題ということなんですけれども、これは非常に大きな問題があるかというふうに思います。
 やはりフランスでも憲法研究者はいわゆるアファーマティブアクションの中でもクオータ制を選挙の中に取り入れるということについては悲観的という見解が多いわけですけれども、もちろんこれは日本でも同様のことになります。しかし、日本では実際上例えば労働の現場であるとか、これは障害者雇用などでもいわゆるアファーマティブアクションをやっているわけです。設定数値を決めて障害者雇用を推進しているというようなことをするわけであって、したがって選挙の場において、あるいは政治的な場所において使えるかどうかというような問題であるということになるわけです。
 それから、司法の場所においては、経済的な問題にかかわるようなこと、あるいは社会権というような問題にかかわることについては、どちらかといいますと立法裁量というようなことを重要視する傾向にありますからこちらの方は問題がない。しかし、こうしたような選挙権にかかわる問題であるとかあるいは精神的な自由にかかわるような問題ということに関しては、実は平等原則について今日まで確立した一定程度の考え方というのがあるわけです。
 それはどういうようなものであるかということは、まず一つは平等原則に関して審査をするときに、十四条に掲げられている項目、例示されている項目、もちろん女性の問題もそうですけれども、こういうものに関しては厳格な審査が必要である、こういうものに対してあいまいな形で規制をするというようなことは許されない、そういうことが確認されてきているわけです。それから、精神的な自由に関するもの、政治的な権利や民主主義というものを支えるようなものについても同様に厳格審査が必要であるというふうに言われているわけです。そうなりますと、これは双方の面からすると男女平等にかかわる政治的な権利についてのアファーマティブアクション、とりわけクオータ制のようなものを法律の中で法的に適用するということはやはり難しいということになると思うんです。
 そういう意味では、フランスでもいろいろ議論はされましたけれども、なぜパリテというのが憲法改正の中で入ったのかというと、やっぱり憲法改正をしないと根拠としてはないだろうということになるわけです。根拠としては弱い。だから、まず憲法改正をしてという形で入っていったわけですけれども、日本の場合は、この十四条というものがあります関係上、そういうところからして解釈をするということからしますと、選挙のような場所においてアファーマティブアクション、クオータ制をとるというようなことは難しいということが言えると思うんです。
 ただし、じゃ選挙の場所で厳格審査を実際に最高裁がやっているのかというと、実はそうではないんです。ここがまた重要な点なんですけれども、実は、現在では選挙における平等というのは一人一票という問題ではないんだ、投票価値の平等も重要なんだという話があるわけです。投票価値が一対一でなければいけないということです。しかし、厳密には一対一というのはできない。地域によって人口の流動があるから、差が出るのは当たり前だと。じゃ、どの程度までをいいとするかというようなことに関して、これが問題になったときに最高裁では違憲判決を数件出しておりますけれども、その中では厳密審査をしているというふうには言えないわけです。
 つまり、厳密審査をするのだったら一対一ということになるわけですけれども、しかし現実的には一対一はできないから、一対三程度というのが最高裁あたりの判断ではないか、これは衆議院についてですけれども、そういうふうに見れると。そうなると、厳密に審査しているというふうには言えないんじゃないかというような反論も出てくるということなんです。
 それからもう一つ問題になるのは、フランスでは違憲判決が出るというのは、これは抽象審査が行われるんです。抽象審査というのは、具体的な事件が起きなくても、国会内における両院を通過した法律案が、両院で採択された後にいざ公布というその寸前のときに、違憲ではないかという形で憲法裁判所に訴え出るというような形での抽象審査なんです。したがって、法文だけを審査しているわけです。
 ところが、日本の場合はこういうような法文審査はやってはおりません。したがって、現実にはどういう形になるかというと、法律が何らかの形でクオータ制をとった、それが問題になったときに裁判所に出ていって審査をするということになるんですが、現実的に例えば、男女共同参画社会基本法の中の二十二条の二というのはクオータ制をとっていますよね、審査員についての十分の四という。これは十分の四がいいかどうかというのはまた問題になるかというふうに思いますけれども、この問題を取り上げたときに、じゃこれが実際司法審査に上ってくるかというと、司法審査というのは実際に利害関係のある人間でないと裁判所に訴えるということはできませんよね。そうしますと、抽象的にこの条文はおかしいんじゃないかというわけでは司法審査には訴え出られない。
 そうすると、何らかの形でだれが利害関係を受けるのかなと。当然選ばれるはずだというふうに思っていた男性が選ばれなかったから、この条文があったために選ばれなかった、おかしいという、そういうのでは利害関係というのは非常に希薄になる、原告適格がないと、そういう一つの盲点があるということも申し上げておきたいと思うんです。
 ですから、そういうすき間を縫ってクオータ制を取り上げる、そういう法律をつくるというようなことは、これはできない話ではないのではないかというふうな感想を持っております。
#24
○千葉景子君 時間ですので。
#25
○大森礼子君 公明党の大森礼子です。両先生、きょうは大変ありがとうございます。
 早速質問に入ります。
 今の植野参考人のお話、ずっと興味深く伺っておりました。実は、パリテというのも今まで知らなかったんですけれども、お話を伺いながら、これが日本でどういうふうに取り入れることができるかとかいろんなことを考えていたわけです。
 それで、最後に今、植野参考人がこういう方法も、クオータ制を取り入れることもできないわけではないということをおっしゃいました。確かに、日本の場合ですと具体的審査という形になりますので、だれが何をもって訴えるのかということと、仮に憲法訴訟が成り立ったとしても時間がかかりますので、違憲の判決が出る前に事実上何かうまくいっていればいいのかななんてことも実は今お話を伺いながら考えていたわけであります。
 それで、そのクオータ制につきましては、実は去年視察の方でイタリアへ行きましたけれども、そこでもクオータ制を取り入れた法律をつくった。そこで比例の順位も男女男女とするようにしたと。そのときに、女性議員がふえたんだけれども、後に違憲と、あそこも独自の憲法裁判所があるんでしょうか、違憲とされた、それで今度は憲法改正を試みているという、こういうお話でした。
 それで、私は、このクオータ制ということについて法制度として本当に日本で取り入れることができないのかどうか、早くこの見きわめをつけたいなというふうに思っております。そこのところが無理であるならば、これは政党内で目標として達成していくべきことかなというふうに思っております。
 それで、植野参考人、ちょっと教えていただきたいんですけれども、憲法を改正すれば明文はできるわけですけれども、なかなか大変な作業です。そこで、先ほどのアファーマティブアクションの考え方ですが、暫定的措置であるということで、何か平等原則違反だというこの憲法問題をクリアできないかということがまず一点です。
 これについてはフランスの方の例を引かれまして、違憲の理由として、暫定的であるならば、その達成をいつと判定すればこういう問題があると、こういうふうにおっしゃいました。そうであるならば、例えば時限立法的に十年間こういうやり方でやるとか、こういうことであれば日本でもその憲法問題をクリアできないものかどうか、この点についてちょっと教えていただけますでしょうか。
#26
○参考人(植野妙実子君) このクオータ制を実際にとるのにはどうしたらいいかというと、どうしても難しい問題というのが出てくるだろうというふうに思われるわけです。
 フランスの議論においても、結局クオータ制ということを採用するというのであれば、それは目標設定という形で行うのがいいのではないかというふうなことで、強制をしない、強制をするという形ではなくて目標設定として行うということです。こういう形であれば、当然日本においてもできるというふうに思われます。
 それから、日本で実際上今行われておりますのは審議会における目標設定だけでありまして、それと、男女共同参画社会基本法には入りましたけれども、やはり一つ私が懸念しますのは、この三〇%あるいは四〇%、その数値がどういうところから果たして正当性があるとして根拠を出せるのかということは非常に難しいと思うんです。
 それで、私が先ほど最初のところの意見で申しましたのに、もうちょっと国際的な法規範の重要性を考えるようにした方がいいという話をしたのは、限定して言っておきますと、これは二国間協定の国際法ではないということで、国際的な多国間の法規範についての話でありますけれども、そういう重要性を考えるならば、国連が出している、経済評議会などで出している三〇%というのが一つの目標、そういう根拠がやはりありませんと、非常にどこに根拠を求めるかということが難しい問題になってくると思うんです。
 それから、暫定期間も十年ということですけれども、じゃ果たして十年がその暫定期間としてふさわしいかどうかというふうになると、これはまたいろいろ議論が出てくるところだろうというふうに思うんです。もうちょっと短い期間を設定しておいて見直しをするとかというようなことが考えられるかなというふうに思います。
 私としては、立法論としては、せっかく男女共同参画社会基本法ができましたのをすぐ改正というのは申しわけないですけれども、この五条をもう少し明確に男女の同等な政策決定過程への参画というような形で強めるという方策があると思うんです。これは基本法でありますから、一つの方針であるということになって、この場合には遠慮しないで同等なという形ではっきり明確に入れていただきたいというふうに思われるわけです。
 実は、クオータ制の問題よりもパリテの問題の方がフランスでも急速に進んでいったというのは、もともとフランスでは労使同数評議会などがあって、労働者と使用者側が話し合いをするときには同数である、これでようやく代表性が確保できたんだというような考え方が古くからあったわけです。そういう基本がありましたから通りやすかったということもあるんですが、同数、男も女も、例えばクオータ制をとると、フランスなどで言われていたのは、女性に関しては男女差別をなくすためにクオータ制をとった、じゃほかの問題についてはどうなんだ、いろんな問題をクオータ制でやらせろと。不平等だ、差別だと言われている、さまざまな団体がそういうふうに言ってくる可能性がある。
 しかし、クオータ制ではなく、パリテのはっきりしているところというのは、人間というのは男か女かしかないんだ、それからすると同数なんだ、同数であれば代表性があるんだというこの考え方が非常に一般にも受け入れやすかったということがあると思うんです。日本ではなかなかまだなじみにくい考え方ではあるかもしれませんけれども、こういうことがあるということです。
 それから、日本では、政策決定過程の目標として取り上げたときには、これは審議会だけというようなことではなくて、あらゆる分野でやるというようなことを考えていただきたいというふうに思うんです。
 それから、フランスでも問題になったことだったんですけれども、政府が任命する国家公務員にむしろ女性が少ないということが問題になっていたわけです。任命するんだったら簡単じゃないか、それなのにどうして女性が出てこれないのかというようなことが言われていたんですが、あらゆる部面で政策というのはかかわるわけです。
 そう考えますと、例えば各官庁が委嘱している委員というのがおります。例えば人権擁護委員であるとか、それから民生委員であるとか、こうしたような委員などでも、これは実際上どういう数値になっているかわかりませんけれども、こういうようなところでも女性を積極的に登用するというような、さまざまな分野において女性を積極的に登用するというようなことを可能にしなければならないわけです。
 それから、審議会などでは大体この母体になる団体があるわけです。そうすると、団体の中で平等が確立しておりませんと、女性が出にくいということがあるわけです。団体内の平等をどうやって確保するかというような問題も出てくる。
 それで、フランスなどで行われていたのは、これは労働組合でしたけれども、各支部で代表を出してくる、そのときに必ず女性と男性と二人出すというようなこと。これも基本的にはパリテの考え方と結びついていたかと思うんです。そして、女性が出れなかった場合には、なぜ女性が出れなかったのかというふうに聞くということです。推進する設定目標をやるということと、その設定目標だけじゃなかなか達成できないというようなときには、今言ったような理由をつける、なぜ出てこれないのかという理由を聞くというような方策がある意味ではあるのではないかなというふうに私は考えております。
#27
○大森礼子君 ありがとうございます。
 先ほど時限立法で十年というのは特に根拠があるわけではなくて、例えばこういう形ですれば目標達成はいつかとか、こういう論点が出てこないかなということで、例として申し上げました。
 それで、フランスの場合、アファーマティブアクションについては政治の場面では懐疑的であるのでパリテへ行ったということですが、これはパリテの方に、憲法なんかにこういう条項を取り入れたことは、やっぱりある意味では平等の意識が進んでいるからできたのかなと。ここまでは日本の場合行っていないわけですから、アファーマティブアクションの方がだめだから、じゃパリテで行けるかというと、また別の問題があるのかなという気がいたします。
 いずれにしましても、クオータ制、割り当て制というものを法律の中で規定することができるかどうか。規定した場合、それは当然政党に向けられたことになるわけだと思うんです、名あて人といいますか。そうしたときに政党の政治活動の自由とか、そんなものと抵触しないのかなということを考えるわけなんです。
 今、先生がおっしゃったように、例えば目標設定で強制しない形であるならば憲法違反ということをクリアできるんではないかという御意見でした。そうであるならば、先ほどのパリテ条項を参考にしまして、例えば選挙によって選ぶ、議員でいいわけですけれども、平等なアクセスを促すようなことを、例えばさっきの基本法、あるいは公職選挙法の中に入れること自体は問題ないと私は思うんです。それでまた、憲法違反の問題も生じないではないか、非常に有効な方法であろう。条項がある以上政党もそれを無視できないから、一定の評価を得ますので、そしておのずから女性議員の輩出というものは進むのではないかな、こう思うんですが、こういう理解でよろしいでしょうか、確認です。
#28
○参考人(植野妙実子君) はい、そういう御理解でよろしいかというふうに思います。
 それからもう一つつけ加えさせていただきますのは、やはり法律というのは解釈ということが重要になってくるわけです。実はこのフランスでの憲法改正で入った言葉も、促すという言葉、ファブリゼという言葉が使われておりまして、ファブリゼというのは促すということから、実は優先的に扱うから、意味が多岐にある。そういう意味では割と玉虫色なんです。そういう点で、うまく入れたというふうに言われていることも確かです。
 それから、おっしゃったように、やはり社会的ないろいろな場面でもともと男女平等ということが確立してきた、どんどん進んできている、そういう中においてなったということでありますから、やはり日本がクオータ制がだめだからパリテに移行するということを同様に論ずることはできないということは、これはもちろんだというふうに思います。
#29
○大森礼子君 岩本参考人にお尋ねします。
 地盤、看板、三バン、これがない女性は選挙に出にくいというお話がある。共産党さんと公明党の名前が出て、候補者がお母さんイメージを売り込むことが多いがということで、それで私、出たのは新進党のときの比例なんですけれども、公明さんから推薦をいただいて出たもので、今参議院議員についてうちの公明党の議員はだれかなと思って、お母さんイメージ、私です、それから浜四津敏子さん、沢たまきさん、松あきらさん、但馬さんと、余りお母さんイメージではないんじゃないかなというふうに思ったもので、特に強力に反論するつもりはないのですが。
 ここで、お母さんイメージというのはどういうことか、簡単に教えていただけると非常にこれからの党勢拡大を考える上で参考になるということと、それから、もしかしたら政策の中でやはり子育て支援とかそういうことが多いからそういうイメージを与えるのか、それとも候補者そのものなのか、その点も少しいかがかなと。
 いずれにしても、ださくないイメージをうちもつくらなくてはいけないなと一生懸命考えたいと思いますので、少しアドバイスしていただければと思います。
#30
○参考人(岩本美砂子君) 公明党は、地方議員、特に女性の比率をふやすことについては大変熱心にやられているということは存じ上げております。
 地方議員の選挙パンフレットあたりに、頑張るお母さんというイメージが非常にあちこちに出てまいります。それが親近感を呼ぶ場合ももちろんあるんですけれども、専業主婦としては生きたくないわとか、私は子供を持たないかもしれないわと思っている人間にとっては、あなたも女だからお母さんの仲間でしょうと言われちゃうと、何か違和感を感じてしまうところがあるんです。だから、女イコールお母さんじゃなく、重なっている部分も多くて、子育て支援もしなきゃいけないんだけれども、ずれちゃう人が必ずいるということに注目していただきたいということなのであります。
#31
○大森礼子君 私も結婚していませんで子供もいませんので、また新しいイメージを出したいなというふうに思っております。
 それから、ちょっと時間の関係で、先ほど岩本参考人が、いわゆるマドンナブームでしょうか、あの後女性がふえたけれども伸びは緩やかというふうにおっしゃいました。数字もそのとおりです。参議院につきましては、平成元年の選挙以来女性がふえて、その後、比率が二けた台になってずっと推移している。ところが、一三%、一四%、一五%前後で余り大きな変化がなく、そして一昨年の参議院選挙で一七・一%、ちょっと伸びが見えたということです。
 そこで、この十年間、平成元年の選挙というのは、あれはリクルート疑惑とか、消費税導入とか、それから当時の総理の女性問題とかありまして、本当に女性が怒り狂う材料が三つもそろったということで、女性パワーが爆発したというふうに私は記憶しているんです。
 ここで一つ、大きく女性議員がふえた。女性も政治意識を持ったと思うんです。それはふえたけれども、流れを大きく拡大するには至らなかった、この十年ですが。この原因についてどのようにお考えでしょうか。これを最後に岩本参考人にお尋ねいたします。済みません、抽象的な質問で。
#32
○参考人(岩本美砂子君) 女性議員をたくさん登用しようというふうに政党が動くときには、諸外国においてジェンダーギャップということが大きな引き金になることがございます。つまり、男性と女性の投票行動の違いですね。例えばレーガンは、男は六、四でレーガンと反レーガン、女は四対六で反レーガンの方が多いとかいうことがありますと、何とかして女性を引きつけようということで、共和党も頑張れば民主党も頑張るというふうになります。
 日本では、どういうわけかこのジェンダーギャップというのが余り高くないんですね。先ほど植野参考人も言われましたけれども、これは女性の意識が低いと見るべきなのか、それとも政党の方が女性を引きつけるような政策をまだ出し得ていないのかという問題にかかわってくると思うんです。消費税のときに、先ほども申しましたが、出産にまで消費税がかかっちゃったということで女性の怒りが爆発したということがございましたけれども、やはり子育て支援とか働き続けられることについて、この政党がほかの政党と違って物すごく女性を支援しているということがわかればその政党に女性票がわっと集まり、またそれに負けまいとしてほかの政党も女性対策を進められて、女性票が集まり女性議員もふえるというふうになっていくんじゃないかと思いますので、ぜひ魅力ある政策を出していただきたいと思っております。
#33
○大森礼子君 どうもありがとうございました。
#34
○林紀子君 日本共産党の林紀子でございます。きょうは、女性の政策決定過程への参画ということでお二人の参考人においでいただきまして、本当にありがとうございました。
 まず、植野参考人にお伺いしたいんですけれども、女性の政策決定過程への参画というのは、先ほどから参考人からもお話がありましたように、今、日本では政府が数値目標を持って進めているというのは審議会というところなわけですけれども、この政策決定過程という言葉の意味、イロハのイからお話を聞きたいんですけれども、これは政治の分野だけではなくて、あらゆる分野に対して意思決定ということにどうやって女性が参画をしていくかというところが一番重要なんじゃないかと思うわけです。
 植野参考人の論文の中に、EUにおいてポジティブアクション政策が徹底される中で、公私の部門での意思決定過程におけるジェンダーバランスの確保が強調されているという一文を拝見したわけですけれども、この公私の部門の意思決定過程、ですから政策決定過程というと私たちもどうしても政治というふうに思っちゃうんですけれども、公私の分野というのは具体的にはどういう分野で、そしてその中でどういうところへ特に女性がもっと進出をしていったらジェンダーバランスの確保ということになるのか、具体的な例も挙げて御説明いただけたら大変わかりやすいんじゃないかと思って、お願いしたいと思います。
#35
○参考人(植野妙実子君) お答えしたいと思います。
 政策決定過程というのは、実は広く見れば何も政治の分野だけではなくて、あらゆる分野に関係していると思うんです。例えば、先ほど例として挙げましたように、労働組合のような場合もそうですし、それからまた企業の中でのその経営指針を決めるようなところもある意味では決定をするという分野になるわけであって、そういうようなところにいかに女性が進出していないかということが日本の大きな問題点というふうに思います。
 そういう意味で、私の部分も含むのだということなんですが、公の部分においてもう少し御説明申し上げたいと思いますけれども、公の部分というのは先ほどのフランスの改正の話からもわかりますように、言葉をちゃんと分けているわけです。つまり、議員職で出てくるものと、それから役職というふうに言っているわけです。つまり、議員職で政治家として選ばれてくるというところだけではなくて、さまざまな部門における国家的な、あるいは地方自治も含むわけですけれども、そういうところでの役職というようなもの、こういうようなところももちろん政策決定過程であるというふうに思われるわけです。
 そういう点からしますと、当然、国家公務員及び地方公務員の分野においても女性がいかに活躍をしているかということが問題になるわけです。
 そこで、国家公務員での問題というのをちょっと置いておきまして、というのはどうして置いておくかというと、実は既に男女共同参画社会形成の促進に向けて男女共同参画二〇〇〇年プランの「施策の基本的方向と具体的施策」、これが出ましたときに、実は私、非常に注目していたんですけれども、こういう項目があったわけです。一に、男女共同参画を推進する社会システムの構築の中に、まず最初に取り上げられておりますのが政策・方針決定過程への女性の参画の拡大ということで、項目が四つあるわけなんですが、国の政策・方針決定過程への女性の参画の拡大、次に、地方公共団体等における取り組みの支援、協力要請ということです。その地方公共団体等における取り組みの支援、協力要請の最後のところに、女性地方公務員の採用、登用等に関する協力要請という項目が入っているわけです、女性地方公務員の採用、登用等に関する協力要請と。
 しかしながら、こうしたことについても具体的な方策というのは考えられていないというのが現状ではないでしょうか。やはり、国家公務員のみならず、地方公務員においても日本ではこういう政治のあり方を地方自治も重要視するようになってきておりますから、地方自治において政策決定過程に女性がいかにかかわってくるかということが非常に重要だというふうに考えるわけです。
 そこで、少し御提言も含めて申し上げておきたいことがあるんですけれども、まず、女性自体が公務員になりたいという動機が持てるのかということです。つまり、女性に働きやすい環境の整備、保育施設等のみならず、例えば旧姓使用が許されるとか、これはもう非常に少ない、限られたところでしか認められておりませんけれども、そういうふうなことができる。それから職場結婚したとしても不利益を受けないとかというようなこと。そしてさらに男性と同等の労働の評価が約束されているというようなことです。
 実は、公務員の採用に関してはクオータ制などをとるというのはまずできないと思うんです、難しいと思うんです。しかしながら、優先処遇というのはいろいろとありまして、フランスなどで行われているのでは、公務員の採用試験に、三人以上子供がいるという場合には優先枠がある。これをどういうふうに見るかというのもまた一つ問題かというふうに思いますけれども、そういうのもあるという御紹介ということになりますけれども、そういうことがある。やはり三人子供がいて民間で働くというのはなかなか大変だろうと。それならば公務員の職というものを提供すべきではないかという考え方が裏にあるというようなことだと思います。
 そして、あらゆる分野での男女の採用ということが重要だと思うんです。今、どうしても技術職などはゼロというようなところが多いわけであって、そういうことが問題になっていく。それから、女性公務員の昇進というようなことについてよく統計をとりますと、これは私、八王子市の女性問題協議会の会長をやっていたことがあるんですけれども、そのときに調べましたらば、一定程度の数値というのが、主任以上で十何%とかというのが出てくるわけです。
 ところが、その内容を見ますと専門職なんです。つまり、いわゆる行政職ではなくて、看護婦であり、保健所の看護婦でありますとかあるいは保育所の保母であります、そして主任でありますと、そういう人たちの数値がいわばそうした管理職の数を稼いでいる。それでは本当の意味での男女平等というふうにはならない。やはりあらゆる分野で女性が採用されて、しかも行政職、その政策決定の中枢の部分にかかわっていくというようなことが重要なのではないかというふうに思われるわけです。
 そして、男女共同参画社会基本法ができまして、この道筋としてこれから国の基準ができる。しかし、国の基準というのはある意味でナショナルミニマムだというふうに私は考えたいと思っているんです。それ以上にやっていくということを決して足を引っ張るものではないんだというようなことです。
 ところが、私は思うんですけれども、こういう女性問題の政策などに関してもモデルプランというのを出してもいいと思うんです。つまり、どういうことかというと、もちろん地方自治は重要ですから地方自治も考えていかなければいけないというふうに思いますけれども、他方で、女性問題一つをとってもどこで扱うか。それぞれ地方にばらつきがあるわけです。例えば、市長公室で扱うところもある、あるいは女性政策課として扱うところ、男女共生推進課というところで扱っている、これは非常にグローバルな視点で見ている、横断的な問題のとらえ方をしているわけです。ところが、意味なく青少年問題などと一緒にしていたり、あるいは国際交流課などと一緒にしているようなところもあるわけです。そうしますと、女性問題というのはあらゆる問題とかかわるわけですから、こういうような場所で横断的に扱わなければいけないんだというような形で示す。
 そしてどのような形で解決を図っていくかというようなことについても、例えば女性センターのあり方としてはこういうようなモデルプランがあるとか、それからその中で、例えば今言ったような委員会、地方においても各種の委員会がありますけれども、そういう委員会においても、やはり男女平等ということを推進させるためにはその数値の目標設定、そういうようなことを示していくとか、そういうような形をして女性ゼロの委員会をなくしていく。委員会によっては、これは女性向きの委員会、これは男性向きの委員会、先ほど一番最初のところで岩永議員のお話にもあったように、やはり都会と地方とでは温度差があるわけです。そうした温度差の解消ということをするためにも、こういうような女性政策決定のプランというものがあるんだということを示していくというようなことが非常に大きいんじゃないかなというふうに思われるわけです。
 それから、もちろん研修ですね。研修を、男女平等というさまざまな、今、平等問題、事件も起きておりますけれども、そういうようなものがやはり欠けているのではないだろうか。
 それから、重要な点は、基本計画があって、そして大体推進状況というのは何年かたって公表されるわけですけれども、それも場所によってはきちっとした公表でなかったりするようなことがあるのを、どういう形での公表がふさわしいか、白書というような形をとるべきかとか、それからそれを評価するシステムですね、それが必要なんじゃないかと思うんです。やはり評価システムがないとだめであって、それから市民から受ける、こういう市民と女性行政との相互の関係というものが推進体制側との間で必要なのではないだろうか。女性行政というようなものに対してのみならず、あらゆる行政サービスに対してジェンダーに敏感な視点でとらえるというようなことが大切だと思うんです。
 なぜかというと、身近なところからの差別を解消していかない限りは大きな部門の差別の問題にまで到達しないということがあるんです。身近なところでさまざまあるんです。市民の方がおっしゃっていましたけれども、例えば申請書一枚についてもおかしな場合があるというんです。ジェンダーの視点に欠けている場合があるというふうな指摘をするわけです。
 そういうようなことから解決を図っていくというようなことがあるわけであって、こういう地方行政の重要さというようなことを考えると、一つ私はプランをつくるという話をしまして、モデルプランを立てるということも話をさせていただきましたけれども、こういう地方の公務員、政策決定現場にも女性がふえていくというようなことも当然見過ごせない問題であるというふうに思います。
#36
○林紀子君 大変わかりやすくありがとうございました。
 もう一つ、ついでといってはなんなんですけれども、憲法学者である植野先生にお伺いしたいのは、今まで私たちは女性に対する暴力、ドメスティック・バイオレンスについてこの調査会でいろいろ論議を重ねてきたわけですが、私自身が勉強する中で、女性だけに限った暴力、そういうものを禁止するような法律、そういう禁止法というのは、女性だけが対象ということでは、憲法との関係というのは先ほどいろいろお話ありましたけれども、これは成り立つのだろうかということ、一部でそういう話も出てきたものですから、この辺についてはどういうふうにお考えになるかというのをちょっとお聞かせいただけたらと思います。
#37
○参考人(植野妙実子君) 今の現状では、やはり今まで、今までといいますか数年前にようやく東京都がドメスティック・バイオレンスについて調査をしたというような状態であって、こうしたような調査すら行われていなかったということで、女性への暴力の問題がようやく浮上してきたというふうに思われるわけです。
 ところが、社会内においてはさまざまな形での暴力というものがあって、あるいは児童虐待などもそういうものに当たるかと思いますけれども、そういうような問題をどういうふうに解決していくかという、やはり社会としての課題というものがあるかというふうに思われます。
 女性の問題だけを取り上げるのかということに関しては、今各国では女性問題をきっかけとして性中立的な方向で問題を解決しようというような側面が出てきているわけです。つまり、セクハラの問題も、女性の問題が最初の問題であったけれども、それだけではなくてやはり男性だってセクシュアルハラスメントを受けることがある。例えば、女性の上司からセクシュアルハラスメントを受けているというような場合であるとか、あるいはもっと広い意味でのセクシュアルなハラスメントを受けているというようなことも取り上げざるを得ないんではないだろうかというふうに考えますと、やはり性中立的に考えていくというようなことは重要な視点かというふうに思われるわけです。
 今、日本では、家庭にいますから家庭で出てくる問題、そのプロセスにおいて出てくる問題というのはどうしても女性の問題が非常に大きく出てきます。それで、当面の課題としてそれを解決しなければいけない、解決が望まれるというのもその方面だというふうに思われますけれども、やはり将来的には性中立的なものにするということは重要な点だと思いますし、それから国際的な立場にあって男性と女性ということを考えたときに、男性が女性がというような、こういう特色ということではなくて、双方が社会的、家族的な責任を担う、そして双方が自分の持っている能力を社会に生かすということです。
 私は生き生きと生きるということを言っているんですけれども、そういう基本的な、男性も女性も生き生きと生きるということ自体が実は日本には少ないんじゃないかと。男性も過労死寸前のような状態で生き生きと生きられないような、そういうことではこれは問題になってくる。だから、女性センターというのはこれから先は男女共生あるいは男性問題解決というようなことも取り扱っていかなければならないかもしれないし、男性が持っている家族的な責任の問題とか、そういう問題を解決するというようなことも出てくるわけです。
 そういう点からすると、やはり法律をつくる場合にはグローバルな視点に立つということが一つ重要な点だと思うんです。ですから、当面の課題であるということはもちろん問題解決が必要なんですけれども、そうしたグローバルな視点に立ったときに、かなり長く使える法律としてよりよいものをどういう形で策定していったらいいかということが問題になっていくというふうに思われます。
#38
○林紀子君 ありがとうございました。
 岩本参考人にお伺いしたいと思うんですが、先ほどお話ありましたけれども、お母さんイメージはださいんじゃないかという御指摘がありまして、私たちも若い女性に向けて、若者にもっとターゲットも当てながら頑張っていきたいというふうに思っているわけなんです。
 地方の女性議員というのは、自分の身近なところから政策を持って立候補して訴えるというところで、そうしますと、今のところは子供を持っているお母さんで候補者になるという方がいて、そうするとやはり保育所の問題であるとか学校の問題であるとか、また介護の問題であるとか、どうしても政策の訴える中身からそういうイメージということになっていっているのかなというふうにも思いましたが、ぜひださいという言葉は払拭をいたしまして、若者にも向けて頑張っていきたいと思います。
 そこで質問なんですけれども、地方公務員の問題について植野先生からお話がありましたけれども、大変女性の参画がおくれているというところでは大学の先生というところも大変おくれていると思うんです。先ほど御自身の経験からも、大学院に進もうと思ったらストップをかけられたというお話も伺いましたけれども、そういう意味で、例えば今掲げている審議会に女性何%といっても、大学の先生が非常に少ないとどこからその審議会の委員を持ってくるのか、どこでも同じような女性ばかりが並べられちゃうというような話も伺いますので、この大学の部分で特に、大学の自治という問題ももちろんありますでしょうけれども、高等教育の部分に女性を登用していく、御自身の問題も含めましてどういう方策がいいのかということを伺わせていただきたいと思います。
#39
○参考人(岩本美砂子君) 最近、東京の大学では、国立大学では女性教員の登用というのがかなり進んでいるという印象を受けております。例えば、東京大学でありますとかお茶の水女子大学でありますとかといったところなんですけれども、これは点検、評価というものが大学のシステムの中に入ってきた。大学の白書だとか何だとかというふうな形で評価をしたときに、特に学内の目だけではなくて学外の目による評価がされたときに、余りに女性が少ないとか余りに外国人が少ないではないかということが明らかなものになってきたときに、ああ、これは改めなければいけないということで、従来、業績が同じぐらいだったら女性ではなく男を採る、よっぽど女性の方がすぐれているのでないと女性が採られないということだったんです。
 地方公務員にいたしましてもそれから大学の教員にいたしましても、結果として男女比がどのようになっているかということについてはオープンにする、あるいは応募者と実際採用された者の男女比がどうであったかというふうなことをオープンにしていく情報公開というふうなことが非常に重要になってくるのではないかなというふうに思っております。
#40
○林紀子君 どうもありがとうございました。
#41
○鶴保庸介君 鶴保庸介でございます。当調査会初めての質問をさせていただきます。
 私は、男女の問題について意見があるということは全くありません。ただ、私の立場としては、まず制度上の問題があるならばそれを速やかに正すべきであろうと思いますし、ただその一方で、国家がいわゆる家族の問題あるいは性の問題といいますか、そういうことに対してどこまで関与できるのか、いささか消極的な部分があります。先ほど私人間効力の否定の問題もありましたけれども、憲法上の理念というのもそこに出発点があるんではないかというような立場から幾つかちょっと質問させていただきたいというふうに思うんです。
 まず岩本参考人、先ほど、選挙結果から見て制度上どういう問題があるのかと。九四%と残り五%というお話がございましたけれども、結果から見て制度上こういう問題があるというようなことがもしあれば、ちょっと御指摘をいただければと思うんです。
#42
○参考人(岩本美砂子君) 制度上と申しますときに、法律制度上とそれから実社会の慣行上ということの二通りの意味でとることができると思います。
 それで、公職選挙法については女性が立てないというふうなことであるとか女性に入れるなということは一切書いてありませんので、形式上は平等になっているというわけであります。
 例えば、自由民主党で一九八〇年から一九九三年まで十三年間女性衆議院議員がいなかったという結果がございます。これは公職選挙法で禁じられていたわけではありません。しかしながら、これは例えば現職が引退したり亡くなったりした場合に次にだれを持ってくるかというときに、残っております後援会の幹部が男性世襲議員を担ぎたいという希望があって、女性候補が外からあるいは身内からでも非常に出にくくなっていったというふうなことが考えられます。
 それで、制度というものにつきまして、先ほど国家からの介入についてやや懐疑的な立場でおられるというふうに言われましたので、公職選挙法上の問題ではありませんけれども、書かれていないルールというか、実際上そうなっているということが非常にたくさんある、そのことについて問題を明らかにしていくということは必要であろうと。ただ、介入できるかどうかということについては難しいところがあるかもしれませんけれども、研究、指摘等は必要であろうというふうに思われます。
#43
○鶴保庸介君 おっしゃるとおりだと思います。その問題点を明らかにすることにこの調査会の意義もあるんだろうというふうに思うんです。
 ただ、その問題点を明らかにしながらその過程の中で思いますのは、現実にはこうなっておるというだけの理由であれば、政治というものの本質からしてこれはそぐわないんではないかという気がいたします、少々辛口な意見でございますが。私はこんなことを正しいと思う、これは正しいという理念である、だからこういうふうに政治というのは結果としてならなければならないというのはこれは本当に少々乱暴な議論でございまして、やっぱり選挙の結果というか、そういうものがある程度制度の中で出ていくんではないかというふうな気がいたしております。
 でも、とはいえ、参考人が先ほど来、なかなか政治の世界というものに至るまでにこういう問題があるということも長い時間かけてお話をされておられました。その中で、政治的自立、それから経済的自立、身体的自立ということをおっしゃられた植野参考人にちょっとお伺いをしたいんです。
 政治的自立というのは、私はそういう意味では先ほど言いましたとおりちょっと難しい問題をはらんでいるんではないかというふうな実感がしているんです。現実に、例えば制度の問題として女性の候補者が出ない、出ないことには何か問題があり、また女性の候補者が出ても当選をする可能性がないというのは選挙の結果としてそういうことがある、党が女性を選ばないというんであれば女性だけの党をつくればいいというイタチごっこの議論が出てくるわけであります。これは、現実問題としてそうではないんだよ、確かに女性は差別されておるんだよという議論はあっても、制度上の問題としてはちょっとやや難しい問題がある。
 そこで、その一歩前の段階のお話、先ほど言いました政治的自立が難しいというならば、経済的自立あるいは身体的自立というところに目を向けて議論をするべきではないか。経済的自立がなければ政治的自立はないとまでは言いませんが、ある程度そのような意識、そういう認識というのはあるんではないかというふうに思うんです。
 その意味において、女性の経済的自立ということについて御意見があれば、植野参考人にちょっとお伺いをしたいんです。
#44
○参考人(植野妙実子君) 政治的自立はさておいてというのはちょっと私は納得できないです。
 やはり人権ということを考えたときに、そもそも何が必要かという、古典的な自由、人間が本来持っているというふうに言われたものが経済的自由、精神的自由、身体的自由というものになるわけです。そういうものを、男性と対等な女性であるということを考えたときに何が必要なのかということで強調したいということは、私が、政治的にも自立しなければいけない、でもその前に経済的自立というふうに書いたのは、やはり経済的自由がないと行動の自由がないんです。そういう意味で、問題の取っかかりが女性問題は労働における男性と同等な評価ということであったというのは道筋だったというふうに思っているわけです。やはり行動の自由があって、そして政治的自由がある。
 それで、性的自由ということについては実は余りこれまで考えられてきておりませんでした。これは身体的自由ということなんですが、さらに一歩進んで女性の性というものに関する自立ということを重要視していかなければいけない、これが非常に身体的自由の中でも核ではないかというふうに私は考えたわけです。
 というのは、やはり今まで女性の性というのは従属的といいますか、そういう固定観念が非常にあって、夫に従うべきであるとか、そういうふうな考え方でとらえてきたけれども、そうではなくて自分で決定することができる、これは当然産む産まないというようなこうした出生に関する自立の問題でもあるわけです。なぜかというと、やはりリスクというのは女性自身が負うわけですから。そうしたような事柄に関してこれまでは何か夫婦の問題であるというふうに考えられてきたけれども、そうではなくて、最終決定というのはやはり女性の性にかかっているんだというふうにとらえるべきだということなんです。しかし、きょうの話の問題からはそれはずれますので、ここではもうそれ以上に話をしません。
 そういう意味では、この三つの自立ということが大切なんだというのが私の考え方であって、そしてこれが相互に関連をしておるという考え方をとりたいというふうに思っております。
 そして、御質問の先の方に関する問題なんですけれども、現在の法制度の中で、例えば公職選挙法の中で女性が出にくいという構造があるかどうかということです。それもやはりちょっと見てみる必要があると思うんです。
 例えば、地方選挙において女性が出にくい。先ほど私、話をさせていただきましたけれども、そういう中においてはやはり女性が出るパターンというのが一つ決まっていて、新人が市民団体などのバックを受けて出てきにくいというようなことがある。
 それは一体何だろうかというと、実は選挙活動などの規制というもの、例えば公職選挙法の中に戸別訪問の禁止が書かれておりますけれども、こういうものはやはり女性が新たに立つというようなものがなかなか浸透しにくいということをあらわしている一つのものではないか。もちろん、これに対してはいろいろもうちょっと検討してみる点もあるかと思いますけれども、こういうような視点も必要ではないかなということで話をさせていただきたいと思うんです。
 それから、先ほど地方自治における女性行政のあり方のモデルプランなどの話をしましたけれども、地域における女性のかかわり方みたいなもの、これは顔が見えないということとの関係なんですけれども、すなわち女性の行動のパターンというのは、子供がいるとその子供とかかわって何かある。しかし、子供とのかかわりがなくなってしまうと、趣味とかなんとかで活躍している方は別ですけれども、あるいは団体に参加している方は別ですけれども、なかなか地域でのネットワークづくりみたいなものに実は組み込まれていっていないんじゃないかという、そういうものをやはり解決する必要があるんじゃないかなというふうに思われるわけです。
 そうしたこととやはり選挙に出にくいというようなことが関係している。そして、ましてや公職選挙法では戸別訪問なんかはなくて、だれがどこで立っているのと立っている人を見てみたら、実は近くの人だった、へえ、こんな人いたのという、これではなかなか女性が出ていきにくいというようなことがあるんじゃないだろうか。
 そういう意味では、もう少し選挙自体の、公正さとかなんとか考えるべき点もありますけれども、そういうものとも絡んでもっと自由にお互いを知る、候補者を知るというようなことも必要になってくるんじゃないだろうか。そうすると、今まであったような運動のあり方とかなんとかということも見直しが必要かなというふうに思います。
#45
○参考人(岩本美砂子君) 公職選挙法に関しましてもう一点は、選挙期間が日本では異常に短いということがございまして、これが新人の活動のしにくさ、新人の名前の浸透のしにくさに非常にかかわっておると思います。戸別訪問が違法だというのは世界の非常識でありますし、選挙期間その他の非常に煩わしい規制がなるたけわかりやすいものになっていくということが、女性のみならず男性にとっても政界と一般社会との垣根を低くする上で非常に重要だと思います。
 それから、先ほどからお母さんイメージのことが話題になっておりますが、働く女性も出られる、働く男性も出られるというふうに変えていくために立候補休暇制度、あるいは議員休暇制度といったようなものが今日本にないということが問題だというふうな視点も必要かなと思います。
#46
○鶴保庸介君 細かいことを言い出してちょっと時間がなくなってきたので、最後に本当に大きなことで、いろいろ問題になっている女性の意識というか社会の、先ほどの植野参考人のお話の中にもございました、地域のネットワークの中にまだ女性が入り切れていない。
 これは、この間の委員派遣の中でも女性グループの方もおっしゃっておられたんですが、外へ出てくると女性は家外だと、家内という名前にそぐわないというような悪口をたたかれるというようなこと、要するに、いわゆる固定観念、慣習に縛りつけられている。結局は育てられた家庭環境というかそういうものがおかしいのではないかというようなことにつながってくるのではないかというような気もしておるんです。
 そこで、家族の家庭教育にまで国家が手を出すべきではないでありましょうが、公共教育機関としての教育の中で男女平等に関する教育がどんなふうにどういう問題点があるか。制度上と言っては申しわけないけれども、先ほど、考える、意見を発表するということがまだできていないというようなことをちらっとお話をされておられましたけれども、そのことも含めて時間までちょっとお願いできますでしょうか。
#47
○参考人(植野妙実子君) 家族の意識を変える、これは非常に重要な問題でありますし、また道のりの長い問題かというふうに思うんです。しかし、今のような社会構造の中では夫自体の意識を変えるというのはなかなか難しいと思うんです。女性差別撤廃条約の中では、明確に役割分担の廃止というのが男女平等につながるんだということを言っておりますけれども、役割分担の上でないと男性が働けないというこの状況がやはり一番男女平等の阻害原因になっているのではないか。
 お互いに家族のことを考える。つまり、例えば夫が子供の当面している問題もわからないというような中で家族責任を果たすということは非常に難しいと思うんです。家族の中でのコミュニケーションを図って、妻が何を考え、子供が何を考え、子供がどういうことで悩んでいるかというようなことがやっぱり解決されていかなきゃならない。
 それに対しては、今の男性中心の社会構造というのをやはり根本的に改革する。そのためにはもうちょっと休暇を長くするとかあるいは労働時間を短くする。それから、いわゆるグレーゾーンが日本は多いわけです、働く形において。つまり、職業としては終わっているのにその後に何か飲みに行った。このときについて行かないと、重要な話題が出て、君、今度あっちへ行ってくれみたいな話がわからないというようなことになってしまうのでは困ると、そういうつき合いが非常に多いというようなことをどこかで根本的に変えていかない限りは、やはり女性の幸せ自体は訪れないのではないかというふうに思われます。
#48
○堂本暁子君 きょうはお二人、大変有意義なお話をありがとうございました。私は最初から終わりまでとてもおもしろかったんです。
 まず、岩永先生が佐賀のことをおっしゃった。まず一番私が興味を持ったのは、男女差別という言葉ではなくて、家父長的風土の影響で女性が積極的に物を言ったり立候補しにくいというふうに先生がおっしゃった。これは佐賀だけではなくてやっぱりオールジャパンでそうなんだろうと。まだそういうところがあるというふうに思います。
 と申しますのは、この間韓国のドメスティック・バイオレンスの法律をつくった方に会ったときに、私たち、中国、韓国、日本の共通した家父長制と言われて、それからとてもこの言葉にこだわっているんですけれども、そういうことから始まりまして、今の鶴保先生の政治的自立はさておきとおっしゃったので、ここまでつながっているんだな、和歌山も同じかなとちょっと思いました。
 もう一つそれと関連して、きょう伺ったお話で、ジョスパンが当選して、パリテとおっしゃいましたか、制度を憲法で改正した。このお話を伺って、やはりヨーロッパと日本、どっちがいいということよりも、その落差の大きさに唖然としています。ちょうどジョスパンが組閣したときにたまたま私、パリの空港でトランジットでいたものですから、新聞の一面トップに七人の女性閣僚が並んでいて、ほら見なさいというふうに皆さんが見せてくださって、そのときのことをふと思い出したんです。どっちがいい悪いということではないんですけれども、これだけ国際化した中で日本とヨーロッパの差みたいなものが歴然と出ている。これは今最後に盛んにおっしゃっていらした女性だけの問題じゃないというところに帰するんじゃないかというふうにちょっと感じています。
 むしろ、今リストラで五十代の男性の自殺が大変にふえているとか、それから働きバチ、過労死というような、男性が幸福かといったら決してそうではないんじゃないか。むしろそういった家父長制度の結果、男は仕事、女は家庭という役割分担の固定化が今や非常に日本のひずみになってきているというのは、これはあらゆる白書や何かでも書かれていることですから何も新しいことではない。
 この調査会でこういうことを審議するというのは、そういう意味でも、ほかではなかなかこういうところからの切り口がないので大変有意義なことだと思ってきょうお二人のお話を伺ったんです。
 ちょっと直接の政治への参画からもう一歩進んでしまうかもしれないんですが、伺いたかったことは、特に植野さんに伺いたかったことは、パリテをフランス人らしく憲法にそういうふうに書くことによって、フランスだって物すごい性役割分担があったと思うんです、中世なんか特に。でも、それがそういうことで、逆に男は仕事、女は家庭というようなことから、仕事もそれから家庭もお互いシェアしていくというようなことにまでずっと影響していくようなことが今後あるというふうに、もう既にあるのかもしれません、そのことの実態はどうなのか、憲法に出ることによって実態は一体どうなっているのかということを一つ伺いたい。
 それからもう一つは、やはり女性の参画が多くなるということは、確かにそういう性の役割分担が極端になることによる不自然さとひずみ、そういったものから解放されることも一つあると思いますが、もう一つは、やはり女性が多く意思決定の場に参画することによってすべてのシステムあるいは法律、政策にジェンダーの視点が入っていくということが最終目標なんじゃないかと思うんです。
 憲法にこういうふうに書き込まれることによって、そういったジェンダー的視点が、男性、女性ということよりも、さっきまさに私も大変共感しましたけれども、性中立的な考えから両方がバランスがとれる、過労死なんかしない、片方は子育てが終わったところで自分をもてあますというような、そういった矛盾が起きないような、どちらの性も生き生きと、植野さんの言葉を使えば生き生きと生きられるような、そういった方向性が憲法ということでフランスの場合実現するような、まだ時期が早いかもしれませんが、なおかつそういった可能性があるのかどうか伺いたいと思います。
#49
○参考人(植野妙実子君) お答えしたいと思います。
 私が既に九四年に調査をいたしましたときに、もうかなり日本との落差というのはあったわけです。ですから、そういう点からすると、そのときに議会における過少代表ということはやはりどこでも問題になっていて、これをどう解決するかということが言われていたわけで、この解決によって一層フランスは大躍進をしていくであろうというふうに思われるわけです。
 それから、この問題は、女性問題の解決ということを何もどこの党がやっているということじゃないんです。あらゆる党が取り組んでいる。あらゆる党がいろいろな形で政策を出している。そして、実はパリテのこの問題解決に至るときの一番大きな動因は何だったかというときに言われていることは、女性団体の方がパリテのような女性政策を推進するような党でないと投票しないということを決めたりなんかして運動を進めたりしたんです。そういう意味では、先ほど来、では日本の女性はどうしているんだという話が出てきておりますけれども、そういう違いも確かにあるんです。やはり向こうは女性政策に熱心でないというような政党には入れないという、そういう強い他方で運動もあって結実したということも言えるわけです。
 ですから、組織的に日本がこれからどういうふうにしていったらいいかというようなときに、じゃ、フランスと同じように直ちになっていけるかというとそれはやはり難しい問題だと思うんです。段階を経て一つずつ克服していかなければならない点がある。だけれども、克服すべき点というのはたくさんあって、そしてやっぱり着実に我々も進んでいかなければいけないというふうに思うわけです。
 そういう点では、きょう申し述べましたようなさまざまな点において解決の糸口というものがあるというふうに思いますので、そういうことによって解決をしていく。あるときにはフランスも女性問題についてはカンフル剤があったわけです。
 まず第一のカンフル剤は何だったのかというと、これは女性問題を担当する大臣が、省があったわけです。女性の権利省というのがあったわけで、この女性の権利省があったときにかなりそこまであった、これはミッテランによってつくられたものですけれども、解決が図られたわけですね。あれが出てきてから法的な問題というものがかなり解決されたというふうに言われ、そしてさらにヨーロッパ連合からのバックアップもあって、ヨーロッパ連合の方が、例えばフランスなんかは、労働の現場であっても区別的雇用というものなんかは禁止されているわけです。警察官においても禁止されていますし、それから間接差別というのも禁止されているわけです。そういうふうに着実に平等に結びつくことができてきているというのは、一つはそういうカンフル剤がやっぱりあった。
 そういう点からしますと、我々は身近な問題を一つずつ解決していくことも必要だけれども、やっぱりあるときにはカンフル剤を出す必要もあるんだということを思うんです。
 私は、平等はつくるものだと思うんです。なぜかというと、平等が必要だというのは、差別されているということがもともと問題になっているわけですが、差別というのはそういう固定観念がやっぱりあるわけですね。女性というのはこういうものだとか、黒人はこういうものだとか、そういう長い間にあったものを変えるというのはなかなか一朝一夕にできるものではなくて、時にはカンフル剤としてある。
 アファーマティブアクションのことについても、実はただ単に女性が出てくるということじゃなくて、女性が出てきても、いろんな人間がいるということがわかると思うんです。女性だってだめな人間もいるだろうし、能力がいろんなところに分かれていると思うんです。さまざまな能力があると思うんです。そういうようなことを認めさせるためには、まずある程度数が出てこないとその女性像というのも変革されて、意識的な変換が難しいのではないかというふうに思うわけです。
#50
○参考人(岩本美砂子君) 今、たまたま二人ともフランスが専門なんですけれども、ミッテランのとき女性の権利省というのができた。その前は野党だったわけですけれども、一九六八年のフランスでは五月革命と言われたような動き。それからフランスでもウーマンリブと言われた第二波フェミニズム。とりわけセックスとか身体の自立ということをすごく強調した新しい女性、それまでは女はお母さんだから社会に役立たなきゃいけないという第一波フェミニズムとは違う性的な自立ということをすごく主張した第二波フェミニズムの動きを受けたミッテラン新社会党というものがあり、それが女性票を引きつけそうだということでジスカールデスタンの今度は右派の方が焦って女性の抜てきをやり、今度はまた負けじとして左派のミッテランの方が女性の権利省をつくるというふうな動きになっております。
 先ほど政治がどこまで介入できるかというお話はございましたけれども、政治のリーダーシップによって女性の進出を支えるということは非常に重要ですし、今どこの党がそういうのにこたえてくれるだろうかということを女性はにらんでいる時期ではないかというふうに思われます。
 それから、日本の役割分担のひずみということを言われましたけれども、先ほど来、女性が地域活動へ出ていきにくいということを言われましたが、男性もこれは大変出ていきにくいわけですね。過労死状態まで働いておりましたら、通勤から帰ってきてお疲れさんでありまして、普通の男の人はボランティア活動なんかに出ていくことは非常に難しいわけです。
 ですから、男性も女性も働くことと家庭責任と地域活動、ボランティアという三立ができるような、両立ではなくて三立ができるような労働条件とか社会条件を整えていくということが、今度は地域運動をバックにした男性議員というのも出てくるかもしれませんし、そういうふうな変革が必要だというふうに思います。
#51
○堂本暁子君 最後に一つだけ、三十秒ぐらいしかありませんけれども、植野参考人に伺いたいのは、さっきリプロダクティブヘルス・ライツのところは飛ばしておっしゃったんですが、あえてきょうのテーマではないというふうにおっしゃったんですが、フランスの場合には、北京の女性会議の前にあったカイロの人口会議でリプロダクティブヘルス・ライツというのが初めて国際的合意を得たことがとても大きいと私は思うんです。
 そのことが、例えばフランスの場合も人工妊娠中絶が合法化されたときに、それこそ彼らは整合性を大事にするのかなと思いますが、憲法の一条に添え書きを入れる憲法改正をやったという、そういうところから考えて、そういったヨーロッパの女性サミットだけではなくて、一連の国連のカイロの影響というのがこういった動きに影響があったとお思いになるかどうか。もう時間がないので、後で詳しく伺ってもいいんですが、それがあったかどうかということだけ伺えたらとてもうれしいです。
#52
○参考人(植野妙実子君) 私が聞く限りでは、どちらかというとヨーロッパ連合での動きが非常に強いと。なぜかといいますと、もちろん女性差別撤廃条約をだからといって無視しているとか、そういう意味ではないんですよ。そういうことではなくて、ヨーロッパ連合の方がある程度の強制力があるわけですね。なぜかといいますと、あそこでは命令というのが出ますし、その命令に合っていないというようなことになりますと、これは裁判といいますか、そういう形で厳しく追及されるわけですね。
 ですから、フランスの場合も、警察団体、警察職における女性差別があるというようなことが問題になったときには、区別的な募集というんですか、そういうのが問題になったときもヨーロッパを通じてそれをただしておりますしね。
 そういう形で、ヨーロッパからのやはり強制力があれば、強制力といってもこれは裁判を受けて刑罰を受けるわけじゃないわけですけれども、判定が出ますから、判定が出ますと国際的に信用を失うとか、そういう問題とかかわるわけですね。したがって、そういう形での強制力があるということでヨーロッパ連合とのかかわりが非常に深かったと、そういう意味です。
#53
○堂本暁子君 どうもありがとうございました。
#54
○会長(石井道子君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時五十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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