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2000/04/07 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 共生社会に関する調査会 第5号
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2000/04/07 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 共生社会に関する調査会 第5号

#1
第147回国会 共生社会に関する調査会 第5号
平成十二年四月七日(金曜日)
   午後二時三十六分開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月五日
    辞任         補欠選任
     鶴保 庸介君     高橋 令則君
 四月六日
    辞任         補欠選任
     三重野栄子君     福島 瑞穂君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    理 事
                南野知惠子君
                佐藤 雄平君
                大森 礼子君
                林  紀子君
    委 員
                岩永 浩美君
                釜本 邦茂君
                末広まきこ君
                竹山  裕君
                仲道 俊哉君
                橋本 聖子君
                森下 博之君
                小川 敏夫君
                小宮山洋子君
                千葉 景子君
                福山 哲郎君
                松崎 俊久君
                渡辺 孝男君
                小池  晃君
                八田ひろ子君
                福島 瑞穂君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        大場 敏彦君
   参考人
       東京大学社会科
       学研究所教授   大澤 眞理君
       日本経済新聞社
       編集委員兼論説
       委員       鹿嶋  敬君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○公聴会開会承認要求に関する件
○共生社会に関する調査
 (男女等共生社会の構築に向けてのうち女性の
 政策決定過程への参画についての現状と課題に
 関する件)
○政府参考人の出席要求に関する件

    ─────────────
   〔理事南野知惠子君会長席に着く〕
#2
○理事(南野知惠子君) ただいまから共生社会に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る五日、鶴保庸介君が委員を辞任され、その補欠として高橋令則君が選任されました。
 また、昨六日、三重野栄子君が委員を辞任され、その補欠として福島瑞穂君が選任されました。
    ─────────────
#3
○理事(南野知惠子君) 公聴会の開会承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 本調査会は、現在、男女等共生社会の構築に向けて調査を進めておりますが、来る二十六日午後一時に女性の政策決定過程への参画についての現状と課題に関する件について公聴会を開会いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○理事(南野知惠子君) 御異議ないと認めます。
 つきましては、公述人の数及び選定等は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○理事(南野知惠子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#6
○理事(南野知惠子君) 共生社会に関する調査を議題といたします。
 「男女等共生社会の構築に向けて」のうち、女性の政策決定過程への参画についての現状と課題に関する件について、参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、東京大学社会科学研究所教授大澤眞理君及び日本経済新聞社編集委員兼論説委員鹿嶋敬君に参考人として御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。
 参考人の方々から、「男女等共生社会の構築に向けて」のうち、女性の政策決定過程への参画についての現状と課題に関して忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、まず、参考人からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、大澤参考人からお願いいたします。大澤参考人。
#7
○参考人(大澤眞理君) 大澤でございます。
 本日は、意見を述べる機会を与えていただきまして、大変ありがたく存じます。
 皆様のお手元に、本日のレジュメ資料のホチキスどめのものと、それから参考人の主要論文等として事前に配付されている資料があろうかと存じます。きょうの私のお話は、主要論文等ということで事前にお配りされております原稿に沿って申し上げたいと存じます。
 レジュメの「問題意識」に書きましたように、日本ではサラリーマン、正確には雇用者でございますけれども、この夫と専業主婦の妻、そして郊外の団地暮らしで子供は二人、そういう家族が標準世帯とみなされることが多いわけです。
 しかし、歴史をちょっと振り返ってみますと、一九六〇年の日本では、農林漁業を中心とする自営業主と家族従業者が就業者の半数を占めておりまして、核家族世帯は一般世帯の半数にすぎませんでした。その後、就業者に占めるサラリーマンの比率が上昇し、九〇年代前半に八〇%に達したわけでございます。農村が多く、自営業が中心、大家族の社会から、わずか一世代の間にサラリーマン社会になったわけでありまして、これはいわば世界史に類例のない急激な社会変動と言えると思います。
 このような世界史に類例のない急激な社会変動の中で、いわゆる標準世帯は高度経済成長の結果として登場し、一九七〇年前後の一時期に相対的に多数を占めたにすぎない、これが伝統的に多くの普通のあり方だという観念がもしあるとすれば、それは事実と一致をしていないということを申し上げたいわけでございます。
 次に、簡単に高度成長の状況を述べたいと思いますけれども、これは皆様御存じのことですので、空前の高度経済成長の間に急激にサラリーマン化と都市化が起こったということのみ申し上げまして、その中で特に労働力率がどういうふうになっていたかということを申し上げたいと存じます。(OHP映写)
 こちらにオーバーヘッドプロジェクターでお示ししております図は、レジュメにもそれから主要論文の合本の中にもそのままとじてございますので、これはあくまでグラフの読み方ということでオーバーヘッドプロジェクターを使わせていただいております。
 この高度経済成長期に、まず男女の青年層、特に二十歳未満の労働力率は半分以下に激減をいたしました。その主な原因は言うまでもなく高校進学率の上昇にあったわけでございます。他方で、女性の労働力人口はふえたのですけれども、十五歳以上の総人口が増加したほどではなく、したがって女性の平均労働力率は低下をいたしました。
 ただし、人口に占める女性雇用者の比率は戦後一貫してふえております。減ったのは家族従業者として働く女性でありました。年齢階層別には、二十五歳から三十四歳の女性の労働力率が高度成長期に大きく低下し、今日まで続いている日本女性のいわゆるM字型の年齢階層別労働力率のグラフを形成したわけでございます。その主な理由は、女性が家族従業者として就業していることの多い農業の比重が就業構造上、産業構造上低下したということにございます。
 他方で、製造業やサービス業のサラリーマンが増加して、配偶者のいる女性に占めるサラリーマンの妻の割合が増大をしたわけでございます。しかし、三十代後半以降の女性につきましては、高度成長期に労働力率は上昇してきたということに御注意願いたいと思います。
 これを労働力の需要側から見ますと、六〇年代初めには早くも若年労働力が不足したことにより新卒初任給の上昇が起こり、中高年女性を若年層よりも低賃金の労働力として動員することになったからでございます。
 このようにして、サラリーマンの専業主婦世帯は高度成長期に増加をいたしました。女性の年齢別労働力率をコーホート、同時出生集団別に見ますと、一九四五年から四九年生まれのいわゆる団塊の世代の女性が二十五歳から二十九歳の時点で、これは一九七四年ということになります、M字型の谷の最低の労働力率である四三・三%を記したわけでございます。
 ただし、この七〇年代前半という時期はすべての年齢階層で女性の労働力率は鋭く落ち込んだのでございまして、そこには高度成長期を通じる長期の趨勢の上に短期の環境変化が重なっておりました。すなわち、ドルショックそして第一次石油ショックが起こったことによるスタグフレーションの影響でございます。
 当時の団塊世代の女性の未婚率は二割でございましたので、非労働力となった女性の多くは既婚であり、専業主婦になったわけでございます。この関連で注目すべきは、団塊世代の女性の夫に当たる世代の男性、すなわち、いわゆる太平洋戦争中生まれの男性及び同じ団塊世代の男性の実質賃金の伸び、これが大変重要なこととして注目をされるわけでございます。
 このグラフはそれぞれ屈折点がございまして、この世代ではここで屈折、それから次の世代ではここで屈折、次の世代ではここで屈折というふうにグラフが屈折をしてございます。これがそれぞれの世代にとっての、年齢が下にございますけれども、実際の年数で見ますとすべて一九七四年で屈折をしておるわけでございます。つまり、いわゆる太平洋戦争中生まれの男性にとっては三十歳から三十四歳まで、三十代の前半まで、それから団塊世代の男性にとっては二十代の後半までは大戦直前生まれの男性と同じ勢いで年齢別実質賃金が伸びていたのでございます。屈折点に至るまではすべてのグラフが同じ経路をたどろうとしております。
 そこで、団塊世代の女性たちは、労働力需要が急激に収縮する中で、夫の昇給、賃金の上昇は高度成長期並みに続くであろうという期待を持ちながら離職し、専業主婦になったと考えられます。しかしながら、このグラフが示しますように、実際の男性の実質賃金の伸びは七四年を境に大きく低下をいたしました。屈折をして緩やかなカーブになったわけでございます。
 世界史に前例のなかった成長率年平均一〇%という高度経済成長は終わるべくして終わり、七〇年代後半から九〇年まで平均四%のいわゆる安定成長期を経験いたします。それでもこの時期、いわゆる安定成長期、日本の経済は成熟した欧米の経済社会よりは高い成長を経験いたしました。
 そこで、ともかくも大戦直前生まれの男性は年齢が五十代前半に達した九〇年代前半、初任給の五・五倍以上の実質賃金を得ることができました。しかしながら、戦中生まれの男性では四十代後半に辛うじて四倍を上回る、五十代前半でも四・五倍に満たない。さらに団塊世代の男性は四十代後半にやっと初任給の三倍ということでございます。
 そこで、二十代後半に大きく非労働力となった団塊世代の女性は、三十代後半、これは八〇年代以降ということになりますけれども、目覚ましく労働市場に回帰をいたしました。団塊世代の女性の労働力率はここで鋭く落ち込んだわけですけれども、その後非常に目覚ましく回帰をしております。ちょっと色が違っておれば見やすいんですけれども、恐縮でございます。このように、一たん大きく非労働力化した団塊世代の女性がまた目覚ましく労働市場に回帰したというのは、夫の賃金の伸び悩みを背景としていることは明らかでございます。
 こうしてサラリーマンの専業主婦世帯は、高度成長が始まった一九五五年の約五百万余りから増加をして、八〇年には一千百万世帯近くに達しました。その後減少して、八五年以降は九百万前後で上下をしております。しかしながら、サラリーマンの妻のうち専業主婦である者の割合は実は一貫して低下をしてきております。それが五〇%を切ったのは八〇年代後半の早い時期だったと考えられます。すなわち、サラリーマンの間でも八〇年代後半から専業主婦世帯は少数派となったわけでございます。
 また、すべての夫婦に占めるサラリーマンと専業主婦のカップルの比率というものを見ますと、七〇年代の三七%程度をピークとしまして、五五年から九〇年代まで三割台にとどまってきました。
 九〇年代の日本経済は、歴史的に見ても国際的に見ても非常に低い平均一%成長に低迷いたしました。その中で、経営者団体を中心として、いわゆる日本的経営あるいは日本型雇用慣行の終えんが叫ばれてまいりました。今後は、例えば通産省のビジョンなどでも巧みな経済運営を条件として初めて年二%程度の成長が期待できるにすぎないわけでございます。こうして労使の双方が長期雇用を前提にはできないようになりました。とりわけ従来の年功制を維持しようとする企業はまれでございます。
 男性世帯主の勤め先収入で子供の高等教育を含む世帯支出を賄えるという時代は確実に過去のものとなりました。雇用の流動化あるいは失業リスクの高まりに対して、片稼ぎいわゆるシングルインカムである専業主婦世帯というのは余りにももろいわけでございます。世帯の収入口を複数化すること、ダブルインカムあるいはさらにマルチインカムへ、これは今日必然的な家族戦略と言っても過言ではないわけでございます。専業主婦が少数派となることはこのように日本の経済史の上で必然であるというふうに言ってよろしいかと思います。
 これに対する社会政策はどのようなものであったかというのが次のテーマでございますけれども、簡単に申しまして、日本の社会保障の体系は、生活はまず家族で支え合うものという考え方をとり、かつ夫は仕事で妻は家庭という性別分業を前提として男性雇用者を中心に世帯単位で設計をされております。特に、社会保険制度は大企業の労使にとって有利であり、税制もまたそれを助長するという社会政策システムになっております。大企業にとっては社会保険料の負担面でも有利な制度になっております。これは労使ともに有利な制度になっているわけでございます。
 ところで、大企業の正社員という人々を性別で見ますと、これは大多数が男性でございます。女性は大企業に勤めていても若年で未婚の間の短期勤続が通常でございます。そこで、企業年金などの恩恵にあずかるのは世帯主でありかつ長期勤続する男性が大多数となります。被保険者の扶養家族という扱いの妻は、被保険者本人が持つ社会保障に付随的におまけとしてあずかるにすぎず、一個人として医療や年金への資格を持ってはおりません。こうして、高度成長期に整備された社会保障制度のもとでは、出世競争のいわば勝者、勝ち抜いた者である大企業の正社員、男性により厚い生活保障が提供されました。
 また、税制面でも高度成長のさなかの一九六一年に給与所得者の配偶者控除が導入されたわけでございます。このような社会政策によっていい学校からいい会社へ、そして大企業へ会社人間へという競争が促されたと考えられます。と同時に、女性は勤め続けるよりも被扶養の、扶養される妻となるよう促されたと言えると考えます。つまり、専業主婦ないしは夫に扶養される範囲内でのパートタイム就労で内助に努めるよう誘導されたと考えられます。
 それにしても翻って、サラリーマンの専業主婦世帯を標準とみなすこのような社会政策は、どの程度日本の家族の現実を反映していたのでしょうか。繰り返しになりますけれども、すべての夫婦に占めるサラリーマンと専業主婦のカップルの比率は、七〇年代の三七%程度をピークとして五五年以降九〇年まで三割台にとどまってまいりました。日本の社会政策は、三割台にすぎないケースを一般または標準とみなして設計され実施されてきたということになります。
 それだけではなく、一九八〇年代には福祉見直しあるいは家庭基盤の充実、日本型福祉社会などの標語のもとで社会政策のすべての分野にわたって改革が行われました。その改革は表の一にまとめてございますので、後ほどごらんいただきたいと存じますけれども、この中では、配偶者控除のための限度額が再三引き上げられ、配偶者特別控除も導入されるなど、妻の所得が一定限度以下の世帯に対する減免税が繰り返されたわけでございます。また、八五年の年金改革によりサラリーマンの被扶養配偶者が保険料を徴収されずに年金が受けられるという基礎年金の第三号被保険者制度が導入されました。
 これらの政策は、女性が就業するにしても所得を夫の被扶養家族の限度内にとどめるよう促すものでございます。つまり、低賃金のパートタイム就労を助長いたします。その結果の一つとして女性雇用者が社会保険制度にカバーされる比率の低下、逆に申しますと、就労して一定の収入があるのに社会保険料を負担しない、言葉は悪うございますがフリーライダー、ただ乗りが増加をする。その意味で社会保険制度が空洞化をするということが七五年以降、とりわけ八〇年代、九〇年代に進行してまいりました。
 既に述べたように、八〇年代半ばにはサラリーマンと専業主婦のカップルの比率はすべての夫婦の中で三割を切ろうとしておりました。まさにそのとき政府の政策は、妻の就業がパートタイムにとどまるよう促すことによって家族の現実の方を政策のモデルの中に縛り入れようとしたかのように見えます。しかしながら、このモデルは高度成長末期にのみ現実に一定程度適合していたにすぎません。いわば非常に古い旧型の型紙でつくられた既製服で生身の家族を縛ろうとした、これは不健康きわまりないと言えるのではないかと考えるわけです。このような社会政策には残念ながら九〇年代を通じて改革が行われておりません。
 しかし、雇用が流動化し失業のリスクが高まる今日、世帯の収入口を複数化することは必然的な家族戦略であると考えられますが、政策の方は依然としてリスクに対して脆弱であることが明白なモデルに誘導し続けている。これは言葉は激しいんですけれども、犯罪的であるとすら言えるというふうに原稿の方には書かせていただきました。
 ヨーロッパの言葉でプロクルステスのベッドという言い回しがございます。これは人が無理に従うように強制される制度のことですが、プロクルステスというのはギリシャの伝説の中に出てくる追いはぎでございまして、私は日本の社会政策が今日追いはぎのベッドと化しているのでなければ幸いであるというほどに懸念をしております。
 しかし、このように社会政策が特定のライフスタイルに誘導する傾きを持っていることは、近年になって政府の各種の審議会でも問題にされるようになってきました。例えば、社会保障制度審議会の委員会報告や勧告しかり、経済審議会の建議しかりでございます。
 このような問題が広く認識されるようになった結果、昨年成立いたしました男女共同参画社会基本法では、基本理念の一つとして「社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。」という御案内の第四条が規定されたわけでございます。
 これは言うまでもなく、女性に就業を促そうというものではありません。男女を問わず社会のどのような分野で活動するのか就業するのか家庭にとどまるのか、これらは言うまでもなく個人が選択すべき事柄でございます。その選択に対して社会の制度や慣行が特定の方向に人々を誘導することのないよう制度や慣行を中立なものとするというのが第四条の趣旨であると考えます。
 顧みれば、四半世紀以上も前につくられた型紙による既製服に生身の体を縛り入れようとすることはもうやめるべきでございます。各人が自由に真っさらな生地から自分に合う服をあつらえられるようにしようというのが基本法の趣旨ではないかと考える次第です。
 基本法のこの条文は、諸外国の性別禁止法や男女平等法に例を見ない新たな世紀の成熟社会にふさわしい基本理念として高く評価されるものと考えます。したがいまして、速やかに各種の制度、慣行にこの基本法の理念が具体化されることを願うものでございます。
 以上でございます。
#8
○理事(南野知惠子君) どうもありがとうございました。
 次に、鹿嶋参考人にお願いいたします。鹿嶋参考人。
#9
○参考人(鹿嶋敬君) 鹿嶋です。どうぞよろしくお願いいたします。私の方はレジュメを提供いたしましたが、多少レジュメからはみ出すような話もするかもいたしません。
 私自身は、昨年、日本経済新聞に入りましてちょうど三十年たちまして、そのうちの二十五年が生活問題、女性、男性のライフスタイル、家族、女性の労働といったような問題を取材してまいりました。その中から今回の参考になるような、共生社会に関する社会づくりの中で参考になるような話ができればというふうに思っております。よろしくお願いします。
 レジュメに沿って話をするつもりでございますが、まず小冊子の方は、昨年、日本経済新聞の方に書きました記事の一部、それから、これは大分古いんですけれども、一九八九年と九三年に私が書きました岩波新書の前書き、その一部を掲載、抜粋させていただいております。後でお目通しいただければ幸いです。
 レジュメに入りますが、私の方は特に女性の労働が現場でどういうふうになっているのかといったような話を中心にしてみたいと思うんです。少しレジュメを飛びまして、レジュメのAの最後に「総合職が辞める理由」ということを挙げておりますが、まずここから話をしながら全体を構成していきたいというふうに思っております。
 実は、昨年、私は五年ぶりに取材の現場に戻りまして、特に総合職が今どういうふうになっているのかと。なぜ総合職がどういうふうになっているかに関心を持ったかといいますと、私自身は、男女雇用機会均等法が国会で議論され、制定され、施行されといったような一連の流れをずっと取材記者として見てまいりまして、その総合職という言葉は特に日本が機会均等社会を実現する上での非常に象徴的な存在だというふうに思っておりますので、彼女たちが今職場の中でどうなっているのかといったような取材をしてまいりました。
 結論を先に言えば、大半の女性たちが実はやめております。今やめていない総合職の女性たちはどういう女性かといいますと、未婚かあるいは子供がいないという女性たちでありまして、特に結婚をして子供を持つ総合職の女性の方は大半が実はやめていると。一九八六年に男女雇用機会均等法が施行されましたが、一九八〇年代に入った総合職女性はほとんどがやめているというのが実態であります。
 なぜやめたのかというのを少しケースで御紹介いたします。
 まず最初の女性は、総合重機・機器メーカーに勤務していた女性ですが、この人は結婚後一年間共働きを続けましたが、仕事が忙しくて主婦らしい仕事が何もできなかった、夕食を準備する時間がないのでおかずなどをコンビニで求めた、やがて夫からコンビニから買ってきたような食事をさせられるんじゃ何のために結婚したのかわからないといったような苦情が出まして、彼女の方も体調を崩して微熱が続いた、顔に出た湿疹を鏡で見て退職を決意しましたという人が一ケースです。
 彼女の場合は、仕事は大変やりがいのある仕事をしていたということなんです。一九九四年から九八年に在職したんですが、女性総合職としてアジアに出張し、輸出業務を一手に、もう全部責任を負わされまして彼女が全部そういう交渉もした、一件の商談が何千億単位、相手国の交渉相手も新聞に登場するような大物で大変やりがいがあったということだったんですが、結局やめた理由というのは家庭との両立ができないという、これまた極めて伝統的な主婦といいますか、主婦らしい理由でやめざるを得なかったということであります。
 あと二、三件、ケースを紹介したいというふうに思っております。
 もう一人の女性は都銀に勤務していた女性であります。この女性は育児休業を一年間とった後、職場復帰をしたそうです。子供をどこの保育園に預けるかいろいろ調べたけれども、結局どこも帯に短したすきに長しということで子供を預ける場所が見つからなかったと。彼女は実は埼玉県に住んでおりますが、復帰後は秋田県に住む母親に子供の世話をしてもらった、ウイークデーは母に子供の世話を頼み、その母は週末に秋田に帰るという厳しい生活だった、母に迷惑はかけられないと思い復帰後三カ月で退職したという女性であります。このケースもやはり総合職女性が、特に子供を産んで仕事と家庭の両立が不可能だったということがやめた直接の引き金になっているということが理解していただけるというふうに思います。
 それから、社内結婚をした総合職の女性はどうだったか。これも都銀のケースです。
 総合職の男性と一般職の女性の社内結婚はオーケーだそうです、そこの会社は。しかし、総合職同士はどちらかがやめなければならないという不文律があったと。また、夫は支店長に目をかけられ、結婚相手なども紹介されたりしていたので、そういう中で私と夫が結婚したので、結婚相手には絶対やめさせろ、そうしないと君の出世はないと支店長に夫が言われたということであります。昇進、転勤などは支店の場合支店長の裁量事項でございますので気に入られるかどうかで出世も決まる、それに逆らってまで私が働き続けることは不可能だったということで彼女はやめたと。
 この人は家庭と仕事の両立というよりはむしろ社内に残っている結婚したらやめるという不文律、こういうことは条文で書いている企業はないわけですが、まだまだそれがあるということがこういう取材の一端からうかがえるというふうに思います。
 それから、もう一件は転勤であります。
 この総合職の取材をして感じるのは、やめる理由に大きく二つあります。一つは仕事と家庭の両立が不可能である、もう一つは夫の転勤であります。
 総合職の女性たちは全国転勤の可能性のある夫たちと結婚するというケースが非常に多くて、このケースも転勤であります。相手はニューヨーク時代に知り合った人ですと。彼女もニューヨークに勤務していたんです。私は帰国することになったので夫婦が日本と米国と離れ離れになる生活は嫌だった、また、別に働き続けなくてもキャリア形成がゼロになるわけではないと思って退職したがちょっと甘かったかもしれない、総合職の場合夫婦双方が転勤する可能性があるわけだが、仕事を続ける上で子育て以上に大きな問題であるというふうなことを言っております。
 実は彼女たちは、やめてからの生活なんですが、自律神経失調症にかかるとかほとんどの人がやめたことを後悔しております。ただし、後悔しても、では仕事が両立して続けられたかというとなかなかできないという、そういう非常に厳しい現実というのが総合職、男性と一緒に基幹労働力として働けるという男女雇用機会均等法当時まさに脚光を浴びたそういう女性の存在がやはり消えざるを得なかったという現実が浮かび上がってくる。実はこのあたりに今の企業社会、男女共同参画といったようなキーワードで企業社会を見た場合の大きな矛盾が含まれているんではないかというふうに私には感じられてならないというふうに思います。
 さらに、レジュメのAの「正社員の問題点」ということで、まずそこから御説明いたしますが、正社員の場合、総合職はそういう実態。男性と同じような労働時間帯で働かざるを得ない、ところが、家事、育児、責任は一手に彼女たちが担っているという現実。そういう中で続けることが難しいんですが、では一般職の女性はどうかということなんですが、一般職もやはり有形無形のどうも肩たたきがあるような気がいたします。
 そこに掲げたケースは総合商社のケースでありますが、二十五歳の総合職の年収が五百四十万円です。一方で一般職の女性は四百四十万円と二十五歳の時点では格差はありませんが、四十五歳になりますと一般職が五百五十万円と、百万円しか年収は上がっておりません。実は、総合職がこの時点で幾らになるかというのは取材ができませんでした。ただし、この倍以上は行っているというふうに理解していただければいいと思います。それから、五十五歳で五百七十万円。五十五歳といいますと総合商社の場合は残っていればもう役員ですからこの人たちの年収というのは二千万円を多分超えてくるだろうというふうに思われますが、この程度の昇給でしかない。定昇は年に千円くらいというのが実は総合商社で取材をした結果であります。
 総合商社の一般職の女性たちは大体三年ぐらいいてくれればいいということになっているということで、このかぎ括弧で書いてあるのはその取材した女性の言葉をそのとおり引き写しているものですが、一年目は仕事の研修である、仕事を覚えるのに精いっぱいだと。二年目は、ですから全力投球しなければなりません。これはもう会社として当然のことながらここで成果を上げてもらわないと困るわけです。三年目に入ると次の新人に対する引き継ぎといいますか、このあたりが少し始まるそうで、四年目に入って退社するということが彼女らに期待される職場の人生であるというふうなことが言えるんだろうということであります。
 やはり一般職の女性たちは未婚で、若さといいますか、若いということが大きなポイントになっておりますと。こうなってきますと、女性が職場の中で職業人としての形成を図るということがまだまだできていないような現実が一般職の方でも浮かび上がってくるというふうに感じております。
 正社員はそういうふうな問題点を抱えているんですけれども、では女子労働全般を見た場合にどうなのかということで、レジュメの@に戻っていただきたいんです。
 実は「正社員比率」というのが出ておりますが、この正社員比率は男性の場合はここ十年ほどほとんど変わっておりません。正社員比率が八九・七%というのは九八年度の数字でありますが、一方、女性はもう既に六割を切っております。それで、女性が六割を切った分どちらの方に流れているかというと、パートであり、あるいは派遣社員であり契約社員でありといったようないわゆる周辺労働力の方に女性の労働力が流れているという実態がございます。
 表を添付してあります。表は、日経連が一九九五年に発表した「新時代の「日本的経営」」という中で、これからの従業員をどういうふうに区分していくかということがこの表の中から理解できるというふうに思います。
 一つは、長期蓄積能力といいますか、言ってみればこれは基幹労働力であります。この人たちは、その会社で中枢の仕事をし、将来管理職になってほしいといったような人たち。この人たちには、いわゆる有期雇用ではなくて終身の、期間の定めのない雇用契約をしていくということでこういうグループがある。
 もう一つのグループは、高度専門能力活用型グループ、これはいわゆるスペシャリストの分野だと思います。この分野は、もう既に昨年の派遣法の改正と同時に、いわゆるコンピューターの関係の派遣社員がかなり出てきておりますが、そういう人たちを有期雇用の契約、いわゆるプロジェクトが終われば契約を終了するといったような形で雇うというケースが高度専門能力活用型グループ。
 従来、女性が担ってきたような職域はどういうふうに区分されているかといいますと、雇用柔軟型グループに入ると思います。この人たちは、いわゆる定型的な労働業務でありまして、この人たちを今後いわゆる有期雇用の形で雇っていくということだと思います。
 私も、こういうふうな日本的な経営が今後かなり浸透せざるを得ないというのは、日本の大変厳しい経済環境を考えますと、これはある意味では仕方がないのかなという感じがする一方で、非常に不安定な雇用に入っている大半が女性であるという現実を考えますと、職場の中でもいわゆる性別役割分業というのがどうも定着してきているのかなという感じがして仕方がありません。
 今、私が所属しております男女共同参画審議会の中で、いわゆる固定的な性別役割分業をどういうふうに崩すかというのが大変大きな課題になっているんですが、職場に目を転じますと新たな性別役割分業、いわゆる男性が正社員、基幹労働力を担い、女性がパート、契約社員といったような形で補完的な労働力で下支えしていく、そういうものがより明確に出てきているのではないか。となってきますと、男女共同参画社会の基本理念である、あらゆる分野にみずからの意思で参画していくという文言も、机上の空論のような響きを持たざるを得ないのではないかといったような感じがいたします。
 次に、レジュメのBの方に参ります。
 レジュメのBの方は、「周辺労働力の問題点」として、レジュメのB、レジュメのCで一、二と分けまして指摘をしております。
 まずパートワンの方ですが、特に有期雇用がかなり進展しているということであります。パートは現在約千百万人おりますが、そのうちの四割弱が有期雇用であります。
 それから、この有期雇用、いわゆる雇用期間の定めのある雇用形態はどういう企業に多いかといいますと、従業員が五百人以上のいわゆる企業規模の大きいところがかなり有期雇用で雇っているというケースが見られます。企業規模が小さいところは、そのあたりはあいまいにしながら雇用契約を続けているのかなという感じがいたします。
 これは、非常に厳しい見方をすれば労働力のジャストインシステムで、すぐに調達できるということで非常に企業にとって便利だとはいえ、一方で、働く側の人権といいますか、それをどういうふうに確保していくかといいますと、非常に問題点も多く含んでいるということが言えると思います。
 客室乗務員にいわゆる契約社員制が導入されたのは一九九四年だったはずです。今、客室乗務員さんがどういうふうになっておりますか、下はその分類であります。
 客室乗務員は、「沈まぬ太陽」という山崎豊子さんの大ベストセラーの中に客室乗務員さんの話が出てまいります。あそこに出てくる客室乗務員の年収は一千万円を超えております。今、一千万円を超える年収の客室乗務員は、新たに職場に参入する客室乗務員ではほとんどありません。ほとんどではなくてまず皆無に近いのです。大体が三百万円弱というのが客室乗務員の年収であります。それから客室乗務員は、例えば羽田に勤務する場合は空港から四十キロ圏内に住むということになっております。通勤時間が九十分以内。羽田周辺の四十キロ圏内というのは極めて住宅費が高いということが言えると思います。一方で、年収三百万円というのはかなり契約社員の中でもベテランの方でございまして、新人ですと月収が約十万円強といったようなケースが大変多いわけです。そういう中で客室乗務員は親に頼って、しかも客室乗務員の仕事をするという形態がどうも定着しているような感じがいたします。
 客室乗務員の仕事をもう少し具体的に言いますと、正社員というのは従来から入っている客室乗務員さんでありまして、これはもう今は三十代を過ぎております。それから契約社員の客室乗務員さん、これは一九九四年から導入されたもので、いわゆる有期雇用の典型例であります。それから新正社員というのは、契約社員の中でも契約を三年ぐらい更新しまして、その中で大変優秀な人は正社員として雇うということになっておりまして、その人たちを新正社員と言います。ただし、従来型の正社員と新正社員の間には大きな年収格差がございます。それから再雇用契約社員という女性たちがおります。一たん客室乗務員をやめまして、それから再雇用契約されたということであります。
 それから、派遣法がほぼ自由化されましたので、今後は派遣の客室乗務員さんが出る可能性があるということになりますと、一つの機内の中にいろんな身分の客室乗務員の方がいる。それほど多様化しますと、有事の際に本当にまとまった、一致団結した働きができるのかなという心配が、我々いわゆる乗客としては心配事としてあるんですけれども、実態がこうなってきている。これはやはり客室乗務員の人件費の削減というのが航空会社の大きな柱になってきているからこういうような多様化が出てきているんだろうと思うんです。
 客室乗務員を例に引きましたが、今後こういう形の多様化、複雑化はさらに進展するんだというふうに思っております。
 契約社員、有期雇用の場合ですと、御承知のように上限が原則一年であります。一年の契約更新というのは非常に厳しいものがある。さらに実態を言えば、一年ではなくて半年、三カ月といったような形で更新を繰り返しているというのが実態であります。更新のたびに条件が悪化してくる。とにかく今は仕事の割には人は余っておりますので、要するに時間給にしても更新のたびに悪化する。さらに、更新をしてほしければという形でセクシュアルハラスメントの問題がそこに発生してくるといったような非常に深刻な問題が出ている。
 さらに労働法の中でも、育児休業法などはいわゆる有期社員は対象外でありますから、こういうふうに多様化する中では労働法の見直しも今後検討していく必要があるのだろうというふうに思っております。
 時間がだんだん迫っていますのでさらに早口になるかもしれませんが、御容赦いただきたいというふうに思っています。
 次のページ、レジュメのCであります。
 レジュメのCの方はパートタイマーの問題でありますが、やはりこれだけパートタイマーに女性が多くなり、基幹労働力に男性が多いという実態は、やはりそれは間接的な差別であろうというふうな見方もできてくるのだと思うのです。男女共同参画社会基本法の第三条には、国会でも議論いたしましたが、性差別の禁止が入っておりまして、その中には間接差別も入るんだというふうな政府の答弁をしておりますけれども、では間接差別とは何かということを、これはまだ附帯決議になっておりますが、ぜひ定義していただきたい。
 間接差別を持っているのはどういう国があるか。EUは七六年のEC指令で間接差別の禁止を明文化しております。それから英国も、これは主にパートの賃金格差をするときの法理として登場いたしますが、間接差別の禁止が入っております。それから米国は、賃金に関する裁判で、間接差別の法理は登場しませんが、基本的人権の問題の中には間接差別という問題が入っています。
 というような形で、日本もこの間接差別の議論を少し活発化する必要があるのではないかという感じがいたします。
 複合就労というのは、要するに女性たちの賃金破壊が相当進んでおりまして、特に今は、離婚とかシングルで生きていくような女性たち、なぜ会社をやめないかというと、やはり派遣になると自立、自活できないというような言い方があるわけですけれども、一方で、派遣社員、パートで働く人たちは一つの職種では当然食べられません。ですから、その中で複数の仕事を持って労働に当たるという実態が一方で出てきているわけです。これなども、調べてみますと、年間三千時間働いて年収が三百万円といったような実態が見えてまいりますので、非常に厳しいというふうに思っております。少なくとも、今後、家庭と仕事の両立ができるような社会づくりといいますか、それが私は必要であろうというふうに思っております。
 転勤、配転をめぐる裁判についてはちょっと割愛いたします。これは後で説明のときに少し補足したいと思います。
 「ファミリーフレンドリーな企業文化の育成」、これは、労働省が昨年秋からファミリーフレンドリー企業に対する表彰制度を設けましたけれども、こういういわゆる企業文化を育成する必要があるだろうというふうに思いますし、そういうことができなければ少子化は私はとまらないというふうに思っております。
 「「女性の自立」が掛け声倒れにならない社会の形成」というものをあえて男性の私が最後のレジュメにとどめましたのは、私も二十五年間、女性の自立は必要だろうというふうに新聞に書いてきた手前、どうも自立が危うくなりますと今まで書いてきたことが全く無に等しくなりますので、やはりこういう社会の形成が今後必要であろうという意味を込めまして、このレジュメの最後にこういう文言を入れさせていただきました。
 以上でございます。
#10
○理事(南野知惠子君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#11
○仲道俊哉君 自由民主党の仲道でございます。
 お二人の参考人には、貴重な時間を割いていただきまして御出席をいただき、御意見を賜りましてまことにありがとうございました。
 時間がございませんので早速質問に入らせていただきたいと思いますが、最初に大澤参考人にお願いをいたしたいと思います。
 日本の家族制度の中における女性の立場の問題点や社会保障制度についての大胆な示唆に富んだ御意見は大変参考になり、ありがとうございました。しかし、あえて先生の唱えておられます追いはぎのベッド論に対してちょっと質問をいたしたいというふうに思います。
 我が国の社会保障の体系がサラリーマンの専業主婦世帯を標準としているという指摘で、税制における配偶者控除や年金における第三号被保険者制度が会社人間と内助の妻のカップルという特定のライフスタイルに誘導する社会政策であるというように述べられたようにお聞きをいたしたわけでございます。しかし、およそ国の政策や制度は、まずそれを求める国民のニーズとそれを必要とする社会情勢とが存在することが前提であって、それに見合った手を打たないと不都合が生じる場合において、実態に即した最大公約数的なものが選択されるはずでありまして、多くの国民の意思や社会の趨勢に反して無理やり一定のライフスタイルに誘導するなどということは私はあり得ないのではないかなというように思います。
 ちなみに、参考人が好景気の時代の産物のように言われておりました配偶者控除や第三号被保険者制度は、むしろ昨今のような、民需が好転せず国民のだれもが将来に対する不安を払拭できない長引く最近の不況の時代にこそふさわしい税制、社会政策ではないでしょうか。
 すなわち、配偶者控除というのは、ささやかながら個人消費を刺激し、また三号被保険者制度は、平成三年以来ふえ続ける専業主婦に老後に対する安心感を与えてくれるもので、実に時節に見合った制度というべきであり、殊さら特定のライフスタイルに誘導するものでも、時代に逆行して故意かつ積極的に専業主婦をふやすことを意図したものではないというふうに思うのですが、恐らく先生の方から反論もあるでしょうし、こういう考え方に対して率直に御意見をお聞かせいただきたいというふうに思います。
#12
○参考人(大澤眞理君) どうも御質問ありがとうございます。貴重な御指摘をいただきました。
 ただ、私の社会政策論は、大胆なというふうにおっしゃっていただきましたけれども、私の独創的な大胆な意見というよりは、既に九〇年代の前半くらいから、各種の政府の審議会、社会保障制度審議会でありますとか、経済審議会あるいは産業構造審議会、そして男女共同参画審議会もその一つでございますけれども、日本の社会政策が専業主婦あるいは収入が一定限度以下の配偶者のいる世帯に有利な制度となっており、時代に合わないのではないか、あるいは女性の就業を妨げるのではないかということが各種の審議会で指摘されてきたとおりでございまして、御指摘はありがたいんですけれども、私はそれほどこれが自分だけの独創的な意見だというふうには思ってございません。
 そこで、このように意見陳述の中でも申しましたけれども、サラリーマンの専業主婦世帯は最も相対的に多かった七〇年代においてもすべての夫婦の中で四割を占めるには至らなかった、三七%程度にすぎなかったわけで、これが大方の国民のニーズや社会情勢に合うものであったかどうかということは私は疑問に思っております。
 日本の社会政策の形成過程というのを丹念に追ってみますと、ここではとにもかくにもやはり官僚主導という面が多うございまして、中央省庁のお役人がどのような家族をモデルとして制度を設計したかというときに、ともすれば自分や自分に身近な人々の夫婦のスタイルというのをあたかも標準であるかのように考えて設計してしまったということがありはしないか。あるいは欧米諸外国におきましては、日本以上にサラリーマン化、都市化が早く進み、また徹底して進みましたので、そのような諸国に学んで制度を設計したときに、日本の現実にそれが必ずしも合っていなかったということは起こっても仕方がないことだったかなというふうに存じておるわけでございます。
 そこで、しかしながら、第三号被保険者や配偶者控除といった制度は消費不況と言われる現在の不況期にふさわしい、時節に見合ったものではないかという御指摘につきましては、これは、例えば配偶者控除というのは、御承知のように一定以上の所得のある層のみが所得控除を受けられるわけでございまして、その所得以下の比較的低所得の人々にとっては配偶者控除の恩恵は受けられないわけでございます。
 他方で、これもよく知られたことでございますけれども、収入のうちのどれだけの部分を消費に充てるか。消費性向というのは所得の低い人ほど高いわけでございまして、そういう意味では消費性向の高い層が配偶者控除の恩恵を受けていない、これはむしろ消費不況を促進する、助長するものではないかとすら考えられるわけでございます。
 第三号被保険者について申しますと、昨今、離婚率も高まってまいりまして、離婚ということを視野に入れた場合には、これは専業主婦にとって老後の保障にはとてもならない制度でございますし、また、肝心の年金の報酬比例部分につきましては、これは全額が夫の名義ということになっておりまして、基礎年金の額というのは満期四十年フルに入っていても六万五千円あるいは六万七千円といった額でございまして、御承知のように生活扶助基準よりも低いレベルでしかございません。これが四十年フルに入った場合での金額でございますから、とても基礎年金だけでは老後の生活というのは確立することができないわけでして、報酬比例部分が入って初めてそうなる。その報酬比例部分は全額夫の名義になっているということなので、果たしてこの第三号被保険者制度が主婦にとって老後の保障を与えるものかどうかというのも、これも私のみならず多くの方々が問題点を指摘しているところではないかと考えるわけです。
 以上のような理由で、私は意見陳述の中で申したような考え方をしておる次第でございます。
#13
○仲道俊哉君 ありがとうございました。
 続けて扶養手当のことについてちょっとお聞きいたしたいんですが、妻が無収入である、または収入が一定限度に満たない場合に配偶者控除を受けるだけでなくて事業所より扶養手当を支給されるのが一般的ですが、この扶養という専業主婦にとってある意味では屈辱的な、侮辱的なともいうべき響きを持つ用語の使い方について、この際、先生がどのようにお考えになっているか、その点をお聞きいたしたいというふうに思います。
#14
○参考人(大澤眞理君) 私の承知しておるところでは、扶養手当という言葉は子供、年少被扶養者については現在でも使われておりますが、配偶者については配偶者手当という名称を使っている事業所の方がむしろ多いのではないかと思われます。
#15
○仲道俊哉君 では次に、鹿嶋参考人は日経の編集委員兼論説委員として長きにわたって企業における女性を扱ってこられたし、今その実態に沿った御意見をお聞きいたしたわけでございますが、労働省の調査によります女性管理職が少ない理由についてちょっとお聞きをいたしたいというふうに思います。
 平成十一年版の「働く女性の実情」によりますと、女性管理職が少ないまたは全くいない理由として、その調査では、「必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない」とする企業割合が五一・五%と最も高く、次いで「勤続年数が短く、役職者になるまでに退職する」、先ほども御意見がございましたが、これが三六・九%、「将来就く可能性のある者はいるが、現在、役職者に就くための在職年数等を満たしている女性がいない」が三二・九%の順となっております。
 勤続年数の問題については、女性が結婚あるいは出産をしても安心して働けるような環境づくりによってある程度クリアできると思うんですが、この知識、経験、判断力がない、特に管理職において最も必要な判断力がないというのは、判断力がない女性でもどんどん管理職にせよというような極論を唱えるならともかくも、企業における男女共同参画社会を実現しようにもしようがない最大の私は障害だと思うんですが、この点について参考人はどのようにお考えでしょうか、御意見をお聞きいたしたいと思います。
#16
○参考人(鹿嶋敬君) 大変おもしろい御質問をありがとうございました。
 最近出た論文を読んだばかりの話に、こういう話があります。
 これはいわゆる女性事務職の分析なんですけれども、明治期までさかのぼりまして日本での女性事務職がどういう位置づけになっているかというのを綿密に分析した論文ですが、これを見ますと、明治期、大正期の女性事務職の位置づけというのは男性との交換が可能だったと、チェンジすることが。
 それはどういうことから推察できるかといいますと、いわゆる女性が職場に参入することによって職が奪われるという不安感が物すごく男性に増すんです。そういう論旨が雑誌、新聞などでも目立つんです。ということは、職が奪われるということは、全体的に男性の仕事と女性の仕事が多分交換が可能なんであろうという推察ができてくるわけです。
 今はそういうことはありません。今は男性が失業するといっても、女性の労働市場への、職場への参入が進んでいるからだといったような議論はまず成立しません。今は交換が可能ではなくて不可能なんですね。いつ男性と女性の仕事の交換が可能から不可能にチェンジしたかといいますと、その論文を見ますと一九六〇年代、いわゆる高度経済成長期であります。
 高度経済成長期に、じゃ何があったのか。男性の企業での位置づけが大分変わってまいります。どういうふうに変わってくるか。一人で働いて家族を養うという、そういうような要請が非常に強くなってまいります。女性がどういうふうになってくるか。結婚、出産と同時に退職し家庭を守るということで、早期退職という期待が非常に高まっております。そこで、どういうふうに仕事がチェンジしてくるかといいますと、女性の仕事は作業的事務というふうに書いてあります。それから男性の仕事は判断的事務と。要するに、その論文の趣旨に沿っていえば、一九六〇年代、高度経済成長期あたりを境にして女性と男性の仕事が大まかな形で分かれてくるということになってまいります。
 いわゆる女性職、男性職というふうにはっきりと仕事の区分が違ってまいります。少なくとも女性職に女性が位置づけられている限りは昇進への道はまず閉ざされておりますし、判断が必要な仕事というのは大体が男性職というふうに位置づけられてまいります。ですから、女性管理職が少ない要件の中の判断業務が女性ができないのじゃないかというのは、それは一つには仕事の与えられ方、企業の与え方に大変大きな問題があるんではないかというのが私の考え方であります。
 そのほかには、さっきの質問のあれですが、いわゆる勤続年数が短いとかといったような問題も当然のことながらあるんですけれども、今後、女性の管理職をふやすとすれば、もちろん勤続年数の長期化、仕事と家庭が両立できるようなそういう働き方と同時に、いわゆる基幹的な業務、判断能力を必要とするような業務にどんどん女性が入っていっていい。少なくとも力仕事ではありませんので、頭脳労働になってまいりますと男女の格差は少なくとも私はないと思っておりますので、企業によってはそういうふうな管理職を起用するためにメンター制度、いわゆる女性の管理職あるいは男性の管理職がこれぞと目をつけた女性社員を将来の幹部候補生として育成していくといったような、そういう制度を導入する企業も出始めましたけれども、いわゆる企業の方でもそういうような努力が必要であるというふうに私は思います。
 と同時に、女性の方にも実は問題があります。管理職に登用されることについての拒否反応というのが実はございます。管理職に登用されて責任を持たされるよりは、私は管理職に登用されずにごく普通の一般の社員でやりたいという女性が実は多いことも確かでありまして、男女双方、さらには企業の意識の転換が大きく今こそ必要なんだろうというふうに思います。
#17
○仲道俊哉君 大変ありがとうございました。
 今の御意見に多少関連があるんですが、理工系社会への移行と文系志向の強い女子大学生の将来ということについてちょっとお聞きをいたしたいと思うんです、同じく鹿嶋参考人でございます。
 科学技術立国またはIT革命やライフサイエンスなどと、今社会は確実に理工系中心へと移行しつつあります。
 文部省の学校基本調査によりますと、平成十一年の大学における女性の専攻分野をちょっと調べてみますと、文学、史学、哲学、人文科学系が三一・〇%です。法学、経済学、社会学等の社会科学が二八・六%です。教育が九・二%ですが、工学になりますと五・二%、これは男子は二七・二%でございますが。それから、理学になりますと二・五%、農学は三・二%。こういうようになっておりまして、男子に比べまして明らかに理工系学生の比率が非常に低い現状となっております。
 こういうことで、女性の学部選びに際してこうした傾向がこのまま続く限り、企業社会から取り残されていくことが目に見えておりますし、男女共同参画社会の実現などおよそおぼつかないのじゃないかというふうに私は憂慮をするんですが、こういう点について参考人の御意見はいかがでございましょうか。
#18
○参考人(鹿嶋敬君) お答えいたします。
 おっしゃるとおりだと思います。ただ、なぜ理工系を選ぶ女性が少ないかという問題も考えなくてはならないと思います。私は、そこにこそいわゆるジェンダーバイアスといいますか、親の教育、社会の教育といったようなものの力が作用しているというふうに思います。
 例えば、小学校で理科の実験をするときにどういうふうにやるか。実験をするのは男性で記録係は女性といったようなことがあるわけです。となってきますと、小学校の理科の実験という基礎的な教育の現場ですら男性と女性の間にどうも区分けが生じているような実態がまだあるんです。そういう中では女性の方に理科系をと言ってもなかなか難しい問題がある。一方で、じゃ親はどういうふうな選択を子供にしているのか。どうせ結婚するんだから、やはりそのためには男性にかわいがられるような女性になりなさい。そうなると、理数系などという非常に理屈の立つような学問はだめだと考えている親がまだ相当多いわけです。そういうような中では、やはり娘が、女性が積極的に理数系を選ぶ、そういうような環境にはならないというふうに私は思います。
 これはどのぐらいそういう力が作用するのかは私はまだ取材したことはありませんが、これだけ文系に女性が多くて、特に文学系に女性が多くて、そして理数系あるいは法学、経済学といったような学問に女性の進出がまだ少ないのは、少なくともその背景に従来からの男性型の学問、女性型の学問といったような区分けがまずあるからであって、そこにこそやはりこれからメスを入れなければならない大きな一つの課題があるというふうに私は考えております。
#19
○仲道俊哉君 大変ありがとうございました。その点につきましては、そのためにこの調査会もございますし、またこれからの教育改革の中でもそういう点についてやはりメスを入れるべきであろうというふうに思います。本当にありがとうございました。
 あとお二人の参考人に共通の問題としてお聞きしたいんですが、女性軽視を内容とした出版物や歌謡曲についての件なんですが、先日新聞を読んでおりましたら実に興味深い記事に遭遇いたしました。これはカンボジアの話で、金持ちの男性との不倫や恋にあこがれる女心を扱いカンボジアで大ヒットしている四曲について、女性をおもちゃか性の対象としか見ていないというような理由で放送禁止処分にしたというのでありますが、我が国でも男性に従属する女性を描きあるいは歌った出版物や歌謡曲の類は枚挙にいとまがございません。
 極端なわいせつ文書ならともかくも、我が国において、これらを男尊女卑を助長し男女共同参画社会の実現を阻むものとして禁止処分にすることは、憲法の保障する表現の自由の問題があって現実には困難だと日本では考えられますが、参考人は、国内におけるはんらんする女性の従属的な立場を描いた出版物等に対しどういった認識を持ち、また男女共同参画社会の推進の見地からどう扱うべきであるか、それぞれの立場から御意見をお伺いいたしたいというふうに思います。
#20
○参考人(大澤眞理君) どうも大変興味深い情報をありがとうございます。
 日本でもお金を持っていたりあるいは社会的に高い地位にある男性との恋愛や不倫を描いた表現というのはかなり人気がありますし、歌謡曲などにも歌われているようでございますけれども、そういうものの作者というのは一体だれなのかということを考えてみますと、女性作者というのは大変少なくて、男性の側から見たこうあらまほし女性の恋愛のあり方というのを描いているのではないか。したがって、これは必ずしも女性が求めている表現なんだろうかということについては常々疑問に思っているところでございます。
 しかし、こういうものを禁止するなどということは、日本では御指摘の憲法における表現の自由等ございますからそんなことはとても考えられないわけでございますけれども、これが単に不倫や恋愛ではなくもう少し女性への暴力あるいは売買春といったことに絡んだ表現となってきますと、これはそのような例えば映像を映し取る、これは映像表現が主なんですけれども、映像を映し取るときに既に性暴力あるいは犯罪絡みのことが行われているのではないかという疑いがかなりございまして、表現の自由云々以前にそのような表現を制作する過程でそれが法に触れるものではないかどうかということが問われる部分があろうかと存じております。
 簡単でございますが。
#21
○参考人(鹿嶋敬君) 大変おもしろい質問をありがとうございました。
 演歌などを見ていますと、確かについてこいとかどうだこうだといったようなことがあるんですが、あれでついていく女性などというのは私はもうほとんど絶滅していると思いますので、一種の歌舞伎の様式美、見えを切るときのこういう形と同じなんだと思うんです。ですから、あれは一つの、何といいますか、現実味の薄れた特殊世界、ああいう世界に男性は特にあこがれがあるといったようなことは私も必ずしも否定するわけではありません。
 ただ、作詞家であり作家であった阿久悠さんとかつて話したことがあるんですけれども、阿久さんの作詞は全部男性と女性が対等の距離感にあるんです。いわゆる女性についてこいといったような歌は一つも阿久さんはつくっていないんです。阿久悠氏の歌というのは、これは非常に男性、女性に関心が持たれているわけです。一方で、阿久さん以外の、そういう意識以外の作詞家のこれは演歌になりますと、もう若い人がほとんどそっぽを向いているというふうな状況では、繰り返しになりますが、やはり男性の今はもう既に求めてもない郷愁をどこかで満足させるといったようなことで、だからこそ演歌がだんだん廃れてくるのかなという感じがしないでもありません。
 最近の若い子たちの歌、私もなかなかついていけないんですけれども、あれを見ていると、少なくともついてこいとかなんとかというような感じは全然ありませんで、むしろ女性の方が大変強いといったような感じがございますので、どうぞそちらの方にも御関心を持っていただければというふうに思っております。
#22
○仲道俊哉君 大変またおもしろい答えをいただきまして、私も大変また参考になりました。
 それでは、またお二人にお聞きいたしたいんですが、儒教的男女観と教育基本法の改正ということで、これを言いますとちょっとお向かいの方からやじが飛ぶんじゃないかというような感じもいたしますけれども、私自身が教育界の出身でございますので、どうしても教育方面に目が行くわけでございますが、目下、教育改革論が盛んになっておりますし、政府においても教育基本法の見直しに積極的な発言が相次いでおります。私も教育基本法の改正には賛成で、前文に歴史的伝統文化の尊重や国を愛する心、家族を敬う気持ちを持った人間を育成するといった文言を、また第七条の社会教育には家庭ではしつけを重視すべきとの文言を、それぞれ盛り込むべきではないかというふうに個人的には考えております。
 そうしますと、ところで、もし歴史や伝統を重んじ家族を敬う教育が復活すれば、その副作用として、儒教的な家族観といった儒教的男女観や今必死になって打ち消そうとしております固定的な男女役割分担意識が勢いづくのではないかとも考えられますし、男女共同参画社会の実現にブレーキをかける批判も成立しそうにあります。
 しかも、男女共生社会の問題を論ずる者の常として、とかく外国ではどうだ、北欧ではこうだと書き述べられることが多いわけですが、しかし私は、そもそも男女共同参画社会はその国の置かれた条件によってそれぞれの態様や形が異なり、我が国固有の伝統文化や道徳観念などとの調和のもとに実現されればそれでよく、必ずしもたかが二百年余りの歴史しかない米国や極端に税金が高いなどの諸条件の異なる北欧と同じである必要はないんじゃないか、そのように考えるんですが、日本においても、日本の歴史や伝統文化を破壊させてまで北欧型の男女共同参画社会を実現させなければならないのかどうか、こういう点についてお二人の御意見をお聞きいたしたいというふうに思います。
#23
○参考人(大澤眞理君) 社会科学の研究をしておりますといつも注意を受けることが、私、大学院生あるいは学部学生のころ、いつも注意を受けることがございまして、伝統といったときにそれはいつごろ発明された伝統なのかということを社会科学者は常に問うべきであるということを学部時代から教えられてまいりました。
 教育基本法の改正問題について私は詳しくございませんけれども、前文にもし歴史的伝統文化の尊重というふうな文言が入るといたしまして、一体いつごろの伝統をとってそれを歴史的伝統と言うのかということが直ちに問われるような印象を持ちます。
 例えば、名字というもの一つとっても、明治以前の日本人の大多数は名字を持っておりませんでしたし、それから名字を持っていた少数の人口である武士階級も、これは頻繁に養子等であるいはまた住む場所によって名字を変えるということがございまして、頻繁に名字を変えていたわけでございます。今日からは想像もつかないくらいに領地が変わると名字が変わるというようなことがございました。したがって、名字というのが非常に連綿と続いた大切なものであって、夫婦が一緒の名字を名乗ることが日本の伝統的な家族のあり方というのは、伝統を明治維新以前に求めるならば少しも伝統とは言えないというような例もございます。
 あるいは儒教の影響でございますけれども、これも御承知のように、江戸時代の特に後期におきましては、儒教の中でも朱子学の影響が武士階級に強まったわけですけれども、人口の大多数を占める日本人にとっては、そのような儒教的男女観というのはとても伝統というには遠いものだったのではないかという印象を持っております。
 それが証拠に、武家以外の階級におきましては、姉家督というように、最初に生まれた女の子に家督を継がせるというようなこともそう珍しくなく存在したわけですし、あるいは末の娘に家督を継がせるというようなこともありましたし、いずれにしましても、家業の存続と繁栄のためには、実の息子もぼんくらであればこれは継がせないということがいろいろな階級において通常行われていたわけでございまして、儒教的男女観というふうに一くくりにできるものではなかったのではないか。
 そこで、教育基本法の改正された暁の前文に歴史的伝統文化あるいは家庭でのしつけのあり方というようなものを入れていったときに、いつごろの日本社会の古来のよきものを伝統に置くのかということによっては、随分とイメージが違ってくるのではないか、これはあくまで印象でございます。
#24
○参考人(鹿嶋敬君) お答えします。大変また刺激的な質問をありがとうございました。
 三月二十四日に、出雲市で男女共同参画基本条例というのが、我が国トップですね、これが施行になったんです。出雲の市長さんからあいさつ状をもらいまして、弥生時代以来の伝統的な役割分業にやっと終止符を打つという趣旨の、弥生時代と書いてありました。私は弥生時代のことは余り知りませんけれども、いずれにしても、今おっしゃったような伝統といった場合に、かなり長いスパンを考えていらっしゃるというふうに思うんです。ただ、農業社会あるいは工業社会、脱工業社会という連綿と変化が続く中でそれ相応の男性の役割あるいは女性の役割というのは変わってきているはずなんですね。
 我が国の場合は、そのあたりで市民革命という厳しい問い直しが基本的に行われてこなかった社会だと思いますので、いまだに江戸時代の考え方を持っている非常に封建的な男性もいれば、男女の役割分業はもう否定すべきだという男女共同参画社会基本法の洗礼をかなり受けた男性ももちろんいるわけです。そういう意味で、意識のばらつきといいますか、物すごく幅が広いんですね。
 そういう中で、伝統的なという言葉を仮に教育基本法の前文に入れるとすれば、私はやはり問題があると思いますし、伝統的な意味の吟味、あるいは儒教社会というのも適応したのはいつごろの社会なんだということをもう少し吟味せざるを得ないというふうに私は考えております。
#25
○仲道俊哉君 もう時間でございますが、私自身が、おっしゃったようなことで大変揺れ動いておりまして、自分自身で勉強しなければと考えております。大変ありがとうございました。
#26
○千葉景子君 民主党の千葉景子でございます。
 きょうは大澤さん、そして鹿嶋さんありがとうございます。
 何点かお伺いをさせていただきたいというふうに思うんですが、常々私は、この男女共同参画社会あるいは共生社会ということを考えるときに、男性の影が大変薄いというとおかしいですけれども、女性の側からのいろいろな問題提起あるいは問題の所在、そういうものが語られるわけですけれども、男性は一体どうなっているのやらというところが非常に何か希薄なような気がするんです。
 そこで両参考人にお尋ねをしたいというふうに思うんですが、よく男性は、何か非常に男女共同参画社会の進展に伴って自分の何となく居場所がなくなってしまうのじゃないか、あるいは既得権がなくなってしまうのではないかというおそれを感じているのかな、こんな気がしたり、それから先ほど鹿嶋参考人の方から、これは参考資料の方でしょうか、よく家庭のぬくもりという言葉に男は弱いとか、そういうことも語られるわけですね。
 この問題を男性、女性がともにこれから考えていくとすれば、いや、共生社会、男女共同参画社会というのは、男性にとっても大変きらきら輝く社会なのである、決して女性だけが頑張って元気になる、そういう意味ではないということをもっと知らしめていただくというのは大変必要なのではないかというふうに思うのですけれども、そういう意味で大澤さん、たかだか三十年というのでしょうか非常に限られたところでつくられてきたこういう社会システムの中で、むしろ男性側が失ってしまったものとかあるいは男性にとっても非常に生きにくいシステムになってしまった、そういうところを指摘いただければありがたいと思いますし、鹿嶋参考人の方からも何か御決意というか、男の実も問われるというようなこともお話しがございましたけれども、そういう男性にとっての男女共同参画社会の意味、こういうものについて少しお話しをいただければありがたく思います。
#27
○参考人(大澤眞理君) 本当は鹿嶋参考人に先にお答えいただいた方がいいのかもしれません、私が申し上げますと何かおためごかしみたいに聞こえてもいけないのですけれども。
 日本の現代社会、特に七〇年代後半、八〇年代は非常に企業中心の社会になってきて、これが女性にはもちろんですけれども、男性にとってとりわけ息苦しい社会をつくってきてしまったのではないかという私は問題意識を持って、この十年以上研究を続けております。
 そういう中で最近非常に憂慮しておりますのは、中高年男性の自殺の多さという問題でございます。御承知のように、九八年には三万人の自殺がございまして、史上最多数の方がみずから命を絶たれたわけなんですけれども、このうち七割が男性で、したがいまして、二万一千人の男性が自殺をされたわけですが、さらにこの二万一千人の約半数の一万人が中高年、四十代と五十代の男性でございました。
 交通事故で死ぬ人の数というのは一万人前後なのではないかと思いますけれども、一年間に交通事故で死ぬのと同じあるいはそれ以上の数の中高年男性がみずから命を絶つということが起こったわけでございまして、この背景としては、自殺率のカーブが完全失業率のカーブと全く並行しておりますので、雇用不安、そして不景気による経済問題、生活苦というのが背景にあるというのはもう常識になっております。九九年におきましても同じようなスピードで自殺が起こったわけでございます。
 そこで、ではなぜそのような雇用不安、そして生活苦ということから死を選ばなければならないのかといいますと、これはもう明らかに一人で妻子を養わなければならない、そして住宅ローンがある。妻子を養わなければならないばかりではなく、子供を大学まで進ませてやらなければ今後の社会に出てどうなるか。このような一家を支える重圧というのがすべて一人の男性の背にかかっておりまして、失業するあるいは首を切られるということが余りにもショックでありますので、子供はおろか妻にも首を切られたことを打ち明けられない。毎日スーツを着て、かばんを持って家を出るけれども、職安をのぞいた後は一日公園で過ごすというような悲惨なケースすら見受けられるわけでございます。
 私は、これは男性もジェンダーの犠牲者にほかならないということを数でもって非常に痛ましい形で示している問題なのではないか。ではその以前の好景気の時代はではよかったのかといえば、多数の方が過労死をなさっていたわけでして、過労死から今は過労自殺あるいはリストラ自殺というふうに進んできている。そういうふうなことを考えますと、単に現在景気が悪いからではなく、日本の大企業中心の、そして男女が固定的な性別役割分業を行うこの社会のあり方というのは男性にとって非常に生きにくい社会なのではないかと考える次第です。
 したがいまして、男女共同参画社会というのは、女性にもそうですけれども、男性にとって人生の選択肢の多い、それからまた一度失敗しても、二度三度失敗してもやり直しのきく社会ということなのではないかと考えております。
#28
○参考人(鹿嶋敬君) お答えいたします。
 心理学者の河合隼雄さんの一連の著作物を見ますと、欧米は個人主義の発達というのがあるわけですけれども、じゃ、そこで何によって個人主義が支えられたか、いわゆる神だと言うんですね。日本は神にかわるものは何かというと、これは家だと、家制度だと。男の場合はもう一つ便利なものをつくった。代理家に当たるものが企業であると。その代理家に当たる企業というのは、そのうち非常に情緒的な機能もはぐくんできたわけですね。
 企業というのは私は二つあると思います、要素が。一つはジョブとしての、ジョブを提供する場であるというのが第一点。第二点は、ゲマインシャフトといいますか、いわゆる情緒的な機能がはぐくめるようなところですね。今ゲマインシャフトの方は切り離されて、会社というのはジョブの提供の場だというふうになる中で、サラリーマンは代理家の機能を失いつつあるんですね。いわゆる企業になかなか所属感が見出せないようなところがあります。
 一方で、家に帰るとどうなるかといいますと、これは母子連合軍がもう全く牛耳っているわけでして、やっぱり家の所在もないということで、おっしゃいますように、これから男性のアイデンティティーといいますか、それが非常に問われる時代だというふうに思います。同時に、男女共同参画社会という社会は男の既得権をある意味では手放す社会だというふうに理解しております。基本法の第六条は、いわゆる家庭の運営というのは男女の共同作業なんだといったような趣旨の文言でちりばめられておりますけれども、あれ一つとっても男性の生き方が変わらざるを得ないだろうと。
 あえて今度は男性の立場に立って男性を擁護しますと、変わりたくても変われないという状況があるんですね。これは少子化問題と同じなんですが、産みたくても産めないということで、国は何とかしようということで少子化問題を深刻な大きな問題として取り上げているんですが、男の場合も変わりたいけれども変われない。
 これは具体的に何かといいますと、どうしてもサラリーマンですと、現役時代はやはり家庭を顧みるような時間がはっきり言うとない。実は私の知り合い、大企業の、私の年代ですと部長クラスなんですけれども、私が書く種々の原稿はよくわかる、ただし現実には無理だと言うんですね。朝六時ごろ家を出て帰るのが夜中、帰るときにはタクシーがそのビルの周りをぐるぐるとぐろを巻いている、そのタクシーの運転手もこの人が近いか、近距離か遠距離かというのはもうわかっている、ですから近距離の人が手を挙げてもタクシーは乗車拒否するといったような状況の中ではなかなか家事、育児の分担まで男性は難しい実態にある。
 となってきますと、やはり企業社会でどうするかといったような議論をもう少し真剣にしなくてはならないだろうというふうに思っておりますし、一部経済団体ではそういう議論も始めておりまして、私もそれに何回かかかわっていろんな提言も出してきたんですけれども、今後さらに男性の生き方と絡めてそういう問題を今後議論する必要があるのかなというふうに思っております。
#29
○千葉景子君 ありがとうございました。
 今、男性の側からの御意見もお聞かせをいただいたんですけれども、先ほど、そういう中で企業の中でのありようみたいなものも考え直していかなければいけないということで、お時間の関係でお話をいただかなかったんですけれども、鹿嶋参考人、転勤の問題ですね、これもかなり家庭にとってもあるいはカップルの場合にとってもいろいろな問題を起こしますけれども、最近の裁判例というようなことでレジュメには記載がございますし、それから共生社会あるいは新しい自立性のあるそれぞれの個人の生活ということを考え合わせたときに、この裁判例とあわせて少しお話をいただければと思います。
#30
○参考人(鹿嶋敬君) それではお話しいたします。
 実は経済団体が出している、昨年、一昨年と各経済団体が少子化問題に対する提言書を出しております。その中で一様に述べているのが、転勤問題に対する反省なんですね。いわゆる転勤がかなり多いといったようなことから、それが少子化問題と少し絡んでくるんじゃないかと。女性が働き続けることが無理といったような問題も含めまして、転勤問題というのは大変大きな問題だと思うんですが、裁判例でいいますと、昨年それからことしにかけまして最高裁判例が二件出ております。
 一件はある製薬会社の裁判でありまして、これは、東京から名古屋に転勤になった原告が、夫の方が転勤になるんです。妻の方も同じ会社で働いておりまして、子供が三人いたんですね。この子供たちはまだ手がかかる段階ですので、本人は転勤を拒否いたします。そこから裁判が実は始まるわけですが、裁判の期間中本人は名古屋に転勤することになりまして、その間、地裁、高裁と争って、最高裁の判断が出たということなんです。
 残された家族がどういうふうに厳しかったかといいますと、やはり妻の方に全部三人の子供の負担がかかるんですね。裁判の記録を読みますと、妻の方は朝四時ぐらいに起きるんですね。朝四時ぐらいに起きて朝七時まで、夜の夕食の準備とか洗濯とか全部やるんですね。夜は、帰ってきますと、腰痛を彼女は患っておりますので、長男を伴って買い物に行って、マンションの五階まで長男に荷物を運ばせたりなんかしまして、さらに夕食の準備をし、一日の話を聞き、さらにはふろに入れ、子供を寝かせる。それで、大体十時ごろ寝る。十時に寝ても夜中の三時か四時にまた起きるという生活の中で、非常に厳しい生活をするわけですね。
 基本的にそういう裁判をどうするかという問題で、原告側訴訟代理人の方はいわゆる家族が一緒に住む権利、女性が仕事をする権利といったような問題を前面に掲げて裁判が続いたわけですけれども、基本的には最高裁の判断は社会的に甘受すべきであるという判断であります。私もこの間まで管理職の端くれでしたから、東京から名古屋への転勤で裁判というのはちょっとおかしいんじゃないのという感じはよくわかります。ただし、手がかかる子供を三人抱えて、それから共働きという条件を加味すれば、やはりこれから共働きがふえることを考えれば、それならもう子供は産まないといったようなことで少子化にさらに拍車がかかるのではないかというのがそういう裁判を通じての感想です。
 ことしに入ってからは、ある音響機器メーカーの最高裁判断が出ました。これはいわゆる配転問題でございまして、最初のうちは通勤時間が四十分ぐらいの通勤距離だった女性が、八王子に配転になります。約二時間、片道二時間かかります。二時間かかる、その配転問題、これをどうするかということで、このケースも非常におもしろいケースだったんですけれども、結局これも社会的に甘受すべきだということになったんですが、最高裁の裁判官の一人が補足意見というのをつけまして、要するにこの判断をもってすべての問題に適用すると考えられるのは困ると。
 彼が言ったのは、その裁判の原告は中学卒の女性なんです、中学卒で入った女性は転勤、配転はまずないだろうと。それから、転勤があるということは昇進につながるというケースを前提に考えられるんだと。彼女の場合は、二時間の距離に配転になっても、それが彼女の将来の昇進、昇格につながる可能性はまずないといったような判断を下しまして、いわゆる学歴によって転勤等々の配慮をすべきだといったような補足意見をつけます。私はこの補足意見も問題はたくさんあるというふうには思うのでございますが、ただ、社会的に甘受すべきというその考え方、これはずっと一九八〇年代半ばの東亜ペイントという最高裁判断以来続いている考え方ですが、それが少し揺り動いてきたかなという感じがいたします。
 ただ、いずれにしても、これだけ共働き家庭がふえる中で、小さなお子さんを抱えてやはり転勤という問題がもろにかぶってきますと、やはりそういう時期は多少の配慮といいますか、それが必要になるのかなというのがそういう裁判例を取材しての率直な印象です。
#31
○千葉景子君 ところで、これから私たちも取り組みをさせていただかなければいけないのですけれども、男女共同参画社会基本法ができ、社会制度、慣行などについて性に中立的に考え直していくということが言われているわけですけれども、そういうものと、それは理解をした上でですが、大澤さんにちょっとお尋ねをしたいんですが、これから、これまでもそうですが、例えばいろいろな制度というのがペイドされる仕事を中心に評価をされてきたのではないかというふうに思うんです。例えば、ペイドされないアンペイドの部分、家事労働とかそれから今後地域社会の中で、あるいはNGOとかNPOというような形で、いわゆる賃金労働ではないそういう社会に対するさまざまな参加、貢献、こういうようなことをどういう形で評価をしたりあるいはさまざまな制度の中で取り込んでいく必要があるのか、そのあたりについてわかりやすく少し御説明いただければというふうに思います。
#32
○参考人(大澤眞理君) 御質問ありがとうございます。
 おっしゃるように、今まで社会保険制度ですとかそれからその外側の社会保障制度にしましても、労働といえばペイドワーク、とりわけ賃金を払われるサラリーマンのといいますか、そういう労働をこれこそ労働だというふうにみなして設計されてきたというふうに思います。これに対して、アンペイドワークの重要性の指摘というのが世界女性会議なども画期にして高まってまいりまして、そのようなものを組み込んだサテライト勘定をつくるべきであるとか、それからもし仮に貨幣額に換算したならばGDP、国内総生産のどのくらいを占めるのかといったことに関心が向いてきたというのがここ二、三年の動きであろうかと思います。
 そういう中で、アンペイドワークの評価をどういうふうにしていくのかということには論争がございます、御承知のように。そして、ある説によれば、日本の第三号被保険者制度であるとか、それから所得税の配偶者控除などは、ある種のアンペイドワークに対する経済的評価なんだというような意見も聞くことがあるわけでございます。しかし、ちょっと翻って考えてみれば、家事労働や地域での仕事というのは、別に女性のあるいは配偶者の年収でもって分かれて、百三十万円未満の年収の人しか家事労働をしていないとか地域活動をしていないということは毛頭ございませんので、それをある年収のところで切る、あるいは夫の就業形態でもって切るということは、これはアンペイドワークの評価とは言えないだろうというふうに私は考えております。
 それでは、どのような仕方でアンペイドワークを評価していくべきかということなんですけれども、これも諸説ございまして、振り返りますと、七〇年代のころにはイタリアあたりの女性運動が家事労働に賃金を払えというスローガンを掲げて運動をしたというような経緯もございますけれども、私の考え方としては、アンペイドワークというものはなくすことができないし、またなくすべきでもない、つまりすべてを有償労働に変えていくことが望ましいのではないというふうに思っております。これは、有償労働の世界がこれだけマネーゲームにさらされる不安定な領域になってきますと、そういうものに左右されない無償労働の世界というのが人間の経済というものを安定化させている、そういう重要な役割を考えるべきだからであります。
 そこでどうするかというと、やはり老若男女が自分の自発的な意思に基づいてさまざまなアンペイドワークに喜びを持って携わることができるようなそういうあり方を考えるべきで、その第一番の条件というのが、私はペイドワークの時間というのが合理的な長さに限られていることだと思います。
 一日例えば六時間労働でもって十分生活していける収入が稼げるならば、あと残った時間というのを家事あるいは地域活動に充てるということが十分可能になって、これがもう年齢、性別を問わず可能になる、そのような標準労働時間とそれから賃金のあり方というのがもうそのまま私はアンペイドワークに対する評価になっているというふうに思います。
 さらに詳しく申し上げれば、就職をするとき、あるいは育児休業や介護休業をとって復帰をするときに、その休んでいた期間のアンペイドワークがどういうふうに評価されるかというと、通常は育児休業などとりますと昇給の対象にならない、それからボーナスも翌年減らされるとか、不利益をこうむるわけでございます。しかし、社会的に重要な役割を果たし、また子供の面倒を見て育てる、人をはぐくむということはペイドワークの職場においてもその人に重要な能力、経験というのを授けるわけでございますから、復帰のときに昇給をさせないとかボーナスを削るというのはもうこれは正反対のあり方なんではなかろうか。
 あるいは、新規の就職でございましても、例えばこれはドイツですとかそういった国では、自分はベビーシッターの経験があるとか、それからボランティアで地域の子供たちのクラブ活動、スポーツ活動のリーダーというんでしょうか、そういうことをしていたというようなことを履歴書に書きまして、これが就職に際して評価をされるというようなことになっているわけで、このように具体的にやはりペイドワークの世界に反映して評価されるということがなければ、幾ら頭からボランティアワークが大事だからといって高校生や中学生にボランティアをやりなさいやりなさいというふうに言ってもそれはなかなか難しいんじゃないかなというふうに思います。
 以上です。
#33
○千葉景子君 ありがとうございました。
 今大変わかりやすいお話をいただいて、そのとおりだというふうに思うんです。
 性に中立的な社会の仕組みをつくるということの目標に向かって、私なども考えるのは、例えば社会保障、年金とかあるいは税制、そういうものもでき得る限り個人を基本にし、そして世帯単位から転換をさせていくということを望むわけですけれども、そうはいっても、では一気にきょうからあしたへとすぐに転換をするというのもなかなかこれは難しい問題があろうかというふうに思うんです。
 そういう意味で、これから新しい社会、先ほどお話があったように、古い既製服に身を入れて、逆に言えばきつくなったところを足を切ってしまうとかそういうことではなくて、それに見合った既製服をつくる、あるいは男性にとっても少しずつみずからの脱皮も図っていくというようなことを考えたときに、そのプロセスといいますか至る道筋みたいなものがやっぱり必要なんだろうというふうに思うんですけれども、それぞれ御両名から新しいシステムの転換を図るに当たっての筋道といいましょうかあるいはそのプロセス、これについてどんな取り組み方が望ましいあるいはあり得るのか、こういう点で御示唆をいただければありがたいというふうに思いますので、それぞれお願いをいたしたいと思います。
 では、今度は鹿嶋参考人の方からお願いいたします。
#34
○参考人(鹿嶋敬君) 大変難しい質問なんで逃げようかと思っていましたが。
 確かに、これからのライフスタイルの課題、我々がキーワードとして新聞に書く場合は、多様化と個人化です。
 いわゆる生活の多様化、価値観の多様化が非常に進んでおります。それに見合ういわゆる社会システムの構築というのが非常に大事だと思います。同時に、個人化ですね。個人化の提言の一つは、やはり女性運動がたどり着いてきた一つの帰結だというふうに思っております。
 女性が社会に進出する中で、世帯の壁あるいは家族の壁というのがあった中で、じゃどうすればいいのか。やはり自分の意見が、個人としての意見が尊重されるというのが当然のことながら出てきますし、そういう意味では基本法は、第二条などを見ますとやはり個人というのが前面に打ち出される。となってきますと、多様化と個人化が多分今後の私はキーワードだというふうに考えておりますが、これまた大変難しいことも確かであります。
 特に、その世帯単位などにしても、なぜ打ち砕いていくのが難しいか。それはやっぱり一つは企業社会の問題と密接に結びつくんだというふうに思っております。なぜ女性が個人として自立できる生活ができないのか、意識の形成ができないのか。やはり今の働き方自体が、夫が働いて妻が家を守っていないと、はっきり言いますとなかなか生活できないんですね。家庭破綻、生活破綻になるような実態の中では、そういう分業システムは、言ってみれば必要悪という言葉は非常にまずいのかもしれませんけれども、やはりそういうシステムがない限りできない、あるいはお手伝いさんを雇うとかといったようなことなんです。
 実は私も共働きでございまして、大変苦労しながらずっと働いてきたわけですけれども、やはりいろんな意味で犠牲を払ってまいります。当然のことながら、家庭内での家事分担から育児分担、ずっとやらされて、やらされてというのはまずいですね、やってまいりましたので、そういうようなお互いの分担がない限りできない。となってきますと、企業のシステム自体以外に今度は男性の価値観の転換も必要になってくる。
 ですから、非常に総合的な中から進めないと、さっき申し上げました多様化とか個人化といったような大きなこれからの課題にはなかなか取り組めない。
 ただ、男女共同参画社会基本法は、私の個人的な感想ではまだまだ理念が先行しているようなところがありまして、まだ実態が合っていない。参画までも行っていない。参加ですらおぼつかないといったような状況の中では、なかなかそのギャップ、現実と理念のギャップを埋めるのが難しいんだろうというふうに思うんです。
 では、どこから手をつけていいのかとなるとなかなか難しい問題ですが、やはり働き方の再吟味ということがまず必要だろうというふうに思います。同時に、男性の家事育児参加をどういうふうに促していくのかという問題、これもやはり大事だろうと思うんですね。何十年たってもひょっとしたら変わらないかもしれませんが、そのあたりは性善説を信じまして、繰り返し飽きるほど言っていく必要があるのかなという感じがいたします。
#35
○参考人(大澤眞理君) 昨年の暮れに、お二人とも財政学者でございますけれども、神野直彦さんと金子勝さんの編集になる「「福祉政府」への提言」という本を出させていただきまして、私、その中で公的扶助の章を担当、執筆いたしましたけれども、この書物などは、今、議員がお尋ねの包括的な社会政策システムのあり方というのを提言した本でございます。
 また、年金制度などに特に言えることですけれども、あしたからはいと言って変えるわけにはいかないんですね。長年保険料を払ってきた、それによって期待権をつくってきた人々というのがいらっしゃいますから、年金制度の改革においてはどのような改革でも二十年程度の経過期間は必要だというのが常識でございます。この書物の中でも、二十年から四十年にわたる経過期間を見越した上でどういう制度にしていくかということを提言したわけでございます。
 それで、顧みますに、この間、特に九〇年代に政府の側で行ってきた制度改革やその案というのはいずれにしても断片的でございまして、どこかの一部を改革しなければならない順番が来たからいじる。例えば、年金だったら五年ごとに改革しなければならないから計算をしていじるというようなことをしておりまして、全体を見ていない。
 それから、そのような改革をすることによって国民がどのようなメッセージを受け取るかということを必ずしも考慮していない。その結果として、デフレスパイラルという言葉がありましたけれども、年金制度は将来もうもたないんだよというメッセージが陰に陽に送られてきた結果、保険料を払わない、加入をしないという人がふえているわけです。それから、将来の不安ということのために、今は消費不況ですから消費をしてもらわなければならないのに逆に貯蓄に励んでしまう。これがよく言われるデフレスパイラルということでございますけれども、同じようなことが少子化問題についても言えるというふうに私考えております。
 とてもじゃないけどというふうに守りの姿勢に国民がなっているときに、子供を産みなさいと言ってもとても産まないわけですね。そして、将来の年金も危ないし雇用も不安だとなると結婚すらおぼつかないというふうになって、ますます政府が行う改革が将来像をきちんと示さずパッチワーク的に行っているために少子化問題を悪化させるという、少子化スパイラルというのもあるんではないかというふうに思っております。
 ですから、例えば二〇二五年なら二〇二五年にこういうシステムにするんだという将来像をはっきり掲げて、そこに至る経過措置というのはこうなるということもまた明確に掲げた上で、したがって国民に負担すべきものは負担をしていただく、それに見合って政府もさまざまな改革や節約の努力をする、こういうようなことがない限り私は今のようなスパイラルはなかなか逆転できないというふうに思っております。
 しかし、残された時間はそんなにはございませんので今すぐそういうことには着手しなければいけない、その上で二十五年後の像というのをきちんとさせる、こういうことかなというふうに思っております。
#36
○千葉景子君 時間ですので、まだまだあれですけれども、ありがとうございました。
#37
○大森礼子君 公明党・改革クラブの大森礼子です。よろしくお願いします。
 大澤参考人のお話を伺いながら、実は私は一九四九年生まれで団塊世代であります。未婚率二割の構成員をずっと貫いてきた者なんですけれども、確かにみんなたくさん専業主婦になったなと思いました。それから、三十過ぎてから、子供が少し小学校に上がるようになるとまた仕事に復帰してきたということも私自身も周りを見て体験しておりまして、自分のこれまでの半生を振り返るような気持ちでお話を伺わせていただきました。
 それで、大澤参考人のお話の中で、論文の中にもあるのですが、子供を育てるのにお金がかかるということから、もはやシングルインカムではだめだ、ダブルインカムだというお話になるわけです。それから、ダブルインカムを望むからまた少子化に向かっていくという、こういうことにもなるわけでありまして、要するに男性一人の収入で家族、子供全部を養うということは困難になったから、この少子化問題というのはやはり経済的な問題を何とかしなくちゃいけないんだろうというふうにも思います。
 読売新聞が一月二十九日付でアンケート調査をいたしまして、「「産みたいが産めぬ」実情」ということで、そのうちでも第一の理由が「子育てや教育にお金がかかりすぎる」六四%、「働く女性の出産や子育てを助ける制度、施設が不十分だ」、これは五一%で、第一位、第二位を占めているわけです。そして、子育て支援をという声が九割を超えているという、こういう結果が出ておりました。
 そこで、少子化対策ということにつきましても早急に今先生おっしゃったように対策を立てなきゃいけないわけですけれども、一方で、例えばどの党も児童手当の拡充というものは掲げております、政策として。それにもかかわらず、今まで三歳未満児を未就学児まで拡充しようとすると、その点についてもそれはばらまきではないかという、こういう批判が起きてくる、マスコミでもそのように言われる。
 そうしますと、これは日本の社会自体が子供の扶養というものは社会の責任であるという、こういう発想がまだできていないのではないかという気もするわけです。それで、そういう発想に立てない原因があるとすればどういうところにあるのか、これをお尋ねしたいと思います。
 それから、これに関連しまして鹿嶋参考人の方にも、鹿嶋参考人を基準にされたら多分そんなことありませんとおっしゃるんですけれども、男性の平均的な意識から見て子供の扶養は家族の責任という、これにまだこだわりがあるのかどうか。子供を育てるということは、例えば先ほど大澤参考人がおっしゃったように年金の問題とか労働力の問題とか、もうその家族のお子様という存在ではとらえ切れない部分があると思うので、やはり子供を育てるということも社会の責任という、こういう発想が必要ではないかと思うのでこういう質問をさせていただく次第です。
 最初に大澤参考人、それから鹿嶋参考人から御意見を伺いたいと思います。
#38
○参考人(大澤眞理君) どうも御質問ありがとうございます。
 一点、シングルインカムではもう家計が維持できなくなっているからダブルインカム、ダブルインカムだからさらに少子化というふうに、これは世の中にある議論を引用なさったのだと思うんですけれども、このダブルインカムになると少子化するというのは、まことしやかに言われてはおりますが、事実に反しております。
 少なくとも先進諸国では、二十五歳から三十四歳の年齢にある女性の労働力率が高い国ほど出生率が高くなっている。つまり、若い女が働いている社会ほど子供もよく産んでいるのでございます。したがいまして、女が働きに出ると子供をますます産まなくなるじゃないかという世上よく言われる懸念については、これは事実に反するということをまず申し上げたいと思います。
 それで、では今の日本社会で子供を産み育てることが社会の責任である、子供は端的に言って社会の子供であるという発想が乏しいのではないかという御指摘については、確かにそうだろうというふうに思います。これもまたいつごろからそのような観念が多勢を占めるようになったのか私はわからないんですけれども、少なくとも現在の日本では、子供を産み育てるというのは非常に狭い意味での私ごとというふうにとらえられており、単に夫婦の私ごとのみならず母親だけの責任であるというふうにとらえられている面があって、これがむしろ専業主婦の方に非常に大きな育児プレッシャーを与えている。育児不安、子供を育てていて不安で仕方がない、これが高じるとノイローゼや心身症になるわけですけれども、育児不安の発生率は専業主婦の方が高いという研究も存在するくらいでございます。そういう中で、私はやはり子供は社会の子供であるという考え方をもっと普及していかなければならないというふうに思うんです。
 そこで、児童手当という政策手段に関してですが、これは少子化対策、少子化を逆転させるための政策手段として考えてみるとさほど有効ではないというのがこれまた諸外国で経験されているところでございます。
 したがって、子供をもっと産んでもらいたいということを促すための政策手段と考えるのではなく、むしろ直接に子供が育つことの最低費用を保障する政策手段として児童手当をとらえるならば、これはそのまま政策目標を満たすわけでございますから有効であろうというふうに私考えておりまして、先ほど触れさせていただきました本の中でも、私は親の所得にかかわりのない児童手当をすべての子供に義務教育期間支給すべきだという提言を行っております。
 親の所得にかかわりなくというのは、親が所得が高くても、そういう世帯の中で子供が虐待されている、必ずしも幸せでないということは起こるわけですから、むしろ親の経済状態にかかわりなく社会が直接最低生活を保障していくんだという考え方がいいのではないか。
 これは、このように申しますと、高所得者にも児童手当か、ばらまきではないかというふうに言われるわけですけれども、しかしながら現在実施されている所得税の扶養控除というものと比べますと、これも配偶者控除と同じで、中程度以上の高い所得の人しか恩恵を受けない。しかしながら、所得にかかわりなく一定額の児童手当を支給すれば、これは低所得世帯にとって世帯収入に占める児童手当の比重というのは高くなるわけですから、むしろ重点的に低所得の人の子育てを間接的に支援できるような政策手段になるのではないかというふうに考えて、そのような提案をしている次第です。
 以上です。
#39
○参考人(鹿嶋敬君) お答えします。
 最近といいますかことしに入ってからイスラエルに取材に行きまして、イスラエルのキブツを見てまいりました。キブツというのは御承知のようにいわゆる共同体でございまして、イスラエルに現在約三百のキブツがございます。大体会員が三百人から五百人ぐらいでございます。二十世紀に入りましてからイスラエル各地にできた集団のいわゆる共同体でありますが、ここでの保育状態がどういうふうになっていたのか。
 初期は、生後三カ月までは母親と父親と一緒に住んでいるんですけれども、四カ月目からはいわゆる集団保育になります。夜も昼もでありまして、保母さんが全部世話をしてくれるわけですね。その中ででもいろいろ問題が出てまいります。
 特に今、そういうふうにして育った母子というのが、子供の方は五十代、私ぐらいの年代で、母親が七十代、八十代となってきて、そこで大きな問題が出ているのは、母子の交流の度合いに全く情緒的な機能がないんですね。いわゆる寂しいといったときに母と相談しない、友達と相談してしまう、それから母親と身近にいてもそれほどの感情の交流がないとか、非常に大きな問題がどうも出ているようです。
 今どうなったのかといいますと、今のイスラエルのキブツは一種の企業体でございまして、極端なことを言えばもうかることは何でもやる、そういうふうな実態になっていると同時に、子育ても、三カ月たつと母親も職場に出るのは昔と変わらないんですが、専業主婦になってもいいと。それから、四時に大体終わります。四時になると母親が引き取りに行って、プライベートタイムは子供を自分で育てるということなんですね。五時まで仕事がある場合はベビーシッターを頼むといったような実態であります。
 まとめますと、イスラエルは、子育てが社会化されていたのが今度個人化に向かったわけですね。日本の場合は、今までは個人化されてきたわけです。これは専業主婦、今までは伝統的に大体女性はうちにいたはずです。ですから、そういう中で子育てが行われてきたわけですが、しかし共働きがふえる中で今度日本は保育園といったようなところに預ける、いわゆる社会化が出てくるわけですね。イスラエルと日本というのは、そういう意味では非常に逆の方向、軸が逆に向いてきているというふうに思うんです。
 私は、基本的には共働き家庭がふえる中で、母親だけの責任に子育てはもはやゆだねられない時代だろうというふうに認識しております。特に、父親の責任あるいは社会の責任というのをもう少し強調してあげないと、やはり母親の負担が非常に重過ぎるであろうというふうに思いますので、今後いわゆる育児の社会化という考え方をもう少し推し進め、かつ制度的にも整備していく必要があるんだろうというふうに思っております。
 実はきのう、いわゆる専業主婦をやっているという女性たち、二十代後半の女性たちばかりでしたが、会っていろいろ話を聞きました。まだ結婚一、二年の女性たちですので、夫に対して非常にいろんなことをしてあげたいと。新婚間もないカップルですからそれも当然のことなんだろうというふうに思っておりましたが、ただ、やはり仕事をやめたことに対する不安というのはもう物すごく持っているんですね。
 一人はエアロビクスのインストラクターをしておりました。二十八歳。まだ子供はないんですね。子供をどうするのと聞きましたら、つくりたくないと言うんですね。なぜつくりたくないか。実はエアロビクスの世界にもやっぱり頂点、ヒエラルキーがたくさんありまして、世界で通用するエアロビクスのインストラクターなどもいるそうなんですね。その資格をどんどん取るためには、育児期間家庭に入るとやはりおくれてしまうという危機感を持っているんですね。
 翻って、企業社会に勤めている女性がなぜ頑張り過ぎているのかといいますと、一つには、一たんやめますともう再復帰するチャンスがないんですね。ですから、そのあたりのチャンネルをもう少しフレキシブルにすれば、子育て期は一たん家庭に入ってもう一回職場復帰する、日本の女性の大半はその方法をとっておりますけれども、職場復帰する際はほとんどがパート、派遣、アルバイトといったような形でしかありませんので、もうちょっと正社員の道も閉ざさないような形にするということも含めれば、子育ても共働きをしながらもう少し楽にできるのかなと。
 もちろんこれは、当然男女共同参画の時代ですから、女性だけというわけではなくて、男性にとってもそういうようなチャンネルが保障されればなということなんですけれども、まだ私の言っているのはない物ねだりに等しいような単なる空論なのかもしれませんが、そろそろ二十一世紀に入ればそういうようなシステムを考えていいというふうに思っております。
#40
○大森礼子君 ありがとうございました。
 先ほど、ダブルインカムを望むから少子化と申しましたのは、だれかの引用でもなくて、日本の場合を前提としておりまして、子育て支援、例えば保育制度にしても、先ほどのアンケート調査でも「働く女性の出産や子育てを助ける制度、施設が不十分だ」と、この意見に基づいて日本の場合を言ったものであります。
 それから、児童手当についても、私も手当を出すから産む動機にはならないと思います。ただ、やっぱり支援を求めている以上、そういう対策から手をつけていくことが必要ではないかなと、こういう趣旨で申しました。
 時間の関係がありますので、あと鹿嶋参考人にお伺いしたいのですが、男女平等という問題を突き詰めれば、男性がどう変わるかに尽きる。それから、私どももやはり男女共同参画を考えるときに、やはり古い日本の歴史とか伝統とか、それを主張されるような男性の方にどう意識を変えていただくのか、これが大きな課題となると思います。
 ところが、最近の若い方は、どこから若いかというと線引きが難しいのですが、意外とそういうこだわりがない。共働きが多かった場合、一緒に家事をするとか、きょうは食事をつくる当番、交代です。これはむしろ当たり前だというふうに思っている世代がふえている。それから、お母さんが仕事を持っている家庭で育った男の子というのは自分が結婚する女性が仕事を持つことは意外と抵抗がないと、こういうこともございます。
 それで、ある世代以下では男女共同参画の意識が言われなくても自然にできている部分があるのかなという気もするんですが、その点はどうお感じでしょうか。仮にもしそうであるとすれば、私どもの男女共同参画への意識改革といいますか、これはある世代以上の男性をターゲットにすればいいのかなと、こういう気もするものですからお尋ねする次第です。
#41
○参考人(鹿嶋敬君) ある会社の経営者が私に、一週間あれば新入社員を会社人間にしてみせるというふうに豪語したことがあります。私は、もちろん世代間の意識の差というのはあるんだと思うんですけれども、ただし三十代、四十代といったような非常に会社の中枢を担うような年代になってきますといやが応でもやはり会社人間にならざるを得ないような実態があると思うんですね。多少の意識の差、ずれは残るとしても、基本的に今のままではやはり男女共同参画というのがまだまだ絵そらごとになりかねないのかなという感じがいたします。
 と同時に、もう一つは、若い世代自体も一くくりで、今まで私たちは男性、女性という二元論でいろんなことを考えてきたんですが、男性も非常にいろんな意識の多様化がありますし、女性自身にもいろいろ意識の多様化がある。
 その一例として、早稲田の福沢恵子さんという女性が「私たちの就職手帳」というのをずっと出していたんですが、一九九〇年に入ってから廃刊にするんですね。なぜ廃刊にしたか。彼女たちが「私たちの就職手帳」をつくったのは、一つの理由は、女性が就職で差別されているというのを社会問題にしたいというのが「私たちの就職手帳」であって、私の就職手帳ではない大きな特色だったんです。しかし、最近の、特に早稲田を出た女子学生たちを見ていますと、私のという考え方が非常に強くなってきている。いわゆる社会問題として考えられない女性たちがいる。差別に対する拒否反応、アレルギー反応が女性の間にも非常に強くなっている。少なくとも私は差別されたことはないわといったような表現があるんです。
 こう見てきますと、フェミニズムにもエリートフェミニズムとそうじゃないフェミニズムというのが多分流れとして出てきているような感じもいたしますので、女性自身にも非常に意識の多様化というのが出てまいります。ですから、今後、若い世代とか女性とか男性という形の一くくりの議論が極めてしにくくなる時代になってくるのかなという感じがしないでもありません。
#42
○大森礼子君 ありがとうございました。
 時間ですので、終わります。
#43
○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
 つい先日まで私は年金の審議の真っただ中におりまして、大澤参考人のお話の中で出てきたサラリーマンの夫に専業主婦の妻、厚生省も厚生年金の受給モデルをまさにこういう二歳年下の妻で四十年間一月も欠かさず保険料を納めたという極めて珍しいモデルで計算をしているので、そのことを思い出しました。
 働く女性が男性と平等に扱われるような社会保障制度の確立という、日本では社会保障制度も男性本位であるという大澤参考人の指摘は大変重要だというふうに思っております。三号被保険者とか遺族年金の問題、こういった働く女性が不利になったり不公平を感じるようなこういう制度のあり方は検討が必要だというふうに思うんです。
 さらに、年金の実態を見ますと、九八年度の国民年金の平均受給月額を見ると、男子は約五万五千円、女子は四万五千円。厚生年金で見るともっと格差があって、平均受給月額が男子十九万八千円に対して女子は十万五千円。依然として男子の半分だという実態があります。
 これはお二人にお伺いしたいと思うんですが、社会保険の制度上の不平等が是正をされても、女子の平均賃金が男子の五一%というこの実態、国際的にも異常な賃金格差を放置したままでは女性が経済的に自立をして社会保障の担い手となっていくということは困難なのではないか。厚生年金の二対一という格差も賃金格差をそのまま移転しているというふうに見ることができると思うんです。世帯単位から個人単位へと、こういうことがありますけれども、これも女性の水準の引き上げというのが前提になければ極端な低水準を女性に押しつける、そのことを固定化することにつながりかねないんではないか。
 そういう点で、社会保障制度における女性の低水準の問題を解決するためには賃金格差の解消というのがまさに前提ではないかというふうに思うんですが、お二人の御意見をお伺いしたいというふうに思います。
#44
○参考人(大澤眞理君) 年金支給額におっしゃるような格差があり、これは賃金格差をそのまま反映したものであるというのも御指摘のとおりだと思います。五一%というのは、これは短時間雇用者も含めてのもので、フルタイム雇用者の所定内賃金で見れば六二%程度だと思います。
 それにしましても、私、先進諸国ということをしばしば申しますが、この場合には、先進諸国に限らず、工業化した国すべてを見渡しても日本ほど男女賃金格差の大きな国というのはないわけでございまして、これの解消が急務だというのは国連の女子差別撤廃委員会等でも再三指摘をされているとおりでございます。これがそのまま年金に反映すると同時に、休職しているというんでしょうか、中断再就職という働き方がかなりのパーセンテージを占めますので、就業を中断していた期間がまた年金の低さに結びつくということになっております。もちろん賃金格差の解消が急務なんですけれども、しかし老後の生活をきちんと個人単位で保障するということを考えますと、賃金格差の解消を待ってはいられないということもまた事実でございます。
 それで、私が考えておりますのは、一つはやはりミニマム年金、これは少なくとも生活保護の生活扶助基準を上回るような年金をすべての人に、保険料拠出の有無、多寡にかかわらずすべての人にミニマム年金を保障するというのがまず必要かと存じます。その上で、そこそこの収入のある人でももちろん男女で大きな格差があるわけでございますけれども、このことについては私は経過的な措置として夫婦の間で自分の年金勘定を合算して二で割る二分二乗というようなことが必要なのではないかと考えております。
 これは、先ほど意見陳述のときでしたかその後でしたか申し上げましたが、妻には基礎年金しかなくて報酬比例部分はすべて夫の名義になっているということを申しましたけれども、この報酬比例部分についても合算して二で割って個人の年金にする。遺族年金を待っていたのでは遅過ぎるのでございます。と同時に、遺族年金というのは再婚したら払われないということになってしまいますから、自分の年金であって自分の年金ではない。結婚の自由を妨げるようなものなので、これを年々歳々所得が生じている段階からきちんと合算して二で割って個人個人の名義にしておけば、これは離婚しようと死別をしようと仲よくずっとともしらがで生きようと年金に影響が出ないということで、個人のライフスタイルの自由度を保障できる措置なのではないかというふうに思っています。
 経過措置と申しましたのは、賃金格差が解消していく、それから就業機会の男女格差も解消していった暁には、年金を夫婦で二分二乗するというのは個人の選択にゆだねられるべき問題ではないかと考えているわけでございます。しかし、それが成立するまでの間はこのようなことを考えるのが方策かなと思っております。
 以上です。
#45
○参考人(鹿嶋敬君) 賃金格差の解消について申し上げます。
 賃金格差の解消は、今極めて難しくなってきているというのが私の認識であります。なぜか。その背景には、例えば男女雇用機会均等法に管理別雇用という考え方が導入されております。いわゆるコースによって格差が出てきてもこれはいいんだというふうな考え方が入っているんですね。男女という差別はもちろん禁止されておりますけれども、いわゆるコースによって、例えば総合職と一般職の間の賃金格差というのは排除されていないんです。認められております。実態は一般職の大半は女性であり、総合職の大半は男性ということなんですが、男女という問題が実は総合職と一般職といった表現の中に隠されておりまして、この賃金の格差というのが当然のことながら広がってくるんですが、それについてなかなか抜本的な対応はできにくいということが言えると思うんです。
 もう一つ、パートとそれから正社員、この格差も当然のことながらあるんですけれども、この背景には私は女性問題というふうなことが言えるんだと思うんです。このパートの問題も、雇用別管理ということからいえば正社員とパートという間に格差があって当然という考え方になってきますから、この格差を埋めるのはなかなかできないという実態があります。
 今、労働省の方は特にパートのいわゆる均等処遇、パートというのは御承知のようにパート労働法によって均衡という表現を使われております、正社員との均衡をとるという表現ですね。しかし、均等という表現は使われておりません。均等と均衡については国会でもかなり議論をされました。均衡はバランスなんですね。ただし、位置づけから見ると均等の下に位置づけられているという感じがいたします。
 今、労働省の方で、パートと正社員の間、特にパートの正社員並みの均等処遇をどう確保するか、どういう物差しが必要なのかという議論をしております。これについても何らかの提言が近々出るように思うんですけれども、そのギャップ、男女という中でのギャップは、それが隠れてしまったがゆえになかなかそのギャップを埋めることが難しいという実態が今出てきている。それは大変大きな問題ではないかなという感じでおります。
#46
○小池晃君 賃金格差の背景に雇用の実態があるという御指摘はそのとおりだというふうに思うんです。
 先ほどパートの客室乗務員の実態について生々しくお話しいただきましたけれども、これをどう解決するかという問題であります。
 鹿嶋参考人が日経新聞で記事を書かれておりましたけれども、派遣労働者として不安定雇用で働く人の七割が女性だと、この間の規制緩和でこれがさらに助長されているんだということなんですが、私どもは、解雇規制法案、派遣労働者の権利を守るための法案を国会に提出しておるんです。女性の社会参加を進めるためにも、解雇、リストラの規制あるいは不安定雇用に対する歯どめというのはどうしても必要ではないか。
 こういう議論をすると、政府はこういう問題は法律にはなじまない、労使間の協議にゆだねるべきであるというふうに言うわけですね。しかし、それでは現実に問題が解決をしていないわけでありまして、私どもは法的規制が何らかの形で必要だというふうに考えているんです。
 雇用の実態について、不安定雇用の問題について、あるいは解雇が野放しであるような今の現実について法的規制が必要なのではないかというふうに思うんですが、この点について両参考人の御意見をお伺いしたいと思うんです。
#47
○参考人(大澤眞理君) 不安定雇用の方について主にお答えをさせていただきますけれども、これは労働力の供給側、つまり労働者の側においてもいわゆるフルタイム以上の雇用に対する拒否感というのもありまして、多様な働き方というのは単に経営側が喧伝しているだけではなくて、むしろ労働者の側にも一定の多様な働き方への志向性というのがあるのではないかと思っております。
 しかしながら、これが御指摘のように野放しに広がるということはさまざまな問題を含んでおりまして、例えば、これは意見陳述の中でも申し述べましたけれども、社会保険制度自体が空洞化するということを招いている。そのようなことを政府が、政府の一つの役所あるいは幾つかの役所がみずから旗を振って社会保険制度を空洞化させているというようなことはとても賢明なこととは思われないわけですけれども、現実問題として進行してきてしまったということがございます。
 それで、私は考えるんですけれども、不安定雇用といいますか、短時間あるいは臨時的な雇用についても、これは雇用形態のいかんにかかわらず、同じ価値の労働については同じ支払いをするといういわゆる同一価値労働同一賃金の原則というものが再度顧みられるべきではないかというふうに思っております。
 日本政府はILOの百号条約を批准しておりまして、百号条約は同一賃金の条約でございますけれども、この中には実は同一価値労働同一賃金の原則も入っています。日本政府は、ILOですとか国連の場に行きますと、日本は百号条約を批准しています、原則としては同一価値労働同一賃金を受け入れておりますと言うんですけれども、現実にやっていないじゃないですかと言われますと、まあ、しかし企業の雇用慣行、賃金制度は年功制でございますから、男性といえども若いうちは働きよりも低い賃金をもらい、年をとったら働きよりもたくさんもらって一生涯の中でつじつまを合わせるので、そういう意味では同一価値労働同一賃金を実施するのは日本の雇用処遇制度のもとでは難しいというような返事をしてまいるわけです。
 しかし、とりわけ九〇年代になりまして、年功賃金というのはもう完全に崩れてきております。経営の方が大声で、もうこれからは個人別、スポット的な能力主義賃金なんだと言っているわけですから、今こそ同一価値労働同一賃金の原則というのを適用するのにまさに時宜にかなっているのではないかということで、強力に進めていただくということが必要なのではないか。これは、単に女性の賃金差別の問題のみならず、男性でも鹿嶋参考人から御指摘のありましたようなさまざまな雇用形態が広がっていく折に、単に雇用形態が違うというだけで賃金率が半分でいいというようなことが放置されていいのかどうかという問題にもなってくるかと思います。したがいまして、私は、同一価値労働同一賃金の原則の入った一般的な雇用差別の禁止法、年齢差別の禁止も含みますけれども、こういうものが必要な時期に来ているのではないかと考えております。
 それからもう一言、社会保険制度の空洞化に関しましては、これは複合就労のようなことも広がっていて、とてもつかまえるのが難しいわけなんですけれども、しかし年収を捕捉した上で年収を十二分の一にした月々の社会保険料というようなものを考えていくことは可能でございますから、事業主の側は働いた時間に比例して事業主負担分を払い、働いた人の方は自分の年収を十二分して社会保険料を払っていくということで、短時間雇用者、複合就労であっても十分社会保険を適用することは可能ですから、これ以上の社会保険制度の空洞化を食いとめるためにもそういった改革が必要だというふうに思っております。
#48
○参考人(鹿嶋敬君) お答えします。
 取材をしてよく感じるんですけれども、今、日本の社会というのは、制度の中にいる限りは大分自由化あるいは個人化が保障されてきているように思うんですね。ただし、結婚という制度あるいは家族、そういう制度から一たんおりますと非常にバイアスがかかってくる社会だなという感じがして仕方がないわけです。
 例えば、今、離婚の増加がとかく言われております。一九九八年の数字で離婚率が一・九八、これはドイツ、フランス、オランダあたりと離婚率はもうほとんど同じです。特に、そういう中で同居期間が二十年以上のカップルの離婚がふえているわけですけれども、一たん離婚しますと、その後の雇用の形態というのは極めて悲惨なケースが多い。大体は契約、派遣。派遣はもうその年代だとほとんど需要はありません。いわゆる契約社員かパートといったような形。しかも有期雇用、しかも二カ月、三カ月の更新、更新で、将来の展望が全く立たないといったような中では、やはり何らかの法的な歯どめが私は必要になってくるだろうというふうに思います。
 私は、昨年、五年ぶりに取材の現場に戻って感じたのは、急速な勢いで分社化が進んでいるということであります。分社化がどういう形で進むか。いろいろな会社に取材してはっきり言うのは、これからは人にはお金は払いません、ジョブに対して払いますという言い方で、これは大澤参考人がおっしゃっていました同一価値労働同一賃金の原則にも当てはまると思うんですが、ただしジョブに払うとなってきますと、もう一方で成果主義という考え方が出てきておりますので、成果がないと判断された場合は極めて厳しい賃金状態に追い込まれる。
 ある会社でLPという烙印がつくと大変なことになります。LPというのはローパフォーマーですね。いわゆる低コストの生産性しか上げられない人間だということになりますと、これはもう大変なことになってまいります。そういうような成果主義も今後かなり取り入れられる一方で、何らかの最低の生活保障といいますか、そういうのがない限り、これだけ多様化してきますと、一方でそういう歯どめがない限り生活が非常に苦しくなるという実態が出てくるだろうというふうに思います。
 既にジニ係数が大きな格差に向かってぶれてきておりますし、それから中流意識も日本の社会の中で徐々に薄まってきているような背景には、多様化と同時に雇用の形態が、さっき大澤参考人が言いましたように、少なくとも私たち、終身雇用にいる間は会社に現役時代の物すごい働きもデポジットしておりまして、私どもぐらいの年代になりますとだんだん仕事をしないでもそれを取り崩して食えるという、そういうような社会の中で生きてきたわけですけれども、そのデポジットした部分をもう取り崩せない、いわゆる終身雇用が完全に崩れてまいりましたから、そういう中での混乱が今出ていると。そういう中では歯どめをかける必要があるというふうに私は考えております。
#49
○小池晃君 年金の問題を最後にもう一問、大澤参考人にお聞きしたいと思います。
 この間、私たちは改悪と考えているんですが、法案が通りました。年金財政の支え手が少子高齢社会で減るんだということでありました。しかし、やはり女性の就労促進こそ年金改革のポイントだというふうに大澤参考人も新聞に書かれておったのを読んだんですけれども、厚生省は一方で何と言っているかというと、女性の就労、年金加入を促進しても、女性については給付につながった際に受給期間が長い、つまり女性は長生きして給付を長く受けるんだ、そのために年金財政には大きくプラスにならないという資料を国会審議の中で提出をしているんです。
 こうした見解について、先ほどその資料をお渡ししたと思うんですが、どうお感じになるか、一言お伺いしたいと思います。
#50
○参考人(大澤眞理君) 平均寿命からいいますと女性の方が確実に長い、長いだけでなく、男性の自殺の多さも相まって男性の平均寿命が少し短縮してしまった中で、今、男女の平均寿命格差というのは最大にまで開いております。そういうことを考えて厚生省は、女性は給付につながった場合に受給期間が長いから財政にプラスにならないというふうなことを言っておるのは私も承知しておりますけれども、逆に、今のような平均寿命の長さがいつまでどのように続くかということも完全にやぶの中でございまして、今までの実績だけを前提にこれからのことを論じ、しかも、だから給付増につながるから拠出もさせないんだというようなことでは年金制度の改革というか全体としての見直しというのはとてもやっていけない、詭弁の一つだろうと私は思います。
 子供を産むということについては熱心な方々が多いわけですけれども、子供は今慌てて産んでも二十五年間ぐらいは税金も保険料も払わない人口なのでございまして、もし少子化対策が非常にうまくいって子供をたくさん産んだら、日本はこの先、高齢化の胸突き八丁である二〇二五年までの間に過大な依存人口というのを抱えてしまうことになるわけです。
 そういう意味では、一人当たりの現役の人の税金や社会保険料の負担を減らしていく方策は、やはり私は三十代女性の就業率を高めることしかないというふうに思っておりまして、これが給付増につながるというのは制度設計の問題ですから、そこのところも厚生省は、厚生年金制度それから基礎年金制度を通じてどの程度制度内の所得再分配が行われているかということの情報を必ずしも公に開放していないわけでございます。
 一説によると、日本の厚生年金制度はかなり制度内の再分配の要素が強いということもあるわけですけれども、これを立証するデータが公表されておりませんので何とも言えません。しかし、給付増になるのかどうかということは、繰り返しになりますけれども制度設計の問題ですので、ここは当面あと二十五年間の保険料収入の増加ということを目指すべきではないかというふうに思います。給付増が始まるのは二〇二五年以降のことでございます、繰り返しになりますが。
 以上でございます。
#51
○小池晃君 ありがとうございました。
#52
○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。
 きょうは明快なお話、どうもありがとうございます。
 ライフスタイルに関して中立的であるべきだとか、日本の労働政策と社会政策がねじれているというさまざまな御指摘は、全くそのとおりだというふうに思っております。三人の共著の御本も読ませていただきましたが、二〇二五年ぐらいに、例えば個人単位の社会、個人のライフスタイルに関して中立的である社会をつくるために今から私たちはどんな戦略を持ったらいいのだろうかというお話をお聞きしたいと思います。
 配偶者控除、配偶者特別控除が女性の低賃金に結びついているのではないかという御指摘はそのとおりだと思うのですが、この制度はどのように変えたらいいというふうにお考えでしょうか。大澤参考人にお願いします。
#53
○参考人(大澤眞理君) どのように変えるかといいますか、私の知る限りでは、今、政府の税調が、所得税の制度が余りにも複雑になっている。これは個人控除が余りにも各種あって複雑なために魑魅魍魎といいますか複雑怪奇になっているという問題意識から、各種控除制度の見直しということを進めておるというふうに聞いております。そういう中で配偶者控除や配偶者特別控除も当然検討されるかなというふうに思っておりますが、必ずしも政府の税調の委員の方々はジェンダー問題の御理解が深いとは限りませんので、これは意見を言うなりなんなりということが必要ではなかろうかと思っております。
 いずれにしましても、両制度は、配偶者控除が一九六一年の導入ですし、特別控除についていえば八〇年代になって導入されたものですから、これを改革するということはそれほど難しいことではないのではないか。大事なことは、やっぱりすべてを見渡すということで、その問題だけに視野を限定しますと、そこを改革したことが別の面でのひずみになってあらわれることがございますから、やはり税制、財政と社会保障制度の全体を見渡した上での改革が必要だというふうに考えております。
#54
○福島瑞穂君 その全体を見渡した上での改革について、若干コンパクトに話していただけますか。
#55
○参考人(大澤眞理君) それを五分とか十分で述べるのは大変難しいわけですけれども、基本はやはり社会保障制度を個人単位にしていくということで、先ほど述べましたように、基礎年金などは私は税方式で、つまり納めた保険料の有無、多寡にかかわらずすべての人にミニマム年金が自分の名義で保障されるということが望ましいと思っております。それから、報酬比例部分については夫婦間での二分二乗、合算して二で割るというようなことが必要で、もしこれを行えば遺族年金制度というのは不必要になるというふうに思っております。
 現行の遺族年金は、男女で支給年齢の制限というのが全く違っておりまして、私はこれほど男女不平等な制度はないというふうに思っているんです。男性ですと五十五歳以上じゃないと妻の遺族年金を受けられないけれども、女性については年齢制限がないわけです。例えば、三十代ぐらいで健康で十分労働能力を持っている女性に夫が死んだ時点で専業主婦だったからという理由だけでずっと社会が養い続けるというようなことが果たして合理的なのかどうかということをやっぱり考えていかなければなりません。
 また、他方で子供の遺族年金なども、もし私が申し上げたように親の所得にかかわりなく児童の最低生活を保障できる額の児童手当が普遍的に支給されるとするならば、子供の遺族年金も、また母子世帯等のための児童扶養手当のような制度も不必要になるし、これを所得税の扶養控除と統合すれば財政的には財政中立的な、つまり増税にも減税にもならない改革というのがやっていけるというふうに考えております。
 それ以外にも健康保険制度や失業保険制度の改革等ございますけれども、基本はやはり個人単位でライフスタイルの選択に対して中立的な制度をこれまた財政中立的にやっていく道というのはございますので、これを今の時点からはっきりとビジョンを示して国民に選択を促すということが必要だと思います。
 以上です。
#56
○福島瑞穂君 どうもありがとうございます。
 扶養控除も確かに変で、共働きの場合、両方が子供を育てているのに一方にしか扶養控除がつかない。おっしゃるとおり、年齢の多寡に関係なく子供に児童手当を出すことになれば、親の財産の多寡と子供の教育がリンクしないといういい結果を招くのではないか。私たちも共生社会で海外視察に行って、ノルウェーでは親の収入の多寡に関係なく児童手当を出しているという話などを聞きました。
 次に、鹿嶋参考人にお聞きをします。
 レジュメの中に「労働法の見直しが必要」という部分があるんですが、確かに企業の中になかなか男女平等が入っていかないということをとても思います。例えばどういうことが提言としてあるのでしょうか。
#57
○参考人(鹿嶋敬君) 今考えているのは、新たな法律として例えば年齢差別禁止法のようなものが特にパートとか派遣社員には必要ではないかという感じがあります。例えばアメリカにはありますね。
 派遣社員の場合は三十五歳定年説といったようなことがまことしやかに流れるんです。ということは、三十五歳を過ぎますとほとんど派遣社員の場合は需要がないと。それは何を意味しているのか。派遣社員の場合は、企業が求めているのは、先ほども申し上げましたように未婚の女性、すなわち非常に身軽であるということ、もう一つは若さなんですね。若い人がいいということは、そこに経験とかそれから熟練とかといったようなものが求められない。さらに言えば、そういう仕事というのは未経験者でもできる仕事であって、これは補助的な労働力ということになってくると思うんです。パートでいえば大体四十代、五十代の人たちが中心になっています。もちろん専門職パートといったような仕事も出てきているんですけれども、やはり年齢によって就業の形に非常に区分けができてしまっている。
 これはひとり女性の問題ではなくて、男性にとっても、リストラといえば非常に聞こえはいいんですけれども、リストラというと何か会社が前向きに企業の経営に取り組んでいるような印象があるんですが、さらに言葉をかえれば一種の首切りでありまして、一定の年齢になりますとそういうふうに家庭の基盤を失うような大変厳しい状況にならざるを得ないということになってきますと、やはり日本でも、男女という以外に年齢という意味での差別といいますか、そういうものに何とか歯どめをかけるといったような立法措置が私は必要だろうというふうに思っておりまして、既にこれは新聞でも何度か書いてきております。なかなか反響がないのが恨みの点でありますけれども、そういうふうにやってきております。
 と同時に、先ほどの話でいわゆる労働法の見直し、具体的には先ほど申し上げましたように育児休業法のみでございますが、少なくとも子育ての間に一年間休めるというのが、確かに二カ月更新の社員に対して一年休めるという保障はできないというふうに思うことは当然のことなんですが、一方でもう一つ、その育休法を改正して、そういう二カ月あるいは三カ月更新の社員であっても休めるような措置といいますか、それも改めて考える必要が出てきているのかなという感じがいたします。
 私は法律の専門家ではありませんので、具体的にこの法律ということがなかなか言いにくいところはあるんですけれども、全体的に見まして、日本の労働法なりなんなりを考える場合に正規雇用の社員を前提にし過ぎているような感じがある。これだけ多様化してきまして、パートとかそれから契約社員という形、非常にいろいろフレキシブルな働き方が出てくる中で、そちらの労働者としての権利を保障されるような部分がいま一つ少ないのかなという感じがしております。
#58
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 アメリカは、公民権法第七編に雇用における性差別、人種差別、年齢差別があるので、日本も年齢差別は雇用差別だということになれば求人票の中に年齢を入れたりすることがなくなって、やはりそれは一つの突破口になるだろうというふうには思っております。先ほど大澤参考人もこの年齢差別のことをちらっとおっしゃったんですが、そのことについて何かコメントがあったら教えてください。
#59
○参考人(大澤眞理君) 私も年齢差別は許されるべきでないというふうに思っておりまして、これは男性にとって特に今は重要な問題かなと。最近、中高年のリストラされた男性が年齢差別禁止法というようなものを求めて運動を開始したというような新聞記事も見たところでございますけれども、当然かなというふうに思います。
 ただ、この年齢差別をやめていくという上では、働きに応じた賃金になっているかという、簡単に言えば、専門用語で言えば同一価値労働同一賃金になるわけですけれども、ここのところがかなり厳しく適用されてくるというもう一つの面がある。
 たしか企業の人事担当者にアンケート調査で出た結果だと思うんですけれども、何歳ぐらいの社員に払っている給料が働きよりもよ過ぎると思うかというのを尋ねますと、四十代の男性、五十代の男性となると働きよりも払い過ぎているという回答が多くなりまして、これを俗に穀つぶしというふうに言うそうでございます。でも、今までそれが暗黙の約束になっていて、若いうちは持ち出しで働いていたのが、四十、五十になって穀つぶしと言われるのは大変気の毒なことではあろうかと思います。
 しかし、今後は、年齢差別反対ということを言うと、やっぱりスポット的に働きに応じた賃金ということも受け入れていかなければならないし、そのことによって性差別それから雇用形態による差別を打ち破っていく活路になるのかなというふうに思っているところです。
#60
○福島瑞穂君 丸子警報器事件は、正社員に比べてパートが八割以下であれば公序良俗に反すると言ったわけですが、まだ判決は同一価値労働同一賃金と銘打ったのはないんですが、今後、法律的にこれをどうやって生かしていくかということが必要だと思います。
 最後に、今各地で条例案が御存じのとおり出ていて、東京都、埼玉県が二月に条例を発表しましたが、出雲市や三重県やいろんなところもつくっているというふうに聞いております。条例案がかなり企業などに切り込めるような材料が出てこないかということをちょっと思っているのですが、済みません、残りの時間が十八分までなんですが、鹿嶋さんと大澤さんそれぞれに、条例案で例えばこういうものをつくったら企業の中に切り込めるのでないか、条例だけでなくて、大澤さんは特に男女共同参画社会基本法の生みの母の一人ですから、例えば今後こういうことをしたらもっと特に企業に切り込めるのではないかということの御提言を最後にお聞かせください。
#61
○理事(南野知惠子君) あと残り三分をお二人で仲よくお分けいただきまして。
#62
○参考人(大澤眞理君) 簡潔にお答えさせていただきます。
 これは別に私の頭の中からぽろっと出たというのではなく、アメリカやカナダでは政府機関が発注をする際にその企業の男女平等度を配慮する、しんしゃくするということが制度化されております。このようなことを東京都の条例づくりにおいても考慮されたようですけれども、最終的な条例の中には入らなかったようでございますが、やはり私は、公共部門、役所というのはやっぱりモデルエンプロイヤーでなければならないし、またモデルエンプロイヤーを優先して取り扱うということの責任と権限を持っているのではないかと考えておりますので、このようなことが何らかの形で条例なり、また条例を解釈していく指針ということで生かされればいいのではないかと思っております。
#63
○参考人(鹿嶋敬君) お答えします。
 基本法には事業者の責務という項立てはないんですけれども、各地で今施行に踏み切っている条例は事業者の責務というのを一項目設けておりまして、男女共同参画社会の理念をその事業所内にも取り込むべきだということを言っております。
 同時に、東京都の場合はこれが非常に強い形で働きます。従業員五百人以上の企業が東京都内には約二千五百社あるんですが、その二千五百社を対象に女性の起用、登用計画等々についてのアンケート調査をしまして、それでいろいろな実態を把握したいというふうに考えているようでございますので、東京都の例などが少し参考になるかと思います。実態、詳しくはどうぞ東京都の方にお尋ねください。
#64
○福島瑞穂君 どうもありがとうございました。
#65
○理事(南野知惠子君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
    ─────────────
#66
○理事(南野知惠子君) 次に、政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 共生社会に関する調査のため、今期国会中必要に応じ政府参考人の出席を求め、その説明を聴取することとし、その手続につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#67
○理事(南野知惠子君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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