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2000/02/23 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 国民生活・経済に関する調査会 第2号
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2000/02/23 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 国民生活・経済に関する調査会 第2号

#1
第147回国会 国民生活・経済に関する調査会 第2号
平成十二年二月二十三日(水曜日)
   午後一時二分開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十二日
    辞任         補欠選任
     谷林 正昭君     輿石  東君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         久保  亘君
    理 事
                服部三男雄君
                海野  徹君
                沢 たまき君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
    委 員
                岸  宏一君
                田中 直紀君
                長谷川道郎君
                日出 英輔君
                真鍋 賢二君
                松村 龍二君
                勝木 健司君
                輿石  東君
                堀  利和君
                簗瀬  進君
                但馬 久美君
                山本  保君
                西山登紀子君
                大渕 絹子君
                松岡滿壽男君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        白石 勝美君
   参考人
       武蔵工業大学環
       境情報学部教授
       慶應義塾大学名
       誉教授      岩男壽美子君
       日本社会事業大
       学社会福祉学部
       教授       椋野美智子君
       作家       鈴木 光司君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成
 に関する件」のうち、少子化への対応等につい
 て)

    ─────────────
#2
○会長(久保亘君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨二十二日、谷林正昭君が委員を辞任され、その補欠として輿石東君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(久保亘君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化への対応等について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、少子化問題を考える有識者会議の座長として提言を取りまとめられた武蔵工業大学環境情報学部教授・慶應義塾大学名誉教授岩男壽美子君、少子化問題を特集した平成十年版の厚生白書をおまとめになられた日本社会事業大学社会福祉学部教授椋野美智子君及び著作活動を続けながらみずからの子育て経験に基づく発言を各方面でされている作家の鈴木光司君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人の皆様におかれましては、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化への対応等について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず岩男参考人、椋野参考人、鈴木参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間程度各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていただきたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようよろしくお願いいたします。
 なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、岩男参考人からお願いいたします。
#4
○参考人(岩男壽美子君) 岩男壽美子でございます。
 お手元に少子化への対応を考える有識者会議の提言、報告書が配られているというふうに承知いたしております。また、参議院の方からいただきました資料を拝見いたしますと、平成十年十二月七日に厚生省の方から、この提言をまとめるに当たって議論をいたしました分科会の構成その他について御説明がございましたように承知しておりますので、私は、この提言についてはごくかいつまんだ御説明をいたしまして、むしろ日ごろ若い人たちと接触をしている立場、また心理学者の立場からこの少子化の問題をどういうふうに考えるかということについて少しお話をさせていただきたいと思います。
 この提言でございますけれども、提言は、男女がともに家庭や地域の責任と仕事を両立できるような多様な働き方、生き方を実現できるよう、また子供たちが楽しく伸び伸びと成長していけるような環境整備を提唱しております。
 この提唱の内容でございますけれども、全部で百数十項目にわたっておりまして、大変内容は多岐にわたっております。一つ一つの具体的な方策について実施主体を明示いたしまして、ぜひその実現をお願いしたいというふうに述べております。
 提言の中身は、すぐしていただけるようなものから、例えば税制や社会保障制度のあり方を検討するといったような時間を要するものまでいろいろございます。また、お金のかからないものから大変費用がかかるものまでございます。また、この提言は国民全体で取り組まないととても実行できるようなものではないということで、推進体制として少子化への対応を推進する国民会議を提唱しておりまして、実際にこの国民会議が既にでき上がって動き出しております。
 この提言をまとめるに当たっての留意点といたしましては、実は基本的に三つございまして、そこに「基本的留意点」としてレジュメに書いてございますけれども、三番目の「女性を家庭にもどそうとする対策は非現実的、不適切、不合理。」と書いたところを少し説明させていただきます。
 要するに、女性を家庭に戻すことで少子化の対応を考えるというやり方というのは、例えばフランスがそのような方策を最初にとりましたけれども、これは明らかに失敗をしたというようにフランスの方では言われております。その結果、何を目標というふうにシフトしたかと申しますと、仕事と家庭の両立を容易にするという、こういう施策をとらなければ少子化対応はできないというこういう結論になっているわけでございまして、この有識者会議の提言の骨子も仕事と家庭の両立を容易にするということをねらっております。
 男女共同参画社会基本法を昨年六月に通していただきましたけれども、この六条にも家庭生活における活動と他の活動との両立がうたわれております。まさにこの両立ということが私は対応のキーワードである、こういうふうに考えております。
 なお、国連の機関でありますUNDPが女性の社会参画の度合いをあらわすジェンダー開発指標というものを出しておりますけれども、このジェンダー開発指標の高い国ほど出生率が高いというこういう数字が出ております。
 その次に、環境整備は少子化への対応ばかりではなく、高齢化への対応としても望ましく、我が国をだれもが住みやすいところと実感できるような社会にしていくことに直結しているというふうに書いてございますけれども、これは私は実は非常に強くそのように感じております。
 と申しますのは、少子化への対応を考えるということになりますと、例えば少子化と自分は無関係であるというふうに主張なさる国民もあるわけで、国民全体の合意を図っていくということが今日非常に難しくもなっておりますけれども、そういう中で少子化対応として挙げていることは、実は日本をみんなにとって住みやすい国にしていくという、そこが私は非常に大事な点ではないかというふうに考えております。
 整備すべき内容については、「働き方に関する事項」、それから「家族、地域、教育のあり方に関する事項」としていろいろ挙げてございますけれども、提言につきましては、本日同席をしておられる椋野さん、それから鈴木さんも有識者会議の委員でございましたので、また補足説明もあるかと思いますので、少し、レジュメの二枚目にちょっとわけのわからないような項目が挙がっております一から七までの点について私の考えを御説明させていただきたいと思います。
 先ほど申し上げましたように、私は心理学者でございまして、日々大学で学生、若者と接触をしているわけですけれども、次代の子供を産み育てるのは実はこういう若い人たちであるわけです。こういう若者の意識、若者の価値観、あるいは若者が日々直面している問題といったようなものを十分に理解しないとその対応がうまくいかないのではないか、このように考えておりますので、少し御説明をさせていただきたいと思います。
 まず第一の「当然または必然から選択肢へ」と、こういうふうに書きましたけれども、これは、これまで結婚とか出産といったようなことは、ある年齢になると結婚をし、それから結婚すれば子供が生まれるのが当たり前というようなことで、当然あるいは必然というふうに考えられていたわけです。それが今日選択肢の一つになっているということですけれども、その心理的な意味と申しますのは、選択肢がたくさんある中で、しかも自己責任で選択をしなければいけないということで、その責任を当事者が負うということになるわけです。
 そういたしますと、選択をするというか決断をするというのが大変難しくなるわけです。つまり、結婚の場合でも、この人こそが本当にふさわしい相手なのかどうかということを決めるというのに対して非常にちゅうちょをするようになると思います。世論調査をいたしますと、適当な相手にめぐり会わないという回答をする方がたくさんございますけれども、恐らくその背景には、こういう決心がつきかねるという心理的な問題があるのではないかというふうに思います。
 また、子供についても、以前は子供は授かるものというふうに考えておりましたけれども、今日は子供をつくるというふうに若い人たちは言っております。つくるということは、実はその行為に対してその当事者が責任を持つ、そういう責任を持って判断をし決定をした、選択をしたという、そういう意味を持つわけです。
 その結果、どういうことが心理的に起こるかと申しますと、一つには、自分がつくった子供ということで思うようになるはずである、こういうふうに思ってしまう。したがって、子供というのは思うようにならないんですね、思うようになると思って思うようにならないものですから、子供はかわいいんだけれども、なかなか、そこにフラストレーションが起こるというようなことで、最近虐待がふえておりますけれども、これもこういったある種のフラストレーションのあらわれであるというふうに解釈をしております。
 また、もう一つは、自分が責任を持ってした判断である、選択であるということになりますので、全責任を持って完璧な子供をつくらなければいけないというふうに思い込んでいる。その結果、非常にそのストレスが大きくなっているという、私たちが子供を産み育てたころのように、のんきに、子供は自然に生まれちゃったわなんというのは変な言い方ですけれども、それで何とか育っていくという、そういうリラックスした中での子育てと今日の子育ては非常に状況が違うということを考える必要があると思います。
 それから、二番目の「自由へのこだわり」と書きましたけれども、これは今日の若者が非常に豊かさの中で自由を享受して育ってきた世代であるという意味でございます。結婚する、あるいは出産、育児というようなことは、当然当事者にとって時間的にも金銭的にも精神的にも拘束となる部分があるわけです。それに対して今の若者たちは自由をそぎ取られるというふうに受けとめているわけです。したがって、その自由へのこだわり、自由を非常に大事なものとして考えている一方で、自由をそぎ取られてしまうというようなことになるということに非常に大きなためらいがある、こういうことが見受けられるわけです。
 それから、三番目の「パートナーシップの重要性」ということですけれども、今日の若者は男女共学の中で平等とか同権ということを非常に大事なものとして体験しながら育ってきたわけです。したがって、パートナーシップを求めるということはごく自然なことであるわけですけれども、ところが結婚すれば、なかなか日本の働き方を変えない限りパートナーシップが維持できないということも知っている。実は、このパートナーシップを求めるということは、自由を求めるということ、自由へのこだわりと矛盾する部分があるんですけれども、それは矛盾は矛盾として両方を求めるというこういうことだと思います。
 これはちょうど、ことしの一月二十九日の朝日新聞の「声」欄にこういう投書が載っております。これは二十六歳の会社員で、昨年の十一月末に出産して育児休暇中の方ですけれども、子供を産むかどうかということについて、またその他のことだと思いますけれども、夫と一カ月ぐらい話し合ったというふうに書いておられます。私たちのときは、そういう夫婦で一カ月もかけて話し合うなんということはなかなか考えられないことだと思うんですけれども、これがまさにある種のパートナーシップのあらわれだと思うんですけれども、一カ月かけてじっくり話し合って、そして二人で分担をすることになったと。それで、子供を産んで非常によかった、今では二人目、三人目もというふうに思っているというこういう趣旨の投書でございますけれども、そういう意味でもパートナーシップが非常に大切だということだと思います。
 それから、四点目は子供を産むことあるいは親になることをちゅうちょさせるような要因ということで挙げてございますけれども、これは「子育ての楽しさ・大変さ」と書きましたけれども、子育てがいかに大変かということは、これは知的に理解できる部分であるんですね。例えば、仕事との両立が難しいとか、あるいは保育所を探すのが大変だとか、子育てにお金がかかるとか、それからまた、電車の中で赤ちゃんを連れながらベビーカーをぶら下げやっと乗っている人なんかを見るというように、観察をすることによってもその大変さというのは十分に理解できる、そういうものなんです。
 それでは一方、それを乗り越えるような子育ての楽しさというのはどういうふうにしてわかるのかと申しますと、これはなかなか知的にわかることではなくて、基本的には子供と触れる。ですから、産んでみて本当は子育ての楽しさというのはすごくよく実感できることなんだと思うんです。生まれた赤ちゃんを見て、人並みにといいますか、生まれたばかりでもあくびをしたりくしゃみをしたり小さなつめがついていたりするのを見るだけで私たちはもう感激して、どんなに大変であってもこの子のためにというふうに思うわけですけれども、これは実は産んでみないとわからない。ですから、それを少しカバーするという意味でも、実際に小さい子供と触れ合う機会をつくるというようなことが必要になるんだろうと思います。
 したがって、大変さというものが情報化社会の中で非常に広く行き渡っておりまして、私の学生さんたちでも、まだ若いのにもかかわらず子育ての大変さというものを幾つも挙げてくれることができるという大変おかしなことが起こっております。
 それから、五番目ですけれども、「効率追求から子供を育む社会へ」と書きましたけれども、経済成長の中で私たちは経済的豊かさを求める余り、経済的効率を追求して本当に子供をはぐくむような社会をつくってこなかったということがあるわけですけれども、これを実は今日の若い人たちは非常に経験的にといいますか、実感をしていると思うんですね。ですから、そうではないんだと、社会全体で子育て支援をしていく、子供をはぐくむ社会にこれからしていこうと努力をしているのだというメッセージを頻繁に伝える必要があるように私は思っております。
 その点で、先週でございますか、高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律案というのが政府提案で出ているようでございますけれども、これの第一条は目的、第二条に定義がございます。定義を見ますと、「この法律において「高齢者、身体障害者等」とは、」ということで、非常に限定的に「身体の機能上の制限を受ける者」というふうになっておりまして、少子化対応といいますか、子供を連れて移動するという人たちのことが全く入っていない。せっかくの機会、若い人たちに、こういうことを政府として考えているんですよ、国として考えているんですよというメッセージが伝わる機会にもなるかとも思うんですけれども。
 まさに若い人たちが求めておりますのは、この法律の中に身体障害者用のトイレをつくるというようなことが書かれておりますけれども、実はベビーカーを押しながら入れるトイレというのは身体障害者用のトイレなんですね、今。しかも、そこには身体障害者用のマークが張ってある。それで、あれが子連れでも使えるというふうになっていたらどんなに気が楽かしらというふうに若いお母さんたちが随分おっしゃっているので、そういうところを私はぜひ対応の中でお考えいただけるとありがたいというふうに思っております。
 それから、六番目に「少子化と子供の健全育成」ということを書きましたけれども、これは、心理学者として見たときに少子化が非常に健全育成に対して深刻な問題を引き起こすということでございまして、子供の健全育成のためには当然親の愛情とかあるいは期待であるとか関心であるとかといったようなことが必要になるわけですけれども、こういった親の子供に対する愛情、期待、関心など、これは心理的資源配分というふうに呼んでおりますけれども、これが過剰になりますと愛情は溺愛になるわけです。あるいは期待が過剰期待になり、そしてまた関心が過干渉になってしまう。こういうようなことで、子供がますます減っていく中で子供を健全に育てることが大変難しくなっている、こういう意味でも非常に深刻だというふうに考えております。
 それから、最後に「多様で柔軟な環境整備」というふうに書きましたけれども、ここ十年以上にわたって日本人の意識が多様化してきているということを私ども見てきたわけでございます。その中でも特に若者の意識ほど多様化しているということがいろんな世論調査の結果でわかっているわけです。
 そういたしますと、この少子化への対応を考える際にも、次代の子供を産み育てる若者たちの意識を十分踏まえた上で対応を考えなければいけないんだというふうに思います。つまり、その結果、この環境整備として準備される対応策も当然のこととして非常に多様なものを考えなければいけない。人によってニーズが違うものですから、あれも必要これも必要、しかもその運用が非常に柔軟であるというようなことがこれからは必要になるんだろうと、こういうふうに考えております。
 それから、最後に一言つけ加えますと、日本の変化を見ておりますと男性の変化よりも女性の変化の方が急速でございます。したがって、何が起こるかと申しますと、女性の変化の方がスピードが速く大幅であって、男性が同じようなテンポで変わっていかないというために男女の間で非常に大きなギャップが生じている、これが今日の少子化の問題とも非常に絡まっているということを最後に申し上げたいと思います。
 時間になりましたので、私の御説明をここまでとさせていただきたいと思います。
#5
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 次に、椋野参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(椋野美智子君) 日本社会事業大学の椋野でございます。きょうはこのような機会を与えてくださいまして、本当にありがとうございます。
 昨年八月にこの調査会でまとめられた報告も拝読いたしまして、非常に幅広くかつ深い分析をなさっているというふうに思いました。その調査をさらに深めるに当たって何らかの参考になれば大変幸いに存じます。
 お手元に資料をお配りいただいております。
 一番目に、五つポイントを書いております。これは実は、少子化をテーマにした白書をまとめた後、いろいろなところでいろいろな方々と少子化についてお話をする機会がございました。その中で特に強調しておいた方がいいと思った点を五つまとめたものでございます。
 まず一番目は、今、岩男先生もおっしゃったとおり、やはり少子化という問題は、性、男性か女性か、あるいは年齢、あるいは世代ととらえた方がいいかもしれませんが、それによって受けとめ方が大分違うようでございます。対応を考えるに当たっては、まずその点を十分留意し、当事者である若い世代、特に女性の意見を十分聞くことが重要ではなかろうかというふうに思います。
 二点目でございますけれども、「結婚・出産などについての個人の生き方の多様性を制約する対応をとってはならない。」と。
 当然のことでございますけれども、つい少子化を懸念する余りにDINKS税だとか独身税だとかという御意見をおっしゃる方もおられますけれども、やはり、独身であるから、共働きで子供がいないからということで懲罰的な発想で税を課そうということになると、これは大変問題であろうと思います。もちろん子供を育てている御家庭の負担の重さに着目して公平を図るということは当然ですけれども、生き方の多様性を損ねるというふうな受けとめられ方をしますと、やはり非常に対応を進めていく上で問題が起きるというふうに考えます。
 と申しますのは、現在の出生率の低下が始まってもう二十数年たっているわけですけれども、少子化を正面から取り上げることには大変ちゅうちょがございました。それは、平成九年の人口問題審議会で初めて少子化を正面から取り上げる議論ができたわけでございます。なぜそんなにもちゅうちょがあったかというと、やはり一・五七ショックのときもそうなんですけれども、少子化を問題として取り上げようとした途端にまた産めよふやせよになるのではないか、女性の生き方の多様性を損ねるのではないかという懸念が非常にあってなかなか取り上げづらかった。
 現に、つい最近の、平成七年まで少子化の評価は、望ましくないとどちらとも言えないというのが四十数%で拮抗していたわけでございます。恐らくこのどちらとも言えないというのは、問題だと言うとその対応が産めよふやせよになるんじゃないかという懸念があったのではないかと推測されるわけでございまして、この点はやはり十分留意が必要だと思っております。
 それから、三番目でございますけれども、「特効薬はない。社会の体質改善が必要。」というふうに書いております。
 これも、少子化を懸念する余りに、では何をすればいいんだというふうな御質問を受けることがよくあるわけでございますけれども、これをやれば大丈夫ですというようなものではなく、やはり社会全体のいわば体質改善、性別役割分業型社会から男女共同参画型社会へ変えていくということが少子化への一番の対応であろうと思います。
 特にその場合に、女性の職場への参画は進んでまいりましたけれども、男性の家庭や地域への参画がまだまだ十分ではございませんので、このことに十分留意した対応が必要であろうと考えます。
 それから、それを進めるに当たってかぎは、男性の働き方を変えることだというふうに考えております。
 少子化といいますとどうしても子育て支援、いわば女、子供への問題の対応というふうに受けとめられがちですけれども、女、子供への対応では済まない、社会全体を変えていくこと。そして、そこのかぎはやはり男性の働き方を変えること。これは後ほど少しデータに即して詳しく御説明をしたいと思います。
 最後に、もちろん総合的な子育て支援は重要でございます。保育サービスですとか育児休業ですとか、もちろん重要でございます。しかしながら、もっと大きな社会全体の体質改善が必要で、その上に立ってこそさまざまな子育て支援が本当に効果を発揮できるのであろうというふうに思います。
 と申しますのも、延長保育や夜間保育は大切だけれども、それは本当に子供にとっていいんだろうかというような声がやはりございます。育休を女性はとって当然なんだけれども、でも企業にしてみればお荷物なんじゃないのという声もやはりございます。
 そういう議論を乗り越えるのは、際限のない残業とか夜間労働をしなくても済むような、これはもちろん女性だけではなく男性も含めてそういう社会の変革が必要でしょうし、男性も育児休業をとり、男性も家事、育児、家庭責任を負って働く、女性だけではなく。そういう変革があって初めて子育て支援も本当に効果が出るんだろうと、そういうふうに思います。
 以上五つ、特に強調しておきたいポイントをまず申し上げました。
 では、なぜ男女共同参画型社会をつくること、特に男性の働き方を変えることがかぎなのかというあたりについてこれからちょっとお話を申し上げたいと思います。
 一枚めくっていただきまして、ちょっと拡大をしていただいた概念図がございます。これは平成十年版の厚生白書の「少子社会を考える」というところをあえて一枚の図にあらわしてみたものでございますけれども、真ん中のあたりに、「今後我々はどのような社会をつくろうとするのか」というところのすぐ下、現状がまとめてございます。
 ごらんいただきますと、職場から矢印が出て、その矢印が最後はすべて家族のところに帰着しております。職場優先、つまりいつでもどこでも職場の都合最優先で働くというような男性中心の職場のあり方が当然家族の方にしわ寄せを来し、母親に子育て負担を集中させておりますし、それから、家庭にも十分帰れない状況ですから、地域社会にも参加できない。そうすると、地域社会が厚みのないものになっていって、地域の子育てへの支援というような力も失っていき、それがまた母親に子育て負担を集中させている。
 あるいは職場のところで、新卒・正規職員中心の就業環境が、いわば新卒時にどこの会社に就職するかで職業人生が決まってしまうというようなことから、いわゆる過度の受験競争をもたらし、それがまた矢印は家族に戻り、母親が子供をよい学校に入れることがまるで子育ての成功であるかのような負担を及ぼすというような形で、職場からすべての矢印が発し家族に帰着している。この男性中心、職場優先のここを変えていくことがかぎだというふうに考えます。
 実際、さまざまな場で変化の動きや兆し、それは多様化、流動化の動きですけれども、が見られ始めております。これをどううまく生かしていくかということが一番下にある「男女がともに暮らし、子どもを産み育てることに「夢」を持てる社会を」つくる、社会全体の体質改善ということにつながるのではないかと思います。
 もう一枚めくっていただきますと、あとデータ的なものを特につけております。
 少子化への対応を考える上で、なぜ少子化が進んでいるか、もう既に御承知のことかとは思いますが、それについて少し簡単に見ていただきたいと思います。
 よく見ていただく出生率の推移のグラフが二ページの上にあります。ベビーブームの後、急速に出生率が低下しておりますが、ここは一組の夫婦の産む子供の数が減ったからでございまして、社会の発展に伴いどこの国でも起きる人口の転換でございます。特に問題視する必要はないところでございます。
 その後、昭和三十年代、四十年代、ひのえうまの前後を除いてほぼ二を少し上回ったところで横ばいでございまして、その後、昭和五十年ごろから下がり始めて、今や一・三八。これを問題として要因分析する必要があろうかと。よく言われるように原因は未婚率の上昇でございます。
 この未婚率の上昇、少子化が始まった昭和五十年ごろというのは、では一体どういう社会だったのかということで、その下に社会のあり方を見る社会経済指標の推移をつけております。
 一番大きく動いておりますのが経済成長率で、まさに昭和五十年ごろを境に高度成長から安定成長時代に入った。一番上の八二・一%まで行っているこれが就業者に占める雇用者割合、いわばサラリーマン化の度合いでございます。次の右肩上がりのが人口集中地区人口割合で、これはいわば都市化の割合でございます。次に、最初五十年まで下がり、その後上がっているのが有配偶女子の就業率で共働きの度合いでございます。逆に言えば、専業主婦が昭和五十年まで増加していって、昭和五十年を過ぎて専業主婦は少なくなっていく。その次の右肩上がりのものは、これは大学、短大への進学率、高学歴化の度合いでございます。
 以上、見ていただきますように、高度経済成長の時代、昭和三十年代、四十年代、サラリーマン化が進み、人口が都市に集中し、高学歴化が進み、当然経済成長が進んでいく。五十年を境にそれらはすべて傾きは緩やかになりますが、同じ方向にさらに進んでいきます。ところが、トレンドが、傾きが変わったのは唯一有配偶女子の就業率でございます。
 この五十年を境にもう一つ変わったのが未婚率でございまして、三ページを見ていただきますと年齢別未婚率の推移がございます。上が女子でございまして、一番上のグラフは二十歳代前半の女性でございます。昭和三十年代、四十年代、七割前後だったのが九割近くまで未婚率が上がっています。二十代後半で二割前後でしたのが今は五割近くまで、三十代前半の女性でも一割弱だったのがもう二割に未婚率が上がっている。
 その下のグラフを見ていただきますと、これは夫婦の産んだ子供の数でございまして、平均出生児数は昭和五十年を過ぎても二を少し上回る二・二ぐらいで安定しております。つまり、昭和五十年を過ぎた少子化の原因は、夫婦の産む子供の数が減ったからではなくて、未婚率が上昇したからだということでございます。
 このように、昭和五十年を過ぎたところで専業主婦だった人が働き始め、まだ結婚していない女性たちは結婚を先延ばしにし始めたということは、高度経済成長の中で形づくられた家庭の姿、それは、夫はサラリーマン、妻は専業主婦、住んでいるところは都市化ですから郊外の新興住宅地、核家族、子供は二人で、女の子は短大、男の子は大学までできればやらしたい、受験勉強している、こういう典型的な家族の姿というのがどうも余り魅力的に見えなくなってしまったのではないか。だから、未婚の女性は結婚を先延ばしにし、既に家庭に入っていた女性たちも外に働きに出始めた。これが厚生白書で問いかけた問題提起でございます。
 この昭和五十年ごろから女性の自立というようなことが声高に叫ばれ始めたわけでございますけれども、時代によって未婚率上昇の原因はもう少し細かく見れば少しずつ違ってまいりますが、そこは時間の関係で飛ばしまして、では、今なぜこのように未婚率が上がっているのか、独身の理由でございますけれども、これは先ほど岩男先生もおっしゃいましたように、適当な相手にめぐり会わないというのが一番多うございます。それから、いずれ結婚するつもりという方は九割近くいらっしゃいますが、その半分は理想的な相手が見つかるまで結婚しないと言っています。
 つまり、どんな相手なら結婚するのか、相手を選んで晩婚化が進んでいるということでございまして、四ページをめくっていただきますと、「結婚相手の条件項目別、考慮・重視する未婚者の割合」というのがございます。一番は男女ともに八割から九割、相手の人柄なわけですけれども、二番目は男女ともに自分の仕事に対する理解と協力、三番目、家事、育児に対する相手の役割というふうに続いております。つまり、女性も夫に対して、妻の仕事を理解し、夫が家事、育児に協力してくれることを求めている。三高ということが言われていたこともございますけれども、相手の経済力は四番目で三三・五%ぐらい重視をしています。相手の学歴とか相手の容姿というのはもう一割前後ということで、実は家事への協力であり、自分の仕事への理解を女性は夫となる人への条件として重視しているということがこれからわかります。
 次のページにつけておりますのは、そうはいっても最近の若い世代の女性には専業主婦志向がふえているではないか、継続就業を望んでいるのは必ずしも多数派ではないという声がございます。それで、やったヒアリング調査でございます。確かに専業主婦志向は見られるわけでございます。そういう専業主婦志向の女性が求めている条件というのは、三Cというふうに呼ぶようでございますけれども、十分な給料と家事への協力、それから理解し合えるというようなことのようでございまして、専業主婦志向の女性でも家事への協力というようなことは相手となる夫に求めている。
 ところが、六ページ、よく出る数字でございますけれども、現実はなかなか男性は家事にも育児にも協力できていないという状況がございますし、それから六ページの下につけておりますのは、じゃ意識はどうかというと、男女とも若い世代の方が性別役割分業に反対が多いですけれども、男性は全年齢で賛成が反対を上回っております。ところが、女性は四十代までは逆に反対が賛成を上回っております。先ほど岩男先生がおっしゃいましたギャップというのがここで明らかに見られるわけでございます。これが男女の結婚の条件がうまく合わない一つの理由でもあろうかと思います。
 しかし、男性の中には家事、育児も行うべきだというふうに意識としては考えておられる方もある。けれども実際はなかなかできない。その原因は何かといえば、やはり職場の問題に行き着くわけでございまして、七ページにつけております「郊外に居住するビジネスマンの生活時間」、夫の帰宅時間、八時前に帰宅する方は一割、十時以降に帰宅するのが六割というと、夕食を一緒にすることはできないのはもちろんのこと、小さい子供の間は起きている間にうちに戻れないというような状況が出てくるわけでございます。その原因の一つはもちろん残業でございますし、もう一つはやはり通勤時間でございます。大都市圏では通勤時間平均約一時間、首都圏では一時間半以上二割あるという、この状況を変えなければいけないだろう。変えるためにはどうするかというのは、やはり男性の働き方を変えるということですし、もう一つは町づくりを変えるということではないかと思います。
 町づくりも郊外の新興住宅地をどんどんつくっていったというのは、これは男女の性別役割分業を前提にした町づくりでございます。つまり職住を分離し、都心は若者と男性の町、郊外はいわば女、子供と最近では年寄りの町というふうな役割分業を前提とした町づくりをしてきてしまったのがこの長時間通勤に端的にあらわれてきたのではないか。
 どうしたらいいのかということですけれども、八ページに、どこにモデルがあるわけでもございませんが、ヒントとなるものとして、働き方としては一つオランダの例を、町づくりの例としてはアメリカで最近提唱され始めているサステーナブルコミュニティーの例をつけております。
 オランダの働き方の例としては、労働者のモデルを夫が働き妻子を養うという生計維持労働者モデルから二人で働いて一・五人分稼ごうという稼働者モデルへの変更、男性が一、女性が〇・五でもいいし、その逆でもいいし、男女ともに〇・七五ずつ働くのでもいいのではないかというようなこういう働き方のモデルが一つのヒントになろうかと思います。
 もう一つ、地域の方は、その下にありますアメリカの例ですけれども、自動車への依存、石油資源の大量消費というような従来の都市づくりを反省して、住民が誇れる共同体意識を保有する、職住近接の小さくまとまったコンパクトな町づくり。つまり働く場と暮らす場を包摂した生活圏に合った町づくりにすることによって、もちろん通勤時間が短くなることもそうですけれども、地域社会に対する帰属意識、参加意識を高めていくことにもつながるのではないかというふうに考えます。
 最後につけております九ページの上のグラフは、男女によって、また子供がいるかいないか、働き方がどうか、核家族か三世代かということで子育て支援策に対する要望はかなり違うということをこれで見ていただければと思います。時間の関係で説明は省略いたします。
 それから、その下につけておりますのは、よく子育ての経済的負担の軽減ということが言われますけれども、その場合に直接的な経済的負担というのは教育費を初めとしてよく見えるわけですけれども、もう一つ忘れてはいけないのは、やはり出産、育児に伴って就業を中断することによる利益の損失、機会費用ではないかというふうに考えます。そこに経済企画庁の推計で短大卒の平均的なケースで、出産、子育て後、正規職員として再就職してどうかというものですが、それでも六千三百万の利益の損失となる。もうそのままやめてしまったり、パートでしか就職しなかったりということであればもっとこれは大きくなるわけでございまして、子育ての経済的負担の軽減ということを考えるときに、この機会費用の軽減、つまりやはり子育てと仕事を両立できるような施策ということがその意味からも重要ではないかということでつけております。
 以上、申し上げましたけれども、個別の子育て支援策については、お手元にも配られております有識者会議の報告にいろいろと詳しく載っておりますので、これはまた御質問があれば後でお答えをさせていただこうと思いますが、ただ一点つけ加えますと、子供が欲しくても恵まれない人のために、不妊治療ということをこの調査会でも大分御調査なさったようでございますけれども、それとあわせまして養子の支援ということも力を入れていく、養子の支援ということも子供に恵まれないけれども子育てをしたいという方に対しては必要ではないかというふうに考えます。一つだけつけ加えさせていただきます。
 以上で御説明を終わらせていただきます。
#7
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 次に、鈴木参考人にお願いいたします。
#8
○参考人(鈴木光司君) 皆さん、初めまして、作家の鈴木光司です。
 小説家の僕がなぜ少子化の問題にかかわり合ったかということですけれども、この点をちょっと説明しておかないといろいろわかりにくいことが出てくるんじゃないかと思うんですけれども、僕は大学に入るときにはもう既に将来は作家になると決めておりまして、大学の文学部では作家になるためだけの勉強をしました。そして、そのためもあって大学を卒業したときはいわゆる新規採用の就職というものをしませんでした。そして、僕は小説家を目指しながら、作家修業をしながら、いわゆるフリーターという状況に置かれたんです、自分で選択したんですけれども。
 僕はその中で高校教師である妻と結婚して、その二年後に子供が生まれました。当然そういった状況、妻がフルタイムで働く高校の先生、そして僕は作家修業の身ということを考えれば、家事、育児、特に子育てですけれども、その全般的なものを僕がやらざるを得なかったという、これは偶然でしたけれども、僕がやり始めたのは今から十二、三年前でした。
 そのころ、例えば厚生省がつくったSAMの育児をしないお父さんをパパとは呼ばないというようなああいった広告はありませんでした。ですから、僕自身の意識が、僕自身も結婚して子供ができたら男も子育て、家事に参加すべきだというような意識があったわけではありません。偶然、そういった状況にたまたまたたき込まれたというだけなんですね。だから、僕はそれはラッキーだったと今言っているんですけれども。そういった状況で始めた子育てなんですけれども、そのことが僕にいろんなことを教えてくれました。
 ですから、そういったことを僕の場合は非常に具体的に経験しておりますので、それをどういうふうな形で皆様の前で何かの参考にでもなればと思ってこういったところで話す機会というものが最近多くなってきたんですけれども、僕なりになぜ少子化が進むのかということを、ちょっとどのようにそれが見えるのかということをまず最初に話してみたいと思います。
 今、岩男先生それから椋野先生のおっしゃったことというのは僕も本当に全くそのとおりだと思っております。例えば、岩男先生の「当然または必然から選択肢へ」、それから椋野先生のレジュメにある「個人の生き方の多様性を制約する対応をとってはならない。」、それから子育てを改善するための「特効薬はない。」、それから「男女共同参画型社会へ。」、その男女共同参画社会への一つのステップとして「特に男性の家庭や地域への参画促進。」、こういったことというのはもう全面的に賛成です。なぜそういう考え方になるかということを自分の経験に即して具体的に話してみたいと思います。
 なぜ少子化というものが進んだかということなんですけれども、僕の母親世代の女性は、当然または必然でした。結婚適齢期が来たら結婚するというのが社会的な暗黙の了解というか、そういったプレッシャーがあったと思うんですね。そして、女性が結婚適齢期に来たら結婚せざるを得ないという状況でした。これはほかに余り選択肢はなかったですね。そして結婚したら、今度は子供が産める人でしたら子供を、子供はまだかまだかとおじいちゃんおばあちゃんから言われて、これもやっぱりプレッシャーとして物すごく強くあったと思います。ですから、これはやっぱり女性が結婚して子供を産むというのは必然だったし当然だったわけですね。
 それが、社会の家庭の形態がどんどん変わってきました。そして、一九五〇年代、核家族というものが進みまして、それから団地の広がりによって、四人とか五人の家族が小さな団地という箱の中に住むという形態に変わってきました。それによって地域共同体というものが消滅していきました。そういった流れの中で、昭和五十年代になってきますと、女性の社会進出というものが進んできました。すると、女性が経済的な基盤を持てる、そうするといろんな生き方が可能になってきました。それから、もっと社会が進むと、いろんなコンビニ、それから外食産業というものができてきました。
 昔、女性も結婚せざるを得ないという選択肢しかなかったんですけれども、男もそうだったと思います。女性は結婚することによって経済的なものをカバーしてもらう。そして、男は身の回りのことができないんですね。日本の男というものは伝統的に男子厨房に入るを恥じるというような言葉がありまして、自分で料理もできなければ、例えばどこかの俳優は靴下もはけないと、そういった状況だと生活が困っちゃうわけですよ。生活の困る者同士が当然のように結婚して、結婚してようやく一人前になるというのが昔の状況だったと思うんですけれども、それがいろんな生き方が可能になってきたのが昭和五十年代以降。女性が経済的に自立していれば女性が結婚しなくても一人で生きていけるというのもこれも選択肢の一つです。結婚して夫婦になったんだけれども子供はつくるのはやめようというのも選択肢の一つとして成立してきました。それから、私は夫は要らないけれども子供だけは欲しい、シングルで産み育てたいという選択肢も可能になってきました。そして男の方も、別に一人で暮らしていても生活に何も困らない、食べたいものがあればコンビニに行って買うことができる、おなかが減ったらファストフードで食べることもできるという状況ですと、あえて結婚しなくても男も女も生活が楽に成り立ってしまうわけですね。
 そんな中で、女性が、さあ結婚をそろそろという年齢になったときに結婚するメリットはあるのか考えます。頭の中にメリットとデメリットを箇条書きしたときに、デメリットの方がたくさんあるなと思い込んでやっぱり思ったと思うんです。
 それは、僕の母も実は働いていました。うちの両親は電電公社だったんですけれども、同じ時間に朝出かけていって同じ時間に帰ってくるような時間のパターンでした。その中で、僕と兄の世話をしたのは全部母親でした。同じように働いていて、家事、育児は全部母親がやっているという状況を僕は見ながら、何て不合理なんだろうと思いました。これはちょっとおかしいんではないかということを子供ながらにずっと思っていました。
 僕は男でそう思っていましたけれども、これが女性がそれを見ていたら、女性が結婚しても働きたい、働いていながらなお家事、育児を全部やるとしたら、結婚するメリットって余りないんじゃないかというふうに女性が考えるのはこれは当然のことだと思います。それから、結婚しようと思っていろいろ考えたときに、メリットとデメリットとどちらが大きいだろうか、デメリットの方がたくさんあるなと思ったら当然女性は結婚という選択肢はとらないと思います。
 ここで、もしもそういった女性がデメリットをいっぱい頭の中に思い浮かべたとしますけれども、そんなデメリットを吹き飛ばすようなメリットを提示できる人間、男が登場したら、女はやっぱり考え方が変わると思います。そういったメリットをがんと提示できるようなたくましい男が今育つような社会になっているのかということなんですけれども、これがまた再生産になってしまうと思うんですね。
 要するに、昔の、ここにもちょっと書いてありますけれども、男は外で働いて女は家を守る、こういった図式を当てはめてしまうと、どうしても過保護なお母さんが出がちなんですね。家にいて自分のエネルギーをすべて特に男の子に注ぐ。そうすると、お母さんというのは、男の子をトレーニングさせるという意欲よりもやっぱり守るというような保護の傾向をとりがちです。本当はお父さんがいて子供を、特に男の子なんですけれども、たくましく育てるという観点を持つお父さんというものが、外にばかり正面を向けているのではなくて家庭に正面を向ける必要がある程度あると思うんですけれども、それが全く企業戦士として家庭に背中を向けていると、家の中でたくましい男の子を育てようというそういった要素が全くなくなってしまうと思います。そうやって育ってきた男が結婚適齢期になって女性の前に圧倒的なメリットを提示できるかと、これはできないと思います。
 これはやっぱり再生産の構造だと思うんですけれども、こういったものをどうやって変えていくか。僕は、今言ったように男女共同参画、これを実現させるということがある程度家庭の中にたくましさを持ち込む方法、一つの具体的な方法だと思っています。
 そうやって育ってきた男の子が、父親から例えば森に連れていかれて本当のナイフの使い方、安全なナイフの使い方、人に向かって向けるというのは危ないというようなきちっとしたナイフの使い方を教わるというのは、一つそこでたくましさというものを身につけることだと思います。そういったことをやるのは、やっぱり僕は傾向としてはお父さんの方があると思います。
 僕のことを言えば、僕は小学校からオートバイの乗り方を母親に教わったような、うちのお母さんの方がどちらかといえば男っぽくて、お父さんは、そういうことをやろうとすると、おまえ、危ないからやめろと言うようなお父さんだったんです。僕の場合、両親はちょっとキャラクターが逆転していたんですけれども。そういったのはちょっと例外としてやっぱり傾向としては、お父さんがなるべく子供に、ちょっと危険なことを課して、それをクリアできるかどうかを見て、そしてたくましさを身につけさせるというのがお父さんの役目じゃないかと思う。
 そういったメリットを提示できる男があらわれれば、女性ももう少し結婚というものに夢を抱けるんじゃないかなと思うんです。
 僕は、去年、NHKのスペシャル番組、少子化の時代がやってくるという番組に出まして、そこには一般の方が数十人いらっしゃっていたんですけれども、独身の方、それから結婚はしたんだけれども子供は持たないという方、それから結婚して子供は産んだんだけれども一人でたくさんだという方がいらっしゃっていました。そして、僕はそういったゲストの方々といろいろお話ししました。
 その中で、一つポイントとなるような言葉というものがそこで僕は浮かんだんですけれども、それは現状維持だということでした。一人一人聞いてみると、要するに今の生活を変えたくないという感じなんですね。一人で暮らしている方。結婚にはやっぱりエネルギーが必要です。女性に自分の思いを伝えて、男女であってもお互いに伝え合ってコミュニケーションを交わして相手の心を自分の方に持ってこなくちゃいけないという、やっぱり物すごくエネルギーが必要です。パワーが必要なことです。そういったことって、やっぱりかなり面倒くさいかもしれないですね。あえてそういうことをやろうとしない。なぜだと言うと、だって今のままで十分だよというような答えがやっぱり返ってくるんですね。
 結婚したんだけれども子供は要らないという方、これもやっぱり同じようなものでした。今結婚して私たちは夫婦でおもしろおかしく自由にやっている、あえて子供を持つ必要なんてないと言ったりします。それを一歩踏み越えて子供を一人産んだ方、もう一人で大変だと、子供が一人いるだけでも大変なのに、二人、三人なんてとんでもないことだと言ったりします。
 僕は子供が娘二人いるんですけれども、子供というのは一人よりも二人の方が圧倒的に楽です。二人よりも三人の方がもっと楽です。一人だけだと、子供というのはほっておくことができないんですね。だから、両親がちょっとお買い物に行く、おまえ留守番しておいてと言っても、一人だけだと子供はだめです。行かないでということになります。これが二人、三人いると、平気でお父さんお母さん行ってきていいよということになりますから、ある程度年をとってからだと子供は二人、三人いた方が絶対に楽です。
 そのNHKの会場の方に僕はそういうことを言ったんですけれども、皆さん、この中で僕が思ったのは、やっぱり今の生活を崩したくないというその思いなんですね。現状を維持したいというか、現状を打破するのがやっぱり怖いと。現状打破が怖いという感覚は、やっぱり僕はたくましさの欠如だと思いました。人間というのは生活をしながらどんどんそれまでの生活を僕は変えていくべきだと思う。いろいろ環境を変えながら。
 ある一定のルーチンというものに当てはまって、はまってしまってそれをずっと繰り返すというのは、僕は余りそういった生き方というのはしたくないなと実は大学のころから思って、一か八かで小説家になろうというようなことを思ったんですけれども。僕はどちらかといった場合、苦手なタイプだったものですから、いろいろ自分の生活のスタイルというものをそれなりに変えてきました。そして、僕自身の経験でいえば、その変えるきっかけとなった言葉というものもありました。
 僕は初恋の女性と結婚しまして、結婚した当初はそのNHKのゲストに来た人と同じようなことを考えていました。適当に妻と仲がよかったものですから、二人だけの生活もいいんじゃないかと、子供がいなくても我々は十分楽しいんじゃないかと思っていました。ところが、僕が作家修業をしていたシナリオ・センターというところの先輩が、鈴木君、子供産まないのと聞くものですから、いや、二人だけでも十分楽しいんじゃないと言ったんですね。そしたら、その先輩が、あのね、子供って生まれたらもう生まれる前の生活が考えられないほど充実してくるよと、もう顔をきらきら輝かせて言ってくれたんですね。僕は、ああそうなのかと思いました。本人がそういった豊かな表情を見せて僕に、子供を産む生活というのは楽しいんだよと言ってくれたんですね。それで、何となく僕もじゃちょっと産んでみようかという気になりまして、それで長女が生まれ、僕はその世話に追われる生活になったんですけれども、そういうことというのは非常にあると思います。
 ふだん日本の社会の中でどんな雰囲気が流れているか、これが物すごく大事だと思います。子供が生まれたらもう自由はなくなり、やりたいこともやれず、つらいことばかりよとみんなが言えば、次世代は子供はやっぱり産まなくなると思います。
 僕は、今全国いろんなところに行って講演活動というのもやっているんですけれども、大体少子化の問題、それから男女共同参画の問題に関して話すことが多いです。
 この前、僕は、子供、娘を二人育てて、おかげで作家としてデビューすることもでき、そしてベストセラーも出してもうハッピーなことばかりなんですね、ですからそのハッピーな顔をみんなの前で見せながら講演活動をすると、あるときこんなお手紙をもらいました。
 鈴木さんの講演を聞く前、私たちも夫婦だけの生活がいいんじゃないかと思って子供は産まないと思っていたんですけれども、鈴木光司さんの講演を聞いて、ああ産んでみようかなという気持ちになりました、そして今妊娠四カ月ですというような女性からの手紙をもらったりとかしました。
 ですから、なぜ少子化になってくるのか、我々の上の世代が結婚というものに本当に満足していたのかどうかということをやっぱりきちっと考える必要があると思うんです。特にうちのお母さんの世代ですね。僕は母親から愚痴ばかり聞いて育ちました。こんな夫と結婚して私は損したよというようなことばかり言っていたんですね。僕は、その怨念を受け取っているわけですよ。いかにして女性がきちっと働きやすい社会にするかということが母親の怨念を晴らすことだと思っています。ですからこういった場にいるんじゃないかと思うんですけれども。
 僕なんかが雑誌それからいろんなところ、マスコミに出て、結婚はすばらしいよ、結婚は人生の墓場ではない、人生の墓場なんという言葉があるからだれも結婚にあこがれを抱かないじゃないですか。それから、子供が生まれたらもう自由が全く奪われるというマイナスのそういった言われ方というものが物すごく多過ぎるんですね。
 僕はあっちこっちで本当に、実際子育て支援策でいえば保育園というものから物すごい恩恵を受けました。僕の娘たちが保育園に預けられなかったら、僕は執筆活動というものに物すごく支障を来したと思う。実際今デビューできていたかどうかもわからないくらいだと思う。子育て支援策というのはそういった意味で物すごく必要だと思います。
 そして、それを受けて豊かな子育てをした人間が次世代に向かってその豊かな顔をきちっと、豊かな表情を見せることによって、次世代がまた、そうか子供を産むというのはそんな楽しいものなのかというふうに変わって、さっき言ったように、たくさんある選択肢の中から自発的に、新しい未来に新しい命を生み出そうという気持ちが自発的に生まれてくるというのが僕は自然の流れだと思います。
 少子化問題といっても、ただ高圧的に産めよふやせよということではなくて、今ある社会に何か不備があるとしたら、それを改善することによって、その結果として出生率というものがちょっとでも上がる、要するに社会がよりよくなるというものが数字としてあらわれてくるような、そういった関係に持っていくのが僕はこの問題の正しい進め方なんではないかと思っております。
 以上です。
#9
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑は午後四時ごろまでをめどとさせていただきます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 なお、岩男参考人は御都合によりまして午後三時十五分ごろ御退席されますので、この点御留意の上質疑をお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
#10
○田中直紀君 きょうはどうも三先生ありがとうございました。
 自由民主党の田中でございます。ちょっと思いつくままに質問をさせていただきたいと思います。
 椋野先生の九ページに、子育て支援策ということで、大変項目を並べて子育て支援についての要望の強さの比較が出ているわけでございますが、一つ、職場の育児休業期間中の賃金の保障等も含めて、諸外国では仕事を分けてやっていくという習慣、ジョブシェアリングというんでしょうか、という制度を取り入れて、これは職住接近していかなければいけないわけでありますけれども、そういう制度を取り入れながら、子育てをしながら仕事についていくと、こういう諸外国の制度が大変進んできて子育てに非常に有効であると、こういう報道があるわけでありますが、その辺の職場での対応といいますかを伺いたいということと、当然、保育所の問題が大変取り上げられて今集中的に予算化をしてきているわけでありますけれども、もう少し足りない点、強く要望があるという点についてお伺いをしたいと思います。
 それから、教育の問題でありますけれども、確かに一人、二人というところまでは当然計画の中にあるけれども、三人、四人ということになると教育費の問題が大変かさんでくるといいますか、今の受験戦争の我が国の教育環境で子供をふやしていくということは非常に大変だ、こういうことでありますが、その点をどういうふうに解消していったらいいのかという点を伺いたいと思っております。
 それから、岩男先生が御指摘の、いわゆるバリアフリーの法律が今回審議をされ成立をするわけでありますが、御指摘のように、確かにバリアフリーという問題については相当認識が深まってきておりますけれども、子供さん方を連れて行動する、生活をするという中で、こういうものをどんな形で、無制限に広げていくわけにはいかないわけでありますけれども、これから公共施設の中に当然エレベーターなりなんなりをどんどん整備していこう、こういうことで予算化をしてくるわけでありますけれども、どういうふうに織り込んでいくことが、そこにうまく当て込んでいけるのか、そういう点をお伺いいたしたいと思います。
 思いつきで大変申しわけございませんが、以上です。
#11
○参考人(椋野美智子君) まず一点目の職場の問題でございますけれども、先生もおっしゃいましたジョブシェアリングと申しますか、私は、八ページにオランダのパートタイム就労政策を一つの示唆を得られるものではないかと思いましてつけましたけれども、同じような考え方ではないかと思います。
 オランダでは、フルタイム就労とパートタイム就労の就労時間による雇用条件や社会的保護の格差をできるだけなくす方針を打ち出している。日本の場合、パートとフルタイムというのはいわば身分の差のようなことで雇用条件や社会的保護が違っているわけでございますけれども、そうしますと、なかなか子育て期間だけ就労時間を短くというふうなジョブシェアリングが難しくなってまいります。このような雇用条件、社会的保護の格差をなくしていくということが一つジョブシェアリングが本当に効果を発揮できる前提ではなかろうかと思います。
 それからもう一つ、日本の場合は制度があってもなかなかとりづらい。例えば、育児休業はもう制度はあるわけでございますけれども、とってない方の半分は職場の理解ということ、同僚に気兼ねをするというようなことでとっておられないというようなのがございますので、先ほどの九ページの子育て支援策のところでも、育児休業期間中の賃金保障充実や休業期間の延長というよりは、まずは子育てに理解のある職場環境の整備の方がはるかに要望が高いと。制度を使えるような意識改革というか職場の理解ということもこのジョブシェアリングを進める上でもやはり非常に重要なポイントではなかろうかというふうに思います。
 それを進めていく上では、やはり女性だけの問題ではないということで、例えば育休でも、今男性が育休をとっているのは一%に満たない程度ですけれども、男性も育児休業をとっていくというようなことで、男女ともそういう働き方を可能とする、ジョブシェアリングは子育てだけではなく、御承知のとおり高齢者の働き方の一つの選択肢でもございます。そういう形で広く、女性の子育てに限らないジョブシェアリングのあり方を打ち出していくのが子育て支援にもつながる重要な方策ではなかろうかと思います。
 二点目、保育所の問題ですけれども、いろいろとかなり政策的に力を入れておりますけれども、やはりまだ不足しているのは大都市圏であり、それから特に小さいゼロ歳、一歳、低年齢児の保育でございますし、それから子供はどうしても病気をしますので、その病気のとき。あるいはもう一つは、専業主婦の方々でも二十四時間毎日子育てに拘束されているということで非常に負担感がある。それこそ子育てを楽しむゆとりを失ってきているというようなことがございますので、そういう専業主婦の方も使いやすいような一時保育、このあたりがなかなかまだ進んでいない、足りないところではないかと思います。
 それは、どうしても、例えばゼロ歳ですと、子供三人に保母一人というような状況ですと、子供のニーズがちょっとふえるだけで保母さんの人数を変えなければいけない。なかなか今ニーズがあるからすぐ対応するというのが難しいところもございますし、病児保育も、非常に大きな集団ですと統計的にどれぐらいというのはわかるんでしょうけれども、保育園ごとですと一体いつ何人来るのかわからないということで対応が難しいというようなこともあるかと思います。
 それから、専業主婦の子育て支援についても、やはり小さい単位ですとどれぐらいニーズが出るのかが見えにくくて、その分の人の手配がしにくい。どう従来の形だけにとらわれないで柔軟な保育サービスを提供していけるかということが一つ考えなければいけないことではないだろうかというふうに思っております。
 それから、教育費の問題、おっしゃるとおり、理想の子供数を持てない理由として経済的負担、特に教育費の問題が高く上がっております。
 これにつきましては、未婚率の上昇の原因の一つとして、最近子供の自立が遅くなっているのではないか、子供というか成人した子供が親離れしない、親の方も子離れしない。この成人した子供が自立しないことが未婚率上昇の原因の一つというような指摘もございまして、そういう観点から考えた場合に、大学の教育費用、さらには披露宴の費用まで親がかりというような、そして子育ての費用が際限なく膨らんでいる。このあり方自体を見直す必要があるのではないか。
 そうしますと、教育費の負担を軽減するのは、親の負担を軽減するというよりは奨学金のような形で子供に補助というかをし、そもそも子供が負担する、負担できない子供をどう支援するかと。親の子育て負担から教育費用の負担、特に大学の教育費用の負担は切り離すというような方向で考えていくのがいいのではないかというふうに考えております。
 以上、三点でございます。
#12
○参考人(岩男壽美子君) 高齢者、身体障害者等の公共機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律案ということでございますけれども、この法律自体は本当にいい法律といいますか、社会全体がバリアフリーになるということは本当に望ましいことで、とてもいい法律を出してくださったというふうに感謝をしております。
 ただ、先ほども冒頭で、少子化対策としていろいろ考えることは日本全体をすべての人にとって住みやすい社会にしていくことというふうに申し上げましたけれども、したがって同じ考えで、特定の人たちだけに限定しないで、高齢者、身体障害者等というふうに限定しないで、公共機関を利用した移動の円滑化というそのことだけでよろしいのではないだろうかというふうに私などは考えました。
 それから、むしろ私が申し上げたかったことは、若い人たちが子育てをしながら暮らすには決していい社会にまだなってないんだというそういう気持ちを非常に強く持っているわけですね。そういう意味で、社会全体のあり方に対する不信感のようなものがあるわけですけれども、それを払拭するために、やはり目に見えるような形で、しかも繰り返し繰り返し、社会全体としてこういうふうに支援しようとして考えているんですよというメッセージを機会あるごとに送り続けるということが必要ではないか。そういうふうに考えたものですから、ここでも同じように、これは少子化にも、子連れで移動するのにも非常に容易になるんですよというそういうメッセージが伝わるといいんじゃないかなというふうに思って申し上げただけでございます。
#13
○田中直紀君 どうもありがとうございました。
#14
○堀利和君 民主党の堀利和といいます。
 本日はありがとうございました。
 端的に質問させていただきますが、岩男先生の方に、地域コミュニティーの崩壊あるいは家庭の崩壊、さまざまに言われておりまして、町づくりの面にも出てくるんですが、住宅の問題で、例えば鉄筋コンクリートの中で暮らしている人と木造の家で暮らしている人、小中学校も最近そうなんですが、つまり、そういう意味ではだんだん団地サイズになって、マンションというふうになってきますと、住まいそのものが言うなれば隣近所と空間的にも密閉されてしまう。建物そのものが構造的にそうなってきているわけです。
 その場合の子育てとの関係で、核家族という場合、その辺の親の子育ての際の心理状況、このことというのは、私は家のつくり方、構造そのものに問題というのが出てくるんじゃないだろうかという意味で、心理学的な意味で、そういう意味での住まいの構造のあり方、町づくりというよりもっと、まさに住まい、家のつくりそのものですね、この辺についてどんなふうにお考えかお聞きしたいと思います。
 それから、椋野先生には、職場中心主義、まさにそれによって男は外で働き女は家で、あるいは共働き含めて職場中心ということ、男の働き方を変えないことにはどうにもならないわけなんですね。もう一つ、もう社会そのものの動きが当然、都市化、核家族化という、これはもう避けられない、将来の見通しというのはどうにも動かしがたいものがあります。
 私は、復古主義的に大家族論とか三代世帯がいいというふうには決して思っていませんが、やはり高度成長以降の都市化の中で、言うなれば子育ての際におじいちゃんおばあちゃんがいないといいますか、つまりお父さんと子供、お母さんと子供という関係で今日的に子育てが進められてくるわけですね。そういう場合に、コミュニティーということだけではなくて、やはり近所におばあちゃんがおじいちゃんがいたらいいなと。私自身の体験も言えば、やはり時々おじいちゃんなりおばあちゃんなりが家に来てもらうと非常にこれは精神的に楽になるというのもありますし、子供にとっても親子の関係だけでないという意味であるんですが、そういう意味での、もっと広い意味での働き方、単身あるいは転勤等含めた働き方について、子育て、おじいちゃんおばあちゃんの関係を含めてどういうふうにお考えなのかお聞きしたいと思います。
 それから、鈴木さんには、同じようなことなんですけれども、鈴木さんとお母さんあるいはお父さんとの話が出てきましたけれども、おじいちゃんと子供といいますか、おばあちゃんと子供ということが出てこないんですが、そういう意味でどんなふうに考えるのか。高齢社会ですから、当然近所にお年寄りの方がいれば、そのお年寄りと子供とがどうかかわるのかというのは、私は別に歴史を逆戻りさせようとかそういうつもりではないんですが、何かそういうところの高齢化社会、少子社会というところに一つの問題意識を持たざるを得ないのかなというふうに思うのですが、その辺ちょっとお聞かせください。
#15
○参考人(岩男壽美子君) ただいまのお尋ねでございますけれども、心理学者といたしましては、人間とは一体どういうものなのかということを始終考えるわけですけれども、考え方としては、例えば人間はもともと善なるもの、性善説をとるとかいろいろな立場がございますけれども、私は、実は人間というのは弱いものではないか、非常に誘惑に負けやすい、そういうものとして考える方がよろしいのではないかというふうに考えておりまして、人が見ていないときの行動をどこまで自分自身を律することができるかということは、実は私自身も甚だ心もとないところがございます。
 また、実は私、国家公安委員をしておりまして、いろいろと犯罪行為をする人たち等のいろいろな問題を考えることもよくございますけれども、そういうところで、やはり人間というのはもともと社会的な動物として存在することが望ましいような形になっているのではないか。つまり、子供と一対一というような形ではなくて、周りに人がいるということが意識できるような状態で一番うまく機能できるのではないか、こんなふうに考えております。
 確かに昔は三世代でもあり、それから隣近所の目が過剰にあったというようなこともありで、その一種反動も入っていると思いますけれども、プライバシーというようなことを非常に強く求めるという傾向が強まってきた。そして、戦後の住宅事情から団地に住む、コンクリートの家の中に住むというようなことがあり、そしてそこにお母さんと子供だけ、つまり父親は不在がちであり、それからほかの子供がいないということが多いわけですけれども、そういう状況で、いろいろとお話を聞いておりますと、やはり子供たちに聞きましてもお父さんがいないときはお母さんの怒り方が厳しいというわけなんですね。
 つまり、ほかの大人の目がないと、つい私たちは思ったままを子供にぶつけてしまう、ストレートにぶつけてしまうというようなことが出てきてしまうというようなことがあるわけで、これがやはり何かの拍子でかっとなってしまったときにそのまま感情を子供にぶつけてしまう。ですから、児童虐待、例えば床に子供を打ちつけたというようなお母さんが子供をかわいがっていない、あるいは愛していないということは決してないわけで、子供をかわいがるということと、それからあるときに思うようにならないのでかっとなることというのは全く矛盾しないんですね。
 そういうことからも、私は、やはりもうちょっと日本の家庭をオープンにするといいますか、このあたりがアメリカの家庭なんかとは非常に違うところで、コミュニティーの中で一軒一軒の独立した家屋がある意味で近隣の人たちにオープンになるといいますか、物理的にもオープンになることが多うございますし、それから心理的にもいろんな方が目配りをしてくださるというような意味でオープンになる。御質問にありましたような密室での子育てというものがやはり非常なストレス、ストレートな形でストレス発散につながっていくということが多いように思います。
 なお、専業主婦のストレスというのが非常に高いということ、つまり、働きながら子育てをするのも大変ですけれども、働いているときはある意味では子供のことを忘れて、私の経験から言いますと、忘れて仕事に熱中することができ、その部分解放されることがあるわけですけれども、そういう機会がないということは非常に大きなストレスになるということも加えさせていただきたいと思います。
#16
○参考人(椋野美智子君) 子供が育っていく上でおじいちゃんおばあちゃんの力というのは非常に重要で大きなものがあるというふうに思います。
 ですけれども、すべての子供がおじいちゃんおばあちゃんと一緒に、あるいは近くに住むということもなかなかできませんので、やはりそこは今の日本の家庭の姿を前提に置かずに、今、岩男先生もおっしゃったように、もう少し家庭が地域社会に対してオープンになり、そして地域社会にいるいろいろな世代の方たちが子供にもっとかかわっていくということが、おじいちゃんおばあちゃんが身近にいない子供たちにそのかわりとなる子供に対するかかわりであり、母親や父親に対する子育ての支援になっていくのではないかと思います。
 もう一つ、けれども、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住むこと、あるいは近所に住むことを選んだ方が、仕事の都合でそれが続けられないという場合もございます。それについては、やはりもう少し、今のいつでもどこでも職場の都合最優先というこの働き方を変えて、とにかく外国でも遠隔地でも行かなきゃいけないということではない働き方を可能にすることによって、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に、あるいは近くで暮らしたいという方はそれを選べるようにするということももちろん重要だと思います。
 今でも地域限定社員というような扱いをするのもあるようですけれども、そうするともうそれはそのコースというようなところが多いようでございますので、一定の期間遠隔地への転勤はない働き方をし、またそれが可能になったときにはそういう働き方に変わるというふうな、もっと柔軟に働き方を選べ、一たん選んだものも変えられるというような、そういう多様な働き方、柔軟な働き方を可能にするのがもう一つの方策だというふうに思います。
#17
○参考人(鈴木光司君) おじいちゃんとかおばあちゃんとかのかかわりに関してですけれども、僕は、例えば明治時代あるいは江戸時代とかどのような家庭の形態だったのかなと考えてみたりとかよくします。
 すると、その時代というのはお父さんとお母さんが直接に子供を育てていたのだろうか。というよりも、例えば農村だったりすると、子供を育てていたというのは直接お父さんとかお母さんではなくて地域共同体だったと思います。その地域共同体の中には、おじいちゃんもいればおばあちゃんもいれば、そして出戻りのおばちゃんもいれば、もういろんな人がいると。その中で子供が自然に育っていくという環境があったと思います。
 そして、お父さんとお母さんは、例えば農村の場合だったりすると二人とも労働力だったと思います。農作業に一生懸命精を出すわけですね。そんなお父さんとお母さんが働いている中で自然にその共同体の中で育てられるというのが、どのくらいまでそういった状況が続いたのか僕はよく把握はしていませんけれども、昔はそうだったと思います。そして、ある武家階級だったりすると、それがそういった共同体というよりも乳母さんみたいな存在がいて、それが子育てというものをやっていたと思うんですね。ですから僕は、お父さんとお母さんが直接子育てをやり始めたというのは非常に歴史的に浅いんじゃないかなというふうに思っています。
 そして、その地域共同体、要するにおじいちゃんとかおばあちゃんとかを含む地域共同体というものの消滅ということが今の問題と非常に深く結びついているとすると、今僕は文部省の中央教育審議会の専門委員もやっているんですけれども、そちらの文部省の方でこういった意見というのも出てきたりします。要するに、核家族化、それから団地化によって消滅した地域共同体というものを、文部省のリードのもとに形を変えてそれをうまくもう一回つくり上げることはできないかどうかということですね。
 その中でやっぱり生かされるというのは、近所にいるおじいちゃんやおばあちゃんなんです。自分の血のつながったおじいさんおばあさんではなくて、その辺の近所のおじいちゃんおばあちゃん。それからちょっと時間をもてあましているおじさんとか、それからおじいちゃん、おばあちゃん、こういった人たちの力をうまくかりて子供たちがいろんな世代から学べるような場をつくれないかと。僕はその案自体は非常にいいんじゃないかと思っているんですけれども。
 おばあちゃんというものは、特に僕は、女性というものは地域というものをつくったときにすぐ参加してくれるような気がするんです。いい例が、公園デビューとかいって公園に母親たちが集って一つのコミュニティーみたいなものをつくってしまうんですけれども、僕は、なるべくそういった地域共同体を文部省がリードしてつくるときには、特にお父さんの力というものをうまく取り入れてもらいたいなと思うんですね。
 今僕がちょっと問題だなと思うのは、PTAというものがほとんどお母さんというのはかなり問題じゃないかと思います。もっとお父さんがどんどん参加するようになったとき、そしてお父さんとお母さんのそれぞれ異なったキャラクターが、あるときは議論を闘わせ、あるときは互いに妥協し合って、そしてそういった違うキャラクターのぶつかり合いの中からいろんな多様性というものが生まれてくる。
 それから、地域共同体をもしつくるとしたら、そういったところにおじいちゃんおばあちゃん、それからもうちょっと年下の世代、いろんなものを入れて、そしてそういった世代を超えたキャラクターの差みたいなものを子供が感じ取って、いろいろと自分の独自の判断力によって決定していくというような場というのは必要じゃないかなと思ったりします。
 そして、ただ、今僕らの同世代の人間に子供が生まれたと、もうちょっと僕らなんかより若い世代ですけれども、親と同居しないと子育てが不可能だという状況だと僕はこれはまずいと思います。基本的におじいちゃんおばあちゃんの全面的な手助けがなくても子育てというものが成り立つというのがやっぱり僕は社会の基本だと思います。
 僕は、僕と妻と娘二人の典型的な核家族なんですけれども、一DKのマンションに住んで子育てをやっておりました。そして、うちのおじいさんおばあさんというのは、僕は出身は浜松です。浜松というのは新幹線で二時間もかからない距離です。基本的に両親と同居しなくても、保育園に預けてどうにかやりくりして、朝の九時に預け、夕方の六時に迎えに行くというやり方で基本的には生活が成り立っていました。
 ところが、子供が病気になったりとかして、もう一週間ぐらい僕が子守をせざるを得なくなったときはSOSで実家に電話して、おばあちゃん、ちょっと手伝いに来てと。そうすると、もううちの母親は喜び勇んで出番だとばかりやってくるんですね。それから、妻のばあさんもいつでもスタンバイ状態です、そういったときは。それで私が行く私が行くということで、もう本当に子供の世話をしたくてしたくてしようがない。これはたまにやるから楽しくてしようがないんですよね、多分。もう取り合いになるんですけれども、そういった戦力が二ついたものですから、それはそれで本当に助けが必要なときというのは来てもらって手伝ってもらいました。そして、向こうも非常に喜んで帰っていくと。
 その前に、基本的には夫婦だけでどうにか子育てというものが成り立つというような社会に持っていくのがやっぱり理想だと思うんですね。そういった夫婦だけでも子育てが成り立つというのが理想なんですけれども、やっぱりいろんな世代の人間と接することが子供たちには必要だと思います。そして、そういった地域共同社会、一たん解消されてしまった地域共同社会を新しい時代に合うような形で再現するとしたら、その中でやはりおじいちゃんやおばあちゃん、そういった力というものはうまく生かされるべきだと思っています。
#18
○長谷川道郎君 きょうは、三先生方、大変御示唆に富んだお話をいただきましてありがとうございました。お伺いいたしておりまして、三先生方ともに物の見事に育児手当についてお触れにならなかったので、育児手当についてお伺いいたします。
 少子化の問題点というのは、一つには未婚率の上昇、そしてもう一点は理想子供数が欲しいけれども実際は二・二一人しか生まれない。このギャップは、子育てが大変だ、経済的に、肉体的に、精神的に子育てが大変だと。こんなに私は問題点が鮮やかに明白になっている政策課題も珍しいと思うぐらいはっきりしていると思うんです。
 ところが、ややもすると私どもの議論は、それじゃ児童手当をという議論が、中心ではありませんが、やや大きな部分で語られている。私は児童手当、今、月額五千円とか一万円とかという手当、これはさっき申し上げた鮮やかになっている問題点から見れば全くピント外れ、問題点の核心をかすりもしない私は政策だと思うんです。例えば、じゃ五千円もらえるから私、子供を一人つくろうかしらなんというそういう方はまずいらっしゃらないと思う。政策的なインセンティブ、金銭がインセンティブになるとすればこんなにむだな政策はないと思う。
 そこでお伺いいたしたいのは、児童手当制度をどういうふうに評価をされるのか。もしもこれを例えば何らかの形でもって形を変えるとすればどうするのかという点についてお伺いいたします。
#19
○参考人(岩男壽美子君) ただいま御指摘がございましたように、五千円の児童手当がいただけるから子供を産もうなどという人はまずいないだろうと思うんですね。つまり、本当に子育てにお金がかかるその部分を政策的にカバーしていただくとすれば、半端なお金ではないということになるわけで、このようなことはまず不可能だろうと思うんですね。
 ただ、子供が生まれたばかりの若いお母さんたちと話をいたしますと、税金で控除をするというようなやり方も現在とっていただいているわけですけれども、お母さん自身としてはお財布にお金が入っているとうれしいわねと、一万円でも二万円でも入っていればそれはそれなりに使うことはあるからと。何にお金がかかるのと言うと、直接的には例えばおむつとかミルクとかというのが返ってまいりますけれども、私はそのお母さんたちが、あるいは父親でも同じですけれども、児童手当を要りませんと言っているわけではないということは申し上げておきたいと思います。
 恐らく必要なことは、フランスの場合もそうですけれども、非常に多様なメニューなんですね。選択ができるような多様なメニューを提供する、その中にはかなり高額な手当も入っているというようなことで、ですからなかなか難しいと思いますけれども、手当も私は一つの対策ではあるとは考えております。
#20
○参考人(椋野美智子君) 児童手当の問題につきましては、九ページのさまざまな子育て支援策のアンケートの中でも、児童手当支給額の増額あるいは児童手当支給年齢の引き上げというのは必ずしも高い率では上がっておりません。少子化対策という観点からは、おっしゃるように、五千円もらったから、一万円もらったから産むかという観点でいくと、やはりさほど大きな効果があるとは考えられないと思っております。むしろ、経済的負担の軽減ということでしたら、やはり大学の教育費用が一番重いところですからそこを奨学金なりの形で外すとか、それから仕事と育児の両立ができるように機会費用を軽減するというような方策の方が大きいだろうというふうに思っております。
 ただ、児童手当制度そのものは、それで子供を産んでもらうというよりは、むしろやはり子育てをしている家庭としていない家庭の負担の公平ということがあろうと思いますし、もう少し大きく、高齢者への社会的な支援と子育てあるいは子供への社会的支援というのを比べた場合に、子供に対する支援が少し少ないのではないかという感じはいたしますので、そういうことも含めて総合的な観点から見れば、児童手当が意味のない施策というふうには思いません。
 ただ、これからどういうふうにそれを変えていくかということを考えるときには、低年齢のところの支援ということになりますと、一つは、育児休業中の方には二五%なり今度四〇%に引き上げられようとしている給付がございますし、それから、実際に仕事を続けている方は保育園への費用が公的にかなり助成をされているわけですので、一たん仕事を子供が小さい間にやめている家庭で保育している方への支援ということも考える必要があるのではないか。そういう低年齢の子供を育てている方にいろんな形でいろんな支援が行われています。その中で児童手当はどこを担っていくかというような観点も、ひとつこれからどう制度を変えていくかというときには必要ではないかと思っております。
#21
○参考人(鈴木光司君) なぜ少子化が進むのか、あるいはなぜあなたは子供を産まないのですかというような例えばアンケートがあったとすると、その上位の方に必ず入ってくるのが、子育てはお金がかかる、そして子供の教育費がかかるというようなことで、やっぱりお金のことというのはすごく多いと思うんですね。そうしますと、少子化の問題を解決するためにやっぱりお金というのはすぐこのアンケート結果から導き出せると思うんですけれども、これがまた僕は非常に複雑に入り組んでいると思います。
 僕が前にNHKの少子化問題の番組に出たときに、あるデータを見せられました。そのデータというのは、ある地方自治体が地方として少子化問題に取り組んでみたと、そしてやっぱりそういったデータを基本にして、子育てにはお金がかかるから子供を産まないという女性が多いというふうに判断して、子育て支援策としてこういった児童手当というものをばんとやったんですね。そうしたら、次の年、もっと出生率が下がった。全然上がらなかったんですよ。
 それで、これは一体どういうことなんだろうと僕なりに考えてみたんですけれども、例えば僕が結婚して子供を産もうと思ったときに、さあこうですよというふうに数字を提示されても絶対やっぱり産む気にはなれないと思うんです。僕がなぜ産む気になったかというのは、さっき話したと思うんですけれども、我々次世代の人間が子育てをやることによっていかに豊かな表情をしたかということ、これが物すごく大きいんですね。いかにそれによって輝いているかどうかということ、これが大きいんです。結婚したとき僕はフリーターの状態でしたから、もう本当にお金は余りなかったです。その中で、子供を産むとお金がかかるから子供を産むのはやめようなんということは全く思いませんでした。二人目を産むときも、もう貧乏のどん底でした。それでも、子供は別にお金をかけなくても全然育つと思っています。
 ただ、僕たち非常に貧しかったですけれども、もしその中で毎月ある程度のお金が入ってきたら、それなりにその瞬間はほっとするかもしれないですね。そして、その積み重ねの上で、子育ても一段落したその十年後に、次世代に、子育てってよかったよ、子供がいて僕の人生は本当に豊かだったよという顔が見せられるかもしれないんですよ。
 ですから、僕はこういった児童手当の問題というのは、さあ我々はこれだけの額を来年から出しますから子供を産んでくださいと言っても来年の出生率は上がりません。でも、その恩恵を受けて、どこかでほっと救われるような毎月毎月そのお手当をもらうことによって、その瞬間お母さんがちょっと満足を受ければ、その影響の積み重ねで、その十年先に、次世代に子供を産んでよかったわということが言えるかもしれないんですね。ですから、一年先、二年先の問題ではなくて、十年先、二十年先に僕はどのような効果を生んでくるのか、これはわからないと思います。
 今、我々日本の状況だったりすると、欧米、特に東欧諸国のやり方というものからいろいろ学ばなくちゃいけない。だから、例えばスウェーデンはこうこうこうやったら出生率がこう伸びたという、こうこうこうやったらというものが本当に出生率が伸びたことの原因になっているかどうかというのは僕はわからないと思うんですね。物すごくいろんな要素が複雑に絡み合って出生率が上がったり下がったりしているような気がします。
 その中で、お金を出せば出生率が上がるというのは本当に短絡的過ぎる解決法なんですけれども、これだけでは多分だめなんだけれども、だからといって、十年後、二十年後にこれがどういうふうな効果を生むのかわからないというふうに僕は思っております。
#22
○松岡滿壽男君 参議院の会の松岡です。
 お三人の先生、きょうはありがとうございました。
 まず、岩男先生と椋野先生にお伺いするんですけれども、先週、私どもは山口県と広島県に少子化対策の視察に行ってまいりまして、ゼロ歳児保育の現場を見たんです。これは大変だなという思いを持って広島に行きましたら、広島大学の学長さんが、子育てはやっぱり胎教と三歳児まで、これが一番大事なんだというお話をされました。そして、イズミというスーパーに行きましたら、女性が多いわけですけれども、育児休業三年ということと、五年間であれば再雇用ということに取り組んでおられまして、こういうゼロ歳児保育の問題と、それから実際に大学の学長さんがおっしゃったんですから、非常に胎教、三歳児までというのは大事な時期だろうと思うんですけれども、それとそれに対する育児休業のあり方についての御意見をお二人から伺いたいと思います。
 それと、椋野先生は養子の支援ということをおっしゃいましたけれども、これは具体的にどういうことなのか、お教えをいただきたいと思います。
 それから、いつか参考人の方に来ていただいて、山田先生ですか、パラサイトシングルという言葉が出まして、鈴木先生にちょっとお知恵をおかりしたいんですが、今一千万人未婚の男女がいる。確かに、独身税だとか親子同居税だとか、それはとんでもないという議論はあるわけですけれども、今その五百万組が出会って結婚するということになるともう大変ないわゆる景気対策にもこれはなるわけで、元気が出てくるわけですけれども、なかなか地方自治体もいろんなことをやっていますけれども、男女の出会いの場というのが非常に少ないんですよね。それでみんな苦慮しているようです。だから、作家的な一つの何か着眼点でもあれば、パラサイトシングル対策といいましょうか、それと、意外に男女の出会いの機会というのがやっぱり田舎に行けば行くほどないんですよね。で、固まっちゃっている、未婚の人たちが。
 こういうことについての何かお考えでもちょうだいできればというふうに思います。
#23
○参考人(岩男壽美子君) 胎教の重要性あるいは三歳児までの重要性ということを言われましたけれども、私はむしろこういう考え方が問題だと思っております。
 胎教のことについては、実は私は知りませんので、果たして胎教がどれだけの意味を持つのかということについては学問的な研究があるというふうにも私自身は余り思っておりませんけれども、そういうお考えの方もいらっしゃることは承知しております。
 むしろ、三歳児神話というふうに私たち心理学では呼んでおりますけれども、要するに三歳児までにすべての基盤ができ上がるんだと、人間の人格形成その他の基盤ができ上がるから、そこまでに母親が全責任を持って子育てをしておかないと後でいろいろな問題が生じるという、ある種のおどしのような形でもそれが使われているわけです。
 確かに、私は児童の発達ということを当初アメリカでも教えておりましたけれども、小さい時期というのは非常に大事であることは間違いないんですね。しかし、それはやり直しがきかないようなものであるというふうに思うことは大変危険だと思います。と申しますのは、何かうまくいかなかったときに、それは全部母親が問題である、母親がちゃんとした子育てをしなかったからというふうに母親を責めるということで、そこでまた育児のストレスというものを母親に課すというこういう動きになっているわけですね。
 そうではなくて、子供というのは本当にみんな違うんですね。三歳までのんびりして育つ子供もいれば、非常に早くいろんなことができるようになる子供もいれば、それはもう本当に違うわけですから、三歳児神話でもって、母親は三歳までは家に子供とべったりでいなくてはいけないというようなことを主張するのは大変私はマイナスだと思っております。それはむしろ少子化を促進する方向にしか働かないというふうに考えております。
 ですから、もっとリラックスして、みんなで子供を育てていくというそういう雰囲気をつくることに私はエネルギーを注ぐべきではないか。お母さんが家にいるからといって、先ほども専業主婦のストレスが大きいというお話をいたしましたけれども、別に家にいるからかえっていいのではなくて、接触の時間というよりも接触の質なんですね。ですから、一緒にいるけれども、年じゅうきいきい怒っているお母さんがいるということであればそれはむしろマイナスですし、それからむしろ専門家の手でそこは育てられた方がいいという場合も当然あるわけですね。
 ですから、そのようにぜひ一律にお考えいただかないようにお願いをしたいと思います。
#24
○参考人(椋野美智子君) 私も、全然児童教育なりの専門家ではございませんけれども、三歳児まで、子供の小さい間の教育が重要だということはもちろん、教育というか育て方が重要だということは恐らくそのとおりだろうと思います。
 ただ、それがだから母親が家庭で子育てをしなければいけないということになるかというと、そこは必ずしもそうではないのではないかというふうに考えております。母親だけではなくて父親、要するに女性だけではなくて男性も、子供が小さいうちから男性と接するということ、それから大人だけではなくてやっぱり子供と接するということ、これは今核家族で兄弟数が少なくなっていますと、母親が家庭で子育てをしているということは、子供の方からは母親としかほとんど接触しなくなってしまうということになりがちですから、むしろその問題もあるように思います。
 ですから、小さい間の子育てが非常に重要だということは、必ずしも母親が家庭で子育てをしろということではなく、保育園で育てることも当然含めて、要するに子供がいい育ち方をするような配慮というふうな意味であれば正しいし、そういう方向で施策は考えなければいけないものだろうと思っております。
 それから、育休三年間の問題でございますけれども、育児休業期間の延長は、先ほどから、この九ページのグラフでも必ずしもやはり要望は高くございません。といいますのは、聞きますと、人によりますけれども、三年間休んでいるとなかなか職場に復帰しにくい、制度的に保障されていてもなかなか戻りにくいということをおっしゃる方もいらっしゃいます。むしろ、三年間育児休業で三年たったらフルタイムというよりは、短時間勤務なりで少しずつ仕事も子育てもという形の方が復帰しやすいという方たちもおられます。
 もちろん、それぞれですから、三年間育児休業をとることができる制度の存在というのは意味のあるものですけれども、育児休業三年間の制度があるからみんな三年間育児休業をとって家庭で子育てしなさいということにならないように、そこの運用さえ留意していただければ、三年間の育児休業というのはその職場として非常に子育てに配慮したことではあろうと思います。
 それから、養子の支援についてでございますけれども、養子をいろいろな形で支援しているような民間の団体もございますし、それから私が一つ思いますのは、これは有識者会議の報告の中にも入っておりますけれども、今育児休業が一歳未満の場合にとれることになっておりまして、これは養子でも実子でもとれるわけですけれども、必ずしも養子は一歳未満の子供だけをするとは限りません。三歳なり四歳になってから、もっと大きくなってから養子をすることもございます。そういう場合に、例えば共働きの場合に、迎え入れたその日から保育所に預けて働いているということではなかなか親子の関係がつくりにくいというふうな話を聞きます。そういう場合に、一歳未満ではないけれども、養子を迎えて一年間の間は休業をとることができるというふうにしていただければ共働きの方も養子をしやすくなるのではないか、一つの方策でございますけれども、そんなこともあるのではないかと考えております。
 それから、私への御質問ではないんですけれども、パラサイトシングルのというか、出会いの場のことについてちょっと申し上げさせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
 やはり少子化でいろいろお話しするときに、出会いの場がないというふうなお話は伺います。短期的にはいろいろな方策があるんでしょうけれども、やっぱり私は長期的に考えると、男性が職場で、それも男性の多い職場、女性の多い職場、地域は女性の場というようなこの枠組みそのものが出会いを少なくしているのであって、いろんな今男性しかいないような職場にもっと女性も働けるし、女性の職場と言われているところにも男性も働けるようになれば職場で出会う機会もふえるでしょうし、職場が出会いの場にならなくても、地域でいろいろな活動を男女がすることができれば地域で出会うということもあるでしょうし、やはりそれぞれの場で男女がかかわっていくことが長期的に見れば出会いをふやしていくことになるのではないかと考えております。
#25
○参考人(鈴木光司君) パラサイトシングル同士の男と女をいかにして出会わせ、いかにして結婚させるかというようなことなんですけれども、僕はやっぱり、だからこそ男女共同参画社会というものが必要なんじゃないかというふうに考えております。
 これは、流れを話しますと本当に風が吹くとおけ屋がもうかるぐらい長くなるんですけれども、要するに、今の若い世代、男と女が出会ったとしても、どうも人と人との、人間と人間との関係を結ぶのが苦手な人が多いように僕は思います。特にこれは男の子が僕は危ないんじゃないかというような気がすごくしているんですね。
 今、僕、娘が二人いて、娘のことはよく観察していますけれども、これ例えば日曜日とか休みの日、居間でごろごろとしていますと、自然に母親の方に行きます。母親の方に行って情報をねだるんですね。お母さんお母さん、編み物の仕方教えて、それからケーキのつくり方教えて、料理のつくり方教えてと。僕ができるのはオートバイの乗り方であったりとかヨットの乗り方であったり格闘技であったりとかなんですけれども、僕の方には何にもやっぱり女の子だから情報を教えてというふうには来ないんですね。
 さて、これがもし男の子だったらどうでしょうということになります。女の子は、やっぱり日本の家庭というものは、母親は基本的に家庭に正面を向けていますので、母親から娘への情報伝達はスムーズにいきます。そして、その情報伝達をもらった女の子たちというのは余り心配することがないんですね。せいぜい道を踏み外したとしても援助交際をやるとかそのぐらいでとまるかもしれない。ところが、男の子が危ないじゃないですか。今いろんなシビアな問題を起こしているのはやっぱり男の子なんですよ。
 じゃ、今言ったような状況が家庭の中でどうなっているのか。パパがいるにもかかわらず家庭に背中を向けているわけですよ。企業戦士として外にばかり出ている。家の中で子供たちと向き合う時間というのは欧米諸国と比べると圧倒的に少ないです。十何分という少なさですね。向こうは二時間とかそのくらい平均時間あると思います。やっぱり極端に僕は少ないと思う。
 そうすると、男の子がどうなるか。オートバイに乗りたい、パパ教えてよ。僕だったら教えますよ。でも、面倒くさい、おれは接待ゴルフがあるからそんなことやっちゃいられないということで、いない。そうすると、全部男の子がやりたいもの、この情報が父親からの流れがシャットアウトされてしまう。
 そうするとどうするか。母親がそれはオートバイの乗り方を教えるわけにはいかない。すると取り上げざるを得ない。オートバイに乗っちゃいけませんよということになる。すると男の子はどこに向かうんですか。一人で閉じこもるしかないですね。だから、今のテレビゲームの市場というのは、あれは圧倒的に男の子なんですよ。そうやってテレビゲームの世界にぱっとはまり込んでしまって、人間と人間との関係を結ぶということが苦手になった男の子、この男が成長したとき、女性との関係、特に異性との関係をきちっと結ぶことができるのか。何となくうざったいなとかなっちゃいがちなんですよね。
 今、いろんなアンケートというのが週刊誌に載っていますけれども、別に結婚しなくてもいいや、恋愛するの面倒くさいやというようなやっぱり男の子というのがふえています。これは今言った理由だと思うんですね。父親からの情報伝達が成り立っていないんです。だから、これを変えるためにどうしたらいいのか。
 僕は、なるべくお母さん、もうちょっと家庭の外に出てください。別に経済的な活動をしようということだけではありません。何か社会的なボランティアに精を出してもいいし、何やってもいい、地域共同体のお仕事に精を出してもいい。家にいて自分のエネルギーをすべて男の子をガードするためだけに使うこのエネルギーをもうちょっとほかの自分を生き生きと生かすための時間に役立ててくださいと。
 そうすると、家の中にちょっとすき間ができる。そのできたすき間に、お父さん、外で働き過ぎだからもうちょっと入ってよということなんですね。その入ることによって、お父さんが子供たちときちっと向かい合うことによってお父さんから息子への情報の流れというものが成り立ってくる。
 そうすると、男の子は楽になります。自分の世界が広がるんですね。そして、一人で閉じこもるという状況も変わってくるんじゃないかと思う。外に出る、新しい世界に出る。自分なりの力というもの、エネルギーというものをもらうことができると思う。それで、自分の力で新しい領域にどんどん踏み出していけばいい。たまには転ぶこともありますけれども、転んで痛みを知って、次は転ばないような方法というものを学べばいいわけですね。そして、そういう力を与えることによって、子供たちは、お父さんお母さんが死んだ後も自分たちだけの力で生きていく能力というものが身につくと思う。だから、僕は今物すごくお父さんの力というのが大事だと思うんですね。
 そういったことがやっぱり過去においてなかったものですから、男の子たちがどんどんどんどん閉じこもりがちになってくる。そして、そうやって育ってきた男の子がいざ結婚適齢期になっても、さっきも言ったように女性の前でメリットを提示できなくなるんですね。出会ったとしても、僕と結婚してという強い言葉で相手を説得するエネルギーを持ち得ないということになってしまう。だから、パラサイトシングル同士の出会う機会をふやすのは大事なんですけれども、その前に相手に自分の思いを伝える。
 僕の場合、最初、僕の妻は全然僕の片思いで、幾ら僕がプロポーズしても本当に無視されていました。でも、僕はどうにかコミュニケーションを交わして、体ごとぶつかって、横に振っていた首を縦に振らせたんですけれども、そういったエネルギーを本当に分けてあげたいくらいなんです。
 女の子は本当に伝統的に僕は安心して見ておれます。昔から実は女性というのは強かったんですけれどもね。本当に成熟した文明の中でほうっておくと弱くなっていくのは僕は男だと思っています。これをどうにかたくましさ、たくましさというのは僕はチャレンジ精神ということと大きく関係すると思うんですけれども、このチャレンジ精神をきちっと持っているような男の子に育てていくというのはそれなりの意識が必要だと思う。たくましく男の子を育てようという意識が僕は非常に必要だと思うんですね。
 そして、そのために具体的に何をするかということになると、さっき言った男女共同参画社会の実現ということになります。そのためには、なるべくお父さんであっても育児休業制度をもっととりましょうね、そしてゼロ歳からお父さんきちっとかかわりましょうねと。その流れが僕は将来的に女性の前にメリットを提示できる男を育てることであり、それがもうちょっと夢のある結婚というものを実現させる方法じゃないかななんて思っております。
#26
○松岡滿壽男君 ありがとうございました。
#27
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。きょうは本当にありがとうございました。
 三人の先生に伺いたいんですが、まず初めに岩男先生に伺いたいんですけれども、テレビと子どもの関係など大変心理学の立場から調査を深めていらっしゃると思うんですが、きょうはそれではなくて、こちらの少子化の問題ということで伺いたいんです。
 若い方たちの心理というのはなかなかつかみにくいというのがございまして、先生はいつも若い学生さんたちとも対話をしていらっしゃるというふうに伺いました。先ほどお話あったように、先日、山口、広島両県に伺ってまいりまして、山口の少子化の問題の調査でも、やはり若い人たちの九割近くが結婚したいと思っている、それから広島大学の学生さんでも八割は将来結婚したいと思っている、しかしそれがなかなか現実にはいかないんだという話がきょう三人の先生方からあったと思うんですね。
 それで、特に女性の意識の変化に対応して男性の意識の変化が進んでいないんじゃないかという話もありましたけれども、その要因を含めてもう少し伺いたいのと、男女共同参画の問題で、男性にとって大変メリットがあるんだというふうに先生はおっしゃっております。それで、子育ての面を含めて、男性にとって男女共同参画になったらどんなメリットがあるのかというのを伺いたいと思います。
 それから、次に椋野先生に伺いたいんですが、先ほど三歳児神話のお話がございました。平成十年版の厚生白書を読ませていただきまして大変感銘を受けました。その中で、三歳児神話は合理的な根拠がないというふうに言われておりますが、これまでいろいろな子どもの問題があると女性が働きに出るからだというふうに女性に肩身の狭いような思いがあったと思いますし、先ほど言われた高度経済成長期に、男性は仕事、女性は家庭という役割分業というのもあったということなんですが、この三歳児神話というのは、そういうものと歴史的な、今まではそれがあって、これがもし合理的な根拠がないということであれば、どんなふうに今後の国の施策に反映されていくものなのかということを伺いたいというふうに思います。
 それから、鈴木先生に伺いたいのは、私も多分先生と同じ世代、同じ年の生まれだというふうに思うんですが、男性の口からそういうふうに言っていただくというのは大変心強くて、今まで余りなかったような気がするんですね。それで、男性がそういうふうに家庭参加、育児参加をするとなると、逆に仕事の方を多少タイトにしていかなくちゃいけないという問題があると思うんですが、それでもなおかつ男性がかかわることが今の教育の問題など含めてプラスになるし、結婚もできるし、そして企業にとっても本当はプラスになるんだということで、何か御提言があれば伺いたいと思います。
#28
○参考人(岩男壽美子君) お答えをする前に、先ほどお二方からお答えがございましたことにちょっと補足をさせていただきたいと思うんですけれども、最近の学生さん、若い方を見ておりますと、傷つくことを非常に恐れるというような傾向が顕著なように思います。例えば結婚するというようなときには、二人の人間がある意味で自分自身をさらけ出して一緒に暮らすというようなことになるわけですけれども、そういうときにも、万が一傷つけられるのではないかというふうなことで、少し後ろへ引くというんでしょうか、そういう傾向が非常に強いように思うんですね。
 それはなぜなんだろうかということをいろいろ考えますけれども、なかなか答えがないんですが、一つは、やはり日本全体として失敗を許さないような社会をつくっているという、一言で申します、時間の関係で御説明できませんけれども、それがやはりすごくまずいのではないかということ。
 それから、長い間、人に迷惑をかけてはいけないということを日本では大変強く教えてきたと思うんです。しかし、人間同士が暮らすということはある意味でいろんな形で接触をし、お互いにそこから失敗もし、学ぶというようなことを身につけるというプロセスだと思いますけれども、そういう意味でお互いさまというような言葉が一方で死語になっていったと。私は、人間の社会というのはやはりお互いさまだというようなことがあって初めて二人の本当に親密な緊密な結びつき、結婚というのがその究極だと思いますけれども、そういうことが可能になるのではないか。そこで、何か失敗しないように、迷惑といったようなことにも拘束されるのかもしれませんけれども、距離を置くというような心理的な動きがあるのではないか、こういうふうに思っております。
 それから、女性の変化に比べて男性の変化の方が小さいのはなぜかということですけれども、それはやはり、大人になりますと、特に男性は多くの場合組織の一員になる、そしてそのままずっとその組織との関係で自分の生活の大半が決まってくる。そういうようなことで、学生のときは比較的自由に考えていろいろなことを申しますけれども、就職をしてしまうとなかなかそのようにいかない。
 ところが、女性は社会のある意味で周辺部分に置かれてしまっている。そういうようなことで、だめもとでとでも申しましょうか、自由に考えることができる。そして、自分自身の生き方というようなものを非常に早くから問い始めてきたわけです。これが、一九七〇年代から日本でもそういう動きがあちこちで見られた。女性の自立のための講座なんかが大変多うございました。そういうところから、女性は意識的に自分の人生をどういうふうにしていくかというようなことを真剣に考えてきたし、また働いていなかったためにその時間もあったということだろうと思います。
 男性にとってのメリットとおっしゃいましたけれども、したがって、男性はそういう時間的なゆとりもないために自分の人生を真剣に考えること、ゆとりがないということがまずあると思うんです。
 それから、子育てをすることによって男性が得るメリットというのは私は非常にたくさんあるように思いますけれども、私も実は今月二歳になった孫がおりますけれども、本当に孫のちょっとした動きを見ながら、ああ、生きるとか育つとか発達するとかということはこういうことなのかということを実感を持って見ることができるわけで、しかし、これは実際に子供に触れないと、情報だけではわからないんですね。
 ですから、そういう意味でも、実際に育児にかかわるというようなことから本当に人間的に成長できるという大変大事なこと。そして、御自分自身のことを考えられるときにも、自分は過去において子供だった、それから年をとれば年寄りになるという、その辺のイマジネーションがよい社会をつくっていく上には非常に大事なことになると思うんですけれども、子育ての部分にかかわっていないと、どうやって自分が子供だったのか、どういうふうに反応したのかといったようなことに対する理解はなかなかできにくいというようなことで、子供の多くの問題というのもやはり私はその辺の理解ができていない部分、私たちが十分にわかっていない部分、余りにも忙しい中で暮らしてきたために本当に基本的なことをなおざりにしてきたという、そういうようなことがありますので、その部分をやはりもう一からしっかり考える、そういう機会になるのではないかと。
 ほかにもたくさんメリットがあると思いますけれども、何しろ楽しいんですよ、それがまず何よりだと思いますけれども、たくさんあると思いますが、時間の関係で、申しわけございませんけれどもこのくらいにさせていただきたいと思います。
#29
○会長(久保亘君) 質疑の途中でございますが、岩男参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてありがとうございました。お約束の時間が参りましたので、御退席くださって結構でございます。
 どうもありがとうございました。(拍手)
 では、引き続き質疑に対するお答えをいただきます。
#30
○参考人(椋野美智子君) 三歳児神話についての御質問でございましたけれども、三歳児神話というのはどうも欧米の研究で、この調査会でも前に参考人としておいでになった舩橋参考人もおっしゃっておられましたように、余り条件のよくない集団保育の状況を研究し、集団保育はどうも子供の生育によくないというような研究結果があったものが、一九六〇年代に日本で子供は三歳までは母親が手元で育てないと将来悪影響があるというような形で広がったようでございます。
 この一九六〇年代、つまりは高度経済成長期でございますから、この時期というのは先ほど見ていただきましたようにサラリーマン化が進んだ時代でございます。それよりも前の時代というのは農業であったり自営業であったりするわけですから、当然母親も家業を手伝っているわけでございますけれども、サラリーマンで母親が働くというと外に出て働くという形で、サラリーマン家庭ではその前からやはり専業主婦が多かったようでございます。サラリーマンが広がったということで専業主婦が広がった、そういう時期に重なったということ。
 もう一つ、人口構造的に、人口ボーナスというふうに言われるようでございますけれども、この時期はまだ高齢者はさほど多くない、それから子供の数は大体二ちょっとぐらいに減っていますので、つまり働ける世代が非常に多く、扶養すべき高齢世代や年少世代は少ないというそういう人口構造的に恵まれた時代でしたので、高度経済成長ということも相まって父親一人の働きで妻子を養っていけるというような時代にも重なったわけでございます。そういう時期にこのアメリカの研究が紹介され、非常にそういう時代の社会背景のもとで広まっていったというふうに承知しております。
 しかしながら、改めて見てみると、合理的な根拠というものは特に見当たらないのではないかということで、白書にもそういうふうに書いたわけでございますけれども、そうしますと、これからどういうふうにさまざまな制度を考えていかなければいけないだろうかということですが、まず一つ保育所の例でいきますと、保育所というのは、最近少し変わってきておりますけれども、長い間、母親が働かなければ食べていけない人たちのためのサービスという位置づけでございました。働かなくても食べていけるのに働く母親というのは、自己実現のためだったり、ぜいたくがしたいために好きで働く、そんな好きで働く母親のための保育所じゃないよというような言い方が随分現場ではされたというふうに聞いております。
 でも、生活のためで働くだけではなく、いわば好きで働く、働くのが当然ということで、そういう人も含めての保育所ということで、保育所の運営のあり方なども当然変わっていかなければならないというふうに思いますし、もう少し全体の構造でいけば共働き、子供を育てながら父親も母親も働くということを前提とした制度のあり方ということになりますので、社会保障のモデルとしている世帯のあり方も変わってきますでしょうし、企業の賃金体系、専業主婦の妻がいることを前提としたような企業の賃金体系も変わっていかなければならないでしょうし、それから、だれか女性が必ず昼間家にいるということを前提としたようなさまざまなサービスのあり方、あるいは地方自治体での住民参加を呼びかけるような場も、昼間男性も女性も働いていることを前提としてそういう人も参画できるような時間なりのセットの仕方ということもあるでしょうし、それは非常に幅広いところを変えていかなければならないというふうに思っております。
#31
○参考人(鈴木光司君) 男が家事、育児、お父さんが育児というものに参加するとどういうふうないいことがあるのか。これはいいことは本当はいっぱいあるんですね。でも、今社会の中ではかなり、男が育児参加してもそれはただの消耗なんではないかというような考え方があるかもしれませんけれども、本当を言うといいことがたくさんあります。
 まず、例えば、娘たちからパパのパンツ汚いといって割りばしでつままれてどこかに捨てられるとか、そういったことというのはなくなります。それから、粗大ごみ扱いされたりとか、ぬれ落ち葉扱いされたりということがなくなります。そのことは実はすごく大きいと思います。これは男にとって非常に大きいと思うんだけれども。
 それから、家庭というものが居心地の悪い場所だったりすると、そのお父さんは外で働いていてもやっぱりいい実績を残せないんじゃないかと思う。やっぱり外で働いているといろんなストレスがたまってくる。家庭に帰ったらみんなからやっぱり温かく接せられて、ふうと気が抜けて、そこでエネルギーを補充して、そしてまたあしたから元気に働くぞといってまたそして会社に行って、そして家に帰ってきたらまた疲れがいやされるという場所だったら、その男は絶対いい仕事ができると思うんですね。だから、僕はなるべく家庭というものをエネルギー補充の場にしなくちゃいけないと思うんです。
 ところが、例えば妻からは、もうあなたうるさいからあっち行ってよ、娘たちからは、もうパパ汚いから向こう行ってと言われていたら、居心地は悪いですよね。そういったところに帰ってきたとしても、なかなかそのお父さんはエネルギーを補充することができない。余計そこで疲れるかもしれない。家へ帰って疲れて、会社へ行って疲れて、疲れて疲れて、どっちへ行っても疲れていたら、その男はやっぱり外でいい仕事は僕はできないと思うんですよ。
 ですから、お父さんが家事、育児というものできちっとかかわって、子供たち、妻からの信頼を得ることによるよさというのは、まず家庭を居心地よくさせるということがすごくあると思います。家庭にいる人間からエネルギーをもらうということ、これがすごく出てくると思う。
 僕自身そうでした。僕は自分の人生を見て非常にラッキーだったな、流れがよかったなと思うのは、もし僕が大学時代に小説を書いて、その小説が何かの新人賞をとって、いきなり芥川賞をとってベストセラーになっていて、それから、ほら見ろ、どうだという感じで初恋の女性と結婚して子供が生まれていたら、僕は多分子育てをやっていなかったと思うんですね。多分ベストセラー作家になっちゃったら忙しくてできなかったと思う、かかわっていなかったと思うんです。実を言うと、あんな面倒くさいものはないと思っていますから。
 ところが、僕は結婚したときにはまだ非常にフリーの状態。そして、結婚することによって僕は作家としての最初のステップアップがあったと思う。妻のエネルギーを受け取って自分の小説というものが進歩したと思っているんですね。子供が生まれてきて、その子供とかかわることによって子供からもエネルギーをもらって、それが自分の仕事、小説のステップアップにまたつながったわけですね。そしてようやくプロへのハードルを越えることができた。僕は、妻とのかかわりの中、そして子供が生まれたときに子供とかかわることによって多大なエネルギーをもらいました。そしてそのエネルギーが全部自分は仕事に役立った。そして今日あると思うんですけれども、家族からもらうエネルギーを仕事に生かすという方法は、僕のような作家という特別な、何かちょっと一風風変わりな職業じゃなくてもあると思うんです。普通のサラリーマンのお父さんでも何か方法は僕はあると思っています。
 それから、お父さんが子育てをやる利点、ほかにもあるんですけれども、これは仕事ということとつながってきますけれども、夜中に例えば赤ん坊が泣いたりします。そうすると、その赤ん坊に対して幾ら泣きやめと言ってもこの赤ん坊は泣きやむことがないですね。泣きやめなんてひっぱたいたら余計泣いてしまう。余計泣いてくるから、頭にきて泣きやめ泣きやめと言っても全然だめです。これは関係をよくすることにはならない。
 泣いている赤ん坊をどう扱うか。これはやっぱり大人の寛容さというか心の広さを見せるしかないですね。向こうのいら立ちをすっとこちらのハートで受けとめて一回溶かすような作業、向こうが、若い世代がいら立ってきたときに、それにいら立ちを返すのではなくて、そのいら立ちを一たん吸収するような度量の広さというものが求められる。これをやらないで、いら立ちにいら立ちを返していたら全然収拾がつかなくなってきます。そういったまず忍耐力が養われてきます。赤ん坊がなぜ泣いているのか、これを理由を考えなくちゃいけない。おむつがぬれているのか、それともおなかが減っているのか、どこかかゆいところがあるのか、いろいろ理由を探らなくちゃいけない。向こうは、赤ん坊の方はまだ言葉がしゃべれない。こちらは想像力をもってその理由というものを手探りで探るしかないですね。
 そういうふうな作業を繰り返すことによって忍耐力とか想像力というものが非常についてきます。そして、そのことによって、単にいら立ちにいら立ちをぶつけ返すのではなくて、もっと広く吸収する大人としての成長というものがそこに加わってきます。そうやって忍耐力それから想像力みたいなものが身につき、そしてそのことによって若い世代がうまく理解できるようになっていきます。
 僕は二人の娘たちと深くかかわってくることによって、やっぱり娘たちの同世代だけではなくて、その前後にまでわたって僕は理解できる自信があります。そして、僕は作家という職業をやっていますけれども、もし僕が大企業の例えば課長さんだったりとかしましょう、あるいは部長だったりとかしましょう。新入社員が入ってきます。自分の息子のような年齢の新入社員が入ってきたときに、最近の若い者は何を考えているのかわからないとか、もう新人類の言うことはわからないとか、世代間のギャップって物すごくあると思うんですけれども、そういったギャップを僕は改善することができると思う。要するに、新しい世代が何を考え、何を望んでいるかということが僕はよく理解できると思うんです。もしそれができたら、そういった新入社員をどこのポジションに生かすか、どうやってみんなで実績を上げていくかということに絶対応用できると思うんですね。
 ですから、子供たちとかかわること、家庭という場の中で子供たちとかかわって自分を成長させること、そのこと自体が仕事に物すごくプラスになると思うんです。要するに、子育てをするということは、仕事の中で、会社の中で、僕はあってならないのは、厚生省の官僚の方で育児休業制度をとった方がいるんですけれども、彼はもう職場に復帰していると思うんですけれども、せっかく育児休業制度をとったはいいが、職場に復帰したら閑職に追いやられ、もう出世のチャンス、望みは絶たれてしまうということ、これが一番いけないことだと思うんです。せっかくそういったトレーニングの場を与えられたなら、会社としてもそういったトレーニングをしてきた人間を仕事の中で大いに生かすべきだと思う。その力を発揮させるべきだと思います。
 ですから、育児休業制度をとった厚生省のこの官僚の方というのは、僕は、どんどん出世してくださいと言っているんですね。事務次官までなれよと。そのことによって、次世代がそれを見るわけです。そして、ああ、あの人は育児休業制度をとってあんなに出世している、じゃ、おれたちも後に続こうということになるんだけれども、育児休業制度をとったお父さんが何もその後閑職に追いやられて仕事ができないような状態に会社の方でされてしまったら、これは後が続きません。結局、そうか、育児休業制度をとったら出世から取り残されるのかという恐怖感しか生まれてこないんですね。
 だから、僕は、本当にこれからの働き手というのはちゃんと家庭というものを自分の居心地よくデザインできること。そして、男だから偉い、ただ根拠もなく父親だから偉いということを言うのではなくて、家庭の中で責任を果たすから偉い。偉ぶりたいのなら偉ぶればいいです。責任を果たした上でそれをちゃんと言えばいい。そして、その上で居心地のいい家庭を築けば、それが必ずやエネルギー補充の場となり、そしてその中で培われた想像力とか忍耐力というものが必ず外の職場でも生かされる。そういうように生かされるような企業。企業ももうそのくらい先のことを読めないようだったらだめになってくるんじゃないかな。昔のように公害を垂れ流したりする企業がもうだめになってしまうのと同じように、やっぱりそういったことに未来を先取りしてうまく取り入れることができない企業というのは、これから僕はだめになっていくような気がします。
#32
○畑野君枝君 ありがとうございました。
#33
○輿石東君 お三人の先生方のいろいろのお話を聞きながら、私は改めて人間とは何か、家庭とは何か、この問い直しが迫られているのかな、そんな気もするわけですけれども、昭和五十年代から未婚率の上昇に大変な問題点が出てきているという御指摘もあるわけですが、それは夫はサラリーマンで妻は専業主婦、そして住まいは郊外へ追いやられた、この仕組みを変えて町づくりも新たなものにつくっていかなければという椋野参考人のお話もありましたし、とりわけ私は、鈴木参考人から、男の子が危ない、そしてもう少し女性にとって魅力のある男をつくっていかなければいけない、言外にそんな意味も含まれている。
 そういう意味で私は、父親の役割が大事だ、そしてこの世代間のギャップとかいろいろ言われてきましたけれども、この中で特徴的に、子育てをしない男を父親とは呼ばないと厚生省がそういうポスターをつくったとか、一時代前にテレビの丸大ハムのコマーシャル、わんぱくでもいい、たくましく育ってほしいというコマーシャルが受けた。そんなことを考え合わせると、子供が人間として大人として成長し切っていない、そういう環境に我々は追いやっている、それをもう一回地域の共同体というような形につくり直さなければ、そこで文部省もそんな提起をしている、こういうお話があったわけです。
 そこで、きょうは触れられていない問題として、学校教育の中でこういう問題についてどうしていったらいいのか、お二人の参考人からお聞きをしたいというふうに思います。そしてまた、学校教育の役割というようなものについても触れていただければと思います。
#34
○参考人(椋野美智子君) 学校教育の問題については、一つは、社会構造全体の中で職場の新卒者優先という形で学校の受験競争を激しくして、受験競争に勝ち抜かせることが子育ての成功というような思い込みを母親に与え、子育ての負担を増しているという、一つはそういう循環がございます。
 その中で、では学校教育がどう変わっていくか。学校教育の前に、まず職場の採用が変わっていくことも重要なわけですけれども、職場の採用のあり方は大分変わってきております。そうすると、学校教育が、いわゆるよい学校を出、よい会社に就職するということを成功と思わせるような形ではない学校教育のあり方というふうに変わっていくこと。
 それから、そのためには、いわば地域が子育ての力を失っている分をみんな学校が背負い込んできてしまっていたというのがありましたけれども、もう一度それを地域に返していく。地域の共同性を育てながらというのがないと、受け皿がないとできない話ですけれども、それで学校をもっとオープンにしていく。PTAに母親だけではなく父親が参加することももちろんですけれども、学校というのは何もそこに来ている子供あるいは来ている子供の家庭だけのものではなく地域のものですから、地域にもっとオープンにし、地域の方々がもっと学校教育の中に入っていくということもあるでしょうし、それを支援していくということもあるでしょうし、地域の中で子供を受けとめていくということもあり、学校がもっとオープンになっていくということがこれから学校教育に求められていることではないかと思います。
 それから、男女共同参画ということについては、もう家庭科の共修も始まっていますし、あるいは出席簿の男女順というのをやめるというようなものもございますので、いろいろな形で進んでおりますけれども、家庭でどうしても母親だけが子育てにかかわっているというところが多い現状においては、学校の中でそういう男女共同参画というものを教えていくということもやはり重要であろうと思います。
#35
○参考人(鈴木光司君) 学校教育というものを考えるときに、まず、家庭の方が学校に責任を押しつけているというところがすごく見受けられてしまうんです。自分も子供たちと学校とかとつき合いながら、学校というものは意外と親の意向を酌み取って運営しているというところがあると思うんです。ですから、管理教育管理教育というふうに親が学校に文句を言うことは僕はできないと思う。必ず学校側は親の意向を酌み取っています。ですから、それと同じことだと思うんですね。
 これをどうするかということを僕はオートバイの例えで説明してみたいと思います。
 今の、これ高校ということにちょっと限ってしまいますけれども、法律では十六歳で免許を取っていいんですけれども、ほとんどの高校ではオートバイに乗ることができません。これは校則で禁止されているんですね。
 ところが、これは僕、非常に日本的な問題だと思うのは、こういうことをやっているのは多分日本だけなんじゃないかと思うんですけれども、さっき言った僕の流れの中で非常に説明がつくと思うんですけれども、十六歳になって男の子が高校生になる、それでおやじに向かって、おやじ、オートバイの免許を取りたいんだけれどもオートバイの乗り方を教えてと言っても、オートバイの乗り方を教えるお父さんは家庭に背中を向けている。そうすると、オートバイというものは母親の手には余ってしまう。だから、母親の圧力でPTAが一丸となって学校に圧力をかけて、それで学校側がこれを母親の代弁者として禁止するという流れだと思っているんですよ。
 もともとは、家庭の中にがんと責任をとる父親というものがいて、そして息子がそういったふうな問いを投げかけてきたら、おやじ、オートバイの乗り方を教えてくれと言ったら、よし、じゃ次の日曜日一緒にツーリングに行こう、そこのところでおれが徹底的にオートバイの乗り方を仕込んでやる、おまえはどうせ将来交通社会に組み込まれるんだから、今若いうちにおれが徹底的に安全なライディングテクニックを仕込んでやる、それによっておまえは一生にわたって交通社会の中でうまくやっていくことができるだろう、おれが責任を持っておまえを育ててやるというお父さんがいればいいんですけれども、それがいないから取り上げられてしまうんですね。
 ですから、本来、オートバイの免許を取るか取らないかというのは、禁止してもいいんです。でも、禁止するのは絶対に学校であってはならないと思う。家庭の責任者の名前においてそれを禁止すればいい。お父さんの名前でもいいしお母さんの名前でもいい。家庭の責任者が子供を見て、おまえは自転車の乗り方も正しいし交通マナーもちゃんと守っているから、おれはおまえを信用するから免許を取っていい、そのかわり免許を取ったらおれが徹底的に仕込む。あるお父さんは、済まぬ、おれはオートバイの乗り方がわからないし、おまえもちょっと信頼できないと思うから、おまえはあきらめろ、おれの責任で君は免許を取ってはいけない、これは家庭の責任者が責任を背負うべき問題だと思う。
 例えば、うちの娘が今中学生ですけれども、高校になって、僕は船の免許をすぐ取らせるつもりでいますけれども、学校側が船の免許を取るのを禁止なんと言ったら僕は怒ります。それはもう完全に学校が言うことじゃありません。僕が責任を持ってそれをやらせるかやらせないかの問題なわけです。学校側がヨットに子供を乗せるのを禁止と言っても何を言い出すんだということになってしまいます。オートバイもそれと同じじゃないかと思うんですね。
 例えば、学校側が家庭のリビングルームのソファーの色は緑に限るとかと言ったら、それはもうおかしいということになります。それとどういうふうに違うんだろう、オートバイの問題は。子供がある免許を取る取らないということをどうして学校が規制するのか。もとはと言えば、それは父親が本来やるべきところを放棄しているから母親がそれを禁止せざるを得なくなって、その責任を学校に押しつけているという流れがあると思います。
 こういったものというのは、僕は今オートバイの例を使って説明したけれども、ほかにもいっぱいあるんじゃないかと思う。本来は、家庭の責任者の名前において、その家庭の責任者が責任をとってやらなくちゃいけないことを、それが面倒くさかったりとかできなかったりするから、面倒くさいから学校に押しつけてしまえ、そんなことを全部やっていたら学校側はもう悲鳴を上げてしまいます。本来の教育なんかできるわけないと思うんです。僕は、だから今もう一度学校教育というものを考えるときには、本当に家庭でやらなくちゃいけないもの、家庭の責任の名においてやらなくちゃいけないものはきちっと家庭に返す必要があると思うんです。全部が全部もう僕は押しつけてしまったような気がする。
 そして、PTAというものをもっとボランティアにするんです。基本的にはあれはボランティア的な組織だったわけですから、もともとの発祥というのは。あれはアメリカから押しつけられたものですけれども、その当時のアメリカのやっていることをそのまままねしてしまったからちょっといけないところはあるんですけれども、例えばPTAとかに行っても、もうみんな役職につくのは押しつけ合っているんです。私嫌だからあなたあなたあなた、これは本来のPTAというものがボランティアだとしたら、本来の姿とはかけ離れてしまっているんですね。これを何とかしなくちゃいけない。
 ですから、学校の教育問題を考えるときに僕が一つどうしても言いたいのは、本来家庭が背負うべき責任というものはもう一度家庭に返すべきだ、オートバイのことというのは一たん家庭にやっぱり返すべきだと思います。そういったたった一つのことでいい、オートバイの免許を取っていいか悪いかというこういったものも家庭に戻したときにいろんな波乱が出てきますので、そこで矛盾がリアルに浮かび上がってくると思います。
 それから、今まで家庭の責任というものを背負い過ぎてしまった学校から、もう一度家庭という場に責任を返すことが僕は大事ではないかと思っております。
#36
○西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子でございます。
 きょうは、本当に、少子化ということに正面からテーマを絞った形での参考人の皆さんの陳述、大変勉強させていただきました。
 私もずっとこの問題を追いかけてきているんですけれども、厚生委員をやっておりましたときに、この少子化の問題、少子化対策ということを質問いたしましても、大臣の方から、いや以前のように、戦前のように産めよふやせよということには今はなりませんのでね、というような形で、対策を余り積極的にとってこられない時期がしばらくありまして、椋野先生のお話の中に、平成七年ですか、正面から少子化問題についても調査をしていくというふうなことになってきたようでございまして、提言も全体としては私たちも賛同ができる、非常に網羅的に、しかも前向きな方向で、女性を家庭に帰すということでなくて、もっとやっぱり新しい成熟社会をつくっていこうということで提言されているということで、大変私興味深く読ませていただきました。
 私、今の起こっている現象というのは、やっぱり日本の女性が非常に職場に進出し、そして自立をしていき、意識も非常に変わってきた。その中で、日本の企業のあり方というのがむしろ非常にまだ変わっていないというんですか、そういうところのギャップがこういう今の事態を結果的には生んでいるというふうに思っているわけですね。
 ですから、椋野先生が、かぎは男性の働き方を変えることだとおっしゃったこと、これは確かに私もそのとおりだと思うんですが、同時に、機会均等法が施行されてもう十年たったわけですが、私たちはこの機会均等法というのは、女性も男性と同じように日本の企業に縛りつけて、長時間、過労死、過密労働をさせる結果になって、それが非常に子供も産みづらくしているんじゃないかというふうな思いを一方で持っております。
 ですから、男性の働き方も変えるし、また女性の働き方も同時に変えていく。男女共同参画と言うけれども、機会が平等になるだけでは、これはやっぱり女性は母性というものを持っている、母性は社会的にきちっと社会的機能として社会がこれを支えていかなければ、とても個人だけでは支え切れないものでございますから、その点で椋野先生のおっしゃっている男性の働き方を変えること。
 それじゃどうやって変えていくのか、国会は何をしたらいいのか、政府は何をしたらいいのか、企業は何をしたらいいのかというようなことで、何か今お考えになっているようなことがありましたら教えていただきたい。
 それから、やっぱり私は女性の働き方も変えていくということが必要じゃないかと思っています。
 これは大変私ごとで恐縮なんですが、私、一年間ほど子供を三人連れてスイスのチューリヒで専業主婦をやったことがあります。それまでは共働きで、それこそ産休明け保育からずっと子供を預けて、真っ黒になって育てておりましたので、むしろ子供にしっかり目を向けて子供の発達を見るゆとりもなく、子育てと仕事を両立させているというふうに思っておりました。
 しかし、その両立の仕方というのは本当に望ましい両立の仕方ではなくて、本当にゆったりと子供を育ててみますと、今、作家の鈴木さんがおっしゃったように、子育てというのは実にすばらしいもので、私女性ですけれども、今まで発見できなかったいろんなおもしろみというものを私も発見いたしました。
 ですからそういう意味で、やっぱり男女そろって、例えばスイスなんかは昼休みは二時間休みがあります。夕方はもう五時ごろに帰ってきて二時間ゆっくり家族で夕食を食べる。残業なんかだれがするものかというそんな感じがあるんです。土日は完全にみんな休んでいますし、町も休んでいる。
 そういう国際的な、ヨーロッパなんかの典型的な社会のありように比べて日本は余りにもひど過ぎるんじゃないか。夕食を食べる率が、統計で見せていただいたら、週に一、二回でも八割ぐらいしかないでしょう。そういう社会全体は非常に私はいびつだと思うんですけれども、こういう働き方を変えるためにはどうやっていくのか、何をしなきゃいけないのかという御提案があったらひとつ教えていただきたいのが椋野先生に対する御質問でございます。
 それから、作家の鈴木さんは、私はNHKの例のテレビを見せていただきまして、それについての、少し書く仕事があってビデオを撮ってよく見せていただきまして、きょう御本人にお会いできまして大変うれしく思っておりますが、あのときに私は、若い人たちが非常に制約されている、圧迫されているという印象を強く持ちました。私も子供を持っているので、大変番組を見ているのがつらくなりました。パワーを分けてあげたいという鈴木さんのパワーは本当にすばらしいパワーだと思います。今もそうやっていろんなところで講演なさったりして、あるいは物でアピールしてくださっている、それは大変なサポートになっているというふうに思っております。
 これからもぜひそういう活動を続けていっていただきたいと思いますが、社会の不備が改善されなければならないという鈴木さん流の社会の不備の改善というのはどういうことをお考えになっているのか。その点でお考えになっていらっしゃることがあれば少しお話しいただければと思います。
 以上です。
#37
○参考人(椋野美智子君) 今の御質問にお答えする前に、先ほどの学校教育の問題で一点失念していることがございましたので、先にお答えさせていただいてよろしゅうございますでしょうか。
 学校教育については、もう一つ、生涯学習を可能にする学校教育の体制をつくっていくということがやはり少子化への対応にも重要ではないかと考えます。
 といいますのは、学校を卒業した時点で職業人生が決まるようなこのあり方を変える、やり直しのきく職業、学校で学ぶことも含めて人生何度でもやり直しがきくというようにするためには、学校も何歳で入るというものではなく、学びたくなったら入れるというように生涯学習できるような体制にしていくということが必要なんだろうというふうに思います。
 そうしますと、女性で例えば子育て中に仕事をやめている方が、子育てが終わって再就職をしたいと思うときに、そのまま就職してももちろんいいわけですけれども、もう一度学び直してそれから再就職をよりよい条件でしようということも可能になりますし、それから、二十前後でなかなかやりたいことが見つからないという子供というか若い人たちも多いと思うんですけれども、そういう方が、だからどこの大学と決まらずに行ける大学に行くというようなことになりがちだと思うんですけれども、しばらくいろいろな形で社会を見て、やりたいことが見つかった段階でそれに必要な教育をもう一度大学に行って受ける。いつでもそういう形で生涯学べるような体制をつくっていく。
 そのためには、お金をためて自分で大学の費用を払うというのもありますけれども、やはりそこに大学の教育費用を、もちろん親も、何歳でもですから親ということではありませんので、社会的にどうその費用を援助してあげるかというやはり奨学金の問題も出てきますし、子育てと学業が両立するような保育サービスのあり方というようなものももちろん出てくるだろうと思います。大学によっては、今でも妊娠、出産すると女生徒はやめなきゃいけないというようなところがあるというふうにも聞きますので、そういうことも変えていくことは必要だというふうに思います。
 その次の、男性の働き方を変えるにはどうしたらいいのか、あるいは女性の働き方も変えなければいけないのではないかと。なかなか難しい御質問でございまして、まず女性の働き方を変えなきゃいけない、これはもうそのとおりだというふうに思っております。
 先ほど、一番最初の説明で、時間の関係で省略いたしましたけれども、資料の五ページにつけております「新・専業主婦志向」というものがございます。若い女性がどうも専業主婦を志向している。なぜ専業主婦を志向しているかというと、既成の働き方、既にある女性の働き方が嫌だと。それは、生活のために、賃金も安いし条件も悪い、やりがいも感じられないんだけれども働かなきゃいけない、働くパートという働き方、あるいは、やりがいはあるんだけれども男性に伍して働くということで非常に家庭との両立が大変になるキャリアウーマンという働き方、この二つしか女性はモデルとなる働き方が提示されていない。だから、そのどちらもそれはちょっと嫌だということで、家事、育児をやりたいから専業主婦であればそれはもちろん結構なんですけれども、そうではなくて働くのが嫌だからの専業主婦志向になってしまっている。
 だから、女性の働き方も当然変えなければいけないわけで、女性がそんなに大変な思いをしなくても家庭と両立でき、かつやりがいも感じられる働き方ができるようにすること。そのためには、女性だけがそういう働き方をするということは企業の方でなかなか受け入れがたいものですから、男性もそういう働き方ができるようにしていくことという意味で男性の働き方を変えることがかぎではないかというふうに特に強調をして申し上げました。
 男性の働き方を変えるというのは、その男性個人がというよりはもちろん企業がそういうことを許容していけるという、企業が変わらなきゃいけないわけですけれども、これは本当に何をしたらいいかというのは、有識者会議でさまざまな具体的な提言が出ておりますけれども、難しいところも多いように思います。
 また、企業も合理的に対応すれば変わり得るところもございますので、例えば長時間とにかくみんなで一緒にいるということ、あるいは企業への忠誠心を評価するというようなことから、企業への忠誠心というと企業の言うままにいつでもどこでも行きますというこういうことになるわけですけれども、どれだけ実績を上げたか、どれだけ仕事をやったかということで評価する。その評価が公正かとか、またそれ自体にまつわる問題が出てきますのでなかなか難しいところがございますけれども、やはり長時間いるということではなく、仕事をどれだけやったという業績で評価するようなこと。あるいは、勤続年数だけで評価するということではなく、どれだけその方が仕事ができるかという能力で評価する。そうすれば女性の再就職というのも今のように不利ではなくなるわけですし、というようなこと。あるいは、残業というようなものに対するもう少し企業の負担が、規制するというのも一つですし、もう一つは、経済合理性からいって残業すると非常にコストがかかると。例えば、残業させるんだったらその分の保育費用を企業が負担するべきだというようなこともあるのかもしれません。
 そういう規制もあるし、企業が経済合理的に動こうとするともっと子育てと両立しやすい働き方の方を選ぶというようになるようにしむけるというようなやり方もあるでしょうし、現状でももっと合理的になれば、経験のある女性が子育てでやめることは企業にとっては不利なはずですから、もっと現状でも変え得るところもありますから、そういうところは広報、PR、こういうやり方で支援していますというような会社のやり方を広めるというようなこともあるでしょうし、なかなかこれというのはないんですが、いろんなやり方でそこはやっていくのではないかというふうに思っております。
#38
○参考人(鈴木光司君) 社会の不備を改善するための具体的な方法に関して、今、椋野先生の方から言ったことで本当にそのとおりだと思うんですけれども、基本的に、一つだけその中で言うとしたら、本当に、やっぱりなるべく女性の社会進出というか経済的な自立というものを促すような方向でいくということが僕は大事だと思っています。
 なぜかといいますと、日本の家庭を見たときに、そこのところで夫婦というものが非常にパートナーシップというものをきちっと結んでいないなというような感じがします。
 どういうことかといますと、例えば一九五〇年代の、お母さんは家にいてお父さんは外で企業戦士という構図ですと、お母さんは家で家庭を守っている、そして男の子が生まれると男の子に物すごく愛情を注いでしまうんですね。夫はいつも留守がちだから、男の子を本当に恋人のようにもう愛情を物すごく注いでしまいます。そして、その男の子が結婚適齢期になったときは、男の子とお母さんとの一体感が物すごく強くなってしまう。その男の子が今度、嫁さんをもらいます。余り自立していない男です。そうすると、なるべく妻には家にいてもらいたいと思ったりするわけですよ。そうすると、また妻を家庭の中に閉じ込めておく。こちらは外に出る。そうすると、この妻はまた子供に、夫には失望してしまったその失望感を全部子供に対する期待で来ます。そうするとまた息子と強いきずなができる。夫婦が横のつながりでパートナーシップを持つのではなくて、どうも斜めになっているような気がするんですね。これは僕は余りいいことじゃないと思います。
 例えば、海外とかに行って、本当にいいリゾートとかに行って、ここのホテルのレストランは何てこんなにいい雰囲気を持っているんだろうと僕はふと思ったことがあります。そのレストランをざっと見渡すと、みんなカップルなんですよ。ほとんど若いカップルはいなかったんですけれども、中年のカップル、初老のカップル。男と女のその二人が、カップルが醸し出すいい雰囲気が物すごく全体のすばらしいムードをつくり上げていたんですね。そして、片や日本人がツアー客でいっぱい来るようなレストランに行くと、必ずそれがおじさんだけのグループ、こちらはおばさんだけのグループ、物すごくそれが多かった。日本のどこに行ってもその光景というのは、僕が例えばニュージーランドだとかそういった南太平洋の方の本当にいいリゾートで見たいい雰囲気というものが見られないんですね。同性同士でグループをつくって海外に行ったりとかしている。何となく日本というのは家庭の中で夫婦の関係、夫婦のパートナーシップというものがうまく結べていないなというような気がしました。その問題というのは、やっぱり子育てということにすごくかかわってくると思うんですね。
 これは、東洋的な伝統でもあるんじゃないかと思う。例えば、昔、纏足というものがありました。これは、女性の足を、妻の足を小さくすることによって自立の手段を奪ってしまうわけです。逃げられないようにしておけば、夫の方は堕落する一方ですよ。要するに、だらしなくしていたって逃げることができないわけですよ。この状況は絶対男を鍛えない。
 だから、常に女性、妻というものに経済的な自立というものは持ってもらいたいと僕は思うんですね。それによる緊張感というものをいつでも家庭の中に置いておいてもらいたいと思うんです。だから、いつでも女性はひとり立ちできて、あんたがだらしなくしていたりとかしていたら私はいい男を見つけてほかに行っちゃうわよというようなことというのは僕は必要じゃないかと思う。それによって、男はやっぱり常に魅力的な自分というものを提示していかなくちゃいけないんですね。やっぱりだらしなくはできないでしょうと。それはもう、緊張感というよりも、適当な、かなりおもしろい状況だと僕は思うんですけれどもね。
 そのためには、本当は離婚したいんだけれども、こんな夫のもとは離れたいんだけれども、離婚しちゃうとその後の生活が成り立たないから我慢しているという方はやっぱり大勢いると思うんですよ。だから、なるべく女性が外で働きやすい環境づくり、これは企業を含めた全体の中で持っていく。そして、女性になるべく経済的に自立してもらいたい。その自立した女性と一対一できちっとコミュニケーションをとって、パートナーシップを結べるような夫婦間、その夫婦によって育てられる子供たちの構図というのが僕はやっぱり一つの理想だと思います。
 その理想が崩れて離婚しても、僕はどんどん離婚した方がいいと思う、我慢しないで。そしてまた、シングルで子供を育てても、これは大変だけれども、これもこれでオーケーだと思います。シングルで育てる方というのは、必ず働いていなくちゃいけないわけですよ。何らかの手段で社会的な、経済的な基盤がないと困っちゃいますね。だから、そこのところでまた女性も鍛えられますし、鍛えられたお母さんを見ることによって子供たちもまた手伝ったりとかして成長したりとかすると思う。
 だから、男が女性から経済的手段を奪っておいて、そこで安穏としているというようなところというのはなるべく僕は変えていった方がいいと思いますね。そして、正当的なパートナーシップを築く、そのためのコミュニケーションということが僕は大事になってくると思います。
#39
○西山登紀子君 どうもありがとうございました。
#40
○会長(久保亘君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆様には、お忙しい中、本調査会に御出席いただき、まことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時散会
ソース: 国立国会図書館
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