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2000/03/01 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 国民生活・経済に関する調査会 第3号
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2000/03/01 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 国民生活・経済に関する調査会 第3号

#1
第147回国会 国民生活・経済に関する調査会 第3号
平成十二年三月一日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十三日
    辞任         補欠選任
     輿石  東君     谷林 正昭君
 三月一日
    辞任         補欠選任
     山本  保君     益田 洋介君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         久保  亘君
    理 事
                中原  爽君
                服部三男雄君
                海野  徹君
                沢 たまき君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
                阿曽田 清君
    委 員
                田中 直紀君
                日出 英輔君
                真鍋 賢二君
                松村 龍二君
                吉村剛太郎君
                勝木 健司君
                谷林 正昭君
                簗瀬  進君
                但馬 久美君
                益田 洋介君
                西山登紀子君
                大渕 絹子君
                松岡滿壽男君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        白石 勝美君
   参考人
       国立社会保障・
       人口問題研究所
       長        塩野谷祐一君
       一橋大学経済研
       究所教授     高山 憲之君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成
 に関する件」のうち、少子化の進展と社会保障
 負担の在り方等について)
 (派遣委員の報告)

    ─────────────
#2
○会長(久保亘君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る二月二十三日、輿石東君が委員を辞任され、その補欠として谷林正昭君が選任されました。
 また、本日、山本保君が委員を辞任され、その補欠として益田洋介君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(久保亘君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化の進展と社会保障負担の在り方等について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、国立社会保障・人口問題研究所長塩野谷祐一君及び一橋大学経済研究所教授高山憲之君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。
 この際、塩野谷参考人及び高山参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 両参考人におかれましては、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております少子化への対応と生涯能力発揮社会の形成に関する件のうち、少子化の進展と社会保障負担の在り方等について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず塩野谷参考人、高山参考人の順にお一人三十分程度で御意見をお述べいただきました後、二時間程度各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていただきたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようよろしくお願いいたします。
 なお、参考人からの意見陳述、各委員からの質疑及びこれに対する答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、塩野谷参考人からお願いいたします。
#4
○参考人(塩野谷祐一君) 塩野谷でございます。
 本日はお招きをいただき、私見を述べる機会を与えていただきましたことに厚く御礼申し上げます。
 私に与えられたテーマは、少子化と社会保障負担のあり方、こういう問題でございますけれども、この問題はまさに今日公共的なイシューでございまして、さまざまな議論がいろいろなところで行われており、事実に関するいろいろな情報は周知のことであるというふうに考えますので、私は、この陳述の中で日本とかあるいは外国の制度がどうであるとか、あるいは統計がどうであるとかということには言及せず、専ら少子化という問題をどういうふうにとらえるか、そしてこれにどう対応するか、そして妨害になっているものは何かというような点を専ら哲学的な観点から議論したいというふうに思います。
 御承知のように、今日、少子高齢化及びそれに伴う人口減少という事態に直面して、これが社会保障制度の再構築を迫る基本的な要因とみなされているように思います。つまり、経済成長率が低下し、増大する高齢者の社会保障費を減少する若年者の経済力によって支えるということは困難になるからであります。
 おくれましたけれども、私の陳述は、「経済教室」という日本経済新聞の昨年末に書いたものを主として基礎にお話ししたいというふうに考えております。それを御参照いただきたいというふうに思います。
 そういう人口高齢化及び人口減少、つまり少子化といっても高齢化と常に結びついておりますので、高齢化という言葉も同時に少子化と並んで使わせていただきますけれども、こういう事態は極めて深刻であるというふうに考えられております。
 しかし私は、こういう悲観的な見方は非常に狭い物の見方であって、もう少し広い観点から問題の所在をとらえる必要があるというふうに考えております。
 それは、人間のよき生、ウエルビーイングというのは一体何かということを考えますと、今起きていることは、大変望ましいことが今起ころうとしているわけであって、それを受け入れるだけの社会が制度なりあるいは考え方においておくれをとっているということを私は言いたいわけであります。私の考えでは、深刻な事態は社会保障財政の破綻であるよりも、むしろその問題を扱う際の人々の公共的理性に欠如があるというふうに考えております。
 公共的理性というのは、民主主義が保障されている場合に、その討議をする民主主義の場を通じて社会のいろいろな制度や政策を決定する際に、人々が私利私欲の私利に立って事を論ずるのではなくて、公正の観点から議論をしなければならない、その際の知的、道徳的能力を公共的理性と言います。同時に、そのような規範的な主張をするだけでは意味がありませんので、何が現実の場においてそのような公共的理性の貫徹を妨げているかということを私は特に強調したいわけであります。
 通常、今日の社会の与件的な条件を記述するのに、政府などを初めとして三つのまくら言葉がよく使われるわけですが、それは第一に人口の少子高齢化、第二に経済のグローバリゼーション及び第三に技術の情報通信革命というものであります。
 この経済のグローバリゼーション及びIT革命というものは、日本にとって外部から出てきた衝撃でありますけれども、少子高齢化というのは我が国自身の社会が内生的に生み出したものであります。つまり、少子化も高齢化も日本の経済発展の成果にほかならないのであります。経済発展というものを経済学的に見れば、これは一人当たり所得の上昇であります。しかし、所得というのは人々のよき生を実現するための一つの手段にすぎないわけであって、経済発展はむしろ人々の多様な領域における活動の可能性を拡大していくプロセスであります。こういうものは経済的、政治的、社会的自由の保障によって初めて可能になるものであります。
 例えば、アメリカはGDPが大変好調に伸びておりますけれども、しかしアメリカという社会のウエルビーイングは果たしてそれに比例してふえているだろうかという問題が指摘されております。犯罪の増加であるとかあるいは医療保険にかかれない人の比率であるとか、あるいは食料スタンプすら手に入らないそういう人々がいるとか、さまざまな社会的なゆがみがあって、そういうものを全体として考慮するというのが私の以下述べようとする広い観点からのよき人間の生活のあり方ということであります。
 こういう広い観点から見ますと、少子化というのは、経済発展の結果、主として女性の側における機会の拡大によってもたらされたと言うことができます。伝統的なジェンダーシステム、つまり性差の機能分担、役割分担のもとで、家庭においては内助の功しか上げられなかった女性が、男性と同じように学歴を高め専門的能力を持って就業し、社会的に価値のあるものの形成に参加することができるというのは大変すばらしいことであります。
 経済発展のプロセスでは、このように、昔は家庭の中で消費も生産も自給自足的に行われてきたわけですけれども、さまざまなものが分解して市場に出されてきた、あるいは国家の仕事になってきた。つまり、労働にせよ教育にせよ、家事、保育、介護等の活動が家庭から市場に外部化されてきたわけですけれども、今起きていることは、家事に局限されてきた女性の労働自身が外部化されようとしているわけで、その反面、未婚化、晩婚化、非婚化という傾向が進み、出生率の低下が起きたわけであります。
 こういう傾向を家族や結婚についての価値観の変化あるいは意識の変化としてとらえる人もたくさんいるわけですけれども、私は価値観の変化がいわば独立変数として作用したとは考えません。起こっていることは、あくまでも経済発展に伴って客観的に機会が拡大してきたからこそそのような行動をとり、そのような行動をとっている人はそういう別の新しい意識を持っていたと解釈されるにすぎないわけであります。今日、歴史上大変大きな人間にとっての権利の変革が行われようとしているというふうに考えるわけで、出生率の低下は男女平等化の差し当たっての代償であるというふうに考えるべきであります。
 同様に、高齢化も、経済発展のプロセスを通じて、医療技術の進歩や医薬品のイノベーションによって死亡率が低下し、平均寿命が延びてきたわけであります。こういうのはいわば同じように人間にとっての機会の拡大であります。その反面、多額の年金、医療、介護の費用が必要になるとしても、それは生活の質の向上、よき生の拡大という成果に伴う一時的なコストであります。
 それでは、少子高齢化あるいは人口減少について何が問題であるかといいますと、今日人々が注目しているような社会保障財政の危機にいかに対処するかという問題は確かにありますけれども、それ以外に二つの一層基本的な問題があるというふうに私は考えます。
 第一は、今言及したような経済発展のポジティブな成果を社会の中に取り込むにはどうしたらいいのかということであります。
 これは、決して社会保障制度だけの問題として狭く考えるべきではありません。人々の既成観念と現存制度のもとでは、少子高齢化が集中的に社会保障財政に危機という不都合な事態をもたらしておりますけれども、望ましいものが不都合な結果をもたらしているのは、この社会の仕組みが望ましいものを受け入れるように適応していないからであります。
 このように見ると、第一の問題というのは、社会が与えられた生の機会、生活の機会を拡大するという趨勢的な可能性を積極的に受けとめて、その果実を刈り取らなければならないわけです。そのための方法というのは、男女共同参画というスローガンで呼ばれる雇用とか保育サービスとか、育児休業あるいは児童手当といったような諸制度と並んで老若共同参画という、今度はエージレスの諸制度が必要になる。
 この場合には、定年退職制という雇用制度とか、あるいは老人を弱者のように見ていろいろな負担を軽減させようという考え方、あるいは老人をいろいろなことで優遇するという制度、こういうものは老人エージズム、つまり年齢によって人を区別する、こういう考え方であって、これは一切放棄すべきであるというふうに考えます。
 したがって、この男女、老若両面において新しくあらわれつつある生活の機会の拡大という積極的な実りを社会の中に取り入れるためには、単に社会保障財政の危機を克服するためにどうしたらいいかということを考えるだけではなくて、もっと大きな視点からとらえる必要がある。そのことによって、むしろ人口の減少あるいは少子化という事態を社会全体として受けとめることができる、いわばショックアブソーバーとして社会全体の制度の再構築を図る必要があるというふうに考えるわけです。こういうふうにすれば、依然としてすばらしい果実に伴ってコストが払われなければならないけれども、しかし、このような社会制度を広く用意することによって、今起きているような社会保障制度へのインパクトは減らすことができるであろうと思います。
 しかし、いずれにせよ、望ましい便益にはコストが伴うのは当然ですから、そのコストをいかに公正に社会の人々が分担するか、これが狭い意味の社会保障改革の課題であります。
 二番目の、一層基本的な問題は、人口の減少そのものを社会的にどのように評価するかということであります。
 今述べたような意味で、少子高齢化は、生の機会、生活の機会、生きていくフロンティアの拡大という望ましいものが、差し当たって今のおくれた制度のもとではコストという不都合なものというものを生み出していますけれども、その帰結の中には社会保障財政問題以外にもう少し基本的な問題があると思います。それは、社会の安定的な存立の基礎として人口の規模という問題があります。
 言うまでもなく、子供を持つかどうか、これは個人の私的な問題であって、産めよふやせよという人口政策は自由社会では認められません。しかし、それでほうっておいていいということにはならないのであります。人口減少の帰結については、単に社会保障財政が困難であるというところに視点を置くだけでいいのだろうかということが私の論点であります。
 社会は時代と世代を通じて維持されていく公正な共同システムでなくてはならない。つまり、通史的に時代と世代を越えて社会がまともな形で公正な形で維持されていかなければならない。ですから、家族や人口の問題についても個人と社会の関係が問われなければならないと思うわけであります。つまり、家族の機能というものは親の世代から子の世代へと適切な人口規模を維持して、子供の教育を通じてその社会の文化や道徳や歴史を継承していくことにあるというものであります。家族は基本的な社会制度であって、正義の観念、つまり世代間の公正、正義という観念が家族のあり方に及ぶというふうに私は考えます。
 現在のところは、女性の解放あるいは地位の向上というものと家族の社会的機能の充足との間に対立関係が生じているわけで、それが少子化、人口減少という形であらわれているわけです。しかし、両者は差し当たってこのようなトレードオフの関係にありますけれども、両立を図ることができないわけではありません。
 つまり、一方において女性の労働条件を充実する、他方において家族政策の充実を図る。この二つのものを例えば福祉国家、社会保障制度の国際比較という基準にとって考えますと、両方とも満たしている国、つまり女性の労働条件をよく満たしている、それから家族福祉の政策を行うことによって家族の機能を果たしているもの、例えばその二つを両方満たしている割合いい成績の国としてはスカンジナビアの諸国が挙げられるでしょう。
 ところが、多くの国はどっちか一方あるいは両方ともだめというのが多いわけである。
 例えばプロテスタント系の自由主義の福祉国家、アメリカ、イギリスは女性労働の社会参加についてはプラス、オーケー、望ましい制度が用意されておりますけれども、家族の福祉政策、つまり家族政策というところにまで入り込むことには及んでいないというわけで、マル、ペケという関係になります。
 他方、カトリックのキリスト教、保守的なヨーロッパの大陸諸国、フランスとかドイツは女性の社会参加の方は割合ペケであって、家族の福祉政策の充足度、これについては大いに実施策がある、ペケ、マルという関係であります。
 四番目に、両方ともだめな国々は、日本、イタリア、スイスなどが挙げられると思います。
 こういうふうに、スカンジナビアのような国あるいはほかの国をとってみてもわかるように、現在の日本における女性の社会参加の制度、それから家族福祉政策のあり方、いずれも前進する可能性があるというふうに考えます。
 あと十分で後半の問題に入ります。つまり、社会保障制度の改革の方向であります。
 これについていろいろなことが言われますけれども、望ましい姿は描けてもそれを妨げている現実的な要因がたくさんあります。私は四つそれを偏見として申し上げたいわけです。
 第一は、市場主義の偏見であります。
 我が国は世界で最高級の所得水準を実現しております。進んだ国は余裕があって消費した残りがたくさんあるかというと、そういうものではなくて、貯蓄率も貧しい国と同じぐらいの大きさでしかないわけです。ということは、人間の消費ニーズというのは飽和するものではなくて、経済発展及び所得の上昇とともに開発されていき、あるいは消極的に手当てをしなければならない社会的な問題に使われるか。いずれにせよ、人間のニーズは飽和せずに所得水準が高まるに応じて消費もふえてくるわけであります。ということは、よき生の実現に当たっては、決して私的な消費の充足だけではなくて、社会的な消費が必要であります。社会的消費というのは、人々が公共的な仕組みを通じて公共財やメリット財を集合的に消費することであります。
 ところが、人々は、市場で購入する私的な消費財以外の消費支出を不当な負担というふうに考える傾きがあります。例えば、租税と社会保険料を足してこれをGDPあるいは国民所得で割ったものを国民負担率と呼びますけれども、これだけを負担と見る考え方はおかしいわけで、支出には常に負担が伴うわけですから、国民負担率は常に一にすぎないわけであります。
 もちろん、この国民負担率は重要であります。それは、人々がベネフィットを得る、便益を得るその消費なり支出を公と私でどういうふうに分けているかという比率を示すものとして重要であります。
 ところが、今日市場主義のグローバリゼーションによって社会保障に対しても風当たりが強くなっておりますけれども、そういう市場主義の偏見を一つ指摘されなければならないと思います。
 二番目に、もっと基本的なものは、社会保障そのものについて人々が非常に安易な観念を持っていて、それをフリーライディング、ただ乗りの対象と考えていることであります。
 つまり、社会保障制度のもとで提供されるいろいろな社会サービスは、これは公共財ではなくて人々が私的にその便益を所有することができる私的な財、技術的に私的な財であります。つまり、医療にしても年金にしてもマーケットでそれを買うことができるわけで、公共財のような軍備だとか平和だとか裁判とか、そういうものと違うものであります。
 そういうことにもかかわらず、社会保障サービスを国が社会のシステムで提供しようとしているのは、主として社会公正の観点からこれを政府が扱おうとしているわけです。しかし、そのために社会保障の費用と便益とが分断され、したがって負担をせずに便益だけを得ようというフリーライディングの考え方が社会保障に絶えず入ってまいります。ですから、コスト意識というものを社会保障制度の中にどのように仕組むかということが重要なことであり、決して自己負担がふえるということについて反対すべきではないというふうに考えます。
 三番目の偏見は、先ほども少し触れましたけれども、エージズムであって、老人を別扱いにして、そして若年者と高齢者との間で分担関係を異にさせていることであります。
 このような関係をどのように公正な費用及び便益の関係に持っていくかということは大変難しい問題でありますけれども、少なくとも現在から出発すれば明らかに高齢者はもっと負担をすべきであるというふうに考えます。それは公正な世代間の議論であろうと思います。
 それから四番目に、それでは財源をどうするかということであります。
 つまり、社会保障の支出は今後大きく伸びていきます。現在の一人当たりの負担よりも恐らく三倍ぐらいに二〇二五年にはなるという数字が幾らでも世の中に出ているにもかかわらず、財源をめぐってお互いに他の財源にツケを回そうとしているわけであります。財源には三つのソースしかありません。保険料、租税、自己負担の三つであります。これらはすべて国民の負担であります。こういう社会保障の財源が三者の混合から成っている限り、特定の社会保障サービスはある特定の財源でなければならないという観念は、理由づけはもちろんつけることができないのであります。
 ところが、社会保障論者の中には社会保険方式と社会扶助方式、あるいは社会保険料と租税の方式とは原理的に違うものであって、これを区別すべきであるといったような議論からこの財源の話がなかなか前に進まないようになっております。
 しかし、社会保険方式で給付と負担が見合っているという議論がよくなされますけれども、それは正しくはありません。また、税金は扶助にしか使えないという観念がありますけれども、しかしそれは政府が絶対主義的な国家であったそういう時代の税金の使い方ではないか、税金はもっとすばらしいことにも実は使われているわけであって、決して生活保護とかあるいはミーンズテストの領域に押し込めるべきものではないというふうに考えます。
 少子高齢化の対策として、社会保障制度を抜本改革すればいいという言葉が決まり文句のように叫ばれておりますけれども、抜本改革が社会保障費を大幅に縮減できるということは幻想にすぎません。現在から、例えば一人当たりの負担が保険料にせよ租税にせよ三倍になるということを単なる予想として考えた場合、これを二倍ぐらいに抑えるということすら恐らく不可能でしょう。
 したがって、幻想を捨ててこの問題と取り組むべきであって、少子高齢化社会への本当の対応というのは私は二つあると思うわけです。一つは、先ほどのように、すばらしいこのチャンスの訪れを社会全体として受けとめて、これを社会全体として受けとめるショックアブソーバーとして社会制度の再構築を図ること。そして、やや少なくはなったであろう社会保障費用をどのように人々の間で、特に世代間で公正に分担すべきかということであります。
 公共的理性という言葉を申し上げましたけれども、私はいろいろな審議会、社会保障改革の審議会に出ておりましても、人々は利益代表者としてある集団のそれぞれの主張をしているだけであって、議論を闘わせ収れんに持っていく、そういうプロセスを全く欠いていて、そして事柄の決着は政治の場面に持っていって、それで解決を図ってもらうというふうにされているのを何度も目の当たりにしており、こういうのが公共的理性から遠い、非啓蒙的な社会的な議論の仕方ではないかというふうに思われてならないのであります。
 時間が参りましたので、大体以上で終わらせていただきます。(拍手)
#5
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 次に、高山参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(高山憲之君) 一橋大学の高山でございます。
 本日は当調査会にお招きをいただきまして大変ありがとうございました。意見陳述できることを大変光栄に存じます。
 きょうは、少子化の進展と社会保障負担のあり方等につきまして、以下、大枠で七つの問題について意見を申し上げたいと思います。
 一番目の問題、少子化をめぐる三つの問題、二番目、出産時及び子育て期における現金給付の追加・拡大、三番目、これからの日本経済、四番目、社会保障をめぐる最近の事実、五番目、社会保障財源の調達、六番目、年金財源及び給付調整、七番目、介護や高齢者医療の財源問題、以上でございます。
 まず一番目の問題、少子化をめぐる三つの問題でございますが、一点目として、少子化と高齢化は質的内容が全く正反対であるということを申し上げたいと思います。
 御案内のように、最近では少子高齢化という言葉が二つ対になって使われておりますが、意識としては従来の高齢化社会あるいは高齢者対策の延長線上でこの問題をとらえているというふうに私自身は理解をしておりますが、それでいいのかということの問題提起でございます。
 高齢化というのは、高齢者の数がふえること、そのために年金財源をどうするか、介護のための財源をどうするか、お金の問題ですね、あるいは高齢者の医療をどうやってファイナンスするか、介護のためのマンパワーをどうするか、介護のための施設をどうするかというような形で、いわば人、物、金が足りない、不足している、それをどうやって整備していくかというそういう問題でございます。経済的にはこれはまさに供給が足りないという面の話でございます。ですから、どうやって供給面を整備していくかという話なんですが、少子化は実は全然内容が違うわけです。
 産婦人科医さんが、どうもお客をなかなかとれないようになったと。かつて二百万人一年間に生まれたんだけれども、今は百二十万人しか生まれない、将来どうも百万人切るのではないかというような話、あるいは幼稚園の幾つかが廃園に追い込まれている、あるいは小学校、中学校で教師が余っている、あるいは大学はそのうち冬の時代になるだろうというような話でありまして、こちらはもうお金も人も物も全部余っているという話であります。これは供給超過の話なんです。どうやってこの部門に配置されているお金や設備あるいは物をほかの部門に配転していくか、あるいはそれを廃棄するかというような問題でありまして、少なくとも対策の方向は正反対だということでございます。
 ですから、問題意識をシャープにするためには少子高齢化という言葉はもう使わない方がいいのではないか。高齢化というのはわかり切ったことです。ですから、これからは、より問題を鮮明にするためには少子化社会への対応というふうにはっきりと純化した方がいいということが私の申し上げたい第一点目でございます。
 二点目、少子化は子供をめぐる数量の問題だけでなく質の問題でもあるということであります。
 少子化、子供の数は確かに少なくなるんだけれども、大人や親が子供を大事に育てて質を上げれば少子化社会は怖くないんだ、どうにでもなるんだという意見が今までどちらかというと多かったような気がします。ところが、最近報道されているものは、実は量が減ることによって質も低下しつつあるのではないかというお話でございます。
 経済発展に伴い、日本は豊かな社会になりました。それぞれの家庭がそれなりに小金持ちになったということであります。我々が育った子供時代というのは、親にこれを買ってほしいと言ってもなかなかそれは親はできなかったわけです。いろいろなそういうお金がないことを通じて、物事に耐える、あるいは欲望をコントロールするということを子供のうちに我々は学んできたわけなんですけれども、今の子供はどうもそういう機会が余り与えられない。そんなに待たずにして親が物を買ってあげるようなことをやっているわけです。耐える力がなくなっている。
 あるいは、高校や大学入試はもう一変しております。そんなに勉強しなくても高校、大学に進学できるようになりました。勉強しなくても大学生になれる、そういう時代になってしまったわけです。これは、受験をめぐって競争圧力が低下したことでございまして、残念ながら、日本人の潜在的な能力がそんなに私は変わったと思っておりませんが、社会に出るに当たってそれまでに本来身につけなければいけない学力なりいろんなものが身につけないという形で終わってしまっている。要するに、競争圧力が低下したために潜在的な能力を十分に開発しないまま社会に出てしまう人がふえてきたということではないかと思います。
 大人がいろいろ忙しいとかいうのは、都合がありまして、子供を厳しく鍛えない、育てないということをやっている。どうも大人が自分の都合を優先して手抜きをしているんではないか。それが子供に回っている。最近でいえば、子供の社会力という言葉がございます。それが著しく低下しているんではないかという警告もございまして、少子化の問題は、単に量の問題だけではなくて質の問題だということについてぜひ理解を深めていただきたいと思います。
 三点目、少子化対策に第三の柱をということでございます。
 少子化対策、基本的に今動いているのは育児休業制度と保育園の制度でございます。あといろいろあるんですけれども、事実上機能しているのはこの二つだと私は考えているんですが、国全体が少子化問題を重要視してこれに対する対策が必要だというときに、目に見える形で何かもうちょっと違うことを打ち出す必要があるのではないか、第三の柱が欲しいところでございますけれども、これは何にしたらいいかということで今意見が必ずしも一致しておりません。
 私は、今少子化の原因、基本的には晩婚化なり非婚化ということでございまして、なかなか女性が結婚しようと思わない、あるいは母親になろうとしないということでございますが、その背景には、やはり男の働き方、日本人の男の働き方があるんではないかと。
 少し外国に行って周りを見るとわかるんですが、日本人の男性は確かに異常な働き方をしているというふうに基本的に理解することが重要なんではないかと思うんです。
 家庭を顧みず、あるいは家庭を犠牲にすることをも甘受しながら仕事あるいは会社に自分を一生ささげるようなことをやってしまっている。そのような働き方ゆえに子育てというものが母親の肩に異常に重くかかってしまっている。
 しかし、昔と違いまして、夫の稼ぎだけで世帯を切り盛りしていくということがなかなか容易でなくなってきております。共働きをするとか、あるいは子育てをしながら仕事も継続するとかいうようなことをせざるを得ない状況に追い込まれている。
 しかし、仕事をしようとすれば、女性は男と同じように働きなさいと言われる。ところが、その男が異常な働き方をしているために、なかなかそういうところに仕事と家庭の両立というのができないわけであります。
 そういう意味で、日本人の現在の男の働き方が異常なんだ、そういう観点から、男の働き方をもうちょっとまともな形に変えれば女性ももっと仕事と家庭の両立がしやすくなるということで、いろいろな施策が必要になるのではないかというふうに思っております。
 二番目の問題に移ります。
 出産時及び子育て期における現金給付の追加・拡大ということでございます。
 ことしの予算案に児童手当の対象拡大が盛り込まれておりますが、現金給付を拡大しても直ちに出生率の上昇につながらないんではないかというような意見等ございまして、この問題どう考えたらいいかということでございますけれども、基本的に日本の戦後というのは、子供は勝手に産んで育てなさいというような社会であったと思います。子供を産んで育てることに社会全体が敬意を払い感謝をするということがほとんどなかったわけです。そういう意味で、何か仕掛けを変えるという意味では、シンボリックな内容でもいいですから何かしなければいけないというところに今あるんではないかというふうに私自身は思っております。
 直ちに出生率の上昇に結びつかないかもしれないけれども、少なくとも出産、子育てをめぐる私的な負担を軽減するということで、子供を産み育てている人とそうでない人の間の負担格差を縮小する、あるいは、後でまた説明をいたしますが、社会保障給付というのは専ら高齢者に集中しておりまして現役のところにはほとんど届いていないようなそういう形に日本はなっているんですが、そういう姿を一部是正するという意味でも、やはり出産、子育てをめぐる現金給付というのは大事じゃないかというふうに思っております。これが結果的には仕事と子育ての両立を支援するという形になるんではないかというふうに思います。
 二点目、主要財源なんですけれども、従来保険料に安易に依存するということがあったというふうに思いますが、今後は保険料にそんなに安易に依存できないんではないかということでございます。これも後でもう少し詳しく説明したいと思います。
 三点目、出産育児一時手当金、育児休業手当、児童手当、奨学金は増額する必要が私は大きいというふうに考えております。
 四点目、年金制度の中に出生給付を創設する一方、児童手当も年金制度の一給付に改めて、年金制度に対する若者の理解を深めたらどうかということでございます。
 これは、年金制度は若者にとって非常に人気のない制度に変わっているんです。しかし、若者の理解あるいは支持がない限り年金制度を安定的に維持していくことができません。どうやって若者の支持や理解をとりつけるかという点で、現金給付の体系の再編成をする必要があるのではないかということでございます。
 五点目、児童手当の増額、対象拡大に必要となる財源につきましては、所得税、住民税における児童扶養控除を廃止し、その増収分を充てる方向をまず検討する必要があるということでございます。
 現在、児童手当の予算は年間一千七百八十億円程度でございますが、所得税、住民税における児童扶養控除の金額は一年当たりで恐らく一兆五千億前後あると思います。このお金をとりあえず児童手当の増額、対象拡大に使うことは検討に値すると思います。現にイギリス等ではこういうことをやっているわけでございます。
 六点目、育児休業期間中の保険料納付免除によって失われた財源は、別途租税によって補てんしてはどうかということでございます。
 現在、本人負担分について年金や医療、雇用保険料を免除しております。ただし、事業主負担分が免除の対象になっていない。これを今度の新しい制度のもとでは事業主負担も含めて免除をしようという形になっておりまして、それ自身は望ましい方向だと思うんですが、ただ、免除するだけで財源手当は別途していないんですね。これをやはり、その免除した分について何か財源の穴埋めをするということが必要なんではないか。これはやはり私は租税という形でやることが適正だというふうに考えております。
 七点目、児童の医療費窓口負担は軽減し、高額療養費還付金も児童用に低額の特別枠を設ける必要があるということでございます。
 少なくとも、子育てに対する支援ということを考える場合、その被保険者本人ではなくて、児童の方の負担を軽減するということについて発想を転換した対応というものが求められているのではないかというふうに思います。
 八点目、保育費負担を軽減するためには保育切符、保育バウチャーを導入し、それを保育料やベビーシッター代等の一部に充当することを認めたらどうかということでございます。
 これは、保育費を税制の中で所得控除するとか、いろいろアイデアはあるんですけれども、基本的には保育所の規制緩和やベビーシッター等をもう少し活躍し得るような形で体制を整備するためには、やはり保育バウチャーは極めて有効な手段であるというふうに考えております。
 九点目、教育費負担を軽減するためには、高校レベル以上について供給サイドにつけている教育補助金を原則として全額奨学金化し、需要サイドから流すことを検討すべきである。
 これは、教育費予算というのはほとんど供給サイドにつけているんですね。お金は供給サイドに流している。大学であれば、定員が何人いるかというような、あるいは教官が何人いるかということで、それによって例えば東京大学には幾ら、一橋大学には幾らとつけているんですけれども、供給サイドから流しているんですね。それをやめて需要サイドからつけるということに切りかえる。全部奨学金に変えてしまう。ただし、授業料は目いっぱい払ってもらう。それで本人が後から返すという形に変えたらどうかということでございます。
 三番目の問題、これからの日本経済ということでございます。これは人によって考え方は違うと思います。事実の方から申し上げます。
 まず一点目、現役で働いている人の数は、金融システム不安等がありまして、実は一九九八年から減り始めております。これは、厚生年金の被保険者数だとかいろいろ調べてみると明らかでありますが、数が現に減っております。二十一世紀に入りましても、少子化の進行がありまして、現役で働いている人の数は恒常的に減っていくということでございます。
 これは今までの日本経済とは正反対の動きであります。今までは右肩上がりでありまして、働いている人の数はふえ続けるということが当たり前の時代だったんですね。今度は減り始めて、しかも減り続けていくという時代に入るわけですから、従来の想定が崩れるということであります。ですから、今までどおりの発想ではだめだということをここは物語っている事実でございます。
 二点目、年収が上昇するグループは少数派にとどまり、多数派はよくて横ばい、むしろ年収低下になるおそれがあるということでございます。
 これは、今雇用リストラのあらしが吹き荒れておりまして、その中でいろいろな試みがなされておりますけれども、どうも日本はアメリカ的な雇用管理の方向、そっちに全面的に切りかわるかどうかは別として、そちらに変わりつつある。業績主義の色彩が極めて濃厚になりつつあります。業績主義という形が一般化すれば従来のような年功序列型の賃金体系というのは崩れるわけでありまして、そうなると、年とともに月給が上がっていくというシステムはもはや維持されないということであります。
 年収が上昇するグループはそういう意味では少数派、これはパーセンテージはよくわかりませんけれども少数派でありまして、多数はよくて横ばい、むしろ月給なり年俸が減っていくという人たちが実は多いということになるおそれがあるということでございます。
 これは、将来的に見ると賃金総額が必ずしもそんなにもうふえていかない時代に入ったということですね、入ったと。それで、働く人の数も減り始めたし、その人たちが手にする所得も全体として必ずしもふえていかない、そういう時代に入ったということでございまして、これは社会保障財源を考えるときに、今まで何でもかんでも現役に負担してもらえばいいという形で動いてきたと思うんですが、そういうような過程が、あるいはその方策がもはや現実的でなくなりつつあるということを申し上げたいわけでございます。
 四番目の問題、社会保障をめぐる最近の事実でございますけれども、これはもう既に御案内のとおりです。
 一点目、社会保障給付の六五%は高齢者向けの給付でございます。この割合は、かつてはもっと低かったんですが、将来さらに上昇していくということでございまして、社会保障給付というのは基本的にはその大半は高齢者向けの給付であるというのが日本の現実でございます。
 二点目、三十歳から四十九歳層は所得再分配あるいは社会保障財源の出し手となってみずからの所得を減らしております。再分配後所得で見ますと、最近における高齢者のポジションというのは五十歳未満、三十代、四十代の人よりも既に高くなっております。所得を出しているのはそういう三十代や四十代なんですが、その出し手と比べて最終的な再分配後で見ますと高齢者の方が所得ポジションがよくなっている。これは、一部に社会保障給付の行き過ぎがあるのではないかというふうに若者が考えざるを得ないところに立ち至っているということでございます。
 三点目、社会保険料負担は国税負担を既に上回っているということでございます。
 これは、昨年度の当初予算ベースでございますが、社会保険料負担は総額で五十四兆五千億円でございます。国税総額は当初予算ベースで四十七兆一千億円でございます。税金の問題は国民的な大関心事項でありまして、毎年のように物すごい議論があるんですが、社会保険料負担をめぐってはほとんど議論がないんです。ないんですけれども、実際はもう金額的には国税負担を上回っている。議論をしなくていいのかということを申し上げたいわけでございます。
 四点目、公租公課の中では年金保険料負担が突出して重いということでございます。
 これは、高い高いといって不満の高かった所得税、現在一年間で十五兆円ぐらいであります。あるいは法人関係者の不満が強い法人税、これは一年間に十兆円程度なんですね。あるいは消費税、これは地方税負担、地方財源も含めまして消費税五%分で十二兆八千億円です。ところが、年金保険料、公的な保険料だけで実はもう三十兆円近いんですね。あるいは、医療保険料十七兆円台です。いずれも所得税や法人税の負担を上回っております。特に、社会保険料の中で事業主負担分は二十九兆円です。法人税負担は十兆円。地方の法人事業税、四兆円台です。事業主負担の社会保険料というのは物すごい金額に既になっているということなんですね。この事実をどう考えるかということでございまして、以下、どうするかということについて私の意見を述べていきたいと思います。
 五番目の問題、社会保障財源の調達問題ですけれども、日本の社会保障はもう既に負担を分配する段階に立ち至っていると思います。この負担問題を緩和するためには、やはり今後とも経済成長を続けていくことが政策的に重要でありまして、経済成長を阻害する割合の小さな財源を見つけるということがそういう意味では重要だというふうに思っております。
 二点目、今後における公的負担増は、現役組、高齢者、国が等分に引き受けるということを新しい負担のルールとして設定する必要がある。これからは、年をとっても社会保障制度に応分に貢献し続けることが求められているというふうに考えます。
 三点目、日本の高齢者は戦中戦後の苦しみに耐えてきた人々でございます。彼らのささげた犠牲と献身によって今日の豊かさが築き上げられたというふうに思っております。日本の今の高齢者は、子供や孫のためにみずからを犠牲にすることを惜しまなかった人々でございます。その子供たちが今どうなっているかということでございますが、この不況のあらしの中でボーナスをカットされ、月給をカットされ、雇用リストラの対象になっておりまして、そういう不安に今おびえているというのが実際です。
 今、日本の高齢者はみんな子供や孫がいます。その子供がどうなっているかというのは実はよく御存じのはずなんですね。私は、彼らは犠牲と献身という高貴な心を今もって失っているとは思っておりません。その直観に訴えて、多少とも譲歩をお願いすることをすべきなのではないかというふうに思います。いたずらに世代間の利害対立をあおることは必要ありません。親子の問題に換言してこの問題を議論する必要があるのではないかというふうに思います。
 四点目、今後主要財源として増税することが望ましく、また増税が可能だと思われるのは事実上消費税に限られるということでございます。
 これは、所得税、法人税を増税していいではないかという意見が一部にございますが、確かに今のままでも景気さえよくなれば法人税や所得税収は上がります。ただ、構造的に増税できるかというと、私はその余地は極めて限られているのではないかというふうに思います。そういう意味で、残された財源は消費税しかないというふうに思います。
 ヨーロッパの経済統合に当たり、ガイドラインとして付加価値税一五%ということになっております。現在、ヨーロッパで付加価値税一五%以下の国はございません。みんなこれを上回っておりますけれども、そちらで何とか折り合いをつけているのがヨーロッパの実情です。
 日本もこれから消費税の税率を上げることが求められると思いますけれども、問題は、どうやって上げていくかということであります。それが五点目でございますが、消費税は、社会保障財源としてばかりでなく国の一般財源や地方財源としても期待が高い。そういう意味で、増税をめぐって知恵比べの時代に入ったというふうに考えております。
 これは、昨年及びことしの国の予算総則を見ますと、消費税の使途については福祉目的に限定するということになっております。中身は、年金と高齢者の医療と介護だということになっております。福祉はこの三つしかないのか、それはよくわかりません。私は、なぜ子育てがあの中に入っていないのか不思議でなりません。なぜ子育てを除外してしまったのか。
 これは、国の予算総則ではそういう縛りをかけたんですが、実は消費税財源の四十数%は地方財源になっているんですけれども、地方財源については何の縛りもかかっておりません。国の予算総則ではこの三つに使途を限定するということになっているんですが、地方財源にはこの縛りがかかっていないんですね。それでいいのかどうかということもあります。
 それから、そもそも消費税というのは福祉財源に限定すべきものであるかどうかについてももっと議論する余地があると思います。なぜ教育や科学技術の振興に消費税の財源を使ってはいけないのか、なぜ環境保全や維持のために消費税を使ってはいけないのか、これは大問題であります。なぜそれをあらかじめ封じてしまうのかということであります。やはり国の一般財源としても消費税というのは残す余地が高いのではないか、あるいは地方から見ましても、今後とも有力な財源は消費税しか事実上ないんですね。それで、地方に消費税を回すということをやはり考えざるを得ない。いずれにしても、知恵比べの時代に入ったというふうに申し上げるしかないというふうに思います。
 六番目の問題は、年金にやや問題を特化させていただきますけれども、従来段階的に保険料を引き上げてまいりました。これが今後労使によって拒否される可能性が極めて高くなっていると思います。
 先ほど来、日本経済の現実を申し上げました。サラリーマンの絶対数がふえ、しかも給与は総体として余りふえていかない。そうした中で、いわば賃金税としての保険料を上げていけるのかということであります。自分の手取り所得を減らしてまで社会保障財源の拠出に賛成するという余地は非常に限られてきたというふうに思っております。
 そういう意味で、段階的な保険料の引き上げというのはなかなかもうできなくなった。しかも、経済政策的に見ても得策だとは言えない段階に入っていると思います。これが一点目でございます。
 二点目、国民年金の保険料は定額制であり、逆進性が極端に高いという点でございます。
 三点目、国民年金の保険料を引き上げますと国民年金制度の空洞化がさらに進むおそれが強いというふうに思います。
 四点目、社会保険方式に固執し続けますと、基礎年金の給付カット、具体的には水準切り下げ、物価スライドの見送り、受給開始年齢のさらなる引き上げ、高所得者への給付制限等、この給付カットに着手せざるを得なくなると思います。
 これは、社会保険方式に固執しますと保険料を引き上げていかざるを得ないんですけれども、それが事実上できないということになりますと、給付を大胆に見直すしかないということでございます。
 五点目、基礎年金を税方式に切りかえると、悲願であった国民皆年金が初めて実現し、諸問題はすべて一挙に解決されるということでございます。
 六点目、税方式か社会保険方式か、これは役所の人たちが好きな問題提起でございますが、私から見ると余り意味をなさない問題提起だというふうに思っております。この問題は、実は保険料の徴収ベースを切りかえるか否かということでございまして、年金目的消費税を財源とする場合、社会保険方式は維持されるというふうにみなすことができるということであります。
 社会保険というのは、純粋の私的保険と違いまして、その財源である保険料の使途が限定されている。これは目的税で担保されるわけです。それから、拠出を担保にとって給付をするということがもう一つの特徴なんですけれども、これも、消費税ということであれば生まれたときからみんな払い続けるわけですから、これももう自動的に担保されるわけであります。ですから、年金目的消費税を仮に財源とする場合、社会保険方式は維持されるというふうに考えることができるわけでありまして、税方式か社会保険方式かという哲学論争を何か役所サイドはしかけようとしているんですが、極めて無意味な問題提起だというふうに私は考えております。
 七点目、基礎年金を税方式に切りかえますと、従来の年金保険料を引き下げることができます。それから、従来の国民年金保険料を廃止することができます。また、ピーク時の年金保険料負担、これは従来のものでありますが、これを現行程度に、厚生年金の場合ですけれども、抑えることができます。
 八点目、基礎年金の保険料徴収ベースを消費支出に切りかえると、トータルとしての国民負担には変わりがないんですけれども、個々の当事者にとっては負担が変わるということでございます。現役組はネットで負担減となります。年金受給者となっても年金財源を拠出し続けることになるということでございます。
 九点目、年金目的消費税の場合、基礎年金給付、これは定額給付でございますが、これもあわせて考慮しますと逆進性が消失します。
 十点目、年金給付を調整する際には、まず隗より始めよという考え方を重視せざるを得ないと思います。
 これは、今、年金法案の審議が佳境にあるというふうに思いますけれども、いずれにしても将来の保険料負担が大変だ、だから給付を一部どうしても抑制するということであります。給付を抑制するということは、個々の当事者でいえば自分のもらう年金が減るということになるわけであります。一体だれの年金を減らすかという問題がまさにこの年金改革で問われている問題なんですね。その場合に、例えばこの問題を発議する年金審議会委員が率先して自分の年金を減らす、あるいは所管している年金局長さんの年金を自分から進んで減らすという体制になっているかどうかということが国民にまず問われると私は思っています。
 これは、民間企業でリストラをする場合、まず役員の数を減らします、あるいは役員賞与を減らし役員の給与をカットします。その上で、従業員に対して少し雇用整理をしたいとか、あるいはボーナスをカットしたい、月給をカットしたいという話になるわけです。それで、役員もそうしているのであれば我々もついていくしかないなという形になるのが普通なんです。
 ところが、年金改革において給付を削る、個々の当事者の年金の給付を減らすという場合に、それを発議する立場の年金審議会の委員の年金というのは一体どれだけ減るんだということです。あるいはそれを所管している省庁のキャリア組の年金が一体どれだけ減るかということをみんな見ているわけです。私の見る限り、今回の年金法案にはその面が非常に希薄だと思っています。実は、私は年金審議会の委員でございますが、私の年金額は支給開始年齢を六十五歳に引き上げられてもほとんど減りません。私の年金は減らないんだけれども皆さんの年金は減らしますということを今提案しようとしているというふうに私は思っているわけです。
 これは、国会議員の皆さんはこの議論をまずするわけでありまして、まげてお願いしたいんですけれども、皆様が受ける国会議員の互助年金がありますけれども、これについて何も言及することなく、年金額を将来このような形で調整します、こういう人たちには譲ってもらいますという形で議論しているだけでよろしいんでしょうかということを申し上げたいわけであります。これはまげて皆さん真剣に議論をしていただきたいということでございます。
 それから、七番目でございますが、介護や高齢者医療の財源問題ということでございますけれども、これは私の必ずしも専門ではございません。
 ただ、基礎年金を税方式に変えるとそれが介護や高齢者医療にも及ぶのではないかという意見がございます。皆同じで十把一からげに議論していいかということですが、実は、年金は若いときに保険料を払って年金受給者になったら保険料を負担しません。ところが、介護や高齢者医療は年をとっても保険料を払い続けるということが可能なんですね。そういう意味で、質的にやはり内容が違うのではないかということを申し上げたいんです。
 社会保険方式を介護や高齢者医療について維持する場合には、高齢者の保険料負担分を年金給付から天引きすることができます。その分だけ現役世代の負担は軽減されるわけでございます。
 あるいは、税方式に切りかえ、消費税を増税しますと、物価が上昇し、年金にはスライド規定が発動されますので、年金は基本的にはその物価上昇分だけ引き上げられるということでありまして、年金受給者のネットの負担は大幅に軽減されてしまうということでありまして、年金と介護、医療、それぞれ別の問題を抱えていて、同じ次元で同じように議論できないのではないかというふうに申し上げたいということでございます。
 以上で私の意見陳述を終わります。どうも御清聴ありがとうございました。
#7
○会長(久保亘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑は午後四時ごろまでをめどとさせていただきます。質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って質疑を行うようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
#8
○松村龍二君 自由民主党の松村でございます。
 塩野谷先生にお聞きしたいんですが、この少子化の問題で、私も自分の身の回りを見ておりますと、自分の子供は二人おりまして、上の娘は、一人ぐらい産むのかなと思っておりましたら、同じアパートの人が二人持っている、それに刺激されて何か二人目をつくったようですが、下の娘は御多分に漏れずひとりでおりまして、なかなか伴侶が見つからないと、こういう状況ですが、一般的な社会の例かなと思っておるんですが。
 ただいまお話を伺っておりまして、日本の国が少子化あるいは人口が減少するという将来おそれというようなときに、外国人の移民を入れれば、日本人だけの人種を残して少子化とか老齢化とかで悩んでなくて、いろいろ新たな展開があるんではないかと、こういうふうな感じもするわけです。
 具体的に申しますと、私どもの県は北陸の福井県というところでありまして、繊維産業が中心なんですが、繊維産業が少しでも安い労働力を使いたいということで今外国人の労働者を求めているわけです。これに対しまして今、一年研修、二年実働という三年単位で外国人労働力を認めておる、これを地元の産業としてはどうしても二年研修、三年実働と、五年単位にしてもらいたいと。これは企業が成り立つためにそういう要求があるんですが、先般法務省に相談しましたところ、どうしてもそれは勘弁してほしいと。三年なら本国へ帰っていくけれども、五年になるとどうしても、家族を呼び寄せたり、あるいは日本人の中で結婚して子供を産むということがあるので、これは移民政策の大変な転換になるので、これだけはちょっと法務省だけでは踏み切れない、こういうような話であったわけです。
 アメリカ等を見ておりますと、非常に活発な人口構成といいますか、あれがあるわけですけれども、日本において少子高齢化の問題も、日本人だけで悩んでなくて移民というような問題に着目すれば、この問題に限っては大分変化が起きてくるんではないかというふうに思いますが、そのことについて塩野谷先生、どのように日ごろお考えなのか、あるいはどういうふうに今の問題に対してお考えなのか、お聞かせいただければと思います。
#9
○参考人(塩野谷祐一君) お答えいたします。
 外国人労働者あるいは外国からの移民をどう扱うか、人口問題との関係でと、こういうことですね。
 これを論ずる視点といいますか、あるいは次元がいろいろあると思うんですけれども、単に人口をふやそうとか、あるいは少なくとも現状ぐらいに維持しようというような、そういう人口数的な発想で受け入れるかどうかということを私は議論したくないんです。
 私が考えるのは、もっと社会全体として、つまり国籍、民族、文化、歴史、伝統、そういうものを異にする人々を受け入れるだけの社会がユニバーサルな基礎を持っているかどうかということの方を重視したいわけであって、そういう観点からならば、移民を受け入れていろいろ日本の民族にないような考え方とかあるいは資質を社会が受け入れるというのは、私はいいことであると思うし、そして文化の多元主義というものをこの社会の中に埋め込んでいくのはいいと思うんです。
 ただ、私は、人口の数を維持するためにそれが必要であるとか、あるいは社会保障の負担をしてもらうために外国人を入れるとか、そういう観点からだけ議論するのは望まない、欲しないというふうに考えています。それは、人口問題を単に社会保障財政のつじつま合わせのために議論することがよくないというのと同じ意味で考えています。
#10
○会長(久保亘君) 高山先生、何かございますか。
#11
○参考人(高山憲之君) 特に私に指名はなかったんですが、外国人労働問題は今後やはり本格的に議論をしてもらいたい問題の一つでございます。
 少子化が進行しているのは日本だけではございません。ドイツもそうですし、イタリアもそうです。あるいは、南ヨーロッパ諸国みんなそうなんですけれども、彼らのところへお訪ねをしまして議論をしても、どうも日本的な感覚が共有されないという面があるんですね。やはり彼らは、人口が減っても、外国人労働というものに対して過去に相当の経験があり、いい点も悪い点も含めてかなり習熟をしているんですね。そのことについて特にいたずらに拒否的になるようなことはありませんし、今後ともいろいろな観点から入れていかざるを得ないということについてはかなりの合意が私はあると思っております。
 その際に、いわゆる単純労働者をどうするか、あるいはスキルドレーバーをどうするかといういろいろ仕掛けの違いはあるんですけれども、基本的に将来についての悲観論というのが余りないんですね、人口が減っているにもかかわらず。
 日本はそうでもなくて、日本人が減っていくこと、あるいは外国人を入れることによって従来の日本の伝統だとかそういうようなものが崩れていくことに対する危機感というのは非常に多くて、温度差が非常にあるというふうに思います。経済的な活力とか豊かさだけであれば、アメリカやイギリスのように特に熟練労働を日本に入れれば問題のかなりの部分は解決可能なんですね。
 ですから、いろいろな意味も含めて従来とは違った段階に私は日本は立ち至っていると思いますので、外国人労働も従来とはまた違った観点から議論し直す必要があるのではないかというふうに思っています。
#12
○益田洋介君 まず最初に、塩野谷先生、高山先生、本当にお忙しい中、御苦労さまでございます。
 初めに、塩野谷先生に二、三御質問したいと思うわけでございますが、非常に私が興味を深くして伺わせていただきましたきょうの先生のお話の中で、社会保障の負担が保険料、租税、自己負担の三者による以外にないのが現状である、こういった観点を踏まえて、特定の財源によらなきゃいけないという理由はないので、理想的な運用の仕方というのはこの三者の間での柔軟な最適の組み合わせを追求すべきであると。ここにやはり特定財源といいますか、社会保障についての財源を希求するに当たっての究極の結論というようなものを御提示されているのではないかと思います。
 具体的に、税の目的化を含めて、これは高山先生の議論の中にもございましたんですが、両先生にまたがっての質問になるかと思いますが、その中で、税金を納税者間の社会契約論的な観念に基づいて、そしてこうした三者の中での運用をしていく。この三者の財源の中での、特に税金に対する納税者間の社会契約的な観念というものについての先生のお考え、これは簡単にということはむしろ失礼に当たるかと思いますが、若干敷衍して御意見を拝聴させていただきたい点が一点でございます。
 それからもう一点、非常に私また興味を持ちましたのは、社会保障が国民全体のために希求していく公共的な仕組みにあるにもかかわらず、現状としては負担せずに便宜だけ得ようとするという国民の中での特定の、特定というか、ある人といいますか、大多数と見られている方もいらっしゃるかもしれませんし、一定の方は確かにいらっしゃると思います。それから、負担のツケを他者に回そうという意識、これが二つ目でございまして、それから利益誘導型政治を利用しよう、ここら辺非常にぐさりとのど元に刃物を突き当てられたような気持ちもするわけでございますが。こういった非常にあってはならない、国民の税負担の公正さ、適正さという観点からあってはならない状態は、先生具体的に、具体例としてはどのようなものを現在頭に浮かべてこういうふうな議論をされていらっしゃるか、この点についての質問が第二点目でございます。
 それから三番目、やはり政治家として非常に気になりました先生の御発言の一つに、ショックアブソーバー的な公正な形での便宜に対する対価の負担という議論の延長線上で、各種の委員会で議論がかなり煮詰まって具体的なところまで論及されていながら、結論的には政治的な解決という方向にゆだねられてしまう。つまり先送りされてしまう。先生方が御参加になられている審議会なり、その議論の中身から、そこの部分で一つブロックされてしまって先に行けない。その一つの要因として先生が多分、これは類推でございますが、挙げられているのは、政治的な解決にゆだねられている。この辺もやはり私ども看過できない問題だと思いますので、具体的にどういったところからこのブロックをブレークスルーしていけばよろしいのか、お知恵を与えていただきたい。
 三点でございます。
 さらに、高山先生は随分税の議論をされておりました。財源の問題が非常に私はやはりポイントになってくる。絵にかいたもちのような社会保障の議論をしているよりも、むしろ税制の改正ということに具体的にしっかり取り組むのが私は、私は専門家じゃございませんですが、日ごろ感じているところでございます。
 それで、まず第一に、直接、税とは関係ないことになりますが、大きな二番の九番の中に教育費の負担の軽減ということで、先生の御提案なさっています需要サイドから資金を流すという考え方の中で、学生のローンというのは多分そういうふうな発想で議論をされていらっしゃったんじゃないかと思います。
 私も経験してまいりましたが、特にイギリスの場合、アメリカでもそうでございますが、ドイツ、それからスイス、フランスでもそうだと思いますが、高等教育に当たってはもう既に社会的な通念として親の負担義務はないんだと。義務教育までは親は当然子供を産み育てたという、そういうふうな観念かどうか、個々人によって多少違うと思いますが、基本的には義務教育は親御さんたち、つまり保護者と言われる立場の方々が面倒を見るけれども、さらにその上に高等教育を受けたいと希望する学生や子供については自己負担というのが、言ってみればこれは受益者負担なんです、将来的に考えれば。そういった観念といいますか、通念というのが底流にはあるような気がいたします。
 ですから、数々の奨学金制度というのが、これは政府機関を問わず、民間企業、民間機関も奨学金制度というのを非常に豊富な手厚い形で準備されておりますが、それは例えば学力の面でのメリット。つまり、学力のある子供に対して、また向学心を持っている学生に対してのみ与えられるというわけではなしに、学力のメリットがなくても勉強したいという子供については奨学金、これは大体、いただいただけじゃなくて、社会に就業してから十年とか十五年のスパンで返却するというのが要するにローンなわけでございますが、加えて都市銀行がそういうふうなシステムをつくっております。都市銀行がローンを学生に対して行って、奨学金制度と同じような扱いでローンの返済を就業後にさせる。
 この辺を先生方、学識経験者の方々が立派なこういった提案をされても、実現させるためには官民といいますか、政官民、やっぱりいろいろ状況を設けて、議論する機会を設けて協力していかなきゃいけないことだし、非常にこの点は先生の御説もっともでありながら、残念ながら我が国では奨学金制度というのが非常におくれているということでございますので、この点は具体的に機会をとらえて、私ども国会議員も努めてまいらなければいけない一つの命題だというふうに考えております。
 最後の質問でございますが、高山先生の六番目の六でございますけれども、年金目的消費税。これはやはり基本にある考え方は受益者負担だと思う。であるならば当然、例えば高価な買い物をした場合にはそれなりの消費税というものを負担しなきゃいけない。それが翻って社会にさまざまな形で還元されていく。先生は非常に、大網をかぶせた今福祉目的税というようなことを議論されているのは残念だと言いましたが、私は目的税そのものという議論が基本的にもう少しなされなきゃいけない。ですから、目的を基本的には限定してしまうというのが私は正しくない、税のあり方として。
 ただ、先生がおっしゃるように、欧米で一五%を最低、マイナスシーリングの一つの目標にしていますが、現実的には二二%とか二五%、二六%にもなっている。そうしていかなければ今後の少子社会、高齢化というのは当たれないんだと先生はおっしゃったけれども、対応し切れない。今のうちから年金の給付制度の見直しを含めてしていかないと間に合わなくなるような、年金システムそのものが破綻しかけているのは目に見えている現状で、まだ平気で消費税率が、消費税率の話をすると各党いろいろなお立場があるので問題なんですが、やはり早い機会に国民の方にわかっていただく。
 消費税という名前がよくなければ、さまざまな形の、先生が御提案なさったように、教育とか科学技術の振興とか、もっと幅広い、目的を限定しないそういった税金の改変とか、あるいは導入というのをやはり真剣に今の段階から議論しなきゃいけないというふうに考えるわけでございますが、この目的税の是非、それから受益者負担の原則、その辺を踏まえて具体的に、高山先生、何という名前をつけたらいいかわかりませんが、とにかく応分の将来的な負担を確実にしょい切れるような社会の仕組みを形成するための税の導入あるいは改革というものについて具体的にどのように進めていったらよろしいのか。学識経験者からの御意見もいただきながらのことですけれども、国会でもやはり議論されなきゃいけない。また、外部の有識者の方の御議論もぜひ踏まえながらしていかなきゃいけない。具体的にはそれではどのような手を今から打っていったらよろしいのか、先生のお考え方を伺いたいと思います。
 以上でございます。
#13
○参考人(塩野谷祐一君) まず第一に、国が公共財にお金を費やす、あるいはメリット財と経済学では言いますけれども、私的財でありながらこれを社会的な仕組みのもとで提供しようとする財、社会保障などがその典型ですが、メリット財。こういうようなものをなぜ個人のかわりにやるのかといいますと、公共財の場合にはそれは私的な市場で個々人がうまく資源配分上の仕組みをつくることができないわけですから、これは国にやってもらわなければならない。これはいいんです。そのために税金を払う。その税金は必ず公共財のベネフィットに見合う形で受益者負担的に考えるというのが近代の公共経済学の考え方です。東京帝国大学で教えているような明治以来の絶対主義国家の財政学ではなくて、公共経済学というのは国民の、タックスペイヤーのベネフィットに見合う形で社会的に公共財を運営する、こういう一つ原則があります。
 これは今、社会保障の問題と別ですけれども、社会保障の場合には公共財の場合と比べてこれにただ乗りをする傾向が非常に強いわけです。それはなぜかというと、社会保障の便益は個人に帰属するんです。年金であれ、あるいは医療のベネフィットであれ、介護のベネフィットであれ、決して社会的に分散されてしまうものではなくて個々人に帰属するものなんです。ですから、そういう社会保障サービスを費用の負担と便益の享受とを切り離して行えばただ乗り現象が起きます。
 公共財の場合にもそれが指摘されますけれども、公共財は薄くみんなに行くものですから特にだれがこれを要求するという強い要求は出てこないわけですけれども、公共財の中でもいわゆる公共事業というのは、これは地域的な公共財であってあくまでも個人にかなり帰属しやすいものであるわけですから、代議士が地方のために利益を誘導するというようなことは主としてそういった公共事業についてやるわけで、軍備のためにやろうなんという政治家は余りいないでしょう。
 その公共財、それから公共事業と並んでもう一つ社会保障が問題になる場合に、これも厳しく強くただ乗り現象が起きやすいのです。こういう場合に、なぜそれじゃ個人的に便益が帰属し、そして個人的に市場で買える医療、年金、介護のサービスを社会に任せるかというと、それは金のある人は市場でニーズを満たすことができるけれども、そうでない人は満たせない。これは社会的な正義に反するということで、社会保障制度というのは予期しないような、つまり個人の責任に帰せられないようなリスクを社会全体がプールして世話をする、つまりリスクを分散し、そして社会的に処理しようという仕組みであります。
 その場合に、人々は掛金を払うというふうにまず想定しましょう。これは税金でもあるいは社会保険料でもなく、ただ掛金、それが私はこの社会保障制度の財源を扱う基本的な立場であって、人々が自分が一生どんなリスクに直面するかわからない、しかし社会的にそれを負担し、リスクの生じた人にベネフィットが行く、そしてたまたま幸運にもリスクに直面しなかった人は、それは損をしたというのではなくて、リスクが生じたならば自分もそういう便益を受けられたけれども、そういう安全を保障してなおかつリスクに遭わなかったということですから、よく保険料の掛け捨てという言葉がありますけれども、決して掛け捨てという事態は保険というシステムにはないわけです。必ずリスクが起きればベネフィットが得られるという仕組みのもとで掛金を出し、そして自分がそのリスクに直面しなかったならばこれはおめでたかったわけで結構でしたということになって、そしてリスクの生じた人に掛金が向けられる、こういうシステムですね。
 ですから、そういう場合に税金とか保険料とかいうことを区別する理由はその次元では全然ないわけであって、区別をしているのはそういう仕組みを既に持っている、あるいは法律を持っている役所であり、あるいはその法律的解釈しか知らない社会保障学者なのであります。
 ですから、私は基本的に税金と保険料というのは区別がなく、リスクに対する仕組み、リスクに対処する仕組みであるというふうに考えている。税金を払っていないから生活保護の人にやるのは国家の財政を通ずるものしかないといいますけれども、彼らは貧しいがゆえに所得の免除をされているだけであって、みんな社会にいるということによってその社会的仕組みへの掛金を皆払っている。それは所得に応じて払うということですから、生活保護の対象になる人は払わなくてももらえるということになっているわけで、私はそういう意味で社会保障システムを理解すれば財源の問題において保険料、税金を区別する仕組みはない。
 あと、個人の自己負担というものがありますけれども、これは外国ではコペイメントといいまして、保険者が払うのに対してその当事者、患者とかあるいはリスクに直面した人がやはり受益者負担というコスト意識を満たすために、コスト意識に基づいて社会システムを効率的にするためにつけ加えているシステムであります。
 いずれにせよ、三つの財源は将来ふえなくてはならない、ふえざるを得ないわけであって、それで二番目の問題に行きますけれども、その財源の例えば保険料を上げずに税金でやればいいというのもツケのツケ回しですし、あるいは自己負担を上げること、つまり医療改革をすれば自己負担がふえるというのが出てきます。それは必ず反対し、どこかへ持っていけというふうになるわけで、しかし、いずれにせよ今後の社会保障費総額がふえる中で、皆が、三つのどれもがふえなくてはならないけれども、現在どこが最も不公正なシェアの仕方であるかというところからいえば、保険料よりは少し公費に重点を置きつつ自己負担をふやす、私はそういう方法が考えられるべきだというふうに思っています。
 利己的に、負担のツケ、負担せずに便益だけ得ようと。これはもういつでも社会保障改革で、例えば医療の自己負担が今度上がるというと必ずこれは患者にツケを回すということで文句が出るわけですし、また他者に回そうというのは、例えば高齢者の医療制度を改革する幾つかの案がありますけれども、自分が楽になろうという案を提案しているだけであって、将来三倍にもふえる医療費を進んで公共的理性に従ってお互いに負担し合おうというような案は一つもないんです。私の案はそうなんですけれども。利益団体者が主張しているのは必ず自分の分け前を多くする、利益の方ですよ、それで負担の割合を減らそうというような案ばかりであって、これはもう審議会なら両論併記にならざるを得ないわけでしょう。それが政治の場へ行って、政治力のある人の案がとられるということになっているわけです。だから、それが利益誘導政治というものでしょう。
 ついきのうかおとといの新聞にも、ある新聞が日医の会長に勇敢に発言をしていましたけれども、薬剤の一部負担をなぜやめたのか、それから参照価格制度をなぜつぶしたのかというようなことを聞いておられます。そういうのは、すべてツケをどこかに回しながら、社会保障をただ乗りと考え、利益誘導政治をしている例であります。
 私は、それじゃどこにそういう非啓蒙的な事態を突破する道があるかといえば、それは、国民めいめいが参加しているのが民主主義ですし、あるいはそれの代表者として代議制のもとで国会で活躍している人たち自身が正すべき問題であり、それでそれが不可能な場合には、世論あるいはマスコミ、そういう人たちがその非を強調して、これはよくないことをやっているということを書くべきであって、そういうものを正していく道は社会が健全であれば私は幾らでもあるというふうに思っています。
#14
○参考人(高山憲之君) 難しい問題を幾つか指摘をされたんですけれども、まず社会保障負担をめぐる問題で一番悩ましいのは、今後高齢者にどうやって負担増をお願いするかという問題だと私自身は考えております。
 それは、先ほど時間の関係で詳しく説明できなかった、お手元に私が書いた「年金の教室」という、第八章に図の八の一というのがございます、百八十六ページなんですけれども。最近のこれが実態でございまして、費用を負担しているのは現役の人たちであり、ネットでもらい手になっているのは六十歳以上の人たちなんですね。しかも、六十歳以上の人たちの所得ポジションというのは、三十代、四十代に比べて高いという、そこまでもう立ち至っているということなんです。
 こういう事実を前にして親子で話をすれば、おのずから私は一つの結論が出てくると思っているんですね。親子で話せばですよ。ところが、親子で話をするというそういうきっかけを与える場がほとんどないんです。専ら当事者なり利害団体が自分の主張を述べるだけであって、天から社会保障給付というのは降ってくるわけじゃないんです。給付があるところには必ずだれかが負担しているわけなんですけれども、その給付と負担を調整した結果、この図の八の一に書いてあるような現実が既にあるということなんですね。この現実を前にして親子で話せば私はそんなに難しい話にならないと思うんですよ。
 いかんせん、高齢者はもらい過ぎで負担が少ないということになると思います。もうちょっと子供の方に、現役で働いている人にもうちょっと手当てをしていいんではないかという話になるはずなんですね。現に今、高齢者の子供や孫は、ボーナスをカットされ、月給を減らされてリストラ不安におびえているわけです。これはみんな高齢者は知っているわけですよ。なぜそこへもっと切り込んだ問いかけをしないのかということだと思うんですね。
 介護保険がスタートするに当たって、高齢者については当初半年間は保険料を負担免除する、こういうことになったようですけれども、それは一体だれがじゃ、給付は残るわけですからだれがその財源を負担するのかという議論をさらに突っ込んでやらなきゃいけなかったはずなんですね。とりあえず負担を免除するだけで終わっちゃっているわけです。給付はあるわけですから、だれがじゃその負担を免除したものを負担するのかという議論をもっと突っ込んでやっていただきたいということでございます。
 私は、日本の高齢者はそんな欲得の人たちばかりだとは思っておりません。子供や孫の話になれば十分話に応じてくれるはずだと思っているんですね。その話をどうしてもっとしないのかというのが私の率直な疑問でありますし、問題提起だというふうに考えていただきたい。
 それから、同じ本の、章が変わりますけれども、第四章の九十三ページに最近の社会保険料や税の負担の実態が示されておりますが、この絵を見た人は実は驚きの声を上げる人がほとんどなんですよ。税の方がはるかに負担が重いとみんな思っているわけです。所得税、法人税の方がはるかに負担は重いと思っていた人が多いはずなんですが、実は違うんですね。年金保険料はもう三十兆円近く行っているんですよ。医療保険料は十七兆円台です。
 そういう現実を前にして、今までどおり保険料を上げていきますよと。サラリーマンがふえることを前提にし、月給総額がふえることを前提にした仕掛けの中でずっとやってきた結果がこういうことになっているわけですよ。今後ともこれを続けていいですかということなんですね。サラリーマンの絶対数減ります、月給総額は余りふえません、そういうときに保険料を段階的に引き上げていっていいんですかということなんです。
 私はもう消費税しかないと思っているんですが、消費税は残念ながら極めて強い拒否反応といいますかアレルギーが吹き荒れているわけですね。ここを何とか解きほぐしていっていただかざるを得ない。いろいろ不幸な成り立ちはあったんですけれども、いろいろ誤解もあったと思いますが、そういうのを一つずつ解いていただいた上で、さらに今後社会保障給付を維持していくためにはどこの負担を上げるのかという議論をするときに、やはり保険料ですねという答えには私はならないと思います。やっぱり税しかないんですよ。
 税といっても一般税だといろいろな意味で難しい。消費税というのは、一般税で難しいといったら、じゃ今度税率を上げる分についてはとりあえず年金だけに使いますという問題提起をする。その年金に使う分は保険料を下げますよと言ったら、国民の多数はどう言うかということをぜひ問いかけていただきたいんです。現に、ドイツやヨーロッパ諸国では年金保険料を下げて付加価値税の税率を上げているわけですよ。上げた分の増収分を全部年金会計に振り込むということをやって多数派が合意したということがあるわけですね。
 いろいろやった上で、しかし、じゃ先ほどの目的税でどうかという話があったんですけれども、一般論でいえば目的税というのは確かに筋が悪いんです。ただ、じゃ保険料というのは目的税でないかといったら目的税そのものなんですよ、保険料というのは。保険料という名前がついているだけで実態は目的税なんです。年金保険料というのは年金目的の税金なんですよ。年金にしか使わない、しかも拠出を担保にとって給付に使うわけですから、保険料というのは目的税そのものなんですよ。目的税そのものがだめだと言っておきながら、年金保険料や医療保険料や介護の保険料をこれからずっと上げていきますよと言っていていいのかという問題だと思うんですね。
 今こういうバランスの中で、今後とも国民が公平な負担だと思われる負担増というのは一体何なのかということが問われているわけであります。私はもう消費税しかない。消費税を国民が渋々でも結構ですから納得する形で上げる方法というのはどういうやり方があるのかということなんですね。そこをまず問われている。私は、仮の例として今、年金目的消費税という形で申し上げました。年金にしか使いません、かわりに年金保険料、従来の保険料を下げますと言ったら国民はどう言うかということをぜひ問いかけていただきたいということです。
 結果的にこれは現役の人たちの負担を減らします。高齢者の負担をネットでふやす方法なんですね。高齢者グループからの当然反対が予想されます。ただそこは、先ほど来申し上げていますけれども、子供や孫の問題に置きかえていただきたい。保険料を上げ続けたらもっとリストラが強化されちゃう、賃上げができないしボーナスもカットが続く、手取り所得が下がる、それでいいんですかという問題だということなんですね。給付は天から降ってこない、だれかが必ず負担する、そのだれかというのは実は自分の子供や孫なんだということを理解してもらえばいいはずなんですよ。そういう議論をすればこういう問題は私は解けるというふうに実は思っているんです。
 それから最後に、教育をめぐる議論がございました。これは、こういう問題の専門家は、需要サイドからお金を流せという話はいろんな形で従来ずっと主張してきたんですけれども、これに頑固に抵抗しているのは実は文部省そのものなんですね。文部省の機能は半分要らなくなっちゃうんですよ。奨学金係があれば、あとは大学係とか要らなくなっちゃうんですよね。
 ですから、役人にとっては、こういう提案はまさにみずからの死命を制するような問題なんですね。役人主導型の政治というその仕切りの中では、こういう問題提起はしたがって起こりません。ですから、政治主導という形にすれば恐らく問題が展開するのではないかというふうに私自身は思っております。
 アメリカやイギリスの出生率は必ずしもそんなに低下していないんですけれども、これは、ここまでは親が面倒見るけれども大学は自分でやりなさいと言って親元から子供を切り離すことを進んでやる国なんです。早く自立してほしい、そういうことを促すためのことをみんな当然のごとくやっているんですが、どういうわけか日本は子供を親元に置いて、大学出てからもずっと置いておくような話になっている。ここでも山田さんがお話しになったと思いますけれども。いずれにしても、何か日本はそういう特殊な環境に置かれていて、子供の自立を促すきっかけがなかなかない、非常にそういう点ではまずいと思います。
 私は、やはりこういうローンというものを、あるいは奨学金でいいんですけれども、奨学金というものをキーにして大学がやっていくという形にした方がはるかに自立を促す結果になるのではないかと思うんです。これは、文部省の仕掛けを待っているという形では私は実現しないと思います。
 以上です。
#15
○会長(久保亘君) この際申し上げますが、なお数人の方から質疑の申し出がございます。時間も限られておりますので、できるだけ簡潔にお願いを申し上げます。
#16
○日下部禧代子君 きょうは、塩野谷先生、高山先生、ありがとうございます。二十一世紀の我が国の大きな課題でございます人口問題、そして社会保障制度の問題につきまして、いささか刺激的な御提言も含めて大変示唆に富むお話、ありがとうございます。それぞれ二問ずつ質問をさせていただきます。
 まず、塩野谷先生にお伺いしたいのでございますが、塩野谷先生は人口問題研究所の今所長でいらっしゃいますね。ということもございまして、少子化という言葉が日常会話の中でも使われるぐらい非常に至るところで安易に使われております。ここで、少子化という言葉に対して先生はどのような定義をお持ちでいらっしゃるのか、お伺いをさせていただきたいというふうに思います。
 少子化というのは、これはまず合計特殊出生率の低下ということで少子化というふうに一般的に言われているわけでございますが、これは非常に相対的でもあるわけであります。かつて我が国は合計特殊出生率は非常に高かったわけです。それが今は低くなったという意味での低下、少子化ということも一つ言われているように思います。しかしながら、一方では一つのカップルが出生する子供の数というのは二人程度で、そう今変わっていない、ここ何年間か変わっていないという現実もございます。
 この点も含めまして、先生のお考えになる少子化という定義をまずお聞かせいただきたいと存じます。
 それから二番目でございますが、先生は社会保障の選別性ということについておっしゃっております。社会保障制度というのは、選別性、それから補完性、限定性というものを持つのだというふうにおっしゃっております。ところが、現在、一般的には社会保障制度というのは選別から選択へと、普遍主義という言葉も今盛んに言われているところでございます。例えば、介護保険というものの基本理念というのは選別ではなくていわゆる普遍主義、そして同時に利用者が選択をするという権利を持つという理念でスタートしたというように思います。この点につきまして、先生のお考えをもう少し詳しくお聞きしたいと思います。
 それに加えまして、生活保護における補足性ということがございます。これは我が国の世帯単位原則ということ等に基づきまして、我が国の社会保障制度の一つの特色でもございます。そういうことで、この間、宇都宮の二歳の子供が凍死したというふうなことも現在ございましたけれども、生活保護というものの中におけるこの補足性の問題、これは民法の親族扶養ということにも絡んでまいりますけれども、この補足性の問題に関しましても先生のお考えをお聞きしておきたいというふうに思います。
 現在もこの生活保護基準以下の所得のみの貧困世帯というもののうちで六%は保護を受けていないと、これは先ほど申し上げました宇都宮の例もやはりこの数字の中に入るというふうに思います。こういう現状も含めまして、先生の専門家としてのお考えを承りたいと存じます。
 次に、高山先生にお伺いしたいのでございますが、今財源のお話が出てまいりました。消費税、それから、これは税方式であろうが保険方式であろうが財源として変わりはないというふうなお言葉がございましたが、基礎年金の二分の一を消費税で賄うとしますと二〇二五年には消費税率が一三%になるだろうという試算がございます。それに、介護保険もこの税方式にいたしますと税率は二〇%ぐらいになるだろうというふうにも、そういう試算がございます。しかしながら、給付水準は生活保護水準以下であると、にもかかわらずということでございます。
 そういう目的税、消費税方式に対しまして、一方では報酬比例部分を含む公的年金制度を拠出税方式でという、そういう説も今聞かれているところでございますが、この拠出税方式についての先生のお考えもお聞きしたいのでございます。
 その拠出税方式ということになりますと、これは、例えば現在問題になっております企業の積立金不足、これは現状では大体八十兆円にも厚生年金の積立金不足はかさんでいるというふうに言われているわけでございますね、そのような企業の積立金不足が発生しないではないかと。あるいはまた、今問題になっております制度分立、これは既得権の問題もございまして日本は大変な制度分立をしておりますが、その制度分立の問題も解消するのではないか。それからまた、あるいは国民年金の空洞化を防ぐということもできるのではないかというふうな論点からいわゆる拠出税方式ということが言われておりますが、この方式に関しての先生の御見解をいただきたいというふうに思います。
 それからもう一点は、中央政府と地方政府との問題でございます。
 日本の場合には、地方政府もやはりこういう保険ということで現金給付ということを扱っております。しかしながら、これは主に北欧ではございますが、地方政府というのは現物給付ということに専念をする。例えばスウェーデンなんかは社会サービス法などに基づきまして、保育所の問題も含めまして現物給付は地方政府というふうに分かれておりますけれども、この社会保障における中央政府とそれから地方政府の分担につきまして先生の御見解を承りたいと存じます。
#17
○参考人(塩野谷祐一君) 少子化の定義ですけれども、これは単に合計特殊出生率が下がるということだけではなくて、合計特殊出生率のある特定の値以下であるということの場合に特にそれが少子化ということの問題を含むと、こう言われている。その水準というのは、いわゆる人口の置換水準、リプレースメント、置きかえ水準というもの。ですから、これは日本では二・〇八と呼ばれていますけれども、二・〇八よりも低い、今一・三八ぐらいですけれども、そういうところのことを言っているわけであって、単に合計特殊出生率だけの問題ではありません。五から四に下がるというのは大したことじゃないんです。二以下になって、しかもそれが回復の兆しがない、低下傾向にあるということが問題であるわけです。
 子供二人は維持されているではないかと言いますけれども、合計特殊出生率というのはどういうものかと言いますと、今、横軸に年齢をとります、ゼロ歳から百歳までとって、そしてそのそれぞれの女性の数分の出生数、ですから各年齢別の女性が産んだ子供の数で割り算すれば出生率、その年にスペシフィックな、特殊というのはそういう年齢に特殊なという意味なんです。ですから富士山のようなものがかけるわけですね。そして、これはゼロ歳から出発すると言いましたけれども、出産可能な十代の終わりごろから五十代の初めぐらい、あるいは四十代の終わりごろまで、実際には十五から四十九歳までをとっていますけれども、そういうところにちょうど富士山のすそ野が来るようになっているわけです。
 これを時系列的に見ると、その富士山が動いてくるわけですね。高さ、トップが低下しながら右の方に移行してくる、富士山が。山が低くなり、そして山の形が右の方へだんだん来る。しかも常にそのトップの高さが低くなってくる。このカーブのいわゆる積分値が合計特殊出生率になるわけです、その図形の面積が。それで、永久にこの富士山は右の方へ行くかというとそうではなくて、出産の壁というのがありますから、右の方へ移行してくるともうそれで出生が可能ではなくなってくるわけです。
 だから、意図として結婚した夫婦が二人持ちたいというのがあって、それは変わらないと思っても、今のところはまだそういう若いコーホートが完結出生の年齢にまで達していないわけですからまだわからないわけですけれども、もう少し年がたてば、遅く結婚した人は二人は結局持てなかったということになるわけです。富士山が右に移行していってもそれは動き得ない壁がありますから、トップの高さは低くなり、そして右側ががけのようになる。こういうすそ野ではなくなるということになりますから、将来は子供二人を持つということが晩婚化のもとではできなくなる。あるいは晩産化も不可能になるということになるでしょう。
 それから二番目に、社会保障サービスの選別性という意味ですけれども、これは要するに社会保障というのはあるリスクが生じた人にその給付を与えるというものですから、保険を掛けた人にすべて便益が来るようではそれは保険の機能を果たさないわけですから、リスクが生じたかどうかということを選別する必要がある。しかし、それはだれということにスペシフィックに決まっているのではなくて、リスクが生じた人には普遍的に与えられるということ。例えば、今、要介護度というものを人々に応じて区別しています。これは普遍的でない、差別しているではないか、選別しているではないかと言われかねませんけれども、そうではなくて、リスクの程度を選別しているわけでございます。そういう意味で、私は、社会保障の原理である普遍主義と選別性とは矛盾するものではないというふうに考えています。
#18
○参考人(高山憲之君) 御質問どうもありがとうございました。
 将来、消費税率がどうなるかということについての試算は、基本的にはいろいろどういう仮定を置くかによって違った結果が出ているというふうに私自身は考えております。ですから、その仮定が現実的であるかのチェックをいろいろ代替的な仮定とも比較しながら評価をする必要があるのではないかというふうに思っております。
 それから、先ほど拠出税方式というお言葉を使ったと思うんですが、ちょっと私、不勉強でよくわかりません。ただ、拠出税ということではなくて、年金の世界では拠出建てか給付建てか、あるいは掛金建てか給付建てかというような物事の整理をいたしております、今回、日本版四〇一kもその一つなんですが、仮に掛金建てという趣旨であるとすれば、これは私の誤解であればまたもとへ戻しますけれども、確かに積み立て不足は発生しようがないし、分立というようなものもないし、空洞化も起こらないで、まさにそのとおりなんですけれども、掛金建ての制度は年金財政自体としては危機には陥らないし、問題は起こらないんです。
 じゃ、年金制度が本来目的としている老後所得の安定とかそういう面はどうかといいますと、まさにこれは市場の運用パフォーマンスに全面的に依存する制度なんです。市場はうまくいく場合もあるんですけれども、そうでない場合も結構あるわけです。日本はバブルが崩壊してさんざんな目に遭っている人たちが多いわけなんですけれども、インフレがあり、大不況がありというものを乗り越えて、この掛金建ての制度が良好なパフォーマンスを示し続けるかというと、そういう保証は実はないんです。運不運で、たまたま市場のパフォーマンスがいいときの世代はよかったよかったで済むんですが、そうでない世代は大変なことになるわけです。現に今、定期預金をしても金利は一%つきません。一億円の金融資産を持っていても金利収入百万円にならないわけです。こういうことは恐らく、一億円の金融資産を持っている、ためようと思った人は予想外の事態なんです。ただ、仮に掛金建ての制度にするということは、そういう予想外の事態であってもそれを厳粛に受けとめて、その範囲内で老後はやれということに等しいわけです。
 ですから、掛金建てに全部切りかえればすべて問題が解決するということではなくて、掛金建てにかえるということは、確かに財政の安定という意味ではいいかもしれない。ただし、本当にじゃ年金制度が目的としているような老後所得の安定というものを恒常的に担保できるのかというと、どうしてもクエスチョンマークがつくということではないかと思うんです。その辺はだからバランスの問題で、一つの制度だけでいいというふうには私は思っておりません。
 それから、二点目の御質問は、国と地方の問題ということです。特に介護保険については地域にゆだねるという基本原則がございまして、まさに地方分権を推進する一つの力になったと思うんですが、医療についても、従来職域を単位にした組合健保というのがあったんですが、職域の持つ意味がどうも最近変わってきつつあります。ずっと一生涯勤め続けるところでは必ずしもなくなってきたときに、職域を単位とした健康保険というのがちゃんとした機能を果たすかどうかということが改めて問われなければいけないんですね。むしろ医療を使うという立場に立てば、それはかなり地域性を帯びたものになっているはずなんです。例えば北海道の人が九州の病院を使うというケースはほとんどないんです。にもかかわらず政管健保は全国一律なんです。そういう地域性が本当は利用者の立場からすればあるにもかかわらず、全国一律でやっていいかという問題があるわけです。
 ですから、政管健保もそういう地域に分割するというのは一つの十分検討に値するテーマだと思いますし、あるいは今、組合健保に頼っているような制度でいいのかどうか、もっと地域性というものを強く意識したものを制度設計上考える必要があるのではないかということは、やっぱりやる必要があるというふうに私自身は思っています。
 これは最近、塩野谷先生の部下をなさっている尾形さんという部長がいるんですが、医療について大変すばらしい本をお書きになりました。彼が結論でおっしゃっていることは、やはり医療についても地域性があるという視点です。ただ年齢で切って高齢者医療だ高齢者以外の医療だという分け方よりも、地域を単位にした医療というものがこれから保険集団として重要になるのではないかという指摘をなさっていると思うんですけれども。
 そういう意味で、単に介護だけでなくて、医療もそうですし、あるいは保育サービスなんてまさにそうですし、そういう意味で現物給付について地域というものをかなり意識した制度改革というのは今後私は重要なテーマだというふうに思っております。
#19
○簗瀬進君 民主党の簗瀬進でございます。
 塩野谷参考人、高山参考人、きょうは本当に数々の有益な御示唆を賜りまして心から感謝申し上げたいと思います。
 そこで、お二人に、塩野谷先生にはかなりマクロ的な質問をさせていただきたいとまず思っております。
 というのは、恐らく日本のすべての政治家といいますかすべての政党が悩んでいるのは、まさに二十一世紀の我が国の経済と社会保障のトータルモデルというのをどういうふうに構成していったらいいのかということがなかなか見えてこないという部分だろうと思っております。単純に考えますと、少子高齢化は、高山先生の御指摘のとおり、まさに現役で働いている人の数が九八年から減り始めたというふうなことで、言うならば我が国の経済はいわゆる働き手の部分から見ると縮小均衡の方向に動いていかざるを得ないのかなと、経済のパイはやっぱりこれからどんどん小さくなっていくばかりなのかなと、こういうふうな見通しが一つあると思います。そういう意味での少子高齢化の中で、経済のパイは徐々に膨らんでくるとして、その社会保障のコストの部分がどんどんふえていくとしたら、それをトータルのモデルとしてどういうふうにやっていったらいいのかなと。
 こういう国内的な要因と、塩野谷先生日経の「経済教室」で御指摘になっているように、まさにグローバリゼーションとIT革命の趨勢の中で非常にますます激しい大変な国際競争の中で我が国は生きていかなければならない。こういうふうないろいろと難しい局面に二十一世紀にはもう我々その波にさらされていくわけなんですけれども。
 そういう中で、先生としての、今までの大変な該博な経済学の知識の中で、我が国の進んでいくべき経済のモデル、そして社会保障のモデル、これをどういうふうなところで考えていったらいいのか。大変これは漠とした質問でございますので、トータルのお答えがいただけなくても、こういう点を心して考えよというふうなアドバイスをいただければ大変ありがたいと思います。
 それから高山先生の方なんですけれども、私も、先生のこの九十三ページの資料で、社会保険料が五十四兆円で国税が四十七兆、もう既に社会保険料の方が多いんだ、こういうふうな指摘をされまして、ああなるほどとちょっと目からうろこという感じだったんですけれども。
 お話の中で若干触れられていなかったようなのは、なぜそうなったのかという要因分析だろうと思うんです。私は恐らく、先ほど、実質は目的税でありながらそれを保険料として構成をするというのは、ある意味で我が国の政治の提案力の弱さといいますか、そういう部分も絡んでいたんではないのかなと。
 こういうふうに考えてまいりますと、社会保険料と税のバランスがここまで来てしまったという要因が一体どこから来たのかなということをきちんと分析しておかないと、将来のいろんな提案というようなものも言うならば若干空理空論に終わってしまう、あるいは失敗をさらに重ねていくといったそういうことになってしまうんではないのかな、こういう感じもするものでございますから、ぜひその辺の要因についての先生のお考えと、そこから生まれてくる教訓ということを聞かせていただきたいと思います。
 その上で、社会保険料と税のこの二つを対比的に御議論なさっておりますので、全体的なバランスをどういうふうに持っていったらいいのかなと。あるいは、社会保険料と税の望ましい役割分担といいますか、という点についての先生の御見解もおありだろうと思いますので、その辺についての双方の望ましいバランスあるいはすみ分け、役割分担等についての御示唆を賜ればありがたいと。高山先生についてはこの二つでございます。
 以上でございます。
#20
○参考人(塩野谷祐一君) 先ほど私自身の陳述の中で、税金と社会保険とを足してGDPあるいは国民所得で割るという世の中で国民負担率と呼ばれているものに言及しました。これは、使っている人たちは、要するに国に所得の中から取られた比率をあらわす、こういうふうに受けとめているようですけれども、私はそういうのはおかしいのである。これは社会がそういうものに使う公共財とメリット財への支出であって、便益をもらっているはずであるというわけですから、これを上げていくようなそういう経済運営のパターンをとれば、それは一まで可能なんです、一〇〇%まで。つまり、日本は三十数%ですけれども、スウェーデンではそれが倍になって七〇%になっていますね。
 そういうふうに、要するに国民が必要とする私的な財及び公共的な仕組みから得られる財、その二つをどういうふうに分けるかということが七対三ということであったりあるいは日本のように三対七であったりしているわけですから、これはみんな便益の源泉をどこに求めているかだけのことであるわけですね。ですから、支出があるというのは所得があるからのことであるわけですから、これは一〇〇%そうしたいというならスウェーデンの方に持っていくことも可能である。しかし、グローバリゼーションとかIT革命ということで、発展の可能性をもう少し私的な分野に残しておいた方がいいというふうに考えるならば、今度は上からのプレッシャーで国民負担率を下げる方向になるでしょう。
 もう少し文明論的に言えば、要するに人々がある程度消費をした残りというのは必ず所得の中であるんです。これは古今東西、あるいはどんなに貧しい社会でも必ず国民が食べた以上のものが社会にはあるんです。これを社会的余剰と呼びますと、例えば外国などへ行って、日本でもあるんですけれども、日本は木の国ですからすぐ燃えてしまってないんですけれども、例えばピラミッドがあるとか万里の長城があるとか、そういうかつての君主の栄光を示すようなものが残っていますね。それはどうしてそんなものが可能になったかというと、人々が要するに所得を全部食べてしまったならああいうものはできないんです。そのころ生産物は農産物ですから、農産物のかなりの部分を君主が取り上げて、そしてそれをピラミッドを建設する人たちに食べさせていたわけです。そうすると、食糧をつくらないでピラミッドだけに専念できる人ができて、そしてピラミッドが建設できるわけです。
 ですから、人々がつくり出した農産物のうち、食べた残りというものが強制的に君主によって取り上げられて、そしてある目的に使えば、その社会的余剰というのはそういうものをつくり出す。封建君主絶対主義の一つの文明の形はそういうものであるわけでしょう。同じく、例えばそれを兵隊を雇うのに使うということであれば、軍隊を持ち他国を侵略するのに使う社会的余剰の使い方もあるでしょう。
 もう一つ重要なのは、典型的な資本主義です。資本主義は、食べた残りを貯蓄し、その貯蓄を投資に向けるというシステムですね。ですから、社会的余剰を迂回生産の資本財に、資本財の生産に従事している人々の糧とする。もし人々が全部消費財生産で消費財を食べてしまったならば、そういう貯蓄、そして投資、そして工場を建設する、機械を生産するということはできないわけです。みんながその日暮らしで手から口への生活をしていたならできない。しかし、そういう貯蓄をつくり出しそれを投資に回すような仕組みがあれば次の年の所得がふえるという、要するに所得をふやすように余剰を使う文明ができたわけです。これが資本主義ですね。
 社会保障というのは何かというと、その余剰を、君主のためでもないしあるいは資本主義の機械の生産のためでもない、社会の弱者のために使おう、こういうものなんです。ですから、即時的には、直接的には生産の拡大には結びつかないでしょう。なぜならば、その部分を機械の生産に使ったりITの研究に向けていればもっと出てくるかもしれない。しかし、豊かになった国はそういう社会保障に余剰を使うというのが上品な、品のある、風格のある社会ではないかということで社会保障システムというのが二十世紀に取り入れられたわけです。
 ですから、そういう意味で幾らでも国民負担率を使って社会が何をするかということのあり方は変わってくるわけですね。ですから、それは国民に要するに問いかけて、どんなパターンの社会余剰の使い方をすべきかということを問うたらいいわけであって、決して社会弱者を救っているだけではそれは世の中は明るくならない。もう少しすぐれた芸術とか文化とかそういうものに向ける、そういうことも国家はやっているわけです、科学技術の振興とかあるいは芸術などをやっているわけです。そういう私は社会がある一定の同意のもとに目的を持つということが必要であろうと思うわけです。
 大ざっぱな問いですので大ざっぱな答えになりますけれども、しかしその目のつけどころは、要するに食べた後のものを何に使うかということなんです。
#21
○参考人(高山憲之君) お答えします。
 時間の関係で説明が足りなかったと思いますけれども、なぜ現在、社会保険料負担の総額が国税総額を上回ってしまったのかというそういう要因にかかわるところでございます。
 かつて高度成長が長く続いた時代、社会保障給付の拡大は実は国庫負担の拡大を通じてずっとやってきたんです。年々所得が上がりということで税も全体として自然増がいっぱいあったわけです。その時代に、社会保障給付を拡大するために国庫負担拡大という形でずっとやってきた時代が実はかつてあったんです。ところが、第一次石油ショックが起こりまして日本経済が変調した。
 その後いろいろあったんですが、エポックになったのは土光さんの第二臨調なんです。そのときに国民負担率の議論が本格的に行われまして、そのときガイドラインというのが示されたわけです。今後、国民負担率の上昇については一つのめどというものを置こうじゃないか。と同時に、今よりも将来は少し高いわけですけれども、今の段階から将来少し高いところに向かっていく場合にどういう負担でやるかというときに、基本的に国民負担率の中では税を上げていかないという議論を土光臨調はガイドラインとして示したんです。背後に大蔵省があったというふうに私は思いますけれども。いずれにしても、国民負担率の上昇は事実上社会保険料でやってくださいという基本原則が打ち出されたのは土光臨調なんです。
 それ以後、ネットで対国民所得ベースで増税はしません、もし給付を賄うのに必要があったらそれは社会保険料を上げてくださいという形でずっとやってきたわけです。そうこうしているうちにまた財政構造改革の話がありまして、ここでも社会保障給付に関して非常にきつい縛りがかかったりしたわけです。
 いずれにしても、増税で社会保障給付財源を賄っていくということはほとんど展開不可能であるという整理を大蔵省主導でやったわけです。結果的に、社会保障給付を預かるところが財政のやりくりをするときには、基本的に保険料を上げるという対応しかもう手がなかったんです。
 国民負担を上げるというのは、ある意味では国民に嫌われる話なわけです。残念ながら日本の政治家の皆さんは、これを自分の問題で自分で仕切るということに必ずしも積極的でなかったと思うんです。どうしても役人に任せちゃう。審議会に任せる、役人に任せるということをやってきた。そのために、土光臨調以来の縛りがあり財政構造改革以来の縛りがあり、大蔵省主導の官僚システムがあった中で、結果的に増税というものができない、社会保険料を段階的に上げるということを過去の慣行としてやってきたわけです。
 それでここに至ったんですけれども、まだ従来のやり方が可能だと思っている人たちが圧倒的に多いことが私は問題だと思っているんです。もはや税金負担以上に国民なり日本経済を痛めつけているのは社会保険料だという意識をぜひとも共有していただきたいということなんです。であるとすれば、じゃ日本経済をそんなに痛めつけないものは今後何があるのかということの議論をもっとしかけていただきたいということなんです。残念ながら、大蔵省は今非常にそういう問題に対してちゅうちょしておりまして、なかなかしかけない。だから、政治家の皆さんにやっていただくしかないということなんです。
 二番目の問題は、バランスの問題になるんですけれども、基本的には世代間における負担の公平というものが今後の議論では一番重要な問題だと実は私は思っているんです。年金でいえば、保険料はもう高齢者からは取れないわけです。介護や医療は取れるわけですけれども、取れない。そうした中で、保険料をなかなか年金については上げていけないということであれば、もう残るのは税しかないわけです。税の負担を見て、今景気が悪いわけでして所得税や法人税がこんなに落ち込んじゃっているんですが、景気がよくなればもうちょっと税収は膨らむと思います。
 ただ、消費税を本当にそんなみんなが嫌がって、これを上げないでそのまま済ますことができるのかという問題なんです。年金保険料をかわりに上げていいのか、医療保険料をかわりに上げていいのか、法人税をそんなに増税しちゃっていいのか、所得税を増税して消費税を今のままでおいておいていいのかという問題だと思うんですよ。私は、世代間における負担の公平という観点からすると、もはや消費税の増税しかないというふうに実は考えざるを得ないというふうに思っているんです。
 確かに御指摘いろいろあるんですけれども、消費税はいろいろ問題点を抱えていますので、今のまま増税というわけにはいかないでしょう。ですから、その問題点を一つずつクリアした上で、どうやってやったら消費税の増税について国民の協力が得られるかという議論をなさっていただきたいということなんです。
#22
○簗瀬進君 ありがとうございました。
#23
○中原爽君 自由民主党の中原でございます。
 塩野谷先生にお尋ねをいたします。
 出生率のことでございますけれども、先生の御説明ですと、出生率の低下を生み出した傾向というのは、家族や結婚あるいは出産についての価値観の変化というふうにとらえるのではなく、あくまでも経済発展に伴う客観的な機会の拡大というふうにおっしゃっておられまして、出生率の低下は男女平等化の差し当たっての代償である、こう御説明をいただいております。
 そうしますと、この男女共同参画社会が成熟に向かって動いていくという段階になれば、差し当たってということがなくなって恐らく出生率が回復する傾向が出るのかどうか、ここをお尋ねしたいというふうに思います。
 もう一点は、エージレスの社会が、これもお年寄りあるいは若者の共同参画という社会が進行いたします中で、現在言われております労働人口の幅というのが、エージレスの共同参画という中では、共同参画が進めば労働人口の幅が拡大するだろうと思いますし、あるいは男女共同という意味では労働人口の中の質も変わるんじゃないかというふうに思います。
 そういう意味で、今後の労働人口と言われている部分と、それから現在一億二千万と言われております総人口とのかかわりを今後どのように考えたらよろしいでしょうか。何も一億二千万に戻せという意味ではないのではないかというふうに思います。
 この二点、お尋ねいたします。
#24
○参考人(塩野谷祐一君) 男女平等参画社会になれば出生率が回復するかというお尋ねですね。
 私どもの研究所で数日前に長く研究してきた仕事の発表会を行ったことがありますが、その中で一つのプロジェクトは、要するに人口と経済との相互作用を含んだようなマクロ経済モデルをつくり、政策にリンクするような変数を特に設けて研究したものが発表されました。
 要するに、先ほどの私の説明では就労と男女平等に社会に参画できるという面と、もう一つ育児、出産の面と二つあると申しましたが、現在のところはその両者がトレードオフの関係にあり、参画すれば育児、出産がおろそかになる、こういう社会システムになっているがゆえに出生率が落ちているわけです。
 しかし、人々は意識としては子供を持ちたいというふうに思っているわけです。しかし、世の中の教育費であるとかあるいは育児のいろいろな費用とか、あるいは豊かになったがゆえにさまざまな選択の可能性が出てきて、一つをやめるとどれだけのコストがかかるかという機会費用が高くなっているわけです。
 したがって、出生率の低下というところに今のところは答えが出ているわけですけれども、それを改善するためには、この二つのトレードオフ、就労と育児、出産の間のトレードオフ関係をなくすればどうなるかというのをシミュレーションモデルでやると、現在一・三八というような出生率に落ちていますけれども、モデルの上だけでその二つの変数が中立的になるように、つまりトレードオフ関係を持たないようになるとどうなるかということを仮にシミュレーションしてみると、一・七八の合計特殊出生率になるというような計算ができているわけです。これは、そういう施策を完全にやって、出産、育児という面とそれから社会参画の面とが矛盾を来さないような施策をさまざまにとればこういうことになるということですから、明らかにそれは出生率を回復させるのに役立つということになるわけですね。
 人口減少は長い惰性を持った減少ですから、すぐにさっきの合計特殊出生率が大きくなれば人口がふえるとかいう問題ではなくて、今低下傾向への圧力がかかっていますから、それを覆すには膨大な力が必要でしょう。だから、そういう意味で、長期的なプロジェクトですけれども、その二つの側面を両立するような、例えば先ほどのスカンジナビアのような国は育児、出産と労働への参加というものを同時に満たすような、そういうパターンをとっているわけですから、できないわけではないというふうに思います。
 もう一つ、エージレスですか、もちろんこれは現在は女子もそれから老齢者も景気の不況下には余り相手にされないでしょうけれども、もう少し長期的に労働の不足経済に入っていることは確かですから、新しい労働力のパワーになるというふうに思われます。
 しかし、時代は新しい周期を持った情報通信革命という経済の長期波動が働いているはずですから、それに乗るような人であるかどうかということになれば、それは若い人の方が有能であることは確かでしょう。しかし、社会の仕事はすべてITの仕事ではなくて、女子それから高齢者に適切な仕事があるというのは確かだというふうに思いますので、そういう雇用環境の整備というのはやがて可能になってくるというふうに思います。今の時点と、それから中期、長期的な労働不足経済との相違点はやがて解消されるのではないかというふうに思われます。
#25
○参考人(高山憲之君) それじゃ関連して一言お答えしたいと思うんですけれども、経済的な豊かさを達成した国は、日本だけでなくて、アメリカだとかイギリスだとかヨーロッパ各国、あるいはオセアニアの国等いろいろあるわけですね。にもかかわらず、出生率が余り低下していない国といいますか、かつての四、五人生まれていた時代から二人になったという意味ではみんな出生率は低下したんですが、二人まで落ちた後、一・三とか一・二まで行っている国と、一・七とか二ぐらいでとまっている国と両極分化を起こしているわけですよ。この違いが何かというのを恐らく今後日本は考えていかなきゃいけないんではないかというふうに思っているわけですね。
 私は、おっしゃるように、男女共同参画社会を実現することは非常に重要だと思っております。ただ、それだけで十分かなというとそうは思っておりません。
 これは私は経済を専門する者で必ずしも得意な分野ではありませんけれども、どうも日本の社会は親離れとか子離れの時期が遅過ぎるといいますか、子供の自立ということに対する社会的な配慮というものを余りしてこなかった、そういう国ではないかというふうに私自身は思っているんですね。子供を鍛えるとか、親だけでなくて社会全体が鍛えるというようなことを本当にやっているのかということなんです。
 どちらかというと今は、子供を産みたくないあるいは結婚したくないというのはある意味ではエゴイズムの表明なんですね。自分の今の生活水準を維持したい、今より落ちたくない、苦労したくない、苦労するくらいだったら結婚しない方がいい、子供を産まない方がいいという人がふえてきているわけでありまして、ある意味でエゴイズムそのものなんですよ。個人がそのエゴイズムに基づいて選択したからしようがないと言っちゃっていていいのかというところが今問われているのではないかと思うんですね。
 確かに、子供を産み育てるのは本人やその夫婦の選択の問題であり、これはそのとおりなんですけれども、その選択が社会的に見て余り変な形にならないように誘導する、間接的に誘導する、あるいはインセンティブを与えることはして構わないわけなんですね。一体、日本の伝統だとか歴史だとかあるいは文化だとか、そういうようなものに対するある意味では教育だとか、親や社会、大人を通じてそういうことを本当にやっているのかということですね。そういう面が実は非常に手薄になっていて、非常にただエゴイズム的な願望だけがまかり通っているということではないかと思うんですね。
 ですから、私は意識の面を何もしなくていいとは実は思っていないわけです。教育や親がすべきことが本来もっとあるはずではないか、そこのところを我々は手抜きしているのではないかと。ただ単に若い女性が問題だとか若い男性が問題だというところではなくて、我々大人自身がいろいろ今まで手抜きをしてきたんではないかと。そこのところをもうちょっと議論しないと、この問題は前へ進まないんではないかなというふうに思っています。
#26
○中原爽君 ありがとうございました。
#27
○谷林正昭君 民主党の谷林正昭と申します。
 何分にも国会議員になりまして浅いものですから、先生のお話を聞きまして、非常に参考になりましたし、この少子化問題に取り組むに当たりまして、これまで議論してきた内容から少し、どういいますか、のど元にドスを突きつけられたような気分に実はなっております。
 というのも、事前に塩野谷先生のこの「経済教室」の切り抜き、これを実は読ませていただきました。それから、高山先生の兵庫県での講演の内容を実は読ませていただきました。その両方を読んだときに、非常に怖いなというふうに実は思ったんです。
 ところが、今説明を受けまして、あるいは補足を受けまして、一つは出生率の低下の問題、これは男女共同参画時代には仕方がないんだ、あるいはその代償だというような、こういうことが非常に実はどきどきしておったわけでありますけれども、一・三から試算でこの後そういう時代が進めばどうなるかということで、一・七八ということを今聞きまして、少し安心はしましたけれども、しかし結論的な、先生のおっしゃっておいでになる高齢化社会、少子化という問題はそこで一定の方向性が出る、だけれども、高齢化社会に対する日本の国のあり方、こういうものについて非常に心配されておるというふうに読み取りました。
 そこで、公共的理性の形成、ポイントはここにあると、こういうふうにおっしゃっておられます。四つの偏見、これを払拭すること。そういう意味では、私が今一番お話を聞かせていただいて、この四つの偏見を払拭するに当たりあるいはそれを乗り越えるに当たりより気をつけなければならないこと、国会議員として、国として、政策としてそういうものは私たちももちろん考えなければならないと思いますけれども、先生が腹に思っておいでになること、忌憚のない御意見を聞かせていただけるものならお願いしたいなというふうに思いますし、特に障害になってはならないというそういうものがあればお聞かせいただきたいなというふうに思います。
 それから、高山先生、大変恐縮でございますが、兵庫県での講演の内容を見させていただきまして、非常にショックを受けました。今ほどもおっしゃいましたように、子供が少ない原因、少なくなってきた原因、非常に日本人の心の問題といいますか社会現象、そういうものに強く触れておいでになります。
 そのときに、今後の対策として、一方ではより具体的に提言をされております。私はこれは非常にきょう参考になったなというふうに思いますし、とりわけ大胆に提言されました2の4)ですね、年金制度の中に出生給付金あるいは児童手当、これも年金制度の中からやってもいいんじゃないかと。若者の気持ちを年金に引きつける、あるいは理解をしてもらう、そして将来を一緒に考える、そういうことになると、非常に大胆な提言だなというふうに私も感心しました。
 一方では、兵庫県の講演の中の六ページの下段の方にあるんですが、私も地元の首長には言っているんですけれども、子育てタウン的な発想、新婚あるいはこれから結婚する、あるいは考える、そういう方々がこの町に住んでみようというような子育てタウンの発想、こういうものも先生の講演の中に少しは入ってきているんではないかというふうに感じたものですから、正直、先ほど言いましたようにちょっとどきっとしましたけれども、きょう直接話を伺いまして非常に参考になりましたので、私の考えとあわせまして少しアドバイスをいただきたいなというふうに思います。
#28
○参考人(塩野谷祐一君) 大分、大学での授業みたいな話をしなくちゃならなくなるんです、それほど基本的なことなんですけれども。
 経済というのは、これは市場でやるのが大変効率的であるし、人々の基本的な自由を保障する他よりはすぐれているシステムであるということで、経済の分野では市場経済とか資本主義というものが重視されるわけですね。今日、社会主義の崩壊後、市場主義に振り子が揺れているのは当然のことであるわけですけれども、市場主義は私は一つの偏見であると思いますから、それが社会システムのすべてではない。
 私は、それに社会保障システム、つまり福祉国家がくっついているというふうに考えるわけで、なぜくっついたかというと、市場に任せるのではなくて、社会的な正義を実現するためにいわば倫理的な基礎を持って生まれているわけなんです。そういう意味で、資本主義を統御するものとして、効率重視ではない、正義を入れたシステムになっているわけであります。
 その場合に、そういう倫理的な主張が直ちに経済に行くかというとそうではなくて、その両者を媒介するところに政治というものがあるんです。つまり、政治というのは、望ましい理想とか目標を現実の場に定着させるためのいわば政治的な、社会の権力機構ですから、望ましいものを政治を通じて立法し、施行する。それで、経済に対してもその倫理が支配できるようなそういう歯どめを課するのは、政治を通じて政策や制度を立法するからなんですね。ですから、そういう意味で経済と倫理と政治というのは三つの重要な機能を持つ分野であります。
 これはポジティブに望ましいことが実現されるだろうと、政治は、やってくれるだろうと思いますけれども、しかしそうではなくて、実際にはその政治機構というのは非常にゆがんだ形で立法し、制度を決める。社会保障の建前であっても余り正義でない不公正なシステムになりがちである。というのは、人々が集まってそこで事を決めるということを保障していますから、力の強い人たちが発言し、そして政治にリンクしてそれを施行してもらえば全く私利私欲のシステムになってしまうわけです。
 市場経済を律するものは何かというと、公正な競争なんです。つまり、競争はいいと言って褒めるのではなくて、公正な競争だからいいと言っているわけで、したがって経済には最低限、公正取引あるいは独占禁止法制というのがあるわけです。
 それと同じことを考えてみるならば、言論、つまり民主主義政治の場において果たして公正競争が行われているかということを考えてみると、確かに市場の競争と類比的に政治の競争、民主主義の政治というのは例えられるわけですけれども、果たして公正な競争をした政治になっているかと。
 つまり、初めは、選挙をして多数党がなりますけれども、それが決まるともう後、最近こういうところでも行われているように、多数党が票を必ず多数を持っていますから、多数決で事を決めればいいというそういう形式に走りがち。これは市場における独占状態と同じことになりますね。
 ですから、私は、言論、政治の場においても、公正取引を保障するようなシステムがあるべきではないかというふうに考えるわけです。実際どういうシステムがあるのか調査会などをつくってもらうとありがたいのですけれども、今のところは、せいぜい学者とか評論家とかあるいは新聞というのがそれは不公正だというようなことを言いますけれども、直ちにそれが拘束力を持つわけではない。
 私は、経済の世界における独占禁止法と同じようなものが政治の場面においてもあるべきだというふうに考えるんです。
 つまり、民主主義というのは単に国民による国民の統治であるというような理想を掲げていて、建前を掲げていて終わるわけではないし、また他方、極端に、民主主義というのは何かとにかく競争して多数をとった者が統治すればいいということでもない。その中間にあって、人々が多様な多元的な価値、目標を持ちながら議論をして、そしてお互いに自由、平等でなくてはいけないですよ、多数党がたくさん時間を持つとか、あるいはそれがすぐ決定するとかいうんじゃなくて、自由、平等であり、かつ他人にとっても理性的と思われるような意見、つまり、もっともと思われる意見を違う立場の人たちが述べ合う。
 自由、平等、理性的と、こういう三つの条件がなければ、民主主義の討議というのは成り立たないというふうに思うわけです。そういう意味で、私は、政治というものが望ましいことを実現してくれる場であるためには、もう少し討議をして、高山さんも親と子の間なら何か収れんするだろうと言ったように、討議をして、お互いにとにかく議論することによって、知らなかった論点も出てくるだろうし、よりすぐれたものになるだろう。そういうことをやってくれるのが代議制だというふうに思っていますので、これは私どもに聞くよりも、もうちょっと皆さんが自主的にこうやりたいがどうだということを教えてほしいわけです。
#29
○参考人(高山憲之君) 子育てタウンの構想は大変魅力的だというふうに思います。ただ、私自身、まだこの問題を勉強し始めたばかりなものですから、つけ加えて申し上げるべきことはございません。
 ただやはり、子育てをめぐって地域がどういう役割を果たすか、果たし得るかという問題は大変私は実は重要だと思っています。残念ながら、サラリーマンが忙し過ぎて地域へのかかわりを持てないような状況に今追い込まれているわけですけれども、父親なり男性としての大人が果たし得る役割がいろいろなところにあるはずでありまして、そういうものを地域というような場でどうやって絡め取っていくかというようなことは今後大いに議論していただきたい問題だというふうに思っています。
#30
○谷林正昭君 ありがとうございました。
#31
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。ありがとうございます。
 少子化対策ということで塩野谷先生からは、両立が必要だ、つまり女性の労働条件と家族政策を両立させるという点では日本は両方おくれているというお話がございました。また、高山先生からは、男性の働き方を変える、日本は異常な働き方をしているんじゃないか、こういうお話がございました。
 先週も、参考人の先生方から同じような、男性の働き方を変えることじゃないかという御意見があるものですから、私、きょう大変関心を持って伺わせていただいたんです。
 それで、これを変えていくためにどういうことが必要なのかということを伺いたいのと同時に、きょうのテーマである社会保障の問題なんですが、私、こういうふうに働き方を変えて、女性も男性も仕事も家庭も両立できるという状況になると、社会保障を支えていく支え手もふえていくんではないかと。社会保障の問題はただ子供が少なくなって支えられないということではなくて、逆に働き方を変えることで、子供も産み育てられるような家族を持てるような社会と同時に、社会保障も支え手をふやすという点ではできるんじゃないかというふうに思ったんです。
 それで、お二人の先生の御意見、その辺との関係を伺いたいと思います。
 なお、私、消費税の話がございましたが、これだけ景気に打撃を与えたという点では、消費税を引き上げるという点では私は御意見が違う点ではございますけれども、例えば国の予算の配分をもっと社会保障中心に移すとか、社会保障そのものがやはり経済効果があるというふうに言われていますから、そういう方向を追求するとか、そして今申し上げた支え手をふやしていく、こういうことなどで解決できないかというふうにも考えているんですが、少子化対策、働き方を変えていくという問題と支え手をふやしていくという点について御意見を伺いたいと思います。
#32
○参考人(塩野谷祐一君) そういうことを私はお話ししたはずなんです。
 要するに、男女共同、老若共同参加をすれば、これが少子化の持っている非常に不都合な面をショックアブソーバーとして減らしてくれると。だから、一時的に増大しているコストの増大をかなり緩和するであろうということを言っているわけで、今あなたがおっしゃったように支え手がふえるとかいうことと全く同じことであるわけです。
 しかしそれにもかかわらず、なおコストの上昇というのは残るでしょう。だが、これは狭い意味の社会保障制度が改革をすべき領域であるというふうに思っているわけで、もう少し大きな場面でこの少子化の問題を受けとめる、それは大変すばらしいチャンスが我が国にやっと来た、こういうことであるわけですから、それを実りあるものとして社会に定着させたいということ。それから、なおかつコストは、やっぱり社会保障費がふえるであろうから、これを公正な形で負担していくことを狭い意味の社会保障制度改革として議論すべきではないかと。非常に大きな視野でこの少子化の問題を受けとめるべきだということを申し上げたつもりです。
#33
○参考人(高山憲之君) おっしゃるとおりだというふうに思います。
 ただ、問題は男がなぜこういう異常な働き方をするようになったのかということなんですね。何もなくてするようになったわけじゃない、何かよさがあってこういう働き方になったはずなんです。会社に長くいれば何かメリットがあったはずなんですね。当然、時間外手当がつくとか、あるいは昇進にプラスに影響するだとか、会社に対する忠誠心だとか何かいろいろあったはずなんです。
 ですから、そういうもののシステム、インセンティブを変えないと働き方は変わらないということだと思うんです。基本的には業績にもっと着目した評価のシステム、人事やペイのシステムを変えるということだと思うんですね。
 たまたま兵庫県で御一緒したIBMの人のお話だと、IBMの営業マンをやっている女性で、子育てのために一日六時間しか働けない人がいたそうなんですけれども、その営業のグループの中で彼女の成績が一番だったというんです。八時間とか九時間とか十時間働いている男の人もいっぱいいるんですけれども、営業成績はたまたま六時間で子育てと一緒にやっていた女性が一番だったと。このときに従来のペイシステムでは彼女をうまく処遇できないんですよ。しかし、十時間も働いてやっているのに営業成績が上がらない男に高い月給を払えるかという問題が出てくるわけです。
 要するに、ペイシステムだとか昇進システムを変えない限り、そこは動かないはずなんです。ですから、これはじゃ自分の業績をちゃんと評価してくれる上司が本当にいるのかどうかというところも含むわけです。だから、上司の選抜システムが公平にできているのか、今の若い人に聞くと、自分の上司は自分の仕事をちゃんと評価してくれないのではないかというふうに言っている人が結構多いわけです。そういう上司の選抜システムのもとで何か簡単にじゃ業績給に変えられるかというと、それもまた非常にフリクションが起こってしまうんです。
 そういう意味では、やはり日本の雇用慣行、労働慣行を変えることをこれからは、恐らく非常に私は時間がかかる作業だと思います。そういうことをしていく、社会構造改革を変える話を一緒にしないと、男の働き方は変わらないというふうに思っております。
 それから、異常な働き方ということで言えば、国会の周辺にかかわる日本の中央省庁の役人が一番ミゼラブルなんですね。国会開会中はもう深夜をいとわずやっているわけです。事前の質問取りだとか何か事前の省庁間の調整に追われていて、朝まで残っちゃう人が結構いるわけですけれども、そういうことを許している社会が異常だということをぜひ国会議員の皆さんも理解をしてほしいんです。
 あるいは、日本の新聞社は朝刊の最後の締めは深夜の二時です。深夜の二時に締めている新聞社というのは多分世界で日本しかないでしょう。アメリカは午後九時です。どうして深夜二時で締めるような新聞体制を組まなきゃいけないのかということなんです。
 すべて日本は何か異常な働き方をすることをビルトインしているところがいっぱいあるわけですよ。それをいろいろ何か気がついた人が気がついたところでいろいろ発言して、変えた方がいいというふうに言って、変える方向に持っていかない限りだめだと思うんです。
 まず、国会改革は皆さんできるはずですから、なぜ役人を深夜まで拘束しなければいけないのかという問題です。
#34
○畑野君枝君 ありがとうございました。
#35
○会長(久保亘君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 両参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただき、まことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#36
○会長(久保亘君) 速記を起こしてください。
    ─────────────
#37
○会長(久保亘君) 次に、先般本調査会が行いました委員派遣につき、派遣委員の報告を聴取いたします。中原爽君。
#38
○中原爽君 委員派遣の報告を申し上げます。
 去る二月十六日から十八日までの三日間にわたって、久保会長、海野理事、沢理事、畑野理事、阿曽田理事、斉藤委員、長谷川委員、谷林委員、松岡委員と私、中原の十名は、山口県及び広島県において、少子化の現状と対策等に関する実情について調査してまいりました。
 以下、調査の概要を申し上げます。
 まず、山口県について報告いたします。
 同県は、平成十年に二十一世紀初頭を展望した県勢振興の新たな目標とその実現のための方策を示したやまぐち未来デザイン二十一を策定し、新しい県づくりを進めているところであります。
 同県では、昭和六十三年に普通出生率が全国最下位になったのを契機に、平成三年に出生対策委員会の設置、平成六年の児童環境づくり行動計画の策定等を行い、少子化対策を積極的に推進してきたとのことであります。また、平成十年には、委員二十名から成る少子化問題調査検討委員会及び少子化について考える県民ネットワーク会議を設け、広く県民からの意見を聴取して、この二月には十二項目にわたる提言が行われたとのことでありました。
 これらの説明に関し、派遣委員からは、婚姻数の推移、出会いの場づくりや結婚奨励金制度、育児休業後の県庁職員の円滑な職場復帰、具体的な出生率の目標等の質問がなされました。
 なお、同県からは、本調査会に対し、子育てに係る経済的負担感の軽減や、地域の実情に即した少子化対策への支援などの要望が出されております。
 次に、視察先について申し上げます。
 まず、おおとり保育園を視察いたしました。三年前に開園した同保育園は、地域の福祉施設として、多様な保育ニーズにこたえるため、休日保育や延長保育、障害児保育などの特別保育サービスを行っております。
 また、同保育園は、地域子育て支援センターを併設し、子育て中の家庭を対象に、育児のためのサークル活動や育児相談を行っております。今後は、子供たちが、年齢に応じて思う存分遊ぶことのできるように園庭を整備することなどが課題であるとのことでありました。
 次に訪れました山口県児童センターは、子供たちの健全育成を図るため、昭和五十六年に設立された児童館で、県内外から多くの利用者が訪れます。県下最大のプラネタリウムや平成九年に完成した夢広場は、中でも人気のある施設であります。
 次に、マツダ株式会社防府工場を訪れました。同工場は、省資源、環境保護、そして快適な労働環境に配慮した、人に優しい工場であります。また、従来、男性の職場とされてきた自動車の組み立てライン作業に女性も加わるなど、女性労働力の活用に積極的に取り組んでおります。
 女性も男性と同様に仕事という面ではほとんど差はなく、女性が加わることで仕事がより細かく正確に行われたり、また、女性でも楽に作業ができるよう、工程や工具を改善するなどといったメリットも生じているとのことでありました。
 引き続きまして、広島県及び広島市について報告いたします。
 同県は、国内外の人々や企業から評価される、魅力のある県づくりを目指して、県や市町村を通じた効率的な行財政システムの構築に取り組んでおります。
 少子化についての同県の状況を見ますと、昭和四十八年をピークに県内の出生児数が年々減少しており、合計特殊出生率も、平成十年には過去最低の一・四二となっております。このため、平成七年には、少子化対策を推進するための広島県児童環境づくり推進プランを策定したほか、平成九年には、少子・高齢化対策推進本部及び少子・高齢化対策室を設置し、少子・高齢化に全庁的な取り組みを行っております。また、育児相談など、出産、育児に当たる子育て家庭を支援するため、ひろしまこども夢財団を平成八年に設立するとともに、高齢者と子育て世代に配慮した福祉連携型住宅の整備や保育所の増改築なども進めております。
 広島市においても、未婚化、晩婚化を背景に出生率が低下傾向にあり、平成十年は過去最低の一・三七となっております。そこで、広島市児童育成計画を策定し、保育所の待機児童の解消を図るなど、子育てに優しい環境の整備に取り組んでいるとのことであります。
 これらの説明に関し、派遣委員からは、高齢者が子育てに協力できるような住環境の整備、少子化対策臨時特例交付金の活用、ひろしまこども夢財団の賛助会員の活動、子育てに係る経済的負担の内容等の質問がなされました。
 次に、同県における視察先について申し上げます。
 最初に、広島県女性総合センターを視察いたしました。同センターは、女性のリーダーとなるような人材を育成することを目的として、研修・情報・相談・交流の四つを柱として事業を展開しております。
 次に、県立広島病院についてであります。同病院は、県の基幹病院であり、救命救急センター、母子総合医療センターなどが新設され、母体、胎児、新生児を出産前後のリスクから守る周産期医療についての先進的な取り組みをしております。同病院では、わずか体重三百五十グラムに満たない新生児を障害なく育てた実績があるとのことであります。今後は、母体搬送を速やかに行うことのできるよう、ヘリコプターを積極的に利用するためのヘリポートの整備などが緊急の課題であるとのことでありました。
 次に、広島市児童総合相談センターについてであります。
 同センターの中心は、体と心の発達に課題を持つ子供の相談や早期発見、早期治療のほか、医学的な診断や判定と一貫した指導による援助を行っている児童療育指導センターであります。同センターでは、情緒障害児に対し、和太鼓の公演などの音楽療法的な指導が行われたり、児童虐待などが生じた場合の親に対する指導も行っております。
 次に、株式会社イズミを訪れました。
 株式会社イズミは、中国地方を中心に展開している総合スーパーで、平成十一年には均等推進企業女性少年室長表彰を受賞したほか、障害者雇用優良事業所として労働大臣表彰を受賞いたしました。同社では、育児休業について法律では一年のところを三年としているほか、一年間の介護休業も認めております。そのほか、休職した社員のスムーズな復職を図る研修や訓練プログラム、子供が三歳になるまでの育児短縮勤務制度、退職後五年間の再雇用制度の採用など、女性の働きやすい職場づくりに努めております。女性従業員からは、女性と男性の差を感じたことは余りなく、仕事も大変ではあるが、やりがいを持って働いているとの声が聞かれました。
 最後の視察先である広島大学では、原田学長御自身が我が国の出生率の低下に深い懸念をお持ちであり、母親教育や幼児教育の大切さについて力説されておりました。
 また、育児不安の解消を図るため、在宅で手軽な育児相談をすることができるよう、教育学部の教官が中心となって行っていた、インターネットを利用した子育て相談は、対応する教官の本務に影響が出るほど相談件数が増加したとのことでした。
 最後に、今回の派遣に当たりまして、山口県、広島県並びに関係者の皆様から、多大な御協力をいただきましたことに対し、厚くお礼申し上げて、報告を終わります。
#39
○会長(久保亘君) 以上で派遣委員の報告は終了いたしました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時五十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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