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2000/02/14 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 国際問題に関する調査会 第1号
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2000/02/14 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 国際問題に関する調査会 第1号

#1
第147回国会 国際問題に関する調査会 第1号
平成十二年二月十四日(月曜日)
   午後二時一分開会
    ─────────────
   委員氏名
    会 長         井上  裕君
    理 事         河本 英典君
    理 事         鈴木 正孝君
    理 事         藁科 滿治君
    理 事         高野 博師君
    理 事         井上 美代君
    理 事         田  英夫君
    理 事         月原 茂皓君
                岡  利定君
                亀井 郁夫君
                佐々木知子君
                塩崎 恭久君
                田村 公平君
                武見 敬三君
                野沢 太三君
                馳   浩君
                小林  元君
                平田 健二君
                広中和歌子君
                柳田  稔君
                魚住裕一郎君
                緒方 靖夫君
                田村 秀昭君
                椎名 素夫君
                島袋 宗康君
    ─────────────
   委員の異動
 一月二十日
    辞任         補欠選任
     田  英夫君     大脇 雅子君
     田村 秀昭君     高橋 令則君
 二月九日
    辞任         補欠選任
     大脇 雅子君     田  英夫君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         井上  裕君
    理 事
                河本 英典君
                鈴木 正孝君
                藁科 滿治君
                高野 博師君
                井上 美代君
                田  英夫君
                月原 茂皓君
    委 員
                亀井 郁夫君
                佐々木知子君
                塩崎 恭久君
                田村 公平君
                武見 敬三君
                野沢 太三君
                馳   浩君
                小林  元君
                平田 健二君
                広中和歌子君
                魚住裕一郎君
                緒方 靖夫君
                高橋 令則君
                島袋 宗康君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       国際基督教大学
       大学院教授    功刀 達朗君
       東京情報大学経
       営情報学部教授  大泉 敬子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○参考人の出席要求に関する件
○国際問題に関する調査
 (「二十一世紀における世界と日本」のうち、
 国連の今日的役割について)

    ─────────────
#2
○会長(井上裕君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、吉岡吉典君、田村秀昭君及び山崎力君が委員を辞任され、その補欠として緒方靖夫君、高橋令則君及び椎名素夫君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(井上裕君) 理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(井上裕君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に田英夫君を指名いたします。
    ─────────────
#5
○会長(井上裕君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国際問題に関する調査のため、今期国会中必要に応じ参考人の出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#6
○会長(井上裕君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○会長(井上裕君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#8
○会長(井上裕君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本調査会は、調査テーマを「二十一世紀における世界と日本」として、参考人の方々からいろいろと御意見を承っておりますが、本日は、国連の今日的役割につきまして参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、国際基督教大学大学院教授功刀達朗参考人及び東京情報大学経営情報学部教授大泉敬子参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 本調査会では、安全保障の問題につきまして引き続き調査を進めるとともに、二年目は国連の今日的役割について重点的かつ多角的に調査を進めることといたしております。
 二〇〇〇年を迎えた本年九月には、国連においてミレニアム総会及びミレニアム・サミットが開催され、その前には国連の協賛のもと、IPUの主催により世界議長会議の開催も予定されていると聞いております。このような時期に、本調査会が国連についての知見を深め、我が国の国連政策及び二十一世紀を迎える国連の現状と課題につきまして論議を深めることは、政府に対してはもとより、国際社会に向けても極めて有意義なことと考えております。
 両参考人からは忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、国連の今日的役割のうち国連による平和と安全の確保について、功刀参考人、大泉参考人の順でお一人三十分以内で御意見をお述べいただいた後、午後五時ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
 なお、意見、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、功刀参考人から御意見をお述べいただきます。功刀参考人。
#9
○参考人(功刀達朗君) 今から数えてみますと、約九年前に第二期に当たる外交・総合安全保障に関する調査会にお招きいただきまして、日本はどのような国際貢献ができるのかという問題について発言をする機会を得ました。再びお招きいただきまして、大変光栄に存じます。
 振り返ってみますと、一九九一年、その当日はちょうど湾岸戦争が正式に終結した日であったわけですが、それ以後の世界は、国連を中心とする政治を見ておりますと、余り楽観を許すような状況にはなっていないということが言えると思います。殊に過去数年間にわたっては、いわゆるアメリカの国連たたきというようなもの、それからアメリカだけではなくて、安全保障理事会の常任理事国の議席を占める五大国の国連憲章に対する平和、安全保障問題について無視するような態度というものは、依然それが続いている傾向が見られます。
 国連憲章ができてから冷戦中を通じて、平和と安全問題についてはどうしても、大国の横暴という言葉が最近言われていますが、大国の横暴という言葉をOECDの事務次長を務められた谷口誠氏が使われて以来、一般に使われるようになっておりますが、大国の横暴によって国連の本来の目的が十分に達成できないという残念な歴史が繰り返されてきたわけであります。
 それでは、今二〇〇〇年に入り、二十一世紀を迎えるに際して、本当に新しく国連及び国連を中心とした国連システムというものをもう一回根本的に見直すというムードがやや高まりつつあるという状況にあります。これは、今、会長の方から言及された二千年紀のサミット及びそれに先駆けて開かれるミレニアム・フォーラムというNGO、市民社会グループを中心とした会合がニューヨークで五月に開かれるということもあり、これが一つの契機となって根本的な見直しということが行われることに大いに期待したいと思います。
 国連の権威失墜ということを私はこのレジュメの最初に書きましたけれども、本来、国連が中心となって役割を果たさなければいけないような世界の重要問題について、国連は二軍あるいは全く蚊帳の外で十分な役割を果たせないで来たということが言われてきています。これは湾岸戦争のときもそうでありましたし、それ以後の旧ユーゴをめぐる国際及び国内紛争、最近ではそれがコソボの問題にもかかわっています。それから、東ティモールの独立に向けての運動についても国連が十分な役割を初めから果たしたとは言いがたいという状況があります。また、最近のチェチェン、ロシアにとっては国内問題だということを口実にし大変な殺りくが継続したという状況について、国連事務総長を初めとして努力はなされてはきていますが、ほとんど国連としてのインパクトを与えるには至っていないということがあります。
 それでは、このような状況において果たして見直しは意義があり、楽観的にそういうような見直しを行ってよいのかと。これについては、私は現代世界の乱気流というものは、どうしてもやはり世界が過ごさなければいけない過渡期の現象であり、そして、民意の時代への趨勢というものは力強く大きなうねりのようなものとしてあるということ、そして全体としては楽観してよいと私は思っております。
 ただし、そのような趨勢というものは傍観していてよいわけではなく、未来あるいは歴史というものはだれかから与えられるというものではなく、未来は我らのものという積極的な、能動的な態度から国連というものも新しく創造し、そしてそれをどのようにマネージ、管理運営していくかということは、実は我々の能動的な活動にかかっているわけであります。
 全体としては、確かに一時的ではありますけれども、世界の実態というものはこの十年間ぐらい、あと何年このような状況が続くかわかりませんが、しばらくの間は楽観を許すものではない。しかしながら、大きなうねりとしては私はいい方向に行っていると思います。
 ただ、最近はっきりとわかってきたことは、世界の大きな問題としては、平和、人権、開発、環境というような四つの大きな問題群というものがあり、それはお互いに関連しているということ。そして、その問題自体が多面的なもので、マルチなものであり、そしてそれは地域的な広がりからいってもグローバルなものであり、経済のみならず、グローバリゼーションという現象は、ほかの分野についても今申し上げた四つの問題群の中でそれぞれで起こっているということです。例えば、環境についてもそうですし、資源の問題についてもそうですし、あるいはエイズの問題にしても、国際犯罪、テロ、このようなものもすべてがグローバルなディメンションを持って進行している。したがって、グローバルな問題に対しては、包括的かつ地球規模での対処の必要というものがあるということで、これが私は現状認識としては国連を考えるまず第一の前提として重要ではないかと思います。
 このような時代の流れというものに対して、次に挙げてあります人間の安全保障、ヒューマンセキュリティーという考え方。これはまさにこのような時代の要請に沿う、時代の要請にこたえる形で出てきた新しい考え方であり、私は、これからの国連を中心とする世界の地球規模での努力を考えるときには重要な指針となるものであると考えております。
 この考えは、もう何年も前から言われている安全保障という問題は総合的に考えなきゃいけないという考えに沿っているものでありますけれども、それがさらにはっきりとした形で、それが多層的なものであるならば、どこに焦点を当て、どこに重点を置いて対処していったらよいかということを考える上で非常によい指針であると考えます。
 多層的な平和構築ということが大事であり、平和を構築したものを維持し、管理運営していくという、その指針として、ヒューマンセキュリティーには三つの柱があるということが言えると思います。そして、この三つの柱、あるいは三つの分野についての政策間の総合性と実効性というものがそこには求められている。
 そして、人間のセキュリティー、人間の安全保障というとどうしても人間だけを中心に置いた考えというふうに思われがちなんですが、そうではなくて、私はこの際はっきりと、そこには伝統的な国家レベルでの国家間及び国内の平和と秩序、この国家レベルでの安全保障ということが依然重要であるということが一つの柱として再確認される必要があると思います。
 それから第二には、よく言われる人間レベルでの安全保障。これは個人と集団、市民の集団の権利と責務。そして、私はこの責務というところにアンダーラインを引きたいと思いますが、一般に人権というと権利のことだけを考えていますが、その裏にある責務ということを再確認し、みんながお互いに責任をとり合うという態度がこのヒューマンセキュリティーの第二の柱のもとになっているということが大事であると思います。
 そして、人権、殊にそれは個人の人権だけではなくて、少数民族とか移民とか、あるいは傷つきやすい集団と言われる子供たち、身体障害者あるいは女性、女性を入れることについては女性の側からいろいろと抵抗があるということは伺っておりますが、やはり私は、集団としての権利ということを重要視してきた国連の人権活動というものは正しい方向に来ていると思う。
 ただ、ここで重要なことは、新しい世紀に入るに際しては、その裏にある責務ということを重要視する必要が出てくる。そして、福利と生存の基盤としては、開発問題、それから社会の公正に関する、富の分配に関する問題、そのような問題がやはり地球レベルで関心の対象となっていかなければいけないということです。
 第三には、地球の安全保障。これは、地球レベルの安全保障というよりは、地球自体の安全保障ということで、持続的開発の条件と、それからもう一つは世代間正義の二つの視点というものがこの中には盛り込まれていると思います。
 地球の安全保障と申しますと、これは資源と環境の保全ということ。そして、この条件については二ページ目に簡単に、何がそこに含まれている問題かということについては注1に二つの方程式を書いてございますが、環境の問題と人口、それから人がどのような豊かさを求め消費を行っているかという、豊かさを示す個人の消費、それの総計及びそれの平均値、そういうようなものを考える必要があり、殊に先進国が途上国の人たちの三十倍くらいのエネルギーを消費し、食料にしてもむだをしているというようなことを考えるときには、どうしてもアフルエンス、豊かさというものが重要です。それから技術というもの、資源をどういうふうに使うかという技術の問題、それによって持続可能性というものが一応導かれるであろう。このような二つの方程式がありますが、私はこの二つは一応重要なものとして考慮に値すると思います。
 それから、従来それほど問題にされなかったことで、最近、殊に我々の将来の世代についての正義の問題が取り上げられ、これは環境問題を中心に、あるいは資源の問題についてかなり深刻に考えなければいけないということ、そしてそれは地球全体の安全保障という視点から考える必要が出てきていると思います。
 このような指針に基づいて、それでは国連はどのような役割を果たすかと申しますと、国連の中枢的な役割は、このヒューマンセキュリティーを指針として重要な役割を果たす新しい可能性というものが生まれ、そしてそこにはただしいろいろな条件があるのではないか、それが次の点になるんです。
 やはり冷戦のときには、冷戦の東西の対立、超大国のもとにいる、陣営に入っている幾つかの国の間では、正しい意味での国際協力というものはなかなか生まれることができなかったという事態がありました。我が国では、国際協力というとODA、開発技術協力等についての協力だけが主に出てきますけれども、そうではなくて、非常に広い意味での国際協力というものを今見直す時期に入っているということが言われています。最近出る本を見ていますと、今後の国連というものをどうするかというときには、必ずそのサブタイトルとして、二十一世紀における国際協力のフレームワーク、こういうような言葉が副題として入っています。
 従来の平和のための政治機構としての国連と、それからもう一つは持続的開発と国際公共財の管理運営のための国連システム、国連を中心に据えた幾つかの専門機関、地域機構、地域委員会、そのようなものを幾つも持った国連の中で、そういう機関を全部数えると約百ぐらいあるんですが、そういうものをすべて含んだ国連システムの第二の役割、つまり、持続的開発と国際公共財の管理運営、これは一応分けて考える必要があり、そして両者はもちろん有機的に連携していかなければならないわけですが、国連はやはりニューヨークを中心としたあくまでも政治機構としての国際の平和と安全というところに一番重点があるわけです。そして、これは一、二、三、四、五と幾つかアイテムを挙げましたけれども、かなり最近の十年間に変遷が見られているということ。
 そして、従来の五大国を中心とした集団的な危機管理体制というものに対する期待は一時ありましたけれども、これの限界というものが今は大きく見えているということ。
 それから、従来からの冷戦の途中期に生まれたPKOの三つの原則、このPKO原則の一部修正ということはやはり必要となってきているということ。
 それから、必要に応じて緊急対応部隊、これには国連のブルーヘルメット、それに最近出されているアイデアは、一般のシビリアンを含めた、NGOのワーカーも含めたホワイトヘルメットというアイデアがあります。ブルーヘルメットとホワイトヘルメットの共同作業ということで緊急対応部隊などを考えるという、それが西欧の中小国を中心に考えられてきた。
 それから、平和執行というものは失敗してもう行われないというようなことが言われていますけれども、やはり国際社会は国内社会と同じように必要に応じて警察行動というものが必要であり、これを国連を中心に行うか、あるいは地域機構を頼りにやるか、あるいは多国籍軍を使ってやるかということは別問題として、やはり平和執行というものは従来のPKO原則の修正として当然の帰結としてそこには出てきている。
 それから、紛争予防ということがやはり重要視され、予防の文化ということがコフィー・アナン事務総長によって最近非常に重要視されています。
 それから、人道的介入、これは従来ではほとんど行われなかったような事態についても国連はかなり敏速に人道的介入を行うことが最近頻繁に行われてきています。これは私は、望ましい方向であり、これに関する原理と原則というものをはっきりとつくっていく必要がこれからあると思います。
 それから、地域機構を頼るということもやむを得ないことはありますけれども、NATO軍を頼るというような場合には、やはり国連安保理の要請ないし承認を得て初めてそれが行われることが憲章に沿った行動であり、これを無視して行われた英仏軍によるイラク爆撃、あるいはNATO軍によるコソボ爆撃等はまさに国連憲章に反した行動であって、このようなことが繰り返されないようにやはり措置が講じられる必要があると思います。
 持続的開発と国際公共財の管理運営のための国連システムについては、主として二つの分野についてこれからいろいろと努力がなされる必要があるんですが、いわゆるPREDリンケージと言われる、Pはポピュレーション、Rはリソーセス、Eはエンバーラメント、Dはデベロップメント。それで、そのPREDリンケージに注目し、地球的な規模で限られた資源というものをどのように使用し、そしてその利益を世界の人々に均てんしていくかということについてのやはり中枢的な役割というものは、国連がこれからもっと重要な役割を果たす分野になっていると思います。
 それから、第二の教育、文化、科学技術、情報といいますとソフト分野、何かこれはユネスコの分野ではないかと思われるかもしれませんが、そうではなくて、先ほど申し上げた国連の機関には約百の委員会とか専門機関があるわけですが、非常に数多くの専門機関それから委員会、地域委員会、あるいはファンクショナルオーガニゼーションと称してUNHCR、ユニセフ、UNDPその他の機能的な事業を行う活動、こういう分野について、すべて教育、文化、科学技術、情報等のソフト分野の問題というのはより多く取り上げられる必要が出てきていると考えております。
 一九九二年の地球サミット以来の一連の国連会議というものが開かれ、ここには一応の成果は上げられていますが、最近これを見直す動きがあり、その評価というものは、実は予期した、予定したような成果が十分に上がっていないという認識の方が一般に強いように思われています。
 これはなぜその成果を上げられないで来たかということが次の私の問題につながるわけですが、どうしてかと申しますと、次のページに書いてある市民社会と国連の民主化という問題につながっている問題で、市民社会の協力、それから国連自体の民主化というものをやはり十分に取り上げていかない限り、そこに改革を施さないでいる限り、従来のような加盟国の政府を中心とした国連の管理運営の仕方というものではそこには大きな限界があると思います。
 これは昨年十二月にモントリオールで開かれました世界市民社会会議のときにカナダの国連協会が出した報告書がありまして、これは「フーズ ワールド イズ イット エニウエー」と、こういうおもしろいタイトルなんですが、世界はそもそもだれのものか、国連はそもそもだれのものかという問いを本のタイトルにしているわけであります。
 そして、一九九二年から行われた七つの大きな世界会議というものを見ると、国連主催の大きな会議を見ると、十分な成果を上げていないと。これはどうしてか。そして、そこには十分市民社会の創意と活力というものが反映されることがなく、しかも、そのフォローアップ、その採択された行動計画等についても、その実施について市民社会の活力が余り生かされていないではないかという反省が述べられています。
 国際機構というものを進化論から見るというのは奇妙な考え方かもしれませんが、国連は国際機構の一つとして、政府間機構というのは今現在世界には約千五百あると言われますが、完全に普遍的なメンバーシップを持った機構というのは国連しかないわけであります。この世界で最も重要な、普遍的な国際機構である国連というものを進化論的に見ますと、ただ単なるミーティングプレース、つまり政策協議を行ったりする場という最初の国際機構の発展の段階から見ますと、第二段階として、国際協力のフレームワークを提供する機構ということ、それから第三には、国際機構そのものが加盟国とは独自の行動主体としての主体性を持つに至る、この三つの段階が考えられます。
 そして、国連は既に主体性を持ったアクター、つまり行動主体としての役割を十分に果たしているわけでありますけれども、どうしても国連を動かしている主役である政府代表の意識の中には、やはり政府の望む以上のものは国連はできない、つまり国連というものは政府の意思を離れて一切存在しないという意識がいまだに非常に強いわけであります。
 しかしながら、もうそろそろその新しい段階というものをはっきりと認め、そして政府が国益を追求する場であるという認識を超え、国連を通じて国際社会全体の公益を追求するという機構に変えていく。そして、それは政府だけではなくて、多くの行為主体の協働、シナジーという言葉がございますが、相乗効果を持った協力関係というものによるパートナーシップによりグローバルなガバナンスの中心へと移行する時期に入っていると。
 その次に書いてあることは、正統性と実効性ということなんですが、未来に対する人々の関心の高まり、これは人々の分析能力の高まりということに関係ありますが、世界全体に文盲率の低下ということもあり、そして識字率の向上によって人々の関心の高まりというものがあり、分析能力の高まり、それから科学技術の進展、コミュニケーション技術の進展によるインターネットの普及により、時空を超えて人類の問題に向かい合う市民社会を基盤とした新しい国連を構築する新しい可能性というものが今生まれつつあると、これははっきりした傾向として言えると思います。
 この際、パートナーシップが非常に重要であるということはわかるんですが、国連と市民社会のパートナーシップというものは殊に重要であり、従来のような、NGOが難民高等弁務官のオフィスの仕事を手伝ったりユニセフの仕事を手伝ったりするという事業活動におけるパートナーシップだけではなくて、もっと政策の立案と政策の決定、そのような問題についての戦略的なパートナーになるということが非常に重要であると。これはモントリオールで開かれた会議においてコフィー・アナン事務総長が言った言葉なんですが、ストラテジック・パートナーズ・イン・ポリシーという言葉で、これが新しい一つの方向性というものを私は示していると思います。
 具体的には、第二総会として、インターネット活用による総意の形成のための第二総会というものを設立する提案は以前からございますが、これは近い将来に憲章第二十二条のもとで私は早期に設立されることが望ましいことと思います。これは事務総長の提案の中にも入っています。
 それから、地球公共財については、グローバル・コモンズという物理的なものと、それからグローバル・パブリック・グッズという公共財、例えば平和とかあるいは国際金融の安定とかあるいは知識、文化の問題、そういうような問題もグローバル・パブリック・グッズという抽象的な言葉で表現されますが、物理的なものと普遍的な価値のあるものの両方を含む地球公共財の信託統治を行う理事会をつくると。
 これは、コフィー・アナン事務総長の中には、グローバル・コモンズ、物理的なものを信託統治理事会で扱ってはどうかという提案が入っていますが、もっとそれをより広く扱い、そしてその理事会においては、政府代表だけではなくて実態を把握している市民社会の多くのアクターがそこに参画するという信託統治理事会がつくられることが非常に大きな進歩を遂げるきっかけとなると思います。
 時間となりましたので私はここでやめさせていただいて、そして先生方からの御質問に答える形で、「おわりに」というところで三ポイントございますけれども、もしこれらの点についても申し上げる機会があったら、それに言及したいと思います。
 どうも御清聴ありがとうございました。
#10
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 次に、大泉参考人から御意見をお述べいただきます。大泉参考人。
#11
○参考人(大泉敬子君) 皆様、こんにちは。大泉です。
 東京情報大学という千葉の郊外にありますとても小さな大学から参りまして、そういうところにも目を向けていただいて呼んでいただいたこと、大変うれしく思っています。ありがとうございます。
 今、功刀先生は大変大きな枠組みで国連の今後を展望なさったわけですけれども、私に与えられたテーマというのはもっと小さい、凝縮されたものなんですね。安全保障の中のピースキーピング・オペレーションズ、平和維持活動というものが一体これからどうなっていくんだろうかということを展望する一つの材料を皆さんに提供するというのが私に与えられたきょうの役割です。
 それで、早速本題に入りますけれども、私が実はきょう言いたいことは、一言で言うとすればこういうことなんです。実は、PKOというのは一言では語れないものになってきているぞということを言いたいわけです。一言では語れないいろんな内容を持つものをこれから先も一つのPKOという言葉あるいは枠組みの中で見ていったり、あるいはその中で何か修正をしたりしていっていいものやらどうなんでしょうかということをちょっと提示してみたいなというふうに思います。
 皆さんは、PKOという言葉を聞かれたときに、どうでしょうか、ユーゴスラビアですとかソマリアを当然思い出されると思います。カンボジア、それから今の東ティモールもそうですね。それから、少し私たちよりも人生経験が多くていらっしゃる方は、もしかしたらスエズであるとかコンゴであるとかパレスチナであるとかということを思い出される方もおありだと思うんですけれども、実はそのすべてを含む、今のところ五十三のPKOという言葉のもとでの国連の活動が出ていると。
 私が自分の論文と、それから功刀先生のもそうですけれども、出しましたものがこういうふうな資料になっています。これの一番最後の部分ですけれども、ここに調査室の方がPKO一覧表という、二〇〇〇年一月現在のものを出してくださっています。一番最後の八十九から九十ページにかけましてですけれども、ちょっとこれもごらんいただくといいと思うんです。
 そうすると、PKOが変遷してきたということは、つまりPKOの再整理、概念の再整理が必要なのではないか。これはつまり二十一世紀の、きょう功刀先生がお話しになったような国連の展望のためでもあり、さらに我々日本がこれからどうそこに参加していくかということを展望することにもつながる作業、非常に重要な作業なわけです。
 それで、まず、私がきょう一枚A4にレジュメらしきもの、これは功刀先生のように立派なものではなくて大変申しわけないんですけれども、一つの表をつくってきましたので、それも参考にしていただきたいと思います。
 この表を一つ一つ細かく説明する時間的ゆとりはありません。ありませんけれども、少なくとも冷戦の時代、それからその冷戦がもう終わるぞ、あるいは終わるというそのちょうどどたばたと駆け込む八八年から八九年、それからまさに冷戦が地中海に全部米ソが投げ込みますよと言って終わった九〇年代以降というふうにその時代や国際環境を区切って考えてみますと、表に出したような中身が見えてくるということが言えると思います。
 重要なことはこれからその都度申し上げますけれども、これを見て一体何がわかるだろうか。どうも第一世代、第二世代、第三世代なんという言葉がある。数も圧倒的に確かに九〇年代以降に新しく設置されたものが多い。九〇年代以降に三十五できました。でも、今継続しているのは十七なんです。その十七の中でさらに九〇年代に設置されたものが実に十二あるわけです。非常に多いです。
 それから、ピースキーパーズというところを見てくださるとわかるんですけれども、これはどういうふうに訳していいのかわからないのでこのまま持ってきましたが、平和維持活動に携わる人たち、この人たちをピースキーパーズといいますけれども、この中身も大分変わって多様化してきている。恐らく最も皆さんの関心がおありになるのは、一番下の活動原則のところだろうと思うんですけれども、ここもかなり変わってきているのかな、あるいは変わらない部分もずっとあるんですけれども、変わってきているところもある。
 つまり、何がわかりますかという質問に対して答えるときに、PKOという言葉は普遍的に使われているけれども、変わらずに使われているけれども、まず質的にかなり内容が変わってきているし、量的にもかなり増加をしてきている。九〇年代以降はとにかくいろんな紛争、特に民族紛争ですけれども、そこに対して何でもかんでもPKOを出してしまうという、そういうことがあった。
 しかも、第二点目としては、その変遷が今お話をしたように、国連という国際的な組織、主権国家がつくっている組織が置かれている国際環境の変化の中で生まれてきたということ、これがわかります。国連は、よく明石さんがおっしゃるように、国際関係、国際政治を映し出す鏡である、縮図であるいうふうに言いますけれども、そのことがPKOの中にももろにあらわれてきているということを御理解いただければと思います。
 冷戦中のものなんですけれども、これは四八年から七八年と書きました。あら、冷戦というのは八九年まででしょうと。確かにそうなんですけれども、少なくともPKOという活動が出されたのは四八年から七八年。ですから、七九年からアフガニスタンに新しくソビエトが侵攻した第二次冷戦、新冷戦と言われた時代、この時代には全く出ていません。この十三件というものが、結局国連憲章の本来の集団安全保障というものができない、しかし局地的な紛争があってそれが世界紛争に、世界戦争に拡大する、それを阻止しなければいけない。もう既にこの時点で予防外交という言葉が使われていたわけですけれども、その中で米ソ、それから東西両陣営、それから局地的な紛争をしている国々、そういうもの、あるいはその取り巻きにいる国々が全体的に集団安全保障にかわって受け入れられるものとはどんなものがあるんだろうかと考えたときにつくり出された新しい活動であったことは、皆さんよく御存じだろうと思います。
 停戦や休戦というものを一度経て、そういう武力行使が停止した状況を凍結するという目的。ですから、紛争解決そのものが目的ではなくて、あくまでもその土台づくりで暫定的なものとしてつくられたということ、これを踏まえておく必要があります。
 そして、伝統的な原則ですけれども、つまり強制しないということです。この三つの原則はもう一度よく踏まえていきたいんですが、同意、これは当事者の同意によって派遣されるものである。それから公正、これは英語でニュートラルというよりはインパーシャルという言葉を使う。ニュートラルというのは何もかかわらないで自分が全くその外にいるということなんですけれども、インパーシャルというのは、かかわるんだけれども少なくとも国連がすべきこと、例えば停戦、それに違反しているようなところに行って、ちょっと違反していますよ、何とかもとに直してくださいよと説得をしたりする、そういうことをどの当事者にも敵、味方の区別なく行うという意味ですから、むしろニュートラルというよりはインパーシャル、活動の公正さということなんです。これが求められる。
 そして、もちろん自衛以外の武力を行使しないということが求められるというふうなことで、これは国連憲章第七章が麻痺していたことによって出たわけですけれども、あくまでも非強制のものとして出てきていて、ここは非常に重要なPKOの長い国際社会の歴史の中の意味合いだろうと思います。
 今申し上げたのが実は第一世代のPKOと言われるものなんですけれども、それに対して冷戦が終わりかけたころ、それから冷戦が終わってからは第二、第三世代というものができてきます。もちろん国際環境の変化ですから、冷戦が解ける、とりわけソビエトの新思考外交といいますか、外交の仕方が変わった、そういうことも含めて移行期に五つほどばたばたとできますけれども、冷戦時代、国家間の紛争に対してだったものがほとんどですが、内戦がふえてきて、やがて冷戦が終わりますと、皆さん御存じのようにほとんど内戦である。
 そういう民族、宗教、あるいは独自の土着的な、経済であるとかさまざまな問題から起こってくるような内戦に対して一体どんなふうにして国連がかかわればいいのかというときに、何もない。今までPKOというものがあったからまずそれを出そうというふうになったわけですけれども、その中身は当然変わってきました。
 そこで、二つ明確にしておかなければいけないのは、第二世代というもの、これがまずできた。つまり、例えばカンボジアのようにパリ協定という紛争そのものを終わらせる政治的な合意というものがきちんとでき上がってきて、それを実施すること、あるいはその実施を支援すること、その意味合いを持ったものもPKOというふうにして出された。その内容はその括弧の中に書いてありますから読みません。
 けれども、このPKOに関しては、では原則はどうですか、武力を使う必要があったんですか、強制する必要があったんですかといいますと、決してそうではなくて、あくまでも伝統的な原則、第六章半的と言われるんですけれども、六章の紛争の平和的な解決というものを限りなく求めつつ、軍人、部隊、そういうものも派遣する。ある種軍事的な行動を行うという意味で六章半的なと言われるんですけれども、そういう原則を踏襲するものとして第二世代ができた。これはナミビアもそうです。今言ったカンボジア、モザンビーク、西サハラ、エルサルバドル等々幾つもあるんですけれども、これは大変成功しました。
 ところが、それに対して問題だと言われたのがいわゆる第三世代と普通言われているものでして、まだ内戦のさなかにあって、しかしそこでは非常に人道的な悲劇があって、それをほうってはおけない。内戦ですから当事者がだれかということが特定できない場合もいっぱいあるわけですけれども、何となく停戦らしきものはできるけれども、現地でそれはすぐ解けてしまう。もちろん政治的な和平の合意はない。でも出ていかなくてはいけない。さあ、どうしましょうか。PKOで行くしかありません。
 そのときに、政治的な合意がない内戦に対して人道的な意味合いで介入をする。もちろん、物資を運ぶものが妨害されたらそれに対して武力を行使する等々の平和強制型のPKOというものが出てきた。これがユーゴスラビアであり、あるいはソマリアであった。それの典型として見られるものであったわけですけれども、国連憲章第七章のもとに出されたものです。
 ここで、決定的にその機能が多機能化しただけではなくて、活動原則も変わってくる。これが活動原則の一番右下に書いたところなんですけれども、いわゆる平和強制型あるいは国連憲章第七章型と言われるものでして、ユーゴの場合は、安全空域ですとかあるいはさまざまな安全の地域を守るため、これはNATOというものに委託をした武力行使をしましたし、それからソマリアの場合は、初めから国連の平和維持軍というものが強制力を持つものとして七章下に派遣されまして、武装解除等の武力行使をしています。こういった多国籍軍などにも補強されながら、この新しい原則を持った新しい形のものも出てきている、これが第三世代というものです。
 そして、その第二と第三の間にちょっと書いたんですけれども、今回のコソボですとかあるいは東ティモールがそうだと思いますが、まず現状が大変カオス状況であったけれども、そこに多国籍軍、コソボの場合はNATOです、それから東ティモールの場合はオーストラリアが主導する多国籍軍が入っていって、その状況を少なくとも治安維持できる状況にした後で政治的合意をつくって、そこに多機能型のPKOを出していくという、そういう形も今できてきています。
 こんなふうに非常にたくさんの形が出てきてしまっているために、私たちのPKOというのは何かというその概念というものが混乱させられてしまっている。
 それでは、その次の問題として、一体すべてのPKOという言葉で出されているものをPKOというふうにくくってしまっていいかということを考えてみたいわけです。
 どれもこれもPKOですよ、武力をやるものもPKOですよということなんですけれども、確かに、時代が変わる、そうすると国連の内容も平和活動の内容も変わる、ですからPKOもさまざまなバラエティーがとれていいんだというふうな議論をする人もいっぱいいます。もともとPKOというのは七章が発動できなくてそれを補完するために出てきたのですから、それは当然のことでしょうという議論をする人もいるんですけれども、むしろPKOというものの本質をどこかに限定する必要が私たち今あるのではないだろうかということを申し上げたいんです。
 それはどういうことかと申しますと、少なくとも機能は多面化してきている。停戦監視だけではなくて選挙監視、あるいはある一つの国や社会をつくり直す全般的な活動まで行う、経済のインフラの再建まで行う、そのように多面化はしてきているんだけれども、基本的には伝統的な三つの原則というものによって立つ六章半的なPKOというもの、これをやはり我々はずっと守っていかなきゃならないんじゃないでしょうか。功刀先生は、もう少しそのバラエティーに修正を加えてPKOというのをいろいろと変えた方がいいという御意見だったように思いますけれども、この点ちょっと私が違うところかもしれません。
 こういう考え方というのは、実は国際的な世論の中にもありますし、それからガリ前事務総長が、初めは非常に武力を行使しよう、しかしそれはやっぱり難しかった、失敗したからといって、九五年に新しくまた出す報告書の中で、やはり六章半型に回帰するということを言っています。ですから、こういう考え方というのは決して間違った外れた考え方ではないと思います。
 そういうふうに考える背景は、理由は何ですかということになってくるわけですけれども、これは功刀先生のお話の中にも何度も出てきました。国連というものの持つべき正統性、つまり第三者機関、世界政府ではない第三者的な機関、その国連が持つ正統性、その信頼性、そういうものが今だからこそ非常に重要視されているのではないだろうかと思うからです。
 第一世代のものは、これは確かにパレスチナ、四八年に出されて今もあります。中東がなかなか和平に行こうとしつつ行けないということもあって、こういう活動が長期化するという逆の問題はありますけれども、少なくとも大変にメリットがあった、これは評価できる。
 それから第二世代ですけれども、少なくとも政治的な合意があってそれを実施するという活動をPKOが強制しない形で、要するに三つの原則を貫きながら行っていくということは、これは大変に意味のある有効なやり方ではないか、これは実際に実証されてきていると思います。
 恐らく東ティモールなんかがこういう例に当たってくるんだろうと思うんですけれども、つまり統治をするわけではなく、押しつけることなく、私の言葉を使えばマネジメントするような活動ということです。あくまでも現地の当事者たちの意思、意向というものを尊重しつつ国連がそれをサポートしていく、国際的な場で局地的な紛争や内戦というものを国連の外あるいは国際社会の外にではなくて中に置いて見守っていく、そういうやり方としては、この第二世代のものというのは国連の正統性、信頼性、第三者機関としての中立的な役割、それを大変発揮できる有効な場面だろうと思います。
 ただし、第三世代になってきますと何がわかったか。ユーゴスラビア、ソマリアがそうでしたけれども、停戦の状況もない、あるいは政治的な合意もない、そういったカオスの中で、しかも現地の状況は刻々と変わってどう推移していくのかよくわからない。
 私がソマリアに関して今回書いたちょっとした論文も載せていただきましたけれども、まさに今我々の目の前にある紛争の性格というものを見ますと、これは国家間紛争ではありませんので、甚だ我々からは見えづらいわけですね。当事者がだれかということも本当にわからなくて、日々そこに生きている市民の人たちが暴徒と化す場合も非常に多いわけです。そんなふうなことを考えますと、そのような状況で国連が有効に果たして活動できるのかという問題がまず最初にあると思っていいんだろうと思います。
 つまり、国連がPKOを出す場合の前提というのは、あくまでも根本的な紛争の解決が少なくとも見えている、政治的な合意にいきそうだ、あるいはもちろん合意があることの方が大切ですけれども、あるいは停戦というものがある。つまり、現地の当事者たちの紛争解決の意思が明白であるということがわかってからPKOが出ていかないことには、これはソマリアやユーゴのような例というのは、これからもし同じようなことをやるとすればどんどん出てくるだろう。それを防止するという意味合いもあって、この人道的な意味合いで介入することの必要性というものを私は排除しませんけれども、少なくともPKOという形で一緒くたにして出してしまう、七章下のPKOというものを出すのは、これは問題があるのではないか。
 もう一点、その点で言っておきますと、つまり当事者になってしまう。国連は当事者になってしまってはいけないのではないでしょうかということです。あくまでも第三者的な立場というものにいるべき国連ではないか、これも事例からわかってきている。つまり、現地と協力することが非常に不可欠です。現地の協力を得ることが大切です。そういう意味合いにおいて、PKOというのが第三型になってしまうことは問題があるように思います。
 となると、やはりその三原則、確かに冷戦期にいや応なく冷戦の落とし子として出てきた原則ではあるのだけれども、この原則が我々に語るメッセージというのは非常に大きいのではないかというふうに私は考えるわけです。
 最後に、今後の展望、今のようなお話の総まとめとして、これから先の展望を幾つかちょっとお話ししてみようと思うんですけれども、これは、明石さんがよく第三世代まではあってこれからは第四世代のPKOだということをおっしゃるんです。ただ、第四世代ということでどういう内容をおっしゃっているのかはいま一つまだ明確ではないのですけれども、そういう言葉もあって、ただ私は、明石さんと同じような意味合いで決して言わないのかもしれませんけれども、幾つかのことを考えてみました。
 第一点目は、少なくとも伝統的な意味合いのPKOというものと七章の強制行動というものは、これは混在させてはいけないということは踏まえるべきではないかということです。つまり、伝統的なものというのは非強制であり、さらに非暴力なものであるわけなんですけれども、これと強制行動というのはジレンマがあるということ、にもかかわらず何でもPKOとして出していたところに問題があるわけです。
 ですから、まずいろんな国連の活動を展開する前に、一体どういう事態が今現地であるのか、その紛争はどういう紛争なのか、一体何ができるのかということを厳しく選択する。これはもちろん安全保障理事会が最終的に決議で、あるPKOを出したらその任務というものをつくるわけですけれども、その段階できちんとしためどをつくって、停戦が破られやすい状況にないかどうか、そういうことを確認する。政治的な合意ができるのかどうかということを確認する。つまり、七章のもとでのPKOをつくらないということが大変重要なのではないでしょうか。
 ユーゴスラビア、ソマリアを見てみますと、実に安全保障理事会の決議が多いんです。初めに出したものが、現地の状況が変わると決議がどんどん内容が変わっていくんです。これはミッションクリープ型なんていいますけれども、どんどん現地の状況に対して任務が拡大化してしまって、初心がどこにあったのか、今どこに我々がいるのかということがわからなくなってしまうようなものがある。これはやはり避けるべきではないかというふうに思います。
 と同時に、今のところの現状ではP5、パーマネント5というものが中心になって安全保障理事会があります。これは改革すべきですけれども、それをまだ議論しないで現状ということをいいますと、そうすると、その大国を中心にした国々が一貫して支持できるもの、それからもちろん我々も支持できるものということをちゃんと踏まえて出すべきだというのが、これが一つです。
 それではあなたは、人道的な介入、そこで悲劇が起こっていても介入しないで手をつけないでいるんですかと言われるかもしれませんけれども、そういうことを申し上げたいわけではない。むしろ、役割分担をしたらどうだろうかと。初めに人道的な介入をすべき、特に強制力を持つ強い抑止力といいますか、そういうものを持つべき活動、これはNATOであるとかあるいは地域的な機構であるとか、そういうところと協力分担関係を持つ。そして、コソボの場合とティモールの場合がそうなんですけれども、それによってある種政治的な合意ができてきた、治安が維持されてきた、回復されてきた、そこで三原則によって多機能型のPKOが出ていくという、こういう役割分担をするということがとても重要になってくるのではないだろうか。
 もちろん、指揮権の問題があります。けれども、少なくとも、功刀先生がさっきおっしゃった、今グローバル・ガバナンスなんという言葉が言われるように、世界が一体となって、さまざまなアクターが一緒になってある共通の価値、我々が今話している問題で言えば平和とか安定とか秩序なんですけれども、そちらに向かっていこうとしている時代です。そういう時代の中では、地域機構、NATO、こういうものを国連や国際社会の枠外に置くんじゃなくて、それを含み込んだ形で国連がそれをマネジメントする、そして役割分担をしていくということが大変重要なのではないかということ、これが二点目。
 それから、二世代型の包括的な活動をPKOとして行うことは、これは有効であろう。その場合にも強制力は使わないんですけれども、国連それから人道的な機関、もちろん世界銀行等のインフラを再建するためにお金が必要、そういう専門機関それから地域的な機関、こういうものを国連が中心になって有機的に関連づけながらその活動を総合的に行っていく。まさに総合的な安全保障という言葉の一環をなすと思いますけれども、それをやるべきではないか、これが三点目。
 それから、軍人、部隊だけではなくて警察、文民あるいはNGO、この辺は私まだ勉強不足でして、どのぐらいこういう分野にNGOがかかわれるかということは研究したいと思っていますけれども、こういうさまざまなアクターというものを混合させた形でのPKO、これは有効であることは間違いありません。
 第五点目は、協力国の中心に余り大国を据えない方が確かにいいのかもしれない。国連の国際性、信頼性、そして正統性ということを考えますと、この点は非常に重要な論点になってくるかもしれない。
 それから六番目に、それでは迅速な展開のためにスタンドバイ・アレンジメント、これは九四年にガリさんがつくったんですけれども、こういう待機制度のようなものもこれから整備していく必要がありますでしょうし、そういう意味でいうと、歩兵部隊は割と出しやすい、だけれども特殊な部隊、通信とか運輸とか医療とかそういうことを担う部隊というのはなかなか出しにくいので、そういうところで日本などが貢献できる可能性というのはたくさんあるだろうと思います。
 そしてもう一つは、最近刑事裁判所というものができましたけれども、そういう司法のレベルで少なくとも人道に反する罪のようなものを裁くということもその大きな平和の枠組みの中に入れ込んだらどうだろうか。
 つまり、私が最後に申し上げたいのは、すべてをPKOとしてくくってしまわずに、PKOを今申し上げたように限定しつつ、その他のものをバラエティーを持たせて国連の大きなピースオペレーションズ、私のレジュメの中に国連平和活動と書いて下線を引いたんですけれども、そういうさまざまなタイプの平和のための活動を一つにまとめた言葉として平和活動という言葉が最近使われます。国連が国際の平和と安全を維持するという意味合いのいろんな活動ですけれども、それを再構築していく必要があろうかというふうに思います。
 PKO局、平和維持活動局というのが実は九二年にできたわけですけれども、そのときにも議論があったそうです。これはPKO局じゃなくてピースオペレーション局にしようと。だけれどもそのときには、とにかくPKO、PKOと言っていましたものですから、そうならなかった。ですから、小さなことですけれども、これからはPKO局というよりはむしろピースオペレーションズ・デパートメントというものを国連の事務局の中につくり込んで、その中で国連がさまざまな資源を使って、さまざまなアクターを使って、そして国連の安全保障をマネジメントしていくということ、これがとても重要になってくるのではないだろうか。その中で日本が果たすことのできる役割というのは大変多く出てくるというふうに私は考えます。
 以上で私の陳述を終わります。
#12
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 これより質疑を行いますが、まず委員各位のお許しをいただきまして、私から参考人に対し若干の質疑を行います。各委員の方々に詳しくお願いして、私は簡略に御答弁をお願いいたしたいと思います。
 まず、功刀参考人にお伺いいたします。
 国連は創設から半世紀を経た今日、百八十八の加盟国がある。今、まず国連の権威失墜と国連システムの見直しの動き、こういうことを初めに申し上げられましたが、私どももやはり国連の平和維持機能が冷戦期に五大国の拒否権などにより十分機能していない、冷戦終結によって膨らんだ国連に対する期待も現実には十分ではない、このように思っているわけでありますが、そういう点につきましてこれからお願いをいたしたい。
 これはやはり今日でも有する大きな意義がありまして、二十一世紀におきます普遍的な国際平和機構、これに立ち向かう、我が国が英知を結集して参画、協力すべきである、このように思いますが、そのような責務を我が国が今後さらに果たすに当たりまして、国連の持つ可能性と限界はどのような点にあるか、この点。それからまた、二十一世紀に向けての国連が挑戦すべき新たな課題として、今参考人のお話の中に環境問題その他がありますが、この問題、そういうものをひとつ私どもにわかりやすくお願いいたしたいと思います。
 次に、大泉参考人にお伺いいたします。
 今、冷戦終結によりまして強化されると見られた国連の平和維持機能、これが旧ユーゴ内戦をめぐる経験や、またソマリアにおきますPKOの失敗などにより、現在では、内外におきまして国連の平和維持機能に大きく期待する意見ばかりではないと思います。そこで、国連の平和維持機能の可能性と限界を考える上で、その前提として理解しておくべきことは何であるか、まずこの点についてお伺いいたします。
 さらに、国連の平和維持機能が十分でなかった冷戦時代に生まれたPKO、国連平和維持活動の本質は何であるのか、冷戦終結後の紛争解決にPKOを適用する際の限界についてはどのような御所見をお持ちか。今、参考人の論文や、いろいろきょうお話を承りましたが、私たちにわかるように簡単に御説明をいただければ幸いであります。
#13
○参考人(功刀達朗君) 会長の方から提起されました問題は非常に重要な問題であって、簡単にお答えできるとは思いませんが、私の主要な考え方といたしましては、会長がおっしゃったように、国連というのは第一義的には国際平和のための機構である。そして、このためには、従来行ってきた平和と安全保障の活動というものを継続していくことは重要であるとともに、従来のような国連憲章の第一条に言う国際の平和及び安全という、その国際という文字を私はむしろ取るつもりで世界全体の問題に取り組んでいく、そういう段階に入りつつあると思います。
 つまり、国際というのは国と国の間の紛争ということで、最近紛争は主に国内で起こっているわけです。そして、国内紛争が起こる背景には、従来のような代理戦争とか、あるいは大国が操った戦争とか、あるいは近隣諸国からの介入によって国際紛争が国内紛争につながっていく、あるいは国内紛争が国際紛争につながるというその事態とは別に、国内のガバナンス、つまり国内の平和、秩序及び開発、貧困状況とか環境の悪化とか、そういうものが原因になったり、あるいは歴史的ないろいろなエスニックな怨念というものが背景となってあるわけですから、平和、安全保障の視点から言うならば、従来のような国際に問題を限らない。つまり、国内問題にも必要に応じて未然防止、あるいはそれがかなわぬ場合には事後的に介入して、それがさらにエスカレートしないようにする、大量虐殺のような事態というものは再び起こらないようにやっていくということがやはり国連の最も重要な私は役割であると思います。
 そして、その方向に向かう可能性というものは、私は国際社会全体としては民意に向かう、しかも人間を中心に考えるという、国家を中心に考えるのではなくて人間を基本に据えた考え方という趨勢から、その可能性は広がっていると思います。
 限界については、それではそれがすぐにできるかというと、これはもちろんできないわけで、殊に国連は平和と安全保障問題についてはいろいろと失敗を繰り返してきたわけで、最近の例については大泉先生の方からも言及がありましたが、やはり国連の安全保障理事会の無責任ということに起因する事態が確かにあります。
 これについてはボスニア・ヘルツェゴビナの場合、殊にスレブレニッツァにおける大虐殺、これに関する国連安全保障理事会及びコフィー・アナンが局長を務めていたPKO局の責任というものが最近問われ、そしてそれについて事務総長からも遺憾表明ということがはっきりと、我々の責任がかなりあったということを認める。
 同じことがルワンダについても言えるわけで、これは事務局の責任というよりは、やはり早期に介入しようというカナダ政府その他の提案を断った、断るというか退けた米その他の責任にあるわけですが、大量虐殺の状況というものは、国内紛争において起こっているという事態を早期に防ごうとする可能性を閉ざしてしまったということについての反省というものがありますので、このような状況について、私は、二度とそういう事態が起こらないようにするには、やはり早期に介入する必要というものが国際社会でも認められるに至っていると思います。
 これはPKO原則、大泉先生の方からおっしゃったのと私の修正の必要ということとは多少はっきりと見方が違っていると思いますが、時に応じてかなり強制行動を伴った行動というものは国連がとらざるを得ないことがある。つまり、人間の生命、生存が目的であり、平和が目的であるならば、その手段であるPKOその他のやり方の問題というのは、どちらかというとそれは二義的なものである。介入する必要があるときに、その当事国の政府ないし実権を握っている軍事政権とか、あるいは反乱軍その他の了承を得て初めて国連が介入するというのでは、やはり人命を救うことはできないわけですし、大事なのはタイミングを逸しないで行うということで、このような管理運営の仕方というものについては、国連はもう一度はっきりと見直す必要があると思います。
 国連には大きな期待というものがさらに膨らみつつあるわけですが、これをできないような状況にしてきたのは、そのような手段を与えないでいる加盟国の責任である。殊に、アメリカが国連たたきということを過去数年において行い、そして人員削減及び予算の削減を半ば強制することにより国連を縮小してしまったということが大きな原因となっていると思います。
 これにつき合っている諸国が残念ながらいるということが非常に残念なことでありますけれども、日本のような実力を持った国は、実力というのは資力、財力を持った国、それから人的にも貢献し得る能力を持った国は、やはりいろいろな面で多面的な平和構築にもっと協力することがその限界を乗り越える道につながると思います。
 余りにも内向きなアメリカの一国中心的な考えによって国連の活動というものが限界されるということは、非常に残念な事態であると考えます。
#14
○参考人(大泉敬子君) 二つ問題を出されたと思いますけれども、まず第一点目は、国連の平和維持の機能を考える上で前提にするのは一体何だろうかという御質問だったと思います。
 会長がおっしゃった平和維持機能というのは、私がさっき申し上げた、要するに広い意味での平和のための活動、ピースオペレーションズということだろうと思うんですけれども、少し今度は私は大きな話をしてみようと思うんです。さっきはとても細かい技術的な話も含めてお話をしましたから、それから今、功刀先生もある程度のことはお話ししてくださったので、ちょっと大きなことというのはこういうことです。
 つまり、私たちが、国際社会というものが組織化されてきた長い歴史の中の今どこに立っているかという、こういう視点というのは意外と皆さんふだんお考えにならないんじゃないだろうかというふうに思うんです。つまり、どういうことでしょうか。
 国際社会の中で、国際社会という言葉は使わない方がいいのかもしれません、国家と国家、主権を持った国家同士が関係を持つ国際関係というのは、ヨーロッパに一六〇〇年代の半ばに生まれただろうというふうに一応通説としてあります。それ以降ずっと今まで歴史が流れてきているわけですけれども、最初のころ、一六〇〇年代、七〇〇年代、八〇〇年代ぐらいまでは、それぞれの国が自分たちの主権こそ絶対であると言って、自分たちの主権を相手に押しつけたり自分たちの利益のためにてんでんばらばらに活動をする。そのためには同盟をつくって、バランス・オブ・パワーといいますけれども、力の均衡をとるような、そういう形の安全保障をやっていた。それがやがて反省に基づいて、反省というのは第一次世界大戦という大きな反省に基づいて国際連盟ができ、それから第二次世界大戦後の国際連合に引き継がれてきている。
 つまり、同盟をつくり合ってお互いに相手をじっとにらんでは、やっつけようか、やっつけられまいとする、力の均衡をとるというだけではなくて、むしろそれ以上に、全部の国際関係をつくり出す国々というのが一つの大きな家の中に入って、その家の中でお互いに共同責任を持っていろんな協調をしていきましょうというふうな今時代に入ってきている。
 これがいわゆる集団安全保障というもののエッセンスを簡単にお話ししたことになると思うんですけれども、そうすると、そういう歴史の中でいわゆる国家主権というのが今まで絶対視されてきた。主権のためには武力を使ってもいいぞ、暴力をしてもいいぞというところが、いや、それではいかぬのだよと。主権のために武力を使うことをちょっと抑えていって、共同の利益のためにみんな何らかの活動、共同の活動をしましょうねというようなことになってきているわけです。それがさらに国連の時代になって整理されてきているわけです。
 その中で、集団安全保障というのは、今度は各国の主権を発現する、発動する私的な暴力を超えた国連の正統的な権威、これのもとでだったら共同のために暴力を使うことはしようがないといいますか、いいんではないかと。つまり、これは超暴力という言葉を使う人がいて、この表現がいいかどうかは別として、しかし私的な暴力はいけない、その上に、それを抑える超暴力をつくっているわけです。が、まだ前提は暴力なわけです。
 それが、たまたまその超暴力が使えない状況に冷戦ということでなったがゆえに、その冷戦の落とし子としてのPKOが出てきたというお話をさっきしました。ここに三つの原則が出てきているわけです。
 そうすると、このPKOというのは、暴力という言葉を使って表現するとするとどうなんだろうか。これは非暴力なんです。ですから、そのPKOというものが出てきた意味合いというのは非常に大きいだろう。つまり、国家主権を絶対視して、暴力を使っていい、合法だ、それを非合法だとして超暴力をつけた。今度はさらにそれに対して、今までの国際関係の営みと全く逆行する形で、平和化という言葉を使っていいと思うんですが、非暴力の路線が出てきた。
 そして今、九〇年代に入りますと、先ほどから功刀先生何度もおっしゃっている、国というものに限定されない、むしろ人間というものの安全保障を考えなければならない時代に入ってきている。どうなんでしょう、人間の安全保障を考えるというときに、暴力とこれはやっぱり相入れないですよね。ただ単にほかの国が攻めてきて、それに防衛するという意味ではないわけですから、今の安全保障というのは。
 そうすると、まさに今の時代というのはグローバル・ガバナンスの時代と言われる、さらに人間にまで視点を落とした時代だと言われる。そこにおいて非暴力というものの持つ意味合いというのは非常に大きいのではないか。つまり、私たちは今そういう場所にあって、国家主権というものが相対化されて全体の国際的な利益、公共の利益というものをむしろ第一に置いていくような時代に入っている。そういう長い国際社会が、私たちの言葉は国際機構論などを勉強している人たちはこれを国際社会が組織化されてきたというふうに言うんですけれども、この流れの中に今我々がいるんだという意識、これは実は国連がどういうピースオペレーションズ、平和活動をやっていくのかなということを展望するときにはとてもとても大切になってくる視点だろうと私は思うんです。
 ですから、今細かい話をちょっとおいて、大きな歴史の流れの中での位置づけの意識を持っていただきたいという話を一つしました。
 それではもう一つだけ、もうちょっと時間をいただきますけれども、二番目の御質問、つまりPKOの本質をどこに求めるか、あるいは冷戦後の九〇年代、これから二十一世紀にかかりますけれども、どういうところに適用上の限界を考えるかという御質問でしたけれども、これは実は私がお話の中であちらこちらでお話をしたことではあります。
 私の答えは、本質というのは三原則、これが本質だと。さっき言った非暴力というもの、これが本質であるということ。これを積極的に国連のピースオペレーションズの中に位置づけるべきである。後でもしかしたら自衛のための武力行使がどんなふうになってきたのかみたいな御質問があるかもしれません。それはそのときにいたしますので、今それを言いません。
 それから、冷戦後の世界に対するPKOの適用はどうですかということもお話をしたつもりなんですけれども、確かに功刀先生が今何度もおっしゃったように、強制力を使わなければならない局面というのはあります。要するに、暴力を使わなければどうにもならない局面というのは、これはあります。私はそれを否定しません。人道的な場合においても、人道と暴力というのは確かに相入れないけれども、そこにいる人を助けるために何らかの強制力を発揮しなければならない事態、これは私は認めます。だけれども、認めることとはちょっと違って、PKOというものはそういう非暴力たり得ない状況に適用されることはできない、それが限界であるというふうに踏まえた方がいいんじゃないかと思います。
 ですから、それ以外の局面においては、国連がさっきマネジメントをすると言いましたけれども、ピースオペレーションズという大きな枠組みをきちっとつくり直して、安全保障理事会、事務局、あるいはもう少し違った専門の部局をつくって、そこがさまざまな資源を持ち寄ってこの紛争のこの段階にはこれを出す、要するに、紛争の予防的なことをする。それから、実際に政治的な合意をつくるための平和的な交渉をする。それから、もちろん平和維持活動と言われるものをする。それから、ピースビルディングという言葉もあります。紛争が終わっちゃった後で、じゃどうやって社会が再建されるの、国家が再建されるの、それに手をかさないの、いや、かすんです。そういうものをピースビルディングと言いますけれども、そういうものをその時々にうまく組み合わせるということをこれからやっていくべきである。
 したがって、PKOは限界を持っています。なぜならば、私によれば、それは三原則に本質を求めるべきであるからだということになります。
 お時間をとって済みませんでしたけれども、以上です。
#15
○会長(井上裕君) ありがとうございました。私からは以上でございます。
 それでは、これより各委員から自由に質疑を行っていただきます。
 なお、多くの委員が質疑できますよう、各位におかれましては御協力を願います。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いします。
#16
○野沢太三君 では、簡潔に御質問します。
 功刀先生にお伺いしたいんですが、国連が政府間機構としてこれまでやってきたものが行き詰まって機能不全になっていると先生は論文でも御指摘されておられます。そこで、市民の参加を促し、あるいは民主化をし、予防外交を含めて広くもう少し国連そのものを市民の手に取り戻そう、こういう御提言をなさっておられること、まことに私、これは当を得た御提言だと思うわけですが、それを集約する形で第二総会というものをつくったらどうか、こういう御提案もあるわけであります。
 しかしながら、今の総会が逆にそれは自己否定になるんじゃないかということとか、現在の安保理事会がそれを承認するかどうかという、これもまた大きな課題でありますので、何としても現行の安保理の改革もしくは総会そのものの機能をもっと強化することとあわせてやらないと、結局外野席から遠ぼえをするというだけの話になりかねないように思うんですが、この点についての御意見をひとつお伺いしたいと思います。
 それから、大泉先生の御提言でございますが、大変多面的なPKOのあり方についての御示唆を承ったわけでありまして、この点についても私は新しい形のPKOがどんどん工夫されていくことがいいわけでありますけれども、何としても紛争の第一段階の抑止には強制力というものが不可欠だと私自身は思っておるわけでございます。
 日本の場合には憲法の制約その他があって非常に控え目なPKOを今まで海外に派遣しておるわけですけれども、憲法調査会もできてその辺も自由に議論しよう、こういう状況になってきておりますが、日本の今の国際貢献としてのPKOのあり方についてもう少し踏み込んでやっていいんじゃないかと私は思うんですけれども、先生の御意見はどんなものか。
 この二点についてよろしくお願いします。
#17
○会長(井上裕君) 大変参考人の方に恐縮でございますが、大分皆さん手が挙がっておりますので、なるべく多くの皆さんにお話、質問をお願いしたいと思いますので、答弁は簡単にひとつできればお願いいたしたいと思います。
#18
○参考人(功刀達朗君) 第二総会についての御質問にお答えします。
 先生御指摘のように、あるいはそれが現在の国連総会の自己否定につながるかという、これは大変よい質問で、私もそれはみんなと討議したことがございます。
 本来の国連総会は政府代表をもって構成されていますが、第二総会は市民社会のグループの代表をもって構成するということで、必ずしも各国から何人出るというような代表制の問題ではなくて、むしろ問題の解決に貢献能力のある行為主体が、例えばNGOであったり、それが企業グループであったり研究機関であったり、いろいろな取り上げる問題によって毎年違って構わないと思いますが、そういうものについて政策提言を行い、政府の代表によるいろいろな審議、政策立案等に対して協力する、貢献するというものであって、補完する形で第二総会があるわけですから、自己否定には私はつながらないと思います。
 先ほど申し上げたように、市民社会はパートナーズ・イン・ポリシー、つまり国連とパートナーになるにしても、それは事業活動についての下請をしたりするというパートナーではなくて、政策立案とその決定についてのパートナーであるということ。これについて安全保障理事会の五大国等が賛成するかという御質問ですけれども、それは、五大国は既得権を代表しているわけで、いろいろな改革には必ずしもいつでもいい顔をしないわけですから、市民社会が台頭してくるということについて必ずしもそれに賛成をしない向きもないわけではありません。
 もう一つ問題なのは、途上国が意外と市民社会の台頭に非常に警戒しているということもあります。ですから、安全保障理事会の五大国がということだけではなくて、自分の国の政治に対して批判を国境を越えて行うようなNGO活動についても非常に警戒を示している多くの、これは大多数とは申しませんが、途上国の一部はかなり抵抗をしています。
 ですから、NGOと国連の関係というのは、実は最近、以前より悪くなっているということが一部では言われています。これは確かに、事務当局も必ずしも参加がしやすくなったのではなくて、むしろしにくくなった面が大いにあると言われています。
#19
○参考人(大泉敬子君) まず最初に申し上げておきたいことは、国連の平和活動やPKOというのを考えるときに、日本の場合どうしても武力行使というものと憲法との問題に焦点を当てて議論をする。もちろんこれは重要なことですし、そうするのが当然のことなんですけれども、余り国連の平和活動の武力行使という言葉に惑わされない方がいいのかなという考えが一つあるんです。
 それはどういうことか、ちょっと今短い時間だけですけれども、お話をします。
 本来、国連というものが平和的な活動をするときに武力を確かに使うことがある。これはさっきお話ししたように、国際社会全体の共同の利益のための武力の行使であるはずです。平和と安全の維持ということのための武力の行使であるわけです。ですから、国際的な自分が抱えている紛争を解決したり、あるいは自分の国益を押しつけたりするような、そういう武力の行使というのは当然禁止されていて、国連憲章の二条四項にもちゃんとそれが書いてあります。そういう点でいうと、日本の憲法の精神というものと少なくとも国連の精神というものは本来合致するはずのものなのだということを我々は一つ踏まえる必要があるのではないか。
 したがって、九条がどういうふうになるか。今憲法調査会が確かにできてきて、いろいろと御議論があるんだろうと思いますけれども、これは一つの大胆な議論ですよ、そう思って聞いてください。ただ、九条のままでもそういう共同の利益のための国連の平和活動、武力行使には参加できるというふうに考えることは、理論的にはできるのではないかというふうに思います。
 ただし、PKOの中で第三世代型のものというのは、ユーゴスラビアですとかソマリアですとか、これは武力行使そのものがよくないということもありますけれども、同時にその活動そのものの有効性が非常に問題であったと。もともと無理なところに出ていったのではないかという議論がどうしてもできるわけです。そういうふうなことからいっても、この第三世代のものには私は日本は今のところはまだ慎重を期すべきだと思いますけれども、少なくとも三原則によって立つPKO、これは第二世代のPKO、要するに三つの原則を持った、しかし非常に機能が多くなっていて多面的になっているもの、それも入れて全面的に参加する方向が模索されていいのではないかというふうに思います。
 PKFという言葉を日本は盛んに使います。実は平和維持活動のほんの一環の平和維持軍のことをPKFというふうに言うわけですから、これはPKO全体を言うわけではないということは我々は踏まえる必要がありますけれども、今平和維持軍にはもちろん参加できるようになっています、PKO協力法で。だけれども、その本体には凍結があって、これをどうしますかということが議論されていますけれども、この本体、要するに武力行使の可能性があるからという議論が非常に多かったと思いますが、さっき申し上げたように、たとえ現実にこれから国連のPKOの武力行使ということがあったとしても、それは理論的に言うと、多分ここで批判があるんだろうと思うんですけれども、理論的に言うとそれは個別的な利益のためのものではないはずです。ですので、少なくとも武力行使をやるものだから本体を凍結する、可能性があるから本体を凍結するという議論というのは、これは非常に狭い議論の仕方ではないかと私は思っていまして、平和維持軍の本体に対する凍結もなくして全面的に、しかし第三世代のものはここに置いておいて、第二世代のものであれば大いに参加をする方がいいのではないかなというふうに私の考えがあります。
 一つだけ条件をつけます。ただし、今理論的にというお話をしているわけですから、では現実に、さっき功刀先生からも出た、大国が牛耳るでしょう、アメリカが中心にやるでしょう、果たして国連の正統性というのはどのぐらいあるんですかということになってくる。当然そういう議論はあります。国連は、さっき申し上げたように国際社会の中で主権国家の集まりですから、国益を反映しますから、これはどうしようもない部分がある。ですから、我々日本としては、今申し上げたようなスタンスに立ちながら、現在の現実の国連を正統性、信頼性をもっと持てるような形に改革していくということにおいても、もう片方のところで大いに声を上げていくべきであるということをもう一つ申し上げておきたいと思うんです。
 ですから、第二世代のものは何でもいいよというのではなくて、そのときそのとききちんと見きわめていく必要がある。それは、武力行使はだめだからという見きわめではなくて、国連の活動、PKOが果たしてどれほど本来の国連の第三者機関としての正統性、国際性、信頼性に合致する活動なのだろうかと。これがいわゆるスタンダード、基準になって、その見きわめによって日本はもっと積極的に出すことができるし、出していただきたいというのが私の考えです。
 今のでよろしかったんでしょうか。
#20
○野沢太三君 はい、ありがとうございました。
#21
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。
 お二人の先生にお伺いをしたいと思いますが、まず功刀先生にお尋ねを申し上げます。
 先生のレジュメの中で、第二総会あるいは地球公共財の信託統治の理事会等々を踏まえて、そこに市民社会との連携をというお考えで、まことに現在の国連の役割、そして何ゆえ成果が上げられないかという視点から大事な視点だなと、私も全く同感であります。
 その市民社会との連携あるいは民意の、先生のレジュメだと民意の時代ということでございますが、民意の支持基盤をどうやってつくっていくべきかというのは非常に難しい問題だろうと思うんですね。例えば信託統治の理事会、そこに市民社会のアクターが入るのだとしても、その彼があるいは彼女が理事会に入る正統性というんでしょうか、もちろん世界連邦でもないわけですから違うわけですが、その辺の部分をどう克服していくかということにつきまして、先生のお考えがありましたら御示唆をいただければというふうに思っております。
 それから、大泉先生、非常に細部にわたっての御教示ありがとうございました。
 それで、先生のお話の中で、国連の権威のもとで超暴力というお言葉がありましたけれども、それとの関連で、先ほど伝統的なPKOとNATOあるいは地域機構との役割分担というお話がございました。かなり人道問題が起きるような場合において超暴力の役割を、放棄とは言いませんけれども、やりながら地域機構の方にお任せするんだというような御発言だったと思うんですが、ちょっとそこに背離があるのではないか。せっかく国連というような権威のもとできちっとおさめるべきところをそちらの方に、丸投げというのが最近はやっているようですが、そういうことでいいのかというような思いをするわけであります。
 これが一点目で、もう一点は、PKOというのはどうしても紛争が起こった後の問題ですから、紛争予防という言葉が出てまいりましたけれども、世界の紛争の揺籃地というのがあるわけで、そこにはやはり何か信号といいますか発信しているんだろうと思うので、早期警戒のシステムといいますかあるいはいろんな手段、紛争当事者のいろんな話を国連のしかるべき機構が話を聞いてあげるだけでも随分違うんじゃないか。あるいは、人道被害を受けている当事者の個人的な通報ということも考えられていいのではないか。こういう紛争予防について先生はどのようにお考えなのか、PKOから振り返ってその点について御教示いただきたいと思います。
#22
○参考人(功刀達朗君) 第二国連総会ないし信託統治理事会に市民社会が参加する場合に、果たして正統性を持ち得るかという御質問と私は解釈いたします。
 これは、現代政治における正統性という概念が随分昔とは変わってきているというところを私たちは認識した方がよいと思います。政治理論でしばらくの間、正統性という概念は余り取り上げられてこなかったんですね。これはカール・フリードリッヒとかあるいはマックス・ウェーバーのころには、被統治者、これは一般の市民、国民等が政治指導者に対して、どのような政治を行うかということを納得するかどうかということが正統性である、このようなことがその理論の中に言われていました。彼らが言っていたころの正統性という概念は政治理論の中からはかなり長いこと消えていて、最近それがようやく十年くらい前から復活し始めたんですが、これは現代政治における正統性というものが全く違った意味を今持ち始めているということが言えると思うんです。
 その正統性というものの構成要因となるものは、やはり最初に言われた納得するかどうかということ。しかし、そこは事実を了知した上で納得するかということ。お医者さんが使うインフォームド・コンセントという言葉がありますけれども、事実をよく知らされた上で初めて納得するかどうかというところがまず第一にあり、それから政治あるいは行政の責任の立場にある人たちあるいは機関がアカウンタビリティーを持ち、そしてやり方に対して説明責任あるいは結果責任を問われるということ。それから、それを確保するためにはどうしてもトランスペアレンシーがその中に入ってくる。
 それからもう一つ、新しい事態として注目されていることは、従来の代表制という手続上の問題よりはむしろ参加するということ。参加型の民主主義というものが重視され、リプレゼンテーショナルなリベラルデモクラシーからラジカルデモクラシー、つまり根源的なところにまで戻った、まさに市民が主権を持っているというデモクラシーの原点に戻る、参加型デモクラシーのところに戻ると。それは現在のインフォメーションテクノロジー、そのようなもの、それから人々の判断能力の向上によってこれはまさに可能になる時代に入ってきていると。
 その意味から申しますと、ただ単に選挙されているかどうかということ、どれくらいの人がその代表の背後にいるかということではなくて、参加を通じて政策の方向づけ、それからその実施にどのように貢献できるかという実態的な機能というところに焦点があると思います。
 市民社会の側でこの問題については非常に重要な問題なのでもう既に検討が始められていますが、もう少し時間を要する問題であると思います。
#23
○参考人(大泉敬子君) 二つ質問をしていただきました。両方ともなかなか答えるのに難しい問題ではありますけれども、まず最初の方ですね、多分私が大変早口でががががっと申し上げたので誤解があったのかもしれません。ちょっと修正しながらお話をします。
 今、丸投げというお言葉を使われました。確かに、国連はここに置いておいて先にあなたたちやりなさいよということで責任転嫁をするといいますか、そんなふうに聞こえちゃったのかもしれないんですけれども、私が申し上げたかったのは実はそういうことではないんですね。国連の中、国連がマネージするシステムの中に地域の機構、そういうものを入れ込んで、そして安全保障理事会など、主に安全保障理事会ですけれども、そこでそういう活動をうまく分担といいますか、させるような方向性をこれからとっていくべきであると。だから、安全保障理事会をすり抜けて丸投げであなたたちやってねということを申し上げたかったわけじゃないんですね。
 もともと国連憲章の中には、実はこういうことがあります。第八章というところがあるんですけれども、今は持っていませんから読みませんが、地域的な機構と国連の関係、地域的な取り決めと国連の関係を言っています。ですから、アフリカのOAUというアフリカ統一機構ですとか、北、南のアメリカにもあるんですけれども米州機構とか、それから最近ヨーロッパのOSCEという全欧安保ですとか、それからアラブ連盟ですとか、幾つかのものがその地域的な機構として入っていまして、そこのところというのは、あくまでも国連の安全保障の枠内で活動をしますよという取り決めがちゃんとあるわけですね。
 ところがNATOの場合は、これはちょっとそこが問題なんですけれども、その八章の地域的な取り決めの中に入る機構としてではなくて、五十一条という別建ての、前の七章という集団安全保障の中にあった集団的な自衛権を使うことができる軍事同盟として冷戦期にでき上がっているわけです。そのNATOが冷戦が終わって変化してきている。皆さん御存じのように、自分たちの目標や何かも変えてきています。政策も変えてきているんだけれども、依然として、残念ながらといいますか、五十一条の軍事同盟の域を出なくて、八章型の国連と密接に協力をする、密接度の高い地域的な機構に今なりたくないというふうに言っていると。この辺が現実の問題であるわけです。
 そのNATOがコソボの空爆をやった。その後に結局国連が、ありがとうねと出ていってPKOを展開している。これはゆゆしきことだと私も個人的には思いますけれども、NATOの性格そのものが今変質してきている中での話だったがゆえに、逆に非常に、何というんでしょうか、誤解があるのかもしれないなという気はします。
 ですから、任せて丸投げでいいということを申し上げたかったわけじゃなくて、国連全体のメカニズムの中にいかにしてNATOという軍事的な、まだ同盟的な意味合いを強くしているものも含めて、地域機構との間の連携をとっていくかということを考えていくべきである。それを総合的なピースオペレーションズという形で再構築していく。これはガリが実は、ガリがなんて言ったら失礼なんですけれども、ガリ事務総長が九二年になさろうとしたようなことがまだ実現していないので、それをもっとやっていくべきだということをお話ししたかったということが一つあります。
 それから、もう一つの予防外交をどう考えるかということでしたけれども、これはもうおっしゃるとおり、アーリーウオーニング、早期警報から始まりまして、事実調査、情報収集それから予防的な展開、これは軍隊が初めてユーゴスラビアのマケドニアに一度だけ入っていますけれども、そういうもの。それから、信頼醸成のためのさまざまな措置、こういうものを含めてこれからの国連の一つの重要な役割であろうと思います。
 そのために、最近、国連の事務局の中では、さまざまな情報収集のためのセクションでありますとか、あるいはPKOに関しても、かつてはそれこそ九〇年代に入る前ぐらいまでは九時―五時の仕事体制で、全くそれ以外のときは情報が来ても全然取り合えないような状況だったんですけれども、今は二十四時間体制ですし、さまざまな情報を収集したり、それから今までのPKOの教訓をどう分析して役立てるかというための研究部門というものが九五年からPKO局の中に入っています。これは将校も入っています、軍人がやっぱり入らなきゃいけないということで。そんなふうなセクションも出てきていまして、今国連の中では、システム的にもこの予防外交の整備というものが行われていて、非常に重要な部分であろうというふうに思います。
 ただし、予防外交というのが、実はこれも一言でこれと言えないものがあって、ある意味でPKOも予防外交、要するに紛争が再発するのを防止することですし、それから紛争後の経済のインフラ的な再建も、あるいは人権の保護も、行政をつくり直す、司法をつくり直す、これは全部ある意味でいうとまた紛争が起きないための予防措置なんですね。
 ですから、予防外交というと、私たちの頭の中で紛争が始まる前にそれを始まらないようにするという、そういう考え方が多分色濃いと思いますし、その部分は確かにあるんですけれども、それだけではなくて、紛争が始まってしまった、それが終結して、さらにその後のケアまで含めて実は予防外交というものは展開されなければならないのだということは重要な点として指摘させていただきたいと思います。
#24
○会長(井上裕君) ちょっと速記をとめて。
   〔速記中止〕
#25
○会長(井上裕君) 速記を起こして。
#26
○藁科滿治君 それぞれ貴重なお話を承りましてありがとうございます。
 特に、功刀先生からは、国連の発展に当たりましての国際NGOとの関係、いろいろ論文でも読ませていただきましたが、この両者の協力関係の向上ということが非常に重要ではないかと私どもも判断をしております。
 そこで、お伺いいたしますけれども、この両者の協力関係を今後発展的に確固たるものにするためには、国連本部の機構、人事、そういった面で大胆な改革強化が必要ではないかというふうに思っております。特に、先生は国連の事務局の中枢で御活躍されておったようでございますので、ぜひそういう経験も踏まえまして、どういう対応をしていったらいいのか、まず一つお伺いいたします。
 それから二つ目は、先生が緊急対応部隊というものを周辺の方々と提言されております。これは、日本のPKOの基本方針や最近のコソボやティモールの経験からいいましても、私は率直に高く評価できるんではないか、このように考えております。
 そこで、日本の政府がこの問題をめぐって具体的にどういう対応をしたらいいのか、これは資金の対応もあるかと思いますけれども、先生の具体的なお考えがあれば承っておきたいと思っております。
 それから、大泉先生に対する質問はもう前の方がやりましたので、私、ちょっとニュアンスを変えて御感想を承りたいんですけれども、お話を承りまして、PKO活動が経験を踏まえて、また関係者の大変な努力によって質的にも変わってきている、また機能も大変強化されてきているということを改めて勉強させてもらいました。
 しかし、日本の国民意識という面で少し対応して考えますと、まだ積極派も消極派も含めて非常に固定的な観念の中に埋没している。そこで大変なギャップを感じるんですよね。必要性は理解できますけれども、日本の国内の国民意識という意味でギャップを感じるわけでございまして、これじゃ困るわけでございますが、こういうギャップについて先生はどんな御感想を持っておられるか、ちょっとお尋ねしたいと思っております。
#27
○参考人(功刀達朗君) 市民社会とそれから国連との協力関係をどう進めるかということにつきましては、国連のニューヨークの本部とそれからジュネーブにあるジュネーブ欧州本部、ここにはNGOとのリエゾンを緊密に保つための部局がございます。そして、もう長年にわたって協力関係は続けていますが、国連が力を入れると、幾つかの国がそれに対してネガティブな反応を示すことがしばしば行われてきて、非常に残念な状況が過去数年間に行われています。どの国がそういうことを実際にやっているかということにつきましては、先ほど申し上げたように、途上国の幾つかが意外とそれにネガティブな反応を示しているということ、これが残念なことです。
 それでは主要国はどうかと申しますと、必ずしもそれを前向きに評価しているわけではなく、少数で協議をして事を決める方が手っ取り早いということを考えている主要国、大国の間では意外とこれもまたネガティブな反応を示すこともあります。これは、意外と申しますのはなぜかというと、そういう国は、アメリカ、英国、フランス等を含め、非常に市民社会がよく発達している国と言われているデモクラシーの国であるのにそういう反応を示すことが時折あるということです。これを最も前向きに反応して進めようとしている国は、カナダ、北欧諸国、オランダ等が非常にそれを前向きに進めようとしております。
 緊急対応部隊の動きについても、実は今申し上げたカナダ、北欧、オランダ等が中心となって、緊急対応部隊の非常に小規模なものは国連との協力において既に実施段階に入っています。これはPKO局の中に一部派遣された武官がそこに入って働いているということ、そして必要に応じて幾つかの国が、たしか十五カ国ぐらいが参加する用意があることを表明しています。そして、さらにこれに文民を加える。殊にシビリアンの中でも、必ずしもシビリアンポリスを加えるということではなくて、ロジスティック面、あるいは情報収集分析を行ったり、あるいは従来のNGO活動を行っているような人たちがそれに参加する、これがブルーヘルメット・プラス・ホワイトヘルメットという言葉で呼ばれ、そしてカナダ、アルゼンチンその他の国によって、現在どのような方向で進めるかということについて原則づくり等を行っています。
 日本としても、このような作業にはぜひ参加して、限られた範囲から参加を始めることが望ましいと思います。
#28
○参考人(大泉敬子君) おっしゃるとおりで、ギャップを感じている者の一人です。
 それはなぜだろうかということをつくづく考えますけれども、一つの大きな理由というのは、もちろん関心というものが低いということもあるんですが、そういう国際的な平和教育といいますか、そういうものがやはりまだ日本の中にはきちんとできていない、国民の中に情報が十分に行き渡っていないのではないかということは、やはりつくづく感じます。
 私の個人的な経験で申しわけありませんが、私は東京情報大学を本務校としておりますけれども、とある、言ってしまってはいけないかもしれない、W大学というマンモス大学の政経学部の専門課程で国際機構論というのをこの四年ほど実は持たせていただいています。百人ちょっとの学生が来てくれていますけれども、そこでこういう話をするんですね。
 最初に何も話をしない前に、PKOに関して話をきちんとしない前にアンケートをとったときと、それからPKOに関して、それこそきょうは本当に十分か十五分で話をしましたけれども、これを何回かに分けて事細かく事例を話したりしてお話をしていったその最後にまたアンケートをとって、さあ日本はどうあるべきだと思うか、どうしたらいいのかということを問いますと、かなり変わるんですね。申し上げておきますけれども、私は決して扇動や何かはしていませんのでそういうことはしていないんですけれども、客観的な知識を与えたことによって変わってくることがあるんですね。
 これというのは非常に能力の高い学生たちがそこに来ている大学なわけですから言えることだと思うんですけれども、同時に、これはやはり日本の現状を、国民の世論というものをそのまま反映している一つの事件ではないかなというふうに思います。
 つまり、ここはきょうは議員の方々にお話しする機会をいただきましたけれども、それ以外のいろんな面でのそういった情報提供というものを的確にする必要がある。ただし、国民の場合はどうしても新聞に頼ったりしますね。あるいは報道に頼りますね。そのときの問題というのは、実は当初どう日本が参加するかというときに、いわゆる七章の集団安全保障の国連軍と平和維持の軍隊というものが混同されて議論されて新聞に載っていたというのはかなりケースとして見ました、私は。
 だから、その辺のことも含めて、メディアも含めてのきちんとした知識の共有ということがこれからそのギャップを埋めていく上ではとても重要ではないかなというふうに、つくづくと現場にいまして感じております。
#29
○会長(井上裕君) 速記をとめて。
   〔速記中止〕
#30
○会長(井上裕君) 速記を起こして。
#31
○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。
 国連の威信の低下ということが話題になったと思いますけれども、それは国際の平和と安全の維持という国連の主要な任務にとってやはりそういう事態が最近あったからだと。特にNATO軍によるユーゴスラビアの空爆、これがその大きな出来事だったと思います。それはちょうどアメリカ自身も述べていますけれども、国連の原則とは無関係にみずからの国益に従うと述べている。国連が蚊帳の外に置かれた、そういう事態だと思うんですね。
 そういう事態に対して、九月の国連総会の際にアナン事務総長は、人道的介入のもとで強行されたユーゴ空爆が安全保障を掘り崩す危険はないのかとか、危険な先例とならないかという問題提起をした。あるいは、OAUの議長として、OAUの名でアルジェリアのブーテフリカ大統領がやはり国連憲章の原則と目的を守れという、あるいは非同盟諸国の閣僚会議が同様の趣旨を発表する。あるいは、十一月の末に行われたASEANプラス3の首脳会議でも初めて共同声明が採択されて、そこでも国連憲章の目的と原則、これに従ってコミットメントを行うという、それがわざわざ強調される。
 私は、今こういうことが強調されるということは非常に意味があることだと思うんですね。それはやはり、何といっても国連というところは原則武力不行使、軍事力の行使が許されるのは国連の決議が必要なこと、もう一つは侵略への自衛反撃の場合のみという非常に厳格なルールがあるからです。ですから、これだけ守れば、これさえしっかりと守っていくとやはり平和に相当大きな貢献になる、このことは自明のことではないかと私は思うんですね。
 そういう点から、功刀先生にお伺いしたいんですけれども、アメリカ、NATOの戦略と国連とのかかわり、これをどうお考えになるのか。
 それからもう一つは、先生は国連の見直し、国連システムをつくり直すということを提起されていましたけれども、私はいろいろやることがあると思うんですけれども、NATO以外の多くの国が国連の原則に従うと述べている意味、これは非常に大きいと思います。その点で、私は見直しももちろんあると思いますけれども、原点に戻るべきじゃないかと。そもそも国連憲章の目的、原則に沿う、これを徹底する、このことが今やはり国際の平和にとって最も求められているのではないかということを痛感するわけですけれども、その点についてお伺いしたい。
 それからもう一つ、私、議論になったことで一つ述べておきたいんですけれども、国連憲章と憲法、これは成立の過程からいってやはり非常に共通点があると思います、詳しくは述べませんけれども。しかし、日本では、その憲法の前文と九条から、当然国際的に置かれるPKOに対してどうかかわるかということはおのずとそこで議論が区別される必要があるという、そういう考えだということを述べておきたいと思うんです。
 そこで、大泉先生にお伺いしたいんですけれども、PKOの活動での役割分担について先生述べられました。コソボと東ティモールの問題を挙げられました。特にコソボのことを考えますと、強制力のあるNATOの活動が行われた後に安保理決議の一二四四決議ですか、それに基づいてミッションが配置されるという形になっていますけれども、それを役割分担とした場合、特に前者については国連憲章違反という批判が相当加盟国の中から出されている、そのもとで、それと今のミッション、役割分担したらむしろ国連の権威の低下を固定化することにならないか、そういうことを感じるわけですけれども、その点について先生の御見解を承りたいと思います。
 以上です。
#32
○参考人(功刀達朗君) 国連の憲章の原点に戻れというお話で、殊に武力行使等に関しては、原点に戻ってみますと、国連憲章のもとで国連が武力行使を行うことを完全に禁じているわけではないということが一つの原点にあるわけです。これは七章のもとにおける強制行動、これは国連軍というものが前提になっていますが、それができていない状況においても、必要ならば第八章の地域的取り決めを利用しながら強制行動を行うということも可能であるわけです。そして、実際に強制行動をとった例というのは過去に幾つもあるわけです。必ずしも国連が想定した国連軍というものが成立していない場合でも、加盟国の協力によってそれを行った例というのは過去にもあるわけですから、私は、武力行使を完全に禁ずるというのが国連の平和憲章であると言い切るわけにはいかないと思うんです。
 私、先ほど申し上げたように、社会においてはやはり暴力を使い、そして秩序を乱し、全体の利益に反する行動をとる構成員というものは生ずるわけで、明らかな侵略行為に対してはこれを武力行使をもって、原状復帰できないまでも侵略行為を停止させるということは時によっては必要であると。
 それから、先生が御指摘になったアメリカ、NATO軍等を中心としたものが国連の原則に反するような方向でというのは、確かにそういう例がもう既に二回あったわけですね。一昨年行われたイラクの空爆の場合と、それからコソボに対するNATO軍の空爆というのは、これは全く国連憲章に反した行動であったわけで、そのような事態が起こらないようにするためには、やはり大国主導型で武力行使をしたりする、つまりPKOの第三世代が武力行使を伴うことを必要とする場合には、大国がその中に入っていない状況において、中小国を中心とした強制行動をとる方向にすることによって、大国の利益というものが地域的にあるいは世界全体に反映される方向を除くことができると思います。
 それからもう一つ、先生の御指摘のやはり憲法九条との関係というのは、我が国が参加するときには避けては通れない問題だと思います。
 私は前から「論壇」等で意見を述べているように、国連による強制行動というものは、我が国の国権の発動としての国際紛争を解決するための手段としての武力行使とは全く関係ない、そこをはっきりと峻別することによって日本は全面的に国連のPKO活動に参加すべきであると私は常日ごろから申してきました。これは憲法を改正しないでもできるわけで、そこには要するに、国民の総意がそこに行くまでの準備が必要であるということがあると思います。
#33
○参考人(大泉敬子君) 最初に憲章と日本の憲法のことをおっしゃった。これは御意見として承っておきます。
 ただ、私が申し上げたかったのは、成立の経緯等を抜かして、精神、理念としては何ら不一致ではないのだと考えられると、今、功刀先生がおっしゃったと同じようなことを申し上げたかったと。
 それからもう一つの、特にコソボの点に関してだろうと思いますのでその点に焦点を置いてお話をしますけれども、コソボに関するNATOの空爆というのは、これはどう理由をつけようと確かに違法なもの、おっしゃったような憲章の目的、原則から考えても違法と考えざるを得ないものであると。
 ただし、最近国際法の学者などの中にこういう議論が出てきている。確かに違法なんですけれども、ただ違法だからといって何も手をつけないでいることは現実にできない場合がある。そのときに、実際に踏み込まなければならないその状況に関してどういう対応をするかと。確かに、国連の目的、原則等あるいは安全保障のシステム等あるんだけれども、なかなかそれが内戦というものに関してとりわけ整っていない。それは事実なわけです、国連憲章というのは国家間紛争に関するもので、新たに出てきた内戦にどうするのと言われたときに、今それで右往左往しているわけですから。
 そうすると、まだきちんとその基盤が整っていない。しかし、現実にはいろんな問題が起きてくる。さあ、憲章の目的に違法です、何もしませんかではなくて、そのときに緊急に、大規模な残虐行為がある等々の人道的な問題、そういうことがあって、しかも対応すべきその基盤がまだ変革途中にあるとか整っていない、未成熟の場合に関しては、国際機構あるいは地域的な機構、いろんなものが、今の場合NATOですけれども、少なくとも一つのやり方としてやむを得ない、まさにやむを得ない一時的な武力行使をやることは、これは認めざるを得ないのではないかという考え方が出てきているということは申し上げておきます。
 そういう考え方というのは、国連の安全保障を考えるときにはある種必要かもしれないなと私は最近ちょっと思っているんです。確かに空爆はよくないんです。これは認めますけれども、現実というものと、その原則、目的というものだけで詰めていきますと国連も国際社会も何も動けなくなってしまうところがあるということがありますので、そういう意味でいうと、一概にすべて違法だ、だめだ、やっちゃいけない、その分担というのはおかしいというふうには言えないのではないかというふうに思います。
 つまり、その空爆とその後の国連のPKOというもの、国連の活動との間にきちんと有機的な連携をつけていく道というのをこれから模索していくことによって、今おっしゃったように国連の権威がむしろ失墜してしまうのではないかということは歯どめがかかっていくのではないかというふうに思います。
#34
○高野博師君 簡単にお伺いしたいと思います。
 私もお二人の先生の考え方には賛成なんですが、現実は相当厳しいのではないかということで、自分自身は国連楽観論から若干悲観論に移りつつあるんです。
 そこで、紛争というのが国家間ではなくて国内問題になりつつあるという、それは一つの傾向としてはあると思うんです。しかし、インド・パキスタンの問題あるいは北朝鮮の問題、イラクの問題、当然国家間の問題はまだまだ深刻だと思うんですが、功刀先生にお伺いしたいのは、先生の論文の中で、世界情勢が大きく変わった、だから国連憲章を改正すべきだ、武力行使を禁止するような改正をすべきだということも書かれてあるんですが、同盟関係というのをどういうふうに位置づけておられるのかお伺いしたいと思います。
 それから、大泉先生にはかなり現実的な話で恐縮なんですが、例えば東アジアあるいは南アジアの安全保障にとって国連は何ができるのかお伺いしたいと思います。
#35
○参考人(功刀達朗君) 私は、楽観的か悲観的かと言われれば、初めに申し上げたように、歴史は我らがつくるものという態度からするならば悲観的である必要は全くないと思いますし、もっと能動的に活動に参画することによって国連というのはつくり変えていくことができると思うので、悲観論には走りたくないと思っております。
 国際紛争に関しての御質問なんですが、確かに先生御指摘のように、必ずしも国内紛争だけではなくて国際紛争がいまだに幾つも起こる可能性もあるわけです。そのときに同盟関係というのがどういう役割を果たすかということで、私は、同盟関係というものは、日米安保条約を含め、これはやはり地域の安全というものを保つためには必要なものである。それが必要でなくなる時期というものが来ることを望ましいと思いますが、同盟関係というものは地域の危機管理のためには重要であると私は考えます。
 ただ、それが国連のフレームワークというものとどうリンクするかということが重要であり、アメリカの国連協会の理事長を長年務めた方の御意見では、従来やはり地域安全保障の機構を考えるときには、どうも国連とのリンクというものが等閑視されていたのではないかという指摘があります。私は、その点については、ASEAN諸国のARF、ASEANリージョナルフォーラム等の可能性というものも含め討議されるべきものだと思います。
#36
○参考人(大泉敬子君) 東アジアと南アジアの安全保障に国連が果たす役割をどういうふうに考えられますかと。
 大変に大きな問題で、どうしようかなと今考えていたんですけれども、少なくともインド・パキスタンのように国家間の紛争に関していまだにまだPKOを位置づけているということがありまして、国連というのはそういう形でまず一つかかわっていると。それから内戦に関しても、今回の東ティモール、地理的にちょっと外れていますけれども、そういうふうな形でのかかわりがあるということ。さらに、もう少し展望を言いますと、少なくともさまざまな紛争の種が北朝鮮を含めてあるわけですから、そういうものに対する情報収集、信頼醸成等の先ほど申し上げた予防外交という点において、非常に国連にとってはこの地域というのは活躍しがいがある場所ではないかなというふうに私は考えています。
 その意味では、今ちょっと出ましたけれども、ASEAN地域フォーラム等々の存在というものがこれからどういうふうに変貌を遂げていくのか。それが八章の地域的な機構というふうなところにまで格上げされていくのだろうか。事実、実はさっきから地域的な機構との組み合わせをやりましょうと申し上げつつ、アジアのところはどうなんですかというと、ないわけですよね。ないわけですから、そういう意味でいうと、この存在というものは大変重要であろうと思います。
 それから、北朝鮮というのが、御存じのように一九九一年ですか二年ですか、韓国と一緒に国連の加盟国になりました。あそこのときにもメンバーにすべきかすべきでないか等々の議論がありましたけれども、今にして考えてみると、排除することなくそこにある、世界の中にある国を全部取り込んでいく国連というものは非常に重要ではないかと。それによって、見ることがウオッチすることができる、予防することができる。その枠内にどういろんな紛争を取り込んで、ここを経て対応していくかということが重要になってくると思いますから、北朝鮮に関しても、予防という意味でそれなりに恐らく国連は役割を果たせるのではないかというふうに考えています。
#37
○島袋宗康君 まず功刀参考人にお伺いしたいんですけれども、アジアの安全保障の枠組みについて今後いかようにすべきであるかということと、現状が問題であれば将来どういう改善が必要なのか、その辺についてお教え願いたいと思います。
 それから、大泉先生、大変御苦労さまです。
 今、世界にはいわゆる地域紛争と言われるものが多発しております。紛争の原因も、民族対立、宗教対立、経済格差、軍拡競争、権力闘争などさまざまあると言われておりますけれども、国連ないし国際社会はこれらの紛争に対して今必ずしも有効な手だてを得ていないというふうな感じがするわけでありますけれども、その辺の紛争改善について、いわゆる国連の果たす役割というのはどういう視点でとらえたらいいのか、ちょっとその辺についてお教え願いたいと思います。
#38
○参考人(功刀達朗君) もう六、七年前になりますが、アジアの、殊に東アジアあるいはもう少し広域のアジア太平洋における安全保障問題については随分いろいろなアイデアが出て、そのころまだ活躍していたゴルバチョフも提案したことがございます。その後、余り進展が見られていない状況であり、ちょっと不透明な状況に今入っているような気がいたしまして、私は、特にこれぞという決め手が今ない段階ではないかと思います。一つは、国連とのリンクをどうするかということが大事な点でありますけれども、これについてもいまだ十分な検討がなされていないという状況があります。
 ただ、東アジアという地域が世界の中で安定的なところなのか危ないところなのかという面については、ヨーロッパの学者等の見方では、東アジア地域はかなり危ない地域であるという見方があります。これは、やはりそこには中国という大国があり、軍事的にさらに拡張を急速に進めているということ、それから旧ソ連の体制が必ずしも安定的でないということで、これが何か危険な状況を予想外にも生むことがあり得るかもしれないということ。この場合に、日本を含めアメリカ、中国との三者の協力関係というのが非常に重要であるという見方がございますが、とともに、私は、やはり東南アジアの諸国の意向をくみ上げていくということが非常に重要なのではないかと思います。それは短期解決策ではなくて、いろいろな開発問題あるいは環境問題も含んだ人々の生活の向上ということにもつながる安全保障、人間の安全保障というところにやはり解決策を中長期には求めざるを得ないと思います。
#39
○参考人(大泉敬子君) ちょうど今、功刀先生がおっしゃってくださったことと私が申し上げたかったことがちょっと一脈通じるところがあります。
 おっしゃったように、さまざまな民族紛争、いろんな原因から成っている紛争が多発していると。その原因というものを追求していく必要があるだろうと思います。
 私がたまたまソマリアに関する論文で書いたのは、一体あれがどんな紛争なのかということを分析しないと対応できないよということを書いたわけですけれども、そのときに非常に多くの問題が、貧困でありますとか、あるいは現地での、その社会の中に、富がある部分だけに行くけれども大多数のところには平等に分配されないから、要するに非常に非民主的な政治の体制があるとか、それから開発の援助のお金がきちんと配当されていかないとかというふうな問題、それから環境の汚染の問題、人権抑圧の問題等々含めて、いろいろな分野での実は問題がある。だから、政治的な、何と言うんでしょう、意見が違うから政権をとるためにクーデターを起こして、さあやっつけるぞというだけの紛争では今ないわけですよね。今おっしゃったように、むしろ人間が生きていく上での状況に非常に問題があるということから起こってくる紛争が今の大きな特徴だろうと思います。
 そうしますと、私は先ほどからPKOの話をしました。目に見える部隊や人を派遣するという話をしたわけですけれども、実は目に見えない、そういうふうに映像には必ずしも映ってこないような国連の対応の仕方というのが重要かもしれないなとつくづく思います。
 つまり、それは何かといいますと、今おっしゃったように人間の安全保障といいますか、人々の生活がきちんとできていくようにするにはどうしたらいいのか。つまり、開発の問題との絡み、それから環境、人権、さっきから言いましたけれども、いわゆる今まで政治的ではないと言われていた部分の国連の対応、これが紛争の解決と一緒になっていかなければならないのではないかと。
 つまり、そういう意味で、最近の総合的な安全保障ですとか人間の安全保障ですとか、あるいはグッドガバナンスなんという言葉が使われます、よき統治というふうに言いますけれども、民主的な統治ということを含めて言うわけですけれども、そういうふうな視点というのがとても大切になってきていて、それが、我々研究者たちが声を大にして言うだけじゃなくて、実は国連の事務局サイドからも出てきています。
 例えば九四年に当時のガリさんは、「平和への課題」で有名ですけれども、実は「開発への課題」という報告書も出していまして、そこで開発の文化なんということを言っています。今言ったような非常に総合的な安全保障をやらなくちゃいけないよということをおっしゃったわけですけれども、そんなふうに出てきていますし、国際的にもそういう声というのは、有識者を初めとして非常に大きくなってきているということがありますので、単に政治的、軍事的な活動、これで民族紛争に対応するという発想を超えて、もっと地道な、人間の生活の地についたような、そういう社会再建といいますか、そういうものを考えた活動というもの、これもやはり国連の安全保障の重要な活動の一環になってくるのではないか、この視点を指摘したいと思います。
#40
○会長(井上裕君) ちょっと速記をとめて。
   〔速記中止〕
#41
○会長(井上裕君) 速記を起こして。
#42
○井上美代君 貴重な時間をありがとうございます。
 私、国連の重要性ということを感じておりますけれども、特に国連憲章をきちんと持って、そしてまだまだ機能が十分に発揮されているということは、お二人の参考人の先生方のお話を伺っても十分ではないとは思いますけれども、今後さらに国連が強化されていかなければいけないのではないだろうかというふうに思っております。そのようなことを考えるのに、きょうのお二人の参考人のお話は大変示唆に富むものであったというふうに思いますので、今後さらにこうした点を研究もしていかなければいけないなと思っております。
 そこでお聞きしたいんですけれども、お二人の参考人が言われましたのはコソボの問題、これはNATOそれから米軍のかかわりとの関係ですけれども、これについては国連の原則には違反をしているということを明快に話をされたというふうに思います。
 私は、この調査会で昨年、やはりこの問題で質問もしましたし、参考人をお呼びしての質疑がありました。そのときに東大の大学院の総合文化研究科の柴教授がお答えになったんですけれども、そのときもきょうの参考人のようなお話で、NATOの空爆について、国連憲章についてはこれは違反していることだと、こういうふうに言われました。そして、当初は決してアメリカが積極的に動いていたのではなくて、NATOの戦略など、五十周年の問題というものを含めて、ヨーロッパにおける新たなNATOの戦略なりあるいはプレゼンスというのを強めていくためにアメリカはかかわったのではないかというふうに私は見ていますと、このように柴教授は言われたんです。
 その点について私はお聞きしたいのですが、何しろ現実の問題というのはコソボのようなことが起きているわけなんですね。そして、柴教授も言われましたように、このときには安全保障理事会の許可もとっていないし合意もとっていなかったわけですね、それがきょう両先生、参考人が言われた憲章原則と違反しているということになるんだと思うんですけれども。
 二月八日に、ことしのアメリカの国防報告が出ました。この中に、やはり昨年は国防報告になかった国内紛争の危険を挙げているんですね。その国内紛争の中には、一つはある国が自国民にしかけるものなどの内戦が入っています。そして、内部侵略それから武装蜂起、市民による騒擾、こういうものが含まれております。これらは外部の国による介入を招いたりすることもあるのでアメリカの利益を脅かすものになり得る、だからアメリカの軍事行動の対象となるのだと、こういうふうに言っているんですね、国防報告は。
 そういう意味で、このようにアメリカが言っている中で国連がどういう機能を発揮してやれるかという問題があるんですが、私はその点について、特に国内紛争ということで他国にアメリカが介入するという可能性がこの国防報告の中にはあるんじゃないかというふうに思うわけなんです。だから、その辺についてどのようにお考えになるのか、お二人の先生にお聞きしたいと思います。
#43
○参考人(功刀達朗君) これは難しい問題で、そう簡単にはお答えできないと思いますが、私なりの考えは、確かに大国が関連した平和維持、平和管理問題は往々にして大国の利益というものが反映されてしまうという結果が生まれています。
 初めに申し上げた大国の横暴というのは、米、英、仏及び中国、旧ソ連、これらはすべて国連憲章を無視したような武力行使を、国内紛争に介入することも含め行ってきているわけです。また、その大国の一部には、国際司法裁判所の判定に対してもそれを受け入れないという態度をはっきり示し、国際法の原則にも反する行動をとっている国もあります。
 したがって、国連というのは国際政治を反映するものでそれ以外のものではないと、そういうふうに割り切ってしまうならばそれっきりの話なんですが、私は、事態の改善というものは一つ一つやっていかなければいけないわけで、大国がそのような態度をとったときには、やはり中小国はそれに対して批判をはっきりと述べる態度が必要であると思います。
 最近はオタワ・プロセスという例がありますが、これは大国が協力しないときに中小国、カナダ、ノルウェーあるいはその他の北欧諸国等を含め、中小国がNGOと協力することによってスーパーパワーが反対している事態につき非常に建設的かつ敏速な結果を得ることができたわけですから、中小国の力というものは今後もっと大いに協議を通じ発揮していくことが国連のフレームワークの中で望ましいと思います。
 アメリカの国防省の報告については、私は実は勉強しておりませんのでそれについて何も申し上げることはないのですが、アメリカはもう伝統的に、非常にグローバルなスケールで一方的なユニラテラリズムということをはっきり言っているわけです。みんなが賛成しなくても我々はグローバルユニラテラリズム、あるいはその逆にユニラテラルグローバリズムと読みかえても構わないんですが、これはもう随分前からそういう言葉は表明し、スローガンとしてはっきりと言い、そして最近ではそれをかなり露骨に一極断トツ型に今進めているという段階にあります。
 これに対しては、中小国が協議の上、必ずしもそれに反抗するということではなくて、やはり軌道修正を導くような方向に協力する必要があると思います。
#44
○参考人(大泉敬子君) 今、功刀先生が中小国によるチェック・アンド・バランスということをお話しになりましたけれども、私はちょっと違う方面で同じことのお話をしてみようと思います。それは、むしろ現状の安全保障理事会の大国間のチェック・アンド・バランスということも必要なのではないかということです。
 コソボの場合なんですけれども、私たちはついNATOが勝手に空爆をやったというふうに思いますし、まあ現実にそれは独自にやったわけですからそれはそうなんですけれども、その前の経緯をちょっとさかのぼってみようかなというふうに思うんです。
 それは何かといいますと、実は国連は何もしなかったわけではない。九八年の時点から安全保障理事会を開きました。そして、国連憲章の七章のもとで決議も出しています。つまり、これ以上の事態の悪化があった場合には、敵対行為がやめられない、それから非人道的な行為がやめられない場合には何らかの措置をとりますよというふうな決議を出してきているわけですね。それでも現地での状況がよくならないということで、最終的にNATOに対しては空域の査察権を与える、七章下ですけれども、こういう決議も出しました。
 その流れの中で、じゃ、実際にどうしようかといったときに、御存じだと思いますけれども、ロシアあるいは中国という同じP5の常任理事国が、この際軍事力を行使して何とか改善しようじゃないかというアメリカ側の議論に対して待ったをかけて一切応じなくなってしまった。要するに、麻痺してしまうわけです、安全保障理事会が。その結果として、アメリカが中心になってNATOが人道的な介入という枠組みの中で空爆を開始していきます。
 これをどう見るか。これはさまざまな見方があるでしょうから、これが一つ正しいとは言えない。さっきおっしゃったように、柴さんがおっしゃるようなアメリカの国益、戦略というものが色濃くもちろん反映されているだろうと私も思います。が同時に、その前段階の安全保障理事会の討議の流れを見てみますと、ここでロシアあるいは中国が一切応じないのではなくて、もう少し本来の国連憲章の目的、原則に合致したもの、つまり国際的な活動であり、かつ安全保障理事会というのは国連の加盟国の代表として責任を持って決定し行動をするということ、その軍事的なとりわけ強制行動に関してですけれども、こういう原則がありますから、こういうものに合致した活動になるようにお互いにもっと話を詰めるべきではなかったかと。もちろん中小国のチェックというのは必要なんですけれども、現行の安全保障理事会の枠内、制度の中で言いますと、むしろこういったほかの大国の考え方というもの、これをどう見るのかということも私たちはやっぱり見ておく必要があると思うんです。
 アメリカが独自にやるだけではなくて、じゃ、ほかの国はちゃんと責任を果たしたのかと。実は、ロシアや中国は責任を放棄しちゃったんじゃないだろうか、P5として。P5というのはパーマネントの常任理事国としてですけれども、加盟国の代表として責任を放棄してしまったのではないか、こういう批判ももう一つの面から見るとあり得る事態だったんだということ、これを事実的な一つのこととしてお知らせをします。
 つまり、そのことは何を言いたいかというと、P5の中のチェック・アンド・バランスということが必要になってきて、まさに国連憲章にある安全保障理事会の本来的な役割をちゃんと果たしなさいよということ、これが一つの私の答えであるわけです。
#45
○井上美代君 ありがとうございました。
#46
○鈴木正孝君 自民党の鈴木でございます。
 きょうは、両先生は初めての国際問題調査会ということで、大変参考になる示唆に富んだお話をお伺いしまして本当にありがとうございました。私も、ちょっと経験を踏まえまして幾つか御質問をしたいなというふうに思います。
 今、NATOの人道的な介入、コソボへの空爆介入、これについてちょっと御質問、お話がございましたけれども、実は私、昨年の十一月の中ごろだったんですけれども、NATOの議員会議がオランダでありまして、そこに出席する機会がありましていろいろと議論を拝聴する機会があったんですけれども、この人道的介入の法理、この現実的な議論はかなりもう相当突っ込んでいろいろと話がされていますね。いいとか悪いとかということはさておきまして、国際世論のそういう世界での先行的な形成ということが現実にもう行われるということが一つあるということをちょっと指摘しておきたいなというような感じが正直言っていたします。
 国連の機能不全というような字句をそういう議員評議会の決議案に入れるかどうかで相当やりとりが行われているということも事実でございます。まあ先生方御承知だろうと、こういうふうに思いますけれども、そういう状況が一つあるということもございます。
 それから、紛争の現実的な対応ということでございますけれども、たまたま私は平成四年の防衛白書をまとめるということをいたしまして、そのときに、今でも表現的に使っているわけですけれども、冷戦崩壊後の東西両陣営で抑え込まれていたような、先ほどもお話があった宗教とか民族とか、それぞれ地域で持っているようなテーマ、紛争の要因というものが、言ってみればたがが外れて抑え込んでいたものが外れたと。それによって非常に複雑多岐ないろんな紛争要因が一挙に出てくるだろう、今後そういう状況になるだろうというような予測、予想を当時もしたわけですが、それがまさにそういう状態に地球的レベルでそうなっているというような感じがいたします。
 ですから、一世代から三世代に流れていく、進んでいくということ、そういうふうにも見えるところもあるんですけれども、言ってみると五十年、六十年前の生の世界の裸の状態に逆に戻ったんではないかという印象も片方であるというような、そういうことも言えるんじゃないか。
 そうしますと、より複雑で多岐な紛争の現実の姿というものがこれからは出てくるのかなと。それに対して急速に急いで手を打つ、機動的に打っていくというようなことからいたしますと、従来型の、あえてPKOとは言いませんけれども、対応ぶりといたしまして、現実的には、今までの従来の日本のスタンスということでありますと、かなりまた裂き状態が、言葉は悪いんですけれども、より深く進むんではないかなというような感じもするんです。
 ですから、そういう状態にどういうふうに積極的にかかわっていくかということを大泉先生にちょっとお伺いをいたしたい、こういうふうに思います。
 それから功刀先生に、先ほど市民社会と国連の民主化というテーマで進化論、お話がございました。NGOの活用といいましょうか、それの広がりということが言われたわけでございますが、NGOそのものが大変広範で、国連の政府というもの、責任ある立場の者の区割りということから、どちらかというと合目的なその種の組織というものということになってきますと、持続性というか安定性といいましょうか、そういうものの組織に対する担保というものはどういうようにして確保していくんだろうかと、そういう心配も片方で出てくると思うんですが、その辺ちょっと御意見をお伺いしたいと思います。
 以上でございます。
#47
○参考人(大泉敬子君) 先ほど私、質問してはいけないということで言われたんですけれども、ごめんなさい、また裂き状態というのがどういうものか、ちょっと済みません、私に教えてください。
#48
○鈴木正孝君 言ってみますと、どっちかというと日本の国際活動、貢献活動というのは縛りをかけてやっているわけですよね。ところが、急いで手当てをしなければいけないという、そういう現実の状況にぶち当たったときに日本は何もしない、人的な貢献はしないで手をこまねいて見ているのかなという、そういう立ちどまりの状況と、国際社会がどんどんそれに対して急速な手当てをするという動きが片方で出ますよね。そうすると、その流れが両方に距離が出てくるだろうという感じがするわけですが、それをちょっとまた裂き状態という表現を使わせていただいたんですが。
#49
○参考人(大泉敬子君) わかりました。
 そのときに日本が、また裂き状況でどんどん人的貢献をしない方向に行っているというふうには私は考えないし、これから恐らくしていく方向に早晩なるのではないかというふうに考えているわけです。
 その理由というのは、きょうの早口でのお話の中で申し上げましたように、少なくとも原則を三原則として守って、多機能の、停戦監視だけではない選挙監視を含み、人権擁護それから経済再建までを含む、ある意味でピースビルディングという、平和構築というところまでを含む活動を、言葉の上でですけれども便宜的にPKOとして認めるとすれば、その点に関しての日本の出方というのはこれからかなり積極的になるのではないか。その可能性が今までよりもむしろ広くなるのではないかというふうに私は考えているものですから、現状の、急激に確かに手当てをして、さまざまな活動、多機能、多面化してきていますけれども、日本の方策というのは、今現実にはそこまで行っていませんけれども早晩そうならざるを得ないし、なるだろうと。そのための材料をきょう提供したつもりであったわけです。
 武力行使ということだけに拘泥して議論するようなことがあっては片手落ちではないかということだったわけですけれども、ですから、決してまた裂き状況にはこれからならないというふうに私は考えています。
#50
○参考人(功刀達朗君) NGOの参加についての御質問ですが、私の、市民社会が国連にもっと積極的に参加する機会をつくれというのは、必ずしもNGOに限るわけではなくて、市民社会を構成しているほかの行動主体、これは企業もありますし、研究機関もあるし、あるいは宗教団体もあるし、マスメディアの非常な公的な役割というものもございます。
 したがって、必ずしも、しばしば無責任だと言われる草の根NGOを念頭に置いて言っているわけではございませんし、NGOといっても、非常に国際的な活動規模その他、大規模でしかも責任ある行動をもう長年にわたって築き上げ、そしてその活動の成果については、幾つかの国あるいは機構よりはむしろ立派な成果を上げているという国際NGOの組織もあるわけですね。
 どうやってそれでは彼らの継続性を担保するかということですが、これはやはり、場当たり的に少数の余り責任もとれないようなNGOにも参加させろということでは全くなく、やはり実力、実際に過去において業績を上げた責任のとれるNGOがそういう機会に機関に参加して意見を述べ、そしてさらに合意できるならば、自分が提案したことについてはみずからそれについて行動をする、つまり協力を行う、それはNGOだけではなくて企業体についても同じことが言えると思います。したがって、任意的に参加することを認めたとしても、やはり業績があり責任のとれる団体に、行動主体に限った方がいいとは思います。
 任意的な行動規範というようなものをお互いの間で申し合わせ、それに従って行動することにより、何の目的に従ってどういう協力関係を我々はオファーすることができるかということをお互いに知らせ、そして協力関係、パートナーシップを出していく。パートナーシップといいますと、普通、対等の関係にあるものがお互いの相互利益をそこから引き出すというところに話が行ってしまいますが、それをその線を超えて、自分たちが属している社会に対してパートナーシップを通じてどのような貢献ができるかというところが今後の決め手となる、つまり体制責任ということがパートナーシップから生まれることが重要であると思います。
#51
○広中和歌子君 両先生、本当にありがとうございました。
 そして、今最後の御質問で多少カバーされたわけですが、功刀先生にまとめとして御発言いただきたいと思うんです。
 先ほど冒頭の御説明で、最後の部分、「おわりに」という部分ですね、つまり二十世紀の倫理では地球は保てない、そして主権国家の国益と権力追求への排他的関心から政治の営みを開放し、パートナーシップの相乗効果から地球益、公共善の追求と、それが書かれている後で、望まれる日本のスタンス転換というところがあるんですけれども、日本外交が今までとってきた方策をどのように転換しなければならないと思われるか、具体的に、元外務政務次官でいらした武見先生にお伺いした方がいいのかもしれませんけれども、ぜひお伺いしたいと思います。
 功刀先生は、第二国連、NGO、企業、研究機関、政策立案決定へのパートナーシップというようなことを言っていらっしゃいます。事実、さまざまな識者から成るところの例えば地球憲章作成委員会であるとか、それから世界人権宣言というのは一九四八年にできましたけれども、それが不十分だと、十分ではないという意味で、人間の義務と責任に関する宣言というものが例えばバレンシアで開かれて、そして国連に提案をしようといったようなさまざまな動きがあるわけです。そういう民間の動きに対して、一方、日本の外交はどういうふうにサポートし、あるいは補完しやっていけるのか、お伺いしたいと思います。
#52
○参考人(功刀達朗君) 日本は何をしたらよいかということなのですが、私は、ポイントが二つあって、一つは日本のスタンスを変えるということで、国連政策というのは、やはり国連を通じて国益を追求するという従来からの態度がずっと変わっていないと思うんです。少なくともそのようなイメージを国連の加盟国の間ではみんな持っているわけです、そういうイメージを。日本がリーダーとして歓迎されない理由というのは、いまだに日本は、経済大国となり貢献能力はあってもやはり国連というものを通じて自己利益追求型の国連参加をやっているのではないかという、これが一般の印象なわけです。
 やはり、日本として何ができるかということ、その何ができるかということの前にいろいろな知的な貢献ということ、いろいろなアイデアを出して賛同する諸国を集め、そして大国が必ずしも賛成しないような面についてもいろいろな提案をし、それを推し進めていくという態度が重要だと。リーダーシップをとる資格は十分にあるのにとらないでいるということ。なぜ歓迎されないかというと、やはり日本の国連参加のイメージというものが余りにも内向き過ぎるということがあると思います。
 例えば、小さ過ぎない国連というのは私は重要だということを数年前に申し上げましたけれども、これはアメリカ等が国連たたきで小さくしようとしているときにこれにつき合ってしまうから、日本のもう一票、安保理事会で第二のアメリカの投票権を欲しいと思うのかというようなことになるわけで、意外と日本以外の中小国はアメリカの態度にはかなり強く抗議をする態度があるのに、日本はそれが十分に行われていなかったという残念な状況があります。
 もう少し主体性を持って、国連政策は、国連局、今は総合外交政策局ですが、そこが決めるのかあるいは北米局が決めるのかと、こういうことを言われることのないように、アメリカの御機嫌を伺った後で国連で発言するというようなことがないように、私は主体性を持った発言が必要だと思います。
 それからもう一つ、先生が御努力されている地球憲章あるいは人間の責任に関する宣言問題、これは人権の裏にある責務の問題ということを取り上げなければいけないという認識は一般に広まっていますので、このような作業については政府もしかるべき国連の場において、人権委員会においてもあるいは国連総会においてももっと積極的な発言が望ましいと思います。
 ブトロス・ガリが、先ほど大泉先生の方から「平和への課題」とそれから第二に「開発への課題」というのを出したと言われましたけれども、実は第三部作として非常に注目すべきものがブトロス・ガリによって出されているんです。これは彼がやめさせられる、不本意ながらやめた十二月、このやめる二週間前に出された「民主化への課題」という、こういう立派な報告があるわけです。
 これは、国連を民主化しようとするならば国内の民主化が一番先決であるという認識もあり、それから従来タブーであった国内問題に対しての国際社会の介入ということも肯定していかなければいけない、なぜならば、民主主義というものは人権の一部である、こういうことをはっきり言っている立派な論文であります。しかし、これは彼がやめる寸前に出されたために、実は余り注目されないで終わっている重要な三部作の最後のものとなっているわけです。
 私は、広中先生のような方が国会からこういう重要な課題について発言され、参加されるということは大変望ましいことですし、参議院全体としてももっと国連政策というものに関心を持っていただいて、最も国民に近い議員先生方がやはり外務省を中心とする政府専管事項としての外交というものについてももっとモニターを、モニターというか監視の目を厳しくし、そしてガイダンスを国会の方から出すということが一番重要なことだと思います。
#53
○会長(井上裕君) 本日の質疑はこの程度といたします。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 功刀、大泉両参考人におかれましては、長時間にわたりまして大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な質疑を行うことができました。
 両参考人の今後のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼のごあいさつにかえさせていただきます。
 本当にありがとうございました。(拍手)
 次回は二月二十一日午後二時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後四時五十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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