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2000/02/21 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 国際問題に関する調査会 第2号
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2000/02/21 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 国際問題に関する調査会 第2号

#1
第147回国会 国際問題に関する調査会 第2号
平成十二年二月二十一日(月曜日)
   午後二時三十分開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月十八日
    辞任         補欠選任
     小林  元君     藤井 俊男君
     広中和歌子君     小川 勝也君
     柳田  稔君     福山 哲郎君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         井上  裕君
    理 事
                河本 英典君
                鈴木 正孝君
                藁科 滿治君
                高野 博師君
                井上 美代君
                月原 茂皓君
    委 員
                佐々木知子君
                田村 公平君
                武見 敬三君
                野沢 太三君
                馳   浩君
                小川 勝也君
                平田 健二君
                福山 哲郎君
                藤井 俊男君
                魚住裕一郎君
                緒方 靖夫君
                高橋 令則君
                椎名 素夫君
                島袋 宗康君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       財団法人日本国
       際問題研究所理
       事長       小和田 恆君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題に関する調査
 (「二十一世紀における世界と日本」のうち、
 国連の今日的役割について)

    ─────────────
#2
○会長(井上裕君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る十八日、小林元君、広中和歌子君及び柳田稔君が委員を辞任され、その補欠として藤井俊男君、小川勝也君及び福山哲郎君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(井上裕君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、本調査会のテーマである「二十一世紀における世界と日本」のうち、国連の今日的役割について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、財団法人日本国際問題研究所理事長小和田恆参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 本調査会では、二年目は国連の今日的役割につきまして重点的かつ多角的に調査を進めることといたしております。冒頭、小和田参考人をお招きし、お話を伺う予定でおりましたが、国会情勢の関係で大変失礼をいたしました。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 さて、二〇〇〇年を迎えた本年九月には、国連においてミレニアム総会等が開催され、その前には国連の協賛のもと、IPUの主催により世界議長会議の開催も予定されていると聞いております。このような時期に、本調査会が国連についての知見を深め、我が国の国連政策及び二十一世紀を迎える国連の現状と課題について論議を深めることは、極めて有意義なことと考えております。
 参考人は、九四年三月から九八年秋まで国連大使として御活躍されてきたわけでありますが、国連について単なるアカデミズムの観点からだけでなく、外交の現場など種々の情報をも踏まえた総合的な観点からお話しいただけるものと期待しております。
 どうか、忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、国連の今日的役割のうち国連をめぐる全般的問題と我が国の貢献について、前国連大使である小和田参考人から四十五分程度で御意見をお述べいただいた後、午後五時二十分ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
 なお、意見、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、小和田参考人から御意見をお述べいただきます。小和田参考人。
#4
○参考人(小和田恆君) ただいま国際問題に関する調査会井上会長から御紹介をいただきました小和田恆でございます。
 ただいまの肩書は日本国際問題研究所理事長ということになっておりますが、きょうお招きをいただいて参考人として意見を陳述する機会を与えていただきましたのは、恐らく国際問題研究所の理事長ということよりは、一昨年の秋まで国連日本政府常駐代表という資格で四年半ほど一番最近の国連に勤務いたしましていろいろ経験いたしましたことをもとにして、国連をめぐる問題と我が国の貢献のあり方についてお話をしろという御趣旨であるというふうに承知しておりますので、そういうつもりでお時間を少しちょうだいしてお話を申し上げたいと思います。
 もちろん皆様方、国連の今日的役割ということについては既に調査会の会合、一回お集まりになったというふうに伺っておりますし、それぞれのお立場から国連の問題については関心をお持ちになって知識も大変おありだと思いますので、私からどういう形でお話を申し上げたらいいのかというのはなかなか難しいところがございますけれども、当然御承知のことで多少わかり切ったことをというところもあるかと思いますけれども、時間をちょうだいいたしましたので、しばらくの間お耳をおかりできれば大変ありがたいというふうに思うわけであります。
 実は、私が今度国連に参りましたのは、この前私自身が国連に在勤いたしましたのが一九六〇年代の末から七〇年代の初め、ちょうど冷戦構造の真っ最中でございました。そのときも三年ほど代表部で勤務いたしましたが、それ以来、出張等で、あるいは国連の会議に出席するということで国連にはしばしば参りましたけれども、長く国連にとどまって仕事をその中でするという経験で申しますと、冷戦構造が壊れて初めてそういう経験を実地に体験としてしたわけでございます。
 そういう見地から申しますと、国連は旧態依然とした状況にあるとか、なかなか変わらないとかいうようなことがよく世間では言われますけれども、私の率直な感じといたしましては、国連は冷戦構造が壊れた後の世界の中で非常に変わったし、また現に変わる途中にある、非常に過渡期の段階にあるというのが私の率直な印象でございます。
 それはどういうことかということをこれから少し申し上げたいと思います。
 まず冒頭に、これは皆様当然御承知のことでございますので簡単にしたいと思いますけれども、国連という国際機構の特徴と申しますか、特質というものはどういうところにあるんだろうかというところについて一言申し上げたいと思います。
 歴史的に申しますと、国連という国際機構が今日の国際社会の中の統治機構の一つとして非常に大きな地位を占めるようになった背景としては、二つの流れがあるということを申し上げられると思います。
 一つは、今からちょうど百年前、昨年がその百周年の記念に当たりましたが、一八九九年にオランダのハーグで第一回ハーグ平和会議というものが開催されました。このハーグ平和会議の流れをくむ、国際の平和と安全を確保するために国際社会がどういうふうに機構づくりをしなければならないかという見地から出てきた流れでございまして、いわば平和確保の主体としての国連というふうに申し上げられるかと思います。
 御承知のように、十九世紀、ナポレオン戦争が終わってウィーン会議によって欧州に平和が訪れる、その中で欧州協調体制というものができるわけでありますけれども、しかしその後、露土戦争であるとかクリミア戦争であるとかいろんな形で欧州の情勢が騒がしくなってくる。そういう中で永続する平和というものをつくるためには、そのためのやはり国際的な枠組みというものが必要ではないかという考え方が十九世紀の後半に非常に強くなってまいります。そういうもののはしりが先ほど申し上げた一八九九年の第一回ハーグ平和会議であったわけでございますが、その結果、具体的な機構をつくるには至りませんでしたけれども、紛争を平和的に解決するためのメカニズムというものをかなり精密な形でつくって、それが新しくハーグ平和体制と呼ばれる体制になったわけであります。
 ところが、それにもかかわらず第一次大戦が勃発いたします。その反省に基づいて、やはりもっときちっとした国際機構をつくって平和というものを確保しなければならないということでできたのが、御承知の国際連盟であったわけであります。
 国際連盟は、基本的にはハーグ平和体制の流れをくみまして、国家間の紛争というものは、やはり紛争の原因というものを除去することから始めなければいけない。そのためには、紛争を戦争に至る前の段階で、紛争そのものを平和的な手段、具体的には交渉から始まりまして調停だとか仲裁だとか、あるいは場合によっては司法的な裁判によって解決するという、そういう仕組みをつくることによって紛争の原因を除去していくことが大切だという思想がハーグ平和体制の基本にあるわけでございますし、またその結果として、今日でも存在しております常設仲裁裁判所というものがつくられたわけでありますけれども、そういう平和解決の枠組みをつくるだけでは足りないということで、国際連盟では集団安全保障体制というものを国際連盟の力によって組織していくということが図られたわけであります。
 その中核になったのは、国際連盟規約に違反して戦争に訴える国に対しては制裁を加える、具体的に言えば、義務的な措置として経済的な制裁を加えるということが決められ、またこれは義務的な措置ではありませんけれども、そういう連盟規約に違反して戦争に訴える国に対しては戦争を宣言することができるということが決められたわけでございます。つまり、国際社会が一つになって、そういう国際社会の秩序を破ろうとする国に対しては経済的あるいは場合によっては武力による制裁を加える、そういう形で集団安全保障体制をつくるということが国際連盟の規約によって初めてつくられたわけであります。
 ところが、それにもかかわらず、第一次大戦後できた国際連盟は、発足したのは一九一九年でございますけれども、実際には一九三九年、つまり二十年後には第二次世界大戦に突入するということで、実際問題としては、世界の平和を確保するための機構としてはほとんど機能しなかったということになったわけであります。それに対する反省として、もっとより強力で実効性を持った機構というものをつくらなければならないということで国際連合ができたということは、皆様御承知のとおりでございます。
 その背景として、国際連盟がなぜ失敗したのかというと、集団安全保障体制が十分に強力なものではなかったという反省があるわけであります。つまり、先ほども申し上げましたように、経済制裁は加盟国全部に義務として課せられておりますけれども、しかしそういう義務違反があったかどうかということの判断は各国に任されているという状況でございましたし、武力をもって制裁を加えるということは、これは各国が自由に判断するという問題であって義務的なものではないということになっていたわけであります。
 そこで、国際連合の一つの基本的な特徴は、集団安全保障体制というものに実効的な覇を与えるということ、つまり本当に侵略ないしは平和を破壊する行為を行った国に対しては、国際連合が国際社会の名において強制的な措置をとって侵略を防止する、あるいは平和の破壊行為に対して制裁措置を加えるということが国連憲章の中で連盟規約に比べればはるかに詳しく規定されたということが一つの柱であったわけであります。
 もう一つの柱は、十九世紀の半ば以降、特に国境を越えての経済活動あるいは社会活動というようなものがだんだんヨーロッパを中心に盛んになってまいります中で、経済社会分野での国際秩序というものをどういうふうにつくっていったらいいのか、そういう国際協力の中核となる仕組みが必要だという動きが出てまいりまして、これが具体的には、例えば万国郵便連合であるとか国際通信連合であるとか、そういう国際機構の設立につながったわけであります。そういうものが今日のいわゆる国連ファミリーの一員である専門機関という形で出てきているわけでありますが、国際連合は、そういう国際協力がいろんな専門機関を通じて行われる、その協力の中核として国際秩序形成の機能を果たすというのが二本目の柱ということでございます。
 この二つの流れというものが、実は国連ということを考えるときに頭に置いておく必要があることではないだろうかというふうに思うわけであります。
 特に、前者の平和確保の主体としての国連、つまり集団安全保障体制の担い手としての国連というのは、御承知のように主要国、なかんずく五大国と呼ばれた英、米、仏、中、ソというこの五つの国が協力して世界の秩序を維持するための中核になる、それを中核とした安全保障理事会というものが先ほど申し上げたいわば国際連合の覇になって侵略者あるいは平和の破壊を行うものに対して措置をとるということが基本的な柱になっております。
 ところが、既に国際連合が発足した四五年から数年を経ずして冷戦が始まりまして、この哲学の基礎になっている五大国の協調というものが壊れてしまいます。その結果として、平和確保の主体としての国連の役割というものは非常に弱いものになってしまった、あるいはもっとはっきり申し上げれば、世界の平和の確保という見地からいうと国連の役割というものは実は非常に端に追いやられたものになったというのが実態でございました。
 現に、冷戦時代の状況を考えてみますと、例えばイスラエル、アラブの対立を中心としての中東の問題にいたしましても、あるいはベトナム戦争にいたしましても、第二次大戦後の非常に大きな国際紛争、国際の平和と安全を揺るがすような大きな問題というのは、実は国連自身がそれほど関与しない形で紛争が取り扱われてきたということになってしまったわけであります。
 他方、国際協力の中核としての国連、なかんずく経済社会分野での秩序を形成するという側面というのは、実は戦後非常にたくさんの独立国が生まれた、特に植民地解放のプロセスの中で、アジア、アフリカあるいはカリブ海、ラ米等においてそれまで植民地だった国々が独立をして、その独立の問題というものがいわば南北問題という形で出てきて、それがまた南北対立の一つの要素をつくってきたということで、これも実は南北対立というイデオロギー的な対立の中において必ずしも思うようには進まないという状況がかなり続いたわけであります。一言で申し上げれば、そういう東西対立の枠組みと南北対立の枠組みというものが組み合わされた形で冷戦時代の国連というものは推移したというふうに申し上げていいと思うのであります。
 私が第一回に在勤したときのことを先ほどちょっと申し上げましたが、そのときの経験で申しますと、国連は、そういう東西対立と南北対立という二つの軸の中で実際問題としては見るべき成果を上げることができないままに、どちらかといえば、それぞれの陣営の極端に言ってしまえば宣伝合戦の場になるというような傾向が非常に強くなっていた時代でございました。
 ところが、冷戦構造が終わりますと、ソ連が崩壊し、社会主義国家群というものがなくなってしまって、少なくともグループとしてはなくなってしまう、そういう中で東西対立の軸というものは完全になくなってしまったわけであります。それと同時に、私が特にきょう強調して申し上げたいと思いますのは、実は南北対立の軸というものも、なくなったとは申しませんけれども、かつてのようなイデオロギー対立の軸ではなくなってきているというのが現在の状況であります。この後者の問題は、実はまだ過渡期の問題であって現在進行形で進んでいる話であって、既に東西対立の場合のように決着がついて軸としてなくなったということまでは申せませんけれども、方向としてはそういう方向に非常に急速に動きつつあるということが申し上げられると思います。
 それはどういうことかと申しますと、冷戦時代に南北問題というものがある意味で東西問題に重ね合わされていた面がございます。これは若干詳しい話は避けますけれども、つまり南北問題に象徴される貧富の差というもののもともとが何にあるのかということになりますと、これは植民地主義に責任がある。植民地主義というものは帝国主義の産物であって、これは資本主義体制がつくり出したものだと。したがって、資本主義と社会主義の対立というものは、実は北の先進国と南の途上国との対立に重ね合わされる問題だという形で経済開発の問題が非常に政治化したという雰囲気があったわけであります。
 ところが、東西関係がなくなってしまいますと、そういう枠組みというものは完全に壊れてしまいます。それと同時に、特にアフリカを中心としての途上国の国々にとって、これからどういうふうにしてグローバライズされた世界の中で自分たちの国の開発をなし遂げ、国づくりをやっていくかということは、実はだれかに頼る問題ではなくて自分自身で考えなければならない問題だということになってきている側面が非常に強くなってきております。そういう中で、今までのような対立と抗争という形ではなくて、むしろ協調と協力という形によって経済社会開発の問題というものを進めていかなければならないという意識というものが国際社会全体、国連の中全体に行き渡るようになってきております。
 もう一つ、それに関連して申し上げたいのは、例えば環境問題あるいは人権問題等に見られますように、あるいはエイズの問題、難民問題、そういうものを含めてでございますけれども、経済社会の分野における相互依存の関係というものが非常に発達した結果として、今や一国一国でそういう問題が解決できないという状況が出てまいります。
 そうなってまいりますと、全体として、みんなが協調して世界全体の共通の問題に対処しなければならないという一つの社会としての意識、ちょうど国内において環境問題を考えるときに、やっぱり国全体としての立場からこういう問題に取り組まなければ問題が解決しないというようなことがもっと世界的な規模で起こってまいります。例えば地球の温暖化に対する対応などという問題はその典型でありますけれども、これはイデオロギーがどうだとか政治的立場がどうだとかというようなこととかかわりなしに、地球全体が協力しなければそういう問題に対して対応できないという状況が出てきております。
 そういう意味で、冷戦後の今日の国連においては、経済社会分野での国際秩序形成という側面、そういう機能の側面というものが非常に強く出てきているということが申せるわけであります。
 具体的に申し上げますと、御承知のように、リオデジャネイロで開かれた国連環境会議というのが一九九二年でございますか、ありましたし、その後、人口会議が九四年、それから社会開発の会議、それから中国における婦人の会議というように、すべてこれらは国際社会が社会として抱える問題に国際社会全体としてどういう秩序というものをつくっていかなければならないのかという問題意識から国連が組織して開かれた会議でありますが、そういうところにも国際協力の中核としての国連の新しい役割というものが非常に明確に出ているというふうに申せると思うのであります。
 そういう意味で、国連の変化というものを考えてみますと、私は四つほどの要因を挙げることができると思います。
 一つは、設立当初、一九四五年には五十一カ国、しかも第二次大戦の戦勝国が中心になってつくられた機構であったものが、今日では百八十八カ国、近くツバルが加入いたしますと百八十九になるわけでありますが、それだけの、当初に比べれば三・五倍以上、四倍近い加盟国の拡大というものがあり、しかもこれが単に数の上での量的な拡大だけではなくて、新興独立国、昔の植民地だった地域が新しく独立して国づくりをしているという、そういうメンバーシップにおける質的な変化というものが国連の活動の内容に大変大きな影響を与えてきている。量的な変化と質的な変化の両方が大変大きな変化を与えているということが申せると思います。
 この点はちょっと後で触れますけれども、例えば安全保障理事会の問題を考えるときに、そもそも一九四五年に安全保障理事会ができましたときに、全部で五十一カ国の中で当初は十一カ国でございましたけれども、十一カ国のメンバーから成る理事会がつくられる、その中で五カ国が常任理事国の立場にあるという状況から、今日百八十八の加盟国を抱える国連というものが全く同じ組織、構成で期待されているような役割を果たすことができるのかというような問題を生ずるようになっているわけであります。
 それから、国際協力、特に経済社会分野における協力ということを考えますと、やはり世界全体が国としての力の強さあるいは強さの程度というようなことにかかわりなしに、みんなが協力しなければ環境の問題にせよ人道の問題にせよ難民の問題にせよ解決できないという状況の中で協力を求めていかなければならないという要素、共通の秩序というものをつくっていかなければならないという要素が非常に強くなってきているということがそこから出てくるということが申せると思うのであります。
 第二番目は、これも先ほど申し上げたことに関連いたしますが、相互依存関係というものが、既に十九世紀の後半から非常に国境を越えた人間の活動が行われるようになった結果としてずっと増大してきたわけでありますけれども、特に冷戦構造が消えた今日、そういう状況というものがますますよく目に見えるようになり、かつそこに加えて、科学技術、通信革命というようなものを背景にグローバルな社会関係というものが出てくるようになってまいりますと、国連、つまり国際協力の中核としての国連の活動領域というものが実は非常に広がってくるわけであります。
 御承知のとおり、国連憲章の一つの基本的な原理というのは主権平等の原則であって、各加盟国がそれぞれ同一の平等の立場で国連という機構に参加しており、またその中で一つ一つの国が、自分の国の国内事項に対しては国連といえども干渉してはならないという原則が国連憲章の二条七項というところに規定されているわけであります。
 ところが、何が国内事項であるのかということは実はこれは先験的に決まっているわけではないので、国際的に規律されていない問題が国内事項として残っているわけでありますが、国際的な規律というものが環境問題に及び、人権の問題に及び、国民の取り扱いという問題に及んでくるようになってまいりますと、それだけ国内問題の分野というものは狭くなってくるわけでありますから、したがってそういう意味で国際機構、なかんずく国連の活動の分野というものはそれだけ広がってまいります。
 第三番目に申し上げたいのは、そういうこととも関連いたしますが、そもそも平和確保ということが国連の一つの大きな任務であるということを考えたときに、当然紛争をどういうふうにして抑止するか、また紛争が一たん起きたときにそれをどういうふうに抑え込むか、また紛争の状況というものをどういうふうにして終息に持ち込むか、さらには紛争後の国づくり、復興というものをどういうふうにして進めていくかという幾つかの段階があるわけでありますけれども、実は紛争の性格というものが非常に変わってきたということがもう一つあるわけであります。
 先ほど集団安全保障体制のお話をいたしましたときに申し上げましたように、ハーグ平和会議から国際連盟、国際連合と流れてくる流れの中で考えられていたのは、国と国との間の紛争、なかんずく全面戦争という形における紛争であったわけであります。それは第一次大戦の経験、第二次大戦の経験というものを踏まえれば当然のことであったわけであります。
 ところが、そういうものが完全になくなったわけではありませんし、そういう危険は依然としてあるわけでありますけれども、実際問題として今日の国際社会を悩ませている問題というものは、そういう国と国との間の全面的な対決による世界戦争というものではなくて、むしろ地域紛争であります。
 その地域紛争も、確かにイラン・イラク戦争であるとかイラクとクウェートの戦争のように地域の覇権というものを求めての紛争というものも依然としてございますけれども、紛争の大部分を占めておりますのは、実は一国の国内における統治機構が崩壊してしまって起きるような種類の紛争であります。あるいは国の中における民族同士、人種同士、部族同士の争いあるいは宗教的な理由による争いというようなものが大宗を占めているわけであります。しかも、そういう紛争というものが実は皮肉なことに、逆説的でありますけれども、冷戦構造がなくなったということによってかえってそれがふえるという傾向が出てきているのであります。
 具体的に申し上げますと、皆様のお手元にお配りしてあると思いますが、「国際問題において拡大する国連の役割」という一枚紙がございますので、ちょっとこれをごらんいただきたいんですが、これは平和と安全に関する国連の活動に限っての統計であります。
 国連が予防外交だとか平和維持活動の側面で関与した紛争というものがどのくらいあるかということを見てみますと、一九八八年というのは冷戦構造が壊れる前でありますが、十前後であります。ところが、冷戦構造が終わりました直後の九二年にはそれが十三にふえ、十七にふえ、二十一、二十三にふえるというような形でふえてきております。しかも、これは別な理由で国連自身が必ずしもかかわっているわけではありませんけれども、実は紛争自体の数は、今日、コフィー・アナン国連事務総長によれば、世界で現に紛争と呼ばれるようなものが約五十あるというふうに言われております。そのぐらいの数まで紛争がふえてきているのであります。
 安保理決議は紛争に対応してとられるわけでありますけれども、それを見ればもっとはっきりいたしますのは、八八年には一年間で採択された安保理決議がわずか十五しかなかった。ところが、九二年になりますとそれが五十三に飛躍的にはね上がり、大体そのレベルを、七十八、六十六、七十三、六十五というような形で推移しているのであります。ということは、具体的に言えば、安保理が停戦を呼びかけたり当事者による紛争の解決を求めたりするような、安保理決議の対象になるような紛争というものが冷戦後の世界で実は飛躍的に増大しているということを示しているわけであります。それが第三の特徴であります。そのことが国連の役割というものに非常に大きな影響を与えているということを申し上げたいのであります。
 第四番目に申し上げたいのは、そういうプロセスの中で、国連というものの役割と申しますか、国連というものが政策決定において果たしている役割というものに変化が出てきているということであります。
 これは、実は二つの面について申し上げられるわけでありますが、特に平和確保という第一の国連の流れのコンテクストで申しますと、紛争というものがそういう性格の紛争になってまいりますと、実は今までのように軍縮だとか軍備管理だとかあるいは停戦命令だとかいうようなことによって紛争が片づくわけでは必ずしもなくなってまいります。
 紛争の根源にあるものは一体何なのかということになってまいりますと、例えば社会的な不平等の問題あるいは民族同士の不寛容の問題、対立の問題、歴史的、宗教的な理由による反感の問題をどうするのかというような、非常に社会的、経済的な要素というものと政治的な問題としての紛争というものが混然一体となった形であらわれてくるわけであります。したがって、武力をもって抑え込めば紛争がなくなるというような種類の話ではなくなってくるわけであります。
 そうなってまいりますと、国際の平和と安全の維持ということについて第一義的な権能を与えられておりますのは安全保障理事会であり、その安全保障理事会が覇を持たなければならないという形で国際連合が発足したということを申し上げましたけれども、国際の平和と安全についての第一義的な責任を持つ安全保障理事会の仕事というものは、実は単に侵略者に対して武力制裁を加えるとか経済制裁を加えるというようなことで足りるのではなくて、もっと難民問題とのつながりだとか人権の尊重だとか、あるいは政治制度をどういうふうに民主化させてよりよい統治の仕組みをつくるかというような問題と非常に密接に絡んだ形で出てくるわけであります。ということは、安全保障理事会の権限ないしは安全保障理事会の役割というものが実は従来以上にもっともっと大きくなって、非常に総合的なものになってきているということが言えるわけであります。
 現に、日本は一昨年まで九七、九八と二年間、非常任理事国でございました。その間私は安保理の非常任理事国のメンバーとして座っておりまして、議長も二度ほどいたしましたが、そのときに、例えばUNHCRの緒方貞子さんにおいでいただいて難民の状況について報告を受け、それについて安全保障理事会としてどういう立場をとるのかというようなことを決めなければならないというようなことがございます。あるいは、難民の問題だけではなくて人権の問題、あるいは具体的なある国における統治機構の問題というようなものを事務局のその地域の専門の局長から話を聞いて、それに対して安全保障理事会としてどういう対策をとるのかというようなことを議論するというようなことが出てまいります。
 つまり、安全保障理事会というものが単に武力をもって制裁を加えるというような古典的な形での機能から、それをさらに超えてもっともっと広い形で平和の問題を考え、安全の問題を考え、それによって永続する平和というものをその地域、その社会の中にどうつくり出していくのかということが非常に大きな問題になってくるという状況が生まれてきたわけであります。
 でありますから、ある意味で安全保障理事会の持つ役割というものが非常に大きくなってきているということが申せるわけであります。かつ、それが単に量的に拡大したというよりは、質的により総合的な形で平和の問題を考える、開発の問題をも含めた形で、それも経済開発だけではなくて、社会開発も含めた形でいろいろと考えていかなければならないという状況が出てきているわけであります。
 一言だけ念のためにちょっと注をつけますと、そういう動きに対して、必ずしもそういうふうにいくのはよくないという考え方を持っている国もございます。具体的な例は中国でございまして、中国は、安全保障理事会は狭い意味での古典的な平和と安全の問題だけをやっていればいいんだ、それ以外の問題に安全保障理事会が発言したり物を決めたりするというのはよくないという立場をとっております。
 ただ、具体的に後でもちょっと申し上げますが、世界の各地の地域紛争に対して今最も有効な手段として機能しているのは国連の平和維持活動、ピースキーピング・オペレーションズ、日本語でPKOと呼ばれる活動であります。
 このPKOを見ておりますと、後でもちょっと時間があればもう少し詳しく申し上げますが、例えば当初のPKOがインド・パキスタンの紛争に関連してでき上がりましたUNMOGIPであるとか、あるいはサイプラスの紛争に関連してつくられましたUNFICYPであるとかいうような、あるいはもっと最近でいえばスエズ動乱のときにつくられましたUNEFであるとかいうような古典的なPKOというものが、基本的に停戦合意を実現させて、その実現した停戦合意というものをモニターし、それを確実にしていくという軍事的な役割というものが与えられていたのに対して、またそれに限られていたのに対して、例えば最近の一九九三年のカンボジアにおけるUNTACの例をごらんになってもおわかりのとおり、人権教育であるとかあるいは民主的な制度の確立であるとか、選挙監視を通じて国民の意思を代表する政府をつくるプロセスというものに国連自身が参画していくというような形、それから経済開発、社会開発というものを進めるための協力をするというような非常に総合的な形での平和創造の役割というものが平和維持活動の中自体に入ってくるという、非常に総合的な平和維持活動というものが出てきているわけであります。
 そういうものから考えましても、安全保障理事会の果たす役割というものが非常に大きくなってきているということが一つ申せるかと思います。
 もう一つの政策決定機能における変化として申し上げたいのは、いわゆるシビルソサエティー、市民社会というものの果たす役割であります。
 国連というのは、御承知のとおり、そもそも建前としてこれは政府間機構でございまして、主権国家を代表する政府が集まってそれが物事を議論したり決めたりするという、そういう機構であります。したがって、主権平等の原則というものが貫かれますし、先ほども申し上げましたように、国内事項というものと国際的な関心の対象である事項というものをはっきり分けまして、国際機構である国連が関与し得るのは国際的な側面だけである、こういうことになっているわけであります。
 ところが、実際には、経済社会分野における相互依存関係、インターディペンデンスの増大ということに伴ってその境界というものが非常にあいまいになってきているということを先ほど申し上げましたが、そういうこととも関連いたしまして、やはりそれぞれの国の中における政府がどの程度民意を代表しているのかということが非常に問題になってまいります。もちろん、民主的な制度のもとにおいては政府は国民の民意を代表する仕組みになっているわけでありますけれども、すべての国がそういう民主的な制度をとっているわけではございません。したがって、市民社会というものが社会として何を欲しているのかということを国境を越えた横のつながりを通じて、いろんな形で政策決定のプロセスに働きかけていくということが出てまいります。
 国連は、機構としては先ほど申し上げましたように政府間の機構でありますから、それがそういうものをもろにそのまま取り入れるということはありませんし、またそういうことになるということは今の仕組みを基本的に変えるということになりますから、そういうことに仕組みの上でなるということは私はないと思いますけれども、実際問題としてそういうものがいろいろな形で政策決定のプロセスに影響を与えていくことが出てくるわけであります。
 現に、各国の政府の代表団の中に、日本もそうでありますけれども、例えば第三委員会という社会問題、婦人問題等を扱う委員会がございますが、そこに市民団体の代表が政府代表という形で加えられるということは既にかなり前からの慣行として行われているわけであります。そういう傾向はどんどん強まってきているということがございます。
 さらに、そういう政府の代表団の中に市民社会の代表が加わるという形だけではなくて、むしろNGOとして経済社会理事会に特別のステータスを与えられているものが非常にたくさんございますが、そういう国際的なNGOというものが横の連携を通じて国際社会全体の公益を推進するという立場から政策決定のプロセスに間接的に影響を与えていくということが出てまいります。
 具体的な例で申し上げれば、例えば一昨年、九八年の夏に国際刑事裁判所というものを設立する外交会議がローマで開かれました。これは、場所はローマで開かれましたが、国連の会議であります。私はそれに日本の首席代表ということで参加したわけでございますけれども、もちろん、その代表団の中にそれぞれの国のNGOないしはそれに準ずる学術団体というようなものの代表が入るということはございますし、日本の場合も大学の先生などに入っていただいているわけでありますけれども、それとは別に、例えばアムネスティ・インターナショナルであるとかあるいはインターナショナル・コミッション・オブ・ジューリスツであるとかいうような、この分野において専門的な知見を有するNGOというものが国際的な団体としてこのプロセスに参加をするということが行われたわけであります。
 これはもちろん、最後の表決、条約を採択するときの表決は政府間の条約でありますからそれに票を投ずるということはありませんけれども、そういう案文ができ上がる過程においてこれに加わっていくということは、非常に顕著にそういうことがあったわけであります。同じようなことがリオデジャネイロの環境会議についてもあったというふうに聞いております。
 そういう政策決定機能に対する市民社会の関与というものが、間接的な形ではあるけれども、特に先ほど申し上げた第二の側面、つまり国際協力の中核としての国連というものが役割を果たしていく上で非常に大きくなってきているということが申せると思います。
 以上申し上げた四つぐらいの点が、私が冷戦が終わった後の国連に参りまして、冷戦時の私の知っておりました国連に比べて非常に変わったなというふうに思う点であります。
 そこで、最後に締めくくりとして、以上のような国連の変化というものを踏まえて、特に日本の視点から見て国連の直面する課題はどういうことなのかということについて簡単に申し上げたいと思います。この辺は、実はかなり具体的な問題がいろいろございますので皆様いろいろ具体的な御質問がおありかと思います。とりあえず簡単に枠組みのお話だけを申し上げて、あとは質疑の時間に譲りたいと思いますので、そういうことで御了承いただきたいと思います。
 国連が直面している課題は、私は大きく言って三つあるというふうに思います。
 一つは、平和確保の機能というものを冷戦後の国際政治構造の中でどういうふうにして強化していくかという問題であります。
 これは、実は冷戦後の世界秩序がどうなっていくのかという問題にかかわる問題でありますが、もちろん学者の中には、例えばクラッシュ・オブ・シビライゼーション、これからは文明の衝突の時代に入るんだというようなことを言う人もありますし、二極構造の中のスーパーパワーの一つであるソ連がなくなったんだから、今度は唯一のスーパーパワーであるアメリカを中心とした一極秩序の世界になるというようなことを言う人もありますけれども、私はそれはいずれもそんなことではないだろうというふうに思います。
 一番基本的な理由は、やはり国際社会というものが先ほど申し上げたようにグローバルな社会になってきている。そういう中で、国と国との間の関係というものが、単に対外的な関係で接触する国と国との関係、つまり政府という接点を通じて接触する国と国との関係ではなくて、一つの社会と別な社会、国内社会同士が面で接着し合う関係というものが出てきており、しかも国際社会全体が一つの社会として抱える問題、エイズの問題にいたしましても環境の問題にいたしましても人権の問題にいたしましても、そういう問題が非常に大きな国際社会の抱える国際社会としての社会問題になって出てきているという状況がありますので、そういう中で一極社会なんということはちょっと考えられないのであります。一極秩序などというものは考えられないのであります。それからまた、逆にこれが多極的な、勢力範囲をそれぞれ分かち合ってみんながそれぞれの分野で勝手なことをやるというような古典的な意味での多極秩序になるとも考えられないのであります。
 具体的に出てくるのは、やはり国連を中心としてみんなが協調しながらどういうふうにして新しい秩序をつくっていくかということになってこざるを得ない。それがいかに能率の悪い制度であるにせよ、あるいはどれだけ実効性を持つか持たないかということが疑問であるような制度であるにせよ、それしかやりようはないだろうというふうに思います。
 そういう中で考えますと、安保理というものが持つ役割というものが非常に重要になってくるということが申せると思います。なぜかといえば、先ほども申し上げましたように、憲章によって国際の平和と安全を確保する第一義的な責任を与えられているのは安保理であり、しかも国際の平和と安全というものの内容が先ほど申し上げたように非常に総合的なものになってまいりますと、これがどういうふうに機能するのかということによって国際の平和と安全の確保というものがそれにかかわってくるという状況が出てくると思います。
 具体的には何が問題になるかと申しますと、一つは、安保理というものがいかに実効的に機能し得るかという、いわばイフェクティブネスの問題であります。
 やはり紛争というものは抑え込まなきゃいけないわけで、抑え込むためにはいろんな意味で実力を持った国々が集まってそういうことをやらなければならないという状況であります。これは、もちろん武力による抑え込みということもありますけれども、さっき申し上げたように、武力によって抑え込めば紛争がなくなるというわけではない。もっと根源的に社会構造の問題、宗教の問題、経済秩序の問題、そういうものに踏み込んでいかなければならない。そうすると、単に武力国家として、軍事国家として強大であるということだけで安保理というものが機能するわけではない。経済力というものも非常に重要になってくる。あるいは道義的な力というものも重要になってくる。宗教的な役割というものもあるでしょう。そういういろんなものを総合して、そういうものに貢献し得るような国々が集まって安全保障理事会の役割を高めていくということが非常に重要になってまいります。これが一点であります。
 もう一つ重要な点は、安保理事会が決めたことは、総会だとか経済社会理事会だとかほかの理事会が決めた決定とは違いまして、加盟国全部を拘束するわけであります。これは安全保障理事会の決定の特徴であります。総会で決めたことは勧告的な力しか持たない。総会で決めたからといってメンバーがそれに従わなければならないわけではありません。ところが、安全保障理事会が決めたことというのは各国がそれに従わなければならないのであります。例えば経済制裁を決めたら各国は経済制裁をやらなきゃいけないわけであります。これが国際連盟と比べて基本的に違うところだということは先ほど申し上げたとおりであります。
 そういう中で、本当に安全保障理事会の決めたことが守られるためには、安全保障理事会の決定というものが正統性を持つ、これは我々の代表である安保理が決めたんだから守らなきゃならぬということが必要であります。そういう正統性をどういうふうに確保するかということが非常に大きな問題になってまいります。
 その意味では、先ほど申し上げましたように、五十一カ国の中から選ばれてつくられた安全保障理事会というものと、現在百八十八にまで大きくなって、しかも質的にも内容の変化した国連の中で安全保障理事会がどうなければならないかというものはかなり違ってきているわけであります。この実効性と正統性というものをいかにして強化するかということが国連に課せられた一つの非常に大きな課題だというふうに申し上げられると思います。
 それとの関連で一言だけ申し上げれば、平和維持活動、PKOというものも、先ほど申し上げましたように、既に第一世代のPKOと呼ばれる単に停戦を軍事的に監視するというような単純なPKOではなくて、国づくりの基礎をつくるPKO、より総合的な、社会的、経済的な分野をも含めた広い意味での国づくりの基礎をつくるという平和維持活動というものに拡大している中で、そういうものをどれだけこれから強化していくのか、またそれに対して日本としてどういう形で協力するのかということが非常に大きな問題になってくるというふうに思います。
 第二番目の分野として申し上げたいのは、経済社会分野への対応であります。特に、先ほども申し上げましたけれども、開発問題というものが実は冷戦後の世界の中で私はこれからの一番大きな問題になってきているというふうに思います。
 なぜかと申しますと、冷戦時代、確かに一九六〇年ぐらいから四十年近く、三十五年ぐらいにわたって途上国援助ということは行われましたけれども、それが一つの哲学と一つの戦略に基づいて総合的な形で開発協力というものが行われてきたかということになりますと、これは甚だ疑問なのであります。各国がそれぞれの立場から努力してきたわけでありますし、日本などはその意味で大変大きな貢献はしてまいりましたけれども、例えばその中には米ソ対立の中で非常に軍事的、戦略的な立場から援助というものが続けられたというようなケースもあるわけであります。
 したがって、大変大きな額の援助が行われたということを申しましても、それが本当の意味で途上国が経済的な離陸をなし遂げて国づくりをするということに貢献したかということになってくると、まず第一に、そういう視点がどれほど鮮明にあったかという問題がありますし、第二番目に、国際社会全体としてそういう哲学、そういう戦略に基づいて一緒になって総合的に協力してきたかというと、非常に疑問なのであります。
 ところが、今やまさにそういう時代が来たわけであります。途上国の側も、先ほど申し上げたように、これからの世界の中で米ソ対立に頼ってその中で生きていくというわけにはいかないんだ、自分たちの国づくりを本気で考えなければならないという新しい機運が生まれてきている中で、開発問題に本気で取り組むということは実は非常に重要になってきているのであります。
 実は私が国連におりました五年近くの間、私が安保理改革と並んで最も力を入れて努力をしたのは、そういう新しい総合的な開発戦略というものを日本のイニシアチブでみんなに浸透させるということでございました。その考え方はかなりの程度みんなに受け入れられたと思いますし、そういう機運というものが国連の中でかなり強く出てきていると思います。
 現に今、世界銀行が同じような考え方に立ってコンプリヘンシブ・ディベロプメント・フレームワーク、CDF、総合的開発枠組みというものを提唱しておりますが、これは日本の提唱してきた新しい開発戦略というものと基本的に同じものであります。そういう方向に世の中が動きつつありますが、これにどれだけ国連が成功するかということが私は二十一世紀を迎える国連にとって非常に大きな問題だというふうに思いますし、それに対して日本が本気で積極的にイニシアチブをとっていくということが非常に重要だと思います。
 それとも関連いたしますけれども、国際社会の公益、国際社会が一つの社会になってきているということを申し上げましたが、そういう社会全体の利益というものをどういうふうにして伸ばしていくのかということが、今日、国連に課せられている課題の中で非常に大きな問題になってきております。
 冒頭に申し上げましたように、国連というものはもともと主権国家の集まりとしてできている機構でありますし、当然のことながら、その中において各国の国家利害に基づく争いというものはあるわけであります。そういうものなしに国連を理想的な存在だというふうに考えるのは間違いであって、私ども国連に座っておりましても、常に各国の利害というものを頭に置きながら、しかも自国の利益というものをどういうふうに伸ばしていくのかということは、これは国連も国際政治の重要な舞台の一つでありますから、その中において国家利害の対立調整という問題は外交の本質的な一部として当然あるわけであります。
 ただ、国連というのはそういう権謀術数の場であるか、ジャングルのおきての支配する場であるかというと、決してそうではなくて、そういう側面は依然としてあるけれども、それ以上に、国際社会の公益という立場から、国際社会全体としてよくするために何をしなければならないのかという観点というものがますます強くなってきているということがございます。
 そういう面で、環境の面だとか人道・人権問題だとか、あるいは民主主義体制によるよき統治の実現だとかいうようなことに日本がどういうふうに貢献するのかということが、日本の視点から大変重要な問題になってきているのではないかというふうに思います。
 最後に、あと詳しいことは御質問のときにお答えしたいと思いますが、それと関連して、皆様方、国会でも大変関心を寄せていただいている問題として、そういう国連というものをうまく運営していく上で行財政の改革というのはどうなっているのかという問題がございます。一つは分担率をめぐる問題であります。もう一つは国連で働く邦人職員の問題であります。これはいずれも、率直に申し上げて、我々がいろいろ努力をしてまいりましたけれども、まだまだやらなければならないことがたくさんあるという状況であります。
 分担率について一言で簡単に申しますと、分担率はそれぞれの国のGNPの大きさによって決めるというのが大原則でございます。したがって、日本がアメリカに次いで世界第二の経済大国であるという立場からいたしますと、日本が払う分担率というものが日本のGNPに比例して大きくなるのはこれは必然的なことであって、そのこと自体は国連の基本的な原則として決まっているわけであります。しかも、それは義務的経費として払わなければならない義務が憲章上あるわけでありますから、アメリカのように払いたくないものは払わないというようなやり方というものは既に国連においても大変非難されておりますし、またそのことがアメリカの国連外交というものの大変大きなハンディキャップになっている。アメリカの思うように自分たちの主張というものが通らない状況になっているのは、アメリカが分担金を払っていないということが非常に大きな足かせになっているということが申せるわけであります。
 ただ、今のままでいいのかということになりますと、この分担率の問題は、さらにもっともっと日本として公正な分担とその分担に応じた責任の分担というものをリンクする形で主張していくということが非常に重要になってまいります。
 邦人職員の問題につきましても同じことがございまして、職員は基本的に能力に応じて採用されるということになっておりますけれども、それにもかかわらず、やはり分担金の多い国はそれだけ職員の数も多くていいということになっております。そういう意味で申しますと、日本人の職員の数というものはまだまだ不十分である、特に幹部職員において非常に不十分であるということが申せると思います。これも日本がもっと努力をしていかなければならない問題だと思います。
 ただ、一言だけこれに関連して申し上げると、実は日本人を採らないという政策があって日本人が採られていないのではなくて、率直に申し上げて、日本から本当に国連として採りたいという人材がなかなか応募してくれていない、特に幹部職員についてそうであるということが非常に大きな障害になっている。この問題を日本側において解決するということが非常に重要な問題だということを申し上げておきたいと思います。
 ちょっと予定の時間を超過したようでございますので、ここで私の話を一たん打ち切らせていただきたいと思います。
 御清聴どうもありがとうございました。
#5
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 なお、質疑時間が限られておりますので、御答弁は大変恐縮ですが簡潔にお願いいたします。
 それではまず、委員各位のお許しをいただきまして、私から参考人に一点だけ質疑を行いたいと思います。
 今、参考人は、安保理が非常に重要であるというお話がございました。我が国の安保理常任理事国入りの問題につきましては、国連総会で間接的な表現ではありましたが、九二年の宮澤内閣のときの渡辺外務大臣であったと思います。さらにまた、安保理常任理事国として責任を果たす用意がある、こう明言したのは、村山内閣の当時の九四年の河野副総理兼外務大臣であったと思います。参考人はちょうど河野演説のあったときに国連大使として赴任されていたわけでありますが、我が国の常任理事国入りに対しまして加盟各国の受けとめ方や反応に、国連大使在任の前後あるいは在任中どのような変化を感じられたか、お話をいただければ幸いでございます。
#6
○参考人(小和田恆君) 今の御質問は大変実は重要な問題だと思いますが、余り詳しくお話ししていると長くなりますので簡潔にお答えしたいと思います。
 率直に申し上げまして、日本が現在国連に対して行っている貢献との関連で、常任理事国になる資格があり、またなるべきだという声は国連の中において圧倒的な多数として存在しているということは、まず申し上げられると思います。
 つまり、安全保障理事会の役割というものが非常に総合的なものになってくる、しかもその中で、武力による強制行動というものが実際問題として紛争解決の非常に強力な手段ではなくなっているという中で、いろいろな形での国際の平和と安全の確保ということがあるわけでありますが、その中で日本のような国が日本の力を使ってこれに協力してほしいという気持ちは各国とも非常に強く持っております。
 ただ問題は、安保理の改革というのが日本を入れるか入れないかという問題ではなくて、先ほど申し上げました実効性と正統性、イフェクティブネスとレジティマシーというものをどういうふうにして強化して本当に安保理を強化していくのかという見地から論ぜられている中で、全体としてのパッケージをつくって、安全保障理事会をどういうふうに拡大するのか、その中で非常任理事国は幾つぐらい多くするのか、特に常任理事国は日本以外にどこを加えるのか、日本だけが入るというのはだめだ、ではほかにどういう国を加えるのかということで、非常に争いがあって今日まで決着がついていないというのが現在の状況であります。
 具体的に申し上げれば、例えばドイツは有力な候補でありますけれども、ドイツが入ることについてはイタリアが真っ向から反対しているという状況がございます。ラ米については、ブラジルが当然候補だという主張をしているのに対して、その中に必ずしもそれに同意していない同じラ米の国がいる。アジアにおいても、インドが自分は当然なるべきだという主張をしているのに対して、そうではないという主張をする国があるというような状況の中で、全体のパッケージをどうつくるかということが今一番大きな問題でございます。
 このパッケージをつくるというのは大変難しい問題で、私の在任中もいろいろ努力をいたしましたけれども、なかなかうまいパッケージができないというのが現在の状況でございます。
#7
○会長(井上裕君) それでは、これから各委員から自由に質疑を行っていただきたいと思います。
 なお、委員各位に申し上げたいのは、できるだけ多くの委員が質疑できますように、御発言は簡潔にお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いします。
#8
○馳浩君 声の大きさで選んでいただいたようで、ありがとうございます。
 私は、小和田参考人のお兄さんには大学時代漢文学の講義をいただいた経験がありまして、大変話し方がそっくりなのでびっくりいたしました。
 参考人の文芸春秋の資料を読ませていただきまして、いわゆる創造の場に立ち会うことが私の人生にとって大きな意味があったという一言に大変感銘を受けまして、今回の開発問題について、国連の改革の中でも主導権を日本の国として発揮されたということに非常に大きな意味があると思っておりますし、今後その芽が花開くことも願っております。
 まず、この開発問題からなんですが、いわゆるアフリカ開発につきまして日本の果たした役割は大きいと思います。なかなか日本国民には伝わっておりませんが、昨年でしたか、TICADUの会議も日本で行われたことの意味の大きさというのは我々も十分認識すべきだと思っておりますが、今後、国連の場で日本が主張していく開発問題のことを考えると、東欧あるいは中央アジア、この地域の開発についてより積極的に声を上げていってもいいのではないか、これは日本の国益に照らしても必要な分野ではないかと思いますが、この点についての具体的なお考えがありましたらお聞かせください。
 そしてもう一点、これは大きい問題ですが、P5の拒否権の効力といいますか、冷戦構造終結をした今日、どの程度の意味があるのかということを国連の現場で肌で感じておられる小和田参考人の御意見として伺いたいと思います。
 たくさんの方が発言を求めておられるようですので、私はまずこの二つをお伺いしたいと思います。お願いします。
#9
○参考人(小和田恆君) 簡潔にということでございますので簡潔にお答えしたいと思いますが、まず開発の問題について、日本のやろうとしていることに対して御理解ある御発言をいただいて大変ありがたく思っておりますが、私は、これはぜひ日本として国を挙げて日本のイニシアチブということでこの考え方を徹底させていきたいというふうに考えております。
 詳しいことは申し上げませんけれども、先ほど申し上げましたように、冷戦時代は、やはり与えてあげるとかいわば慈善的な考え方、あるいは戦略的な考え方に基づいて政治的な優位を確保するためにお金を出す、それが実際問題としてその国の民生の向上、国づくりに役立つかどうかというのは二の次だというような感じが強かったことは否定できない事実でございます。それがなくなった状況の中で、初めて途上国の側も本気で国づくりということを考えるようになっているし、先進国もそれに対して、やはり途上国を世界経済のシステムに一緒になって入ってもらって、経済市場の一員として一緒になって市場を大きくしていく、輸出市場としても輸入市場としても大きくしていくということが世界経済システムのためにプラスになることだという共存共栄の考え方というものをつくっていくことが非常に必要だと思うんです。
 日本は国連でそのことを努力して、かなりそのことは浸透したと思いますが、おっしゃるとおり、これはアフリカだけの問題ではございませんで、世界的な戦略として、いい意味での戦略として進めていく必要がある。その中では、中央アジアの国々、それから東欧の国々、みんなその中に入れて一つの戦略というものをつくっていかなきゃいけないと思います。
 ただ、具体的に申し上げますと、今世界で一日一ドル以下のレベルで生活をしている人の数というのが約十億から二十億いると言われているわけです。世界人口全体が六十億でありますから、その三分の一に近い人がそういう状況にあるわけで、その大部分は実はアフリカなんです。中央アジアの国にも一部そういうのがあります。
 実は、ODAだけで考えるのではなくて、私はODA一〇%削減なんというのはとんでもない話だと思っておりますが、ODAだけではなくて直接投資、市場というようなものを一緒にした形で資金の投入ということを考える必要がある、東欧などの場合にはそれが物すごく重要だと思います。
 それから、それだけではなくて、先ほど申し上げたような経済的、社会的なインフラの整備とそのインフラを動かす人間の養成、制度の確立、それからいい統治の実現ということを全部総合的に発展させていくということが非常に重要だというふうに思います。
 拒否権の問題については、これは大変適切な御指摘でありまして、実は拒否権の問題というのは若干私は誇張されているように思うんです。
 今日、拒否権というのはなかなか使えない制度になっておりまして、実際に冷戦時代のように拒否権の使い合い、応酬というようなことはほとんど起きておりません。最近の例で拒否権の乱用に近かったのは、アメリカがブトロス・ガリ事務総長の再選問題に行使した拒否権、これは確かにそうであります。しかし、実際にはなかなか拒否権を持っている常任理事国といえども使えないというのが実態でございます。
 ただ、いざとなればやっぱり使えるぞということがある種の圧力になって物事がうまくいかないというような例があることは、例えばコソボでNATOがこれを安保理にかけたら中国とロシアが必ず拒否権を行使するからといって安保理にかけなかったというような例に見られるように、拒否権があるということによって手続がゆがめられるという事実は依然として残っておりますけれども、誇張されている面があるということも事実だと思います。
#10
○小川勝也君 民主党の小川勝也でございます。分担金ならぬ議員数が多い順番に質問をしろということであろうと思いますが、簡潔に質問をさせていただきます。
 今の話にもつながるわけですが、五大国の中で、やはり冷戦構造が終結をしてアメリカ合衆国の立場が非常にスーパーパワーといいますか、強くなったと思います。例えば引き合いに出しますと、WTOの交渉などの場面では、特に日本の国内からも、グローバルスタンダードはアメリカンスタンダードではないかというような言葉も出ております。
 国連の運営全般につきまして、アメリカ合衆国がみずからの国益をどのように追求しておるのか、あるいは御経験からちょっとやり過ぎではないか、あるいはこれはおかしいではないかというような経験があったかなかったか、その辺のお話をお伺いしたいと思います。
#11
○参考人(小和田恆君) アメリカが唯一のスーパーパワーになったという世界の中において、ともすればアメリカにそういう力というものを乱用しようとする誘惑というものが存在しているということは、これは明らかに事実だと思います。問題は、そういう誘惑というものをいかにしてアメリカから取り除くかということだと思います。私はその手段というものはないわけではないと思います。
 いろんなことがありますけれども、一つは、やはりもちろんアメリカ自身の啓発ということを通じて、アメリカ自身に世界の指導者としての責任、道義的な責任というものを感じてもらってやってもらうということが一つ重要であります。ただ、そういう意味では、例えば一部の保守系の上院議員等に見られるような言動というものに対してはやっぱり言うべきことをきちっと言って筋道をはっきりさせておくということが、日本を初めアメリカの友邦である国々がそういうことをやるということが非常に重要だと私は思います。
 他方、それだけかというと、実は冷戦構造の世界というのはその点非常に難しくなっておりまして、昔は大抵の問題がアメリカの国益に結びついたわけです。つまり、アメリカが単にグローバルパワーであるだけではなくて、東西対立の中で、グローバルなストラテジーの中で物を考えていかなければならない。そうすると、アフリカで起きていることであっても、それはもしアメリカが助けなければソ連が助けるだろう、そうするとアメリカのグローバル・ストラテジーにマイナスを来すということで、大抵の問題がアメリカの国益に直結したわけです。
 ところが、アメリカという国は、御承知のとおり非常に自給能力の高い国であり、もともと孤立主義の強い国であって、アメリカだけで生きていける。これは既に、国際連盟をつくっておきながら、ウィルソン大統領がそれをつくっておきながらアメリカ国民がそれを拒否したということにもあらわれておりますし、国際連合をつくる過程においてもいろいろなことでアメリカがいちゃもんをつけたのは、アメリカがどうしても行動の自由だけは確保しておきたいということが背景にあって入った規定が大分あるわけであります。
 そういうことでありますから、ただお説教でアメリカはもっと国際的な責任を自覚すべきだということを言っているだけではなかなか国民はついてこない。それが、例えばこの前のユーゴスラビアにおけるアメリカの介入というものが非常に遅くなったためにデイトン合意というものがようやく実現したのが三年後、四年後になってしまった、もっと早くアメリカが介入していたらもっと早く決着がついていたということがよく言われるわけでありますけれども、そういうのはアメリカという国の国民感情を考えれば無理からぬところがあるわけであります。
 そういう中で、ではどうしたらいいのかということになりますと、さっき申し上げたアメリカの有識者にもっと国連というものに対する責任というものを感じてもらいたいということはありますけれども、それだけではなくて、アメリカの長期的な国益から考えて、国連を強化し国連に協力することがアメリカにとって重要だという認識を国民にもっともっと持ってもらうことだと思うんです。それは何かというと、やっぱり経済社会分野における問題、環境の問題だとか人道の問題、人権の問題、エイズの問題、そういうもので国連が果たす役割というものがいかに大きいかということをアメリカの国民によくわかってもらうということが非常に重要なことだというふうに思います。
 もう一つだけ申し上げたいのは、アメリカは確かに身勝手のように見えるかもしれませんし、そういう面はあるんですけれども、実はアメリカを身勝手にさせているのは、日本をも含めてのほかの国の責任もかなりあるということであります。つまり、いざとなると最後はあなたが責任をとってくださいよという形で、問題を投げかけておいて実はそのことには余り自分は協力しない。名前までは挙げませんけれども、常任理事国の中にもそういう態度を、例えばイラクの大量破壊兵器の検証の問題について、あるいはコソボの問題について、そういう非建設的なあるいは非協力的な姿勢をとった国がないわけではないのであります。
 そういうことがありますと、アメリカは、それなら自分は自分のやりたいようにやってしまうということでユニラテラリズムの方向に走っていくということがございますので、決してアメリカのユニラテラリズムがいいとは申しませんし、私ども常にそのことを友邦としてきちっとアメリカに言っていかなければいけないと思いますけれども、アメリカが安心して協力できるような枠組みをつくることに我々自身が責任を感じてやっていくということがやはり非常に重要なことだと思います。
#12
○高野博師君 小和田参考人には貴重な御意見をありがとうございます。
 私、一つだけお伺いしたいんですが、国連とG8、サミットの関係についてお伺いしたいんですが、特に国際の平和と安全の維持というのは安保理の主たる任務であるわけですが、冷戦後、国連の安保理の影響力あるいは役割が非常に大きくなってきたという御指摘がありました。しかし、そのためにどうしてその正統性と実効性を確保するかということが重要だという御指摘がございました。
 そこで、特にコソボ等のケースを見ても、G8が国際の平和と安全に果たす役割というのがふえてきているんではないか。そうすると、相対的に国連の威信低下とかあるいは影響力の低下とかということがあり得るんではないか。
 そこで、G8というのは国際法に根拠を持っている組織でも何でもありませんから、もともと仲よしクラブ的なことで始まったこのG8、サミットが非常に大きな役割を果たしてくることについて、例えば金融問題とか経済問題とかあるいはエネルギーの問題とか環境問題、こういうものについて先進国で協議をするのはいいと思うんですが、事平和と安全についてはどうなのか。そのG8の位置づけというか、存在意義ということをどういうふうにお考えなのか。
 特に、中国がもし将来入ることになれば、これは安保理と同じ拒否権そのものはあるわけではありませんが、恐らく平和と安全という点についても大きな役割を果たし得なくなるんではないか。そういう意味では、国連との関係でいうとかえって入った方がいいのかなという感じもするんですが、その辺についての御認識をぜひお伺いしたいと思います。
#13
○参考人(小和田恆君) 冒頭に申し上げるべきことで、逆に言えば申し上げる必要もないことでありますが、私がこの問題について申し上げるのは全く私の個人的な見解である、政府の見解とはかなり違っているということをお断りした上で申し上げたいと思います。私はもう公の職を退いておりますので、先ほどから申し上げたことを含めて全部そうでありますけれども、特にこの問題についてはそのことをはっきりさせておきたいと思います。
 私は、今御指摘のあった点については基本的に同じような感じがしておりまして、G8はG8で非常に重要な組織であるし、国連は国連で非常に重要な組織である、特に安全保障理事会は非常に重要である。ただ、この二つの機能というものは基本的に違っていて、そのことを混同してはいけないというふうに考えております。
 国連の安全保障理事会は、先ほどから申し上げたことからおわかりのとおり、国際社会全体の意思決定機構、これは国連加盟国全部を拘束するわけでありますから、国際社会全体の意思決定機構として国際社会の政策決定をする機構であります。したがって、これはその中でネゴシエーションが行われ、国際社会全体としてアクセプトできるようなコンセンサスないしはコンセンサスに近いような合意をつくり出して、それを国際社会の意思として宣明し、それを政策に反映していく、そういう役割を持っている機構であります。
 それに対してG8は、今も御指摘がありましたように、基本的には仲よしクラブと申しますか、英語で言えばライク・マインデッド・カントリーズの集まりであって、基本的な価値を同じくしている国々がその価値を増進し、その価値を普遍化していくために努力するための機構であって、いわば自分たちが奉ずる価値というものをどういうふうにして推進していくかというための組織だというふうに認識すべきだと私は思います。
 それはまた非常に重要なことであって、今日のようにいろいろな問題について国際社会全体の共通の価値というものをどういうふうに推し進めていくかということによってこれからの秩序が守られるという中で、G8が少なくとも我々はこういうふうに考えるということを説得力を持って押し出して、それをほかの国々がなるほどそれは確かにそのとおりだというふうに受け入れていくということが非常に重要だと思います。
 ただ、混同してはならないのは、それはあくまでもG8の立場であって、国際社会全体のコンセンサスであるかどうかということは別問題だということであります。したがって、私は、コソボの場合のようにG8が決めてそれを安全保障理事会がめくら判を押してしまうというようなことになるとすれば、それは決していいことではないというふうに思います。
 G8がG8で一つの立場を明らかにするということはそれ自体として決して悪いことでもないし、私は、経済問題、社会問題だけではなくて政治問題についてもG8がG8としての立場を持ち、その立場について協議をし、協調し、それをなるべく説得力を持ってほかの国々に呼びかけていくということが非常に重要だと思いますし、そういうG8の重要性というものはこれからも決して減ることはないだろうと思いますが、あくまでもこれは志を同じくする国々の集まりであって、世界全体を立場の違い、考え方の違いを超えて主要国を全部集めてその中で政策の調整を行って意思決定をする機構ではないという、この区別をはっきり認識しておく必要があるというふうに私は思います。
#14
○高野博師君 ありがとうございました。
#15
○井上美代君 共産党の井上美代でございます。
 私は、このたびいろいろと読ませていただいたり勉強させていただきました。そして、きょう四十五分のお話を伺いながら大変勉強になりましたことを、まずお礼申し上げたいというふうに思います。
 その中で小和田さんが言っておられることで、日本では安保理改革というと直ちに常任理事国問題、それも日本が常任理事国になれるかどうかというものが短絡的に考えられがちだけれども、国際的な秩序維持のために役割を果たせるという日本としての志があり責任を感ずるのであれば安保理に入るべきですと、こういうふうにおっしゃっております。私は、日本というのは日本国憲法も持っている、そういう中で軍事的な貢献というのはちょっとできないというふうに思います。
 先ほどからお話を伺っておりまして、やはりいろいろな貢献の仕方があるのだということを言われているのですが、日本が国連で何を行うことができるかということを一つお聞きしたいのと、もう一つは、非常に今やはり国際的に紛争が多いということ、先ほど数字でも示してくださいましたけれども、国連と無関係に特定の国が介入するときに、やはり国連憲章上許されないことなのだというふうに思うのですけれども、その辺についてどのようにお考えになっているのかということ。
 そして最後に、アメリカに対してやはり率直に、しかしあくまでも共通の価値を追求するパートナーとしてやっていかなければいけないということを言っておられます。先ほどのお話でも、我々自身がアメリカの身勝手にさせないという、そういう役割を果たしていかなければいけないというのがその回答かなというふうに思ったのですけれども、そのように思われた現場での具体的な中身があるのではないかなというふうに思いますので、めったにお聞きできませんのでぜひ聞かせていただきたいと思います。
 以上です。
#16
○参考人(小和田恆君) 一つは簡単に御説明できますが、二番目の点は記録をしないということでなら詳しくお話をいたしますが、よろしゅうございましょうか。
#17
○会長(井上裕君) 速記者は速記をとめて。
   〔速記中止〕
#18
○会長(井上裕君) 速記を起こして。
#19
○参考人(小和田恆君) まず第一の点についてお答えいたしますが、今軍事的貢献はやらないとおっしゃいましたけれども、軍事的貢献ということの意味は必ずしも明確ではない。武力行使にわたることはやらないという御意見でしたら私も全く同感でございます。そんなことはやらなくたって安全保障理事会で役割を果たすことはたくさんございます。
 具体的に申し上げれば、例えば紛争地域において人道援助を強化することによって、紛争のもとになっている社会的な不安定ないしは争いのもとというものをなくしていくというようなことがございます。それから、紛争後の国づくりというものを早い段階から日本が協力していくというようなこともございます。例えばカンボジアにおける日本の役割などというものはそういうものであったと思います。それから、紛争の原因をもっと早い段階から除去して紛争を予防していくというようなことも非常に重要なことであります。
 最後に、これは人によって御意見は違うかと思いますが、私は武力行使に至らないような軍事的貢献であっても、それが平和の目的にかなうのであれば、それは憲法との関係で問題を生ずることではないだろうという気がいたします。
 例えば、仮に自衛隊が参加しても、自衛隊が例えばカンボジアに行って行ったように道路をつくってその国の経済発展の基礎をつくるというようなこともございます。あるいはモザンビークの場合に通信隊を派遣して飛行場の管制を行いましたが、こういうことは皆さんから大変評価された、モザンビーク側も含めて大変に評価された例でございます。あるいはゴマに自衛隊が参りましてUNHCRの難民活動の保護に当たったというようなことも、軍事的なエレメントが、要素が全くないわけではございませんけれども、それは私は武力行使というようなものとは基本的に違うものだというふうに考えております。
 ですから、先ほど申し上げたように、紛争の性格、紛争の解決の仕方というものが非常に多岐であり総合的になるだけに、日本として例えばPKOなんかに参加してやれることというのはたくさんあるというふうに思っております。
 第二の御質問については、できるだけ具体的に率直にお話ししたいと思いますが、具体例になりますので、ちょっと速記をとめていただいた上でお話を申し上げたいと思います。
#20
○会長(井上裕君) 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#21
○会長(井上裕君) 速記を起こしてください。
#22
○参考人(小和田恆君) 国連憲章上許されないことをやってはいけないという原則はきちっとさせるべきだと思います。同時に、国連憲章上許されないことをやらせるような状況に至らないように、みんなが秩序維持のために協力するという雰囲気を特に主要国の間でつくるということが非常に大事だと思います。
#23
○井上美代君 ありがとうございました。
#24
○藁科滿治君 どうも貴重なお話をありがとうございました。
 具体的な問題で二つ質問をさせていただきます。
 先週、アナン事務総長がティモールの方に訪問されました。現地の評判は大変厳しいわけですね。マスコミの評論も、国連側の一連の取り組みは失敗だったという断定的な報道もございます。もちろん現地のもろもろの複雑な背景がありますから事は簡単ではないと思いますけれども、参考人はこの対応について、対応の方法あるいはタイミングなどを含めてもう少し何かうまい方法があったんじゃないか、特に現地に喜ばれるような対応の方法があったんじゃないかというようにお考えか、いや、あれはやむを得ないんだという御見解なのか、まず一つお尋ねします。
 それから二つ目は、国連の予算、財政問題と各国の議会の関係の問題。各国それぞれいろんな対応の仕方がございますが、特にアメリカの場合は、国連の予算に限らず国際機関の予算に関しては大変熾烈なシビアな審議をやっておられますよね。もちろん国益にかかわるという問題意識もございますけれども、その激烈な審議の雰囲気が外交面にやっぱり大きなインパクトを与えるという、こういう政治的な意義もあると思うんですね。
 そういうものに対応して日本の場合どうかといいますと、正直に言って、国会で国連を初めとする国際機関の予算問題で白熱した論議というのは余り見たことがないと思うんですね。特に国連問題は、一方でやはり国連信仰主義、中心主義、私も若干それに近いんですが、そういう面もあるし、それからお話のありました常任理事国への思惑もあって、日本は余り真剣に論議しない、もっと言えば、避けているような雰囲気がないでもないということですね。
 そういう意味では、日本の発言力と財政負担の均衡というような面からいって、もっと国会はこの問題について積極的な論議が必要ではないかというように私は今改めて感じておりますけれども、特に日本の場合には財政事情もあるし、これから国際的な発言力をもっと高めるという意味で、大きな声でこの問題については取り組む必要があるんではないかというふうに感じておりますが、いかがでしょうか。
#25
○参考人(小和田恆君) まず、東ティモールの問題ですが、これは大変難しい状況であったので、振り返って今になってみて、あれはもう少しこうやればよかったんではないかというような点は多々あると思いますし、国連がやった措置というものが完璧であったとは思いません。思いませんが、非常に大きな違った選択肢があったかといえば、それは恐らくそうではなかっただろうと思います。ただ、同じ結論に達するのに、そのプロセスをもう少しスムーズな形でやれたのではないかという感じはいたします。
 具体的にはどういうことかと申しますと、東ティモールはちょうどコソボの事件の後に起きたものですから、国連のメンバー全体が、安保理は特にそうですけれども、やはりコソボで起きたようなことを東ティモールで起こさせてはいけない、コソボで起きたというのは人道的な悲劇を東ティモールで起こさせてはいけないという気持ちが非常に強かったために、しかも同時に、NATOがやったように一方的な形で強制力を行使することは避けたいということで、いわばかなり強圧的な形で国連の意思をインドネシアに押しつけて東ティモール問題を解決させたという感があることは否めないと思います。もう少し説得力を持って、それがインドネシアのためなのであり東ティモールのためなんだということをわからせるプロセスというものができなかったかという感じはいたします。
 ただ、これは国連だけにそれを押しつけるのは酷であって、私は、やっぱり日本をも含め、ASEANの国々をも含めてアジアの国々がそのプロセスの中で積極的に発言するということが非常に重要なことである、そういう役割は日本もASEANも相当程度果たしましたけれども、あるいはもっともっとそういうことを早い段階からやれるということはあったのかもしれないという気はいたします。
 その中で、これは先ほどちょっと申し上げましたが、集団安全保障体制というのは、もともと侵略者であるとか平和の破壊者であるというようなものを想定いたしまして、端的に言えば、例えば第二次大戦のときのナチのようなものがあって、これはもう本当に犯罪者なんだと、犯罪者に対してはやっぱり厳格な刑罰と刑罰の仕組みをもって臨まなければ犯罪はなくならないというのが国連憲章の集団安全保障の基本的な考え方でございますし、それはそれでそういうケースもあると思いますが、東ティモールのようなケースが果たしてそれに当たるかというと、必ずしもそれはそうではないだろうと。そうだとすれば、やっぱり納得ずくで話し合いをしながらそういう方向に持っていくための努力というものを国連はあるいはもう少しやれたのかもしれない。ただし、そのためには地域諸国の非常に積極的な協力というものが不可欠であっただろうというふうに思います。
 そこら辺のしこりが今日も残っていて、やっぱり一種の恨みと申しますか、そういう感情として現地の人たち、立場によって現地の人たちの考え方は違うわけでありますけれども、そういうものが残ったということがあるのかなという感じがいたします。
 それから、二番目の予算の問題でありますが、これはおっしゃるとおり大変重要な問題でありますし、私は、国会としても予算審議というプロセスを通じてこの問題について真剣な議論をしていただくということは大変望ましいことだというふうに思います。
 ただ、くどいようでございますけれども、先ほど私が申し上げましたように、国連において分担金を決めるのには一定のルールがございまして、それを適用してほとんど自動的に決められているわけです。したがって、現に決められた額が多過ぎる、日本は安全保障理事会の常任理事国の地位も得ていないのにそんなに払わされるのはおかしいというのは、率直に申し上げて、感情論としてはよくわかりますけれども、それを払わないというのは国連憲章の義務違反でございます。アメリカはやっているではないかという声はありますけれども、アメリカは義務違反をやっていて、そのために国際社会から大変指弾されて、先ほども申し上げましたけれども、実は国連の中においてアメリカの活動というのはそのために大変に制約を受けている。アメリカがこうしたいと思うことが、その問題があるがためになかなか通らないというような状況があるというのも事実であります。
 したがって、日本のとる道として、そういう義務違反になるようなことをあえてして国連に圧力をかけるというようなことは、日本としてとるべき道だとは私は思いません。しかし、むしろその基本になっているルール自体をもっと変えていくための努力というものは、私のときにもいたしましたけれども、それをもっともっと強力にやっていくということは重要だろうと思います。
 具体的に申し上げますと、大原則は支払い能力に応じた支払いというのが大原則になっておりまして、支払い能力に応じた支払いというのは具体的に何かというと、GNPの大きさで決めると、こういうことなんですね。
 ところが、二つ重要な問題がありますのは、一つは、これは冷戦時代の遺物なんですが、途上国割引というものがあって、厳格にGNPで決めた割合でいったときに払わなければならない額の八五%まで割引ができると、例えばこういうことになっている。
 これは、実は大変なことでございまして、その結果どういうことが起きるかと申しますと、これは一例として申し上げるんですが、例えば中国の場合は、国全体としてのGNPは人口が十二億ありますからかなり大きいんですけれども、実際には国連の予算の中の一%に満たない額しか払わない。日本はGNPの比率から申しますと恐らく一六、七%だと思いますが、実際には二〇%を払うと。その分、日本の方に途上国割引の分のしわ寄せが参りますからというようなことになるわけであります。でありますから、そういう仕組み自体をもう一度再検討するということは正論として言わなきゃならないことだし、私も言ってまいりました。
 もう一つの問題は、私ども責任に応じた支払いという原則も考えるべきだということを主張してまいりました。
 責任に応じた支払いというのは何かというと、確かにGNPの大きさで支払い能力に応じた支払いというのはいいけれども、しかし、大きな責任を果たしている国とそうでない国との間にやっぱりしかるべき差があってもいいのではないか。具体的に言えば、例えば安全保障理事会の常任理事国は少なくとも最低限予算の三%の分担はするというような原則をつくってもいいのではないか。これでいきますと、今、中国とロシアの両方ともそれに満たないわけであります。そういう国は、どういう計算になるにしても、例えば少なくともフロアとして三%は持つということにしてもいいのではないかというような議論も私どもはいたしましたけれども、なかなか実際には多勢に無勢で通らないというのが現状でございますけれども、しかし、もっともっとこれはさらに続けて努力していく必要があるだろうというふうに思います。
#26
○魚住裕一郎君 公明党の魚住でございます。
 市民社会とのおつき合い、先ほど政府代表にも市民団体が入っているようなところもあるということがありましたけれども、また、先生の日本国際問題研究所のホームページの中にも、この研究所のような国際分野における非政府研究機関の交流が望ましいというようなことになっていますけれども、日本国としてこの積極活用といいますか、おつき合いまで含めてどのようにお考えになっておられるのか。日本国内にあるいわゆるNGO等、そういうのも育成を図っていくということもありましょうし、国際的な市民団体とのおつき合いもしていくということもあると思いますけれども、その辺、今までどのようにおつき合いをしてきて、また今後どのように展開を図っていくべきかという点についてお教えいただきたいと思います。
#27
○参考人(小和田恆君) 一般論として申し上げれば、政府として市民社会の動向というようなものをもっともっと政策形成の上で反映させていかなければならないということは、外交の分野に限らず一般的にそれは非常に重要なことだし、ますます外交の分野でもそういうことになっているというふうに思います。
 なぜかと申しますと、さっきも冒頭にも申しましたけれども、古典的な十九世紀の国際社会というのはいわば古典物理学と同じで、原子核の中で何が起きているかというのはもう我々の関心の対象ではない、原子と原子が接触して物質をつくる、そこから先が物理学ないしは科学の検討の対象だというような古典物理学と同じように、国の中で何が起きるかはそれはその国が自分で決める話だと。しかし、国と国とが接触した結果起きてくる国際関係というものが国際関心の対象であって、そこを国際法が規律する、戦争と平和の問題なんというのはその典型だと、こういうことで来たわけでありますけれども、今やそうではなくて、やっぱり原子核の中で起きていること、国の中で起きていることでも国際社会の一定の水準ということから考えて、やっぱりこれは許されないことというものがあると。そういうものに対して、国際社会は関心を持ち、また一つの基準を持って判断すべきだというのが今日の国際社会の主流であります。
 これは、実は国家というものが非常に重要ではあるけれども、実は国家が何を守ろうとしているかといえば、一人一人の国民の福祉、国民の尊厳、人間としての尊厳というのを守るのが国家の役割であるとすればそこにやっぱり根を置くべきではないかという考え方でありますから、それはこれからの社会の中で日本にとっても非常に重要なことになってくるというふうに思います。
 ただ、それを具体的に国連の場でどう実現するのかということになってまいりますと、これはなかなか難しい問題を含んでいるわけであります。つまり、国連は政府間機関であって主権国家の集まりで、それぞれの主権国家が一国一票ということで表決をしているわけです。中国のように十二億の国民を持っている国もありますし、太平洋島嶼の中には一万人ぐらいの人数で一国をつくっている国もあって、それも全部一国一票のもとで平等になっているわけであります。そういう中で、政府間機関という性格というものを失わないで、なおかつ市民社会の意向というものをどういうふうに反映させていくのかということになりますと、私は道は二つしかないと思うんです。
 一つは、それぞれの政府代表団の中に市民社会の声をどう取り入れていくかという問題で、現に、先ほど申しましたように、日本なんかでも例えば第三委員会という社会問題、婦人問題を扱うようなところには市民団体の代表の方に入っていただいているというようなことが既にずっと行われているわけであります。
 もう一つは、市民社会の横のネットワークを通じて出てくる声をプロセスに間接的に反映させていくという方法です。具体的に言えば、例えばオタワ・プロセスと呼ばれる地雷禁止条約の成立の過程というのはまさにそうだったわけですが、地雷禁止条約自体は、あくまでも政府間の取り決めとして集まった各国政府が条約を採択してそれに署名し批准するという手続で政府間合意として成立するわけですが、それをつくらせる実質的な力として、地雷禁止を求める市民団体の声が国際的なネットワークをつくってそういう状況をつくり出したということがあるわけですね。これは、制度的なプロセスとしてそういうものが一票として数えられるとか百票として数えられるという話ではなくて、むしろそういうものが政府の合意に参画する人たちの心を動かし、立場を動かすことによってそういうものが成立しているという過程だと思います。
 その二つの方法というものがこれから国連における市民社会との関係において出てくるというふうに思います。
 一つだけ気をつけなきゃいけないのは、政府というものは、少なくとも民主国家においては、政府は国民によって選ばれた議会というものを背景にして、その多数派によって構成されるという形でレジティマシーといいますか、政府の正統性というものはそのことによって保障されているわけです。大統領制の国の場合は、大統領が直接に国民から選ばれた、国民からマンデートを与えられて、あなたは四年間の任期間何をやってもよろしいというか、大統領としての任務をあなたの思うようにやってよろしいということで与えられたマンデートに基づいて国を治めるわけであります。
 市民団体にそういうレジティマシーというものがどういうふうにして備わるのかと。下手をすると、市民団体というのはプレッシャーグループないしは特定の利益を追求する利益集団と違いはないではないかという問題が出てまいります。そこのところをどういうふうにして保障するのかということが、これは基本的には市民団体御自身の自覚の問題であり、それぞれの良識の問題になりますけれども、そういうものを確保していきながら、しかもその声をどういうふうに反映させていくのかということが、これから日本のシビルソサエティーの問題を考えるときに私は一番大きな重要な問題ではないかというふうに思います。
#28
○野沢太三君 小和田参考人におかれましては、国連の一番大事な立場で大変御苦労をされてこられたわけでございますが、きょうは大変いいお話をお伺いいたしましたが、一、二、ちょっとお伺いしたい問題がございます。
 先ほどから同僚の委員からも出ておりますが、国連がサンフランシスコで憲章の署名をし、そしてニューヨークに本部を置いていると。いわばアメリカは生みの親であり育ての親である、こういう役割で来たと思われるんですが、最近の動きを見ると、ユネスコやUNIDOを脱退するとかあるいは分担金を滞納する、こういう状況で、アメリカの国益にそぐわない国連はどうも余り意味がないんだ、こういう状況が生まれているんじゃないかなと大変私どもは気にしておるところでございます。分担金一つとりましても、滞納ということによりまして、国連が取り組むべき改革あるいは合理化を含め効果的な組織に模様がえをしていくということ、これを促すという意味では確かに意味があろうかと思いますが、肝心の国連の活動そのものを制約してしまわないか、活動が衰弱する心配はないか、こう思うわけです。
 ですから、先ほども御提言のありましたように、GNP比率というだけではなくて責任比率で分担をすべしであるという小和田さんの御提言、大変私は重要な御提言だろうと思うんですが、国連憲章を見ますと、予算は総会で決めればできるんだというふうになっておるわけですから、その辺のところをもう少し仲間をふやして合理的な分担金の負担のあり方、こういったものをまず確立し、国連の財政をしっかりしたものにすることが大事じゃないかと思うんですが、その可能性というのがあるのかないのか。
 そしてまた、安保理改革というのは私どもにとっては非常に重要で、また一つの悲願みたいな形になってはおりますが、なかなか実現はしない。実現をしないだけでほっておいていいのかどうか、こう思うわけです。
 そうしますと、やはり経済社会の取り扱い分野等から、外側から包み込んでいくように、中身はかたくてなかなか動かないんだけれども、どんどん必要なことを外へ外へと積み上げていくという形で国連を意義あらしめるということが大事なことではないかな。環境の問題とか人権の問題あるいは開発の問題も、これはもともとの使命ではありますけれども、大事ではないかと思います。
 そして、今も魚住さんからもお話がありましたように、市民参加の道を開くということによって国連自身が大変活性化するのではないか。御指摘のとおり、資格とかあるいはルールを守るとかという、あるいはどれだけの人を代表しているのかという問題は多々あるとは思いますが、国連自身の能力を高め、また意義を高めるためにも、一般市民の方がとにかく物が言える場でなければならない、こう思うんです。例えば第二総会というようなものをつくってそこでの御意見を集約して本来の総会に反映させていくようなことができるのかどうか、こんな提言をしている先生もいらっしゃいますが、この辺につきまして御意見を率直にお伺いしたいと思います。
#29
○参考人(小和田恆君) まず第一の点でございますが、責任の問題に入ります前に実態がどうなっているかということを若干ドラマチックな形でごらんいただきたいんですが、先ほど使いました「国際問題において拡大する国連の役割」という紙をちょっとごらんいただきたいんです。
 先ほど申し上げましたように、紛争の数は冷戦後の世界の中で激増しているわけです。それに伴って安保理決議もどんどんふえてきてもう一年間に百ぐらい、八八年には十五しか一年間に採択されなかったものが、もう百に近い数採択されるというような状況になってきているわけであります。
 ところが、平和維持活動の派遣数というものを見ますと、これは八八年に五つだったものが九二年に十一になり、九四年には十七にはね上がり、九七年には二十、十八、十七ということで、平和維持活動の数は減っていないんですが、軍事要員の派遣数で見ますと、八八年に九千名だったのが九四年には七万三千人になります。これは、実はカンボジアのUNTACとソマリアのUNOSOMが非常に大きいんですが、いずれにしてもソマリア、アンゴラ、カンボジアなんというのが非常に大きなPKOとして派遣された時期でございます。ちょうど、御承知のように九三年が日本で国際平和協力法が成立した年で、まさに国連が平和維持の分野で非常に大きな役割を果たし得るという期待が頂点に達した時期であります。ところが、九五年は比較的それに近い数字ですが、九六年になりますとがた落ちになります。二万六千。九七年になると一万人になるということで、今や一万人台を彷徨しているというのが現在の状況です。
 さらに、もっと端的にあれなのは、その二つ下の予算額を見ていただきますと、これは百万ドル単位でございますから、八八年が約二億三千万ドルの予算でやっていた。ところが、九二年にそれが一挙にふえて十七億になります。九四年になりますと三十五億であります。これが頂点ですが、その後注目すべきなのは、九六年になりますとまた十四億と、九二年よりも減ってしまう。九七年になるとそれが十二億になり、九八年、九九年、昨年に至りますともう八億ドルしか使っていないということであります。
 これは何を意味するかと申しますと、要らなくなったわけじゃないんです。平和維持活動は依然として数からいうと同じぐらいあるわけでありますが、お金を使うことができなくなっちゃった。お金を使うことがなぜできなくなったかというと、今御指摘のようにアメリカがそんなものにお金を出すのは嫌だと、こういう姿勢をとり出したということが非常に大きな背景であります。もちろんアメリカだけではありません。ほかの国もみんな同じような問題は抱えているわけですが、そういう加盟国の意思というものが反映された国連の能力というものと、国連に対して期待される役割との間のギャップというものが非常に大きくなってきているという状況がございます。これは実は大変ゆゆしいことであって、このギャップをどういうふうにして縮めていくのかということがこれからの国連の非常に大きな問題だと思います。
 一つは、もちろん期待値を下げて、国連はもうやれることは限られているんだという形で処理をするということでありますけれども、実は今日の地域紛争の状況を考えますと、早い段階で平和維持活動を始めていれば紛争がひどいことにならないで済んだというケースがたくさんあるわけであります。したがって、単に期待値を下げるだけではなくて、やっぱり国連の能力を高める、特に財政的な能力を高めることによってより強力な国連の平和維持活動というものをつくっていくということが非常に大事なことだと思います。
 その関連で、アメリカの現在の状況でありますが、確かにアメリカは今大変に内向きの気分になってきておりまして、これは確かにアメリカは経済的には今非常にブームでありまして、そういう意味で、アメリカ人が将来に向かって悲観論を持っているがために内向きになっているということではないんですけれども、やっぱり冷戦構造がなくなって、アメリカが世界の中で果たさなければならない役割、あるいは世界の中で果たしてほしいと世界の人たちが思っているような役割というものをアメリカ人自身が必ずしも切実に感じていないという状況が出てきております。それをもう少しアメリカに自覚させると。それは長期的にはアメリカ自身のためにもなるんだということをいかにしてわからせるかという努力が必要であって、これはアメリカを批判のために批判する、アメリカの敵として批判するのではなくて、アメリカの友人として、アメリカの友邦としてアメリカにそういうことをもっともっと言っていくということが私は非常に重要だというふうに思います。
 それと同時に、さっき申し上げたことになりますけれども、そういうアメリカがいいことをしているときに一緒になって協力するということがやっぱり非常に重要なことであって、そうしませんと、現在の世の中で国民がついて来ない形で政府が物をやるということはできないわけで、国民がやっぱり、アメリカがユーゴスラビア問題の解決に協力するということが非常に重要なことなんだと、これは世界のためになることであるのみならず、アメリカ自身にとっても非常に重要なことなんだという認識を国民みんなに持ってもらうというための努力というものをするためには、ほかの国がアメリカのそういう努力と一緒になってやるということを心がけていく必要があるだろうというふうに思います。
 最後の点でございますが、その関連で市民社会の関与というものをもっと大きくできないかということでありますが、私は、一般論としてはそれはそのとおりだろうと思います。
 つまり、市民社会の啓発的な運動というものが、ともすれば受け身になり無関心になりがちな国民全体の世論というものをより積極的な形でつくり上げていくということは非常に重要なことですし、日本なんかの例を考えてみましても、難民問題などというものを考えてみますと、当初、例えばベトナム戦争の後でベトナムからボートピープルが日本に難民でやってくる、難民が政治的亡命をするということを申請したときに日本は、法務省と申しますか、具体的な役所の名前を挙げるよりも政府として必ずしもそれに対して積極的な姿勢はとらなかったということがございます。その背後には、日本の社会自体がそういう問題についてそれほど深い関心を持っていなくて、どちらかといえば、難民が来て日本の国民とちょっと異質な人たちが入るということが本当に日本の社会の同質性というものにとっていいことなのかというような意見も聞かれたわけであります。
 ところが、だんだん難民を助ける会だとか、その他の市民活動の団体の活躍というものがあり、さらには緒方貞子さんによって率いられたUNHCRの活動というものが国民に大変大きな刺激を与えて、国民が難民問題の重要性、それに日本が協力することの意味というものを非常に理解するようになった。それがやっぱり日本の役割として大事なことだという意識が高まって今日に至っているというようなことがあるわけであります。
 それと同じように、アメリカについても、やっぱりみんなが一緒になってやるという雰囲気の中でアメリカにもっともっと責任感を持ってやってもらうというために、市民運動が果たす役割というものは私は非常に大きいと思います。
 ただ、今具体的に御指摘のありました第二総会という考え方については、私は個人的には若干疑問を持っております。やはり今の国際社会の組織というものが基本的には主権国家が国家間の合意によって秩序をつくるという仕組みになっている以上は、この仕組みが壊れて世界政府というようなものができて、そこに直接市民が世界政府の創立というものに関与するような民主制度というものが世界社会全体の制度としてできるような世界になれば別でありますけれども、これは率直に申し上げて、予見し得る将来そういうものができるということはちょっと考えられないわけでありますが、そういう中で第二総会というようなものをつくってそこに何らかの形で一つの決定権ないしはそれに近いものを与えるということは、むしろ事態を混乱させる可能性の方が高いだろうと私は思います。
 私は、市民社会の関与は大変重要だと思いますけれども、それは先ほど申し上げたような、より間接的な形で市民社会の声をそういうプロセスにどう反映させていくかということで考えるべきだと思います。
#30
○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。
 私は、昨年九月にマレーシアを訪問いたしまして、そこで政府や外務省の関係者とお話をしたときに、日本の安保理の常任理事国入りについて、日本がアジアの一員とならない限りは賛成できないという意見、これはマハティール首相の意見でもあるんですけれども、そういう意見を伺いました。マレーシアのように日本を非常によく理解している国がそういう意見を述べる。しかも、その理由がアジアの一員とならない限りはという理由ですね。そこのところに私は非常に関心を持ったわけです。
 なぜそういう発言が出てくるかという背景を考えますと、やはり今、マレーシアを含めてASEAN諸国の中で、アジアの価値観の共有、このことが非常に強調されているわけですね。ますます強調される傾向にあると思います。それに対して、例えばアジア太平洋地域に属するオーストラリアが、昨年九月に東ティモール問題に関連してハワード首相が欧米文明の価値観と言っただけでそのことに対して総スカンを食らうという、そういう事態もあるわけですね。
 そうすると、日本が国際社会の中で、国連の中で持つべき基本的価値観、これは何なのかということが問われてくると思うんですね。私はやはりアジアに軸足をしっかり置くという意味ではアジアの価値観を持つということがどうしても必要なんだろうと思うんですけれども、その点について小和田参考人にお伺いしたい。それが一点。
 もう一点、先ほどのお話に触発されて伺うわけですけれども、学問の世界でも国際法の権威であります小和田参考人が、コソボのアメリカやNATOの行動について国連憲章上許されない、しかしそこに至らないように秩序をつくるために協力すべきだという趣旨のことを言われました。確かに、国連憲章違反だということはこれまでもいろんな形で言われてきました。今、だからこそ結局国連の中で、先ほど話にあったアメリカを中心とする一極秩序という形ではなくて、私もこれは非現実的だと思うんですけれども、しかしそういう誘惑はますます強まっているように見える。アメリカのこの一月に発表された一連の文書を見ても、詳しくは言いませんけれども、そのことがコソボの教訓という形ではっきりと教訓化されているわけですね。そういう中で、やはりほかのかなりの多数に上る国連の加盟国が国連憲章の原則、目的を守れということを非常に声高に言う、これはやっぱり今の時期に非常に意味があることだと思うんですね。
 その点で、確かに憲章違反だと。しかし、憲章が今あるわけですから、それをやっぱり守っていくということは国際の安全秩序を守る上で必要だろうと思うんですけれども、その点で先生の御見解をお伺いしたい。
 以上であります。
#31
○参考人(小和田恆君) まず第一のアジアの価値観ということでございますが、私は、マハティール首相が言ったり、あるいはマレーシアでお聞きになったということはそれなりに理解できますけれども、アジアの価値観というのは一体何であるのかということをよく考えてみる必要があると思います。
 アジアの価値観とか日本的価値観とかいうことを言っているときに、その中で、伝統的な社会の中で存在していて現在ヨーロッパで行われていることとは違うけれども、しかしそれなりに普遍的な価値を持っていて、普遍的という意味はそういうものをやっぱり見習ってほかの社会ももっとそういうことをやってほしいと思うような種類の話と、そうではなくて、いわば古い社会の中で生まれてきたがために存続しているけれども余り合理性を持たないで、そういうものをある程度清算していかないと本当の近代社会としての発展というものはあり得ないという種類のものと二つあると思うんですね。そこをやっぱりきちっと整理する必要があると思います。一般的に、そういうものをひっくるめてアジアの価値観は西欧の価値観に対して対抗する価値観であってアジア的な価値があるんだというようなことが非常に大ざっぱな形で言われますけれども、私は、それはちょっと余りに一般化された議論ではないかという感じがいたします。
 具体的に申し上げれば、例えば日本の社会の中で非常にいいものとしてとっていかなきゃならないようなものは、文化的な価値でも道徳的な価値でもいろいろあると思うんですね。そういうものは、例えばヨーロッパの中にも残っているけれども、アメリカの社会は実は非常に新しい社会であるがためにそういうものを必ずしも持っていない、合理性一本やりで押してしまうというようなところがあります。それは何もアジアに限らず、ヨーロッパだってアメリカのそういう行き方というものに対してはかなり反発しているところがあるわけです。
 先ほど、グローバルスタンダードはアメリカンスタンダードになっちゃうというお話がございましたけれども、私は、論理的に言ってグローバルスタンダードというのは何もアメリカンスタンダードではないと思うんです。ただ、アメリカのやっていることの中には合理性があって、それでいくことが、やはり能率という点から考えても社会の発展の仕方ということから考えても、それは当然そっちの方がいいんだというものが多々あることは事実である。そういうものは、アメリカ製だからということではなくて、合理性があり普遍性があるから取り入れていかなきゃならない。また、それを拒否したってそういうものが必ず浸透してくるということになるだろうと思います。
 他方、アメリカで行われていることであっても、合理性というか、ある種の合理性は持っているかもしらぬけれども実は余り普遍性のないことというものもあるわけです。例えば弱肉強食的な、レッセフェール的な自由競争の原理なんというものは、アメリカの社会の中においても既に非常に大きな社会問題を引き起こして貧富の格差を増大しているわけですが、そういうものはヨーロッパは既に産業革命の後に経験をしておりますし、日本は産業革命をまつまでもなく、日本の伝統的な社会の中で、みんなが助け合う中で、しかし競争力を伸ばしていくという形で実行しようとしてきているわけです。
 一方に偏り過ぎて談合的な体質になってみんなが仲よくやる、そのかわり合理性もないし余り競争もないというようなことになると、やっぱりこれは合理性を欠くことになってしまって必ずしもうまくいかないと思うんですね。ですから、そういういいものと悪いものを選別するという努力が必要であって、そういう前提に立つ限り、アジアの価値観対欧米の価値観という二者択一の形で考えるのは、私は余り適当じゃないんじゃないかという感じがいたします。
 もっと極端なことを言えば、そういう考え方の根源にあるのは、冷戦時代の東西対立の考え方であるとか、あるいはハンティントン教授の「文明の衝突」にあらわれているような非常に運命論的な対立史観、歴史観であって、これはもう西欧にはそういう考え方がもともとあることは御承知のとおりであって、トインビーの歴史の関係の著作もすべてそういう思想で貫かれているわけですが、文明は対立するものであるという考え方自体が私はかなり問題ではないかという気がいたします。むしろ、共通の普遍性があるものを取り出していくその中で、日本があるいはアジアが古来から持っている中で、いいものであり、ヨーロッパもアメリカも、なるほどそれは確かにいいところである、我々もそういうものを取り入れていかなきゃいけないというものを拾い出して、それを共通の価値観のベースに据えていくということが私は非常に必要だと思います。そういうことがあって初めて国連における共通の価値観に基づいた共通の公益の追求ということが可能になってくるんだろうと思います。
 話が長くなりますが、例えば自然と人間の関係なんかにつきましてもヨーロッパ、アメリカはもっとそうですけれども、自然というものはやっぱり人間に対する敵対物として考えて自然を克服するというのが、ヨーロッパの文学においても哲学においても歴史においても、常にそういう形で自然を人間と対置して考えてきたわけですね。それに対してアジア、東アジアは特にそうですが、東アジアとか日本では、自然と人間というものはむしろ一緒になって、人間は自然の一部として生きてくるんだという考え方が基本になっている。こういうものはヨーロッパの人やアメリカの人に話してもわかる話であり、最近のように環境問題がこれだけクローズアップされてまいりますと、むしろ我々の言っていることの方が正しかったということになってきているわけですね。
 ですから、そういうものを取り出して説得力を持って主張していくということが必要であって、アジアの価値観対欧米の価値観という対立概念でとらえることは必ずしも適当じゃないんじゃないかなという気が私はいたします。
 二番目の国連憲章違反の件でございますが、率直に申し上げてコソボにおけるNATOの空爆というのは憲章上非常に問題のある措置であり、もっとはっきり言ってしまえば国連憲章に違反する行為だと私は思います。
 ただ、申し上げたいのは、国連憲章に違反するかしないかというような非常に法技術的な議論ではなくて、もっとそれが本当に国際社会の秩序の維持のために役立つのか役立たないのかという見地からこの問題は考えるべきだと思います。その点についても私は結論は変わらないので、それは、結果的には長期的な国際社会の共通の利益を確立していく上でマイナスになるだろうと私は考えております。
 ただ、この場合に、それにもかかわらずこれが非常に難しい決定なのは、ここに二つの対立する概念がございまして、一つは、主権国家の内部で起きていることに対して外の国が干渉して、武力をもって制裁行動を加えるのは主権の侵犯だという主張がございます。例えば中国などの主張はそうであります。
 これは、先ほど申し上げた非常に古典的な国際法の考え方に基づくものであって、今日の世界は、武力を使って、空爆してそういうことを強制するのがいいかどうかということは別として、これは国内で起きたことだからそういうことに口出しをするのは主権の侵犯だ、内政干渉だという考え方は、私はそれは今日もはや適応しない考え方だと思います。なぜかといえば、現に起きていることはそれと同じように重要な、人間の尊厳という非常に大きな基本的な価値というものが踏みにじられようとしている事態がある。
 その人間の尊厳を尊重しなければならないという非常に基本的な価値と、それから国連憲章で安全保障理事会の許可なくして強制行動をとってはいけないという規範に込められている価値というものとをどういうふうにバランスさせるのかというのが、実はコソボの問題であったわけですね。
 私は、その両者を両立させる方法があったのではないかという気がするものですから、先ほどから私自身は実際に起きたことに対して批判的だということを申し上げているわけでありますけれども、それは決して法技術的に簡単な形式論理の問題として、国連憲章には武力行使はしていけないと書いてある、しかるに武力行使をやった、ゆえにこれは国連憲章違反であって糾弾されるべきであるというように単純な三段論法で済むような話ではない。
 そこの両者の抵触、つまり主権国家から成っている現在の国際社会というものの仕組みの現実というものと、それから人間を中心に発展してきている今日のグローバルな社会の中における価値をどう守るかという問題、その両者が抵触したというのがコソボの状況であって、これは過渡期の一つの非常に大きなチャレンジだと。世界政府になってしまえばそういう問題は起きないし、また、もっと古典的な十九世紀の国際社会であったらそういう問題は起きなかったであろう過渡期の産みの苦しみのようなものではないかというふうに私は思っております。
#32
○緒方靖夫君 ありがとうございました。
#33
○月原茂皓君 自由党の月原です。
 きょうはありがとうございました。二、三、質問させていただきます。
 コソボの問題それと東ティモールの問題、それぞれ人権問題とするならば同じスタンダードで考えるべきなのに米国は出なかったと、そして韓国の方は朝鮮戦争で大変お世話になったから出たんだと、こういうふうなことまで有力者が言われて、私も直接聞いたんですが。そういうことからいって、今、小和田先生のおっしゃった日本がどうという意味ではないんですが、私の国は危険なところはやりません、橋をつくります、道をつくりますと、こういったときに、最も危険な分野で行動しなければ橋も道もつくっても意味がないといったときに、そこはやはり私は、まだこの発展途上にある国連という現実を踏まえたら、民主主義の国家ですから、皆、自分の子供が国益に関係のないところで倒れていくというようなことはなかなか議会は通らないと。私は、その問題をどういうふうに解決していくのかということを教えていただきたいと思います。
 それから、あと法律的な議論にもなろうかと思いますが、日本の国、まだ旧敵国条項が残っているわけですね。このことは、今後、先生から考えてどういうふうに持っていけばいいんだろうかということをお願いしたい。
 それからもう一つは、サイバーテロというのがこのごろよく言われておりますが、経済を攪乱するとかあるいは軍事力を破壊するとか、そういうようなことがだれがやっておるかわからない。しかし、非常に巧妙に考えたら、どこかの国が意図的にそういうことをやっていることもあると。こういうことについて国連の方で議論されたことがあるのかどうか、どういうふうに対処したらいいのか。
 以上、お尋ねしたいと思います。
#34
○参考人(小和田恆君) なかなか難しい問題をいろいろ御質問がございましたので、御満足のいただけるようなお返事ができるかどうかわかりませんが、まず第一の問題は、これは実は大変に私は難しい問題だと思います。
 と申しますのは、おっしゃるとおり、国際社会の公益ということからいえば、やらなきゃならないことというのはみんながやらなきゃいけないわけで、その意味で私は、日本の場合も含めてやっぱりリスクテーキングということについてどういう態度をとるのかということはきちっと考えなきゃならない問題だと思います。
 誤解がないように申し上げますけれども、武力を行使しないという問題は、これは国のあり方の問題であって、国是として、あるいは国民一人一人の決意の問題として、私自身もそう思いますけれども、そういうことはやってはいけないというのは立派な一人一人の信念の問題だと思います。
 他方、そのこととリスクをとるかとらないかという問題は実は別な問題であって、どういう手段であるにせよリスクをとるようなところには行かないとかリスクをとるようなことには手を染めないというのは、これは武力行使はしないという道徳的なあるいは哲学的な原則とは実は別のものであって、どちらかというとこれは利害、打算、計算上の問題である。そこのところをやっぱりはっきりさせる必要がある。特に日本の場合にはそこら辺がずっと長い間混同されてきたのではないだろうかという気が私はいたします。
 他方、そうは申しましても、今御指摘がありましたように、すべての国がそれぞれやはり利己的なことを無視して社会公益のために尽くせなんということは国内の社会においてもそうできるわけではないので、そこのバランスをどうとるかということでありますが、先ほどから申し上げておりますように、アメリカの場合でもその場合に、特に冷戦構造がなくなった緩みの中で、やはり自分のナショナルインタレストということだけを考えていこうという雰囲気がずっと長いこと支配してきたということは事実である。それはだんだん私は変わっていくと思いますが、それはまた振り子がもとに戻るにはちょっと時間がかかるだろうと思います。
 しかし、それにしても、そういう国民感情というものは、これは基本的に人間の本能からいって当然あることでありますから、そういうものをどういうふうにして国際社会の社会公益というものを守るという立場と両立させていくのかということがこれからの国際社会にとって非常に重要な問題だと思います。
 今の状況では、ある程度よかれあしかれダブルスタンダードというものが適用されているのは否定できない事実だし、これはその国その国の政治家の立場からすればやむを得ないという側面は確かにあるわけです。しかし、みんながそれをやっていると、実際問題として国際社会の秩序なんというのはだれも維持しないということになってしまうわけで、これが国内の中央政府が厳然として存在して立派な警察というものがあって、社会の秩序を維持するのは警察がちゃんとやってくれるというところと、国際社会のようにそういうものが全くなくてみんなが自発的に協力するいわば村の自警団的な形で秩序を維持している社会との基本的な違いでございますので、そこのところはやっぱり過渡期の時代は非常に苦しいけれども、そこのバランスをとりながらやっていくしかないんじゃないだろうかという気がいたします。
 二番目の敵国条項の問題ですが、これは大変不愉快というかよくないことであって、敵国条項が削除されなければならないというのは当然でありますが、実はこの問題はちょっと誇張して考えられ過ぎている嫌いがあると思います。
 実際には、敵国条項は今やアナクロニズムであって、そういうものは現在の国連加盟国に対して適用がないということは既に総会で決議があるわけです。ただ、厳然として国連憲章五十三条、百七条の規定というのは残っておりますから、形式的に言えばそれは国連憲章にまだ残っているけれども、そういう総会の決議として国際社会の意思がはっきりしておりますから死文化していることは事実なんです。しかし、それにしてもそんなものがあるのは不愉快だから早く取り除こうというのはそのとおりであって、今の合意は、この次に国連憲章の改正が行われるときにそれを削除するというところまで合意はできているわけです。
 したがって、単に死文化しているだけではなくて、今度国連憲章改正、例えば安保理事会の改組が行われて安全保障理事会に関する規定が改正されることになれば、そのときに五十三条、百七条は削除される、その関連部分は削除されるということまで合意ができておりますから、実際にはそれほど実害があるということでは私はないと思います。
 いずれにしても、しかし決して愉快なことでもないし許されるべきことでもないから、それをなるべく早く削除しなきゃならぬということはそのとおりだと思います。
 最後のサイバーテロの問題は、実はこれはまさにこれから国連が取り組まなければならない大きな問題として浮上してきている問題です。
 後ろに特定の国がいて、それが背後で糸を操っているのではないかという問題については、そういうケースもあるだろうと思いますが、現在のところそこまで、特定の国が糸を操っているのではないかという容疑が具体的に出てきている例は、国家として国家テロにそういうものが加担しているというのは今のところは出てきておりません。
 ただ、例えばソ連時代にソ連がKGBを使っていろんな国家テロをやろうとしたというようなことは最近の資料で出てきたりしておりますし、現在の世界の中にもそういうことをやりかねない国が全くないかと言われれば、それは可能性の問題としてはあるでしょうから、そういう意味で気をつけていく必要はあると思いますが、私は、今一番国連ないしは国際社会が気にしておりますのはいわゆる国際組織テロリズムと呼ばれるもので、これは国家がいるわけではないけれども、しかし悪いやつが集まっていろんなことをやろうとしている。
 その中には、例えばプルトニウムを爆弾として使うのではなくて、貯水池にプルトニウムを投げ込んで毒をまき散らすとかあるいはサリンガスのようなものを使う犯罪であるとか、あるいは今おっしゃったようなサイバーテロリズムのようなものであるとか、そういうものに対して国際社会が一緒になってどういうふうに対抗策を講ずるのかというのが、今急速に大きな国連の関心事になってきているということはあると思います。
 ただ、そのことにも明らかなように、これはアメリカ自身がそういうことをぜひ考えてほしいんですが、国連のような普遍的な国際機構、世界全体を網羅する国際機構の中で合意をつくって協力の体制をつくるということがアメリカの社会の安定のためにも非常に大事なんだという認識を、まさにそういう例からアメリカ自身が持ってもらうということが非常に私は大事ではないかと思います。
#35
○鈴木正孝君 自由民主党の鈴木正孝でございます。
 きょうは小和田参考人から大変貴重な御意見をたくさんいただいて、本当にありがたく思っております。
 実は、小和田参考人、ちょうど次官のときに私も日本のPKO法の法案準備室の方で一緒に仕事をさせていただいたというようなことでございますが、まさに現在のPKO法、日本の体制の実際上の法案を立案し、またそれを実質的に推進していただいた非常に少ない責任者のお一人というような位置づけがあろうかなというふうに実は思いまして、それに関連してちょっと。
 最近、連立与党ということだけではなくて、PKO活動に関して凍結の解除の問題だとか、個々にいろいろと議論もされております。そういうようなことを踏まえた上で、これからどういうふうに日本政府といいましょうか、日本の国そのものが歩んでいったらよいのかなというような、そういう御意見をお伺いしたいということと、それから、先ほど来ずっと話に出ているんですけれども、イラクにしても、ユーゴの問題、コソボの問題にいたしましても、国連が本来的に、言ってみますと平和の確保の主体としての国連、先ほどもお話しございました、そういう平和維持機能を果たすということと、それからNATOだとかOSCEとか、そういう国連の機構以外のその種の地域機構あるいは大きな国際的な存在そのものがいろいろと実質的にそれを肩がわりして果たしているようなところもあるわけでございまして、こういう事態をもう一度国連主体に戻すというような思いでごらんになるのか、あるいはまたこういう事態をこれは現実問題として仕方がないのかなというふうにごらんになっておられるのか。
 その辺、今後のPKOを含めて、活動のあり方、方向、そういうものについて御意見をお伺いしたいと思います。
#36
○参考人(小和田恆君) 第一のPKOの問題でございますが、御指摘のように私は国際平和協力法が成立するときに次官をしておりまして、その成立のためにいろいろ私なりの努力をしたという経験がございますので、そういう意味でPKOと日本のこれに対する協力のあり方ということについてはずっと真剣に考えてまいりました。
 そういう私の立場から個人的な意見として申し上げれば、先ほどのどなたかの御質問にもちょっとございましたが、軍事行動というものと非軍事行動というものに分けて、それを憲法との関係で論ずるというのは私は適切ではないと思います。
 重要なことは、武力行使ないしは交戦行為に当たる種類の行動とそうでないものをきちっと分けるということが非常に必要であって、これは国民が決めることでございますけれども、私自身の個人的な意見としても、それから外交の分野でいろいろな国とつき合ってきた私自身の経験から申しましても、私は、世界が日本に、日本が平和確保のために武力行使の行動に参加することを積極的に期待しているということはないと思います。もちろん、日本が参加してもそれは一向に構わないよという国はたくさんあります。他方において、日本がそういうことまで参加することはどうかなという国もあるわけであります。バランスとして考えてみて、それをあえてそこまでやるということが日本にとっていいことかどうかということは、外交的な判断としては私は疑問だと思います。
 それ以上に、私は、日本がこの前の戦争ないしはそれに至る経験というものを背景にして、日本国民としてはこういう行き方をするんだということを、国の信条として、国民一人一人の気持ちとしてそういうことを決めたということは非常に重要なことであって、これは単にだれかから憲法を押しつけられたからそうなったという話ではなくて、それはそういう歴史的な経緯はあるにしても、日本国民がそれがいいことだというふうに決めて今日まで来ているということは、やっぱり非常に重要な重みを持って受けとめるべきことだと私は個人的には思っております。
 ただ、そのことは、それはあくまでも武力行使に携わる、あるいは交戦行動をやるということは日本としては自衛のため以外にはやらないということであって、先ほど申し上げましたように、およそ自分の身の安全に危険が及ぶようなことは一切やらないという話とは別でありますし、それから世界全体の平和のために、あるいは集団安全保障というものを実現するために日本として応分の貢献をするということ自体とは別な問題だというふうに思います。
 軍事的な色彩を持っていても、なおかつそういう軍事行動ないしは交戦行為に当たらないような行為というのはたくさんあるわけで、そういうものについては、それが日本の政策判断としてこれは非常にいいことだという判断があったら私はそれは積極的に参加すべきものだと。また、国際平和協力法は、そういう意味でそういうものを禁じているものでもなければ、あるいは憲法との関係で問題を生ずるものでもないと私は思っております。
 その意味では、いわゆるPKF、PKFという言葉がテクニカルタームとして存在しているわけではないので、これは日本で便宜上つくられた言葉で、停戦監視の活動というのは実はPKOの一番基本的な本質的な重要な部分であります。それが凍結されたというのは、当時の政治的なプロセスの中でやむを得ないこととして私ども受けとめましたけれども、あれは私は個人的には非常に残念なことだったと、一日も早く解除していただきたいと思います。
 ただ、解除したからといってすべてのことに参加しなきゃいけないわけではないんで、それは日本が自主的な判断で、そのときの政治的な状況それからリスクの程度それからそれに日本が貢献することによって果たし得る役割の重要性ということを総合的に判断して、日本が主体的に判断して決めるべき話であって、そこについてやはり私は、日本はもっと自信を持って自分で判断するということをもう少しきちっと推し進めていかなきゃいけないんじゃないだろうかという気がいたします。
 その関連で、NATO、OSCEその他の地域機構ないしはそれに準ずるものの役割との関係という御質問がございましたが、私は、国連憲章の精神自体もそうですし、それから現実論から考えても、世界政府が存在するかのように国連が全部一元的に取り仕切って、自分の軍隊を持ち自分の警察を持って国際社会の秩序を維持するというような世の中は、理念的には考えられても実際にはそんな世の中にはならない、少なくとも我々の目に見える範囲ではそういう世の中にはならないと思います。そういうことを考えれば、やはり現実的に考えても地域機構というものを有効に活用していくということは非常にいいことだと思います。
 ただ、地域機構が手放しに何でもいいわけではなくて、地域機構をそういう平和維持のために利用することのマイナス面というものもたくさんあるわけです。
 具体的に言えば、例えば地域機構がその地域のことに詳しいだけに、逆にその地域の力を持っている国がどちらかというと公正ではない方向に物事をねじ曲げて運用するというような危険もあります。それから、地域のよく知っている国が巻き込まれている、入っているがためにかえって裏の底意を探られて平和維持の活動がうまくいかないというようなケースもあるわけです。その場合は、全く関係のない第三者が来てもらった方がかえってありがたいというようなこともあります。
 ですから、一概に地域機構は常にいいんだとは限りませんけれども、現実の問題として地域機構を活用しなければ解決しない種類の問題というのはたくさんあるわけです。現に、例えば中央アジアにおける紛争だとかアフリカの一部の紛争だとか、やっぱり地域の情勢というものをよく知らないで国連が一般論を押しつけてやったがために失敗した例というのはたくさんあるわけです。
 一番典型的な例はソマリアのUNOSOMのUと言われているやつですが、これはまさにソマリアの社会というもの、そのソマリアの社会においていわゆるウオーローズと呼ばれる軍閥が対立している中で、一人だけを悪者にしてそれをやっつけてしまえば物事が片づくだろうと思ったのが大間違いで、それをやろうとしたがためにソマリア全体を敵にしてしまったということになっちゃったわけです。
 これは、やっぱり地域の諸国がもっとこれに加わってうまく調整をしていればあんなことにはならなかっただろうということを言われておりますが、そういう意味で、地域機構の活用ということは、私は、地域機構の限界というものを頭に置きながら地域機構というものをうまく活用していくということはこれから非常に重要だと思います。
 ただ、その場合に一番重要なことは、先ほど来いろいろ御質問が出ておりますけれども、地域機構はあくまでも国連の目的を達成するためにそれに協力する機構として働くのであって、国連の目的と関係がない形で、自分たちの政治的な目的を達成するために地域機構が独立に動くようなことになってくると国際秩序の点から非常に問題が出てくる。
 具体的に言えば、憲章五十三条、つまり強制行動をとるときには必ず安保理の許可を得なければならないと。これは安保理と共同してやってもらうために、安保理がそれを活用しようという形で地域機構が使われるということが非常に重要だと思います。
 それに関連して一言だけつけ加えて申し上げれば、アジアには実はそれに匹敵する地域機構がないということが、私は長期的に見ると東アジアとして考えなきゃならない問題ではないかと思っております。
#37
○島袋宗康君 二院クラブ・自由連合の島袋宗康です。きょうは本当に貴重な御意見を賜って、ありがたく感謝申し上げます。
 二、三点お伺いしたいんですけれども、最近、国連の役割に限界があるのではないかというようなことをよく言われておるんだけれども、先生としては、その限界を克服するための方向性というものを何かお考えがあればお聞かせ願いたいと思います。
 それから、国際秩序の維持という観点から米軍の軍隊の海外駐留はなお必要であり、かつそれは国際正義に合致しているというふうにお考えなのか、その辺をお聞かせ願いたいと思います。
 それから、一九九五年に世界女性会議が北京で開かれたわけでありますけれども、これについては国連がどういうかかわりをお持ちになったのか。それと、もしかかわりがなければどういう評価をなされているか。
 この三点についてお伺いしたいと思います。ありがとうございます。
#38
○参考人(小和田恆君) 第一の問題でございますが、国連の役割には私は当然非常に大きい限界があると思います。
 例えば、一時日本でも日本の安全保障は国連にやってもらおうというようなことが議論されたことがありますけれども、これは現実の国連からいって、とても国連がそういう存在ではないということは明らかでありますし、そういう意味で国連の限界というものは非常に大きいということは事実だと思います。
 他方、国連なんというものは金食い虫であって、お金ばかり使うけれども何もしていないというのはこれまたとんでもない話であって、確かに平和確保の活動の面については、国連は独自の軍隊を持っているわけでもなければ独自の警察組織を持っているわけでもありませんから、平和確保というように最終的には力の要素というものがかなり大きな役割を演ずる分野においては、国連の果たし得る役割というものはどうしても限られざるを得ないことは事実ですけれども、しかし、それにもかかわらず国連が平和維持活動というような形で平和の維持、安定ということに果たしてきた役割というものは、実は頭で考えるよりも現実の状況を見るとかなり大きいものがあると思うんですね。
 それをさらに補完して、やはり多国籍軍的なもの、つまり人の力をかりるけれども、これは国連の意思によって国連がこういうことをやらなければならないということを決めた上で、それに対して自分はしかし力を持っていないから、そういうことに協力できる国は力をかしてくださいという形で組織される多国籍軍、湾岸戦争のときの多国籍軍が典型でありますけれども、そういうものをうまく使いながら平和維持の面でも役割を果たしてきたし、それは今後とも知恵を出しながらやっていく余地が非常にあるだろうと思います。
 経済社会の分野においては、先ほどから申し上げておりますとおり、国連がなかったら恐らく世界は相当ひどいことになっているだろうと思うぐらいに、実は環境の問題にしてもあるいは難民の問題にしても、あるいはエイズその他の疾病の問題にしましても、国連があったがためにここまで世界がよくなってきたという例は多々あるわけであります。私は、そういう意味で開発の問題はこれから国連が本腰を入れてもっともっとやっていかなきゃならない、その中で日本がもっともっと大きい役割を果たしていかなければならない問題だというふうに考えております。
 そういう意味で、国連の役割に限界はあるけれども、まだまだ限界に達したというようなことではなくて、知恵の出しようによってこれからの世界をより平和でより豊かなものにするためにやれること、それに日本が協力できることは非常にたくさんあるというふうに私は思います。
 なお、それに関連して最後の三番目の問題にちょっと触れますが、北京の女性会議は、これはもちろん国連の主催で開催された会議であって、私自身が当時国連におりましたけれども、日本の代表団の代表として、首席代表は官房長官が婦人問題の担当の閣僚ということでちょっとだけおいでになりましたけれども、その後は全部私が代表団を率いて参加いたしました。
 これなども、やはり人間の価値あるいは人間の参加する形での社会の福祉の増大という見地から女性というものに焦点を当てて、この会議がそういう意味で大変大きな役割を果たしたというふうに考えられますし、先ほど申し上げましたように、コペンハーゲンにおける社会開発サミット、これは同じ年の春でございますが、それからその前の年のカイロにおける人口会議、さらにその前々年のリオデジャネイロにおける環境会議と並んで、これらは非常に国連の経済社会分野における活動として私は特記されるべきものだというふうに思っております。
 二番目の米軍の海外駐留の問題ですが、これは私は、基本的にその国が自分の国の安全保障をどういうふうにしてするかということで考えるべき問題だと思います。
 アメリカが、嫌がるところにおれは海外駐留するぞと言って出かけていくのであれば、これはアメリカの意思の押しつけになりますけれども、そうではなくて、自分だけでは自分の安全を保障するに足る十分な力を持っていない、あるいはまた持つ意思もなくて、むしろそういう形でなしに、集団的な安全保障の枠組みをつくることによって自分の安全を保障したいと考えている国にとって、アメリカとの関係においてそういう枠組みをつくるということは国連憲章との関係でももちろん何ら問題はないことですし、それから今日の国際社会の現実の中においてそういうことは十分あり得るだろうと。これは、要は国民がどういうふうに決めるかという問題だと思います。
 日本の場合について言えば、例えば日本が自主防衛という形に進むのか、それとも日米安保体制を前提とした在日米軍と自衛隊との組み合わせという形で日本の安全保障を考えるのかという選択は、これは日本国民が自発的な意思として決めればいい話であって、私は個人的には、現在の体制は日本の長期的な利益にとって、コストはもちろんあります、コストはもちろんあるし、そのために払わなければならない政治的コストというのは決して小さいものではありませんけれども、それにもかかわらず、日本が自主防衛の道に進むよりも、その方が日本の長期的な将来を考えたときにより建設的な道だというふうに私は考えております。
 いずれにしても、それは各国の国民が自分の意思としてその国のコンセンサスをつくる形で決めていけばいい話ではないかというふうに思います。
#39
○島袋宗康君 ありがとうございます。
#40
○会長(井上裕君) 本日の質疑はこの程度といたします。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 小和田参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただきまして、おかげさまで大変有意義な質疑を行うことができました。
 小和田参考人の今後のますますの御活躍をお祈りを申し上げまして、お礼のごあいさつにかえる次第でございます。ありがとうございました。(拍手)
 次回は二月二十三日午後二時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後五時十四分散会
ソース: 国立国会図書館
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