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2000/04/21 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 国際問題に関する調査会 第6号
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2000/04/21 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 国際問題に関する調査会 第6号

#1
第147回国会 国際問題に関する調査会 第6号
平成十二年四月二十一日(金曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月十二日
    辞任         補欠選任
     高嶋 良充君     広中和歌子君
 四月二十日
    辞任         補欠選任
     柳田  稔君     浅尾慶一郎君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         井上  裕君
    理 事
                河本 英典君
                鈴木 正孝君
                藁科 滿治君
                高野 博師君
                井上 美代君
                田  英夫君
                高橋 令則君
    委 員
                泉  信也君
                亀井 郁夫君
                佐々木知子君
                塩崎 恭久君
                田村 公平君
                武見 敬三君
                月原 茂皓君
                野沢 太三君
                馳   浩君
                浅尾慶一郎君
                小林  元君
                平田 健二君
                広中和歌子君
                魚住裕一郎君
                緒方 靖夫君
                島袋 宗康君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        鴫谷  潤君
   参考人
       東京大学大学院
       教授       横田 洋三君
       中央大学経済学
       部教授      内田 孟男君
       神戸大学大学院
       教授       藤田 久一君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題に関する調査
 (「二十一世紀における世界と日本」のうち、
 国連の今日的役割について)

    ─────────────
#2
○会長(井上裕君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、高嶋良充君及び柳田稔君が委員を辞任され、その補欠として広中和歌子君及び浅尾慶一郎君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(井上裕君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、本調査会のテーマであります「二十一世紀における世界と日本」のうち、国連の今日的役割について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、東京大学大学院教授横田洋三参考人、中央大学経済学部教授内田孟男参考人及び神戸大学大学院教授藤田久一参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 本調査会では、二年目は国連の今日的役割について重点的かつ多角的に調査を進めておりまして、これまで四回の調査会で六名の有識者及び国連研究者の方々からの御意見をお伺いいたしております。また、国連大学や在京の国連機関を視察し、関係者との意見交換も行ってまいりました。
 二〇〇〇年を迎えた本年九月には、国連においてミレニアム総会及びミレニアム・サミットが開催され、その前には国連の全面的な協賛のもと、IPUの主催により世界議長会議の開催も予定されていると聞いております。
 そこで、本日は、三名の参考人の方々から、二十一世紀を迎える国連の将来と我が国の国連政策のあり方について忌憚のない御意見かつ提言的な御意見をいただければと思っております。それらの御意見を本調査会におきます今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げたいと思います。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、国連の今日的役割のうち国連をめぐる全般的問題について、横田参考人、内田参考人、藤田参考人の順でお一人三十分以内で御意見をお述べいただいた後、午後四時三十分ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
 なお、意見、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、横田参考人から御意見をお述べいただきます。横田参考人。
#4
○参考人(横田洋三君) 御紹介いただきました東京大学の横田でございます。
 本日、こういう形で参考人としてお招きいただき、国連に関する私の意見を述べる機会を与えられましたことを感謝申し上げます。
 私は、お手元の概要、レジュメにありますように、七点にわたって簡単に私の考えを説明させていただこうと思います。
 最初の点は、今日の世界と国連という一般的なお話ですが、二番目には国連の組織と手続ができた当時と事情が非常に変わってきているということについてお話をしたいと思います。したがいまして、三番目は、それでは改組の必要があるわけですけれども、改組は可能かどうかということを見まして、四番目に具体的に国連憲章改正を必要とする国連の改組と、それから五番目に憲章改正を伴わない改組の提言をしたいと思います。六番目には、より具体的に国連と日本の関係について簡単に私の意見を述べたいと思います。さらに、七番目に、私がずっとこれまで国連について考え、日本と国連の関係を考えまして、極めて具体的にこういうことをしてはどうかということを思っておりましたので、この機会に述べさせていただきまして、先生方の今後の御検討の参考にしていただければと、そういうふうに考えております。
 なお、資料でございますが、私は初めに私の話の関係で国連憲章を資料として用意いたしましたのですが、藤田参考人の配付資料の中に国連憲章が全部載っております。そこで、同じものを刷りますと環境問題からいっても問題がありますので、紙の節約のためにそこは割愛させていただきましたので、大変恐縮ですが、私が条文に言及しましたときには藤田参考人が出されました配付資料の国連憲章の該当部分を御参照いただければ大変ありがたいと思います。
 私の資料としましては、日本国憲法の前文と、それから最後に、少し大きいA3の見開きになっておりますが、国連の組織図というのを御参考までに添付してございます。
 それでは、私の本題に入らせていただきます。
 まず、今日の世界と国連ということですけれども、私の基本的な考え方は、国連は今日の、そして将来の人類にとって不可欠の存在だということです。
 御存じのとおり、ここにも書かれていますが、環境破壊、内戦、極端な人権侵害、飢餓、絶対的貧困、国際テロ、難民あるいは国内避難民の大量流出、エイズその他の感染症、それから人口爆発、資源・エネルギー源の枯渇、こういったことはどれも人類の将来に大変重大な結果を及ぼす脅威を与えるものなんですけれども、これらの問題のどれ一つをとりましても、今日一つの国だけで対応しようと思っても解決できる問題ではありません。何らかの形で国境を越えた協力が必要です。とりわけ、組織的に進められる協力というのが必要です。そういう国家間の地球規模にわたっての協力を推進する上では、今日、国連及び国連の周辺にありますさまざまの機関を通して進める以外には方法がないだろうというのが基本的な認識でございます。
 一番最後のページにありますこの見開きの資料を見ていただきますと、国連の機構と国連の周辺にあります機構も同時に名前が挙がっております。例えば、この組織図の右下の方にいろいろ日ごろ新聞、テレビ等で見ることのある機関の名前が挙がっております。日本人の松浦大使が事務局長を務めておられるユネスコとか、あるいは中嶋さんという方が事務局長を最近まで務めておられたWHO、世界保健機関とか、そういったような機関がずっとここに並んでおりまして、これらも広い意味で国連関係機関でございます。こういうものを含めて、国連及びその周辺にある関係機関を通して人類共通の課題というものに取り組んでいかなければいけない、そういう状況にあるということです。
 ところで、これらの機関の多くは、国連本体は五十年前につくられましたし、周辺にあります機構も、その後つくられたものも幾つかありますけれども、大部分は一九五〇年代、六〇年代につくられたものでございます。したがいまして、いろいろな意味で人類が直面している新しい問題に対応する上で、組織的に手続的に不十分なところがございます。
 例えば、国連本体を中心にちょっと考えてみますと、例えば国連は、国連憲章の二条三項、二条四項というのを御参照いただけますでしょうか、藤田参考人の配付資料の一ページ目の一番下の段落にございます。これを見ますと、例えば第三項では、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。」。ここでは「国際紛争を」ということになっていて、国家間の国際紛争を前提にした規定になっております。同様に二条の四項も武力行使の禁止の規定がありますが、これは、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも慎む、こうなっていまして、国と国の間での武力行使の禁止、国と国の間の紛争の平和的解決を基本的に考えております。
 ところが、最近、各地で頻発している紛争の多くは内戦的な紛争でございます。国連は必ずしもこういった性格の紛争に対してきちっと対応できる仕組みにはなっておりませんでした。平和維持活動とか、国連憲章にもともと予定されていなかった国連の活動を通して何とか対応はしておりますけれども、極めて不十分な状況だということでございます。
 それから、国連の仕組みは、この国連憲章の特に第七章というのを見ていただきますと、お手元の資料で申しますと五ページの一番下の段落の最後のところから、三十九条から始まる部分でございますが、特に四十一条、四十二条というのを見ていただきますと、国連憲章に違反して武力に訴えた国に対して、四十一条では経済制裁を加える、非軍事的措置、それから四十二条では軍事的な制裁を加える、こういうふうな規定になっておりまして、国連憲章の基本的な仕組みとしましては、通常専門家の間では集団的安全保障と言っておりますが、違反者に対しては違反者の力を上回る圧倒的な国際的な軍事力でその国に制裁を加えるという、そういう仕組みになっております。
 これが、例えば違反者がかなり強力な国である場合には実は機能しない。特に国連の五大国のうちの一カ国であれば、国連はもともと制裁を加えられないという仕組みになっております、これは拒否権がございますので。そういうことで、実は力によってルールを守らせるという考え方自体が今日行き詰まっている部分がある。完全に行き詰まっているわけではありませんが、行き詰まっている部分がある。そういったことについてもやはり制度的な改組といったものを考える必要があるのではないかということです。特に最近言われておりますのは、したがって、紛争が起こる前の予防外交、予防措置というものを強化すべきではないかということが国連では真剣に議論されております。
 それから、安全保障理事会につきましてはもういろいろと議論されておりますが、特に五大国の拒否権の問題、それから、果たして現在の五大国が世界の平和と安全にとって責任をとり得る国だけを含んでいるか、それだけかという問題ですね。具体的に言いますと、例えば日本とかドイツのように、アメリカを除く他の五大国、フランス、イギリス、ロシア、中国に比べても、国連に対する例えば分担金というものを見ますと、それらの国よりも多くの分担金を負担している国があるにもかかわらず、それらの国は安全保障理事会の常任理事国になっていない。そういう仕組み、五十年たって状況が変化したものに対応できないでいる国連の姿というのが見られるように思います。
 このほか、国連の全加盟国が代表されている総会、ここでは総会の権限が必ずしも国連憲章上強いものになっていない。安全保障理事会の決定はこれは拘束力がありますが、総会については勧告以上のものではないと通常理解されておりまして、こういった点での総会の強化の問題もございます。
 それから、国連はもともとは平和と安全の維持ということで政治的な機構とされておりまして、経済的な分野、社会的な分野、文化の分野、こういったことについては、国連も関係を持ちますけれども、主要な活動は国連以外の機関。先ほどの一覧表で言いますと右下で挙げました。これを専門機関と呼んでおりますが、国連とは独立した機関なんですね、これらは。しかし、国連と一定の連携関係を持っておりますが、こういう機関に経済的、社会的、文化的な活動をある程度任せております。
 世界銀行、国際通貨基金、IMF、そのほか日ごろ私たちが目にする重要な機関として、例えば国際労働機関、ILOといったようなものもございますが、これらの機関がある程度ばらばらに行動しているために、国連としては本来の国連の目的を達成しようと思っても、必ずしも国連の思いどおりにこれらの機関が動いてくれないという問題がございます。とりわけ、最近注目されているのは、世界銀行とかIMFのような金融機関がどうも国連とは違った方向で活動しているのではないかというようなことが指摘されております。
 こういった意味で、経済社会理事会がもう少し権限を強化して、こういった国連の周辺にある機関に対して一定の勧告ができるような方向を目指す必要があるということです。
 さらに、機能主義に基づく経済社会分野の分散化というのは今私が申し上げたことでございまして、こういうふうに分野ごとに自立させて問題を扱わせる、別々の国際機構に問題を扱わせるというのを主張したのは機能主義者と言われている人たちで、その人たちの考えに従って国連ができたときにこういう構造になったわけですが、今日世界が直面している問題は、こういう機能別に分かれてそれぞれの機関が自分の分野だけを扱えばいいという対応では済まなくなっているということなんですね。
 こういうことで、国連がもう少し中心になってこれらの機関の活動を調整できるようにしなければいけないということが考えられております。
 それから、信託統治理事会というのが三つの理事会のうちの一つにございます。この一覧表にも載っております。形式的には存在しておりますが、もう現在、信託統治地域というのは一つもございません。したがって、実質上はこの理事会は機能を停止しております。これを何らかの形で再活性化することを現在国連でも考えておりますし、私もそれを考えております。
 例えば、ここに書かれておりますように、ルワンダとかソマリアとか、あるいはかつてのカンボジアのように、国家の体をなさなくなってしまった国家、これを破綻国家と呼んでいるわけですけれども、そういうところには一時的に国連が暫定的な統治機構を設立して、その活動を監視する機関として信託統治理事会をもう一度復活させてはどうかというようなことを私は考えております。名称はどういうふうにつけてもよろしいんですが、例えば国連暫定統治理事会というような名称にして、今度東ティモールでもそういう暫定統治の機構が国連のもとでつくられておりますが、そういったものを管理する理事会をこの理事会とすることが将来考えられると思っております。
 それから、事務総長の権限、これが国連憲章上は必ずしも明確になっておりませんけれども、実際は事務総長が非常に重要な役割を果たす場合が国連ではしばしばです。この点、もう少しはっきりと事務総長の役割というものを明確にする方向性を出していってもよいのではないかと考えております。それと同時に、事務総長のもとで働く事務局の効率的な活動というものも今後さらに確保しなければいけない、そういうふうに考えております。
 ところで、国連の改組には、一般的に言いますと国連憲章という国連の憲法に当たるものですが、これを改正する必要があるのですが、これは国連憲章の第百八条というのが改正に関する手続でございまして、それを見るとわかりますけれども、ページで申しますと十三ページでございますが、この憲章の改正は総会の構成国の三分の二の多数で採択され、三分の二の採択というのは、普通、国連総会決議の重要事項はみんな三分の二採択ですのでよろしいんですが、問題はその後です。かつ、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国連加盟国の三分の二によって各自の憲法上の手続に従って批准されたときに効力を生ずるとなっておりまして、つまり簡単に申しますと五大国には拒否権がここで出てくるということでございます。
 ですから、五大国の一国でも反対するような改正案は全く通らないということで、一般的に言いますと大変国連憲章の改正は難しい。過去に三回ほど改正がございましたが、それはいずれも安全保障理事会の非常任理事国数をふやすということと、経済社会理事会の理事国数をふやすということを決めたときでございまして、これはどちらも余り政治的に対立の起こる問題ではなかったということでございます。
 そこで、憲章を改正しないでも国連を改組できる方法をやはり考える必要があるだろうというふうに思います。
 どうしても憲章を改正しなければいけない部分がありますが、例えば安全保障理事会の構成を変えるというようなことですけれども、例えば日本が安全保障理事会の常任理事国になるというようなことを考えますと、これは憲章を改正せざるを得ません。憲章改正をあらゆる問題について提案しますと、もう各国の利害は錯綜しておりますし対立しておりますし、全く実現不可能ですので、私の基本的な考え方は、憲章改正を必要とする国連改組案は、それは最小限のものにとどめて、あとはできるだけ現実的に、憲章改正を伴わないで、なおかつ国連憲章の解釈と運用の中で実現できる改組をしていくべきではないか、こういうふうに考えております。
 それで、憲章改正を必要とする改組としてはどういうものがあるかといいますと、今触れました安全保障理事会の常任理事国を現在の五から十へということでございます。日本、ドイツ、それからアフリカ及びラテンアメリカ、アジアからそれぞれ一国ずつ常任理事国を選ぶという案でございますが、これが実はアフリカのどの国にするか、ラテンアメリカのどの国にするか、あるいはアジアのどの国にするかということで、それぞれの地域の国家の利害が対立しておりまして、この点が非常に国連の場で合意が得られにくい状況になっておりまして、現在のところ、安全保障理事会の常任理事国の数をふやすことについては見通しは決して明るくないというふうに感じております。
 常任理事国数を五から十にふやしますと、当然非常任理事国数も少しふやさなければいけないということで、私の考えでは十から十四へふやす、四カ国ふやすということを考えております。この点についても意見の対立がございまして、特にアメリカは安全保障理事会の理事国数をトータルで二十、二十一ぐらいにとどめたい、それ以上にふやすことには反対だということを明確にしておりまして、最近少しその態度が和らいではおりますけれども、トータルの理事国数についてはまだ合意が成立していない段階でございます。
 それから、先ほど触れました信託統治理事会を国連の暫定統治理事会のようにしてはどうかというような考えを私は持っております。これはもちろん憲章改正が必要です。
 それから、旧敵国条項というのがございまして、例えば憲章五十三条一項、二項をごらんいただきますと、旧敵国に関する規定がございます。これは五十年たってもうほとんど意味のない条文ですが、意味がないとはいえ、こういう規定がありますと、日本のような旧敵国に該当する国には必ずしも快いものではございません。
 五十三条をちょっと見ますと、第一項にただし書きの方で、前の方では地域的機関が行動をとる場合には安全保障理事会の許可が必要だとなっていますが、旧敵国に対する強制行動についてはこれは許可が要らない、こういう規定になっていまして、これは事実上国連総会でももう旧敵国条項は意味がないという決議が出ておりますので、あってもなくてもいい盲腸のようなものとも言えますが、なくてよければ削るときに一緒に削ってはどうかというのが私の考えでございます。
 憲章改正を伴わない改組としてはどういうものがあるかといいますと、例えば平和のための結集決議というのが一九五〇年の秋に採択されておりまして、ここで総会を強化して、それまでは安全保障理事会だけが平和と安全の問題を扱うとなっておりましたが、それに総会もその問題を、安保理が動かないときには行動を含めて国連総会が審議できるという、そういう決議案でございます。
 これがその後余り使われておりません。一九五六年にスエズ動乱のときに使われて以来、この平和のための結集決議は使われておりませんが、私は総会強化の一案としてこれを使ってはどうかと考えております。
 特に、今回、コソボに対してNATOが国連の了解を得ずに人道的干渉ということで攻撃を加えましたけれども、コソボに関連して旧ユーゴスラビアに対して。これは私はやはり間違いであって、安全保障理事会にかけ、当然拒否権でそれはつぶれますが、その後、総会の方へ持っていって平和のための結集決議に基づく総会の了解をとるべきではなかったかと考えております。
 そのほかに、いろいろ私が考えておりますもののうちの幾つかをここに列記してございます。
 総会に個人的資格で選ばれた議員によって構成されている世界議会を補助機関として設置してはどうかというのが一つの案です。これは補助機関ですので、総会の決議だけでできます。
 さらに、経済社会理事会に、経済社会理事会の決議に基づいて常任委員会を二つつくる。一つは経済、開発、環境問題を扱う委員会、もう一つは社会、人権、人道問題を扱う委員会。現在は経済社会理事会は実質審議ができない形骸化したものになっておりまして、こういう委員会を通じて内容のある議論をするようにしてはどうかと考えております。現在、経済社会理事会は五十四の理事国で構成されておりますが、それを三十ぐらいに減らした方がより内容のある議論ができるのではないかということでございます。
 そのほか、経済社会理事会による専門機関の活動調整機能を強化したり、それから経済社会理事会に補助機関として、最近、国連の活動の中でも重要な役割を果たすようになりましたNGO、民間の国際協力団体ですが、この代表が集まるNGOフォーラムをつくってはどうかと考えております。
 それから、事務総長には国際司法裁判所に法律問題について勧告的意見を求める権限を与えてはどうか。現在はこの権限がありませんが、そういうことも考えております。
 日本はこれまで、一九五六年に国連に加盟して以来、優等生であったと思います。一切国連に迷惑をかけたことはありません。国連憲章に違反して何か行動したということは一切ございません。ほかの国はかなり国連憲章違反らしい行動をとったことがあるわけですけれども、日本はそれがない。それで結構ではないかということになるんですが、実はそれで結構ではないというのが私の意見でございます。
 どういうことかといいますと、受け身的に受動的に国連憲章を守っていればいいということではなくて、国連憲章の趣旨を生かしてもっと積極的に国連を通して世界の人類共通の問題に対処していく、そういう役割を日本は果たすべきではないかと思っております。
 特に、日本の国連における分担金は二〇%をちょっと超えておりまして、アメリカの次の第二位でございますが、御存じのとおり、アメリカは二年分をいつも滞納しておりますので、実質的には日本が国連に対する第一の財政貢献国と言っていいと思います。
 同時に、日本は資源が不足していますし、日本の企業は全世界に広がっておりまして、日本にとって世界の安全、世界における貧困の撲滅、世界におけるテロの防止、こういったことはすべて日本の利害に直接関係してきます。他方で、日本は世界の経済力の一五%以上を持っておりますし、国連の分担金の二〇%以上を占めているという世界の中でも無視できない存在でございます。
 その意味で、日本は国連を生かして世界の問題と取り組む、そういうより積極的な外交を今後展開すべきではないか、こう考えております。
 お手元の資料に日本国憲法の前文がございます。
 日本国憲法については、しばしば国連との関係では憲法九条だけが問題になっていて、私はそれだけで議論するのは非常に問題があると思っております。
 日本国憲法の前文、ちょうど真ん中のところですが、読んでみますと、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」、これはいいです。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、」、国連がまさにそのことをやっているわけですが、そこにおいて「名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」。
 極めて崇高な、どこの国の人に見せてももうこれ以上の表現はないというぐらい立派な憲法の前文なんですね。私は、この精神をぜひ国連の場で日本は生かしていただきたいと思っております。
 若干具体的な提言がございますので、それはざっと読ませていただきます。
 最初に、国連人権高等弁務官というのがおりまして、その事務局が今ジュネーブにございますが、そのアジア太平洋地域事務所を日本、特に具体的に動きがありますのは沖縄なのですが、そこに設置してはどうかと考えております。これはやがては環境問題、開発問題、緊急援助、軍縮、熱帯病・感染症の研究といった、これまで国連が直接かかわってこなかった分野のアジア太平洋地域の活動の中心にこの機関を発展させることもできると思っております。
 こういった活動をするには、やはり日本人職員が国連の中でふえ、しかもその地位が向上することが望ましいと思われます。私ども大学に所属する者の教育訓練の責任も当然ございますが、同時に、国としても対応できる方策が幾つかあると思います。
 一つの考え方は、青年海外協力隊というのがございまして、これは非常にいいプログラムなのですが、そこで経験と訓練を積んだ若い人が大学院と連携しまして、その経験と大学院での研究成果を生かして国連で活躍する、そういうような道を開く。今のところ、それはばらばらのプログラムなんですけれども、そういうことを考えてはどうかと考えております。
 それから、東京に本部のあります国連大学、これは今のところ、やや日本の社会からも遊離した存在になっておりまして、私も今国連大学に関係しておりますが、それをもっと身近なものにしてはどうかと考えております。
 ちょうど時間になったようでございますので、あとの二点についてはお読みいただくということで、一応私の説明を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
#5
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 次に、内田参考人から御意見をお述べいただきます。内田参考人。
#6
○参考人(内田孟男君) ありがとうございます。御紹介いただきました内田でございます。
 私は、現在中央大学で教鞭をとっておりますけれども、その前に、私がきょうお話しいたしますユネスコと国連大学にそれぞれ十年余り勤務したことがございますので、ある意味では中からの観察に基づいた発言ということになるかと思います。ある意味では一つの偏見を抱いて発言せざるを得ないような立場にありますが、きょうは五点について短く私の考えていることを申し述べたいと思います。
 まず、「国連システムと文化・学術の振興と交流」というふうなテーマにいたしましたけれども、ここで国連システムと申し上げるのは、今、横田参考人が組織図で示されたように、単に国連の本体、主要六機関ということよりも、むしろ附属するいろいろな総会の機関、それから専門機関において特に文化、学術の振興というような活動は行われていますので、そういう意味で、単に国連だけではなくて「国連システム」というふうなタイトルにしたわけです。
 最初に、比較的に軽視されている国連の活動分野ではないのかという疑問を持っておりますが、今、会長からのお話ですと、既にこの調査会としても国連大学を視察したということでございますので、この調査会には余り該当しないと思いますけれども、基本的に国連本体がやはり国際の平和及び安全の維持ということを主眼とし、それに付随して特に開発の問題に一九六〇年代から非常に力を入れておりますけれども、学術または文化の振興とか交流ということは、相対的にやはりシステムとしては軽い分野であった、周辺からの活動であったということは否めないだろうということはあります。それは、現在非常に大きな関心を集めています地球環境とか人権に比べても、この分野はそれほど注目を浴びてはいないというふうな認識を私は持っております。
 ただ、それが最近非常に変わったというのは、やはり冷戦が終結いたしまして、紛争が今までの国家間の紛争から国内紛争、それが特に文化、宗教、民族等の違いに起因するというようなことが認識されまして、国内また国際関係における文化の役割ということが現実政治の問題としてやはりより表面化してきているということがあると思います。
 それを一つ象徴するような形で、国連でも一連の文化とか文明に関する国際年というものを採択しているわけで、ここにちょっと列挙しましたけれども、ことしがたまたま平和の文化国際年。これはユネスコが中心になって行う国際年ですけれども、今までの暴力の文化というものから脱却して平和の文化を構築しなくてはいけないという国際年になっております。それから、来年が文明間の対話国連年ということになっております。しかもまた、来年から十年間は、平和の文化と世界の子どもたちのための非暴力の国際の十年というふうなディケード、十年が続くことになっております。これは、少なくとも国際社会において文化、文明というものが持つ意味、その重要性についての認識がかなり改まってきているんではないかというふうに感じております。
 特に、文明間の対話国連年というものが採択されたときには、私は、一九九三年でしたか、フォーリン・アフェアーズにハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授が「文明の衝突」という論文を書きまして、それが非常に大きな議論を呼んだのを覚えておりますけれども、衝突ではなくて対話に持っていくというふうな動きというのは非常に建設的な動きであろうと。また、余り衝突を政策的にあおるよりも、対話によって問題を解決するという方法は国連の場の一つの役割ではないかというような気がいたします。しかも、この草案というものがイランから提出されたということは、ある意味ではハンチントン氏のテーゼに対する反論であったのではないかとさえ私は考えたわけです。
 このような一連の国際年がございまして、それに加えて、特に日本の立場として、このような文化、学術に関して国際協力を通じ世界の平和に貢献するということを改めて考える段階にあるのではないかということを申し上げたいと思います。
 それは、今横田参考人が言及されました国連大学というものは日本政府が非常に熱心に設立に貢献し、そして誘致をしてきた、日本にある国連の機関としては本部がある唯一のものでございます。そして、現在でも日本政府は国連大学に非常に多大な支援を行っているわけで、それは日本政府だけではなくて東京都の協力というものも非常に大きくあるということ。この国連大学を日本の国際的な学術、文化協力にどういうふうに生かすかというのは、やはりホストカントリーとしての一つの政策的課題だろうというふうに思います。
 それから、昨年、ユネスコの事務局長に前駐仏大使の松浦晃一郎氏が選出されたということ。これは、ユネスコの事務局長はアジアから初めてであります。別に日本人が事務局長になったからユネスコに対して別の政策をとるということではありませんけれども、やはりそれは広い意味の国際協力の足がかりというものをユネスコという場にも見つけることができるのではないかということを考えるわけでございます。
 振り返ってみますと、「理念」のところですけれども、このような学術また文化の振興、交流によって国際平和に寄与するという考え方というのは非常に古いわけでございます。さかのぼれば、基本的には私はエマニエル・カントまで戻って、恒久平和論で、やはり民主国家、共和国家であればそれだけ戦争がなくなるというふうな考え方が根本にあるんだろうと思います。そして、国際連盟のときには、一九二二年に国際知的協力委員会というものが設立されまして、哲学者のアンリ・ベルクソンが委員長になり、そのほかに当時の非常に著名なマリー・キュリーとかアインシュタインもメンバーになっておりました。そして、日本との関係では、御承知のように、国際連盟の事務次長であった新渡戸稲造博士がこの委員会の事務局を担当したということもございます。
 しかしながら、この知的協力委員会、それから後にできました知的協力機関というのがパリに設置されたわけですけれども、やはりエリート志向というか、非常に少数の学者、研究者のみを対象にしたというふうな制約があったということでございます。
 それが、ユネスコが第二次世界大戦後に設立されたときには、もっと大きな形でもってその精神というものがユネスコ憲章に生かされているんだろうというふうに考えます。
 よく引用されますけれども、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」ということ、そして「平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。」というユネスコ憲章の前文というのは、一九四六年の成立時以上に現在大きな意味を持っているのではないかというふうに考えます。
 私も大学のときには、当時ユネスコクラブというのがほとんど各大学にありまして、そのユネスコクラブというところに属し、全国大会等に出席したというような経験も持っています。それが高じて最終的にはパリのユネスコ本部に勤務するというような道をたどったのではないかと私自身考えております。
 その次に書いてあります国連大学憲章ですが、これはやはりユネスコとは少し違った形で設立されたものであり、かつその哲学的な根拠というものも、基本的には同じといっても、より限定されたものになっているというふうに思います。
 御存じのように、国連大学憲章には、国連大学というものは学者、研究者の国際共同体であるというふうな文言がございます。そして、ユネスコが専門機関ですけれども政府間機関であるのに比して、国連大学は総会の自治機関という形でもって学問の自由というものを保障され、分担金ではなく基金に基づいて運営されるというような方式をとっております。それから、一九七三年に国連大学憲章が採択されましたけれども、その当時の途上国の必要ということをかんがみて、憲章では途上国に対する貢献ということも明記してございます。これは、やはり一九四六年に発足したユネスコ憲章とある意味では異なり、より限定的な役割を国連大学に課しているということだろうと思います。
 理念というのは、私は、そういうふうな基本的に学術または文化が国際的に交流することというものが国際平和の礎になるんだという考え方、これは一貫してユネスコにもあるし、それから国連大学にもある、それが最近は非常に再認識されてきているのではないかという感じがいたします。
 三番のところでもって国際機構がでは何ができるかというようなことを自問自答しているわけなんですが、ここでは活動ということよりも、むしろこのような国連機関が直面する制約または限界というものについてちょっとお話ししたいと思っています。
 当然、ユネスコや国連大学というものは種々の地球的規模の問題に関していろいろな研究調査をし、若人の研修教育を行う、それから出版活動、情報の普及というようなことを行っています。しかし、幾つかの問題点に直面しているわけで、私はここに四つばかり述べておりますが、一つは、やはり国家主権との衝突というのはいずれにしろあるということです。衝突というよりももう少しやわらかく葛藤と私は呼んでいるんですけれども、基本的に知的協力または文化協力というものが一部の知識人のみに限定されている場合には余り問題にならないでしょうが、それが初等教育、中等教育を含めて国民の教育一般に影響を及ぼすようになる、そうすると、国家の政策というものがございますので、そこに一定の相克というものが生まれるということです。
 国際連盟の知的協力委員会もユネスコも各国に国内委員会というものを設置して、それを通してより国内との連携を強化するという方式をとっております。これは一定の成果をおさめていると思いますが、また同時に、その委員会のみが一つの窓口になるという制限の要素でもあるのではないかと私は考えているわけです。
 いずれにしても、交流というものが非常に広範囲に行われる場合には、政府、国家とのいろいろな政策上の問題というものも起こってくるということだと思います。
 それから、非常に大きな問題としてあるのは、やはり国連システムが財政、人材という二つの面で非常に限られたものであるということだと思います。
 ちなみにユネスコの昨年、一九九九年の年間予算というのは円にしますと約二百七十二億円でございます。国連大学はわずか三十六億円ということです。国連の通常予算というのは一般に約一千二百億円、十二億ドルと、通常予算だけです、これはPKOの方は含みませんけれども、言われていますけれども、それに比しても非常に小さい。しかも、緒方・ボルカー報告という財政報告がありますけれども、国連の予算というのはニューヨークの消防署、警察を合わせた予算よりもはるかに小さいんだというようなことを言っていますけれども、基本的に非常に広範囲な学術の振興とか交流を行う機関としては、予算的またはそこで勤務する人材ということで非常に大きな制約を受けているということがあります。
 それから、三番目に書きました国連システム内の分業と調整ということは、今横田参考人も言及されましたけれども、これは文化、学術の面だけに限ってもやはり存在するのではないかと私自身の経験からも考えております。
 ユネスコ、国連大学のほかにもUNITARとかUNRISDという国連の社会開発研究所というのがジュネーブにありますけれども、そのほかにも各国連機関でやはり調査研究ということは行っているわけです。しかも私は、最近、九〇年代に入ってUNDPが発行している人間開発報告というのは国連システムの中から出た非常にすぐれた報告書だろうと思っております。それまでの経済中心主義から脱却すべく、いろいろな人間開発指標を提示したり、人間の安全保障という新しい概念を明確にするというような功績もあります。
 したがいまして、ここで私が直接に言及しているのはユネスコ、国連大学の経験に基づいてですけれども、決してそれだけに限らず、ほかの機関というのも一定の役割を果たしている。そのいろいろな機関間の調整というものをどうするかというのはまだ今後の問題だというふうに考えております。
 それから、ネットワーク方式のトレードオフということですが、これはもちろんメリットとデメリットがございまして、メリットとしては既存の研究機関等と提携することによって迅速に、しかも費用を節約するということがございます。特に国連大学は非常に限られた人間と資金で運営していますのでネットワーク方式というものが中心になっていますけれども、一方、そのデメリットとしては継続性が非常に脆弱であるということ、機関としてのいわゆるアイデンティティーがなかなか形成されないという問題があると思うんですね。
 これは、ユネスコの歴史を調べてみますと、一九五〇年代の初めに、当時ユネスコのプログラム委員長でありましたジャン・ピアジェが、ユネスコは何をしているんだともう聞かれることはない、ユネスコは既に自己のアイデンティティーというものを確立しているんだというような演説をしておりました。
 私が一九八二年に国連大学にユネスコから移ったときには、当時学長でありましたスジャトモコ氏が、国連大学の大きな問題というのは国連大学のアイデンティティーを形成することだということを話していました。そのときには既に七年の年数がたっていたわけですけれども、当時は非常に模索の段階であった。現在では既に国連大学が活動を始めた一九七五年から数えてまさに二十五年です。果たして実際に国連大学がみんなからも認められているアイデンティティーを持っているかどうかということは、まだクエスチョンマークとして残るのではないかというふうに考えます。
 このようないろいろな制約、制限を持った国連機関がそれではどうして学術の振興とか交流に関与しなくてはいけないのかという疑問は当然起こるわけで、私はここに三点だけ簡単に触れさせていただいております。
 基本的に文化とか学術の振興、協力というものは、国際機関よりも国家の政策として、それからいろいろな強力な財団を中心にかなり行われているわけです。それにもかかわらず国連機関がどうしてそれに関与するかというのは、第一番目に私は国連の持っている普遍性と正統性ということが非常に重要だろうと思います。これは、加盟国が普遍的であるということに加えまして、事務局を構成するスタッフというものも非常に国際的であるということ、そしていろいろな文化、地域の見解、提携をそこに反映しているということが国連が関与する非常に大きな基準になるんだろうと思います。
 アメリカの政治学者でイニス・クロードという人がございますが、彼は国連を二つに分けて第一の国連と第二の国連というようなことを言っております。第一の国連というのはまさに国連の事務局を指して、第二の国連というのは政府の代表の合議体、総会とか安保理のことを指しております。そして、その第一の国連が持つ国際性、進取性、未来を先取りするということに大きな期待をかけておりますけれども、私はこの国連が持つ普遍性と正統性ということがまず第一に挙げられるということだと思います。
 そして、それを使って実際にでは何をしてきたかというのでは、最近の例では一九九〇年代に一連の国際会議、国連会議が開催されております。これは一々言うまでもなく、環境問題から始まって、人権、女性、都市の問題、ハビタットUというようなものもありました。しかし、それだけではなくて、ユネスコの例で申しますと、一九七二年にはエドガー・フォーレが「未来の教育」という報告書を物にし、数年前にはジャック・ドゴールが「学習 秘められた宝」という未来に向けた教育の問題についての報告書を出版しております。それから、一九九五年には元国連事務総長ペレス・デクエヤルが「我ら創造的多様性」という文化と開発に関する報告書を出しております。こういうふうなものによって、国際世論、いろいろな地球的規模の問題、特にその連関性に関して世論を啓発しているということ、それはやはり国連という大きなシステムを動員して初めて可能であったのではないかというふうに思います。
 それから、三番目のグローバリゼーションと国際交流というのは、これはアナン事務総長のミレニアムアセンブリーに対する報告書でも非常に強調されている点なんですが、グローバライゼーションというものは光の部分と影の部分がある、その影の部分をいかに少なくするか、すべての地球上の人間がそのグローバライゼーションの恩恵をいかに享受できるかということがこれからの国連の課題だということを言っておりますけれども、文化ということもこれからのグローバライゼーションの中でいろいろな問題を起こす要素だろうと思います。そしてまた、それを解決する大きな手段でもあるんだろうと思います。
 基本的に、地球化といいますと経済の地球化ということを言います。それはもともとの国民経済が地球経済になったと同じ意味で、例えば国民文化というものが地球文化になるのかというと決してそんなスムーズなものではないし、それが望ましいかどうかということにも大きな疑問があるわけだと思います。
 それでは、これからの展望ということで三つ挙げさせていただきましたけれども、一つは、事務局に関して言及いたしましたように、やはり事務局が持つ意味というのは非常に大きいというふうに考えます。それは、政策決定の場において、政治の場においては加盟国の代表が非常にリードする発言をし、それを支配するわけですけれども、より技術的な分野における活動ということに関しては事務局の持つ意味がより大きくなるということが言えると思うんですね。したがいまして、事務局の持つビジョンというものが非常に大切になる。前国連事務総長であったブトロス・ガリは、国連大学というものは知識の貯水湖にならなくてはいけないんだというふうなことを言いました。換言すれば、国連のシンクタンクとして人類の未来を展望するような、そういうふうな絵を描き、そして世界の平和に貢献するようなものが必要であるということだろうと思います。
 二番目に書きました先進国のコミットメントと途上国の参加というところは、基本的に先進国がこの分野ではもっとリーダーシップを発揮しなくてはいけない。その意味では、アメリカがユネスコから脱退したままになっている、それから国連大学への財政的な寄与も全くしていないという状況は非常に大きな問題だと思いますが、やはり先進国がこういう国連のような多国間機関を使って文化そして学術の貢献ということにさらなるイニシアチブをとるということが求められているのではないかと思います。
 そして、それは当然日本の大きな責任と同時に大きな機会であるのではないかと思います。それは広い意味では、グローバルガバナンス委員会というのがございましたけれども、その報告書には、地球倫理または人類の価値ということがやはりグローバルガバナンスの基礎になくてはいけないというふうなことがうたわれていました。
 それと同じように、やはり二十一世紀に入る世界をリードするというこの思考方法の中には、やはり共通の人類益というもの、そういうものをこれからより推進するには、特に日本としては、現に存在するユネスコとか国連大学をより活用し、そしてそれを通してより広い国連システム全体の学術の振興及び文化の交流ということに寄与していただければと念願している次第でございます。
 時間になりましたので、ここで発言をやめたいと思います。
 ありがとうございました。
#7
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 次に、藤田参考人。
#8
○参考人(藤田久一君) 今御紹介いただきました藤田でございます。
 私は神戸大学で国際法を教えております。このような場で意見表明を行う機会を与えられましたことを光栄に存じます。
 私は、国連の実務に携わったこともなく、外交の仕事もした経験はございませんので、経験に基づいて意見を述べることはできません。机上の国際法の研究から得た意見にすぎませんので、あらかじめお断りをさせていただきます。したがいまして、私の報告は、国連ないしは国連改革をめぐるこれまでの諸問題の整理の意味で、原理的な分析といいますか検討を行いたいと思います。
 レジュメの順序に沿って御説明させていただきます。
 まず、国際社会においていかにして秩序を確立するかという問題であります。
 国際社会とは、基本的には今日でさえ主権国家の併存から成るいわば分権化された社会であります。そこから秩序を確立するということは非常に困難な仕事になるわけであります。国際社会に妥当する法秩序を見出す困難さから、人によっては国際法の存在というのはいわば奇跡に近いんだと言う人もおります。特に、国家間の紛争が起こったときにその秩序のはかなさが顕著にあらわれるわけでございます。
 ここでは、この秩序の確立方法として四つの型を考えてみたいと思います。
 第一の型は、国家間の条約あるいは合意によるものでありまして、これは、十七、八世紀のヨーロッパの状況を見ますと、そこには最初、自然法が妥当するというふうに考えられ、さらに国家間の条約が妥当する、それで秩序を確保しようとしたわけであります。ところが、国際法、条約の違反が起こるという場合、つまり国際紛争が起こった場合に、条約を維持するためにいかに対処するかといえば、結局、その違反について判定をする第三者がいませんから、条約違反の相手国が違反国に対して強制措置あるいは制裁をとる、最終的には武力に訴える、つまり戦争を行うことが認められたわけであります。戦争は秩序維持のための強制的手段とみなされ、つまり当時戦争は合法化されていたのであります。
 二つ目の型としましては、大国の秩序支配型といいますか、要するに大国が国内秩序ないしは国内法を他国とか広く国際社会に及ぼしていこうという動きがあります。十九世紀から二十世紀にかけてヨーロッパの大国、さらに二十世紀に入ると米ソなどが自国の国内法や秩序をそういった形で世界大に拡大しようという動きもあったわけであります。秩序という観点からいたしますと、これはかなり安定化したものになるかしれない、そういった性格のものであります。
 三番目の国際組織型といいますのは、国際連盟とか国連のように主権国家間の約束で国際組織をつくりまして、法的には戦争を禁止する、その禁止に違反した国に対して組織メンバーの集団によって強制ないし制裁を加えるというシステムであります。これはいわゆる集団安全保障と言われるものであります。
 四番目は、世界政府の樹立といいますか、主権国家を解消して世界政府をつくって、世界議会がすべての個人に適用されるような世界法を立法し、違反者を世界裁判所で裁くシステムであります。これも秩序の観点から見ますと極めて安定化したものになると思われます。
 これら四つの類型はいわば歴史的展開の順序に沿って見たわけですけれども、四番目の世界政府は秩序の観点からは理想的であるかもしれませんが、歴史と現実の観点からは未知数であります。現実には、二十一世紀の少なくとも前半あたりにおいて考えられるものは、二の大国秩序型あるいは三の国連秩序型ではないかと思います。もっとも、二も三も四も相互に若干入り組んでおりますので、その典型的な型がうまく実現するとは必ずしも考えられません。
 以上の型とその展開関係を念頭に置きまして三の問題を取り上げてみたいと思います。
 国連の基本的性格についてでございますが、国際社会の基本構造は今日でも先ほど申しましたように主権国家の併存にあります。主権国家が合意によって国連という国際組織をつくり上げたのであります。
 国連の設立文書である国連憲章は一九四五年に、つまり第二次大戦中につくられました。その理念といったものは憲章前文にほとばしっているわけであります。参照文献の一ページでございます。これは結局、条約、つまり機構設立条約と言われるものであります。と同時に、組織的な協力の永続性と固有の権限を与えられた一種の制度、インスティチューションをつくり出している特異な文書であります。言いかえますと、憲章は主権国家間の合意文書、いわば一種の立法条約であるとともに、基本法ないしは憲法、コンスティチューションとして、加盟国間の権利義務及び憲章の定める諸機関、総会や安保理などの機関に対する国家の権利義務を定めているのであります。
 憲章の二重の機能、端的に言えば条約の機能と憲法の機能、そういったものがここに見られるわけであります。ここに秩序が定められていると言えますし、憲章を頂点として各機関の内部規則、総会手続規則、職員規則等々がつくられて、一種の序列をなしているというふうに考えることもできます。したがって、加盟国は、憲章という条約の当事国であるとともに国連という機構の構成メンバーであります。加盟国の二面性と考えられるものがこの点にあらわれています。
 国連は、世界政府ではなくて一つの国際組織にすぎませんが、他の国際組織とは異なって普遍的使命を持つ、これは憲章一章第一条「目的」の中に出ておりますけれども、資料の一ページですが、そういった普遍的使命を持つ一般国際機構であります。憲章のこの二重機能は、実際には加盟国間または加盟国と国連諸機関の間に一定の緊張を生み出すこともあります。一例だけ挙げれば、憲章の百三条、十二ページでありますが、百三条は、国連憲章とか安保理決議と他の条約とが抵触した場合には憲章が優位するという趣旨の規定を置いております。
 次に、国連の自立性と脆弱性という問題を少し見てみたいと思います。
 国連は諸機関、主に総会、安保理等でありますが、そういったものを通じて独自の意思を持って活動を行うわけであります。つまり、総会決議、安保理決議は国連という機構の意思を示し、形式的には直接には加盟国の意思ではないわけであります。国連の機関と国連のメンバーは決議にあらわされた意思を実現する義務を負っているというふうに考えられます。
 他方、国連は国際組織にすぎないわけで、領土も国民もなく、固有の資源、いわゆる財源も持たないわけでありまして、その永遠の活動が保証されているのではなく、加盟国が国連をもはや不要であると考えれば、あるいは国連の活動がその目的から基本的に逸脱しているというふうに判断すれば、国連から離脱する、つまり脱退する道も残されているわけであります。主権国家の伝家の宝刀というのはこの点にあるわけであります。つまり、国連の解散は加盟国の手にあるというふうにも言えます。逆に言えば、国連の改革とか発展を目指すのも加盟国の意思に基づくわけであります。
 そもそも国際組織としての国連はなぜつくられたかといいますと、その目的を実現するための機構であり、その意味でいわば機能的といいますか目的的な存在であります。
 国連の目的は、参考資料の一ページでございますが、憲章一章の一条に明記されております。これらは第二次大戦中に、つまり一九四五年当時、憲章起草者たちが国際連盟の失敗を反省し、かつその世界大戦の苦い経験を踏まえて、連盟にかわって新たな国際組織としての国連を実現する、そのための目的として挙げたものであります。
 こういった一条の中で、第一項の国際の平和及び安全の維持ということが最も重要なものと考えられてきました。そのことは、そもそもこういった国際機構の、国連の前身であります国際連盟を設立する目的も国際平和の確立であったわけです。そして、それが結局失敗してしまった。その失敗に基づいて、国連も同じくその反省に立って、国際平和及び国際安全保障を第一の目的としたのは当然であります。この目的は、今日の国際社会でも、恐らく二十一世紀になっても、主権国家併存システムといいますか、それが存続する限りは最も重要なものであることは変わらないと思われます。
 もっとも、戦後五十年の国連の活動を見れば、国際連盟規約には直接言及のなかった第一条二項の人民の同権と自決の原則といった目的、さらに第三項の経済、社会、文化、人道的な性質を有する国際問題解決とか人権等基本的自由の尊重、そういった目的は極めて重要になりまして、その実現のための国連の活動も、第一項の国際の平和と安全に関する活動以上に極めて活発に行われてきたのは周知のとおりであります。今日でもこれらの目的は国連の目的として一般に妥当と考えられているのではないか、しかもこういった目的は一国の国益と対比してむしろ国際社会の一般利益とか国際益を示しているというふうに考えられるのではないかと思います。
 問題は、恐らくこれ以外の目的を今日追加する必要があるかどうかということかもしれません。それは国連に何を期待するかによるのでありまして、国連改革の議論で問題にすべき事項であろうと思います。もしこれら目的が今日でも認められるなら、そして国連の組織の中で現実の活動が国連の目的実現にとって不十分ないしは不適切であるというふうに考えられるなら、そこからその目的に沿うようにいかにして国連を改革していくかという問題が検討されねばならないことになります。
 つまり、何が何でもまず国連改革ないしは憲章改正ありきではなくて、国連の現実の活動がその目的に合っていないかどうかという分析が前提になるはずであります。そのために、まず国連の組織における国連活動の仕組みを見ておく必要があります。
 憲章第二条、資料の一ページの下の方でありますが、これは一条の目的の達成のために国連と加盟国がそれに従って行動すべき原則を挙げております。
 特に注目すべきは、一項の加盟国の主権平等原則と、三項の国際紛争の平和的解決、四項の国際関係における武力による威嚇、武力行使禁止原則であります。これらの原則については、先ほど横田参考人が御説明になりましたので省かせていただきます。
 ただ、一項の主権平等原則、これは、国連が国際組織であるということは当然のことでありますが、いろいろな問題を含んでいるといいますか、国連の諸機関の決議の仕方等を見てみましても、それが必ずしも貫徹されているわけではありません。
 それから、主権平等原則から当然引き出されてくると思われます二条七項、これは二ページ目でありますが、七項の国内管轄事項に対する不干渉原則というのがあります。これも国内事項の中で例えば重大な人権侵害の継続状況は、むしろ国際関心事項であるとして国連が取り組むような解釈がなされてきているのであります。
 二条三項、四項の原則、特に四項は、国連憲章における平和のコーナーストーンとか国連憲章のハートというふうにも呼ばれて、先ほど申し上げました一条一項の目的、つまり国際の平和と安全の実現のために不可欠の極めて重要な原則でありまして、国際秩序の構造を変えたとも考えられるものであります。つまり、戦争許容の制度から戦争禁止の制度へ、そして紛争を平和的に解決するという制度へのいわば戦争関連の転換をなし遂げた規定であるというふうにも考えられます。もっとも冷戦期にある学者はこの憲章二条四項は死んだというふうに言っておりました。しかし、恐らく今日ではそれはまた蘇生しているというふうに考えていいだろうと思います。
 これらの原則は、一九七〇年の国連二十五周年の総会でコンセンサス採択されました友好関係原則宣言、この資料の十四ページでございますが、この宣言によってより詳細に、かつ国連自身による憲章解釈といった形で示されております。長文ですので読み上げることは略させていただきます。
 これらの原則は国連憲章においてどのように具現されているかというのが次の問題であります。
 ここでは憲章六章と七章の問題を中心に申し上げたいと思いますが、その前に一言、総会と安保理の権限の問題について申し上げておきたいと思います。
 総会は、行動機関というよりも、むしろ討議機関、研究機関であります。総会はすべての加盟国で構成されておりまして、一般的権限といいますか、憲章の範囲内のあらゆる問題について検討をすることができるわけでありますから、国際の平和と安全の問題についても当然審議事項に入るわけであります。
 しかも、先ほど横田参考人が言われましたように、安保理で拒否権が出ました場合に、総会に移して例えば集団的措置をとる、加盟国に勧告するということさえできるわけでありまして、これは一九五〇年の平和のための結集決議の中でそれが認められ、何度か適用されてきているのであります。これは憲章を変えるということではなくて、いろんな意見がありましたけれども、実効上このような総会の権限が認められてきたというふうに考えられます。
 さらに、例えばPKOにしましても、第一次国連緊急軍、UNEFなどは総会決議で設置されております。これについて憲章に明示の規定はないわけですけれども、それが違憲であるという見解は余り聞かれなかったし、総会の権限としてそういったことを行っているわけであります。
 総会決議の表決は各国一票で、重要事項を除いて過半数で行われます。この表決の仕組みはいわば国際民主主義といいますか、国際社会の総意が反映されやすいようなものになっているわけであります。もちろん、ここにも問題がなくはなくて、例えば一国一票主義というのは国の規模を無視している、人口十億の中国と数十万のミニ国家も同じ一票だといった意見とか、あるいは今日では国家代表のほかに市民社会グループの代表、NGOなどから成る第二総会もつくるべきだという国連改革の提案もなされているわけであります。
 こういった提案も傾聴に値するわけですが、これは単なる意思表明手続の問題だけではなくて、やはり国際組織としての国連の目指すものをこういった市民の声を総会に反映させる形で実現したいということでありますので、その国連の目指すものとの関係で検討していくべきものだろうと思います。
 次に、安保理についてこれも一言述べておきたいと思います。
 安保理は実はさまざまな意見がございます。安保理は国際の平和と安全の維持に関する主要な責任を負う機関であります。安保理の決定は、特に七章の決定はすべての加盟国を拘束する、そういった力を持っております。それはある種の主権制限という問題も含んでいるわけでありますけれども、逆に言いますと、こういった安保理の決議を通じて国連という機構の意思が貫徹されるということになります。国連の独自性というのはこの点で出てくるわけであります。
 安保理は、責任を負う国際の平和と安全の維持のために憲章六章と七章に従って行動します。六章は紛争の平和的解決の問題でありますが、ここでは、安保理の独自の権限、イニシアチブをとってやり得ることは国際紛争の事態について調査をするということでありまして、それ以外は、紛争当事国が安保理に紛争を付託した場合に、結局、解決条件を勧告するということができるだけであります。そういった形で安保理が紛争の平和的解決にコミットすることができる。
 ただし、安保理の解決条件の勧告は、これは強制力がないものであります。したがって、この方式というのは、いわば国家主権を尊重して安保理の強制措置を認めていないということにもなるわけであります。つまり、六章システムに問題がないわけではありませんけれども、主権国家併存関係の国際社会における平和的解決のいわば限界的なものがここに示されているわけであります。
 ただ、六章について、例えばPKOを六章に入れてPKOの設置もできるという議論もありまして、その意味で六章の解釈がそういった方向でなされているということも注目されるわけであります。
 最も望ましいのは、国際裁判ですべての紛争を処理するという手続が完成することであります。もしそれが完成するならば、これから述べる七章の問題も、七章の措置も要らなくなるわけであります。しかし、現実には国際司法裁判所に対して紛争をすべて付託しなければならないかというと、そうではなくて、選択条項受諾宣言というのがありまして、その宣言をした国の間で初めて裁判所は事件を取り扱うという極めて限定されたものでありますし、また、現実には裁判以外の解決方法というのも当事国が選び得るわけでありまして、国際紛争の性質を見てみますと、むしろ裁判以外の方法で解決する方が適切であるというものも多々あるわけであります。
 その点、先ほど申しました友好関係宣言の中には、そういった紛争当事国が平和的手段のいずれか一つによって解決が得られない場合には他の手段によって解決を引き続き求める義務を負うといった表現になっておりまして、これは一つの重要な定め方といいますか、重要な点であろうと思われます。
 問題は七章の規定でございます。
 安保理は、平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為を決定し、それに対してとるべき措置、強制措置を含むものを勧告または決定するというふうに憲章三十九条、五ページでございますが、そこには述べられております。これは冷戦時代に余り適用されなかったわけですけれども、冷戦後非常に活発に活用されるようになりました。ただ、平和に対する脅威という概念は必ずしもはっきりした内容を含んでいるものではなくて、実は安保理のかなり自由裁量の認定によるわけであります。
 本来的に言えば、先ほど申しました戦争が行われた、武力による威嚇、武力行使があったといった場合に、当然平和に対する脅威とか平和の破壊が認定されてしかるべきなのでありますが、それ以外に、例えばロッカビー事件というのが国際司法裁判所で審理されたことがありますけれども、この事件はパンナム航空機がロッカビー上空で爆破されたという事件でありまして、その容疑者をリビアが米英に引き渡しを拒否した、そういった状況を指して、平和に対する脅威であるというふうに認定した例がございます。
 このように安保理が広範な裁量権を持っているわけですが、そういった安保理の裁量権の解釈についてそれほど大きな異議が表明されているわけではない。むしろ問題は、そういった認定後の安保理の決定する措置についてであります。
 その措置として、軍事的措置と非軍事的措置がございます。ただ、本来的に言いますと、憲章四十三条の特別協定がある場合に軍事的措置がとられるということになっておるわけでありますが、四十三条の協定はこれまで結ばれておりません。
 そういった状況の中で、平和に対する脅威の認定が冷戦後非常にたびたび行われてきますと、それに従って安保理がとるべき措置として二つ例を挙げます。
 一つは、安保理決議六七八、十七ページでございますが、湾岸戦争においてクウェートに協力して軍隊を派遣する国、つまり多国籍軍の国に対して、その地域における国際の平和と安全を回復するために必要な手段をとる権利を与えるというふうな決議を採択しました。これによって多国籍軍が派遣されたのは周知の事実であります。これが果たして七章の規定にのっとっているかどうかということについて議論がありました。
 それから、もう一つはコソボ紛争でありますが、これは結局、安保理での拒否権の問題との絡みで安保理の決定を回避して、NATO軍の軍事行動が行われるということになったわけであります。これも集団安全保障体制としてなされたのかどうかということについていろんな疑問が出ているわけであります。もっともこれについては、例えばNATOの空爆を人道的介入であるとして正当化する見解もあるわけですけれども、現行の国際法上、恐らくこの主張というのはなかなか納得が得られないものと思われます。
 そういうことでありますが、さらに、例えば旧ユーゴ国際裁判所の設置の問題、これは資料の十八ページにございますが、この問題は逆に、安保理が七章のもとで予想していなかった措置をとった例でありまして、要するに、個人を裁く国際刑事裁判所を設置するということであります。こういった規定を安保理の決議でとり得るのかという疑問もあるわけでありますけれども、これは恐らく、先ほどのコソボの例のように安保理を回避した措置をとる。しかも軍事的措置というのは軍人の論理が働きますから、現在の状況から申しますと非常に被害が多い。つまり、平和に対する脅威があった状況を除去するために果たして実際に効果があるのかどうかという問題もありまして、むしろ軍事的措置に訴えるよりも、こういったその責任を負っている個人の訴追を行うという手段の方がよりベターではないかという考え方もありまして、現実にこの裁判所が設置された後の最初の事件ですが、タディッチ事件の判決でも、こういった裁判所の設置を安保理がやり得るということは、憲章四十一条の非軍事的な措置として判決ではそれを認めているわけであります。
 こういった方法で、結局、安保理はある意味では法をつくるという活動を行ってきたわけですが、こういったものが適切かどうかといった問題も一般論としては提起されるわけであります。
 以上のように、国連の総会と安保理の行動について見てまいりましたが、国連憲章の規定がそれについて適切であるかどうかという分析を踏まえて、国連の改革ないしはその方向性、特に憲章改正を必要とするとすれば、その改正点を整理する必要があるのではないかと思います。
 さまざまの改革案が出ておりますけれども、例えばアナン事務総長のミレニアム報告書の中で、「恐怖からの自由」というところで、国連の平和維持活動、実施活動の強化とか制裁の目標設定などが挙げられておりまして、その中には小火器の違法取引抑制とか核軍縮の問題も挙がっているわけであります。軍縮の問題は、憲章にははっきりした規定はそれほどないわけであります。しかし、現実に国連がこの問題を取り扱ってきたわけでありまして、しかもこの問題は、恐らく集団安全保障システムをより機能化させるためにも、あるいはある意味ではそれを超えるためにも非常に必要ではないかというふうに考えます。
 最後に、日本の対応の仕方がありますけれども、こういった点を勘案しながら、日本が国際益としての国連の目的に沿った国連への貢献がどのようにできるかということを考えていくのが、例えば日本が安保理の常任理事国になることが必要だという場合には、今言った貢献ができるということをやはり日本が説得力を持って説明していくというのが一番近道ではないかというふうに考えます。
 時間を超過して申しわけございませんでした。以上で終わります。
#9
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 本日も、各委員から自由に質疑を行っていただきます。
 なお、委員各位におかれましては、できるだけ多くの委員が質疑できますよう御発言は簡潔にお願いいたしたいと思います。
 また、質疑時間が限られておりますので、大変恐縮でございますが、参考人におかれましても、御答弁は簡潔にお願いをいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
#10
○鈴木正孝君 自由民主党の理事をしております鈴木正孝でございます。きょうは、今お三人の参考人から大変有意義なお話をお伺いしまして、本当にありがとうございました。
 横田先生、そしてまた内田先生にお伺いをしたいというふうに思います。
 国民の、また私どもも含めまして多くの方の関心というのは、一つは安全保障理事会の改組の問題、そしてまた日本が常任理事会に加わることについてというような、そういうところがかなり強かろうというふうに実は思っているところでもございます。国連自身が、この第一条で定めておりますように、目的、国際の平和と安全を維持すること、こういうようなことを高くうたっておられるということでもございますし、またこの十年、冷戦の終結後いろんな安保理をめぐってのあり方につきましての議論というのが各般に行われていることも事実でございます。
 また、日本自身が、日本政府そのものを含めまして、改革についてのいろんな提言を積極的に行って今日に来ているというような状態でもございます。また、昨年の暮れであったかと思うんですけれども、国連のアナン事務総長が来日された際に、日本の今までの国連全体に対する貢献といいましょうか活動、そういうようなものが非常に広範多岐にわたっていること、通常の予算の分担金の問題も大変大きな問題に今なっているところでもございますが、いろんな意味での拠出金あるいは各種の基金等を合わせますと、実質的には日本が最も多く財政的に貢献をしているというような、そういう状況かというふうに実は思っておるところでもございます。
 そんなようなことを踏まえて、国際社会に対して、先進国のみならず途上国も含めまして、私どもが国民に対してそれなりの責任を果たし、また従来から言っているような国連中心外交というようなことを高く掲げて私どもはやっているわけでございます。そういうようなことを踏まえてみますと、正直に言いまして、安保理の改組そしてまた常任理事国入りについてはいろんな意見がございます。この調査会の中でもいろんな意見があるわけでございますが、いずれにいたしましても、国連を日本の理想の方向に動かすという意味を含めまして、国民を代表している国会の参議院の本調査会の活動を非常に積極的に今やっているわけでございますので、そういうようなことを踏まえた上で、国連の安保理改革あるいは常任理事国入りについて積極的にサポートするということの意味が非常に大きいんじゃないかというふうに実は思っているわけでもございます。
 そういうようなことから、ぜひ国民的な基盤の上に国際的にアピールをするという、そういう観点で、安保理改組の問題あるいは常任理事国入りについて、お二人の参考人からぜひ積極的な御意見をいただければと、こう思うわけでございます。
 横田先生は、このレジュメの中でも日本、ドイツということで触れられておりますので、そうかなというふうに思いますし、また、内田先生は文化、学術を中心に先ほどお話をされましたので、これはぜひ、藤田先生も安保理につきましてはお話がありましたけれども、内田先生、横田先生含めてお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
#11
○参考人(横田洋三君) 安全保障理事会の常任理事国というのは、ただ単に安全保障理事会で常に代表権を持っていて決定に対して拒否権を持っているという意味だけではなくて、いろいろな重要な要素を国連の中で持っております。
 安全保障理事会というのは、ほかの理事会と違いまして、国連総会の下というよりも平和と安全の維持に関してはむしろ国連総会よりも上に位置づけられています。ある意味では、安全保障理事会は国連の最高意思決定機関です。先ほど藤田参考人も強調されましたが、安全保障理事会の決定は、これは全加盟国を拘束するという非常に強いものになっております。
 そういう中で、意味のある活動ができるかできないかはやはり非常に違いが出てきます。日本がほかの百八十八の加盟国とほぼ横並びぐらいの規模の経済力、政治力ということであれば、それはそれなりに無理に安全保障理事会の常任理事国になろうということを考える必要はないと思いますが、先ほども申し上げましたように、世界の経済力の一五%以上は日本のGDPが占めております。それから、国連に関しては二〇%以上の分担金を払っております。この二〇%というのは、アメリカを除く四つの常任理事国の分担金額を全部合計したよりも多いわけです。全部合計して一七・五ぐらいです。これは、日本がそういうふうに感じているだけではなくて、世界全体で、ほかの国が見ていてもちょっとおかしいんじゃないかという印象を今日持っていることは確かです。
 国連の活動にはどんな活動に対しても財政的なサポートが必要です、これは国も同じだと思いますが。そのかなりの負担をしている国を横に置いてほかの国が国連の最も重要なことを決めているということはやっぱり不自然であると同時に、一たん決めたことを実行しようと思ったときに日本がそこに参加していないとすれば、日本に負担をかけることができないという国連の方の悩みもあるわけですね。
 ですから、私は、今の日本の世界に置かれている地位を考えますと、国連の中でそれなりの決定権を持つ地位に置かれることは自然の流れであるし、これは多くの国も一般論としては認めていると考えていいと思います。実際、日本の国内でのいろんな議論があることは私も承知しております。これを理由に例えば自衛隊を合憲化するとか、政治的な議論もあると思いますが、その話はちょっと横に置かせていただいて、世界全体の中で見ますと、私は日本が常任理事国になることについて圧倒的多数の国は支持していると思います。一部の国の中に過去のいろいろな経緯から慎重論があることは、これは確かです。しかし、それも慎重論であって、絶対反対論というわけではないと思います。
 こういうふうに、置かれている状況を考えますと、日本にとっても国連にとっても、日本がそれなりのしかるべき地位にいずれはつくということは、私は大変重要なことだ、こう思っております。
 あと細かい点もございますが、内田参考人にまた御意見を伺った上で、もし必要でしたら発言をさせていただきます。
#12
○参考人(内田孟男君) ありがとうございます。
 日本国連学会というものが設立されておりまして、そこでもって昨年、二十一世紀において国連はいかなる役割を果たすかということに関しての提言を行っております、もうごらんになった方もいらっしゃると思いますが。やはり、安保理に関しては基本的にはラザリ提案といいますか、最大二十四カ国まで安保理をふやす、先進国または工業国から二カ国というのはドイツ、日本というような線。私もその提案の起草メンバーの一人でしたけれども、その辺に関してはかなりこの学会の中でも合意があったというふうな認識をしております。
 ただ、日本の世論調査なんかを見ますと、この七、八年と申しますか、日本のPKOに対する支持、日本の常任理事国入りに対する支持というのは非常に高い国民の世論の支持を得ているわけです。これは総理府の日本の外交に関する調査とかそのほかの新聞社の世論調査においても同じような結果が出ているわけです。したがいまして、日本の国民にとっては、二〇%も出している、それからいろいろな貢献をしているので常任理事国に入るということに関しての抵抗はない、むしろ支持が非常に強いということは言えると思うんです。
 ただ、今鈴木先生がおっしゃいましたように、国際的にアピールするということはやはりまだ完全ではなくて、昨年十二月、韓国でやはり二十一世紀の国連に関するシンポジウムがありまして、私も招かれて「日本の国連改革に対する態度」というような短いペーパーを発表したわけです。
 そのときに出た質問というのは、いろいろと日本はそういうことをやっていて資格はあるだろうと、では入って何をするんだというふうな質問が出ました。それは私は予期していた質問なんです。冗談半分に、それなら今の常任理事国がどういう国連をつくりたいのか、みんなに聞いてごらんというふうなことを言いましたけれども、やはり常任理事国としてのある意味では既得権にあぐらをかいているというのが今の常任理事国。新しい常任理事国の候補または非常任理事国となるような国というのは、何か入学試験をされるような立場にあるんだろうと思うんですね。でも、それは一つのいい機会だと私は考えているわけです。
 したがって、日本はまだ隣国の支持を完全に得ているわけでなく、元外務大臣をやった韓国の韓昇洲先生という人がおりますが、彼が我々の学会誌に特別寄稿してくれまして、その中で言っているのも、非常任の枠は広げる、もし常任理事国がどうしても必要ならそれもいいだろう、ただし拒否権に関してはノーだというような論文を書いているんです。だから、常任理事国入りと拒否権の問題というのは切り離して考えてもいいのか、または、当然の権利として常任理事国は拒否権を持つのかということを、やはりもう少し詰める必要があるんだろうと思います。
 私個人としては、例えばブトロス・ガリ事務総長の再任に当たってアメリカが拒否権を行使したというのは第七章以外の件で、やはりあれは大国の横暴だろうと思いますので、拒否権の行使を制限するという一定の方向を持つということはこれからの安保理の運営だろうと思います。だから、日本が必ずしも拒否権に固執する必要はないのではないかというのが個人的な意見でございます。
#13
○島袋宗康君 横田先生にちょっとお伺いしたいんですけれども、ちょっと準備不足で大変失礼しております。
 実は、横田先生の方で国連機関を沖縄に誘致してはどうかというようなお話がございました。私もこれは非常に大賛成でございまして、ぜひ沖縄の方に国連機関の誘致を図っていただきたい、これはもう超党派で私は臨んでいただきたいなというふうに常々考えているところであります。
 たまたませんだって、沖縄で国連本部誘致あるいは国連人権高等弁務官、こういったふうな内容の誘致を図っていくべきじゃないかというようなことでシンポジウムがございました。予想に反して大変多くの方々が関心を持っていただきまして集まっていただきました。
 その中で、国連の主要機関が欧米に偏り過ぎている、広大なアジアに本部機能が存在しないのがむしろおかしいんだということ、それからアジアは国連の支援が非常に必要な地域ではないかというふうなこと、それからジュネーブのヨーロッパ本部設置と国連と国連改革は決して矛盾しないものである、新たな機関をつくることによって組織的に非常に強化されるんじゃないかというふうな意見等がございました。
 それで、大学の先生方が基調報告あるいは国連機関誘致についての講演をされておりましたけれども、やはりその中でも、国連アジア本部の設置に最適だと。国連の組織強化につながるということで先ほど申し上げたんですけれども、要するに沖縄こそ国連のアジア本部を誘致すべきである、設置すべきであるというふうなことは、なぜそういうふうなことが言われるかといいますと、やっぱり沖縄の誘致条件といいますか、これは伝統的にアジアに開かれた交易、交流など、地理的歴史的な本土とは異なるものが非常に強い。沖縄の心はアジアの心、沖縄の人は戦争体験を通してアジアの人たちが受けた痛みがわかっている。南北問題の解決のためには北中心の考え方だけではだめであって、北と南が対話をしなければいけない。その対話の際に最も好位置にあるのが日本の中でも沖縄が最適であると。それは沖縄の心がアジアの心に通じているというような見解でいろいろ述べておられましたが、全く私はそのとおりだというふうに感じております。
 そこで、国会の中でも最近非常に沖縄にこういった国連設置をすべきじゃないかというような動きがあるということはいろんな議事録から見ても判断できますけれども、それこそ私は超党派でこの問題をぜひお願いしたいなと。
 実は、これはちょっと余談でありますけれども、一九九二年五月十三日の朝日新聞によりますと、国連カンボジア暫定行政機構の明石康先生が国連事務総長特別代表として発言されておりますけれども、当時のPKO関連のいろんな問題がございました、そのPKOに関連して、沖縄に資材の集積所をつくる提案をなさっております。それはPKOに派遣するための自衛隊の集積所、あるいはそういった施設が沖縄に必要ではないかというような発言がなされたことがあります。それは、むしろ沖縄県民に物すごい反対をされて、とんでもない、ただでさえ軍事基地を全国の七五%も押しつけて、さらにそこに軍事基地的な資材集積所をつくるということはもってのほかだというようなことで、非常に県民の反対がありました。
 そういうことでありまして、国連の機関の誘致でしたらもろ手を挙げて賛成だというふうな考え方に立っておりますけれども、その辺について、時間の関係もありますので、横田先生にひとつ御意見を賜りたいと思います。
#14
○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 今、島袋先生がフォローアップしていただきましたポイント、実は私は数年前から、人権についてアジア太平洋地域に何か中心になる機関をつくるべきだということを考えておりました。
 これはなぜかといいますと、ラテンアメリカにもヨーロッパにもアフリカにも、もう既に地域人権機関ができております。アジア太平洋にだけはそういうものは全く存在しないんですね。それをどういうふうにしてつくったらいいかということで、日本政府もある程度ほかの政府に働きかけをしているんですが、アジア地域はいろいろな背景、歴史、文化、宗教の違いがありまして、まとめにくい状況にあるわけです。
 私は、それに対して、それならばまず国連の人権高等弁務官事務所のアジア太平洋地域事務所をつくって、そういうものをコアにして、徐々に条件を整えてアジア太平洋地域の人権機構をつくったらどうかというふうに、現実的な提案をしました。
 それがアジアのほかの人権関係の専門家によって支持されまして、ではどこにつくろうかということになりました。ちょうどアジアの経済・金融危機が起こった直後でしたので、ほかの国の場合にはとてもそういうものを受け入れる財政的な基礎がないということになりまして、恐らく日本かあるいはオーストラリア、オーストラリアはかなり積極的だったんですが、ただオーストラリアの方にも遠慮がありますし、ほかのアジア諸国の間にも多少警戒心があって、オーストラリアはアジア太平洋の国だけれども、やはりヨーロッパ的で、ちょっとその辺はほかの国にしたいという意向があった。オーストラリアも実はその辺は謙虚で、確かにほかがなければいいけれども、やる気はあるけれども、あえて自分たちが積極的にということではなかった。そんな中で、日本というのが自然に浮かび上がってきました。
 今、島袋先生がおっしゃられたとおりで、地図を見ますと、沖縄は、日本の国土の中ではアジア太平洋地域のかなり中心に近い位置、地理的にも非常にいい。それから、おっしゃられますように、人権だけではなくて、将来は、開発とか環境問題ということを考えますと、アジアの多くの国が開発問題、環境問題を抱えておりますが、その国の多くは比較的熱帯、亜熱帯の気象条件なんですね。そういう人たちの抱えている問題を共有できる日本の国土というと、やはりいろんな意味で沖縄が一番適しているわけですね。そういうことを考えまして、それではその出発点として、人権について沖縄に何かつくってはどうかと。
 ところで、ちょっと慎重に考えなければいけないのは、そのことによって起こる摩擦を避けたいということなんですが、国連には、既にアジア太平洋地域の一つの拠点としてタイのバンコクがあるわけです。あそこにESCAPと呼ばれるアジア・太平洋経済社会委員会というものの本部があって、ここはいい仕事をしています。ただ、人権はやっておりません、部分的にはやっていますけれども包括的にはやっていません。それから、環境もやや手薄ですね。
 そういうところについて日本に、沖縄にということは非常に筋の通った議論であるし、そこについてはタイ政府も反対は絶対にしない。ですけれども、タイにかわって日本がということになると、これはやはり摩擦の状況が出てきて、私は避けたいと思っております。
 ただ、じゃバンコクにそういう一つの拠点があって、日本にもう一つの拠点をつくることが問題があるかというと、それはないと思います。
 というのは、既にヨーロッパは、御存じのとおり、ジュネーブに欧州国連本部がありながらウィーンにさらに本部ができております。現在さらに、ドイツが統一した結果として、西ドイツの首都のボンからベルリンに首都が移ります、そうするとボンがぽかっとあくわけですね。そこのところに今ドイツ政府は積極的に国連機関の誘致をしておりまして、既に環境関係の事務局はかなりそこに動いております。これは世界全体の環境関係の事務局が動いておりますけれども、アジア太平洋地域の環境の中心というのはまだ存在していないという意味で、私は、ほかのケースからいっても、バンコクとは決して競合しない形で十分にやっていけると思います。
 したがって、私のアプローチは一つ一つの分野からやっていった方がよくて、余り大きくアジア太平洋地域の中心を沖縄にと言うと、やはりバンコクがこれまで中心だったというところで、ちょっと配慮した方がいいのかなというぐらいの考えを持っております。
 しかし、基本的な考え方は、今島袋先生がおっしゃられたことと全く同じでございます。
#15
○島袋宗康君 ありがとうございました。
#16
○広中和歌子君 御指名、ありがとうございます。
 私たち日本人は、戦後、まずユネスコに入ることができ、そして国連に参加したとき以来、本当に国連に対して夢を持っているということが言えるんじゃないかと思います。
 横田先生がおっしゃいました、国連は非常に大切であると。場合によっては国の主権の制限があり得ても、それが方向であるというふうにおっしゃることは本当にもっともなことだと思いながら、しかしながら、世界の動きは実際どうなんだろうかと。
 今、アメリカの動きを見ておりますと、それは一部の議員の横やりとばかり言えるのだろうか、アメリカ全体が一つの大きな島国になっているんじゃないかみたいな考え方もあるわけで、国民のサポートを得られないアメリカの議会に、あるいは政府の国連に対する対応というのはどういうものなんだろうかと。EUでも、EUとして一つにまとまりつつある中で、やはり関心は自分たちの域内の問題であり、あるいは大国アメリカとの関係であるというような中で、日本はどういうふうに対応していったらいいんだろうかと。日本は安保理にも入れていないのが現状だろうと思います。
 それから、少なくとも日本は国連に貢献するべきだと。それも結構だろうと思いますが、その貢献の主たるものが財政的なものであり、非常にそれは期待されている。そして、国連などの代表の方とか何かいらっしゃると、日本の貢献はすばらしいと言ってくださるわけですけれども、それは主として財政的なものである、というふうに言ってしまっては身もふたもないのかもしれないけれども、日本は理念とかリーダーシップの点でどういう形で国連にこれまで貢献し、これからも貢献していったらいいかということについて、内田参考人のお考えもお伺いできたらと思うわけでございます。
 それからもう一つ、ユネスコというのは、始まりは知的エリートクラブであってというふうにおっしゃいました。この前、世界科学会議というのに出席いたしましたけれども、そこで取り扱う問題が、例えば、本当にまさにグローバルな問題を全部取り扱うというんでしょうか、貧困、環境、基礎教育といったようなことで、他の国連機関であるところのUNDPとかUNEPとかユニセフとかとどういう差があるのだろうか。むしろ、そういう部分で何か新しい改革が、組織統合的なものが行われるんだろうかと。そういうようなことも御説明いただければありがたいなと思うわけでございます。
 藤田先生にも、冒頭の、日本が理念の点でどのような形で貢献できるのか、リーダーシップがどういう形で発揮できるのか。
 最近、国際社会を見ておりますと、結構NGOというのでしょうか、スペシャリストが理念的、例えばグローバルガバナンスというアイデアを提供したり、リンケージという考え方を出したりというふうに活躍しておりますけれども、NGOの役割についてもお話しいただければと思います。
 以上でございます。
#17
○参考人(内田孟男君) 広中先生、ありがとうございます。
 確かに、日本がユネスコに加入したのはたしか一九五一年で国連に加盟する前のことで、その当時、国際社会に復帰するということで日本国民というのは国連システム全体に対して非常にある意味では夢を持っていたと思うんですね。
 おっしゃるとおりに、アメリカではなかなか国連離れということが解消しないし、必ずしもそれは議会だけではないというふうな御指摘、そうだろうと思います。ただ、世論調査レベル、国民の支持レベルですとかなり強い国連システムに対する支持はありますけれども、必ずしも議会レベル、特に上院に反映されていないということはあると思います。そういうふうな議会の反対を押し切って行政府がより強いリーダーシップをとるというのがそれほど価値がないと多分判断されたんでしょう。余りやっておりません。その辺は非常に特にユネスコとの関係では残念だと思うんですが、EUもEUでヨーロッパ国内、域内のことにより関心があるのだというふうなことも事実だと思います。
 ただ、国連は日本にとってどういう意味があるのかというと、やはりアメリカが持つ意味、またはEUというよりマルチラテラルないろんな機関を持つ地域と比較して、グローバルな場でもって日本が発言をするという点ではやはり国連が一番普遍的ですし、単に地域にとどまることはないということで、国連の括弧つきの利用価値というのはアメリカやEUにとってよりも私は日本にあるんじゃないかと思うんですね。
 日本の貢献というと、確かに財政は非常にわかりやすいのでよく議論されますけれども、必ずしもそういうふうな財政面だけではなくて、人間、人材の派遣ということでもって貢献はあると思います。この調査会でも日本人の国連職員がとにかく少ないという問題についての議論があったように承っておりますけれども、数は少なくても、明石さんが例えば七人の女の侍と呼んだ中には日本人も入っているわけで、そういうふうなリーダーシップというのはかなり評価されているんだろうと思います。それから議員の中、広中先生を初めアースチャーターの問題ということでもって地球環境に対するより哲学的なアプローチということにも参画されている人たちも多いということだと思います。
 私が最初に一部のエリートの知的交流ということを申し上げたのは、それは連盟のときの交流委員会のことを批判したわけで、ユネスコはアメリカが入った段階では大衆教育ということに非常に関心を払うようになっておりました。これはユネスコの最初からでございます。
 まだロンドンに亡命政府が集まって連合国文部大臣会議をつくっていた戦時中には、ヨーロッパにおける教育施設の復興ということが第一課題でしたけれども、アメリカが議論に参画するようになってからは、単なる大衆ではなくて一般教育、初等教育ということが非常に重要視されるようになるし、それが途上国が入ってくる一九六〇年代以降は、私に言わせるとむしろ開発機関に成り下がったと。
 当時、ルネ・マウ事務局長ですが、一九六〇年代半ばにユネスコは大きな変質を遂げているというようなことを述べているわけです。それは教育、そして研究という分野から、より初等レベルの教育、それが開発に対する投資という考え方に変わってユネスコの活動も大きく変わっているというような指摘をしていたのを覚えていますけれども、私に言わせると、むしろ今のユネスコというのは余りにも手を広げ過ぎている。そして、UNDPとかユニセフがいろんな形でもって教育問題にも関与するようになる。
 そうすると、ユネスコの特別の任務というのは一体何なのかというのがまさに議論されている問題だと思うんです。そして、前の事務局長のフェデリコ・マヨールも最後の方の演説では、ユネスコは知的協力ということ、それに戻る必要があるというようなこと、別に開発云々を去るということではありませんけれども、やはり原点に戻るということ、それの重要性ということを説いていました。
 だから、これからのユネスコはどういうふうなミッションを果たすべきかというのは、先生方が御議論なさって松浦事務局長に一つの提案としてまとめてお出しするということが現実的なステップではないかと思うんですね。そういう意味で意思疎通が、または情報のチャネルがユネスコ事務局とは日本国内で広くなっているわけですから、大いに活用していただきたいというふうに思います。
 私は、ユネスコをもう少し分野を集中する必要がある、ある意味では原点に戻ると。同じ意味で国連大学も、役割分担のところでちょっと申し上げましたけれども、重複しているところが確かにあります。
 その関連で申しますと、国連大学がやはり私個人は何をやっている機関かというのが、アイデンティティーと言いますが、それを確立していないというふうに私は見ています。私の学生ですら国連大学にはどういうふうにして入れるんですかというふうな質問をまだしてくるんですね。そのくらい知られていない。ちょっと悲しいことなんですけれども、やはりアイデンティティーをつくるには、若い人たちを入れて、そこで大学院レベルの教育をして自分たちが国連大学の卒業生であるというふうな認識を持つということがないとなかなかアイデンティティーはできないと思うんですね。
 今やっていることというのは、最近は研修活動にも随分力を入れるようになりました。非常に著名な世界的な研究者を集めていろいろな共同研究をやっている。でも、そういう研究者たちは特に国連大学を必要としていないんですね。ユネスコがなくても十分にやっていける人たち、そういう人たちを余りクライアントにし過ぎている。もっと若手でユネスコとか国連大学を必要とする特に途上国の人たちに門戸を開く、そうすると彼らが自分と国連大学またはユネスコとの関連をいろいろと広めていくと思うんですね。それが一つの方法ではないかと私自身は考えております。
 お答えになったかどうかわかりませんが。
#18
○参考人(藤田久一君) 御質問ありがとうございます。
 国連への日本のリーダーシップいかんということが最初の御質問だったと思いますが、先ほど内田参考人から言われましたように、財政的な貢献というのも確かにそれは一つの大きな貢献でありますし、それから人的貢献、これも今内田参考人がおっしゃいましたが、私も大学で学生を教えておりまして、大学院へ入ったころは、私、国際法ですので、私のゼミに来る学生など国際公務員になりたい、国連で働きたいということは言うわけです。ところが、修士論文を書くころになりますとそういった夢は消えてしまうというか、もう現実にうまく採用してもらえないんじゃないか、どのように勉強をすればいいのかわからないというようなことになっておりまして、有能な人材というのは日本に確かに若い人々でいると思うんですけれども、そういった人々が国連に貢献するような形でそこへ参加できる仕組みというか、それは国内の教育上もうまくできていないというのが一つ問題点としてあるんじゃないかというふうに思います。
 それから、先ほど私の報告で申しましたように、国連の最大の使命というのは国際の平和と安全という問題でありまして、これはやはり二十一世紀の国連を見ていく際にも中心的な問題であり続けるというふうに考えております。もちろん、国際の平和と安全という意味内容は単に国家間の問題だけではありませんけれども、そういった問題を考えていきます場合に、国連というか人類が考え出した集団安全保障体制というのが今までは確かにベターな方式であるというふうに考えられていたわけですが、最近のさまざまの問題を見てみますと、その強制の仕方について、確かに経済制裁ということも実際には制裁を受けた国の民衆が制裁の結果食糧がなくなるといったようなことになっておるのではないか、本当は政府に対する圧力、政府の政策を変えさせるということが目的であるのにそれがそうなっていないんじゃないかとか、軍事制裁の問題につきましては先ほどのコソボのような問題になってきているわけであります。
 そうしますと、そのような力での制裁という方向から、実際にそのような紛争を生じせしめている根本の問題はやはり軍備の問題にあるわけであります。これはもう我々現代人だけではなくて、十八世紀の末にカントが国際の永遠平和を考えるためには国の軍備をなくすることが必要だということも言っているわけでありまして、そのために国家連合のような組織をつくれというふうに提案していたのであります。それは実際に国際連盟、さらに今度の国連ということである程度実現はしているわけですけれども、それが目的として目指すところは、結局集団安全保障を超えるような軍縮問題に取り組む、そのリーダーシップをとるというのが二十一世紀の国連のあり方ということを考える場合にも非常に重要な問題で、そのために日本はそれなりの条件というのは既に備えているというふうに思いますし、日本の経験もあるわけですから、こういった項目として分けますと、こういった点での日本の貢献というのはこれから期待されているし、一番大きく他の国々にも影響を与えるものではないかというふうに考えます。
 それからもう一つの御質問は、NGOが最近リーダーシップをとり出しているということでございます。
 これは、NGOにもいろんなものがございますけれども、一般的に言いますと、国連で取り扱っていた問題が、やはり現実には国際の平和と安全の問題にいたしましても国益衝突型の調整というようなところに重点が置かれてきた。それに対してNGOというのは、これは先ほど申しました国際益といいますか、環境にしても人権にしても、国際社会全体あるいは人類全体の関心事を念頭に置いてそこからアプローチしていく、そのために国連がどういうふうにすべきかという提言という形でやってきているわけでありまして、これはやはり、先ほど第二総会という話もありましたけれども、何らかの形で国連に吸収していく必要がある。
 国連が将来目的とするものは、従来から確かに国際益というのを目的としていますけれども、現在の状況を見ますと、その問題が国家間代表だけの議論の中ではやや影が薄れそうだと、それをNGOがそういった問題を提起してその方法も方策も提示しているというのは、これは傾聴すべき問題で、これも国連が取り込んでいくべきだろうと思います。その取り込み方というのは、国連改革の問題でいろいろと議論があるだろうと思います。
#19
○会長(井上裕君) ちょっと速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#20
○会長(井上裕君) 速記を起こして。
#21
○高野博師君 時間がないようですので横田先生に簡単にお伺いしたいと思うんですが、日本がこれまで国連において受け身の対応をしてきたというか、積極的な役割は余り果たしてこなかったという趣旨のお話をされたと思うんですが、僕は日本はかなり積極的にやってきたと。ただ、それは対米関係の縛りがかかっていたという現実があって、日本の外交の中では、国連中心外交といいながらそれよりも対米関係の方が重視されてきたわけで、したがって対米関係に影響を与えない範囲で一生懸命やってきたということではないかと思うんです。
 ただ、冷戦が終わってから、特に環境問題あるいはテロの問題、麻薬、難民問題、地球的な規模、要するに人類益にかかわる問題が大きくなってきたので、必ずしもアメリカとの関係ではなくて日本は大きな役割を果たせるのではないかと思うんですが、しかしその場合でも、アメリカの国益あるいは安全保障に差しさわりがない範囲でしかやっぱりできないのではないかと思うんですが、その点はどういうふうにお考えでしょうか。
#22
○参考人(横田洋三君) 大事な点、御指摘いただきましてありがとうございました。
 実際いろんな研究がありますが、日本が国連に加盟した五六年以降の国連における日本の行動というのを見ますと、例えば投票行動などを見ますと明らかにアメリカとの一致性が高いんですね。内部のいろいろな人の意見を聞いても、やはりアメリカと共同歩調をとるのが基本的には日本の国連における行動だと、こういうことを説明される方も、公にはされませんが、我々と雑談をしているときには外務省の中にも何人かおられる。
 今、先生がおっしゃられたようなことは現実にあったと思いますが、八〇年代の半ばごろから徐々に日本は、やはりアメリカとは違う立場だという自覚もあり、それからアメリカがやらないことを日本としてもやっていこうという動きもあって、例えば国連の行政改革について十八人委員会、賢人会議というのがつくられたんですが、そのときには日本がもうほとんど中心になってそういうものをつくることを提言し、そしてその決議も日本が中心になってまとめたんですね。それから、その後で今度は国際的な武器の取引の登録制度というのもこれは日本が、軍縮までは行きませんが、少なくとも国際的に武器取引がどう行われているかを国連がある程度知っておいた方がいいということでそういう制度を提案しまして、これは国連で圧倒的多数で採択されている。そのほか難民問題については、御存じのとおり、緒方貞子高等弁務官のもとで日本政府はもう全面的にそこを支援するということで、財政的な問題を含め、それから人的なものを含めて極めて有効なサポートをしておりまして、これは国際的に評価されていると言っていいと思います。
 そういうことで、徐々にですが、受け身から積極的に動いているということは言えると思いまして、特に最近はそれを自覚して、政府としても人間の安全保障というような概念を中心に置いて、これから国連はこういう問題について積極的にかかわっていくべきだということで、その中に例えば人権の問題、環境の問題、難民問題、こういうものを位置づけていくというような方向性を示すようになってきております。
 まだそういう段階には達しておりませんけれども、これから先、インターネットを含め、あるいはテレビ放送のデジタル化が進む過程で当然いろいろな面でグローバルスタンダード、どういう基準でそういうものをグローバル化していくかということが問題になると思いますけれども、その中では日本は技術的にも経済的にもリーダーシップをとり得る立場にあると思いますし、これはひいては日本の文化的な面、技術的な面での国際的な貢献にもつながるということで、これから先はもっと積極的に日本が動く。場合によるとそれはアメリカの利害と一致しない、対立する場合もあり得ると思いますけれども、それは世界全体にとっていいと思ったら日本ははっきり主張していっていいと思います。これまでとは状況が変わってきて、日本は独自の判断のもとに行動していい。
 ただ、その場合に、先ほど広中先生が御指摘されたように、アメリカの最近の保守派の動きというのはアメリカの利益にならないからという議論だけなんですね。日本が日本の利益にならないからという観点だけで何かアメリカから自立した行動をとるのは、これは世界のほかの国からもサポートされませんので、日本はやはり、先ほどから内田参考人、藤田参考人も強調しておられますけれども、人類益とか国際益、そういうものを中心に据えてその中で日本の利益を一緒に追求するという、そういう議論をしていくことが極めて重要だと思っております。
#23
○高野博師君 ありがとうございました。
#24
○井上美代君 貴重な時間をいただきまして、大変うれしいです。
 きょう、参考人、三人おいでくださいましたけれども、本当に貴重なお話をありがとうございます。
 私は、日本共産党の井上美代でございます。
 先生方のいろんな資料もいただきながら、調査室からもたくさん資料をいただきましたので、そうした中で先生方のいろいろ研究されている専門的なものを読ませていただいて感動もしております。
 私は、今ちょっと横田先生が触れられました人間の安全保障の問題に触れながら御質問させていただきます。
 国連の資料ナンバー十二の三ページのところに「恐怖からの自由」というのがあるんです。ここの中で、国家間の戦争の頻度は低下したものの、過去十年間には五百万人以上が命を失っているというのがあるんです。ここのところはアナン事務総長がミレニアム報告書ということで出されているその報告書の概要なんですけれども、そこのところに「恐怖からの自由」というのがあるわけなんです。
 そこのところに、「その数倍の人々が故郷を追われた。同時に、大量破壊兵器は恐怖の影を投げかけ続けている。私たちは今、安全保障を領土の防衛よりも、「人間」の保護という観点で捉えている。残虐な紛争の脅威には、あらゆる段階で対処しなければならない。」、こういうふうになっているんですね。そして、一番真っ先のところに「予防」がありまして、「紛争は貧困国、特に統治状態が悪く、民族あるいは宗教集団間に際立った不平等が存在する国でもっとも頻発する。」というふうに書いてあります。
 ここのところを読みながら、私は、新しい国連の専門の先生方の研究でもあるというふうに思いますが、人間の保護という観点でとらえていくというところに私は非常に注目をいたしました。特に、アナン事務総長が安全保障を領土の防衛よりもと、こういうふうに書いておられます。この点が今日の世界で最大の今問題ではないかというふうに思っておりまして、そういう意味でここに注目をしたわけです。
 これとの関連で、国連事務総長のこの報告書に対して、横田先生など十八名の有識者がまとめておられます日本国連学会二〇〇〇年総会提言プロジェクトの中身についても、報告書を細かく読ませていただきました。
 そして、主権国家への侵略、これにどのように対応して排除するのかということ、これは国連憲章で既に明確になっているわけなんですけれども、今新たに提起されている問題というのは、主権国家内でのジェノサイドや民族浄化などの大規模な人権侵害、それから人道に対する犯罪などが行われている場合ですけれども、これに国連がどう対応するかという新しい問題ではないかと思っているのですけれども、この辺について国連学会の報告書の中でも、法的基準と制度的条件を整えるというふうに述べてあるわけなんです。一方、そのようなことが行われなくても現在の国連憲章でも介入できるのではないかとの意見もあります。
 このような主権国家がジェノサイドなどを行っていれば重大な問題です。しかしながら、安保理の決定のもとで介入した場合でも、私は一歩誤れば主権侵害になりかねないという問題があると思うんですね。このところは今日の大きな問題であるというふうに思っているものですから、きょうは三人の先生方に、そのことについて先生方がどのようにお考えになっているのかという、貴重なきょうの参考人の御意見ですので、ぜひお聞きしたいと思っております。
#25
○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 基本的な今の井上先生の御説明は私の認識と一致しておりまして、つまり国連は、最初は国家間の関係を規律する、国がよその国を侵略した場合に国家の領土を守るという、そういう観点から組織ができ、それに対応するための集団的安全保障制度ができておりましたが、その後いろいろな世界の情勢に対応するように国連がかかわってきておりますが、その中で、国家の安全保障だけを考えていたのでは結局その中の人間の存在というのが全く無視されてしまっているという認識で、御存じのとおり、人間環境、それから人間開発、そして人間安全保障というふうに次々と人間に着目して、実は国の利益というのも最終的にはその中にいる人間を守るためのものなのだという認識で国連は動くようになってきているわけですね。
 この動きが大変重要で、二十一世紀は恐らくこの方向がますます強まるという認識を私はしております。実際、国連のいろんな文書も大体そういう方向で書かれていると認識しております。
 ただ、非常に重要な点は、そうはいってもなおかつ今日実際に力を持ち、実際に財政的な基盤を持って個人を保護できる存在としては、やはりそれぞれの国家の占めている比重が大きいんです。したがって、国境をなくしてそれぞれの国はなるべく権限を弱めて何もしないようになれば個人が豊かになって安全になって保障されるということでは残念ながらなくて、ある国の領域にある国の力が及ばなくなるとそこに住んでいる人たちに対してほかの国から場合によると侵略を受けて、しかもその人たちの安全が無視されたり人権が無視されたり生命が脅かされたりするという、そういう国際社会の現実があることも事実なんです。
 これは旧ユーゴスラビア、特にコソボなんかの状況を見ますと、領域に責任を持っている国にきちっとさせないと大混乱になって、結局その中で一番悲惨な経験をするのはそこに住んでいる住民たちだ、こういうことなんですね。この辺のバランスをどうとるかということが非常に今日難しい問題です。
 コソボの場合には、結局黙って見てはおれないというのでNATO軍が攻撃を加えた。しかし、残念なことにNATO軍の攻撃の結果、その攻撃の結果、理由はコソボにいるアルバニア系の住民を救済する、しかしその目的のための行動の結果、一層多くの人たちが不幸に陥れられ、けがをしているというこの悲劇をどう解決したらいいかというのが恐らく今井上先生がおっしゃられた一番の重要な問題だと思います。
 これは大変難しい問題ですが、私は一つはやはりNATOだけで決定して行動したところに大きな間違いがあったと思います。あれはやはり国連の場に持っていくべきであったし、もちろん安全保障理事会は拒否権で動かなくなります、そのときには平和のための結集決議で緊急特別総会を開いて、特別総会の三分の二の支持を得てNATOが行動する、このときには同じ行動であっても随分違います。
 どこが違うかというと、NATOだけが勝手に行動した場合にはNATOだけで議論しますが、国連の了解を得て、総会の了解を得て行動する場合には国連の監視のもとに行います。したがって、NATOが民間人に対して攻撃を加えた場合には当然国連総会で議論され、国連総会がNATOはやり過ぎだという批判を加えます。NATOはそういう批判が来ることをあらかじめ考えると極端な軍事行動はとれないはずです。ところが、そういうチェックがないまま行動をとったために民間人に多大の被害を与えたし、それから環境問題も起こしております。ドナウ川にかなり有害な物質が工場を爆撃した結果流れる、それから低度の放射性の物質を含んだ爆弾を落としたりして、これは国連の調査ではっきりしておりますけれども、日本の立場からは支持できない、そういう攻撃さえ行っているわけです。これは、国連総会で審議すれば当然日本の政府代表はその点については批判をすべきだし、するだろうと思います。
 そういうことがないままNATOが攻撃を加えたということについて私は問題がある、そういう認識をしておりまして、やはり国連のような場できちっと押さえて行動するところに一つのチェックポイントがあるのかなという気がいたします。
#26
○参考人(内田孟男君) ありがとうございます。
 コフィー・アナン事務総長のミレニアム総会に対する報告書は、「われら人民」、そして「二十一世紀の国連の役割」というふうな題になっております。これは、国連憲章がその前文でもって「われら連合国の人民は」と、要するにピープルズという言葉を使ったわけです。それは、事務総長として昨年、国家の主権ということと、それから個々人の主権という二つの主権の概念ということについて彼は短い論文を書いているんですけれども、その二つが衝突している、その間のいろいろな相克をどういうふうに調整するのかという大きな問題提起をしているわけです。そして、ミレニアム総会に対するアナン事務総長は、やはり人間をすべての問題の中心に置くと。むしろ国家という単位よりも個々人の人間、このときにはピープルズじゃなくてただピープルなんですが、人々を中心に置くというふうな考え方を提案しているわけです。
 ただ、これは事務総長としてのもちろん提案で、先ほど申し上げました国連ナンバーツーと言われる加盟国の代表合議体においてはそれほど簡単に受け入れられる考え方では私はないと思うんですね。
 このことが示すのは、やはり大きな歴史の転換期にあるんだろうと。そして、まさに個人の保護とか人間の安全保障というような概念がやっとこの五、六年です、UNDPの人間開発報告でたしか人間の安全保障がまとまった形で出てきたのは九四年だと思いますが、非常にまだ短い時間しかたっていないわけです。にもかかわらず、少なくともこのような場でもそういうふうな概念そのものが議論されるというのは、私は非常に大きな進歩だろうと思うんですね。ただ、それは、今横田先生がお話しになった、国連が基本的には条約による国家間の機関であるという非常に大きな制約の中でしかもちろん動かない。
 ただ、大きな歴史の流れ、グローバライゼーションの流れの中で国際機関、国連が果たす役割というものは、パートナーとして単に加盟国政府ではないんだと。市民社会ということを彼はよく使います。それからビジネスの提携ということも彼は強調します。それにも増して、むしろ個々人との連携ということを今度のミレニアム・サミットの一つのポイントにしているんだろうと私は思います。
 いずれにしても、非常に抵抗が大きいというのは、昨年のローマで採択された国際刑事裁判所の設置に関する問題に関しても、やはり個々人をそういうふうな国際裁判所において裁くということに対する反感または抵抗というのは結構あるし、それから大きくは人道的介入なんですが、そこでやはり介入の対象となるというのは基本的には途上国であって、アメリカではないし、ヨーロッパではない、日本ではないということですね。そういう国からある警戒心が表明されるというのは当然のことだろうとは考えます。しかし、やはり流れとしてそういうふうな概念があり、次第に活動そのものがそれに向かって変革される。そして、基本的な組織、構造というのは多分最後に来るのではないかという感じが私はしています。
 実際に、例えば国連がNGOといろいろな面で共同作戦をとっています。ユニセフにしろUNDPにしろUNHCRにしろそうです。それは、NGOがなければほとんど活動が満足にできないという状況にまで今NGOの参画が大きくなっている。これは別にそれぞれの機関の憲章を変えてやるというわけではないですね。実際の場においてそういうふうに変革している。
 私は、概念というものがやはりそれぞれの活動を大きく導く、そういう意味でいろいろな概念、理論というものが、少し先走るようですけれども、やはり二十一世紀を一つ開く扉になるのではないかというふうな印象を持っております。
 ありがとうございました。
#27
○参考人(藤田久一君) ありがとうございます。
 先ほどの御質問の第一は、人間の安全保障という問題についてだったと思いますけれども、この人間の安全保障という概念自体は必ずしもそれほど明確ではないと思います。しかし、従来、国際安全保障という概念が、憲章そのものにはありませんけれども、一般にそういうふうに使われてきて、それから人間安全保障の方に展開してきたというのはそれでいいと思うんですけれども、国際安全保障にかわって今度は人間安全保障といったような、両者の概念は必ずしも対立するものではなくて、本来、国際安全保障というのもこれは国際益のためであるというのは、何も国家の領土そのものを守ること、そのことを言っているのではなくて、やはりその国の人々を守るという問題というか、そういったことは念頭にあったはずなんですから、それほど概念として対立するものじゃないだろうと思います。
 それと、御質問の中に主権国家と人権の問題が出てまいりましたけれども、これもやはり主権国家か人権かということで、両者をエントベーダーオーダー、どちらかだというふうに対立概念としてとらえるべき問題ではないんじゃないかというふうにも考えております。
 ただ、ここで、先ほど申されました現在の傾向として、破綻国家において外部から実際には軍事介入をやることによってそこでの重大な人権侵害等々を防いでいこうという形で、いわゆる人道的介入という言葉が使われているわけですけれども、これも先ほども申しましたように、国連という機関が安保理の決定という評価を通じてその状況を判断し、それに対してそれなりの対応措置をとるというのは、それは国連憲章体制のもとでは認められる方法だとは思います。ただ、それが実際に適切かどうかという問題が一つあると思います。
 やはり介入とはいえ軍事行動ですから、現在の軍事行動は、その軍事行動によって実現しようとする目的よりも軍事行動がもたらす被害の方が、これはなかなかバランスをとるということ自体が難しい問題ではありますけれども、やはり被害の方が一番大きいんじゃないかという問題がありますし、まして、先ほど横田参考人が言われたように、コソボの場合のようなNATOという国連の認定を受けないような形での介入、軍事行動というのは、やはり法的に言っても非常にまずいし、これからもそういったのが一つの先例となるべきではないんだと思います。
 確かに、国連というものの一つの決定ということを考えるならば、やはり安保理でだめならば総会で何らかの決議を得るといったような、少なくともそういった方法はとらないといけないと思いますし、そのときでも、軍事介入の効果という問題は、確かに人間の安全保障という面から見ていきますといろんな問題が出てくるだろうというふうに思います。
 それと、もう一つの問題は、そういった場合に抑止といいますか、そういった状況が起こらないようにする、あるいは起こった場合にはそれに対する措置としてどういった方法があるかということで、このミレニアムの報告書の中にも、「恐怖からの自由」の下の方に「弱者の保護」というのがありまして、要するに「重大な違反が不処罰で終わることのないようにしなければならない。」というふうに言っていますが、これが、要するに人道に対する罪等々を行った責任者に対する処罰システムを国連としてつくり上げていくべきではないかというような考え方、発想だと思いますし、これは恐らく二十一世紀さらに前進するのではないか。これが万能薬とは言えませんけれども、少なくとも悪いのは、そういった罪を犯したのは国家の指導者の命令でそういったことをやっているとしても、やはりそういった命令を出した個人が人道に対する罪として処罰される、国家が悪いんだという名目でその領土とか国民全体に対して爆撃を加えるというような方法というのは余り適切じゃないということの認識がここからもうかがえるんじゃないかというふうに考えられます。
#28
○佐々木知子君 自民党の佐々木でございます。
 アジア太平洋地域ということでは、横田参考人が御指摘になりましたように、バンコクに拠点があるESCAPが非常に有名でございまして、随分活躍をしておるわけですけれども、これとは別のもう一つの国連事務所を、沖縄かどうかは別として、日本に設けて人権などのESCAPが管轄していない方面をカバーさせようということで、私はこれは非常にすばらしい御提言だというふうに思った次第でございます。
 ただ、私たちは国会議員でございますので、沖縄になるかどこになるかは別として、日本が主催するというような形になるんだろうと思いますけれども、アジア太平洋地域の議員懇談会というものを、これはあくまで仮の名称でございますけれども設置しまして、地域の国会議員が年に一度でいいですからそこ集って、国連がアジア太平洋地域で抱える諸問題について討議をして、国連、世界に向けて情報発信ができるようになれば、これはかなりすばらしいんじゃないかというふうにふと思ったわけなんですけれども、これに対しての横田参考人の御意見はどうかと。
 それから、内田参考人が主に文化、学術の振興と交流という方面からお述べになりましたけれども、もし何かございましたら内田参考人からもよろしく御意見をというふうに思っております。
#29
○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 私は、御指摘のとおり、何も人権に限らずアジア太平洋に共通する問題について、必要な場合には国連のアジア太平洋地域事務所をつくるというような段階の前に、政府が主催してでも結構ですが、国際会議を開いて共通問題を認識して、その先どうするかというようなことについて合意を得ていくということは大事なことだと思います。実際、人権の分野である程度日本の政府、外務省は若干それに近い会合をこれまで主催してきてはおります。
 人権の問題についてだけ私が例として挙げましたのは、実はこの点については抽象的な議論をしていてもいけませんので、果たして国連の方がこちらが声をかけたときに意義を見出してそれに積極的にかかわってくるかどうかというところも詰めておかなければいけないということで、アジア太平洋地域に人権の中心がありませんので、それについては人権高等弁務官事務所のアジア太平洋地域事務所をつくるということで、現在の高等弁務官をやっていますメアリー・ロビンソンさんに私は何度か会う機会があって、そのたびに、こういうことで一部に動きがあるんだけれども、その場合に高等弁務官事務所は対応できるだろうかということを聞きましたところ、彼女は基本的には大変積極的です。
 ただし、財政的に今国連は非常に厳しいので国連が全部持ってどこかにつくるということまでは今できない、その点について受け入れ国、受け入れ地域が協力してくれるというのであれば、国連も国連相応の協力はするつもりだと。非常に具体的になりますが、例えば国連が派遣する国際職員と言っていますが、この人二人分ぐらいは国連がその経費を持つと。ただし、現地採用の人、これは何人ぐらいになるかわかりません、私は大体八人から十人ぐらいだと思いますが、これは受け入れ国が持つ。それから事務所のスペース、借りてもいいし建ててもいいんですが、借りると仮定した場合に、それの家賃と運営費、そのほか事務処理のさまざまな経費がかかりますが、これはやはり現地の政府、場合によれば県なり市なりが持つということでやれれば、もうこれは人権に関しては人権高等弁務官事務所はかなり積極的に動き得る態勢にあると私は見ております。
 そういうところから一つ一つ詰めていけばいいことで、今佐々木先生がおっしゃられたように、もう少し広くいろいろなことについて会議を持って場を設定していくということは大変いい方向でありまして、ぜひいろんな問題について、例えば犯罪の防止とか環境の問題とか一つ一つについて日本政府がそういう動きを一つ一つやりますと、自然に日本が中心にアジア太平洋地域の問題解決に取り組んでいるなということになってきて、これ自身は大変いい方向性を持つと思います。
#30
○参考人(内田孟男君) ありがとうございます。
 たまたまこの一月に国連大学がミレニアムコンファレンスというものを主催いたしました。いろんな形でもってミレニアム総会に向けての提言ということが目的だったんですが、その中の一つの作業部会が、UNDPが昨年発行いたしました「地球公共財」という出版物についての報告がございました。たまたま私がそれについてコメントを述べることになりましたので、そのときの状況をよく覚えています。
 インゲ・カールという人がその主な執筆者であり、また報告者であったんですが、彼女の一つの提案というのは、国連の代表団の中に、外務官僚だけではなくて議員をたくさん代表団の中に入れる、そして彼女は非常にある意味では官僚批判をいたしまして、より議員の参加によって国連のいろいろな、例えば権限のギャップというようなことを言っていましたが、それを解消するというようなことを言っていました。
 基本的には、今佐々木先生がおっしゃったことは政治的な決断によるものだろうと思うんですね。だから、そういう意味でアジア太平洋地域の議員の懇談会というようなものをつくって、そこで一つの政治的なまずは根回しをしておくということ、それを国連の場に持っていくということはインゲ・カール女史の提言とも非常によく似ていますし、有効な方法だろうというふうな感じを持ちます。
 ただ、たまたま一月にはジェシー・ヘルムズ上院議員が安保理に招かれて話をしたというニュースがそのころありました。結局、アメリカを除く十四カ国は彼の発言に対して非常に大きな抵抗を示したというふうな新聞記事を読みましたけれども、議員といっても私はだれが行くかということが非常に問題で、むしろそういうふうな国際的な合意を壊す、または国連の活動に余り同情的でない人というのはもちろん困るんだなとそのときにちょっと感じたわけです。
 これは全くこの調査会には関係ないことですが、必ずしも議員が行くから官僚を超えていろいろな政治的な場をつくるんだということには直結しないんだということだけちょっと付言させていただきたいと思います。
#31
○田英夫君 最初に横田先生に伺いたいんですけれども、国連憲章の改正の問題なんですが、日本では、専ら政界でもマスコミも国連というと常任理事国になるべきだという議論が優先をしているようですけれども、もちろんそれも安保理の名前が出ているわけですから改正を必要とするわけで、というよりも、むしろ二十一世紀を迎えるに当たって、第二次世界大戦の結果をそのまままだ「われら連合国の人民は」と書き出しているところからしても、敵国条項もそうですが、そういうところを含めて改正すべきものを改正して、もう五十年以上たつわけですから、新しい感覚の上に立ってやるべきだと。
 ただ、国連憲章も日本国憲法も戦争の悲惨な体験をもとにした平和主義という点で、前文などは本当に同じ感じで書いている。ここは大事にしなくちゃいけないと私は思っていますが、その上に立ってやはり改正をすべきときが来ているんじゃないか。
 いろいろな問題がもちろんあると思いますけれども、実際に改正の手続は規定がありますけれども、現実にどういうものにしようかという、どこをどう直そうかというような話はかなり難しい微妙な問題を含んでくると思いますが、実際は、あの機構の中でいうと新しく何か改正小委員会のようなものをつくるとか、どういうものがどこへつくられるのがいいとお思いになるのかということですね。
 もう一つ、これは藤田先生に伺いたいと思いますが、国連の役割、もちろん紛争の平和的解決とかあるいは経済社会理事会の役割をもっと強化するとかいろいろあると思いますが、一つ非常に大きな役割は軍縮だと私も思っているんです、さっきちょっとお触れになりましたが。
 軍縮特別総会に、日本の国会議員の中で国際軍縮促進議員連盟という、今もずっと続いておりますけれども、その有志で参加といいますか、各国の議員も来ておりましたのでそういう形で傍聴しながらお互いに議論をするというような場を持ったことがありますが、どうももっと具体的にあの機構の中に軍縮の部分を、これは憲章の中には五章の二十六条にあるわけですけれども、実際にそういうポジションがあっていつもそういう軍縮の問題を議論しているという、もちろんジュネーブでやっていますけれども、もっとあっていいんじゃないか、核軍縮のことはもちろんですが、そういう点をどういうふうにお考えか。
 それから、国連大学のことを内田先生にお伺いしようと思いましたら、さっきまさに私が体験したことで思っていることを言ってくださったんです。というのは、国連大学を日本に誘致しようというときに永井道雄さんからちょっと相談を受けて、当時横浜の市長が大変熱心に誘致をされた。磯子の米軍住宅の跡を国連シティーのようにしたいというお話があって、私はそれは大賛成だと思っていたんですが、私が不勉強なために、国連大学というのはキャンパスは要らないということを永井さんに言われて、それであの青山がいいじゃないかということになったんですが、やっぱりもっと若い研究者や学生といいますか、そういう人が国際的に入れるようなものにすべきじゃないかと思います。
 そうなると、あそこの青山はちょっと手狭になってくるという気もしますが、もしお考えがありましたら聞かせていただきたいと思います。
 ありがとうございます。
#32
○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 どんな法律上の文章でもそうなんですが、憲法とか憲章のようなものというのは、やはり時代を経ると状況の変化から非常に古いものになってしまうんですね。日本国憲法もそういう面がないとは言えない。そこで、いろいろ現実と違っている、違うところが出てきているからもうすっきりさせないと、今の憲法のままだと、あるいは今の国連憲章のままだと実態と違っていてわかりにくいというような御意見は確かにあるんです。
 私も法律を専門にしていますので、本当は実態に合わせてどんどん変えていくということが若い人たちに憲章を教える場合にもいいんですが、他方で、こういうものは非常に微妙な利害関係のバランスに乗ってそのときにつくられて、そのときのそのバランスを無視したらもう絶対合意できない、だから、不十分だけれども今の国連憲章だと何とかもつけれども、新しいものをつくろうとしたらもうだれも賛成してくれない、どこかでもう意見が違うというふうになる危険性があるんです。
 実を申しますと、数年前に、フランスの国連研究家でモーリス・ベルトランという人がいるんですが、この人がいろいろな国連の改革案を出し、国連の内部の、先ほども申し上げました賢人会議のメンバーでもあったんです、フランスの。それでいろいろな改革案を出してきたんですが、彼の改革案はいろいろな形で国連に影響を与えたんですが、その彼が最後に、もう個別の問題の改革じゃだめだ、国連つくり直しだ、国連憲章書き直しだということで一つの活動を開始しまして、新しい国連憲章案というのをつくって私にもコメントを求めてきたりしたことがあるんです。私は、それは理想的にはそうだけれども、やっぱり現実には難しいだろうと。私のような意見を寄せた人がほとんどでした、そのベルトランの改正案に対しては。
 結局、結論的になりますけれども、田先生の御指摘のように一番大事なところだけを改正しようと。あとのところは、例えば平和維持活動、PKOというのは国連憲章のどこにも出てこない言葉ですね。これを何とか国連憲章でしっかり位置づけないといつまでたっても何か不安定なままだというんですが、その作業もまたやり始めると難しくてなかなか合意ができない。そのほかにも、今回のコソボのような場合について、国連が人道的介入ができるように憲章を改正してはどうかとか、今の国連憲章の建前ですと、藤田参考人が言われたように基本的には内政の問題には干渉できないことになっているんですが、そこに干渉できるように憲章を改正したらどうかというようなことを言う人もいるんですが、現実には難しいということで、結局、最小限改正すべきところはどこかというところを見ていく必要があるのではないか。
 そこで、私が考えたのは、やはり安保理の改正はこれはもう差し迫っているだろうということと、それからこれは田先生の御意見と同じですが、旧敵国条項、これはもう全く意味のない規定になっていますので。というのは、日本も含めて旧敵国と言われた国は、全部国連に入ったときに平和愛好国というふうに認識されているわけです、認定されているわけですね、国連憲章は平和愛好国でない国は加盟を認めていませんので。ですから、これはもう旧敵国ということを議論すること自体意味がないんですが、しかしあるために残っている。これは安保理に関する規定を改正するときか何かそういう機会をとって将来改正しようと思えば、余り大きな問題なく私は改正できると思いますので、これは私たちもできるだけそういうことを主張していきたいと思いますし、恐らく大きな問題はないだろうと思います。
 あと、国連全体の構図が大変複雑になってきていまして、だれも国連の全体像がつかめない状況に今なってきております。というのは、国連憲章を読めばわかるんですけれども、そのとおりに今なっていませんので、いろいろ枝葉が出てきて、それから少しずつ違う慣習が出てきたりしていますので、その辺をやはり我々学者の方で少し整理して、わかりやすい国連というものを講義だとかあるいは一般世論に向けて示す、そういう責任も我々研究者にはあるのかなということをちょっと自覚はしております。
#33
○参考人(藤田久一君) ありがとうございます。
 私への御質問は、国連の役割の中で重要なものの一つとして軍縮の問題があるんじゃないかという御質問でございました。
 私も全くそのとおりだと思います。軍縮につきましては、確かに憲章の中では案外軽く扱われているといいますか、やはり第二次大戦末期に憲章ができたという事情もございまして、当時の四大国の軍事力の安全保障で世界の平和を守りたいと、そういった考え方が背景にありましたから恐らく簡単な形になったんだろうと思いますけれども、ただし、例えば憲章の十一条、資料の二ページでございますが、その中にも、総会の任務といたしまして軍備縮小及び軍備規制を律する原則を含めて審議し云々というのがございますし、先ほど田先生から御指摘になりました二十六条も安保理についてそういった規定を置いているわけでございます。
 現実には、国連が発足した当初から軍縮問題というのは恐らく国連の最大問題であったわけでして、国連憲章ができたときにはまだ核兵器の存在はわからなかったけれども、広島、長崎の原爆投下の後に国連が発足したわけでありますから、第一回総会の時点で既に原爆の存在というのは明らかになり、これは大変だということで原子力国際管理といったような問題が国連の最初の議題になったわけでございます。
 したがいまして、憲章の規定というのはこういった一般的なものではございますけれども、現実に国連の総会などにおいて軍縮問題が討議されてきたというのは事実でありますし、それがうまく軍縮の実現に結びついたかどうかというのはまた別の問題がございますけれども、国連が関心を持ってきたということでありまして、国連憲章を改正しなければこの軍縮問題が的確に位置づけ得ないということでは恐らくないだろうと思います。
 現実には、先ほど御指摘になりましたようなジュネーブの、最初は十八カ国軍縮委員会といったような形で国連とは一応別の組織であるけれども国連と関連を持っている、そういった組織で審議されておりましたし、それが現在は組織としては拡張されて軍縮会議というふうになっている。それから、もう一つ国連の軍縮委員会というのが別にございますし、そこでも一応検討はされている。
 ところが、実際に軍縮の個々の条文といいますか、軍縮条約の作成ということになりますと、むしろ軍備を持っている当事国、つまり核兵器でいえば核兵器国が中心になって条約をつくっていくというのが現在の傾向でございます。最近もロシアがSTARTUの批准を決めたということでありますけれども、それもロシアとアメリカの間の二国間条約であるということです。
 それが不適切だというわけではもちろんございませんし、恐らく具体的な削減なら削減の案を決める際にはそういった関係国の交渉で事実上決めざるを得ないような側面はあると思いますけれども、やはり国連の立場からといいますか、国連の七章の問題とも絡みまして、国連が何らかの形でそれを促すなり、当事国が怠っている場合には促進させるというような態度をとる必要があるということは事実ですし、実はその問題については、既に国連軍縮総会というのが一九七八年、八二年、その後も何度か開かれております。その中で既に、その最終文書ではありますけれども、かなり詳細な軍縮のプロセスといいますか、どういったたぐいの兵器をどのようなプロセスで削減していくかということを含めて、案といいますか、決議でありますけれども、もちろん拘束力がないものですけれども、出しておるわけであります。
 そういったものの積み重ねというのはやはり必要だろうし、二十一世紀にかけてはやはり軍縮総会というのが全体の軍縮の大きな枠組みを提示するという点では非常にいい場だろうと思います。もちろん具体的には軍縮委員会とか軍縮会議とか、そういったところでもっと詰めた議論はやっていくべきだと思いますけれども、そのように考えております。
#34
○田英夫君 ありがとうございました。
#35
○藁科滿治君 課題は大変多いんですけれども、国連の改革がなかなか進まない、こういう状況にございます。しかし、ことしは二〇〇〇年ということですから何とかしなきゃいかぬ、また何とかしてくれるだろうという、こういう期待感が世界から注目されていると思うんですね。しかし、きょういろいろお話を伺っておりまして、事は簡単ではないと。
 三先生に簡単にお答えいただければありがたいんですけれども、私はいろいろお話を伺って感じますのは、ことしが大きな節目だから勝負の年として大転換をする、そういう決断を引き出していく、こういう取り組みをしていくべきなのか、それとも、この調査会もその趣旨で今いろいろ討論しているわけですが、そんな簡単な問題ではないということで、むしろこの二〇〇〇年を二十一世紀につなぐスタートラインとしてこれから中期的に粘り強く取り組んでいくべきなのか。そこらをちょっとお考えを伺いたいと思います。
 それから第二は、横田先生に絞って御質問させていただきますけれども、小渕前総理が訪欧された際に、常任理事国の問題でイタリア、ドイツの両首脳と会っていますね。イタリアの首相は日独先行常任理事国入りは反対だということを明確に述べられており、それから、ドイツのシュレーダー首相も、我々はもう少し積極的な発言をされるかと思ったけれども、非常に慎重な発言に終始をしたということ、小渕前首相も戸惑いを感じるほどだったという報道もございました。
 私どもは、この問題によって日独というものを共通枠の中でよく考えがちでございますけれども、私の知る限り、ドイツが非常に冷静に、ある面でさめた見方をしているように思うんですね。その背景はどこにあるんだろうか。
 私が勝手に思いますのは、先ほど先生がアジア太平洋地区の日本の役割ということで提言されました。これは私非常に注目をしておりますが、そういう意味では、日本はやはりそういう蓄積を少しずつ積み上げてアジア太平洋地域から一定の客観的な評価、注目を受けつつあると思うんです。それに対してドイツは、我々はドイツは力を持っていると思うんですが、イタリアも含めて周辺の地域で相対的な評価が必ずしも高まっていない。ここに一番大きな背景があるんではないかと思うんですが、そこらを先生どんなふうにお考えになっておりましょうか。
#36
○参考人(横田洋三君) ありがとうございます。
 最初に一般的な御発言について、ことしミレニアムの年に大転換をというのは、これは先生の御指摘のとおりで、実はアナン事務総長自身が今度ミレニアム総会を秋に開きます。その前には、その前というか一番冒頭でミレニアム・サミットを開いて、三日間ぐらいだと思いますが、日本からもそのときの総理、森総理になると思いますが行かれる。各国の首脳が集まるという場所は設定されておりまして、その場合に、実は今から五年前に国連創立五十周年記念の総会というのが開かれて同じような催し物をやったのですが、これはだれにとっても失望以外の何物でもなかった。要するに、みんな集まってきたけれども、みんな騒いだけれども何も起こらなかった。これを繰り返してはいけないという意気込みがアナン事務総長にあることは確かです。
 それで、その一部の加盟国の中にもそういう意気込みがあることは確かなんですが、他方で多少さめた加盟国もあることは事実で、それが一緒にまざった形で現在話が進んでいるということなんですけれども、そういう中で日本は、やはり国連を中心に置いて二十一世紀に国連を生かしていかなければ人類はだめなんだという視点をはっきり出したトーンで行動していただければいいというのが私の意見です。
 日本が何を言うかは、もうとにかく日本の経済力、国連に対する貢献はどの国もわかっていますから、日本が何を言うかとかたずをのんで見守っているんです。ぜひそこでみんなが、日本だからよく言ってくれた、それでいこうじゃないかと言えるような線をはっきりと出すことが新たな世紀でリーダーシップをとる非常に重要なポイントではないかと、こう考えております。
 それから、二番目の点ですけれども、おっしゃるとおりの問題がございます。
 実を言いますと、ドイツ、日本と言われていながらも、日本の方が数年早く、常任理事国になる意思があるということを公の場で表明しておりまして、ドイツはそのときは何も言っていなかったんです。しばらくたってから、ドイツも言わないとちょっとだめかなというので言い出したということで、ちょっとドイツはおくれているんですが、なぜおくれたかというのはこれは御指摘のとおりで、周辺の国に対するドイツの配慮というのは確かにあります。それを固めるためには、ドイツはまずEC、EUを固める。それの障害になるようなことはドイツはしないという一つの基本方針があるんですね。ですから、ドイツにとっては、これまでEC、EUの統合、通貨の統合を含めたその動きが一番重要で、それに障害になること、例えばイタリアと正面からぶつかりますと、それはEUの結束にとって非常に障害になります。こういうようなことを含めて、ドイツは慎重であったと思います。
 しかし、日本と同じでドイツは第三位の国連に対する財政貢献国ですし、日本が言う以上はドイツも言っていいかな、ほかの国もドイツについてはいいと言っている国があるというようなことで言い出していると。ところが、それに対してイタリアがかなりはっきりと反発をしたためにまたちょっと下がっているという感じぐらいだと思いますが、この調整は難しいと思います。
 実を言いますと、このドイツ、イタリアの関係以外にも、例えばアジアでほかにもう一つ常任理事国という場合にどこを入れるか、人口の大きさからいってインドとだれもが言うわけですが、そうするとパキスタンは絶対に反対という形で出てきまして、じゃアフリカはどこか、ナイジェリアと言うとまたやっぱりほかの周辺の国から反対が出る。ラテンアメリカも同じ。
 この調整の問題が難しいために、日本の常任理事国入りがほかのとパッケージになっていますのでちょっと動きにくい。現実の難しさは、日本そのものというよりも、その辺の調整の難しさにあるというふうに理解しておりまして、結論的には私は時間がかかるかなというふうに判断しております。
#37
○会長(井上裕君) ちょっと速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#38
○会長(井上裕君) 速記を起こしてください。
#39
○野沢太三君 自由民主党の野沢でございます。
 時間もございませんので端的にお伺いをいたしたいと思います。
 横田先生にお願いしたいのは、このアナン事務総長のミレニアム報告書の中で最終段階の国連の再生ということをうたい上げておるわけですが、安保理の改革あるいは必要な資源の確保、さらなる利用可能な最良の慣行、これをすべての加盟国の利益となるようやるんだと、こう言っておるわけですね。
 こういうことをやっていくために、日本の役割もさることながら、アメリカの存在が極めて大きいと私は思うわけです。サンフランシスコで署名しニューヨークの土地建物を提供して、国連をいわば産んで育ててくれたというアメリカが、ここへ来て非常に国連に対して批判的あるいは消極的な態度をとり続けているという非常に残念な状況があるように思うわけですが、特に分担金の滞納問題等に象徴されるアメリカの姿勢をより積極的に当初のような前向きの姿に変えていくために、何を我々はアメリカに呼びかけたらいいか、訴えたらいいか、行動したらいいか、この点についてお伺いしたいと思います。
 それから、内田先生にぜひ一つお願いしたいことは、我々も国連大学へ先日行きまして、立派な業績を上げている国連大学がより開かれた、より広範な活動ができるような大学になってもらいたいという希望を持ったわけですが、研究者の皆様のいわばサロンのような格好になっていないかなと。やっぱりこれは、先生も今御指摘のとおり、学生をとって教育と両輪でその成果を拡大していく、そして、できれば日本の若い人たちが国際公務員になるための一つの登竜門としても機能するような形がとれないだろうかと。こういう質問を私申し上げましたが、定款上無理だというお話が来たんですけれども、その定款にさわらない範囲でも工夫すれば何らかの学生の教育活動ができるのではないかな、あるいは必要あれば定款の改革も含めましてここはひとつ改善の余地があるんじゃないかなと思いましたが、御所見をいただければ幸いです。
 それから、藤田先生にお伺いしたいんですが、先生は国際秩序を四類型に分けて挙げていただいております。国家間の合意、大国の秩序、国際組織、世界政府と、こう言っておりますが、もう一つ私どもが非常に現実的で効果的だと思われますのが、地域的な取り決めと紛争処理。
 これは国連憲章の八章にも取り決めがあるんですけれども、例えばEUが成立した経過を見ますと、一次、二次と二度にわたる大戦の火種になったところが今や一つの国として市場、通貨を共有し、議会をつくり、そして安全保障でもNATOという形で力も持っていると。こういうことで、それなりにまとまっているということであれば、世界的に一本にしていくということの前にそれぞれのブロックごとにEUがやったような姿がとれれば、これまた一つの解決になるのではないかと思うんですが、御所見があったらお聞かせいただきたいと思います。
 以上でございます。
#40
○参考人(横田洋三君) 時間の関係で簡単にお答えさせていただきます。
 大変重要な問題なんですが、結論的には私は、日本はもうアメリカに対してある意味で友情ある説得をする立場にありますし、そういうことをしていくべきではないかと思います。
 アメリカという国は、ある意味でいい点もあるんですが、今は何か反国連の雰囲気が強いように思われますけれども、アメリカの中には、他方で国連を守り立てていきたいという人たちもかなりおりまして、それがたまたま現在は声が小さいということなんです。コロンビア大学の先生たちの中に、何とか日米が協力して国連を再生させるための動きをしてはどうかということで、実はもう五、六年前から、私も入っておりますけれども、コロンビア大学と日本の日本国際問題研究所というところが共同研究で、国連における日米協力ということで安全保障、経済開発、人権、環境というようなテーマで報告書を出してきておりまして、そういう方向性を私は一層進めて、日本はアメリカに対して場合によってはいろいろと説得をする立場にもう立っているのではないかと思います。
 したがいまして、アメリカが少し国連に背を向けた場合には、アメリカにとっても国連と協力していくことが大事だということを日本自身の経験を話しつつ説得する、そういう立場に回らなければいけないというふうに考えております。
 NATOの場合が非常にいい例で、アメリカはある程度アメリカ中心で物事を進めていったわけですけれども、今コソボの状況は、軍が動いたときはいいんですけれども、その後のコソボの管理については国連の協力を得てやっていますけれども必ずしもうまくいっておりません。これはアメリカは大変今ジレンマで頭を痛めているところなんですけれども、こういう例を見ても、やはりアメリカが、あるいはNATOを使ってでもいいんですが、独自に行動をとった場合には大変厄介な問題をアメリカ自身が抱えることになるということで、やはり国連を中心に協力していった方がいいんだということを日本がアメリカに説得していくという、そういう姿勢が必要だろうと思います。
#41
○参考人(内田孟男君) ありがとうございます。
 国連大学を訪問されて、研究と教育というものが車の両輪のようにならなくてはならないのではないかという印象を持たれたということで、私も全く同感でございます。
 そのためにやはり必要なことというのは、非常に技術的なことだろうと思うんですね。国連大学の憲章には大学院レベルの研修は行うとちゃんと明記してあるわけで、実際にそれは割合は少ないんですけれども行っているわけです。
 特に、東京にありますのは国連大学の本部、それにその建物の後ろにあります高等研究所の二つの機関ですけれども、そのほかに世界各地にいろいろな研究・研修センターというのがございます。そこでは、より研修活動が行われているということがございます。それから、学長がファン・ヒンケル氏になって、この二年半の間に研修活動に関してはかなりの拡大がされております。私がおりましたころにはグローバル・セミナーというものは湘南と神戸だけでしたが、最近は沖縄で始め、そしてことしは島根でやる、北海道でもやるというふうに、研修活動にもかなり力を入れてきたということを御報告させていただきたいと思います。
 基本的には、本部ではいろいろな形での活動の調整ですけれども、直属の研究・研修センターというのはより教育または研修の活動ができるようになっておりますので、その辺をもっと活性化するということが必要で、それはおっしゃるとおりだろうと思います。ただ、幸い学長の方針としては研修に次第に力を入れてきているということでございますので、少しは改善されるだろうというふうな印象を持っております。
 先ほどの田先生がおっしゃった青山では狭過ぎるんではないかというのは、本部の建物としてはいいんでしょうけれども、研究・研修センターとしてはやはりあそこだけでは不十分で、現在のところ行っているのは、いろんな形で既存の大学と提携をして研修活動をやるということでございます。
 それから、国連職員になるための研修というのも、昨年から国際コースというのを世界的な規模で始めました。ことし第二回目をやるということでございますけれども、国際公務員を希望する日本人の若者にも門戸が開かれているということでございますから、徐々に改善はされているというふうなことは言えると思います。ただ、それが私に言わせれば両輪のまだ小さな輪にすぎず、ちょっとがたがたしているのではないか、それをもっと大きくすることが必要だろうというのは全く同意見でございます。
#42
○参考人(藤田久一君) ありがとうございます。
 私への御質問は、地域的な機関、取り決めの位置づけということでございます。
 私の報告の中で最初に四類型を挙げましたけれども、これは単に私の説明のための何といいますか、勝手にこれを列挙したということだけでありまして、客観的に見ていろんな秩序がある、それ以外にあり得るということは申すまでもないわけでございます。
 地域的取り決めにつきましても、国連憲章五十三条は、御承知のようにそれを安保理が利用するというふうに規定されているわけでして、確かに国際の安全保障のためにも地域的取り決めというのは必要な場合がもちろんございます。ただここで五十三条で言っていますのは、地域的取り決めとは一体何が地域的取り決めなのかという定義を与えておらないわけでありまして、機関によっては、例えばたしかOSCEなどは地域的機関にはならないといいますか、そういった意思表示をある程度やっていたんじゃないかと思いますが、そういった事情もあるということです。
 EUなどがこれに入って国連の安全保障のために協力するというのは私も大いに賛成でありまして、米州連合、米州機構その他がございますが、そういったのは全くこの五十三条の規定に適合したものだと思いますし、将来的にもこれは確かに重要な問題になるだろうというふうに考えております。
#43
○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。
 一問お一人にということですので、藤田先生にコソボ問題について、先ほどから出ておりますけれども、お尋ねいたします。
 これについては国連の授権がない、このことはもうはっきりしております。これは私の質問に対して昨年、条約局長が国連の授権がないということを認めておりますし、それからよく言われるように人道的な介入論、このことについても高村外務大臣が、一般国際法上人道的介入というような概念が形成されつつあるわけでありますが、これはまさに形成されつつある概念で、どの条件でどの程度介入が許されるかということについては必ずしも定まっていないということで、政治的にも固まっていない、なおさら国際法上、学説上全くこれは形をなしていない、このことははっきりしていると思うんですね。
 私、問題だと思うのは、これを介入したときに口実とされた大量虐殺ということなんですけれども、その実態がどうか、これが非常に大事な検証されるべきことだと思います。その点でいいますと、アメリカの国務省は九九年四月に、約五十万人の行方不明、死者が出ている可能性があると、そういう指摘をしました。その後、十一月に国際法廷のポンテ主任検事が調査した結果、二千百八名の遺体が発見されたという発表がありました。それを受けてアメリカの国務省は十二月に、犠牲者約一万人という発表をしているわけですね。そうすると、五十万人いるからああいう介入をしたんだという理由がなくなるわけですね。そこにやはり今国際社会全体が大きな危機感を持っている理由があると思うんですよ。
 そうすると、これは言ってしまえば仕組まれた戦争かなとも言える、そういうことさえも指摘がされるわけですね。そうすると、そういうことを理由にして国連憲章の目的、原則を変えたりすることが果たしていいのかどうか、そういう議論ができると思うんですね。私は昨年の国連総会を非常に注目しましたけれども、各国の代表がかなりの数が国連憲章の原則と目的に沿ったコミットメントをということを強調した。このことはやはり非常に今の時点で意味を持っていることではないかなということを痛感したわけです。
 その点で、こうした動きについてどのように考えられるか、先生の御見解をお伺いしたいと思います。
#44
○参考人(藤田久一君) ありがとうございます。
 コソボ問題については、私も正確な情報といいますか事実は把握しておりませんが、先ほど申されましたような大量虐殺といったようなことについてアメリカが発表したと。ただ従来、こういった紛争については、アメリカも例えばルワンダのときにそういった大量虐殺等があるんだという、これはCNNで流された情報にそのまま乗っかって行動をした。それがCNN効果というふうな現象になったというふうに言われておって、それに対する一部の反省もあるんですけれども、やはり国際社会が正確な情報を知るということが恐らくまず第一のことだろうと思います。
 それについては、国連憲章で申しますと安保理が第六章のもとで事実調査をすることができる、つまり紛争の平和的解決の問題なんですけれども、これは自分のイニシアチブでできるというような規定がございますから、やはり国連の機関がそれなりの調査をやるということがより客観的な情報といいますか、そういったものが得られる一つの方法じゃないかと。
 ただ、現実にやれるかどうかという問題になってきますと、いろいろ障害はあるかもしれませんけれども、そんなように考えております。
#45
○会長(井上裕君) ありがとうございました。
 本日の質疑はこの程度といたします。
 一言ごあいさつ申し上げます。
 参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な質疑を行うことができました。
 参考人の今後のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼とさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)
 ちょっと速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#46
○会長(井上裕君) 速記を起こしてください。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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