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2000/03/23 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 文教・科学委員会 第8号
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2000/03/23 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 文教・科学委員会 第8号

#1
第147回国会 文教・科学委員会 第8号
平成十二年三月二十三日(木曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月二十一日
    辞任         補欠選任
     仲道 俊哉君     青木 幹雄君
 三月二十二日
    辞任         補欠選任
     青木 幹雄君     仲道 俊哉君
     江本 孟紀君     佐藤 泰介君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         佐藤 泰三君
    理 事
                岩瀬 良三君
                橋本 聖子君
                石田 美栄君
                松 あきら君
               日下部禧代子君
    委 員
                阿南 一成君
                有馬 朗人君
                井上  裕君
                亀井 郁夫君
                仲道 俊哉君
                長谷川道郎君
                小宮山洋子君
                佐藤 泰介君
                本岡 昭次君
                福本 潤一君
                畑野 君枝君
                林  紀子君
                扇  千景君
                田名部匡省君
   国務大臣
       文部大臣     中曽根弘文君
   政務次官
       文部政務次官   河村 建夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        巻端 俊兒君
   政府参考人
       文部省高等教育
       局長       佐々木正峰君
   参考人
       九州大学大学院
       法学研究科教授  内田 博文君
       千葉大学教育学
       部教授      三輪 定宣君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣
 提出、衆議院送付)
○政府参考人の出席要求に関する件
○教育職員免許法等の一部を改正する法律案(内
 閣提出、衆議院送付)

    ─────────────
#2
○委員長(佐藤泰三君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日、江本孟紀君が委員を辞任され、その補欠として佐藤泰介君が選任されました。
    ─────────────
#3
○委員長(佐藤泰三君) 国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、まず、参考人として御出席いただいております九州大学大学院法学研究科教授内田博文君及び千葉大学教育学部教授三輪定宣君から御意見を承った後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 皆様方には、ただいま議題となっております国立学校設置法の一部を改正する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず、内田参考人、三輪参考人の順序でそれぞれ十五分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、まず内田参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。内田参考人。
#4
○参考人(内田博文君) 九州大学の内田でございます。参議院文教・科学委員会におきまして参考人として発言する機会を与えられましたことを光栄に存じている次第でございます。
 改めて申し上げるまでもなく、現在、我が国は大きな変革期にございます。その中で、大学もより大きな脱皮が求められております。二十世紀に大学が果たしてきた役割を、質、量の両面ではるかに超える役割を果たすことを二十一世紀の大学は求められております。
 このような観点から見ました場合、いわゆる大学の自治につきましても見直しが必要ではないかと存じます。これまで説かれていた大学の自治、特に国立大学における大学の自治は、どちらかといえば防御的で、ややもすれば社会に対して閉ざされた自治という傾向が強かったように見受けられるからでございます。そして、このような閉鎖的な自治のもと、大学は、時として独善に陥ったり、社会の進歩に即応できない非効率的な運営に陥ったりしたこともあったのではないかと存じます。
 しかし、大学の自治は決して特権ではございません。二十一世紀の大学の自治は、社会に開かれた、社会の進歩に即応する積極的な自治でなければならないと考えられます。国際社会や地域社会とも双方向で交流、連携し、社会の支持、理解を積極的に得ていく自治でなければならないと思われます。
 大学のみが知的資源を独占する時代は今やなくなったのではないかと存じます。それは、教育、研究の両面で申し上げられます。現在の教育政策におきましては、生涯学習体系の中に高等教育機関をいかに組み込むかが焦眉の課題となっております。社会資源の活用ということも大学教育の大きな課題でございます。研究の面でも同様なことが言えます。大学以外の研究機関、団体もすぐれた研究業績を上げておられるからでございます。これからは、これらの研究機関、団体との協力、共同なしには大学の発展は期待できません。絶えず社会から学ぶ、社会人から学ぶということを通して、初めて大学はその教育研究活動を活性化し、高度化していくことができるのではないかと存じます。
 他方、これからの大学の自治の理解におきましては、社会貢献や説明責任のより一層の履行というファクターも重要でございます。
 ところで、このような開かれた大学の自治への転換は、さまざまな改革を大学に迫ることになろうかと存じます。
 その中でもとりわけ重要だと思われますのは、大学の管理運営の面における改革でございます。と申しますのも、これまでの国立大学におきましては、大学総体という形式はございましても、その実質は個別学部、研究科の集合体でございました。したがいまして、大学の自治も、その実質は学部、研究科の自治でございました。また、この学部、研究科の自治も、多くの場合、講座の自治、教官個人の自治に還元されることが少なくございませんでした。そして、このような講座、教官個人の自治は、大学を外部の関与から守るための仕組みとして機能してまいりましたけれども、現在では大学を内にこもらせる方向に作用し、時には社会に閉ざされた独善的な運営や、社会の発展についていけない非効率的で保守的な運営などの温床ともなっております。
 しかし、大学がこれまでの役割を質、量の両面ではるかに超えた役割を果たしていくためには、学部、研究科を超えた大学全体としてのまとまりや計画、執行が喫緊の課題となっております。大学が全学的な見地から取り組み、一個の組織体として迅速に意思決定を行うことが求められております。そのために、学内の機能分担の一層の明確化が図られなければなりません。また、その意思決定に際して、社会の意見を聴取することも極めて重要なことでございます。そのためのシステムが整備充実されなければなりません。
 大学が、内外に対してその説明責任をより果たしていくことの意義も大きなものがございます。説明責任を十分に果たしてこなかったために、不信や誤解を招いているという側面もあるからでございます。
 以上のことは、教官個人と学部、研究科との関係においても言えることではないかと存じます。
 九州大学におきましても、このような観点から大学の管理運営などの面の改善に努めてまいりました。例えば、学長の補佐体制の整備、教官の教育研究活動のデータベース化と公開、学外者との懇話会の設置、全学情報化推進体制の整備、学部などの枠を超えた全学的な教育研究プログラムの推進、学内諸委員会の見直しと整理、産学連携推進機構の設置、これらがそれでございます。しかし、残された課題も少なくございません。今後は、これらの課題を含め、さらなる改善を図っていきたいと存じております。とりわけ、学長のリーダーシップシステムにつきましては、高等教育研究機関という大学の特性にかんがみ、ボトムアップとの組み合わせ、バランスに留意しつつ、その整備に努めてまいりたいと考えております。
 以上の大学の管理運営と並んで重要だと思われますのは、評価ということでございます。
 大学審議会の答申においても指摘されておりますように、我が国の大学が今後とも教育研究の水準向上を進め、世界のトップレベルの大学と伍して発展していくためには、教育研究活動の水準向上の目標を定め、その達成状況を評価し、評価結果に基づく改善を進めていくことが求められているからでございます。
 もとより、大学評価の取り組みの基本は、各大学がみずからの教育研究水準の一層の向上を図り、説明責任を果たすために、みずからの教育研究活動の点検・評価を行ういわゆる自己点検・評価にございます。
 九州大学におきましても、不十分ながらも自己点検・評価制度の整備充実に努めてまいりました。教育面に関する点検・評価報告書を平成五年三月に、また研究面に関する点検・評価報告書を平成八年三月に各まとめ、公表いたしました。しかし、これには反省すべき点もあったということから、平成九年七月に自己点検・評価体制を再編強化し、新たな体制のもとで自己点検・評価を行うことといたしました。改革につなげる自己点検・評価や外部に開かれた自己点検・評価を初め七つの原則を定めるとともに、大学の管理運営、社会との連携、国際交流を初め、九州大学のあらゆる活動を点検・評価の対象とすることといたしました。これに基づきまして、平成十年度及び平成十一年度と、全学、各部局とも自己点検・評価を外部評価を含めて行い、現在、公表に向けて報告書を取りまとめ中でございます。
 この点検・評価により、いろいろな問題点や課題、例えば、適任者を確保するための学長選考方法の見直しや苦情処理システムの整備、大学における情報公開、情報伝達のあり方、教育評価のあり方なども明らかとなってまいりました。この結果を改善、改革に生かすとともに、学校教育法等の法令改正を踏まえ、自己点検・評価体制のさらなる整備強化を図っていきたいと存じております。
 しかし、幾ら充実したといたしましても、自己点検・評価には限界もございます。社会の期待にこたえ、評価をより実効性の高いものとしていくためには、客観的な立場、より広い視野からの専門的な判断を基礎とした信頼性の高い他機関との比較も含めた評価が必要となるからでございます。
 大学評価機関創設準備委員会の最終報告にもございますように、評価結果を各大学等にフィードバックすることにより、各大学等の教育研究活動の改善に役立てていく。また、大学などの諸活動の状況や成果を多面的に明らかにし、それを社会にわかりやすく示すことにより、公共的な機関として設置、運営されている大学に対する国民の理解と支持が得られるよう支援、促進していく。信頼性の高い客観的な第三者評価の導入を通じまして、これらのことが実現されますことは極めて意義深いことだと考えられます。今回の法令改正、大学評価・学位授与機構の創設に賛同する理由でございます。
 もっとも、研究の評価につきまして、改めて第三者による評価を制度化することに懸念や難色を示す教員がいることも事実でございます。教育の評価につきましても、教育の画一化につながらないのかという危惧の声が一部にはございます。確かに、第三者評価制度といいますのは、これからの国立大学を左右するような大きな制度、システムだと思われます。
 しかし、だからといってこれを回避すべきかと申しますと、決してそうではございません。第三者の評価を受けるということは、開かれた大学の自治という観点から見まして、むしろ肯定的に受けとめるべき事柄だと存じます。大学評価・学位授与機構の創設は、国立大学が積極的に未来を切り開き、社会の支持を得る上で極めて重要な意味を有するものだと考えられます。
 ただし、第三者評価を適切に実施していくためには、客観性、透明性の確保を初めとしてさまざまな工夫、配慮が必要だということはそのとおりだと存じます。
 大学評価・学位授与機構の今後の大学評価事業などにおきまして、このような配慮、工夫が行われ、大学がこれからやろうとしている改革をエンカレッジする、あるいはサポートするように機能するためのさまざまな配慮、工夫がなされますことを切望したいと存じます。大学の側も、あるべき第三者評価の実現のために微力を尽くす所存でございます。これらの努力を通じまして、我が国が進化する、そして世界的に見ましてもすぐれた第三者評価制度を持つことができますことを最後に希望いたしまして、私の話を終わらせていただきたいと存じます。
 御清聴どうもありがとうございました。
#5
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。
 次に、三輪参考人にお願いいたします。三輪参考人。
#6
○参考人(三輪定宣君) 皆様の教育、科学問題についての日ごろの御尽力につきまして深く敬意を表しております。
 御紹介いただきました千葉大学教育学部の三輪定宣と申します。
 専攻は教育行政学でございます。また、学会の活動では、日本教師教育学会という教員養成の学会の会長、また日本教育政策学会、教育法学会、教育学会等の理事を務めております。なお、学会ではございませんが、日本科学者会議という三十五年の歴史のございます約一万人ほどの国立大学の教員等を中心に組織された会がございますが、その大学問題委員会の責任者でございます。
 さて、国立学校設置法の一部を改正する法律案でございますが、特に大学評価・学位授与機構の創設に関して意見を述べさせていただきます。論点は多岐にわたりますが、当面、以下の諸点を問題にしたいと存じます。
 まず第一は、国の機関として大学評価機関を設置することの問題でございます。
 そもそも大学の教育研究活動を評価するということは大変慎重を要することでございまして、真理を探究するという研究の本質、あるいは人格の完成を目指す教育の本質に照らして当然でございます。また、大学評価は本来、大学あるいは教員が自主的、自発的あるいは自覚的に行うべきものでありますが、このような法的義務づけになりますと、むしろ大学の改革や活力を損ねて将来の教育研究の発展の足かせになるのではないかと憂慮するわけでございます。
 例えば、戦後初期の大学基準協会による大学間相互の自主的基準づくり、評価に対する国の基準法制の強化、あるいは大学設置基準による自己点検・評価の努力義務、一九九一年。また、昨年の大学の自己点検・評価の実施義務や公表義務や、あるいは学外者による検証の努力義務等々の義務の連続の中で、今回この機構の創設に至っているわけでございます。
 九一年の大学審議会答申では、大学基準協会が積極的な役割を果たすことが期待されると述べておられましたし、また九七年の答申でも第三者評価が検討課題にとどまっておりました。その意味では、大学評価政策の大転換が最近起こったのではないかと思っておるわけであります。
 国立学校設置法の一条によりますと、この機構は文部大臣の所管でございまして、人事、予算、事務などの独立性が弱くて、第三者機関というより、実質は国立大学を管理する文部科学省の附属機関の性格が強いと思います。評議員や運営委員会あるいは評価委員会の委員の選出につきましても、学会や大学等の推薦制ということは報告書にございません。恐らく、現場では大学評価の外からの圧力と受けとめるのではないでしょうか。
 国立大学は、日本の教育研究の基盤として重要な役割を果たしてまいりましたが、現に文部省の許認可権、財政権、人事権などによって大幅に自主性が損なわれていると大学側では受けとめております。また、国家的あるいは行政管理的な大学評価体制がその上に築かれるならば、この傾向が一層助長されるのではないかと憂慮されているわけでございます。
 特に、大競争時代を背景に、今中央省庁の再編が進んでいるわけでございますが、文部省と科学技術庁の統合による文部科学省の設置、あるいは政策評価の強化、人事の能力主義の徹底、独立行政法人化、内閣機能の強化、そして内閣直属の経済財政諮問会議や総合科学技術会議等の体制によって、国策としての大学・学術・科学技術政策が大学に集中するならば、大学はその下請機関となって、教育研究の自由な発展が阻害されることが憂慮されます。
 この大学評価機構についての国民的コンセンサスあるいは議論がまだ不十分であると思います。例えば、先ほど紹介しました私どもの日本科学者会議を初め、全国大学高専教職員組合、大学基準協会、日本私立大学団体連合会、日本私立大学教職員組合連合、その他の団体やその関係の支部の方々も、反対や危惧の念を表明しておられますし、また、国立大学協会の要望、これは昨年六月のものですが、閉鎖的な権威を警戒して大学基準協会との関係に留意することを促しております。
 また、いただいた資料も拝見しますと、政府の機関でも、学術審議会の答申は、大学評価機構には言及しないで、「本審議会」、これは学術審議会ですが、「本審議会は、これまで実質的に行ってきた第三者的な立場からの機関評価的な機能を含め、これまでの役割を引き続き担っていくことが必要である。」と述べております。
 また、学術会議のことし一月の報告も、第三者による評価としては、大学相互間の評価、専門家集団、学会などによる評価、あるいは学生による評価やマスメディアによる評価、複数の評価主体と評価基準に基づく実践が求められるべきであろうと述べておりますが、国の機関による評価はそこに含めておりませんし、また、本機構については、権力的な、または硬直的、形骸化した評価機関とならないよう警告しております。
 大学審議会答申でございますが、大学評価を根拠づける大学現場の意向として、広島大学大学教育研究センターへの文部省の委託調査の結果を紹介しています。確かに、大学評価の今後のあり方に関する設問では、改革に結びつける政策的仕組みを「そう思う」とする者はトップですが、それは十の選択肢の一つであって、ほかの選択肢の「そう思う」全体にすれば約二割。そのうち、政府による直接的な外部評価に対し「そう思う」と賛成する者は〇%でございます。大学現場では国の機関の評価にはかなり根深い抵抗感があるということは、この回答状況やアンケートにもあらわれているかと思います。
 主要国でも、大学評価の政府からの独立性というものがむしろ基調であると思われます。
 例えば、アメリカでは一部の州、自治体や大学連合組織による基準認定、いわゆるアクレディテーションですが、国、連邦の機関ではございません。そのエネルギーはボランティアリズムでありまして、それがアメリカの大学の強さであると指摘する人がいます。ドイツも州の機関です。フランスでは、教育基本法に大学評価の政府からの独立性が明記をされておりますし、逆に政府の大学政策全体に対する評価も行われます。
 また、大学政策のグローバルスタンダードとも言うべきユネスコの高等教育世界宣言、九八年に出たものですが、これも外部評価の独立性を専門家あるいは団体の両面で強調しております。
 ただ、イギリスの場合は、補助金配分を任務とする高等教育財政カウンシルの機能で補助金と評価の結合が行われて、この弊害が指摘されているわけでございます。
 このような政府の機関が大学を評価する、それを通して産業・経済政策に大学政策が従属を余儀なくされるということは、憲法二十三条の学問の自由や、あるいは教育基本法十条の不当な支配の禁止などの原則に違反するおそれがあるかと思います。
 十二世紀ヨーロッパに大学が誕生しまして、そして大学が教権、帝王権と並ぶ中世三大勢力と認められて以来、大学の自治、学問の自由は世界史の中で人類普遍的な価値として発展してまいりました。日本では、戦前、大学が国家の須要に応ずるとの規定、これは帝国大学令の規定ですが、のもとに国家に統制されて、ひいては国民の精神の自由が奪われ、国家の破滅に至りました。憲法や教育基本法はその反省の上に、また滝川事件など、大学自治確立の伝統を受け継いで、学問の自由、不当な支配の禁止の原理を規定し、それが戦後の学術の発展の源泉となってきたかと思います。
 その意味で、二十一世紀の大学像と銘打った百四十ページ、十五万字に上る膨大な大学審議会答申に、学問の自由、大学の自治の言葉が全くない、そしてむしろ、大学の閉鎖性、独善性、後進性のごとくに批判する内容になっておりますのは、これはユネスコの宣言や勧告に照らしても私は異常だと考えております。
 大学評価をめぐりましては、しばしば大学の責任が強調されておりますけれども、国民的というより人類的価値とも言うべき学問の自由や大学の自治を最大限尊重し、確立するということが政府と大学の社会的責任であって、それが大学固有の責任を果たす基本条件であって、また、短期的にも長期的にもそれをしっかり守ることが教育研究の発展の基盤ではないかと思うわけであります。
 大学の自治というのは、大学構成員の共同や連帯、そして成果の蓄積を促す、そういう教育研究の温床でございます。また、個々の大学や教職員も国の機関の管理やあるいは評価にこたえる間接的責任ではなくて、日常の教育研究活動を通じて直接に国民に責任を負い、奉仕すべき立場にあると思われます。この点は、教育基本法十条が、教育は、不当な支配に服することなく国民全体に直接に責任を負って行われるべきものと明記しているとおりでございます。
 これに関連いたしまして、大学評価の内容の問題がございます。
 こういった機構のもとで、大学評価の内容が、さまざまな政府の諸答申に盛られたような国の大学・学術・科学技術政策に沿うことを余儀なくされ、そのことによって学問の自由が統制されたり国策に誘導、規制されるおそれがないかどうか、この点は準備委員会の報告の中でも気になるところが幾つかございます。
 またもう一点は、大学評価機構の評価が資源配分、予算とリンクする場合の問題でございます。
 現在でも大学の格差が非常に大きい状況の中で、さらにその中で有利な成果に対して予算をプラスしていくということになりますと、ますます大学格差を拡大再生産する。むしろ私は、成果が上がらない、条件が非常に悪いところに資金を重点的に配分して支援するという視点が今必要ではないかというように思っております。
 大学評価と予算をリンクさせた先例はイギリスでございますが、これについていろんな方が調べて問題を提起しておられます。
 例えば、森嶋通夫先生、ロンドン大学経済学部教授が岩波新書で「サッチャー時代のイギリス」という本を書かれて、そこでイギリスの大学現場から報告していらっしゃいます。そこでは、そのような仕組みの結果として、エレクトロニクス学科等が栄えながら、一方では古文書学がほとんど絶滅の危機に瀕したとかいう例を挙げられて、全体として大学政策が壊滅的な打撃をイギリスの学問や教育に与え、大学教師は易しい問題を数多く手がけ、業績の量は増加するが質は低下し、より安定した席を求めて容易に海外に頭脳流出する。学問の世界に必要なことは利潤の原理ではなく、学問的良心の原理であるというように述べております。
 今、日本の大学の業績が問われていますけれども、アメリカのカーネギー教育振興財団の国際比較調査、これは十四カ国、一九九二年に行われたものですが、日本の大学教員の研究業績、これは総合で一位でございますし、自然科学、工学、保健医療の分野でも一位であります。ただし、研究用の設備器具、図書館の蔵書などの施設設備の評価は最低でございました。この点は、かねて指摘されております高等教育関係予算の対GNP比が日本では、こちらの資料にもございますように、〇・七に対してドイツが一・五%、イギリス一・三、アメリカ一・一、フランス一・〇というように大幅に立ちおくれていることとも関係しているかと思います。
 日本の学術研究水準のさらなる改善に何が必要か、こういうところにもあらわれているかと思います。
 以上でございます。
#7
○委員長(佐藤泰三君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 なお、両参考人にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
#8
○仲道俊哉君 自由民主党の仲道でございます。
 きょうは、両参考人の先生方には、貴重な時間を割いていただきまして御意見を述べていただきましたことに、まず感謝申し上げたいというふうに思います。
 時間がございませんので早速質問に入らせていただきたいと思います。
 まず内田参考人に。先生のおっしゃいました大学の自治で、これまでの大学の自治というのを反省した上で、開かれた大学の自治というのはどうあるべきかという貴重な御意見をお聞きいたしたんですが、その中で、改革するためには管理運営と大学の評価という柱を立てられてお話しいただきました。そこで、大学の評価という件でちょっとお聞きをいたしたいんですが、その評価の構成員、すなわち評価者は広く産業界やマスコミ等の有識者を含めた、またそれに大学教授等も含めたそういう広い視野の人を選ぶべきか、または、つい先日、自民党の政調会で大学の学長からちょっとヒアリングをしたことがあるんですが、その学長は、これはあくまでも専門である大学関係者に限るべきであるというような意見も述べられたわけですが、こういう評価者に対しての参考人の御意見はいかがでございましょうか。
#9
○参考人(内田博文君) 御質問、ありがとうございます。
 私といたしましては、大学改革に資する、大学の教育研究の改善に資するという観点、それから大学のやっておりますさまざまな活動について説明責任を果たさせていただき国民の御理解を得させていただきたい、こういう観点から見ましたときには、大学関係者だけではなくて、広く各界から評価者としてすぐれた方々にお入りいただきまして、自己点検・評価ではできないような第三者評価をしていただく、そしてそういうことを通してより一層大学の改革に資したいというふうに考えている次第でございます。
#10
○仲道俊哉君 その場合、大学の教育研究活動の評価というのは口ほどまた単純ではないし、客観的な評価となるにはなかなか難しいと思うわけです。
 そうした場合に、今回の改正によって、特に外部に公表されるということになりますと、その公表された結果が大学自体の評価や人気にまで連動してまいりますし、万人が納得できる合理性を持った評価基準の制定であるとか、また学閥にとらわれない公正な人選、そういう評価活動により厳格な客観性が求められると思いますが、今、三輪参考人の方からもこの点については多少疑義を持たれた意見が出されたわけですが、内田参考人としては、そういう意味で客観性を担保する方法としてどのようなスキームが考えられましょうか。その点について御意見をお聞きいたしたいというふうに思います。
#11
○参考人(内田博文君) 客観性を担保いたすときには、幾つかの要素といいますかファクターが重要ではないかというように思います。
 一つは、自己点検・評価という形で、私どもを含めまして大学でさせていただいておりますけれども、自己点検・評価におきましては、その評価者は大学人であるかもしくは大学が選任した方々ということになりますので、客観性という意味では若干限界はございますが、第三者評価の場合には、大学と離れた方々が独立して選任されるという意味では、自己点検・評価よりはむしろ第三者評価の方がより客観性が担保される可能性が高いのではないかという気がいたします。
 それからもう一つ重要な点は、やはり評価というのは先生御指摘のように非常に多元的でございますし、いろんな角度からの評価が成り立つと思いますけれども、そういったさまざまな角度からの、さまざまな観点からの評価ということを組み合わせることによって、より客観性が高いものができるのではないかという気がいたします。そういう意味では、幅広い人材に御参加いただくということが重要で、学外の方々もお入りいただくということは重要ではないかと。
 さらに、昨今の研究などを見ますと、大学以外の研究所とか民間の研究所等におきましても非常にすぐれた研究をしておられる、そういう専門家がたくさんいらっしゃいますので、そういう方々もお入りいただくというようなことを考えていただいてはどうかというふうに思っております。
#12
○仲道俊哉君 今の問題と関連して三輪参考人に。国の機関でのそういう法的な足かせ等、大学評価についてはかなり疑義を持っておられるようでございますけれども、戦後五十五年たちまして、大学について、大学の自治から考えまして、三輪参考人は今どのような評価をなされておるか、その点についてお伺いをいたしたいと思います。
#13
○参考人(三輪定宣君) 大学の教育研究活動の成果につきましては、それをどのように客観的に評価するかということが課題かと思います。その一例として、先ほどカーネギー教育振興財団の十四カ国の比較研究を紹介したわけでございますが、大学財政は行政改革によってかなり切り詰められてまいりましたけれども、その中でよく頑張っている、実績を上げてきた、そのような評価が基本的に研究の面では総合的にできるのではないかというように思っております。
 ただ、そこにもございましたように、施設設備の面等では相当な老朽化や劣悪化が進んでおりますので、それらについての一層の御援助がいただけるならば、さらに日本の大学は大きな成果を未来に向けて発揮し、発展をするのではないかというふうに思っております。
#14
○仲道俊哉君 これまで大学自体で自己点検、自己評価または相互評価、こういう評価システムがなされているわけでございますけれども、実際に三輪参考人の評価として、これまでのそれぞれの日本におけるところの大学の自己点検、自己評価または相互評価というものが堅実に実行され、それが大学の運営等に影響し、また評価をされたものがどう生かされておるかという点についての御自身のお考えはいかがでございましょうか。
#15
○参考人(三輪定宣君) 大学評価の中心は、何といいましても研究評価でございましょうし、それは、ある意味では個々の教員の研究業績評価というあたりが恐らく核心になってくるかと思います。
 この点で申しますと、国会議員の先生方にはなかなか知りにくい世界かと存じますが、いろんなところで評価を厳しく受けているというのが実態かと思います。例えば、大学院を卒業して修士課程に進みますと修士論文を作成しなくてはなりませんし、また三、四年すれば博士課程で博士論文の審査が行われる。それから数年の間は十カ所なり二十カ所の大学の教員採用の応募をするわけですが、そこまでにさまざまな業績を上げていかなくてはならない。
 また、一度就職いたしましても講師、講師から助教授、それから教授という段階では非常に厳しい審査がございますし、また他の大学に転任する場合にもそれぞれ業績審査がある。
 さらには学会等の活動でも、審査といいましょうか、さまざまな役職の選挙なども、ある種のその人の能力査定になるかと思います。
 そういうことでいいますと、日常の生活の中では、いわばそうした評価の仕組みの中で活動をしているという部分、隠然たるそうした評価の世界の中で生活しているという点はぜひ御理解をいただきたいというふうに思います。
#16
○仲道俊哉君 今、先生のおっしゃったことは研究評価ですね。研究をするということに対して、それなりに自分自身で研究しながら評価を受けて、助教授から教授ということで評価を受けておると、自分自身が実際にそういうことでかなりの評価を受けておるというお話ですが、いや教育評価です。特に先生の場合には教員養成大学の立場でございますので、そういう教育に対しての評価というものについてはどのようにお考えでございましょうか。
#17
○参考人(三輪定宣君) これは先ほど申しましたように、教育の目的というのは人格の完成という大変漠然としたことでございますし、実際に二十歳ぐらいまでの青年については、人間教育といいましょうか、教育を通して人間は発達していくわけでございます。
 ですから、そういう領域といいましょうか、世界を評価するということは、期限を区切ってある時期に成果が出るというものではない部分が基本的にございますね。非常に長いスパンというか、あるいは見通しの中で教育活動が行われますので、したがいまして、ある種の短期的なあるいは期限を区切るということが条理上非常に困難であるということ、また教育というのが、生涯の発達の中で以前のものが成果としてあらわれたり、あるいは逆に、ある時期に高く評価されてきた側面がむしろマイナスになったりするということもございます。
 ですから、その点で教育評価というのは、ある意味で個々の教員の量的な側面がはかれる研究評価以上に、私は基本的には難しい仕事だというふうに思っております。
#18
○仲道俊哉君 確かに、おっしゃるように教育というものの評価というのは非常に難しい側面があると思いますが、実際に教育をされるときに、特に教育学部、養成機関として学校で将来教員になっていく学生を実際に教員養成学部として指導するわけでございますから。そうしますと、実際に教育するための教育プログラムであるとか、今、先生がおっしゃった長いスパンじゃなくて、具体的な現在の生徒たちをどのように教育するのかという学部の、また個々の先生方の評価というのは、実際には自己点検・評価や相互評価等で先生の大学ではなされているんでしょうか、どうでしょうか。その点をお伺いいたしたいと思います。
#19
○参考人(三輪定宣君) 年度初めにそのようなカリキュラムをつくり、目標を立てて、それについてさまざまな研究成果に基づいて授業を進めていくという、日常の世界では常に行われていることでございますが、九一年の自己点検・評価以来、学部としてのあるいは大学としての体制も強まってまいりまして、そういう側面での活動もいたしております。そして、かなり長大な報告書も出ている現状ではございます。
#20
○仲道俊哉君 残念ですが、時間になりましたので。
#21
○石田美栄君 民主党・新緑風会の石田美栄でございます。
 早速質問させていただきます。
 三輪参考人にお尋ねいたしますが、千葉大学の方では、平成三年以来ある程度、初めはこれは努力義務、それからやがて義務づけられてまいりまして自己点検・評価を実施されてきたと思いますけれども、その実情あるいはその結果に対して三輪先生御自身はどういう評価をされておりますでしょうか。そのことによって千葉大学ではどういう改善が見られましたでしょうか。
#22
○参考人(三輪定宣君) そうですね、私は大学の執行部ではございませんので、それが全体的にどのように生かされたかということについては正確に申し上げる立場にはございませんけれども、ただ、学部内でも、大学内でも、それぞれの報告書が公表されてさまざまなところですぐに見ることができる状態でございますので、その点では、今まで知らなかった部分をお互いに認識したり、また協力をしたりというような機会として利用しやすくなったというところがございます。
 また逆に、そういう点検をする中で、かえって自分たちの仕事の困難さというものが具体的なデータを通して認識されてくるということもございます。
 例えば十年ほど前には、教育職員免許法の改正の前には、教育学関係の授業でございますね、教員養成学部ですから教職科目の単位が免許状を取る上で必要なんですが、その教育学関係の科目、単位は二科目で六単位が基準でございましたけれども、最近ではそれが八科目十三単位くらいにふえております。
 ところが、千葉大学教育学部の教育学担当の教官の数は現在十一名が十名に減っているというように、科目数がふえてそして単位数がふえているのに全体の条件整備が進まないということから、そういうさまざまな困難が逆に照らし出されるというようなこともそうした報告書の中から浮かび上がってまいっております。
#23
○石田美栄君 引き続いて、ちょっと三輪参考人に質問が集中して恐縮でございますが、後ほどまた内田参考人にお伺いしたいと思います。
 三輪参考人は、この評価というのは研究が中心のようにおっしゃったのですけれども、私はむしろ、この始まった評価というのは、研究もさることながら、特に国立大学の先生、お偉い先生ほど学生に対する教育責任がどうなのかが問われる、そういう面が非常に大きかったというふうに思うんですが、先生の学校ではどうなんでしょうか。学生の授業に対する評価とかシラバスというものがかなり充実してきたと思うんですけれども、そういう点での教育面での評価、ここは主として自己点検のところですけれども、どのように評価されていますでしょうか。
#24
○参考人(三輪定宣君) シラバスは、自己点検・評価が始まることと対応してかなり長大なものといいましょうか、詳しいものがつくられるようになりまして、それを参考にして学生も履修をいたしますが、教官も同時にそのことを通してお互いの授業の世界がわかるという、自分の授業の位置づけもしかるべく見直すことができるという、そういうような便利さというものが体験的には感じられております。
#25
○石田美栄君 学生の授業評価はなさっていますでしょうか。
#26
○参考人(三輪定宣君) 学生の授業評価も、先生によってはやっていらっしゃいますけれども、全学的にというのはなかなか抵抗もございまして、全学一斉にというアイデアは当局から出されましたけれども、具体的に実施をする段階には至っておりません。
 ただ、学生の授業評価というのは、個々の授業の中でただアンケートをとるとかということではなくて、例えば、私であれば毎回授業についての感想を書いてもらって、その中で何かわからないところとか、あるいは自分のしたいこととかを表現したりして、絶えずフィードバックしながらそれを次の授業に生かしていくという形をとったりしておりまして、形式的なアンケートでマル・バツをつけるということは別にしまして、かなりそれぞれの先生が学生と向かい合いながら授業改革の努力をしているというふうに思っております。
#27
○石田美栄君 引き続いて恐縮でございますが、先ほど三輪先生は、これは外部評価というんでしょうか、諸外国の第三者評価のことにお触れになりまして、その中でアメリカのことにも少しお触れになったのですが、先生は特にアメリカの大学の評価方法についてはどういう御所見、評価をお持ちでしょうか。
#28
○参考人(三輪定宣君) アメリカもかつては政府による評価を実施したことがあったようですが、その失敗というかマイナスの効果ということを反省して、以後、民間を中心に行われるようになったと聞いております。その民間といいますのも、大学間同士で基準を上げて社会的に評価を得て、それでまた学生も増えるし、いい先生も来るというサイクルになっていくわけですから、したがって完全にアメリカの大学の世界では評価が民間のといいましょうか、大学主体の評価が完全に大学制度の一環として確立をして、そのことで活力が生まれているというふうに思います。
 むしろ、人の大学を評価する場合にも非常に熱心になる、また人から評価される場合もオープンにしてどんどん資料を出して、自分たちのプラス面マイナス面もさらけ出しながら、自分たちのを隠したり誇張するというよりは、自分たちの改善、改革のためにむしろそういう十年に一回のチャンスを積極的に生かしていく、そういう一つの文化みたいな形で定着していて、その方向がむしろ長期的には大学にふさわしい評価のあり方ではないかというふうに思っております。
#29
○石田美栄君 今のお話を伺っていますと、三輪先生もアメリカのやり方を評価していらっしゃるように受けとめたのですが、アメリカの場合はいろいろな面について連邦政府がやるということはありませんから、大学評価も民間というか、それが公なんだと思うんですが、日本とは国の体制が違いますから、評価という意味では、これはまさにアメリカのは第三者評価、外部評価で、それも非常に客観性のある明確な点数評価できちっと出す。
 学生の授業評価も、今、先生がおっしゃったようなものではなくて、私は学生のときにとっていました授業全部を評価させられた立場でしたから、本当に点数で、先生の授業の準備はどうか、私は文学系統でしたから、学生一人一人の思想形成にどういうふうに役立つように授業を組み立てているかとかという、本当に細かいところまで点数で厳しく評価する、そういう体制です。
 そういう点で、三輪先生も、私は今のお話で、自己点検、自分みずからがやるということではなくて、第三者評価といいますか、そういう評価をもうされているようにお聞きしたのですが、今回の日本の場合は確かにそういう民間のものが確立していませんから国でということになりますので、そのあたりは違うかなと思いますけれども、評価の必要性というのはお認めになっているように拝察するのです。
 これからの大学の状況というのは、少子化もありまして、子どもたちも全部入学できるような時代が参ります。そうすると、子どもたちが学校を選ぶ、それにはやっぱり選ぶ資料が要りますし、それにも増して、先生もおっしゃっていらしたと思いますけれども、日本の大学も今に世界の大学と学生を取り合うような時代もやがて来るでありましょうし、先生も科学者会議のメンバーでいらっしゃいますが、日本の産業界、民間企業が海外の大学を重視する割合がふえてきていて、国内の大学とか国立の試験場といったそういう公的機関を重視する割合が減っているというふうに言われます。
 ですから、日本の企業が海外の大学、研究所と連携を深める動きがあって、日本の大学の、特に科学技術面と申しますか研究面で空洞化が懸念されるというようなことが言われるときに、日本の大学が、アクレディテーションということを先生もおっしゃいましたけれども、社会的責任を果たすという意味でどういう評価が日本ではいいと先生はお考えでしょうか。
#30
○参考人(三輪定宣君) もちろん大学によっては、アメリカであれば六百くらいの大学の中で百二十くらいの研究大学がかなりそういう点での評価が高いと思います。それらの背景といえば、やっぱり今も御指摘のように、連邦からの政府資金とか、それから設立当時に土地を付与して、その広大な財産を基盤にして今もそれを財政的な収入の源にしたりというような、あるいは寄附金等によって、財政的な基盤のけたが違うというところが非常にその活力の大きな要因になっているのではないかというように思います。アメリカのそういう研究大学等の成果を見習うとすれば、そういう部分にもっと注目をする必要があるんだろうというふうに思います。
#31
○石田美栄君 今、先生もおっしゃったように、まさに第三者評価がそういう予算とか支援と結びつくというのがアメリカの姿ですが、最後に内田参考人に、先生の場合は、ほぼ今回の法案に沿った御意見だったと思うのですけれども、最後に、最終的に今回のようなこういう評価制度が、今、三輪先生もおっしゃったように、あるいはこれはやがては予算配分だとか、国立大学が中心でしょうが、大学の学部の再編、淘汰だとか、あるいは独立行政法人化というか民営化、そういうことに使われるというか、そういうことになっていくかもしれない、そういう評価の成果を使うかもしれない。そういうことについて先生はどのようにお考えでしょうか。
#32
○参考人(内田博文君) 資源配分の問題でございますけれども、これからより効果的で適正な資源配分ということは当然必要になろうかというふうに思います。より効果的で適正な資源配分という観点から、客観性の高い、信頼性の高い、そういう第三者評価を資源配分の際の指標の一つとしてお使いになるということは、大学の立場から見ましても否定すべきことではなくて、むしろ歓迎すべきことではないかというふうに考えております。
#33
○石田美栄君 終わります。
#34
○福本潤一君 公明党・改革クラブの福本でございます。
 最初に内田先生の方に。今回、国立学校設置法の改正で組織の再編、また弾力化ができるということになったというのが一つの柱としてあるわけでございますけれども、九州大学がかなり大学院の再編をやられようとしておられるということで、一九八〇年代、九〇年代、学部の改編、再編というのはかなり各大学で行われていたと思うんですけれども、今度、教育部と研究部に分けてやる形で持っていこうと先進的にされたねらいを最初にお伺いさせていただければと思います。
#35
○参考人(内田博文君) 大学院レベルで研究部と教育部というふうな形に分けまして、研究につきましてはより研究のニーズに対応していきたい、また教育につきましては教育のニーズに対応していきたい。必ずしも研究面でのニーズと教育面のニーズが常にイコールということではございませんで、教育面でのニーズに対応するために、また他方で研究面のニーズに対応するためには少し違った場合が出てくるというような場合には、それに迅速に対応するために少し組織を分けさせていただきまして、それぞれの組織が教育に重点を置いた形で教育ニーズに対応し、また研究ニーズに対応する、こういう形をとらせていただければありがたい、こういう趣旨でございます。
#36
○福本潤一君 そういう意味では、さまざまな形での大学改編の中で、教育と研究を学部段階でやっていると、教官の方も教育、研究を両立するのはなかなか大変な段階に来ているというようなお話も現場サイドでは聞きますけれども、一つは、学部の方に教育、大学院は研究というふうに分ける方法。今回、ここの委員会でも質疑の中にあってちょっと混乱していたので整理させておいていただきたいと思うのは、大学院で研究部と教育部を分けたときに、研究部に所属する大学の先生みたいな形で、教育に責任を持つような形での組織再編もされて、教官もそちらの中できちっと一定の教授会、または教育に関する協議ができるような形の組織をつくるのかどうかというのも二点目でお伺いさせていただきます。
#37
○参考人(内田博文君) 大学院レベルで研究部と教育部というのを考えております。先生御指摘のように、大学院の方に重点を置きました場合には学部教育はどうだという御指摘は当然の御指摘だと思いますけれども、私どもは、大学院に進学していただくためには、前提として学部教育というのを経由していただくということでございますので、今まで以上に学部教育にも力を入れていきたいというふうに考えているところでございます。
 御質問の二つ目でございますけれども、教員は研究部に本籍を置きます。そこで研究活動をいたします。ただ、それでは教育部に全く教員はいないかといいますと決してそうではございませんで、そこで教育を担当するという観点で、教育という面では教育部に属するということでございます。そして、研究という面では研究部に属する。本籍はどちらかといえば研究部にある。こういう形で運営させていただければありがたいというふうに考えております。
#38
○福本潤一君 そういう意味では二重に所属した形でやられるのだと思いますが、両方に所属した形が組織再編の中でずれを起こすことによって、逆に教育の新しい動きを取り入れるという形になるんだろうと思います。
 今現実に、日本の大学というのは問題があるとか教育システムがうまくいっていないとか、かなりの再編再編をしながら、マンネリ化するところをいかに学生に新鮮な研究、また教育の知見に対する喜びを与えるかというのは大きな課題だと思うんです。
 そのときに、先ほどの評価システムの御意見の中で、お二方、逆の方向で評価機関というのを位置づけられたという気がしております。第三者機関の評価というのを、今までは自己点検・評価でやってきた、これが客観性と透明性が必要だという内田先生の方にも、また、そこに自治が侵されるおそれがあるという三輪先生の方にも、どういう形で今の自己点検・評価を新しいシステムに変えていくかというときに、いろいろな方向性があると思うんですが、研究の面では、教授の任期制を入れて人事の流動化を図って刺激的な、活性的な動きにできるようにした方がいいという研究の面での話。また、先ほども出ましたけれども、教育の評価に関しては、学生が、具体的に授業を受けている当人がアメリカのように授業評価をきちっとした方がいいという二つの面があると思うんですけれども、この方向でいくということに関して、今回の第三者評価と比べてどちらが望ましいかというのを両先生にお伺いしたいと思います。
#39
○参考人(三輪定宣君) 第三者評価という方法は多様な形態がございます。それはいろんな試みがなされてよいかと思いますけれども、ただ、行政管理的な形で規制をしていく、あるいは誘導していくという方向の制度化は、大学の学問の自由や自治とのかかわりで非常に微妙な問題を含んでおりますし、特に今、国立大学自体がそういうシステムの中である種の沈滞を来しているわけで、それをどう規制を緩和してもっと自由濶達な仕組みに変えていくかということが大きなテーマではないかというふうに思っております。
 ですから、民間とかあるいは大学人同士とかもっとボランタリズムを発揮して、そういう熱意の中でお互いに厳しく評価もし合いながら学術を発展させていくというような仕組みなりがどうやってこれから構築できるか、そのために政府もどのようなサポートができるかという視点ではないかと思います。
#40
○福本潤一君 今お伺いしたかったのは、第三者機関という形での評価はそういう問題があるというときに、第三者機関の中に入るわけですけれども、教育の面で質を向上させるという意味で学生の授業評価というのと、教官の例えば十年とか五年とか任期を定めたら、また再選されることはあるとしても、任期制というのを導入するという面で今度は研究の活性化を図るという、そういう方向性で考える代替案としてはどうかというのもお願いいたします。
#41
○参考人(三輪定宣君) 任期制によって研究業績を評価して、それによって活力を引き出すという考え方というのは確かにこの間強調されておりますけれども、やはり基本的には、研究というのはそういう体制になじんでいくだろうということになりますと、その期間に応じた量の生産という方向にどうしても全体として流れて、その結果として、よく言われる長いスパンの中で大きなスケールで創造的な研究を進めていくという風土といいましょうか、雰囲気というものが損なわれていくということ、ひいてはそのことが基礎的なあるいは萌芽的な研究の芽を摘んで、現象的には生産的かもしれませんが、逆に全体の停滞を招くという危惧がその任期制については私は感じられるわけでございます。
 それから、学生の授業評価につきましては、そういう仕組みというのはいろいろな形で行われてよいと思いますし、現に、アンケートにただ参加するというだけではなくて、大学全体の運営や教育に学生がもっと参加をする必要がある。そして、学生という国民との対話の中で大学を内部から変えていく、そのことが国民に直接に奉仕をする。説明責任といいましても、学生に一番大学のことがわかるわけですね。ですから、その学生の要求をもっと正面から取り入れてカリキュラムや授業づくりにまで生かしていくような、そういう方向が大学改革としては私は望ましいのではないかというように思います。
#42
○参考人(内田博文君) 先生御指摘の学生による授業評価というのは、学生の立場に立った教育というものを推進していく上では非常に重要な制度ではないか、システムではないかというふうに思っております。そういう意味で、学生による授業評価といいますのは、教育評価におきまして非常に大きなポイントになろうかと思います。
 また、先生御指摘の任期制でございますけれども、教育研究活動を活性化するためには、それを担う教員の人事制度をどうするのかということは非常に重要な点でございまして、絶えず見直して改善を図っていく必要があるのではないかというふうに考えております。
 ただ、この両方とも、自己点検・評価におきましても重要なポイントでございますし、また第三者評価におきましても重要なポイントということでございますので、第三者評価とそれとが新たに、こちらをとるかあちらをとるか、そういう関係にはなくて、自己点検・評価におきましても学生による授業評価というのは充実していく必要があろうかと思いますし、また外部評価におきましてもそれは非常に重要なファクターとしてカウントしていく必要があるのではないか。同じように、人事システムにつきましても同じようなことが言えるのではないかというふうに考えております。
#43
○福本潤一君 今回の改正の前にも、両先生の肩書を失礼ながら見させていただきますと、大学院という形での教授になっておられる。また、学部という部の教授になっておられるという形で、最近よく大学院教授という形の肩書が出てきていますけれども、さまざまな形で何度も改正または改革を行われていたわけで、一番現実の現場で組織、システム改編に当たって苦労された話を聞かせていただければと思いますけれども、どこが一番具体的に組織改編では難しかったのか。
#44
○参考人(内田博文君) 先ほどお話をさせていただきましたように、従来は大学の自治といいますと、どうしても防御的な自治論というのが強かったわけでございます。また、自治といいましてもその実質は、大学全体としての自治というよりは部局自治、それから部局自治もその実態は講座の自治とか先生方個人の自治、こういう観点でございまして、その点がどうしても開かれた大学をつくるということに当たって障害となっておりました。
 そこをどういうふうにして意識改革をしていくのか、システムとして改革していくのかというのが大学の一つのテーマでございまして、開かれた自治ということにつきましては、多くの先生方は理解するということでございます。
 ただ、残された問題といたしまして、総論賛成だけれども各論になるとまだまだという部分がございますので、この各論になると何とかという部分をこれから取り上げまして、先生方の御理解を得て改革を進めていくことにさせていただければありがたいというふうに思っているところでございます。
#45
○福本潤一君 じゃ、最後に。せっかく両国立大学の先生が来ておられますので、今、国立大学法人化ということで、きょうの新聞にも、自治を尊重して特殊法人とは違う形で法人化を目指すという動きが大きな動きとして出てきておりますので、この独立行政法人化という動き、またその中における教官の立場をどういうふうな形で、国立、私立と違う形の立場になると思いますけれども、望ましいのかという二点について、両先生にお伺いさせていただければと思います。
#46
○参考人(三輪定宣君) まだ最近発表になった内容については詳しく存じておりませんけれども、独立行政法人化という考え方は、やはり基本的に大学という組織になじまないのではないかというように存じます。
 それは、目標をある期間設定して、そしてそれに基づいて主務大臣から評価を受けて、それに基づいて資金の配分から大学の組織のあり方まで決められていくということは、先ほど申しました、大学が自治的に改革をしながら学問の論理に沿って運営していくというあり方とは根本的に異なるわけですから、その大学の本来の趣旨、あり方が、本質が生かされるような組織をどうするかということが今問われているんだと思います。
 現在のところは、その法人化をめぐってどのような仕組みがふさわしいかということは、独立行政法人にかわるものは何かということは、まだ議論の途についたばかりでございますので、これはもっといろんな角度から、外国の例なども参考にしながら国民的な論議をする必要があるように思います。
#47
○参考人(内田博文君) 先生御指摘の独立行政法人の問題は、国立大学にとりましては非常に重要な問題でございます。
 文部省の方でもいろいろと御検討いただいているようでございますし、また国立大学協会でも鋭意検討を重ねているところでございます。個別大学のところでもやはり検討を重ねているところでございます。
 通則法による独立行政法人化につきましては、いろいろ問題点の指摘もあるところでございます。今後、私どもといたしましても、より掘り下げた検討をしていく中で、大学改革という観点、あるいは高等教育研究の活性化、高度化、こういう観点からより掘り下げた検討をさせていただきまして、それについての態度等につきましても意見を固めていきたい、こういうふうに思っております。
#48
○福本潤一君 どうもありがとうございました。
#49
○林紀子君 きょうは、お忙しいお二人の先生に来ていただきまして、ありがとうございます。日本共産党の林紀子でございます。
 まず、お二人の先生にそれぞれ同じ質問なんですが、お聞きしたいと思いますけれども、今の日本の文教予算、それがどんなに少ないかというのは、先ほど三輪先生の方からはちょっとお触れになりましたけれども、OECD各国の中でも本当に少ないということがございますね。先ほど内田先生は、より効果的で適正な資源配分というのは大学の立場からも歓迎すべきことだというお話がございましたけれども、その前段としてまず、限られたパイをどうやって適正に配分していくのかという配分の問題ということよりも、全体のパイを大きくするというところが一つ非常に必要なのではないかというふうに思うわけですね。
 私は、これは別の問題で大学の先生に参考人に来ていただいたときに、今、大学の先生が本当に皆さんお忙しいというその忙しさの中身というのが、教育とか研究とか、本来そこに打ち込まなければいけない仕事で忙しいのではなくて、例えば科研費などを請求するときに、その請求の文書をつくるのに膨大な時間、エネルギーが要るんだというお話を聞きまして、そこはサポートしてくれる人たちが定数削減とか予算が少ないということでどんどん削られていってしまって、結局そういう仕事が本来の仕事をすべきところまで食い込んでいってしまうんだというお話を聞いて、それが本当に忙しさの一つの大きな原因かというのがわかったんですけれども、そういう意味も含めまして、全体のパイをどうやって大きくしていったらいいのか、今の現状がどうなのか、そういうことも含めてお話をいただけたらと思います。
#50
○参考人(三輪定宣君) 先ほど申しましたように、OECD加盟国の中でも日本の教育予算の割合は最低でございます。
 これらのデータはいろんなところで報告されておりますのでよく御存じのことと思いますが、例えば一九八〇年度から九七年度の大学予算、といいましても、この予算というのは私立大学の助成費とか国立学校特別会計への繰り入れとか育英奨学金とかと合計でございますが、この大学予算は、やや大ざっぱな数字ですが、一・三兆円から一・九兆円にふえておりますが、GNPが二百四十兆円から五百十三兆円というように二倍以上にふえているわけですね。また、学生数はこの間二百二十一万人から三百八万人というように、これも一・五倍程度にふえている。というふうに考えますと、この間の予算が余り伸びない中でそういう全体のGNPや学生数がふえるということは、言いかえれば、学生一人当たりの大学予算という指数に直しますと、これは五十九万円から六十四万円ですから、ほとんど横ばいである。ということは、実質的には五一%くらいに減っているということになりますね。ですから、この一九八〇年から九七年度の約二十年間に実質的には五〇%くらい減っているというのが大学予算の実態でございます。
 イギリスのサッチャー政権、保守政権のもとで大学予算が四割減ったということで、その増額のためにイギリスも今苦労しているわけですけれども、日本の行政改革のもとで大学予算がそのような扱いを受けてきたということがありますから、これを取り返して、さらに二十一世紀に向かって財政的な基盤を築く必要があるというように思います。
 教育条件で一番効果的な係数というのは、何といいましても大学教員一人当たりの学生数でございますが、これが一九七〇年には十八人でしたけれども、今十九人に、先生に対して学生数がふえております。職員について言いますと、この間に八人から十一人にふえているわけですね。つまり、大学の先生に対する学生数も職員に対する数もふえているという状況でございまして、イギリスの九人とかドイツの十一人とかそういうレベルに比べると、日本の先生は教育の面でも非常に忙しくなっているということがおわかりだと思います。また、専任教員一人当たりに対する非常勤講師の割合もこの間に〇・七から一・〇というように、非常勤講師がどんどんふえて専任の教員がその分だけ減っているというように、財政のしわ寄せがいろんなところに及んでいるわけでございます。
 また、学生の授業料もこの間ウナギ登りに上っておりまして、そのことが、学費を切り詰めたりあるいはアルバイトをおやりになったりということで学生自身の学習活動に非常に支障を来すということもございまして、教育評価もよろしいのですが、そういう劣悪な条件の中で学ばざるを得ない学生の問題というのは、これは基本的にやっぱり解決しなくてはなりません。
 そういうことで私が、私立大学、国立大学全体を通して学校納付金全体を無償化すればどれくらいかかるかということを推計したことがございますけれども、約二兆七千億円でございます。これが大きいかどうかということはまたいろいろ評価の分かれるところでございましょうが、国の予算としてそれだけを投入すればすべての学生は経済負担から解放されて勉学に没頭できるし、また、低所得の人も大学に行けるという希望が生まれますので、社会的なロスもなくなって、みんなの学習意欲が喚起されるわけですね。こういうことがやはり大きな効果を生み出す要因ではないかというように思いますので、ぜひこのような文教政策については特に財政面の改善をお願いしたいというように存じます。
#51
○参考人(内田博文君) 先生御指摘いただきましたように、高等教育予算をふやしていただけるとか、あるいはポストの面でいろいろと手当てをいただける、あるいは施設につきましてもいろいろ御配慮いただけるということは、大学にとりまして非常にありがたいことだというふうに存じております。
 ただ、大学の方からこういうことを申し上げるのは非常に失礼でございますけれども、やはり国費でございまして、国民の税金をいただいているわけでございますので、その税金が適正に支出されているという観点で国民の御理解を得るということが非常に重要ではないか。大学が税金を適正に使うことによって教育研究活動をきちんとやっているということについてやはり国民の方々に十分に理解していただいて、その上でふやしましょうと、こういうふうにやっていただくことをしていきたいというふうに考えているところでございます。
#52
○林紀子君 どうもありがとうございました。
 国民が税金を投入しているわけですから、ちゃんとその説明を受けるというのはそうなんですけれども、国民としてもぜひ税金をきちんと私たちが願っているところに使ってほしいと、そういう願いもあるわけですので、教育費の増額というのは、外国との差からいいましたらそういうものかなというふうに考えたわけです。
 続きまして三輪先生にお伺いしたいんです。
 先ほど、外国ということも含めまして、ユネスコではいろいろ学問の自由ということについてきちんとうたっている勧告などがあるのに、大学審の中には一言もそれが出てこなかったというお話がございましたけれども、そのユネスコでうたっている学問の自由、そして欧米諸国が到達しているといいますか、そういうものというのは今どういう状況になっていて、それを日本はどういうふうに見習っていくといいますか、世界と肩を並べるという、そういうところではどういうものかというのをお伺いしたいと思います。
#53
○参考人(三輪定宣君) ユネスコに見られる世界の大学改革の基本的動向は、大学の自治、学問の自由をさらに豊かに発展させるという方向で二十一世紀の知の世紀を切り開いていかなくてはならないということだというふうに思います。
 ちょっとその例を申しますと、九六年に高等教育の教育職員の地位に関する勧告がユネスコから出されました。そこでは、前文で、学問の自由を掘り崩しかねないたちの悪い政治的圧力によって学術の社会が傷つきやすいことに関心を表明すべきであるということを明確に言っております。また、大学の機能は学問の自由と自治の雰囲気の中でのみ十分に発揮することができるということ。あるいは、大学の自治について詳細な条文を展開しておりますけれども、例えば、大学の自治は学問の自由が機関という形態をとったものであり、高等教育の教育職員と教育機関にゆだねられた機能を適切に執行することを保障するための必須条件であるとか、加盟国は、高等教育機関の自治に対するいかなる筋からであろうとも、脅威から高等教育機関を保障すべき義務があるということ。あるいは、自己管理、同僚間の協同及び適切な学問的指導性は、高等教育機関にとって意義のある自治の不可欠な構成要素であるというように、さまざまな文脈を通して、そうした二十一世紀の大学像の根幹は大学の自治、学問の自由であり、特に学生の参加を中心に据えた大学づくりがこれからの課題だということを述べているわけですし、学問の自由のないところで、あるいはそれが制限されるところでおよそ教育の質も高まらないわけですね、真理、真実を教えるということが教育の核心ですから。そういう意味での教育の質をつくる上でも、学問をいかに豊かにするか、そのことが二十一世紀を切り開く若者の知的なバイタリティーを育てていく根幹ではないかというように思います。
 また、九八年には、今のとは違いますけれども、先ほど申しましたように、二十一世紀高等教育宣言、「展望と行動」というサブタイトルのついたものが出ているわけでございますけれども、ここでも同様に学問の自由ということが一番の根幹に据えられているという実情でございます。
 この点が私は、特に国際化あるいはグローバルスタンダードと言われる中で大学審答申で弱い、あるいはその観点からの大学改革の方向性というのが十分見えてこないということにいら立ちを感じている次第でございます。
#54
○林紀子君 今お話しくださいました学問の自由、大学の自治、それと今回法律として提案されております第三者評価機関、その関連といいますか、今までもお話しいただきましたけれども、大学の自治、学問の自由というところとの関連でぜひもう一度お話をいただけたらと思います。
#55
○参考人(三輪定宣君) 先ほど申しましたように、学問の自由というのは真理の探究という研究を進める上で一番基本的なことでございまして、その真理の探究あるいは究明のためには、批判的な能力とかあるいは創造的な能力とか挑戦的な能力とか先見的な能力とか、そういうものがないとそれは真理の探究にならないわけですね。だからこそ、学問の自由が学術の発展の根源として必要だということであろうと思います。
 しかし、外部的な評価、特に機関評価になりますと、そういう研究能力というものがむしろ萎縮をする。そのことによって、今までの既存の学説とかあるいはセオリーとか、そういうものを打ち破って新たなパラダイムをつくっていくとか、そういう可能性というものを大きく閉ざしてしまうという問題をはらんでいるのではないだろうかというように思います。
 権威に屈服する、迎合するような形で研究者がシステムとして大量生産されますと、これはやはり社会の学術の発展にとって大変大きな停滞要因になるというふうに私は危惧するんです。
#56
○林紀子君 先生、どうもありがとうございました。
#57
○日下部禧代子君 内田、三輪両先生、きょうはどうもありがとうございます。
 まず最初に、内田先生にお尋ねさせていただきたいと存じます。
 社会民主党の日下部禧代子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 ただいま三輪先生の方から、国の機関として評価機関が設置されるということは、大学の自主性というものを損なうものである、あるいはまた研究能力を萎縮させるものであるというふうな危惧をお述べになりましたけれども、先生は、国の機関としてこの評価機関が設置されることにつきまして、今、三輪先生がお述べになりましたような危惧ということに関してはどう考えていらっしゃいますでしょうか。
#58
○参考人(内田博文君) 第三者評価を適正に実施するためには、専門のスタッフを抱えた専門的な機関というのはやはり不可欠ではないかというふうに思います。また、この機関が適正に第三者評価を実施するためにはかなりの費用が必要ではないかというふうに思います。第三者評価の公的な性格にかんがみまして、やはり国の機関がこれに当たるというふうなことは必要ではないかというふうに考えます。
 ただ、第三者評価の信頼性といいますか、自律性ということを担保するための工夫といいますか、措置は必要だというふうに思います。そういう意味で、創設準備委員会が、国の機関とするけれどもそれはあくまでも大学の共同利用機関としての位置づけを与えるんだというふうにされておられますことは、一つの知恵といいますか考え方ではないかというふうに考えているところでございます。
#59
○日下部禧代子君 先生は、余り三輪先生のおっしゃいましたような危惧はお感じになっていらっしゃらないということでございますか。
#60
○参考人(内田博文君) 第三者評価の目的として挙げられておりますことの一つは、各大学に評価結果をフィードバックいたしまして、各大学の教育研究の改善に資する。その際、どういう形で評価するかと申しますと、それぞれの大学部局が設定した教育目的とか研究目的、そういう形で評価をしていくということでございますので、今後、運用の面でいろいろな工夫とか配慮をしていただくことによって、大学のむしろ活性化につながるような形にしていっていただければありがたいというふうに考えている次第でございます。
#61
○日下部禧代子君 内田先生にお伺いいたしますけれども、評価基準というのは、これは非常に難しいと思います。人間を評価するというのも大変に難しい。人間を評価するよりはむしろその業績を評価する方が少しは易しいのかもわかりません。物差しをかえることによって評価もまるっきり違ってしまうということもございます。私自身教師をやったことがございますので、大変それは難しいことだというふうに体験的に存じております。
 その工夫の一つとして、先ほど先生は、さまざまな人材という工夫で、評価機関にそういう方々をお入れするということが一つのさまざまな基準となり得るということをおっしゃったわけでございます。もう一つは、いわゆる定量化するというのは一番簡単でございます。しかしながら、その公平を期する余りに、定量化ということになりますと、これはわかりやすいけれども大きな弊害がある。それが今、さまざまな教育の場面で起きていることだろうというふうに思うわけです。客観性とか公平とか、そういうことを重んずる余りに定量的になってしまったり、あるいは画一的になってしまったり、あるいは新たなランキングというもの、わかりやすさを追求するがゆえにそういうことになりがちだというふうなことも心配の一つでございます、新たな序列化が出てくるのではないかと。
 この辺につきまして、先生は九大で既に評価システムをスタートさせていらっしゃるというふうに伺いましたが、どのような御工夫をなさっていらっしゃいますでしょうか。
#62
○参考人(内田博文君) 先生御指摘のように、評価におきましては、定量的な評価も重要なファクターでございますけれども、それと並んで、あるいはそれ以上に定性的な評価というのは非常に重要ではないかというふうに思います。
 例えば教育評価におきましても、学生が卒業するに当たって、自分たちが受けた教育はこういうふうな効果があったという場合には、必ずしも例えば何々試験に何人通ったということではなくて、その方の将来の人格形成とか社会人としてどういうふうなところがどういう形でできたかというふうな、そういう定性的な評価というのは非常に重要なファクターではないかというふうに思います。
 特に、大学の場合は教育研究といったような見えざる価値というものを非常に重要視して活動しておりますので、そういう観点から定性的な評価は非常に重要だと思いますけれども、この定性的なものをどういう形で評価するかという場合に重要なことは、どういうデータに基づいて定性的なものを評価するのか。
 例えば、学生の満足度というようなことを評価する場合には、学生に対してアンケート調査をして、学生からいろんな意見を聞くことによってその学生の満足度というふうな定性的なものを具体的に評価できる形にしていくとか、そういうさまざまな工夫が大学でもこれから必要になろうかと思いますし、また、第三者評価機関の具体的な評価事業におきましても、そういう定性的なものをはかるようなデータといいますか、そういうものをどういう形で開発していくのかというのは非常に重要なことになろうかというふうに思っております。
#63
○日下部禧代子君 確かに、学生にとってどういう先生がいいのか、例えば教育効果の場合でございますけれども、例えば学生に人気のある先生、点数もみんな同じようにつけてしまう先生だとか、あるいは落第させない先生だとか、あるいはまた人気、おもしろいことをおっしゃって、新聞を読んでいても、お弁当を食べていても、途中でふらっと出ていっても何も文句を言わない先生が人気があるとか、もし学生の投票でいい先生だということになってしまうと、これもまた非常に困ったものでもございます。今はもう大変にさまざまな学生が大学に来ているように聞いております。私のかつての同僚の先生方から、すごいのよというふうなお話も承ることがございます。
 そういうことも含めますと、評価基準をどこに置くのか、そしてどのような方法で評価をするのかということは、もうこれは各大学だけではなく、第三者機関としての国の機関におきましても工夫がなされなきゃならないというふうに思いますけれども、先生の大学で、これは非常に自分たちの大学でいい工夫だと思う基準あるいは評価方法がございましたら、具体的にお教えくださいますか。
#64
○参考人(内田博文君) 一つは、先ほど申し上げました学生による授業評価というのは、教育評価におきましては非常に重要ではないかというふうに思っております。その際、四年卒業時点での評価というのもございますし、また、卒業生といいますか、卒業時点での自分が受けた授業に対する評価と、実際に社会に出ていきまして社会生活を送った場合にその評価というのは少し変わってまいりますので、そういう意味で、学生による授業評価におきましても動態的に評価をしていただいて、それを授業に反映する、あるいはカリキュラムに反映するというふうなことは非常に重要なことではないかというふうに思った次第でございます。
#65
○日下部禧代子君 では、三輪先生にお尋ねいたします。
 これからの大きな大学改革の一つとして国際化ということが言われております。さまざまな大学審などの答申の目的の一つとしても、国際化あるいはグローバルスタンダードにたえ得る日本の大学であるべきだということは、これは非常に大きな課題になっていると思います。
 そこで、先生はどういうことを称して大学の国際化というふうにお考えでいらっしゃいましょうか。そのために今どのような工夫が必要だというふうにお考えでございましょうか。
#66
○参考人(三輪定宣君) 一つは、御指摘のような、そういうグローバルスタンダードというものに対応していく、今までの閉ざされた大学のシステムを開いていく。それは社会にというよりは、もっと世界に開いていくということが必要だろうと思いますけれども、その際に、日本の場合の大きな課題としては、世界一学費が高いわけです。
 国際人権規約の十三条では、高等教育の無償制の漸進的導入という規定があって、主要国では大学の学費は基本的に無償になっています。それに対して、日本の場合は国情、国策に合わないという判断から、その十三条は留保されているわけです。現在たしか百四十カ国くらいがその条約は批准していると思いますが、日本とルワンダ、それからマダガスカルの三国は、国情、国策に合わないということでそれを棚上げして、そして高学費の政策を進めているという、いわば国際社会からしますと異常な状態であるわけです。
 そのために、外国の学生、留学生が来るとしても、その高い学費の壁に阻まれてしまうということで、国内のそういう学生の自由な国際的な交流もできないということがございます。そういう点でいえば、例えばそういった国際的な基準に照らして問題のあるところは逐一着実に解決していくということが必要ではないかというように思います。
 また、国際化というと、大学の研究者が自由に学会に来てそしていろんな議論をするということが大事ですけれども、例えば私の例で申しますと、この二十年間、旅費が五万円程度なんです。全然伸びていないわけです。これは一カ月ではなくて一年間で五万です。一回どこかに行くと、学会に行くともうこれは消えてしまうわけです。
 この三月二十六日から三十一日まで早稲田大学で教育学の国際シンポジウムが開かれまして、私も学会の会長としての主催者なんです。それで、ヨーロッパやイギリス、アメリカの比較教育学会の会長さんを初め、アフリカあるいは中東、北欧そのほかからもお見えになるわけです。そういうところに日本の学者もたくさん参加して、そして世界のグローバルな動きを学問として学ぶ、あるいは研究課題を発見するということができましたら大変大きな刺激にもなるわけですけれども、何しろ一年に五万ですとそういうような機会も閉ざされてしまうわけです。ですから、そういう点で学生にとっても、また研究者にとっても、もっともっと教育や研究の支援をしなくてはいけない、それがこれからの国際化に対応する大学改革のあり方だというように思います。
#67
○日下部禧代子君 社会に開かれた大学ということもこれからの一つの大きな大学改革の課題だというふうに思いますが、最近、いわゆる大学連合というようなことが行われつつあるように思うのです。例えば、一橋と東京外語と東京工業大学と東京医科歯科大学、四つの大学が連合して、単位互換だけではなくて編入学につきましても、それから教養教育についても、あるいはまたドクター論文の共同指導、共同審査ということも含めましていわゆる大学連合というのをつくっております。こういう形で幾つかの大学、これは国立でございますけれども、大学同士で連合を組むということは、これは入学試験の弊害を取り除くことにも役に立つだろうというふうに思いますけれども、このような具体的な動きが九州大学にはございますか、今のところ。
#68
○参考人(内田博文君) 例えば、九州大学の場合には諸外国の大学との交流とか連携ということをより進めておりまして、さまざまな国々の大学と交流を結んでおります。教官レベルで研究の上で交流するということもございますし、院生とか学生の方々が外国に行きましてそこで学ぶということもございますし、その大学の方々に私どものところに来ていただきまして学んでいただく、単位を互換する、あるいはシンポをやるというような形で、主として現在、九州大学の場合には外国の大学と連携を深めるということでございます。ただ、国内の大学と連携をしないということではございませんで、国内の大学につきましても連携を深めていきたいというふうに考えております。
#69
○日下部禧代子君 千葉大学ではいかがでございましょうか。
#70
○参考人(三輪定宣君) 千葉大学ではまだそのような試みは、周りに国立大学もないという状況もございましてなかなか具体化しておりませんけれども、おっしゃる趣旨は大変大事で、私どもが大学自治ということを言う場合に、それは内々に閉じこもるということではなくて、その自治を拠点にしながら、一方では積極的に交流し連帯をして大学自体がもっと有機的に横断的につながっていかないと、それぞれの大学も力を発揮できないというように思います。これは、学生のそういう授業から交流から、さらには学会活動等を含めてもっともっと日本の大学は、それぞれが個別に競争して自分の大学のランクを上げていくというふうな発想より、もっと共同で日本の学術をつくり出していくという、競争より共同の方が本当の意味でこれから学術研究の発展の基盤づくりになっていくんではないか。
 競争で荒らしてはならない、むしろ共同の力を保障するような、そういう方向で大学の改革というのは進めるべきではないかというふうに思いますので、その意味ではいろんな大学の垣根を取り払って、例えばEU諸国は、エラスムス計画と言いますけれども、国を越えて大学に自由に進入学できるというシステムをつくろうとしておりますし、現にドイツやフランスの場合には転学の自由が認められております。
 そういうような仕組みに向かってもっと横の連携、連帯を強めていくのは、これは、個々の大学の競争をやって自分のところだけは生き残るという発想ではなくて、もっと日本の大学全体が底上げをして、そしてその共同の力で学術を支えるという、国の大学のシステム全体をそのような形で変えていくような視点、そういう試みの一つとしてとても大事だというふうに思います。
#71
○日下部禧代子君 両先生、ありがとうございました。
#72
○扇千景君 時間が大分オーバーしておりまして、御迷惑をかけております。三時十五分までということだったんですけれども、少しおくれていまして、申しわけありません。あと二人でございます。
 わざわざお越しいただいて貴重な御意見をいただいたんですけれども、御意見を伺っておりまして、まず内田参考人にお伺いしたいんですけれども、私はこの趣旨に御賛同いただいているものだとは思いますけれども、今あそこにお座りいただいております有馬先生は東大の元学長でいらっしゃいまして、文部大臣でそこへ答弁にお立ちになったときに私が質問しましたら、東大でも自己評価を行っておりましてという御答弁がございました。今、大臣を終えられてあそこにお座りになっています。
 国立大学の中で自己点検、自己評価というものをしていらっしゃるというかなりの実績もございますけれども、今までの各大学における評価制度を実行した中での大体の集計が出ております。
 それで、今まで自己評価をした大学の中で、学内に評価の専門家がいないというのが五六・七%、他の大学との比較ができないというのが四四・八%。そういうふうに、評価の専門家の養成と他大学との比較可能性を高めることがこれからの大学の問題になるというふうに結果が出ているんですけれども、まず、内田参考人、これはいかがでございましょうか。
#73
○参考人(内田博文君) 先生御指摘のとおりだというふうに思っております。
#74
○扇千景君 三輪参考人に。今のことですけれども、時間がございませんので、今までの自己評価の欠点というものがあるやなしや、端的にお答えください。
#75
○参考人(三輪定宣君) 比較はやっぱり必要だと思います。ただ、その比較の仕組みがこれからどのようにしてつくられていくかというテーマ、課題ではないかというように思います。
 確かに専門家もまだ学内にはおりませんので、そういう点でのお互いの研究ですか、それを深めていくということも大事なテーマだと思います。
#76
○扇千景君 それでは、三輪参考人、今学内にもおりませんのでというお答えでございますけれども、今回のこの評価制度というものを導入することによってそれぞれの大学の質の向上に資するという点からは、私は大事なことだと思うんですけれども、ただ、やり方はいろいろありますよ、だれが評価するとか、私も前回の委員会で言いました基準をどうするのか、そういうことはありますけれども、より大学の質の向上という点からは、今の自己評価の欠点というものもある程度、開かれた大学とか情報開示とかということに関しては前進すると思うんですけれども、三輪参考人の御意見はいかがですか。
#77
○参考人(三輪定宣君) もっと大学を開いていくということは重要でございます。
 ですから、第三者評価ということをいろいろ工夫する余地はあろうかと思いますが、最初に申しましたように、いわば国の機関としてそのシステムが詳細になればなるほど、ある意味で縛りをかけてしまうという問題をはらんでいるということです。
 ですから、そういうことで解決をしていくというより、もっと全体的なボランティア、自発的な研究が広がるような仕組みをどういうふうにつくっていくかというテーマではないかというふうに、そのことにむしろ水を差してしまうのではないかという危惧なんです。
#78
○扇千景君 時間がございませんので、大変失礼ですけれども、端的な聞き方をいたします。
 三輪参考人、今そういう御意見で、先ほどからお話を伺っておりましたら、むしろ競争を過熱させるというか、競争原理を導入するよりも共同に行くべきだということであれば、学校の校風というものがすべて一緒になってどこの学校でも一緒だというのであれば、学校を選ぶ側からいえばそういうことはなくなるので、国立大学は公費で賄われているということの意義をどう感じていらっしゃるのか、端的にお答えいただきたいと思います。
#79
○委員長(佐藤泰三君) 三輪参考人、簡潔にお願いします。
#80
○参考人(三輪定宣君) 公費にふさわしい活動が迫られているというように思います。本当に、納税者、国民の利益になるような教育研究活動をする義務というものが課せられているというふうに思います。
#81
○扇千景君 公費で賄われているいわゆる国公立大学というものあるいは大学院というものであれば、みずから制して、そしてそこから輩出される若者たちがいかに二十一世紀の日本をしょって立つかという、人材育成と冒頭におっしゃいました。
 そのとおりだと思うんですけれども、今の国公立大学が果たして二十一世紀に日本人として日本の国のために役立つような学生をすべて輩出しているかというと、クエスチョンマークがつくのは世の中を見ていただいたらおわかりのとおりでございます。すべての学生がいいとか、すべての教師がいいなんてことは私はあり得ないと思うんです。だから、学校の荒廃とか学力の低下とかさんざん問題になっているんです。
 内田参考人にお伺いしたいんですけれども、この法案が通りましたら、この設置法の一つとして評価制度というものの中で今考えられておりますことは、教育評価部門で九部門、それから研究評価部門で九部門、そして大体一部門が二十名。ですから、教育評価部門では合計百八十名、そして研究評価部門でも同じく二十名で百八十名、すべてで三百六十名という計算になるんですけれども、その親の評価委員会というのが三十名程度というふうな組織図、もうもちろん御存じだと思います。
 時間がありませんから一々申しませんけれども、例えば教育評価部門でこれを見ていきますと、人文学系あるいは教育学系、法学系、経済学系、理学系、工学系、農学系、医学系、総合科学・特定領域等と九部門に分かれるんですけれども、先生の御経験の中から、九部門に分かれるこの分け方というのはどういう御感想をお持ちでしょうか。教育部門だけでも結構です。
#82
○参考人(内田博文君) この教育評価は主として機関評価でございまして、その機関全体として教育活動を適正に行っているかどうかという機関評価でございますので、こういう形で部門的に分かれるということは一定の合理性があるのかなというふうに思っております。
#83
○扇千景君 それでは、評価というものをフィードバックして大学をよりよくしていこうというのが文部省の答弁でございました。けれども、基準というものがまだないものですから、これから委員をお選びになって基準をつくるとおっしゃいますから、その基準よりも高い評価が出たり低い評価が出るというための評価なんですから、先ほど三輪参考人がおっしゃいますように、競争させちゃいけないんだ、いわゆる共同でいくんだということになれば評価なんて要らなくなっちゃうので、みんななべていいじゃないかということになっちゃうので、そういう意味じゃなくて、評価というものをして初めてその大学の弱点を補うと文部省が言っておりますね、そういうことに評価というものを使うべきであって、すべて押しなべて同じであれば、選ぶ方の学生側の立場からいいますと、競争原理があってこそみんな一生懸命勉強するのであって、日本の学生は大学に入っちゃえば勉強しないというのが定番になっておりますので、その辺のところは、内田参考人、いかがお考えでしょうか。
#84
○参考人(内田博文君) 第三者評価の一つの目的は、それぞれの大学に評価結果をフィードバックいたしまして、その教育研究活動をより活性化するということでございます。その活性化の中には当然ながら、大学・学部が担う機能といいますか役割をより明確化していく、それぞれの特色をよりはっきりさせていく、こういうものが含まれているのではないかというふうに考えております。
#85
○扇千景君 ありがとうございます。
 三輪参考人、国公立と私立というものの学校のいわゆる建校の意義、国公立と私立というものがもちろん違っているわけですけれども、今のお考えでは、押しなべて共同でやれば国公立は要らないんじゃないかという、極論ですけれども、そういう感覚も持ちますけれども、それに対して三輪参考人、いかがお考えでしょうか。
#86
○参考人(三輪定宣君) 必要でないというより、もっと私学にも基本的には公費助成を大幅にふやして、そして大学自体がもっとそういう公費に見合う社会的な貢献ができるような条件整備をサポートするということが必要ではないかと思います。今、学生の学費によって九割方収入が賄われているわけですけれども、そうではなくて、むしろ私立学校のそういう財政的な基盤を強くするということが必要だというふうに思いますし、共同というのも、同じことになるのではなくて、むしろ共同を通してそれぞれの個性的な魅力も、一人や二人じゃなくてみんなの力でより充実した個性的な大学がつくられるというふうに考えていただいたら、みんなの衆知を集めていい大学をつくる、そのための共同という意味でございます。
#87
○扇千景君 今私どもが大変心配しておりますことは、評価をフィードバックしていわゆる情報公開する。そして、だれが評価をして、いわゆる評価する委員ですね、その名前も公表し、しかも評価結果も世間に公表しようということがこの法律の中に書かれているわけですね。
 そうすると、例えば先生方お二方の大学でも、この部分はいいけれどもこの部分はとても悪いよと言われますね、例えばですよ。そして、教師の質も、ここは余りよくないよ、とにかくマンネリで、一つの教科書を何十年も使って、学生が聞いていようが聞いていまいが自分の言いたいことだけを言ってぱっと帰っちゃうというのも中にはいらっしゃるわけですね。
 そうしますと、フィードバックするということでの対応の仕方、評価制度というものが、基準がわからないからこれは別ですけれども、実行されてそれが公表されるということに対して、学校の中で教師間で論議が起こると思われますか、起こらないと思われますか。内田参考人、いかがですか。
#88
○参考人(内田博文君) 当然、大学としては論議が起こるべきだし、起こると思っております。
#89
○扇千景君 同じことを三輪参考人、いかがですか。
#90
○参考人(三輪定宣君) ですから、当然、それに対する反論、批判もあふれるごとく出てくると思います。
#91
○扇千景君 反論、批判も出てくるということであれば、先ほどからおっしゃっている大学の質的向上、あるいは大学のより世間に受け入れられるものをよくしようというためにこの法案ができて、評価制度というものが、自己評価だけではできないというのはさっき私が読んだような状況で、完全ではないわけですね、自己評価というもの。
 やっぱり自分に甘い点がございますから、これは教育界だけではなくて今の警察もそうでございますし、あらゆるところで今問題が起こっていますから。身内だけで評価するというのはどうしてもやりにくい点があるし、あの先生はAでこの先生はBなんて、これはなかなか言えません。私たち仲間うちでもそうでございます。あれがよかったとか悪かったなんということはなかなか言いにくいものです。
 そういう意味で私は、今回の評価制度というものを行うことによって大学がよくなるという文部省の発想というもの、あるいは大学をよくしようという三点セットの今度最後の仕上げでございますから、それはいいとしても、先ほどから話題になっております評価をされた大学で、今、三輪参考人がおっしゃいましたように、反論もあるでしょうとおっしゃいますけれども、反論する前にまず反省していくという大学の姿勢が必要であるということを申し上げて、終わりたいと思います。
#92
○田名部匡省君 今までの質問と重複しないように申し上げますので、簡単にお答えをいただきたいと思います。
   〔委員長退席、理事岩瀬良三君着席〕
 私は、国民の血税という話を聞いておって、全くそうだと思うんですね。私たちは政治家なものですから、国全体を考えてどうするかというのは頭にあるわけですね。教育がよければあとはどうでもいいというわけにはいかない。そうすると、きのうもこれは質問したんですけれども、大変な国債を発行してやっておるわけですね。私学もどんどん国が金を出して賄えばいいんだと、こう言われても、じゃ何を削るか、この議論がないとなかなか前へ進まないんです。各省みんな説明に来ると金のかかる話ばっかりですから。
 ですから、私はさっきから聞いておって、大学の自治、学問の自由、それは全くそのとおりだと思うんです。ただ、権利があると同時に義務と責任もある。その責任をどう果たしていくかというのが、この評価の機関をつくってやろう、こういう意味だと思うんですね。内田参考人、総論で賛成、各論反対。安心しまして、私たちも国会でやっていると、総論は賛成するが各論反対というのは随分多いので、学校の先生方も同じなんだなということを感じました。
 いずれにしても、人が人を評価するというのは、難しいのはありますよ。いい面もあれば悪い面もある。しかし、よりよくしていくためには、私は、これはやっぱり情報公開とかあるいは説明責任というのがあって国民の信頼を得るものだと、こう思うんですが、端的にどうぞ内田参考人からお答えいただきたいと思います。
#93
○参考人(内田博文君) 先生の御指摘のとおりだというふうに思っております。国民の血税をいただいて国立大学というのはその教育研究活動をやっておりますので、やはり国民の御理解を得るというふうな形でその教育研究活動を適正にやっていく、改善に努めていくということは必要だというふうに思っております。
#94
○参考人(三輪定宣君) もちろん大学の側にも大きな責任がございますが、世界最低のランクの教育費の水準に至ったということは、これはやはり政府の責任も大きいと思います。
 今、外国では教育最優先というスローガンで、ユネスコの宣言もザ・ファーストプライオリティーとして教育を掲げておりますし、各国も大体そういうかけ声で進めているわけですが、その一番の具体的な内容は教育費の大幅増額でございます。これだけ各国が日本よりは先に進んでいて、なおかつ教育最優先という方向を掲げるというのは、これは将来の国の発展を考えて、いわば教育費は将来の投資という側面がございます。あらゆる発展の基盤でございます。そのために今の大人、今の世代がどれだけ、当面のものではなくて、そういう長期的なもののために財政的な展望を持つかということが問われていると思いますし、それはある意味では私どもも積極的に皆さんに提起しなくてはならないテーマだと思いますし、同時に皆さんも真剣に受けとめていただきたいというふうに感じております。
#95
○田名部匡省君 お話はそのとおりなんですが、例えば年金の問題、介護の問題、医療の問題、そちらの議論になると、この人たちもこのことが大変関心が高いものですから、いろいろと言われると、じゃ教育だけは重視してあとのやつはみんな我慢しろということはなかなかやれない仕組みになっているんですね。ですから非常に難しい。外国と比べられてもなかなか難しい。私は有馬文部大臣のときも言ったんですけれども、日本の学生は外国の学生に比べて勉強の度合いはどうなんだろうか。例えば就職のために、あるいは嫁に行くには短大ぐらい入れておかなきゃなどというのは親の考え方が非常に強いですよね。
   〔理事岩瀬良三君退席、委員長着席〕
 だから、本当に真剣に勉強して国家、国際のために役に立とうというのなら、私はきのうも言ったんですが、大学院はもう完全に国費で育てた方がいいと。そのかわり、国立大学は私学と同じにして奨学制度を拡充して、そこに優秀な人たちが入ってきたらもう全額出していいですよ。そういう大胆な発想をしないと、こっちにもあっちにも全部に金かけてそれもやれというと私は難しいと思うんですが、どう思いますか。
#96
○参考人(内田博文君) 大学というものを国際的な観点から見ていくということは、非常に重要な視点だというふうに考えております。
#97
○田名部匡省君 どうぞ、三輪参考人。
#98
○参考人(三輪定宣君) 今、いろんなところに財政要求というのは噴出しているかと思いますけれども、厚生省の調査でもおわかりのとおり、少子化の最大の理由が高学費、高い教育費でございますね。それほど、財政負担の国の軽減が父母負担という形になって転嫁されております。そのために、いわば子供を絞り込んで産んで、少子化にしてでも高学歴をつけたいというような雰囲気がずっと続いてきているわけですね。
 そのことは、ただ教育の問題というより、労働人口の問題であり、高齢化の問題でもかかわってきますので、ある意味では、そういう幾つかの選択肢というよりは、教育の問題というのはその一番ベースになる問題だというとらえ方を、ぜひこういう状況の中でしていただきたいというように思います。
#99
○田名部匡省君 教育費だけの問題ではないと思いますよ。生活のレベルがあって、家は持ちたい、こういうふうにもしたい、ああいうふうにもしたい、だから共稼ぎをしたりなんかするんであって、私はそれだけではないと思いますが、それはもう結構です。
 ただ、この評価システムというのは、私は第三者機関でないとやっぱりやれないと思うんですね。同じような基準で全部を見ていないと、行くところがばらばらでは、私は、そういう意味では、別に学問の自由を侵すことでもないし、むしろ先生方も大変だろうと思うんです、競争をしなきゃならぬし。しかし、その結果としてレベルが上がっていく。これはもう世を挙げて大競争時代になってきて、ここの部分だけはしなくていいですよということもないんだろうと思うんですね。
 それで、次に国立大学と大学院のあり方をちょっと。
 教育部と研究部というのは、きのうも私は、何で一本でいかないんですかと。教育もするし研究もして大学院では立派な教授になっていかなきゃならぬと。
 私はなぜ分けたのかときのうも質問したんですが、例えば、私も橋本聖子委員もオリンピックの選手、私は監督までやりました。ただ練習していればいいというものではないんですね。要するに、栄養学とか心理学とか、もういろんなことを勉強して、そして実戦をやってレベルが上がっていくんですよ。ただ馬車馬みたいに練習したって強くなるものでもないし、こっちばかりやったって、練習しなかったら絶対成績上がっていかないんです。
 ですから、両方相まって大学院の学生というのはやっていいんであって、その中で、生徒を教える、そういう専門になっていく人もおれば、産業界へ行って何かやるという人もあっていいというふうに思うんですね。何か分ける必要はないと思うんですが、どうですか、内田参考人。
#100
○参考人(内田博文君) 少し九州大学の具体例を挙げさせていただきたいと思いますが、国会で御承認いただきましたら、この四月からいわゆる教育部と研究部というのを導入させていただきたい、全学的にやらせていただきたいと思っております。
 例えばその際、従来は医学研究科ということで研究、教育を一本でやっておりましたけれども、今度からは医学関係のいわゆる、私ども九州大学では教育部のことを学府と呼んでおりますが、この医学府は、従前の医学研究科の先生だけではなくて理学研究科の先生もなれる、一緒になってやっていただく、そういう形をいろんなところへつくらせていただきまして、教育的なニーズに即応するような形にさせていただきたい。
 同じようなことが研究についても言えますので、そういう形で柔軟に対応できるようにさせていただきたいというのが私どもの趣旨でございます。
#101
○田名部匡省君 そうですか、どうぞ頑張って。
 三輪参考人。
#102
○参考人(三輪定宣君) 大学の原理として、やっぱり教育と研究は絶対に切り離してはならない。絶えず統一していくという観点が必要だと私は思いますし、それをますます強めることが大学の改革だというふうに思うわけですね。
 といいますのは、教育といいましてもその中身は、特に大学、大学院になりますと教育の中心的な内容は研究能力を育てるということでございます。すぐれた研究能力というのは、ただ学者になるとかじゃなくて、社会での非常な貴重な財産としていろんなところで発揮されて、そして困難な状況を切り開いていく知的な推進力になります。
 そういう実証的で、そして真理探求についてさまざまなバイタリティーを持った、新しいことに挑戦していくそのノウハウを身につけるということは、これは研究者だけではなくてすべてのこれからの卒業生のテーマですし、そういう能力をつけるわけですから、大学というところは。
 したがって、教育と研究というのは特に濃密な関係にしていかなくてはならないし、大学の先生が本当に研究能力があることによっていい教育ができるというその基本的な関係、これは大事にしていく必要があるというふうに思います。
#103
○田名部匡省君 スポーツの世界でも、いいコーチはいい選手を育てるんですよ。だから、サッカーでも何でも、日本にいいコーチがいないから外国から連れてきてまでやっているでしょう。
 だから、やっぱり先生の、教授の質をいかに高めるかということによって生徒の、学生のレベルは上がってくるんだと思うんですね。
 ですから、競争というのは必要だし、また競争も一定のルールがなきゃならぬ。何でもかんでもやっていいというものではないんで、ルールの範囲内は自由におやりになっていいと。しかし、ルール違反に対しては厳格に反則をとりますからね、スポーツの世界では。
 ですから、そういうルールをつくってこの第三者機関の人たちにきちっとやってもらう、これからやるんでしょうけれども、やってみてだめなら、またどういう方法がいいかと。やるかやらないかと言ったら、私はやっぱりやった方がいいと。やり方にいろいろ問題があれば、これは人がやることですから、いい方へいい方へと直していけばいいというふうに思っております。
 いずれにしても、この評価システムにしても、やると決めたらみんなで心を一つにしてやるのはいいことであって、反対もあれば賛成もあるということでは結果的にはうまくいかぬことになるし、そういう考え方で私たちは進めていくべきだと、こう思っております。
 もっともっとお話ししたいことはありますが、もう時間ですから終わらせていただきます。
 きょうは大変ありがとうございました。
#104
○委員長(佐藤泰三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、長時間にわたりまして御出席いただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#105
○委員長(佐藤泰三君) 速記を起こしてください。
    ─────────────
#106
○委員長(佐藤泰三君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国立学校設置法の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に文部省高等教育局長佐々木正峰君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#107
○委員長(佐藤泰三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#108
○委員長(佐藤泰三君) 引き続き、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、政府に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#109
○林紀子君 日本共産党の林紀子でございます。
 今、参考人に来ていただきましていろいろお話をお伺いいたしました。その中でちょっと確認したいことがありましたので、まずお伺いしたいんです。
 この第三者評価の目的というのは、各学校を競争させてランクづけをするものか、そのためにやるものなんですか。政府参考人で結構でございますけれども、お聞かせください。
#110
○政府参考人(佐々木正峰君) 今回の評価の目的は、客観性の高い信頼性のある評価を行いまして、その評価結果を各大学にフィードバックをし、その大学の教育研究の改善に結びつけていくということが一つ目的でございます。
 またもう一つは、その評価を国民に広く公表をいたしまして、大学が公的な機関として社会的責任を果たしていく、そのことを積極的に支援してまいりたい、かような趣旨で行うものでございます。
#111
○林紀子君 それでは、それを伺っておいて、きょうは教育評価についてまずお聞きしたいと思います。
 イギリスでは教育評価と研究評価を行っておりますけれども、それぞれ予算配分にリンクさせているわけですね。例えば、四段階の評価をつけて、最低ランクの一の評価を与えられた場合は教育部分の補助金は停止をするという措置がとられているということなんです。もしこういうようなことになったら大問題なわけですけれども、今回の大学評価は教育評価も予算とリンクをさせるのでしょうか。
#112
○政府参考人(佐々木正峰君) 資源の効果的な活用ということが厳しい財政事情の中で求められておるわけでございます。適正な評価に基づいて資源が透明性のある形で配分されていく、このことがとりもなおさず、国費が適正に使われるということについて国民の理解につながるわけでございます。そういった形で資源配分を行っていく上で、今回の評価結果を参考資料の一つとして活用するということは当然あり得るわけでございまして、このことは、研究面のみならず、教育面についても同様であると考えているところでございます。
#113
○林紀子君 その前提といたしますと、客観性がある、透明性があるということはあるわけなんですけれども、その教育評価というのは、研究評価よりももっと困難だ、だから我が国ではその手法さえ確立されていないというふうに言われているわけですね。
 国立大学協会の学長アンケートでも、教育評価は重要であるけれども非常に難しい、こういう声が多いわけです。国大協の大学評価機関に関する研究、この冊子では、評価の客観性の難しさについて、教育の付加価値という意味でのアウトプットを直接に把握することは極めて難しい、これが評価の隘路であり、その問題は第三者による評価で著しくあらわれる、こういうふうに書いてあるわけなんですね。客観的に評価する、それを予算配分の参考とする、こういうことは、客観的な評価そのものが難しいのに、一体何を基準にして予算にリンクをさせるのかということになるわけですが、いかがでしょうか。
#114
○政府参考人(佐々木正峰君) 今回の教育評価は、対象となる大学の教育活動の状況について、その大学が作成した自己点検・評価報告書、学生の授業評価報告書、シラバス、学生便覧等の各種の資料、データを活用しながら、複数の評価者から成るチームによる訪問調査やヒアリング調査を行うことによって、その大学の教育目的・目標に即した評価を行うことといたしておるわけでございます。
 教育評価の基準といたしましては、例えば、その大学の教育目的・目標が明確かつ具体的であるか、教育目的・目標に沿った教育課程の編成がなされているか、学生の成績評価の方法、基準が適切であるか、学生の学習環境が適切に整備されているのか、教育目的・目標に沿った学生の達成度はどうか、自己点検・評価など、教育の質の向上、改善のための取り組みが適切に行われているかなどが考えられるわけでございますが、いずれにいたしましても、具体的な評価基準につきましては、今後、大学評価委員会及び専門委員会において具体的な検討を行い、あらかじめ十分な時間的余裕を持って公表をすることといたしておるところでございます。
#115
○林紀子君 客観的な評価が難しいからこそいろいろな方法や観点がとられるべきだと思うんですけれども、国大協の皆さんが非常に心配していらっしゃる、短期的に非効率と見える大学、学部、教員を探し出してそれにサンクション、罰を与えることを目的とするものであってはならない、こう言っておりますが、これは当然のことだと思うんです。
 今、局長はいろいろ挙げてくださいましたけれども、「大学評価機関の創設について」という報告、私これを見せていただきましたら、教育評価の部分で、例えばこういう評価をするということで六項目ほど挙げてありますけれども、その四項目めに「教育成果、目標の達成状況」というのが挙げてありまして、その中で「学生の到達度」というのがあります。小さな黒ぽつで「専門の学芸、幅広い教養及び総合的な判断力など」、こういうふうに書いてあるわけなんです。
 でも、果たして学生の幅広い教養及び総合的な判断力などというものが第三者機関できちんとはかれるものなのかどうか。先ほど参考人にいろいろお話を伺いましたけれども、教育の最終的な目標というのは教育基本法に書いてあるような人格の完成ということだということになりますと、そういうところまで踏み込んで、そして評価をするということが果たして許されるものなのかどうか、そういう問題になってくるんじゃないかと思うんです。そしてしかも、それを予算とリンクをさせるということは本当にひどい話だと思うんです。
 先ほど最初にお伺いいたしましたときに、この第三者機関の評価というのはランクづけではないとおっしゃいました。だけれども、こういう問題にまで評価をして、それも許せないと思うんですけれども、それにお金まで絡んでくる。まさにこれはランクづけ以外の何物でもないというふうに思うんですけれども、どうですか。
#116
○政府参考人(佐々木正峰君) 学生の到達度の評価につきましては、それぞれの大学の学部等が教育目的・目標を掲げて教育を行うわけでございます。その結果として、御指摘ございましたように、学生が、専門の学芸や幅広い教養、総合的な判断力など、大学が期待をしておるような質を備えているかどうかということを評価しようと思っておるわけでございますが、その際、各大学の自己点検・評価を基礎としながら、例えば単位修得、進級、卒業、資格取得に関するデータを資料として用い、さらに訪問調査やヒアリングなどを通じて学生の満足度や、学生を例えば採用する企業などの側の満足度などを的確に把握することを通して、教育上の成果を全体として達成しているかどうかについて評価を行おうと思っておるものでございます。
 御案内のように、現在、大学につきましては、学生に高い付加価値を身につけた上で卒業生として社会に送り出すことが大学の責務として求められておるわけでございます。各大学においては、教育の目標、目的に従って改善充実のためさまざまな取り組みをしておるわけでございますが、その状況について客観的かつ正確な評価を得て一層の改善充実を図っていくことが、各大学について、人材養成について求められている責務を果たしていく上で必要なことであるというふうに考えておるわけでございまして、適切な教育評価のために努力をしてまいりたいと思っておるところでございます。
#117
○林紀子君 長く御説明をいただきましたけれども、やはり人格にまで踏み込むような評価というのは絶対に許されないし、そういうところに手をつけていってしまっては、画一的な大学改革ということを主導していく、まさに人間性まで含めて画一的なものにしていくという方向に引っ張っていくということなんじゃないか、その辺を大変危惧するものです。
 そして、大学評価と予算配分とをリンクさせているイギリスの例なんですけれども、これもたくさん問題点が指摘されているわけです。広島大学の安原義仁助教授が紹介しておりますけれども、時間と労力を多大に消費すること、瑣末な形式主義に陥りがちで、大学が持っている本来の活力をそぐ危険性があるということ、財政とリンクされていることから、大学と国家との間で摩擦、緊張をはらんでいること、こういうことを問題点、欠陥として指摘しているわけなんです。
 そして、大臣にお伺いしたいんですけれども、国立大学の理学部長会議が声明を出しておりますけれども、そこでもイギリスの教育改革に対しまして、予算配分方式などで新しい試みは取り入れられたが、その結果、現在のイギリスの大学が以前よりも活性化され、国際的にも重みを増したかというと、必ずしもそうとは言えず、現在もいろいろな問題がある。有名なオックスフォード、ケンブリッジの両大学がかつての輝きを失っているように見える。こういうふうに三十一大学の理学部長の皆さんが、これは独立行政法人に関して言っていることなんですけれども、この中でこう述べていらっしゃるんです。
 だから、こういう先例もしっかり見て、そして、評価と予算をリンクをさせていく、そういうことというのはやめるべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
#118
○国務大臣(中曽根弘文君) まず、今局長から御答弁申し上げましたけれども、学生の到達度についてのお話もありました。重複いたしますけれども、その学校の目標、目的に沿った教育が行われているかどうか、その達成度を見るということは大変大事だと思います。確かに、評価を適正に行うということはなかなか難しいこともあるかと思いますけれども、大学が責任を持って学生の教育を行っているか、そして学生がそれを身につけているかどうかということを評価することは、私は大切だと思っております。
 それから、今、評価についてお話がありましたけれども、客観的で公正な評価をするということが大前提であります。また、そのための評価基準もこれからさらに詰めていかなければならないとは思います。今、予算のお話がありましたけれども、資源の配分について申し上げれば、効果的に資源の活用を行う、そしてさらに、社会や国民の理解とまた支援、そういうものを得るためには第三者評価に基づく適切な評価情報が必要でありますし、その評価情報に基づいて、また客観的で透明な方法によって資源配分を行っていくということが大切であろうと思っています。
 そういうところから、国立大学の予算配分に際しましてはこの評価結果を参考資料の一部として使うということも考えられるわけでありますけれども、その具体的な内容につきましては、これはたびたび申し上げておりますけれども、この機構が行ってまいります評価活動、これの今後の状況等を勘案しつつ検討していきたい、そういうふうに思っているところでございます。
#119
○林紀子君 先進国と言われるイギリスがそういう状態だということもきちんと見きわめてやるべきだというふうに思います。
 そして、さらに重大なのは全学テーマ別評価ですね、大学の管理運営に関するあらゆることがテーマになり得るというふうに言っているわけですが、例えば、衆議院の段階で局長がお答えになっている、運営諮問会議がどのような運営状況にあるかということまで評価対象にすると言っているわけですけれども、この評価も予算配分とリンクするんですか。
#120
○政府参考人(佐々木正峰君) 運営諮問会議は、昨年の国立学校設置法の改正によってすべての大学、国立大学に置かれることとなったわけでございまして、外部有識者の意見を大学運営に反映させていくという意味合いにおいて、今後、大学と社会との関係というものがますます緊密になっていく中で大きな役割を果たすわけでございます。
 そういった観点から、運営諮問会議がどのような運営をなされているかということについて評価の対象となり得る、そういう可能性は十分あるという趣旨のことをお答えしたわけでございますが、具体的に評価を行ってその評価結果をどう予算に反映させていくのかということについては、今後の評価の実施状況なども見ながら検討をしていくべきことであると考えているところでございます。
#121
○林紀子君 でも、よい評価を得る運営諮問会議の運営というのは、例えばどんなふうに考えているんですか。
#122
○政府参考人(佐々木正峰君) 運営諮問会議は、例えば大学の将来計画であるとか、あるいは自己評価、その他大学運営の重要事項について外部有識者の意見を聞くものでございます。したがって、運営諮問会議が大学運営について識見を持つ方々によって適正に構成をされ、また大学運営の節目節目において適切な回数開催をされ、そしてその意見が学長に提示をされ、その中でまた必要とされるもの、大学の主体的判断でよしとされるものが大学運営に生かされていくことが大切であると思っておるわけでございます。
 そのような形での運営がなされているかどうかということについては、客観的な判断が可能であると考えているところでございます。
#123
○林紀子君 その運営諮問会議であるとか、責任ある意思決定であるとか、学長のリーダーシップであるとか、まさにそういう大学の運営にかかわるところを評価して、しかもそれを予算とリンクさせるということは、大学の運営そのもの、まさに大学の自治に文部省が予算をネタに手を突っ込むといいますか、そこに関与をするということになることで、それは絶対に許せないことだと思います。
 時間の関係がありまして、最後に文部大臣にお聞きしておきたいんですけれども、予算と評価というのを今リンクさせるということを盛んに言っていらっしゃるわけですけれども、今まで参考人にもお話を伺いましたけれども、参考人がおっしゃっているのは、OECD諸国と比べて日本の教育予算が大変少ない、そういうところがあるわけですね。大臣は……
#124
○委員長(佐藤泰三君) 林君に申し上げます。時間です。簡潔に願います。
#125
○林紀子君 韓国にいらして留学生の受け入れというのも約束していらしたわけですけれども、しかし韓国の留学生が来てみて、余りに日本の研究施設の大変さ、ひどさについてびっくり仰天して逃げ帰ってしまうんじゃないかというふうに思えるほどの、各国と比べてもひどさなわけです。ここのところを改革しないで評価と予算をリンクさせるということは絶対許せないと思うんですけれども、そこのところはどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
#126
○委員長(佐藤泰三君) 簡潔に願います。
#127
○国務大臣(中曽根弘文君) 各国の事情に比べまして、確かに日本の高等教育に対する公財政支出というのは低いわけでございます。
 大学教育の重要性というものを十分かんがみまして、財政事情厳しい中でありますけれども、予算の充実に十分努めていきたい、そういうふうに思っております。
#128
○委員長(佐藤泰三君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#129
○委員長(佐藤泰三君) 御異議ないと認めます。
 これより討論に入ります。
 御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
#130
○畑野君枝君 私は、日本共産党を代表して、国立学校設置法一部改正案に対する反対の討論を行います。
 医療技術短大の廃止については賛成ですが、定員削減や大学評価機関の設置には問題があり、反対するものです。
 反対の理由の第一は、この評価機関の行う評価が、国などの予算配分に直結することにより、評価機関のよい評価を受けるために長期にわたる基礎的研究を避け、短期で成果の上がる研究や政府の奨励する研究等に偏る危険性が大きいことです。とりわけ基盤的研究経費を予算配分にリンクさせるならば、大学間格差をさらに広げるばかりか、我が国の基礎的研究を衰退させるなど大学の教育研究をゆがめることになり、許されるものではありません。
 さらに、教員人事や大学運営全般まで評価項目としていることは、大学運営への介入にほかならず、大学の管理運営まで画一的な方向に誘導しようとするものであります。
 第二に、評価機関が国・文部省から独立した文字どおりの第三者機関としてではなく、学位授与機構という、大学に比べ文部省の意向が反映されやすい機構に設置されることです。こうした機関が大学評価を行うことは、大学評価の客観性を損なうばかりか、国・文部省の意向に沿った大学評価を進めることにつながりかねません。
 このように、今回の評価機関設置は、大学の自己改革の努力を励ますものではなく、逆に政府・文部省の介入や統制を強め、大学を変質させるものと言わなければなりません。
 今求められているのは、OECD諸国と比べて著しく低い我が国の高等教育予算を抜本的に増額することであります。そして、狭くて古い研究室など貧困な教育研究条件を改善することにこそ力を注ぐべきであります。
 私はこのことを強く要求し、反対討論を終わります。
#131
○委員長(佐藤泰三君) 他に御意見もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#132
○委員長(佐藤泰三君) 御異議ないと認めます。
 これより採決に入ります。
 国立学校設置法の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
#133
○委員長(佐藤泰三君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
 この際、石田美栄君から発言を求められておりますので、これを許します。石田美栄君。
#134
○石田美栄君 私は、ただいま可決されました国立学校設置法の一部を改正する法律案に対し、自由民主党・自由国民会議、民主党・新緑風会、公明党・改革クラブ、社会民主党・護憲連合、自由党及び参議院の会の各会派共同提案による附帯決議案を提出いたします。
 案文を朗読いたします。
    国立学校設置法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)
  政府及び関係者は、この法律の実施に当たっては、次の事項について特段に配慮すべきである。
 一、大学評価・学位授与機構による大学評価の実施に当たっては、客観的で公正な評価を確保するため、評価委員及び専門委員を幅広い分野から選任するとともに、評価の基準、方法等を公表し明確にすること。
 二、第三者による大学評価を行うに際しては、その本来の趣旨が、各大学の教育及び研究の改善に資するためのものであることにかんがみ、各大学の個性や多様性並びにその自律性に配慮し、評価結果の活用には十分留意すること。
 三、高等教育に対する新たな時代の要請に十分こたえることができるよう、大学等の教育研究体制のより一層の充実を図るため、財政措置を含めた必要な諸条件の整備に努めること。
  右決議する。
 以上でございます。
 何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。
#135
○委員長(佐藤泰三君) ただいま石田君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。
 本附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
#136
○委員長(佐藤泰三君) 多数と認めます。よって、石田君提出の附帯決議案は多数をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。
 ただいまの決議に対し、中曽根文部大臣から発言を求められておりますので、この際、これを許します。中曽根文部大臣。
#137
○国務大臣(中曽根弘文君) ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処をしてまいりたいと存じます。
#138
○委員長(佐藤泰三君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#139
○委員長(佐藤泰三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#140
○委員長(佐藤泰三君) 教育職員免許法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 政府から趣旨説明を聴取いたします。中曽根文部大臣。
#141
○国務大臣(中曽根弘文君) このたび、政府から提出いたしました教育職員免許法等の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 平成十五年から高等学校の教育課程に新設される教科「情報」及び「福祉」を担任する教員の養成確保を図るなど、高等学校等の新しい教育課程への対応を図る必要があります。
 また、社会人の有する専門的な知識、技能を広く学校教育に生かすため、学校教育への社会人の活用を促進するとともに、社会人から教員となった者の資質、能力の向上を図ることが重要であります。
 さらに、教員の資質能力の向上を図るため、教員が大学等において所定の単位を修得することにより上位の免許状を取得できる制度の改善を図る必要があります。
 今回御審議をお願いする教育職員免許法等の一部を改正する法律案は、以上の観点から、教員免許制度の改善を図るものであります。
 次に、この法律案の内容の概要について御説明申し上げます。
 まず第一に、高等学校の教科の改正に伴い、高等学校の教員の免許状に係る教科として、「情報」、「情報実習」、「福祉」及び「福祉実習」を新設することであります。
 あわせて、必要な教員を確保するため、工業または看護等の教科の免許状を有する者で所定の講習を修了した者に、「情報」または「福祉」の免許状を授与することができることとするものであります。
 第二は、専門的な知識または技能を有している社会人に免許状を授与する特別免許状制度について、所定の在職年数と単位の修得をすることにより普通免許状を取得できる制度を設けるものであります。
 第三は、専修免許状の質及び水準を確保し、教員の資質能力の維持向上を図るため、一種免許状を有する教員が専修免許状を取得する際に修得することが必要な単位数が在職年数に応じて逓減する措置を廃止するものであります。
 第四は、平成十二年から、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程における「養護訓練」を「自立活動」に改めることに伴い、盲学校、聾学校または養護学校の「自立活動」の免許状を有する者が引き続き他の学校において「自立活動」の教授を担任できるよう、「養護訓練」を「自立活動」に改めるものであります。
 最後に、この法律は平成十二年七月一日から施行することとし、ただし、「養護訓練」から「自立活動」への改正については同年四月一日から施行することとするものであります。
 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願い申し上げます。
#142
○委員長(佐藤泰三君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 本案に対する質疑は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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