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2000/04/27 第147回国会 参議院 参議院会議録情報 第147回国会 文教・科学委員会 第14号
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2000/04/27 第147回国会 参議院

参議院会議録情報 第147回国会 文教・科学委員会 第14号

#1
第147回国会 文教・科学委員会 第14号
平成十二年四月二十七日(木曜日)
   午前十時二分開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月二十五日
    辞任         補欠選任
     佐藤 昭郎君     仲道 俊哉君
     輿石  東君     小宮山洋子君
 四月二十六日
    辞任         補欠選任
     佐々木知子君     長谷川道郎君
     小宮山洋子君     佐藤 泰介君
     三重野栄子君     菅野  壽君
 四月二十七日
    辞任         補欠選任
     菅野  壽君     山本 正和君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         佐藤 泰三君
    理 事
                岩瀬 良三君
                野間  赳君
                石田 美栄君
                松 あきら君
               日下部禧代子君
    委 員
                阿南 一成君
                井上  裕君
                扇  千景君
                亀井 郁夫君
                仲道 俊哉君
                長谷川道郎君
                江本 孟紀君
                佐藤 泰介君
                本岡 昭次君
                福本 潤一君
                畑野 君枝君
                林  紀子君
                山本 正和君
                田名部匡省君
   委員以外の議員
       発議者      須藤良太郎君
       発議者      小山 孝雄君
       発議者      木庭健太郎君
       発議者      平野 貞夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        巻端 俊兒君
   政府参考人
       内閣総理大臣官
       房審議官     佐藤 正紀君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○政府参考人の出席要求に関する件
○国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律
 案(須藤良太郎君外三名発議)

    ─────────────
#2
○委員長(佐藤泰三君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る二十五日、佐藤昭郎君及び輿石東君が委員を辞任され、その補欠として仲道俊哉君及び小宮山洋子君が選任されました。
 また、昨日、佐々木知子君、小宮山洋子君及び三重野栄子君が委員を辞任され、その補欠として長谷川道郎君、佐藤泰介君及び菅野壽君が選任されました。
 また、本日、菅野壽君が委員を辞任され、その補欠として山本正和君が選任されました。
    ─────────────
#3
○委員長(佐藤泰三君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に内閣総理大臣官房審議官佐藤正紀君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(佐藤泰三君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#5
○委員長(佐藤泰三君) 国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本案の趣旨説明は既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#6
○本岡昭次君 本岡昭次でございます。民主党の立場から質問をさせていただきます。
 まず、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案、これは議員立法として先日趣旨説明を伺いました。二十五日には、私ども民主党が出しております学校の学級編制規模を縮小するという問題を促進する法律案、これも皆さん方の審議をいただきまして、大変ありがたく思っております。
 このように、議員立法をそれぞれ各政党が出し合って、そしてお互いにこうして審議をしていくということは非常に意義のあることだと思い、せっかくの機会をいただきましたので質問をさせていただきたいと思います。
 それで、今、委員長が私の名前を「あきつぐ」というふうに間違えられましたが、私は昭次であります。親が、昭和六年に生まれたものですから昭六とつけようかと思ったんだけれども、それでは余りにもかわいそうやと。昭和生まれの者は、昭二とか昭三とか昭五とか、いろいろ昭和をつけて男の子は名前をつけました。それで、昭和を次ぐ人間になれというふうな意味を込めて昭次というふうにつけてくれたようであります。
 したがって、私どものように昭和一けたの人間は、殊のほか昭和に対してはいろんな思いを持っております。特に、昭和六年に生まれた人間というのは、日中十五年戦争に生まれて、そして自分の幼年時代、少年時代は戦争に明け暮れるという時代を過ごす。学校へ行けば軍国少年として育てられた。軍国主義華やかなりしころ生きるのであります。そして、戦争が終わった後、敗戦後は百八十度転換して民主主義という初めての事態を経験するわけで、新憲法も、教える先生も戸惑ったし、聞く学ぶ私たちも、感激というよりも、なるほどこんな考え方があるのか、こんな世の中というものがあるのかというふうな思いをしたのであります。
 そういう意味で、昭和という一つの時代ではありますけれども、全然異なる時代を二つ生きた貴重な世代であると私は思っております。したがって、その昭和の日を祝日にするということについては私なりに非常にいろんな思いがございます。
 そこで、昭和の日を祝日にする意義についてお伺いするんですが、先日、提案理由の説明をしていただきました。その提案理由の中にもその意義はというようなことも書いてございます。「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」と書いてあります。この言葉は、私のような体験者はよくわかりますけれども、そうでない人は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、」、まして、最初のところに、「昭和の時代を顧み、歴史的教訓を酌み取ることによって、」というようなことも書いてあります。したがって、昭和の日を国民挙げて祝う祝日にするということについて、やはりかなり認識を一致させるということが必要であろうと思うんですね。
 それで、まずお伺いしたいのは、今私の言いました「昭和の時代を顧み、歴史的教訓を酌み取ることによって、」というここのくだりでありますが、発議者としてどういうふうにここのところを認識しておられるのか、三人の方それぞれひとつお答えいただきたいと思います。
#7
○委員以外の議員(須藤良太郎君) 私もちょうど本岡先生と同時代で、中学一年で終戦になっております。そういう意味では昭和をほとんど生きてきた者でございます。
 お尋ねでございますけれども、私はいろいろな経験をそれぞれの方がやっておると思います。しかも、大体日本国民の九〇%はこの昭和の時代を生きた人、こういうことでございますので、それぞれいろいろの感慨を持っておると思いますけれども、二十一世紀を目前にいたしまして、この最も近い歴史、これをしっかり、よきにしろあしきにしろ顧みて、いわゆるこれからの平和国家に向けてあり方を考える、指針を学ぶ、こういうことが極めて重要だと思っておるわけでありまして、そこに一つこの昭和の日を祝日にする意義がある、こういうふうに考えておるわけでございます。
#8
○委員以外の議員(小山孝雄君) 今いみじくも本岡先生が御自分のお生まれになった年を例に出されまして、おのおのの生まれた年、また生きた時代というものは、そのおのおのの受けとめ方が本当に大切なことであり、そしてまたおのおのの立場で昭和という時代を振り返るということが大変重要なことじゃないかと思うわけでございます。
 戦中に生まれた方はその思いがあるでしょうし、そしてまた昭和四十年代に生まれた方は、我が国が今日の経済大国になるその復興の真っただ中にあった、その中にあって自分が生まれたんだというこんな思いもおありだろうと思います。それぞれの立場で、それぞれの感慨で昭和の時代というものを顧みることがいいのではないか、このように考えております。
#9
○委員以外の議員(木庭健太郎君) 本岡先生と違って私は戦後の生まれでございます。ただ、私ども戦後世代もそうですけれども、やはり日本の歴史、長い歴史いろいろございます。その中でも私どもが一番近い歴史の中で感じる昭和というのは、やはり未曾有の激動と変革、そしていろんな苦難を我々の先輩方が感じ、そして復興した時代であろう、その意味では極めて重要な一つの時代だっただろうと、こう認識をしているところでございまして、私たちが今この平和と繁栄を享受している、これもまさにこういう昭和という一つの時代の礎の上に築かれたものだ、こう認識をしております。
 その意味では、どの時代、年代を祝日とするのかといういろんな議論はあると思いますけれども、私どもとしてはこの昭和というものを位置づけることは極めて大事だと考えまして、この発議者となった次第でございます。
#10
○本岡昭次君 二十分程度の質問ですので、この部分だけにかかわっておれません。
 私は、できれば、この「歴史的教訓を酌み取る」ということをどういうふうに認識されておられますかということを聞きたかったんですが、そこのところに入りますと時間がありませんので申しません。
 ただ、ここに「歴史的教訓を酌み取る」という非常に重要な言葉があるわけでありまして、ここのところを間違うと昭和の日というのも変わってくると思うんです。
 一言だけ私の立場から言いますと、例えば日中戦争、あるいはまた第二次世界大戦というようなものが侵略戦争であったのかなかったのか、これは後世の歴史家の議論の結果を待つと、それも一つの見識でありましょう。しかし、政治の場にある者は、やはりその政治家として、ここに書いてあるように歴史的な教訓をどう酌み取るかということはやっぱり個々が持たなければいけないと、私はこう思う。だから、森総理がはっきりとおっしゃらないから中国が反発する、むしろこれは当然であって、私は、侵略戦争であったという認識のもとの歴史的教訓というものをみずから認識するわけで、皆さん方もそうであるのかどうかということを本来聞きたかったんですが、それは結構でございます。
 そこで、その昭和の日というものを、私もある意味ではその時代に生きた人間として、国民とともにいろんな意味を込めて祝日とする、そのことを問題にする気はない。ただ、四月二十九日を、天皇誕生日であったからということで、みどりの日として国民が皆愛着し、祝日とし、祝っているものをなぜ移しかえて、そしてみどりの日をまた別のところへなぜ持っていくか、なぜそういうことをしなければならないかと。
 あるいはまた、なぜこの時期にこうした問題の改正をしなければならないのかと。あるいはまた、国民がこぞって祝うということ、この昭和というものを、ここに書いてあるような意義を十分酌んで、国民がそうしようというふうなある程度の合意形成を行うという、そういう必要性を感じるんですが、何かもう、きょう質問して、きょう採決して衆議院へ送れ、時間がないからと。
 そういうふうなことで国民の祝日を決めるべきではないというふうに思うし、ましてや、昭和の日というふうなものを祝日とするにはそれなりの、先ほど言いましたように、そのほか祝日の日がいろいろございます、成人の日とか、春分の日とか、憲法の日とか、こどもの日とか、海の日とか、敬老の日とか、それぞれこれは言えばすぐわかるわけです。ところが、この昭和の日というのはそういう意味でいろいろな複雑な中身を持ってくるだけに、時間がないからというようなことだけで、あるいはまたカレンダーをつくるのに困るからとかというふうな筋合いではないと私は思うんです。
 そこで、時間をかけた合意形成ということが必要だと私は思うんですが、そのことについてはいかがですか。
#11
○委員以外の議員(須藤良太郎君) 今回の法案提出の趣旨は既に御承知のことでございますけれども、この創設の趣旨からいたしますと広く国民の賛同が得られるものと、こういうふうに考えておるわけであります。
 時間をかけた検討、合意形成ということでございますけれども、既に国民の側から従来から両議院への請願なりあるいは署名運動その他いろいろな活動を通じて、四月二十九日を昭和の日としようという運動が繰り広げられてきておるわけでございまして、現在も、民間の方々を中心に結成された「昭和の日」推進国民ネットワーク、これにより昭和の日に関する国民集会が年一、二回開催されてきておるわけでございます。
 また、御承知かと思いますけれども、国会におきましては一昨年、十年の四月に超党派で「昭和の日」推進議員連盟、こういうものが結成されまして、これは与野党も含め、国民の代表である衆参の国会議員四百名もの参加を得て昭和の日実現に向けた積極的な活動が展開されてきておるわけでございます。
 また、この法案につきましては、三月に各会派に御説明申し上げ、御賛同を呼びかけて、できるだけ各会派の御賛同を得て提出したいとぎりぎりまで待たせていただいたわけでありますけれども、結果的には全会派の御賛同は得られなかった。しかし、昭和の日の実現を期待する国民の皆さんやあるいは国会議員の皆さんの大きい御期待にこたえるべく、特に二十一世紀を迎えるわけでありまして、今回この法案を提出させていただいた次第でございます。
#12
○本岡昭次君 今おっしゃったようなこと、昭和の日を祝日とすべしという運動なり声が非常にあったということも聞いております。私は残念ながらそういう方々と接したことは一度もありませんが、もともと本岡のところへ行ったってどうせ彼は反対だろうからといってこうなったのかとも思いますけれども、私は全然知らなかったです。ただ、国会議員の中でそういう皆さんが議論なさったことも、これは知っております。
 それで、私も初めに言いましたように、昭和という問題に対して深く自分なりの思いがありますから、基本的に昭和の日というのを祝日にするということの議論、これは私は頭から排除する気はありません。私の思いがそこにきちっと入るなら、それは当然、昭和に生まれた人間、昭和に生きた人間としてそういうことに意義を認めるものであります。
 ただ、国会でこのことを祝日として議論するには、やはりするだけのきちっとした手続というものも要りましょうし、各界の参考人を呼んでそしてその意見を聞く、そして私の存念と発議者の存念がどの辺で一致しどの辺で違うのかと。違いは個々人あるのは当たり前ですから、そこは私は言いません。どこまでその思いが一致するのかといったことを、やはり国会というこの公開の場で議論して、そしてできるだけ一致点を見出して、法案を提出するときに賛成できないという政党も含めてここに参加をさせて成立させるという態度が、僕は提案者側にあっていいのではないかと思います。
 今国会というのは、これは六月十七日まであるわけでありまして、解散含みの国会でありましても五月いっぱいは十分審議できる、衆議院へ送らなきゃいかぬということもありましょうけれども、そうしたことをにらんでも、何もそう急いでやることはないというのが私の考えなのであります。
 そういう意味で、せっかく国民の祝日ですから、そういう合意形成をしていくことに時間をかけるということについての私の意見です。発議者としてまさかきょう強行採決しようかというふうなことをお考えじゃないと思いますが、もう少しそういったところは、各党、賛成のところ反対のところあったとしても、やはり議論するだけはしたという状況をつくるのが、国民がこぞって祝う祝日なので、反対の者はおれは知らぬということであってはいかぬと、こう思うものでありますから、そこのところについてのひとつお考えをもう一度お聞かせください。
#13
○委員以外の議員(須藤良太郎君) おっしゃることもわからないわけではありませんけれども、この法案につきましては、各党に相当前に示しておりまして、各党でひとつ検討していただく、こういうことになっておったわけであります。それがぎりぎりで、党としては反対、賛成というのが三月に出てきたわけでありまして、相当党内では本来やられておるんではないかと、こういうふうに思っておったわけであります。
 おっしゃることもわかりますけれども、これは政策論争でなくて、一つの党あるいは派が決定していただければそれで進める問題の面もございますので、ぜひひとつ早く審議、決定していただきたいと、こういうふうに思っておるわけでございます。
#14
○本岡昭次君 党の中の議論というのは、これはそれぞれ党の中で行いますから、これは外へ出す必要もないし、まさに密室と言われようが何と言われようがそれは党の問題なんですよね。しかし、国会のこの審議というのは会議録に載りますし、オープンになって、国民を代表したそれぞれが議論して、そこに参考人を呼ぶこともできるし、さまざまな形で国民全体の合意形成をつくっていく場が可能なのであります。
 だから、そういうものを最大限活用してこの法案の審議をやっていただきたいと私は要望をしているのでありまして、ぜひともそういう方向で、その賛否、それぞれ各党あったとしても、議論にそういう形で参加できるようにぜひともお願いしたいと思います。
 最後に、議員立法としてこういう形で議論をお互いにしていくということは極めて大事ですから、私たちもそういう気持ちに立って参加をしていくということを申し上げまして、終わります。
#15
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。
 きょうの審議時間はわずか五十分、私に与えられた時間は十五分でございます。そういう点では、引き続き徹底した審議をしていただきたいということを委員長にもお願いしておきたいと思います。
 私は、時間が短いものですから、少し絞ってお伺いしたいと思います。
 まず、発議者の方に伺わせていただきます。御存じのように、祝日法というのは、「国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日」を意義として定めておるわけです。今回、四月二十九日を新たに昭和の日にするということについて、国民こぞって祝う、こういう点ではどのような合意形成がなされてきたのか、世論の問題を含めて伺いたいと思います。
#16
○委員以外の議員(須藤良太郎君) まず、四月二十九日を昭和の日にするということは、四月二十九日が昭和の時代に天皇誕生日として、これは昭和二十三年から六十四年までになりますけれども、非常に長く広く国民に親しまれてきたわけでありまして、昭和の時代を象徴する日ではないかということで、こぞって感謝し、お祝いし、記念するというのが祝日法に書いてあるわけでありますけれども、まさにこれはこぞって記念する日に最もふさわしいのが四月二十九日ではないかと、こういうことで決めたわけでございます。
 それから、合意形成等の問題でありますけれども、先ほども本岡先生にお答えしましたけれども、これまでにいろいろ議員への請願なり署名運動、あるいは国会でも、これができた平成元年から何度にもわたって国会での質問も行われております。ネットワークの活動、また議連の問題等々は御承知のとおりであります。
 そして、こういう種類のこれまでの祝日につきましては世論調査というのはなかなかやってきていないわけでありますけれども、私は、四百人の議連、そしていろいろ党の賛成等を含めますと、多分、七百五十のうち五百名余の国会議員が賛成している面ではないかと、こういうふうに思っておりまして、七割を超える賛成を得ていると。これは国民の代表の国会議員の賛成でございますから、そういう意味では国民の合意は得られるものと、こういうふうに思っております。
 なお、この法案が提出されました後、三月三十一日に、TBSのバトルトークというのがあるのでありますけれども、この電話調査によりますと実に八〇%の方が賛成と、こういう結果が出たようでありまして、そういう意味では相当賛成の機運は高まっていると、こういうふうに考えておるわけでございます。
#17
○畑野君枝君 調査の結果は、今ちょっと言われましたけれども、国会図書館にもそういう世論調査があるのかと聞きましたら、ないということでございました。政府の方もないというふうに伺いました。
 それでは、昭和という名にちなんだ祝日をつくることについて、新聞の「声」の欄がございますね、それへの投書はあるのかということで国会図書館に調べていただいて最近のを寄せていただきましたが、四通ございました。これは、例えば見出しを御紹介しますと、「理屈が分からぬ「昭和の日」改称」、「「昭和の日」なしくずし成立を懸念」、「「昭和」記念する日なら八月十五日」、「祝日法改正で祝えるのかな」、こういうことなんですね。いずれも、みどりの日を昭和にすることに対する懸念するものばかりということなんです。国民の論議という点では、突然出されてどうなのかなというところでは、とても、こぞって祝う、それに向かって臨むという状況ではないというふうに思うんですね。
 先ほど、なぜ四月二十九日なのかということでお話がございました。提案理由では、昭和の時代に天皇誕生日として広く国民に親しまれ、この時代を象徴する四月二十九日を、新たに昭和を記念する日として祝日とするということなんですが、なぜさきの天皇の誕生日をこぞって祝う日というふうにするのか、一体何をこぞって祝うのか、伺います。
#18
○委員以外の議員(須藤良太郎君) 新憲法はいわゆる天皇を規定しておるわけでありまして、その昭和の天皇のお誕生の日はずっと長く、先ほど申しましたけれども、広く長く国民に祝われてきたわけでございます。そういうことで、四月二十九日が六十年余に及ぶ昭和の時代を記念するには最も適切ではないかと、こういうことに考えたわけでございます。
 なお、いろいろ新聞投書の件がありましたけれども、新聞に投書するというのは大体反対の人が投書するケースが多い面もありますから、それを一概にこれが国民の声だと、こういうふうにとるのは問題ではないか。もちろんそういう意見も聞くわけでありますけれども、それで国民の声がこうだと言うのはちょっと行き過ぎではないかと。
 三月二十一日でありますけれども、朝日新聞の「素粒子」という夕刊のコラムがありますけれども、これは今、前後ありますけれども、こういうコメントがございます。「前半は戦争と混乱の時代だった。後半は経済成長からその崩壊へ。正義の戦争に敗北したとする人も敗戦が初めて民主主義をもたらしたとする人も痛みなしには回顧できまい。 「昭和の日」は、その痛恨の思い」、これは、戦争は絶対にしないと、そういう痛恨の思い「を新たにする日になることだろう。」と、こう「素粒子」に書かれておるわけでありまして、そういう意味では非常に昭和の日の意義は大きいのではないかと、こういうふうに考えておる次第でございます。
#19
○畑野君枝君 昭和の日の推進議員連盟趣意書を見せていただきました。そこでは、提案理由では書いていないことを率直に言われているわけですよね。四月二十九日がみどりの日として制定されたが、その目的やその由来とは全くかけ離れたものとして今日に至っております、四月二十九日を昭和天皇をしのぶにふさわしい昭和の日に改めていくことが必要ではないか、そういうふうな趣意書で議連はつくられた。何でこの提案説明ではそういうことをきちっと言わないんですか、隠しているんですか。
#20
○委員以外の議員(須藤良太郎君) その議員連盟のところに書いてあることは、私は特に問題にしませんで、要するにこの法案は、今回書いたような趣旨で提案した、こういうことでございます。
#21
○畑野君枝君 四百人の議員が議員連盟に入っているとさっきおっしゃったわけでしょう。それは国民の代表だというふうなことをおっしゃいましたけれども、その議員連盟のそもそもは、昭和天皇をしのぶにふさわしいように変えなくちゃいけない、今度の昭和の日というのは、四月二十九日にしたというのは、そのためにつくるんじゃないんですか。
#22
○委員以外の議員(須藤良太郎君) いろいろ考え方があるわけですから、昭和の日をしのびたい、天皇をしのびたい、そういう人もいるでしょう。しかし、いろいろな思いで国民が昭和の時代をしのぶというのが今回の法案の趣旨でございます。
#23
○畑野君枝君 それでは、四百人の議員連盟をもって合意形成ができたなんということは言えないということを私は申し上げておきたいというふうに思います。国民の中では、このことはよくわからないというのがまだまだ多いというふうに思うんです。
 私、そもそもこの祝日法というのは、戦後どんなふうにつくられてきたのかというのもいろいろと調べさせていただきました。
 一九四八年、衆参で祝日をどうするかということが半年以上にわたって論議をされたという報告書が、例えば四八年七月三日には参議院文化委員会で出されております。
 その一番最初に、「これまでの祝祭日は宮廷中心の祝祭日であつた。しかし、今日では新憲法が公布され、主権が国民の手に移つた以上、祝祭日もまた国民の祝祭日でなければならない。これは最も重要な点である。」、こういうことで、つまり皇室関係の祝祭日は国民主権の理念からいってふさわしくないから廃止する、こういうふうになっているわけです。
 内閣総理大臣官房審議官に伺いたいと思いますが、戦後の祝祭日の意義づけ、国民にとっての祝祭日なんだ、祝日なんだと、こういうふうに言われてきたということはよろしいですか、御確認申し上げます。
 時間がないので短くで結構です。
#24
○政府参考人(佐藤正紀君) 昭和二十三年の祝日法の制定に際しましては、従来の祝祭日を再検討して改めるに当たりまして、新憲法の精神にのっとり、平和日本、文化日本の建設の意義に合致するものであること、それから、国民全体として記念すべき意義の日であることなどの観点から検討が行われたと承知しております。
 国民こぞっての祝日であることから、議員立法の形で制定されたというふうに承知をいたしております。
#25
○畑野君枝君 私の言ったような原則で審議されたということはよろしいですね。
#26
○政府参考人(佐藤正紀君) 記録によりますと、皇室の祭日ではなくて、国民として祝う日を選んだというふうに聞いております。
#27
○畑野君枝君 それからもう一つ伺いたいんですが、一九八九年にみどりの日に関して審議を行った参議院の内閣委員会でも、内政審議室長が、「例えば、明治天皇のお誕生日であったのは十一月でございますけれども現在は文化の日になっている等々の祝日法の建前から考えまして、大方の意見がみどりの日ということで、」云々と言っておりますが、これもそういう経過でございますね。
#28
○政府参考人(佐藤正紀君) このみどりの日を定めるに当たりましては、各界の有識者の参集を求めまして、懇談会を開催いたしております。
 この懇談会におきましては、四月二十九日を何らかの形で残すべきであるという意見がございましたが、その名称につきましては、緑に関するもの、あるいは科学、学術、学問に関するもの、平和や福祉に関するものというような意見が出ておりましたが、最も多かったのが緑に関するものであったということを聞いております。
 これに基づきまして、政府といたしましては、四月二十九日をみどりの日とすることといたしたところでございます。
#29
○畑野君枝君 その二十五人の有識者懇談会の中では、昭和記念日というふうに挙げたのは一人だけだったというふうにも伺っております。
 つまり、さきの天皇の名前を冠した祝日をつくるということは、国民主権の憲法原則と相入れない、こういうことでみどりの日の名前にしたということだったというふうに思います。
 私、もう時間が参りましたので、最後に申し上げますけれども、今回のこの提案の趣旨というのは、そういう点からいっても国民主権の原則からずれている。主権在民の国から、あの戦前のような天皇の国にしようと、こういうことではないかと思うんです。
 議員連盟の趣意書によれば、あなた方がしのぶ昭和天皇というのはどういう存在だったか、いろんな見方があるわけですよ。そして、二千万人と言われる犠牲者を出したあの侵略戦争は、天皇の名のもとによって行われたし、国民も苦しんだ。
 さきに紹介した投書の中でもこう言っております。「「昭和」のある時期に、日本の軍国主義によってアジア、太平洋地域で数え切れない人々が犠牲になったことは決して忘れてはならないことである。」、このようにさまざまな意見のある昭和の時代を、国民こぞって祝うということに違和感を感じる人は数多くいるわけですから、このように国民の中で議論の分かれる法案というのは、やはり考え直す必要がある。
 そして、十五分ではとてもじゃないけれども、まだまだ質問したいことがあるわけです。日の丸・君が代の法制なども含めて懸念もあるわけです。あわせて、今国民にとっての休日、余暇というのはどのように過ごされているのか。リストラだとかあるいは過労死、過労自殺、そういうことが言われている中で、有給休暇も十分に消化し切れない、こういう問題も含めて、きちんと調査して議論をするべきだ、こういうことを申し上げて、私の質問を終わります。
#30
○山本正和君 私は、先ほどの本岡委員よりももうちょっと早く生まれておりまして、大正に種をつけて昭和に生まれたと。したがって、大正の正と昭和の和をとって正和と名前をつけたというのが父親の話でございます。
 私は、いわゆる兵役というのが、旧憲法下で、日本国に生まれた男子はすべて兵役の義務を負うというその兵役検査を受けた私は最後の世代です。きょうは井上先生もおられますが、第二国民兵役の検査を受けた最後の世代、委員長もそうであります。
 ですから、私にとっては、昭和というのは本当に命がけで生きた若き時代、天皇陛下万歳と言って死ねと、死のうと思ってきた二十年間でもあったんですね。それから後、戦争に負けて、今度は平和と民主主義という初めて聞いた言葉で勉強していった、あとの五十年間ですね。そういういろんな思いがあります、昭和ということには。昭和に対する懐旧の念というか、自分の人生のいろんな深い思いというのを嫌というほど持っている。だから私は、昭和の日という言葉には必ずしも反対じゃないんです、そういう思いを込めて言えば。
 ただし、趣意書に書いてあった、最初のあれはおかしいなと思った。そんなことじゃないんだと。
 私の旧制中学の、私は満州で旧制中学を終わりましたから、私の同級生に、この前、高分子化学でノーベル賞候補になりかかった三枝さんとかいろいろおります。その連中と同級会をやるんですけれども、私どもにとって昭和ということは何かと言ったら、やっぱり天皇陛下万歳と言って死ねといった二十年間の教育なんです。はらわたまでしみついているんです。
 ちょっと、女性の議員がおられる前で大変失礼ですけれども、男女差別が非常にひどかった。大体、女学校なんというのの数学や英語なんていうのはでたらめですよ。中学校と比べたらもう論外だ。だから女子教育というのは大変な差別があった。それでも日本の男の子は、お国のために戦って死ぬんだと、死ぬときは天皇陛下万歳と言って死ねという教育を受けたんだ、我々は。人がたくさん死んだんです。
 しかし、戦後ずっと見ておって、この前からの日の丸・君が代の問題でも、本当にその戦ったときの思いというものを込めて議論をしたかと、そうじゃないんです。何となく、ちょっと調子よく、天皇陛下万歳という言葉じゃないけれども、そういうことを言えば何か日本人の心がまとまるんだというふうな言い方でもって流れてきておるんですね。私はそのことが非常に心配でならないんです。本当にこの国を愛し、この国のために死ぬという気持ちがあるのかと、そういう提案をする人たちに。正直に言いますけれども、鉄砲の弾をくぐったら、人間が人間でなくなるんですよ。流れ弾が当たるかと思ったら震えるんですよ。そういう思いを込めてでも国を守るという、その気持ちで本当にこの問題を議論するなら私はよくわかるんだが、何か知らないけれども、浮ついた風潮の中でね。
 しかも、私が特別心配するのは、小渕さんが今病気で大変苦しんでおられます。一生懸命頑張ってほしいし、私もよくわかりますよ。しかし、その小渕さんの時代になってから今まで、みんなで議論をしっかりしなきゃいけないことが、どっちかといったら議論不足のままでぼんぼん通っていくんですね。
 だから、国民がみんなで本当に議論して、昭和とは何だったかということをしっかり議論して、やっぱりこういうふうに昭和の時代を受けとめようという中で祝おうというのなら私も賛成します。しかし、今度のやり方はどうも、国会がばたばたする中で、実は私の社民党でも、村山さんは昭和の日に賛成という意見を持っておる。私も賛成ですよ、本当は。党は反対ですよ。それはなぜかといったら、本当に国民の間で昭和とは何かという議論をしっかりしてほしいんです。何で三百万の若者が戦争で死んだんですか。そこを議論せずにやるから、これはもう話にならぬと私は思うんです。
 だから、祝日法案を提案されることについては結構ですけれども、十分な審議をひとつお願いしたい、これがまず私の冒頭の感想でございます。
 それから、時間が余りないんですけれども、質問よりもちょっと演説をさせてほしいんです。
 戦争が終わって、そして私は実は昭和二十四年に高等学校の教員になったんです。そうしたら、何かきのうかおとといの質問で総理大臣に、あなた、入社試験を受けずになったのはけしからぬといった質問があったようですけれども、私は実は教員の採用試験を受けていないんですよ。しかし、旧制の中学校、女学校、師範学校の免許状を私は持っておった。その免許状を持っていたら無条件で採用ですよ。校長さんの裁量一つです。その当時の高等学校の教員になったら、三級に叙すという辞令をもらったんです。そして、大変な値打ちのある仕事だったんです。今、高校の先生といったら、何かもうど突き回されてかわいそうですよ。私がなったときは、まだ少しは威張っておった。三級に叙す、これは何だといったら、陸軍少尉と一緒だと、位が。
 そういう中で私がなったときに、今度は高校の教員としていろんな生徒を教えなきゃいけない。一番年上の子が予科練帰りで、当時二十ですよ、昭和四年組ですよ。その子らを教えながら私はやってきたんです。ぶん殴りもしたし、ど突いたり、泳げぬ子は海の中にほうり込んだ、そして引っ張り上げて鍛えたんです。もっと言いますよ。私は、今度は新制高等学校になって民主主義教育をやったんですよ。やったけれども、そのときにやったのは、命がけできた我々が、民主主義を勉強しながら、平和とは何かを一生懸命みんなで議論しながら子供とぶつかってきたんです。
 しかし、昭和三十年ごろからおかしくなったんですよ。だんだん東大の試験がエリート教育になっていって、そして偏差値でぼんぼんやられて、何かずっとおかしくなっていった、流れが。そのおかしく流れていく中で次から次に出てくるのが、何か昭和の時代はよかったよと、昔の大日本帝国のときは本当に教育がしっかりしておったというふうな議論が出るんですよ。そこに私は危険を感じて仕方がないんです。本当に何だったんだろうかと。
 そして、祝日の問題が出ました。そうしたら、祝日法をめぐって国会で昭和二十三年に議論があった。私は当時学生だったんですね。学生の中でも議論したんですよ。そして、それはそれで一応終わりました。
 ところが、建国記念日の制定をめぐって、これもまた国会で大論争があった。少なくともこれは半年以上国会で議論しておったんです。しかも、その当時には何が行われたかといったら、待てよ、やっぱり建国記念日をつくると建国ということでいろいろ議論もある、しかしまあ国民がお祝いする、そういうことにしようじゃないか、ついては老人の日を、敬老の日ですよ、あの戦争で苦しんだお年寄りたちを、年とったらやっぱり休むと、みんなで祝おうというので老人の日をつくったんです。
 私は、今度は昭和の日というのなら、いいですよ。いいけれども、それならなぜ、今までずっと国会は戦後長い間陳情を受けている、五月一日を労働者の日と、こういう日が言われている。何とか休みにしてくれと長い間の陳情があるんですよ。それはもう知らぬ顔をしておいて、こっちだけ持っていくとどうしてもおかしくなってくる。
 それで、私は、みどりの日を制定したについてもよく意味はわかります。しかし、そのみどりの日というのは、やっぱり正直言って昭和天皇の遺徳をしのびたいという人が我が国の中にたくさんおる、これは事実ですよ、それは否定できない。そのことはそのことで、しかし、みどりの日という名前にして、皆さん納得してくださいよと、これをやったんですね。
 しかし、そのみどりの日というのが今度移動するという、それでお祝いがありますよと。これは、見てみたらインチキなんです。みどりの日を五月一日にするのなら私はよくわかると言った。ところが、何と四日にするというんですよ。四日ということは祝日じゃないんですよ。もともと三日と五日の間ですから休みなんですね。国民にとっては祭日がふえたんじゃないんです。
 だから、そこは、この議員連盟で提案した方々に私は言ったんです。自民党の中のかなり古くから頑張っている人も、それは山本さんの言うとおりだ、五月一日は祭日にしましょうと言ってくれていたんです。ところが、ふたをあけたらだめだと言うんです。それじゃ国民こぞったお祝いにならぬですよ、これは。
 だから、何とかそういうことを含めて、国民みんながいろんな思いを込めて祝えるような祭日にしなきゃいけない、そこのところを提案者の方ももう一遍十分に議論していただきたい。そして、本当にみんなが祝えるような格好で提案をしていただきたい。こういうことを私からお願いしておきたいんですが、もし時間が残っておれば提案者に伺いたいと思います。
#31
○委員以外の議員(須藤良太郎君) 五月一日をみどりの日にすればもう全面的に賛成という話は私も聞いておりまして、できればそういうこともできないかなとは思ったんですけれども、一方では休日を余りふやすなという、商店街、中小企業等、非常に強い声がハッピーマンデーをつくるときにもありまして、これからできるだけそれは気をつけようということで、五月四日は挟まれてちょうど休みなものですから、そこにしますと大体十年で三回休日がふえる、こういう形になって、まあこれではいいんではないかと。また、一日を休みにしますと、最低でも七日の連休、土曜日を入れますと十日、こういうことで、これはいわゆる国際金融、為替等の面でも非常に問題があるというようなことで、今回はいろいろ議論はあったんですけれども五月四日にしていただいたわけでございます。
 なお、なぜこの時期に昭和の日を提案したのかということでございますけれども、これは平成元年に決められたときからいろいろ何だという議論はあったわけでありますし、やはり近い歴史をしっかり認識する、こういうことは日本の将来にとって極めて重要だということだと思いますし、殊に二十一世紀を迎えるに当たって昭和の時代をしっかり、今のお話にもありますけれども、昭和の日に議論をして進む、こういうことが必要ではないか、こういうことで提案させていただいたわけでございます。
#32
○山本正和君 まだちょっとあるようですから、そのことに私は反論しておきたいんですが、私も実は三重県の松阪ですから商業の町ですよ、中小企業とようけいつき合っているんです。そうしたら、あれをなぜ困ると言ったかといったら、銀行が閉まるから困るんだと。銀行はみんな今、機械化されて、できるんですよ、実際の話が。それから、休みの方が、例えば食堂だとかいろいろなところでもお客さんが来る。このごろは、昔と違って日曜日に家族連れで御飯を食べに来る、品物を買いにも来ると言うんですね。そうすると、昔こういう陳情をした人たちが言っておるのかもしれぬけれども、現実に中小企業の皆さんは、祭日がふえたからといってマイナスになるという経済効果を、もしどこかがそれこそ専門家に検討してもらったらわかると思うけれども。
 アメリカやヨーロッパは、あの長い期間中の休暇を、じゃ、その間は中小企業は商売できませんか、そうじゃないんですよね。その休みということを前提にした対応ができる。日本の国でも、それこそヨーロッパやアメリカといろんな議論をするとやられるのは、働き過ぎだ、何でもかんでもむちゃくちゃ働いてと、このごろはそう言わなくなったけれども、昔はそう言われたんです。
 私は、余暇のある中で、働く者もみんなゆっくり休んで、そして中小企業もその中で生きていくという道を考える、これが政治だろうと思う。それを、休みになったら困りますからと言われたら、ああ、そうですか、はいはい、そうしたら選挙応援してくれますかと、こんなことをやるからだめなんだ。
 だから、そこのところはきちっと、もしも五月のあの期間中にこれだけの連続休暇があったら、それが経済的にどういう効果を波及するかということも調べたら、私は、当然、一日のメーデーをみどりの日にして、それで本当にみんなで楽しく明るい五月の週間をつくれば我が国はもっと元気になると思う。元気ないんですよ、今。
 そういうことで再検討を、特に提案者の皆さんにお願いしたい。そして、それは自民党内で特にしっかり議論してほしいと思うんですよ、中小企業の皆さんと、本当にそれが悪いんですかと。なぜやり直さぬのですか、そこを。議論をして、それでもやっぱりだめだというのなら、まだわかる。十分議論をされていないはずです、ここのところは。
 終わります。
#33
○委員長(佐藤泰三君) 本日の質疑はこの程度とし、本日はこれにて散会いたします。
   午前十時五十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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