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2000/04/20 第147回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第6号
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2000/04/20 第147回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第6号

#1
第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第6号
平成十二年四月二十日(木曜日)
    午前九時一分開議
 出席委員  
   委員長 富田 茂之君
   理事 石崎  岳君 理事 太田 誠一君
   理事 阪上 善秀君 理事 戸井田 徹君
   理事 田中  甲君 理事 池坊 保子君
   理事 石井 郁子君
      岩下 栄一君    江渡 聡徳君
      大野 松茂君    奥山 茂彦君
      佐田玄一郎君    佐藤  勉君
      実川 幸夫君    中野 正志君
      能勢 和子君    水野 賢一君
      目片  信君    鍵田 節哉君
      北橋 健治君    城島 正光君
      中川 正春君    中山 義活君
      山本 孝史君    石田 勝之君
      大森  猛君    松浪健四郎君
      三沢  淳君    一川 保夫君
      保坂 展人君
    …………………………………
   参考人
   (明星大学教授)     高橋 史朗君
   参考人
   (駿河台大学教授)    吉田 恒雄君
   参考人
   (埼玉県立小児医療センタ
   ー保健発達部 医長)   奥山眞紀子君
   参考人
   (虐待防止トレーナー・作
   家)           森田 ゆり君
   衆議院調査局第三特別調査
   室長           澤崎 義紀君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月二十日
 辞任         補欠選任
  城島 正光君     鍵田 節哉君
同日
 辞任         補欠選任
  鍵田 節哉君     城島 正光君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 青少年問題に関する件(児童虐待問題等)

    午前九時一分開議
     ――――◇―――――
#2
○富田委員長 これより会議を開きます。
 青少年問題に関する件、特に児童虐待問題等について調査を進めます。
 本日は、参考人として明星大学教授高橋史朗君、駿河台大学教授吉田恒雄君、埼玉県立小児医療センター保健発達部医長奥山眞紀子君、虐待防止トレーナー・作家森田ゆり君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位には、児童虐待問題等につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず高橋参考人、吉田参考人、奥山参考人、森田参考人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
 念のため申し上げますが、発言はその都度委員長の許可を得てお願いいたします。また、衆議院規則の規定により、参考人は委員に対して質疑ができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 それでは、まず高橋参考人にお願いいたします。
#3
○高橋参考人 おはようございます。明星大学の高橋でございます。
 私は、昨年から自治省の青少年健全育成に関する調査研究会の座長をさせていただいておりまして、本日は、その青少年の健全育成という大所高所の見地から児童虐待問題についての所見を申し述べたいと思います。
 私は、中曽根総理の諮問機関、臨時教育審議会の専門委員として教育制度の改革論議に参画させていただきましたけれども、制度改革の限界を痛感し、教育改革のかなめは人づくりにあると確信するに至り、十四年間、全国の教育現場を回り、不登校、高校中退、非行などから立ち直った教育実践に学んでまいりました。
 神奈川県の不登校対策の審議会の専門部会長などを務め、多くの不登校児ともかかわってまいりました。また、昨年、NHKの朝のニュース番組「おはよう日本」という番組で大きくインタビューを報道されまして、学級崩壊に悩む数百人に及ぶ先生方の相談に応じてまいりました。
 その結果、私が最も感じましたことは、親が変わったということであります。一言で申し上げれば、親性が崩壊しつつある。
 臨床教育研究所が一昨年に保母四百五十六人に実施したアンケート調査によれば、保母から見た親の変化で顕著なものを列挙しますと、第一に、受容とわがままの区別がつかない、第二に、基本的生活習慣を身につけさせることへの配慮が弱い、第三に、しっかり遊ばせていない、第四に、授乳や食生活にむとんちゃくである、第五に、離婚による片親家庭がふえたとなっておりまして、子供に食事を与えない、甘えさせない、認めてあげられない、子供を産みたくて産んだわけではないと悩む親がいる、子供をかわいく思わない親がいると保母さんは指摘をしております。
 このアンケートを紹介した昨年二月十一日付の朝日新聞は、「幼児に学級崩壊の芽」という見出しをつけて、「親については「子どもが泣くとオロオロしてしまう、逆におこりだす」「しかれない親と感情だけでしかる親」など「過保護か放任か極端なケースが多い」という記述が目立った。」と報じております。
 ちなみに、社団法人日本PTA全国協議会のアンケート調査によれば、学級崩壊の最大の原因について、PTA会長の五八%、校長の四六%が家庭の教育力の低下を挙げ、教師に問題があるとするのは、合わせても一割程度にとどまりました。
 児童虐待と学級崩壊の共通の根因は、親性の崩壊にあると言えるでしょう。親は子供を保護すべきもの、子供は親の保護のもとで育つものという、これまで自明と考えられてきた保護の観念自体が大きく揺らぎ始めたのであります。
 イギリス生まれのマリー・ウィンは、「子ども時代を失った子どもたち」と題するエッセイにおいて、子育ても大切な義務と考え、子供のために犠牲になる親はいなくなったと述べていますが、児童虐待の背景に、このようなまさに子供時代を失った子供たちが親になって虐待を起こしている、そういう背景がございます。このような親性の解体化という問題があることは明らかであります。
 アメリカで児童労働の規制に取り組んだマッキルウェイが、一九一三年にアメリカ独立宣言を皮肉って起草したアメリカの児童の依存宣言には、我々は自分たちが寄る辺なく依存したものであることを宣言する、我々は依存したものであるとともに、権利において依存すべき存在であるという一節があります。
 寄る辺なく依存したというのは、親による自然の保護を奪われたという意味であり、児童の権利とは、よき親によって当然保護されるべき利益を意味しておりました。
 女性の解放、性の自由化、離婚率の急上昇などに見られる社会の急激な変化の結果、伝統的な家族構造が急速に変容し、親の保護への懐疑と批判が国際的に高まる中で児童の権利条約を我が国も採択いたしましたが、アメリカのある著名な児童福祉法研究家の次の言葉を私たちは真っ正面から受けとめる必要があるのではないでしょうか。法は人間関係を破壊することはできる。だが、強制によって人間関係を形成することはできない。
 児童虐待の根因は親性の崩壊、すなわち親の自然的保護の後退と衰弱にあります。児童の権利には、保護と自律という二つの法観念が含まれており、前者は十九世紀後半の産業化の中での親の保護能力の弱体化を背景にして生まれ、後者は二十世紀後半の脱産業社会における家族の崩壊にその源を発しております。
 このような歴史的な視野に立つとき、本来、法以前の世界にその命を保っていた自然的保護という親子の人間関係が、法の支配によってますます崩壊に拍車がかかったという歴史の教訓に学ぶ必要があるのではないでしょうか。
 児童虐待のすさまじい現実に対して対応するための立法化に向けて熱心に論議されている本委員会の皆様に、心からの敬意を表したいと思いますが、児童虐待の根因は権利や法以前にある親子の人間関係の崩壊にあり、緊急措置、対症療法として法は必要でございますが、立法化によって親子の人間関係を形成し回復することはできないということもあえて強調しておきたいと思います。
 児童の権利条約を批准するに当たって、ドイツ政府は、児童の自律への権利による保護の解体が国内法に波及することを押しとどめるために批准議案書を作成し、児童の権利条約の諸規定は、ドイツ国内法上の、未成年者の法定代理に関する規定に何らの影響を与えるものではないという一節を盛り込んだ解釈宣言を出して、同条約を批准いたしました。
 このことは、児童の権利という法の論理によって、親性の崩壊、自然的保護という親子の人間関係の解体化を促進しないよう十分に配慮する必要があることを示唆しているように思われます。
 懲戒権を廃止せよという主張もあるようでございますが、児童の権利条約の第三条には、「児童の最善の利益が主として考慮される」と書かれており、児童にとって何が最善の利益になるかについては、深い洞察が必要であります。
 本人にとって利益であることをもって行為の自由に干渉することを正当化する父権主義をパターナリズムといいます。このパターナリズムが本人の利益という際どい一線を越えて度を過ぎると、子供の自律性を阻害する過干渉となり、児童虐待へと発展しかねません。
 不正、不当な行為に対して、民法第八百二十二条が規定しているように、必要な範囲内で子供を戒める懲戒やしつけは、目先の利益ではなく将来の利益につながる正当な教育行為であり、子供には、賀川豊彦の言うしかられる権利もあることを忘れてはなりません。
 子供の反抗期に父親が壁になることによって、秩序感覚やルール感覚が育ちます。私は、学級崩壊を調査しておりまして、その根本に家庭における父性の崩壊という現実があることを認識しております。子供の成長には父性が必要不可欠であり、人間としていかにあるべきかを教えるためにしつけが必要なのであります。
 例えば、朝起きて、御先祖様に線香を上げないと朝食を食べてはいけない、食事中は必ず正座しなさいとしつけている親がおります。この親は十分に子供とコミュニケーションをとった上で、子供も心から納得してこれらを実行しております。
 しかし、これは人権侵害の児童虐待だと法律で定義され、罰せられることになれば、この法律がひとり歩きし始め、人間教育に必要不可欠な家庭におけるしつけはますます衰退し、人間としていかにあるべきかではなく、法律を守るか守らないかが親の判断基準となり、我が国の古きよき文化や伝統、良俗美風が家庭で受け継がれなくなるおそれがあります。
 私が受けた中学校の先生の悩み相談の中には、体罰が法律で禁止されているために、そのことを知っている中学生たちが先生のネクタイをつかみ、おまえ殴りたきゃ殴ってみろ、殴れねえんだろうと言って挑発してきます、それに対して真剣にかかわろうとすると、上司から、熱くなるな、クールに対応せよと言われて、どんどん事なかれ主義になっていく自分が嫌だ、小学校に移りたいと訴える若い先生がたくさんおります。
 また、マット死事件で有名になった中学校の生徒の母親から、私はかつて次のようなお手紙をいただきました。その一部を読ませていただきます。
 「あのニュースが流れたショックは決して忘れられません。街中、驚き、悲しみ、いきどおりのこわばった空気で重くおおわれた何日かを等しく体験したと思います。ところが、一年を経て、報じられる通り真の解明には至らず、双方に憎しみ、うらみの渦巻くまま、一番の被害者はA君であることは勿論ですが、傷を負ったのは生徒のように思われます。家族も学校も大変なのですが、生徒の心の傷は大きく計り知れません。それを癒すこともできないまま、不信感のみが広がった子供たちのことを思いますと、暗たんと致します。また、いじめに手をかした生徒は今、弁護士の対応に接し、人間の心の最も大切なものを黒く黒く塗りつぶして生きる術を学んでいると思います。」
 ある中学生は、警察の取り調べに対して素直に自白しましたが、裁判になり、加害者にも人権があるという法の論理を学び、自白を撤回するに至ったといいます。また、ある中学生は取り調べ官に対して、僕はまだ十四歳だから罪に問われないんだよなと言い放ったといいます。
 財務センターの市川昭午教授は、イギリスの言い伝えの、大人は子供から目を離すべきではないが子供の言うことを聞き入れる必要はないという言葉を引用しておりまして、これはイギリスだけではなく他の国でも比較的共通した考え方と言えると指摘し、大人と子供の区別が縮められるならば教育の論理が通用しなくなり、教育がこれまで以上に難しくなることが予想されると警告を発しておりますが、この教育の論理には、子供の真の自由、自律を目標としながら、一定の強制、すなわち他律によって教育するという逆説的な側面があることを見落としてはなりません。
 人間が自己の欲望を抑制し得る理性に立脚して行動するときにのみ自由は権利として認められるというのが、本来の自由権の思想であります。人間は、内なる理性の強制があるから道徳的自由を得ることができるのであり、その内なる理性の強制を訓練するのが教育ですから、教育に一定の強制やしつけや懲戒、すなわち他律が伴うのは当然のことなのであります。東大の大脳生理学の権威、時実利彦教授は、教育とは欲望を抑止する訓練であると喝破しましたが、このような教育の論理が法の論理によって否定されることがないように望みたいと思います。
 国連差別防止・少数者保護小委員会委員の波多野里望学習院大学教授は、次のように指摘をしています。
 「最近アメリカでは幼児虐待が毎年二百万件から三百万件近く報告されていて、見かねた政府は、人権擁護委員やカウンセラーなどある資格をもった人が幼児虐待の現場を見た場合には、当局に報告することを義務づけました。それに違反すれば処罰されることになっています。そのため、以後、疑わしいものはみんな報告されるようになった結果、児童虐待の件数が跳ね上がったのです。実際にはかなり誤報もあるので、警察は振り回されて困っていると聞きました。中には狂言や逆恨みによる訴えもあるために、本当に被害にあっている子供が非常に迷惑を被っているわけです。アメリカではこのような行きすぎた事態の是正を図っていますが、子供の権利を過度に尊重しすぎると、いろいろな副作用が生じてくるという実例にもなっています。」ここまでが引用であります。
 通告義務者が通告しないことに対して罰則をつけることで、果たして問題が解決するでしょうか。アメリカのように、実態をはるかに上回る通告があり、危険性があるからすべて親子の分離を図るということで果たしていいのでしょうか。
 児童虐待についての児童の側のみの言い分を尊重する定義づけ、懲罰の強化などの立法化を図った場合に、誤った児童尊重主義が家庭に波及し、親子関係を破壊する危険性があります。そのような立法化によって、親子関係が法の論理によってずたずたに切り裂かれてしまったら、一体だれが責任をとるのでしょうか。この点を十分に考えて、慎重に審議を進めていただきたいと思います。
 前に述べましたように、児童虐待の背景には親性の崩壊という大変根の深い問題がありまして、罰することによって解決するような単純な問題ではありません。虐待された児童と虐待した親双方の心のケアを行うカウンセリング指導体制の充実強化こそが先決課題と言えるでしょう。
 最後に、目に見える児童虐待よりも、数字にあらわれていない、目に見えない児童虐待の方がはるかに多いということを申し上げておきたいと思います。子供に全く無関心な親、子供が学校を休みたいと訴えているのに休ませない親、子供が腹痛を訴えても病院に連れていかない親が増加の一途をたどっています。
 親性の崩壊が急速に広がっている今日、児童虐待はどの親にも起こり得るという認識を持つ必要があります。それゆえに、親一般のサポートと、これから親になる青少年の健全育成をいかに図るかという根本的な対策が何よりも求められています。性急な立法化によって家族の崩壊に拍車をかける結果にならないよう、青少年の健全育成という本委員会の原点に立ち戻って、十分に本質的な論議を尽くしていただきたいと思います。いじめを防止するためには、いじめる原因になっているストレスそのものに対処する必要があります。モグラたたきのような対症療法では対応できないほど、我が国の児童虐待は深刻化しています。
 さまざまな弊害が懸念されるため、慎重を期していただきたいと申し上げた私の真意は、だから何もしなくてもよいというのではありません。国家百年の大計という教育の大局的見地に立って、緊急対応のみならず、児童虐待を未然に防止するための根本的対応策を早急に講じなければ、燎原の火のごとく燃え広がりつつある大火事に対して、空から消火剤を散布する緊急措置だけでは間に合わないということを申し上げたいのであります。児童虐待という大火事の原因に対する根本的対策をぜひ早急に講じていただきたいというのが、私が最も申し上げたいことであります。
 そのためには、青少年の健全育成のための総合立法、青少年育成基本法の制定が必要不可欠であり、高校教育に家庭教育論を導入するなど、親になるための学習機会と親性を育てる親としての学習機会の充実、子育て支援体制の充実強化を図る必要があると思います。
 以上をもって私の意見陳述を終わります。(拍手)
#4
○富田委員長 どうもありがとうございました。
 次に、吉田参考人にお願いいたします。
#5
○吉田参考人 おはようございます。駿河台大学の吉田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず最初に、児童虐待の問題につきまして本委員会が大変熱心に取り組んでおられるという点につきまして、私は敬意を表したいと思います。長い間この問題にかかわってきまして、やっとこういう悲惨な子供たちに日の目が当たるということで喜んでいる次第でございます。また、本日はこうして発言の機会をいただきましたことを感謝したいと思います。
 まず、児童虐待の法整備について、基本的なところを四つお話ししたいと思います。
 現行法制上の問題点であります。
 まず第一は、我が国の全般的な意識として、家庭の問題に対して介入が非常に消極的であったという点であります。こうした傾向というのは、よそのうちの子供が虐待されていても見て見ぬふりをする、それも仕方がないことだというような意識につながりかねなかったわけですけれども、まず第一にこの点の見直しが必要だろうと思われます。
 それから第二点は、子供が生命・身体、成長発達の権利主体であるという点であります。子供を保護の客体として見るというよりは、まさに一人の人間として生きる、それを保障すること、これが法制度をつくる上での基本になるのではないか。
 三番目が、適正手続の欠如という点であります。これまで福祉という、善をなすものという名のもとに行われていた行為が実は権利の侵害を伴うのだという認識が欠けていたのではないか。そういう点から、児童虐待の法整備についても、こうした適正手続ないし権利擁護の視点は不可欠であろうと思います。
 それから第四点は、連携という点です。児童虐待が大変複雑な原因から生ずるというときに、福祉の問題だけでは解決できないだろう。他方面の機関との連携、これをしかも制度化することが必要だろうと思います。
 こういう認識のもとに、これからつくられるであろう児童虐待の法制度に関しましては、子供の権利を保障するものであっていただきたい、そして、具体的に実効性のある制度をつくっていただきたいと思います。
 児童虐待の問題は、実は、子供と家庭にどう介入するかという問題、またそれ以上に、介入した後子供をどうケアするか、それからどのように子供を返すか、また親の治療をどうするかという後の問題が大変重要ですけれども、本日は、介入の点を中心にお話ししたいと思います。
 まず、児童虐待法制の基本的な枠組みについて考えたいと思います。
 現在の児童福祉法というのは、先生方御承知のように、戦前の幾つかの法律を組み合わせてつくって、そしてその後の必要に応じて改正を重ねてきた、いわばパッチワーク的な法律であります。その中で、児童虐待のように親と子供の権利が鋭く対立するという場面は基本的な視点として入っておりません。そこで、児童虐待に関しましては、児童虐待防止法という単行法として成立させる、そして、その中で親と子供の権利、また国との関係を律するということが理論的にはすっきりするかと思います。
 ただ、このような法制度をとった場合に、児童福祉法だけではなくて、民法や家事審判法等、非常に多岐にわたる課題を整理しなければいけないだろう。現在の緊急に必要とされている対応の中で、果たしてそのような課題までクリアできるかどうかというと、私は、前回、平成十年の厚生省の児童家庭局長さんがおっしゃいましたような駅伝方式として児童福祉法の改正をつなげていくという中で、今回、児童福祉法の中に虐待規定を設けるということではどうかと考えております。
 次は、各論であります。ちょっと数が多いので、いわば結論のみ申し上げまして、詳しくは後ほど御質問でお受けしたいと思います。
 まず第一点ですけれども、虐待防止関係の法律で何よりも必要なのは、親の養育責任とそれに対する国の援助、これを規定するということであります。
 子どもの権利条約の中では、親の養育を尊重する、そして親が第一義的な養育責任を負うと規定されております。そして、親がそれを果たせない場合に国がそれを援助するのだという、この基本的な視点をまず押さえる必要があるのではないか。つまり、児童虐待の対策というのは、介入ではなくて援助であるということであります。したがいまして、児童虐待法制につきましては、基本的にはこうした援助というものをベースに置いた上で、そして、現在進められております子育て支援の中に虐待をきちんと位置づけるということが、これによって可能になるのではないかと思われます。
 それから第二点は、虐待の定義についてであります。
 本委員会でもかなり議論がなされているようでありますけれども、虐待の定義に関しましては、私は、一律に定義することはむしろ危険であろう。と申しますのは、虐待の定義が問題となりますのは、通告の段階、それから介入の段階、保護の段階でそれぞれ異なってまいります。これを一つの定義で定めるということになりますと、むしろその定義が足かせになってしまうのではないかと思われます。この定義については、次に通告のところでお話しします。
 通告制度についてですけれども、児童虐待の通告に関しては、これは制度的にさらに整備した方がよろしいだろうと思います。特に子供に直接かかわる方々に関しては、その発見に努めるという形で規定を設けてはいかがか。つまり、罰則なしであります。
 罰則を設けるということは、逆に児童虐待の定義を大変厳密にしなければいけないだろうということがありますし、それから、我が国ではすぐれた母子保健制度がありますので、何も罰則つきでなければ虐待の通告が上がってこないということではないだろうと思います。したがいまして、通告におきましては、虐待の定義をこの中に込めまして、通告対象児童の例示として、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトを設けてはいかがかという提案であります。
 それから免責でありますけれども、これも、現行法制度上免責は可能だという解釈も十分成り立ちますが、現場の方のお話であれば、これはそういう解釈ではなくて明文を示す、これによって安心してお仕事ができるということになるのではないかと思います。いわば注意規定として設けておくのがよろしいかと思います。
 それから、児童相談所が対応に苦慮するのではないか、件数の増加でありますけれども、この点につきましては、児童相談所の実務の中で、例えばリスクアセスメントをもっときちんと行うとか、それから他機関と初期介入の段階での連携を密にする。つまり、児童相談所だけがすべての対応をする必要はないだろう。この初期対応レベルでの連携の強化ということで対応できるのではないかと思います。
 それから、児童相談所職員及び所長さんの専門性の点でありますけれども、これもかなり詳しく議論されているようですので、簡単にお話しします。
 所長さんの方の専門性でありますけれども、確かにマネジメントの能力として大事かと思いますが、現場の児童福祉司の方のお仕事からしますと、最終的な分離の判断なり親権喪失の判断なりはやはり所長さんになるだろうという点で、専門的な判断がある方が仕事がしやすいというお話をお聞きしたことがあります。
 それから、児童福祉司の方の専門性ですけれども、現在、任用資格の点が議論されているようですが、それも確かに大事ですが、今までの児童福祉司ですぐれた方は、必ずしも社会福祉の学部・学科を卒業しておられない方も多いわけです。その方の自己研さんによって大変いい仕事をなさっておられる。私は、むしろ任用後の研修を重視したいと思います。
 そして、研修を重ねて、仕事をしていく中でもう一つ課題となっているのは、現在の児童福祉司の方のお仕事は大変裁量の余地が広いということです。この裁量が外部にあらわれない、つまり、個人としてケースを扱って、そしてケースが埋もれていくことがあります。したがいまして、児童相談所の活動をさらに監視するような機関、例えば子供オンブズパーソンのような制度をここに絡ませるということも必要ではないかと思っております。
 次に、立入調査及び一時保護であります。これは、先ほどお話ししましたような適正手続の視点をここに入れる必要があるだろうと思います。
 児童福祉法制定当時の立入調査というのは、現代のような虐待を念頭に置いていないものだったのではないかと思います。しかし、立入調査という問題は、一方で子供の生命にかかわるという大変重大な法益侵害があり、もう一方では親、子供の権利侵害、立ち入ることによる権利侵害という二つの大きな利害の対立がありますので、この点に関しましては、やはり司法的な関与が必要であろう。そういうところで正当性を付与するのがよろしいのではないかと思います。
 一時保護に関しましても同じです。期間制限、それから期間の延長について、何らかの法定化が必要だろう。一定の期間を設け、または延長する場合の裁判所の承認。ここでもやはり、子供の身柄が実質上確保される、子供の保護ということでありますけれども、子供の権利の侵害ということにも、そういう面も一面ありますので、ここで法的な、司法的な関与が必要だろうということです。
 それで、大人の目、特に児相の立場からしますと、緊急一時保護をした後、行動観察等をしてその後の処遇決定までに時間がかかるという御判断がおありのようですけれども、子供の立場からすればそれは逆でありまして、自分がいつまでここに置かれるのかわからないという状況の中で一時保護所に拘束され、しかも通学も制限されるという、この子供の視点から一時保護の制度は考える必要があるのではないかと思います。
 次に、親権の一時一部停止の制度であります。この一時一部停止に関しまして、私は、児童福祉法の中で一時停止、一部停止が可能になるような制度にしてはいかがかと思います。
 と申しますのは、親権制限をするということは、民法に非常に大きく影響するところであります。この民法との関連でいいますと、離婚後の子供の親権の問題であったり、子供の奪い合いであったり、それから離婚した子供の緊急の手術の問題であったり、さまざまに親権の問題が絡んできます。そして、親子の分離という面で考えましても、例えば子供を、養育委託契約を結んで他の方に預かっていただいた場合に、その方と親との権利関係はどうなるのか。これは虐待に限らず出てくる問題でありますので、広くそちらの方で議論して、そして児童福祉法の中では、これは措置解除に当たってその条件とするというような形で一部一時停止を考えてはどうか。
 例えば、児童福祉法二十八条の審判がなされた場合に、審判の効果として親権が一時一部停止されるのだ。この点に関しましては、厚生省の通知で既に出ておりますけれども、理論的にはまだすっきりしていない面がありますので、これを立法化する必要があるだろうと思われます。
 それから、親権喪失制度を活用すればよろしいだろうという御意見もおありですけれども、親権喪失制度に関しましては、申立人の範囲、それから戸籍の記載その他によって大変使いにくくなっている。本案の申し立てを必要とするということが条件でありますので、保全処分の利用に関してもやはり限られるんじゃないかということで、この点に関しては、二十八条審判と関連させて一時一部停止の制度を設けるのがよろしいだろうと思います。
 それから、親への治療であります。
 この治療命令に関しましては、特に問題となるのは、その治療に従わない親にどのように治療させるか、また、治療というのはここではカウンセリングという言葉で私は理解しておりますけれども、治療に限らずソーシャルワークをどう受け入れさせるかということが児童福祉の現場で大きな課題であります。
 これを受け入れない親に対してこれをどう強制するかというときに、法によって、命令によって果たしてそれらの親が従うかどうかということ、これは大変大きな問題だと思います。それまでの事例を見てみますと、そうした一片の命令なり勧告なりで親が従うとも到底思えませんし、それに科料の制裁をつけたとしても、どれほど実効性があるかという点では私は疑問であります。
 むしろカウンセリング等につきましては、親がそれを受けることができるようにする動機づけとして位置づけてはいかがかと思います。例えば、親の子供の引き取りの条件としてでありますとか、措置解除の条件として、つまり、一定の目標がクリアできれば親にとって具体的な利益がそこに上がってくるんだという形の制度化はいかがかと思っております。
 もちろんその場合には、同意入所の場合であれ、家裁の承認の入所の場合であれ、その親に対する動機づけに当たってはカウンセリングないしソーシャルワークのプログラム作成段階で親が参加していく、つまり親が主体的に、積極的にそれに参加することによって目標を持つことができるだろう、これもある種適正手続ということになるかと思います。
 そして、もし仮に、このようなプログラムに従わない、または効果が上がらないという場合には、今度は、親子の分離が長期化する、または養子縁組、長期里親という方向にプログラムを変えていくという方向をとるのがよろしいのではないか。もっとも、こういう方向をとる場合には、かなり養子縁組、里親についての資源の開発ということが必要になってきますので、これらと並行してこうした制度を考える必要があるだろうと思います。
 そして、カウンセリングの機関でありますけれども、どこがカウンセリングを行うかということであります。
 現在の制度からすれば、児童相談所というのが一番現行法制上よろしいんですけれども、現在の児童相談所の忙しさ、また役割から見てどれだけそれが可能か、また、介入権限と治療、援助権限が一緒であってよろしいのかという疑問も出てまいります。
 私は、この治療に関しましては、すべて児童相談所が行うのではなくて、他機関、例えば民間機関も含めた他機関に児童相談所が委託できるものとするという形でこのカウンセリング等を位置づけてはいかがか。つまり、児童相談所が現在行っておりますような児童家庭支援センターに対する指導委託と同じような方向で治療の委託を行う。これによって、治療費というのを、特に経済力の乏しい親御さんに対して負担させなくて済むのではないかというふうに思われます。また、児童相談所の相矛盾する機能も解決するのではないかと思われます。
 そして、最後に、児童虐待禁止の明文化ということであります。
 この点につきまして、これをどう位置づけるかという点につきまして、これを犯罪とするかどうかというところでも大変大きな議論がありますが、私は、児童虐待の禁止を、まずこれは反社会的な行為であるという形で位置づけることを目標にしたいと思っております。と申しますのは、児童虐待につきまして、現行法制上、刑法その他で規定があるということになりますが、実は刑法が規定している犯罪類型における保護法益、これは児童虐待とは大きく違います。また、児童虐待が起きる発生の機序も違います。そういうところから、犯罪類型としては別に考えてもよろしいのではないかと思います。
 それから、これは犯罪としなくても、仮に反社会的な行為としても、これを加害者に告げることによって後に治療につながるという人も現にいます。ということであれば、必ずしも福祉的アプローチ一本で解決することはないだろう。いわば選択肢をふやす、親の治療の選択肢をふやすということで、こうした反社会的行為としての明文化が必要だろうと思います。
 以上、大変駆け足で御説明しましたけれども、後ほど御質問をお受けしたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
#6
○富田委員長 どうもありがとうございました。
 次に、奥山参考人にお願いいたします。
#7
○奥山参考人 おはようございます。奥山でございます。レジュメと資料を用意させていただきましたので、それを見ながらお話をさせていただきたいと思います。
 私の履歴につきましては、資料の後ろの方についておりますので後でごらんいただければ幸いと思いますが、まず、レジュメに書いてありますように、私は、さまざまな場で虐待とかかわっております。ただ、本日は、1から3にあります保健医療の立場ということを中心にお話をさせていただきたいと思います。
 私が働いております埼玉県立小児医療センターは、ちょっとビジュアルに見ていただこうかと思ってパンフレットを持ってまいりましたけれども、三百床規模の小児病院です。小児病院というのは、子供のための総合病院というふうに考えていただいていいと思います。病床数が三百ですが、年間初診数が約八千でございます。
 そして、残念ながら院内の虐待防止システムが確立されておりませんので、現在の院内のソーシャルワーカー、看護相談室と私とで大体把握できる範囲で集計いたしました。ですから、これは漏れがある数字とお考えいただいてよろしいかと思うのですけれども、この二年間で合計八十七ケース、疑い例を入れて合計八十七ケースを扱っております。この八十七ケースというのは、初診患者数の大体〇・五%に当たります。かなり多いというふうに考えてもよろしいんじゃないかと思います。
 それを、まず精神科にかかるお子さんとそれ以外の科にかかるお子さんの特徴が違いますので、二つに分けてお話をさせていただきたいと思います。ただ、重複がありますので、数字にお気をつけください。
 まず、精神科以外にかかるお子さんの特徴としましては、資料1のBを見ていただくとわかると思うのですけれども、平均年齢が非常に低い。これはリスクが多いということでございますし、虐待の種類としても身体的虐待が多く、「医学的診断」のところを見ていただくとわかるんですけれども、頭蓋内出血、脳挫傷といったように非常に重篤な問題を持って見えるお子さんが多いということが言えると思います。その結果、転帰としては、死亡もございますし、それから施設に預けざるを得ないというお子さんが非常に多くおられます。
 それに対しまして、精神科で扱ったケースというのは、評価の目的、治療の目的で見えるお子さんが多くて、平均年齢も七歳と高く、虐待を受けたことによる精神的な問題ということの評価、治療ということになります。虐待の種類も、身体的虐待が多いのはもちろんなんですけれども、性的虐待が比較的ほかに比べると多いということになります。そして、精神医学的な症状としては、心の傷を受けたことによる症状、それから愛されないで育ったために人とのかかわりがうまくいかないという愛着障害の症状、それから、暴力的であるとか反社会的な行動をとるというようなことで見えられることが多くなっております。
 さて、レジュメの方に戻りまして、虐待を受けたお子さんの危険、虐待を受けたお子さんに対する私たちの対応というのは、子供を危険から守って安全を保障するということにあるわけですけれども、虐待を受けたお子さんには四つの危険があると私は考えております。
 一つは身体的な危険、これはもうおわかりだと思いますし、精神的な危険もいろいろなところでお話が出ていると思います。再発の危険、これは、虐待を呼ぶ行動をどうしてもとってしまって、虐待が繰り返される。同じ人からだけではなく、違う人からの虐待が繰り返されることも結構多くございます。それから、連鎖の危険。これは、次の世代へ連鎖していくという危険がございます。
 全員がなるわけではないですけれども、危険があるので、それに対して保護をしようという考え方が必要だと思います。
 それに対して私たち保健医療の立場にある者は、早期発見、保護・介入、医学的評価、治療・ケア、予防といった五つの側面から保健医療としてできることを最大限にしていく、支援していくということが重要だと思っております。
 そのような医療現場での問題点ということをまず挙げさせていただきますと、やはり圧倒的に虐待に対する知識が不足しております。それから、通告に対するちゅうちょということがございます。後でお話しすることと重複しますので、後で細かくお話ししたいと思います。それから、被虐待児の評価や治療に関して非常に困難であるということがあって、これも問題点となっております。レジュメの方をお読みいただきたいと思います。
 それから、保健機関での問題点として、これは今まで余り出ていなかったのではないかと思うのですけれども、保健機関というのは法律をもとに動いております。そのさまざまな、地域保健法、母子保健法、精神保健福祉士法といったような法律の中に、保健機関が虐待に対して動けということはどこにも書いていないのです。そうしますと、心ある保健婦が、虐待があって何か対応しようとしても、所長などから、それは福祉の仕事であろう、保健がやるという根拠がどこにあるんだというふうに言われてしまうという問題がございます。
 そういった問題を含めまして、これから皆様がお考えいただいている立法または法律改正におきまして、私がどう期待しており、どんな意見を持っているかということを少しコメントさせていただきたいと思います。
 まず第一に、私は、やはり法律というのは、一つのまとまりがあって一つの目的があるということが非常に重要なことだと考えております。この法律にこの目的があるんだというのが明確でない法律というのは余り意味がないのではないかと思います。そういう意味でいいますと、この法律の目的は子供の心身の安全を守ること、これを重要な目的としていただきたいと思います。
 先ほど挙げました例の中でも、虐待者が例えば不明ということもございます。ある子供がもう重症な瀕死の状態で担ぎ込まれてきました。それで頭蓋内出血であるということがわかりました。ところが、警察が介入しても児童相談所が聞いても、親のどちらが何をしたのか全く見当がつかない、親も覚えていないということがございます。幸い親が同意されましたので、一時保護から施設入所ということになりましたけれども、約半年から一年たってみて初めて、母親の方が私の記憶が何か抜けている気がするということで精神科を受診されました。そこで解離性同一性障害、つまり多重人格という診断を受けております。
 そのように、虐待者が不明であったり、あるいは虐待者が知的に問題があって責任能力が問えないとかいうときに、虐待者の行為に何かしらの規制をしようとすると、そこがネックになります。しかし、法律としては、やはり子供にとっては同じなんですね、親がどういう親かというよりも、子供にとってはいい福祉が得られるということが重要ですから、子供を中心に考えていけば、虐待者がわからなくても親の責任能力がなくても守られるということがとても大切なことだと思うのです。そこを中心とした法律にできるだけしていただきたいというのが私の期待であり、願いです。
 そして、ここに刑務所で親業は学べないと書きましたけれども、私が診ているお子さんで、兄弟が虐待で殺されたお子さんがおられます。そして、どうしても刑事罰の方が先立ちますので、そちらのことばかりが進んで、現在そのお母さんもお父さんも刑務所におられますけれども、もうすぐ出所される可能性があります。出所してきてすぐ親になれるのでしょうか。やはり、出所してからその子供と一緒に再統合されるには、親となる教育が必要だと思います。
 特に、虐待を受けたお子さんの暴力的な問題、私のところで治療している理由もそこにあります。自分をコントロールできない難しさ、そういう難しい部分を虐待のために持ってしまったお子さんとまた一緒になれば、そこでいろいろな問題が起きてくることは目に見えています。
 この問題は後でも申し上げたいと思ったのですけれども、施設から退所したお子さんで悲劇が起こることがかなり多く見られるということを考えましても、やはり親としての教育を受けて再統合を図るためには刑罰だけでは不足している、刑を受けることは当たり前のことかもしれませんけれども、それだけでは不足しているのだということをお考えいただきたいと思います。
 その次に、今さまざまな方がおっしゃっております定義の明確化、これはあった方がよろしいと思います。それはなぜかというと、告知がしやすくなる。それから、ネグレクトというのは虐待だという考え方がどうも少ないですから、ネグレクトが虐待なんだということを明確化する必要があると思います。
 それから通告の義務化ですけれども、これはやはり、一般国民に比べて医師とか保健関係者の義務が重いものと考えた方がいいと思います。
 それは、先ほどの資料にもありましたように、非常に危険度が高いものを扱っているということ。それから、一般の方はたまたま見た、不思議と思った、通告するでいいのですけれども、医者はやはり毎日の診療の中で疑って見つけるということを義務化されなければならないと思うのです。
 先ほど、死亡例もある、いろいろな重症例が多いと言いましたけれども、私たちの病院は三次病院で、直に来ているわけじゃないのです。その間にほかの病院を通してこちらへ見えているのです。つまり、前の病院で見つかったときにわかればよかったなという例も何例かございます。
 そういうことを考えますと、やはり毎日の診療の中で見る目を持っていくということを育てるためには、義務化ということは非常に重要な問題だというふうに思います。
 それから、四番目に書きました児童相談所の機能の強化、これはもちろんこの法律の中の目玉であると思います。
 児童相談所に行ってもどうせ何にもならない、うまくいかない、かえってよくないというようなことで通告をしないお医者さんがかなりおられます。これを考えますと、やれることをきちっとやっていただかなければこちらの通告も上がりませんよということになると思います。ですから、児童相談所長会のアンケートの結果にもちろん賛成でございます。
 さらに、それに意見を言わせていただければ、三番目に書きました、調査の迅速性ということをきちっと確保してほしいということをできればつけ加えていただきたいと思っております。虐待か虐待でないかの判断がなされないまま、何だかわからず一時保護されて、施設に入れるように同意書を書かされる親の身ということもあります。
 やはり、これは私たちは虐待と思う、あなたがそう思わないかもしれないけれども、虐待と思うから子供を守らなければならないのだということを明確にするのは、二週間程度で明確にしてあげないと、親も不安定になりますし、子供も不安定になります。そのような時間の規定ということも重要なポイントだと思います。
 それから、同じように時間の問題で、子供が非常に不安定になっているのが、司法の審判に時間がかかり過ぎるということです。以前に、二十八条の審判に八カ月近くかかった例もあります。この間に子供はかなり不安定になっていきますし、ちゃんとした処遇が受けられないということがございますので、司法の審判も余り長くなっては困ると思います。これが法律上どういうふうにできるのか、私、専門家じゃないのでわかりませんけれども、そこはとても困るケースになると思います。
 それから、先ほど来申しましたように、虐待に対しての医療のかかわりというのは非常に重要だと思うのですけれども、それがとても専門性を有する問題であるということです。
 以前うちに入院したお子さんで、確かに前の病院のレントゲンに、よく見ると、肋骨の後ろ側の骨折がある。しかし、これは私が見てもわかりません、ほとんどの医者はわかりません。専門の放射線科医が見るとわかるんですね。最終的に、その子は腹腔内の出血まで起こして、うちの病院に来るという形になりましたけれども、虐待が疑われたときに、ほかに何か細かい点で問題がないか。私の経験でも、鼓膜破裂があるとか網膜剥離があるとかということは、やはり耳鼻科、眼科のお医者さんに診ていただかないとわからないですね。
 そういうことを考えますと、どこか県に一つぐらいは拠点病院があって――もう一つは、虐待を受けた子供を診察し、治療しますと、医療費が取れないこともかなり多くございますし、それから、暴力的な親に押しかけられる不安というのもあります。そうすると、民間の病院ではそれ以上なかなかやり切れないということがございますので、どこか拠点となる病院というのを確保していただいて、評価とか治療ができるというような病院をつくっていただくことがよろしいのではないかと思います。
 それから、これは四番のところとも関係するのですけれども、親権の一時一部停止という問題です。
 これに関して一言お話しさせていただきたいのは、ここに書き忘れたことなんですけれども、一つは、私が治療をいたしておりまして、いかに分離をしてお子さんが施設に入れたとしても、子供に親が電話をしてきたり面会に押しかけたりして、子供の傷をさらに広げていく例がかなり多いということです。面会とか電話とかをコントロールし切れる根拠がないのです。親権の一部一時停止ということになれば、そこに根拠が生じると思います。
 そのために、もう長年、親からの電話攻勢と面会攻勢で非常に強い精神障害を負ったお子さんがおられます。これはいろいろなお子さんを診ていて、その後にとても大変な思いをします。
 ですから、いたずらな親の電話ではなくて、ちゃんとコントロールした中で、いい親子関係をつくっていくような再接触を図っていくことが重要なんです。そこをきちっとコントロールできるようなことのためにも、親権の一時一部停止ということは必要だと思います。もちろん、ここに書きましたように、手術とか精神病院への入院に当たって、親の同意、親権者の同意ということが必要とされておりますので、その点におきましても、親権の一時的な停止ということがないと子供を守り切れないことがあるということはおわかりいただきたいと思います。
 それから、その次に書きましたように、非常に凶暴な親もおります。子供の安全が守れない、あるいはスタッフの安全が守れないということも非常に問題となることがあります。ですから、もし親権が一部一時停止になったときに、子供に近づくことをある程度禁止する、何メーター以内に入るなというようなことが必要になる場合も出てくるのではないかと思います。
 それから九番目に、児童養護施設に入っているお子さんは、資料2のBに書きましたけれども、被虐待児が八〇%近くいる施設がございます。そういうような施設で、今のスタッフでは子供たちの非常に強い精神的な問題から守ることがなかなかできません。最近あった児童精神科医の集まりで、児童の病棟を持っている病院の先生が、四十床の病棟があるけれども、二人以上被虐待児を入れたら病棟は立ち行かない、そのぐらい行動の激しいお子さんたちが多くおられるのです。
 そういうお子さんたちが今養護施設の中で、こういう言い方はよくないかもしれませんけれども、半分野放し状態、治療に手がつけられない状態でいるということがあります。現実に、私は養護施設にいてそれを感じております。ですから、その点に関して考慮していただきたいと思います。
 十番の再統合の問題は、先ほど吉田先生もおっしゃいましたけれども、再統合前後で最低一年間、親の治療、それから本当に大丈夫かどうか、その親の評価の義務づけということが必要と思います。これは引き取られた後、これは虐待で入所した子に限らず、養育困難で入所した子にしても、引き取られた後の悲劇というのは非常に多く存在します。
 あとの問題に関しては、先ほどの保健機関のことは申しましたし、地方公共団体に関してお願いしたいことというのは、連携の強化。それからもう一つは、死亡例をきちっと調査するということをできるだけ義務づけていただきたい、やはり死んだ子のメッセージは役に立てたいと私は思います。その点に関しては、読んでいただいて、もし何かありましたら、後で御質問いただければと思います。
 足早に簡単に私の意見を述べさせていただきましたが、細かい点に関して何かありましたら、御質問いただければ幸いと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
#8
○富田委員長 どうもありがとうございました。
 次に、森田参考人にお願いいたします。
#9
○森田参考人 皆さん、おはようございます。
 超党派の議員の方々が子供の虐待を防止するための立法を検討されているということを知りまして、私は大変に感動しました。そして、大きな大きな期待をかけている現場の人たちがたくさんいるのだということを、まずこの委員会のメンバーの方たちにお伝えしたいと思います。
 私は、そういう虐待問題の現場にいる者の一人です。私たちが今この立法の動きにかけている期待というのは、日々の子供とのかかわりの中で生まれてきた、経験している、非常に切実な期待なんです。
 私は、ちょうど二十年前、一九八〇年ですけれども、米国のカリフォルニア州で子供及び女性に対する虐待を防止する仕事をし、それ以来ずっと続けてきています。
 扱ったケースというのは、要するに子供の虐待と、それからドメスティック・バイオレンスです。この両者は非常に深い関係を持っています。特に、私がカリフォルニア州の社会福祉局の委託のもとで行っていたのは、子供の虐待防止教育プログラム、それを実践する人たちの養成、研修。それから、ここでも何度も検討されていると思うのですけれども、米国にある虐待の通告義務者、特に医療関係者、それから学校関係者、そういう人たちへの研修をやる。あるいは、そのカリキュラムを作成、開発する。そして、それを実施していく人たちをさらに訓練していく。そういうことが私が長年やってきた仕事です。
 日本では、五年前からCAPという子供への暴力防止プログラム、その実践者を養成して、そのプログラムを全国に広める、そういうトレーナーの仕事。それから、虐待のケースに直接かかわる児童相談所のケースワーカーの方、心理職の方、養護施設の方、婦人相談所の方、あるいは保健所の保健婦さんたち、そういう方たちへの虐待に関するトレーニングを行っています。また、虐待の被害者へのカウンセリングもやっています。
 今まで三回のこの委員会の議事録を読ませていただきまして、今までの参考人の方が指摘されていることは、もう時間が限られているのであえて言いません。そういう中で語られていなかったことで、ぜひともこれは立法の中で生かしていただきたい、あるいは、行政的な措置を考えていっていただきたいと常々痛感していることだけを幾つかお話ししたいと思います。
 常々痛感していることは、実はすごくたくさんあるのです。それは十五分の中で全部話し切れませんので、用意したレジュメの中に一応書いてありますので、後でぜひとも読んでいただきたいと思います。
 私の資料の三ページ目をあけていただきたいのです。ちょっとこの資料、この会議のためにつくる時間がなかったものですから、今まで書いたものの寄せ集めなので申しわけないのですけれども、下に3と番号が書いてありますが、その真ん中辺に「法的な明文化が必要とされていること」というのがありますね。そこをちょっとお話ししたいのです。
 まず、定義の明文化ということ。虐待が子供の人権を著しく侵害する行為であり、犯罪なんだ、禁止されている行為なんだということははっきりと明文化していただきたいのです。先ほども、加害者の親へのケア、受講命令という話が出ました。加害者の親へのケアというのは、必ずしもカウンセリングでなくてもいいのです。いろいろなプログラムがあります。事実、私は今、その教育プログラムを作成、開発している最中なんですけれども、そのことに関しては、もし後で関心のある方がいましたら、質問してください。
 いずれにせよ、カウンセリングにせよ、教育更生プログラムにせよ、あるいは自助グループをやっていくにせよ、加害者が回復していくためにまず最初に必要なことは、自分は大変なことをしてしまったんだ、大きな間違いを犯してしまったんだというその自覚がない限り、何カ月、何年カウンセリングをやっても何もその人は変わらないです。ですから、そういう自覚を促すためにも、やはり法律の中で、大変なことなんだ、犯罪なんだ、そういうことを明記していただきたいと思います。
 その次ですけれども、現行児童福祉法では親または親にかわる養育者、そういう人たちによる不適切な監護、それを虐待としている。多くの虐待の定義、親またはその養育者という限定があるようなんですけれども、児童虐待というのは、親またはその養育者が加害者であると限ることでは全くないのです。実際に、子供たちは養育者以外からも虐待を受けています。しかし、なぜか日本では虐待イコール親からの暴力というふうに認識が広まってしまっていて、私はそれは大変にまずいと思うんですね。
 ですから、定義の中で、親または養育者からの何々行為というふうに限定をつけるのはやめてほしいと思うのです。とりわけ性的な虐待、余り語られていないようなんですけれども、性的な虐待というのは最も表面化してこない虐待です。ですから、厚生省の調査なんかでも非常に数は少ないですけれども、水面下にある数というのはかなりの数であるはずで、これからどんどん出てくるはずです。表面化しないのですけれども、同時に、最も深刻な心的外傷を子供に与えていきます。先ほどちょっと出た多重人格障害、その多くの人たちが子供時代に性的な虐待を受けていたというのは、私たちの中でよく知っていることなんです。
 性的虐待というのは、親からだけではなくて、お兄さん、お兄さんの友達、親戚のおじさん、親の雇用主、親の知人、クラブのコーチ、それからおけいこごとの先生、そういういろいろな子供の身の周りにいる人たちから、子供たちは性的な虐待を受けています。もちろん親からの場合もありますが、虐待の定義が親または養育者からというふうに限定されてしまうと、性的虐待には対応できなくなります。今私が例を挙げたお兄さんとか何々というのは、私が日本でかかわった性的虐待のケースすべてを言ったところです。それだけさまざまな、子供の周りにいる人から虐待を受けているんだということです。そのことはぜひ検討していただきたいと思っています。
 次に、よく虐待の定義として四つのタイプが挙げられてくるわけです。そのタイプというのは、それなりに役に立つタイプ分けです。定義です。でも、ちょっともう一度、虐待の定義というのはなぜ必要なんだろうというところに立ち戻っていきたいと思うのです。
 私が思うには、一つは、社会全般に対して、虐待というのはこういうことなんだよということを教育、啓発していく、そういう役割というのはあると思うのですね。もう一つは、ケースワークをしていく上でどうしてもそれは必要になる。ケースワークをしている人たちの、これは虐待、これはそうじゃないんだという一つのガイドにもなりますし、それにかかわっている人たちの共通言語、共通理解をもたらす、そういう必要。それから、虐待をしている人に対して、あなた、こういうことが虐待なんだよと説明していく、そういう役割も果たします。
 いずれにせよ、この今言った二つ、社会全般に対する教育、それからケースワーク上必要なんだ、その二つだと思うのですけれども、そうだとしたら、その役割に一番役立つような定義をしていく必要があると思うのです。
 実は、さっきの四つ、身体的虐待、ネグレクト、性的虐待、心理的虐待というのは余り役に立たないです、今言ったその二つの役割に対して。
 それは幾つか理由があるのですけれども、一つは、例えば心理的な虐待。これは、実は、四つのタイプの虐待というのは、全部心理的な虐待が必ず伴っていますよね。だから、心理的虐待といったときは、ほかのものが伴わない心理的な虐待だけというのを指しております。
 しかし、このケースに介入していくことは非常に困難です。私のアメリカでの経験でも、心理的虐待はもう虐待の定義の中から落としました。実際にその虐待が上がってきても介入できないのです。
 お渡ししました資料の後ろから三ページ目に、下に2という番号が書いてありますけれども、そこに一つの例として、アメリカにおけるカリフォルニア州での児童虐待通告法、その法律を部分的に抜粋して載せておきました。その後半の方に、どういうふうに定義しているのかというのがあります。abcdeというふうに書いたので、そこをちょっと見ていただきたいのです。
 私は、アメリカのやり方を何でもかんでも日本に持ってくればいいというふうには全く思っていないのです。ただ、この国は日本より二十五年、虐待問題に対する取り組みが早かったのです。その二十五年間の中でたくさんの失敗を重ねて、そしてたくさんの改正というのですか、改良をしてきたということは事実です。ですから、同じ失敗を私たちは繰り返さなくてもいいんじゃないのか、取り入れられるものがあったら大いに取り入れていっていいんじゃないのかなと思うのです。
 もう一つは、そこにあるように、定義をするときはなるべく具体的な例をたくさん出してほしいのです。
 実は、私、ここに翻訳したカリフォルニア州の法律は、その具体例を余り入れなかったのですが、実際の法律はもっといろいろな、例えばこうこうこういうことといっぱい書いてあります。そういう例えばという形ででも書いてあれば、それは通告義務者にとっても、とても役に立つことです。ケースワークをする人たちにとっても、とても役に立つことですね。だから、そういう具体例をたくさん出していっていただきたいなと思うのです。
 それから、カリフォルニア州の法律では、過酷な体罰というのを虐待の一つに入れています。私はぜひともそれを入れていただきたいというふうに考えています。子供が脳内出血を起こすほどの傷害を負わせても、あるいは張り倒して耳の鼓膜が破れてしまうほどの傷害を与えても、それはしつけなんだと主張する親あるいは教師もいるのですけれども、そういう人がいるのだということは、今までの、前回、前々回の参考人の方たちも何度も言っていたと思うのですね。私は、過酷な、そして傷害をもたらす、そういう体罰というのは虐待なんだということを明確に書いていただきたいと思っています。
 それから、先ほど言いました性虐待なんですけれども、非常に表面化しにくい。そして性虐待の被害者というのは、ほかの虐待と比べるとはるかに高い割合で、自分がされたことをほかの子供にアクトアウトしていきます。同じようなことをしていきます。つまり、例えばほかの子供に性的な行為をしている子供がいる、養護施設なんかにはそういう子たちがいて大変困る状態になるのですけれども、ほかの子供に性的な行為をしている子がいたら、かなり高い確率で、その子はだれかからそういうことを以前にされたというふうに疑っていいと思います。
 私も今一つ相談を受けているケースが全くそういうケースなんですけれども、その子は中学生の男子で、公園でほかの小さな子供たちのとてもいいお兄ちゃんになっているのです。でも、何をしているのかといったら、性的な行為を小さな子供たちに繰り返しています。そのことを児童相談所は知っています。主任児童員の人も知っています。近所の親たちも知っているのです。でも、介入はされていません。私はその中学生と話したのですけれども、その子は父親から性的な虐待をされている子です。でも、これは介入できない状態でいるんですね。なぜかといったら、法律がないからなんです。こういう状態に介入できないのです。親たちは、公園に子供をもう行かせないという、ただそれで対応するしかないわけです。
 このケースにちゃんとした介入が起こらなかったら、この子の人生は大体半分ぐらい見えています。この子はこういう行為をずっと一生繰り返していきます。こういう性的加害者というのは、一生の間に何百人あるいは何千人の子供に対して同じような行為をしていく。ですから、性虐待の定義に関しても、ぜひたくさん例を挙げて定義していっていただきたいなと思います。
 それから、先ほど言いましたように、私の専門はこういう虐待分野に関する研修をする、そういうトレーナーなんですね。ですから、特に研修の必要性ということを少しお話しさせてください。
 通告義務を特定の職種の人たちに課す、私も実際必要だと思います。それをすると同時に、その通告義務者たちに対して、あるいはその通告義務者の雇用主に対して、その義務を負わせられている人たちに研修を義務づけてほしいのです。その研修というのは大変な研修じゃないですよ。一年に一度、二時間ぐらいでいいのです。その研修というのは、行政機関がやるのではなくて民間団体とか市民団体がやった方がずっと効果を持ちます。
 例えば、私もアメリカでそういう研修をしていたのですけれども、八〇年代の初めごろは、そういう研修が徹底していなかったのです。そうすると、学校の先生は義務づけられています。子供が虐待を訴えてくる。そうすると、これは通告しなきゃと。だけれども、まず先生が思うことは、だけど、ちょっと親に電話して確認しようかなという配慮が働いてしまうわけです。ちょっと打診してみたい。そして電話をしてしまう。
 そうするとどういうことが起こるのかというと、翌日、この子はもう学校に来なくなってしまう。極端な例は、夜逃げしてしまう。あるいは、その夜、その子は非常に過酷な虐待をされる。そういうようなことを通告義務者に対して知っていてほしいことなどがあります。
 それから、親権の一時停止を制度化すると同時に、やはり不可欠になるのは子供のケアと加害者のケアですね。
 子供のケアのことだけ一言言って終わりにしたいと思いますけれども、場所としては養護施設とか乳児院を、もっともっと子供の心理的な治療をする場にしていく必要があると思います。
 厚生省は箱庭療法を導入するとかカウンセラーを派遣するとかいろいろやっていて、それはそれでとてもありがたいことなんですけれども、一番重要なことは、その養護施設の職員にもっと徹底した研修をしていく、そういう職員による生活の中の治療、生活の場における治療、そういうアプローチなんですけれども、一番効果を持つのです。
 日々の生活の中で、治療に役立ついろいろな出来事が起きます。その出来事に対応していく。その出来事を使って治療をしていく。本当はその例を幾つか挙げたかったのですけれども、時間がありません。そういう生活の中の治療という考え方での職員に対する研修が非常に必要とされていると思います。
 そういうところで終わりにしたいと思います。(拍手)
#10
○富田委員長 どうもありがとうございました。
 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
#11
○富田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。太田誠一君。
#12
○太田(誠)委員 児童虐待の問題につきましては、対症療法的なことを急いでやらなければならないということは共通の問題意識としてあるわけでありますけれども、しかしそれは、実は、そのようなことが本当に顕著にふえてきているのならば、どういう経過で、あるいはどういう社会全体の病理というか、そういうものが何であるのかということをきちんと踏まえて対症療法も考えなければいけないと私も思うのでございます。
 そして、高橋参考人から、親性という言葉は初めてお聞きしましたけれども、母性、父性、合わせて親性ということだと思いますけれども、結局のところ親性が崩壊してきているという、まさに我々の社会の将来に向けて最も危惧される不安というものを指摘されたわけであります。
 親が変わってしまっているということであれば、この児童虐待を生み出した社会の病理を根本的に治療するのは大変な時間がかかることを覚悟しなければいけないということになるわけであります。
 その親性が崩壊しているということは私も感じないわけではありません。ただ、これは世代的に言うと、今我々が気がついたとして、一体何世代かかって、一体どういうことをすればよい方向に向かっていくのか、一世紀ぐらいはかかるのではないかと思います。
 ちょうど今はよく流行語でミレニアムという言葉を使うようになりましたので、ミレニアムというような時間的視野をむしろ私たちは持たなくてはいけなくて、その中で、我々自身が、ミレニアム全部を見ることはできませんけれども、向こう二十年ぐらいの間に何ができるのか、何をするのかということを考えなければならないと思います。
 その中で、親性の崩壊というのは大事なことだということはわかるわけでありますが、同時に、地域コミュニティーといいますか、近隣のコミュニティーというふうなものを高橋先生はどうお考えなのかということをお聞きしたいのであります。
 というのは、今の法律は、児童虐待に対する通告義務をすべての人々に対して課しているわけでありますけれども、その場合に、特別の職業を除いてだれが想定されているのかというと、これは近所の人、隣の人、よく出会う人という近隣の人々であります。そういう人たちに通告義務を課しているということであります。
 私も実は、まことに申しわけないけれども、この委員会でこのテーマに取り組むまでは、そんなことが義務づけられているとは知らなかったわけでありますけれども、もしそこが通告が義務づけられているとすれば、それを通告するという社会もあれば、あるいは、ちょっとさっき最後の森田先生のお話で、矛盾するようなことになるわけでありますけれども、注意をしてあげるということ。
 児童虐待に至る前に、隣の人が何か、あなたひど過ぎるんじゃないというようなことを注意してあげる。あるいは隣の人ではなくて、今までの、今はそういう社会はだんだんと失われてきておりますけれども、親戚という言葉がきょうも登場してきたわけですけれども、親戚とか、もっと言えば母親のお母さんであるとか、あるいはおしゅうとめさんとか、そういう人たちの役割というのは考えなくていいんだろうか。
 そういうコミュニティーに参加する人たちの中で特定の職業でない人たちが、通告をするのではなくて注意をするということをどうお考えになるかというふうにお聞きをしたいわけであります。ちょっとそれだけ、まず今の二点をお聞きします。
#13
○高橋参考人 まず、どれぐらいかかるかということでございますが、私は三十のときにアメリカに留学をいたしまして、実はGHQ文書というのを、二百四十万ページ、十数年かかって研究してきたものでございます。五十何年間かかって失ったものを取り戻すためには、同じ年月が必要だろうと実は思っております。
 そして、今日の子供のいろいろな問題というのは、まさに私ども大人社会の正確な反映でありまして、私はブーメランと申し上げておりますが、投げたものが返ってきただけでございまして、子供が変わったというよりも、大人が変わったというふうに考えております。その意味で、まず、大変長い時間をかけないと、失ったものを取り戻すことはできないのではないか。
 そこで、かつて夏目漱石がこういうことを言いました。近代の日本の歴史は文明を得て文化を失った歴史だと。私は、まさに日本の精神文化というものを失っていったと思っております。
 その根底は、実は家庭と地域に教育力があったから学校の教育力を発揮できたわけでございまして、今太田議員がおっしゃいましたまさに地域のコミュニティー、地域の教育力といいますか、地域共同体というものが持っている教育力を失ってしまったということが根本にある問題であります。
 例えば、兵庫県で、今、トライやる・ウイークという地域で五日間中学二年生が体験活動をするということが大変大きな成果を上げております。それは子供たちも大きく変えているのですが、実は地域の人たちが、地域の子は地域で育てるんだという意識を非常に強く持つようになった。あるいは子供たちが、自分は親の子だけではなくて地域の子なんだということをこの五日間の体験活動を通じて感じたということを言っているわけでございます。
 今、自治省の青少年健全育成の研究会でも地域共創協議会というのを議論しております。共創はともにつくるという意味でありますが、例えば、今まで学校と地域の連携というようなことを言ってきたわけでありますが、そうではなくて、地域がこれからの教育力の拠点になって、学校だけには任せられないと。
 例えば総合的学習というのが今教育の分野では問題になっておりますけれども、むしろそんなのは地域の方から提案していくものだ、学校の先生は体験が余りにも少ないんだから、これは無免許運転させるようなもので、むしろ地域から提起していくべきだ、こういう声が上がっております。あるいは三世代の交流をもっと深めていくとか、郷土の文化を受け継ぐような体験活動を子供たちにしてもらうとか、そういう失われた地域の教育力を取り戻していくための試みというもの、とりわけ親も子も元気になるような体験活動や場というものをどれだけ継続して持っていくかということが大事ではないかと思っております。
#14
○太田(誠)委員 問題を解決する場合に、この委員会で、今高橋先生が提起された問題について取り組むことが本当なのだろうか。あるいはもっと、本来ならばこれは国民の教育の問題であります。すなわち、私も青少年の問題について、子供たちがもっとしっかりしてもらわなくちゃいかぬ、あるいは子供たちに責任感を持ってもらいたい、いろいろなことを考えますけれども、それは正しいんですね。
 子供たちの問題ではなくて、おっしゃいましたように親の世代の問題であって、親の世代に問題があれば、問題がある人が育てれば当然問題になってくるわけでありまして、親というのは、つまり国民全体であって、特に公の意味では有権者でありますし、住民である。その人たちを、住民、国民、有権者という人たちを正さなければいけないということなんですね。そんなことを政治家がうっかり言うと怒られるので、めったに言いませんけれども、本当は私もそう思っているわけであります。
 そうしたらば、そのようなことは、私はこの児童虐待のことは、そこから一つの切り口、警鐘を我々に対して与えていることであって、そのことを、非常事態のことを今この場で議論するというのはなかなか難しい。どういう場所で、どういうふうに議論したらいいのか。つまり、この国の国民の持っているコモンセンスの問題だと思います。
 すなわち、コモンセンスというのは、単なる常識ではなくて、こういう生き方がとうといのである、こういう生き方は卑しいのである。こういう生き方がいいのだ、こういうのは悪いのだ。そういう価値判断ですね。価値判断は、この国では戦後五十年間、私は自分が覚えている限りでは、価値判断を例えば教育が介してするとかいうことは、徹底的にこの国では否定されてきたわけでありますから、持ちようがなかったということは事実だと思います。
 そういう意味では、提起をされた問題というのは、国民全体の教育、国民全体の心構えをやり直す、我が国なりの、これからの二十一世紀初頭なりのコモンセンスをつくり上げるということにつながるのではないかと思いますけれども、そこはいかがでしょうか。
#15
○高橋参考人 ほぼ同意見でございまして、新しいコモンセンスというふうにおっしゃいましたけれども、私はこういう言い方をしております。
 一方で父性の崩壊が起きているということをきょう申し上げましたが、それは、秩序とかルールとかそういうものを――私が例えば学級崩壊問題で悩み相談を受けた数百件のケースでいいますと、居眠りをしている子供に注意したら、居眠りして何が悪いのか、だれにも迷惑をかけていない、一々注意しないでくれ、困るのは僕なんだ、こう言った。あるいは、静かにしなさいと言った小学校の先生に対して、僕の人生だから僕が決めますと言った子がいます。あるいは、掃除しなさいと言ったら、掃除する意味は何ですか、こう聞いてきた。
 つまり、モラルの自明の前提が崩れているわけでございますので、それは、頭で教えて説教をして説得するというものではございませんで、感得、納得、体得させていく、気づかせていくという以外にはあり得ないのだと思っております。その意味では、モラルとかしつけとか道徳というものも、新しい形で私どもが提起していかなくてはいけない、そういうふうに思っておりまして、いわば新しい日本人の自己実現というものを遂げていかなくてはいけない。その意味で、私は脱皮が必要ではないかと思っております。
#16
○太田(誠)委員 そういうことだと私も思います。
 そこで、しつけと虐待との区別は明確であるというふうに多くの方々がこの問題に取り組み始めてからおっしゃっている、あるいは思っているわけでありますけれども、そんなに判然と区別できるのだろうかと思います。
 それで、先ほどの森田先生のお話だったかと思いますけれども、過酷な体罰、つまり、体罰ということは認めているけれども、過酷であるということであれば、これは十分に児童虐待であるというふうに認定されて、それに対するペナルティーもあり得るのだというふうにおっしゃったように聞こえたわけです。
 つまり、体罰という言葉でもって一方では正当化させない、過酷なということを冠して、そういう形容詞を冠して、これも違法行為であるとするというふうにおっしゃったわけでありますけれども、そこは、しつけということを全くお認めにならないのか、あるいは、親の何か懲戒権のようなものは全くお認めにならないのか、そこだけちょっとお聞きしたいと思います。
#17
○森田参考人 ですから、法的な文章としてどういうふうに書けるか、もしこういうことでしたら、傷害を残すような体罰、それからケースワークの場面では、二つのクライテリアというのですか、二つのことを考えていきます。一つは回数ですね。一回だけだったのか、その回数と、それから、あざが残っているのか、傷害が起きたのか、血が流れたのか、切れたのかという、この二つです。
 この二つの兼ね合いの中で、これは虐待なのか、いややはりしつけなんだというふうに判断していく。そういうのを私はアメリカでずっと経験してきました。だから、たとえ切れてしまったとしても、それが一回限りだった、そして、そういうことはほかの子供にもこの親はしていない、そういうことは調査の中でわかってくるわけですね。そうしたら、わかってきた時点で、ああそれじゃこれは虐待ということで扱わなくていいんだという判定になります。
 それで、アメリカの場合、通告というのは何をするのかといったら、義務者の人あるいは一般国民が、これは虐待だと判断したから通告するのじゃないんですね。虐待かなと疑ったら知らせてください、それが虐待であるかどうかは私たち専門家が判断しますから、あなたたち義務者の役割は、虐待なのかなと疑ったときに通告してください。それが通告という言葉の意味です。
#18
○太田(誠)委員 どうもありがとうございました。
#19
○富田委員長 次に、大野松茂君。
#20
○大野(松)委員 自由民主党の大野松茂でございます。
 参考人の先生方には、貴重なお考えをお示しいただいたところでございますが、何点かお尋ねをさせていただきます。ただ、時間の制約がございますので、お尋ねできない先生があろうかと思うのですが、あらかじめお許しをいただきたいと思います。
 初めに、高橋参考人にお尋ねをいたしたいのですが、児童虐待を初め、子供たち、青少年をめぐるところの悲惨な、嘆かわしい報道が毎日続いております。連日、新聞の紙面をにぎわしているところでございますが、家庭教育、学校教育、社会教育、これはまさに三位一体でなければいけないということが事あるごとに指摘されるわけでございますが、それを進める上での基本が示されていないことに今日のこの混乱の原因がありはしないか、こう思われてならないわけであります。
 家庭あっての家庭教育であり、学校あっての学校教育であり、そして地域社会の連帯あっての社会教育である、こう思っているわけでありますけれども、しかし、先生が先ほども御指摘なされましたように、家庭の崩壊あるいはまた学級の崩壊、社会の崩壊、こうしたことが既に指摘されております。
 私は、昭和四十一年に中央教育審議会が出された「期待される人間像」、この答申があるわけでございますけれども、国民の価値観に立ち入るこのようなものを政府機関が作成することの是非をめぐって、あのころ大変な議論があったように記憶をいたしております。
 今、さまざまな混乱を目にいたしましたときに、殊に青少年の健全育成を推進する上で、「期待される人間像」、さらにそれをさかのぼりますれば、私たちの世代はその中にあったわけでありますけれども、教育勅語の持つ価値の重要さ、あるいはまた規範の重要さ、これらが改めて問われてもいいのではないか、このようにも思うわけでございますが、高橋参考人のお考えをお示しいただければありがたいと思います。
    〔委員長退席、池坊委員長代理着席〕
#21
○高橋参考人 まず一つは、人間像ということについてのお尋ねでございますが、これは自治省でも、青少年健全育成研究会で三月に報告書を出しまして、その中で、二十一世紀の人間像のようなことについて今私どもがどういうふうに考えているかという、これは必ずしも結論を集約したわけではございませんが、かなり具体的な人間像を提示しております。それがなければ、やはりどのように青少年を健全育成するのかということがわからないわけですので、その意味で、一つの指針として二十一世紀の人間像ということを明らかにする必要はあると思います。
 ただ、一つ、私は、戦後教育の歴史を研究してきた人間といたしまして、一番大事なのは人であります。どんなに美しい文章をつくり、例えばこれまで「期待される人間像」とか国民実践要領とかさまざまなことが議論されてまいりましたけれども、それに対する最も強い反対理由は、だれがそれを教えるのか、そしてどのように教えるのかと。
 ですから、教育には不易の価値と流行の価値という、時代と国を超えて変わらない普遍的な価値というものをきちんと教えなければならないということはとても大事なことでございまして、それがとりわけ戦後教育において見失われていると私は思いますけれども、その不易な価値というものを、きょう先ほど申し上げましたように、説教をして教えるということではなくて、いかに生き方として、感得、納得、体得させるか、そのことが求められているのではないかと思っております。
 したがいまして、ただ美しい美文を指針として示せばそれで教育が変わるというような単純なものではございませんので、ただ指針を示す意味はございますが、それをどのように子供たちの中に心の琴線に触れる形で伝えていくか、そういうことがとても大事ではないか、つまり人づくりが大事じゃないかというふうに思っております。
 もう一つだけ申し上げさせていただきますと、これは西岡常一という、最近お亡くなりになりました法隆寺や薬師寺の宮大工の棟梁がおりまして、この方が、京都や奈良に修学旅行に先生方は生徒を連れてくるけれども、聞いていると、法隆寺は千三百五十年の歴史があって古いからとうといんやと言っている、古いからとうといんやったら、道端の石ころは何億年の歴史や、五億年の歴史や、こう言っているんですね。
 ですから、古いからとうといということを教える、つまり伝統とか文化とか美風とか、そういうことがただ頭で教えられるんじゃなくて、生き方として、生きる知恵として子供たちの心の中に琴線に触れる形で伝わるということが大事でございますので、その指針というものが示されたときに、人間像というものが示されたときに、それをだれがどういうふうに子供たちの中に教育していくのか、そこがむしろとても大事なことではないかと思っております。
#22
○大野(松)委員 ありがとうございました。
 森田参考人のいただいた資料の中に、実は動物愛護法について御指摘があります。
 実は、私も去年、この動物愛護法の議論に加わっているわけなんですけれども、その中で、ペット、要するに愛玩動物を虐待した場合には懲役という罰則まで、刑罰までありますのに、自分の子供に骨折をさせたりやけどをさせたり、そういうことを繰り返し負わせても、親にそれが犯罪であることを認識させるための罰則規定はないということであります。
 動物の議論の中ではこういうことをしておりまして子供の議論の中にはそれがないということなんですが、これは恐らく、現行の刑法を適用することは理論的には可能であるということの前提なんだろうと思いますし、そしてまた、法は家庭の中には不介入ということもあるわけでして、これらの規定の中で、今議論されておりますところの児童虐待の問題というものの、今の事象からいいますと、言うなれば手おくれになってしまった理由があったのではないか、こう思うのですけれども、いかがですか。
#23
○森田参考人 私、正確に質問の趣旨がわかったかどうか、ちょっと戸惑っているのですけれども、私自身は、昨年成立した動物愛護法ですか、本当に何も知らないんですね。新聞報道だけで、あそこでその後に書いた、ちょっと笑い話みたいなことでつけ加えただけのことなんです。
 御質問は、遅過ぎた、手おくれになり過ぎたということですか。――手おくれというか、私のこの二十年間虐待の問題にかかわってきたその経験と、その中で学んだことからいいますと、虐待というのは今急に起きてきたことではないと思うのです。それは昔から起きている。しかし、そのことを見る目が私たちに備わってきた。医者も学校の教師も、そして民間の人たちも、ああ、こんなひどいことが起きていたんだということに気がつくようになったというのが私の見解なんです。
 ですから、今こんなにひどい事態になってしまったという認識は私にはないです。そのひどい事態というのは実は昔からあったと。私は、子供の人権というものが尊重されない社会では、虐待というのは常に起こるというふうに考えているのです。
 ですから、では、それに対する対策として、手おくれというふうには思っていないですね。でも、何しろ何らかの対策をしていかないと、特に法的な対策、そしてその法の受け皿をつくる研修とかそういったことがされていかない限り、もう現場にいる人たちはどうしていいかわからない。本当に何回も骨折を負わされているのを児童相談所も医者も知っているのに手を出せない、そういうケースは私は幾つも相談を受けています。
#24
○大野(松)委員 今までこうしたことについては、児童福祉法の中でその対応がされてきたと思うのですが、その児童福祉法の運用の中でも解決すべきことが、現時点でもたくさんありますし、私は将来的にもたくさんあることだと思っております。ただ、何としても、こうした虐待の事例というものが最近急に大きく我々の目の前に広がってまいりまして、そのことは私は重大なことだ、こう思っております。
 高橋参考人にちょっとお尋ねしたいと思っているのですが、こうした虐待の事例、事象、非常に多くなっているわけですけれども、このまま推移するようなことがありますと、我々の子や孫、広く言えばこれからの日本の社会への影響といいますか、そういうことに対して私は一念の危惧を持っているのですが、このことについていかがでしょうか。
#25
○高橋参考人 今、もう皆さん御承知のとおり、これは日本で急激にふえておりまして、私も三年間アメリカに留学をしておりましたけれども、その当時ですら、これはもう今から十四、五年前の話でございますが、年間二百万件でしょうか、百万から二百万件という記事をたしか何度も読んだ記憶がございます。そして、その根本に、やはり家庭の崩壊という問題が当時アメリカでもございましたし、今日の日本の状況というものを見ておりますと、そういうかつてのアメリカというものの後追いをしている面があるのではないかというふうにも思っております。
 とりわけ、きょう申し上げた親性の崩壊ということが深刻でございますので、これは実際に私もたくさんの親の悩みを受けておりますけれども、子供がかわいいと思わないとか、寝ているときが一番かわいいとか、どうして子供をあやさなくちゃいけないんだ、どうして子供の御機嫌を聞かなくちゃいけないんだとか、あるいはまだ本当に若い小さな子供にピアスをしたり赤く髪を染めたり、所有物のように思っている親が大変ふえてまいりまして、本来親が持っていた子供に対する性質というものがどんどん失われている。
 これは極めて現代的な問題でございますが、それは、きょう私が申し上げたような燎原の火のごとく広がっている大火事に比すべきものでございまして、この状況を放任することは、将来に大変大きな問題を投げ、かつ、深刻な問題であるというふうに思っております。
#26
○大野(松)委員 今までの議論の中にも実は何回か出てきておりますことなんですが、吉田参考人にお尋ねをいたしたいと思いますが、虐待を発見しやすい職、つまり、保育士であるとか教職員であるとか、あるいは医師であるとか民生・児童委員であるとか、こういう方たちの通告義務、このことについては児童福祉法の中にも規定されているところでもあります。さらにこれを実効あらしめていくためには、通告義務をさらに重くすること、あるいはまた守秘義務違反の問題などについて、それぞれ指摘すべき問題はたくさんあると思うのですが、このことについてお考えをお示しいただけますか。
#27
○吉田参考人 通告につきましては、現行法では、特に通告を義務づけられている職種という規定はございませんで、国民一般が通告義務を負うという規定内容になっております。その結果、だれもが負う義務はだれも負わない義務なんだというふうに言われたりするのですけれども、この点につきまして、特に児童虐待を発見しやすい立場の人につきましては、その発見に努めるようにしていただきたい。従来であれば、そうした問題は深刻ではあるけれどもアクションを起こせない人に対して、それはしなければいけない、そういう意識を喚起するということが一つであります。これはやはり一般の人とは違う責任があるだろう。
 この場合に、どれだけ通告をさせるようにするかという点につきましては、先ほど申し上げましたように、制裁つきで通告義務を強化するというのは、我が国の現行法上、余り得策ではないのではないか、むしろ通告を奨励するようにした方がよろしいだろうということで、通告に関しましては、努めるということプラス、通告したことについて法的な責任を負わなくても済むのだという免責という形で通告を奨励したいというふうに思います。
 それから、法制度の問題としては、児童福祉法以外の制度、特に母子保健に関しまして、乳幼児について日本は大変すぐれた制度を持っておりますので、これらの制度をより活用するということも必要かと思います。それからさらに、今も行われておりますけれども、児童虐待に関しての広報啓発をより徹底するということ。こういう方法で児童虐待に関する通告をふやしていくというのはどうかと思っております。
#28
○大野(松)委員 先ほど吉田参考人のお考えの中にもお示しであったことでございますが、親権を一時的に停止する制度を設ける必要性、このことについてもう一度お考えいただきますと同時に、高橋参考人にもこのことについて一言いただきたいと思います。
    〔池坊委員長代理退席、委員長着席〕
#29
○吉田参考人 親権の一部一時停止についてですけれども、これは児童虐待の問題で今大変重要な問題かと思っております。
 ただ、親権の問題は児童虐待以外にも非常に大きく関連する分野であろう、そこまで視野に入れてこうした制度を考えていく必要があるのではないかという点が一点でございます。
 それからもう一つ、児童虐待に関しましては、特に親権の一時一部停止が問題となるのは、入所中の児童に対する面会の強要でありますとか、引き取り要求のとき、その親権者の要求をどう制限するかということが課題かと思います。
 その場合に、現行法の仕組みとしましては、そうした不当な要求をする親に対しては児童福祉法二十八条の申し立てをし、そして家庭裁判所の承認のある上で子供を入所措置する。その家庭裁判所の承認による措置の効果として親権が制限されるのだというふうにしてはどうかということであります。
 この点に関しましては、先ほど申し上げましたように厚生省の通知がありますけれども、その理論的な根拠が甚だ不明であるというところで、このあたりを議論した上で明文化するという方法ではどうか、そういう内容でございます。
#30
○高橋参考人 私は三点申し上げたいと思います。
 一点は、先ほど吉田先生がおっしゃったように、この親権の一時停止という問題は、児童虐待以外にも適用されるおそれがありますので、乱用されるおそれがあるということが第一点であります。
 第二点は、一時ということでございますが、その一時の期間というものをどういうふうに設定するか、これは非常に難しいのではないかと思います。
 そして、一時停止の期間というものが終わったときに、親が変化が見られないという場合にどうするのかという手続がまた非常に煩雑だという点を指摘しておきたいと思います。
#31
○大野(松)委員 大変ありがとうございました。これからの取り組みの中に生かさせていただきたいと思います。
 奥山参考人にお尋ねできなくて申しわけございませんでした。
 ありがとうございました。
#32
○富田委員長 次に、田中甲君。
#33
○田中(甲)委員 民主党の田中です。
 四人の参考人には、貴重な御意見をお話しいただいたこと、心から感謝を申し上げます。それぞれに違う立場からお話をいただいたわけで、大変に多面的な物の見方ができた、委員の一人として大変にうれしく思っております。
 その国の偉大さや道徳水準というものは、その国の国民が動物に対してどのように接しているかによってわかる、ガンジーがそのように言われたんですね。犬は年間四十万匹、猫は三十万匹、人間の手によって命を絶たれていたり、あるいは今の日本というのは三万二千人を超える方々が自殺をされたり、この児童虐待の問題を見ても、自分の子供あるいはこれから将来を背負っていく子供たちに対する、一体、私たち日本人は命ということを余りにも軽く扱ってしまうというような状況にいつから陥ってしまったのかということを感じながら、児童虐待防止のための法律をつくっていた、そんな側面が私、ございました。
 つまり、私たち立法府の人間は、命を守るということ、突き詰めて考えていくならば、そこに到達するのではないか。国際政治においてもあるいは自然環境を破壊している現代の日本の姿においても、命を守るということが極めて重要なんだろうということを思っている議員であります。
 この特別委員会というのは、どちらかといいますと、超党派議連的な趣がありまして、特に昨年の七月二十二日から児童虐待に関してだけ集中的にやってきているのですけれども、青少年問題に関する特別委員会、数え上げると二十三省庁にまたがって、いわゆる児童という言葉を使った関連している省庁がそれだけ幅広くある。
 その中でも限定して、まずは子供たちの命を守るルールをつくろうということで、児童虐待防止法案作成に向けて昨年の十二月十日に委員会決議を行って、現在に至っている。委員会決議の中で、必要な法的措置というものは早急に行う、児童福祉法並びに関係法律の改正を早急に行うということが約束されたわけであります。
 あくまでも委員長が中心となって、全会派がこれでいこう、今の現状の中ではこの法律でいくしかないという、いわば最大公約数というのですか、落としどころができて成立していくということです。
 たしか森田参考人は、きょう提出された資料の中で、与党三党が進めている法案であるがゆえに心配でならないという文章がどこかにあったのですが、みんなでどうあるべきかということを話し合って、最終的にみんなが越えられるハードルを今回は跳ぶということになるので、若干そういう嫌いはあるかもしれませんけれども、それぞれの政党あるいは会派が今どういうものをつくろうかということで独自に勉強している中、私たちの民主党は、実は昨晩、夜中に、衆議院法制局の局長審査が終わったという要綱並びに法律新旧対照表というものができ上がってきました。
 きょう私は、それに基づいて少し皆さん方に、こういうものをつくってみましたが果たしてよろしいでしょうか、あるいは現場からの声はいかがでしょうか、そんな質問をさせていただければと思っています。
 まず、「目的」をつくってみました。読み上げます。
 「この法律は、児童虐待が、児童の心身に有害かつ深刻な影響を与え、児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童虐待の早期発見及び児童虐待を受けた児童の迅速かつ適切な保護のための措置その他児童虐待の防止等のために必要な措置について定め、良好な家族関係の下で児童の心身の健全な発達を図り、もって児童の権利の擁護に資することを目的とする。」
 済みません、読み上げるだけで。手元にこの目的というのをお配りさせていただければ一番いいのですけれども、先ほど申し上げたように、ある政党だけが突出して動くということはこの委員会は極力避ける。与党三党の皆さん方の御理解もいただきながら、過半数をとれなければ法案は成立しませんから、そんなところを配慮しつつ、ちょっと歯がゆいところもあるのですけれども、ただ法律を出して廃案になるということはしたくないのです。何としてもここで半歩でもいいから前に進みたいという気持ちでありますから、口頭で申し上げるだけで申しわけないとは思っておりますけれども、御理解いただきたいと思います。
 その後に「定義」をつけました。「定義」は読み上げていると時間がなくなりますので、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト、これをこの法案の中では、親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に保護する者と規定して、残念ながら、衆議院法制局とかけ合っていく中でつくらざるを得ませんでした。
 先ほど、参考人の中からもお話がありましたけれども、兄弟間で性的虐待を受けるですとか、今の定義の中ではくくり切れない部分がありますので、この辺を果たして今後どうしていけばいいのかという問題点を持っていますけれども、まず定義に関して、森田参考人、このような定義を私たちはまずはつくってみたのです。あわせて、DV法の中で、さらに次の段階で補っていくということも考えていくべきかどうか、そんな検討もしておりまして、その件もあわせて御所見をまずいただければと思います。
#34
○森田参考人 最初に読まれた目的の文章ですけれども、私はとてもいいのではないかなと思ったのです。でも、何でこういう法的な文章というのはそう長いんでしょうね。もうちょっと短く切ってくれたら、読む方もすごくわかりやすい、一般の人々にも、何の目的でこの法律をつくられたのかとぱっと読んでわかると思うのですけれども、何か文章が随分長いなと思いました。
 定義の方ですけれども、私が先ほど言いましたように、そして、恐らく少数意見だと思いますけれども、二十年この問題にかかわってきて、親及びその親権を持つ人たちという形で限定されるのは、特に性虐待にどうやって対応していくのだろう。せっかく法律をつくってくれるのだったら、性虐待にも十分に対応できる、そういう法律にしていただきたいなと思いました。
#35
○田中(甲)委員 今回の定義の中でくくり切れない部分を将来的にDV法で補っていくという考え方も今検討しているのですけれども、その点について参考人はどのようにお考えになりますか。
#36
○森田参考人 やはり法律が成立する過程の中で、すべて入れてほしいということが入れられないことはもちろんあると思いますので、それはまた別の法律でカバーしていただければ大変うれしいことだと思います。
 そして、特にドメスティック・バイオレンスと子供の虐待は非常に密接な関係を持っています。ケースワークの部分でも、もっと婦人相談所、児童相談所、そして保健所、かかわりを直接持ちながら、そして、民間のドメスティック・バイオレンスにかかわるグループを中に巻き込みながら対応していく必要があると思うのです。
 子供の虐待をしている母親がしばしば夫から虐待を受けている、そういうことがあります。あるいは、夫から虐待を受けていて、夫の子供に対する虐待、母親がもう全然カバーできない、そういう状態とかそういうケースをたくさん私は日本で見てきています。ですから、十分に関係があるので、ここでカバーできなかったことは、ぜひドメスティック・バイオレンスの方でやっていただきたいと思います。
#37
○田中(甲)委員 ありがとうございます。
 今回、子供に対する虐待の防止につながる法案がパーフェクトにできるかと問われるならば、なかなかそれは難しいのだろうと思っています。今のように段階を追って、さらに立法府の中でも検討を進めるということで御理解をいただけるという参考人の御意見をいただいて、ある程度ほっとしたところであります。
 この法案は、実は吉田参考人、児童虐待の防止等のための体制の整備に関する法律案ということですけれども、特別法として、先ほどの参考人のお話の中では、児童福祉法の改正にとどめておくべきだと。民法や刑法の問題にも広がっていくので、今回一点、児童福祉法の中で改正、そして、児童虐待に対する防止策ということを考えた方がいいだろうというお考えでしたが、今回の我が党のつくっている法案というのは、特別法として、別途児童虐待のためのものをつくろうと考えているのですけれども、その辺をもう一度御意見をいただければと思います。
#38
○吉田参考人 児童虐待に関しましてどういう法的な枠組みがよろしいかということでありますけれども、これを単行法にするという方式で考えた場合に、先生方御承知のように、児童虐待の定義とも関連するのですけれども、大変幅が広いということがあります。
 単純なというか、育児不安に端を発するような児童虐待もあれば、非常に深刻なものもある。そうした場合に、この法律で規定するときに、そうしたお母さん方の不安に基づくような虐待までここで対象にするのかどうか。そして、防止等の体制の整備という場合に、これがどちらかというと深刻な虐待の方にシフトしていくということになりますと、そうした育児支援という点からすると、少し目的が違うのではないかという点で、法全体としてどこまでどれを対象にするかという点をもう少し明らかにしていただけるとよろしいのではないかということであります。
 私は、学界に身を置く人間として、理念的には、先生がお考えのように、こうした個々の単行法できちっと理念を分けて、そしてすっきりした法システムにする方がよろしいだろうというふうに思いますけれども、ただ、現在のところで児童虐待に関する共通の認識がどこまでできているのかということになりますと、私としては、健全育成から被虐待児保護まで一連のシステムとして考えた方がよろしいのではないか、そういう考え方でございます。
#39
○田中(甲)委員 質問の順番を逆にして、なぜ特別法にしていく必要があったかというところを少し私の方からもお話しさせていただきたいと思うのですけれども、まさに、今回民法について踏み込んで考えていくことが、本当の意味で子供たちの現状、さらには命を守るということにつながっていくのではないか。
 それはどの点かと申しますと、懲戒のところをまず指摘させていただきたいと思うのですけれども、しつけと称して子供たちに、現行民法上、親権や懲戒権を根拠に児童虐待が行われているという実態があるとするならば、懲戒というものを、民法上あるいは児童福祉法で本当にこのような規定を今後も残しておく必要があるのかということを考えて検討を進めてきました。
 それからもう一点、先ほど来出ておりましたけれども、親権の一部一時停止、まさに身上監護権ということを喪失させるシステムをつくることによって、例えば、一時保護の期間その他も含めて、より早い対応ができるようになるのではないか。
 児童相談所長が、親権喪失宣言あるいはその請求をするということが実際には極めて少ない、提出したものでも取り下げているケースが多いということなどを考えますと、家裁において早く決断をしていく、子供たちの保護をするための判断をしていくためには、やはりここで一部一時停止、身上監護権ということを新たに設けて、その部分を停止していくという考え方がどうしても必要になってくるだろう。また、現場の声からも、このようなことが実際に法的に改善をされて、現場が動きやすいように、対処しやすいようにしてほしいという声があるんですね。
 民法ということも同時に今回行っていきたいと考えているのですけれども、重ねて吉田参考人、いかがでしょう。
#40
○吉田参考人 民法の改正とどう関連させるかということでありますけれども、私の個人的な意見といたしましては、今先生がおっしゃいましたように、民法において親権の一部を停止するという考え、これは賛成であります。ただ、現在の段階でそこまでいけるかどうかというところ、これは先生方の政治的な御判断もあるかと思います。
 そして、まず、親権のうちの懲戒権についてでありますけれども、これも私の考えとしましては、現行法の懲戒権規定というのは決して適切ではないだろうと思います。言葉として、子供を懲らしめるというのが、果たして子供の監護教育に必要なのかどうかという点であります。したがいまして、懲戒権に関しましては、長い目で見れば、これは子供の監護教育の中に含めてよろしいのではないか。つまり、親は子供を適切に教育する責任があるんだという形で懲戒権規定を見直すということではいかがかと思います。ただ、現在のところ、それができるかどうかが一つ。
 それから、親権の一部停止、特に身上監護権の停止ですが、これは私は、現在の民法の中でも、親権と監護権がそれぞれの親に分属するということは可能だと思っております。そして、監護権を持たない親権者というのも現行法制度上あり得るわけですので、なぜ親権の一部停止、身上監護権の停止が許されないのかというのが、現行法の解釈として疑問の残るところです。
 もし仮にこれを制度化するというのであれば、民法の中でやった方がいいだろうということであります。先ほど言いましたように、虐待の問題以外のところにも及ぼしますので、やはり広いところでこの問題を検討する必要があるだろうと思っております。
#41
○田中(甲)委員 ありがとうございます。
 私たちの党でつくったこの法案の中では、親権を行う者の懲戒権に係る規定の削除ということで、現行法、民法八百二十二条関係はばっさりと削除したいというふうに考えております。
 これは、現場でいろいろなケースを見ておられる森田参考人、いかがですか。懲戒の規定を削除するということに対して、どのようなお考えがございますか。賛成していただけますか。
#42
○森田参考人 賛成します。
#43
○田中(甲)委員 ありがとうございます。
 それでは、医療の現場で、今回私どもは通告義務を考えていく中で、専門職の方々に通告義務を課していくということと同時に、免責を設けるということを考えているのですけれども、免責の規定をつくるときに、衆議院法制局とやりとりをしている中で、民事上ということがなかなか認められなかったのです。これはどうしてもあるべきだ、つまり、損害賠償請求に対して免責規定がなければ通告が十分になされる状況がつくり出せないだろうという考えで、この辺のやりとりでかなり苦労した点があるのですけれども、現場からこの点について、よりクオリティーの高い通告が行われるような状況をつくるためのアドバイスをいただきたいと思います。
#44
○奥山参考人 非常に重要だと思います。免責がないと、やはり通告をちゅうちょするということは非常に大きくなるというふうに考えます。
#45
○田中(甲)委員 民法の方の免責というのも当然必要だということですね。
#46
○奥山参考人 そちらが非常に重要だと思います。
#47
○田中(甲)委員 ありがとうございます。
 少し根本的な話になるのですけれども、吉田参考人、日本の場合には通告義務が全国民に課せられている。先生の本の中に、全員に義務が課せられていると全員が行わなくていいように思うという指摘もございましたね。
 どうなんでしょうか、ちょっと確認をしておきたいのですけれども、通告の義務を限定する、アメリカはたしかそうなっていると思うのですけれども、その方が、今の限られた、児童相談所あるいは関係している職員が手いっぱいの状態の中で国民に通告義務を残すということは、日本の制度の中ではやはりそうあって、それを継続しつつ、努力義務規定というのをさらに専門職の人にかけるという考え方でよろしいでしょうか。
#48
○吉田参考人 先生の御意見のとおりだと思います。
 私は、現在の国民一般が通告義務を負うという制度は、決して悪い制度ではないと思います。先ほど申し上げましたように、国民一般が子供のことに関心を持つんだという点で、そうした保護を必要とする子供を発見した場合には通告するというシステムは残しておいてよろしいと思います。そして、児童福祉法の二十五条ができるときの成立の経緯の中でもそういう説明があるんですね。
 ただ、それだけでありますと、特に子供にかかわる専門職の方の通告が積極的に行われないおそれがあるというところで、新たにそうした専門職について、積極的に児童虐待を発見する義務を課すということでよろしいのではないか。これを法的な強制というところまでは持っていかなくてよろしいだろう。
 と申しますのは、アメリカとの比較で、児童虐待の発見システムがやはり日本と違うのではないかなという気はしております。そうした法的な制裁がなければ児童虐待が発見され通告されない、そういうこととは事情が違うと思いますので、そのあたり必ずしも法的制裁は必要としないだろうと思っております。
#49
○田中(甲)委員 ありがとうございます。
 安全確認義務について現場の声をお聞きしたいと思いまして、森田参考人にお尋ねをさせていただきます。
 児童相談所が立入調査を行う、そのことを容易にするために、通告を受けてから例えば何時間以内というその時間も規定して、安全確認義務規定を設けた方がいいというふうに私たちは考えているのですけれども、アメリカの例も挙げて、その辺をどのようにお考えになられているか、お話しいただけますか。
#50
○森田参考人 それは時間規定を設ける必要があると思います。もし設けるとしたら、恐らく七十二時間、三日間、あるいは二日間。私が実務をとっていたときは、カリフォルニアの場合は三日間、七十二時間以内にと。その方が実務に携わる者たちにとっても非常にやりやすいです。
 それと、どうしても言いたかったんですけれども、先ほどの免責のことなんですけれども、一般国民に義務が課せられている、児童福祉法はそうですよね。そのときに、一般国民の通告も免責をするというのは、私はまずいと思います。
 つまり、専門職の人たち、学校関係者、医療関係者、そして私はもっと広げた方がいいと思うのですけれども、そういう人たちに義務が課せられる。その人たちは免責も当然必要だと思うのです、先ほど奥山さんもおっしゃっていましたけれども。だけれども、一般国民全部に義務が課せられているわけですね。そうしたら、一般国民全部も免責が伴うのでしたら、私はそれはまずいと思いますよ。それは非常に無責任な形で通告がされていくということが出てくると思うのです。お隣の人とけんかをしている、憎らしい、通告しちゃえという形。それも免責になっているんだったら、私はそれは絶対まずいやり方だと思います。
#51
○田中(甲)委員 まず最初の方の御質問、大体七十二時間ぐらいで対応するという義務規定、それから、自分たちでそういう律する姿勢を持って対応していたと。七十二時間でやるか、四十八時間でやるか、この辺は政治判断でぜひやらせていただきたい。どちらの規定を設けるか、まあ埼玉県の場合に四十八時間というケースを実際につくっていますから、その辺も参考にさせていただきながらやっていきたいなと思います。
 それから、通告の免責の問題ですけども、「その者が事実に反することを知りながら虚偽の通告をした場合は、この限りでない」ものとするというのが条文の後段につくのですけれども、指摘されたように、一般の国民に対する免責というのも当然、今のつくり方ではかかってくると思います。ですから、その辺を、きょうは貴重な御意見をいただいたということで検討してまいりたいと思います。
 それでは、奥山参考人に御意見を聞かせていただきたいと思うのですけれども、一時保護に関して、極めて引き離されていく親の抵抗が強い。現行では家裁の判断が半年以上かかることも間々あるという中で、一時保護に親の理解を得る、協力を得ることも含めて、また、家裁の判断を促す意味で、現行の児童福祉法三十三条の一時保護の期限を明確にするということが重要になってくると思うのですが、その仕組みをつくることに対して、何か御意見等ありましたら、お聞かせいただきたいと思います。
#52
○奥山参考人 先ほども申しましたように、ある時点で評価がなされて、親にこれは虐待というふうに私たちが考えるのかどうかというのをきちっと言える、その判断に期限を設けることは非常に重要なことだと思います。
 実際、子供の首を絞めて、たたいて頭がちょっとぼうっとしちゃった、脳しんとうを起こしたお子さんと児童相談所と親との間で一時保護がなされるときに、私がかけ合ったときに、私の方から児童相談所に求めまして、期限を切って、その間に判断をしてくださいということで親が同意したということもございます。やはり、そういう判断までの期限、それから処遇までの期限という二段階に分けての期限が必要だと思います。
#53
○田中(甲)委員 そうすると、私が今質問したのは、実は、一時保護を原則二カ月ぐらいとして、必要な場合に一カ月ぐらいの延長の規定を認めておくことが、子供たちがあるいは親がどういう処遇になるかということの不安を一定の期間があるので避けられるということだけを考えていましたが、まず最初に、これは虐待だということを認めるということからまず期限を、その部分も切ってくれということですか。
#54
○奥山参考人 処遇ということになりますと、どういう施設がいいか、いろいろなことを考えながら、さらにその子の今後を考えた判断が必要になります。その前に、今この子供にとってどういうことがあって、簡単に言えば、この子が虐待をされていたのかどうかという判断、さらに、この子が安全かどうかの判断、それが非常に重要だと思いますけれども、この子が今いる場所で安全かどうかの判断に関しては、二週間とかその程度の期間じゃないと、やはり親の方も非常に不安定になりがちだと思います。
 ただ、処遇に関しては、一時保護所から次へということになりますと、それはいろいろな問題が絡みますから、一カ月もしくは二カ月、時間はともかくとして、ただし、子供の不安定さということを考えると期限そのものも非常に必要なことで、一時保護が一年も続くということは避けなきゃいけないことだと思います。
#55
○田中(甲)委員 わかりました。
 考えている法案の中で、「関係機関の連携協力体制の整備等」というところを設けました。大方意見が一致しておりまして、「国及び地方公共団体は、児童虐待の早期発見及び児童虐待を受けた児童の迅速かつ適切な保護を行うための関係機関の連携協力体制の整備その他児童虐待の防止等のために必要な体制の整備を行うものとする。」実は、ここだけが全党的に理解されているかなという認識だったのです。
 森田参考人にお尋ねしたいと思います。民間団体の活動の重要性ということ、ですから、これから国及び地方公共団体は、虐待の防止あるいは児童の保護を行う際に、民間団体の役割の重要性ということにかんがみ、このような民間団体と連携協力体制の整備を行うものとするというような規定にぜひしていきたいなと思っているのですが、いろいろな御経験の中で、民間団体の役割の重要性と、それからCAPに関する、今活動されている内容で私たちにアドバイスいただける点がありましたら、お話しいただきたいと思います。
#56
○森田参考人 例えば、CAPというプログラムなんですけれども、このプログラム、全国に百幾つかのグループがありまして、沖縄から北海道まで活動しています。
 このプログラムは何をするのかといったら、先ほどもちょっとお話があったのですけれども、虐待の問題、子供に対する暴力の問題を学校と親だけに任せるのではなくて、地域も一緒になって、この三者が一体になって対応していこう、そういう考え方に基づいているのです。
 地域の中にある民間団体であるこのグループ、その人たちは最低六十時間くらいの訓練を受けている人たちです。その人たちが学校に入っていって、学校の先生たちに、それからPTAの親たちに、そして実際にクラスルームで子供たちに、もし虐待されそうになったら、暴力を受けそうになったら、そしてさらにいじめを受けそうになったらどんなことができるのだろう、そういうことを子供たちと劇をしたりしながらディスカッションをして、そして子供たちに自分の大切さ、人の権利の大切さを教えていく参加型のプログラムです。
 このプログラムは、クラスでワークショップが終わった後に、子供たちがどんどんその人たちのところにやってきて、自分にこういう虐待が起きているとか、あるいはこういういじめを受けて今までだれにも言えなかったとか、そういうことをたくさん相談してきます。そして、その相談に答えていくわけです。その中で、非常に深刻な虐待のケースなんかも既に何件か挙がってきています。
 そうすると、そのグループは、自分たちの役割は防止教育ですから、そこまでですから、橋渡しをしていく。では、どういうふうに橋渡しをしていくのかといったら、このプログラムは学校でやっているわけですから、学校の先生たちに既に通告の必要性を言ってあるわけです。でも、先生たちはすごく戸惑うんですね、ちょっと児相に連絡したくないとか。
 そういうときに、その先生たちを助けます。通告がいかに必要か、私たちはここの児相のだれだれさんを知っていますから、その人に連絡しましょうという形で、学校の先生たちの通告を援助します。そして、児相の人たちが調査に来たときに、一番最初に子供が話をした者として、児相の人たちの役割を援助していく。これは民間団体が既に全国で百カ所以上でシステムを援助している一つの例だと思います。
 同じようなことは、全国各地に虐待のネットワークというものができていて、非常にしっかりとした活動をしているところもあります。そういう虐待のネットワークの人たちも、もう既に十分に、システムが十分でないところを補完している作業をやっていると思います。ですから、法案の中で、民間団体の活用というのはぜひとも入れていただきたいことです。
#57
○田中(甲)委員 どうもありがとうございました。
 以上で終わります。
#58
○富田委員長 次に、池坊保子君。
#59
○池坊委員 公明党の池坊保子でございます。
 今、民主党の田中甲さんから、民主党は法案をきちんとつくってあるというお話でございました。私ども公明党も、時間をかけまして、法制局の協力を得てしっかりとした法案をつくっておりますが、与党との関係がございますので、それを大切にし、今はここでは触れないようにしたいと思います。むしろ、参考人のお話を伺って大変役に立ちましたので、それについて伺いたいと存じます。
 そして、質問に先立ち、私、ちょっと情けないなと思っておりますのは、二十一世紀を担う子供たちが今置かれている状況が決して快適なものではない、不幸を背負っている子供たちも多くいるんだ、そういう子供たちに政治家として一体今何をしたらいいのかという大切な審議をしておりますこの特別委員会の出席者がこんなに少ないということは、政治家のこの児童虐待に対する認識の薄さではないかと思って、私自身も反省しなければなりませんけれども、大変に情けなく、恥ずかしいことなのではないかというふうに思っております。
 免許が何でも先行いたします時代に、親になりますことの免許状は要らないわけでございます。それだけに、むしろ私は、子供を産みますときに、あるいは妊娠いたしましたときに、どのような困難があってもこの子供をしっかりと育てられるのかというみずからの自覚と自問自答というものが、一人一人の親たちに、親になる前に必要なのではないかというふうに考えております。
 今、少子化が問題になっておりまして、一・三八の出生率は低いのだ、その少子化を防ぐための施策はいろいろ講じられておりますけれども、私は、その一番最初は、まず生まれ出た命を親並びに国が、あるいは社会が私たちの宝として大切に育てていくこと、その命を慈しんでいくことが、私は一番の少子化対策のなすべきことではないかというふうに思っております。そういうような観点に立って、私もこの数年間、児童虐待に対しては心を寄せ、どのようにしたらいいかということを皆様方とともに真摯に考えてまいりました。
 先ほど民主党の田中さんの方からも懲戒のお話が出ました。私は、高橋参考人にちょっとお伺いしたいと思います。
 先ほど高橋参考人は、懲戒は必要であるような御意見であったというふうに存じております。現状では、懲戒というのは民法八百二十二条、学校教育法十一条、少年院法八条、婦人補導院法第十一条にございます。
 ですけれども、民法八百二十二条は、「親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。」というふうに書いてございます。二項では、「子を懲戒場に入れる期間は、」といって期間が出ておりますけれども、現実に懲戒場というのはもう存在しておりません。
 それからまた、婦人補導院法あるいは学校教育法、少年院法でも体罰はしてはならないというふうに言われております。禁止されているわけでございます。
 ですから、懲戒というのは親が子供を教育する権利ですけれども、そういう権利というのは必要なのだろうか。私はむしろ、責任とか義務ではないかというふうに思っております。ちなみに、先ほどイギリスのお話ということでございましたけれども、イギリスではもう親権と言うのをやめまして、親の親責任というふうに変わっております。そういう現状を考えましたときにも、やはり懲戒というのが必要であるというふうにお考えかをちょっと伺いたいのです。
 私は、法律というのは時代とともに変わってきて当然だと思うのです。法律というのは、国民が幸せに快適に生活することができるような、その日々の営みを規制するのが法律だと思いますから、時代とともに変わっていかなければならないし、それが廃止になったり削除されたりあるいは変化したりしていくことを、むしろ私たちは積極的にしなければならないというふうに考えておりますので、その点も含めて御意見を伺いたいと存じます。
#60
○高橋参考人 今池坊議員がおっしゃったことは、私は十分に承知をした上で申し上げております。
 まず一つは、池坊議員の御質問ですからあえて申し上げたいと思いますが、千利休が「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても基を忘るな」という作品を残しておりますが、私は、要するに子供の壁になることが教育において必要だということは、これはもう時代を超えて変わらないものだと思っております。
 したがいまして、例えば懲戒ということが何を意味するかという場合に、今までの過去の議論をずっと読んでおりますと、例えば家庭内の子供をしつけという名のもとに懲戒をしてきたという姿そのものにメスを入れたいという御発言もあるのですが、それは行き過ぎたがゆえにしつけそのものを否定するということにつながると私は思っておりまして、温かい壁と冷たい壁がございます。
 例えば、きょう申し上げましたように、正座をさせて食事をさせる、正座をしないと食事をさせないという親がいる。正座をするということは肉体的な苦痛を伴います。しかし、それは形というものを学ぶことを通して心を学ぶわけでございまして、心の教育ということが盛んに言われるわけでございますが、例えば書道でいいましたら、節臨というのは形を学ぶ、お手本をそのまままねることによっていわば心を学ぶわけでございますので、形というものを子供に強制するということも必要でございます。
 ただし、先ほど来から問題になっている定義の問題にかかわって申し上げれば、子供がどう感じているかということを考えるということでございますが、もちろん私は、教師に対してはもっとケアリングということを大事にしてもらいたい、子供がどう感じているかということを共感的に理解してもらいたいということを強調しておりますが、教育の立場から申し上げますと、ティーチングということとケアリングということとヒーリングということをどう統合するかということが求められているわけでございます。
 その懲戒とかしつけというものが持っている教育というものの本質、これは時代を超えて変わらないものでございまして、まず基本というものをきちっと身につけさせる、そのためには一定の形を強制することも必要でございまして、それを子供がどう受けとめるかということとは別に、教育の一つの役割として、私は冷たい壁ではなくて温かい壁というもの、そのためには子供との対話というものは大事でございますので、子供との対話のない壁は、それは虐待になってしまうわけでございますが、親子の心の交流というものがきちっとフォローされる形で子供の壁になるという意味での懲戒は必要であるというふうに思っております。これは時代を超えても変わらないと思っております。
#61
○池坊委員 千利休のお言葉を引用していただきましたので、ちょっと私も申し上げたいと思います。
 先ほど、古いから美しいのではないという高橋参考人のお言葉でございました。私もそう思います。私は、六百年続きました伝統文化の一つである生け花を伝承してまいりましたけれども、それは同じ形をそのまま持ってきたから続いてきたわけではございません。それぞれの時代に、その時代に生きている人々の息吹を受けとめて、そういう人たちの声にこたえてきて変革を遂げてきたからこそ今日まで続いてきたのではないかというふうに考えております。
 高橋参考人にお伺いしたいのですけれども、新法をつくることには慎重のような御意見のように私は承ったのですけれども、今、健全育成のために心を砕いていらして、ではこのような多くの子供たちが虐待されている現状を見据えたときに、この児童虐待に対してはどのようなことをしたらいいというふうにお考えか、簡単にお聞かせいただきたいと思います。
#62
○高橋参考人 これは私、最後の方に申し上げましたけれども、今、親の親性が失われているということを申し上げましたので、親一般をどうサポートするのか、そして子育て支援体制というものをどう強化するのか、あるいはカウンセリングの指導充実体制をどうするのかということが大事だと思っております。
 とりわけ、子供たちがどんどん自己肯定感がなくなっておりまして、ノミのサーカスという番組を先日見ましたら、ノミは容器の中に入れられまして、だんだん飛ばなくなってはうようになってサーカスを教えるというのでありますが、私は今子供と接触していて、子供たちが飛ばなくなった。五歳の子に話をしたら、将来どうしたいのと聞いたら、別にと言いました。今の子たちが飛ばなくなった、元気を失った、そういう中で、それは大人たちがふたをしてしまったのだと思っておりますので、そのふたを取ってやるための支援対策というものを講じる必要がある。
 ですから、きょう申し上げた、対症療法が必要でないと申し上げたわけではなくて、国家百年の大計で根本的な対策というものを早急に講じていただきたい。そのためには、今申し上げた親の支援体制、子育て支援体制、そしてカウンセリングの充実、つまり指導体制の充実というものを急いでもらいたいということを申し上げたいのでございます。
#63
○池坊委員 児童虐待防止のための対策が必要だというふうにお考えと受けとめてよろしいのでございますね。
 それでは、次の問題に移りたいと思います。
 私、奥山参考人並びに森田参考人にお伺いしたいのですけれども、私は加害者のケアも大切だと思うのですけれども、ちょっと悲観的でございまして、幾ら親をケアしても、親としての自覚の芽生えない人もいるのではないかと思うのです。そして、先ほど奥山参考人だったと思いますけれども、親との再統合を図った後で悲劇が起こることが多々あるというお話でございました。
 私は、そういう子供たちはむしろ養護施設で温かく仲間たちと過ごす方がその子の人生にとって幸せなのではないかというふうに考えておりますけれども、その点についてはどのようにお考えでございましょうか。
#64
○奥山参考人 確かに前段の部分はそういうことがあり得ると思います。賛成です。ただし、後段の部分で、今の養護施設で温かく幸せにということが可能かどうか、そこが一つ問題であると思います。
 私は、もう少し里親制度も十分に活用して、里親制度を広げていくということも視野に入れて考えていかなければいけないと思います。養護施設、施設というのは一時期お預かりする場所として想定されておりますので、里親も、一時期の里親も必要ですけれども、少し長期になったときには家庭ということを考えますと、やはり里親をもう少し考えていった方がいいだろうと思います。
#65
○森田参考人 加害者へのケアに対して悲観的であるという御意見なんですけれども、確かに、加害者へのケアというのは大変に時間がかかるものです。
 ただ、私自身も、先ほどちょっと言いましたけれども、そういう虐待をした親たちへの教育更生プログラムというのを開発しまして、それはアメリカでやっていたことがあるのです。それは全部で十八週間のプログラムなんです。十八週間、一週間に一回だけですよ。
 十人ぐらいの人たち、同じようなそういう状態にある人たち、いろいろな方法を用いながらその人たちの回復を図っていく。そういう中で、でもこの人はこのプログラムだけじゃなくてセラピーが必要だとなったら、セラピーもやってもらう。あるいは、グループセラピーがこの人にとってはいいんだということになれば、グループセラピーのところに行ってもらう。ただ、必ずしもカウンセリングがケアということのチョイス一つだけではないと思います。
 この教育プログラムというのは、コストがそんなにかからないですし、そして効果をある程度は持ち得ます。特に身体的虐待をした親たちは、その十八週間のプログラムの後たたかなくなりますよ。たたかなくなる親たちの確率というのは非常に高いです。
 ですから、悲観的であるのは、私もよくそう思うことがあるのですけれども、やはりケア、今何しろ日本では一切ないです。本当にわずかの人たちが試験的にやっているだけですね。そういう状態だからこそ、養護施設に子供が行って、そして戻ってきたら前よりもっと虐待されてしまったということになっている。
 だから、親権の一時停止の必要性というのは、やはり加害者の人たちに、ねえ、もうすごくあなた疲れているんだから休んでみてくださいよ、その間私たちが預かりますから、預かっている間に自分のことをいっぱい考えて、そして子供をまた安心して育てられるようになってください、そういうその人のケアの機会を提供するためには、どうしても私は親権の一時停止が必要になってくると思います。
#66
○池坊委員 よくわかりました。奥山参考人がおっしゃったように、里親制度というのは、私ももっと積極的に進めたらいいのではないかと思います。
 日本人の場合には血というのを大切にいたしておりますけれども、アメリカに行って、お嬢ちゃまを見て、お母様似ていらっしゃらないわねと言ったら、お母様が、そうよ、この子は養女だから、私が産んだ子ではないけれども、神様が与えてくださったのよと大変に自信を持っておっしゃったのが私は心に残っております。
 それで、ボランティアの活用というのがもっともっと必要なのではないかというふうに私は思っております。先ほど皆様のお話に出ておりましたように、専門性を高めるということはこれからの課題であり、大切なことだと思いますけれども、同時に、専門性だけでなくて、素朴な愛情、あるいは日常生活の何とも言えないぬくもりというのも大切なのではないかというふうに思っているのです。
 例えば、私ぐらいのもう子育てを終えました四十代、五十代の女性たちが、それでもまだ社会に貢献したい、何かの役に立ちたいと思っている方々もたくさんいらっしゃると思います。ですから、そういう方々のお力をかりたらいいのではないか。そういうネットワークの構築というのが必要だと思いますけれども、そのことについては、吉田参考人はどのようにお考えでございますか。
#67
○吉田参考人 私は、里親の方はよくわからないのですけれども、日本で里親制度が広まらない理由は幾つかあると思います。
 一つは、今先生がおっしゃいましたように、日本人の持っている血縁意識が大変強いというところから、他児養育について消極的であるという原因。それから、里親さんになった場合に、大変責任が重たくなってくるのじゃないかという形で、それにしり込みをする。さらに、里親開拓についても、児童相談所の中で、十分里親専門の児童福祉司さんが置かれているところも少ないようでありますので、そのような点を整備して、里親制度をより充実させる必要はあるだろう。
 里親さんになった場合に、実は里親家庭での虐待というのもあるわけなんですね。そうした場合に、里親さんをどれだけ今度は支援していくかということも必要になっていく。ですから、愛情を持って子供を育てていただくという点で里親制度は大変よろしいかと思うのですけれども、里親システムそれ自体をまたサポートするシステム、これが必要だろうと思っております。
#68
○池坊委員 ボランティアの活用については、奥山参考人はどのようにお考えでしょうか。
#69
○奥山参考人 里親制度とボランティアというのは分けた方がよろしいかと思います。
 ボランティアの活用というのは非常に重要なことで、私も民間団体の会長をしておりますけれども、電話相談をしている中で救われていく親たちというのはかなりおります。そういうボランティア、あるいは先ほど来出ています親子支援ですね、そういう中でのボランティアというのは非常に重要だと思います。
 ただ、里親に関しましては、今吉田先生がおっしゃいましたように、被虐待児を預かる里親さんというのは、その子供たちの特徴を知ることも必要ですし、それから、その子供たちに必要なケアを与えて、必要な治療も与えていかなきゃならない。こういうことを考えますと、里親さんに関しては、やはりきちっとした教育、それからこちら側といいますか、児童相談所とか精神科医とか、いろいろなものが支援するという立場を十分にとっていかないと、悲劇が起きてしまう可能性も否定はできないんですね。ですから、それを十分にやった中での里親制度の、そういう意味での制度の強化ということが必要だというふうに考えます。
#70
○池坊委員 里親制度にしても、それから実母、保護者あるいはその周辺の人たちの児童虐待を見ておりましても、かつては地域社会とかおじいちゃん、おばあちゃん、親戚の人たちが手をかしたさまざまなことを、今は一身に保護者が受けなければならない。そういう責任の重さと閉塞状態が虐待を生んでいるのではないか、それも一つの要因になっているのではないかというふうに私は考えております。
 私は、これからは、子供たちは社会の子供なんだ、先ほども申しましたけれども、今まで地域社会が担っていた役割を周りの人たちが、すべての国民が担うという意識が芽生えてくる、醸成してくることが、児童虐待を少なくする方法でもあるし、また子供たちを健全に育てる一つの方法になるのではないかというふうに考えておりますことを申し添えて、終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
#71
○富田委員長 次に、石井郁子君。
#72
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 きょうは、参考人の皆様方、それぞれの立場でこの児童虐待という深刻な問題にかなり長年かかわってこられて、そしてその中から得られたいろいろな問題について、御提案という形でいろいろ教えていただきまして、本当にありがとうございました。
 親がなぜ我が子を虐待するのか、そういう行為に出るのかということ、そして、そういう問題がふえ続けているという日本の現実、このことについては、私は、やはりいろいろな角度から解明しなければならないと思うのです。そういう根本的な解明なくして根本的な防止策も出ないだろうというふうには考えているのですけれども、一方で、本当に今目の前の子供たちが命の危険にさらされている。子供たちの安全を第一に考えなければいけない、これは政治として当然取り組むべきことだというふうに考えています。
 虐待防止には予防と発見、ケアという一連のことがあると思うのですが、私ども共産党も、そのために法整備とともに関連施策の充実ということが急がれるというふうに考えてきたところでございます。きょうは、そういう立場から幾つかのことについて教えていただきたい、またお話を伺いたいと思っています。
 きょう、特に奥山参考人には、医療現場でのお話を伺いました。参考人としては保健医療機関の対応や役割ということについて初めて伺ったということになりまして、いろいろと私ども、私自身が新しいことを随分教えられた思いをしているわけですが、まず伺いたいことの一点なんですけれども、虐待は非常に乳幼児に多いと一般に言われますよね。そういう意味で、乳幼児の分野というのは大変大事だと思います。
 先ほどのお話でも、妊婦や乳幼児に対しての予防やケアは児童相談所では困難だ、だから保健機関の関与が欠かせないというふうに言われたわけですが、その保健機関の関与がこの問題で十分機能を発揮していないんじゃないか、それは法的な問題もある、いろいろ法律上に虐待対応が明記されていないということを言われたのですが、では、法律で明記する以外にないのかという問題がありますし、それから、厚生省はこの間虐待についてはもういろいろと取り組んでいるということを言われますので、例えば行政指導の分野で、保健所あるいは保健機関にはどういう通知が行っているのか、そういう対応ではできないのかという点について、まずお伺いしたいと思います。
#73
○奥山参考人 私自身がおりますのは医療が中心でありますので、保健機関への通知を全部承知しているわけではございません。ですから、虐待に関しても多少は、通知といいますか、こういう役割分担、ただいま保健、特に母子保健に関しましては、県の保健所と市町村の保健センターというところにちょうど業務が移行している時期ということがございまして、その中で、虐待に関しては保健所が扱いなさいというようなことが書かれたものはございます。しかし、その後ろ盾となるような法律というのは余りはっきりしない。
 現場の人間というのは、やはりそこに何かがあったら動きたいという気持ちはいっぱい持っておりますので、保健婦さんたちが一生懸命動くということは結構多く見られるのですけれども、それに対して、一般的に言われます上の方というのが、法律に基づかないんじゃないかということで、例えば予算的な措置とか、そういうものがきちんとなされていないということも挙げられるかと思います。
 それから、どのように動いたらいいかということに真剣に取り組む姿勢を持つためには、やはり管理をする人たちも一緒になってやっていかなきゃならないと思いますので、そういう意味では、法律のどこかに明記されていることは非常に重要なことだろうというふうに思います。
#74
○石井(郁)委員 私ども、この間、児童相談所についてはかなりいろいろと取り組んできて、一定の改善というか前進面も出てきているかなというふうには思うのですけれども、やはり保健所、保健機関、そういう分野についてももっと目配りが必要だなということも感じているところです。
 もう一点奥山参考人に伺いたいのですけれども、死亡例の調査、これも特に乳幼児を行うべきだ、疑い例も含めて、その経過を調べて明らかにする、これは再発を予防するために大変重要だという指摘がございました。これはやはり都道府県にさせるべきだ、義務づけるべきだという趣旨だったと思うのです。
 私も、これを伺いまして、実はつい最近ですけれども、赤ちゃんの突然死、突然死症候群というのがありますよね。これに取り組んでいらっしゃる方がありまして、今全国的には五百人から七百人の乳児が突然死という形で死亡していると言われているのですが、どうもこの中には虐待もあるんじゃないか、あるいはネグレクトもあるんじゃないかということがありまして、いろいろな裁判も起こっているのです。
 ですから、ここにあるように、本当に赤ちゃんの死というのをきちっと、事実をどうつかんで、再発をどう防止するかという点には、やはり今大変注意を向けなきゃいけないんじゃないかというふうに考えていたところでございまして、この辺はどういうふうに見ていったらいいのかということを教えていただければと思います。
#75
○奥山参考人 ただいまお話に出ましたSIDSと言われる乳児突然死症候群ですけれども、これは虐待が含まれる可能性もあるのですけれども、逆に親の方が、なぜ死んだのかと周りから疑いの目を向けられて、非常につらい立場に立たされるという問題も一方でございます。これに関しましても、この前も新聞に出たかと思いますけれども、SIDSに関しましてもやはり真実追及をする。これはSIDSであってだれの責任でもないのだということが明確になることが大切なことだと思うんですね。それが親にとっても非常に重要なことです。
 残念ながら、今、不審死と言われる、SIDSも含めまして、私たちが通常病気で診ていたお子さんじゃないお子さんが亡くなったときということは警察に通報いたしますけれども、警察の方は、それが暴力事件のような形で、傷害罪とかそういうことで立件できそうもないということになりますと、司法解剖に回すということがほとんどやられていないんですね。
 私たちとしては、原因追及が非常に重要だ、これはいろいろな意味で、今虐待を明確にするということもありますけれども、今申し上げましたように、SIDSで亡くなった親の気持ちを考えても、真実追及、ましてSIDSが保育園で起きるということもございます。そうなりますと、いろいろな問題が起きてきます。そういうことに対しての真実追及をするということが非常に重要なんですけれども、警察の方に回ってしまいますとなかなか解剖をしていただけない。私たちの方でかなり粘るんですけれども、それがなかなかなされないということをここ何年間か非常に多く経験しております。その点は非常に重要だろうと思うのです。
 もう一つ、私がここで言いたかったことは、先ほど来私が、福祉の立場ということで、子供の安全を守るということを第一に考えて、刑罰ではないんだというところでの対応が必要だということをお話ししてきましたが、一たん亡くなってしまうと、福祉の方の対応は切れるわけですね。そうすると、刑罰を与えられるかどうかの判断だけですべてが判断されてしまうということになります。そうすると、やはり刑罰を与えるということになりますと、ペナルティーを受ける側の権利というのも非常に重要になってまいりますので、本当に傷害罪として扱えるのかどうか、証拠があるのか、責任能力があるのかといった問題で、うやむやになっていってしまう、何が起きたのかわからないという状況になってしまうことが結構多くございます。
 ですから、一例を挙げますと、先ほどの資料に書いてあります亡くなった例なんかは、乳児院から出た後、出てしばらくしてからですけれども、お母さんが二日ぐらいうちをあけている間に、お姉ちゃんのはしかが下の子にうつって、ケアがされないで肺炎を起こして亡くなるという形のものがございます。そういう場合なんかは、親に対しての刑罰というわけにはいかないんですけれども、その間に何があったのかということをきちっと調査をして、どうやれば防げたのか、あるいは、兄弟もおりますから、ほかの子供たちが安全なのか、そういうことを考えていく必要性というのが十分あると思います。そういう例は、そんな一例だけではなくて多々ございますので、その点を考えた次第でございます。
#76
○石井(郁)委員 どうもありがとうございました。
 私はやはり、虐待の問題というのは、根本には暴力を容認するというか、この問題があるというふうに思うのです。あるいは、暴力を振るいたくなる内面が形成されているということかもしれないんですけれども。だから、暴力という問題をどう考えるかということが一つやはり大きくあるだろうというふうに思っていまして、その点で、アメリカのカリフォルニア州の法律のこともお聞かせいただきまして、こういう形で取り組んでいるんだなというのはわかったのです。それから、アメリカでは、子供を暴力から守りましょうというテレビコマーシャルなんかも流しているという話なんかも聞くんですね。
 そこで、ただ、この暴力の問題というのは、どうもアメリカ的なあらわれと日本的なのと私は違うんじゃないかという気もするのです。例えば家庭内暴力ということについて、アメリカで特有にあらわれる問題と、日本で、先ほどから出ている懲戒権、しつけということであらわれてくることとがちょっと違うんじゃないかと思っているのです。
 しかし、ここでは、懲戒と訳されているんですよね。過酷な、また不当な懲戒というふうに訳されていますけれども、これはいわゆる、先ほどから出ている民法で言う懲戒権の懲戒ということと同じ意味でアメリカでも使われているのかどうかというあたりで、暴力に対する考え方の問題として、何か御示唆があれば、森田参考人に伺いたいと思います。
#77
○森田参考人 暴力のあらわれ方が違うことはあると思うのですけれども、基本的に、人が暴力を振るうときのその内面がどうなって、そして暴力を起こしていくのか、あるいは、どういう背景の中で家庭における暴力、虐待、ドメスティック・バイオレンスといったものが起きていくのかということに関しては、私は、違うところよりも共通するところの方がずっと多いと思います。だから、あえて言うならば、共通しているというふうに言い切ってもいいのではないかなと思います。
 ただ、暴力のあらわれ方として、例えばアメリカの場合でしたら、やはりけん銃の社会ですから、みんなけん銃を持っているわけです。けん銃を使う暴力というのは日本ではそんなにないですよね。アメリカの場合はそういう問題が起きてくる。それから、あと薬物ですね。日本ではかなり規制があるので、それはとてもすばらしいことだなと思っているのですけれども、アメリカでは薬物の規制はもうコントロールがきかない状態になっている。そういう中で、薬物の影響下で暴力が起きていく。そういうあらわれ方の違いはあると思います。
 ただ、もっと根本的な、なぜ暴力が起きるのか。その背景には、社会的な要因と心理的な要因、この両方があると思うのですね。その両方というのは、どちらも、私は日本の場合も変わらないのではないかなというふうに思います。
#78
○石井(郁)委員 もう一点、済みません。先ほど来出ているように、日本では、要するに暴力を振るうのは親のしつけだ、懲戒権だと、権とまでは言わないかもしれないけれども、親のしつけなんだという意見が強く出ているわけでしょう。アメリカでもそこはやはりそういうふうに親の方は主張するのでしょうか、その一点。
#79
○森田参考人 しますよ、します。だから、虐待をして殴っちゃった、それで頭蓋骨陥没になっちゃった、そういうような親は、それはしつけをやっているんだというふうに弁解します。多くの場合、弁解しますね。そういう意味では変わらないと思います。
 ただ、やはりこの二十五年間でかなり、今実際にアメリカは虐待の報告件数はどんどん減っています。一九九四年から減少傾向にあるのです。それが一体何を意味するのか。今までの取り組みが何らかの効果を発してきているのかいないのか、それはこれからの検討の余地があると思うのですけれども。やはり、そう簡単に子供をがんと殴るということはできないですし、それから、学校の中での過酷な体罰というのは一切禁止されています。それは本当に起きていないですね。
#80
○石井(郁)委員 私は、子供の人格を守るとか子供の人権を守るというのは、民主社会ではもう常識だし、そうでなければいけないと思っていますし、世界の流れがそういう方向に本当に今動きつつあるなというふうに思っているのです。そういう点でいうと、日本の国会でも、青少年特別委員会を初めとして、子供の問題に真剣に取り組む、それの基本的な立場はやはり子供の人権を守るということだというふうになってきたということは、大変感慨深いというか、大事な地点に来ているなというふうに考えているところであります。
 その点で、ちょっと吉田参考人にも伺いたかったのですけれども、時間が終了してしまいまして、申しわけなく思っています。
 いずれにしても、皆さんの御意見を参考にいたしまして、超党派でこの児童虐待防止ということに一歩でも前へ進むように、私どもも全力を挙げていきたいと思っております。
 どうもありがとうございました。
#81
○富田委員長 次に、三沢淳君。
#82
○三沢委員 保守党の三沢淳です。本日は、御多忙の中、四人の参考人の皆さん、本当に御苦労さまでございます。御礼を申し上げます。
 児童虐待問題につきまして、高橋先生にお伺いしたいと思います。
 児童虐待の虐はいじめと書きますが、親が子をいじめると虐待で、子供同士が集団でいじめるのをいじめといい、最近では子が親をおどしたりする逆の事件も多くなっております。先日の名古屋の、私の地元ですが、緑区の五千万円恐喝事件でも、恐喝された子供が母親をおどしてお金を持って出ていっていたということを言われております。また、ちまたを振り返っても、夫婦間の争いによる事件や、未婚者の増加は顕著で、友達のいない、引きこもりの少年もふえております。
 このように、本来であればもっときずなが強く、仲のよいはずの家族や夫婦、友達関係が希薄となり、いがみ合い、いじめ合う様子は昔の日本にはなかったことじゃないか、そういうふうに思います。昔は、貧しかったけれども、家族や学校、地域社会に、目指す目標もモラルも活気もあったと思います。今は、豊かになって、計算高くなって、人間関係をないがしろにする傾向にあります。一説によれば、物質が豊かになるとこのような家族や地域社会の崩壊現象が生じると言われております。
 そして、今、死語になりつつありますが、雷おやじとか肝っ玉母さん、熱血先生、餓鬼大将、こういう言葉が使われなくなっています。こういう人たちに、家庭や地域で、学校で、やはり一番基本になる、人間が生きる基本になるものを私は教えてもらったような感じがいたします。今は、人と人との間が法律という壁で何か冷たくなっているような感じがいたします。昔は、人と人が心で、温かみのあるものでつながっていましたが、今は何かあればすぐ裁判ざたになりまして、物事にかかわりたくないという大人が多くなっております。
 特に今、正義感といいますか、例えば恐喝されている、仲裁に入って、もめて、相手を例えばぶん殴って負傷させた場合に、もし相手側から訴えられれば、これは傷害罪で訴えられて犯罪者になります。そういうところでもう正義感というのがほとんど吹っ飛んでしまっています。ですから、大人としては余りかかわりたくない。法律でいろいろなことをやられますと、自分が犯罪者やそういうもので訴えられて負けたらどうしよう、裁判ざたになるべくならないようにというような社会が今はできているのじゃないか。ですから、人と人との心が本当に何か温かみがなくなってきているような感じがいたします。
 本日の議題となっております児童虐待も、その遠因を探れば、人間関係が希薄となった地域社会や家庭による影響とも言えると思います。高橋先生も最初の意見陳述で述べられておりますが、重複するかもわかりませんが、高橋先生の御認識をお伺いしたいと思います。
#83
○高橋参考人 私は、家庭というものが持っている教育機能というものをこのように考えております。一つは、価値観を形成する場である。二番目に、人間関係の原型を学ぶ場である。そして三番目に、老人との共生という場である。今は、であったと言った方がいいかもしれませんが、家庭を通してそういうことを学んできたわけでございます。
 先ほどおっしゃったような法の問題、つまり人権ということと人格を育てるというのは、これはセットで考えなくてはいけないわけであります。そうしますと、私はいつもこう申し上げているのですが、人格を信頼しながら行為を否定するというのが教育の原点だ。そうしますと、子供のわがままに対しては対決しないといけない。そのためには、ある一定の強制というものが必要でございます。
 しかし、民法が言っておりますように「必要な範囲内で」と、ここはなかなか難しいところでございますので、きょう申し上げた父権主義、これは子供の最善の利益になることをもって子供の自由に干渉することが正当化される、これをパターナリズム、父権主義と言ったわけでございますが、それは一歩誤れば人権侵害になるわけでございますので、そこは大変微妙なところでございますが、家庭というものが持っていた教育機能を失ってしまった。とりわけ私は父性というもの、きょう、正義ということがございましたが、例えばとめ男になれと。今は、いじめに対して学校でとめる男の子はいません。とめるとまた自分がいじめられる、そういう現実でございますので。
 私は、実は雷おやじに育てられました。その雷おやじに育てられて、私はその父親に大変感謝しております。私の壁になってくれたことに対して大変感謝しております。その意味では、もう一度家庭の教育機能というものを考え直す必要がある。人格を育てるという意味で子供の行為の壁になるという必要性においては、これはしつけというものの重要性をもう一度見直さなければならない。法律万能主義によってその行き過ぎを排除するためにしつけそのものの重大さを失うような傾向を生んではならないと思うわけでございます。
#84
○三沢委員 ありがとうございます。確かに、今、虐待というのは子供の命がかかっておりますので、我々が真剣に考えなければいけないのは、きょうの先生方も共通していることですが、何とかいい方法がないものかと、きょうも参考人の皆さんに来ていただきまして、いろいろ聞かせていただいております。
 私自身の意見では、この虐待に関して先生方、特に田中先生や太田先生は熱心ですので、私もついていかなければいけないと思いますが、余りにも法律が家庭の中まで入り込んでしまうようなことになったらもうこの国も終わってしまうんじゃないかというような、大げさに言えばそういうふうな危惧もしております。
 そこで、もう一つ高橋先生にお伺いいたします。
 私は、やはりこのような学校や家庭や地域社会の崩壊、機能低下というような事態に至って、かつて日本にあったような、厳しく、まじめに、希望に燃えていた家庭や地域社会のひたむきな輝きというものをもう一度復活できないかと思っております。
 これはもちろん法律で決められることではないと思いますが、強いて言うなら、憲法の前文にうたうべきことなのかもわかりません。そこから初めて、家族のあり方や地域社会の目的、助け合い励まし合うような集団の秩序がイメージできるのではないかと想像するのですが、我々にできる具体的な行動として何があるのか。先ほどからのいろいろな先生方の質問とも重複するかもしれませんが、もし先生にお示し願えれば、そういうふうに思います。
#85
○高橋参考人 私は、家族の見直しということをきちっとやる必要があろうと思っております。
 とりわけ、例えばアメリカでは、親業訓練というようなことをやります。親の自覚のないまま親になって、そして子供を虐待するということもふえておりますし、きょう、私のお話の最後の中で申し上げましたけれども、親になるための研修と申しますか、それから、親になってからの子育てということについての、もう少し各地域における充実した研修というものが大事ではないかというふうに思っております。つまり、親の親教育と申しますか、それは高校や大学や、そういう親になるための準備教育も含めてでございます。
#86
○三沢委員 時間がありませんが、森田参考人に一つだけお伺いいたします。
 私も先日、児童相談所をちょっと視察してまいりましたが、虐待された子供たち、いろいろな子供たちがいるのですが、二十四、五日でもう出なければいけないというような状況になっていまして、これでは、せっかく入ってもまた出ていかなければいけないというような、何かいろいろな生徒が入り乱れて入っているということを聞きました。
 その中で、親から離れて自立しなければならなくなった子供たちのアフターケアに手が回らずに施設をまた転々としていくのではなくて、職業訓練などの自立のためのプログラムをつくってあげるべきだと感じたのですが、この子供たちの自立についてどんな意見をお持ちでしょうか。
#87
○森田参考人 その養護施設は、一時保護所に行かれたのでしょうか。(三沢委員「そうです」と呼ぶ)
 一時保護所は本当に一時的なもので、私の考えでは、一カ月というのも長過ぎると思うのですね。一時保護所の期間というのはなるべく短くして、そして養護施設なりあるいは里親なり、また落ちついて生活が始められるようにしてほしい。だから、一カ月、二カ月というのはとても長過ぎると思います。そのためには、調査といった裁判のプロセスがもっと早くならなければならないということになると思います。
 自立についてどう考えるか。私は、養護施設の中でさまざまのプログラムをもっとやっていく必要があると思います。
 今までの養護施設に対する考え方は、国もそうでしょうし、私たちも、養護施設というのはかわいそうな子供たちを預かるところという概念があったわけですけれども、やはり養護施設というのは、そこで子供たちがいろいろな傷をいやしていく、治療をしていく、そしてさらに、みずからそこから巣立っていく自立のための職業訓練とか、そういったことをしていくところなんだというふうに発想も変えていく。
 でも、そのためには、今の養護施設の状態ではそれは不可能ですよね。予算的にも本当にないですし、そして研修もされていないです。だから、もっと重層的な、例えば養護施設でもいろいろな種類の養護施設、例えば虐待の子供たちで深刻な虐待の子供たちを扱うところとか。虐待の子供と、それから、お母さんが死んだ、お父さんが死んだ子が一緒にいる、三歳から十五歳の子もいる。そこで子供同士での暴力とか性的な虐待とかが起きたりしていますので、もうちょっと養護施設に対して国が予算化していく。
 そして、いろいろなアイデア、こんなプログラムもできる、こんなプログラムも、それこそさっき言いましたCAPのプログラムなんかは、幾つか今日本の養護施設の中でもやっています。そういうところで子供たちに、お互いの権利を守っていく、どうやっていくんだろうということをわかりやすく教えていくプログラムとか、そういうものをどんどんやっていくための予算化というのは、ぜひお願いしたいなと思います。
#88
○三沢委員 どうもありがとうございました。
#89
○富田委員長 次に、保坂展人君。
#90
○保坂委員 参考人の皆さん、ありがとうございました。
 社民党も、今回の児童虐待防止法を今国会で何とか成立できるようにということで全力を挙げてきましたし、今後も挙げたいと思っています。多くは申し上げませんが、ずばり言って、時間との闘いだと思います。
 昨年十二月に、全会派で合意をして、熱心かつ真剣な議論のもとに、この委員会で特別決議という形で児童虐待防止に関する決議をして以降、この委員会を中心に随分議論は行政サイドでも進んだのだろうというふうに思っていますし、厚生省も、法改正の必要なしという立場から、この委員会の質疑で大分大きく転換をしてきただろうと思います。
 与党の中で意見調整がなかなか難しいという声も聞かれますけれども、特に子供たちのSOSがこれだけ続いて、先ほど奥山参考人の話から死亡事例という、実際に亡くなった子供の事例も多々ある中で、こういうことがまさに政治の場でネグレクトされてはならないというふうに思いますので、ぜひ与党の中でも頑張ってまとめていただきたいということを再度私たちの方からも、野党の側からも言うとともに、報道関係や民間団体の方からの世論を一斉に起こしていただいて、与党の中でこの問題に取り組む心ある議員の皆さんの追い風にしていただきたいということを発言した上で、森田参考人にまず伺いたいと思います。
 CAPということで、日本じゅうの学校で取り上げられているという朝日新聞の社説もお配りになられましたけれども、具体的にどういう役割を果たしているのか、もう少し教えていただけないでしょうか。
#91
○森田参考人 朝日新聞と毎日新聞の社説は、どちらも少しずつ間違って紹介してあるのです。
 先ほど言いましたように、これは、学校、家庭、地域、この三者が一体となって子供に対する暴力、虐待、いじめに取り組んでいこう、そういう考え方です。そして、新聞では、いじめ防止あるいは誘拐防止対策みたいに紹介されてしまっているのですけれども、もちろん、家庭内での虐待についても話し合う内容を持っています。実際、プログラム終了後、このCAPをやっている人たちは子供たちから、家庭でこういう虐待が起きている、性的虐待あるいは身体的虐待、中には深刻なケースの相談も受けています。
 このプログラムは、一九九六年から今日まで、全国で推定十六万人の子供たち、それから二十万人の教師と親がこのプログラムを受けています。大阪府とかあるいは関西、九州、それから静岡、北海道、そういったところでは、市やあるいは都道府県がかなり予算化をしてくれています。特に教育委員会ですね。なぜかといえば、このプログラムは、学校の中で授業の時間をもらってやる、そういうプログラムです。内容の詳しい考え方とか思想とかというのは、お渡しした「子どもの虐待」という岩波ブックレットの本の二十八ページごろから書いてありますので、ぜひ後で読んでおいてください。
 実際には、幼稚園から高校までいろいろな年齢に合わせた、発達段階に合わせたいろいろな参加型の方法を用いながら、基本的には、私たち一人一人にはみんな大切な人権というものがあるんだよねと。人権というと日本では、何しろ法律に書かれて、子供はこういうことができるとかいうふうに考えられがちなんですけれども、子供の人権というのは子供の権利とはちょっと違って、私たちの考えは、先ほどの高橋さんの御意見とも共通すると思うのですけれども、人権というのはやはり人の生きる力、心の力、人権が奪われちゃったら人は生きられなくなっちゃう、生きる力がなくなっちゃうんだ、そういう教え方を子供たちにしていっています。
 具体的には、私たち、みんな安心し、そして自分で考えていく、そういう自由の権利あるよね、これは人のを取ることはできないよ、でも、自分の権利を奪われちゃったら、何かすることできるよねと。その何かって、じゃ何だろうということを、ロールプレーをやったりとかディスカッションをやったりとか、幼稚園の子供たちでしたら人形劇をやったりとか、そういうことをしながら子供たちと一緒に考えていく、そういうプログラムです。
#92
○保坂委員 それでは次に、奥山参考人に伺いたいのです。
 まさに児童虐待、子供の虐待の、医療現場でどういう問題があるのかというお話、極めて深刻な点がたくさんあったと思います。この中で、例えば各県に拠点病院を置いたらどうかという御提案ですとか、あるいは、児童養護施設もかなり被虐待児が多いので、いわゆる治療施設に転換するべきではないかという御指摘もありました。現在、虐待の問題にかかわる関係機関というのは、児童相談所も保健所も医療機関もあるいは警察も、いろいろなことをやりながらこれもやる、こういう形で取り組まれている方が多いのだろうと思います。
 ですから、本来であれば、子供の虐待に中心的に対応するセンターのような機能を持つ、そして、関係機関の方たちあるいはソーシャルワーカーなど民間の人たちともリンクしていくような構造が必要かと思いますが、そのあたりについて御意見をいただきたいと思います。
#93
○奥山参考人 確かにおっしゃるとおりだと思うのですけれども、虐待全体をマネージするというのは、やはり児童相談所が中心となって、これから発展的にいって虐待防止センターとかそういうものができてくれば、それが一番いい方法かなと思います。医療機関がセンターになるというのは非常に難しい問題があると思います。
 ただ、センターが全部を抱えて、虐待といったら全部そこへ行って全部面倒を見るんだということになると、それはもうとても全部できるというわけではございません。先ほど来議論が出ているのを伺っておりましても、やはりブラックケースとダークグレーとグレーとホワイトと、全部あるのをごっちゃに議論がなされている部分があると思うのですね。それを全部一つのセンターでやろうと思ったら、これは不可能に近いです。やはり虐待ということを、すべての子供を見る専門家が頭の中に入れて活動するということは当然求められることになると思います。
 ただ、ブラックの問題それから非常に重篤な問題に関しての専門性を発揮するような場所というのが求められることがあると思います。
 ですから、センターというのは、ソーシャルワークも含めて、医療機関が発展した形というよりは、児童相談所が発展した形でマネジメントする場所という形がいいのではないかと思いますし、それに対して、どうしても緊急なときに入院も含めて評価もできるような病院というのが各県に一つずつは欲しいというふうに考えます。
#94
○保坂委員 おっしゃるとおりだと思います。センターを日本全国につくって虐待問題はセンターでというふうには全く考えておりませんで、ただ、個々ばらばらの対応を集約して、一つの先行的な事例として、こういうふうに連携して解決をしていくんだという一つの形を示していく、その時期が近づいているのかなという趣旨でございました。
 お二人の方にちょっと時間不足で申しわけなかったのですが、今までの御意見をぜひこの国会で実らせるべく努力をしていきたいと思います。ありがとうございました。
#95
○富田委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時十四分散会

ソース: 国立国会図書館
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