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#1
第142回国会 文教・科学委員会 第25号
平成十年五月二十八日(木曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 五月二十七日
    辞任         補欠選任
     山本  保君     山下 栄一君
 五月二十八日
    辞任         補欠選任
     山下 栄一君     但馬 久美君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         大島 慶久君
    理 事
                北岡 秀二君
                馳   浩君
                小林  元君
                松 あきら君
    委 員
                井上  裕君
                世耕 政隆君
                田沢 智治君
                長谷川道郎君
                江本 孟紀君
                萱野  茂君
                但馬 久美君
               日下部禧代子君
                阿部 幸代君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        巻端 俊兒君
   参考人
       東京学芸大学教
       育学部教授    児島 邦宏君
       大東文化大学文
       学部教育学科教
       授        太田 政男君
       宮崎県立五ケ瀬
       中・高等学校校
       長        前田  稔君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提
 出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 昨日、山本保君が委員を辞任され、その補欠として山下栄一君が選任されました。
 また、本日、山下栄一君が委員を辞任され、その補欠として但馬久美さんが選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(大島慶久君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 学校教育法等の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に参考人として東京学芸大学教育学部教授児島邦宏君、大東文化大学文学部教育学科教授太田政男君及び宮崎県立五ケ瀬中・高等学校校長前田稔君の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(大島慶久君) 学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、参考人の方々から御意見を賜った後、質疑を行います。
 この際、参考人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様方には、ただいま議題となっております学校教育法等の一部を改正する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、議事の進め方でございますが、まず児島参考人、太田参考人、前田参考人の順序でそれぞれ十五分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、まず児島参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。児島参考人。
#6
○参考人(児島邦宏君) 御紹介いただきました児島でございます。
 本日は、学校教育法等の一部を改正する法律案につきまして、特にその内容となっております中高一貫教育制度の導入につきまして、中央教育審議会の昨年六月の答申「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」、いわゆる第二次答申を踏まえたものであるということで、中央教育審議会の専門委員を務めていました関係上、意見陳述の機会を今日いただいたものと存じております。
 なお、つけ加えて申し上げますと、当時、中高一貫教育等につきましては、中央教育審議会の中で特に第一小委員会が審議しておりまして、私自身は第二小委員会に所属しておりましたけれども、総会等全般を通じまして審議に参画したというそういった立場から本日意見を申し上げたいと存じております。また、あわせまして高等教育関係の制度改正についても触れさせていただきたいと存じます。
 時間の限りもございますので、以下、私の考えを簡潔に申し述べさせていただくことといたします。
 まず、中央教育審議会第二次答申の趣旨についてでございます。
 昨年の六月二十六日に文部大臣に提出いたしました中央教育審議会の第二次答申は、平成七年四月に当時の与謝野文部大臣からいただいた諮問「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」に対する平成八年七月に行った第一次答申に引き続く答申であります。
 明治以来今日まで、我が国の発展にとって教育が大きな役割を果たしてきたことはだれも異論のないところであります。とりわけ戦後にありましては、能力に応じてひとしく教育の機会を保障するという施策が進められ、教育熱心な国民の意識もあずかりまして、高等学校に進学する者は同一年齢の約九七%に上っておりまして、大学、短期大学等についても約四割の者が進学するという状況に至っております。
 一方で、今日の教育はゆとりの欠如、受験競争の過熱化、いじめ、非行や登校拒否などさまざまな問題に直面するとともに、二十一世紀に向けて国際化、情報化、科学技術の発展、高齢化、少子化や経済構造の変化など、社会の変化に対応した教育のあり方が求められています。
 中央教育審議会においては、今後の我が国の教育はゆとりの中で子供たちに生きる力をはぐくむものであるべきだという理念に立ちまして、三つの課題について審議を行ったものであります。
 第一の課題は、今後における教育のあり方及び学校・家庭・地域社会の役割と連携のあり方、第二の課題は、一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善、第三の課題は、国際化、情報化、科学技術の発展等社会の変化に対応する教育のあり方であります。
 第二次答申は、このうちの第二の課題であります一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善について検討したものです。これまでのともすれば形式的な平等を重視した教育から、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開した、個性を尊重した教育へどう転換をしていくかという基本的な立場に立ち、具体的には、大学、高等学校の入学者選抜の改善、中高一貫教育等の課題について検討を行い、取りまとめたものであります。
 このうち、中高一貫教育につきましては、子供たち一人一人の個性を伸長するという基本的な考え方に立って、学校教育の各段階を通じ、一人一人の能力・適性に応じた教育をいかに進め、また学校間相互の接続をいかに改善し、ふさわしい進路を選択できるようにするかについて基本的な検討を行い、子供や保護者の選択の幅を広げ、学校制度の複線化構造を進めるという観点から、現在の義務教育制度を前提にしまして中高一貫教育を選択的に導入することを提言したものであります。
 次に、答申に至るまでの経緯について御説明申し上げます。
 中央教育審議会では、平成八年七月の第一次答申の後、第二次答申に至るまでの約十カ月間に、総会を十四回、第一、第二小委員会を各十回開催し、慎重かつ精力的に審議を行いました。審議の過程で、中高一貫教育の導入については、受験競争の低年齢化、エリート校化のおそれ等に留意すべきとする意見も出されたものの、我が国の学校教育制度の多様化、弾力化を通じて一人一人の個性に応じた教育の実現を図るための具体的な方策として合意を得たものであります。
 また、審議の過程では、昨年一月に二回にわたり総会において教育関係、経済関係団体等から幅広くヒアリングを行うとともに、答申に先立ち、昨年五月に「審議のまとめ(その二)」を公表し、関係団体等を対象に幅広く書面による意見聴取を行いましたが、これらの中でも中高一貫教育の導入を支持する意見が大勢を占めました。しかし、幾つかの団体からは、受験競争の低年齢化やエリート校化を懸念する意見がありました。これらの点につきましては、答申においても十分配慮すべき事項として盛り込んでおります。
 今回の法案は、この答申を踏まえ、地方公共団体等の設置者の判断により中高一貫教育制度を導入することを可能とするとともに、幅広く必要な行財政上の措置を講ずるものであり、地方公共団体等の主体性を尊重しつつ、中等教育の一層の多様化を進めるとともに、学校教育制度をより柔軟なシステムに変えるものと認識しております。
 次に、答申に対して各方面から御指摘いただいている点等につきまして私の考えを述べたいと思います。
 第一には、受験競争の低年齢化のおそれについてであります。
 この点は、中高一貫教育の導入に当たって最も留意すべき点の一つであり、中教審の審議において十分に議論がなされ、このような懸念を払拭するために答申において幾つかの具体的な提言を行っております。特に、実際上中高一貫教育を行っている一部の国立、私立中学校の入学者選抜が受験競争の低年齢化等に拍車をかけているとの指摘を踏まえ、入学者の決定方法については、受験競争の低年齢化を招かないことが不可欠であるとし、公立の学校では学力試験は行わず、面接、推薦、実技、抽せん等の多様な方法を組み合わせて行うべきことを答申において明確に求めております。
 第二には、中高一貫校がエリート校化するのではないかとの指摘であります。
 これは、実際に中高一貫教育を行っている一部の国立、私立の学校の現状を念頭に置いて、受験準備に偏した教育が行われ、いわゆる受験エリート校化するのではないかとの懸念であると理解しております。この点については、中教審の審議において、受験競争の低年齢化のおそれとともに最も留意すべき点として議論したところであります。すなわち、中高一貫教育は、ゆとりある安定的な学校生活を送る中で個性や創造性を伸ばすため特色ある教育を行うことを趣旨とするものであり、このため、答申においても、中高一貫教育を導入するに当たり、受験準備に偏した教育が行われることのないよう関係者に強く求めております。そして、六年間のゆとりのある学校生活の中で、それぞれの子供の個性や創造性を大いに伸ばすという中高一貫教育の趣旨を踏まえた多様な教育内容が提供されることが必要であります。
 このため、答申においても、例えば体験学習、地域に関する学習、国際化や情報化に対応する教育、環境に関する学習、伝統文化等の継承のための教育、じっくり学びたい子供たちの希望にこたえる教育などを軸に据えた特色ある教育の例を示しているところであります。もちろん、どのような特色を有する中高一貫教育を実施するかは設置者の判断でありますが、このような趣旨を踏まえた特色ある学校づくりが行われることがぜひとも必要であると考えます。
 第三には選択的導入についてであります。
 中高一貫教育の方が学校教育の区分として望ましいのであれば、すべてを中高一貫教育にすべきではないかという意見がございます。この点については、中央教育審議会における議論を通じて、中高一貫教育と現行制度の双方がそれぞれ利点と同時に問題点を有しているとの認識でありました。
 例えば、中高一貫教育には、ゆとりある安定的な学校生活が送れることや六年間の計画的な教育指導が可能であることなどの利点がある、一方で、生徒集団が長期間同一メンバーで固定されることにより学習環境になじめない生徒が生ずるおそれがあるといった留意すべき点もあります。同時に、現行の中学校、高等学校の制度についても、中学校で学びながら、生徒の希望や目標がより具体化し、進路意識もより明確になる時点で、多様な高等学校の中から自分にふさわしい学校を選択できるなどの利点もあります。
 そして、これらの利点と問題点の持つ意味は一人一人の子供たちや保護者によって異なるのであり、一概にどちらがよいと決められないのではないかということであります。このため、子供や保護者が、従来の中学校、高等学校の制度に加えて、中高一貫教育をも選択できるようにすることが必要であるとの提言を行ったのであります。
 また、中高一貫教育の導入は、子供たちや保護者の選択の幅を広げることを趣旨とするものであることから、子供たちや保護者のニーズ、地域の実情を十分に踏まえて進められることが求められるものであります。したがって、中高一貫教育を導入するかどうか、導入するとすればどのような学校とするのかについては、子供たちや保護者のニーズや地域の実情を把握している地方公共団体等の判断を尊重することが適当であるとしたものであります。
 そして、その実施形態についても、一つの六年制の学校として設置、運営する形態、同一の設置者が中学校、高等学校を併設する形態、市町村立中学校と都道府県立高等学校とが連携する形態の三形態を示し、地方公共団体等が地域や学校の実情等を踏まえて最も適した形態をとることができるようにすることが適当であり、国はそのための所要の制度改正を行うことが必要であるとしたのであります。
 以上のように、すべてを中高一貫教育にするという画一的な改革を行うのではなく、現行制度に加えて中高一貫教育をも選択できるようにするというのが答申における選択的導入の趣旨であります。
 第四に、高校入学者選抜の改善についてであります。
 この課題については、中央教育審議会答申では、学校間の接続の改善にかかわる重要なテーマの一つとして審議を行いました。中高一貫教育により高校入試の重圧から解放されるのは一部の生徒のみであり不公平ではないかとの意見があります。高等学校入学者選抜の改善については、現在、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化の観点から改善が進められていると認識していますが、なお十五歳という一番感受性が強い時期に過度の受験競争という実態があり、中学校以下の教育にさまざまな影響を与えていることも確かであります。
 答申においては、多様な能力、適性や意欲、関心を持った子供たちがそれぞれふさわしい進路をいかに選択できるようにするかという観点に立って、子供たちのすぐれた面を積極的に評価することを目指し、選抜方法の多様化、評価尺度の多元化を一層進めていく必要があるとしております。そして、例えば学力試験を行う場合において、一定以上の点数を得ていれば、他の資料によって選抜を行っていく方法を進めること、各種技能審査の成績やボランティア活動などの評価、生徒の進学動機などをみずから記述した書類の活用等の具体的な方法を提示しているところであります。行政においても中高一貫教育制度の導入とあわせて高校入学者選抜の改善のための一層の取り組みを強く求めるものであります。
 以上、中高一貫教育について私の考えを申し述べさせていただきました。
 繰り返しになりますが、中央教育審議会の答申はその全体を通じて、形式的な平等の重視から個性の尊重への転換、画一的なシステムから柔軟なシステムへ、子供たちや保護者の選択の幅の拡大という観点を踏まえつつ、実現可能かつ具体的な改善策を提示することに意を用いたものであり、今回の改正法案は、それらを十分に踏まえつつ我が国の学校教育の複線化構造を進め、柔軟な学校教育制度を実現するため制度改正に踏み出したものと認識しております。
 今回の中高一貫教育制度の導入は、子供や保護者の選択の幅を広げるにとどまらず、地方公共団体などの学校設置者がみずからの創意工夫によって特色ある教育を展開する裁量の範囲を拡大することにも資するものであり、このことは、教育の世界でも多様化、弾力化、規制緩和が要請されるという最近の流れにも合致するものであると考えます。
 また、専門学校卒業者の大学への編入学と、科目等履修生として一定の単位を修得した者がその大学に入学する場合の在学年数の短縮についても、我が国の高等教育について、より柔軟な開かれたものとしていくという社会的要請にこたえようとするものであると考えます。
 本委員会の委員長初め委員各位におかれましても、このような趣旨を十分御理解くださるよう切にお願い申し上げまして、終わりのごあいさつとさせていただきます。
 どうもありがとうございました。
#7
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。
 次に、太田参考人にお願いいたします。太田参考人。
#8
○参考人(太田政男君) 太田でございます。
 私は、中等教育あるいは青年期の教育を研究してまいりました立場から、今回の法律案についての意見や疑問を述べさせていただきたいと存じます。
 私は、現在の中等教育制度、特に子供の立場に立ってみた場合の現実については多くの問題を感じておりまして、それを改革する必要というものを痛感しているものです。特に、高校の入学者選抜制度が中学校と高等学校を分断し、青年期としてふさわしい教育を行っていくという上での障害となっているということについての改革が必要だと考えてきました。
 青年期の教育というのは、自分探しと言われるように、個性をみずから発達させ、仲間の中でみずからの生き方を考え、政治や社会や職業等について学んで自立していく準備をしていく教育だと思います。また、青年期の教育は、子供、青年が自分の持っている能力や個性を引き出すために、さまざまな可能性に挑戦して試行錯誤を重ねることを保障するものでなければなりません。さらに、青年期はもともと危機と困難に満ちたものでありまして、それだけに、その教育は生きる希望と安心と自由に支えられてそれを培うものでなければならないというふうに思っております。しかし、現在高校入学者選抜制度がございますために、そのための受験競争によって中学生活が大きくゆがめられております。また、その存在によって、中学校と高校の時期をゆとりを持って、一貫したカリキュラムによって学習することができなくされています。
 私自身、そのような現状を改革する方途として中高一貫への改革を考え、また六年制中等学校への改革を文書などで表現してきたこともございます。すべての学校をそのようにすることによって、高校入試をなくして受験競争をやめさせ、ゆとりある学校生活を送ることができるようにして能力や個性を十分に開花させるためです。
 今回の法律案を、そのもとになっていると考えられます第十六期中央教育審議会の答申などともあわせて拝見しますと、六年制中等教育学校、中高一貫など、言葉の上では私にとっても大変魅力的な言葉が並んでおります。しかし、その実際の意味合いや役割は時代や社会の文脈の中で決定されるのであって、法律案は私が期待しますものとは別の、むしろ全く逆のものになるのではないかと懸念されるわけであります。
 法律案によりますと、六年制中等教育学校あるいは中高一貫は、高校入試の弊害をなくしてゆとりある安定した生活を送らせることで個性を発見し伸長させるという趣旨と、従来の中学校、高校とは別種の学校としてそれを創設し、選択の幅を広げることによって個性を育てるという趣旨があるように思われますが、もともとこの二つは基本的に矛盾し対立する側面を持つものであるというふうに思います。選択というのは人間の教育にとって非常に大事なことではありますが、運用によってはそれが選抜になり、一層現在の競争や選抜をあおる効果を持ち、ゆとりある学校生活や青年期を送ることは困難になり、個性を発達させることにつながらないのではないかというふうに考えられるからであります。
 以下、そのことを何点か申し述べさせていただきます。
 一つは、高校入試がなくなってゆとりのある生活を送れるのは一部の生徒たちだけではないかということであります。
 六年制中等教育学校のメリットは、高校入試の弊害を除去してゆとりある学校生活を送ることができることだとされています。しかし、この学校は選択的導入ということですから、従来の高校あるいは高校入試はそのまま存在しているわけであります。もし高校入試の弊害を除くことを真剣に考えるのであれば、すべての子供にとっての入試をなくすことが必要であるというふうに考えます。一部の者にだけ、それはその部分ではいいことかもしれませんけれども、高校入試を免除するというのと矛盾するということになるかと思います。
 第二番目は、六年制中等教育学校がエリート学校化し、進学校化するのではないかということであります。
 この点は、中央教育審議会の審議の過程や答申でも懸念が表明されていたということで、そうならないような配慮の必要も言われてはいます。しかし、一方で、この六年制中等教育学校がそれぞれ特色を持つことの必要が説かれており、いずれにせよ特別の学校にならなければその制度化の意味はないわけでありますから、現実にも恐らくそうなるのではないかというふうに懸念されるわけであります。
 ちなみに、私は、今回の中央教育審議会の答申に言う七つのタイプの学校等々の特色であれば、あえて今度のような法律の改正を待たずともできるのではないかというふうにも思っております。
 第三は、そのようなエリート学校になる、あるいは特別の学校になるということになれば、六年制中等教育学校への入学をめぐる受験競争が激しくなることは避けられないというふうに思います。しかも、競争は小学校の卒業段階に早期化、低年齢化するということになります。小学校卒業段階での受験競争が子供たちの生活や進路にどのような影響を与えているかは、現在、私立中学校へ二四%が通っている東京の実態を見れば明らかなことだと思います。またそれは、小学校入学段階での越境とか、あるいは本来の学区であるところから進学する子供が極端に少なくなる公立中学校の存在など、深刻な問題をもたらしていると思います。
 次に、答申では、学力検査による選抜を戒めて、抽せんや面接、小学校からの推薦、調査書、実技検査など多様な方法による選抜を推奨しています。そのことによって受験競争にはならないというふうに言われています。確かに、学力検査や偏差値は競争を激化させ、学校や生徒を序列化する問題点を持っています。しかし、それにかわって提唱されているこのような方法も、現在の状況においては別の一層深刻な問題を生むことになりかねないというふうに思います。抽せんというのは、このような場合、個性や特色を学校が目指す以上、余り意味がないというふうに思います。
 一層深刻な問題を生むということは、同じような方法が提唱され、既に具体化されている入試の方法の多元化や多様化など、現在の高校入学者選抜の実際を見れば明らかなことだと思います。
 中学校からの推薦や調査書、いわゆる内申書による選抜は、推薦については、普通科についてですが、大阪と奈良を除くほとんどの都道府県で実施されています。調査書においては、教科の学習において本来測定が極めて困難だとされる関心や意欲や態度、あるいは性格や人柄、例えば明朗であるとか快活であるとかというふうなことまでが時として点数化されたり選抜の資料とされてしまうという重大な問題があると思います。学力だけでなく、人格、人柄そのものが点数化され選抜される資料とされてしまうということであります。ボランティア活動、社会活動など、本来自発的な行為であるべきものが事実上の強制になっているという事実もあります。
 また、推薦という行為では、学校と教師が権限を持つことになりますから、生徒たちはひたすらいい子競争に励まざるを得ないということになって、学校生活は自由とゆとりを欠いたものになってしまいます。神戸の児童連続殺害事件の後、NHKで放映されました「十四歳 心の風景」に登場した中学生たちの多くが、先生と、また生徒同士、心を通わせられない苦しみを訴えていたのが話題になりました。彼らは、中学校は格子のないおりのようなところと表現したり、あるいは抜け出ることのできない高圧がまたも今例えられてもいます。不登校や登校拒否の生徒の増加、いじめ問題の深刻化も、こうした中学校生活の深刻さの反映ではないかというふうに思います。
 しかも、一たん推薦されることをあきらめた生徒は、以前にも増して荒れて暴発することになります。校内暴力の件数は八〇年代前半に続いて二度目のピークを記録していますし、ナイフを使った切れる中学生の事件が頻発していることも、これらと無関係とは言えないというふうに思います。
 面接そのものも問題がございますけれども、時間の関係でちょっと省略させていただきます。
 以下、幾つかの項目を申し上げたいと思いますが、第五点としまして、小学校卒業段階で進路や個性の選択はできるのかという教育論や発達論からの問題がございます。
 提案理由によりますと、この法律案は、中等教育の多様化を推進し、生徒の個性をより重視した教育を実現するためであるとされています。しかし、小学校を卒業する段階で生徒たちは自分の個性を発見し選択をすることができるでしょうか。発達論からいっても大きな疑問がございます。小学校段階の児童の中にも、自分なりの得意や不得意、好きや嫌いということが出てくるのは当然のことです。しかし、この段階では個性はまだ十分に決定されたものではなく流動的です。小学校で嫌いであった教科が中学校へ行って好きになったり、不得意と思っていた分野に実は個性的な能力が隠されていたというような事例はよく経験されるところだというふうに思います。
 第六番目は、学校の特色化ということについての疑問であります。
 個性を育てるということは、青年期の教育、特に中等教育では大切なことではあると思っております。しかし、特色化された学校にいわば同質の生徒を集めることによって個性というものは本当に伸長されるものであるかどうかということになると思います。個性を生かした、青年たちが得意なことや好きなことに打ち込むことは勧められてしかるべきだというふうに思います。しかし、それは自主的なクラブ活動や地域め社会教育活動、夏季や冬季の長期休暇などで行っていくことで、とりわけ中等教育の前期段階では可能なことではないかというふうに考えられます。
 また、現在の教育課程をもっと柔軟なものにして幅のある選択を学校の中で可能にすることによって、そうした生徒の個性に対応した教育は十分できるというふうに思われます。
 第七番目は、学校というものの原則的なあり方、民主主義的なあり方に関してであります。
 人間が、その能力においても性格や人柄においても多様であり、かけがえのない個性を持つことは当然であります。学校は、そういう多様で違いを持った人間がともに学習し生活をして、違いを大切に尊重し合いながら切磋琢磨し共同していく場所です。学校のこの民主主義的な性質というものは原則的に大切にされなければならないというふうに思います。
 私は、生徒たちが自分の生きる道を模索し、現代の人類的な課題と切り結ぶ生き生きとした学習をしていくために、全体として学校も教育課程も改革される必要があると思います。そして、そのための多様な学校づくり、実践が展開されることを望みます。教育課程も地域に根差した柔軟な幅のあるものになることを望みます。そういう中で子供たちの本当の個性が育っていくのだというふうに思います。法案のように特色化することは、生徒を分けて学校を種別化することになるのではないかというふうに思います。
 最後に、学校選択の幅を広げて学校制度を複線化するという点についてでございます。
 選択の自由というのは、原則的には、精神としては大切なことですが、現実には能力の高い一部の生徒だけがそれを行使することができる、そういう可能性が強いものだというふうに思います。競争的な状況においては、選択は多くの生徒にとって選抜されることを意味します。不本意入学やあるいは中途退学などが一層増加することがかえって心配されます。
 また、複線化されることで学校の序列化が現在以上に進み、いわゆる困難校や底辺校がいい学校の一方に生み出されることを懸念するものであります。
 委員長初め委員の先生方の慎重な御審議をお願いしたいと思います。
#9
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。
 次に、前田参考人にお願いいたします。前田参考人。
#10
○参考人(前田稔君) 私は、宮崎県県立学校の五ヶ瀬中学校・高等学校の前田稔でございます。
 私は四月一日に赴任いたしまして、現在二カ月になるわけでございますが、二カ月間特にフレッシュな目で生徒たちを見た感想も交えながら、学校の設立の経緯、現状、成果、問題点、課題というふうな順番で意見を述べさせていただきたいと思います。
 学びの森学校設立の経緯でございますが、昭和六十二年に人間性回復の森林を含むフォレストピア宮崎構想というのが発表されました。ほかにリゾート構想とかシルバー構想、こういうものもございます。特にフォレストピア宮崎構想の中の一つとして、学びの森のメーン事業に中等教育の一貫性を重視したユニークな全寮制の学校の設立が挙げられたわけでございます。平成三年度、四年度にはそういうことについての建設構想協議会等が設けられまして、平成五年四月に新設県立学校開設準備委員会が開設されまして、そして平成六年四月に開校した経緯がございます。
 中高一貫六年ということでございますが、今年度がちょうど五年目でございます。つまり、中学校一年生で入学した生徒が現在高校二年生でございます。来年度が中高六年間を経験した生徒がそろうと、そういうふうな状況でございます。
 それで、私が四月一日より赴任しまして、二カ月間の中でいろんな行事がございましたが、主なものを、印象的な場面を御紹介したいと思います。
 本校はいろんな体験学習を重視した学校でございます。それを全体をひっくるめましてフォレストピア学習というふうに言っておるわけですが、その中の一つとしまして、せんだって四月十九日でしたか、わらじづくりを実施いたしました。
 これはどういうねらいがあるかといいますと、先人の苦労それからたくましさ、そういったものを学ぶ場でございます。したがいまして、地域のそういうわらじがつくれる方々に講師になっていただきまして、そしてグループごとにわらじをつくります。中には縄をなうこともできないようなそういう生徒たちもございますが、四苦八苦しながら、おじいちゃん、おばあちゃんでございますが、その方々から手とり足とりしていただきながらわらじをつくっていく姿は非常に印象的でございました。
 そのわらじを履いて、今度は持久力遠足、そういったものに挑戦するわけです。自分でつくった粗末なわらじでございますが、そのわらじを履いて、往復十五キロでございますが、そういう道のりを遠足するわけです。そして、向こうでは飯ごう炊飯を中心とする食を自分たちで準備すると。
 ですから、私はそのときに三つの挑戦というのを生徒に言いました。一つはわらじで挑戦しよう。二つ目は自己、いわゆる自分に挑戦しよう。三つ目は食に挑戦しよう。この三つの挑戦を生徒たちに提案いたしました。
 本校の場合は、いわゆる異学年集団のグループをつくっております。それをファミリー制度と言っておりますが、高校三年生を頭に中学校一年生までの縦の集団をつくりまして、すべての部活動とか寮生活とか学校行事、そういったもので活動しているわけですけれども、特に遠足またはわらじづくりの場での人間関係、非常にほぼ笑ましいものがございました。
 といいますのは、わらじづくりに至るにはやはりいろんな準備がございます。そのときに先輩、高校三年生、二年生がわらの打ち方からそういった下準備をいたします。自分たちはもう経験しておりますので、どういうふうな点が苦労するかというのはよくわかっておりますから準備をしまして、そして特に中学校一年生に対しては前もって自分たちで準備したことを予備知識として与えまして、そして実際のわらじづくりに挑戦する。非常にほぼ笑ましい場面がございます。中学一年生あたりはもうお兄ちゃん、お姉ちゃんに頼り切って、そしてわらじをつくっている姿、こういったものは非常に印象的でございました。
 一つの例でございますが、発見と感動、こういったものがこういう体験学習の中にあるんじゃないか、そして、私たちの先人がつくった文化というか、そういったものを身をもって体験する場にはなるんじゃないかなというふうに思いました。
 それから、中高一貫教育から生ずるゆとりの活用ということで申し上げますと、先ほど言いましたフォレスト学習もそうですが、今回、中学校一年生が田植えをいたしました。これはモチ米でございます。実際、田んぼに足を突っ込むときには非常にけげんな、嫌悪感を感じる顔をしておりましたけれども、一回入ってしまいまして田植えに興しますともう夢中です。一生懸命田植えをしている姿が非常に印象的でございましたが、これは秋になりまして収穫をします。収穫したものを、今度は十二月のクリスマス会というのがあるんですけれども、寮の行事でございますが、そういったところで収穫したモチ米でもちをついてそして食べる。いわゆる生産と、それからそれの恩恵にあずかるというか、そういうふうな体験をさせる。一年生の姿を見ておりましたが、なれてきましたら、泥がもう体いっぱいについても全然抵抗感を示さない、泥だらけになって田植えをしている姿が非常にいいなという感じがいたしました。
 それから、六年間というスパンがあるわけですけれども、その六年間の中高の期間の中で、生徒を見ることもさることながら、親をやはり六年間見られるというメリットがございます。やはりじっくり子供を見ることができる。この子はどんな特性を持っているかな、こんなところにこんな弱点を持っているなとかいろんなことがわかります。親もそうです。親もやっぱりいろいろな教育観を持っていらっしゃいますから、そういう親と接する中でいろんな協議ができるわけです。そういう中で、先ほどから出ておりますが、生徒は高校入試を意識しない。非常にゆとりを持っております。自分をしっかり見詰めます。将来何をするかということをじっくり考えます。
 ですから、例えば一つの例でございますが、高校三年生になりますと、大体普通は自分は何点とれればどの大学に行けるんだろうかという視点で大学を見るわけですけれども、今のうちの生徒の場合は、自分はこういう勉強をしたい、将来はこういった点で世の中において貢献をしたい。一例を申し上げますと、いろいろな研究課題を生徒は持っているわけですが、砂丘についての研究をしたい、今非常に砂漠化が進んでおりますけれども、そこに緑をよみがえらせたいというふうな夢を持っている生徒がおるわけですが、砂丘の研究だったらもう鳥取大しかないということで鳥取大学を選んでいる。そういう進路意識と申しますか目的意識といいますか、それからフォレストピア学習をする中でやはり園芸に非常に興味を持ったと、実際は自分の家ではそんな体験は一切ないわけですけれども、学校でそういう体験をする中で大体そういう方向に進みたいという夢を語り出した。そういう関係でこの子は千葉大の園芸の方に進んでおります。例えば一つの例でございます。
 進路先は、北は北海道から宮崎、鹿児島まで各種多様になっております。医学部もおれば農学部系、工学部系、それから昨年度は私立ては慶応、早稲田、いろいろ行っております。それから教育関係、それから東大も一人出ました。そういうことでもう進路先が非常にバラエティーに富んでいるなということを実感いたします。
 それからもう一点でございますが、性格といえばやはり個性を伸ばすことができる。といいますのは、先ほど申しました寮とか学校での個人指導とか進路希望に応じた指導が十分できるということがあります。
 それから、中高の教育内容を系統化できるといいますか、うちの職員の場合は中学校籍、高等学校籍はございますけれども、すべて兼任、中学校であれば高校、高校であれば中学校という兼任の辞令が発令されておりますので、進度面とか内容面のいろんなむだを省いて系統的に教材を配列できる。そこから生じるゆとり、これをいろんなそういうフォレストピア学習等に生かしておるという実態がございます。
 それから、全寮制による生活体験を通して社会性とか自己管理能力とか自主性、自立性、協調性、忍耐力、それからリーダー性、そういったものが増えるんじゃないかなというふうなことを考えます。確かに中学校一年に入学した時点では、親元を離れて非常にホームシックになるのは間違いありません。しかし、じっと涙をこらえながら夕日を眺めておる。その姿を見て、私たちはすぐ手を差し伸べるんじゃなくて、いわゆる待ちの指導といいますか、本人が本当に自立するのは自分しかないわけですから、そういうふうな姿をじっと後ろから見ておって、今だというときにフォローするというふうな姿勢で職員には指導しましょうということを訴えているところでございます。
 それから、先ほどから出ておりますが、地域の特性、人的な環境とか自然環境を生かした教育課程が展開できるということです。
 例えば、もう既にことしもやりましたけれども、いわゆる海外での良業の体験を持った方を講師に招いたとか、獣医さんに来てもらうとか、それから荒踊りという伝統文化があるんですけれども、そういう踊りの講師を招くとか、それから神楽もございます。そういった方々、それから特に和太鼓については町の青年部の人たちが非常に積極的に指導していただいております。そういった地域の特性、いわゆる人的環境とか自然環境を十分生かすということです。
 それから、生徒に毎年学校生活についてのアンケートをとっているんですが、今のところ九八%は満足しているというふうな回答を得ていることについては非常にうれしゅうございます。
 寮での生活は、ハウスマスターという教諭がおります。六人おるわけですが、それを頂点とした先ほど言ったファミリーという集団がございまして、その中でいろんな教科面、生活面の指導をしていただいておりますので、非常にそういう意味ではファミリー、つまり教師がおやじです、そして一番上が長男坊です、高校三年生が長男になる、一番下が末っ子です。遊ぶときも、それからいろいろな学校行事でもその縦社会のファミリーでもって行動する中で、より縦横の幅広い人間関係ができるんじゃないかなというふうなことを考えております。
 最後になりますが、問題点とか課題になりますけれども、六年間の教育の中で人間関係がある程度限定されるんじゃないかなとか、長期修学期間から中だるみが出てくるんじゃないかということが懸念されるわけですけれども、この期間を中だるみではなくてゆとりとやはりとらえたい、そういうふうに思います。
 今後も個性の伸長とか個性の発揮の場の提供を十分行いながら、さらに教育課程の工夫には努力してみたい、創設の理念を大事にしたいというふうに考えています。
 それからもう一つは、子供が親離れするのは割とスムーズにいくんですけれども、逆の場合、親かいつまでも子供にくっつくというふうな状況は確かにあります。しかし、これは少子化の現在の中ではいたし方ない面があるのかもしれませんが、県下全域から来ている生徒たちのことを理解していただくために地区会を設けておりますが、やはり県下に散らばっておりますので、こちらは出前の精神でいこう、来ていただくんじゃなくてこちらから行こうという形で学校の教育理念等を理解していただいている状況がございます。
 それから、中学校、高校六年間の教育を受けた生徒が来年度で一応高校三年生になるわけですけれども、この二、三年が正念場だなというふうなことを感じております。いよいよこの学校もひとり立ちをしなければならない時期が来ておりますから、やはり行政面からいろんな角度からバックアップをしていただきたい。いい面を伸ばしたいというふうなことを感じておるわけですけれども、もう一つの課題とすれば、フォレストピア学習というものと既存の学習の関連性といいますか、客観的に数値的に出せるかどうかわかりませんけれども、そういうものをもう少し関連性を見てみた。いというふうなことを考えております。
 中だるみが懸念されるということも先ほど言いましたけれども、一応中一、中二を基礎期、それから中三、高一を充実期として、高二、高三を発展期ということで、特に発展期の段階で今まで勉強して培ってきたことをもとにしながら研究課題発表をするわけですけれども、いわゆる卒業論文みたいなものですが、非常にユニークなものがあります。後でまたもし必要があれば御紹介したいと思います。
 以上で終わります。
#11
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 なお、参考人の皆様方にお願いを申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べをいただきますようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
#12
○長谷川道郎君 自由民主党の長谷川道郎と申します。
 参考人の先生方には、本日、大変貴重な御意見を御陳述いただきまして、まことにありがとうございました。
 ことしは明治五年の学制発布から百二十五年でございます。私は新潟県の小さな農村の出身なのでありますが、私の地方の農村でも明治五年に驚くほど立派な学校をつくっているんです。当時、恐らく貧しかった小さな村で驚くほど立派な学校をつくる、言ってみれば当時は教育のビッグバンであったと思うんです。そういった意味で、今教育改革を私どもは目指そうとしているわけでありますが、この教育改革がうまくいくかいかないか、二十一世紀の日本を大きく決定することであるというふうに考えておるわけでございます。
 まず、児島先生に第一点をお伺いいたしますが、それだけが目的ではありませんが、今回の中高一貫教育に期待することの一つとして、受験競争を免れるという側面があるわけであります。先ほどいろいろお話にもございましたように、一部の子供が受験競争から解放されるがほかの子供たちはそのままではないか、そういう御批判があるということは先生のお言葉にもございました。そのために高校入試を改善するということでいろいろ御検討されているようでございまして、選抜方法の多様化、評価の多元化というお話がございました。その中に、自己申告ということが先生のお言葉の中にございました。この点、高校入試改善全般の問題についてお触れいただいても結構でございますが、その自己申告という点についてちょっとお伺いいたしたいと存じます。評価の多元化ということでお触れになりましたので。
#13
○参考人(児島邦宏君) さまざまな個性を子供たちに発見し伸ばしていこうというわけであります。従来の高校入試の場合は、どちらかといえば学力検査、要するに知識をどれだけ覚えたかという量によって、端的に言えば子供たちを見ていた。その人間の持っているいろいろな能力から見ますとごくごく一部分でもって全体をはかってしまうという、そういうような傾向を持っていたんではないか。さまざまな個性を持った子供たちを育てていこうという場合に、子供たちを見る評価の尺度なりなんなりを多元化し多様化していく、いろいろな面から子供のよさを見つけ出し伸ばしていけるという、こういうふうなところに評価のあり方、また入試のあり方を基本的に変えなければいけないというのが高校入試についての基本的な考え方でございます、推薦も含めまして。それから、最近はペーパーテストといっても随分内容が変わってきておりまして、考える力を見ていくようなペーパーテストが随分各都道府県で行われてくるようになっております。
 それから、答えが一つであるというのは、これは学校だけの世界でありまして、世の中たくさんの答えがあるわけでありまして、必ずしも答えが一つでない試験問題をつくったりという形で、要するに子供たちの持っているさまざまな資質を多様に見ながら、そして子供たちの今後こういうことを学習したいという意欲にこたえていくという、こういうような方向へ入試を変えていこうというのが高校入試、大学入試も含めましてですけれども、基本的な中教審の考え方として出したものでございます。
#14
○長谷川道郎君 ありがとうございました。
 今の受験の競争は大変深刻な状況にある。実は、私も中学三年生の娘が一人おりますので、もう大変な状況であるというのはよくわかっている、承知をいたしておるんですが、小学校、中学校、高校のそれぞれの受験の段階で本人それから家族が大変な思いをしておるわけであります。
 今の受験競争の一番の原因、原因といいますか、もとは要するに大学の入試であると思うんです。いい小学校に入るのはいい中学校に入るため、いい中学校に入るのはいい高校に入るため、いい高校に入るのは大学受験に都合のいいためということになると思うのでありますが、今、先生もちょっとお触れになりましたが、中教審とはあれですけれども、大学受験のあり方について何か先生の御意見がございましたら御披瀝をいただきたいと存じます。
#15
○参考人(児島邦宏君) 大学受験につきましても同じような考え方で、最近は推薦入学制度、学びたいという意欲なりまた高校で具体的にどういうような学習活動をしてきたかということを重視しながら推薦の枠等を広げまして、入学試験をそういう方向へ変えていこうというのが広がっておりますし、そのことを提唱しております。中教審も、また別のところでも指摘しましたように、そうでありながらある特定の幾つかの大学においては必ずしもそうでないということが大学における入試を改善する上での問題点をはらんでいるというところまで踏み込みまして、大学入試のあり方自体を現行のままでの学力テストに非常に傾斜したやり方でよろしいかのかどうかと、ここのところをやはり変えない限り全体が変わっていかないのではないかというふうな考え方を持ちまして、答申の中で入試改善を提唱したわけでございます。
#16
○長谷川道郎君 ありがとうございました。大学の入試改善は、それはそれぞれ大変難しい問題であると思うのであります。
 次に、先ほど先生のお言葉の中にあったと思うのでありますが、今回の中高一貫に対する批判の一つとして、エリート化するのではないか、そういう弊害があるという批判があるわけであります。エリート化というのは私は言葉が悪いと思うんですが、画一的に一列に並ばせることではなくて個性や適性を伸ばすということではいいと思う。エリート化という言葉は、再々申し上げるようにいい言葉じゃないかもわかりませんが、均質社会、均等社会からある程度の競争の原理がある、一般の社会ではもちろん競争の原理があるわけでありますから、学校の中でもそういう個性を伸ばすシステムがあってもいいのではないかと思うのでありますが、いかがでございましょうか。
#17
○参考人(児島邦宏君) 基本的には教育というのは二つの側面を持っておりまして、日本の国民として共通に学ばなきゃならない部分としての共通性の部分と、もう一つは一人一人の子供の持っている持ち味と申しますか、その人ならではの個性というものを十分に伸ばしていこうという、この両者のバランスを一体どういうふうにとっていくかというのが教育の基本的なあり方であります。
 義務教育段階におきましては、どちらかといえば国民としての共通の力をしっかり養っていこう、その上に立ちまして最近中学校では、個性の伸長ということをより強めていくということで選択履修幅を拡大していこうというふうなところへ行っているのではないかと思います。
 この中高一貫教育も、そういう意味では、中学から高校へという一番自分を見詰め、社会の中の一員として自分を確立していく、答申では「自分さがしの旅」というふうに言いましたけれども、自分が何者であるかを探しながら一人前になっていくというのが青年期の教育であります。中高一貫教育は、そういった次代を担う子供たちが自分を見ながら、さまよいながら、考えながら、または社会とかかわりながら世の中に一人前になって出ていく、そのことを助けていく。そのためにはゆっくりと自分を見詰めたり、考え事をしたり、いろんなことをやってみたりという、こういう一つのゆとりというのがどうしても必要だろうと。こういうものに資する中高一貫教育を必要とするという、こういう考え方で中高一貫教育の個性というものをとらえたわけでございます。
#18
○長谷川道郎君 ありがとうございました。
 続きまして、太田先生にお伺いいたしますが、先ほど太田先生のお言葉の中で、すべての高校で入試をなくするという善言葉がございました。それについてちょっと御説明をお願いできますでしょうか。
#19
○参考人(太田政男君) 入試が果たしている役割については、先ほど申し上げたようなことでございます。
 今少子化ということもございまして、子供の数が減っていて、地域的な偏りはございますけれども、事実上、高校に全員入学できるような土台ができつつあるというふうに思います。高校については、また戦後直後の教育改革の中では、将来は、言葉がいいかどうかわかりませんけれども、準義務化するというふうにもうたわれていたわけでございまして、希望する者が全員入学できるということを今制度的に保障することが必要なのではないかという意味でございます。
#20
○長谷川道郎君 先生の著作の中でも高校全入についてお触れになっていらっしゃいます。
 ちょっとよくわからないんですが、今実際もう九七%、八%という中学生が高校に進んでおるわけで、ほぼ高校全入の状態であると思うんです。入試をなくしますと志望する高校が偏るということが当然出てくるわけで、何々高校に私は入りたいという人がいっぱい出てくる。これはどういうふうに選別をすることになるんですか。
#21
○参考人(太田政男君) まず、私は、大きな枠として全員が高校に行くということを言っておるのでございまして、現在の状況の中ではおっしゃるような状況がありますし、特に後期中等教育段階では学科の存在もございまして一定の分化もありますから、何らかの選択をするという局面はあろうかと思います。
 しかし、そうでない地域やそういうことの必要のない地域や学校もあるわけでございまして、その点からしますと、学校教育法施行規則五十九条の入試を必ずしなければならないというような規定をまず撤廃するというふうなことが第一の取っかかりとして考えられるかというふうに思っております。
#22
○長谷川道郎君 地方で選抜の必要のない学校、確かに競争率一・〇なんという学校もあるでしょうが、例えば、このすぐ裏に日比谷高校という学校がありますが、日比谷高校には募集百人に対して三百人、五百人と恐らく来るわけです。現状は全入状態でありますが、依然としてそういう状況が続くと思うんです。いずれそういう状況をなくする、例えば入試をなくするというようなことになりますと、中学生の段階で進路指導を強引にやらざるを得ないということもあると思うんです。中学三年生のとき、例えば何々高校に進学したい、しかし君はやめなさい、何々高校に行きなさいという強引な進路指導をせざるを得ないということもあると思うんです。
 そうなりますと個性や希望が無視されるというケースも十分考えられる、それはむしろ今の高校選抜入試制度よりも私は弊害があるのではないかと思うのでありますが、その点はいかがでございますか。
#23
○参考人(太田政男君) 強引な進路指導ということでいえば確かにおっしゃるようなことがあろうかと思います。ですから、そこのところはいろいろ段階的に考えていかなくてはいけないというふうに思いますけれども、一つの学校だけに集中するような状況をまずなくすことが必要でしょうし、それから中学校の進路指導は本当に時間をかけて、それこそ生徒たちが自分の個性を十分発見できるような丁寧な教育的な手だてが必要だと思います。
 しかし、それは強引な囲い込みや何かになってしまってはいけないので、直ちにそういうところへ行けるというふうに考えるのは難しい状況があるかもしれません。
#24
○長谷川道郎君 さらに、高校全入の問題で、希望者全員に高校教育の場を与えるのは歴史的な課題であるという先生の著作の一節がございます。その中で高校全入に向けて地域での取り組みというお話が出ています。これは具体的に地域でどういうふうに高校全入問題にお取り組みになるのか、お伺いいたしたいと思います。
#25
○参考人(太田政男君) どの文献であったかちょっと覚えておらないんですけれども、今は、教育課程もそうでありますけれども、入学者選抜も各学校が行うというふうになっております。いわゆる単独選抜ということでございますけれども、それを地域全体に広げて地域の学校制度全体として子供たちを受け入れるように、お互いの学校が連絡をとり合ったりして地域の制度として中等学校を考えていく必要があるのではないかということでございます。それから、中学校と高校の連携もその場合課題になってくるかと思います、
#26
○長谷川道郎君 大変ありがとうございました。
 続きまして、前田先生にお伺いいたします。
 中高一貫で十二歳から十八歳までの子供さんが同じ学校で生活、また勉学をされていらっしゃるわけです。十二歳から十八歳といいますと急速に成長する時期であると思うんです。一年生と六年生が同じ学校で同じ場で生活することに違和感がないのかなという私はいささか疑問がある。
 実は私は小中一貫校の出身なんです。小中のころは成長の過程、成長のスピードは遅いんですけれども、それでも、中学生のころ、小学生を相手にしますと極めて同じ学校の中での違和感というのはあるんです。
 そういった点は、恐らく十八歳ぐらいになるとひげも生えているような生徒さんがきのうまでランドセルをしょってきた子供さんと一緒にやるわけですから、そういうところでの違和感、問題点は何かございませんでしょうか。
#27
○参考人(前田稔君) 確かに、体格にしろ考え方にしろ、成長の著しい時期でございます。確かに入学生は本当にかわいい状態ですね。高校生になりますと本当にもうひげも生えてということがあるわけです。だから、普通の学校であれば、この縦のいわゆる人間関係は部活動以外は余り経験できないんじゃないかと思いますけれども、中学校一年生と高校三年生、これがやはり寮生活とかいろんな学校行事で、クリスマス会とか寮生活の中の寮行事がございますけれども、そういうところで一体になるというのはやっぱり生活をともにしているからだと私は思います。ですからやはり、いわゆる上の子は下の子を教えながら自分でリーダー性をつけていく、下の子は上のいろんな利点を勉強しながらちょっと背伸びしながらでも伸びていく、こういう人間関係が確かに利点としてあるんじゃないかと思います。
 違和感は最初はちょっとありますけれども、後はもう本当にすばらしい人間関係ができていると私は思っています。
#28
○長谷川道郎君 最後に、前田先生の学校は、大変入学希望者が殺到した学校であるわけでありますが、入学の選抜について特別にいろいろお取り組みのようでございますので、短い時間でありますが、できましたら一、二分で御説明をお願い申し上げます。
#29
○参考人(前田稔君) いわゆる自己表現力とか本人の特性等を見るというのはなかなか難しい面があるかもしれませんが、個人に対して課す問題としては、自分の体験から見た我が郷土、ふるさとをどう思うかというふうな作文、それから個人の面接でございます。それから集団に課す課題としましては、奉仕活動の計画書づくり、八名ぐらいのグループを組んでその中でいろいろ話し合いをさせる、その中できらりと光るようなもの、そういったものを発見するというやり方でもって選考しています。最後は、例えば昨年が三百三十二でしたか、そのうちの六十名ぐらいを一次で採りまして、あとは抽せんということになります。そういうやり方をしております。
 受験の低年齢化ということを防ぐ意味でそういうようなやり方をしているというふうに私は聞いております。
#30
○長谷川道郎君 済みません、それじゃあと一分だけでお伺いします。
 今大変問題になっておりますいじめですとか登校拒否等の問題。私たちが子供のころだって、それはいじめもありましたし、学校に行きたくないというのもあったわけです。ただ、今みたいにそれがナイフになったり殺人になったりということはちょっと私も考えられない状況なわけです。子供らの学校嫌いというのは子供にとってはもう何百年も昔からあったわけでありますが、いじめとか登校拒否という問題、学校では何かそういう事例というか、お悩みがございますかどうか。
#31
○参考人(前田稔君) やはりリーダーになるのは高校三年生または二年生がいるわけです。その人たちも横のつながりがあるわけですね、同じクラスが四十名しかおりませんので。ですから、自分のファミリーのいわゆる人間関係というのに責任を持たなくちゃいけないと。だから、当然人間が生活すればいざこざもございます。しかし、やっぱり上の子がそこで入り込んでいって、どうなんだ、この問題はどうかと入り込んでいっていろいろ問題解決の相談役になってくれます。横同士だったらけんかになったり、非常にいざこざが拡大しますけれども、上が入ってくるとちょっとおさまるとか、そういう好ましい人間関係はあるかなというふうに思っております。
#32
○長谷川道郎君 ありがとうございました。終わります。
#33
○小林元君 民主党・新緑風会の小林元でございます。
 きょうは、お三人の参考人の方々御苦労さまでございます。大変貴重な御意見をいただきまして本当にありがとうございました。
 まず最初に前田参考人にお伺いしたいんですけれども、この学校は、全国に先駆けて、大変苦労をされているんじゃないかと思っていますし、世間の注目を集めているから校長先生初め教職員の方々も緊張感というか、立派な運営をされているんじゃないかなと推測するんです。
 こういう中高一貫、普通の一貫校と違って全寮制という問題があるわけで、ゆとりの教育ができるというのは、六年間の学習の中でのゆとりと、それから夜というんでしょうか、一日一緒にいる、二十四時間一緒にいるという部分も大分あるやに思えるんですが、その辺はどうなんでしょうか。
#34
○参考人(前田稔君) 確かに夜昼一緒に行動する、昼は学校生活でございますので同一学年の生活が主になりますが、夜は寮生活ということになります。その生活の中で人間関係が豊かになるということについては先ほどから繰り返しているわけですが、例えば具体的に申しますと、一回家に帰ることがございます。そうすると、自分の前の学校の生徒たちがもう中学校二年生ぐらいになりますと受験とかなんとかを意識して塾に通ったりしている姿を目の当たりにするわけです。それを見たときに、自分も何かしなくちゃというふうなちょっと焦りを感じることがあるそうです。
 しかし、そうじゃなくて、これから先、高校を卒業するときに自分の進路を決めればいいんだというふうな、長い目で自分を見ていこうということで寮生活にしろ学校生活にしろ考えていこうと指導しておりますから、中学校二年生ぐらいになりますと自分自身で解決できるといいますか、大分考え方がそういうふうな方向に動いていく姿があるというふうに私は考えています。
#35
○小林元君 今、まだ中学一年生から入って高校三年、卒業生はいないと、高校から入っての卒業生はおられるわけでございますが。
 大学受験に関して、エリート校化というような心配を皆さんしているわけですが、こういう問題に対しては学校としてどういう特別な取り組みをするのかしないのか、あるいはゆとりの中で何かおやりになるというか、そういうことがありましたらば。
#36
○参考人(前田稔君) 先ほどちらっと申し上げましたけれども、生徒は森林学とか環境科学とかいろんな特別な教科を勉強する中で、自分で三年間または六年間で研究課題を見つけるわけです。その課題についての問題解決それから結論を導くためにいろんな研究を日ごろやっているわけです、例えば申し上げますと、五ケ瀬の天気予報とか、それから土壌と周囲の環境への影響とか、それから月と動物の出産の関係、こんなちょっとおもしろい、ユニークな研究をしていくわけです。
 それは何かといいますと、先ほど砂漠の話をしましたけれども、自分がこれとひらめいたものを突き詰めて自分なりに研究していくというその姿から自分はこういった方向を勉強したいなと、高校二年生ぐらいからそういったことを意識しているんじゃないかと思います。校長室に掃除に来た子にちょっと聞いてみますと、私は福祉関係でしっかりやっていきたいと思いますとか、私は映画製作者になりたいとか、そんな言葉がすぐ返ってまいります。だからその子は、この前もNHKの取材があったんですけれども、ディレクターの後をずっとついて回って、どんなことをしていらっしゃるのかと、すぐ行動に移すといいますか、そういう非常にアクティブな生徒が非常に多いような感じがいたします。
 ですから、目的意識というのがそういう体験の中で自然に芽生えてくるといいますか、したがいまして大学入試を意識するときもそういう自分の将来の展望といいますか、そういったもので選択していく姿があるというふうに思っています。
#37
○小林元君 それぞれの生徒がやる気を出して自分の進路を見つけるというようなことを聞いて、大変いいことだなというふうに感激をしております。
 それからもう一つ。
 先ほど、要するに前期、後期といいますか、中学、高校の連携、余り重複をしないとか、効率的というとちょっとまずい表現なのかもしれませんが、ゆとりを生み出すことができるというお話があったわけでございます。現行の制度では学習指導要領、教育課程といろいろありまして、それをやるというんですが、五ケ瀬の場合には先生方同士が緊密に打ち合わせをしてやると。打ち合わせなり、相談、協議というものが相当大変なんじゃないかなと。むしろこういうことは、上から一貫校用の指導要領をつくれという声もありますけれども、その辺はそういう官製でやらずにそれぞれの設置者といいますか学校でやる、この辺の選択、どちらがいいものだか教えていただければと思います。
#38
○参考人(前田稔君) 現状をちょっと申し上げますと、特に理科とか数学あたりの非常に段階的に系列的に学習しなくちゃならない教科等については、この教材については高校のここでやるから、じゃ中学校の三年ではこの程度に抑えておきましょうやとか、省略とか軽くするとか、そういうふうな教材の相乗り入れといいますか、そういったことを十分やっているようです。理科なんかでもたしかそういう動きがあります。
 したがいまして、高校の先生が中学生を教え、中学校の先生が高校生も教えるわけですから、そこらあたりの教材のつながりといいますか、そういったものは段階を、やっぱり中高の中でどうしても橋渡しの部分があったり導入の部分があったりするわけです。中学で習ったことをもう一回ちょっと勉強してから高校に入っていくというような部分もありますから、そこあたりを省いて、そして今ここはやらなくていいから、高校一年の二学期の段階に押さえましょうやとか、こういう話し合いが常になされていますから、同じ時間をかけてももう少し深めた授業ができるといいますか、そういった利点はあるんじゃないかなと思います。
#39
○小林元君 全国から注目を集めておりまして皆さんも大変だろうと思いますが、先導的役割ということはそれとしてこれは消すわけにはいきませんけれども、どうぞこれからも頑張っていただきたいというふうに思っております。
 それから、太田先生にお伺いしたいんですが、先ほど選択肢を広めるということについてはいい方向であるというようなお話もございました。しかし、全校で一斉にやるというんではなくて、本当に少数でやるということになるとどうしてもエリート校化というんでしょうか、そういうお話がございました。
 今回、答申の中でもいろんな条件をつけてそうさせてはいけないということになっています。ただ、法律の中では必ずしも具体的にそういう歯どめは確かに決まっていない。きのうもそういう議論をしたわけです。その辺の御心配、要するに防ぐ方法、エリート校化とか受験の低年齢化とかそういう問題を排除して選択肢を拡大する、そしてやがては全校といいますか、そういう方向もあるのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
#40
○参考人(太田政男君) 共通と選択ということの関係は、教育学研究でも大変大きな問題の一つでございまして、論争もあるところでございます。先ほど児島参考人もお話しのとおりで、ごく大まかな了解としては、年齢の小さいときは共通部分が多く、次第に個性に合わせて選択部分がふえていくということだと思います。
 特に、中等教育では自分の好きなことや、やりたいことを思い切って集中してやるという場面も必要だというふうに思いますが、私は、なるべく共通の基盤に立って、できれば一つの学校の中でやることが望ましいのであって、そうした特性や個性を小さく分けて、学校によって分けていくということに問題があるのではないかというふうに考えているわけです。学校によって特性や個性を分けて、同じような子供たちだけを集めていいのだろうかという疑問でございます。
#41
○小林元君 そういうふうに考えた場合、これまで先生の書いたものを読ませていただいたんですが、新自由主義思想の中で公立改革をしようとする、例えば公立か競争かというふうに書いてあったのを見たわけでございます。
 ただ、今いろいろと問題になっているのは、履き違えた自由だとか画一化され過ぎた平等というんでしょうか、あるいは履き違えと言ったらいいのか、そういうどこを切っても同じ金太郎あめのような学校というイメージ。序列化はだめだけれども、同じ学校にしてしまうという中で本当に個性は育つのだろうかというような考えもあると思うのですが、いかがでしょうか。
#42
○参考人(太田政男君) 個性や特色というときにどういうことをイメージするかによって違いますけれども、私は、例えばいろいろな分野によって分けるということは問題だと思います。それぞれの学校が地域やそこに集まっている子供たちの特性を考慮し、また先生方や父母の教育の目標や理念によって多様な学校ができるということはあり得ることというか、むしろ望ましいことだというふうに考えております。
#43
○小林元君 児島先生にお伺いしたいと思います。
 今、太田先生に聞いたことと同じなんですけれども、選択的な導入ということで、すべてではやらないと。一貫校はいろいろメリットはあるんだけれどもデメリットもあるという中で、先ほど来、答申の中でもいろいろ触れられております。ただ、これは法的にはすべて保障されていない。そういう議論はされ、答申にも書かれて、こういう方向に行っては困る、低年齢化だとか受験競争をしてはいかぬとか学力試験をやらないとか、いろいろなことが言われております。あるいは大学でもこういう一貫校の卒業生をうまく採ってくださいよというようなことまで大分丁寧に書いてあるわけです。ただ、これは法的な保障というのは何もないわけです。設置者がそういうことをこれから努力して築き上げていって国民の信頼を得る、そうすれば広まっていくだろうというようなことがあるんですけれども、その辺はいかがでしょうか。もっと法律的に書き込むべきだというような意見も多いと思うんですけれども。
#44
○参考人(児島邦宏君) 現行の高等学校の入試、入学についての規定等につきましては、たしか学校教育法施行規則の五十九条だったと思いますけれども、どういうふうな入試を行うかということで、都道府県が行うとか、それから校長が入学を許可するとかという規定がなされております。それは文部行政上の問題かもしれませんけれども、私どもはこの趣旨を検討したわけでございまして、そこらあたりの歯どめを何とかきちんと立ててほしいというところまで審議会では討議いたしました。
 できますれば、現行の学校教育法施行規則の中で、小学生が中学校の入学試験を受けるわけですので、その試験のあり方とかなんとか、生じるおそれのあるものを排除できるような形での試験のあり方なりなんなりを規定していただけないかというのが私個人の考え方でございます。
 それから、受験エリート化しないということをねらいとする中高一貫学校ですので、ここでじっくり自分の興味・関心、力を伸ばした子供に対しては、いわゆる現在の大学受験向きの学習は恐らくしないかもしれませんので、そうしますと、そういった子供はこういう学習をしてきたというよさを認めて推薦で大学へ入れる道をつくるとか、そういうふうな方向をやはり制度的に何らかの形で保障できないものかというふうな考え方を持っております。御指摘のとおり、この法律の中においてはそのことは規定されていないのではないかというふうに受けとめております。
#45
○小林元君 先ほど児島参考人からもお話がありましたが、選択的な導入をする、選択肢を広げるというようなことで一貫校をとらえているわけでございます。文部省といいますか国としても、これは設置者にお任せで、どれぐらいつくるとかどういう将来展望を持ってというのではなくて、制度的にこういうものはできるんだよ、今回つくっただけであとは地方に任せるという考えが非常に強いわけです。
 地方分権の時代ですから、これから地方がそういう形でどんどんやっていくということであればいいんですけれども、それはそれとしまして、国として将来構想というか展望というか、せめてそういうものがあってしかるべきではないかと思うんですが、なかなかその辺は文部省もはっきりしませんで出てこないわけです。その辺について、お二方から御意見をお伺いしたいと思います。
#46
○参考人(児島邦宏君) この中高一貫学校というのは、先ほど申しましたようにいわゆる三つの形態がございます。非常に級やかな形で申し上げますと、現行の市町村に置かれている中学校と都道府県立の高等学校とが連携を図るという非常に緩やかな形態から、一つの学校でという先ほどの五ケ瀬中・高等学校みたいな形までさまざまな形が考えられております。
 そういう意味では、やはり青年期の教育をこういう形で、子供の育つ過程に即しながら一貫した学校をつくっていくという趣旨は、都道府県におかれましても十分に御理解いただいて、こういう趣旨から学校をつくっていく、そのことについて保護者の方々等に御理解いただければその要求は強まるだろうし、今後中等学校がそういう形で広がっていくだろうというふうな考え方を持っております。
 逆に、こういう学校をつくりなさいという形で中央の教育行政機関が指示することは、やはり子供の個性から出発したものでありまして、子供から発想しようという学校制度なものですから、行政の方が主導権を握ってやっていくということは、どうも学校の性格とも必ずしもそぐわないだろうし、そこらあたりはむしろ任せながら、今後必要性があれば膨らんでいくという方向に行くのではないかというふうな考え方を持っております。
 逆に、指導すればするほど画一性を強めて趣旨と逆の方向に行ってしまうのではないかということで、現状においてはこういう形で歩き始めて、国民の評価によってまた決まっていくということが望ましいのではないかというふうに考えております。
#47
○参考人(太田政男君) この間の中等教育学校に係るさまざまな改革、単位制高校でありますとかあるいは総合学科あるいは高校入学者選抜制度の改善など、いずれをとってみましても非常に全国画一的に行われて、そして先ほどお話しのような画一的な学校がつくられていくというふうなことがあるわけでございまして、そのことを大変に私は危惧しております。
 おっしゃるように、本当に地域の状況に合った学校制度づくりが地域の方々の総意でつくられることを望みます。
#48
○小林元君 終わります。ありがとうございました。
#49
○松あきら君 きょうはお三人の参考人の先生方、お忙しいところお出ましをいただきましてありがとうございます。
 今、それぞれの先生方からお話をじっくりと伺わせていただきました。私も、今学校という場所が再構築をされなければいけないということは本当に骨身にしみて感じておるわけでございます。いろいろな問題が起こっております。これはやはり、今の中学校から高校に入るこの大事な時期の受験ということが子供たちに大きな影を落としていると。
 そして、それぞれどの先生方からもゆとりというお言葉を伺いましたけれども、今のこれはお三人の先生に申し上げるというよりも、文部省の学習指導要領のあり方、この前も私は文部大臣にも申し上げましたけれども、小学校一年生の国語、例えば漢字はなぜ百文字にならなきゃいけないのか。毎日毎日十文字ずつミニテストを行わなければついていかれない。これはアンケートによりますと、中学へ入った時点で英、数、国とも授業が半分しかわからないという生徒が三割に達しているという状況なんです。この間、テレビのNHKの教育番組で、中学の現場の先生方が八人ぐらいお出ましになった生番組でも、先生方からは、実はもう入学したと同時ぐらいに半分ぐらいの生徒が授業についていけないんだと。だから、それこそ重い荷物を背負って、浮かない顔をして登校してくると。そもそも小学校からそういう状況をつくっているという文部省のあり方、これ自体が私は何かが狂っちゃっているんじゃないかなというふうに思います。
 それで、私は今の五ケ瀬中学、前田先生のお話も伺ってすばらしいなというふうにつくづく思いました。私も、宝塚というところで団体生活をしまして寮生活もしたもので、何というんですか、同じ学年の生徒が集まるんじゃなくて、今、先生がおっしゃったように一年生から六年生というんですか、中学一年から高校三年という年齢の幅のある人が一つの校舎、寄宿舎で生活するということは非常にいいことであるというふうに思うんです。しかし、いろいろ伺っていると、これは非常にうらやましい。やっぱり富崎県だからできるのではないか、もし東京の真ん中にこれをつくった場合、このような自然環境に恵まれるかなということをつくづく思うわけです。
 東京の都立世田谷工業高校に設けられた附属中学、これは一九五九年に開校しました。同中高のねらいは、六年間にわたってじっくり工業教育を、このごろやっぱりなかなか工業高校へ進む人もいないという、有能な技術者を育てるというすばらしいことだったわけでございます。そして、附属中の入試に合格すれば世田谷工に無試験で入れるために、保護者の関心が非常に高くて開校直後の受験倍率は三倍以上になったわけなんです。しかし、志願者が年々減りまして、廃校直前には一クラスを編成するのが精いっぱいであって、七三年には廃校に遣い込まれたということなんです。
 それで、こういうふうに言っていらっしゃるんです。「そもそも本校は、一部の教育行政屋の単なるアイデアから出発した。教育法令を無視した、まことにけったいな中学校であった」「一皮めくれば、教育行政屋の単なるモルモットでしかなかったわけである」と。今回の中高一貫校設置の動きに対しても、アイデア先行で、理念や哲学が構築されていないという批判もあるわけでございます。
 私は、中高一貫という、私自身も実はそういう学校だったわけでございますけれども、これはすばらしいとは思うんです。思うけれども、今文部省が何を具体的に目指しているのか、これをつくったこと、その理念というのがとっても見えにくいというふうに思うんです。何かアイデアが先行して、中高はいいことだからとにかくやってごらんよと。児島先生もお触れになりましたけれども、必要性があれば膨らんでいくということで、何かお任せして仮に失敗しても仕方がないんじゃないかどいうような、ちょっとそういうのが文部省に、行政屋なんて言ったら申しわけないんですけれども、見えるような気がするわけです。
 新しい学校種を設けてゆとりのある学校生活の中で児童生徒の個性や創造性を伸ばすということですが、今まで私たちが高度経済成長社会を通して歩んできた社会というのは、終身雇用制も確保されているという社会でしたし、どちらかというと教科書を丸暗記して知識を詰め込めば何とかなるという社会でした。しかし、終身雇用制は崩壊の兆しがもちろん始まっておりますし、決して社会も均一な人材を必要としておりません。やはり個性というものを非常に求められるようになってきて、企業も、学校さえ卒業すれば企業が人材を育てる、そういう時代でもないという即戦力のある状況、こういった社会変化や何かが大学の改革や高校の多様化を求めているんだと思いますけれども、今回のこの法律に関して、どう社会に使命を果たし得ると思われるのか、児島先生と前田先生にそれをお伺いしたいと思います。
 長くなって済みません。
#50
○参考人(児島邦宏君) 基本的な理念がないと言われると大変困るわけでございまして、これからの変化する激しい社会の中に子供たちは身をさらすわけでありまして、この社会の変化に押しつぶされたり流されたりするのではなくて、しっかり世の中を見てどり、自分の力によってこの世の中を渡っていけるといいますか歩いていける、こういう力を子供たちに育てる必要があるだろうということで、生きる力を育てるというふうな考え方を出したわけであります。
 こういう生きる力というのは、これまでのどちらかといえば知識の量によって力を見ていたという教育から、そうではなくて世の中の動きをしっかり見てどり、判断し、考え、みずから行動し、責任を持っていくという、こういう一つの自立した人間像を求めて教育をしていく、それは個性とか創造性という言葉にも置きかえられるわけであります。別の言葉では、人間の主体性というものをきちんと育てよう、そうでないと先行きこの世の中大変なことになるのではないかというふうな考え方が基本にあるわけであります。
 こういうふうな、子供たちが育っていく上で一番成長の激しい青年期の教育を一体どう考えるのかというのが中高一貫教育についての期待でありまして、この時期を受験教育によって分断し、または受験に追われて自分のことも考える時間がないという、こういう一つの育ち方は我々大人の側の大きな責任ではないかということで、みずから学び、みずから体を動かしながら世の中を見てどり、こういうふうな生きる力の基本を育てたいというのが中高一貫教育の基本的な考え方であります。
 したがいまして、現在一部の私立学校で行われているような、六年間の学習を五年間でやってしまってあと一年は受験準備教育に当てるという、こういうような教育の姿をいかにして我々が求めている学校から排除するか、いわゆる受験エリート化しないかというのはそこら辺にありまして、そういうふうな学校でない形でのしっかりとゆっくりゆとりを持って、ゆとりを持ってというのは人にああだこうだと言われながら学習をするのではなくて、自分の考え方によって、自分の興味・関心、やりたいことを、自分の個性を大いに発揮して自分で時間をつくり出しコントロールしていく、こういう学習をゆとりというふうに私たちは呼んでいるわけであります。ゆとりというのは、黙って空を眺めているのがゆとりではありませんで、子供自身が時間と活動を自分でコントロールするということをゆとり生言いまして、そういうふうな学校がぜひとも青年期の教育として必要ではないか、ここが中高一貫教育に期待している部分であります。
#51
○参考人(前田稔君) 私も今の部分に非常に同感する部分がございます。教育にはやはり鍛える部分と、それからそういう能力を培っていく部分というのがあるんじゃないかと思います。人間として最低限必要な知識、理解、これは大事な部分でございますので、やっぱりこれは覚えなさい、これは覚えないとこの次には行けませんよというのは確かにあるんですね。だから、鍛える部分を全く否定しているわけじゃございません。しかし、ただ知識をどんどん注入して知識で頭でっかちになることではなくて、やはりこれからの二十一世紀を生きる人間として必要な問題解決能力それから創造性、こういったものが非常に大事じゃないかなというふうに考えるわけです。
 端的に申し上げますと、いわゆる道路マップ、道路地図に目的地がありますと、一番効率的に行く方法は何かと。さっとこれで行きなさい、こういう方法が一番いいですよということを教わって、それも間違わずにそこに行く方法を習う、こういう部分がかなり今まであったんじゃないかなと。ところが、目的地があっても道路はいろいろあるわけでして、広い道路とか曲がりくねった道路もありますけれども、それを体験的に生徒がその目的地に向かうためにどこを通ればいいかなと、いろいろ紆余曲折はあるかもしれませんけれども、やはり問題を自分で解決する方法を見出したりして最終的にその目的地に到達すると。だから幾つもの答えがあるかもしれません。そういう学習形態というのが大事で、そのためにはゆとりがないとやっぱりできないと思うんです。
 もう少し具体的に申しますと、先ほどいろいろな研究テーマを持っていると言いましたが、マウンテンバイクで毎日川に行って植物の採集をしたり、この時期にはこんな動物がおったと、いろんな研究をしているわけです。それから、天気予報等を勉強するようなときには、いつもこのころにはこの方向でこういう風が流れる、そのときにこの雲が出たら大体こうだとか、大体当たるんですね、この天気予報というのが。そういうユニークな研究をするためにはやっぱりゆとりがなければだめである。端的にちょっと申し上げましたけれども、そういうふうな教育の方法、行き方がある。
 もう一つは、他人との協調とか人の心の痛みがわかるとかこういったものは、先ほど言いましたように寮生活等で縦の人間関係の中で自然にはぐくまれてきている。私たちも餓鬼大将がおって、そのもとでいろんなことを教えてもらいました。そして人間としてどう生きるべきかということなんかも学んだような気がいたします。
 そういった思いやりというか心の問題、つまり道徳心、あとは体を鍛えるということで、やはり知・徳・体、これはやっぱり不易のものであって、不易のものであるけれども、それを解決しようという能力そのものは今後非常に大切にされる部分じゃないかな、こういうふうに思っています。
#52
○松あきら君 私もいつも教育というのは知識を詰め込むだけではない、知育、徳育すべて含めて教育であるというふうに思っております。
 実は、五ケ瀬中学・高校はそのような教育方針をモットーとして育てられて、結果的には全員が国立大学受験レベルになっているということは、私はこれは非常に実はいいことだと思うんです。本当にそういうゆとりを持たせた教育をしていったことが、天文学だったりあるいは砂漠、いろんな方面に興味がどんどんわいてきて、結果的にレベルが上がるということは非常に理想的だということは私もよくわかります。今ちょっと時間がないので次へ行きますけれども、まずそれを申し上げておきたいと思います。
 それから、太田先生に伺いたいと思いますけれども、私は今、六三三制ということ自体をきちんと見直すべきじゃないかと。というのは、いろんなあれもあるんですけれども、今内申書ということが非常に大きな子供たちの心の傷にもなっており、またお母さんやお父さん方のいろいろなかせにもなっている。先ほど入試がなく高校に入れるように、それが理想だというふうにおっしゃいましたけれども、じゃ仮に入試がないと同じところへみんな集まってしまうと、それはやはり内申書ということになるんでしょうか、いかがでしょうか。
#53
○参考人(太田政男君) 内申書の位置づけやあるいは方法にもよると思うんです。
 今の内申書は、先ほどもちょっと申しましたように、教科の学習についても意欲、関心、態度というような本来測定が非常に難しいものが評価されるようになって、しかも都道府県によってはそれが何点というふうに点数化されたりしているような状況がありますし、あるいは行動の記録に明朗快活というようなことが挙げられている。本当に明朗快活でなければだめなのかというふうなことがあるわけでありまして、そういうことを含んだ内申書が選抜の資料として使われるということには問題があるというふうに思っております。
 ただ、それにかわる資料というときに、選抜がなければしかしそれは立派な教育的な資料になるわけでありまして、教育的な資料としての内申書の存在を否定するわけではございません。
 ただ、選抜をそれではどうするかというときには、例えば当面は、本当にそこの中学でどれだけの力をつけたかをはかるための資格試験的な学力検査とか、それも非常に丁寧な検査をしていくというふうなことはあり得るかと思います。
#54
○松あきら君 ちょっと今回の問題とは少し違うかもわからないんですけれども、長野県のある町立の小学校が町予算で独自に教員を採用して、十八人と十九人の少人数の学級を設けようとしたわけです。というのは、やはりゆとりのある教育を子供たちにしたいと。そして、御存じのように、予算が一人の先生分しかないわけですから、町で予算をつけてそういうふうにしようとしたところが、県の教育委員会が国の教員配置基準に反するということで阻止する騒動があったわけでございます。それで、チームティーチングという名目で妥協したんですけれども、町は、子供たちのゆとりの教育を県や国はなぜじゃまをするのかと、非常にこれは不満が残ったということでございます。
 これについて、お一方ずつちょっと短目にコメントをいただけたらというふうに思います。
#55
○参考人(児島邦宏君) 事情がよくわかりませんので申し上げようがありませんけれども、町費負担教職員の場合に、それの採用がどうこうというよりも、身分上一生の問題として扱わざるを得ないし、またその先生を一生そこの学校に固定するということ等いろいろ勘案して、現行ではどうだというふうな指導がもしかしたらあったのかもしれません。基本的には規制緩和の時代の中で、なるべく地域住民の方々の考え方なり父母、子供たちの要求というものをやはり大事にしていくという、そこら辺は地方教育行政の問題として今中教審でも取り扱っている部分でありますけれども、やはりそちらの方へシフトをなるべく変えていくというのが方向ではないかというふうに考えます。
#56
○参考人(太田政男君) 地方のそうしたことを中央の文部省なりが妨げるということは僕は問題だと思いますが、同時に、ゆとりのある教育を実現するために教育諸条件の改善が必要なわけでありまして、学級定員を減らすとか教職員の人的配置をふやすとか定数を改善するとか、中央のレベルというか全国的なレベルでのミニマムを上げていくということの必要も同時に思います。
#57
○参考人(前田稔君) 少人数学級というのは教育効果を上げる意味で、うちの学校の実践に基づいて申し上げますと、やはり確かによろしいです、個人指導ができますので。そういうことで、一定の学級規模その他は国の基準がございますけれども、うちの学校ではその選択幅を多く設けて少人数指導をやっておりますから、そういう意味では非常に賛成できる部分があります。
 学校の校長のいわゆる裁量といいますか、そういったものが今後もっと柔軟になるというお話もありますので、特色ある学校づくりという観点からすれば、今後どういうふうになっていくか期待をしているところでございます。
#58
○松あきら君 では、最後に児島先生にお尋ねをいたします。
 先生はいろいろ御著書があるんですけれども、「学校経営の創意と改善」など私もちょっと読ませていただきました。
 学校経営とは、つまるところ、日々の学校の教育活動をどのように盛り上げていくかにあります。その連続の過程であり、充実向上の過程に他ならないと考えます。学校の組織や文化も、この一点に収斂してはじめて意味をもちます。子どもは、「今日は、学校で何かいいことあるかな」と期待して登校します。その子どもたちが、「今日も、学校に来てよかったな」と実感できる「おみやげ」をもって帰れる学校にするのが、経営の中味だろうと思います。そんな学校や学級をどう創り出すかです。それが、学校改善に他なりません。
こういうふうにおっしゃっておられるわけでございます。
 私も本当にこういうことを子供たちが感じられる学校教育であってほしいなというふうに思います。やはりその主役はというと、言い方は変ですけれども、やっぱり先生の御努力が随分大きいと思うんです。今なかなか先生が力を発揮できない、自分の思いを子供に伝えられないのはどうしてなのか、その原因と申しましょうか、そう簡単ではないかもしれませんけれども、ちょっとお聞かせいただけたらなというふうに思います。
#59
○参考人(児島邦宏君) いろんな事情があろうかと思いますけれども、私は今大学の教師をやっておりますが、特に学生等を見てみますと、既に学生自身が非常に変わってきております。
 少子化の中で社会性を十分に育てていないというのか、少人数の中でずっと育ってきてしまっているということで、若い先生は子供たちの面倒見は大変いいんですけれども、ちょうどウ飼いのウ匠みたいなものでありまして、子供と一対一ではひもをつけて十分に動かせますけれども、子供たち同士で何かをやらせるというふうな力というのが非常に今の若い先生は弱くなってきた。面倒見はいいけれども、子供たち自身が自主的、主体的にと申しますか、自分たちの学級なりなんなりを動かしていくという力は育っていないというか先生が育てられない。最近、学級崩壊なんかもむしろそういうところに一つは原因があるのではないかというふうな気もいたします。
 そういう意味で、先ほどの五ケ瀬中学・高校で行われているような多人数の、しかも年齢の違う者同士が一緒に生活をして、その中でいいことばかりじゃなくて嫌なこともあったりしながら、自分たちの生活を自分たちでつくり出していけるという、こういうふうなことがどこか教育の中で組み込まれないとなかなか子供を動かす力自身が育っていかない、もう若い先生が既にそれをなくしてきてしまっているというのが私自身の仕事の上での実感でございます。
#60
○松あきら君 ありがとうございました。
#61
○日下部禧代子君 社会民主党の日下部でございます。きょうはありがとうございます。
   〔委員長退席、理事北岡秀二君着席〕
 今回の中高一貫校の導入ということは、一つの選択肢を広げるという意味で導入された、一番大きな意義がそこにあるというふうに理解しているところでございますが、いわゆる多様性ということ、あるいは特色のある学校ということが必ずしも文字どおりにはならないということが現状じゃないか。そのことが学校間格差の拡大とか、学校間格差の固定ということにつながっているのが現状ではないかなというふうに思うわけでございます。
 第十四期中教審では、行ける学校から行きたい学校へというのがたしか一つのフレーズだったというふうに私記憶しております。ところが、なかなか現実はそのようにならなかった。そこの反省を踏まえて第十五期中教審というものもスタートしているというふうに私は思っておりますが、今回、中高一貫校というのが導入されたというのはそういうことの反省も踏まえてのことだろうというふうに思います。
 それでは、今回の改正によりまして、行ける学校から行きたい学校へという、つまり序列化が崩されるということが大きな目的の一つだろうというふうに思うわけでございますが、一体何が行ける学校から行きたい学校へということを妨げていたのか。つまりそこのところを除去しなければ、なかなか私たちが考えるいわゆる多様性のある学校、そして子どもたちが多様な選択を可能にするということは不可能だというふうに思うわけでございますが、この点、児島先生、いかがでございましようか。
#62
○参考人(児島邦宏君) 行ける学校から行きたい学校へ、もしくは選抜から選択へという形にシフトを変えていこうというのが子供側から発想した教育改革の基本的な発想でございます。現実にそのために、さまざまな制度なり、また学校の中においてもさまざまな選択の幅を広げたりという多様性をふやすことによって子どもが選択できる幅を広げていこうという形でやってきているわけでありますけれども、一方では、それは学校内部がつくり出しているのか、だれがどこでどうつくり出しているのかはいろいろ検討の余地があるかもしれませんけれども、従来の受験競争に対する圧力というのはやはりいまだ完全にぬぐえないという状況があるのは事実であります。
 過度の教育への期待といいますか、そういう受験体制に即した期待が一方では圧力としてある限り、なかなかシフトを急に変えることは難しいというふうには思われますけれども、しかしそうは言いながらも一方においては、やはり本当に我が子のためにどういう教育が望ましいか、この子が自分の力を発揮していくにはどういう学校が望ましいかという形での選択できる選択肢を制度的にも多様に用意していくということが従来の非常に画一化された受験シフトを変えていくきっかけになるのではないか。急激に変わらないではあろうけれども、変えるきっかけにならないかという形での選択肢をこういう形で提言してきたわけでございます。
#63
○日下部禧代子君 私もそのようになってほしいという願いを込めて議論をしているわけでございますけれども、現実に、例えば今年の東大の合格者の出身校というのは二十位までが中高一貫校だったというふうな報道もございます。この辺のところはどのように思っていらっしゃいますか、児島先生。
#64
○参考人(児島邦宏君) いわゆる従来の受験エリート校というのは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、六年制の中高一貫で学習する内容を五年間にほとんど切り詰めておりまして、そして残り一年を受験準備教育に充てる。要するに六年制一貫教育の中にもう一つはしごをかけまして直線で直登できるという、いわゆる学習のスピードの速い者または記憶力のすぐれた者がいわゆる有名大学と言われるところに入れるというような一つの能力観と申しますか、または制度というのがつくられていることによって、こういう形ができているんではないか。
 そうではない形での生きる力というのは、そういうものを踏まえたものでありませんで、本当の一人一人の子供の持っている力というのはそういうものではないだろうということを前提にした生きる力でありまして、それに即した形での中高一貫教育は別途やはり求めていく必要があるのではないかという形で、今回のこういった改正案が生まれてきたわけであります。
   〔理事北岡秀二君退席、委員長着席〕
 変な言い方になりますけれども、神社仏閣に男坂、女坂とありますけれども、従来の中高一貫学校は男坂でありまして、急激に速いスピードで坂を上らせるわけですけれども、それは必要ではないだろう。もっとゆっくり自分を見詰めながら、周りの景色を眺めながら、そしてたどり着くところは、頂上は同じだという、こういうふうな教育が本来の子供を生かす教育になっていくのではないかという形で提言したのではないかというふうに思います。
#65
○日下部禧代子君 今、先生がおっしゃいましたような趣旨をどのようにして保護者、これは子どもたちというよりもむしろ保護者に理解してもらうということが非常に必要なことだと思いますが、その点についていかがでございましょうか。
#66
○参考人(児島邦宏君) どのようにとおっしゃいますと、なかなか私自身もわかりませんけれども、中教審の答申等は一般の家庭の中にも届くように、しかもなるべく御理解いただくように絵入り、図入りのパンフレットをたくさんつくりまして配布させていただきました。文書をつくって終わりではなくて、御理解いただく方策はさまざまなことを中教審自身も新しくやったわけでありますけれども、なかなかそういうことがどこまで浸透したかについては定かではありませんで、私自身から見ると多くの方に本当にこの趣旨を御理解いただきたいし、いただくにはどうしたらいいかということもまた同じように考えを持っておるわけでございます。
#67
○日下部禧代子君 システムを動かすということ、これは非常に重要なことでございます。と同時に、やはり社会全体の意識をどうやって変えていくのかというふうなこと、それはシステムが変わるから意識が変わる、意識が変わるからシステムが変わると。それは両方相まって車の両輪のようだとは思うわけでございます。
 日本でもさまざまなトライアルが行われているにもかかわらず、やはり依然として受験競争というのが非常にますます激化するような兆候があるわけでございます。ですから、その辺はもちろん企業の問題、それから大学の入学試験のあり方ということにもつながると思いますが、この点につきまして児島先生、いかがでございましょうか。
#68
○参考人(児島邦宏君) いわゆる学歴社会もしくは学校歴社会の問題というのは、学校制度それ自体より、従来臨教審答申等でもずっと指摘されたとおり、社会全体がそういう形で組み込まれて、学校もそういう機能を持つものとしてむしろ組み込まれていってしまう。この中高一貫学校も実は昭和四十六年の四六答申以来の懸案事項でございまして、それ以後今日まで動けなかったのも、やはり受験準備教育の激しさの中でこのことを提言したらそちらの方に全部組み込まれていってしまうのではないかというおそれがあったために、今日までずっと実現しなかったのではないかというふうに私自身受けとめているわけであります。
 少子化の時代、またはここまで教育の問題が行き詰まりと申しますか、大変大きな問題が出てきたときに、初めてもう一回教育の基本を考えよう、子供から発想していこうという、こういう機運が生まれてきたことを踏まえて今回の提案になってきたのではないかというふうに私は思いますし、またそうあってほしいというふうに考えているわけであります。
#69
○日下部禧代子君 同じ質問を太田先生にお聞きしたいのでございますが、つまり、システムとそれから意識の問題でございます。これはどちらが先ということをなかなか言いがたいものであります。
 そこで、今さまざまな試みの中で、この中高一貫校の公立校への導入ということが一つの選択肢として導入されようとしているわけでございますが、社会全体の意識ということとの関係におきまして、先生の御意見を承りたいと存じます。
#70
○参考人(太田政男君) 高校の入学者について言いますと、先ほど申しましたように、希望する子供たちはほぼ入れるような条件があって、だから排除のための選抜という必要はもう本来ないわけです。大学も、どんどんと今子供の数が減っておりまして、事実上全入に近いような大学、短大も出ているような状況で、そういう点での受験圧力は減っているわけです。
 しかし、先ほどもお話にありましたようないわゆる上位校というんでしょうか、有名校を目指す競争、その点だけではますます激しくなっているというような状況があるというのが現実であろうというふうに思います。
 僕は、国民の意識そのものの責任というふうには言えませんけれども、やっぱり上位校、有名校へ行けば有利だと、先ほどの話で言えば終身雇用のところに行けるというふうなそういう社会の構造が問題でございまして、その影響というものが国民の間にもあって、先ほど個性に基づく改革、特色というふうなことが言われましたけれども、そうした従来の序列を個性という名前に変えただけというふうなことにどうしてもなりがちであります。だから、六年制中等教育学校も、そういう意図はなくても、できたときに結果としてそのようになってしまうというおそれを僕は懸念するわけです。
#71
○日下部禧代子君 今回の中高一貫校を実際に設置する場合には、これは文部省がどうこうというのではなくて地域において決定していくことだということでございますけれども、ここでいわゆる教育と地域、地方分権ということにかかわって御意見を承りたいと思うわけでございます。
 今回、中高一貫校を導入する場合に地域における検討の場を設置するということが言われております。それからまた、地方分権委員会におきましても校長への助言ということで、さまざまな地域の方あるいは保護者たちが参加できるような場が設けられるべきだというふうにうたわれているわけでございます。
 現実に家庭・学校・地域社会との連携という言葉も言われておりますが、これをもう少し具体的にしていくためにはどういうふうなことがそれを推し進める力になるのか、そしてまた、地域の方々、父母、そしてまた学校当局が一緒に協議できるような場というのは一体どういうふうな場なのだろうかという、そのイメージがなかなか具体的にわいてこないのが実際だというふうに思うのですけれども、この点、児島先生にいわゆる教育の地方分権という観点からのお考えを伺いたいと存じます。
#72
○参考人(児島邦宏君) 現在、中教審におきましても地方教育行政の問題について規制緩和の観点から扱っておりますけれども、基本的な考え方は、今回のゆとりの中で生きる力をはぐくむというこの教育改革は子供の側からまず出発しようということであります。
 それで、子供の側から発想したときに大事なことは、子供の目の前にいる学校自身が創意工夫をめぐらす必要があるということで、学校の創意とか学校の工夫、または校長の裁量権というものをより強めていかないと一人一人の子供へのきめの細かい教育的配慮は不可能であるということで、そこのところが第二点であります。
 そのためには、地方教育行政機関、特に教育委員会が学校に対して支援をしていく、ああしろこうしろと指示、命令ではなくて学校がやろうとすることを支えていく、そういう一つのバックアップ体制を図っていくのが基本的な地方教育行政のあり方であろうと。そういう一つの発想から従来の教育行政のあり方を見直すという作業が今行われているわけであります。
 その中で、こういった新しい学校のあり方序考えるときに、まずやはり考えなきゃいけないのは子供の問題であり、保護者の教育要求、期待である。それを軸にした選択機会を広げていくときに、それぞれ一つ一つの学校または制度が同じものであれば選択する必要はありませんので、それぞれに個性を持って自分はこういう勉強をしたいのであの学校へ行こうかという形で選べるような選択肢を学校としてまたは制度として、学校の中においても総合学科なんかはそういう傾向を強く持っておりますけれども、そういったものを子供の周りに用意することによって子供の側から発想する教育が制度としても用意できるという、そういうふうな方向へ現在動いてきているのではないか。
 中高一貫教育もなるべくそういう形で地域の実情、子供または保護者の教育への期待というものを十分踏まえた上での中高一貫教育でなければ意味がないだろう、教育の改革の流れからいっても反するだろうということで、地方公共団体のお考えを大事にしていこうというふうにしたわけであります。
 そのことに一切文部省は知らん顔しているというわけではありません。むしろそういうような行政を進めていくところに本来のこれからの一つの教育における行政の基本的な姿があるんではないかというふうに見ているわけであります。
#73
○日下部禧代子君 前田先生にお願いしたいのでございますが、富崎において非常に大きな日本で初めての実験をなさっていらっしゃるわけでございますね。その場合に、地域ということがやはり非常に重要なファクターになっているだろうというふうに思うんです。実際の教育の方針などをお立てになりますときに、地域の方々、そしてまた保護者、そしてまた子供たちの考え方、意見というものを一体どのような形でどの程度反映させていくのか、その実際をお伺いさせていただければと存じます。
#74
○参考人(前田稔君) 先ほども申し上げましたけれども、保護者は県内にもう散っておるわけです。地域というのが私たちの学校では非常に大事にされている部分があるんです。ホームステイもやります。六月に今度やるわけですが、全生徒が五ヶ瀬の地域の町民の方々の家にホームステイしまして、そこでの生活を実体験して、山の草刈りからいろんな生活をそのまま実体験してくるということもあります。それから、先ほど申し上げましたように、地域に伝わるいろんな文化とか伝統を受け継いでいらっしゃる方との交流、それから神社仏閣その他いろいろあるわけです。そういった地域の文化を知るということで勉強に出かける。
 そういう意味でのわらじづくりもそうでしたけれども、来ていただいた講師の方々、もう七十歳を超えた方々が、私たちはこの子たちを教えることによって非常に生きがいを感じています、非常に自分たちを大事にしてくれるということを実感として言うわけです。その体験学習が終わった後、食堂に一緒に行って御飯を食べるわけですけれども、そのおじいちゃまとおばあちゃまを囲んで、みんなで配膳をしてあげて、動かないでいいですよ、きょうはいっぱい教えてもらいましたから僕たちが今度はサービスしますと、こういうふうな人間関係ができてくるわけです。
 だから、地域の振興とか、地域の青年団の活性化とか、商店街が活性化するとかといいますのは、寮は食材が必要でございますので、地域の方々、地域の業者さんからいろいろなものを支給、支給といいますか食材を入れていただきますから、やっぱり商店街が活性化するとか、そういう夢があるんじゃないかなと思っています。
 学校と社会が連携するというよりか、もう融合しているといいますか、地域社会から見れば指導することによって社会教育の面で非常に有効な意味を持つし、学校からすればそういう方々が来たおかげで学校の教育に非常に役立っていると、いわゆる共有する部分がかなりあるような気がいたします。
#75
○日下部禧代子君 そのプログラムをつくるときに、皆さんが参加した形でプログラムをおつくりになりますか。
#76
○参考人(前田稔君) 学校でそういう構想を練りますが、中一から高三までに一応テーマを設けているわけですが、中一や中二あたりは触れる、それから調べる、それから考える。そして、高校生になりますと探る、そしてそれを広めていくという中で、いろんな森林学習その他のプログラムはそういうフォレストピア学習全体構想を練るスタッフがおりますので、そこでかなり私の意見も入れながら構想を練っていきます。前年度のものをそのまま踏襲していくんじゃなくて、いろんな反省の上に立って、前年はこうやったけれどもやっぱりここをこう改善すべきじゃないかということを練りながら、学校のそういう構想を練るスタッフがおりまして、それでもって意見を全体に浸透させながら教育プログラムを組んでおります。
#77
○阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代です。
 三人の先生方には、きょうはそれぞれの貴重な御意見、どうもありがとうございました。
 太田参考人に伺います。
 先ほどのお話の中で、法案に出てくる六年制中等教育学校などが中教審答申によれば特色を持っていることが求められているけれども、中教審答申の中にある七つのタイプ、普通科タイプ、総合学科タイプ、専門学科タイプの五つ、そういうのは法案を待たずにできるから結局エリート校化するということをおっしゃったというふうに思うんですが、そこをもう少し詳しく話していただけますか。
#78
○参考人(太田政男君) 七つの特色、国際化とか体験学習とか、そういうことですね。その意味でのタイプというのは現行の学校の中でも可能でありましょうし、さまざまに今既に行われている学校も、これは小中高を通してたくさん立派な学校があるというふうに思います。
 それから、後期課程に併設されるというか設置される学科の種類による特色という意味では、先ほど世田谷工業のことがございましたけれども、どういう学科が設置されるかによって相当程度、それは文字どおり個性になるかもしれませんけれども、左右されてくることになるというふうに思います。
 ただ、その場合に本当に個性になるかどうか。例えば、今の例は高等学校段階でございますけれども、特色化の名のもとに情報コースを入れたりしても、それは、こういう言葉をお許しいただきたいんですが、いわゆる底辺校の代名詞のようになっていたり、理数科ということが大学進学コースの代名詞になっている。そして、文系進学を目指す者すらがそういう理数科に行くというふうな矛盾も生まれているというふうなことを考えますと、その経験をどういうふうに引き継がないようにするかが問題だと思います。
#79
○阿部幸代君 実は埼玉県では、先生御存じだと思うんですけれども、全国の高校教育の先導的役割を果たしているとか高校教育改革のモデルになっているというふうに言われていて、本当に高校の多様化が進んでいるんです。全日制県公立高校百六十二校のうち、普通科のみが六十五校、四〇%です。専門学科、専門コースを持っている学校が六十三校、三九%です。それから、総合学科の高校が四校、職業学科の高校が三十校。
 それで、大変興味深いのは、十月一日の進学希望調査、ここにとりわけ子供たちの本音があらわれるというふうに教師たちは見ているんですけれども、ある学校の情報ビジネスコースは四十人定員でゼロとか、国際文化コースは一人とか、国際観光ビジネスコースは一人とか、こういう事態になっているし、全体として人気がなくて〇・三七倍なんですね、いわゆる競争率が。
 私は、これは個性に応じたとか社会の変化に応じたとか言われてつくられている学校だけれども、やっぱり外から枠づけをするようなことが個性尊重ではないんだということを子供自身が事実でもって示しているんではないかというふうに思うんですね。
 それで、先生に伺いたいのは、一つは教育において個性というのはどういうふうに扱われたらよいのか、それから二つ目が社会の変化というのはどういうふうに扱われたらよいのでしょうか。
#80
○参考人(太田政男君) 学校の個性や特色というものが、これは社会にも分業がございますし、学問や文化にもさまざまな分野があるわけなので、一定の分化は避け得ないというふうに思いますが、特色ということを追求する余り、余りに細かくなって社会的な存在意義などがないようなものまで特色とされますと、生徒の進路は袋小路、卒業してどうなるかということもございますし、大学進学できないとかさまざまなことがあって生徒の人気も落ちるということになってしまうのだと思います。
 個性というのは、もちろん得意不得意、好き嫌い、さまざまなことがありますし、個性は大事にされなければならないし、伸ばされなければならないというふうに思いますけれども、先ほどから申し上げておりますように、狭い学校の中だけで個性をやるということは、一定の効果を上げ得る場合もあるかもしれませんけれども、かえって個性の発揮につながらない場合が多くなるのではないかというふうに思います。
 また、青年期まではさまざまな可能性を試したり、あるいは進路を変更する、やり直すというふうなことも大変大事なことでございまして、狭い特色や多様化を追求する」ことの問題があろうかと思います。
 そして、そうした社会的な分業なども変化します。社会の産業構造その他も変化しますから、それは時代に即した一定の変化が必要だと思いますけれども、現在の職業学科などを拝見しますと、農業でいえば本当に農業生産そのものを大事にするというふうな学科がどんどんと減って、流通や加工などだけの学科がつくられているというふうなことがございます。本来の農業教育というのは社会の産業構造に即応するのでもなくて、しかし深いところでこれからの社会のあり方を考えるような仕方でそうした学科その他の分化が設定されなければならないというふうに思います。
#81
○阿部幸代君 埼玉の実例でいろいろ興味あることがあるんです。実は埼玉県は、高等学校における学科再編コース設置等の成果に関する分析的研究というのもやっていて、埼玉県内の企業が今のいわゆる多様化をどう受けとめているかというのも調査しているんですが、いわゆる学科とかコース、そういうものを両方とも考慮しているというのは一二・七%しかないんです。両方とも考慮していないというのが三六・四%なんです。ですから、子供たちも今の多様化を必ずしも歓迎していないし企業も歓迎していない。そういう意味では、うたい文句と事実が大きくかけ離れているというふうな感じがしています。
 そこで、もう一つ太田先生に伺いたいんですが、そもそも学校教育法上は、中学校の目的は中等普通教育を施すこと、それから高等学校の目的は高等普通教育及び専門教育を施すことにあるというふうにしています。それで、それぞれの教育目標を三点ずつ挙げているんですが、普通教育とか専門教育、こういう分け方ですけれども、私は本来、現在進められ、また推進されようとしているいわゆる多様化のように仕切りを設けて生徒をすみ分けさせる、あるいは学び分けさせる、そういうためにあったのではないんじゃないかと思うんですけれども、どういうふうにお考えでしょうか。
#82
○参考人(太田政男君) 普通教育というのは歴史的にはさまざまな意味合いで使われてきました。一方ではアカデミックな教育、大学進学教育という文脈の中で使われてきたこともございますし、一方では国民共通の教育という意味で使われてきたことがあります。
 その上で、中等教育の後期段階では専門教育を学ぶことというふうにされて、戦前以来、農業、工業、商業などの教育が行われてきているわけですが、子供たちがそのどれかを学ぶこと自体は大事なことなんですけれども、戦後直後にはそれらをできればなるべく一緒に学ぶといいましょうか、全員が農業教育をやるというんではないんです。農業をやる生徒も商業をやる生徒も工業をやる生徒も一緒に同じ学校の中にいるということが当初は目指されて、それは総合制という名前のもとに呼ばれてきました。
 しかし、それは施設、設備面の困難や何かがございまして、学校が大規模化する等のことがあって今分化をしてきているわけで、この分化にはそういった制約は仕方のない面もございますけれども、しかし今のさまざまな特色化、多様化というのは余りにも細かくし過ぎるように私は思っております。
#83
○阿部幸代君 それで、最近、総合学習とか体験的学習とか、そういうものがうんと強調されるようになったというふうに思うんです。
 児島参考人に伺いたいんですけれども、先生の先ほどのお話の中に、中高一貫校がエリート校化しないように、最もこれが留意すべき点であったというお話をなさったと思うんですが、受験準備に偏した教育が行われることがないように、体験学習とかあるいは地域性を本当に生かす学習とか国際化、情報化あるいは環境とか伝統文化とか、そういうものを大いにじっくり学びたい子にこたえていくんだとおっしゃっていたと思うんです。
 私は、こういうことをどの子にもじっくり学ばせたいなというふうに思うんです。それはいけないことでしょうか。
#84
○参考人(児島邦宏君) そこへ述べましたのは、中高一貫学校だけでそれをやろうというわけではありませんで、こういうような特色の例示としまして七つのタイプを述べたわけであります。その他さまざまなタイプが考えられるわけですけれども、要はそういった中高一貫学校に特色を持たせた形で子供の側から選択する、あの学校へ行ってこういうことをやりたいという形で選択できる、そういう特色を持たせた学校にしようということをそこでは述べたわけであります。
 したがって、そこの中で具体的にどういう特色を持たせるかは、設置者である都道府県もしくは市町村が、設置する場合にこの学校はこういう特色を持たせた学校としてつくろうということで、その前提としては、地域の人々の教育への期待、要求というものを踏まえましてそういう学校をつくっていこうということであります。情報化、国際化その他の問題は別段中高一貫学校が独占する問題ではありませんで、御存じのとおり高等学校においても国際学校ができておりますし、さまざまな多様な学校が高等学校レベルでもあるけれども、それを六年間じっくり学べるという意味でのいわゆる縦の複線化みたいな、多様化みたいなものですけれども、そういうものがあってしかるべきではないかという考えで述べたものであります。
 学科としましてはそれだけにとどまらず、普通科の場合にはじっくり学ぶということを中心とした学校ができているでしょうし、それから総合学科がありまして、これは多様な学科がそこに用意されていて、子供の選択によって学べる。さらには専門学科を中高一貫として設置する。特に芸術関係とか体育・スポーツ関係の場合、中学校段階から、少しずつだと思いますけれども、一貫した専門的な教育が受けられる、そういうふうな中高一貫学校ができてもしかるべきではないか。さらに、地域の伝統や伝統工業、産業、それから芸能等を踏まえました地域密着型のそういった特色を持たせた学校もあっていいだろうという形で、そこの答申の部分というのは例示としてそういう形で述べたもので、他はそれをやってはいけないということを排除する論理として出したわけではございません。
#85
○阿部幸代君 前田参考人に伺います。
 先生のところの学校では六年間じっくりやれるんだろうというふうに想像できるんですけれども、この写真などを見ましても本当によい環境でうらやましいなというふうに思うんです。
 宮崎県では、こういう学校について、もっと広く県民に開かれた森の学校といいますか、そういう位置づけで構想されたということはないんですか。初めからもうこういう六年制の学校ということだったんですか。
#86
○参考人(前田稔君) フォレストピア構想というのがあったわけです。産業面でも教育面でも、要するに今過疎が起こっていますよね。いろんな面で停滞ぎみの部分を少しでも活性化しようというふうな構想があるわけでございます。その中で五ケ瀬町の場合は学びの森というのがそこにあるわけです。その周辺の例えば北方とかまだほかにも町村がありますけれども、そこあたりはほかの構想でもってつくられた県の施設がございます。
 ですから、こういう中高一貫教育をしっかりやろうとすれば、やっぱりこういうところに持ってきたら宮崎県の全県民が寄ってきて、森というものを改めて見直して人間性を回復できるんじゃないかと。とかく都会に皆寄っていきますよね。やはり自然というのはすごいんだぞという、そういう実感が持てるような構想があるわけです。
#87
○阿部幸代君 つまり、県政上の総合的な位置づけの中で生まれてきたということですね。
#88
○参考人(前田稔君) そうでございます。
#89
○阿部幸代君 はい、わかりました。
 私も行っていろいろ勉強したかったのですけれども、日程の都合で行けなくて、行った者から資料をもらって見たのですけれども、五ケ瀬中学・高校の日課表が非常に気になるんです、先生。平日とそれから土日の日課表を見てみますと、夕方からのだけでも、六時から七時までの間三十分ずつ中学生と高校生が入浴と夕食をそれぞれ交互にやりますね、三十分ずつ。その後七時十分から五十分間の学習が一こまあって、夜食を挟んで二十一時二十分からもう一回三度目の四十分間の学習のこまがあって、十一時に寝るということなんですが、私は、中学一年生からこういうきっちり決まった日課で生活をするというのはとても苦しいような気がするんです、いわば管理された生活という感じで。それで嫌になる子はいませんか。
#90
○参考人(前田稔君) 勉強は、先ほど私申し上げましたけれども、やはり鍛えなくちゃならない部分というのがあるということですね。あとは自分の興味、関心に基づいて学習するという大事な部分もあると思うんです。
 寮のその学習時間は確かにセットされておりますけれども、中にはラジオ講座を聞く子もおります。それから例えば芸術関係に進む子はそういう楽器を、ちょっとした防音の部屋がありますから、そこで楽器を奏でたり、そういう自由発想的な勉強もしているわけです。ラジオ講座でも英語なんかを一生懸命聞いている姿を見たり、本当におもしろい姿をいっぱい見ます。もうがりがり一生懸命やっているということをイメージされたかもしれませんけれども、自分でそのスケジュールは組んでいくわけです。ですから、学校から与えられた課題をやる者もおれば、きょうはこういった面でちょっと勉強してみようか、レポートを書いてみようかなとか、ただ時間帯がセットされているわけでして、中身はあれしなさい、これしなさいじゃないわけです。そういうイメージで受けとめていただくとありがたいと思います。
#91
○阿部幸代君 土曜、日曜、祝日の日課表を見ると、八時半から九時までNHKテレビ視聴というふうにあるんですが、子供ニュース、それからその前もテレビ視聴はできてもニュースのみとか、先生、少し管理し過ぎではないでしょうか。
#92
○参考人(前田稔君) 生徒を管理するというよりか、時間帯を設けているということで、確かにテレビは各部屋にございません。ただ、CDのカセットとかそういったハード面は生徒に貸したりすることはしております。ですから、確かに家におるよりかは自由はないでしょうね。
 といいますのは、生徒に聞いてみるんです。連休あたり帰ったら、君何が一番したいのと聞きましたら、おやつをたくさん食べたい、もう自由に好きな、いろんなのがありますよね、あんな菓子を食べたいとか、自分の好きなチャンネルでテレビを見たいとか、確かにそれはあります。集団生活をしておりますので、自分勝手なことはできない部分が確かにありますから、そこは自分でコントロールしなくちゃしようがないということで生徒たちに話しておりますが、管理しているという形でこれからこれはこうしないとだめですよという形の余りしゃくし定規にしている部分はないんですね。だから校則はうちの学校にはありません。
#93
○阿部幸代君 私は子供の成長発達、それから学習の系統性、そういう意味で中高の一貫性というのはどの子にも保障されるべきではないかというふうに思っています。
 そういう意味で、高校入試がその最大の障害になっているわけですから、何とかしてどの子にもその一貫性を保障するためにはどうしたらよいのかという議論が、つまり高校入試をなくす、希望者全入にするにはどうしたらよいのかという議論が、それこそ専門家の間だけではなくて、子供もそれから保護者も地域住民も、何か総ぐるみで考えていかなければならないときを迎えているのかなというふうに思うんですが、そういう視点で何かお考えがありましたら、三人の先生方、ちょっと一言ずつ。
#94
○委員長(大島慶久君) 時間がもう過ぎましたので、簡潔に御答弁を願いたいと思います。
#95
○参考人(児島邦宏君) やはり学びたいという選択肢をたくさん用意してやるということが子供にとって一番ありがたいことではないか。そういういわゆる多様化の一環としてこの学校もあるわけでありますし、ほかにいろいろの学校の形態が考えられればそういうものを用意していくということがひいては非常に画一的な入試の圧力を弱める一つの方向になるんではないかというふうに考えます。
#96
○参考人(太田政男君) 六年制というときには、世界にもいろんなモデルがございますけれども、イギリスの総合制科、コンプリヘンシブスクールというのがあるんですが、私はそのときの経験が一つの参考になるのではないかというふうに思います。基本的に中高を一貫したものとしてとらえて選抜をなくす、そしてすべての子供たちがそこに行けるように、イギリスの場合ですから十一歳の選抜はすべてなくす、そして中身はそれぞれ多様な、六年制一貫のところもありますし、四、二接続のところもあるしというふうにして地域的に考えていったわけです。
 日本でもそうしたことが可能になればというふうに思いますし、そのためにも父母や生徒自身の参加、意見を聞くというのが大変大事なことになってきて、例えば今高知県などで行われております行政も県民も一緒になって教育改革を進めるという、学校レベルでいいますと、子供も父母も参加する三者の協議会をつくるとか、それを地域レベル、県レベルで議論を積み重ねていくというふうな方法は大変大事なことではないかなというふうに思っております。
#97
○参考人(前田稔君) 私が赴任しまして、校長室に生徒が四、五人来たことがあるんですが、新しい人が来ると、先生は高校時代どんなことを考えていましたか、どんな人間なのか知りたいんですけどと、もうすぐいろんな質問に来ました。僕はこんなふうな人間よと言ったら、ああそうですかと。要するに、好奇心というのが非常に旺盛である生徒の姿を見たわけすね。ですから、これこそやはり何か自分で求めようとする姿を持っている子たちじゃないかなということを第一印象で持った覚えがあります。
 ですから、やはり大学に合格することそのものが最終的な目的じゃなくて、やっぱり生涯学習の中の一通過点であるんだというのがうちの進路指導の柱でもありますから、何を学びたいかということを本人たちがいろいろ探るという態度ができてくれば、いろんな面で今後たくましい子に育ってくれるんじゃないかなということを期待しております。
#98
○委員長(大島慶久君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、長時間御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りまして大変ありがとうございました。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時三十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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