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#1
第142回国会 法務委員会 第13号
平成十年四月二十一日(火曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 四月二十日
    辞任         補欠選任
     千葉 景子君     菅野 久光君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         武田 節子君
    理 事
                清水嘉与子君
                依田 智治君
                大森 礼子君
                橋本  敦君
                平野 貞夫君
    委 員
                遠藤  要君
                岡部 三郎君
                長尾 立子君
                松浦  功君
                菅野 久光君
                角田 義一君
                円 より子君
                山田 俊昭君
                矢田部 理君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        吉岡 恒男君
   参考人
       東京大学法学部
       教授       青山 善充君
       弁  護  士  上野 登子君
       作     家  佐木 隆三君
       弁  護  士  堀野  紀君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○裁判所法の一部を改正する法律案(内閣提出、
 衆議院送付)
○司法試験法の一部を改正する法律案(内閣提出
 衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(武田節子君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 昨二十日、千葉景子君が委員を辞任され、その補欠として菅野久光君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(武田節子君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 裁判所法の一部を改正する法律案及び司法試験法の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に参考人として東京大学法学部教授青山善充君、弁護士上野登子君、作家佐木隆三石及び弁護士堀野紀君の出席を求め、その意見を聴取することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(武田節子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(武田節子君) 裁判所法の一部を改正する法律案及び司法試験法の一部を改正する法律案を便宜一括して議題といたします。
 本日は、両案の審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、四名の参考人の方々から御意見を伺います。
 御出席をいただいております参考人は、東京大学法学部教授青山善充君、弁護士上野登子君、作家佐木隆三石及び弁護士堀野紀君でございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用のところ当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見をお聞かせいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず、青山参考人、上野参考人、佐木参考人、堀野参考人の順に、お一人十五分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し添えますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いいたしたいと存じます。
 なお、参考人の意見陳述、各委員からの質疑並びにこれに対する答弁とも、着席のままで結構でございます。
 それでは、青山参考人からお願いいたします。青山参考人。
#6
○参考人(青山善充君) 東京大学法学部の青山善充でございます。
 まず、本日は当委員会において意見を述べる機会を与えていただきましたことに対しまして、厚く御礼申し上げます。
 私の専門は民事訴訟法であり、大学では裁判法という講義も担当しております。本日はその立場から、裁判所法の一部を改正する法律案及び司法試験法の一部を改正する法律案につきまして私の意見を申し述べさせていただきます。
 最初に、私の意見の結論を申しますと、私は、審議の対象になっております二つの法律案のうち、裁判所法の一部を改正する法律案には賛成、司法試験法の一部を改正する法律案には反対であります。
 もう少し事項を分けて詳しく申しますと、裁判所法の一部を改正する法律案は、司法修習生の修習期間を現行の二年から一年半に短縮するとともに、司法修習生が給与の支給を受ける期間を、修習のため通常必要な期間に制限しようとするものであります。私はこの改正には賛成したいと思います。
 もう一つの司法試験法の一部を改正する法律案は、改正点が大きく分けて三点ございます。
 第一点は、司法試験の第二次試験の論文式試験科目につきまして、現在どちらか一方を受験すればよいことになっておりますところの民事訴訟法と刑事訴訟法をどちらも必須科目にするというのが第一点。
 第二点は、現在の法律選択科目、すなわち民事訴訟法、刑事訴訟法のほか、行政法、破産法、労働法、国際公法、国際私法、刑事政策のうち一科目を選択すべきことになっておりますところのこの法律選択科目を全部廃止するというもの、これが第二点。
 第三点は、口述試験の対象から商法を外すというものであります。すなわち、現在は論文式試験で受験した六科目すべてにつきまして行っております口述試験を、今後は憲法、民法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の五科目だけについて行うというものであります。
 そして、私はこのうち第一点は理解できるものの、第二点及び第三点には反対であります。特に、第二点の法律選択科目を廃止することには強く反対したいと思います。私は、今回の二つの改正案を全体としては高く評価しているものでありますが、この最後の点において、いわば九仞の功を一簣に欠くことになったというふうに考える次第でございます。
 以下、その理由を申し述べます。これから申し述べますことは、実は「ジュリスト」一一三一号、本年の四月一日号でございますが、そこに「是か非か、今次司法試験法改正」というタイトルで私が書きましたことを要約してお話しするものであります。
 言うまでもなく、今回の裁判所法及び司法試験法の改正は、昨平成九年十月二十八日に最高裁判所、法務省及び日本弁護士連合会のいわゆる法曹三者の間で成立した司法試験制度と法曹養成制度に関する合意、これは白表紙のそれぞれの法律案関係資料の中に参考資料として収録されておりますが、その合意に基づくものであります。
 このいわゆる三者合意の第一の内容は、現在毎年七百人程度である司法試験の合格者を平成十年度には八百人程度に、平成十一年度からは年間千人程度にまで増加させるというもので、これが三者合意の根幹であります。そして、この合意から合意の第二、第三、第四が出てまいります。
 すなわち、第二の合意事項は、このように司法試験の合格者を増加させれば、司法研修所等の受け入れ能力及び財政上の見地から、現在二年の修習期間を一年半に短縮せざるを得ないという合意。第三は、修習期間をもし一年半に短縮するならば、その間に民事と刑事の裁判につき現在と同程度の修習の実を上げるためには、どうしても司法試験の論文式試験科目における民事訴訟法と刑事訴訟法を必須選択科目ではなくてどちらも必須科目にする必要があるとする合意事項。第四は、民事訴訟法と刑事訴訟法を必須科目にするならば、受験者の負担を増大させないために法律選択科目を廃止するとともに、商法の口述試験も廃止する必要があるとする合意事項であります。このような三者合意に基づきまして今回の二つの法律案が提出されたわけでございます。
 このように見てまいりますと、今回のこの二つの法律案の内容は、司法試験の合格者を増加させるという、いわば茎を引っ張るとそれにぶら下がって手づる式にずるずるとすべてのものが出てくるように見えますけれども、私は、司法試験の選択科目廃止や商法の口述試験の廃止と合格者の増加の問題とは全く別の問題であると考えるものであります。
 私は日ごろ、諸外国に比べて著しく少ない日本の法曹人口を飛躍的に増加、増大させなければ、やがて日本の司法制度は国民に対する法的サービスの低下を招来するばかりでなく、国際競争場裏においておくれをとるとの強い危惧を抱いているものであります。このたび、法曹三者がおくればせながら司法試験の合格者数を年間千人にまで増加させるとの合意に達したことにつきましては一歩前進と評価しております。そして、ここに至るまでの法曹三者を初めとする関係の方々の御努力には深く敬意を表するものであります。
 その立場から申しますと、司法試験の合格者を年間千人にするということになりますと、受け入れ能力や財政上の理由から修習期間をやはり一年半に短縮せざるを得ないというのもやむを得ないことというふうに考えます。その意味で、私は、先ほども述べましたように、提案の裁判所法の一部を改正する法律案については賛成する次第であります。そして、このように修習期間が短縮されるならば、修習生が事前に民事訴訟法や刑事訴訟法についての十分な知識を身につけてから修習に入るようにするために、やはり民事訴訟法と刑事訴訟法をどちらも司法試験の必須科目にする必要があるというふうに思います。その意味で、私は、司法試験法の一部を改正する法律案のうち、その部分の必要性については十分に理解できるところであります。
 しかし、そのことと引きかえに、法律選択科目を廃止し、商法の口述試験を廃止することについては全く理解できません。特に、法律科目の全廃には強く反対せざるを得ません。
 その理由は三点ございます。
 第一に、司法試験の試験科目を、憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法という特定の六科目の必須科目に固定することは、柔軟で多様性のある社会に対応する法曹をつくらなければならないという今後私どもが目指すべき方向に反するばかりでなく、選択科目の廃止によって今よりさらに視野の狭い法曹を生み出す可能性を否めず、日本の司法の将来にとって大きな禍根を残すことになるのではないかと恐れるからであります。選択科目はたった一科目でもあるとないとでは大違いでありまして、千人の修習生が司法試験レベルにおきまして多様なバックグラウンドを持ち合うことは、今後ますます多様化する社会に法曹として対応していく素地として極めて重要であると考えるものであります。
 第二の反対理由は、選択科目の廃止が大学における法学教育と司法試験との乖離をますます増幅させることになることを恐れるからであります。私は、よい法曹になるためには、大学法学部において、その授業を受けて広い範囲にわたって法を体系的に学習し、しかも最低一つのゼミには参加して教師や他の学生との人間的接触を伴いつつ、特定の分野を深く勉強することがぜひとも必要だと考えているものであります。
 そうした観点からしますと、司法試験科目から選択科目をなくし特定のたった六科目に限定することは、まじめに大学の講義に出席しゼミに参加して深く勉強しようとする学生はかえって司法試験に合格しにくくなると考える誤った風潮を助長し、法学教育の現場に深刻な悪影響をもたらすことになります。私は、現場の一人の教師としてこの司法試験法の改正案には強く反対せざるを得ない次第でございます。
 もちろん、日本の大学の法学部は、法曹を目指す学生ばかりでなく、官公庁や民間企業に就職する者をも対象として教育しております。しかし、司法試験の合格者の九〇%はやはり法学部出身者でございまして、この者たちにとっても健全な法学教育ということがぜひとも必要なのでございます。
 第三の反対理由は、今回の司法試験法の改正が、実は最終的に法曹三者だけの合意に基づいて決められ、大学法学部の意見は正式に一度も聞かれなかったという手続的な理由からであります。
 言うまでもないことでありますけれども、司法試験の試験科目をどうするかは大学の法学教育と極めて密接な関係があります。前回、平成三年の司法試験の改正、これは司法試験科目からいわゆる教養選択科目を廃止した改正でございますけれども、その際には司法試験の受験者が比較的多い三十八の大学に意見照会をしております。ところが今回は、前回よりも一層大学の法学教育に深刻な影響をもたらす改正であるにもかかわらず、どの大学もこのような意見照会を受けなかったのでございます。
 さらに言えば、これは「ジュリスト」には書いてございませんけれども、今回の法律案の提出に至るプロセスは、前回の司法試験法の改正の際のこの参議院法務委員会の附帯決議に実は反するのではないかというふうに思います。その附帯決議では、大学法学部と法曹三者との密接かつ有機的な協力のもとに問題の検討を進めるべきであるというふうにうたっております。その附帯決議がこの黄色の表紙の参考資料の十六ページにございますが、こうあります。
  政府並びに最高裁判所は、次の諸点につき格段の配慮をすべきである。
 一 国民が、必要に応じ、広く、容易に、より高度な法的サービスを享受できるようにするため、我が国における適正な法曹人口の確保を図るとともに、その質の維持に努めること。
 二 右の月内を達成するため、法曹養成制度における大学教育との関係及び司法修習制度の在り方については、大学関係者及び法曹三者の密接かつ有機的な協力の下に検討を進めていくこと。
三は省略いたします。
 右決議する。
これが平成三年四月十六日の当参議院法務委員会の附帯決議であります。これを今回の法案成立過程においては無視されたのではないかというふうに思います。言うまでもなく、この附帯決議は単に法曹三者にとって都合のよい何人かの大学教授の意見をピックアップして聞けばよいという意味ではございません。この問題の検討そのものを大学法学部と法曹三者とが密接かつ有機的な協力をもって行うべきであるということをうたったものであるというふうに私は理解しております。
 このような私の意見に対しまして、政府はあるいは次のように反論するかもしれません。すなわち、先ほど引用しました平成九年十月二十八日の法曹三者の合意は、それに先立って法曹養成制度等改革協議会、普通、改革協というふうに呼ばれておりますが、その改革協が平成七年十一月十三日に法曹三者に対して提出した意見書を具体化したものにすぎない、そしてその改革協には大学教授など学識経験者も参加していたではないかという反論でございます。
 しかし、その反論は私の考えによると間違っていると思います。第一に、確かに改革協には大学教授も参加しておりましたが、かく言う私もその一人でございますが、それはあくまでも個人の資格で意見を述べたにすぎません。第二に、改革協の意見書では確かにその理由の部分に、法律選択科目について「受験生の負担軽減という観点からは、これを廃止すべきであるとする意見が多数を占めた。」という一文がございますが、それはそのすぐ前に「現行の司法試験制度・法曹養成制度、七百人程度の合格者を前提とした検討として、」とある部分に続けて述べられているにすぎません。今回の法曹三者の合意は、平成十一年から年間千人程度の合格者を出すというものでありますから、七百人程度の合格者を前提とするこの検討とは前提が全く異なるわけであります。たとえ改革協に数人の大学教授が参加していたとしても、その後の法曹三者だけの検討に入った段階で改めて大学法学部の意見を聞くべきであったと私は考えるものであります。
 以上の三点から、私は今回の司法試験法の改正、特に法律選択科目の廃止には反対です。
 それではどうしたらよいかということでありますが、私は、裁判所法の改正と司法試験法の改正をこの際切り離して、司法試験法の改正については、さらに一年の期間を置いて大学法学部の意見を十分に聞いた上、最も適切な司法試験科目は何であるかということを検討すべきであるというふうに考えます。
 もともと、今回のこの二つの法律案は施行期日がずれております。すなわち、裁判所法の改正、つまり修習期間の短縮は来年、平成十一年四月に司法研修所に入所する者から実施されるのに対しまして、改正された司法試験法による最初の司法試験が行われるのは平成十二年でございます。その合格者が研修所に入るのは平成十三年四月からでございますから、その間二年のずれがあるわけであります。つまり、この二年間につきましては、民事訴訟法か刑事訴訟法かの一科目しか受験しなかった者も研修所の一年半の修習で一人前の法律家に育っていくということが予定されているわけであります。そうだといたしますと、その二年がたとえ三年になったところで、よりよい司法試験法が成立するためには構わないというふうに私は考えます。
 最後に、司法試験における試験科目のあり方は大学法学部の意見を十分に聞いて検討すべきだというふうに今申しましたけれども、ここで私個人の意見を述べることをお許しいただければ、私としては、憲法、民法、刑法、商法に加え民事訴訟法及び刑事訴訟法の六科目の必須科目のほか、一科目の法律選択科目、合わせて七科目程度の試験科目を受験生に課しても、試験方法、出題範囲、時期等を工夫すれば、最近の合格者の平均年齢の若返りの傾向にかんがみますと決して受験者に過重の負担をかけることにはならないというふうに考えます。
 そう考える理由等につきましては、後に御質問があればお答えすることにいたしまして、以上で私の意見の陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
#7
○委員長(武田節子君) ありがとうございました。
 次に、上野参考人にお願いいたします。上野参考人。
#8
○参考人(上野登子君) 私は、弁護士以外には何の肩書きもない一介の弁護士でございます。事件の依頼者は年収約五百万くらいの町の庶民、私自身もそういう依頼者からの支払いで生活しておりますので、ほぼ同等の生活をしている一市民でございます。このような弁護士の立場から、また弁護士会の中で修習期間短縮、裁判所法改正に反対するという運動にかかわってきたその立場から、今回の裁判所法改正の問題点を指摘し、反対の意見を表明し、慎重な審議をお願いさせていただきたく参りました。
 第一に、この法案は判決で言えば理由そご、結論と理由が一致しておりません。司法の機能充実のため、社会の法的ニーズにこたえるためという改正理由と、そのために裁判官、検察官、弁護士になる者の修習期間を二年から一年半に短くするというこの結論とは明らかに矛盾しております。社会が国際化し、複雑高度化し、司法の充実が一層求められている現在、改正するならばむしろ少なくとも二年以上というのを三年以上と改正するのが当然であろうと思われます。
 何ゆえこの二年を一年半に改正するのか。飛躍的に法曹人口を増加させるためには、受け入れ能力がないから短くするのはやむを得ないと、これは裁判官、検察官の数が少ない、司法の容量を拡大すべきというまさに解決すべき問題を固定化してしまうものであります。これはむしろ短縮の理由にはならないことであります。
 現在の統一、公正、平等と言われるこの司法修習制度のエッセンスについて述べたいと思います。
 これは、裁判官、検察官、弁護士、いずれの志望にもかかわらず同じ教育を受け、どれにでもなれる能力と資格を身につけるという、その到達点が独立して仕事をできる、これは裁判官、検察官、弁護士の職務の独立性が大事だから、そこから出ております。
 それからもう一つは、生きた事件について、それぞれ裁判官、弁護士、検察官のその仕事に身を置いて技術とそれぞれの心構えを学ぶという非常にすぐれた制度でございます。そのために少なくとも二年間の期間が必要だということになっております。
 御存じのとおり、この制度は、戦前の官尊民卑の教育、司法制度――裁判官と検察官だけ同じ教育、国費でそれも裁判官と検察官の実務の教育だけをした、それから弁護士になる者は自費で弁護士見習いだけをした。そういう教育方法がもう絶対的な司法官僚の力の強さと、それから能力の低い、地位の低い弁護士を生み、それが基本的人権擁護の役割を果たし得なかったという苦い経験に基づいて戦後つくられたものでございます。
 この制度がその運用において非常に成果を上げたということにつきましては、法曹のみならず国民各界からも高く評価されております。当法務委員会のこれは平成三年度、先ほど青山先生が紹介なさった司法試験法の改正時の附帯決議におきましても、現在の司法試験・法曹養成制度の基本的理念を尊重すべきということを述べております。まさに、この基本的理念というのはこのような二年間の修習の運用の中にあらわれております。
 これに対して、短縮を主張する理由はいわばこの修習制度の魂を失わせるものです。単に二年間の器を一年半に縮める、だから器から漏れてしまう、器ではかれるものが少なくなるというだけの問題ではございません。
 短縮する理由としまして、これは最高裁、法務省が述べておりますけれども、司法修習の終了のときはむしろ半人前でよい、基本的な教育だけして本格的教育は任官してからやるんだ、こういう方向が出されております。これはまさに戦前の教育と同じように官僚教育、独立性のない上を向いた官僚を育てることにつながります。
 それから、OJTといいますか、資格を与えて仕事の中で教育するのだという方向が言われております。これは大工さんの見習いならOJTもよろしかろうし、私企業の従業員ならば我が社の精神に基づけばよろしかろうと思います。しかし、資格を与えた裁判官、検察官が未熟なまま、未熟な研修医に心臓の手術ができないと同じように、仕事の中で教育していくのだということでは国民の受ける損害ははかり得ないものがあります。
 それと、これも任官後の教育、上司が教育するということにつながるわけですから、司法に携わる者に何よりも必要な独立心というものを損なうものであります。とりわけ可塑性のある若いうちに手元で教育した方がいいのだという法務省などの短縮理由、これは今の統一修習制度のあり方に反するものです。
 さらに、司法の充実のためにこの修習の目的も、法廷実務家から企業従業員や行政職公務員、そういう人の教育に変えていくのだ、だから修習期間はむしろ一年でもよい、あとは仕事についてからやるようにという理由づけによる短縮が提案されております。裁判という国家権力の担い手の教育こそがこの修習の目的であり、正しい裁判が行われることが司法の本質的役割ですから、法廷実務家としての教育をきっちりやることがこの修習の目的であろうと思います。
 ここに至りますと、これは法務委員の先生方には釈迦に説法となりましょうが、司法の本質的な役割というものをここで再確認することが必要であろうと思います。
 司法は紛争の解決手段としての司法と言われておりますけれども、基本的にはそれだけではなく、人権擁護の、人権のとりでとしての司法、それから行政等のチェック機関、または立法についても憲法に基づいてチェックする司法でございます。
 人権擁護のとりでとしての司法ということを考えますと、これは修習期間短縮はいかがなものかという朝日新聞の社説の中でも言っていたことでございますが、社会的に立場の弱い者が行政当局や社会的強者と対等に争え、権利が守られるのは司法のかけがえのない価値である、これを守り育てることが司法の最重要課題にならなければならない。こういう観点から考えますと、官僚的な独立性のない裁判官、検察官や力の不十分な弁護士では司法の役割を十分に果たすことができない。
 そういう観点から、今回の修習期間短縮というものは現在のすぐれた修習制度の意義を失わせ、司法の役割をむしろ弱めていくものであるということで反対いたします。以上です。
#9
○委員長(武田節子君) ありがとうございました。
 次に、佐木参考人にお願いいたします。佐木参考人。
#10
○参考人(佐木隆三君) 私は小説を書いている人間です。裁判を傍聴取材して、あるいは裁判記録に基づいて歴史小説を書いたりもするんですけれども、いずれにいたしましても、裁判所に通うことによって、裁判の実情を見ることによって物を考えたり物語をつくったりする立場ですので、きょうの参考人の先生方とは立場が随分違うんですけれども、言うならば傍聴席から司法制度を見ている者の意見ということでお聞きいただければありがたいと思います。
 私自身は、かねてより法曹資格者というか司法試験に合格する人がもっとふえた方がいいというふうに思っておりまして、そうして資格を持った法律家が国民とともに歩むというか、そういった司法であってほしいと願っておりますので、司法試験の合格者をふやすということ、それに基づいて対応する措置であるというふうに理解したときに、今回の法律改正はいいことだというか、私は賛成したいというふうに思っております。
 自分の職業の話なんですけれども、私は一九七〇年くらいから刑事裁判の傍聴に通っておりまして、民事の方は余り法廷に通ったことはないんですけれども、ただ、私どもが刑事裁判を傍聴していて、一般傍聴人というのは法廷にいてもメモをとることが認められませんでした。それで、一九八八年四月に、法廷メモを一般傍聴人にさせないのは憲法違反であるという損害賠償請求の訴訟を起こしまして、そのとき国を訴えたわけであります。この委員会の委員でありますところの林田悠紀夫法務大臣に百万円弁償してほしいという訴訟を起こしたわけであります。
 これは、アメリカの弁護士のローレンス・レペタという人が東京地裁にそのような趣旨の訴訟を起こして、一審、二審いずれも敗訴をして、それでアメリカの弁護士がそういう憲法違反の訴訟を起こして日本人が何もしないのは恥ずかしいということで、かねてより私も疑問に思っておりましたので訴訟を起こしました。八九年の三月八日に最高裁の大法廷で、レペタさんの損害賠償請求は退けたんですけれども、ゆえなく妨げてはならないということで一般傍聴人のメモが自由になって現在に至っているわけです。
 私自身は、その最高裁大法廷の判決で一般傍聴人のメモがとれるようになったことを確認して自分の訴えを取り下げましたので、林田法務大臣から百万円をいただき損なったということにもなるわけであります。
 そういったこともあって、今一般市民の間でも、裁判を傍聴しようという運動というとおかしいんですけれども、裁判を傍聴していろいろなことを学ぼうと若い弁護士とか司法書士の方たちが中心に市民に呼びかけておやりになっていて、司法に対する理解が深まるということで大変いいことだというふうに思っております。
 先ほど、傍聴席から見た裁判、とりわけ刑事裁判ということで、常日ごろから考えていてやはり納得いかないことがよくあるのは、これは憲法第三十七条、刑事被告人の権利の第一項なんですけれども、「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」とあるわけでありますけれども、迅速な裁判というのが日本の場合にどのように機能しているかというか、この憲法の精神がどのように生かされているかというと、残念ながら迅速な裁判ということとはほど遠い裁判が少なくないということなんですね。
 迅速な裁判というと、これは大日本帝国憲法のもとでありますけれども、一九一一年、明治四十四年一月十八日に大審院の特別刑事部がいわゆる大逆事件の被告人二十四人に死刑判決を言い渡した事件がありました。
 これは明治四十三年、一九一〇年十二月十日に初公判が開かれて、十二月二十五日に論告求刑、二十六人の被告人全員に死刑を求刑して、十二月二十九日に弁護人の弁論でもって結審して、一九一一年一月十八日に判決で二十四人に対して死刑、二人に対して有期懲役と。これは非公開の裁判でありまして、そうして二十四人死刑を宣告されたうち、十二人はその判決の翌日に無期懲役に減刑して刑が確定して、一月二十四日には十一人に対する死刑を執行、一月二十五日には残る一人に対する死刑を執行というものでありました。
 今日の日本国憲法に言うところの刑事被告人の権利というものが当時はなかったということで、戦後になっていろいろとこの裁判に関する資料などが明らかになってまいりまして、言うなれば暗黒裁判という言葉が公開されていないという理由でもって使えるのではないかと。そしてまた、弁護人の証人請求に対してことごとく退けて、言ってみれば極めて迅速な裁判が行われたということなんですが、このような迅速な裁判におよそ意味があるとももちろん思えないわけであります。
 今、東京地裁で一九九五年九月からいわゆるオウム事件の裁判が行われております。これはきょう現在、東京地裁の場合でありますけれども、百十一人に判決が出て、二十四人がなお係属中ということなんですけれども、その二十四人のうち十九人がいわゆる地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家殺害事件の被告人で、重複して公訴を提起されている被告人もおりますから、十九人がこの三つの事件でいうところの死刑相当事件の被告人ということになるわけです。私、先ほど明治の大逆事件の話をいたしましたけれども、これに匹敵する実は大変大きな刑事裁判でありまして、恐らく諸外国も注目していると思うんです。
 このオウム裁判、実は今申し上げましたように既に百十一人に対する判決は出ておりますけれども、二十四人がなお係属中、そしてまたいろんな被告人が残っているわけであります。果たしていつになったら判決に到達できるのであろうかという審理の進め方、そういう法廷を幾つか見ておりますと、迅速な公平な裁判を望むということはまさに人後に落ちるものではないけれども、それでは迅速で公平な裁判というものが現に行われているのかどうかというと、またこれは疑問に思わざるを得ない。ですから私は、いわゆる法律家は何を考えているんだろうか、憲法の精神をどう思っているんだろうかと。
 そしてまた、第三十七条の刑事被告人の権利の第三項、「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。」とあって、これがいわゆる国選弁護人でありますけれども、この国選弁護人がついていて、これは私の全く個人的な見解であります、私なりに裁判所に通って今も見続けながらの意見でありますけれども、争う権利ということを主張して、迅速な裁判ということにほとんど相反する審理にならざるを得ないという実情もあるわけであります。
 私はそれこそ尊敬する職業として弁護士ということをすぐ思い浮かべるわけでありますけれども、それじゃ彼らは司法研修所でどういう教育を受けてきたんだろうかというふうに大変疑問に思うことが特に最近多いので、このことは私の一つのテーマにして、やはり迅速な裁判を受けるということの意味――明らかに、最近は参議院を含めて国会では牛歩戦術というのはないそうでありますけれども、裁判所の法廷で牛歩戦術にも等しいことが行われていて、むだな時間が費やされているというふうに思うことが多いんです。
 それでは、どうして裁判が遅延するのか。民事裁判のことは別にいたしまして、刑事裁判で重要なのは、これは私が知り得た上での刑事裁判全体のことを申し上げるんですけれども、日本の場合は調書裁判ということで、捜査段階で警察官ないし検察官が調書を作成して、それを起訴したら裁判所に公判請求して、それを証拠として請求する、それを証拠として認めるか認めないかの争いが実は大変多いんですね。ですから、そこに何が問題があるかというと、大抵の被告人は被疑者の段階で弁護人がついていない、だから捜査官の誘導でこのような供述をしてしまったとか、あるいは拷問に等しい尋問のされ方で署名せざるを得なかったというふうなことを言ってみたりすることが多いんですね。
 そしてまた、これはオウム裁判の特徴でもありますけれども、検察側が請求した調書を中心とする証拠書類、もちろん捜査報告書であるとか、殺人事件の場合の死体検案書であるとか、鑑定書であるとか、そういったものをすべて不同意して、不同意することによってその鑑定をした人とかが証人として出てこなければいけない。そしてまた、昨年十二月に検察側は地下鉄サリン事件の殺人と殺人未遂の訴因変更を行ったわけです。殺人未遂は当初三千七百九十四人の被害者がいたわけでありますけれども、それを十四人に絞り込むという、恐らく前代未聞のことが行われたわけであります。これは言うまでもなく、弁護側が被害者の調書ないしは医師の診断書、そういったものをすべて不同意するから、理論的に言うと三千七百九十四人すべて法廷に呼ばなければいけないということで、審理の迅速化のために検察側がそういう措置をとったのであります。
 これも、国民の立場というか、私が考えるところと言うべきか、全くもって間尺の合わない話であって、多くの被告人がいて、地下鉄サリン事件では十四人が殺人と殺人未遂の共同正犯で起訴されておりますけれども、ほかの被告人及びその弁護人はそういった書証にすべて同意しているわけでありますから、そうすると、例えば同じ国選弁護人がついていながら、一方はすべて不同意する、ことごとく不同意する、一方はすべて同意する、そういったことが現に行われている。これは何だろうか。
 もうわからないことが大変多くて、そういった意味で私は、日弁連が九二年から全国的に当番弁護士制度というのを、言ってみればサービスとして費用をすべて弁護士会が負担してやっているこの当番弁護士制度というものが法制化されて国選ないしは公選制度になって、取り調べの段階でどんな被疑者に対しても弁護士がつく、そういった手続といいましょうか、配慮が行われていれば、裁判におけるむだな争いが随分なくなるだろうと思うんですね。
 オウム裁判の場合も、もちろん私は被告人についている弁護人を攻撃するためにこういうことを言っているんじゃなしに、その趣旨はおわかりいただけると思うんですけれども、やはり捜査段階における弁護人がついていなかったということが実は争いを深くしている、もっと言えばむだな争いのもとになっているということを含めて、今回の参考人として求められている意見でも何でもありませんけれども、将来的に被疑者段階で国選ないしは公選の弁護人をつけるということをぜひ国会で御配慮いただければ、今私が申し上げたようなむだな争いもかなり減ってくることは期待できるというふうに思います。
 以上です。
#11
○委員長(武田節子君) ありがとうございました。
 次に、堀野参考人にお願いいたします。堀野参考人。
#12
○参考人(堀野紀君) この問題、つまり二つの改正法案について、平成九年度日弁連の担当副会長として対処する立場にあった者といたしまして、日弁連がよって立った視点について申し述べさせていただきたいというふうに存じます。
 まず、結論といたしまして、本両議案につきましては賛成いたします。
 そのことを申し上げた上で、私たちがこの結論を得るまでの間経験してきました非常な苦しみと決断の中身を御紹介することを通じて、この問題が持っている本来的な重要性について訴えさせていただきたいというふうに思っております。
 御案内のとおり、裁判所法の改正案は、司法試験合格者を現在の七百五十人程度から一千人程度に増加することに伴って、現行司法修習制度についてその期間を二年から一年半に短縮することを内容とするものであります。
 このことをめぐって日弁連は、会内世論を二分した形で激しい議論を展開し、昨年十月十五日の臨時総会におきまして、今後の司法と法曹のあり方をめぐるさまざまな議論を収拾しながら、修習期間の短縮自体については一年半の法務省の案を受け入れるという結論を得たのであります。
 修習期間を短縮するという最高裁、法務省の理由とするところは、次の二つの点でなかったかと思います。
 第一は、合格者が現在の七百五十人程度から一千人程度に増加しますと、現行の実務修習方式、ある意味ではマンツーマン的な実務修習方式を前提とする限り、法曹三者とりわけ裁判所、検察庁においてはその受容能力がないということ、これが第一でございます。
 第二は、従来行われていた修習では、本来資格取得後に教えればよいとされるような専門的で高度な内容に入り込み過ぎていたということで、もっと基本的で汎用的な技法とリーガルマインドの習得に集中すれば二年もの修習は必要ないということ。そして、権限と責任を伴わない修習を長く続けるよりは、早く資格を取得させて、いわゆるオン・ザ・ジョブ・トレーニングに入る方がより効果的であるということで短縮が必要であるという理由づけを行ったように思います。
 まず、後者について申し上げたいと存じます。
 権限と責任が伴わない司法修習という表現は、司法修習の非本質的な側面だけを指摘しているにすぎないと思います。法曹三者が一緒に、公平、平等で、かつ一定レベルの研修を受けるというこの戦後司法改革の最大のすぐれた側面を軽視しているのではないかという批判を免れないというふうに考えます。
 弁護士と裁判官、検察官を同列に養成するかどうかということは、一国の司法のあり方の基本にかかわる本質的な問題でありまして、一定期間一定レベルの統一修習の確保は、日弁連としては譲ることのできない一線であります。もし仮に戦後この制度が実現していなかったとしましたら、官尊民卑の治安優先の司法構造がそのまま維持され、司法による民主主義は実現されることはなかったと思います。
 また一方、裁判官、検察官になる者が、弁護士の実務あるいは弁護士が接する庶民の生活、取引社会の実態等に触れることもなく任官していったとしたら、民情に通じない権威に頼る裁判官、検察官が恐らく世の批判を浴びることとなっていたと思います。
 私たちは、このことの重要性に関する認識の違いが三者協議での一つの主要な論点だったというふうに理解しており、今回一年半での合意が成立したとはいえ、この一年半という期間は、これ以上は譲れない最低限の期間であるということをこの際強調させていただきたいというふうに思います。
 ちなみに、私たちは資格取得後のオン・ザ・ジョブ・トレーニングの重要性について、これを否定するものではありません。問題は、統一司法修習かOJTかという選択の問題ではなくて、統一司法修習もOJTもという問題だと考えるものであります。そして、司法修習の二年間は実は決して長過ぎることはありません。長過ぎると感じる向きがあるとの報告もありますけれども、問題は中身が充実しているかどうかで決まると思います。
 そして、今後法曹が担うべき課題がますます専門化、多様化、複雑化している状況の中では、ますます量、質ともに充実させるべきであります。実質問題としては短縮すべきでないという考え方が妥当であり、社会的な支持を得られるものと考えておりますし、長期的に見れば、その程度の風家投資は司法による正義を目指す国家としては当然の責務であるというふうに考えます。
 以上述べました点におきましては、弁護士会の内部においてさしたる大きな意見の違いはなかったというふうに私どもは理解をしております。
 それでは、なぜ日弁連は臨時総会を開催してまで法曹三者協議で期間短縮を認めて合意する決断をしたのか、そこを御説明する必要があろうかと思います。
 そこでまず、先ほどの修習短縮の第一の理由に立ち返りますけれども、一千人規模の合格者を現行の修習期間で受け入れた場合に、実務修習四カ月が重複して、この間実務庁や弁護士会が二期分の二千人の修習生を受け入れることになりますけれども、これは事実上不可能であるということが問題の発端でありました。私どもも大変これは難しいことだろうという認識を持ちましたが、弁護士会としましては、いや何とかできるはずだ、工夫すれば可能だというふうに主張し続けてきました。仮に裁判所や検察庁において無理があるとするならば、その分を何とか弁護士会で引き受けましょうという提案までしてまいりました。
 しかし、この議論は膠着状態に陥りまして、この膠着状態が続く中で、昨年五月、法務省はそれまでの最高裁の一年に短縮するという案を事実上修正する形で全体で一年半という案を提示されたのであります。日弁連が主張している二年ということではどうしても協議は成立しないという状況が訪れたわけであります。
 しかしながら、法務省の一年半という案が提起される中で、私たちは選択を迫られたわけであります。私たちは、ここで意見が違えば決裂だ、あるいは一年半で合意することも屈服だという単純な論理はとることはいたしませんでした。私たちは、現在の時代を認識し、またどういう状況下で何を今論議しているんだということを冷静に考えました。
 何よりも、九〇年の司法試験改革の際に日弁連自身の提唱で設置されました法曹養成制度等改革協議会、いわゆる改革協での四年半にわたる審議、しかも法曹三者以外の協議メンバーの方が参加されたこの協議会の意見書において、日弁連の協議員も含めて合格者を一千人程度にふやしましょうという方向性が打ち出されたということ、そしてこの三者協議はその実施に向けての具体的方策を検討するための場であって、一千人体制への円滑な移行を考えた場合には、今、日弁連は大局的な立場から方針を立てるべきであるというふうに考えたのであります。
 確かに、一年半への短縮は不本意ではありましたけれども、三者協議におきましてこの統一修習の原則は維持するんだということを三者で確認できましたし、また現実にも、一年半であるならば従前の量と質を維持した修習は可能であるというぎりぎりの判断をしたことと、そして今、司法が重大な曲がり角を迎えているこの時期に、法曹三者が将来の司法や法曹のあり方について真剣な論議を交わしたこの機会を将来に向けても大切にしたいというふうに考えたからであります。
 一方、日弁連としましては、この機会に、法曹養成制度等改革協議会での問題意識を踏まえながら、さらにそのもう一歩先、その延長線上に我が国の将来のあるべき司法像を描きたいというふうに考えて、大変な臨時総会ではありましたけれども、その臨時総会において長年の懸案である法曹一元制度の実現に向けた決意を表明いたしました。
 これから予測される社会あるいは経済構造の変革に伴って司法の果たすべき役割と機能が拡大していくことは必然でありますけれども、この問題は、修習期間を確保しさえすればいいとか、あるいは短縮しなければならないといった次元だけの問題ではないというのはもちろんのこと、現在の司法構造をただそのまま相似形的に拡大していけばいいといったようなことで済まされる問題でもないというふうに理解いたしました。司法のあらゆる分野での体質改善と制度改革を実現していくことが必要だ、そのことをこの機会に思い切り議論をし、深め、そして実現に向けて第一歩を踏み出していきたいというふうに考えたわけであります。
 これからの社会は、法律問題も昔のままでは済みません。国際的にも国内的にも激動の時代を迎え、ハイテク化は無論のこと、取引社会は複雑化し、市民社会もさまざまなひずみに直面するというふうに思います。この激しい変化と複雑化に対して有効に機能する司法制度と、これを担うに足る広い社会常識としなやかな心、すぐれた実務能力を備えた法律家をたくさん輩出することが必要であり、それを今から準備していくことが私たちの責任ではないかというふうに考えました。
 その眼目は人の問題と制度の問題であります。このような将来社会に対応していくために、社会の隅々にまでよい弁護士を多数配置していくということとともに、裁判官になるには一定年限の弁護士経験を必要とするいわゆる法曹一元制度の導入を真剣に考えるべきだというところにあります。
 この法曹一元は、直ちに裁判所も検察庁も受け入れるところではありません。また、弁護士の世界の実情に照らしても、今そういう点での社会的コンセンサスがあるというふうにも言い切れません。しかし、それが望ましい制度であるということは、政府のもとに設けられた一九六四年の臨時司法制度調査会の意見書も指摘しているところであります。
 私たちは、その実現を展望しながら、今回の三者協議においても、そのような観点から法曹養成の段階においてその準備的取り組みをしようではないかという提言をいたしました。それは、法曹養成を司法研修所での二年とか一年半の期間だけの問題でも、またそれぞれのOJTという分野別の事後研修だけではなくて、司法試験合格のときから始まって、司法研修所を経て、そしてまた資格を取得した後まで、法曹三者共通の視点から一貫した法曹養成過程としてとらえて、それらについて弁護士会もあらゆる段階で負担を負って主体的に研修の実施に参加する仕組みをつくりたいという提案をいたしました。これは三者協議で具体的に提案をいたしました。これは法曹一元的な視点からの問題提起ではありますが、実は現状からいえばそれ以前の問題でもあります。
 現代の青年たちの成育過程や教育や受験戦争の現実からか、現在、司法試験合格者の相当数は、実社会に触れることなく、予備校で合格のテクニックを学んで司法研修所に入ってまいります。このような合格者たちに少しでもより深く広い学問的素養を身につけてもらうとともに、社会の実相に触れる経験を積んでもらうことが格段に重要になってきております。
 このような要請にこたえるため、日弁連は総会において、一つは、合格後、司法研修所入所前までの数カ月の間を何とか活用した研修ができないだろうか、その点についての三者の協力、それから司法研修所の教育を挟んだ資格取得後の継続研修における法曹三者の協力についての具体的な提言をいたしました。これらの提案の中核は、裁判官あるいは検察官になる方々も司法修習を終了した後一定期間、一定の権限制約のある弁護士として弁護実務を経験することを義務づける、私どもはこれを研修弁護士制度と呼んでおりますけれども、すべての人々に弁護士としての経験を一年でもあるいは半年でも持ってもらったらどうだろうかといったような制度を提案いたしました。
 この提案につきましては、その理念的なところはあるいはおわかりいただけたかもわかりませんけれども、現段階では裁判所、法務省とも提案についての合理的な根拠を見出しがたいということで同意されるには至っていませんが、過渡的にではありますけれども、三者共通の研修機会を今後創設し、あるいは拡大するということについては実現に向けて誠実に協議するということを三者で合意いたしました。単に一年半の司法修習にとどまらず、総合的でトータルな法曹養成制度を実現することで、量質とも従前を上回る法曹養成のあり方を展望することができると考えて、私どもは修習期間の短縮を含めた三者間の全体の合意を成立させたのであります。
 次に、司法試験法改正に関しての問題に触れておきたいと思います。
 第一に、今次の改革は、法曹として必ず身につけておかなければならない民事訴訟法、刑事訴訟法の両科目を必須としたことに伴って、受験生の負担がふえる分、労働法、行政法などの法律選択科目の廃止によって負担を軽減しようということ、それから口述試験について商法を試験科目から除く等の改正をしようというものでありますが、日弁連としては、詳しい議論は省きますけれども、全体として受験生及び試験委員の負担が加重にならないよう配慮したものと理解して三者協議において賛成いたしました。
 私どもは、これらの法律選択科目の重要性を決して軽視するものではありませんけれども、実態に着目すれば、すべての修習生がこれらの選択科目すべてを学んできているわけではなくて、どれか受かりやすい科目を選択してきている、受験技術の一つに組み込まれているという一側面もございます。そういった実態に着目するならば、もっと実質的に幅広い教養と学問をやる方向を大学関係者とも協議しながら、あるいはまた先ほど申しましたような実践的な研修プログラムを利用しながら、実質的にそれを実現していく方向を考えていくのが本筋ではなかろうか、試験科目に入れるか入れないかの問題ではないんではないかと考えます。
 第二に、もう一点だけ申し上げさせていただきたいんですが、現在、受験回数三回以内の受験生については合格優遇枠をつくっております。この制度によって、長期間受験で滞留していた人たちを緊急避難的に合格させる、あるいは若い層の合格者をふやしていくということが図られたわけでありますけれども、これについては、もともと試験の平等性に反するということで日弁連はこれに対する批判を持っておりましたけれども、今回の三者協議の合意の中で、そういった廃止すべきだという提案も含めて、三者で平成十三年度の試験のあり方について結論が得られるように協議することを合意いたしました。
 いずれにしましても、今回の両法の改正につきましては、それ自体の意味はもちろんのことでありますけれども、その背景として、あるいはすそ野の問題として、二十一世紀の司法制度のあり方にかかわる大きな問題と関係しているという認識を私どもは持っております。この決着については、私たちは弁護士会の中に強力な反対意見を抱えながら、しかしながら、時代の転換期に弁護士会のとるべき方向を虚心に考えて、そしてまた法曹三者の間の基本的な信頼関係を踏まえた現実的な、そして将来を展望した決断をしたのであります。
 要は、これからの我が国が、司法による正義の行き渡る道徳的な国家として国際的な信頼を得る必要があるということは、これは法曹三者にとっても共通の問題意識であり、また立法府におかれても、司法権の独立は尊重されつつも、国民がより身近に利用でき、国民の基本的人権が確実に守られるような司法をつくるために、その基盤整備その他に一層の御配慮を賜りたいということをお願い申し上げて、私の意見陳述を終わりたいと思います。
#13
○委員長(武田節子君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#14
○清水嘉与子君 自由民主党の清水嘉与子と申します。
 きょうは、四人の先生方から大変示唆に富むお話を伺いましてありがとうございました。限られた時間でございますので、大変恐縮ですけれども、四人の先生に質問させていただいてお答えいただきたいと思います。
 まず、日本では裁判に非常に時間がかかって、しかもお金もかかるということがあって、余り国民が、本当に必要な人が利用していないんじゃないかという批判がございます。
 そこで今度の改正が出てきたわけでございますけれども、先ほど来お話を伺っておりますと、現在の七百五十名を八百名あるいは千名にするというところまでで終わりになってしまいまして、実はその後にまだ千五百にしようとかあるいはまだ足りないかもしれない、というのは、ほかの国に比べますとまだ全然、裁判官も検事も、それから弁護士においてはもうまさに足りないというか、それが本当に足りているのか足りないのかということはあると思いますけれども、やはり先進国に比べれば日本は随分数としては足りないという気がいたします。そこでこういった問題が出ているわけでございますので、そこの中で、この研修の問題とか期間の問題とかそれから試験の問題、科目の問題も出てきているんじゃないかというふうに思います。
 特に、青山先生、上野先生、堀野先生には、もっとふえたときにどうして養成するのだろうか。つまり千五百、二千、二千は言いませんけれども、それ以上になったときにどうなるんだろうかと。つまり研修期間を二年でなきゃだめ、一年半でなきゃだめというふうに、もうちょっと工夫がないだろうかという気がいたしておりますので、お願いをしたいと思います。
 それから、さっき佐木先生から傍聴席から見たということで大変示唆に富むお話を伺いました。私たちも裁判を迅速に、公正に、そして適正な方々によって行っていただきたいという希望を持っているわけでございますけれども、裁判を短くすること、佐木先生のお話ですと必ずしも人がふえれば短くなるという話ではどうもないようでございまして、もっと工夫が必要じゃないかと思いますので、その辺につきましてもお三人の先生方に何かアイデアがあったら教えていただきたいというふうに思っているわけでございます。
 それから、特に青山先生には、さっき民訴法、刑訴法、それが必須になって、また六科目の選択科目を入れても受験生に余り負担ではないんじゃないかということをおっしゃいましたが、その理由というのを教えていただけたら大変ありがたいと思います。かっても民訴、刑訴両方が受験科目になっていて非常に負担が多いというので選択になった経過があると思いますけれども、今度はそれで大丈夫なのかどうかということが心配でございます。
 佐木先生には、優秀な法曹人の育成というようなことについて、先ほど司法研修所のお話も出ましたけれども、本当に私たちは、人の問題を係争し、そして裁くというこの職種の方々に高い倫理性を求めたいと思いますけれども、なかなかこのごろはいろんな問題の方も出ているようでございます。その辺につきましてもしアイデアがございましたら、優秀な法曹人の育成という問題について、研修生のことも含めて教えていただきたい。
 それから、先ほど法曹一元化の話も出ました。特に、裁判官の方々にこういった法曹一元化の問題というのは私は非常に重要なことではないかというふうに思いますので、その辺も含めてお教えいただけたらというふうに思いますので、よろしくお願いいたします。
#15
○参考人(青山善充君) 先ほどは限られた時間で言いたいことをすべて言おうといたしまして、かなり早口で用意してきた原稿をそのまま読み上げるような形になりました。結果的には舌足らずになった箇所が多々ございます。御質問いただきまして、再度補充する機会を与えていただいたことを大変感謝申し上げます。
 清水委員からいただきました私に対する質問は二点だというふうに理解しております。
 第一点は、法曹人口を日本ではこれからもっと増加させなければいけない、その場合に修習はどうするのかという御質問であろうかというふうに思います。第二点は、私が先ほど申しました七科目の司法試験科目を課した場合に、受験生の負担にならないというふうに申しました理由は何かという御質問であろうかと思います。その順序でお答えさせていただきます。
 私自身は、委員の今御指摘のとおり、日本の法曹人口は諸外国に比べまして圧倒的に少ない、これはもう飛躍的に増大させなければいけないというふうな認識を持っております。そういう場合に、現在千人から、千人になるにもやっとこういう状況になった、これをふやしていったらどうなるかということでございます。
 私は、改革協では司法試験の合格者を少なくとも二千名程度にしろということを強く主張した者の一人でございます。もちろん、二千名は現在の司法研修所の収容能力を超えております。私は、二千名にして第二司法研修所を関西につくれということを前から主張しているものでございます。もちろん、そういう主張は財政的な能力からいいましてだめだと、非現実的だということが言われ続けておりますが、私は日本の司法制度、活気のある正義に基づいた司法制度というものをつくるためにはその程度の国家財政の負担がぜひ必要だというふうに考えているものでございます。法曹人口をふやすためには合格者もふやし、収容のための教育機関も新しくつくるべきだというふうに考えているものでございます。
 それから、第二点でございますけれども、司法試験の受験者の負担という場合に、この負担ということの意味が二つあるように私は思います。
 一つは、将来法曹になるために必要な法についての高度な学識あるいはその応用能力を身につけるためには、法曹を志望しない者に比べて法曹を志望する者が五倍も六倍も勉強しなくちゃいけないという意味での負担があると思います。私は、将来司法試験を受けて法曹になろうとする者は当然そういう負担を引き受けるべきだというふうに思います。将来、法曹として他人の紛争について判断し、基本的人権を擁護し、正義を実現しようとする者は、そのための十分な学識と能力を習得するためにそのような負担を背負い込まなければいけないというふうに思っております。七科目程度の司法試験科目を課したからといって特に問題とする必要はないというふうに考えております。
 ところが、負担というのはもう一つ別の意味がありまして、実はそのような学識や能力を既に習得しているのに、司法試験の合格者数が余りにも制限されているために、合格者と不合格者の実力の差は現在ほんの紙一重でございまして、運よく合格するまでに何回も受験を重ね、合格者の年齢が高くなるという意味での負担でございます。この第二の意味での負担は、これは私は本人にとってばかりでなく社会的にも損失であるというふうに考え、その負担の軽減を図るべきであるというふうに考えているものでございます。
 それでは、現在、後者の合格者の高年齢化という意味での受験者の負担はどうかということについて統計で申しますと、実は合格者の平均受験期間、これは回数という意味でありますが、受験期間が一番長かったのは平成元年でございまして、これはピーク時六・一一年でございます。そして、そのときの平均年齢は二十八・九一歳でございました。ところが、先ほど堀野参考人から御紹介のありました合格枠制の初年度の平成八年度は、合格者の平均受験期間が四・五二回に減少いたしました。平均年齢も二十六・三五歳まで下がっております。二十八・九一歳が二十六・三五歳まで二年六カ月ぐらい若返りました。ともについ先ごろ発表された数字で申しますと、平成九年度は合格者の平均受験期間は四・四二年、四・四二回と言ってもいいんですが、になりました。平均年齢はさらに下がりまして二十六・二六歳でございます。
 この合格者の平均年齢が二十六・二六歳というのは、これは五十歳の人も六十歳の人も司法試験を受けているわけですから、その中で合格者の平均年齢が二十六・二六歳というのはかなり改善されているというふうに見るべきだろうと思います。しかもこの数字は、平成十年、ことしの試験ではさらに合格者が八百人にふえる、来年になると千人にふえるということになりますと、この合格までの受験期間は短縮化されますし、若年化はさらに進むことが期待されます。
 そういたしますと、私は受験者の負担の問題というのは、試験科目数の削減によってではなく、合格者数の拡大によって対処すべきであるというふうに考えております。
 以上でございます。
#16
○委員長(武田節子君) 時間の関係で、簡潔にお願いいたします。
#17
○参考人(上野登子君) 法曹人口の増加のことで言いますと、これは裁判官、検察官、とりわけ裁判官を飛躍的にふやさなければならない。ちょっと具体的に申し上げますと、後ほど堀野参考人からも報告があると思いますが、極めて裁判官のふえ方が少ない。これは国家予算を伴うわけですが、司法予算が戦後この間極めて少ないものとなっております。そういうことで、司法予算を増大し裁判官をふやさなければこれは究極的に司法の解決は得られない。
 私は、弁護士の立場で一番悩んでおりますのは、先ほど依頼者の収入層を申し上げましたけれども、弁護士費用を十分に出し切れない依頼者が非常に多い。法律相談のはしごは多いんだけれども、なかなか訴訟として権利実現まで行き切れない。そういう意味で、これは扶助制度の充実が絶対的に必要であるということを申し述べたいと思います。
 それから、現在修習生がふえている中で裁判官の採用者が少ない。これは任官拒否といいますか、任官希望がありながら裁判官に採用されないという状況の中で、統一、平等で学ぶというやり方が非常にゆがめられております。
 先ほど合格者が若年化した話を青山参考人がおっしゃいましたけれども、現在はとりわけ若い人、いわゆるエリートコースと言われる東京地裁新任者の任官時の平均年齢が二十五歳という形で、若くストレートで試験に受かってきた人だけが優秀な人であって裁判官に採用する、三十歳以上の人とか職歴のある人は採用しないという形での任官差別というものが行われております。
 こういう事態を解決するためにも、裁判官の数をもっとふやすべきであろうと思います。
#18
○参考人(佐木隆三君) 私は、裁判というのはもちろん言葉の争いでありますけれども、日本語として、死語を含めて一番わかりにくい言葉を使っているのは法曹人だろうと思うんですね。
 ですから、優秀な法曹人というのは、大体が刑事裁判を受ける被告人というのは、いわゆる優秀な社会人じゃないから失敗するということですから、そういう人に、なぜ自分が今こうやって処罰を受けようとしているのかということを、例えばこれが性的な犯罪であるとするならば、にわかに劣情を催し、こっちへ来いと申し向け云々とか、そういったたぐいのことを言い聞かせて怪しまない。これは、例えば最高裁が当事者にもわかる判決文を書きましょうと、民事裁判の場合ですけれども、確かにあれは甲は何とかで乙は何とかでわからない。
 最高裁大法廷判決で法廷メモが解禁になったときも、これは損害賠償請求訴訟でありまして、本件上告を棄却すると、たったそれだけのことで、後で要旨みたいなものを配られたけれども勝ったのか負けたのかわからないんですね。後になって、一時間ぐらいたって、いやこれは実はメモが解禁されたんだとわかったんです。
 そういったことをぜひ司法研修所で、皆さん文章を書ける人ですから、それをわざわざ、私が聞いた若い司法修習生の話だと、例えば起訴状なら起訴状の起案をする、そうすると、こういう言葉を使っちゃだめだ、こういうふうにしなさいと言ってコケむしたような言葉に直させられてがっかりしたというようなことを聞いたことがありますけれども、本当に裁かれるのは市民、普通の人なんですから、普通の言葉を使っていただく努力をしてもらいたいというふうに思います。
#19
○参考人(堀野紀君) まず、法曹の数が少ないということにつきまして、弁護士会ではよくもうこれで目いっぱいだという意見もあるわけですけれども、足りるか足りないがが議論されている本人が足りていると言う資格は私はないだろうというふうに思っております。これは基本的には市民なり中小企業の社長さんたち、あるいは大企業の各法務部の人たち、それから消費者グループにしろ、とにかくあらゆるところであらゆる問題を抱えている方々から見て本当にアクセスできているのかどうかというところから考えるべき問題であって、弁護士が自分で足りていると言うのはこれはおかしいだろうというふうに思っております。
 したがって、これからふえていく、またふやしていくべきだというのは私は必然であると思いますし、そしてその数につきましては、今までふやしてこなかったんですから、例えば青山先生のおっしゃったようにいきなり二千人にふやすということになると、これは事業を注入するような感じになってかえっておかしくなるんじゃないかという気もしないではございません。したがって、これについてはある程度科学的な予測を入れながらふやしていくということで私どもは対処していくのがいいのではないか。ただ、先ほど言いましたように、私どもの側から、足りていますよ、あるいは多いですよというようなことを言う資格はないというふうに考えております。
 ふえた場合の修習をどうするかということにつきましては、私は個人的には青山先生の意見に賛成でございます。一極集中の東京型ではなくて、やはり少なくとも関西に一つ研修所を設けてそこで十分な修習を行うということは、私は現在のほかの分野における国家の金の使い方を見ていますと十分可能ではないかというふうに考えるわけであります。
 それから、特に弁護教官、民事弁護、刑事弁護を教える教官にしましても、東京以外の弁護士会からは一期について一人ないし二人、二人も行ったことはないんじゃないかと思いますが、それぐらいで、今は東京近辺に固まっているわけであります。これは地方から教官を呼びますと旅費がかかって大変だ、こういうことになるわけですが、大阪あたりにはいっぱい優秀な先輩弁護士がおります。そういった教官になれる方々の力を利用しない手はないというふうに考えている次第でありますし、裁判官、検察官も関西の方で長く勤務されている方もいらっしゃるわけですから、そういう点からいえばあとわずかの国家投資でそういったことは可能だろうというふうに考えております。
 それから、裁判を早くするにはどうすればいいかという問題でありますけれども、やはり民事と刑事とではかなり質的な違いというのがあるのかなというふうに思っております。
 民事におきましては、ことしの一月一日から新しい民事訴訟法が施行されて、そしてこの新しい民事訴訟法は、論点を整理しながらできるだけ集中的に証拠調べをしよう、またそれに見合う証拠収集能力を当事者に与えようといったことを眼目にしているわけでありますけれども、これが運用されてまだ三、四カ月です。今はまだ裁判所も弁護士も戸惑いの段階だというふうに思っています。
 ただしかし、これは私たちも今一生懸命勉強しているところでありますし、少なくとも正義は三年たたなければ得られないということであれば、その正義は意味がないという考え方がだんだんと我々の中に浸透してきつつあります。正義は早く実現しなきゃならないということで、これは新民訴法の施行を契機に私は意識なり状況は変わっていくのではないだろうかというふうに考えておりますし、また弁護士の増加はそれを助けることになるだろうというふうに思っています。
 それから、実は裁判所としては刑事事件の部は暇だというふうに私は聞いておったことがあるわけでありますけれども、やはりオウムの事件など、あるいは特殊な事件の裁判が長くなっていくという問題については、国民から理解される裁判でなければならないというふうに思います。ただ、現行制度で本当に被告人の防御を全うしようとするならば、弁護人のある程度の抵抗というのはやはり正当なものとして社会的に認知されなきゃならないということも一面の要求だと思います。
 早ければいいというものではないし、したがってこの問題は、先ほど佐木参考人がおっしゃいましたように、例えば被疑者段階でどれだけの弁護が受けられるのかといったような弁護の量と質の問題にかかわってくる大きな問題だし、それから刑事訴訟法の捜査の構造のあり方がこのままでいいのかどうかということも含めて、もっと大局的な見地から論議すべきだろうと思います。
 日弁連では、被疑者段階で国選弁護人をつける制度を実現させたいということで、今は自前でやっている制度を何とか国費でやれるような制度に高めたいということで提案をしておりますけれども、そういったことも含めて、つまり弁護の体制、それから刑事捜査の構造の問題等も含めて大局的に考えていくべき問題ではないだろうかというふうに思っています。
#20
○清水嘉与子君 ありがとうございました。
 終わります。
#21
○角田義一君 まず、青山先生にお尋ねいたします。
 私は、法曹三者のいろいろな協議、先ほど堀野先生からお話がございましたけれども、大変な御苦労をされて法曹三者で協議をされて今回の改正については一定の結論が出たということで、その御労苦に対しては敬意を表するわけですけれども、私も弁護士ですからその法曹三者の意向というものを尊重しなきゃいかぬ立場なんでしょうが、国会議員という立場になってみますると、選択科目を全部廃止したということについて私は余り賛成できないんですよ。
 自分のつたない経験で申し上げて恐縮ですけれども、私は、当時選択でしたけれども、民訴と刑訴を両方ともとってしまいました。法曹として必要なものなんだからやらなきゃいかぬということでとってしまいましたけれども、ただ、今でも非常に反省しておりますのは、大学の中で行政法とか国際私法というようなことはもちろん勉強する機会はあったと思うんですけれども勉強できなかった。将来労働弁護士になろうと思ったから労働法は一生懸命やりました、選択科目はとりませんでしたけれども。しかし、今のいろいろな状況を考えますと、試験の科目のあり方そのものも私は根本的に変えた方がいいんじゃないかと。
 今は刑法、民法、憲法だけが短答式で、もちろん基礎科目ですから非常に大事だと思うんですが、それよりもやはり一定の法律家の素養としては行政法、そういう意味では範囲を縮めてもいいと思いますけれども、あるいは国際私法あるいは刑事政策とか、そういう万般のことについてある程度の知識というものが将来どういう道に進もうともなきゃいけないんじゃないかなという気が私は率直にするわけです。今までのようなプロが決めた試験制度、これで本当にいいのかな、もう一遍試験制度、試験科目そのものも見直す必要がありはしないかなという感じをこの機会に感じるようになったんですけれども、それが一つ。
 それから、これは選択科目がないということになると、大学教育で司法試験をとることだけにきゅうきゅうとして、そういう科目がますますネグられるんじゃないかなということを私自身も非常に恐れるんですが、その辺、もしそうなった場合に、今度は仮に合格をした修習生にどういうふうにしてその素養を植えつけていくかという問題も大きいと思うんですね。
 この法案は通ると思うんですよ、恐らく全会一致で。通ると思うんですが、通ればいいというものじゃないと思うんですね。非常に本質的な問題がたくさん残されていると思うんですけれども、まず、その辺ちょっと、青山先生に大学で生徒を教えている立場からお尋ねしたいと思います。
#22
○参考人(青山善充君) ただいまの角田委員の御質問は、むしろ私が言いたいことを半分言っていただいたという気がいたします。
 私は、先ほど申しましたように一年間の検討期間を置いて司法試験の科目について根本的に洗い直すべきだというふうに考えているものでありまして、その際には選択科目のあり方というものを見直す必要があるのではないかというふうに思っております。例えば、独禁法とか消費者保護法とか無体財産、知的所有権法とか、時代の趨勢に応じて必要な科目というのはたくさん出てきております。これらを含めてどういうものを選択科目にしたらいいのか、もっと選択科目の範囲を私はふやした方がいいというふうに思っております。そういうことも含めて制度の抜本的な改革を図るべきではないかというふうに思っています。
 それからさらに、試験方法についても、論文式試験をやったら必ず口述試験をやらなければいけないというものではないと思うんですね。論文式試験だけでもいいかもしれない。そういうようなことも含めて広く勉強する、そういう試験制度のあり方ということを考え直すべきではないかというふうに思っております。
 それからもう一つ、先に今言われてしまいましたけれども、私は、けさ出てくるときに大学の同僚から、蟷螂のおのだよ、もう衆議院も通ったし参議院も多分通る、セレモニーだけだということを言われました。私は、決してそんなことはない、参議院は良識の府と言われているじゃないか、衆議院と同じことをただ追随するだけだったら参議院の独自性というものはどこにあるかということで内心反発して参ったわけでございますが、いずれにいたしましても、大学法学部の現状といたしまして、司法試験法が改正されようと改正されないでいようと、私ども大学法学部の教育を預かる者としては、将来法曹になる音あるいは法曹にならないで民間企業や官庁に進む者も含めて法学教育については万全の努力を今後とも続けたい。そして今度、特に司法試験法が改正されるとすれば、新たな法曹教育との連携を含めて大学教育のあり方をこの秋ごろをめどにして考え直す必要があるのではないかというふうに考えております。
 以上でございます。
#23
○角田義一君 先生、これは憲法上の平等の問題とも絡むと思うんですが、大学から司法試験を受ける者については、例えば科目は現状こうだとしても、大学で必ず履修をしなきゃいかぬ、例えば労働法、行政法、幾つか。社会から司法試験受ける人は私は構わないと思うんだけれども、大学から受ける者は少なくともこれだけの科目は大学在学中履修しなきゃいかぬ。司法試験の科目は例えばこれとこれだけれども、履修証明を持ってこなかったら受験資格ないよというのは、これは憲法上非常に難しいですか。
 上野先生や堀野先生にも聞きたいと思うんだけれども、そういう制度をつくったらえらい大問題になりますか。お三人の先生に聞きたいんです。そういう発想はおかしいですか。
#24
○参考人(堀野紀君) 履修を義務づけるわけですね。
#25
○角田義一君 そうです。
#26
○参考人(堀野紀君) その点では決しておかしくないと思います。
 ただ、憲法論が出てくる可能性があるというのは、やっぱり大学間格差という問題があるのではないだろうかというふうに思います。その辺が私どもは、先ほどこれは試験の科目だけの問題じゃないというふうに私が申し上げたのは、ちょっと口幅ったい言い方ですけれども、大学の方でもっと魅力ある講義をすればこういった科目というのはみんな履修するんじゃないだろうかという変な期待を私は持っているんです。その点を抜きにして、司法試験科目に入れれば勉強してくれるだろうというのはちょっと試験に頼り過ぎかなという印象を持つんですが、これは私の個人的な感想でございます。
#27
○参考人(青山善充君) 大学の特定の科目を履修することを司法試験の受験の要件にするということはどうかという御質問につきまして、統計数字を申しますと、平成九年度の司法試験の受験者は二万三千五百九十二名おりますが、そのうち法学部を出ている者はどのくらいかといいますと八二・四%でございます。それから合格者レベルで申しますと、合格者七百四十六名でございますけれども、そのうちの八八・九%が法学部出身者でございます。こういう現状から見ますと、大学の法学部で特定の科目を履修してこい、それを受験要件にするということはやはりかなり問題ではないかというふうに思っております。
 現在の司法試験制度は、法学部を出なくても、例えば経済学部を出ても医学部を出てもどこを出ても、あるいは大学を出なくてもできるという非常に開かれた国家試験制度ということになっておりますので、私は、そういう制度は考えられる一つではあると思いますが、かなり難しい問題ではないかというふうに思っております。
 それからもう一つ、司法試験の受験科目にしようとしまいと大学で魅力のある講義をすれば学生が戻ってくるはずであるとおっしゃる、これは堀野参考人から言われた言葉かもしれませんけれども、私はまさに理念的にはそのとおりであろうと思います。今、大学の法学部に問われている問題は、私は現場の教師としてひしひしと感じますのは、大学における講義をもっと魅力のあるものにして学生を教室に呼び戻すべきだ、そのために教師は努力しなくちゃいけない。もちろん、この前提には学生が勉強しなさ過ぎるということがありまして、これは幾ら強調しても強調し過ぎることはございませんけれども、それと同時に、大学の方も例えばカリキュラムを工夫する、授業方法を工夫する、教材を工夫する、いろいろの工夫があり得るだろうと思います。そういうものをセットにしてこれから考えていかなければいけないというふうに思います。
 それから、選択科目の廃止に反対するのは司法試験科目にするかしないかということに余りにも比重を置き過ぎているという御意見がございますけれども、私は、民訴や刑訴は履修しなければいけないということで司法試験科目にしているわけですから、選択科目もそれと同じ論理が働くのでありまして、選択科目も司法試験科目にすることによって学生が勉強する原動力になるということは間違いない、そういうことを申し上げている次第でございます。
 以上でございます。
#28
○角田義一君 ちょっと誤解があるといけないと思うんですけれども、私は、医学部だとか経済学部から司法試験を受けて入ってくる人は非常にユニークな人がいて大いに結構なんで、そういう人がいっぱい入ってきていただくことはいいと思っているんです。
 ただ、法学部から来る人が八五%ぐらいあるとすれば、少なくとも法学部を出た人はそれだけのものを在学中履修してこなければ司法試験を受けさせないよというのは憲法上いろいろ問題が出てくるのかなと。僕が言っているのはそういう問題なんでございます。どうですか、青山先生。
#29
○参考人(青山善充君) おっしゃるとおり、憲法上の問題が出てくるというふうに私は思います。
#30
○角田義一君 それでも出てくると。
#31
○参考人(青山善充君) はい。
#32
○角田義一君 そうですか。
 それから、上野先生と堀野先生にお尋ねするんですが、お二人とも経歴書を拝見すると私と同じぐらいの御年配なのですけれども、私は今ちょっと現場を離れておりますから若い法曹と会う機会は余りないんですけれども、たまたま国に帰っていろいろ一杯飲みながら話をするときの一般的な風潮として、非常に金銭感覚に鋭い面はありますな。例えば弁護士事務所に入る報酬だとかそういうのには非常に鋭いものを持っていて、我々とちょっと違うとは思うんですけれども、やや私は年をとったかなと思って寂しいような気もするんです、はっきり申し上げて。
 やっぱり法曹というのはただ金だけじゃないんじゃないかなと。人権を擁護するとか社会正義を実現するとかというのは、銭金を超えた一つの大きな使命感を持って立ち向かっていかないと、裁判官や検事は権力を使うわけでしょうけれども、弁護士はある程度権力に対抗するわけでしょうけれども、そういう権力というものについての意識なり認識なり心構えなり、こういうものは、法技術も大事だけれども、それ以前の問題として、法曹として一番肝心なことじゃないかなと私は思っているんです。
 その辺のことは、先生方、今の若い法曹をつくってこられてどんな気持ち、どんなお考えでおられますか。その辺が私は一番気になるところなんですけれども、御両人からちょっとお聞きしたいんです、その辺の感想なり。
#33
○参考人(上野登子君) 私は、受験生も含めて、受験に受かった若い法曹ともずっとともに仕事をする機会が多いんですが、基本的には、角田委員がおっしゃったように、人権感覚を持って、今のままではいかぬぞ、何かを解決したい、そういう感覚を持って受ける人がまだまだ多いという印象を受けております。ただ問題は、ちょっと現在の研修所教育の中でそういうものを育てる方向が必ずしも十分ではない。
 それで、一番の問題は、私先ほど申し上げましたように、裁判官志望者をセレクトしていく場合に、一時期はそれこそ思想的な差別ということを言われたのですけれども、学生時代や修習時代に余り活動歴のある者は採らないとか、年齢三十歳以上は採らないとか、それから成績がよくなきゃだめとか、その線を引く基準が問題になると思うんですけれども、そういう形で、法曹の中の優劣の基準としてすぐれた者が裁判官になる、そのすぐれた基準というのが、そうでなきゃならぬという形での傾向がある。これは極めてよろしくない。
 それから、修習生活の中で本当に自由がなくなっていく。そういう中で、人権感覚とか、それこそ権力に対する批判、ちょっと言葉はきつくなりますけれども、やはり司法はそうであろうと思うんですね。適正な行使というものには批判がなきゃならぬ。そういう気持ちというものが失われていきがちであるということは大変好ましくないと思っております。
 それから、今回の若年化ということがあります。やはり丙案の方が優位だというその中で、学生生活の中で非常に受験だけに限っていく、本来もっと幅広くいろいろ法律が果たしている役割等も学びつついくべきであろうに、受験科目だけの勉強に限られていくという傾向は、若者の責任というよりも、むしろ制度の運用をする側が好ましくないものを持ち込んではいなかろうか。それは改めるべきだろうと思っております。
#34
○参考人(堀野紀君) 具体的な話といいますか、具体的な経験をお話ししたいんですけれども、実はことしの一月末でしたが、私は東京弁護士会の会長をやっておりまして、そのときに、今回の三者協議の合意に基づいてというんではないんですけれども、司法試験に合格して入所する前の人たち、入所予定者の人たちに、各大学から名簿をいただきまして、あるいは大学で掲示をしていただいたところもございますけれども、できる限り連絡先を把握した上で、弁護士会で入所前の企画を持ちたいということで通知をしたわけであります。七百五十人の入所予定者のうちの二百人が参加してくれました。
 この中で、まずオーソドックスには民事弁護と刑事弁護の修習を行うに当たってという心構え的な議論もやったわけですけれども、実はそのときに、多磨全生園にいらっしゃる方で、実名を出しながららい予防法の持っている問題点を指摘し続けて運動をやってきた方がおられるわけですけれども、その方が、これは余談になりますけれども、その方に対して東京弁護士会がことしの正月、東弁人権賞ということで表彰申し上げたわけですけれども、その方の話が非常に感動的だったということで、ぜひ若い人たちに、司法試験に合格した人たちに聞いてもらいたいということで、わずか三十分ぐらいだったんですけれども、みずからの生い立ち、罹病していった経過、そしてふるさとから捨てられていった状況、それかららいという病気、ハンセン氏病というのが、非常に感染力が弱く、しかも特効薬もできている今日でさえ、つい最近まで取り締まり立法だった、隔離立法だったということに対するみずからの命をかけた闘いといいますか、この話を三十分ばかり若い合格者たちにされたわけです。
 そうすると、そのアンケートが百七、八十通返ってきました。そのアンケートの自由記載欄を見ますと、ほとんどすべての人が非常な感動を記しているわけですね。我々はこんな話を聞いたことがない、こういう経験をしたこともないと。なぜ私たちが司法試験を受けたのかということが今わかった気がするといったようなことを書いてくる人たちが大変多かった。ほとんど全部の人が書きました。
 これを見まして、私どもが逆にびっくりしたわけです。彼らもびっくりしたけれども、私どももびっくりしたんです。最近の人たちは計算高い人だと、あるいは今の教育の実情からいってもっと荒廃した人たちじゃないかといったような偏見を持っていましたけれども、実にナイーブなそういう受けとめ方で、今後の自分の生き方も含めて考えてみたいといったような感想がどんどん寄せられる、こういった側面を持っていることも事実であります。
 と同時に、弁護士事務所の見学等にその方たちが見えますと、一体給料は幾らもらえるんだ、五時以降はどうなんだ、土日は休みがあるのかといったような質問も出てくるといったようなところで、おっしゃったように勘定高いところがあります。
 そういった非常に白紙のナイーブな受けとめ方をする面と、それから勘定高い面とが奇妙に同居しているのが今の人たちじゃないかというふうに思っています。
 だからこそ研修というのを、司法研修所だけに見るんじゃなくて、そういった事前とかあるいは事後も通じて一貫した我々の接触が必要なんじゃないかということをきょうは申し上げたかったわけであります。
#35
○角田義一君 終わります。
#36
○大森礼子君 公明の大森札子です。早速質問させていただきます。
 まず最初に、上野参考人にお尋ねいたします。
 この修習期間につきましては、最高裁の方は当初一年を主張し、それから弁議士会は二年、それから法務省が、間をとってというわけではないんでしょうが、一年六月なんですね。
 それで、結局この期間のとらえ方を考えますと、司法修習制度というもののとらえ方がそもそも、裁判所あるいは法務省も含むんでしょうか、それから弁護士会、ここのところで違っているんだなと思うわけです。
 それで、会議録に残すという意味からも、上野参考人が日弁連新聞平成九年十月一日付に書かれております文章をちょっと引用させていただきます。上野参考人は、「現行司法修習制度の最も優れた特質は、」として、
 独立して職務を行える能力と見識を統一的に修得させることにあります。
  実務修習によって、弁護士になる者は、裁判所・検察庁の実態を知り、将来裁判官・検察官と対等な立場で国民・市民の人権擁護に力を発揮できる能力を身に付け、他方裁判官・検察官になる者は、民衆の訴えや社会の実情に親しく触れ、人権感覚を涵養することに資するのです。
このように書かれてございまして、実は私も司法実務修習の目的はここにあるんだろうと思っておりました。
 私は弁護士になるつもりでしたから、実務修習の中ではむしろ検察修習とそれから裁判修習に力を入れようというふうに思ったわけです。要するに、敵の手のうちを知ると言ったら変なんですけれども、後から経験できないことを今経験しておくと。
 例えば検察庁では、警察の方からどんな書類が来るのかと。将来の法廷に出ないようなたぐいの書類もあると思いますし、あるいは取り調べというのはどういう雰囲気の中でなされるのかと。これを知ることは、将来自分が担当するであろう被告人側がどういう状況で自供したかということを推測することにもなると思います。
 それから、例えば裁判所修習では、どのように裁判官というものは心証をとるものかとか、あるいは裁判官の席から見ますとよい弁護士とかよい検事とかいろいろわかるでしょうから、そういう姿を見ることは自分の将来にとって役に立つだろう。このように私は実務修習をとらえておりました。そういった意味で、上野参考人と全く同じ考え方なんです。
 ところが、この修習期間をめぐっては、極端な一年を主張している最高裁は、そういうことは必要ない、むしろ後から訓練すればいいんだというふうに言っているわけです。そうしますと、これほど立場の違う法曹三者が一緒になって合意に達することができるのかどうかという素朴な疑問が起こるわけなんです。合意に達しにくいから、こういう場合に大抵出てくるのは折衷案で、一年六月かもしれませんけれども。
 だから、まず法曹三者の間で、この司法修習制度のあり方といいますか、何を目的とするものか、この点が明確にならないと、これからの議論というのもやっても無意味なのではないかと思うんですが、いかがお考えでしょうか。
#37
○参考人(上野登子君) 大変難しい質問でございますが、実は私、裁判官とか検察官個人の方にお尋ねしますと、裁判官も今の修習制度は非常によろしいし、自分は短縮に反対であると。なぜならば、やはり弁護士の質も高くなってほしいし、それから弁護士の地位が高ければ、例えて言えば裁判所の中で正義が守られないときは自分がいつでも弁護士になって大いにやるぞということをおっしゃる方もおられるわけです。そういう意味で、最高裁、法務省の方針として短縮という意見が出ておりますが、それが本当によろしいのかというその中身といいますか、それから現場の裁判官、検察官にとってもそれは望むことなのかということについては非常に疑問に思っております。
 それから、やはりこれはよい裁判官、よい検察官は質の問題で、それから力のある弁護士、これは独立をした立場で判断し得るという、そこのところの強調が必要なのだろうと。そこのところが抜きになりますと、技術教育ならばこれは任官後の教育でよかろうということで、現に例えば新任検察官などが浦安の施設で丸三カ月はともに同じかまの飯を食って、それで後は今の修習の延長のようなことを一年間やっている。そういう形でやはり分離した修習の方がいいのだ、そういう方向に対して批判というか、国民的なレベルで統一が必要なことを訴えていくべきだろうと思います。
#38
○大森礼子君 今、極端な例を挙げた方がいいと思いまして最高裁判所が主張した一年の場合を挙げたのですけれども、これですと各実務修習、例えば検察修習でも一カ月というふうになりまして、捜査と公判とをやって十五日ずつになるし、休みもあるし、それからスリ摘発の見学とか、そんなのをしたら本当に検察見学になってしまうのじゃないかと。裁判実務修習でも結局裁判傍聴にすぎなくなるのではないかというふうに前回質問したところであります。
 結局ここのところは、私思うんですけれども、裁判所の裁判で、最初任官いたしますと判事補というところからスタートいたしますけれども、もしこれが判事補という制度がなくなって裁判所に入ったらいきなり単独で法廷を持たなくてはいけないという制度であれば、きっと最高裁も一年でいいなんてことは言わないだろうと思うわけです。最高裁の方は、後から判事補制度の中でじっくり養成すればいいんだというふうに考えるんだろうと思います。ただ、弁護士さんの方は本当にお金をもらう仕事ですし、経営もかかっておりますから、依頼者が来ますとお金をもらうわけですから、それに見合った仕事をすぐにでも法廷に行ってしなくてはいけない、こういうことが要請されていると。中間になるのが検察官なんですけれども、やはり一応役所側とはいえ単独で事件処理する場合もございますから、いいかげんなことはできないということで、何というんでしょうか、そういった意味では中間に立つのかなという気がいたします。
 どういう司法修習制度がいいのかということは、どういう法曹を望んでいるかということなんですが、そうしますと、法曹三者の協議というのはとらえ方も違う。一応合意には達していますけれども、弁護士会の中も非常に反対も多い。その中で思うことは、国民のニーズとおっしゃるのですが、国民の意見、国民がどういう法曹を望んでいるか、司法制度を望んでいるか、こういう観点が落ちているのではないかなと思います。
 この点について、上野先生それから堀野先生はいかがお考えでしょうか。一言ずつでもお願いいたします。
#39
○参考人(堀野紀君) 修習を終えてそれぞれの三者の資格を取得したところで、現在二年の修習科でもって一人前の法律家かというと、私は必ずしも国民から見てそうとは言えないだろうというふうに思います。
 とにかくいずれにしても、三者との職についてもやはりそこではオン・ザ・ジョブ・トレーニングは現在でも必要なんです。裁判所もやる必要があるでしょうし、弁護士も普通はいそ弁という形で教育を受けていますし、あるいはそれは共同で切磋琢磨するというやり方もあるかと思いますけれども、基本的にはその仕事についた後、初歩を教えてもらわなければならないというところでは同じだろうと思います。
 だからその点において、二年が一年半になったら全然変わっちゃうというふうには私は思わないんですけれども、しかしながらできる限り完成された形で送り出したいなというふうに思うので、したがってさっき私はやはり二年の方がいいということを言ったわけであります。ただ、相対的な問題でありまして、二年だったら一人前の法曹であって一年半だと半人前だという理屈にはならぬだろうというふうに思っています。
 それからもう一つ、一歩突っ込んで言いますと、私は判事補制度というのは戦後の司法改革の中では奇形的だったんじゃないだろうかというふうに考えています。むしろあのとき問題にされた法曹一元というものをやはりもう少し追求できなかったのかなと。そして、五年間ぐらい弁護士を経験した者から判事を選んでいく、あるいは十年という年限もあるかと思いますけれども、そういった制度がなぜあのときつくれなかったんだろうかというのは、それは非常に残念でなりません。
 したがって、今後の法曹一元ということを先ほど申し上げましたけれども、非常に道のりは難しいし、その点についての裁判所、法務省と私どもの見解は大いにまだ違っていると思いますけれども、しかしやはりそういう奇形的な判事補制度ではなくて、市民の気持ち、国民の気持ちのよくわかった裁判のできる判事をそういった形で法曹一元的な制度で選んでいくといったような制度へ徐々に移行することができないだろうかというふうな問題提起をしたい、こういうふうに思っているわけでございます。
#40
○参考人(上野登子君) 国民のニーズということで、実はこの間、修習期間の短縮には反対ですということで、各地の弁護士会それから法律家団体でリーフレット等をつくってまいたことがございます。その中身は、こんな裁判官は御免だということで、国民の気持ちから遠のく、結局分離して手元でだけ官僚的に育てていく、それではいかぬぞという意味でのリーフレットなのですが、それに対してみんな非常によくわかってもらえた。
 それから、裁判所の入り口などでも、法律家が粗製乱造されてはいけないということで、国民のための法曹養成ということで、これもリーフレットをまきました。これはNHKの「ひまわり」のテレビドラマを引用いたしまして、あの中で裁判官になっていく者も弁護士になっていく者も、実際の事件に触れながら、悩みながら自分の進路を決めていくと。
 そういう制度としてこの養成制度があるわけです。そういう意味で、技術もさることながら、やはり基本的に、実際に触れながら、悩みながら進路を決めていく、そしてその後また継続、自分で力を磨いていくという、そこだろうと思います。
 判事補制度の問題でいいますと、やはり判事補として不十分ではあっても、それまできっちり教育なされたならば、いわゆる上司というか、経験を積んだ合議体を構成している総括裁判官と対等に意見を述べ合っていける、そういうことの意義は非常にあるわけで、あれは半人前である、半人前の者を上司のもとで教育するのだ、技術教育だということは、法律家に何よりも求められている独立、これは良心と法に従って判断していくべきその独立性を損なうものであって、これは国民のニーズに反するというふうに思います。
#41
○大森礼子君 修習を終えたからといって一人前とはもちろん思っていないわけですが、実務を扱える能力ができているかどうかという点で先ほど述べました。
 それから、判事補制度そのものを批判しているわけではありませんで、もし判事補制度がなくて検察庁のように最初からいきなり検事が事件を担当する、弁護人のようにいきなり弁護士さんが裁判を担当するという状況であれば、最高裁の修習期間一年ということも出てこなかったのではないかと思いまして、そういう観点から質問いたしました。
 佐木参考人にお尋ねいたします。
 質問の前にちょっと確認させていただきたいんですけれども、私の記憶では佐木参考人は昭和六十三年ころ、いろんな各地の裁判所の刑事裁判を傍聴されて、それを週刊誌の方に書かれて連載されていたと記憶しているんですけれども、私の記憶は正しいでしょうか。
#42
○参考人(佐木隆三君) 最高裁大法廷の判決の後、一年十カ月ぐらい全国の裁判所を回りました。
#43
○大森礼子君 そうすると六十三年、平成元年になるでしょうか、岡山地方裁判所の記事が出ていたと思います。これはたしか常習賭博ではなかったかと思うんですけれども、そのときの公判立会検事が女性だったことを覚えておいででしょうか。実はそれが私だったわけでございます、後から記事を見てわかったんですけれども。
 その中で佐木参考人が御指摘になっていたことは、これは認めていた事件でありまして、当時要旨の告知というのは弁護人の同意があれば省略するという形で運営されておりました。この点を指摘されて、要するに傍聴していて、要旨の告知、つまりどういう証拠が出されているか、この証拠の要旨を告知する手続があるわけですけれども、これがないから全然背景がわからなかった、こういうことを書かれました。
 その後どうなったかといいますと、するようになりました、やはり要旨の告知をしていこうということで。当初、弁護士さんもいやいやもう結構ですと言う方も多かったんですけれども、やがてそれが定着した。私、元検事をしていたんですけれども、その後、ほかの検察庁に行きましても、刑事法廷の方ではそういう要旨の告知がなされておりました。
 先ほど法廷メモのこととかいろいろおっしゃって、本当に司法制度はおかしいこととかいっぱいあると思うんです。私も受験生時代、刑事裁判を傍聴に行きまして、裁判官の声が本当に聞き取れないような小さな声で、随分不親切だなと頭にきたことがありましたけれども、普通の人、普通の人というのは変なんですけれども、国民一般から見てやっぱりおかしいということを言っていく。それで声を上げていただくとそれが案外すぐ変わってしまう、そうだったなということで法曹関係者も気がついて変わるということがあると思います。そういった意味でどんどん御意見をいただきたいというふうに思います。
 それで、法曹三者の合意ということでこうなったわけですが、本当に私は国民一般から見てどう映るかというのが気になるわけです。刑事裁判に限定されるかもわかりませんけれども、佐木参考人がいろいろ法廷をごらんになって、どうも検事の質問にしても弁護士の質問にしても裁判官の質問にしても、何であんなかったるいことを聞いているんだろうかとか、どうも我々と感覚が違うなとか、こういうことがございましたら率直に教えていただきたい。そういうことも私は司法修習の中にどんどん取り入れていくべきではないかなと思いますので、あと時間が許す限りお気づきになった点を教えていただきたいと思います。
#44
○参考人(佐木隆三君) どうも岡山地裁ではありがとうございました。
 私は、刑事裁判の場合ですけれども、裁判はやはり教育の場であってほしいと思うんですね。もしその被告人が有罪を認めているならば、どうしてこういうことになって、これからこの人はどういうふうに生きていけばいいだろうかということを法廷の場でやはり可能な限り努力してわからせてあげてほしい。それで、これだけの法律に反することをしたんだから、これだけの期間、矯正機関に送って、刑務所に送って、ないしは執行猶予づけようかとか、いろいろあろうかと思うんですけれども、やはり矯正機関に送ればそれでいいというものじゃなしに、裁判の場でこそ被告人に物を考えさせてやってほしい。
 先ほど申し上げた要旨の告知というのは、例えば被害者の被害に遭った事情であるとか、そのためにどれだけ家族が苦しんだかとか、経済的に苦しんだかとか、あるいは被告人の家族の供述調書だってあるわけですし、そういったものを可能な限り法廷で読み上げていただきたい。全文朗読は無理にしても、要旨を告知していただきたいというのは、もちろん傍聴人として知りたいということが本音かもしれませんけれども、しかし、やっぱり被告人が聞きたくなくても聞かせてやってほしい、あなたの違法行為によってどれだけの人が傷ついて、ないしは被害者が一人であってもどんな悪いことをしたんだということを。
 残念ながら、被告人にとっての関心事は主文だけという感じがするんです、何年の刑になるんだろうという。そう思って、あとは何か通過儀礼みたいな形でじっと被告席で我慢している。これが残念に思えるときがありますので、そういったことを裁判官も検察官も弁護人も被告人にわからせてやってほしいということを素直に傍聴席で考えております。
#45
○大森礼子君 もう一問だけ質問させていただきます。
 青山参考人にお尋ねしたいんですけれども、選択科目が廃止されたことについては、先ほどの御意見は十分理解できます。
 そこで、二回試験ですけれども、ここに法律選択を一科目入れる、つまり司法試験のときでなく、せめて二回試験のときに法律選択一科目を課すということで多少その弊害がなくなるのではないかと思うんですが、いかがでしょうか、時間なくて申しわけありませんけれども。
#46
○参考人(青山善充君) 現在二年の司法修習期間を一年半に短縮いたしますと、その間の司法修習の密度というのは今よりずっと深くなる。その中で二回試験に法律選択科目みたいなものをつけ加えることができるかどうかということについては、私は十分検討しておりませんが、かなり問題ではないだろうかということを思っております。感想程度で申しわけございません。
#47
○大森礼子君 終わります。
#48
○委員長(武田節子君) 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#49
○委員長(武田節子君) 速記を起こしてください。
#50
○橋本敦君 きょうは、参考人の皆さん、本当にありがとうございました。
 最初に青山先生に一、二点お尋ねさせていただきたいと思いますが、最近の司法試験の現状を見ますと、大学でまじめに法律の勉強をやっていただけではなかなか通らない、いわば司法試験受験のための専門的な予備校、そういうところへ行かなければほとんど合格できないという現状が実際あるように伺っておるんです。これは改善する必要があるんじゃないだろうか。
 しかし、大学の法学教育の目的と専門的な法曹になる資格を取るということとはまたそれなりの違いがありますから、一定の差はあることはありますけれども、今の司法試験の受験体制はある意味ではちょっと異常になって、それが大学の法学教育をゆがめている面がないだろうか。逆にまた、大学の法学教育が将来法曹になるという希望を持っている人にそれなりにしっかりしたグルントを与えるということでうまく機能するためには、司法試験を受験される人たちへの出題の傾向についてもっと基本的な考え方で整理をする必要があるのじゃないだろうか、いろんな面で私は改善の必要があるように感じておるんですが、その点について先生の御意見はいかがでしょうか。
#51
○参考人(青山善充君) ただいまの橋本委員の御質問は、大学関係者にとりまして大変痛いところをついてまいられたという感じがいたします。
 ある調査によりますと、現在の司法試験の合格者の中で予備校に通って受けたという者が八〇%に達しているというような調査もございます。これはどこに原因があるかということをかねて私どもも考えておりますが、一つには大学の法学教育にも問題があるとは思いますけれども、それ以前に、小学校あるいは幼稚園からダブルスクールということで受験予備校に通い続けていた学生たちが、とうとう大学にまで入って、大学でもやはり予備校に通っているということがあろうかというふうに思います。しかし、だから問題が解決するわけではもちろんございません。
 そこで、私どもはそれではどうしたらいいのかということなんですけれども、大変難しい状況に置かれております。といいますのは、大学法学部は先ほども申しましたように法曹になる者だけを教育する場ではございません。法曹になる者は、例えば東大法学部で申しますと一学年六百九十名ぐらいが受け入れ人数でございますけれども、毎年東大法学部の現役あるいは卒業生も含めて百六、七十名が司法試験に合格し、そのうちで百三、四十名が司法研修所に入っていくというのが現状であろうかと思います。そういたしますと、それは全体から見ますと四分の一あるいは三分の一程度の者でございます。もしそういう者だけを対象にして勉強をさせてよければ、私どもは予備校などがなくなってしまうくらい幾らでも教育ができると思います。しかし、私どもは、やはりそうではなくて、法律だけではなくて、もう少し経済も政治も勉強した学生を社会に送り出すということが私ども法学部に課せられている使命だと思いますので、今大変難しい現状に遭遇しているわけであります。
 一つは、司法試験の問題の出し方にさらに工夫をしていただきたいというふうに思っております。受験のテクニックを取得すれば取得するほど受かりやすい試験問題の作成ということについては、私は改善の余地があるのではないかというふうに考えております。
 長くなりますので、とりあえずここまでにさせていただきます。
#52
○橋本敦君 ありがとうございました。
 次の問題として、先生の御意見として選択科目の問題がございました。
 私も、自分自身の経験で、選択科目もどって受験をした一人なんですけれども、基本的には今度の改正での内容として必須科目になったのは、これは将来専門的法曹になる上では私は当然の科目だろう、こう思うんです。
 それで、選択科目として、将来自分が法曹として特に専門的に追求したい、行政法とか労働法とか国際私法とか、そういった面については、これは司法修習の期間が長ければそこで特別の科目を入れてということも可能ですが、先ほどおっしゃったように一年半に短縮されるとそれ自体は大変難しくなってくる。そうすると、自分で在学時代に意識的に単位を取っておくか、それとも自分で自習的努力をして勉強をしていくかということしかないわけですね。この点について、先生の御意見としては、選択科目は今の必修科目にプラスして入れても司法試験を受ける受験生に大した負担にならないという観点から御意見があったように思うんですが、単なる負担の問題じゃなくて、将来専門的法曹になろうとするために勉強する機会をどこで与えるかということを考えますと、これは負担だけの問題じゃなくて、考えねばならぬ問題かなという気もするんですけれども、何か御意見があればお聞かせ願いたいと思います。
#53
○参考人(青山善充君) 橋本委員のただいまの御意見は、私も全く同感でございます。
 負担の問題だけではなくて、将来法曹としてますます多様化する社会に対応するには、一科目でも二科目でも必死に勉強したというのが、千人のうち百人は自分は労働法を寝食忘れて勉強したとか、行政法を目の色を変えて勉強したとか、あるいは国際私法をやったとか、そういうバックグラウンドが違う人間が研修所に入ってきて切磋琢磨することによって日本の法曹全体が豊かになるというふうに私は考えておりますので、単に負担の問題だけではなくて、法曹の将来を考えた場合にはぜひ選択科目を残していただきたいというふうに思っているわけでございます。以上です。
#54
○橋本敦君 そういった点は、これは法務省あるいは最高裁に司法研修所の教育内容の問題としても問題提起していきたいと私も思っております。
 次に、堀野先生にお伺いしたいんですが、今回の問題で日弁連としては会内の意見がいろいろあって大変な御苦労をなさったことは私もよく承知をいたしております。
 基本的には、統一修習の理念を守るという点ではもう日弁連では意見の相違がないわけですね。その統一修習を守るということについて、この一年半に短縮したということが統一修習の理念を壊していく一つの入り口ではないのか。そして、オン・ザ・ジョブ・トレーニングに早く入っていくということで、結局分離修習に道を開く第一歩になりはしないか。こういう心配の意見が大分あったように伺うんですね。それに対しての先生の御意見はいかがですか。
#55
○参考人(堀野紀君) 法曹三者で論議する場合に、確かに論議の成り行きによっては先生がおっしゃるように一年半が一年の入り口であったというような結果になる場合もあろうかと思います。
 私どもは、今回一年半というのはぎりぎりのところだという判断をしたとさっき申し上げたんですけれども、とにかく実務修習で一つの分野で三カ月というのが今回の結果です。以前は四カ月だったんですけれども三カ月と。つまり、一つの事件をそこで追っていくためには、二カ月や一カ月じゃとてもじゃないけれども追えない。そうすると、全部見学的な修習になってしまう。そばから見ている修習。そうじゃなくて、例えば刑事事件、国選事件一つやるにしても、事件を受けて判決までということになるとどうしても三カ月は必要だ。また三カ月あれば、そこで事件の選択によってはそれは一つの事件を最後まで追いかけることができる。民事でいえば、弁論期日に出て、その後の証拠調べに出られるといったようなこと等、ある一つの事柄を実務で本当に習得するには三カ月が最低限度だということで、私どもは一年六カ月ならば何とか協力しましょうという約束はいたしました。
 しかし、私も日弁連の臨時総会で答弁したんですけれども、それ以下への統一修習の短縮は少なくとも現執行部においてこれは絶対許せないことだという答弁をしております。したがって、私どもは今後の対応として、人数がふえたからといって、それじゃ一年にしましょうという問題については、私どもとしては現時点においては受け付けるつもりはない、そういった覚悟でいるつもりです。
#56
○橋本敦君 私もその点が気になりますものですから、法務委員会の審査で法務省、最高裁に、この一年半というのは三者協議で合意されたのでこれは将来ともきちっと守ってもらいたいということを指摘したんですが、法務省は三者合意の一年半を守っていきますという明確な御答弁をなさるんですが、最高裁の方が将来とも一年半を守りますと明確な答弁をしないんですよね。それじゃ、法曹三者協議で今回の一年半は反対したんですかと言うと、いや反対はしませんでした、合意しましたと。そこまではいいんですよ。将来いろんな情勢、状況によってどうなるかということについては今から言えないという意味の答弁があったものですから、私はこの機会にこの問題をはっきりさせておきませんと、今でも上野先生のような御意見もあることは十分私も知っておりますし、日弁連が今おっしゃったようにぎりぎりの線で今回は合意をしたので、二年が長過ぎるとは決して思っていないという堀野先生のお話のとおり、これは大事な問題ですから、今後ともしっかり守っていただくという言葉を今いただきましたけれども、日弁連としても頑張っていただきたいと思うんです。
 それで、もう一つお伺いしておきたいのは、法曹一元ということの国民的立場での今後の実行の一つのプロセスとして、日弁連が研修弁護士制度を御提案になった。この御提案に対して、法務省と最高裁がこれを今検討しようというのか、それとも全く検討するつもりはありませんという状況なのか、ここらの問題は今どういう会議状況になっておりますか。
#57
○参考人(堀野紀君) ちょっと今手元に正確な記録がないんですけれども、最高裁また法務省とも、なぜ弁護士としての経験を積まなければ裁判官あるいは検察官としての職務をとってはいけないということになるのか、その点についての合理的根拠はないと考えるという御回答なんですね。
 ただ、私、基本的な理念はおわかりなんじゃないだろうかとさっきちょっと申し上げたんですけれども、率直に言えば、検察官についてはちょっと別にしまして、若い裁判官に対しては世間知らずだ、こういう批判があることは事実だと思います、すべての若い判事補がそうだというわけではございませんけれども。それで、和解の席とかそういうところでの指揮ぶりなどが、本当に実情を知らないんだな、あるいは人の心がわからないんだなといったような批判を受けることがよくあるわけですが、そういった点は恐らく裁判所自身も現実にはお気づきになっているんじゃないだろうかというふうに私は推測しています。
 だとするならば、そういったことを解決できる道が幾つかあるかもしれない。例えば、裁判所だけのオン・ザ・ジョブ・トレーニングでそれをやるのも一つだと思います。そこへ弁護士を呼んで実態を聞くとか、あるいはほかの社会人を呼んで話を聞くとか、勉強する方法もあるかと思います。それから、今私どもが提案している研修弁護士という形で、六カ月とか一年間弁護士事務所で弁護士としての仕事をするということも一つの方法かもわからない。そういう意味では、私は、今後の話し合いは絶対可能性がないというふうには言えない、むしろこれから委曲を尽くして協議をしていきたいというふうに考えている次第です。
#58
○橋本敦君 その点は上野先生、将来の法曹一元のあり方として、弁護士から裁判官は任用するという制度も含めて、堀野先生も今おっしゃいましたが、日弁連全体で取り組んでいる課題は私も大事だと思うんですけれども、これを機会にそういった方向を運動として進めていくということについて、先生の御意見はいかがでしょうか。
#59
○参考人(上野登子君) 第一点は、統一修習制度が法曹一元の理念を目指してその入り口においての第一歩ということで位置づけられておりますので、この修習制度をきっちり強化しながらいかないと、修習制度はもう分離でもええわいと、しかしそれにかわるものとして実現の見通しが立たないまま夢として描いてはとんでもなくなると思っております。夢としてではなくて、実現へ向けて弁護士会は取り組みたいというふうに思っております。
 その場合の法曹一元の中身なのですが、やはり民の痛みがわかる裁判官。その民という場合に、現在、法曹一元の中身の方向として、例えば企業の代表とかも大いに採用すべきであろうという意見も出ておるやに聞きますが、やはり弁護士会が考えてまいりました法曹一元というのは、基本的に弁護士として人権擁護、民の下の立場から頑張ってきた、そういう経験のある裁判官をという方向で考えていかなければ、官僚裁判官制度を是正していくものとしてはだめであろうというふうに思っております。
#60
○橋本敦君 そういう意味で、統一修習ということが原則的に守られるということが基本だということは私も全く同感でございます。
 時間がありませんので、佐木先生にお伺いしたいと思うんですが、日弁連も我々も国民のための司法という観点で裁判を見直し改善するということに平素心がけておるんですが、国民の立場から裁判ということを考えた場合に、いわゆる陪審制度ですね、やっぱり国民が納得できる裁判を実現する一つの方法として陪審制度という制度は検討するに値するのではないかと私も思っておるんですが、今まで裁判をごらんになった御経験からいかがお考えでしょうか。その点の御意見があればお聞かせください。
#61
○参考人(佐木隆三君) 先ほどから御質問なさっているのを伺いながら陪審裁判のことを考えていたんですけれども、アメリカの場合などでは要するに事実認定をするのがおおむね陪審員の仕事だとされているようです。確かに刑事裁判の場合、とにかくもうどろどろした人間関係、例えば殺人で言うならば肉親、親族の間の事件が昔から三分の一を占めているとか言われておりましたり、そしてまた有罪か無罪かということでも、有罪であることは明らかであっても、ぶっ殺してやるぞと叫んで刃物を向けたから殺意があったとして殺人罪とするのか、あるいはそうはいっても、ぶっ殺すぞとこの人間はいつでも言っている、けんかをすればそういう言葉というのはよく出てくるものだと、だからそれをもって傷害致死と認定するかというのは、これは司法の場で検察官も悩んでおられるところだろうと思うんですね、どっちで起訴しようかとか。
 そういったものについては、例えば陪審員の場合、アトランダムに住民票から選んでとかいうふうなやり方であるとするならば、町の人たちの方が認定する感覚を持っているんではないか。言ってみれば、日本の社会の中で大変なエリートであるところの法曹の及ばない感覚を持っているのは庶民であるということも言えると思うんですね。それが事実認定に役に立つこともあるかもしれないし、これはある意味で選択制ですから、陪審を希望する場合は陪審も希望できる、陪審は嫌だと言えば拒否できるわけですから、ぜひとも日本でも検討を、もう機は熟しているんじゃないかというふうに日ごろから裁判を傍聴しながら思います。
#62
○橋本敦君 ちょうど時間になりましたので、終わります。
 ありがとうございました。
#63
○参考人(堀野紀君) ちょっと一点だけ補足させてください。
 先ほど橋本委員の方から研修弁護士制度についての最高裁、法務省の態度はどうだという御質問があったんですが、資料が出てまいりましたので、簡単にちょっと補足いたします。
 最高裁、法務省とも、一年六カ月の修習を終わった後さらに研修弁護士制度を実施するとなると実質的には修習期間を短縮したことにはならないということで、結局は研修弁護士制度の名のもとに短縮に対して反対をしているというふうに考えざるを得ないということで、まず大前提として否定的な見解を述べられた上、日弁連の提案はあくまで日弁連の提案として承っておきたいと。法務省はそれに加えて、検事の場合も当事者的な活動をやっているんだと、だから検事にまで当事者としての弁護士の経験を積ませるということについて合理的な根拠を見出すことは困難だという理由をつけ加えているということで、この問題については今は両方とも我々とは意見が違う。
 ただ、私どもはそういった受け皿をつくるために、新人弁護士だけでもいい、とにかく我々弁護士だけでも研修制度をその期間充実させようじゃないか、そういうことには取り組みたい、こう思っているというのが正確なお答えでございます。
#64
○橋本敦君 よくわかりました。
#65
○平野貞夫君 自由党の平野でございます。
 司法試験の受験科目の変更とかそれから司法修習制度の短縮ということが司法の機能充実に役に立つかどうかということで、参考人の先生方の大変厳しい意見を拝聴いたしまして、大変勉強になりましたんですが、法案の審議だけじゃなくて、これから法務委員会の場で参考にさせていただきたいと思います。
 せっかくの機会でございますから、私が興味を持ちましたのは、司法試験の前提になる法学教育といいますか、このあり方というのは非常に大事だと思いますので、ちょっとこれに絞ってお教え願いたいと思います。
 青山先生の雑誌の論文などを拝見いたしますと、筧さんがお話しになったのがきっかけでございますが、法曹三者及び大学の法学部はいわば運命共同体だという言葉があるんですが、これを青山先生はどのように御理解なさっていらっしゃるか。しばしばその言葉は論文の文章の中で使われていますが、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
#66
○参考人(青山善充君) 運命共同体という言葉を使わせていただきましたのは、日本の司法制度を支えている法曹三者、この場合の三者は裁判官、検察官、弁護士の意味でありますけれども、その日本の司法制度を支えている法曹三者が立派に機能を果たすかどうかということは、実は大学法学部がいかに充実するかということと極めて近い相関関係にあるという意味で使わせていただきました。
#67
○平野貞夫君 私もそのとおりだと思います。司法の機能の充実というのは、司法試験ということもさることながら、やっぱり大学の、あるいは大学というよりもっと国民の法律といいますか法の支配の意識といいますか、そういったもののあり方が非常に大事だと思っております。
 青山先生、お話とちょっと離れるかもわかりませんが、このジュリストの論文の中に、現在の法学部の現状をこのままでよいとは思っていないというお話もありますし、時代の要請に応じて大学の法学教育を大きく改革すべきだというお話をなさっていますが、具体的な構想をもしお持ちならば、ちょっとお教えいただきたいと思います。
#68
○参考人(青山善充君) これは私個人の考えとしてお聞きいただきたいのでございますけれども、大学では大学院の重点化ということが行われました。これは一九九一年でございますけれども、この内容は、法学部に比べて法学系大学院をより一層充実させようということでございます。そこで、東大法学部の場合には、一学年八十名という大学院の学生のうちの半分、四十名は一般社会から受け入れていると。従来の大学院は研究者を養成することに重点がありましたのに、今度は高度に専門的な知識、能力を必要とする職業人を養成するということにいたしました。
 そういうふうに大学院の重点化が達成された後、それでは法学部、学部教育をどうするかということについて今まさに問われている時期であるというふうに考えております。
 私自身は幾つかの改革のプランを持っております。例えば、法学部のカリキュラムというのはもっと時代の要請に応じてどんどん変えていく必要があるのではないか。あるいは授業についても、今のところ講義と演習という二本立てしかないけれども、もっと別の講義、授業の仕方、例えば見学プラスディスカッションとかあるいは模擬法廷とか、いろいろな授業の仕方があるのではないか。あるいは第三に、教育方法につきましても、大教室で先生方が一方的にしゃべるというイメージが今でも法学教育についてはあるわけでございますけれども、例えばもっと少人数教育をするとか、シラバスを事前に配付してどんどん宿題をやるとか、インタラクティブな授業を展開するとか、いろいろな工夫の余地があるだろうというふうに思います。それから試験の方法とか高度情報通信機器を法学教育に導入するとか、いろいろなことが考えられると思います。
 いずれもこれは私の個人的な考え方でありますが、しかしこれから二十一世紀に向けてこういう具体的な法学教育の改善が行われていくだろうということを私は期待しております。
#69
○平野貞夫君 上野先生にお尋ねいたしますが、先ほど来、諸外国に比べて法曹人口が我が国では圧倒的に少ないというお話が、先生方それぞれ触れられましたんですが、その理由をどういうふうに考えればいいでしょうか。
#70
○参考人(上野登子君) 法曹人口といつも一くくりに言われておりますけれども、裁判官、検察官の数と弁護士の数ということをこの際きっちり分けなきゃならないと思います。その点で言いますと、戦後、弁護士の数は非常にふえてきている、しかし裁判官の数が非常に少ない。そのことによる司法の機能不全といいますか、これが基本的に大きかろうと思います。
 具体的に数字で、これは日弁連等がもっと司法予算をふやして裁判官、検察官を増員せよということを言っておりますけれども、例えて言えば明治二十三年と平成八年と比べますと、裁判官は簡易裁判官も含めて千五百三十一人から二千八百七十九人、約二倍。弁護士は千三百四十五人から一万五千九百七十三人、十二倍ということで非常にふえているんです。
 何ゆえ裁判官の数が少ないか。国が司法予算をきっちりふやしていくべきところを、そこを抑制していると。やはり戦後の、とりわけ憲法のもとで司法に基づく民主国家、司法予算はきっちりふやしていかねばならない。それから、物的なものだけではなくて、司法の担い手である裁判官、検察官、それから弁護士も司法の担い手として国費をもって養成するということがこの制度なのですが、やっぱり司法予算の抑制だろうと思います。
 そういう意味で、法治国家として、法に基づく国のあり方として大いに司法予算をふやしていくべきであろうというふうに思います。
 それから、弁護士の数で言いますと、諸外国との比較で弁護士の数だけとるとそれほど少なくはないのだという意見もあり、それから少ないのだという意見も比較する国によっていろいろございますが、日本の場合には、いろいろ言われておりますが、法律に基づいて紛争を解決しようという意識がまだまだ行き渡っていない。それからなかなか解決し得ないような今までの司法の運用であった。そこであろうと思います。
#71
○平野貞夫君 耳の痛い話もあったわけですが、よくわかります。世の中が急激に変わっていまして、どっちかと言いますと今までは事前調整の行政裁量による社会の運営といいますか、それがある種のもたれ合いであり談合でもあったわけですが、それが国際化とともに事後チェックの司法的処理の社会に急激に変わっていて、そこで今のお話の法曹人口、中でも裁判官の不足と、こういうことだと思うんです。
 上野先生の最後のお話にありました国民の法意識の問題ですか、これも一つ大事なことではないかと思うわけです。どうも我が国、我が社会では、近代的な法の支配という原則がなかなか定着しないといいますか伸びないといいますか、そういう意味で法学教育というのは、ある意味で大学教育だけではなくて社会教育も含めて、あるいはもうちょっと高校教育あたりからリーガルマインドというものを身につけさせる、そういう工夫がこれからの我が国には相当必要じゃないかと思うんですが、堀野先生、ちょっとその御意見を聞かせていただければと思います。
#72
○参考人(堀野紀君) 小さいときからといいますか、小学生のころから司法というものについて学んでいく機会をつくりたいということは、最近法曹三者に共通して出てきている問題意識じゃないかと私は思っています。
 法務省は最近、聞くところによりますと、検察官の仕事についての小中学生向けのビデオをつくって、そしてそれを活用しよう、検察の役割について認識してもらおう、そういったことを積極的にやり始められたというふうに聞いておりますけれども、弁護士会の方も、教科書の中にどれぐらい弁護士という言葉が出てくるかということを調査したことがあったんです。そうすると、全く出てこない教科書が幾つかあるわけですね。ところが、裁判官というのは何回も出てくるわけです。だから、裁判制度というと裁判官によって担われている、弁護士や検察官がどこかに行っていると。その危機意識で検察でもビデオをつくられ、それから弁護士会でも最近そういった活動をやろうということで広報活動に熱を入れているわけです。
 例えば、教科書なんかを見ますと、被疑者の段階では弁護人はつかないんだということを前提につくられているような教科書もあるわけですね。こういったことでは本当に日本人の法意識というのは進んでいかないんじゃないだろうか。逆にそれを正しく育てることによって、アメリカのようなめちゃくちゃとも言えるような訴訟社会へ行くことを防ぐこともできるんじゃないかということで、御指摘の点は大変重要なことだというふうに私は思います。
#73
○平野貞夫君 佐木先生にちょっと御意見を伺いたいんですが、今の日本人の法意識の問題で、例えば国会が非常に紛糾しまして、与野党で事前の話し合いができずに牛歩国会なんかに入ろうというときに、これからノンルールになるという言葉を使うわけでございます。要するにルールのない運営に入るという意味なんですが、実はそれは国会法、規則にのっとる議事のことなんですね。日本人の、国会議員ですらその規範意識というのは道なんです。事前に話をつけてやるのがルールだと思っているんです。そのぐらいずれがある。それから、例えば贈収賄の問題なんかでも、日本人の場合にはお金をのし袋に入れて志と書いて差し上げれば、これはお金でなくなるわけです、もう気持ちになるわけなんですね。
 そういう日本人の習慣、習性というものが直らないことには、なかなか司法制度の整備といいますか、これから始まるグローバルスタンダードな世の中には容易なことじゃないと思うんですが、そこら辺についてどのような対応をすればいいか、お考えをぜひひとつ。
#74
○参考人(佐木隆三君) 私はかねてより、日本人は法意識というものは潜在的に大変強くあると。例えば、テレビドラマで大岡越前であるとかあるいは遠山の金さんとか、これはもう昔から愛されておりますし、水戸黄門になってまいりますとちょっと話が裁判から遠のいてまいりますけれども、あの人は現場でもう即決でぱっとやりますから。ですから、私は楽観的に考えているんです。
 司法が、最高裁あたりも裁判官年ということで、開かれた裁判ということでいろいろと努力をなさっている。例えば、最高裁を開放して見に来なさいとか、変わりつつあるのはわかっておりますし、裁判所に行ってもパンフレットが置いてございまして、きれいなグラフィックなものが定期的に刊行されていてどうぞお取りくださいというのは比較的最近のことだろうと思うんです。ですから、司法に対する関心が高まってきているということは間違いないと思うんです。
 それでは国民としてはどうすればいいのか。例えば最高裁の判事のチェックみたいなこと、時々私どもも選挙に行って、最高裁判事の名前がどおっと並べてあって、やめさせたければバツしなさいと、あとは勝手にしなさいというふうなことで、そういうことだけが辛うじて国民として司法に参加できることなんですね。国会の議員の先生たちは主権者による選挙という恐ろしいチェックがあるわけですが、それが司法に関してはない。
 もちろん、弾劾裁判所があったりしますけれども、実際問題ほとんど、弁護士会が懲戒するとかいうのも時々記事になりますが、そういう内部のチェックはあるかもしれませんが、国民がチェックする機会がない。チェックするというと嫌な言葉に聞こえるかもしれませんけれども、だからやっぱり何か国民にもっと参加させる工夫をしていただければ法意識というものは……。
 もう一つだけ急いで申し上げると、政府刊行物の犯罪白書とか警察白書を読みますと、殺人事件の認知件数というのは、日本の場合、今、年間千二百件台、これは昭和三十年、三十一年、戦後十年、十一年が三千件を超えていたんですけれども、なだらかなカーブを描いてずっと下がって今は千二百件台。こんな国は世界にないわけですね。これも法意識のあらわれだと思うんですね、法律を遵守するという。
 そういったことを踏まえて、司法というものは、もっともっと国民が大事にして、国民がもっと信頼できるために何か風通しをよくしていただきたいというようなことを、大変抽象的な言葉ですけれども、常日ごろから考えております。
#75
○平野貞夫君 最後に話を戻しまして、青山先生にお聞きしますが、大学の法学教育のあり方について非常に強い関心を持たれている先生の立場から、簡単で結構でございますから、先生の立場で理想的な司法試験というのはこうあるべきだというお考えがありましたら聞かせていただければありがたいと思います。
#76
○参考人(青山善充君) 最後に大変難しい問題が降ってまいりましたけれども、理想論から申しますと、私はかつてのような教養科目も含めた広い範囲の試験を課すべきだというふうに思っております。そして、教養科目の選択科目のほかに法律選択科目を、できれば二科目と言いたいんですけれども、一科目は課すと。そのほかに、将来、民事裁判、刑事裁判を担当する、それに携わる法曹三者になるためには、先ほど申しました六科目程度の基本的な科目はきちんと勉強してもらいたい、そういうふうに思っております。
#77
○平野貞夫君 ありがとうございました。
 終わります。
#78
○山田俊昭君 二院クラブの山田でございます。
 きょうは先生方、どうも御苦労さまでございます。本日最後の質問者でございますので、いましばらくおつき合いのほどをお願い申し上げます。
 堀野先生にお尋ねをいたしますが、いわゆる司法改革論というと、法曹三者、法務省、裁判所、日弁連、これに学者が入って論議され、法案なりその他が成立したり決められていくわけでありますけれども、今回の改正に関しては学者を無視したと。先ほど青山先生もおっしゃったんですが、法曹三者だけでこの改正案を決めてしまって、学者の意見の反映がこの改正案にはないんだという学者間からの批判があるわけでありますが、私はそれに加えて、やはり国民の関心といいますか、極めて人権に影響を及ぼす法曹養成の中で、国民がこの改正に対する意見というんですか、司法試験法改革、司法改革に対して何らかの形で意見を述べる機会というか、そういう場を設けるべきではなかろうかと思うわけです。
 堀野先生はこの論文の中でも、今までそのような努力を蓄積されてこなかったことについては弁護士会を含め法曹界が負うべき責任だと、このような記載があるわけでありますけれども、今後国民の意見を取り入れていくために何か具体的な方法論なり、それはぜひ取り入れるべきだとお考えなのか、法曹三者と学者間だけで足りるというふうにお考えなのか、そこら辺のところをちょっとお尋ねいたします。
#79
○参考人(堀野紀君) 大変難しい問題だと思います。原則的には私は、司法の改革は法曹三者だけとかあるいは法曹三者と学者だけで済む問題ではないというふうに思っております。また、それだけでやったがゆえに誤ることもあり得るだろうと。
 同時に、また一つ問題がありまして、法曹三者抜きにしてこの問題を議論したときにどうなるかという問題もあろうかと思います。つまり、現場にいて現場の改革の方向についての考えを持っているものを除外した形での国民だけの議論では、これはまた正しい解決は出ないだろうと。
 そうすると、どこで私どもが市民の方とか国民の代表の方と接点を持ってやるのかということについては、今までの経過の中からいえば、一つは例えば法曹養成制度等改革協議会のように、そこに消費者団体の代表の方とかあるいは企業の代表の方とかが出席されてメンバーになって協議してきた経過がございます。それは、おる特別の協議会をつくり、そこに諸団体から代表として参加していただくという形で御意見を伺うという形もあろうかと思います。
 それからさらに、今回の問題を含めて私どもの弁護士会の中で一番大きな問題になったのは、もっと国民の意見を聞こうよということだったわけですね。ところが、もっと国民の意見を聞こうよといっても、一体どこへ行けばいいんだという話になったわけです。国民国民と言っても、みんな自分の好きな国民のところへ行くだけじゃないかと。
 そういったことで、私どもとしては、私どもの立場から国民国民と言っているんじゃなくて、やはりさっきの司法教育とかあるいはいろんな訴訟活動とかを通じてみずから国民の側から起こってくるいろんな声というのをもっと反映できていくシステムにすべきじゃないかなと。私どもが行くと、アンケートをとってもそのアンケートだけでは恐らく解決がつかないでしょうし、それから自分の知っているところだけ行ってもだめでしょうし、そういう意味では実際に裁判に携わっている方とかあるいは現場を見ている方々からの御意見を伺うということが一つ。
 それからもう一つは、やっぱりマスコミ関係だと思いますね。マスコミの方は意識的に司法を見ておられる。佐木先生を含めて、佐木先生をマスコミと言うとしかられますけれども、報道機関あるいは文筆に携わっている方々から見た司法といったようなものを私どもは謙虚に受けとめていくということも一つのやり方であろうというふうに思っています。
 今回の問題も含めて、新聞社の論説委員の方々あるいは司法記者の方々からは意見をいろいろ伺いました。そういう結果の決断であったと言ってもいいかと思いますけれども、ただ非常にまだ手段が限られているといいますか、難しいなと。それから議員の先生方からはもちろん御意見を伺いました。しかしやはり限られてくる。どうしたら本当に正確に国民の意思というのを反映できるのかというのは、これはこれからの課題であろうというふうに思っております。
#80
○山田俊昭君 関連ですが、上野先生、日弁連新聞平成九年十月一日二百八十五号で、修習期間短縮による「法曹の粗製濫造は、結局は国民自身が被害を被ることなのですから、多くの国民がこのような制度改悪を望むわけがありません。」と、こう断言されているんですね。これは今の堀野先生に対する質問とも関連するんですが、例えばアンケートをとられたとか、多くの国民の声を先生がどういう形で吸収されてこういう断言される論調になるのか、ちょっと教えていただきたいんです。
#81
○参考人(上野登子君) その点では私自身はまだまだその運動の手が足りなかったのですが、この間、取り組んだその各単位弁護士会などで集会を持ち、意見を聞き、アンケートをとっていく中で、これはやはり司法の充実を望む、それから質の充実を望む、そこではみんな一致するわけなのです。その行き着く先に、やはり裁判、司法の担い手である法曹三者の養成が悪い方に行くのでは納得できないという声は寄せられております。
#82
○山田俊昭君 堀野先生、もう一度ちょっと伺うんですが、司法試験に十五年以上チャレンジしている者が昨年のデータによりますと二千七百七人だとこの前法務省から聞いたわけですが、受験者で割りますと十五年以上チャレンジしている受験者が一丁四七%あるわけですね。それで、その合格率たるや十人程度だと。私はこの前、司法試験にのめり込んで人生を棒に振る人間が後を絶たない現実だという言い方をして法務省に質問をしたんですけれども、堀野先生、この問題に対してはどうお考えでしょうか。
#83
○参考人(堀野紀君) その二千七百人の方々の生き方について私自身が論評する立場ではないんですけれども、客観的に見ればやはり社会的な損失だろうなという感じがいたします。ただ、基本はやっぱり自己決定で、自分の人生には自分が責任を持つということで私はそういう道を選んでおられるのであろうと思いますが、できればそうでない方がいいなという感じは持っています。
#84
○山田俊昭君 佐木先生にお尋ねをいたします。
 最初、傍聴席から見た刑事裁判ということでいろいろお話を伺いまして、後からいろんな先生から質問をされまして、そのお答えの中に、陪審制度の問題、裁判の長期化、憲法三十七条違反じゃないかとか、法曹人が一番わかりにくい言葉を使っているんじゃないかとか、先生の御努力によって法廷メモが許されるようになった話、刑事裁判における被告人が関心を持つのは量刑だけで、教育の場でなきゃいかぬのだとかいう意見をいただいたわけなんです。
 ここで、やはり一番問題になる憲法三十七条の公平な裁判、迅速な裁判を受ける権利ということについてお尋ねをするわけですけれども、先生はその長期化の原因は何か、迅速性が失われている原因は調書裁判だと御指摘になったんですね。
 それで、先生も裁判傍聴とかいろんな記録をお読みになっていておわかりだと思うんですが、調書というのは実に名文によってつくられているんですね。あれは本人じゃなくて、捜査官の主観によって被告人が書いたような形で記載されている。
 私ども弁護士は、先ほどから出ておりますように国家権力と闘うわけでありまして、いわゆる検察官というのは大きな国家権力を背景にして捜査とかいろんな権力を持っている。私たち弁護人というのはわずかな力で立ち向かって弁護していかなきゃならないという立場にあるわけであります。そういう意味において、私どもが刑事弁護を担当する場合、被告人の調書が余りにもでき過ぎて、つくられてしまっているという危惧を持って、日本の検察はもちろん信じているわけですけれども、これはおかしいなと疑義を持つケースも多々あるわけです。そうすると、どうしても不同意をせざるを得ないということを実務を通して感ずるわけです。
 帰するところ、検面調書なり員面調書の作成に問題があるんじゃなかろうかと。これはずっと前から言い続けられていていまだに直らないんですが、例えば一問一答主義で検察官が聞いて答えるとか、生の声を調書に出すという形になるべきだと僕は思うんです。
 この迅速な裁判というところの、先生が御指摘になった調書裁判というものに対してのさらに突っ込んだ先生の御意見を例えたらと思うんですが、いかがでしょうか。
#85
○参考人(佐木隆三君) 先ほど言い落としたんですけれども、調書裁判ということで、実際は二開廷くらいで判決になると、弁護人がそのまま同意してしまえば。だから傍聴人にはどういう調書が採用されたのかという要旨を告知していただきたいとか、いろいろなことがあるんですが、ですから裁判が長期化するというのは恐らくごく一握りのケースだろうと思うんですけれども、その原因を考えてみたときに調書裁判だからだろうなと。
 それで、先ほど申し上げたように、被疑者段階で弁護人がつくというのは、数字はちょっとあれなんですけれども、恐らく二〇%もないんじゃないかと思うんです、当番弁護士ができてからは別ですけれども。そういうことで、密室の中での聞き取りで、そして聞き取った取り調べ官が自分の言葉で書きますね。
 私ども、たまに仕事でインタビューを受けることがありますけれども、ゲラを見せてもらったりすると、いかに相手が友好的に私の話を聞いてくれていても掌握できるのは半分ぐらいじゃないか、いろいろ書いてもらうと。ですから、ましていわんや、友好的でない雰囲気で、おまえうそついているんだろう、おまえがやったんだろうという中で、取り調べ官としてもどうしてもこんな言い逃ればかりは書きたくないから、取り調べ官にとって真実と思われることを書きたいわけですから、言いたいことがあれば裁判で言えばいいじゃないかと。
 そういうことで、私なんか数少ない経験ですが、何件かの冤罪事件を長期的に調べたことがございますけれども、出発点がどうもそこにあるんですね、調書に。そうすると調書というのは、とりわけ横面調書なんというともう何か水戸黄門の印籠みたいに絶大な力を発揮いたします。公判調書というのは一問一答形式ですね。ですから、最低限、取り調べ段階の供述調書を一問一答に改めるだけでも大分遣うんじゃないかと。
 それから、仄聞するところによると、音声入力ワープロで取り調べ室で被疑者のしゃべった言葉を、音声入力ワープロというのは今かなり開発が進んでおりまして、警察庁が開発に努力しているやに聞いているんですが、本当に期待しているんですけれどもね。
#86
○山田俊昭君 そこら辺のところはいろんな形で論議すれば時間がもっと必要だと思うんです。
 先ほど、理想は、いわゆる刑事裁判というのは教育の場じゃなきゃいかぬ、こうおっしゃったんだけれども、これは現実の刑事裁判の実情から見ると理想論に近くて、被告人なんというのは、有罪か無罪か、量刑は何年か、それ以外の関心はもう判塗言い渡し日には何もないわけであって、それは、ひとりで独房に入ったり刑務所の中に入って考えるべきことのような気がするんですけれども、一般の国民から見ると、判決言い渡しの裁判官の量刑理由の説明というのは足らないように一般的には思われているんでしょうかね。そこら辺どうですか。
#87
○参考人(佐木隆三君) やはり、主文で懲役何年に処すとか無期懲役に処すとかいろいろありまして、その理由が次に述べられるんですけれども、その理由が、今はさほど文語体ではありませんけれども、かんで含めるような口語体の文章ではないと思うんですね。これは被告人に読み聞かせるための判決文であってほしいと。
 もちろん、何々に照らして、これはこのような証拠があるから、この行為はこれこれに該当してそしてという難しい文言がたくさん並ぶから私たち素人は悩まされるんですけれども、人の運命を決める判決ですからそれは丁寧に書かなければいけないのは当然ですけれども、しかし被告人にもわかる言葉で書いていただく。
 そうして、やっぱり被告人といえども、したたかな常習累犯窃盗であるとか、ある種の半ば職業的な犯罪者であるとかはそんなに多くはないんですね。多くの被告人は初犯なんですね。それで執行猶予がつくことが多いんですが、執行猶予のときに裁判官から、あなたは今回のこれについては執行を猶予するけれども、次に何か犯罪を行ったら今回の懲役二年というのがまたプラスされて今度は実際に刑務所に行ってもらうんだから、そのことはよくわかるねというふうに、説示と言うんでしょうかね、そういうのを聞いていて深く感謝する被告人の表情を私は信じたいですね、また累犯する人もいるかもしれませんけれども。
 そういう場であってほしいと、必ずしも理想論だけではなしに、そのことで立ち直った人もたくさんいるわけですから、そういう意味で何か教育の場であってほしいというふうに申し上げたんです。
#88
○山田俊昭君 青山先生にお尋ねをいたしますが、世間にはいわゆる司法試験産業というのがあって、大学に行ってまじめに学校の授業を受けるよりもそこへ入った方がはるかに合格者数は多いというこの現実をどのようにお考えになっているか、大学教授としての目から見た御意見をお伺いいたしたい。
 時間が迫ったので、あわせてもう一問先生に御質問するんですが、大学の法学教育というのはもちろん司法試験用にやっているわけではないんだけれども、少なくも大学の法学部の授業にまじめに出ていれば司法試験に合格するというような大学の法学授業が行われないのかという疑問点ですね。論文試験の過去の問題なんか最近僕も見ていないけれども、大学教育を受けていたのでは、とても授業だけを受けていたのでは論文を書けそうにないような問題ばっかりなんです。
 司法試験の考査委員というか、管理委員がつくり出す問題というのは、できるだけ授業でやらない問題だとか、特定の場所だけでしか扱わない問題を探して出さなきゃいけない難しさもあるんでしょうけれども、私は大学教育に沿った問題が出されるべきだ、こう思うんですが、二点含めてお答えをいただきまして、私の質問を終わります。
#89
○参考人(青山善充君) 第一の司法試験産業をどう考えるかという御質問でございますけれども、これは職業選択の自由でありますので、私からは、そういう産業を、韓国のように廃止する、法律で制限するというようなことはとてもできません。できませんので自由競争ということになるだろうと思います。私ども大学法学部としては、そういう司法試験産業に負けないような法学教育をしなければいけないというふうに基本的には思っております。
 ただ、これはかなり難しい問題がありまして、司法試験に合格するためだけの教育をするのであれば、それは率直に言ってかなり易しいと思います。つまり、今の予備校等でやっているのは、論点主義と一口に申しますけれども、この問題が出たらこれこれの論点を書けばよろしいと。それだけを丸暗記して試験場に臨みますと、それを頭の中から繰り出してきまして、あたかもゲームを楽しむようなそういう勉強をしている。そして、試験が終わるとそれがすべて忘れられてしまう。そういうことで司法試験に受かるということは、私は将来の日本の司法にとってゆゆしき事態であるというふうに思います。
 私は、急がば回れという言葉もあると。一人前の法曹になって本当に大学教育のよさがわかってくるのは四十、五十になってからだということを学生に繰り返し言っているわけです。若い時期に基本的な勉強をきちんとやっている人間が、将来、四十代、五十代になったときに、本当に実力を出すべきときに出してくるんだぞということを若い学生に言っておりますけれども、最近は効率至上主義ということでございまして、とにかく司法試験に合格するということ自身に非常に大きな価値を見出している学生は、予備校に行った方が早いという伝説に従ってそういう行動をしている。私はそれは違うんだということを言い聞かせなければいけないというふうに思っております。
 それからもう一つ、第二の質問の少なくとも大学法学部の授業を聞けば司法試験に受かるくらいの実力を当然つけるべぎだとおっしゃるのは、私はまさにそのとおりだと思うんですね。私が学生時代、昭和三十年代は、別に司法試験のための予備校に通うとかいうことはなかったと思うんです、私だけじゃなくて私どもの世代は。それで何とか合格していた。
 それは一つには、私は、そんなに十年も十五年も頑張る人間が当時いなかったということもありますけれども、やっぱり試験問題というのが大きなポイントになっているのではないかというふうに思います。
 今、山田委員から御指摘があったように、今の司法試験の考査委員が必ずしも授業でしゃべらないところだけを出しているというふうには思いませんけれども、なお司法試験の問題の出し方については工夫をしていただきたい。私自身もかつて司法試験委員をやって随分苦労をしたことがありますけれども、一層その苦労、努力を重ねて、本当に将来日本の司法を支えていく人間が司法試験に合格するような問題をぜひ工夫していただきたいというふうに思っております。
 以上でございます。
#90
○山田俊昭君 どうもありがとうございました。
 終わります。
#91
○委員長(武田節子君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言御礼のごあいさつを申し上げます。
 本日は、長時間にわたり大変貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十一分散会
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ソース: 国立国会図書館
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