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1995/12/07 第134回国会 参議院 参議院会議録情報 第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第9号
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1995/12/07 第134回国会 参議院

参議院会議録情報 第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第9号

#1
第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第9号
平成七年十二月七日(木曜日)
   午前十時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十二月六日
    辞任         補欠選任
     北岡 秀二君     太田 豊秋君
     山本  保君     和田 洋子君
 十二月七日
    辞任         補欠選任
     渡辺 孝男君     直嶋 正行君
     吉川 春子君     橋本  敦君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         倉田 寛之君
    理 事
                上杉 光弘君
                関根 則之君
                松浦  功君
                白浜 一良君
                平井 卓志君
                渕上 貞雄君
                有働 正治君
    委 員
                尾辻 秀久君
                太田 豊秋君
                鎌田 要人君
                久世 公堯君
                小山 孝雄君
                下稲葉耕吉君
                坪井 一宇君
                中島 眞人君
                楢崎 泰昌君
                服部三男雄君
                保坂 三蔵君
                村上 正邦君
                荒木 清寛君
                魚住裕一郎君
                大森 礼子君
                釘宮  磐君
                直嶋 正行君
                益田 洋介君
                山下 栄一君
                和田 洋子君
                大脇 雅子君
                齋藤  勁君
                竹村 泰子君
                前川 忠夫君
                橋本  敦君
                本岡 昭次君
                国井 正幸君
   国務大臣
       内閣総理大臣   村山 富市君
       通商産業大臣   橋本龍太郎君
       法 務 大 臣  宮澤  弘君
       外 務 大 臣  河野 洋平君
       大 蔵 大 臣  武村 正義君
       文 部 大 臣  島村 宜伸君
       厚 生 大 臣  森井 忠良君
       農林水産大臣   野呂田芳成君
       運 輸 大 臣  平沼 赳夫君
       郵 政 大 臣  井上 一成君
       労 働 大 臣  青木 薪次君
       建 設 大 臣  森  喜朗君
       自 治 大 臣
       国 務 大 臣
       (国家公安委員
       会委員長)    深谷 隆司君
       国 務 大 臣 
       (内閣官房長官) 野坂 浩賢君
       国 務 大 臣
       (総務庁長官)  中山 正暉君
       国 務 大 臣
       (北海道開発庁
       長官)
       (沖縄開発庁長
       官)       高木 正明君
       国 務 大 臣
       (防衛庁長官)  衛藤征士郎君
       国 務 大 臣
       (経済企画庁長
       官)       宮崎  勇君
       国 務 大 臣
       (科学技術庁長
       官)       浦野 烋興君
       国 務 大 臣
       (環境庁長官)  大島 理森君
       国 務 大 臣
       (国土庁長官)  池端 清一君
   政府委員
       内閣法制局長官  大出 峻郎君
       内閣法制局第一
       部長       津野  修君
       内閣法制局第二
       部長       秋山  收君
       警察庁警備局長  杉田 和博君
       防衛庁参事官   澤  宏紀君
       法務省民事局長  濱崎 恭生君
       公安調査庁長官  杉原 弘泰君
       文部大臣官房総
       務審議官     辻村 哲夫君
       文部省初等中等
       教育局長     井上 孝美君
       文部省高等教育  吉田  茂君
       文化庁次長    小野 元之君
       農林水産大臣官
       房長       高木 勇樹君
       郵政大臣官房審
       議官       品川 萬里君
       労働大臣官房長  渡邊  信君
       建設大臣官房長  伴   襄君
       自治大臣官房総
       務審議官     湊  和夫君
       自治省行政局選
       挙部長      谷合 靖夫君
       自治省税務局長  佐野 徹治君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        青柳  徹君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○派遣委員の報告
○宗教法人法の一部を改正する法律案(内閣提出
 、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(倉田寛之君) ただいまから宗教法人等に関する特別委員会を開会いたします。
 宗教法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 去る五日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。
 まず、仙台班の御報告を願います。関根則之君。
#3
○関根則之君 第一班につきまして御報告いたします。
 派遣委員は、倉田委員長、白浜理事、渕上理事、有働理事、国井委員及び私、関根の六名であり、一昨日、仙台市において地方公聴会を開催し、四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。
 まず、公述の要旨を簡単に御報告申し上げます。
 最初に、北海道大学法学部教授中村睦男君からは、宗教法人法は、宗教団体の自由と自主性、責任と公共性という二つの要請を基本としながらも、前者に力点を置いたリベラルなものと位置づけられるが、その後の宗教法人の多様化、活動の複雑化等により、宗教法人の責任と公共性を強める方向で今回改正案が提出されたと考える。しかし、改正案でも、なお自由と自主性に力点が置かれており、信教の自由と政教分離の原則の尊重という観点から、他の公益法人や非営利法人と比べて国による規制は抑制されている。所轄庁の変更、財産目録等の書類の閲覧、所轄庁に対する書類の提出、所轄庁の報告徴取及び質問等の今回の改正は、信教の自由及び政教分離の原則に反しないと考える。ただし、信教の自由は基本的人権のうちでも根幹的でかつ傷つきやすい権利であり、運用上十分慎重な配慮が必要であるなどの意見が述べられました。
 次に、東北福祉大学学長萩野浩基君からは、所轄庁の変更について、信仰、信条は著しく個人性を持っており、その所轄は自治体が最もふさわしい。民主主義の原点は自治体であり、地方分権の観点からも、所轄庁の変更は逆行のように思われる。また、情報開示については、宗教法人みずからがみずからを律し、自浄作用が働くようにしなければならない。そのため、自主的に情報公開を行うように指導し、見守ることが必要であり、自発性、自主性、そして自浄作用を促すことが必要である。オウム事件の根本には戦後五十年の教育の貧困があり、今回の改正はその解決策とはならない。九月以降、改正の動きが急になったように思われるが、その背景には、オウム事件とともに参議院選挙の結果があるのではないか。改正をなぜこんなに急ぐのかわからないなどの意見が述べられました。
 次に、オウム真理教被害対策弁護団事務局長小野毅君からは、信教の自由は十分尊重しなければならないが、信教の自由を悪用している宗教団体があることも事実であり、その社会的影響は決して少なくない。信教の自由の重要性をきちっと位置づけながらも、宗教法人法その他の関連諸法を見直すべき時期に来ており、今回の改正には賛成である。しかし、まだ解散命令に際しての財産保全措置が定められていないなどの不十分な点がある。また、今回の改正でオウムのような事件が防げる、あるいは事前に察知できるとは考えられず、再発防止のためには、建築、開発、労働、教育、福祉、保健などの行政諸分野、捜査の問題を含めて、問題点を総合的に検討する必要があるなどの意見が述べられました。
 最後に、弁護士庄司捷彦君からは、憲法は信教の自由と政教分離という二原則を定めており、信教の自由の最大の制度的保障が政教分離の原則である。政教分離の原則の具体的内容は、国家の宗教への中立性と宗教団体の政治的中立性である。宗教団体が積極的な政治活動を行うことは違憲と評価すべきものと考える。宗教法人法は宗教団体へのサポートとコントロールを定めており、それをより実効性のあるものとし、宗教団体の違法行為の防止と、政教分離の原則の厳密な実行を可能にすることが必要である。今回の改正案は十分のものではないが、憲法の宗教原則、信教の自由と政教分離を実質的に一歩前進させるものであり、早期の実現を期待する。また、税法上の問題、帳簿の書式の問題など各方面から指摘されている事柄への取り組みを希望するなどの意見が述べられました。
 公述人の意見に対し、各委員より、今回の改正を不十分とする理由、今回の改正を拙速とする理由、宗教法人法の基本的性格と今回の改正による影響、宗教法人の自治・自立、宗教法人に対する法律による規制のあり方、宗教の定義を法律に規定することの適否、認証基準を法律事項とすることの適否、宗教と政治の関係、政教分離の原則についての考え方、宗教団体の政治活動のあり方、宗教団体の情報公開のあり方、宗教に名をかりた行為に対する対策、オウム事件が起こった理由と宗教法人法との関係、オウム事件に対する諸官庁の対応など、多岐にわたる質疑が行われました。
 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
 以上で第一班の報告を終わります。
#4
○委員長(倉田寛之君) 次に、広島班の御報告を願います。松浦功君。
#5
○松浦功君 第二班につきまして御報告いたします。
 派遣委員は、上杉理事、釘宮委員、齋藤委員、阿部委員、中尾委員及び私、松浦の六名であり、一昨日、広島市において地方公聴会を開催し、四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。
 まず、公述の要旨を簡単に御報告申し上げます。
 最初に、大阪大学文学部教授加地伸行君からは、まず本改正に賛成である旨の発言があり、大学が学校教育法等の規制を受け、管理を受けても学問の自由が侵されたという例はなく、それと同様に宗教法人法の規制によって信教の自由が侵されるとは言えない。また、日本人の神仏に対する崇敬の念は法の有無にかかわらず古来から変わっていない。ところで、我が国では法は国家のためのものとする伝統的法意識が強く、国民のためのものとする意識は希薄である。信教の自由を守ろうとするならばみずから法を守る意識を持つべきであるなどの意見が述べられました。
 次に、京都仏教会評議員安井攸爾君からは、今回の法改正の動きは当初より特定の宗教団体に対して攻撃を加えることを目的としたものであり、本年三月のオウム事件、七月の参議院議員選挙での新進党の躍進が宗教法人法改正の検討を加速させることとなった。本年八月ごろからこの改正案とほぼ同様のものが内部資料として出回っており、これは今回の法改正の内容が政治主導であることをうかがわせる。このことからも今回の宗教法人審議会の結論には疑念がある。また、改正案に定める信者等の会計帳簿の閲覧請求権は、お布施が本来的に有する見返りを求めないものという性格を変えてしまうことになり、仏教の教義とは相入れないなどの意見が述べられました。
 次に、広島弁護士会消費者問題対策委員会委員長、弁護士山田延廣君からは、早期に霊感商法などの被害に対して対策を講じていたならばオウム事件の防止は可能であり、このような事態を放置した政府にも責任の一端がある。宗教を利用した悪徳商法等を防止するためには財産関係の明確化は不可欠で、今回、財産帳簿の備えつけを規定するのはこの要請に合致する。また、所轄庁に一定の調査権限を与えないと実態把握は不可能で、改正案にあるような限定された質問権は必要である。なお、信教の自由との関係については、布教活動は内心の自由にとどまらず、社会的に影響を与える行為でもあり、他人の人権を侵害すれば規制されるのは当然である。このような適度の規制によって悪徳な宗教活動を防止することこそが正当な宗教活動を行っている宗教団体の名誉を高め、その活動を保護することになる等の意見が述べられました。
 最後に、弁護士、自由法曹団前広島支部長高村是懿君からは、宗教法人の法的性格について、民法第三十四条に規定された公益法人の一つであり、宗教法人法は、憲法第二十条の信教の自由、とりわけ宗教上の結社の自由を受けて比較的自由に法人格を認めている。オウム事件が防止できなかったのは、所轄庁がその全体像や金の流れをつかめず、認証の取り消しや解散命令の要件に該当するか否かその実態を把握できなかったことにあるが、今回の法改正は、その反省に立って、従来の宗教法人法の基本的性格を維持しつつ、社会状況の変化に対応した必要最小限のもので、妥当な改正である。なお、政治と宗教の関係については、憲法の政教分離の原則により、政治の宗教への介入、宗教の政治への介入のどちらも禁止されていること、また、どのような宗教団体も特定政党の支持を信者に押しつけることはできないこと等の意見が述べられました。
 公述人の意見に対し、各委員より、宗教法人法の基本的性格と今回の改正の影響、国民の宗教法人法に対する理解状況、現行宗教法人法の不備な箇所、所轄庁の質問権と国家の管理との関係、信者その他の利害関係人の閲覧請求権を認めることの意義、宗教情報センターの早期設置の意義、オウム事件が起こった理由と宗教法人法との関係、今回の法改正がオウム事件再発防止に資する理由、宗教と政治の関係、憲法第二十条に規定する政教分離の解釈、宗教法人の特定政党の支持と選挙の公平、法のもとの平等との関係、公述人、参考人に対する質疑が法改正の結果に直接反映されないとする新聞論説に対する見解など、多岐にわたる質疑が行われました。
 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。
 以上で第二班の報告を終わります。
#6
○委員長(倉田寛之君) これをもって派遣委員の報告は終了いたしました。
    ―――――――――――――
#7
○委員長(倉田寛之君) これより、宗教法人法の一部を改正する法律案について、前回に引き続き質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#8
○松浦功君 質疑に入ります前に、本特別委員会で一番注目を浴びた憲法二十条の政教分離の問題について一応統一見解が示されるということになっておりますが、この点について御督促を申し上げたい。
 非常に皆さんが関心をお持ちになった問題でございまして、同僚、我が党の委員からはいろいろと詳細な意見が述べられました。それに対して統一見解をいただけるということになったようでございますが、どうか質問者の意図を十二分に理解していただきまして真摯な検討をお願いしたい、こういうふうに思っております。
 ところで、そういうことを言いながら、一体いつごろ統一見解をお示しいただけるのか、私どもには非常に心配でございます。どうか官房辰官、それらの点についてお答えをいただければありがたいと存じます。よろしくお願いいたします。
#9
○国務大臣(野坂浩賢君) 先生にお答えをいたします。
 ごく簡潔に、いつ見解を出すかということでございますが、まずその前に申し上げたいと考えておりますのは、今、先生からお話があった内容、また第一班、第二班の地方公聴会の状況、こういうものをつぶさにお聞きをいたしました。したがって、なかなか難しい問題であるなということは直観しております。
 現在、憲法の定める政教分離の原則、これは憲法二十条第一項前段に規定する信教の自由を保障することを実質的なものにするために、国及びその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨と解しております。それを超えて宗教団体が政治活動をすることをも排除している趣旨のものではないというふうなのが現段階の解釈であります。
 したがって、参考人との意見の交換の中でも、宗教法人におかれましては、宗教活動を行うことを主たる目的とすることを要件として法人格を取得しているものでありますから、宗教法人が政治活動を行うことを主たる目的とするようなことは宗教法人法上予定されていない、こういうのが現在の憲法の解釈であろうと思っております。
 したがって、関根さんとかあるいは尾辻さんとか、また野党では白浜さんとか、たくさん御議論がございましたので、そして公聴会の実情というものを考えて、この問題については、国会の御議論あるいは公聴会の状況、そういうものについて憲法の学説等もよく勉強してみたい、こういうふうに考えておりますので、私は慎重に勉強しますので相当の期間が必要である、こういうことを申し上げたんですが、相当の期間というのは何日間だということになりますと、期限を切って御報告を申し上げる段階にない、非常に慎重を要する問題でありますので、相当の期間を要するものであろうというふうに御理解をいただきたいと思います。
#10
○松浦功君 現在の政府のとっている立場は十分御説明をいただきましたので、私も理解をしております。しかし、我々の仲間、同僚委員から申し上げたのは、今の解釈ではちょっとおかしいんじゃないかということの質問でございますので、それらの質問について十分御精査の上御検討いただきたい。
 そして、政府見解は従前の解釈と全然変わりませんなどという答えをお出しいただくと、やっぱり我々にも相当考えなきゃならない事態が起こると思います。その辺も十分御理解をいただいて御検討いただく、そして我々が納得できるような簡素でわかりやすい統一見解をお示しいただくように一同首を長くして、できるだけ早く見解が出されるようにお願いをいたしたい、このように思っておるところでございます。答弁は必要ございません。
 そこで、私は与えられました時間がわずかでございますので、新しい議論を引き起こそうとは思っておりません。これまでいろいろとこの委員会で政府側から御答弁をいただいた中で非常に重要な問題について、こういう御答弁をいただいたんですねということで確認をいただきたい、こう思っておりますので、ごく簡潔にお答えをいただけたらありがたいと思います。
 現在、私どもは必ずしもそうは思っておりませんけれども、宗教法人法が信教の自由を確保すること自体を目的とするものだという説をなさる方がおられますが、これについての考え方、御意見を文部大臣にお願いいたしたいと思います。
#11
○国務大臣(島村宜伸君) 宗教法人法の目的とするところについての御質問と受けとめてよろしゅうございましょうか。
 宗教法人法の目的とするところは、宗教団体に法人格を与え、宗教法人が自由かつ自主的な活動をするための物的基礎を確保する、これを基本にいたしております。このため、宗教法人法は、信教の自由、政教分離の原則を基本とし、宗教法人の責任を明確にするとともに、その公共性に配慮を払っており、自由と自主性、責任と公共性の二つの要請を骨子として全体系が組み立てられているところであります。
 また、宗教法人は宗教的事項と法人としての管理運営に関する事項の二面の機能をあわせ持っておるわけでありますが、宗教法人法は、憲法の信教の自由、政教分離の原則から、宗教法人の宗教的事項についてではなく、法人としての管理運営に関する事項について規定しているものであります。
#12
○松浦功君 今の説明十分理解いたしております。
 くどいようでございますけれども、総理も全く同じに考えておられると理解してよろしゅうございますか。
#13
○国務大臣(村山富市君) 文部大臣から御答弁があったとおりであります。
#14
○松浦功君 このような宗教法人の目的や宗教法人の性格等、こういったものを考えてみると、宗教法人が公益法人として要請される一定の法的規制に服することは我々は当然と思っておりますが、文部大臣、この点についてはどのようにお考えでございましょうか。
#15
○国務大臣(島村宜伸君) 宗教法人は宗教活動を行うことを主たる目的とするものであることは申すまでもございませんが、宗教はそもそも人心を安定させ、また日本の精神文化を向上させるために非常に重要である、こういう認識を持っております。現実には、神社、寺院、教会等、我が国における宗教法人の存在は国民一人一人の生活に深く定着し、大変大きな役割を果たしている、こう認識しているところであります。このことから、宗教法人の宗教活動には公益性が認められるものと、そう理解いたしております。
#16
○松浦功君 全く私どももその考え方に賛成であるわけでございますが、宗教法人については他の公益法人と比較して、現行法のもとで所轄庁が期待される責任を果たすには、ほかの法人よりは非常に規制が緩いということから、なかなか所轄庁として責任を果たすことが困難ではないかというふうに現行法では考えられるんですが、そういったものを前提に置いて今回の改正を考えられたと、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
#17
○国務大臣(島村宜伸君) 御指摘のとおりと考えます。
 オウム真理教事件を契機といたしましたものの、従前から法整備が徹底しておればかなりの部分でこういうことに対応できたのではないか、こういう反省もあるところであります。
 宗教法人は何といっても公益法人の一つであり、現行宗教法人法におきましても、宗教法人の管理運営面の民主化を図る制度としては、責任役員制度あるいは公告制度等が設けられております。また、所轄庁の権限といたしましては、収益事業の停止命令あるいは認証の取り消し、そしてまた解散命令の請求等を規定しているところでございます。また、宗教法人といえども法令に従った活動を行わなければならないのは当然でございまして、法令に違反する場合には、当該法令により一定の措置がとられることとなります。
 そういう意味で、今回の宗教法人法の改正は、宗教法人制度の適正な運用を確保するため、必要最小限の規定の整備を行うものであります。主な改正点である所轄庁の変更、備えつけ書類の提出義務、閲覧請求権、報告徴収・質問権は、所轄庁が現行法に規定されている責任を適正に果たすことができるようにするとともに、宗教法人の民主的運営や透明性を高める、こういう期待も含まれていると、こういうことでございます。
#18
○松浦功君 私は今回の法的規制を拡大するというだけではまだ随分不十分な点があるんではないかというふうに考えます。きょうは議論するつもりはございませんから、どういう点が不十分だということはまた機会を見て十分論議をしたいと思います。
 こういった考え方に立っておりますので、これから文部当局、政府におかれましても十分なおその点を御検討くださいまして、昭和三十二年の十一項目にわたる審議会の御答申もあるはずでございますから、それらを考えながら十分に検討していただいて、そしてさらに改めるべき必要があるという部分については積極的にこれを取り上げていくという態度をおとりいただきたいと思っております。それについての文部大臣の決意のほどをお伺いいたしたいと思います。
#19
○国務大臣(島村宜伸君) 今回の衆参両院における御審議をいただく過程でも、例えば認証の問題とかあるいは財産保全の問題等について法制上の不備があるのではないかと、いろいろ御指摘をいただいたところでございます。しかし、今回の場合は、少なくも必要最小限かつとりあえず行わなければならない改正は何であるかということで、先ほど来申していることに絞り込まれているわけでありまして、今時点では、これはこれなりに非常にベストであると、私はそう考えております。
 その意味で社会の状況は、宗教法人の実態の変化、これはだれしも認めるところでございまして、所轄庁がその責任を果たし、宗教法人がその自治能力の向上が図れるよう、宗教法人制度のより適正な運用を図るために必要最小限の規定の整備を行うということで御審議を願っているところであります。
 宗教法人制度のあり方につきましては、宗教法人審議会においては先ほど来のその三点に絞って御検討をいただいたところでございますが、まさに御指摘のとおりでありまして、これからも社会状況の変化などに対応して必要な見直しを行っていくことは当然でありますし、今後も十分それは考えられることだと思います。そうした際には、各方面で十分な議論を行いまして、よりよい結論を得るための努力を行っていくことが大切であると、こう考えております。
#20
○松浦功君 くどいようでございますが、今の考え方に総理は全く同意をされておられると思いますが、決意のほどを重ねてお願いいたしたいと思います。
#21
○国務大臣(村山富市君) 今、文部大臣から御答弁もございましたように、この改正案の審議の中でいろんな御意見を拝聴することができましたし、同時にまた、関心を持った国民の皆さんの反応もいろんな形で反映をされておると思います。そういうものも十分踏まえた上で、これからまた、今お話もございましたように社会も変わっていくでしょうし、同時にまた宗教団体のあり方も変わってくる可能性がある。そうした状況も十分踏まえた上で、必要な改正というものは今後も引き続き検討さるべき課題であるというふうに私は受けとめております。
#22
○松浦功君 ありがとうございました。
 話題を変えて、宗教法人に係る税制と申しますか、税の行政でございますね、そういった一面を明確にしたらいいんじゃないかと思って、これを固定資産税に例をとって幾つか問題を展開してみたいと思います。
 まず、自治大臣にお伺いいたしますが、Aという自治体の地域の中に土地と建物があって、それが宗教法人のものである。それに課税されているか課税されていないかということ、このことについて我々がお伺いした場合にお教えをいただけますでしょうか。
#23
○政府委員(佐野徹治君) 課税か非課税がにつきましての公表の問題でございますけれども、一般的に申し上げますと、地方税法の第二十二条におきましては、地方税の調査に従事する職員が知り得た秘密を漏らしてはいけないこと、それからその違反につきましての罰則の規定がございます。
 この守秘義務の対象となる秘密につきましては、一般的に知られておらず……
#24
○松浦功君 簡単に。
#25
○政府委員(佐野徹治君) 知られることによりまして客観的に相当の不利益を有する事実で、地方税に関する調査によって知ることができるものを言うものでございます。
 そういう点から申しまして、個々の資産に係ります課税の有無につきましては、それを明らかにすることによりまして一般的には知られていない用途が明らかになるような場合につきましては、地方税法上の秘密に該当するものでございまして、守秘義務の対象となるものと考えている次第でございます。
#26
○松浦功君 そういうお答えが返ってくると思っておりました。
 私は、一体宗教法人の物件に対して税がかかっておるかおらないか、そのことが守秘義務であるというのは一般の方には理解できないんじゃないかと思うんです。
 どれだけの建物の広さがあって、どれだけの土地の広さがあって、課税標準が幾らであるかということを私は言っているんじゃないんです。固定資産税がかかっているかかかっていないかだけ、その点は十分自治省としても検討していただきたい。皆様方も今までいろいろと行政上とってきた立場だと思いますから、一気にどうこうということを言うことは無理かもしれませんけれども、十分検討していただく余地はあるのではないか、こんなふうに思っております。
#27
○国務大臣(深谷隆司君) 松浦委員の御指摘の意味は十分にわかります。
 一般的に、地方税法の二十二条で守秘義務というのがあって、職員がその調査の結果知り得たものを公表してはならない、それには罰則がついていると、今、税務局長が答弁したとおりであります。
 それから、いわゆる宗教法人法に基づく境内建物、境内土地の課税か非課税かという問題については、目に見えるんだからもっとはっきりしたっていいではないかという御意見、私も大変大事だと思っております。
 今まではそういうことに対しては守秘義務ということで立ち入らないという形でございましたが、私は十分検討の対象になる課題だ、そのように受けとめて、これから自治省の諸君に対して、この点についてはひとつ適切な対応をするように指示したい、そう思います。
#28
○松浦功君 今の問題について、内閣法制局長官、お話を聞いておってどういう感じをお持ちになったですか。
#29
○政府委員(大出峻郎君) ある事実が秘密であるか否かということにつきましては、個々の具体的な事案に即して考えるべきでありまして、具体的な事実について知り得る立場にない当局としては、これについて見解を申し上げることはなかなか難しいわけでございますが、当該事実の認定に当たりまして地方税法の主務官庁であります自治省の方から法律解釈について相談がありますれば、その点については法制局におきましても必要な検討を行いたいというふうに考えております。
#30
○松浦功君 ぜひ法制局長官も自治省と十分御相談をいただいて、今の点については御勉強いただきたいと思っております。
 時間がございませんのでしりっぱしょりにいたしますけれども、宗教施設の中には非常にぜいたくなもの、宿泊施設等があるという説があったり、あるいは固定資産税は一月一日現在でございますから毎年非課税の対象になるかどうかということを検討すべきであるにかかわらず、どうもそういった点が十分行われていないんじゃないかと思われる節が多うございます。
 御答弁を求めるつもりはございませんけれども、それらの点も十分御理解いただいて、税務行政という立場で、自治省は各自治体に対して、法令に則して、宗教法人の物件に対する税務行政の問題はタブーだという意識を早く払拭していただいて、法令に従って適正な判定が行われるように御協力をいただきたいし、御指導いただきたい。
 同時に、大臣にお願いしておきたいんですが、今は少なくとも非課税になっているものについては、全国に何カ所あるかなんということは全然わかっていないわけです。そういった点についても地方公共団体にきっちり把握をさせて、それを集計していただいて、宗教法人の物件に対しても全国的に幾つあって、幾つが課税されておって幾つが非課税である、そういったことが我々にもわかるように十分これから御協力をいただきたいし、自治体の御指導に当たっていただきたいということをお願いして、同僚の下稲葉委員に引き継ぎたいと思いますので、よろしくお願いいたします。(拍手)
#31
○下稲葉耕吉君 いよいよこの特別委員会の審議も大詰めになりまして、私が自民党の質問の最後になったわけでございます。時間も余りございませんので、答弁はイエスかノーで済む部分はそういうようなことで御答弁いただければ結構でございますし、簡明にお願いいたします。
 先ほど来お伺いいたしまして、文部大臣もこの改正案は最低限ぎりぎり必要なものだというふうなことでございました。また、当委員会もこの法案を審議するためだけの委員会ではないわけでございまして、宗教法人問題にかかわるいろいろな問題について議論するということでございます。そこで、私は宗教法人法八十一条に基づくオウム真理教の解散の問題をめぐりましていろいろ議論し、その関連で破壊活動防止法の問題にも若干触れてみたい、このように思います。
 御承知のとおりに、東京都知事と東京地検の検事正はそれぞれ、宗教法人法八十一条によりまして、オウム真理教の解散命令申立書を六月三十日に東京地方裁判所に出しました。そして、十月三十日に解散の決定が出ました。それに対しましてオウム真理教側は即時抗告いたしまして、現在高裁で審理中であるという段階でございます。遅くとも年内には高裁の決定が出るんじゃないかというふうに伺っております。方法としてはまた最高裁に対する特別抗告なりなんなりという格好が残っているわけでございます。
 そこで、文部大臣にお伺いいたしますけれども、私が大変奇異に感じましたのは、この宗教法人解散命令申立書なるものが今申し上げましたように東京都知事から裁判所に出されているわけなんです。この中身を見て、今までの宗教法人法に対する政府側の答弁と大変違っているんじゃないかという感じがするんです。と申しますのは、法律は性善説に立って、認証を与えればそれから後は余りタッチしないという建前をとっておられたんですね。
 ところが、認証権者である所轄庁の東京都知事のこの中立書によりますと、まず上九一色村に平成五年九月ごろ第七サティアンという建物を建てた、登記上の面積は幾らと書いてあります。そして、そこで松本と、これはいわゆる麻原被告のことでございますが、その信者多数は組織的に不特定多数の者を殺害する目的でサリン生成化学プラントを建設し、いろいろ書いてございますが、もって人を殺害するという目的以外には用がない毒ガスであるサリンの生成を企てたと、東京都知事がこういうふうなことを裁判所に出しています。だから、この行為は宗教法人法二条所定の宗教団体の目的に反し、解散事由に該当すると。
 これはどういうふうに理解すればよろしゅうございますか。
#32
○国務大臣(島村宜伸君) すべてを御承知の委員からの御質問ではございますが、現行法では、御高承のとおり、所轄庁が認証時に宗教団体であることの確認を行った後、ひとたび法人格を与えますと、規則の変更や登記事項の変更のときにしか宗教法人の実態の把握をすることができない、これが現状であります。
 したがいまして、オウム真理教の施設においてサリンの生成を企てたとしても、御指摘のとおり所轄庁は知り得る仕組みとはなっておりません。東京都においても情報の把握に大変困難をきわめたと、そう聞き及んでおります。
 そのような理由から、オウム真理教の解散命令の請求を行うに当たっても、所轄庁が十分な情報を得ることができなかったために、法務、検察当局等の協力を得て、これらをむしろ資料として請求を行ったと、こういうふうに存じております。
#33
○下稲葉耕吉君 今、文部大臣の御答弁のとおりでございまして、東京都知事は本当はこういうふうなことは全然おわかりになっていない。警察、検察の協力を得て初めて実態がわかって解散請求なさったということなんですね。
 地検の検事正の裁判所に対する解散申立書を読んでみますと、てにをはは違うんですけれども中身は全く同じなんですよ。それが現在の所轄庁の実態だと思うんです。
 だから、今回いろいろ議論がございました、調査権がいかぬとかいうふうなことで質問権ということに落ちついたわけなんですけれども、それも宗教法人審議会の諮問を経てという前提はあるわけですが、まあそれでもある程度私は前進だと思うんですよ。しかし、今申し上げましたような具体的な問題に照らしてみるとまだまだ問題があるんじゃないかということを痛切に感じます。
 そこで、時間もございませんので、宗教法人法による解散の効果でございますが、説明をお伺いずれは長くなりますので私の方から、私なりに二つだと思うんです。それは解散の効果として法人格がなくなるということですね。それに基づいて解散させられるということだろうと思うんです。その点いかがでございますか、大臣。イエスかノーかで結構です。
#34
○国務大臣(島村宜伸君) 仰せのとおりであります。
#35
○下稲葉耕吉君 そうしますと、法人格がなくなったり、あるいは解散の手続になります。ところが、解散されるんだけれども、解散の効果というものは現在でもオウム真理教には適用されておりませんね。解散命令は出たんだけれども、まだ裁判が係属中です。確定するまではだめなんですね。その間、財産の移転というのは自由に行われます。自由がどうかは知りませんけれども、規制なしに行われるわけですね。
 だから、私はそういうふうな点からいいますと、少なくとも所轄庁が解散請求の申し立てをした段階で、破産法なりいろいろ関係あるような法令を勉強すればいいんですが、少なくとも確定するまでは動かされないような財産保全の処置がとれないものだろうか。その辺にも問題があるんじゃないかと思うんですが、いかがでございますか。
#36
○国務大臣(島村宜伸君) 実は、そのこともほうってあるわけではございませんで、いろいろ専門的に検討はしておるように承知をいたしております。
 その間の経過は文化庁次長が承知をいたしておりますので、正確を期するために政府委員から御答弁いたさせます。
#37
○政府委員(小野元之君) 財産保全のための制度を今検討しております。ただ、他の公益法人とのバランス、あるいは一般の財産保全制度との関係、それからこれは信教の自由との関連もございますので、そういったものを含めながら慎重に検討しておるところでございます。
#38
○下稲葉耕吉君 そこで、今度はオウム真理教の実態について、警察でも結構ですし法務省関係でも結構でございますが、ことしの三月以降、麻原被告を初め多数のオウムの関係者を警察は逮捕しました。検察庁も素早くそれに対応されまして公判がどんどん進んでいるような状態でございます。
 そういうような状態でございますが、今日までオウム真理教の信者は激減していますか、どういうような状態でございますか、これが第一点。それから、現在もなおお布施などを、資金活動という。言葉がいいかわかりませんけれども、集めているような実態があるかどうか。その二点について御答弁いただきたいと思います。
#39
○政府委員(杉田和博君) 強制捜査前のオウム真理教の信者の数はおおむね一万数千でありました。現時点で把握しておりますオウム信者の数は約一方でございます。
 それから、資金活動ということでございましたけれども、オウム真理教の財政というのは、布施収入が大幅に減った、そして訴訟費用がかさんでおるということで大変逼迫をしておる状況にございます。そういうことから、上九一色とか、それから総本部におりました在家の信者、これを東京や大阪にやりましてアルバイトをさせて、そのアルバイトで得た収入を布施させておる、こういう状況にございます。
#40
○下稲葉耕吉君 公安調査庁、今の点につきまして何かほかに情報をお持ちでございますか。
#41
○政府委員(杉原弘泰君) 簡単にお答えします。
 ほぼ警察庁の方から御答弁があったとおりでございますが、信者につきましては、脱会者が認められますけれども、その一方で教団側の積極的な勧誘が行われておりまして、新規信者の獲得事実も認められますので、全体として教団の信者数は極端に減少していないというふうに考えております。
 また、オウムの活動資金につきましては、各種の説法会あるいは集中セミナー等の開催時における布施、それからアルバイトあるいは教団関連施設における収入、オウムグッズの販売店における収益の徴収などなどで相当の資金の調達が行われているという事実が認められます。
#42
○下稲葉耕吉君 今の公安調査庁長官のお話によりますと、今なおそういうふうなお布施などの資金活動をしているということでございました。
 そこで、一般的には麻原被告の逮捕、起訴、もう十一回も逮捕されていると報道されていますけれども、によってもうオウム問題は終わったんじゃないかというふうな印象をお持ちの方もおられると思うんですけれども、オウム真理教がいわゆる平和路線に転換したのかどうか、あるいはまた獄中にいる麻原被告が今なお指導者として機能しているのかどうか、機能していないとするならば今だれが中心的な人物なのか、おわかりだったらお答えいただきたいと思います。
#43
○政府委員(杉田和博君) 教団の運営は、上佑逮捕後は三名の幹部によって集団指導体制で運営を行っておりますけれども、教団にとっての絶対的な存在というのは今なお麻原彰晃であると認識をいたしております。
#44
○下稲葉耕吉君 公安調査庁どうですか。
#45
○政府委員(杉原弘泰君) 私ども公安調査庁におきましても同様に考えております。
#46
○下稲葉耕吉君 宗教法人法に基づく解散の効果といたしまして、先ほど二点私は挙げました。そのとおりだとおっしゃいました。
 この委員会の議論でも明らかになったわけでございますが、国内に宗教団体というものはおよそ二十八万ある。そのうち宗教法人法によって法人格を取得したものが十八万四千だ、約十万ぐらいがそういうふうなもの以外の宗教団体だと。解散が確定いたしましてもなお十万近くの宗教団体というのが活動する。そうしますと、オウム真理教はその部類に属するような形になるわけでございます。
 そこでお伺いいたしたいんですが、そうだといたしますと、オウム真理教は従来どおり指導者だとか組織を持って活動するということはできるわけでございますね。
#47
○政府委員(小野元之君) 宗教法人法では、解散命令が確定いたしましても宗教団体としての活動を禁止いたしておりませんので、法人の名前で法人の施設や資金を用いて宗教活動を行うことはできませんけれども、任意団体として従来どおり指導者を持ったり組織を持つということは禁止されておりません。
#48
○下稲葉耕吉君 それでは、もちろん信者を一生懸命集めたりお布施をたくさんもらうように駆け回るというふうなことも自由でございますね。
#49
○政府委員(小野元之君) 任意団体として行うことについては、宗教法人法では禁止をいたしておりません。
#50
○下稲葉耕吉君 さらに、機関誌と言ったら言葉は悪いですが、PRの資料なりなんなりをつくりましていろいろ街頭で活動する、特別な法令に触れなければそういうようなことも自由でございますね。
#51
○政府委員(小野元之君) そういったことを行うことも可能でございます。
#52
○下稲葉耕吉君 さらに伺いますと、特別の法令に触れればともかく、そのお布施でいろいろな薬品なりなんなり買い集めるというふうなことも自由でございますね。
#53
○政府委員(小野元之君) やっていいというわけではございませんけれども、宗教法人法ではそういったことは禁止をしておりません。
#54
○下稲葉耕吉君 今申し上げましたようなことに対応いたしまして、破防法で団体の規制ということになりますとどういうふうな効果がございますか、公安調査庁。
#55
○政府委員(杉原弘泰君) 破防法が適用され解散指定の処分が行われますと、団体のためにするいかなる行為も禁止されることになります。つまり、当該団体の存続、発展または再建のためになされる一切の行為が禁止されることになりますので、お尋ねの布施を集めるという行為についても当然禁止の対象になることになります。
#56
○下稲葉耕吉君 そうしますと、信教の自由との関係についてはどういうふうに理解すればよろしゅうございますか。
#57
○政府委員(杉原弘泰君) 破防法の解散指定によって規制される行為は、ただいま申し上げましたように、八条に規定しております当該団体のためにする行為ということであります。すなわち、当該団体の存続、発展または再建のためになされる行為でございます。教義を信仰することはもとより、個人的に自宅で礼拝を行うことなどは内的信仰の問題でございまして、こういった内的信仰の保障は絶対不可侵であり、規制の対象とはなりませんので、破防法の適用によって個人の信教の自由を侵害するというおそれはないと考えております。
#58
○下稲葉耕吉君 大体、オウム真理教の実態に照らしまして、宗教法人法の解散の効果がどういうふうな効果がある、なおかつそれでもなお及ばない面がある、それとのかかわり合いで破防法の問題をここでいろいろ議論したわけでございます。
 破防法は、もちろん基本的人権を尊重して、その逆用については慎重でなければならないのは当然のことでございます。破防法の適用を決めればすぐいろんな効果があらわれるというふうに一般的に思いがちでございますけれども、その手続はなかなかぴしっと行政上決められているわけでございまして、公安調査庁長官が、いろいろそういうふうな団体について調査を進めて、これは破防法の適用をしたらどうかなというふうなことを考えた場合には、お伺いすればなお詳しく出るんですが、時間がございませんので申し上げますけれども、公安調査庁長官が弁明手続を開始する決定をする、そしてそのことを相手の団体に通知するわけでございます。そしてそのことを官報に公示いたします。そしてどういうふうなことであなたの団体を破防法の適用にしようかという証拠関係を相手に一切お見せするわけでございます。そして弁明が始まります。そしてまた相手側から反対意見の証拠だとか意見の陳述が行われる。
 そして、そういうふうなものをもとにして、なおかつ公安調査庁長官がこれは破防法の適用をした方がいいなと、こう思ったら公安審査委員会に規制の請求をするという手続になります。そして公安審査委員会の委員でそれを議論されまして、これはもうとんでもないというふうなことになったら棄却なり却下されます。しかし、理由があると思えば公安審査委員会による処分決定というものが行われる。もちろんそれについての処分取り消しの訴えだとかいろいろな裁判上の手続も残る。極めて慎重に手続が規定してある。
 だから、破壊活動防止法に踏み切っだといったら、あしたにでも規制されるようなことに一般は受け取りがちであるけれども、そういうふうな厳重な手続を経て初めて最終的に決定、確定ということになるわけでございます。
 そこで、この点につきまして、破防法の適用につきましては、法務大臣はかねがね、基本的な人権にかかわることでもあるし、法と証拠に基づいて慎重に検討中だと、こうおっしゃっておられます。最近はいよいよ最終段階に来たというような印象の答弁をなされたように思います。きょうあすのうちに、明日には本会議でこの法案も上がろうかと思いますし、国会も十五日まででございますし、年末もある。
 そういうふうなことで、私はもうその辺についての法務大臣の御決断をいただいてもいい時期じゃなかろうかなというふうな気持ちでいっぱいでございますが、それについての大臣の御所見を承りたいと思います。
#59
○国務大臣(宮澤弘君) 破防法の適用の問題につきましては、かねて申し上げておりますように、法と証拠に基づいて厳正に判断すべきものと考えております。
 御承知のように、破防法に定めております要件が極めて厳格なものでございまして、細部にわたって詰めるべき問題が多岐にわたっておりますために、それらの問題を検討いたすためにこれまで時間を要してまいりました。できるだけ早く結論を得られるように努めてまいりたいと思います。
#60
○下稲葉耕吉君 お立場上なかなかはっきりおっしゃりにくいんだと思いますが、大体お顔を拝見しておりますと決意のほどがわかるような感じがいたします。
 そこで、総理にお伺いいたしますが、総理に当然法務大臣からこの報告があるだろうと思います。法務大臣が省内のいろいろな意見を十分踏まえまして、そして法務大臣としての最後の決断をなさいました場合には、総理は法務大臣の決断を尊重されるものだと、私はこう思いますが、いかがでございますか。
#61
○国務大臣(村山富市君) 下稲葉委員がもうすべてを知り尽くした上での御質問でありますし、法務大臣も今御答弁がございましたように、その意を体した考え方というのは、それほど大きな違いはないんではないかと思うんです。
 やはり、基本的人権というものは尊重しなきゃならぬものだと。したがって、破防法の適用についてはあくまでも法と証拠に基づいて厳正に慎重に扱うべきものだということも十分踏まえた上で、ごらんのとおり法務大臣は非常に慎重な方でありますから、慎重の上にも慎重な判断をされると思いますから、私はその判断を尊重したいというふうに思います。
#62
○下稲葉耕吉君 最後になりました。どうもありがとうございました。
 この特別委員会は、衆議院と違いまして、参考人からの意見聴取、それから中央、地方の公聴会と終始熱心な審議を続けてまいりました。委員長初め皆様方に心から感謝申し上げます。
 それと同時に、この特別委員会の名称は宗教法人等に関する特別委員会ということでございまして、この法案の審議だけで終わるわけではございません。いろいろな問題を抱えているのは御承知のとおりでございます。
 そこで、最後に委員長にお願いいたしますけれども、そういうふうなことでございますので、引き続き当委員会を継続して審議の場をつくっていただくようにお願いいたしまして、終わります。(拍手)
#63
○和田洋子君 平成会の和田洋子でございます。質問をさせていただきます。
 これまでの衆参両院での宗教法人法改正に関する本会議、特別委員会での質疑並びに参考人質疑をお聞きした中で、宗教法人法改正の目的も手続も、内容の問題にどれをとりましても重大な問題があるということが明らかになりました。
 入り口がオウムで出口が創価学会と言われるように、初めはオウム対策にかこつけて進められた論議が、オウム対策はそっちのけで特定集団、特定宗教団体への誹謗、攻撃、宗教活動の制限にその論議の焦点が移ってしまいました。自民党が呼ばれた参考人である岡本神社本庁総長も、オウム事件の再発防止に役立つならば宗教法人法の改正はやむを得ない、オウム事件の再発防止に役立つならばとはっきりおっしゃっておられます。
 国民の本当の思いは、オウムのような事件の再発を防止するために全力を挙げてほしいというところにあります。議論を聞いても、今回の宗教法人法の改正は国民の安全を守るためのものではない、全力でオウム再発防止を図ろうとする思いが少しも見えてこない、改正はオウム再発防止のためだという国民の誤解に乗じた改正になっているのではないでしょうか。総理と文部大臣の御所見をお伺いいたします。
#64
○国務大臣(島村宜伸君) 今回の衆参両院の宗教法人に関する特別委員会でいろいろ御検討いただいたことは、国民の皆様もテレビその他でもごらんになっているわけでありますし、私も実は注意深く、我々の答弁におかしな点があるのか、あるいは今回の改正点に問題があるのか、私自身が率直に皆さんの御意見も承っているところでありますが、今回初めて宗教法人についていろいろな知識を持ち得た、そして同時にいろいろな御審議の過程を聞いて、なるほどこれは当然必要なものだということを皆さんから伺うんです。
 そのことは、何も私がためにする、あるいは自分の親しい人だけに伺っているわけじゃなくて、先般いろんな審議の経過が国民の皆様に知らされる結果を得た後、十一月二十三日と記憶しますが、このときの読売新聞の世論調査でも相変わらず八三%という国民の高い支持卒がおありになる。これらは何よりもわかりやすい一つの証拠になるのではないかと、こんなふうに思います。
 そして、この宗教法人法は、御存じのとおり、昭和二十六年制定のものでございます。経済の規模も極端に変わって、名目GNPで八十七倍にふえているわけですし、例えば委員の御地元と東京とを結ぶ距離をお考えいただいても、御存じのように極端に交通手段が発達し、非常に至近な距離になりました。私は先般もお邪魔をしてきたところですが、こういうふうに交通手段もあるいは情報通信等の機能も非常に発達をいたしまして、いわばいい意味で国内が非常に狭い地域になりました。当然、宗教法人の活動も非常に広域化し、かつ複雑化してきているところであります。
 それらに照らして、今までの宗教法人法は実態に沿わなくなった、したがって四十数年たった今日、これはやはり応分の改正をしなければならないということで、本年四月以降いろいろ御検討を願い、これらを我々は十分検討をし今回の法改正を御審議願っていると、こういうことでございます。
 一言で申せば、現在時点では一たび認証いたしますと後のことは全くわからない、こういう状況ではいかにも無責任ではないかと言われても仕方がない、そこでオウム真理教事件を契機として今回の改正に踏み切ったというのが実情でございます。どうぞひとつ御理解をいただきたいと思います。
#65
○国務大臣(村山富市君) もう御案内のように、宗教法人法というのは監督したり取り締まったりするような法律ではなくて、信教の自由と政教分離の原則に対して基礎的なものを与えていこうというところにその法人法のねらいがあるわけですね。
 したがって、誤解をされると困るんですけれども、その前提に立って、宗教法人の活動について私は法が持つ二面性があると思うんですけれども、その一つは宗教的事項と、それから管理運営の面とあると思うんです。宗教的事項というのは、信教の自由というものがありますから、これはもう尊重しなきゃならぬ、法律でもって規制するものではないというのは当然の話です。しかし、管理運営面については、公益法人である限りにおいては、透明性を高めて、世間的にも社会的にも信頼されるということが大事ではないか。そういう面についてはやっぱりある程度のものがあっても、これは法律的な規制があっても、これまたやむを得ないことではないかというふうに思うんです。
 これは私はたびたび申し上げますけれども、信教の自由を保障して宗教活動が社会的信頼性を得て活動ができるようにするためには、最小限この程度は必要ではないかということで改正の点が出されておるというふうに御理解を賜りたいと思うんです。
#66
○和田洋子君 文部大臣が、文芸春秋の十二月号に、抑止効果があるのではないかというふうにお書きになっております。所轄庁が知事から文部省に移ってどんな抑止効果があるんでしょうか、お答えはいただかなくても結構なんですが。
 きのうもそんな議論が交わされました。五年前にこれが施行になっていればこんな事件は起こらなかったというふうにおっしゃいましたが、五年前にこの改正がなされれば、本当にサリンの事件とか松本事件とか弁護士の事件とかは起こらなかったんでしょうか。例えば、書類に書く、質問に答えるというのがありますが、悪いことをする人が自分は悪いことをしますよと質問に答えると思いますか。ちょっとおかしいですから考えてください。
 どこから見ても、今回の改正は国民が望んでいるオウム再発防止でないことは明確です。そうであれば、信教の自由にかかわる重大な、大切な問題であるのだから、実態調査を含めて慎重に論議がされるのが筋であると思います。審議会が強引に打ち切られたことを見ても政治的な都合であると思わざるを得ません。十二月四日の参考人である洗参考人も力久参考人も、もう一度宗教の現場に戻してほしいとはっきりと言っておられます。総理、このことについて御答弁をお願いいたします。
#67
○国務大臣(村山富市君) 今度の改正案がオウム真理教のような事件を再び繰り返さないようにできる法律ではない、改正ではないと。私は、全面的にそういう役割は果たせないと思いますよ。しかし、宗教団体がどういう活動をしているかということをあらかじめ知ることができるということは、ある程度未然に防止する役割は果たしてもらえるんではないかということは期待できると思います。
 それから、今回の宗教法人法の改正案も、たびたび申し上げておりますけれども、信教の自由と政教分離というのは憲法で定めておる原則ですから、この基本的な権利というものはあくまでも侵してはならない。それを前提にして、たびたび申し上げますけれども、宗教団体が行っておる宗教活動について、社会的にも信頼をされるという意味では、ある程度の透明性を高めていくのは当然ではないか。そうでないと、オウム真理教みたいな宗教活動がなされておっても全然その実態が把握できないというんでは、行政としても責任が持てない。
 私に対してこういう質問がありました。これは電話であったんですけれども、オウム真理教のような活動がどうして未然に防止できなかったんですか、何のために宗教法人としての認証をしたんですかと、こうやかましく言われましたけれども、私は、そういう責めを受けても今の宗教法人法の実態からするとやむを得ない面があるんではないかというふうに思いますから、最低その程度の法律改正は必要ではないかということは当然ではないかと思っています。
#68
○和田洋子君 誤解のところまで言っていただかなくても結構なんですけれども。
 侵してはいけないところに監督をするというのが、これが一番問題だと思います。何が何でもこの国会で成立させようという内閣の姿勢には政治的意図を感じる。現に与党の幹部が公然とおっしゃっているではないですか。要するに、選挙対策であり、与党が政争の具として使われていることは事実であると思います。
 総理及び橋本通産大臣にお伺いをいたします。
 通産大臣は特に自民党の幹部の発言は個々の議員がされたと、そんな勝手なことでは済まないと思います、幹部なんですから。総裁としての御意見もお聞かせください。総理もお願いいたします。
#69
○国務大臣(橋本龍太郎君) 私は、自由民主党という政党は、かつてあなたもおられて御承知のように、さまざまな意見をそれぞれの人間が自由に展開することを規制する政党ではないということを何回も申し上げてきました。議員個々の責任を持って発言をすることを、私はそれを悪いと思っておりません。
 そして、この宗教法人法そのものは、よくおわかりのように、すべての宗教法人を視野に入れた改正案であります。その性格をお考えいただきましても、国会で今御論議をいただいておりますもの、私自身そのような言動をしたことはないはずでありますけれども、この宗教法人法の改正案というものの性格もよくお考えをいただきたいと存じます。
#70
○国務大臣(村山富市君) 個々の政治家が発言することは、これはあくまでも、それはそれこそ言論の自由と基本的権利に関する問題であって、言ったことがいいか悪いかということは国民が批判をすることであって、政治家は自分の持っておる見識でもって発言するのは、これはまた当然のことですし、やむを得ないことだと。それについていいとか悪いとか私はコメントする立場にはないということは御理解いただきたいと思うんです。
 ただ、お断り申し上げておきますけれども、私は今度の改正案を提出した、今お話もございましたように、最高の責任者であります。その責任者の言動というものを信頼していただきたい。特定の政党や特定の宗教団体を意識したものではないということは明確に申し上げておきます。
#71
○和田洋子君 今の御答弁で、政府の幹部がおっしゃったのですからもっと責任ある御答弁をいただきたかったというふうに思います。(「残念だよ」と呼ぶ者あり)残念です。
 先日の参考人質疑の中で力久参考人は、審議会の運営が非常に強引だったということをおっしゃいました。理由は、例えば情報について、信者の項目に関して非常に問題があると言うと、会長が善隣教は何かやましいことがあるのではないか、なければいいではないかと言われたそうです。宗教全体にとってこれはどういうことなのかという意見を素直に発言しているのに圧迫を感じたとさえ言われています。あるいは、継続審議を求めると、政治的背景があると思われるなどと言われ、発言しにくい状況にあったと言われております。あげくに、伏してお願いたの、成仏し切れないだの、真実の生々しい報告をお聞きいたしました。
 総理大臣、文部大臣、拙速でない、政治的意図がないと言えますか。お答えください。
#72
○国務大臣(島村宜伸君) 大事なことですからもう一度復習をさせていただきますが、宗教法人審議会は十五名から成り立っておりますけれども、うち十一名は宗教法人の代表の方であります。学識経験者は四名しかおりません。そこで果たして恣意的ないろいろな運営が可能かどうか、まずお考えいただきたい。
 しかも、会長はその十五名の委員の互選によって選ばれた会長であります。そして、会長はその会務を総理するというのが宗教法人法七十四条に定めてあります。それらを承知で会長は皆さんによって互選を受けた。
 そして、その運営の過程では、これはもっと専門的に集中的にまたやる必要があるということから、委員の皆さんの御判断で特別委員会が設けられました。これは宗教団体五つの団体から各一名、それから学識経験者から三名、五対三でございます。そして、この八名の方が合計八回にわたって、六月以降夏休み返上で御審議をいただいた。しかも、その審議の経過において、何か暗礁に乗り上げるとか議論が本当に大変な混乱をするというようなことはなかったわけであります。
 したがって、私は就任以来、委員の方に一回も電話一つしたことがありませんし、何か恣意的に私の方からお願いをしたことも全くありませんし、特定の宗教団体云々なんというのはましてやございませんが、少なくも極めて円満に実は九月二十二日におまとめいただくものと私は個人的に考えておりました。しかし、さらに慎重にやるべきであると、こういう御判断から二十九日に最終のいわば報告の結論の一任が取りつけられた。
 その際も、いろいろの数字が飛び交いますけれども、その時点で反対した方は、いろいろ委員会でも答弁申し上げたように、たしか二、三名と承知をいたしております。(「七名、七名」と呼ぶ者あり)そして、今、七名とお話がございましたが、会長が一任を取りつけ、報告をまとめて私の方にお出しいただく際に、なるほど二、三の方からさらに慎重にという御意見等があった旨は申し添えられました。その後で七名の方からお手紙が私の方に来たことも事実であります。
 ただ、その七名の方の中に、何と三名は特別委員会でまさに整々粛々と会議に参加された方が含まれておることは事実でありますし、またその七名の方のうち一名の方は、新聞の投書をなさった際に、自分は一任に反対の意思表示をしなかったとはっきり書かれておるわけでありますから、こういうことに照らしても、私は、七名の方にいろんな方々が含まれて、後からお手紙をいただいたことをむしろ意外と受けとめておることを御理解いただきたいと思います。
#73
○和田洋子君 文部大臣が任命された審議委員十五名中十一名が宗教界の方々で、十一名中の七名がこの改正案に、慎重にしてほしい、反対である、そして審議会の再開を申し入れたという異例の事態となりました。
 大臣、あなたがこの審議委員と文部省に対して信頼関係を壊されたとは思いませんか。壊した信頼関係はどうして回復するつもりですか。これほどの不信の中で今後審議会が十分に機能を果たすと思われますか。お願いします。
#74
○国務大臣(島村宜伸君) 私が審議会の方々の信頼を傷つけたとは毛頭考えておりません。これは、先ほども申し上げたように、私は審議会に何か恣意的な行動、要するに言動をいたしたことは一切ございません。そして、いただいた御報告をもとに政府の責任において今回の改正案をつくり今お諮りしているわけでありますし、それも別に御報告を逸脱したものではございません。
 したがって、私は全く信義を踏みにじったような行為は自分に思い当たるものはありませんことを申し上げます。
#75
○和田洋子君 私は会津の小さな真宗の寺の嫁です。この寺は、知事の認証を受けた宗教法人で、弟夫婦が二人で寺を守っています。宗教法人約十八万四千の中では、うちの寺のような規模がほとんどではないかと思います。どの寺にも事務員さんなんという者はおりません。ほとんどみんな親子や夫婦で、まじめに開法を説き、切り盛りをしております。今回の宗教法人法の一部改正でこのような寺が混乱しないか、大変心配をしております。
 改正案の内容が明らかになるに従って心配はますます募ってまいります。実は、お幸いじめの改正案ではないかという気さえしております。もっと国会で十分中身について審議をしてほしいのですが、その時間ももうないんですね。きょうは多くの疑問点の中から幾つか取り上げて質問をしたいと思っています。
 閲覧請求権についてですが、文化庁は、信者その他の利害関係人の範囲について宗教法人側が決められると言うんですが、そのうち信者について、例えばうちのような寺で、仏の教えに背かず信心深き者という決め方をしていいのでしょうか。
#76
○政府委員(小野元之君) この閲覧請求でございますけれども、何度もこの委員会で御答弁させていただいておりますように、正当な利益を有する信者その他の利害関係人であって、しかも不当な目的がないという者でございます。
 信者につきましては、寺院の檀徒や神社の氏子さん、そういった方のうち、宗教法人と継続的な関係を有して宗教法人の財産基盤の維持形成に貢献している方、あるいは総代などで宗教法人の管理運営上の地位が規則等で明確に定められている方、あるいは宗教上の教師などで宗教法人と継続的な雇用関係にある方、こういった方の例示を申し上げておるわけでございますけれども、何度も御答弁申し上げておりますように、この閲覧請求の対象になるかどうかは宗教法人の側が御判断になるものでございます。
#77
○和田洋子君 信者は仏の教えに背かず信心深き者として決めていいのか、そのことをお聞きしたんですが。イエス、ノーでお答えください。
#78
○政府委員(小野元之君) 信者かどうかは各宗教団体の特性、慣習によって個別に違うものでございます。したがいまして、宗教団体の側でこういった方が信者だというふうに御判断いただいて構わないものでございます。
#79
○和田洋子君 その信者が見せてほしいと言ったら見せなくてはいけないんですね、いろんなものを。しかし、一口に信者と言ってもいろいろあるんですよ。お寺であれば檀家さんとか、私どもの寺では二十八日にお講という形で開法を聞く会をしています。それは檀家さんに限らず、地域の人がたくさんお話を聞きにおいでになります。寺として仏の教えを広めて、あまねく世界が平和であるように、一人でも多くの人に話を聞いてもらいたいというのがお寺の考えなんです。信者と決められれば書類、帳簿を閲覧させなければいけない。文化庁は備えつけてあるんだから見せてもいいでしょうというふうにおっしゃいますけれども、お寺の財産とか議事録とか私は必ずしもだれにでも見せていいとは思っていません。
 。例えば、議事録について申し上げますと、私のような小さな地域では一つの集落が一軒のお寺でまとまっているなんというところがたくさんあります。寺の屋根の修復なんということをちょっと考えていただきたいんですが、もう総代とか責任役員が決めている中で、寺の屋根ちょっと早いんじゃないか、そんなにいっぱい出せないんじゃないかなんということを今度は言えなくなりますね、村の人にみんなわかっちゃうんですもの。そういう議事録の公開なんということを本当にしていいんでしょうか。そういう地方のというか、小さい等々の実情をよく調査されてこの法人法を改正されるのですか。文部大臣、お答えください。
#80
○国務大臣(島村宜伸君) 今回の改正によって信者が閲覧請求権を持つ、この信者については、宗教法人がそれぞれの特性に応じてお決めいただくということになっているわけでございます。
#81
○和田洋子君 実態調査をして決めたのかとお尋ねをしたんですが。
#82
○国務大臣(島村宜伸君) 実態を把握したいのですが、実態把握をしようとすると、これは場合によって信教の自由を侵すこともあり得ますから、これはその中に入り込むことにおのずから制約がございます。したがって、宗教法人がそれぞれの特性に応じて御判断をいただくということにしておるところです。
#83
○和田洋子君 それでは、再び力久参考人、洗参考人の現場に戻してほしい、白紙に戻してほしいという考えをお聞かせいただきたい。
#84
○国務大臣(島村宜伸君) 先ほども御説明いたしましたように、本年四月から審議会総会が五回、特別委員会八回、しかも八十九条から成り立っている宗教法人法、各条にわたっての御審議でなくて、所轄のあり方、情報開示のあり方、あるいは活動報告の把握のあり方、三点に絞って誠心誠意御検討いただいてきたわけであります。
 したがって、これをまた白紙に戻すというようなことを要求されること自体が私は無理かと思いますし、委員も婦人部長をなさっておられていろいろな会議をお持ちだと思いますが、皆さんで熱心に御討議なさってお決めいただいたことを何名かの方がこれ一々白紙に戻すとなったらもともと会議というのは成り立たないと、こういうふうに思います。
#85
○和田洋子君 例えば、審議会で十一人中七名でありますし、全国の寺のことを考えていただけば、そんな二、三の方ということでくくられては大変困ると思いますが、本当に慎重に考えてほしいと思います。
 その他の利害関係人というのも私はわからない一つです。文化庁は利害関係人について、法律上の権利義務関係を有する者と言われていますが、どんな人が入るんですか。
#86
○政府委員(小野元之君) 信者以外の利害関係人でございますけれども、例示で三つお示ししておりますが、一つは債権者や保証人など宗教法人と取引等の一定の契約関係にある方、それからもう一つが宗教法人の行為により損害をこうむった方、それから三番目に包括・被包括の関係にある宗教法人の関係、こういったものを例示としてお示ししているところでございます。
#87
○和田洋子君 法律上の権利義務関係を有する者ということで、今は権利の部分でお話をいただいたと思いますが、義務の関係ではどうですか。
#88
○政府委員(小野元之君) 利害関係人でございますから、そういった義務を持っている方も当然入るわけでございます。宗教法人から例えばお金を借りている方、そういった者も当然入るものでございます。
#89
○和田洋子君 お金を借りている人がお金を貸している人の財産を見せてくれなんということがあるんですか。
#90
○政府委員(小野元之君) この利害関係人でございますけれども、当該書類を見せてほしいということを言うにつきまして、法律上の利害関係があるということでございます。
 先ほど来幾つかお示しをしておりますけれども、例えば、宗教法人に対して質権を持っている方であるとか、あるいは包括・被包括の関係で大変深い関係にある宗教法人であるとか、いずれにいたしましても、当該書類を見せてほしいということについて法律上の利益があり、しかも不当な目的がない、そういった限定された利害関係人ということでございますから、宗教法人の側で判断ができるというものでございますので、そんなに御心配にならないように私どもとしてもいろいろな例について御指導をしてまいりたいというふうに考えているところでございます。(発言する者多し)
#91
○委員長(倉田寛之君) 御静粛に願います。
#92
○和田洋子君 私の問いに答えていらっしゃらないと思います。きょうは最後の質問なんですから、明確に答えていただきたいと思います。
 例えば、借金をした人が貸し主に財産を見せてくれなんて言えると思いますか。
#93
○政府委員(小野元之君) それぞれの事例について個別に判断すべきものでございますけれども、法律上のまさに利害関係があるかどうか、その書類を見せろということについて法律上の利益を有しているかどうか、この判断はその時点でしなければならないものだというふうに考えております。
#94
○和田洋子君 要するに、答えていらっしゃいませんね。
 例えば、個々のもので利害関係人というのが出てきたら、この件に関してあなたは利害関係人で、この件に関してはあなたは信者でない、信者だ、そして見せていい、見せて悪い、そんなことをお寺でできると思いますか。
#95
○政府委員(小野元之君) まず、基本的に備えつけ書類を見せてほしいということでございまして、そもそも備えつけ書類の規定が現行法でもございますけれども、これは現行法の解釈が実は判例で分かれているわけでございます。そもそも事務所に備えつけることはだれかに見せる、まさに利害関係人であるとか信者、そういった方に見せることを前提に今の制度はできていると思われるのでございます。
 しかし、そこが不分明でございますので、今回法律上の規定を明確にいたしまして、正当な利益があり、かつ不当な目的がない信者その他の利害関係人に対してお示しをするというものでございまして、これはまさに宗教法人として、この書類をなぜ見せると言うのか、その点はおかしいではないかと。もし全く関係なくて、ほとんど関係ないと思われる方が言ってくれば、それはお断りになればよろしいわけでございますから、それが最終的にぎりぎり問題になれば裁判ということもあり得ますけれども、しかしこの書類の閲覧請求をお願いするのは、そういうことがあることによって宗教法人がもしかしたら正当な方には見せなきゃいけない、会計経理をきちんとしなければいけない、あるいは議事録もきちんと整えなければいけないということで、宗教法人自身が自主的に管理運営を適正に行っていくことを目指した改正でございますので、ぜひこの点については御理解を賜りたいと思うのでございます。
#96
○和田洋子君 では、正当な利益というものをお聞きしますけれども、正当な利益のある信者その他の利害関係人として、例えば寺院の檀徒あるいは神社の氏子さんなどのうち、法人と継続的な関係があって、その財産基盤の形成に貢献しておられる方、貢献というものに物差しはありますか、尺度はありますか。
#97
○政府委員(小野元之君) これは例示でございますが、例えばもし先生のお寺で屋根を直すときに大変多額の寄附をしてくださった、あるいは昔からずっと檀徒総代、あるいは檀徒としてお寺の運営に対して非常に協力をしてくださった、長い間のお寺さんと信者の間のもちろん緊密な関係があるわけでございまして、そういうものがある方が、実は今度もう一回屋根を直すというので、その議事録を見せてほしいということであれば、それは具体的な問題として判断すべきでございますけれども、そういった個別の関連においてこれをお見せするのがいいかどうかは、まさに宗教法人がお考えになれるものでございますから、そんなにお困りになるはずもない。
 そもそも、見せる対象も備えつけられている書類に限るわけでございますから、それ以外の庫裏の中の金銭出納帳を見せろというものではございません。きちんと私どもは研修会でお示ししておりますけれども、そういった一年間の会計の全体を示す書類、例えば収支計算書、財産目録で備えられているものそのものについての閲覧でございますから、本当にそんなにお困りになるということは余り予想できないところでございます。
#98
○和田洋子君 お答えの中で何もはっきりしたお答えはいただいていないというふうに私は思っております。
 貢献に物差しがあるかどうか、そして信者はどういう信者としてのくくられ方があるのかどうか。私どものお寺なんかでは、本当に信者さんと信者さんの間に区別、差別はつけられないし、お寺で果たして利害関係のある方が、私はあなたを不当な目的で見るんだけれども、不当な目的で見ますよとはおっしゃいません。そういうことで、この法律は車ほどさように不明なものであるというふうに私は思っております。
 最後に、総理にお尋ねをいたします。
 総理大臣、あなたは護憲の党と言ってこられた社会党の党首でおられます。護憲と言うからには憲法の最も大切な原則の一つ、民主主義を守ることだと私は思っております。護憲の党であるからには、民主主義を大事にする党であり、すなわち手続を大事にしなければいけない、ルールを大切にしなければいけない、少数の意見を聞く党でななければいけない。そういう護憲を掲げる党の党首であるならば、総理は拙速な審議を許してはいけないはずです。
 今回、参考人の招致等について全会一致というルールを守るかどうかについて、御案内のようにいろいろありました。これは、参議院のルールは先人たちの知恵であり、人権尊重というところから守られてきたルールです。社会党が数を頼んで多数決で強行するようなことがあってはならない、ルールを破るということなどに加担をしてはいけないはずです。しかも、そのようなことになるのであれば、総理、私はあなたがこのことをとめていただきたかった。
 今回は辛うじてルールを守られました。こうした動きが出てくること自体に問題があります。大変憂えております。社会党は与党のかなめであるのに、こうした動きが平然と行われること自体を憂えているのです。私は素直に、率直に思うのですが、総理はどういうふうに思われますか。御所見をお尋ねいたします。
#99
○国務大臣(村山富市君) 物事を決める際に、満場一致で決まれば一番いいし、しかしその満場一致で決まる過程には、ある事柄について賛成する意見もあろうし、反対する意見もあろうし、中立的な意見もあるかもしれませんね。そういう意見が率直に述べられ合って、そして先ほども申し上げましたように、お互いに納得して、合意点が見出せれば一番いいし、そういう運営に常に心がけておると私は信頼をいたしております。
 しかし、これは最終的に、その事柄によりますけれども、事柄によってはこれはもう多数決で決めざるを得ないというようなこともそれは民主主義のルールとしてはあり得るのではないかというふうに思います。
 しかし、前段に申し上げましたように、可能な限り満場一致で決めることを原則とするし、そのために努力をすることは当然であるというふうに私は思いますから、別に民主主義を否定していると思いませんし、私は、自分の政治信条として、憲法に保障されている基本的人権や民主主義というものは最も尊重されるべきものである、守らなきゃならぬものであるというふうに常に心がけてやっておるつもりでございます。
#100
○和田洋子君 最後に、再び申し上げます。
 総理、私はあなたにこの事態をとめてほしかったと思っています。どうぞルールを守る民主主義の総理であることを心からお願いをいたしまして、私の質問を終わらせていただきます。(拍手)
#101
○竹村泰子君 この宗教法人法を改正するために、衆議院では三十一時間三十八分、参議院では四十時間一分の審議を行ってきたわけでございます。決して特定宗教団体を攻撃するような、誹謗中傷するような議論だけをしていたのではないことをはっきりと申し上げておきたいと思います。
   〔委員長退席、理事松浦功君着席〕
 私は、きょうは持ち時間が非常に短いものですから、簡単にお答えをいただきたいと冒頭お願いを申し上げておきます。
 信教の自由について随分議論が重ねられてまいりました。私は、信教の自由には次の三つの柱があるというふうに考えます。一つは内心における信仰の自粛、それから二番目には布教や儀式などの宗教活動の自由、それから三番目には宗教的な団体や結社の自由、この三つの柱があるのではないかというふうに考えます。
 このうち一番の内心における信仰の自由、これはもう絶対無制約な自由であります。たとえそれがはた目には邪教と映るような宗教であろうとも、その人の心の中で個人の内心にとどまっている限り全く自由であるということをはっきりと申し上げたいと思います。
 それから二番目には布教や儀式などですけれども、これは社会の中で行うわけで、特定の行為が権利や利益を侵害したとき、信教の自由は、オウムとかそういった例にありますとおり絶対的に保障されるものとはならない場合があるということを思います。
 例えば、これはちょっと極端な例かもしれませんが、似たような例はたくさんあると思いますが、精神障害の治療のために加持祈祷を行い、そしてその結果患者を心臓麻痺で死なせて僧侶が傷害致死罪に問われた事件がございます。これは最高裁大法廷、一九六三年五月十五日の判決でありますけれども、もう大臣、内閣の皆さんは御存じであると思いますが、「信教の自由が基本的人権の一として極めて重要なものであることはいうまでもない。しかし、およそ基本的人権は、国民はこれを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うべきことは憲法一二条の定めるところであり」、云々、こういうことがあるわけでありまして、つまり、信仰に基づく行為であっても、それが強制や不利益の付与を伴うことにより人権を侵害するときには不法行為責任が問われるということであるだろうというふうに思います。
 三番の宗教団体や結社の自由については、もうこれは憲法に保障されているとおりでございますから省きます。
 民主主義というのは、これは釈迦に説法であるかもしれませんけれども、個人が単位であります。日本国憲法下では、まず個人の自由が最優先、そしてそれを前提にして宗教団体の自由、そしてこれが逆になるのはまさに違憲であり、そして本末転倒であるというふうに私は考えます。このことを我々はしっかりと踏まえ、宗教に関するとき、また判断するときの基準としたいと思いますが、文部大臣のお考えをお聞かせください。
#102
○国務大臣(島村宜伸君) 初めからしっかり承らせていただきましたけれども、全く同感でございます。
#103
○竹村泰子君 この法律、運用するのに政省令が全くないんですね。これは運用面に支障はないのかどうか。陰口では、何もしない法律ではないかというふうなことも聞かれるわけですけれども、その辺のところを短くお答えください。
#104
○政府委員(小野元之君) 政省令がないのは事実でございますが、これはできるだけ法律の趣旨を明確にする、法律の中に規定を書き込もうということで、そのことで宗教団体の便宜を図るというものでございます。ただ、そういったことで、できるだけ法律に書く、そして行政庁が恣意的な運用はしないということで努力をしておりますので、政省令がないがゆえに運用の面で具体的に支障が出ているという点はございません。
#105
○竹村泰子君 法律が成立するならばしっかりと運用しなければいけないと思いますが、例えば解散命令に関してなんですけれども、被害者も申し立てができるだろうかということです。
 八十一条一項、現行法ですが、「所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。」というのがありますね。そこで、利害関係人という言葉について、あるいは二十五条に関連してもこの委員会で始終議論が重ねられてまいりました。たしか文化庁の小野さんは、利害関係人とは宗教法人として法律上の権利義務関係を有する者というふうに答えていらっしゃると思います。
 宗教法人の存続に利害関係を有する者ということで、信者はその宗教法人の存続に最も深くかかわっている、存続に関心を持っている人だと思うんですけれども、信者も利害関係のうちに入るのではないかと私は思うんです。特に信者を含むという明文がないからといって、信者を解散請求者から除くという理由にはならないと思いますが、どうでしょうか。
#106
○政府委員(小野元之君) 法八十一条の解散命令についてのここでの利害関係人でございますが、これは被害者とかあるいは信者、こういった者ももちろん含まれるわけでございます。ここの規定の利害関係人については宗教法人の存続に利害関係を有する者だというふうに考えます。
 そして、不法行為による被害者、こういった者も法人に対して損害賠償請求権を持っておりますので、一般の債権者と同様この当該宗教法人が存続するかどうかということについて利害関係がございますので、解散命令の申し立ては認められるというふうに考えているところでございます。
#107
○竹村泰子君 わかりました。
 オウム真理教による一連の事件の被害者は、今のところ六千人を超えるとも、あるいはそんな数では済まない、けたが違うかもしれませんけれども、そういう多くの被害者がいるわけで、被害者たちは知る権利もあり、そして申し立てをする権利もあり、私たちのこれからの政治の使命としては、この末端の被害者たちをどう救っていくのだろうか、どう社会に復帰していただけるのだろうか、特に子供たちの問題も含めてそのことに非常に心を痛めているわけでありますけれども、そういう意味で、信者たちのそういった知る権利、申し立てをする権利ということも大切に考えていきたいというふうに思うわけです。
 そして、解散命令、財産保全に関してなんですけれども、解散命令が出されますと清算人が選ばれる。そして法的には、この清算人が不動産を売却して、そして信者らの立ち退きを命じることができる。財産を調査、そして確定して債権者に分配をするという作業が実際の仕事として残って、残ってというかこれからの仕事としてあるわけでありますけれども、しかしオウムで見られますように教団も財産隠しに必死であります。今いろいろなオウム教団関係の企業がオウムの財産を分配されているというふうに聞いております。
 今回のオウムの例では非常に迅速に事が運んだというふうに聞いております。六月三十日に地検と都が申し立てをして、十月六日に審問をして、そして三週間余りで解散命令が出ている。特殊な例であるということから非常に迅速に事が運ばれたというふうに聞いております。
 それにしても、清算人が今選ばれようとしているわけですね。ですから、その期間、解散命令が出てから清算人が選ばれるまでの間、教団は財産を自由に処分できるわけであります。例えば、会社の解散命令や破産法、会社更生法などと同様、申し立て時に財産保全処分の規定が必要であると私たちは強く主張してまいりまして、法律にもこれを入れたいというふうに思っておりましたが、ちょっと入れられませんでした。
 それで、ここのところ、今が多分そういう期間であると思うわけでありますけれども、このことについて、大臣、どういうふうにお思いになりますでしょうか。
#108
○国務大臣(島村宜伸君) 財産保全につきましては、例えばオウム真理教事件のように内容がかなり的確に国民の目にもはっきりわかる、こういうような事態だけであれば対応もしやすいのかもしれませんが、いろいろな事例があるんだろうと思います。そういう意味で、他の公益法人とのいわばいろんなかかわりも十分検討しなきゃなりませんし、また同時に他の省庁その他と十分審議を行った上でないと軽々には踏み切れません。
 そして同時に、これを下手に財産保金、例えば先ほどもちょっと例示がありまして、もしああいう事件が起きたら、その場で一時期その財産を押さえてしまうという方法がありはしないか、下稲葉委員と思いますが、というようなことがございましたけれども、これもやっぱりケース・バイ・ケースで対応しないと、場合によっては信教の自由を侵すおそれも出てくるんではないか、いろいろの問題があるというふうに承知をいたしております。
 なお、この件につきましては小野次長からさらに詳しく御説明させます。
#109
○政府委員(小野元之君) オウムに関して、私どもの方も財産隠しが行われないように速やかに東京高裁で決定をしていただきたいと思っているわけでございます。その場合、それがなされるまでの間、確かに御指摘のように財産保全のことが必要なわけでございます。現在でも民事保全法で一部行われているものもあるわけでございます。
 私どもとしては、この財産保全の制度について検討しなければならないと思っているわけでございますが、仮に、オウムのような場合ははっきりしているのでございますけれども、そうではなくて、先ほどの例のような解散命令請求を信者とかあるいは被害者ができるということでございましたら、解散命令請求が出た時点で財産保全を直ちに何か措置をとるということになりますと、もしその宗教法人がきちんとした立派な宗教法人であれば、その間に宗教活動が行われるわけですけれども、財産保全措置がなされますと財産が凍結されてしまいますので、その点で、信教の自由との観点で慎重にしなければならない部分もあるわけでございます。
 そういったことも含めまして、法務省その他の省庁とも十分相談をしながら今後検討してまいりたいというふうに考えているところでございます。
#110
○竹村泰子君 私は、きょうは時間が非常に短く限られておりましたので、一枚資料を用意させていただきました。「今後検討するべき課題」として出させていただきましたが、今の「財産保全処分の規定」についてが一番でございますので、一番は省かせていただきます。
 二番の「解散後の規制について」、オウム真理教の場合再び宗教法人の申請をしてくることが考えられる。期限つきでも制限の必要性がある。
 三番、「信教の自由」、個人の信教の自由、また政教分離を確立するために、特に宗教団体等からの改正に対する強い反対を受けて最大限の努力をしていきたい、質問権、書類備えつけなどを含めてですね。
 それから、四番、「カルト対策」、カルト集団の発生を防止し、霊感、霊視、おどしなどに対する国会議員の監視体制の確立も必要ではないか。つまり国の調査会も委員会もつくられていない、省庁の対応もばらばらであったと、オウムに対しては。そういうことで、私たちもきちんとした調査会なり委員会をつくっていくことが必要ではないか。
 そして、五番、「宗教情報センターを作る必要がある。」のではないか。
 四番、五番に関しては、総理、文部大臣及び国会議員の責任と決断が必要であるというふうに最後に書かせていただきましたけれども、五番につきましては、宗教団体や市民の協力が必要でありますけれども、民間だけではなかなか難しいと思います。地方自治体や文部省の意気込みがあれば、情熱があれば必ず宗教情報センターができると、そういうふうに考えます。
 私どもの責任を、そして何としても再発を防ぐために、こういう意味できょうは質問をさせていただきました。もう時間がなくなりましたけれども、二言、総理、御所見を聞かせていただけますでしょうか。
#111
○国務大臣(村山富市君) これはもう委員がお話しのように、信教の自由と政教分離の原則をしっかり守るということを前提にして、いろいろなカルト集団みたいなものが出てくる可能性がある、そういうものをどういうふうにして防止していくかということに対して政府もあるいは国会の皆さんも関心を持っていただいて、そういうことに対する対応が十分可能になるような道筋があるなら私はやっぱりきちっと決めた方がいいのではないかというふうに思いますけれども、政府が下手にやりますとこれはまた政教分離の原則に反することになるというようなことにもなりかねませんから、私はもう少し自由な立場でやれる方々にそういう関心も持っていただくことが必要ではないかというふうに思います。
 それから、宗教の情報センターという問題の提起がありましたけれども、これも公的に行政てつくるというのではなくて、私は民間なら民間の皆さんの有志がそういうものをこしらえて、そしてこれは例えば本人の意思に反して、信教の自由というのは守る自由もありますけれども、それからまた離脱する自由もあるわけですから、離脱することがなかなかできないというようなこともあると思いますから、そういう苦情を何か聞いてもらえるようなところが欲しいなという声は私も随分聞いておりますから、そういうものもそれぞれの方々で御相談をいただいておつくりいただくことも結構なことではないかというふうに私は思います。
 しかし、いずれにいたしましても、ここに御提起になりましたような、先ほどございました財産保全の問題とかいうような問題については、これは法的な手続の問題やらあるいは各省庁との均衡上の問題等もあると思いますから簡単にはいかぬと思いますけれども、先ほどお話がございましたように、この特別委員会は今後も引き続いて検討していただくということになっているようでありますから、十分国会の方で御審議をいただければ、政府としても御協力を申し上げたいというふうに思います。
#112
○竹村泰子君 終わります。
#113
○橋本敦君 私は、さきに当委員会で、本年の夏の参議院選挙のときに行われました安田火災など保険会社に対する公選法二百二十一条違反の利益誘導問題を取り上げました。先日の参考人の秋谷創価学会会長の陳述によりまして、この事実の解明がいよいよ必要であることを私は痛感いたしました。
 秋谷会長は、創価学会から依頼したことはないということは前提としてお話がありましたが、聞くところによると、その問題については、安田火災の係の方がたまたま本部にお見えになった、つまり本部に来られたことを認められ、係の者と選挙の話になったということはございましたと、選挙の話が出たことは認められました。そこからその支援の話が、こちらから特にお願いしたということではありませんけれども、そういう形で安田火災の方が話を進められたということであると、こう陳述をされております。
 しかし、考えてみますと、創価学会の方から依頼もないのに安田火災の方が公選法で罰せられるおそれのあるそういった特定候補の支持拡大の協力をすることがあるでしょうか。現に、私も指摘をしましたけれども、二十五年前の東京都議選のときには安田火災の責任者は文書違反ということで略式の罰金を受けておる。だから、考えてみてもそういうことは本当にあり得ない。
 それより、むしろ私が示した文書で明らかなように、「旧公明党・創価学会の選挙支援要請の対応について」と、こういった文書ではっきり示されておりますように、要請があったという事実は文書自体から各所で明らかになっているところであります。例えば、こういった支持活動をして有権者名簿等をそろえたならば、それは学会から支社への訪問があれば渡してくれ、こういうことまではっきり書いてあります。だから、こういうことを考えますと、この問題はまさに創価学会と保険会社との間の保険契約という特別の利害関係を利用した上でのまさに特定候補の支持拡大のための誘導行為であった、こう見るのが事件の真相であることは明白だと思うわけです。
 公選法違反の疑いがある事案であれば厳正にこれを調べる、そして法を厳正に適用してこそまさに選挙の公正は守られるはずであります。自治大臣もこうした問題について、さきに私の質問に答えて、もしもそれが事実であるとするならばそれは重大な問題である、こういうことをお認めになって答弁をされていらっしゃいます。
 私は、選挙の公正に責任を負う自治大臣、そしてまた法の厳正な適用、それに責任を負う国家公安委員長として、この問題については厳正な調査をされることを強く要望するのでありますが、いかがですか。
#114
○国務大臣(深谷隆司君) 過日、委員の御質問にお答えしたとおりの気持ちでございます。今御指摘にあったような、それが法令に違反するような状態であれば、当然警察当局は厳正な捜査をすべきであると思います。
#115
○橋本敦君 警察当局は、国会での論議も十分御存じであろうと思いますから、今、大臣がおっしゃった立場でしかるべき厳正な対処を強く求めたいと思います。
 次の問題に移りますが、地方税法三百四十八条で、宗教法人の施設が非課税とされるのは、それが専ら宗教法人法第三条に定める宗教法人本来の目的のために使用される場合に限る、本来の目的外の使用はたまたま例外的場合にしか認められない、こういったことを内閣法制局長官は明確に答弁をされました。これは法制局の昭和四十年三月二十九日、自治省税務局長あての回答にも明記されておるところでありますが、この見解は自治省も同じ見解と伺ってよろしいですか。
#116
○政府委員(佐野徹治君) お尋ねの法制局見解は、地方税法第三百四十八条第二項第三号に定めます、「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第三条に規定する境内建物及び境内地」に対する非課税の取り扱いに関しまして、地方団体に対してその解釈を示すために内閣法制局に意見を求め、回答をいただいた件かと思われますが、自治省におきましてもこれを受け、その取り扱いにつきまして市町村を指導しているところでございます。
#117
○橋本敦君 そのとおりだという見解は変わらないわけですね。
 秋谷参考人は、こうしたことが問題になって、陳述の中で創価学会のそうした非課税施設が特定政党支持の選挙活動のためにも使われていることをお認めになりましたが、しかし、その使用は限られた期間での部分的活動、こういうことで非課税は当然だという御意見でありました。それが法制局の示した、たまたま例外的なものと言えるかどうか、実態に照らしてこれが問題になるわけであります。実態は一体どういうことか。
 例えば、ここに一九八〇年のダブル選挙のときにおきます学会の皆さんの川崎区の支援スケジュールという文書がございます。これを見ますと、三月から六月まで、つまり選挙までの間のスケジュールが決められておりまして、第一期は「メッセージ運動」。これは池田名誉会長のメッセージ等を広める運動。第二期は「F拡大」。つまり、創価学会員の皆さんが知人その他に支持を拡大する運動。そして五月に入りまして、第三期としては、その「F拡大」からさらに「マル外作り」ということで、外へ支持を打って出るという運動。そして第四期はいよいよ選挙に入りまして、「総仕上げ」と書いてあります。そして、この長い期間にわたっていろんな会議、協議会、支部長会、こういった会議がしばしば行われるのでありますが、こうした会議等に文化会館等の施設が使われることは、これは言うまでもありません。
 この点について、なぜそう言うかといいますと、元公明党衆議院議員大橋敏雄さんがみずからの実際体験を踏まえて、政府に対する質問主意書ではっきりこうおっしゃっている。「選挙は、通年にわたり全国各地で施行されており、学会の日常活動やその方針は、常にこの選挙戦を念頭において打ち出されている」「本来、宗教目的に使用さるべき全国各地に数百箇所も存在する会館、研修所等の諸施設は、選挙戦が込まれば公明党候補者の挨拶や演説、あるいは支援徹底のための会場と化し、学会組織を挙げての選挙戦に突入していく」、はっきりこうおっしゃっているわけであります。
 佐賀の選挙のときにもこういった実態がいろいろ問題になりました。地方選挙、国政選挙のたびにこのような状況で使われるという事実を率直に見ますと、これまで長年にわたってそういうように使われてきたということを考えますと、まさにそれはたまたまどころか選挙のときにはいつも、例外的どころか選挙のときには恒常的に必ず使われるというのが実態ではないかという、そういう問題がはっきりあるではありませんか。
 こういう問題を正しく考えるならば、自治大臣、この地方税法の適用に関しては厳格に厳しく解釈するのが当然だとおっしゃっているわけでありますから、そういう立場をきちっと貫いて適正な指導をするのが当然だと思うわけであります。その点について自治大臣のお考えを重ねて伺いたい。
#118
○国務大臣(深谷隆司君) 宗教法人につきましては、宗教法人が専らその用途に供する境内建物及び境内地に係る固定資産税については非課税、それ以外は課税をするということになっているわけであります。非課税か否かというのはあくまでもその施設が専らその用に供しているかということで判断されるべきでございまして、そうでないという明確な状態があれば、当然のように非課税措置は取り消されるべきだと思います。
 これらの判定につきましては、各市町村が行うということになっておりますので、自治省といたしましてはこれらの法律に合わせて厳正な対応をするように機会あるたびごとにこれからも指導してまいりたいと思っております。
#119
○橋本敦君 今こうした問題が宗教と政治との関係ということで大きな問題になっているときでありますから、この際、自治省は改めてこの法の趣旨を明確にし、そして各自治体に使用の実態の調査も厳正に行い、法の適用については厳正を期するようにきちっとした通達をお出しになって、重ねて指導を強められることを要求したいと思いますが、いかがですか。
#120
○国務大臣(深谷隆司君) 委員御指摘のとおりでございまして、厳正に対応するようにしっかり指示したいと思います。
#121
○橋本敦君 最後に総理にお尋ねしますが、非課税でないものを非課税にするという扱いをすれば一体どういうことになるか。これは法を曲げるだけではありません。その非課税の施設を使って特定候補のための選挙活動をしている、そういう特別の免税的利益が得られるわけでしょう。そうなりますと、これは税の問題として、選挙の公正だけじゃなくて、国から特定の利益を与えるというまさに憲法上の問題にかかわる重大な問題にもなりかねない。
 この問題はこれからも重ねてしっかり国会は議論すべきだと思いますが、総理のお考えはいかがですか。
#122
○国務大臣(村山富市君) 今、自治大臣からも答弁がございましたけれども、宗教法人が持っておる境内建物、施設等を非課税にするのか課税をするのかという区分は大変難しい問題だと思います。
   〔理事松浦功君退席、委員長着席〕
 これは今まで裁判で争われたこともありますし、国民の中にもそういう疑念を持った議論があることも私は承知いたしております。これは国会でもこの委員会で議論もされております。
 そういうことでありますから、そういうことも十分踏まえた上で自治省も指導されると思いますし、同時にまた課税権を持っております市町村も適正に判断されるものだというふうに私は思います。
#123
○橋本敦君 終わります。(拍手)
#124
○本岡昭次君 参議院フォーラムの本岡でございます。
 十一月二十七日から今日まで本委員会で私も質疑に参加させていただき、また参考人、公聴会における公述人の意見、さまざまな角度から勉強してまいりまして、私なりに自分の判断を出す状況になったと考えています。それで、私なりに今までこの委員会で得たものを総括して、最後に総理に伺って、判断をしたいと思います。
 日本の歴史は、国家が宗教及び宗教団体を管理監督し、利用、抑圧してきた歴史であるということもはっきりしました。敗戦後、我が国の宗教行政はそうした状況から一大転換をしています。日本国憲法は、信教の自由を保障し、政教分離の原則を規定しました。そして、信教の自由は基本的人権の根幹として保障されることになりました。つまり、宗教法人法は、国家が宗教を法律で規制した過去の歴史と決別したところに大きな歴史的意味を持っているというふうに私は考えました。宗教法人法は、すべての宗教活動を監視も介入もしないし援助もしない、ただし違法行為があったら許されないという典型的な自由保護法制になっております。
 ところが、今回の改正は、宗教法人を文部省が一元的に監督しようとする発想と、宗教法人の業務と財務について国の管理下に置き、国の指導のもとに世間に公開させようというものであります。これはどう見ても自由の制約であります。総理が述べられているように、最低この程度のことはやってほしいという問題を行政権力によって強制するのでなく、自由の中で自主・自助努力を続けて問題を解決し改善していくことを宗教法人法はその理念として求めていると私は見ます。
 また、国が行政の責任だとして幾ら管理監督を厳しくしても、宗教界の理解と合意が得られなければ実効性は出てこないと考えます。大切なのは、宗教界みずからの自主と責任を踏まえた努力であると私は考えます。宗教団体も、参考人や公聴会の意見の中で積極的な自助努力の意思表示もしておられます。信教の自由の保障、政教分離の根本的な考え方は、国は宗教に対し不干渉、中立の態度をとるということであると私は今日までの議論を通して確信いたしました。
 総理は基本的スタンスは変わっていないと弁明されますが、やはり今回の改正は宗教法人法の目的と意義に反します。総理は、この改正によって国が再び宗教に干渉していく歴史的な転換期をあなたがつくられるということの自覚をされる必要があります。国民の権利、基本的人権の問題として、慎重の上にも慎重な検討を私はさらに求めたいと考えます。
 総理の所見を伺います。
#125
○国務大臣(村山富市君) 戦争中に宗教団体とか宗教活動が弾圧された、その弾圧されたことに今度の改正案は道を開くことになるのではないかと、こういう御指摘ですけれども、私は前提が違うと。なぜ違うかといいますと、あの明治憲法、戦争前にあった憲法と戦後につくられた今持っておる憲法とはもう前提が全然違うわけです。その新しい憲法のもとにおいてこの宗教法人法もつくられているわけですよ。ですから、前提が違うのに、憲法を尊重し、憲法を守るという立場に立っている者がそんなことはあり得ないと、私はそのことはもう断言して申し上げておきたいと思うんです。
 今度の宗教法人法の改正というのは、これはたびたびここでも御議論がございましたように、あくまでも宗教団体が法人格を与えられることによって、その自主的な活動あるいは自助努力等々を十分前提として行ってもらわなきゃならぬということは当然であります。なおかつ、法を改正することによって、制度としてもそれを助成していこうということによって全きを期せられるのではないかと。
 これはもちろん、これで完全になるとは申しませんよ。まだ不十分な点があるということについてはいろいろ御指摘があったところでありますから、これから検討もさらにされていくと私は思いますけれども、しかしそのために最小限度この程度は改正することによってむしろ宗教団体の自主的な、あるいは自助努力を助長することになるのではないかというふうに私は考えています。
 したがって、この程度の改正をすることによって、たびたび申し上げますけれども、むしろ宗教団体が社会的にも信頼される、そういう存在になっていくのではないかということを期待いたしております。
#126
○国井正幸君 新緑風会の国井正幸でございます。
 私は、憲法二十条の政教分離の原則及び宗教法人の政治活動に関する政府見解についてお伺いをしたいというふうに思います。
 先ほどの御質問にもありましたけれども、私は、新しい政府の統一見解が出されるのかどうか、これは大変重大な内容を含んでおるんではないかというふうに思っております。と申しますのは、与党の大変有力な方が、マスコミ等の報ずるところによりますと、宗教団体の政治活動に関して何らかの制限を加える新たな法律の制定が必要なのではないか、こういうことを言っていらっしゃる方がいるわけですね、現に。これまでの政府見解をベースにすれば、こうした新たな動きというのは憲法違反であることは私は間違いないというふうに思うわけでございます。
 私は、憲法の定める思想あるいは信教の自由、結社さらには言論・表現の自由、こういうもろもろのことを考えてみるときに、やはり国民の基本的人権を尊重する立場から現行の政府見解というのは変える必要はないのではないかというふうに思います。総理はこれまでの答弁の中で変えないと、こういうふうに私は総理の答弁は受け取っておるんですが、どうも官房長官のお話を聞いていると、変えるか変えないか、そういうことも含めてやるんだと、こういうふうなことで、何だか一向にわかったようなわからないような話なんですね。
 少なくともいわゆる村山内閣としてどうなんだということについて、特にこれは官房長官が言っているわけですから、官房長官の考え方をもう一度最後にお聞かせいただきたいというふうに思うんです。
#127
○国務大臣(野坂浩賢君) お答えします。
 国井さんの御意見はよくわかりました。
 今日まで地方の公聴会、中央の公聴会、いろいろとこれに対する見解は述べられております。また、自民党の皆さん方からも、あるいは新進党の皆さん方からも、立場の違いもありますけれども、いろいろな意見が述べられております。
 私が申し上げましたのは、憲法の定める政教分離の原則は、憲法二十条第一項前段に規定する信教の自由の保障を実質的なものにするために、国及びその機関が国権行使の場面において、宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨であると解しております、それを超えて宗教団体が政治活動をすることも排除している趣旨のものではないと考えておりますということを申しました。
 なお、宗教法人は宗教活動を行うことを主たる目的とすることを要件として法人格を取得してあるものでありますから、宗教法人が政治活動を行うことを主たる目的とするようなことは宗教法人法上予定されていないところであると、こういうことを申し上げております。
 だから、今の段階ではそういうことですから、いろいろな御意見があるということですから、十分に勉強する必要があろうと。あなたがおっしゃったように、また本岡さんもおっしゃったように、慎重の上にも慎重にやれと、そういうことをおっしゃっておるんですから、相当の期間慎重にやらざるを得ない、こういうふうにして勉強してまいりたいと考えております。
#128
○国井正幸君 ぜひ慎重の上にも慎重を期して、誤りがなきようにしていただきたいというふうに思います。
 そして、最後に文部大臣にお伺いをしたいというふうに思います。
 私はこれまでの質疑の中で、再三にわたって二十五条のいわゆる信者及び利害関係人への閲覧権の付与について、これは乱用されるおそれもあるのではないか、こういうふうなことで申し上げてまいりました。一定の制限を加えるべきではないか、こんなことも申し上げてきたわけでございますけれども、そうした一定の制限を加える、これについて文部大臣として、そういうことはしないとか、あるいはそういうことも必要だろうとか、その辺の文部大臣のお考えについて最後にお伺いをして、私の質問を終わります。
#129
○国務大臣(島村宜伸君) お答えをいたします。
 今回の法改正で、財産目録等の備えつけ書類の閲覧請求権が認められる信者その他の利害関係人は、閲覧について正当な利益があり、かつ不当な目的でない者に限定されているところであります。また、その具体的な範囲は、各宗教団体の特性や慣習にかんがみ宗教法人が判断するものであります。さらに、悪質な閲覧請求については、不当な目的による場合に該当するものとして、宗教法人はこれに応じる必要はないものであります。
 このように、今回の閲覧請求権は宗教法人への配慮を十分に払って規定されたものであり、宗教法人に混乱をもたらすようなことはない、こういうふうに考えております。
#130
○委員長(倉田寛之君) 他に御発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます。
 これより討論に入ります。
 御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
#131
○荒木清寛君 私は、平成会を代表し、政府提案の宗教法人法の一部を改正する法律案に対し、断固反対の討論を行うものであります。
 反対理由を述べるに先立ち、本委員会における与党の強権的な国会運営に対し、強く抗議いたします。
 中でも、審議が始まる前から特定の宗教団体の指導者を名指ししての参考人招致が持ち出され、全会一致という五十年にわたる本院のよき慣例を破り強行採決をしようとしたことは、良識の府としての参議院の権威を著しく傷つけたものと断ぜざるを得ません。
 反対する第一の理由は、改正手続が拙速であることです。
 改正案の基礎となった宗教法人審議会の報告は、十五人の委員のうち七人までが、いまだ同意は形成されていないと主張しているのに一方的に審議が打ち切られ、行政の主導のもとに作成されたものです。審議会の委員である力久降積参考人の述べたところによれば、継続審議を求めたところ、そこまで強く言うと政治的背景があると思われるなど逆に、言われたとのことであり、唖然とするばかりです。
 また、先般も宗教法人法改正問題についての声明が出されました。信教の自由と政教分離の原則を損なう改正案であるとして宗教界の多くが重大な危惧を表明し、一方で宗教の使命を実現するために自主努力をすることを表明されているのです。
 なぜ政府はこれらの声を無視するのか、宗教界の理解を得ようとしないのか。何が何でも法改正という村山内閣の強権的な手法には憤りを禁じ得ません。
 第二に、改正の動機が不純であることです。
 神社本庁総長である岡本健治参考人は、宗教の名のもとに凶悪な犯罪を行う集団を取り締まることに効果があるなら一部改正に反対しないと述べられました。国民は、法改正によりオウム問題の再発防止に効果があると考えているのです。しかるに、総理はオウム対策ではないと明言されているではありませんか。そうであれば、国民の誤解に乗じた法改正と言わねばなりません。
 そして、改正が政治的動機に基づくことは明白です。本委員会でも冒頭から特定の宗教団体にあたかも大きな問題があるかのごとき質疑が続きました。政教分離原則についての政府統一見解の変更を求め、さらには政教分離基本法の制定にまで言及する与党の動向から見ても、本改正案が選挙対策、特定宗教団体対策であることは明白です。政治的意図に基づく法改正は憲法違反であります。
 第三に、本改正案の内容が、国家が宗教法人を管理監督することを目指すもので、憲法に定める信教の自由と政教分離原則を侵害するおそれが極めて高いことであります。
 所轄庁については何ゆえに文部大臣に変更するのでしょうか。国が所轄した方が監督がしやすいとの改正案の思想がそこに如実にあらわれているのです。
 書類の提出義務については、信仰の対象と宗教活動を結果的に所轄庁が把握をすることになり、国家による宗教統制に道を開くものであります。また、国政調査権や情報公開条例と公務員の守秘義務との関係で明確な基準が示されず、行政の恣意的な運用を許しかねません。
 報告徴取・質問権についてもその必要性は認められません。七十九条から八十一条の所轄庁の権限は現行法の運用によって適切に行使できるものであります。また、「疑いがあると認めるとき」に質問できるという抽象的な規定では乱用の危険が極めて大きいのであります。
 書類の閲覧請求権については、本来そのような事柄は宗教団体の自治にゆだねるべきであり、教義や教団の伝統を無視してそれを一律に定めることは自律権の侵害であります。信者その他の利害関係人についての定義はついに明確にされませんでした。また、宗教法人から借金をした者までこれに含まれるというのはいかにも不当であります。加えて、閲覧請求権の乱用を防止する手段も十分ではなく、大きな混乱が危惧されるものであります。
 附則二十三項については、法律の適用の範囲を画する小規模法人の規模を法律ではなく大臣の告示に白紙委任することは極めて不当であります。
 以上、本法案が改正手続、動機、内容のいずれにおいても憲法の基本原則を無視するものであることを強く指摘し、反対の討論といたします。(拍手)
#132
○久世公堯君 私は、自由民主党・自由国民会議を代表して、宗教法人法の一部を改正する法律案に対し、賛成の討論を行うものであります。
 宗教法人法制定以来四十数年が経過し、我が国においては私どもを取り巻く社会が著しく変化してまいりました。そうした中で、オウム真理教の事件については、国民に強い恐怖感を与えると同時に、それが宗教法人を隠れみのとして行われたことについて大きな批判を引き起こしました。
 国民からも、オウム事件を契機として、宗教法人制度に対する不安や疑問の声が強く起こってきたのであります。最近のどの世論調査を見ても、常に八〇%以上の国民が宗教法人法の改正が必要だといたしております。
 このたびの改正法案は、信教の自由と政教分離の現行法の基本のもとに、社会情勢の変化に対応するため、必要最小限の改正を行おうとするものであります。
 以下、賛成する主な理由を申し述べます。
 その第一は、複数の都道府県で活動を行う宗教法人の所轄庁を文部大臣に改め、国と都道府県とがそれぞれ責任を適切に果たせるようにした点であります。
 賛成の理由の第二は、宗教法人の事務所に備えつける書類を見直し、その一部の写しを所轄庁に提出するという点であります。
 法人格を取得し税制上の特典を受ける以上、そこには当然法的・社会的責任が生ずるのであり、法人運営に必要な書類を整備することは、法人の自治能力、管理運営能力の向上にもつながるもので、法人自身にとっても好ましいものであります。
 なお、今回の改正で新たに提出を要求される収支計算書については、収入が少ない規模の小さい宗教法人の場合には免除規定を設けましたので、大半の宗教法人はこれに該当することになると思います。
 賛成の理由の第三は、宗教法人の信者その他の利害関係人に財産目録等の閲覧請求権を認めることとした点であります。
 宗教法人の宗教活動に対しては介入すべきではありませんが、法人の財務会計等管理運営の側面については透明性を高めることがぜひとも必要であります。
 賛成の理由の第四は、宗教法人に収益事業の停止命令や解散命令の請求に該当する疑いのあるときに、所轄庁に報告を求め、質問権を認めた点であります。
 宗教法人の所轄庁には解散命令の請求等の権限を行使するための資料を得る手段がなかったという欠陥を改め、所轄庁がその責任を果たせるようにすることは当然のことだと考えます。
 また、質問に際しては宗教法人審議会の意見を聞き、立ち入る場合には法人関係者の同意を必要とすることなど、宗教法人に対して十分な配慮がなされているのであります。
 以上、四点にわたって今回の改正が妥当なものであることを申し述べてまいりました。
 宗教法人に関する特別委員会では、政教分離の解釈の見直し問題を初め、特定宗教法人の過激な選挙活動に対する批判、個々の具体的な改正内容、宗教法人に対する課税のあり方、さらにはカルト的な教団についての対策等々、実に多岐にわたって議論が行われました。
 また、公聴会、参考人質疑を行って、宗教法人関係者を含め広く国民から意見を徴し、慎重に審議を進めてまいりました。
 改正案の審議を通じ、最後に三つの点について要望いたします。
 第一は、本日も我が党委員から指摘がありました政教分離に関する憲法解釈につき、当委員会の当初以来、総理及び官房長官から、従来からの政府統一見解を慎重に検討した上で合目的視点に立った見解をまとめるとの答弁がたびたびあり、本日もまた同じ答弁をいただきましたが、政府は速やかにその結論を得、その見解を公にしていただきたいことでございます。
 第二に、参考人からは貴重な御意見をお聞きいたしましたが、巨大単立宗教法人の政治活動、選挙運動、海外活動、財務等について多くの疑問が残り、今回おいで願えなかった参考人はもとより、いろいろな立場の参考人の方々を今後特別委員会にお招きすることをこの際強く要望いたします。
 第三に、本法の施行は公布の日から一年を超えない範囲内とされていますが、可及的速やかに施行されることをあわせて要望いたします。
 今後も特別委員会で真摯な議論を大いに展開し、さらなる法整備が必要であればよりよい結論を求めていくことが、真に国民の負託にこたえる道であることを強く要望するとともに、今回の改正法案の成立を希望して、賛成の討論を終わります。(拍手)
#133
○渕上貞雄君 私は、日本社会党・護憲民主連合を代表して、本案に賛成の立場から討論を行います。
 宗教法人法は宗教団体の自治と自主性を前提としていますが、法人格を認められた存在である以上、社会が定めるルールに従って運営されるべきは当然であります。
 多くの宗教法人が、社会的責任を自覚され、適切な運営の努力をされてきたのでありますが、オウムに限らず、一部宗教団体による詐欺的商法、脱税、宗教法人自体の売買などの不祥事も相次いております。
 宗教法人の公共性と社会的責任をより明確にし、透明性を高める観点から必要な法改正を行うことが、国民の期待にこたえ、政治の責任を果たすとともに、宗教への国民の信頼を強くする道であることを私は確信するものであります。
 以下、賛成する主な理由を申し上げます。
 第一に、所轄庁への財務書類等の報告、信者等への情報開示制度の導入は、所轄庁が現行法上期待されている最小限の責任と役割を果たすとともに、宗教法人側の適正、適切な事務処理についての認識を促し、法人の自治と自浄の能力の向上にもつながるものと考えます。
 第二に、今回の改正により、宗教法人の透明性が高まることで、行き過ぎた資金獲得や違法行為に対する一定の抑制効果が期待できると考えます。
 第三に、信教の自由は今後とも遵守することは当然であります。今回の改正内容は、いずれも法人の管理運営面に限定されており、宗教活動の内容に立ち入り介入するものでないことは明白であります。
 第四に、宗教法人の大部分を占める小規模法人については、収支計算書の作成と提出を免除することとしており、事務処理に不安のある法人でも安心できる改正内容であります。
 見直しが拙速などの批判がありますが、今日議論されている大半の問題は、既に昭和三十三年に宗教法人審議会の答申で指摘されているものばかりなのであります。この答申は実現することなく、以来、論議自体がタブー化したまま、四十年近くを推移してきました。
 オウム真理教は、このような状況のもと、宗教法人の地位を最大限利用し、お布施の名目で多額の資金を巻き上げ、その金で武器をつくり、サリンをまいたのであります。政治と宗教界の責任は重いと言わざるを得ません。
 今回の改正案は、極めて抑制のとれた常識の範囲内での見直しであり、必要最小限度の改正であります。政治の怠慢は二度と許されないのであります。
 宗教法人の地位は、その公益性ゆえに認められたものであります。その公益性は社会の健全な発展に利用されるべきであって、過度に政治や営利事業に傾斜したり、基本的人権を無視して強引に信者の獲得を図ることは慎むべきであります。
 今回の改正を契機として、宗教界みずからが進んで情報開示を初め会計基準の作成や宗教活動のガイドラインづくりに早急に取り組み、国民の信頼を回復することを期待してやみません。
 最後に、政教分離のあり方、破壊的カルト教団対策の検討、さらに公益法人に対する課税のあり方等については、さらに論議を継続し、国民が納得し得る結論を出すことをお訴えし、私の賛成討論を終わります。(拍手)
#134
○有働正治君 私は、門本共産党を代表して、宗教法人法の一部を改正する法律案に賛成の立場から討論を行います。
 この間の審議を通じて、宗教法人を隠れみのにしたオウム真理教の凶悪事件にかかわって、現行宗教法人法の矛盾、不合理が極めて鮮明になりました。憲法で保障された信教の自由及び政治と宗教の分離という大原則を守りながら、現実に即して宗教法人法を改正することは国民の圧倒的多数の声であり、その改正は当然であります。
 一部の巨大宗教法人や政党は、今回の法改正について、国家統制と信教の自由の侵害だなどと声高に主張してきました。しかし、衆議院の審議に加えでこれまでの当委員会の審議によって、今回の法改正は、現行宗教法人法の基本的性格を何ら変えるものではなく、個々の改正内容も、宗教法人と所轄庁双方にとって当然かつ必要最小限の措置であることも明らかにされたのであります。
 この間の審議で浮き彫りになったのは、宗教と政治のかかわりについてであります。とりわけ重大なのは、巨大宗教法人創価学会の、宗教法人の域をはるかに超えた特定政党支持活動と選挙活動の数々の実態が明らかになった点であります。
 創価学会は、衆参の国政選挙や地方選挙において、全国の一千カ所と言われる池田講堂や文化会舘等を公明党や新進党の選挙活動の拠点として使用し、聖教新聞に池田名誉会長の和歌なる檄文を頻繁に掲載し、信者を選挙活動に長期にわたって駆り立てていることが明らかになりました。これは信者の政党支持の自由の上からも大問題です。
 我が党は、創価学会の文化会館などの施設が巨額の固定資産税の非課税措置を受けていることを具体的事実で指摘しましたが、これらの施設は、専ら宗教法人の本来の目的のために供するとの趣旨で非課税措置を受けていることから見て、重大な問題です。自治大臣が答弁したように、今後、創価学会の施設の利用実態に応じ、厳格に対応すべきであります。
 また、創価学会が表向きは政教分離を国民に約束しながら、公約に違反し、「教義を実現するためには政治の力が必要」などと、まさに政教一体の活動をより一層強め、かつ池田名誉会長が旧公明党の人事はおろか、一昨年の組閣に当たって閣僚大事にさえ関与していたのではないかという疑惑も重大な問題です。
 さらに、創価学会の安田火災など損保業界を使っての公選法違反の利益誘導の疑いや、学会本部のある信濃町の国有地の不法占拠、脱会者に対するさまざまな嫌がらせなど、公益法人たる宗教法人にふさわしくない数々の反社会的問題も明らかとなりました。
 我が党は、引き続き、政治と宗教のあり方、かかわりを取り上げるとともに、憲法の政教分離原則を厳正に守り、これを徹底させるために努力するものであります。そのためにも、必要な参考人招致を今後もぜひ実現すべきだということを強く要求するものであります。
 最後に指摘しなければならないのは、十一月二十八日に平成会が参議院のみならず衆議院からも多数の議員、秘書を動員し、委員長及び理事らを長時間監禁状態にし、また、委員会室においても一般傍聴席、記者席を占拠したことであります。これらは議会制民主主義を踏みにじる暴挙であり、断固糾弾されるべきものであることを申し上げて、討論といたします。(拍手)
#135
○委員長(倉田寛之君) 他に御意見もないようですから、討論は終局したものと認めます。
 これより採決に入ります。
 宗教法人法の一部を改正する法律案に賛成の方の起立を願います。
   〔賛成者起立〕
#136
○委員長(倉田寛之君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。(拍手)
 関根若から発言を求められておりますので、これを許します。関根君。
#137
○関根則之君 私は、ただいま可決されました宗教法人法の一部を改正する法律案に対し、自由民主党・自由国民会議、平成会、日本社会党・護憲民主連合、日本共産党、参議院フォーラム及び新緑風会の各派共同提案による附帯決議案を提出いたします。
 案文を朗読いたします。
    宗教法人法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)
 政府は、次の事項について特段の配慮をすべきである。
 宗教に関する制度改正、事務処理に当たっては、宗教団体の実情を十分に勘案し、関係者の意向に留意して適切に対処すること。
 右決議する。
 以上でございます。
 何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。
#138
○委員長(倉田寛之君) ただいま関根君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。
 本附帯決議案に賛成の方の起立を願います。
   〔賛成者起立〕
#139
○委員長(倉田寛之君) 全会一致と認めます。よって、関根君提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。
 ただいまの決議に対し、島村文部大臣から発言を求められておりますので、この際、これを許します。島村文部大臣。
#140
○国務大臣(島村宜伸君) ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意いたしまして対処してまいりたいと存じます。
#141
○委員長(倉田寛之君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#142
○委員長(倉田寛之君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時四十一分散会
   ────◇─────

   〔本号(その一)参照〕
    ―――――――――――――
   仙台地方公聴会速記録
 期日 平成七年十二月五日(火曜日)
 場所 仙台市 ホテル仙台ガーデンパレス
   派遣委員
    団長 委員長      倉田 寛之君
       理事       関根 則之君
       理事       白浜 一良君
       理事       渕上 貞雄君
       理事       有働 正治君
                国井 正幸君
   公述人
       北海道大学法学
       学部教授     中村 睦男君
       東北福祉大学学  萩野 浩基君
       長
       オウム真理教被
       害対策弁護団事  小野  毅君
       務局長
       弁  護  士  庄司 捷彦君
    ―――――――――――――
   〔午後零時五十八分開会〕
#143
○団長(倉田寛之君) ただいまから参議院宗教法人等に関する特別委員会仙台地方公聴会を開会いたします。
 私は、本日の会議を主宰いたします宗教法人等に関する特別委員長の倉田寛之でございます。よろしくお願いいたします。
 まず、私どもの委員を御紹介いたします。
 自由民主党・自由国民会議所属で理事の関根則之君でございます。
 平成会所属で理事の白浜一良君でございます。
 日本社会党・護憲民主連合所属で理事の渕上貞雄君でございます。
 日本共産党所属で理事の有働正治君でございます。
 新緑風会所属で委員の国井正幸君でございます。
 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。
 北海道大学法学部教授の中村睦男君でございます。
 東北福祉大学学長の萩野浩基君でございます。
 オウム真理教被害対策弁護団事務局長の小野毅君でございます。
 弁護士の庄司捷彦君でございます。
 以上の四名の方々でございます。
 宗教法人等に関する特別委員会におきましては、目下、宗教法人法の一部を改正する法律案の審査を行っておりますが、本日は、本案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、当仙台市及び広島市において同時に地方公聴会を開催することにいたした次第でございます。何とぞ特段の御協力をお願い申し上げます。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。
 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、お一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、御発言は御着席のままで結構でございます。
 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。
 まず、中村公述人にお願いいたします。
#144
○公述人(中村睦男君) ただいま御紹介いただきました中村でございます。
 私は、憲法を専門として研究している立場から、今回の宗教法人法改正をめぐる憲法上の論点について意見を述べさせていただきます。
 改正案の提案理由を見ますと、現行宗教法人法は、宗教団体に法人格を与え、自由でかつ自主的な活動をするための物的基礎を確保することを目的として制定され、憲法によって定められた信教の自由と政教分離の原則にのっとり、宗教法人の自由と自主性、責任と公共性という二つの要請を基本としてその体系が組み立てられており、今回の改正案においてもこのような宗教法人の制度の基本を維持すべきものとされております。
 そこで、憲法の観点からは、今回の改正案が信教の自由と政教分離の原則にのっとっているかどうかが問題になります。
 現行日本国憲法は、二十条で信教の自由を保障すると同時に政教分離の原則を定め、さらに「財政」の章に置かれた八十九条前段で宗教団体への公金の支出を禁止して、政教分離の原則を財政面から確認しております。このように信教の自由と政教分離の原則を憲法が詳しく定めていますのは、明治憲法のもとにおいて神道が事実上国教化され、国家と神道との結びつきによって信教の自由が著しく侵害された経験を踏まえたからであります。
 信教の自由は、基本的人権のうちでも根幹的な自由権とされており、また、政教分離の原則は、基本的人権そのものではありませんが、信教の自由を実質的に保障するための制度的保障であるとされております。信教の自由は各国の憲法で保障されておりますが、政教分離の原則については、日本はアメリカやフランスと並んで厳格な分離を憲法上定めているところに特徴があります。
 信教の自由は、一般に、第一に内心における宗教上の信仰の自由、第二に宗教上の行為の自由、第三に宗教上の結社の自由を内容とするものと理解されております。宗教法人法の問題は、このうち第三の宗教上の結社の自由に特にかかわります。宗教上の結社の自由は、信仰を同じくする者が宗教団体を設立し、団体として活動する自由、個人が宗教団体に加入ないし加入しない自由、団体構成員の継続ないし脱退の自由などを含むもので、この場合の宗教団体は、宗教法人法上の宗教団体だけではなく、すべての宗教上の組織体が含まれます。
 したがいまして、宗教法人法に言う宗教団体にならなくてもその宗教団体は宗教的活動が憲法上保障されておりますから、宗教法人法が法人格を付与するのに必要な限りで行政庁に規制の権限を認めること自体は許されるわけであります。
 しかし、この場合でも法人としての宗教上の結社の自由に対する制約となり、信教の自由は表現の自由とともに憲法の基本的人権のうちでも特に経済的自由と比べて優越的地位を占め、憲法上強い保障を受けますので、公権力による規制は宗教団体の教義や活動内容に干渉するものであってはならず、また、規制手段が立法目的を達成するのに必要最小限ないし必要不可欠のものでなければなりません。
 信教の自由及び政教分離の原則を通じまして、宗教とは何かが問題になります。宗教法人法では宗教とは何かについて定められておりません。憲法学説でも定説はありませんが、津地鎮祭訴訟の名古屋高裁昭和四十六年五月十四日判決が「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」と定義づけ、すべての宗教を含める考え方を明らかにしておりますけれども、この定義が一般的に憲法学説でも受け入れられていると言えます。
 宗教法人法により宗教法人となりますと、私法上、いわゆる自然人と同様な権利能力を取得し、特に財産管理面での権利能力を取得します。また、税法の分野では、法人税、固定資産税、住民税、事業税、不動産取得税、所得税などについて各種税法によって非営利法人ないし公益法人の一つとして非課税などの優遇措置を受けています。
 税法上の優遇措置については、政教分離原則との関係で、特に二十条一項後段及び八十九条前段との関係で合憲性が問題になります。
 憲法学説は大きく次の三つの説に分かれています。第一説は、公益法人と同様に宗教法人に免税の特権を与えており、国が特に宗教法人を援助する意味を持たないので合憲であると解する見解で、これが従来の多数説生言えます。第二説は、宗教法人に対する免税措置は一種の補助金を意味し、憲法八十九条前段を厳格に解釈して憲法に違反するという見解です。第三説は、宗教法人が性質上、典型的な公益法人などと異なっていることに着目し、国の財政状況や宗教法人の経済力、さらには宗教法人の活動実態に対する社会的評価などを考慮して、免税措置をするか否かは立法政策にゆだねられているという見解で、この考え方が今日かなり有力になっていると言うことができます。
 私もこの第三説が妥当であると考えておりますが、この考え方によりますと、現行法のように宗教団体に租税優遇措置を行っても憲法に違反しませんし、また、現行法を改正して租税優遇措置を廃止しても憲法に違反しないということになります。
 いずれにしろ、現行法では、宗教法人として法人格を取得しますと、税法上の規定と相まって租税優遇措置の対象となる非営利法人ないし公益法人として扱われるのですから、この観点からも宗教法人法で言う宗教団体としての実態を保持していることを必要最小限度で確認することが要請されますが、もし必要最小限度を超えますと、国の宗教への過度のかかわり合いになり、政教分離原則に違反することになります。
 以上のような信教の自由と政教分離の原則に対する一般的な理解から、宗教法人法改正案に関して幾つか気のついた点について意見を述べてみたいと思います。
 まず、全般的なこととして、昭和二十六年に制定された宗教法人法は、宗教団体の自由と自主性、責任と公共性という二つの要請を基本とするといいましても、自由と自主性の面に力点の置かれたリベラルなものと位置づけることができます。このようなリベラルな姿勢は第二次大戦前における国家による宗教への過剰な干渉の反省の上に立った正当なものでありましたが、その後の宗教法人の多様化の中で収益事業を行う宗教法人の増加や宗教法人の活動の複雑化が実態として見られるようになって、宗教法人の責任と公共性を強める方向で今回の改正案が出されたものと思われます。
 しかし、今回の改正案でもなお自由と自主性に力点が置かれており、信教の自由と政教分離原則の尊重という観点から、他の公益法人や非営利法人と比べて国による規制は弱いままになっていると思います。
 次に、個別的な改正点に移ります。
 第一に、複数の都道府県で活動を行う宗教法人の所轄庁を都道府県知事から文部大臣に改める点については、信教の自由と政教分離原則の観点からは、国と地方公共団体とでは差異はありませんので、所轄庁が文部大臣になったからといって国の規制が強まるということにはなりません。
 第二に、信者その他の利害関係人の財産目録等の書類の閲覧については、信者に宗教団体の管理運営について監視する権限を与えることでありますけれども、このことは構成員自身の団体内部での権利を確保する上にとって有用なものでありますし、これは公権力による規制ではなく、私人による団体の自己規制ということになり、信教の自由への侵害は問題にはなりません。
 なお、ある宗教法人に敵意を持つような私人が閲覧請求を利用して宗教法人の宗教活動を妨害するという危険性については、不当な目的による者からの閲覧請求は拒めることになっており、この点についての宗教法人の判断が十分尊重されなければならないと考えます。
 第三に、所轄庁に対する書類の提出は、宗教法人の活動状況を行政庁が定期的に把握することが設立後においても宗教法人が宗教団体としての要件を備えていることを確認する手段として必要で、提出を求められる書類も宗教法人の活動状況を財務会計上の管理運営面から客観的に把握するための必要最小限度のものに限定されておりますので、信教の自由及び政教分離の原則に違反しないものと考えます。
 第四に、所轄庁の報告徴収及び質問については、解散命令の請求などを行う事由に該当する疑いがある場合に限定され、報告を受け質問を行う事項もそれらの事由の存否の確認のために必要なものに限られておりますので、信教の自由及び政教分離の原則に違反しないと考えます。
 最後に、宗教法人法改正案の規定は以上のとおり憲法に違反しないものでありますが、信教の自由は基本的人権のうちでも根幹的でかつ傷つきやすい権利ですので、運用上行政庁が宗教活動に干渉したり特定の宗教団体を差別的に取り扱うことのないように十分慎重に配慮すべきであります。改正案の規定の上でも信教の自由が妨げられないように特に留意すべきことが明らかにされておりますが、もし信教の自由に違反するような運用がなされた場合には、違憲審査権を有する裁判所に、そして最終的には憲法の番人たる最高裁判所に訴えることによって司法上の救済がなされなければならないことは言うまでもないことであります。
 以上、私の見解を述べさせていただきました。
#145
○団長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 次に、萩野公述人にお願いいたします。
#146
○公述人(萩野浩基君) 萩野でございます。
 諸先生方には、連日大変御苦労さまでございます。きのう参考人の御意見を聞かれ、そしてまたきょうは仙台へと、本当に御苦労さまでございます。
 本日は、今の中村先生、それから後、これからの小野先生、庄司先生、みんな法律の専門家でいらっしゃいます。私も法律はやってはおりますけれども、少しアングルを変えながらお話をさせていただきたいと思います。
 まず最初に、小さいところから入っていきますけれども、今回の宗教法人法の改正の中で、まず注目すべき点、また問題と思われるのは、第五条にかかわるわけでございますが、二つの県、他県にまたがるときは所轄庁を文部大臣とすると、こうなっております。御案内のとおりに、これまでは自治体の長にそれがあったわけでございます。だけれども、今回文部大臣のところを所轄庁とすることの理由というのがどうも私には納得いかないわけでございます。
 と申しますのは、信仰とか信条、こういうものは著しく個人性を持っており、また個人的レベルにおいて起こることであり、またそこから広がっていくものである。そういうことで、私はそういうのを管轄するのは自治体が最もふさわしいのではないか、そのように思います。また、自治体においてこそ身近に見守ることもできるのではないか、そのように考えております。
 だけれども、御案内のとおりに、これからの宗教活動というのは他県にも及んでいくでありましょうし、外国にまで及んでいくということも当然考えられます。
 そこで、まずなすことは、もし他県に及ぶならば、百歩譲りまして活動する拠点が他県にわたるならば、そこの自治体に届けるなりそこで認証を受けていく、こういうことにすれば私は基本の精神がなくならないのではないかと思います。
 なぜそのように考えるかと申しますと、民主主義という原点ほどこからどのように発生してきたかというのを考えるとき、それはどこまでもみずから自己を律していくという自治体から発生しているからでございます。
 また、今日、地方分権ということがしきりに言われております。特に一極集中、これがしきりに話題になっております。また、これまで問題になったのは、中央集権ということも歴史の中では問題になってまいりました。私は、なるべくならば地方に分権していくということがこれからの二十一世紀に向けての姿勢ではないかと思います。だから、今回中央に集めるということは、ちょっと言葉は過ぎるかもしれませんが、逆行しているんではないかそのように思えてなりません。
 もし、文部省に統括するのであるならば、もっとそれなりの整合性ある、説得力ある理由があればいいんですけれども、私にはどうもそれが見えてこないのが残念でなりません。私はすべて見ているわけではございませんけれども、これまでの審議を見ておりましても十分そういうのは見えなかったように思います。この点については、もう一度よく考えてみていただきたいと思います。
 次に、情報開示についてでございますが、特殊法人、公益法人の中で学校法人それから宗教法人は、その数の上におきましても特に宗教法人は著しく多いですし、またそれなりに保護されているということは確かでございます。その理由は、言うまでもなく、公のために役に立っているという建前に立っております。
 知られているように、多くの公益法人、その中の宗教法人を取り上げて見ましても、けなげにまじめに宗教活動をやっている、また、学校法人においても教育活動または奉仕活動、そういうことをやられている法人もございます。オウムに至っては問題になりません。例外でありまして、我々はもっとまじめな宗教法人にも目を向けてみるべきではないかと思います。せっかく法人格を認証している以上、法人格として、ちょっと言葉をかえますと、ある意味での人格的なものを持っている、それにはそれなりの配慮があってしかるべきではないか、そのように考えております。それが民主主義のベースであるんではないかと思います。
 先ほどもちょっと触れましたけれども、民主主義というのは自律的個人というものをどこまでも大切にしていく、そういうところにあるんではないかと思います。宗教法人たりともその根底には自治ということが大切ではないか、また自律、自主ということが非常に大事だと思います。
 そこで、まず宗教法人自体にもし問題があるならば、みずから自分を律するという、そういう自主的な姿勢に立っての自浄作用、これを働かせるようにしなければならないんではないかと思います。みずからがディスクロージャーをしていく、そういう努力をすべく指導し、またそれを見守っていかなければならないんではないかと思います。
 審議の過程の中で文部大臣も認めておられましたけれども、自主的にディスクロージャーをやっているまじめな宗教団体が多くあるということもおっしゃっておられました。もっともっとそうした自発性、自主性、そしてそこから出てくる自浄作用、そういうことを促し、そしてだめなら考える、そういうように考えておりまして、今回なぜこんなにも急ぐのかという理由が私にはどうも納得いかないのであります。
 最後に、私、皆さんにお配りしたのにちょっと図を書いておきましたけれども、どうしてこんなにも宗教法人法の改正が急がれたのかということで、二月の段階ではまだ審議会もゆっくりけんけんがくがくと議論されていたようなんですが、九月以降、何か急ピッチになったように私には見えてなりません。その背景には、そこに書いておきましたが、私はオウムの事件の問題と参議院選挙の結果として出てまいりました創価学会の活動というものがどうもこの促進になったんではないかと思います。宗教法人法の法律に関して、もう一度宗教の重要性、今何が足らないかというようなことを真剣に考えてみるときではないかと思います。
 特に、オウムのことを考えますと、皆さんも御案内のとおり、オウムはこの宗教法人法の改正では防げるものではありません。その根っこには戦後五十年の教育の貧困というものが露呈している、このように私は考えざるを得ません。
 一年前に愛知で中学生の大河内君が亡くなりました。その命日に合わせたかのごとく、今度は新潟で伊藤君がまたみずから命を絶つ。これは今の政治も教育も、そして家庭も社会もすべて含めまして、子供たちが発するSOSという信号に気がついていない。こういう教育の貧困こそ、今でき得るならば文部省が取り上げて、こういう公聴会をやるんだったら、そういう面ではんばんやってもらう。政治はリアリスティックでなければならないので、そういうことを特に教育に携わっている一人として私は申し述べておきたいのであります。
 だから、宗教法人法をいじくることでは何の解決にもならない。教育、文化、宗教、そして今心の栄養失調に悩んでいる、そうした問題にこそ政治家の方々は力点を置かなければならないんではないか、私はそのように考えております。
 それから、オウムを防ぐのは、そこにも書いておきましたけれども、私は現行法でかなりいけると思います、八十一条それから刑法、建築基準法だとか。それでもなおかつだめならば破防法も考えてみるというようなことで私は十分機能し得る、そのように考えております。
 もう一つは、どうも今回の審議に当たって、何か創価学会と自民党とのやり合いみたいに映って仕方がないんですね。私はこれも考えてみなければならないと思います。先ほど申し上げたとおりに、参議院選の終了の後こういうことが起こってきたというのは、新進党の躍進ということがあるだろうと思います。これは投票率が下がっております。投票率が下がったというのは、それだけ若者たちが政治に無関心になった。この関心をもっと引きつけなければならないということが非常に大事ではないか。
 無関心になったから投票率が下がる、そのときに熱心な学会の皆さんが政治活動をやる。それは問題のすりかえであって、こういうときに政治に関心を持つのを悪いとは一概には言えないのであって、我々がもっと反省すべきは、今、政治に関心がなくなっていること自体を反省しなきゃならないんではないかと思います。努力すべきは、政治家それから行政官、また国民、こういう者がもっともっと国民を政治に参加させるように努力するべきではないかと思います。
 そういう意味におきまして、消去法的な発想ではなくて、みずから反省し、そして今、社会で何が求められているかということをしっかりと受けとめて、積極的に我々は活動すべきではないか。特に、最近、御案内のとおり体の栄養よりも心の栄養不足になっておるので、文部省においてはそちらの方にもっと力を注いでほしい、そのように思います。
 今回の宗教法人法をなぜこんなにも急がなければならないかの理由はまだ私にはぴんとこないというのが実感でございます。
 以上でございます。
#147
○団長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 次に、小野公述人にお願いいたします。
#148
○公述人(小野毅君) ただいま御紹介にあずかりましたオウム真理教被害対策弁護団の弁護士の小野と申します。
 一九八九年の六月ごろから、今は亡き坂本君とともにオウム真理教の問題などの相談にあずかりました。オウム真理教の問題、それから霊感商法の問題あるいは霊視商法の問題というものが宗教被害としていろいろ言われておりますけれども、そのほかにもたくさんの宗教関連の被害の相談が来ております。そういった意味で、宗教問題に対するいろいろな相談事というのが非常に多い。そういった立場から、今回の宗教法人法改正の問題について意見を述べさせていただきたいというふうに思っております。
 まず、私個人としましては、一般的な日本人と同じように、習俗的な意味でしか今まで宗教の問題にかかわっておりませんでした。そういう意味で消極的な無神論者と言えると思います。しかし、いろいろな相談を受けているうちに、改めて宗教の重要性というものを認識するようになってきたというふうに思います。
 人間の精神の形成の上ではいかに重要であるか、あるいは中には宗教がなくては生きていけないという人もいる、こういう実態を私自身実感しております。そういう意味では、特に現代日本の社会では極めてプラグマティックな考え方というのがはびこっているように思います。そういった中で、改めて宗教の重要性というものを再認識する必要があるんではないか、またそういう中で出てくる倫理観、そういったものが改めて問い直されるべきではないかというような感じを持っています。そういった意味で、信教の自由という憲法上の人権につきましては、十分な上にも十分な配慮が必要だろうというふうに思っています。
 とはいえ、相談を受けている実感としましては、信教の自由を悪用している宗教団体、これも少なくないということも事実だと思います。その割合というものは極めて低いかもしれません、あるいはその規模は小さなものが多いでありましょう。しかし、かなりいろいろな形での宣伝媒体などを利用して大きな宣伝を行っています。ある意味で諸社会への影響というのは少なくないわけです。オウムにしてもあるいはいろいろな問題のある宗教団体にしても、その宣伝のやり方は非常に巧妙であります。
 このような意味で、現段階で信教の自由の重要性というのを位置づけながらも、なおかつ実情にそぐわない点を検討するために、改めて宗教法人法その他の関連諸法というのを見直すべき時期に来ていることは間違いないと思います。
 その上で、現在の私の宗教法人法改正問題に関する結論を申し上げれば、一応賛成ではあります。しかし、これだけではまだ不足なのではないかというふうに思っております。その不足の最大のポイントは、宗教法人法八十一条一項に定める解散命令について保全措置が定められていないという点でございます。
 現在この解散命令については東京高裁で審議されております。しかしながら、一方ではオウム真理教はたくさんの財産隠しを行っております。私どもが個別的な保全措置をとったもの以外については、ほとんどその不動産については名義が別名義に変えられています。私ども弁護団にとってはこの問題が一番焦眉の問題なわけです。
 このような保全措置をとったからといって大きな影響が与えられるというふうには思いません。一応、会社更生法の保全措置をとるのが適当ではないかというふうに思っていますけれども、それにつきましては通常業務程度の業務及び支出は許されます。したがって、万一解散命令の申し立てが棄却されるというようなことがありましても、それによる支障というものが生じるとは思えません。また、安易に保全措置がとられるという批判もあり得ましょうが、これはきちんと裁判所の審理が行われ、申し立ての理由と保全の必要性というものを検討するのですから、運用の問題として十分対処し得る問題です。
 宗教法人法八十一条一項の解散命令につきましては、保全措置の規定が欠けているというのは、逆に私どもとしては法の不備ではないかというふうに思っております。被害救済という立場から見た場合、必ずこの保全措置というものは必要だと思います。速やかに補完されるということを望みたいと思います。
 今回の改正のポイントについて述べたいと思います。
 まず第一に、所轄庁の報告徴取あるいは質問権というものにつきまして、この議論は現在私どもとしては納得できるような議論がなされるとは思っておりません。私個人としては、従前、現行法でもこの程度のことは解釈の問題として当然可能なことと考えておりました。
 立入調査権という問題が討議されておりましたけれども、この点につきましては当然激論が予想される問題であります。立法の問題として十分議論の上、検討していただきたいというふうに思っておりましたけれども、質問権という問題については、解散命令の申し立て権などが認められている以上、その前提としては当然調査権限があります。その一部として当事者に対する質問権というのは当然あるものだというふうに考えておりました。ところが、一連の議論の中で私の解釈は誤りであったということが判明して、非常にびっくりしている状態でございます。
 宗教法人法につきましては、いわゆる性善説という説明がなされております。しかし、七十八条から八十一条に定める規定、事業停止命令、認証の取り消し、あるいは解散命令というものは明らかに性悪説を前提とした規定でございます。このような場合に、正規の手続に入る前に直接関係者に調査を行う、これはあらゆる行政措置において当然のことなのではないでしょうか。立入調査権のような半強制的な措置についての是非はともかく、一定の疑いを前提として事前に質問することを認めるのは当然のことだと思います。少なくとも、突然正規の手続に入られてしまうというよりも、よっぽどよいのではないかというふうに思うわけです。
 また、所轄庁の問題について議論されております。複数の都道府県にまたがる宗教団体につきまして国が所轄庁になる、文部大臣が所轄庁になるということについては全くおかしくないのではないでしょうか。むしろ、運営上有為なものであるというふうに私どもでは思っております。
 オウム真理教の問題につきまして、私どもは認証が出ました当初から東京都に陳情を行い、いろいろな対策を練っていただくことをお願いしてまいりました。ところが、認証当時からオウム真理教の本当の本拠地は静岡県であり、あるいは熊本県に移り、あるいは山梨県に移っていったわけです。そして、山梨県の上九一色村や富沢町あるいは熊本県の波野村など、さまざまなところで地域住民とのトラブルを起こし、被害を与えてきました。
 都議会への陳情に当たって、被害者の会や私どもの方ではいろいろな懇談会を都の関係者と持ちました。その際に、山梨県の方々あるいは熊本県の方々も一緒に陳情に上がっております。しかし、その懇談会等の中で本当に関心を持っていただけたのは都内のことだけだったのではないでしょうか。上九一色村の人たちの苦しみというものをどれだけ都の人たちは考えていただけたのでしょうか。
 もちろん、東京都に何ができたのかという面については非常に疑問があるところではあると思います。しかし、そういう被害実態の調査ということ、あるいは被害実態を酌むということですら東京都の方では十分に行っていなかったのではないかというふうに思います。それは何よりも管轄の問題が一番大きかったのではないかと思うからです。そういった意味で、所轄庁の問題もやはり当然なことではないだろうかというふうに思っております。
 財政報告、帳簿閲覧の問題について若干述べます。
 ただ、この問題で例えばオウム真理教の問題が解決できるかというと、そうではないと思います。とはいえ、こういったオウム真理教の場合あるいは霊感商法などの場合、宗教団体が宗教団体独自でそういった活動をしているという場合もあるのかもしれませんが、多くの場合は別会社などを所持し、その別会社などを使いながら宗教団体と別会社が混然一体とした処理をされている、こういう状況があるわけです。
 そういった面から見れば、一定の財政の運用あるいは帳簿閲覧権というものを規定することによって、宗教団体自体が混然一体とした措置をとることを抑制する、そういう効果が出てくるのではないか、事前に心理的に抑制効果があればこういった宗教被害というものがより少なくなっていくのではないかという期待はあると思います。ただ、これだけで済むものだというふうには思っておりません。
 相談を受けている弁護士として運用の面のお願いがこの中ではあります。というのは、閲覧権として利害関係人あるいは信者というものが考えられているわけですが、役所の方に帳簿等が届けられるわけですが、多くの場合、行政庁は届け出られた帳簿その他の関係書類を閲覧権者に対しても見せることをしておりません。
 例えば、会社の就業規則などが労働基準監督署に届けられているわけですが、従業員の方から就業規則を見せてもらいたいと思った場合に会社が拒否する、仕方なく労基署に行った場合に、労基署の方でもこれは会社で見せてもらいなさいと言われて拒否する、結果的に就業規則はわからない。場合によっては退職金などの裁判をやる場合があるわけですけれども、こういった場合見られないというようなことがあるわけです。結果的にはそういったことでわからずに泣き寝入りをしてしまうことが多いわけです。
 今回の問題でも同様なことが考えられます。願わくは役所におきましても閲覧権者には閲覧をさせる、こういう運用をしていただきたいというふうに思っています。
 私どもとしては、少なくともこの改正でオウム真理教のような事件が防げる、あるいは事前に察知できるというふうには到底思っておりません。オウム真理教の問題の再発を防止するために、そのための対策としましては、宗教法人法の問題だけではありません。さまざまな問題、建設、開発、労働、教育、福祉あるいは保健、こういったオウム真理教にかかわるさまざまな行政諸分野、そして捜査の問題、こういったものも含めて問題点を総花的に検討して、その中で現行法は何ができたのか、事実上できたとしても対処が本当に可能であったのか、役所がそういう機能を持っていたのかどうか、そういったものを検討する必要があると思います。その上で改めて立法が必要であるかどうかということを検討すべきものだというふうに思っております。
 残念ながら、現段階では捜査による成果というものは必ずしも明らかにされておりません。そのためにまた十分な検討は不可能でありますけれども、しかしはっきり判明しているものは先ほど申し上げました解散命令申請時の保全措置の問題でございます。もしこの改正が早ければ、現在のオウム真理教にも適用が可能だったかもしれません。手続法です。今からでも可能だという部分もあるわけです。
 私個人としましては、今回の改正に当たりましては、修正などをしてこの問題も加えてほしいと思っております。もしそれができないのであれば、オウム真理教の問題、全体的な問題をきちんと論議をしていただいた上で、改めて宗教法人法の問題についても改正の議論をしていただく、こういう確約をいただきたいというふうに思っております。
 以上です。ありがとうございました。
#149
○団長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 次に、庄司公述人にお願いいたします。
#150
○公述人(庄司捷彦君) 御紹介いただきました弁護士の庄司でございます。
 私も宗教を持ち合わせてはおりません。しかし、今私は深く宗教を考える必要を感じています。それは、私たちの仲間である坂本弁護士とその家族が宗教法人として認証されたオウム真理教の組織的行動によって惨殺されるという悲劇的な事件に触発されてのものであります。今私がこの席におりまして宗教法人法改正について意見を述べようとしているのも、この事件と深いかかわりがあるように思えてなりません。
 私は、法律家として、日本国憲法の宗教に関する原則を振り返り、この原則から見て問題と思われる宗教団体の幾つかの行動を指摘して、今回の宗教法人法改正に賛成する意見を述べたいというふうに思います。
 まず、日本国憲法の宗教に関する原則についてですが、日本国憲法はその二十条と八十九条に宗教に関する二つの原則を定めています。第一は信教の自由であり、第二は政教の分離であります。いずれの原則も戦前の国家神道に対する批判と反省に立脚したものであり、その端緒はGHQによる神道令であるというふうに言われています。
 戦前の宗教弾圧は、内村鑑三の不敬罪事件やキリスト者に向けられた天皇と神とではどちらが絶対者かという問いかけに象徴されているように、天皇を神と規定したことから始まりました。国家神道のもとでは、信教の自由は明治憲法二十八条の保障規定にもかかわらず存在を許されなかったのであります。
 制度的には、前に述べた神道令と宗教法人命、さらに天皇の人間宣言、宗教法人法を経て信教の自由は確立されたと言われています。さらに、この間多くの宗教者の犠牲があったことを忘れてはならないというふうに思います。憲法九十七条が定めるように、信教の自由についても多くの犠牲を伴った自由獲得の努力の成果であることを銘記すべきであります。
 そして、信教の自由を保障する最大のものは政教分離の原則であります。これは国家の非宗教性、すなわち国家は国民の内面的信仰的生活に介入せずという原則であります。これは、国家と宗教が癒着すれば信教の自由を侵害するということ、そしてまた、政教の結合は宗教そのものを堕落させるという歴史的な事実から導き出された原則であると思います。
 この政教分離の原則の具体的な内容としては、第一に、国家と宗教の分離、国家の宗教への中立性が求められます。この点に関しては、いわゆる岩手靖国訴訟での仙台高等裁判所判決が天皇及び内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は憲法二十条三項に違反する旨判示したことを想起すべきだと考えます。権力の側にも反省が求められていると言わなければなりません。
 第二に、宗教団体の政治的中立性が求められていると考えます。憲法二十条が「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と定めるのはこの意味に理解されています。ここから宗教団体が積極的な政治活動、とりわけ選挙運動を行うことはこの原則に違反するもの、すなわち違憲と評価すべきものと考えます。
 宗教団体にも政治活動の自由があるという議論があります。この論理は、一つには選挙運動が限りなく政治上の権カベの接近を求める行動であること、二つには宗教団体が組織として選挙運動を行うことはその構成員の政治的意見の自由、政党支持の自由を侵害するという点から、強く批判されるべきものであると考えます。
 さらに、憲法は十四条、四十四条で信条による差別を禁止していますし、思想・表現・学問の自由も信仰的生活と密接な関連を有しているわけでありまして、信教の自由と政教の分離というのは民主主義を支える重要な基本的人権と制度だというふうに理解すべきだと思います。
 次に、宗教法人法の性格について一言させていただきたいと思います。
 冒頭にも触れましたが、坂本一家殺害事件は宗教法人たるオウム真理教が引き起こしたものであり、そのほかにもこの教団は凶悪な犯罪を重ねていたことが暴露されています。国民の中には、この犯罪者集団とも言うべきオウム真理教に対する強い憤りがありますし、同時に、事件の展開の初期の段階で摘発できなかった行政、特に警察と監督官庁への不信感があることも事実であります。今回の法改正は、この国民の不安を解消するためにもぜひ必要なものであるというふうに考えます。
 今回の改正の論議の中で、私にとっては奇妙な論議が展開されているように思われてなりません。それは、宗教法人法の基本的性格はノーサポート・ノーコントロールであり、今回の改正案はこの原則を侵す、ゆえに反対であるという議論であります。私は、この論理を理解することができません。この論理は、宗教法人法への無理解が、あるいは反対の結論がまずあって、そのために後からつけられた理屈と言うべきではないでしょうか。
 既に国会での質疑の中でも論じられていますように、宗教法人法は宗教団体へのサポートとコントロールを明確に定めています。法人格の付与と課税軽減が前者であり、法人への義務づけ、財産目録の作成、事業収益の使途の制限など法人への義務づけもありますし、収益事業の停止命令や認証の取り消し、解散請求など所轄庁の権限も定められております。ノーサポート・ノーコントロール論が成り立たないことは明らかだというふうに思います。むしろ、現行法のサポートとコントロールとをより実効性あるものとして、宗教団体の違法行為の防止と政教分離原則の厳密な実行を可能にする法律にすること、このことが国民の強く望むところと言わなければならないと思います。
 宗教団体の逸脱行為と法改正の必要性について述べます。
 現在摘発されつつあるオウム真理教の犯罪が、宗教活動とは無縁な、明確な犯罪であることは明らかであります。十月三十日、東京地方裁判所が解散命令を出したのは当然のことだと考えます。しかし、一連のオウム真理教事件から現行法の不備が浮き彫りになってきたように思います。一つには、なぜ東京都知事認証の教団が全国的な活動をできるのか、二つには、所轄庁は解散請求を行うのに必要な資料を独自では収集できなかったのはなぜなのかという疑問です。改正案はこれらの不備を補い、例えばオウム真理教への上九一色村住民からの苦情への対応や早期の解散請求を可能ならしめるものとして、積極的に支持すべきものと考えます。
 創価学会を有力な支持母体とする政党が、今回の改正案に対して、宗教への国家の不当な干渉を招くとして反対をしています。しかし、この創価学会は、政教分離原則に挑戦するかのように、組織全体として選挙運動を積極的に展開している宗教団体です。このこと自体、憲法上重大な疑義あるものと言わなければなりませんが、加えて、この活動が課税上の軽減を受けている諸施設や公職選挙法で禁止されている機関紙等を舞台に行われていることも重大な問題であります。
 この団体に関しては、既に確定した判決において電話盗聴という明白な犯罪行為にこの宗教団体の北条元会長が関与して実行したと認定されている事件も記憶されるべきだと思います。日本共産党宮本顕治氏宅電話盗聴事件であります。第一審判決は昭和六十年四月二十二日です。この事件は、創価学会と公明党とが一体となって、一政党の情報を犯罪行為を犯してまで違法に収集した事件であります。
 これらの事実は、この国では政教分離の原則がまだ完成途上にあることを示すものだと考えます。今回の改正案が所轄庁に質問と報告徴収の権限を明確にしていることは、この原則の確立のためにも必要なことだと考えます。そして、この所轄庁の権限は、宗教行為自体を対象としていないこと、その行使についての民主的手続の定めもあることから、宗教弾圧につながるものではないというふうに考えます。
 今回の改正案が十分のものでないことは、昨日の北野参考人の指摘のとおりでありますが、今回の宗教法人法の改正は、憲法の宗教原則、すなわち信教の自由と政教分離とを実質的に一歩前進させるものとして、早期に実現されるように希望します。あわせて、税法上の問題や宗教法人法の上でも、例えば諸帳簿の書式の問題や不実記載への罰則の問題など、各方面から指摘されている事柄に関係各位が真剣に取り組んでいただくことを希望して、私の意見を終わります。
 ありがとうございました。
#151
○団長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#152
○関根則之君 最初に、中村公述人にお尋ねをいたします。
 二点にわたりましてお尋ねをしたいと思いますが、一つは、宗教の定義というのが非常に難しくて、今、宗教法人法も宗教団体の定義はしてあるんですけれども、その中核になる宗教とは一体何なんだということが定義されていないものですから非常にいろいろ問題が起こってしまう。議論をするときの中心というか、足がかりみたいなものがふらふらしてしまう。そういうことがある。きょう大変私ども啓蒙されるようなお話を伺いまして、名古屋高裁の判決でいいんじゃないかというお話がございました。お話を伺っておりまして、そういうことかなという感じを実は私は受けたわけでございます。
 神とか仏とか、いわゆる人間の力を超えたような絶対者の力といいますか、そういうものがかかわっているのが宗教である。世俗の問題を取り扱う、世俗を超えたところにあるもの、この世のものではなくて、あの世のものと言っては失礼かもしれませんが、この世のもの以外のものとの兼ね合いの話が宗教なんだ、こういうお話がございましたが、こういう形できちっと整理すれば、法律に宗教の定義を書き込んでもそういうことができるんじゃないか。
 今はむしろ文部省なんかの物の考え方は、うっかり宗教の定義をしてしまうと、そのこと自身が信教の自由を侵してしまうとか、いい宗教と悪い宗教を分けてしまうとか、そこでそもそも宗教の色分けをすることによって微妙な問題である信教の自由に影響が出てしまう、そういうことを心配している向きもあるようでございます。
 ただ、先生、例えばこういう定義をしても、オウムというのは宗教、宗教団体、そういう中に入ってしまうんではないかと思いますけれども、そういうものであるかどうかちょっとその点を教えていただきたいと思います。
 二番目は、今回の改正案については、それぞれ信教の自由を侵すようなそんな激しいところまでいっているわけじゃないから、所轄庁の問題にしろ、書類の閲覧の問題、書類の提出の問題、質問権の問題、大体問題はないんじゃないか、むしろ国の規制は弱いんじゃないか、こんな感じのお話をいただいたと思いますけれども、今議論をしていまして一番問題になりますのは、認証について基準がないということなんですね。
 宗教法人から認証申請が出てまいりましたときに、宗教団体であることというのが実質的な基準であって、あとは規則にちゃんとしたことが書いてあればいいとか手続が法律に従った手続であればいいとか形式的なんですね。そういうことなものだから、むしろきちっと法律に認証基準を書いたらいいじゃないか、こういう議論があるんですけれども、先生はその点についてはどのようにお考えになっていらっしゃるか。
 以上でございます。
#153
○公述人(中村睦男君) 最初の宗教の定義でございますけれども、先ほど私、名古屋高裁のような定義でいいというふうに言いましたのは、憲法の信教の自由及び政教分離原則を考えるときに、じゃ信教の自由という場合の宗教は何か、どういう宗教の自由なのか、それから政教分離原則の場合ですと、国家と宗教が分離するという場合の宗教はどうなのかという、憲法論のレベルで考えたわけであります。
 憲法論のレベルですと、それを広くとらえておいて、しかしこの場合でも、憲法学説でも信教の自由という場合の宗教と政教分離の場合の宗教は同じでなくてもいいんじゃないのか、信教の自由の宗教はもっと広くしていいんじゃないか、そして政教分離の場合の宗教はもう少し狭くてもいいんじゃないかこういう議論もありますけれども、しかし、先ほど私が言いましたのは、両方合わせても名古屋高裁ぐらいのでいいんじゃないかというのは憲法論のレベルで考えたわけでございます。
 ところが、それを今度は法律の規定に書くとなりますと、これはまたちょっと別問題で、そこで国がある宗教を限定してしまう。つまり、憲法論のレベルですと、例えば信教の自由ですと、実際上ある宗教団体が自分の宗教の自由が侵害されたというときに、最終的にはこれを裁判所で争う。そのときに裁判所がこれが憲法上の宗教がどうかということを後から判断する。紛争が起こって、それを事後的に判断する。
 その意味で、裁判所が宗教の一応の定義をして判決するという場合と、法律の中にあらかじめ宗教の定義を書いて、しかも今度は行政庁がさらにある団体を宗教団体と認定するという、そういう事前の宗教法人に法人格を与える基準として宗教の定義をするとなると、先ほど私が言いました憲法上の宗教の定義とはまた別問題で、これはかなり慎重にしなきゃならない問題だというふうに私は思っております。
 それから、第二番目の点でございますけれども、国の規制が弱いというのは一般の公益法人と比べて規制が弱いということで、現にあります宗教法人法改正案の規制が弱過ぎるという意味ではなくて、そこの弱いというのは、まさに憲法上許される必要最小限度の制約である、そういう基準に合格している。合格するという意味で弱い規制であるということでございます。
 そうしますと、そこでの先ほどおっしゃった認証の基準ということを考えます場合におきましても、基本的には宗教の中身に入るというのが、行政庁が中身を見てこの宗教が内容的に宗教に当たるかどうかというような判断する分には慎重にやれということで、そうしますと、形式的な基準で行うということの方が憲法の信教の自由の保障からいって必要最小限度の制約にとどまるんじゃないかという、私はそういう考えでございます。
#154
○関根則之君 次に、萩野公述人にお伺いをいたします。
 管轄の問題ですけれども、地方分権を重視するという観点からすれば都道府県に任せておいた方がいいんじゃないかというようなお話だったと思うんですけれども、一つそういう考え方はあるかなとは思いますが、都道府県にとって自分の管轄区域というのは非常に私は重要なことだと思うんですね。
 ある一つの都道府県が、例えば東京都なら東京都がその領域を越えまして宮城県まで行政権の権限行使をやるということになると、逆に、宮城県の分権といいますか、そこで行政を行ったり統治行為を行ったりする、その権限が侵されてしまうんじゃないか。お互いに縄張りというわけじゃないけれども、狭く考えてはいけないけれども、ひとつ行政権の行使の範囲というものをきちっとしておくということは近代行政においては極めて重要なんじゃないか、私はそんな感じがしてならないんですよ。
 仮に、二都道府県以上のものはそれぞれが管轄したらいいじゃないかと。一つの宗教法人に対して二つとか三つとか、オウムの場合には熊本にもありまして、山梨にもありましたね、東京のほかにも。ほかの県にもあるんですよ。埼玉県なんかもあるんですよ。ここも多分あったんじゃないですか。そういうことになると、三つも四つもの知事が関与してくるという話になります。だれが主務的な都道府県知事になるのか、その辺の整理も難しいし、広い団体、今創価学会というのは単立の宗教法人ですから東京都の認証なんですね。だから、活動はほとんど全国的にやっていますから四十七都道府県知事が関与してくるという話になってくる。これは整理がつかないんじゃないか、そんな感じがする。
 本来、都道府県の区域というのは大事なものなんだと。これをうっかり乱すとかえって手を伸ばしてこられる方の行政権を侵してしまう、かえって地方分権を侵すということになるんじゃないか。ほかのいろんな権限、都市計画の権限だとか農地の規定の問題だとか、そういうものも全部都道府県はそれぞれの区域ごとに、宮城県の中にあるものは宮城県知事がやる、東京都が出てくるというのはおかしいよということになっている。それと同じような基本的な権限の領域というものを定めておくということなので、むしろ地方分権という観点から考えても、これは各県にわたる場合には国がやります、県内のものはそれぞれの県知事にお任せしますという方が合っているんじゃないかというふうに考えるんですが、その点いかがなのかという問題。
 それから、いろんな収支報告書をすべてこしらえておけとか、それを提出してくださいとか、小さいところは要らないというふうに今度の法律改正はなっているんですけれども、自主とか自治に全部任せてしまえばいいではないかというお考えのようですけれども、それをやっていると、確かに例外的かもしれないけれどもオウムみたいなのも出てくるかもしれない。今度もオウム事件というものが発生して、ふたをあけてみたら千丁の機関銃みたいなものが用意しであったとか、何十トンという薬品が買い込んであったとか、そういうことで愕然としたわけです、主務官庁は。
 ああいうことになる前に、ある程度事前に、どんな活動をしているんだとか、どういうお金の使い方をしているんだろうとかということは、年に一遍の収支報告ぐらいは出してもらう。それをやろうとしているのが今度の改正案なんですから、その程度のことはやっぱり主務官庁としても知っておく必要がある。自主だ自立だといってすべて任せてしまっていいのかという気がするんですけれども、その点について重ねて御意見をいただきたいと思います。
#155
○公述人(萩野浩基君) 関根先生のおっしゃるのも、それはそれなりに一理あると思います。先ほど私が申し上げたのは、宗教の問題というのは著しく個人的であり、また、個人性という言葉は最近使われるようになりましたけれども、個人性というものを持っておる。それぞれの信仰というのは個々の人間が持つ。そういう意味で、非常に自分自身の問題であり、その地域に密着する。そういうところから宗教の問題というのはもともと発生してくるわけであって、民主主義を先ほど話しましたけれども、これは皆さんも御案内のとおりでありますが、イギリスにおいて民主主義のルーツを見出すとするならば、それは自治がどこまでも基本になっている、これがすべてのベースだと。
 だから、宗教心を持つ持たないという以前の問題として、私がきょうお配りした後に書いておきましたけれども、ビリーフシステム、私は宗教とあえて書かずに、レリジョンと書かずにビリーフシステムと言ったんですが、それぞれの人間というのはやはり信念体系というものが正常に機能しておらなきゃならない。そういうベースにあるものとして宗教というのはあるだろうと思うんです。生きることに直接宗教心を持たないにしても、ビリーフシステムというものがなければ人間はおかしくなってしまう。そういう意味で、私はこの宗教の問題というのは民主主義にもつながっていくと思うんです。非常に土着のものであり、また個々の生活に根差しておる。
 そういう意味で、まず最初に興ったときには文部省まで届けなくても、本当に素直に自治体でスタートしていいと思うんです。だけれども、これはやがて大きくなっていく。それはたった二県かもわかりません、一遍にばんと広がらないで。そのときにはまたそれなりに認証をしていく。そのときにちょっと変なものがあれば、先ほど認証基準のことを先生お尋ねになっていましたけれども、オウムは例外であって、これからは認証においてもかなりみんな慎重になっていくんじゃないか。だから、今回の改正においてぽんと文部省に行くというのは、言葉は悪いですけれども、いっか来た道にならぬとも限らない。だから、まずできることは、二つ三つに行くところであれば、それぞれに届け出また認証を得ていくということが私は基本じゃないかと思います。先生のおっしゃることも理解できます。
 それから情報公開なんですが、これは公益法人の場合、私は学校も経営しておりますから学校の立場から言いますと、私のところなんかは学校会計は全部報告しております。そして、後援会のものも全部報告しております。そういうことをしていない学校もあるようですが、これは自主的な我々の努力によって情報公開をしている。私学の場合は、これも公益法人の一つですけれども、建学の精神というのがあって、それを高揚していくというのも一つの自治であります。
 私はまず公開しろと、オウムのようなああいうことをやれば、これは例外であって、先ほども申し上げましたとおりまじめな宗教法人もあるわけであって、まず先に何があるかというのは、もっと自分たちの中のものを出しなさいと。それをみんな出さないというのであれば、そのときに法の網をかけていかなきゃならないのであって、今回のように、たとえやわらかいものであってもそういうものを出す前に、それぞれが法人格として公益法人として認められているのだから、みずからの責任においてまず公開するんだということを先にやってほしいと、そういう意味で申し上げたわけです。
#156
○関根則之君 小野公述人にお尋ねをいたしますけれども、今回の改正はどうもまだちょっと不十分じゃないかという感じのお話をいただいたと思います。特に、坂本弁護士と行動をともにされた御経験をお持ちだというようなお話を伺っております。御指摘があった中でも、解散を命令されたときの財産保全措置が全然とられていないじゃないかと。そういうことから、非常に被害を受けている山梨県の人々、またかって会員であった人の御家族、そういう人たちが大変苦労なさっている。公述人もそういう点でいろいろと御尽力をいただいていることに対しまして、まず敬意を表したいと思います。
 そういう中で、財産保全の問題でありますとかいろいろ御指摘をいただきましたけれども、例えば閲覧権のようなものは事前の抑制効果があるではないかそれをただ宗教団体へ行って見せてくれというのではなくて、役所へ行って見せてもらえるようなシステムも考えたらどうだというようなお話もあったと思います。
 そのほかいろいろ御指摘をいただきましたが、こういうことになりますと、私は今回の法案は、確かにおっしゃるように相当急いだと思うんです。それはやっぱりオウム事件というものは重大なきっかけになっているんです。政府の統一見解は、必ずしもオウムに対応するために今回の法律改正をやったんじゃないよと言うんですけれども、しかし直接のきっかけはまさにオウム事件なんです。それに対応して、国としても、立法府としても、我々としても何らかやらなければいけない、そういう責任感、そういうものがあるんです、後ろに。そういう意味から今回の法律案は必要最小限度の法律改正案になっておると思います。だから、小野公述人の御指摘のような、そういうことをやっていかなければならない、そういう必要性があるということになると、これからも引き続き検討して、第二弾のといいますか次の法律改正を考えていかなきゃいけないんじゃないかそういうことに結びつくんじゃないかと思います。
 公述人は、改めて立法が必要であるかどうかについて検討していくべきだと、最後のところでこういう結論めいたお話をいただきましたけれども、その点ほどうなんですか。必要があるとお考えなのか、あるいはしばらく検討でもしてみたらどうかと、その程度のお考えなのか、そこのところをちょっとお伺いしたいと思います。
#157
○公述人(小野毅君) 率直に言いまして、オウム真理教の問題を宗教法人法の改正だけで防げるとかというような気持ちは全く持っていないんです。そういう意味で言いますと、先ほど言いました、本当にありとあらゆる分野の点を検討する必要がある。先ほど萩野公述人のお話にもありましたけれども、別の法律で防げたんではないかということをよく言われるんですけれども、私は個人的に言えばそれでも防げなかったんではないかと思っています。
 その問題点が何なのかということをそれぞれの分野で、例えば上九一色村の建築基準法の問題についてよく言われます。地下室があった、これをとめられたんじゃないか、そういうことをいろいろできたんじゃないかと言いますけれども、結果的にはあれは県の方が刑事告発するような形をとらなければ解決不能だったし、そういうことはできなかったんじゃないか。そういった大きな問題、運用の問題という部分も含めて検討していかないと、結果的にはどうにもならないんじゃないかという感じがするんです。
 それは、例えば子供が学校に行かない問題とか、そういった問題も含めて、それぞれの官庁がそれぞれの責任で何ができたのか、何が必要なのかということを考えていただかないと、結果的にはオウムの問題が何も生きなかったという形になるんではないかという意味で書いたものです。
 そういう意味で言えば、宗教法人法だけの問題で言えば、例えば認証基準の問題であるとか、認証期間ですね、三カ月というようなことが書いてありましたけれども、そういったものはいいのかとかという問題は、個人的には非常に思うところはあるんですけれども、余りにも漠然と思っている部分だけなので、改正の必要はあるだろうというふうには思っております。
#158
○関根則之君 最後に、庄司公述人にお伺いをいたしますが、極めて明確に信教の自由ないしは政教分離の原則につきましてお示しをいただき、お教えをいただいて本当にありがとうございました。
 私は国会でも、政教分離の原則というのは、国が宗教団体に介入することが禁止されているばかりではなくて、宗教団体が国権の行使について介入をしていってはいけないんだ、双方向性のものではないかという主張をいたしましたけれども、まさにそういう物の考え方と同じ、軌を一にするものではないかと思いますけれども、時間がちょっとございませんので、庄司公述人からそれらの点についてお教えをいただければありがたいと思います。
#159
○公述人(庄司捷彦君) 憲法を専門に勉強している中村先生の前でお話しするのはあれですけれども、憲法学説上は宗教団体の政治活動については幾つかの議論があるようであります。政治活動一般として容認する考えもございます。しかし、政治活動の中にもさまざまなバリエーションがある。その中でとりわけ選挙運動というのは、特定の政党あるいは特定の候補者に議席を与えるか与えないかという、そういう意味では政治活動の中でも中心的なものですし、それから何よりも政権を目指すという意味では限りなく政治権力の行使に接近する行為だという点で慎重な検討が必要じゃないかというふうに考えている次第です。
#160
○関根則之君 終わります。
#161
○白浜一良君 公述人の皆さん、本当にお忙しいところをありがとうございます。平成会の白浜と申します。よろしくお願いします。
 いろいろ意見をお伺いいたしまして、時間の制約もございますが何点か御質問をいたしまして、御高見を承りたいと思います。
 まず中村先生、今回の改正案の信者その他利害関係人の書類閲覧というところで、これは当然構成員の権利だと、このように先ほど御発言されました。ところが、私どもの考えは、これは商法上言いましても、例えば株式会社の場合は帳簿の閲覧というのは発行株式の三%以上と規定されているんです、誰にでも公開というのは。これは民事上のことですから当然そういうことかもわかりません。まして、いわゆる役員会の議事録というのはもっと厳しく規定されているわけでございます。
 確かに宗教法人には公益性がある。とはいえ、ほかの公益法人と比べましても著しく閲覧請求権というのは認められているわけです、今回の法改正では。その割に信者の概念も大変あいまいでございます。それから、利害関係人という概念も大変あいまいです。特に、国会の議論によりましたら、信者というのは最終的にはその教団が決めるんだと申しておりますが、そう言っても私は信者なんだと、こういうふうに自分で断定すればこれはトラブルになるわけで、それは裁判所で決するんだと。果たしてそういう問題が裁判所になじむのかなという疑念も私たちはございます。
 だから、一部言われていますように、そういう暴力団等の介入を招くんじゃないかとか、こういう大変な疑義を私どもは感じているわけでございますが、この点に関しましてお考えを伺いたいと思います。
#162
○公述人(中村睦男君) 信者その他利害関係人の閲覧につきまして、それは構成員の権利じゃないかというふうに私が言ったということにとらえられたんですけれども、閲覧が構成員の権利というよりも、むしろ閲覧を認めることが構成員の権利にとって有用である、つまりそれを正当化するとすれば構成員の権利に資する面がある、宗教団体の中にいる構成員がその宗教団体がどういう状況にあるかということを知る上に重要だということでございます。したがいまして、権利そのものというよりも権利を確保するのに有用だという言い方でございます。
 それから、信者や利害関係人の概念があいまいであると、これは私もそう思います。その判断について宗教団体の判断が尊重され、しかし今お話しのようにそれが最終的には裁判所に行く、しかし裁判所での判断がなじむのか、こういう御質問だったと思います。
 この点につきまして私は、やはり基本的には日本の法治国として最終的に信教の自由侵害等についての認定権があるのは裁判所ですので、その裁判所の判断を信頼するということなんです。
 ただし、確かに宗教上の紛争というのは最近非常に多くなってきまして、しかしそこで裁判所がどこまで判断できるかということについては、教義の内容とか宗教活動の内容に関することについては裁判所は判断しない、むしろそれは宗教団体の自治の方に任せると。裁判所は、判断するとしますと、例えば外見的な面、客観的な面とかあるいはいわば財産等について市民法秩序に関係あるというような形で区別しているかと思いますけれども、この場合におきましても、裁判所が適正な判断をすることによって宗教団体の自治を侵さない範囲で適正な調整ができるんじゃないかというふうに私は考えているところでございます。
#163
○白浜一良君 もう一点お伺いしたいのは、最後に信教の自由は基本的人権の根幹である、このように先生おっしゃいまして、そういう面では非常に傷つきやすいものなんだと。それで、裁判所にによる救済という視点でおっしゃいましたが、私どももそう思っておりまして、傷つきやすいからこそ法律でいろいろ規制するのはなじまない。あくまでもいろいろ問題があれば、そういう教団の自主的な判断、対応をすべきじゃないかという視点を私どもは持っているわけでございますが、この点に関しましても御意見を伺いたいと思います。
#164
○公述人(中村睦男君) 信教の自由といいましても、これは国の社会生活、公的生活の中に置かれた信教の自由、特に、宗教法人法の場合ですと法人格を付与されるという観点から、その中でさらに信教の自由はどうあるのかと。これは、法人格がなくても宗教団体としての活動ができて、それによって憲法上の保障も受けますから、私は、法人格を付与されるという観点から、一定の公的規制というのは必要最小限度である、その限りで許されると。そして、この必要最小限度ということは、信教の自由というのは非常に表現の自由なんかと並んで根幹的な権利で、かつ傷つきやすい権利ということで、歯どめはかけますけれども、しかし、公的規制ができないということではないという、私はそういう趣旨でございます。
#165
○白浜一良君 萩野先生は最後に伺いますのでちょっと飛ばして、小野先生にお伺いしたいんですが、私どもが今回の法改正で反対している大きな理由の一つは、拙速過ぎるというか、何か別の意図を持った法改正であるという観点で反対をしているわけでございます。そういう趣旨で申しましたら、オウム事件がきっかけになっている、これはもう総理も文部大臣もよく答弁されております。しかし、オウム対策じゃないんだと、今回の法改正は、こういう趣旨の国会での議論になっているわけでございます。
 そういう面で、きっかけということでいいましたら、私ども一番必要だと思っていますのは保全措置なんですよ、一番緊急性があって。ところが、国会で議論していましたら、審議会で議論はあったんだ、でもまとまらなかったから載せてないんだ、将来的な課題だと、こういう答弁なんですね。ところが、審議会で議論されてなくて法改正の内容に入っているものがあるんです、今回の改正案そのものに。そういう面で拙速であり、改正案そのものに大変私ども疑義を持っているわけでございますが、そういうきっかけであり緊急性を要するという観点では、私ども保全措置が一番必要性があるんじゃないか法改正の面では、そういう観点に立っております。
 ただ、先生のお話を伺っていまして、一つ私どもが理解しにくいなと思うのは、宗教法人法という法律が宗教を管理統制するような法律であるならば、それは確かにいろんな事前チェックができるかもわかりません。だけれども、法律の建前があくまでも認証をベースにしているわけです。だからこそ逆に八十六条で、著しく公共の福祉に反するものはあらゆる法の適用を受けるんだと規定をされているわけです。
 ですから、例えば、いかに法律の建前つくったとしても、文部省の宗務課とか各都道府県庁の宗教担当の職員が十八万にも及ぶ宗教法人を日常的に取り締まるようなことはできないですね。だから法令違反というのは、例えば、税法違反ならばそれは国税庁がやればいいと思いますし、刑法ならばそれは警察なり検察がきちっとやる。ここの適用をするということが法律の建前になっているわけです。ですから、いかに法律で質問権とか制度をつくっても、なかなかオウムのようなものの再発防止とか再犯防止という観点では機能しない、また、機能する法律の建前でないというのが私たちの意見なんですが、この点に関しまして御意見を伺いたいと思います。
#166
○公述人(小野毅君) 私どもとしても、日常的に監督するというところまで宗教法人法が予定していないということははっきりしていると思うんです。そういう意味で、たくさんある宗教法人を監督するという意味でやることではないんではないか。ただ、やはり宗教法人に絡んでの一定の苦情というものは当然出てくるわけで、その中でかなり問題の大きいものというのはあるはずなんですね。そういったものについては、例えば、いきなり取り消しであるとかあるいは解散命令だとかというようなやり方をとっていくよりは、その前の段階である程度調査する、質問するということはある意味で当然なんではないか。
 ただ、確かに一番大きな問題はその運用の問題なんでしょうけれども、まず第一次的には、少なくともそういった苦情というものを収集しておく必要はあるだろうということがまず第一点。その上で、ある程度の疑惑が持たれる段階では調査権限があるのは当然ではないかというふうに私たちは個人的に思っているわけです。
#167
○白浜一良君 今の話に関連するんですが、庄司先生に一つだけお伺いしたいんです。
 それは、先ほどの御意見の中で、事件の展開の初期の段階で摘発できなかった行政、特に警察と監督官庁への不信感があることも事実ですと、このようにお述べになっているわけでございますが、私もそう思うんです。もっと早く、坂本さんの事件もそうでしたし、長野のサリン事件もそうでございましたが、初期から全力を挙げて適切な手を打っていればこれほど大きな事件にならなかっただろう、そういうふうに認識しているわけでございますが、このようにお述べになっている点、もう少し具体的にお話しいただきたいと思います。
#168
○公述人(庄司捷彦君) 例えば、上九一色の村民たちが東京都の監督部署に行って、自分たちの村は東京都が認証したオウム真理教でこういう困った問題が起きているということを相談に行っても、いや、それは他府県のことで自分たちではどうにもできないという対応を受けたり、それから、深夜さまざまな騒音とか交通事故とか、そういう問題が起きてもなかなか警察は適切な措置をとってもらえなかったということを、上九一色の方々がいろんなところで話したり語ったりしています。そういう問題は、やはり熊本の波野村の人たちの悩みでもあったわけですね。
 そういう点で、私は、今度所轄庁が文部省に移管する、全国的な展開をする宗教法人についてはそうだということは、むしろそういうそれぞれの自治体に住む人たちの苦情処理を統一的に対処できる、その窓口ができることは好ましいという意味で申し上げました。
#169
○白浜一良君 萩野先生に何点かお伺いしたいと思いますが、先ほど情報開示の問題で、いわゆるこういうものは法律で規制するのは望ましくない、自主的にやるべきだと、このようにおっしゃいましたが、この辺のお考えをもう少し具体的にお聞きしたいと思います。
#170
○公述人(萩野浩基君) お答えいたします。
 先ほどもお話しいたしましたけれども、最近ディスクロージャーということが非常に言われております。これは当然のことでありますけれども、個人にとりましては情報公開とプライバシーというのは表裏一体のものである、これを我々はまず認識していなければならないと思います。
 それからまた、宗教法人たりとも、その字が示すとおりに法人であるわけでありまして、特にその中でも、公益法人というのは収益の法人とは違って公的な面を持っております。その目指すところは、公共の福祉に浴するということがその根底にあって認められておるわけであります。特に、宗教法人、学校法人が多いですから例を挙げて考えてみますと、これはそのもともとよって立つところが、憲法におきましては、御案内のとおりに、二十条がベースですけれども、十九、二十、二十一と私はこの三つにかかわっていくだろうと思います。
 その中で宗教法人というのは、先ほども申し上げましたとおりに、ある意味では人格的なものを持っておるということになれば、何を情報公開するかというのは、それはしろというんではなくて、公共の福祉に浴するために何をみずからが公開していくかという、その信頼がなかったらこれはもとから崩れてしまう。
 そういう意味におきまして、まず第一にみずから情報を公開していく。それがだめなら、前にも申し上げましたとおりに後に法律がついてくるんで、今回のオウムのようなものは、これはだれが情報を公開しろと言ったって最初から隠していこうという形なんで、もしそれを対象にして法の網をかけるならば、非常にまじめにけなげにやっておる宗教法人なり学校法人なり、そういうようなものにまで影響してくるので、これは重大なことであるし、ひいてはこれは憲法の問題にもなってくると、そのように思いますので、この情報公開に関しては、まず自主的・自発的情報公開ということが前提である、これは揺るがすことはできないと、そのように思っております。
#171
○白浜一良君 それから、いわゆるオウムのような事件を考えましたら、宗教法人法をいじくるだけでは何にもならない、このように先ほどおっしゃいました。しかし現実的に、オウムの事件は極端な例でございますが、宗教に名をかりたさまざまな違法というか違法すれすれというんですか、霊感商法とか霊視商法とか、そういう際どいようなものがいっぱいあるわけでございます。こういう問題は、これは宗教法人法をいじくるだけでは何にもならないと私も思いますが、こういうことに対してどういう対策をとるべきか、お考えがございましたらお伺いしたいと思います。
#172
○公述人(萩野浩基君) 確かに、今回の宗教法人法の一部改正というのは、引き金の役目は、これは言われているとおりにオウムがあったと思います。私は、先ほども申し上げましたとおりに、今回の宗教法人法の改正というのは、もしオウムが引き金となっていくならば、その目指すところはやっぱりもっとはっきりしているんじゃないかと思ったわけです、この再発を防げるようなために。
 だけれども、どうもその弾が飛んでいっているところは、大変口幅ったい言い方をいたしますけれども、国会の審議等を見ておりましても、飛んでいっている弾の方向はどうも違っているんではないか。確かに、あのオウムのような事件が起こる背景というのは、先ほど言いました、大変抽象的でありますけれども、これはみんな心の栄養が足らなくなっている。私も大学で学生に聞いてみましたら、ああいうのも理解できるというのがかなりのパーセンテージでおるわけです。これは非常に怖いと思いました。だから、霊感商法だとかそういうものもまかり通っている。
 これは宗教に名をかりておるかもしれませんけれども、こういうものを防ぐのはどこまでも商法の問題であり、また刑法の問題でもあるので、この宗教法人法の本来よって立つところは、憲法二十条をベースにしながら、十九条それから二十一条がそれにつながっていく、そういう本来の立法趣旨というものが別のところにあるわけでありまして、これでもってオウムのそういうものを防ぐとかまた霊感商法なんかを防ぐというのは、これはとんだ目指すところが違っている、そのように考えております。
#173
○白浜一良君 最後に、もう一つだけ萩野先生にお願いしたいと思いますが、今回の参議院の審議で、法改正に対する議論もやりました。もう一つ出ていたテーマが宗教と政治のかかわりの問題でございまして、この宗教と政治のかかわりということに関しまして、先生の御意見を最後に承りたいと思います。
#174
○公述人(萩野浩基君) 宗教と政治ということについてでありますけれども、これは憲法の解釈で、国会の中で非常にみんなが関心を持った点だろうと思います。特に二十条の中で、「又」以降ですね。これは一体主語がどれになるのかというのは、一応政府見解が出ております。
 ですから、いろんな意見があることは知っておりますし、私ももう一度古い本を大分ひもといてみました。それから、私は法制局長官であられます大出峻郎先生について憲法をやりましたので、その辺のところも非常に議論をやったところでありますが、今ここでそれを開陳するのは大変時間を食いますから。ただ、いろんな意見があるということは言われております。二十条の趣旨、その精神というのは、国が宗教活動を規制したり、統制し監督するということを強く否定しているということがもとになって二十条はあるんだろうと。それが政教分離ということであろうと。
 私は審議の過程を見ておりまして、大変露骨な表現になるかと思いますが、先ほどもちょっと触れましたが、今回の宗教法人法の改正というのがいつ加速がついたかというと、明らかにことしの七月二十三日以降非常に加速がついた。この一つには、投票率が非常に低くて、そして新進党の躍進ということがありました。
 投票率が低いというときに非常に効力を発するのは、熱心な団体なりそういうものがいかに活動したかがその決定に影響する。そういうところで急にみんなが関心を、政治家の皆さん、特に衆議院の皆さんは、参議院の皆さんは良識の府ですし高い見地から見ていらっしゃると思いますが、衆議院においてはすこぶる関心を持ち始めたと、これは大変露骨ですけれども、私は事実だろうと思います。
 しかし、そこで考えなきゃならないのは、先ほども申し上げましたけれども、ここまで投票率が下がってきたということをみんなが反省してみなければならないのじゃないか。
 創価学会の皆さんが政治に非常に関心を持ったというのを、一概に僕は悪いと言うべきではないと思います。今のこのような政治の貧困といいますか、政治がこれではいけないと思いながらも投票率が下がっていく。そういう中で、政治意識の高揚という意味で、宗教家がやってはいけない、こういうことを言われる人もいますが、それは間違っているんであって、先ほども申し上げましたとおりに、どんな人間たりとも、ビリーフシステム、やがてそれは宗教的なものを持って、それが一つの信念になって人間の行動というかビヘービアが出てくるわけであって、私は、政教分離といえども宗教家が政治に関心を持つことを何ら否定するものではないんだと。
 もっと反省すべきは、今ここまで投票率の下がった政治をいかに上げるかというそちらにもっと我々は汗を流すべきであって、それのためには、先ほど申し上げましたように、心の栄養が足らないからああいういじめの問題だって起こっておりますし、また景気の問題、雇用の問題、大きな問題がどんどん起こっております。そういう問題をとんずらしていることにそれこそみんなは怒りを覚えているのじゃないかと思います。
 くどいようですが、だから宗教心を持つことは、政治家たりとも国民たりとも、宗教をベースに持ちながら政治に大きな関心を持つというのは人間の当然の行為だと、そのように思っております。
#175
○渕上貞雄君 公述人の皆さん、大変御苦労さまでございます。
 まず、最初に中村公述人にお伺いをしたいんですが、先ほどの公述でございましたように、信教の自由というのは基本的人権の最も重要な部分で、それにもかかわらず大変傷つきやすいテーマでもあるというふうに言われる、なるほどそういうものであろうというふうに思いました。
 そのときに、私どもはこの宗教という問題について、戦前からの歴史的な反省を加えてみて、昭和二十六年に宗教法人法ができて、途中昭和三十三年に答申はあったけれども余り議論せず今回の法改正ということになってきたと思うんです。したがって、余りにも宗教という問題について政治がさわらな過ぎた、国民にテーマを与えなかった。国民的な合意を、宗教とは何かという問題で、宗教団体とは何か、宗教と政治の関係はどうあるべきかということについてテーマを与えなかったことも事実であろうというふうに思います。
 そして今、オウム事件をきっかけとして、何とかああいう事件が起こらないようにしてほしいというのは、これは国民の願望であろうというふうに私は思います。もちろん、今回の宗教法人法の改正によってオウム事件のようなことがなくなるとは思いませんけれども、やはり宗教法人とは一体何だったのかということをもう一度考えていかなければならない。
 宗教法人の持っている自由と自主性、責任と公開催、このことが保障されて初めて信教の自由というものが成り立つと思うのでありますが、自由と自主性、責任と公開性というところは相対立する部分もあると思うんです。そこのところが大変私どもとしては難しいところであろう、こういうふうに思うんです。
 片一方では、政治が介入してはならない、しかし片一方で、宗教団体が自主的に責任を持って社会的な活動をしていくというようなことになりますと、今回の法改正で一番心配されたところは、国がこの宗教法人法改正によって介入をするのか、規制をするのか、監督を強化していくのかというところが一番問題になっているところでございまして、政教の分離、宗教と政治のあり方、とりわけ国の介入というところが大きな問題であろう。
 しかし、先生は、先ほど四点ほど法改正の内容を挙げられて、そう心配は要りませんよと、こういうふうに言われて、これが国家としての規制にはつながらないと思うというふうに述べられたと私は思うんですが、そこのところをもう少し具体的にわかりやすく御説明いただければと思います。
#176
○公述人(中村睦男君) まず、信者及び利害関係人の閲覧請求ということになりますと、これは私人なんですね、信教の自由に対する国の規制ではない。行政庁が行いますと国の規制になりますけれども、信者や利害関係人という私人によって行うものですから、これ自体は国の規制という概念には入らないということです。それがまず第一です。
 それから、今度は行政庁の規制。書類の提出、これは行政庁に提出しますから、その意味では国の規制には入りますけれども、しかし、国の規制の中では、書類を提出するということですから一番弱いですね。それに対して国はノーとは、その内容はおかしいというような介入はできない。ですから、提出というのもやはり私によれば弱い規制である。
 それから、報告と質問についても、これは解散命令等の要件、その疑いがあるということを前提にしたところの質問で、宗教法人一般に対する質問権ではないと、その点においても限定されているということです。
 したがって、私が言っていますのは、必要最小限度の制約に終わっているから、これは国のいわば介入ということには、信教の自由や政教分離原則に反する国の介入とはならないんだ。しかしなお、私の見解だと、法律は、制度の仕組みとしては憲法違反ではないんだけれども、しかし、運用の中で行政庁が宗教活動や宗教内容に介入すると、もしそれがあったら、その行政庁のやっている運用を今度は裁判所で争って、裁判所がそれは憲法違反ですと、そういう形で宗教団体、宗教法人に救済を与える。こういうシステムを組むことによって、全体として信教の自由や政教分離に違反するおそれのないところの必要最小限度の規制にとどまっていると、そういうことでございます。
#177
○渕上貞雄君 一番問題になるところは、今、先生が言われたように、運用のところがしばしば行き過ぎていくといったところが、これまた政教分離とのかかわりで非常に問題になってくると思うんですよ。
   〔団長退席、理事関根則之君着席〕
 この運用の部分がたまたま、先ほど先生のお話にもありましたように、行き過ぎることによってこれが不当な介入をやっていくということになるんですが、その運用については、問題があれば裁判所で事を片づけると。それの前に、そこまでいかずに何か手だてはないものかどうか。それは、厳密に憲法解釈上の問題であれば裁判所でやらなきゃならないと思うんですが、運用の面で行き過ぎがあった場合に、裁判だけに求めることになるんでしょうか、その点を。
#178
○公述人(中村睦男君) まず裁判所の前提としまして、運用しますのは所轄庁ですから、この行政庁が非常に慎重に、これは、行政庁も憲法擁護義務というのがありますから、最大限慎重に所轄庁が運用する、これが大前提であると思います。
#179
○渕上貞雄君 どうもありがとうございました。
 それでは、萩野先生にお願いしたいのでありますが、かなり違った角度からといいましょうかなぜオウム事件が発生したのか。そういう背景というのは、現在の世界の情勢を見ても、ヨーロッパ各国においても、いろんな宗教団体がいろんな問題を起こしているというようなことも出てきています。今なぜというよりも、今何が足りないのかと、こういうふうに言われたときに、社会的な一般的な情勢として、宗教上の問題として、いじめがあったりオウム事件が起きたり、いろんなことをするのは教育の貧困からだというふうに言われました。
 その意味はよくわかるわけですが、現代社会を見てみて、世界の動きなどを見聞するに従って、日本の国だけではないというものが起きています。それは、ただ単に教育だけに求めれば先生は解決をする、そんなふうに狭くは考えてはおらないと思いますが、ほかにどういうことをお考えになっておられましょうか。
#180
○公述人(萩野浩基君) 私は、教育だけにもちろんいくとは思いません。もっと言うならば、例えばオウムの事件を考えてみますと、あの中には大変高学歴な者がたくさん入っております。本当に高学歴、中でも医学部とか理学部、そういう中でも本当に日本の頭脳のトップランキングに当たるような人たちが入っている。だから、ああいうサリンまでつくるというようになるわけですが。
 こういうものを分析してみますとどういうことが言えるかというと、彼らがやっているのはナチュラルサイエンス、まず自然科学をやっていきます。それで、自然科学の中から出てくる一つの法則性、これは一つの真理で、彼らはこれをサティアンと一緒にしているんですが、これは科学上の真理であり法則であるだろうと思います。
   〔理事関根則之君退席、団長着席〕
これを本来の通常の人間のルートからいいますと、一つの個人としての人間というもののフィルターを通して出てくるものが哲学、フィロンフィーになるわけであって、この哲学だけでは、一歩間違えば本当にショーペンハウエルの自殺の哲学みたいなものが生まれてくるおそれもあるだろうと思うんです。
 そこで大事なのは、今度はもう一つフィルターを通す。このフィルターが、人間は一人では生きられない、常にあのマックス・ウエーバーの社会的存在であると、またさかのぼればアリストテレスまで行くわけですけれども、そういうフィルターを通して生まれてくるのが倫理性であり、また道徳、モラルである、こういうものが出てくるだろうと思います。だけれども、そこまでだと孔子とか孟子、大体その辺までなんですが、それでは、人間はそれで生きていけるのか、それで幸せになれるのかということになりますと、そうはいかないだろうと。
 やはり人間はいずれにしても生きていくのには信じるということが大事だろうと思うんです。これがなかったら人間はまさにアノミー状態に陥ってしまう。そこで最終的に宗教とかそういうものが出てくる。これは人間として正常な形だろうと思います。
 先ほどの「ああ言えばジョウユウ」のあの上体さんなんかはどこが飛んでいるかというと、哲学するところと倫理するところ、ここがドロップアウトしているんですね。そこで、サティアンと彼らは言っているんですが、ナチュラルサイエンスとしての真理がそのまま一遍に信仰の世界へと行く。だから私は、これからの宗教というのは、付録にも書いておきましたけれども、三つの条件が必要だろうと思うんです、常に社会性というものがある。
 そういうことを踏まえた上で、そういうような人間を育てていくのにはやはり教育が根幹であって、戦後五十年の教育に抜けておったのは、まさに便利で能率的で豊かであれば幸せだという大人たちが描いた価値観の、そこからのひずみがいじめやらオウムやらいろんなものを生んできている。
 だから私は、どこが足らないかというのは、今こそ政治が心の栄養こそ考えるべきで、今回の宗教法人法の改正なんかで世の中はよくならない、そのように私は思っております。
#181
○渕上貞雄君 先生の御高説はわかりました。
 そこで、今、国会の中で国民の方からいろんな形で批判されているのは、恐らくそういうことは起こらなかったと想像することと、まさかということと二通りあると思うんですね。
 その中で、今いろいろ危機管理等々問われているわけですが、事が起こるたびに後手後手に回っている今の政治というふうに言われているときに、この宗教法人法で、先ほど中村公述人も言われたけれども、そう国家権力の介入はない、しかし、オウムのような事件を未然に防ぐとすれば、認証の段階で明確にすればいいではないかということなども言われました。
 そこで先生、なぜ急くのかと。何が足りないからなぜ急ぐのかということにならないと、私どもは、やっぱりこれで、何とかして少しでもああいう事件再発防止の役に立つようなことを政治は考えなきゃならない、防ぐことはできないけれども。そこで先生、何が足りないからなぜ急ぐのかというふうに言われるんでしょうか。
#182
○公述人(萩野浩基君) 私は先ほど来るる申し上げておるとおりに、今の日本の社会の中で、これも私はずっと以前にある大手の新聞に、いじめの事件が起こっているときに原稿依頼がございまして、ある原稿を書きました。そのときにつけたタイトルが「いじめとは大人社会の縮図」と、この言葉を僕は新聞に書きました。そうしましたら、残念なことにそれが非常に使われるようになりましたし、それからもう十数年たつのにいまだにいじめの問題が騒がれておる。非常に私は残念なんです。だから、こういう問題を解決するのに宗教法人法をいじくってもその解決にはならないんだ、私は、もっとその根っこにある火薬の部分、それを取り除いていく必要がある。
 それには、先ほど申し上げましたとおりに、我々が抱く、戦後五十年で我々大人が追いかけ、もっと言えば明治以来追いかけてきた能率、競争のための競争の価値から出てくる価値観というようなものを根底から変えていく。そういうものが経済の面でも必要になってきていますし、我々全体が抱く価値観の問題を我々は問題にしなければならないのであって、宗教というのはもっとそのベーシックにあるものですから、宗教法人法をどのように変えたところで、私は、そんなに何か新しいものが出てくるとか変わったものが出てくるとは思わない。
 だから、私は端的に申し上げたのは、それよりももっと教育の問題なりまた教育のシステムなり、そういうようなものを今このときに真剣に考えていくべきじゃないか。急いでなぜ宗教法人法を変えなければならないかくどいようでございますが、その理由はいまだに見出せないというのが私の実感でございます。
#183
○渕上貞雄君 小野公述人にお伺いをしたいと思いますが、宗教の被害者を扱って御苦労されているという公述があったところですが、大変御苦労さまでございます。これからもひとつ頑張っていただきたいと思うんです。
 先生のお話を聞いていて、先生は宗教の重要性が再認識されたと言われましたけれども、その宗教がどうも非常に金もうけに熱心になっている。その結果、被害が出てきている。宗教とかけ離れたところで被害者が出てきているという問題。それからもう一つは、各家庭訪問などをして強引に布教をしている人たち、同時にその人たちがいろんな物品を販売していく、こういうこともやはり被害の一つの中にあるだろう。
 同時に、国会の中でも多く議論になったのは、政治とのつながりといいましょうか、政治とのかかわりが非常に強くなってきたところにそういう宗教上の被害というものが出てきておると私は思うんです。先生が携わられ、被害者救済をされるその中で、こういうものを防いでいくには今の宗教法人法ではまだ足りない。
 その場合、重要視しなければならないのは、国家の宗教に対する介入という問題であろうと思うんです。そんなことを抜きにして、一般国民が安心して暮らせるような社会というものを考えていく場合に、宗教が余り強くなってもいけないし、政治が余り強くなってもいけないかもしれないけれども、そういう宗教上の被害を食いとめていくためにはまだまだやらなければならないというふうに言われたんですが、一体これから先どういうことを想像して政治は行えばいいと思っていますか。
#184
○公述人(小野毅君) 政治と宗教のかかわりというのは非常に難しい問題で、まだ僕自身頭の中で解決していない問題なんです。
 僕が一番考えているというのは、やはり被害救済のために何をするかというところだと思うんですが、これは、僕は政治というよりも、宗教界でぜひ考えてもらいたい問題だと。各宗教団体それぞれ一つ一つ考えているんでしょうけれども、宗教界としてそれを自浄作用として解決していく方法、宗教法人審議会の方でも若干それに類した報告が出ていましたけれども、そういった方向性というのが出てくることが一つ重要なんではないか。逆にそこで、宗教にどういった問題があるのかということを自分たちの手であるいはそういう機関の中で、問題点というのを自分たちで認識しながら、自分たちでそういったものを改めていく方向性というのが出てくる必要がないだろうかということを私は強く考えています。
 そういう意味でいうと、政治はそういった点については余り深くかかわれないにしても、そういったものを促していく、今、宗教界というのは残念ながら存在しないみたいですけれども、そういった形での宗教界全体での動きというのを促していく必要はかなり強くあるんではないだろうかというふうに個人的には思っています。
#185
○渕上貞雄君 その宗教界というんでしょうか、十八万四千近くもある法人を束ねていくには私は大変だと思うんです。
 昨日、国会の中でそれぞれの宗教界の団体の方々を参考人として意見を聞いたわけです。その場合に、かなり政治と宗教とのかかわりの問題、国家権力の介入の問題等々のお話はありましたけれども、実は今のような、例えば宗教界というものがないとすれば、どういうふうにすればいいんでしょうか。それぞれの宗派宗教の一つの団体の方々が寄って、そこで話し合いをして、宗教界みずからが自浄能力を高めていく。その場合に一番大事なことは、宗教の密室性がやっぱりこういう被害を生んできているんじゃないかと思うんですが、そこら辺の情報開示と密室性みたいなものは先生はどういうふうにお考えになっていますか。
#186
○公述人(小野毅君) 要するに、宗教団体としての情報公開というのはある程度当然要求されることで、逆にそれがなければいろいろな形での働きかけというのは全くできなくなるに近いわけです。それは宗教団体としての公人性、公益法人として認められているがゆえの公人性というものをもっと意識していただきたい。これは法律規制でどうのこうのというよりも、やっている宗教団体はかなり一生懸命自分の方から公開している。これは自主的にやるのが望ましいことは間違いないわけです。そういったものをどんどんやっていただくしかないんじゃないかと思います。
 ただ、ほとんど材料に挙げられていないんですけれども、私がかかわったある事件で、あじさい寺抵当証券問題というのが八年ぐらい前にあったんです。ここはあじさい寺ですから非常に有名なお寺で、建長寺派のしっかりした形で運営されているところであったんですけれども、そこの和尚さんが、勝手に自分のために抵当証券を発行して、かなりたくさんの人に売ったという事件が起きたわけです。
 その和尚さんは発覚して自殺してしまったわけですけれども、被害者との間で裁判になった際に、抵当証券の発行は宗教法人法の規定によれば責任役員会の議決を得なきゃいけない、だから当然に無効だと言われたんです。それは当然に無効だと言われても、一般で買った人間にとってはそんなものはわからないわけです、調べたくても調べられない。そのときに、せめてそういった形でそれが公開されていれば、それがあなたの落ち度だよと言えるけれども、そうはなかなかいかない。公開されていなければ、一般の人は利害関係人になるのかもしれないんですけれども、できないという問題があったということは、私にとって非常に大きな問題だったと思います。
 そういう意味でいうと、やはりある程度の公開というのは、それは信徒だけではなく取引関係に入る人間にとっても重要なことなんじゃないかというのは、私が弁護士として携わった経験としては言えるんじゃないかと思っております。
#187
○渕上貞雄君 最後になりますが、庄司公述人にお伺いしたいんですが、冒頭、公述の中でも述べられております宗教団体の政治的中立性というものは、宗教団体みずからがその中立性を保たなければならないことは事実ですけれども、結局、宗教の政治活動への自由という問題と政治的中立性の関連性、どんなふうに考えられておられるのか、一言お伺いいたします。
#188
○公述人(庄司捷彦君) 中村先生の意見の要約の中に引用されている判決にもありますように、宗教というのは超自然的あるいは超人間的な存在に対する信頼といいますか確信、それを基礎にしているわけですけれども、政治的な諸活動というのは現実世界の現実的な問題解決のための行動である。一つの宗教団体に所属している人の中にもそこではさまざまな意見があり得るだろうと思うんです。ですから、一つはそういう特定の宗教団体が団体として組織的な政治的活動を行うことにはおのずから限界があるんだろう。そういう組織としての体質から来る限界があるんだろう。
 そして、具体的に宗教団体が特定の候補者、特定の政党を支持するということになれば、その構成員の個々のそういう政治的な信条に基づく団体ではございませんので、個々の構成員の政治的な意見の自由あるいは政党支持の自由をも侵すことになりかねない。ですから、宗教団体が団体としてアドバルーン的に決議をし、支持しましょうという呼びかけは、それはまた一般的な自由に属するんでしょうけれども、それが組織員であるがゆえに決定には従えという形で行動を束縛することになれば、それはそれで別の問題が出てくるだろう。そういう大きな観点からもっと厳密に議論されていく必要があるんじゃないかという意味です。
#189
○渕上貞雄君 ありがとうございました。
 終わります。
#190
○有働正治君 貴重な公述をありがとうございました。それぞれの御専門のお立場からの御意見だと解した次第であります。
 まず、庄司公述人以外のお三方に同じ質問でお聞かせいただければと思います。
 それは、歴史の教訓の上からも幾人かの公述人がお述べになられました現行法制定のいきさつなり現行法の基本性格など、そもそも論の問題についての御認識をまずお尋ねしたいわけであります。
 一つは、今日の宗教法人法と戦前の宗教団体法。戦前の宗教団体法は、公述の中にもございましたように、宗教の教義、儀式、行事等を直接規制の対象としていたわけであります。そして、国家神道としてそれが侵略戦争の一つの精神的支柱にもなって宗教弾圧等が行われて、苦い教訓があるということは御承知のとおりでありますけれども、その戦前の宗教団体法、そういう教訓の上に立って今日の宗教法人法が制定された。そこでは、お話にもございましたけれども、宗教法人の自主性、自由、同時に責任、公共性、こういう点も指摘されて、その基礎として信教の自由、政教分離の原則というものが基本に定められていると思うわけでありますが、この戦前の宗教団体法と今日の宗教法人法の根本的違い、どこにあるとお三方はお考えであるのかが第一点。
 同時に、今回の法改正は現行法の基本性格を引き継ぐものだと、個々の内容についての若干の御意見はあろうかと思いますけれども、基本性格というのは私は引き継がれているんだと解しているものでありますが、この点についてどうお考えなのか。
 この二つとも関連いたしますけれども、庄司公述人は、現行法というのは宗教団体に対してノーサポート・ノーコントロールではなくてサポート、例えば税制の優遇措置等、また一定の社会的な規範を定めて一定のコントロールも求めていると、こういうことも述べられたわけでありますが、この点について、相互にも関連する問題でありますので、まとめてそれぞれ簡潔にお述べいただければと思います。
#191
○公述人(中村睦男君) 私は、最初の公述でも申し上げましたように、戦前の宗教団体法と比べますと、昭和二十六年の現在の宗教法人法というのは全く質的に違ったものになっているということであります。それは同時に、明治憲法と現憲法での違いということも当然あって、そのもとでの法律ですので、そこからでも大きな違いがあるかと思います。そして、同時にそれは、戦前の場合ですと、今お話があった宗教の教義とか活動それ自身に対する規制があったのに対して、現行宗教法人法についてはそういう内容規制というものは一切行っていない。
 したがって、先ほどの自由と自主性、責任と公共性ということからいえば、昭和二十六年の宗教法人法は著しく自由と自主性の方が強調されていたというふうに思います。それが今回の改正でも基本的には引き継がれている。しかし、若干責任と公共性という面、これは昭和二十六年以降の宗教法人の実態の変化によって、あるいは多様化なり営利活動を行う者があったりと、そういうことをも踏まえた実態によって責任や公共性の面も強調される。しかし、それでもこれは全体として見れば、やはり自由と自主性に力点が置かれたものであるというふうに考えております。
#192
○公述人(萩野浩基君) 現行の宗教法人法と、それから明治五年、一八七二年に制定された団体法とは、これはもう完全に質が違うと認識しております。五年のときには、神官なり僧侶というのは国が任命しておりましたし、明らかな国家統制のもとにあった。その当時の時代背景というのは、不平等条約を結んでおりましたから、これを何とかしなきゃならないというので、あの浦賀事件等が起こっているときに、これが一つの引き金となって少しいい方向に行っておったんですが、大正十四年、治安維持法が出てこれは全部もとのもくあみになってしまった。
 そういう歴史的な反省の上に立って昭和二十六年に現行の宗教法人法が制定された。その基本的精神は、先ほど中村先生もおっしゃっておられたので、重複しますからくどくど申し上げませんけれども、つまり、国家が権力を持って、すなわち国家権力でもって信教の自由に干渉することを許さない、またこれを利用し、また体制の維持に使ってはいけないということが現行法では明白になっておると思います。
 今回、宗教法人法を、昭和二十六年に制定されて長くたっているからといってこれを軽々に、拙速に変えるということは慎重であるべきと私は一貫して申し上げておるんですが、何も変えてはいけないというようなことを私は申し上げておるわけではございません。もしこれをいじくるのであったら、改正するのであったならば、拙速的であってはならない。
 その理由は簡単でございます。これは、憲法二十条にかかわる問題でありますから、もっともっと審議会等で十分の審議をしてやるべきであって、臨時国会だから私は重要法案を取り上げてはいけないなどと申し上げません。もっともっと時間をかけてやるなり、私は、急がれると何か別の意味合いをそこに感ぜざるを得なくなってくる、この辺がだんだん国民にわかってき始めてきているのではないかこれは率直な私の感想でございます。精神は憲法二十条ですから、くどいようですからそれの繰り返しはやめます。
 それと、税法上の利点を得ているんじゃないかということを有働先生はおっしゃいましたけれども、これは確かに、宗教法人は税率から申し上げましても、一般の部分と御案内のとおりに二七と三七・五と、ここは明らかな差がございます。これはどこまでも税制の問題であって、この問題は宗教法人法とは別個で審議して、もっと税金を普通と同じに三五にすべきだというのはその辺で議論すべきであって、ここにおいてそういうことが取り上げられてくるというのは、これは本末転倒であって、問題をそらしてしまうことになるだろうと。
 だから私は、宗教法人法を決してさわってはならない、聖域だと言うのではございません。時代を経ておるので、問題があるならばこれは変えてもいいけれども、なぜこれだけ急がなければならないかと、その正当性と整合性というものに私は疑義を挟むわけでございます。
 以上です。
#193
○公述人(小野毅君) 私は、宗教団体法というのをほとんど勉強していないので、憲法二十条の精神というところでしか理解しておらないんですけれども、そういった意味での変容というのは宗教法人法にあらわれていたのではないか。自由と自主というふうに中村先生おっしゃっておりましたけれども、そのような形で変わっていったんじゃないかなというふうに思います。
 ただ、私が勉強している範囲で思うことというのは、宗教法人法制定当時はもっといろいろな形で宗教問題については議論があった。ところが、どうもこの二、三十年の間にいつの間にか議論がなくなり、タブー化されていったのではないかということを強く思っています。そういう意味では、新宗教法人法になってから実際上の変容があったのではないかというふうに私自身では思っています。
 今回の改正については、全くこれで宗教法人法の性格が変わるというような性格ではなく、ほとんど変わらず、若干運用というか細目が変わってきたにすぎないのではないかというふうに思っています。
 ノーサポート・ノーコントロールという話ですが、その点については、萩野先生がおっしゃっていたように、これは税制面の問題で、逆に宗教法人法の問題と税制が連動していない、宗教団体であっても宗教法人であっても税制はほぼ同じなわけで、そこの方に問題があるのではないか。そういう意味では、宗教法人法でサポートしているわけではないんですけれども、実質的には宗教法人法制として見ればサポートはある。ただ、宗教法人法自体ではノーサポートとは言えるのかもしれないとは思っています。
 ただ、先ほども僕が話しましたように、補則の部分ですか、そこの部分ではやはり一定のコントロールはあることは間違いないわけで、完全な性善説に立った宗教法人法制になっているということではないというふうに思っています。
#194
○有働正治君 今度は萩野先生以外のお三方にちょっとお聞かせいただければと思います。
 萩野先生の御所見は御所見として承りまして、それについてお三方はどうお考えかという立場でお尋ねしたいというだけのことでありますけれども、萩野先生の場合、所轄庁の問題について、管轄は自治体がふさわしくて、地方分権との絡みからいってもそうあるべきではないかという御所見だったと解しました。
 それから、情報公開について、みずからの自浄作用を基本にすべきであるというのが中心的な御意見だったと私は解しましたけれども、今回の法改正は、この問題で改正内容としてあるわけでありますけれども、この萩野先生の御所見についてはかのお三方はどのようにお考えであられるのか、御意見をお伺いしたい、こういうことであります。
#195
○公述人(中村睦男君) まず、所轄庁のことでございますけれども、活動が複数の都道府県にわたっている場合には文部大臣にするということですから、その点、都道府県単位で行うことが不適当ということで文部大臣にいくということです。今回の改正は、宗教法人の認証のときのみならず、設立後における活動についても国が一定の監視をするという意味を持っているわけですから、そうしますと設立後の活動状況、特に財務状況等についての最低限の報告の提出を求める等のことをするためには、やはり国でやることが必要であるということはあると思います。
 そして、これは規制するのが国であるか地方公共団体であるかという間には差異がなく、国家と宗教の分離の国家というのには国と地方公共団体どちらも入りますから、地方公共団体なら信教の自由に違反しないとか、地方公共団体なら政教分離に違反しないということじゃなくて、この点に関しては全く国も地方公共団体も同じですので、これは私は質的に変わらないということを考えております。
 それからもう一つは、情報公開の点についても、信者等の利害関係人に閲覧という形での公開を求める、さらには所轄庁への書類の提出という、これは単なる自主的な規制だけじゃなくて、そういう団体の自主性だけじゃなくて、最低限その意味で国がかかわることが必要不可欠である、情報公開のためにも必要不可欠であるということであるかと思います。
#196
○公述人(小野毅君) 萩野先生のいろんな御意見、考え方というのは非常に私も賛成するところが多くて、結論が変わっているだけで、意見としては余り変わらないのじゃないかというふうに思っているんです。
 結論がなぜ変わったのかといえば、所轄庁の問題でいえば、それは極めて地方分権ということに意を強くお持ちになっている部分と、僕らとしてはやってきたことから見てそれが実情にそぐわないのではないかという、その考え方、アプローチの仕方の違いの結果、結論として変わってしまったということが一つ。
 情報公開の問題で見れば、やはり自浄作用が必要なのは間違いない、当然最初からあってしかるべきだし、今までずっとこれは続いてきているわけです。何も今回初めて自浄作用としてのディスクロージャーということが言われたわけじゃなくて、既に裁判例すらあるわけです。そういった意味で見れば、逆に、僕はもう待ち過ぎたというふうに思っているんですけれども、まだもっとゆっくりじっくり考えてみたらどうかという考え方の違いの結果こういうふうになっているんではないかというふうに思っています。
#197
○公述人(庄司捷彦君) 所轄庁の問題ですが、民法の法人規定を見ましても、主務官庁が監督するということですが、その主務官庁が都道府県の知事である場合と中央の各省の大臣である場合、各省である場合とさまざまな規定があるというふうに思います。むしろ、現在幾つかの宗教団体が都道府県知事の認証を得て法人になり、各都道府県の監督下にありながら全国的なあるいは全世界的な展開をしていることの方が私には奇異に思えるということでございます。複数の都道府県で活動するときに複数の認証をというのは法制度としてなじまないし、複数の認証というのはちょっと現実的ではないのではないかというふうに思います。
 情報公開の自浄作用についてですが、現在の法律も、中村先生の御指摘のように、まず組織内部での情報公開を行い、そして自浄作用を原則としながら、しかし、問題はそこからの逸脱を監督官庁がどうフォローしてどう防止していくかということで報告なり質問が定められているのであって、私は必要な規定であるというふうに思います。
 以上です。
#198
○有働正治君 次に、政教分離の原則の問題についてお尋ねします。
 萩野先生は、例えば創価学会が具体的に政治活動に関心を持ってやられること自体を否定するものではないと、こういう御所見も具体的な提起をされたわけでありますが、これについて中村公述人、庄司公述人にお尋ねしますけれども、憲法の大原則の政教分離の場合に、権力の側からの宗教支配といいましょうか、こういうものが禁じられているという御所見。同時に一方、宗教側からの権力行使の問題、両面の問題、これは関根委員も御指摘なされました。例えば、特定政党と一体化し、選挙のたびに信者を組織的に選挙に動員している、これはその宗教法人の信者の皆さん方の政党支持の自由とのかかわりも当然出てくる問題だと思いますけれども、そういう政党が政権に着いて権力を行使する場合、憲法の政教分離の原則からどういう問題があると考えられるのか。
 中村先生には、学説がこういうことがあるということでなくて、先生御自身としてどういうふうにお考えになっておられるかを所見も含めてお聞かせいただければと。あわせて、同じ問題で庄司公述人の御意見もお伺いできればと、こういうことであります。
#199
○公述人(中村睦男君) 今の点は、憲法論からいいますと、恐らく二十条一項後段の問題について御質問いただいたものと思うんですけれども、これについては学説の分類ということが前提になっていまして、まず多数説といいますか通説は、その場合には国及び地方公共団体に独占されている統治権力というように狭く解釈する。これに対して、広く解釈する説ですと、宗教団体が積極的な政治活動によって政治に強い影響を与えることを禁止したものという考えがあるんです。
 それで、その問題の解釈とつながっていまして、私はその点をどう考えるかといいますと、この点は従来憲法学説でも余り詰めた形で議論していなかったためにだれも余りこの点詳しくは書いていないんですね、憲法の本にも。
 そこで、今の政府解釈も通説と同じで、それをどうするかというのは恐らく国会でも随分御議論なさっていることと思いますけれども、私は通説の国及び地方公共団体に独占された統治権力というのは若干狭過ぎる、少数説は広過ぎますけれども、狭過ぎるという感じは持っています。
 と申しますのは、統治権力を行使するという、これは立法権や行政権あるいは司法権を行使するということ、これはもう現在ではそもそも考えられないことで、歴史的にはそういうことがあったということでありますけれども、それに加えて私は、統治権力に実質的に影響を与える、実質的にそれを支配するとか影響を与える行為をも含み得るものでないかというふうに考えています。
 しかし問題は、統治権力に影響を与える行為は憲法二十条一項後段の精神から見ては好ましくないと思うんですけれども、しかし、それが法的規制になじむかということになりますと、統治権力を行使してはいけないということは法的に規制できますけれども、例えばそれ以上に実質的に統治権力に影響を与える行為がいけないということを国が規制するということにしますと、これはある意味では宗教団体そのものの活動に介入するということにもなり得るんですね、国がそこを認定すると。
 そうしますと、政教分離を守るために国がある意味では宗教団体の団体活動に介入する、そのことによって逆に政教分離に違反するという、そういう何か逆説的なことがあるものですから、したがいまして私の解釈ですと、今考えていますのは、法的規制になじむという点では統治権力を行ってはいけないということですけれども、しかし、だからほかは全く自由がと言われると、一般の政治活動はもちろん宗教団体も自由だと思うんですけれども、その中での政治的活動が実質的に統治権力の行使に影響を与えるものはやっぱり自制すべきで、慎むべきである。それは自分で慎む、法による規制ではなくて、それは憲法の精神からいっても慎むべきであるという、そのあたりの解釈ができないかというのが私の今思っているところでございます。
#200
○公述人(庄司捷彦君) 今の中村先生の意見にも随分啓発されるところがあります。私も今回この席に参加するに当たって多少勉強したつもりですけれども、宗教団体の政治活動について、先生のおっしゃるとおり、余りきちっとした論文とか論述は見当たりませんでした。
 ただ私は、個人として考えているのは、政治活動にもさまざまなバリエーションがある。例えば、核兵器廃絶の運動も一種の政治運動だろうし、その反対側には具体的な候補者を推薦する選挙運動があるだろうと。そういうかなりの幅広い政治活動の中で、宗教団体が命自制すべきといいますか、あるいはそういう宗教団体の行動は十分批判に値するというか、そういう問題はどこの局面だろうかというのを考えたときに、選挙運動というのはその一つの目安になるんではないのかなというふうに考えています。
 それで、先ほど中村先生は統治権の行使に実質的な影響をというふうなおっしゃり方をしましたけれども、それを具体的な運動の側からいえば私のように言えるんではないかというふうに考えています。
#201
○有働正治君 最後に、庄司公述人にお尋ねいたします。
 萩野公述人が先ほどオウムその他の取り締まりで破防法を適用したらどうかという御意見……
#202
○公述人(萩野浩基君) そうは言っていないですよ。
#203
○有働正治君 破防法も考慮されるんではないかなというふうに私は解したんです。
#204
○公述人(萩野浩基君) も考えられると。
#205
○有働正治君 考えられるという御意見をお述べになりました。私は、これは破防法自体の基本性格が憲法上重大な問題があると認識しているわけでありますけれども、この点について庄司公述人はどのようにお考えになっておられるか。
#206
○公述人(庄司捷彦君) 回答は私よりも小野先生の方が的確かもしれませんが、私は、少なくとも破防法を適用するのは、オウムの被害者の救済を十分にさせないという点と、それから現実に信者としてそこの集団に入っている人がそこから抜ける手助けをするにも非常に無責任な対応に終わってしまうんではないか。被害者の救済という点からいうと、解散命令を確定させて、裁判所の手できちっと財産を確保し、その清算をすることが被害者の救済につながるということであります。
 破防法によって解散をさせても、その人たちの個々的な行動まで規制できないし、財産を管理監督することはできないという意味では、破防法によるオウムに対する対応は誤りであろうというふうに考えます。
#207
○有働正治君 どうもありがとうございました。
 終わります。
#208
○国井正幸君 新緑風会の国井正幸でございます。本日は大変な御見識を御開陳いただきまして、まことにありがとうございます。
 私は二点についてお伺いをさせていただきたいと思います。
 第一点は、いわゆる今回の改正法案の第二十五条に関する情報の開示の問題でございます。この問題につきましては、中村先生と小野先生に特にお伺いをしたいというふうに思っております。
 先ほど来いろいろお話がありましたように、今回の改正法案では、備えつけ及び行政庁への届け出、さらには信者及びその利害関係人に閲覧をすることを認めておるわけでございまして、これも国会の中でもいろいろ議論をしてきたところでございますけれども、利害関係人の範囲というんでしょうか、あるいは信者の範囲というものについても、先ほど来お話がありましたように、なかなか定かではない部分がございます。
 第一義的には宗教法人の自主的な判断に任せると、こういうふうなことでありますが、どうしても見たいという方からすれば、私は信者であるとか私は利害関係人であるとかという申し立てが当然出てくるというふうに思います。そうした中で、それをどうして判断するかこういうふうなことになるわけですが、裁判所で判断してもらったらいいではないか、こういう議論もあるわけでございますが、一方では、そういうものは余りなじまないんではないか、こういうふうな議論も実はあるわけでございます。
 それで、先ほどもお話がありましたように、株式会社等においてはいわゆる発行済み株式の三%以上の株式を保有している者に帳簿の閲覧権等を認めておる。こういうふうなことからいたしまして、株式会社等においても総会屋などによって大変な恐喝事件等も起きているのも現実的な問題でございます。
 そういう観点からいたしまして、私は、それぞれの個人が一人でもって見せると、こういうふうなことよりは、例えば一定の人数をまとめるとか、集団的行為によって情報の開示を求めるということになれば、一人でやるよりは多くの者が同じ目的を持って話し合いをしてそういうことを求めるということになれば、ある意味では不正というものを防げるんではないか、こんなふうな実は考えを持っているわけでございますけれども、その辺のいわゆる一定の制限を設けてその者に情報を開示すると、こういうふうな考え方等についてどのようにお考えになりますでしょうか。
 まず、中村先生の方からお伺いしたいと思います。
#209
○公述人(中村睦男君) こういう人数を集めたある種の集団性で求めるという、確かに一つのおもしろい考えであるかと思いますけれども、私はまだこの点は具体的に考えておりませんので、それ以上私としまして、それがいいのか悪いのかという点についてはちょっと今判断しかねています。申しわけございません。
#210
○公述人(小野毅君) 私としましては、その逆に一定の人数をまとめるというのはなじまないんじゃないか。何というか、宗教団体内団体をつくるような形で、分けようとしているような行為をするような形に受けとられかねない。逆に紛争を拡大しかねないような問題なんじゃないかというふうに個人的には思います。
 それで、この改正法二十五条の一番の趣旨は、そういった見せる行為をするということによって公明正大な財政関係をするということに一番の主眼があると思うんです。だとすると、非常に個人的な意見なんですけれども、だれに見せたって構わないんではないか、それぐらいの気持ちている方が本来の公益法人としての宗教団体としては当たり前なんではないかというふうに思うんです。
 逆に、例えば株式会社などであればいろいろな収益事業を営む上で個々の営業の秘密というのはかなりたくさんあるはずですけれども、宗教団体における財産関係というのは、プライバシーという観念は別とすれば、そう大きな問題があるとは思えない。
 そういう意味でいうと、僕は個人的にはこれだけでも足りないくらいで、もっとすべての人に見せても構わないというぐらいの体制をとってもらいたいと思っているぐらいで、一人であっても当然閲覧権は認められるべきだというふうに思っています。
#211
○国井正幸君 特に小野先生の場合、弁護士をやっていらっしゃる、こういうふうなことでもございますので、一般の会社等に対してはいわゆる総会屋等の犯罪もあるわけでございますけれども、特にその辺との関係で情報の開示というのが悪用される懸念というのはどのようにお考えでしょうか。
#212
○公述人(小野毅君) ですから、いわゆる日本的な総会屋というのがはびこったのも、基本的には情報を隠そうという発想、本来は公開されるべきものを隠そうとするからこそ総会屋というものがはびこったんだというふうに僕は認識しています。
 そういう意味でいえば、悪いことを隠そうとするからこそそういう問題が起きてくるんではないか。逆に、それは備えつけて公開する目的でできて、しかもそれほどおかしなもの、例えば相当の細目まで出さなきゃいけないものではないわけですから、個々の帳簿を全部出さなきゃいけないというものではないわけですから、そういう意味ではこれで悪用される可能性というのは僕は率直に言って余り理解できないというふうに思っています。
#213
○国井正幸君 続きまして、当委員会でも大変な話題になっているのは、いわゆる政教分離に関連をした、宗教法人あるいは宗教団体の政治活動がいいのか悪いのか、あるいは一定の制限を加えるべきかどうかというのが実は大きな議論になっておるところでございます。
 基本的な考え方としましては、憲法十四条の法のもとの平等とか、あるいは十九条の思想・良心の自由、さらには二十条の信教の自由、そして二十一条の集会・結社の自由、こういう観点から何びとといえども政治活動をやっていいんではないか、それは個人であっても団体であっても当然であると、こういうふうな考え方が一方にございます。もう一方は、憲法二十条の後段の規定ですね。先ほども議論になりましたが、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」、この後段の部分。そのどっちに比重を置くかというふうなことで大きく意見が分かれているというのがこれまでの議論の経過でございます。
 そういう中で、中村先生あるいは萩野先生そして庄司先生にお聞かせをいただきたいというふうに思っておるんですが、この基本的な考え方についてどのようにお考えか。
 さらにもう一つは、最近、新聞等の報道によりますと、今の政権を構成しておる大変有力な方々が宗教団体あるいは宗教法人の政治活動に一定の制限を加えるべく新たな法律を準備したらどうだと、こういう議論もこの宗教法人法の改正論議とあわせて今提起されておるわけでございます。
 それらの考え方を含めて、基本的ないわゆる宗教団体の政治活動の是非の問題、さらには制限を加えるべきではないかと、こういうふうな考え方も一部出ているわけでございますが、これらに対する御見解をぜひお聞かせいただきたいというふうに思います。
#214
○公述人(中村睦男君) まず、政治活動の自由が十四条や十九条、二十条、二十一条を基本に認められるんじゃないかという考え方ですけれども、基本的に言えば、私人は自由に活動できるという点は大前提にあるかと思います。しかし、その場合でも全くの自然人、個人と法人との間で差がありまして、自然人ですと完全なる基本的人権のうちで最も大事なものとして政治活動の自由も行うということがあるんですけれども、法人になりますと、法人自体どこまで政治活動の自由があるかというと、これは株式会社を含めていろいろ議論があるところでありますので、法人自体は自然人と同じではない、やはり自然人よりは制限されるというところがまずあると思います。
 さらに、同じ法人の中でも宗教法人となりますと、ここで先ほど後者で言われた二十条一項後段の問題が出てくるということです。この二十条一項後段の問題は先ほど有働理事のときにお話ししたとおりの見解ですので、そこは繰り返す必要はないかと思いますけれども、しかし、先ほど言いましたように、宗教団体の政治活動については自制すべきというんですか、法的規制になじむかどうか、その点についてはなお慎重に検討する必要があるんじゃないかというふうに考えております。
#215
○公述人(萩野浩基君) 特に国井先生のおっしゃっているのは二十条の後段のところと思いますが、「又は政治上の権力を行使してはならない。」。私もいろいろ読んでみました。本当にそういうことについて書いてある本は非常に少ないです。見つけ出したのは四冊ほど、ちょっとメモを持ってくればよかったんですけれども、書いたものを忘れてきたんですが、三、四人の方が論じられておられます。
 私が読んだところでは、先ほど中村先生が言われましたけれども、大きく網をかける分と小さくど、そこで意見が全く分かれておる。けれども、法制局長官の意見それから最高裁の意見を参考としながら政府見解というのが出ているのは先生方御案内のとおりでございます。私も、一応その上に私自身乗っております。
 それでまた、せっかくこういう機会なので私個人の意見を開陳させていただければ、「又は政治上の権力を行使してはならない。」というので、権力とは一体何かというときに、政治学の方で言いますと、政治権力というのと単に権力というのがさらに出てくる場合があります。一般通念としましては、権力と出てくるときには国家権力でございます。そして政治権力というのは、これが一つのタームになりますと、これは政治的インフルエンスといいますか、政治的影響力も政治権力という中に包含されております。
 そこで、憲法上に「政治上の権力」と出ておるのは、そういう点から解釈すると、この権力の具体化は一体何かということになれば、これは国家権力というものが当たるんではないか。これはどこまでも私の個人的見解でございますが、そのように私は理解しております。だから、この二十条の本来の意味は、国家権力というものが宗教活動、そういうものに制約を与えないというのが立法趣旨であると、この辺いろんな見解が出てくると思いますが、私は憲法を読むときにそのように読んでおります。
 だからといって、それでは野放しにめちゃくちゃに宗教が政治に関与していいというと、これはやはりそれなりの判断といいますか、政治と宗教というのは、政治を動かしていく個々の人間が抱く信条だとか信仰とかいうものであって、それがどこまでもベースになっておるので、その活動の中にはおのずとそこの自制というものは私はあると思います。けれども、宗教が一概に政治に関与することはできないという、そういう簡単な結論を出すべきではない、そのように考えております。
#216
○公述人(庄司捷彦君) 宗教団体の諸活動の自由について考えるときに、私は冒頭の意見でも申し上げましたが、歴史的にとらえることが大事であるというふうに思います。歴史的に見て国の政治と宗教とが癒着したときにどういう状況になったかということ、このことは権力の側も反省すべきだし、そして宗教団体の側も反省すべきだという歴史的な体験であろうというふうに思うんです。
 ですから、憲法二十条一項後段の国から特権を受けてはならないということは、宗教団体が特権を求めてはならないということでもあろうと思います。そしてさらに、「政治上の権力を行使してはならない。」というのは、政治上の権力を求めてもならないというふうに思うんです。
 現在、日本には幾つかの巨大宗教集団がありますが、それぞれの宗教集団が国の権力を目指して活動したらどういう状況になるかということを考えると、私はそれぞれの宗教団体がおのずから自制すべきものがこの歴史の教訓の中にあるというふうに思います。
 だからといって、すぐそういう活動を法律上規制できるのかどうかという問題ですが、これは現在でも公職選挙法上さまざまな規制があります。現在の公職選挙法はいたずらに国民の自由を侵害する側面もあるというふうに私は考えておりますが、しかしそれにしても、例えば現在公職選挙法で許されていない形での機関紙の利用とかそういうことについては現行法でも十分規制できるでしょう。
 それから、これまでも国会の質疑でも出てきましたが、個々的な税法上の優遇措置を宗教団体のあらゆる活動に認めなければいけないのかどうか、その見直しの問題とか、現行法でも改善すべき余地はあろうかというふうに思います。
 以上です。
#217
○国井正幸君 要領よく皆さんにお答えいただいたものですから、ちょっと時間がありますので、ぜひ小野先生にひとつお伺いをしたいというふうに思います。
 実は、昨日、東京での当委員会に参考人の方においでをいただきまして、そのときの質疑の中で、特に霊感商法、えせ宗教ということも含めてなんですけれども、とにかく宗教に関して被害等があった場合、これらの相談窓口というのがなかなかないというのが弁護士の先生から御指摘がございました。そういう中で、宗教界としてみずからの自主的な自治組織として、これは宗教界の代表の方から意見の開陳があったんですが、そういう相談窓口みたいなものを設けて、宗教界全体としてみずからを律していかなければいけないんではないかと、こういうふうな話が実はきのう出たわけでございますが、その辺についての御感想。
 それからもう一つ。先生がおっしゃっていますように、特にオウム真理教の問題について、財産保全というのは非常に大切だというふうに私も思っているんです。そういう意味でこれらを補強するということも必要なんだろうと。今、国民が求めているのはまさにそういうことを求めているのではないかなと、こう思っておるものですから、前段申し上げました相談窓口の問題等に関連して、財産保全その他今回の法改正に対して補強するような中身がもしさらにあればお伺いしたいというふうに思うんです。
#218
○公述人(小野毅君) 先ほども申しましたけれども、自浄作用としての相談窓口というのは必要不可欠なのではないかというふうに私自身も非常に強く思っています。
 例えば、神奈川の弁護士会、横浜の弁護士会に相談が来ると、宗教被害というのはほとんど僕のところに相談が来るような状況で、どこに行っても相談していただけないと。例えば、人権擁護委員会とかそういうところに行った人もいるでしょうし、いろんなところをたらい回しされて、二十軒回って僕のところに来たと。北海道の人から私の方に電話がかかってきたりするわけです。
 そういう意味で、どんな人にも公開している相談窓口が、どんな相談なのかはいろいろあるんでしょうけれども、それが必要であるし、また、例えば親から子供が入ってしまって何とか連絡をとりたいという相談が多いんですけれども、こういう相談が類型的に何%あるとかという数字を出す意味でもかなり有用なことなのではないかというふうに思っているんです。
 ただ、一点大きな疑念があるのは、宗教界が自浄作用としてやることは必要なんですが、逆にその中でその宗教団体の色を抜かなきゃいけないということです。あるAという巨大宗教団体の人が相談に行って、Aというその宗教団体の人が相談に出てしまったのでは全く意味がないわけです。
 要は、そういう団体をつくるということは必要なんです。そういう団体をつくることについてはそれぞれの宗教団体で非常に尽力してもらいたいんですけれども、具体的な相談あるいはその解決の方法などについては宗教団体に一歩引いてもらわないといけない。そういう意味で非常に難しい方向になるし、そういった面では行政もあるいは立法も含めて関与していくような必要があるんではないか。
 ただ、宗教界の主導でそういうことができていくのであれば、宗教界に対する僕らの、僕らというのは国民の気持ちとして見直す気持ちというのは大きく出てくるんじゃないかというふうに思います。
 やはりそういったものが全国に、少なくとも各地方七カ所ですか、あるいはできれば都道府県単位で一つぐらいあって、それが公開されて、ここに行けばそれなりのことができると。例えば、ある宗教団体に出家して入ってしまったけれどもどこにいるかわからないというのは、そういう相談窓口の力をもってその場所だけは、あるいはこういう相談が来ているよということを本人に伝えるということができるというぐらいの力、権威を持ってもらえるようなものができたらいいのではないかなということを僕は個人的に非常に思っています。
#219
○国井正幸君 ありがとうございました。
#220
○団長(倉田寛之君) これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言御礼を申し上げます。
 皆様には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。
 これにて参議院宗教法人等に関する特別委員会仙台地方公聴会を閉会いたします。
   〔午後四時散会〕
     ―――――・―――――
   広島地方公聴会速記録
 期日 平成七年十二月五日(火曜日)
 場所 広島市 ホテルセンチュリー21広島
   派遣委員
    団長 理事       松浦  功君
       理事       上杉 光弘君
                釘宮  磐君
                齋藤  勁君
                阿部 幸代君
                中尾 則幸君
   公述人
       大阪大学文学部  加地 伸行君
       教授
       京都仏教会評議  安井 攸爾君
       員
       弁  護  士
       広島弁護士会消  山田 延廣君
       費者問題対策委
       員会委員長
       弁  護  士
       自由法曹団前広  高村 是懿君
       島支部長
    ―――――――――――――
   〔午後零時五十八分開会〕
#221
○団長(松浦功君) ただいまから参議院宗教法人等に関する特別委員会広島地方公聴会を開会いたします。
 私は、本日の会議を主宰いたします宗教法人等に関する特別委員会理事の松浦功でございます。よろしくお願い申し上げます。
 まず、私どもの委員を御紹介いたします。
 自由民主党・自由国民会議所属で理事の上杉光弘君でございます。
 平成会所属で委員の釘宮磐君でございます。
 日本社会党・護憲民主連合所属で委員の齋藤勁君でございます。
 日本共産党所属で委員の阿部幸代君でございます。
 参議院フォーラム所属で委員の中尾則幸君でございます。
 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。
 大阪大学文学部教授の加地仲行君でございます。
 京都仏教会評議員の安井攸爾君でございます。
 弁護士で広島弁護士会消費者問題対策委員会委員長の山田延廣君でございます。
 弁護士で自由法曹団前広島支部長の高村是懿君でございます。
 以上の四名の方々でございます。
 宗教法人等に関する特別委員会におきましては、目下、宗教法人法の一部を改正する法律案の審査を行っておりますが、本日は、本案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、当広島市及び仙台市において同時に地方公聴会を開催することにいたした次第でございます。何とぞ特段の御協力をお願い申し上げます。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。
 皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、お一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、御発言は御着席のままで結構でございます。
 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。
 まず、加地公述人にお願いいたします。
#222
○公述人(加地伸行君) 私は、中国哲学史の研究者でありますので、主としてその文化論的な立場から意見を述べたいと思います。
 あらかじめ結論を申しますと、私は今回の宗教法人法改正に賛成であります。以下、四点について述べたいと思います。
 まず第一点、それは、信教の自由と宗教法人法との関係についてでございます。
 今回行われております諸議論を読んでおりますに、信教の自由が侵されてはならないということがいつのまにか宗教法人の自由が侵されてはならないという論理のすりかえが行われているように思います。信教の自由はありましても、宗教法人には無制限の自由があるわけではございません。
 そこで、類例を申しますと、例えば学問の自由と学校法人法等との関係がございます。今日、憲法第二十二条におきまして、「学問の自由は、これを保障する。」と述べられております。私なども所属しております大学は、学校教育法とか学校法人法等々多くの関係諸法律によって相当に厳しい管理を受けております。けれども、そのことによって今日学問の自由が侵されたという例を聞いたことはございません。それと同じく、宗教法人法の仮に管理があるからといって、信教の自由が侵されるとはすぐには言えないであろうと、このように思います。これが、第一点でございます。
 次に、第二点について申します。
 これは日本人の神仏に対する崇敬の念についてでございます。
 今回の議論の中で国家神道の問題がよく出てまいりましたが、明治政府による国家神道というあり方は、それを受け入れる国民的基盤があったから可能であったと私は思っております。すなわち、日本におきまして文献によってわかる時代、つまりは奈良、平安朝以来今日に至るまで、日本人には神社や神道に対する崇敬の心がずっとございます。もし国家神道が作り物であるとするならば、昭和二十年の敗戦後、国家神道の解体とともに神社や神道に対する崇敬の念は消えたはずです。けれども、以来五十年を経ました今日でも、日本人の神社や神道に対する崇敬の念は変わっておりません。
 このことは、仏教に対しても同様であると思います。特に、江戸時代以来仏教は民衆に根差しておりました。だから、明治のある一時期にありました廃仏毀釈がありましても、それは一時的なものにすぎず、再び仏教に対する尊敬の念というものは復活したわけであります。また、国家神道の有無にかかわらず、日本人の仏教や寺院に対する崇敬の念というのは変わらないということは現実が示しておるわけでございます。つまり、日本人の神仏に対する崇敬の念は、法があろうとなかろうと古来変わらないということでございます。
 次に、第三点でございます。これは、法の意識という問題でございます。
 反対論者の多くの方々の論調を聞いておりますと、法、例えば憲法や宗教法人法を国家側のものとする論調がございます。法を国家の側にあるものとする論調でございます。これは、私などが研究しております東北アジアの文化における特色でございます。東北アジアの伝統的な法意識と申しますのは、法を国家の側のものとするそういう意識でございます。これに対して、近代的な法意識というものはまた違ったものであります。
 すなわち、個人主義に基づきつつ、かつ公共の福祉ということを中心にしながら、人々の相互の社会生活を維持していくということを守るための法、言うなれば国民のためのもの、国民の側のものとする意識でございますが、それが非常に希薄であるように私は感じます。そのため、この宗教法人法というものを国家側の管理のためのあしきものであると、そういう思い込みが非常に強いように感じられるわけでございます。
 さらに一方、憲法が言う信教の自由ということでございますが、この信教の自由も、国家が守ってくれるものという意識でとらえているのではないかと思います。しかし、個人個人がきちんと自立しましてその信教の自由をみずからが守っていくというのが本来でありまして、例えば憩うございますけれども、「水戸黄門」というドラマがございますが、葵の印籠を出せばみんながそれに従うというような、そういう行き方で信教の自由をとらえるべきではなかろうと私は思っております。
 ですから、信教の自由を守るためには自分自身が努力をするという姿勢が必要でございますが、それが見られない、そこに私は甘えを感じるわけでございます。個人の確立があって初めて法があるという意識が希薄でございます。そういう立場で果たして信教の自由を本当に意識し、本当に守る覚悟があるのか、私は疑問に思うものでございます。それが第三点のことでございます。
 第四点は、宗教活動と宗教法人法ということとの関係でございます。
 宗教法人法による管理が信教の自由を守るものでないと、そういう議論をするならば、信教の自由を守るために宗教法人法そのものを廃止するのが本当であろうかと私は思います。なぜその運動をしないのか私には疑問でございます。
 しかし、現実に存在する宗教法人法を前にしまして、それを認めるとしました場合、その宗教法人法に基づいて宗教法人の認可を受けておるわけでありますから、それは希望して審査を受けて認可を受けてありますから、それはみずからがその管理のもとに入っているということではなかろうかと、このように思います。そうしますと、その管理によって信教の自由が奪われると言うならばその管理から出るほかはない、このように思います。すなわち、離脱するべきではなかろうかと思います。事実、宗教法人法の中にはみずからの解散ということを認めております。
 ですから、もし宗教法人法がその管理を強めており、そして国家管理が嫌であれば、自由に宗教活動ができる形にすべきであろうかと思います。つまりは宗教法人であることをやめることであろうかと、このように思います。
 以上の四点が私の意見でございます。それをもう一度繰り返し申しますと、このようなことでございます。
 第一点は、大学が学校教育法や学校法人法などの厳しい管理を受けていても、学問の自由が侵されたという例がほとんどございません。それと同じく、宗教法人法の管理があるからといって、信教の自由が侵されるとは言えない。
 第二点。日本人の神仏に対する崇敬の念は、法があろうとなかろうと古来変わらないものである。
 第三点。法といえばすぐ法を国家側のものと考えるのは、東北アジアにおける伝統的法意識である。法を国民側のものとする近代思想の立場、すなわち個人主義的立場に立てずして、果たして信教の自由をみずからの手で守ることができるのであろうか。国家に信教の自由を守ってもらいたいとする甘えが見られる。
 第四点。宗教法人法による管理が信教の自由を守るものではないとするならば、信教の自由を守るためには宗教法人法を廃止すべきである。あるいは、宗教法人法から離脱すべきである。すなわち、宗教法人みずから解散することである。
 以上でございますが、あえて最後につけ加えさせていただきますと、世界の偉大な宗教は偉大な開祖によって始められたわけでありますが、そのうちの、例えば釈尊やキリストの場合でございますと、国家とか法の庇護を受けずに、自己の信念のままに教義をお説きになったわけであります。だからこそ、人々の心を動かし続けてきたのであろうと、このように思います。そういう宗教の原点というものをやはり今日の宗教者の方々はよく心得ていただきたい、そのように思うわけでございます。
 陳述の時間よりも短くなりましたけれども、私の意見をこれをもって終わります。
#223
○団長(松浦功君) ありがとうございました。
 次に、安井公述人にお願いいたします。
#224
○公述人(安井攸爾君) 安井でございます。
 意見を申し上げさせていただく前に、京都仏教会のことを少し説明させていただきたいと思います。
 この仏教会というのは、各都道府県に一つは必ずありまして、ない県もまれにはあるんですけれども、京都も今から五十年ぐらい前に結成されました。組織体としては任意の団体でございまして、会員数は約千カ寺でございます。
 お寺は、本来宗派という包括された団体によって縦の系列ではいろいろ情報が流れるんです、あるいは交流があるんですけれども、宗派を超えた横の交流というのがほとんどなかったものですから、この仏教会を通して、宗派を超えて横のコミュニケーションを図りたい、宗教者同士のコミュニケーションを図りたい、そういう趣旨を持ちまして結成された会でございます。
 京都仏教会が多少世間に知られるようになりましたのは、十年ほど前に京都で古都税条例という条例が制定されました。これに対して京都仏教会は反対をいたしまして、二年近くにわたって寺の山門を閉じるという抵抗をいたしまして、そのことがマスコミ等に報道されまして少しは世間に知られるようになった、そういう経過を持っておる会でございます。
 きょうは、この宗教法人法改正につきまして三点ほどに絞って反対の理由を述べさせていただきたいと思います。
 まず一番目、そもそもこの法人法改正の動機は昨年起こった、私どもはそのように認識しております。昨年の四月に東京で四月会という会が結成されました。仏教会にも呼びかけがございました。それ以前より京都仏教会は、政治と宗教については宗教側がきちっとした論議をして、あるいは政治側とも大いに論議をして、今の状態における宗教と政治の健全なあり方というものを模索すべきだ、そういう思いを持っておりましたので、この四月会の結成に参画いたしました。
 ところが、この四月会なるものは、言いかえれば与党のダミー的な存在でございまして、当初よりある特定の宗教団体に政治的攻撃を加えるということを目的としたそういう会であったわけです。最初の結成会には参画したんですが、その後約八カ月ほどは一切この四月会と仏教会は連絡をとらなかったんですが、御存じのように、この春オウムの犯罪が発覚したわけでございます。
 この凶悪な犯罪行為に対して当然大変強い批判と申しますか、宗教法人そのものに対する一種の疑惑といいますかそういうものが非常に国民意識として高まりました。私は、四月会の当初の目的からして、オウムが起こした一連の事件が巧みに政治的な課題のテーマとなって宗教法人法の改正に一気に進むんではないか、そういう心配がございまして、ことしの四月、二回目の総会に参列いたしました。そして、ぜひともこの四月会の内部の論議に参画したいと思いまして、この会の代表幹事の方にお願いをしまして、京都仏教会はオブザーバーとして常任幹事会と呼ばれる四月会の論議の場に参画したわけです。
 そして、七月に参議院議員選挙が行われました。このときには、既に新聞等で報道されておりましたが、いわゆる野党である新進党が躍進をした、このような結果になった。その躍進の原動になったのがある特定の野党を推すある特定の宗教団体である。そのことが四月会の内部においても一気に危機感というものを高めまして、それ以後相当なスピードでこの法人法の改正、それから当然四月会は税法の改正も課題に挙げておりまして、それが進んだ。その少し前、六月には宗教法人審議会が開かれた。
 私どもは、この二つの出来事に対しましては大変危惧の思いを持っておりました。それは、オウムの起こしたことというものと宗教法人法改正が完全に混同されて、そしてある特定の宗教団体に対する攻撃の材料として宗教法人法改正がなされる。これははっきり申し上げて宗教弾圧、ある特定の教団に対する政治的弾圧ということにつながりかねない、そういう不安があるということで、仏教会も内部でこの問題を、あらゆる情報を集められるだけ集めて、いろいろ討議いたしました。
 そして、九月に入りまして、文部大臣に対して、この宗教法人審議会における審議を直ちに中止していただきたいという申し入れをいたしました。それは、この審議会なるものが確実に、官僚あるいは与党によって審議委員そのものがはめられてしまうと、そういう可能性を強く感じたものですから、それでは大変なことになるという思いがございまして、この申し入れを文部大臣あてにしたわけでございます。
 結果といたしまして、審議会の中からは七名が、審議会の継続、それから審議会の出した結論に対しては異議ありというはっきりとした態度の表明をなされまして、私どもが心配していたことが実は審議会の中で現実に起こっていたということが証明されたといいますか明らかになった。
 なお、もっと驚くべきことは、実は、この四月会の内部に配られました資料にははっきりと、今度出された政府案と文章は多少は違うんですけれども、趣旨は全く同じの四項目にわたる改正案が既に八月の段階で示されておった。
 これは一体何を意味するのか。審議会の結果をもってあの政府案が出されたのではなくて、既に政治側、政党側あるいは四月会によってあらかじめどのように改正するかということはもう決まっておった、そういう事実が浮かび上がってまいりました。したがって、まずこの改正の動機そのものが非常に不純である。要するに、一つの宗教団体をバッシングするために法を改正する。これは法そのものを余りにも軽んずる行為である、そのような立場でこれにも重大な疑義を申し上げたいと思います。
 それから、改正の作業につきましては明らかに宗教法人審議会はこけにされたと言っていいと思います。そのような作業の中での結論というようなものは、全くこれは信ずることができないということでございます。その結果出てきました四項目にわたる改正案の内容につきましては、一つ一つを申し上げていると時間がございません。
 要するに、これは四点セットになっているという解釈をしております。他府県に活動の拠点を持つ団体は皆文部省の所轄とするというこのことは、それ以下の三つの改正ですね、収支決算の報告、活動報告、質問権、これらをより一層速やかにするための一つの方法として、都道府県を越えた法人は中央に皆集める、そういうことだろうというふうに仏教会はこの四点の改正案を解釈しております。
 時間がないので特に一つだけ申し上げておきますが、収支決算の報告書を出すということにつきましては、仏教はその教義の上においてこれを行うわけにはまいりません。仏教の説く布施という行為は、これは何もお金だけではございません。信仰を持つ者がおのれの信ずる魂の裏づけとして行う一方的な犠牲的行為という解釈になろうかと思うんですが、仮に布施を金銭の提供ということにいたしますと、要するにそれは見返りを求めない行為である。ゆえに、仏教ではこの布施を浄財と呼び、あるいは喜捨という言葉をもって今日まで、インド仏教開闢以来ずっとこの布施の意味を解釈してきたわけでございます。
 したがって、信者が収支決算の閲覧を要求するということは、みずから出した布施に対して何らかのこれは見返りを要求するということになりまして、これは仏教の言う浄財とは根本的に性格の変わってしまう金銭になってしまう。したがって、仏教の持つその教えからいたしまして、信者に対してこういったことの情報開示をするということは信仰の基本をゆがめてしまうことになりますので、断じて賛成するわけにはまいりません。
 それから、質問権というのがございますが、これは実は原案では調査権だったわけですね。調査権を文部省が持つということだったわけです。ところが、審議会の中で激しい反発が起こったので言葉を和らげて質問権ということにしたということのようでございますけれども、四月会に八月の段階で既に出されていた内容にも調査権という言葉でもってこれを表記しております。したがって、文部省及び政府・与党の本音といいますか、これは明らかに調査権を持ちたい、そういう思いがあることは間違いないと思います。
 法律というのは、改正されるということは当然のことで、一つのできた法律が永遠なるものということではないと思います。したがって、誤解のないようにしていただきたいんですけれども、仏。教会はいかなる法も、法が改正されるということについては何ら異議を申すものではございません。しかし、今回の場合のこの改正は、明らかに一つの教団というものに対する政治攻撃の材料として使われている、これはもう事実でございまして、国会における特別委員会の審議をテレビ報道された範囲で見ておりましたところ、一斉に起こるその論議はある特定教団への攻撃である、それがほとんどを占めた、そういうことからも私の申し上げたことが十分に裏づけられていると、そのように思っております。
 時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。
#225
○団長(松浦功君) ありがとうございました。
 次に、山田公述人にお願いいたします。
#226
○公述人(山田延廣君) 弁護士の山田です。
 先ほど紹介していただいたように、現在、広島弁護士会消費者問題対策委員会の委員長、それから霊感商法広島弁護団副代表の地位にありますので、私の方からは、消費者被害の救済の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 御承知かと思いますが、弁護士会には先ほど述べたような委員会があって、悪徳商法による被害の救済その他消費者問題の救済活動、それからそれに対する防止の理論的な検討等をこの委員会ではやっております。本来であれば、この委員会を招集して委員会としての意見をここで述べればよかったんですが、この公聴会が急遽入ったものですので、きょうは私個人の見解として述べさせていただきたいと思います。
 まず、今回の宗教法人法改正に対する私の立場ですが、先ほど述べた消費者被害、特に宗教的な消費者被害の救済、防止の観点から見れば、今回の改正は必要であって、早急に改正を成立させていただきたいと考えております。
 改正そのものに対する一般的な感想なんですが、今回の改正については、拙速主義であるとか、急になされ過ぎていろんな検討が余りされていないんじゃないかとかいろんな意見が出ております。
 しかし、私の個人的な意見を言わせていただきますと、今さらという気持ちがしてしようがありません。もう少し早くこういった宗教的な被害に対して対応をとっておれば、今回のようなオウムのサリン事件は決して起こることなく防止し得たであろうと返す返す残念に思っております。
 それはなぜかと申しますと、これはきのう国会で山口参考人が述べておりました霊感商法に関連するからであります。オウム事件というのは霊感商法に全く酷似しております。オウムは霊感商法の商法をまねてこれを拡大させ、過激化させたものだと私は考えております。霊感商法については、既に委員の方はこれまで国会で議論になったり、きのうの山口参考人の意見の中で、既に委員の方はその商法の手口等については十分御理解されているだろうと思います。この広島でさえ、一九八九年から九四年までの間約三百五十件の被害届が出ており、その金額は四億一千五百万円以上に達しております。そういった被害がまだ今日も続いている状況にあります。
 どこかこのオウムと霊感商法が類似しているか若干述べてみたいと思います。
 まず勧誘の手口ですが、オウムについては、御存じのとおり、宗教活動を伏せてヨガ道場に呼び込んで、またインドカレーなどという同好会を装って会員を集めマインドコントロールしていく。霊感商法も全く同じでした。ダミーのサークル、ヨガ活動、心理学の研究会という呼び込みで入会させ、ビデオなどを見せて洗脳していく。手口は全く同様です。
 財産の集め方もこれまた類似しております。オウムは出家させて、出家した以上は全財産を投げ出せとすべて寄進させ、信者を関連会社で働かせてその収益を得ております。霊感商法も、物欲を捨てなければ救われないと称して、すべての財産を投げ出させて高価な物品を購入させ、若い信者は珍味等の物品販売に専念させてさらに収益を上げております。
 三点目の、出家した信者を親族から切断する。これも両者は似通っております。オウムは親とも会わせない、信者が一たん家に帰ろうとすれば連れ戻す。これは霊感商法も全く同じでした。親はサタンであると言って親との接触を拒否する。山口の被害者が我々弁護団に相談に来たことがあります。出ていってしまった。何とかして連れ戻す。そうすれば、統一教会の関係者が連れ出す。そして、親を監禁して説得活動をしていた牧師まで監禁罪で告訴する。
 弁護士活動に対する妨害も同様です。坂本弁護士事件、これは我々同じ弁護団にとっては最も悲しい出来事でした。しかし、霊感商法の中でも我々弁護団はさまざまな嫌がらせ行為を受けております。
 私自身も、八一年三月、全国に先駆けて廣文という関連会社に対して損害賠償訴訟を提起しました。その翌日の夜から、私の家には深夜の無言電話。電話に出れば大声で、おまえはのろわれて死ぬという叫び声を上げる。妻もノイローゼ状態になる。そればかりでなく、我々弁護団の顔写真の入ったビラを市中にまき散らす。そういったことをやっております。私はそれ以来個人の電話番号は載せておりません。
 そういった霊感商法の被害については国会でも取り上げられました。しかし、何ら対策はとられておりませんでした。それが今回のオウム事件を引き起こした大きな原因になっておると思います。まさに、オウムはこの霊感商法、統一教会のやり方をまねたんだろうと思います。
 こういった霊感商法という類似の事件があったのに、それを放置したままにしていた立法府や行政にも一端の責任はあるのではなかろうかと、この場をかりて私は意見を述べさせていただきます。
 こういった意見に対しては、いやあれはオウムだけの特異の例であるとか、それから統一教会、霊感商法もまた特異な例だという反論があるかもわかりません。しかし、こういった宗教を利用した詐欺的商法、悪徳商法というのはこの二つの宗教団体だけの行為ではありません。
 これは皆さんも御承知かと思いますが、先日、愛知県警が本覚寺という霊視商法を摘発しております。これはわかっているだけでも被害者は二百三十名以上、被害総額は六億円に達しております。それ以外にも、広島でも信心誠和会という宗教法人を装った事件とか種々の事件が全国各地で起こっております。日弁連の方はことし十一月、「宗教的活動名目の各種資金獲得活動に関する実態と問題点」という報告書を出しておりますので、詳しい点はこれを後日参考にしていただきたいと思います。
 なぜこれほど宗教を利用する悪徳商法、要するに資金獲得が行われるかということであります。これは、一つに詐欺性の立証が非常に困難だということだろうと思います。
 悪霊にとりつかれている、祖先にたたられているというようなことを言われた本人は、不安が増大することは明らかです。しかし、祖先にたたられるとかたたられていないとかというのは科学的な証明は不可能です。しかも、これを信用して献金する等のことをやれば、それは内心の信心の持ち方であって他人は干渉できないんだ、宗教行為であると、そういったところで逃げられてしまいます。
 しかも、今の行政等においては宗教行為というのは自由であって、これに権力が介入するのははばかれているような面があります。さらに、税金面でも優遇されています。こういった面が宗教をかたった悪徳商法を蔓延させる大きな原因になっているんだろうと思います。
 我々もこれに対して手をこまねいていたわけではなく、告訴したり、行政各庁に対しても何とかしてほしいという要請活動をたびたび行いました。広島でも、だまされて土地を献納させられたおばあさんについて県警の方へ告訴しましたが、警察の方はこれは宗教上の紛争であるとして全く動いてくれませんでした。行政の方も権限がないということで、にべに振り向いてもくれません。やむなく我々は民事裁判を提起して、このおばあさんの事件はいかばかりかの金額は返還させましたけれども、それは一部の解決でしかありません。
 こういった宗教をかたる悪徳商法を防止するには一体どうしたらいいかという問題であります。
 私は、まずは財産状況を透明化すべきだと思います。悪徳商法をやろうとする教祖や幹部には何らかの野心があるはずです。この野心を追求していくためには資力、お金を要するため、お金集めに奔走するんであろうと思います。宗教団体というものは、その性格上、教祖に絶対的な権限があるがゆえに、勢い幹部の方からノルマを命ぜられれば、信者は素直にそれに従って活動するという点があろうかと思います。こういったお金の出入り、状況を明瞭化、透明化することによって収入それから使途をチェックすることができ、それがノルマや度を外した資金集めをチェックすることになろうかと思います。
 今回改正を予定されている財産帳簿等の備えつけ、閲覧はこの目的に合致するのではなかろうかと考えております。
 それから、質問権、先ほど実態は調査権だとおっしゃっておられましたが、私自身は、担当行政官庁に一定の権限を与える必要があり、与えなければ悪徳宗教法人の業務チェックはなし得ないだろうと思います。こういった業務のチェック等に実効性を持たせるためにも、この程度の質問権は認めるべきだと思います。行政が宗教活動に介入するというような意見もありますけれども、その要件は解散請求が認められる場合とか極めて限定的な事由に限っております。これで行政権の乱用防止の目的は十分に達することができると考えます。
 それから最後に、私も一応弁護士ですので、宗教の自由との関係について若干意見を述べておきたいと思います。
 こういった規制に対しては、宗教の自由というのはノーサポート・ノーコントロール、要するに援助を受けていないんだからコントロールはされないんだというような意見もあります。
 しかし、何を信じるか信じないかというのは内心の自由で、これに対する規制は考えることはできないと思います。布教活動という行動は内心の状態を離れて社会的な影響を与える行為であって、他人の人権を侵害すれば規制されるのは当然だと考えます。こういった適度の規制によって悪徳な宗教活動を防止することこそが、正当な宗教活動をまじめにやっている宗教団体の名誉を高め、そういった活動を保護する役割もあるんだろうと思います。
 現在、オウム真理教、霊感商法によって宗教界自体が、宗教というものはうさん臭いものだというような雰囲気さえあろうかと思います。悪貨は良貨を駆逐すると言われております。こういった違法な宗教活動を放置することは、ひいては正当な宗教をやっている人さえも害しかねないだろうと思います。
 今回の宗教法人法の改正は、これによってすべて解決するとは思いませんけれども、最低この程度の法案は成立していただきたいと思います。
 以上です。
#227
○団長(松浦功君) ありがとうございました。
 次に、高村公述人にお願いいたします。
#228
○公述人(高村是懿君) 私は、今、山田公述人の方から霊感商法、オウム真理教の実態などかなり詳しく話がありましたので、法律問題に限定してお話をしたいというふうに思います。
 つまり、今回の宗教法人法改正は、そもそも宗教法人というのはいかなる存在なのか、そしてこの宗教法人というのは憲法二十条といかなる関係のもとにあるのか、それが今回の改正によっていかなる影響を持つのかという、大きく言ってそういう問題だろうというふうに思います。
 私は、結論的に言うならば今回の改正案には賛成です。当然の措置であり、最低限の措置として賛成であります。
 そこで、その理由を述べたいんですけれども、まずそもそも宗教法人とは何かという問題ですが、これは公益法人だと言われております。公益法人の根拠というのは民法三十四条にあります。民法三十四条によりますと、「公益ニ関スル社団」として「営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ待テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」という、こういう規定があります。つまり、公益性を持っている社団あるいは財団については主務官庁の監督のもとに法人格を与えることができるという、こういうことであります。したがって、公益性を持つかどうか、営利を目的としていないかどうかについては、公益法人というのは当然主務官庁の監督を受けるという前提でこの民法三十四条は成り立っております。
 それで、宗教法人法というのはこの規定を受けて制定されたものですが、その基本は法人格を認める宗教団体の組織、財産に関する事項を定めたものです。それは宗教法人法第一条の目的の中に明記されております。
 この宗教法人法が信教の自由といかなるかかわりを持つのかという問題ですが、信教の自由、憲法二十条、あるいは八十九条にもかかわっできますけれども、大きく言って信仰の自由という、いわばいかなる宗教を信ずるか信じないか、あるいはそれを宣伝するかしないかという、そういう自由でありますけれども、そういう信仰の自由二つ目には宗教上の行為の自由、つまり礼拝を行ったり祈祷を行ったり儀式などを行ったりする自由、行わない自由そして三つ目には宗教上の結社の自由であります。宗教法人法はこのうちの前二者の信仰の自由や宗教上の行為の自由とは直接関係のない規定でありまして、三つ目に申し上げた宗教上の結社の自由にかかわる、そういう法律であります。
 そこで、こういう法律の存在が宗教上の結社の自由を侵さないかどうかということが問題になっておりますが、これはおおむね学説ではこういうふうに考えられております。
 例えば「註解日本国憲法」という本は、宗教法人とならなくてもその宗教結社が自由に宗教的活動を行うことを妨げないから、法人格の付与につき行政庁の監督がなされても宗教上の結社の自由が侵害されたことにはならない、こういうふうに言っているわけですね。
 つまり、宗教団体が法人格を取得するか取得しないかはその宗教団体の自由な選択にゆだねられた問題であって、もし宗教法人という道を選択するのであれば、税制上などに一定の優遇の措置はあるけれども、同時に主務官庁などの監督を受けることになりますよ、それでよければどうぞ御選択くださいという、こういう規定であります。
 したがって、もし宗教団体が必ず宗教法人法のもとで主務官庁の監督を受けなきゃならないということになりますと、これは宗教上の結社の自由を侵すかどうかという問題が起きるわけでありますが、宗教団体の自由な選択にゆだねられているという限りでは宗教上の結社の自由を侵すことにはならないという、こういうふうに学説は一般に考えているわけであります。
 それで、今回この宗教法人法が、霊感商法などを通じてかねがね問題になっていたわけでありますが、とりわけオウム真理教の凶悪事件、犯罪者集団とも言うべき実態が明らかになる中で、この宗教法人法のさまざまな矛盾や弱点が明らかになってきました。
 その一つの問題は所轄の問題です。オウムの場合、認証を受けた東京都以外の山梨や熊本、静岡など多数の都道府県にまたがって活動しておりまして、東京都の監督だけでは全貌がつかめなかった、あれほどひどいことをやっているという全体像がつかめなかった、そのために東京都も十分な手が打てなかったという問題があろうかと思います。
 そしてまた、お金の流れの問題ですけれども、悪徳商法にかかわる宗教団体のほとんどがそうですけれども、信者から巻き上げたお金を適正な宗教活動に使うのではなくて、オウムの場合でもそのお金がサリンや武器製造に使われていたわけであります。つまり、金の流れがどうなっているのか不透明だという問題が起きてまいりました。
 さらには、所轄庁は、従来の宗教法人法によりますと、その監督権に基づいて、収益事業の停止命令や認証の取り消し、あるいは解散命令の請求ができるという、こういう規定になっておりますが、その要件に該当するかどうかを調査する権限を持たなかったという問題があります。つまり、認証を取り消そうにも取り消すべき実体が存在するかどうかを主務官庁みずから把握し得ないという、こういう問題があったわけであります。
 それで、今回の改正のポイントは、こういう霊感商法や悪徳商法、オウム真理教などを通じて問題点となってきた宗教法人法の欠陥部分を必要最低限度において改正する内容になっているというふうに思います。
 まず第一は所轄の問題ですが、複数の都道府県で活動する宗教法人の所轄を従来の都道府県知事から文部大臣に移すという問題であります。これはオウムの教訓からして当然のことではないでしょうか。要するに、複数の都道府県にまたがって活動するような宗教法人についても、全体としてその活動の状況をとらえ監督するためには都道府県知事の権限ではまずいわけでありまして、文部大臣に権限を移すというのは当然のことだろうというふうに思います。
 とりわけ、従来から宗教法人法のもとにおきましても包括宗教法人の場合は文部大臣の管轄にあったわけでありまして、文部大臣の管轄にあったから何か問題があったかというと、それは何も起きていない、こういう実態もあるわけですから、これは当然のことだろうというふうに考えます。
 それから二つ目は、備えつけ書類に収支内訳書を加えて財務会計書類を所轄庁に提出するということでありますが、これも先ほどのオウムの事例からしまして、財務会計が極めて不透明である、信者がせっかく寄附したお金が本来の宗教活動とは異なった目的に使われているという状況があったわけでありますから、その財務会計の流れを透明にするためにこういう手続も当然必要になってくるだろうというふうに思います。
 さらに、信者その他の利害関係人の財務関係書類の閲覧の問題でありますが、これは寄附を行った信者の側から金の流れをチェックするということでありまして、団体においての民主的運営の考えからしても当然の措置だろうというふうに思います。
 所轄庁の報告徴収の権限あるいは質問権の問題ですが、これも所轄庁が監督権を適正に行使して認証取り消しや解散命令の請求をする前提としてはこういう権限が必要だということがかねがね求められていたわけでして、これもまた当然のことだろうというふうに思います。
 しかも、今回の改正案によると、質問権を行使する場合も非常に限定されておりますし、それも事前に宗教法人審議会の意見を聞くことが求められており、さらに報告徴収や質問の場合は「信教の自由を妨げることがないように特に留意」するという規定までも含まれていることからすれば、これにより信教の自由が侵されるというおそれはほとんどないだろうというふうに考えます。
 全体として所轄庁の監督下における宗教法人にふさわしい財産、組織の管理運営を図ろうということでありまして、従来の宗教法人法の基本的性格をそのまま維持しつつ社会状況の変化に対応した必要最低限の改正で、当然のことであろうかというふうに考えます。しかも、信教の自由、政教分離の原則に照らしても特に問題となる規定もないわけであります。
 以上の理由からして、私は改正案に賛成であります。
 なお、若干時間がありますので、当委員会でも問題となっております政治と宗教の関係について一言申し上げたいと思います。
 一般的には、信仰者と宗教団体が表現の自由、政治活動の自由の一環として政治参加の権利を持つことは当然のことであります。しかし、憲法上はやはり二つの問題があるだろうというふうに思います。
 一つは、政教分離の原則との関係です。憲法二十条には「いかなる宗教団体もこ「政治上の権力を行使してはならない。」という規定があります。この政教分離の規定、これに限らず政教分離というのは要するに二つの側面があるわけでありまして、政治と宗教が一体になることを避けようというのが憲法の考えてありますから、一体となる可能性というのは二つの方向からあるわけで、一つは政治が宗教に介入するという形での政教一致であり、もう一つは宗教が政治に介入するという形から生まれる政教一致であります。
 憲法はいずれもやはり望ましくないというふうに考えておりまして、政治が宗教に介入してはならないという見地からは、例えば二十条第一項の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け」てはならないとかあるいは国やその機関は「いかなる宗教的活動もしてはならない。」とかあるいは憲法八十九条の規定であるとかいろいろあります。そして、宗教が政治に介入してはならないという規定が二十条一項の「いかなる宗教団体もこ「政治上の権力を行使してはならない。」というこの規定だろうというふうに思います。
 それで、この政治上の権力というのが立法権や行政権を含むことは間違いがありませんから、もし仮にある宗教団体が国会の多数を握って、議院内閣制のもとでは当然行政権も握ることになりますけれども、そうなるとこれは正面から違憲の問題が生じてまいりますのでは、そこに至らない場合にすべて宗教団体が自由に政治活動をなし得るかというと、私はおのずからそこにも限界が生まれてくるだろうというふうに思いますが、この点は余り時間がありませんので、もし御質問があればそこで述べたいというふうに思います。
 それから、もう一つの側面は、どんな宗教団体も特定政党の支持を信者に押しつけることはできないという問題であります。これは憲法十九条の思想、良心の自由、あるいは憲法十五条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」という、いわば主権の行使としての参政権の侵害にもつながる。そういう点で政治と宗教の問題は憲法上の問題として議論されるべきであろうというふうに考えるものであります。
 以上です。
#229
○団長(松浦功君) ありがとうございました。
 以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#230
○上杉光弘君 私は、自由民主党の上杉でございます。
 公述人の皆さんにはお忙しいところをわざわざ御出席賜りまして、私どもが審議をするに当たり、国民各界各層の御意見を十分承りまして審議のために遺漏なきを期したい、これが当特別委員会の国会審議に対する基本的な姿勢でございますから、御理解賜りまして御出席をいただいたものと思いますが、大所高所から、あるいはそれぞれの立場から御意見賜りましたことを大変ありがたく、また今後の審議をするに当たりそれをさらに深めて国民の皆様の期待にこたえていく、大変貴重な御意見を賜りましたことを感謝申し上げる次第でございます。
 まず、御質問を申し上げます前に、私ども党という立場もございますから、誤解があってはなりませんので、安井公述人に対して申し上げておきたいと思います。
 四月会結成がございまして、これは自民党のダミーであるという断定をされましたが、そのようなものではございません。自民党全体がこれに参画をして結成したものでもなければ、現に私は四月会に参画いたしておりません。したがって、そのような御理解があるとすればこれは改めていただきたい。また、これは自民党の正規の傘下の組織でもございません。友好的なものとはなっておるかもしれないが、党が正式につくった組織でもありませんから、それは誤解のないようにお願いを申し上げたい。
 それから、そのことが前提となって宗教法人法の改正に対する御意見があったものと考えますが、前提が崩れておれば当然御意見はお変わりになるものと思いますけれども、その点も私の方からこれは問題として指摘をさせていただきたいと思います。
 それから、四月会の意向がそのまま審議会の意向として出てきた、こういうことでございますが、私どもはそのようには考えておりませんで、これは現行法の見直しを求める世論、これが八〇%以上。それから、オウムのああいう事件が起こりまして、例えばサリンの材料を買うとか、あるいは鉄砲の設計図を手に入れたり材料を買うとか、軍事教練をするとか、あるいはサティアンをつくってそこに大勢の人を殺りくする薬剤を生産する施設があるとか、そういうものがもしわかったとすればもう少しやりようはあったと思うんですが、そういうことから国民世論は、そういう宗教団体の財務会計収支というものを明らかにすることは当然だという世論調査は六五%以上でございます。
 したがって、政治も行政もいいかげんにするわけにはまいりませんから、この世論を受けて、私どももこれは政治は何しておったと怠慢を指摘されても、行政も同じだと思いますが、仕方のない事件が起こったわけでございまして、私どもはこの世論の高まりというものを国民的課題と位置づけをいたしました。
 したがいまして、政治的な思惑といいますか、こういうものに惑わされずに、正確な事実認識のもと、信教の自由、政教分離の原則を遵守しつつ、現行法の改正、不備な点があるとすればこれを是正していく、必要最小限の法改正ということで私どもは党として取り組んでまいったわけでございまして、審議会はそういう形であたかも連動しておるがごとく見られがちでございますが、そうではないことも党の立場から申し上げておきたいと思います。
 それから、お布施のことについてでございますが、お布施は見返りを求めない行為、これは当然のことでありまして、収支を出すことはこれに反するという御意見がございましたが、私どもはこの信仰の基本をゆがめることがあってはならない、信教の自由を侵してはならない、それがすべて前提になっておるわけでございまして、こういう宗教団体の民主的な運営を心から期待しますがゆえに、またオウム真理教みたいな事件が二度と起こらないためにこういう形でこの改正案というものを政府・与党一体となって出させていただいたと、このことをまず申し上げておきたいと思います。
 それでは、二、三質問をさせていただきたいと思います。
 加地公述人、ありがとうございました。高い視野あるいは文化的な視点からこれをとらえていただきまして、幾つか私どもにありがたい公述をいただきました。
 そこで、法は国民の側にあり国家の側にないという御意見がございましたが、法に対する意識というのはまさに国民のためのものであり、国民生活をするがゆえの国家社会の秩序を保ち、安全、平和を求めるものだと私どもは思っております。
 そういう意味で、宗教活動に対する考え方といたしまして、宗教法人法を認めたのであるから改正案に反対、賛成というんではなくて、二十六年に法律が制定されて以来これまでずっとこれを受け入れて法人になった宗教法人であるから、この改正に反対、賛成というのはおかしいのではないか、既に宗教法人法に基づく法人になっておる宗教団体というのは国の管理下に置かれておるという認識を持たなければならない、こういう御意見がございました。
 ただ、その点が非常に微妙な点でございまして、先生の御意見のように、これが嫌と言うなら法人を解散するか、あるいはこの法律案の廃止運動を起こすべきだと、私はメモを頼って見ればそういう御意見のように承りましたが、この点をいま少し詳しく御意見を承れればありがたいと思います。
#231
○公述人(加地伸行君) それでは申し上げます。
 私は、あえて申しますと、東北アジアにおきましては宗教は常に政治が管理してきたものと思っております。これはヨーロッパにおけるキリスト教という宗教が政治を下に置いてきたのと逆でございます。
 それで、そういう長い歴史がございましたけれども、近代思想の中で政教分離ということが言われて、日本も政治が上であったんですけれども、現在、政治と宗教とを分離している、こういう形に自然となってきましたけれども、しかし、本来宗教は我が国では政治のもとにありましたけれども、真に宗教的活動をするならば自分たちの手によって自由に宗教活動をするのが本当であると思います。
 そうしますと、率直に申しまして、たとえ一人であろうと二人であろうと、自分の家に集まって自分たちの信ずる教義のもとに信仰を深めていくというのが本当だろうと思うんです。そういうことでありますならば別に宗教法人になる理由はないわけでございます。ですから、本当の意味での宗教活動をする場合には何らとらわれることなく、それこそ自由な集合をもって宗教活動をすべきであるというのが私の考えでございます。にもかかわらず、宗教法人法というものを前提にして宗教法人格の申請をするということは、そこに一定の制約があるということを認めていっているとしか考えられないわけであります。
 ですから、その宗教法人の中での活動と宗教法人法には属さないという形の活動とは本質的に異なってくるだろうと、私はそのように思っております。現在の宗教法人がすべて認可を得ているというならば、保認可を受ける以上はその法の管轄するところにおいてのみ自由がある。だから、先ほど申しましたように、無制限の自由があるわけではない、このように申し上げたわけであります。
 しかし、宗教法人でなければ、つまりその宗教団体が何ら宗教法人法の規制を受けるのでなければそれは真の自由な宗教活動ができるだろうと、そういうことを申し上げているわけでございます。
#232
○上杉光弘君 ありがとうございました。
 山田公述人にお聞きしますが、事件が起こって警察や行政にお訴えになったが全然動いてくれなかったという御発言がございました。また、最近の事件の発生というものが極めて多く起こっておるというお話もございました。
 それで、警察・司法当局や行政も動かないというのは、一つは法律そのものの不備があるという御指摘であったと、こう思うわけでございます。こういう事件が起こらないためには、結論としては金の収支を明らかにしていくことが大切なことである、こういうことであり、その中における質問権は最低の条件だというお話がございました。その点をいま一度お聞かせを賜りたい、こう思うんです。
#233
○公述人(山田延廣君) なぜ霊感商法やオウム真理教があれだけのお金を集め得て、あれだけのお金を自由に使い得たかということです。
 それは、まず内部において全くチェックする方法がなかった。宗教法人内部においてそういったお金の出入りをチェックできるかといえば、私は、先ほど言ったように、これは無理だろうと思います。宗教法人というのは、教祖を頂点にして教祖の教義に従う、それをある意味では条件といいますか前提にして信者は入っているわけですから、教祖の行うことや考え方を否定することは、すなわちその宗教団体を否定することにつながろうかと思います。だから内部におけるチェックは到底難しい。
 となれば、例えば信者が何らかの事由で外部を頼って、外部の方からその内部の宗教活動を批判してほしいとか、それから信者の家族が自分の子供がやっていることは経済活動を含めてどうもおかしいので何とか調査してほしいとか、そういった方法でしかこれはチェックし得ないんだろうと私自身は考えております。外部からチェックしようと思えば、先ほど言った財産的な関係書類については、信者等の利害関係がある人に備えつけた冊子を閲覧させてきちんとチェックする、それが一番有効かつ適切な方法であろう、こういうことです。
#234
○上杉光弘君 ありがとうございました。
 昨日、参考人においでいただきまして、日本大学法学部の北野教授から、認証した宗教法人は法律や制度の恩恵を自然に受けることになるので、財務について、収支でございますが、透明度を高めていくということは当然の責務である、義務である、こういう言い方で賛成だという御意見もございました。
 また、国民の納得する財務の透明度を実現することが信教の自由を侵すとか、あるいは行政が宗教に介入するといったような公権力を行使できなくなることであるから、最終的にはその収支財務あるいは施設等のものを明らかに帳簿で示すということは、当然これは宗教団体そのものをみずから守ることになるのではないか、こういう御意見もございましたのでお尋ねをいたしました。
 あと十分しかありませんから、最後に憲法二十条にかかわる政教分離の関係について高村公述人にお聞きいたします。
 私どもも特別委員会の審議で、この解釈をめぐりまして政府の統一見解を求めておるわけでございます。これは幾たびかございましたが、政府は二十六年制定からずっと一貫してそれを変えておりません。しかし、社会背景も変わったし、また憲法そのものの解釈といたしましても一方通行では解釈がおかしいのではないか。すなわち、政治が宗教に介入することをしてはいけない、そういう考え方だけに立たずに、宗教がまた政治に介入するというようなことがあってはならないという、これは交互に関係があるのではないかという意見を基本とした統一見解を私どもとしては求めておるわけです。
 この点について、時間が少しありませんでしたので、もう一度御意見をお聞かせいただければありがたいと存じます。
#235
○公述人(高村是懿君) その点につきましては、元最高裁の判事だった伊藤正己さんという人が「憲法」という本を書いておるんですけれども、国家と宗教の分離の問題について両面から議論をしているわけです。一つは、国家から宗教への介入の問題としてこういうふうに言っております。
 「国家権力が宗教とくに特定宗教と結びついたときには、信教の自由への大きな脅威となることは歴史の経験の教えるところである。」と。同時に、宗教が政治権力と結びつくことは宗教にとってどういう意味を持つのかということを議論しておりまして、そこを読んでみますと、「しかも、この国家と宗教の結びつきは、国民の信教の自由にとって最も危険であるのみならず、結びついた宗教そのものも国家権力と癒着することによってその宗教的な純粋さを失い、世俗と混淆することによって堕落していったのである。」、こういうことを言っているわけです。
 だから、国家が宗教に結びつくとそれはやっぱり宗教弾圧につながる。しかし、宗教が政治権力と結びつけばそれは宗教的な純粋さを失って宗教的な堕落が起きるという両面から議論しているわけで、私はこの議論は正しいのではないかというふうに思います。つまり、憲法が言っているのは政治と宗教とが一体となる政教一致は否定さるべきであるということでありますから、否定する方向というのは、先ほど申し上げたように、二つあるんだろうというふうに考えまして、この伊藤さんの見解、まだいろいろなことがありますから全面的に賛成というわけじゃないんですが、この点は正しい考え方ではなかろうかというふうに思います。
 いずれにしても、法律の解釈あるいは憲法の解釈というのは、具体的な事件が起きたときにその解釈をめぐってさまざまな議論がなされていく中でだんだん定着していくわけでありまして、その点からいうと、憲法二十条一項をめぐる解釈というのは、まさに現在問題となっているような政治と宗教の関係を議論する中でだんだん成熟した解釈というのが生まれてくるのではないかというふうに考えております。
#236
○上杉光弘君 ありがとうございました。
 最後になりましたが、私どもは複数の都道府県で活動をする法人の所轄を県から政府、文部省に移す。それから、信者の皆さんに帳簿などの情報を開示していただくように法を改正いたしまして、宗教法人そのものが民主的な運営をされることを心から期待するための情報の開示、それから活動を所轄庁に報告していただいて再びオウム真理教のような事件が起こらないようにしていく、できるだけ間違った活動というものが極めて最低限の状態で担当窓口にわかるような、あるいは判断できるような報告をしていただくように改正する。
 また、その質問権は、疑問を感じましたら質問は窓口ですぐするのではなく、させていただきますがどうでしょうかと審議会にもう一回お諮りしまして、そこでお許しを得たら質問をするというのが文部省に移した場合の質問権の付与でございまして、これらも信教の自由を侵すことなくお尋ねができるようにしなければならない、これが私どもの改正点でございます。
 きょういろいろ賜りました御意見は今後の審議に十分活用させていただくと同時に、また私どもは大変教えられたことがございます。これを持ち帰りまして十分審議に供することを最後に申し上げまして、お礼にかえます。
 ありがとうございました。
#237
○釘宮磐君 きょうは、四人の公述人の皆さん、大変どうも御苦労さまでございます。
 今回の宗教法人法が国会に上程をされまして約一カ月半が経過するわけでありますけれども、この国会での議論というのは極めて異常な事態の中で推移をしてきたのは御承知のとおりであります。
 さきの参議院での参考人招致の問題についても、非常に緊迫した場面の中で、強行採決もあり得るというような状況の中でこれが推移してきたということは私は非常に残念に思っておるわけであります。昨日、参考人が意見陳述をいたしましたけれども、幸いにも昨日は非常に冷静な議論ができたというふうに私は思っておるわけであります。今回の参考人の意見陳述については、各紙がいろんな報道をしております。また、評価もしております。
 きょう私は、ある新聞の論説をここに持ってきておりますが、少し読んでみたいと思うんです。「参院の質疑は、一口で言うと相当聞かせる内容だった。」。
 納得できないのは、こうして行われた参考人質疑の結果が、法案そのものには反映されないとみられることだ。秋谷氏も「法案成立の日程が確定された下で、形式ばかりの参考人質疑が行われる」ことに異を唱えたが、その批判は正論だと思う。
 参考人の意見を聴き、一般の公聴会を催すからには、その結果を法案に生かす工夫がなければならない。既に与野党間で七日委員会採決、八日本会議で成立という日程を合意した後での、この参考人質疑は初めから「消化試合」のような意義づけしか与えられていなかった。これではとても、重要な「宗教」を扱う法案審議として十分なものとは言えない。このように述べられております。
 そこで、本日の地方公聴会、またあすの中央公聴会、そして昨日の参考人質疑でこういった問題が、これはもう宗教法人法のみならず、国会審議の中で常にガス抜きといいますか、そういうふうな状況の中にあるということについてどういうふうにお考えでしょうか。少ししか時間がありませんので簡単に、加地さんと安井さんにちょっとお伺いをしたいと思うんです。
#238
○公述人(加地伸行君) 私たちは代議制で委員に議事を、立法なら立法ということをしていただくことをお願いして、そこの運営等に関しましては良識にお任せするという形でしておるわけでありますので、残念ながら今の国会の中で行われているということ以上に私は意見を述べることはできないと思います。つまり、それは負託して、そこで良識のもとにやっていただきたいということでしているんだと思います。
#239
○公述人(安井攸爾君) 私は、きのう、既に結末が想定されている中における参考人質疑というものについては大変むなしい思いがするという公述をされた方と同意見でございます。
 特に、この種の法律というのはある特定の宗教法人にのみ適用される法律でございますので、対象となる法人側のこの問題に対する、この法律に対する、あるいはこの改正に対する理解というものが徹底していなければ意味がない。今回の政府・与党側の議会の進め方は、そういう意味においては余りにも拙速である、そのように思っております。
#240
○釘宮磐君 私は、今回の宗教法人法そのものを、その背景なり今日までの推移をこのように自分では思っておるんです。
 オウム事件関連の裁判が始まり、あらゆるマスコミを通して連日これが報道され、改めて世間は事件の異常さにあきれ果てて、そして怒り狂っている。同時に、参議院選挙で思いもかけず敗北した自民党が創価学会に負けたと怒り狂っている。このような異常な状況の中で宗教法人法の改正案が、それこそあれよあれよという間に衆議院を通過してしまった。
 改正を推進した与党プラス共産党は、世論の八〇%が改正を支持していると言い、その世論にこたえるのが政治の役割であるという理屈を層にとって全く強引に押し切ってしまった。マスコミもまたこの世論に乗った論陣を張った。そもそもマスコミの役割は、世論というまことに情緒的なものに時には待ったをかけ、冷静に理性的に物事を判断するよう促す役割であるはずなのに、今度は決してそうではなかった。まことに残念と言わざるを得ない。
 野党である我々もまたこの世論の動向に影響を受け、我々の主張を十二分に訴えることができなかった。そもそも何が争点なのか、我々は何のゆえをもって改正に反対だったのかを明確にすることができなかった。我々は信教の自由を侵される危険があると言い、改正推進派はその心配はないと言い、村山首相に至っては改正によってさらに信教の自由が保障されるようになるなど、わけのわからないことを言い出す始末であります。
 これらの中心課題である信教の自由というものについて、口では皆ひとしく信教の自由を守ると言っているが、おのおのの立場においてその認識の差をもっと時間をかけて詰めていくべきではないか、私はこういうふうに思うわけであります。
 先ほど安井公述人が今回の改正については極めて政治的な意図があるというような御発言をなさいました。私は、こうした政治的な思惑が常に見え隠れした今回の改正問題だけに、政争に巻き込まれたくないという宗教界の皆さんの消極的な姿勢が事態を混迷させてしまったのではないか、このように思うわけです。
 事が宗教という信教の自由や人間の内心に係る問題だけに、もっと積極的な発言や行動をとってほしいと考えるわけでありますが、宗教界の御出身である安井公述人にこの点について御意見を聞かせていただきたいと思います。
#241
○公述人(安井攸爾君) 私の所属しております天台宗であるとか、また京都仏教会はほとんど政治との関係はないと思っています。というのは、政治といいますのはこの場合は政党という解釈をしていただいたらいいと思います。例えば、先ほどの四月会等に集まった宗教団体は皆ある特定の政党を支持してきております。要するに、日本の宗教界というのは政治によって色分けされていると言っても過言でないのが現状だと思います。
 問題は、ではその宗教側がいかなる主体を持ってその政党を支持しているのかという、この辺のところが極めてあいまいであって、また表には市民の目からはっきりと見えないという現状もあると思います。その辺のところがこれから宗教界で相当論議をされていかなくてはいけない。そういう意味では、政治に対して宗教側がその主体を確立する、そしてそのことが政治に対してよりよい働きかけを可能とする、そのように見ております。
#242
○釘宮磐君 今回の宗教法人法の審議の中で、世論が大きな支持をしているということが再三総理答弁、また文部大臣等の答弁でもございました。
 私は、世論の一般的な認識としては、この宗教法人法は取締法だというふうな認識を持っておられると思うんです。ゆえに、もっと強化して、オウムのような宗教法人や先ほど山田公述人からお話のありましたような霊感商法による被害をもっと取り締まれ、このように思っておられると思います。
 一般的には、国民の皆さんは宗教とは余り関係がないから、この問題は他人事だというふうな認識が私は強いというふうに思います。その証拠に、宗教法人審議会のメンバーのうち七人が反対をした、しかしその七人は宗教界の人たちではないか、ですから自分たちの都合が悪くなるような取締法をどうして賛成できるか、こういう話を私どもはよく耳にするわけでございます。
 しかし私は、こうした動きを容認してしまうと、まさに信教の自由、そして言論、こういったものにまで国家権力が踏み込んでくるというかつての戦前の姿というようなものをほうふつさせる、そんな危険性を考えるわけでありますけれども、この世論というものに対して、また宗教法人法というものがどういう法律なのかということ、これを安井公述人はどういうふうに認識なさっておられるか。
#243
○公述人(安井攸爾君) 実は文部省へ、文部大臣あてに要望書、これは名前は要望書となっているんですが、仏教会の抗議文を持ってまいりました。そのときに、文部官僚も実は某新聞のその内容を具体的に挙げて、国民世論の半分を超える多数が改正を望んでおるということを申しましたので、ではその大多数の望んでいる国民がこの法人法の内容について理解しているのかと、国民に対しては極めて失礼な言い方かもしれないけれども、あえてそのようなことを聞いた記憶がございます。
 この法律は、実は大学の法学部でも宗教法人法なんというのは教えないんですね、大学の先生に聞きますと。そういう意味においては極めて地味な法律なんですが、我が国の国是として逆に極めて重大なことをこの法律は担保しておる、このように思っています。それはその国家の品格というものにもつながるべき内容を持っておりまして、その国が保障する自由、その最も根源的なことを実はこの法人法は保障しておる、そういう法律である。したがって、それは即憲法二十条と直結しておる。言いかえれば、憲法二十条の持つ理念を担保する、具体化する、そういう意味を持った法律である、このように解釈しております。
 きのうも宗教界を代表した参考人が、参考人質疑において、それが表現の自由、結社の自由、そういった我々がもろもろ今享受しておる自由というものの根底に立っているということを力説なさっていましたが、きのうの参考人のおっしゃったことはそのまま私は全く正しいと、そのように思っています。
#244
○釘宮磐君 今回の宗教法人法の改正のきっかけとなったのがオウム真理教事件であった、これは総理もそのように答弁をなさっておられます。
 そこで、これは山田公述人にもお伺いをしたいわけでありますが、今回のオウム事件で国民の関心はもう二度とオウム事件を起こしてはならない、そのために何をなすべきかが最大の問題だというふうに私は思います。
 しかし、今回提示されたのは宗教法人法の改正であります。村山総理も、オウム事件がきっかけとはなったが、オウム事件の再発防止には役立たないと認めております。オウムはカルト集団であり、カルト集団は閉鎖的で、もともと法を守る意思がありません。今回宗教法人法を改正しても、彼らはもともと法を守る意思がありませんから再発防止には役立たないと、このように私は思うわけであります。
 宗教法人法が適切でないからオウム事件は起こったという見解があるようでありますが、その点についてはどういうふうにお受けとめになっておられるでしょうか。
#245
○公述人(山田延廣君) まず第一点の、今回宗教法人法を改正しても、そういったカルト集団は法の抜け穴を探して次々同様な事件を起こすので、改正の効果はないんじゃないかということだと思いますが、こういう考え方を突き詰めていくとすべての法案に当てはまるわけですね。法律というのは完全なものはない、あとは適正な運用だと言われています。
 例えば、同じような議論は政治資金改正法案でも議論されたことがあります。幾ら政治資金の改正法案をつくっても、政治家は抜け穴をつくって何ら効果はないんじゃないか、したってしょうがない。こういう議論に対しては、何らかの規制をしておかなければいつまでたっても政治資金の透明化はなされないんだ、こういう議論がああした前回の政治資金改正法につながったんだろうと思います。
 法律というのは理想的なものはありません。できた法律をいかに国家や行政が運用していくかだろうと思います。ということを考えていけば、今回の法律によって財産関係についての透明性、それからある程度の宗教活動についての質問、調査等ができるわけですから、そのできた範囲で行政当局、文部省がいかに運営していくかにかかっているんだろうと思います。
 以上です。
#246
○釘宮磐君 お言葉を返すようでありますけれども、現行法でも第八十六条に「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない。」と、このようにあるわけですね。
 そういう意味では、今度のオウムの事件にしても、霊感商法の問題で幾ら警察当局に出しても取り合ってもらえないという問題は問題のすりかえではないのかなと、私はこのように申し上げておきたいと思います。要は、取り締まるという部分についてはそれぞれの法律があるわけでありますからその部分でやるべきであって、宗教法人法というのはあくまで取締法ではないんだという認識の中でこの議論は進めていかなければならないと、このように思うわけであります。
 それでは、もう時間が余りありませんので、政教分離の原則について安井公述人にお伺いをしたいと思います。
 我が国の日本国憲法においては、信教の自由が保障されていると同時に参政権が保障されていまして、これは何びとにも保障された権利であり、宗教法人であろうとなかろうと、その人たちが政治に関与する、参画するということは一向に構わない、宗教を持った者の参政権が制限されるということはまさに基本的人権を保障する憲法に違反するものであると私は思うわけであります。
 しかるに、自民党の加藤紘一幹事長が、産経新聞の九月四日付で、宗教法人が政治にかかわるときは自重、遠慮が必要であると。また、毎日新聞では、宗教は一人の教祖の言うことを絶対視し従うのだから、宗教団体が政治に関心を持つことは許されるが、政治の中心に迫るのは許されないという趣旨のことを述べ、さらに十一月三十日に京都で、政教分離の観点から、宗教団体の施設で政治活動をしてはならないとか、あってはならない行為を列挙する法律をつくるという議論が出始めている、このように述べて宗教団体の政治活動規制の検討に入ったとの報道がなされております。
 かように、人権とは時の政権によって弾圧の対象であるのが歴史の教訓であります。その弾圧はますますエスカレートしていくものであります。宗教者の政治へのかかわり合いについて安井公述人にお伺いをしたいと思います。
#247
○公述人(安井攸爾君) 時に私は憲法について専門的なことを学んだわけでもございません。私の持っておる憲法感覚は義務教育あるいは高等学校等で得た程度のものであります。しかし、私のこれから述べます解釈は、少なくとも現在の憲法解釈等とそんなに矛盾したり、間違ったり、あるいはずれたり、おくれたりしているものではないと、そのように今も思っています。
 要するに、宗教と政治と簡単に言うんですけれども、この場合の政治というのは極めてあいまいな概念でございまして、特定の政党という意味なのか、それとも国家というものを指すのがこの辺のところが今のところ政治レベルでの論議においても明確じゃございません。使われる方がそれぞれ自分の解釈でこの宗教と政治という言葉を使っておられる。
 あるテレビ番組においてもその辺のところが論議の対象になった。その番組に私も同席しておりまして、ある政党の人に対してはその点を厳しく問うたことがあります。
 私の解釈においては、あくまで憲法の言わんとするところは、宗教が国家から特別な権限を付与されてはならない、これがまず大前提だと思います。したがって、宗教が政治活動を行うということは何ら憲法には触れない、関係のないことだと、そういうことを基本にこの憲法の解釈を自分なりにしているつもりです。
#248
○釘宮磐君 法案の中身について幾つかお伺いをしたかったのでありますけれども、時間がございませんので、閲覧請求権について一点だけ宗教団体側としてお伺いをしたいのでありますが、今回の改正では、信者その他の利害関係人は正当な利益がある場合、宗教法人法二十五条で備えつけることとされている書類、帳簿について閲覧ができる、このようにされております。
 そこで、信者その他の利害関係人について、今回その特定が極めてあいまいであります。したがって、私どもが大変心配をするのは、この特定でない利害関係人また信者というものが今後宗教団体に対して閲覧権を行使する場合に、無用なトラブルが宗教界の中に起こるのではないか、このように思うわけであります。まあ総会屋に似たような形で暴力団等が介入してくるということだってこれは否定できないわけでありますけれども、この法律が通れば、今度は現場で安井公述人自身もこれからそういった経験をするおそれがあるというふうに私は感じるわけでありますけれども、その点について御意見があればお伺いさせていただきたいと思います。
#249
○公述人(安井攸爾君) 私の所属する宗教、仏教においては、信者というのは衆生という言葉をもってその対象としております。要するに、だれだれ何それが信者で、だれだれ何それは信者でない、こういう区別を仏教はやってこなかったんです。
 現在、一般に言われている檀家だとかいうのは、これは江戸時代に幕府が制度として確立したことがそのまま来ておるわけで、仏教の教義から信者というのを特定するということは、これは仏教のその性格において不可能だと思います。現に私のところは信者名簿などはありません。お寺を訪ねていただく、寺の土を踏んだ者は皆信者である、そういう認識でおりますし、百十歳まで生きられた清水寺の管長もその思いで、清水寺には信徒名簿などというのはございません。
 宗教にはそれぞれその教えに基づくそういう特性があるんだと、それを一つの法をもって一体化して扱うということは、そのこと自体が各宗教の特性に介入するということにつながります。
 それと、この法改正の真のねらいは、先ほどから何度も繰り返しておりますように、政府・与党が目的とするある特定の宗教団体にはひょっとしたら有効かもしれません。その宗教団体を攻撃するということにおいては有効かもしれません。どうもその辺にこれらの改正案の目的があるように私は感じ取っております。
#250
○釘宮磐君 終わります。
#251
○齋藤勁君 社会党・護憲民主連合の齋藤でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 二十二日に衆議院から参議院の方に法案の審議が移されまして、最初の政府からの趣旨説明の後、私も会派を代表いたしまして本会議で質問させていただきました。その冒頭に、今日的な国民の皆様が抱える宗教法人、宗教に対するさまざまな気持ち、これはオウム真理教に対することで確かに非常に関心が高くなったということがありますけれども、山田公述人、高村公述人からもそれぞれお話がございましたように、宗教に名をかりたさまざまな霊感商法、霊視商法、あるいはお寺さんのと申しましょうか、さまざまな宗教団体の法人の売買の問題とか、脱税の問題とか、果たして宗教というのはあるいは宗教団体というのは何なんだろうか、最近そういうさまざまな問題が蓄積していく中で、やはり私は一挙に不信感が増長したんではないかということ。
 そんなことで、今回の法改正の提案というのは本当に限られた法改正であり、少なくともこの法改正というのを速やかに国会は可決することによって、宗教と市民活動のあり方の問題、あるいは宗教と政治の問題とか特に根源的な問題については引き続き議論をしていく、そんな提起もさせていただきました。
 きょうの公述人の御参加につきましては本当に感謝いたしますけれども、これは、衆議院の方では最終段階で公聴会を開こうではないかというような話が何か具体的に出てきたような、そんな議事録もございますけれども、実現できなかったわけでありまして、参議院としての一つの独自性ということで、昨日の参考人のお願いときょうの仙台と広島でのこうした公聴会になったということで、その点についても御承知いただければというふうに思います。
 最初に山田公述人にお伺いしたいんですけれども、現行法での不備と申しましょうか、そんな中でいろいろ詐欺的商法ということで御苦労されている実例をたくさん扱われているというふうに思いますが、具体的に都道府県段階、あるいは政府、文部省所管ということで文部省に対することでも結構でございますけれども、行政に対しまして、現行法の不備についてこういうことがやはり問題だったんだよということで、もし具体的に御披瀝していただければありがたいなというふうに思いますので、お願いをしたいというふうに思います。
#252
○公述人(山田延廣君) この点については先ほど高村公述人が一点言われたんですが、現行法では所轄官庁は都道府県知事になっているということが一つの大きな問題であると思います。
 今の宗教法人というのは、届け出た都道府県下でだけ宗教活動をやっているんじゃなくて、大きな教団になると全国各地でいろいろな内容の活動をやっているわけです。だから、その一県下だけの活動では全体的な把握ができない。どこかまとめて各都道府県下の活動状況を総合的に判断する必要がある。そのためには、よかれあしかれ中央官庁である文部省にその所轄をゆだねなければならないし、ゆだねるべきであろうということであります。
 二点目は、仮に所轄官庁をそこにゆだねたとしても、実質的な調査権限がなければこれは空手形を与えただけで、何ら有効な機能をなし得ないんだと。ある程度の宗教活動を調べる役所であれば、それ相応の権限は与えなければいけないし与えざるを得ない。質問権限については、先ほども言いましたように、ある程度の限定的な制約を設けて認めるわけですから、これを乱用するおそれもなかろう。したがって、この程度の権限は与えるべきであろうというのが私の意見です。
#253
○齋藤勁君 ありがとうございます。
 安井公述人に一点お尋ねしたいんですけれども、私も国会の中で、あるいは各委員の方からも議論があった点なんですが、かつて、一九五八年でございますけれども、三十七年前になるんでしょうか、宗教法人法の見直しについて宗教法人審議会から、認証の基準を設ける、調査、報告の取り扱いを明確にするという答申が出されているんですね。
 しかし、そのときに政府が真剣に対応していないという、こういう言い方を私どもはさせてもらったんですが、そういうときに、審議会の答申を受けて法改正を幾つかしていればまた違った展開になってきたんではないか、この五十八年の審議会の内容を見ますと。そんなことで実は質疑もあったんですが、この五十八年の宗教法人審議会の答申、この当時のことについて御記憶といいましょうか御認識、こういったことについてはどういうふうな御見解を審議会と政府との関係についてお持ちかどうか。いかがでしょうか。
#254
○公述人(安井攸爾君) その当時のことについては、ほとんど私は基本的には知識を持っていません。ただ、今、委員のおっしゃったことは、この問題にかかわるようになって、学者から過去にそういうことがあったということは聞いているという程度でございます。
 ただ、もちろん法律なんですから、その手続によって、それが改正であれ何であれ常に検討が加えられているということは何らおかしなことじゃないわけでございまして、その一環として、この法人に対して三十何年か前に審議会が検討した、そういう形での答申が出された。しかし、それが実を結ばなかったことについて、どういう当時の背景があったのかということについては詳しくは存じておりませんので、ごくごく私の一般的な見解しか今はお答えできません。
#255
○齋藤勁君 先ほどのお二方の御質問にお答えされていた方もいらっしゃるんですが、四名の公述人の方々にそれぞれのお立場でお伺いしたいんです。これまでの委員会の質疑でもございましたけれども、特に昨日の参考人聴取の中で特色的な点で発言がございましたので、このことについてお尋ねさせていただきます。
 それは、「財務関係書類を所轄庁が把握することは、公権力による聖なる領域に対する管理だ。情報開示については宗教団体の自主的運営を尊重するのが憲法上の原則だ。広範囲のものを対象とする開示制度は他の公益法人にも例がなく、宗教法人だけ突出したものになる。」、とりわけ、この「質問権により、所轄庁がサジ加減ひとつで宗教団体に介入できることになる。」、「国家による管理強化の発想に基づき、現行法の性格を憲法の趣旨に反するものへ変質させる。」ということで、この結びとする「国家による管理強化の発想に基づき、現行法の性格を憲法の趣旨に反するものへ変質」していく、国家管理をねらう法改正なんだと、こう実はある参考人の方が言われているんですね。
 改正に賛成の方、そして反対の方いらっしゃいますが、この国家管理をねらう法改正なんだということの指摘について、いかがでございましょうか。加地公述人からひとつお願いいたします。
#256
○公述人(加地伸行君) 国家管理といえば、それは何だって国家管理なんです。それはもう日本国民である以上は日本国の法のもとに生きているわけですから、それは国家管理があって何ら私は不思議とは思っておりません。ですから、要するに、今のそのお方がもしそういうふうにおっしゃったとすれば、非常にためにする情緒的なアジテーションであろうと、私はそのように思います。
 何度も申しますように、宗教は本来おのれの心に従っての信仰でありますから、たとえそれが国家権力であれ何であれ、おのれの教義に生きるということならば、そういう形での信教の自由を持つということができるならば問題はないと私は思っております。
 また、宗教法人のみが特権的な地位を持つということは私には了解できません。私たち国民は皆それぞれの立場の中で日本国のためにいろいろ尽くしているわけなんですから、特定の団体のみが特定の特権を持つということは、これは了解できない、このような気持ちでございます。
#257
○公述人(安井攸爾君) 私どもは、現行の宗教法人法なるものがどのような理念のもとに成立した法律なのか、これを基本に、今回改正される部分がその現行とどう違うのかと。実は現行の宗教法人法のその基本的理念をこの辺で変えて、管理法的性格に限りなく近づけようとしているんではないか、こういう見解で、今委員が御指摘された二点を含め、この四つのセットになっております改正について異議を唱えておるわけです。
 したがって、現行の宗教法人法の持つ理念は憲法二十条の要請による、憲法二十条が言わんとしているところから発していると、このように私どもは解釈しておりますので、もしこの現行の宗教法人法の性格を変えてしまうということになれば、これは憲法二十条についても何らかの作業が行われない限り、この指摘といいますか、あるいは憲法との矛盾は常に起こってくるんじゃないかと、このように思っています。
 したがって、私はこのたびの政府がなさる改正案に対しては、もし私が総理大臣だったら、ゆえに憲法二十条を変えますということをつけなければひょっとしたらこの法人法の改正は無理だったんじゃないかなと、それぐらいに実は思っております。
#258
○公述人(山田延廣君) 宗教団体より個人の方が管理されることを嫌うということは理解しなくもないんですが、そもそも宗教法人というのは国家におけるノンコントロール下に置かれているのか、要するに規制や制限は一切ないのかということなんですが、これは先ほど言いましたように、布教活動というのはそもそも社会に対して影響を与える行為であって、他人の権利を侵害すれば当然規制されるんだ、これは一般的な法律の枠内の考え方であろうと思います。
 現行宗教法人法でさえも解散に関する規制はあるわけです。これはまさに国家によるコントロールだろうと思います。したがって、この宗教法人法自体がノンコントロールを定めたものではなくて、管理すべきところはして、自由にすべきところはさせるんだ、その接点をどこに求めるかが一番重要な点になるんだろうと思います。
 宗教法人というのは、先ほど委員の方からもありましたように、公益性、社会性があるんだということであれば、当然そういった社会のルール、社会の規制には従わなければいけないという考え方が出てくるはずだろうと思います。
 今回の改正法案というのは、そういった本来管理すべき枠を超えて管理してしまうのか、いわゆる国家管理体制になってしまうのかということですが、私自身はこの判断については、宗教活動そのものを規制する内容を持ったものであるか、そうではなくて、法人の財産管理運営といういわば枠外のある程度一般的な法人と同様のものを規制する法案なのかそこを考えてみる必要があるんじゃなかろうかと思います。
 この法案の中身を見てみますと、そういった宗教活動自体を規制するものじゃなくて、先ほど言った財産の管理運営というある程度世俗的な部分といいますか、そういった部分についてのみ管理する法案であって、宗教法人の宗教活動、信教の自由そのものを侵害するものではなかろうと考えます。したがって、国家管理になるんだ、管理権が統制されて宗教活動が不自由になるんだということには即結びつかないものだと考えます。
 以上です。
#259
○公述人(高村是懿君) 先ほど私は公益法人の設立が民法にあるということを言いましたが、やはりこの点は大事だと思うんです。民法というのは極めて一般的な、いわば私法の中心をなす法律であって、この中に公益法人というのが定められており、その公益法人を具体化するものとして宗教法人とか学校法人とか社会福祉法人などというものがあるわけです。
 何でこういうものが公益法人として認められるのかというと、民法三十四条の中で、ちょっと読んでみますと、「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸其他公益ニ関スル社団又ハ財団ニシテ営利ヲ目的トセサルモノハ主務官庁ノ許可ヲ得テ之ヲ法人ト為スコトヲ得」と、こうなっているわけで、つまり私益ではなくて公益に関しての活動をしているところから、それに法人格を与えて特別の税制上の優遇措置なども認めようと、こういうことなんです。
 ですから、公益法人の設立が許可主義のもとに立っているということは、名前だけ公益を名乗っていても実態が公益性を持たないような宗教法人が設立される、乱立するということでは困るわけであります。つまり、宗教を隠れみのにしてオウムのような犯罪集団ができ上がるということでは困るわけで、あくまでも公益性に関して許可主義がとられている以上、一定の管理監督下に置かれるのはこれは当然のことではないのか。
 しかも、宗教法人法が規定しているのは、先ほどもちょっと話がありましたが、信仰の自由とかあるいは宗教的な行為の自由とは無関係なものとして結社の自由にかかわる問題だけで議論しているわけで、言うなればその宗教法人の財産とか組織などの管理運営、そこに限って規定されている法律でありますから、それをひっくるめて信教の自由、信教の自由というわけにはいかないだろうというふうに思います。
 とりわけ問題となるのが質問権かなというふうに思いますが、実は、例えば所得税法二百三十四条に質問検査権という規定があります。これは要するに、納税者が申告をしたのに対して、申告内容に問題があるために税務署が質問をしたり検査をしたりするという権限ですけれども、これなどに比べると、この宗教法人法で今回出されている質問権というのは極めて限定されたものです。
 両方比較してみるとはっきりするわけですけれども、まず税務調査として行われる質問検査権の場合にはかなり広範囲に裁量権が認められるような規定になっておりますが、ここではやはり質問権を行使する場合というのは極めて限定されている。しかも、それが宗教審議会の事前の同意を得た上でなければ発動されないということになっているということからすると、最も信教の自由にかかわりそうな部分についてはそれなりの配慮がされているというふうにみなし得るだろうというふうに思います。
 国家管理をねらうものというのは、言いかえれば国家統制を強化するものという意味かなというふうに私は理解したんですが、強化をするということではなくて、公益法人にふさわしい管理監督を実現して、その宗教法人が本当に宗教法人にふさわしい公益性を担保し得るかどうかという、そういう点での社会状況の変化に対応した必要最低限度の改正だろう。本当を言えば、もっと監督権を強化してもいいというような議論もあるかもしれない。しかし、それは現在の状況の中で最低これだけはなくちゃならぬという改正にとどめておこうという、そういう配慮もうかがわれるわけで、そういう点からすると国家管理を強めるものという議論は当たらないだろうというふうに考えます。
#260
○齋藤勁君 時間の関係でこの質問が私の最後になるんじゃないかと思います。お二方にお答えいただければというふうに思います。
 実は、具体的な内容になっておりませんが、今回の審議会の最後のまとめの中に「その他」といたしまして、「現在国民の宗教に関する関心は極めて高く、宗教に関する情報提供や苦情相談などを行う組織(仮称「宗教情報センター」など) の設置を求める声が強いことから、そのような組織を、宗教関係者をはじめ、弁護士、宗教学者、心理学者、学識経験者など関係者が連携協力して、自主的に設置運営することについて、検討すべきであると考える。」と、宗教情報センターを早期に設置すべきではないか、こういうまとめがございます。私もこのことについて賛同いたしまして、本会議でもまた委員会の中でも発言をさせていただきました。
 きょうは宗教団体代表ということで安井公述人に来ていただいていますのでお答えいただきまして、なおかつ霊感商法等でいろいろ御苦労いただいている山田公述人にこのことについてお考えがあればお伺いしたいというふうに思います。
#261
○公述人(安井攸爾君) 今、委員の方から提示されましたその相談センターなるものが、要するに行政機関の延長として設置されるというふうになれば、これは絶対に反対をいたします。
 ただ、言うなれば布教の一つの方法、一環としてそういった相談所というものが宗教側から自主的に生まれていくということについては、これは特に私の立場からして問題がない、このように思います。
#262
○公述人(山田延廣君) 宗教界側の方で国家による規制を嫌われるのであれば、内部の自主努力によってそういった悪徳的な宗教活動、悪徳的な商法をやる者を排除していく以外に私はなかろうかと思います。だから、こういった宗教情報センターなるものを宗教界の方で独自につくられるなら、これは正しい選択であろうし、ぜひともそうしていただきたいと思います。
 そういったことに関して弁護士の力が必要であれば、いつでも我々は一緒になって、宗教界と力を出し合って今回のようないろんな宗教活動をめぐる紛争をできるだけ防止したらよかろうと考えております。
 以上です。
#263
○齋藤勁君 どうもありがとうございました。
#264
○阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代と申します。四人の公述人の皆さん、それぞれの専門のお立場からのお話、どうもありがとうございました。
 私どもは、今回の法改正は宗教法人にとっても、また所轄庁にとっても必要最小限のものであろうという立場から賛成という立場をとっています。しかしながら、国民合意を得るという努力は必要であると思いますし、そういう意味できょうのこの公聴会は大変意義深いものというふうに思っております。どうもありがとうございました。
 最初に四点ほど高村公述人に質問いたします。
 一番目は宗教法人法の基本的性格についてです。今回の法改正に反対であるという方々の論拠といいますか、その根底に宗教法人法の基本的性格についての曲解があるのではないかというふうに私には思えるんです。つまり、宗教法人法というのは出生届と同じなんだ、ですから行政は宗教法人に一切関与してはいけないと、こう言わんばかりにいわゆるノーサポート・ノーコントロール論というのを展開しているんですね。これは法の曲解ではないかと私は思うんです。
 もちろん、戦時中の宗教団体法ですか、あの法は宗教の教義の内容とか、それから礼拝、儀式とか行事とか、こういうところにまで国家が介入してきて左右するわけですけれども、そういうものは一切ないわけです、そもそもこの宗教法人法には。同時に、七十九条、八十条、八十一条ですか、収益活動の停止とかあるいは認証の取り消しとか解散とかここまで定めてあるんですね。ということは、やっぱりノーサポート・ノーコントロールではなくて、この法のもとに入る限りこの法の管理下に入るということだと思うんです。
 私は念のために法制定時の会議録にも目を通してみたんです。そうすると、当時の国務大臣の提案説明を見ても、あるいは政府委員の説明を見ても、宗教法人に対して自由と自主性、それから公共性と責任性、この二本柱、それで成り立っている法律であるということを何度も言っていますし、それから所轄庁についても、責任ある立場から宗教法人の活動に関心を持ち続けるという、責任と関心という言葉が出てくるんですね。そういう成り立ちから見ても、反対論の論拠になっているというのはやはり曲解だなというふうに思うのです。
 つまり、宗教法人法というのは、信教の自由とか政教分離とかにかかわる宗教活動の内容についてではなくて、法人としての財産の管理運営など、いわば極めて世俗的な事項について定めているものであるというふうに考えます。この宗教法人法の基本的性格について伺います。
 それから二つ目なんですが、このたびの法改正に際して、私どもは何も特定宗教法人を攻撃するとかあるいは宗教弾圧をするとか、そんなことを願っているわけではありません。日本社会の自由と民主主義を守り発展させる、そういう立場で真剣に考えています。そういう意味で、二つ目なんですが、宗教と政治のかかわりです。この問題について伺います。
 宗教者や宗教団体が広い意味での政治参加の権利を持つことは当然だと思います。広島という地は世界で初めて原子爆弾投下の犠牲になられた地で、この地域の宗教者や宗教団体が核兵器の廃絶など反核平和運動にも取り組んでおられると思います。そういう反核平和運動とか環境問題など、やはり宗教団体がその性格にふさわしい課題と方法で社会運動、政治運動を行うのは非常に好ましいとも思っています。ただ、私どもが考えるのは、宗教団体が特定の政党と議員候補者の支援を機関決定して、共通の信仰に基づいて集まった信者一人一人の政治活動、それから政党支持の自由を奪う、こういうことは許されないんではないか。これは民主主義の初歩的原則であるというふうに思うんです。この点について伺いたいと思うんです。
 それから三つ目は、宗教と政治のかかわりということから宗教法人のあり方が今問われていると思うんです。日本でももう指折りの巨大宗教法人の創価学会の、その宗教法人としての域をはるかに超えた特定政党支持活動、選挙活動について伺いたいと思うんです。
 これはもう多くの皆さん御存じのとおりだと思うんですけれども、つい最近ですと参議院の佐賀の補欠選挙ですか、佐賀の文化会館を初め県下に八カ所あるそうですが、創価学会の施設が県外から動員された数万の学会員の新進党候補支援の選挙活動の拠点となって、佐賀県外ナンバーの車両もあふれたと報道されているんです。
 創価学会が挙げて選挙に取り組むという、こういう政教一致ぶりがつい最近の事例でも明らかなんですが、私がそれ以上に驚いたことがあるんですね。それは朝日新聞の記事です。
 新進党幹事長代理の市川雄一氏が記者の質問に対して語っているんですが、信者が教団としての政党、候補の支持決定に従わなくても、宗教的信条とは別だから排除はしません、出ていくという人がいても出入り自由だから問題ないと、こうおっしゃっているんです。私はこれを読んだときびっくりしたんです。つまり、宗教心で集まってきている人たちのその宗教心を大事にするのではなくて、その上に選挙がある、宗教の上に政治がある、こういう実態というのは果たして宗教法人本来の姿なのだろうか。つまり、こういう実態の中に宗教法人本来の公益性というのものがあるんだろうかという大きな疑問なんです。
 それから今度は、これと続いて四点目になりますが、いわば政党と同じようなことをやっている、こういう政教一致の活動を繰り広げている宗教法人に、ほかの公益法人と同じように税制上の非課税措置などの優遇措置を与え続けてよいのかどうかという問題なんです。
 これも私どもが調査したんですけれども、創価学会というのは全国に一千と言われるいわゆる文化会館などの宗教施設を持っているんですが、大阪市内には三十四の非課税の創価学会施設があるんです。調査によると、この三十四カ所の固定資産税と都市計画税の試算額は年額二億六百六十八万円に上ります。建物だけでもこれまでに総額七億三千九百三十八万円が非課税として納められなくて済んでいるんです。
 これらの施設が選挙の拠点となるというのは、固定資産税をきちんと払っている政党、私どもも払っていますが、ほかの党ももちろん払っているんですね、これと比べたときに選挙の公平に反するのではないか。人間界の営みとして宗教も大事ですけれども、政治も大事だと思います。大事な人間界の営みだと思うんですね。だから、宗教をおとしめてはいけないし、政治もおとしめてはいけないと思うんですが、この選挙の公平というのはとっても大事な問題だと思うんです。法のもとの平等に反するのではないかというふうに思うんです。
 以上四点なんですが、高村公述人に専門家のお立場で御意見を伺いたいと思うんです。
#265
○公述人(高村是懿君) 宗教法人法はノーサポート・ノーコントロールを定めているんじゃないかという点については、先ほどから山田公述人もいろいろと反論しておられましたので、あえてつけ加えることもないかなというふうに思いますけれども、宗教法人法の規定が、先ほど来申し上げているように、そもそも公益法人は許可主義の立場に立ちますよという前提で出発しているわけです。公益性を認めて法人格を与えるけれども、それはあくまでも許可主義の立場に立っていますよと。だから、法人格を得て一定の優遇措置を得たいというのであれば、それはコントロール下に置かれますよということであって、言いかえれば、ノーサポート・ノーコントロールというよりもサポート・アンド・コントロールだと思うんですね。
 サポートが欲しければコントロール下にあるよ、それが公益法人の性格なんだよということが宗教法人法の一条にも明記されているわけで、一条の「目的」というところを見てみますと、「この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。」と、こういうようになっておりまして、財産の維持運用、事業の運営、これに関して法律上の能力を与えるんだと、こういうようになっております。
 したがって、先ほど来申し上げているように、本来宗教的な事項に関して定めた法律ではなくて、世俗的事項というような言葉もちょっと出てきましたが、財産や組織の運用管理に関して定めた法律、これが宗教法人法の基本的な性格だろうと思うわけで、それが今回の改正でゆがめられたかどうかということが議論になるんだろうと思いますが、最初に申し上げたように、今回の改正ではその基本的な性格は異なってはいないんじゃないかというふうに私は思います。
 それから二つ目の問題で、宗教と政治のかかわりで、特定の政党と候補者を機関決定で押しつける問題はどうかということですが、これは何も創価学会だけではなくて、これまでにも企業ぐるみ選挙とか労組ぐるみ選挙という、いわゆるぐるみ選挙として問題になったことであります。つまり、宗教団体としての創価学会は創価学会の教義を信ずる人たちの集まりであって、政党に関してはいろんな支持をする人がいて当たり前なわけですね。だから、そういう宗教団体が特定政党の支持を決定して押しつけるということになれば、その人の内心の自由、思想・信条の自由を奪うということにもなりますし、またそれが選挙のときに特定政党、特定候補者の支持を強要するということになると、先ほどもちょっと言いましたが、憲法十五条の公務員の選定権、参政権そのものを侵害することになるだろうと。
 この点が非常に大事だと思うんですが、日本国憲法は言うまでもなく国民主権原理というのを基本原理にして出発しております。我々国民が主権者として行動するというのは日常的には余りないわけで、これはこれで一つの問題なんですが、唯一主権者として登場するのが選挙で一票を投ずるときなんですね。だから、憲法十五条の公務員の選定・罷免権というのは、単に参政権というだけではとらえ切れないそれ以上のものがある。言いかえれば、それは主権者たる国民の主権の行使という側面を持っているわけで、それが損なわれるという点では、選挙の自由が奪われるという大変な憲法の基本原理にかかわる問題を含んでいるというふうに言っていいのではないかというふうに思います。
 それから、宗教法人のあり方を質問されたと思いますけれども、先ほど来私は公益法人ということを言いましたが、一体公益とは何かということが問題になるわけで、「注釈民法」という民法の権威あるコンメンタールがあるんですけれども、そこで民法三十四条の公益法人に関して公益とは何かというのを述べているんです。そこを読んでみると、「公益とは、社会全般の利益、いいかえれば不特定多数の者の利益を指す。」と、こうなっているわけですね。公益というのはそういうことだろうと思います。
 ところが、選挙というのは公益ではないわけで、特定の政党や特定の候補者を推すということは公益、不特定多数の者の利益を指すということにはならないわけですね。そういう点では、とりわけ問題となっている創価学会の宗教的な施設を挙げての選挙活動というか、あるいは学会の組織を挙げての選挙活動というのは、宗教法人としての公益性そのものに疑問をもたらすと言わざるを得ないだろうというふうに思います。
 そしてもう一つ、憲法二十条とのかかわりでも問題になるわけで、先ほど私、ちょっと時間がなくて余り言わなかったんですけれども、二十条ではいかなる宗教団体も政治上の権力を行使することを得ないということで、宗教団体が国会の多数を握って立法権や行政権を握るというのは憲法違反の問題が生じるというふうに言いましたが、じゃ、そこに至らなければ問題はないかというとそうは言えないだろうと思うわけで、つまり政治上の権力を獲得するというのは一挙にはなし得ないわけですね。
 皆さん方すべての政党が、日夜不断に努力しながら、いかに議席をふやすかということをやっているわけで、だから、政教一致を目指す方向で議席を日々獲得する、そういう政党を、創価学会が公明党をつくってそれが今新進党につながっているわけですが、そういう宗教団体が政党をつくって政権の獲得を目指すということ自体も、この憲法二十条の本来考えている趣旨ではないだろうというふうに思われます。
 それは、先ほどちょっと申し上げた、最高裁判事を務めた伊藤正己さんという人が書いているんですけれども、先ほど紹介した「憲法」という本の中にこういうことを言っているんです。憲法二十条一項後段の「政治上の権力を行使してはならない。」という点の解釈としまして、「宗教団体が積極的に政治活動をすることにより政治に強い影響を与えることが禁止されていると解する見解がある。宗教団体は他の団体に比較して妥協性に欠けるために、民主制において国民意思の形成に適合しないこと、政教分離の原則からみて宗教団体は政治活動から遮断されるのが妥当であることがその理由である。」と。要するに、宗教団体が積極的に政治活動をして政治に強い影響を与えること自体が二十条で禁止されているという見解もあるけれども、しかし伊藤見解はそうではなくて、確かにそういう見解もあるけれども、宗教団体には政治活動の自由があるわけだから、そこから結論部分になるわけですが、「宗教団体が国政を動かすことは憲法の趣旨からみても望ましくなく、宗教団体と政治とは境界をおくのが適当である」という、こういう言い方をしておられます。
 ですから、憲法二十条の解釈の問題として、政治上の権力を行使するに至らないにしても、宗教団体が政治と境界を置くことなく政治活動をするというのは、二十条の趣旨からいって問題があるというふうに考えるべきものであり、この点は今後の議論にまつべき課題かなというふうに私としては考えています。
 それから、そういう政教一致で選挙をやっている場合に税制上の優遇措置を与えることがどうかという問題ですが、この点について、選挙の公平に反するのではないかという点は、実は日本の公職選挙法というのはべからず選挙法というふうに言われていまして、外国では極めて当然とみなされている戸別訪問も文書活動の自由も厳しく制限されておるわけですが、私たちはそのことは違憲だというふうに思っていますけれども、最高裁がそれを合憲とする根拠は一体何なのかというと、最高裁なりの理屈があるんです。
 その理屈というのは、要するに、選挙というのは平等な条件のもとに競争することに初めて意味があるんだ、だから平等な条件として競争させるためにはいろいろ規制をして、この枠内で選挙をしなさいというルールをつくる必要があるんだと、こういう見解に立っております。それがいわゆる選挙の公平論なんですね。
 だから、この最高裁の見地に立ては、片方では政党は固定資産税などを払う、片方では宗教団体は同じ選挙運動をやっても固定資産税等を払わないのは平等のもとに反するということは成り立ち得る議論ではあろうかと思います。
 しかし、私はそれ以上に大きな問題があるのではないか。つまり、とりわけ問題となっている固定資産税は、地方税法の三百四十八条の二項三号ですけれども、そこで固定資産税が免除を受けるのは「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第三条に規定する境内建物及び境内地」、これは免除だと。つまり「専らその本来の用に供する」ということがあるわけで、専ら本来の用に供されていないのに固定資産税が徴収されていないということになりますと、これは憲法二十条一項のいかなる宗教団体も国から特権を受けてはならないという規定がありますけれども、このいかなる宗教団体も国から特権を受けてはならないという規定に反するのではないかという問題が生じるだろうというふうに思います。この国からというのは、解釈上、国だけではなくて地方公共団体も含まれるというふうに解釈されておりますし、特権の中には経済的な特権も含まれるというふうに考えられておりますから、こういうことが問題になるのではないかというふうに思います。
#266
○阿部幸代君 ありがとうございます。
 時間が少なくて恐縮なんですが、加地公述人に伺います。
 先ほどの宗教法人のあり方なんですが、政党と見まごうような選挙活動をしていて、しかし、それが納得できないならば出入り自由だから出ていってもいいというようなそういう宗教法人のありようを見て、これは宗教法人本来の姿というふうに言えるんでしょうか。宗教哲学上の見地も含めてお話しいただけたらと思うんですけれども。
#267
○公述人(加地伸行君) ここで哲学議論をやりましたら、これからまだ何時間もやらなきゃならなくなりますけれども。
 今、議論されている宗教の問題と宗教法人の問題とは別なんですね、これは。ところが、何かそれがしょっちゅう宗教の話になったり宗教法人の話になったりしているので話がいつも混乱しているんだと思うんです。
 ですから、私は何度も申しますように、宗教法人法、さらにその上には信教の自由というのを憲法が認めているわけですね。あえて申しますと、憲法が信教の自由を何人に対しても保障するということ自身が、これはもう宗教をコントロール下に置いているわけですよ、憲法という法が。
#268
○阿部幸代君 法治国家で法がね。
#269
○公述人(加地伸行君) はい、そうなります、論理的には。
 ですから、あえて言えば信教の自由を何びとといえども保障するとき言葉なんか要らないから、本来は憲法から削除すべき問題なんです、これは。ところがそれがある。あるということ自身、憲法という法のもとに宗教に対して既にもうそこにコントロールが起こっていると、こういうふうに考えているんですよ、私自身は。法学的には私は知りませんよ、法律的には。私は日本語として読めばそういうことだと思うんです。その憲法のもとにある宗教法人法、これは下位の法律ですね。ですから、もうそこに矛盾が起こっているというふうに私は思っております。
 ですから、何度も申しますように、憲法に書いてあるからこうだというのは私はおかしいと思うんです。憲法というのは、あくまでも我々の願望を正す方に書いてあるだけのことなんです。ですから、我々自身が日々努力するということ、それが本当の自由だと思います。
 ですから、信教の自由におきましても、信教というものに対する誠意ある、おのれの信仰を尽くすことをしていくことが信教の自由だと私は思うんです。どこか葵の印籠のように、これが信教の自由だからこれに従えというような、そんなものじゃないと私は思うんです。私どものしております学問もそうであります。大学の自由もそうであります。みずからの誠意ある生き方で絶えずそれを確かめつつ行くということによって実質化されるんだというふうに私は思いますね。
 ですから、はっきり申しましたら、宗教法人法の管理がもし気に入らないと言えば、私はやめたらいいと思います。そういう意見を持っているだけでございます。
#270
○阿部幸代君 専ら選挙活動をするような、それが嫌なら出入り自由だから出ていってもいいというような宗教法人が本来の宗教法人と言えるのかという質問だったんですが。
#271
○公述人(加地伸行君) いや、それはそんなことはありません。みずから解散することができるとはっきり書いてあるわけですね。そして、宗教法人は解体しましても、自分たちは団体としてしっかりと信仰を持っていけばいいと思います。それはどこの家であっても構いません。内村鑑三は無教会派として自分の家でやりましたよ。
 そういう形で宗教というものはちゃんとあるわけですから、何も宗教法人格でなければ宗教活動はできないということは絶対ないですね。本来、それが本当なんです。それを後に宗教法人というふうなものを与えていったから問題がややこしくなったんだと思います。
#272
○阿部幸代君 どうもありがとうございました。
#273
○中尾則幸君 公述人の四人の皆さん、本当に本日は御苦労さまでございます。
 私は参議院フォーラムという、政党ではございません、個人の会派で組んでいるグループの一人できょうやってまいりました。
 各委員の方から大変熱心な御討議がありましたので、いささかというか、もうほとんどダブるような、重複をなるべく避けたいと思いましたけれども、重複をお許し願って、何点か質問をさせていただきたいと思います。
 先ほどからも御指摘がございましたように、今回の宗教法人法の一部改正案については国民世論が大変関心を持っておりまして、これはもうとりもなおさずオウム真理教というあの反社会的な事件が今回のきっかけとか契機になったんだろうと私は思っています。
 そこで、まず法律家のお二人にお伺いしたいと思います。
 山田公述人と高村公述人に、端的に、今回の法改正でオウム事件のような再発を未然に防止できる、これはすべてできるというふうには先ほどのお話からも伺っておりませんから、抑止力の一端を担うことができるのではないかという国民の多くの声があるんですが、これについてはいかがお考えでしょうか、お聞かせ願いたいと思います。
#274
○公述人(山田延廣君) 完全に抑止できるかというのは、先ほど言いましたように、行政の対応いかんの問題があるんだろうかと思いますけれども、法律の内容そのものから見れば抑止の可能性は十分あるだろうと思います。
 それは、第一点には、所轄官庁が文部省になり、全国範囲でのその宗教法人の活動実態について把握ができること。それから調査質問権限が、制限ながら認められておりますので、この質問権限を行使することによってその教団の集金実態、それからお金の使い方の実態、そこから演繹できるその宗教団体の目的に外れた活動の把握が可能であろうと思います。
 だから、我々から見れば現時点よりはかなり進歩した法案になるんじゃなかろうかと考えております。
#275
○公述人(高村是懿君) オウムに限らず、宗教を隠れみのにして金もうけに狂奔するとか、あるいは悪事を働くとか、そういう宗教法人を抑制する一端は担える最低限の改正ではないかというふうに思っております。
#276
○中尾則幸君 ありがとうございました。
 続いて、安井公述人に伺いたいと思いますが、私の聞き違いかもしれませんけれども、先ほどのお話の中で、オウム事件と法改正が混同されているんではないか、特定の教団に対する宗教弾圧につながりかねないと。これまでの国会審議で、審議会のあり方等々については随分長い時間をかけて論議されました。これは時間がございませんので、ここの場で私は特別触れるつもりはございませんが、ちょっと整理したいんですが、先ほどの御意見の中でオウム事件と法改正が混同されているというのは、私は、例えば法改正を取り巻く国会の審議、あるいはいろいろなやりとりについては御意見のとおりかなと思いますけれども、法改正そのものの中身と私は混同しているつもりはございませんけれども、そこら辺をちょっともう一度御説明願いたいんです。法改正そのものについて特定の教団に対する宗教弾圧につながりかねないと、私はちょっと間違っているかもしれませんけれども、そう聞いたものですから。
#277
○公述人(安井攸爾君) 私はそのように申し上げたつもりなんです。要するに、こちらの公述人の方もお二人ともおっしゃっているように、この宗教法人法の改正によってオウムのような一連の事件を防止あるいは取り締まることができる、それは完璧ではないにしてもできると、こういうふうに今回の宗教法人法の改正をとらえている方が大変多いんですよ。そして、国民も漠然どこの法人法の改正に対しては、国民の多くもですよ、それを期待しているんだと思うんです。
 ところが、それはならないと、総理大臣が明確に、この宗教法人法の改正はオウム真理教の防止あるいはこういった犯罪性を持つ宗教法人を取り締まることにはならない、そういうことには有効に作動しないんだということは統一した政府見解でもおっしゃっておるわけです、今の。
#278
○中尾則幸君 そうすると、これについては今回の法改正は特定の教団に対する宗教弾圧というふうには思っていらっしゃらないということですね。
#279
○団長(松浦功君) ちょっと申し上げますけれども、総理は役に立たないということは一言も言っておられません。それで全部が終わるとは思っていないと言っているんです。そういうふうに言っておるので、ちょっと誤解を解いていただきたいと思います。
#280
○公述人(安井攸爾君) 承知いたしました。
 じゃ、この法人法の改正は何ゆえになされるのかという問いに対して文部省は、四十年前この法律が制定されて以来、社会状況がいろいろ変わった、そういうことをおっしゃるわけですよ。ところが、それについて、じゃ何がどう変わったのか、そういうことについてはほとんど論議されていないと思いますよ。私は知りません、今その解釈は。政府側からそれに対して具体的な解釈が示されたということは知らないんですよ。ひょっとしたらテレビを見ていないからかもしれませんけれども、ない。
 ですから、最初に申し上げたとおり、これはオウムのあの犯罪が発覚するはるか以前から綿密に計画されておったことなんです。その目的は特定の宗教団体をターゲットにした法改正であるということは間違いないと思います。
 それをさらに裏づけるなれば、今回の国会の特別委員会、特に衆議院における特別委員会において、今まで最も政府・与党とは距離があった政党が最もそのことをよく論議の材料に使っていたんじゃないですか。それをもってして、この最も遠い立場にある政党が最も政府・与党の本音を国会で明らかにしたと、私はそのように今回の一連の特別委員会の質疑応答、論議をとらえております。
#281
○中尾則幸君 時間がございませんのでちょっとお答えいただけない、私の質問が大変稚拙なのかなと。特定の教団に対する宗教弾圧、今回の条文のどこが踏み込んでいるかということは、私はそう思いません。
 それで、もう一問、安井公述人にお願いしたいのですが、やっぱりオウム真理教事件をきっかけに現行法の不備が問題となっているわけです。それについて、いや問題となっていないというのであれば私はお答えをいただくつもりはありません。改正の必要がないというのであれば、これはこういう意見もございます。しかし、現行法でいいというのであれば、じゃ現行法のどの条文が機能しなかったのか。例えばオウムというこの反社会的な問題について、これは世論に宗教団体の長としてお答えになっていただきたいなというふうに思いますけれども、どうぞよろしくお願いします。
#282
○公述人(安井攸爾君) 法ですから、改正はされることは当たり前なんですよ。その法の改正という原則については我々は何ら異議を唱えているわけじゃないんです。しかし、今回のような目的を持った改正には反対であると、こう申し上げているんです。それについては、先ほど申し上げてきたことがその理由なんですよ。
 ですから、例えば審議委員会のあの七名が言っているとおり、もっと審議をしましょうや、もっと論議をしましょうやと、こう言っていることにはそのとおりだと思います。だけれども、今回はある特定の目的を持っているから、どうしても政治日程というものに合わせていかない限り、この目的は達成できないわけですよ、政府・与党としては。そこを申し上げているんです。だから、我々は論議をすることについてはやぶさかじゃないし、その結果として改正が必要になれば改正なさればいいと思いますよ。だけれども、今回はそういうことを目的とした改正ではない、こう言っているんです。
#283
○中尾則幸君 私は意見を聞く立場なものですから、これ以上は申し上げませんけれども、やはり初めに反対ありきとか、初めに賛成ありきという、どうもそこら辺が不透明だなという感想を持ちました。
 次に、加地公述人にちょっとお話を伺います。
 私が大変興味がございましたお話、もう各委員の方々から出ましたので、若干整理させていただきたいと思いますけれども、先ほどからノーサポート・ノーコントロールというお話や宗教法人のあり方について御見解を示されたと思うんですが、ちょっと整理したいのは、その憲法二十条に規定している信教の自由、これは守られることはもう当然のことでございますけれども、それは一つは、私は宗教の問題については全く疎いのでございますけれども、私的な行為だということで加地公述人はお話しされたと思います。
 しかし、宗教団体と違って宗教法人という、一つの宗教法人法、これは現在あるわけですから、その中に実を入れるか入れないかは、これは自由でございまして、その中で今度は法律行為の中に生きる。まあ言ってみれば公的立場に私は立つと思っております。ですから、先ほどから加地公述人がおっしゃるのは、憲法二十条で規定されている本来の信教の自由をあれするのであれば、あえて宗教法人の資格を得る必要はないということだろうと思うんですが、その公と私のあり方についてひとつ御説明願いたい。
 私がもう一つお伺いしたいのは、この認証を受けたいわゆる公的な立場、公益法人格として優遇税制もございますから、そういう立場であれば、必要最小限の社会的責任を私は持つべきではないかという意見に立っておりますけれども、そのことについても加地公述人の御意見を賜りたいと思います。
#284
○公述人(加地伸行君) もうおっしゃったとおりです。私という立場でいきますならば、宗教法人格の認可を受ける必要がありませんから、これは自由に活動してよろしいわけですね、ただし公共の福祉のもとにです。それから、公の認可を受けるということでありますから、当然その宗教法人法による制約、その中においての活動というのは当たり前のことだと私は思います。おっしゃるとおりだと思います。
#285
○中尾則幸君 ちょっと話の論点がずれるかもしれませんけれども、二年前のある事件を思い浮かべました。
 そもそも今回の問題になった信教の自由、あるいは憲法二十一条の例えは集会・結社・言論の自由という項目がありますけれども、二十一条が二年前問題になりました。御存じであるかと思いますけれども、テレビ局のある重役さんが会合で○○政権は私が指示したんだと。二年前のことですからあえて名前は申し上げませんけれども、それが大変国会で問題になりまして、証人喚問まで及びました。
 そのときに、憲法の二十一条、報道の自由の規定とそれから放送法あるいは電波法という規定がございます。そういった中で、結果的には、私は憲法は上位にあるということで反対したんですが、そこで学んだのは、一つは憲法の規定と、それから放送法とか電波法の規定、それは今回と同じように公的役目として位置づけられるなど、そういうふうに私は今回の宗教法人法をとらえているつもりでございます。なぜならば、電波行政の場合は、電波は有限だということでこれは国の認可事業でございます。そういう問題がございます。
 それであれば新聞はどうかというと、そう大きな法的な規制はございません。ですから、別に公的私的ということではないんですけれども、ノーサポート・ノーコントロールという理念の中で私はお話を申し上げておるんでございますが、それについて、法律の専門家であります、先ほどノーサポート・ノーコントロールの話をされました山田公述人にまた一言ちょっと御見解を賜りたいと思います。
#286
○公述人(山田延廣君) 法による規制というのは、国家からサポート、支援を受けようが受けまいが内在的な制約があるということなんですね。新聞でも、新聞は確かに国家から支援を受けていない。だから、ノーサポートだからノー規制で何でも掲載していいかというとそうでもない。他人を誹謗中傷したり名誉毀損をするような新聞報道は決してなされない。そこには報道機関としての社会的役割というのがおのずからあるだろうと思うんです。
 この宗教法人のことに関しても、法の規制があろうとなかろうと、他人に対して他人の権利を侵害するような宗教的活動はやってはならないという規制があるはずなんです。だから、ノーサポート・ノーコントロール、規制がないんだから何でもやっていい、規制があるから何もできないというものではないんだということを一言づけ加えておきたいと思います。
 以上です。
#287
○中尾則幸君 ありがとうございました。
 ちょっと今回の法案改正の一部について個別にたくさん伺いたかったんですが、いろいろ審議の焦点となっております質問権についてお伺いします。これは高村公述人にお答え願えればと思います。
 所轄庁に新たに付与される質問権について、先ほどからも御説明ございました。それを行使する場合、解散請求や認証の取り消しなどに該当するような事態に限られておる。また、宗教法人審議会の了承が前提となって、二重にも三重にも網がかかっている。しかし、これに反対する人は質問権について異常な国家権力の介入につながると言われておりますが、私は公的立場である宗教法人の立場から、最低限これは国家権力の乱用のおそれはないと私自身判断しておりますけれども、これは法律家の立場としてどのようにお考えになっているのか、お聞かせ願いたいと思います。
#288
○公述人(高村是懿君) 先ほども申し上げましたように、これまでの宗教法人法は所轄庁が宗教法人の適格性に問題があるときに認証の取り消しとかあるいは解散命令の請求をすることができるという規定はされているんですけれども、じゃ、どうやってそれに該当するような事実の有無を調査するのかといったら、その調査権限を何も定めていない。だから調べようがない。権限がなければ調べられないわけで、調べられなければ認証取り消し事由の有無あるいは解散命令請求事由の有無についても把握のしょうがないわけであります。
 そういう点から、今回、報告徴収と質問権が改正案の中に盛り込まれたわけで、その報告徴収と質問権の行使についても二重にも三重にも歯どめがかかっているという点からすると、まさに必要にして最低限度の権限として定められているんではなかろうか。それは、先ほどもちょっと例を言いましたが、所得税法二百三十四条の質問検査権との対比においてもそういうことが言えるんではないのかなというふうに思います。
#289
○中尾則幸君 先ほどからの論議でもございましたけれども、今回の法律改正で、政治と宗教のあり方、これだけでも大変時間がかかりますので、残り五分でというのは大変しんどいんですが、先ほどから申し上げておるように、憲法二十条の規定があるわけでございます。宗教団体の政治活動というのは、当然これは憲法で保障されている基本的な人権だろうと、これはもう政府の見解でも出されております。見解をどうするかということについては、これは今、行政あるいは国会での論議になろうかと思います。
 先ほどの説明の中でも、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と、しかしその後段に「いかなる宗教団体もこ「政治上の権力を行使してはならない。」という話が出ております。これは法律家のお二人からお伺いできればと思います。
 それであれば、宗教団体の政治活動の憲法上の制約もしくは限界とは何かという問題にぶち当たろうかと思うんです。先ほど高村公述人からお話がありましたけれども、これは政権をとるために、例えばある候補を擁立する、ある特定の宗教政党と言っては語弊がありますけれども、宗教政党なるものを支援するということは、私はこれは憲法違反になるんではないだろうかと。先ほどもちょっと御説明がありましたけれども、数の問題ではない。政権をとろうというのは数の問題じゃなくて、どの政党もやはり政権をとろうということを目的にしていると思うんですが、それについて国の、例えば国会議員のみならず、行政という立場であれば地方議員も含めて私はそれに当たるんではないか、非常に踏み込んでいけば憲法違反に当たるんではないかと思うんですが、それについてもう一つ改めてお話を伺いたいと思いますのできれば山田公述人とそれから高村公述人、お二人に。
#290
○公述人(山田延廣君) 政治と宗教活動、宗教団体というのは非常に難しい問題があろうかと思います。先ほど委員の方から言われたと思うんですが、要するに宗教団体であっても平和問題とか環境問題についてであれば当然活動できるんじゃないか、それが一転して特定政党と結びつけば問題が起こるんじゃないか、こういう質問が高村公述人にされたんだろうと思います。私はまさに宗教と政治の関係はそこにあるんだろうと思います。なぜ前者は許されて後者は許されないのか。そこは公益性の問題ではなかろうかと考えております。
 要するに、平和問題、環境問題は信者を含めた一般国民が最も期待し行動を要望する点であって、その活動はまさに公共性がある。ところが、特定宗教団体が一部の政党と結びついて政権をとろうとすることは、政党というのは一つの政治的な思想・信条を持った団体でありますので、すべての信者の総意に基づくものじゃない。だから、それは信者にとっても、またそれが結びつくことによって国民にとってもそれは望ましいことではない、公共性はないんだ、そこで一線を画するべきだろうと思います。これは地方公共団体であろうと国会議員であろうと同じような問題であろうと私は考えております。
 以上です。
#291
○公述人(高村是懿君) 宗教団体の政治活動の自由というのはやっぱり根本に据えなくちゃならぬというふうに私は思うんですね。政治活動の自由、表現の自由というのはどんな団体や個人にも認められるわけで、これは大前提に据えなくちゃいかぬと。その上で、例えば憲法が言っているのは、要するに政治と宗教が一体となることが望ましくない、それはあってはならないという立場です。
 私が先ほど申し上げたのは、政党というのは政権奪取を目指しているわけですね。限りなく議席をふやして国会の過半数をとって政権をとろうということを目指しているわけですから、政党というのは明らかにもう政治上の権力を目指していることは間違いないわけです。ですから、宗教団体があれこれの政治活動をするのは当然の自由だけれども、みずから政党をつくるということは、これは言うなれば政教一致を目指すということですから、そういうことになれば憲法二十条の問題にかかわってくるんじゃないだろうかと、こういうふうに考えております。
 それともう一つの問題は、公益法人の性格からして、要するに日常的に選挙をやっているようなのは公益性からいっても問題がある、さらには構成する人たちの内心の自由とか主権の行使などのかかわる問題もあるだろうと、こういうことであります。
#292
○中尾則幸君 ありがとうございました。
 本来であれば我々立法府あるいは行政府に対して各公述人の皆さんから御意見、御批判をちょうだいして終わるつもりでございましたけれども、大変つたない質問で、時間が参りましたので、これで終わりにします。
 ありがとうございました。
#293
○団長(松浦功君) これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言お礼を申し上げます。
 皆様には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。
 これにて参議院宗教法人等に関する特別委員会広島地方公聴会を閉会いたします。
   〔午後四時散会〕
ソース: 国立国会図書館
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