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1995/04/25 第132回国会 参議院 参議院会議録情報 第132回国会 建設委員会 第9号
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1995/04/25 第132回国会 参議院

参議院会議録情報 第132回国会 建設委員会 第9号

#1
第132回国会 建設委員会 第9号
平成七年四月二十五日(火曜日)
   午前十時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 三月二十九日
    辞任         補欠選任
     上山 和人君     青木 薪次君
     渕上 貞雄君     山本 正和君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         合馬  敬君
    理 事
                上野 公成君
                吉川  博君
                三上 隆雄君
                矢原 秀男君
    委 員
                井上 章平君
                遠藤  要君
                太田 豊秋君
                永田 良雄君
                松谷蒼一郎君
                青木 薪次君
                小川 仁一君
                佐藤 三吾君
                山本 正和君
                片上 公人君
                広中和歌子君
                磯村  修君
                上田耕一郎君
                西野 康雄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        駒澤 一夫君
   参考人
       東京大学名誉教
       授        高山 英華君
       横浜国立大学教
       授        村上 處直君
       京都大学防災研
       究所教授     亀田 弘行君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○建設事業及び建設諸計画等に関する調査
 (阪神・淡路大震災に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(合馬敬君) ただいまから建設委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る三月二十九日、上山和人君、渕上貞雄君が委員を辞任され、その補欠として青木薪次君、山本正和君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(合馬敬君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 建設事業及び建設諸計画等に関する調査のため、本日、東京大学名誉教授高山英華君、横浜国立大学教授村上處直君、京都大学防災研究所教授亀田弘行君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(合馬敬君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#5
○委員長(合馬敬君) 建設事業及び建設諸計画等に関する調査を議題とし、阪神・淡路大震災に関する件について参考人からの意見を聴取いたします。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、高山参考人、村上参考人、亀田参考人におかれましては、お忙しい日程にもかかわりませず本委員会に御出席賜りましてまことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本委員会では、阪神・淡路大震災に関しまして、復旧・復興対策についての集中審議の実施により政府の対応をただすとともに、被災市街地復興特別措置法案等の被災地にとって緊急かつ不可欠な法律案の早期成立を図ってきたほか国の地震防災研究状況について視察を実施するなど、取り組みを重ねてまいりました。
 今、このたびの震災による甚大な被害と犠牲を貴重な教訓とし、災害に強い国づくり、地域づくりが求められております。本日は、さらに一歩進んで、阪神・淡路大震災につきまして御専門の立場から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 本日の議事の進め方でございますが、まず高山参考人、村上参考人、亀田参考人の順序でそれぞれ三十分程度御意見をお伺いいたします。その後、午後零時半までの一時間程度、委員の質疑にお答えいただく方法で進めさせていただきたいと存じます。御協力をお願いいたします。
 なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。
 それでは、高山参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。
#6
○参考人(高山英華君) 初めに、このたびの災害で多数の人が亡くなられましたことについて、謹んで哀悼の意を表します。
 私、きょうは資料を配りませんが、過去、関東大震災それからアメリカ軍による空襲、その他国内の多数の災害を経験いたしました者としまして感じましたことをお述べいたします。
 なお、詳しいことは村上先生、亀田先生、それぞれ豊富な御資料で御説明されることと存じますので、そちらでよろしく御質問願います。
 今度の地震の特色と申しますと、関東大震災、空襲による東京その他の被害、それに比べまして特徴的なことは、関東大震災のときは御承知のように地震後の火災というものがありましてほとんどの町が全焼してしまったわけです。空襲のときにも、あらかじめ疎開ということで幾人かの人は、特に児童その他は疎開しておりましたが、ほとんどやはり焼夷弾という攻撃で全焼いたしました。それでありますから、国家、国は割合に後始末に対してすぐ手を打てた。当時の後藤新平内務大臣、内務省というのはその当時、建設、運輸その他厚生や自治、全体の所管を一手に引き受けておりましたので、戒厳司令部を本郷に置いて復興に対しての一元的措置をとれたわけです。
 その後、その復興計画は予算の関係で縮小されましたが、後藤新平さんの初めの案は物すごい大規模な根本的な改造計画でありましたが、ごらんのとおり、昭和通りその他幾つかの大通りが完成しましたが、住宅その他の建設はいわゆるバラック復興で、そのままそれが残ってしまった。もう一回それを復旧する間もなく、大空襲でまたそれらが全焼してしまったわけでございます。大空襲のときも、疎開をしておりましたので住民の被害がそれほどというか少なかったのでございますが、全面的な火災でやはりほとんど焼失した。そういう時期でございますので、政府の施策が割合と一元的にできた。
 それに引きかえて今度の地震は、関西では地震は当分ないだろうという予想がかなり専門家の先生の一部でもありましたし、一般ではもっと安全だという考え方がありまして、地震に対する備えはほとんどなかったと言ってもいいぐらい、気分的にもそういう状態でございました。そこへああいう直下型の活断層というような線に沿っての強烈な地震がありましたので、非常に対応にびっくりしたわけでございます。それで、緊急に対策をとるいとまもなく多数の人が瓦れきの下に埋まって大勢の方が亡くなられたという状態でございます。
 そういう状態でございますが、町全体が全焼したというよりは、倒壊その他火災で地区的には全滅したところがありますが、その次にはかなりの地区では半分ぐらい建物その他が残った。それから、ある市町村においては一部が壊れ大部分が残ったという状態でございますので、これに対する地方の行政、これが非常に避難民に対する緊急な救済で手がいっぱいであります。現在も多くの避難者が小学校その他に残っておりまして、あるいは復興に不可欠な住民の行方もわからないところもございます。こういうことで地方自治体が、一番よく地方のことを知っております人たちが復興計画を立てるいとまもなく緊急の対応に追われざるを得ない。そういう状態ですから、国も直接戒厳令をしいたり、そういう形で関与するわけにもいかなかった。そういうところで緊急対策という点において立ちおくれをしたという反省がございます。
 それで、緊急対策につきましては、御承知のように住民の生活、避難民対策、それからライフラインという上下水道、電気、水道、ガス、そういうようなものの復旧、それから主要な交通路線の復旧。神戸においては、これに加えまして港湾施設が思いのほか、コンクリートそのものは丈夫でありましたが、下の砂れき層が両方に分かれたりして壊滅してしまって、神戸の生命と言える外国貿易がとまってしまった。こういうような事態が発生しましたので、緊急対策はいまだにまだ多くの難問を抱えておるわけです。
 ですから、これから復興計画を立てるわけですが、その復興計画を一元的に立てるというわけにもまいらず、各地区の被害状況に応じていろいろな形の復興計画を立てざるを得ない。それを緊急の対策と結びつけて中期にその間に、将来はこうなるという計画と現在の緊急対策をどう結びつけながらこれを進めていくかというのが今回の対策の特徴でございます。
 例えば、まず住環境を整備することが第一でございますが、そのほか交通網の回復、ライフラインの回復、そういうものを仮設でやっておいて将来もう一回本当の復興計画に結びつけるのかあるいは根本的な大きな大動脈のようなものの復興、そういうものの本格的な復興を図って、その間別の形でつないでいく、そういう中期の対策が現在の段階だと思います。
 それですから、よく言われるように、人が帰ってこなければ神戸そのものの財政、復興という基盤が崩れていくと。港湾に至っては、本格的な復旧に至る長い時間の間に、神戸の持っていた国際的ないろいろなものがアジアとかそういうよそのところに移ってしまうおそれもあるというような大きな問題がございます。
 港湾に勤めておったいろいろな職業の方を呼び戻すにしましても、その職業をどういう形で確保するかということも大切なことでございます。それですから、商業それから中小企業の復興ということは、そのつなぎとして非常に難しい施策が必要なわけです。本格的にはこういうところを将来の商業地にするということを決めましても、それまで人が帰ってこない、あるいは商売できないという中小企業の人たちに、どうして本格復興までつなぐかというような施策が今回は非常に大事な問題になります。
 まさに現在はそういう中期計画の問題でございますが、それには将来どうすべきかという復興計画がなければいけない。それは従来にも増して完全な防災計画にならなきゃいけないということでいろいろな案が今示されつつありますが、中期とそれをどう結ぶかということがわかりませんので、住民の人たちがやはり非常に不安に思って反対するようなこともあります。
 それでもう一つ、今回はいわゆるボランティアというような人が非常に活躍しましたことは意義の深いことでございますが、もともと関西の特に神戸市あたりは、住民参加の都市計画、町づくりという協議会というようなものが発達しておった都市でございます。そういう形で協議会をつくろうといたしまして今現在やっておりますが、肝心の住民が帰ってくるのかこないのかわからないと。関東大震災の後には、当分帰ってこないで郊外に避難した人たちが非常に多いわけでございますが、中途半端な被害を受けたところは、本当に帰ってくる住民がどれだけおるのか、そういうことが今協議会をつくってもなかなか全員の合意が得られないということになっております。
 ですから、今後は早急に立てた復興計画を見直しながら、最終目標はやはり今までにない、今までできなかった、関東大震災、大空襲の後がバラック復興になって、もう一回大被害を受けるような町にならないようにつくることが大切でございますが、それに至るどういう施策をとるかが一つの新しい問題でございます。
 それでもう一つ、きのう答申されました国の計画についても、住宅を重要視しろということ、それから港湾を重要視しろということなど、昨日答申しましたが、大体方向としてはそれで結構と思いますが、やはり関東大震災後、あるいは明治維新からの、明治政府からの日本の都市の一番欠陥は、住環境ということを軽視していた。国は、道路、その他公共施設についてはかなり大胆にやりましたが、住宅は民間が何とかするだろうということでこれまで来ておりました。それですから、貯蓄は非常に世界有数でありますが、住環境は非常に劣悪でございます。諸外国に比べて緑の少なさ、下水道に至っても、その他非常に低いわけでございます。
 それで、総理府が二、三カ月前に発表しました各国のそういう投資の比較、ストックの比較をいたしましたが、日本は現在マルチメディア、そういう先端技術的な投資については非常に飛び抜けております。これは結構なことでございますが、それに引きかえ住環境の指標となる住宅、緑地、ライフラインというような点については非常にいびつな格好になっておる表が総理府から出ております。これはもう非常に大変なことでありまして、将来の復興において、今度こそほかの都市がまだ、日本全体がまだしっかりしている間に十分な新しい将来の都市をつくるという機会に恵まれたと言うと語弊がありますが、そうしなければいけないような使命を、これは亡くなった方に対してもそういう町をつくらなきゃいけないということが非常に大きな点でございます。
 それで、それに対してもう一つは、今までは町全体を考えた計画をもちろんつくらなきゃいけない、マスタープランというような。しかし、町の中にはいろいろな地区の特性がございます。今度の活断層の走っている地区などがわかればこれは対策上一つの大きな問題でございますが、そうでなくて、町全体を一つのシステムで管理するということは必ずしも安全じゃないということがだんだんわかってきたわけです。
 それで、町の中をいろいろな地区に分けて、その地区ごとにある程度の自給といいますか、食料にしても、避難拠点にしても、上下水道にしても、おのおのの地区である程度の自給ができるというような形にしておきませんと、広い今後の都市については全体のシステムを整え過ぎますと、それの復興が非常に難しくなるということがございますので、そういう点では避難地というようなものも、現在の町のいろいろな避難地の位置とか考え方が必ずしも適当でないところがたくさんございます。避難地は安全であっても、そこに行く道筋が非常に危険だというところへ計算上逃げることになっているようなところもございますが、そういう危ないところをつくらずに各地区ごとにある程度の安全性を保つという形の復興計画が今後必要だと思います。
 最後に、そういう復興計画は非常に長い間かかります。それから人間関係、それから財政関係、そういう形も非常に難しい問題を含んでおる。それで、国だけで、上からの計画ではできない。下からの町づくりという機運もございますが、そういうものを結びつける一つの専門的なグループが必要になっておるわけです。それで現在、私は、十年前に図らずもそういう再開発コーディネーターというような職業を、各分野の人が集まったそういう職業のもとをつくりまして、この前の建設大臣のときにそれを、再開発プランナーという資格を与えました。
 現在、そういう人たちが非常にたくさん要求されているわけです。関西におります。そういう人たちは、昼夜を分かたず今不眠不休で活躍しておりますが、どうもその辺の人数がやはり少ないのでございますので、そういう人を自治体あるいは国、そういう間のいろんなつながり、住宅ローンがまだ残っているとかあるいは新しい再開発にするにはどういう権利が必要かという難しい問題があります。これはもう十年以上新しい町で経験しておりますが、そういう人たちを養成する、人材を養成するということも非常に大きな復興の一つでございます。
 それから、住宅・都市整備公団というようなものも、ある意味では民間に肩がわりしてもいいというような意見もありましたが、現在その人たちが一番そういう復興に対する能力を持っている集団でございますので、そういう形でみずからがやらなくても、そういう人材を供給してやるというようなことについて政府は応分の予算を、これは大した予算でございませんので、そういう形のものをやるというようなことが大切だと思います。
 以上、私の意見を一応終わらせていただきます。
#7
○委員長(合馬敬君) どうもありがとうございました。
 次に、村上参考人にお願いいたします。
#8
○参考人(村上處直君) お手元に参考の「防災都市構造計画の実践に必要なもの」というのをお出ししておりますけれども、きょうはスライドを中心にして、レジュメにあります四項目を大体お話しいたしたいと思います。
 その前に、今回の災害の位置づけといいますか、発生した時間帯が都市の活動時間でなかった。それから風が弱かった。地震の被害というのは、都市活動とか時間とか気象条件とか、いろんなことで変わってまいりますので、今回あったからそれがすべてというわけじゃなくて、やはりいろんな問題をちゃんと考えて都市づくりをやる必要があると思います。
 それから、都市直下型地震という言葉がありますが、都市の直下で強い地震が起こったときの問題で、現在、建築基準法というのが定められておりますけれども、先ほど高山先生のお話にもありました、今の建築基準法というのは関東大震災、相模沖で大きな地震が起こったときの東京の震度六を一応前提にしております。ですから、当時の、例えば神奈川県の小田原とか二宮とか横浜とかあちらの方は東京の震度に比べて大きいわけですので、今回の阪神地域と同じようなことが実際は起こっておりましたけれども、関東大震災というのは被服廠で四万人近くが亡くなったということから、少なくとも日本の国としては東京の関東大震災の二の舞はしないようにしようというのが今の耐震の一つのレベルだと思います。ですから、局地的にはかなり大きな被害が起こるというのは、これは前提としなければならないと思います。
 そうしたときに、耐震技術だけの技術的な対応策では必ずしも十分できませんので、先ほど高山先生のお話にもありましたけれども、緑地とかそういういろんなオープンスペースの問題など、計画的なサイドの防災対策が非常に必要だと思います。
 きょう、スライドを用意しておりますけれども、スライドは一応ちょっとお見せした方がいいと思います。(スライド映写)
 ごらんのように、これは朝の、まだ夜が明けてこない段階の空からの写真ですけれども、完全に無風状態でございます。関東大震災のときには、ちょうど低気圧の通過もあってかなり風が強かったということで、事態は全く違っております。
 これは午前中の、空から見た写真だと思いますけれども、これもまた風が少ないわけです。
 これは、このぐらい燃えていても割合近くにいられるということは、ほとんど無風であるということです。
 それから、今回の被害は非常に強く大きかったんですけれども、私は、関東大震災のときの警視庁が撮りました写真をたくさんいただいておりまして、全くそれのイメージで、関東大震災以降、耐震的にいろいろやってきた日本でまさか同じようなことが起こるということは余り予測していませんでしたけれども、考えてみれば古い建物とか補強していないものというのが存在するわけですから、当然そういうことが起こってまいります。
 これはニカラグアのマナグアで一九七二年の暮れに起こった直下型の地震ですけれども、直下で地震が起こりますと規模が小さくても非常に強い振動が起こる。地震が起こりまして、それで構造物が破壊します。日本の社会では、例えば設計するときに、関東大震災クラスの地震に耐えるという言葉を使いますけれども、それが先ほど言いましたような意味で、必ずしもそれですべてではなくて、局地的には外れることがあるとすれば、ある程度壊れたときを前提にした対応策というのを持たなきゃいけないと思います。
 今回の阪神地域を見ますと、山が迫って海があって、割合細長い狭いところに道路とか高速道路とか新幹線とかすべてのものが集中しているという形態で、そういう中では事後の対応も含めて非常に深刻な問題があります。今日でも瓦れきの片づけなどはなかなかうまくいかないわけですけれども、そういうことに諸外国ではどういうふうに対応しているかということをお話ししたいと思います。
 一番の、アメリカの災害対策についてでございますけれども、アメリカは一九七一年のサンフェルナンド地震の後、割合地震対策を真剣に取り上げ始めました。最初に取り上げたのは一九六四年のアラスカの地震でございますけれども、これは巨大な地震ですので、どちらかといえば後始末対策的でございました。一九七一年のサンフェルナンド地震は、どちらかといえばそういう巨大地震でなくて、局地的にやられたけれども直下の中規模の地震である。それに対する対策を考え始めました。
 それで、一九七二年にニクソン大統領が正月の教書でアメリカの災害対策について考えようという提案をして、その後、すべての災害を最初にやるのは難しいから、アメリカが一番困っている火災対策といいますか宇宙に行けるような力を持っているのに、どうして火災でこんなに人が死ぬんだというところから始まりまして、七二年、七三年と委員会を構成いたしまして、それで七四年に一応レポート、アメリカンバーニングという報告書がつくられまして、それに基づいて、火災を総合的に強くやるためにはどうしたらいいかという組織をつくりまして、その組織がつくられたときに報道関係から、非常に興味があるから取材に行こうということでアメリカに取材に行ったのが一九七六年です。
 行ってみたら、彼らが何を言ったかというと、ワシントンにいろんな人材を集めて中央でいろんなことを制御するようなシステムというのは正しくない。だから、来年ぐらいにその組織は解散するというふうに言いました。それで、その後どうするんだと聞いたら、地方のいろんな組織とか行政とか、それから地方の研究所とかそういうのを生かしながら、財政的支援、それから人的支援、それから最近は情報の管理システムの支援、そういうことを中心にしてやろうというようなことが始まりました。
 そのときはまだFEMAというようなことの形が必ずしも明快でございませんでしたけれども、そのFEMAという核戦争対策のための組織に災害対策も乗せていく。災害対策の対象としては人災も含めてすべてであるんだけれども、地震とかトルネードとか洪水とかいろんなものがある。そういうことで始めまして、アメリカでは一九七七年に地震災害低減法という法律をつくって、八〇年の初めぐらいまでには具体的な対応策を考えるというのが連邦政府の法律でございましたけれども、それに基づいてかなり活発な動きが始まりました。
 ちょうどそのときに、一九七八年に日本で起こりました地震が宮城県沖地震でございまして、そのときアメリカの連中は大勢で日本にやってまいりました。その当時から日本とアメリカの災害対策のグループというのはかなりコンタクトを持つようになったんですけれども、私が日本でいろいろ企てたようなことに対してアメリカの連中は、これはなかなかいいことだというので持ち帰って始めたのが今GISといいますか、地図情報システムになっている一番最初でございまして、横浜オークランドスタディーというのが始まりまして、初めてマッピングシステムにいろんな情報を乗せるということをやったのがオークランドの消防でございます。そこでGISの始まりが起こりまして、アメリカでは地図情報についてかなり進めております。
 一番最初にアメリカの社会で地図情報をFEMAがバックアップして支援しながら具体化したのが一九九二年八月のハリケーン・アンドリューのときで、その地図情報の上に、例えばその当時は戒厳令を出した地域はどこだとか、ごみ焼却場所はどこだとか、避難場所はどこだとか、赤十字とか移動キッチンとかそういうものはどこにあるんだ、そういう位置を地図上に示すようなことをやりながらFEMAがGISのシステムを使っていろんなことをうまく管理できたという経験が最初でございます。
 それから、次にかなり大きくやったのが一九九四年、昨年のノースリッジ地震です。これは、ロサンゼルス市が地震対策を一九八〇年の当初からかなり切りかえて、それまではかなりシビルディフェンス的な発想で地震対策をやっていたのをやめて、それぞれの施設管理者に、君たちが提案しなさいという形でトム・ブラッテル市長が提案いたしまして、それぞれの施設がすべて地震対策を考えるというやり方をしました。
 そうすると、それぞれの施設というのは例えば建物でも公園緑地でも道路でもいろんな施設を持っているわけですから、その施設をGISというかそういうマッピングの上に乗せていろいろ管理するというのは非常にうまくいくわけで、ロサンゼルスでは一九八七年からそのマッピングシステムを市役所の中に導入することに決めました。それで四月から、それまでカリフォルニア州で、ロサンゼル市である程度調査が済んでいた一九三四年以前の耐震的でない建物をまず落とすという作業が終わったのが一九八七年の夏でした。ちょうどその一九八七年の十月一日にウィッディア地震という小さな直下型地震が起こりまして、そのときにそういうGISのシステムがあれば非常に早くうまく対応できるという評価を受けまして、ロサンゼルス市ではGISのための予算が非常に大きくつきまして、完成させておりました。
 一九九四年のノースリッジ地震のときには、アメリカのFEMAの連中が二百台ぐらいのワークステーションと電話回線を持ち込んで、すべてのそういう出先のサービスステーションとかいろんなところの情報をたたき込むということをやりまして、地震が終わった後のいろんな様相を素早くつかめるということをやりました。
 実は、九二年と九四年の間にもう一つミシシッピのあたりの洪水がありまして、そのときもかなりGISを使うようないろんなことをやって、的確に洪水の避難しなきゃいけない地域とか何かを非常に早くやれるということで、ミシシッピのときにFEMAの連中が何を言ったかというと、要するにこのシステムがあれば、これまでだと予算的措置をするには被害を見積もらないとうまくいかなくて、その見積もりに時間がかかっていて、そうじゃないとチェックが切れない。お金のチェックを切る係の人が地元に行っても切る形になかなかならない。ところがこのGISがあればある程度予測的に切れるということで、また評価されたりしております。災害のときのそういう予算的な措置を手早くやるためにもそういうGISのシステムを使って見積もるというようなことを彼らはうまくやっております。少しGISの絵をお見せします。(スライド映写)
 これは、一九三四年以前の耐震的でない建物を一九八〇年代から調べていたのが七千六百ぐらいある。七千八百六十二と書いてございますけれども、そのうち八百ぐらいは非常に危険だから壊して建てかえたり緑地にしたりしております。残った七千を一九八一年の初めから補強していく作業をやっていて、ウィッディアの地震のときにはまだ一千戸ぐらいしか補強できていなかったときに地震がありました。この間のノースリッジ地震のときには最後九百ぐらい残っているときに地震が来ています。そういう古い危ない建物の補強というのを地道にやってきておりますので、ロサンゼルスのこの間の地震はあの程度で終わったと思いますけれども、もし八百ぐらいの危ない建物が残っていたとしたら、それは見事に今回の日本のようなことがあちらで起こっていたと。
 これはアメリカで地震対策を始めたときのお話です。
 これはちょっと御説明しておいた方がいいんですけれども、阪神地域で県に一つぐらいこういうものがあればいいなというものですが、これは遠く離れたところの他とか海から一マイル半ぐらい水を圧送できる消防用のポンプ車で、一九八六年に彼らがつくりまして、初めつくったときに何でこんなものが役に立つんだと思ったんですけれども、その後のロマプリータ地震とかノースリッジ地震のときにすべてこれは活躍しております。ごらんになればわかりますけれども、太いのが来て、大体消防用のホースが三本ぐらい同時に引けるという構造になっております。
 これは初めてのマッピングで都市計画の絵をかいたものです。
 この建物は補強されておりますけれども、ウィッディアの地震のときに壊れております。
 アメリカの地震対策でうらやましいのは、右側にいるのがリチャード・アイスナーという男ですけれども、宮城県沖地震の後、アメリカから飛び込んできた中にいた人間が今でもサンフランシスコ側の地震対策のディレクターとして仕事をやっているわけで、そういう意味では地震があった後、住民に配らなければいけないいろんなマニュアルとかいろんなプリントのたぐいがあっと言う間に出てくるというか、それは人間がいるからですけれども、ずっといてくれるのは非常にいいことです。日本ですと、私も小さな防災のための事務所をつくって長くいろんなことをやってまいりましたけれども、大学に行ったりして資料はどこにあるのかという話で、大体本当に起こってみたときにどうするんだろうという心配があります。
 これは、ちょうどことしの一月十七日にアメリカからロスのGISを持ってきてくれたんですけれども、震度分布図です。地震の震源地がわかって、こんなふうに揺れると、その上にある建物は一軒一軒どういう構造でいつごろつくってというのが全部わかっていますので、大体どのくらいが倒れて、どのくらいの人が下敷きになるという一見積もりが非常に早く出せるというシステムです。
 こういう危険とか注意とか、それからこれは使ってもいいというようなのを非常に早く張ってしまいます。ほとんど三日ぐらいで全部やってしまいます。なぜやるかというと、彼らは余震で崩れて危険があるということを防ぐというのが一番の目的のようです。日本ではそういうことよりも構造物が本当に使えるかどうかということを判定しようとしておりますけれども、早い時期に余震の問題とか何か考えるんだとするとやっぱり手早くやらないといけない、そういうタイミングの問題が非常にあります。これはそういうふうにして調べたやつの結果ですけれども、赤、黄色、緑というふうに一つ一つあります。
 これは、地震のときのサービスセンターというものを設けられていて、十の丸がございますけれども、それぞれの丸がその地域のセンターになっているんですが、こういうふうにこれはバーニングのセンターですけれども、このセンターでは例えば二十カ国で対応すると書いてあります。実際にボランティアの人が二十人以上いて、ギリシャ語でも日本語でも中国語でも何でも対応できるんです。なぜそんなことができるかというと、これは例えば日本語をしゃべる人たちがどのぐらいいるかというのをZIPコード別に塗ってあるんですけれども、スペイン人はどこに住んでいるとかみんなわかっています。そういう事前のことがわかっている。
 それから、これは収入別なんですけれども、この収入別で濃いところが高い収入の方ですが、そういたしますと、例えば点々で書いてあるのが被災建物です。そうすると、収入の高い方は避難場所には来ない。友達のうちとかホテルに打っちゃう。次のレベルの人は来ても三日か一週間ぐらいで自分で何とか自立する。どうしても最後まで残るのは一番収入の少ない方々だというようなことであらかじめいろんな議論ができる、だから先ほどのFEMAのお金を出す側の動きも非常に早く運動できる、こういうことです。
 これはアルジェリアです。二番目のアルジェリアのエルアステムというのは、一九八〇年十月十日に起こった地震ですけれども、実はこの町は一九五四年すなわち昭和二十九年にもつぶれてしまった町です。当時の一九五四年の地震は、この町よりも北のところにベニ・ラシッドという村があるんですけれども、そこから北に断層が走りました。今度の一九八〇年のときはそれより南に走ったわけです。そのために構造物はつぶれてしまいました。
 フランスのチームがその復興計画を立てたんですけれども、ここに書いてございますようにある程度壊れてもいいようにつくっているんです。そのために、例えば市場があれば市場の隣に同じ規模の公園を持ってきてやるとか、それから官庁街では官庁街の建物からみんな飛び出してきてもとにかく収容できるだけの広場がちゃんと設けてあるとか、それから街角公園というのをつくって、広場というのをつくって、そこで皆さんがテント生活をしています。そうすると、遠くに離れないでいいわけですから、自分のつぶれかけた建物の中から物を取り出したり、非常に精神的に安定してまいります。それで、なぜか震災があったのに翌日からみんな割合笑顔だというのが不思議だという話があって、それはなぜかというのがありましたけれども、その直近にやっぱり広場とか公園とかそういうのを持っているというのは非常に大事なことだということがこの際わかります。
 これは、ちょうど一週間目に外国のプレスと一緒に現地に入ったときの水を配るところの絵ですけれども、みんな割合リラックスしている。予想外に、確かに建物はたくさんつぶれておりますけれども、前回の地震に比べて被災者数は極めて少ないと思います。
 これはつぶれる前の絵はがきですけれども、道路なんかでもこういうふうに、いわゆる道路の概念を防災道路といいますか緑地道路といいますかもっと別な意味で本当に空間計画的に考えてやっている。
 実際に、都市の中に先ほど高山先生がおっしゃった新しい何か概念をというふうに考えたとしたら、やはり今の道路とか公園とかいろんなものが本来持っている能力、災害時に能力を生かせるようにするためにはどうしたらいいかということをやらなきゃいけない。
 そのためには特別な措置をやらなきゃいけないかもしれませんけれども、私が例えば高山先生の御指導のもとで白髪の防災拠点とかいろんなことを手伝いましたが、そのときに、結局なぜそれを強くしなきゃいけないか差別化が難しいという話が出ました。それは、予算がどうしてもかかるわけですから強くするためにはその強くしなければいけない理由が要るというんですね。これはなかなか証明しにくくて、白髪の防災拠点とか何かでは戦略的な発想から大蔵省と折衝いたしまして、とにかく予算を獲得できましたけれども、なかなか難しい。都市の中のいろんな施設とか構造物を全部平等につくっていいのかというところが多分今回の復興の中で大事になってくる話題じゃないかと思います。
 これは唐山地震です。唐山は一九七六年の七月に起こった地震ですけれども、この地震では唐山の人たちは、この間の神戸と同じように、阪神と同じようなことが起こっていて、道路がだめなものですから紅衛兵が来ても三日目ぐらいまで何もできなかった。とにかく都市の中に入れない。それで、新しい唐山市は三つの町やニュータウンを二十五キロぐらい離れたところへつくって、それから昔のつぶれなかった工業地域と、三つの核にしていこうというふうにしてつくりました。
 これは、汽車会社の壊れた、それの保存されたやつですけれども。これが復興後のちょうど十年後の唐山、十一年後ですか八七年ですから十一年後ですかこういう感じになっています。
 今回の仮設住宅と同じような問題が起こっていて、先ほどの二十五キロ離れたニュータウンというのを非常に早くつくって、そこに行けばいいというようにしたんですけれども、結局住民が移動しなくて、十五万人ぐらいのところをつくったんですが、五万人ぐらいしか行かなくて、ほとんどその復興が完了した十年後の前の年までみんな公園とかそういうところで避難生活を続けておる。
 水というのは非常に大事で、そのためにこういう水受けをつくった。
 これは酒田の火災のスライドでございますけれども、先ほどの江東デルタ地帯の防災再開発の体験とは何かといいますと、形としてはこういうふうに非常に激しい構造的な形をしていて、何だこれはという話かもしれませんけれども、はっきり言ってこれは住宅地の再開発なんです。ですから、それまでの再開発というのはほとんど商業地域とか経済的な力があるところでやっていたわけですけれども、初めて生活体験とか経済的な問題とか中小企業の問題、先ほど高山先生がたくさんおっしゃいましたようなことをとにかく一からやる。そのために、建設局だけではできないものですから、経済局、建設局、住宅局、それからその当時は首都整備局と言いましたけれども、いろんな東京都の局が全部一体的になって知恵を出し合ってやって、それで住民の家賃補助の問題とか今やっといろんな一般的な再開発でもそれは必要だという話が出てきましたけれども、ほとんどこの場でやらせていただきました。
 やっぱり町を再開発するときにその対象となるものというのが今回の被災地でもいろいろグレードがありまして、それに応じていろんな今の事業法を適用しなきゃいけないんですけれども、必ずしもそのすべてに対してうまくそれが適用できるような構造になっていないことが非常に問題だと思います。
 それで、結局江東デルタの知恵を使いながら酒田の復興を手伝ったんですけれども、そのときの体験を話しますと、高山先生のお手伝いで地元の復興推進委員という立場をいただきましてやりました。そのときに、初め私たちはボランティアで地元に行っていたんですけれども、今の市長が建設部長で、とにかく最初に百万円ばかりの交通費をいただきましてしばらく行っていたら、建設部長が、もう君たち、交通費を使い切ったのに来てくれるな、心苦しいと言われました。それでも、そのころはもう地元との関係が深まっておりましたので地元に通っておりましたら、突然、町づくり推進のための費用を議会で通したから契約に来いと。先ほどの江東デルタの白髪の防災拠点なんかでもプランニングボードという中核的な調整機能をずっとやったんですが、一度も行政のサイドでそれが表の金になりませんでしたけれども、初めて町づくり推進費というのが酒田で表になった。
 高山先生にあした酒田へ行って契約しますと言ったら、先生が何をおっしゃったかというと、金のもらい方は大事だからなと一言おっしゃいました。それで、現地に行きまして、建設部長が契約しようという書類を出したときに、建設部長からは契約受けられませんと言ったら非常に怒られまして、おまえ何を言うんだと言われましたけれども、そうこうするうちに商工会議所の方に一遍出していただいて、なおかつ地元住民もお金をつけるという形が成立いたしまして、私はその地元の商工会議所から地元住民のお金を含めてお願いされた立場というのをいただきました。そのために酒田の復興ではかなりいろんなことができました。
 そのときに、ここは建設委員会でいろんな方がいらっしゃると思うんですけれども、酒田市に経済部の住民の対応の窓口とそれから建設部の窓口と二つあって、私は助役の補佐みたいなことをやっていたんですけれども、後ろで眺めていると、建設のテーブルにはほとんど人が来ないんですね。毎日毎日、暇なおじいさんが一人座っているだけです。経済部の方は行列で処理できないくらい人が来る。
 そのときに、本当に町づくりというのは箱物をつくるということだけではなくて中身が非常に大事で、その中身のお金というのはやはり非常に潤沢だということがわかりまして、そのときの中小企業庁の次長は宗像さんとおっしゃいましたけれども、非常に喜ばれてぜひ酒田方式で町づくりをやりたいというお話をされました。ところが、そのときには建設省にそれを言ってくれというので行きましたら、省議にかけていただきましたけれども、時期尚早ということで流れてしまいました。大塚雄司さんが建設大臣のときに、先ほどの高山先生の再開発コーディネーター協会の正月の会でそれができるようになったとおっしゃいましたので、もうチャンネルはできているんだと思います。
 今回やはり阪神地域で大事なことは、その柄をつくる話と先ほど先生がおっしゃったようなそこで生活する人たちがどうやってやっていくかということをあわせてやる手法というのを見つける必要があると思います。
 それから中国の唐山の耐災性について非常に、これは日本でもそういう選択が可能かどうか知りませんけれども、謝先生という京都大学にちょっといて、ちょうど夏休みに帰ったばっかりに京都大学を卒業なさらなかった先生が唐山の復興委員長でしたけれども、その方がおっしゃったのは、今の中国では経済力がないから震度四の強ぐらいで設計してある、だけれども丁寧につくってあるから震度五の地震にも耐えるだろう、それでしばらくして経済力がついたら大事な建物は補強していきたい、そういうことを謝先生がおっしゃっていましたけれども、初めから全部非常に丈夫につくるのかそれともそういうふうに段階的にいろいろやっていくのかということが非常に大事だと思います。
 時間が参りましたので、これで。
#9
○委員長(合馬敬君) どうもありがとうございました。
 次に、亀田参考人にお願いいたします。
#10
○参考人(亀田弘行君) 京都大学の亀田でございます。
 私の専門はもともと土木工学、土木耐震学の分野でございまして、以前はそういう意味で土木構造物、主として橋梁であるとか鉄道の構造物の地震対策といったような構造工学的な部分をやっておりました。その後、ライフラインシステムの地震防災というところに徐々に入ってまいりました。それと同時に、今回の地震でもいろんな議論が行われておりますが、その構造物なりいろんな施設に作用する地震の力、これが非常に推定が難しい、不確定性の高いものであります。そういうものをどういうふうに見積もっていくのかというふうな研究をしてまいりました。数年前から防災研究所に移りまして、都市施設耐震システム研究センターという組織で都市の地震防災全般をいろんな分野の方々と共同研究をするというような活動を行ってまいりました。そういったバックグラウンドからきょうはお話をさせていただきたいと思います。
 今回の地震による被害、先ほど村上先生の言葉にもありましたように、多くの専門家がやはり現代の日本の都市の耐震性がこのレベルであったかということについては正直申して驚きを持って迎えている部分ございます。そういう意味では、私自身も耐震工学に長い間携わってきた者としての責任も感じております。
 こういった観点からいろんなことを考えているわけでございますが、非常に多くの問題がございますので、私としては先ほど申しました私のバックグラウンドからお話しできることということで限定的に申し上げたいと思います。
 計画論的なことにつきましては、高山先生、村上先生から十分なお話がありました。そういう意味で、私自身は耐震技術ということを中心にお話ししたいと思います。ただ、耐震技術というのは、物を丈夫につくるということだけではなくて、災害時にどのように対応していくかという事後対応についてもいろんな技術的な問題がございます。そういう意味では、ハード、ソフト両方含んだ問題としてとらえていきたいと思います。
 それで、資料をお配りいただいておりますけれども、表紙をめくっていただきますと、きょうの概要ということで三つのことをお話しするという計画をしております。
 一つは、兵庫県南部地震。この地震は非常に特殊なものであったという表現も時々とられるわけですが、これは本当に特殊なものなのかどうか。特殊とすればどういう点が特殊なのかということをやはりひとつ踏まえておくことも必要だろうと思いますので、この点をお話ししたいと思います。特に都市直下型地震、それと最近日本を襲ってまいりました海洋型地震の災害との比較をしてみたいと思います。それから、地震動が非常に強かったわけですが、それがどのような性格のものであるかということを簡単に見たいと思います。
 それから、阪神・淡路大震災における土木施設の被害でございます。
 私は、土木分野に責任を持つものですからこういう表現をしておりますが、建物関係についても少し言及をしたいと思います。それは、やはり耐震技術の特質とか発達の経過をきちっと正確に踏まえた上で評価すべきだと思いますので、そういう歴史的な展開も含めて今回の被害との関連を見てみたいと思います。
 最後に、今後の課題として、安全な都市へ向けての合意形成をどういうふうにしていくのか。特にここは国政の意思決定をしていただく立法府でございますので、そういうことへ向けての安全に対する合意形成をどのようにつくっていただけるかということ、これもたくさんの問題がございますが、私の専門からお話しできる耐震技術の課題、それから安全性というものをどのように見るのかということについて簡単にお話しさせていただきたいと思います。
 それで、資料、幾つかの図や表をつけておりますが、こういうものを補足するために少しOHPも使いながらお話しさせていただきたいと思います。
 一枚めくっていただきますと資料一というのがございます。この資料一は、明治以降の主な被害地震、被害のほかり方というのはたくさんあるんですけれども、横向きの棒で死者、行方不明の数を示しております。全部で三十二の地震を挙げております。百年ちょっとで三十二ですから、非常に頻繁に被害地震が起こっているということはこれを見ておわかりだと思います。ただ、この中で福井地震というのが下の方から三分の一ぐらいのところにありますが、昭和二十三年の福井地震以降、その福井地震で三千七百人余りの方が亡くなって以来、日本ではこれほど大きな死者を出す地震は起こっておりません。
 幾つかの理由があろうと思います。
 一つには、耐震技術の進歩ということも確実にあったと思います。それと同時に、都市直下型地震がなかったということがあるわけで、この五十年間が日本の地震災害という面では非常に幸運な時期であったということは言えようと思います。
 それから、もう少し中身を分解してみたのが資料の二でございます。
 これは、この中の幾つかの地震、全部で二十六個の地震をピックアップしておりますが、真ん中のところの地震名と書いた左側に海洋型地震、右側に直下型地震というふうに書いております。これは、ここにOHPで見ていただきます。(OHP映写)これが、日本書紀などの古文書にも被害地震のことが出てくるわけですけれども、そういうものを一切合財ひっくるめまして日本でこれまでに何らかの被害をもたらした地震の起こった場所を全部示したものです。これを見ていただきますと、海中、太平洋側とか、それから北日本の日本海側で地震が起こっております。こういうのを海洋型。いろんな地震学的なメカニズムもあるんですが、そういうことは今省きまして、そういうところで比較的大きな地震が起こります。
 それから、内陸部で非常にたくさん地震がある。地震がないと皆さんがこの五十年間思っていた関西も、これで見ますと真っ黒であります。歴史をひもとくとこういう事実が厳然としてあるということでございます。
 そういうことで、海洋型、直下型を分けてみます。それからもう一つ、星印を幾つかの地震名につけておりますが、これが都市部に何らかの被害をもたらした地震ということです。海洋型の地震というのは、比較的規模が大きくてちょっと離れたところで起こりますので、結局広い範囲に影響を及ぼして、左側の海洋型地震には全部星印がついています。
 それに対して、直下型地震というのは、これはいろんな見方がございますが、星印をつけましたのはこの中で全部で十四回あるうちの五つ、約三分の一が都市を襲ったということになります。
 ということで、直下型地震も海洋型も、これを見ますと、下の方に数字で示しましたように、平均して十年に一回ぐらいはどこかで起こっております。直下の場合は、それがたまたま大都市圏の近傍で起こりますと大きな被害をもたらすというわけです。
 そういう意味で、都市直下ということは確率的にはかなり低い地震である。特に、福井地震以来五十年間、そういうことは起こらなかったということ。そうして近代的な耐震技術というのはこの三十年間ぐらいの間にずうっと発達してきた。それは主として海洋型の地震による被害をベースに発達してきたということでございます。
 六四年の新潟地震ですが、それの右側に日本初の強震記録ということを括弧の中に入れておりますが、大地震のときの揺れ方をきちっと科学的に測定して初めて地震による力というのはどれぐらいのものであるかということを数字であらわすことができるわけで、日本で初めてそういう記録がとれたのが昭和三十九年の新潟地震でございます。
 ということで、直下型地震による都市災害というのは、明治以降も現実には起こっております。そういう意味で、決して今回の兵庫県南部地震だけが特殊な地震というわけではありません。しかしながら、こういう科学的な耐震工学がずっと発達してきてからは初めての地震だと。そういう意味では特殊であるというふうな理解が最も現実に近いのではないかと思います。
 それから、この絵はごく簡単に海洋型の地震と直下型地震の被害範囲の広がりを簡単に示したもので、右側の方に関東地震による震度五以上の地域があります。左上の方に福井地震というのがあります。関東地震では最大震度六であったわけですが、福井地震は非常に激烈な地震でした。被害の範囲はあのようにもう非常に違います。直下型というのは局所的に非常に激しい被害をもたらす。福井地震の被害はそれまでの震度六では到底説明できないということで、この地震の経験から初めて震度七というのが設定されたということになります。
 今回、日本が初めて経験した震度七であるという報道が時々行われますが、それはそうかもしれませんが、正確に言いますと福井地震を見て初めてつくったのが震度七ということであります。そういう意味では、今回の地震は都市災害のタイプとしては福井地震の再来であるという見方もできようと思います。
 それから、地震の起こり方はそういうふうな理解で、じゃ地震動はどうなのかということ。今回非常に激しい地震動が得られた、記録されたということがございます。
 資料の三をあけていただきまして、上の方には主要な強震記録の最大加速度が表になっておりますが、この細かいことは省きまして、下に建設省の方でうまい絵をつくっていただいたので引用しておりますが、得られた加速度の大きさを丸の大きさで示しているというのがございます。六百ガルというのは要するに重力の加速度の六割ぐらいというふうにお考えいただいたら結構なんですが、それを超える記録がこの震源の近傍では得られている。
 こういうものは、一昨年の釧路沖地震の記録というのが唯一の例外で実は存在するんですが、専門的にちょっとややこしくなりますから、その地震の記録をちょっと省きますと、それまでに得られた我が国の新潟地震以来の強震記録と比べて、これは非常に大きな地震動であります。耐震設計された構造物がいろんな意味でなかなか対応をし切れなくてたくさんの破壊が出たということについては、こういうことに対応していなかったということはやはり事実であろうと思います。
 それとともに、ではこの地震動そのものも特殊なものであるかどうかということがもう一つあります。これにつきましては、こういう都市直下型地震の記録が日本でとれたのは今回が初めてでございますので、そういう意味では特殊であります。しかし、先ほど村上先生のお話に出てまいりました昨年のノースリッジ地震も震源の近くでたくさんの記録がとられています。そういうものもひっくるめまして比較すると、決して特殊なものではないということになります。ここのOHPで示しております絵は、赤い点が今回の兵庫県南部地震による記録です。左側のブルーで囲ったあたりが震源のすぐ近傍、断層から十キロ以内でとらえた距離、横方向が距離をあらわしています。
 線が三本ありますが、その真ん中の線がこれまでのいろんな強震記録に基づいてマグニチュード七ぐらいですとどの程度の地震動の強さになるだろうかということを、ノースリッジ地震の記録も一緒にして分析したものでして、あの太い線、真ん中の線の大体、ばらつきがかなりありますけれども、両側にわっとこう今回の地震の記録もばらついております。
 ですから、マグニチュード七前後の直下地震が起こりますと、この断層のすぐ近傍ではこの程度の地震動が発生するんだということは決して特殊なことではないということが、これもごくごく最近の問題としてこういうふうにわかってきたということになります。
 私が言いたいことは、こういうことはわかっていたんじゃないかなんというようなことではなくて、むしろ将来の地震においてはこういうものがやってくるんだということを前提にしてこれからの対策をきちっとやっていかなければならないということを言いたいわけであります。
 それから、地震と地震動につきましてはこういうふうに理解をいたしまして、耐震工学、今回いろんなたくさんの構造物が壊れまして、私自身も非常に内心じくじたるものがあるわけですけれども、耐震技術そのものを十把一からげでいいのか悪いのかという議論が少し行われ過ぎかなとも思いますので、若干、耐震技術がこれまでに発達した経過をごく簡単に振り返りたいと思います。
 資料の四に、耐震工学の展開、耐震基準に見る耐震工学の展開ということを簡単にまとめております。いろんなことがこれもございますが、簡単のために建築関係と道路橋の耐震基準関係だけに的を絞っております。
 耐震基準は、その時々の耐震工学を反映して何度もレベルアップしてきておりますので、それに特に影響を与えた地震というのもやはりございます。そういうものを左側に書いております。
 関東地震が起こってから後に世界で初めての耐震基準というものがつくられました。それから、福井地震のすぐ後、建築基準法がつくられておりまして、これが現在の耐震設計法の一つの基礎を築いた、現在に直接つながる基礎を築いたと考えられます。
 それからその後、十勝沖地震とか宮城県沖地震というのがありますが、これは剪断補強とちょっと専門的な用語になりますが、今回の地震で非常に大きな被害を受けた鉄筋コンクリートの構造物は、鉄筋によってコンクリートをいかに強固に縛りつけることができるかと。その縛りつける効果が少ないと、こうばっと破裂するような被害が起こるということだったんですが、そういうことが耐震技術の進歩とともにだんだんとわかってまいりまして、そういうことが基準の中に取り入れられたのが一九七一年、それから一九八〇年というふうに次第に強化されてきています。
 そのことのあらわれとして、今回の高速道路の高架橋の被災度の比率というのを挙げましたのが表の2であります。七一年以前の基準によってつくられたもの、それから八〇年以後の基準でつくられたものを大破、中程度の被害、軽微な被害、無被害というふうに分けますと、このように両者でもう明らかな差があります。(OHP映写)ちなみに、大破というのは、例えばこういう写真を何度もごらんになったと思いますが、完全な倒壊、つくり直さねばならない状態、それから中破というのはこの程度のことで、このままでは使えないけれども補修をすれば使えるという状態、それから小破というのはこういうところに、下の方にクラックが入っているのがごらんになれるでしょうか。これぐらいですと、これは表面的な被害で内部はほとんど健全です。少し、表面をきちっと覆ってやればそのまま使えます。そういったようなことでありまして、この表2のように八〇年以降のものは中破が少しあるという程度で済んでいみ、大破はゼロということでございます。
 それから、建築基準法の方も七一年と八一年に大改正が行われたわけですけれども、一番下の絵は防災研究所の建築グループの方々が神戸の中央区を調べた結果でありまして、真っ黒いところが大破、それから真っ白が無被害ということで、その比率を示しております。右側に建設の年代をとっておりまして、七一年あたりと八一年あたりで大破がぐっと減っているという状況がおわかりになろうと思います。
 こういうことを見ますと、まだまだ今回の地震で現在の耐震技術を再検討しなければならない部分というのもございますが、技術の進歩そのものは着実に行われてきたし、その方向は私は基本的に正しかったと思っております。
 問題は、耐震技術の細部の見直しだけではなくて、耐震技術が進歩するということと社会が実際に耐震化される道筋との間には必ず時間差が生じるということ、その間に地震被害が発生しますとまだ古いままで残っていた構造物が大きな被害を受けるということで、こういう構造物をどういうふうに補強していくかということがこれからのやはり大問題であろうし、そういうことについては耐震技術者も今後大きな責任を負っていかなければならないというふうに思っております。
 それで、三番目に移りたいと思いますが、では今後の耐震化の課題、これもたくさんございますが、幾つかの問題に的を絞りたいと思います。
 一つは、まず資料の五をあけていただきまして、耐震技術の課題として耐震構造のハードな技術、これは今申してきましたような構造物をいかに丈夫につくるかということですが、阪神大震災の被害について破壊のメカニズムを、やはりまだこの検討は続いておりますけれども、これを徹底的にやはり調べることが我々の役目であるし、そういうことをぜひとも忘れずに続けるということを国の意思としてもぜひ支援していただきたいと思います。これによって、現代の耐震技術、先ほどのように着実に進んできてはいますが、やはり謙虚に検証するということが重要だろうと思います。
 それから、それに基づいて耐震技術そのものを再評価する、あるいは基準等の再検討に結びつくのかもしれません。そういう検討は今後専門的に、現在ももう既に始まっておりますし、いろんな場所でそれは検討されていくことだろうと思います。そのときに、これは後ほどまた申し上げたいと思いますが、重要度という概念をきちっと再検討するべきだろうと思います。
 それから、先ほど申しました既存構造物の補強の技術、それを適用していくこと、こういうことが非常に重要な課題になる。そういうことと同時に、今回の地震の経験の中で、耐震技術をさらに信頼度の高いものにするためにいろんなやはり課題も出てきております。そういう基礎的な研究も推進しなければならないと考える次第です。
 それから、構造物を丈夫につくるだけではこういう大災害はなかなか乗り切れないんだということがこの前のお二人のお話にもございましたし、私もそのとおりだと思います。地震がいざ発生したときにどのようにきちっと対応するかということは、一つはやはり組織の問題があります。組織的にどのような仕組みをつくっておくかということ、いろいろ議論もされましたし、既に御発言もありました。ただ、それを支える技術的な基礎ということがありますし、そういうことも耐震技術の一環としていろんな貢献ができるはずであります。そういうことを今後はぜひ進めていくべきだと考えるわけです。その中に防災情報システム、あるいは先ほどもお話ありましたGISといったようなことがございます。これについても後ほど簡単に触れたいと思います。
 それから、安全性への合意形成、これが非常に今後重要な問題になってくるんだろうと思います。これは、私の竜ともとの専門とは少し違うんですが、今回の地震の後、いろんな学会レベルでもそうですし、あるいは政府関係の委員会などに出席して議論をしておりましても痛切に感じることですが、社会の質あるいは生活の質としていろんな質がございます。安全性、利便性、快適性、文化性、効率性、こういったいろんな指標で人間は意思決定していくわけですが、その中での安全性という概念をやはりもっと普遍的に位置づけていくということがこの際重要ではないかと思います。
 地震のリスクといいますのは、例えば交通災害と比べますと、その下にありますように二けたぐらい、死亡リスクだけで見ますと二けたぐらい低いわけであります。しかしながら、交通災害の場合は地域的に分散しますし、時間的にも分散、社会的にはそういうものを分散吸収するような仕組みがかなり発達してきております。それに対して、地震災害は地域的に非常に集中します。時間的にも集中します。局所的には非常に甚大な影響を与えて、それが長期的影響に及んでいく、こういったことを、リスクの特質をきちっと踏まえた上で安全性の議論を今後深めていくべきだというふうに考える次第です。
 安全性への投資ということは、結局、防災問題は最終的には経済的問題に帰着されます。国の問題としては、そういう予算を含む政策決定ということにつながっていくわけでありまして、その下に三行ほど書いておりますが、それはこの際省かせていただきますが、その最後のところでまた内容的には含まれますので、(三)の方に行きまして一、二を見ますと検討しなければならない問題がたくさんあるんですが、この際特に議論を深めて実現をしていっていただきたいことが三つほどございます。
 社会の基盤施設、インフラストラクチャーと言われるもの、これは主として行政がいろいろ整備していく施設であるわけですけれども、あるいは公共企業体等によってつくられている施設でありますが、そういうものを耐震化する。それは新しくつくるものの耐震化と同時に、従来の施設の補強ということの両方があるんだということは先ほど申し上げたとおりですが、その中で重要度、重要度という言葉がよくなければ施設に要求される耐震性能、こういうものをもっと目的に応じた区別をつけて防災投資をやっていくということが非常に重要だろうと思います。先ほど、村上先生の中にもそういうことが出てまいりました。
 すべて世の中の施設を全部一様に丈夫につくりなさいということは、言うのは簡単ですけれども、決してそういうことは現在の日本の経済力をもってしても、ある土地を見れば千年に一回来る地震に対しても無傷でということは非常に困難であると、そういう事実はまず我々は認めた上で問題を処理しなければならない。そうしますと、まずやはり人命を失わないということが前提になります。そのことが一つ。
 それと、やはり災害時の緊急活動の拠点となるような施設、これは少々傷んだとしても必ず機能は保持するようにというようなことを確実に行っていくことが重要だろうと思います。
 こういうことは実は既にいろんな行政、自治体のところでも行われております。行われておりますが、こういうことを特殊ケースとしてだけ行われるのではなくて、やはり日本の全体の安全性をどういうふうに確保していくかという議論をきちっと活発に行っていただく中で、今後の安全の対策の中に生かしていっていただきたいという意味であります。少し言葉は不適切かもしれませんが、あえて申せば重要度の差別化ということを、施設による差別化ということを本当に議論する、それが結局全体としての安全性の向上につながると考えるわけであります。
 それから二番目は、安全性向上支援のための財政的誘導というのがあります。行政が整備するインフラストラクチャーを強くするだけでは社会全体は丈夫にならないわけでありまして、先ほどから幾つかの例、村上先生が見せられましたように、やはり民間の施設でたくさんの死者が今回も出るということになっています。そういうところは自助努力で丈夫にしていかなければならないわけですが、やはりそういうことを支援するような体制をぜひつくっていっていただきたいということ。
 それから三番目が、災害開運情報・データの共有化ということであります。先ほど飛ばしました(二)のbの三番目のところに安全な環境の整備、これは行政がいろんな形で整備していただくということになるわけですが、防災施設の整備、インフラの強化、それから安全性向上支援のための財政的誘導、こういうことがありますが、最後の情報・データの共有化ということがあります。こういうことの一環としてぜひお願いしたいんですが、先ほどGISが非常に有効であるということのお話がありました。このGISの技術というのは日本でも、アメリカを少し追っかけるような形ですけれども、かなり進んできております。
 実は、私自身はこの三年ばかりこのGISを防災問題に利用できないかということで幾つかの研究会を細々とやってまいりました。そういう絵をちょっとだけ大急ぎで見ていただきたいと思いますが、(OHP映写)これは今回、阪神大震災の地図をGISに乗せまして、これは国土地理院で地震直後に写されました航空写真を解読して、破壊した構造物の点を示したものです。こういうことが地震後一週間でつくられたわけですけれども、日本が全国で持っておりますこういう能力を総動員すれば、こういうことはある専門家によりますと一日あればできるだろうというふうな意見もございます。
 地震後の被害の把握に非常に今回手間取ったということがございますが、大災害の場合にはボトムアップで現地から上がってくる情報、これはもちろん重要であります。重要ですけれども、そういうことだけでなくて、外部からこういうふうに把握していくために技術的な成果を十分に活用するということが重要であろうと思います。
 地震直後の記録ですから精度は余りよくありません。これは三割ぐらいをミスしていると言われております。しかし、もう一つのこの赤いもの、これは毎日新聞の方が死者の発生の場所を私どもの方に表で持ってこられまして、それを私どもの方でGISに乗せた結果なんですが、この二つを重ね合わせてみますとほとんど一致します。ですから、最初のこういうふうな情報を持っておれば災害に対する対応には非常に役立つはずであります。
 それから、これは私どもの方で、ほかの大学とも協力しまして、二月九日、十日、地震から三週間たったころですが、瓦れきの問題が非常に難しい問題になっておりました。瓦れきによって道路が、街路がまだふさがれているところを調べてもらいました。それがこの赤いバッテンであります。全体を見てもこれぐらい残っていたと。GISのいいところは、こういうものを自由に拡大して見ることができますし、そうやって見ますと、これは住吉のあたりを拡大したものですが、こういうふうに赤のバッテンで残っております。
 東西に走ります二本の国道がありますが、それは全部あいておりますけれども、しかしそこは大渋滞していたわけです。もちろん、それは高速道路が壊れたことによる交通集中もあるわけですが、こういう状況ですと地域内の交通も一遍国道に出ざるを得ないというようなことで、非常に大きな問題を起こしている。こういうことは、GISの上にこういうふうに乗せてみると非常にはっきりとわかってくることであります。こういうこと。
 それからさらに、私ども、ボランティア活動をちょっとやらせていただきまして、長田区の区役所で被災家屋の解体の申し込みに住民の方たちが来られるんですが、これが非常に事務的に時間がかかりまして、紙の地図を使っておりますと一人何十分もかかってしまいます。そういうことで、GISを持ってまいりましてお手伝いするという機会がありまして、こういうふうに場所の確認をコンピューターの上で、既に住宅地図が入ったコンピューターを持っていきますと一分ぐらいでそういうことは終わってしまうというふうなことがございます。
 こういうことで、実際に、経験的にこういうGISというのは非常に災害時に役に立つはずだということを確信するようになりました。先ほど村上先生のお話のように、アメリカの方ではそれは早く進んでおります。日本もぜひこういうことを災害に備えて進めていただきたいと考える次第です。
 ただ、そのときに一つ大事な問題がありまして、こういうことは災害が起こってからつくり始めても遅いわけであります。それに備えていいものを事前に用意しておくことが重要であるわけです。そのためには立派なデータベースが必要です。社会の地図だけではなくて、そこに含まれている施設であるとか、先ほど御紹介ありましたように、経年劣化した家屋がどうなっているかとか、あるいはインフラストラクチャーがどうであるかとかという情報を一カ所に一元管理することによって初めてそういうものを重層的に見ることができるわけです。
 そういう個々のデータベースというのは、実は日本でも立派なものがたくさんあります。各省庁でも、それぞれの管轄されている施設についてはたくさんそういうものがございますし、公益企業でもそれぞれお持ちであります。問題は、そういうものがばらばらに存在していると今のような災害時に役立つようなオペレーションはできないわけで、今後、政府の方でもGISを使って防災に役に立てようという構想もお持ちのように聞いておりますけれども、ぜひそういう横断的なところをきちっと押さえたいいシステムをつくり上げていただきたいと思う次第でございます。そういう意味で、ハードな耐震技術でなくてソフトの耐震技術にもぜひ御理解をいただきたいと考えています。
 以上で私の意見陳述を終わります。
#11
○委員長(合馬敬君) どうもありがとうございました。
 以上で高山参考人、村上参考人及び亀田参考人からの御意見の聴取は終わりました。
 これより質疑に移りたいと存じます。
 本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、委員各位には懇談の形式で自由に質疑応答を行っていただきたいと存じます。質疑を希望される方は、挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。
 また、質疑につきましては、理事会の協議により、一回の発言時間は三分以内で行っていただきたいと存じますので、御協力のほどお願いいたします。
 なお、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。
 それでは、質疑のある方は、私から指名させていただきますので、挙手をお願いいたします。
#12
○上野公成君 どうも高山先生、大変大局的な見地からお話をいただきまして本当にありがとうございます。
 その中で、町全体のマスタープランをちゃんとつくって、それをやっていくということだと時間も大変かかるわけで、町の中を幾つかの地区に分けて、それぞれの地区を自給できる、完結のできる町にしていくということが大事だというお話を伺ったわけでございますが、大変そのとおりだと思うわけでございまして、今いろいろ住民の側からいろんな意見が出ているのも、そういうことがよくわかっていないんでこういうことになっているんじゃないかと思います。
 私、こういうことを聞いたことあるんですけれども、十七世紀の中ごろに江戸で大火がありまして二万戸ぐらい焼失しました。二十七平方キロぐらい焼けたわけでございますけれども、同じころにイギリスのロンドンでも一万三千戸ぐらい焼けました。十年ぐらいの間にこういう二件あったわけでございます。
 江戸の場合は、四代の将軍の家綱のころだったんですけれども、お寺だとかいろんな施設をどんどん外へ持っていく。それから街路を広くする。これ、上野広小路なんていうのはその名残だそうでございます。それから防火帯を設ける。日本の方がそういうインフラ整備の政策をとったわけでございまして、これは将軍という大変強い権力があったからできたことじゃないかと思います。一方で、ロンドンの方はチャールズ二世のもとだったわけでございますけれども、耐火共同建築物の整備を促進する、要するに一つ一つの建物をしっかりとつくるという、共同化、不燃化の政策をとったわけでございます。
 今回の場合も、いわば江戸型でいくのか、それからロンドン型でいくのかという、そのバランスということが大事だと思うわけでございますが、先ほど言われた先生の言い方は、江戸型よりもロンドン型の少し広い形がいいんじゃないかというお話じゃないかと思うわけでございますけれども、その辺のバランスをどういうふうに考えておられるかということ。
 特に、今防火地域の指定というのは路線型と申しますか、路線に沿ってかけているということでございますけれども、もう少し広い形でかけていくとかということもあるいは必要じゃないかと思うわけでございますが、その辺についての先生の御見識を伺いたいと思います。
#13
○参考人(高山英華君) これは、インフラの方の整備と中の建物その他の整備でございますが、どちらに偏っても本当はいけないと思うんです。ただ、今まで日本は建物の方はバラックで、道路やそういう公共施設を国としては非常に大きなバックアップをしていった。その点がまずかったと私は思います。それですから、ロンドン型というよりは日本型にプラス、今度は建物の、特に住環境ですね。民間資本でやりますのでビルディングは建ちますが、住環境についての投資がどうもうまくいっていないんです。
 日本は今、膨大な貯蓄を持っていながら郵便局に預けておいて、我々の生活についての投資がどうもうまくいかない。これはもう経済問題も含めまして、僕はやはりそういう住環境について、もう少しみんながお金を投資するという方法をとらなきゃいけない。それについてのいろいろな施策は、やっぱり建設委員会が経済委員会などと一緒になって、うまくお金がそっちの方へ回るような仕掛けを政府としてとっていただきたいというふうに思います。
 技術的にはいろんなことが考えられると思いますが、要するに実行をまず、民間のそういう意欲あるいは蓄積をストックとして、いい町として残すという形でやる。ロンドンの石造というものが向こうの一つの、木造よりも普遍的でしたから、そういう意味では割合とそういうことをつくりやすかったということはございますけれども、日本もやっぱり木造だけじゃなくて、いろいろな形の、木造についてももう少し質の高いものをつくるようにしていただきたいと思います。
#14
○青木薪次君 お三方の先生から有益なお話をいただきまして大変参考になりました。
 私は二十日前に神戸へ行って見てまいりました。大体復旧から復興に移るということを聞いておったものですから、復旧という基盤がもう大体整備されておるかなと思ったんですけれども、さにあらず。道路を片づけたということと、長田地区あたりは焼け跡が広大でありますから相当焼け跡は片づけてあったんですけれども、三宮とかあるいはまた東灘区等の関係。高速道路の関係等については、阪高なんかはまだ落ちたきりになっています。とんと見通しが立たない。一年くらいかかるんじゃないかと。新幹線の高架橋が落下して、これが復旧をしたことは大変喜びなんですけれども、問題は、率直に申し上げて、駅前の広場に扇形に、扇形状に商店街が走っている。そして、その商店街の相対する道路の幅が大体三メートル前後、中には二メートル半もあるというようなところを見てまいりました。
 そうすると、この辺の関係等については、復興委員会の計画はもちろんのことでありますけれども、大体マスタープランをっくってそして区画整理事業、再開発事業を進めていかなきゃならぬ。地域地域によってその方式はいろいろあると思うのでありますけれども、問題は、立派な計画が、プランができてもなかなかこれに対する住民の皆さんの賛同を得るということは大変じゃないか。
 特に、平均して住宅の土地面積が三十平米ということになりますと、たった九坪しかないんですね。普通、区画整理事業をやると二〇%ぐらい減歩される。区画整理事業は白紙に進めるわけでありますから、結局そういう中でなるべく少なくしよう、減歩を少なくしようということで一〇%にしても、八坪ではこれはもうなかなか大変だ。
 しかも、そこの駅前の商店街等について、我々は昔から親しみを持ったところでありますけれども、そういうところの皆さんをもう他の地域に移転してもらう。その地域にあっては、新しいひとつ再開発方式か何かで考えていくというようなこともあろうと思うのでありますけれども、この辺の問題点について高山先生から、数々の御経験をもとにして、今後持つべき考え方というものはいかにあるべきかという点について御示唆をいただきたい。
 それから、新しく亀田先生にお願いしたいのでありますけれども、私は静岡県でございまして海洋型なんですね。海洋型だけれども、ここにありますようにそのところどころで、いわゆるプレートの中における活断層が走っているわけです。ですから、プレート内における直下型が時々起こっている。
 ですから、その辺について、日本には二千五百以上の活断層があるということが言われておりますけれども、その点から考えてみまして、今もう日本国じゅう危険がいっぱいということで、例えば高速道路の高架橋なんかについても、今度はトラックが二十トンが二十五トンになったでしょう、これに耐えるものはどこにあるのかというとほとんど耐えられない。これからつくるものはそうしていこう、補強しようというようなことで、新幹線やその他の高架橋も補強をして鉄板を巻いたところはいいんだけれども、例えば橋台とピアとの間の接合をどうするかという問題と、これから道路橋の基礎構造をどうするかというような問題等について相当やっぱり問題があるんじゃないかと思うんですが、この辺についてまたいろいろ申し上げたい、意見をお聞きしたい点があるんですけれども、この二つについてちょっと教えていただきたい。
#15
○参考人(高山英華君) 御指摘のように、余り小さい敷地はもう無理なんですね。ですから、立体換地とかいう手法を使いましてどこかの高層化した人工の土地をもらうとか、そういうことをしないと道路も広がらないし、小さい敷地にまたバラックを建てるということになってはそれだけはやっぱりまずいと思うんです。
 ただ、その間商売をどうするかとか、それから幾らぐらいでそこへ今度は入れるのか、そういうようなのがさっき言ったコーディネーターというような、法律とかいろんな技術的なものを含んだ人たちが行政と住民との間に入ってネゴシエーションをしながらっくっていく、こういう機関がどうしても要るわけです。
 それで、マスタープランの最終のプランと現在の被災地の生活とその中間の時期をどういうふうに乗り切るかという計画が今まで余りなかったんですね。最後がこうなるぞと、それから現在は応急の食料とか避難所とかという、その間をつなぐ過程がうまくなかった。今度はそういうところを連続して、余りむだのないようにしていく。
 だから、ある点では多少、その全体の商店街を再興するためには、小さな道路に小さな家を建てたんじゃ将来商店街として成り立たないということをやっぱり説明しなきゃいけないですね。そういう形でいくよりしょうがないというふうに考えます。
#16
○参考人(亀田弘行君) 静岡県は東海地震の問題がございますし、非常に地震のリスクという点では問題も多いところでしょうし、かつ大規模地震特別措置法が定められて以来いろんな施策も皆さんの御努力でされているわけで、それなりの、やはりそういう現代的な意味での地震対策が日本では最も進んでいる地域だと思います。
 そういうことを前提にして申し上げたいと思いますが、東海地震が今言われているような形でもし起こるとすれば、これは海洋型ですけれどもほとんど直下に近い形で起こるという最も厳しい条件になるだろうということは考えられます。ただしかし、そういうところでどういう地震動が発生し得るだろうかということについてはかなり詳しく研究も行われ、予測も立てられ、それに従って対策が実施されてきているというふうに私自身は理解しております。
 村上先生に直接これはかかわっておられるんでしたらまたお答えいただいた方が適切かもしれないんですが、私自身は、数字をどういうふうに決めるかというところについては静岡県の場合はかかわっておりませんので一般的なお答えしかできないわけですが、そういう状況で、やはり新幹線にしろ高速道路にしろ、いざ地震が起こってそういうものが破壊いたしますと、緊急輸送路としての機能の問題、それから人命を損なうかもしれないという問題、そういう意味では非常に重要な事柄だろうと思います。
 そういう意味では、今回の地震の経験を踏まえて新しく補強のレベルをどういうふうにするかということは、やはり非常に重要な問題だろうと思います。そういう観点からの補強が行われてきているということも承知しておりますが、それは阪神大震災を踏まえてさらにそれで十分かという検討を十分に行っていただきたいというのが現在の私の気持ちです。
 ただ、どこまでやればよいかということにつきましては、一般的な結論というのは、相当まだあと何カ月か技術的に、十分に科学的に被害の実態を解明した上で答えが出てくる問題だろうと思っております。
 それから、例えばトラックの制限重量がふえて、そういうことがさらに悪影響を及ぼすのではないかという御指摘でございますが、こういう道路橋の全体の構造の問題にかかわってきたこれまでの経験から申しますと、トラック重量が二十トンから二十五トンにふえたということは、もし影響が出てくるとすれば、けたの方の耐女性に影響が出るかもしれないというようなことで、その点は十分検討の上で決められたんだろうとは思いますけれども、耐震問題としましては、上の重量がこの程度の割合でふえたということは、橋脚であるとか基礎であるとかということにそれが直接厳しくきいてくるという程度のものではないと私自身は思っております。
 やはり、地震荷重の実態というのは、車両がどうなったら乗っている場合はどうなるかという研究を実は私やったことがあるんですが、やはり橋自身が持っている自重ですね、自重がそれ自身の荷重となって痛めつけるということが圧倒的に多いですから、そういう意味では交通の重量が増したということよりも、むしろ構造物本体が持っているそういう特性をどう補強するかというところに努力を傾注していただくのがよろしいかと考えております。
#17
○矢原秀男君 二点ほど質問させていただきます。
 最初に、村上先生にお願いしたいんですけれども、このような大都市直下型において初動の救援対策の問題ですけれども、学校の体育館に各地区の被害の方が集積をされて集まられた。私も三日目に西宮から神戸に入るのに車で十時間かかるんですね、そのときに。
 ですから、運動場の体育館に皆避難をされる、被災民が。運動場の中央部に、平素から住民に周知徹底をして、大型か中型かの自衛隊を中心とするヘリコプターが初動の中でおりていく。そうして、各地区の被災のところに散っていく。そうすれば、五千五百以上の亡くなられた方でやはり少しでも助けられる人たちを、お話をずっと聞いておっても、私は人命救助できたと思うんですけれども、今回の県や市のあれを見ておりましても、ヘリコプターが着陸できる学校の中央部に、それぞれの地区におりていけば、相当私は初動の救援体制ができるんではないかなと思うんですけれども、これについては技術的とかこういう大都市の場合、どうなんでしょうか。
#18
○参考人(村上處直君) こういう緊急事態のときのヘリのおり方の問題なんですけれども、基本的に、アメリカなんかですと相当アクロバットなおり方が平気でできるんですけれども、日本の場合、ふだんでもそういうことを余りトレーニングしていないものですから、オープンスペースが非常に狭くてなかなか難しいみたいです。
 それで、基本的に今のお話は都市の中に必要な空地とかオープンスペースのシステムの問題で、先ほどアルジェリアのときにちゃんと言わなかったんですけれども、そういうシステムデザインができていればいろいろ対応できると思うんです。先ほどロンドンの話も出ましたけれども、ロンドンでもちゃんと街角広場みたいのがあるんです。そういう広場とかオープンスペースというのはちょっと見えないものですから導入しにくくて、明治のあたりでいろんな見える技術は入ってきているんだけれども、そういうオープンスペースとか見えない技術はどうも入ってきていないですね。
 もしそういうボイドの都市計画というか、すき間の都市計画みたいのがちゃんとしっかりしていればいろいろ対応できるし、それからGISもそうなんですけれども、結局ふだんですと時間というのは余り関係ないんですが、災害時には非常に時間が大事なんです、今おっしゃったように。その時間を節約する防災対策というか、災害対策という概念が日本の社会ではない。
 だから、広場とか公園とか学校の校庭なんかの処理がほとんどできていない。公園というのがすべていいのかというと、なかなかいろいろな施設があって役に立たなくて、今おっしゃったように学校の校庭しかないわけです。学校の校庭というのは教育施設としてあるわけで、それほどちゃんとした規模を持っていないわけで、ヘリがちゃんとおりられる場所はどことどこかというチェックもふだんからなかなかなされていないような状態だったと思います。
#19
○矢原秀男君 亀田先生にお願いしたいんですが、今回ライフラインの水、ガス、電気、通信、これが初動から応援体制まで物すごく時間がかかりました。私たちも入って市や県の防災対策にお話をしても、もう手いっぱいなんです。だから、大阪ガスだとか関電とかいっても、そこも大変。
 このようなことで、土木工学の立場から、大都市において幹線的にはこういうもののラインはどうすべきである、それから枝葉に分かれる問題はというものがこの復興計画の中にやっぱり入ってこないと、テレビで全国の人が見られても、水は行くと技術的には完璧なんです。しかし、こういう震度に対して水も出ない、もちろん電気も通信もガスもということで、これを土木工学の構造の立場から見て、被害を最小限にするための技術というのをどうすべきであるかということをお伺いしたいと思います。
#20
○参考人(亀田弘行君) 基本的なスタンスは今おっしゃったとおりに私も考えております。
 ライフラインというのは、水道を例にとりますと、各家庭まで全部くまなく行き渡るということによって都市の利便性を保障しているわけで、勢い非常に細かいネットワークまで、末端まで行き渡るということになります。その場合に、地震が来たときにすべてが壊れないようにというのはやはり現実的な選択ではないというのが一般的に技術的にも考えられておりますし、私自身もそのとおりだと思います。ただ、非常に戦略的といいますか、重要な路線についてはきちっと確保しておくこと。例えば、防災拠点になるような避難所であるとかあるいは防災活動の拠点となる重要な施設、病院等々、そういうところには必ず行き渡るようにということは技術的には可能であります。
 問題は、そのようなネットワーク構成をきちんとつくっておくことと、そのための重点的な防災投資をするということだろうと思います。そういう概念がこれまでなかったわけではないんですが、今回の震災の中でそれは考えていた以上に激しい被害であったという経験をしたわけですから、その部分をやはり強化するということが重要だろうと考えます。
 技術的にどうかということでは、例えば一例だけ申し上げますと、水道の耐震管路というのがこの十数年開発されてまいりました。力ずくで地震に耐えるということよりも、むしろ地盤の揺れに柔軟に対応しまして、地盤がずっとずれていった場合には継ぎ手のところでずるずる滑りながら外れないようにするというふうな技術が開発されているわけです。耐震継ぎ手と申しておりますが、そういうものが今回の場合はポートアイランドとか六甲アイランドにたくさん使われておりまして、そういうものの破壊箇所はゼロであったというようなこともございます。
 埋設管の被害の物理的な実態がどうであったかということにつきましては、まだ復旧がようやく終わったばかりでそういうデータそのものの仕分けがこれからですので、そういう点について技術的に問題点がないかというチェックは必要ですけれども、基本的には耐震管路として開発されてきたものは優秀な強度を示したし、そういうものをできるだけ普及していく努力は今後必要だろうと思います。
 さらに、今おっしゃられましたような特に拠点的に重要なルート、そういうところから順番に強化していく、そういうことが一番今後神戸だけではなくて全国的に考えていただかなければならないことだと思っております。
#21
○上田耕一郎君 日本共産党の上田でございます。
 三人の参考人の方々、大変参考になるお話をありがとうございます。お一人一問ずつ質問させていただきます。
 高山参考人には、復興計画の中で住民参加の町づくり協議会の問題や、それから住環境、緑の町づくりを支援する、住民参加の制度的な保障についてお話をお伺いしたいと思います。
 今回も、被災市街地復興特別措置法案がかかりまして、私どもは住民参加がないというので反対したんですけれども、あれは建築制限を二年に延ばしていますね。ところが、現地ではそれも使わないで、非常に急いで都市計画が決まりまして、いろいろ反対運動が起きて、芦屋なんかは予算の否決という状況になっています。いろいろ日本の都市計画のあり方が問題になっていて、欧米では市町村が決定権を持っているんだけれども、日本ではかなり行政主導で都計審で決まるという状況がありまして、それでこういう問題でそのあり方を考え直さなければならないんじゃないかという議論も強くなっているんですけれども、住民参加の制度的な保障について先生のお考えを伺いたいと思います。
 それから、村上参考人には、被害の予測の問題を、アメリカのFEMAのことについてお話しになりまして、私、東京選出の議員なんで東京の問題に関心を持っているんですけれども、東京都の防災会議が平成三年につくったものが大体みんな使われておりまして、例えば焼失率も中野区が一番多くて五五%なんですね。これを見ますと道路橋の被害率一・三%という数字なんですよ。ところが、今度の建設省の道路橋の調査報告を見ますと、神戸線については、橋脚、鉄筋コンクリート二五・三%、シューに至っては四二・八%の数字が出ています。
 そうしますと、これは阪神大震災の教訓からいって、東京都の防災会議は、みんなこれでやっているんですけれども、かなり予測を見直さなければならぬのじゃないかなと思うんです。先ほどもGISですかその利用のお話なんかもありましたけれども、東京については、例の石橋克彦さんの岩波新書などを見ますと、必ず来る大震災で人類始まって以来の大被害になることは確実だというふうな予測もありますので、そこらあたりの参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
 それから、亀田参考人には、土木工学の専門家としての反省点をおっしゃったんですけれども、亀田さんも参加されておられる対策委員会の報告を見ますと、例えば今までの橋脚の強度なんかは設計強度よりも、強度試験結果なんかは設計強度の三倍ぐらい強い結果が出ているんですね。それでも壊れたということになりますと、技術の問題以上に、kを〇・二gとした基準そのもの、それが大問題になるんじゃないかと。先生は最後の問題点で、社会的施設等については地域係数だけではなくて重要度係数についても考えなくてはならないというふうに言っておったんですけれども、これ技術者や先生方の反省点よりも、関東大震災並みというふうにkを〇・二gと決めていたことが大問題なんですね、反省点じゃないかと思うんです。その点御意見をお伺いしたいと思います。
#22
○参考人(高山英華君) 住民参加というのはやっぱり一番大切なことだと私は思っております。昔は内閣が、内務大臣ぐらいが決めちゃって、それから府県知事のところで決める。それから今は市町村に都市計画を落とせというのが大体の意見なんですけれども、市町村に落として、市の都市計画審議会というのがありますね、そこの議員さんと行政の人が住民の意見が余り入らない案をそこで決定しちゃうと、先ほど言ったようにかえって反発が出てくるんです。
 今度のは、先ほど僕が言ったように行政が避難民の方で手いっぱいなんですよ、もう非常にくたびれちゃっている。復興計画を立てる暇がないときに、省とかそういう上からまず案を出した。それで混乱が起こっちゃったんですね。ですから、これはもう一回やっぱりやり直すと。そういう意味では、兵庫は割合に住民参加の都市計画というのは進んでいるんですね。
 ですから、この隣どういう形にするか。市の都市計画審議会のところに住民参加の意見がどういうふうに入るかあるいはそこの市会議員とか区会議員、それから行政、審議会の委員に対してもうちょっと住民の意見が直接。当選したら後は知らないというのじゃなくて、今度は多分みんな選挙で防災防災と言っているでしょう、選挙のスローガンに。だから、言って当選したらやらなきゃ困るんですよ。
 だから、そういう意味では、市町村の議員さんと行政と住民とこの三者の意見が一致する、そこにはやっぱりさっき言った専門のコーディネーターみたいな人がいないと、ただ利害で争うことになりますから。
 今度は一つのチャンスかもしれませんね。どの程度までそういうものをおろせばいいか。地区で決定すれば、それを都市計画とするというぐらいのところまでいくのか。あるいは、決定するときにどのぐらい住民の意見を強く入れるか。それから、現在の住民の代表という市会議員や区会議員の人が、公約のときだけ防災防災と言って、当選したらもう知らない、そんな勉強もしていないでしよ、つ。
#23
○参考人(村上處直君) 今の最後の住民のことは、やっぱり地元の住民の動きは非常に強いと思って、かなりうまくやればうまくいくんじゃないかという感じを少し持っています。
 さっき先生が最初におっしゃったみたいに不在というかいないんですね。その問題の解決というのはかなり難しくて、どこにだれがいるんだと探して歩くのがなかなか難しい。
 それから、被害想定の話でございますけれども、これは今回のことがあって明らかに見直さなきゃならないところです。日本の被害想定の委員会の構成というのが、私も工学部ですけれども、大体そういうつくる側の先生が委員長になったりしてやっているものですから、なかなか壊しにくいというかそれでかなりアンダーになっているんです。
 そういう意味では、今回阪神地域であれだけのことが起こりましたので、少なくとも私の関係している神奈川県なんかでは見直そうと。実際、神奈川県の例えは小田原地域のあたりの西部地震の被害想定を出したときに、この橋は落ちるとか、この病院はだめだとか具体的にやったんですけれども、結局レポートには出せなかったわけです。
 だけれども今度は、ではだめになったらどうするんだと。だめになってもやっぱりやるべきことがあるし、やっているじゃないかということで検討するという話になるわけで、日本の場合は、お役所が補強するお金がないものですから今言っちゃだめだよという話で出せなかったんですね。壊れるなら壊れてもいい、壊れたときにどうバイパスさせるかとかそんなことを考えればいいんだからということを言っても、なかなかそういうディスカッションができなくている。
 アメリカでは、文科系の人がかなり被害想定というかシミュレーション、シナリオをつくったりしています。彼らは言っているけれども、落ちるものは落ちると。だから、落ちたときにどうバイパスすればいいかとか、逆に、そういう意味で側道の計画とかいろんなことをちゃんとやっていけると。そこの辺がやっぱり非常に基本的な問題だと。
 ですから、アメリカの連中がそういうふうに割合広く地震対策に絡め始めたのは、やっぱり一九七一年のサンフェルナンド地震で日本の政府が各省一人連れて行ったときの彼らの驚きから始まっているわけですから、やっぱりそのことを大事にして、日本でも地震に関係ない省はないんだというつもりで全部やり直してもらわないといけないような話だと思うんです。
 今までは、やっぱり土木とか建築とかそれの主に構造の先生が委員長だと、これはやっぱり壊せないですよ、今のままですとね。
#24
○参考人(高山英華君) ちょっと補足して。
 東京も、名前を言っちゃいけないけれども、ある先生が被服廠の二の舞をやっちゃいけないということで防災の避難場所を決めたんですよ。だが、遠くて行かれないんですね、実際。
 それからもう一つは、江東地区が危ないというので、先ほど言った、一生懸命我々は美濃部都政のときからやっていたんですけれども、その間に中野とか高円寺とか杉並という方が立て込んで密集しちゃった。それで、今一番危ないところはそっちの方です。僕は阿佐ヶ谷にいるんですよ。女房に怒られて、江東地区ばかりなぜやっている、向こうはもう安全になっちゃっているのにと。だから、見直すことは絶対必要です。
 それで、随分、村上さんが言ったように、その当時のやっぱり一つの燃えないとか燃えるというような議論だけでやっちゃったんですね。だから避難とかライフラインがどうだとか、そういうものを入れた防災計画というのは、今度はあなた方が行ってつくらせなきゃだめですよ。
#25
○参考人(亀田弘行君) kイコール〇・二ということが一番基本的な問題ではなかったかという御質問だと思うんですが、〇・二に対して実際に来た地震動は〇・六を超えている、これは壊れても当たり前ではないかという発想に立ちますと〇・二が大きな問題だという議論も成り立とうと思います。ただ、これは耐震技術の発達の過程がずっと反映してこうなっている部分がありますので、少しやはり時間に沿って見る必要があろうと思います。
 私の資料の四を見ていただきまして、関東地震の直後に〇・一ということが書いてあります。それからその後、道路橋で〇・二というのが出てまいりまして、それから建築基準法の〇・二ということになっているわけです。実は、〇・一と〇・二というのは、ちょっと係数の換算があって実は同じ意味を持っています、耐震強度という面からは。これは関東地震の経験からやはり来ているわけですね。ただ、関東地震では強震記録というのはまだ一切とられておりませんから、構造物のいろんな壊れ方を見て、当時、規則にはないんですけれども、既に〇・一ということで設計した構造物は無傷であったというふうなことが前提になっているわけです。それで、一応耐震設計法の第一段階はそういうことで来たわけです。
 しかし、それだけではどうも不十分だよということがその後いろいろありまして、剪断強化であるとかいうふうなことがずっと行われてきているわけですね。ですから、耐震技術で〇・二という数字そのものはまだ残っておりますけれども、それにさらにいろんな要素を加えて、現在の基準でつくったものは〇・二相当ということにはなっていない。
 一番大きな点は、〇・二というのは実は力でどこまでもつかという問題なんですね。ちょっと専門的になって恐縮ですが、ある力まで行きますと、例えば我々がピンを曲げますと、最初はもとへ戻りますけれども、さらに曲げると変形が残ります。だけれども、それは決して壊れているとは言わないですね。傷んではいますけれども、壊れているとは言わない。実はその変形が進み始めてから後にいろんな重要な耐震性能があるわけです。そういうのを我々は塑性領域での変形性能と呼んでいるわけですが、その部分の進歩というのがまだ一九六〇年代ぐらいまでは、徐々にわかってきてはおりましたが、まだ十分にはわかっていなかった。
 ですから、その当時でも既に〇・二を超えたらすぐにどたっと壊れてしまうというのではないということは耐震の研究者はわかっていたわけですけれども、ではどこまでもっかというのは、これはまだ技術の進歩が十分でない時点ではかなりばらつきがあるということは覚悟しなければならないなというふうに考えていたわけです。
 今回の地震でも、壊れたものばかりがもちろん目につくわけですけれども、その当時のまだそういう改定で現代的なものになる以前の構造物でも無傷で残っているものはたくさんあります。それは意図的にそういう変形性能を与えるという設計はしなくても、設計のいろんな場面での配筋の仕方などによって結果的には変形性能も持ったというふうなものもあるわけです。
 ですから、これは今の時点から見れば、〇・二だけをチェックポイントにするという設計法には問題があったというのはこれは明らかなことですけれども、それは今申しましたように、七〇年代ぐらいで初めて定量的にきちっと設計に取り入れることが可能になったというふうにお考えいただきたいと思います。
 ですから今後の問題としては、やはりそういう〇・二だけの時代に設計されたものの中で現在の技術から見てではどれを補強するべきかということを入念に仕分けしていく、これが今後の重要な問題かなと考えておりますが、これでお答えになっておりますでしょうか。
#26
○磯村修君 先ほど高山先生から、どうも住環境が軽視されているというお話がございました。そして亀田先生から安全性への投資というふうなところが言われたんですけれども、そこで、私は思ったんですが、実は今月十八日に震災の現地へ参りましていろいろ見て回ったんですが、その中で地滑り地帯があるわけなんですね、今回の震災で地滑りが起きたという。そこを見たときに、山を切り開いて住宅をつくったという、いわば極端な話、山とがけみたいなところの中に住宅が入っているというふうなそういうところもあったような気がするんですが、その辺の地質と申しましょうか、地滑りが起きる状況が十分に予想される地域にあえて住宅が建てられたんじゃないかというふうな感じを私は持ったんです。
 ですから、やはりそういう危険区域、将来地滑りあるいは亀裂が起きるというふうなことが予想されるような地域にそういう住宅造成をしていくこと自体に問題があるんであって、地震が起きたから云々ではなくて、その以前から危険が予想されるそういう地域に団地を造成していくというところに問題をとらえて、やはりこれから考えていかなきゃいけないんじゃないかと思うんです。ですから、安全性への投資あるいは住環境の軽視というふうな面から考えると、やはり十分に安全性というものを確認した上でもって住宅を建設していく、そういうことを行政もあるいは業者も考えていく必要があるんじゃないか。また、住宅を手にする側の方も、消費者の側の方も十分にその辺のことを心得ながらやはり安全性というものを確かめる必要があるんじゃないかと思うんです。
 ああいう地滑り地域に建てられている住宅環境というものを見ますと、快適性とかそういう面についてはいいんでしょうけれども、安全性という面では大変これは欠落しているということを感じたんですね。その辺のことについて、そういう造成問題にっいでどういうふうな今御意見をお持ちかお伺いしたいと思うんです。
#27
○参考人(高山英華君) 前から住宅地をそういうところにやっちゃいかぬということは皆言っているんですけれども、禁止する法律というかそれは地域性というのがありますね、建築基準法に。ここには建ててはいけないと。そういう災害危険地域みたいなものを指定して、そこは危ないぞということをやっぱり言う必要がありますね。
 僕が先ほど住宅と言わないで住環境と言ったでしょう。それは今は住宅そのものも大切なんですけれども、環境が大切なんですよ。このごろ新聞でよく住宅の広告に隣の公園か何かを写して、いい環境だからといって、少しそういう感覚になってきましたけれども、今までは家そのものという形で。だから、住環境の一番大切な安全性というもの、やっぱりあそこは花山岡岩の、全体は丈夫ですけれども、そういう危ないところがあるんですね。鹿児島なんかはシラス土壌というところがあります。ああいうところ、危ないからよせと言っているんですけれども、山の上に眺望がいいというんでつくる。これからはそういう形はぜひ何かストップさせる方向で行政は考えなきゃいけないと思います。
#28
○磯村修君 亀田先生、御意見ございますか、今の話。
#29
○参考人(亀田弘行君) 私はこの問題ちょっと専門と違いますので、私の専門からということではないんですが、一つだけつけ加えさせていただきますと、宮城県沖地震、昭和五十二年、あのときに宅造地が大規模に崩壊してたくさん被害が出たんですが、やはり丘を削って谷を埋めるということは埋めた方の地盤を弱くする危険は常にあるということですね。そういうことがかなりはっきりとわかりまして、その後きちっとした造成地ではそういうことが技術的にかなりカバーされてきている状況にはあると思います。急傾斜地の規制ということもかかっておりますので。ただ、それが十分であるかどうかということについてはさらに専門的な検討が必要で、ちょっと私はそこから外れるものですからその評価まではいたしかねます。
#30
○広中和歌子君 阪神大震災の後、私は東京を見回しましたときに、まさに高山参考人がおっしゃいましたように、かつて良好な住宅地だと思われていたような世田谷区とか中野区、杉並区、それがもし震災が起こった場合には第二の長田区になるんじゃないかなと、私は裸然としたことを今思い出しているわけでございますが、先生のおっしゃる住環境への投資をどういうふうに誘導するかということでございます。
 行政がもちろんやらなければならないこと、議員も一緒になって考えなきゃならないことがいろいろあるわけでございますが、先生としては特にこれは絶対に必要だと思われることがあればおっしゃっていただきたいと思います。
 例えば、私などぜひ、先ほど十坪、二十坪のところに最低建築面積ですね、それは絶対必要だろうと思うんですが、そういうようないわゆる制限に関する、言ってみればこれは私権の制限に当たるわけでございますが、良質な住環境をつくっていくというためにはどうしても私権の制限というのは必要だろうと思います。そして、住民の合意を得てと言いながら、大切なことは十分わかりますけれども、やはり上の方、上の方と言っては変ですけれども、良識を集めて誘導していくということが必要だろうと思いますけれども、そこの兼ね合わせについて、非常に難しい問題だと思いますけれどもお答えいただければと思います。
 それから、両参考人、村上先生、亀田先生、データベースの必要性ということをおっしゃいましたけれども、防災にいたしましても環境にいたしましても、学者の情報、研究機関の情報だけではなくて行政の情報、あらゆる民間の情報も含めてそのデータベース化が必要だろうと思います。今情報化社会と言われながら、実際に今のようなペースでの情報化でよろしいんでしょうか。あるいは、もっとこの情報化を高めるためのお考えがあれば、この場でお聞かせいただければと思います。
#31
○参考人(高山英華君) さっき私の言ったとおり、東京都は今また非常に別の意味で危険度が郊外の方に行っているんですよ。これは御承知のように、昔は郊外に行けば大体百五十坪ぐらい、そういう程度で建てていたわけですね。それがバブルのときに地価が上がっちゃったでしょう。それだもんで、その人が税金を払うときに売っていくとそのあとを四つぐらいに分けて、それの集積が今杉並や世田谷、中野に残っちゃったんですよ、木造が。高い建物を建てないで土地を細かく分けていく。だから、最小限というのがありますし、先ほど言った九坪ぐらいのところじゃもう無理なんですから、そういうところはやっぱり制限して、そういうものは立体換地とか何かでやる。だから、この際、ある程度私権の制限みたいなものはどうしても僕はやらなきゃいけないと思うんですよ。
 ただ、それが、今までそういう観念が全然ない、被災者でもう精神的に参ったところにすぐそういうことを言ってもだめだし、大体いない人を集めようとしても集まらないということで、住民参加とか説明会すらできないという状態なわけですからやっぱり時間がかかりますね、これは。だけれども、この際やることはやっぱりある程度やらなきゃいけないと。特に神戸などはそういうところが一番進んでいたんですよ。だから、そこでこの際、ぜひゃらなきゃいけないというふうに考えております。
#32
○参考人(村上處直君) GISの問題でアメリカがどうやってやったかというと、さっきロサンゼルスのお話をしましたけれども、それぞれのところにゃりなさいという話をしました。それから地図とか航空写真のディジタルデータはほとんど公共のものと考えてだれでもアクセスできるようになっているから、それをどう利用するかということを彼らは一生懸命考えていて、これから数年の間でアメリカの各自治体のほとんどのところは完成すると思うんです。
 ただ、日本の場合は、ベースマップがお金を出さないと使えないとか、それから行政のいろんなデータだってそれぞれのところの守秘義務とか何かあって、それを加工して使えるようになかなかできない。その辺をやっぱり国でちゃんと統一をとらないと、ばらばらやっていても多分だめだと思うんです。
#33
○参考人(亀田弘行君) 私も同じ印象を持っておりますけれども、やはりかなり文化的な違いも感じるわけです。
 今度、長田区でボランティア活動をいたしましたけれども、簡単にコンピューターで処理できるようなことを紙でやっておられるわけですね。ですから、アメリカのようなもともとキーをたたく文化を持った民族と筆や鉛筆で書く文化の違いというものも感じるわけです。ですから、データベース化といっても、それぞれの社会的な条件を考えてやっていかないと失敗するだろうとは思っております。
 ただ、データベースということを言うときに、何かデータベースそのものだけが目的化してしまって、どういういいことがあるんだということが余りない段階でデータベース、データベースと言っても、総論は結構だけれども大変だからちょっと先延ばしというようなところもこれまではあったと思うんです。私自身の経験だけから申しますと、防災という点から見ますとこれはぜひとも必要だと、それも単独でやっているだけではだめでやっぱり横断的に協力しなければだめだということはかなりはっきりしたと思いますので、まず防災という目的に向かって横断的に協力しようじゃないかという体制をとっていただくということが最初にゃることとしては一番やりやすいし、またできることではないかと考えております。
#34
○委員長(合馬敬君) 御発言を希望される方はたくさんいらっしゃるのでございますけれども、本日の予定は午後零時三十分ということになっておりますので、本日はこれにて御勘弁をいただきたいと存じます。ありがとうございました。
 参考人に対する質疑はこの程度といたします。
 高山参考人、村上参考人及び亀田参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、大変お忙しい中、長時間の御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本委員会を代表いたしまして心から厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時三十六分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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