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1995/03/16 第132回国会 参議院 参議院会議録情報 第132回国会 厚生委員会 第4号
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1995/03/16 第132回国会 参議院

参議院会議録情報 第132回国会 厚生委員会 第4号

#1
第132回国会 厚生委員会 第4号
平成七年三月十六日(木曜日)
   午前十時開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         種田  誠君
    理 事
                清水嘉与子君
                宮崎 秀樹君
                菅野  壽君
                木暮 山人君
    委 員
                石井 道子君
                尾辻 秀久君
                大島 慶久君
                大浜 方栄君
                佐々木 満君
                前島英三郎君
                今井  澄君
               日下部禧代子君
                竹村 泰子君
                堀  利和君
                勝木 健司君
                横尾 和伸君
                萩野 浩基君
                西山登紀子君
   国務大臣
       厚 生 大 臣  井出 正一君
   政府委員
       厚生大臣官房長  山口 剛彦君
       厚生大臣官房審
       議官       丸山 晴男君
       厚生省保健医療
       局長       松村 明仁君
       厚生省社会・援
       護局長      佐野 利昭君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        水野 国利君
   説明員
       内閣総理大臣官
       房参事官     阪本 和道君
       内閣総理大臣官
       房参事官     戸谷 好秀君
       法務省民事局第
       五課長      原   優君
       外務省総合外交
       政策局国際社会
       協力部人権難民
       課長       川田  司君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○戦傷病者戦没者遺族等援護法及び戦没者等の遺
 族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する
 法律案(内閣提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(種田誠君) ただいまから厚生委員会を開会いたします。
 戦傷病者戦没者遺族等援護法及び戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本案の趣旨説明は既に聴取しておりますので、これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#3
○宮崎秀樹君 連日、阪神・淡路大震災でいろいろ御活躍いただいておりまして、感謝を申し上げる次第でございます。
 ところで、きょうのこの法律でございますけれども、私は、きょうはこの法律の周辺にある実態というものをちょっと御紹介して、こういうものが救われる道はないものかということを実例を挙げてお尋ねしたいと思います。
 一つの例は五十五歳の女性でございます。当時準軍属で、軍隊の軍服の縫製に従事していた方でありますが、この方が昭和二十年二月二十五日、そこに出社をして帰宅の途中に、当日神田に大爆撃がございまして、その日から行方がわからなくなって、恐らく被爆死したんではないだろうかと。しかし、その遺体は見つかっていない。そこで家族の方が、いなくなったということで当時の万世橋署に行きまして、いろいろ捜したんですが見つからないということで、七年後に法にのっとりまして戸籍を抹消された事例でございます。
 こういう、戦争によって、しかも準軍属で徴用されて亡くなった方が何の補償もないんです。これは、やはりまだ日本の戦後が終わっていないのかなというふうに思います。
 それからもう一例でございますが、これは愛知県に住んでいる男性で、現在御存命中の六十五歳の男性ですが、当時十五歳でございます。昭和十九年に乙種の予科練に合格しまして、呉鎮守府から採用通知をもらった。そして、昭和十九年九月二十五日、藤沢の航空隊に入隊命令がありまして、午前零時ごろ名古屋駅で予科練専用列車に乗ったわけでございます。この予科練専用列車というのは、山陰方面から入隊者をその専用列車に乗せてきて、名古屋駅では十五、六人この列車に乗ったわけでございます。それには引率者が一人いたそうでございます。
 同日の朝、列車が熱海の駅に到着をいたしましたら、駅で日の丸の旗が打ち振られて大歓迎が行われておりました。この方は身を乗り出してそれにこたえるべく旗を振っておりましたところ、信号のポールにぶつかりましておっこちたわけですね。汽車からおっこちて事故を起こして足を切断したと。こういう事例の申請を出しても全部却下でありまして、何の対象にもなっていない。
 私はこの二例を見まして、遺族の方そしてまた第二例の場合は本人の方が、何かそういう補償の道はないのかといったら何もないと。
 今回の地震で被災された方々に手厚い補償をされることは非常に私は結構なことだと思うんです。しかし、戦争で徴用され、志願して採用通知を受けて行動している中で起きた事故、これに何の補償もない。これは、戦前の考え方がこの場合は今でも残っているということでありまして、この二つにつきまして何か救う道があれば、どんな方法でもいいから私は手を差し伸べてあげたいというふうに思うわけでございますけれども、これに関しましてお調べになった結果どういうふうになっているか、お教え願いたいと思うわけでございます。
#4
○政府委員(佐野利昭君) ただいま先生から御紹介いただきました件につきましては、実は資料等も手元にはないものですから、正確にその事実関係を把握して適用関係を厳密に調査する手だてがないわけでございまして、先生からお聞きした内容の限りにおいて、現行の法体系等の絡みで検討させていただく形になろうかと思うわけでございます。
 最初のケースの場合には、お聞きした限りにおきましては、もしもそれがきちんとした通勤途上であるならば恐らく援護年金の支給対象になったのではなかろうかな、こういうふうに思うわけでございます。
 ただ、現在の通勤途上災害の場合も同じでございますけれども、通勤途上というのに一定の限度がございますので、それがいわゆる通常通勤の経路であるというような形というのはかなり厳しく見られておりますので、そういう通勤途上ではなくて途中どこかで私用を果たす、あるいは迂回してどこかに行かれるというようなケースの場合には、これはその対象から外れてしまうということになっております。ですから、今お聞きしたのが果たして通常ルートにおける通勤途上でそういう事故に遭われたという形になるかどうかが一つの問題点ではなかろうか、こういうふうに思うわけでございます。
 それから、第二番目のケースにつきましては、これもはっきりした事例が私どもでは把握しかねるわけでございますけれども、もしも軍人としての採用ということになるならば、これは恩給法の体系の問題ではなかろうかなという感じがいたします。
 ただ、援護法も恩給法を当然引いておりますので、援護法の体系でもしも該当する、こう考えた場合には、やはりそれは採用されてからということと、それから死亡のケースも、それが実際に公務死的な要素が入っているのかどうかという問題と、その二点が検討の対象になろうかと思うわけでございます。今のお話ですと専用列車でもあるというような形でありますので、そういう面では比較的公務死的な面が認められやすいケースかなと。
 ただ、その前提である採用の形になっていたかどうかというところが一つ問題、それから実際に公務死になるかどうかも個別ケースで具体的に事実認定をしていかないとそこのところは何とも申し上げられないという形だと思います。ですから、非常にそういう面では限界的な問題がありますが、なかなか実際の適用に至っては難しいケースではなかろうかな、こういう感じをいたしております。
#5
○宮崎秀樹君 それは非常にお役所的な発想の御返事でして、爆撃で死んだのは、それは周りがみんな死んでいるから証明しょうがないんです、そういう非常事態ですから。それが通勤途上かどうかどこにいたかというのは、もうとにかく遺体さえないんですから、だからこういうことは周囲の環境の状況把握ということでやるしかないんですね、第一点は。
 それから、第一番目の問題は、採用通知を受けているんですよ。呉鎮守府から採用通知をもらっているわけです。それで、入隊命令で動いているわけですから、今の御返事はちょっと、採用されているかどうかわからないと、採用されてない者がそんな汽車に乗っているわけがないんで、そこはきちんと救う道があろうと思うんですがね。
 これは書類が出てないからわからないと言うけれども、書類を出しても全部受付ではねられちゃうわけですよ。だから、お役所でそれを受け取って、じゃ調査をしましょうという段階までいけばこれは話に乗れるんですけれども。
 大臣どうですか、こういうケースはやはり政治的に面倒見てやらないと、お役所仕事ではこれはだめだと思うんですがね。優しい政治優しい政治と書くんだから、これはやっぱり優しくやってもらわないと困るわけで、大臣、一言御返事いただきます。
#6
○国務大臣(井出正一君) 今、二つの具体的なケースのお話を宮崎先生からお聞きしておったのでありますが、例えば串田さんですか、の場合、申請書が出ていないということをさっき役所の方で聞きまして、出していただいて、いろんな基準があるでしょうから、そこで役所なりの判断をすべきじゃないかなと、果たして納得していただけるかどうかはまた別問題かもしれませんが。
 ただ、出ていないというのが、受け付けないのかあるいは申請書をつくるような証拠みたいなものがなくて出せないでいらっしゃるのか、そこらもちょっと私はっきりしたことわからないものですからこうすべきだという確定的な考えはまとまりませんが、一応申請していただいていいケースじゃないかなと、こんなふうに思うわけであります。
#7
○宮崎秀樹君 これは、時間がございませんから、具体的に書類をつくって一度お持ちしますから、よく調査して御返事をまたいただきたいと思います、
 それから次ですが、戦傷病者戦没者遺族等援護法、ここに等級が示されているんですね。特別項症、それから第一項症、それから何々款症、これは辞書を引いてもこういう字はないんですよ。熟語がないんです。日本人は学校でこういうのをまず習わない。だれも教えない。恐らく、ここにいる先生方でこれわかる人は一人もいないですよ。
 それで、これは恐らく桃山時代か何かはあったか知りませんけれども、こういうばかばかしいやつをまだ残しているということはナンセンスです。しかも、書いてあるのを見ますとまだ片仮名で濁点が打ってないんですね。それで、内容たるや前時代的で、例えば第四項症というのがあるんです。これは「両、耳ノ聴力カ」なんですね、「がじゃなくて「カ」なんですよ、片仮名で。「〇・〇五メートル以上ニテ八大声ヲ解シ得サルモノ」と、こう書いてあるんです。これは全く漫画なんですね。今井先生がいらっしゃるそれから菅野先生もいらっしゃるから、これはドクターが見たら、〇・〇五メートルというのは五センチメートルのことですね。そういうことがございますし、これを身体障害者その他と合わせますと、身体障害者なんかはちゃんとデシベルを使っているんですね。百デシベル以上のものは何級と、級ならこれはわかります。労災も級であらわしております。
 ですから、ここら辺はひとつ、お役人というのは法律をつくるのがお仕事だけれども、古いのは少し新しくして、日本国民が法律を読んでだれでもわかるようにしないと、これはわからないです。だから、日本人であれば日本語なんですから、日本語をきちっと標準語でわかるようにするのがこれは法律ですよ。だから、こういうのは少し改めたらどうかなと思うんですが、これはどこの管轄ですか、
#8
○政府委員(佐野利昭君) 正確には総務庁の方からお答えいただいた方がよろしいかと思いますが、援護年金は先ほども申し上げましたように恩給法の別表をそのまま引いて使っております、
 先生の御指摘の点につきましては、少なくとも内容の改正などにつきましては、医学の進歩や社会情勢の変化を踏まえて逐次改正が図られてきているというふうに私どもも承知はいたしておりますけれども、身障法なりあるいは労災なりのそれぞれの法律によりまして確かに障害等級が必ずしも一致しておりません。
 これにつきましては、やはりそれぞれ目的が必ずしも一致していないということもあるわけですけれども、できるだけ一致した方向性の方が望ましいということも言えると思いますので、そういう点につきましては、今後総務庁の恩給局の方とも十分相談をいたしましてできるだけ統合の方向に持っていくように私どもとしても努力をさせていただきたい、こう思っております。
#9
○宮崎秀樹君 時間になりましたから、恩給局に言えば、これは旧態依然たるものだからという御返事しかないと思うんでこれで結構ですけれども、ひとつよく日本人にわかる日本の法律ということで、その観点から御検討いただきたいと思います。
 終わります。
#10
○清水嘉与子君 本年は終戦後五十年目という節目の年でございます。いろいろなところで記念行事が行われておりますけれども、厚生省としましても、戦傷病者、戦没者あるいは遺族の方々に対する特別な記念事業をいろいろと計画されているように伺っておりますけれども、その記念事業といったものはどんなものを計画していらっしゃるのか、まず大臣から御説明いただきたいと思います。
#11
○国務大臣(井出正一君) 援護行政に関しましては、平成七年度、すなわちことしが戦後五十周年という節目の年に当たるわけでございますから、少し従来よりもより力を入れていかなくちゃならぬと、こんな心構えております。
 具体的には、まず中国残留邦人等に対する援護施策でございますが、これは毎年の一時帰国を実現するとともに、残留邦人等の帰国が大幅にふえる見込みでございますから、定着促進センターの増設を行うなど帰国後の受け入れ体制の一層の整備を図ることとしております。
 さらに、戦没者に係る慰霊事業について、これまた一層の充実を図ってまいりたいと思っております。
 さらに、戦没者等の遺族に対する特別弔慰金を引き続き支給することといたしまして、きょう御審議をいただいておるわけでございます。
 さらに、台湾出身の旧軍人軍属のいわゆる未支給の給与の支払いももう何とかしなくちゃならぬという時期でございまして、それを開始したいと考えております。
#12
○清水嘉与子君 従来からの施策を引き続き充実していくというお話と、また新たな台湾出身者の給与の未支給の問題というようなことをおっしゃいました。
 その中で特別弔慰金の話なのですけれども、この説明によりますと、「終戦五十周年を迎えるに当たって国として改めて弔慰の意を表すためこというようなことで、「額面四十万円、十年償還の国債を支給する。」、こういう説明でございますけれども、過去の経緯を見ておりますと、十年ごとに十万円ずっと上がってきている、こういう経過でございます。
 これは何かルールがあるのでしょうか。その額設定の考え方、さらに、これはずっとこういう考え方で引き続いていくのかどうか、ちょっとお伺いしたいと思います。
#13
○政府委員(佐野利昭君) 今、先生の方からお話がございましたように、特別弔慰金につきましては、昭和四十年から四十年、五十年、六十年と、過去三回にわたりまして支給されてきたわけでございます。
 今回、六十年に支給された特別弔慰金がことしの六月に最終償還を迎えるということもありますし、またことしが終戦五十周年の大きな節目にも当たるということがありますので、このときに改めて国として弔慰の意をあらわす必要があるのではないかと私ども判断をいたしまして、再びこの特別弔慰金の支給をお願いするという御提案をさせていただいたわけでございます。
 その額につきましては、確かに昭和四十年のときには三万円だったと思いますが、それから二十万、三十万と、こうなっておりますので、その後は十万ずつ上がってきたような感じを受けるわけでございますけれども、別にそういうルールが決まっているわけではございません。その都度その都度やはり社会情勢等を考えまして、どの程度の額にするかということは私ども大蔵省とも十分詰めて御提案をさせていただきまして、今回は六十年以降の社会経済情勢の変化等を踏まえて四十万円ということでお願いをいたした次第でございます。
 また、これを今後どうするかという御質問でございますけれども、援護施策を取り巻く社会情勢といいますのはいろいろと変化するものであろうかと思うわけでございますけれども、やはり私どもとしましては、お願いをするときの社会経済情勢を十分踏まえて御検討いただくという形を考えざるを得ないと思います。ですから、その先のことにつきまして今どうこう申し上げる手だてはないわけでございますけれども、やはりその時点になりましたときに必要性が認められればまたお願いをすることもあり得るということであろうと思います。
#14
○清水嘉与子君 それでは、時間がなくなりましたので、従軍看護婦の問題についてちょっと一言お願いをしたいと思うんです。
 女性は兵役の義務がなかったわけですけれども、軍の命令で戦地へ派遣されそして戦傷病者の救護に当たってきた従軍看護婦、これは帰ってまいりましてから何も兵と同じような取り扱いをされていないというようなことがございまして、看護婦さんたちはみずから恩給法の適用を受けるべく相当請願運動をいたしました。
 しかし、それがなかなかできませんでしたけれども、各党の合意を得ましてやっと五十四年から日赤の従軍看護婦に、また五十六年からは陸海軍の従軍看護婦に慰労給付金というのが給付されるようになったわけですね。しかし、この額を見ますと、軍人の恩給の額とは相当差がありまして、二分の一から四分の一というような差があると思います。そしてまた、増額のルールもなかった、これまでにも三回増額されておりますけれども、それもルールのもとに行われているわけじゃないというふうに思います。
 さらに、平成二年から恩給欠格者に対して総理大臣の書状だとか銀杯等が贈られる平和祈念事業が発足したわけですけれども、これも看護婦は対象から外されているというようなことでございます。
 もとの従軍看護婦の方々からの要請というのは、慰労給付金の増額の問題と、それからもらえる人たちよりも、もらえない十二年に満たないような人たちへ、せめて青春時代にお国へ尽くしたこの気持ちを、書状一枚でもいい、何か記念品でも出してほしい、こういうようなことを言ってきているわけでございまして、この請願は内閣委員会でも採択されているわけでございます。
 昨年の暮れに与党の五十年問題プロジェクトにおきまして、慰労給付金の額については消費者物価の動向を反映させるべきだという合意はなされたのですけれども、平成七年度は全く増額されておりません。この辺についてどんなふうに考えておられるのか。また、既にスタートしております平和祈念事業の対象にこの従軍看護婦の問題を加えることができるのかどうか、この辺についてお答えをいただきたいと思います。
#15
○説明員(阪本和道君) お答えいたします。
 旧日本赤十字社救護看護婦さん等に対します慰労給付金でございますけれども、今先生御指摘のとおりの経緯でできた制度でございます。したがいまして、もともと極めて異例な特別の措置ということで制度ができておりますので、毎年その額の改定をする制度というのは今までなかったわけでございます。
 しかしながら昨年、先生今御指摘になりましたように、与党の戦後五十年問題プロジェクトにおきまして「政府は、旧日本赤十字社救護看護婦等慰労給付金支給額改定にあたっては、受給者の置かれた状況に配慮し、消費者物価の動向をより適切に反映させた措置を講ずるべきである。」というような合意がなされたところでございます。
 したがいまして、総理府といたしましては、この与党三党合意を踏まえまして平成八年度から適切に措置すべく検討してまいりたいというふうに考えております。
#16
○説明員(戸谷好秀君) お答えいたします。
 先ほどの、平和祈念事業の方で旧日赤救護看護婦等を対象に加えることができないかという点でございますが、御指摘いただきました平和祈念事業特別基金、これはいわゆる恩給欠格者、戦後強制抑留者、さらに引揚者というこういう方々の三問題を中心に検討が行われました戦後処理問題懇談会というのがございまして、この報告を受けて設立されたということでございます。平和祈念事業特別基金の基金法におきまして、基金はこれら三問題の関係者、これを明示して、それに対しまして「慰藉の念を示す事業を行う」というふうに記されているところでございます。
 したがいまして、御指摘の旧日赤救護看護婦等についてでございますが、私どもといたしましては、先ほど申し上げました恩給欠格者、こんな方々と同様に書状等の贈呈を行うことは、このような基金の設立趣旨から考えまして非常に困難であるというふうに思っております。
 以上でございます。
#17
○清水嘉与子君 現行の法体系のもとでは無理だというお話なんですけれども、しかしやっぱりそれの必要性ということをよく皆様方が御認識なされば、法律ですからそれを変えることは幾らでもできるわけでございますし、また今の体系ではできないのであればやっぱり別の体系でももちろん結構でございます。もうだんだん少なくなっていく人たちでございます。自分たちが、今でこそ看護婦は二十一歳くらいからしかなれませんけれども、当時は十八歳が十七歳になり十六歳にまで下げられた、そんな若い人たちが本当に一生懸命に国のために出ていった、この気持ちを何らかの形で、やっぱり書状一枚なり何か記念品なりであらわすことは決して過大な要求ではないというふうに私は考えるんです。
 ぜひこの辺については知恵を出していただきたいと思いますし、また従来は厚生委員会でも随分この問題が検討されたというふうな記録も残っております。また、先生方にもぜひこの辺について、政治的にやらなきゃいけない問題かもしれませんので、御協力もちょうだいしたいというふうに思います。
 最後でございますけれども、戦後半世紀になってもう人口の三分の二以上が戦後生まれになっております。太平洋戦争が本当に昔の出来事というふうに風化しつつございますけれども、しかしこういった法律の改正のときになりますと、まだまだ戦争は終わっていないなという気がするわけでございます。戦傷病者、戦没者の方あるいは遺族の方々に温かい施策をすることによりまして、今の本当に平和を享受しています若者へのメッセージを伝えていただきたいし、また遺骨収集でありますとか、残留孤児の問題でありますとか、あるいは今申しました従軍看護婦の救済など、ぜひ前向きに進めていただきたいと思います。何とかこの五十年を機に、援護行政の終えんに向かって大臣のリーダーシップをぜひお願いしたいというふうに思うわけでございます。
 大臣、いかがでございましょう。援護行政のこれからの問題について一言お願いしたいと思います。
#18
○国務大臣(井出正一君) 今、先生御発言のように、五十年前大変な御苦労をなさった皆様方が年々高齢化もされておるわけでございますから、援護行政は急がなくちゃならぬことも事実であります、もう五十年たっているわけですから。ただ、例えば中国残留邦人の問題なんかを考えますときに、かなりこれからも息長く対処していかなくちゃならぬ分野もこれまたあるわけでございますから、急ぐべきは急ぎ、しかしここでもう全部おしまいだというんじゃなしに、やはり国として、あるいは戦争を知らない私どもも含めた次の世代も背負っていかなくちゃならぬ課題は今後もずっと続いていくんじゃないかな、こんなふうに思っております。
#19
○清水嘉与子君 ありがとうございました。終わります。
#20
○竹村泰子君 戦傷病者戦没者遺族等援護法の審議でありますので、私は厚生大臣ともう何度も予算委員会でもおつき合いいただきましたが、しかしこの問題でしつこく取り上げざるを得ないということで、きょうは時間が短うございますので十分な審議にならないかもしれないと思いますけれども、よろしくお願いをいたしたいと思います。
 昨年七月十五日、東京地裁で一つの判決が出ました。在日韓国人の二人が戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を求めたが厚生大臣に却下され、九二年八月、その取り消しを求めて提訴した、この判決が出たんですね。もう新聞でも報道されましたので御存じのとおりでございますけれども、在日韓国人の戦後補償は立法不作為の状態である、元軍人軍属の年金訴訟は国会で論議をしてほしいという判決が出たわけです。
 ここに判決文がございますけれども、
 しかしながら、これまでに繰り返し判示したとおり、戦争犠牲又は戦争損害についての補償措置、なかんずく、日本国籍を有しない者に対する補償措置の範囲、程度は、政治的判断に基づく立法政策にかかわる問題であることからすれば、原告らのような在日韓国人が日韓両国のいずれからも何らの補償も受けられない状態となっていることは、その意味では、立法不作為の状況にあるというべきである。もとより、原告らが戦傷を負った時点から、既に五〇年近くの歳月が経過していることをかんがみれば、原告らが極めて同情すべき状況にあることは明らかではあるが、云々と、判決文の最後の方にございます。
 今、私たちがお名前もはっきりわかっている方たち、ちょっときょう私は、厚生大臣それから社会・援護局長、十分御存じのことと思いますけれども、委員の皆様方にもぜひこの問題をはっきりわかっていただきたいと思いまして、この方たちを少し御紹介してみようと思います。今、私が申し上げようとしている方は五人です。
 石成基さん。七十三歳、神奈川在住。一九四四年五月、ウォッゼ島で米軍戦闘機の機銃掃射を受け、右腕を十五センチ残して切断。一九八四年、脳血栓で倒れ、今も入院中。九二年八月、東京地裁提訴。九四年七月十五日、敗訴。
 鄭商根さん。二一年十一月生まれ、七十三歳、大阪在住。一九四三年十二月、ウォッゼ島で米軍の爆撃を受け、右腕切断、左親指の機能障害、両耳の鼓膜が破れ混合性難聴。九一年一月、大阪地裁提訴。九五年三月二十二日、判決。間もなく大阪地裁で判決が出ようとしております。どういう判決が出るか、これはわかりませんけれども。
 陳石一さん。一九一九年一月生まれ。一九四五年四月、バリックパパン沖を航行中、米軍機の攻撃を受け、左足を三分の一残して切断。石さんとともに提訴するが、判決を目前に九四年五月十四日死去、七十五歳だった。遺族が控訴。
 姜富中さん。二〇年五月生まれ、七十四歳、滋賀県在住。四五年二月、ブカ島より伝馬船で弾薬輸送中、戦闘機の機銃掃射を受け、右手親指を残して全部切断、右目はほぼ失明。九三年八月、大津地裁提訴。
 趙緕ウん。一九一八年九月生まれ、六十六歳、東京在住。徴用され、日本に連れてこられた。東京製鉄海軍管理工場で訓練期間中、四四年九月、ギアに挟まれ、右腕の機能が完全に廃された状態に。
 こういう方たちが今いらっしゃるわけで、それぞれ提訴したり、それから厚生省にお願いをして何とか行政処分の取り消し請求をしてほしい、つまり国籍条項を廃止してほしいと言っておられるわけでございます。
 日本は軍人軍属だけで約四十五万人の朝鮮人、台湾人を駆り出した。数字はちょっとはっきりしないかもしれない、数字の議論はまたしないといけないんですけれども、戦後になりますと外国人ということで戦後補償から切り捨ててきた。戦傷病者戦没者遺族等援護法、きょう審議しておりますこの援護法は、一九五二年四月二十五日に成立しました。同三十日に施行され、同月一日にさかのぼって適用されたわけです。
 援護法は、「この法律の目的」として「軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基き、軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護することを目的とする。」としながら、日本国籍を失った場合と、失格事由や失権事由とするいわゆる国籍条項、十一条、十四条、三十一条、さらに附則二項においては、「戸籍法の適用を受けない者については、当分の間、この法律を適用しない。」と。この「当分の間」というのがどのぐらいの期間を見ているのか、それが私のお聞きしたいところです。
 この援護法の公布日と適用日の間である一九五二年四月二十八日にサンフランシスコ平和条約が発効して、原告らを含めた朝鮮人、台湾人等は日本国籍を喪失したという扱いを受けた。
 先ほどから同僚の委員の皆さんから、戦後は終わってないというお言葉がたびたび出ました。私もここに戦後は終わってないというもう一つの例を申し上げているわけでありますけれども、きょうは外務省にもおいでいただいておりますから、それでは外国ではどうなっているんだろうか。外国でこの国籍条項を理由として、自分たちの国が軍人軍属として徴用して負傷をさせながら、本人はもちろん遺族等にも何の補償もしていない国、つまり国籍条項ではねのけている国は日本だけてあります。
 私の調査によりますと、フランスは、軍人であったセネガル人への年金支給に関して、自国の軍隊において勤務中に負傷しまたは疾病にかかった外国人または戦死した外国人の遺族に対して、内国人と同様に障害年金、遺族年金を支給している。非常に平等であったんですけれども、スライド制が適用されずに凍結されたため、フランス国籍を有するフランス人退役軍人よりも低額となった。このことが国連の人権委員会で指摘をされまして、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生または他の地位のいかなる理由による差別も禁じ、法の平等、保護を規定するというB規約第二十六条に違反するとして、八五年、B規約二十八条によって設置されている人権委員会に救済を求めて通報を提出しました。
 日本はまだ選択議定書の批准をしておりませんから、もししておれば当然こういう通達を受けるはずになると思います。私は、B規約の批准をしないのはもしかしたらこういう不平等を指摘されるおそれもあると思っていらっしゃるのではないかと勘ぐりたくなるくらい、これはやっぱり非常に冷たい処置と言わなければならないというふうに思います。
 厚生大臣とはもう何回もやりましたから、答えを聞いても同じお答えかとも思いますけれども、どうでしょうか、改めて短くお答えをいただけますでしょうか。
#21
○国務大臣(井出正一君) 昨年の夏、あの判決の後、先生からいろんな御質問をいただいたことを私もよく記憶しておりますし、私自身も大変あの皆さんはお気の毒だと思いますし、また何とかできないものかなと、こんなふうに感じながら事務当局にも検討をしてもらったのでありますが、援護法の国籍要件には合理的な根拠があり、また韓国との間では昭和四十年の日韓協定で、補償の問題は在日韓国人を含めて法的に解決済みとなっている等の事情があるため、援護法の国籍要件を廃止することは残念ながら極めて困難であるわけでございます。
 ただ、その後、与党の中に五十年問題プロジェクトチームもできていろんな問題の論議がなされておりますから、こんな問題もぜひ検討してほしいというふうにはお願いをしてあります。また、援護法の解釈、運用を超える問題でもございますから、政府全体で検討されるべき問題と考えまして官房長官にも御相談をしてみてはおるのでございますが、残念ながら今日に至るまでまだ解決の方法を見出せないのが実情であります。
 直接は関係ないかもしれませんが、例えば在日外国人の地方の議会なんかへの参政権ですか、こういった問題も今かなり議論される状況になってきましたから、そんな意味ではいよいよこれは、ある意味では大変難しい問題ではありますが、このままではおられない問題じゃないかなと、こんなふうには考えております。
#22
○竹村泰子君 大臣、私も確かに壁が厚いのはよくわかります。法的にはそうかもしれないんです。でも、これは裁判とは違って、裁判のきっかけ、請求取り消しのきっかけ、行政処分取り消しのきっかけとなったのは厚生大臣が却下しているんですね。厚生大臣が決断すればいい、そういう範囲でもあるのではないかと私は思います。
 先ほど外国の例と申しましたが、ちょっと御参考までに申し上げてみますと、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、外国人元兵士等に対して年金または一時金を全部支給しております。アメリカでは退役軍人局、イギリスでは保健・社会保障省等がそれぞれ支給しております。
 アメリカはフィリピンを植民地のように扱ったわけですけれども、そのフィリピン連邦政府軍構成員及びフィリピン偵察部隊員であって、同様に死亡した者の遺族または機能障害を生じた者に対して遺族年金を支給しております。イギリスは、イギリスの軍隊の任務に従事し、それによって障害者となりまたは死亡した者に戦争年金制度によってそれぞれ本人または遺族に障害年金または寡婦年金が支給されております。フランスは先ほど申し上げたとおりであります。イタリアは、軍人の恩給支払いに引き続き責任を負うこととなりました。このため、ソマリア、エリトリア及びリビアの旧植民地の住民であって、イタリアの軍人軍属として勤務中負傷しもしくは疾病にかかった者または戦死した者の遺族に対して年金を支給しております。ドイツも、同じく戦死した外国人の遺族に対しては、関係条約の規定に基づき年金が支給されております。
 こういうふうに、先進国と言われる国々の中ではこういう扱いをしているのは日本だけであるということはおわかりいただけたかと思います。
 しかも韓国外務部は、この前私も予算委員会で申し上げましたけれども、次のような見解を示しました。在日韓国人の補償請求権は一九六五年請求権協定の解決対象に含まれない。戦争犠牲者の補償請求権とは、国家の服務義務の賦課による義務者の役務提供という公的勤務契約関係において、個人が被った被害及び犠牲に対し、国家から補償を受ける権利として、補償適用要件を充させる被害者に対し、国家は一種の行政債務を負うものであるので、在日韓国人戦傷者は日本政府に対し、援護補償を請求できる。この回答は東京地裁の法廷にも提出されております。
 このようなことが積み重なっておりまして今日に至っているわけですけれども、私はここで内外の、もちろん先ほどから議論がございますとおり、内的にも決して一〇〇%パーフェクトであるとは申しません。けれども、同じように日本の国策によって軍人軍属として徴用され、同じように戦った方たちなんですね。その人たちをどうして救えないのか。
 例えば、九三年には、日本国内では戦没者の妻の精神的苦痛を慰藉する戦後四度目の特別給付金、このために予算の中から五千二百三十八億円が使われております。戦没者の父母等の精神的苦痛を慰藉する戦後六度目の給付金、このために十九億円がそれぞれ計上された。いずれもが公務扶助料や遺族年金等を受給する者に対する上積み給付であります。
   〔委員長退席、理事菅野壽君着席〕
 私はこのことがいけないと言っているんじゃないんです。幾らこんなお金をもらったって、愛する肉親を失った人たちがそれでいやされるとは思わない。けれども、余りにもその額が違うんじゃないだろうか。こちらは一銭の年金支給もない。戦没者の遺族に対する特別弔慰金、先ほどお話が出ておりましたが、このために六千四十億円が計上されております。国内向けの戦後補償のためには十五の法律が制定され、累計すると三十五兆円近くを費やしているわけです。しかし、それらにはいずれも国籍条項があり、旧植民地出身者を初め外国人を適用除外しているわけでございます。
 先日行われました国連の人権委員会、NGOの団体から私が連絡を受けましたところによりますと、NGOの人種主義及びあらゆる形態の差別に反対する国際運動、この人たちが人権委員会で提言をしております。
 その中で、「第二次大戦中に日本が行った行為の責任に関して日本の閣僚が立て続けに否定した発言をしていますが、在日台湾人、在日韓国・朝鮮人の状況は発言内容とは異なるものであります。第二次大戦中、約四十五万人の朝鮮人、台湾人が日本の軍人として戦場に赴くことを余儀なくされ、五万人以上が戦死し、さらに多くの者が負傷しました。」、こういう趣旨の訴えがなされました。
 外務省人権難民課においでいただいております。課長は外国へ御出張と伺っておりましたのに、きょうはおいでいただいてありがとうございます。
 その場におられましたでしょうか、どうでしょうか。その場におられてこの訴えを聞かれて、どんなふうに感じられましたでしょうか。
#23
○説明員(川田司君) お答えいたします。
 申しわけありませんが、私、社会開発サミットというほかの会議に出ておりましたので、ジュネーブで行われました人権委員会自体には、ちょっと都合により欠席させていただきました。
 先生御質問のNGOの件でございますけれども、一月三十日から三月十日までジュネーブで開催されました第五十一回国連人権委員会におきまして、二月十四日、議題二十の少数者の権利という議題のもとで、NGOでありますところの反差別国際運動、通称IMADRという団体の方がステートメントを行ったと承知しております。
 その中でIMADRは、日本政府は、一九五二年に日本が主権を回復すると、朝鮮人、台湾人に対して押しつけてきた日本国籍を取り消し、この国籍喪失を、在日台湾人、在日韓国・朝鮮人の補償に対する権利を含む諸権利を否定する法的理由として使用を続けているという内容のステートメントを行ったと承知いたしております。
 これを受けまして、我が国は人権委員会のメンバーでございますので当然人権委員会に出席しておったわけですけれども、このIMADRのステートメントを議場にて傍聴させていただきまして、我が国の立場をしかるべく説明したところでございます。
 以上でございます。
#24
○竹村泰子君 それに対して日本政府代表の答弁というのを拝見しておりますけれども、実に冷たいというか、そっけないというか、ちょっと御紹介してみますと、「日本国政府は、サンフランシスコ平和条約、二国間平和条約や他関連条約等に従って、第二次世界大戦から生じた問題をこれまで真摯に対処してまいりました。」。私、真摯だと思いませんけれどもね。「戦傷者に対する補償問題の日本国内法下での対処方法は、極めて多岐にわたっており、そのほとんどが、受給者は日本国籍を持つ者であることを規定していますが、それらは合理的理由に基づいているものです。」。
 三番目に、「例えば、国籍条項は以下の理由に基づいて戦傷病者戦没者遺族等援護法に組み込まれているものです。同法によって支給される援助は、軍人軍属が被った特定の戦争による損失に対する政府の補償という性格を持つものです。援護の受給者、援護の内容、そして関連する問題等の見識は、極めて高度な政策判断を含む立法政策の問題に属するものでありこというふうなお答えをしておられるんです。現在の状況ではこういうお答えにならざるを得ないだろうと私も思います。
 しかし、今に始まったことじゃなく、国連の人権委員会などでずっとこの訴えは続けられてステートメントはされているわけですし、国際的には私は、やっぱり日本が経済大国になり先進国になっていくに従ってますます大きなプレッシャーがかかってくるというふうに思うんですね。
 外国で苦労なさるのは外務省、人権難民課なんですね。ですから、本当にある種お気の毒だとは思いますけれども、やっぱりこれは厚生省に、このくらいはちゃんと救うような手だてをしてくださいよ、私たち苦労しますよと、きょうは大臣いらっしゃらないけれども、そういうお願いをされてもいいのではないかと私は思います。
 もう時間がほとんどなくなってしまいましたので、最後にお尋ねをして終わりたいと思います。
 井出厚生大臣は、御就任早々の九四年七月十九日の閣議後の記者会見で、在日韓国人の元日本軍属による障害年金請求訴訟が東京地裁で棄却されたことについてという質問を受けて、厚生省としては主張が正しかったことが認められ本当にほっとしているというふうな大臣のコメントを私もテレビでお聞きしまして、本音はそうなのかなと思いました。
 その一方、あの人たちが救われるわけではなく、立法や行政にボールが投げ返された、官房長官にも内閣全体で知恵が絞れないかと伝えたというふうにお話しになっております。官房長官もたしかコメントをお出しになっていますね。公式にはそういう政府としての主張が認められたけれども、率直に言って気持ちの残るものがあるというふうに五十嵐官房長官もお答えになっております。
 新聞の記事によりますと、先ほど大臣お答えになりました五十年問題プロジェクトでもこの問題を優先的に検討しようという動きが出ているというふうに伝えているんですけれども、本当にお名前がはっきり公表できる方は五人なんですね。全体で見ましても、多分こういうはざまで国籍のためにはねのけられている人、恐らく十人ぐらいじゃないかと思うんですね。なぜこれが救ってあげられないのか。これは戦後五十年、厚生大臣こういう発言もなさっていらっしゃるし、あなたが御在任中にぜひこれは実現をしていただきたい。強く要望して、お答えを伺って終わります。
#25
○国務大臣(井出正一君) 先ほど先生御引用の私の発言、朝日新聞だったと思いますが、ほっとしていると。これは、実は私生まれて初めて被告人の立場でありまして、そういう意味では大変緊張もした後だったものですからそんなことを申し上げましたが、真意はその後の方だと御理解いただきたいと思います。
 そんな意味でも、先ほども申し上げましたが、戦後五十年、いまだにこういう皆さんがいらっしゃるというのは戦後の処理が終わっていない一つのまさにあらわれだということは、私もそのとおりだと思います。
 ただ、先ほど申し上げましたように、これは厚生省だけでどうもなかなか解決できない問題でありますから、やはり政府全体で、そしてまた与党のこの問題のプロジェクトチームの皆さんとももう少し御相談をしていきたいと、こう考えております。
#26
○竹村泰子君 終わります。
#27
○横尾和伸君 平成会の横尾和伸でございます。
 戦後五十年、大変意義ある、意義あるというか意義あらしめるべきときを迎えておると思います。そういう意味では、同じ考えで今国会の村山総理大臣の所信表明演説の初めのところにもそのことが明確に述べられております。
 総理は、一九九五年は、戦後五十年の節目の年であります。」中略「この年を過去の五十年から未来の五十年へとつなぐ大きな転機の年としたい、」、こう述べられているわけです。単なる通過点ではなくて、本当にこの五十年と五十年をつなぐ転換点として大きな転機の年としたい、こう言われているわけであります。
 そういう点では私も同じ考えであるんですけれども、最近この言葉がどうも大言壮語だったのかなという気がしてならないんです。何を実行されようとしているのか、先ほど来の質疑の経過を見ておりましても、従来と何ら変わらないような気がしてなりません。五十年と五十年をつなぐ転換点にしては決意のほどが感じられません。
 そこで、具体的には今回の法律案の特別弔慰金などがその一つに当たるのかな、あるいはこれは単純に通過点なのかなと、この辺は非常に意味がとりかねているところでございます。といいますのは、特別弔慰金四十万円、これまでよりも十万円多くなっている。その前が三十万円、その前が二十万円と段階的に来ているんで、これは通過点なのかなという気もいたしますけれども、通過点ではなくて特別に四十万円にしたのは、やはり五十年の区切りでこれからの五十年とは違うぞというものを示すために思い切って四十万円にしたのか、大変この辺の位置づけというのが重要だと思うんです。
 そういう点でこの四十万円、あるいは言いかえれば戦後五十年をどのようにとらえるかという意味で、四十万円との関連で、大臣のお考えをできるだけ具体的にお答えいただきたいと思います。
#28
○国務大臣(井出正一君) 今回、戦後五十周年という大きな節目を迎え、公務扶助料等の受給者がいないために国からの処遇を受けることのできない戦没者等の遺族に対して、国として改めて弔慰の意をあらわすことが必要であるということから、引き続き特別弔慰金を支給することとしたものと理解をしております。
 支給額でございますが、前回支給した昭和六十年以降の経済情勢の変化等を勘案して、今日の社会通念から見て妥当な額を四十万円と決めたところでありまして、たまたま十万円十万円という刻みに結果的には相なりましたが、特にそういった意味のあれはこの四十万円の根拠には入っていないと、こう申し上げていいと思います。
#29
○横尾和伸君 厚生省のつくられた法案の概要という資料なんですけれども、その中には、戦後五十年を迎えるに当たって国として改めて弔慰の意を表するため、そういうことで特別弔慰金として云々という説明がなされております。ちょっとこれはニュアンスの問題かもしれませんけれども、私はやはりここに相当な意味が込められているんじゃないかと思うんです。大臣が今言われたのは、特別な意味はないんだというように聞こえたんですが、私が聞き間違ったのでしょうか。
 今回の戦後五十年というのは二度と来ないし、これからの五十年、改めて新しい流れをつくっていかなきゃいけない転換点だ、こういう大変な位置づけにあるべきだと思うんですが、その意味がちょっと感じ取れなかったんです。もし追加してお答えいただけるならば、戦後五十年をどのように特別にとらえるのか、こういう観点からお答えいただきたいと思います。
#30
○国務大臣(井出正一君) 戦後五十年というのは、日本のこれからにとりましても、やはり過去を振り返ってきちっとした反省の上に立っていかなくちゃならぬというまさに節目の年だ、こう考えております。
 ただ、この特別弔慰金の支給は従来も十年ごとに支給が取り決められてきたわけで、ちょうどそれがこの五十周年と時期的にも当たるわけでございます。
 それはそれとして、過去の戦争においてあれだけ御苦労をなさりながら、公務扶助等の受給者が既にいらっしゃらなくなって国からの処遇を受けることのできない戦没者等の遺族に対して、やはり五十周年という年でももちろんありますから、国として改めて弔慰の意をあらわす必要を感じて支給をすることといたした次第であります。
#31
○横尾和伸君 四十万円の数字的な根拠をという意味ではなくて精神的な意味で、今回こそいろんな意味で実質的に節目のときととらえていかなければいけないという意味で御決意をお伺いした次第であります。
 ちょっと角度が変わりますけれども、昨年六月に自民、社会、新党さきがけは、新しい連立政権を樹立するに当たりまして合意事項を発表されました。いわゆる三党合意と言われていると思うんですが、これは三党が基本的な問題についてこういう合意事項のもとに政権を担当する、それまで歩調が全然違っていた部分が多くある政党が政権を担当しますよ、そういう意味で野合ではない、その当時批判の声もあったいわゆる野合ではないかということに対する三党側からの一つの答えであったかに思うんです。そういう意味では政権を担当するに当たっての国民に対する公約なんだろうな、こう思っているわけです。
 例えば、そういう中には「行政改革と地方分権の推進」あるいは「高齢社会と税制改革」あるいは「戦後五十年と国際平和」、こういった課題について三党が合意した内容を文章にしているわけであります。
 そういう点で、これは国民への公約だと私は確信をしておりますけれども、この点についてはいかがでしょうか。
#32
○国務大臣(井出正一君) 昨年、新しい連立政権が樹立される際に、今先生御指摘のように自民党と社会党そして私ども新党さきがけで合意を見ました事項の中に、たくさんあるわけですが、「戦後五十年と国際平和」ということに関しまして、「新政権は、戦後五十年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の採択などに積極的に取り組む。」、こううたっているところでございます。
 私は、これは大変重要な合意事項でありまして、それは政権が樹立されたわけでございますからいわゆる公約ということにももちろんなるんじゃないかと考えております。
#33
○横尾和伸君 私もこの趣旨については賛成でございます。この趣旨といいますと、今大臣が例示的にお話しされた戦後五十年に関する記述でございます、「新政権は、戦後五十年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の採択などに積極的に取り組む。」と。これは新政権がやることですから、その内容、考えていらっしゃる方向性というのは大変重要なことだと思います、ただこれだけですべてだとも思っておりませんけれども。
 ただ、これでさえも何かきしみばかりが聞こえてきてなかなかその姿が見えてこない。この問題については、不戦決議という形で自民党と社会党が合意をするために随分努力しているという新聞記事等も読ませていただいておりますけれども、その際に、これは三党合意で国民に公約しているということで、やはり終戦という時期を考えれば会期末が一つの実質的なターゲットだと思うんですけれども、それまでそう時間がないんですね。
 そういう中で、不戦決議問題でさきがけの代表者、幹部の一人である大臣も含めましてどのように動かれているのか、どのように努力されているのかというのがどうもよくわからないんです。その辺のことと、時間がない中ですけれども、今後さきがけはこの件に関してリーダーシップをとるお考えはないのか。自社両党にお任せをして、そしてそのうちに合意事項の公約が守られるだろう、こう思っておられるのか。その辺のところを、さきがけの代表者でもあります大臣に両方の立場をお考えになってお答えいただきたいと思います。
#34
○国務大臣(井出正一君) さきがけはたった二十二名の小さなグループでして、それだけに意思疎通といいましょうか、あれは極めて容易にできます。別に幹部とかいうようなあれはございませんから、みんなで相談し合って今やっている最中でございます。
 まず、時期なんですが、やはりこの八月十五日で満五十年になるわけですから、それまでにこの決議がぜひなされなくちゃならない、なされるべきだ、こう考えております。ただ、国会の会期という問題もございますから、そういう意味では今先生がおっしゃったように、今会期中にできるものならやっぱりやるべきだと、私どもはそんな考えております。
 ただ、各党それぞれの中にはいろんなお立場、お考えの先生方もいらっしゃいますから、それぞれが今党内で御協議をしながら、そしてまた連立三党が持ち寄ってそれぞれのお立場の方々がいろいろ御苦労なさっていらっしゃいます。私どももその中に入りまして、ただまことに小さな党でございますから、伝統がありまた大きな自民、社会両党の皆さん方がそういう方向に合意していただけないことには、連立てございますから我々だけでやったとしてもなかなか思うようにはいきません。
 しかし、何とか合意に達することができるように、まことに力は弱うございますけれども懸命の努力をしなくちゃいかぬと思いますし、またこれはタイミングといった問題もきっと一つ大事な問題になるかもしれません。みんなと相談しながら、ぜひ実現に向けて頑張っていきたいと思っております。これは、私は今与党のことばかり申し上げましたが、むしろ与野党含めてなされるべきものじゃないかな、そんなふうにも思っております。
#35
○横尾和伸君 何かお立場も一部わかりますけれども、一部ではまた漁夫の利みたいなことをお考えなのかなと勘ぐりたくなるようなところもございました。しかし、それは私の単なる感想として申し上げておきます。
 ただ、大臣、時間にも限度があるということでもありますし、もうそろそろお考えをはっきりさせた方がいいんではないか。そういう意味で、私どもあくまでも新聞情報ですけれども、不戦決議で自民党と社会党が今一生懸命頑張っておられる。そういう中で、自民党の方が平和決議という言葉に言いかえて少し内容を変えようとされている。その内容はしかるべき場に出していただければ、その中でまた検討をする機会もあろうかと思うんです。
 それはそれとして、随分不戦決議と平和決議というのは中身は違うような気がするんです。これは公式に発表されているのかどうかもわからないので、ちょっと聞き方を変えますと、同じ意味で聞くんですけれども、例えばこういうふうに聞いたらわかりやすいかもしれません。
 昨年の八月三十一日に村山総理大臣の談話が発表されました。戦後五十周年に関連したものですけれども、そこにはこんな文章があります。「明年は、戦後五十周年に当たる。」中略「この重要な節目の年を真に意義あるものとするため、」中略「私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちにたって、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考える。」、大変立派なことを言っていらっしゃると思うんですが、具体的にはこのことを大臣はどのように受けとめられ位置づけられておられるのかと、こういう意味なんです。
 先ほどから言っていることと同じ問いなんですけれども、どっちなのか、不戦決議なのか平和決議なのか、どういう言い方でも結構でございます。村山総理が、侵略行為や植民地支配など多くの人々に耐え難い苦しみそして深い反省と、こう言われていることをどう思われるか、大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
#36
○国務大臣(井出正一君) 私は、昨年の八月三十一日のあの総理大臣の談話は大変すばらしいことをおっしゃっていらっしゃると、こういうふうに評価しております。
 そして、私どもさきがけもこの地方選に臨むに当たりまして、重点公約の一つに「戦後五十年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する決議の採択や記念事業の実施などに積極的に取り組みます。」と、こううたったところでありまして、これは昨年の三党合意の文章をほとんど引用したものであります。
   〔理事菅野壽君退席、委員長着席〕
 委員、あるいは新聞なんかで不戦と平和決議、これは随分違うんじゃないかと、こんなお考えで今御質問かと思いますが、私もそこは正直のところまだよくわかりません。
 ただ、自民党が選挙の公約に総理のこの部分を除かれたというような記事からそんな御質問なのかなと、こんなふうにも私なりに今考えたんですが、これは他党のことでございますから私が一々申し上げることは差し控えるべきですし、また申し上げる何も持っておりませんけれども、ただ村山内閣を自民党、社会党、私どもでつくっておるのでありますから、その与党でいらっしゃいますから、私は必ずやいい合意が得られると信じております。
#37
○横尾和伸君 ちょっと意味がとりかねたんですけれども、私は何が削除されたとかそんな話もしていないし、そんな認識も余りなかったんですけれども、総理大臣の昨年八月三十一日の談話、純粋にこの部分について厚生大臣はどうお考えになるのかと、先ほど読み上げた部分ですね、これについて端的にもう一度お答えいただきたいと思います。
#38
○国務大臣(井出正一君) 私は大変評価もしておりますし、賛成であります。
#39
○横尾和伸君 この件については時間の都合もありますので、大臣のお考えは一応お聞きいたしました。
 次に、時間もないんですけれども、先ほど来同僚議員からの質問もありました国籍条項に関する問題であります。最近では一九八二年の難民条約の批准、これも一つの大きな節目だと思いますけれども、こういうことを契機にしながらだんだんに国籍条項をなくしていくという国内の動きもあります。例えば、私が言うまでもありませんけれども、国民年金法あるいは児童手当法などが現在では国籍条項がなく外国人に開放、開放という言葉がいいのか、国籍条項がなくなっております。
 そういう中で、国籍条項が本法、今回の法律では残っているわけです。これはいろいろ調べたり聞いたりしてみると、国家補償の精神に基づくものについてはどうも残っているということなんですが、国家補償の精神に基づくものに限って大分国籍条項がしっかりと残っているのは、これは何か理由があるんでしょうか。
#40
○政府委員(佐野利昭君) 通常の社会保障関係の法律につきましては、今先生がお話しありましたように、難民条約の批准に伴いまして国籍要件を撤廃いたしてきております。しかしながら、援護法のようないわゆる国家補償の法案といいますのは、これは極めて高度な政治的な判断を要するいわゆる立法政策上の問題ということでございますので、各国のそれぞれ立法政策にゆだねられるべき分野である、こういうふうに位置づけられているのだと思います。
 日本の国におきましては、国籍問題につきましては、旧日本国籍をお持ちの植民地だった国の方々は、その人たちに対する取り扱いはそれぞれの独立国の国との個別取り決めで決めるという国策をとったわけでございます。それによりまして、その後例えば日韓条約等において個別具体的に取り決めをしてきたと、こういう位置づけになっておるものですから、そういうことでそれと別個の形で国内法だけで国籍要件を撤廃するという政策はとらない、こういうことでございます。
#41
○横尾和伸君 既に先ほど来質問のあった問題ですけれども、私も外国の例を少し調べさせていただきましたけれども、どうも先進国では日本だけが国家補償というのを大事にとっているようでございます。それはそれで私は否定するつもりではないんですけれども、国家補償の精神に基づきということだけでくくりをつくって、そこからは一歩も入れないという姿勢を感じるんです。
 もうそろそろそういう時代ではなくて、先ほど来申し上げているように、戦後の五十年それからこれからの五十年と区切りをつける、転換の年にするということからすると、やはりもう少し頭を柔らかくして、つまり国家補償という言葉だけでくくってその中には一歩も入れさせないということではなくて、いわゆる国家補償の内容を変更しろとかそういうことを私言いたいわけではなくて、対象の一部分を事実に即して判断したらどうだろう、そういう部分については少し弾力的になってもいいんではないかと。
 外国の例でもありましたし、それから国内でも今申し上げたようにその傾向が強まっております。私は大変いい傾向だと思いますし、この際、先ほど大臣からもお話がありましたように、地方参政権の付与の問題も検討していると。そういうふうに今まで考えていなかった、考えられなかったことも今やろうとしているわけです。そういう中で、今回の国籍条項は即撤廃する方向とまではいかないまでも、例えば永住されている外国人には国籍条項は適用しないとか、そういった部分についての検討すべき課題が出てきていると思うんです。
 私は、そういう点で大臣、もう少し柔軟にことしこそ考えるべきだと思うんですけれども、大臣のお考えを伺って質問を終わりたいと思います。
#42
○国務大臣(井出正一君) 実は、先ほど竹村委員の御質問にもお答えしたこととダブるわけでございますが、昨年の在日韓国人の元軍人軍属だった方の訴えの判決に際しまして、私自身も何とかならないかなと、こう思った次第でありますし、そのことを官房長官にお話をしたことも確かでありました。
 ただ、先ほど来局長が御答弁申し上げましたように、いろんな経緯もこれありまして、援護法の国籍要件を廃止とかあるいは解釈を変えるという問題につきましては、これはやっぱり厚生省だけではなくて政府全体で検討されるべき問題であろうかと思います。
 したがいまして、まだ政府全体で取り組む事態にはなっておりませんが、先ほど申し上げましたように、私ども与党の方の五十年問題プロジェクトチームでもこの問題が論議もされております。したがいまして、まさに戦後五十年という節目の年でもありますから、私としても何らか政府全体でぜひ取り組んでいかなくちゃならぬまさに大事な時期だな、こう考えておるところでございます。
#43
○横尾和伸君 終わります。
#44
○萩野浩基君 新緑風会の萩野浩基でございます。よろしくお願いいたします。
 私は、各委員会でも取り上げられておりますし、きょうも冒頭に宮崎委員の方からもありましたけれども、やはりこの災害の問題というのは大変大きい問題であると思います。
 前にも申し上げましたが、私のところの大学は福祉系の大学であるということがあるからかもしれませんが、試験も何か半ばでほっぽらかして行ったのもいますし、卒業生もたくさん行っているというので、作業服に長靴というスタイルで参ったわけなんですが、その後のことをちょっと申し上げておきたいんです。
 行きましたときに、私は前にももしかしたら申し上げたかと思いますが、このごろの若い者は捨てたものではないという声を、涙を浮かべながら老人の方がおっしゃっておられたのはじんとくるものがあり、私らも何かしなきゃならないと思いまして、その後いろいろ努力いたしまして、ささやかなともしびではありますけれども、長田区の二葉のところに、本来なら公園はなかなか貸してくれないんですけれども、やはり地元の人たちの要望とかいろんなので超法規的な解釈でプレハブを建てました。
 そうしましたら、二つのことが起こっているんです。一つは、これからは体の栄養じゃなくて心の栄養が非常に重要な問題になってきました。それから、障害を持っておられる方がやっぱり自分のもとに帰りたいというので帰ってきたんだけれどもどうしようもないと、そういうのも受け入れるというような形に今なっておるんです。
 いずれにしても、若者たちが一生懸命やっている。これを機会に、一月十七日はボランティア元年というような一つの目標を置いて、大臣、これは厚生省でありますから、大臣は特にそういう方面においては深い考えを持っておられると感じますので、通告はしてありませんけれども、ボランティア元年としてボランティアを進めていくというような考え、いかがでしょうか。
#45
○国務大臣(井出正一君) 先生おっしゃるように、今回のあの大震災に際しまして、本当にボランティアの皆様方が私ども最初予想もしないような大変な活躍をしていただいたわけであります。
 そういった意味で、せっかくのボランティアの皆さんの御好意が、受け皿が必ずしも十分なかったというようなことも反省いたしまして、今政府全体で少しボランティアに対して行政がどんな形で対処したらいいかといった検討会も持たれるようになっております。経企庁が一応事務局をやっていてくれますが、それに厚生省ももちろん入っておりますから、そこらの中で今先生御提案くださいましたボランティアの日、一月十七日、どうだといったものももう少し詰めながら、そこの会合なんかに提言をしてみようかなと、今ちょっとそんなふうに考えていたところです。
#46
○萩野浩基君 ありがとうございます。外国と比較しましてボランティアというコンセプトが十分に国民に理解されてないんで、これを契機にひとつ、今大臣にそういうようなお言葉をいただきましたので、ぜひ厚生省がリーダーシップをとってお進めいただきたいと思います。
 さて、今回の法案による二本の法律の改正なんですが、これは私は趣旨に賛成でございます。五十年を節目ということが先ほど出来ておりますが、戦傷病省それから戦没者、遺族の方々等、こういう方々に日を当てるということで私はこのことについては賛成でございますし、また質問しようと思いましたことは同僚委員からの質問がありましたので、私は、戦後五十年でもう一つ取り残されておる、今まで触れられなかった問題について触れてみたいと思います。
 それは、中国残留孤児やまた残留婦人籍に関する問題でございます。特に残留孤児というのは、テレビに出てくると大体私と同じ年代なんですね。だからもう人ごとには思えません。私の同僚の中にも辛うじて帰ってきたというのもおります。それから、残留婦人の方々に関しては、これはボランティアで一生懸命やっておられますね。たまたま向こうに旅行に行ってこういうのに接したというのがもとで、本当にボランティアでやっておられて会館の私のところにもしょっちゅうお訪ねになります。こういう方々というのは本当に純粋な気持ちでやっていらっしゃるので、きょうはこれに絞って質問させていただきたいと思います。
 特にこの問題がクローズアップされておりまして、法律も以前と比較しますとかなり充実してまいりました。各省庁が連携をとり合いながら、厚生省がひとつ思い切ったものを今回も出しております。六年の十九億八千八百万でしたか、今回は二十九億五千六百万というようにぐっと伸ばしていらっしゃいます。
 それによってほかの省庁も動いているということは私は大変うれしく思っておるんですが、最近の新聞で見かける話に国籍問題が出てきております。特に、永住帰国した中国残留邦人の方々が日本で生活していく上では国籍が問題となります。そこで、帰国後に日本の国籍とそれから戸籍を抹消されるようなケースが出てきた。私はいろいろ資料を持っておりますけれども、行政とすればもっといろんな面で温かい血の通った対処の方法があるんではないかと、このように思っております。
 そこで、具体的にちょっと質問をいたしたいと思いますが、これは法務省とも関係するんで、法務省いらしていますか。
 先ほども言いましたが、ボランティアで来られる方々の話では、これは地方法務局によってその取り扱いが著しく異なっておるというので、具体的な例を言いますと、ところによっては同じ状況でそれを要求しているんだけれども、ある地方法務局によってはこうだった、あるところではこうだったというようなものも耳にしております。その実態はどうなっておるのか。これは法務省に聞きましょうか、簡単にお願いします、時間が二十分足らずですから。
#47
○説明員(原優君) 今、先生御指摘いただきましたように、地方地方によりまして国籍認定の扱いが異なっているんじゃないかという御批判があることは私どもも承知しております。
 この国籍認定といいますのは、その方が中国国籍を取得したのかどうか、取得した場合にはその経緯、動機等はどうであったのかということを調査いたしますが、そういった事情がその方の身分関係ですとか置かれた生活状況によって異なっておりますので、どうしても個別事案ごとの判断になるという要素がありまして、事案によっては認定が異なっているというケースがございます。
#48
○萩野浩基君 それはわかります。それぞれケース・バイ・ケースでありますから、若干異なったことが出てくるというのは当然と思います。国籍法第十一条は、「日本国民は、自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。」。それから二には、「外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う。」と。こういうのは法律として明白なわけです。
 私が申し上げたいのは、自己の志望により中国国籍を取得しているために日本国籍をなくしてしまうと。それからまた、日本国籍を抹消された者が国籍確認を求めた訴訟というものが起こっております。この訴訟を見ておりますと、今現にやっているのは多分五件あると思いますが、その中でこれまで判決が出た分はみんな訴訟を起こした人が勝っているわけですね。
 また、法務省の方とすれば、現行法からすれば訴訟で解決してもらわなきゃならないというような、これは新聞のコメントですからいかがかと思いますが、私はそれではだめだと。こういう戦後亙十年というものを、我々は反省の上に立つのであるならば、とにかく満州に行かれたりみんな出ていって、そして小さな子供さんであったりそういう方々が本当に気の毒な目に遭っている、こんなことが解決できないで、戦後五十年の総括なんでいろいろ言うが、もっとそれ以前の問題だと、そのように考えております。
 これは厚生省だけに私が幾ら力説しても、やはり法務省との関係で、もっと血の通った前向きな姿勢が必要じゃないか。今までの判例はこうなって確かに負けましたという答弁は私は要りません。私が言いたいのは、多分これから後の裁判においても国が負けるだろうと思います、私も若干法律はやっておりますからね、今までの判例とかいろんなのを見ても。こういうのをほうっておくというのは甚だ遺憾であって、私は何としても国籍獲得の基準というものをやはりこれは法務省は出すべきだと。それにはもっと厚生省ともリンクをとってやっていってもらわなければならない、私はそのように思っているんですが、法務省の方、いかがでしょうか。
#49
○説明員(原優君) 今、先生から御指摘いただきましたように、過去に私どもが行いました国籍認定の判断が裁判所で覆されているケースがかなりありますので、私どもとしてはこれを非常に謙虚に真剣に受けとめております。
 そういう事例を会同等を通じまして各法務局に紹介し、国籍認定でどういう点を留意すべきかということを指示いたしまして、全国において統一的な国籍認定が行われるように努力しております。裁判例が幾つか出ておりますので、そういった裁判例から幾つかのポイントといいますか、考慮すべき事項というのが出てきておりますので、そういうものを踏まえまして基準といったものがつくれるのかどうかといった点を含めて、今後全国におきまして統一的な国籍認定が行われる方策を検討していきたいと思っております。
#50
○萩野浩基君 予想外に積極的な意見をいただいて、これは大変収穫だと思います。何としてもこれは血の通った行政が行われなければなりません。法律がこうなっているというよりも、これは行政指導の裁量範囲として何としても、今そのような積極的な答弁は、多分打ち合わせていらしたと思いますから、民事の第五課だと思いますが、ぜひともこの基準を早くつくっていただきたい、このように思っております。
 最後に大臣、今法務省の方とのやりとりも聞いて御理解いただいたと思いますが、国籍獲得の基準というものはそういうような方向に向かって努力するという決意を聞いたんですが、最後に大臣に、中国残留邦人の問題全般について。
 先ほど、まだ残っているのは私らと同じ年代、そして最後は日本に帰って日本で眠りたいという人もたくさんいらっしゃるわけです。そういう方はだんなを亡くしてもう大変な年齢になっていらっしゃいますから、そういうもろもろの問題を含めまして、大臣は大変こういう問題に関しては御理解があると聞いておりますので、政府がつくった答案ではなくて生の素朴な感想をお聞きして、私の質問を終わりたいと思います。
#51
○国務大臣(井出正一君) 実は、ちょっと答弁にならないことを申し上げて申しわけございませんが、私が初めて国会へ出てきて最初の質問をしたのが法務委員会で、時の法務大臣が遠藤要先生でいらっしゃったと思うんですが、ちょうど残留帰国孤児の就籍問題を質問したことを今思い出しておりまして、法務省が大変いい答弁をしてくださって、先生から期待をしていただいたのはうれしく思っております。
 さて、残留邦人の問題ですが、昨年の秋にも肉親捜しに三十数名の皆さんがお見えになりました。まさに一番の年長者が私と同い年で、あとはみんな四、五歳下の皆さんです。もう長い間の御苦労の結果でしょう、少なくとも私どもよりはずっと老けていらっしゃいます。そして、いろんなお話をしたんですが、これはもうある時期に概了宣言といいましょうか、これで調査をほば終わったということにもかかわらず、その後毎年やるのはどういうことだろうと思って不思議だったんですが、よくわかりました。
 それは、養父母にずっと育てられて今日まで来たとき、お父さん、お母さんが亡くなったときに打ち明けられるとか、あるいは近所の人に知らされるとか、あるいは途中でわかったけれども悲しませるのが忍びなくて我慢していたとか、あるいは逆にかえって怒られちゃうのが恐くて黙っていざるを得なかったとか、いろんなケースがあるようでございます。まだ随分これからもそういう皆さんが出てくるんじゃないかなと思いますから、これはやっぱり少し息の長い事業と考えていかなくちゃならぬと思います。
 そういった皆さんの中で、帰ってきたいという皆さんにはできるだけスムーズに帰ってきていただいて、しかもこちらで一日も早く自立てきる体制をつくっていかなくちゃなりませんが、あちらでもう家族を持ってやっぱり親戚関係もできちゃっていますから、無理して帰ってくることを余り応援するのはいかがかと思います。そういった意味ではことしの予算にもあれしましたが、むしろ一時帰国の毎年化といったのは、そんな意味で私はかえって意味があるんじゃないかな、こんなふうに思っております。
 いずれにいたしましても、これはみんなかって満蒙開拓団のころ行かれた方々の子供さんでありますから、やはり国としての責任は大変重いものがありますからできるだけのことを国としてやらなくちゃならぬ、こう考えております。
#52
○萩野浩基君 どうもありがとうございました。よろしくお願いいたします。
#53
○西山登紀子君 いつの時代にも戦争の最大の犠牲者は子供たちです。そこで私は、援護法の準軍属として対象になっている満蒙開拓青少年義勇軍に関してきょうは質問をいたします。
 満蒙開拓青少年義勇軍とは、一九三七年の七月七日、日中全面戦争の勃発の直後に、関東軍が満州国維持のために提案をしたのがその発端となっているわけです。ここに提案の概要を持っているわけですけれども、少し御紹介をいたしますと、「純真なる〔本内地農村青少年の現地訓練により、真の建国農民たるに必要なる精神を鍛練陶冶するとともに、満州開拓を促進し民族協和を徹底し、以て満州建国の理想実現を期す」、こういうふうになっています。
 つまり、満州に日本内地の農村の青少年の訓練所を設置いたしまして、当時数えの十六歳から十九歳の青少年を募集、収容、訓練するというような内容でした。拓務省が担当しておりまして、「満州に対する青年移民送出に関する件」というのを第一次近衛内閣の閣議に提案して、十一月三十日に即日決定をされています。
 厚生省にお伺いしますけれども、この援護法が対象としている準軍属、満蒙開拓青少年義勇軍というのは、一九三七年十一月三十日の閣議決定で始まったことなんですね。
#54
○政府委員(佐野利昭君) 御指摘の昭和十二年の閣議決定、「満州に対する青年移民送出に関する件」に基づくこの人たちを対象としたものを準軍属として対象といたしております。
#55
○西山登紀子君 くわを持った少年兵ということだと思いますが、問題はこんないたいけな子供たちをどうやって集めたかということなわけです。
 大臣はもちろん長野出身で御存じだと思うんですけれども、長野県は全国で一番たくさんこの義勇軍を送った県でございます。私も、どうやってこんな子供たちをあるいはこんな子供たちが満州に行ったのか少し調べてみましたが、実に恐ろしいことです。
 京都府の公報、一九四一年の二月四日付で、高等小学校、尋常小学校長あての京都府学務部長の通達というのがあるわけです。昔の言葉で少し読みにくいんですが、御紹介をします。「満蒙開拓青少年義勇軍郷土部隊募集二関スル件」では、「過般本府主催二係ル市郡小学校長会議二於テ決定相成候標記郷土部隊編成補充募集ニ関シ一市郡平均五名送出準備ノ都合モ有之候条貴職ニ於テ夫々貴市郡小学校長会長ト緊密ナル御連絡ノ下ニ応募者氏名来ル二月十一日限本府職業課必着ヲ以テ通知相成度」、こんなふうな通達が行っているわけです。
 京都でお聞きしましたが、こういう満蒙青少年義勇軍の合格証明というのは府が行って、制服や制帽や靴を支給し、京都府の職員が引率をして茨城県の内原訓練所に送り込んでいる、こういうのがその子供たちを集めて送った経過です。
 つまり、行政機関を通じて人員を割り当て、なかなか集まらないので最終的には学校に伝達をし、教員や学校長が児童や父母の説得に当たって連れていった、こういうことです。こういう事実の中であの有名な「教え子を再び戦場に送るな」という教員運動のスローガンも生まれたということもお伺いをいたしました。
 大臣は、こういうふうにして子供たちが連れていかれたという事実や経過、御存じでしょうね。
#56
○国務大臣(井出正一君) 私、そのころ生まれたか生まれなかったぐらいですから当時のことは覚えておりませんが、その後、満蒙開拓団のことについては、先ほど先生がおっしゃったように私の地元からも大勢開拓に参画いたしました。私の隣の町は二つに、ちょうどほぼ半分に分けて、兄貴が残って弟が行くとか、逆の場合もあったようですが、満州の地に分村をしましたし、引き揚げてきてからは、辛うじて帰ってこられた皆さんは浅間山ろくに、軽井沢の地籍ですが大日向というところへ開拓に入られたような方もいらっしゃるものですから、それなりに私も承知しております。
 私の地元に「長野県満州開拓史」という大変膨大な記録が残っておりますが、その中にも、拓務省の配当を見込んで県が各市町村へ募集人員を割り当てて募集が行われたといった記述や、県は県下の市町村を初めとする学校長、在郷軍人分会長等に適当者の推薦を依頼していたといった内容も記されております。
#57
○西山登紀子君 当時、どのような子供たちが義勇軍になっていったか、連れられていったかということで、昭和十六年度に岐阜県が送出をしました郷土中隊の四百四十四名について、財団法人満洲移住協会が調べた「義勇軍身上調査統計」というのが公刊をされています。当時は極秘のものでございました、
 それによりますと、親の職業は農業、これがもう七割を占めています。それから続柄、これは長男は非常に少なくて、四百四十四名中、次男は百五十七、三男は百三十四、圧倒的に次男坊とか三男坊が多いわけです。それから、志願の動機はどうかといいますと、先生に勧められたというのが四百四十四名中二百五十八ですから、先生が説得をしたということはこのアンケートからも非常にわかります。年齢は十五歳、十四歳を合わせますと三百六十名ということで、十四歳や十五歳の子供たちが非常に多かった、今の中学校の一年生、二年生、こういう子供たちです。
 家族の反対者は、当時のようなああいう状況のもとでも反対がなかったというのは三百二十四で、あとは何らかの形でお父さんが反対したり、お母さんが反対したり、おばあちゃんやあるいは兄弟やそういう方々が反対したという数でございます。あのような状況から見ますと、やはりいたいけな子供たちを戦地に送る、このことについての同意はなかなか得られなかった、反対も多かった、こういうこともわかります。
 それで、一体何人が義勇隊の入隊者として行ったのか。事実、内原の訓練所に送り込まれた子供の中でも寂しくなって帰ったという子供もいるわけで、渡満した子供は一体何人か、うち死亡者の数は何人か、帰ってきた子供たちは何人か、まだ帰らない子供たちは何人か、厚生省の御認識をお伺いいたします。
#58
○政府委員(佐野利昭君) 残念ながら、今先生が御指摘になりましたその青年義勇隊の人たちのみを限定した数字は実は持ち合わせておりません。
 外務省が、帰国した人たちからの情報に基づきまして、昭和二十八年三月に在満開拓団義勇隊在籍者調査表というのをまとめております。この資料によりますと、満州に入植した開拓団の在籍者数というのが、二十四万一千百六十名であり、その中で死亡された方が六万五千三百二十三名、それから帰還された方が十四万六千三百三十名、それで未引揚者は、二万九千五百七名というふうに報告をされております。開拓団の在籍者の二十四万一千百六十名のうち青年義勇隊員としてそこで登録されておりましたのは、義勇隊訓練所員として二万二千五百十八名であります。
 しかしながら、ここで三年ぐらい訓練を受けてから開拓団になられたということでありましょうから、開拓団員として二十一万三千六百六十六名がいらっしゃるわけですけれども、その中にどの程度義勇隊員であった方が入っていらっしゃるかということはこの資料からは推計できないわけでございます。ですから、そういう面では残念ながら先生の御質問にはじかにお答えする数字は持ち合わせておりません。
#59
○西山登紀子君 駆り出すときには鳴り物入りで駆り出しておいて、そして数もわからない、その消息もまだはっきりつかんでいないと。本当に政府の怠慢といいますか、もちろんその名簿を当時どこでやったのかあれですけれども、私は、厚生省が準軍属としてこの援護法の対象にしている人たちが一体何人いたのかとか、そういうことについてもやはりもっともっと熱心な態度を示していただきたいと思うんですね。
 内原訓練所の資料、一九四七年八月十五日現在というのがありますが、これでは、全国で義勇軍は六万九千九百十七名、訓練生は、一万一千九百八十六名、合計九万一千九百三名というような数であります。これは内原訓練所の資料ですから、幾らでも手に入る資料でございます。ですから九万一千九百三名、こういう子供たちが遠い戦地で苦労をさせられたということです。
 そして、先ほども御質問がございましたが、私もこの際、大臣にお伺いしたいと思うんです。国会の、国政の重大問題になっている不戦決議、さきがけの、先ほど幹部じゃないとおっしゃったけれども、やはり幹部としての御見解をお伺いいたします。
#60
○国務大臣(井出正一君) 昨年の夏、自民党、社会党と、私どもさきがけで連立政権を樹立するときにも、五十年の節目の年に当たって、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する決議の採択をしようという合意を見ておりまして、私はこれは大変大きな合意事項だと考えております。
#61
○西山登紀子君 私たちも、侵略戦争と認めて国家責任を明らかにする国会決議、ぜひ必要だというふうに考えております。そういうふうな立場に立ってこそ私はこの援護法が生きてくる、国が弔慰の意をあらわすというこの援護法の精神が生きてくるというふうにも思うわけですね。
 そこでお伺いいたしますが、今まで援護法によって援護を受けてきた準軍属四号の人、それから今現在受けている人の数は幾らでしょう。
#62
○政府委員(佐野利昭君) 満蒙開拓青年義勇隊の隊員につきまして、実際にこれを適用いたしましたのは実は昭和三十年でございまして、それ以前の方々につきましては戦闘参加者ということで援護法の適用をしたケースがございます。ですから、それ以前の適用者につきましては実は把握する資料がございません。
 三十年以降の満蒙開拓団の援護法の適用対象として規定した後からの数字でございますと、遺族年金の適用をいたしましたのが二千四百七十二人、それから障害年金の適用をいたしましたのが八七人でございます。
 現時点におきまして、その中で遺族年金を適用されておりますのが三百三十九人、それから障害年金は五十九人となっております。
#63
○西山登紀子君 戦後五十年を前にして、京都でも重い口を開いて当時のことを語る平和の語部となって運動をされている方も出てきています。
 そこで、京都府議会で我が党の佐藤議員がこういう質問をいたしました。京都の戦後処理を進める会が調査したところ、宮津市の三名を含め三十六人の未帰還者があるとされているが、生死の消息調査はどうなっているかということで京都府に質問をいたしましたら、京都府はこういうふうに答えています。京都府の福祉部長は、こうした方々の送出名簿及び引揚者名簿は現在国において保管されているところであり、またその未帰還者の状況の調査究明につきましては、未帰還者留守家族等援護法に基づき国の責務とされているところでございますので、御理解を賜りたい」。つまり京都府はわからない、国が持っているのだ、こういう答弁を昨年の十月にしております。
 そこでお伺いいたしますけれども、義勇隊の送出名簿、それはどこに保管をされているか。京都のそういう送出者の消息、名簿など厚生省でおわかりになるのかどうか。
#64
○政府委員(佐野利昭君) 先ほど先生からのお話がございましたように、この送り出しの業務は拓務省でやっておりまして、その後この仕事が大東亜省の方に統合されました。戦後、終戦に伴いましてこれが外務省の方に移管をされております。外務省から厚生省の方に引き揚げ援護の仕事だけは引き継ぎを受けておりますが、送り出しの業務につきましては引き継ぎを受けておりませんので、残念ながら厚生省の方には送り出しの関係の資料は一切ございません。
 それから、ただいま京都府のお話もございましたが、京都府から確かに十月七日付で青年義勇隊員の消息調査につきましての調査依頼を受けております。外務省から移管されました関係書類、引揚者から提出があったもの等について調査をしましたところ、これらの御照会のありました三名の方々が青年義勇隊員として旧満州に渡っていたという事実は確認がされましたが、それ以後の消息等については残念ながらそれを明らかにする書類は手元に残っていないということでございまして、この点につきましては昨年十一月ごろ京都府の担当の方に、いわゆる帰還についての事実確認ができないということについては電話で御回答申し上げたところでございます。
#65
○西山登紀子君 義勇隊の送出名簿は国のどこに保管されているのか。
#66
○政府委員(佐野利昭君) これは、少なくとも厚生省には引き継がれていないということだけでありまして、どこにあるかということは私どもで把握のしようがございません。
#67
○西山登紀子君 戦後は終わっていないというお話も出ました。実際、遺族の方々にとっては終わっていないわけです。だから、義勇隊の名簿はどこに保管されているのか、誠意を持って調べて、私に御報告をいただきたいと思います。
 最後になりますけれども、未帰還者の遺族でこんなお話を聞きました。九十一歳のお母さんです。義勇軍で行った息子の生死は不明、いまだに何の連絡もないので位牌もつくってはいない、またつくれないと、こういうお母さんもいらっしゃるわけですね。
 それでまた、中隊長だったという人は、この援護法の適用の拡大が準軍属ということで義勇軍の遺族にも適用されているということを実際知らなかったと、ごく最近のことなんですけれどもありました。私も非常にびっくりしたわけです。
 先ほどお伺いいたしました受給者の数も、私はやはり非常に少ないという印象を持ったわけですね。九万近くが行っていて、そして現地死亡や生死不明の方々は、京都で一生懸命一人一人名簿を追って調べていらっしゃる方の資料を見ましても三割はいますよ。死亡した人とか消息がわからない人たちが三割はいる。そうして見ますと、九万近く送り出した子供たちの三割、二万七千人近い人は亡くなっているかあるいは消息不明、もう五十年たっているとなれば、その準軍属四号と言われる対象者の数はそれぐらい多いと思わなければいけない。ところが、実際は非常に数は少ないということになります。
 ですから、私は最後に、積極的なPRを誠意を込めてやっていただくようにお願いをいたします。
#68
○国務大臣(井出正一君) 戦争というものが、いかに内外大勢の人たちを不幸な境遇に陥れるかということを改めて思い知るわけであります。そしてまた、戦争を知らない世代が日本の場合もう三分の二を起そうとしておるわけでございますから、そういう意味では知らない世代に知っている世代がきちっと語り継ぐといいましょうか、そういうことの必要性を大変感じておるところでございます。
 そういった意味では、この青年義勇隊の問題もまさに同様でありますし、今厚生省が担当しております中国残留邦人等の問題のこれまた遠因といいますか、一因でもあるわけでございますから、私どももできるだけこれらの方面の資料なんかも集めていかなくちゃならぬとも思いますし、またこの隊員であった皆さんが援護年金等の適用があることを知らなかったという御指摘だったんですが、これは各種の機会をとらえてもっとPRを、今までもやってきたつもりでありますが、さらに努めていかなくちゃならぬと、こう考えております。
#69
○委員長(種田誠君) 他に御発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます。
 これより討論に入ります。――別に御意見もないようですから、これより直ちに採決に入ります。
 戦傷病者戦没者遺族等援護法及び戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
#70
○委員長(種田誠君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
 なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ省あり〕
#71
○委員長(種田誠君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時四分散会
ソース: 国立国会図書館
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