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1994/11/09 第131回国会 参議院 参議院会議録情報 第131回国会 国民生活に関する調査会 第4号
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1994/11/09 第131回国会 参議院

参議院会議録情報 第131回国会 国民生活に関する調査会 第4号

#1
第131回国会 国民生活に関する調査会 第4号
平成六年十一月九日(水曜日)
   午後一時三十分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十月二十八日
    辞任         補欠選任
     大渕 絹子君     喜岡  淳君
     有働 正治君     吉岡 吉典君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    会 長         鈴木 省吾君
    理 事
                清水嘉与子君
                竹山  裕君
                森  暢子君
                直嶋 正行君
                中川 嘉美君
                吉岡 吉典君
    委 員
                岩崎 純三君
                遠藤  要君
                太田 豊秋君
                加藤 紀文君
                服部三男雄君
                溝手 顕正君
                青木 薪次君
                菅野  壽君
                喜岡  淳君
               日下部禧代子君
                栗原 君子君
                堀  利和君
                釘宮  磐君
                武田 節子君
                下村  泰君
                國弘 正雄君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        林 五津夫君
   参考人
       有料老人ホー
       ム・グリーン東
       京社長      滝上宗次郎君
       朝日新聞社論説
       委員       大熊由紀子君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○国民生活に関する調査
 (本格的高齢社会への対応に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る十月二十八日、大渕絹子君及び有働正治君が委員を辞任され、その補欠として喜岡淳君及び吉岡吉典君がそれぞれ選任されました。
#3
○会長(鈴木省吾君) 次に、理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(鈴木省吾君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に吉岡吉典君を指名いたします。
    ―――――――――――――
#5
○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から御意見を聴取いたします。本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、有料老人ホーム・グリーン東京社長滝上宗次郎君及び朝日新聞社論説委員大熊由紀子君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
 この際、滝上参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙の中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件につきまして忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと思います。
 それでは、滝上参考人どうぞよろしくお願いします。
#6
○参考人(滝上宗次郎君) ありがとうございました。御紹介いただきました滝上宗次郎でございます。
 略歴を申し上げますと、大学では国際経済学を学びまして、昭和五十二年、三菱銀行に入社いたしました。銀行では調査部におりまして、よく世間では会社の寿命は三十年と言われますけれども、特に繊維産業、それから化学工業の中にありますさまざまな業種の栄枯盛衰を調査いたしました。それぞれの業種の将来性あるいはそれぞれの企業の将来性を展望いたしまして、三菱銀行の融資戦略、すなわちどういう産業どういう企業にお金を積極的に重点的に貸せばいいのかとか、あるいは逆にどういう産業や企業に対しては慎重でなければいけないのかという戦略づくりを長いことしてまいりました。
 そういった銀行員という職種から、資本主義経済のど真ん中から、今から七年前に父親の後を継ぎまして福祉の民営化というものを代表する有料老人ホームの一経営者となったという経歴でございます。
 なぜ私の父親が有料老人ホームを経営していたかと申しますと、地主として自分の土地を貸していた相手が有料老人ホームの経営を始めました。そこが日本で最初に倒産した有料老人ホームだったからであります。倒産して驚いたことは、有料老人ホームという建物は、その構造が他の商売や事業には何の役にも立たないということでした。マンションにもなりませんでしたし、ホテルにもなりませんでした。要するに、この事業というものは始めたらやめられないという強い特殊性を持っており、お年寄りの入居者を守る上でも、また経営者にとりましても法律による強い規制が必要であったということが言えます。結局は、私の父親がその建物を買い取って、十一年前に有料老人ホームを始めたというわけです。
 有料老人ホームを経営するには、広い土地と多くの人手を必要とします。御承知のとおり、日本は土地の値段と人件費は世界一高いものですから、毎月お客様から十数万円の管理費、食費をもらっていましても、入居してもらうときに数千万円の入居一時金を支払ってもらいます。広い土地と多くの人手を必要としますから、これは農業と同じようなものです。日本のお米が大変高いのと同じなんです。
 しかし、補助金とか食管制度とかいったものを私どもの業界は持っておりません。そのために極めて高い値段の商品でございますから、本当ならばお客様はほとんどいないはずなんです。しかしながら、偶然にも厚生省が昭和六十年十一月にシルバーサービス振興指導室を設置しまして、翌年の六月に政府が、時の内閣が福祉の民間活力を一つの柱とする長寿社会対策大綱を閣議決定したときから、何と神風が吹きました。その神風は何かと申しますと、バブル経済の始まりだったんです。
 といいますのも、昭和六十年九月にプラザ合意がなされまして、日本の円は一年間で一ドル二百四十円から百五十円に切り上がりました。当時、円高不況がございまして、その不況対策として日銀は過剰な低金利政策をとりまして、円高を抑えるために巨額のドルを買って円売りを続けました。そのために、円高によりまして消費者物価は安定しておりましたが、株式と土地は高騰いたしました。ダウが四万円までいったということです。そのおかげで首都圏を中心に、広さが三十坪ぐらいの自宅を売れば高齢者は一億円近いお金を簡単に手に入れることができるようになりました。そうした方々が私どもの有料老人ホームのお客様になってくれたのです。
 このように、バブル経済のおかげによって成立しているだけの有料老人ホーム事業に対し、国そして経済界は強い期待を持ちました。当時はバブルが永遠に続くと思っていたからでございましょう。実際、昭和六十二年三月に民間事業者百五十社が集まりまして、厚生省の指導のもとに社団法人シルバーサービス振興会を発足させております。そして、同じ十二月には厚生省の審議会から、「今後のシルバーサービスの在り方について」という意見具申がなされ、消費者保護といったものを棚上げにしたままで民間福祉が推進されました。有料老人ホームの建物が強力に後押しされたのです。同じ昭和六十二年版の厚生白書は、最初のページから福祉民営化の正当性をるる説明したものでございました。
 そして、皆様御承知のとおり、わずか三年後にはバブルが崩壊してしまいました。現在、三十坪ほどの土地を売りましても四千万、五千万しか手に入りませんから、この業界にお客様はほとんど来ないわけでございます。そのような意味で、有料老人ホーム事業の栄枯盛衰はわずか五年ほどでございました。今では価格破壊という言葉さえ社会に定着しております。
 しかし、それにもかかわりませず、そうした民間福祉への反省とか抜本的解決策が何も検討されていませんのに、この三月には厚生省から、公的福祉と民間福祉の組み合わせによって今後の福祉社会を目指すことができるという内容の二十一世紀福祉ビジョンというものが発表されました。私は、極めてその内容に疑問を持っております。
 有料老人ホームは今や構造不況のていをなしておりますが、抜本的な解決策としては、消費者被害を防ぐための介護サービスなどについての表示の徹底がまず挙げられます。そして、現在、介護保険制度がにぎわっておりますけれども、ドイツのように有料老人ホームヘの金融支援と有料老人ホームヘの公的介護保険制度の導入といったものが解決策の一つとして挙げられています。もっと基本に戻って考えてみれば、民営化を推進した臨調路線はそれ自身正しかったのでございますけれども、その臨調路線を社会保障の分野にまで安易に適用したことが誤りであったと思います。
 さて、それでは本日のテーマであります福祉社会への七つの提言を申し上げたいと存じます。
 まず第一は、二十一世紀への長期的な視点を持つことです。
 それには、参議院のこの調査会の機能を十二分に御活用願いたく存じます。この調査会は、衆議院と異なり解散がなく任期六年という参議院議員の特性を生かし、大局的な見地から国政の基本的事項に関して長期的かつ総合的な調査を行うために設けられているものと広く認識されているところです。ぜひともその本領を発揮していただきまして、日本の本格的な高齢化社会の対策を立てていただきたいと存じます。
 私ども国民は、一選挙民として選挙に参加することができます。しかし、選挙制度は議会制民主主義のジレンマでもあります。時に公約が破られることがあります。それは、当選するためには将来のことよりも、どうしてもその場限りの短期の人気取りの問題が出てくるからです。しかし、一方で高齢化対策は二十一世紀へ向けての長期の国家政策であらねばなりません。したがいまして、長期の高齢化対策を打ち出すことは一般的には構造的に難しい面があります。
 また、行政府の方を見ましても、例えば行政改革に反対している各省庁の官僚を見ていますと、日本の将来の利益よりも、日本の二十一世紀よりも、どうも現在の規制による既得権を維持することの方にたくさんのエネルギーが費やされているように国民には見えます。昭和三十年代や四十年代のように、日本が欧米諸国をお手本にしていた時代は官僚組織は将来に向かって健全に働いていたと思います。しかし、現状はいかがでございましょうか。今では前例や慣例に縛られているようです。
 国民がお役所に書類を持っていきますと、書類の不備ばかりをつつかれます。私自身の経験もそうなんでございますが、しっかり書類をつくって持っていったはずなんでございますけれども、私の押したゴム印が枠からはみ出ていた、それだけで突っ返されてしまいました。このように前例を重んじる方々に日本の将来のビジョンをつくることが果たしてできるのかどうか。官僚は優秀とは言われておりますけれども、甚だ私は疑問に思っております。
 日本の高齢化というものは大変なものがあります。日本の将来を切り開いていくために多くの民間や大学のシンクタンクの参加が必要です。医療経済学とか福祉経済学がこの国では大変レベルが低いのです。一番の原因は何かと申しますと、厚生省が情報を公開してくれないからです。ですから学問が発展していきません。御用学者と言っては言い過ぎかもしれませんけれども、そうした方々にしか厚生省は資料を見せてくれない。また、審議会委員の選び方を見ましても何か役所の都合が先行しているように見えます。
 そのような意味で、本日、参議院のこの調査会にお招きをいただきましたことは、私、心から感謝申し上げます。
 さて、第二番目は高齢者の視点、現場の視点についてお話を申し上げます。
 あるべき福祉社会とは何かを考えますときに、福祉サービスを受ける側の高齢者や障害者の視点を持つことが大切だと思います。
 お配りしておりますレジュメの三ページ目をお開きいただけますでしょうか。有料老人ホームの写真と記事が載っております。これは週刊朝日のものでございます。念のため申しますと、これは六年ぐらい前の古いものでございます。マスコミの中で最も高齢者問題に熱心なのは朝日新聞並びに週刊朝日だと思っております。
 この記事を見ていただきたいと思います。「有料老人ホームを訪ねて 「安心できる老後」を手にした余裕派たち」という見出しがございます。そして、左側には写真がございまして、夫婦そろって午後の散歩に出ている写真が載っています。ちょっと写真が見にくいのですけれども、奥様の方はカメラに向かってほほ笑んでいるようです。皆様、こういった写真を見てどう思われるでしょうか。たくさんのお金のあるお年寄りは幸せだなと先生方は思われるでしょうか。お金がありますと、このように優雅な老後を送ることができるのです。
 しかしながら、この写真はおかしなところがあります。よく見てください。このような老夫婦がつえをついてこんな長い坂をよく上ってこられるものだと思いませんでしょうか。多分、この老夫婦は半年後や一年後にはこの坂は自分の力では上れないんではないかと思います。
 私の後に大熊先生がいらっしゃるので、まことに申しわけないんでございますけれども、日本で一番高齢化問題に理解を持っていただいている週刊朝日でさえ、このように高齢者とは何かということがわからないといういい例かと思います。このように私どもには高齢者や障害者の立場に立っということがいかに難しいかということがわかります。また、日本では半身不随と言います。半身不随と言ってしまいますと、もうだめな人、寝たきり人と考えてしまいます。そうではなくて、そんな言葉を使わずに、半身が動く人と言いかえますと違ってまいります。自然と、どんな援助をすれば、どんな介護機器があればこの人は普通の生活に戻れるのかなと考えます。今後の福祉のあり方として、作業療法士や理学療法士が重要な立場を占めるようにならなければ本物の福祉とは言えないのではないかと思っております。
 豊かな社会とは何かと申し上げますと、障害者や高齢者の立場になって考えている社会です。こうした価値観は福祉の進んだスウェーデンやデンマークといった北欧諸国にはあるけれども、日本にはないんだと言われることがあります。私はそうは思いません。といいますのも、社会的地位の高い人でも、国民のだれでも、日本の学校や職場で教わっていることがあります。あるいは体験しています。それは何かといいますと、自分が苦しかったとき、自分がつらかったときに助けてくれた人のことを私たちは恩人として忘れてはいけないということです。恩を忘れないということが日本人の美徳であります。そうであるならば、私たちは社会的弱者に対してどのような支援を行うべきかわかります。国家予算を重点的に福祉に充当すべきであることは当然なのです。
 先ごろ、年金改正の法案が成立いたしました。日本は高齢化、少子化が急速に進んでいるために行われた年金制度の改正です。その議論の中で、将来は一人のお年寄りを二人の勤労者が支えるので負担が重過ぎる、負担が重いと勤労者の働く意欲が失われる、そういったロジックというか考え方が繰り返し繰り返し国民に流されました。年金を受け取る側に反論の余地を与えない一方的な言い方でした。
 私はこれを聞いていまして、この議論は半分正しいけれども、半分正しくないと思っております。といいますのも、仕事にやりがいがあるか否か、あるいは職場が充実しているか否かというのはもらう手取りの給料に一〇〇%比例しているとは思われないからです。何よりもこの議論が極めて作為的であるということは、負担が重いと勤労意欲が失われるという見解を発表する同じ人が高齢化社会を救うためにボランティアを強力に進めているということです。十分な報酬がなければ人は動かないんだと断定する人々がボランティアというカムフラージュをして無報酬の労働を要請しているのですから理解に苦しみます。
 医療や福祉の現場の視点も大切です。私たちは、そこで働いている人の苦しみというものはわかっておりません。
 例えば、前の国会で付き添いの廃止が決まりました。最も説得性のあった廃止の理由は、ああいうひどい仕事をさせていていいのかとか、他の病院職員から一段低く見られていていいのかとか、他の職員から低く見られる人にとって病院は楽しくやりがいのある職場と言えるのか、こういった人間性や良心や情に強く訴える発言でした。だから、厚生省は不退転の決意で付き添いは廃止するのだと言いました。これだけを聞いていればまことにもっともな意見だと思います。
 しかし、この発言には人間性や良心や情といったものを私には少しも感じることができません。なぜかと申しますと、日本の医療における最も大きな根源的な問題には何も触れていないからです。日本の医療における看護婦の地位の低さあるいは正看と准看の問題、こういった問題には何も手をつけていないからです。それでいて付き添いばかりをやり玉に上げたわけです。
 私は、このように理念を持たない人が都合のよいところだけに理念を持ち出してにしきの御旗とすることはおかしなやり方ではないかと思っております。すなわち、付き添いの廃止は医療費抑制策だけをねらったものだと考えます。付き添いを廃止した後の病院の職員の数は時間で換算して明らかに落ちましたし、一人で二人分の仕事をこなし、医師を除いて最も給与の高い付き添いの職場が失われだからです。さて、行政改革の重要性についてに移りたいと思います。
 二十一世紀の日本を豊かな高齢社会にすることが私たちの務めだと思います。すなわち、巨額な年金財減や福祉財源を確保することです。それを支える日本経済を強力なものにつくり変えることがぜひとも必要です。したがいまして、行政改革並びに行政改革と表裏一体にある規制の緩和を行うことによって産業構造の高度化を進めることが不可欠です。
 今日の日本では、内外価格差が目に余ります。多くの規制があるために日本の建築費はアメリカの二倍あると言われています。ワインやウイスキー、ビールといった現在の日本人が日常的に飲むお酒は海外の二倍から三倍の値段はします。コーラやジュースも同様です。とにもかくにも食料品はとても高いのです。食料品ばかりでなく、レストランや料亭で食事をすることも欧米に比べてとても高い。交通費も同じように高いのです。タクシーや飛行機に乗っても海外の二倍ぐらいの値段が取られます。一ドル九十六円とか九十七円という急激な円高で海外から安いものが大量に輸入されているはずですが、衣服とか家電製品を除けば私たち国民の手に届くときには安くなっていません。物価は大幅に下がっても何の不思議もないのに、物価は横ばいのままです。
 これでは、私たち日本人は買物をするときに、三〇%とか五〇%といった高い消費税を既に払っているのと何ら変わりません。福祉の進んだ北欧諸国以上の消費税を実質的には払っているのに、私たちはこの国から高い福祉を受けていません。消費税を五%に上げるといった議論が行われる前に、日本の産業や経済のあり方にメスを入れなければとても二十一世紀の高齢社会を生きていくことはできません。それほど二十一世紀の高齢社会は劇的に変わっていくからです。
 消費税率を引き上げるときに、食料品は逆進的だから非課税にすべきだという議論が行われています。しかし、私たち日本人は、食料品が五%の税率だとか非課税だとかいう前に、日本人は五〇%や一〇〇%の消費税を食料品に対して既に払っているということを理解していただきたいと思います。
 もっと正しく言えば、二十一世紀の高齢社会に突入する前に規制の緩和を行うことで、日本の産業や経済のあり方にメスを入れることでより豊かな高齢社会を私たちは迎えることができるのです。そのような努力を何もせずに年金制度を改正してしまいました。そして、病院から付き添いを追い出してしまいました。高齢社会に適応できる新しい社会の枠組みに日本をつくり変える努力もせずに、社会的に最も弱い立場にある年金生活者や障害者やお年寄りの患者にツケを回したということです。
 なぜ、日本の産業や経済のあり方を変えるための規制の緩和が一握りの官僚の反対によってできないのでしょうか。最も有力な理由は、規制があることで既に多くの人々が働いている、その人たちの雇用を奪ってもよいのかという議論があります。例えば、銀行は二重三重の規制によりましてたくさんの銀行が競争もせずに営業を行っています。横並びのプライムレートや預金金利の設定、そしてどこもここも午前九時に始まって午後三時には一斉に終わってしまいます。さらに、土曜、日曜日は一斉に休業しております。互いに他の銀行を出し抜かないようにと競争を回避するルールが公然と行われています。だれが見ても銀行の数は極めて多くあって、最も土地の値段の高い駅前にはさまざまな銀行の支店が軒を並べています。そして、銀行員の給料は世間に比べてとても高い。
 こうして見ますと、日本社会にとって銀行は必要ですが、その実態は、必要とする以上の多数の銀行が存在しているために、社会的には私たちは莫大なコストを払っているのです。大きな負担を日本社会に与えています。そのために、銀行預金の金利は銀行の非合理性によって低く抑えられています。預金者から見て大きな損失が生じていると言っていいでしょう。
 同じことが、行政とのかかわり合いが強い産業では、要するに癒着の強い産業ではよく見られます。例えば医薬品産業です。医薬品メーカーや医薬品の卸業者には合計で営業マンが七万人もいます。これは何と欧米の三倍の比率です。これだけで四、五千億円は余計に使っているわけです。こうした営業マンの人件費もすべて医療費に含まれています。ですから、日本の薬の値段が高い。昨年度の医療機関が使った薬剤費は六兆四千億です。こういったところを直せば、薬の流通のトータルコストだけを直していっても新ゴールドプランの財源は楽に出せるのです。
 さて、こうした多数の雇用の創出は、経済効果として見れば、実質的には失業対策と何ら変わることはないと言ってもいいでしょう。ヨーロッパ諸国では、国民負担率が五〇%を超えている国が実に多い。それは社会保障に多額のお金が必要だからです。ヨーロッパ諸国では失業率が一〇%前後ありますから、失業給付金という形で社会保障の費用がたくさんかかっているからです。日本では多くの規制があり、そのことで多数の人が雇用されて、その人々の給料を賄うために物価が極めて高くなっています。あるいは預金の金利が低いのです。いずれにせよ、消費者にとっては困ります。
 消費者ばかりではありません。物価が高いと輸出産業にとっては大きな打撃です。国内の高い物価のために海外の企業との国際競争に敗れてしまいます。こうして自動車、家電、エレクトロニクスといった日本の二十一世紀を支えるはずであった最も生産性の高い技術力のある産業で次々と国内の工場が閉鎖され、海外に移転していってしまいます。これが産業の空洞化です。規制に守られた技術力の低い産業だけが国内に残るということです。
 行政と癒着し、多くの規制に守られた産業が日本社会のコストを押し上げています。日本は資源の少ない貿易立国です。輸出産業が国際競争力を持つことで日本社会は成り立っており、さらに今後進む人口の高齢化を経済的に支えていかなければなりません。しかし、事態は逆の方向に進んでいると思います。私には日本経済の力は今がピークではないかと思っています。
 私は、何があっても行政改革を強力に進めていかなければならないと考えています。そして、行政改革を進めることができるのは国会、すなわち政治の力が重要だと思います。
 行政改革についてもう一言申し上げます。
 実は、これは私の意見ではなくて私の妻の意見なんでございますが、国会でぜひとも発言してくれということです。
 規制には経済的規制と社会的規制があって、社会的規制はいいけれども経済的規制は悪いということは常識的に国民はわかっています。しかし、両方とも同じく規制と言いますから、規制の緩和についての議論をしますと実にこんがらがります。規制の緩和に反対である人は、社会的規制の重要性を巧みに悪用して議論のすりかえを行います。この日曜日でございましたか、夜の九時から十一時まで二時間、NHKのテレビで規制緩和の討論会がありました。この討論会を見ておりましても、冒頭から社会的規制が随所に出てきて議論が混乱し、堂々めぐりとなりました。私の家ではまたかということで、テレビのスイッチをすぐ切ってしまいました。
 私の妻の提言は何かと申しますと、今後は社会的規制という言葉は決して使わないでほしいということです。それを安全基準という言葉に変えていただきたいということです。そして、規制緩和の議論から外していただきたい。そして、安全基準につきましては別の土俵できちんと議論していただきたい。二十年も三十年も前につくられた安全基準は、現在、技術の進歩によってその多くは意味を失っているはずです。また一方では、消費者から見てさらに強化していかなければいけない安全基準がたくさんあるはずです。
 次に、福祉の社会化とか介護保険について申し上げます。
 日本では、福祉は余り重視されていません。重視されていないところか、邪魔者扱いさえされているようです。福祉に力を入れれば国が傾くとか、福祉に力を入れると経済の活力をそぐといった間違ったことを平気で言う人があります。こういう間違った考え方の代表は、将来にわたって国民負担率を五〇%以下に抑えなければいけないとする臨調の考え方です。これがすべての誤解のもとです。
 先ほども申し上げましたとおり、日本ではいろいろな規制があって、物価が高過ぎます。すなわち、日本人はせっかく働いて得たお金の価値が諸外国に比べて極めて低いのです。日本で稼いたお金で海外で暮らせば、二倍も三倍もたくさん物が買えて、ずっと豊かな暮らしができます。したがって、現在の日本の国民負担率は四〇%弱ですけれども、国民の生活実感からすれば既に六〇%とか七〇%という高い国民負担率となっているはずです。豊かな高齢社会を築くには、まず産業や経済の構造を正しい方向に変えることが必要だと思います。
 もう一つ、福祉を考えるときに国民負担率という間違った考え方があるために困った問題が生じています。国民負担率とは、御承知のとおり、私たち国民がお金という形で支払った税金と社会保障費の合計を、やはりお金を仲立ちにして右から左に動いた国民所得で割ったものです。すなわち、国民負担率とはお金でカウントできるものしか頭の中に入っていないのです。そのために、お金のかからないものならば国民負担率を押し上げることはありませんから、そこで、将来高齢化が進むにつれてボランティアとか家族による介護といった無償の行為が国や財界から奨励されるわけです。これはとんでもない間違いです。
 ボランティアは確かにお金がかかりません。しかし、ボランティアの活動時間に対するオポチュニティーコスト、機会費用とも言いますが、これを全く無視しています。例えば、勤務中のサラリーマンがボランティアをすれば、その分自分の仕事ができなくなります。主婦がボランティアをすれば、その分外で働けなくなります。もっと簡単に話をいたしますと、国民全員が全労働時間をボランティアに充てるとしますと、日本のGNPはその場でゼロになります。すなわち、ボランティアが日本の活力ある産業社会を維持する上で最も経済的には害悪であるということです。
 確かに、ボランティアをやればやるほど、国民負担率の上昇を抑えることができます。しかし、ボランティアをやればやるほど、同時に国家の経済の規模も縮小していくのです。ボランティアとは、そもそも人間性を高める精神的に崇高なものであるはずです。そうした崇高なボランティアを経済的に悪用すれば、私どもはしっぺ返しを食らうでしょう。したがって、ボランティアを奨励しようとしてボランティア切符を導入したり時間貯蓄という概念を導入したりすることは、私は経済的には余り意味がないと思います。今後、公的介護保険制度みたいなものができれば、ボランティア切符や時間貯蓄はどうなってしまうのでしょうか。最後には紙切れ同然になってしまうのでしょうか。戦争中の軍票のようになってしまうのでしょうか。それとも、ボランティア切符で介護保険料を納めてもいいよといった臨時的な措置がとられるのでしょうか。国民負担率を抑えようとして、介護を国に依頼せずに家族がすべきだというもう一つ間違った考え方があります。確かに、家族が介護すればお金はかかりませんから、国民負担率を抑えることはできます。しかし同時に、ボランティアと同じことで、GNPも縮小してしまいます。
 その理由は次のように説明できます。
 介護を必要とする者がいれば、そこには必ずだれかがお世話しているはずです。それが家族でありうと、市町村のホームヘルパーであろうと、営利の民間ヘルパーであろうと、お金の授受の有無にかかわらず、お世話することに何の違いもありません。お金をもらえるかどうかは別にして、だれかが必ずお世話という労働をしているのです。
 日本は今や高齢社会です。世間に多数の要介護老人がいます。おかげで多くの働き手が仕事をやめて、あるいは長い間仕事を休んで家族の介護をしているわけです。すなわち、公費による福祉が日本のように低い水準であると、人々はきちんと働くことができません。したがって、公費による福祉が低いと、社会全体で考えてみますと大きな負担があります。経済規模は縮小していくのです。働いている人が家族の介護のために会社を長期間休むことのできる制度に介護休業制度というものがあります。これも普及してくれば、やはり日本経済にとって大きなマイナスです。
 また、ボランティアでもなく、家族の介護でもなく、もう一つ国民負担率を上げない方法があります。それは、行政がサービスを行うのではなくて、民営化ということです。
 アメリカを見てください。日本のように公的な医療保険はなく、ほとんど民営化されています。医療というものは、患者にとりましてはだれでも健康が大切ですから、市場での力関係は医療機関の方が強く、民営化によって医療サービスの販売価格は上がるばかりです。医療費に一体どのくらいのお金がかかっているかといいますと日本の四倍ぐらい、ちょっと数字は押さえてまいりませんでしたけれども、百兆円近いお金が医療費に使われています。これを国家経済に対する比率で見ますと、日本の二倍に当たるGDPの一二%が医療費に使われているのです。それだけの多額のお金を使いながら、裕福ではないおよそ三千七百万人のアメリカ人がお金が払えないために医療の恩恵をほとんど受けていないのです。
 ちょっと飛ばしまして、さて六番目に、付き添いの廃止についてお願いがあります。病院における付き添いが廃止されることになりましたので、そのことについて申し上げます。
 私は、既に先ほど付き添いの廃止は医療費の抑制をねらったもので非人道的であると申しました。事実、付き添いが廃止になった病院では、介護に手間のかかる患者の入院が断られると聞きます。人の命がこうも軽く扱われることが、ほとんど議論もされずに国会で決められてしまうことに、とても残念な気持ちでいっぱいです。
 近年、在宅医療が保険対象となったということを除けば、医療制度が次々と改正というより改悪されているわけですが、そこで一貫して言えることは、現場の無視と患者の不在ということです。この国の医療と福祉の現場では、働く側とサービスを受ける側の双方に深刻な問題がさまざまにあります。その原因の多くは人手の少なさにあることは論をまちません。
 よく急性疾患の時代から慢性疾患の時代に入ったということを厚生省は何度も繰り返します。とりわけ、高齢者は慢性疾患にかかりやすいと繰り返します。いわゆる持病というものです。その結果は、老人病院の役割は慢性疾患の治療であるという発言となっております。私は、ほとんどの慢性疾患というものは、入院する必要はなくて通院で済むと思っています。事実、老人病院の役割は治療ではなくて介護をしっかりすることになってしまいました。これでは福祉施設と全く変わりありません。実際、日本では老人福祉と老人医療の混同が助長され、日本の社会保障は混乱していると言っていいと思います。
 さて、厚生省が、急性疾患の時代から慢性疾患の時代に入った、慢性疾患が多いのが老人の特徴であると言い続けた結果、老人は、若者と同様に、いや若者以上に五倍も十倍も高齢者に急性疾患が存在しているという当たり前の事実を視野から外してしまいました。がんとか骨折とか肺炎とか脳卒中、脳梗塞、心臓発作、心筋梗塞、こういった急性疾患はお年寄りほど若い人の十倍も二十倍も多いのです。こういった急性疾患が視野から外れているのです。そして高齢者は慢性疾患しかないんだと。そういった結果、前の国会では付き添い廃止という大きな法案が通ってしまいました。
 日本のように職員の少ない医療機関では、看護婦は欧米の二分の一から三分の一しかいません。こういった職員の少ない医療機関では、医療と介護の両方を病院は担えません。医療と介護の両方は捉えませんから、どちらか片方を捨ててもう片方に特化することになります。介護に特化すれば介護力強化型病院となります。介護力強化型病院の実態は福祉施設です。一方、医療に特化すれば、身の回りのことが患者自身でできる人だけを対象としたとしか考えられない基準看護の一般病院となります。日本の基準看護における看護婦の数は、一ベッド当たりで欧米の半分もいません。
 こうした実情を見てみますと、欧米と比較して極端に少ない職員数において、基準看護の基準とは何を意味するのでありましょうか。少なくとも障害者や老人の入院を想定していないことは確かです。
 では、その双方から、老人病院からも基準看護の一般病院からも見放されている障害のある人、その多くは高齢者ですが、障害のある急性疾患の患者はどうすればいいのでしょうか。この人たちは医療と介護を同時に受けなければならないのです。こういう患者は医療も介護も必要ですが、高齢者の場合、たとえ入院する時点において身の回りのことができても、ベッドに拘束されることで頭の中が混乱したり、また薬の副作用が強く出ますから、入院中は介護を要する状態に陥りやすいのです。
 こうした障害者や高齢者の急性疾患を治療する場合、従来ならば患者が付き添いを雇い、身の回りのことを付き添いの人に依頼して一般病院に入院していたのです。都道府県によって異なりますけれども、患者が支払った付き添いを雇うお金の半分とか全部をこれまでは医療保険が還付してくれました。こうした付き添い制度のおかげで障害者や高齢者の急性疾患の治療が可能であったのです。
 付き添いの廃止とは、従来あった患者が支払った付き添い費用についての医療保険からの還付が廃止されたということですから、多くの高齢者は今後医療を受けることができません。
 理念上、病院はすべての国民に門戸を開いていることになっていますけれども、高齢者の場合は入院治療に付き添いによる看護を必要とすることが多いものですから、付き添いが廃止されれば、重度の障害で付き添いが必要な老人は入院を嫌がられてしまいます。物理的に入院する権利を失うことになります。人の命を左右する問題がこうも簡単に扱われて果たしていいのでしょうか。それが社会保障の正しい姿と言えるのでしょうか。
 社会保障の正しい姿とは、急性疾患を扱う一般病院においては、すぐさま診療報酬の水準を大幅に上方修正して、一ベッド当たりの看護婦の人数を大幅にふやすべきです。それができず、次善の策ということとなりますと、前の国会で決まりました付き添い廃止の良心とも言うべき見直すこともあり得るという附帯条項を使ってください。それを利用して、急性疾患を扱う一般病院に限定して付き添い制度を復活してほしいのです。私たちは、良心や人間性に反することはやめるべきですし、必要な社会保障には財源を用意すべきだと思います。
 ちょっとオーバーしておりますけれども、七番目の学問について申し上げます。
 学問は、人間社会の幸福を追求するものです。その学問の自由が保障されることが重要です。しかし、だれが聞いても当たり前のことですけれども、そうではないのです。日本の高齢化は大変です。一厚生省の問題ではなくて、産業構造全体の、日本社会全体の問題です。高齢化が社会に与える影響や社会がどのように対応を迫られているのかを見きわめる必要があります。そのためには、国民全員の議論への参加が不可欠でしょう。
 しかしながら、医療経済や福祉経済を見ても日本では極めて立ちおくれています。原因は明らかに単純なもので、厚生省が情報を一手に握って公開しないからです。また、意図的に情報を操作いたします。国民が重大な関心を持っている公的介護保険制度を例にしましても、既に一年間厚生省の中で大変な議論が行われているにもかかわらず、全くそれが外部に明らかにされていません。そのくせ、公的介護保険制度は再来年には国会に法案を提出すると厚生省の幹部は公言しています。いつものとおり、国民が自由に議論に参加する時間がないように直前まで内容は伏せられてしまうのでしょうか。
 最近では、厚生省も医療経済の発展の必要性を認めるようになりました。しかし、みずから財団法人医療経済研究機構というものをつくり、そこに官僚が天下り、学問を統制下に置いています。これでは戦争中と全く同じことで、都合のよい研究テーマばかりが選ばれ、導き出される結論もおのずと決まってしまうことでしょう。
 学問は自由であってこそ発展するものです。また、医療経済や福祉経済は国民にとって重要性を飛躍的に増しています。財団法人医療経済研究機構のようなものは決してつくらず、情報を公開して広く国民が議論に参加すべきでしょう。それこそが国民の納得できる正しい政策をつくり出す最良の手段と思います。
 さて、最後に一言。さらに重要な問題は、官僚組織の中にはコスト意識がまるで感じられないことです。自分で苦労して働いて得たお金ではないからでしょう。毎年繰り返される国家予算の各省庁間の獲得合戦を見ましても、ふやすことばかりで、必要のなくなった部門を縮小していく気持ちはないようです。おかげさまで税金は上がるばかりです。消費税も引き上げられるようですが、現在、既に国民は多大なる税金と多くの規制によって目に見えない高率の消費税を支払っています。
 政府部門は毎年肥大化していきます。しかしながら、迫りくる二十一世紀の超高齢社会を日本が豊かな社会として迎えるためには、公的福祉だけは拡大する必要があります。経済の効率を維持するためには、同時に、日本はなおも小さな政府を追求していかねばなりません。今日、行政改革の必要性は極めて高いのです。既に存在理由を失っている特殊法人の見直しの論議の際にも、関係省庁はヒアリングにさえ応じないとマスコミは報じています。
 選挙によって選ばれた国益を代表する参議院の諸先生に対しまして、一層の御活躍を祈念して、私の意見を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
#7
○会長(鈴木省吾君) ありがとうございました。
 以上で滝上参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#8
○溝手顕正君 自由民主党の溝手顕正でございます。
 大変辛らつな、なおかつ有意義な御指摘でございまして、これはまさに日本の厚生行政、医療行政に対する大変な御批判だと受けとめております。現実にこういったあなたの御指摘を受けました特に規制緩和、あるいは大きな意味での経済改革を推進するのは大変時間がかかるということは否定できない事実だろうと思います。さりとて、我々も全力を挙げて一刻も早い解決をしなくてはいけないわけですが、その間、そういういわば日本のコストの問題が出ておりますが、言いっ放しては全く解決ができないわけでございまして、具体的にそれではどこから手をつけていったらいいんだろうか。
 公的サービスにもう少しウエートを置けという話と承っておるんですが、あなたの本も若干読ませていただきまして、一つの問題は、先ほど言いました医療と福祉の垣根を少し移動したらどうか。ですから、福祉分野の垣根をもう少し広く医療分野に入れたらどうかということが実は効率がよくなることだと、こういう論点と伺ったんですが、その点についてもう少し具体的に伺いたいということが一つ。
 それからもう一つ、実は公的な福祉という考え方をする場合に考えてみなくてはいけないことは、財源はもちろん公の金を出すということなんでしょうが、実際に具体的な施設の運営あるいは場所の運営に関して、果たして公営でいいものかどうだろうかということに対して極めて私は疑問を持っておるわけでございます。結論的に言いますと、公設・民営というようなことが今の時点では一番よろしいかと思うんですが、そのあたりが実は地方公共団体によって随分差があるわけです。
 例えば、東京とか大都会のようにかなりの福祉の分野でレベルの高い人材が確保できる場所と、それから中山間部の山村のように人材が極めて確保しにくいところがあるわけですね、極端に申し上げますと。そうしたときに、実は財政力のない中山間部ほどそういった公設・公営の施設というのがどうしてもふえてくる、余計効率が悪くなって大変な負担になってくるというような問題が現実に現場ではございます。
 私は、まだその問題を解決するには、例えば地方制度の改善の問題とかたくさんございますが、いわゆる福祉施設と医療施設の区別というのがだんだん強くされてきて、強くというか厳しく医療法人と福祉法人の兼営ができないような方針でどんどん厚生省の政策が出てきておりますが、冒頭申し上げたあなたの御意見もそのあたりが基点になっているんではないかというような感じを持っております。そういう意味で、医療と福祉のやり方というんですか、運営の仕方、これについてのあなたの見解というのも聞かせていただきたい。
 この二点についてよろしくお願いいたします。
#9
○参考人(滝上宗次郎君) 御質問をいただいておりますと、先生は既にお答えを御存じではないのかと思ってしまいます。
 まず、規制緩和というものは大変痛みを伴うものであるということでございますけれども、確かに現在のように景気が悪い、失業者がふえているというところではなかなか難しい局面であります。一刻も早く景気を回復していく過程で、二十一世紀にいく前にあと五、六年しか残っていないわけですから、その中で雇用の問題といったものを少しずつ解決していかなければいけないと思います。五年、十年という問題じゃなくて、これは十年、二十年、三十年の問題ではないかと思います。
 それから、医療と福祉の入れかえにつきましては、私のレジュメのまず五ページ目を開いていただけませんでしょうか。
 厚生省の資料でございますけれども、真ん中の表に「高齢者の生活状況」というのがあります。これを見ますと、六十五歳以上の高齢者は千四百九十万人、在宅で千三百九十万人、施設の百万人となっております。施設の百万人を見ますと、病院に七十万人、老人福祉施設等に三十万人というふうになっています。こういう図のつくり方自体がおかしいわけです。例えば、人々がどこに住んでいるかというときに、ホテルに何万人住んでいるとは決して言わないわけです。病院というのは別に生活する場所でも何でもないわけです。なぜ病院というところに住んでいるというカウントをされるのかどうか。
 そもそもこれは九月十日ごろ厚生省がつくった資料ですけれども、こういった資料のつくり方一つ見ましても、病院が生活の場である、福祉の現場であるというふうに勘違いをしている。こういった原則的なところから直していかなければいけないと思います。
 それから、次の次のページを見ていただけますでしょうか。一番上に、老人病院と特別養護老人ホームの比較がございます。老人病院の方は月額三十五万から三十八万円ということです。特別養護老人ホームは月額二十五万円かかるということです。
 実は、これは厚生省の資料で、自己負担は老人病院では二万一千円ということですけれども、そういうことではありませんで、この東京周辺では自己負担は月に大体十二万円以上かかります。ですから、東京では大体月に四十五万円から五十万円お金がかかっているわけです。それから右側を見ますと、特別養護老人ホームは二十五万円かかっています。しかし、特別養護老人ホームの二十五万円には、建物の減価償却費とそこに住んでいる人たちの医療費が入っておりません。ですから、それを入れましてこちらでは約三十万円かかっているわけです。としますと、同じような要介護者が、片方の老人病院では四十五万から五十万かかっている、特別養護老人ホームでは三十万かかっていると、こういうふうに大変な不合理が働いております。
 同じ一人を施設に収容するにいたしましても月十五万円、年間にして百八十万差があるわけです。それで先ほどの図にありますように病院には七十万人生活しているということですから、百八十万円掛ける七十万人となるとどうなるんでしょうか。一兆円近いお金がむだに使われているということです。
 じゃ、なぜこんなふうに一兆円近いむだが平気で使われているかと申しますと、老人病院の方は保険からお金が出てくるわけですね。それから、特別養護老人ホームは税金からお金が出てくるわけです。そのためにこういうことになるわけです。
 要するに、過去の自民党の選挙を見ましても、自民党が福祉のために、福祉のためにというわけではありませんけれども、いろんなために増税をすると言ったときには過去必ず惨敗しているわけです。となりますと、どうしても日本人は増税は大嫌いだと。要するに、保険が上がるのは構わないけれども税金が上がるのは困ると。そういうことで大蔵省は考えるわけです。要するに、税金で賄う福祉施設はなるべくつくらないで、保険で賄う老人病院はたくさんつくろうじゃないかと。こういうふうに日本では医療と福祉が混同してしまって、そしてそのために、保険料も税金も全くお金に色がついていないのにもかかわらず、こんなふうに混同されて多額のむだな資金が使われている、こういった行政改革をぜひ行わなければいけないと思います。
 それから、先生は公設・民営とおっしゃいましたけれども、これが今後の将来を決める上で大きなポイントになろうかと思います。といいますのは、やはり介護というようなもの、社会保障というものは国の財源、公的なお金で賄わなければとても値段が高くて必要な人に必要なサービスが行われません。ですから、これはやはり公費を使うということです。しかし一方で、それを供給する主体は、私は民営でも構わないと思っています。
 例えば、私の住んでいるすぐそばに武蔵野市がありまして、ここはどういうことをやったかといいますと、最初自分のところの公務員で入浴サービスをやっていたんです。自分のところの市役所の公務員に入浴サービスをさせますと、一日三軒しか回ってこないというんです。三時過ぎになって一軒終わるともう次のところへ行かないで帰ってきちゃう。それで武蔵野市は何をやったかというと、同じお金を民間業者に払った。民間業者に払いますと一日三軒だったのが五軒回ってくるというんです。要するに、五時になって、終業時間になって、そしてそこで働いている者が終わったところで引き揚げてくるというんです。同じお金を使っても、民間人を使うのと公務員を使うのでは全く働き方が大きく違う。働く人の身分保障という問題もありましょうけれども、大きな福祉財源をどのように効率的にうまく使うかというのは今後の大きな議論ではないかと思います。
 それから、中山間部の問題でございますけれども、これは経済原則で成り立っているところではなかなかないわけなんです。こういうところで農業が行われることによって緑が保たれ、そこに村落が保たれている、生活があるといったことがあると思います。この辺に関しましては、私は、農業の問題と同じで経済原則だけを当てはめるのではなくて、どういうふうに中山間部を残していくのかといった違う視点が必要ではないかと思います。
 ちょっと私よくわからないので、最後の質問ははしょってしまいました。失礼いたしました。
#10
○溝手顕正君 ありがとうございました。
 あなたもせっかくの機会で言いたいことをここでどんどん言っておきたいという気持ちがあったんで、さまざまなかなり広い範囲でおっしゃって、我々としても十分胸が痛むこともございますし、いやそうではないんだと言いたいこともございます。
 時間の都合でこのあたりで終わらせていただきますが、すべての福祉の問題、特にこれは私の見解を申し上げるようで恐縮なんですが、金はといいますか、財政的なバックグラウンドは国がやらなくてはいけないけれども、国あるいは地方公共団体で経営すべきではない、地方公共団体の経営がいかに効率が悪いかと、この方が実は、大きな項目を掲げて行政改革もやっていかなくてはいけませんが、最も早く効率的に福祉の充実を達成できる強い方法ではないかと私自身は思っております。
 そういった意味で、公務員の効率化の問題、いろいろ行政改革という問題が言われておりますが、その中でも現業職の効率化の問題ということについてさらにまた機会がございましたら御意見を伺わせていただければと、このように思っております。
 本日は、大変貴重な御意見をありがとうございました。
#11
○森暢子君 きょうは七つの提言ということでありがとうございました。先生のおっしゃった提言に関して少し御質問をさせていただきたいと存じます。
 まず、提言ですが、二十一世紀への長期的な視点ということでいろいろお話を伺いました。二十一世紀に高齢社会がやってくることはもう明白でありまして、それにどう対応するかということが今私たちの最大の課題ということでいろいろと取り組んでおります。それに対しましていろいろと御示唆いただきましてありがとうございます。
 高齢者がふえてくるんですから、社会が質的に変わってこなきゃいけないと思うんですね。ところが、今は御存じのように、考えてみますと、もう文化も音楽もファッションも暮らし方も町の中も本当に若者中心、それを社会の構造とかシステムとか環境とかすべてを変えていかなきゃいけないというふうに思います。
 先生がおっしゃっている言葉の中に、福祉の社会化という言葉がございました。その一端を担うのに私は学校教育というのが大事なんではないかというふうに思っているんです、これから育っていく子供たちですから。それについて、先生の望んでおられる御提言がございましたらお伺いしたいと思います。
#12
○参考人(滝上宗次郎君) 若者中心の町づくりというのは本当にそのとおりでありまして、私も昔はわからなかったんでございますけれども、現在、有料老人ホームの経営者になりましてから、実に世の中は障害者といいますかお年寄りにとって住みにくいなということがよくわかります。
 電車に乗るときも全部切符は自動で買わなきゃいけない。それから、銀行く行って振り込みをやるときも自分で、セルフで機械を動かさなきゃいけない。私、メカに弱いものですからなれるのにとても時間がかかる。果たして、ああいったものに高齢者がついていけるのかどうか。それから、山手線で一年ぐらい前からですか、ドアが六つあるのがございますね。あれは朝のラッシュ時に乗りおりを早くするようにというわけでドアが六つあって、そして朝のラッシュアワーのときにはいすが上がっているわけです。極めて効率的な概念なんですけれども、そこにはどこにも障害者の視点がない。一方で高齢化とか福祉だとかというものが語られていながら、現実はどんどんどんどん障害者を排斥する方向に町づくりが行われている。私自身悩んでおりますけれども、もっと大きな視点が必要なのではないかと思います。
 私は、日本の福祉を考えるときに、なぜこんなに立ちおくれたのかと申しますと、日本の福祉には背景に人権という思想がないんではないかと思います。
 一九八九年にベルリンの壁が崩れまして、西側と東側の対立が終わったわけでございますけれども、従来、資本主義国は東側の体制に対抗するために福祉というものを取り込んできたわけです。じゃ、現在の資本主義社会における福祉は何なのかといった問題も大きく提起されておるわけでございますけれども、やはりこれからは人権でありますとか高齢化とか豊かな社会とは何か、そういった真に福祉を追求するものでなければならないと思います。
 日本の福祉がなぜ立ちおくれたかと申しますと、例えば、私ども町を歩いておりまして車いすの人をほとんど見ない。それから障害者をほとんど見ない。ですから、若い普通の人にとってみれば、そういった問題が大きな問題になっているというのは考えられないのではないかと思います。スウェーデンだとかデンマークヘ行きますと、町を歩けばもう二、三分に一回障害者に会うわけです。こういうことをとりましても、日本の福祉というものが背景に人権という思想を欠いているなということがあると思います。
 さて、先生の学校教育の重要性なんでございますけれども、突然の御質問でちょっと私もどう答えていいかわからないんですが、実は私どものグリーン東京の隣に小学校があるんです。小学校の二年生と今毎月交流をやっています。
 驚くべきことは何かと申しますと、子供たちがお年寄りを知らないんです。新興住宅地ですからお年寄りと住んでいないんです。お年寄りと住んでいないものですからいろんな質問が来るんですけれども、唖然とするんですね、年寄りになると困ることはありますかとか。それから、この間ヨモギだんごづくりというのをやったんです。うちのお年寄りのおばあちゃんたちが、おばあちゃんという言い方はうちではしていないんですけれども、女性の入居者が十人ぐらい小学校二年生にヨモギだんごづくりを教えに行ったんです。そうしましたら、どんな返事が子供から返ってきたかというと、お年寄りには男の人はいないんですかということなんです。何というんでしょうね、はるかもう議論以前の問題がそこにあるのかなと思います。
 福祉の社会化というような大きなテーマを持っておりますけれども、やはり私は小学生とか中学生とか早い段階でそういったものを取り入れていただきたい。ただ、高校の入試なんかに中学校時代のボランティアを評価するとか、あれは私はちょっとボランティアの精神を踏みにじるのではないかなと思っております。
 ですから、もっと早い段階で、特に今の子供たちは年寄りと住んでいませんから、特に都会の人たちは。その辺、学校教育で本当に小さいときからのお年寄りとの接し方、要するにお年寄りの弱さというんですかね、そういったものをありのままに見るということは重要かと思います。別に、お年寄りのいいところだけを見させる、例えばお年寄りはいろんな知識を持っているんだよとか、そういうきれいごとでなくていいと思っております。そういったところを学校教育で推進していただければなというふうに考えます。
#13
○森暢子君 ありがとうございました。
 高齢者の人と平素から接するということと学校の中に人権教育を入れるということだと思います。
 提言二でございますが、高齢者の視点、現場の視点に立ったいろいろな御提言がございました。
 私もいろいろ感ずることがあるんですが、電話も今ボタン式でちょっと小さくて、ハイカラな黒い電話がありますと文字が見えなかったりいろいろあるわけです。それからもう一つは、今郵政省が物すごく力を入れております高度情報化社会と申しまして、間もなく二十一世紀にはマルチメディアの時代が来るんだ、そこで在宅医療もその一端を担って、いながらにして初診の段階は受けられるんだとか、または買い物もできる、それからビデオ・オン・ディマンドと申しましてボタンを押せば自分だけの映画を提供してくれるとか、それからテレビ電話、またはどこか行方がわからなくなった老人を見つけることができる装置があるとか、いろいろと今言っております。
 しかし、私もいろいろ経験してみましたが、大変操作が複雑なんです。この操作を簡単にしないとお年寄りは使えないと思うんですね。それを言いましたら、その関係の人が、それでも三つは押してください、一つはまず電源を入れてください、それからその次は自分のやりたい、見たいものを一つ、マウスというのがございますね、あれで持っていくのもなかなか難しいんです、それで最後は電源を切ってください。それぐらいなら使えますけれども、このマルチメディア時代の到来も高齢者の人にはこれはなかなか大変なんではないかということも感じております。
 それから、NHKの研究所へ行きましたら、最近ニュースを読むアナウンサーが大変早口なんです。もう私どもはそれになれているかもわかりませんが、大変たくさんの数の言葉を吹き込んでいるわけです。それに対してゆっくり話す、最初ゆっくり話して終わりを速く、つまり所要時間は変わらないけれども要点だけはゆっくり話すという研究がなされているようです。
 そういうふうなことを考えますと、まだまだこれから高齢者の立場に立った改善というのがいろいろ考えられるのではないかと思うんです。
 そして、高齢者用の住宅というのは最近大変いろんなたくさんのことを言われているんですが、そのことについて、高齢化が来るから高齢者用の住宅というのではなくて、それも含んだ住宅設計が最初の段階からなされるようなことの方がいいんではないかと思うんです。
 そういうことについての御意見、御提言をお願いします。
#14
○参考人(滝上宗次郎君) お答え申し上げます。
 高齢者がたくさんふえる、要介護の高齢者がふえる、これに対して機械化で乗り越えようということがございます。例えば介護ロボットをつくるとか、それから、いながらにして買い物ができるとか。実を申しますと、私現場におりまして余り好ましいものではないと思っております。
 といいますのは、うちの車いすの生活をしている方々を見ておりますと、買い物はやはり自分でスーパーに行って棚から選ぶのが好きなんです。それから、ホームの中でコーヒーを飲むのではなくて喫茶店に行ってコーヒーを飲む。私はこういったものがとても自然なのではないかと思います。それで、変なふうに機械化を進めると、私は、それは高齢者にとっての楽しみを奪っているのではないのかな、そんなふうに思います。やはり高齢者が自然に町に出られる、それには機械化よりも余計人件費はかかりますけれども、しかし人間が生きていく上での豊かさとは何なのかということを考えれば、やはりそうしたサービスというものは当然国が用意すべきものではないのかと思っております。
 あとは介護機器についてでございますけれども、介護機器についてはこれから重要なテーマでございまして、これはやはりすごいことに北欧諸国がとても進んでいます。どちらかというと障害のあるお年寄りのためではなくて、それを支援するヘルパーさんにとって使いやすい機器、こういったものが使われています。介護機器をつくる、そういったものを設計する視点というものが、やはり北欧の方は心が温かいな、そんなふうに思っております。
#15
○森暢子君 それでは最後ですが、提言の七です。ここに情報の公開と、医療・福祉に関する学問の自由というのを提言なされました。
 私もちょっとスウェーデンの方へ行きましたら、老人問題研究所というのがあるんです。そして民間でございまして、しかし政府がお金を出しているんですかね。それで自由に研究して、北欧五カ国がそれをまとめて、五カ国にその研究をみんなにばらまく。しかし国からの管理とかそういうものは一切ない、自由に研究して、老人に対する学問ですね。そういうところを見てまいりました。
 それで、私勉強不足なんですが、日本にそんなのがあるのか、日本はどうなっているのか、その辺をちょっと先生にお聞きしたいなと思いますので、よろしくお願いします。
#16
○参考人(滝上宗次郎君) 学問の自由というものは、スウェーデンでもそうですけれども、やはりアメリカが徹底しています。アメリカは医療経済学や福祉経済学に対して、国でしょうか州政府でしょうかわかりませんけれども大変なお金が出ております。しかし、お金は出しておりますけれども一言も口を出していません。これはやはりすばらしいことだと思います。アメリカ政府のお金でできている雑誌の中に政府の医療政策、福祉政策に対する批判がどんどん載るわけです。日本ではそんなことはとても考えられないわけです。ちなみに、私が厚生省の委員になることは一〇〇%あり得ないわけなんですね。
 やはり、基本的に民主主義を支えているものは何なのか、その辺の基盤、日本の民主主義のおくれ、臭い物にはふた、そういったものは私は強く日本では感じます。
#17
○森暢子君 ありがとうございました。終わります。
#18
○釘宮磐君 新緑風会の釘宮でございます。
 きょうは滝上先生の御持論を拝聴いたしまして、非常にはっきりと物をおっしゃる、そういう印象を受けまして、最近ではこの日本という国はどうも本当のことを言うと余りよく言われない、そういうところがあるんですけれども、私は大いに先生にはきょうのような発言をいろんなところでしていっていただきたいな、このように思います。
 特に、産業社会構造の改革が必要である、その中でいろんな無理、むだが今あるわけですから、それを少しでも生み出すことによって社会保障に回せるではないか、これも私はもっともだと思います。特に、先ほどのお話の中で行財政改革はぜひ進めてほしい、これは今当面する我々政治家の課題でありますので、これは何としてでもやっていかなきゃならないと思いますけれども、これは総論賛成各論反対ということになって、これがなかなかうまくいかない。
 特に、医療費の抑制の中でやはり薬業業界の改革、営業マンが七万人いて、これが一カ月一千万円以上の商いをしてこないと薬業業界はやっていけないというようなこと、これ一つをとっても私は異常な状況であろうというふうに思うわけであります。こういうふうな問題を一つ一つ我々はクリアしながら二十一世紀に向けての新しい社会システムをつくっていかなきゃならない、このことは全く同感であります。
 そこで、先生にぜひお伺いをしたいのでありますけれども、いわゆる費用負担の問題についてであります。
 この費用負担の問題については、いわゆる税ですべてを賄うのか、また税を余り大きくしてしまうとこれからいわゆる高齢化社会が生まれてくるわけですから若い人の負担が重くなる、だからできるだけ税負担については一定額にとどめて、あとは受益者負担でそれを見ていこうというような両論が私はあると思うんですけれども、まず今後費用負担を国民にどういうふうな形でお願いをしていくかということについて、先生のお考えをちょっと聞かせていただきたいと思います。
#19
○参考人(滝上宗次郎君) 費用負担の問題につきましては、これは政治というものがどこで行われているかということが大きな影響を与えると思います。
 特に、福祉サービスにつきましては市町村におろしていく。私もデンマークの議会を見せてもらったんですけれども、もう本当に五千人とか一万人の市町村がかんかんがくがくの議論をやっているわけです。我々の持っている財源はこれだけなんだ、それを保育園に使うのか老人に使うのか、そこで大変な議論が行われて配分が決まるわけです。そういうような決まり方、住民が地方税を支払って、そして住民の代表が地方税の使い方を決めていく、こういった仕組みがしっかりしているのだったらば受益者負担の問題というのは二の次になるのではないかと思います。
 それから、二つ目は何かと申しますと、北欧とかスウェーデンのシステムが極めて福祉におきましてはうまくいっている背景には、国の人口の少なさというものがあると思います。デンマークで五百四、五十万、それからスウェーデンあたりにおきましても一千万、これは日本では都道府県並みです。埼玉県の人口が六百四、五十万ですからほとんど同じ。そういったところで国民のコンセンサスを得るということは、難しいとは思いますけれども、日本に比べれば極めて易しいと思います。
 日本にはいろんな人たちがいるわけで、そうしますとこれは地方分権を進める必要もありますけれども、いろんな考え方の人たちが日本にはいて、そして日本は福祉だけが日本人の目標ではありません、住宅はもっといい方がいいとか学校がもっといい方がいいとか車がどうだとか、そういうふうにしますとやはりそこに受益者負担のあり方というんですか、当然入ってくるのではないかと思います。
 ただ、受益者負担をどのレベルで決めるのかというのはやはりいろんな現場の試行錯誤が必要ではないかと思います。といいますのは、例えば医療について申し上げますと、受益者負担がほとんどないといたしますと、そうするとみんなが医療に簡単にかかれるわけですね。そうしますとどうなるかというと、病気の早い段階で医療にかかれますから、結局、早期発見早期治療で医療費のトータルは少ないということも考えられるわけです。日本の医療費が極めて少ないという理由の一つの中には、病院へのアクセスが簡単である、これが言えると思います。それから、受益者負担を大きくいたしますと重くなってからかかる、重くなってからかかるから余計入院期間も長くなる。ですから、こういった問題は一朝一夕に決まらないのかな、あるいはこれからまだまだ長期的な時間がありますからいろんなところで実験をすべきではないのかな、そんなふうに思います。
 それから、私どもの有料老人ホームについて言えば、これはもう受益者負担一〇〇%なんですね、その話し合いの中で行われております。これは極めてうまくいっています。しかし、私の老人ホームに住んでいる人たちははっきり言えばお金持ちの方々だけですから、受益者負担一〇〇%の中で話し合いがスムーズにいっているという特殊な例であると思います。
#20
○釘宮磐君 きょうは時間がありませんので、詰めてお話を伺うことができないのが非常に残念でありますけれども、もう一点だけお伺いしたいと思います。
 私も実は団塊の世代でありまして、我々の時代が高齢化社会のピーク、我々が何か元凶みたいになっておるわけでありますけれども、我々の世代で今一番不安視されているのは、やはり私は介護問題だというふうに思うんですね。家族が崩壊をし、従来の家族介護というのが期待できない、そういう中にあって将来自分がもし寝たきりになったときはどういうふうな形で対応がされていくのだろうという不安というのは、我々ももう五十前になってきましたのでだんだんそういう話がいろんな我々の同窓会だとかそういうところでも出るんですね。
 そこで、最近話題になっております公的介護保険制度、これについて先生はどのように考えておられるのか、また特に今後の課題等について御示唆をいただければありがたいと思います。
#21
○参考人(滝上宗次郎君) 介護保険制度に入る前に、私はマスコミのあり方について注文があります。
 といいますのは、例えば新聞を読んでおりますと脳死問題でありますとかそういったところに極めてたくさんの紙面が割かれるわけです。臓器移植みたいなところで大変大きな紙面が割かれるわけです。ここにたくさんの人たちがいらっしゃいますけれども、臓器移植に例えば自分の親族が絡んでいるというような人は一人か二人しかいないと思うんです。しかし、一方で老人問題はここに死問題であるとかそういった問題ばかりやると。大きなマスコミが自分たちの社会的使命というものを本当に自覚しているのかな、そんなふうに思います。それが一点。
 それから、団塊の世代の方々が寝たきりの不安というものを感じるというのはよくわかりますけれども、私、有料老人ホームをやっていてわかりますのは、ホームに入居してくる方々はやはり万が一のときのことを考えて不安を持って入ってくるわけです。その不安の解消のために入ってくるんですけれども、しかし驚くべきことに、その方々が入居してから五年、十年して倒れるわけです。そして、倒れたときの話を聞くと驚くんです。いや、自分が倒れるとは思いませんでしたと言うんです。要するに、倒れてみて初めて、自分の体が動かなくなって初めて本当にその人は介護問題、福祉問題の重要性というものを認識するんです。私は、そういう点では介護問題を社会で論ずる、国会で論ずるには二重三重のまだまだバリアがあるのかなと思います。
 そういう中で、国会の場で先生から介護保険について質問いただいたことを大変うれしく存じます。介護保険につきましては、やはりこれはぜひとも必要ではないかと思います。
 注文があるのは何かといいますと、先ほども申し上げましたように、厚生省は昨年の秋からたび重なる議論を中でやっていてほとんどでき上がっているわけです。しかし、全くそれを外に明かさない。こういった態度がよろしいとはとても思えません。議論をオープンにしていただきたい。私たちの税金、保険を使っているわけですからね。どたばたしたところで出してくる、そして議論もない、これは困ります。ですから、現在の段階で公的介護保険制度についてはオープンにしていただきたい。これが一つ。
 二つ目は何かと申しますと、ぜひとも在宅介護のところに光を当てていただきたい。一番悲惨なのはやはり在宅ですよね。昔は寝たきり問題なんというのはほとんどなかったです。私の祖父母も四人死にましたけれども、倒れて数週間であっという間に亡くなりました。医療がありませんでしたからね。しかし、今は寝たきりになって数年間、長いときには十年以上です。ですから、これを家庭の主婦の仕事だなんていうのはとんでもない話で、福祉の社会化をしなきゃいけない。
 今、施設にほとんど入れないわけです。例えば、老人病院というのはどんどんどんどん長期化しています。薬を使わなくなってきた分だけ元気になって長期化している。ですから、今ほとんどの介護力強化病院の、回転という言い方はまずいですけれども、平均的な入院期間というのは三年ぐらいです。
 じゃ、昔一年だったものが今は三年になったということはどういうことかというと、ベッド数が七十万あれば、昔は年間三倍の二百十万人の人が使えていたのに、今は七十万人の人しか使えないということです。老人保健施設をたくさんつくっていますけれども、当初は三カ月以内の適所施設だったんですが、五カ月、半年、一年とどんどん延びています。としますと、国民のみんなが使える老健施設だという話ででき上がったものが、今ではもう本当にごく一握りの人しか使えない。何となく福祉事務所にコネのある人しか入れないとか、そういったことになる。
 それからもう一つは、東京では特別養護老人ホームはほとんどないですね。ほとんどありませんから、ちょっとお金があったら老人病院に入るしかない。そうすると、老人病院が完全に売り手市場になっておりまして、月々保険外負担十五万ぐらい取るわけですよ。それでも泣く泣く入れざるを得ない。例えば、保険外負担月十五万取りましたら年間百八十万ですか。百八十万といったら、これはもう社会保障とは言えませんですよね。年金生活者にはもう病院は利用できない。要するに、貧乏なお金のない人ほど自宅で面倒を見なければいけない。そして、その自宅にほとんど光が当たっていない。
 そういうふうに考えれば、私は介護保険は在宅というものがメインで出てこない限り大いに反対してあげようと思っております。
 以上です。
#22
○中川嘉美君 滝上参考人には、きょうは大変御苦労さまでございます。大変限られた時間でもありますが、二、三お伺いをしてみたいと思います。
   〔会長退席、理事竹山裕君着席〕
 最近、有料老人ホームの問題がクローズアップされております。この問題は、先ほどもちょっとおっしゃっていましたけれども、一部のお金持ちだけが利用するものだから余り問題にする必要はないというふうな、こういう考え方もあるようであります。しかし、私は、日本の高齢者福祉の問題点がいわゆる有料老人ホームに集約されているんではないかというふうにも考えるわけです。
 また、滝上参考人が述べられたように、日本の社会保障の将来像というもの、これが民間活力に大きく依存したものであって、それだけに現在の有料老人ホームの問題点はきちっとやはり議論され、そしてまた正すべきところは正さなければならないんではないかというふうに思います。
 そこで、まず公的福祉について伺いたいと思いますが、いわゆる劣悪な有料老人ホームが多い背景には、公的福祉の質とかあるいは量がそもそも低いからだというふうに私自身は考えております。私ども公明党としましては、この新ゴールドプランの実施が極めて大切であるとして、その財源確保ということを主張してまいったわけでありますが、この点に関して参考人はどのように考えておられるか、まず伺ってみたいと思います。
#23
○参考人(滝上宗次郎君) 先生のおっしゃるとおりかと思います。また、私どもの業界に対しまして正しい御認識をいただきまして、心より御礼を申し上げます。
 有料老人ホームでいろんな問題がございますけれども、あれは一部の金持ちのものだからということで、マスコミが取り上げるのもつい最近になってからでありました。しかし、公的な福祉のレベルが低いために有料老人ホームのレベルも低いということはやはり言えると思います。
 やはり、特別養護老人ホームや老人病院の中でお年寄りが殴られてしまったり、縛られてしまったり、それから薬でよれよれになってしまう、こういったことがあるわけです。そういうことがあるから有料老人ホームでもやっちゃうわけです。しかし、公的なところでは泣き寝入りなんですけれども、しかし有料老人ホームは数千万のお金を払っているから、それが苦情で出てくるわけです。そういう点で、その苦情を吸い上げて有料老人ホームを正していく、それにつれて公的な福祉も正していくという先生のお考え方には私共鳴いたします。
 それからまた、もしも公的な福祉がしっかりしていれば有料老人ホームもよくなると思います。例えば、特別養護老人ホームが四人部屋ではなくて全部個室であるならば、有料老人ホームでは全部個室のはずなんです。有料老人ホームで倒れたりすると雑居部屋に移されますけれども、それはやはり普通のところが雑居部屋であるからであって、やはり公的福祉を底上げしていく必要性というのは大きいと思います。
 それから、一回建物を建てますと何十年も使えますから、私はこういった福祉のインフラ設備というのは今からいい福祉施設をつくっていくということが重要かと思います。
 それから、ゴールドプランについてちょっと申し上げますと、私はゴールドプランには大反対なんです。なぜかと申しますと、ゴールドプランというのは福祉の社会化に極めて相反するプランですね。要するに、ホームヘルパー十万人で何ができるかというと、ほとんど何もできない。ホームヘルパー十万人というのは、現在、家族が家族を介護していますね、それは大変疲れちゃうから、週に一回ぐらいかわりにお世話に行ってあげますよとか、年に一、二回ショートステイで預かってあげますよというふうに、日本型福祉、要するに嫁におっかぶさる福祉が崩れないように助けてあげる制度ではないかと思っています。
 こういうようなことをやっていきますと、やはり福祉の社会化というものは全く進まない。福祉の社会化は進みませんから、やはり先ほどから申し上げておりますように、極めて経済効率は悪くなる、そういう意味で私はゴールドプランに反対です。
 私は、橋や道路と福祉は同じようなものだと思います。橋とか道路は生産物を生みません。工場は生むけれども、橋や道路は生産物を生まない。しかし、橋や道路がないと物資や人は工場に行けないわけですね。それと同じで、福祉がなければ働き手は家から工場に行けないんです。職場に行けないんです。そういうふうに考えれば、私は福祉というものも産業インフラだと思っています。
 ついこの間、十年間の公共投資が六百二十兆円というふうに決まりましたけれども、その六百二十兆円の公共投資の概念を変えていただきたい。やはり福祉も公共投資なんだというふうに考えていただきたい。そして、新ゴールドプラン、まだまだ不十分だと思いますけれども、一気にホームヘルパー二十万人増加しますから、倍になりますから、ああいったものにぜひとも先生方のお力で財源をつけていただきたい、こんなふうに思います。ちょっと余計に申し上げましたけれども。
#24
○中川嘉美君 次に、民間福祉についてでありますが、参考人は有料老人ホームの経営者であって、経済にも大変明るい方であるというふうに伺っております。
 そこでお聞きしますけれども、有料老人ホームの倒産問題が消費者にとっては一つの不安材料となっているわけですが、厚生省がシルバーマークとかマル適マーク等について、例えばシルバーマークがあるから大丈夫というようなことを言っておりますけれども、この点についてどのようなお考えを持っておられるか。また、今後の日本の福祉の半分を担うとされる民間業者の経営の安全性ということについて、御意見があればあわせてお述べいただきたいと思います。
#25
○参考人(滝上宗次郎君) 私の得意分野を御質問していただきましてありがとうございます。
 まず、シルバーマークでございますけれども、私はあれには何の根拠もないと思っております。要するに、かなり抽象的な基準で決めているだけでございますから、あれには根拠が余りないと思います。
 それから、この間総務庁の行政監察報告がございまして、総務庁はその勧告書の中で有料老人ホームに関するシルバーマークについては一言も述べませんでした。逆に申しますと、シルバーマークのついているホームを調査したところ、そこがよくなかったということなんですね。ですから、厚生省との間で裏取引があったのかどうかわかりませんけれども、総務庁の発表の中にはシルバーマークについては言及されなかった、これが一点です。
 それから、シルバーマークというのはたしか三年に一回再チェックがなされると思います。過去、十幾つの有料老人ホームにシルバーマークがついておりますけれども、これは数年前、バブルのころについたわけです。その十幾つのシルバーマークがついたホームが、ここへ来まして皆その更新時期を迎えています。先ほども申しましたように、この業界はバブルが崩壊してかなり悪くなっておりますから、このシルバーマークをつけたところが、ここで三年たってくるところが多いんですけれども、そのチェックの際に果たしてどういうふうに厚生省は態度を決めるのかなと。
 というのは、バブルが崩壊しちゃってお客が来ないから、ちょっと経営的に危ないからシルバーマークを引き揚げちゃうのかといいましたら、シルバーマークを見て入った人たちは、これはパニックですよね。じゃ、相変わらずちょっと調子悪いけれどもつけ続けようかといったらシルバーマークの意味もなしませんですね。ですから、やはりこういう思いつきみたいな、お札を張れば片がつくといったような問題というのはおかしいと思います。やはり厚生省が経済官庁でないということからこういう安易な問題が出てきたのではないかと思います。
 それから、倒産問題につきましては、これは大変な問題なんですけれども、現在、不動産業界がこれだけ傷んでおりますからどのぐらい潜在的に倒産問題があるかというのはよくわかりませんけれども、やはり準備はしていなければいけないと思います。
 私、思うんですけれども、これ倒産した場合、だれも助けることができないんですね。有料老人ホームというのは非常に国が安易に始めてしまった、要するに消費者を守る法律も何もつくらずに始めてしまった。
 それから、先生方は御存じでしょうか。五%という基準というものがございまして、有料老人ホームの入居者、例えば百人入居者がいるとすればその五%、五人がぼけたり倒れるんですよというふうな基準で介護システムをつくってくれ、こういうふうに厚生省の方からの指導があるのです。しかし、これはとんでもない話で、どこの有料老人ホームももう一〇%、一五%、私どもはオープンして十一年ですが、約二割の方がもう要介護者なんですね。ぼけている人だけで七人いらっしゃるのです。ということは、当初経営者は厚生省の指導を信じて、百人入ってきたらそのうちの五人が寝たきりだとかそうなるんだ、それをもとに計算しているんです。ですから、私は、たくさんの人が要介護者になって経営が圧迫されている、これは行政にも責任があるのではないかと思います。
 それから、さらに大きな責任は何かといいますと都道府県です。都道府県の中には自分の県下、都下、府下にある有料老人ホームの決算書をとっているところがあるのです。東京都とかそういった都道府県が各県下の有料老人ホームの決算書をとっているならば、それはもうそこが経営的に問題があるならば、私はストレートにそこの行政の責任が重いと思います。というのは、毎年毎年の決算書をとっていてその業績の浮沈を見ているわけですから、それについて何もしなかったということは私は許されないと思います。
 決算書を出せと言うところは税務署とそれからお金を貸してくれる銀行だけなんです。要するに、行政、地方自治体が決算書をよこせと言った以上は、私はそれなりの責任がそこにあり、そしてホームが倒産したとき入居者を救うためにはもう行政にすがるしかないと思っております。そういう意味で行政責任は重い、また行政責任が重いということで有料老人ホームについてより一層の推進とか抜本的な解決策というものをお願いしたいと思います。
 それから、ドイツについて申し上げますと、ドイツは極めて有料老人ホームの経営が安定しています。理由は何かと申しますと、土地の値段が安いですから、入居一時金が安く上がるということもありますけれども、初期の建物をつくる段階で多額の公費の援助があります。それから、公的介護保険制度がドイツではこの四月、国会を通りまして、来年から公的介護保険制度が実施されます。特に、再来年になりますと保険料率が一%から一・七%に上がりまして、上がった再来年からは、ドイツの場合、有料老人ホームに対して公的介護保険制度が付与されます。こうした形で経営を安定化させていくということが重要だと思います。
 冒頭申し上げましたけれども、日本というのは一番土地の値段が高い、一番人件費が高い、こういったところで純粋に一〇〇%お客様だけのお金で有料老人ホームを運営できるのかどうか、その根本の経営問題にまで立ち入った抜本策が必要ではないかと思います。
 以上でございます。
#26
○中川嘉美君 ありがとうございました。
#27
○吉岡吉典君 ダブらないように、我々が本格的な高齢化社会へ目指す論議を進める極めて前提になるような問題ですが、お伺いします。
 この委員会で厚生省と、数カ月前ですけれども論議したことがあるんです。それは、私は高齢化社会対策というからには日本の高齢社会対策の現状をどう認識するかという点をきちっとする必要があると。そういう点で、私もスウェーデン、デンマークも行ってきましたけれども、日本の高齢化対策というのは非常におくれていると。この認識の上に対策を考えなくちゃならないじゃないかというのに対して、厚生省はもういいレベルに来ているんだと、こういう認識でした。これは大変な違いでございまして、私は、今の状態がいいレベルに来ているんだということから出発したんではこれから先の高齢化対策というのが一体どうなるのかと思いましたけれども、有料老人ホームを経営なさっているという点で、一般的な議論じゃなくて、実際にその問題に深くタッチしておられる立場からごらんになると、いいレベルにきているかどうか、大体今までの御意見で答えは出ていると思いますけれども、改めてちょっとまとめてお話をお伺いしたい。
 それから同時に、日本の高齢化対策、福祉を考える場合に、一番打開しなくちゃならない問題はどこにあるというふうにお考えになっているのか。例えばこのレジュメを見ますと、国会議員の中にも介護問題についての認識に大いなるおくれがあるというような指摘もある。例えば福祉、高齢化対策についての国民の認識の中に解決すべき問題があるのか、行政上あるいは理念上いろいろな問題が考えられると思いますけれども、参考人はそういう点で一番かぎになるのは何だというふうにごらんになるのか。
 時間の関係がございますから、以上の点お話をお伺いしたいと思います。
#28
○参考人(滝上宗次郎君) 先生の御指摘は高齢化対策に対してどう認識するかということでございまして、それは言葉をかえればどんな青写真をつくるのかというようなことではないかと思います。それに対して厚生省さんが、いや、既にいいレベルにきているという認識をなされたということ、これは私はかなりおかしいと思います。
 例えば、私どものグリーン東京の入居者について申し上げますと、本当を言いますと金持ちばかりではありません。公的な福祉がなくて入れないんで、泣く泣く来て、わらをもすがる思いで有料老人ホームを選んでいる、こういう方々が多くいらっしゃいます。極めて公的福祉が小さいものですから、ちょっとでもお金があったり資産があったりするともうはじかれるわけですね。
 それで、よく東京都では特別養護老人ホームに入るのに四年待ちだとありますけれども、多くの人たちは窓ではじかれますから、はじかれない人たちだけが残って四年も待っているということは、これはそら恐ろしいことだな、四年どころか本当に物すごい数の人たちが待っているんではないかなと私は思います。
 それから、例えば厚生省の資料を見ていると、ちょっとロジックのすりかえがあるんではないかと思いますね。例えば、こういうふうに載るわけです。日本の医療水準、福祉水準がいいと言うときに、例えばこういうことを出すんです。人口十万人当たりの医師の数はもう昔と違って日本は欧米先進国と遜色がないんだ、かなり近いところまできているんだと、こういうような資料を出して日本の医療水準は高いところまできていると、こう言うんですよね。しかし、庶民感覚からいえば、やはり三時間待って三分診療なんです。
 じゃ、一体医者はどこにいるのかということですね。医者はどこにいるのかといえば、文部省が一人三億円も四億円もかけて教育した医者が大学病院に残ってしまっているわけです。なぜ大学病院なりに残ってしまっているかといえば、どんどんどんどん診療報酬点数が圧縮されていきますから、病院の方は医者を雇うことができないわけです。ですから、せっかく超優秀な学生に対して大変なお金をかけて教育したものの、その後の人の使い方、医者の配分の仕方が間違っている、こういうことが一つ言えますね。
 それから、看護婦さんもそうですよね。先ほど私は、日本の病院では一ベッド当たり看護婦さんが二分の一から三分の一しかいないんだと、ですから医療と介護を両方担えないんだと、かなりいびつになっているんだと言いましたけれども、厚生省の資料を見ますと、そこでは人口十万人当たりの看護婦の数は十分に多いと、こういうことですね。要するに、常に都合のいい数字を加工して持ってくる。そこの数字はそんなに間違っていないんですね。
 なぜかといったら、看護婦さんがたくさんいるのになぜ病院には少ないのかといいますと、これは簡単でございまして、老人病院というものをたくさんつくって、海外に比べて日本のベッド数というのは人口比率で二倍以上あるわけです。ですから、福祉施設みたいなところにたくさん看護婦が行ってしまっている。ですから、本来の治療する、機能するところに看護婦さんがいない。それから、余りにも労働条件がひどい。ですから、看護婦さんはたくさんいるんですけれども職場への復帰ができない。やはりそういったことをきちんきちんと詰めていかなければいけないのではないかと思います。
 それから、介護問題に対する先生の御質問の中で、理念的でもいいから大局的に何か答えろということでございますけれども、まず一つは、私はこの業界の中ではちょっと異端児でございまして、経済学部で学び、そして三菱銀行で調査部に入っておりまして、父がちょっと体力がなくなったもので突然この世界に入ってきたんです。ですから、一般産業の社会からこちらに入ったものですから、両方の世界を見ています。そこでわかるのは何かといいますと、二つあります。
 一つは、私の場合、経済とか金融をバックボーンにしていますから、財界とかふだん福祉関係者が立ち寄らないところで講演する機会が多いんです。そこで驚くべきことに、こういうところでやっていますと、財界の人たちが、例えば看護婦と保健婦の違いさえわからないんです。社会保障というものが何も理解されていないんです。それから、ああいう偉い方々というのは、自分の奥さんは無職なんです。無職ですからうちの女房が家族介護をするのは当たり前じゃないかと、要するに共働きの苦労を知りませんね。
 それからまた、そういうところではどうなのかというと、皆さん大体七十歳前後なんですけれども、自分は老人だと思い込んでいるんですけれども、老人ではないんですね。年齢だけ老人かもしれませんけれども、お金はあるわ、元気だわ、社会的地位はあるわ、そういうことであって、老人とはとても呼べないんです。ですから、そこで老人問題を議論されても全然答えは出てこない、こういうようなことが言えると思います。
 ですから、私は、社会保障の必要性というものは、先ほども人権思想が背景にないから、なかなか町に障害者などが出てこないので一般の目に触れないから国民全体の問題になっていない、要するに臓器移植みたいなところばかりマスコミに載るんだと。ああいうような根本的なところから直していかないと、本当に国民が連帯してこの分野にお金を使って、介護保険みたいなものに負担して、そして高齢化社会を迎えるんだというようなことにならないと思います。
 例えば、年金財政について言われるとき出てくる言葉が、世代間闘争という言葉が出てくるんです。年金を払う側と払わない側の闘争、要するに税金を払う人と受け取る人の闘争、働いている人と働いていない人の闘争。なぜ闘争という言葉を使うんでしょう、むしろ世代間の連帯という言葉を使えないのかなと。やはりそこにまだ日本の国民の悲しさというか、低さというものがあるように思います。
 あとは介護問題について申し上げますと、私、職場を持っていて感じることは、例えばボランティア、社会的に高名な方がボランティアを普及させようとするわけですよ。私は経営者としてとても困ります。
 というのは、これからどんどんどんどん要介護者はふえるんだと、要介護者がふえるから、そこはみんなでボランティアでやってやろうじゃないかと、こういうことを言うんです。これほど私どもの職員をばかにした言葉はないと思います。私どもの職員は、二年間の専門教育を受けて、そして職場で大変な苦労して、そして三年、四年で一人前になっているんです。そういった人たちに対してボランティアでかわってあげようと、これはおかしいですね。例えば、今検事の仕事が忙しいから国民みんなが検事の仕事をボランティアでやってあげましょうかと言ったら、やはり検事の人は怒ると思うんですよね。
 もうちょっと人の仕事の重要性というか尊厳というものを認めていただきたい。だれだってできる仕事なんだというようなボランティアの普及の活動、それは私はちょっとおかしいと思いますね。
#29
○理事(竹山裕君) 以上で滝上参考人に対する質疑は終了いたしました。
 滝上参考人には、お忙しいところを本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
    ―――――――――――――
   〔理事竹山裕君退席、会長着席〕
#30
○会長(鈴木省吾君) 次に、大熊参考人より御意見を伺いたいと存じます。
 この際、大熊参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌悼のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 それでは、大熊参考人お願いいたします。
#31
○参考人(大熊由紀子君) 御紹介いただきましてありがとうございます。大切な日に風邪を引いてしまいまして、さっきから滝上さんの話をせきで妨げてしまいまして申しわけなく思っております。
 実は、風邪を引いたといいますのも、今三千三百の市町村、大変この問題に関心が深くて、休日であります土日、地方のいろんなところが私に話を聞きたいとおっしゃいます。私も取材をかねてお邪魔をしているというような関係で、過労になりまして熱を出しました。月曜日にゆっくりきょうに備えて休みましょうと思っておりましたらば、我が家に電話がかかってきました。レーガンさんがアルツハイマーだと告白したから、とにかく起きて原稿を書いてパソコン通信で送れというのです。そうして書いたものが今お手元にございます「レーガンさんが訴えたこと」という社説でございまして、非常に大使いの荒い朝日新聞というところで社説を書いております。もともとは科学技術の分野もカバーしておりましたけれども、現在は医療と福祉と年金に関する社説を受け持っております。
 この国民生活に関する調査会にお招きいただいたのは、私としてはとてもうれしく光栄に思っております。なぜかと申しますと、こちらの調査会のファンでございまして、お手元にお配りしてあります社説の四ページ目の左側、「高齢社会は「バリアフリー」で」という社説の結びにも参院の国民生活に関する調査会の報告書を鈴木省吾先生のお名前も付して御紹介してございますし、専門家向けの「社会福祉研究」という雑誌をレギュラーで書いているのですけれども、そこに、こちらの調査会でオーフス方式というのに着目されたことについて御紹介をしたりしているわけでございます。このバリアフリーについてのこちらの調査会の御提言が、建設省の政策転換の大きなきっかけになったのではないかなというふうに思っているわけでございます。
 滝上さんがちょっとバックグラウンドをおっしゃいましたので私も申し上げますと、学校で勉強したのは科学史と科学哲学という理科八割文科二割という学科です。社会部で少し記者修行をいたしましてから、科学部で医学から天文から原子力から、DNAからいろいろ受け持ちまして、デスクを五年間いたしまして、今から十年前に論説委員になりました。
 社会保障制度を本当に勉強し始めたのはこの十年間でございました、社会部の時代に現場の福祉は見ておりましたけれども。きょうは私がこの十年間に勉強したことのさわりを、滝上さんみたいに弁舌がさわやかじゃないものですから、前にありますスライドで、日本全国、世界のあちこちを回って撮ってまいりましたスライドを映しながら御説明をさせていただきたいと思います。
 レジュメには「高齢社会をめぐる九つの錯覚」と「長寿福祉社会十の条件」を書いてみました。この九つの錯覚の中のかぎ括弧でくくってある言葉は、高齢社会についてどなたか偉い方が演説されるときに始終出てくる言葉でございます。それがどんなふうに錯覚であるかということを見ていただきたいと思います。
 それから、レジュメの三ページ目に「長寿福祉社会十の条件」というのが書いてございます。これをきょうは申し上げたいと思っております。
 先週お届けいたしました経済企画庁から出ている冊子に載っております十の条件と若干、またその後私も進歩したので変わっております。
 それでは、スライドの右側から見ていただきたいと思います。(スライド映写)
 「来るべき高齢化社会」というのは新聞でも始終言われて、私は嘆かわしいと思っているのですが、高齢化社会、エイジングソサエティーというのは人口の中の高齢者の割合が七%を超えると申しますので、もう日本は一九七〇年には高齢化社会に入っていたわけで、ことしはこの化が取れまして高齢社会、一四%になったわけでございます。そして、地方のいろいろな町や村を歩いてみますと、もう二〇%とか三〇%の高齢化率のところがたくさんあるわけで、超高齢社会の市町村がたくさんある。「来るべき高齢化社会」などと悠長なことを言っていられる時代ではないということは、きょうおいでの先生方はよく御存じのことだと思います。
 右に映っておりますように、高齢社会というのは要するに、坊ちゃんお嬢ちゃんがお年寄りになる時代、お嫁さんが七十代になる時代でございます。評論家の樋口恵子さんは、「母寝たきり娘ぽけるや長寿国」というふうに言っておられますけれども、この間お会いいたしましたら「下手をすりゃ老妻殺しの長寿国」というふうに言っておられます。七月二十四日の社説「老いを敬うこと」で、有名なとんち教室で活躍したあるコラムニストが奥様を殺された話を書きました。鈴木先生などが介護にお疲れになって奥様の首をお絞めになったりすると、新聞では非常に大きく扱わせていただくということになるのではないかと思います。要するに、人ごとではないわけでございます。
 よく、昔は家族が介護していたけど今は核家族になって見られなくなったとか、それから、このごろは女が外に働きに出るようになったから介護力が落ちたということを申しますけれども、専業主婦の方がおられても、それでも現在の介護は昔と違って非常に大変でございます。つまり、右のような風景は昔はなかったわけで、今も滝上さんがおじいちゃま、おばあちゃまがあっという間に亡くなったお話をされましたけれども、終戦直後は二、三週間で亡くなるからいわゆる寝たきり老人、要介護老人というふうに呼ばれる人はそもそも存在しなかった。寝たきり老人を家族が見たという時代はなかったということをまず御認識いただきたいと思います。ところが、今は医学が進みましたので、皆様の先輩であられる田中角栄さんも八五年にお倒れになってから七年八年と御存命になって眞紀子さんが御苦労になったという、そういうことでございます。
 九つの錯覚の三つ目は、「家族の世話が愛情細やかで何よりである」。これも錯覚でございまして、最近はシルバーハラスメントという言葉が新聞をにぎわせております。これは英語には本当はない言葉で、向こうではエルダリーアビューズというんだそうで、和製英語でございます。この言葉をつくったのは毎日新聞の大阪の記者の方たちで、老人虐待というのではどうしてもうまく紙面に整理部が扱ってくれなくて、ある日シルバーハラスメントという言葉をつくったらそれがどんどん新聞に載るようになったというふうに言っておられました。
 つまり、非常におしゅうとさんやおしゅうとめさんにいじめられたお嫁さんが今度は介護をする側に回っていらっしゃったりするわけで、しかもお世話がよければよいほど長くお年寄りは御存命になるわけですのでだんだんむなしくなられまして、おしっこが出ないようにお水を上げないとか、そういうことが日常茶飯に起きてくることになります。このシルバーハラスメントというのは報道されればされるほど、決して一部のことではなくてもう日常的なことだということが明らかになってきております。
 今、またお手元に配られております大型の方のコピーでございますけれども、「付き添って」という朝日新聞の家庭面の連載が載っでございます。先ほどは滝上さん、新聞社は臓器移植ばかり書いているというお話でしたけれども、それであってはならないというわけで朝日新聞ではこういう問題も大いに書いているわけでございます。この「付き添って」が連載されますと、私も実は親をこういうふうにいじめてしまっていた、いじめたくないんだけれどもそういうふうに追い込まれるんだという手紙が殺到したわけで、家族の介護というのは細やかで美しいのだという神話も捨て去るところからまず始めていかなければいけないというふうに思います。
 「家族を活用すれば公共部門の肥大化が防げる」というのは、一九七九年に経済審議会の答申に格上げをされた俗論でございます。なぜ俗論だと言うかといいますと、家族やボランティアを活用した結果、かえって公共部門は肥大化してしまったというふうに私は思うからでございます。
 右のスライドでは奥さんが見ておりますからあのおじいちゃまは殺されないんですけれども、逆に奥様が倒れると老妻殺しになっちゃうわけでございます。そうならない、新聞種にならないためにどうするかといいますと、病院にお年寄りを連れていくということでございます。
 先ほど吉岡先生が、日本の福祉のレベルはどんなものか、厚生省の言うとおりのものかということで御質問があったようでございますけれども、この雑居部屋に横たわっている御老人の姿が欧米と並ぶいいレベルかどうかというのは一目瞭然でございます。別にわざわざ悪い病院に行ったわけではなくて、大変すばらしい老人保健施設があるから見てくださいというのである老健施設を見にまいりまして、渡り廊下でつながっているお隣の老人病院の方をのぞいてみましたらこういう風景、時間は午後六時でございますけれども、もうお年寄りは眠っておられますしいんとしております。なぜこうなるかといいますと、晩御飯の中に睡眠薬がたっぷりとまぜ込まれているわけで、ですから、ことんと眠ってしまわれますので付き添いさんは大変手が省けるという仕掛けになっております。業界ではこれを薬縛りというふうに呼んでいるわけでございます。
 看護婦さんを大切にせずに、付き添いさんに下請をさせるという日本の医療の構造からこういうことが生み出されてきた。また、福祉を充実しない結果、家族を追い込む結果、障害を持っているお年寄りを病人扱いして医療保険の形で賄うということがこういう悲惨な風景になって、しかも医療費はふえる、質は下がるということになっているわけでございます。
 先生方のお手元に「「寝たきり老人」のいる国いない国」という本を先週お届けをいたしました。私自身も実は科学部のデスクをしておりますときには、寝たきり老人という方たちがいるのは仕方のないことで、しかも万国共通のことだと思っておりました。若い同僚が寝たきり老人用ベッドが開発されたという記事を書いてまいりましたときなどは、これは大変いいベッドだと思ってそれを健康欄に載せてしまいまして、朝日の読者の皆さんを大変惑わしたという、今は後悔しているようなことがございます。その寝たきり老人用ベッドというのは、あるボタンを押しますとお尻のところがぽかっとあきまして、寝たまま排せつができる。だから看護婦さんも家族も助かる。また別なボタンを押すと、お湯がぼこぼこと入ってまいりまして、寝たまま入浴ができる。これも看護婦さんや寮母さんや家族が助かるという話だったわけでございます。
 こういう寝たきり老人用ベッドというような考え方が非常に間違っているということに気がついたのが一九八五年のことでございました。論説委員になってから一年目の一九八五年に私は、高齢化が日本よりもっと進んだ国々、ヨーロッパの五つの国を回りました。よく日本は世界にまれな高齢化国だというような方がおられますけれども、そんなことはなくて、日本より先に高齢化が進んだ国はヨーロッパに幾つもあるわけでございます。そういう国々に行きまして寝たきり老人がどういうお世話をされているかというのを見ようと思って行きましたところ、ベッドの上にお年寄りが寝ていないということに遭遇をいたしました。
 それだけではなくて、もう本をお読みくださった方には二重になってしまいますけれども、寝たきり老人、これを直訳をしてもらいますと、ドイツ語でもデンマーク語でもスウェーデン語でも先方が何のことを言われているかわからないということで、そこで取材が途切れてしまうという大変新聞記者としては困った経験をしたわけでございます。もちろん、どの国にも寝たきりのという形容詞はあります。老人という言葉もあります。ところが、寝たきり老人というふうにこの二つで合成した言葉をつくると、そういうことを想像できないという様子であるわけでございます。
 私、日本の寝たきり老人の皆さんの様子を一生懸命思い浮かべまして、「脳卒中で半身不随になっておむつをしていてベッドから自分で起きられない、そういうお年寄りがお国にもいるでしょう」とくどくどと聞いたわけでございます。訪問した五つ目の国、デンマークに行ってやっとそういう質問を思いついたんですけれども、そういたしましたらば先方は、あなたが言っているのはお世話が必要な年金生活者のことではあるまいかというふうに言ったわけでございます。言われてみれば、右のスライドに映っている寝巻き姿で天井をうつろな目で見ている日本の方々もお世話が必要な年金生活者でございます。ところが、この方たち、私どもは寝たきり老人というふうに公式文書にも書いて、そのようにお年寄りを見ているわけでございます。
 そこで私は、お世話が必要な年金生活者は例えばどんな人ですかということを伺いました。そしたら、例えばああいう方がそうですというふうに答えられました。これはデンマークのコペンハーゲンのデイセンターで撮ったものです。デイセンターは小学校区に一つぐらいずつございます。ここにお昼の御飯を食べに来たお年寄りでございます。ごらんのように、脳卒中の後遺症で左半身が全く動かない方でございます。おむつもしていらっしゃるそうでございます。
 そこで私は、非常に重大かつ簡単なことに気がつきました。日本の寝たきり老人の皆さんというのは、だれも起こしてくれないから一日じゅうベッドに横たわっている方たちなんだ、寝かせきりにされたお年寄りなんだということでございます。
 一九八五年から朝日新聞ではなるべく寝たきり老人という言葉を使わないように、寝かせきりにされたお年寄りとか要介護のお年寄りという言葉を使おうということを言っているわけでございます。これ、つくった当時は大変ばかにされました。聞いたことのない言葉だと言われましたけれども、今では寝かせきりという言葉を学者の皆さんも使ってくださっておりますし、この夏出ました新ゴールドプランの中に「寝かせきり老人ゼロ作戦」、寝かせきり老人というのも失礼な言葉だとは思うのですけれども、そういう言葉が使われておりますので、特許でもとっておきますと私は巨万の富を築けたのではないかなどと思っているわけでございます。
 この方は、決して大金持ちの方のお母様とかいうのではなくて、一番安い、日本で言う老齢福祉年金で暮らしていらっしゃる方でございます。日本のように要介護の身になったらどうなるかわからないという国では、年金を幾らもらってもそれが心配で貯金してしまいます。どれだけ年金の額を上げても人々は安心することができません。そういう意味で、年金財政をやたらに膨らませないためにも、安定した介護サービスが提供されるというのは非常に重要なことだということにまた気がついたわけでございます。
 この方、じゃどうして起きておられるのか、それは朝晩ホームヘルパーさんが自宅へやってきて起こしてくれるからだということでございました。この一九八五年当時の日本のホームヘルパーさんの働き方というのは、一週間に一遍とか低所得の人のところにとかそういう働き方でしたから、朝来てベッドから起こしてくれるというホームヘルパーさんがいるというのは大変私には驚くことでございました。
 それから、ここはデイセンターで働いている職員ですけれども、こういうところに男性の姿が見られるということも九年も前の私が大変驚いたことでございます。つまり、男の方がこういう仕事をしているということは、この仕事が将来性のある、男子一生の仕事に値するものであるということです。ホームヘルパーという仕事をそういう仕事にしなければいけないということを八五年当時考えたわけでございます。
 幸い、日本も随分質の面では進歩してまいりまして、秋田県の鷹巣町へ行きますと大学の法学部を卒業したヘルパーさんがおりますし、枚方にも男性のヘルパーさんがおりますし、この間大阪でホームヘルパーを募集しましたらば何十人もの男性が応募をしてこられた。長野市のようにヘルパーさんのお給料の体系を市役所と同じに近づけたところでも、福祉大学卒業の男性がこういうことを手がけるようになってきております。
 ですから私、地方に、いろんな市町村に行きましたときに、その市町村は首長さんが口で福祉を唱えているだけなのか、本当に福祉を大事にしているのかを見分ける手段として、その町に男性のヘルパーさんがいらっしゃるかどうかというのを見るようにしているわけでございます。
 それから、驚きました四つ目ぐらいになりますでしょうか、日本では脳卒中の後遺症でおむつをしているということになると、一日じゅう寝巻きを着ている、頭は養老院カットと申しますざんぎり頭に女でもされてしまうのに、髪をきれいにセットして、イヤリングをして、爪にはマニキュアをして、そしてきょう着たい洋服を着ているということに驚いたわけでございます。つまり、要介護の身の上になっても、おむつをしていても、おしゃれをして誇り高く生きられる、そういう社会がこの地球上に存在をしているということでございます。
 それから、この方が御自宅でひとりで暮らしていらっしゃるということにも驚きました。この方たち、なぜ病院に入っていらっしゃるかというと、自宅で見てくれる方がいない、だから病院に入らざるを得なかったわけでございます。
 寝かせきりにされると、廃用症候群というのが起こりまして寝たきり状態になってしまうだけではなくて、このようにおしりに床ずれができてしまう。骨が見えるほどです。ところが、左のスライドのように、毎日起こしてもらうデンマークのお年寄り、スウェーデンのお年寄りには床ずれがないということも発見でございました。
 これが一九八五年の敬老の日に書きました一面の「座標」の「「寝たきり」少ない訳」という大型コラムでございます。今申し上げたようなことを書きました。そして、「老人福祉と小学校」というタイトルをつけました。明治のまだ貧しい時代に日本は全国津々浦々に小学校をつくりまして、そこに小中学校の先生をみんなで出し合った税金で配置をした。今東京都では特養老人ホームに入る人が一万人待っているそうですけれども、小学校に入る子供が一万人待っているという話は聞かないわけでございます。そのように、小中学校の義務教育と同じように、お年寄りの社会サービスというのを考えるべきではないかというふうに書いたわけでございます。
 私は、ホームヘルパーは五十万人ぐらいにふやすべきだということをきょう提言したいと思っております。この五十万というのは決してとんでもない数字ではないと思います。義務教育の先生方、七十五万人おられます。それから今、専業主婦ということで三号被保険者になっていらっしゃる方が千二百万人おられるわけですから、ヘルパーは女の方だけがなるわけじゃありませんけれども、千二百万人の専業主婦のうち五十万人くらいの方がヘルパーさんになってくださるというのは、いともたやすいことではないかというふうに思います。
 でも、九年前に直ちに厚生省がゴールドプランを始めてくださったわけではありませんし、お医者さんたちの中にも随分と反論が多かったわけで、最もそれを疑われましたのが、前にこの調査会にも呼ばれていらっしゃいました岡本祐三先生とおっしゃる方でございました。大変疑り深い先生で、あれほど疑り深い先生がデンマークの福祉を手本にすべきだと言うわけですから、まあ信用していただいてもいいんではないかなと思うわけでございます。
 経済審議会の一九七九年の答申では、ボランティアを活用すべきであるということを言っておられます。ボランティアが盛んだというアメリカヘ行ってみました。
 ピンクレディーというふうな名前で呼ばれているこういうボランティアが生き生きと働いておられます。けれども、ナーシングホームヘ行ってみますと、お年寄りは非常に寂しそうでございました。確かに寝たきり老人というコンセプト、そういう変な概念はないというふうにアメリカの専門家は言うのですけれども、そしてベッド・イズ・バッドでベッドに寝かせたままは悪いことだというので起こしておられますけれども、ただ起こして並べてあるだけと。これはお茶大の袖井孝子先生の表現ですけれども、そういうふうでございました。そして、目のよろしい方ですと起こしていすに縛ってあるということにお気づきになると思います。つまり、アメリカの場合はこういう介護の仕事をだれにでもできる、日本では外国人労働者に当たるような人がつく仕事とされておりますけれども、そういうことにおとしめますと、結局私どものを後が悲惨なものになるわけでございます。
 そこで、私いろんな国を訪ねてみました。これはデンマークのネストベズという町でございます。先ほどは脳卒中、こちらはリューマチで手がこぶのようになった方でございます。デンマークのほかにベルギー、オランダ、スウェーデン、フィンランド、イタリー、イギリス、ドイツ、ハンガリーというような国々を回りました。いろいろ比べた結果、私はデンマークが一番いいという結論に達しました。一般的にはスウェーデンの福祉が進んでいると言われますけれども、そのスウェーデンよりもデンマークの方が効率的に安いお金で、しかもお年寄りが満足することをされているということで、スウェーデンよりデンマークを推奨するようになったわけでございます。
 その一番の手がかりはお年寄りの笑顔だったわけですけれども、笑顔などという非科学的な方法ではなくて、もうちょっと厳密に、アメリカのペンシルベニア大学のリチャード・エステスという教授が、これは本にもなっておりますけれども、世界の百三十四カ国でしたかしら、ちょっと私近眼なのであれがちゃんと今読めませんけれども、国連とか世界銀行とかそういうところが出している客観的な数字を組み合わせて、どこの国が本当の意味で豊かかという番付をつくりました。デンマークが一位、二位ノルウェー、三位がスウェーデン、日本はずっと下がって十四位、アメリカが十八位、ソ連が四十二位、そういう評価を出しておられます。
 デンマークがなぜ進んでいるかということをいろいろ調べてみますと、第一に高齢者の福祉医療を国がやるのではなくて市町村が高齢者医療の権限を持っている。そして、医療と福祉と住宅が切れ目なく総合的、包括的にサービスが提供されているということでございます。例えば、この方が病院に入院をいたしますと、入院したその入院先に市町村のお役人が参りまして、そこで退院後の計画が立てられる。退院したときに車いすが必要な身になるとすれば車いすで外に出られるように、階段があればこのスライドのようにその階段を車いすでおりられるような仕掛けがつけられてしまう。入浴やトイレのところも改造されるということでございます。
 ただ、住宅についてはこの調査会のずっと前に外山義先生が、スウェーデンの住宅が一九七七年から建築基準法によってバリアフリーでないと許可がされないということになったことを多分御説明になったんじゃないかと思いますが、スウェーデンの方が進んでおります。スウェーデンでは余り物を考えない人が家を建てても、基準どおりにつくっていくと自然にバリアフリーになっていますので、要介護の身になったときに何にも改造しなくてもその家に住み続けられるわけでございます。その点はちょっとデンマークの方が遅れておりまして、それから古い家もありますので、その際は市町村のお金で改造をされるということでございます。
 そして、退院したその日からホームヘルパーさんがやってくる、それから訪問看護婦さんが全体をコーディネートするということで、この男性は、奥様は大変御病身でベッドから起こしたりできないけれども、それでも自宅に住み続けることができるというわけでございます。
 一方、何か厚生省が一流だとか言ったそうでございますけれども、日本の在宅はこんな気の毒なありさまでございます。介護者が一人というのでは、介護嫁が先に死んじゃう、そういうことが起きてしまいますので、せいぜい女手が二人ぐらいないと自宅での暮らしをすることができません。しかも、専門的な知識に欠けておりますので、悪気がなくても寝かせきりにして、寝たきりのお年寄りをつくってしまいます。左のデンマークの写真をごらんいただきますと、目は放さず手は出さずという、プロの仕事です。プロとアマではこのように違ってしまうわけでございます。ただ親切にすればいいというものではないわけでございます。
 それから、住宅改造も日本の多くの市町村では貸し出しというしみったれたことをしておりますので、なかなか改造が進まず寝かせきりが続いてまいります。
 提言の中に補助器具についての提言をしておきました。先ほども御質問があったようでございますけれども、補助器具は非常に重要でございます。それも、ただ提供すればいいというものではなくて、体に合っているということが重要でございます。皆様方も、おじいちゃまが死んで残っている入れ歯が家にあるから、もったいないから口の中に入れようなんという、そういう方はおられないだろうと思います。口に合わない入れ歯を入れたら口がめちゃめちゃになるように、体に合わない車いすに乗っておりますと、やはり床ずれに似たものができてしまうわけで、デンマークやスウェーデンでは作業療法士という方々がここで大変活躍をしているわけでございます。
 この方は糖尿病がもとで足を切断することになった方ですけれども、このようにして残っている能力を活用して御自分でお料理をつくったりなんかするわけでございます。
 私が最初に北欧へ行きましたのは一九七二年でございましたけれども、そのときにハンディキャッパデという言葉を覚えました。つまり、障害者という言葉ではなくてハンディのある人という表現をいたします。ハンディというのは社会の側の条件次第で限りなくゼロに近づけることができるわけでございます。
 デンマーク生まれのアンデルセンの書きました人魚姫という童話がございますけれども、あの人魚姫は海の中では全くハンディなくすいすいと泳いております。ところが、これが一たん陸地に上がりますともう歩けなくて、大変ハンディの重い人になってしまう。王子様に恋をしたばっかりに大変なハンディをしょい込む。そこで、自分がしゃべれないようにすること、声を失うことと引きかえに足をもらうという話がございます。さまざまな補助器具を体に合わせるとハンディを小さくできるということが重要で、これがクオリティー・オブ・ワイフを高めるだけではなくて、介護の費用や人手を減らすために非常に重要でございます。日本だったら後ろから車いすを押さなければいけないような方が、車いすが体に合っているものですから、片足でもすいすいとこいで御自分で動き回っていらっしゃる風景にデンマークやスウェーデンではしばしば会います。
 これはエレベーターでございますけれども、エレベーターのボタンをまず上の方につけて、お金が余ったら下の方にもつけて、ここに車いす用ですよというふうな表示をつけるのではなくて、エレベーターのボタンというものはまず子供や車いすの人が使える位置につける、なおお金が余ってしようがなかったら上にもつける、そういう法律を皆様方につくっていただきたいというふうに思うわけでございます。
 先ほど申し上げましたように、スウェーデンでは一九七七年に一般住宅についても建築基準がバリアフリーになっております。そういう規制を嫌うアメリカでもそのようなものがもう既にできているわけでございます。
 それから、先ほど森先生の方から、学校での福祉教育についてのお尋ねがあったようでございますけれども、そういう福祉教育をしなくても、学校をバリアフリーにして、学校助手の人が付き添って、スライドのような脳性麻痺の子供もまざって勉強するようになれば毎日が福祉教育、この級友たちが成長して建築家になれば、必ず車いすの人を念頭に置いた住宅をつくるであろうと思われます。
 そして、小学校区に一つずつ、このようなデイセンターがございます。ゴールドプランでは値切りまして中学校区に一つというようなことを言っておりますけれども、小学校区というのはちょうどお年寄りでも歩いて通える距離でございます。日本の場合でしたら今小学校は空き教室がたくさんございます。今はパイロット自治体ということで、わざわざ名のりを上げないと学校の教室を高齢者福祉に使えないようになっておりますけれども、皆様方のお力で文部省と厚生省の壁を取り払って、小学校を使って食事や趣味を楽しんだりリハビリ訓練をできるようにしていただきたいと思うわけでございます。よその国に参りますと、日本はお金持ちの国だけれども、我が国は貧乏だから同じ学校に昼の校長と夜の校長を置いて、夜も使っているんですというようなことをよく聞かされます。
 デンマークの車いすに乗って笑顔で食事しているお年寄りと、日本の寝たきり状態のお年寄りと随分表情が違いますのでも、起こしてさしあげると左のデンマークの女性と遜色ないようなお顔になられます。寝かせきりにしていますと目をつぶって口をあいていらっしゃる方が、起こしてさしあげれば目をあいて口がつむるというぐあいでございます。
 これは群馬県の愛老園という特別養護老人ホームでございますけれども、五十人のお年寄り全員を起こして食事ができるようにという試みをなさいました。一年たったら全員が起きてお食事ができるようになりました。さらに一年たったらお年寄りのおしりから褥瘡が全部消えてしまいました。
 ただ、まだ顔がちょっと無愛想でございますけれども、これはまだ起きたばかりでございます。同じお年寄りが半年後、こちら九〇年十二月、こちら九一年六月でございますけれども、こんなふうに生き生きした表情に変わられました。髪の毛が養老院カットから美容室へ行ってきれいになっております。そして、それぞれのお年寄りの人生に合ったお世話、これは伊香保温泉に連れていってもらったときのお顔でございますけれども、寝かせられたきりのお年寄りもこのようになることができるということ、決してデンマークやスウェーデンの遠い話ではないということが、日本では非常に使命感に燃えた方たちによって実証されているわけでございます。
 ただし、残念ながら、多くの御老人はそういうところに、今東京だと一万人待ちの特養ホームでございますから、東京ですと神奈川県の老人病院なぞへ入ることになります。これは朝日新聞から出ております「ルポ老人病棟」の中に紹介されている写真でございますが、神奈川県の真愛病院という美しい名前の病院で、夜になるとこのように縛られてしまう。実名を出して報道いたしましたけれども、全く反論はございませんでした。こういう現状でございます。
 ぼけの世界にお年寄りを追いやらないための二百条というのがあります。「急激な変化を避ける。頼りの人となる。安心の場を与える。孤独にさせない。尊重する。」。こうしたことがぼけの世界に追いやらないことに非常に重要なのに、日本ではお年寄りを縛って誇りを傷つけ、ぼけの世界に追いやっているわけでございます。
 でも、先生方はお金持ちの方も多いでしょうから、私は要介護の身になったら有料老人ホームに入るから安心だとお考えかと思いますので、一番有名な聖マリア・ナーシングヴィラというところに御案内をいたしたいと思います。これは有料老人ホーム協会の理事も務められまして、介護型ナーシングのモデルとなって、ここへみんな勉強に行って介護専用のナーシングを開くというようなところでございます。
 中に入りますと、じゅうたんがふかふかに敷いてございまして、宮様が御視察になった写真なぞが張ってございます。橋幸夫さんとか宮沢りえちゃんのお身内が入っていらっしゃるということでございます。パンフレットには、「ぼけても失われていないプライドと感性を大切に、神に召される日まで、大切な御老親様のお世話をさせていただきます。」などというふうに書いてあるわけでございます。
 これは九三年の三月に見学に行ったときの風景でございますけれども、こんなふうに美しいお部屋、月々七十万円ぐらい取っていて雑居でございます。
 ところが、同じお部屋で夜になりますとこのように、抑制帯と業界では言っておりますけれども、要するに練るわけでございます。磁石つきの抑制帯で、ガッチャンという音がするので中ではガッチャンと呼ばれておりますが、そのように縛られてしまう。これも朝日新聞で出しております週刊朝日で報じられました「素晴らしき有料老人ホームの裏と表」という連載に出てくるホームの現状でございます。大家の奥様もこんなぐあいに縛られてしまう。お金を出してもお金を出さなくても縛られるというのが日本の現状でございます。
 寝たきり老人と呼ばれている方々について、ついに「寝かせきり老人ゼロ作戦」まで厚生省がお始めになってくださいましたので、私はぼけのお年寄りのことが心配になりまして、またデンマークヘ行きました。
 これはカリタスという特別養護老人ホームでございます。こちらがぼけてしまわれたお年寄り、元精神病院の総婦長さんだった方です。清水先生は看護職でいらっしゃいますけれども、そのような方もおぼけになることがあるわけでございまして、今はぼけたお年寄りとして特養ホームに入っていらっしゃいます。こちらはその精神病院の婦長さんだったピエギッタ・ミケルセンさんという方で、今特養ホームの施設長さんになっておりますのでも、お金はこれより安いのにデンマークでは公的な特養ホームでこのように思い出の品に囲まれて暮らすことができるわけでございます。
 こちらは庶民のぼけたお年寄りでございますけれども、東京の精神病院のおりのような部屋に閉じ込められているぼけてしまわれたお年寄り、身の回りの品は何にもなくて、排せつ物を食べたりこねたりするからといってこんなような扱いをされておりますのでも、デンマークでもほんの二十年くらい前までは精神病院でお仕着せの寝巻きを着て縛られたり薬でよれよれにされたりということがあったそうで、このピエギッタさんが先頭に立って改革をなさった結果、今のような状況になったわけでございます。
 老人病院はかぎがかけられませんのでベッドに犬みたいに縛るということが行われます。これは兵庫県でございます。これも中の上と言われる老人病院でございます。ただ、兵庫県の名誉のために申しますと、すべての兵庫県の病院や施設がこうだというわけではありませんで、兵庫県の生野町というところの生野喜楽苑という特別養護老人ホームは、こんなような、かわら屋根の個室の特別養護老人ホームが建てられております。
 そして、目線は下からということで、何々してくださいと言ってはいけない。何々してくれはりますかというような尊敬語でお年寄りのお世話をしております。思い出のお嫁入りのときのたんすとかそういうものを全部持ち込んだ、これは生野喜楽苑と申しますけれども、介護のやり方は尼崎にある尼崎の喜楽苑の方法を取り入れてやっているわけでございます。つまり、日本では使命感に燃えた方たちが一生懸命やってデンマークのレベルに近づいているというわけでございます。
 レーガンさんの社説の中に、スウェーデンのグループホームを御紹介いたしましたけれども、スウェーデンでは一九九二年から五、六人ずつで住む、グループボーエンデと向こうでは申しますけれども、やり方で、このお二人はぼけの大変重い、家族ではもう面倒を見切れない方でございます。こういうふうに暮らしておられます。
 これに匹敵いたしますのが、この間も行ってまいりましたけれども、福岡県にございます託老所「寄り合い」と申します。建てて七十年という古い日本風のおうちに思い出のある品々を持ち込みまして、昼間ここでお預かりをしております。そして、おうちがなくなった方はここに泊まる。ショートステイのことはお泊まりというふうにここでは言っているわけでございます。
 それで、精神病院や老人病院で縛られていた方もああいうお世話をすれば人間らしい表情をなさいます。そして、よくあります特養ホームのてんぷら揚げ機というようなああいう機械的なおふろではなくて杉のおふろの中で、職員の方が先に入って「よかふろですよ」と言うと、普通はおふろに入るのを嫌われるお年寄りもお入りになって、よかふろですね、よかふろ、よかふろというふうにおっしゃるそうでございます。
 この調査会で下村先生がオーフス方式について御質問になったと聞きました。そこで、そのオーフス方式の生みの親である工ーバルト・クローさんが日本に来ましたときの姿をちょっと御紹介をいたします。右の二人は来たときについてきたヘルパーさん、自分で選んだヘルパーさんです。ただし、お金は国と市町村から二分の一ずつ出ます。二週間働きましたので、これ以上こういうきつい労働というのは基準法違反なんだそうで、札幌で左の二人のヘルパーさんと交代をいたしました。そういう風景でございます。
 日本でも自分で選ぶヘルパーさんという考え方は特に東京の三多摩で進んできておりまして、例えば右のスライドの町田のヒューマン・ネットワークというところでは、障害を持った御本人たちがそういう方たちのマネジメントをしております。
 結局、お嫁さんとか家族だけで長い年月お年寄りを支えようとするそのことが非常に無理なわけで、友人の政治漫画家の所さんがかいてくれた絵でございますが、家族だけで頑張りますと支え切れなくなりまして、右に映っているような雑居で寝かせきりの病院にお年寄りを入れてしまう。これは皆様方の運命であるというふうにお思いいただきたいと思います。そして、医療費をただむだにふやしてまいります。
 お年寄りを起こすためには優しい心とかいたわりだけじゃだめで、ちゃんとお金をかけなければだめなわけでございます。今、与党の先生方が野党のとき一生懸命言っておられた新ゴールドプラン、このお金を何とかつけないと公約違反になってしまうんではないかなと私は思うわけでございます。
 日本でもすべて公立でやるのがいいかという先ほど御質問があったようでございますけれども、全部公務員でやる必要はないわけで、これは会社組織でもかなり非営利の会社でございますけれども、デンマーク式の二十四時間巡回型のホームヘルプ、ホームヘルパーさんと看護婦さんが組になって回るということが九州で始まっております。そういう活動にきちんとお金を出すということが重要かと思います。
 これで最後でございます。
 おもしろいことに、高齢者が安心して年をとれる、介護をとるか仕事をとるかということに女の人が追い込まれない社会では、つまりデンマーク、スウェーデン、ノルウェーというような国では今出生率が上がっておりまして、保育所が足りないくらいでございます。出生率が上がりますれば高齢化率も自然にとまるわけでございますので、このような子供を育てるとかお年寄りの面倒を見るというようなことを社会全体で見ていく仕掛け、法律、お金、そういう面できょうここにおられる先生方が力を尽くしていただくことをお願いをしたいと思います。
 ちょっとスライドの関係で長くなってしまったことをおわびしたいと思います。そのかわり答えをなるべくはしょるようにさせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#32
○会長(鈴木省吾君) 以上で大熊参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#33
○清水嘉与子君 きょうは大変ありがとうございました。
 具体的な映像を通して、福祉先進国の高齢者の問題、そしてまた日本の問題、かなりいろんな問題を如実に示していただきました。
 よく北欧の先進国の話をいたしますと、国の規模でありますとか、それからほとんど公的サービスで、税金でやっているじゃないかと。それに対して日本の福祉の姿というのは、この前の福祉ビジョンでもそうでありますけれども、どちらかというとその中間的なといいましょうか、自助とも言わず公的サービスとも言わずその中間くらいで、公民の適切な組み合わせによる適正給付、適正負担というような福祉が日本国民のコンセンサスを得られるんじゃないだろうか。だから、ある程度は公的にやってもらうけれども、あとはもう自助でやるべきだというようなところで何かおさまりそうなことで、もうこのゴールドプランは進んでいると思います。
 その辺について、まず財政をどうするのか、どうした方がいいのかといった点につきまして、特にたくさんの国民の声も朝日の方に届いていると思いますけれども、御意見を伺わせていただきたいと思います。
#34
○参考人(大熊由紀子君) この春に出た二十一世紀福祉ビジョンの中で中福祉中負担という言葉が姿を消した点は、ちょっと進歩したんじゃないかというふうに私は思っております。
 高福祉高負担、低福祉低負担というのは、年金のように集めたお金を配るしかないと、そういうような世界では成り立つかもしれませんけれども、介護が絡んだことにつきましてはそのようには言えないのではないかと思います。
 先ほど滝上さんも触れておられましたように、高齢社会というのは介護に関しては高負担な社会でございます。その高負担を家族がただ働きで体を壊しながら負担するか、または御老人があのような病院で世の中をのろいながら、国会をのろいながら死んでいく、そういう負担になるかどうか。それともみんなでお金を出し合って公的負担で支えるか。もう高負担であることは明らかなわけでございまして、それをどのように高福祉につなげていくかということが極めて重要ではないかと思います。
 このレジュメを一つ繰っていただきますと、現在のOECD諸国の一人当たりの医療費というのが出でございます。アメリカがダントツに国民が医療費に払っているお金は多いわけでございまして、日本が十六番目におりまして、デンマークはその下へきているわけでございます。
 きちんと福祉をいたしますと医療費は少なくて済む。しかも、病院は日本のような貧しい、それから看護婦さんが始終走り回っているというようなことをしないで済むということでございます。
 それから、お配りした「究極のヘルパーをつくりあげた男」という資料の中の最後のところに、「デンマーク人が介助、介護の人件費として支払っている公的な費用は、同国のGNPの〇・七%。」であるというふうに書いてございます。
 介護の費用は、実は大したお金ではないわけでございます。介護を社会化すると国がつぶれるとかなんとかというのは全くのデマでございます。この〇・七%を日本に置きかえますと約三兆円でございますから、例の三%の消費税収入の半分くらいを介護に充てればよろしいというふうに思います。
 それからもう一つ、国の規模が違うじゃないかという声についてのお尋ねがございましたけれども、今デンマークでもスウェーデンでも日本でも、福祉は市町村単位になってきております。その市町村の規模で比べますと、デンマークもスウェーデンも日本もさして違わないわけでございますから、国の規模が違うからデンマークもスウェーデンも当てはまらないよとおっしゃる方は、とにもかくにも福祉をみんなのお金でやることが嫌だという意見をお持ちの方ではないかなと私は思っております。
#35
○清水嘉与子君 ありがとうございました。
 これから新ゴールドプランが具体的に実現されていくようになるわけでございましょうけれども、国民の目の前には一体それで自分たちがどのくらい安心できるのかという姿が全くあらわれてこないわけでございますのですので、まだまだ不安が残るのではないかというふうに思います。
 しかし、一方におきまして今のゴールドプランをこのままやると、厚生省の試算でも相当なお金がかかることは事実でございます。ただ、これを見ておりますと、例えばさっきから問題になっております寝たきり老人なんかにいたしましても、ただいま九十万ぐらいの寝たきり老人が三十年もすれば二百三十万になっちゃうというような試算があるわけでございます。しかし、そうなりますと、さっきから御指摘がありますように、日本で寝かせきりが多過ぎるという実態をこのままにしておいて、そのままの推計で二百三十万になっちゃうことを容認して、そして財源のことを心配するというのはやっぱりちょっとおかしいのじゃないかというふうに私も思うわけです。
 看護婦さんたちが言うんです。自分たちがお世話している患者さんの中には、もう本当に帰れる状況であれば帰っていただいていい方がたくさんいるけれども、帰る状況にないと。せめて中間施設ができませんかというようなお話があります。ところが、中間施設というのはもう既にできているわけですが、その中間施設も既にまた長期化しているという問題がございます。
 老人病院もそれから老健施設もそれぞれ患者さんと病院との関係で入所することができますけれども、例えばもう一つの特養なんていうのは、これは全く措置費の世界でして自由に入れないというようなことで、その三者の中で入っている方々にはそんなに違いがないのに、処遇も違い、かかる費用も違い、そして病院から老健施設に、老健からまた病院にというふうに渡り歩いているような方が結構いるわけです。まず、そのところを何とか少なくする、要するに入院している期間あるいは入所している期間を短縮する方法はないだろうかということが一つあるわけでございます。
 それぞれ違った形でいろいろ対応しているところを何か老人の施設として、もう少し生活の面で見られるような施設として、そして費用の負担なんかも少し考えていかなければいけないのじゃないかという問題があると思いますが、その辺について先生どんな御意見をお持ちでしょうか。
#36
○参考人(大熊由紀子君) レジュメになっておりますA4型の紙の三ページ目をちょっと開いていただきたいのでございます。
 一九七九年の経済審議会の答申というのは、もうほかの国に学ぶことはない、日本は大した国だというところから出発しているのですけれども、先ほど申し上げましたように、高齢化が進んで日本の前を歩いている国がございまして、いろいろ失敗したり、やり直したりなんかしております。それを学んでいくと、こちらは失敗を二重にしないで済むだろうと思います。そこで、私は幾つかの国を階段状に並べてみたわけでございます。
 ビアフラというのは御愛きょうですけれども、医療そのものがない国というのがまずあります。
 その次にアメリカのように医療はあるんだけれども、三千七百万人の無保険者がいて、医療はあっても受けられない人がいるという国がございます。それを何とか日本並みにしようというのがクリントンさんの改革であるわけで、アメリカはこの意味では後進国でございます。
 日本はだれでも医療は受けられるんですけれども、介護の方が余りにも貧しいものですから病院へ入ってしまうわけでございます。
 最近よく新聞に出てまいりますドイツの介護保険、これがその意味では日本より一段上かもしれませんけれども、そのドイツも看護婦さんの出前といいますか訪問看護はかなり進んでおりますけれども、介護の部分は家族、特に女性たちが担っております。おもしろいことにというか、かわいそうなことにドイツでも出生率はずっと低迷を続けているわけでございます。そのドイツが少しスウェーデンに近づこうというわけでございます。
 お話からちょっと遠くに行っているようですけれども、次に近づきますのでお許しください。
 スウェーデンでございますけれども、スウェーデンでは自宅にヘルパーさんという介護とそれから訪問看護婦さんという看護が出前されるというところは今のドイツより進んでいるんですけれども、かつて病院にお年寄りをたくさん受け入れてしまったということのツケが回っているわけで、向こうではロングボード・シュークヒュースというふうに申しますけれども、長期療養病院というところにお年寄りがたっぷりたまってしまいました。ベッドふさぎ老人という言葉がございます。
 それのほかに特養ホームに当たるものがあったわけなんですけれども、一九九二年のエーデル・リフォルメンという改革で老人病院に当たるものを特養ホームにしてしまいました。つまりスウェーデンは老人病院と特養ホームの二本立て、非常に粗っぽく分類しておりますけれども、その二本立てたったものを今統合しようというふうにしております。老人病院の院長さんは従来はお医者さんでしたけれども、お医者さんには出ていっていただきまして、看護婦さんが施設長さんになって、そして生活を主体とする、病院の内部のインテリアも自宅風にするということで特養と老人病院を一体化したわけでございます。エーデル改革はスウェーデンのデンマーク化だというふうに言われております。なぜかといいますと、デンマークではもともとなるべく老人病院をつくらないようにしてプライエムという特養ホーム一本でやってきたわけでございます。
 日本は特養ホームと老健施設と老人病院の三本立て、これは全くむだ以外の何物でもないわけです。老健施設は出てまいりましたときは中間施設といって、家へ帰す中間だというふれ込みでございましたけれども、実際これを推進した方たちの思惑というのは、税金の出費の多い特養ホームではなくて、健康保険の方からの出費でやってもらいたいということで老健施設がつくられたといういきさつがございます。
 ですから、今老健施設の特養化というか老人病院化というのが進んでおりまして、老健施設の幾つかをぐるぐると死のトライアングルとかいうふうに申しますけれども、たらい回しにするというようなことが行われております。この三つは近い将来一本化して、そこは生活の場で、むしろ看護職の方や福祉職の方がトップに立っておやりになった方が年をとってから幸せにつながるのではないかと思います。
#37
○清水嘉与子君 いろいろ伺いたいことはたくさんあるんですけれども、時間がなくなりましたので二つ質問を続けていたしたいと思います。
 一つは、先生のお書きになったものの中に在宅ケアの充実、これはしなければいけないわけですけれども、看護婦の権限の拡大というようなことがちょっと書いてあったと思うんです。訪問看護婦の権限が大きいというようなこと。今確かに日本でも訪問看護ステーションは始まりましたけれども、今のような形ではとてもターミナルケアなんかできないんですね。すべてお医者さんの指示がなければできないような形では医療行為は何もできないというようなことになりますので、これはやはりもう少しおっしゃるような形で権限を委譲していかなければできないなというふうに思っておりますが、このことについてどうお考えなのかということ。
 それからもう一つは、女性を納税者にしようというお話がありまして、例の三号被保険者の問題なんですが、これは先週の厚生委員会でも相当年金の問題で何人かの方々が、私ももちろん問題にいたしました。ただ、今のようなずっと働き続けた男性が有利になるような年金制度の中ですと、例えばパートで働いたような女性、いろんな働き方をする女性が年金においてはより不利になっていくわけです。
 そこで、今ここでそちらの手当てを何もしないでこのことが言えるだろうかどうだろうかちょっと心配がありますが、先生大分前からおっしゃっていらっしゃると思いますので、少しその辺の一般の方々の反応などを教えていただけたらと思います。
#38
○参考人(大熊由紀子君) 確かに、デンマークヘ行って驚きましたのは、訪問看護婦さんが福祉と医療と両方の接点となって、お年寄りの立場になって全体をコーディネートしているということでした。こういうコーディネーションがなくて、ただ介護保険だけを導入しても、お金をどぶに捨てるようなことになりますので、これは非常に重要でございます。
 それができるというのは、一つには看護教育の中で、病院の看護だけじゃなくて、訪問看護というのが教育プログラムの非常に重要なところに組み込まれています。そして、病院の看護も経験したベテランの方が訪問看護婦として出ていらっしゃるというようなこともありますので、看護協会のようなところでその点もお考えになって、看護大学や看護教育のところで工夫をされないと、ただ、今までの教育を受けた看護婦さんが出てきただけではだめになると思いますので、その点ぜひよろしくお願いしたいと思います。
 それから、女性を納税者にということにつきましては、二枚目の紙のグラフの右下を見ていただきたいと思います。
 しばしば年金などのことが話されますときには、お年寄りを何人の若者で担ぐというようなことが言われるわけでございます。このグラフは、年齢のピラミッドの左が男性で右が女性でございます。女性のところには、税金を納めていらっしゃらない、保険料も納めていらっしゃらない方がこれだけ空白でおられるわけで、この方たちにももっと働いていただいて納税者になっていただく、それから保険料を払う側になっていただく。それから、仕事を男女が分かち合うことによって、男の方がやたらに長期的な労働時間にならないような社会につくり変えなければいけないのではないか。男の方が今のように、長い時間働いたカップルというのですと、子供を産む気にもならないというようなことになって、少子化というようなことにもつながっていくのではないかと思います。
 それから、その反響はどうかということでございますけれども、先ほど滝上さんのお話に、財界の会合に出ると専業主婦の奥さんを持った男性ばかりだというふうなお話がございました。残念ながら、新聞社も非常に転勤が多いせいか専業主婦の奥さんを持った男性だらけでございまして、朝日新聞でも私が百年の歴史で初めて論説委員になった女だというぐあいで、よその社にも余り女性はおられない。
 そこで、どうやって男性の論説委員を説得しながら書くかというのが大変難しい問題ですけれども、その人たちも納得した線で、清水先生のようなお考えが受け入れられるようになってきております。
 それから、そのことについて特に抗議の電話や手紙が殺到するということはなくて、これも時代でしょうか、三年くらい前までは反発を恐れるという空気もございましたけれども、だんだん世の中変わってきたように思われます。
#39
○清水嘉与子君 ありがとうございました。
 私どもの調査会でも先年ヨーロッパの国々を回りまして、かいま見ただけですけれども、福祉の実態を見てまいりました。
 私の立場から見てやっぱり違うという感じがいたしましたのは、一人一人が本当に個人として尊厳を守られているといいましょうか、大事にされている。そして、やはりお世話をするんじゃなくて、その方々が本当に自分の残っている能力を生かしながら生きていらっしゃる、それが普通なんだというふうなことを実感いたしたわけです。それは別に予算がかかるわけでもなんでもないことで、日本でもぜひそういった形でこれからの高齢化社会に取り組んでいきたいなというふうに思っております。
 本当にきょうはありがとうございました。
#40
○栗原君子君 社会党の栗原でございます。二、三お伺いさせていただきたいと思います。
 一つは、医師の問題なんですけれども、日本では離島とか、それからとりわけ過疎の町にはお医者さんがいないということがたくさんあります。そしてまた、そういうところにはお年寄りの方も多いわけでございます。これが一つ。
 そして、その裏には、それじゃ都市にはお医者さんがたくさんいるかというと、確かにたくさんいるんです。大病院もたくさんあるんです。ですけれども、この東京都内で寝たきりの人を往診に来てくれといいましても、なかなかそういうことにはならないわけでございまして、連れてくれば診てやる、そういう状況でございますけれども、デンマークあたりではどういうことになっておりますでしょうか。
#41
○参考人(大熊由紀子君) デンマークの場合は家庭医という専門医がおりまして、これが大変高い地位にいるわけでございます。日本だと、何か年をとってしまったので、大病院ではメスが震えちゃってやばいというようなことで開業なさるというようなことがあったりするやに聞いておりますけれども、家庭医という仕事は大変誇り高い仕事であって、それは精神科の分野から小さな手術に至るまでする。もちろん、病院で修行した後に、ある訓練期間を経てそのような仕事につかれるわけでございます。
 というわけで、日本の場合は今開業医さんが一年間に〇・五歳ずつ高齢化をしておられまして、お呼びしても先生の方がよぼよぼしていらっしゃってお気の毒という、この状況を突破するためにはやはり家庭医といいますか、かかりつけ医という専門職を大事にする何か制度が必要なのではないかなというふうに思います。
 それから、お一人の開業医さんが往診するというとこれまた体力の問題がございますので、デンマークの場合ですと何人かのお医者さんがグループをつくっておりまして、そのグループの中で往診とか夜とか、そういうものを受け持つというふうになっております。
 私、スウェーデンよりデンマークの方がいいと思った理由を今までも幾つか申しました。お金が少なくて済むというのもその一つですけれども、家庭医がいるというのがスウェーデンよりもまた進んだ点で、エーデル・リフォルメンというスウェーデンの改革では、この点でもデンマークに今学ぼうとしておられます。
 それから、家庭医がいるために、そこでふるい分けされた患者さんが病院に行くということで、むだな病院の使い方もなくなるということだろうと思います。
 最初にお尋ねになりました離島の問題の方については、これは余りデンマークで参考になることは見てまいりませんでしたけれども、お年寄りの場合、しっかりした保健婦さんがそばにいるということが、まずはとても重要なのではないかと思います。
 そして、離島の場合でしたら、やはり運搬手段、本当に医療が必要な者の場合は、そこに何も持っていないお医者さんがいるよりは、手術なりができるところへ連れていってさしあげる手段が大事なように思います。
#42
○栗原君子君 それから、先生が介護に金を使うと国がつぶれるというのはデマであると、こうおっしゃってくださったんですが、私もそう思うんです。
 でも、多くの人たちの中には老人、お年寄りの介護の方にお金を使うことは、乱暴なことを言う人は枯れ木に水をやるようなものだと、こういうことを言う人もあったりいたします。そして、一方ではまたゴールドプランとか新ゴールドプランを実行するためにはお金がないから消費税の税率アップをやらなければいけない、こういう話にも徐々になっているような気がするわけでございます。
 そういう面と縮めまして、先生はどのようにお考えでございましょうか、財源の方はどうすればいいと考えておりますか。
#43
○参考人(大熊由紀子君) 世の中にはみんなで助け合って体の弱った人や助けが必要な人を支えるというのが根っから嫌いな方というのがどうもおられるようで、そういう方は自分だけはぼけない、自分だけは障害を持つ身にならない、自分の家には障害を持った子は生まれないという何か変な信念をお持ちです。
 一つのデマがなくなるとまた次のデマが出てくるというふうなことで、かつてスウェーデンは福祉が進んでいるので自殺が多いというデマがはびこりました。これは、七二年に私がスウェーデンに行くときに調べましたら、その時点でもう日本の老人の方が自殺率が高かったわけで、福祉が進むと自殺率が高いのならば日本は世界一の福祉国ということになってしまうわけです。日本の中では秋田のような三世代同居の多いところにお年寄りの自殺が多いわけでございまして、そうするとそういう非常に矛盾したことが起きてくるわけです。
 その方たちがまたいろいろなことを言うわけで、確かにスウェーデン、デンマークでは税金は高いわけですけれども、その中で介護に使っている量というのは全く微々たるものでございます。先ほど申し上げましたように、デンマークの場合で特養ホームや補助器具も入れてGNPの三%くらいでございます。何で五〇%を超えたり六〇%になったりするかといいますと、それは教育も医療も住宅もすべてのことにみんなのお金でやっていくというふうになっているので、だから貯金を全くしなくても暮らせるという構造になっている。その仕組みを知ってか知らずかそのようなデマを振りまいておられると思います。
 例えば、新ゴールドプランで上積みするお金はどのくらいかといいますと、建設省とか運輸省とかで使っているお金をちょっと削ってくればもうすぐに出てしまうようなお金ではないかというふうに思います。
 ただ、それらの省が既得権をがっちり握っている現状で新ゴールドプランが流れてしまうんだったら、消費税を少々上げるのも必要悪としてやむを得ないかなという間で私は気持ちが揺れ動いるというような状況でございます。
#44
○栗原君子君 次に、実はこういうことがあったんです。
 日本の男性なんですけれども、御自分は厚生年金があるからと、そしてこの年金は自分が死んだら半分は君に行くんだと、そう言いましてフィリピンの女性の人に自分の介護をさせてしまったわけです。自分だけはフィリピンに行って住んだわけです。そして、そこで介護をさせて本人は死んでしまったんです。それで奥さんがいるんです。だから女性の方は厚生年金の半分をやると言っていたんだから欲しいと奥さんに言っているんですが、奥さんは出さないと言いまして、無一文でとにかく介護だけはさせたということで裁判ざたになっている問題があるわけなんですね。
 先般、私の友人が彼女に会いに行くと言ってフィリピンに行ったときに、会ったと思うんですけれども、こういうことがありまして、これから日本で高齢化社会を支えていくのに、ヘルパーの数が足りないから他国の女性にそういう介護のことをやらせる、三Kの一つのそういう仕事をさせる、こういう状況が起きるんではなかろうかと思って、ちょっと私も感じたわけです。夫婦そろって海外に出ていって老後を過ごすんであればまだ話がわかりますけれども、そうでなくして、男一人だけが何もできない状況の中で行くということになるとそういうものがふえるんじゃなかろうか、こんなことを一つ感じました。
 それともう一つ、先生はこういった高齢化福祉の問題の御研究をずっとされておられるわけでございますが、今の状況でございましたら、先生はどういう老後を過ごしたいと思っていらっしゃるか、ちょっとイメージをお聞かせいただければと思うんです。有料老人ホームなのか在宅なのか、そういったことを。
#45
○参考人(大熊由紀子君) 外国人労働者にヘルパーをさせよう、または看護婦さんまでそうしようという非常に恐ろしいことを考える人たちがいまして、そういう世論が盛り上がったら大変だというふうに私は思っております。
 なぜかといいますと、お年を召されるほど文化というのがとっても重要でして、かつてノルウェーでヘルパーさんを外国人に頼んだんだそうですけれども、食べ物からお掃除の仕方とかいろいろなことが違っているのでお年寄りたちがもうノイローゼぎみになりまして、結局海外の人にやってもらうのはまずいということになったそうです。
 それから、フィンランドに行きましたときには、フィンランドにはフィンランド語を話す人とスウェーデン語を話す人と両方おります。そうしますと、向こうの特養ホームにはそれぞれの言葉が話せる人を用意しておりました。最近日本の特養で聞きましたところ、在日韓国人の方がお年を召しますと今度は日本語を忘れてしまうんだそうです。そこは幸い韓国からの留学生を受け入れていたので、その人に通訳をしてもらうんだというようなことを言っておりました。まず文化の問題で外国人に頼むというのは余りよくないだろうと思います。
 それから、最初に申しましたように、アメリカで失敗しておりますように、介護の仕事を三Kの仕事というふうに見ると結局低い介護しか受けられない。デンマークでも最初のうちはそれほど崇高ではなくて、とにかく専業主婦の人がたくさんいるからあの人たちにやってもらいましょうというところから出発したんですけれども、だんだんこの仕事の重要性に気がついてきました。普通の役場のソーシャルワーカーさんよりもヘルパーさんとしてお家の中に入っていらっしゃる方の方が、冷蔵庫の中身からアルバムの中に何があるかということまで知っている。そして、医学の勉強をしていないがために、人をこういう病気がある人というふうに見るんじゃなくて、こういう思い出のある人というふうに見る。別な専門職として大事だというので、今は一年間の教育をするようになりました。この人たちが看護婦さんを志すときには、その分研修が短くて済むというふうにしております。ヘルパーさんを大事な仕事として位置づけるべきだと思います。
 それから、私自身のことをおっしゃいましたけれども、私は幸いなことに娘が医者になっておりますので、家庭医は一人確保しております。それから自宅はバリアフリーにつくってございますし、住宅をどう改造するかというときの専門家の友だちがたくさんおります。それから、介護機器や福祉機器についても専門家の友だちがたくさんおります。あとは、世田谷区で二十四時間巡回型ヘルパーさんが充実すれば安心して年をとれます。私は何としてでもいろいろな思い出の本やら絵やらかかっている自分の家で過ごしていきたいというふうに思っております。
 ぼけてしまったときには先ほどの「寄り合い」のようなところで昼間はデイケアをやってもらって、それでも無理なようになったら、グループホームができたらそこで余生を送ろうかなとか思っているんですけれども、間に合いますかどうか。
#46
○釘宮磐君 今の質問の中に、将来自分がどういう老後を送っていたいかというようなイメージについての質問がありましたけれども、実は私はこの質問を昨年の暮れの予算委員会で細川総理にしました。そのとき細川さんは、できれば家族と一緒にいたいという御答弁をなさったわけでありますけれども、やはり私自身も将来の自分の問題として取り上げたときには、できれば家族と一緒にいたいなというふうに思うわけです。そうなれば、そのことについての環境整備なりそういうふうなものをやっていかなきゃならない、これがこれからの我々の課題なのかなということを思うわけであります。
 実は私、政治家になる前は障害者の施設の園長をやっておりまして、その当時、施設を建設するのに随分適地を探して歩いたんです。その際に随分反対運動に遭いまして、私はそのときに一軒一軒歩いて、そしてまた皆さんに集まっていただいていろんなお願いをしましたけれども、結局、障害を身近なところに見ていないものですから、なかなかその問題について自分の問題として取り上げられない。このことに対して大変な憤りを感じて、最後に、あなたの御家族にそういう方が誕生じないことをぜひお祈りしますということを言って、そこの地域からの撤退を余儀なくされたわけです。
 そういう意味では、私どもが今この高齢化問題をここで議論をしていくときに、この高齢化問題の今の現状とそしてこれからどうしていかなきゃならぬかということは、実はもっともっと国民、とりわけ若い世代にこれを十分認識していただくということが大事なんではないのかなというふうに私は思うんです。
 最近、年金の空洞化問題というのが大変な議論になってきておりますけれども、私先般、たまたま若い人の集まりに出ていって、そこで国民年金に入っているかどうかというのを聞いたら、ほとんど入っていないんですね。そのときに言われたことは、何で我々が年寄りのためにそんなもらえるかもらえないのかもわからぬような年金を掛けなきゃならぬのかというようなことを、何の罪の意識もないというか、おくびも出さずにそれも言えるというこの現実を見たときに、大熊先生としてこういった問題についてどういうふうな対応なり御助言があるのか、ちょっとお聞かせいただければと思います。
#47
○参考人(大熊由紀子君) 大変難しい問題でございます。
 最初の方でおっしゃったことから申しますと、細川さんがそうだったそうですけれども、私もあるシンポジウムで老後をどういうふうにお過ごしになるかということを伺ったことがあります。そのとき、皆様も御存じの有名な労働組合のお偉方は、そういううっとうしいことは私考えないことにしておりますというふうにおっしゃいました。それから、その手前におられた経済界の大物は、家内が丈夫でございますから大丈夫と、それで奥様がお倒れになったらと言ったら、息子の嫁が優しゅうございましてというふうにおっしゃったというぐあいです。そのとき以来、私は自然科学の力を勉強して、男女平等とかそういうのは別な人がやることだと思っていたんですけれども、これはやはり男の人に任せておくとだめじゃないかと思って頑張っているわけでございますので、先生のような方が味方になってくれればとてもありがたいと思います。家族といたい、これはとても大事なことなんですけれども、ある厚生省の局長さんが、介護といつのはデコレーションケーキのようなもので、スポンジケーキのところは公的にがっちりといたします、それだけではちょっと寂しいのでボランアィアというクリームで飾りつけをして、そしてお誕生日おめでとうと書くのは家族でございますというふうにおっしゃったので、大分これ厚生省も進歩をなさったなというふうに思ったのです。
 それで、そのスポンジケーキのところがなくて、スポンジケーキに当たるところまで家族がやろうというふうにすると、もうお誕生日おめでとうと書く余裕がなくなっちゃいます。家族に頼ることが結局家族の愛をだめにしてしまうことであろうと思います。
 デンマークやスウェーデンに行きますと、週末は大抵三世代で一緒に御飯を食べておりまして、それがとてもいい風景で、別れを惜しむところなんというのはこっちが涙の出るような光景がございますのですので、介護を社会化するということがかえって家族のきずなを高めるということになると思います。
 それから障害者の施設、これは知的障害者ですか。
#48
○釘宮磐君 そうです。精神薄弱。
#49
○参考人(大熊由紀子君) 私、先ほど申し上げた「「寝たきり老人」のいる国いない国」という本は、最初書いております間は「真の豊かさへの挑戦」という題で書いておりました。それは、障害を持った人のことを大事にする社会をつくろうという本を書いていたのですけれども、それだとみんな人ごととしか思ってくれないので、老人という表紙をつけると人は読み始めてくれるのではないかというので、タイトルを変えました。老人のところから読んでいくといつの間にか知的な障害を持った人を大事にする、そういうゆったりした流れのある世の中だったら痴呆になっても大丈夫だとか、身体障害の人が町の中にどんどん出てくるような、そういう駅や町づくりになっていれば年をとって車いすになっても大丈夫だというふうに思ってもらおうという魂胆だったわけでございます。
 ですので、一つは老人の方から攻めていくこともそうですけれども、若者たちを変えていく一つはやはり統合教育が大事だというふうに思います。障害のあるお子さんを尼崎で市立の高校が筋ジストロフィーで車いすに乗っているというだけで入学をはねつけるという、ああいう非教育的なことをやっている限り、その子供たちが友達として障害を持っている人たちと接するということがないのではないかなというふうに思います。
 今どうも幾つかの省庁の中で、これはみんなの一致した意見なんですけれども、文部省が一番どうも高齢化問題や障害の問題にかたくなでおくれているというふうな言われ方をしております。今回特定建築物についてバリアフリーにするという法律ができたわけですけれども、この特定建築物という、みんなが使う建物の中には学校は入れないんだそうです。学校は特定の人しか行かないからだという、そういうばかなことを言っているということでございますので、まず学校という場がさまざまな障害を持っている人たちと触れ合う場であるという、もちろん知的な障害を持った子供さんがすべての授業を一緒に聞くとお客様という身分になってしまいますから、教科によっては別な専門家に指導を受けることも大事でしょうけれども、絵をかくとかそういうところではすばらしい才能を発揮してくれると思います。
 それから、これは大変難しいことですけれども、デンマークやスウェーデンでは成績表というのが小学校と中学校の低学年にはないわけで、とにかく人をけ落として上へ上がろうという、そういう考え方がどうも身にっかないらしいということもございますのでも、これを変えていくのは相当に難しいことではないかと思います。
#50
○釘宮磐君 きょうはデンマーク、スウェーデンの話がよく出ますが、私はやはりこの国の生い立ちというものが今の制度をつくっていると思うんです。
 ですから、私もスウェーデンやデンマークに行きましたときに、これだけの高い税金を払って国民の皆さんよく文句言いませんねという話をしましたら、いや、これは我々が決めたのであって、政治家やいわゆる官僚が決めたのではないんだというお話が大変印象的だったんですね。そしてまた、困った人を助けるのは当然のことであるというような話もされておりましたけれども、この辺がこれから我々が制度をつくっても、その制度を運用していくのは国民ですから、その国民の意識啓発というのが私は非常に大事なのではないのかな、そんなことを思うわけであります。
 時間が来ましたので、ちょっと一つだけこれは先生にお聞きしたいなと思ったことなんですけれども、先生のこの「「寝たきり老人」のいる国いない国」の中で、「法律破りをどうぞ」という制度というのがありました。このことは非常に、私自身が過去に現場を預かっていましたから、やはり日本の福祉制度というのは、特に施設経営をやっている措置費等についてはいろんな制約があって、効率的に使えればもっともっと効果が上がるのになと思うようなことというのは大変あるんですね。
 具体的な例で言えば、最近在宅介護支援センターができて、これからいろんな在宅サービスのメニューをここで統合化していくということになるわけですけれども、これはすべて補助金でやられているんですね。在宅介護支援センターは一方では特養あたりにも併設されている。特養は措置費で運用されている。その職員は同じ敷地の中で同じ建物の中でやっているのに、一方は補助金の職員、一方は措置費だということで、相互乗り入れができない。こんなばかげた話が今現実の問題として現場ではたくさんあるわけですね。
 こういうふうな問題を、今福祉の質を落とさずに費用を節約する案を募集するというデンマークのこういうふうなことは非常に、私どもとしてはそれを現場あたりで実際にやられている方からどんどん募集していけば、例えば同じコストでより効果の上がることができるんじゃないかなと思うんですけれども、その辺についてちょっと一言。
#51
○参考人(大熊由紀子君) おっしゃるとおりだと思います。今パイロット自治体という制度もございますけれども、あれをもっともっとフレキシブルな包括的なものにしていく必要があるのではないかなというふうに思います。
 ただ、措置費の今の体系には余りにも問題があり過ぎるのですけれども、その問題があるから措置費をやめようよということにふっと乗っちゃいますと、例えば精神医療の場合に措置費をなくして、結局のところ精神医療にかけるお金をうんと減らしちゃうという大義名分に……
#52
○釘宮磐君 いや、措置費をなくすんじゃなくて。
#53
○参考人(大熊由紀子君) はい、わかりました。
 そのようなことじゃないような意味で、先生がおっしゃっている本来の意味でいろんな実験をやってみて、その実験をやっている最中は終戦直後につくった古い法律に触れたって構わないというようなやり方を何かこちらの調査会で御提言をいただけるとありがたいと思います。
#54
○中川嘉美君 大熊参考人には先ほどから大変御苦労さまでございます。やはり、限られた時間でございますので、できるだけ絞ってお伺いをしたいと思います。
 昨年の暮れだったと思いますけれども、朝日新聞の社説で、公正取引委員会が五つの有料老人ホームに対して不当表示の警告をしたが、これは業界全体の問題である、こういうふうに厳しく指摘をしておられます。この九月に総務庁の行政監察局が有料老人ホームの行政に対する調査結果と、そしてまた厚生省への勧告を発表したわけですけれども、総務庁が調査した業界の九割の有料老人ホームに問題ありという結果が出ております。まさしく大熊参考人が社説に書かれたとおりで、そういった先見性に感服をした次第であります。
 また、ことしに入って幾つかの消費者団体が独自に調査した結果を発表しておりますが、これもまた、例えばホームに見学に行って要求しても契約書を見せないとか、あるいは介護サービスの中身を正しく説明しないとか、いわゆる消費者の利益が守られていない、まことにひどいものであるわけです。
 こういったことに関連しまして二、三伺います。
 まず、東京都が有料老人ホームの表示を義務化するということになったわけです。この件に関しては私は極めて正しい消費者行政だというように考えておりますが、こういったことがなぜ厚生省にはできないのか。やはり地方分権の重要性にもつながることですけれども、この福祉が現場に近い地方自治体でなければだめなのかどうか。また、社説の中で、有料老人ホームの事業者に対する指導あるいはまた入居者の保護を経営者団体に任せるのは常識外れであり、老人福祉法に問題がある、このように指摘をされております。この辺についてのお考えを改めてお聞かせいただければと思います。
#55
○参考人(大熊由紀子君) 有料老人ホーム協会という業界団体がホームの質について太鼓判を押したりなんかするというようなことは、原子力の分野で言いますれば原子力発電所の規制を電気事業連合会がやるとか、または薬の効き目や安全性を製薬会社の業界団体がやるのと似たようなことで、非常に私はおかしいことだと思っております。
 ただ、老人福祉法が改正されたときにそれが入ったということにその当時の私は余りきちんと気がついておりませんで、直ちにそれをとめることまで能力がなかったので、できちゃってからこのように指摘しているわけでございます。
 東京都のやられていることは大変立派なんですけれども、それは東京都が偉いというより、あれは消費者行政の担当課がやっているわけでございまして、もしも有料老人ホームととてもつながりの強いそれを育成するような課だったらああいうことはしないか、何かなれ合いになったと思います。縦割り行政がこの場合は非常にうまく機能した例なのではないかなというふうに思います。
 厚生省の中の例えは業務局が天下りをやったりなんかして製薬会社ととても深い縁があるということはもう既に知られておりますけれども、幾つかの課が、国民、消費者の側というより業界の人と会合もたびたびあるし、情が移るのでしょうか、とてもつながりが深い。ですから、例えばこれらの一連の有料老人ホームの不祥事について懇談会がつくられましたけれども、そこに滝上さんなぞは呼ばれて行かなくて、多分私はこの分野では滝上さんはもう有数の専門家であろうと思いますけれども、そうではなくて、有料老人ホームの顧問を務められている方が大学の先生という肩書で入っている。それから有料老人ホームに親御さんを預けて人質にとられているような方がやっぱりたまたま大学の教授でいらっしゃるので、その大学教授の肩書でお入りになるとか、それから去年の公取の警告を受けた有料老人ホームの経営者の方がそのただすためのメンバーに入っていらっしゃるとか、そういう非常に不思議なことが行われているというふうに私は思っております。
#56
○中川嘉美君 伺っておりますといろいろ問題をはらんだ内容が多分に感ぜられるわけでございますが、きょうは参考人に対する質疑でございますので。
 次にちょっとお伺いしたい点、やはり社説なんですが、お書きになった社説の中で、有料老人ホームの入居者が特別養護老人ホームに移される、このように指摘されておりまして、九月三十日の朝日新聞でも「問題多い「民活福祉」」という大きな見出しの記事で、厚生省自身が寝たきりになった入居者を福祉施設に移すことを認めていたと、このように書かれております。
 行政が決定すべき措置を民間業者がなぜできるのか、なぜ公的福祉が私物化されてしまうのか、これらに関する参考人のお考えも伺っておきたいと思います。
#57
○参考人(大熊由紀子君) 有料老人ホームの業界というのは、今でこそいろんな方が参入しておられますけれども、初期のころには特養ホームを経営なさっている方が有料老人ホームというのも副業的におやりになっておりました。そういうところはその印とか市の福祉の有力な発言者になっておりまして、その措置を決めたりなんかする力を持って、顔の半分は有料老人ホームの経営者でもう片方の顔は特養ホームの経営者。しかも町の顔役、有力者で、そして有力者の御家族なんかを入れてあげたりなんかして恩も売っているというような形の中で大変大きな権限を持ちまして、自分のところの有料老人ホームで出てきた要介護のお年寄りを特養ホームに入れるという私物化が行われております。特養ホームというのは本来税金のお金が入っておりますから、だれをその特養ホームにお入れするかというのは公平公正に行われなければいけないんですけれども、それが行われていないという実態が現実にございます。
 社説をそんなによく読んでいただいて本当にありがとうございます。
#58
○中川嘉美君 最後にもう一点だけ伺います。
 大熊参考人はぼけ老人であるとかあるいは参考人の言われる寝かせきり老人だけをお審とする有料ナーシングが特に問題であるというような指摘をされておりますけれども、またある有料ナーシングと裁判になっているということも聞いておりますが、その辺に関するできれば御説明をいただければと思います。
#59
○参考人(大熊由紀子君) 後半の方から御説明しますと、今御指摘のは先ほどちょっとスライドでもお見せいたしました「素晴らしき有料老人ホームの裏と表」という、あの会社から朝日新聞が訴えられたということがございます。営業妨害なんだそうでございますけれども、それがNHKなどではっと放送されましたので、訴えられたということで大層有名になりました。
 でも、ことしの初めにあの有料老人ホームはこっそりと訴訟を取り下げました。なぜかといいますと、当方にはいろいろな証拠がたくさんございまして、写真も何枚もありますし、テープも幾つもとっておりますので、裁判を進めているうちに、これはかえって裁判で争うと裁判という公開の場でいろんなことが明るみに出てしまって困ったことになるというふうにどうも先方は思ったようでございまして、裁判はもう先方が取り下げでございます。
 それから、要介護のお年寄りだけをお客とする有料ナーシングというのは非常に危ない、原子炉にたとえればチェルノブイリ型の正の反応度を持った原子炉みたいなものだというふうに私は思っております。といいますのは、健康な方がお入りになって、そしてだんだんその中である割合で要介護の方が出てくる。例えばグリーン東京のようなところですと、自分のあすの運命の人がどういうお世話をされているかというのを健康な人が心配ですからじっとこう見ているわけです。わざわざ査察に行かなくてもその人たちがボランティアで監査しているようなことでございますから、比較的質が保たれやすいんですけれども、要介護の人だけ集めちゃうと、もうその人たちはスライドでお見せしたように、縛られようがどうしようがあそこを逃げ出すことができないわけです。しかも、御家族が本当はそこで救い出さなければいけないのですけれども、前に出てきました真愛病院でも助けに来た家族は四家族しかおりませんでした。聖マリア・ナーシングヴィラでも名前が出ているにもかかわらず、ほんの数家族しか助けに来なかったわけです。
 というのは、今の貧しい日本の福祉の現状では、要介護のお年寄りの家にいたいという気持ちと、その人を家に置いておいたら家族が共倒れになっちゃうという家族の側の利害が反してしまっているものですから、家族はへとへとになっちゃう。まして介護型有料老人ホームなどは前払いで、ぼんとおじいちゃまなりおばあちゃまなりの財産を聖マリアに納めちゃっていますと、もうそれは戻ってこないわ、要介護のおじいちゃまだけ戻ってくると大変だということになっちゃうわけで、介護専用ナーシングというものは原理的に存在することが危険をはらんでいる。これは暴走する原子炉と同じようなものだというふうに私は思っております。
#60
○中川嘉美君 ありがとうございました。
#61
○吉岡吉典君 質問というより感想を含めてちょっと結論的に御意見をお伺いしたいと思います。
 私、滝上参考人には日本の高齢社会対策が非常におくれているという点を言いましたけれども、ここでずっといろいろ参考人の人が次々に来て話を聞いていると、日本の中でも非常にすぐれたいろいろな経験があるということもさんざん教えられました。中には外国から見学に来るようなすぐれた経験もあるということを聞きまして、私は非常にそういう意味ではこれからの高齢社会対策に対して将来の望みも強く持っているわけです。ですから、きょうお話をお伺いしながら、スライドを見ながら、いろいろなおくれと同時にすぐれた経験も頭に描きながら見せていただき、また話も聞かせていただきました。
 私は、そういう参考人のすぐれた経験を聞いたときに、質問の中で、そういう経験を日本じゅうに広めるようないろいろな国の援助とか措置というふうなものはありませんかと言ったら、いやそんなものは全然ないということで、これはそうだとすると、まず大熊参考人にマスコミで大いに健筆を振るってそういうのを広めていただくというお願いもしなくちゃならないと思いますけれども、同時に私は、ここでそういうのを広める上での障害もいろいろまたあるんだなという感じがしました。
 それは例えば、市町村のゴールドプランをつくっている人からここで聞いたことがありますけれども、上から抑えられる、そこまでは行き過ぎたという事例があったという報告もあって、そうすると、市町村でつくられているゴールドプランというのは本当に市町村が思うままつくったものか、どこまで上から規制されたものかという点も疑問を持たざるを得ない問題もありました。
 それから、東京都が高齢者の介護手当を出していると、これについて厚生省からは、厚生省としてはそういうことに反対だと意見が述べられたことがありました。というのについて、私はそれはまたおかしいじゃないかという論議をここでやったこともあるんです。私はそういう点で例えば東京都の介護手当が非常に理想的なものだとかどうとかいうことじゃありませんけれども、やはりほっておけないところへ最低でも何らかの手を尽くそうというのに、厚生省から反対だという声が出るというのはまことに解せない話だなと思いながらそういうのも聞きました。
 そういう点で、私はおくれを早急に解決しなくちゃならない。その際、やはり外国から見学に来るほどすぐれた経験があるということは非常に大事なことだと思っているわけで、そういうものを全体に広める上で一体何が欠けているのか。どういうことが必要なのか、あるいはそれは厚生省の石頭なのか、どういうことなのか。参考人はどういうことをそういう点でお感じになりながら仕事をなさっているかという点だけ、ちょっとお伺いしておきます。
#62
○参考人(大熊由紀子君) おっしゃるとおりでございまして、先ほどここにお見せしました生野喜楽苑のもとになる喜楽死のことは、実は私スウェーデンに行きましたときに、由紀子は何かスウェーデンによく来るけれども、尼崎というところの喜楽苑を私は見て感動したという話を聞いて、じゃ行ってみようと思ったのがきっかけでございます。
 ただし、それができているのはもう使命感と、とにかくお年寄りの人権が原点であると。それから、施設の運営を上からというんじゃなくてみんなで話し合いながらやっていくんだという、ある種の戦争直後の民主主義の感動がそのまままだ生きているというようなところだったわけです。ただ多くの特養ホームは、何か親御さんがたまたまお金持ちだったので、名誉のために特養をつくりましたので息子さんに譲りましたというところでは、そういう精神だけではなかなか浸透していかないということがあります。
 それから、使命感でやっている方たちはかなり安いお給料で、さっきの喜楽死などの施設長さんは月々二十万円ぐらいのお給料で、もうお洋服はどこへ行くにも礼服は一つしかないみたいなことでしているわけです。そういう本当にモデルになるようなところから、どのくらいのお金でどれだけの人手でやれば外国からも褒められるようなことがちゃんとできるのかということを十分にお聞き取りくださって、それをもとに行政への提言をしていただきたいというふうに思います。
 それから、さっき杉のおふろに入っていた「寄り合い」も、私はスウェーデンのバルツァーゴーデンとか幾つかのグループホームを見ましたけれども、それと並べて決しておくれていなくて、むしろ進んでいると思います。幸いあそこの場合は熊本市が少し関心を持って、デイセンターE型ということで今度二千万円のお金が出るということになったそうですけれども、余り要らないような規制がいういろありまして、こういう条件をそろえなければいけないという。本質的じゃない基準というのも一遍洗い直してみるべきだと思います。
 それから、いろんな非常にいいことをやっている人たちは財産がないことが多いので、法人にして税金やなんかで免除を受けるということができないのですけれども、この点ではノンプロフィットオーガニゼーションの法律というのが日本以外の国にはありまして、本当に大勢の人に役に立つことを非営利でやっている団体であれば、基本財産があるなしにかかわらず税法上の特典を設けるというような法律を持っている国が幾つかございますので、そういういい試みをしているところを後押しするような法律もぜひ御提言をいただきたいというふうに思います。
#63
○下村泰君 二院クラブの下村です。
 大熊さんにはこの席をかりてお礼を申し上げます。先般、仙台のありのまま舎の方に行っていただいて、福祉講座を持っていただいてまことにどうもありがとうございました。みんな大変喜んでおりました。山田富也からもよろしくという伝言でございます。
 以前、私この調査会でも取り上げさせていただいたんですけれども、デンマークのオーフス方式、これに大変私は強い関心を持っておるんです。これを取り上げるときに、朝日新聞の論説委員の大熊さんというからよっぽど怖い方かと思ったんですが、見ると聞くとはえらい違いで、まるでお人形さんみたいな感じで、心安らかになりましたけれども。大熊さんがわざわざヨーロッパの筋ジストロフィー協会の会長の方を日本に御招待した。いろいろと話題を投げて、これは大変な成果があったと私は思います。その上、お書きになりました著書もいただきましてありがとうございました。
 このオーフス方式に関連して伺いたいことがあるんでございますけれども、私は当選以来ずっと難病の方あるいは障害を持った方々の問題のみを取り上げて今日まで来たんですけれども、もう先ほどからこの調査会でも言われておりますように、これからは未曾有の高齢社会になると。私はおかしな神経の持ち主で、何しろ芸能界の出身で、しかも芸能界の寄席の方の出身でございますから物事を変に変に考えていくんです。
 例えば、これから高齢化社会になった場合に、若い人は少なくなって四人に一人が六十五歳以上ということになる。そうなると強い老人と弱い老人が出てくるようになる。強い老人はすべて世の中のものをうまく甘受するだろうけれども、弱い老人はますます捨ておかれていくんではないか。これへたこくと老人の戦国時代みたいなことになる。そんなふうになってからでは手おくれ。しかも、先ほどからこの調査会でも言われているとおり、若い人たちが老人に対する関心がない。そんなような世の中になって年寄りばかりふえたら、本当に強い力を持った者と弱い者との差が歴然と出てくるんじゃないかと心配をするんです。そうしますと、そういうふうになる前に難病の方々とかあるいは障害を持った方々が社会的ハンディを受けずに暮らせる社会づくりが必要だという、こういう気持ちがますます強くなるわけなんです。
 そこで、ひとつそういうことを御理解いただいて、二つだけ聞かせていただきます。
 まず一つは、二十四時間介護の実現をするために具体的にどういう方法が日本では考えられるのか。いま一つは、これは大熊さんの知る範囲で結構でございますけれども、外国における難病の方、殊にまた最近は超重度という言葉も出てきています。いわゆる医療的ケアが不可欠の障害を持った方々への施策と比べて日本の対応をどう思われるのか、日本はどう対応していけばいいのか。この二つをお聞かせくださいませ。
#64
○参考人(大熊由紀子君) 二十四時間対応というのには二通りありまして、さっきのクローさんとか人工呼吸器をつけている人のように、本当に二十四時間そばにいて呼ばれたらすぐ行くという形で対応しなければいけない場合と、それから体が御不自由になったお年寄りのように、先ほどのスライドの一番最後に、日本でやっております非営利のコムスンという会社がやっているように、その方がトイレに行く時間は大体決まっていますので見計らってその時間に行って、こんなところで何ですけれども、例えばなかなかおしっこが出ないと、こういう音をさせますとちょろちょろちょろっと出て、それをして帰ってくるという、一日に何回か、寝返りとかおしっこのときだけぱっぱっぱっと二、三十分ずつ行くという方法と二つあります。数からいえば、巡回して二、三十分ずっというので済む方が大多数。だけれども、それのほかにもう人工呼吸器やなんかを使っていて片時も離れないという少数の方があって、その両方に対応する必要があると思います。
 特に、二十四時間対応するためには、そんなにべったり人がいるわけですから全然好みや趣味の合わない人がそばにいられたらかなわないということで、やはりオーフス方式のような自分で広告を出して雇う。ただし、人工呼吸器が必要な身になったのはその人が非常に不摂生をしたわけでも何でもなく、心がけが悪いわけじゃなくて、ある運命のくじを引いちゃったということですから、それはみんなのお金で出しましょうという方式をとっていくことが重要だと思います。
 また、その方式がいいという証拠に、デンマークのオーフスという市で始まったオーフス方式がスウェーデンではSTILというものになっておりますし、フィンランドではキョンキョラさんという国会議員が人工呼吸器をつけていまして、その人が法律で義務づけたとか、アメリカの幾つかの州で取り上げられるというふうに広まっているというのは、多分このやり方のよさを示しているんだと思います。
 日本の場合ですと、立川とかあちらの方のところでCP等介護人派遣事業とかいろんな名目で東京都とか市から介護のお金を出してもらって、それで自分の選んだヘルパーさんが面倒を見るというのが始まっておりますのでも、この件については、物すごく地方格差が強くって、もう全くそんな制度を東京都がやるから面倒なんだとかいうふうに怒っている市町村がいたりなんかいたしますので、皆様のお力で東京の三多摩の幾つかの市でやっていることが全国的に行えるような法律の基盤をつくっていただきたいと思います。
 今、縦割り行政で老人の介護と障害を持っている方の介護と難病の方の介護というのがなんか切り離されてばらばらに進められているようですけれども、何でも一番難しい問題を解いてしまえば易しい問題はすらすら解けるわけですので、難病の方や四肢麻痺で全くすべてのことを人にしてもらわなきゃならない方たちで、頭がしっかりしていていろいろニーズを言えるような方たちの介護をしっかりとつくって、その方たちもいずれかできる介護保険の範疇に含めるというような方向で御提言をお進めいただけるとありがたいなというふうに思います。
#65
○会長(鈴木省吾君) 以上で大熊参考人に対する質疑は終了いたしました。
 大熊参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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