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1994/11/18 第131回国会 参議院 参議院会議録情報 第131回国会 国民生活に関する調査会 第5号
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1994/11/18 第131回国会 参議院

参議院会議録情報 第131回国会 国民生活に関する調査会 第5号

#1
第131回国会 国民生活に関する調査会 第5号
平成六年十一月十八日(金曜日)
   午後一時一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十一月十七日
    辞任         補欠選任
     吉岡 吉典君     西山登紀子君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    会 長         鈴木 省吾君
    理 事
                清水嘉与子君
                竹山  裕君
                直嶋 正行君
                中川 嘉美君
    委 員
                石井 道子君
                岩崎 純三君
                遠藤  要君
                太田 豊秋君
                加藤 紀文君
                服部三男雄君
                溝手 顕正君
                青木 薪次君
                菅野  壽君
               日下部禧代子君
                栗原 君子君
                堀  利和君
                釘宮  磐君
                武田 節子君
                西山登紀子君
                下村  泰君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        林 五津夫君
   参考人
       上智大学法学部
       教授       堀  勝洋君
       聖学院大学政治
       経済学部教授   城戸 喜子君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国民生活に関する調査
 (本格的高齢社会への対応に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 昨十七日、吉岡吉典君が委員を辞任され、その補欠として西山登紀子君が選任されました。
#3
○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、上智大学法学部教授堀勝洋君及び聖学院大学政治経済学部教授城戸喜子君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
 この際、堀参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず、参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めさせていただきたいと思います。
 それでは、堀参考人どうぞよろしくお願いいたします。
#4
○参考人(堀勝洋君) ただいま御紹介いただきました上智大学法学部の堀でございます。よろしくお願いいたします。
 それでは、座って説明させていただきます。
 私が意見を述べよというふうに言われましたのは、社会保障の理念と法的な諸問題ということでございます。時間が限られておりますので、その問題について、レジュメにありますように一応三点に絞ってございます。
 一つは、社会保障の理念ということでございます。それから二つ目は、レジュメの二ページにありますように社会保障に係る基本法制のあり方でございます。それから三点目は、三ページにありますように社会福祉法の権利にかかわる諸問題ということでございます。
 早速御説明したいと思います。
 最初に、社会保障の理念ということでございます。
 ここのレジュメにありますように、我々が生活を送る上でさまざまな困難、生活上の困難に直面することがあるわけでございます。病気とかけがとか障害、死亡あるいは失業、そういったときに国家が国民に対して生活の保障をするというものが社会保障であるというふうに私は理解しております。
 かつては、社会保障というのは貧困の救済とかあるいは貧困の予防というところにその目的があるというふうに言われておりましたけれども、今日では、健やかで安定した生活を保障するということが社会保障の目的ではないかというふうに言われております。これが直接的な社会保障の目的だというふうに考えておりますけれども、これは国民の福祉の向上という、より高次の目的を達成するための手段でもあるというふうに考えております。
 国民の福祉の向上というのは、単に社会保障によって達成されるだけではなくて、公共事業だとか教育だとかあるいは公害の防止、そういったふうな施策によっても達成されるという意味で、国民の福祉の向上という目的を達成するために健やかで安定した生活を国民に保障する、それが社会保障である、こういうふうにとらえております。そういった国民の福祉の向上は、国民によって国政を負託された国家、これは私は国と地方公共団体というふうに考えておりますけれども、国家によって行われるというふうにとらえることができるのではないかと思います。
 それから、レジュメの1のAのところでございますが、このように国家が国民の生活保障のため。に社会保障の給付を行うといっても、その財源は国民が拠出しました租税とか保険料でございますので、結局、社会保障というのは国民の共同連帯によって国民の生活を保障するものであるというふうに言うことができるのではないかというふうに思います。この社会連帯の考え方が社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
 それから、レジュメの(3)でございますが、社会保障はこのように社会連帯ということを基礎とするわけですけれども、それともう一つ、人間に値する最低限度の生活を保障することによって人間の尊厳を守るという目的も有しているのではないかというふうに思います。
 この人間に値する最低限度の生活というのは、我が国の憲法上、二十五条の一項に、健康で文化的な最低限度の生活というものを保障するという規定があります。したがって、憲法に規定された基本的人権としての人間的最低生活権もその社会保障を支える原理の一つであるということが言えるのではないかと思います。
 ちなみに、憲法二十五条一項は一般的には生存権というふうに言われておりますが、生存権というのはその言葉からして生きるか死ぬかというぎりぎりの生活水準というふうなニュアンスでとらえられる。ところが憲法二十五条一項が規定しているのは、健康で文化的な最低限度の生活。これは、ぎりぎりの生活水準ではなくて、それより高い水準ではないかということで、私はこれを、人間的最低生活権、こういうふうに呼んでおります。こういうふうに、人間的最低生活権も社会保障を支える原理の一つであるというふうに考えております。
 ただし、憲法二十五条一項はこのように最低限度の生活を保障するということですけれども、現在の社会保障はこういった最低限度の生活水準を超える給付も行うことがあるわけです。例えば、ことしの年金改正で、厚生年金の標準年金は夫婦二人で月額二十三万円というふうになっております。ところが、生活保護の水準は老夫婦二人で十五・五万円ほどですから、最低限度の生活を上回る給付も行っているということです。これは憲法二十五条の二項が、こういった最低限度の生活を上回る生活水準、私は生活向上権と言っていますけれども、これを規定しておる、そこから来ているというふうに考えられるわけです。
 それから、レジュメの(4)ですが、以上述べましたように、国民の生活を保障する上で社会保障の果たす役割は大きいわけですが、国家がすべて国民の生活を維持するというのではなくて、みずからの生活の維持向上はみずからの努力によって行うべきであるという、生活自己責任あるいは自助の原理も依然として重要であるということを認識する必要があるのではないかというふうに思います。また、家族による扶養とか地域社会における助け合い、あるいは民間の福祉事業、企業福祉といったものも国民の生活保障に一定の役割を果たしておるということで、こういった自助、互助及び公助が相まって国民の生活が保たれると言うことができるのではないか。
 こういった自助、互助、公助の役割分担であるとか、あるいはその連携のあり方については、国民の意識とかあるいは財政事情その他の社会経済の状況によって異なってくるということになりますけれども、これらを総合的に勘案して社会保障制度を構築していくのが立法府及び行政府の役割ではないかというふうに思っております。
 レジュメの(5)ですけれども、こういった社会保障の基本的な考え方に立って社会保障の政策が推進される必要があるというふうに考えるわけですけれども、その推進に当たっては、昨年二月、社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告が立てた五原則というものがありますけれども、こういったものが参考にされる必要があるんではないかというふうに思います。その五原則というのは、レジュメに書いてありますように、国民があまねく社会保障の給付を受けられる普遍性、それから公平性、有効性、総合性、権利性。このほかには、例えば自立とか参加とか、そういった原則をもこういった社会保障政策の推進に当たって考慮される必要があるんではないかというふうに思います。
 なお、お手元に第一次報告の写しが配付されていると思いますけれども、ここには社会保障の理念あるいは公私の役割あるいは原則等について詳しく検討してございますので、参考にしていただければというふうに思います。
 以上が社会保障の基本的理念でございます。
 次に、社会保障に係る法的諸問題というところに移りたいと思います。
 社会保障の法的諸問題ということでございますが、社会保障の具体的な制度、政策についても、これは基本的に法律に規定するということで、あらゆることが法的諸問題ということになるわけですけれども、ここで法的諸問題と私が取り上げましたのは、レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方の問題と、それからレジュメの三番目の社会福祉法の権利義務に関する問題でございます。この二点については、従来余り政策論あるいは制度論として論じられていない、しかも法律的に極めて重要な問題を含むものである、そういう認識から取り上げたということでございます。
 レジュメの二番目の社会保障に係る基本法制のあり方でございますけれども、これについても三つに分けて論じたいというふうに思います。
 一つは、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。それから二点目は社会保障法の法典化に係る問題、それから三点目は保健、福祉等の計画法制定に係る問題、この三つに分けて報告したいというふうに思います。
 まず最初に、社会保障基本法の制定に係る問題ということでございます。
 この調査会は高齢者に関する調査会ということでございますが、社会保障の基本法ということだけではなくて高齢者に対する基本法ということも考えられるということですけれども、以下で述べることは、高齢者に関する基本法制についてもほぼ同じようなことが言えるんではないかというふうに思っております。
 我が国に基本法としてどのようなものがあるかということでございますが、そこには障害者基本法とか環境基本法というのを掲げてありますが、それ以外にも教育基本法とか原子力基本法とか、私の調べたところでは全体として十二の基本法があるというふうに理解しております。
 障害者基本法とか環境基本法の例を見てみますと、どういったことが規定されているかというと、レジュメにありますように、目的とか基本理念とか、それから国とか地方公共団体の責務あるいは国民の責務とか関係事業者の責務というようなこと、それから、いろいろな計画を立てる、年次報告をする、それから具体的な各種施策の目標とか、あるいはその関係する審議会について規定するということが基本的なパターンではないかというふうに思います。
 どういう基本法を制定するかについてはいろんな考え方があると思いますけれども、その基本理念を明らかにするというような方法、あるいは国が国民に対して一定の施策を約束するという形のもの、あるいは国民に対する呼びかけといったような基本法、いろんな形の基本法があり得るんではないかというふうに思っております。
 それでは、社会保障あるいは高齢者に関する基本法制をつくる場合にどういった点を考慮していく必要があるのかという点で、メリットとデメリットに分けてそこに書いてございます。
 基本法を制定する意義でございますが、基本的には、基本法を制定するに当たって社会保障の理念等について議論をするということになりますけれども、その議論をすること自体が意義があるのかということになると思います。
 それ以外について、レジュメの@ですけれども、基本理念とか、基本原則、政策目標を明確にする、そういった明確にされた基本理念等に従って具体的な施策を行うことができる、そういうメリットもある。それからAですが、社会保障についての国民の理解が深まるようになるんではないかと思います。それからBでございますが、関係各省庁による施策の総合的、計画的推進ということです。これは、基本法では、ある程度基本的な目標、基本原則というものを立てることによって各省庁の施策が調整がとれるということが期待されるわけですが、必ずしもそれが期待どおりにならないという可能性もあるということに注意する必要があります。
 次に、制定するとした場合の問題点、デメリットということになると思いますが、一つは、@に書いてありますように、制定することにどういうふうな意義があるのか、あるいはその実効性があるのかという問題があります。
 一般的に、基本法から具体的な権利義務が生ずるということは、もちろんその規定の仕方によると思いますけれども、ないということですね。しかも、基本法というのは個別の法と同じく法律という形ですから、基本法も個別の法も同じ効力を持つ。しかも、法律の一般原則として前法は後法を拘束しない、前に通った法律というのは後に通った法律を拘束しない、そういう原則があるわけですけれども、果たしてこういう基本法をつくっても実効性があるのかどうかということが問題になるんではないかというふうに思います。
 それからAですけれども、社会保障の定義とか範囲というのは非常に不明確でありまして、基本法を制定する場合にはそういったものを明確にしていく必要があると思うんですが、そこが可能かどうかということになります。お手元の社会保障制度審議会の将来像委員会の第一次報告ではその辺のところをある程度明らかにしておりますけれども、それでもなお、例えば住宅とか雇用とか、あるいは税制とかあるいはシルバーサービスといったものを、社会保障制度あるいは社会保障基本法の中に位置づけるのか位置づけないのか、どういうふうに位置づけるのか、そういった問題があろうかと思います。
 それからBでございますが、個別社会保障法との関係ということでございます。個別の社会保障法にも理念とか原則とか、そういったものが規定されているものもございます。そういったものとの関係をどうするのかという問題があろうかと思います。
 それからCですけれども、制定の機運ということで、こういった基本法についてはそれを制定するだけの政治的な機運というのか、あるいはそれを後押しする団体というのがあるのかどうかという問題があるのではないか。社会保障の基本法という一般的な形についてそれをプロモートするような勢いがあるのかどうか、そういう問題があろうかと思います。
 次に、(2)の社会保障法の法典化に係る問題ということでございます。
 法典化というのはどういうものかということですけれども、社会保障については個別に、例えば老人福祉法とか国民年金法とか、あるいは生活保護法といういろんな法律があります。そういった社会保障に関する法律をまとめるということです。我が国というのは余り法典というのはないんですが、例えば民法典というのは債権債務、契約に関するものと親族相続、これは一応別なものですけれども、一応民事に関する法典ということで一つにまとめてある、そういうふうな例もございます。
 諸外国では、レジュメにありますように、ドイツの社会法典、アメリカの社会保障法、フランスの社会保障法典といったものが例としてはございます。
 ドイツは二十年ほどかけて徐々に法典化するという作業をしております。まだ完全には法典化の作業を終わっておりません。現在、法典化が終わっているのは、第一編の総則、第四編の社会保険法の通則、第五編の疾病保険、第六編の年金保険、第八編の児童・青少年扶助、第十編の行政手続、データ保護といったものがようやく法典化されております。それから、ことし例の介護保険法が社会法典の第十一編ということで法典化されております。
 それから、アメリカの社会保障法も全部で二十編から成る法律でございますが、そこには年金に関するOASDI、それから高齢者の医療保険に関するメディケア、それから生活保護の医療扶助に該当するメディケード、あるいは失業保険、あるいは福祉サービス等が同一の社会保障法という中に盛り込まれております。
 こういった社会保障に関して法典をつくるという場合のメリット・デメリットということでございます。
 まずはメリットの方ですが、法典化の意義とあるところですね。これは基本法と同じようなメリットが、それは法典化の総則に基本理念等を置く章あるいは置く編を設ければ、基本法で述べたと同じようなメリットがあるというふうに思います。そのほかのメリットとしては、@にありますように、社会保障施策の整合化、同一の法典に盛り込むわけですから、そこである程度整合化が図られるということです。
 それから二番目としては、分立した社会保障制度の一元化の契機になるんではないか。ただ、これも非常に難しいと思います。
 それから三点目ですけれども、総則中に受給権の保護であるとか各種手続、不服申し立て、時効等についての共通規則を設定することによってこういった規定を整理統合する。例えば時効の規定は、現在は公的扶助法、生活保護法だとか国民年金法あるいは健康保険法、すべての規定にあるわけですが、各法の解釈が必ずしも同じではないんですね。それを総則規定に盛り込むことよって統一的な解釈とかそういうことが可能になるんではないかというふうに思います。
 次にデメリットの問題ですけれども、ここでも法典化することの意義が問われるわけですね。単に現在ある法律を寄せ集めてつくるという形も可能であるわけですが、そういうことで果たしてメリットがあるのかどうかという問題。
 それから二番目としては、法典化に要する時間、作業量とその効果を考えると、果たして意義があるのかどうかという問題です。
 それから三番目としては、その後の大幅改正の可能性ということです。社会保障法は近年、毎年のように大幅に改正されておりまして、たとえ法典化してもそれがぐちゃぐちゃになる可能性があるわけです。例えばドイツの社会法典は、当初は十編から成るというふうに計画していたわけですが、先ほど申し上げましたように公的介護保険というものがつけ加わって十一編ということになっているわけです。
 それから四番目としては、こういった統合化とか一元化するとすると、関係する省庁とか利害関係団体の合意がどれくらい得られるか、そういった問題があろうかと思います。
 それから、(3)の保健、福祉等の計画法制定に係る問題のところに移りたいと思います。
 現在、保健、福祉等に関する計画としては、そこに掲げてありますように、ゴールドプランだとか地方公共団体の老人保健福祉計画、それから老人保健法のヘルスサービスを行う保健事業第三次計画とか、あるいは医療法に基づく医療計画とか、あるいは今回改正されました障害者基本法に基づく計画とか、そういったものがございます。こういったものは、すべてが法律の根拠に基づいているわけではなくて、ゴールドプランのように三大臣の合意といったものに基づいているものもあるわけです。
 これについて、我が国の法制上は計画法という一つの分野があるわけです。例えば、住宅建設計画法であるとかあるいは廃棄物処理施設整備緊急措置法であるとか道路整備緊急措置法、こういった法律によって五カ年計画を立ててそれを繰り返していくという形で施設整備を図っていく、そういうジャンルの法律があります。そういったものを保健、福祉についても制定するかどうか、こういう問題がございます。これについても、メリット・デメリットがあるというふうに思います。
 計画法制定の意義のところですが、一つは保健・福祉施設等の計画的な整備が図られるのではないかということです。
 それから二つ目としては、関係省庁による一体的、総合的な取り組みがこの計画法をつくることによって達成できるのではないか。
 それから三番目としては、国の計画だけではなくて、地方に計画を立てさせるということで、計画作成の義務づけによる誘導が可能になるのではないか。これは地方自治との絡みもあって、これが望ましいかどうかというのはまた別の問題であります。
 それから、一番のメリットというのは、こういう法律を制定することによって計画を作成する、それによって一定の財政資金が確保できるとすれば、それもメリットの一つに数えることができるのではないか。
 それから、計画法制定の問題ということですが、やはりこれについても、制定することの意義があるのかどうか。ほかの計画法を見てみますと、計画策定の義務づけ程度でございまして、実際上の計画は閣議決定によるということですね。そうすると、必ずしも法律を制定するのではなくて、閣議決定で具体的な計画を立てれば足りるのではないか、こういう問題もございます。
 それから、Aにありますように、そもそも法律制定事項かどうか。基本的には、法律で制定するというのは、これは国民の権利義務に関することを法律に規定すると考えると、計画というのは必ずしも直接国民の権利義務に関係しないということで、こういった問題がある。しかも、近年では計画だけの法律というのは必ずしも制定することが認められない、そういう方向にあるようでございます。
 それから三番目の、社会経済の変化への即応性。保健、福祉というのは近年非常に流動化しておりまして、それを法律に制定することによって固定化するという面があるとすれば、それがデメリットの一つに数えられるのではないかというふうに思います。
 それから最後に、新ゴールドプランに係る基盤整備法ということですが、新ゴールドプランがどういう形になるかわかりませんけれども、少なくとも保健、福祉に関する施設整備を充実する、それからマンパワーの確保、こういったことについて現在よりも例えば税制上、財政上、金融上の特例措置というものが設けられるのなら、そこを法律に規定するということもあるいは可能なのかなという感じがします。
 最後に、社会福祉法の権利にかかわる諸問題というところでございます。
 どうして社会福祉法だけを取り上げたかと申しますと、他の社会保険法だとか社会手当法については国民の権利ということが割とはっきりしている。申請手続もはっきりしています。ところが、社会福祉に関してはそれが非常に不明確であります。
 どういうふうに不明確かというと、基本的には社会福祉法は地方自治体の長、地方公共団体の長が職権でもって福祉サービスを行う、こういう仕方です。これを福祉の措置という。その措置というのは、地方公共団体の長が行政処分でもって福祉サービスを行う、職権で施設に入所させる、こういうことをいっているわけです。したがって、国民の側から申請することができるのかどうか、請求権があるのかどうか、そこら辺がよくわかっていない。職権措置が原則ですから、申請に関する手続規定が極めて不備、不備というよりもないに等しい。したがって、申請権とかあるいは請求権がないというふうに行政解釈はとっております。
 またその判例も、申請権はない、職権措置に伴う反射的利益しかない、そういうのが判例でございます。
 これは、ことしですか去年ですか、神奈川県で養護老人ホームに入っているお年寄りが、ここは四人部屋だから一人部屋に入れてほしいという訴訟を起こしました。これはもう最高裁まで行って判決が確定しているんですが、特に高裁判決、東京高裁の平成四年十一月三十日の判決では、行政解釈をとりまして、これは職権措置に伴う反射的利益しかなくて請求権はないという形で棄却しております。そういうことで、国民の権利という面から見ると非常に不十分であるということでございます。
 それからもう一つ、職権措置と利用者の選択とあります。
 これは、今述べましたように、地方公共団体の長が職権で措置するというシステムでございますから、利用者が選択する、あるいは利用者の選択が尊重されるというような仕組みではない、利用看が自己決定できるというような仕組みではないわけです。これについては極めて強く問題点が指摘されておりまして、今後はそういった利用者の選択権が尊重されるような方向で見直される必要があるのではないか。措置という形ではなくて、多様な福祉サービスの供給主体から利用者が望むものを選択するというような契約的な仕組みを導入する必要があるのではないか、そういうことが議論されております。
 それから次の、通知、要綱等に基づく福祉サービスの法定化でございますが、福祉サービスは、法律に規定されているものだけではなくて予算措置によって非常に多くの福祉サービスが行われております。この予算措置というのは通知あるいは要綱に基づくものですから、法律に基づくものではないということで、それを受ける権利というのが非常に不明確です。支給をしないという決定を受けてもそれが訴訟に提起できない、通知に基づくものは提起できないというのが通説でございます。
 したがって、ナショナルミニマムあるいは全国的に施行する、実施することが望ましい福祉サービスについては、通知、要綱という形ではなくて法律に規定していく必要があるのではないか。ただし、地方自治ということがありますから、地方が自主的に行うことが望ましいものについては、法律に規定するのではなくて通知なり要綱なりでも構わないのではないかと思います。
 それから最後ですけれども、説明と広報ということです。
 福祉サービスというのは非常に数多くあるということで、実際にそれを受けるためには、どういうサービスがあってどこに行けば受けられるかということが周知される必要があるわけです。それが周知されないと実際上サービスを受けられないという事態が生ずるわけです。
 これについても実際上裁判で争われた例がございます。それは、児童扶養手当という制度で、これは一般に離別した母子家庭に支給される手当ですが、これは、支給要件に該当するに至った日から支給されるというのではなくて、請求した日から支給される。そうすると、児童扶養手当の制度があることを知らない人は請求したときからしか支給されない。
 そこで、京都であった訴訟ですけれども、請求したときからではなくて、請求する前に支給要性が発生したときから児童扶養手当を支給してほしい、そういう訴訟がありました。これに対しては、第一審判決は、京都地裁の平成三年二月五円の判決ですけれども、広報の義務というのがあって、それは法的義務である、その広報の義務本怠ったために請求する前の児童扶養手当の受給権を失った、受給できなかったということで損害賠償請求が認められました。ところが第二審、控訴審の大阪高裁の平成五年十月五日の判決では、広報というのは法的義務ではないということで、結局一審判決を覆して損害賠償請求を認めなかったということでございます。
 社会福祉、社会保障というのは非常に複雑でございますから、それを広く国民に周知するという義務を行政庁に課する、その反面として、国民はそういった情報を受け取る権利を有する、そういったこともひとつ検討する必要があるのではないかというふうに思います。
 それから、(2)の福祉サービスの内容にかかわる権利でございます。
 福祉サービスは、これは特に社会福祉施設に入所している場合には、憲法二十五条一項が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障する必要があるわけですが、それを保障しているのは、現在では施設の設備とかあるいは運営に関する最低基準というものが定められております。しかし、この最低基準については非常に問題が多いというふうに指摘されております。
 何かというと、まず第一にその最低基準の定める水準というのは極めて低い。これは戦後余り改正されていなくて、現在のように豊かな社会になっているにもかかわらず非常に水準が低い、そういう問題が指摘されております。
 それから二点目としては、最低基準については施設の種別間でいろいろ差があるということでございます。もちろん、施設の種類によって差が設けられるのは当然であるというものがありますけれども、できる限りそれを統一していく必要があるのではないかというふうに思います。
 それから三点目としては、最低基準というのは施設の設備面が中心で、そこで行われるサービスについての最低基準というのは必ずしも定められていない。特に在宅福祉サービスについては最低基準が定められていない、そういう問題が指摘されております。
 それから第四番目に、最低基準は厚生省令で定められているものがありますけれども、通知とか要綱で定められているものもあります。通知とか要綱というのは、これは法的拘束力はないわけです。その最低基準に違反しても必ずしも違反を問えないということでございますから、法的拘束力のあるような形態、法規の形で制定する必要があるのではないかというふうに思います。
 それから、今後、社会福祉については民間のサービスがふえていく、特に民間営利のサービスがふえてくるとなると、そういった質について確保をしていく必要がある、それはやはり法規の形で定める必要があるのではないかと思います。
 ちなみに、ドイツではホーム法という法律をつくりまして、これで施設設備あるいはその内容等について規制をする、そういうことをとっております。
 ただ、これも規制緩和が課題となっているときに、それとのバランスというものを考える必要があるのではないかというふうに思います。
 それから、(3)の福祉サービスの手続にかかわる権利でございます。
 先ほど申し上げましたように、社会福祉法は基本的に行政庁の職権で福祉サービスを提供するということでございますから、申請手続が規定されていない。ことしの十月から行政手続法が施行されまして、申請に対する処分について、レジュメにありますように、審査基準の設定、公表だとか標準処理期間の設定、公表というものが規定されております。これは、基本的には法令に定める申請だけに限るわけです。ところが社会福祉法については、法令に申請にかかわる手続が規定されていないということで、行政手続法の規定が適用されないわけです。したがって、老人福祉法なんかについて、老人ホームに入りたいというふうに申請をした場合には、その申請がほっておかれる可能性がある、あるいはその審査基準が不明確で次意的に入れられる、そういった可能性もあるわけですから、その申請について法令上きちんと定法る必要があるのではないかということが課題ふなっております。
 それから(4)です。福祉サービスにかかわる権利の救済ということで、権利が侵害された場合には現在は行政不服審査法とか行政事件訴訟法によって救済の措置があるわけですが、例えば福祉施設に入所している人の待遇が悪かった、虐待されたというような場合には、これは行政処分ではないんです。単なる事実行為ですから、行政事件訴訟法の対象にもならないし、行政不服審査法の対象にもならない。
 そうすると、そういったサービスが悪い、あるいはそういったものについての苦情処理手続が全くないということで、諸外国ではオンブズマンの制度、例えば、アメリカのナーシングホームにおいては処遇について不服がある場合にはオンブズマンが調査をする、あるいは中野区では日本のオンブズマン制度を設けております。こういった簡易迂遠な苦情処理手続というものが今後課題にたるのではないかというふうに思います。
 それから五番目の、福祉サービス受給者の人権擁護の問題です。
 特に施設入所者は、生活の相当部分をそこで過ごして管理されるというような面があるわけですから、そこで人権侵害がなされることに対して何らかの措置を講ずる必要がある。これについて現在の生活保護法では、施設入所者の平等待遇であるとかあるいは信教の自由を保障するという規定があります。ところが、ほかの施設についてはそういう規定がございません。それから、児童福祉法では、施設に入所させる場合には入所者の意思に反して入所させてはならない、こういう規定がありますけれども、ほかの社会福祉法にはそういう規定がありません。そういったものをほかの施設についても規定する必要があるのではないか。
 それから、レジュメに書きましたように、プライバシーの保護とか身体的拘束の原則的禁止、自己決定や参加の保障等の規定も必要ではないか。特に、身体的拘束の原則的禁止というのは、これは、例えば病院とか老人ホームで痴呆なんかであるとベッドに縛ったりするわけです。これは人身の自由の侵害ということですから、それに関する要件とかその手続を決めておく必要があるのではないかというふうに思います。
 それから最後ですが、意思能力の低下した者等の人権擁護と福祉サービスということでございます。
 老人の虐待、例えば暴行を加える、痴呆性老人なんかについて虐待を加えるとか、あるいは食事を与えないとか、あるいは老人の財産を勝手に子供が処分するとか、そういったふうな場合の措置というものは極めて不備であるわけです。現在、我が国のこういった意思能力が欠けた者に対する制度としては禁治産と準禁治産の制度があるわけですが、これは非常に問題があるというふうに指摘されております。
 どういうふうに問題があるかというと、例えば禁治産、準禁治産というのは、心神の喪失あるいは心神耗弱者ということで、寝たきり老人のように身体的な機能低下というのは必ずしも含まない、そういう問題がある。それから、こういう禁治産の制度というのは、基本的には取引の安全ということが重要視されて、その要保護者の保護ということが必ずしも十分ではないというようなこと。それから、禁治産、準禁治産という言葉自体が問題であるというようなこと。それから、禁治産となると法律行為をする能力が全部剥奪される、そういうふうな問題が指摘されておりまして、この制度はもう現在では見直しをする必要がある。
 これは民法の改正ということで法制審議会の方で検討されているようでございまして、基本的には法制審議会における成年後見制度の見直しというところにまたざるを得ないと思いますけれども、それに至るまで社会福祉法の方で何らかの措置をとる必要があるのではないかというふうに黒います。
 この問題について参考になるのは、児童福祉法で、虐待されている児童を保護するような手続が定められております。例えば、そういう虐待されている児童を発見した者は児童相談所に通告するとか、あるいは親権者が虐待している場合には後見人を選任するとか、そういった手続がとられております。ところが、精神薄弱者であるとか、あるいは痴呆性老人についての、成人についてのそういう仕組みは全くございません。
 そういうことで、例えばの話でございますが、虐待されている老人等を発見した場合には福祉事務所に通報する、福祉事務所はそういった老人を一時保護するとか、あるいは施設に入所させるとか、それから、現在では後見者の選任というのは親族と検察官にしか認められておりませんけれども、そういったものを福祉事務所長に認めるとか、そういったふうな改正が必要ではないか。
 それから、痴呆性の高齢者とか精神薄弱者の財産管理の問題でございますが、これも、痴呆性で財産が管理できなくなったというような場合には何らかの措置が必要であります。これは地方公共団体によっては財産管理サービスというのをやっておるところもあります。例えば、年金の収入で日用品を買うとか、あるいは老人の財産が詐欺に遣わないようにその財産を管理するとか、そういったふうなサービスをやっそおるところがあります。あるいは相続の場合、相続がきちんと精神薄弱者に行われるかどうか、そういう問題。それから、末期医療の場合に、意思能力を喪失した者に対しての医療の同意権というのか、末期医療を行うことの同意権とか、そういった問題も生じてくるわけでございまして、これについても何らかの措置を講ずる必要があるのではないか。
 諸外国では成年後見制度が見直されておりまして、基本的には、全面的に権利能力を剥奪するというようなことはやめにする、それに対して、世話人であるとか、あるいは代理権、代理人を選ぶとかそういったふうな改正がなされてきておりまして、我が国でもそういう成年後見制度を今後見直していくべき必要があるのではないか、そういうふうに思っております。
 ちょっと時間が超過しましたけれども、私の意見をこれで終わらせていただきます。
#5
○会長(鈴木省吾君) ありがとうございました。
 以上で堀参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#6
○服部三男雄君 私の方から少しお尋ねさせていただきたいんですが、当調査会で今までいろんな講師の先生がお越しいただきまして、来る迫りくる高齢化社会の対応について諸問題を研究させていただきました。その多くの先生方の話は、今後こういう社会福祉制度であるべきだとか、こういう措置を国としてとるべきだというような御説明が多かったわけでございますが、きょうの堀先生のは、今の法的な側面からどうあるべきかという、また違った視点での説明を受けまして、特にこれから二十一世紀に大量の社会福祉のサービスを要する人が激増するだろうと、そういった事態になったときにどのように法的に事前に整備しておかなければいかぬかという、非常に貴重な教示を受けたように思います。
 例えてみますと、今政府がやろうとしているいろんなことは、昭和二十年代から三十年代の日本の住宅政策のようなものでありまして、量的な問題ばかりに触れているような気がしておったわけでありますが、その点、先生の特に「社会福祉法の権利にかかわる諸問題」のところで、そういった大量の福祉サービスの処理において、画一的になりかねない行政の欠陥を事前に立法政策で防止しておこうという観点から、非常に参考になったと思っております。大いに勉強させていただきました。
 そこで、少し視点を変えまして、これから地方分権になると言われております。大いに国の権限、財源を地方に回そうというのが国民的合意であり、特に村山内閣ではそれが重要政策課題になってきておりまして、その動きは今後ますます加速するだろうと思うんですが、そうしますと、先生がおっしゃっている、例えば法典化の問題とか、これと分権とはどういうふうにかかわってくるのか。
 私が考えますのは、地方にいろんなことをお任せするわけですから、むしろある程度基本的なことは法典化しておいた方がいいのかなという気もするんです。もっとも、分権化といってもまだ雲をつかむような話でありまして、社会福祉に関する財源をどのように移譲し、どのようにしていくかということが何もわかっていないんですけれども、一般論的な分権という観念で少し御説明いただけたらありがたいんです。
#7
○参考人(堀勝洋君) 地方分権の御質問でございますが、これは社会保障の分野によって違うと思います。
 年金保険とか社会保険、社会保険なんかでも国民健康保険とはちょっと違うと思いますが、社会保険については分権というよりもむしろ国の役割の方が多いんだろうというふうに思います。
 問題は、やっぱり社会福祉とかあるいは保健サービス、この分野については分権化の方向を進めるべきである。地方分権化も、都道府県と市町村との役割分担の問題もございますし、これについては御承知のように近年、例えばその措置権を都道府県から市町村へ移譲するとか、あるいは機関委任事務を地方に移譲するとか、そういう分権化の方向があると思います。こういった方向は、私は基本的に進められるべきであるというふうに思います。問題はその財源でございますので、私は地方財政の問題は詳しくないんですけれども、ことし何か消費税について地方消費税が認められた、そういった方向はやっぱり望ましいのではないかというふうに思います。
 法典化との絡みですけれども、そういった地方分権の基本的考えを法典に盛り込むということは有意義なことではないかというふうに思っております。そういうことでお答えになったでしょうか。
#8
○服部三男雄君 もう一点お尋ねさせていただきたいんです。
 先生の論旨は、社会福祉のサービスについて、今よりもむしろやや強めの、請求権に近いものにしていったらどうだという論旨のようにうかがえるわけですが、その中で、ページ三の(4)、(5)、(6)あたりの問題になるんですけれども、御案内のとおり、特に痴呆性の方とか身体が自由にならない方、こういう方の介護というのはマンパワーの問題になるんですけれども、なかなかそれだけの人手が確保できないというときに、今後ますますそれが、特に日本の場合は爆発的にふえるわけですね、あと十数年で。世界のトレンドから見ますと、激増するという言葉がぴったりだろうと思うんですけれども、急速に高齢化が進むときに、マンパワーがなかなか追いつかない。そうすると、画一的な処理がどうしても多くなるだろうと容易に推測できるわけですね。画一的処理といったらおかしいですが、処遇が。そういう場合に、法制化するのはこれは私ども立法府でできるし、しなければならぬことなんですけれども、具体的にそれが伴ってできるかどうか。なだらかな増加であればある程度はできると思うんですよ。でも、十数年後に急激にぼこっと膨らみますからね、それにどういうふうに対応していくか。法制と実務との乖離という問題ですね。
 こういったことについて、何かヨーロッパとか、それはオンブズマン制度もいいに決まっていますし、あるいはそのための特別機関をつくっても大いにいいんですけれども、具体的に何かアメリカとかヨーロッパの参考例でもあるのかなと思って、もしあればお聞きしたいんですけれども。
#9
○参考人(堀勝洋君) 介護にかかわる福祉サービスが今後ふえていく、それに伴ってマンパワーがふえるということであります。
 諸外国では失業率が高いわけですね、一〇%前後ということで。余りそういう面では諸外国は苦労はない、むしろ財源の面で苦労していると思います。我が国は、失業率は三%程度で低いということ、それから今後高齢化社会へ向けては若年労働力が減るというようなことから考えると、おっしゃるとおりマンパワーの問題というのは非常に大きな問題になるんではないかと思います。
 今後の我が国の経済がどういうふうになるかともかかわるわけですが、やはり高齢者の介護というのはどうしても必要不可欠ですから、マンパワーの確保のためにいろんな施策を講じる必要がある。そのためには、私はやっぱり基本的には待遇を改善していく必要があるんだろうというふうに思います。待遇というのはいろんな意味で、単に給与だけではなくて勤務環境とか、あるいは夜勤の問題とか、そういった問題。これは、請求権というふうにさっきおっしゃいましたけれども、今の措置のシステムではなくて、例えば介護について介護保険を設けると、これは保険料を納めた見返りとして請求する権利が生じるということになりますので、そういう請求権を与えてもその介護マンパワーが追いつくかどうか、そういうふうな御指摘だと思うんですけれども、そこはやっぱり、計画的に待遇とかそういったものを上げていって対処していくほかないんではないか。具体的な解決策というのは今すぐには答えられませんけれども。
#10
○服部三男雄君 これで終わります。
#11
○日下部禧代子君 先生どうもきょうはありがとうございます。社会保障制度ではいつもよく勉強させていただいておりまして、ありがとうございます。
 きょうは、基本的な社会保障の理念ということ、そしてまた、それが成り立つための法的な問題という、そういう視点からお話をいただきまして、非常に基本的な問題、そしてこれからの日本の社会の抱えている問題ということについての御示唆をいただいて、非常に勉強させていただきましてありがとうございました。
 ところで、二、三質問をさせていただきたいというふうに存じます。
 まず最初に、これはかなり一般的な問題ではございますが、いわゆる福祉国家論と福祉社会論というのがございますね。日本の場合でございますと、一九七三年がいわゆるこれ福祉元年と言われたわけでございますが、その年がちょうど石油ショックということで、福祉元年イコール福祉見直し元年という形になったという事実がございます。
 やはり西欧の先進国の場合ですと、福祉国家という問題点がかなり出てきた。つまり、大きな政府であり過ぎるとか官僚制の肥大化だとか硬直化だとか、そういう福祉国家体制のもとにおけるさまざまな問題点が出されて、そこから福祉社会へというふうな移行をしていった歴史的な経過がございますけれども、我が国の場合ですと、いわゆる福祉国家というような、そういうところは通過しないで、急に福祉社会への移行という、いわゆる新保守主義的な思想というものがその当時ヘゲモニーを握ったというふうな形になったわけでございますが、日本とそれから他の先進国とのそういった違いを含めながら、福祉国家論と福祉社会論ということについての先生のお考えをまず承りたいと存じます。
#12
○参考人(堀勝洋君) 福祉国家と福祉社会との関係についての考えでございますが、今先生がおっしゃったとおりに考えております。
 従来、福祉国家というのは、国家が基本的に社会保障の給付を行う。いろんな考え方がありましで、すべてを国家がやるというふうな考え方が、一時戦後そういう考え方が風廃したことがありますけれども、次第にそれが見直される。むしろ、ロブソンが言うように、福祉社会があってこそ福祉国家が成り立つんだと。要するに、福祉社会というのは、やはり、私のレジュメで書いてありますように、家族による扶養とか地域社会における助け合いとか、あるいは民間の福祉事業あるいは企業福祉、こういったものと国家による社会保障とが相連携してやっていくというのが望ましいということではないか。そういう意味では、私は、福祉国家から福祉社会というのは正しい見方ではないかと思います。
 先生が今おっしゃったように、日本は福祉国家を経ることなくして福祉社会ということですけれども、今言ったような、国家のみが社会保障をやるという考えの福祉国家という形でその福祉国家をとらえるとすれば、私は、それを経ない形でいくというのは望ましくはないんではないか、要するに、そういう形もあり得るんではないかというふうに思います。
 ただし、それが先生がおっしゃったような新保守主義的な考え方からそうなったのかということについては少し異論がございまして、私のとらえ方は、一九八〇年代以降社会保障改革がいろんな形で行われました。これは年金でもそうですし、医療でもそうですし、それから福祉でもそうですけれども、これは基本的には、そういう思想、新保守主義とかレーガノミックスあるいはサッチャリズム、そういうことではなくて、基本的には国家財政が赤字を抱えて歳入が足りない、ゼロシーリング、マイナスシーリング、それに対応するために福祉改革をやらざるを得なかった。社会保障経費というのは、これは高齢者がふえるということで自然増経費が非常にふえるわけですね。そういった状況の中でゼロシーリング、マイナスシーリングに一気に対応するためにはやはり何らかの制度改革をやらざるを得ないということで、これは社会保障給付費の統計をとってみますと明らかなんですね。国庫負担というのはずっと比率としては下がってきているんです。
 だから、そこについては、国が社会保障に対してどれだけ財源を配分するかということは、こういった全般的な税負担あるいは保険料負担とそういうサービスを受けることに関する国民の合意がどこにあるか。要するに、もう負担したくないということであれば社会保障というのはある程度の水準でとどまらざるを得ない、社会保障の水準を上げてほしいということであれば説とか社会保険料をもっと負担していただく、そこら辺を国民がどういうふうに考えるかということによると思います。基本的には、やはり一九八〇年代の社会保障改革というのは、もう国民は税負担はしたくない、行政改革でやってくれと。その行政改革の中の社会保障改革が国庫負担を削減するような方向でなされた。それを福祉国家か福祉社会という考え方でとらえるのかどうか。むしろ、そういう税負担と福祉サービスのあり方に関する国民の考え方であろうというふうに私も理解しております。
#13
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
 それでは次に、権利の問題でございますけれども、私はたびたび外国の例を出させていただいて恐縮ではございますが、昨年イギリスのケント州に参りまして、これはイギリスの中でも非常に精神障害者の社会復帰を進めている地域でございますが、そこで社会復帰計画の、法律ではございません、計画、プランでございますね、それを見ますと、もうどのページを開いてもというぐらいに個人の権利、それから個人のディグニティー、個人のプライバシーを尊重するとか、そういうふうな言葉の羅列のような私は印象を受けたわけでございます。そして、その対象となる方々のことは、クライアントとも患者とも呼ばないで、コンシューマーという言葉で呼ばれていたわけでございます。
 実際に、私はたまたまその方のおうちを訪問するのに少し交通事情でおくれて参りました。二十分ぐらいだったと思うんですけれども、私は日本的な感覚でもってそれでもすぐもう行けるのかと思いましたら、市当局の方が、いや二十分おくれたから、彼女があなたとのアポイントメントの時間を別の方とのアポイントにしているかもわからないからちゃんと確かめますというふうに言われまして、私はがんと頭を殴られたような感じがしてしまった記憶がございます。この方はもう一牛をほとんど病院、施設で過ごした方で、やっと人生の最後においてひとりで家に住むという、その家は市の衛生局が提供しているというふうな、そういう生活の方でございましたので、私はもう自分が視察、見学、さっと行って、もうアポイントもとってあるのだから当たり前だというふうな感覚。ところが彼女のプライバシーということをいかに尊重していなかったかという大反省をさせていただいたんですが、そういうイギリスなんかの現状がございます。
 日本の場合に、例えば老人ホームの入所者の問題でございますが、養護だとか特養の場合とそれから軽費老人ホームの場合と、これはその成立のプロセス、歴史的な背景が違うということから、法律の性格が違うわけでございますね。特養、養護の場合ですと、これはいわゆる行政権による措置でございます。したがって、入所者の利用権、選択権というものが狭められております。一方、今度は軽費の場合ですと、これは個人契約でございますから、自分の選択権というものが確保される、このような今の状況。つまり、老人ホームの仕組みというものが並立されていて、どこに入所するか、そしてお金を少し持っているか持っていないかというふうなことで入所者の権利というものが束縛されていく、拘束されていくという、これは措置制度の問題とも関連することでございますが、これはどのように先生はお考えになっていらっしゃるでしょうか。
 老人ホームというのは言うまでもなく生活の場であるわけでございますが、果たしてそれが今生活の場であるのかどうかというふうな、こういう問題、かなり私は権利の問題から見るとあるのではないかなというふうに思います。そしてまた、ホームに入っていらっしゃる場合、入院なさいまして三カ月以上ホームにいらっしゃらないということになりますと、退院なさったとしてもそのホームに戻ってくることができないというふうな、そういう現状がございますが、入所者の権利ということ、そしてその法という問題、その二つの点からどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
#14
○参考人(堀勝洋君) 御指摘のように、養護老人ホーム、特別養護老人ホームはこれは地方公共団体の長による職権、行政処分によって入所をする、軽費老人ホームについてはこれは契約によって入所する、しかも軽費老人ホームは個室であるのに対して養護老人ホームとか特養については個室は極めて少ない、そういう状況にございます。
 基本的には、養護老人ホームというのは、戦後社会保障というのが貧困の救済、予防ということで、貧困者に対して公的責任でもって全部面倒を見ますよ、全部面倒を見るというのは、サービスの提供も公的にやります、それから費用負担も全部公的にやる、こういう考え、救貧対策という形でできたわけですね。それがずっと四十年、五十年も引き継がれてきた。救貧対策ですから、行政庁がこれはもうそういう困っている人を助けてあげる、そういう形だと思うんですね。
 ところが、戦後四十年、五十年を経て豊かな社会になってきて、高齢者も非常に豊かになってきている。そういった中でこういう上からの決定によって要するにサービスを提供するというようなことが果たして現在の国民の感情、考え方に合うのかどうか。それはかねがね疑問を持っておりまして、実は昭和六十二年に、七、八年前に「福祉改革の戦略的課題」という本を出しまして、その中でも、特に保育所について、もう措置入所から契約入所にしたらどうかということを詳細に論じたものを書いております。たまたまことし保育問題検討会で、契約入所をするか措置入所にするか、そういう両論併記の報告が出ましたけれども、私としては、先ほども言いましたように、やはり利用者の選択とかあるいは自己決定、あるいはサービスの内容、そういったものについて比較しながら選べるというシステムの方がいいんではないかというふうに思っております。
 反対する人が論ずるのは、措置をやめると公的責任、国家責任がなくなるのではないかと。今のシステムは地方団体の長が責任を持って措置するという形ですから、確かに措置をやめて契約にすれば公的責任の考えは弱まるわけですが、しかしこれは全くなくなるわけじゃないんですね。要するに、契約にしても必要な人には補助をする、それからそういうサービスをできるだけふやしていく、あるいはサービスの質を確保する、そういった点について公的責任というのは残るので、措置をやめたからといってすべて公的責任がなくなるというわけではないので、そういった利用者の選択、自己決定を尊重しながら公的な関与を強めていくという方法はあるのではないかというふうに私は思っております。
 そういう意味からいって、特に介護問題については、今後、介護保険とのかかわりがありますけれども、介護保険にするとこれは現在の医療保険と同じようにサービスの提供者を選択する、そことの契約によってサービスを受けるという形になろうと思いますので、それも一つの突破口になり得るんではないかというふうに私は思っております。
 以上です。
#15
○日下部禧代子君 最後にお尋ねさせていただきたい件がございますが、これは社会サービスの問題でございますが、それぞれのニーズに対応できる、より的確に個人のニーズに対応できるためには、まず私は、一人ずつのケアプランのようなものがどうしても必要なんじゃないかというふうに思います。
 例えば病院から退院したときに、地域でどのようなサービスを組み合わせて受け皿があるのかというふうなことと、病院、つまり施設との連携ができるようなそういう一人ずつのケアプランをいかにしてつくるか。そして、それを統合する形で地域の中に地域福祉サービスのネットワークがいかに有機的に総合的にできるのかということになるだろうというふうに思うんですね。
 そのところで非常に重要なことは、やはりそれをコーディネートする。さまざまなサービス、これは公的なものであれ民間のものであれ、そのサービスを受ける者にとってはよりよいサービスが選択できることが非常に重要なわけでございまして、その辺の情報というのを個人が持つというのは非常に限りがございます。それを個人のレベルで、そしてまた地域社会、コミュニティーの中で連携していくという、これは法的なものでそれをやっていった方がいいのかどうかという点が一つでございます。
 それから、そういったことも含めた形で、これは私よくいろいろな機会をいただいては申し上げてまいりましたことでございますが、いわゆる高齢者というよりも高齢社会という、これは全く人口構造、社会システム、みんな変わっている社会に対応するためには、高齢社会を総合的に見ることができるような法体系というものをやっぱりつくらなきゃならないんじゃないか。
 例えば、今申し上げたようなことを全部含んだような形で、先生御承知の、スウェーデンの社会サービス法というのがございますね。その社会サービス法の基本五原則というのがございますが、それはまず、総合的な観点ということからの原則、私はこれをトータルな全人性だというふうな言葉で申しております。それから二番目には、これはどなたもおっしゃっているノーマライゼーションの原則、三番目には継続性の原則、四番目にはフレキシビリティー、つまり柔軟性の原則、五番目には近接性、つまりサービスの供給源というものが近くになくちゃいけないという、この五つの原則が、スウェーデンの社会サービス法の五原則と言われているものでございます。
 こういうスウェーデンの社会サービス法、これは当然のことながら地方分権ということが基本になった法律でございます。それからまたデンマークの社会支援法、これもやはり地方分権ということが基本になってつくられた法律でございます。そういうスウェーデンやデンマークの、このような社会サービスをいかに個人が的確に利用することができるか、そしてそのことがまたとりもなおさず社会経費の軽減につながるというふうな観点からこういう法律がつくられ、あるいは法改正がなされてきたというふうに思いますが、その点も含めまして先生の御意見を承って、私の質問を終わらせていただきたいと存じます。
#16
○参考人(堀勝洋君) 先生のおっしゃることはもう全面的に賛成でございますね。余りコメントすることはございません。
 ただ一点だけ、おっしゃったように、ケアプランというのは今後非常に重要になってくると思います。ところが、現在の実施体制は全く不十分です。要するに、国の段階ではサービスのメニューはそろっているんです。しかし、市町村段階でのサービスの量、質は全く不十分ですね。だから、そこを今後ふやしていく。しかも、ケアプランというのは、ある程度の技術が必要でございますから、それに関する養成訓練と申しますか、そういうマンパワーの確保と、そういう訓練というものが今後必要になってくるということだけはつけ加えさせていただいて、あとは全面的に賛成でございます。
#17
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
#18
○直嶋正行君 本日は大変ありがとうございました。
 今の先生のお話に関連をしまして一、二お伺いしたいと思うんですが、レジュメの三ページで御指摘がございますように、福祉サービス、特にサービスということになりますと、目に見えないものが伴いますだけに、なかなか法律で決めるということになると難しい面があると思うんですが、その中で、例えば(2)の福祉サービスの最低基準のところで、日本の場合には設備中心でサービス基準がないという御指摘がございました。その話の中でドイツのホーム法の例なんかもございましたが、福祉サービスについて北欧等で例えばこういう視点から規定をしているよというような御指摘があればお伺いをしたいということがまず一点であります。
   〔会長退席、理事情水嘉与子君着席〕
 それから二点目は、この(4)で苦情処理手続、例えばオンブズマン制度というような御指摘も、ございますが、私も確かに、福祉サービスというのは人間がやるサービスでありますから、基本的には携わる人とサービスを受ける人との人間関係といったようなことも含めていろんな問題が生じてくるんじゃないかと思うわけでありまして、こういう意味での苦情処理制度というのは非常に重要な指摘だなというふうに思っているわけでございます。私も北欧等ではこのオンブズマン制度というのがあるというふうにお伺いしておりますが、例えばどういう人がそこではオンブズマンに選ばれているのか。特に、例えば日本で見ますと、現在行政相談制度というのがたしかあると思うんですけれども、例えぱこういう制度を活用できるのかどうか、この点も含めて最初に二つお伺いしたいと思います。
#19
○参考人(堀勝洋君) 最初に、福祉サービスの基準でございますが、法律ではなかなか決めがたいということであります。確かにおっしゃるとおりですが、現在例えば老人ホームとか施設についてのサービスというのか、その基準が一応日本でも自主的につくられていまして、例えば夕食の時間は五時とか六時とか、そういうサービスをチェックする、あるいはおむつをかえるのを常時かえるのか、あるいは一日何回かしかかえないのかとか、そういったチェック項目をつくっているものもございます。ですから、そういったものを今後、それは自主的なチェックの項目ですけれども、それは法的拘束力のあるものにどれだけなじむのかどうか、その辺を検討しながらやっていく必要があると思います。
 それから参考までに、先ほど北欧と申しましたけれども、アメリカではナーシングホームのそういった基準について、これは連邦政府の規則で定めておりまして、原則ですけれども、十四項目あるんでちょっと全部はあれですけれども、基本的原則としては、プライバシーとか、自己決定とか、デュープロセスとか、危害からの保護とか、本人の意に反する苦役の禁止とか、そういったことが原則で、具体的には例えば入所者として権利と義務を知る権利、ナーシングホームに入った場合ですね。それから二つ目として施設で利用できるサービスとその費用を知る権利、それから三番目として自己の健康状態を知る権利、そして自己の処遇方法の決定過程に参加する権利とか、それから施設内に苦情処理の手続を整備する、あるいは虐待及び拘束からの自由とか、秘密の保持、個人の尊厳の保障とか、こういったことがアメリカのナーシングホームに関する連邦の規則に含まれているようでございます。
 それから二点目の、苦情処理手続で、どういったような人がオンブズマンになっているかという御質問でございますが、これは国によってオンブズマンというのはいろんな制度があるようであります。私はこの問題についての専門家じゃないので必ずしも答えられないんですが、例えばイギリスなんかでは議員がオンブズマンになるというようなことがあるようでございます。それから、例えば我が国の中野区でオンブズマン制度を設けている。あるいは川崎市でもあるんですが、中野区の場合は、学識経験者等から成る委員会を設けて、福祉サービス等について苦情がある場合にその委員会にその苦情を回して、そこで判断してもらって、採用するとなれば区役所に言って直してもらう、採用しないとなればその理由を書いて返事をするとか、そういったようないろんな形があり得るんで、それは我が国に合ったような形を今後つくっていけばいいんではないかなというふうに思っております。
#20
○直嶋正行君 もう一点お伺いしたいんですが、いずれにしてもこれからの福祉需要といいますか、これはますます増大してくると思いますが、そのときにどうしても避けて通れない財源問題でございます。
 それで、今たまたま国会で税制改革論議がされているわけでございますけれども、この法案の内容は別にしまして、今の税制改革論議、大変抽象的な聞き方で恐縮なんですが、この議論をごらんになったりお聞きになったりされて、先生の所見といいますか所感があればお伺いをしたいと思うんで、すけれども。
#21
○参考人(堀勝洋君) 大変難しい問題でして、私は財政の専門ではないので、素人というふうに考えて受け取っていただきたいんですが、まず全般的な国全体の財政、財源確保のあり方ですけれども、特に社会保障の研究者の立場から見ると、今の税制の一番の問題点は、やっぱり自営業者の所得把握というのか、自営業者とサラリーマンの所得把握に問題がある。そのために社会保障というのは非常に大きな問題を抱えることになっている。
 というのは、例えば社会保険でいいますと、国民年金と厚生年金、それから国民健康保険と彼用者の健康保険、それが必ずしもうまく並ばないのは、本当は財政調整をした方が望ましいんでしょうけれども、必ずしも税の把握ができないために、自営業者とサラリーマンとを同じような制度にできないわけですね。そこが我が国の社会保障の二重構造になっていますし、格差も生じている。しかも財源問題が生じている。例えば国民健康保険でございますね。だから、そこを何らかクリアできるような方法ができないかというのが一つ。
 それからもう一つは、そこをクリアできるのは消費税ですね。消費税というのは自営業者もサラリーマンも平等に取るということで、そういう財源、消費税という公平な財源をもとに社会保障の財源とするということは一つの考え方であると思いますね。もう一つの財源というのは、社会保障は独自の財源を持っております。これは御承知のように社会保険料ですね。社会保険料の財源と国庫負担あるいは地方負担をどう組み合わせてやっていくかというのは、これは大きな問題でございます。
 基本的に私は、今言ったような税制上に問題がある以上、やはり社会保険料を中心とした社会保障を組み立てていくのがベターではないか、これはいろんなメリットがあります。一般的に、税金を上げるというのは国民は反対すると思うんですけれども、例えば介護のために使うとか、あるいは年金のために使うというならばある程度納得してもらえる。
 例えば、ことしの改正で年金保険料。が二・五%上がる。当面はあれですけれども。そういう合意が得られやすいので、社会保険料。しかも現在の我が国の社会保障の大半は社会保険料でやっています。ただこれは、総額で申しますと、社会保障給付費は五十三兆か五十四兆ですね。そのうち厚生省の予算というのは、これは十二兆円か十三兆円ですから、地方負担もありますから別ですけれども、いかに社会保険料の役割が大きいかということ。
 介護の問題も、お手元に配付した「介護費用の財源政策一という論文の中では、介護についても社会保険化していく必要があるのではないか、そういうことを述べています。
 したがって、結論としては、消費税を税の財源とする方向と、それから社会保障については社会保険料を中心とした財源、そこが私の考えでございます。
#22
○直嶋正行君 終わります。
#23
○武田節子君 公明党の武田でございます。本日は大変ありがとうございました。
 参考人は福祉、医療、年金等の社会保障について法律の視点から研究をなされて、多数の本や論文を執筆されて、この分野では有数の専門家と伺っておりますので、二、三、法的問題に関係したものを質問させていただきます。
 まず初めに、我が国の高齢化のテンポは、世界に類例のない速さで訪れてまいりました。こうしたことから、この前の年金の改正に見られますように、社会保障制度の改正に追われてきたと言えるのではないかと思うんです。このために高齢社会対策、高齢者対策についてのビジョン、理念、施策の基本方向などについては、例えば福祉ビジョンですと大臣の私的諮問機関の報告にすぎないもので根拠があいまい生言えます。ここを基本法として法制化をする意義、効果、国民の意識に与える影響等を詳しくお聞かせいただきたいと思うんです。これが一点。
 それからもう一点は、参考人は社会保障制度と他制度との連携を図る必要性、特に住宅政策については厚生省と建設省と協力し合ってバリアフリー住宅の建設、障害者、高齢者に優しい町づくり等に関しての御提言がございます。最近の厚生省の調査によりますと、六十五歳以上のひとり暮らしは全国で百九十九万人で、一九八〇年よりも百万人も増加いたしているようでございます。今後はさらに急増することは明らかでございますので、したがいまして、高齢者向け住宅はその数量確保は急を要しますけれども、あわせてその質、内容は在宅介護支援に当たっては最も重要だと思うわけでございます。
 そこでお尋ねいたしますけれども、地方自治体でバリアフリーの理念を踏まえた福祉の町づくり条例の制定の動きも見られ、福祉の現場である市町村の施策も総合的、全体的になってきております。条例は法律の範囲内においてのみ存在意義を持つものでありますから、基本法の制定は条例にも影響を与えるものと思いますが、そこで基本法と条例の関係についてお教え願いたいと思います。
 まずその二点をお尋ねいたします。よろしくお願いいたします。
#24
○参考人(堀勝洋君) 高齢者対策に関する基本理念についての法制化のお尋ねだと思うんですが、これについては先ほどレジュメに則しまして社会保障基本法の制定の問題を御説明しましたけれども、これとほぼ同じようなことが言えるんではないかというふうに思っております。
 繰り返しますと、メリットとしては、基本理念とか基本原則、そういうものが明確になる、国民の理解、高齢者対策に関する理解が深まる、それから関係省庁の施策を総合化できる、そういうメリットがある。それから、デメリットというか問題点としては、果たして基本法的なものを立てても実効性があるのかどうか。関係各省庁との整合性とかが図られるというけれども、基本法をつくっただけで果たしてそれが図れるのかどうか、そういうことが言えるだろう。
 したがって、基本法をつくる際の実際上の効果、そこをよく見きわめて制定するかどうかということを考えていく必要があるんではないかと思います。例えば老人福祉法という法律がございまして、その法律の一条、二条、三条には老人福祉に関する基本的理念が一応書いてございますですね。だから、そこで足りるのか足りないのか、あるいは何かそれに加えるのか、新たにつくるのか、そういった個別の法律との関係もございます。私は、必ずしも基本法だけを制定して意義があるかというと、必ずしもそういう考えには賛成しておりません。
 それから、基本法と条例との関係でございますが、これは憲法上、条例というのは法律の範囲内で定めるということでありまして、したがって、基本法を定めて、その基本法に反するような条例というのは、これは無効ということになると思います。しかしながら、一般的に基本法というのは抽象的な定め方をしております用地方に関することについても努力義務とかそういった形なんで、余り条例が基本法に抵触するということはない。むしろ基本法を制定することによって地方の条例に対して方向性を与える。要するに、地方が条例を制定する場合に、高齢者対策についてはこういう理念でやっていくべきという、そういう方向性は与える、そういうことではないか。もちろん基本法にどういうことを書くかは言えると思います。例えば、基本法に地方、都道府県は高齢者に関する計画を立てなさいというふうに書いてあるのに立てないと、それは基本法違反ということになると思います。
#25
○武田節子君 最後にもう一点伺いますけれども、高齢者ゴールドプラン、新ゴールドプランは法的根拠がなくて、厚生省、大蔵省、自治省の合意に基づいた数値目標であります。昨年成立しました障害者基本法は国に障害者基本計画の策定を義務づけております。これに基づいて政府は障害者版ゴールドプランを検討していますが、高齢者ゴールドプランとは同じ数値目標でも重みに違いがあると感じられます。実際に違いがあるのかないのか。各省庁合意ではなく、法的根拠となる基本法が必要ではないかと思いますので、この点をお伺いしたいと思います。
 これはちょっと余分なことなんですけれども、たまたま昨夜、夫の介護のために職場を解雇された女性から電話がありまして、自分はホームヘルパーの三級の資格を取りたくて自治体の講習会に参加しておりますけれども、そこでの担当福祉課長の話では、在宅介護支援センターは中学校区に一つ、二十四時間体制と、絵はできておりますけれども、人も金もなく全然無理ですよと大勢の前で発表されたので唖然としてしまったというような話が、きのう突然電話があったものですから、特にこの点をお伺いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
#26
○参考人(堀勝洋君) レジュメの2の(3)に、保健、福祉等に関する計画制定の根拠は一応括弧書きで書いております。ゴールドプランは、おっしゃったように三大臣合意ということで、必ずしも法的な効力があるものではないということになります。法的な効力があるものとしては、そこに掲げてありますように地方老人保健福祉計画とか、そういうものがあります。
 ゴールドプランは、もうこれをつくってから五年たちますので、これを法制化するかどうかというのは余り問題にならないと思いますけれども、新ゴールドプランですね、これについて問題になるのではないか。法制化というのは、先ほども言いましたように、計画の内容自体を法律に書くというのは、これは社会経済が変動するとまた法律改正ということになりますので、これはなかなか難しい。したがって、計画策定の根拠をその法律に書いて、計画自体は閣議決定とかそういったフレキシブルな形でやるということになろうかと思いますけれども、それは私はある程度意義がある。閣議決定という形でやると各省の合意、全省庁の合意ということになりますし、そういう意味では拘束力があると思います。ただ、法律自体を制定するかどうかというのは、例えば抽象的な計画法でも、国民の権利義務に関係するわけではございませんので、果たしてそういう計画法をつくる必要があるのかどうか。むしろ今おっしゃいましたような個別のケースは個別の法律、老人福祉法なら老人福祉法に在宅介護支援センターを例えば各市町村に一カ所設置するように義務づけるとか、そういった個別の法律の問題であって、計画法の問題ではないのではないかと思います。したがって、計画法自体は国民の権利義務には余り関係がないとすると、そういうことではなくてむしろ閣議決定とかそういった形で計画自体をやって、具体的な個別施策は各法律に規定する、そういった方向の方が望ましいのではないかというふうに思っております。
#27
○武田節子君 ありがとうございました。
#28
○西山登紀子君 日本共産党の西山でございます、
 きょうは、どうも先生いろいろなことを教えていただきましてありがとうございます。
 特に私が学びました点は、憲法二十五条、一般的に生存権というふうに言われているわけですけれども、その第一項は人間的最低生活権というふうに先生が名づけていらっしゃるわけですが、同条の第二項ですね、私は従来はこれは国の責務というふうに規定がされているというふうに思っておりました。すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないという国の責務をここに明記されていると。それは国民の側から見ると、同項は生活向上権というべきものを保障しているんだと。生活向上権という国民の側の権利の規定ということで、先生がここに述べていらっしゃるということ、改めてそういうことが明記されているんだということを学びました。
 そこで、私が先生にお聞きいたしたいことは、日本の場合、非常に経済大国と言われる反面、二つの顔を持っている。特に、非常に経済大国と言われている一方で、国民が本当の豊かさを実感できない、あるいは豊かな人間らしい暮らしという点では小さな国というふうな悪評も聞くわけですけれども、この場合に国の責任を果たしているかどうかの物差しというのは一体何だろうかということで、先生のお考えをお伺いしたいわけです。
 それで、私が一つ考えていますのは、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない、国が責任を果たしているかどうかということの物差しに、私はやはり国庫負担のあり方があるのではないかと思っています。
 先ほど先生、国庫負担が確かに八〇年代以降は減っているというような御指摘もあったわけですけれども、臨調・行革の十年とよく言われますけれども、その中で老人福祉施設なんかに対します国庫負担は非常に激減をしているだとか、保育所を建てる場合にも国庫負担が激減をしているとかというふうなことも、個々の施設をとりましてもあるわけですけれども、この点で国庫負担のあり方というものはその国の社会保障の前進、後退をはかる上での一つの物差しにはならないかという点での御意見をお伺いしたいのと、私この十年見ておりまして、日本の社会保障が後退をする一方で前進をしているというふうになかなか思えないのですけれども、前進をしているというふうに先生が考えられるような面がありましたら教えていただきたい。
#29
○参考人(堀勝洋君) まず、国が例えば憲法二十五条一項、二項でいう責任を果たしているかどうかということでございますが、一項は最低限度の生活ということですから、すべての人が最低限の生活以下に陥った場合には一応生活保護がある。それに陥らないように健康保険法とか、あるいは国民年金法とかいろいろある。
 それから、二項の生活向上権というふうに私言いました。これは権利と義務というのは相反する面があって、こちらに義務があるとすると相手方には権利がある、こういうことでそういうふうに申し上げたのですけれども、国が責任を果たしているかどうかのメルクマールとして国庫負担があるかどうかということでございますが、その辺は私は必ずしも国庫負担というのが本当にそのメルクマールになるのかどうかというふうに感じております。
 国の責任というのはいろんな形で問えるわけで、例えば健康保険制度等を設けるということも一つの国の責任であります。それから、サービスが足りない場合にはそのサービスの供給をするということも国の責任。それから、サービスの質が悪い場合にはそのサービスを引き上げる、あるいはサービスについてその規制を設ける。国庫負担というのは結局は国民が出したものですから、国民が出したものは、国が社会保障に対して国庫負担をするということだけで本当に国の責任なのかなという疑問もあるわけですね。
 例えば、今おっしゃったように、確かに社会福祉施設の運営費、措置費については、従来は国庫負担が八割、それは七割それから五割に減ったわけですけれども、そのかわり国民にとっては、別にそのことだげでは不利になっていないわけですね。地方公共団体がその分を負担している。地方公共団体は地方税、あるいは地方交付税という形でそれを賄っているということになるわけですから、国の責任ということではそうですけれども、地方公共団体の責任を含めた公的責任という形では果たして後退になっているのかどうかということが言えると思います。私は、憲法二十五条にいう国というのは、地方公共団体も含めてその責任を考えておりますので、それは国と地方との間の費用分担の問題にすぎないのではないかなというふうに思っております。
 この点は詳しくは、またちょっとあれになりますけれども、ことし東大出版会から「社会保障法総論」というのを書いたんですが、そこで国家責任のあり方について、今御質問があったような国庫負担をすることが国家責任なのかどうかについて割と詳しく触れておりますので、あれでしたら後でそのコピーを差し上げても結構でございます。
 それから二点目の、社会保障は後退をしているということで、前進している面はないのか、こういう御質問ですけれども、これは私は個別には幾つかあるのではないか。
 特に、一九八〇年代は税収が上がらないために国庫負担を削るというふうな施策をとったわけですが、一九九〇年代に入りまして、バブルの影響、あるいは消費税導入の見返りとしてのゴールドプランによって、高齢者の介護については相当な前進が見られる。それは国庫負担とかそういう面だけではなくて、いろんな制度的な面、例えば在宅福祉サービスが老人福祉法に規定されていなかったのが規定されるようになったとか、それから量的にも非常に拡大しています。それから高齢者の介護以外にでも、例えば退職者医療については医療の給付率が上がっておりますし、それから昭和六十年の年金法の改正では女性の年金権を確立するとか、あるいは障害者の年金水準を高くするとか、そういう個別の制度を見てみますと、必ずしも前進がないわけではないと思います。
 ただ、前から話してますように、基本的に税収というのか、税の引き上げに対する国民の合意が得られないために国庫負担を減らさざるを得ない、そういう面から社会保障改革が行われてきた。その中には給付水準を下げたり、そういった面もあるということは認めざるを得ないというふうに思っております。
#30
○西山登紀子君 あと二分ぐらいしかないのですけれども、世界青年意識調査という調査がありまして、そこに自国に誇れるものを持っているかという設問があって、それに社会福祉を挙げた比率は、スウェーデンの青年が七一・六%、西ドイツが三五・六%に比べて、日本がわずか六・三%というふうな数字だったという青年の意識調査、国際比較の調査があるのですが、自国に誇れるものを社会福祉というふうに挙げているスウェーデン、それから六二・三%しか挙げていない日本の青年の意識、この辺のことについて、先生の御感想で結構ですが、お聞かせください。
#31
○参考人(堀勝洋君) 調査というのはいろんな設問の仕方によって変わっできますので、別の総理府の調査で、社会保障の幾つかの項目について戦後成果が上がったかどうかということではかなり高い点が与えられているのもあると思います。
 これは優先順位の問題ですから、要するに、福祉よりもいい面が日本にあるとすればそちらを選択するということもあり得るので、具体的なその調査がどういうふうなものかちょっとわかりませんのであれですけれども、そういう面もあるのではないかなというふうに私は思っております。
#32
○西山登紀子君 どうもありがとうございました。
#33
○下村泰君 二院クラブの下村と申します。よろしくお願いします。
 実は私は、障害を持った方々の無年金問題についてここ二年ほど集中的に勉強させていただきまして、政府へも再三質問したりあるいは要望しました。けれども、議論がかみ合いません。ところが、実は堀先生もかつてこの問題で書かれていらっしゃるということを知りまして、先般来お会いさせていただこうと思ったのですが、なかなか連絡がうまくいかないで、本日こういう形でお会いできて大変うれしく思っておるのです。
 何しろ時間が短いものですから、そう詳しく伺うことはできませんが、端的にひとつ伺いたいんですけれども、無年金を出さないための方策、現在無年金となっている方々、特に障害を持った方々への対応としてどういう方法、手だてがあるのか、ぜひお伺いしたいのがまず一つです。
 それから、細川政権になりましてからもいろいろと申し上げておるんですが、大体幾らか前向きの形で御返事はいただけておるんですけれども、村山政権もそうなんですが、いわゆる先生のおっしゃっている成年の後見法という問題なんですけれども、これもしちょっと中身についてお話し例えればなと。
 この二つをひとつよろしくお願いいたします。
#34
○参考人(堀勝洋君) 障害者の無年金の問題ですが、これは、過去において経過的に生じている問題と今後生じる可能性のある問題と、二つあると思います。
 過去の問題については、例えば外国人に対して適用されなかった、そういう問題がある。これは現在でもそういう問題は解決されていない。先生の御質問は多分、今後の問題だと思うんです。今後の問題としては、無年金が出る可能性があるのは、保険料を滞納していた、あるいは国民年金に加入していないという方々が無年金になる、まあほぼ唯一これだけでしょうか、だと思います。
 そうすると、こういう国民年金未加入とかあるいは保険料滞納をなくすにはどうしたらいいか、こういう問題になると思うんですが、これは大変難しい問題で、政府の方でもいろんな施策をやっていると思いますが、一つはやはり年金番号を採用して保険料を納めていない方々に督促をする、把握して督促するということが一つ。
 それからあとは、法律上は国民年金は強制徴収することができることになっているわけですね。ところが実態はやっていない。延滞すれば一四・六%の比率で延滞税を課するということになっているが、そういうことを実際上やっていないわけですね。いろんな理由でやってないと思うんですが、こういったもの、特に悪質なものについては、強制徴収という法律にあることを実施していくことも一つの方法か。そのぽかにいろんな対策が考えられているようですが、基本的にやはり国民皆年金というのに無理があったのかなとう感じも私はしております。
 というのは、保険というのは、これは保険料を納めて給付をもらうというシステムですから、世の中には所得がない、あるいは低い人がいるわけで、それらすべてをカバーするというのはなかなか無理があった。そこを保険料の免除という形での、低所得者に対して保険料を免除するというのがあるわけですけれども、今の免除基準がかなり厳しいという面もありますので、そこの免除基準を少し引き上げていく必要があるのか。そういう幾つかの手だてを講じて保険料の滞納、未加入の問題を解決し、障害者の無年金の問題を解決していくことが一つの方法がなというふうに思っております。
 それから、二点目の成年後見法ですけれども、これについては諸外国ではいろんな形で立法化されている。ドイツでは、世話人法という形で法定代理者としての世話人が保護をするということをやっておりますし、それからイギリスなんかでは持続的代理権授与法という形で、高齢者が痴呆になっても代理権が継続する、そういう形でやっています。
 日本ではどういうことが問題になるかというと、一つは、現在禁治産者になると本人自身が権利能力が全くなくなる。こういう一か八かというようなことじゃなくて、本人ができるところは基本的にそれを認めて、できないところは後見人というかそれを世話する人が補佐していく、そういうことが一つの改正点ではないか。できるだけ本人の意思を尊重するという形ですね。現在はもう禁治産者になると本人は全然法律行為をする能力がなくなるということですけれども、もう完全な無能力者ということ、それを改めていく。それから二つ目としては、現在、心神喪失の状況とか心神耗弱者という精神面だけの能力低下、これを対象にしているわけですけれども、要するに寝たきり老人なんかが何もすることができない、意識はしっかりしているんだけれども、そういう人に対してやはりこういう成年後見制度を設けていく必要があるんではないか。
 それから、現在では無能力者というか禁治産者の財産管理が主としてこの制度の主眼になっているということですけれども、もう少し、法律に基づいて身上監護だとか療養看護だとか、そういった本人の保護のための制度を充実していくというようなこと。それから名前が、禁治産とか準禁治産という名前が非常に悪いわけですね。だから、そこの名前を少し変えていく必要があるというふうなこと。それから、現在は禁治産者になると官報に公告したりそれから戸籍に載るという、これは取引の安全ということですから、戸籍を見ればこの人は取引能力があるかどうかということがわかるわけです。そういう公示方法、戸籍を汚すというのは日本人の嫌うことでもありますので、そこの公示方法を少し変えていくとか、そういったことが今後の成年後見制度の見直しの方向である。
 ただ、私はその専門家ではございませんし、それからこれは法制審議会というところで民法改正との関係で審議していることなんで、これは私自身のこういう考え方という御理解をいただきたいと思います。
#35
○下村泰君 ありがとうございました。
#36
○理事(清水嘉与子君) 以上で堀参考人に対する質疑は終了いたしました。
 堀参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
   〔理事情水嘉与子君退席、会長着席〕
#37
○会長(鈴木省吾君) 次に、城戸参考人より御意見を伺いたいと存じます。
 この際、城戸参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。どうぞよろしくお願いします。
 それでは、城戸参考人にお願いいたします。
#38
○参考人(城戸喜子君) 皆様、お忙しいところをお集まりいただきまして、本日は、介護のニーズと費用というテーマと、介護サービスの場合には、年金などの場合と違いまして、所得保障の場合と違いましてサービスを提供する人の問題が重要でございますので、労働力の問題と、二つの柱についてお話し申し上げたいと思います。
 最初に、介護のニーズと費用の問題でございます。
 ことしの前半に新しい福祉ビジョンが出まして、その中で、社会保障に使われている資源の配分を、年金、医療重視から、年金と医療をやや効率化しまして社会福祉、特に介護の方に資源を回す方向に進んだらどうかというような選択肢を含んだビジョンが出ました。私も実は、社会保障の資源に関しまして非常に偏った配分がなされているとかねがね思っておりまして、一九八〇年代の半ばくらい以降そういうことを考えておりました。
 きょうお配りいたしました一枚目の統計図表の左の上のところに「社会保障給付費の推移」というのがございます。これを見ていただきますと、日本を含みます六つの先進国における社会保障給付費の規模、ILOの基準によって集計されました社会保障給付費の規模が年金、医療、その他というふうに三分割されまして図示されております。日本を除きます五つの国につきましては、社会保障のそれぞれのタイプの中から比較的人口とか経済規模の大きい国をとりまして、そして図示したものでございます。
 一見してすぐおわかりいただけますように、日本の場合は、社会保障給付費の規模自体、総額自体大きくないのですが、その中で年金と医療の占める割合が圧倒的に多いということでございます。その他といいますのは、それじゃ社会福祉すべてかといいますとそうではなくて、そのすぐ下に表1「その他の支出の内訳」というのがございます。年金、医療、その他の「その他」です。これを見ていただきますとおわかりいただけますように、大きく分けまして所得保障とサービスと両方のものが入っております。社会福祉関係とそれから所得保障とを、特に公的扶助と社会福祉の費用を分割するのはILOの統計によりますと不可能なわけなんです。したがいまして、ILO統計と国内統計を突き合わせまして社会福祉と公的扶助を分割できる国につきまして比較をしましたのがこのスウェーデン、イギリスの二つの国でございまして、別にこれらの国で社会福祉サービスが手厚いからということではなくて、社会福祉のサービスの供給体系が大陸諸国と違うわけなんです。
 つまり、大陸諸国の場合には、ここで言いますと西ドイツ、フランスなんですが、西ドイツ、フランスの場合には民間非営利団体が中心になっておりまして、全国規模の民間非営利団体がサービスを供給しているのですが、しかしそれを全国規模で集計したものがない。人につきましても費用につきましてもそういうものがない。したがいまして、公的なものが絡みましたものだけとりますと非常に規模が小さくなりまして、しかもその上、社会扶助の中で介護サービスがなされているというような状況でございましたので、区分して費用の規模をここであらわすことができないというのが、スウェーデンとイギリスしかとっていない理由であります。
 社会福祉といいますのは、その中に児童福祉関係もありますし、老人福祉費も障害者福祉費もございます。
 まず、社会福祉費全体として見ますと、八六年が一番新しいのですが、このILOの統計といいますのは三年ごとでございまして、直近の数字はまだ八六年なのです。非公式に入手しようと思いますと八九年についてはこの五カ国については入手できないことはないのですが、ここでは八六年の数値を使っております。それほど大きな違いはないと思います。スウェーデンの場合に日本と比べまして一けた違う。対GDP比で一けた違うというところが決定的な違い。スウェーデンは特殊な例といたしますと、イギリスの場合も日本の二倍ぐらいになっているというところがすぐ読み取っていただけると思います。
 今申し上げましたように、社会福祉といいますのは児童福祉も入りますから、すぐ右側の小さな横長の表で、社会福祉の費用を児童福祉と老人・障害者福祉に分けまして比較したものがございます。
 そうしますと、日本は一九八八年で、スウェーデン、イギリスが八六年になっておりますが、老人・障害者福祉費の方をとりますとやはり日本とスウェーデンは一けた以上違う。イギリスにつきましても大体六倍ぐらい、日本は六分の一という規模になっているということがわかっていただけると思います。ちなみに、老人福祉費と障害者福祉費とを分けますと、これは圧倒的に老人福祉費の方が大きいということになります。
 こういうふうな統計数字からはっきり言えますことは、やはり少し日本の社会保障の資源の配分というのが偏り過ぎているのではないかということであります。
 次に、それでは社会福祉の方、特に今問題になっております老人介護の方に資源を回すとした場合に、今よりも社会保障に係る費用が大きくなってしまう。この高齢化と資源制約化のもとでどうやってそれが達成可能かという話になってくると思うんですが、同じ障害を持った老人に対しまして、あるいは病気でも急性期を脱しました老人に対して、医療施設で介護する場合と社会福祉施設で介護する場合とでは決定的にかかる費用が違うということがございます。
 それはことしの「週刊社会保障」に、はっきり何月何日号であったか覚えていませんのですが、老人保健施設、特例許可老人病院、特別養護老人ホームにつきまして総費用とそれから自己負担分を比較した表がございまして、そのほかの施設の設備の面の比較だとか職員の配置の比較だとかも全部含めておりますけれども、それを見ましても、病院に入っている場合に一カ月かかる費用といいますのは四十万円ぐらいはかかる、三十七万から四十一万というふうに書いてございました。
 私が八九年に書きました論文ですと、大体四十万から四十五、六万ぐらいはかかるだろう。それから、老人保健施設は標準経費でございますから大体二十六万程度。それから特別養護老人ホームですと、私の場合は東京都だけをとりまして、一番かかっている区部の場合と郡部といいますか二十三区外の特別養護老人ホームとの比較をいたしましたけれども、大体二十五万程度、二十五万から二十万程度。今回の「週刊社会保障」の記事を見ましてもそれは変わっていない、大体二十五万程度になっております。したがいまして、大体一カ月あたり総経費でいいますと十五万、少なく見積もっても十万は違ってくるというようなことがございます。
 他方、自己負担に関していいますと、在宅ケアを含めました場合に、在宅ケアが一番自己負担が高くなる、しかしトータルコストは一番少なくて済むというような推計がいろいろ出ております。
 トータルコストがどのくらいかかるかという推計につきましては、これは推計方法がまだ確立しておりませんので出てきました数字というのをそのまま信じていいかどうかという問題はございますけれども、しかし、トータルコストと自己負担分とを両軸に構えて比較をしていただきたいというふうに考えております。縦軸にトータルコスト、それから横軸に自己負担というのをとりますと、医療施設が左側の一番上にきてそして右側の下の方に在宅ケアがくるというような、左上から右下にかけて斜線が引けるような、そういうふうなアンバランスな体系になっているということをついでに申し上げておきたいと思います。
 ですから、トータルコストを下げることと同時に自己負担についても公平化を図る。これは実はある程度ならされてきている面はございますけれども、まだ残っている部分があるというふうに感じております。
 それで、常識的に考えましても、医療関係の施設に入っている場合には、滞在して泊まるあるいは食事をする、それから多少のケアをしていただくということに加えまして、治療行為が入るわけですから、これは当然、居住施設よりも治療施設の方がコストがかかるのは容易に推察できることであると思います。したがいまして、この面からも、医療の領域から社会福祉の領域に資源を移転させるということが必要であるかと思います。
 その場合に考えられますことは、当面社会福祉の方、特に老人介護の方に資源を投入しますと、当面の闇は、つまり医療費の削減が進むまでの間は、節約ができるまでの間はトータルでは膨らむだろうということであります。しかしながら、これは一種の投資的な経費だというふうに考えていただいてもいいのではないかと思います。
 実は、一九七〇年代の後半から八〇年代の半ばにかけまして、先進諸国では医療費の抑制ということが共通の課題として非常に表に出ておりました。その場合に、どの国が早く成功したかということは別にいたしまして、思い切って老人介護の方に費用をかけ、そして医療費の方を削減して成功したという国が幾つかございます。したがいまして、当面の費用の増加ということを恐れずに、ある程度社会福祉の方を充実していくことによって医療費の削減はできるのではないかというふうに私は考えております。
 こういうふうな医療保障費とそれから介護サービスの費用との代替関係というようなことを念頭に置きまして、それではその将来どのくらいの要介護老人あるいは介護サービスのニーズが発生するであろうか、それにかかる費用はどのくらいになるであろうかということを考えてみたいと思います。
 それが一枚目のプリントの右側にございます表1「要介護老人数と各種介護サービス必要量の推計」という、ちょっと入り組んだ表でございます。これはA、B、C、D、Eと五つのブロックに分かれておりまして、Aの部分は六十五歳以上人口と要介護老人数の純計でございます。純計というのは何を指すかといいますと、寝たきりの高齢者と痴呆症の高齢者が別々に推計されておりました時点でいたしました作業ですから、その重複というのをどうやって除くかという問題がございます。重複を除いた数という意味です。
 一九八五年につきましては、これは実績値でございまして、厚生省の方で一九八〇年代の後半から九〇年代にかけまして公表されていた数値を使っております。一九九〇年も実績値でございます。さて、その重複率なんですが、これは実は当時厚生省の大臣官房政策課の課長をしていらした方の推計で約二二%ぐらいというのがございましたので、それを使っております。
 問題は、将来どのくらいになるか、要介護老人がどのくらい発生してそれに必要なサービスがどのくらいになるかということでございます。
 二〇〇〇年と二十一世紀の最初の高齢化のピークの時点の二〇二〇年というのをとりまして、どのくらいになるかという数字を出しております。六十五歳以上人口というのは、これはもう人口問題研究所の推計どおり、それから、寝たきりと痴呆症の重複につきましては一定と仮定しております。これは非常にやりづらいところで、思い切って簡略化しないとできないところでして、だんだん年が進むにつれまして高齢化は進む、しかも後期高齢層の六十五歳以上に占める割合というのはふえていくということで、後期高齢層になるほど要介護老人の出現率は高くなる、したがって要介護老人の六十五歳以上で切った場合の出現確率というのは高くなるはずだということが一方にございます。
 しかし他方で、例えば寝たきり老人ゼロ作戦とか、あるいは都老研の痴呆症制圧十カ年プロジェクトというようなものがございまして、痴呆症とか寝たきり対策というのが予防も治療も含めまして考えられて一生懸命検討されているところですから、医療技術面あるいは介護の仕方、それからライフスタイル、食生活、一日の時間の使い方というふうなものにつきましてもしも進展が見られた場合には出現率というのは下がるかもしれない。
 現に、下の方に毎日新聞からの記事を引用して出しておきましたが、これは寝たきり・準寝たきり老人の年齢剔出現率、それから痴ほう性老人の出現率の調査であります。福岡市の場合を除きまして在宅の老人だけをとっているというところが問題なのですが、しかしながら福岡の場合を見ましても、やはり寝たきりも在宅も出現率は下がってきているということが指摘できると思います。
 もちろんこういう結果があらわれましたのはごく短期間のことでございまして、将来的にこれを下げている要因がまたなくなるということもあり得るわけですから何とも言えませんで、不確定要因が多過ぎる、したがいまして一定ということでやらざるを得なかったということでございます。そうしますと、大体純計で見まして二〇〇〇年には百九十三万人、それから二〇二〇年には二百九十一万人というふうな数になっております。
 私は、家族の類型と寝たきりや痴呆症の出現者数とをクロスで見ているのではなくて、家族介護というのは限界であろうということを念頭に置きまして、どのくらいのサービスが必要になるかということを考えました。
 次に考えるべきことは、施設ケアとそれから在宅ケアをどのように分けるかということでございます。
 実は、一九九〇年の時点で、実績で見ますと、老人保健施設、特別養護老人ホーム、老人病院に入っている六十五歳以上の高齢者というのは三・一%弱ぐらいでございます。高齢者保健福祉推進十カ年戦略を使って計算してみますと、大体三%ぐらい。その中で大きく変わっているのは、老人病院に入っている人たちを少なくするということであったと思います。あとは、老健施設の定員を二十八万人にして、それから特別養護老人ホームは大体一%の水準を保つというようなことになっておりました。
 そこで、海外の状況を見てみたいと思います。
 左側の上から三つ目の表8「各種施設の利用度合(一九八五年)」というのがございます。これは国際社会保障協会が出しました報告書の中からとりましたもので、医療系の施設と非医療系の施設に分けてございますけれども、多くの国につきまして両方を足した場合の施設利用割合、一番右側の欄を見ていただきますと、フランスを除きまして大体五、六%のところにおさまっているという実態がございます。八五年の時点でも既に施設ケアから在宅ケアヘというようなことが言われておりましたので、今後も施設居住者割合が下がるかもしれないという可能性はございます。
 しかしながら、日本の場合の三%というのと五%、六%というのは少し差があるけれども、じゃ間を埋めてみるとどういうことになるか。まず、二〇〇〇年の場合には五%、それから二〇二〇年には六%という施設居住率を設定しました。そうしますと、ゴールドプランの場合には大体三%ですから、その間の四%と五%というのをケース2に設定してございます。あとは、在宅高齢者がそうすると幾ら残って、そのための三本柱、ショートステイ、ホームヘルパー、デイセンターがどのくらい要るか、在宅介護支援センターとケアつき住宅がどのくらいになるかというようなことをつけてあるわけですね。
 このようにして計算しました結果、費用がどのくらいかかるかということでございますが、二枚目の統計表を見ていただきますと、二〇〇〇年と二〇二〇年の数値が出ております。ゴールドプランは、これはそのまま計算するとどうなるかということでございます。
 この計算の仕方なんですが、注書きのところにありますように基本的にはこういう式を使いました。各種サービスの費用は、総人口に占める六十五歳以上人口の割合に、六十五歳以上人口分の利用者数またはサービス提供者数をとると。そして、それに一人当たり国民所得に対する一人当たり単価というものを掛ける、そして百倍する。これはどういうことになるかというと、六十五歳以上人口が分子と分母でなくなりまして、結局は国民所得に占めるこういうサービスの費用ということになるかと思います。
 実際の算出例としまして、二〇〇〇年のゴールドプランの経常費・施設ケア費(特養)の場合が書いてございますが、まず六十五歳以上人口比は一七%、それから六十五歳以上人口二千百七十万人分の特養の定員二十四万人、それから一九八九年の時点の一人当たり国民所得を分母にいたしまして、特養の月一人当たり経費二十一万掛ける十二カ月というのを分子に持ってくる、そして計算すると〇・一八というような計算をいたしております。
 最初の二つは別にいたしまして、三項目目の一人当たり国民所得分の一人当たり単価といいますのは、これは要するに相対価格を八九年の時点で固定してしまって変わらないとした場合でございます。これがケース一とケース三です。
 それから、ケース二とかケース四といいますのは、これは相対価格を少し変えるわけです。例えば、介護のサービスに当たる人たちに対しまして、介護サービスに従事する人たちの待遇を少し変えて、相対価格を二五%ぐらいアップした場合にどうなってくるかというようなことを算出したのがケース二とケース四になります。
 したがいまして、表の一と対応するときにちょっとわかりにくいのですが、表の二の方のケース一、ケース二というのは、表の一の方のケース一になり、表の二の方のケース三、ケース四というのが表の一の方のケース二になるという、そういう対応になっております。
 細かい説明を省かせていただきまして、それでは二〇〇〇年と二〇二〇年に国民所得対比でどのくらいの費用になるかということなんですが、どのくらいのサービスが必要であるかということを考えます場合に、ただ六十五歳以上人口、対人口比でどのくらいのホームヘルパーが要るかということと同時に、例えばヘルパーと給食サービスとの組み合わせとか、あるいはデイケアに行った場合とヘルパーの訪問回数との調整とかそういうことがございまして、ここでは御説明いたしませんけれども、ある程度の組み合わせを考慮しながらこのサービスの量とその費用を計算してございます。
 実は、私がこのように非常に大まかにマクロで押さえているのですが、中央大学から東大に彩られました武川正吾さんという方がおられまして、彼が、デルファイ調査といいまして、専門家、実際に処遇をしている人たちあるいは地方自治体の福祉行政に当たっている人たちに対しまして、どのような障害の程度のどういう家族状況の人たちに対してどのくらいのサービスが必要かということを意識調査で調べたものがございまして、偶然のことながら実はサービス量につきましてはかなり似た結果を得ました。
 私の考え方としましては、これは非常にミニマムだという思いがあるのですが、しかしながらたまたま専門家の意識調査の結果とある程度似ているということで、そうすると、実際に処遇をしていらっしゃる方たち、あるいはその計画を立てていらっしゃる方たちというのも同じような考え方をしていらっしゃるのかなというようなことをちらっと考えました。
 それでは、費用はどのくらいになるかと申しますと、ゴールドプランの場合には大体二〇〇〇年で国民所得対比で〇・五%弱ですね。それから、ケース一、ケース二ですと一%弱。それからケース三、ケース四ですと一・二から一・三。それから高齢化のピークですと、一・三から一・四、そして一・七から一・八ぐらいで済むのではないかと思います。したがいまして、ここではミニマムのサービスだというふうには考えておりますが、大体国民所得対比で二%弱で済むかなと。もしも医療費というものを大幅に節約することができるとすれば、これは決して非常に負担になる規模ではないのではないかというふうに、そういう暫定的な結論を得ております。もちろん、推計方法とか前提につきまして検討すべきことは多いのですが、しかしながら大ざっぱな見当をつけるという意味ではまあ第一次接近としての意味はあるのではないかというふうに思っております。
 それから、二番目の大きな柱の「介護のニーズと労働力」というところに進ませていただきますと、まず、日本ではほかの国に比べて非常に保健医療とか社会福祉部門に従事している人の割合が低いという統計を御紹介したいと思います。
 それは、今の表の下にまた表2になっておりますが、「保健医療・社会福祉従事者の規模」というのがございまして、これは七〇年から八五年までで、かなり時点としては最近年が古いのですけれども、社会福祉関係の従事者につきましてはっきりした数字が出てくるというのはかなり大がかりの調査でないと不可能なのですね。それで、日本で言いますと国勢調査級の調査というようなものでないとなかなか難しいというところがございまして、かなり情報としては前の時点のをとらざるを得ない。九〇年につきましてそろそろやってみる必要があるかなというふうに考えているわけです、ほかの国につきまして。日本の場合につきましては、国内でかなり統計が得られるのですが、しかしほかの国についてはなかなか難しいということがございましてかなり古い。
 八五年を見ていただきますと、保健医療の方はかなりの規模に上っております、ほかの国におきましても。特にアメリカの場合は、保健医療と社会福祉の二つの領域を比較しますと、圧倒的に保健医療の部門に従事している人の割合が高くなっております。日本でございますが、日本は保健医療が三・四%、それから社会福祉が一・一%。ちなみに、これはどちらかというと産業部門でございまして、職業分類ではないということをお断りしておきたいと思います。
 問題は社会福祉の領域で、まあ児童福祉のこともございますが、老人福祉が含まれるという意味では社会福祉のところを見ますと、日本の場合に一%ぐらい、それからアメリカの場合が一・五%ぐらい、それからスウェーデンの場合は八%近くまでいっている。しかしながら、これは気をつけて見るべきところもございまして、例えばパートタイム換算というのがどのようになされているかというのがいま一つはっきりしない。スウェーデンの場合には、かなりパートタイマーとして働いている人がおりまして、それをフルタイム換算した場合にこの数字がどう動くかということは残るかと思います。しかし、それにしましても差はあるということは言えると思うわけです。
 ただ、日本の場合に考慮すべきことは、高齢化率がほかの国に比べてまだ低い時点でとらえておりますので、その高齢化率と保健医療・社会福祉従事者の規模との相関を見たのが右側の一番下の老齢人口比と保健医療・社会福祉従事者数とを足したもののグラフです。横軸に六十五歳以上人口比をとりまして、縦軸にこの両部門に働いている人の割合をとっております。時系列で見ますと、どの国も大体六十五歳以上人口比がふえると就業人口比もふえている。しかし、横並びで見た場合に、例えば日本、アメリカ、スウェーデンと見た場合には全然違うなというところはあります。先ほど申し上げましたように、大陸の国、フランスとドイツにつきましてはややイレギュラーな動きを示しております。それから、グラフの所在する位置がアメリカ、スウェーデン、日本からはちょっとずれている。これはどういうことかと申しますと、やはり民間非営利団体で働く人たちの割合が高く、その人たちの全国規模での集計が落ちている、不足しているところがある、過少推計だということが絡んでいるというふうに考えております。
 実は、最後のところで提言をしてほしいというふうなお話がございました。私は、施策に関する提言もさることながら、社会福祉関係の行政統計というのをぜひ整備してほしい。ほかの国につきましてはほかの国の問題ですから何とも申し上げられませんが、日本の場合に、施設従事者というのは把握できます。これは経済統計の方からも厚生行政統計からも把握できますが、しかし、在宅ケアに従事している人たちの割合というのは、どういう職種の人たちがどこで重複していて、しかもどのくらいの人たちが実際に働いているのかということがいま一つ明らかでない。
 昭和六十二年の厚生白書が、マンパワー白書と申しまして、保健医療部門に働く人たちと社会福祉部門で働く人たちの実績と将来推計を初めて出しておりました。これを見ますと、実績の方は別にいたしまして、将来推計は高齢人口の伸び率を現在値に掛けているという推計の仕方ですので、これはやや粗いのではないか。それ以降、在宅福祉に従事する人たちのしっかりした推計というのは公表されていないように思いますので、そこら辺のところもぜひ提言の中に入れていただけるといいのではないかというふうに思っています。
 つまり、施策が進めば行政統計も進むでありましょうし、施策を進めようとする場合には行政統計も整備しなければならない。これは人の数だけではなくて、その人たちの労働条件がどうなっているかということがどうもよくわからないということで、賃金水準、休暇、勤務のシフトの状況、それからその人たちがどういう意識を持っているか。全国社会福祉協議会が施設で働く人たちの調査をされたことはあるのですが、継続的にそういうものを出していってほしいというふうに考えております。
 そこで、将来的に高齢化が進んで、特に後期高齢層が進みまして、介護サービスに対するニーズあるいは需要というものが膨大なものになるであろうということは十分想定されるところです。その場合に、年金改革のときにも問題になりましたけれども、退職後世代と稼働世代との割合が稼働世代にとって不利になってくるということになりますと、より少ない稼働世代の人口で保健医療とか社会福祉関係のみならずあらゆる産業の労働力を賄わなければならないということになりますと、労働力の配分という問題がもう一つ問題になってくると思うわけです。
 これも時点が古いのですが、七〇年から八〇年という十年間をとりました場合に、どのくらい保。健医療・社会福祉サービスに対する需要がふえて、それを技術革新あるいは労働生産性の向上によりましてどのくらい節約することができて、現実にはどのくらいのこの部門における労働力の増大で済んだかというのを書きましたのが、右側の表6「就業者数変化の要因分析」というのであります。
 例えば、七五年から八〇年というのが一番最初のブロックにございます。これは、七五年は高齢化率七・九%、それから八〇が九・一%です。そうしますと、保健医療部門では大体七十三万三千人ぐらいの人がこの部門にふえるはずであった。しかしながら、労働生産性が上がった、さまざまな理由で労働生産性が上がったことによって四十六万人ぐらいの人が節約できた。その次の技術変化効果というのは、例えば薬の薬効が上がったとか、そういうようなことで考えていただけばよろしいと思います。治療に使うものとか、そういう要素だと考えていただいていいと思うんです。したがって結局二十六万九千人の増加で済んだ。
 七五年の保健医療部門従事者というのは百四十五万人ぐらいだったんだけれども、それに二十七万人ぐらい足しまして百七十三万人ぐらいで済んだ。社会福祉につきましては十万人ぐらいふえるはずだったのが、七万三千人少なくて済んで、結局二万七千人ぐらいの増加で済んだ、したがって三十九万から四十二万ぐらいの増加で済みましたよということを示してあるものです。
 これで何を言いたいかといいますと、結局は高齢化のために介護サービスヘの需要というのがふえるのはわかり切っていることですから、あらゆる意味で労働節約効果というのを上げなければならない。これは別に全部機械化してしまえということではなくて、さまざまな意味が込められていると思うわけです。
 例えば居住環境の整備ですね。居住環境を整備することによりまして、要介護の状態に陥る人も少なくなるでありましょうし、介護する場合にも介護をされる方もする方も骨を折る度合いが少なくなるでありましょう。住宅だけではなくて、福祉機器あるいは介護機器の導入あるいは発達によりまして、そういう省力化というものもできるでありましょう、というようなことを込めて考えていただけばよろしいのではないかというふうに思っております。
 ですから、ここで申し上げたいことは、全部の産業にどうやって人間を配分していくか、労働力を配分していくか、そのときに労働条件というのが決定的に重要であるということと、もう一つは、たとえ保健医療、社会福祉の領域でありましても、労働節約ということをかなり考えていかなければならないのではないかというふうなことを申し上げたかったわけです。
 将来的にどのくらいの介護従事者が必要になるかというのは、実はもう少し基礎的な統計資料が整備された段階で改めてお話し申し上げた方がいいかと思います。
 最後にまとめとしまして、社会福祉の理念に照らした介護保障ということをどう考えたらいいかということを少し申し上げたいと思います。
 実は介護の問題につきましても、いつでもどこでもだれでも必要なときにサービスを受けられるというようなことがこのごろ標語的に言われるようになりました。これは、医療保障の場合に、いつでもどこでもだれでも必要なときに費用の心配一なくというふうなことで掲げられていた標語が、社会福祉の領域、介護の領域にも入ってきたのだというふうに理解することができると思います。
 医療の場合には、いつでもと申しますと、これは時間帯の問題ですから二十四時間体制、救急医療、休祭日、夜間の問題ですし、どこでもといいますと、医療の場合には医療過疎のところとか、そういうことが問題になるわけですが、介護の場合にはかえって大都市になるかなというふうに思います。それから、いつでもというのは、介護の領域でいいますとホームヘルパーの二十四時間体制、あるいはナイトケア、ナイトホスピタルの充実というようなことではなかろうかというふうに思っております。
 だれでもというのは、これは、いつでもどこでもだれでもですから、選別主義から普遍主義へ、つまり、非常に限定された一部の低所得者層から一般の人たちにという、普遍主義へということをあらわしているのだというふうに思います。つまり、日本のどこに住んでいて、いつであろうと、いざというときの心配なく介護が受けられるということを言っているのであろうと思うわけです。
 最後の、費用の心配なくということになりますと、これは負担をだれがするかという問題あるいは財源の問題になってくると思いますけれども、これは後ほど補わせていただくとしまして、医療保障と同じように考えていくべきではないかというふうに思っているわけです。医療保障の場合に掲げられている標語をそのまま介護の領域にも適用しまして、それを具体的に実現していくには何が必要かというふうに考えるべきではないかと思います。
 二番目は、もう既に冒頭に申し上げましたけれども、医療費の節約ということで、医療から社会福祉へのシフトあるいは介護へのシフト、資源のシフトということであると思います。これがある意味では投資的な費用になるのだと、つまり医療費を節約できるということであります。
 それから三番目は、財源の問題にも絡むのですが、だれがこの介護サービスを供給すべきか、あるいはだれが費用を負担すべきかということなのですが、自己負担というものにつきまして、もう少し医療も社会福祉も含めまして全体的に考えていく必要がある。それから社会保障の中でも全体的に考えていく必要がある。つまり、年金給付を受け取った人がそれを使って施設あるいは在宅福祉サービスを受けられるというシステムを、スムーズにお金がそちらの方に流れるシステムを考えるべきではないかというふうに思います。
 例えばこういうことが考えられないでしょうか。特別養護老人ホームに入っている人たちにかかる経費というのを、地方自治体から社会福祉法人に、あるいは公的な施設に、一人当たり幾らというふうにして渡すという方法もありますけれども、そして費用徴収というのは入っている人たちあるいは扶養義務者から徴収するということになっておりますけれども、支払い代行機関みたいなものを設けまして、中に入っている人たちがどういう費用負担をしていて、そしてどのくらいの費用がかかっているかということを、施設の実際に介護をしている人たち、あるいはそこに入ることを決めた人たちが余りわからないようにする。入っている人、サービスを利用している人たちも、それからその利用を認めた人たちも、一たん施設に入ってしまった場合にはだれに幾ら費用がかかり、そしてだれが幾ら払っているかというようなことは余り考えないで済むような、そういう体系は開発できないのか。
 実はヨーロッパの場合、ナーシングホームに当たるもの、特別養護老人ホームに当たるものに居住している人たちは、年金の例えは一〇%とか一五%ぐらいを手元に残してあとはホームに支払うというようなことをよく言われます。これは、定率であっても定額であっても構わない、あるいはどちらが適当かということは検討していただいてよいと思うのですが、その場合に、オランダで聞いたケースですが、実際に処遇している人たちは、だれが社会扶助で介護を受けているのか、だれが自己負担を高くしているのか、そんなことは一切知らないというふうに言っておりました。そういうふうに、中に入っている人たち同士お互いに自分たちの経済状況を知らない、あるいは処遇者と入っている人たちがお互いに知らないというふうなことの中で、払える人には十分払っていただくというようなシステムを考えるのも一つの方法だと思います。つまり、年金の支給額というのが年金制度の成熟とともに平均的に上がっていった場合に、それを介護の費用にみずから充てていただくというシステムを真剣に考えるときではないかというふうに思うわけです。
 最後に、一枚目のプリントの左側の一番下に書いてありますのは、これは慶応大学の財政学の先生が書かれたのを使わせていただいているのですが、一番下の国民負担率と所得税の所得控除率というのを見ていただきたいと思います。
 将来、老人介護の費用あるいは年金給付、医療給付費の費用が非常に大きくなる。そうなると国民負担率が大変だということで、よくスウェーデンが例に出されます。ところが、所得税の所得控除ということで日本はかなりの給付をしているわけです。もちろんこれは介護に関するものだけではなくて、ありとあらゆるものに関する控除をここに出しているわけですけれども、スウェーデンの二倍になっている。所得控除をやめていきますと、そうすると自然に国民負担率は上がると思います。しかしながら、所得税制上の所得控除というのは税金を払ってない免税点以下の人たちには何らの恩典もありませんし、それからどのくらいの給付がなされているかというのが全く正確につかめない、推計してみないとわからない、表に出てこないということで、表に出して負担しているか、それとも見えないところである程度不公平を知らないで負担しているかという差が出てくるのではないかと思います。
 私が申し上げたいのは、日本の税制というのは、私は税制の専門家ではございませんので詳しくは存じませんが、福祉の問題に関して言いますと、非常に控除の種類が多いですから税制としても非常に複雑になっている。したがいまして、控除をかなり整理していって、見える形でみんなで負担していく方がいいというようなところがあると思います。朝日新聞の大熊由紀子さんが、国民負担率ではなくて国民連帯率だというようなことをおっしゃっておられますが、それは一つの側面であるのではないかというふうに思っております。
 以上で終わらせていただきます。
#39
○会長(鈴木省吾君) ありがとうございました。
 以上で城戸参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#40
○太田豊秋君 ただいま先生に日本の福祉の問題あるいは将来像につきましての御高見をお伺いしたわけでありまして、まことにありがとうございました。私は自由民主党の太田と申します。
 高齢化社会にだんだんなってきますと、高齢者の皆様方はある意味では自分の住みなれた地域の中で暮らしていきたいとか、そしてまた当然、自宅で療養する、生きていきたいというふうなことを考える人が多いんだと思いますが、しかし、なかなかそういった環境が整わないために必然的に施設に入らざるを得ないような状況になっている人も多いんじゃなかろうか、こんなふうに思いまして、これは高齢者本人にとっても大変つらいことではないんだろうか、こういうふうに考えられるわけであります。
 先生の書かれた本などを拝見させていただきますと、本来、在宅生活の可能な方がいわゆる施設に入っていらっしゃるのは財源の面からも大変非効率なんだというふうなことも書いてありますし、また在宅生活を実現させるためのさまざまな施策の中で、その基本となるのが何といってもマンパワーの問題とか住宅問題だというふうなことが書かれておりますので、これらの問題についてちょっとお伺いしていきたいと思います。
 そこで、要介護者の増大に伴う介護マンパワーの確保の必然性が言われてきてからかなり久しいわけでありますが、当調査会でもこれまで二回の中間報告でマンパワーの確保を提言いたしておりますが、残念ながらこのことに関しましては、国民が安心して高齢期を迎えるにはなかなかほど遠いような現状であると思います。九月に出されました厚生省の新ゴールドプランの試案によりますと、ホームヘルパーが二十万人、それから寮母とか介護職員が二十一万人の確保を目標としているというふうなことであります。そのために養成研修だとかあるいは養成施設の整備も推進されようとしておりますが、同時に勤務条件の改善が何と申しましても不可欠ではないのか、こんなふうに考えられるわけであります。
 先生は、その介護にかかわる方々の給与だとかあるいは労働時間など労働条件の実態についても、今もお話を伺っておりまして大変よく御存じでいらっしゃいますので、諸外国との比較とか、あるいはまた他の業種との職業的な比較などにつきましてひとつお教えいただきたいと思います。
#41
○参考人(城戸喜子君) 今の御質問についてちょっと確認したいと思うのですが、施設従事者と在宅介護者と両方を含めてですか。
#42
○太田豊秋君 はい。
#43
○参考人(城戸喜子君) 実は、日本の社会福祉施設従事者及び在宅ケア従事者につきまして、先ほど申し上げましたように、それほどきちっとした調査というのはないのですね。一九七〇年代の後半だったと思いますが、労働省が、特定の業種の中小規模の事業所の調査をしたのがあったと思います。その中に施設従事者の労働条件がやや取り上げられていた。それから、先ほど申し上げました全国社会福祉協議会の、あれはいつごろでしょうね、一九九〇年代に入ってからだと思いますけれども、介護職のイメージとかというタイトルだったと思いますが、そういう調査がございました。
 よく看護婦さんの場合に言われることですが、勤務体制が三交代で非常に大変だと。しかしながら、施設従事者の寮母さんの場合もっと細かく分かれておりまして、これなかなか大変なんです。シフトがあるということは自分の生活のリズムが狂うということで、本人の健康問題にかかわると思うわけです。したがいまして、ここら辺のところはもうちょっと、まず職員の配置基準というんですか、職員の配置基準自体を見直すことが必要ではないかというふうに思っております。これは、看護婦さんの場合もそうなんですけれども、全く同様のことが言えるのではないかと思います。
 それから、海外の場合につきまして申し上げますと、例えばスウェーデンで聞いた話ですけれども、同じ社会福祉の従事者の場合でも、若いときにはかなり重労働するようなところにいるけれども、中年から、かなり退職時点が迫ってきた場合には本人の希望によってもう少し軽い仕事をするところにシフトさせるというようなことも考えているようですので、いきなり勤めていたところから自宅に戻って全然労働市場に出なくなるというのは、これは人間の使い方が非常にもったいないというふうに私は思っております。本人の健康問題もありますし、それから資源としてももったいないのではないかというふうに思っております。
 それから、在宅介護者につきましては、一時非常に評判になりましたけれども、長野県ですか、ホームヘルパーを公務員として雇い上げるということをいたしました。現実に社会福祉行政業務報告なんかを見ておりますと、市町村が設置しているヘルパーとそれから社協を含めました委託分と、二つの行に分かれて数字が並んでおりますけれども、実際にはかなり委託部分が多くて、しかもその上に、委託されているところで働いている人たちは、これは実際に働いている時間から見るとフルタイムなんだけれども、しかし身分保障上はパートタイマーというような妙な形になっている人たちが非常に多い。そういう意味で、身分保障をする、それから社会保険を適用する、それからもちろん賃金ももう少し、例えば製造業に対してどのくらいの比率であるとよいと思われるかと。
 今のように非常に景気が悪くなってきた段階では、大学におりましてもかなり社会福祉の方に就職しようとする人たちがいるわけですけれども、一たん景気がよくなりました場合にほかの企業に流れてしまうというのでは、これは非常に残念なことだと思うわけです。ですから、実は私は人材確保法という三つの法律が、厚生省二つと労働省が一つ出ましたけれども、あのときも労働条件につきましてもう少し書き込んでほしかったというふうに考えておりまして、職員の配置基準、それから労働時間、それから給与水準、休暇、そういう問題について書き込んでほしかった。
 労働時間について申し上げますと、実は日本長期信用銀行の竹内宏さんという人がおりまして、そこの長期信用銀行の総合研究所というのがございます。そこが三十歳以上の主婦と学生とそれから高齢者につきまして、あなたは一体どういう条件が整ったときに就労したいと思うかというふうに聞いているんです。そういうアンケート調査があるんです。そこで、学生をちょっと除きまして、三十歳以上の主婦とそれから高齢者の場合、勤務場所が非常に自宅に近いということ、それからもう一つは、勤務時間帯が弾力的だということを答えている人たちの割合が圧倒的に高いんです。
 ですから、労働時間というのが、シフトが頭から与えられてそのとおり動かなければならないということと、自分が弾力的に選択できるということは全く別ですから、今後は労働力全体が少なくなっていく中で専門職パートというものをもっと生かして、そしてその人たちの労働条件というのはフルタイムの人と同じようにしていくというような方向が望ましいというふうに思っております。
#44
○太田豊秋君 専門職のパート、そういったいろんな問題があろうと思いますが、ただ問題なのは、パートが安上がりな労働力だというようなことで導入される嫌いがあっては非常に問題が出てくるんじゃなかろうか。
 そういった中で、やっぱりヘルパー本人にとっても安心できる魅力ある職場であると同時に、介護される側にとっても、言うなれば安心して水準の高い介護がなされていくというふうな、そういった技術確保というものがされていかなきゃならないと思うんですが、そういったことについてのシステムとすればどんなふうなことがこれから考えられていくのか。また、ヘルパーの役割の中で、常勤で確保するべきところとパートで対応するべき部分という役割の分担というものがこれからそういう意味では考えられていくんでなかろうか、こんなふうにも考えるわけですが、いかがでございますか。
 それと同時に、今学生の問題があったんですが、なかなか若い者が、経済的に景気がよくなってくるとそちらの就労者が少なくなるとか、いろんな問題があるわけですが、しかし、著者がこれからは、介護を魅力的な仕事ととらえて、いわゆる福祉の部門の中に参入してくるというものをつくっていかなければならないんじゃないか。そのために、例えば少年期からの福祉マインドを養っていくことが重要だと思います。同時に、介護職に興味を持った若者の就職というか就業を促進するためには、若者に対して、例えば介護の職につく者については奨学金を出してあげるとか、あるいは学校の先生が奨学金の返還をしなくても、何年以上の場合だったら償還しなくてもいいとかというような、そういった返還の免除など、こんなことを考えながらいかれたらどうなのか、こんなふうにも考えるわけです。先生、毎日若い学生の人たちと交流をし合っていて、社会福祉のこういった部門についてのアイデア的なことというのが何かありましたらお教えいただきたいと思います。
#45
○参考人(城戸喜子君) 何か私は、全部をひっくるめまして給与水準というのが一番大きいファクターなような気がいたします。
 学生も最初は純粋な気持ちで仕事に入ると思うんですね。しかし、本人が家庭を持ち、子供が生まれ、そして子供が大きくなって教育費がかかるようになっていった場合に、果たして優しい心を持った、かつて優しい心を持ってその道に入った人たちがどのような職歴を経るのかということに関しまして、やや疑念を、ややどころかかなり疑念を持っているわけです。
 それから、よいパートタイマーの確保をする条件というのは、やはりこれは一つは賃金であると思いますね。日本の場合にはフルタイムの場合も時間給でないというところが非常に決定的に違いまして、賃金体系を組む場合に難しいと思うんですけれども、例えばこのごろ自治体の図書館、公共図書館なんかで夜開いている場合とか祭日に開いている場合、休日に開いている場合というのがありますね。だんだんそういう分野で司書の資格を持った人たちをパートタイマーとして雇うことになっていくと思うんですね。その場合に、それじゃその人たちは普通のパートで済むかというと、そうではないと思うんです。ですから、ほかの専門職の給与体系とにらみ合わせながら時間給を設定していっていただくということがいいんじゃないかというふうに考えております。それからもう一つ決定的なのは、パートタイマーにつきましては社会保険適用だと思うんです、年金もそれから健康保険も。ということであると思います。
 それから、役割分担につきましては、これはどうしても専門性の高いものはフルタイムでやっていただく。しかし、これもスウェーデンの例になりますが、看護婦さんで夜勤専門の看護婦さんというのがいるんです。それは夜勤の方を本人が選びたいというわけです。ですからその人は、夜勤専門であっても専門性は高いわけです。ですから、一般的に専門性の高いのはフルタイムでというふうに申し上げるとしても、その次の段階として、パートタイマーでも専門性の高い人がどういうふうな条件で奉仕し得るかというふうなことも考えていったらいいんではないかというふうに思っております。
 それから、福祉マインドの養成なんですけれども、これはとても大切なことだと思いまして、学校段階、小学校、中学校、高校それから大学というふうにそれぞれの段階で社会保障とか福祉に対する権利を教えると同時に、自分たちができることを教える。両方バランスをとりながら教えるべきだと思うんです。学生で、三年生になって二十歳になりますといきなり国民年金に強制加入だと、どうして自分たちは入らなければならないんだというような疑問を持つ学生がたくさん出てくるというのはやっぱりまずいと思うんですね。それは相互の助け合いだ、世代と世代の助け合いだ、自分たちも将来はそれによって便益を受ける、今は自分たちがそのために拠出するのであるというふうなことが理解できるように、すべての教育段階でやっていくべきだと思うわけです。
 学校だけではなくて、日本では学校教育に余りにウエートが置かれ過ぎておりますので、家庭とか地域でも家族ぐるみで高齢者とつき合うというような環境を設定していくということが重要であるというふうに思っております。
#46
○太田豊秋君 それで、先ほどもちょっとお話が出ましたけれども、実は先生の本の中で、介護を担当する親族を公的ヘルパーとして雇い上げ、ヘルパーと同様な経済的報酬と社会保険適用で対応することが必要、こんなふうに書かれておるわけであります。御家庭で大変な御苦労をされながら介護に携わっている御家族の御苦労というものに報いていくためには、例えば一家の奥さんが要介護の老人がいるためにどうしても外に働きに出られないとか、これはやっぱりそれだけその家庭の経済というものが非常に大変になってくると考えられますので、介護手当がそういった方々に必要だというふうに私自身も考えておりますし、そういう観点から何回か質問をさせていただいたりしております。また、当調査会の中間報告でもこの点に関しましては提言を行っておるわけでありますが、現実には勤務管理などに関する問題があろうかと思いまして、それらの問題をどのようにクリアして実現していけばいいのか、こういったことについてひとつ御指導いただければと、こんなふうに考えております。
 それから、時間があれなものですから続けてちょっとお尋ねいたしますが、先生は老人介護の将来予測というのをなさっておられまして、そういった中で、在宅介護へのシフトなどが進められても介護費用の増大をとめることはできないのは明らかだ、こんなふうにおっしゃっておられました。それと同時に、厚生省では公的介護保険というふうなことについて現在検討を進められておるわけでございますが、先生の介護費用の財源についての考え方と、それから、公的介護保険というものはいろいろさまざまな形態があろうかと思いますが、介護保険の導入と家族への介護手当との関係をどんなふうに考えたらいいのか、とらえていけばいいのか、このことについてちょっと御指導いただければと思います。
#47
○参考人(城戸喜子君) 今の御質問にお答えする前に、前の質問の中で最後に一つ落としたことがありまして、学生の奨学金とそれから返還免除の話ですね。
 確かに返還免除というのはおもしろいアイデアかなというふうに思いますが、看護婦さんの場合に、看護学校に入学して卒業しました場合にお礼奉公というようなものが出てきましたですね、現実の問題として。そこら辺の問題が介護の領域でも起こらないような工夫を凝らして、奨学金を設定し、かつその返還免除というのができればいいなというふうに思っております。
 それから、今の御質問は二つございまして、勤務管理の仕方と、それから介護費用の増大、その財源をどう賄うかという話ですね。
 勤務管理というのは、これは確かに難しい問題だと思うんです。少し話が飛びますが、施設介護の場合には、もしも施設が地域に開かれていないで閉鎖的な場合には、中でどのような介護がなされているか、サービスの質が全然チェックできないわけですね。しかし、その施設が地域に開かれているとすれば、これはサービスの質は周りで見ることができるというわけです。
 在宅ケアの場合にも同じような問題が起こると思うんです。在宅ケアの場合にサービスの質、ケアの質をどのようにチェックするか。それが、何というんでしょうね、警察行政のように、ただ監督し、叱咤激励し、罰するというのではこれは大変だと思うわけです。といいますのは、介護をしている本人に非常に負担がかかるわけですから、これは介護をしている本人自体をサポートするという方向でケアの質を上げていかなきゃいけないということになると思うわけです。在宅ケアの場合、家族介護による場合も、できるだけ地域に開放されている、つまりは、いろんな人が出入りするということがまず前提条件になると思うわけですね。
 そのことと絡みまして、家族が介護する場合にどのくらい介護をしていたかということをチェックする仕組みを考えていったらどうだろうかというふうに思います。私は今、具体的にどういうふうに勤務管理をしたらいいかという対案は持っていないのですけれども、現実にほかの国で家族介護者を公務員として雇い上げているという国があるわけですね。そういう国の状況を調べまして、そして学ぶべきところは学ぶという方向にするのかなというふうに思っております。例えば、公的なホームヘルパーあるいは福祉公社から有償ボランティアが介護に行く場合に、これは記録が残るわけですね。まず自分で記録をしていただくというようなことができればいいかなというふうに思っております。
 それから、介護の費用の問題ですが、介護の財源をどうするかというのは、いろんな考え方が今出てきていまして、社会保障制度審議会の将来像委員会は介護保険という方向に踏み切ってしまったわけですけれども、私は介護保険を導入することに最後の段階まで少し検討の余地があるというふうに思っております。別に反対しているわけではないのです。
 なぜ介護保険を導入する方向に専門家やあるいは行政担当者が踏み切るかというのは理解できないわけではない。つまり、公的な費用だけでやっていた場合に、もう公的な財源というのは決まり切っている。そんなに大きくすることはできないであろう。そうすると供給もふえない。供給がふえないと困るから、購買力をつけて、そしてその購買力の方にお金をつけましょうと。それは一般財源ではなくて社会保険料でと。そうすれば、創意工夫を凝らした供給サービスがいっぱい出てきて、そして利用者の選択の機会も大いにふえるだろうという、そういう考え方であると思うんですね。それは私は理解できないことはないのですが、これは医療の場合と同じように、自由開業医制と医療保険という組み合わせと同じになってくると思うわけです。
 かつて、医療費の爆発ということが一九七〇年代の半ばから八〇年代にかけて非常に問題になった。それは結局、医療というものが非常な専門性を有しているがために、その利用者の方が自分でどの種類のサービスをどのくらい購入すればいいかということが判断できないわけですね。ということは、供給者の方が主導権を握るということだと思うんです。
 介護サービスの場合にも、医療サービスほどではなくてもやはりそういうことは起こり得ると思うんですね。ですから、そこら辺のチェック機構をよく考えるということが必要ではないか。そのために、じゃ公的財源でもう少し供給をふやし、財源を賄い、しかも自己負担、あるいは利用者負担というものを高めることによって、介護サービスをふやしていくこと、あるいは介護費用を賄うことはできないのかということももう少し並行的に検討していただきたいというふうに思っているわけです。
 先ほど申し上げましたように、税制上の控除というのが余りに多過ぎる、その税制上の控除を国レベル、都道府県レベルそれから市町村レベルで整理した場合に十万ぐらいはすぐ出てくるだろうというふうに考えております。国で五万、それから都道府県と市町村で二、三万ずつで合計五万、合わせて十万ぐらいは出るだろうというふうに思っております。
 なぜこういうことを申し上げるかといいますと、実はある県の仕事をさせられまして、そこで県のレベルで提言できることをやってほしいと言われたんです。一生懸命計算しまして、ちょうどそのころ、知っている研究者が、国のレベルでの税制上の控除をやめて、重度の障害を持つ老親を同居しながら扶養している場合には目に見える形で、社会手当という形で出した方がいいというふうなことを言っておりましたので、そちらの計算を使って、その県と県下の市町村でどのくらい出せるかということを考えましたら、大体十万ぐらいは出るかなというふうに思いましたものですから、そういう可能性もあわせて検討していただきたいというふうに思っております。
#48
○太田豊秋君 ありがとうございました。
#49
○日下部禧代子君 お久しぶりでございます。ごぶさたしております。
 きょうは、本当に綿密で大変豊富な統計をいただきまして、そして将来推計、非常に参考にさせていただいて、本当に勉強させていただきました。ありがとうございました。
 ところで、二、三の質問をさせていただきたいと思いますが、まず最初に、先生もお話の中でお触れになっておりましたけれども、要介護者の推計でございます。これは、先生のお話にもございましたけれども、もちろんいろいろな要因が絡んでくることでございまして、どれがどうなったからどうということでは、なかなかそれは簡単には言えないのでございますが、要介護者の出現率というものについて、例えば今ゴールドプランでは寝たきり老人ゼロ作戦というふうなことが計画されているわけでございますが、その中でも特にリハビリの問題、リハビリをもっと充実させるとか、あるいは先生もお触れになりました住環境の整備とか、そういうことも含めて、寝たきりになる要因を取り除くことによってどのように要介護者の出現率が変化するのかという、そういうシミュレーションを先生御自身ではお試みになったことがおありでございましょうか。もしございましたら、少しお話しいただければと思います。
#50
○参考人(城戸喜子君) 私自身は、どのような施策をとったときにどのくらい要介護者の出現率が下がるかというふうな推計はいたしておりません。
 ただ、出現率とは違うのですが、日本経済新聞の、昨年でございましたか、住宅環境を整備した場合にどのくらい介護の費用が減るかというふうな計算をされたのがありまして、その計算では将来的には十一兆円ぐらいは少なくなるだろうというような推計がございました。
 ですから日下部先生の御質問に対しましては、私自身は、要介護者が何らかの施策、予防策によりましてどのくらい減るだろうかというような試算はしたことはありません。
#51
○日下部禧代子君 やはりそういう試算を先生なさっていただぎますと、我々政策をつくっていく中で非常に参考になりますので、大変これ面倒くさいことはわかりますけれども、ぜひともお試みいただければというふうにお願いしておきます。
 ところで、その次に、介護費用のやはりこれは推計にかかわることでございますが、一体どこまで介護するのかという基準をどこに置くかによって、介護者、そして介護する時間、そしてそれに伴っていわゆる全体的な介護費用というものの推計に変化があらわれるのではないかなというふうに思いますけれども、このような観点を含めた先生の御研究がございましたらお知らせいただきたいのでございます。
#52
○参考人(城戸喜子君) 日下部先生の御質問は、これはかなり、どういうふうに言いますでしょうか、専門職というか、処遇をしたり、あるいは医学的な観点も入ってくるかというふうに思われまして、やや私は苦手がなと思うのですが、ただ、介護の基準につきましては、これは専門家が集まりましてある程度の合意は得られると思うんです。現に、ゴールドプランをもとに各地方自治体が老人保健福祉計画をつくりましたときに、ランクJとか幾つかのランクに分けまして障害の程度を区別すると。それに従いまして、ランクJの人たちには週どのくらいのホームヘルプとどのくらいの給食サービスとデイケアが必要だというような基準が行政の方から一応出ておりますので、それが果たして妥当かどうかということを、今度は現場で処遇をしている人たちに意見を聞いて、意識調査をして、そしてその反応によりまして改善していくというのが具体的なやり方ではないかというふうに思いますが、いかがでございましょうか。
#53
○日下部禧代子君 確かに、先生おっしゃいますように、そういうサービスを提供する側の視点と、それから実際にサービスを行っていらっしゃる方々、そしてまたサービスを利用する方々、その三者の視点がやはりきちんと合意に達するというふうな、その上に基づいた基準というものが設定されなきゃならないだろうというふうに、私も本当にそう思います。ぜひとも先生またそういう調査なりをしていただければというふうに、みんなお願いしちゃってごめんなさい、そういう調査も本当に参考になると思いますので、ぜひともお願いしておきたいなというふうに思います。
 次に、先ほど同僚議員の太田先生も御質問なさいましたけれども、いわゆる福祉従事者の処遇の問題でございます。
 専門職として介護福祉士、社会福祉士という方々がなかなか難しい試験を受けて、国家試験、資格試験をお受けになっていらっしゃるわけですけれども、その方々の処遇というものが、資格試験に合格したということがそれほど反映するような処遇になっていないような声をよく聞くわけでございますが、その点について先生まずどのようにお考えでいらっしゃいましょうか。
#54
○参考人(城戸喜子君) 社会福祉士、介護福祉士の国家資格が導入されてから、まだ余り間がないわけです。その国家試験を受けるそもそもの資格、それを得られるルートがいろいろある。例えば施設で長い間働いている人たちがいるわけです。中年になってから国家資格のための試験を受験する。そうすると、実技とか経験ではまさるのですけれども、しかしいわゆるぺーパーテストには弱いというようなところが出てくる。試験問題をつくっている人たちもときどき反省を込めて、こういう問題でいいのか、こういう試験でいいのかというようなことも言っておりますものですから、資格というものが専門性というものを前提にしていて、それに報いる給与体系にするということは、将来的にそちらの方向に入ってくる人たちを誘導するという意味では非常に大切だと思いますが、現在既に中年になってしまって、なかなか資格を得られない人たちとのバランスの問題というのも一方にはあるのではないかなというふうに私は思っております。
 ですから、今後改善していくべきだとは思いますけれども、現在の状況下で一気がせいにはできないのではないかというふうに思っております。
#55
○日下部禧代子君 確かに私の学生なんかでも、この資格試験を合格してやはり処遇というのが違うというところが、現場にもう既に働いていらっしゃる方々は、先生のおっしゃったようにこれだけ忙しいからもう受験勉強なんかとてもではないというふうなところで、その辺の、導入されてから先生おっしゃいましたように時間がまだ経過がしておりませんから、いろんな問題が一つの格差みたいな形で出てしまうのもまたいけないというふうに私も思いますけれども、やはりその辺のバランスをこれからしばらくの間どのようにとるのか。そうじゃないと学生にとってはまたインセンティブがなくなるということにもなりますし、そして現在の働く方には何か非常に差別待遇のようにもとられる。その辺のところの工夫が今非常に必要じゃないかなと私実感しているところでございます。またお知恵がございましたらぜひともよろしくお願いしたいと思います。
 やはり福祉従事者の問題でございますが、給与の面ということはよく言われるんでございますが、ホームヘルパーさんのような在宅サービスの福祉従事者、そしてまた施設の方、いずれにしてもやはり個人的なさまざまな悩みを抱えていらっしゃることがあるんじゃないか。サービスの対象者というのが、いろいろと複雑な問題を抱えている方々を介護するというふうなことがこれから出てくると思うんです。それと同時に、きめ細かい、そして専門的な介護がまた必要とされる。
 そのような中で、現場で、そういった悩み事を含めて、いろんな問題点をどこにぶつけたらいいのかどいうふうに悩んでいる方たちも非常に私多くお見受けするんですが、給与だけではなくて、そういう生活全般も含めた調査などは、ございましたらどのような調査がございましたでしょうか。もし先生御存じでございましたら、その内容とその結果とそれからその調査、報告書などをお知らせいただければと思います。また外国の例でも結構でございます。
#56
○参考人(城戸喜子君) 日下部先生の御質問はなかなか難しくて私は答えにくいのですけれども、介護従事者の生活上の悩みに関する調査というのは私は今のところ知りません。
#57
○日下部禧代子君 やはりそれもこれからやっていかなきゃならない分野じゃないかなというふうに思います。今伺っていると、先ほど先生もお話の中でおっしゃいましたけれども、実際、実態調査というのがやられているようでなかなかなされていないという事実がございますね。だから、この辺のところは私たちも声を大にしてあちらこちらで申し上げていきたいというふうに思います。
 その次にお伺いしたいのは、これは介護者あるいは介護費用の問題にも絡んでくると思いますが、現在のサービス体系というものでございます。現在のサービス体系をどのように変えでいけば、どこをどのように変えていけばいいのか。例えばコーディネートしていくということが必要だというふうなことは、連携が必要だということはよく言われているんですけれども、一体今のサービス体系の中でどこがコーディネートする場であるべきなのか、そしてだれがということも含めまして、今はないけれどもこれからはこういう職種が必要ではないか、こういうシステムが必要ではないかということを含めて、先生の御意見をいただきたいと存じます。
#58
○参考人(城戸喜子君) サービスの体系化につきましては、今までの社会福祉サービスの発達の仕方が、個別の領域で、例えば給食なら給食、いわゆる重介護なら重介護、それからデイケアならデイケアというふうにばらばらになされてきているし、医療は医療でまた別のところで発達してきているわけです。したがいまして、高齢者というのを中心にして、高齢者の日常生活を二十四時間流して見て、その中でどういうふうなサービスがこの程度の障害の人にはどのくらい必要かというふうなことを、組み合わせを考える人として、よく言われているのがケースマネジメントとかケアマネジメントとか言われるものであると思います。それは日下部先生はよく御存じだと思います。
 現実に日本の中でそれではだれがそういうことをすべきか、どこですべきかというようなことになりますと、いろんな可能性が考えられると思うんです。まず一つは訪問看護をする人たち、それから、病院とか保健所にはおりますけれども今余り十分に使われていないメディカルソーシャルワーカーという職種がございますね、この人たちの活躍の場というのがあるのではないかというふうに思っております。ですから、自治体によりましては高齢者総合サービス調整チームですか、そういうものを設置しまして複数でやっているところもありますし、可能性としてはいろいろあるのではないかというふうに思います。
#59
○日下部禧代子君 もう少しお聞きしたいのでございますが、時間が参りましたので、ありがとうございました。
#60
○直嶋正行君 本日はどうもありがとうございます。新緑風会の直嶋でございます。
 先ほどの先生のお話をお聞きする中で幾つかお尋ねしたいと思うのでありますが、さっきお話の中で、日本の税制について所得控除、これを考えればかなり財源等も出るんじゃないかというお話がございましたが、もう一つ、これは特に職券持っておられる女性の方の意見に多いんですが、今パートの非課税限度というのがございますね。これがかえっていろんな阻害要因になっているんじゃないか。要するに、これがあるために、これはさっきおっしゃった控除と関連をしておりますので、それ以上の仕事をやらなくなる、あるいはそのことが女性の賃金を抑制している要因になっているんじゃないか、こういう指摘もございますが、この点については御検討されたことがありますかどうか。これを一点お聞きしたいんです。
 それからもう一点は、これは税とは違うのでありますが、今よく議論されていることに内外価格差というのがございます。先生もいろいろデータを国際比較されたりしておられるわけでございますが、今の社会保障給付とかあるいはこの費用の面での内外価格差の問題というのは分析されたことがございますでしょうか。もしあればお聞きしたいということでございます。あるいはその原因等についてお考えがあればお伺いしたいと思います。
#61
○参考人(城戸喜子君) 最初、パートの非課税限度額の問題についてお答えしたいと思います。
 これは、実は私は基礎年金の三号被保険者問題としてタッチしたことがございまして、その当時年金課長をしておりましてその前に老人保健福祉局におられた方が、ある研究会で、パートタイマーのヘルパーが時間の調整をするということがあるのでこれは改めてもらいたいと思っているんだということをはっきり言われたんです。若い方たちは、行政官の中には、自分たちの生活を含めて、そういう方向に持っていきたい、非課税限度額を外してしまうというようなことを考えておられるのですが、なかなか上の方が動かないというのが実態ではないかというふうに思っております。
 私は、きょうは年金の話じゃないのですけれども、基礎年金の財源とか公平性ということを考えますと、学生が保険料を納めているのに、被扶養の家族というふうにみなされた場合に保険料を四十年間全く納めない。片方では四十年ばっちり納めなければならなくて、一カ月でも欠ければ減額されるというようなことでは、これは不公平だということはいろいろなところで言っております。
 それから二番目の、内外価格差の問題です。
 これは、私はこういうふうに理解いたしました。つまり、企業のレベルで言いますと、社会保障関係の費用というのは、社会保険料負担として事業主負担とそれから被保険者本人の負担、人件費として、何か生産活動を行うときにすぐ上がってくるわけです。ですから、人件費が高くなって、法定福利費、社会保障関係の費用と、法定外福利費、企業福利の費用と両方含めまして人件費は膨大になっていると思うんです。ですから、これは国際競争力の問題として、かえって日本の場合は、悪くすると、昔の言葉で言えばソーシャルダンピングですか、そういうことにもなりかねないというくらいのものではないかというふうに思ってます。
 それから、アメリカでなぜあんなに医療保険の問題が大きく取り上げられたかというのは、結局六十五歳以上老人とそれから低所得者しか医療保障がございませんですから、ほかの一般の普通の人たちというのは、自分で民間の保険に加入するか、あるいは企業で団体保険に加入するということになります。そうしますと、企業のそういう団体保険の保険料と自分のところの雇用者の保険料が非常に高くなって、人件費がかさんで、そして悲鳴を上げている、国際競争力の点で不利となっているというふうなところも大いにあったというふうに思っております。
#62
○直嶋正行君 ありがとうございました。
 もう一点お聞きしたいんですが、さっきお話の中で、将来の介護サービス需要、これは何といいますか、労働人口の減少に伴う、いわゆる介護に従事する人たち、従事者が非常に厳しくなってくるというお話の中で、労働節約効果として、例えば居住環境の整備をすればそれだけ効率がよくなって人手もかからなくなるというようなお話をされたわけでございますが、そういう点で言いますと、今よく話題になってます、いわゆるバリアフリーに住宅を改善するというようなことがよく議論されているわけでありますが、これからの介護費用を見積もっていく場合に、今こういう住宅費用等は余り統計的には入ってないと思うんでありますが、こういったものも含めて将来考えていくべきではないかなというふうにも思うんでありますが、この点はいかがでございましょうか。
#63
○参考人(城戸喜子君) 先ほど少し触れましたように、建設省の研究所が報告書を出しておりまして、住宅改善をした場合にどのくらいの介護費用が節減できるかというようなものがございます。
 それから、この種の問題につきましてはいろいろな人が関心を持っておりまして、例えば、多分、健康保険組合連合会ですか、あちらの方の報告書もこういう問題を扱っていたと思うんですが、それとの関連もありまして日本社会事業大学の京極高宣先生ですか、ああいう方たちも研究していらっしゃると思います。京極先生のお名前で出た論文がおさめられた本も出ておりますので、この種の研究は進んでいくだろうというふうに思っております。
 それから、現在は住居の改善ということだけ言われておりますけれども、福祉機器を導入した場合にどれくらい改善できるか、節減できるかというようなことも試算できればいいのではないか。これは私の手には負えませんが、多少工学的な知識のある方たちがやってくださればいいかなというふうに思っております。
#64
○直嶋正行君 ありがとうございました。終わります。
#65
○武田節子君 公明党の武田でございます。きょうは大変ありがとうございます。
 高齢化の進展に伴って増大する介護需要にどのように対応していくか、現在我が国が直面している大きな問題の一つでございます。介護は人なりと言われておりますが、マンパワーの確保は、安心できる高齢化社会の構築に不可欠な要素だと考えられます。社会福祉事業の従事者の人材確保のために、一九九二年の社会福祉事業法の一部改正で、さらにこれに基づく人材確保の基本方針の告示が行われました。福祉マンパワーの確保には今後この指針をいかに具体化していくかが大変重要な課題だと思われます。
 先生は、マンパワー確保の重要なポイントである社会福祉事業就業者の給与水準と労働条件について詳細な分析をなさって、今いろいろ伺ったわけでございますけれども、その中で三点ほどお伺いします。
 まずは、先ほどの質問とも重なるようなところもあると思いますけれども、まず一点は、社会福祉事業者の給与水準の現状について教えていただきたいと思います。給与水準については国家公務員に準じるとされているようですけれども、実態はいかがなのでしょうか。
 また、社会福祉サービスの困難性や専門性を給与水準に反映させることは必要だとは考えますけれども、そのためにどのような方策があるでしょうか、お教えいただきたいと思います。
 もう一点は、労働条件の改善についてでございますけれども、看護婦さんの燃え尽き症候群が話題になったことがございますが、福祉の熱意に燃えて介護の職に就いた方々が生きがいを持って働き続けられるような職場を実現することが重要だと思います。そこでまず、労働条件の現状について御説明いただきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
#66
○参考人(城戸喜子君) まず一番最初に、実は今の武田先生の御質問は、これは非常に個別的なお答えしかできないのではないかと思います。
 先ほど私が最初の報告のときに申し上げましたように、社会福祉関係の従事者の労働条件あるいは人数自体が押さえられていないとか、それからその人たちの平均的な給与水準はどのくらいかとか、それから労働時間がどのくらいだとか、それから休日のとり方がどのくらい消化しているか、消化率ですね、そういう問題につきましては全国調査がないのです。ですから、これは非常に個々のケースで当たっていくより仕方がないと思うんです。
 一時期言われましたのは公民の格差問題で、これは公立の施設と民間の社会福祉法人の場合と非常に格差があるからこれを是正していかなければいけないということが言われておりました。ですから、全体のレベルの問題と、それから例えば小私の格差の問題とか、あるいは地域格差の問題とか、いろいろあるんではないかと思います。
 それから二番目の、非常に専門性が高くて仕事の困難性がある中でどうやってよい人材を確保していくかということは、これはもう繰り返しになりますけれども、かなり、養成施設をつくるという方向には動くのですけれども、果たして養成した人たちがそういう職に就くか、就いた後に定着するか、その二つが非常に大きな問題だと思うわけです。
 例えばこれも、こういうふうな定着率とか、それから就業率、その専門職に就くという就業率ですけれども、それらについての調査もないのが現状だと思います。ただ、例えば神奈川県などで一番ケ瀬先生等が大分前になさったものがございますけれども、離職率はかなり高い。ですから、せっかく保健医療なりあるいは社会福祉の領域で仕事に就いても、長くそこに勤めないというようなことが起こるとこれは非常にまずいと思うわけです。
 というふうに考えていきますと、どうしてもこれは労働条件だと。私が人材確保法について、確かに告示で指針は出ましたけれども、法律自体にもう少し労働条件についての文面が書き込まれなかったのかなという、そういうことを痛感しておりました。あれは地域に埋もれている人たちをいかにして開発していくかというふうな趣旨の法律であったように思っておりますので。
 それから最後の、燃え尽き症候群につきましては、これは労働条件の問題と、先ほど議員の方から御指摘がありましたように、生活上のさまざまな悩み、仕事上の悩み、そういうふうなものが絡んできていると思いますので、指導者といいますかカウンセラーといいますか、そういうふうな相談を受ける人たち、そういう人たちを特別に設置するとか、そういう方向が必要なのではないかと思っております。
#67
○武田節子君 家族介護者の介護手当、あるいは有給親族の制度について先生の御意見が述べられているものを私読ませていただいたのですけれども、ホームヘルパーの絶対的不足及び地域福祉サービスの不十分による家族介護者の多大あるいは過大な苦労に報い、少しでもそれを緩和し、家族介護者を支援するための家族親族介護者の地方公務員としての有給化、あるいは適正な水準の介護手当支給について非常に細かな試算をされておられるものを読ませていただいたのですけれども、さすが女性ならではの介護者の心痛を深く御理解なされての新しい発想に感銘いたしたわけです。これを聞いた介護者たちがどれほど手をたたいて喜ぶか知りません。これからこれを実現するためには財源の問題等々、先ほどお話がありましたように、そういうものに取り組まなければならないと思っておりますが、何とか頑張りたい、こんなふうに思ったわけでございます。
 介護の費用と労働力というきょうのテーマとちょっと外れると思うのですけれども、最近の厚生省の調査によりますと、介護のために仕事をやめた人が八万二十人、その中で九〇%が女性であった。二〇二五年には二十一万九千人と急増することが予測されておりますけれども、しかしこの数も、働く女性の大体八〇%が中小企業で働く人たちですから、もっともっとこの数は大きい数ではないかというふうに私は想像しているわけでございます。
 ここで介護休業法についてお尋ねしたいと思うのですけれども、生涯働き続けたい女性、親や夫を介護しながら働く女性が、やはり自分の老後生活を考えたときに年金の確保のために働き続けたいということを考えている人が大変多くなっていると思うのです。その意味で、生活保障給付の、そして仕事をやめないで働き続けられるための介護ができる休業法の制定を、多くの女性ばかりじゃない男性もですけれども、特に女性が今最も望んでいると私は思うのでございます。
 このことに関して先生の御意見を伺わせていただければと思いましてお願いするわけですけれども、ぜひ御意見をお聞かせくださいませ。
#68
○参考人(城戸喜子君) 実は本当のことを言いますと、介護休業というのは育児休業よりは難しいと思うんです、現実に法律をつくる場合に。育児の場合は何年かたては必ず大きくなるということがわかっているわけですが、介護の場合にはそういう見通しがなかなか個別にはつかない、平均的には言えても個別の場合にはなかなかつかないというので、とても難しいと思います。
 実は、介護は社会化されていかなければいけないんだけれども、同時に自分が介護したいと思った場合には介護する権利を確保するということも、これも大事なことだというふうに思います。ですから、介護休業法の重大さというのはよくわかっておりますが、ただ、育児休業と比べた場合により難しいということを考えますと、期限の設定ということが一つある。もう一つは、育児休業の場合よりももっと、介護短時間勤務、それから時間帯の選択ですね、弾力的な時間帯の設定ということが重要ではないかというふうに思っております。
 そして、実はスウェーデンの場合も介護休業法というのはできたのですが、これは末期の、終末の介護、終末の看護に関して認めるというものでありまして、スウェーデンのような国でも介護休業につきましてはそういう決め方しかしていない。しかし、もちろんその前提には、先ほど申し上げましたように、家族介護をした場合にそれを公務員として雇い上げるというような制度がございますから、大いに背景は違うのですけれども、取り扱いは難しいだろうなというふうに思っております。
#69
○武田節子君 ありがとうございました。
 終わります。
#70
○西山登紀子君 日本共産党の西山です。
 先生のいろいろな統計を使われてのお話、大変参考にさせていただきました。
 実は私、両親とは今別に住んでいるんですけれども、つい最近まで高齢老人世帯というのでしょうか三人が一緒に住んでおりまして、ことしの春にその二人が亡くなりました。祖母が九十六歳で寝たきりで、自宅介護が二年。私が介護していたわけではありません、母が介護しておりましたが、母は七十でございます。そして、父が八十三でことしの春亡くなったわけですので、七十歳と八十歳と九十六歳の老人が家で暮らしておりました。私は十分ぐらいのところにいるわけですけれども、七十歳の母が健康であった、そして介護者として何とかやってくれたので、私がこうして仕事もできているということですけれども、大変毎日本安を抱えて、爆弾を抱えたような状況で国会で仕事をしているというようなことが続いておりました。
 あらゆるサービスを確保しようということでやりまして、結局、入浴サービスが月一回、それから訪問看護ステーションができましたので週一回看護婦さんに来ていただいて、これは大変助かった。それから、一週間に二日、半日のヘルパーさんに、これは有料ですが、来ていただいて、主に家事の方をいろいろとやっていただいた。これも母が助かりました。それから、年五千円の寝たきり老人の介護手当をいただいた。大体、サービスではこういう点を受けながら自宅で七十歳の母が寝たきりの九十六歳の母を見ていたというようなことで、ことしの春に続いて二人亡くしたわけです。
 そういう意味で、在宅の介護福祉という場合には、やはりその介護が女性の肩に重くかかるというのは、これはもう事実、現実でありますが、そういう点で、先生がいろいろと御提言をされている点は大変示唆に富んだところがあるというふうに思っております。しかし、この介護が女性の肩にかかるという点につきまして、これについての、最も今緊急な援助策というのは何なのかということについて、先生のお考えをお伺いしたいというのが一つです。
 それから、時間がありませんので質問だけ先にさせていただきますが、一つは施設の、ゴールドプランの問題ですが、ケアハウスというのがあるんですね。それで、ゴールドプランで十万人分建てるということだったので、私も厚生委員をしておりますので、このケアハウスということについてどういうものかということで見に行ったわけです。
 ところが、このケアハウスというのは、どうも北欧のケアがついている老人住宅というのと少し違うんじゃないか。実は食堂つきのアパートというような感じなんですよね。それで、委員会でも質問させていただいたんです。これはまだ始まったばかりなんですけれども、大変ニードも高くて、例えば京都なんか五十人定員に対して二百人の応募者が出るとか、大変好評なんですが、しかし、ケアハウスという名前は実は北欧、ヨーロッパなんかと同じ名前なんですけれども、どうも中身は少し違うんじゃないかという気がいたしました。確かに食堂はあるし食事のケアについてはできるんだけれども、それ以外のケアはヘルパーに外から来てもらって介護してもらいなさい、こういうことなわけです。
 ですから、委員会で質問いたしまして、ケアハウスは始まったばかりなので、施設側だとか入居者の要望をよく聞いて内容のやはり改善を図っていくべきじゃないか、こういうふうに努力を求めたわけですけれども、厚生省の答弁は大変冷たくて、ケアハウスというのは基本的に住宅だ、介護をする施設ではないというような答弁、今のところはそういう答弁になっているんです。
 このケアハウスにつきまして、北欧のケアハウスの実態とそれから日本のこのケアハウスの将来像というものを先生はどのようにお考えになっているかという点を二点目にお伺いしたい。
 それから三点目なんですが、少子・高齢化社会というふうによくひっくるめて言われますけれども、私はその少子・高齢化社会とひっくるめて言う点につきましてちょっと疑問があります。
 といいますのは、スウェーデンあたりは八三年にいわゆる出生率一・六一まで下がったんですけれども、八九年には二・〇二に上昇している。わずか六年間で出生率を二・〇二まで上昇させているという点では、やはりこれは、日本がこれからもずっと子供が減り続けるというようなことではなくて、産みたい人がやはり安心して産めるような環境づくり。女性の場合は何人子供が欲しいかといえば大体二人から三人というようなことなんですけれども、決して女性の高学歴化や社会進出がこの少子化の原因であるというふうには私は思っておりません。
 私も働きながら三人子供を産んで育ててきたということから見ましても、適切な対策があれば、これはやはり少子化というものにつきましてはスウェーデンのような例もあるということで、そういう環境、産みたい人が安心して産めるような環境づくりというものは日本でも長い将来待たなくても手が打てるんじゃないか。また私も子供がおりますが、待てないと、女の子がいるわけですけれども、ぜひそういう対策は緊急に立てなきゃいけないというふうに思っているんですが、あわせて三点お伺いをしたいと思います。
#71
○参考人(城戸喜子君) ケアハウスの問題が一番簡単ですので、ここからお話をしたいと思います。
 日本でケアハウスというのが、この言葉自体がおかしいと思うんです。これがなぜ導入されたかといいますと、恐らく世田谷区の新樹苑が最初だと思うのですが、スウェーデンのサービスハウスというのをモデルにしまして非常に豪華な施設をつくったんです。七〇年代にスウェーデンでサービスハウスというのをたくさんつくりました。これはどういう性質のものかといいますと、そこに住んで一応自分で自炊もする、家事もする、掃除も洗濯も自分ですると。しかしながら、サービスが必要だ、自分はやりたくないと思うときには購入できるようにサービスが附置されている。だから食堂もあるし、それからヘルパーが呼べば来てくれる。
 日本とスウェーデンと決定的にここで違うのは、ヘルパーがスウェーデンではたくさんいましてサービスハウスの中にもどんどん入っていけるわけです。ところが、日本はもともと絶対人数が少ないですからケアハウスまで行けないだろうと思うんです。建前としては、低所得者対策ではない、所得水準に関係なく派遣する、それからひとり暮らしとか高齢者夫婦世帯でなくても三世代世帯でも派遣するとはなっておりましても、現実に数に限りがありますから、優先順位をつけていきますと低所得者のところでとまってしまうわけです。ですから、ケアハウスに住んでいる人たちのところまで果たしてヘルパーが行くかどうかというのは、これはもう明らかに行かないと思うんです。
 もともと、スウェーデンでそういうサービスハウスをつくりましたけれども、最初のうちはよかった。十年たったらどうなったか。全部高齢化するわけです。結局、このサービスハウスというのは失敗であったというのがスウェーデンの認識なんですね。サービスハウスの中に、向こうは県が医療、それから地方自治体が社会福祉とか住宅をやっていますから、社会福祉が管理しているところに医療が乗り込んできた。医療と社会福祉が統合して連携してやらなきゃいけないというふうなことを現実にサービスハウスの中でやっていたわけです。ところが、実際にそういうことをやっている看護婦さんたちがうまくいっていない。それはどうしてかというと全然自治体が違うわけです。職場も違う人たちがそこで一緒にやろうとしてもうまくいかないんだと。結局、一九九二年の一月から老人医療に関しては基礎自治体におろしてしまったわけですね。基礎自治体で社会福祉も医療も一緒にやるというふうにしてやり直しているわけです。
 そこの、まず、まだ失敗だという認識がないときに日本に入れてしまったわけです。しかも、日本にあった軽費Bという老人ホーム、軽費A老人ホームというのはこれは賄いつきですね、だけれどもB型というのは自炊するという、つまりそれだけ自立しているということであると思うわけです。その軽費Bというのを発展させたのがこのサービスハウス、つまり日本でいうケアハウスだ、こういうふうに位置づけてしまったわけですね。ですから、そこでもう全く、ほかの国の経験で失敗したものを日本の中に入れて、しかも、従来日本にあったものをそのまま延ばしてしまったというようなところがありますので、これは私はやっぱり表現としては居住施設だというふうに言わざるを得ないと思うんですね。ただ、居住施設として、老人のアパートとしても居住面積が十分であるかということもやはり問われなければならない。
 ですから、全然背景の違う、基盤の違うところに、似たものを上物だけ持ってきちゃった、そこに失敗があるというふうに思っています。ですから、もうこれは居住施設として割り切る。そして、それをもう少し居住施設として快適な居住施設にするということを考えるなら考える。そして、ケアハウスという名称は改めるということにするより仕方がないと思うんですね。
 それから、少子化の方に関しましてですけれども、これはおっしゃるように、女性が働きながら子供を産み育てやすいという環境が整備されなければ子供はふえないというふうに思います。
 少子化が続いているというのは、日本の場合だけではなくて、先進国、早いところは一九六〇年代の半ばから始まりまして、結局、北の方は回復し始めているわけですが、南の方のヨーロッパのカトリックの系統のところで出生率が今非常に低くなっているわけですね。これはモラルとか価値観というものに縛られている女性がうめき声を上げているんだというふうに私は理解しています。ですから、おっしゃるように、産み育てやすい環境をと、抽象的な言い方ですが、そういうことであるかと思います。
 それから、女性の肩にかかっている介護をどうするか。
 これも実はある程度世代交代が進まないといけないかなというのが一つと、もう一つは、先ほど申し上げましたように稼働世代の人口が少なくなっていくわけですから、女性は働かざるを得ない。それから、社会保険料負担とか租税負担についても高くなっていくというふうにおっしゃっているわけですから、これは一つの世帯の中で一人男性が稼いているだけでは賄い切れないかもしれない。そうすると、女性が働いて税金を納め社会保険料を払うということは、これはプラスの意味が非常に大きいわけですね。
 ですから、保育所なら保育所をつくるということについて、これは投資的な費用だというふうに考える。あるいは、介護のマンパワーをそろえるとか、それから施設を整備するということが、これは投資的な意味があるんだというふうに理解する方が私はいいんじゃないかと思うんです。そのことによって女性が積極的に就労を続け、そのことによって国民総生産をふやし、納税額をふやし、社会保険料負担にもたえるという、そういう方がいいのではないか。そういうふうなことをせざるを得なくなってきた状況の中で、だんだんに女性の肩から男女平等になっていかざるを得ない。時代の動きとしてはそうだと思うんですが、ただ、それをそうなるからほっておけばいいという問題ではないと思います。
 現実に、新聞記事なんかを見ておりましても、やはり大企業の中間管理職が、男性の場合ですね、かなり介護の問題で仕事上制約を受けざるを得ないということが出てきているわけです。例えば勤務地を選ぶ、単身赴任もできなくなるとか、それから残業時間を削らざるを得ないとか、徐々にそういうふうな動きになってきております。また、団塊の世代のあたりですか、ニューファミリーでしたっけ、そういう世代、ニューファミリーの世代というようなところになりますと、家庭の中での夫と妻の役割というのがかなり平等化してきているという傾向はありますから、そういつ時代の動きを踏まえて、介護が女性の肩にかかり過ぎないようにする。
 じゃ、具体的にどういう対案があるかといいますと、例えば樋口恵子さんなんかがおっしゃっていますのは、国家公務員で合格した人は全員二年間は必ず介護に当たるとか、そういう期間を設けてもいい。それから、私は、別に福祉の分野におけるボランティア、それに限定しなくてもいいと思うんですけれども、二十歳になったら成人になったしるしとして必ずボランティア活動をするというような、兵役義務がないのですから、福祉の領域での奉仕活動をするというような一年間とか二年間というのを設けるのもいいかなと。福祉の領域だけに限定するのが狭いのであれば、それは生涯学習の分野でもいいし、国際交流の分野でもいいし、あるいは開発途上国に行って水道を引く仕事でもいいし、医療活動を手伝うのでもいいし、そういうボランティア活動をするような期間というのを成人になった時点で設けるというふうなことをしたらどうであろうかというふうに思っております。
#72
○西山登紀子君 どうもありがとうございました。
#73
○会長(鈴木省吾君) 以上で城戸参考人に対する質疑は終了いたしました。
 城戸参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時二分散会
ソース: 国立国会図書館
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