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1994/12/07 第131回国会 参議院 参議院会議録情報 第131回国会 厚生委員会 第10号
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1994/12/07 第131回国会 参議院

参議院会議録情報 第131回国会 厚生委員会 第10号

#1
第131回国会 厚生委員会 第10号
平成六年十二月七日(水曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十二月七日
    辞任         補欠選任
     今井  澄君     川橋 幸子君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         種田  誠君
    理 事
                清水嘉与子君
                宮崎 秀樹君
                菅野  壽君
                横尾 和伸君
    委 員
                石井 道子君
                尾辻 秀久君
                大島 慶久君
                大浜 方栄君
                佐々木 満君
                前島英三郎君
                川橋 幸子君
               日下部禧代子君
                竹村 泰子君
                堀  利和君
                萩野 浩基君
                高桑 栄松君
                西山登紀子君
       発 議 者    横尾 和伸君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        水野 国利君
   参考人
      財団法人放射線
      影響協会理事長   熊取 敏之君
      東京都原爆被害
      者団体協議会事
      務局長       横川 嘉範君
      日本原水爆被害
      者団体協議会専
      門委員       岩佐 幹三君
      弁 護 士     池田 眞規君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案
 (内閣提出、衆議院送付)
○原子爆弾被爆者援護法案(横尾和伸君外一名発
 議)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(種田誠君) ただいまから厚生委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 本日、今井澄君が委員を辞任され、その補欠として川橋幸子君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(種田誠君) 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案及び原子爆弾被爆者援護法案を一括して議題といたします。
 両案の審査のため、本日、参考人として、お手元に配付の名簿の方々に御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。参考人の方々から忌憚のない御意見を賜りまして、法案審査の参考にいたしたいと存じます。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、参考人の方々からお一人十五分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際は、その都度委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをいたします。
 それでは、まず熊取参考人からお願いいたします。
#4
○参考人(熊取敏之君) 熊取でございます。
 最初に、私と原子爆弾、特にその放射線障害との現在までのかかわり合いについて簡単に申し上げたいと思います。
 私は、一九四五年九月、東京帝国大学医学部医学科を卒業いたしまして、東京大学の第三内科、当時は坂口内科と言いましたが、に入りました。同年、学術研究会議医学科会の原爆被爆者の診療とともに、米国調査団と協力いたしまして原爆被害の調査に当たりまして、一九四五年の十月と十一月を広島市宇品にありました臨時陸軍病院で過ごした経験がございます。
 被爆後ほぼ二カ月を経たときでありましたが、引き取り手のない白骨がところどころに散乱いたしまして、皮膚の出血性斑点を示す者とか火傷の痕跡のある者等、一面の破壊像とともにいまだに目に焼きついております。
 一九五四年三月に、当時私は国立東京第一病院、現在の医療センターでございますが、その内科に勤務しておりました。一九五四年の三月一日、ビキニ環礁における熱核爆発実験の結果生じました放射性降下物に被曝した日本漁船、第五福竜丸の、乗組員二十三名、その人たちが東京大学に七名、国立東京第一病院に十六名入院したのでありますが、それの医療に従事した経験がございます。
 この第五福竜丸の場合は、被曝した線量は、二週間の間でガンマ線被曝を例にとりますと一・七から六・九グレイという間でありまして、原爆の被爆者、広島なんかでは一キロから一・四キロぐらいの距離にあったのと同じような生物効果といいますか、健康の影響があったと考えられるのであります。
 以上、簡単に私の原子放射線との触れ合いというものについて述べましたが、このほか、放射線審議会の会長あるいは原子爆弾被爆者医療審議会の会長も務めさせていただきました。
 次に、放射線被曝とその健康影響について述べてみます。
 原爆の被害には、その物理的な破壊力あるいは高熱による被害というものが大きくて、爆発による被害の大部分はこの熱と爆風によって引き起こされております。しかしながら、放射線による障害というものは原爆の被爆の場合に特有のものであります。一般に放射線障害というものは、急性障害と晩発障害に便宜上大別しております。
 急性障害につきましては、被曝してから数週間以内に起こるとか、そういうふうにある線量以上の被曝がないと障害があらわれない、つまりそれぞれの器官や組織に対してある閾値というものがございます。それからまた、通常、被曝と急性障害の症状があらわれる期間というものが短いために、放射線被曝とあらわれた症状の因果関係がわかりやすいと言えると思います。
 これに対しまして晩発障害の方は、最初の被曝から長い年月を経てからあらわれるということもございまして、この被曝との因果関係がはっきりしないことが多いのでございます。その上、放射線障害にはその障害に特異性というものがございません。そのため、個人個人につきましては、例えば白血病というような病気でありましても、放射線によって誘発されたという特異な変化というものが見られません。一般に発生する白血病との区別というものはつかない生言えます。
 しかし、放射線被曝者について疾病別に疫学的な調査を行いますと、被曝者に多発する疾病がだんだん判明してまいります。現在、原爆被爆者では悪性腫瘍、これは白血病あるいは甲状腺がん、乳がん、肺がん、胃がん、結腸がんなどの増加が認められているのでございます。被曝者個人につきましては、被曝したときの状況証拠をそろえまして判断するということになるかと思います。
 原爆被爆者につきましては、一九四七年からアメリカの原爆傷害の委員会、通称ABCCによって疫学調査が開始され、現在も続いて行われているわけであります。その間に、一九七五年には組織の改編が行われまして、それまでのABCC、それから日本側の予研の調査にかわりまして、日米が予算あるいは役員数、専門評議員数で全く同じの財団法人放射線影響研究所が研究を続行しているのであります。
 この放射線影響研究所、放影研と略させていただきますが、今日までのここの調査研究結果は世界的に高く評価されています。つまり、人における放射線疫学データでは最も長期間観察され一被曝線量との関係も明らかであり、それから老若男女幅広い年齢層の被爆者があるという点などで科学的にも信頼されているのであります。それで、国際放射線防護委員会、通称ICRPの放射線リスクを推定する上で基礎データとして使用されています。
 調査結果で、白血病は被爆後三年ぐらいから増加し始めまして、数年後にピークに達し、現在は非被爆者、被爆しなかった人と同程度の死亡率へと低下してきております。その一方で、固型がんの方は、つまり腫瘍を形成いたします固型がんの方は現在でも増加が続いておりますが、今後も注目すべき点と思います。
 白血病やがん以外の疾病も、特に高線量被曝者に増加の傾向があるデータも出ていますが、今後慎重に検討する必要があるかと思います。胎児の被爆で知能の発達が阻害されるデータも報告されていますが、今後の観察が必要かと思われます。遺伝的な異常というものは現在までの調査ではまだ見つかっておりません。しかしながら、最新の方法も導入して研究を進める必要があるでしょう。
 これらの研究はすべて被爆者の絶大な御協力、大きな御理解のもとに行われてきたものであることは言うまでもないことでございます。今度の法律の改正等によりまして被爆者の方々が精神的に安定を得ることができるならば極めて結構なことだと思うのであります。そうして、これによって健康な生活が得られるということでありましたら、私どもの大きな喜びでございます。
 まだ詳しく申し述べたいことはございますが、一応このくらいで終わっておきますので、あと、御質問なり何かございましたらおっしゃっていただければ結構かと思います。
 終わります。
#5
○委員長(種田誠君) ありがとうございました。
 次に、横川参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(横川嘉範君) 広島で被爆いたしました横川でございます。現在、東京の被爆者団体、東友会の事務局長を務めております。
 長い間の私たちの願いでありました被爆者援護法が具体的に審議されることができるようになったことを心からうれしく思います。とりわけ、参議院で二度可決されたこの場において参考意見を述べることができることを、まことに光栄なことに思っています。
 私は、被爆の実相と被爆者の実情を通して援護法の内容について率直に意見を述べさせていただきます。
 一九四九年四月、広島師範学校を卒業した私は、爆心地から四キロほど離れたところにある仁保小学校の先生となり、一年生を担任しました。この学校の校庭の周りは草原になっており、そこで子供たちとよく相撲をとったり、ごろごろ寝転がったり、跳びはねたりしたものです。小さな子供は土いじりが大好きです。だれかが土を掘り返していると白いものが出てきたというので、先生これ何と言って持ってまいりました。そこに行ってみると、もう何人もの子供が集まってわいわい騒ぎながら土を掘り返しているのです。
 その白いものは明らかに人骨であり、後から後からざくざくと出てきます。先生、ここにもここにもと、あちこちで声が上がります。一年生にはそれが人間の骨であるということはわかりません。そんな一年生にすぐにはやめろとも言えず、初めに持ってきた骨をかたく握り締めたまま、しばらくは茫然として立ちすくんでいました。
 一九四五年、何十何百という人がここで死に、校庭の片隅のあちこちに穴が掘られて次々に焼かれていきました。既に風化しかけた骨はもろくも壊れて、そのさらさらと鳴る音の中に八月六日はありありとよみがえってまいりました。それからしばらくして我に返った私は、ありったけの力を振り絞って一年生にもわかるようにあの日のことを話しました。これが私の被爆教師としての出発でした。
 私が被爆したのは爆心地から約二キロほど離れた地点、八時十五分が少しでも前にずれていたら、私は生きていたか死んでいたかほとんどわかりません。
 その日、私は学友と二人で、強制疎開によってできた木材を薪にするから持ってこいという教官、元帥範学校教官、当時比治山女学校教官の命を受けていました。比治山の西側、爆心地から約一・八キロメートルで大八車とリヤカーに木材を積み込み、六時三十分ごろよりだんだんと爆心地に近づくコースをたどって、的場町、広島駅の東側を通過して目的地尾長町に着き、帰途は大正橋から比治山の東側へ回ってようやくそこまで帰ってきていました。
 朝から続いていた空襲警報は七時過ぎに解除、八時前には警戒警報も解除されていました。西側の上空にB29が一機飛んでいるなと思ったとき、黄色い閃光を目にし、ドーンと来たときには本能的に反対側の家の軒下に身を伏せていました。家の中の遠いところから何かつぼのようなものがぼんと飛び出してきて頭に当たりましたが、しばらくの間は真っ暗やみで、何がどうなっているのか見当がつきません。ただ、人々の上げる異様な叫び声だけが聞こえてくるだけでした。
 私たちは至近弾を受けたとばかり思っていたし、大八車とリヤカーの上には物が倒れてきて動かせる状況にはなかったのでそのまま放置して、比治山女学校教官のところへ報告に駆けつけました。教官は直ちに大八車とリヤカーをとりに行くように命じましたが、そんなものは跡形もなくなっており、二人はさんざんしかられ、学友の記憶では余りしかられなかったと言いますが、その後、師団司令部に救援を頼みに行くようにと言われました。自分たちだけがやられたと広島の人たちはみんな思っていましたから、師団司令部へ行けば助けに来てくれると信じていたわけであります。
 二人は、爆心地から少しでも遠いところへ逃れようとする人たちの流れに逆らって爆心地に向かいました。途中、全身にガラスの突き刺さった血まみれの人、やけどで皮膚の垂れ下がった人、熱線と爆風で着衣のほとんどをはぎ取られて全裸に近い人、恥部丸出しの人、道路にはガラスの破片や石ころが飛び散っているのにほとんどの人たちははだしのままでした。これはもう人間と言うことはできないようです。
 比治山橋に着いたときは被爆から一時間三十分ほど経過していて、道の両側は、赤黒く焼けただれ、ばんぱんに膨れ上がって、男とも女とも見分けのつかない無残な姿で既に死んでいる人、今息を引き取る人、苦しんで水を求める人でいっぱいでした。少し動ける人は苦しさに耐えかねて川までおりていき、水を一口飲んだ後はそのまま流れに引き込まれるように消えていきました。二人は、十時ごろより二時過ぎまで比治山橋上で師団司令部に行く努力をしましたが、猛火に遮られ、ついに任務を果たすことはできませんでした。
 私と学友の本来の任務は、広島師範学校男子部部長、酒井賢さんが目の手術のため広島日赤病院に入院中で、それに伴うさまざまな世話と留守宅の警備に当たることでした。
 その日、師団司令部に連絡することをあきらめた二人は一たん寮に帰り、奥海田の動員先から急いで帰ってきた同級生と再会しました。残留者の中には、農場に出ていてやけどを負った者、寮が全壊しその下で亡くなっている者などがいました。私たちは炊き出しのおむすびをいただき、そして部長官舎へ帰って後片づけをし、夕刻に近いころには、学友は広島市の出身だったために自宅に帰り、私は一人になりました。
 その夜は比治山の中腹に掘られたごうに避難しましたが、うめき声と水を求める声の中で、まんじりともしないまま一夜を過ごしました。その夜、こうの中で何人もの人が死んでいきました。
 翌日九時ごろより、酒井賢部長を捜しに出かけました。比治山から宇品方面に向かい、御幸橋を渡って日赤病院に行きました。被害は中心部に行くに従って大きく激しいものになっていました。
 日赤病院の病室に入ってみると、いつも座っている場所に、看護に当たられていた奥さんは、ショックによる即死でいすに座ったままベッドにうつむくような姿で亡くなっていらっしゃいました。部長の姿はありませんでした。あちこち捜し回り、二時過ぎに部長を発見し、担架で担いで仁保日本浦の久保田菖蒲さんの家へ運びました。
 では、初めに述べた学校の骨はどうなったのでしょうか。私は後になって幾ら考えてみても、私がなぜその骨を掘り上げなかったか、供養しようと思わなかったのか、他の先生たちにも話しみんなの協力によって慰霊をしようとしなかったのか、全く不思議であります。
 その後、私が東京に出た後、この学校は焼け、敷地も拡大して新しい校舎が建てられました。私はその骨がどうなっているのか気がかりで、いろいろの人に聞き、確かめてきましたが、確かなことは何一つわからないままです。もしや学校の記録に残っているかもしれないと思いましたが、記録にも残っていないようでした。恐らく、他の多くの事例と同じように無関心のまま過ぎ去ってしまったということに違いありません。
 いつのころからか私の胸のうちに、広島の土の下で骨が泣いている、そのままでは広島の土を踏んで歩けないという思いが広がり、極限ぎりぎりのところまで来ていて、一九九〇年の初め、ろうそくと線香を持って学校を訪ねました。学校には事前に連絡し了解を得ていた私は、日曜日の校庭に立って見回すと、その骨の埋まっていたあたりは校庭の中ほどになっていて、運動している人たちが駆け回っていました。やむなく校庭の片隅に線香を立て、ろうそくをともして、摩詞般若心経を唱えて供養のしるしとしたのですが、それで心が晴れたわけではありません。新たなわだかまりが生まれ、次第に大きくなってきました。
 戦後五十年、広島の町はすっかり復興し繁栄しているように見えますが、その町の建物の下で、コンクリートで固められた道路の下で骨は泣いていると思います。これをもし、そんなことはないと断言する人があったならば、ぜひともお会いしお話をお聞きしたいと思います。
 このように、原爆がいかに残酷な兵器であり反人道的な兵器であるかは明らかであり、基本懇答申の中には受忍論が展開されていますが、とても我慢できるものではありません。いや、我慢してはいけないものだと思います。
 原爆の最大の犠牲者は原爆によって殺された人たちです。原爆で殺された人がどんなに原爆を憎みながら死んでいったかに思いをはせるとき、私たち被爆者の願い、要求は、死者の願いを背負い死者とともに続ける運動だと思っています。死んでいった人たちの思いや願いを実現するために、この地球上に核兵器を一発も残さないこと、再び被爆者をつくらないとの決意を込め、原爆被害に対する国家補償を行うこと、つまり死者に対しての弔意を示すことによってのみ死者の死に報いることができます。この点から見ても、援護法には国家補償に基づくと明記されることが不可欠な条件であると思います。
 途中、特別葬祭給付金のところについては省略をいたします。
 被爆者の実情。あの日の広島は一瞬にして地獄になりました。無傷で助かったと思った人たちが急性の放射能症にかかり、次々に死んでいきました。原爆は人間を殺し、今も殺し続けています。辛うじて生き延びた被爆者も、体と心と暮らしに大きなハンディを背負って四十九年を生きてきました。
 体の問題。ある医師は、被爆者を対象にした話の中で、被爆者は一〇〇%がんになると言い切っています。九三年度には東友会で五人の自殺者がありました。その中の二人は五十代の男性で、病気を苦にしての自殺です。この資料の一番最後の六のところに、性別と年齢、自殺方法が出ております。
 五の一番右下ですが、離婚をしたのは私が怠け者だったからだというふうにある人は言っておりますが、怠け者だと言うけれども、原爆ブラブラ病だったのかもしれません。
 左の一番上です。原爆症の夫を抱え、輸血の血を買うために売春までしなければならなかったということを話しております。これは本当に何と言っていいか私自身もよくわかりません。
 心の問題。肉親を見捨てて逃げ自分だけが生き残った。水を求める人に末期の水一滴もやらなかった、私は人間と言えるのか。飲ませてはいけないという水を与えてその日私は何人も殺したと、こういうふうに同じ水をめぐっても一人一人の思いは極めて深刻で、今も続いております。
 暮らし。体が弱く病気がちであれば半失業状態でありました。原爆症とわかれば就職もできませんでした。
 ある年、二、三年前、助けてくれるかと電話をかけてきた人がいます。相談員が訪ねていって病院へタクシーで連れていきましたが、財布の中には五百円しかありませんでした。電気もガスもとめられていました。東友会が身元引受人になり、親族に電話をかけ連絡をしましたが、生きているうちは会いたくないという話であります。その人は五月に入院し、十二月三十一日に亡くなりました。その日にさまざまな手続をして、そして一月四日に葬式の一切を行いました。棺にくぎも打たないまま、一番小さいところのガス室へばっと入れて終わりでございます。私たちは一万円花を入れました。葬祭料は私たちがもらうことになるかと思いましたが、カード破産で、親族が来たとき私が計算したら百五十万円ありました。何とかしますかと言ったら、私たちは何ともできませんと言うのです。後で調べましたら、四百五十万円ありました。この処理もしなければいけませんでした。
 私たち東友会としては、遺骨を広島へ、長崎へ届ける仕事をしています。移転に伴う費用がどんなにかかってもそれはしなければいけない。たとえ東友会に対して余り協力的ではない、運動に反対した人であっても、被爆者であれば、死ぬ寸前に何としても見つけ出して、ひとり寂しく死ぬ、自殺する、死んでから何日も後にわかるようなことになってはいけないと思います。
 東友会には専従相談員が三・五人います。年間八千件の相談をしています。地区相談員は約二百人いて、身近にいて親身な話し相手になることに努力しております。
 このような状況は、全被爆者に対して被爆者年金を支給する制度と相まってでなくては打開できないと考えます。
 私も直接被爆と間接被爆の両方を受け、歯茎からの出血、激しい下痢、吹き出物などの症状が続きました。そして、全く無傷で助かったと思った人々が次々と死んでいくのを見ては、あすは我が身という思いに駆られて死ぬことばかりを思い詰め、いつどんな方法で自殺するかを考え、それでもあと五年は生きられるだろうと、五年を一区切りにしてその後の歳月を生きてきました。
 一九八九年に悪性リンパ腫の手術を受け、一カ月ごとの血液検査と三カ月置きのCTなどを受けて、三カ月を一区切りにした生き方を強いられるようになりました。苦しむだけ苦しみ、死と近しい関係を持ってきましたので私は少しも慌てませんでした。いや、私の周りには私よりももっと困難な中できちんと生きていらっしゃる、私よりも二十歳も年上の、きょう来ていらっしゃいます最高の人は八十五歳ですが、きちっと生きていらっしゃることに励まされながら私も強く生きていきたいと思います。被爆者がどのように生きがいを持って生きるかということが、今本当に助けることになるんだと考えておるわけであります。
 衆参両院議員の賛同署名は既に三分の二を超えました。地方議会の促進決議は七五%に達しています。国会請願署名は一千万を突破しました。国民の支持と合意は十分に成り立っていると思います。
 初めに申しましたように、参議院の二度可決の原点に立ち返って審議を進め、被爆者が生きていてよかったと思える被爆者援護法を制定していただくことを強く期待して、私の参考意見を終わります。ありがとうございました。
#7
○委員長(種田誠君) ありがとうございました。
 次に、岩佐参考人にお願いいたします。
#8
○参考人(岩佐幹三君) 岩佐でございます。
 私は、本委員会において、原爆被害の体験者として、再び繰り返してはならない核兵器の被害、そして全人類の生存か絶滅かに深くかかわっているこの問題について意見を述べる機会を与えていただいたことを感謝いたします。と同時に、これまで参議院において二度にわたり被爆者援護法を可決していただいたことに対し、深甚なる敬意を表明するものでございます。
 今回、衆議院を通過して本院において審議中の法律は、これまで参議院において可決された法律の趣旨を受けとめたものになっていないことに遺憾の意を表明せざるを得ません。これに対して、改正案を発議して内容の修正に諸先生が御尽力いただいたことに対して、被爆者としては心に一脈の光明を見出す思いでございます。しかし、私はここでその法案等について言及することは避けさせていただきまして、むしろ法の精神となるべき、あるいはその基礎となるべき原爆被害ということについて述べさせていただきたいと思います。
 私は、ことし三月まで金沢大学法学部におきまして、法律ではございません、政治学、イギリスを中心とした民主主議政治思想を専門に研究、教育に携わってまいりました。また、被爆者の全国組織であります日本原水爆被害者団体協議会、通称日本被団協と申しますが、その専門委員として、昭和六十年度の被団協調査の取り組み、集計、分析等に当たってまいりました。
 お手元に配付いたしました資料「日本被団協原爆被害者調査結果から読みとったこと」、これは被団協の編集、出版になります「ヒロシマ・ナガサキ 死と生の証言」というものの一部でございます。その読みとったことを私なりにまとめてお手元にお配りいたしました。これから述べる原爆被害の概要についての資料に御利用いただければありがたいと思います。
 私たちは、長年にわたって原爆被害への国家補償に基づいた援護法の制定を求めてきました。原爆は、まず被爆者に対して人間として死ぬことも人間らしく生きることも許さない、反人間的な被害を今なお与え続けているということ、そのような被害は人間として決して受忍できるものではないからであります。
 その点について、名前を申し上げていいかどうかわかりませんが、横川参考人の方から原爆被害について今いろいろ言及がございましたので、私は調査とそれから私自身の体験に基づいて意見を述べさせていただきたいと思います。
 私は、広島の爆心地から一・ニキロメートルの自宅で被爆しました。被爆の瞬間、庭の小さな半坪ぐらいの菜園におりましたけれども、後頭部をバットで殴られたような衝撃とともに地面にたたきつけられ、上から押さえつける爆風のために身動きできない、目の前は真っ暗になりました。もう一度殴られたら大変だと思いまして、必死になってはいました。手にさわったものは折れた木切れでございました。こんなところに木切れがあるはずがないがなと思っている間に、もやもやと土煙が上がってまいりました。恐らく数秒だったでございましょう、立ち上がったときには広島の町は既に消え去っておりました。夢を見たと思いました。
 そのとき、倒壊した家屋の下で私の母が助けてくれという声を上げました。私は、屋根がわら、土壁を破って上半身をやっと滞らせる程度の穴をあけることができました。しかし、そういう形で潜り込んだ私の前に、家の土台になっているコンクリート、その上に大きな四、五十センチ角のはりが重なっておりました。そのわずかのすき間からのぞき見た母は、あおむけに倒れ、顔じゅう血だらけになっておりました。そして、肩のあたりを押さえている物をのけてくれと言いました。前に進むこともできません。ほかの方から掘るうにも家屋の柱や壁が何重にも重なっています。
 そのうち三十分前後で火が回ってまいりました。非常に早く回ってきました。十六歳の少年でしたけれども、そして特攻隊の雄姿を、姿をニュース映画等で見て、自分もそうなっていくんだと死を覚悟していた私でございますが、その火に取り巻かれそうになったときに非常な恐怖心が私の全身を貫きました。私は今もってその約束を果たしておりませんが、間もなく行くからねと言って最期の別れを告げました。後ろの方で般若心経を唱える母の声に後ろ髪を引かれる思いでございました。目の前に覆いかぶさる建物、それに押さえつけられたまま、じりじりと追ってくる火の手、そして死の瞬間を待つ気持ちといったらどんなだっただろう。なぜ一緒に死ぬ気になってもっと頑張ってやらなかったのか、私が母を殺したも同じだと、どれだけ自分を責めたかわかりません。
 助けてほしいと頼みましても、だれも自分のことで精いっぱいで、他人のことなど構っておれないような、人間として考え、行動できないような状態に原爆は追いやったわけでございます。地獄と言われるのはまさにこうした状態のことを言うんではないかと思います。
 数日後、母の倒れた場所に厚く積もった灰の中から出てきたのは、まるでマネキン人形にコールタールを塗りつけて焼いたような油でぬるんとした物体でした。それは、とても人間の死体と言えるものではありませんでした。あの日、あの日と申しますのは六日と九日のことでございますが、広島、長崎の町では、爆風、熱線、放射線によって、このような人間の死とは言えない異形の死が至るところに見られたわけでございます。先ほど横川さんもおっしゃいました。私はあえて繰り返しません。
 その上、被団協調査が示すように、当日の死者の六五%は子供、女性、年寄りという非戦闘員だったのです。これは私の資料の二十ページ以下にございます。原爆はこのように無差別で、言ってみれば人間の絶滅に連なるような残虐性を示す兵器だったのでございます。
 そればかりではありません。あの日の業火の中をくぐり抜けて辛くも生き延びることができた被爆者の上に、いわゆる原爆症と言われる急性症状が襲いかかりました。
 私も、あの日建物疎開に動員された女学校一年生の妹の生死を求めて、一カ月広島の町を歩き回りました。ちょうど九月六日、私はたまたま郊外におばが住んでおりまして、この家も傾いていたんですが、そこで世話になっておりましたが、そこへたどり着くなり倒れ込んでしまいました。体じゅう赤い斑点が出て、のどが焼けるように痛く、何も口にすることができない状態になりました。急性症状です。たまたま近所に疎開していた歯医者さんが、一日に十数本の注射を打ってくれたそうです。私は存じません。そのせいかどうかわかりませんが何とか助かりましたが、同じように治療を受けた他の二人の被爆者は亡くなったそうです。
 このような原爆被害の現状、アメリカ占領軍の原爆被害の隠ぺい政策のもとで、被爆者は国からの対策を受けることなく、自分で自分の身を守らなきゃならないというもがきの中で亡くなっていったわけでございます。最初の被爆者対策、医療法が昭和三十二年にできるまでこのような被爆者の死は続きました。私は、被爆者の被爆後の日々は、まず死があり、その後に生、しかもその生も病と死と直面して闘う生だったと思います。
 かなり時間を飛ばして申しますが、実は私もここ数年、白血球が一万二千を超える状態が続いております。検査をしたところによりますと、脊髄と甲状腺かどこかで白血球がつくられるのだそうでございますが、何か脊髄でつくられる白血球の量が多いそうでございます。先月下旬、風邪を引きましてかなり呼吸困難に陥って入院いたしましたけれども、来週あたりには検査してみなければならないと思っております。このように表面上は元気そうに見える私でございますが、いつ発病しても不思議でない状態にあるのではないかという不安におののいております。この私ですらそうでございますから、もっともっと悪条件の中で苦しみながら生き、闘っている被爆者、この被爆者の苦しみはまさに原爆のもたらした被害にほかならないと私は考えております。
 それをデータ的に明らかにしたのが被団協の調査であったのではないかと思います。不安や苦悩に満ちた生活を送ってきたために、こんな苦しみを受けるくらいなら死んだ方がましだとか、いっそあのとき死んでいた方がよかったと考えたことがあるあるいは今も考えている被爆者が調査対象者一万二千余りの中で四人に一人もいること、このことにぜひとも注目していただきたいと思います。原爆は、人間の生きる意欲を喪失させるほどの被害を与えているからでございます。資料の四十二ページ以下にそのことが一応述べでございます。そして、今も東京の被爆者の方がことしになって五人も亡くなったということでございますが、調査の中でも四十七人の人がそのような生きる意欲の喪失の中で自殺を遂げております。
 さらに資料では、白血病とがんによる死没者、死亡率の推移等、三十ページ以下に示しておきました。近年になって、先ほども御指摘があったと存じますが、がんによる死亡が急増していることがおわかりいただけると思います。その上に、この調査で明らかになった注目すべき点としては、比較的若年で被爆した年齢層の人が、今日の常識からいって年若くして死ぬ、すなわち早過ぎる死を強いられているという実態でございます。こうしたデータから見て、被爆者は今日なおおくれた原爆死を遂げさせられているのだと言うこどができるように私は思います。
 調査の結果から私が読み取ったことをまとめた資料において、原爆被害についての時系列的な流れを踏まえて、被爆者の死と生、先ほど申しましたように死があって、その死を乗り越えた人間が生きながら死んでいくというこの原爆との対決に生をかけている被爆者、こういう形で私は調査のまとめを示さざるを得ませんでした。このように、ちょっと繰り返し仁なりますが、被爆者にとって被爆後、言いかえれば戦後とは、何物にも増して病と死、そしてその不安との闘いであったことについて国民的な理解をいただきたいと思っております。そういう観点があるために、そのような被爆者の死と生という観点を取り上げたわけでございます。
 このような原爆被害を、仕方ないものとして受忍することができるでございましょうか。ここで、大変おこがましいことを申し上げます。お許し願いたいと思います。もし、先生方がこのような被害の体験者でございましたら、先生方はこれを運命として御容認なさいますでございましょうか。恐らくそうではないと思います。
 被爆者は決して受忍することができません。それを受忍することは原爆被害を容認することになり、私たちが体験したような被害が自分の子供たち、孫たち、さらには全人類の上に再び繰り返されることを認めることになるからです。私たちは、原爆、核兵器と一瞬たりとも共存することはできないと考えております。あくまでも私たちが国家補償の援護法と言うのは、このような観点に立っているからでございます。
 核兵器の即時廃絶は被爆者の悲願であります。そして、現代に生きる私たちの果たさなければならない全人類的な課題だと信じております。被爆者援護法の制定は、国が原爆被害を補償することによって核戦争被害を拒否する権利を打ち立てるもので、再び被爆者をつくらない誓いを国として高らかに宣言するものであると私たちは考えております。
 原爆被害を再び繰り返さないという観点については、今拝見した法案の中に盛り込まれているように存じますが、ここで述べましたような広島の心、長崎の心と言われる被爆者の悲願を、ぜひとも日本の心にまで広げていただきたいと思います。そして、被爆国日本の国の基本精神、基本方針として国の内外に向けて宣言し、そのあかしとしてぜひとも国家補償の立場に立った援護法が実現するよう、一層の御尽力をお願いいたしたいと思います。
 私は、このように被爆者調査と私自身の体験をもとにして意見を述べさせていただきました。どうもありがとうございました。
#9
○委員長(種田誠君) ありがとうございました。
 次に、池田参考人にお願いいたします。
#10
○参考人(池田眞規君) 池田でございます。
 私がこれから述べる被爆者援護法についての意見は、私の所属する日本弁護士連合会が発表した被爆者援護法に関する三度にわたる報告書の見解に基づくものであります。報告書は、昭和五十四年、昭和六十年、平成二年の三回にわたり発表いたしました。その都度内閣総理大臣及び厚生大臣に提出してあります。私も右の報告書の作成に参画いたしました。
 私ども法律家が、原爆被害者の援護制度はいかにあるべきかについて調査研究する場合の基本的な立場は、まず被害の実態から出発いたします。原爆被害の実態を把握した上で、これに対し憲法は国家の救済制度として、どういう理念のもとに、あるいはどういう救済規定を設けているかを検討し、あるべき被爆者援護法の法的根拠を明確にしていくわけでございます。
 そこで、まず原爆被害の特徴から話します。
 原爆の被害は人類がかつて経験したことのない戦争被害の極限でございます。原爆被害の深刻な実態及び被害の全体像はいまだ解明すらされていないと言っても過言ではありません。私どもが長年被爆者問題の調査を続けてまいってきた上での実感でございます。
 原爆は、従来の火薬の爆発エネルギーを使用した通常兵器とは質的に異なっております。原爆による攻撃とは、核分裂の連鎖反応から放出される巨大なエネルギーを利用する攻撃であります。それは、音速に近い速度で襲いかかる爆風、数千度という高温度の熱線、それに原爆特有の放射線、これらの巨大な力が同時に、瞬時に生きている人間を襲うのであります。原爆のキノコ雲の写真を見て、その下に繰り広げられる地獄を想像してください。我々の想像を絶するこの世の地獄がそこにあったのです。今生きている被爆者は、あのキノコ雲の下の地獄を体験した人々であります。このことを忘れてはならないのであります。
 原爆被害は、従来の通常兵器の被害に見られない特別な残酷な被害であります。その被害の態様は極めて多様であり、総合的であります。熱線による傷害、爆風により吹き飛ばされ、また飛来した物体による打撃の傷害、放射線による障害などが同時に相乗効果を加えて受ける傷害であります。放射線による障害は、五十年を経た現在でもなお被爆者を緩慢に殺し続けております。いつ訪れるかわからない死の影におびえながら、被爆者は老境に達してきました。
 このような被害をもたらす原爆、いわゆる核兵器の使用が、不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止した国際法、いわゆるセント・ペテルスブルグ宣言あるいはハーグ陸戦法規などに違反する、あるいは無防守都市に対する攻撃の禁止、無差別攻撃の禁止を定めた国際法、ハーグ陸戦規則あるいはハーグ空戦規則案などに違反することは明らかであります。これは、東京地方裁判所の昭和三十八年十二月七日の判決でもはっきりと認めております。
 次に、被爆者の要求について検討します。
 このような被害を受けた被爆者は、地獄の体験の中から次のような基本的な要求を提起いたしました。一つは、このような残酷な非人間的な原爆被害をもたらした責任者は被爆者に対し謝罪をして償いをしてほしい、これが国家補償。第二に、二度と原爆地獄を人類が繰り返さないために核兵器は絶対に使わないでほしい、核兵器の廃絶というものであります。これが被爆者の要求の端的な表現でございます。この二つはその一つが欠けても意味がなく、不可分一体なのであります。被爆者たちが、従来の原爆二法があるのにあえて国家補償による被爆者援護法を要求し続けているのは、右の二つの要求を従来の原爆二法は充足していないからであります。
 そこで、国家補償の法的検討に入ります。被爆者の要求する国家補償の法的根拠について次に検討してみます。
 被害者救済の国家制度の憲法上の規定を見てみますと、国民の被害について国家の行為に被害の原因がある場合について、憲法は三つの規定を定めております。第一は、憲法第十七条、御存じの公務員の不法行為によって損害を受けたときの損害賠償請求権です。これは国家賠償法によって立法化されておるものであります。二番目、憲法第四十条、御存じの抑留、拘禁の後に無罪の判決を受けたときの刑事補償請求権でございます。これは、裁判という合法的手続の中で生じた誤判という事件でございます。誤判であるから違法な行為とは言いません。しかし、無実なのに拘禁されたという不法な被害であるために国家が補償する制度であります。第三番目は、憲法二十九条三項であります。公共のために私有財産を提供させられたときの正当な補償を請求する権利でございます。これは、公共のための収用事業は法律に基づく適法な行為でありますが、収用される国民にとっては財産上の犠牲を強制されるのでありますから、これに対して国家が正当な補償をするという制度であります。
 これら憲法上の三つの制度を見ますと、国家の違法な行為あるいは国家の適法な行為、いずれの場合でも、国家の行為によって国民に被害が生じた場合には国家はこれを補償するという基本的な思想が読み取れます。この基本的な思想が、憲法の中では前文の中の理念として、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであってこ「その福利は国民がこれを享受する。」という理念を前文で示しております。この理念は憲法十三条によって具体的に規定されております。すなわち、この憲法十三条によりまして、国家は生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について最大限の尊重をすることが義務づけられております。
 以上のような憲法の各規定から、次の法理論が導き出されます。国家の行為が原因で国民に被害が生じたときは、その原因となった国家の行為が違法か合法がを問わず、それによって生じた国民の被害については、国家は結果責任として国民に対する国家補償の責任が生ずるという法理論でございます。これは、国家補償による援護法の制定の第一の法的根拠でございます。
 この法理は、最高裁判所の判決でも、また東京地方裁判所の判決でも是認された論理でございます。東京地方裁判所の原爆判決は、国家はみずからの権限とみずからの責任において開始した戦争によって、国民の多くを死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのであるから、戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるであろうと述べております。この判決は確定しております。この判決はまた国際的にも著名な判決になっております。
 以上の法理から、戦争災害については国家補償責任が生ずるということが明らかになります。そうすると国家は、原爆被爆者のみならず一般戦災者についても被害の程度に応じて国家補償をしなければなりません。日本国憲法とは違った憲法のもとにあるドイツあるいはフランスにおいても、戦争災害について国家は、軍人とか市民とかに差別などなく国家補償制度を確立しております。軍人という特別な権力関係にある者のみを特別に手厚く保護する日本の現在の制度とは大分違います。おくれております。
 それでは、次に被爆者に特有の援護法制度の法的根拠について述べます。今のは、一般の戦災者と認識していただいて結構でございます。
 第一は、原爆被害が前に述べましたように国際法に違反した核兵器による巨大な力による攻撃であり、通常兵器の被害とは質的にも量的にも全く異なる特別の戦争被害である。このことを認識した上で、国家としては戦争開始、遂行という国家行為によりもたらした被害の結果でありますから、この結果責任として前述の国家補償の基本的法理の各論である被爆者援護法については当然に手厚く補償するべきであります。これが第一点。
 次に、被爆者援護法についての法的根拠の第二は、アメリカの原爆投下行為は国際法に違反するということは明らかであります。これは国際的にも認めております。これに対して被爆者は米国に対する賠償請求権を持っております。ところが、日本政府は米国との平和条約第十九条(a)項において対米賠償請求権を放棄いたしました。これは、さきに述べた憲法二十九条三項、国家、公共のために犠牲を強制された場合、つまり請求権を奪われてしまった場合の正当な補償すべき場合に該当いたします。ここで憲法二十九条三項の国家補償義務が生じます。
 次に、被爆者援護法の国家補償についての法的根拠の第三は、原爆被爆者は、先ほどのお二人の参考人の御意見にありましたが、被爆後の半年間はやけど、傷害、急性障害で苦しみました。その後は晩発性障害あるいは後遺症に苦しみ続けました。この最も救援を必要とする時期において、アメリカの占領政策に基づいて国際赤十字への救援さえも妨害され、原爆被害の報道は禁止され、被害の救済を受けることを放置されてしまいました。この間、死ななくてもよかった多くの被爆者たちが死亡していきました。そして、財産をすべて失い、生き残った被爆者らも働くこともできず、治療も満足に受けられず苦しみ続け、原爆医療法が制定されたのは被爆後実に十二年後でございます。憲法十三条による生命、自由、幸福追求を最大限に尊重すべき国家の義務がある、その義務に日本政府が違反した責任は極めて大きいものと言うべきであります。
 結びに入ります。
 東京地方裁判所の原爆判決は次のように言っています。「終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上」、この被爆者援護でございますが、「これが不可能であるとはとうてい考えられない。われわれは本訴訟」、これは原爆訴訟のことを言っていますが、「本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。」と嘆いております。
 振り返って今回の法案を見ますと、被爆者の要求する国家補償の立場は法的に正当かつ妥当な根拠があるにもかかわらず、これが記載されておりません。これは「国の責任」という言葉にすりかえられてしまっております。「国の責任」という場合、憲法二十五条に規定する生存権に基づく社会保障の立場と同じでございます。被爆者の援護制度の基本理念である国家補償とは異なる法理でございます。
 また、被爆者の求める核兵器の廃絶については「究極的廃絶」にすりかえられております。「究極的」という場合、そのときまでの核兵器の使用は認めることになってしまいます。廃絶される日までその使用を認めるということになり、論理的には核兵器の使用を認めるということになります。この点からも、「究極的」という言葉を法案から削除してもらいたい。
 以上、若干時間を経過いたしましたけれども、法的根拠について述べさせていただきました。ありがとうございました。
#11
○委員長(種田誠君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより参考人の方々に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御警言願います。
#12
○前島英三郎君 自由民主党の前島英三郎でございます。
 四人の参考人の先生方、きょうは大変お忙しい中をありがとうございます。
 昭和二十年八月六日広島、八月九日長崎、米軍によって原子爆弾が投下されて半世紀がたつわけであります。多くの亡くなられた方々、今なお後遺症に苦しんでおられる方々の心情を思いますと、戦争であったとはいえ、広島、長崎に投下された原爆に対する憎しみは、私たちもはかり知れない思いを抱いているわけであります。
 私は、当時小学校二年生でございました。以後、闘病を伝えた永井博士の映画「長崎の鐘」とか、あるいは関川監督の映画「ひろしま」、あるいは広島を訪ねた折に見せていただきました資料館の悲惨な記録。思い出すたび、見るたびに、何としてもこの地球上から核兵器はなくさなければならないと思いますし、国是としての非核三原則は当然のこととして、日本は唯一の被爆国としてやはり先頭に立って世界へ核廃絶を訴えなければならないと思います。
 しかし、現実にはまだ核はこの地球上におびただしい数が存在しておりますし、局地紛争も絶えない昨今でございます。もし、まかり間違ってまた核兵器が使われたらと思うと、核のない平和な地球を取り戻すためにも我々は政治家として努力しなければなりませんし、日本もその方向に向かってしっかりとリーダーシップを発揮しなければならない立場である、このように認識しております。
 そんな折のこの法案の審議でございます。衆議院では政府案が議決されました。自由民主党、社会党、そしてさきがけ、共産党、皆さんの賛成で参議院に送られてきたわけでございます。参議院でも連日熱心な審議が続いておるわけでございます。
 まず、四先生に一言ずつお伺いしたいんですが、核兵器がなくならない現実に対して先生方はどう思われておられますか。短くて結構です。
#13
○参考人(熊取敏之君) 核兵器を廃絶するということは非常に私は大賛成でありますが、これは現実に過去何年間か見ておりまして、なかなか難しい問題だと思うんです。あるいは、世の中で通常兵器によるいざこざというようなものがなくなってきつつあるんでしょうけれども、まだ方々でそういう動きが実際行われております。今度はこれを核のところまで持っていかないようにするということがまず第一歩の努力ではないか。
 と申しますのは、核兵器をいきなり使えるような状況に置くということは非常に危険な状態であろうかと思うんです。したがいまして、まず核兵器をどうしても使わないような条約なりなんなりというものが結べれば、それはそれである程度の拘束力があるというふうに思っております。
 私は別にそういう方の専門でもございませんので、適当な言葉というものをあるいは選んでないかもしれませんが、まず条約をつくるということではないかと思います。
#14
○参考人(横川嘉範君) 核兵器は一つの武力としての最高のもので、力の論理だと思うのです。ですから、アメリカはいつでも抑止力ということを掲げておって、核兵器は削減するとは言っておりますけれども、核抑止力はいつまでも持ち続けてなくすというふうには言っておりません。
 したがって、例えば東西の冷戦構造が解体したということでありますから大変うまいぐあいにいくのかと思いますと、そうではなくて、アメリカの民主主義、アメリカの生活の仕方、文化様式を世界の国々が学ぶべきだ、取り入れるべきだというふうにアメリカの高官はかなりの人たちがたびたび発言しているわけであります。そして、経済的にもそのことを進めていきたいということを言って、アメリカのものを買うということを言っておって、その背後には核兵器があるんだということはアメリカの高官が常に口にしているところであって、やはりそういう観点からすると、アメリカは核兵器を手放すことは絶対にしないというふうに思うんですね。
 また、ソビエトも先制攻撃ということはしないというふうに旧ソビエト時代には言っておりましたが、ロシアになってからは先制攻撃の可能性もあるというふうに、むしろ核兵器使用についての危機というものは前より余計にあるというふうに私は思います。
 特に北朝鮮の場合には、核開発をするんだったら阻止するためには核兵器だって使うよというふうに言っているわけですから、私は安心はしておれないし、一発でも残る限り極めて危険であるというふうに思っております。
#15
○参考人(岩佐幹三君) 私は、これについては二点ほどあると思います。
 一点は、やはり核兵器というものは人道に反する兵器である。国際法の基礎になります諸原則は条約とかその他ございますが、やはり人道法というものが尊重されなければならないと思います。そうした観点から、国際法の新たなる見直しということを我々は迫られておる、我々の世代、人類は迫られていると思います。その観点がまず必要だと思います。
 続きまして、今横川参考人も申しましたけれども、やはりパワーポリティックスの時代は終わりを遂げなきゃならない。私どもが、国家補償の精神に基づいた援護法、そして国の決意と申し上げているのはその観点で、もはや力による政治は国際場裏では終わりを遂げるんだと。それに向けて、日本はこういう核兵器廃絶に向かって進みますという観点を打ち出し、その道で進んでいただきたいという念願からでございます。
 真っ正面からの御返答にはなりませんけれども、やはりこれが今度の法案の基礎にならなければいけない問題だろうと思っておりますので、そのような形でお答えさせていただきます。
#16
○参考人(池田眞規君) 地球上で公然と核兵器を持っている国は安保常任理事国五カ国だけでございます。核兵器を合法だということを強力に言っている国はこの安保常任理事国でございます。ところが、核兵器は違法である、人類に対する挑戦である、こういう意見を持っている国は、国連加盟百八十四カ国、現在大力国になっていますね、コンスタントに約百二十カ国を超えております。核兵器が合法だという立場に立った国、同時にそれに従っている国はせいぜい二十カ国ぐらいでございます。
 国連総会でしばしば、既に二十三回ほど核兵器の違法性についての決議がありますが、現在では核保有国の核抑止論、これは既にもう世界では少数で未来はないんです。だから、広島、長崎を知っている日本政府が先頭に立って核保有国に対して、核を捨てなさい、世界じゅうから核をなくしなさいということを被爆者は要求しているんです。そのとおりに日本政府は国連総会、国際社会で、核兵器の被害はこんなにひどいんですよと、きょう二人の被爆者が証言しました。こういう実情を日本政府は先頭になって訴え、こうすれば核兵器は違法だと考えている圧倒的多数の国連加盟国、これらを味方にして、そして核保有国から核を捨てさせるんです。究極的なんという悠長なことを言ってもらっては困るんです。直ちに捨てなさい、こういう立場を日本政府がとれば、人類に未来はあります。私はそういうふうに考えます。
#17
○前島英三郎君 さて、政府案、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案、そして野党の皆さんが再度提出されました原子爆弾被爆者援護法案、衆議院で否決されたものと全く寸分たがわないものが再び参議院に提出されておるわけでありますが、前文にただ一つ与党、野党の違いがございます。すべての文言は全く同じでございますが、与党案は「国の責任において」、野党案は「国家補償的配慮に基づき」、こういうところが一つの大きな論点でもあり、また参考人の皆さんもその辺をおっしゃっておるわけでありますが、この違いをどのように横川参考人、また熊取参考人は思いますか。
#18
○参考人(横川嘉範君) いわゆる国家の責任においてというのは、衆議院の本会議においても厚生委員会においてもさまざまな論議をされているところに私は立ち会って傍聴をしておりましたけれども、いわゆる国の責任というのは生存被爆者に対して援助をする形のものだというふうに言われております。
 これは何度も何度もそういうふうに答弁なさっているのですから間違いないと思うのですが、やはり国家補償によるという考え方を持たないと、例えばがんになっても今は認定をされるというふうになることが極めて少なくなってきている、却下される率が多くなってきている、そして認定されたときには既に死んでいたというようなことが起こってきております。これでは、現行の二法の中のそれであっても極めて不十分だというふうに私は思うんですね。やはり死んでから後認定されてみても何の意味もないといえば本当に何の意味もないようなものなんです。
 ですから、その辺は国家補償に基づくという観点できちっと立てていただくことによってでしか救済の道はないというふうに私たちは思っております。特に距離的な問題として、近ごろだんだんと距離が短くなってきていることも私たちは極めて気がかりなことだというふうに思います。
#19
○参考人(熊取敏之君) 私はたびたび申し上げますように、法律とかこういう国会等の文言にはなかなかなれておりませんといいますか、よく意味がわかりかねる点がございます。
 国家補償とあるのとないのとというのは、私は実際問題、実態はどこが具体的に違うのかということが本当のことを言ってびんとこないところがございます。
 実際に今までの被爆、たまたま恐らく認定の話や何かを横川参考人はおっしゃったんだと思うんですが、これは実際上で言いますと、国の予算でみんなの税金でやっておるわけでありますから、それは今のあり方で言えば、原爆放射能に起因するとかあるいはそれに影響されたというようなことの認定が可能でなければ、それはどういう病気であってもなかなか認定ができないだろうというのであります。つまり、一方ではやっぱり税金というものはそうは簡単に使えるものではないんだと、私はそういうふうに思っております。
 実際問題、そういうふうに国家予算でやっているわけでありますから、事実はそれが国家補償と変わっても、例えばよく放射線を受けたら何でもかんでも全部それは放射線であるぞというふうな、例えばそれによって起こったと思われるようながんはそういう審議はなしにみなしで認定してしまうというようなことになりますと、やはりそれは一種の国の予算の、場合によってはむだ遺いみたいなことになりかねないと思うわけであります。
 したがいまして、今現実に国の予算でいろんなことをやっておりまして、しかもそれはかなり合理的なことでやられていると思うんで、そういう点で実態とすればどういうふうに変わるのか、そこに国家補償というものが入るのかどうか、私にはこうだというふうにちょっと指摘されてそれをどけろとかなんとかというようなことは、私自身にはどうもその言葉を選ぶことはできません。
#20
○前島英三郎君 昭和二十年七月六日、実は私のふるさと山梨県の甲府にB29が飛来いたしまして、焼夷弾が投下されまして、甲府の町は壊滅して多くの人が亡くなりました。私たちはすぐそばの田舎でございましたが、布団を敷いて、あとは焼夷弾が落ちてくるのでみんな死ぬんだよ、こういう中で一番いい洋服を着せられて布団の上に座った記憶を鮮明に覚えております。甲府におりましたおばも親戚も亡くなりました。
 昭和二十年三月の東京大空襲、これも筆舌に尽くせない焦土の中で多くの方々が亡くなりました。六月、沖縄には米軍が上陸して火炎放射器の悲惨な無残な悲劇となりました。当時の日本は、広島、長崎の悲劇と重なり合う国民の悲劇が私はあったと思います。
 ですから、二度と国家の歩みで戦争はしてはならない、こういう決意はいわば法律を超えた我々の心情としてやっぱり肝に銘じなければならないというふうに思うんです。満州開拓団の悲劇やあるいはロシアに強制抑留された人々の末路、日本人だけではなくて、またアジアの国々でも悪夢の一九三〇年代から一九四五年への道であったと思うわけであります。
 許されるなら、野党の皆さん方が対案を出されているように「国家補償」、この言葉がそのまま法律の中で出るということもわからないわけではないわけでありますが、しかし直爆によって亡くなられた方々だけの国家補償だけでいいのか、あるいは他の戦争によって犠牲となって亡くなられた方々、あるいは日本の侵略行為等によって近隣諸国の皆さんも当然あわせて考えなければならないというこの文言の余りの広さというものに思いをはせますときに、我々は国民すべてが加害者でありかつまた被害者でもあったというこの大戦を思い起こすときに、私はやはり「国の責任」というこの文言が精いっぱいではないのかと。
 そして、原爆二法というものも年々私たちは議論の中で充実をしてまいりました。そして、被爆者の方々にも、当時私も与党の理事をしておりましたからお目にかがっていろいろお話を交わしたこともございます用意見交換もさせていただきました。
 そういう点において、他の戦争犠牲者に対する補償というものに対して若干お触れになった先生もおられますが、四先生はどのようなお考えをお持ちなのか、つまり文言における国家補償というこの四文字の問題も含めまして、ひとつお聞きしたいと思います。
#21
○参考人(熊取敏之君) 素人の私に質問が行われますと、答えの言葉を選ぶのが非常に困るのでありますが、率直な私の感想を申し上げますと、これは極端な言い方かもしれませんが、現在でもある意味では国家の補償というものが行われておるという実態は、そういうふうに考えてもいいようなことがたくさんあると思うんです。
 先ほどから法律の専門の方は、いろいろな国家補償とか国家の責任、この区別というようなものをおっしゃっておるんですが、そういう方面に素人の私には、それが何かある意味では言葉の遊びみたいな印象を与えるのであります。したがいまして、どこがどう違ってそれで具体的にどうだというものが出てきませんと、なかなかその言葉の違いというようなものの理解がちょっとつきにくいのが私の今の感想です。
#22
○参考人(横川嘉範君) 沖縄を除く空襲による一般の戦災者は五十万人と言われています。そのうち広島、長崎の死没者は三十万人です。
 ここでちょっと注を入れますと、沖縄では一般住民の死者の中でいわゆる戦争協力者、使役に出た者、道案内をした者、こうを提供して死んだ者、それから食料を提供して死んだ者、対馬丸等も含めて、約十万のうち五万は軍人軍属以外で補償されています。したがってここのところは、沖縄を除いて五十万のうち三十万とすればほぼ二十万という数が出るかもしれません。
 それの中で、一九八八年に野党が参議院に提出した戦時災害援護法案によると、生存している一般戦災者に対して療養手当、障害年金、障害一時金、葬祭料などを支給した場合に、その総額は七十五億円という見込みがなされております。この金額というのは、今日の全般的な予算の状況の中でいえばまことに微々たるものだというふうに言わざるを得ません。したがって、いわば原爆の死没者に対してと、そしてさらにそれを広げて一般戦災者に及ぼした場合においても、国家予算が非常に困難になるというようなことはないのではないかと、むしろこれは野党案の中で検討された数字ですから、私どもはそのように思っております。
#23
○参考人(岩佐幹三君) 私はまた別の角度から述べさせていただきたいと思います。
 日中戦争、さらには第二次世界大戦という形で世界的な規模での戦争が行われる中で、先ほど申しましたように数多くの人道に反する犠牲、被害が加えられてまいりました。例えば、アウシュビッツヘ行ってまいりましたけれども、あの被害なんかはまさにそういうものだと思います。第二次大戦は、その意味で私は、人類に対する無差別な被害を与えるというこれまでにない大変な被害をもたらしたのではないかと思っております。戦争の被害というものをいま一度人類的観点から見直す意味では、先ほども広島、長崎の心を日本の心にとお願いいたしましたけれども、まさに日本、がそうした観点に立った国家補償ということをお考えいただきたいと思います。
 したがいまして、今前島先生がおっしゃいました点は、私はやはり何らかの形でやっていただきたいというのが本心でございます。これは難しいと思いますけれども、やっていただきたい。その意味で、被爆者の援護法をおつくり願えないかというのが私の心情でございます。
#24
○参考人(池田眞規君) 私も先ほどの意見陳述でそこに触れておきました。戦争災害、これは国家の責任において補償するべきだというのが憲法の基本的な立場、理論的に憲法の規定を我々が法的に分析すればそういう立場に立たざるを得ないのでございます。これはまた、ヨーロッパの例ではもう既に理論的といいますか、制度的に確立しております。
 例えば、フランスなんかの場合は、国家の災害においては国民は平等に負担しようという考えでございます。これはその行為の形式的な適法、不遺法を問わず、犠牲の平等な負担という思想がフランスでは定着しているようでございます。したがって、こういう国家の戦争あるいはフランスの第二次大戦、ここで受けた被害、国民が戦争の中で受けた被害、ナチスによってフランスが受けた被害、これについても国民は平等に被害を受けた人に負担しようじゃないかと。非常に手厚く、これは軍人、市民を問わず、例えばナチスの強制収容所に収容されたフランスのレジスタンスの人たち、この人たちに対しては無条件で、強制収容所に収容されていたということだけでその人は無条件で終生補償を受けられる。
 ところが、これに対して今の日本のように被爆者側に、被害者の方に立証責任は負わされないんです。これは、あなたの障害は収容所に収容された結果ではないということを政府が証明しない限り、ナチスによる被害者は全部国家が、政府が補償する、こういうシステムになっております。日本とは大分違います。
#25
○前島英三郎君 もう時間がなくなりました。大変きようはいろいろありがとうございました。
 最後に、この与党案に、政府案に対しまして賛否だけをお伺いをいたしまして、私の質問を終わります。賛成、反対というお言葉だけで結構でございます。
#26
○参考人(熊取敏之君) 賛成。
#27
○参考人(横川嘉範君) 対案の方がよりベターだと思います。
#28
○参考人(岩佐幹三君) 全面的に改正していただきたいという意味で、反対でございます。
#29
○参考人(池田眞規君) 与党案には賛成いたしかねます。
#30
○萩野浩基君 お忙しい中を四名の諸先生方にお越しいただきまして、大変ありがとうございました。特に、被爆をされましたお二人の先生方には、涙なくしては聞けない訴えであったと私は感じております。生と死とが瞬間に来て、たまたま運よく生があっても、そこには苦しい今日までだったと思います。白血球が一万二千とおっしゃいましたか、本当にお体に気をつけていただきたいと思います。
 原爆が落とされたというのは、大変私は不勉強で、初め英語で読んだときはオープンシティーと、こう出てきたのを、開かれた都市かと学生時代に思ったんですが、オープンシティーというのは無防備なシティーということで、あのキノコ雲の下にはまさに本当に言われておった地獄、これは私の身内の者もそこで直接遭ったんじゃないですけれども、そこを通ったがゆえに手帳を持つようになったということもありますので、またそれを思い起こさせられました。
 きのうも私は、大変厳しい質問を政府に対して行ったわけでございます。そこの最も重要な点は、今度の被爆者援護法、政府案と対案の二つが出ておりますけれども、とにかく平和に向かっての第一歩を踏み出すということに期待をかけておりまして、私はこの成立を本当に願っていたものであります。
 しかし、現実に政府案を見たときに、きのうも途中でちょっと私の言葉が言い過ぎたのかもわかりませんけれども、せっかく今まで推し進めてきた参議院の中で通したものの精神は何であったかというと、先ほど来の国家補償の精神ということが私は魂であったと思います。そして被爆者の方は、今回のこの法案のお金がどうこうという問題よりも、最も訴えたいのは戦争に対する反省と平和を求める強い決意、そういうようなものを日本の国が、被爆国の国がそこからスタートをするんだ、これを見守っておるんだということを、私はそのようにとらえております。
 そういう点から、きのう延々と八十数分にわたっていろいろ議論をしたんですが、結果責任ということに対してはどうも理解してないというように私は感じたわけです。政府案の方は、国の責任において措置を講ずる、こういうぐあいになっているんですけれども、現行の二法はそれじゃ国の責任でやってないのか、そういうことになれば問題じゃないかというような結果責任の観点から私はきのう追及したわけなんです。
 同じようなことをお聞きしますが、やっぱりこの辺が一番大事な点ではないかと思いますので、私の時間も大変短いですから、一言ずつでいいですからまずお聞かせいただきたい。
#31
○参考人(池田眞規君) 先生のおっしゃる国家補償でございますね、これはおっしゃるとおり戦争を起こした政府の行為によって生じた被害に対する補償、こういう非常にわかりやすい論理でございます。これをどうして御理解いただけないのかが、どうしても私にはわからないんです。法律家から見れば非常に簡単明瞭、単純な論理でございます。そういう意味で日本はなかなかそれを認めていただけない、その点で大変残念でございます。
#32
○参考人(岩佐幹三君) ここに、文言としては政府案にも例えば、「再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。」ということは書いてあるわけでございます。
 そうした観点があるならば、なぜ国家補償ということが出せないのか。むしろ、そこが私にとっては非常にわかりにくいわけでございまして、そことの間のギャップというものが、戦争というものをどのようにとらえられているかということの議論、これは正直言いまして私たち学者の領域でも十分やっているということは言えないと思いますけれども、やはりそこら辺が残されているんじゃないかと思います。そういう点で、むしろ議会でも議論していただきたいという気がいたします。
#33
○参考人(横川嘉範君) ちょっと質問の趣旨がよくわからないんですが、国家補償ということであれば国家補償なんですね。「国家補償的配慮」というふうを言い方になってきますと、今度はそれは何を意味するのかという質問の中で、この委員会でも言われていましたけれども、基本懇の線に沿っていわゆる戦争の問題は全然触れないというふうな答弁がなされました。そうすると、「国家補償」とは書いてあるんだけれども、「的配慮」というふうになってくると、いわゆる先ほどおっしゃられた国家補償という言い方でずっとなさったことからすると、今の問題はかなりまた違ってくるのかもしれないと思います。
 そういう点で、どこら辺からどういうふうになっているのか言葉を十分つかみかねておるところでございます。国家補償でなければいけないと私は思っております。
#34
○参考人(熊取敏之君) 私は、先ほども申し上げましたように国家補償ということを入れなきゃならないということ、それから私たちも経験いたしましたけれども、現在のところ病気に対する補償とかそういうようなものも皆国の予算によって、しかも懇談会、七人委員会ですか、あれの結論に従ってやっておるので、それが国家補償、今いろいろ分かれましたが、戦争に対する認識あるいは考え方というようなものが絡んでくることになりますと、これはどっちがいいかとか、どういうことかと言われても、意見の言いようがないのであります。
 したがいまして、私は今のところ国家補償を入れるのか入れないのか、そういうものについて意見を表明するのを差し控えて、もし戦争に対してどうだというのであれば、また別の席で私は私自身の経験なりなんなりに即してお話ししたいと思います。
#35
○萩野浩基君 ありがとうございました。
 対案の方の「国家補償的配慮」というのは、御案内のとおりに五十三年の最高裁の判決というものとそれから基本懇の報告というものをベースにしてつくり上げたということで、それは御理解いただけたと思いますが、一応若干でも政府案よりは前進させよう、そういう意味で入れたんですが、私はそれなりとも、本来ですと国家補償とずばりがもっといいと思っている一人ではございます。
 あともう一つお聞きしたいのは、せっかく今度出ておる法案で、もう一つ大きな不平等を生み出してくるのではないかということを私は懸念している点がございます。それは、支給対象者を手帳の所持者に限ったという点でございます。これも私いろいろ質問をしたんですが、また先生方の御意見も聞かせでいただきたいと思いますが、事情があって手帳を持とうと思っても持てなかった人たちが現にいらっしゃるわけですね。そういう気の毒な人の存在ということがここではドロップしておるんではないか、そのように思います。
 それからもう一つ、特別葬祭給付金、これにつきましても今度は被爆者の間に新たな不公平とか不平等を逆に生み出してくる、惹起してくる点があるんではないか。それから、個人の尊厳の点からいって個人の中に差をつけて一いくんではないか、そのように私は考えるわけです。
 それで、現在施行されております特別措置法によりますと、一人に葬祭料が支給されております。今回の政府案を見ますと、手帳を所持する二親等内の遺族会員という形になってまいります。そういうところを見ましても、実際にこれを施行していったときにやはり法のもとでの平等とかいろんな問題を生み出すというのは、きのうも大分この辺はやったんですが、まだ私は十分納得がいってないんです。
 この辺、先生方は両法案をちょっと見られたと思いますから、またこれも時間がありませんので簡潔でいいですから、どのようにお考えになりましたか、お願いいたします。
#36
○参考人(池田眞規君) 受給権者を被爆者手帳を持っている者に限るとするのは、私は賛成いたしかねます。というのは、これは死亡した被爆者に対する弔慰金ではなくて、現在の生存被爆者たちに対するだけの対策のように見えます。
 本来、特別給付金は、原爆の最大の被害者である原爆によって死亡した人に対する給付金であるべきであります。そうしますと、これを受給する権利のある者は被爆者手帳を持っている者だけに限るのは非常におかしいと思います。被爆者の親戚あるいは疎開していた子供たちで被爆してない、影響がないという子供が仮に今いたとします。そうしたら彼は手帳はもらえない、こんな不平等なことはないと思います。
 以上です。
#37
○参考人(岩佐幹三君) 私は、この問題は今池田参考人がおっしゃいましたように、原爆被害の最大の犠牲者である死没者に対して国の弔意をどういう形であらわすかという観点でやはり考えるべきだと思います。
 この点で、これまでこういう法律案の制定をお願いする段階で厚生省の方々と話しておるときに、もう既にやめられた方でございますが、どうしてもお金かということが出てまいりました。お金で解決しようとしているのかなということをちょっと考えて、まだそういう日程に上る大分前でございますが、その段階で私はこういうことを申し上げました。
 被爆者にとって死没者は、実はこれはもう亡くなられました森滝先生がよくおっしゃったんですが、広島弁でまどえ、戻してほしいということなんですが、命を返してほしいということなんです。これ以外にありません。
 私はそのときにその厚生省の方に申し上げました。私だったら、もし時の総理が亡くなった方の家庭に一軒一軒線香を供えられたら被爆者はそれでよしとするだろうと。これは金も時間もかかると思います、それ以上に。ですから、それぐらいの誠意といいますか、この問題に対する取り組みの姿勢があったら私はすばらしいものになるんじゃないかと思いました。またその意味で申し上げます。
 ちょっとお答えになるとは思いませんけれども、それがやはり私は被爆者の心情だと思います。
#38
○参考人(横川嘉範君) 例えば手帳を持っていない人、原爆の孤児、疎開していて後から帰ってきた者はもうだめ、それから戦地に行って帰った人はだめというふうになります。
   〔委員長退席、理事菅野壽君着席〕
 例えば東京の場合ですが、一家で六、七人亡くなった。そして自分は、お嫁さんなんですけれども、横川の方にいたものですから、この人は亡くなってはいないわけです。その面倒を全部見て、そしてお父さんの面倒もずって見てなにしたわけですね。だんなさんは戦地に行っていましたから手帳を持っていません。それから、全部面倒を見た一番大変なその人はいわゆる二親等以内というのから外れますから、その家には一切来ません。
 それで、こういうふうに言った人がいます。きのうまで一緒につき合い、広島、長崎のことを話し、語り合い、慰め励まし合って、助け合ってきたのに、自分はお金をもらえるけれども、あの人はもらえないということになったのでは、この先どのようにつき合っていったらよいのか、みんながもらえるようにならないならお金などもらうわけにはいかないというふうに言っている人がいるんです。つまり、お金の問題を前面に出して生存者対策という形ではなくて、先ほどから言われているように、死んだ者に対しての誠意や真心をどのように示すかという問題をもう少し基本的に論議しなければいけないことだというふうに思います。
 先ほど線香をと言われた。線香などというのはお金に直せばどういうふうになるか知りませんが、これは真心がこもっているかいないかの問題であります。もちろん、貧困にあえぐ遺族にとってはお金はやっぱり大切でありまして、前の参議院の二度の可決では百二十万という数が出ておるわけですが、そこからすれば十万というのは余りにも少な過ぎるのではないかというふうに言えば言えるというふうに私は思います。
 その辺は誠意の問題とお金の金額の問題ですから、余り言い合うとおかしくなりますけれども、自分の中でもおかしくなりますが、そういうふうに考えます。
#39
○参考人(熊取敏之君) ただいま各参考人のおっしゃったことは、私もこの法案の中で非常に危惧する点でございます。
 一つは、原爆被爆者手帳というものを交付するときに、ただ単に距離だとかあるいは二週間以内に入市した者とかというだけでありまして、その交付方法をさらに検討しないと、今言ったような疑問といいますか不公平があらわれるんじゃないかという点はぬぐえないと思います。
 ただ、そういう欠点はありましても、先ほど私が政府案に賛成しますと言ったのは、全体、トータルとしてという意味でございます。細かいそういう点についてやはり配慮をしていかなければならぬというふうに思います。
#40
○萩野浩基君 どうもありがとうございました。
 今の問題、きのう私もいろいろ皆さんと議論し合ったんですが、また今大変参考になりました。
 私とすればどこまでも国家補償といきたいんですけれども、それがいかないとするならば国家の補償的配慮というところまでは、まだ明日一日残っておりますから最後まで頑張って、また先ほど私指摘いたしました、どうも法のもとでの平等というようなものをかえって混乱させるんじゃないかという点についても、時間は限られておりますけれども、頑張っていきたいと思います。
 もう大方時間も来ておりますから、最後に、これもきのう実は取り上げたんですが、核使用は違法というので、これは朝日の記事でございますけれども、オランダのハーグにあります国際司法裁判所に三十五カ国が陳述書を出しております。もちろん原爆を持っておりますアメリカだとか英国とかロシアとかフランスなどは当然なことで、これにイエスという答えは出ないわけなんですが、その中で私がとても気になるのは、日本がもっと積極的に、きょうも皆さんの訴えにありましたけれども、原爆に関するこの法案は何もお金の問題じゃなくて、同じ被害をほかの人に与えない、そのための第一歩としてこれを確立するんだと、きのうも私は大分その点でやり合ったんですが、政府の方も大変苦しい答弁をなさっておられました。
 私は、日本があいまいな態度をとることはよくないんで、平和のために、唯一の被爆国であるがゆえに、まさに人間が人間でなくなる不条理な世界、これが展開されていくのがこの核の使用だと、私はそのように考えております。
 先ほどもおっしゃっておられましたが、人道法が国際法のベースにあるというのは当たり前のことでありまして、日本が率先してやらなきゃならないのに、日本はあいまいだというところにランクづけをされておるというのは、これは新聞記事だから当てにならないんじゃないかというような意見も出てくるかと思いますが、私は、特に日本はこの辺の責任が非常に大きいんではないかと思いますので、その点に関しまして一言ずつでいいですから、もう時間が参っておりますので感想をお聞かせいただければと思います。
#41
○参考人(池田眞規君) 国際司法裁判所に日本政府の出した陳述書が、核兵器の使用は国際法に違反するとは言えないという最初の見解が、国民のいろいろな批判がありまして、広島、長崎の市長も上京し陳情して、ついに撤回となりました。
 しかし、核兵器の悲惨な被害を受けた日本だからきっと核兵器の使用は違法だという見解を出してくれるのだろうと、大多数の世界の国が日本に期待していたわけですけれども、その期待を日本は裏切ってしまった。国際的には非常に恥ずかしいことであります。こういう点では、御質問のとおり、日本政府としては核兵器は違法だと、今度はそういう陳述書を出していただきたい。
 国連は先日、核兵器の使用及びその使用の威嚇は国際法に違反しないかという勧告的意見を国際司法裁判所に求めるという決議を国連の第一委員会で採択いたしました。この決議が本会議で決議されますと、これはまたハーグの国際司法裁判所へ決議が行きます。そうすると、また日本政府に対して国際司法裁判所から陳述書を提出するようにという決定が参ります。いずれ年内があるいは来春早々にもその陳述書提出を求める決定書が来ると思います。またこの問題が再燃します。今度こそは、核兵器の使用と使用の威嚇は国際法に違反するというはっきりした態度を表明していただきたいと思います。
#42
○参考人(岩佐幹三君) せめてこの問題に関しては、外交政策として明確な立場をとっていただきたいと思います。
#43
○参考人(横川嘉範君) 湾岸戦争のときに、湾岸地域に千発の核兵器を配備して核兵器の使用の可能性もあると、たびたびチェイニー国防長官が発言しておる、あのピンポイント爆弾で人はねらってないと言うけれども、あの煙の下に血を流し死ぬ人がいるのではないかというので、二月の渋谷の駅頭で寒風吹きすさぶ中を、核兵器は使わないでほしい、再び三たび被爆者をつくってはいけないと私たちは街頭の宣伝もし、後ろに来ていらっしゃる八十五歳の山根さんは二時間も三時間も立ってビラを配り続けられた。そして厚生省、外務省に陳情してきました。
   〔理事菅野壽君退席、委員長着席〕
 核兵器は使ってはいけません、違法だというふうに被爆者は思います。一発の原爆で人生を壊された私たちは、核兵器が一発でも残ったら大変だと思います。もちろん使用するのはいけないことは当然のことであります。違法であります。
#44
○参考人(熊取敏之君) 簡単に申し上げます。
 私は、一九七九年から約八年間、国連の原子放射線の影響に関する委員会に政府代表でずっと出ておりました。この委員会は一九五五年につくられたものでありますが、現在ももちろん続いてきております。この委員会は、環境あるいは人間に対する放射線の影響につきましていろいろなインフォメーションを収集してそしてそれを広く大衆に知らせるということで、毎年国連の総会に報告をしているのであります。
 この委員会の議長には核兵器保有国はなってはいけない慣習になっておりまして、私はちょうど三十年たちます一九八五年、六年議長を務めたのであります。そのとき三十周年記念を行いましたが、その国理科学委員会の親委員会であるUNEPの委員長が見えまして、そして、いろいろな国連の委員会があるが、これほど純科学的に、しかも総会において一度も拒否権を行使されたことがないということは非常に珍しいので、すべてのものがそういうふうにいけば環境の問題なんかも解決するんだがというふうなことをおっしゃっていたのが非常に私は印象に残っております。
 したがいまして、理想とかなんとかはたくさん述べられますけれども、現在あるものを使ってといいますか、言葉は悪いかもしれませんが、そういうものを利用して、そして核兵器に対して廃絶するなりあるいは使用しない条約をつくるべきだというふうな、そういう科学的な根拠というものを示しながらやっていくということが私は大事ではないかというふうに考えております。
 どういう言葉を使ったらいいのか非常に迷いながら話をしておりますので適当でなかったかもしれませんが、私はそういうふうに考えますので、一言申し上げました。
#45
○萩野浩基君 ありがとうございました。
#46
○横尾和伸君 本日は大変お忙しい中、また特に急なお願いをいたしまして、恐らく昨日お願いをしたんだと思うんですけれども御出席いただき、また貴重なお話をいただきましてありがとうございました。
 私は、元公明党でございますが、今は変わって公明の横尾和伸でございます。どうかよろしくお願いいたします。
 きょうお配りいただいた資料の中にも、東友会と書いてありますけれども、アンケートといいますか、生存者の意識というのはこの調査でも、これは時間の関係で説明がなかったかもしれませんけれども、「罪意識 水をやらなかったので」というのが三%、二百五十一人もいる。また、「地獄(この世のものとも思えない、阿鼻叫喚)」が相当な数。また、「忘れられない(脳裏からはなれない、耳に残っている)」、こんな大変な数字を見ながら、またきょう参考人の皆さんのお話をお聞きしながらますます大変なことだということを感じました。感じても、私の言葉では表現のしょうがないくらいであります。
 その観点から、私は一つ具体的な問題で大変憤りを感じております問題があります。それは、御存じのとおり数日前にアメリカがキノコ雲の写真を載せた切手を発行する準備をしていると、これには原爆が戦争の終結を早める、あえて過去形で書いてない、文法的にはどうか知りませんけれども、早めるものだという性格があるということを、性格論としてあえて表現しているのかなというのを私は感じてぞっとしたんです。その表現の仕方にぞっとしたのではなくて、そのこと自体を感じたわけです。
 そのことを今表面的に表現を変えて変更させるとかそんな問題ではなくて、そもそも当たり前の意識の中で原爆というのが戦争終結を早めるものだ、そういう道具なんだという認識がアメリカでなされているということ自体、これは絶対にやめさせる、今我々が闘おうとしているのはそういう問題なんだ、基本的な認識をどうしてもやめさせなければいけない、これが私は今一番大切な問題だと思うんです。
 今回の法律の問題についても実はそこに結びつけたい。人の心の奥底にある、原爆は戦争を早めるという意味合いもあるから使ってもいいんだなんという考え方をやめさせるということが一番の、また違う意味でも柱はありますけれども、今私は最も強調したいことはそのことなのであります。
 そういう観点から各参考人の方に、アメリカがそのような準備をしている、また準備の底には当たり前なんだという恐ろしい認識がある、この事実に対してどのようなお考えを持っているのか、熊取参考人から順次お聞かせいただきたいと思います。
#47
○参考人(熊取敏之君) 御質問のポイントというものをちょっと私は外れるかもしれないと思うんですが、御指摘の切手のデザインの件でございますけれども、私は、今やろうということは一種の非常なアナクロニズムであり、また常識を疑うのでございます。ただ、それを戦争の時代に原爆がどうだったとかいうようなことになりますと、これはまた非常に時代が違うし、戦争になったときに原爆がどうだというふうな必要性を認めてあれだけ開発したんだろうというふうに思います。しかし、今私たちがそれを許可するというような気にはもちろんなれないわけでございます。
 戦争というものは敵を殺すんだとかいうようなことが先に立ちますと、どうしても非常にめちゃな方法なりとんでもないと思われるようなことを考え出すような状況がありますので、やはり私は何といっても戦争、それがたとえ局地戦争であろうと何であろうと、そういうものをなくすということにもっと努力をすべきではないかというふうに思います。
#48
○参考人(横川嘉範君) 原爆投下というのが世界のいわば主導権を持つことであったということは、もう既にアメリカの学者の間でも主流を占めていることであります。そして、原爆を投下することによって実験をしたということであります。率直に言えば、ABCCというのは全然治療もしなかったし、何が悪いということも言いませんで、全部秘密にして、仕事を休ませて血をとって検査だけするという組織でございました。
 したがって、私は戦争の終結を早めたということについて全然ゼロだとは思いません。確かに三%や五%はあると思うのですが、それを全体として判断するようなことは大きく歴史観を変えるものだ、過つものだというふうに言わざるを得ません。被爆者として絶対に容認できません。
#49
○参考人(岩佐幹三君) この問題は幾つかの観点から考える必要があると思います。私は先ほどもちょっと申し上げたんですが、まずやはり大量無差別殺りくの時代に入ってしまったということが基礎にあると思います。今、切手の問題が出されましたけれども、スミソニアンのエノラ・ゲイの問題も同一でございます。やはり戦争を遂行する武器として、これをどのようにとらえるかという問題になっているんではないかと思います。
 むしろ、国民の戦意喪失という観点から無差別爆撃は日本だけではなくドイツやその他でもアメリカは行いました。もちろんドイツもイギリスに対してV1、V2をやりました。ですから、そうした戦いをもはや終わらせなければならないという観点からこの問題に私は取り組むべきではないかと思っております。
 そうしますと、実はこれは残念なことなのでございますが、今から十年までなりませんが、イギリスの法律家のやはり核兵器を廃絶しようという団体の国際法廷がございまして、私はたまたまそこに被団協から派遣されたのでございますが、そのときに非常に驚いたことがございます。
 今、広島、長崎よりも数百倍も強い核弾頭、核兵器が開発されている。それが仮にイギリスならイギリス、ロンドンに飛んでくる、そうしたら、まず幾つかのことが起こってくるんですね。都市が破壊され、そして救援、それから逃走といいますか、退避のそういう方法がなくなってしまう。情報が伝達されない。最後に、そういう状態になるから爆心地付近の混乱はもう無秩序状態になって手の施しようもなくなると言ったんです。先生方、これをどうお考えになりますか。私はそのときに唖然といたしました。核兵器をどうとらえているかということなんです。
 爆心地付近といいますか、広島でもあれだけの被害がありました。その数百倍の核弾頭が飛んできて爆心地付近で生きている人がないはずでございます。それと結びつかないわけでございます。言ってみれば、やはりゲームをやっているんじゃないかなという感じを受けました。核兵器を廃絶しようとする運動の人たちすらそういうことを考えていないということを非常に嘆かわしく感じたわけでございます。
 話を戻しますけれども、私たちがやはり国家補償の精神に立った援護法ということをお願いするのは、そのような核被害、原爆被害に対する無知をなくすために日本政府が先頭に立って、むしろ国の政策として運動していただきたい、訴えていただきたい。それには私たちも一緒になって行きます。年をとり、先ほど申しましたように体が悪いかもしれませんけれども参ります。先ほどの外交政策と一緒でございます。そういう形の方向の政策を打ち立てていただきたいと思います。
 大変話を横へ持ってまいりましたけれども、それぐらいの実は残念な気持ちを持って帰ってまいりました。その後いろいろ連絡はしているのでございますけれども、そういう実態がございます。アメリカにおいてはなおさらだと思います、落とした国でございますから。あれは落としたんだ、我々の成果だ、戦果だという格好で考えている面があると思うんです。それをやはり解きほぐしていかなければならないと思っております。
#50
○参考人(池田眞規君) 核兵器を使用することを肯定する考えを持っておられる方々、これは核保有国の指導者はもちろん、そういう人たちは核兵器の被害の実情を認識しておられないわけです。我々は被爆者と接触して、なかなか全体像がつかめないにもかかわらず、被爆者の体験を聞いただけでもこれはもう二度と絶対に使ってはならないと、その被害の残酷さから。そして、これは人類の死滅にかかわるという以上は、この兵器は国際法違反だと言うだけじゃ済まないと思うんです。この兵器を地球上からなくさない限りは、いずれ核によって地球は滅びてしまうということを科学者もそろそろ言い出しましたね、核の冬と。
 ですから、これは法律的な観点からいいますと、法律は違法性を言います、法律家の方がいらっしゃるようですから、違法性には必ず違法阻却事由というのがつきまといます。ボクシングで殴りつけても、これは傷害罪になりません。ですけれども、核の違法というのは違法阻却事由のない違法だというふうに理解すれば非常にわかりやすいと思うんです。
 だから、平和のためとか自由のためとか戦争を抑止するためとか、あらゆる理由を述べ立てても核兵器を使用することを正当化する理由にはならない、もう絶対的に違法な兵器だと。なぜならば、人類を滅亡に陥れる最終兵器なんです。これをまだ使ってもいい、これで戦争が終わるのを早めたとか、何人殺すのを控えたとか、こういう理由でもって使用を認めることは我々法律家の立場からしたらもう絶対に許せない、絶対的な違法行為だというふうに言いたいと思います。
#51
○横尾和伸君 大変よくわかりました。
 私どもは、これまでの関係者の努力によって被爆者対策も進み、十分であるかどうかは別にしまして徐々にではありますけれども進み、また参議院では過去二回、「国家補償の精神に基づきこと、国家補償の精神という表現の入った法案を可決しております。そのことは大変重みのある事実だと思います。
 私どもは、今回独自に政府に対する対案として提出させていただいた法案には残念ながらそこまで踏み込めなかったという不十分さはありますけれども、そのことに近づけようとして最大限の努力をしたわけであります。その結果、前文の中に「国家補償的配慮に基づきこという文言を入れたわけであります。
 これは説明するまでもなく、五十三年の最高裁の判決、また五十五年の基本懇、五十六年の厚生大臣の発言、こういうことを通して国家補償的配慮ということが、不十分ながらも解釈、考え方が進んできた。このことを踏まえて、今回そこまでは何とか新しい法律の中に組み込もうということで表現したわけであります。
 それに対して政府案は、先ほど来同僚議員からも説明がありましたが、また昨日の審議においても主要な課題となったわけですけれども、「国の責任においてこと表現されたこの政府案は、現行二法には国の責任においてという表現はないけれどもどう違うんだということに対して、「国の責任においてこと表現した今回の法律はそれなりの重みがあるんだとまでは言われたんですけれども、その重みの中身についてどうなんだという質問に対して何ら答えておりません。それでは、「国の責任においてこという文言を入れた意味が何なのか、なくても同じじゃないかというのが私の理解であります。
 昨日もそういう中で厚生大臣は、たったその一言の違いだけで余り変わらないじゃないか、こういうことを申されているわけです。私どもはこの一言が違うんだということを何としても訴えたいわけで、何回も同僚議員から質問を繰り返しておりました。「国家補償的配慮に基づきこそれに対して「国の責任においてこ、たったこれだけの違いだから大した違いはないと言われる厚生大臣の真意、それが真意であるならば、そう違いがないのであれば国家補償的配慮に基づいてと直したらどうですかというのが私の考え方なんですけれども、どうも直す気配も見えない。そういう点では大変理解に苦しむ態度を厚生大臣はとられているわけなんです。
 そこで、先ほどもお二方の先生には既に御質問がありまして、この違いについてどうなのかという趣旨で熊取先生、横川先生からの御意見を伺いましたけれども、残りのお二人の先生にはまだお聞きしていないわけであります。大変重要な問題だと私は思うんですけれども、残っております岩佐先生と池田先生にその点、前文におけるたったその一言の違いについて御意見をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
#52
○参考人(岩佐幹三君) 非常に難しい御質問でございまして、的確に私の意見を申し述べることができるかどうか、ちょっと危ぶむところがございます。
 国家の責任においてといいますと、どこまで入るのか、何が入るのかということが明確でございます。ずばり言いますとそういうことだと思います。ですから、それをどのような形で、先ほど私がちょっと申しましたように原爆の被害の実態を国として世界に訴えるんだというのが国家の責務となれば、それが入らなければいけないと思います。それが入っておりませんので、全く不明確になっているということが言えると思います。
 それから、国家補償的配慮ということでございますが、私としては、国家補償といいますか、それがやはり入ってほしかったということでございます。それは先ほどから申しておりますように、やはり国がこの問題について誠意を込めて取り組むんだ、そして世界に対して再び被爆者をつくらないという決意を示すんだということを含んでいるからでございます。そういう点で国家の責任と国家補償ということになりますとはっきりするのでございますが、ちょっと国家補償的配慮ということになりますと、若干配慮ということが非常にどうとらえていいかという点でお答えにくいと申し上げて大変失礼でございますが、お許しいただきたいと思います。
#53
○参考人(池田眞規君) これはかなり法律問題のように見えまして、被爆者の皆さんには大変難しい問題だと思いますが、法律家から見れば非常に簡単明瞭なことでございます。
 国家補償という場合は、これは国家の戦争責任の問題にかかわっできます。国の責任という場合は、国の戦争責任は全然排除されます、なくてもいいんです。例えば社会保障、これは国家の責任なんです。生存権、憲法二十五条でございますね、これでいいんです。だから、国の行為によって戦争を開始した結果、戦争被害で原爆を受けたじゃないか、だから当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるというのは東京地方裁判所の原爆判決の中に書いてあるんです。これはもう法律家なら常識なんです。
 だから、そういう趣旨で国家補償という場合は、国が戦争を開始、遂行した責任の問題が正面からとらえてあるんです。ところが、国の責任といいますと、戦争を開始した国家の責任問題はもうなくていいんです、問わないんです。そういう意味でもう大変な違いがございます。
 そういった意味で、被爆者援護法は国家補償でなければならないというのは我々法律家の、日弁連のと言っても結構ですが、日弁連の公式見解でございます。
#54
○横尾和伸君 大変微妙な国家補償という言葉そのものを表現し切れれば、御要望にそのままおこたえできたという趣旨はよくわかりました。ただ、私どももそのことを十分踏まえた上で、何としても、たとえ一歩でも半歩でも近づこうという努力をした結果が「国家補償的配慮に基づきこ、こういう表現であります。そういう意味で、私どももその精神をさらにこれからも具体化するために努力をもっと強めていかなきゃいけない、こう決意している次第であります。
 法案についてはまたこれから審議があり、採決もどういうことになるかまだ未定でございますけれども、私ども、提出した対案について成立に向かって全力で頑張らせていただきます。決意を述べて、以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。
#55
○西山登紀子君 日本共産党の西山登紀子です。
 きょうは参考人の皆さん、大変お忙しいところをありがとうございます。特に横川さん、それから岩佐さんには被爆者として健康を押してこういう場所に来てくださった、そして援護法の制定に長く携わってこられましたことを私は心から敬意を表したいと思います。
 実は、私のおじも広島の原爆で一瞬にして蒸発をしたというようなこともございまして、お二方の御意見は本当に身につまされて聞かせていただきました。
 私たち日本共産党の立場というのは、政府の原案も、そして旧連立といいますか公明党、新緑風会が出しておられる対案も、実は後退とは言えないまでも被爆者の皆さんの本当の願いにこたえるものではないと考えておりまして、本院でも二度可決されました被爆者援護法の内容を基本的内容といたします修正案を出しまして、徹底的な審議を要求し見直しを求めていく、これが私たちの基本的な立場でございます。
 内容は、やはり国家補償を目的として明記をするということと、それから死没者の遺族に対する弔慰金として死没者一人当たり百二十万円の特別給付金を支給すること、それから三つ目は全被爆者に年金をという内容での修正案を出しております。
 そこで、池田参考人にまずお伺いをしたいわけですが、昨日も私は質問の中で、この政府原案につきましてそういう立場でいろいろ質問いたしましたけれども、結局のところは一般犠牲者との均衡論、こういうところで従来の自民党政府の立場から一歩も出ないような答弁に終始したというふうな印象を私は持ちました。
 そこで、原爆被害に対して国の国家補償義務が逃れられない義務であるということ、逆に言えば被爆者には国家補償を請求する請求権というものがあるということ、しかも被爆者のその国家補償請求権というものには優先性があるということについて、先生のお考えをお聞かせください。
#56
○参考人(池田眞規君) 先ほどの意見で一度触れてあると思いますが、一般戦災者との均衡論が政府の方から言われます。しかし、私ども先ほど申し上げましたように、国家補償というのは、国が国の責任と権限において戦争を開始し遂行した結果、戦争によって被害を受けた国民には結果責任として政府は補償しなければならない、これが国家補償なんです。ですから、そこには被爆者であろうと空襲の被害者であろうと、国家補償における被害の対象というのは被爆者と一般戦災者とは区別がないんです。ただ、基本的には戦争被害に対しては補償をしなさい、これが国家補償の立場でございます。
 ところが、被爆者援護法となりますと被爆者に特別の被害がありますと、これが優先性の問題になってきます。通常兵器による被害を受けた一般戦災者あるいは戦争被害を受けた人、この人たちも大変苦労され被害を受けたら補償を請求する権利はあると我々は考えます。
 しかし、原爆被害者は特別の被害、先ほども繰り返しておりますので繰り返しません、原爆の被害者には特別の被害がある。一般の戦災者の場合は被害が治癒してしまった場合もあります。ところが、被爆者はいまだに治癒しないんです。いまだに殺され続けている。先ほどの横川さんは三カ月単位で自分の命をはかって生きているんです。ああ三カ月生きた、もうあと三カ月、こういう生活を今やっておられるんです。これは特別の被害なんです。
 そういう原爆の特別な被害は特に優先的に緊急に補償してもらいたい、これが私は、簡単に言えば被爆者援護法における国家補償の特別な理由だというふうに理解していただければ結構だと思います。
#57
○西山登紀子君 続いて、また池田参考人にお伺いしたいわけですけれども、国連総会の第一委員会で、十一月十八日に、核兵器の使用や威嚇が国際法に違反するかどうかを国際司法裁判所に勧告的な意見を求める決議がなされたというふうに報道されているんですが、七十七対三十三、七十七が賛成、三十三が反対であったわけですけれども、日本政府はこれに棄権をしているわけです。アメリカやイギリス、フランス、ロシアの四カ国はこれに反対をしている核保有国なわけです。
 羽田政権のときにも、司法裁判所に核兵器の使用は違法でないという報告を上げようとして国民的な批判が出まして、とりあえずのところはそれを引っ込めるというようなことがあったわけですけれども、十一月十八日、この村山政権のもとでも日本政府がこういう行為をとっている。そして、そういう態度をとりながら非常に不十分なこの被爆者援護法を提案しているわけですけれども、そういう点については私は被爆者を本当に冒涜するものだというふうに思います。
 そこで、確かに一般犠牲者との均衡論だとか戦争の犠牲はひとしく受忍すべきだというような受忍論でもって被爆者援護法が非常に不十分な内容になっているわけですが、私はそれよりももっと根本的な原因といたしまして、この日本政府の核兵器についての態度、国連でも表明をしてきたこういう態度が今日提案されている政府の援護法案の内容に非常に関係があるんではないか。その点についての先生のお考えをお伺いしたいと思います。
#58
○参考人(池田眞規君) この点は私見にわたりまして恐縮なんですが、昨年のWHOのジュネーブの総会で、国際司法裁判所に、WHO憲章を含む国際法に照らし核兵器の使用は国家の義務違反とならないのかという意見を求める決議をしました。それが国際司法裁判所に行きました。そのときも日本政府は棄権をしております。そして今回も棄権をしました。
 それから、国連総会で核兵器の使用禁止についての総会決議が少なくとも二十数回提案されて、これもほとんど日本政府は、一九六一年の総会決議のときだけ賛成しましたが、あとは全部棄権または反対でございます。日本政府は唯一の被爆国ということを口にされるのに、核兵器の使用は違法だという見解をどうしてとられないのか非常に残念なことです。
 これは外国からの批判も浴びておりますね。アメリカの元司法長官のラムゼー・クラーク氏が、日本政府の核兵器についての見解は国際的に権威があるんだ、これはなぜか、広島、長崎を知っている唯一の国だからだ、広島、長崎を知っている国の政府が核兵器の使用について違法と言わないでどこの国が違法と言うのだといって、日本政府が核兵器の使用についての決議に棄権したことについて驚きを示された。そして、核兵器の使用は違法とは言えないというふうな陳述書を過去提出しようとしたことに対して、信じられないということを語っております。
 これは日本がアメリカの核の傘に安全をゆだねているからだ、アメリカの核の傘で日本は守ってもらっているから、万一のときにはアメリカの核を使用してもらわなくちゃならない場合もあり得るから核の使用を否定するような行動はとれないんですと、これは日本の外務省の外交官から私はじかに聞きました。信じられないことでございます。
 こういう立場をとっている限り、やはり核兵器の被害を過小評価されると、今度の被爆者援護法の立場もそういう観点から、日本の政府でありながら核兵器を肯定する政策をとっているという矛盾のあらわれではないかなというふうに考えます。
#59
○委員長(種田誠君) 時間が来ていますので、短くお願いします。
#60
○西山登紀子君 最後に、お二人の被爆者の方にお伺いします。
 参議院の審議に最も望まれることについて、簡潔にお伺いいたします。
#61
○参考人(横川嘉範君) 冒頭とそれから結びのところで申しましたように、参議院というのは国家補償に基づく被爆者援護法を二度可決していただいた本当に栄誉ある委員会ですから、私たち被爆者はそのとき、本当に生きていてよかったというふうに言って帰ったんです。八九年、九二年。
 もう一度その原点に立ち返って、参議院のもともとのところへ返って審議を尽くし決定をしていただければと、強く願い期待をいたします。
#62
○参考人(岩佐幹三君) 同じようなことでございますけれども、やはりいま一度原点に立ち返っていただきたいと思いますが、そのときにぜひともお考えいただきたいのは、あの基本懇の答申は本当に原爆被害を踏まえたものであったかということをもう一度ちょっと考えていただきたいと思います。
 と申しますのは、あそこで晩発性の放射線被害とかいろいろ言っておりますけれども、あの中に出てくる言葉の中で一番私にショックを与えたのは、命次の戦争ということが出てまいります。四十年たって今次の戦争、あの戦争というのならわかりますが、四十年間被爆者は苦しんできた、これが一度に御破算になる言葉ですよ。言葉でとらえてはいけませんけれども、まさにそうした意味で、原爆被害について本当にとらえられてあの審議がなされ、基本懇の答申が出たかということでございます。これに私どもは非常に不信の念を持っております。
 その意味で、これから審議をいただき、法が成立していくのかどうかわかりませんけれども、私どもは、やはり私どもが生きている限り国家補償の精神に基づいた援護法の制定を要求していきたいと思いますので、ぜひとも本日の私どもの陳情を受けとめていただきまして、これからの審議、そしてこれからも御尽力いただくことをお願いいたします。
 ありがとうございました。
#63
○委員長(種田誠君) 以上をもちまして参考人の方々に対する質疑は終了いたしました。
 一言参考人の方々に御礼を申し上げます。
 参考人の方々には、長時間にわたりまして御出席を願い、貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 本日の審査はこの程度にとどめ、本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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