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1994/02/09 第129回国会 参議院 参議院会議録情報 第129回国会 国際問題に関する調査会 第1号
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1994/02/09 第129回国会 参議院

参議院会議録情報 第129回国会 国際問題に関する調査会 第1号

#1
第129回国会 国際問題に関する調査会 第1号
平成六年二月九日(水曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員氏名
    会 長         沢田 一精君
    理 事         大木  浩君
    理 事         大島 慶久君
    理 事         山田 健一君
    理 事         荒木 清寛君
    理 事         井上 哲夫君
    理 事         猪木 寛至君
    理 事         上田耕一郎君
                上野 公成君
                岡野  裕君
                佐々木 満君
                下稲葉耕吉君
                林田悠紀夫君
                宮澤  弘君
                矢野 哲朗君
                國弘 正雄君
                谷畑  孝君
                田  英夫君
                深田  肇君
                細谷 昭雄君
                松前 達郎君
                木庭健太郎君
                中西 珠子君
                永野 茂門君
                島袋 宗康君
    ―――――――――――――
   委員の異動
 二月三日
    辞任         補欠選任
     國弘 正雄君     山本 正和君
     田  英夫君     千葉 景子君
 二月八日
    辞任         補欠選任
     千葉 景子君     山口 哲夫君
     山本 正和君     大渕 絹子君
     井上 哲夫君     乾  晴美君
 二月九日
    辞任         補欠選任
     乾  晴美君     井上 哲夫君
  出席者は左のとおり。
    会 長         沢田 一精君
    理 事
                大木  浩君
                大島 慶久君
                山田 健一君
                猪木 寛至君
                荒木 清寛君
                上田耕一郎君
    委 員
                上野 公成君
                岡野  裕君
                佐々木 満君
                下稲葉耕吉君
                宮澤  弘君
                矢野 哲朗君
                大渕 絹子君
                谷畑  孝君
                深田  肇君
                細谷 昭雄君
                井上 哲夫君
                中西 珠子君
                島袋 宗康君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        下田 和夫君
   参考人
       東京大学教養学
       部教授      平野健一郎君
       日本経済新聞編
       集局次長     小島  明君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○委員派遣承認要求に関する件
○国際問題に関する調査
 (二十一世紀に向けた日本の責務について)
    ―――――――――――――
#2
○会長(沢田一精君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 國弘正雄君、田英夫君が委員を辞任され、その補欠として大渕絹子君、山口哲夫君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○会長(沢田一精君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国際問題に関する調査のため、今期国会中必要に応じ参考人の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(沢田一精君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○会長(沢田一精君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#6
○会長(沢田一精君) 次に、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 国際問題に関する実情調査のため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○会長(沢田一精君) 御異議ないと認めます。
 つきましては、派遣委員、派遣地、派遣期間等の決定は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#8
○会長(沢田一精君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#9
○会長(沢田一精君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、二十一世紀に向けた日本の責務につきまして参考人の方々の御出席をいただきまして、御意見をお伺いし、質疑を行います。
 本日は、参考人として、東京大学教養学部教授平野健一郎君、日本経済新聞編集局次長小島明君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言こあいさつを申し上げます。
 平野参考人、小島参考人におかれましては、お忙しい日程にもかかわりませず本調査会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。
 本日は、二十一世紀に向けた日本の責務につきまして忌憚のない御意見をお伺いし、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、平野参考人、小島参考人の順序でそれぞれ三十分程度御意見をお伺いいたします。その後、午後四時半までの二時間半程度質疑を行いたいと存じますので、御協力をお願い申し上げます。
 なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。
 それでは、平野参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。平野参考人。
#10
○参考人(平野健一郎君) ありがとうございます。平野健一郎と申します。
 東京大学教養学部において、学部一年生から博士課程の大学院生までの学生に向かって、国際関係論、特に近代東アジア国際関係史と国際文化論を講義しております。
 日本の国際関係論の教育研究におきましては、文化交流、国際交流など、国際関係の文化的側面を専門に研究し教育している研究者は非常にわずかでございます。その中で、私は比較的早くから、国際社会における文化の接触や摩擦、また国際的な文化の接触によって発生する文化の変容、日本外交における文化の問題など、国際関係の文化的な側面について多少論じてまいりました。また、日本各地で国際交流活動を行っている民間グループや草の根のボランティアの方々ともおつき合いをしております。それで、二十一世紀に向けた日本の責務を調査しておられますこの調査会で、これからの日本の国際貢献の一つの方法としての国際交流、文化交流について意見を述べさせていただくことになったのだと存じます。
 実は、国際交流、文化交流こそがこれからの日本人にできる最も望ましい国際貢献だというのが私の考えでございます。
 お手元のレジュメに沿いまして、できるだけ具体的な提案を申し上げる形で、この考えを申し述べさせていただきます。
 国際交流、文化交流が日本人の国際貢献として最も望ましいと思うと申し上げましたが、その国際交流、文化交流をどう行うべきかを考えます際には、個人をベースとして考えることを基本とすべきだというのが私の具体的提案の根拠になります。なぜ国際交流、文化交流を個人ベースで考えるかという理由をまず申し上げます。
 いわゆる冷戦構造の崩壊の結果、新しい世界秩序が求められておりますことは申し上げるまでもありません。新世界秩序がどのようなものになるか、この調査会でも既に何人かの参考人が相当突っ込んだ考え方を述べてこられました。今動きつつある世界の構図が、世界政治地図の上での単なる国の組み合わせの変更以上のものであることは明らかです。
 今日の国際社会には、国際関係の主体として主権国家以外に超国家的機関、民族等が新たに登場し、国際関係の舞台も国家間関係だけではなく、国連等のグローバルな舞台、EC、ASEAN等のリージョナルな舞台が重要性を増すなど、現代の国際関係は従来に比べて変化してきている。これはこの調査会の中間報告書に盛り込まれた参考人の意見の要約です。二十世紀末から二十一世紀にかけての世界にまさに人類史的、世界史的な本質的な大転換が起こりつつあるのではないかという見解に私も賛成です。
 私は、このような見解をさらに一歩進めて、地方自治体や民間団体さらには一人一人の個人までもが国際関係の主体として登場しつつあることに注目し、今日の国際社会の構造転換はまさに国際社会の構造の中核に個人が位置するようになっていくという点において本質的な構造転換なのだと考えております。
 国際関係といえば、従来は国家と国家の関係を指すと考えられておりました。一人一人の人間は国民としてある一つの国家に全面的に帰属することによってしか国際社会の中で生存と安全を保障されないものとされておりました。しかし、個人と国家と国際社会をこのような関係としてとらえるのは近代にのみ当てはまるとらえ方です。今や近代は終わりつつあります。冷戦の終えんとともに国際社会に本質的な構造転換が起こりつつあることが、まさに近代が終わりつつあることを示しています。
 これからの、すなわち近代以降の国際社会はどのような構造のものになるでしょうか。従来の、つまり近代の国際社会のとらえ方が国家を中心に置く考え方ですから、近代以降の国際社会の構造を考えるためには個人を中心に置いて考えればよいのではないかと思います。
 個人を中心に置きますと、その個人は、まず家族や近隣や学校や会社など、身近な地域社会の一員として地域社会に囲まれております。その外側には国内社会があります。さらにその外側にはASEAN、EC、アジア、ヨーロッパなどのリージョン、つまり国際的な地域社会があります。さらにその外側にはグローバルた国際社会、世界があり、地球環境があります。
 国際社会を個人を中心にして見てみますと、このように五重、六重の同心円から成る重層的な構造を持っているものと理解されます。言いかえますと、近代の国際社会は国家間関係の平面的な構造を持っていましたが、これからの国際社会は縦深の重層的な構造を持つものと考えられます。
 現代の国際社会が重層的な構造を明らかにしつつあることに伴って、人々の帰属意識、いわゆるアイデンティティーの持ち方も変わりつつあります。
 近代においては、国際社会が平面的な構造でしたから人々の帰属意識も平面的で、一つの国家に所属するか否かだけでしたが、今日では、人々は自分の身近にある幾つもの地域社会に所属し、ある一つの国民社会に帰属し、その外側の国際的な地域社会に所属し、そして国際社会にも所属し、地球環境の中で生かされているとも感じております。同時に、複数の異なる次元の社会集団に帰属していることを意識する複合的なアイデンティティーを持つようになっています。また、複合的なアイデンティティーを持たなければならなくなっていることは、地球環境問題を考えれば明らかです。
 以上、大変理想主義的に聞こえたかもしれませんが、私は無政府主義者でもなく世界政府主義者でもありません。国家、政府はこれからも相当長期にわたって重要な機能を果たしていくと思いますし、一方、世界政府は現実の世界では不可能だと思います。今日以後の国際社会における国家の機能が近代の国際社会におけるほど唯一絶対のものではないということを、国際社会の構造の重層性と人々のアイデンティティーの複合性という概念で表現いたしました。
 これからの国際交流、文化交流は、この国際社会の重層的構造と人々の複合的アイデンティティーを踏まえて構想され、実行されるべきであろうと思うのですが、国際社会の構造と人々の帰属意識にこのように変化をもたらしたものが実はほかならぬ国際交流の現象であると言うことができます。国境を越える人、物、金、情報の移動が盛んになったことによって、すなわち広い意味での国際交流の増大によって国際社会は本質的に変化し、世界は近代から近代以降の時代に入ることになったのだと考えます。
 この世界史的な転換が始まったのは、ベルリンの壁が崩壊した一九八九年ではなく、一九六〇年代から七〇年代にかけてのころでした。人類の月面着陸、ベトナム戦争、大学紛争という青年の反乱、少数民族の分離独立運動だと世界史的な意味を持つ事件が六〇年代の終わりから七〇年代の初めに集中しています。
 こうした事実を想起した上で、人、物、金、情報の国際化という広義の国際交流のうち特に人と情報の国際移動に注目しますと、日本では一九六四年に海外渡航が自由化され、一九七二年に国際交流基金が設立されております。一九七二年の米中国交回復のために取り交わされた上海コミュニケでは、米中両国間の文化交流、知的交流、学術交流、スポーツ交流が強調されました。一九七五年のヘルシンキ宣言では、人間の移動の自由が基本的人権の一つであることが東西両陣営によって承認されました。
 このように一九六〇年代から七〇年代にかけて人の国際移動が盛んになり、その結果、情報が次第に国際化、自由化され、人々の民主化要求が高まって冷戦構造は各国社会の内部から崩壊を開始したのだと考えることができます。
 人の国際移動と情報の国際化は、直接的には国境を低くし、物、金の国際移動と相まって国際社会にいわゆるボーダーレス化をもたらしつつあります。そして、ボーダーレスの国際社会は、人の国際移動と情報の国際化、すなわち広義の国際交流の現象を一層増大させます。
 人々は、今後ますます個人として、つまり難民として、出稼ぎ労働者として、海外駐在員として、留学生として、海外観光客として国際社会を動き回るでしょう。その際、人々は、私が先ほど申し上げた五重六重の同心円を身にまとった形で国際社会を移動し、そして直接に接触し交流します。ということは、異なる文化を持った人同士が直接に接触し交流するということにほかなりません。ここで申し上げる文化とは、人々の生活様式、思考様式、行動様式の全般を指します。ということは、国際社会を移動する個人は、さまざまな地方社会文化、国民社会文化、国際地域社会文化、国際社会文化を同時に運びながら、ほかの個人と接触、交流することになります。
 したがって、二人の個人が移動して接触すれば、当然どれかの次元の文化は二人の間で異なることになります。国境は低くなったとしても文化の違いは依然として存在し、しかも国際交流が盛んになればなるほど異なる文化がぶつかり合う機会がふえることになります。国境が低くたればなるほど文化の障壁が明白になってくるという関係になると思います。
 ここで、後に申し上げることとの関連で念のため一つ申し上げておきたいことは、人が違えばその人々の生き方としての文化は必ずどこかが違うのですが、ただ一つすべての人々が共通に持ち得る文化が、五重六重の同心円の一番外側に位置する国際社会レベルの文化ではないかということです。国際社会レベルの文化はまだ極めて萌芽的にしか認められませんが、世界平和を願う気持ちとか、核戦争を恐れる気持ちとか、地球環境の破壊を憂える気持ちとか、いわゆる共通の価値観がそれに当たります。
 人々の国際交流がふえれば文化面での摩擦がふえますが、今申し上げましたとおり、文化は複雑な構造を持ち、なかなか簡単にはとらえられません。例えばどこまでが関東文化でどこからが関西文化かはだれにもはっきりと言うことはできません。文化には境界がないようなのですが、人と人とが接触、交流すると、そこには必ず文化の壁があらわれるのです。
 国際社会への個人の登場、人の国際的移動の増加に伴う文化の違いの重要性の増大という時代を背景に、国際交流、文化交流についてこれから具体的な問題提起をさせていただきます。その際、個人をベースとして考えることと文化はなかなかとらえにくいということ、この二点を前提にして考えたいと思います。
 先日、国際文化会館の企画部長をしている友人から大変示唆的な経験談を聞きました。
 御承知のように、日本の国際的な地位の高まりに応じて、米国では日本専門家以外の専門家の間にもその専門的見地から日本を論じる、いわばにわか日本専門家が籏出しております。例えば、国際政治の専門家が日本の経済力の増大、政治力の高まりを見て、日本が核武装をするのは論理的必然だと論じたりいたします。知識人の国際交流専門機関の代表的存在である国際文化会館は、こうした米国のにわか日本専門家を啓発する必要を感じ、昨年、十数名の彼らを約一週間日本に招待し、日本の各分野を代表する豪華な顔ぶれの学者、知識人をそろえてレクチャーを提供しました。その後、彼らを一泊二日だけ宇都宮の主婦のボランティアによる地域の国際交流団体に預け、学校見学、工場見学、ホームステイを体験させました。参加者に対する事後のアンケートで何が一番よかったかと尋ねたところ、どのレクチャーよりも宇都宮がよかったとほとんど異口同音の回答が戻ってきたそうです。日本の核武装必然論を唱えていた専門家も、一晩日本の普通の市民の家に泊まって日本の核武装の可能性がかなり低いことを卒然と悟ったということでした。
 国際文化会館の友人は、外国人に日本を理解させる力において日本の代表的知識人も地方の主婦に負けると言っておりました。日本の代表的な知的国際交流機関としては自己否定的な発言と言うべきかもしれません。まことに百聞は一見にしかずですが、とりわけ地域の国際交流にそういう力があることに注目する必要があることを如実に示している話だと存じます。このエピソードは、また、外国人に日本社会を理解させるには海外広報という方法もありますが、情報を海外に発信する海外広報よりも外国人を日本に招く方が日本理解に効果的であることをも示しております。
 私の見聞では東京の中央よりも地方の国際交流の方にはるかに活気があります。この宇都宮の例のように地方の草の根の国際交流活動は現在大変活発に行われております。東京では外国人のホームステイの受け入れ家庭を探すのも困難ですが、地方では多くの人がホームステイを競って受け入れております用地方と国際社会が直結しております。しかし、地方の地域国際交流にも種々の問題点があります。それらについては国際交流の国内問題として後で申し上げたいと思います。
 この宇都宮の例のように、現在、地域国際交流は、人を海外に派遣する活動もさりながら、外国からお客様を受け入れて地元で外国人に日本社会、日本文化を理解させる活動が中心になってきております。
 現在の日本では国際交流、文化交流に関して政策的考慮を加えようとする場合、往々にして発信型の交流に力点を置く傾向があります。最近も文化庁が発信型の文化交流を主張し始めたと聞いております。幕末、明治以来、日本の国際交流、文化交流が圧倒的に受信型であったために、今日になって発信型の交流を私たちが唱えたくなるのは当然かもしれません。しかし発信型にのみこだわるのは誤りであると私は思います。
 第一に日本は既に大量の発信型交流をしております。日本人自身が気づかないうちに大量の物と情報が日本から外国に輸出され、外国人の目から見れば日本の文化は既に相当程度輸出されており外国の文化に影響を与えております。
 第二に、日本を理解してもらいたいのなら、さきの宇都宮の例のように外国の人々に日本に来てもらう、特に日本の地方に来てもらう方が効果的です。
 第三に、文化の受信を忘れれば日本の文化はやせ細るでしょう。
 国際交流、文化交流は、現在、日本の多くの地方で民間人によって盛んに行われ始めているように、現場で両方向的に行われるのが最も望ましいと思います。発信型の交流を行う場合にも、何を発信するか、どのように発信するかが重要です。相手の人々が求めてもいないものを日本側の一方的な意思で押しつけることは避けるべきでしょう。発信型の交流のみを振興しようとすることには私は反対いたします。
 外国の人に日本に来てもらい日本の現場で日本を知ってもらう交流の代表は留学生の受け入れです。
 中曽根元首相の発案によるいわゆる留学生十万人計画は二〇〇一年という目標年度までちょうど半分が経過し、現在日本にいる留学生は約五万人と目標数もちょうど半分に到達しつつあります。このまま推移すれば目的は完全に達成されるだろうと言われております。しかし、私はこのまま惰性的に数的な目標の達成を目指すことには反対いたします。ちょうど半ばに至った現在、もう一度抜本的な政策論議を行っていただきたいと考えます。
 そう申し上げる第一の理由は、計画の二分の一に到達しつつある現段階において大学の留学生受け入れは既に限界に達してしまっております。現状のままの教職員数、施設ではもはやこれ以上の留学生は受け入れられません。そのような状況は一部の大学、一部の教員に限られるのであり、留学生をほとんど受け入れていない大学や教員はまだ多いのではないかという御反論があるかもしれません。もし現状がそういう御反論のとおりであれば、それこそ留学生受け入れ政策の手直しか必要であることを示すものです。
 少なくとも一部の大学で留学生受け入れが限界に達している最大の原因は、留学生が国立大学では政府・文部省によって依然として定員外の扱いを受けているからです。留学生が定員外とされているという事実を御存じでしたでしょうか。留学生が定員外ということは留学生が何人ふえても教員、職員の数はふえないということです。つまり留学生がふえればふえただけ現在の教員一人一人の負担がふえるのです。戦後五十年間国立大学ではずっとそうで、今でもそうなのです。最近ようやく大学院留学生の一部定員化が東京工業大学と東京農工大学で実施されましたが、これを急ぎすべての大学に広げるよう政策を変更していただきたいと切望いたします。
 留学生受け入れに関する抜本的な政策論議が必要だと申し上げる第二の理由は、留学生を留学生集団として扱う時代は既に過ぎたからです。冒頭に申し上げましたとおり、現在は国際社会においても個人の時代ですが、留学生がこれだけふえますと、留学生も一人一人さまざまで、大学側が彼らを個人として扱わなければ適切な指導ができなくなりつつあります。文部省奨学金を受ける国費留学生は依然として文部省が選抜し大学に配分するという方式で各大学に受け入れられておりますが、大学が選抜すれば決して選ばれなかっただろうと思われる不適切な留学生が不適当な大学、学部、学科に配分されるというような事態が間々発生いたします。留学生も、受け入れ大学・教員側も満足できる教育研究関係をつくり、思う存分に勉強してもらうためには、欧米各国と同じように文部省は大学に奨学金の権限を譲り、大学に独自の留学生選抜を行わせなければならないと思います。そのためには財源の譲渡だけではなく人員の増加も必要です。
 とにかくこのまま惰性的に政策論議もなくあと約五年であと五万人の留学生をふやそうとすれば、留学生は日本留学に大きな不満を残すようになるでしょう。そればかりか日本人学生にも被害が及ぶことになります。
 国際交流、文化交流の主要目的の一つが国際的な相互理解の増進にあることは、時代が近代であろうと近代以後になろうと変わらないと思います。ただし、何と何の間の相互理解でなければならないかという点は変わりつつあると思います。
 従来追求されていたのは国単位の国際相互理解でした。しかも、ある国の国際交流機関がもう一つの国に向かって国際交流、文化交流活動を行う場合、国際相互理解のためと言いながら相手の国の自国に対する理解をふやすためだけの一方通行の国際相互理解でした。しかし、今日以後の国際相互理解は、ただいま申し上げました留学生の受け入れの例にも明らかなように、個人と個人が直接に交流する時代になったのですから、個人単位の国際相互理解でなければならず、お互い微妙な文化の違いを理解し尊重し合う、両方通行の真に相互的な国際相互理解でなければなりません。
 そこで、日本人の学生にも学部段階から海外の大学に留学を希望する学生がふえてまいりましたので、今申し上げました両方通行の国際相互理解の方法を早く会得するためにも、これをさらに奨励することが望ましいと思います。しかし、日本人学生の留学のための奨学金はまことに微々たるもので、せっかくの彼らの志を砕いております。米国へは比較的多数の私費留学生が集中しております状況にかんがみ、特に非欧米の大学に留学しようとする学生に奨学金を提供して留学と国際交流を奨励すべきだと思います。
 御存じのように、米国には草の根、民間の国際交流団体が無数にあります。従来、活動領域ごとに連合組織をつくり、ワシントンでロビー活動をするなど圧力団体として活発に活動しておりますが、昨年これらの団体をさらに糾合いたしましてアライアンスという一大連合組織が結成されました。まことにアメリカ的たことなのですが、地域の国際交流活動も全米的な統一組織を持つに至ったわけです。そして、このアライアンスの最初の活動目標に日本が選ばれてしまいました。昨年の暮れにアライアンスの代表団が来日いたしました。ところが日本側にはそれに対応する組織がなく、急遽、地域の国際交流活動家の緩い連絡組織で対応することになり、辛うじてアジア・太平洋教育文化交流会議第一回会議と称する会議が開催されました。
 この会議で米国側が提起してまいりましたのが日米間の受け入れ留学生数の格差是正です。日米相互理解を増進するためにアメリカからの留学生をもっと大量に日本の大学が受け入れられるようにはできないかと言うのです。素朴な善意の主張ですが、国際交流にもアメリカ側から数値目標が出されるのか、貿易摩擦さながら日米国際交流摩擦というのが起こりまして、構造協議が求められるのかという感じがいたしました。私などは、留学は個人の選択であるからそれを日米両国間の合計数値の話にするのはおかしい、日米の大学の現状を比較すればこのアンバランスは当然であるなどと述べて懸命に防戦いたしました。しかし、アメリカ側にはかなりの幻滅感を与えたようでした。
 アメリカには修士号や博士号を持った国際交流、文化交流のプロフェッショナルが多数おります。しかし、そのプロフェッショナルにして、今お話ししました例のように、文化について、文化交流について正しい理解をするのは容易ではないようです。先ほど前半の最後の方でも申し上げましたように、そもそも文化はとらえにくいファジーなものです。そのような文化を取り扱う文化交流や国際交流の活動において的確な成果を上げ、納税者や資金提供者を納得させるにはどうすればよろしいのでしょうか。
 この点について私も考えておりますが、結局、信頼のおける国際交流、文化交流の専門家に活動を担当してもらう以外にないという一面があるのではないかと思います。民間、草の根のボランティア活動家も大変重要な存在ですが、プロが必要でございます。国際交流活動、文化交流活動によって相互理解を増進する効果的な方法は、相手国の人々と緊密た人間関係を持つ国際交流、文化交流の専門家にその活動を長期間担当してもらうことだと言われております。
 ところが、日本にはそのような国際交流、文化交流の専門家はほとんどおりません。専門職としての国際交流職、文化交流職は残念ながら日本には確立しておりません。代表的な国際交流機関である国際交流基金でも、そのような人材の層は特に上級において薄いというのが私の率直な印象でございます。また、昨年、ある国際学術会議の事務局を担当いたしました私の経験から申し上げますと、日本学術会議も国際学術交流に力を入れ始めておりますけれども、やや誇張して申し上げますと、事務局には英文の手紙を書ける人が一人もいないというような状態です。
 国際交流、文化交流を推進しようとしましても、現在の日本にはそのために必要な人材が乏しく、基礎体力がないと申し上げます。社会に国際交流のための基盤をつくることが必要だと思いますが、国際交流、文化交流の専門家の養成につきましては後ほど改めて申し上げます。
 ところで、アジア・太平洋地域の新国際秩序建設の試みにアジア・太平洋経済協力会議、APECと、マレーシアのマハティール首相が提唱しました東アジア経済会議、EAECがあり、両者をどう関係づけるか、各国政府に思惑の違いがあることは申し上げるまでもありません。日本政府は、APECに積極的になりました米国政府と、かねてからEAECを主張するマレーシア政府などとの間に挟まって選択に苦慮しているように思われます。APECかEAECか、日本は決定のかぎを握る位置にあります。
 私の見るところ、関係各国政府の間で見解の一致が見出せたい原因は、各国がこの両者を余りに経済面でのみ見過ぎていることと、そのため両者を競合的ないしは相互排他的とみなしていることにあると思われます。EAECをAPECより小さい、APEC地域内にある国際協力組織と位置づければ、両者は相互排他的にはならず、アジア・太平洋地域に重層的な国際協力組織ができることになります。さらに、EAECを経済面のみにとどまらない、社会、文化面における国際交流のネットワークとして育てていけば、APECとEAECの関係はさらに相互補完的なものになるのではないでしょうか。
 EAEC地域には、例えばヨーロッパ共同体地域で始められたエラスムス計画という国際大学連合組織のようなものをつくり、各国の若者の交流を推進すれば、西太平洋地域の総合的、長期的な安全保障は大きく前進することになると思います。日本政府は、米国に配慮する余りEAECに消極的になることたく、このような国際交流、文化交流の具体的提案を持って、より積極的な態度をとる方法もあるかと思います。
 最後に、国際交流、文化交流を促進するために必要と思われる国内的な改善措置を二、三御提案申し上げたいと思います。
 現代の国際交流、文化交流活動がこれまで述べてまいりましたような性格を帯びるに従い、活動は国内社会、地域社会の条件に一層左右されるようになっております。日本全国の大小さまざまな地域において、民間、草の根のボランティア国際交流活動がますます盛んになり重要になっております一方、地方自治体も国際交流、文化交流活動に積極的になってまいりました。すべての県、多くの市町村に国際交流協会が設立されております。このこと自体は望ましいことなのですが、おくれて参入してまいりました行政と民間の間に理想的な協力関係のパターンはまだ発見されておらず、地域国際交流における官民関係問題という問題が生じております。
 先ごろ来日しました米国の民間国際交流団体連合組織アライアンスの関係者は、日本側で彼らに対応した組織は民間、草の根のネットワーク組織であったにもかかわらず、日本の民間組織は脆弱で活動が官指導、行政依存になっているという印象を持ちました。その観察は当たっていると思うのですが、といって官の側に国際交流活動の能力が備わっているわけでもないところが日本の不思議な実態です。
 簡単に申し上げれば、民の側には人材、意欲、アイデア、ノウハウがあるのですが、お金と施設がありません。官の側には国際化の必要性の御認識とお金と施設はあるのですが、人材、実施能力がありません。両者の有無を相通じれば理想的な組み合わせができるはずです。例えば、地方自治体が抱える外国人住民をめぐるさまざまな問題は、民間ボランティアの支援、協力を得て初めて解決されるものが多いと言われています。また、地方自治体が好みます外国との姉妹都市提携も、住民の方が行政をリードする形になった場合に成功すると言われています。
 しかし、官民協力がうまくいっているケースはまだ少ないようです。その原因は簡単で、官の側がお金も出すようになりましたが口も出すからです。そして、そうなりやすい根本原因は、行政が行政であることにあると思います。行政は後ろに退いているべきなのですが、そうすることができないのは、国際交流に真の理解を持つ人材の不足が行政の側にあるということだと思います。最近、自治省が、自治体国際化協会、市町村国際交流研修センターなどを通じまして、地方の国際交流活動を積極的に推進、援助しようとしておりますが、その行政が行政指導型さらには中央主導型になって、せっかくの地方の活力や民間の意欲をそぐことのないよう強く希望いたします。
 民の側に行政依存体質が残っていることも否定できません。しかし、国際交流活動に関して申し上げれば、その主たる理由は、民が官の資金と施設に相当程度に依存せざるを得ないためです。民の自立的活動を可能にするためには、現在の寄附金制度の抜本的な改正が必要ではないかと思います。寄附金に免税措置を受けられるのは、現在、ごく少数の大手の国際交流団体のみ、それも一万円以上の大口寄附のみですが、民間、草の根の中小規模の団体に対する二千円、三千円の寄附についてこそ税が免除されるべきではないでしょうか。
 既に幾つかの問題点を申し上げましたが、これらに共通していることは、国際交流、文化交流の専門家の不足です。今日の日本の国際交流、文化交流活動を改善するためには、専門職としての国際交流職、文化交流職を確立することがぜひとも必要だということを繰り返し申し上げます。
 ただし、国際交流職、文化交流職といいましても、国家資格試験などにはなじまないものではないかと思います。国際交流、文化交流は、国際開発や国際協力と並んで、広範かつ高度な専門知識と基礎知識を必要とする領域で、その知識を獲得するには少なくとも大学院修士課程の教育が必要です。一方、私の観察では、最近の大学生の間には、卒業後何か国際貢献ができる分野で活動したいという意欲が高まりつつあります。この若者たちの意欲を生かすためにも、国際交流、文化交流の高度専門家を養成するような大学院課程が必要だと思いますが、現在そのような大学院課程はほとんどございません。
 カントは、有名な「永遠平和のために」におきまして、ちょうど二百年後の世界が国際交流を必要とするであろうこと、また国際交流が盛んになっているであろうことを予言しております。すべての人々が世界じゅうのどの土地をも訪問することができる訪問権を持ち、地元の人々は国境を越えでやってくる訪問者を賓客、ゲストとして遇する義務があること、その権利義務が行使されることが世界永遠平和樹立の条件の一つであると言ったのです。
 日本社会は、現在、物の生産に専念する社会から高度な情報、知識を交換し創造する社会に脱皮する社会全体のトータルなリストラ、人的資源を根本的に再配分することを求められているのではないでしょうか。その一つとしまして、国際交流、文化交流の高度専門家を養成できるように、大学、大学院の教育研究体制を拡充していただき、日本全国各地で世界じゅうの人々による国際交流、文化交流活動が盛んに行われる社会をつくっていくべきではないでしょうか。国際社会に向かって開かれ、知的、文化的に豊かな奥行きのある高度成熟社会をつくること、そこでは人々が、人種、民族、宗教、文化などの違いを認めながら、違いを超えて安全に共生じ、平和に交流し、知識と知恵を交換して国際社会全体の問題解決に協力していく、そのような社会を日本に実現し、国際社会に示すことが、国民国家体制からの大転換が続くと思われます二十一世紀に向けて、日本人にできる最高の国際貢献であると思います。
 御清聴ありがとうございました。
#11
○会長(沢田一精君) まことにありがとうございました。
 次に、小島参考人にお願いをいたします。
#12
○参考人(小島明君) 小島でございます。
 私は一新聞記者、それも経済を中心にずっともう二十九年ばかり勉強しているもので、文化の世界からは距離があり過ぎて、なかなかとらえにくいということではありますが、最近、さはさりながら、経済の面における日本の急激な膨張と、広く文化の面における状況とのギャップが非常に大きいことを痛感していますし、それがまたいろんな日本問題と称するものを生む背景になっているということを痛感しております。
 そういうことで、私の実際の仕事あるいは生活にまで及ぶいろんな面での体験といいますか、あるいはエピソードをお話ししながら、私の日ごろ感じている文化及び文化交流、国際交流に関する一つの危機意識というものを御報告したいと思います。
 私自身、後で個々詳細に申し上げますが、その危機意識から、ちょうど三年前に一つ妙な努力を始めました。妙なというか小さな努力を始めました。それは、我が家の庭に空き地がありまして、そこに二階建ての簡易な建物を建てました。外国のお客さんあるいは国内のお客さんでもいいんですが、ホテルに泊まって週末をぼっつりとしているよりも、時差の調整もあり、我が家に来ておふろに入ってゆったりと週末を過ごしてもらう。その間、そのお客さんによってはいろんな専門があります。いろんな関心があります。そういう関心が共通な人をまた数人集めて、ささやかなフォーラムを個人的にいろんな格好でやっています。今週末もアメリカのスミソニアン・インスティチュートの幹部の人が来ます。この人を二日、土日と泊めて小さなフォーラムをやろうと思っています。
 そのきっかけというのは、危機感、要するに仕事をして、経済の取材をしているわけですが、何かそれで終わってしまう。企業も出たら、ビジネスをやったらそれで終わってしまう。何か残る交流といいますか、お互いにさらにつき合っていきたいという人間的な何かが潜在的にはあっても具体的に出てきていない。そこで、具体的に何か努力をしてみようというのが始まりだったんです。三年半の間に、もうかなりの人が我が家にやってきました。国もたまたま仕事の関係でアメリカ関係が多いんですが、アジアの人もおります。
 例えば、こういう人たちもいます。日本でいわゆるリビジョニストと呼ばれている人たちですね。ジェームズ・ファローズとかプレストウィッツとかチャーマーズ・ジョンソンという人のお名前をお聞きだと思いますが、みんなある時期我が家に来て、泊まったり何か雑談したりしていました。その結果、そういうリビジョニストが生まれたということじゃないのかといって、アメリカの友達から、おまえの教育が悪いと批判されたりあるいは冷やかされたりもしておりますが、そういう人がいたり、たまたま普通の民間人であった人が国によってはあるとき政府の高官に抜てきされています。
 例えば、今言えるのは、アメリカの政府ですと、ジョーン・スペロというなかなかチャーミングた女性の国務次官がいます。彼女もアメリカン・エクスプレスの副社長のときに我が家に遊びに来た人ですし、CEAの委員でアラン・ブラインダーというばりばりの学者タイプの人がいますが、そういう人たちもしょっちゅう我が家に来ていた人たちです。
 それがいつの間にか何か口コミで伝わりまして、文芸春秋に何か交流のやり方みたいなもののエッセーを書けと言われたこともあります。口コミはアメリカその他の国にも及んで、どうも東京に行くとあいつのところへ電話すればおもしろいやつに会えるらしいというので、だんだんそのネットワークが広がり始めております。非常にその意味では個人的な小さな喜びを感じているところであります。
 しかし、日本社会全体として見ますと、経済においては貿易不均衡、輸出より輸入が余りに小さいというギャップ。それから、資金、物、そういう面における大きさと、文化の面における動きの鋭さ、この大きなギャップ。それから、文化については文化関係とあるいは交流というふうにもっと広く言ってもいいかもしれませんが、ここの面におけるギャップ、要するに輸入超過ですね。日本からの発信が少ないというのもそうです。それから、最近は若者がおよそ大学へ行きますと、大体三割ぐらいの学生、あるいはもっと多いかもしれません、四年間の大学生活のうち、ある時期、短い人は何週間単位でしょう、一年行く人もいます、海外をいわゆるホームステイとして体験する人が非常にふえています。逆に日本に来る人、これは来たいという人がいないのが一つでしょうし、それから来たいと思っても受け入れ態勢が十分でないということもあるかもしれません。したがって、人の交流、若者の交流のそういう意味でのギャップが非常に大きい。
 いろんなところで日本のほっておけたいギャップが生まれている。このギャップは、放置すると非常にゆがんだ社会、少なくとも日本が世界においてゆがんだ形で映るという、ゆがんだ鏡をどんどん世界じゅうにつくっていく、そういうプロセスになるのかもしれません。そういうのが基本的な問題意識であり危機意識です。
 幾つかそれに関連したことの痛感したエピソードを申し上げます。
 一つは、実は先週一週間参加して帰ってきたばかりです。スイスの山奥、トーマス・マンという小説家が「魔の山」という小説を書きました、その「魔の山」の舞台になるスイスの山奥のダボスという小さな村、ここで毎年この時期、かなり巨大な会議が開かれます。もう十何年ですか、毎年ですね。その会議に行って、私三度目です、ことしか三度目で、ますます強く感じていることがあります。それは、小さなスイスの山奥にあれだけの人たちがどうして集まるんだろうかということと、それからそういうふうな多くの人が集まる中で、どうして日本から参加者がいないのかということです。合計千人を超えるような人が出たり入ったりする、五日、六日間にわたる会議です。
 どんな人が来るかというと、各界のいろいろ大変な有力者ですね。政治家ですと、コール・ドイツ首相が来ていますし、ロシアからチェルノムィルジン首相も来ています。新聞、テレビでトップニュースになったPLOのアラファトさんとイスラエルの外務大臣も来ていましたし、そこで交渉も裏でやっていました。ヨーロッパはたまたま近いこともあり、あるいはスウェーデン、ノルウェー、ベルギー、首相クラスがみんな来ているわけですね。日本からはというと、政治の方はたまたま御案内のことがありましたので一人も来られなかった。経済人、これは不況だということで、交通費節約か交流交際費節約か知りませんが、もう不況にたるとがたんと落ちてしまいます。経済大国とまくら言葉で使いながら、実際の行動は全くお粗末限りもないという感じがします。日本からのいろんな話を聞きたいといっても、全く日本がそういう大きな舞台で陥没しているのが実態です。せっかくメッセージを発する機会がある、しかし行こうとしない、その問題があります。
 それからもう一つ、その関連で四年前に行った会議では、ある経団連関係の偉い人が出ていました。これは周りの人につつかれて本人嫌々行ったような気配があります。行ったことはいいんですが、身柄は行きましたが、メッセージがゼロに近い。演壇に立って世界じゅうのすごい有力な人たちが千人も集まる中で、その人の番が来て発言をしたんです。しかし紙を読んで、しかもその紙は日本の経済についての報告でした。経済企画庁の課長さんが月例経済報告をいろいろ説明するようなたぐいの内容です。日本は合成長率が〇・何%、失業率は何%、何人、そんなたぐいの数字、コンマ以下の統計とかそういうものがぞろぞろと出てきているわけです。それで終わりという感じです。
 そういう日本を代表する経済組織のトップの人は、だんだんそれを言っているとだれかすぐわかってしまいますが、あの人は経団連の会長だった人です。経団連会長というのは財界のリーダーなのかあるいは単なるボスなのかといって話題になったきっかけになった人でもあります。そのボスと称される人が行ってそういうメッセージです。
 日本の経営者、あれだけ世界に影響力を与えている日本の経営者がどんな哲学でどんな世界観を持っているのか、どんな哲学で経営をしているのか、どんな哲学で日本の経済を見ているのか、どういう気持ちで日本の政治なんかも関心を持っているのか、その人のひとつ何といいますか人間性が出てきたようなやはり強いメッセージ、哲学、そういうものをみんな期待しているわけです、コンマ以下の数字は統計集を見ればあるわけですから。それをそういう期待とは全く反対に失望を大変多く生んだということで非常に気恥ずかしい感じがしました。それから、参加者そのものが余りに経済力と比べると陥没しているということです。
 それから、日本での会議で、欧米からこういう会議を日本で開きたいんだがというのでいろんな呼びかけを受けることがあります。そのとき時たま感ずるのは、物理的な問題まで出てくる。要するに受け入れる箱がないんです。ホテルでやることもできます。しかし非常に落ちつかないわけです、出たり入ったり。むしろホテルでやりますと忙しい人たちはもうしょっちゅう電話に飛びついたり、また抜けたり出たり入ったり、自分のビジネスやってまた戻ってくるということになります。
 しかし、なぜスイスのダボスの山奥で、チューリヒから車で行くと二時間半、三時間ぐらい山の上にひたすら登っていかなくちゃいけないところです。入ったらめったにというか、もうなかなか戻れないところです。隔離するわけです。隔離することによってそこにしかない共通の世界が生まれるわけです。多くの人は家族も連れできます。もっと家族を通じた交流もあります。隔離するというか、自分たちでそういう世界をつくって共有して徹底的に触れ合うという、そういうハードウエアが日本にない。あるいはそういうハードウエアがあったとしても、それを恐らくうまく活用していろんないい人が集まってこようという気持ちになるようなソフトもないんじゃないか。
 ソフトはあるけれどもハードがなかったというケースももちろんあります。そのときは、何度か経験があることですが、ある企業の研修所、これは宿泊施設もあり会議場もありいろいろ便利な施設を持ったところです、を使わせていただいたことがあります。いろいろ聞きますと、いろんなグループがそこの好意に甘えてその施設を使っている。それは実は純粋に日本の企業ということではありません。日本IBMの伊豆の山奥にある施設です。どうもそういうものが、経済大国としてハードすら持っていない、ソフトも十分持っていないということに対する失望と危機感というものを最近しきりと感じているわけです。
 民間ベースで、日米あるいは日欧ですか議員交流というのがあります。日本国際交流センターという民間グループがやっている、ある程度もう伝統にたっていると思います。そこで若い人を含めて海外の議員の先生方が喜んで日本に来るわけです。日本に関心のない人も、じゃ一度行ってみるか、せっかく声がかかったからといってかなりやってきます。ごく最近もそういう人たちが間もなく来るようですが、そのときに、例えば航空券、ファーストクラスの切符を渡しますと、かなりの人がそれをエコノミーに崩しまして奥さんを連れてくるというケースがあります。奥さんまで連れてきたその海外の議員の方々というのは、日本を引き続いて勉強するといいますか、そういう気持ちが非常に強くなるようです。それもですから一つのソフトウエアだと思います。
 日本の経済というのは、日本の社会というのは、ハードでは非常に強くなりました。しかし、ハードは為替調整ですぐその競争力を失います。一時アメリカ社会で大騒ぎになったソニーのコロンビアピクチャーズ買収事件がありました。あのときは、日本の資本はアメリカの文化、心まで買うということを彼らは議論しました。しかし、実態は全く逆であります。日本はアメリカにハードは持っていきました。お金も持っていきました。しかし、心は買うところか、むしろその日本のハードに乗っけて世界じゅうにアメリカの心を売りまくっているわけです。日本にも輸入しました。ソフトがないわけです。映画がつくれない、十分な映画がつくれない、世界に売れる映画がつくれないという、やはりそういう文化そのもの、それがその交流と同時に、あるいはそれ以前の課題かもしれませんが、交流する中身、内容、そういうものとしての文化、広く文化、これをいかにして魅力あるものにできるのか、文化を生み出す社会的なシステムあるいは制度的な応援体制、人々の価値観、そういうものが非常に重要じゃないかという感じがします。
 これまた大変ショッキングに勝手に思ってショックを受けた出来事があります。昨年ですか、フランスのミッテラン大統領がベトナムを訪問しました。ベトナムとフランスは昔戦争をやった間柄です。ディエンビエンフーの戦場でフランス側が大敗北して引き揚げたわけです。ミッテラン大統領が行ったところはまさにそのディエンビエンフーです。それで兵士の墓に花をささげました。しかし、その墓はベトナムの兵隊ではなくて、そこにわざわざ出かけて戦死したフランス人の兵士の墓です。恐らく日本がそういうようなことをやったら、アジアでやったら、とんでもない問題を起こすんじゃないかと思います。
 私が個人的に考えますのは、ベトナムもベトナムの人たちも、そういうフランスの大統領の訪問の仕方に対してかなり複雑な気持ちも持っていたに違いないと思うんです。しかし、それが表に出たい。それは社会主義、統制主義の経済であるという、政治体制であるということももちろんあるでしょう。それ以上に、あるいはそれと同時にあるものは文化じゃないかと思うんです。フランス的な文化、それは生活の文化でもあるし、もっと高度な文化もあります。フランス的な文化に対する一般的に広く言うあこがれ的な、あこがれといいますかそういうもの、尊敬、ああいう文化に接したいというそういう気持ちというのがあるいは強くあるんじゃないか。恐らくそれは冷戦が終わった世界ではもっともっと重要な国の影響力、指導力になる。日本の社会みたいになりたいという国があればあるほど、日本が何を言ってもそれを聞いてくれる国々の人たちの耳は研ぎ澄まされるということだと思うんです。
 そのミッテラン氏の訪問の仕方は、要するに蓄積したフランスの文化に対する複雑なその思いがベトナムの側にあった、それがそういうことを可能にしたんじゃないかという、それは私の思い過ごしかもしれませんが、そうだとしても、文化というものがこれからの日本の、どの国にとってもそうですが、外交といいますか、国と国とのおつき合いにおいて非常に重要な要素として出てくるんじゃないかと思います。
 それで、文化にも幾つかのレベルがあります。先ほどから言っている生活レベル、私がやっているのは生活レベルで、我が家に来てくれ、家族を見てくれ、友達もこういう友達でこんなことを議論しているんだという、それは生活文化の一部だと思います。生活文化も非常に必要です。今の日本が一般的に何を考えているかということです。
 普通の国という議論があります。あれをめぐって韓国で議論が起きています。実は、日韓の首脳が昨年十一月に慶州で会談をしたときに、日韓の交流を始めようということで合意があって、その最初の会議が昨年あって出てきました。
 日本の普通の国論、日本ではまだ十分議論していません。しかし、普通の国ということだけ言って終わってしまっていることから、かなりの誤解を生じています。韓国みたいなところは、まだ朝鮮半島においては冷戦は終わっていません。緊張関係が続いています。したがって、韓国の多くの人たちは、世界的な冷戦が終わった後もバランス・オブ・パワー、パワーポリティックスですね、そういうような発想で物事を議論する人がまだ非常に多い。
 そういうことですと、普通の国ということは、経済力が大きくたる。それは、当然それに伴って経済的利権を守るために軍事力も大きくなる、日本は経済大国、そういう状況で普通の国を言えば当然軍事大国だと。日本は軍事大国への急激な傾斜を始めようとしているのではないかという議論をする人がかなりいます。
 しかし、仮にそういう議論をしている人が日本の社会に来て、日本で具体的な人々の生活に接し人々の考えに接すれば、日本の社会が軍事大国に急傾斜しているというような先入観というのは一夜にして消えるはずだと思うんです。それは、日韓の交流がまだ足りないことによる議論のすれ違い、だと思います。
 生活文化というものは、日本が今どこを向いて考えているかということを理解させる上で非常に重要だと思います。もっと高いレベルの文化、それは先ほど言ったミッテランの背後にあった伝統的、歴史的な蓄積としてのフランス文化、これは直接物は言わないけれども大変重い影響力を対外的に持ち得る大変有力な外交あるいは対外交流上の国家としての道具になると思うんですね。ですから、それはいかにどういうシステムにしたら、どういう状況にしたら文化というものが勢いよく絶えず生まれ続けるのかということについて、もう少し真剣な議論と知恵を出していかなくてはいけないんじゃないかと思います。
 また消費税の議論が出ていますが、思い返しますと、消費税、売上税の導入に絡んでいろんな議論がありました。そこで私が一番感じたのは、私の税金がふえるということ以上に、文化に絡んだ、要するに価値観に絡んだ問題でした。じゃ売上税は具体的にどれを課税対象にする、どれを免税にするという議論がありまして、例えば歌舞伎を見に行った場合にはこれは無税、歌舞伎は払わなくていいという話ですね。ところが漫才を聞きに行ったらこれは有税だという議論があったわけですね。どちらの文化が高いのかということをある省が勝手に議論していいものかどうか。
 そういう議論ですと、文化というものは既に評価が決まったものにしか認められないで、したがって、予算というか財政的、社会的支援もそういう既に評価が決まったものにしか流れない。新しい文化、それは最初はもやもやしたものだと思います。
   〔会長退席、理事大木浩君着席〕
 ベルサイユ宮殿のあれも最初は、成金でひどいものだと言われたものです。しかし、今になってみると、あのときそういうものがあってよかったという格好で文化遺産になっているわけです。
 新しいもの、文化というものが生まれる過程というのはみんなもやもやしているはずです。もやもやしているけれども、やはり真剣にそれに取り組んでいくそういう姿勢、そういう人たちをいかにして社会が支援できるか、いろんなレベルで支援できるか。それが十分支援できる国というものは高い文化を絶えず生み出し、その文化は、住んでいる我々だけではなくて、外からもああいう文化に接したいというあこがれが生まれる。したがって、そういう国に対して、来てほしいということをあるいは言われなくても、どんどん一級のお客さんがやってくるということだと思うんです。
 交流の原点として交流を量的にふやすことが重要ですが、同時にどういう文化、何を交流するか。交流するもののレベルが高いことがいいわけです。レベルが高いことと、それから草の根までいく広さと高さがともに必要であって、それは制度的に何かもう少し工夫があり得るんじゃないかというのが個人的な印象です。
 また、こういう話もあります。ノーベル賞というのはこれをもらった人は、あれは大分賞金もありますが、無税なんでしょうか。日本でそのノーベル賞に対抗して科学賞、何とか賞と地名がついた賞がありますね。かなり大きな賞金を出す賞です。外国の研究者に出す賞です。それは、ごく最近時点の税制は確認しておりませんが、少し前まで聞いていた範囲ではこういう税制になっています。
 その賞で二つの種類があります。科学、サイエンス、自然科学の方ですね、あるいはエンジニアリング関係、技術と言った方がいいかもしれません。そういう技術について功績をだした外国の受賞者に対しては、その賞金は無税です。しかし、文化一般、それで功績をだした人にやっぱり同じ金額の賞金を与えるんですが、それは国税庁の書類が同時に渡されて、そこで書類に書かなくてはいけない。有税。
 日本の社会というのは、要するに物的キャッチアップを意図する余り、途中で文化を切って物的な競争力に専念したわけですね。その辺から新たな文化的な競争力をみずから犠牲にしたんじゃないかという感じがします。そのギャップが、要するに冒頭に言った経済力と文化とのギャップでありまして、それは放置できないところにきているという感じがします。
 それから、これは最初の先生もおっしゃられたところですが、民間、個人、それと公的なものの役割をどう考えるかということは、文化においては決定的に重要だと思います。文化はやはり個人が生み出す、あるいは個人の固まりとして要するに民間が生み出すものだと思います。公的部門は基本的には文化遺産の管理、これに徹すればいいと思うんですね。新しい文化をどうやって生み出すのか、どんな文化が生まれるのか。それの選択というのが自由に社会に与えられていて、その支援のためにお金が必要だというのは、全く色のついていないお金、例えば個人からの寄附金、これが自由に使われるという仕組みがないと、本当の意味の活力のある文化というのは生まれてこないんじゃないかという感じがします。
 先ほど、漫才にするのか歌舞伎にするのかどうか、税制上のあれがありました。恐らく、資源配分を公的チャンネルを通じて行った場合には、この文化は応援するけれどもこの文化はよろしくないというときに、やはり価値観が決まったもの、社会的に既に評価が決まったもの、外国で評価が決まったものとかノーベル賞をもらったところに、その関連の文化活動あるいはある特定の人かもしれません、そういう人たちにその財政的な支援が行く。まだもやもやしている、これから何かを生み出すというものは何ら事前に立証ができませんから、応援が生まれないといういびつな感じがします。経済的威力が強くなった国においては、やはり文化を大事にするとすれば、そのもやもやしたまだ何とも方向がわからない、そういう文化を模索しだから創造しようとする努力そのものを社会的にどう支援するかということが極めて重要であるというのが私の感じです。
 それから最後に、文化交流に関連して、先ほどIBMの施設を言いましたが、やはり日本においてちょっと物が高過ぎる。日本で会議を開きたい、世界的ないろんな会議をしたい、しかし来る人が少なくなる理由の一つは日本では高過ぎる。日本はそういう交流の競争力、交流活動の国際競争力すら今失おうとしています。
 例えば、いろんな海外の各国の有力企業がいろんなところで株主総会をやります。役員総会もやれば重役会議もやります。そのときに自分の国だけじゃなくて転々といろんなところでやることがあります。日本をバスするケースが多いわけです。日本は余りに高過ぎる、したがってシンガポールに行く。その方が何分の一がでできるわけです。これはどうしたらいいのか。
 それは為替レートが一つあります。為替レートは日本が輸出一方で余り輸入したいということをやめれば自動的に円安になるわけで、そちらからの調整の余地はあります。あるいは東京周辺にしか、それもしかもホテルという格好でしかそういう施設がない。田舎に行けばもっと安い土地もあり、安い施設をつくろうと思えばそういうハードがつくれるわけです。その辺の社会的な財産というのが日本にまだない。むしろ地方につくって、東京のビジネスを世界から隔離して、そこで一つの、交流の参加者だけの世界をつくってあげる。それは重要なハードであり重要なソフトであると思いますが、そういうものを工夫する手はないのかどうか。もしそれができないと、日本は国際交流における対外的な競争力がますます失われる世界になってしまう。日本は絶えず経済でしか見られたいという感じがします。
 それから、実は私、きょう報告する話は全く違う話を用意してきましたが、平野先生のお話を聞いてそれを具体的な例で補足したいということで、もう考えてきたことと全く違う内容といいますか素材を報告しました。
 最初に考えてきたのは、メモにあるとおり、非常にかた目のシステム論的な話です。この中で一つだけちょっと最初の計画どおり申し上げたい点があります。それは上の方から三つ目の、冷戦が終わったことの持つ重さ、安全保障とかいう問題、これをどう考えるかなんです。
 実は最近こんな本を読みました。アンソニー・サンプソンという私と同じようなジャーナリズムの仕事をしているイギリスの有能なライターです。彼が「兵器市場」という本を書きました。冷戦が終わって、ソ連とアメリカがぶつかるというような、要するにそういう大国間の紛争というのはもうなくなっちゃったわけです。しかし、紛争はいっぱい起きています。それは国と国との紛争でなくて民族と民族がぶつかり合ったり、そういったぐいのものがやたらふえています。同じ国の中で戦っているという格好がまたふえています。国と国との、大国と大国の紛争じゃない。
 となりますと、これまでのパワーポリティックスで議論していた核兵器による抑止力とかそんなものはもう全くきかなくなっちゃったわけですね。同時に、冷戦が終わって起こっている一番の問題は、軍縮を一方で議論していながら武器、兵器の輸出競争が依然として激しいことです。ここで言っているのは、武器輸出競争を言っているわけです。サダム・フセインがクウエートに侵攻するまでの十年間ぐらいでイラクが買った武器は、八百億ドルとか言われています。
 その売り手は、ロシアいわゆる旧ソ連であったり、アメリカであったり、フランスであったり、イギリスであったりです。そのような軍縮を言い平和を言う国が一方で武器を輸出しているわけです。それは、イデオロギーの闘いを支援するためとか正義を支援するとか言いながら、よく見ますと先進主要国の武器はイラクにもイランにもみんな行って、それをもとに、そういう国々が輸出した武器を使ってお互いが戦っているということです。このまま放置した場合にはこれは大変なことに、第二、第三のサダム・フセインが出てきてもっとひどい世界になるかもしらぬということ、これは実証的に調べたものです。軍事専門家のコメントも頻繁に引用しています。
 そういう中で、日本のことを最終章で議論しています。日本は武器輸出禁止の三原則があり、冷戦の終わった今こそ日本のあり方というものが重要じゃないかと。日本のメッセージは九一年のG7の会議でもある程度それは取り入れられたということもありますし、従来の安全保障というものを冷戦の終わった枠組みの中でとらえ直すと、従来の冷戦時代ともう少し違った日本の貢献というものが非常に生きてくるということを痛感しました。
 そういうことで、「兵器市場」という本を暇があったら、情報いっぱい、ああこんなことがあったかというエピソードもいっぱいあります、読んでいただければという感じがします。
 ちょっと時間を超過してしまいました。失礼いたしました。
#13
○理事(大木浩君) どうもありがとうございました。
 以上で平野、小島両参考人からの御意見の聴取は終わりました。
 これから質疑に移りたいと思います。
 本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、委員には懇談の形式で自由に質疑応答を打っていただきたいと思います。質疑を希望される方は、挙手の上で私の指名を待って質疑を行っていただきたいと思います。
 それでは、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございますので、どうぞよろしくお願いします。
 それでは、質疑のある方は、私から指名させていただきますので、どうぞ挙手をお願いいたします。
#14
○荒木清寛君 公明党の荒木でございます。
 きょうはありがとうございます。大変貴重なお話を聞かせていただきまして、両先生に一つずつお尋ねをしたいと思います。
 まず、平野先生から国際交流のあり方というお話がありまして、EAECを国際交流のネットワークとして使っていってはどうかというお話がありまして、そのときにエラスムス計画ということを一言おっしゃいました。恐らくこれは留学生の域内でのそういう交流の計画ではないかというふうに思いますけれども、簡単にその概要を教えていただきたいのと、その実現の可能性といいますか、あるいは我々にできることがあればぜひとも教えていただきたいと思います。
 次に、小島先生には、日本には交流の基礎となる文化というのがなかなか不毛ではないかというお話がありまして、それに対して国としても財政的な支援というのを行うべきだというお話であったかと思います。同時に、私、なかなか文化が定着しないというのは今の日本の教育制度にも一つ問題があるんではないかという気がするわけなんです。といいますのは、個性を余り重視しない教育といいますか、あるいは生産活動と余り関係ないことに光を当てない教育といいますか、そういう教育の制度も、文化がなかなか根づいていかない一つの原因になっているのではないかというふうに思うわけですけれども、その点、お考えをお聞かせいただければと思います。
 以上です。
#15
○参考人(平野健一郎君) 御質問どうもありがとうございました。
 エラスムス計画といいますのは、高名なエラスムスの名前をとったように聞こえますが、実際にはヨーロピアン アクション スキーム フォア ザ モビリティー オブ ユニバーシティー スチューデンツというタイトルの頭文字を並べるとエラスムスという人物の名前にもなるということで採用されたものと聞いております。
 これは、EC域内の大学間のネットワークをつくることが目的となっている計画で、それによってヨーロッパ各国の学生の間にヨーロッパの結束の重要性を理解させようというものだそうでございます。具体的には、一九九二年までにということですから、もう既に動き出しているわけですが、EC全域の学生の一〇%をほかの加盟国の大学で学ばせるという予定であったそうです。ところが、希望参加者の数が非常に伸びる、好調であるために、規模拡大を図っているということです。
 私も、先日静岡の県立大学へちょっと学会で行きましたときに、このエラスムス計画に乗ったオランダの大学が、日本の学生をもこのエラスムス計画の中に乗せて募集しているポスターを見ました。私の大学にはどういうわけか来ておりませんでしたが、そういうこともやっているのだということを実感した次第です。
 荒木議員からは、例えばそのEAECを若者の国際交流のネットワークにするのに、このエラスムス計画を参考にして、どのような具体的な方法が考えられるかという御質問もいただきました。
 私、正確には理解していたいのですが、日本学術振興会というところで日本以外のアジアの大学との関係で、特定の領域について特定の日本の大学を重点大学というふうに指定して、そこに主として東南アジアの各大学の学生を受け入れるという計画があるかと思います。申しわけありません、それについてはちょっと今手元に資料を持ってきておりませんので不正確かもしれませんが、私の印象では、この日本学術振興会の重点大学構想というのは随分前にスタートして、私もそのスタート時点で一度企画会議に参加したこともあるのですが、その後このプログラムが、計画がきちんと軌道に乗って盛んに行われているという話は聞いたこともないし、余り実際に体験もしておりません。あるいは学術振興会の方に失礼なことを申しているかもしれませんが、こういうものがあっても生かされていないとすれば、例えばこれを学術振興会だけではなくて、日本の各大学ももっと主体的に参加してつくり直すというようなことが一つのきっかけになるのではないかというふうにも思います。
 とにかく、国立大学に関して言いますと、大学の独自性を持ってこのような計画を各国の、ほかの国の大学の間につくろうと思いましても、自由がきかないということがありまして、そのせいか、大学の教員の側からしますと、どうしても受け身になって、例えばこの学振の計画に対しても、言われたら仕方がないので東南アジアのどこかの大学の学生を引き受けるという受け身になりがちでございます。
 そういう点でもうちょっと大きな提案をさせていただくとすれば、やはり大学人の方にもっと主体性を持たせるような、そういうネットワークをつくっていくことがいいのではないかというふうに考えます。
 お答えになりましたでしょうか。
#16
○参考人(小島明君) 荒木先生からの御質問ですが、御指摘のとおりの問題で、これはもうあらゆるところ、いろんな日本のこれからの問題を議論するというときに、必ず最後に行き着くのは教育をどうすべきか、教育の制度をどうしていくかということになるわけですが、結局、今あるものを全部ほかの内容のものに変えるということで対応するんじゃなくて、やはり教育のシステムも複数のトラックにして、どちらでも選べるというような制度がもう少しできないのかどうか。
 今やはり偏差値一本で評価される実態になっています。評価基準も、もう少し違った基準も同時に入れる。何も違う物差しに全部変えるということじゃなくて、何本か違った基準で、したがっていろんな個性がそれなりに評価される、いろんなとにかくその素質が評価されるということを教育のシステムの中にどうやって入れるのかということが恐らく課題じゃないかというのがさっきの結論です。
 それと、財政支援についてなんですが、文化活動に対するあるいは文化関連活動に対する財政支援は、ソフトに対しては一切支援は要らない。ハード、例えば国立劇場が欲しい、それはつくればいいんですね。しかし、ソフト、それはむしろ政府が直接関与しないのが本当の文化を生む一番の近道であるという感じがします。間接的に関与するやり方です。
 それは、平野先生がおっしゃった、個人や民間が行おうとする文化活動に対する個人、企業の寄附が免税になる――免税というのは、少しお金をまけてもらうだけじゃないかという指摘もあります。実は違うんですね。税制というのは社会の一番の基本の基本的なところです。こういう免税措置があるという、税制上こういう評価をしているということは、一つの国がこういう世界、こういう分野に対してこういう価値観を与えているということでありまして、そういう制度を認めているということは、社会がそういうことをいいことだというふうに支援しているというあらわれになるわけですね。
 ですから、文化的な活動に対して個人や企業が自由に金を、資金を援助する。その際、それを免税措置にして応援するというのは、単なるそろばん上の採算を少しよくするということじゃなくて、社会そのものの価値観に直結することで、決定的に重要だと思います。そういう価値観がなければ、断片的な一時的な財政支援が幾らあったって本物の文化は、生きのいい文化は生まれてこないんじゃないかというふうに思います。
 それと、ついでに一点よろしいですか。
#17
○理事(大木浩君) どうぞ。
#18
○参考人(小島明君) 平野先生は、アジアのEAECについて、アジアについておっしゃられました。アジアについて確かに日本は非常な関心があります。世界じゅうがアジアに対してすごい関心を持っています。しかし、アジアを見ますと、どこの国もお互いにばらばらですね。会議をやっても共通の言葉すらない地域です。そもそもアジアというのはアジア人がつくった言葉じゃなくて、何か古代フェニキア人が言い出した言葉だというふうにも言われています。しかし、アジアに対する関心、それは内外にある。アジア自体にもあるということを前提にして考えますと、日本の交流ということもこれあり、日本に来ればアジアに絡むものが何でもある、あるいは一番よくわかるというような何かソフト、ハードをうまくつくれないものかどうか。
 アジアについて関心のある人はまず日本に行って、そういうものを使ってみると。アジア情報センターなのか、それはもうセンターというとすぐ建物だけしか連想しない人も多いわけですが、そうじゃなくて、ソフトも入れた何か。日本に来れば、それは多少今の状況ですとコストは高いわけですが、それでも情報という価値がある、あるいはそこに行けばアジアに関心を持つ一級の人たちがしょっちゅう出入りしていて会えるという、何か日本がやれる、同じ欧米流のあれで、同じ分野で競合しても始まらないでしょうが、まずはとりあえずアジアについてそういうようなものが何かできないかなというのを友人と議論したことがありますが。
#19
○島袋宗康君 今、国際交流の重要性について平野先生から非常に貴重なことをお伺いいたしまして共感を覚えておるものでありますけれども、特に地方自治体の民間のボランティアを中心とした地方、地域の国際交流の重要性を指摘されたことについて非常に興味深く承ったわけであります。
 私は沖縄選出の議員でありますが、沖縄県は東南アジア地域を中心として地域の国際交流を深めるように以前から努力をしております。現在、日本海側の地域とロシア、韓国などの環日本海圏構想とか、あるいは九州を中心とした地域と中国などの環黄海圏構想だと、経済分野も含めて地域の国際交流が花盛りというふうな観を呈しておりますけれども、このような地域の国際交流のネットワークといいますか、こういったネットワーク化という連携が大切だと考えますけれども、平野先生の御見解を承りたいと。
 それから、小島先生には文化交流の国際協力の連携についてお尋ねしたいと思うのです。
 我が国はアンコールワットですか遺跡の修復などに協力しておりますけれども、国際的な文化財の保存、修復の分野で我が国の果たすべき役割、そういったふうなものがどんなに重要なものであるか、これからの文化交流あるいはいろんな経済交流を含めて、どういうふうなこれからのそういった経済あるいは文化交流をやっていけばいいのかと。アンコールワットの遺跡の修復というものがいかにこれからに影響を及ぼすかというふうな点についてお伺いしたいと思いますけれども、よろしくお願いします。
#20
○参考人(平野健一郎君) 地域の国際交流のネットワークの重要性について島袋議員からのお尋ねをいただきました。
 地域の国際交流ネットワークの重要性についてのお考え方に私も全く同感でございます。実は私、先ほど意見を申し上げましたときの冒頭の自己紹介でも申し上げたのですが、全国の民間の国際交流の活動家たちのネットワークに参加しておりまして、国際交流担い手会議と称しておりますが、その会議が毎年交流親睦と相互の研修のための勉強会を兼ねて地域を回って、その地域ごとの実態を見聞するというようなこともしております。
 実は、昨日もその企画会議というのをいたしましたのですが、ことしは沖縄へ伺いたいというふうに意見が一致いたしました。沖縄の国際交流の活動家も喜んで我々のグループを呼んでくださるとおっしゃっておりますが、私、実はまだその観点で沖縄には伺ったことがないのですが、沖縄は今議員がまさにおっしゃいましたように、地域の国際交流の経験がある意味では一番進んでおられて、しかも沖縄以外の日本でやっています地域の国際交流とは違ったユニークなところを持っておられるというふうに聞きました。今回私どもで例えるのを大変楽しみにしております。
 その上で、環日本海とか黄海圏の国際交流についてどう思うかというお尋ねでしたが、新潟、富山などにも同じような活動で伺ったことがございますが、率直に申し上げますと、環日本海圏ということになりますと、経済の利益というのが何よりも先に立っていると思います。それと絡んでだと思いますが、やはり地域の財界と地方自治体の行政とがタイアップして計画がどんどん進んでいるという実情が一つあります。
 それに対してその地域の民間の方々は、もちろん経済界で仕事をしておられる方もいらっしゃるわけですから、そういう活動に積極的に参加していらっしゃる方々も多いわけですが、わかりやすく言いますと、主婦を代表にするもう一つのグループの民間のボランティアは、経済を越えてやはり社会文化的に、東京を経由しないで例えば直接日本海を越えて、交流したいということでいろいろな活動をしておられると思います。いろいろ苦労もあるのではないかと思いますけれども、先ほども申し上げましたように、とにかく東京以外の地域の国際交流の活動家、関心を寄せている人たちは非常に今元気でして、そういう環日本海の交流などについてもいろんなチャンスをつくってどんどんやっているというふうに思います。
 先ほどは大学関係者がどうも受け身でいけないということも申し上げました。私どもの反省も込めて申し上げたのですが、新潟大学の先生方は、日本海沿岸のほかの大学の先生方も誘ってポケットマネーで中国東北や南北両朝鮮、さらには極東ロシアの大学を回りまして、そこでネットワークをつくるというようなこともしておられます。
 その例についてさらに申し上げますと、一回目を思いついて敢行されたわけですが、その後やはり資金難に陥るというようなことがあるようです。ですから、繰り返しになりますが、経済面、経済的な利益に重点を置いた地域交流、環日本海交流を代表にするような地域交流がありますけれども、それと相互補完的にもっと広い国際交流のネットワークというのが各地域にできて、日本のそれぞれの地域の人々がそこで積極的な役割を果たしていくということはやはりこのアジア全体の安全のために非常に効果的ではないかというふうに思います。
 最後は議員と同じ意見になると思います。
#21
○参考人(小島明君) 例えばアンコールワットの遺跡の件の御指摘がありましたが、これ非常に有効であったんじゃないかと思います。世界じゅうでかなり歴史的に永久にとどめたいような文化遺産がどんどん壊れつつあります。これは相手の文化に介入するということじゃなくて、既に評価の決まったものを大事に全世界の財産として維持するということですから、全く相手側にとって歓迎だけあって抵抗はないわけです。ですから、例えばODAでも最近環境ODAと、環境に絡んでODAを考えるという要素が新しく入ってきました。例えばこういうものは文化ODAというような格好で、何か文化遺産であれば内政干渉にもならないし、そういうような発想で資金を動かすという手も一案かもしれません。
 その際、例えばアンコールワットについても日本だけでやるということでなくて、アンコールワット修復のための多国間人何とかプロジェクトという格好で日本がリーダーシップを発揮して、それは外からしょっちゅう見えるようにやると。だから、もう少し我々せっかくやっていることがちゃんと相手にメッセージとして伝わるような仕組み、やり方を工夫しながらやる手はあるんじゃないかと思いますね。
 日本はお金があるということでいろんな要請が来ています。一国で全部の要請にこたえられるわけありませんですし、日本が要するにアイデアを出す、それから修復の技術というものももちろんかなり日本は評価されていますから、そういう技術も提供する、資金も一部やる、そういう格好で日本がリーダーシップをとると。共同でやるという多国間文化プロジェクトというような大きな枠組みで対応する手はないかなと。
 恐らく環境ODAも結局日本じゃなくて各国でやることになると思いますが、もっと環境以上に具体的にやったことが、あるいはやっていることが見えやすいのは恐らく島袋先生おっしゃられた文化遺産に対する支援かもしれません。だから、もう少しそれは日本がこういうものに対しての価値を非常に大事にしているということを伝えるだけでも大変有効な分野じゃないかというような感じがします。
#22
○猪木寛至君 今ソマリアの問題とか国際紛争がどんどんふえていますけれども、私も機会があるたびにそういうところを訪問してきて、先月スーダンヘちょっと行ってまいりましたけれども、実は、国連の解決の仕方というのが、カンボジアの場合はよかったんですが、どうしても民族というか文化とか、我々にも到底わからないアフリカの人たちの文化あるいは中東の人たちの考え方、結局これはいつも解決の方法としては国連は欧米型の思考で解決しようとする。アイディドという今大変ソマリアでも頑張っているというか悪役になっている将軍なんかも、やはりその人の話を聞けばその考え方というのがあるわけですけれども、そういうことを両面の話を聞かないで一方的な力で解決しようという形で結果的には失敗に終わったというか。
 そこで、日本の文化がやはり世界に受け入れられるとすれば、なかなかこれは難しいことかな。文化というのはそう簡単に理解し合えるものじゃない。そのために交流というのは、ここに先生も書かれていますが、やはりより多くの交流のチャンスをつくっていくしかない。当面、政治の話だとどうしても建前だけというか本音の話が出てこない。やっぱりその本音の話の中でお互いの偏見やそういうものが取り除いていける。
 特に、スポーツ交流というのを私は推進しているんですが、そういう交流の中で、ソ連が崩壊する前に私ソ連と交流を持ちまして、当時はアマチュアの選手がプロ化するということはあり得なかったんですが、私が最初に契約をして、そこから何かタイミングがちょうど一致したのか、ソ連が大きく変化していったという。
 ですから、日墨学園というのを御存じかと思いますが、メキシコにあるんですが、これは日本の出資で学校をつくって、それで大統領の息子さんも今行っている学校なんですが、これは日本人とそれから現地の子供たちを一緒に、ただ建物がちょっと二つになっているんですが、校庭で昼間遊ぶときにはみんな一緒に交流できる。要するに商社とかの現地に行っている子供たちはその現地の言葉に触れることがあるし、逆に言えば向こうの子供たちが日本のそういう文化というか風習なんかを学ぶチャンスにもなる。
 そういうことをもっと戦略的にというのは、言葉はあれかもしれませんけれども、思い切ってそういう海外に、教育という問題が一番やっぱり、食糧の問題、医療、いろんな問題ありますけれども、教育の問題という部分で日本が積極的にやっていけば大変な貢献ができるんじゃないのかと。と同時に、日本の文化もそういう形でわかってもらえるんじゃないか。
 もう一つは、大変、途上国の人たちがいろんな文化もスポーツも含めて日本で交流したいと思っていても、あるいは日本で招聘する側がお金がないということから実現しないケースがたくさんあるわけですね。きょうもサッカーのチームがブラジルから来ていましてあるホテルに行ったんですが、あんな高いホテルに泊まっていればもう大変な経費になってしまう。
 そこで、一つは、旧ソ連にあったんですが、社会主義にあったシステムでスポーツホテルなんというのがあって、非常に安い値段で、そして食べるものも格安で栄養を考えた、そういうところに行きますと世界の人たちと全部ホテルの中で会うことができるみたいなね。日本にはそういうものがないもんですから、常々考えてはいるんですが、何かもうちょっと国として、何か文化とかこうとかいったって、ただただほっておいたからそういうものが発展していくということじゃなくて、積極的なやっぱり今支援をしない限りは育っていかない。先生が言われるように、ボランティアの問題も日本はまだまだ本当にこれはそういう人材がいないという、語学もそうだし、あるいはそういう意識もまだ薄いというか。ですから、こういう会があるたびにやはり日本のボランティア精神みたいなものが論議されるんですが、その辺が私としてもいろんなところを歩きながら感じることなんですね。
 一体、じゃ、こういうものをもっと政府に、あるいは文部省というのでしょうか、文部省行政というか、こういうものがもっと変わらない限り、本当にこれから、今問題意識はあっても問題を解決というかそういう方向に進んでいかないんじゃないか。
 それから、もう一つは小島参考人にお聞きしたいのですが、やはりこれも大国が武器を供与して、そしてそれを今本当に紛争地域で少年が、まだ十三か十四歳ぐらいにしかならない子が鉄砲をおもちゃのごとくいじって弾を抜いたり入れたりやっている。これが全く自然な形というか、我々から見たら大変驚異というか、そんな子供が銃を扱っているという。ですから、この辺も今の教育と関連してくるんですが、本当に長いテーマで取り組んでいかなきゃいけないと思うんです。
 もう一つ、食糧問題ということで、スーダンというのは日本の国土の七倍ということで、青ナイル、白ナイルが合流した大変穀倉地帯にも将来なり得る、そういうところが未開発に残ったまま、あるいは紛争があるために、この八四年以後、世界の一人当たりの食糧生産というのが三百四十グラムとか、それがどんどん今減少しつつあって、恐らく来世紀に入りますともう二百何十グラムに落ちてくる。だから、紛争のもう一つの原因は、やっぱり食糧とかあるいは飲み水とかそういうような問題を――なかなか我々こっちにいてもどうやっていいのかわかりませんけれども、そこにいる人たちがそういう意識に目覚めてもらうしかない。最終的にはだから何かそういう日本人が持っているアイデンティティー、あるいはそういう教育という問題をもうちょっと戦略的という形でもいいと思うんですが発展させていく。それには具体的にもしやるとしたらどういう方法があるか、それをちょっとお聞きしだいと思います。
#23
○参考人(平野健一郎君) 最初にソマリア、スーダンのお話をなさいました。これは本当に難しい問題で後回しにしてもよろしいでしょうか。
 じゃ、スポーツ交流のお話がありましたので、そこからちょっと回答を試みさせていただきますが、逆にお伺いしたいというところもあるんですけれども、先ほど私参考人として意見を申し上げた中でスポーツ交流に一カ所触れたと思いますのですが、もうちょっと広く言いますと、やはり私はスポーツ交流というのはこれまで戦後の世界で大きな役割を果たしてきたというふうに考えなければいけないと思っているんです。それが当たっているかどうかをちょっと教えていただけるといいと思うんです。
 私の仮説なんですが、人の移動が冷戦構造の終えんをもたらしたという、やや短絡的な理解をしております。その人の交流の重要なものとして、スポーツ交流というのがまだ鉄のカーテンも厳しいころからあって、ソ連、東ヨーロッパの国威の発揚のために、限られた数ですがスポーツ選手が西側の世界に出ていったわけですね。そのころにはまだソ連の国内の人の移動の自由さえもなかったと思いますが、その中で、繰り返しになりますが、国威発揚のために選ばれたスポーツ選手が国家を代表して東側の世界から西側の世界へ動いた。しかし、西側へ出てきたときには西側のスポーツ選手と同じルールでゲームをするわけで、スポーツ交流というのはやはりルールが同じでしかも文化の違いが生かされるようなおもしろい国際交流の形だと思うんですが、そういうものが経験されて、恐らく人間的な交流もできていって、西側での見聞を東側の世界に持って帰って、最初は多分口コミで西側の情報が東側の世界にまさにスポーツ選手を源にして広がっていって、それがやがてもっと西側の情報を求めるというふうになっていくということになるかなと思うんですけれども、当たっておりますでしょうか。それをちょっとお伺いしたいと思います。
 それで、御質問の全体はやはり文化の問題の本質にかかわる大変難しい問題だと思うんです。先ほど、私少し楽観的なことを申し上げましたので、国際交流さえやっていれば世界の紛争がなくなるというふうに受け取られる危険というのは私の発言にはいつもあるんです。そういう私の発言に対して今一番鋭い御質問を浴びせかけてくださったわけです。
 同様にユーゴスラビアの現状、おまえのような文化や民族の観点から考えている者はどうするんだというふうに聞かれますと、やはり答えに詰まるんですが、ユーゴに関しての方を考えておりましたのでそちらからちょっと申し上げますと、やはりユーゴがユーゴスラビア連邦共和国としてつくられ、そしてあのように悲惨な解体を経験しているということが近代の現象だと思います。イデオロギー的なソ連との対抗関係もあって、チトーがユーゴスラビアを社会主義の優秀な国につくろうとしたという側面もあるのですが、それは同時に文化の異なる幾つかの国を集めて一つの国民、国家にしようとした試みだというふうに見えます。
 チトーがいる間はそれがうまくいっていたように見えました。チトー大統領は、子供にはクロアチア人とかセルビア人というアイデンティティーではなくてユーゴスラビア人というアイデンティティーを植えつけるように努力をして、ある程度まで成功したところもあるようですが、結局それが実らないうちに亡くなられたわけです。それに自主管理というような試みも加わりました結果、結局、歴史的、民族的にもともとは違いを持っていた人々がそれぞれの地域の違いの方を強調するようになっていくという結果になっていると思うのです。
 つまり、国民、国家をつくろうと努力したために、その努力が実らないうちに民族的な違いというものを強調するような方向性を生み出したというふうに考えられます。もしこのときに、歴史的な仮定ですが、チトーがカルデリというブレーンの述べていたような考え方で、ユーゴの国内を一つの国際社会と見て、文化の違い、民族の違いを殺さずに相互理解して生かすような戦略をとっていたら、あのような悲惨な状況は避けられたかもしれないというふうに思うんですけれども、とにかく、近代という時代が国民、国家をつくるという強制的な要請を持った時代でありましたために、それができなかったということではないかと思います。
 ソマリアやスーダンは、ある意味で部族とか地域によって随分違うところを含んだ植民地遺制の国の一つだと思うので、そこで指導者がまとまりをつくろうとするとそれが内紛になる、そこに国際的な介入があって国際紛争になるという構図ではないかと思います。ですから、今になってはちょっと、何というんでしょうか、余りにも楽観的な話にはなるのですけれども、基本的にはやはり文化の違いとか民族の違いというものをベースにして紛争の処理を具体的に考えていくというふうにすべきではないかというふうに思うわけです。
 そこで、例えば猪木議員がおっしゃいましたように日本が役割を果たすとして、海外の教育に積極的に協力していくということが戦略として考えられるのではないかということになるんだと思うんですが、これもなかなか単純にはいかないと思うんです。日本の教育はやはり日本の教育なわけで、文化的に独特なものがあるわけですから、それをそのまま海外へ持っていっても相手側にとっては強制されるということになるわけで、なかなか難しいと思います。
 その困難をどういうふうに解決したらいいのだろうかということで、私が考えます方法としては二つあります。
 一つは、やはり現地の人々の要求を第一にする、別名で言いますとニーズ主義ということですが、これを基本にするということだと思います。日本に教育面の援助を求めてきたら、求められた部分について協力するということかと思います。
 それからもう一つは、これは方法というよりも考え方なんですが、文化には個々の文化どれにも非常に特殊個別的な側面と人間として生きるために必要なという意味では共通普遍なものとがあるというふうに、文化を個別性と普遍性でとらえる。日本文化と中国文化は違うというとらえ方もあるのですが、日本文化の中にも特殊な面と普遍的な面があり、中国文化の中にも特殊面と普遍面があるというふうに考えると、そういうふうに考えると普遍的な面では相当の協力ができるということになると思います。
 そう申し上げると、やっぱり人権の問題というのが出てきます。人権というのは人類の普遍的な文化なのかどうかということになるわけで、ここが今やはり中国がアメリカと人権外交で対抗している究極的な次元なんだと思うんです。人権は普遍的なものか個別性のあるものかということになると思うんですが、これは非常に難しい問題で、結局、我田引水になりますが、それぞれの文化についてよく知っている人々を育てる、別名で言いますと、地域研究者を日本の大学がもっともっと育てて、例えば中国文化について、この文化の面は中国の人々は絶対に譲れないのだということがわかっているというような、そういう知識を日本人全体がもっともっと豊かに持つということが文化の問題について必要なんではないかというふうに思います。
 お答えになりましたでしょうか。
#24
○参考人(小島明君) スーダンとか食糧の問題など、いろいろ重要な問題の御指摘がありました。
 この関連で私が最近考えていますのは、要するに冷戦が終わった結果、皮肉な現象が幾つも起こっているんですね。主要国間の紛争、本当は火を噴くような紛争はなくなるということは明らかですが、先ほどから議論が出ているように、いろんな別の理由での紛争が多発しています。世界は、ますます以前と比べると予測しにくくなっているということです。
 紛争についての問題なんですが、その背景に意外と、先ほど武器輸出がなお続いているということがありましたが、それと同時に、冷戦が終わった結果新しい貧困が世界に生まれかかっているんじゃないかという心配があります。
 それから、最後の点は、冷戦が終わった結果、違った文化、違ったものに対する理解、寛容さというものが低下したんじゃないか、それが民族的な問題が一気に出てきた一つの背景じゃないかと思います。
 新しい貧困については、こう私は理解しています。
 冷戦の時代には世界じゅうが色分けされました、西側と東側で。イデオロギーで区別されて、イデオロギーの闘いで、本当に当事者は、米ソが火を噴く戦争はできません。国連の場であれ何であれ、要するに数を動員して、イデオロギーで色分けした闘いをしてきたわけですね。数を動員する、これはですから敵の敵は味方という単純た発想でよかったわけです。ですから、アフリカへ行っても、それぞれ自分の仲間をどんどん入れる。南米へ行ってもそうです。例えば西側キャンプに入る、そうしたら援助する。逆に旧ソ連圏はソ連グループに入れば援助するという格好で、冷戦は同時に援助の競争も維持していたんです。ところが、冷戦が終わった結果、そんなことをやる必要がなくなったわけです。何も数を動員してイデオロギーの闘いをやる必要がなくなった途端に、援助に対する寛大さ、貧困に対する寛大さが落ちたんじゃないかと思うんです。
 具体的にアジアについては、例えば旧ソ連圏、これは明らかに象徴的な二つの国を捨てました。非常にきつい言い方をさせていただきますが、アジアにおいては北朝鮮とベトナムを捨てたわけです。もう自分たちが西側とのイデオロギー戦争をやっていく上で必要なくなったと。しかも、前から同盟国だけれども、援助するかということを考えても援助する力もない。そうしますと、冷戦が終わったんだと、彼らは関係ないという話になってくるわけです。
 その二つの国が、捨てられて違った選択をしました。ベトナムの方はすぐ近くにタイがあり、ASEAN主要国が大変勢いよく成長しています。ああいう国になりたい、ああいう機構の中に入りたい、こういう形でベトナムはドイモイという格好のベトナム版ペレストロイカを始めまして、どんどん変わってきました。その結果、ベトナムの経済は上がってきました。インドシナ半島での紛争、ベトナム戦争が終わった後、しばらくベトナムそのものが不安定要因として問題にされましたが、今の段階のベトナムはそういう不安要因ではなくて、アジアの発展する経済の仲間入りをしたいという発展志向型になっています。それを背景にアメリカもエンバーゴーを解いて、確実にベトナムは発展して、平和なアジアの経済のダイナミズムの中に加わる、グローバル社会に入る、そういう選択がうまくワークしたわけです。
 その一方、同じ貧困状態であるけれども、同じようにソ連から、旧宗主国から見捨てられた朝鮮半島の北側の国は、これはもう完全に絶望に陥ったんだと思うんです。だんだん絶対的孤立の道を選んでしまっている。仮にこの国が、ある程度経済的に自分の方その他でもう少し発展してくると違った発想ができるんでしょうが、一つ言いたいのは、やはり貧困があるところまでいくと紛争の種になるような状況になる。ベトナムは完全に貧困から脱しつつあるということで非常に安定要因として変わってきた。
 ソ連の捨てた国はほかにもいっぱいあります。キューバはもう半分変わろうとしています。恐らくこれは引き続く脅威ではなくなると思うんです。ソマリアその他を初め、アフリカにおいていろいろ国内における民族的、宗教的ないろんな戦いがあります。しかし、民族的、宗教的違いは昔からあったわけです。途端にそれが悪化して多発し始めたのは、やはり経済がうまくいってない、社会がそのために安定してたい、そういう貧困の問題があると思うんです。貧困をさらに加速するような格好で援助がとまったとか、援助しようという国が昔援助していた国の中でもどんどん後退している。それは皮肉にも冷戦が終わった結果、そういう空気が世界的に加速して増幅されているんじゃないかという感じがします。
 そういう国においては、戦争すること、したがって軍隊へ入って多少の給与をもらうこと、これは生きるためのビジネスになっているんですね。軍隊に行かなきゃ食えない。したがって、軍隊へ行ってまたそれが暴れ回るわけですが、それは皮肉なサイクルに入っていると思うんです。
 原点を見ますと、文化的な違いというのはこれからも続くでしょう。宗教も一つになるはずがたい。そういう違いがあるんですが、その違いを許容するような条件がどうやったらできるか。少なくとも、どんどん貧困になって絶望になるという国が消えなくちゃいけないわけです。衣食足って礼節を知るという単純なことなのかもしれませんが、絶対的貧困、あしたがさらに今よりも貧しくなるというような絶望の状態にたったら、追い込まれて何をするかわからない国、社会になる。それがだんだん未来が展望できて、生活の豊かさ、将来に対する夢を持ち始めれば、隣に違う文化、違う宗教の人たちがあっても共存の道をむしろ考えやすくなるんじゃないかと思うんです。冷戦が終わってからの新しい状況というのはそういう皮肉な現象を生んでいますから、その皮肉な現象を直視して原点としての貧困をなくす、そういう政策を各国がもう一回組み直さなくちゃいけないんじゃないかと思うんです。
 ソマリアの話がありましたが、国連管理下の軍が行って、ソマリアで戦争を抑えるどころか自分が戦争を始めちゃっているんですね、あれ。
 最近、冷戦が終わって出てきた一つの国際政治関係の議論で、プリベンティブ・ディプロマシーとかポジティブ・サンクションとかいう議論があります。
 プリベンティブ・ディプロマシーというのは、戦争が起こったら大軍隊あるいはいろんな兵器を導入して抑え込む、鎮圧するというんじゃなくて、紛争そのものが起こりにくいようなものを入れていくんだと。これは例えば、今のアメリカの政権も似たような発想で議論しています。それが余りにナイーブな青二才的な議論なのかもしれませんが、例えばこういう議論を盛んにしているわけです。
 世界じゅうに民主主義を広げよう、過去の歴史を見て民主主義諸国同士で戦争をした例はない。戦争が起こるのは、多くの場合民主主義じゃなくて、暴君がいて、独裁者がいて、それっと国民を引っ張って戦争に持っていくということで、国の中に要するに制度としてそういう暴挙に対する歯どめがない、今もみんな国に持っていかれてしまう、そういう歯どめがない、それは民主主義があれば歯どめになるという議論です。
 それともう一つ彼らが議論しているのは、民主主義と同時に自由市場経済、これをあまねく行き渡らせようという議論です。自由市場というのは、自由経済というのは、要するに輸出したり輸入したり、技術も売ったり買ったりする、工場ができる、人が交流する、そういう相互依存の世界です。そういう経済的相互依存は経済的なプラスサムを生むんだと。
 クリントンが去年の二月ごろアメリカの大学で言った演説の言葉をかりますと、貿易は国と国とを近づける、ツキジデスからアダム・スミスの世界まで共通の問題であるけれども、通商は国と国とを近づけるというようなことを言っておりました。要するに、経済的な相互依存と民主主義というそれぞれの社会に対する歯どめ、それが行き渡ると紛争は起こりにくくなるという議論です。
   〔理事大木浩君退席、会長着席〕
 これは、アンソニー・レークという男が、冷戦時代はコンテーンメントポリシーであった、封じ込め政策であったけれども、冷戦が終わった今の我々の新しいイデオロギーは、封じ込めでなくて、我々の価値観、世界共通の価値観、それは民主主義と市場経済、自由な通商、そういう二つの価値観をエンラージメント、拡大して広げていくんだ、それが広がれば広がるほど世界がめちゃくちゃな、自暴自棄な紛争に突入することがない世界になる、こういう議論です。これは冒頭平野教授がおっしゃられたカントの永久平和論に通ずるような発想なのかもしれませんが、そんな議論もしています。
 しかし、民主主義をどうやって行き渡らせるのか。貧困の中、極貧状態の中、生活がいつできなくなるのかわからないような絶望的な極貧世界では恐らく民主主義というのは定着しないと思うんです。だんだんある豊かさになって民主主義が出る。相手を尊重するというのが民主主義の原点だ、それによって自分自身も尊重されるということですから。民主主義が行き渡る、そのためには貧困から脱出することを支援しなくちゃいけないということだと思うんです。となると、原点であるある程度の生活が保障されるような世界、ひどい貧困をなくすような国際的な協力、あるいは援助におけるそういう一つの確固たる信念とか哲学、そういうものが必要じゃない、かという感じがします。ですから、恐らく短期的な解決にはなりませんが、それは起こったらとっちめてやるというのじゃなくて、むしろ起こらないようにするためにやる予防的な国際的政策ということだと思います。
 それで、最近言われているプリベンティブ・ティプロマシー、予防的な外交ということであり、さらにまた、民主的なことをやろうとしている国を、いいことをやった国を応援するという政策があるわけです。これまでは悪いことをやったらとっちめるという、要するに警察官的なやり方というものが外交あるいは政治のやり方でしたが、それをネガティブ・サンクション、消極的な制裁と言い、最近議論しているのはポジティブ・サンクション、いいことをやった、それでは応援しようというような政策も議論をされております。冷戦が終わって世の中が変わってきた、人々の気持ちが変わってきた中で、政策の組み立て方もやはり少し発想を変えてやらないといけないということだと思います。
#25
○大島慶久君 お尋ねをしたいと思いますけれども、かつて我が国がバブル経済の花盛りだった当時よく報道されましたのは、日本はとにかく働き過ぎだと、日本民族と言った方がいいんでしょうか、一国繁栄主義というような立場に立たないで、もう少し世界の中の日本という形で労働時間も縮めた方がいいんじゃないかという議論がなされたような気が私はするわけであります。そんなことを言っているうちに現在の日本はもう大不況のどん底にあると。あっという間に滑り落ちているわけでありますが、恐らく世界の各国にも日本の今のこの経済状況というものが伝わっていると思います。
 そういう中で、きょうお二人の参考人それぞれ専門分野が違うわけでありますけれども、やはりこれからの二十一世紀の日本の責務ということで、従来どおり余り働き過ぎない方がいいんだ、今のようにできるだけ適当に働いてくれていた方が世界のためにはいいんだというような雰囲気なのか。私は、働く人と働かない人があった場合、一生懸命働く人が繁栄するのが当たり前でありますから、こんなことで日本は、二十一世紀に向けて我が国自体が大丈夫なんだろうかという懸念を持っているわけであります。
 現実問題、例えば中国なんかは市場経済主義というものが一部導入されたことによりまして、もう十五時間でも十六時間でもむしろ買って出ででも働いている人たちが非常に多くいる。その結果、大変な経済の発展をしつつある。二十一世紀のある時期には、かつての日本が経験したような経済大国になってしまうんじゃないかというようなこともいろんな機会をとらえてお聞きをいたしておりますが、どうなんでしょうか、平野参考人そして小島参考人は、その後のあるいは現在のいろんな国々の皆さん方と接する中でどういう感想をお持ちなのか、お尋ねをしたいと思います。
#26
○参考人(小島明君) また大変難しい御質問をいただきました。私なりに少し日ごろ考えていることを整理してみたいと思います。
 働き過ぎという話なんですが、勤勉という言葉があります、英語でインダストリアスという言葉ですね、勤勉。これは振り返ってみますと、産業革命のイギリスあたりの働き方なんですね。要するに、あのときは石炭を穴蔵に行って掘って汗だくになって働く、真っ黒になって汗まみれになって働く、それが勤勉だったわけです。あるいは煙突から煙をもうもう出して工場を動かす、そういうようなのが当時の勤勉。今は経済、技術、社会が大分変わってきました。勤勉の質が社会の変化とともに当然変わるんだと思います。
 日本において三Kの労働が忌避されております。それは、要するに新しい勤勉に人々の関心が移っているし、それを支えるべく新しい勤勉が生まれている。若者は最近働かないという議論があるけれども、いや働くんだという議論がまたあります。例えば、あるコンピューターのソフトをつくるについて、考え出したらもうとまらない、夜中徹夜してでも若者はつくり出すということです。一つ一つのねじを巻いてただ生活費を稼ぐという時代の、女工哀史時代の勤勉と、やはり高度文化情報社会になった段階の日本の勤勉というのは違うということなんでしょう。
 最近は、要するにハードワークよりワークビューティフリーという議論をしている、働き方の問題だと思うんです。それは単純に時間で定義できない問題だと思うんです。とんだ働き方にせよそれぞれの社会の働き方が時代によってあって、しかしその働いた結果が国と国との関係を悪くすることもあり得ます。それはその働き方じゃなくて、やはりその働いたものが全部合わさって社会の仕組みなりあるいは通商の仕方といいますか、そういうものがやはり各国との調和をとりにくいようなやり方にしていると。個人の問題よりやはりシステムの問題というのがかなりあると思うんです。
 日本の場合、戦後大変な経済成長を遂げまして、世界の奇跡と言われているわけです。しかし、その日本が、今の段階、ゼロ成長を遂げています。それは幾つかの要因があると思いますが、一つはバブルの反動です。もう一つは、大島理事おっしゃられましたが、例えば中国、すごい低賃金で働く人たちがいるわけですね。そのインパクトを近代史で初めて日本が感ずる段階に来たんじゃないかと思うんです。
 これは、実は、冒頭言いましたスイスのダボスの会議でこういう議論がありました。これからはメガコンペティション、大競争の時代になると。競争力を持たない国は完全に消えていきます。競争力を維持すべくみんながちゃんと新しい時代の勤勉を維持して、かつ各国との関係がバランスのとれるやり方がなくてはいけないわけです。それは、勤勉でたくなってダラ幹になるという社会ではありません。ちゃんとした新しい時代に応じた勤勉、それぞれの人々がそれぞれの仕事の役割をしっかり果たす。いいかげんな壊れやすい部品、危険な部品や機械をつくることが要するにその解答になるわけじゃなくて、つくるものは、あくまで質がよくて安心できて危険でないものをつくらなくちゃいけないわけです。
 メガコンペティションというのは二つの要因で起こったと思うんですが、いずれにしても、歴史上初めて新しく三十億の人たちがグローバルな経済のゲームに入ってきたんだと。三十億というのは、例えば中国であり、アジアの多くであり、中南米であり、それから東欧の多くの国々です。それらがみんな、我々が先進国同士でやっていた自由経済競争の世界、自由市場経済に近づきたい、入りたいというふうに動き出したわけです。ガットで農業問題を大騒ぎしていましたが、これからのガットの一番の問題は、その三十億の人たちがガットの仲間入りを新たにしてくる、それで主張するということですから、これまでと違った世界に今まさに入ろうとしているわけです。
 三十億の人たちについて、昔は入れもしなかったが、今入り始めたのはなぜかというと、三十億の人たちが新しく生み出そうとしているものは、クオリティーは高い、品質はある程度高い、そこそこハイテクノロジーである、同時に低賃金であると。そのために、そういう要素でこれまで日本もあるいは欧米も、いわゆる先進工業国が先進工業国同士で発想していた競争に、そういう新しい三十億の、実際に今入っているのははるかにそれより少ないわけですが、潜在的には三十億の新しい参加者がその競争のゲームに入ってくるわけです。今、日本において物価が非常に安定している、あるいはヨーロッパにおいてもデフレが進んでいます、アメリカは景気がぐんぐん上がってきましたけれども物価上昇の心配は余りないと言われています。そこに低コストというものと低賃金がどんどん入ってくるわけです。これは、中国は中国の段階での勤勉でその競争社会に入っているわけですね。
 その影響が日本にも来ています。日本では労働力としては入っていませんが、日本の企業が海外、とりわけ中国にどんどん投資をしています。投資は日本の商品を売るんじゃなくて、日本の競争力、生産力そのものを輸出しているわけです。それを輸入した中国は当然競争力がつき、生産力がつきます。しかも、そこでは安いコストでつくれますから、日本へも製品としてあるいは部品として入ってきます。それが、ある産業分野で構造的に需要が落ちる、競争力が落ちるという現象を伴っていると思うんです。
 日本の課題というのは、そういう新しい競争の中で、しかも低賃金とはとても対抗できない、そういう分野を卒業して次の産業分野に絶えず脱皮していかなくちゃいけない、そういう柔軟性を持つことと同時に、柔軟な組織の中で、システムの中で、一人一人がやっぱりそういう新しい環境でまたしっかり働かなくちゃいけない、責任を持って。新しい勤勉が必要じゃないかと。勤勉そのものは決して悪いことじゃなくて、絶えず違った形をとっていかなくちゃいけないというのが実態だと思うんです。
 それから、先ほど言いましたそういう新しい勤勉の中で摩擦が起きるような国なのかそうでないのかということなんですが、最近のアジアの経済のダイナミズムをずっと観察していますとこういう結論に達しました。
 世銀から「アジアンミラクル」という分厚い本が出まして、みんな注目しています。東アジアの国々は日本型モデルを倣ったために成功しているという議論があります。私の結論は、全くそれは違うという結論です。日本のモデルとアジアのモデルは違うと。
 日本のモデルはこういうモデルでした。大戦後、廃墟から立ち直る過程でキャッチアップしなくちゃいけない、そのキャッチアップ過程が価格調整を伴わない数量だけの調整でやってきたという経済でした。もう少し具体的に言いますと、数量、つまり日本はまだ競争力がないから輸入はしません、しても三%だけ輸入しますというクオータ、数量で抑えている。価格、それはもう為替は固定していますから価格競争は遮断する。それから直接投資、今、日本が盛んにやっている直接投資、これは、むしろその当時、ずっと長く日本は海外からの直接投資は要らないと、アメリカの自動車が競争力があるときみんな締め出したわけです。昔、戦前、フォードの自動車工場がありましたが、これも追い出しちゃったわけです。
 要するに、日本は今のアジアがやっているのと違うやり方、海外から入ってくる輸入品の数量もコントロールするし、直接投資はもうほとんど管理してきたと。日本は、為替は固定レートでずっとニクソン・ショックまで続けて、キャッチアップをしてきた。今の段階、要するに完全にキャッチアップ状況まで来るのに約五十年かかった。
 今アジアで起こっているのは、初めからもう門戸開放、日本の資本は一〇〇%でもいいからどんどん入ってくれと、全部入れています。というのは、自分で大事に育てようという、要するに純粋な国産の産業というのが余りないからです。どんどん相手が入ってきたって、要するに、自分で資本も持ち込むし、そこで商売が失敗しても、受け入れる方が返済しなくちゃいけない借金と違って、勝手に引き揚げるだけの話で、どんどんやってきて競争してほしいというわけです。どんどん入れています。したがって、このプロセスは日本が外資を締め出してきたプロセスと全く違う。
 その結果、アジアはどんどんダイナミックに世界じゅうの工場を入れちゃっていますから、それでつくってそれで競争力が生まれる、それが海外にまた輸出するようになる。この過程が日本より早く今始まっています。恐らく、日本が五十年かかったものをこのアジアの国は十年でやるかもしれません。それだけ急速に所得水準も上がっているわけです。所得水準が上がると物を買うゆとりがありますから、アジアが今度は輸入する国にもなっています、同時に。日本は輸出するけれどもなかなか輸入しないという経済をずっと最近まで続けてきたわけです。それが大変な黒字不均衡になってきているわけですが、アジアはこの発展の初期段階からかなり輸入を始めています。IMFの統計なんかを少し足してみますと、一九八〇年代後半以降、世界の全体の輸入の伸び、増加分に対するアジアの比率というのはどんどん高まっています。
 ということは、日本があるところまで、前川報告で議論したその以前までは、輸出はするけれどもなかなか輸入しない、海外の市場は機会として使うけれども日本の市場は提供しないというように、極端に言えば、そういう分類がされる国だったわけですが、アジアの国は発展の早い段階から、輸出もするけれども、その輸出力は、海外からどんどん資本を入れたり技術を入れ、技術だけじゃなくてどんどん工場進出を認めて入れた、同時に輸入も始めた、マーケットも徐々に提供したがらみずからもグローバルなマーケットを活用するというような仕組みになっているわけです。
 もしアジアの国々が日本に対してもアジアその他ヨーロッパに対してもアメリカに対しても、要するに世界じゅうに対してマーケットを開いて、マーケットを提供しだから輸出もするということであれば、相互にそれがプラスサムにたって、アジアはそれほど極端な摩擦を生まないで発展を続ける可能性があります。
 日本はいまだに、先ごろ発表された昨年一年間の国際収支の統計でも明らかなように、極端な黒字がまだ残っています。黒字が残っているのは、外のマーケットを利用する度合いの方が国内の市場を提供するよりも大きいということですね。要するに市場提供をしながらグローバルな市場を使う。このバランスがうまくとれるようなシステムを、ちゃんと制度を入れれば国際的な摩擦は起こらない、かつ勤勉が生かされる。
 そのバランスさえとれていれば、日本がつくっている品質の高い安全な製品、ハードの製品はとりわけ日本の得意芸ですが、それは各国が喜んで使っているわけです。それは、危険なもので安いといったらだれも買いませんし、働いていいものをつくって何が悪い。悪くないんです、評価されているわけです。しかし、国全体としてバランスがとれないようなその運営の仕方が問題であって、バランスがとれる限りは、いいものをつくらなければ日本はばかにされますし、恨まれます。そのいいものをつくり続けるというのは、やはり新しい状況を踏まえて出てくる新しいタイプの勤勉じゃないかと思います。日本がダラ幹になって、ろくなものをつくらない国になっては日本の社会、国民もそれでは不幸になりますし、世界じゅうも不幸だと思うんですね。
 したがって、やはり日本がこれから考えなくちゃいけないのは、市場を提供しながら相手の市場も使うという双方向の拡大過程といいますか、そういうものにいかにして早く切りかえていくか。既にその切りかえはマーケットを通じて起こっていると思います。それは直接投資だと思うんですね。
 日本の経営で、戦後の発展は、対外的には海外から直接投資は入れません、輸出はします、輸入品も入れませんということだったんですが、今、直接投資をどんどんし始めています。それは日本の競争力を海外にどんどん輸出していることであったと思うんですね。このプロセスは、日本の黒字が自動的に何年か先から縮む過程だと思う。だから、方向としては調整が既に始まっていると思うんですね。さらにそれを加速するためには、輸入そのものがもう少しふえるということをいかにして組み込んでいくかということだと思うんです。
 要するに内外価格差の問題がなぜ重要かというのを私なりに解釈しますと、こういうことになります。日本の黒字があります。これは不均衡がひどいからというと為替レートの調整があります。為替レートが高くなりますと、その影響は輸入の面と輸出の面と両方にバランスをとって効くのが一番いいわけです。しかし、仮に輸入の方はなかなか為替が変わったほどにはふえないというようになりますと、こちらの調整がその分足りないんですから、為替レートはここで調整が起こる場合と比べるとそれほどもとに戻らない、高とまりする。その高とまったのは日本の輸出能力がある企業の輸出サイドに効いてくるわけですね。今の為替レートよりもっと安かったらそんなに工場をわざわざみんな泣く泣く移さなくても国内でやれる、そういう企業がどんどん海外に工場を移さなくちゃいけない、あるいは全く対外的な取引をやめるか、あるいは工場を海外に持っていって現地でマーケットを押さえるか。
 要するに、今の内外価格差の問題の最大のポイントは、それを調整しないと輸出サイドでどんどん調整が進んで、その結果、元気があるところは外へ出る、外へ出てやれるほど元気がないところは国内にとどまって保護を求める。それをしばらく続けますと、保護がないとやれない産業ばかりが日本に残りやすい。それは高コストであり、その財政資金も必要だし、みんな負担しなくちゃいけない。生産性も低い。いいところはみんな外へ出て、その恩恵はアジアの国々や世界じゅうが得る。日本はいつも高いコストで補助を出してその生産性の低い産業部門を維持するということになる。これは日本にとっても不幸せですし、世界にとっても余りハッピーでないということですから、そういう意味で内外価格差をいかに縮められるようにするかということは、日本にとっても世界とのバランスにおいても、勤勉さがうまく生きて評価されるためにも必要である。
 どんなシステムにしても、勤勉さがなくなってダラ幹になった社会は国内的にも国際的にも生きていけませんし、だれも評価しませんから、勤勉は必要と。必要な勤勉がバランスを維持しかつ評価されるという仕組みというのがポイントじゃないかというのが、私の最近考えている視点であります。
#27
○参考人(平野健一郎君) 私、経済の方の専門でございませんので、小島参考人の方に先に答えていただいて、ほとんどもうお答えは尽きているのではないかと思いますけれども、国際交流、文化交流に引きつけて今の御質問に少しお答えしたいと思います。
 バブルのときのお金余りで、そのお金の一部が地域の国際交流活動に提供されたということはあると思います。しかし、じゃバブルがはじけた後、国際交流活動はもうこれもしぼんでしまうのかということですが、今のところ、まだ各地の民間の個人は国際交流への意欲はうせていません。つまり、不況になったために花よりだんごというふうにはなっていないというふうに私は思います。それで、何とか経済の回復を待つ期間に、花もだんごもというふうになるようにすべきではないかというふうに思います。
 今、小島参考人が最後の方で、経済全体のバランスのつくりかえが必要だというふうにおっしゃったと思うんですが、そのバランスについて、経済と文化のバランス、もうちょっと具体的に言いますと、国際交流、文化交流とのバランスということを先ほどから申し上げているわけですが、まず、現在の日本の不況は、先ほども申し上げましたとおり、やはり物のつくり過ぎに根本的な原因がある。それから、大島議員もおっしゃいましたとおり、世界の中の日本と言いながら、やはり一国中心であったということに原因があるというふうに思います。
 昨年、カリフォルニアの大学を訪問したときに、ベトナム難民らしき男性とアメリカの女性とが夫婦でやっている近くの本当に小さな出前専門の中華料理屋といいますか、日本で言えばラーメン屋のようなお店にちょっと立ち寄ったときに驚いたのですが、出前の注文は全部電話で来て、奥さんがそれを受けて直ちにコンピューターに入れて、そしてそのコンピューターがはじき出すものを御主人に渡すと御主人がそれに従ってつくる、そして出前をするというふうにしておりました。それで同時に経営管理や何かもできているに違いないわけです。
 私の近くの小さなラーメン屋がコンピューターを使って出前をするというようなことはちょっと考えられないのですが、アメリカでは、先ほどから小島参考人もおっしゃっているように、そういうソフト面での高度情報化ということがそこまでいっている。多分そのコンピューターは日本製かもしれないわけで、日本はハード面だけをこれまでつくってきたわけです。これからはやっぱり日本は花よりだんごじゃなくて、花もだんごもがねらえる期間に、先ほど私申し上げましたように、高度情報、高度知識の成熟した社会にバランスシフトをしていくべきではないかというふうに考えます。
 それで、その場合にその経済がバランスをとる相方として文化ということを申し上げているわけですが、実は、働くということは文化をつくり変えることで、文化というのは実は環境を何らかの程度に変える、あるいは壊すことであるというふうに言われております。その基本に立ちますと、やはりなるべく環境を大事にするような文化をつくっていくということになりますので、戻って、やはり働き過ぎというのを、先ほど小島参考人もおっしゃったように、働き方の問題としてとらえ直すということに行き着くと思うんですね。
 私は、やはり広い意味での物の生産中心の社会から広い意味でのサービス産業社会というものに日本が変わっていく、その中に国際交流や文化交流も重要な活動として位置づけられるというふうに考えたいと思っています。教育投資をしていただきたいということを先ほどから申し上げましたのもそういう趣旨でして、日本人同士が教え教えられるという関係をもっともっと盛んにすれば、そこで環境に対して優しい、しかしお金は動くというような、そういう社会になるのではないか、これは素人考えですがそう思っております。実際に、経団連の方でも会社での勤務時間を減らす、労働時間を減らすと同時に、その余暇に社会貢献として企業人一人一人がボランティア活動をするということを奨励するようになっているわけで、そういうところに端緒があるのではないかと思います。それが一つの答えにたると思います。
 それからもう一つ、中国が対照的に非常に働いている、これからもどんどん働くだろうということなんですが、ここにも国際交流が私は絡んでくると思います。中国が成長率一〇%、十何%というような経済活動をこれから続けていけば、環境はますます破壊される、それは国境を越えて酸性雨として日本にも大きな影響を及ぼす、もう及ぼしているわけです。そのときに、例えば私が大学で中国人留学生に向かって、中国の経済発展が日本に迷惑をかけているからやめてくれと単純な言い方で言いましても、これは効きません。それではなくて、中国から若者をたくさん日本の大学に呼んで、日本の若者とゼミや実験室で一緒に考え、一緒に語り合って、中国人自身が、働き過ぎが地域環境さらには地球環境にどういう被害を及ぼすかということを納得してくれない限り、中国人の働き過ぎが働き方の問題として改善されないんじゃないかと思うんですね。
 そういう点でも国際交流、文化交流というのは時間はかかるのですが、当事者が納得して文化を変え、さらには環境にも優しい生き方をするというふうになっていくのだと思って、私は今の御質問には文化交流、国際交流が大事だという答えをやはり申し上げたいと思いました。
 以上でございます。
#28
○深田肇君 大変いい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。
 お二方の先生方にちょっと角度を変えて御意見をいただければありがたいと思いますので、率直に質問させてください。
 先生の方から出ました話の中で、人の交流といいますか、こういったものが平和だとか国際社会の環境づくりだとか等々に役割を果たした経過もよくわかりますし、今後もそういうことが大変大事だだということを印象として拝聴しました。同時に、お話の中で、若干次元は違うと思いますけれども、ユーゴのチトー時代の話から今日の紛争のことまでお話があって、文化だとか生活状況というものを考えなければいかぬなというふうに思いながら伺いました。
 いま一つは、これは小島先生のお話が中心だったと思いますけれども、いわゆる冷戦体制が終わった後も紛争がまだ残っていると。その中からいわゆる貧困という、新しい貧困という言葉を使われましたけれども、新しい貧困が起きてきている。新しい貧困がどのレベルであってどこの国であるかというところは大変認定の仕方は難しいんだと思いますけれども、私きょう中心的に伺ってみたいなと思うのは、朝鮮民主主義人民共和国の問題であるし、同時に朝鮮半島や朝鮮民族と日本の和解の問題をしっかりしないと、本当の意味の国際交流や貢献などができないんじゃないかと。アジアの方々の方から不信があったりしたときに、本当にどれだけのこれから交流ができるのか、成果が上がるんだろうかという意識を持って一、二お尋ねするんでありますが。
 以上、私の方から多くのことを申し上げることはないと思いますので、先生方のお話の中で共鳴したことを一、二申し上げた上で、極めて具体的に聞きます。
 どうも現在国際紛争するところで一番近い、日本の側から見ますと、南北朝鮮の紛争問題というのが大きな課題だと思います。もちろん猪木先生専門家でありますから、中東問題中心にお話が出ましたけれども、国際全体でありますけれども、目の前の日本の状況で見ますと、香港と中国の問題も目の前に来ておりますし、台湾問題が違った意味で中国から言わすと大変指摘をするような材料になってきているようですし、いろんなことがありますけれども、それ以上に大きな問題は、核疑惑ということも含めて朝鮮半島問題があるだろうと思うんですね。
 そのときに日本の側が、やはり朝鮮との歴史的な経過から言うと、こちらが加害者であった状況の中で起きてきた今日の朝鮮の不幸だと。これは、国籍上は今韓国人、朝鮮人ということになるんでしょうけれども、朝鮮民族にとってみれば、他の国から行われたいろんな行為によってそういったことを受けただろうと。そして日本の方から考えると、自分たちの歴史的な経過としてやはり反省し償いをして和解をすることがないと、本当の意味の平和だとかアジアの中で何かをしようということが大変難しいんではないかという意識を日ごろ持っているものですから、その中で現状が日本側としては私大変それがおくれていると思いますね。
 例えば、日本の国内に在日の韓国人、朝鮮人が八十万から百万いらっしゃる。その方々に対する民族的権利が保障されているか、私ども社会党から言わしてもらうと大変まだおくれていると、教育問題や社会保障問題等々。したがって、そういったことはきちんとしましょうというふうに、今度与党になったものですから、政府問でも話をさしてもらっているようでありますけれども、今までは自民党さんに強くお願いをしてきた経過を思い出しながら、そういったことも、みずからの教育やみずからの文化生活の中できちんとした伝統的な確認をせずして、果たして本当の意味の国際交流ができるんだろうか。いや、国際交流するがゆえに他の国々の方から日本の中のおくれを指摘されて気がつくという面もあるんではないかというふうに思ったりしているんです。
 そういったことを申し上げた上で、新しい貧困との関係ですが、新しい貧困があるところで爆発するということが理論的、論理的にあるとすれば、この爆発を阻止するためには今我々は何をなすべきかというふうに思うんですが、いかがなもんでしょうか。
 そこら辺のところに関連をして、朝鮮民族との和解、日本の戦前、戦後に対する反省やこれからの平和国家としてのなすべき課題等々を、お二方の先生方に、今までの話を全部正直に立派なものと受けとめますから、その上に基づいて朝鮮民族との和解問題について二言つけ加えていただくとありがたいと思いますが、いかがでしょうか。
#29
○参考人(平野健一郎君) 非常に大事な問題を御指摘いただいたと思います。私のお答えできる範囲でお答えするとしますと、ミクロな次元での答えとマクロな次元での答えになると思います。
 ミクロな次元での答え、これもまた国際交流、文化交流活動に引きつけての答えになるのですが、先ほども申し上げましたように、現在日本の民間で行われている国際交流活動は、その地域に根差して、むしろ国際交流といっても国内で行われるような活動が比重を増しているわけですね。内なる国際化というような言葉も使われる活動でございますが、その中でやはり、特に関西の国際交流団体は、議員が御指摘になりました在日韓国・朝鮮人の問題を、同様に内なる国際交流の問題としてとらえております。各自治体に国際交流のボランティアの組織が積極的に提言したり、あるいは行政と一緒に仕事をして、在日韓国・朝鮮人あるいは外国人労働者も含めて地方自治体の住民であるという点では同じだということで、いろいろ行政に対して具体的な注文をし、それを実現するというような動きをしております。それからまた、幾つかの関西の市ではそういう考え方を盛り込んだ住民憲章というようなものもつくっているというふうに聞いております。
 そういう点で、まさに議員が御指摘のとおり、国際交流が朝鮮半島の問題について日本人が国内でできる努力の一つになっているということが言えるかと思います。そして、その活動の中にはまさに在日韓国人・朝鮮人の活動家も参加するようになっています。一緒に活動しているところもあります。それから、留学生でもやはり一緒に活動するというような人たちも出てきておりますので、総合して言いますと、ミクロのレベルといいますか、日本の国内社会のレベルで国際交流を通して、朝鮮問題の解決に微力ではあるけれども努力している人たちがいるということはお答えできると思います。
 それから、大きな次元で言いますと、先ほど取り上げましたAPECやEAECの参加国あるいは参加予定国を地図上に描いてみますと、空白が二カ所残るわけですね。それがDPRK、北朝鮮であります。そしてもう一つがモンゴルなわけですね。宮澤懇談会の報告などを読んでみますと、やはり議員がおっしゃるような東アジア・太平洋圏の潜在的な危険性というものに対してやや認識が甘いというような印象を持ちます。我々全体がその問題について深刻に考えていないところがあるという感じがいたしますが、やはり地図の上にそうやってかいてみますと、その二つの空白が残る。特に朝鮮半島が残るということは非常に重要な問題だと思います。
 私、東アジアの近代国際関係史というのをずっと概観する仕事もしておりますが、明治以来、やはり朝鮮半島というのは本当にアジア・太平洋圏のいつも中核になっている地域です。ですから、今後のアジア・太平洋の平和のためには、やはり日本の外交がこの空白地帯である朝鮮半島をどのように平和的に空白地帯でなくするかということで積極的な提言をしていくべきだと思うんですね。そのときに、議員がおっしゃいましたように積極的な提言をする条件を日本が持っているかどうかということが当然出てくると思うんですが、官民あわせてその努力を戦後五十年してきているという上に立って、その努力が終わったとは私も思いませんけれども、今後も続けるということで、この段階ではやはり少し積極的な提言をアジア各国に向けて日本の外交がしていけるようになっているのではないかというふうに思っています。
 それで、先ほどEAECを国際交流のネットワークとして位置づけてみたらどうかという提案を申し上げたわけですが、やはりそういう地道な努力をしてアジア・太平洋圏に相互信頼のメカニズムをつくっていくということが日本外交の最重要課題だというふうに思います。
 以上です。
#30
○参考人(小島明君) 私は経済記者でありましてこういう微妙な問題は余り理解がないんですが、それからまた、私自身、近い国であるにもかかわらず韓国に関心が生まれたのはごく最近です。最初に韓国を訪問したのは韓国のソウルでオリンピックがあった一九八八年ですから。ところが、それから家族で行ったりいろんな会合に出たり、頻繁に交流が始まったわけです。
 ごく最近の交流は昨年でして、日韓で首脳会談が開かれて、それで新しい日韓の関係を議論しようという日韓フォーラム、向こうでは韓日フォーラムといつもひっくり返して言っていますが、その第一回がありまして、日本からは小和田前外務次官を団長にして国会議員の先生方も大分参加されました。そこで一つ印象がありました。韓国側から出てきた人は国会議員の人もいるし、大学の先生もいますし、ジャーナリストもいますし、企業の経営者もいます。基本的に日本とうまくやりたいと思う人が非常に多いんですね。例えば、この会議について最初でしたが、次にいつやろうと、最終的にどういう話になったか確認していませんが、次にいつやろうという話で、向こうは東京とソウルでそれぞれ年二回ずつ主催すれば合計四回できると言うわけですね。ところが、正直言って日本はまあ二年に一遍ぐらいがいいかなと思っておられる人が大多数ですね。そのくらい何か期待のギャップがあるというように思います。
 韓国において日本についての問題はこんなエピソードがありました。数年前から韓国の高校生が、これは女子高校生だと思いますが、修学旅行に日本を選び出したと。これは日韓の歴史で初めての動きですよね。費用が安いところということで九州に来たわけですね。九州の日本人の高校生と交流したわけです。それで、これはテレビで少しその最後の別れの場面を見たんですが、両方とも泣いているんですね、もっと一緒にいたいという話で。韓国の学生が言っている言葉は、もう国に、韓国にいては日本人というのは鬼みたいなあれで、そういう教育ばかり受けてきたわけです。そういう情報しかないんですね。ところが実際に来て一緒に何か対話ができ、何か心が通ずる人間であることを発見するわけですね。
 でも、韓国の悲劇は、恐らく日本とのつき合い方がうまくいけることが韓国の将来にとって極めて重要になっているにもかかわらず、日本についての情報は現実に余りないというか十分ないということですね。その後たまたま韓国の経済も発展し、ウォンも強くなり、外貨もふえて、外貨をむしろ減らさなくちゃいけないという日本の輸出、何年か前からと同じ拡大になっていますから、どんどん外貨制限が自由になって日本に来るようになりました。
 そこで、今日本というものを、従来教えられたものと違う日本を韓国社会が発見する、大発見する過程に入っていると思うんです。その過程で、同じタイミングで日本は韓国に対する関心がむしろ相対的にはうせていると思うんです。もうアジアといえば韓国を抜きにして中国にいっていると思いますね。あるいはタイとかインドネシアにいっていると思います。最近はベトナムまでいっています。これは非常に不幸なすれ違いじゃないかというのが私の一つの印象です。
 それで、これをほぐすにはどうしたらいいのかということなんですが、要するに韓国の人に日本についてもっと知ってもらうことと、日本が韓国のことを知らなくちゃいけない。それが出発点なんですが、韓国の人との会合で私はよくこう言います。私、新聞記者で礼儀を知りませんからぶしつけな失礼なことを言うかもしれません、しかし本当のことを言いますと。
 日本の企業の投資が少ないとか日本が輸入しないとかいろんなことを韓国の方はおっしゃる、だけど、正直言って今世界じゅうは優良な企業の投資を奪い合おうとしてアメリカまでが日本に来て競争をしている、資本を奪い合う競争がグローバルに展開しているときです、企業は当然そのチャンスがありその受け皿がしっかりしているというか温かく迎えられるところに行くわけです、今の状況ですと韓国に行きたいという企業はほとんどないでしょう、むしろ韓国抜きでアジアとつき合うというふうなことを発想している人たちがふえています、これはほっておいたら韓国にとってはもちろん両国にとってもアジア全体にとっても不幸なことだと思いますがどう思いますか、我々はだんだん韓国抜きでアジアを考える、韓国は要らないという議論をし始めています、こう言うんです。そういうときには、彼らは議論しているとわかるんですね。
 ある元大臣、科学技術庁長官で、前は東亜日報、これは韓国で一番ナショナリスティックな愛国的な論調を掲げる新聞の一つです。その金さんという人と最初に韓国に行ったときある人に紹介されて会いまして、それから交流が続いていまして、つい最近日本に来ました。彼が一言言ったことは非常に印象的です。細川さんのいわゆる謝罪発言をテレビで見た。それはちょうど札幌での会議が終わって飛行機に乗って東京に移るその機内で見た。そのときに心臓が高鳴ってしまった。日本は決して韓国との関係で変わらない、根本的には日本は要するに侵略者でしかないと思っていた。ところが日本は違うメッセージを言い出した。変わるんじゃないか。私がそれを感じたのは初めて、心が熱くなる、ある意味では動揺した初めての体験であると。その人はそれ以来、韓日、日韓でもう少しシステマチックに、何か上っ面の勉強会じゃなくて、じっくり研究し合うそういう枠組みというものはできないかという、そういうことを運動し始めたくらいです。
 ですから、韓国社会にも大きな何かうねりが出てきていますね。その背景は、一つは、やはり朝鮮半島の厳しい緊張、これにどうやって対応したらいいか。冷戦が終わって統一問題がすぐ出ました。そのときは、見ていろよ、韓国は北と一緒になって、統合して、それは人口も大きくなるし、合わせた資源や国力、これはすごいぞ、日本を打ち負かしてやるというような議論がかなりありました。ところが、東西統合したドイツ、その後七転八倒して経済危機に陥っています。あれを見て、もうだめだというのでその夢がしぼみました。そのしぼんだところに核疑惑の問題がきて、もう本当に韓国はかわいそうな状況にあります。
 一方で、中国とつき合って、中国と復交したわけですね。国交を開きました。それでマーケットになると思ったら、中国のものがどんどん入り始めました。中国の経済的覇権主義なんて論調が最近韓国の新聞論調に見られるくらいになっています。そうすると、日本は決して悪くないなという議論にまたなるわけですね。韓国が日本との関係をそういうグローバルな大きな変化の中で今位置づけし直そうとしている段階ですね。恐らく日韓関係の歴史上初めてだと思うんです。
 だから、会議に私は出るたびに、要するに我々は交流したいと思っている、議論したいと思っているときに、豊臣秀吉以来日本人はみんな悪いなんて、そんなもう私の知らない、つき合ったことのない人の話までしておまえは一緒に悪いなんて言わないでくれと言っているわけです。これから責任を持てる将来について一緒にやろうと言っているのに、そんな何百年も前の話からいつも蒸し返されるのはもううんざりだ、こう言っているわけです。
 そういうことで、韓国にとっては大変化が生まれつつある。ただ、日本は必ずしも韓国をそんなに必要としていない。そういうお互いの熱の度合いに差があることが恐らくこれからの日韓関係の問題だと思います。
 それから、朝鮮半島については、これは非常に難しい問題で、もし知恵があったらどこかの国がもうとっくに解決しているはずなわけです。
 ただ、そういう中で、日本にとっての問題として考えますと、今は国交がしっかりあるわけですし、少なくとも韓国の立場を尊重する、徹底的に尊重する。それから、この問題は国連のマターにもなっていますし、アメリカがもう冷戦のしょっぱなから関与している世界ですから、国連、アメリカ、韓国、この議論や動き、この枠を越えて日本は単独では絶対に動かないということですね。
 ある人が最近北朝鮮は核をもう持っているということだげぱっと言ったら、日本はそれに対抗して核武装しようとしているんじゃないかという論調がたちまち韓国に新しい対日警戒感として生まれます。ですから、そういうジオポリティックな韓国、朝鮮半島における変化、気持ちを全く理解しない非常に無責任な発言だったと思うんです。日本はむしろ、先ほど言った武器輸出禁止三原則、それから前から非核三原則があります。そういうものがありながらなお世界に疑われる。今回は韓国であれしましたが、ちょっと前はイギリスの新聞がキャリーして、日本は核武装を志向しているという話があった。これは日本の一般の人たちとちゃんと議論したらあり得ないことなんですよね。ところがそれがぽんぽんと出るんです。それは、日本の本当の気持ちというものをリーダーたちが、それはマスメディアも含めてなんでしょうが、しかるべき役割を果たさなくちゃいけない人やグループ、組織がしっかりと明確なメッセージを送っていないということだと思うんです。細川さんは近く日米首脳会談でそういうことも含めてはっきりと言うというんですが、世界に対して本当に誤解のない形で言うことが極めて重要だと思うんですね。
 恐らく核兵器について世界で一番反対しているのは日本の社会――一部の人は知りません、それは一億二千万もいますからいろんな人がいるんですが、数で少数の人はこれは無視していいと思いますが、社会として一番核に対して心配しているのは日本だと思うんです。それにもかかわらず、日本は核兵器を持って世界を脅かそうとしているという印象を与えているのは全く事実とは関係ない不幸な誤解なわけで、この誤解すら解けない国は世界とのいろんな国際交流もやれないんじゃないかというふうにさえ思います。
 いずれにしても、核のお話というか北朝鮮との話は、要するに当事国の中の当事国である韓国の立場や議論を支援するということはあっても、それを越えてやることは絶対しない、韓国全面支援ということでやるしかないと思うんですね、それから国連やアメリカの。
 アメリカをやめてアジア、再入亜の議論があります。しかしそんなシナリオというのはあり得ないと思います。日本はアジアだけとつき合っているほど小さい国ではもうなくなっています。もうグローバルな存在になっています。また、アジアには日本を拍手で歓迎するほどの日本に対する信頼感というものは生まれていません。それは先生がおっしゃる歴史の問題だと思います。
 日本にとっての問題、アジアで日本の被害を受けた国々との問題で意外と落とし穴になっているのは、加害者の方は加害した人たちその一代で記憶は終わるわけです、非常に生々しい記憶は。ところが被害を受けた人は少なくとも三代にわたって生々しい記憶が残ります。おじいさんの世代から実際に戦ったその世代、それからその戦った父親たちが倒れて死んでいく姿を見させられた子供たち。ですから、この六十年対三十年だか二十年だか、このギャップがあることですね。日本は戦後そういう嫌なことを忘れようとしようとすることを少し意図的に努力した嫌いもあるから、ますますそのギャップが大きいわけです。
 突き放して素直に考えるとわかるわけですが、経済大国日本はそういうこともおもんばからないと、交流しても何らメッセージがない、何だ日本人はおもしろくないという話にもなりかねないし、個人としても国としてもメッセージがある、それはポリシーとしてそういうしっかりしたものがある、そういうことが必要であって、朝鮮の寧辺の核の問題については、少なくともこれだけは日本ははっきり言えるというところをはっきり言うことだと思うんですね。日本が直接関与できることはないと思うんです。それはもう、韓国や米国や国連を無視したことは一切しない、その枠でしか我々は行動しない、枠で動いているものは徹底的に支援しますということに尽きて、日本が直接やれるものは一切ないということを自覚して、そういうふうに宣言したらいいんじゃないかというのが個人的な印象であります。
#31
○上田耕一郎君 話がだんだん佳境に入ってきたような気がします。
 両参考人ありがとうございます。
 時間も余りありませんが、多少意見も交えさせていただいて質問させていただきたいんです。
 平野参考人は国際交流、文化交流が最も望ましい日本の国際貢献だとおっしゃって、これは軍事的貢献が一番いい国際貢献という説もありますので、大変積極的な御意見と思って聞かせていただきました。
 それで、平面的な構造の国家中心の国際社会から重層的構造の個人中心の国際社会へと、そういう問題提起を話されたんです。確かに自由な個人の交流というのは非常に大事になっているというように思うんですけれども、今もずっとお話が出ておりますように、日本の場合、自由な個人の交流の前提とたる国家間の交流、それに戦後やっぱりゆがみが続いているんじゃないかということを私ども感ぜざるを得ないんです。例えば人的交流の面でも文化交流の面でも経済交流でもやっぱり日米間が最も分厚くてヨーロッパは少ないし、特に第三世界の国々、またアジアもまだまだ非常に貧弱だというような現状がありますね。
 私、二月七日付の読売新聞で、ヘイカルというエジプトのジャーナリストですか、「地球を読む」というので、日本に対する要望を書いてあるのを非常におもしろく読んだんですけれども、まずコミュニケーションが非常に不足している、それから宣伝も弱いと。
 私たち、この正月に中東を回ったんですね。中東を回ったときにエジプトであれば日本が寄贈した文化会館だという建物を夜見せていただいたんだけれども、ヘイカル氏は、日本が寄贈したことなんてだれも覚えていない、宣伝が非常に下手だと言うんですね。コミュニケーションも、ある湾岸の国で、日量千五百万バレル原油買ってもらっているんだけれども、言葉を交わすのは月に十五語の言葉だけだというようなことを書いている。それで、発展途上国は日本にアメリカのドアを通じて働きかけてくれ、それを日本自身が望んでいるという印象をみんな持っていると言うんですよね。そこにもやはり日米関係、特にアメリカの副官みたいな立場にある日本の外交の主体性の弱さというのがあって、そこを改善することがこの国際交流を発展させる上でも非常に緊急になっているんじゃないかと思うんです。
 平野先生、例えばEAECを国際交流ネットワークにとおっしゃったんですが、APECの会議が去年ありましたが、クリントンはAPECの会議の前にアジアを訪問して、新太平洋共同体という提唱をして、非常に力を入れているんですね。マレーシアのマハティール首相はAPECの会議もある個人的事情を理由にして出席しなかったし、EAEC構想にアメリカは入っていないでしょう、そういう点で言いますと、このアメリカ中心の新太平洋共同体構想というクリントンの構想とマレーシアのマハティール首相の構想はかなりそこで大きな違いがありますしね。私は、おととしの非同盟諸国首脳会議のジャカルタ会議でのマハティール首相のアメリカの新世界秩序構想批判が非常に厳しいので、いや厳しいものだなと思ったことがあるんです。
 ですから、アジアとの国際交流、人事交流を日本がどう進めていくかという面でも、やっぱり日本の外交の主体性、国家交流の面での主体性の確立が非常に必要だ。今、小島参考人は、侵略戦争の反省の細川首相の言葉が韓国で大きな反響を呼んだことをおっしゃいましたけれども、反省の言葉だけでなく、西ドイツが行ったようなやっぱり補償ですね、物的な補償、これは従軍慰安婦問題を初めとしていろいろあるんですけれども、そういうことも本気でやって初めて自由な個人の交流の基盤ができるんじゃないか。
 で、平野参考人がおっしゃった、国際交流の専門家を大学院や大学で教育、養成する、そういう制度だとか機関の創設も、日本の政治のそういう状況の改革と申しますか、それが前提にならないと本気のものにならないんじゃないかという気がいたしますので、御意見をひとつお伺いしたいと思うんです。
 それから、小島参考人には、お話しにならなかったレジュメの「冷戦終焉の持つ意味の重さ」というところをできれば少し展開していただければありがたいと思うんです。
 このレジュメに「クリントン政権のエンラージメント政策(コンテーンメント政策の転換)」と書かれていますけれども、私どもこれ非常に注目しています。去年の九月に市場民主主義諸国の自由世界共同体の拡張戦略というのをずっと打ち出しまして、レーク特別補佐官を初め、クリントン大統領も国連でも演説しましたし、そういう拡張戦略というのは、広い意味で言うと私は冷戦政策の継続という性格があると思うんですよ。米ソの冷戦は確かに終わったけれども、一九四七年のトルーマン宣言で打ち出されたような広い意味での覇権主義的支配の政策というのは、封じ込め政策から拡張政策へという方向で続いているように思うんですね。
 今、小島参考人、核の問題も触れられましたけれども、やめる直前にアスピン国防長官が去年十二月七日に重要演説をしていて、アメリカの脅威は四つあるけれども一番の脅威は核拡散だということで、我々はいかに戦争を戦うか、その指針を作成中だという、そういう極めて物騒なことまで演説しております。核拡散問題、そういうふうに今一つ焦点になっているようだけれども、去年の八・六のときに広島市長の宣言で、広島市としては核兵器廃絶が目的で、核拡散防止という、核兵器がそのまま残ることには反対だという趣旨の演説をして、私は大変いい演説をされたと思ったんです。
 永井元文部大臣がこの委員会で参考人でおいでになったとき、今国際文化会館の理事長でしたかな、パルメ委員会が広島に来て原爆資料館を見て本当にもうみんな沈黙してしまって、世界の政治を扱う人はみんな広島に来るべきだ、そういう記者会見をしたという話を永井さんが参考人としてお話しになったことがあるんですけれども、小島参考人おっしゃったように、やっぱり世界唯一の被爆国でございますし、核の拡散防止というだけでなく核兵器をなくすという方向で本当に旗を掲げ発言していくことが国際交流、人的交流の面でも日本が世界に貢献できる一つの道だろう、そう思うんです。そこら辺の問題について、お話しにならなかったこのレジュメのところを少し聞かせていただければありがたいと思います。
 以上です。
#32
○参考人(平野健一郎君) 先ほどの深田議員の御質問への私の答えに入れたいと思った一つのエピソードから始めさせていただいてお答えにしたいと思います。
 朝鮮半島の北との交流が閉ざされているわけですが、私、国連大学から要請を受けまして、一九八五年から八八年にかけて東アジアの国際共同研究の小さな仕事をしたことがございます。これ、日本の研究者のほかに中国そして南北両朝鮮の研究者が加わりました。恐らく、社会科学の分野で南北両朝鮮の研究者が共同研究で一堂に会したのは、これが初めてのケースではなかったかと思います。
 共同研究は三年で終わりまして、その後、それぞれが出しました論文を一つの本に編みまして、この間国連大学出版局からようやく出版することができたのですが、その本の編集の過程で、北朝鮮の学者が出された論文に私は大分手を入れました、編集責任者ということで。どういうところに手を入れたかといいますと、北朝鮮のどの学者の論文にも、パラグラフごとに必ず、金日成主席はこうおっしゃっている、金日成、金日成というふうに繰り返し出てくるわけです。これは国際的な社会科学の学術世界では行わないことなので、何カ所かに限定させていただきたい、外してもよろしいでしょうかということを伺いましたところ、我々は国際的な学術共同研究にまだなれていないので気がつきませんでした、先生の判断で必要なところはおろしていただいても構いませんという答えが返りました。
 これは一つのエピソードですが、国家間の交流が閉ざされているというふうに上田議員がおっしゃいましたような状況を反映して、北朝鮮の側にも実はマイナスの面があるということを北朝鮮の方々が自覚しておられるということだと思います。やはり国家間の交流と個人をベースにした自由な国際交流との関係というのは切っても切れない関係にありまして、国家間で自由な交流が許されなければ、個人の自由な国際交流もなかなか思うようにはいきません。しかし、そういう不自由な中でも何らかの方法で個人ベースのそれぞれの分野での国際交流をすることで、閉ざされた国、社会が開かれていくという可能性を私は信じたいと思っております。
 その場合に、朝鮮民主主義人民共和国に関していいますと、従来日本の国家間関係が御指摘のとおり米国を通じてであったということなので、今後はやっぱり個人ベースの国際交流のチャンネルを日本独自に広げていくということが必要になっているのではないかというふうに思います。
 全体として自由な個人の国際交流ということを前面に打ち出します私の立場は、多分上田議員から批判されるとすればやっぱりリベラリズムであるということになるかと思うのです。国際交流の具体的なあり方に即して部分的にお答えするとしますと、個人ベースの国際交流というのが日本でも主張されるようになりましたときは確かにアメリカの影響のもとでございまして、国際交流といえば東京から太平洋を越えてアメリカの方に向かってやるというイメージをずっと持ってきたと思いますけれども、先ほど島袋議員からの御質問にもありましたように、現在では東京一極集中あるいは太平洋越えというだけの国際交流ではない交流が、それこそ自由な個人の国際交流としてだんだん厚みを増しているという現状がございますので、私がさきに申し上げましたような国家交流にあるゆがみというものを自由な個人の国際交流によって是正していく努力をやはり続けていかなければいけない、また続けていける可能性がふえてきているというふうに考えている次第です。
 それから、EAECを国際交流ネットワークにという私の提案に関連して、クリントンの新太平洋共同体構想について一言述べるようにという御質問でした。
 クリントンの新太平洋共同体というのを英語の原語で見ますとア・パシフィック・コミュニティーというふうになっておりまして、実はクリントン自身に具体的な構想があるわけではないと思います。いろいろな経済関係の発展、さらには広い意味での国際交流の増進によって、次第に太平洋に一つの共同体ができるのではないかということを彼は述べているというふうに思うわけです。早稲田大学で彼が講演したものには具体的な構想は全く出ておりません。彼も結局、さまざまな交流を繰り返していくことで、ふやしていくことで信頼関係が太平洋地域にできるのではないかということを述べたにすぎないというふうに思います。
 そういうわけで、我々日本人としてできることは、クリントンの構想に賛成するとすればそれを実体化していくということにあるわけでして、国際交流のさまざまなレベルでの活動をしていくということが重要な貢献になるというふうに申し上げた次第です。アジアとの交流をますます盛んにしていくことが必要で、その場合に、議員がおっしゃいましたとおり、日本外交がもっと主体性を持って国家交流の面で打開を図ってくだされば、そういう日本人一人一人の国際交流の努力もより実り多いものになっていくというふうに思います。
 以上でございます。
#33
○参考人(小島明君) 自分のテリトリーである経済の領域からだんだん違う世界に追いやられつつあります。ただ、本人は個人的には拡張主義ではありませんけれども、素人の視点から若干のコメントを申し上げたいと思います。
 冷戦と日本ということなんですが、冷戦が終わったことの日本にとっての重さというのは、一般にあるいは私自身も含めて、当初感じた以上に大きいものがある。この冷戦で明確な敵がお互いにいなくなった。米ロはむしろ今非常に近い、同盟国ですね。ホットラインはしょっちゅう開きっ放しですし、全くの同盟国と言ってもいい関係にたっている。明確な敵がいなくなった結果、敵を前提とした日米同盟関係というものも、アメリカのサイドで盛んに見直し論が出ています。
 それから、冷戦が終わったのと絡んで何が議論されているかというと、やはり経済が大事なんだということを盛んに言い出しているのも、これはアメリカだけじゃなくて世界じゅうが経済中心主義になったということです。そうすると、経済となりますとそもそもロシアは最初から脅威でなかったわけですね。それで、冷戦が終わった結果、むしろ脅威というものの可能性というのが同じ同盟国であったG7の中にあるんだ、それは日本でありドイツである、こういう話になってきたんだと思います。
 冷戦が終わり出した過程というのは一九八五年じゃないかと思うんです。これはゴルバチョフが登場したときですね。そのとき、おもしろいことにいろんなことが起こったんですね。
 二月ごろでしたか、アメリカの上院が満場一致で日本のやり方はけしからぬという不満の表明決議をしました。これは法的なバインディングはないんですが、その気持ちをあらわしたわけです。それから、セオドア・ホワイトというアメリカのジャーナリストがニューヨーク・タイムズ・マガジンに「ザ・デンジャー・フロム・ジャパン」という日本脅威論を書きました。これは大論文でした。これは、言っていることは非常に単純というか感情的で、さすがにアメリカ社会でも、それは言い過ぎたというので、批判もありました。言っていることは、日本との戦争はまだ終わっていない、弾が飛び出す戦場では確かに日本は負けた、しかしその後を見てみろ、デトロイトもピッツバーグも次々経済の戦いの場で日本に負けているじゃないか、この戦争はまだどっちが本当に勝ったかどうかわからぬと。いずれにせよ、今勢いよく経済力でアメリカに攻め込んでくる日本の脅威に目覚めよというようなメッセージですね。これが日本異質論、脅威論の戦後のきわめつけなわけです。それがだんだんいろんな色合いを変えて日本脅威論となり、日本異質論と、こうなったりなんかしているわけです。
 その流れが明らかに定着したのは冷戦が終わったということと関係があると思います。冷戦が終わったというのは、要するにアメリカにとってもう頭から離れなかったソ連という脅威、全面核戦争の脅威がなくなったということだと思うんですね。ですから、ソ連と冷戦をやっていた、とりわけレーガンが出てきた最初のころにアメリカの学生なんかと話しますと、学生の六割、七割はソ連のモスクワからワシントンにミサイルが打ち込まれる可能性があるんだと、こう思っている。そういう時代だったわけです。
 その可能性というか脅威がある日突然消え始めたわけですね。消え始めて気がついたら、いろんなまた別の問題があると。それは先進国間の巨大な経済不均衡。これは端的に言えば貿易不均衡というようなことであらわれます。この貿易不均衡は日本とドイツとの関係で、特にアメリカと日本、アメリカとドイツの関係で明確に出てきまして、一九八五年にプラザの会議が歴史的、必然的な格好で開かれたわけですね。
 その年、ですから同じ一九八五年、ゴルバチョフが登場し、米ソ首脳会談がレイキャビクで開かれ、対日批判決議が行われ、セオドア・ホワイトの論文が生まれ、日本はそのとき世界最大の純資産国家、債権国になったわけですね。アメリカが七十一年ぶりに借金国に転落したわけ一です。
 これは大変なショックをアメリカのインテリ層、指導層に与えました。そのときの本当にまじめな論文というのがポール・クルークマンというMITの若手の教授が書いたサステーナビリティーショック論です。今のままの経済のあり方を続けていったら、世界のシステム、アメリカの経済のシステムが崩壊する、今のままでは持続不能である、アンザステーナブルであるという議論です。それがその年の早い段階に出て、それからG5のプラザ会議が開かれて為替の大調整があったわけです。
 為替の大調整は日本の脅威、過度な競争力を封じ込めるために行われたはずですが、それが新しい脅威をもたらした皮肉がまたあったと思うんです。というのは、日本の経済規模はドルが下がった結果、ドルベースで見ると切り上げ分だけ自動的に膨らんだわけです。日本のGNPは一夜にして二倍になる、一兆数千億ドルのGNPは三兆ドルになったわけです。アメリカは四兆をちょっと超えているのに対して三兆になったわけですね。
 それからすぐ、このままでいくと間もなく日本はアメリカとの関係でGNPが逆転するという議論が出てきました。まして経済が大切だ、ソ連が崩壊したのは経済を軽視したからだと。いわゆる例のポール・ケネディのオーバーストレッチ論がまた思い起こされて、なるほどそうだという話になったわけでしょう。経済重視にアメリカの政策が全部組みかえられました。今の政権もそれを引き継いでもっと実利的に結果が出るような成果を経済的に得たいと、こういう話になって今の交渉が出てきているわけで、それから国家安全保障会議、同じ位置づけで国家経済会議ができました。
 要するに、経済政策が戦略的に決定的に重要になった。安全保障、アメリカのグローバルなリーダーシップも自国の経済が安定していなければ維持できないということを議論し始めて、そのためには国内の経済活性化、活性化した経済のダイナミズムを例えば輸出市場でちゃんと実益として確保するという実利主義というのが今の政権の決定的な本質的なところだと思うんです。それは経済で実利、したがって結果主義になるわけです、当然。
 最近、ターゲット論が出て、数字をどうするの目標をどうするのと議論が出ていますが、どんな目標を入れる入れないに関係なく結果志向、アメリカの将来の経済回復のために、再建のために結果がちゃんと前進していなくちゃ許さないという話だげははっきりしていると思うんです。ですから、議論はそこに置いて、いろんな形の管理貿易、戦略的管理貿易論とかいろんなことを議論しています。
 そもそもそういう議論があったんじゃなくて、目標があってそれに理論的な裏づけをしているだけの話です。だから次から次に、それが失敗するとまた次の議論が出てきます。世界は、特にアメリカにおいては、そういうところにもうきてしまって、それは数年前の世界に戻らないということだと思うんです。
 それから、もう一つ重要なのは、これまた冷戦の終わった皮肉で、冷戦が終わるまでは日本とドイツが巨大な二大黒字国であって、アメリカがプラザの会議でも調整する対象としたのは日本とドイツです。したがって、ドイツのマルクも円も切り上がったわけですが、統一したためにそのコストでみんなお金を使っちゃいましたから、今の段階でドイツは双子の赤字で苦しんでいるわけです。今の先進国間の状況で日本だけが突出した黒字になっているいう話で、全部重ね合わせていきますと、日本の黒字はその大きさにおいて、それから日本だけになったということにおいて、いろんな面で同盟国として一緒ににらんだ敵が消えちゃったということも重なり、全く違う状況に置かれている。
 日本脅威論というのは一時的じゃなくて、ある程度これは日本がそのバランスを調整して、それが結果としてできるまでは続くんじゃないかということで、冷戦の終わったことの重さを我々は理解しなくちゃいけないということです。
 ですから、G5のプラザの会議のときは、あのときはG3の調整と言われました。日本とドイツとアメリカの不均衡三大国の調整であると言われていたわけですが、今は黒字国は日本だけ、G1対G6になっているんじゃないかと思いますので、経済ということになると日本。そういう意味で日本の対応というのは、冷戦が戻らないということでありますから、昔のように少し台風が過ぎればすぐ晴れた日が来るということではなくて、構造的に対応していかなくちゃいけないる面に移ったということで、冷戦の終わったことの意味の重さということを感じているわけです。
#34
○大木浩君 時間をオーバーしておりますし、まだ宮澤先生も御希望でございますので、私のは質問も一分で、お答えもどうぞ結論的なことだけ言っていただければあとはまた引き続いて勉強させていただきます。
 きょうは両先生とも、国際的な文化交流というのは、国家とか政府というよりはむしろ個人の体験というかそういうものが非常に重要だというお話をしていただいたと思いますが、その場合に、私は日本の文化交流の最大のボトルネックというのはやっぱり言葉の問題、ランゲージバリアだと思うんです。ということで、現実に今学生を知っておられる平野先生、それから小島先生は日本とイギリスでしたかでそれぞれ勉強されて、今その言葉を駆使してまた仕事をしておられるお立場から、今の状況はこういうことをやったらばもう少しインプルーフできるんじゃないか、要するに使える英語というものが日本の教育の中に、あるいは社会の中にもうちょっと生きてくる方途はないかということで、お考えがございましたら教えていただきたいと思います。
 恐縮でございますが、まだ宮澤先生の方も御希望なようでございますので二、三分のお答えで結構でございます。
#35
○参考人(平野健一郎君) 日本で国際交流をする、教育交流をする場合の言語は日本語であるべきだというのが私の持説でございます。
 それはお手元に配付していただきました私の雑文の中にその理由が書いてございます。時間がありませんので、もしさらに御関心がおありでしたらそれをちょっと読んで、お目通しいただければと思います。
 ただし、環日本海圏交流などを考えますと、これは大変やはり言葉がネックになるという御指摘が当たります。つまり、日本海を越えては、日本語、朝鮮・韓国語、中国語、ロシア語というマルチリンガルな状況、多言語的な状況がございますので、そこで余り資源を持たない個人同士の交流をしようとしますと、やはり言語の問題に突き当たります。そこで、ロシア語の勉強を大分日本海圏の方々はしておられるわけですが、やはり東南アジアとの学術交流の場合も同様で、英語がアジアの共通言語化しているというある意味では残念な状況というのはございます。
 そうなりますと、やはり英語教育論ということになりまして延々と時間がかかってしまいますのですが、大学側も大分最近は英語の教育に工夫を加えるようになっております。しかし、私は、王道はやはり英語の読み書きだというふうに思っております。これも個人的な見解なのですが、話し聞くということも大事ですけれども、基本はやっぱり読み書きで、むしろ旧制高校時代の外国語教育の方がすぐれていた面というのもあるのではないかという、少し保守太平的な考え方を持っている人間です。お答えにはなりませんが。
#36
○参考人(小島明君) あえて反対意見を申し上げます。
 要するに、交流を考えた場合、あるいは日本の大きさを考えて日本のメッセージが伝わりやすいようなことを考えた場合には、英語を抜きにしたものはだめだと思うんです。アングロサクソンが世界をリードした時代がイギリスとアメリカと二時代続いたわけで、ここでもう歴史上初めて国際語としての言語、つまり英語が定着しちゃったと。最近、どんな会議に出たって、中国人もどんどん英語を勉強して英語でしゃべりますし、フランス人も昔は、つい十年、十五年前は英語を知っていてもフランス語でいじめてかかってきたけれども、今はもう向こうから英語で全然抵抗なくしゃべります。
 要するに、これはもうこういう武器というか道具を最低限日本の社会が共通に持たないと、我々が幾ら日本でいい議論をしてもメッセージとして届かないわけですね。逆に、英語のメッセージはCNNでサダム・フセインにまで届いているわけですよ。恐らく金日成さんも見ているんじゃないかと思うんですが、そういう実態をもう少し真剣に考えなくちゃいけない。
 したがって、英語教育がいかにうまくそういう形で使える格好になるかということが重要だと思います。それから、旧制高校のことを平野参考人はおっしゃいましたが、旧制高校の時代は英語を英語で教える英語の先生がいたんですよ、外国人の先生が。夏目漱石の「坊っちゃん」を読んでも、四国の田舎に英国人の先生がいたわけです。ところが、今はいなくなっちゃったんですね、初等教育の中学、高校で。私立てお金をいっぱい出してそういう先生を入れているところがありますが、それは一般にはないわけです。むしろ英語教育は後退したんじゃないかと思うんです、必要なときに。
 やはり小学校、中学校ぐらいから、もう初等教育から外国人の先生、ちゃんとした英語をしゃべる、議論ができる先生がいてもおかしくない。教育の場で、英語をしゃべれない英語教師が、幾らまず読み書きが必要だといってもだめじゃないかというのが私の痛切な印象でありまして、私も二十何歳にしてまじめに少し英語にチャレンジして使えるようにと思ったんですが、多少の議論はできますけれども、本当に各国の人がわっと議論し合いますともうついていけませんね。もっと早い段階から実践的な英語でやらなくちゃいけないというのが最近日に日に痛感することでありまして、次の世代がうらやましいと思っているくらいであります。
#37
○宮澤弘君 予定の時間が過ぎましたようで申しわけございませんが、簡潔に伺いますので、お考えがございますれば簡潔にお教えいただきたいと思います。
 それは、日本に来ております主として東南アジア等の外国人労働者の問題でございまして、我が国は島国でございますし鎖国などしておりましたものですから、外国人と一緒に生活をするということが非常に下手だ、経験もないし下手だと思います。これにつきましては、一つは鎖国派と申しますか、この問題は単に労働問題ばかりでなく、社会、福祉、教育、治安というような非常に大きな問題だという意味でやや消極的な考え方を持っている人がございますし、もう一つは開国派で、この問題をクリアしなければ日本は本当の国際国家になれないと。
 私もどちらかといえばその開国派でございますけれども、しかしそれにはどうして今の事情を秩序づけたらいいかということについてなかなかいい知恵がございません。ヨーロッパの一部の国では、国と国との間の協定で人数とか期間とか制限をしてある程度秩序づけてやっているところもあるようでございますけれども、それも完全に秩序が保たれてうまく乗っているというわけじゃないと思います。
 そこで、もう時間もございませんが、何かこの問題についてこうしたらよろしいという具体的なお考えがございますれば、この際お教えをいただきたい、こういうことでございます。
#38
○参考人(平野健一郎君) この問題、多分御質問が出るのではないかと予想しておりました。しかし、宮澤議員も今おっしゃいましたとおり、答えはなかなか難しいというふうに思います。
 具体的な解決策はないかというお尋ねに対しては、御満足いただけない答えになってしまいますが、私はやはり文化の力というのを信じたいというふうに思っております。文化の力というのはどういうことかといいますと、やはり生まれ故郷の、先ほども言葉の問題が出ましたが、言葉を含めた文化が人間にとっては一番住み心地のいい文化であって、外国人労働者はこれからも日本にたくさん来ると思いますけれども、永住する人というのは割合少ないのではないかというふうに思います。
 明治のときにも内地雑居論で同じように鎖国対開国の議論がございまして、田口卯吉のような人は、今まさにおっしゃいました開国論的な議論をしました。その理由として、とにかく経験してみることが必要であるということと、それからそれほど人数は来ないだろうというふうな予言をしておりました。
 今日は、明治のときとはまた国際コミュニケーションの状況が格段に違いますので人はたくさん来ると思いますけれども、専門家の一部の結論は、人々は外国へ行って永住するのではなくて短期に滞在してまた移動するのだという新しい人の動きが現代の特徴であるというふうに言っておりますので、明治の田口卯吉の予言にそれを加えますと、私は、例えば日本に外国人労働者が大量に押し寄せてきて日本が破裂してしまうというようなことはない、日本がこれだけ過密であるということは日本の文化にやはり魅力を感じないということも随分あるわけで、やはり生まれ故郷の文化の方がいいと思って帰る人の方が多いだろうというふうに思います。
 具体的な答えにはなりませんが、そのように考えております。
#39
○参考人(小島明君) 私もこれは結論が出ない、非常に微妙な立場におります。
 ただ、言えることは、要するに今日本がいろいろ言われている中で、人も入れない物も入れない、こういうことです。まず物を入れようと。輸入ですね。人については、今各国ともむしろ締め出しにかかっている逆流傾向があります。ベルリンの壁は今度は西側がつくりたいと言っていますから、むしろ排斥運動が出てきたりですね。最近のは経済難民が多いわけですからもっといい生活がしたいと。だから、いい生活が自分の国でできるようなことを支援することは、まず輸入をふやして市場を提供するということであり、あるいはできる範囲で援助をするということであると思います。
 定住しなくても、例えばアジアの人口、インド八億、中国十二億、インドはもっと膨張していますから合わせて恐らく三十億ぐらいになるでしょう。そのうち一%だけでも日本に短期間出稼ぎに来たいと言っただけで、もう日本はパンクもいいところです。数千万単位の規模になりますから、短期の、永住型でなくても日本はそんなに自由に受け入れられないという非常に難しい状況にあると思います。
 そうなりますと、余りきれいごとはこの世界、この分野ではどこの国にもないわけですね、アメリカだって国別の割り当てをしていますし。したがって、きれいごとを言わない、しかしやれるところ、つまり輸入はどんどんする、それによってそれぞれの国の経済を支えていくというところをまずしっかりやる。それもやらないでやると、ただむだに批判されるだけですから、個人的には人の出入りはそこそこやって、専ら市場提供という格好で経済支援をし、経済難民が来なくて済むような世界を早くアジアその他の国につくるということだと思うんです。
 今は、問題は、例えば日本と中国ですと、我々が相手にする人たちは日本の所得の、平均賃金の五十分の一、六十分の一の世界です。これが三分の一か四分の一になったらそんなに人は動きません。そこが難しいわけです。したがって、短期の滞在であっても本当に自由だといったらどっと来る。千万単位で来るんじゃないかというところですから、きれいごとは避けていくしかないと思うんです、きれいごとの議論は。
#40
○参考人(平野健一郎君) 今、小島参考人が私が言いそびれたあと半分を言ってくださったので両方あわせて回答になるかと思うのですが、やはり入国管理はきちんとしていただかなければいけないというふうに私も思います。
 日本の社会を、外国人労働者を含めてどう秩序立てていけばよいか、具体的な提案をという御質問だったと思いますが、まず、やはり入国管理のところをきちんとする。しかし、入ってきた外国人労働者については、やはりきちんと国際交流活動も含めて対応するということで、日本の社会の中の秩序を維持するということになるんじゃないかと思います。
 世界の中で、先進国でこれだけ安全に暮らせる社会というのは日本をおいてないわけですが、その安全、秩序を維持するために、やはり日本国内での国際交流活動というのを私はこれからもみんなとやっていきたいというふうに考えております。
#41
○会長(沢田一精君) ありがとうございました。
 両参考人に対します質疑はこの程度といたします。
 平野、小島両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変お忙しい中、長時間の御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りましたこと、まことにありがとうございました。本調査会を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時五十二分散会

ソース: 国立国会図書館
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