くにさくロゴ
1994/03/16 第129回国会 参議院 参議院会議録情報 第129回国会 国民生活に関する調査会 第3号
姉妹サイト
 
1994/03/16 第129回国会 参議院

参議院会議録情報 第129回国会 国民生活に関する調査会 第3号

#1
第129回国会 国民生活に関する調査会 第3号
平成六年三月十六日(水曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 二月二十四日
    辞任         補欠選任
     篠崎 年子君     青木 薪次君
 三月十五日
    辞任         補欠選任
     青木 薪次君     西岡瑠璃子君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    会 長         鈴木 省吾君
    理 事
                清水嘉与子君
                竹山  裕君
                三重野栄子君
                小島 慶三君
                浜四津敏子君
    委 員
                岩崎 純三君
                太田 豊秋君
                加藤 紀文君
                成瀬 守重君
                服部三男雄君
               日下部禧代子君
                栗原 君子君
                西岡瑠璃子君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        小林 正二君
   参考人
       上智大学文学部
       教授       山崎 泰彦君
       社会保障研究所
       調査部長     高木 安雄君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国民生活に関する調査
 (本格的高齢社会への対応に関する件)
    ―――――――――――――
   〔理事竹山裕君会長席に着く〕
#2
○理事(竹山裕君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 篠崎年子君が委員を辞任され、その補欠として西岡瑠璃子君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○理事(竹山裕君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、上智大学文学部教授山崎泰彦君及び社会保障研究所調査部長高木安雄君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
 この際、山崎参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えをいただく方法で進めたいと存じます。
 それでは、山崎参考人にお願いをいたします。
#4
○参考人(山崎泰彦君) 御紹介いただきました上智大学の山崎でございます。よろしくお願いいたします。
 本日は、参考人としてお招きいただきまして年金改革のあり方について私の意見を述べる機会を与えていただきましたことにつきまして、心からお礼を申し上げます。
 御承知のように、ことしは財政再計算に伴う年金改正の年であります。既に改正の政府案が策定されておりまして、間もなく今国会に改正法案が提出されるとのことであります。本日は、この改正案を素材にしながら、二十一世紀に向けての年金改革のあり方について、私の考えでいますことを申し述べさせていただきます。
 まず最初に申し述べたいことは、今早急に求められていますことは二十一世紀の高齢社会に向けて国民の不安を解消し得る魅力ある社会保障ビジョンの策定だということであります。
 今日、社会保障の将来が話題になるとき、国民レベルではもちろんのことでありますが、かなりの有識者レベルにおいても、専ら財政問題を基軸に議論が展開され、大方悲観的な結論が導かれるのが通常であります。二十一世紀の高齢社会こそ社会保障が国民生活の基盤としてしっかり機能しなければならないのですが、高齢化、社会保障費の増大、国民負担の増大という図式からは、社会保障の切り詰めという結論しか出てこないのであります。これでは国民の社会保障離れを加速させるだけであります。その最たるものが年金論議であります。
 一例を申しますと、例えば国民年金について若者に未加入者が多いとか保険料負担の限界が指摘され、崩壊の危機が叫ばれています。しかし、その一方で、近年個人年金の加入者が急増し、しかも生命保険の個人年金では平成三年度の新規契約者の三六%が二十代でありました。また、申告所得税納税者のうち低所得層では、生命保険の加入者が国民年金などの社会保険の加入者を上回るという事実もあります。若者の年金意識が低いのはやむを得ないとか、国民年金の保険料の高額化が原因だという見方がありますが、高齢化社会の進展に伴って、若者も老後を意識し始め、低所得者も懸命に自助努力をしているというのが実態のようであります。
 自助努力は大いに奨励されるべきですが、自助努力のみでは生涯にわたって生活の安定化を図ることができないことは明らかであります。そういう現代社会にあって、社会保障への参加を拒否してまで自助努力に走る風潮は、政府に対する国民の信頼の低下を示す兆候であり、社会保障の最大の危機だと私は思います。
 政府に対する信頼の低下の原因は、二十一世紀の社会保障に対して明るい展望が持てないことにあります。将来の展望を切り開く魅力ある社会保障ビジョンの策定が早急に求められているように思います。
 社会保障離れの風潮については、将来の国民負担率を抑制するという観点からの財政論に偏った社会保障改革にも大きな責任があります。
 高齢化のピーク時の国民負担率について、昭和五十七年の第二次臨時行政調査会の答申は、「現在のヨーロッパ諸国の水準(五〇%前後)よりはかなり低位にとどめる」としていました。また、平成二年の臨時行政改革推進審議会の答申においても、「五〇%を下回ることを目標とする。」として、「社会保障制度を始めとした制度・施策の改革はもとより、行財政全般にわたり思い切った改革を進めていく必要がある。」としています。そして、現在の連立政権においてもこの審議会答申を基本的に尊重するとしています。
 今回の年金改正に当たっても、財政論へのこだわりが相当にあるように思います。昨年十二月二十日にまとめられました連立与党の年金改正プロジェクトチームの報告は、現行制度のままとした場合、最終保険料率は三四から三五%程度になると見込まれる。したがって、将来の現役世代に過重な負担にならないよう、最終保険料率を三〇%を超えないようにする、としていました。
 もとより、時代の変化に対応して社会保障を見直し効率的な運営を追求することは、いつの時代にも求められることであります。しかし、負担の抑制そのものを目標とした社会保障改革からは、明るい展望は生まれてこないように思います。
 国民負担率が五〇%を超えると経済活力や国民の勤労意欲を阻害するという懸念があるようでありますが、これには何ら理論的、実証的根拠はないのであります。年金の保険料負担についても同様であります。仮に懸念されることがあり得るとしても、それは社会保障のシステムや負担のあり方にかかわる問題であって、負担率そのものの問題ではないように思います。
 私は、負担には絶対的な限界はなく、むしろ社会保障の価値の認識度に依存するものだと見ております。
 我が国の経験からもこれは明らかであります。国民負担率は昭和四十年代半ばから急激に上昇し始めましたが、起点として昭和三十五年をとりますと二〇・八%でありました。それが平成四年には三八・四%にまで上昇しました。三十二年間で約一八ポイントもの上昇幅であります。また、厚生年金の保険料率は、昭和三十五年四月までは三%でしたが、現在では一四・五%、改正案ではことし十月から一六・五%になります。三十四年間で実に五倍もの上昇であります。国民年金も厚生年金とほぼ同程度の実質的な負担増になっております。
 昭和三十年代半ばにおいて、将来、国民負担率が四〇%近くになるとか、年金の負担率が五倍になるという見通しが出れば、それだけで社会保障や年金の崩壊論が語られたに違いありません。しかし、現実には信じがたいほどの負担増が受け入れられ、そのような負担増にもかかわらず、国民はあの当時に比べるとはるかに豊かな生活を享受しております。
 このように負担増が許容されているのは、社会保障の価値が幅広く認識されるようになったからであります。求められていますのは二十一世紀の高齢社会がどうあるべきか、その中で公的年金を初めとする社会保障制度がどのような役割を担うべきか、そのための負担をどのように公平に分かち合うかというアプローチであります。
 二十一世紀に向けての社会保障政策の課題としては、まず第一に、開かれた議論と合意形成の努力を重視しなければなりません。国会においても徹底した議論と党派を超えた合意形成の努力をしていただきたいと思います。
 第二は、社会保障の資源配分の優先度を高齢者の雇用の促進、介護、出産・育児に対する社会的支援にシフトすべきだということであります。
 高齢者の高い就業意欲にこたえることは、能力の積極的な活用にとどまらず、社会参加を通しての生きがい対策としても極めて重要であります。また、各種の世論調査でも明らかなように、今日の国民の最も切実な不安は、寝たきり、痴呆などの際の介護の問題であります。高齢者世帯に現役世代を上回る貯蓄があり、それが消費に回らないのは終末期の不安が解消されないからではないでしょうか。
 さらに、長期的な高齢化対策としては出産・育児支援が最も大事であります。年金や老人福祉サービスはもちろんのこと、医療も今では世代間扶養の色彩を強めています。そういう高齢者扶養の社会化と同様に、出産・育児についても社会全体で支え合うという社会化を同時に進めないとバランスを欠くことになります。その反面、かつての貧しい社会にあって最大の問題であった老後の経済的な不安や医療費の支払いに対する不安は大きく解消されつつあるということも事実であります。時代環境の変化に見合った資源配分の優先度のシフトが必要だと思います。
 第三は、受給者と負担者との均衡の確保という観点からの給付の適正化であります。これは給付の切り詰めということではなくて、負担者よりは受給者の方が豊かな生活ができるという過剰な給付であってはならないというごく当然の要請であります。
 第四は、自助と連帯の調和であります。社会保障は国民全体で生活不安に対処するというナショナルシステムでありますが、個々人なり企業集団の自助努力を否定するものではありません。一定の自助努力を前提として、その及ばない部分について社会連帯の観点から国民的規模で助け合うという自助と連帯の調和が何よりも必要であります。社会保障がたかりを生むものであってはならないということであります。
 第五は、政策の総合化です。年金、医療、福祉という社会保障内部での相互の連携にとどまらず、雇用や税制などの隣接分野とも有機的な連携を確保しつつ課題に総合的に対応するという観点を重視した効率的な制度運営が求められます。
 以上の観点から、提案されています年金改正についてコメントさせていただきたいと思います。
 全体的な評価としては、まず第一に、合意形成の努力を高く評価したいと思います。年金審議会の審議も随分開かれたものでありました。また、厚生省においても外部の有識者や関係者を初めとする世論の動向に耳を傾ける努力が見られました。さらに、高齢者雇用や育児休業の推進に関して厚生省と労働省が一体になって取り組んだということも前例のないことであります。国会でも既に自民党政権下において、年金を政争の具にしてはならないという超党派の取り組みの機運がありました。
 そういった流れの中で日本労働組合総連合会の現実的、建設的提言が改正の流れを決定づけたように私は思います。ネット所得スライド、在職老齢年金の見直し、年金と失業給付の併給調整など、改正案の骨格をなす多くの部分は連合の政策要求に基づくものでありました。
 内容的には、時代の変化に対応した年金政策のイノベーションが随所に見られますが、時代の要請にはなおこたえ切っていないように私は思います。二十一世紀に向けてラストチャンスだという意気込みの割には、踏み込み不足だというのが率直な感想であります。全体として大企業寄りの内容になっていることが気になります。
 具体的には、六十歳代前半の部分年金は単純な報酬比例制ですから、給与差がそのまま年金に反映します。ボーナス保険料はわずか一%ですから、ボーナスの支給率の高い企業に有利です。保険料のメリット制は採用しないということですから、高齢者を雇用しない企業に有利になっています。
 ただし、そうはいいましても、改正案の一番の柱であります支給開始年齢の引き上げに着手するのは七年後の平成十三年度からであります。それまでの間、五年後には財政再計算に伴う制度改正があります。その意味では、きょう申し述べます注文点は、次期改正までに十分議論していただきたい事項として受けとめていただいても構いません。
 改正案の個別的内容に移ります。
 改正案は、満額の年金の支給開始年齢を七年後の平成十三年から段階的に引き上げ、平成二十五年から六十五歳とする。六十歳代前半期は、賃金と年金で生活を支えるものとして位置づけ、男子の平均額で見れば、現在価格で月額十万円程度の部分年金を支給するとしています。
 六十歳代前半の部分年金は報酬比例部分のみで、従来と違って定額部分がありませんから、在職時の報酬の格差がそのまま年金額に反映します。この影響を受けるのは低賃金労働者、一般には女子であります。女子の報酬は男子の六割弱でありますから、男子と同様に仮に生涯厚生年金に加入した人であっても年金額は月六万円程度にしかなりません。
 部分年金をこのように報酬比例部分のみとした理由は、報酬比例部分の一部を代行する厚生年金基金への影響を回避したこと、定額部分は基礎年金に見合う部分であって、被用者独自の部分は報酬比例部分に限定されると考えられなくもないことなどの理由が考えられます。
 しかし、部分年金は雇用機会のない者や低賃金の高齢就労者に用意されている年金であります。そうであれば、報酬差がそのまま反映される給付は問題だと言わざるを得ません。報酬比例部分が高い者は、一般に退職金や企業年金にも恵まれている者であることからするとなおさらのことであります。仮に部分年金の全体的水準を承認するにしても、社会保障の観点からは低賃金労働者に配慮した給付設計とすべきではないかと思います。
 これまで私は年金水準をライフステージに応じて分化させ、六十歳代前半期の水準を若干低目に、かわって寝たきり、痴呆になったときは高齢障害加算を支給するなどにより年金水準を引き上げるべきだと提案してきました。理由は、退職直後から前期老年期においては退職金、企業年金、貯蓄等の私的な備えにある程度期待できること、公的年金に対する依存度は終末期に最も高まるのであって、そのようなニーズに応じた給付体系の組みかえが望ましいと考えているからであります。改正案は、六十歳代前半の水準を低めたという点では私の提案と部分的に重なるものがありますが、なお手直しを要する部分が相当あるように思います。
 六十五歳支給と部分年金の導入の提案の成否は、六十歳代前半の雇用が確保できるかどうかにかかっています。部分年金の水準は、希望すれば少なくとも六十五歳まで働くことができ、賃金と年金を合わせて安定した生活ができる社会の構築が前提になっているからであります。
 改正案は、高齢者の雇用を促すため、雇用政策と連動して年金制度も雇用促進的な仕組みに改めるとしています。具体的には、在職老齢年金の見直しや雇用保険の失業給付と年金の併給調整が提案されています。また、この見直しに並行して、労働省でも六十歳以降の賃金が低下した就労者に対する高年齢雇用継続給付を創設するという雇用保険法の改正を準備しております。
 これらの提案は、高齢者の就労インセンティブを高めるもので画期的なものであります。しかし、さらに一歩踏み込んで、企業に対する雇用インセンティブを組み込むことが不可欠な条件だと私は考えております。
 高齢者を雇用することは、年金の支給額を減らすとともに支え手をふやすわけですから、年金財政に大きな貢献をすることになります。にもかかわらず、厚生年金の保険料負担は全企業同一ですから、年金制度を通して、高齢者を雇用する企業から雇用しない企業への所得の移転が発生していることになります。高齢者雇用の促進を図るには、企業の高齢者雇用に対する貢献度に応じた保険料負担、つまりメリット制の保険料を採用することによって企業の年金制度に対するコスト意識を喚起し、高齢者の雇用環境の整備を促す必要があります。
 改正案では、年金額の改定方式の見直しも提案されています。名目賃金基準からネット所得基準へ改めるということでありますが、この提案は、改正論議の当初からほぼ合意を得ていた事項であります。
 現行制度では、現役世代の名目賃金の伸びに合わせた年金額の改定を約束しております。今後高齢化の進展に伴い、税、社会保険料負担の上昇が賃金の伸びを上回ることは避けられないわけですから、現行制度は現役世代の可処分所得の伸びを超える年金額の改定を約束していることになります。これは、現役世代から高齢世代への過剰な所得移転であります。
 改正案によって、世代間でひとしく痛みを分かち合う仕組みが組み込まれることになります。このネット所得基準の考え方は当然のことでありますが、将来にわたる恒久的な措置としてはなお工夫を要するようこ思います。
 例えば、所得税等の直接税を減税し、消費税等の間接税の大幅な増税を行えば、現役世代のネット所得の割合は上昇しますが、その場合、ネット所得スライドでは現役世代の名目賃金の上昇率以上に年金額を改定することになります。また、現役世代よりも大幅に軽減されているとはいえ、高齢世代も若干の税、社会保険料を負担しています。あるいは高齢者の優遇税制等について見直しを行うべきだという議論も最近ではあります。
 これらを考慮すると、ネット所得そのものではなく、高齢世代と現役世代の世代間の消費水準のバランスを図るという観点からの改定方式が望ましいように思われます。
 次に、費用負担面の見直しについて意見を述べさせていただきます。
 厚生年金では拠出と給付の算定基礎給与として標準報酬制を採用し、賞与を対象としていないことから、さまざまな問題が指摘されていました。
 一つは、負担面の逆進性です。ちなみに、年収に占める賞与の割合は給与水準の高い層ほど高く、事業所規模十人未満の零細企業では一〇%、五千人以上の大企業では二九%です。保険料の対象となる収入は、前者は年収の九〇%ですが、後者は七一%にしかなりません。また、定期給与を抑え賞与に配分することにより保険料負担を軽減するという操作も可能であります。さらに、六十歳から六十五歳未満の在職者の報酬を在職老齢年金が受けられる二十五万円未満にとどめ、かわって賞与を手厚くするという企業も目立つようになりました。
 この問題を解決するには、総報酬制に切りかえる以外にありません。しかし、改正案は、総報酬制の採用ではなくボーナス保険料の導入を提案しています。
 ボーナス保険料は、給付に反映させないこと、料率が一%であるという点において政府管掌健康保険と同一のものとなっています。しかし、政管健保の場合は多額の赤字を抱えていた時期に暫定的な財政対策として導入されたものであります。一方、年金の場合は恒久措置に発展する性格のものですから、単に政管健保の例に倣うというのでは導入の根拠としては問題があります。いずれにしても、負担の公平化という観点では一%程度の保険料ではほとんど効果が期待できません。
 一方、総報酬制の場合、給付に反映させざるを得なくなるのではないかという反論があります。私も何らかの形で給付に反映させるのが望ましいと考えていますが、あえて言えば、雇用保険の失業給付と同様に、負担が総報酬制であっても給付への反映は定期給与分のみとして負担と給付の関連を断ち切ることもあり得ると思います。あるいは給与の操作を行うのは事業主ですから、事業主負担のみを総報酬制として被保険者の負担は標準報酬制とするという方法も考えられます。
 いずれにしても、ボーナス保険料の導入は、標準報酬に対する料率を軽減させる財源対策としてではなく、将来の恒久措置を展望した明確な根拠が必要なように思います。
 また、今回の改正案では、保険料の引き上げ方法にも問題があるように思います。厚生年金の保険料率はことし十月から二・〇%、二年後の平成八年十月からは〇・八五%引き上げるというものであります。厚生年金の場合、従来は五年に一度一挙に引き上げるということを慣例にしておりましたから、今回の二段階の引き上げにはそれなりの配慮がうかがえます。
 しかし、それにしてもことしの二%の引き上げには問題があります。一つは、減税による消費拡大という経済政策との整合性であります。ことしは所得税と住民税を合わせて五兆四千七百億円の減税が予定されていますが、私の試算では、二%の引き上げは厚生年金と共済年金を合わせて満年度ベースで約三兆円になります。減税の約五割強が保険料の引き上げで相殺されることになります。また、低成長と重なると保険料の急激な引き上げによって手取り所得が減少するということも従来から懸念されていたことであります。
 保険料の引き上げは避けられませんが、この際、毎年小刻みに引き上げることをルール化してはいかがでしょうか。もともと国民年金は毎年引き上げるというルールになっていますし、厚生年金においても女子は、男子に合わせるという理由があったにしろ、これまで毎年引き上げてきたという経緯もあるからであります。
 次に、二十一世紀の社会保障の新しいフロンティアは、高齢者雇用の推進のほか、出産・育児、介護支援であります。高齢化社会対策は、出産・育児支援と一体的に推進されなければならないし、高齢化社会の国民の最大の不安は寝たきり、痴呆などの際の介護の問題だからであります。
 近年、育児支援としては、育児休業法の制定などによって社会的支援が強化されつつあります。また、介護対策も飛躍的な拡充が図られつつあります。しかし、年金制度は今までこれら時代の要請にほとんどかかわってこなかったのであります。
 育児支援に関連して、改正案は育児休業期間中の本人保険料の免除を挙げています。これが実施されるとすれば、年金、健康保険を合わせて報酬の約一二%の保険料が免除されることになります。雇用保険の改正案での育児休業期間中の二五%の育児休業給付と合わせると、大きな育児支援になります。また、健康保険の改正案では、従来の分娩費と育児手当金を一本化した出産育児一時金を創設し、支給額も三十万円に改善するとしています。出産・育児支援が一挙に強化される画期的な提案であります。
 しかし、育児期間中の社会保険料の免除に関しては、なぜ本人保険料の免除のみに限定したのでしょうか。育児休業の取得者は企業間で大きなばらつきがあります。事業主が個別に負担する現行制度では、出産年齢層の女性を多く抱える企業に偏った負担になります。出産・育児の社会化という観点からすれば、当然、事業主保険料も免除すべきであります。
 年金制度による介護対策については、年金審議会意見書で、「社会保障制度全体の中で検討すべきである。」とされ、結局、今回の年金改正案では見送られることになりました。しかし、介護対策の拡充は緊急の課題であり、年金制度からの介護支援の可能性も含めてなお議論を深めていただきたいと思います。
 いずれにしても、伝統的な年金制度の枠組みの中での自己完結的な制度改正は前回改正で終えんしたと見るべきであります。求められますのは、高齢者雇用との有機的な連携を確保し、ライフステージに応じた給付体系の組みかえ、出産・育児、介護支援を行い、それを通して年金制度に対する信頼を確保しつつ、年金制度の長期的な発展を図るというダイナミックなアプローチであります。
 今回の改正案では見送られたものの、いずれ結論を出さなければならない事項として、サラリーマンの妻、いわゆる第三号被保険者の保険料負担のあり方に関する検討事項があります。
 問題の指摘は、サラリーマンの妻の保険料は、夫の厚生年金または共済年金で一括して負担しているため、単身者や共働きの者が妻分の保険料を余分に負担していることになる。このような専業主婦の優遇措置は、費用負担面の不公平を生んでいるだけでなく、女性の労働市場への参加をも抑制しているという批判であります。
 現行の第三号被保険者の制度は、税制での扶養控除、健康保険での被扶養者の扱い等とも関連するもので、年金制度のみの対応での解決は不可能だということも明らかでありますが、方向としては自営業者などと同様に、妻にも個別の保険料負担を求め、低所得者世帯の妻については保険料を免除すべきでありましょう。
 しかしそれには、家庭にとどまっている女性についてはそれが本人の自発的な選択によるものであること、逆に言えば、働く意思があればだれにも働く機会が与えられているという雇用保障が前提になるように思います。また、育児、介護等により就業が制約されている者については、現行の第三号被保険者の制度を存続させるべきではないかと私は考えております。
 二階部分である被用者年金制度の一元化の議論に並行して、近年、一階部分である国民年金のあり方をめぐって議論が高まっております。
 膨大な未加入、滞納、免除を抱えた国民年金は既に空洞化しており、今後の保険料の高額化によって事態は一層深刻化する。皆年金を実現するには、社会保険方式から全額国庫負担による税方式に改める以外にないという問題認識と対応策が有識者の間では支配的であります。
 私も空洞化の事実は全面的に承認しておりますが、社会保険方式のもとでも十分に対応し得ると考えております。
 そのためには、まず第一に、住民サービスという観点からの社会保険行政の改善が必要であります。国民年金や国民健康保険はサラリーマン以外の者をすべて対象にしているのですが、市町村では対象者を個別につかめる体制になっていません。対象者の把握はもちろんのこと、年金相談さえも市町村では困難な状況があります。社会保険庁のオンラインの端末が市町村に置かれるだけで、国民年金や国民健康保険の行政効率やサービス内容は飛躍的に改善されます。福祉サービスは既に住民に最も身近な市町村に一元化されつつあります。年金行政についても、可能な限り市町村で対応できる体制をしくべきであります。検討されています年金番号制についても、住民サービスの向上という視点を前面に出して理解を求めるべきであります。
 第二点は、行政システムの連携、一体化であります。国民年金と国民健康保険の一体的適用を行うこと、国民年金等の社会保険の未加入者には運転免許証を交付しないこと、社会保険の未加入者、滞納者には生命保険料控除の適用を外すこと、これだけで未加入者や滞納者はほとんど解消し、市町村の国民年金や国民健康保険の行政効率も飛躍的に改善されるはずであります。
 第三点は、国民年金の給付設計の見直しであります。例えば、基礎年金に出産・介護給付を創設することによって、ニーズの変化に対応するとともに制度に対する魅力を高めるということも考えられてよいのではないでしょうか。
 その他、将来的には国民年金の国庫負担率を高めるということも検討課題になりましょうが、当面、以上のような現行制度のもとでの基盤強化に全力を挙げるべきだと考えております。
 今回の改正に続いて来年は、昭和五十九年の閣議決定の方針であります、平成七年を目途とする一元化の完了を目指した年金改正が予定されています。
 一元化の趣旨は、同一世代内の給付と負担の公平化であります。分立した制度体系のもとでは、世代間扶養のシステムである公的年金の機能が十分に発揮できないという問題があります。産業・就業構造の変化に伴って、制度間で成熟度に違いが生じ、財政力格差が発生するからであります。そして、このような変動の影響を年金制度全体で吸収することが一元化のねらいであります。一階部分の基礎年金については、昭和六十年の改正により制度的には既に一元化が完了しております。一方、二階部分の厚生年金と各種共済年金につきましては、給付はほぼ公平化されましたが負担面の不均衡が残っております。
 一元化の方法としては、統合一本化から各制度の分立を前提にした上での財政調整まで幾つもの形態が考えられますが、いずれにしても、少なくとも物価スライドや過去の賃金の再評価などによる年金の価値維持に必要な費用については、個別制度では対応が困難な部分でありますから、サラリーマングループが共同で支え合うという仕組みが必要だと考えております。
 以上がきょう私が特に申し述べたいことであります。御清聴ありがとうございました。
#5
○理事(竹山裕君) ありがとうございました。
 以上で山崎参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#6
○成瀬守重君 ことしは二十一世紀の高齢化社会に向かって、先生のお言葉をかりれば年金改正のラストチャンス、まさにそういうときに当たっておりまして、国民の各界各層の幅広いコンセンサスを得て明るい展望を切り開く改正をぜひとも実現したいものであり、党派を超え、政争の具にしないで、将来の日本の国家形成のためにもぜひともそういった実現に努めてまいりたいと願うものであります。
 私の準備いたしました質問内容につきましては既に先生からお触れいただいた点もございますけれども、再度そういった問題について明確にさせていただきたいと願って質問をさせていただきたいと思います。
 現在の保険料率は一四・五%であり、厚生省の試算では高齢化のピーク時には六十歳支給開始では三四%程度になる。しかしながら、六十五歳の支給開始では二九%程度におさまるであろうと言われておりますが、そういった点からいっても、六十五歳支給については財政対策の観点からいってもこれはやむを得ないというぐあいに思うわけですが、問題は雇用でございまして、特に六十歳定年制がほぼ定着したとはいっても一方では早期退職優遇制度を設ける企業がふえておりますし、不況の中で雇用調整も本格化しております。こういった点からいっても、二十一世紀初頭に向けて段階的に六十五歳支給開始に移行するとはいっても、中高年者の不安はまだまだ解消されておりません。そういった点ではまさに発想の転換が必要であります。
 そして、雇用機会のない人に対する六十歳支給開始の仕組みを準備した上で、六十五歳退職ということの実現に向けての強力な政策誘導を行うことが必要ではないか。多くの人が六十五歳まで働き、それから年金を受給するようになれば、まさに六十五歳支給と変わらないような財政的効果も得られるのではないか。そのためには年金制度そのものを雇用促進型に組みかえる必要があるのではないか。まさに年金あるいは税制のそういった観点からの有機的な連携が必要じゃないか。そういった年金政策のイノベーションにつきまして、現在の年金制度の中に幾多の高齢者雇用を阻害するような要因が含まれているわけでございまして、その一つが在職老齢年金の仕組みの中にもあるのではないか。
 六十歳から六十五歳未満で月収二十五万円未満の在職者には、年金額の一部、八割から二割が支給される。だが、報酬がふえればほぼ同額の年金額が減額されるために就労意欲を阻害するのではないか。そういったものについては一体どう考えたらいいのか。あるいは雇用保険の失業手当と年金が併給されることは問題である、こういった点。あるいは企業側にとりましても、厚生年金の保険料は高齢者雇用に関係なく全企業が同一である。高齢者を雇用する企業は年金の支給額を減らすことによって年金財政に貢献しているわけでありますが、それが負担面では評価されていない。高齢者を雇用する企業のメリット性といいますか、負担を軽減して雇用のインセンティブを確保するような必要があるのではないか。
 日本以外でそういったような問題を年金制度の仕組みの中に取り入れている国が果たしてあるかどうか。どういったような点が考えられるか。また、六十歳支給開始のもとでも高齢者雇用を促すことができれば、支給年齢問題は事実上解決するのではないか。そういった面が考えられるわけですが、こういった点について再度先生から御意見を伺いたい。
 また、今さっきボーナス保険料の問題についてお触れになられました。ボーナス保険料の導入が提案されておりますけれども、これは確かに年金制度の公平化のためには避けられないと思いますが、一面においては高齢者雇用を阻害するような要因にならないかどうか、そういった面につきましてもお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
#7
○参考人(山崎泰彦君) ただいま先生のお話しになったこと、私の考えていることとほとんど同じでございます。特こ先生御心配こなっております六十歳代前半の雇用の見通しが非常に暗いという点で、今回の改正案はちょっと急ぎ過ぎではないかなという感じが私しなくもないんです。しかし、一応原則六十五歳とし、そして六十歳代前半は部分年金を用意するという提案をされているわけですが、そうであれば、本当に政府あるいは企業が高齢者の雇用に対して従来以上に重い責任を負うということになるんだろうと思います。
 私が平成元年の改正のときから提案しておりますのが、給付の仕組みを改めるだけでなくて、費用負担面においても高齢者雇用を促す仕組みを組み込まなければいけない。その具体的な提案がメリット制ということであったわけですが、ただいま先生からいただきました質問の中で、外国ではそういう例があるかというお話だったんですが、ありません。これは日本で導入するとすればまさに世界に模範を示すことになるんだろうと思いますが、しかし外国ではと言いましたけれども、国内ではいろんな例があるわけであります。
 一つは、これははっきりメリット料率と言っておりますが、労災保険がそのようになっているわけです。労災保険というのは全国一本の制度でございますが、実は業種別に標準的な保険料率が決まっております。それからさらに、同じ業種であっても個別事業所ごとに過去の災害の発生率に応じて保険料に傾斜をつけるということになっておりますから、労災保険においては理論的には事業所ごとに過去の災害率に応じた保険料になっているということでございます。これは、そうしないと災害を防止する努力を事業主がしないからでありまして、これは当然の措置だというふうに私は考えております。
 それから、例えば国民健康保険ではどうでしょうか。国民健康保険は市町村ごとに運営しているわけですが、財政力の格差についてはその相当な部分を国庫負担によって調整しております。しかし、なおかつ御承知のように市町村で保険料の負担に相当な差があります。その相当の差のかなりの部分は実は医療費の差なんでございます。つまり、医療費が高い地域であれば住民の保険料は高くなるわけでございます。これもある意味で公平な措置ということになります。というふうなことを考えますと、メリット制というのは外国ではともかく、国内の他の制度においては既に事実上取り入れられているということだと思うんですね。
 年金制度というのは社会連帯の制度である。すべての働く人たちがOBを共同で支えるという趣旨でありますが、それと同時に、半分は事業主が負担しているわけですから、すべての事業主が退職した人たちを共同で支えるという意味での社会連帯の制度でもあるわけです。しかし、今の制度ですと、退職者を出しても、その退職者の年金の支給に要する財源はすべての企業が支えるわけですから、自分の痛みを伴わないわけです。まさに年金制度がたかりを生んでいるということだと思います。
 ですから、本当にこのように雇用の見通しが非常に暗い時期においてあえて六十五歳支給を提案するのであれば、従来以上に、給付だけでなくて費用負担面も含めた雇用インセンティブを組み込まなければいけないというふうに私は考えております。
 それからもう一つ、ボーナス保険料というものが高齢者の雇用を阻害するのではないかという御指摘ですが、今回提案されていますような一%程度の保険料では、逆に雇用を促す効果がほとんどないというふうに思っているわけです。
 先ほどの私の話でも若干申し上げましたが、こういう例があります。
 六十五歳定年の会社があります。役職定年もないのであります。つまり六十五歳まで管理職は管理職でとどまるということなんでございます。ところが、その企業で六十歳になりますと、管理職であっても給与が九万円になるのでございます。給与は九万円なんですが、実は在職年金で年金が八割支給されるわけです。さらに、企業名は伏せますが、その企業では賞与を二十四カ月分出しているわけなんでございます。つまり給与は九万円ですから保険料はほとんど払わない、しかし年金は八割従業員に受けさせる、そして管理職としての処遇は年金とさらに多額の賞与によって処遇する、こういうことでございますから、まさにこれもたかりの典型でございます。
 そういう知恵が回らない企業が結局相対的に重い負担をかぶっているということでありますから、ボーナス保険料を導入するのであれば、月々の月収と同じ負担を求めなければいけないと思います。言いかえれば総合報酬制をとらなければいけないというふうに思っております。
#8
○成瀬守重君 雇用保険の失業手当と年金が併給されることについてはどのようにお考えでしょうか。
#9
○参考人(山崎泰彦君) これも御承知のように、今は併給されることによって大体定年退職者であれば六十歳から十カ月間、三百日にわたってほぼ四、五十万円の社会保障給付になるわけです。これははっきり言って働くよりは働かない方がいいということになりますから、社会保障としては過剰だというふうに考えております。それから、理論的にも明らかに間違っているということでございます。
 就労の意思と能力を前提にして失業給付を受けているわけですが、年金というのは本来引退を原則として受け取るものでございます。行政のシステムが縦割りになっているということ以外に理由はないと言われているわけですが、今回厚生省と労働省が協力し合ってその辺の調整をしようというのは私は画期的だと思っておりますが、これにも実は大きな問題があります。それは公務員に雇用保険がないということでございます。したがって失業給付がないということでございます。
 提案されているものによりますと、一般的には失業給付の方が高いものですから、六十歳から十カ月間失業給付を受けて、そしてその後年金を受けるという選択を多くの退職者がすると思います。一方、公務員は失業給付はないものですから、六十歳から即年金受給ということになると思います。これは新たな格差を生むことになるのではないかなというふうに思っております。
#10
○成瀬守重君 以上です。
#11
○日下部禧代子君 まさに年金制度の改正というのは国民的な課題でございますし、今回の財政再計算に伴う改正というのはそういった意味で非常に大きな期待が寄せられているところでございます。これから今国会で本格的な論議が始まるところでございますが、先生のきょうのお話を承りまして、この改正案に対する問題点の的確な御指摘、そして今後の年金制度のあり方ということにつきまして本当にいろいろと大きな勉強をさせていただいたと思っております。本当にありがとうございました。
 ところで、二、三の質問をさせていただきたいと思います。
 老齢基礎年金の平均の受給額でございますが、これは平成五年三月末現在で三万七千円でございますね。これは平成五年度のいわゆる標準的な年金額とされております六万一千四百四十二円に比べますと、半額とまではいかないにしましてもそれに近いほど低い額でございます。これは年金制度が成熟していきますにつれてモデル年金あるいは標準的年金額との差というものはだんだん少なくはなっていく、縮められてはいくと思いますけれども、やはりこれは年金を支給されている、それだけで生活している人もいるわけでございますが、ペンショナーにとりましては大きな問題だと思います。
 先生御承知のように、いわゆる補足年金制度というのが北欧やイギリスでは導入されておりますね。ですから、こういったいわゆる標準的な年金額に達しない低所得者の方々に対しますいわゆる補足年金制度というものについて、先生はどのようにお考えでいらっしゃいますかということが一つでございます。
 それから、先ほどの先生のお話にもございましたが、年金制度というものは自己完結であってはならない。そしてまた、ダイナミックな新しい年金制度へのアプローチをというふうに先生のお言葉がございまして、本当に私も大賛成でございます。
 それに関することになるかとも存じますが、北欧などでございますと、低い年金額しか受給できない人々にとって、この補足年金とそれからもう一つ住宅手当というのが低い年金額を補完する非常に大きなものになっていることは先生も御承知のとおりだと思いますが、スウェーデンでございますと、住宅手当支出の三分の一がペンショナーに支給されているということでございます。ところが、日本では住宅手当というのは生活保護にしかございません。
 この際、日本の生活の中での一番大きな課題でございます住宅の問題、そういったものをきちんと整備することによって、高齢者の生活というものもかなり、豊かさとまではいかないにしても安心できるものにつながっていくのではないかなというふうに思うんですね。そういう観点からもやはりこの住宅手当というものを、年金を補完するという意味で、社会保障の中できちんと位置づけをするというふうな発想の転換も必要なのではないかというふうに私は思っておりますが、先生のお考えを伺いたいと思います。
 まとめてちょっと御質問だけさせていただいてごめんなさい。
 その次に、女性の年金の問題につきましては、第三号被保険者につきまして先生の御指摘をいただいたわけでございますが、その問題を突き詰めてまいりますと、どうしても年金制度の基礎というものの考え方をいわゆる家族単位にするのかあるいは個人単位にするのかというふうな問題にもつながってくるように思います。したがって、第三号被保険者の問題というのは、そういう基本的な部分にも関係する大きな問題ではないかというふうに思います。だから、ここで一気に変えてしまうということも大変なことかと思いますが、そのことに関しても先生のお考えをお聞きしたいというふうに思うわけでございます。
 今先生が御指摘くださいましたように、これまでの女性の立場というものが、年金制度を初めとするさまざまな社会保障、それから社会制度あるいはまた企業の賃金制度ということでも、やはり女性というものは基本的には家庭にいるものであるという発想のもとにこれまで組み立てられてきた、そういう社会システムの一つというようにも私はとれるわけでございます。
 御承知のように、年金制度がスタートいたしましたときに、被用者年金の場合には女性が適用外であったというところからスタートしております。そういう歴史が日本にはございますもので、今のような問題も出てきて、そしてそれを部分的にいじるということはできるけれども基本的なところまでなかなか突っ込んでいけないという問題、次第に雇用される女性がふえていく今日、その辺の矛盾も出てきているのではないかというふうに考えるわけでございます。そのことは先生も御指摘くださいました税金の制度ということにもつながりてまいります。それからパートタイマーの保険料をどうするか、そのことも含めまして女性の年金についての先生の御意見を承りたいと思います。
 それから、先生は論文などでいわゆる介護給付の創設ということをおっしゃっていますが、私もこの介護の問題というのは非常に大きな問題だというふうに思います。
 そこで、いわゆる現物給付にあわせて現金給付というものを補完するということは非常に重大なことだと思いますが、もう少しその辺のところの先生のお考えを具体的にお示しいただけると非常にうれしく思います。
 今月の十日でございましたでしょうか、ドイツでのずっと長い間の論争のもとでございました介護保険でございますか、やっと使用者側の合意ができたということは先生も御承知だと思いますが、そういったドイツにおける介護保険の問題とあわせて、それを日本に導入した場合にはどういう問題が起きるんだろうかというふうなことも含めまして、介護給付の問題についてお伺いしたいと思います。
 私に与えられた時間というのがかなり限られておりますので、質問もぽんぽんぽんというふうに並べて申し上げてしまいまして大変失礼いたしましたが、お考えを承れれば大変幸せに存じます。よろしくお願いいたします。
#12
○参考人(山崎泰彦君) 日下部先生は国内だけでなくて国際的にも非常に各国の事情に精通しておられまして、今のお話で私教えていただいたことがたくさんあります。
 特に、私も注目しておりましたが、ドイツの介護保険について使用者側の合意が得られたというのは、私今初めて聞かせていただいたわけであります。
#13
○日下部禧代子君 先生、これ後でコピーを差し上げます。
#14
○参考人(山崎泰彦君) ではよろしく。勉強させていただきたいと思います。
 まず、四点御質問をいただいたんですが、今、国民年金の受給者の平均額が三万七千円程度である、満額の年金は六万一千円程度なのに随分乖離があるということなんですが、一つは繰り上げ受給をする方が結構いるということと、それから若いとき加入しなかった期間が結構ある方、特にサラリーマンの妻はそうなんですね、ということでこのように低くなっているんですが、じゃ将来はどうかというと、将来ともに若いとき未加入であったという方は残るんだろうと思うんです。
 ですから、満額年金の受給者というのは、サラリーマンはほぼそれに近くなると思うんですが、国民年金だけの方については将来とも余り期待できないような感じがいたします。しかし、それは加入期間が結局短いだとか、あるいは繰り上げたということに伴って年金の額が低くなる部分については、公平性という観点から社会保険システムのもとではやむを得ないんだろうというふうに私は思っているんです。
 ただ、私が年金で介護をなんて言いますのは、せめて終末期にはきちっとした年金ができないだろうか。つまり、今の基礎年金というのは、絵にかけば基礎年金なんですが、実態はただいまのお話のように年金額が低い人は結構多いわけですから、あるいは将来ともに基礎年金になり得ないというふうに思うんです。せめて終末期にはすべてのお年寄りが最低限これだけの保障が得られるという、いわば寝たきり基礎年金を実現してほしいなというふうに私は考えていたわけでございます。
 それとの関連で、補足年金だとか住宅手当を年金制度の側でも考えるべきではないかと、北欧、イギリスなどの例をお話しになったんですが、これは本当に先生から私は教わらなければいけないことなんだろうと思うんですが、北欧との違いを言いますと、北欧の基礎年金は基本的に税でやっているわけで、そういう仕組みがしやすいのかなという感じはいたします。ただ、日本でもということになりますと、社会保険のシステムの上で何らかの形で年金に介護手当をというのと同じような並びで住宅手当などを入れるということは考えられるのかなというふうに思います。
 恐らくこれからの国会で年金改正の議論では、国民年金の国庫負担率の引き上げたとか、あるいは福祉目的税ですべて基礎年金の財源を賄うというふうな議論も必ず出てくるんだろうと思うんですが、私自身は、すべて税で国民年金を賄うには余りにもお金がかかる、であるとすれば、終末期の不安だとかあるいは住宅に困窮している方に対して何らかの形の年金で対応するということもあり得るんだろうと思うんです。対応してその部分について国庫負担を重点的に配分するというのが、余りコストをかけないで、しかし困窮した人に対しては支えになる、そういう方法ではないかなということを今考えております。
 それから女性の年金というのは、結局今まで女性というのが非常に弱い立場に置かれてきたと思うんですね、家庭内でも社会でも。その裏返しとして専業主婦こ対していろんな手厚い保護をしてきた。その名残が第三号被保険者という制度として、見かけは年金権を確保したけれども、実態は相変わらず夫が妻を保護している、こういう格好になっているんだろうと思うんです。
 まあ世の中随分変わってきました。すべての女性が働くことができる、また働くことを希望する女性が、たとえ既婚者であってもほとんどであるという状況になってくれば、私はすべて保護は取り払うべきだと。つまり年金制度でいえば、あるいは健康保険でも、自分でたとえ家庭にいたとしても保険料を払っていただくというのが合理的かなというふうに思います。
 ただ、その場合でも出産、育児等で客観的に働くことが非常に困難な状況がある、あるいは家庭でむしろ育児に専念していただいた方が好ましいという御意見もあるわけですから、であれば、その部分については従来どおりあるいは従来にも増して手厚い保護をする、保護というより社会支援ですね、ということになるのかなというふうに考えております。
 ただ、懸念しますことは、家庭にいる奥さんからも保険料を払っていただきますという提案をしたときに、私働こうにも働く場がないんですと言われたときにどうなるのかなという意味で、やはり雇用保障が前提になると申し上げたわけであります。
 それから、介護給付についてでありますが、私は従来どおりの公費を主体にした福祉サービスという形での介護対策には限界があるというふうに考えております。今や寝たきり、痴呆というのはだれもが共通に抱えている深刻な不安であります。我々の世代でいえば自分の親の問題であり、少し年配の人はいずれ自分もということでそろそろ不安を持ち始めている時期だろうと思うんです。そのようにだれもが共通に抱えている不安に対しては、全国民が共同で支え合うという社会保険の仕組みが一番望ましいのではないかなというふうに考えております。
 そこで、現金給付での対応としては年金が望ましいのではないかと私は提案してきたんですが、年金の体系でいいますと障害というとらえ方になるんだろうと思うんです。年金には障害年金があります。そして一級障害というのは他人の介助、介護を要する重度の障害でありますが、六十五歳前のいわば現役時代に発生した重度の障害に対しては、通常の老齢年金の二五%増しの一級の障害年金を出しているわけでございます。この二五%部分に一定のいわば介護費用が含まれていると考えることができると思うんですが、この二五%が妥当かどうかはともかくとして、今の年金制度では六十五歳以降に発生した障害については一切対応していないわけでございます。ですから、年金制度の枠組みの中でも高齢障害に対する対応部分に大きな穴があいているというのが一つでございます。
 それから、専ら有識者あるいは政府も、現金給付というのはばらまきになる、今高齢者が求めているのはサービスであるということをおっしゃるわけです。確かに私はサービスが一番大事だと思うんですが、にもかかわらず外のサービスを利用する人と余り利用しない人に分かれるんだろうと思うんです。これは地域によってそういう差があると思います。こういった東京のような大都市ではどんどん外のサービスを利用する、そういう状況があります。しかし、地方に行きますと、嫁が年寄りの世話をするのは当たり前だという地域も現実にあります。そうすると、東京の人は外部のサービスをどんどん利用しますよ、地方の方は相変わらずせいぜいショートステイを利用する程度で日常的には家族が介護していますよということになります。
 そうすると、両者のバランスをとるためには、家庭で家族が介護しているという人に対してはやはり現金を用意しないとバランスがとれないというふうに思うんです。サービスは大事だけれども、サービスの利用度に相当な差が出てくるはずだから、そのバランスをとる意味で、私は現金による補完がどうしても必要だと思います。
 そして、年金制度でいえば障害というとらえ方から対応できるはずだということでございますが、しかし、私は年金制度による対応にこだわってはおりません。ドイツのように医療保険をベースに介護保険をつくって、その中で現金給付を用意するということでもいいと思うんです。実はサービスと現金給付の両輪というのを私が強く主張しておりますのは、ドイツがまさにそうなっているからでございます。ドイツのように日本よりはるかにサービスの供給が進んでいる国にあってもなお現金給付を用意しているということは、それだけ家族介護が多いということだと私は考えております。
 以上でございます。
#15
○日下部禧代子君 先生どうもありがとうございました。
 家事労働の評価ということが一つの論議になると思うんですね。第三号被保険者の場合には家事労働を評価されているからだというふうにおっしゃる方々もございますが、家事労働の経済学的な評価というふうなことに関して、これはいろいろと学説がございましていろんな御論議がございますけれども、先生はどのようにお考えでいらっしゃいますか。
#16
○参考人(山崎泰彦君) これは共働きの女性も家事はしていますという御主張なんですね、皆さん。私もそのとおりだと思います。ですから、専業主婦が家事をしているから、その見合いとして第三号被保険者として個別の保険料の負担を免除するというのは筋が通らないというふうに思います。それは夫婦の問題だというふうに思います。御主人からその手当を正当な報酬としていただけばいいことであって、社会的に報酬を提供するということにはならないんだろうというふうに思いますが、いかがでしょう。
#17
○日下部禧代子君 大変明快な御回答をいただきまして、本当にありがとうございました。
#18
○小島慶三君 きょうは当面の大きな課題である年金改革の考え方、それから哲学と手法というふうなことでお話をいただきまして大変勉強になりました。ありがとうございました。
 幾つかお伺いしたいわけでありますが、先生から前にいただいたペーパー、「年金改革の新しい哲学を求めて」というものと、それから「年金改革と財政基盤の強化策」という論文を拝見しまして大変教えられるところが多かったわけでありますが、その中で、今度の年金審議会の答申、それから後の連立与党の年金プロジェクト、それから最終的な大内厚生大臣の二段階論といったような過程で、三つの点を非常に評価されているというか、取り上げられておるわけであります。
 その一つはもちろん支給開始年齢の問題である、これについては結果的に幾つかの評価ができる。それから、雇用と年金の関連に配慮して、雇用政策の推進に並行した年金制度、これについての配慮がある、これは大いに評価できるということであります。
 ただ、その間に第二の問題、三つあるうちの二つ目の問題として財源問題との関連がございまして、これについてはかなりプロジェクトでもいろいろ議論をしたわけでありますが、結局三〇%というふうな点が目安の置きどころではないかということであった。しかし、これについての先生のお考えは、そういった物理的な限界はない。経済の拡大あるいは生活者の意識の変化、いろいろあってそれはかなり上がってきているということで、これには限界がないというお考えであって、この点は疑問視されておるわけでありますが、私ども、やはり社会保障というのも国の全体としての資源配分の問題でございましょうし、殊にすぐれてこれは所得の再分配ということになると思いますので、そういう点から見ますと、限界はないというふうに言い切っていいのかどうか、その点疑問に思うわけでございます。
 ヨーロッパのいろんなこういった負担の問題を見ましても、イギリス型とスウェーデン型とははっきり違っておりますでしょうし、だから、どっちをとるかというのま選択の問題としてあるわけでありますが、日本の場合もいろいろ財源問題というのも無視できないというふうに私は思うのでございます。やはり年金というのは一方にニーズがあって、一方に能力があって、ニーズと能力の間でこれをどこかに決めていくということだろうと思いますので、最適な手段というのがその間にあるのじゃないか。そうすると、限界はないというふうに言ってしまうとちょっと何か怖いような気がするわけでありますが、その点をまずひとつお伺いしたいと思います。
#19
○参考人(山崎泰彦君) 社会保障全体としてもそうだと思うんですが、特に、年金というのは昔の家族扶養を社会的な扶養に切りかえたものであるというふうに理解していいと思うんですが、結局、負担が高まるというのは子供が減ったことに尽きるわけでございます。
 としますと、これは逃げ道がないわけでございまして、昔の社会に戻してみれば非常に単純明快でございます。極端な例で言いますと、一人っ子同士ですと四人の親を二人が支える、こういう社会になっていくわけでございまして、そうすると二人の稼ぎ手の収入を六人で分配するということでございます。これは家族内であれば、若い二人には大変なことですが、折り合いがつく話ではないかなと思うんです、自分の親をほうっておくわけにはいかないわけですから。そういう意味で、負担率は高まるけれども負担そのものには限界はない、おのずから折り合いがつくはずだということでございます。
 ただ、一つだけはっきりしているのは、親の方が若い二人の稼ぎ手より楽な生活は恐らく認められないだろうと思うし、また、親の方も当然そこまでは求めないだろうと思います。つまり、大事なのは分配のルールだと思うんです。その分配というのは、親も子もひとしく分かち合うというのが個々の家庭の中では自然に合意が得られることだと思うんですが、これを社会化しますと、政府が法律でもって若い世代から強制的に取り立てるということになりますから、合意形成が非常に難しくなる。国会でも合意を得るのが非常に難しいということなんですが、本質的には家族内で折り合いがつくものですから、政府が介在したとしても社会的、全体的には折り合いがつくんだろうと私は思います。要するに、折り合いのつけ方だというふうに思います。
#20
○小島慶三君 何か折り合いをつけるという形のコンセンサスが成立するかしないか、高福祉高負担というのが常識化すれば、それはそれである程度済むのかもしれませんが、どうも私頭が古いのかもしれませんが、財源的に見ればやはり問題がないわけではない。どういう経済状態、どういう財源の状態に対してどういうふうな社会保障のウエートが認められるか、そういうことではないかという気がしてならないわけでありますが、その点はいかがでございましょう。
#21
○参考人(山崎泰彦君) 私が申し上げましたのはマクロ的な話でございまして、実際に社会保障の制度を仕組むときいろいろ問題が出てくるんだろうと思います。ですから、社会全体では家族扶養を社会化したもので折り合いがつくはずだと言いましたが、しかし個別に考えてきますと、その負担を特定の人が著しく引き受けざるを得ないような偏った負担というふうなことになると折り合いがつかないということになります。ですから、恐らく社会保険料の負担の仕方だとか、あるいはどのような税制に持っていくかだとかというところでいろいろ難しい問題が出てくるんではないかなというふうに思います。
 ただ、私が一般の方々に申し上げるのは、日本は大変だ大変だと言っているけれども、ヨーロッパ諸国がみんな経験してきたことを後追いしているだけでございまして、一時的には確かに日本が最も高齢化が進んだ国になると予測されていますが、出生率について見ますと、日本よりもドイツやイタリアの方が落ちているわけです。ですから、一時的には日本がトップランナーになりますが、やがてまた追い越されるわけで、そういう意味では先進諸国の経験があるわけです。先進諸国というのは、アメリカを除けば、いずれも国民負担率が五〇%を超えております。それからスウェーデンに至っては七十数%になっております。そして、そのように高い国民負担がそれぞれの国の経済に直接マイナスの影響を与えたか、勤労意欲を阻害したかというと、必ずしもそのことは言えないのではないかということでございます。
#22
○小島慶三君 ありがとうございました。
 もう一つ、時間がありませんのでお伺いしたいと思いますのは、新しい社会保障政策の総合化という観点で、老人介護の問題と、それから児童対策といいますか、その問題等まで積極的に年金政策の視野に入れて拡大していく、こういう御主張であると思うんですけれども、年金というものの概念はどの辺まで広げていっていいのか、その辺が一つ。
 それからもう一つ、ヨーロッパとかのいわゆる年金政策の中ではこういった問題はどういうふうに取り上げられておるのか、この辺ちょっと私存じておりませんので教えていただければと思います。
 以上です。
#23
○参考人(山崎泰彦君) 社会保障全体が非常に世代間扶養の色彩を強めているわけです。年金についていえば、世代と世代の順送りの扶養のシステムですと厚生省もはっきり言うようになってきたわけでございます。順送りの扶養だということになると、生涯を通してという観点が必然的に入ってくるんだろうと思うんです。ですから、我々は高齢世代を扶養すると同時に次の世代に対しても社会的な支援を行わなければ、円滑な世代交代は行われない、こういうことなんだろうと思います。
 そういう観点からしますと、生まれてから亡くなるまで年金制度の守備範囲に入り得るということが一つ。それからもう一つ、幸いにして年金制度というのは少なくとも基礎部分については全国一本になっているわけでございます。医療保険制度はそうなっておりません。ですから、年金制度という全国一本の、だれもが加入している、だれもがかかわる制度があるから、うまくそれに乗っければ新たな施策が講じやすいという部分も私はあるんだろうとういふうに思います。そして、だれにもかかわる部分であるからこそ、その部分について国庫負担を重点的に入れるということも比較的合意が得やすいのかなというふうに私は考えております。
#24
○小島慶三君 ありがとうございました。終わります。
#25
○浜四津敏子君 公明党の浜四津でございます。本日は貴重な御意見を伺わせていただきまして、またいろいろお教えいただきましてありがとうございました。
 私は二点お伺いしたいと思います。一点は、先ほどと重複する点もございますが、働く女性と年金についてお伺いしたいと思います。第二点目は、公平な年金制度の確立について御意見を伺いたいというふうに思います。
 まず第一点の働く女性の年金でございますが、統計によれば、現在、働く女性は約二千万人近くになっておりまして、全雇用労働者数の約四〇%を占めていると言われております。ただ、働く女性の約八〇%は中小零細企業に集中しておりまして、賃金格差とかあるいは男女差別、あるいは年齢差別等の企業間格差の大変厳しい労働条件のもとで働いております。ある実態調査によりますと、老後の生活を公的年金では暮らせないというふうに答えた人が約八割に上っておりまして、ほとんどの人が老後の経済的不安を訴えております。
 こうした中小零細企業に働く特に中高年の女性というのは、いまだに五十五歳定年制とか、あるいは定年制すら定まっていない大変不安定な環境のもとで働いている人が圧倒的に多いというのが現状でございます。また、定年後の再就職というのも大変厳しい状況にございます。また、臨時あるいはパート、派遣、出向等の不安定な雇用で働く方々につきましては社会保険も適用されていないというのが実情でございます。
 また、先ほど働く女性も家事をやっているというお話が出ましたけれども、家事、育児、また介護を抱えたりいたしまして、そのために職場を中断したり、あるいは転職回数も非常に多い、こういう状況でございます。また、死別、離別などで途中から働き始めた女性につきましては年金加入年数が少ない、こういう実情にございます。
 こうしたことで、女性の多くの人たちが老後を暮らせない年金、賃金が低いということにももちろん原因があるわけでございますけれども、年金制度の中で、こうした厳しい労働環境の中で働いている女性に対して、暮らせる年金を保障するための何かお知恵がありましたらお教えいただきたいというふうに思います。
 それから、先ほども出ましたが、パート労働者への厚生年金の適用については賛否両論ございます。労働者側は保険料を負担することに抵抗がある、また経営者側もなるべくなら負担したくないということで賛否両論ありまして、現在年収百三十万円以上になりますと国民年金の保険料負担となる、こういうことで百三十万円を超えないように時間調整している女性も多いというのが実態でございますけれども、このパート労働者の厚生年金適用についてどのようにお考えでいらっしゃるか、まずそこまでお伺いしたいと思います。
#26
○参考人(山崎泰彦君) 暮らせる年金をというお話なんですが、これはまさに今の社会経済のゆがみをすべて引きずって、そういう女性の暮らせない年金が一般化しているということでございまして、年金制度だけではどうしようもないということだと思うんです。ですから、まず暮らせる年金になるためには、女性も少なくとも希望すれば男性と同じように働けて、職場での処遇が差別なく行われて、そして長期に勤めることができる、これ以外にないわけでございます。
 それから、あえて言いますと、私の先ほどの話にもありましたけれども、六十歳代前半、報酬比例一本にするというのは社会保障としてはちょっと配慮が足りないのではないか。まさにそういう賃金の低い人、年金の低い人が一番しわ寄せを受けるのが部分年金だというふうに思うわけでございます。
 それから、パートの適用の問題というのは本当に難しいですね。本当に困ったものだと思います。百三十万円の問題がありまして、税金は百万円ですね、社会保険が百三十万円なんですが、今、訪問看護ステーションだとかホームヘルパーさん、パートの方が多いんです。秋ごろになるとぼちぼちおやめになるというわけですね。本当に困ったものだと思うんです。そこでそういう看護婦さんだとかヘルパーさんについては百三十万円、あるいは百万円を少し緩和してはどうかというんですが、そうするとますます矛盾が拡大していくわけで、ですから、扶養控除なりあるいは扶養の認定基準を緩和するというのは本質的な改善にはならないということであります。
 それから、パートの方たちも恐らく意見が分かれるんでしょう。一つは、事業主の方が事業主負担の保険料負担を回避したいということで、必ずしも前向きに考えていただけないということがあるんですが、雇われるパートの方自身も、健康保険は夫の扶養で七割、八割給付が受けられるわけで、本人の保険証は別に要らないということですし、あるいは三号被保険者の扱いを受けていますから年金も今のままでよろしいということになると、労使の利害が奇妙に一致するということになります。
 私自身は、パートの適用を図るべきだし、少なくとも雇用保険がやっているわけですから、この辺も厚生省と労働省がうまく協力し合って適用を拡大すべきだというんですが、さあ、どうしたらいいのか、これ懸賞論文物だというふうに思います。
#27
○浜四津敏子君 それでは次に、公平な年金制度の確立につきまして伺わさせていただきます。昨年十月十二日の年金審議会の意見書の中にも、日本の年金制度の課題の一つとして公平な制度を確立していくという点が挙げられております。
 公平といいましても恐らく三つあるかと思います。一つには世代間の公平、それからもう一つには受給者間の公平、そして負担者間の公平、一応この三つの点から考えられるかと思いますが、先ほどの先生のお話の中で、世代間の公平につきましては一元化の問題が関連してくるかなというふうに思います。
 また、受給者間の公平につきましては、一律給付というのは必ずしも公平とは言えないという意見は多々出ているわけでございまして、先生からもニーズに合った給付をというお話を伺わせていただきました。また一方で、資産保有者と非保有者間の公平という観点から、この間に差をつけることによって実質的な公平が図られるんじゃないか、こういう意見がございますが、この意見につきましては先生はどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。それが一点でございます。
 また、負担者間の公平の点につきましては、先ほど先生の方から、未加入者それから滞納者にどう対応すべきかという点につきましては、運転免許証を交付しないあるいは生命保険料の控除を認めないということによってこれは解決できるというお話をいただきまして、ああそれは大変すばらしいアイデアだなというふうに思いましたが、それで本当にほぼ解消されるのかどうか、もう少しお話を伺わせていただけますでしょうか。
 それから、先ほどの百三十万円以上になりますと保険料を負担するということになりますが、つまりそれ以下では負担しなくていいという一方で、二十歳を過ぎますと学生で無収入者であっても負担する、こういう制度になっているわけですが、これは果たして整合性があるのかどうか、そのあたりのことを伺わせていただければと思います。
#28
○参考人(山崎泰彦君) 最後の点から申し上げます。
 私は、昭和六十年改正で基礎年金という制度を入れ、そして妻も強制適用とする、しかし保険料については第三号被保険者として個別には負担を求めない、こういうやり方はそれなりに根拠があると考えてきたんです。しかし、平成元年の改正で学生を強制適用し、個別に保険料を求めたことによってその理屈が崩れたというふうに思うんです。ですから、六十年改正の考え方を貫くのであれば、学生も、サラリーマンの子弟については健康保険の扶養家族ですから年金も三号扱いにすべきだと思います。ですから、おっしゃるとおりだというふうに思います。
 ただ、長期的な時代の趨勢としては、学生から保険料負担を求めたと同様にサラリーマンの奥さんからも保険料負担を求める、そして学生についても免除があるようにサラリーマンの奥さんでも夫の所得によっては免除する、こういう対応になるのかなと思います。ただし、その場合でも、やはり女性が希望すれば働くことが可能な社会というのができ上がっていなければならない。もうちょっと時間がかかるのかなという感じがいたします。
 それから、負担者間の公平性ということなんですが、実は今行政が縦割りでございまして、本当に困ったものだと思っているんです。市民としての義務を果たす者と果たさない者との間で一定の格差がつく社会の方が私は正常な社会ではないかなというふうに思っているんです。
 それは、米の問題で今大変ですが、私がかつて田舎からこちらに出てまいりましたときに米穀通帳を持ってきたんです。つまり、かつては住民登録をして米穀通帳を持っていないと米の配給が受けられなかったんです。生活に不自由したわけです。ですから、住民登録もしない、したがって米穀通帳も持たないという者は、何とか食いつなぐことはできても相当不自由を強いられた社会であったんだろうと思うんです。
 今、いろいろ聞きますと、住民登録をしていなくても不自由することはほとんどないんだそうです。教育も受けられるんだそうです。ただ一つ、選挙の投票に行けないだけでございまして、若い人はもともと余り投票に行きませんから、したがって不自由することは何にもない。これでいいんだろうかというふうに私は思うんです。
 ですから運転免許証を交付するときは、あなた、事故が起こったら大変でしょう、学生さんだって障害ということを考えて強制適用になったんですよ、ですから国民健康保険の保険料を払って国民年金もちゃんと払ってきなさい、でないと運転なんてとんでもないですよ、というのが普通の社会じゃないかなというふうに私は思うんです。
 それから、自助努力は大いに結構なんですが、国の年金が危ないから生命保険へ、個人年金へという勧誘が結構あるらしいんです。つまり、国民年金だけの方ですと、国民年金だけでは不十分だということは国も認めているわけです。ですから、生命保険料控除と個人年金保険料控除も五千円から五万円に上げてまで自助努力を奨励しているわけですが、しかしそれは国の社会保障、助け合いの制度への参加を前提にして奨励しているわけです。本来果たすべき義務を怠ってそちらに走る者に対してまで税制上の優遇を与えるというのは、国としてやっていいことかなという気が私はするんです。
 実は、私のこの提案というのは末端の市町村のお役人には大歓迎でございまして、山崎さん、どんどん言ってくれということを言われているんです。恐らくこういうことをやるだけで市町村の国民年金、国民健康保険のお役人の仕事の量は極端に減るというふうに私は思うんです。でもこのことを山口年金局長に申し上げましたら、山崎さん、いいことを言ってくれるんだけれども、実は役人が一番苦手な分野だと。運転免許証は警察にあいさつに行くのかな、生命保険料控除ということになると大蔵省銀行局にあいさつに行くのかな、何で年金の怠慢を警察が、銀行局がお世話しなきゃいかぬのかなと言われると弱いんだよなと言われるんです。そこのところはやっぱり国会で調整していただかなければいけないんじゃないかなというふうに私は思うんです。
 それから、資産保有によってというのですが、これは何となく受け入れやすい話なんですが、どうも社会保険という中には入りにくいんじゃないかなという気がするわけです。よくあんなお金持ちにまで年金が必要なのか、あるいは保険証が必要なのかという議論があります。かつては松下幸之助さんがよく出されたわけです。しかし、我々は死ぬときに松下幸之助さんになって死ねるという保証はどこにもないんです。
 つまり、計画的に老後に備えるということは非常に難しいからこそ老後の保障、医療の保障というものを社会化したわけなんでございまして、したがってお金持ちだから年金をとめる、保険証をとめるということは、私は保険の世界では非常に難しいんじゃないかなという気がいたしております。ですから、その部分は別の対応になるのかなと。それは税で調整してもいいわけです。
 ただ懸念しますのは、基礎年金を全額国庫負担でということになりますと、必ずお話しのような話になります。税金を使ってまで高額所得者に年金を支給する必要があるのかということになります。日本は原爆被爆者等、国の損害賠償と考えられるものを除いてはすべて税で出すものについては所得制限が入っております。そうすると、まず基礎年金が全額税金になったときには所得制限をかけるんでしょうね。それから基礎年金を、仮に消費税を目的税化するとしますと、年金の支払いの増加の方が消費の伸びよりはるかに高いですから、毎年消費税を上げるということになるでしょう。毎年消費税を上げるときにそういうチェックがいつもかかってくるんだろうと思うんです。所得制限がどんどんどんどん厳しくなる。行き着くところは、だれもが老後は平等な年金ではなくて、困ったお年寄りがある程度の年金をということになると思います。困っているか困っていないかという判定が公平であればまだいいんですが、実際にはそこに所得把握の不公平が入ってくるというふうに思います。
 ですから、今の社会保険という仕組みの中にうまく国庫負担を入れていくということを考えるべきであって、全額国庫負担というのは将来の発展性ということから考えると非常に問題があるというふうに私は思っております。
 以上でございます。
#29
○浜四津敏子君 ありがとうございました。
#30
○理事(竹山裕君) 以上で山崎参考人に対する質疑は終了いたしました。
 山崎参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
    ―――――――――――――
#31
○理事(竹山裕君) 次に、高木参考人より御意見を伺いたいと存じます。
 この際、高木参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます心どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 それでは、高木参考人よろしくお願いいたします。
#32
○参考人(高木安雄君) 高木でございます。
 本日は、お手元に資料をお配りしておりますが、高齢化社会における医療保障の課題について、サービスと財源の総合化という観点からお話しさせていただきたいと思っております。
 柱は三つほどございまして、第一番目に「高齢者医療の費用と社会保障の問題」、第二番目に「高齢者医療の現状と保健・福祉との連携の課題」、三番目に「高齢者医療の今後の課題―在宅や介護サービスヘの取り組み」という三つの柱でお話しさせていただきたいと思います。
 結論的には、急速な高齢化の中で、我が国は高齢者ケアの充実のためには施設も在宅も同時に整備していかなければならないということが私の結論であります。そのためには、現在の医療保障を初め、保健・福祉の各サービスを総合的に高齢者のニーズに対応して提供できるような体制の整備が必要であるということでございます。
 我が国は、御承知のように、戦後輝かしい高度成長を遂げたわけですけれども、その輝かしい高度成長の果実を二十一世紀の高齢化社会に生かす方策をぜひ御検討いただきたいと思ってきょう参りました。
 まず第一に、「高齢者医療の費用と社会保障の問題」について述べさせていただきます。
 お手元の資料、図1に示しましたように、高齢者の一人当たり医療費は昭和五十二年度以降着実に上昇しております。ここで見ますと、六十五歳以上の一人当たり医療費は平成三年度において五十万九千八百円となっております。全年齢平均の三・三倍というレベルにございます。昭和五十二年度は二十一万九千円ですので、この十四年間に二・三倍も伸びたことになるわけであります。
 こうした結果、高齢者人口の増加と相まって医療費に占める高齢者の医療費の比重も当然大きくなっております。六十五歳以上の医療費の構成割合を見ますと、平成三年度においては四一・八%に上っており、医療費の約半分近くが高齢者によって消費されるという時代がすぐそこまで来ているわけであります。同じく五十二年度の割合を見てみますと二一・七%と、現在と比べますと約半分程度の比重で済んでおりました。六十五歳以上の人口の割合というものは、この間九・一%から一二・〇%にふえておりますが、これから明らかなように、それ以上の医療費の増加になっており、これは医療保障にとっても大きな財源的な問題を生んでくるわけであります。
   〔理事竹山裕君退席、会長着席〕
 高齢者の医療について考えた場合、問題はこうした高齢者の大きな医療費がどのような疾患で支出されているか、使われているかという問題でございます。下の図2に示しておりますが、ここでは疾患別上位五つの疾患についてその推移を示しております。それによりますと、循環系の疾患が二四・〇%、四兆五千五百九十五億円を占めております。次いで消化系の一〇・六%、新生物の九・七%などとなっております。医療費の約四分の一が循環器系によって支出されているという状況でございます。
 これを六十五歳以上の高齢者について見ますと、循環器系の割合はさらに大きくなっておりまして三八・九%と約四割を占めております。次いで新生物の一〇・三%、次に筋骨格系及び結合組織の一〇・二%という状況でございまして、呼吸器系の医療費のシェアというのは小さくなっております。ある意味では高齢者特有の疾患が医療費にも反映してくると言えると思っております。
 こうした高齢化による医療費支出の変化、すなわち循環器系の疾患の比重が大きくなるということは医療保障にとって大きな問題を生んでくるわけでございます。御承知のように、これら循環器系の疾患というものは長期に慢性化してきます。しかもいつ治るかなかなか判断がつかない。また、本人のふだんからの健康管理とか生活習慣がその治療とか治療効果に大きな影響を及ぼす疾患でございます。そうしますと、だれもが確率的に平等に病気になるという、ある意味では急性期の疾患というのはそういう疾患でございますが、そういう時代から、循環器系の疾患がこれだけの比重を占める時代というものには、例えば本人の健康管理の努力を援助する、支援するような保険給付の設計とか患者負担のあり方の見直しとか、例えば保険料賦課のあり方についても旧来の保険の設計では合致しなくなっているという時代に来ておるわけであります。そういう意味では、医療保障全体が高齢化によって私は見直しを迫られてきていると思っております。
 さらに、高齢化による医療費の支出の特徴について述べますと、入院医療費の増加というのが指摘できます。
 ここにそのデータは示しておりませんが、国民医療費に占める入院医療費の割合というものは平成三年度は四〇・五%でございます。二十年前の昭和四十六年と比べますと、昭和四十六年が三五・六%ですので、五%ポイントほど大きくなっております。十年前の昭和五十六年と比べますと、そのときの構成割合が四一・三%でありまして、今日よりは大きいのですが、これは老人保健施設という新しい高齢者のための施設をつくりましたので、入院の一部がそちらに移行した結果であります。平成三年度の老人保健施設の医療費に占めるシェアというのは二・八%ほどございます。これに入院医療費を足しますと合わせて四三・三%となりまして、十年前よりはやはりシェアは大きくなっておる。高齢者の医療は長期慢性化しやすく、また介護サービスの部分がふえてきますので、入院の長期化による医療費の増大、そのための負担という問題が大きく今日起こってきているわけであります。
 もう一つ高齢化に関しまして社会保障との関連で御説明したいと思います。
 平成三年度の一人当たり社会保障給付費は四十万四千円と初めて四十万の大台を突破しました。このうち年金とか老人医療、老人福祉などの高齢者関係給付というものがございまして、これについても平成三年度初めて六〇%を突破しております。社会保障の大きな部分が高齢者のための給付に変化している。昭和四十八年の高齢者関係給付のシェアを見ますと二五・六%でございました。この間社会保障の基本的な性格が貧困や病苦の予防、救済という性格から、高齢者のための給付へという非常に大きな変化を遂げているわけでございます。
 問題は、この社会保障給付費から見た高齢者関係給付における医療、年金、福祉というそれぞれの組み立ての問題でございます。
 高齢者関係給付費の構成割合から見ますと、年金は昭和四十八年度の六八・八%から平成三年度の七七・三%までその比重を拡大しております。これはやはり、高齢化の中で高齢者のための所得保障が社会保障の中で優先されてきた結果だと私は思っております。他方、老人医療の部分について見ますと、同じ時期に二七・四%から二〇・五%まで低下しております。老人福祉について見ますと、もともとこの比重というのは小さいわけですが、昭和四十八年度の三・八%から平成三年度の二・二%まで小さくなっております。これはこの後お話ししますけれども、医療に偏重して高齢者ケアのサービスを提供した結果、老人福祉の部分のシェアが小さくなったと考えております。もっともこの老人福祉についてもゴールドプラン、高齢者保健福祉十カ年戦略が始まりまして、ここ三年間の比重だけを見ますと、ようやく上昇傾向に変わってきているということに注目したいと思います。
 次に、本日の本題であります「高齢者医療の現状と保健・福祉との連携の課題」について申し述べたいと思います。
 まず、我が国の六十五歳以上の高齢者ケアの現状について概観させていただきます。次の表1に示しております。表1には病院、診療所、老人保健施設という医療関係の施設とともに、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、それから軽費老人ホームなどの老人福祉関係の施設、あわせて入院患者、入所者の推移を十年置きに示しております。それによりますと、施設にいる高齢者の割合は一九六〇年の一・六%から一九九〇年の六・五%にふえ、この間の施設収容の割合というのはアメリカよりも高いと言われております。六十五歳以上の人口の六・五%の方が何らかの施設に入所している。
 アメリカの状況については、一枚めくっていただきましたページ、表3に示しております。ここではデータの関係では一九七〇年以降の数字を比較しておりますが、ここで見ますように五・六%と、アメリカの施設収容の割合というのは同じ数字で推移しております。アメリカの高齢者を対象とするメディケアという保険がありますが、これはそもそも長期のケアを対象としておりません。その結果が大きく影響していると思っております。その点、我が国とこれが一番大きな違いと言えますが、しかもアメリカの場合は老人の長期ケアのほとんどがナーシングホームで行われているということが大きな特徴でありまして、我が国では表1に示しましたようにさまざまな医療施設、そして福祉施設で幅広く展開されているというのが大きな特徴と言えます。
 ここに見ますように、アメリカでは長期ケアに関する病院の比重は低下しておりまして、むしろナーシングホームだけが唯一の施設になっているということが言えます。
 初めの表1に戻っていただきたいと思います。このように我が国における医療と福祉という二つの分野で高齢者ケアを提供しているわけですが、医療部門が特にかなりの部分を担っております。施設収容全体で見ますと七六%を占めておりまして、このうち九〇%が病院、六%が診療所、四%が新しく創設された老人保健施設でございます。
 このように我が国では病院が老人の長期ケアの大きなサービス提供主体となっておりまして、その結果、病院全体の平均在院日数も五十一日に上っております。しかも、入院患者の四六%が六十五歳以上の老人という実態でございます。さらに、老人患者の四三%は六カ月以上の在院期間であり、五年以上という長期の入院も九%ほどおります。
 診療所も病院と同様に老人のための長期ケアの機能を担っております。入院患者の四八%が六十五歳以上の高齢者でございまして、本来診療所というものま四十八時間の収容を目的にした入院施設でございます。それにもかかわらず、老人患者の三八%は診療所に六カ月以上も入院していると
 いう実態がございます。
 老人保健施設は我が国で最初に創設された中間的なケアの施設でございます。病院を退院した患者が地域や家庭に帰る前に、より快適な環境の中でリハビリテーションなどのサービスを受けるという目的でスタートしました。このため、ここに入所する高齢者は三カ月以内に退所する方針を厚生省では掲げておりますが、現在データを見ますと、その六三%は三カ月以上の入所を続けております。
 老人の長期ケアのもう一つは社会福祉によるサービスでございます。全体の入所者の残り二四%を占めております。そのうち六七%は特別養護老人ホームに、二七%は養護老人ホーム、七%が軽費老人ホームに入所しております。御承知のように、養護老人ホームと軽費老人ホームは安い費用で生活サービスの提供を目的としておりますので、アメリカのナーシングホームに相当するものは我が国では特別養護老人ホームであると言えます。
 しかし、問題はこれらのさまざまな医療及び福祉施設がそれぞれ独立に開設され、しかもその機能は連携していない現状にあります。こうした現在のシステムはなぜこうなったかと申しますと、やはり高齢者ケアのニーズの急速な拡大に対応しながらも制度的な体系を持った整備が行われてこなかったと私は考えております。歴史的に最初に生まれたのは社会福祉による特別養護老人ホームでございますが、御承知のようにその建設費と運営費は補助金に依存しておりますので、その後の整備というものは財政的な制約がかかってゆっくりとしか進まなかったということがこの表1のデータでおわかりいただけると思います。
 一九七三年、老人医療費無料化が実現されたわけでございます。これによって、高齢者の長期ケアに対する超過需要に対して病院が供給するように変化させられていきました。医療保険の財源によって高齢者が無料で医療サービスを受けられるようにしたわけでございますが、これは決してマイナスばかりではなくて、従来の福祉という貧しい者へのサービスというマイナスイメージを払拭して老人に医療サービスを提供できた、こういう背景が私は指摘できると思います。
 この結果、高齢者の長期ケアのための病院、いわゆる老人病院ですが、次々と開設され、また中小病院が老人病院化していったという状況がございます。
 しかし、病院というのは本来高齢者の長期ケアの施設としてはつくられておりません。設備、人員配置も最低限にとどまっているわけでございます。さらに、このような老人病院で長期ケアを行う際には有資格の看護婦を確保することが困難でございます。その結果、付添看護を余儀なくされ、患者さんには保険外の財政負担を強いてきたという現実がございます。
 一九八八年には老人保健施設が創設されました。厚生省は病院の幾つかはこの老人保健施設に転換する意図を持っておったわけですが、実際の転換は少ない現状にあります。その理由としては、老人保健施設の施設療養費の金額が低いということが挙げられます。もう一つは、老人保健施設の設備構造基準が従来の既存の病院にとっては厳しい内容で設定されているということが指摘できると思います。例えば一床当たりの面積について見ますと、病院は四・三平米でございますが、老人保健施設は八・〇平米という二倍のスペースを必要とするわけでございます。しかし、二十年以上の歴史がある軽費老人ホームの入所者がずっと停滞しているのと比べますと、この老人保健施設というのは着実に成長していることが御理解いただけるかと思っております。
 この老人保健施設には相対的に短期の入所施設という本来の目的があるわけでございますが、これを実現するのはなかなか難しい。その一つには、在宅ケアがまだ不十分であるということに加えて、高齢者のための長期ケアに関する恒久的な施設はどこなんだということが片づいていないことから、老人保健施設がその役割を担わされている部分も私は存在していると思っております。特別養護老人ホームもこのゴールドプランによって二十四万人分の整備計画が立てられておりますので、全体的な高齢者ケアの整備充実の中でこのような全体的な統合が私は進むことを期待しております。
 さらに、高齢者ケアのこうした状況の中で注目したいことは、厚生省は平成二年度に診療報酬改定を行いまして定額支払いによる老人病院の制度を導入しました。この制度に関して若干御説明させていただきますと、一定以上の介護職員を置いて介護力の強化を行いなさい、付き添いは認めませんということで、出来高払いによる支払いはリハビリ、画像診断処置など一部に限定しまして定額払いの老人病院をつくったわけでございます。しかも、この定額払いの金額自身が相対的に高く設定されておりますので、老人患者の割合が高くてしかも看護婦さんが少ない病院にとっては、経営的には有利な状況がつくられたわけであります。
 問題は、こうした介護力強化の老人病院ができたということは、既存の特別養護老人ホームや老人保健施設にとって新たな問題を生み出したと私は考えております。すなわち定額的な支払いの場合、要するに軽症の患者のみを入院させてしまう。この方が施設にとっては楽なわけですので、そのようなインセンティブが働いできます。もちろん特別養護老人ホームについて申しますと、福祉事務所による措置という一定の行政処分を行いますので勝手に入所者を選ぶことはできませんが、一般的に施設側の自由裁量もかなり働くと言われております。これはどうしてかといいますと、重い高齢者ばかり入所させますと施設側にとっては過大な負担となりますので、全体的なバランスをとる必要がある。措置の中とはいえ一定の自由裁量が働いているという現実がございます。このような中で介護力強化病院が新しく加わっても、逆に言いますと軽い患者が容易に入ってしまうという可能性があります。その結果、重症患者は常に入院困難な状況に置かれてしまうということが予想されてくるわけであります。
 しかし、この定額支払い制度の病院についてコメントさせていただきますと、一つは、薬剤費、検査費を大幅に減少させました。これは出来高払いが生み出してきました検査づけ、薬づけというものから、介護の充実に対して新しいサービスの転換を図ったと私は考えております。看護婦自身も、検査、薬という医師の診療介助から食事の介助、身体の清拭などのサービスに転換しますので、これが老人自身のADLの向上につながるということが考えられます。
 しかも、出来高払いというのは、御承知のように医師が行った診療行為に対してすべての費用保障をするわけでありますので、ある意味では過剰な検査、薬を生みやすい。しかし、この定額払いのもとで行いますと、患者にとって最も必要な薬剤とは何か、最も必要な検査とは何かというコスト意識を提供者側に植えつけるというメリットもございます。そうした意味では、老人医療のあり方についてこの定額支払い制度というのは劇的な変化を私はもたらしたと思っております。
 もちろん、先ほど指摘しましたように、重症患者の入院拒否あるいは困難という課題もありますが、現在のところ、私の見た限りではそのような例というのは見られておりません。むしろ、将来的には、そのような重症患者の入院困難というものに対してどのような制度を用意していくかというのが今後の検討課題になると思っております。
 こうして見できますと、医療の福祉化という大きな流れの中で、高齢者の介護サービスはかなり入り組んだ形で展開されているのが御理解いただけると思います。これが我が国の高齢者の医療の特徴だと思っております。
 こうした状況を改善するには、重症患者の特性に応じかつ公平に支払うシステムが求められていると私は考えております。さらに医療施設、福祉施設による高齢者の長期ケアに関する現在のばらばらなサービス提供のあり方を改めまして、全体の調整、統合を進めながら、その症状に応じて効果的なサービスを提供できるようにする連携と統合が求められていると私は思っております。将来的には、このような現在の病院、老人保健施設、特別養護老人ホームという制度的な区分を再検討するとともに、それぞれの施設に入っております高齢者の重症度、費用、マンパワーの配置についても同じ尺度で評価、判定して、老人ケア全体のサービスと施設体系を再調整することが大きな課題であると思っております。
 さらに、高齢者の医療に関しましては、平成四年四月から老人訪問看護制度がスタートしております。これは老人のQOLの確保を中心に、家族や外部からの支援によって住みなれた地域、家庭で療養できるようにするという目的があるわけでございまして、在宅ケアの主軸として大いに期待できるサービスと考えております。
 では、このように次々と生まれてきました高齢者ケアに関する施設でございますが、それぞれの施設にいる高齢者の重症度はいかなるものかというものを見たのが表2のADLの比較でございます。この表2を見ますと、ADLの違いを見ることによって、それぞれの施設やサービスの特徴あるいは類似性が明らかとなります。ここで介護必要度と定義しておりますが、これは一部介助と全介助を合計した数値でございます。
 例えば食事について見ますと、介護必要度が一番高いのは老人訪問看護サービスの対象者で六五・一%となっております。在宅も四一・六%と高いのがおわかりいただけると思います。他方、特別養護老人ホーム、介護力強化老人病院と施設入所の高齢者のADLは、むしろよくなっている現状にございます。
 しかし、入浴について見ますと、老人保健施設、特別養護老人ホームが九〇・一%、八八・〇%となっておりまして、老人訪問看護サービスの九二・〇%は横におきまして、在宅が七五・七%ですので、施設よりもADLが高くなっております。同様に歩行について見ますと、老人訪問看護サービスの八四・〇%は横に置きまして、特養六一・九、老健五七・二と比べまして在宅は四二・六とADLがよいことが明らかでございます。
 このようなデータから見ますと、在宅において訪問看護サービスを受けている高齢者のADLは低く、より必要なサービスを求め、また供給しているということがおわかりいただけると思います。しかし、在宅の要介護老人全体を見ますと、入浴とか歩行のADLについては施設の高齢者よりもよい状態にございます。しかし、食事のADLは低く、家族もそのための介助をしているということが言えます。
 ここからは推測になるわけですが、食事というものは家族にとって非常に介助しやすいものであります。逆に言いますと、家族は手をかけ過ぎている、もっと自立できるのではないか。さらに加えますと、専門的な介護技術が家庭に入っていけば、老人が自立できる環境は整っている、そして家族の介助も少なくて済む、楽になる可能性が大きい、そのように私はこのデータから言えるのではないかと思っております。
 さらに、全体的に見ますと、老人病院や老人保健施設にいる高齢者のADLがほかの老人福祉関係の施設、在宅などと比べて高いということが指摘できます。それだけADLのいい人が入っているというわけでございます。これをどう考えるかということでございますが、老人保健施設については本来病院から家庭へ、病院から福祉施設への中間的な施設ということでADLが相対的にいい人がいるということも考えられます。この定額払いに関しては、今後より多くのデータを集めて判定、考えていくしかないと私は思っております。
 ただ、ここで注意したいことは、表2のデータはあくまでADLという高齢者の日常生活動作の能力に着目したものでございます。ここに医療サービスの必要度という新たな尺度を加えますと、高齢者全体のケアに関するニーズというものは変わってきます。
 例えばどのようなことかといいますと、重度の寝たきり老人に対してはリハビリテーションなどのサービスは行えません。現実的にもう寝たきりですから行えません。ですから、リハビリという医療の必要度は低く出てくるわけです。投薬、処置などの医療サービスも同様でございまして、ADLだけで高齢者ケアの全体的なニーズを判定することは危険でございます。
 それゆえに高齢者の医療、介護にかかわるニーズの総合的な判定の指標の開発が求められておるわけでございまして、現在私どもも幾つかの研究を行っております。もちろん、医療と介護の線引きというのはなかなか単純ではございません。これが医療かこれが介護かというのはそう簡単でございませんで、総合的な判定の指標といっても苦労しているところがございます。
 最後に、こうした現状をもとに「高齢者医療の今後の課題」について若干お話しさせていただきたいと思います。
 まず第一に強調したいことは、老人病院、特養、老健施設、このような各施設の入所判定とそこで行われるサービスの調整、統合化の必要性でございます。これには、さきに申しましたように、高齢者の持つ医療や介護のニーズについて一つの共通の尺度で判定して、それぞれにふさわしい資源を投入していく、このようなことが必要なわけでございます。
 現在は、御承知のように、サービス量が絶対的に不足している中で各施設がそれぞれ努力しているという現状にございます。福祉は、例えばホームヘルパーも含めて公的枠組みでございます措置制度で判断され、医療サービスに関しては医者の往診、そして訪問看護のサービスに関しても医師の指示というものを必要としています。サービス提供の決定者がそれぞればらばらでありまして、これを一体的に運営することが私は肝要であると思っております。
 これと同時に、在宅における看護、介護のサービスについてもその統合、総合化が必要だと考えております。医療、福祉という現在の縦割りのサービス提供では、残念ながら高齢者のさまざまなニーズにこたえられません。
 例えば、よくある話でございますが、訪問看護婦が在宅に行った日がたまたまよく晴れた日であった。その際、高齢者からいいますと、せっかく晴れたのだから布団を干してほしい、洗濯物を干してほしいという希望が出されます。実際、訪問看護婦さんも家事援助の仕事をしてしまいます。その際、あしたホームヘルパーが来ることになっているからといって断れないのが現場でございます。これは当たり前でございます。しかも、あしたホームヘルパーが来るからといって晴れる保証というのはございませんので、高齢者のニーズというのはやっぱりその場で満たしてくれるのがまさに必要なわけでございます。
 在宅のサービスというのはこのようにさまざまなニーズを持っておりまして、前もってきょうのサービス量が決まっているというものでもありません。非常に不定量でございまして、さまざまなニーズを高齢者は抱えている。だからこそ私はサービスの統合を含めた全体のコーディネーションが大切であると思っております。
 次に強調したいことは、在宅ケアのより一層の整備でございます。
 ゴールドプラン以後その整備が進められておりますが、まだ足りない現状でございまして、もっと充実する必要があると思っております。もちろん、在宅でどこまで可能かという問題がございます。そういう問題もございますが、可能な限り在宅でサービスを提供して、どうしてもだめな場合には施設につないでいくという一連のサービス体系を築く必要があると思っております。
 よく介護サービスについても家族か公的サービスかという議論もございますが、現在の我が国の急速な高齢化を考えますと、多分家族も公的サービスも両方とも必要ということで進めていくしかないと思っております。在宅か施設かという問題もございますが、すべてを在宅でサービスすることは不可能なわけであります。むしろ、多様なサービスを用意しまして、最終的には高齢者本人の選択に任せるのが私は妥当であると思っております。
 その際に問題となります重要なことは、費用負担のバランスの問題がございます。在宅だから負担が大変である、施設にいるから負担が楽という状況では適正な選択が行われませんので、この現状というのは改める必要があると思っております。やはり利用者に不公平にならない負担のあり方を考えていく必要があります。
 その点からも、高齢者ケアについては家族の介護力とか費用負担の能力などを見きわめながら、そして高齢者の希望を踏まえながらさまざまなサービスを統一的一体的に提供できる、そのようなコーディネーターの役割を果たす人がぜひとも私は必要になってぐると思います。
 日本においては、高齢者との同居が多いために家族介護の基盤は諸外国と比べてまだ私は残っておると思っております。しかし同時に、家族の介護が女性、特に長男のお嫁さんに大きな負担になっているのも事実でございまして、女性に限らず家族の介護力を支援するという方策は今後とも進める必要があると思っております。
 ここで最後の表4をごらんいただきたいと思いますが、ここでは介護提供者に関して日本とアメリカの比較をしております。
 これを見ますと、例えば介護提供者の割合で言いますと、妻の比重というのはほぼ同じでございます。夫がアメリカの一三%に対して日本が八%、娘がアメリカの二九%に対して日本が一四%と少ないことがおわかりいただけると思います。その分長男の嫁というか、子の配偶者という定義でデータをとるのですが、嫁に負担が偏っているのがおわかりいただけると思います。息子がだめなのはもう日本もアメリカも同様でございまして、夫の提供が少ないというのは、やはり夫婦のみの高齢者世帯が少ないことと同居世帯が多いということで、同居すれば嫁さんに任せちゃって夫はやらないという現状がこのデータから推測できるわけでございます。
 次の問題として、こうした高齢者ケア全体を公的に行うのか民間で行うのかという議論がございます。これについては我が国でさまざまな取り組みがございますが、一つの自治体の病院が総合的に高齢者ケアの提供を行う、施設も在宅も行って成功しているところもございます。他方、さまざまなサービス提供主体を前提にしまして、それぞれの持つ情報を開示しまして、それをネットワーク化して連携、連結して総合的なサービス提供を行っているところもございます。この問題で重要なことは、高齢者のニーズに対応したサービスを総合的に提供していくということでありまして、先ほど申しましたコーディネーションが大切なことは言うまでもありません。そういう意味では、公的、民間は私は余り問題はないのではないかと考えております。
 ただ、その際サービスの質の担保をどうするのだという議論がございます。これに関しては、高齢者に選択させる、サービスの提供主体を多様化させるといっても、質はどうなるのだという議論がよく出てきております。ニーズに対応したサービスが基本でありまして、それを効率的に提供できれば公的、民間の区別は私は必要ないと思っております。むしろ高齢者の利用者負担とも関連してきますが、効率的にサービスを提供して、コストを削減してサービス提供ができれば利用者の負担も軽くなるわけでありますので、効率性と質の問題というのは、施設においても在宅においてもますます重要な課題となってくるわけであります。
 訪問看護サービスなどの話を聞きますと、この高齢者のニーズと負担の問題についておもしろいケースが時々聞かれます。どういうことかといいますと、高齢者が自分の選択の意思を在宅においては表明するということでございます。
 具体的に言いますと、気に入らないからこの看護婦さんはかえてほしいという希望をセンターに言ってまいります。目の前で、あなたは気に入らないからあしたから来なくていいというはっきりした意思を表明する高齢者の方もおられます。他方、気に入ったからもっと来てほしい、お金は自分で払うからもっと来てほしいというニーズを表明する高齢者もございます。高齢者が、自分たちに提供されるサービスに対して自分の希望を述べるというのは、これは非常に私は歓迎すべきことだと思っております。これが施設であればなかなかそのような意思を表明することは容易でありませんので、これが私は在宅ケアの一つのよさだとも思っております。
 サービスを公的に提供することは大切なことですが、時として本人の意思とか希望を無視しましてお仕着せのサービスを提供してきたのではないかという反省も私にはございます。もっと高齢者を中心としたサービスを展開するためには、高齢者自身のニーズ、希望をまずはっきりつかまえる必要がある。それにこたえることなくして利用者負担の議論はできないわけでございます。これについては、施設や在宅に関係なく、バランスよくサービスを提供できる体制を整備させて高齢者のニーズにこたえていくということが、私は今後ますます重要になってくると思っております。
 このように高齢者の医療保障を考えてきますと、成人病の時代を迎えまして、これまでの医療保障の大きな制度変革を必要とされております。御承知のように、従来の出来高払い・現物給付方式というものでは、薬、検査が優先されまして、本当に必要な介護、看護のサービスというのはなかなか評価しにくいという問題がございます。このためにさまざまな改革をしてきたわけですが、やはり目指す方向は、これらの各サービスの全体的な調整、統合、そして利用者負担の統一的な見直しというものを私は進める必要があると思っております。
 ただ、高齢者の医療というものは、看護とか介護とかの重要性が高まるわけでありますが、すぐれてサブジェクティブ、主観的な満足にかかわるサービスでございます。医療の場合は、検査をすれば異常値が出て、これを正常値に近づけるための投薬、処置、必要なサービスを投入する、このような仕組みが可能なわけですが、看護、介護というものはなかなかそのようなものが可能と言えない状況にございます。
 こういう難しいサービスに対して公的なシステムを本格的に構築するというのは、これまでの社会保障は取り組んでこなかったと私は考えております。もちろん、福祉とかヘルスの一部では取り組んできましたが、高齢者という大きな問題はこれからの問題でございます。この高齢者の介護の問題は、先進国共通のテーマとなっておりまして、ある意味では二十一世紀の社会保障を占う最重要課題でございます。御承知のように、これに関しては、先進国いずれを見ましても解決のためのモデルはございません。我が国がこれからどう取り組んでいくか、一九六一年の国民皆保険・皆年全体制から三十余年が過ぎまして、もう一つ新しい時代の社会保障の再構築を私は求められていると思っております。
 しかも北欧諸国、施設の整備が一段落してから在宅に取り組んでいったというゆっくりした高齢化の国と異なりまして、我が国では高齢化が急速な分だけ施設も在宅も同時に進めていかなければならない状況にございます。それゆえに、これまでは福祉の不足分を医療サービスがある意味では穴埋めしてきたという現状だと私は思っております。逆に言いますと、病院に本来の機能を発揮してもらいまして、急性期医療を充実させる。そして国民全体の健康を保持していく。高齢者、中高年、児童、さまざまに区別なく全体に対してよりよいサービスを提供していく。こういう中で、国民全体の高齢化社会を乗り切るための基盤整備を進めていく。そのための医療保障の改革はこれから本番を迎えるのではないかと私は思っております。
 以上で私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
#33
○会長(鈴木省吾君) 以上で高木参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#34
○服部三男雄君 先生の日本の高齢化社会における対応問題の難しさ、特に急激な高齢化に対応する難しさということについての説明を聞いて、日ごろ余り関心がなかったんですけれども、なるほどなと。そして、日本の対応はおくれているが、徐々にゴールドプランとか定額払い制度とかいろいろなもので対応は進んできたんだなということもわかったわけですが、もう少し御説明を願いたい点が一つございまして、一ページの@の「高齢者の医療費の状況」の中の「健康づくりの必要性や保険給付・範囲の見直しなど、公的保険の変容を迫っている。」とありますが、具体的にもう少し御説明願えればなと思っておりますので、その点補足してお尋ねした,いと思います。
 もう一点は、私の父も特別養護老人ホームとか保健医療施設をやっておりまして、四百ベッドか七百ベッドか随分でかいのをやっておるんですが、不肖の息子でございまして、私はほとんどそっちの方に興味ないんですが、たまに行ってみますと、今先生は在宅と施設収容者の両者の負担の公平化とか見直しの問題をおっしゃっていました。確かにそれは実感として感じまして、おじいさんおばあさんを入れると、本当に物見遊山でたまに月に一回か二カ月に一遍何か儀礼的に見舞いに来る程度でして、そのときの様子を見ると、長男の嫁さんですか、今先生の表4にありましたが、この人たちは来ないんです。それで子供たちが来るんですね、実の子供たちが。いかに親子というものは水臭いかなとよくわかる社会現象があるんです。
 一番ひどいのは亡くなっても引き取りにも来ない。お葬式を私どもの方でやるというのはよくあるんですね。日本の伝統の純風美俗が随分崩れているんだな、家族のきずなというのはこんなになっているんだなという社会現象をまざまざと見る思いがするんです。それを見ていまして、今先生のおっしゃった負担の公平化の問題なんですが、特に東京なんかの収容者の子供たちを義務みたいにして、介護要員にして、月に五日なら五日、日曜日ごとに来るような制度を考えた方がいいんじゃないかなというような気がしておりまして、そういうことは可能なのかどうか。
 随分素人っぽい感情的な話で、およそ学問的じゃなくて申しわけないんですけれども、今の費用負担の公平化の問題のところの絡みもあるかと思いまして、この二点をお尋ねしたいと思います。
#35
○参考人(高木安雄君) 第一点の公的保険の変容について答えさせていただきます。
 一つはやはり保険料賦課のあり方でございますが、本人が健康努力をいっぱいしている人と健康努力をしない人の保険料賦課が同じでいいのかという問題があるわけですね。本人の健康管理がかなり効いてくる病気で医療費の大半が占められる時代になりますと、ふだんから健康努力をしている人としていない人の努力の反映を何で評価するんだということになってくるわけでございます。じゃ、病気になったときに努力した人と努力しない人の患者負担はどうあるべきか。
 簡単には社会保障の中で、一つは健康な人から病気の人への移転、お金のある人からお金のない人への移転というのを同時に進めておりますので、軽々に患者負担をこのようにできるとは思いませんが、これだけ長期慢性の疾病がふえてくる今日、従来の一律的な負担という形で果たしていいのかという問題点。今日、厚生省が予定しております給食の一部負担という問題もありますが、あれもやはりそのような流れの中で考えますと、私は一つの方向を示しているのではないかと思っております。
 保険の給付のあり方も同様でございまして、何から何まですべて保険で給付することが逆に本人の健康管理の意欲を阻害するという問題もございます。これに関しては難しい部分がありまして、薬の部分、本来の医療の部分と周辺のアメニティーの部分、一定の区分けをして患者負担のあり方を考えるべきではないか。それと、公的保険の範囲についても明確にして、それ以上は民間保険なり本人の負担でやっていこうではないかという検討を行っておるわけでございますが、やはり急性期疾患の時代は保険の計算ができない。いつ保険給付が終わって、それに相当する保険料をどれぐらい用意しておけばいいかということが想定できないわけですね。
 先ほど申しませんでしたが、循環器系の疾患が非常にきれいに伸びておりますが、これのかなりの部分が一日当たりの薬剤、検査、医療サービスの投入量で上昇しているわけでございまして、そういう意味では、やはり包括的な支払いとかいろんな見直しを進めていく必要があるということでございます。
 第二点の長男の嫁の問題でございますが、一つは先生の御質問に私なりに答えさせていただきますと、長男の嫁が来ないのは、非常に冷たい言い方かもしれませんが、子供たちが来るのは一つは親の遺産が入ってくる可能性があるからと。長男の嫁というのは御承知のように評価されないわけですね。そういう意味では民法の問題、これは私の範囲を超えた問題でありますが、最後に文句を言うのが介護をしない子供たちでありまして、長男の嫁は一人疲れ果てて何にも言わずに黙っているという現状でございます。私はそれがかなりの部分の実態ではないかと思っております。
 そのような扶養義務のある子供たちを介護要員として何らか社会化できないかということでございますが、それに関しては私はどのようにしたらいいか少し考えませんとお答えできませんが、ただ、ボランティアとか国民全体でこのような介護の問題に取り組むという姿勢は私は必要だと思っております。一部の施設、一部のマンパワーだけで高齢者の介護の問題が解決できるとは私は思いませんので、そういう意味では、福祉ボランティアという壮大な発想の中で高齢者のケアのために国民に参加してもらっていくという方向を私はもっともっと強調する必要があると思っております。
#36
○服部三男雄君 結構でございます。
#37
○栗原君子君 栗原君子でございます。
 いろいろたくさんお教えくださいましてありがとうございました。私は、先般より先生がお書きになられましたものをいろいろ読ませていただきました。そして今、北海道の医療なども事例を挙げて詳しくお書きになっていらっしゃる様子も読ませていただきまして、大変私も感動いたしたわけでございます。
 そこで、きょうの説明とは少し外れるかもしれませんけれども、私が思っております医療のことを御指導いただければと思いまして少し質問をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
 まず、過疎地の医療、そしてまた過密地の医療ということを考えたときに、過疎地の場合でしたら、高齢者が残されている、そしてバスも通らなければお医者さんもいない、ましてや自動車も持たない、運転もできない、そういう状況の中で本当に受けたい人が医療を受けられないということが一つあるわけでございます。
 それから、先般東京都議の方からこんな話を伺ったんですけれども、例えば千代田区であったならば、病院もたくさんあるし入院施設もある。だけれども、在宅でいる場合には往診をしてもらうことができない。家族なりヘルパーさんが病院に連れていけば診てもらえる、入院はさせてもらえるんだけれども、往診一つお願いすることができない。ふだん寝ている人を家族が病院に連れていこうとすれば、これは大変困難なことである。そういうことを聞きますと、やっぱり過密地での医療というのも一つ私は都市部で大きな問題になってくるんじゃないかなということを考えたわけでございます。これが一点でございます。
 それからもう一点は、今医療現場に働く人たちから私どもの方へたくさん陳情書が来ておりまして、厚生省が今度の通常国会にも出しておりますように、入院の給食費を一日八百円取る、こういうことが出てまいりました。その言い分としては、良質な食事を提供するとかあるいは付き添いの差額を解消するとか、そういうことは言っておりますけれども、これをもし認めることになると、いずれは入院の部屋代とかあるいは薬代などの他の給付にも波及をすることではなかろうか、こういう心配があるわけでございます。既に全国でも十一の道府県、さらには五百二十の市町村で病院の入院給食について反対の決議をしているという状況があるわけでございます。このことについても、少し先生の方から御指導いただければと、こう思っております。
 それからもう一つは、地域の医療を考えた場合に、私の町でもそうでございますけれども、近くの小さな医院でございますが、そこに高齢者の人が朝早くから行って順番を待って、それから電気をかけてもらって帰っていらっしゃるんです。そこが何かコミュニケーションの場になっているわけでございまして、それで医療費が高いから何とか行ってもらわないようにしろと随分乱暴なことを言う人があるわけでございます。でも、ひとり暮らしのお年寄りにとりましては毎日病院に行くことが何よりも楽しみの一つになっている状況を考えたときに、無理やりこれを行かないように勧めるというような乱暴なことは私どもの気持ちとすればできないわけでございます。
 だから、私も地方議会にいたときにこういうことをいたしました。デイサービスの中に機能回復訓練、そしてリハビリの教室を持ちまして、在宅の人たちにもなるべく出ていただくようにボランティアも組織いたしましてそういうことをやりました。そうしますと、お年寄りが病院に行く回数が大変減った、こういうことを聞きました。そして、年寄りが病院に来なくなったからということで、町の医師会の方から私どもの町の、熊野町というんですけれども、熊野町はけしからぬ、年寄りが病院に来なくなって病院が上がったりになった、こういう批判も受けたわけでございます。でも、このことは高齢者の予備軍も含めて、私はこれから医療費を削減することに関しては大変いいことにつながってきているなということも思いました。そういう面でもっと何か先生がお感じになっていらっしゃることがあればお聞かせいただきたいと思います。
#38
○参考人(高木安雄君) まず第一点の過疎地と過密の都市における医療の問題についてお答えさせていただきます。
 御承知のように、今先生のお話にありましたように、高齢者、特に過疎地にひとり残された高齢者の方に対してどのようにサービスしていくかというのは本当に難しい問題でございます。特に私も幾つかの過疎地を歩いたことがございますが、最近は車を前提に、車が通れるように道をつくってありますので、それを高齢者が歩くと非常に時間がかかるわけです。八十歳の人が、私は車に乗らないで昔の道を歩いていくという、まさに昔の直登の現場に出会ったことがあるんですが、そういう意味では、本当に過疎地の高齢者の問題というのは、住宅、医療、すべてのものに関して大きな問題を抱えております。過疎地に対しては、特養に関しても特別な措置を行っておりますが、私はそれだけでも足りないと思いますが、やはり一体的な、本当に散在する御老人の方たちにどのようなサービスを提供していくか、自治体を中心としてやっていかざるを得ないのかなと思っております。
 都市の問題ですが、往診してくれないというのは御承知のとおりでございまして、これは一つには診療報酬上の評価の問題がございまして、今回の診療報酬では在宅かかりつけにさまざまな手だてをしておりますが、片方でそのような評価をしても、インナーシティー、特に過密の千代田区のようなところでは医者自身の高齢化が今非常に進んでおりまして、出ていきたくても出ていけないという現状がございます。このような問題に対して、やはり自治体を初め個々人の診療所というレベルを超えた取り組みをしていかないと、私はサービス提供はできないのではないかと思っております。
 第二点の患者負担の問題でございますが、一つには薬代等に拡大するのではないかという御質問でございましたが、私は、薬代に関して患者負担という問題は、今回の給食費の特定療養費という関連で言いますと簡単な制度ではない。逆に言いますと、薬代に対する患者負担のあり方を現在の一割負担との関連で考えていくにはもっとさまざまな課題がありますので、入院室料とか薬代に早急に広がるという懸念を私は持っておりません。そういう意味では、先ほど申しましたけれども、高齢者のための総合的な患者負担のあり方というマクロの問題で言いますと、給食に対しての相応の負担というのは、私はコスト意識を持ってもらうためにもそれなりの負担というのは必要であると思っております。
 三番目の地域医療の場でございますが、これは非常に難しい問題でございまして、逆に言いますと、医療しか老人に対してサービスするものがなかった、それがゆえに病院の待合室がコミュニケーションの場になっている。そういう意味では、何というか、お粗末とは言いませんが、イージーなメニューでお年寄りにサービスを提供してきた。
 医療しかないというのはやっぱり寂しいと思うんです。これだけ豊かになった社会にさまざまなニーズをお年寄りは持っているはずなんです。それにとりあえず一九七三年、昭和四十八年に老人医療費無料化でこたえましたけれども、それを超えたサービスを残念ながら用意してこなかった。もっとさまざまなメニューを用意してその中でお年寄りの満足をかち得たいと私は考えております。
 むしろ病院がコミュニケーションの場になっているというのは、私はこのような豊かな社会においては寂しいことだと思っております。それにかわるコミュニケーションの場を先ほど先生、デイサービスとかさまざまな地域での取り組みの御説明がございましたが、デイサービスよりももっと楽しいものを用意してよりよい老後を送ってほしいという、もっと広く私は考えたいと思っております。
 そういう意味では社会保障の問題も、昔の貧困、病苦というかなり限定的なサービスではなくて、一般の人が高齢化とともに必要な社会保障のサービスを求めていく、そのときはやはりもっと広い視野から本来満足するサービスを考えませんと、私はサービスとニーズのミスマッチが生まれるのではないかと考えております。現在、その具体的なものがどのようなものかというのはまだ考えついておりませんが、私は見直しの時期に来ているのではないかと思っております。
#39
○栗原君子君 もう一つ先生から御指導いただければと思うんですけれども、今医療現場の皆さんから賃金職員の問題で随分と私どもの方にも陳情が参っております。定員職員が五万五千人に対して賃金職員はおおよそ一万三千人と言われ、一九・五%が賃金職員の人たちである。これは国立病院そして療養所の賃金職員の数でございますけれども、これを昨年八月に国立病院そして療養所二百四十三施設に対し、今後三年間で看護婦九百八十八人を含む賃金職員千八百六十三人を減らす、こういう問題が出まして、現場の看護婦さんたちが随分と反対運動に今取り組んでいるわけでございます。
 そして、この賃金職員がいなくなりますと、医療のサービスがやっぱり住民に対してできなくなる、病院も閉鎖しなければいけないところも出てくる、こんなことが夕べでしたかテレビでもちょっと取り上げられていたかなと思うんですが、このことについて今私どももいろいろ研究をしておりますけれども、先生の方から何かアドバイスをいただければと思いますので、よろしくお願いします。
#40
○参考人(高木安雄君) 国立病院の賃金職員の問題は私それまど勉強しておりませんのでお答えできませんが、高齢者のサービスケアに対してどれぐらいの人数が必要なんだという議論を考えていきますと、これはもうたくさんいればいるにこしたことはない。そういうニーズを持っているわけでございます。それの財政的な負担を公的、本人いずれにせよどのように行っていくか。一対一というのはもうだれでも望むわけでございますね、ある意味では自分の専属のサービス提供者がいればこれにすぐる満足はございませんので。残念ながら人口比からいってもそれは不可能なわけでございまして、人数がたくさんいればいいというものでもないだろうということが私は言えると思います。
 もう一つは、高齢者ケアの問題でいいますと、それにかわる介護の機器とか器具とか、そのような介護を支援する技術の開発というものが私は必要だと思っております。
 その際、なかなか難しいんですけれども、やはりお年寄りの方は、例えば特養の入浴について申し述べますと、屈強な若者が抱き抱えておふろに入る場合と特殊浴槽で自動的に浴槽に入るのとどちらが満足するかといったら、やはり屈強な若者に抱えられて入浴した方が満足度は高いわけですね。これはもう人間である以上当然なわけです。ところが、それをすべての高齢者にやれといっても無理な話でございます。それを可能な限り高齢者の満足を確保しながら一部は介護の機器にかえていく。そのようなある意味ではテクノロジーの助けをかりるという発想も必要でございますので、増大する高齢者ケアにどのようなマンパワーが適正かという議論は、もっともっと現場の業務をつぶさに検証しながら研究していかないと私は答えは出ないのではないかと思います。
 実際そのような研究を今進めておるんですが、人間のやるサービスですので軽々に数字のようにはなかなか扱うことができませんので、まして二十四時間横にいてじっとその人の業務をサーベイしなければならないというのは非常にコストもかかりまして、これからの大きな検討課題であると思っております。
#41
○栗原君子君 ありがとうございました。
#42
○小島慶三君 きょうは本当に貴重な話をありがとうございました。実は私自身が先週喜寿を迎えましたので、もう高齢化問題というのは人ごとでないわけでございます。
 ただ、私のごく近い身寄りにいわゆる高齢者がおりまして、十年ほどいわゆる高齢者特有の症状が出てきて、その家族も、それからそれにつながる私どもも大変難しい苦労をしたという経験がございます。
 というのは、一つは本人が全くの良妻賢母型といいますか、要するに遊ぶことの嫌いな人でありまして、例えば手仕事なんかは非常に上手で裁縫なんかやっている分にはいいんですけれども、一日中そういう仕事があるわけじゃございませんし、とにかく家のことが気になって気になってしようがないわけですね。どこへ行っても、私どものところへ来ても、来るともう翌日帰ると言い出すぐらいで。それから、例えば芸事なんかも、非常に琴が上手でしたから、それを弾かせればもうきちんと弾くんですけれども、全く立派なものなんですけれども、しかしそういう遊ぶということが罪悪だと思っているんですね。だから、家族に尽くすということで一世紀近く生きてきたというわけであります。
 それから、読書とかテレビを見るとか、これも嫌いではないんですけれども、だんだん目が弱くなってそれができない。それから、例えば俳句をつくるとか和歌をつくるとか、あるいはお茶とかお花とか書とか、いろんなことができないわけじゃないんですけれども、それもだんだんに疲れてくるということで、そういうお友達があって喜び楽しみを共有することができれば、もっといろんな楽しいことがあったと思うんですけれども、とにかく苦労のし通しという感じで一生を終わったわけであります。
 それで、晩年になりますと、ちょっと家族の者でも手に負えないということが起こってまいりまして、病院に入れようかという話になる。そうすると、本人は病院へ行っても翌日ぐらいには荷物をまとめて帰ってきてしまうんですね。だから、そういう人は病院でも扱えないということで、次のときにはもう断られる。それから、やっぱり田舎でございますから、どうしても親を病院に入れるというようなことは非常に世間体が悪いということがあるわけです。
 そういうことでさんざん苦労したわけでありますが、いよいよ晩年に病院に入るということに親族会議でもありませんがそこで決めて、どういうふうなところがあるかというので探したわけですけれども、探すとなかなか適当なあれがないんですね。そういう情報も不足ですね。ここにこういうふうなことを受け入れる、ベッドもこれだけ余裕があるというふうな情報がないものですから、皆手分けして探して回るということで、本当に苦労いたしました。
 それで、やはり病院に入ってしまいますと途端に健康が衰える。何か張り詰めたものがなくなるのかもしれませんが。ということで、私どもは今から思うともっと家に置いてあげた方がよかったなと、そういうふうに思っているわけであります。
 そういうふうに何か適当なところが見つからないという場合に、情報サービスとか、そういった面でもう少しそういうサービス機関が発達しないものかというふうに思っております。これは私の十年の経験のまず第一点でございます。
 それからもう一つは、例えば大店法ができて小売店がどんどんやめになってしまう、あるいはお百姓さんでも農地の集約化というようなことで大規模化が進められておりますと、零細な土地で飯米農家でやっていくというところはだんだんやめになってしまうということで、家と仕事が結びついているという生活のパターンがなくなっていく。これは私はかなり大きな問題ではないかというふうに思っております。
 私、随分方々で村おこしとかいろんなものに関係しておりますけれども、例えば村おこしの仕事なんかでも、そういう共同体的な、あるいは家という、そういう伝来のあり方といいますか、そういったものがなくなると、本当に村おこしは困るようであります。
 それで、例えば宮城県の田尻町というところに宮城の小島塾というのがありますが、そこではこういうことをやっているんですね。町長さんがそういった問題に非常に理解のある人で、ごく小型のゴルフ、ゴルフ場の百分の一ぐらいの費用でできるパークゴルフというのを山を開いてやっておりまして、例えば一日入場料百円、パターを借りて二百円、おふろへ入って全部で六百円といったようなことで一日エンジョイできるんですね。だれが行ってもエンジョイできる。年寄りから子供まで完全に一緒にやれるというので、一番びっくりしたことは二世代、世代間のギャップというか、そういうものがなくなったということだそうであります。要するに、おばあさん、あのショットはよかったわねとか、今度はお嫁さんには、おまえさんのパットは見事だったねとかというふうなことで、一日とにかく大人から子供まで遊べるというので、これは本当に一家団らん、そして楽しみが共有できるということで、この中へお年寄りを取り込むということをやっているんですね。
 こういうことで、お年寄りに対する対応で例えば公民館とかいろいろなものができているようですけれども、その町長さんに言わせると、公民館をつくるよりも世代間の問題というのがこれで解決されたということを言っております。
 ですから、そういう多様化とか、そういうふうな受け皿をもう少し考える。先生さっき、サービスのいろいろなあり方というのを考える、こうおっしゃいましたけれども、何かそういう多様な受け皿といいますか、そういうことを考えることが必要ではないか。そうすれば年寄りも生きがいができてくるというふうに思うのでございますけれども、これはひとつどういうふうにお考えになるか、まずお伺いしたいと思います。
#43
○参考人(高木安雄君) まず第一点の、サービス情報提供についてでございます。
 先ほど申し述べましたが、これまで医療は医療、福祉は福祉、ヘルスはヘルス、さまざまなサービス提供主体があり、それぞれがばらばらにやってきた。福祉サイドは福祉、医療は医療ということで、全体のコーディネーションが行われないまま今日にきております。これが現実でございます。
 そこで厚生省が、在宅支援のセンターというものを地域に、施設につくりなさいということで進めております。これも残念ながらまだ整備途中にありますが、相談しても具体的にすぐサービス提供を担保しない限り、やっぱり窓口としては相談だけ聞いて話だけ聞くけれども、その解決はつかないということではなかなか利用もされないわけでございます。
 このような具体的なサービスのコーディネートができるような機関を地域の中に、そのコーディネートの中には情報も含めます、適切なサービス提供をする機関の紹介という情報も含めたコーディネーションをぜひ地域の中できちっと築いていく必要があると私は思います。それは医療と福祉と保健の連携ということで、サービス調整とか、現在さまざまな政策、施策を行っておりますが、これについてはもっともっと充実しながら本当にフィットするものを現場の中で考えていかないと、なかなか従来の縦割り行政を破れないなという感じがしております。
 第二点の、さまざまな多様なサービスでございますが、きょうは高齢者ケアのお話をさせていただきましたけれども、基本はやはり痴呆とか寝たきりにならない予防の必要性というのを、私の専門ではございませんが、これはもっと強調されていいと思っております。
 それをどのような形でやるか。先生お話しのように高齢者向けのゴルフを開発するか、コミュニケーションの場を地域の中に用意していくか、最後はきちっと高齢者ケアのサービスで支えるけれども、できれば痴呆にも寝たきりにもならないで健やかな人生を送ってほしいという形で、それに来る前のサービスも射程に入れながら私たちは考えていかなきゃならないと思っております。
#44
○小島慶三君 まだいろいろお伺いしたがったんですけれども、時間が来ましたので終わります。
 どうもありがとうございました。
#45
○浜四津敏子君 本日は貴重な御意見を伺わせていただきまして大変ありがとうございました。
 保健と医療と福祉の連携の必要性につきましては、これを実現するためにはさまざまなネックはありますけれども、しかし実現しなければならない大変重要な問題でございまして、高齢者の立場からもあるいは家族の立場からもどうしても必要だと。そしてまた、老人医療費の増大化を抑えまして適正化を図るという点からもどうしても必要だということがかなり長い間言われてまいりました。それを実現するために、まず医療が担うべき分野とそれから福祉が担うべき分野とを一たんは明確に区別した上での連携が必要かなというふうに考えます。現実には明確に区別するということは非常に困難だということは十分承知しておりますけれども、具体的にどのように分けて、そしてまたどのように連携をとっていったらいいのか。
 その具体的な組み立て、取り組みについて、先生からいろいろ御意見を伺わせていただきましたけれども、きょういただきましたレジュメの中にも、まず第一点としまして、「すべての老人長期ケアサービスの提供者を同一の財政・支払制度によって統合することにより、サービスの連携と統合が実現する。」、こういうふうにお書きになっていらっしゃいます。これは具体的にどのように財政・支払い制度を統合するのか、これを簡単で結構ですのでひとつ教えていただきたい。
 それから二点目は、また次に書いてあります「病院・老健施設・特養の制度的な区分の再検証」、これも具体的にどのように再検証をすればいいのか。
 それから、先ほどこの測定につきまして、測定指標の開発を今なさっておられると、こういうお話がありましたけれども、いつごろそれが完成するのか、また、それができた場合にはだれがどのようにそれを使って、どう活用することになるのか、そのあたりも具体的にお教えいただければと思います。
#46
○参考人(高木安雄君) まず第一点の、医療と福祉、それぞれの分野の区別に関してお話しさせていただきたいと思います。
 先ほど申し述べましたが、高齢者ケアの中での医療と福祉の区分というのはそう容易ではございません。例えば、老人性のうつ病の患者が病院に入って五分おきにナースコールを鳴らす。どのように鳴らすかというと、暑い、寒い、窓あけろ、窓閉めろ、のどが渇いたと五分おきにナースコールを鳴らす。そのような老人のうつに対して一番簡単なのは、強い薬を与えて朝まで眠っていただく、これが老人性のうつに対しては一番簡単なわけです。
 それに対して、それはやはり本来の医療ではないじゃないか、可能な限りマンパワーでサービスすべきではないか。老人のうつに対して薬でコントロールすることも必要ですけれども、その寂しさに対して人間で可能な限りサポートしようと。これは非常にコストがかかるわけです。薬とマンパワーという定額の中では、薬よりはマンパワーで可能な限りサービスしなさい、その方が最終的に本人の満足にもつながるんですという変革を行っておるわけでございまして、先生の御質問の、高齢者の中で医療も福祉も、本当に医者自身もわからなくなっているというのが私は実態だと思います。
 特に、大学病院に高齢者の方が入りますと、医学的な疾患で処置しますと、最後は鼻腔栄養、人工栄養を流すわけですが、それをひもで縛られて鼻腔栄養まで行われる。大学病院は御承知のようにいろんな患者が入っておりますので、若干のぼけ症状に対して非常にほかの患者からクレームがつく。それを抑えるためにやはり薬でコントロールしてしまう。
 そういう意味で、私は高齢者のための専門的な施設というのはやはり必要ではないか。そこを軸に医療のお金、福祉のお金というのは統合していく必要がある。それを医療だけ、福祉だけというそれぞれの側面からやりますと、ある意味ではダブルの給付を行う可能性もございますので、制度的な組み立てに関してはもっともっと検討しなくてはいけませんが、私は何らかの見直しが必要ではないかと思っております。
 最後の、共通の尺度に関してなんですが、非常に難しい部分がございます。実際、特別養護老人ホーム、老人保健施設、老人病院で同じデータを使いまして評価してもらう。評価するに当たってもまずだれに評価してもらうか。
 特養は御承知のように看護婦さんが少ないわけでございます。老人保健施設、病院には専門家の看護婦さんがおりますが、特別養護老人ホームには寮母さんという形で、ケアの専門家なわけですね。そのときにまず共通のスケールをつくる段階の議論から始めますと、トリートメントという言葉がありますが、これを処置と訳すか処遇と訳すか、この用語自身から違うのですね、福祉の現場と医療の現場というのは。私はずっと医療サイドで研究を続けてきましたので、どうも医療サイドの言葉で言ってしまいます。そうしますと、福祉現場から反発を受けるというか、理解できない、もっと自分たちの現場のサービスに合う評価方法をつくっていただきたいという要望が参ります。それを現在一つ一つ言葉からしまして整理しながら進めているところでございます。厚生省の研究費をいただきまして幾つか中間的なものはできておりますので、中長期的には、できればそのようなもので日本の高齢者ケアの質の担保と、それに伴うサービスの提供を行っていければということで研究に邁進しているわけでございます。
#47
○浜四津敏子君 それでは次に、現行の医療保険制度の問題点について一点だけお伺いいたします。
 現在の医療保険制度は短期保険でございますので、その年に病気にならないと保険料は掛け捨てになってしまう、こういう制度になっております。その掛け捨てになった分が病気の人の医療費に回る、こういうことになっているわけですけれども、主に勤労世代が払った保険料が老人医療費に向けられているというのが現実のようでございます。現行の医療保険制度については、短期的な性格を改めて長期的な再分配をする医療保険の年金保険化とか、あるいは行く行くは医療保険と年金保険のドッキングをというような案も提案されておりますけれども、この点についてどのように改めるのが妥当なのか、何かお考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
#48
○参考人(高木安雄君) 非常に難しい問題でございまして、私なりに答えさせていただきます。
 先生お話しのとおり、医療保険というのは短期保険でございまして、ある意味では掛け捨てでございます。掛け捨てになった場合に日本人は、自分は損したと思う、こういう特性が私はあると思っております。むしろ掛け捨てになったのは自分が事故に遭わなくてよかったんだという証明として受けとめられない。だから、保険というのは一つには、自分のお金がだれかの役に立ったんだという意味では掛け捨ては自分にとって非常に幸福であるという、社会的な連帯としての意識改革が高齢化社会になればなるほど必要だと思っております。
 それはさておきまして、先生御承知のように、これから社会保障の給付というものがますます高齢者にシフトしていきます。そうしますと、年金による所得保障、医療保険による医療保障、しかも医療保障も介護という従来の給付とはかなり違うものにせざるを得ない。そうした場合に、医療保険の性格もやはり介護に着目すればそれなりの制度改革が必要だと私は思っております。それを積み立てでやるか現役世代の負担でやるかは別にして、もっと長期スパンの財政的な運営を考えていきませんと、私は医療保険自身の基盤が崩れるのではないか。
 これは、先ほど申し述べましたように、医療保険の給付の対象とする疾患が非常に大きく変わっている。それだけ慢性疾患という難しい病気に、しかも介護というさらにもっと難しいサービスに医療保険が対応せざるを得ない。その際はやはり年金との財源のある部分での共通化、統合というのも私は必要だと思っております。
#49
○浜四津敏子君 ありがとうございました。
#50
○会長(鈴木省吾君) 以上で高木参考人に対する質疑は終了いたしました。
 高木参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後四時二十六分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト