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1994/03/18 第129回国会 参議院 参議院会議録情報 第129回国会 国民生活に関する調査会 第4号
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1994/03/18 第129回国会 参議院

参議院会議録情報 第129回国会 国民生活に関する調査会 第4号

#1
第129回国会 国民生活に関する調査会 第4号
平成六年三月十八日(金曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 三月十七日
    辞任         補欠選任
     西岡瑠璃子君     竹村 泰子君
 三月十八日
    辞任         補欠選任
     菅野  壽君     庄司  中君
  出席者は左のとおり。
    会 長         鈴木 省吾君
    理 事
                清水嘉与子君
                竹山  裕君
                三重野栄子君
                小島 慶三君
                浜四津敏子君
                吉岡 吉典君
    委 員
                太田 豊秋君
                加藤 紀文君
                成瀬 守重君
               日下部禧代子君
                栗原 君子君
                佐藤 三吾君
                庄司  中君
                竹村 泰子君
                谷本  巍君
                村沢  牧君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        小林 正二君
   参考人
       京都大学経済研
       究所教授     橘木 俊詔君
       阪南中央病院内
       科医長・健康管
       理部次長     岡本 祐三君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国民生活に関する調査
 (本格的高齢社会への対応に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 昨日、西岡瑠璃子君が、また、本日、菅野壽君が委員を辞任され、その補欠として竹村泰子君及び庄司中君がそれぞれ選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、京都大学経済研究所教授橘木俊詔君及び阪南中央病院内科医長・健康管理部次長岡本祐三君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
 この際、橘木参考人に一言あいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 それでは、橘木参考人にお願いいたします。
#4
○参考人(橘木俊詔君) ただいま御紹介にあずかりました私、京都大学の橘木と申します。
 主に私の専門は、労働経済学とか財政学、金融論、そういう分野を専攻しているものでございまして、特にきょうは高齢化社会を控えて経済学的に見てどういうことが言えるかというようなことをかいつまんでお話しさせていただきたいと思います。
 お手元に、私がつい最近出版しました本の序章と最終章のコピーをお配りさせていただいていると思いますが、この本の序章と終章で政策、提言も含めて書かせていただいておりますので、それを見ながらお話しさせていただきたいと思います。
 それと、最後にほんの数分をおかりしまして、高齢化社会を控えて財源問題をどう考えたらいいかという話をつい最近私書かせていただきましたので、これも私見ではございますが、最後に述べさせていただきたいというふうに考えております。
 最初に本の方に入らせていただきますが、これは東京経済大学の下野恵子さんという方と二人で出させていただきました本でございます。「個人貯蓄とライフサイクル」というようなタイトルでございます。この本はどういうことをやろうとしたかといいますと、人間の一生をライフサイクルという立場から評価しまして、生まれたときから死ぬときまで、どういう経済活動をやり、どういう人生を歩んでいくかというようなことを経済学的に分析した本でございます。ここでは、特に貯蓄という問題と勤労という問題を二つ大きな柱にして取り上げております。
 貯蓄と申しますのは、なぜ貯蓄が大事かということはこれはもう説明する必要もないぐらいでございますが、ライフサイクルという立場から貯蓄を評価しますと、これは引退後の消費に備えて貯蓄をやるというのが貯蓄の持っている意味でございます。現役のときに働いて、そして現役のときに消費をするわけなんですが、その一部を消費を控えて貯蓄に回して引退後の消費に備えるというのがいわゆるライフサイクルから見た貯蓄の意味でございます。
 もう一つ、勤労と申しますのは、これは現役、要するに勤労を続けましてある年齢に達したときに、六十あるいは六十五になって労働市場から引退するということがございます。何歳のときに引退するといいかというところが一つ重要な視点になってまいりまして、ここの本の中では、一体日本人は何歳のときにどういうことを考慮しながら引退行動を決めているかというようなことを分析しております。
 この本では、先ほども申しましたように、貯蓄と勤労ないしは引退という二つの大きな経済活動を柱にしていろんな分析を重ねているわけなんですが、ここで重要な制度的なファクターが一つ分析の対象になっております。それは公的年金でございます。公的年金と申しますのは、貯蓄を国が強制的に代替するという役割を持っております。勤労しているときに公的年金、厚生年金なりあるいは国民年金という形で半強制的に、私は強制的とは言いません、半強制的と言った方がよろしゅうございますが、半強制的に貯蓄を国民に強いるわけなんですね。そして、その公的年金の保険料を徴収して、国民が引退後に自分の拠出した年金保険料をもらうという形、これが公的年金の役割でございます。これはやっぱりライフサイクルという観点からはどうしても無視できない。むしろ非常に重要な制度でございますので、この書物の中では公的年金の役割ないしは意義、あるいは経済効果というようなものを相当突っ込んで議論しております。
 公的年金というのは、先ほど申しましたように半強制的ですので、これはもういやが応でも国民は従わなければならない。自営業者を中心にして国民年金保険料を払わないという人が結構最近ふえておりますので、そういう意味で私は半強制的と申し上げたわけなんですが、大半の人は忠実に保険料を払って引退後の消費に備えているわけなんです。ここで大事な点は、日本の社会というのは高齢化という厳しい現実を踏まえておりますので、国民にとって自分の払った年金保険料がリターンがあるのか、あるいはリターンがないのかということは当然重要な関心事になってまいります。もし自分の払っただけもらえないんであれば、これはもう困ったなというわけで、自分の私的な貯蓄をふやさざるを得ないというような現状も発生してまいります。そういう意味で公的年金というのは非常に重要な影響力を持っておりますので、この本の中では相当分析を重ねているというところでございます。
 もう一つ公的年金の持っている大きな意味と申しますのは、引退年齢を決定するときに非常に重要な役割を持っているということでございます。直観的に考えまして、もし公的年金の支給開始年齢が六十歳であれば多くの人は六十歳で引退するだろうということは考えられます。今、公的年金の財源が不足してきたので公的年金の支給開始年齢を延長するというような法律がもう出ておりますので、六十五歳に徐々に公的年金支給開始年齢が延長されるんであれば、日本の国民の引退年齢というものも多分延長せざるを得ないというような事態になってまいります。
 しかしながら、これは政府がそういうことを考えても、政府が六十五に公的年金の支給開始年齢を延長したときにみんなが六十五歳まで働けるかというと、そういう保証はどこにもございません。高齢者の就業構造というのはある意味においては非常に難しい現実がございますので、そう簡単には六十五歳まで働けるような体制というのは日本の社会はまだ準備されていない。ではどうしたらいいかというような問題をこの書物では取り上げております。したがいまして、そういうような話も多少この席で話させていただきたいと思います。
 まとめて言えば、公的年金の持っている経済効果、公的年金が持っている貯蓄の代替効果、あるいは公的年金の支給開始年齢変更に伴う高齢者の雇用の確保というものをどういうふうに取り扱ったらいいかというような話をここでは取り上げているということでございます。そのような問題意識をお手元にございます序章というところで書いておりまして、この書物の持っている役割あるいはこの書物でどういうことを分析しているか、あるいはどういう政策提言が可能になるかというような話を序章のところでしているところでございます。
 今、私が申し上げましたのが序章の要約でございまして、私がきょう主にお話しさせていただきたいのは、終章の「政策的意義と今後の課題」というところでございます。
 この本は二百七十ページぐらいのかなり大部でございますし、しかも経済学者の書く書物でございますので数量分析等あるいは数学等が多少入っております。そのようなところは経済学専攻でない方には余り興味のない話でございますので、その分析の結果を踏まえてどういうような結論とどういう政策提言が考えられるかというのが終章の「政策的意義と今後の課題」というところに凝縮されております。したがいまして、この本で取り上げましたテクニカルな点あるいは経済学的に相当ややこしい話というのはここではもう一切触れずに、私たちがこの本で分析してみんなにわかってもらいたいようなことをまとめておりますので、ここでそれを述べさせていただきたいというふうに考えております。
 「政策的意義と今後の課題」というところに入らせていただきます。
 まず第一番目に言いたかったことは、この書物でライフサイクル貯蓄仮説というものの検証をしております。ライフサイクル貯蓄仮説というのはどういうものかと一言で申しますと、冒頭で多少は申し上げたことなんですが、人は生きてから死ぬまで自分の人生の経路に備えて貯蓄をするわけなんですね。それは、現役のときに一生懸命働いた分の何%かを貯蓄して将来の引退後の消費に備えるというような仮説をライフサイクル貯蓄仮説と申します。日本の社会は皆様よく御存じのように家計貯蓄率は非常に高い、ほかの先進資本主義国と比べて非常に高い貯蓄率を持っておりますので、そのライフサイクル貯蓄仮説というのがどれほど妥当するかというようなことが当然我々経済学者の関心事になってまいります。
 非常に厳密な意味でのライフサイクル貯蓄仮説というものを検証しようとしますと、人は現役のときに働いた分の一部を貯蓄して将来の引退に備えるというんであれば、自分が引退してから死ぬまでどれだけ消費すればいいかというのをもし計算したら、その消費に見合うだけの貯蓄をしていれば十分なはずなわけですね、ライフサイクル貯蓄仮説というものがもし正しいんであれば。それが本当にそうかどうかというのを調べてみますと、必ずしもそうじゃない。日本の国民はライフサイクル貯蓄仮説が期待する以上の貯蓄をしております。具体的にどういうことかといいますと、引退してから死ぬまでの自分が生活するために必要な貯蓄で十分であれば日本の貯蓄率はもっと低くてもいいはずなんです。ところが、現実のデータを調べますと、ライフサイクル貯蓄仮説が教えるところの貯蓄率よりももっと高い。家計貯蓄率は二〇%前後を示しておりますように、非常に高い貯蓄率を示しております。
 これはなぜかというようなところが関心事になってまいります。そこをこの本では相当厳密に調べました。その結論を一つ申しますと、日本の家計の場合は遺産動機が非常に高いというような結論が出てまいりました。遺産動機というのはどういうことかといいますと、先ほど申しましたライフサイクル貯蓄仮説というのは自分が引退してから死ぬまでの消費の量を賄うだけの貯蓄をしていればそれでよかったわけですが、それに加えて、自分が死ぬときに自分の配偶者、子供あるいは親戚に相当貯蓄を残したいという行動をとっているということがわかりました。ライフサイクル貯蓄仮説プラス遺産動機というものが日本の社会には非常に強いということがわかりました。
 遺産動機を調べる方法というのはいろいろございますが、まず一つは、日本の高齢者が自分が引退した以後も貯蓄を続けているということなんです。先ほどのライフサイクル貯蓄仮説の基本的な話に忠実になりますと、自分は貯蓄を蓄えてきたわけなんですが、死ぬまでに自分の貯蓄を使い切りたいと思えば引退後は自分の貯蓄を切りますはずですね。ところが切りましてない。引退後も貯蓄を続けているんです、日本の国民は。これはほかの国にはない現象でして、アメリカ人なんかはそういうところはなくて、自分の引退後の消費を担うための貯蓄しかやっておりませんので引退後は貯蓄を切りましております。ところが日本人は引退後も貯蓄を続けておりまして、これの一つの理由と申しますのが遺産動機でございます。
 遺産動機というのはいろいろございまして、皆様もし原稿をお持ちであれば、終章、二百六十三ページの後ろの方に書いてありますが、日本人は遺産の額が多いというのが出ております。じゃ、なぜ遺産を残すかということになりますと、いろんな仮説がございます。
 例えば、二百六十三ページの一番下に「利他的動機」と書いてありますが、自分の子供ないしは子孫、配偶者が非常にかわいい、自分の親戚が自分が死んでも楽をするように遺産を残したいという動機、これが一つございます。もう一つ「贈与交換動機(戦略的動機)」、自分が子供なり配偶者に遺産を残すことによって自分の面倒を見てほしいという仮説でございます。日本の現状を見ましても遺産を残すかわりにおれの面倒を見ろという話がちまたにはございますので、直観的にはそういう話でございますのでわかっていただける議論かと思います。その次、「死亡による偶然動機」、これはどういうことかと申しますと、自分は百歳まで生きるかもしれないというふうにもし思っておりますとたくさん貯蓄してないといけないわけですね。もし百歳まで生きると予想した人はたくさん貯蓄をしてないといけない。ところが非常に不幸なことに七十歳あるいは八十歳で死ぬかもしれない。となると、偶然そこで死にますと、そこに遺産がたくさん残っておりますね。そういうような「死亡による偶然動機」というものがございます。そういう意味で、遺産を残すことに関してもいろんな仮説がございます。
 日本ではどの動機が一番強いかということを検討してみますと、日本で強いのは死亡による偶然動機、それと戦略的動機いわゆる贈与交換動機でございます。子供に遺産を残すかわりにおれの面倒を見ろという感じの動機、それと自分は長生きするかもしれぬからたくさん貯蓄を持っていた方がいいだろうというふうに考えていたんだけれども、不幸なことに早目に死んでしまったということで偶然に遺産を残すという動機でございます。この二つが主なものでございます。しかしながら、最初の利他的動機は、配偶者、子供がかわいい、彼らに苦労をかけたくないというような動機もございますが、意外なことにそんなに強くはなかったというような事実も出ております。そういうことをこの本でま相当丹念こ調べております。
 それに関して最後に、二百六十四ページのあたりで多少述べていることなんですが、日本の家計を詳しく見てまいりますと遺産をもらう人ともらわない人の差が結構大きいというのももう一つわかった事実でございます。これは直感的にはわかる議論かもしれませんが、統計を丹念に当たっていきますと、遺産を全くもらえない人あるいは遺産を相当もらえる人とに相当差があるということが統計でわかりました。これは私たちの判断だと初期条件から極端な差をつけるのは余りよろしくないということで、遺産をもらえる人ともらえない人の差はそんなにつけない方がいいということを私たちの一つの政策提言としてそこに書かせていただいておりますので、相続税の強化あるいはキャピタルゲイン課税の強化ということも政策提言の一つにはなり得るんじゃないかというふうなことを述べております。
 その次に、二百六十四ページの真ん中あたりから今度は高齢社会の話をさせていただいているんですが、ここでは特に公的年金というものの意義を相当詳しく書かさせていただいております。公的年金というのは制度の成熟化あるいは高齢世代の人口の比率がふえたことによりまして、引退者ないしは高齢者に対して若年の方から所得移転があるというふうなことがこれまでのいろんな角度から分析しても明白な事実でございます。言ってみれば損得論議でございます。年をとった人は若い人からたくさん所得移転をもらった。これから引退する人たちは、自分たちはたくさん払ったけれどもそれに見合うだけの給付をもらえないというような不満が相当高まっていることも事実でございますし、そのことはいろんな計算をしても明らかに出ております。私たちのこの本の中でもその事実は出しております。
 しかしながら、私たちの意見と申しますのは、そういうような世代間の不平等というのは本来ならばあってはならない話なんですが、これはもう言っても仕方がない、ここまで来てしまった以上はもうやむを得ない。いろんな間違いもございましたし、いろんな要因でもって世代間の所得移転というのはもう避けられない時代になってまいりましたので、今後はそういうような損得論議はやめて、別の視点から公的年金というものを考えたらどうかというようなことをこの公的年金の章では述べております。具体的には租税制度と社会保障制度の統合ということを考えるのも一つの案ではないかというふうなことを私たちは述べております。
 それはどういうことかと申しますと、租税として国民から徴収したものを財源としてすべての引退者に年金を支給するというような制度に長期的に移行することが望ましいんじゃないかというようなことを言っております。徐々にではございますが、そういう制度に変更していきますと、損得論議がそんなに入る余地もまずございません。租税として徴収しますと年金給付額に定額部分の割合が高くなってまいりますので、引退者の一人当たりに最低限の所得保障を全国民にするような所得保障を租税でやって、それ以上の引退後の所得を希望する人はもう私的年金なりあるいは企業年金で自分でやるという制度に持っていったらいいんじゃないかというのがこの本での私たちの一つの政策提言でございます。
 これはすぐにはできませんので、徐々に徐々に変えていく方法しかございません。しかし、日本の社会はそれに一歩もう向かっている現状がございます。と申しますのは、公的年金の給付額の三分の一前後あるいは二割から三割はもう国庫負担になっております。国庫負担ということは税で徴収した分を公的年金の給付部分に回しているということでございますので、言ってみれば、私たちの言っていることは一〇〇%税で賄うという方式なわけなんですが、今の日本の現状はもうそれに一歩入っている。二割か三割は国庫負担で負担しておりますので、もう二割、三割は入っているということを考えますと、あながち非現実的な政策提言ではないというようなことも述べております。
 その次、三番目の政策提言でございますが、二百六十六ページあたりに書いてあることなんですが、日本の高齢者の生活状況あるいは経済状況に関する分析をこの本の中で相当厳密にやらせていただいたんですが、結論を申しますと、日本の高齢者というのは二極分解をしているということを認識することが大事である。
 一つは、相当恵まれた高齢者のいることも確かでございます。所得も多いし、資産も多いし、相当恵まれた階層もいる。しかしながら、その一方で恵まれてない高齢者もいるということを認識することも大事であるというようなことをこの本では述べております。人によっては、高齢者かわいそう論を排す、という意見もございます。今の日本の高齢者は恵まれているから高齢者はちっともかわいそうではないという話もございますが、私たちは、そういう人もいるけれどもそうでない人もいるということも認識することが大事である、そういう人たちに対してはやっぱりできるだけ官民一体となって援助をする必要があるというようなことを述べております。
 特に大事なことは、公的年金の支給開始年齢が延長されるに従いまして高齢者の雇用を確保するということが非常に大事でございまして、六十歳から六十五歳まで働きたい人に職を用意するのは非常に重要な政策措置と考えますので、どうすればいいかというようなことをこの本の中でも多少書いております。
 一つ大事な点は、先ほど申しましたように、高齢者というのは恵まれている人も恵まれてない人もいるというのがまず大事なわけですが、もう一つ大事なことは、高齢者の健康状態もいろんな複雑な人がいっぱいいる。働ける人もいれば働けない人もいる、働きたい人もいるし働きたくない人もいるという意味で、私たちはここでは、非常に異質な人の集まりが高齢者の特徴であるということを考えますと、高齢者がどういうことを希望していて、どういうことを望んでいるかということにやっぱり厳密に対処する必要があるというようなことを書いております。
 特に大事なことは、高齢者はパートタイム労働を希望しているという現実がございます。フルタイムでは働けない、九時から五時まで働くのはつらいけれども、毎日ではない、あるいは一日五時間労働あるいは四時間労働というようなパートタイム労働を希望している高齢者が結構多い現状がございます。もう今や日本の社会は女性のパートタイムを需要するということは普遍的にみんなに認められている現状でございますので、高齢者に対しても何とかそのパートタイム労働の希望を満たせるような労働需要ができないかというふうなことを私たちはこの本の中では言っております。
 もう一つ大事な点は、不幸なことに、年功賃金制度を仮定しますと高齢者の賃金は非常に高いという現状がございます。したがいまして、今までの高い賃金は出せないということもやはり認めなければ高齢者の雇用というのはふやせないという現状がございますので、高齢者の方も、自分たちの賃金は多少低くなることも認めざるを得ないということも認識されなければならない現状かというふうなこともこの本ではやっております。
 最後に、二百六十八ページあたりで書いておりますのは、企業年金、生命保険というもの、個人年金の重要さということを書いておりまして、私たちの政策提言は税制度と年金制度の統合を図りますので、すべての国民が生きていくにふさわしい最低限の生活保障を公的年金でやるわけなんですから、それ以上の資金というのは企業年金だとかあるいは個人年金に頼らざるを得ないという現状がございますので、個人年金とか企業年金というものをもっと制度的に整備していく必要がございます。この点は官民一体となって個人年金ないしは企業年金の普及ないしはその宣伝に努めなければならないし、国民一般もこういうものをもっと活用する必要があるというふうなことを述べております。
 この本でまだ分析し切れなかったことが最後に書いてございますが、これは私たちへの課題でございますので、それは飛ばさせていただきます。
 以上、「個人貯蓄とライフサイクル」という書物で、わかったこと、そしてそれを踏まえて多少なりの政策論議というものをさせていただきました。
 残りあと七、八分をおかりしまして、エコノミストに私が書きました「累進消費税導入で社会保障を」という原稿を多少話させていただきます。
 この本で述べましたことと多少重複したことも述べております。例えば税制度と社会保障制度の統合を目指したらいいというふうなことは先ほど申しましたので、このエコノミストの原稿ではそのことも述べておりますが、そのことは繰り返しになりますので述べません。
 この原稿で述べたかったことの一つは国民負担率の問題で、日本はこれ以上公的負担がふえると民間の経済活力をそぐという議論がよくなされますが、国際比較をした場合丁日本は必ずしもまだ国民負担率はそんなに高くないということを認識することの重要性をまず述べております。
 最初の方に書いてございますが、先進資本主義国を三つに私大きく分類しているんです。高福祉高負担の国、中福祉中負担の国、低福祉低負担の国という三つに分けますと、日本はアメリカとともに断トツに低福祉低負担の国でございます。小さな政府を目指している国でございます。その逆がいわゆる北欧諸国を中心とした福祉国家と言われる高福祉高負担の国。イギリス、フランス、ドイツ、いわゆるヨーロッパの大国は中福祉中負担でございます。
 これはアメリカと日本が代表的に自由主義、資本主義のチャンピオンという感じでこういう認識でございますが、低福祉低負担といっても、何も福祉のレベルが低いということではございません。これは今まで日本は伝統的に家族がそれを代替しておりましたので、家族が代替したし企業が代替していたというところがございますので、必ずしも高齢者ないしは医療福祉が恵まれてなかったというふうに理解するのは短絡でございます。国がやっているんじゃなくて自分でやっていた、自助努力でやっていた、あるいは企業が代替していたというようなところが大事なことでございます。
 しかしながら、それを今後国が介在してトランスファーをやるかやらぬかという議論は大事でございます。北欧型で行くのか、あるいはヨーロッパ中心国、イギリス、フランス、ドイツ等の中福祉中負担の国で行くかという選択、あるいは今のままで低福祉低負担の国で行くか、小さな政府で行くかというのは、これはもうそれぞれ国民の決めることでございまして、我々がどうこういう話ではございません。
 しかしながら、今以上に公的負担が下がることはまずないだろう。年金の給付部門はもうどんどんふえておりますので、今まで以上に政府の役割というのが高まることはやむを得ない、あるいはもう国民はそれは暗黙的に認めているんじゃないかというようなことを私は考えております。
 じゃ公的部門の役割がふえてきたときに財源をどうすればいいかというような問題が非常に重要になってまいりますので、財源をどう考えたらいいかということをこの論文の後半でやっておりまして、一つ、社会保障部門と税制の部門を長期的には統合する方がいいということは今申しました。
 もう一つは、統合したときにどういう財源を求めればいいかというようなことを私なりに経済学的な分析をしましたところ、いわゆる付加価値税、日本では消費税というような言葉を使っておりますが、付加価値税を導入するのが一番いいだろうというように経済学的な分析で出てまいりました。所得税中心ではなくあるいは社会保険料徴収ではなく、社会保障の財源を間接税中心、特に付加価値税あるいは支出税というものを中心に持っていくのが、日本の国の経済、成長率だとかあるいは労働供給だとか消費だとか貯蓄とかいうようなものに一番悪影響を与えないだろうというような結果が出てまいりました。これは純粋に経済学的な議論でございます。
 しかしながら間接税には一つ弱点がございます。それは逆進性でございます。所得税は累進性でございますので、累進度を高めますと所得の高い人からはたくさん税金を取り所得の低い人からは税金をたくさん取らないという制度が簡単に導入できますが、間接税、付加価値税や支出税ですとそれが簡単にできない。今の日本の消費税というのは三%の比例税制でございます。これは残念なことに逆進性でございまして、高額所得者に有利であって低額所得者には有利でないという現状がございます。これを何とか除去できないかというふうに私たちは考えまして、ここでは累進消費税というものを考えるのが一つの案ではないかというようなことを述べております。
 累進消費税というのはどういうことかと申しますと、たくさん消費する人からはたくさん税金を取り少なく消費する人からはそんなに税金を取らない。累進所得税にある考え方を消費税に同じく導入する方法でございます。これは、こういう制度を導入しますと逆進性を解消できますと言葉では簡単なんですが、現実はそんなに簡単に導入できる話じゃございません。今私たちはピュアな経済理論的な話からそういうことを言っているわけなんですが、現実にそういうことを導入するのは徴税技術上非常に難しいことでございますので、簡単にはできません。
 しかしながら、支出ないしは消費というのは所得と貯蓄の差でございまして、所得から貯蓄を引きますと消費ないしは支出でございます。所得と貯蓄だけ数字ではっきり把握できればその残燈が消費になりますので、それぞれの国民の所得と貯蓄がわかれば、どの人がたくさん消費してどの人がたくさん消費してないかがわかります。したがいまして、たくさん消費した人からたくさん税金を取り、余り消費してない人には税率の低い消費税をかけますとあながち不可能じゃない。
 しかしながら、この徴税技術を貫徹させるためには、その人の所得と貯蓄量がはっきりわからないとできません。これは徴税技術上いろんな問題がございますのでそう簡単ではないことは重々承知の上でございますが、私の見るところ、これが理想的な税制に近いんじゃないかということを感じております。
 まず第一に、間接税、特に付加価値税だとか支出税であれば経済一般に対する悪影響がミニマムに抑えられるということです。所得税中心だといろんな弊害がございます。例えば労働供給にマイナスな効果があるとかあるいは貯蓄率を減らすとかいろんな悪い影響がございます。所得税中心だと経済一般に対して悪い影響がございますので、そういう悪い影響を最小にするために支出税だとか付加価値税の間接税中心に移した方がいい。
 しかしながら、間接税、付加価値税だとか支出税中心の制度に持っていくと逆進性という問題がどうしても出てくる、これは困る。逆進性という問題を除去するためには、累進消費税ないしは累進支出税というのを考慮すると逆進性の問題も除去できるというメリットがあるんじゃないかということでございます。
 しかしながら、これは学者の空論ということも言えるかもしれません。今後、徴税技術ないしは国民一般の理解が深まれば、長期的にはこういう制度を、累進消費税というものを考えるのも一つの案ではないかというところでこの原稿を書かせていただきました。
 以上でございます。
#5
○会長(鈴木省吾君) ありがとうございました。
 以上で橘木参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#6
○加藤紀文君 自民党の加藤紀文でございます。
 橘木先生、貴重な御意見を聞かせていただきましてありがとうございました。私はこの調査会の質問、今回が初めてでございますので要領を得ないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
 まず最初に、先生の「個人貯蓄とライフサイクル」の論文の終章の方で、多額の遺産を受領できる人とできない人との間に相当の格差がある。多額の遺産、贈与を受け取った家計の経済条件は恵まれているのに対して、遺産を受領しない家計は初期条件からしてハンディを背負っている。人生の初期条件から差をつけるのは機会の平等を阻止しているという意味でふさわしくない。相続税の強化、キャピタルゲイン課税の強化等によって巨額の世代間資産移転を減少させるような公共政策が必要と述べられておりますが、もう少し御説明いただければありがたいなと思うわけでございます。と言いますのも、現行の相続税も、三代で資産がゼロとなる、資産の再分配が行われるという考えでありますが、これでは不十分とお考えでしょうか。
 また、細川内閣は平成六年度税制改革で、大幅な相続税の税率枠の拡大や課税最低限の引き上げや法定相続人比例控除額を上げる等の、逆に負担軽減を打ち出しておられますが、これに対してどう評価されておられましょうか。
 私個人の考えといたしましては、例えば相続税の中でも大きな比重を占めている土地について例を挙げますと、東京に一軒家を持っていても相続税で土地が細分化されたり、家屋を手放したりしなければならないというような現状を見ていますと、相続税のこれ以上の強化というのは疑問があると思います。欧米諸国なんかの例を挙げますと、都市景観を保っているのはストックの蓄積としての個人の家であり、またそれが社会資本になっているんではなかろうかと思います。
 また、もう少しつけ加えさせていただきますと、強度の課税は国家の収奪の印象が強くなり、憲法二十九条の財産権、個人の労力と資本と自由な競争を経て獲得し蓄積した財産を侵害しかねないのではないか。特に家や土地は財産権とはいえ生存的財産権の意味合いも持っているんではなかろうかと思うわけでありますが、先生の御意見をお伺いさせていただきたいと思います。
#7
○参考人(橘木俊詔君) これは非常に難しい問題、加藤先生のような御意見も日本の社会では相当強いというふうに私も理解しております。言ってみれば、自分の蓄えた資産を自分の子供に譲るというのは、自分の子供が苦労しないように親の蓄えたものを子供に残すのは当然の自然の摂理ではないかという話は私も理解できます。これはそれで私はいいと思うんですが、逆にもらえない人のことを考えたらどういうことが言えるかということを考えてみたいと思います。
 今話した例はもらえる人の立場からいった話だと思います。日本の社会では、統計を当たりますと、遺産を全くもらえない人も結構いるわけなんですね。遺産をもらえる人はこういうようなストーリー、家族の愛あるいはかわいいから自分の子供に残したいというのはよくわかるけれども、親が一切遺産を残せないような人も考える必要があるということが私の言いたいところでございます。そういう人たちも結構いる社会で、たまたま親が蓄財に成功してたくさん親からもらえる人と、親は不幸にして何にも残せなかった子供が、スタート時点で相当もうハンディがあるということをそのままストレートに認めていいんだろうかというのが私の一つの考え方でございます。
 それともう一つ、たとえ親が子供に残せるようなストーリーであっても、西郷隆盛は「子孫に美田を残さず」という有名な言葉を残しましたように、子供は自分でやれと。親は親の世代で人生は終わるんだから、子供にそんな美田を残すんじゃなくて、子供は子供で最初からやれという、残せる方の立場からもそういう意見があるということを考えますと、残せる人と残せない人の差というのは多少縮まってもいいんじゃないかというのが私の考え方でございます。
 したがいまして、加藤先生の言われることもよくわかりまして、非常に難しい現状ではございますが、私は二つの論点で、一つは、残せる方にも「子孫に美田を残さず」というフィロソフィーも日本では生きている、それと、残せない人の子どもも考えたらやっぱり多少平等化政策があっていいんじゃないかというのが私の考え方でございます。
#8
○加藤紀文君 それでは二番目にお尋ねしました細川内閣の税制改革、これに対しては先生は余り賛成できないと。
#9
○参考人(橘木俊詔君) そうですね。私はやっぱり個人的にはできれば相続税というのは強化がいいというふうに思っておりますので、したがいまして相続税軽減政策というのは私はそんなに賛成ではございません。
#10
○加藤紀文君 ありがとうございました。
 それと次に、先生の論文の中で、公的年金給付に関してでございますが、給付の開始年齢が高齢者の引退決定に重要な影響を及ぼすということで、公的年金支給開始年齢と定年年齢に乖離がないようにすること、私も同感でございますが、支給開始年齢までの雇用確保は重要課題であるという点も全く御指摘どおりだと思うわけでございます。
 年金満額支給開始年齢も二〇〇一年から二〇一三年にかけて段階的に引き上げられることが予定されている中、高齢者の雇用確保のための政府の政策は大事なことだと思うわけでございます。本日恐らく閣議決定されたと思いますが、私は野党でちょっとよくわかりませんが、この国会で高齢者がその豊かな知識、経験を生かして、少なくとも六十五歳に達するまで働けるようにしよう、定年は六十歳を下回ることができない、また高年齢者職業経験活用センターの認定等を内容といたしました高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律案が提出されますので、一日でも早く成立させなければならないと考えておるわけでございます。
 ことしの一月の読売新聞に公的年金のアンケートが載っておりましたのを見ました。その結果を見ますと、あなたは何歳まで働いて収入を得たいのかという質問に、元気な限りが最も多くて三三%、六十歳ぐらいまでというのが一七%、六十五歳までが一四%という結果が出ておりまして、これを見まして改めて日本人の勤労意欲の旺盛さ、また就業したいという希望を持っていることは大切だなと感じた反面、公的年金への多少の不安感があるのではなかろうかと思うわけでございます。
 現状ここ数年の間でやっと六十歳定年が定着したばかりでございまして、六十五歳以上定年までにはまだまだ時間がかかると思います。少なくとも六十五歳まで現役として働けるような環境を整備していかなければならないと思いますが、先生にそういった環境づくりに具体的にはどういった方策をしていけばいいかなという御意見がおありでしたら教えていただきたいと思います。
#11
○参考人(橘木俊詔君) いろんな政策提言等は別のところで書かしていただいているんですが、ここで大事な点は、先ほど多少申したことなんですが、一つにはパートタイム労働を充実する必要がある。高齢者は健康の面でも不安がございますし、フルタイムで働くには特にブルーカラーを中心にして非常にきつい労働を強いることになると思いますので、パートタイム労働というものを本気に高齢者に提供するような制度づくりをするのが私は一番大事じゃないかなという感じを持っております。
 それともう一つは、先ほども多少申し上げたことなんですが、不幸にして年功賃金制度を前提にしますと高齢者の賃金はやっぱりどうしても高くならざるを得ない。そうすると日本の企業というのは賃金の安い若年にどうしても労働需要が行きかげんですので、もうちょっと高齢者の賃金を安くする。急激に安くしますと勤労意欲の侵害になりますので、急激に物すごく低くするのはできませんが、多少なりとも、今まで以上の賃金は期待できないような多少の賃金カットというものもやむを得ないかなという気がしております。
 したがいまして、パートタイム労働をもっと活用する方策を高齢者に考えるということと、賃金カットということも多少やむを得ないというのが高齢者の労働需要を確保するための二つの重要な政策かなというふうに私は考えております。
#12
○加藤紀文君 ありがとうございました。
 もう時間が余りありませんので、最後の質問とさせていただきます。
 先ほどのエコノミストに先生が発表されました「累進消費税導入で社会保障を」という中でちょっとお尋ねしたいと思いますが、厚生年金制度が昭和十九年に発足し、国民年金は三十四年、国民皆保険、皆年金の実施が昭和三十六年ということで、公的年金制度も三十数年間いろいろ大幅な改正を重ねながらも来年いよいよ一元化を迎えて、多少なりとも制度を整えてきたんではなかろうかと思います。しかし、急速な我が国の人口高齢化や少子現象を迎えて、給付と負担のバランスを考えた場合に、年金財源を見れば遅かれ早かれ破綻することもあり得るんではなかろうかという気がします。細川首相が一夜にして撤回した国民福祉税、これも年金財政は赤字に移行するんではなかろうかと警告した意味がありまして、一つのショック療法ではなかったかなと思うわけでありますが、先生のこの論文の中で三点ですか、財源確保に関して、保険料率のアップはもう限界がある、給付不足額を補う福祉目的税は財源の硬直化を生む、三つ目の、政府の社会保障と一般部門の会計を統合して社会保障給付は税収の一部を財源として支出する、現行の基礎年金制度の基礎部分を税方式でやり、二階部分を保険料で補う、これは実にすばらしい案だなと私も何というか感激したわけでございます。
#13
○参考人(橘木俊詔君) そうですが、ありがとうございました。
#14
○加藤紀文君 その後の累進消費税というのがよくわからないんですけれども、これは高額の消費や支出をする人により高い税率を課す、いわゆる累進税制を消費税や支出税に設けるという、これは物品税とはまた意味合いが全然違うわけでございますね。
 先ほど先生おっしゃられましたように、徴税をどうやっていくかということがどうも私どもにはよくわからないんですけれども、その辺をもうちょっと詳しく教えていただければありがたいなと思うわけでございます。
#15
○参考人(橘木俊詔君) 徴税の方の話は私もそんなに強いところではございませんで、確かに先生が言われるような物品税、例えば自動車も今ぜいたく品ではないと思いますが、ぜいたく品等には高い税率をかけて、食料品等のだれでも消費するのには低い税率をかけるというのも一つの累進消費税的な考え方を生かしたやり方だと思います。しかしながら、物品税というのは、これまたいろんなデメリットがございますので、日本は今まで物品税のシェアが相当高かったんですが、消費税の導入を契機にして物品税のシェアを徐々に低くしていこうという制度でございますので、むしろ物品税的な考え方をするよりも、長期的には所得マイナス貯蓄イコール消費という観点から徴税を考えたらいいんじゃないかということなんです。
 加藤先生が一年にどれだけ消費したかというのを把握するのは非常に難しゅうございますが、私はでも百年後はもうそれは可能だと思うんですね。カードで全員品物を買わないかぬという制度になりますと、一人一人がカードで何を買ったかが把握できますとその人の消費量はぴたっと出せると思うんですが、それは現状ではまず無理だと思います、五十年後には可能かもしれませんが。
 それはさておき、所得というものは今でもなかなか把握できませんが、国民の善良性に期待すれば所得というものも相当精度高く把握できるんじゃないか。貯蓄の量も、銀行あるいは郵便貯金その他もろもろの預金口座で、コンピューターの技術が発達すればその人がどれだけその年に貯蓄したかというものも把握できるかもしれない。
 所得と貯蓄が把握できれば、その差額は消費ですね。となると、具体的にその人が消費を何百万円したかということは把握できないけれども、所得マイナス貯蓄という概念を使えば、所得と貯蓄の量がはっきりすれば間接的に消費の量は把握できます。あるいは支出の量も把握できます。その量に税率を何%かかける。その年に一億円消費した人には五〇%の税率をかけましょう、その年わずか五百万円しか消費しなかった人には一〇%の税率をかけましようというのであれば、一億円消費をした人からはたくさん税金を取り、五百万円しか消費をしていない人には一〇%、百万円しか消費をしていない人にはもう税金をかけません、ゼロでいきましようというような累進度の考え方というのは概念的には可能だと思うんですね。
 ではそれをどうやって具体的に徴税するかと聞かれますと、私は国税庁の役人でもございませんし、どうやってやっていいか具体的な意見というのは今持っておりませんが、概念的には先ほど申しましたような考え方を貫けば可能だというふうに考えております。
#16
○加藤紀文君 ありがとうございました。
 終わります。
#17
○三重野栄子君 三重野でございます。
 本日はいろいろとお教えいただきましてどうもありがとうございました。もう少し御意見をお伺いしたいという立場で二、三申し上げてみたいと思います。
   〔会長退席、理事竹山裕君着席〕
 人の一生をライフサイクルで見まして、貯蓄と勤労を経済学的に見るとこういうふうになるのかなと、大変おもしろいといいましょうか、そういう視点でお伺いをさせていただきました。
 その中で公的年金の問題についてまずお伺いしたいわけでございますが、公的年金の最大の存在意義は勤労期に貯蓄をせずに所得全部を消費してしまう近視眼的な個人を生じさせないようにすると説明をされながら、そしてまた、公的年金がないならば近視眼的な個人の引退期の支出を政府支出で補わなくちゃならない、そういう立場でありますから、もしそういう人がたくさんになれば社会的なコストが大になるというふうに展開されていると思うわけであります。
 今も加藤先生とのお話の中で、大変おもしろかったんですけれども、人生さまざま、人さまざまでございますから所得もさまざまでありますけれども、消費もさまざまで、非常に消費を節約して貯蓄をする人もいる。先ほど申されておりますように、いや太く短く愉快に行こうということで消費を全部しておって、そしていよいよ老後になって一体どうするんだというような人と、こつこつと一生懸命老後のためにやってきた、若いときには節約をしてそして年をとったらという意味で貯蓄をして老後を楽しんでいる、その人をどういうふうに評価するかというのは、これから非常に難しい問題だろうというふうに思うわけです。
 その場合に、公的年金というのが政府による強制力を伴うということになりますと、今年度も厚生年金の支給開始年齢の問題とか、あるいは保険料の改定の問題が議論されているときに、一体、わがままに暮らした人というか愉快に暮らした人のために私たちは将来のために保険料を上げられなくちゃならないのかなというような、国民的なコンセンサスというか、そういう点はどういうふうにこれからやっていけばいいかというのが一つの問題ではなかろうかというふうに思うんです。この公的年金の意義を広く国民の皆さんに位置づけていくためにはどのような主張が好ましいのであろうかということをお伺いしたいわけであります。
 それと一方では、これはもう新聞にもいつも出ている問題でございますけれども、たまたま三月十五日の毎日新聞を持ってまいりました。十三ページから十六ページまで大幅に、「定年…さあ第二の船出」。年金はこう変わるんだから、そして退職金があったらばもっと上手に増殖しなくちゃなりませんよと。こういうふうになってまいりますと、高齢期を迎えた人たちは退職金をじゃこういうことで利殖をして老後を豊かにしましょうという考えになるかと思いますが、若者たちは、いやそんなに老後が大変だったらば今からうんと貯金をしなくちゃならないんだと。
 そうすれば、一方では公的年金、将来自分の高齢生活の中でどれぐらいの支出があるかわからないけれども、政府から強制的に毎月の保険料そしてボーナスからも保険料というような状況の中で、一方では貯金をしなくちゃならないということで、結果的には私的貯蓄というのに力が注がれていって、公的年金、先ほど言いました人たちの分までも自分がカバーしなくてはならないような保険料というものを無理して払わないでもいいのではないか、払いたくないという人たちも出てくるのではないだろうか。そこらあたりの問題をどういうふうにやればいいか。それは先生にお伺いすることではないかと思いますが、それを経済学的と申しましょうか、学問的に言いますとどういうふうになるのか、お教えいただきたいと思います。
#18
○参考人(橘木俊詔君) 今の御質問は非常に重要な御質問だと思います。
 公的年金制度がもし破綻するような現象があるときに、みんなそれについてきて払ってくれるのかというような危惧が若い人の間で起こるかもしれませんし、公的年金制度がもしぐらつくようなことがあれば、もう公的年金制度なんかに頼らずに自分で一生懸命貯蓄しようとする人たちもあらわれてくるかもしれない。もう公的年金に参加するのは嫌だという人が出てくるかもしれません。そういう人たちが出てきたときにじゃ政府はどうしたらいいかということの御質問だというふうに私は理解させていただきました。
 私もここで申しましたように、公的年金というのは半強制的に、税金みたいなものですね。うんともすんとも言わせずに国が保険料を徴収して引退後の消費を賄うための給付をやるというのが公的年金制度でございますので、私は強制力があるからにはやっぱり信頼性を続けていかないと国民の支持は得られないというところが大原則にあると思います。
 しかしながら、先生も言われましたように、公的年金の一つのできました要因は、そんなことを心配せずにもう全部消費してしまう人が出てくるわけなんですね、人生ケセラセラでもう六十以降はどうなってもいいやという人がふえたときに政府は困るから、そういう人たちが出てこないように強制的にみんなから貯蓄を取って、みんなから取った貯蓄が保険料という形で公的年金になっているわけなんです。
 したがいまして、国民がいろんな層から成っている。物すごく注意深い人、もう老後が心配で自分はたくさん貯めたいという人もいれば、いや僕はケセラセラで、子供が面倒を見てくれるかもしれない、どうでもいいやという人、いろんな人がいる。すべての人を満足させるような公的年金制度を維持するためには、公的年金制度というのはそんなに大きくなっては困る、私はそういう理解をしておりますので、ぜいたくは言わないまでも何とか最低生活のできるような水準を公的年金で賄うという制度に持っていくのが基本じゃないかと思います。そういう制度であれば、豊かな人、ケセラセラの人、すべての人の合意は最低限得られるんじゃないかと思うんですね。そういう制度を準備することが公的年金制度の最大の目的であり課題であるというふうに考えております。
 それ以上の所得保障を求める人はもう自分でやれ、自分で貯蓄をふやすし企業年金にも入るし生命保険にも入るしという形でやるしかすべての国民を満足させるような公的年金制度というのは維持できないんじゃないかというのが私の理解するところでございまして、私の言ったようなことを公的年金の担当者あるいは国でキャンペーンをやる必要があるんじゃないかという気がいたしております。
 答えになっているかどうかわかりませんが。
#19
○三重野栄子君 少し前が見えてきたような気がいたします。
 ところで生活水準はこれぐらいであればいいというのがこれまた難しい問題でございますので、サンプル的なというか水準はこうあるべきではないかということも私たちのこれからの話題の中に入れていくべきではなかろうかというふうに思ったりしています。
 それと一方では、そうは言うものの、生活水準はいろいろあったにしても、日本は本当に、経済大国になる以前、明治以来からとにかく富国強兵でもってもう貯蓄貯蓄ということでやってまいりましたし、六十代、七十代は貯蓄こそが美徳という状況でありましたが、戦後は今度は経済大国に向けましてまた貯蓄が美徳というような形でそういう政策がとられてきたと思います。一方では公的年金の必要性という、生活水準をリードしたとしても、一方では先ほど申しましたように、資本主義社会でありますから、生命保険会社とかあるいは郵政もそうですけれども、貯金をいっぱいしましょうとか保険会社もありますというようなことで、貯蓄志向というものは非常にあふられていくわけであります。そういう社会的な状況の中でこれを平準化するというのはおかしいわけでありますが、この問題はどういうふうな方向に進むことがベターというふうに思われるでしょうか。こういう貯蓄性の産業を育成していくというか、ちょっと表現がまずいんですけれども。
#20
○参考人(橘木俊詔君) 日本の貯蓄率が高過ぎるのかという議論の御質問かというふうに理解しましたが、私は基本的に日本の貯蓄率の高かったことは非常によかったというふうに理解しております。日本の高度経済成長ないしは産業化は、やっぱり高い貯蓄率があることによって資本が蓄積されて、その資本が非常な工業化、産業化に役立ったところがございます。貯蓄は美徳かという話もそうなんですが、日本人がやっぱり貯蓄をしてきたことは、少なくともマクロの経済運営上は非常に役に立ったというふうに理解しております。逆に貯蓄率の低い国、アメリカも五%以下の貯蓄率でございますし、貯蓄率の低い国というのは言ってみれば悩んでいる現状がございますので、私は基本的に日本人の貯蓄率が高かったことはよかったし、今後も高くあり続けてほしいと思います。
 しかしながら、不幸にして一つだけ難点がございまして、貿易摩擦の一つの理由が日本の過剰貯蓄でございます。これが日米貿易摩擦の一つの理由になっておりますので、それを減少させるためには日本の高い貯蓄率を何とか世界に納得されるような使い方をすればいいかなという気がしております。じゃ具体的におまえ何か方法があるかと言われますと具体的な方法は持っておりませんが、アメリカから日本人は貯蓄し過ぎて消費も足りぬ、もっと消費せいと言われるのに対して、そんなにすぐに消費をふやすような政策をとらずに、貯蓄はキープしたままアメリカ人にも納得してもらえるような日本の高い貯蓄率の使い方をむしろ知恵を絞って考えた方がいいんじゃないかという気がいたしております。
#21
○三重野栄子君 貯蓄の上手な使い方をやっぱり研究しなくちゃならないと思います。
 最後でございますが、高齢者雇用の特色と雇用政策についてお伺いしたいと思います。
 日本は特に労働時間が長くて、高齢者じゃなくても労働時間が長過ぎるわけでありますから、それをフルタイムの労働者の一日の労働時間とかあるいは残業時間、時間外労働につきましても短縮をしていかなくてはならないというのが一つ。そういう状態の中で、高齢になった人たちはやっぱりそういう同じ条件で働きたい、働かなければならないという思いを高齢者自身が持っている面もあろうと思うんです。
 ですから、そういう意味で高齢者雇用と言う場合には、先ほど先生もおっしゃいました短時間労働とかあるいは新しい作業をつくっていくということも、これから使用者の側にも要請をしていかなくてはならない問題だろうと思うわけでございます。ですから、女性のパートタイムの雇用の問題と同時に、男性も、あるいは高齢者も含めてパートタイムというものは、何か臨時的で非常に無責任な作業をやるというのではなくて、短時間の労働のスタイルとして位置づけることが必要であろうというふうに思うわけです。
 平成六年度から郵政事業の中に時間制の労働が二年間の試行として採用されるようこなったのでございます。ぜひそういう方向性を使用者側にも、企業の方にもそういう制度が採用されていくように私は願っているわけでございますけれども、そういうことになりますと今度は賃金の体系も当然変わってくるわけでございますから、そういうあたりについて企業の皆さんに対する示唆というのが何かございましたらお聞かせいただきたいと思います。
#22
○参考人(橘木俊詔君) 具体的な示唆はございませんが、繰り返しになるかもしれませんけれども、日本の企業は女性をパートタイマーで雇うのはもう非常にポピュラーな時代になっておりますよね。これは女性が不満な場合もあるかもございませんが、満足してパートタイマーで働いているケースも結構あるということを考えますと、高齢者だって、自分の健康のことだとか、所得はこれ以上要らないという高齢者もいるかもしれませんから、私はパートタイムで雇用をふやすということを真剣に考える必要があると考えます。
 女性についてできたことを高齢者に関しても同じようにできないかという、モラルパシュエーションといいますか、お願い。具体的にどういう制度を、例えば法人税を軽減するとかそんなことまではすぐには思いつきませんが、女性にできたことを高齢者も同じでできないかなというふうに考えるんです。具体的にどういうふうにやったらいいかというのはすぐ今お答えできませんが、女性にできたことは高齢者にもできるという理由づけで私は納得できるんじゃないかと思います。
#23
○三重野栄子君 どうもありがとうございました。
#24
○浜四津敏子君 本日は大変ありがとうございます。
 公明党の浜四津でございます。
 先生がエコノミストにお書きになっておられる論文、「累進消費税導入で社会保障を 高齢化社会における政府の役割と財源」、こういう題でお書きになっておられます。この関連でひとつお伺いいたします。
 先生おっしゃっておられますように、年金、医療、介護など、国民福祉の財源をどうするかというのが最大の政策課題になっております。二百兆の赤字を抱える、あるいは超高齢化社会を迎える、こういう状況にありまして、この財源につきましては嫌だと言って避けて通るわけにいかない問題として突きつけられております。そんな中で国民福祉税構想が起こり、また議論がなされてきたわけです。
 先生がこの論文の中で、財源は税・統合方式が理想である、こうおつしゃつておられます。年金それから医療、介護、これは本来切り離せない問題だと考えられまして、高齢者の側からいたしましてもこれがスムーズに受けられるように、給付の面でもあるいは財源の面でもできれば一体化できるのがいいのかなというふうに考えておりましたけれども、現在は、年金それから医療につきましては公的保険制度、介護につきましてはまだ制度としては確立しておりませんで税金からの現物給付というのがなされており、また大半は家族が見ている、こういうことになっております。この年金、医療、介護、これをすべて財源は税金で一体化するのがいいんだという御主張なんでしょうか。
 ほかの提案といたしまして、年金は除いて、医療とそれから介護についてはむしろ税金ではなく公的保険で一体化するべきだ、こういう主張もなされておりますけれども、公的保険で一体化するというのと年金も含めて税で一体化するという方式、それぞれのメリット・デメリットがどのあたりにあるのか。先生がこの税・統合方式を理想だというふうにおっしゃる、ほかの制度よりこの点が非常にすぐれているんだという点につきまして、少し具体的にお教えいただければと思います。
#25
○参考人(橘木俊詔君) 税・統合方式の最大のメリットは、私の見るところ、損得論議がそんなに入る余地がない。要するに、年金の場合でも一定額、大体基礎部分を税で負担するということであれば、例えば一人につき五万円ないしは十万円とか、額はちょっとわかりませんが、一人につき公的年金給付をこれだけやるというふうなのを宣言しますと損得論議が入らない。もう税金で、国民全部で払ったやつを引退した人には最低十万円だけ払いましょう、それ以上欲しい人は自分でやりなさいというような制度ですと、少なくとも公的年金あるいは公的給付に関して、今まで公的年金で言われていた損得論議の入る余地がほとんどないということが私は最大のメリットというふうに考えます。
 医療に関してでも、病気になる人と病気にならない人がいるわけなんですから、病気になった人は非常に不幸なわけですが、これは病気になった人は国がこれだけの最低の保障はしましょう、それは税金でやりましようと。それ以上、例えば高額の医療だとかそういうことになったらこれはもう税金ではできない部分が当然出てまいりますので、そういうところは私的部分でやってもらおうという感じでございますので、私の見るところ、損得論議がそれほど入ってこないところに一番のメリットがあるというふうに感じております。
 医療に関して言えば、イギリスがそういう制度をとっておりまして、少なくとも最低の基礎部分は税で徴収してそれを医療給付で支払うという制度をとっております。ヨーロッパの多くの国は医療制度に関してはその制度をとっております。年金まで含めて税と統合をやっているのはオーストラリアとニュージーランドでございます。もし御関心があればオーストラリアとニュージーランドの制度を厳密に調べたら、私にとってもそれは非常に重要な研究テーマになると思うんですが、メリット・デメリットが非常に浮き彫りになってくるかと思います。
 今ちょっとすぐはお答えできませんが、デメリットも多分あるかと思います。それだけじゃ足りぬ、もっと多くないといかぬという意見も出てくるかもしれませんし、いろんなデメリットもあるかと思いますが、今私の感じるところメリットがデメリットを凌駕しているという意味でこういう制度を考えたというか、主張しているところでございます。
#26
○浜四津敏子君 その統合方式で目指すべき年金、医療、介護の程度でございますけれども、年金については暮らせる年金、医療につきましてはイギリス方式と同じように最低限の医療は少なくとも無料で受けられる、介護についても基本的なところは、特別ぜいたくなものでなければ、ごく普通の必要な介護は全部無料で受けられる、その程度を目指しているというふうに考えてよろしいんでしょうか。その場合の税の負担率と個人貯蓄率との関係はどの程度になるというふうにお考えでしょうか。
#27
○参考人(橘木俊詔君) 今のも重要な質問でございまして、これを厳密に数量的にやるには、介護の費用が一体どれだけ必要なのか、国民の基礎的な部分の医療費支出がどれだけ必要なのか、六十歳ないしは六十五歳で引退した後どれだけの生活保障を国がやったらまあ何とか生きていけるだけの給付なのかというのを厳密に数字で出さないと、どれだけの負担になるかということは一言では言えないと思います。それを厳密にやっぱり調べる必要があるかと思います。
 私の申したいのは、そういう数字を出すことも非常に大事だと思うんですが、国が少なくとも最低限そういうことをやってくれるということを国民全体が理解すれば、税金が多少高くなっても喜んで負担してくれるんじゃないかという、淡い期待といえば淡い期待になるかもしれません。北欧諸国なんかはたくさんは取られるけれども、それだけのリターンがあるとわかればみんな出してくれますので、たとえたくさん取られても最低限国ないしは公的給付でやってくれるんだという信頼感があれば国民負担率が五〇%を超えても私は日本の国民は受け入れてくれるんじゃないかという淡い期待は持っております。
#28
○浜四津敏子君 私も知り合いの特に主婦層の方に意見を聞いてみますと、今の日本の制度ではなかなか税金も含めまして自分たちが負担したものが返ってきているという実感がない。これが例えば教育にしても医療にしてもあるいは住宅にしてもそれから老後の生活にしても全く不安がないというシステムになっていれば、税金が多少高くても、あるいは国民負担率が高くてもそれは喜んで出す、こういう方がかなり多いのに私自身も実は驚いたんです。今日本でこれだけ個人貯蓄率が高いというのは、税金は取られるけれども返ってこない、老後も不安だ、こういうのがどうも大きな動機になっているんじゃないかというふうに思います。
 スウェーデンでもいろんな方にお聞きしますと、スウェーデンであれだけ個人貯蓄率が低いのは、貯蓄しなくても不安がない、自分たちは貯蓄だと思って納めています、こういうふうにおっしゃる方もいらっしゃったわけで、そういう意味で言えば、先生がおっしゃるように個人貯蓄率とこういう公的な福祉のあり方、どこまで保障できるのかということと非常に大きな関連性があるんだろうというふうに思っております。
 またちょっと話が別のところにいきますけれども、先生がおっしゃっている累進消費税というのは、税・統合方式が理想だけれども、これは理想をすぐには実現できないので次善の策としてまず福祉税なりあるいは消費税なり付加価値税なりの間接税で賄う、その間接税のあり方として累進消費税というお考えだというふうに思います。
 逆進性を解消するための一つの方法としての累進消費税、非常に参考になる大変貴重な御意見かと思いますけれども、先生おっしゃいましたように徴税の手続で非常に複雑になる。そうしますと、租税の原則である簡素なあり方というのにちょっと抵触する嫌いもなきにしもあらずかなというふうに思うんですが、この逆進性を解消する方法として、低所得者についてはまた別途の支援策、福祉政策を講ずるということはお考えにならないでしょうか。むしろそれよりも累進消費税の方がよいというお考えでしょうか。
#29
○参考人(橘木俊詔君) 私はここでは長期的な政策措置しか述べておりませんので、短期的にどういうことを考えたらいいかというようなことは余り申していない欠陥論文なわけですが、例えば食料品非課税というのも累進消費税の一変形なんですね。ヨーロッパだと多くの国でもう付加価値税率が一〇パーセントを超しておりますので、食料品非課税をやっている国が相当ある。食料品というのはだれでも使う商品でございますので、食料品を非課税にするということは私の言っている累進消費税の第一歩であるというふうに理解できるかと思います。
 したがいまして、食料品非課税あるいはその他国民一般が広く使うような商品に関しては、非課税の割合を徐々に徐々に高くしていけば累進消費税というものが具体的にインプリメントされていく制度になっていくんじゃないかという気がしておりますので、第一歩としては食料品非課税あるいはその他日本でもだれでも使うような商品を非課税にするとか、あるいは浜四津先生が今言われたように、低所得者に対しては逆に負の所得税みたいな形で給付をやるということも、一つの過渡的な方法としては私は考えられるというふうに思います。
#30
○浜四津敏子君 どうもありがとうございました。
#31
○吉岡吉典君 日本共産党の吉岡です。
 先生のお話の中で述べられました引退後の最低生活は自助努力ではなく公的年金でという考え方については私も賛成であります。
 そこでまず先生どういうふうにごらんになるかですが、日本の今のレベルの問題ですね。先生がお書きになっている中で、日本の公的年金制度は成熟期に差しかかっているという指摘がございましたけれども、これは先生は、今の公的年金が大体において最低生活を保障するに近いものになっているということなのか。差しかかっているというのは非常に微妙な表現ですので。
 こういう質問をしますのは、実は私はある文献を読んでいるときに、年金じゃありませんけれども、社会福祉全体についてでありますが、日本の現在の社会福祉の水準というのは三十五年前のヨーロッパの水準にやっと達したところだというのがあったのを読みましたので、これは年金だけじゃありませんけれども、そうすると日本はうんとおくれているのかなということとの関連で、今の日本の年金のレベルはどのようにごらんになっているのか。
#32
○参考人(橘木俊詔君) 二つあると思います。
 一つは、成熟期というのは、日本国民ほとんど全員がもう加入しているという意味で成熟期に達したという解釈が一つできるかと思います。今までは全員が参加している制度じゃございませんでしたし、特に引退者は余り保険料を拠出していなかったという現状がございますので、多くの国民が拠出と給付をほぼ行っているという意味での成熟化が日本では満たされたかなという感じがしております。
 二つ目のその意識と申しますのは、今の年金給付額が国民の引退者の最低限の生活を賄うのに十分な支出をしているかしていないかという話で成熟しているかしていないかという御質問だというふうに私は理解しますが、これは高齢者がどれだけ保険料を拠出してきたかに大きく依存するんですね。
   〔理事竹山裕君退席、会長着席〕
 例えば公的年金ができて、二十歳から六十歳までずっと拠出し続けた人にとっては、給付額というのは割合もう水準に達していると思います、そういう人たちに関しては。しかしながら、公的年金がまだ未成熟のときに加入して、大体四十歳とか五十歳で加入した人たちというのは、拠出額が少ないですから残念ながら給付額も少ない。そういう人たちにとっては給付額というのはふさわしい生活を行うレベルにはまだ達していないという意味で、高齢者にも十分な生活ができるようなレベルの給付をもらっている人もいるけれどももらっていない人もいるという意味で、そういう意味ではまだ過渡期にあるんじゃないかなという気が第二番目の問題として私は思っております。
#33
○吉岡吉典君 きょう非常に今まで皆さんも注目してこられた例の保険と税制との統合ということに関連してですけれども、これまで保険料負担という場合に一つ問題になったのは、国の負担と同時に労使の負担ということが、この比重をどうするかということが随分論議になってきました。今は五対五のはずですし、私どもはそれを七対三にせよという主張をしてきたところですけれども、その問題は別としまして、この統合という考え方の中で、使用者、企業の負担というのはどういうふうに位置づけてお考えになっているのかということをお聞きしたい。
#34
○参考人(橘木俊詔君) 私は労使の負担に関してはここでは一切触れておりませんが、私の考える理想的な制度というのは、使用者が負担する必要はないと思います。企業というのは別個の目的がございますので、社会保障に関して必ずしも企業というのは積極的に関与する必要はないというふうに私は理解しております。マイナスの効果の方が多い。税・統合方式ですと、国民全員が何らかの税を拠出することによって公的給付の基礎的な部分を賄うわけですから、そこに企業の人は必ずしも参加する必要はない。
 なぜそういうことを言うかといいますと、自営業の人たちはこういう使用者負担というのが全然ございません。企業に働いている人は使用者負担というのがございますが、自営業者は使用者負担というのがございませんのでそこで企業で働いている人と自営業者とで不公平が出てまいります。
 したがいまして、自営業者も企業に働いている人も平等に公平に負担してもらうためには使用者負担というのはない方がいい。使用者負担をやめた分は企業にもっと頑張ってもらって賃金に回すとか、あるいは企業の成長活動に使うように私は回した方がいいというような考えを持っておりますので、原則私の意見は、使用者負担というのは税・統合方式を貫徹するのであれば必要ないというのが私の意見でございます。
#35
○吉岡吉典君 その点は私は先生と意見が違うところですけれども、ここでそれを議論しようとは思いません。先生の意見はわかりました。
 それからもう一つ、今ずっと論議になりました累進消費税ということに関して、私はずっと議論を聞いていて、これ不可能じゃないかなという気がいたします、率直に申し上げまして。消費税の逆進性というのは、これはもう避けがたい宿命だというふうに私は思います。
 先ほどの議論の中で、この累進性ということの考え方としては消費量による税率というお話がありましたけれども、消費量による税率ということになると、これは私はやはり逆進性の緩和ということではなくて、総量でいろんなものを全部合わせれば別でしょうけれども、やはり高額所得者、低額所得者、それにふさわしい税率というのを消費の量ではかるというのはなかなか大変なことじゃないかなという気が私はいたします。先ほど、食料品非課税の例も累進消費税の一つだというふうに言えば、それは例はあるということになるわけですけれども、それ以外にこういういわゆる累進消費税というふうな発想ないしは実例というのは国際的にはあるものなのかどうなのかということを最後にお伺いしておきたいと思います。
#36
○参考人(橘木俊詔君) これは原則論でございまして、課税のベースを何にするか、所得税中心でいくか消費税、支出税型でいくかの論争がございます。経済学上も論争がございます。所得税中心でいこうという考え方と、いや間接税中心でいこうという考え方二つございまして、純粋経済学的に言えば、間接税中心の方が所得税中心よりも経済一般への影響力は少ない。
 例えば、労働供給への悪影響だとかあるいは貯蓄への悪影響だとか投資への悪影響だとか、悪影響という言葉はちょっと使うとまずいですが、貯蓄、投資あるいは労働意欲その他もろもろの経済変数への影響力は、所得税中心よりも間接税中心の方がベターだというのは経済学の理論では一応言えているわけなんです。それを私は大事にしたいというふうに思っております。
 しかしながら、それは効率性を高めるという意味ではベターなんだけれども、公平性という点で難点がある。それは先ほど申しましたように逆進性の問題がある。じゃ、逆進性の問題を除去するためには、効率性も維持しながら、かつ公平性にも準拠する方法は何であるかというふうに考えたら、私は累進消費税じゃないかということで、ある意味で理想論を申し上げたわけなんです。
 その点で、先生が言われるように、徴税技術上非常に難しいんじゃないかということも確かでございます。世界で累進消費税を入れた国は残念ながらございません。多分難しいからだと思います。長期的には非常に望ましい制度なんだけれども、難しいから入れていないんですが、繰り返しになりますが、食料品非課税はその第一歩なわけです。もうヨーロッパは現にやっている。ヨーロッパの多くの国は食料品非課税をやっているということを考えますと、インボイス方式等が相当普及してきますと日本だって私は不可能ではないというふうに理解しておりますが、ただし時間は物すごくかかると思います。食料品非課税をやっている国がヨーロッパに多くあるという現状を見ますと日本だって不可能ではないというのが私の一応の答えでございますが、徴税技術上難しいだろう、難しいというのは私も先生と一緒の理解でございます。
#37
○吉岡吉典君 どうもありがとうございました。食料品非課税は私どもも主張しているところで、その点では一致しております。
 それから、一言だけ。これもここで議論しようと思いませんけれども、先生の税制の理論、理想論はこうだというのは先生の議論としてはよくわかりました。国会、私大蔵委員会におりますけれども、そこでずっとやってきた論議で言いますと、前宮澤内閣、宮澤総理が大蔵大臣時代にも総理になられてからも、それから今の羽田外務大臣が大蔵大臣時代にも、税制の基本としては所得税中心、総合制それから生活費非課税、これが戦後の民主主義的な税制であり、それは今も生きているということを繰り返しおっしゃってきているということだけあれして、私はそれには賛成なんです、宮澤前総理が答えられたことには。そういう論議が国会ではずっと行われてきたこともあってさっきのような質問もさせていただきました。
 どうもありがとうございました。
#38
○会長(鈴木省吾君) 以上で橘木参考人に対する質疑は終了いたしました。
 橘木参考人には、お忙しい中 本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
#39
○会長(鈴木省吾君) 次に、岡本参考人より御意見を伺いたいと存じます。
 この際、岡本参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 それでは、岡本参考人お願いいたします。
#40
○参考人(岡本祐三君) 御紹介いただきました岡本でございます。
 高齢化社会に対応する一番の問題はやはり寝たきり老人の介護だというふうにことしの総理の施政方針にも出てまいったわけでございますが、最初に申し上げておきたいのは、今私どもが医療の場でも一番困っているいわゆる寝たきり老人の介護問題、この長期にわたる寝たきり老人の介護問題というのは、昭和四十年代以降日本の社会にあらわれてきた非常に新しい問題である、過去の私どもの社会にはなかった問題であるということを、後からいろいろ立証したいと思いますが、昔から日本では寝たきり老人の介護というものは家族がやってきたんだというふうな問題ではないということを最初に申し上げておきたいですね。
 今の医療と福祉の最大の接点の問題であります病気とか障害を持った高齢者の長期介護、長期ケアの問題、これの構造的な背景を最初にスライドを使って申し上げたいと思います。(スライド映写)
 よく言われておりますが、これは日本人の平均寿命の延びでございます。女性の場合、一九五〇年当時六十二歳ぐらいであったのが現在八十二・二歳になった。平均寿命で八十二歳ということは、これはゼロ歳で亡くなった赤ちゃん、四十歳で亡くなった御婦人、そういう方も全部入れての平均でございます。例えば高齢化問題が一番問題としてきます六十五歳まで存命された方ばかりを集めますと、日本女性の平均寿命は八十五歳から八十六歳ということになるわけでございます。男性ですと八十歳ぐらいになります。
 厚生省の調査でも、寝たきり老人の発生率は大体七十五歳以上になりますと三五%というふうに言われておりますから、現在平均寿命が八十二、六十五歳以上の方の平均寿命が八十五ということになれば、すべての国民のうち三人に一人が寝たきり老人というか介護を要する状態になる。ということは、要介護という事態は国民皆リスクであるということでございます。
 日本のこういう高齢者の扶養・介護問題に関して家族問題を抜きに語ることはできないのでありますけれども、日本では伝統的に、旧民法における家族制度、あるいは制度に規定されたものでない家族というものが寝たきり老人を介護してきた、あるいは老人を支えてきたという理解があるわけですけれども、これは果たして本当にそうであったかということをちょっと別の観点から見てみたいんです。
 これは日本人の自殺率の経年的な推移をあらわしたグラフでございます。一番端が昭和五年、戦前でございます。右端の方が昭和五十年です。これが一般の全年齢の自殺率の平均でございます。上のこのグラフが老人の自殺をあらわしております。
 日本は御存じのように、先進国の中では特に女性の老人の自殺率が非常に高い。ハンガリーに次いで世界第二位でございます。特に目立つのは、同居世帯の老人に自殺が多い。老人で自殺する方のうち約六十数%は同居世帯であって、老人単独世帯とか老人夫婦だけの世帯の高齢者が自殺するということは余りございません。主として同居ストレスというか家族と一緒に住んでいるために起こるストレスあるいは孤独、そういうものによって老人は自殺することが現在は非常に多いわけであります。
 これはどうしてかといいますと、一人で住んでおって感じる孤独というのは、これは当たり前でありますが、だれかと一緒に生活していて感じる孤独というのは、これは相手から排斥されている、疎外されているわけでありますから、もっとこたえるわけですね。そういう意味で言えば、同居によるストレス、そういう孤独感というものが逆に非常に老人を自殺に追いやる原因にさえなる。この老人の自殺の傾向を見ますと、日本は今世界でも有数の老人の自殺大国ではございますが、それでも日本の歴史の中では老人の自殺は現在は一番低いわけです。
 非常に興味深いというか関心が持たれますのは、旧民法の中で家族に老人の扶養というものが特に子供に非常に強固に法的に義務づけられておった戦前の時代に、老人の自殺というものは現在の一・七倍近くもあったということでございます。老人の自殺の第一原因はずっと病苦でございまして、この病苦も結局は長期にわたる慢性のそういう病気でございます。戦前の日本の老人は強固な家族制度に守られて自殺など考えもしなかったろうというのは、これは一種の神話的理解であって、実は戦前の貧しい時代に老人の自殺率というのは非常に高かった。これは、日本の家族というものがいかに一種脆弱な構造を持っていたか。
 現在、寝たきり老人問題がなぜ社会問題化したか。家族の介護力の低下ということが言われるのでありますけれども、医療の現場におります私の実感から言えば、もともと日本の家族には長期にわたる高齢者の介護を支えるだけの介護力などなかった。ないところに大変な問題がここ二、三十年降りかかってきて、それが非常に世帯破綻の要因になってきている。もともと介護力というようなものは極めて小さかったというふうに考えるわけであります。
 さて、こういう寝たきり老人でございますけれども、最近、寝たきり老人というのは寝かせきりによってつくられていくものである、この認識は非常に普及してまいりました。寝たきりになる医学的原因のトップは現在脳卒中でございます。その次が骨折、その次が筋肉とか関節の疾患、リューマチとか関節炎とか、そういう病気でございます。
 そういう病気とかけがで一時的に生命の危機に瀕する。しかし、命を助ける救命的な医療というものは国民皆保険制度とか老人医療無料化制度によって非常に普及したわけでございますが、命が助かった後、障害が残る。この生涯にわたる障害というものを回復させていくリハビリテーションであるとか、在宅に戻った場合にその機能を回復させて維持させていく、そういった医療と福祉を統合化した援助システムが極めて貧弱であったために、日本では多くの老人が、脳卒中や骨折とか関節疾患とかそういうもので体が不自由になった場合に、ただ生存させるだけのレベルのサービスしか提供できなかった。そのために寝かせきりの寝たきり老人というものが現在約七十万人もできてしまった。’
 人間の体というのは絶えず動かしていてこそ関節が動き、骨は丈夫になり、筋肉は力が保たれるわけでありますから、寝かせきりにしますと、まず関節がかちかちに固まってしまう、筋肉や骨もどんどんその力が衰えていく、そして棒のような寝たきり状態というものができるわけでございます。
 ここで重要なことは、寝たきりの原因は脳卒中とか骨折とかそういう病気やけがでございますが、私ども医者の世界、医療の世界でも、脳卒中性寝たきりとか骨折性寝たきりとか、こういう言い方はしないわけであります。つまり原因になった病気やけがは現在はほとんど問題でなくなっている。問題になるのは寝たきりという状態そのものです。御本人が自分では動くことができない、つまり障害を持った存在である。ということは、寝たきり老人問題をこれまでえてして私どもは病人扱いしてきたわけでありますけれども、これは大変な間違いで、寝たきり老人の本質は高齢障害者であるという認識が非常に重要であろうと思うんです。
 日本の場合これを医療の分野でやむを得ず吸収してきた歴史もございますけれども、北欧なんかのいわゆる寝たきりゼロと呼ばれている社会は、最初からこれを障害者対策ということで対策してまいりました。障害を持った存在であるから、その第一義的な担い手は社会福祉サービスでございます。社会福祉によって障害を持った生活を支えていく、その上に医療であるとか看護というものが乗っていく、これが実は正しい対策であって、日本の場合、昭和四十年代以降この対策が非常に間違った。医療しか受け皿がなかったからやむを得ないのでありますけれども、そのために寝たきり老人大国という大変一種悲惨な状況を招いてしまったと思うわけであります。寝たきり老人の本質は高齢障害者である、これをまず押さえていただきたいと思います。
 こういうふうになりました最大の要因は疾病構造の変化でございます。これは全疾患に占める感染症、急性疾患と、成人病の受療率、医療を受ける人々の割合を昭和三十年から昭和六十年まで比較したものでございますが、昭和三十年当時は圧倒的に感染症、急性疾患が多かったわけであります。成人病、慢性疾患は非常にわずかでございました。それが三十年間で全く比率が逆転しまして、今や感染症よりも成人病、慢性疾患で医療を受ける人の割合がうんとふえました。
 慢性疾患というのは急性疾患とどう違うか。急性疾患の中心をなします感染症というのは、病気の原因が体の外からやってくる。慢性疾患というのは体の内側から年をとるとともにわいてくるわけでありますから、一生治らない、内臓や手足に一生にわたる障害を残す、これが決定的な相違であります。
 慢性疾患の代表的なものは高血圧でございます。高血圧によって起こる脳卒中、この死亡率と患者さんの数の変化を見てみますと、脳卒中の死亡率は救命医療、医療の発達などによりまして非常に急激に低下してまいりました。しかし、命は助かるのでありますけれども、そこで障害を持ったままずっと生存していかれる条件がそろってきた。そこで死亡率は下がるけれども患者さんの数はどんどんふえていく。死亡率が下がることによって逆に病人の数がふえていく、障害を持った人の数がふえていく、これが慢性疾患の大きな特徴でございます。感染症の場合には死亡率が下がれば患者さんの数そのものが減っていく。しかし慢性疾患の場合は逆の関係になります。
 これは非常に問題の所在をクリアにあらわしているのでありますけれども、身体障害者の方の数の経年的な変化でございます。黒い棒が昭和四十五年、一九七〇年の数字であります。白い棒が昭和五十五年、一九八〇年の数字でございます。これを見ますと、この十年間で十代、二十代の若年層では身体障害者の方の数は変わっておりません。ところが七十歳代では、昭和四十五年に二十六、七万人であった障害者の方の数が、その十年後には約五十六、七万人と二倍以上に急増しております。何十万人もの高齢障害者が一九七〇年から一九八〇年の間に生じてきた。
 こういう大きな問題がどうして社会問題にならなかったか。日本の高齢障害者は、そのほとんどが家庭とか老人ホームとかあるいは病院とか、そういう屋内に寝かせきりの閉じこもりきりで隔離されてしまった。社会的隔離現象が起こったためにこの問題の所在が多くの人々の認識に上らなかった。長寿社会というのは実は大量に高齢障害者が発生する社会なんだということの認識が非常におくれたわけでございます。
 亡くなる前の時期別に見た床についていた方の割合、これを寝たきりというふうに簡単に解釈いたしますと、亡くなる二年前から寝たきりになる方が一八・七%、五人に一人である。亡くなる一年前から寝たきりになる方が二六・五%、四人に一人である。亡くなる半年前から寝たきりになる方が三七%。つまり、全国民のうち四人に一人、三人に一人は一生の間に必ず介護を受けないといけない状態になる。長寿社会というのは、こういう高齢障害者の問題がすべての人の人生の最終段階に待ち受けている、こういうことでございます。
 介護というのは非常に大変でございまして、ちょっとほっておきますと医学用語で褥瘡、床ずれができてまいります。寝かせきりによって体重が体の一点に集中してかかるためにそこの血行が悪くなって腐ってくるわけですね。これを防ぐには大体四時間ごとに体の向きを変えなくちゃいけない。それからマッサージをして、栄養のあるものを食べてもらう。これを二十四時間態勢で土日なしでやるわけでありますから、極めて過酷な労働でございます。これを家族だけに負わせますと、家族らしい情愛というものがその過酷な肉体労働によって奪われてしまう、これはもう当然のことであろうかと思います。
 長寿社会というのは日本の家族関係にも非常に大きな影響を及ぼしまして、これは模式図でございますが、一九三〇年、昭和初期には日本女性の平均寿命が六十二歳、女性が夫と死別するときの平均年齢が五十七歳でございました。一九六〇年代、妻が夫と死別する平均年齢は六十七・五歳でありました。それが現在は七十四歳に上がりました。
 夫と死別するときの妻の平均年齢が七十四歳。そうすると、夫が人生の最終段階で障害状態になって介護を要するときに、七十四歳の妻に一体どれだけの介護力が期待できるか。六十代でしたらまだまだ気力も体力もあるわけです。しかし今や七十四歳。そういたしますと、夫が六十三、四歳のときに、いよいよあした定年だと奥さんの前に改まって座って、長いこと苦労かけたな、もう一遍わしが寝たきりになったらあんた介護よろしく頼むと。仲のいい御夫婦であれば、奥さんが、ああ心配要らぬよ、一生懸命私が面倒見てあげるからと幾らかたく約束をなさいましても、いざそのときになると体がもう言うことを聞かない。仲のいい御夫婦でも大変でありますから、仲が悪いとここで悲惨な状態があらわれてくるわけでございます。こういうように配偶者が高齢化していったために、夫婦の愛情関係とか人間関係とは関係なく、もう配偶者が介護できなくなってきている。
 こういう老夫婦の世帯が非常にふえてまいりました。私はことし五十になりますが、私の親世代が大体こういう年齢構成でございます。今、日本の五十ぐらいのキャリアウーマンの一番の心配事は、もし親が倒れたらどうしよう、それがまさにこういう年齢構成の親たちを抱えている五十前後の女性たちです。
 夫が八十五、六歳、妻が七十九歳ぐらいですか。まだこの夫は寝たきりではございませんから、半分寝たり起きたりで、この老いた妻が食事の世話ぐらいできれば何とか夫婦の自立生活は成り立つ。万年床が敷いてございまして、万年ごたっがある。ティッシュはふんだんにありますし、エビせんべいがあって、病院からもらった薬もある。なぜかファイト一発リポビタン何やらというドリンク剤が置いてありますけれども、多分この後ろの棚には敬老の日にもらった金杯ぐらいは置いてあるんだと思いますが、こういった老夫婦が田舎にたくさん残されてきて、都会に出てきている五十前後の日本の娘たち、息子たちの一番の心配の種になっている。
 いよいよ寝たきりになりますとこういう様子になるわけでございます。これは夫が八十六歳、妻七十五歳、完全に寝たきり状態でございますが、私どもの病院から訪問看護週一回、市の方からホームヘルパー週二回、隣の市に住んでいる娘さんが毎週土曜日にやってきて手伝っている。ぎりぎりの生活を続けている。いっ共倒れになるかわからないという状態が極めて平均的な風景でございます。
 これは母親が九十五歳、娘が七十二歳。これからの母娘というのは最終的にこういう風景になる。娘といっても決して若いものじゃなくて立派な老人である。
 最近の調査では、赤ちゃんが生まれても男の子より女の子がうんと歓迎されるようになってまいりました。昔は女の子が三人生まれると家が傾くと言われたものですけれども、今はもう大喜びですね、三人生まれたら。老後の頼りになるのは息子じゃなくて娘だという認識が非常に行き渡ってまいりましたけれども、一種危険な現象として、最近寝たきり老人の介護者のランキングが変わってまいりました。一位はやっぱり配偶者でありますが、嫁というのが第二位の座を滑り落ちまして、このごろ第二位が娘に変わってまいりまして第三位が嫁である。嫁がだめなら娘へという危険な乗りかえ現象が実際起こってきている。けれども、娘といえども母親が九十超えればもう七十近いわけですね。娘さんが三人いても七十近い三人姉妹がぞろっとそろうわけでありますから、介護戦力としてはほとんど当てにできない。家族介護というものは構造的にもう破綻を来しかけております。
 それで、老人と子供の同居の問題を少し取り上げてみます。
 日本では子供が老人と同居して介護してきた。これが日本の伝統的な美風である。ところが実際は、国際的に見てみますと、一九五〇年代、アメリカ、イギリス、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンでもこうですね。欧米諸国でも、要するに第一次産業、農業とか自営業、そういうものが非常に多い時代には老人と子供の同居率は結構高いわけですね。それが、社会が工業化社会に入っていくとともに家族は急速に縮小、解体されていきます。日本でも一九七〇年代から本格的な工業化社会に入るとともに同居率は急降下していく。
 結局、世代を超えた者の同居構造というものは、いわゆる家業、その家に自営業というものがあって、同じ生産活動に従事する中でその生産のための技能が親から子供に時間をかけて伝承されていく、親世代の知識とか技能がずっと役に立つ、あるいは親子二世代が一緒に働くことが生産活動としても非常に効率がいい、そういう中で成立するわけでございます。
 ですから、今のテレビドラマなんかでも世代を超えた人間環境を描こうとすれば、必ず京都の漬物屋さんであるとか大阪の旅館であるとかあるいは信州のみそ屋さんであるとか。先生方はテレビをごらんになる時間はないでしょうけれども、今一番人気のあるドラマは越後の造り酒屋の「夏子の酒」というドラマがございますが、全部そういう家業というものがある世界で描かれている。家業のない世界で世代間の問題を描こうとすると、やっぱり「ダブル・キッチン」の世界になってしまうわけですね。こういう自営業というものがどんどん崩れていく中で、同居構造というのは必然的に崩れていかざるを得ないわけです。
 三世帯同居の世帯数は、日本全国で一九七五年で五四%、九〇年で四〇%、大都市近郊では二五%。これは、家族間の人間関係の変化ではない。子供が親孝行の気持ちを失ったとかそういうことじゃなくて、産業構造の変化そのものが家族を縮小解体していく。そうでなければ産業そのものが成立しなくなっていくわけでありますから、この構造はどんどん進まざるを得ないですね。
 それから、働く女性の増加。四十台、五十台の女性が働いている割合は、六〇年代では二〇%、七〇年代三〇%、八〇年代に四五%。現在五〇%を超えておりますから、専業主婦のようにずっと家にいて老親を介護できる、そういう女性はいわば天然記念物のようにどんどん減っていかざるを得ない。これも産業構造の変化のなせるわざでございます。
 同居構造として三世帯同居と国勢調査ではあらわれている世帯でも、私どもも訪問看護などしましてよくわかったことは、同居はしているんですが息子夫婦、娘夫婦は昼間働きに出ている、老人は昼間ひとりで寝たままで暮らしている、こういう風景でございますね。ずっと寝かせたままで、ベッドのところにお弁当が置いてあって、お茶が置いてあって、そばにポータブルトイレが置いてある。横の壁にはいざというときにかける電話番号があって、コードレステレホンが置いてある。こういった日中独居と申しますか昼間独居である一種空洞化した同居構造というのが結構あって、こういう状態で果たして介護と言えるのかどうか。要するにほったらかしである。こういった同居構造も実は入ってみればたくさんあるわけでございます。
 この大きな変化を形成してきたバックグラウンドはこのような産業構造の変化でございます。一九五〇年代、日本でも第一次産業はまだ五〇%ぐらいあった。これがこの約三十年間で約一〇%以下に減る。この大きな就業構造の変化というものが家族形態というものを根本的に変えてしまった。この中で起こってきた問題である。
 先ほど七十五歳以上の高齢者が障害者になっていく割合が約三五%あると申しましたが、これは日本の女性の生存パターンの変化をあらわしたグラフでございます。
 どういうふうに見るかと申しますと、一番下のカーブはこれは明治二十四年の第一回の調査でございまして、こちらが平成二年、最終の調査でございます。ゼロ歳のときに十万人女性が生まれる、これを簡単に十人というふうにいたします。そうしますと、明治二十四年から昭和初期にかけて、ゼロ歳で十人生まれた日本女性のうち、まず二人ぐらい、二・五人ぐらいが五歳までに亡くなってしまう。これはもちろん赤痢とかジフテリアとか、そういう急性の感染症でございますね。それからどんどん病気で亡くなってまいります。
 六十歳、いわゆる還暦まで到達できる日本女性は、昭和初期まで四・五人でございました。十人中四・五人、少数派であったわけですからこれは非常におめでたいわけで、この時代まで還暦をお祝いすることは十分意味があった。今、還暦まで生存される日本女性は十人中九・八人でございますから、珍しくも何ともない。還暦になってお祝いのお金は欲しいけれども、もう本当はお祝いなんかしてほしくない、そういう時代になったわけでございます。
 寝たきりが多発します七十五歳、ここまで生存できる日本女性は、戦前の時代では十人中わずか二人あるいは二・五人ぐらいでございました。このうちの三分の一ぐらいが、いわゆる寝たきりになってもただ家でひたすら寝かしておくだけでありますから、大体一週間か二週間で亡くなってしまった。
 昭和二十七、八年当時、小津安二郎監督の「東京物語」という映画でも、主人公のお母さんであります、東山千栄子さんのお母さんは六十八歳で脳卒中になって尾道で倒れるわけでありますけれども、ただ家で寝かせておくだけなんですね。それで、開業医の先生がやってきて何か注射らしきものをして帰っていく。
 私が子供のころ、昭和三十年前後までは、脳卒中、当時脳溢血と申しましたけれども、脳溢血で倒れたらとにかく絶対に動かしてはいけない、お便所で倒れたらそのままそこへ布団を敷いて寝かせておけと。そうしますと、今で言います脱水症状をすぐに来すわけですね、食事も入らない、水も入らない。そのうち肺炎とか尿路感染症とかそういうふうな感染症がやってまいりますから、大体高齢者が脳卒中になったら長くて一月あるいは二月ぐらいで亡くなっていったわけであります。私の親なんかもよく言っておりましたけれども、最後は息子の嫁さんに下の世話してもらわなくちゃいかぬ、そこで想定されておった期間というのは大体一月か二月。そういうものが想定されておったわけで、それが昭和四十年代以降七十五歳まで生存できる日本女性の数がやっと十人中三人ぐらいになって、今十人中八人が七十五歳まで生存される。この七十五歳以上の後期高齢者の大量発生というものが介護を要する老人の大量発生の母集団になっていくわけでございます。これは昭和四十年代以降の現象です。
 そして、昔は老人は医者にかかりませんでした。これは年齢階級別に見た外来受療率の年次比較でございます。
 これは日本国民の中で、自分は病気だと病院にかかった、そういう方の割合を見たものでございます。一番下のカーブは昭和三十五年、国民皆保険制度ができる前の年でございます。このころ日本の六十代、七十代の老人たちが医療にかかる割合は、何とゼロ歳から五歳までの子供よりも低かったんです。よほど体が悪くならないと医者にかかれなかった。これは、もちろんこの当時の老人は年金もございませんし、子供たちに医者にかかる費用を無心できなかったということです。国民皆保険制度が昭和三十六年に発足しまして十年近くたった昭和四十五年、この時代になってやっと老人が医療を受ける割合はゼロ歳から五歳の子供より少しふえるぐらいになってまいります。当時、国本とか家族の負担は五割ございました。昭和四十八年に老人医療無料化制度が導入されて、以後六十代、七十代の老人の受療率というものは急激にふえてまいります。
 入院の動向に関して申しましても全く同じことで、もっとその変化は激しいです。昭和四十五年ぐらいまで老人が入院する割合というのは非常に低かった。昭和四十五年以降急激に老人の入院率は上がっていく。脳卒中になったりそういった場合でも救急車を呼んですぐに病院に入院させることができるようになるのは昭和四十年代以降なんです。ここで救命率、命を助けるということの割合が非常に高まっていく。しかし、その後のアフターケアが全くなかった。これが昭和四十年代以降に日本の社会に高齢障害者が大量に生まれていった医療的な面のバックグラウンドでございます。
 長寿化と医療の普及、そして日本が産業構造が変わって核家族化していって移動社会になっていく、こういう現象が昭和四十年代以降一斉に起こって、寝たきり老人問題というものが社会問題化していくわけでございます。ですから、現在寝たきりという形になっている八十代前後の日本の高齢者たちは、自分たちが若いころ寝たきり老人というものを見ていないわけであります。存在しなかった。ですから、彼らの人生設計の中に、何年にもわたって寝たきりになって介護を受ける、そういったことは頭の中におよそ想像もできない状態だった。現在寝たきりになって、もうどうしていいかわからない。ただ頼れるのは家族だけということが今起こってしまったわけです。
 そして現在、これは二月七日でしたか、毎日新聞に出ておりましたように、老人の虐待事件というものまで出てまいったわけであります。要介護の老人たちが放置されておったり、積極的な虐待行為を受けている、そういった事態まで出てまいったわけでございます。
 高齢者が高齢者を介護している、こういう風景が一挙に昭和四十年代以降ふえてまいります。これに対してどういうふうな援助が可能であるか。
 これは私どもの病院でございます。私どもの病院の中に在宅ケア科というセクションがございまして、訪問看護婦さんが二人、理学療法士が一人、運転手さん一人、こういうチームを組みまして、病院を退院したが通院できない、そういった障害のある方にサービスの出前を十数年前からずっと続けてまいりました。
 まず医療の出前でございます。医師の往診。それから訪問看護です。床ずれができないように家族に介護の指導をする、あるいは直接介護をする。夏なんか非常に暑くて食欲がない、そういう場合にはブドウ糖を点滴する。いろんなそういう看護の出前サービスです。
 それから在宅でのリハビリ、これが非常に効果がございます。これまでの在宅のリハビリの概念というのは、病院で機能をピークにまで持っていって、それを家でいかに維持するか、こういうのが一般的な考え方でございました。私どもはそうじゃなくて、在宅でリハビリをやりますと、病院でリハビリできなかったような高齢者が非常に意欲を持ってリハビリに励むようになって、病院でやるよりもさらに効果のあるケース、こういうのがたくさんわかるようになってまいりました。
 まだ日本の地域は医療・福祉資源、特に福祉サービスの資源が乏しいわけで、地域の中の資源を総動員するといいますか、やりくり算段いたしまして協力体制をつくっていくということが大変重要であって、まず第一の協力対象は保健所でございます。保健所の保健婦さんにも訪問看護をやってもらう。
 もう一つのパートナーは当然福祉でございます。先ほどから言いますように、対象は障害を持った高齢者でありますから、その生活を支える手段がなければどうしようもありません。ホームヘルパーでございます。私どもの病院のあります大阪府下の松原市というところでは社会福祉協議会がホームヘルパーをやっております。昭和六十年代、十年ぐらい前は人口十三万のこの町にホームヘルパーはわずか六人ぐらいしかおりませんでしたが、現在ゴールドプランとか府知事のヘルパー倍増計画というものによってヘルパーが四十四人ぐらいにやっとふえてまいりました。非常に大きな戦力になりました。
 ヘルパーに関して二つちょっと申し上げたいのは、一つは、ホームヘルパーを設置したんだけれども利用者がない、ニーズがないんだ、よくこういう言い方をする地方自治体があるんですが、これはとんでもない話で、ヘルパー、福祉の世話になるということにはまだまだ日本の市民には心理的抵抗がございます。それはヘルパーさんに来てもらって助かった味を知らないということが大きいです。
 ヘルパーを導入する場合に、まず保健婦、看護婦、医者、そういった資格を持った医療職が先に世帯に入っていって、そういう人たちがホームヘルパーの利用を進めますと非常にスムーズに導入されてまいります。私どもの地域ではヘルパーを一人ふやせばすぐにフル回転してまいります。医療が先行して福祉サービスを入れていく、こういう関係が現在の日本では一番必要なやり方だ、ノウハウだと思うんです。
 もう一点は、ホームヘルパーは日本では滞在型と申しまして、一日に二時間ぐらいぽんと行ってべたっと仕事をして、それを週二回、三回やる、こういう滞在型のヘルパーが主流でありますが、北欧諸国では二十四時間のホームヘルプサービスをやる場合には、そういう滞在型ではなくて巡回型です。一回の滞在時間は三十分から四十分ぐらいでありますけれども、一日二回、三回と反復していく。実はこの方が家族も非常に助かる。それからヘルパーを効率的に動かすことができます。
 特に滞在型というのは一種家族との置きかえ的なイメージでありますからなかなかプロとしての職業的イメージがわきません。巡回型ヘルパーで行って三十分ぐらいで非常に手早く手際よく介護をして、さっと次のところへ巡回していく、そうすると、やっぱりさすがプロだな、こういう感じも出てまいりますし、巡回型のホームヘルパーというものに発想を変えていくということが、これから非常に重要であろうというふうに思います。
 それから訪問看護ステーションでございます。これはもう最近の厚生省の施策としては非常なヒット政策だと思うんですけれども、私どもの地域でも現在二カ所できまして大変よく機能しております。棚にバイクのヘルメットが載っておりますけれども、非常に機動性を持って訪問看護をやっている。看護婦さんに直接公的な保健基金から報酬が支払われる。画期的な制度であろうと思うんです。
 病院、保健所、社会福祉協議会、特別養護老人ホーム、医師会、こういった地域の中の医療とか福祉のセクションが相互に協力し合える関係をつくっていく。私どもの地域では、十数年間やってまいりまして、現場での切実なニーズを媒介にして二者協力、三者協力が生まれてきて十数年たってこういうふうに全体的な協力関係ができ上がりました。市がこのネットワークの事務作業の責任を四年前から持ってくれるようになりまして、このシステムが非常にうまく動くようになりました。市の総合福祉会館というところをベースにしてネットワークの協力的な関係が持たれております。
 これは毎月一回定例的にやっております高齢者サービス検討会議。保健所のメンバーがいたりホームヘルパーがいたり、それから病院のスタッフ、特別養護老人ホームの人たち、そして市の福祉の人たちがいる。月一回全員が集まって全体的な会議を持ちます。高齢者サービス検討会議の構成メンバーは、特別養護老人ホーム、社会福祉協議会、病院、保健所、それから市の民生部、それと訪問看護ステーション。これは月一回でございます。
 それから毎週一回、定例の連絡調整会議。これは個別のケースの検討をいたします。訪問看護婦さん、ホームヘルパー、特別養護老人ホームの指導員の方、保健婦さん、それから市の民生部の方、そしてボランティアの方がいる。それぞれ、例えばヨシダさんならヨシダさん、病院が主に責任を持ってかかわっているそのケースに対して、特別養護老人ホームのデイサービスを週一回使わせてもらえないか、福祉に対してはホームヘルパーの派遣回数をもう一回ふやしてくれないか、こういった協力を要請することによって、乏しい資源でありますけれども、やりくり算段して、一つの家庭に医療や福祉というものが非常に緊密に連絡を持って入っていくことができる。
 このうちなんか、ここに府の職員である保健所の保健婦さん、それから病院の看護婦さん、それから市の福祉のヘルパー、こういった違う組織の職種が協力して入ってきますから、月曜から金曜までどこかが援助に行くことが可能になる、こういったことができるようになるわけであります。
 この方は六十歳のときにクモ膜下出血で倒れられました。国家公務員でありました。病院で手術をいたしましたけれども、うまくいきませんで半分植物状態みたいになりました。病院に入院して、後在宅に移して七年たちますけれども、床ずれ一つできておりません。非常に立派なケアが行われている。これにはやっぱり条件がございますね。この方は国家公務員でございましたから、公務員共済年金という安定した年金がございます。障害者加算もある。所得が安定している。部屋が非常に広いから、外から援助に行きましても自由に動ける、物も置ける。安定した所得と広い部屋、そして丈夫な介護者がいらっしゃるということが大事ですね。
 何といっても、日本の在宅ケアは頑丈な家庭介護者がおられませんと成立しないわけであります。毎晩一時と五時に起きて御主人の体の向きを変える作業を約七年間ずっとやっておられます。土曜日は時々息子さんが来て肩がわりしております。まくら元からすぐお湯が使えるように住宅の改造なんかもしてございます。それから病院からは訪問看護婦さんが行く、ヘルパーが週一回入る。非常に手間のかかる介護に関しては外から週二回ぐらい援助に行く。それに加えて医師の往診も月三回ございますから、非常に安心感がある。奥さんの非常な努力に加えて、外部からの社会サービスとのコンビネーションで七年間こういうケアが維持されております。
 あとは、在宅のリハビリテーションによって非常に大きな変化が起こるということを見ていただきたいと思います。
 これは府営住宅の一角でございます。
 この方は七十六歳の折に脳卒中で倒れられて右半身の不随になりました。開業医さんの往診があって、保健婦さんが援助に入って、ホームヘルパーも週一、二回入るようになりました。保健婦さんの要請で連絡調整会議にこの方が挙がってまいりまして、私どもの病院に訪問看護と訪問リハビリの依頼がございまして、二年前、この方が七十六歳の折に訪問リハビリに入りました。行った当座は本当の寝たきり状態で非常にうつろな表情でございました。
 これは在宅リハビリの一つの形、寝返り練習ですね。右半身不随でありますけれども、左半身の残った力を利用して寝返りの練習をまず始める。座る練習に入る。約一カ月たちますと座れるようになります。座るということは非常に大事なことで、背中とかおしりの周りの筋肉がこれで強化されてまいります。そうしますと、左半身の残っている方の力を軸にしましてベッドから車いすに移ることが割に簡単にできるようになります。
 これは病院から退院して二年目に初めて車いすに座れたときの風景でございますが、非常にうれしい表情をしておられる。
 私どもが北欧で学んだことでございますけれども、こういう方々は病人ではない、高齢障害者の方ですから、こういうパジャマとか寝巻きを着ているとやっぱりだめなんですね。人格性が出てこない。特に日本のような洗いざらしのネルの寝巻きとか浴衣を着せますと人格が壊れてしまうんです。周囲がその人を見る目が人格を持った存在として見ない。すぐに平常服にかえてもらいました。そうするとやっぱり雰囲気が違うわけです。人格がぐっと出てくる。普通の暮らしをなるべくしてもらう。
 家の中の段差をシルバー人材銀行の方に頼んで全部埋めてもらいました。五カ所ぐらいあったんですが、一万五千円で全部やってくれました。そうしますと家の中を全部動ける。ずっと天井を見ておった生活が一変するわけです。
 こうなりますと、やはり北欧並みに外出ができるようにしないとこのケアというのは完成しない。ところがこの公団住宅の一階に何と四段の段差があるわけでございますね。日本の家屋構造は本当にぐあいが悪いです。
 この四段の段差をクリアするには四メートル近いスロープが要ります。そこで大工さんに頼んで組み立て式のスロープをつくってもらいました。これは四万五千円かかりました。今はやっと市の方からの補助金が出るようになりましたが、この当時は自己負担でやっていただきました。軽いですから奥さんが一人で組み立てられる。ちゃんとこうして四メートルのスロープがかかるわけでございます。これから住宅改造というのも非常に重要なんですけれども、必ずしも大がかりな改造でなくても、こういう器具的な感覚で物を置いていけばかなりの改造的な効果というのは得られるということです。手元にブレーキのある車いすに乗せますと、後ろ向きに安全におろすことができます。そして公園に散歩に行くこともできるようになる。もう生活は一変してまいるわけでございます。
 こちらは娘さんなんですが、こういうふうになりますと家族関係は非常に大きく変わってまいります。これはスーパーマーケットに一緒に買い物に行かれた風景です。
 この方にも立派な息子さん、娘さんがいらっしゃったんですけれども、寝たきりになってからついつい足が遠のいていったわけです。なぜかと申しますと、寝たきりの親をお見舞いするというのは非常に気が重いわけですね、うっとうしい。例えば久しぶりに御両親の家へ行かれましても、お母さんには体に気をつけて頑張ってくださいよ、こういう声をかけることができるんですが、寝たきりのおやじさんにかける言葉というのはなかなかないですね。頑張ってちょうだいというのもむなしいですし、体のぐあいはどうかと、ぐあいが悪いに決まっていますからかける言葉がない。何となく足が遠のく。しかし車いす生活ができるようになりますと、きょうは一緒に買い物に行こうとか公園に行こうとか気軽にかかわれるようになるわけですから、家族関係がぐんぐん回復してくる。車いすでデイサービスとかいろんなサービスが使えるようになってまいります。こういうふうな在宅リハビリというのは実は大変効果があるということがわかります。
 こういった公園へのレクリエーションなんかもできます。非常に生活が展開されていきます。
 時間がございませんのでざっと流していきますが、ここにも寝たきり老人の方がありました。最初は本当に表情が暗いわけです。
 在宅リハビリを始めて座れるようになります。そして自分で自分の鼻くそをとれるようになりますと表情が戻ってまいります。少しながら自己決定の世界が出てくる。ビールでも飲んでいただきますと表情に威厳が出てまいります。どんどん表情が変わってくる。座れるようになりますと表情がぐっと変わります。
 これはこの方が初めて外出できたときの風景でございます。言葉はもう出なくなっているんですが、道端に咲いている菜の花をとってほしい、こういうしぐさをされた。とってあげるとふっとにおいをかぎにいかれたわけです。この方の感性がこんなふうにあったんだ、この方の肉体の中にこんなみずみずしい感性があったということも外に出て初めてわかるわけであります。女性に囲まれると実にうれしそうな顔をしておられますけれども、こういったことも寝たきりの生活の中では絶対にわからないことです。
 完全な寝たきり生活六年間、奥さんはそばでベッドを置いてつきっきりで介護をしていましたが、こういうひどい床ずれができておりました。これは訪問看護で約一年かかって治しました。
 座る練習をしていきます。座れるようになりますと表情がぐっと柔らかになってまいります。こういう段差の多い入り口でありますが、何とかなります。スロープを二段にかけて渡せばよろしいわけであって、どうってことはございません。これによってこの方はリクライニング式の車いすを使って外へ出られるようになって、特別養護老人ホームの特別入浴サービス、寝たままで入れる入浴サービスが使えるようになりました。
 公園へのレクリエーションなんかにも参加できるわけでございます。日本のいわゆる寝たきり老人の約九割は、やりようによってはちゃんと車いす生活ができるようになるというふうに実感しております。これは神社を使いまして、こういう方々を集めて一大パーティーをやっておる風景であります。こういう風景をすべての市民に見てもらうことによって、自分たちも年をとれば体が不自由になって、介護の要る、車いすの要る生活になるんだ、そのためにはどんなふうな町づくり、どんなふうな政治を求めていったらいいのかというようなこともおのずから実感されるわけでありますから、とにかくこういう方々を外へ出していく、これは非常に重要だろうと思うんです。
 大体こういうふうに考えております。地域ケアの第一段階はまず介護負担を軽減しなくちゃいけない。社会福祉サービスを家庭内に導入していく。福祉の世話になることに抵抗のある日本の市民、このバリアを突破するには、先ほど申しましたようにまず医療が入っていく、保健婦さんでも結構でありますが、医療が先に入って福祉のサービスというものを導入していく。これが大変重要なノウハウだと思います。
 第二段階は、まだまだ乏しい日本の福祉サービス、そういったものと医療というものを効率よく導入していくために医療と福祉のネットワークづくりをしていく。みんなが協力し合うという意識を持ってネットワークをつくる、これが第二段階の重要な作業であろう。しかし、この段階まではつらさの分かち合い、しんどさの分かち合いという世界であります。さらに進んで寝たきり解消から楽しみづくりへと、介護の世界にああいう喜びを入れていくことによってこの世界が非常にポジティブな価値を持った世界こなっていく。かかわる者が皆楽しくかかわり合えるようになる。寝たきりを解消するということは御本人だけでなく周囲にとっても大変大事なプロセスだということを強調したいというふうに存じます。
 以上で説明を終わらせていただきます。
#41
○会長(鈴木省吾君) 以上で岡本参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#42
○太田豊秋君 太田豊秋と申します。
 ただいま先生のスライドをもっての説明をお聞きいたしまして、私どものように全くの素人の者でも、高齢化社会における寝たきり老人あるいは障害を持った老人の方々に対する生きがいというものをこういう形でつくっていけばいいんだなということを、本当に具体的な例として見させていただきましてよくわかった次第であります。特にそういった中でも、お年寄りに対してやはり親切心のあるそういった高度な介護をしてくださる方々に自分のすぐ身近に恵まれるということがいかに大事なのか。そういった意味では、ただいま拝見させていただきました患者さん方は、先生のような方に介護を受けられるということは非常に日本全国の寝たきりの七十古老人の中でも大変恵まれた方々ではなかったのかな、こんなことをまず感じた次第でございます。
 そういった中で、もう御質問申し上げるようなこともなくなったほどよく聞かせていただいたのでありますが、先生が今ほどもおっしゃっておられましたが、医療費の出費というふうなものは今後大変に増加の傾向になっていくんではなかろうかというふうに考えられるわけであります。今ほども北欧の例とかなんかを先生からお話をお伺いいたしまして、医療サービスが本当に効率よく行われていくためには、医療は医療としての分野で行っていかなければならない、そして社会福祉は社会福祉の場で切り離した考え方、その接点はどういうところで切っていくかということは非常に難しいんだろうとは思われるわけでありますが、そういった医療面と社会福祉の面とのかかわりの問題というふうなものが非常に大事なことなのかなと。むしろ北欧においては、デンマークあたりは総医療費は日本よりも低いんだけれども、高齢者の医療も福祉も世界最高だと言われている、そういったことについても非常に私は興味を持って聞かせて、あるいは見させていただいたわけでございます。
 そして、我が国においては極端に福祉施設が不足しているというようなことから考えてみましても、福祉の危機というのが社会的入院を非常に多く招いてきてしまって、救急患者のベッドの不足だとか、あるいはまた看護婦さんの過重な労働だとか、あるいは急性期を過ぎた患者さんがいつまでも慢性的にも入院しているということによる長期入院による医療の医療費の削減だとか、そういったことで、患者さんにとってはまた大変に不幸ないわゆるあらゆる検査づめだとかあるいは薬づけとかそういった状況も起こって、要するに患者側にとってもそれから病院側にとっても非常にマイナス面があり過ぎるんではなかろうかな、こんなふうなことが現在の医療の危機を招いているというふうに御指摘をいただいたというふうに今理解をさせていただいたわけでございまして、これからそういったことについて少し御質問させていただきたいと思います。
 急性期を脱して慢性期に入った患者さんを適切な場所で介護ができるようにするため、特別老人ホームなどの施設の整備が非常に急がれておるわけであります。それと同時に、障害を持つ高齢者が退院して福祉施設とか自宅などでどのように障害とともに暮らしてリハビリを続けていくかというふうな、継続的なあるいはプログラム的なフォローというふうなものがなされないと、あるいは受け入れられないと、何か病院から単に追い出すというふうな、そんなことになっていってしまうんじゃないのかなと。こういった退院後のフォローシステムについては、例えばデンマークと日本の問題を比較した場合に、あるいは先生の病院ですとほとんどデンマークと同じような形のフォローがなされているのかなというふうに思うわけでありますが、そういったことについてひとつ先生から御見解をお伺いできれば、こんなふうに思います。
#43
○参考人(岡本祐三君) 行政形態として北欧を例にとりますと、デンマークの場合、医療は県の所轄でございます。社会福祉サービスは市の仕事というふうになっております。したがいましてデンマークでは病院は全部県立てございます。
 老人が病院に入院いたしまして 退院の日が決まりますと、少なくとも退院の五日前に病院から、その高齢者、老人患者の在所といいますか住んでいる市の福祉課の方に連絡が行くわけです、五日後に退院すると。これは病院、県と市の間に協定がございまして、住宅を改造したりとか、受け入れのためにたくさんの作業が要る場合には退院の最低三週間前に連絡しなくちゃいけない。ホームヘルパーとかそういった既存の資源の配置、アレンジを変えるだけでいいような、そういう受け入れ態勢が必要な場合には退院の五日前に必ず連絡をしなくちゃいけない。
 そういう連絡が行きますと、退院してから訪問する訪問看護婦さん、ホームヘルパーの責任者、そういった人が病院まで出向きまして、病院の方の担当している看護婦さんとかそれから作業療法士とか、そういう方と退院連絡会議というのを必ず持つ。これは義務化されておりまして、これをやるわけですね。退院してからのケァのプログラムがそこできちっとできる。住宅改造なんかが必要な場合には改造して、そして試験的に試しの外泊をやって、十分生活できることを確認してから帰す。
 もし病院側が通告した退院の日までに市の方で受け入れ態勢が整えられなかった場合どうなるか。以後の入院費用は市が負担しなくちゃいけないとか、そういうペナルティーになっているわけですね。日本の場合、老人の入院コストが先進国の中では異常に安く上がっているわけであって、デンマークあたりでも一日の入院費用というはやっぱり三万円から五万円ぐらいはかかるわけですから、その退院の日にちを超えて入院の費用を負担するというのは市にとっても大変なことで、受け入れ側も一生懸命準備をするわけですね。
 そして、帰りますとすぐに訪問看護婦さんが行って、いろんなニーズの査定をして、ヘルパーなんかを配置してスムーズに包括性と継続性を持ったケアというものがシステムとしてできるようになっております。こういうケアの継続性とか包括性をだれがどういうふうにアレンジしていくかというのは非常に重要な問題で、日本ではまだほとんど検討されていない問題だと思うんですね。
 私どもの病院では経験的に、私どもの病院の医師を中心にして、さっき言いました連絡調整会議というような、ああいう会合を持ってやれるようなことがボランタリーに発生したシステムを通じて一応できておるんでありますけれども、全国的にこれをシステム化する場合にはだれがこのアレンジをするか。当面プラクティカルなやり方としてはやっぱり病院側が主導権を持って、病院側のケースワーカーと主治医でアレンジしていく、それについてはやっぱり健康保険で点数をつけてもらうというような形がよろしいのではないでしょうか。
#44
○太田豊秋君 次に、いろいろな住宅事情とかあるいは家庭の構成の事情とかで、退院してもいい、急性的疾患が治癒したので帰ってもいいというふうに退院が許可されても、病院にいる方が安くつくからというふうな感じで入院を続けている、いわゆる社会的入院というふうなことがふえていくんだみたいなことをちょっと聞いたこともあるわけであります。同じように身体的な症状というか障害がある高齢者が静養する場所の自己負担が重くなる部分とか、あるいは病院にいれば少なくなるんだという、そういった不公平化を生んでいるのはどういうことなのかなと疑問を持つわけであります。
 今もスライドで随分見させていただきましたが、在宅介護の問題の中で、これは公費、公的助成というのは薄いわけでありますし、家族の介護労働というのは大変きつくなっていくというようなことで、しかし日本でも今度のゴールドプランの中では在宅というものを重点に推進していこうというようなことが出てきております。
 私はついこの間まで福島県議会で県会議員をさせていただいておりまして、そこでいろいろな福祉の問題の話がありましたときに、先生がおっしゃったように、寝たきり老人の場合でも在宅介護が一番なんだ、効果が上がるんだというようなおっしゃり方をしておったわけでありますが、実際に患者を在宅で介護し始めたときに、先ほどのスライドのように全く一人で置くというふうなこともできない。勢いだれかが、仕事をしていてもそれをやめて、要するに経済的なリスクを負いながらでもうちへ帰ってきて介護をしていかなければならない。いろいろな手助け、精神的な肉体的な、今ほどのいわゆる出張サービス的な看護、介護とか、そういった御支援をいただきながら、また手助けをしていただきながらもそういうことをしていかざるを得ない。
 そういったときに、先生の本の中にもございますが、大体在宅であれば二十万円ぐらいで済んでいるんだ、二十万円以上しかしそれでもかかっているだろう、労力費とかそういったことを換算するならば。老人ホームとかなんかに収容して、施設収容でこれを介護する場合にはざっと見積もっても五百万円以上かかってしまうんじゃないだろうか。措置費とかあるいは事務費とか、それから今度は特別老人ホームのようなハードな面もつくるというのは大変な一人当たりの単価になっていくんじゃなかろうか。
 そう考えますと、施設が少ない、しかもすべての人が平等な介護が受け入れられるような環境づくりをして整うまでの間ぐらいでもいいわけなんですが、何とか在宅の負担の格差、介護の格差をある程度なくすような形にして、そこにひとつ報奨金というか慰労金みたいと申しましょうか、そういったことを介護する人に与えれば、もっと日本の中での介護あるいは家庭の構成のことがよくなるんではないだろうか、そういう話をたびたび聞かされたことがあるわけであります。
 また、この国民生活に関する調査会でも中間報告は家族の介護労働への正当な評価についてというふうな提言をいたしておるわけでありますが、先生の著作の中にも家族によって提供される介護労働は金額にして二十万円を超してしまうだろうという紹介がありましたが、先生は家族介護の御苦労を身近に見ておられまして、経済的な面のバックアップというか、こういったことについてどんなふうにお感じになっておられますか。御所見と同時に、先生がおっしゃっておられますデンマークなどの家族介護の状況と並びに経済的な評価といいましょうか、こういったことについてひとつお聞かせいただければと思います。
#45
○参考人(岡本祐三君) 分けますと十ぐらいの質問項目が入っておりまして短時間にお答えするのは難しいわけでありますけれども、最初御指摘のあった負担の公平化というのは非常に難しい。と申しますのは、表面にあらわれてこない自己負担というのが非常にたくさんあるわけでございますね。今は病院に入れると一番安くつく。確かに基準看護というものをとっている、付き添いさんをつけてはいけないようなそういう病院に入れますと余り負担はかからないんですが、そのかわり家族が付き添いしなさいというようなことを言われる。これは金銭的には出てこない負担であります。
 御承知のように、このごろは三カ月ぐらいたちますと病院から強制的に退院を申し渡されて老人病院に移っていかなくちゃいけない。老人病院というのは健康保険の医療費の自己負担だけで済むかというと、これもう済まないというのは一種常識化しているわけであって、実感的には大体十五万円から二十万円ぐらい家族に自己負担がかかってしまう。老人保健施設でさえも、当初は五、六万円の自己負担ということが言われておりましたけれども、最近十万円を超す自己負担を要求されるところがたくさん出てきている。特別養護老人ホームだけは措置の世界でありますから、自己負担というのは本人の所得とそれから同居している扶養者の所得に応じて徴収される。これも結構十万円を超す場合がある。とにかく自己負担の金額はベースとして非常に高くなっているという現実がまずございます。それから、病院でも老人病院の場合には非常に自己負担が高くなっている。大変なわけであります。
 一方、在宅で見てしく場合には その介護者が介護負担がなければ外で働くことができて所得を得ることができるかもしれない、そういう機会費用の逸失というものを金額に換算しますと二十数万円になる、こういうことでございます。
 北欧なんかでやられているやり方は、何せあちらは社会福祉サービスの量が非常に潤沢でございますね。ホームヘルパーにしましても、人口一万人当たりで大体ホームヘルパーは五十人から六十人おりますから、人口五万人の町ですとヘルパーが三百人から四百人ぐらいいる。いわゆるナーシングホームも人口十万の町で七百人分から八百人分ぐらいある。
 つまり、家族が介護できない、あるいはしたくない、そういう場合には代替の社会福祉サービスが潤沢にある。ですから、家族に対しては全部外部からのホームヘルプサービスで支えていくこともできるし、御自分でやりたいんだったらホームヘルパー派遣相当分の費用を家族に提供しましょう。特に北欧なんかの場合、障害児の母親が十分働ける年齢であるのにやっぱり家庭で自分で介護したい、そういう場合はほぼ給与相当分の費用を提供する。つまり、社会福祉サービスで介護してもらう道を選ぶか、ほぼ女性一人の給与所得分をもらって自宅で介護するかのどちらかを選んでください、こういう選択の問題として提供されているわけですね。
 日本の場合には、オルターナティブといいますか、選択肢としての外部サービスが非常に貧弱な中で、今でも模範的お嫁さん奨励金みたいな形で数万円程度の介護手当でやっぱり女性に介護を結果的に押しつけていくことになる。そういった結果にならないように介護手当というものをもし制度的に本当に構想されるんであれば、やっぱりほぼ給与所得に相当するぐらいのものを出していかないと本質的な解決にならないんではないか。
 私は在宅至上主義ではございませんで、在宅ケアと施設ケアは車の両輪である。どちらも相互に必要としているわけであって、家族が見られないケースのためには特別養護老人ホームとか老健施設とかを格段にふやさなくちゃいけない。その場合に、都会地ではそうは言っても土地問題とかでなかなか施設をつくることには困難があるのは事実でございますね。しかし、介護システムの整備は焦眉の課題である。じゃ日本で二十四時間のああいうホームヘルプサービスが不可能かといいますと決して不可能ではないわけですね。
 今、全国で二カ所ぐらい実験的に二十四時間のホームヘルパーのサービス体制が厚生省の援助金を得て行われておりますが、福岡のある非営利的な会社がやっております試算ですと、五十世帯から百世帯ぐらいを任せてもらえれば大体一カ月二十二、三万円ぐらいで二十四時間の巡回型のホームヘルプが可能になる、こういう試算が出ておりますから、そういった実験的なプロジェクトをどんどんやっていただいて、まずは外部サービスで家族介護なしにどれぐらいのコストでやれるかというようなモデル実験をぜひやっていただきたい、こう思っております。
#46
○太田豊秋君 時間が来たんですが、あと一つだけよろしゅうございますか。――済みませんです。
 先生のこの御本を読まさせていただきますと、老年科というふうなことで提唱なさっておられまして、私もまさに先生がおっしゃるように、お年寄りの方の病気というのは多種多様にわたって、一つの個体として眺めていかないと全体的な医療というのはできないんじゃなかろうか。しかし、現在の医療というのま本当に専門的な医療、例えば脳内出血であれば脳外科、脳神経外科がやるとか、心臓疾患であれば心臓病の心臓の権威がやるとかというふうなことになってますから、お年寄りの方が何か疾患が起きて病気になった、どこかへ行こうとしても大きな病院の各診療科目を全部回らなきゃならないとか、そういったことになってきます。それと同時に、これから日本がゴールドプランでどんどん収容施設を完全なものにしていこうとした場合には、なお先生がおっしゃっている老年科という医学の分野が必要じゃなかろうかな、こんなふうに考えておるわけでありますが、この育成に当たっての課題についてひとつお聞かせいただければと思います。
#47
○参考人(岡本祐三君) 北ヨーロッパ、あるいはアメリカでさえも、医学の世界に老人科と老年科というのは二つ成立しているわけです。老人科というのは老人病科で言えば一種の内科の一つの分派であって、老化現象を研究したりそういう科なんです。老年科というのは、これはイギリスで一番発達したわけでありますが、太田先生今おっしゃったように、医学的な視点と社会的な視点と福祉的な視点を総合して高齢者を包括的にケアしていく、そういうノウハウを研究していく。こういったセクションは日本にはないわけなんですね。日本の大学に幾つか老人科というのはできておりますが、これは全部要するに従来の内科学の老人版で、ソーシャルな視点というのは全くございません。こういった老年科的な発想を持った専門家を養成していくための研究所なり学科をぜひ創設していただきたい。私も全く同感でございます。
#48
○太田豊秋君 大変適切な御指導をいただきましてどうもありがとうございました。
 終わります。
#49
○日下部禧代子君 きょうはどうもありがとうございます。地域医療の実践に裏づけされていらっしゃる先生の理論展開というのはいつもながら大変説得力がございまして、きょうも大変感銘深く拝聴させていただきました。
 高齢者にとって行動半径の広さというのがいかに人間の尊厳に深くかかわるのか、比例していくのかということをきょう改めてまた感じさせていただきました。また、現在の日本の寝たきりの九割の方は車いす生活も可能になるのではないか、そういうお話を承りまして、これからの高齢化社会を迎える日本の福祉、医療のあり方の方向性をお示しいただいたような気がいたしまして、大分希望がわいてまいったところでございます。
 三つか四つの質問をさせていただきたいと思います。
 私自身もヨーロッパの方で勉強していたものですから、日本に初めて帰りましたときに特別養護老人ホームを訪問いたしまして、そこで先生おっしゃいましたように寝巻きを着たお年寄りがずらっと寝ていらっしゃる場面に遭遇いたしまして非常に驚いた経験を持っております。きょうは何かお取り込みがあって、例えば皆さん集団中毒とか何かで寝ていらっしゃるんでしょうかというふうな質問を私いたしましたら、そのとき施設長さんに、いいえ特別養護老人ホームというのは寝たきりの方が入るところなんだというふうに承りまして二度びっくりしたという経験がございます。
 ところで、日本の場合ですと、お年寄りがそのように施設に入っていらっしゃる、しかも医療部門に多くの方が入院、久しく言われております社会的入院ということでございまして、医療部門に大体七五%、そして施設入所の方の二五%が福祉ということでございますね。六十五歳以上の人口で見ますと、約六・五%の方が施設入所でございます。これはもう先生御承知のように、北欧それから私のおりましたイギリスなどでは医療、福祉、両方の施設を合わせまして大体五%ぐらいにとどまっております。ですから日本の場合には非常にお年寄りが施設に入っていらっしゃるわけでございまして、特に医療施設に多いということは、そこは治療の場でございまして生活の場ではございませんから、スペースの面それからサービスにいたしましても非常に不自由だと思います。
 そういうことを考えますと、これからはどうしても在宅サービスを施設サービスの拡充と同時にしていかねばならないというふうに思うわけでございますが、その施設サービスと並んでさらに特に在宅サービスの拡充を考えますときには、先生のお話にもございましたけれども、私は多様なサービスを生活する者の場で連携させていくということが非常に必要だというふうに思います。それをいかに有機的に包括的に組み合わせていくのかということでございますが、どうも日本ではそれが久しく言われていながらなかなか実現されていないというのが現状だと思うわけでございます。
 その点非常に重要なことは、先生はいかにどこでアレンジするかとおっしゃいました。私は、アレンジと同時にコーディネートをだれがどこでするのか、核になるもの、核になる人ということがやはり日本ではばらばらなんではないかというふうに思いますけれども、例えば在宅支援センターをその核にするというふうな厚生省の御意見もございます。現存のシステムの中では一体どこがそういう核になり、だれがコーディネートすべきか。先生の場合はお医者様でいらっしゃいますから、そのサービスを提供している病院の医師ということを先ほどおっしゃいましたけれども、そのことも含めましてこの点について先生の御見解を承りたいのが一つでございます。
 それから二番目には、これからまさに介護サービスということを非常に重要なファクターとして考えていかねばなりませんが、介護というふうに申しましても、どこからどこまでを介護と言うのか、非常に難しいディフィニションの問題があると思うんですね。それと同時に、福祉のニーズというのは非常に多様でございます。そのニーズの、計量化というのはおかしいんですけれども、スケールづくり。定量的にはかなり計量化ができると思いますけれども、質の問題が伴ってまいります。そうした場合に量と質とも含めた形で、介護サービスの基準といいましょうかスケールづくり、このことに関してはこれからかなり考えていかねばならない問題だろうと私は思いますが、その点につきましての先生の御意見を承りたいのが二番目でございます。
 それから三番目には、いつでもどこでも必要なサービスが利用できるためにはやはり利用者の声が反映されるということが必要でございますが、その前提に地域におけるサービス、つまり地方分権ということが非常に重要な問題になってくると思います。
 我が国でも御承知のように福祉八法の改正で措置権などは市町村に移譲なされていったわけでございますけれども、例えば、先生お詳しくていらっしゃるデンマークの場合ですと生活支援法、あるいはスウェーデンの場合でございますと社会サービス法というのがございます。それによってかなりの部分地方分権というのが行われておりますが、その辺の事情を日本の事情と関連させながらこれからの方向をお示しいただきたいというふうに思います。
 ごめんなさい、たくさん質問してしまいます、いろいろお聞きしたいことがいっぱいございまして。
 それから四番目には、措置制度の問題でございます。
 この措置制度ということの問題は軽々には論ずるわけにいきませんけれども、例えば老人ホームでも軽費に入所なさる方の場合ですと、個人契約でございますから御自分が選択権がございます。しかし行政の措置である特別養護老人ホームの入所の方の場合ですと、措置されるわけでございますから選択権あるいは利用権というものが非常に制限されてしまう。そういうことを考えますと、これからの措置ということをどういうふうな方向でいくべきなのだろうか、これはかなり大きな問題ではないかなと思います。
 それにつけ加えまして、老人ホーム、特に特別養護老人ホームは個室であるべきだという先生のお言葉を私いつも力強く承っております。私も議員になりまして、厚生委員にさせていただきましてからずっと特養の個室化ということを叫び続けておりますけれども、非常に壁が厚いのでございます。ここでぜひ先生のお言葉をいただきまして、また力を出していきたいというふうに思いますので、その点先生の御意見を承りたいと思います。
 それから、先ほど御質問がございましたけれども、ジェリアトリクスの問題、これはジェロントロジーと並びまして非常にこれからの医療というもの、私はジェリアトリクスとジェロントロジーと、これは高齢者を対象にはしておりますけれども、そこから全般に日本の医療のあり方というものが突破口が開けてくるんじゃないか。つまり、キュアとケアの境が非常にこれからもはっきりとしなくなってまいります。そしてまた、人間というものを、ただ病気だけを診るんじゃなくて、よく言われておりますけれども、一人の人間として、生活を全部含めて、あるいは家族、地域社会も含めてトータルに診るという、そういう時代がやってくるわけでございますから、このジェリアトリクスあるいはジェロントロジーという分野、そこから出発して日本の医療のあり方というものを変えていく突破口になったらいいなというふうな思いをいつもしているわけでございます。その点も含めまして五つほど、大変に短い時間で大きな問題を御質問させていただきましたけれども、ぜひともこの機会に先生の御意見を承りたいと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。
#50
○参考人(岡本祐三君) 一時間ほどいただきたいところですね。
 最初のアレンジとコーディネーターの問題は先ほども御質問をいただきましたが、まず現在の日本では、コーディネート以前の段階として福祉サービスのサービス量が圧倒的に少ないわけですから、とにかく使えるサービスを使ってケアしていくということしかできない現状でございます。
 将来的にある程度サービスの量が潤沢になった場合に、だれがこれを主導してアレンジしていくか、これは恐らく、固定的に考えるんではなくて、ある程度時代とともに変わっていっていいんではないか。やっと日本でもゴールドプランができ、今ゴールドプランの見直しが始まり、いずれは国民介護保険といいますか、介護に関しての国民皆保険制度でやろうかというふうに展開していく中で、私どもの経験から言いますと、最初結局私とかそういうのが主導的にコーディネートしてアレンジしていったわけですけれども、十年たった現在ですと、大体訪問看護婦さんたちがアレンジをやれるようになっている。
 ですから、立ち上がりの段階ではやっぱり医療主導型でその地域地域の、結局佐久であり山口県であり、全部大体そういう意識のある医師が主導してモデル的な形というのをやっていく。そういった形で地域の人々、関係者に、こういうふうな形でみんなで協力すれば寝たきりであった人が起きられるんだよ、いい生活になるんだよという、そういう味を覚えていく中で、地域ごとにやるべき人というのが実践の中で大体決まってくると思うんですね。立ち上がりの段階ではやっぱり医療が主導権を握ってやっていくしかないでしょう。だけど、そういうものが経験的にやり方がわかっていく中で訪問看護婦さんがやり、あるいは在宅介護の支援センターのケースワーカーがやれるようになったり、多分地域地域での実践の積み重ねの中でそれは模索していくしかないだろう。いきなりデンマークの形をここで論じても恐らく始まらないだろうと思うんですね。
 それから介護の世界をいかに計量化していくか、定量化していくか。
 もう既に厚生省では一種の国民介護保険構想、これは私が勝手に言っているんですけれども、そういうものの中でニーズを定量化していって給付を公平化あるいは適切化していくための作業というのは始まっていると聞いております。アメリカのナーシングホームで採用されているラグ・ラップスという方式の実際的な応用が日本でも北海道なんかで始まっているわけでありますが、あれは非常に作業量も多いし難しい。そういった介護の世界の定量化、科学化といいますか、この実験はいろんなところでやっていただきたいわけでありますけれども、私は恐らく最終的には細かい定量化作業というのは要らなくなるだろう。
 デンマークなんかでも最初は、ADLと申しますが、生活動作能力というようなものをスコアリングしていって、難しいのは医学的に見た障害の度合いとその生活の依存度というのは一致しないということですね。その人の障害の度合いと生活環境あるいは家族の介護力 しろんなファクターがあるわけですから、理想的な点数化というものはちょっと不可能に近いだろうと思うんですね。デンマークなんかでもそういったスコア化、計量化、点数化みたいなことを最初はやっておったけれども、だんだんやらなくなった。
 最終的には、人口五万ぐらいの町でもその中を六地域ぐらいに分けまして、全体でホームヘルパー六十人、訪問看護婦さん三十人ぐらいで見ていって、非常に小地域の請負制で、チームでとにかくうまくやりなさい、結果的にちゃんとした生活の質がサービスの受け手にできているかどうかというのは定期的にだれかがインスペクションして回る、そういった形に恐らく収れんするわけで、日本でも確かに定量化作業というのは必要なんですけれども、最終的には大まかなものでいいんじゃないか、結果オーライの世界でありますから。
 立ち上がりの段階ではいろんな形で点数化作業、定量化作業を実験的にやってみて、そしてみんなが実際には細かい点数化というのは要らないんだなということを実感されるに至るだろうと思うんですけれども、それがわかるまでは点数化、計量化作業をやっぱりやってみて、とにかく全体的にサービスを普及させるためのシステムを考えるという発想を持つということが大変大事だろうと思います。
 三点目は何でしたか。
#51
○日下部禧代子君 スウェーデンの社会サービス法あるいはデンマークの生活支援法と地方分権の問題でございます。
#52
○参考人(岡本祐三君) これはもう決定的に大事で、ニーズの発生した一番近いところでニーズを判定してそこに責任を持たせてケアをする。そしてそういう地方分権にした中で、さらに分権化したチーム相互にサービスの提供の効率性を競争させるといいますか、チームごとの一つの地域請負方式で相互に競争させて効率化を図っていく、こういった形が最適だということはほぼ常識化しているだろう。医療というのは一応医学という科学的な基準で技術化された体系でありますから、厚生省それから日本医師会といった中央集権型のコントロールシステムでやれるということなんですね。しかし福祉の世界は生活ニーズというものを軸にしておりますから、これは完全に科学的な技術で体系化できる世界ではないわけですから、まさに生活の場に密着したシステムというものしかあり得ないわけですから、徹底的に分権化していくということはもう必然的な流れであろうか。
 それから個室化の問題でございますか、四番目は。
#53
○日下部禧代子君 措置の問題。
#54
○参考人(岡本祐三君) 措置、これはややこしいんですね、実際。私も措置というのは時代錯誤だと数年前まで思っておったんです。ところが老人保健施設というものができまして見ておりますと、あれは自由契約型の施設なんですね。利用者と施設側とが自由契約で利用することができる。それは大変ある意味ではいいんですが、地方自治体が全く関与できない存在に今なっているわけですね。さっき言いましたように、自己負担の金額なんかも一応基本的な利用料以外に特殊なサービス料を取ってもいい。それは地方自治体、府県に届け出をして、当施設はこういうサービスに関して幾ら取りますと届けた範囲内で取っていいということになっているんですが、実際は届けていないサービスの料金まで徴収するというような例が結構出てきているわけなんです。
 そういう例で言いますと、措置というのは確かに利用者にとっては屈辱的といいますか、あれはあるんですけれども、一方で地方自治体の側には義務も発生しているわけですね。措置にはサービスを受ける側の権利と義務が表裏一体になっておりますから、地方自治体の義務性というのが同時に出てきますから、一種、何といいますか、捨てがたい側面がある。
 措置がよくないと一概に言い切れないのは、例えば保育所は、あれは一方では措置の世界でございます。完全に措置である。まさに福祉の世界であって、子供を措置する。保育に欠ける児童を行政が措置する。しかし、サービス量が非常に潤沢に供給される中で、特養の措置なんかとは違う形でもう措置概念というのは消えてしまっているところがございますよね。だから、サービスの供給量が格段にふやされれば、措置というものの持っているマイナスの側面というのは実際上かなり解消されるという可能性もある。
 ですから、措置というものを完全に取っ払って高齢者福祉サービスをやるには、サービスが潤沢に存在して利用者側が選択できるぐらいの量が整備された段階で措置というのが外れるのが望ましいんじゃないか。サービスの供給量が少ない中で自由契約制のサービスが出てくると、アングラマネーといいますか、絶対に供給側の方が立場は強いわけですから、利用者側の権利が守られなくなる事態というのが出てくるんじゃないか。だから、これは実に微妙な問題だなとしか私自身ちょっと今お答えできないところがあります。
 それから、老人施設の個室の問題は、これは端的に言いまして一人一部屋を持つのがぜいたくなのか、あるいはこれはケアにとって必要なのかという議論だと思います。
 デンマークなんかで個室が全面的に採用されている。スウェーデンでも保守党の党首が長期ケア施設の個室化を公約として掲げている。高齢者というのは日本では何となく、年をとると人格が丸くなって、好々爺といいますか、非常に穏やかな枯れたような性格になっていくようにイメージされていますが、これは全く逆ですよね、実際は。むしろ年をとるといこじになって、自我が出てきて、生活のスタイルは決まってきて、ですから、朝起きる時間も夜寝る時間も排せつする時間もみんな違う。そういう人々を四人、六人、同じ部屋で生活させることは、まず非常に相互にストレスになるということですね。
 これは老人に決まり切ったサービスを決まった時間に受けさせる、非常に受け身的な立場に追い込んでいく。これは老人の能力を非常に低下させていくんだと。自分で自分の空間を自己決定によって取り仕切っていく、これは高齢者の自立性を涵養する上で必要なケアの場であるということがまずあります。
 その次に、老人の孤独をいやせるのはやっぱり何といっても家族である。高齢者がそういうところへ入居する。当然、配偶者が来れば手も握りたいしキスもしたい、あるいは抱擁もしたい。そういったことはやっぱり大部屋ではできませんよね。あるいは家族が来て親しいプライベートな話をする。そういった面でも個室ということが絶対に必要である。
 日本の老人施設の場合には、例えば私の親戚で経験したことですが、六人部屋に入居している老人にその家族が頻繁にお見舞いに行く。そうすると、余りお見舞いに来てもらえない他の同居者がひがむわけですね。その家族が帰った後、その高齢者に圧力をかける。あなた、いいかげんにしなさい、あなたはもうここの人間になったんやから、そう家族にべたべたしなさんな。場合によっては施設側が、余り頻繁に来ていただくとほかの部屋の老人が落ち込むので控えてください、こういう事態まであるわけです。あるいは食べ物にしても持っていけば全部部屋に分けなくちゃいけない。いろんな弊害がございます。
 考えてみますれば、今、大学生といいますか元気盛りの青年たちが、もう下宿は嫌だ寮も嫌だ、異性の友達を連れ込むこともできぬ、こう言ってワンルームマンションを借りるのが常識化している時代に、社会に貢献してきた老人が人生の最後を四人部屋、六人部屋の生活に甘んじるということは、これはもうそれでいいとする方がおかしい。しかも、西暦二〇一〇年ぐらいでほとんどが昭和生まれの人口になるわけです。西暦二〇一五年で一九六〇年代からの豊かな時代に育った人々が人口の六割を占める。そういった人々をしかも体が不自由になって四人部屋、六人部屋に閉じ込めますと非常に有害な構造になるのではないかというふうに私は心配しているわけです。
 個室を四つ集めて大部屋にするのは簡単ですが、六人部屋を個室に改造するのは極めて難しい作業である。だから、将来をにらんだ場合に、少なくとも個室型に転用できる構造にしておかないと非常に禍根を残すんじゃないかと危惧しております。
 最後の御質問は何ですか。
#55
○日下部禧代子君 ジェロントロジーとジェリアトリクス。
#56
○参考人(岡本祐三君) それも先ほどお答えしたと思いますけれども、老年科という形の発想を持った指導的な医療従事者、特に高齢障害者の処遇に関して医師の役割というのはここ十年ぐらい非常に大きな役割を持つと思いますので、そういう総合的な視点を持った医師、そこへ看護婦さん、いろんな社会福祉関係者というものを配置して養成していく、そういう意味でも老年科というセクションをぜひ各医科大学とかそういうところにやつぱりつくっていただきたいなと、これはもう切実に思っております。
#57
○日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
#58
○浜四津敏子君 公明党の浜四津敏子でございます。よろしくお願いいたします。
 各種の意識調査によりますと、老後生活における不安といたしまして多くの方々が挙げるものは寝たきりや痴呆になることである、こういう結果が出ておりますけれども、そうしたことで、寝たきりにならないため、あるいは寝たきりになった場合でも十分にそのニーズに的確に対応できるようなサービスの充実というのが大きな課題でございます。
 その中で、先ほどもお話ありましたが、医療と福祉、本来は医療が担うべきもの、また福祉が担うべきものを明確に分担した上で連携をとり合うということが恐らくあるべき姿かと思いますけれども、その一つとして、先生の病院でも実施されておられる医療の出前、国でも平成四年四月に老人訪問看護制度が創設されましてそうした方向での取り組みがなされているところでありますけれども、一つ、新潟県のある町立の病院で同じように医療の出前をしているところがあります。約十数年間、お医者様も往診をし看護婦さんも訪問し、あるいはそのほかにホームヘルパーさんが通っていく、こういう体制でやってこられたわけですけれども、非常に皮肉なことに国が訪問看護制度を創設した後から病院経営が赤字に転落した、それは診療報酬の改正によって収入が激減したためである、こういう実例が報告されております。
 先生のところでなさっておられる医療の出前はこうした経営面からの問題点というのは全くなくスムーズに実施されておられるんでしょうか。
#59
○参考人(岡本祐三君) 御質問の赤字転落の原因として、訪問サービスが赤字の誘因になったということでしょうか、その新潟の例ですが。
#60
○浜四津敏子君 医療の出前が赤字になった、こういうことのようでございますけれども。
#61
○参考人(岡本祐三君) 入院患者が減ったためですか。
#62
○浜四津敏子君 いや、それは入院患者が減ったということではないと思います。入院患者さんを減らしてむしろ在宅でケアをしよう、こういうことで、恐らく先生の病院でされているのと同じ目的で同じ趣旨で実施してきたんだろうというふうに思うんですけれども。
#63
○参考人(岡本祐三君) わかりました。
 ちょっと新潟のその病院の事情わかりませんが、日本で訪問看護を始めた病院、例えば京都の堀川病院とか私どものところとか、御調町もそうですけれども、その出発点は決して美しい理念に基づいたものではなくて、病院に長期入院しているお年寄りにいかにして退院していただくか。そのための、とにかく家に帰っていっていただくための苦肉の策として訪問看護というものを十数年前から始めておるわけでございます。結果的には長期入院されている高齢者にベッドをあけていただいて急性期の患者さんを受け入れることができる、要するにベッドの回転をよくするということで、病院の経営にとっては絶対にプラスなんです。
 訪問看護そのものは、当時ほとんど報酬がつかない、あっても微々たるものであるという中で始めたわけでありますから、むしろ訪問看護とか訪問ケアのセクションそのものは単品ですとずっと赤字だったわけです。ですけれども、病院本体のベッドの回転をよくするのに貢献する、あるいは地域での医療機関のイメージアップにつながってむしろ患者さんがふえる、そういう意味でトータルで非常に病院経営にプラスするということで幾つかの病院がやり始めて、それがそれなりに各地に普及していった。
 ですから、訪問サービスをやったために本体の経営に悪影響を及ぼすということはちょっと私には想像がつかないです。
#64
○浜四津敏子君 それは特殊な原因に基づく特殊な例であって一般化はできないというふうに理解してよろしいでしょうか。
#65
○参考人(岡本祐三君) おっしゃるとおりです。
#66
○浜四津敏子君 それでは次にもう一つ、多くの方が心配しておられる痴呆症のことでございますが、大体六%から七%の出現率というふうに言われております。
 痴呆症になった場合の家族の介護というのは、寝たきりの高齢者の方も大変ですけれども、痴呆症になった場合にはまた別な意味で非常な大変さがあるというふうに理解しております。どこに行ってしまうかわからないとか、あるいは冷蔵庫の中の物を全部食べてしまうとか、あるいは自分の排せつ物でも食べてしまうとか、いろんな症状があるようですけれども、こうした痴呆性の方を支えるといいますか、痴呆性は病気ではないという考えもありますけれども、むしろ病気というふうにとらえて医療のサービスそれから福祉のサービスということが必要かと思いますけれども、寝たきりではない痴呆症になった高齢者の方々そして家族に対してはどのようなサービスをするのが適切だというふうにお考えでしょうか。
#67
○参考人(岡本祐三君) これも本一冊を要するお答えになるんですけれども、非常に重要な問題です。
 日本で痴呆問題に関して一番今欠けているのは、老人性のそういう痴呆症というものが一体本質は何であるのか、痴呆の本質的理解というものが非常に欠けていると思います。
 痴呆症が社会的問題になる契機になりましたのは、有名な有吉佐和子さんの「恍惚の人」で、今先生がおっしゃったような痴呆老人の異常行動、徘徊であるとかふん便をこねるとか、あの小説は功罪相当ばしておりまして、一つは痴呆というものを社会問題化した、これは大変いいんですけれども、もう一方で、痴呆老人というのは非常に恐ろしい存在だ、何をするかわからない理解不可能な存在である、ある有名な元歌手の方がお母さんのことを書いた本でもお母さんは宇宙人と、こういう理解不可能な存在という形でイメージを植えつけてしまった。
 しかし、私の友人である痴呆問題を非常に専門にやっております内科の医師によりますと、老人性痴呆というものの本質は極端な記憶障害である、だから脳の記憶というものの機能の障害なのでやっぱり高齢の障害者の一つのジャンルに入る。記憶障害が非常に極端ですから、一分前にやったことも忘れてしまう。今やったことも忘れてしまう。忘れてしまうから、現状が認識できないから、やっている行動が実は結果的に支離滅裂になってしまう。痴呆老人をケアする場合にこれは非常に一種矛盾した現象が起こるんですが、痴呆老人の処遇の原則はなるべく生活環境を変えない方がいい。それは私の祖母なんかでも経験しましたが、それまで一遍も病院に入ったことがない。八十幾つで骨折して、整形外科の病院に入って週間すると一種のぼけ症状に完全になってしまう。混乱するわけです、今自分が何でこんなところにいるのか全くわからない。家に戻すと一週間ぐらいで完全にもとに戻る。そういう意味でいいますと、生活環境を変えないというのが一つの原則としてあるわけです。
 しかし一方で、日本の痴呆老人のそういう異常行動、特に家族への攻撃的な行動なんかの背景には家族関係のあつれきというのがしばしばあるわけです。
 老人というのは非常に弱い存在ですから、自分がわけのわからないことをしているということは自分ではわからない。それを、おばあちゃん、こんなことをしちやだめよ、見えないものを見えると言っちゃだめだ、こういうふうに言われますと自分に対する攻撃と感じてしまう。それに対抗するためには、その場で排尿をするとか家族を困らせる行動に出るしか反論のしようがないというようなケースが多々あるわけです。そういうタイプの痴呆老人の方は、よく訓練された特別養護老人ホームなんかとか老健施設に移しますとすうっと異常行動がおさまる。そういった一見矛盾した二つのケアというのがあり得るわけなんです。
 ですから、大事なことは、日本の場合、老人性痴呆の本質的理解が非常に欠けております。そういう現象面での異常性とか攻撃性みたいなものが非常に強調されてしまう。しかし、痴呆の本質が極端な記憶障害であるというふうに理解すれば、記憶障害というジャンルでいけば、私らの年齢からすべての人がもうぼちぼち始まりかけているわけです、名前がすぐ出てこないとか。ですから、痴呆老人の本質的理解に基づいて老人のケアのシステムというものを、処遇の仕方を逆にもう一遍日本では組み立て直さないといけないと思います。痴呆の本質的理解抜きにケアのあり方とか処遇論を論じるのはちょっと危ないところがあるんじゃないかと私は思うんです。
#68
○浜四津敏子君 ありがとうございました。
#69
○吉岡吉典君 吉岡です。きょうは大変勉強になるお話をたくさん聞かせていただきまして感謝いたします。
 今までいろいろ質問もありましたけれども、私感じましたことの一つは、高齢化対策を進める上で何よりも重要なことは、今お話を聞かせていただいたようなことを広くもっともっと徹底することが大事だなということが第一です。
 私自身も一生懸命勉強させてもらっているところですけれども、その点で、国民全体にというわけには一度には仮にいかないにしても、まず先生からごらんになって、日本の行政とりわけ地方自治体、直接当たる部署である地方自治体等における高齢者問題の認識というのは私は急速に高まっていると思っていますけれども、専門家である先生からごらんになるとまだまだおくれているのか、相当進歩して大いに改善が期待できるかどうかと、どのようにお考えになっているかということです。
 なぜそういうことを言うかといいますと、私ついこの間、国会の予算委員会から調査に出かけましたら、ある県の知事さんが高齢化対策を大いに強調されて、その中で、寝たきり老人というのは日本の特殊な問題でどうこうと相当熱を込めて、高齢化対策にこういうふうに取り組むんだというお話がありました。私幾つかの県へいろいろそういう調査にも行きましたけれども、知事さんがそういうふうにおっしゃるのには初めてぶつかりまして、ああやはり高齢化対策というものが相当地方自治体にも徹底してこういう取り組みになっているのかなという感を強めましたので、先生からごらんになるとどういうふうに見えるかということをお伺いしたいんです。
#70
○参考人(岡本祐三君) これは、現状を一口で言えば、非常にその地方自治体によって差がある。一般的な雰囲気からいいますと、これまで地方自治体における福祉というのは生活保護そのものだったわけです。地方自治体にとって福祉というのは、中央からおりてくる措置費、生活保護の費用、これをいかにいわば出し渋るか、いかにこれを低く抑えるかというのが業績であった世界だったと思うんです。
 それがこういうふうに高齢化社会になって、長寿社会になって、高齢障害者が大量発生する中で、福祉というものの概念を、社会の最貧困階層のための生活資金の援助だけでなくて、非常に幅広い一般市民対象の生活援助、所得保障だけでなくてホームヘルプサービスとか補助器具の支給、住宅改造、そういった福祉のサービスの現物給付、福祉も所得保障から現物給付サービスの時代に入る中で、従来のような守りの福祉行政ではなくて、一転してどんどんサービスを出しなさいと攻めの福祉行政に中央の姿勢は変わっていった。ところが、依然として地方自治体にとっては福祉はやっぱり負担であり厄介者であり、福祉サービスというのはなるべく抑えていくのがいいんだという守りの行政の姿勢を抜け出していないというところが多々あるわけです。
 今や福祉というものが救貧的な施策ではなくて幅広い一般市民を対象にした現物給付サービスになった、そういう時代認識になっていない地方自治体はたくさんございます。ですから当然ニーズを掘り起こすことをも恐れるわけです。こういうのは私は寝たきり自治体とか寝たふり自治体というふうに言っているわけであります。まだそういった寝たふり自治体がたくさんあるのは事実でございますけれども、これも国が指示しました老人保健福祉計画策定という中央主導型の大きなインパクトによって、そういう人々が高齢者の福祉ニーズというものを数量化していったり、とにかく調べて全体を把握するという刺激の中で次第にこのレベルが上がっていっている。
 これまで日陰に置かれていた、ずっと意欲を持っていた福祉の行政マンが非常に元気を得て活動し始めているところもたくさんございますので、これから恐らく地方自治体ごとに福祉サービスのレベルというのは格差が出てくる、出てきていいんじゃないだろうかと思うんです。活性化した地方自治体を見て活性化していない地方自治体の市民が行政に要求していくという形で全体のレベルが上がっていくでありましょうから、まさに今や日本の地方自治体の福祉はやっと攻めの福祉に転換しつつある。
 重要なことは、私は決して展望は暗くないと思っております。生活保護行政というのは、福祉行政を担当する公務員の方々自身が生活保護に転落することというのはまずあり得ないわけです。そうしますと、いかに共感的に行政をなさってもこれはやっぱり人ごとである。しかし、老いの問題はすべての人にやってまいります。今五十代ぐらいの地方の自治体の行政の方々も、高齢者の介護問題で大変な目に遭っているという方が随分ふえてきたわけです。そうしますと、高齢者福祉行政というものはもうすぐ地方自治体の職員の方々自身が利用せざるを得ないサービスに転化する時期が必ずやってくる。そうするとこれは人ごとでなくなるわけでありますから、おのずからここで熱が入っていくはずであります。
 私は、保育所という福祉サービスが急速に展開した背景には、確かにポストの数ほど保育所というような外の運動はあったわけですが、実は地方自治体の公務員の方々自身が保育所を必要としたんだと思っているわけです。だから行政の方々の生活ニーズと市民の生活ニーズが一致した段階でいや応なしに地方自治体の福祉行政というものは活性化していかざるを得なくなるだろう、その時期はそう遠くないと私は思っております。
#71
○吉岡吉典君 似たような質問になりますけれども、きょうお話をお伺いしましたようなすぐれた実践、私らこの調査会で幾つかのところを視察にも参っていろいろすぐれた話も聞いてきまして、やはり日本国内でもいろいろすぐれた側面がある、高齢化対策といえば決してスウェーデンとデンマークに行かなきゃならないというわけじゃないなというふうに私思っているところです。去年デンマーク、スウェーデンにも当調査会から行ってそこでも大変勉強しましたけれども、しかし国内にもたくさんあると思ったんです。
 そこで先生にお伺いしたいのは、例えば先生お話しいただいたようなことを非常に広い形で全国的に交流し、お互いに普及し合うというふうなシステムというのはでき上がっているのかどうか。やはりきょう読ませていただいたような本を通じてお互いに酌み取るという範囲なのか、あるいは厚生省あたりが音頭をとってそういうのを全国的に広めるというふうなことをやる意思を持っているのか持っていないのか、これを先生に聞くのは逆さまかもしれませんけれども、そういう点を現場からはどういうふうにお感じになっているかということ。それから結論として今政治に現場から何を一番求めたいかという御要望もお伺いしておきたいなと思います。
#72
○参考人(岡本祐三君) おっしゃるように、こういったノウハウとか福祉サービスの味といいますか、そういうものを共有していかなくちゃいけない時代になっているのでありますけれども、そういう交流の場を大々的に持つこと自体非常に人的あるいは経費的にやっぱり要るわけでございます。御承知のように、今日本じゅうの病院の経営というのは大変苦しいわけでございまして、そういった交流の場の事務局そのものを設定することさえとてもできないという次第でありますから、そういう交流の場は全国的レベルではまだございません。ぜひこれは行政の方の御助力でやらなくちゃいけないとは思っております。
 それから、行政に対しての要望からいいましたら、まずとにかく地方自治体に関してはゴールドプラン、これを早急にとにかく履行していく、最優先の課題として。福祉というものは決して国の経済全体にもマイナスにならないし、地方都市に行けば特養とかああいうものをつくることによって雇用もできるわけですし、補助金も入ってくる。地方の村おこし、町おこしの重要な公共事業の柱にもなり得るんだといったことを認識していただきたいわけで、行政に対する要望とおっしゃいましたけれども、中央と地方ではやっぱりレベルが違うわけで、中央に対して言えばもうちょっと病院経営を楽にしていただきたいということになりますけれども、地方行政に対してはとにかく福祉サービスの量的整備をとにかくやっぱり急いでいただきたいというのが集約点でございます。
#73
○吉岡吉典君 ありがとうございました。
#74
○小島慶三君 岡本先生、きょうは遠くからおいでをいただいて大変長時間にわたって御懇篤にいろいろお話をいただきまして本当にありがとうございました。
 私、殊にきょう最後のお話で、記憶疾患ですか、こういう老人を預かった経験がございまして、本当に今から思い出しても大変痛ましい思いがするわけであります。年寄りからしてみればうちにいて看護してもらうのが本当は一番いいわけですけれども、家人がたまりませんし、それから病院に入れてしまいますと、医療サービスという点では申し分ないにしても、居住性という点で非常に問題がある。だから、何か家にいてもサービスが受けられる、あるいは病院にいても居住性が得られるという、これをつなぐというのがこれからの医療とそれから福祉の新時代といいますか、そういうものではないかと思うんです。
 そういった意味で、マルチメディアという手段で、とにかく例えば年寄りが病院にいても孫と相向かって話ができるとか、そういうふうな形のメディアというものが発達しないものかというふうに思っているんですけれども、その辺はどういうふうにお考えになるか。できれば私どもとしては、もちろん施設にしても家にそういうものを置くにしても費用がかかりますから、その費用については例えば新社会資本というふうな考え方でどんどんそういう施設をふやしていく、国の援助もふやしていくというふうなことが考えられると思うんですけれども、例えばそういったものについてのマルチメディアこよる医療基本法みたいなもの、そういったものができないものか。
 私どもは党としては生活者主権確立基本法というものを考えておるんですけれども、その法律の中にそういったメディアに対する支援も書き込むとか、何かそういうふうなことが空想ではなくて現実にある確実な将来の時期にそういうものができるということでしょうか。そういった面ではまだとてもとても無理だというふうなお考えでしょうか。その辺のことを医療と福祉の新時代ということでお伺いしたいと思うんですけれども。
#75
○参考人(岡本祐三君) 結論的に言いますととても無理だろう。
 なぜなら、日本では電話一台持てない現状でございます、病院であれ特養であれ。新しくできた老人保健施設なんかでは各自電話をやっと据えているところがあって、そういうところは何か非常に先進的であると言われている状態でございます。電話でもやっぱり、そこでプライバシーといいますか、相部屋で四人いる、そこに電話のベルがなる、その人は延々と話をする。新幹線なんかに乗りましても携帯電話の御使用はデッキでなんて言われている時代ですから、相部屋の四人部屋の生活の中で、ましてそういうマルチメディアでテレビで家族と話をするなんというのは、現場の感覚から言いますとそれ以前に幾つも越えなくちゃいけない問題がある。まずはプライベートな空間を持てるようにしていただく、そして一人一台まず電話でいいから持てるようにしていただく。そのかなり向こうにマルチメディアというものがあるんではないでしょうか。
#76
○小島慶三君 大変失望いたしました。
 できれば施設の中に、老人も大分時間をもてあましてテレビなんか見ているというのを見てますと、やっぱりその方向で何か解決できることがないのかなと思って御質問申し上げたわけであります。
 それからもう一つ、この際お伺いしたいのは、これからの財源の問題です。
 細川首相が福祉目的税というふうなことを言って引っ込めちゃったわけですけれども、これからの財源としては、やはり例えば社会保障負担の引き上げとか、あるいは消費税の引き上げ、その一部をそちらに回すとか、あるいはまともな福祉税というか、そういうふうないろんな手段があると思います。あるいはそういうふうなもののミックスということが一番必要なのかもしれませんが、そういうふうな点のお考えを例えればと思います。よろしくお願いします。
#77
○参考人(岡本祐三君) 要するに介護の要る高齢障害者というのが七十万人あるいは百万人存在するという事態は厳然と続くわけでございます。そこにはそれに見合った介護ニーズ、言いかえますと介護負担というものが一定程度必ず存在する。だれかがそれを担わなくちゃいけないわけですね。それを、そういう高齢障害者を抱えた家族が一番弱い立場で一番苦しみながら個人的に負担するのがいいか、あるいは社会全体で、世代を超えて全体でそれを担うのがいいのか。これはもう公共的に全体で担うのが一番合理的で正しい方向であることは確かなわけですから、そういう意味で言えば、費用負担に関しては税あるいは社会保険で賄っていくのが一番合理的であると思います。
 ただその場合に、国民の理解を得るためには、その負担した税がどう使われているかということがきちっと見える、あるいは市民的監視のもとにその税が使われなければいけない。それにはやはり、先ほど日下部先生おっしゃったように、地方自治体という、せいぜい人口十万あるいは二十万とかそういった人口規模の中で一定の財源が市民の前に見えるようにあって、それを市民がちゃんと監視する形で、要するに見返り感がきちんとわかる形で提示されれば市民的理解は十分得られるだろう。一般的な世論調査でも、高齢社会の安心を得るためだったら税負担はふえてもやむを得ないという人がもう六二%に達しているわけですけれども、そこに必ず条件があって、ちゃんと税金を使ってくれるんだったらという附帯条件がつくわけであります。
 デンマークなんかの地方自治体へ行きますと、毎年八月に市役所の前にずっとテントを張りまして、地方自治体の各セクションが皆さんの納めた税金はこんなふうに使わせてもらっていますということをずっと展示しまして、市民から直接質問を受けて、そしてそれに答えていく。それぐらい徹底した税金に対する市民への公開制とその監視機構というのをやっているわけですね。
 そういった税がどう使われているかということを地方自治体レベルできちっと監視できるようにしていって、市民が負担した税の見返り感をきちんと保証していく。そういったシステムを並行的につくっていくことによって、社会保険なり税でこの財源を賄うことに対するコンセンサスは今や十分得られる状況になったと私は思っております。
#78
○小島慶三君 どうもありがとうございました。
 今、福祉に関する税制協議会というものをつくってやっているわけでありますけれども、これからどういうふうにその負担関係を考えていくかというのは大変重要な問題なんです。一応この前の年金に関する審議会ですとか、いろいろな各政党を集めた年金のプロジェクトでありますどか、そういうふうな組織の中では、税負担と社会保障の負担と両方合わせたものをできるだけ低位に置く、低く置くと。
 だから、三〇%とか計算すると三四、五%に現在でもなる可能性が多いし、けさ新聞に出ていた記事からしますと将来の見通しとしては五〇%程度まで上がりそうだとか、そういうふうな計数が出ておりますけれども、例えば今のお話のようにコンセンサスというか、国民の高福祉高負担というコンセンサスができていけば、例えば五〇%とかそういうふうなものでしたら諸外国と比べてもそう高くないし、日本もやっぱりそういう時代に入っていくということが一般的に受けとめられるというふうにお考えでしょうか。それとも低ければ低いほどいいというふうなことで、なかなかそういった意識が変わらないというふうにお考えでしょうか。その点はいかがでございましょう。
#79
○参考人(岡本祐三君) 間違いなく高負担高福祉と言われているシステムに移行せざるを得ないだろう。
 その理由は、このごろよく言われておりますけれども、まずその国民負担率という言葉自体が日本独特の言葉で、諸外国では税プラス社会保険料の国民所得に対する割合という言葉が使われていて、そういう日本で言われている負担というものの中身を考えますと、例えば年金にしましても親世代の生活費を個人で負担したらとても負担し切れなくて、これを数世代の人々に広く散らして負担していく、これは極めて合理的な仕組みでありますし、親世代の生活資金を若い人々が何世代にもわたって拠出する、その年金を親世代の人たちがどんどん使ってくれればそれで一つの消費構造ができ上がるわけでございます。その消費構造というのはやっぱり子供世代の経済活動を支えていくわけでありますから、こういうものを一方的な一種の負担という概念で考えること自体が間違っている。
 これは一種の国民所得の配分の問題であって、北欧の場合にああいう高福祉政策が維持できているのは、福祉というものは完全な公共事業である。例えばデンマークなんかに行きますと、人口五万ぐらいの小さな町でホームヘルパーさんはみんな車に乗って出かけていく、訪問看護婦さんの専用の真っ赤な車が市役所の前に二十台も三十台も並んでいる。そうすると、つまりデンマークの自動車業界というのはそういう公共福祉事業で大きな経済需要を得ているわけでございます。
 だから、日本でも今度の不況対策の補正予算の中に、高齢者住宅を建てていく、あるいは地方自治体に老人保健福祉計画に沿って訪問サービス用の車を買いなさい、それについては国庫補助で七割出そう、こういう形で考えれば、福祉と言われている分野で使われている費用というものは十分国の経済を支える機構として、国民所得の有効な極めてうまい使い方に転化していくわけであって、一方的にだれかのために自分のお金を出してそれは戻ってこないと、そういう負担感覚でとらえるべきものではないと思うんです。
 そういうふうな経済の考え方が行き渡ることと、先ほど言いましたように高齢化社会に対する不安が大きくなる中で、高齢化社会に向かって不安が解消されるのであれば税負担がふえてもいいという人々が六二%いるという意識の変化を考えますと、今御指摘のようないわゆる高福祉高負担社会にこれはなっていかざるを得ないというふうに考えております。
#80
○小島慶三君 ありがとうございました。終わります。
#81
○会長(鈴木省吾君) 以上で岡本参考人に対する質疑は終了いたしました。
 岡本参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時九分散会
ソース: 国立国会図書館
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