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1993/12/03 第128回国会 参議院 参議院会議録情報 第128回国会 産業・資源エネルギーに関する調査会 第4号
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1993/12/03 第128回国会 参議院

参議院会議録情報 第128回国会 産業・資源エネルギーに関する調査会 第4号

#1
第128回国会 産業・資源エネルギーに関する調査会 第4号
平成五年十二月三日(金曜日)
   午後一時一分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十一月十二日
    辞任         補欠選任
     一井 淳治君     森  暢子君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    会 長         櫻井 規順君
    理 事
                尾辻 秀久君
                吉川 芳男君
                藁科 滿治君
                山下 栄一君
                小島 慶三君
                長谷川 清君
                立木  洋君
    委 員
                合馬  敬君
                岡  利定君
                佐藤 静雄君
                関根 則之君
                楢崎 泰昌君
                南野知惠子君
                星野 朋市君
                吉村剛太郎君
                瀬谷 英行君
                堀  利和君
                前畑 幸子君
                森  暢子君
                中川 嘉美君
                小林  正君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        堀籠 秀昌君
   参考人
       上智大学経済学
       部教授      奥田 健二君
       社団法人経済団
       体連合会専務理
       事        小山敬次郎君
       専修大学経済学
       部教授      鶴田 俊正君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○産業・資源エネルギーに関する調査
 (二十一世紀へ向けての企業行動のあり方に関
 する件)
    ―――――――――――――
#2
○会長(櫻井規順君) ただいまから産業・資源エネルギーに関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る十一月十二日、一井淳治君が委員を辞任され、その補欠として森暢子君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○会長(櫻井規順君) 産業・資源エネルギーに関する調査を議題とし、二十一世紀へ向けての企業行動のあり方に関して、参考人から御意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、上智大学経済学部教授奥田健二君、社団法人経済団体連合会専務理事小山敬次郎君及び専修大学経済学部教授鶴田俊正君に御出席をお願いいたしました。
 なお、鶴田参考人は、都合によりおくれて見えますので御了承願います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様から、二十一世紀へ向けての企業行動のあり方に関して忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の私どもの調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 議事の進め方といたしましては、初めに、日本企業社会の特質について奥田健二君から、次に、二十一世紀へ向けての企業行動について小山敬次郎君から、次に、二十一世紀への産業経済の変化と企業の対応について鶴田俊正君からそれぞれ三十分以内で御意見をお述べいただいた後、二時間程度委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 また、本日は、前回と同様に、あらかじめ質疑者等を定めないで委員の方々に自由に御質疑を行っていただきたいと思いますので、質疑を希望される方は挙手をし、私の指名を待って御質疑をお願いいたします。
 なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず奥田参考人からお願いをいたします。
#4
○参考人(奥田健二君) 前座を務めさせていただく上智大学の奥田でございます。皆様のお手元に差し上げてあります資料でございますが、日本の企業社会の特質ということについてお話をさせていただきます。
 きょうはこういう機会を与えていただいて大変光栄に存じておりますが、早速申し上げたいことを始めさせていただきます。
 レジュメの一番最初に書いてありますように、日本の、特にメーカーがつくっております製品が現在世界の隅々に輸出されているわけでございますけれども、そのカメラとかVTRとかいろいろなものを一体どんな物の考え方をする人たち、どういう思想を持った人がこれをつくっているのか、こういうことについての説明が私は非常に欠けているのじゃないか。中には集団主義で、ただ何でもめくらめっぽうに上役の言うことを聞いている人たちがこれをつくっているんだとか、そういうようないろんな誤解がございます。これは我々学界にいる人間なんかも非常に責任があるのでございますが、日本の経営の特色はこういうものである、社会の特色はこういうものだということをもっともっと積極的に説明していかなくちゃいけないんだという考えでございます。皆様もそういうお考えだとは思いますけれども。
 二番目に、ではどんなことを言いたいのかというのが今からの問題なんです。経営の問題としてはたくさんのことがございます。後ほど経団連の小山先生の方からもお話があるわけで、非常に共通したものがあるわけですけれども、私としましては、レジュメのU日本の企業社会の特質についての自己確認というところで、科学的管理法というものについての考え方が特にアメリカと日本とでかなり違うということを中心にお話しさせていただきたいと思います。
 レジュメの次に資料がございます。資料の一というのを見ていただきますと、年表がございまして、上の方は日本のことを書いてございますが、これは一九二〇年代から三〇年代にかけてアメリカの科学的管理法というのが日本に入ってまいりました。それに対しまして下がアングロアメリカン、主にアメリカのことでございますが、やはり同じ時期、一九二〇年代にテーラーという人が中心になりまして科学的管理法というものが体系化されたわけでございます。
 科学的管理法そのものについて詳しく申し上げる時間がございませんけれども、労働者の公平な一日の仕事量を決めていく、働き過ぎもないよう
に、そしてサボらないようにということでございます。時間をはかったりなどしまして決めていこうという考えでございます。
 これは極めて科学的と言われているわけですが、これが日本に入ってまいります、当時の鉄道であるとか、たばこ工場とか繊維工場。日本の工場に入ってきますと、もちろん時間をはかったりすることはやるのでございますが、どうも何かおかしいのじゃないかということを日本の技師たちは気がつくわけです。その一番大きなところは、この科学的管理法をそのまま適用すると労働者のチームワークが壊れてしまう、労働者個人個人をアトムのように扱っている、チームワークが壊れてしまうということを、私は日本の現場の技師というのは鋭かったと思うんですけれども、気がつくんです。そういうことでございます。
 これは一部の技師だけじゃありません。一九三〇年代には大きな不況がございまして、皆様御存じのように現在も不況ですけれども、不況対策としまして、当時の商工省に臨時産業合理局ができましてそこで産業合理化ということを努力するわけです。その中に生産管理委員会、そういうものができまして日本の産業の合理化を図るわけです。日本の代表的な技術者が集められていたわけですけれども、その人たちの提言内容とかそういうようなものの中にも、やはり科学的管理法に対する非常に適切な意見というのが出ておりました。
 それは資料の三、そこに一九三四年十月の作業研究便覧、これは今の臨時合理局の資料とはちょっと違っておりますが、当時の国有鉄道でつくりました作業研究を進めるに当たっての注意事項、基本的な姿勢を書いたものでございます。それの七行目以下に、さらに、便覧の第二章各論においては、作業研究実務上の諸注意事項について述べているが、その中で一般技工、特に作業研究の対象者として選ばれる技工たちを共同の研究者として扱うことが重要であると。もう研究者だけが特別に偉い、その人たちが調べたことだけが立派なことというのではなくて、現場の労働者も物を持っているんだ、知っているんだ。現場の労働者を共同の研究者として選んでいこうと。
 それから、一般技工、特に研究に従事させる技工に対しては、協力にまつ点が多いのであるから、十分説明し、これはアメリカの科学的管理法のときなんかは十分に説明しないわけです。雇った労働力だから物と同じように調査するだけなんです。客体と見るわけです。日本の場合は調査の客体というふうに見ないわけです。そこが非常に違うと思います。同僚なわけです。技工の方から興味を持って進んで研究に従事するようにしむけること。作業研究を実施するに当たっては常に公正を旨とし、何事についても腹蔵なき意見の交換を行う。平等の立場で交換をするわけです。疑義を挟む余地のないようにし、研究の結果等も隠すところなく技工に示して、技工を共同研究者として取り扱うことが必要であると。
 いろんなこと書いてございますから細かくは申し上げません。その次の節の中に、どういう人を選んで調査するかというときに、アメリカの場合ですとワン・ベスト・ウエーで一番能力のある人、一番効率のいい人を選んで調査して、その作業方法を分析してみんなにそれを教えるわけですけれども、ここでは能率のいいだけじゃないんです。作業員の中から同僚の間に評判のいい者、みんなに好かれている者を選んで、そしてもちろん能力はなきゃいけませんけれども、調査してその結果をみんなに勧めるのであると。なぜかならば、あの人がやっているのだから私もあの人のやり方に従おうというわけで早くそういういい方法が広まる。ですから、専門の調査マンの立場からだけ考えない、経営の立場からだけ考えるのじゃなくて、労働者の立場を非常によく考えていると思います。
 例えば、そういう形でこの科学的管理法が入ってまいりましても随分違った取り上げ方をしております。では、これが当時の技師だけの意見かと言いますと、資料の四でございますけれども、資料の四に皆様御存じの渋沢栄一さんの言葉が出ております。渋沢栄一さんは協調会をおつくりになって、労使の協力ということに非常に力を注いだわけでございます。やはり産業というのは資本家と労働者との共働の場である、産業というのは共働の場所だということを、協調会宣言と書いてあります一行前のところに書いてあります。これは渋沢栄一さんが社会政策時報の創刊第一号に述べた言葉です。さらに適切に言えば、資本家と労働者との人格的共働がすなわち産業であるということで、もう資本家だけが産業というのを管理するものじゃないんだという非常に格調の高い宣言をしております。
 では、こういう考え方が実務に携わっていた経営者に本当に広がっていたのかどうかということで、一つの例としまして、資料の五でございます。資料の五には、皆様御存じの倉敷紡の大原孫三郎さんの哲学が述べられております。大原孫三郎さんは、温情主義とか経営家族主義というものを否定したわけでございますが、人格主義という言葉で自分たちの労務管理のやり方を性格づけています。この資料の左半分のちょうど真ん中あたりでございますが、ちょっと行ははっきり申し上げられないで恐縮ですが、協同作業場という言葉を使ってございます。我が社の工場が労働者と資本家との協同作業場になると。
 ですから、一九二〇年代、三〇年代にかけましては、こういう考え方が極めて日本の人の中に共有に分けられていたと言っていいと思います。大原さんはもちろんそういう理想を言っただけじゃなくて、資料の左側に、例えば一九一五年からずっといろいろ書いてございますが、(へ)でございますが、一九一九年大原社会問題研究所を設立しています。これは現在でも法政大学の中に残っておりますし、非常に立派な業績を残しております。それから、その次の一九二〇年代のところの(1)倉敷労働科学研究所。これは当時、女工さんに結核が非常に広がっていたので、結核を防ぐため、それから疲労の問題を中心とした科学研究所をつくったわけでございます。これは現在も政府の労働科学研究所として残っておりまして、大変立派な業績を残していることは御存じだと思います。こういう形で当時の日本の経営者、指導者たちの考え方というのは非常に実践されて成果が残っていったということでございます。
 私は、きょうここでそういう事実そのものを裏づける一つの基本的な考え方を申し上げさせていただきたいと思ったわけです。これが資料の二でございます。資料の二のところに絵がかいてございますが、左側がアングロアメリカン的な物の考え方でございます。デカルト以来あらゆるものを自然と人間、人間についても精神と肉体、こういうふうに分けるわけでございます。企業におきましては資本家と労働者、あらゆる物をきれいに分けていく、こういう考え方が十七世紀以来非常に強いわけでございます。
 それに対しまして、東洋に始まり、特に日本の場合どういう考え方であったかというと、右側の相補的考え方でございます。これはそんなに物事を右と左にはっきりと分けることはできない。例えば、これはもともとは道教の図でございますが、明と暗、陰と陽。ですけれども、陽が究極に行きますといつの間にか陰が始まる。陰が究極まで達するといつの間にか陽が始まる。お互いがまじり合っている。陽の要素の中に陰があり、陰の要素の中に陽がある。そして、原理が違っているんだけれども、二分法のように排除し合わないでお互いに助け合う、相互浸透し合う、こういう考え方が相補的考え方でございます。例えば、白い部分が経営者としますと黒い部分が労働者。アメリカのように労働者と経営者との利害というのは真っ二つに分けられるものでなくて、原理が違っています、原理が違っている点がありますけれども、違いながら協力するところがある。これは私が申し上げるよりはもちろん小山先生におっしゃっていただいた方がいいわけですが、そういうような労使関係間の基礎にはこういう相補的な考え方があるというように私は考えるわけでござ
います。
 この相補的考えというのは日本でかなり昔からある考え方でございます。資料の一にまた逆戻りしていただきますが、江戸時代の一七〇〇年代に安藤昌益という人がおりましたけれども、この人が互性という言葉でございますが、これで今申し上げたような相補性の考え方を述べております。あるいは石田梅岩という人、心学をつくった方ですが、この方も武士だけが偉いんじゃない、商人もいなければ世の中は治まらない。商人の利益というものは武士の禄のようなもので、商人は社会に貢献しているんだという相補的な考え方を打ち出すわけでございます。
 二宮金次郎も全く同じように相補的な考え方を、このほかに何人もおります。この二宮金次郎さんは、例えば「報徳記」というような記録を残しておりますが、先ほど申し上げました倉敷レーヨンの大原孫三郎は聖書とこの「報徳記」とを常に読んで座右の銘にしていた。ですから、「報徳記」に書いてございますことは、労働者を大事に扱えということと、人間的に平等に扱えということと、もう一つは利益をよく蓄積して社会のために尽くせという推譲の精神でございますが、大原孫三郎さんもそれを盛んに読んだわけでございます。それで、利益を社会のために尽くす、大原社会問題研究所とか倉敷労働科学研究所とかあるいは大原美術館とかそういうようなものを残したというように考えることができます。そういう意味では、二宮尊徳の考えなどが日本の産業界にも残ってきている、そういうふうに思うわけでございます。
 もうあといろんなことは申し述べませんが、これに対しまして下のアメリカの方は、今申し上げましたデカルト、二分法、ロックという人が出まして、絶対的な財産権、財産権を持っている人というのは能力があるし道徳的にも立派である。そういうことはあると思いますけれども、貧しい人は道徳的に衰えている、能力がない。そういう考え方が特にスペンサーの社会進化論、一八五九年のダーウィンの進化論を社会問題に焼き直した方でございますが、そういう考え方の中にあらわれ、そして先ほど申し上げました科学的管理法はまさにスペンサーの社会進化論そのものを体系化したわけでございます。
 ですから、細かいことで恐縮ですが、テーラーの考え方によりますと、少数の経営者とか少数のエリートが会社を全部管理する。労働者は発言権がないんだ、労働者は競争で負けたんだから劣っているんだ、競争に勝ってきた経営者だけが経営についての発言をするんだというのがこの科学的管理法の考え方の基礎にある考え方なわけです。これは非常にすっきりしていてよろしいんですけれどもね。日本ではそれを否定して、もっと労働者の方々の発言を入れたやり方でやってきました、第二次大戦後もそういうようにやっていますということでございます。これが経団連のヒューマン・キャピタリズムとかいろんな同友会の考え方の中にも私はやはり生きていると思います。
 資料の六といいますのは、私がいろいろと書いた学校の資料でございますが、ちょっともう時間がなくなりますが一言だけ言わせていただきますと、資料の六の百四十九ページに世界に通用する相補性概念というように述べました。これは例えば、デンマークの核物理学者ニール・ボーアという人がおりまして、この方の基本的な概念は相補性の概念です、コンプリメンタリティー。この概念があることによって量子力学が進んだわけでございますが、ですから自然科学の中では極めて自然な普通の概念にもうなっています。
 それから、百四十九ページの最後の行では、例えば、現在コンピューターに使われております相補性金属酸化膜半導体、CMOSというようなもの、これはもう日本が非常にこれをつくる能力を持っているんですけれども、電気を使う量を極端に減らすことができる半導体でございます。電気を通す性格の金属と電気を通さない金属、逆の性格を持った金属の両方を非常にうまくかみ合わせた半導体でございます。これによってコンピューターが熱を持ったりすることを防ぐことができるわけです。こういう形で半導体の領域なんかにつきましてもこの相補性という概念は極めて広く活用されております。これを経営学やなんかの中にも活用しないのはおかしいんじゃないでしょうかというのが私の意見でございます。ですから日本だけの特殊な概念じゃありませんということで、日本に生まれた概念ですけれども、世界の人々に日本の経営の特色を説明するのに十分理解してもらえる概念であるというように私は考えております。
 以上でございます。御清聴ありがとうございました。
#5
○会長(櫻井規順君) どうもありがとうございました。
 次に、小山参考人からお願いいたします。
#6
○参考人(小山敬次郎君) ただいま御指名をいただきました経団連の小山でございます。
 本日は、諸先生の前で私が日ごろ考えておりますことを御報告申し上げる機会を与えていただきましてまことに光栄に存じます。私は今の奥田先生と違いまして必ずしも専門家ではございません、勉強不足ではございますけれども、せっかく与えられた機会でございますので、日ごろ考えておりますことを申し上げまして、御批判をちょうだいしたいというふうに思います。
 なお、あらかじめお断り申し上げておきますけれども、私は学者でも評論家でもございませんので、どうしても私が属しております経団連の活動にある程度結びつけた形で申し上げるという、そういう意味で多少の偏りがありますことをお許しいただきたいと思います。
 私が今から申し上げますことは、大ざっぱに分けまして三つの点について申し上げたいと思います。一つは、企業倫理の確立と経団連の役割についてでございます。それから二つ目は、新しい時代の企業の経営のあり方、経済社会のあり方に関連いたしまして、ヒューマン・キャピタリズムという考え方を訴えているというその内容についてでございます。第三番目は、社会貢献の問題につきまして経団連が何をやってきたのか、そしてまたこれから先社会貢献というものがどういう方向に向かって展開を示していくであろうかということについての若干の私見を申し上げたいと思います。
 お手元に、既にお開きいただいているかどうかと思いますが、経団連の封筒の中に私が申し上げるレジュメとそれからヒューマン・キャピタリズムという考え方についての青い表紙のものがございますので、まずレジュメの方をごらんいただきながらお聞き取りいただきたいと思います。
 お手元のレジュメの一ページの1の(1)というところにごく簡単に整理してございますけれども、これについては多少異論があるかもしれませんが、日本の経営における人材を大切にするという考え方、これは日本の企業経営における特質ということで私は広く認識されているのではないかと思います。この点についてはむしろ外国の方で評価されているのかな、そんな感じすらいたします。
 一つの例といたしまして、一九九一年にアメリカで出版されまして大変好評を呼びました本にロバート・オザキという方が書かれました「ヒューマン・キャピタリズム」という本がございます。これがその本でございますけれども、アメリカでは大変広く読まれまして、日本でも先般翻訳出版をされたわけです。その中の記述を一言で申し上げますと、要するに、新しい歴史的な経済体制が第二次世界大戦後の日本で誕生したという、少しオーバーかもしれませんが、そういう表現で日本で新しい経済体制が生まれたんだということをうたっております。
 ロバート・オザキさんは特にどういう点に注目しているかと申しますと、富の創造とそれを増進するためにはお金や物ではなくて人間が一番大切な資本であるという考え方を基礎とした日本の企業運営、あるいはまた日本の経済体制こそ日本の
戦後経済の発展を導いたもとであるということ、そしてそういう形で、これをヒューマン・キャピタリズムと呼ぶわけですけれども、これが二十一世紀における新しい主流になる経済体制ではないかとまで実は言い切っているわけでございます。
 この考え方が果たして正しいかどうかにつきましては、いろいろお立場によって見方が分かれるだろうと思います。私は立場上、日本型の企業システムというものが戦後の日本経済の成長発展を支えたということについては私自身高く評価いたしますし、多くの方々がそれは事実として認識されるのではないかと思います。
 ただ、一方ではこれまでのような企業体制が果たして時代の変化にそのまま適応してきたかどうかという点については、これもまた否定できない事実かと思います。言いかえますと、過去においては当然だと考えられてきたような経営慣行であるとかあるいはまた商慣行であっても、新しい時代を迎えてそれが必ずしも時代の要請に応じ切れない面があった。これも事実でございます。私は、最近における幾つかの企業をめぐる不祥事もその一つのあらわれではないか、こういうふうに考えているわけでございます。
 レジュメの2の(1)をごらんいただきたいと思います。一ページでございますけれども、そこにも書いておきましたように、企業をめぐるいろいろな不祥事は、これはもう残念なことではありますけれども、経営者の自覚と反省を求めるものでありまして、そういう反省に立って、自由、透明、公正な市場の実現を目指して企業みずからがまた社会の一員であるという良識を持って行動し、広く社会の理解と信頼を得るようにしなければいけない。これもまた私ども自身反省し、また考えているところでございます。これこそきょう私に与えられました主題であります二十一世紀へ向けた企業行動のあり方を考える上での基本的な理念ではないか、こういうふうに思っております。
 経団連では、過去、リクルート事件が発生しました直後に企業倫理の確立に関する提言を取りまとめました。その中では、どういうことを言っているかと申しますと、企業がみずからの自覚と責任のもとに自主的な判断で倫理規定を設けて、そして不祥事が再発しないようにしようではないか、こういうことを呼びかけております。その提言の中で、具体的に倫理規定の中に盛り込むべき具体的な事項は何を盛り込んだらいいか、こういうことについても掲げてございます。また、それを遵守し、フォローアップしていくためには、社内に例えば倫理委員会のようなものを設けて常に反省をしていく、こういうことも必要ではないかということを提案しております。
 経団連では、そういうことをただ提案しただけではなくて、しつこいようなんですが、時々アンケート調査などを実施いたしまして、こういうものがあるんだということを経営者に再認識していただく、また、おたくではこれをどういうふうに実践しておりますかということを伺うことによって、自分のところもさらに進んだことをしなければいけない、そういう反省をしていただく意味で実はアンケートなぞをしばしば実施しているところでございます。
 実は、その倫理問題についての提言を取りまとめましたときに、例えばIBMなどでは、誓約書をつくって社員にそれにサインをしていただくというようなこともいたしておりまして、そういうことも考えられるのかなというようなことも議論になったんですが、余りにも個人に対する制約が強過ぎるんじゃないかということでそれは取り上げなかったわけでございます。
 そうした私どものいろいろな努力にもかかわらず、その後も不祥事が後を絶たなかったために、一九九一年の九月には、お手元のレジュメの2の(2)にごく簡単に書いてございましたけれども、経団連の企業行動憲章というのを策定いたしました。ここでは、一つには企業の社会的役割を果たす七原則というもの、二つ目には公正なルールを守る五原則、それから三つ目は経営トップの責任に関する三原則、これを我々は七五三原則というふうにわかりやすく呼んでおりますけれども、そういう原則を設けて社内あるいはまた業界全体に徹底し、あわせて企業の行動や商慣行、そういうものに照らして総点検するようにしてはいかがでしょうかという実は提案もいたしております。
 今、商慣行のことを申し上げましたけれども、ことしの七月には、さらに商慣行の現状と問題点を洗い直しまして、その改善についてどうしたらいいかということも提案をいたしております。
 経団連としてはこういう幾つかの提案をし、皆様方にその実行を働きかけておりますが、いかんせん、経団連というのは御存じのように会費をいただいて成り立っておりますから、経団連が何かを強制するなどということをできる団体ではございません。繰り返しそれを呼びかけることによって少しでも前進することができればという意味で努力をしているわけです。
 一部に、そこまでやるんなら規制、規則でそういうものをやったらどうかというような御指摘もございますけれども、私どもは、そういうものを規制や規則によって行うということについては、これは自由経済の持つ自浄作用を減殺するマイナスの意味もありますし、企業の活力を失わせることにもなりますので、好ましくないというふうに考えているところでございます。
 私どものこうした一連の活動の根底には、経団連の平岩会長が就任して以来強調してこられました消費者、生活者の立場を重視する、そういう方向に向けて企業や企業者団体、そしてまたそれを束ねる立場にあります経団連の活動を展開していく必要があるということでございまして、そのことはレジュメの二ページ目の3のところにその気持ちを整理してございます。
 一時はやりました言葉に共生という概念がございます。これは経団連が提唱いたしたわけでございますけれども、そのそもそもの発端は、海外に参りまして日本企業に対するいろいろな批判にこたえていく意味で、海外企業との摩擦を避けて海外企業と共生を図っていくということ、いたずらな競争を避けていくということで使った言葉でございます。最近ではその概念を少し広げまして、国内の企業同士の共生の問題、あるいはまた企業と株主や従業員あるいは消費者、生活者との共生まで念頭に置いた上での企業経営の言ってみれば望ましい姿を想定した概念ということでございます。
 実は、きょう持ってまいりましたけれども、経団連で私どもの考え方をまとめた本がことし東洋経済から出版されております。「日本企業の競争力」という本をまとめました。この中で私どもが強調したかったことは、日本の企業はいろいろな苦難を乗り越えて世界に冠たる競争力を身につけたわけでございますけれども、ただ、今日のような新しい時代において、競争という概念も、やはりそれは国際的に通用するような競争を通じて創造性のある商品あるいはまたサービスの提供を基本にしながら収益性と社会性のバランスのとれた企業経営をやっていこうではないかということでございます。その中の一つとして、例えば従来から考えられている競争力という概念を、私どもは従来のように価格競争の面で強いからどんどん進出してそしてシェアをとっていくという考え方ではなくて、やはり競争力あるいはまた競争を考えるときには共生ということもあわせて頭に置かなければいけないということを実は提案している次第でございます。
 以上申し上げましたような消費者、生活者を重視した共生の考え方をさらに拡大発展させていくという意味で、きょうお手元に差し上げました水色の表紙のものでございます。経団連では、つい先ごろ「ヒューマン・キャピタリズムとわが国産業・企業の変革」というパンフレットをまとめた次第でございます。きょうは詳しく御説明する時間もございませんし、私がすべてについて御説明する能力も持ち合わせておりませんので、またぜひお目通しをいただきたいと思います。
 ただ、一言だけお断りしておかなきゃいけませんのは、冒頭に申し上げましたロバート・オザキの言うヒューマン・キャピタリズムという概念と、私どもがここでうたっております概念には若干の違いがございます。ロバート・オザキさんは、冒頭申し上げましたように、人材を大事な資本と考えるというかなり限られた範囲の概念でございますけれども、私どもはそれをもう少し広げて考えております。
 レジュメの方の一ページの1の(2)に、ヒューマン・キャピタリズムの精神というのはどういうことかということを書いてございます。ここに書いてございますように、要するに企業において従業員の多様な個性と創造性の発揮を図り、真にゆとりのある豊かな国民生活の実現に向けた商品やサービスを提供すると同時に、内外の社会が抱える課題に積極的に取り組んでいこうではないかという意味の考え方でございます。
 先ほど、会長さんと控室でお話ししたときに申し上げたんですが、ヒューマン・キャピタリズムといっても果たして概念がきちっとしているのかということが私どもの内部でも議論がございました。そんなあいまいな概念をうたい出して本当に責任が持てるのかというようなこともございましたが、私は逆でありまして、やはりキャッチフレーズをうたいとげることによって、そのキャッチフレーズに基づいて皆さんで企業経営というものあるいはまた企業経営を万全なものにするための経済社会のあり方をどうしたらいいかということを考える一つの足がかりにしてはどうかという意味で大胆にヒューマン・キャピタリズムという概念を打ち出したわけでございます。
 レジュメの二ページ目の4というところに、一体そういうキャッチフレーズのもとに新しい方向についてどう考えるかということをごく簡単にまとめてございますけれども、このまとめは必ずしも内容を網羅した書き方になっておりませんので、むしろお手元の資料の方、つまりブルーの資料の方について簡単に申し上げます。
 表紙を開いていただきますと、三枚ぐらいにまとめた要約がございます。「要約」というのが表紙の後に書いてございますけれども、先ほども申し上げましたように、言わんとするところは、個性と創造性が発揮できるような経済社会をつくっていく、そのために我々は何をなすべきかという意味でまとめたものでございます。
 その「要約」の二ページにございますように、国民生活の質的向上を最優先とし、そしてまた生活者本位の経済構造の構築、そういう方向に向けていろいろな努力をしていかなければいけないわけでございますけれども、そのためには、まず経済政策においては新しいインフラ、充実した国民生活が実現できるようなさまざまな新しい形のインフラ整備をやる。同時に、内需の安定的拡大によりまして持続的な経済成長を実現し、その過程にありまして、企業においてもできるだけ供給者的発想から消費者の立場を考慮した発想、そしてまた国民生活の質的な向上に寄与できるような商品、サービスを提供し、それに沿った経営を実現していくというようなこと。同時に、三ページ目にございますように、消費者、生活者の立場だけではなくて株主の尊重も考えなければいけない。そしてまた、地球環境問題へも取り組んでいかなければいけないといったような、さまざまな改革を実現していってはいかがでしょうかという意味の提案をしているわけでございます。
 これはあくまでも理想像でございまして、先ほど申し上げました不祥事とこの理念とはどういう関係があるのかということを問われますと、なかなか私どももお答えがしにくい部分でございますけれども、やはり一つの大きな夢を持って行動していくことが大切ではないかというふうに考えている次第でございます。
 言いかえますと、企業が収益性志向そして企業の社会的役割とをどういうふうにマッチさせていくかということを常に考えなきゃいけない。と同時に、現在私どもが直面しております厳しい不況対策、これはリストラと相入れない面がございますけれども、しかし考えようによれば、今の不況対策と将来の企業の構造改革あるいはリストラとは必ずしも矛盾なく進める方法もあるのではないか、こういうことも頭に置きながらまとめたものでございます。
 私に与えられた時間があと十分ちょっとになりましたので先を急ぎますけれども、次に私が皆様に訴えたいのは、企業における社会貢献活動、これも経営における二つ目の大きな柱でございますので、そのことについていささか申し上げてみたいと思います。
 レジュメで申し上げますと、レジュメの二枚目の一番下に5企業による社会貢献活動のあり方という点で簡単にまとめてございます。
 先般、経団連が政治献金のあっせんを取りやめたということに関連いたしまして、あたかもその役割がなくなれば経団連というのは仕事がなくなってしまったんじゃないかというような大変誤解された理解のされ方がございます。私ども当事者にとりましてはまことに心外でございまして、私も経団連に奉職しましてやがて四十年近くになりますけれども、経団連というのは、創設以来、日本経済の健全な発展のためにできるだけ役割を果たしていきたいということで活動を続けてまいりましたし、また同時に、さまざまな方面からの募金要請に対しても協力してまいっております。
 最近ではその規模がおおむね百数十億円ぐらいの規模になっております。その中身をごらんになりますとおわかりでございますが、一番大きなウエートを占めておりますのが社会福祉関係への寄附でございます。あとどういうものがあるかと申しますと、国際交流であったり、あるいはまた学術振興であったり、研究開発、そしてまた教育というのはかなり大きなウエートを占めております。自負いたしておりますのは、私どものこの募金協力というのは、多くの部分は国民生活に密着したものであるということを自信を持って申し上げられると思います。
 こういうような活動も、実は一九七三年の第一次石油ショックを契機といたしまして、企業の社会的責任論が高まるとともに一段と活発化してまいりましたし、そしてまた日本企業の海外進出が活発化する中で、国際的な方面に向けての社会貢献活動という面で大きな広がりを持っております。
 具体的には、経団連の中でフィランソロピー活動を推進するためにいち早く社会貢献推進委員会というのをつくりましたし、そしてまた国際的な文化面の協力、各国における古い建造物の修復等に対しても協力していくという意味で国際文化交流委員会もつくりまして、そこでは国際的な協力もいたしております。そしてまた、日本の企業が海外に進出した場合に、そこでの社会貢献活動をスムーズにできるようにということで海外事業活動関連協議会というのをつくりまして、そこでいささかのお手伝いもする。さらには、個人、企業を通じまして所得の一定割合、例えば一%ぐらいを少なくとも社会のために貢献しようではないかということで、一%クラブというのをつくりまして、皆様方に実は協力を呼びかけている次第でございます。
 そういういろいろな形で社会貢献をいたしておるわけでございますが、これは過日、前川リポートにおきまして、ゆとりと豊かさを求める社会の声が強まってくるというような動き、そしてまた企業を構成する株主や従業員の皆さんの価値観が多様化してくる、こういうことを受けまして、企業による社会貢献活動がさらにクローズアップされてくるということを背景にいたしまして、実績が非常に急速なテンポで拡大をしてまいっております。
 最近の厳しい不況の中で、一部にそういう活動も下火になっているのではないか、萎縮しているのではないかというような見方もございますけれども、実際には、未曾有の厳しい不況の中にありましても、実は企業の社会貢献活動の意欲はそのまま堅持されております。
 ちなみに、経団連がこの三年間継続して実施いたしております会員企業に対するアンケート調査の結果でも、企業は合理化の一環といたしまして、販売費、一般管理費の節減に大なたを振るっている中にございまして、社会に対する寄附、社会貢献活動に対する支出は決して減っておりませんで、最近のアンケートでも、一社平均にして四億から五億ぐらいの支出をしていて、その水準はほとんど従来と変わりない規模であるということがわかっております。
 ちなみに九二年度、これは経常利益が大幅に減少いたしましたけれども、経常利益に対する社会貢献のための支出の割合は、九二年度は二・八六%でございます。九〇年度が一・七二%だったのに対し、また九一年度が二・六七%でございましたけれども、九二年度はパーセンテージがかなりふえております。経常利益が規模が減ったので、分母が減ったんだからそれは率が上がるのは当たり前ではないかと言ってしまえばそれまででございますが、少なくとも一つの指標として見る限りにおいてはそういう状態にあるということでございます。
 ただ量がふえているだけではございませんで、社会からのいろいろな要請とのずれを生じないために企業では工夫の跡が見られます。例えば一つの例として、私どもが調べたものでは、社員のボランティア活動を支援していくために、例えばボランティア休暇・休職制度というようなものがとられております。九〇年度には二十一社しかこういう制度をとっておらなかったわけでございますが、九二年度には九十三社がそういう制度を取り入れるというようなことに相なっております。
 そういうことでございまして、今や社会貢献活動は企業の理念としまして、株主への配当の問題、あるいは従業員への賃金の問題、あるいはまた良質で安価な製品、サービスを消費者に提供するという三つの経営の柱に加えまして、第四の柱として社会貢献活動が定着しつつあるんじゃないかと申し上げていいのではないかというふうに思っております。
 今後の新しい展開の方向といたしましては、企業がただ企業として社会貢献活動を進めていくだけではなくて、地域住民とかあるいはまた地域の自治体、さらには政府、いろいろな形の周辺の組織とパートナーを組みながらそれを進めていくというような動きがさらに進んでいくのではないかということを私は考えているわけでございます。
 ただ、そういうことを進めていく上で先生方にお願いをしておかなければいけないのは、せっかくそういう志があるものに対して、ぜひ環境整備を進めていただきたいと思っております。
 第一にお願いしたいのは、いろいろなところで寄附、社会貢献を求めているという、そういう情報をぜひうまく流すようなシステム、そしてまた、そのために篤志家の志を受けとめる受け皿について整備をしていただきたいということでございます。例えば、そういうものを受けとめる公益法人というようなものを、もう少ししっかりしたものをつくっていただくというようなことも一つの方法かと思います。
 第二の環境整備といたしましては、税制でございます。せっかくそういう努力をしようといたしましても、例えば私どもが公益法人をつくってそこで受け皿にしようと考えますと、なかなか今公益法人は厳しい条件がありまして認めていただけないんですが、もっともっと弾力的に公益法人を認めていただくことになれば、税金をある程度御配慮いただきながら寄附もしていけるのではないか。あるいはまた、法人の寄附について損金算入の限度が非常に厳しく規定されております。こういう面についても、公益的な寄附でございますのでもう少し考慮していいのかなと。
 それから、個人の寄附でございますが、篤志家がお金を出そうといたしましても、国税においては配慮があるんですが、どういうわけか地方の住民税においては寄附についての免税措置がないということ。これはもともとは地方では余りその恩典に浴さないというような理屈でその恩典がないわけですけれども、これなども申し上げたような社会貢献の広がりを考えますと、今やそういう理屈は全く当てはまらない、こういうふうに考えておりますので、ぜひ御検討をいただきたいと思います。もちろんそういうこととあわせて企業自身も社内体制というものをきちっと整備していくということも必要である、こういうふうに考えております。
 そこで最後に、あと数分になりましたが、社会貢献活動は一体これから二十一世紀に向けてどういう展開をしていくだろうか。これもなかなか私どもにははかり知れない面もございますけれども、言えますことは、一つは、企業においても社会との関係をより緊密にしていくということを通じまして、従来非常に限られた目に見える利益だけではなくて、言ってみれば、私どもは啓発された利益という言葉を使っておりますが、利益と関係なく社会に貢献する、そしてそのことが社会のためになれば見えざる利益として企業にもはね返ってくる、そういう啓発的な、啓発された利益というものを我々は認識しながら企業経営を行っていく必要があるのではないかこれが第一の点でございます。
 第二の点は、やはり企業がそれぞれの固有の企業経営を行っていく、あるいはまた行動様式を維持していくこと自体がいわば企業文化を育てることになるのではないか。そういう意味で、企業文化の創成ということも必要でしょうし、また文化活動に対する支援ということも進めていかなきゃいけないと思います。
 さらに私は、福祉とか文化から進みまして、都市公園その他生活環境全般についても、国がなすべきことと民間の篤志において行うべきこと、そういうものの峻別をしながらやはり貢献していく道もあるいはあるのではないかというふうに思うわけでございます。
 あと二分になってしまいましたので、最後に一言だけ申し上げたいんですが、経団連の平岩会長がよく引用されます言葉にレイモンド・チャンドラーの言葉がございます。もう先生方はよく御承知のことですけれども、「人間は強くなければ生きられない。優しくなければ生きる資格がない。」、こういう言葉がございます。私は、かねがねこれは企業についても当てはまるのではないかと思います。企業が新しい時代に即応して生き抜いていくためにはやはり優しさ、社会貢献活動を通じた優しさが必要でございます。ただ、同時に、企業がまた強くなければ新しい時代を生き抜いていくことができない。そういう意味で、社会貢献活動はやはり企業が強靱な体力と収益力を持つことと裏腹の関係にある、そういう認識に立ってぜひ企業についても温かく見守っていただくことをお願いいたしまして、ちょうど私の持ち時間三十分になりましたので終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
#7
○会長(櫻井規順君) どうもありがとうございました。
 鶴田先生、本日はありがとうございます。早速ですけれども、鶴田参考人からお願いを申し上げます。
#8
○参考人(鶴田俊正君) 専修大学の鶴田でございます。本日は参考人として意見を述べる機会を与えていただきまして大変ありがとうございます。
 お手元に「二十一世紀への産業経済の変化と企業の対応」という私のレジュメがございますけれども、このレジュメに沿ってお話をさせていただきたいと思います。
 私の問題意識は、日本が国際社会の中で生きていくためにはどういうふうな枠組みが必要なんだろうかということが一つと、もう一つは、日本社会の中で市民、消費者と企業がバランスよく共存していくためにはどういう仕組みが必要なんだろうか、こんなあたりに私の問題意識があります。当然、日本の経済の制度なり構造なり慣行の見直し、また企業構造のあり方をも考え直していくと
ころが多々あるんではないかというふうな問題意識に立っております。
 特に、私はこの何年間か、公正取引委員会の中で政府規制等と競争政策に関する研究会というのがございますが、そこで座長を務めさせていただいて、政府規制の問題についてかなり勉強させていただきました。また、独禁政策につきましては、例えば流通問題研究会の座長を務めさせていただくとか、折に触れて競争政策のあり方等について勉強させていただく機会を与えられましたものですから、そういうものにも触れながら御意見を申し上げたいというふうに思っております。
 まず、問題の糸口として、ことしの文芸春秋二月号にソニーの盛田会長が問題提起をされておりました。ちょうど一年前の去年の二月号にも盛田ソニー会長が日本の産業社会の仕組みについてやや批判的な論文をお書きになり、それが大変話題になった経緯があります。ことしの文芸春秋では、ソニー盛田会長がフォートレス・ジャパンという概念を使っていらっしゃるわけです。フォートレス・ジャパンというのは要塞国家日本という意味でございまして、日本の政治経済システムは自由競争の徹底あるいは世界経済の発展のためにブレーキになっている、こうしたシステム全体を要塞国家日本と呼んだ、こういうことでありました。
 盛田さんの論文に接しているときに、たまたま次のような新聞記事に接したことがあります。それは、ことし皇太子が結婚されることになっておりましたから、当時でございますが、もう既に結婚されましたけれども、そうしますと赤飯需要が増大するに違いない。ところが、モチ米が不足しているのでモチ米を輸入しなきゃならない。しかし、米を輸入するについては、国会の決議がございますから輸入できない。しからばどうするか。そこで、モチ米に砂糖を二〇%以上入れて調製品として輸入するんだというふうなことがございました。これは輸入してから砂糖を取ってしまえばちゃんとしたモチ米になるわけです。
 その記事を読んだときに、有能な官僚がなぜそういうことに知恵を使わざるを得ないのか、やっぱりこういうところに要塞国家日本を象徴しているものがあるんじゃないか。官僚はあすの日本はどうあるべきかということを考えるべきであって、砂糖をまぶして調製品として輸入するというのは堕落中の堕落だろうというふうに私は思ったことがあります。
 これは一つの感想でございますけれども、やはり日本の経済の仕組みを見ておりますと、どうも有能な官僚たちがいろんなつまらない仕事に携わって、あすの日本を構想する暇さえもないんじゃないかという感を持っておりますけれども、それは後で申し上げます規制の問題に全部関係してくると思います。
 それから二番目に、ソニーの盛田会長は、日本企業が発展したほどには人々の生活は豊かになっていないということを言われております。確かに、生活環境とか住宅・通勤環境とか労働時間の長さあるいは内外価格差の存在など、社会資本投資が必ずしも十分じゃないことを考えますと、生活は豊かになっていないのかなという印象さえあります。
 特に、今小山参考人からるるお話ございましたように、大変厳しい不況下にあってなおかつ円高になっております。本来であれば、円高メリットが生活に反映できる仕組みがあればこれほどの不況にもならなかったかもしれないし、あるいは消費者も実生活の豊かさをエンジョイできたこともあり得たんではないかと思います。しかし、なかなか円高になっても差益は還元できない。これはやはり日本の仕組みのどこかがおかしいわけであって、それを改善しない限り人々が豊かさを実感できる社会にはほど遠いなという気もいたします。
 後でも触れますけれども、労働時間の長さ、最近では不況で残業がなくなっておりますから、むしろ逆の問題があるのかもしれません。それにしても今は異常な時期でありまして、通常であれば労働時間も長いし、何よりも住宅・通勤環境が非常に悪い。通勤のために一時間半も二時間もかけなきゃならないというのが、これが本当の人間生活なのかなというふうに思わざるを得ないところがあります。
 三番目に、日本社会の基本問題を考えてみましても、どうも関係依存型社会であって、いわゆる近代市民社会の特徴でありますルール型社会になっていないんじゃないかという気がいたします。
 例えば政府と産業との関係、これは政府規制制度によってかなり政府が産業活動にコミットしている。また、産業と産業との関係を見るとカルテル体質が非常に強い。あるいは労使の関係を見ましても過度に協調的過ぎる。そんな印象を持つわけであります。したがいまして、日本の社会の仕組みを見直しながら、こういう関係依存型社会から、ある意味ではマーケットでの機能に対してルールを決める、そういうルール型の社会に転換していくことが必要だろうという気がするわけであります。
 四番目に、日本の産業組織の特徴を見ますと、日本は競争社会だと言われますけれども、どうもそうじゃなくて競争的な部分と非競争的な部分が共存している、そういう二層の構造になっているんだという認識を私は持ちたいと思っております。
 特に私たちの生活の周辺を見てみますと、いかにも当たり前のごとくなっておりますけれども、価格が横並びであるという現象が非常に強いと思います。例えばビールとか化粧品、医薬品、文房具、あるいは銀行手数料、証券手数料等々、周辺を見ますとこういう横並び現象が極めて見えるわけであります。しかし一歩、市場で考えてみますと、これは市場経済でございますからマーケットの中で形成される価格はまちまちであってしかるべきであって、むしろ横並びであること自身がおかしいのですね。それはやはり日本の社会の中においてそういう自由な取引なり自由な価格決定ができる仕組みというものが必ずしも十分に保障されてないなという気がするわけであります。
 また最近では、談合入札、ラップカルテル、セメントカルテル等々いわゆる独禁法違反事件が頻発いたしました。まだまだ十分改善されたとは言いがたいと思うのでありますが、こういうカルテル体質というのは非常に強靱なものがあるなという気がするわけであります。よく指摘される企業集団内系列取引というものも外国から批判されておりますから、この中でも実質的な競争をどうやって確保していくのかということがこれからの大きな課題になってまいります。
 そういうソニーの盛田さんが提起した問題に対して、じゃ日本の社会のすべてが悪なのかということを翻って考えてみて、一体二十一世紀に日本が残すべきものは何であって、逆に改善すべきところは何かということを考えるために、日本モデルの特徴というものを多少考えてみたいなと思います。
 そこで、まず最初に企業と企業との関係でございますけれども、一つの例としてトヨタとGMの生産台数と従業員の関係を見てみると非常に象徴的であろうと思います。ともに年間の生産台数が五百万台弱でありますが、従業員はトヨタの場合七・五万人であって、GMは実に四十万人いるわけです。これはアメリカはいわゆる垂直的統合社会であって、GMが部品生産を一貫生産しておりますから非常に人が多い。トヨタの場合ですと社会的分業型といいましょうか、いわゆる外注企業に依存して車をつくっております。そういう意味では、GMとトヨタの車の生産台数と従業員の多寡の中にアメリカ型社会と日本社会の特徴を示すものがあると思います。
 よく日本の系列は参入障壁が高いんだと言われますけれども、理論的に考える限り、アメリカのGMのように垂直統合している企業の方が参入障壁が絶対高いはずであって、アメリカの方は日本の系列を批判しますけれども、日本はなぜかGM
のような一貫生産型の企業形態を批判しない、これは片手落ちだなという気がいたします。
 そういう意味では、日本は社会的分業システムでありまして、それは幅広い優良な中小企業を基礎とした分業が形成されているからでありますし、また企業と企業との関係では、長期継続的な取引の中でお互いに情報生産をあるいは共有して共同で研究開発してすぐれた財・サービスを生み出していく。これはやはりこれからの社会主義国、旧社会主義国なり、あるいはASEAN等々、東南アジア諸国に対して伝え得る日本からの有力なメッセージの一つだろうという気がいたします。そういう幅広い中小企業を基礎とした社会的分業システムを発展させるということは非常に大事なことだろうということであります。
 それからもう一つ、多少崩れつつありますけれども、長期的雇用の慣行というのが日本にあります。これもやはり日本の企業の発展を考えますと、例えば長期的な観点から人材育成が可能であるとかあるいは熟練技能形成においてすぐれているとか、また技術革新等々においても非常に効果を発揮するとかあるいは雇用の安定とか、いろんな面で長期的雇用の慣行というものが日本的な特徴になっております。これなんかもやはり企業が安定的に発展するためには今後も維持されなければならない枠組みだろうと思います。
 ただ、今回の不況でこの長期的雇用の慣行というものは崩れつつありますが、しかし私は、やや楽観的かもしれませんけれども、企業の中にはこういう日本的な長所を残しながらこの不況に対応しようという考え方が依然として強いのではないかなというふうに思います。
 こういう長期的雇用の慣行の中から、いわゆる品質を埋め込むという日本独特のコンセプトが生まれてまいりました。企業社会に参りますと、ラインの中でどこでも品質のチェックをしながら、ラインから車が出ていくときには完全に良質のものができている。これはある意味ではアメリカ社会にない日本社会がつくり出した一つの産業のシステムだというふうな理解もできるかと思います。
 それから三番目、これは六、七年前にOECDによって統計的にも検証されているわけでありますが、相対的な意味で分配の公正というものが日本は図られているということであります。労働組合から経営者への昇進ルートも開かれておりますし、また日本の産業社会ではインフォーマルな参加というものが大前提になっていて、それがQCサークルとか品質改善あるいは現場主義へとつながっているんだというふうに言っていいと思います。これなんかでもやはり日本の産業社会の仕組みを考えた場合に、後のアメリカのモデルとの非常にいい対照的なポイントであろうという気がします。
 それから、企業内組合が日本の一つの特徴だと言われていますが、これには長短ございます。長所としては、経営情報の伝達とか経営と従業員との情報格差の是正とかそれなりにすぐれた面があるわけでありまして、問題点としては、後でも触れますけれども、カウンターベーリング・パワーとしての機能が弱いなということでございます。やはりそういう長所を残しながら改革をしていくということが一つのポイントだろうという気がします。
 それから五番目に、経営者は長期的な視点を持てる。これもやはり日本社会の一つの特徴であって、そのことは成長分野に集中的に投資し、そして長期的な観点からの株主対策を実践できるというようなことでありましょう。
 そういう特徴はございますけれども、この一ページの表題のところに書いてありますように、その根底にあるものは何かといいますと、日本というのは信頼という財・サービスの流通する国であるということです。つまり、諾成契約の社会であって、お互いに了解することによってそこで契約が成り立つ。それは要するに日本の社会の中で信頼というものがビジネス関係なりあるいは人と人との関係、企業と企業との関係を考える場合に非常に重要だということであって、これはそれゆえにこそ後での制度改革の重要性が出てくるのでありますが、ともかく信頼という財が流通する国であって諾成契約を非常に大事にする国であると。それは、日本は単一民族の国だと言われますが、ルーツを探ると幾つもあると思いますけれども、その中で共通の言葉を持ち、そして共通の思考様式を持っておりましたから、そういうものがビジネス活動の基礎にあるんだということだと思います。
 反面、アメリカモデルの問題点は何かといいますと、その結論部分からいうと信頼という財・サービスの流通しない国であります。ここが非常に日本と対照的であって、したがってアメリカから見ると日本社会はお互いが何か関係依存型であって、そして以心伝心といいましょうか、外から見ると排他的な人間関係なり企業関係ができているんではないかというふうに考えがちなところになると思います。
 アメリカというのはそうじゃなくて、人種のるつぼと言われるくらいにお互いが知らない民族から成り立つ。また、言葉が通じない場合もある。したがって、ともかく文書契約によってお互いの立場を確認し、そしてお互いの何を思考するかということを文書で確認をしながらすべての活動が行われる。ビジネスとビジネスの慣行においても非常に長い契約書というものが交換されるわけであります。特にビジネス社会ですと、将来の不確実性に対して対応していかなければなりませんが、将来起こり得ることを全部書いておりましたら相当長い契約書になっていく。それだけ全部読んでいたら切りがないと思いますけれども、ともかくそういう契約社会だということであります。それは信頼という財・サービスの流通しない国だからだということであります。
 また、企業の中における人間関係等々を見ても、ここにテーラー・システムと書いてございますけれども、人間を単純労働化しちゃって、要するに物を言わない人間、要するに機械のかわりとして使うというような思考が非常に定着している国であって、それがある意味では行さ詰まったのが一九六〇年代、七〇年代だったと思います。
 それにかわるものが自動車の世界ではトヨタ式生産方式だというふうに言われておりますけれども、そのことについていち早く気づいて、やはり人間を人間として取り扱おうというふうに発想を変えましたのがボルボの社長のユーレン・ハンマーという人であります。この人は「人間主義の経営」という本を書いたんです。つまり、労働を限界的資産のように取り扱うんではなくて、やはり現場のことは現場の人が一番よく知っているという発想に立っているわけですね。
 特に、ボルボが経営難に陥りましたのは一九六〇年代から七〇年代でありますけれども、そのときに技術者と経営者たちが集まってどうやってボルボを改善するかという議論をいたしましたが、結局何にもその答えは出てこない。そこで、労働者に偶然のことから発言の機会を与えたところ、いろんな知恵が出てくるんですね。そこでユーレン・ハンマーが言うのは、労働者は知恵の宝庫だと言ったことがあります。それ以来、ボルボでは日本流のインフォーマルな参加が進んでいった。
 こういう仕組みというものが少なくとも今アメリカ社会にも日本から取り入れるべきものの一つとして導入されているわけでございます。数日前の新聞を見てもそうでありますが、かんばん方式がアメリカの社会を大きく変えてしまったという記事がございました。やっぱりそういうメッセージは、日本からアメリカなりあるいはアジア諸国あるいは旧社会主義諸国ヘメッセージとして伝えることができるんだなという気がします。
 それから、アメリカ社会では資本対労働という視点が非常に非協調的であって、どちらかというと対立的でありました。また、所得格差が非常に大きいことも言うまでもありません。八〇年代に自動車の輸入自主規制化で多くの自動車メーカーが独占レント、超過利潤を獲得しましたが、結局
それは経営者が巨額のボーナスを獲得してしまうとかということがあったわけであります。そういうことはやはり労働者の企業への参加意識を損なうことになって、決してすぐれた面ではないだろうと思います。
 それから、企業経営者が短期的な視点に立っていることは言うまでもありませんし、また労働者の部門間の移動を阻害するセニョリティー・システムというものもある。
 また、企業と企業との関係を見ましても、日本のように長期的な取引の慣行ではなくて非常に短期の取引という視点に立っておりますから、企業を限界的資産のように簡単に切り捨ててしまう。つまり、労働者に対してもレイオフ制度がありますから、アメリカ社会というのはどちらかというと限界的企業に対しても非常に冷たく取り扱うし、労働者に対しても非常に冷たく取り扱う。そういう意味では日本が決してまねてはいけない社会であるし、またアメリカから見ると日本異質論というのがございますけれども、日本から見ればアメリカ社会が非常に異質なんだなという気がいたします。
 よくアメリカの長所を語る方が日本にたくさんおられますけれども、確かにアメリカという国は市場経済を大事にし、そして民主主義を原則としている非常に偉大な国家でございます。しかし、その社会の中で、必ずしも社会を構成しているすべてのものがすぐれたものではないし、少なくとも産業社会の中では多くの限界を持った仕組みであったということを私たちは理解しなければならないと思います。
 そういう日米の長短を見ておりますと、その中で日本が改善すべきことは何だろうと。少なくともこの日本の社会の中で二十一世紀に残すべきメッセージというものがあるとするならば、そういうメッセージを有力なものとしていろんな国に間違いなく伝えていくためには、その周辺にある制度、構造等々を改善していって誤解のない印象をいろんな国に与えておかなければならないだろうというふうに思うわけであります。
 そこで四番目に、日本の経済システムの何を改善すべきかということでございますが、私はまず真っ先に申し上げたいことは、政府と企業との関係を見直すというこの視点であります。
 現在、細川内閣の中で規制緩和ということが政府の政策の中心的なテーマになりつつあります。この規制の問題というのは、一九七九年にOECDの勧告がございまして、日本ではそれ以来少しずつ手がけてきたテーマでございますけれども、冒頭に申し上げましたように、公正取引委員会では一九八九年に大きなリポートを出しております。その当時はまだまだ規制緩和については恐る恐る発言していたのを自覚しておりますけれども、しかし今では政策の中心になりつつある。それだけやはり国際的な要請も強いし、国内からの規制に対する批判がそれだけ高まっているからだというふうに思います。この政府規制の問題というのは、言うなれば政府と企業の関係はどうあったらいいのか、混合型社会の中でどうあったらいいのかという点に尽きるだろうと思います。
 政府規制の問題点は、大きくいえば生産者保護の仕組みであって、消費者利益を軽視する仕組みだということであります。その中で幾つかございますが、中心的なポイントは、経済的規制に限定いたしますけれども、参入障壁があります。これは形式要件を問うだけではなくて、行政指導によってその参入障壁が異常に高くなってしまっているのが問題であります。
 特に政府規制制度といいますと、現在GNPの約四〇%であります。第一次産業から第二次産業、第三次産業、特に第三次産業を中心としてでございますけれども、付加価値の四〇%ですから大体GNPの四〇%と見ていいと思います。それだけ非常に多くの分野で規制が行われているわけでございます。経済的規制では参入規制と価格規制が両翼でございますが、参入規制でも形式要件だけを問うならばさほど問題ではない。しかし、行政指導によってそれが人為的にゆがめられてしまっているところに大きな問題がある。
 いろんな企業の中で行政指導によって参入障壁が異常に高くなっていることに戸惑いを感じている方々はいっぱいおられると思いますけれども、それがまず第一であります。
 それから第二番目は、価格規制があります。価格規制によって横並びが一般化しておりますけれども、そのことが価格の硬直性をもたらす大きな遠因になっているということであります。当然のことながら経営効率が反映されない仕組みでありますし、分配の不公正が発生いたします。先般大きな政治社会問題になりました佐川急便さんの場合でも、結局は政府規制産業でありまして、そういう規制産業の中で独占レントが発生していることは私は日本社会の分配を不公正なものにしていると思いますし、また既得権益を擁護するような仕組みというものが、実はこの六番目に書いてあります政官業のゴールデントライアングルと言われるものであって、これが結局は今崩壊しつつあるというのが私の認識でございます。
 そういう意味ではやはり制度改革を即刻行わなければいけませんけれども、その場合の視点というのは、消費者利益を重視すること、競争による効率化を推進すること、分配の公正化、透明性の確保でございますが、もう一点つけ加えるならば、納税者の負担を軽減するということが非常に大事であります。
 多くの役所で本当に多くの人を抱えて仕事をしておりますけれども、企業であったらばもっともっと効率性という観点から人間の配置、人間の数と質、あるいはすべての仕組みを問い直さなければ絶対に生きていけないと思います。官僚国家においてはそういう競争がございませんから、むだな仕事をしながら存在しているものなんかかなりあるんじゃないか。例えば冒頭に申し上げましたけれども、砂糖をまぶして輸入すればいいんだというつまらないことを考えて高額の月給をもらっているのは私は許しがたいなという気がするわけであります。やはり日本社会のことを十分考えながら月給をいただくというふうな社会になっていかなきゃいかぬというのが私の基本認識であります。
 この規制の問題を三つの視点から整理させていただきます。
 一つは、混合型社会でございますから、政府が産業に対して何らかの監視をしなければならない分野がこれあるのは事実であります。例えば自然独占ですね、電力料金とか電話料金。こういう自然独占の場合にはやっぱり政府が価格を決めていくというのは大事であります。あるいは信用秩序を維持するためには、どういう企業が参入しているのかということを政府は熟知している必要がありましょう。そういう意味では参入規制というのはあってしかるべきでありますけれども、しかしその場合には形式要件だけを問う。例えば資本金は何十億円以上でありなさい、それ以外に何も問う必要はないと思うんです。
 ただ、日本の場合には参入規制といって行政指導が行われていますけれども、それは需給調整方式といったり、あるいは資格要件を問うとかあるいは事業遂行能力を問うという裁量、官僚の裁量性が余りにも多過ぎるというのが私の率直な印象であります。そういうところでは、例えば電力とかの自然独占産業の場合には価格規制が必要です。ただし、この場合でも発電設備の参入を規制する必要があるのか。現在では自家発電をいろんな産業でやっていますから、発電に関しては自由に参入できるようにする。あるいは信用秩序の維持のために参入要件を問うとしても価格規制が必要なんだろうか。つまり、政府が何らかの形で介入する必要がある領域においても日本の現状は余りにも過剰規制が多過ぎるというのが私の認識であります。
 それから二番目は、経済学的に考えても常識的に考えても規制なんか必要のない分野でごてごて規制がある。
 例えば酒類免許制度、なぜ酒類の販売店に免許を与えなきゃいけないか。そもそも免許制という
のは昭和十二年に日支戦争が始まったときに戦費調達のために入った仕組みでありますが、現在でも依然としてそれは使われている。戦前の税制は間接税方式でありました。特に物品税中心でありましたが、そういう意味では税収の安定確保という観点からああいう制度を入れたのは理解できますけれども、今なぜそれが必要なのか。大蔵省は酒の販売を自由にすると未成年者がアルコールを飲み過ぎるということを言いますけれども、だったらば未成年者飲酒禁止法があるんだからこれをきっちり適用したらいいじゃないか、罰則規定まであるわけでありますから。そういうものをルーズに運用しながら免許制でもってそれを代替しようということは非常にけしからぬなというのが私の認識であります。
 そのほか、例えば倉庫業に対してなぜ参入規制、価格規制が必要なんだろうか。トラックも本当に価格規制が必要なんだろうか。あるいはタクシーも同一地域同一運賃であるべきである必要があるんだろうか。参入規制が必要なんだろうか。そういうものを逐次数え上げてみますと切りがないくらい必要のない分野に規制が入り込んじゃうという、これをやっぱり抜本的に見直すことが大事ではないかというふうに思います。
 第三番目は、本来規制が必要だけれども、ほとんど何もしていないかしていてもルーズな対応しかしていないという点であります。
 この点について一つだけ申し上げますけれども、一両年来、証券不祥事が起こりました。あれはなぜ起こったかといえば、マーケットの中で守るべきルールを監視する仕組みがなかったんですね。本来であればマーケットの中で自由に行動するのが原則でありますけれども、しかしその場合にはある一定のルールの中で行動しなければいけません。そういうルールを監視する機能というものがようやく大蔵省の外局にできましたけれども、しかし政策官庁と規制官庁が同一であっていいんだろうか。それ一つを考えても、本来規制があるべきところが非常にルーズになっていると思います。
 規制に関してはこういう三層の問題があるわけでありまして、それをやはり改善していくことが非常に急務だということであります。
 そのほか、そういうふうに規制を緩和するということは、独占禁止法によってマーケットのルールをもう少しきっちりつくることが必要でありますけれども、そうなりますと独占禁止法適用除外制度を抜本的に見直す必要があるわけでありまして、これも私どもの公正取引委員会の研究会で、独禁法適用除外制度の問題点、どう改善すべきかというリポートを二年ほど前につくってございますから、それを参照していただきたいと思います。
 最後に、残された時間三分でございますが、日本社会、日本の企業が二十一世紀に生きるために何をポイントに考えるべきか、過当競争体質をどう改善するかということだと思います。
 私の言葉で言いますと、日本という企業は安直にリスクをヘッジできる社会だったということが大問題であります。つまり、他の企業に追随していって国内で売れなくなったら海外で物を売る、あるいは国内で困ると通産省に駆け込む、あるいはカルテルで不況カルテルを結成する、お金がなくなるとメーンバンクに泣きつく。あるいは一番今の本題は、時間外労働時間を前提として生産計画を組んでいることが企業の行動を非常に安直にしているんじゃないかという気がするわけであります。
 したがって、安直な製品政策なりマーケティングなり、他者追随型、模倣型の経営から脱出するためには、そういうリスクがヘッジできる領域を閉ざしていかなければなりませんけれども、今唯一残っているのが労働市場での問題であります。恐らく日本は非常に長時間労働であって、特に残業がバブルの時代に大変多かった。そのことが残業を前提とした生産計画を組ませ、そして企業から見れば、生産量をふやすときには雇用をふやさなくていい、また調整するときには時間外労働だけをカットすればいいと、非常に安直な経営ができるわけであります。そうじゃなくて、やっぱり本物志向、本物の経営をするためには、労働者の労働時間を大事にして大事に使う、そしていいものをつくって長期的に経営を安定させていくということが私は必要なんだろうという気がするわけであります。
 やはり労働者といっても人間でありますから、人間としての生活を十分にエンジョイしながら、そして会社の中で生き生きとした仕事に携わるためには、やたらに時間が長くてはだめで、それなりの限られた時間、有限な時間の中で、少なくとも先般宮澤内閣で目指したような年間千八百時間ですか、そのくらいの範囲内でおさめるような努力をして、そしてどこの国からも日本の企業が批判されないようなそういう仕組みにしていかなければならないだろうというふうに思うわけであります。
 したがいまして、結論的に申し上げますと、政府規制制度を見直して企業のフロンティアを広げていくことが非常に重要なポイントでありますし、また市場のルール、独禁法をきっちり適用していくことがこれからの社会では必要であります。また企業は、いわゆる他者追随型でなくて、模倣経営でなくて、本物志向の経営に転換していくことが二十一世紀に日本の企業に課せられた大きな課題ではないかなということだと思います。
 ちょうど二時半になりました。御清聴ありがとうございました。
#9
○会長(櫻井規順君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は挙手をお願いします。
#10
○関根則之君 大変有益なお話をお三人の参考人の先生からお伺いをいたしまして、本当にありがとうございました。
 二、三ちょっとお尋ねをさせていただきますけれども、基調におきまして奥田先生のお話と小山先生のお話は大変似通った感じなんですけれども、それに対しまして鶴田先生のお話を伺っていますと、大分厳しい競争社会といいますか、そういったものがやっぱり必要なんじゃないかというような感じのお話だったと受けとめているわけです。そういう中で共生といいますか、ともかく抱え込んで生きていかなきゃいけないじゃないか、そういう考え方が実はこれからの社会でやっぱり私は必要なんじゃないかという感じがしてしょうがないんです。
 規制緩和ということも大変結構なことだし、要らない規制なんというのはこんなものはどんどん撤廃をしていったらいいと思いますから、そういうような物事の基本については確かにそのとおりだと思います。規制緩和も大いに進めていったらいいと思んですが、それをしかし極限まで進めていきますと、これは本当に食うか食われるかの社会になってしまうのであります。アメリカ社会の真相で、おじいさんやおばあさんがひとり静かにマンハッタンの古いアパートの一室で隅っこの方にうずくまって生活している姿というのが象徴的によく言われますけれども、そういう本当に孤独な社会に向かっていってしまう可能性が非常に強いんじゃないか、そんな感じがするわけでございます。
 そういう意味で、日本には昔から、奥田先生からお話がございましたように、安藤昌益さんを初めいろんな方々の物の考え方があるわけでございますので、そういったようなものを大切にしていくということもまた重要ではないか、そんな感じがしてならないわけです。その辺につきまして日本なりのこれからの、アメリカの生き方といいますか西洋文明の帰結みたいな形での個人主義というものを超えたような生き方、そういうものが模索できないかという感じがしてならないわけでございます。この問題につきましてお三方からお考えをもう一回お聞かせいただければありがたい、そんな感じがいたしております。
 それから個別の問題で、経団連の小山先生にちょっとお尋ねをしたいことは、ヒューマン・キャピタリズムというのが、御説明をいただきましたけれども、まだどうも私にはよくわからないんです。これはどういう意味なんですか。
 まず、ネーミングの問題ですけれども、ヒューマンというのとキャピタリズムというものをただくっつけたものなのか。それとも、いわゆる人間性を尊重するという意味におきましてヒューマニスティックなキャピタリズムを考えているという意味なのか。ヒューマン、人間というものを単なる一つの、重要ではあろうけれども一つの資本として考えていくのか。その辺のネーミングの問題がよくわからないので、もう一回教えていただければありがたいと思います。
 それから、最近はやりの談合問題、特に建設業におきます談合問題につきまして、いろいろ弊害は確かにあるんですけれども、一方、これを本当に裸の意味での競争にしてしまうと大変大きな問題になってきてしまって、弱肉強食、いわゆる弱者切り捨ての状態が起こってくるということが非常に心配されているんです。かといって余り談合ばかりやって談合を認めるということもできないだろう、非常に悩んでいるところなんですが、この問題につきましてお三方の先生から考え方をお聞かせいただけるとありがたいと思います。
 以上です。
#11
○参考人(奥田健二君) 大変大きな、私も十分な結論はないのでございますが、こういうことを言っている人はおります。大転換ということなんですけれども、それは今先生がおっしゃったように、かつては経済競争というのはコミュニティーの力である程度調整されていたと。それで極端に貧しい人を出さなかった社会というのが、大体中世とかそういうことを言っているわけでございます。それが、経済活動がコミュニティーの規制からぼんと外れて、経済活動だけが尊重されてコミュニティーの規制というのは全部否定されちゃった、封建的なものだとかいろんな理由で。それで極端に経済競争だけが支配する社会ができたので、そのことによって資本主義が伸びて経済が成長してよかったんだけれども、現在はそろそろそのことも考えなきゃいけない。
 といって、もとの社会に戻すというようなことは考えられません、はっきり言いまして。じゃどうだということをその人は言っているわけじゃございません。私もアメリカの社会なんか見ていますと、三千六百万ぐらいの人が極端な貧しい状態にいるというようなことを考えると、アメリカの場合は先ほどの、これは鶴田先生がおっしゃったわけですが、科学的管理法やなんかでも非常に競争ということが尊重される、企業の中でも競争が尊重される。いい点があるんですけれども、一つの原理だけが、競争なら競争という原理だけがずっと行き過ぎちゃうと弊害が出る。
 私の主張というのは、一つの原理だけじゃなくて競争原理とコミュニティー原理、異質なものを両方ともかみ合わせないといけないんだという考え方なんです。
 それでは具体的にどうやるのかというと、非常に難しいんです。例えば企業とかそういうレベルで、私長いこと鉄鋼業にいたのでございますけれども、鉄鋼業のような場合には割合仲がいい点もございました。競争しながら協力するわけです。情報は非常に交流します、お互いの企業が。今どこかの溶鉱炉のぐあいが悪いなんというと、もうすぐ翌日には技師がみんなわかります。それから賃金をどうしようなんというのは全部情報を交換して共同の勉強会をやります。そういう情報を非常に流し合いますが、そのかわりコスト競争とかそういうことはしのぎを削っていたします。それが結論ということじゃないんですけれども、競争しながら協力する関係でございます。それをつくっていくことが必要じゃないか。ちょっと抽象的で申しわけございません。
#12
○参考人(小山敬次郎君) 三つの点について御指摘がございましたが、今先生のお話を伺っていると、全部お答えも一緒におっしゃったんじゃないかと思うくらい中身をつかんでいただいているような気がいたしました。
 一つの点、競争と、それから言ってみれば協調といいますか共生の問題ですが、私も鶴田参考人と同じように競争の持つ有効性、意味合いについては否定をしておりませんし、大いに競争をすべきだし、また競争が持つメリットは非常に大きいと思っております。ただ、有効な競争を超えた競争がしばしば行われたということについて、よりよき競争のためにしばしば見受けられた弊害をどうして除去していくのかということを考える。そのときに私は三つの方法があり得ると思うんです。
 一つは、政府による規制でございますが、これはもう当然のことながら否定されることでございますし、それから二つ目は、自主調整といいますか自主規制というものがありますが、これも下手にしますと競争よりももっと大きな閉鎖性を持ってくるという意味で私は賛成いたしません。やはりこれは新しい時代の流れについて企業家が皆自覚をしながら、自覚をして競争の弊害というものを除去していくのが、これが共生、共生きだというふうに思います。
 それでは、一体そんな自覚が生まれてくるかという点につきましては、高度成長の時代と違いまして、こういう低成長の時代において過激な過当な競争をすれば、自分たちで自分の首を絞めることになるということをみんな痛いほど承知いたしておりますので、私は、自覚は芽生えつつあるし自覚はさらに高まっていくというふうに確信をいたしております。
 それから、二つ目のヒューマン・キャピタリズムにつきましては、先ほど、まず英語としてどうかということ、そして中身についてはヒューマニズムの意味なのか、それとも人材尊重の意味か、こういう御指摘でございました。
 第一の、英語としてどうかという点について、私どもも実は、ヒューマン・キャピタリズムというのは英語としておかしいじゃないかというような御指摘がありまして、じゃヒューメイン・キャピタリズムはどうかと、ヒューマンな資本主義。そうしましたら英語のもっと詳しいのがいまして、これは動物愛護の意味だからよくないよと、こういう御指摘がありまして、私どもはセカンドベストのつもりでヒューマン・キャピタリズムを使ったわけでございます。
 冒頭申し上げましたように、日本語に訳せばそのまま人間尊重の資本主義ということでございまして、企業が今まで以上に消費者、生活者の立場を尊重していくわけでございます。例えば今話題になっておりますリストラを考えるときに、しばしばリストラというと全部首切りであるとか賃金カットであるとか後ろ向きのリストラを考えがちでございますが、私たちは人間尊重の社会を考えればビジネスチャンスというのが新たにいっぱいあるのじゃないか。例えば教育インフラの問題、住宅インフラの問題、福祉、病院に対するインフラ整備、こういう前向きのインフラ整備を一つとりましても、人間尊重という社会を企業の新しいビジネスチャンスと認めて事業展開をしていく、これもヒューマン・キャピタリズムの一つの流れではないか。したがって、くどいようですが、消費者生活を重視すると同時に、さらにそれを企業の前向きの努力目標として受けとめていったらどうかというのが基本的な考え方でございます。
 それから、第三の点は談合についてでございます。きょう私はそういう個別的なあるいはまた目先の問題について申し上げるつもりはないわけですけれども、ちょっとこれも横道にそれますが、私がこちらへ参考人として伺うんだと申しましたら、私の家内が、あなたは何か悪いことをしたんですか、こういうことを実は聞かれました。参考人という言葉のイメージが一般に非常に間違った形で理解されていることは残念なんですが、私は談合についても同じ意味合いがあって、きょうこうして私どもなりの意見を申し上げ、そして先生方からお教えいただくことによって新しい何かが
生まれ出していく、新しい秩序が生まれていくんだという認識をしていただくと、参考人というのは非常に立派だというふうに褒められるんじゃないかと思うんです。
 談合につきましても、過去振り返ってみますと、先生が御指摘になったように、やはり大きなゼネコンと中小企業というものがうまく共生をしていくための一つの方便として今日まで生かされてきたんですが、たまたまそれが行き過ぎがあった便がクローズアップされたために、参考人と同じような悪いイメージにとられました。したがって、私はこれから、談合というものを頭から否定するんじゃなくて、秩序維持のためにほかに方法がありやなしやということを十分検討した上で、果たしてこれにかわるようなうまい方法があるかどうかということを大いに業界において勉強してみる必要があるのではないか、こんなことを感じております。
#13
○参考人(鶴田俊正君) 関根先生の最初の御質問ですけれども、食うか食われる競争というのはカットスロート・コンペティションと言うんですね。過当競争のことを産業組織論ではカットスロート・コンペティションと言います。エクセッシブ・コンペティションとも言いますけれども、場合によってはカットスロート・コンペティションと言います。この言葉を私英語で読んでみて、やっぱり日本人である僕にしっくりこないんです。狩猟民族であれば、首をかき切るような競争ということは何か生活に根差しているような感じがしますけれども、私たち農耕民族では首の根をかき切るようなそういう競争は恐らくしないんだろうと思うんです。したがって、アメリカ社会ではそういうことが起こっていますが、先ほど日本の社会の特徴は何か、信頼という財が流通する国だということを申し上げました。まさにそのこと自身がカットスロート・コンペティションでない社会だということを私は申し上げたつもりなんでございますけれども。
 その競争ということの意味で、私、先生と理解の仕方が大分違うなと思いますのは、簡単な例から申し上げます。
 私、十年前にアメリカに留学しておりました。ワシントンDCのアパートを借りて一人で調理していたんですけれども、あるときワインを買いに行ったんですね、私が。そうすると向こうのワインセラーの店員さんが出てきて、辛いのがお好きですか、甘いのがお好きですか。辛口が好きです。何度ぐらいがよろしいでしょうか、御予算はどうでしょうか、きょうの夕飯はどういうお食事でいらっしゃいますか、そこまで聞くんですよ。だったらばこれがいいですと出してくれる。日本に帰ってきて、ワインください。これは甘いですか、辛いですか。まあまあですと答える。
 やっぱり酒を売るにしても、消費者に正確な情報を与えて、そしていい品質のものをなるべくリーズナブルな価格で売るというのが小売業の原点だと思うんです。ところが、日本の場合には保護されちゃって、要するに何も勉強しなくても今までは営業ができていたのがお酒屋さんだったと思うんです。
 ところが今は違いますね。地酒やなんかでもいろんなものがあります。ですから地酒でも、勉強している酒屋さんはプラス一・五度とか三度とか四度と書いて売っています、マイナス何度とか。それから値段のつけ方でも随分工夫しています。それよりも、世界の酒をいろいろ集めて、まさに酒に関する情報を売っている感じがいたします。さらに言えば、今円高の時代でございますから、海外からワインを仕入れるとかスコッチを仕入れる場合、どの値段でどのレートで仕入れるかということで大分違います、営業が。そういう時代に入っているんです。それを保護していたんでは、とてもじゃないけれどもやっぱり日本社会はよくならないというのが私の基本認識です。競争というのは、やっぱりカットスロート・コンペティションじゃなくて知恵をいかに使うかということだろうと私は思うんです。
 したがいまして、免許制を外しちゃえと言うと、スーパーとかあるいはコンビニあたりでそういうものを取り扱うからとてもじゃないが中小業がつぶれちゃうと言うんですが、これ冗談じゃない。コンビニで取り扱われるのは缶ビールとかウイスキーぐらいですよ。情報を必要とするものは売れません。なぜか。知らないですもの、アルバイトがカウンターにいるんですから。ですからやっぱりそれは専門家でなければだめだなと。
 そういう意味では、多様化された社会でございますから、専門的能力を発揮する機会は幾らでもあって、そういう知恵を出し合うことによって私は競争社会の基礎が維持されていくんだというふうに思います。アメリカのような食うか食われるか、アメリカ社会も食うか食われるかというよりかなりカルテル的なことをやっていましたし、管理価格も平気でやっていましたから、そういう側面だけじゃないと僕は思います。むしろ、先ほど申しましたように、企業と労働者との関係でいえばレイオフをしてしまう、あるいは企業と企業との関係でも価格の安い方から買う、こういう非常に私たちから見れば好ましくない現象が多々あります。
 日本の社会というのは、そうじゃなくて長期的な関係を大事にする、そういう中でお互いが成長していくという発想がやっぱり基本にあるわけでございます。そういう意味では、先生が御心配になるようなことは全くございませんから、規制緩和をどんどん進めて、要らないものはどんどん外して自由な社会をつくる、つまり消費者が選択しやすい社会をつくることが僕は大原則だと思うんです。
 やっぱり消費者が自由に選べる社会でなければだめだし、最近の資生堂さんのあの事件を見て、僕は資生堂さんというのはなんて傲慢な商売をしているんだろうと思いました。なぜか。要するに、富士喜さんと三年ぐらい前でしたか取引停止をしました。その理由が契約に違反しているんだ。何の契約に違反したか。対面販売をしなかった。それによって出荷停止をしたわけです。
 これは地裁判決で富士喜本店が全面勝訴しました。当たり前なんです。対面販売するということは説明することでしょう。企業から見れば、化粧品の品質はいいけれども人の肌はいろんな差がある。したがって間違って使われたら困るから、だから説明して売る必要があるんだ。だったら説明書にきっちり書いて、もし相手の人がそういうことによって皮膚に多少不都合が生じたら、それこそやっぱりきっちり企業の責任で損害賠償すればいいわけですから。
 そうじゃなくて、対面販売を強要するということは消費者に店に来て説明を聞いてから買えということなんです。こんな消費者をばかにしていることはないので、消費者だって忙しい人は電話で注文したいあるいはメールで注文したい、買物の途中でちょっと買いたい、場合によっては丁寧な説明も聞きたい、いろんな行動をします。にもかかわらず、あの企業は店に来て説明を聞いて買えと言うんです。こんな傲慢な商売はあり得ないなと思うんです。
 そういう意味では、あの判決は日本の消費社会が非常に大きく変わっていく転換期にある事件だなというふうに僕は思っていますから、競争のあり方をやっぱり十分見直していかなければいけないんだということが基本認識であります。
 それから、談合については残念ながら小山先生とも私は意見が違います。独占禁止法の第三条で「不当な取引制限をしてはならない。」と書いてあります。不当な取引制限は何か。要するに、価格を共謀して決めちゃいけない、生産量も共謀して決めちゃいけない、設備も共謀して決めちゃいけない。なぜなら共謀を原則的に禁止しているわけです。談合はまさに共謀でしょう。だったらば独占禁止法第三条に違反するものをなぜ認めるんですか。もし、補完する何か仕組みをつくれというのであるならば、独占禁止法を改正したらいいんです。それしか僕はないと思います。やっぱり自由主義社会のルールは、共謀して価格を決めちゃいけない、生産量を決めちゃいけない、カルテル
をやっちゃいけないんです。先ほど小山さんは自主調整を否定されましたけれども、その思想からいえば談合は絶対拒否しなければいけないんです。それにかわる新しい仕組みを考える必要があるかもしれません。しかし、それは談合を否定した上でしか成り立たないなという気がいたします。
 それから、先ほど奥田先生がこれから競争と協力をつくっていくのが大事だと言いましたが、実はこれはもう既にでき上がっています、日本社会では。日本社会では、競争と拮抗ないしは協調と協力というものが非常に融和してすぐれた産業社会をつくっているんです。その典型がカーメーカーと部品企業との関係です。要するに、カーメーカーと部品企業は、機能部品、優秀な部品でも、すぐれた部品を調達する場合でも競わせます、部品企業に競わせます。部品企業同士何社かで競争させます。ですから複社納入が原則ですが、一社しか納入させない場合には自分のところで内製します。したがって競争的な関係は絶えずあります。しかし、カーメーカーと部品企業はまさに協調しているわけです。そこで、協力して共同のいい製品を開発するための努力は営々として続くわけです。
 ですから、日本の産業組織の特徴というのは競争と協力ないしは協調と拮抗、こういうものが非常にうまく融和している社会、これが長期取引慣行の中の私は日本が世界に送り得るメッセージの一つだというふうに思っております。そのことは競争のルールを大事にするということと全く同じことなんです。やっぱりこれも一つの競争のあり方です。私が競争と言った場合にカットスロート・コンペティションを考えているんじゃなくて、長期の企業関係の中からお互いに協力し合って、し合える部分には協力する。しかし、社会の中での競争というルールを大事にしていく。そういう社会を目指していくことこそが関係依存型社会からルール型社会に移行する基礎になるんじゃないかなと、こういうことであります。
#14
○前畑幸子君 大変、本当にいいお話を聞かせていただいて勉強になりました。
 小山先生の企業倫理のお話の中で、これからの社会が労働者と企業、そして株主、そして社会との共生というお言葉をいただきました。私は中小企業とおつき合いしている立場にあるんですけれども、大企業と中小企業との共生という、今日の経済の発展の基礎を築いてきた多くの中小企業者の立場ももう少し大企業としては心がけて共生をできるようにしていただきたいと思うんです。
 先ほどから自動車のお話が出ておりますが、一番日本経済の先頭に立ってきた自動車とか電機なんかで、私は愛知県出身ですから大体おわかりいただけると思いますけれども、かんばん方式とかそれから期限をきちっと切るとか、三分おくれても罰金制度とか、そういう中できょうまで中小企業は大企業を支えてきたんです。こういう厳しい状況になったときに、真っ先に中小企業、そしてまたパート労働者、それから外国人労働者、季節労働者が雇用を外されているわけです。
 そういう中で、下請企業も経済上昇時期にはどんどん土地も買え、工場もスペースをふやせ、ラインもふやせ、そしてまた、今度できた車を陸送するにも大型のトレーラーを十台持て、そして月間何台輸送せよという指令のもとに中小企業は一生懸命ついてきたんです。ところが、こういう時期になりますと真っ先にそういうものが外される。今度、働いている常用の人たちに対しましては、残業も少なくなった、しかしボーナスは昨年度の率を守ろうということで大変いい線が出たわけです。その陰で泣く中小零細、そういう下請企業も、従業員の一環とは言えませんけれども、やはりそこにしがみついてきょうまで自分の企業を支えてきたんですね。
 私は今見ますと、中小零細企業というものは、本当にそういう意味ではこれからのこの厳しい経済を乗り切っていく中で大変条件が悪いことばかり続いております。
 そしてまた、私、決算書を見ておりますと、大企業は中小企業に対して決算書を出させるんです。利益率とか役員報酬計上額、そういうものを見まして単価交渉をするということがあるわけです。現実に下請企業というのは、きょうは楢崎先生見えるので大変言いづらいのでございますけれども、申告書を出しまして、翌日修正申告書を出すというような、要するに税務署の受領印のある申告書を企業に出さなきゃなりません。一度申告したものを同日なり明くる日に修正申告を出して乗り切るというぐらい厳しい、このようなことで今日まで来たわけです。
 そういう苦しいところを見てきたが、また今現状が大変、大型トレーラーが十台のうち五台は遊ばせなきゃならないというような状況になってきますと、中小企業というのは何であったのか。そしてまた、その原因はやはり人件費が高いということを今大企業言われます。そして、海外に工場を持たれる場合は、同じように海外に来れなければやめてくれということも出てきているわけです。今下請としましては、アメリカ方面へ出るのはもうリスクが大き過ぎるということで、みんなあきらめざるを得ないということなんです。
 そういう現状を見ますと、大企業と中小企業との共生のあり方、世界貢献といういい言葉を大企業は言われます。そして社会に還元とか寄附をするとかいろいろありますけれども、やはりそういうところに対する目配りというものも、これ今日の繁栄を支えた一番のもとじゃないかなと思うんですが、その辺に関しまして小山先生と、また相反する意見が出るかと思いますが、鶴田先生に御意見なども聞いてみたいと思います。
#15
○参考人(小山敬次郎君) いろいろのことをお話しされましたが、結局、大企業と中小企業がどうやって円滑な協力関係を持ちながらともに発展していくかということでございます。その考え方については、恐らく大企業においても日本の産業というものはそもそも系列企業と一緒になって活動して今日の繁栄を築いてきたという認識は同じでございますから、先ほど鶴田参考人のお話のように、そのことは皆さん厳しく認識していると思います。
 私ども、先ほど企業同士の共生ということを申し上げた中には、大企業だけのお互いにうまくやっていこうという意味の共生ではございませんで、大企業、中小企業、下請あるいは系列企業といったような企業同士の共生ということにも今まで以上に意を用いなければいけないということについては、私どもも同じ認識を持っております。
 ただ、今御指摘になりましたような問題を少しでも改善しようということに関連しまして、私は今お話を伺いながら思いましたのは、実はちょっと話がそれますけれども、最近失業統計についてのいろいろな御議論があるんですが、一つ目立たない統計の中に会社都合による離職者数の統計というもの、これはもう先生方は御存じですが、一般には必ずしも注意されておらないんですが、これがもう昨年あたりから三〇%、四〇%ふえているわけです。これは恐らく中小企業の経営が行き詰まったためにやむなく企業を離れざるを得なかったということから起こっていると思います。こういうものに私どもはいち早く目をつけまして、この状態に目をつけずに景気が底を打ったというような判断をするのは間違いじゃないかということを申してまいったわけです。結局それを改善し、そして大企業と中小企業の関係をよりよくしていくためにはマクロの経済がよくなることが第一であります。私どもが逆にお願いをしたいのは、やはり共生きというのがうまくいくためには、経済環境をよりよくしていただくための経済政策を適切に迅速に実施していただくということが最良の薬であるというふうに私は思っております。
 ぜひそういう意味で、私どもも自覚をしともに生きていく努力をいたしますが、私どもでできない政策面については、一刻も早く不況を克服しまして、そういうやむにやまれず弊害が起こってくるようなことのないようにしていただきたい、こ
んなことを考えております。
#16
○参考人(鶴田俊正君) 前畑先生の中小企業観と私の中小企業観と若干違っているなという印象を持ちました。
 実は、先生が御指摘になっていることが一般的、普遍的に起こっているのはアメリカ社会であります。先ほど申しましたけれども、例えば、GMの場合ですと機能部品まで含めてほとんど内製しております。そうしますと、外部から購入する部品というのはどこから買ってもいいようなどちらかというとローテク技術になるんです。そうしますと、企業はA企業と取引をしているさなかにおいても、もう少し安い価格で取引を提案してきたB企業が存在するならばさっとB企業にかわってしまう。ですからアメリカでは、企業は限界的資産のようにどんどん切り捨てられてしまう。
 そういうことはもう十年ぐらい前から言われておりまして、ジェームス・アベグレンという人が「カイシャ」という本を書きました。その中で彼がロサンゼルス・タイムズやいろんな新聞を引用しながら、アメリカの企業というのは非常に冷酷である、すぐ企業と企業との関係を絶ってしまうと。それから逆に言いますと、「メイド・イン・アメリカ」という本がMIT産業生産性調査委員会によってつくられ、日本でも翻訳されておりますけれども、これを見ますと、日本の企業の長所は何かということで、やっぱり長期的な取引が大事だということを言っているわけです。例のデミング賞のデミングさんですが、これは「GM帝国の崩壊」という本の中で、GM文化はどうあったらいいかということで、やはり企業を限界的資産として取り扱っちゃいけないんだ、安いところから部品を買うんじゃなくて、やっぱり企業と企業との関係は長期的じゃなきゃならないということを彼は言っていて、そういうものをGMはこれから新しい文化にしなさいということを提案しているわけです。
 そういうのが基本にあるのが日本なんです、日本社会です。それがまずベースにあってその中で景気変動が起こりますから、景気が悪くなって全体の需要量が小さくなった場合、どうしてもやっぱり企業は生産量を抑えなければならない。その場合に、ある企業に対して発注がとまるということが起こり得ることは、これは市場経済の中ではやむを得ないことだろうと私は思うんです。ただそれに対して過度に、例えば代金を支払わないとか不当な取り扱いをしてはこれは困りますけれども、またそうならないために財政金融政策をきっちりやっておかなければならないというふうに思います。
 ただ、下請企業といっても、一社に隷属している企業というのは私は非常に少ないと思います。少ないと思いますというより、むしろ中小企業庁の統計によって明らかになっているんですが、中小企業白書だったと思いますが、この何年間の間に複数の企業と取引をしている企業の数がどんどんふえているんです。大体五社とか六社、場合によっては七社、八社というのがあります。これは考えてみたら当たり前でありまして、私が中小企業の経営者だったら、やっぱり経営の安定を考えたら一社に隷属しているよりは多くの企業と取引をして、A社がだめだったらB、C、D社から取引をとろうと。そういうことによって中小企業は中小企業なりの経営の安定化を図っているんだと思います。
 ですから、ある企業が例えばトヨタさんから発注がなくなったとしても、他の企業、関連企業から依然として注文が続いているケースはあるんだろうと思います。そういう意味では、中小下請企業というのも古いイメージですと特定の企業に隷属しているというイメージでございますけれども、近代的な中小企業というのはそうじゃなくて、やっぱり自分自身が成長し、経営の安定化を図るためにはそれ自身リスクをヘッジしなければいけないわけです。それは言うまでもなく、取引先企業数をどんどんふやすことだというふうになると思うんです。それは政府の出している中小企業白書にきっちりと統計分析が載っておりますから間違いないと思いますけれども。
 そういうふうに考えますと、今般の不況の中でお困りになっている方もいらっしゃると思いますけれども、やはり一刻も早く、例えば所得減税を実施するとかあるいは財政支出を拡大するとか金融緩和をさらに推進していくとかなるべく円安レートになるような仕組みを考えておくとか、あるいは雇用対策をきっちりやるとか、そういう景気対策、雇用対策をやることによっていち早く景気が立ち直り、そして中小企業の方々も安堵できるような、そういう経済環境をつくることに先生方も御尽力いただければなというふうに思います。
#17
○星野朋市君 小山さんにちょっとお伺いしたいんですけれども、これはちょっと前段の話がございまして、経団連の中に最初ソニーの盛田さんが主唱してつくられた対米投資協議会というのがございましたですね。それは今どういうふうに、途中で名前変えていると思うのですけれども、対外投資協議会ですか、今もございますか。
#18
○参考人(小山敬次郎君) ございます。
#19
○星野朋市君 私は対米投資協議会の第一回から実は参加したんですけれども、そこで問題にされましたことは、かなり早い時期の問題だったですから、まずいわゆる現地法人の寄附の問題。それなんかに、要するに一々本社に聞かないで現地で裁量するようにと。私も実はアメリカに会社があるものですから、それはそういう形でさせたわけです。
 その次に問題になってきたのは、アメリカの例えばロサンゼルスであるとかニューヨークであるとかワシントンで、ワシントンは企業は余りないですけれども、サンフランシスコであるとかこういう大都市ではいわゆる宗教活動というのが余り活発でない。一般市民も余りそういう参加はないんだけれども、やがて企業がアメリカのいわゆる中西部であるとか地方都市に分散したときに、大体都市というのは教会が中心になりますから、地域のボランティアに関する日本人企業の参加が言葉の問題なんかも含めて非常に少ないと。そうすると、やがてこれは日本企業というのは寄附だけをしてそれで済ませてしまうのかと。ボランティアというのは根本的に日本と特にヨーロッパ、アメリカ、ここでは観念が違うわけです。こういうところが今どのくらい不足をしているかという問題がありますね、一つ。
 それからもう一つは、アメリカの企業に勤めている者はある程度いわゆる寄附というものを、強要ではないけれども、要するに寄附をしなさいと。それで寄附をしない人間はむしろグループのつまはじきにされるというような形で、アメリカの社会というのは所得の中の少なくとも四分の一ぐらいは実は寄附行為をしているわけです。それで、今どのぐらいありますかね、そういうものを受け取るアメリカの寄附法人。私が知っている限りでは、これは五百三十ぐらいあると聞いておりますけれども。
 それで、彼らがいわゆる所得申告をするときに、あれは俗称タックスリターンというように、実は経費であるとかそれから寄附をどのぐらいしたかによって大体税金は戻ってくるものと。私も実際アメリカで申告していますからそれはよくわかるんです。要するにタックスリターンなんです。こういうことが通常の社会になっているわけです。
 そうすると、これは前段の話なんですけれども、要するにボランティアであるとか寄附であるとか、こういうことが一般の国民の間に根強くもう普及してしまっている社会。ですから学校教育でも、いわゆる高校なり中学なりで一定のボランティア活動をした者を一つの単位として入試の条件とする。逆に、企業が大学あたりで一定のボランティア活動をやった者に対してその資格を認める、こういうような慣行になっていると思うんです。日本では企業が、さっきおっしゃったように、ボランティアをやる企業はありますけれども、採用のときにそういうものをどのくらい見て
いるか。これからいわゆる老齢化社会になってそれをサポートする人間が少ない、こういう時代に学生のボランティアであるとか、こういうことは非常に重要な要件になってくると思うんです。また、そういうマンパワーを補充する意味で非常に重要な役目を果たすと思うんですけれども、この点で日本の企業というのはまだ非常におくれていると思います。
 それから、それがいい証拠に、いわゆる青年海外協力隊みたいなものが帰ってきたときに果たしてこの実績を認めるのかどうか、ここら辺がこれから企業に問われる一つの問題だと思うんですが、小山さん、どういうふうに経団連としてお考えなのか、ちょっとお聞きしたいと思います。
#20
○参考人(小山敬次郎君) まず最初の点につきましては、経団連の活動の一つの中心としておりますのが、先ほど申し上げました、略称CBCCと称しておりますが、海外事業活動関連協議会ということで、従来のようにアメリカに対してだけ、平たい言葉でいえばいい顔をするという主体であってはいけない。やっぱりグローバル化した社会ですから、世界の国々とうまくやっていこうということで名称を変更して活動いたしております。
 これにつきましては、幸いにもここを通して対外的な寄附等をした場合には税制の面で特別法人扱いをしていただくという認定もいただいておりますので、大変活動がしやすくなっております。
 そこで二つ目に、一体その地域のボランティア活動をした人たちをどの程度そこがサポートできるのか、あるいは勧奨できるのかということについては、これはなかなかお金のようにはかり切れませんし、これを強要するというような力も持っておりませんのでなかなか難しいと思います。こういう社会にいろいろな意味で溶け込んでいくための広い意味の努力を勧奨することが対外進出企業が現地に溶け込む重要な要素であるということで、私どももその努力をこの協議会を通じてやっているつもりでございます。
 それから三つ目の点で、一体ボランティア活動を積極的にした方々をどうするかということでございます。確かに企業としてはその方の特性、昔のようにただ学問ができればいい、成績が優秀であればいいということ以外に、スポーツのすぐれた人あるいは生活において非常に特殊な活動をしていた方々に対しては配慮する。それはその方の人間性を理解していく一つの要素として重視する動きがあります。それではボランティア活動をしたら何でも優先的にその方をやるかどうかということになりますと、これは逆にボランティア活動できるようなゆとりのある学生生活を送った方と、ボランティア活動どころではない、生活に精いっぱいの活動をした方との間の差別が起こらないかという問題にも配慮しなきゃいけません。ボランティア活動だけをクローズアップしてそこに有利な条件をつけるということはかえって差がついてきはしないか。
 したがって、申し上げましたように人間性を把握するあるいは特殊な技能、特殊な心組みを持った人たちをより有利にするという点についての考慮は十分しつつあります。例えば、私ども経団連においてもそういう人たちにいろんな質問をした上で、なるほどそういう多面な活動をしているなと思えば、私などはかなりいい点数を入れるように努力していますから、採用官は同じようなことだと思います。
 それから最後に青年協力隊、これはもうかねてから大きな問題でありまして、せっかく特別の志を持って海外の協力に行った方々が帰ってきて職を失うということがあってはいけないということで、私どもとしても実はそういう団体の皆さんに、例えば理事会のようなところに来ていただいて、そういう考え方のPRをしていただくし、機会があればそういう方々をできるだけ採用してほしいということをお願いいたしております。これも採用という問題になりますと、なかなか経団連でこういう方を優先的に採ってくれというようなことを言えないというのは、星野先生は一番よくそういう団体の力と限界も御存じだと思いますのでおわかりいただけると思うんです。そういう努力だけは、またそういう気持ちを強く持っているということは御理解いただきたいと思います。
#21
○星野朋市君 それに対して多少反論ですけれども、ボランティア活動だけやっているということでなくて、そのやった内容ももちろん問題ですけれども、そういうものを採用する条件の一つとして考えられないかということであります。今小山さんがおっしゃったようなことからいったら、日本はいつまでたったってそれはだめですよ。要するに一つの項目として考えられないかと、そういうふうに申し上げているので、それがないと、これから本当の市民のボランティアか、さもなければゴールドプランにあるようにかなり高い給料を払ってそれでそういう形のものを補う、こういうふうになりはしないか、それだけでは解決できないんじゃないかというのが私の論点であります。
 それからもう一つ、これは鶴田参考人にお伺いしたいんです。私も自動車産業の系列、それから部品産業の問題は身をもって体験しておりますので、そこの議論はしたくはないんですけれども、いわゆる日本のQCの問題というのがありますね、QC。QCは今や生産合理化、品質の向上のためでなくて、広い意味で言われる例のTQCの問題にもう移ってしまったんです。このQCの問題は、要するに基本は現在の設備の中でどう改善すればいいかということが主体だったものですから、これは技術屋が新しい機械を導入したら一遍に解決しちゃうことなんです。そういう形でQCは今やTQCの問題に移ってくる。TQCの問題になりますと、その根源は何かというとシェア競争なんです、これ。これが要するに非常に日本のメーカーの問題点になっていると思うんですが、先生の御見解はどうでしょうか。
#22
○参考人(鶴田俊正君) おっしゃるように、日本という国は異常な過当競争体質を持っていると思います。過当競争も私なりに考えてみますと、いわゆる経済学で言う過当競争じゃなくて、例えばマーケットの中で物価が比較的伸縮性を持っているとか、あるいは技術進歩が行われているとか、そういうような状態を考えますと、経済学的に言うと有効競争というふうに言われるんだろうと思います。これは長年日本の産業組織についてさまざまな方が研究されましたが、そういう結論を出しているんです。
 私もかなりそういうことを考えていましたけれども、最近やっぱりいろんなところを見ると、過当競争という言葉がこれほどしばしば使われる以上何かあるんだなというふうに考えて、先ほど最後のところでちょっと大急ぎで申し上げましたけれども、日本のどちらかというと他者追随型といいましょうか、そういう企業行動がどうも問題だなと。あるいはアグレッシブな価格政策によって海外市場に輸出するとか、どうもそういうことが問われているんじゃないかと思い出しました。
 それがなぜそうなっているんだろうかということを考えてみると、結局、経営の自己責任原則ということにも関係があると思いますけれども、要するに、安直に経営のリスクを転嫁できる分野が余りにも多過ぎた、今まで。したがって、他者追随型、模倣型であっても、あるいは先生のおっしゃるようなシェア拡大型であっても今まではできたんだと思うんです。結局シェア拡大型というのは、その企業でなければできない本当のものをつくるんじゃなくて模倣したものをつくる。例えば、他の企業が開発したらそこにエントリーしていくとか、そういうことをやっている限りにおいては海外市場に売れれば問題はないんです。国内でいっぱいになれば海外に持っていく。
 ところが、今海外に持っていけなくなりました。特に自動車の場合ですと、ことしは輸出がかなり減少しております。アメリカではむしろ現地生産している企業で十分だというふうになってきている。あるいはヨーロッパに対しても余り売れてない、これは不況の問題もありますけれども。
そういう一般的なトレンドとして海外市場が閉ざされてきた。あるいは国内を見ても、やはり従来であれば通産省に駆け込むとかあるいは不況カルテルを結成してしまうとかあるいは金に困ればメーンバンク等に泣きつけばいい状態があって、いずれにしても安直な製品政策、マーケティングをやっていても今までは成長できたんだと思うんです。そういう仕組みの中で、いわゆるこのQCなりTQCが行われていたんだというふうに私は理解しております。
 ただ、先ほど申し上げましたのは、まだリスクを転嫁できるところがあって安直な企業経営を許しているところが労働の問題であって、要するに、これは労働組合がかなり協調的な側面がありましたけれども、カウンターベーリング・パワーとして機能している部分が非常に弱かったがゆえに、どちらかというと時間外労働時間を前提とした生産計画を組むようになってしまった。
 特にトヨタ自動車の場合では、かつては時間外労働時間を前提とした生産計画を組んでなかったはずですけれども、七〇年代以降になってそれが前提になってしまった。そうすると、言うまでもなく経営体というのは寡少雇用の経済になって労働者に負担をかけていくことになっていると思うんです。また経営的観点からいえば、人を雇わなくても生産量は拡大できる、つくり過ぎれば残業をカツトしちゃえばいい。こんな楽な経営はないと思うんです。ですから、そういうものを見直さない限り先生のおっしゃるようなシェア拡大競争というのはなくならない。
 しかし、この不況を通して、やはり従来のような競争をやっていたんでは企業は生存できないんだということを多くの企業が自覚し始めております。これから時間をかけて、やはり他者追随型でないその企業独自の経営理念なりあるいは製品技術能力なりマーケティング能力なりを生かした経営に移行せざるを得ないんじゃないか。また、それをやらない限り経営のあすはないなというのが私の理解でございます。そういう中で、TQCなりQCなりの意味合いがまた変わってくるのかなというのが私の理解でございます。
#23
○星野朋市君 きょうの課題は二十一世紀に向けてということなんでございますけれども、今非常に現実の景気対策の問題と絡んで、私は規制緩和も円高差益還元も、行き詰まるところすべて労働、雇用の問題であるというふうな認識を持って今まで予算委員会その他で対処してきたんです。二十一世紀に移行する過程の中でいろんな問題は起こりますけれども、要するにホワイトカラーを含めたいわゆる日本の企業の労働生産性は、今よく調べてみたら国際的にはかなり低いものであるとかそういうことが明らかに出てきたわけです。
 それから、来年の春闘に日経連はどう対処しようとしているのか、連合はどう対処しようとしているのか。既に賃金抑制論というのがもう出てきている。そうしますと、いわゆる日本的な雇用の形態というものはありながら、表に出た数字は失業率二・六%。欧米が七%とか一〇%だと。そういうところから見れば、日本の失業率はまだ二・六%じゃないかと。こういう形で日本の企業が、要するに自己犠牲を払って抱え込んでいる部分が随分ある。これなかなか政治的には難しい問題なんですけれども、そういうところも鶴田先生のおっしゃるように競争ということになったら、これを一回表に出してしまわないと実際の競争というのは行われないんじゃないかという懸念を持っているんですが、それについてどうお考えですか。
#24
○参考人(鶴田俊正君) 現在の厳しい不況ということを前提にされてのお話だと思いますけれども、おっしゃるようにホワイトカラーを中心として希望退職がかなりいろんな企業で行われている。特に私の友人たちは五十歳代でございますから、非常に雇用が不安定になっていて、多くの方々があすからどういうふうにするかなということを案じられていることを身を持って私も感じております。そういう意味で、今の不況の厳しさというものに対して適切な対応が必要だというふうに思います。
 ただ私は、だからといって日本の長期雇用の慣行が一挙に崩れるとは思っておりません。やっぱり日本の長期雇用の慣行というのは戦後の経済成長の過程の中でいろいろな長所を残してまいります。日本経済発展の原動力の一つが長期雇用の慣行であったと思うんです。それを前提としながら、やっぱり部分的な手直しが行われているんだろうという気がいたします。
 今、先生は企業は自己犠牲というふうにおっしゃいましたけれども、しかし企業によってはむしろ自己犠牲というとらえ方じゃなくて、この不況期においてこそ例えば企業の社内訓練を、トレーニングをきっちりやっておいて、次の成長期にこれを十分な戦力で使おうというふうに考えられておる企業もあります。これは自己犠牲じゃないんです。次の成長に備えるために人的資源をどうやって充実させていくかという視点だろうと思います。
 またそういう観点から考えていけば、アメリカ社会において、この前の八二年の不況のときでございますけれども、私がたまたま留学しているときでございまして、雑誌やなんか読んでおりますと、向こうではレイオフでどんどん首を切ってしまいましたが、そうじゃなくて、不況期に日本のように外に出さないで次の成長に備えてじっくり再訓練をする、この企業は八三年から八四年の成長過程でぐっと成長していく。そういうやはり日本の持っている長所というものを、アメリカの企業でもいいところは取り入れていこうというふうに八〇年代の前半でもうなったんです。現在、アメリカは大変元気よくなったそうでございまして、日本のいいところをかなりとっていったようでございます。
 先生の御心配になっている点、私も感じますけれども、しかし日本で何十年もかかって培ってきた長期雇用の慣行というものは、やっぱり根底においては維持されていくんだろう、また維持していかなければ日本の企業の発展はあり得ないというふうに私は思っております。
#25
○長谷川清君 きょうは本当にどうもありがとうございました。
 鶴田先生に、何だか集中的で恐縮でございますけれども。今までのお話を聞いておりまして、確かに横並びのものを競争原理を取り入れてこれからいろんな意味の体質改善を構造的にも変えなきゃいけない。私はそのことについては同感でございまして、その方向をたどるべきだと思っているんですが、現下の状況を二十一世紀に向けてどんどん変えていくに当たりまして、いろんな転換のテンポの問題ですね。今現在を見ますると、不況倒産と言われるのが全体の五〇%を超えつつあるという状況でもございます。それで、特に今その中にあって中小零細企業の痛みが大きくなる、こういう傾向の中で転換をしようという方向に向いていると思うんです。
 その場合の痛みを少しでもどう和らげていくかという点について、政府というか国の行うべき事柄においては、例えば今七年間ぐらいの時限立法で、同じ中小企業でも自力で転換できるところ、それから自力でなかなか転換、脱出ができないところ、そういうものについて、海外に出るとかあるいは従来の製品を転換させていくそれまでの期間とか、そういうある一定期間を国が支援する、こういう過渡的支援というようなものが政治の分野では考えられてくるんです。
 それと、一般的な共通的な部分では、さっき言われる物価の問題や雇用の問題、そういうものは全部政治の側の責任ということになると思います。ここで聞きたいのは、主体であります経済界、先生のお立場から見まして、中小零細に限らず、日本の経済構造は大中小となっていますから、みんなこれは因果関係を持っています。経済界という立場から、そういう点において自主的にこれを脱却していく、痛みを和らげその方向の波に乗っていくということについての何かお知恵がごがいましたら聞いておきたいという点が一つご
ざいます。
 小山先生の方には、先ほどのお話では企業の社会貢献、これは九二年度で二・八六%と言われておりますが、これはアメリカの場合の数字、国際比較という点においてはどういうふうになっているか。
 聞くところによりますと、アメリカではもう既に企業の社会的貢献は一一%に達していると。それに比べると非常に低いと思います。このことがこれからの国民一人頭の負担率に重要にかかわってくるわけです。現在負担率は三八・六、七%を推移しておりますけれども、やがてこのままでいきますと七〇%になるという試算が既に出ております。スウェーデンの場合は七〇を超えておりますけれども、あそこの場合には社会資本が充実していますから重税感というのはまだ強いものではないと思われますが、日本の場合には一方において社会資本が非常に脆弱でございます。低いわけです。したがって、税の重みというものは二倍、三倍に感じられるという状況にございますから、この企業、産業というものの社会的貢献というのは非常に重要な段階に入ると思われます。
 そういう点について今の二・八六%、先ほどのお話だと九一年に比べると、九一年が二・六七ですから、横ばいで少し上っているよと言うが、ちょっとテンポからいきまして、この点は少しく経団連の立場からも、数字をもっと前面に出して目標設定をして年次計画を立てていくような、そういうようなものがあるのかないのかをお聞きしておきたいと思います。
 同じように、私は今、こういう先生がおっしゃるような転換期、企業の行動憲章をつくったり規制緩和をしたり意識改革をしたり、そして社会貢献をしたりといったような方向に向かって最大の努力をしていることは大いに認めております。問題なのは、これも転換の間に味わう痛みというものをどのぐらい日本の社会は、産業社会の中で中小を視野に入れて、経団連はどちらかというと大手が集まっています。そういう大手の企業としての役割といいましょうか責任といいましょうか、そういうものから出てくる、これもまた私は、できるならば年次計画のようなものが具体的な数字で、このくらいの目標で進んでまいりたいと、これもやはり転換のテンポをあらわしていくと思うんです。そういった点についてひとつお聞きしておきたい。
 それから、今の経団連が言っておりますこういう報告を現場に当てはめていったときに、現場ではあるいは労使でいろいろの協議会を持っています。この事前協議というものの限界、例えばいろんな面で経営協議会というものもございます。したがって、そこでは労使が事前にいろんな経営にまつわる話もしておるわけであります。そのことと分配を争う団体交渉や事務折衝やいろいろ労使の交渉事、ここの線は一応線引きがされておりますけれども、今後の方向からいきまして、例えばドイツなどにおきましては事前協議制はいわゆる共同経営であったり共同責任という領域、要素にまで入っているのが現状ですね。そういった、ある一部分はそういう要素も取り入れようという方向で考えているのか。それとも、もう事前協議の境界線は大体今ある状況でいこうとしているのか。その辺のところをお聞きしておきたいと思います。
 以上です。
#26
○参考人(鶴田俊正君) 痛みはどう分け合うかという御質問でございますけれども、中小企業をめぐる問題というのはもう少し中長期的な観点から私は考えてみたいなと思います。
 その場合に、日本の中小企業をめぐる経済環境がどうなっていくんだろうか。国際的な舞台の中で考えなければいけませんけれども、少なくとも二十一世紀に向けて中小企業を考える場合に、国際社会では明らかにNIESがさらに力を強めてくることは間違いない。ASEAN諸国も今以上に日本の有力な競争相手になるし、また補完関係を持つ国になることも間違いない。もっと変わるのは中国だと思います。中国が非常に大きく転換しています。こういう国々が力を持ってくるだけじゃなくて、ひょっとしたらAPEC、いわゆる新しい経済統合がアジア地域で進むかもしれない。あるいは最近北米の貿易協定が成立しまして、NAFTAですね、そういうものとの国際関係の中でやはり日本の企業は生き残っていかなくちゃいけない。これは大企業も中小企業も同じことだと思うんです。
 したがいまして、日本の企業はそういう国際社会の中で、第三国市場でそういう国々と競争するだけじゃなくて、今度国内マーケットにおいてもやはりそういう海外の企業と積極的に対応していかなければならない関係だろうと思うんです。
 そうしますと、日本の中小企業でも場合によっては海外に進出する、例えば今かなり日本の企業が旧満州、中国東北部あたりに随分進出しています。そういうふうに、中国あたりも含めてアジアなり海外に進出していかないと恐らく生存できない場合もあり得るだろう。特に長期的に考えた場合に、為替レートが二けた台になり得ることもやっぱり想定しておかなきゃならない。
 また国内におきましては、例えば首都圏にあった中小企業が、例えば働き手の問題とか等々のそういう制約があって首都圏では仕事ができなくなる。したがって、関東北部とか東北の方に移っていかなければならない。そういうふうな積極的な対応をいずれにしても今の中小企業でも図っているところだと思うんです。
 そうしますと、現在の不況の中で痛みをどうするかということよりも、そういう中長期的な観点の中で、中小企業がしっかりとした経営基盤をどう確立していくかが私はやっぱり一つのポイントだろうと思うんです。したがって、政治でできる分野があるとすれば、そういう転換を促進するような政策ということが非常に大きな柱になるんじゃないか。
 自由主義経済でございますから、企業責任の枠の中ででございますけれども、例えば中小企業金融公庫等を活用してそういう転換資金を円滑に供給するとかいうようなことは十分考えられなければいけないだろうという気がいたします。そういう意味では、構造変化に中小企業が順応できる、適応できるようなそういう枠組みを用意していくことが私は先生方のやるべき大きな仕事じゃないかなというふうに思っております。
#27
○参考人(小山敬次郎君) 私に対しては二つお話がございました。その前に一つ、一体大・中小企業というものがどうやって共存共栄し、生き残っていくかということにつきましては、むしろ今も御指摘がありました。私どもは、中小企業と大企業がとにかく共存共栄でうまくやっていくような努力を大企業がしていくということ、それから前向きの新しいビジネスフロンティアに向けて中小企業が生きていく道を探す、そのための税制なり助成金というものを与えなければ、後ろ向きの資金供給では結局常にイタチごっこになっていくのではないかということを考えております。
 それから二つ目は、アメリカの企業の社会貢献はどうかということに関連してのお話でございますが、アメリカで企業がどの程度全体として社会貢献をしているかという数字はなかなかとらえにくいわけでございます。私どもが一%クラブをつくったときに、既にアメリカでは五%クラブというようなことが常識になっているということを考えますと、相当な水準での社会貢献が行われているということはもうそのこと一つとってもわかると思います。
 ただ、私はこの数字を見るときに御留意いただかなきゃいけないと思いますのは、日本では、多くの場合に寄附金に対する税制というものがアメリカとはもう格段の差がございます。極端な言い方をしますと、アメリカで五億円寄附をする場合には五億円で済むんですが、日本の場合には、五億円寄附しているということは十億円寄附しているのと同じ経費負担であるということですから、こんな単純計算はできませんけれども、一%クラブは二%クラブと言ってもおかしくないんじゃないか。したがって、冒頭申し上げましたように、
ぜひ税制についてまずイコールフッティングにした上で数字の比較をしていかないとぐあいが悪いな。さらには、受け入れ団体というものも免税団体の認定が非常に厳しいこともございますので、そういう受け入れ団体、情報を流してあげる団体の整備というような、とにかく環境整備をしなきゃいかんともしがたいのではないかと思います。
 同時にもう一つ忘れてはいけませんのは、結局アメリカの法人税負担というものを、私どもは実質実効税負担という数字でとらえてみますと、アメリカの場合には二分の一、三分の一という低さでございます。したがいまして、税の面から見ても、寄附金税制は先ほど申し上げましたが、日本の実質税負担率という面から見ても、既に収益の半分は社会のためにコントリビュートしているんだということをぜひ頭に置いていただきまして、租税特別措置を削れというようなことはおっしゃらずに、実質税負担がアメリカと横並びになるような御尽力をぜひ賜りたい、そのことの方が議論の先決かなという気もいたしますので、よろしくお願いいたします。
 それから第三の点でございますが、転換の痛みをもう少し理解し、そしてそれに対する心組みを大企業は持て、こういうことでございます。私は先ほど申し上げましたように、ほかの方々が注意しない時点から、早くから会社都合による失業・離職者数という統計が大変なことだ、二・二、三%の失業率でとどまっているという物の見方というのは楽観的過ぎるということを絶えず言ってまいりました。これは私は早くから注意しておったんです。なぜそれを注意したかといいますと、これはおおむね中小企業の経営が行き詰まり、そして事志と反して解雇をせざるを得ないというケースが多いためだと思います。
 去年の十一月などは七〇%もふえているわけでございますから、そういうものを注目して政策を運営するとすれば、やはり何といっても景気対策で全体のパイを膨らませていくということが何よりでございます。残念ながら私どもの期待している経済政策がまだ行われていない、いつでもできるはずの経済政策が行われていない。例えば、金利でもそうなんですが、〇・七五%思い切って決断したと言いながら、じゃ実効金利がそれだけのテンポで下がっているかというと、これすら下がっていないということにもっと着目をして、マクロの経済をよくしてパイを大きくしながらお互いに痛みを分かち合っていくということの方が、分配論からいったら私は正当な議論ではないかと思っておりますので、その点を御注意いただきたいと思います。
 それからなお、私どもがいろいろな倫理規定をつくったりして、それは一体どういう扱い方になるのか、こういうお話でございます。それと関連して共同経営といいますか、経営参加を頭に置いておられると思いますが、私は、ドイツの場合と日本では株式会社の仕組みが違っておりますから、同じことを日本に持ってくるということは非常に弊害が多いと思います。
 アメリカの参加は、御承知のように監査役会に対して参加をするということでして、オフィサー的機能、つまり業務執行機能と意思決定機能を一体としている日本の株式会社とは違いますので、そのことによって意思決定がおくれるようなことがあれば企業経営に大きな支障を来しますので、私はそれについてはきちっと分けて考えるべきだと思っております。倫理規定につきましては、この労働問題と分けました倫理委員会というものをつくって、従業員を含めた一緒に考えていくという組織が育ちつつあることは、これは大切に育てていく必要があるんじゃないか、こんなことを感じております。
#28
○長谷川清君 奥田先生にお聞きをしたいんですが、今の小山先生のお話にもありましたが、パイを大きくということがございました。確かにこれはパイを大きくすればそれだけ分配は行き渡りやすいんですけれども、これからはもうやはり高度成長はあり得ないんじゃないかと思います。
 過去におけるいろんな、第一次オイルショックがありましたり、二次ショックがあったり、繊維の構造不況があったり、鉄や造船の構造不況があったり、第一次円高時代もありました。過去における大きな波をかぶるたびに大型合併をしたり、いろんな構造転換もそれなりにしたと思うんです。そして今この不況、こういう不況を迎えて、これが一つの引火点になっていわゆる産業構造全体の転換といいましょうか質の転換が行われようとしているんじゃないか、このように私は大筋思うのでございます。
 先生のお立場から、過去の経済の状況、今まであった大きな波と今の迎えております経験のないような状況、どこか違う点があるのか、あるいは構造転換が今進んでおりますが、この傾向というものについてお考えを聞いておきたいと思います。
#29
○参考人(奥田健二君) 今パイを大きくするというお話で大変結構なお話なんでございますが、例えば具体的に鉄鋼業なら鉄鋼業の例で申し上げますと、アメリカの鉄鋼業などでは従業員の持ち株制度ということをやっている会社が出てまいりました、長谷川先生も御存じのように。エンプロイーズ・ストック・オーナーシップ・プラン、ESOPというものでございます。従業員が株を持っているわけでございまして、会社が利益を上げましたときに、従業員の賃金を上げるか、従業員に対する株配当を大きくするか、将来のために株配当とか従業員の賃金アップのことを少し抑えてその利益の大部分をリザーブして設備投資に回すか。そうしますと、将来のパイ、御存じのように大きくなります。将来のパイを大きくしてさらに分けた方がいいのか、現在すぐ分けた方がいいのか、これは非常に大きな問題になってきます。
 そうしますと、残念なことに多くの場合はすぐ分けてしまうわけです、設備投資に回さないわけでございます。そういう欠点がまだ残っておりますが、日本の場合の労使関係のことを考えますと、先生のお話はございましたけれども、ベースアップやなんかを労働組合が、これについてはいろいろな批判の立場はございますが、経済成長を考えて設備投資を可能なようにしてきた。それで長期のパイを大きくする。そしてパイが大きくなったときにそれを分けるという考えを多くの日本の労働組合も経営も持った。こういうことが私は日本の経済成長を支えたことの一つだと思うんです。組合が弱過ぎるという意見はもちろんございますけれども、それは一つの見方でしかなかったと私は思っております。
 ただし、将来のためにすぐパイを分けないでリザーブする、設備投資をするということになると、これは信頼関係、鶴田先生もおっしゃっている信頼関係がなきゃできないんです。その信頼関係を確保するためには、やはり労働組合とか従業員が経営に対して発言していくということがないと、このような労働者のリザーブをするという意思決定は裏切られる危険があるわけでございます。どうしてもこれは、私は現在以上に経営参加という問題を制度としても考えていかないといけないんではないかというように考えています。
#30
○立木洋君 お一人に一問ずつお尋ねすることにいたしたいと思いますので、ひとつよろしくお願いします。
 最初に奥田参考人にお願いしたいんですが、先ほど雇用関係の考え方の問題についていろいろ御説明がありました。それで、現在の日本の雇用関係の現状についてどのようにお考えになっておられるかということをお尋ねしたいんです。労働力人口は日本で七六%が労働者、サラリーマンが占めておりますが、一九七五年ぐらいまでは賃金の動向を示す労働分配率、これがやや上昇するような時期もあったんですけれども、一九七五年以降やっぱり停滞して、一九八〇年代になると下回るという傾向が徐々ではありますが見えてきております。欧米の労働分配率を見てみますと大体八〇%から九〇%近く占めているんですが、日本では七六%あたりを低迷しているという状況です。
 先般、国連の世界女性白書を見てみますと、女性の男性賃金に占める比率というのが日本では九一年に五三・五%ですか、一九七〇年代に比べると下がってきているという状況があるんです。労働時間については、もう御承知のように、欧米の労働時間に比べて四百時間にも近い格差があるというようなことがありますし、それから今の状況では、不安定雇用のパートタイマーなんかもやっぱりふえていくというような状況も見られるわけです。それから、過労死の問題なんかでも、厚生省の文献を見てみますと八人に一人が突然死というふうなことですから、このような現在の雇用条件といいますか、労働条件という問題をどのようにお考えになっておられるのか、今後これをどういうふうにすべきだというふうにお考えになっているのかということを奥田参考人にお尋ねしたいと思うんです。
 それから次に、小山参考人にお尋ねしたいんですが、日本のこれからの企業のあり方といいますか、大きく言えば経済のあり方になるんでしょうけれども、特に日米経済摩擦の問題です。
 これは、経済界でもいろいろな方の御意見を聞くと、若干違っているニュアンスなんかを見たり聞いたりするんですけれども、八〇年代でもいろいろありました。レポートが出されましたし、行動計画があったり、いろいろな協議がなされてくる。だけれども、その経過をずっと見てみますと、やっぱり日米経済摩擦というのは根本的に解決されていない。ある場合によってはもっとひどくなっているという状況もあるんじゃないかというふうに私たちは見ているわけです。
 そうしますと、この問題をよくいろいろ見てみますと、つまりアメリカ側の赤字になっている原因、これに本当にメスを入れるというふうなことになっているんだろうか。アメリカの財政赤字の問題しかりですが、それから多国籍企業でどんどん海外に進出して、国内生産がおろそかにされるなんというような問題もありますし、そういうアメリカの赤字問題を克服する努力が本当にされてきているんだろうか。それは一つの大きな問題だと思うんです。
 それからもう一つ、日本側の状態をとってみますと、これは先ほど言われましたけれども、何もリストラ全般がどうこうというつもりはありませんけれども、円高が起こるとかその他のいろいろ問題が出てきますと、いろいろリストラ等を行ってコストをダウンしていくという努力がなされるわけです。これはやっぱり労働者に対していろいろな影響を与えたり、中小企業に対する影響も生じてくる。そうすると、コストがダウンしていくものですから、競争力をある意味でもっと強める。強めるとアメリカ側からまた圧力がかかる。圧力がかかるとまたさらに努力をせぬといかぬ。こんな変な悪循環を繰り返していって、本当にこれからの日本の企業のあり方というのはどうなるんだろうかというようなことを非常に私は懸念に思うんです。
 ですからその点については、いろいろ本が出されておりますが、「「No」と言える日本」だとかなんとかというのがありますけれども、経団連のお立場としては日米経済摩擦の現状をどうお考えになっているのかこれをどう解決しなければならないというふうにお考えになっているのか。これは非常に大切な問題なので、この機会にぜひお伺いしたいというふうに思います。
 それから最後に、鶴田参考人にお聞きしたいのは規制の問題についてです。
 最近、規制緩和という言葉が流行語部門で金賞をとったというようなことになっておりますが、非常に規制緩和というのは大はやりのようですけれども、参考人が出された「現代産業論」というのも読ませていただきました。いろいろ日本の産業に当初から政府が積極的に介入してきたというふうな経過の歴史もありましたけれども、戦後いろいろ変わった経過もあり、今日規制という問題は私は一律には論じられない問題があるということも承知の上で、今ここで規制問題あるいは規制緩和全般についてのお尋ねをしようというふうには思っていないんです、これは先ほど主な点については参考人から御説明がありましたから。
 ただ問題は、日本の今の大企業といいますか、総合商社といいますか資本金にしますと百億円以上の、いろいろな売り上げでいえば五千億円以上ですか、そういうふうな大きなところが世界大企業のランキングにおいても目覚ましい地位を占めています。それから貿易大国になり、あるいは対外の債権超過国というふうな状況になっているわけですから、非常に国際的にも社会的にも与える影響というのは極めて大きいという状況になっていると私は思うんです。
 そうするとそれだけに、私は何も大企業をつぶせだとかいうふうな意味合いのことを毛頭申し上げるつもりはないんですが、それほど国際的にも国内的にも大きな影響力を持つようになっている状況のもとでの大企業の社会的な責任を明らかにしていく必要があるんではないか。そういう見地から、例えば国民生活に損害を及ぼすような事態、これは適切にやっぱり規制しなければならない。
 それからまた、さまざまな大企業のより利益を追求しようとする経済活動の結果、つくり出されるようなゆがみ、こういう問題についてもこれが国民に与える被害が生じないようにやっぱり規制が必要ではないだろうか。そういうような大企業の社会的な責任が大きくなるのにつれてふさわしく、やはり民主的な規制というのが私は必要ではないだろうかというふうに考えるわけです。つまり、言うならば先ほど来出ているいろいろな公害のたれ流しにしろ、あるいは土地の買い占めの問題にしろ、やっぱりバブル経済をつくり出したとかいろいろな問題があります。こういう問題についての民主的な規制というのは、これほど大きくなった日本の大企業のあり方を考える上で国際的にもいろいろ問題や批判が起こってきますから、そういうことについての規制というのは必要ではないかというふうに思うんですが、そういう点についての鶴田参考人の御意見をお伺いしたい。
 以上三点よろしくお願いします。
#31
○会長(櫻井規順君) 参考人の方々にお願い申し上げます。
 大分時間が詰まってまいりました。したがって、御意見はコンパクトにおまとめいただきたいというふうに思います。
#32
○参考人(奥田健二君) 雇用条件の御指摘がございまして、私も全く同感です。極めて不安定で、先ほどほかの委員の先生からも御指摘があって、今は各企業が潜在失業者を抱え込んでいるのでなかなか立ち直らない。だからその潜在失業者を、もううみを出してしまった方がいろんなことがすっきりしてうまくいくんじゃないかという御指摘もあって、その問題とも非常に絡んでくる問題だと思います。ですけれども、各企業は非常な努力をして、うみと言われようが一生懸命抱えている状況でございます。
 アメリカやイギリスの場合は、御存じのようにどんどん潜在失業者を吐き出しているわけですが、そのことによって一つ一つの企業はかなり早く立ち直りました。リストラクチャーが成功したように見えますが、国全体としては失業者が非常にふえて、それだけじゃなくて社会不安というものが非常に起こっています。こういう問題を我々は無視できないと思うわけです。
 それで、失業者にしてしまった後に再教育、これは大体コミュニティーカレッジとかいろんなところで教育するわけでございますが、必ずしも再就職の保証がありませんので、教育の効果が余り上がっていません。それよりも、苦しいですけれども企業で抱え込んでおいて、こういう仕事につくんだから教育するんだと言うと、それこそ教育を受ける方も非常に真剣でございまして、再教育、再転換というのが割合うまくいっているわけです、先生方御存じのとおりですが。
 そのために、失業保険で失業者になった人を救済するよりも、企業が抱えている潜在的な失業者みたいな人に対しては御存じの雇用調整給付金を
ずっと維持していくという形で、それでいつまでもてるのかという御質問があるいは御指摘があるかもわかりませんが、今も御指摘がございましたように、なるべく早く経済的ないろんな対策が打たれなきゃいけませんですけれども、個々の企業としては私はもう少し雇用調整給付金を受けたりして対策を続けるべきだという考えを持っています。
#33
○参考人(小山敬次郎君) 手短にということでございますので、考え方だけを申し上げます。
 今ちょうど雇用調整給付金のお話が出ましたので、一言だけお願いしておきたいんですが、実は雇用を何とか確保して、転換をしてでも確保したいということで雇用調整給付金を申請いたしますとけしからぬと、首切りのための金を大企業がもらうとはけしからぬという議論がしばしば行われます。私はかねてからの持論なんですが、雇用調整給付金という名前はちょっと変えた方がいいんじゃないか。雇用調整というのは調整しちゃうんだという感じになって、前向きの努力を後ろ向きの措置のようにとりますので、ぜひこの機会に訴えておきたいと思います。ちょっと横道にそれて申しわけありません。
 日米関係でございますが、八〇年代から余り変化がないとおっしゃったんですが、私はこれから先については大きな変化が起こる余地があると思っています。アメリカではリストラを早くから徹底して進めましたので、アメリカの産業の競争力が格段に強くなりました。御存じのように自動車の競争力を見ても、もうそういう意味では追いつき追い越されつつある面があるということでございます。したがいまして、アメリカの産業が自信を取り戻しつつありますので、昔のような日米摩擦というのは産業同士、経済界同士で話し合うときには少しずつ変容しつつあるんじゃないかということを一つ申し上げたい。
 それから二つ目は、国際収支の赤字の内容については、アメリカの景気が回復すればするほどアメリカの対日輸入というものがふえる要素を持っているのは、これは進出企業の資本財輸入がふえるからでありまして、これはむしろアメリカの産業に貢献する日本の輸出でございますから、赤字の中でそういう部分とをきちっと分けて議論するということも「「No」と言える日本」の中に書いてあります。ノーと言うことだけがあの方の主張ではないということでありますから、中身を分析しなきゃいけない。
 それから、財政赤字等の非についてはやはりこれも言っていかなきゃいけないんですが、もう一つ、誤解に基づく議論を解消しなきゃいけないことの一つとして、例えば半導体についてアメリカのある有名な学者が、今日本は非関税障壁、これを関税率に計算し直すと一七〇%の関税を取っているのと同じだ、こういう話なんですね。私どもこれはおかしいということで分析をいたしまして調べたところ、日本の学者が大ざっぱに調べたものでありまして、もう二世代三世代前の輸入半導体の価格と最先端の半導体価格を比較しまして、価格のギャップ、それはまさに非関税障壁だ、こういう計算をいたしましたので、私どもはその学者に対して抗議を申し入れたんですが、今に至るも一片の返答もないわけです。
 つまり、私ども言いたいことは、そういう誤解を解く努力、正しいことを正しいと主張していくことが新しい日米摩擦解消の幕あけではないかというふうに思っておりますので、その点についても先生方の御協力をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
#34
○星野朋市君 ちょっと今のに関連してですけれども、雇用調整給付金が大企業だからけしからぬという話は、今は労働省も我々もそんなことは思っていませんよ。むしろ大企業がこれを利用して大企業から失業を出さないようにということを言っていますから、大企業だからけしからぬなんという考え方は……
#35
○参考人(小山敬次郎君) 一つだけ済みません、誤解があるといけないので。
 私は、先生方や行政がそう言っているのではなくて、新聞や雑誌に現実に経団連の副会長会社が率先して雇用調整給付金を申請するのはけしからぬと、首切りのつもりだろうということが一般の論調になっているので、そういう誤解を解く努力をしてほしい、こういうことを申し上げました。
#36
○会長(櫻井規順君) 会長の指名で御発言をお願いいたします。
#37
○参考人(鶴田俊正君) 先生が御指摘になっている問題というのは非常に重要だと思います。今そうじゃない状態だったら起こるべき問題があって、たまたま不況なものですから起こってないことがございます。お米です。つまり、お米の買い占めが、今多少起こっているかもしれませんけれども、もし過剰流動性が、過大な貨幣供給が行われているときに今回のような不作が起こったら、消費者等々きっと買い占めると思いますね。そういう意味で、民主的規制というのは非常に懐かしい言葉でございますけれども、大企業の行動に対して何らかの歯どめをかけるということはやっぱり必要な分野が残ると思います。ただ、私が申し上げているのは、生産者保護のための規制はもう要らないので、やっぱりルールをつくる、ルールのための規制というのは私は残るだろうと思います。
 例えば、今お米の問題を申し上げましたが、買い占め防止法とかあるいは投機的行動に対してはある種の歯どめをかけておくとか、特に生活物資に関してもそういう配慮は十分しておく必要が僕はあるだろうと思います。あるいは既に法律がありますけれども、不況になると下請企業に対して大企業が遅延しちゃう、これは遅延防止法がございますけれども、このルールをきっちり守りなさいとか、あるいはマーケットにおいて独占的市場支配力を行使した場合には独禁法というルールをきっちり適用しなさいとか。
 たまたま私は最近ある方々からお伺いしているわけですけれども、小山さんもおられるのでちょっと発言しにくい面もないわけではないんですけれども、経団連の副会長会社がある種の訴訟を受けている事件がございますね。それは名古屋の製鉄所で、要するに名古屋の製鉄所の中にある工場をつくらせておいて、そして後の発注をとめてしまった。それでその中小企業が、大企業の優越的地位の乱用も含めてやっぱりそれは補償すべきだということを言っているわけです。
 そういうふうに企業に投資をさせて、まあここまで申し上げればもう会社名わかると思うんですけれども、その会社のために投資をさせて、経済環境が変わったからそれで発注をとめてしまって、そして事実上、要するにその企業が立ち行かなくなるようなこと。それはやはり少し乱暴なやり方だと思いますから、例えばそういうものに対しては優越的地位の乱用規定をきっちり適用するとか、あるいはそういう損害に対しては補償をするルールをつくるとかいうようなことは僕は考えておく必要があるかと思います。
 ですから、私が申し上げているのは、生産者保護の時代はもう終わっているのであって、さまざまな市場の中で逸脱した行動が起こる可能性は皆無じゃございませんから、ルールをやっぱりきっちりつくっておくことが大事だなという印象を持っております。
#38
○合馬敬君 私、一点だけ小山参考人にお伺いしたいんですが、私も社会政策を大学で勉強しましたときに、日本で一番問題なのはいわゆる二重構造、特に大企業、それから中小企業、零細企業、こういう中を通じて社会的な富の配分、これを公正にどうやって行っていくか、これは非常に難しい問題である。社会党の皆さん、共産党の皆さんも、そういう意味で社会的な富の分配を二重構造の解消を通じてどうやって解決していくか、これは私、真剣にみんな考えてきた問題だと思うんです。そして、今までの政策によって私は、日本が世界の国の中で最もうまく社会的な富の配分をやってきた、こういうように思っております。私もロシアに三年ほどおりましたけれども、建前は公正、公平な配分を図るといっても、そういうことは非常に難しゅうございますから、結局党の特
権官僚、ノメンクラツーラを生んだとか、いろいろ難しい問題があります。
 ただ、これからこういうぐあいに根本的な産業構造の変換が行われますと、せっかく今まで解決してきた公正な分配がまた拡大してくるんじゃないか、私はこういう非常に心配を持っておるわけでございまして、これは企業活動だけで解決していくのは難しいことはわかっております。社会政策と組み合わせるということもあると思いますけれども、企業の行動の面で少しでもそういった解決ができるような方向があるのかどうか、これについて何か御意見があればお伺いいたしたいと思います。
#39
○参考人(小山敬次郎君) 大変難しい御質問でございまして、そういう問題を具体的に解決できれば一番いいわけでございます。抽象的に申し上げれば、むしろこれからの創造性あふれた、個性あふれた企業こそ生き残っていく時代であるという一つのキーワードと、それからもう一つは、新しいビジネスチャンスというものは非常に小回りのきく中小企業の方がより適切な場合がございます。こういう時代にきちっとしたうまい対応をしていけば、創造性あふれ個性あふれる、そして新しいビジネスチャンスをうまく切り開いていく企業が生き残っていくわけですから、二重構造というのはより解決しやすくなっていくのではないか。
 ただ、その過程におきまして、もしそのビジネスチャンスをつかみそびれる企業が出た場合にこれに対してどうするかということは、規制の問題に関連いたしますが、私どもは経済政策としての規制ではなくて社会政策としての規制は残していくべきだという立場をとっておりますから、そういうもので手を差し伸べていく機会がございます。いずれにしても、やはり創造性のある個性のあふれた企業経営というものが行われていくように我々も誘導していく必要があるんじゃないか。
 何はともあれ、それにしてもさっきから問題にしていますパイを大きくする努力をして、例えば日本の潜在成長力というのは、私どもはまだまだ三・五から四%ぐらいはあるというふうに理解していますから、その安定成長路線にうまく乗せていけば今先生が御心配になるような問題は非常に小さな部分になっていく。そして、社会政策をうまく講じていけばきちっとしたバランスのとれた産業構造に乗っていくのではないか、非常に抽象的でございますが、そのことを期待いたしております。
#40
○中川嘉美君 長時間大変御苦労さまでございます。時間がございませんので、まことに簡潔にお一人に一問ずつ伺いたいと思います。
 今日、世界の変化、ボーダーレス化というんですか、これに対応できる国境のない普遍的な考え方、すなわち哲学であるとか理念ですね、こういったものが要請されているわけでございます。これは奥田参考人にまず伺うわけでございますが、そのためには洋の東西を問わずこういった点をさらに模索していかなければならないんじゃないかというふうに思います。奥田参考人に言わせますと日本から世界に向けて情報発信ですか、これをしていかなければならないとする御意見には大いに賛同するところであります。また、日本のすぐれた経営思想に着目をして探究してこられた、このことに対しても敬意を表するところでございます。
 ところで、日本的な経営体質が先ほど来出ております談合とかあるいはサービス残業、こういったことなどの社会的問題を引き起こしたり、あるいは経済摩擦を生じさせたりしている面もこれは否定できないというふうに私は考えます。この点に関してどのような御所見を奥田参考人としてお持ちか、まず伺っておきたい。
 それから小山参考人でございますが、企業といってもしょせん人の集まりだということですね。それで、企業人であると同時に生活者であるという視点で企業行動が見直されることは大変大事なことであると思います。しかしながら、企業の基本である収益性とか効率性とかあるいは競争性、こういった点は依然として求められるわけですから、ヒューマン・キャピタリズムといってもおのずと限界があるんじゃないだろうか、こんなふうに思います。
 特に、企業体力があってその努力ができる企業というのはこれはいいとして、先ほど来御議論があったわけですが、日本の企業の大半を占める中小企業はその考えを用いられること自体苦痛を感じるんじゃないだろうかという点、こういったことに関連をして現実に企業からどのような声があるのか、もしお聞きであればそういったことの対応とあわせまして伺っておきたい、このように思います。
 最後に鶴田参考人でございますが、政府規制制度というのは国の監督責任と表裏の関係にある。不必要な規制というのは積極的に廃止すべきですけれども、一面では規制が取り除かれることによって企業が消費者に不利益をこうむらせるケースが生まれやすくなるんじゃないか、こんなふうに考えます。そこで、PL法であるとかオンブズマン制度などとあわせてこの点に対する御所見があれば伺っておきたい、このように思います。
 以上です。
#41
○参考人(奥田健二君) 私のつたない発言を御理解していただいた上での御指摘で、大変感謝しております。
 私は、相補性、相互依存という原理を主張したわけでございますが、今先生は、もしそれならばなぜ日本が摩擦を起こしてしまうのか、矛盾があるじゃないかという御指摘で、私もその点はとても心を痛めている問題です。
 といいますのは、日本人自身が日本の長所というものをもっともっと強く自覚していかなくちゃいけないんだというように思っているわけです。その日本の長所の自覚、自分自身での自覚が非常に今まで足りなかったんじゃないか。競争とかそういう原理だけを信奉し過ぎたんじゃないか。日本がよかったのは、競争もやったけれども協力もした、特に国内関係でございますね、これを今度世界のレベルで競争もするし協調もする、そういうように考え直さなきゃいけない。
 例えば、具体的には日本が出ていって企業進出しますと、マレーシアならマレーシアのいろんな伝統のいい点が崩れできます。日本が工業化したことによって日本の伝統のいい点がとても壊れている点がございます。そのことに対する反省もございます。ですから、今から私どもが、マレーシアに限りませんがいろんな国に工場をつくったりするときに、工業化をお手伝いするときに、その国のいい伝統が壊れないようにすることが非常に大事なんだということも意見として申し上げるし、そのための我々の心構えをいま一層強めていかないといけないというように考えております。
#42
○参考人(小山敬次郎君) ヒューマン・キャピタリズムという概念はしょせん理想像ですから、現実にそれを実現していく過程では現実の問題をよりよく解決しやすいケース、それから現実の問題に突き当たったときに痛みを背負い切れない問題、こういうものが起こってくることはやはり理想像である限りはもう必然だと思います。しかし、その限界を我々は十分心得ながらも理想に向かって着実に一歩一歩前進していくべきであるという強い信念を持っております。
 それについては、この理想的な社会を築いていくときに、やっぱり何といっても富の源泉それから我々の生活の糧の源泉というのは企業活力ですから、私が冒頭の御説明のときに申し上げました優しいためには強くなければいけないという意味で企業の体力を強化していただかなきゃいけないんですが、その点から見たときに現実に非常に皆さん苦慮していることがございます。
 ただ私は、その解決のしようによっては今の問題と将来の理想の姿の実現とをうまくかみ合わせることができるので、その一つの例として、冒頭申し上げました今我々に一番欠けている福祉、病
院インフラあるいは住宅インフラ、教育インフラ、こういうものをできるだけ官民協力して充実していくことによって生活の基盤を強化していく。それを今充実するために、いわゆる新しい社会資本といったようなものをできるだけこれからの公共事業等を行う場合に重点を置いていただくことによって、痛みを和らげながら将来の理想社会の実現に資するということが可能ではないか。
 個別の企業の問題については、もう時間が十分ぐらいしかございませんので私また別の機会に申し上げることにしてきょうは省略させていただきますが、基本的な考え方は以上のとおりでございます。
#43
○参考人(鶴田俊正君) 私の基本的な考え方というのは、マーケットが自由に動くことによって消費者の選択の機会が広がってくることだと思うんです。消費者の選択の機会が広がること自体が即消費者保護につながってくる。これはミルトン・フリードマンが「選択の自由」という本の中で言っているのでございますけれども、要するに消費者自身を保護するのは、なるべくマーケットの機能を充実して消費者が多様な選択肢の中から自由に選べる、つまりそういうことで企業と消費者との関係でまさに川下主導型に転換していくわけですね。そのために、規制がありますとむしろ消費者の選択の自由が狭められてしまうという問題からは自由になっていくだろうと思うんです。
 振り返って考えてみますと、規制の問題じゃございませんけれども、いわゆる大企業の行った系列が壊れてきた結果としてそれは消費者にとってどういう社会ができたんだろう。例えば、系列が壊れたのは時計がそうであるしカメラがそうである、家電が壊れてトイレタリー製品が壊れて牛乳が壊れて、それから医薬品が壊れつつあって化粧品も今壊れつつある、自動車も壊れつつある。そういう系列から自由になることによって消費者は多様な選択肢の中から選べるようになってきている。それは即やはり消費者にとっては望ましいことであると思っております。
 それをもたらしたのは技術進歩であるし、例えば牛乳だったら瓶からパックに変わることによって中小企業が参入できるようになりました。そして、消費者は寡占メーカーでなくて自由にスーパーマーケットで買うようになった。そういうふうに技術進歩なりあるいは制度が変わる、再販制度が撤廃される、あるいは代替財が普及するから輸入品が入ってくる、こういうことによって消費者の選択肢が広がってきた歴史がございます。したがいまして、私が規制緩和というのは消費者の選択の領域を広げることに主に視点があって、そういう中で価格が伸縮的に動いていくことが望ましいし、またそれは企業のビジネスチャンスを広げることだというふうに思います。
 ただ、先生がおっしゃるように、やはり企業と消費者との関係を見るといろいろ問題がありますから、PL法によって消費者保護のための制度を入れておくとか、あるいはオンブズマン制度を十分に活用できるようにするとか、あるいは独占的市場支配者に対しては独禁法をきっちり適用していくとか、もう一つ重要な視点は、やっぱり企業と消費者との間に情報のギャップがございます。企業の方には情報がたくさんあって消費者の方には情報がほとんどない。
 したがって、消費者は学習を通して学んでいくわけでございますけれども、アメリカではコンシューマーズ・リポートがございます、一九一〇年代にできたんでしょうか。二百万部売れています。これがいわゆる価格情報、品質情報を的確に与えていくわけです。消費者は、マーケットの中でそういう情報を参考としながら自分の責任で財・サービスを購入していきます。それから、フランスでしょうか、「五千万人の消費者」というのがございます。それは中立の機関が適切な情報を提供して、消費者の適切な行動をサポートしているわけです。日本に残念ながらそういうリポートはないんです。消費者協会が「消費者」というのを出していますが、これは官製でございますから、なかなかマーケットの中でサポートされていない。
 そういう意味では、中長期的に消費者の選択、間違いのない選択を保障するような、そういうリポートを出せるような機関をぜひつくっていくことが必要かと。日本の場合、それを補完しているのは「暮しの手帖」とかいうのがございますけれども、やっぱりアメリカのコンシューマーズ・リポートから見れば十分じゃないんだという気がいたします。
 そういう意味では、消費者利益が確保できるような工夫というのはいろいろあると思いますし、先生まさにおっしゃったPL法、オンブズマン、独禁法、情報格差の問題、そのあたりを補強していけばいいんじゃないかというふうに思っています。
#44
○会長(櫻井規順君) まだ御質疑もあろうかと存じますが、予定した時間が参りましたので、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 参考人の皆様に一言御礼申し上げます。
 参考人の皆様には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)
 なお、本日、参考人から御提出いただきました参考資料のうち、発言内容把握のため必要と思われるものにつきましては、本日の会議録の末尾に掲載させていただきたいと存じますので、御了承願いたいと存じます。
 本日はこれにて散会いたします。
  午後四時二十四分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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