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1993/11/09 第128回国会 参議院 参議院会議録情報 第128回国会 内閣委員会 第4号
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1993/11/09 第128回国会 参議院

参議院会議録情報 第128回国会 内閣委員会 第4号

#1
第128回国会 内閣委員会 第4号
平成五年十一月九日(火曜日)
   午前十時開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         岡部 三郎君
    理 事
                板垣  正君
                合馬  敬君
                翫  正敏君
                山口 哲夫君
    委 員
                井上  孝君
                木宮 和彦君
                村上 正邦君
                守住 有信君
                瀬谷 英行君
                三石 久江君
                村沢  牧君
                大久保直彦君
                井上 哲夫君
                寺澤 芳男君
                吉田 之久君
                聴濤  弘君
   国務大臣
       国 務 大 臣  武村 正義君
       (内閣官房長官)
       国 務 大 臣  石田幸四郎君
       (総務庁長官)
       国 務 大 臣  中西 啓介君
       (防衛庁長官)
   政府委員
       総務庁行政管理  八木 俊道君
       局長
       防衛庁参事官   高島 有終君
       防衛庁参事官   萩  次郎君
       防衛庁長官官房  宝珠山 昇君
       長
       防衛庁防衛局長  村田 直昭君
       防衛施設庁長官  米山 市郎君
       防衛施設庁建設  森本 直孝君
       部長
       外務省アジア局  池田  維君
       長
       外務省欧亜局長  野村 一成君
       外務省条約局長  丹波  實君
   事務局側
       常任委員会専門  菅野  清君
       員
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国家行政組織及び国家公務員制度等に関する調
 査並びに国の防衛に関する調査
 (臨時行政改革推進審議会の「最終答申」につ
 いての説明に関する件)
 (防衛庁市ヶ谷台一号館の保存問題に関する件
 )
    ―――――――――――――
#2
○委員長(岡部三郎君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。
 国家行政組織及び国家公務員制度等に関する調査並びに国の防衛に関する調査を議題といたします。
 まず、臨時行政改革推進審議会の最終答申について、政府から説明を聴取いたします。石田総務庁長官。
#3
○国務大臣(石田幸四郎君) 去る十月二十七日、臨時行政改革推進審議会が内閣総理大臣に最終答申を提出しましたので、御報告申し上げます。
 同審議会は(平成二年十月に発足以来、国際化対応・国民生活重視の行政改革に関する三次にわたる答申を含め、これまでに合わせて九件の答申等を内閣総理大臣に提出しております。
 このたびの最終答申は、同審議会の三年間にわたる活動のいわば締めくくりに当たるものであります。内外の諸情勢の変化を踏まえ、既に提言を行ってきた国際化対応・国民生活重視型の行政の実現、透明・公正な行政の確保に加え、二十一世紀を展望した行政システムの変革の基本的方向として、一、時代の変化に即応した政府部門の果たすべき役割の見直しと、二、総合的・一体的な行政システムの構築を掲げるとともに、そのための改革の方策を提言しております。
 すなわち、第一に、簡素で効率的な行政を実現するため、行財政全般にわたる改革を進め、国民の負担を適度な水準にとどめるべきであるとの基本的考え方を示すとともに、財政体質の健全化や税制改革の検討等を通じ財政基盤の確立を図るべきであるとしております。
 第二に、規制緩和の推進について、その仕組みの整備を中心に提言しております。すなわち、一、規制緩和に関する中期的かつ総合的なアクション・プランの策定、二、計画的・継続的な規制緩和に向けた仕組みの整備、三、規制緩和推進のための第三者的な推進機関の設置を提言するとともに、四、公的規制の全体像の把握と評価手法の確立、規制情報の国民への提供等規制緩和のための基盤的条件の整備についても提言をしております。
 第三に、地方分権の推進について、国と地方の役割分担を見直し、国からの権限の移管や地方自治体の財政基盤の強化を図るとともに、これと並行して自立的な地方行政体制を確立するための改革を進めるべきであるとの考え方を示しております。
 その具体的な進め方として、地方分権に関する推進体制を整備し、地方分権に関する大綱方針を今後一年程度を目途に策定すべきであるとしております。さらに、この大綱方針に沿って、立法府及び行政府の合意形成を進め、地方分権推進に関する基本的な法律の制定を目指すべきであるとしております。
 第四に、公的金融、特殊法人の改革について提言しています。
 郵便貯金については、簡易で確実な少額貯蓄手段の提供という本来の目的に沿って民間金融市場との整合性を図ることとし、金利の適切な運用により郵貯の肥大化の懸念の解消を図るとしております。
 財政投融資については、今後ともその機能を効果的かつ適切に活用すべきであるとし、その運用に当たっては、対象となる機関・分野・事業の徹底的な見直しを行うとともに、資金の重点的・効率的配分に努めることを求めております。
 政策金融については、民間金融の質的補完に徹し融資範囲を見直すとともに、金利設定等について金融市場との調和を図ることを提言しております。
 特殊法人については、社会経済情勢の変化に対応した適時適切な見直しが必要であるとし、各省庁において所管の特殊法人を総合的かつ全般的に見直すよう求めております。
 第五に、総合的な政策展開が可能な行政システムの構築については、行政組織の事務配分や運営のあり方、内閣や総合調整機能のあり方、行政を担う公務員のセクショナリズムの是正方策、さらに個別省際問題等の改善について提言しております。
 中央省庁体制の改革については、二十一世紀を展望した中央省庁体制として太くくりな省庁体制のイメージを提示しております。
 総合調整機能の強化については、内閣総理大臣の指導力発揮を期待するとともに、総理を補佐する者の位置づけの明確化や内閣官房の活性化等を提言しております。また、予算の重点的・効率的配分や人事・組織及び計画による調整、さらには行政の情報化等について提言しております。
 公務員については、採用・任用から研修、人事交流、さらには退職管理等に至るまでの具体的な方策を提言するとともに、公務員制度の見直しや人事管理等の改善を進めるための新たな調査審議体制の整備を提言しております。
 次いで六十七事項に及ぶ個別省際問題の改善方策を掲げております。
 これらのほか、今後の行政改革の推進体制について、内閣総理大臣を中心とする強力な推進体制及び権威ある第三者機関による推進監視体制の整備を提言しております。
 以上が最終答申の内容の概要でありますが、その詳細はお手元に配付の資料のとおりであります。
 行政改革の推進につきましては、これまで臨調・行革審答申等に沿って、逐次、所要の施策を実施に移してきたところであり、本答申につきましても、これを尊重し、その推進を図っていく必要があると考えております。
 特に今後における行政改革の推進方策及び推進体制のあり方については、今後、政府部内において検討協議を進め、年内を目途に取りまとめる運びといたしたいと考えております。
 本答申につきましては、政府部内における推進にあわせまして、立法府におかれましてもその推進に際して格段の御協力を賜りますよう、この機会をかりてお願い申し上げる次第でございます。よろしくお願いいたします。
#4
○委員長(岡部三郎君) 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#5
○委員長(岡部三郎君) 速記を起こしてください。
 これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#6
○板垣正君 きょうは、市ヶ谷一号館の問題を中心といたしまして、相当の時間をとって政府の見解をただし、またいろいろお伺いをいたしたい。
 こうした委員会の開催はなかなか異例ではなかろうかと思います。衆議院におきましては既に法案の審議に入る、こういう段階でございます。また、いわゆる市ヶ谷一号館の問題につきましては、かねてから問題となり請願等も提出されてまいりましたけれども、これは再三出されましたが保留に終わる、この保存を強く願っている立場の人にとってはその話の持っていき場がない、しかもこの既成事実は着々と進められておる、こういう中で、あえてこの委員会が一日の審議時間をとって改めてこの問題について何とか打開の道を開きたい、これについての政府としての政治決断を促したい、こういう思いに駆られている次第であります。
 政局極めて多端であり、両大臣も大変お忙しいところを一日拘束することは大変恐縮でありますけれども、事柄の本質はまさに国の基本にかかわっておる。中国の古い言葉に、その民族を滅ぼしたければ歴史を断てという言葉があるそうであります。戦後五十年近く、占領体制あるいは東京裁判、そしてその後の流れにおきまして確かに経済的には豊かな国になりましたけれども、まさに国のよって立つところの歴史が断たれているんではないのか。
 だからこそ市ヶ谷一号館、これだけ由緒ある建物が防衛庁の移転という名のもとに跡形もなく取り壊されようと、こういう事態を迎えているわけでございますし、また、市ヶ谷一号館の問題を突き詰めてまいりますと、どうしてもいわゆる東京裁判というものについて改めてその本質的な問題、私どもの受けとめ方、これからの対応、これらについて考えていかなければならないのではないか。歪むしろ、米ソ冷戦が解けて、我が国の国際社会における存立が、その基本姿勢が問われておる。日本の顔を世界に、そして国内のこれからのあり方においても、はっきりさせていかなければならない。
 そうであるならば、むしろ今こそ、今までややもすればタブー視され、あるいはあえて論議から外され、過ごしてきたこうした基本的な問題についてまさに国会の場において論議を行うということこそ今の時代にこたえる道ではなかろうか、こう思うわけであります。
 そういう趣旨で、きょうは、ただ私どもの言いっ放し、政府答弁の言いっ放しで結局は平行線で終わってしまう、こうしたむなしい結果には終わらないように、この問題についてともに国を思う気持ち、国の歴史を思う気持ち、そして現在当面している問題をどう打開していくか、こういう立場においてぜひ御勘案をいただきたい。もしそう踏み切ることができるならば、私は、私どもが野党の立場に立ち、皆さん方が政権党として責任ある立場に立っておられることについても一つの意義をあえて認めてもいいと思うわけでございます。
 そこで、話の順序からいきますとやはり市ヶ谷一号館問題の経緯等から触れていくわけでございます。防衛庁長官に伺いますけれども、報ぜられるところによると、きのう市ヶ谷一号館を視察に行かれた、こう伺っておりますが、どういう感想を持たれましたか、まずそれを伺いたいと思います。
#7
○国務大臣(中西啓介君) きのう若干時間的余裕がございましたものですから、地下ごうを一度見てみたいなと前々から思っておりましたので、そういうことも含めて大講堂あるいは便殿の間、そういうところをつぶさに説明を聞きながら見学してまいりました。
 大講堂で歴史に残る東京裁判が行われたわけでございますけれども、私自身、勝ては官軍、負ければ賊みたいな言葉もありますけれども、大講堂の説明を聞きながら、果たして勝者が敗者を裁く、そういうことが正しいのだろうかというようなことも思いながら、もちろん当時の現場に私立ち会ったわけじゃありませんが、ここで東条英機さんがイヤホンを耳にしながら判決をお聞きになったんだろうなというようなことを想像しながら説明を聞き、いろんな歴史的な場所を見学してまいったところでございます。
#8
○板垣正君 官房長官に伺います。
 この問題は前政権の、つまり我々の政権の与党の間でございますけれども、防衛当局においても既定の計画で進めておられ、こうした中で、やはり当時の宮澤内閣に内閣の立場においてこの問題の検討を、特に当時の河野官房長官に対してこの問題について政府の立場としての検討をお願いし、いろいろな苦慮もいただいているようでございますけれども、どうなんでしょう、こういう問題は新たなる官房長官としてどういうふうに受け継がれ、現在どういう、感想で結構でありますが、お持ちでございますか。
#9
○国務大臣(武村正義君) 御指摘のとおり、昭和六十一年からでしょうか検討がされ、移転計画が一応決定されてきたという経過でございます。その延長線上にあるわけでございまして、新政権としましても、私この問題余り詳しく勉強しておりませんが、防衛庁が中心でございますので、政府全体としても防衛庁の考え方を基本にしながらこの計画の推進については引き続き努力をしていかなければいけないというふうに思っております。
#10
○板垣正君 いずれにしましても、やはりこれは内閣全体、政府のお立場においてぜひ考えていただかなければならない、こういう事柄でもありますから、長官も既に経緯等は御存じと思いますけれども、そういう立場で防衛庁側とのやりとり等も御聴取をいただきたい、こう思うわけでございます。
 そこで、この市ヶ谷一号館の前に、防衛庁の移転計画というのがそもそもある意味では極めて不透明と申しますか、いっどこでだれが決めたのか、そしてどのような検討が行われたのか。これは国会答弁を通じて、防衛庁は六十年ごろから検討を始めて、六十一年、六十二年にかけて予算もつけて調査を行い、その移転可能性について結論を得て六十二年の八月に庁議決定をした、こういう説明は何回も聞くわけでございますけれども、しかし、その動機は一体どこにあったんだろう。
 昭和六十年ごろといいますと、あの防衛庁が長年かかってぜひということでようやくつくり上げた中央指揮所が二十四時間体制に入ったのはたしか昭和六十年度からでしょう。百億近い国費をかけて中央指揮所ができ上がった。それと並行、いや、ある意味じゃそれ以前からこの移転の話がいろいろ取りざたされつつあったということは何を物語るか。
 つまりこの問題は、いわゆる国防上の問題、防衛庁の防衛上の問題がまずあって、そのいろいろな検討の結果、よりふさわしい防衛中枢のあり方としての市ヶ谷の地への移転が決定されたというよりは、それ以前の何か働きかけがあった。端的に言うならば、移転の前に民活があったんじゃないのか。
 これは私、議事録をいろいろ拾ってみますと、この問題が一番初めに論議されましたのが昭和六十年十一月二日の参議院予算委員会なんですね。顧みますと、六十年十一月二日の参議院予算委員会におけるやりとりというものが今申し上げましたような点を極めて象徴的にあらわしているような気がいたします。これは当時在籍された秦野参議院議員が、この間移転問題が新聞に出ていた、それでどういう案かと。当時、加藤紘一長官が、現在防衛庁は東京の六本木の繁華街の中にある、したがってこれを移転して市ヶ谷に持っていって新しい防衛庁を建てることにしたらどうかというふうなアイデアは従来からあった、私たちもいわゆる民活について官邸を中心に大分御努力いただいておることは承知しているのでそのアイデアも貴重な意見の一つとしてお聞きしていると、こういうことで民活の問題。
 これで秦野先生は、防衛庁が一般会計、防衛予算だけに縛られていたんではいろいろなそういう設備の改善等もできない、むしろこの特別会計の処理、何らか知恵を出してそういう財源を捻出して行うべきではないか、その案としてこのとき既に特別会計あるいは現在行われておりますいわゆる特待会計、こういうことについて提起をされたわけであります。これに対して当時の中曽根総理大臣が、今のお考えは私も前からちょっと考えておりまして、これらは対象対象によって性格は違うと思うが、極力そういう方向で改革していきたい、促進していきたいと考えておると。
 これはその後、宮下防衛庁長官のころですか、この問題の背景には民活、この面におけるある意味の官邸主導といいますか政治主導といいますか、そういうことを答弁しておりますが、当時の竹下大蔵大臣の、この特別会計でやれということについては、財政法上みだりにつくるな、こういう方向であるけれども、そうした特待会計あるいは特別会計、これでいこうという問題、一つの考え方として勉強させてもらうことにいささかもちゅうちょいたしませんというお答えがございましたが、その後もう大分あくわけですけれども、六十三年三月十七日、既に庁議決定の後でございますが、同じ参議院の予算委員会において、竹下総理は当時のことについて問われて、特待会計でやれるという結論に当時そう時間を置くことなく結論に達した、こう答弁しております。
 こう申し上げてまいりましたのは、つまり、防衛庁が自発的に検討されて移転を自主的にやるんだ、こうおっしゃっておられるけれども、そのもとを手操っていきますと、移転の前に民活があった。当時はまだバブル華やかなころ、土地が物すごく高騰する、こういう中でこの問題が、六本木のあの国有地を活用するんだと。国有地の有効活用という形がまずスタート台にあったのではないか。その辺に、防衛庁としてのこの取り組みというものが受け身と申しますか、そういう思いをするわけでありますが、こういうような問題について、長官、どうですか。
#11
○国務大臣(中西啓介君) 結論から申し上げますと、私のもとに上がってきている報告では、まさに自主的に検討した結果、本庁の移転計画を決定した、そのような報告でございます。
 確かに板垣先生御指摘のとおり、六本木から市ヶ谷に移転させようという話が出て、いろんな可能性の調査等を行った時期が昭和六十一年から六十二年にかけてでありますが、その一年前すなわち昭和六十年に民活論が浮上したことはもう客観的に見て事実だろうと思います。
 しかし、確かに六本木、私もまだ就任して三カ月でありますけれども、あの繁華街といいますか最近の防衛庁の正門なんかでも相当の人通りで、車の出入りも信号等もありましてかなり渋滞に遭遇するケースが非常に多い。そういう意味では、警備上また通信上のいろんな障害等も最近出てきておりまして、国の防衛をつかさどる中央組織が所在する場所としてはやっぱり市ヶ谷の方がはるかに適しているのかな、そんなふうに個人的にも私自身感じるわけでございます。
 そこで、昭和六十二年に移転計画に係る整備計画の概要書を大蔵省に出しまして、そして同じ年の八月に省議を開催して移転計画を最終決定したというような経緯がございます。そして、昭和六十二年に特定国有財産整備計画要求書というものを大蔵省に出しまして、六十二年の予算がう各地区の基本設計を実施して今日に及んでいる。この特待会計でございますが、今日までに消化した予算がおおむね二千億近い、千九百億程度の予算を消化してきておる、こういう経緯であることは事実がと思います。
#12
○板垣正君 それで、今の御答弁のようないわば障害がある、あの地域がふさわしくない、そういう話も前から若干聞かれるわけでありますけれども、やはりこの問題は、さっき申し上げました六十年の十一月二日に参議院の予算委員会で特待会計の設置について、読み方によってはもう既に大体不話がついているような感じを持ちますね。
 それで、六十二年の八月に今おっしゃったような省議決定された。あれが六十二年八月二十八日。八月二十七日に、今調べてみますと、自民党の国防三部会にも六十三年度予算についての説明に含めてこの移転計画も出たということでございますが、ほとんど論議をされなかった。その後はほとんど議題というような形で取り上げられたことはない。こういう経緯を見るように、改めて国会でこの問題が取り上げられ本格的論議が始まりましたのは六十三年三月以降でございます。
 そして、一般国民の方がこの問題を初めて知ったのが平成三年の五月十五日ですか、NHKの教育テレビがこの計画の全貌を伝えた。一般国民の方は、それによって初めて防衛庁の移転が行われる、そして市ヶ谷一号館が取り壊される、そういうことを知って愕然としたわけです。
 だから、その後、市ヶ谷一号館の保存を求める民間の有志の方々、これらの方々はやはりかねてから国の基本的なあり方、防衛の問題、こういうことについて御関心を持たれまた関係もされている言ってみれば防衛庁の味方のような人ばかり、で、そういう方々が、防衛庁ともあろうものが市ヶ谷一号館を壊してしまうとは何事だ、こういう衝撃から平成三年暮れになって運動が始まって今日に至っております。
 その辺を防衛庁に言わせますと、六十年に検討して、六十一年、六十二年にかけて調査をやって格別障害はない、決めたんです、そしてもう予算も六十三年度からついた人です、つまり政府のお墨つきも出たんです、今さら言われても困ります、こういう形で延々と今日に至っているわけでございますから、その辺は、今申し上げたように、何か後からは自主的に決定したとおっしゃっているけれども、スタートのときの実際の動きというものはまず民活があって、それから移転の話が出て、そしてそれをどう具体化するかと。
 それから、六十三年三月ぐらいからようやく国会でも委員会論議が始まりまして、三月十七日の参議院予算委員会、内藤委員の質問でこの移転計画についてなぜ移るんだと問われて、児玉参事官ですけれども、檜町地区周辺の六本木地区の商業化が進んでいて、防衛庁としては国土の有効利用という観点からこれを移転させるんだと。同時に当時の瓦長官も、国土の有効利用ということで市ヶ谷に移転する、その機能をそっくりそのまま持っていく、機能を移す、それだけのことで、国土の有効利用、六本木のあの繁華街を民間に払い下げて、特待会計を設けるということになれば恐らくそういう構想のもとにいずれは民間に払い下げて、そしてそこを開発する、それに伴ってあの地区の国土の有効利用のために防衛庁は移るんですと。こういう説明がしばらくずっと続くわけです。
 六十三年三月の参議院予算委員会におきましても、国土、国有財産の有効利用と。だから、警備あるいは通信上障害があるんだという話がようやく出てまいりましたのはもっとずっと役なんですね。六十三年十月二十一日の衆議院決算委員会におきましても村田参事官が、移る理由は国有財産の有効利用のためである、防衛中枢は六本木に置くよりももっと有効な利用法があるから移るんだ、同時に市ヶ谷は高台だから警備や通信面でも支障は出にくい、そういうことも総合的に考えた結果ですと。このあたりで初めて警備とか通信の問題が出てくるわけですね。
 こういうことについて、やはりそういうそんな簡単なことだけで防衛庁が移るのかと。国の防衛を任ずる防衛中枢が移るということは、これはやはり国の防衛にとっても極めて重大な問題でありましょう。六地区にわたるいわば配置がえという、いろいろ合理化ということもあわせて行われるわけですけれども、いずれにいたしましても、その理由立てというのが六本木の土地の有効利用であるというところに、何か防衛庁が自主性のない受け身の、そして六本木が開放され、その土地の売り上げが出れば新しい庁舎ができる、その辺の姿勢が今日市ヶ谷一号館を含めてこの問題につきまとっている不透明さと申しますか、何かすっきりしない。そういうところがあるわけでございます。
 平成四年二月二十四日の衆議院予算委員会におきましても、この問題については串原議員から質問があった。宮下防衛庁長官の時代です。国有財産の有効利用、同地区の活用であると。ここで初めて宮下長官が、防衛中枢に現在の位置、環境がふさわしくないと。さっき中西長官もおっしゃったとおり、私どももある意味じゃそういう感じを持っていますよ。それならそれでなぜそういう話がはっきり来ないのか。平成四年になって宮下長官時代に、あの地区がふさわしくない、そして移転の実施について特段の障害がないということで移ることに決まったと。
 それじゃ防衛庁として決定的に移転しなければならない理由がないではないか。国の防衛のために、防衛機能発揮のために何が何でもとにかく市ヶ谷に移る、こういうむしろ移転が、この民活が初めじゃないかという論議が当然繰り返されるわけでありますが、これについて割に率直に、移転の話が起きた理由は中曽根首相の民活構想による都心の再開発と言われる、ここに高層ビルを建て経済の振興を図ろうと考え、こういうことについても述べられているわけでございます。
 その後、最近の答弁になりますと、まず警備上よくないんだ、通信障害がいろいろあるんだと。中間的にはそういう、今の六本木では長期的に見ると通信の障害とか警備上の障害が出てまいりますというふうな説明の時期もあったが、最近になりますと、むしろそれが先に出て、通信上あるいは警備上の障害が非常に重大な大きいことになってきているんだと、現在もう既にそういう障害が生じているんですと、そのこととあわせて国土の有効利用ということでございますと。
 どうでしょうか、長々と申しましたけれども、その辺に、微妙な揺れと申しますかだんだん本音が出てきたというのか、乗るべき軌道に乗ったというのか、この辺の流れというものについて、顧みて今どういうふうな所感を持たれますか。
#13
○国務大臣(中西啓介君) さっき板垣先生からきのう現場を見てどういう印象を持ったかという御質問がございましたが、あそこに東部方面部隊の隊員たちが約千人ぐらい寄宿をいたしております。彼らの部屋も見せてもらったわけでありますが、小さい部屋に十人ぐらい二段ベッドで、本当に寝返りを打つとぎしぎしきしむようなベッドに、入るとむっと、ちょうど高校時代の体育の部室に入ったようなにおいがしてきまして、これじゃ余りにも隊員も気の毒だなというような印象も持ちました。
 私は、全体的に見た場合に、国の防衛を担当するのが防衛庁の本当に厳粛な任務でありますけれども、ああいう風俗化した繁華街で人の往来も激しい六本木よりも、さっき板垣先生のお話にありましたような、高台にあるし面積も大きいし、そこに防衛庁のいわゆる中央組織としての機能をこの機会に万全に備えて、今申し上げましたような約千人の隊員たちのいわゆる部屋そのものもかえてやることもできるし、やっぱりそういうところに重点を置かれてこの方向が決定されていったんだろう。
 それで、六本木をどのようにそれじゃ跡地を活用するかという部分については、これは私あくまでも往の部分だと思うんですね。主はやっぱり防衛庁の機能が存分に発揮されるというところに重点が置かれてこの計画が決定されたんだろう、そのように私自身信じておりますし、そのような報告も聞いております。
 ですから、跡地を有効に活用するという部分では、当時民活の話もかなり活発にされていたわけでありますから、その民活というような思いも頭の中にあるいはあったのかなというように、想像の域は出ませんけれども、そんなふうに考えておるところでございます。
#14
○板垣正君 長官も新たな御就任でございますから現時点で今までの経緯というのはそのような受けとめ方だと思いますが、私が申し上げたように、やはり当初は民活の話がスタートで、そして言うなればここを有効利用するという、防衛庁としては心ならずもそれは移らざるを得ないという面も、そこに、移転計画の決まり方というものについて、私どもがこれから申し上げる一号館のあれを一体どこで決めてしまったのか。市ヶ谷一号館を取り壊すというのが決まったのはいつの時点でしょうか。
#15
○政府委員(萩次郎君) 長官からるる御説明をしておりますが、具体的な検討は六十一年、六十二年と行われまして、防衛庁として最終的に決定をいたしましたのは、お話がございましたように六十二年八月二十八日の庁議でございます。
 この検討の期間を通じて市ヶ谷にどういう形で移転できるかということを種々検討なされました。その結果、市ヶ谷のちょうど中央部分にございます床面積二万六千平米の一号館を残したままではとても移転計画は実施できないということで、移転をするということであれば一号館は壊さざるを得ない、こういう検討の結果になり、六十二年八月の庁議で一号館を取り壊してそこに庁舎Aという一番中心の建物を建てるということで計画が最終的に決定された、こういう経緯でございます。
#16
○板垣正君 平成二年四月二十六日に衆議院の予算委員会第一分科会で鈴木喜久子委員の質問に答えて、鈴木委員の質問は、市ヶ谷台に移る、じゃどの建物を残すのか、どの建物を壊すのかと。村田参事官は、まだ決まっておりません、まだ決定されておらないと。さらに、平成二年六月十二日の参議院当内閣委員会で角田義一委員の質問に対して村田参事官は、まだ確定しておらないと。
 しかし、当時、今のお話のように六十二年八月二十八日の庁議で少なくともこれを取り壊すというふうに決まったということであれば、この平成二年四月、六月の時点における参事官の答弁というのは問題があるんじゃないですか。
#17
○政府委員(萩次郎君) その答弁についても承知をしております。
 これは予算制度と本来の基本的な性格との差の問題でございまして、御存じのとおり防衛庁としては基本計画をつくるわけで、その際、例えば今のような真ん中にあります一号館というのは取り壊さないととてもだめであろうということは決めるわけでございますが、一号館以外にもたくさんの残すべきか残さざるべきかという建物がございます。それらを個々具体的に年度年度の予算で決めるということは、その予算の成立をもって初めて最終的に決定されるという趣旨でございます。
 この一号館を取り壊さないとそもそもこの移転計画が成り立たない、そういう点については六十二年八月の庁議においてそのことを前提として決定しておるということでございます。
#18
○板垣正君 この一号館の問題についてどういう具体的な検討がなされたのか。移転計画の重要なポイントだと思いますね。じゃ、どういう枠組みと申しますか、検討のための何か体制があったのか、具体的に教えてください。
#19
○政府委員(萩次郎君) 大変種々細かい検討をしたわけでありますが、例えば一号館の保存にかかわることに集中して検討の結果を申し上げますと、前にも国会で御答弁しておりますように、基本的にできるものなら残したいという考え方があったことは事実でございます。
 残せるものかどうかということを中心にしてその調査の内容を申し上げますと、一つには、建物を何棟か建てるわけでございますから、その間の機能上の問題、通信とか連絡ということがありますから、その建物の有機的お配置計画というのがどうあるべきかという検討が一つ。
 それからもう一つは、建築基準法によりまして日影規制、日照規制というのがあるわけでございます。基本的に申しますれば、高い建物はなるべく中央位置に建てて建築基準法に合致するように、低い建物はその周辺部分ということにならざるを得ないことがあるわけでございます。具体的にどのくらいの高さのものをやれば年間のうち日照時間が何時間とか、こういう計算を細かく調査するわけでございます。
 それからもう一つは、建物との関係で言いますと、電波法に基づきます電波障害という問題がございます。市ヶ谷地区の上空には文化放送、東京放送、テレビ朝日、この電波の伝搬路が通っております。その伝搬路をやはり避けなければいけないという問題が出てきます。
 そのほか細かい点では、市ヶ谷の周辺の交通量の問題とかいろいろな住んでおられる方に対する影響の調査とか、そういう検討をするわけであります。
 その結果出てきましたのは、この一号館のところに一番高い建物を持ってこないとほかの場所には置けない、あそこがちょうど真ん中でもあり、建築基準法にも合致する場所であり、今言った電波の伝搬路といいますかこれにもかからない等々、そういう検討を六十一年、六十二年とやってきた、こういうことでございます。
#20
○板垣正君 今の御説明でも抜けているように、つまりあの建物というものは単なる建物ではない、まさに日本近代、終戦に至るまでの言うなれば歴史の生き証人とも言える我々のかけがえのない資産である。その扱いということについてはどういう検討がなされたんですか。
#21
○政府委員(萩次郎君) 御承知のように、防衛庁、自衛隊は発足が越中島でございます。それから霞が関の現在の通産省のところに移りまして、そして今のところに、三代目の場所に移ったということでございます。
 現在の六本木の場所も旧尾張藩邸下屋敷の跡に近衛の一連隊、先生の方がよく御存じでございますが、これが入った後米軍に接収されてそれを防衛庁が引き継いだということでございます。市ヶ谷も似たような経緯、尾張藩上屋敷を明治陸軍が使用してその後米軍が接収した、その後防衛庁が引き継いだ、こういう経緯がございます。それぞれの駐屯地、例えば六本木でございますと一連隊の連隊本部とか、もちろん市ヶ谷には今言ったような一号館そのほかの歴史的な建物があるわけでございます。
 私どもも先ほど申しましたようにできるものであればなるべく残したいということで種々検討をしましたけれども、一号館がある限りは全体の移転計画そのものが成り立たないという結論にならざるを得なかったものでございますから、残念ながら一号館は壊さざるを得ないけれども、それに付随するいろいろな資料あるいは記念品、そういったものをなるべく保存するために、その部分を市ヶ谷に記念館を建設してそこに保存しよう、これが両者の折衷で一番現実的でかつ可能性があることではなかろうか、こういう種々検討の末結論に至ったということでございます。
#22
○板垣正君 市ヶ谷一号館の歴史的な評価というものをどう考えておられるんですか。
#23
○政府委員(萩次郎君) 先ほど長官からも御答弁申し上げておりますが、まさに先生もおっしゃっておられますように、戦前、戦中、戦後を通じて日本の近代の歴史にとって大変重要かつ意味のある施設であろうというふうには認識しております。
#24
○板垣正君 おっしゃるようなそういう意味合いのある重要な建物であると。
 伺っていると、まず配置計画がある、一番便利なところに大きいのを建てて周りにつくって、初めから一号館はもうなきものにしてしまう、そういう前提で計画を建てたんじゃないですか。
#25
○政府委員(萩次郎君) 過去のいろいろな話を聞いておりますが、関係者は大変一号館の保存は何とかならないのかということで検討をされております。しかしながら、あの市ヶ谷の中心部にありまして、横百三十メートル縦八十五メートル、延べ総床面積が二万六千平米というものをそのままにしておいては移転計画が成り立たないという結論に至ったということでございます。
#26
○板垣正君 今使っている六本木が七万七千平米ですか。今度移る市ヶ谷台が二十二万五千平米ですね。本来は市ヶ谷台は三十二万平米あったわけですね、終戦のときには。それが三十五、六年に自衛隊が大蔵関財から受け継いたときは十万平米減っていたわけです。現在これは大蔵省の印刷教習所とかいろいろな施設が使っておりますね。
 前に私もここで申し上げたことがありますけれども、これだけ大きな移転計画を立てるなら、やはり歴史をさかのぼって、三十二万平米のこれをどう生かすか、生かし得るか、つまりそういう中で市ヶ谷一号館の歴史的価値を守りながら、しかも防衛庁の悲願とされる新しい防衛中枢の設備をつくる、これが本当じゃないでしょうかね。伺うところによると、どうもそういう歴史的な評価とか論議というものはほとんど行われていない、私どもこういう情報を得ておりますけれども、どうでしょうか。その辺を率直に話してください。
#27
○政府委員(萩次郎君) まず、周辺のかつての場所が十万平米ほど各省庁それから警視庁の機動隊も使っておりますが、そういうところが既に利用しているということは事実でございます。その分野については、既にそれを強制的に移転させるということもほとんど不可能な現状でございますので、残った二十二万平米の中でやらざるを得ないというのも客観的事実でございました。
 その歴史に対する評価の問題でございますと、かなり個々人の思想の問題になりますので、過去六年プラス検討期間を入れまして十年近い年月、これに携わった人々すべてのその歴史観というのを問いただすわけにもまいりませんが、私の知る限りでは、その一号館の歴史的な意義について十分防衛庁内においても認識されていたというふうに私は思っております。
#28
○板垣正君 いずれにしても、七万七千平米のところから二十二万平米、言うなれば三倍広いところへ行ぐんて、しかもそこに高層ビルを八つか九つつくるというんでしょう。そうすれば、土地は三倍になるし上の方に広くなる、これで収容力においては何倍になるんでしょうかね。それで、市ヶ谷一号館が真ん中にあるからこれはもう初めから邪魔です、真ん中にでんと座っていたんじゃ計画全体ができません、これはちょっと余り我々納得ができませんね。
#29
○政府委員(萩次郎君) 確かに六本木よりも市ヶ谷の方が三倍ほどの敷地面積がございます。ただ、ここにはいわゆる今度六本木から各機関が移りましてもそのまま残る通信部隊というのがございます。通信部隊の建物、庁舎B、C棟はもう現在既に建設に取りかかっておるわけでございます。
 それで、具体的にどのくらい広さが広くなるのかということになりますと、現在の六本木に比べますと大体床面積にいたしますと二倍弱、そういうことになります。これは、二倍弱というのはぜいたくではないかと、こういう御指摘の向きもあるのでございますが、新しい建物になればなるほどいろんな設備、地下のいろんな給湯給水の設備、通信設備、発動発電機、それから高い建物になりますとエレベーターの基数がふえる等々、消防法の問題でも余積をとらなければいけないというのがございます。したがいまして、どうしても新しい建物にする場合は従来よりも余裕を持ったものをつくらざるを得ない、こういう現状でございます。
#30
○板垣正君 大変一般的な御説明で、多くの人が本当にそれで納得できるかどうか。
 平成三年十一月依田事務次官は、六十二年八月の庁議決定において東京裁判法廷について議題に上げたのかあるいはこのことについて質問や討議があったのかという問いに対して、そのいずれもなかったと。当時の依田事務次官の話です。つまり庁議決定の際に廃止とかなんかのいろんな話はあったが、この市ヶ谷一号館の歴史的価値のあるものについて、これをどうするんだ、これをどう残すか、こういうことについてはいずれもなかったと、こういうことであります。
 平成五年六月渡部元統幕議長は、移転を決定するに当たって東京裁判法廷を含む一号館の歴史的評価について配慮が欠けていたと、こう話しておる。そのほかにも、歴史的評価についてはほとんどまともになされなかったと。つまり、今日こういう市ヶ谷一号館問題をなお論議をしなければならないのには当初こうした歴史的なきちっとした防衛庁側の対応がなかった、これは歴代の統幕議長、幕僚長あるいは内局経験者、そういう方々もそうした思いを抱いている方が決して少なくない。
 長官、やはりこの問題をもう一度原点に返って、私どもあえてこうして申し上げておりますのも、重大な問題が余りにも安易に決められてきたんじゃないのか。そうであれば、やはり政治がこれに対して決断を下さなければならぬのじゃないか。長官、どうでしょうか。
#31
○国務大臣(中西啓介君) 板垣先輩のおっしゃられる意味は私も非常によく理解はできます。
 私が聞いておる報告の中では、何とか一号館を残すというようなこともできぬだろうかというふうなことも検討はしましたと。当時まだバブルも崩壊いたしておりませんで、ある人がある場所にあの一号館を引き取らせてもらってもいいというような話だとか、また違う人ではありますが、車寄せ、玄関ですね、せめてあの部分だけ引き取りたいというようなお申し出とかそういうのもあって、それではということで引き取っていただくにはどれくらいの経費というかお金が要るかというふうなことも調査をしてお知らせをしたところが、余りにも高いものにつくというようなことで、車寄せ、玄関の部分の引き取りを申し出た人も辞退をされた。
 そのまま移転をするということになりますと、やっぱり切り刻んで持っていかなきゃならぬ。そうすると、コンクリートとかはもうはるかに耐用年数を超えておりますのでまた一から張り直さなければならぬみたいなこともあって、やはり数百億の予算がどうしても必要であるというようなことで、バブルが崩壊したということもあったんでしょう、結局その話も結論からいいますと立ち消えになってしまったというような経緯もございましたというような報告も私は聞いております。
 そういうことで、残せれば一番いいんですけれども、今参事官の説明にもありましたように結論から申し上げますと、中央に東西で百三十メーター、南北で八十五メーターですか、相当大きい建物でございますから、あのまま残してほかのものをといっても、計画そのものがもう根本から成り立たなくなってしまうという結論であるという報告でございました。
 ですから、私もそれではせめて、建物そのものを残すということができればそれが一番いいんでありましょうけれども、歴史的事実を後世に伝えていくということがやっぱり一番大事なポイントなんだろうと思っております。要するに、勝者が敗者を裁くことがいいのかどうかというような部分とか、侵略的戦争とかあるいは正義のための戦争とかいろいろ言われる場合もあります。しかし、私は果たして侵略的戦争あるいは正義のための戦争というふうな定義は決定的にできるものなんだろうかと。非常に主観的であるし、抽象的であるし、観念論的であるし、戦争の定義というのは非常に難しいんじゃないかと私はそう個人的には思っております。
 しかし、いずれにせよ、正義の戦争であれ侵略的戦争であれ、人を殺りくし、社会を破壊し、文化を壊すというような意味では大変愚かなことだと。ですから、もう二度とああいう愚かなことは繰り返すまい、やっぱり日本はその先頭に立つべきであるというような、非核三原則とか、あるいは武器をつくってもいないし、国内用の分はつくっておりますが外国に売るための武器製造はしておりませんし、一切武器の輸出もしておりません。過去被爆を受けた唯一の国家民族でもあるし、徹底的な専守防衛に徹している国でもありますし、そういう意味からやっぱり軍縮や平和を呼びかけていく先頭に立つ資格を持っているのが日本なのかなと。
 しかしながら、なかなか世の中は物わかりのいい人ばかりでありませんので、いつ何とき大変な企てが起こり得るということも、これはまあ神のみぞ知るということでありますが、わからないことでありますから、そういうときに、この前の観閲式で総理も言われましたように、これだけ先輩たちが営々として築き上げてきた豊かで平和で自由な祖国日本は断固守り抜いていかなかけばならぬ。そういう部分については、世の中が客観的に見てもうそういう防衛も必要でなくなるというような時点が来ない限りは一切手を抜くことはできない、そういう趣旨のことを述べられたわけでございます。
 ですから私は、その歴史的事実、そういう過ちを二度と繰り返してはいけない、また勝者が敗者を裁くことが果たして正しいのかどうかのこの問いかけを、若い世代の人々にもし続けていくという象徴的なメモリアルを残すという意味では、建物そのものを残さなくとも、残した方がいいんではありますが、残せなかった場合でもいろんな形でそういう啓蒙といいますか啓発といいますか、そういうことをやっていくことは可能なのではないか。
 特に今の市ヶ谷のありていを見ますと、入る場合だってなかなか厳重な警備がしかれておりますし、一般客があそこを見学したいと言ってもそう簡単に行ける雰囲気でない。それよりも移転をして、いろいろな計画が実行される中で記念館みたいなものをつくり上げて、そして可能な限り当時の面影を取り入れて、またいろんな資料等も展示したりあるいは映画で当時のさまを見てもらうとか、そういうところにこれから力を入れていく方が、もっともっと若い人々にそういうものを見ていただくというチャンスあるいは事実関係を伝えていく機会、そういうものが今よりもはるかに増幅されていくんではないのか。そういう意味では、板垣先生のおっしゃっておられる趣旨にむしろそっちの方が実態的にはこたえていくことになるのではないのか、そんなことをふっと思ったりもいたしております。
#32
○板垣正君 実は、後から申し上げますが、私どもも一つの案を考えておりますけれども、やはり歴史の刻まれた建物というものに価値があるわけです。建物そのものが歴史だと思うんです。だからこそ歴史を大事にする。先進諸国に限らず、恐らくいずれの国もそうした歴史的な意味のあるものは、それこそ財政的に貧しい国もあるいは戦いに敗れた国でも、やはりひとしくその歴史につながる立場において肌に触れるものを残すということ、これが本当の人間らしいやり方じゃないでしょうか。
 この問題は世界的にもだんだん注目されつつありますけれども、長官、これは知っておられますか、マッカーサーのいた第一生命ビル、これが二十九日に落成をした。これは一民間会社です。これもしかし、占領下で日本を実質的には支配をした占領軍の司令官のマッカーサーがおさまっておったこの部屋なり施設なり、あの民間会社でもこれがもう老朽化したし新しいビルを建てなきゃならないということになって、これは前の委員会のときにも申し上げましたけれども、アメリカからわざわざ一流の設計家を呼んで、その設計のもとに、つまり新旧相ともに、まさに昔の私ども承知しておりますお堀端のあのGHQの面影はそのまま残されておりますし、そしてまたマッカーサーの居室はそのまま、会議で使うこともあるそうですけれども、一般の人でも開放された姿で見学もできる。同時に、苦労して高層ビル、新しいビルを後ろに完成された。
 今、あちこち聞きますと、例えば山口県の県会議事堂でしたか、これもやはり由緒あるもの。しかしもう新しいものをつくりたい、しかしやっぱり歴史的に由緒あるものは残すべきであるとかと。諸外国におきましてもちょうどそういう戦後五十年目の端境期と申しますか、市ヶ谷一号館の問題ではなくしていろんなところで、民間でも、いろんな国の立場においてもぜひ残したい建物であるが、しかしこれではもう手狭で今のままの運用では行き詰まる、何とかこれを両立させられないかこれが今一流の設計家が大きな仕事の部分にしておる問題であるとも聞いています。
 果たして防衛庁はそこまで努力をされたのかどうかも余り聞きませんけれども、どうも今までの御説明では、とにかく全体の配置からいって、もちろん真ん中の一番いいところにありますからなかなか難しい問題あるでしょうけれども、しかし三倍に広がる敷地の中での配分というようなこともあるし、もっと地下を深く活用するという方法もあるでしょう。また、六本木から全部こっちに持ってくる。必ずそうでなければならないのか。こんな通信の便利な時代でありますから、防衛施設庁なんかの六本木のビルもまだ二、三十年はもつんですよ。そういうものを全部取り払って、あとまだ五、六十年もつ中央指揮所も取り払って移るというわけでありますから、もう少し歴史的な評価というか国民の納得が得られるような、かつてこの委員会でこれはえらいことになりますよという発言もございました、どなたでしたか、これを壊してしまうということになったら本当にこれはえらいことになりますよと、こういう発言も私記憶いたしております。
 そこで、国会においていろんなやりとりもございましたけれども、さっき申し上げましたように防衛庁の答弁も変わっていくんです。歴史的な評価についても、これを保存するため十分慎重に検討いたしました、歴史的にも大事なものはなるべく残したいんですという御答弁もあったかと思いますと、いや我々はそういう歴史的価値判断をする立場にありません、文部省も文化庁もあんなものは文化的にも建物的にも価値がないと言っておりますと、こういう声も出ているんです。これはどっちが本音なんですか。
#33
○政府委員(萩次郎君) 過去の私の前任者、前々任者の国会答弁の中にそのような発言があるというのは承知しております。
 その際に、防衛庁として歴史的な判断を行う立場にはないというのは、これは役所として御質問に答えて、極東裁判をどう防衛庁は判断するんだ、どう考えているんだという歴史的な判断をいわゆる防衛庁としてできるものではございませんということを申し述べておるわけで、歴史的なものの評価を私どもがだめであるとかということを言っているものではないわけであります。
 それから、建物に歴史とは別に文化財としての意味があるのかということですと、文部省にも問い合わせをしたけれども、その建物自体には建築物としての文化財的な要素というのはないという事実があったものですからそのように御答弁を申し上げているということでございまして、先生のおっしゃられる歴史的な意味がないというつもりで申し上げているものではございません。
#34
○板垣正君 長官、地方も回っておられると思いますけれども、地方の都道府県の部隊に参りますと、資料館と申しますか参考館とかそういうようなことで旧軍以来の、あるいは郷土関係の歴史的な資料とか、そうしたものを整理をされ展示をされて、訪れる者はだれでも見ることができる。特に江田島の海軍の参考館なんというものは大変すばらしいものですけれども、ああいうものじゃなくても、地方の例えば連隊なら連隊が一角にそういうものを持ってやっておられる。
 私は、これは防衛庁というか自衛隊が地域に溶け込む、国を守る存在としての地域の信頼を得てやっておられる一つのあらわれだと思うんです。そういうことを通じて、やっぱり自衛隊というものは離れたものじゃない、国民の自衛隊であり国の守りのために存在していると。これは決して文部省や文化庁から指導されてやっているんじゃなくて、自衛隊のお考え、歴代長官の御判断なりに基づいて、私は極めて適切なことだと思うんです。そういう思いをいたしますだけに、どういう事情があるにせよ、これはただごとではない。御本家の一番の中枢が配置上やむを得ない、いかにそういうことを言われようとも、とにかくあの建物を壊してしまうということは、つまり歴史をなくなしてしまう。
 さっき申し上げたように、特に最近は近現代史というのはろくに教えませんからね。それと、まだ日教組の教育の影響で、もうすべて東京裁判的な考え方が浸透しておりますよ。日の丸、国旗も国歌も心からこれを日本のものだというところまでまだ本当の落ちつきもできていない、そういう子供たちが何にもないそういう記念館というかあるいは博物館というふうなところへは便利になってもなかなか行かないですよね。私どもの案は、むしろあの市ヶ谷一号館を残して歴史記念館にすることですよ、あそこを公園にして。これはそれこそ今の防衛庁当局にとってはとんでもない夢のようなこととしか聞こえないかもしれませんけれども。
 やはりいろいろの国民の幅広い声が集約されてまいりますと、特に細川さんのように日本は侵略戦争をしたんだとあんな安易に日本の歴史を裁断するような、そういう中にはむしろ本当の日本の歴史を知りたい、東京裁判というのは何だったんだろうと真剣な声がむしろ起こってきていますよ。それだけに、市ヶ谷一号館のほかにどこがあるでしょう、どこにあれにかわり得るものがあるでしょう。いずれにしましても、あれを壊してしまえばもう永遠になくなってしまうんですよね。
 私も前の委員会のときにも御紹介しましたけれども、市ヶ谷一号館が無用の長物のごとく取り除かれていたら、後代の智者の理性と歴史家の炯眼は、これを立案した官僚の無知を怒り、これを容認した為政者の闘うことを忘れた事なかれ主義を軽べつし、さらに一言も発せず黙認した現代人にはあきれるばかりであろうと、こういう我々の後輩がそれこそ切々たる思いを訴えているわけですね。
 これも民間の方々の活動でございますけれども、市ヶ谷一号館を保存せよというような、また新たにこうしたものもできますね、全国のゆかりの方々の本当に血の出るような叫びですよ。とてもこれは全部は紹介し切れませんけれども、
  歴史観を忘れた日本人
  戦后半世紀を経た現在、我が国の危機を痛感する。敗戦時の飢餓状態の中で誰が今日の物的豊かさと平和な生活を想像したであろう。だが、今日本人が失いつつある公正な歴史観と国に対する誇りを、ある外国人は「歴史観を失った民族」とまで軽蔑している。移転計画の庁議決定はそれに気付かぬ日本人自身、為政者、防衛官僚の一例である。
  そもそも明治維新後、アヘン戦争、列強の植民地獲得競争に目覚めた先人は、富国強兵策の一つとしてここに陸軍将校養成のために士官学校を設立し、大戦当時は参謀本部と陸軍省、戦后は東京裁判の法廷となった。この大戦の原因と東京裁判については各種の意見がある。しかし、この大戦によって、世界の多くの後進国に民族独立の精神が澎湃として起こった歴史的事実をも想起する時、この1号館は日本のみならず世界のためにも、生き証人としての価値があると思う。
  明治維新期の廃仏毀釈運動の際、興福寺の五重塔を薪の料の値段で売りに出そうとした末世の仏僧と同程度の歴史感覚である。
 いずれにいたしましても、この問題は私どもこれだけ、決まったことをいつまでしつこくと、こういうあれかもしれませんけれども、言わざるを得ない。今申し上げたように、多くの方が叫んでおる、声なき声も満ちておる。
 防衛庁長官、防衛庁長官がやはり一番大事にされるのは国民の理解の上に立った自衛隊であると、そういうこともおっしゃっていると思います。そういう意味から、心ある多くの国民が、また少し物を考えれば、やはりかけがえのない歴史的遺産というものはこれはまさに後世に残すのが今に生きる人間としての務めではないのか、これが本当の国民の声じゃないでしょうか。それをどう受けとめるかという問題じゃないでしょうか。その辺をどう受けとめられますか。
#35
○国務大臣(中西啓介君) もう板垣先生のお気持ちは、先ほども申し上げましたとおり、本当に痛いほどという言葉を使ってもいいくらいよくわかります。
 私も防衛庁長官に就任をいたしましていろんなレクを受けました。その中にこの一号館の問題、就任直後でございましたけれども、板垣先生のお立場、御主張というものも当局から聞いたわけでございますが、何とかそれじゃせめて新しく建てる建物の中に東京裁判が行われたあの講堂そのものを残すことができないのかということも検討してもらったわけでございますけれども、結論からいって技術的な問題も含めてなかなか難しい、こういう報告でございました。ですから、確かにそっくりそのまま残して記念館のような形に変えて保存をしていくことができればそれはもう一番いいんだろうと私も思いますけれども、何度も何度も繰り返しいろんな国会の場でもそういうことを、結論からいってできないということを申し上げてきているわけでございます。
 そこで、歴史的事実を伝えるというところに重点を置くとすれば、私はより多くの若い世代にもっともっと掘り下げた歴史的事実というものを説明し、またいろんな資料に触れてもらえる機会をふやすことは逆に大いに可能であると。そんなことを自分なりに考えて、これから移転計画が実行されていく中でもっともっと、何といいますか、そういう目的、趣旨に十分こたえられるような努力をしてほしいということを防衛庁の内部の人々にもお願いを今いたしてお啓ところでございます。
#36
○板垣正君 なかなか明確なお答えがいただけない。お立場上もございましょうけれども、私どもとしては非常に残念だと思います。
 しかし、この問題は先ほど来申し上げておりまするように、防衛庁の立場だけでは失礼ですけれども背負い切れないと申しますか、やはりこれは国の意思として、その矢面に立つのは防衛庁であり自衛隊ですから、本当にこれを壊すということになりましたら、せっかくここまで営々として積み上げてきた自衛隊に対する国民の親近感、信頼感、こうしたものが私は一挙に崩れるんではないのか。そんな国民の信頼を傷つける。そんな基盤の上にどんな立派なビルをつくってみても、あるいはミニチュアみたいな記念館をつくってみても、大変むなしいことじゃないでしょうか。
 私ども歴史を顧みますと、もしあのときこうしていればという思いはいろいろあるわけです。これから東京裁判の問題、戦争の問題もいろいろ論議をしていきたいと思いますけれども、しかし歴史上、イフということは許されない。その時代に生きた人間が振る舞ったことについてはやはりそれなりに責任を担わなければならないとするならば、ああ、あのときにあの建物は残しておけばよかったと、万一あれを壊すことになれば必ずそういうことになります。そのことをはっきり胸に入れていただいて、もう一度、もう一度も二度も、まさにそれが大臣としての、内閣としての、政府としての、政治家としての国に報いる道ではありませんか。
 さてそこで、いろいろ論議してまいりましたけれども、官房長官、今までの論議、やりとりを聞きながら、どういう感想をお持ちですか。
#37
○国務大臣(武村正義君) ずっと伺っておりまして、一貫して板垣議員の過去を大事にしよう、歴史をたっとぼうというお考えには頭が下がる思いで拝聴いたしました。
 その中で、市ヶ谷地区の一号館保存に対する御熱意も改めて認識を深めさせていただくことができました。本当にできることなら何とかならないかなという思いで聞いておったのでありますが、隣の防衛庁長官の答弁や防衛庁側の説明をるる聞いておりますと、それはもう不可能だというお話であります。もし何かの工夫で可能な道があれば残す道がないものだろうかという思いで聞きましたが、これは政府全体というお話もございますが、かなり専門的、技術的な判断でございますから、中西防衛庁長官が決断をされる話だと思っておりますが、最後の判断までまだ余裕があるならば、今の御真剣なお気持ち、お考えというものを胸に入れながら、そのことも大事にしながらどうぞ最終の判断をしていただきた、これは中西長官にそうお願いを申し上げたいと思っております。
#38
○板垣正君 ありがとうございました。
 官房長官として今のお気持ちは本当に真剣なお答えをいただいたと、相ともに何とか打開の道を開いていくと、そういう立場でどうぞ政府のお立場における一層の取り組みを。このままもう既定計画だから済ましてしまおうなどということになったら、これは本当に大変なことになる。それを懸念しますし、また政治のぎりぎりの良識ある決断、これをお互いがこうした論議を通じてつくり出していこうではありませんか。
 それでは、やはり市ヶ谷一号館、この問題は日本の歴史の問題であります。あれはつまり、東京裁判の行われたところであり、さらにさかのぼればポツダム宣言を受け入れた、そしてその歴史につながるわけでございますが、まず外務省に伺いますけれども、ポツダム宣言を受け入れたということは日本は無条件降伏したということなんですか、どうなんですか。
#39
○政府委員(丹波實君) お答え申し上げます。
 まず、ポツダム宣言でございますけれども、この第十二項におきまして「全日本国軍隊ノ無条件降伏」ということが出てまいります。それからもう一つ、一九四五年の九月二日に署名されました日本の降伏文書の中にも「一切ノ日本国軍隊及日本国ノ支配下二在ル一切ノ軍隊ノ連合国二対スル無条件降伏ヲ布告ス」というふうにございます。
 そういうことでございますので、文字どおり解しますと、日本国の軍隊に関する限りは無条件降伏をしたということが言えるのではないかというふうに考えられるわけでございますが、ただ一点だけつけ加えさせていただきますと、ポツダム宣言の第九項を見ますと「日本国軍隊ハ完全二武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭二復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ管ムノ機会ヲ得シメラルベシ」とありますので、日本国軍隊と申しましてもこの点は今申し上げたことの例外になるのかなというふうに考えておる次第でございます。
#40
○板垣正君 もっと簡単に言えば、戦後、日本はもう無条件降伏したんだからと、そう何か定着してしまっているわけですけれども、私は無条件降伏ではない。確かに、軍は無条件降伏、武装解除を受けました。連合国は、あのポツダム宣言、我々はこれを逸脱することはないんだとうたわれているではありませんか。つまり、条件つきの降伏を受け入れた、ポツダム宣言を受け入れた。国そのものがもうすべて無条件降伏である、何をされても文句は言いませんというドイツの場合とは違うでしょう、ドイツは政府がなくなってしまったんですから。どうですか。
#41
○政府委員(丹波實君) ただいまの先生の御見解に対しまして、私特に異論はございません。
 先生が今引用されたのはポツダム宣言の第五項だと思いますけれども、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」ということで幾つかの条件が挙がっている、そういう意味では日本国軍隊を離れて日本国家として見た場合にはポツダム宣言には一定の条件があったではないかという御意見だと思いますが、それはそのとおりだと思います。
 他方におきまして、この問題につきましてはいろんな説があることは先生御承知のとおりで、当時提示されたこれらの条件を日本国として修正、変更することができたような状況であっただろうかということになりますと、答えは恐らくノーであったという状況でございます。
 そういう意味では、前段を強調するか後段を強調して考えるかということによってそれぞれの人の結論は若干なりとも異なってくるということではないかというふうに考えておる次第でございます。
#42
○板垣正君 そこで、いずれにしましてもポツダム宣言には戦争犯罪人を処罰するという項目は確かにありますけれども、それでは東京裁判というものを連合国がやったということはポツダム宣言の上から見て私はおかしい点がいろいろあると思いますけれども、どうでしょうか。
#43
○政府委員(丹波實君) 東京裁判の評価につきましては、いろいろ国際法上の論点がございますことは、先生もこの点大変御専門でおられて十分御承知のことと思いますけれども、現実にはサンフランシスコ平和条約第十一条におきましてこの東京裁判というものを日本国としては受け入れているわけでございます。
 これは先ほど申しましたように、そのことにつきましていろんな御意見、説がございますけれども、当時、日本国として独立を回復し、戦後の国際社会に復帰するためのサンフランシスコ平和条約としては、それはそれでやむを得なかった措置だった、こういうふうに考えざるを得ないというふうなことでございます。
#44
○板垣正君 やむを得ないやむを得ないで既成事実化して大して疑問も持たないで、もちろん戦禍は深刻でございましたし、食べるに食なし住むに家なし、こういう戦後の状況の中でありますから東京裁判は国際法的に見てどうだなんて。
 一番言論が自由であったのは東京裁判の弁護団だったそうですね。さすがにあそこでは何を言おうと、だから清瀬一郎さんは堂々とこの日本の立場を主張されましたね。しかし、一歩外に出てうっかり東京裁判を批判するようなことを一口でも言おうものなら、もうすぐ連合国に処罰をされる、言論統制が完璧でありますから。
 そういう中で過ごした立場から、まあやむを得なかったというのはやむを得ない。それは事実は事実としてそういう事実ではあったでしょうけれども、今の時点でいろいろ歴史を読み直していく、見直していく。その一つのよりどころと申しますか一つの真実として、我が国は決して無条件降伏をしたのではない。ドイツのように、ヒットラーは自殺をし、支離滅裂になって政府もなくなって、それこそもう無条件、こういう姿ではない。我が国の場合、まさに終戦の御詔勅のもとに何百万の軍隊が無念の涙をのみながら整々として武器を捨てて、抑留された者もおりますし、B、C級戦犯で戦後千名近い人が連合国に処刑をされておる。こういう苦難の中で私ども戦後の復興の道を歩んできたわけでございます。
 先般、ここに参考人で征四郎さんという名前の方が見えたので、我が同僚議員が板垣征四郎さんと言ったので私も驚いたんですけれども、決して東京裁判の亡霊をここによみがえらせようという思いではありませんし、たまたまそうした立場においてある私の個人的な気持ちを申しますならば、私は父は決して侵略者でもなかったし、また東京裁判で言うところの犯罪者ではないと。しかし、国家国民に対しては指導的立場にあった者として深い政治的、道義的責任は免れない。これは申しわけないことである。文もその思いで絞首台に消えていったでありましょう。したがいまして、私も及ばずながら、戦没された方、遺族の方の少しでもお世話をできればという形で今日まであります。
 ただ、そういう個人的な立場でいろいろ申し上げているのではない。やはり一人の日本人として、またたまたまこういう立場にある者として、歴史を見直していかなければならない。何といっても、戦後支配してきたものがこのいわゆる東京裁判ということであるならば、この本質というものを徹底的に解明をして、私は、ポツダム宣言に違反をした、当時の国際法に違反をした本質的には復讐裁判、こう言わざるを得ない。官房長官、この辺はどうお考えですか。
#45
○国務大臣(武村正義君) 東京国際軍事裁判は、ドイツのニュルンベルクと同じように、あの戦争の個人の戦争犯罪を裁くために連合国によって設置をされた裁判所でございます。
 私個人としては、極東軍事裁判、東京軍事裁判の論旨のすべてを納得しているものではありませんが、今も丹波局長が申し上げたとおり、戦後の日本国政府がサンフランシスコ平和条約によってあの裁判の結果を受諾したということを政府として公式に表明をしているわけであります。表明というよりも、条約の中に書かれているわけでございます。そのことの重みを日本の国としては軽視するわけにはいかないということも事実でございまして、板垣委員のお気持ちを理解しながらも、政府としては一貫したこの認識を変えることはできないというふうに思っている次第であります。
#46
○板垣正君 それが後から出てくる平和条約第十一条の問題なんです。これは誤訳という説も非常に有力なんですね。
 いずれにしても、あの東京裁判は平和条約で厳粛に受けとめたからそれからはもう一歩も出られないんだと、細川首相もそのようなことをこの間言っていましたけれども、官房長官も今そういうようなお言葉ですけれども、それをもう脱皮しなければならないときではないのか。つまり、いつまでも東京裁判はいわば天の声なんだと、そしてそれには束縛される、東京裁判史観を超えられない、これが今の日本をいろんな意味でゆがめ、いろんな形で問題を派生じている、歴史を失わせている、私はそう思います。
 この問題は後でまた申し上げますけれども、外務省どうでしょうか、あの当時の国際法で条例をつくってああした形の国際裁判をやったわけですけれども、国際裁判と称してやったわけですが、国際法の上でいわゆる侵攻戦争を行った国は犯罪を犯したことになる、あるいはその国の指導者は個人的に責任を負わなければならない、こういう国際法があの時点において存在したんでしょうか。
#47
○政府委員(丹波實君) 先ほど私東京裁判をめぐりましてはいろんな御意見が存在しておるということを申し上げましたけれども、その中の御意見の一つとして次のような考え方があるわけでございます。
 一つは、平和に対する罪により国際法上個人の刑事責任を問うという原則は、当時の国際法上の原則とはなっていなかった。したがって、かかる罪による個人の責任を問うたことは罪刑法定主義に反するのではないか。それからもう一つは、平和に対する罪がその後国際法上の犯罪として認められるようにたとえなったとしても、それによって当時戦争責任者を有罪としたことは事後法の禁止に反するのではないか。そういった非常に重要な問題点が指摘されておるということは十分承知しておる次第でございます。
#48
○板垣正君 我が外務省はこう考えておりますというのは出ないんですか。
#49
○政府委員(丹波實君) 平和に対する罪の問題につきまして、罪刑法定主義に反するという考え方は学者の先生方の本を読んでも多数説となっております。私たちもそういうものであったのではないかというふうに考えてもおかしくはないというふうに考えておる次第でございます。
#50
○板垣正君 初めからそういうふうに言ってもらえればはっきりするんです。
 だから、この東京裁判、極東裁判というのはどういうものであったか。これは、アメリカの連邦最高裁判所の著名なダグラス判事が再審査請求の問題に関連して意見書を出したことがあるんですね。一九四九年六月二十七日、極東国際裁判所は裁判所の設立者から法を与えられたものであり、申立人の権利を国際法に基づいて審査できる自由かつ独立の裁判所ではなかった。それゆえに、パール判事が述べたように、同裁判所は司法的な法廷ではなかった。それは政治権力の道具にすぎなかった。これがアメリカ連邦最高判事のダグラスという方のあれですね。
 つまり、政治裁判であり軍事裁判である。というのは、あれはまだ占領下に行われたわけですね。講和条約がまだ行われておらない。八月十五日に戦争が終わったんではないわけです。八月十五日は停戦をしたわけであります。そして、ポツダム宣言を受け入れて停戦をした。撃ち方やめであります。それから九月二日のミズーリ号はポツダム宣言を条約化したわけでしょう。そして占領体制に入った。昭和二十七年四月二十七日のサンフランシスコ条約の発効によって初めて日本は戦争が終わったわけですね、国際法的にいっても。ということは、八月十五日から講和条約発効までの間は言うなればまだ戦争が続いているわけですよ。言うなれば武器なき攻撃が続行された。その総仕上げが東京裁判です。だから、軍事裁判であり普通の司法裁判ではない。国際法にも、事後法であり、戦争を行ったこと自体を平和の犯罪として弾劾するような、あるいは個人個人の責任を問うようなことはいまだかつてなかったわけであります。軍事裁判であり、また軍事占領下の総仕上げ、つまり戦闘の勝利を戦争の勝利に持っていくために行われたのが東京裁判である。私に言わせるならば、平和憲法を日本に押しつけたこともその重要な大きな柱ですよ。
 そして、さっきおっしゃった平和条約第十一条、これで日本に本当は裁判の執行を肩がわりしなさいというだけの話なんですよ、まだ巣鴨とか海外にも戦犯がいますから。普通は講和条約が調印できたらみんなもう解放ですよ。それが国際法でしょう、それこそ。しかし、連合国は執念深くもまだ解放させない、刑務所に入れておく。この刑の執行は日本政府が肩がわりしろ、肩がわりします、判決を受諾します、これが平和条約第十一条であるということは権威ある国際法学者も、したがってそれを、裁判を受諾したと誤訳をさせ、しかも長官がさっきおっしゃったように、日本の政府も歴代政府が東京裁判は受諾をしました、第十一条で受諾をしましたからあれに触れるわけにはいきませんというふうな、まことに情けない。占領軍の追撃戦が成功した、戦闘で勝って戦争で勝ったその最後のため押しが講和条約第十一条。そうであるならば、東京裁判、それに通じる日本の直面した歴史というものをもう一度顧みざるを得ないと思います。
 あのマッカーサーが米の上院軍事外交委員会で、日本は安全保障のために行ったんだと、あれは。日本は侵略戦争したんじゃない、こういうことを証言していますね。これは有名な話ですね。東京裁判は誤りであったと言った。それから、日本はあれはほとんど安全保障のためにやった戦争だと。昭和二十六年五月三日ですよ。これはどういう意味なんでしょうか。
#51
○政府委員(丹波實君) 先ほどこの東京裁判につきましていろいろな考え方があるということで御説明申し上げましたけれども、しかし先生御承知のとおり、先ほどからの繰り返しになりますけれども、平和条約第十一条の関係からして、日本政府といたしまして現在国と風との関係でこの問題を提起していくという立場にはない、東京裁判の結果につきましては日本国政府としては異議を唱える立場にはないということは、従来の政府を通じまして私たちずっと御説明申し上げてきた次第でございまして、例えば昭和六十三年四月十五日の参議院決算委員会の議事録で、板垣先生が当時の小渕官房長官に同趣旨の説明を求められ、小渕官房長官から同趣旨のお答えをしておる議事録がございますけれども、一貫して政府と政府との関係としては異議を唱える立場にはないということを申し上げてきた次第でございます。
 ただいまのマッカーサー司令官の重言につきましても、そういう考え方は大変当時の責任者である司令官の発言として私たちも注目はいたしますけれども、日本政府としてこの東京裁判に異議を唱える立場にはないという点については、変えることは現時点ではできないということはぜひ先生御理解いただきたいというふうに考える次第でございます。
#52
○委員長(岡部三郎君) 午後一時に再開することとし、休憩いたします。
   午前十一時五十七分休憩
     ――――◇―――――
   午後一時開会
#53
○委員長(岡部三郎君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、国家行政組織及び国家公務員制度等に関する調査並びに国の防衛に関する調査を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#54
○板垣正君 官房長官に伺いますが、いわゆる東京裁判史観というものをどういうふうにお考えでしょうか。そしてまた、これについてどういうふうな御見解をお持ちですか。
#55
○国務大臣(武村正義君) 先ほど申し上げたわけでございますが、東京裁判についてはさまざまな見方があるということは私もそれなりに読んだり聞いたりしてまいりました。自分の確たる史観は持っているわけではありませんが、侵略戦争云々という言い方も、あれは東京裁判で裁判の結論として表現された言葉でありまして、東京裁判で言う侵略戦争とは一体どういうものなのかこういう論議もあろうかと思うんです。これは総理の発言と違った意味で申し上げているんですが、必ずしも東京軍事裁判で言う侵略戦争を私自身は個人として肯定するものじゃないという言い方もしてまいりました。
 先ほど来局長の答弁にもありましたし、先生の御質問にもございましたように、平和に対する責任を追及したわけでありますが、あらゆる裁判に共通する大原則である罪刑法定主義があの裁判で貫かれたのかどうかというところにも問題は当然ありますし、何といっても勝った連合軍が負けた日本を裁いた、いわゆる中立の立場で必ずしも裁かれたものでないという批判もあるわけでございまして、等々、パール判事の主張もございますが、そんな中で東京裁判は東京裁判の見解があると。
 ただ、この見解がサンフランシスコ条約によって、日本政府もこれに参加をし締結をする形で合意をしているというところに政府としては、これはもう国際条約でございますから、今もその条約が生き続けているわけでございますから、その重みはかみしめなければいけないというふうに思っているところであります。
 これ以上勉強しておりませんので、私の精いっぱいの感想であります。
#56
○板垣正君 やはり長官も、いわゆる東京裁判史観というのは日本がすべて悪かったと、簡単に言えば。つまりあの判決の弾劾を受けて、平和の敵である、人道の敵である、それをもうそのまま素直に受けとめてそのとおりでございますという史観がいわゆる東京裁判史観で、私どもはそれは早く脱皮しなければ本当の歴史は見えてこない。今伺っていると、長官もまだ半分ぐらい東京裁判史観に毒されていると言っちゃ失礼かもしれませんが、講和条約にそれほどこだわることはないんじゃないでしょうか。これはさっきも申し上げたことです。
 東京裁判史観とは何かというのを東大の小堀先生が割に要領よくまとめておられるんですね。いわゆる東京裁判史観なる一個の体系的歴史観の骨格をなすものは何だろうかと。まとめてみると、
  一、昭和三年に始まり昭和二十年八月に終る期間に日本が従事した戦争は全て侵略戦争であり、従ってパリ不戦条約に違反する犯罪である。昭和史は概ね、殊に昭和六年以降は連年一貫してこの国家的犯罪の積み重ねである。
  二、この犯罪を計画し実行したのは一部の車国主義者と超国家主義者達であり、国民はそれに引き摺られた。欺かれ、駆り立てられてゐた国民は今や覚醒し、自分達を瞞した者に対して厳しい批判を加へるべきである。一般化して言へば、支配階級対被支配階級の対立相剋、そしてこれまでの被支配階級が自らの権利を恢復する欲求に眼覚めることが将来戦争再発の防止の基礎になる。
  三、しかし乍ら、日本が昭和初年以来のシナ大陸へ向けての膨張政策、昭和十六年以降の東南アジアへの進出に伴ふ軍事支配によって、これら近隣諸国に対する侵略者にして加害者の位置に立つたこと、これらの諸国に及ぼした禍害の責任は、日本国民全体にかかってくるものとして永く忘れられてはならない。
  以上の三点がその主要項目である。この三点を押さへて、今後の日本の復興・発展に対する軛とし、足枷としておけば、日本が米英を始めとする連合国にとって再び恐るべき競争相手として立ち向ってくることの危険は防止できるであらう――といふのが連合国側の読みであり、東京裁判の検察団といふ存在も、結局はこの国家戦略的意図の下に運用されてゐた道具にすぎなかつたのである。
つまり国民はだまされていた、一握りの指導者が悪かったんだ。そして、日本の行ってきたのは全部侵略だ、しかし国民全部も侵略者として加害者ですよと。いわゆる三点を押さえて、もう講和条約でそれをいただきましたからそれについては文句を言えませんという、まさに総仕上げの姿において東京裁判が、日教組あるいは知識人、いわゆる進歩的文化人と称する、そういうとうとうたる流れの中で、まさにこの期待したとおりの歴史観、歴史の見方が今日なおいろんな方面で、また検定が行われている学校の教科書にもあらわれている。
 こうした問題を見直していくこと、つまりこの東京裁判史観の呪縛を脱していくこと、私どもはどうしてもその歴史の舞台であった一号館の保存という必然的に強いつながりの中でこの大きな見直しをしていかなければ、日本の国の本当の歴史というものは取り戻せないのではないのか。それは決して過去の賛美でもなければ戦争肯定でもありません。今、日本国民の平和に対する思いというものは決して薄いものではないはずでありますから。
 そういう面を考えますと、この日本の歩みというものが、明治維新以来今日に至る歩みというものがどういう流れの中で来たのか。アメリカとの関係というのは今日も大きいし、当時から大きかったということを改めて思うんです。ただ、ルーズベルト大統領が、日露戦争のときには非常に日本に好意的であったけれども、日露戦争が終わった後は、私は今までは日本びいきだったけれどもこれからはそうじゃないんだと。つまりアメリカがハワイ、フィリピン、アジア方面に進出してくる大きな流れと、日本が明治維新をなし遂げ、近代国家として日清、日露を戦い抜いて伸びていく、こうした姿が中国大陸あるいは満州等をめぐっていろいろきしみを生じてくる。
 ここに日本の近代国家としての歩みの非常な厳しさもあった。同時にこういう流れを、日本も明治維新、近代国家の道を歩んで、米英と同じ侵略国家、帝国主義国家になってその利権をあさったという見方で見るのか、いや、アジアにおけるただ一国の近代国家として、アジアの日本として、むしろ西欧勢力に対する抵抗の勢いとしてその前途を曲折の中を切り開いてきたと見るか、ここに東京裁判の見方も分かれてくると思いますけれども、やはりあの裁判を通じて、インドのパール判事が出された判決なりパールさんの考え方というものを私どもは改めて見直す必要があるんじゃないか。
 パールさんは日本は無罪であるという判決をただ一人出されたわけです。しかし、この判決文は読むことを許されなかった。占領中は印刷して配ることも許されなかった。しかし、やがてその後刊行されましたし、またパールさんは日本にもお見えになって勲一等の勲章も日本政府から受けておられる。国際法の人権威でございます。
 国連の国際法委員会における責任者として、これだけの権威ある方が、私は日本に同情するがために意見を呈したのではない。私の願いは真実の発見である。真実を探求した結果、かのような結論になった。それ以上のものでもそれ以外のものでもない。同情に感謝するというのは全く見当違いだ。日本がパールさんに、あなたが日本無罪の判決を下してありがたいと言ったら、そうじゃないと、歴史の真実を見きわめて書いたと、こういうことを日本に明確に言っているわけです。そのくらい、パールさんも言っておられるこのアジア侵略というもの、植民地化というものが極めて、これはもう時間もだんだん迫っておりますからあれですけれども、つまりはコロンブスがアメリカ大陸を発見した大航海時代以来、世界はまさに白色人種の支配する、征服するところに、特に産業革命以後、十八世紀、十九世紀、かくしてアジアのほとんどの地域、日本を除いてはほとんどの地域が何百年にわたって欧米の植民地化するに至った。
 この状況をあの歴史家のトインビーがこう言っています。西欧人は羊のもを刈るがごとくに世界至るところを侵略した。我々西欧人が土着民と呼ぶときには、我々は彼らを歩いている樹木か物言う野獣としか考えていない。我々はこれらの土着民を放逐されるべき有害動物がさもなければ森林伐採者とか水くみにならすことのできる家畜として取り扱ってきたのだと。これが実情だったんじゃないでしょうか。
 いろいろな書をひもときますと、イギリスのインド支配、インド侵略、ニュージーランドとか、ニュージーランドに一七六九年以来接触が、侵入が始まるわけですけれども、一八四〇年、属領とする。一八四五年から七一年の間に英人のマオリ族虐殺、三十年間で数十万人いたこのマオリ人種が約四万人になってしまった。あるいはオーストラリアにおきましても、一七七〇年、あの有名なクックが豪州東岸に達した。流刑植民地としてこれが植民地化したわけですけれども、最古の人種と言われたアボリジニーズ族の現地民、当然のごとくに虐殺され、百万人ぐらいいたのがわずか六万人になってしまった。彼らはそうした土着民を動物より幾らか進歩した動物だと。
 こういう中で、日本が辛うじて植民地化を免れてアジアのために戦ってきた姿というものは、そういう流れの中で、日中戦争は非常に不幸なことでありましたけれども、これは私も一概にただ日本の一方的領土的野心を持った侵略とは言えないと思うし、まして大東亜戦争に至りましてはむしろ追い詰められやむなく立ち上がると、これは開戦の詔勅にも明らかです。
 したがって、東京裁判史観と言われるように、あの裁判結果に呪縛をされていつまでも、日本がただ何か悪いことをしたんだ、今の若い人たちにも自分たちの先祖は悪いことをしたんだ、父や何かはただただ侵略をしその手先になったんだと、こういう形で語られ、こういう形で伝えられているということはもう大変残念なことです。
 これは私ばかりしゃべることになって申しわけないが、大事な点でありますからもう一言言わせていただきますけれども、だからこそインドのパール判事が一九五二年、広島高裁で演説をされたそのときに、要するに連合国は、日本が侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去十七年間の一切を罪悪であると烙印することが目的であったのだ。欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人だ。それなのにあなた方は自分らの子弟に、日本は国際的犯罪を犯したのだ、日本はアジア諸国に対し侵略の暴挙をあえてしたのだと教えている。私は、日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流れていくのを見過ごして平然たるわけにはいかない。誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならないと。これこそ本当のアジア人の声であり、日本に対する最も理解ある、また激励、鞭撻ではないでしょうか。
 以上、るる申し上げたことについて、東京裁判史観の払拭を含めて、長官のお気持ちを承りたいと思います。
#57
○委員長(岡部三郎君) 少し聞きづらいので、なるべく大きな声で御発言願います。
#58
○国務大臣(武村正義君) 重ねてかつての戦争をめぐる御認識で板垣委員の御見解を伺いました。
 コロンブス以来の白色人種の植民地支配といいますか、それもそのとおりでありますし、考えてみますと、あの時代から十八世紀、十九世紀、二十世紀半ばまで続いた公然たる植民地競争というかそれを帝国主義とも言うんでしょうが、そういう列強の白色人種の国を中心にした覇権主義的な行動の中で、おくれて出発した日本がさまざまな被害を受けたということもありますが、同時におくれてその道を歩もうとしたということもこれも一面事実であります。朝鮮半島の植民地支配の問題も日中戦争もそういう側面を持っていないとは言い切れない。確かにそれもそれぞれ動機があり背景がありました。
 そして細川総理が述べておりますように、背景や動機はともかく結果としてあの戦争によって、日本軍によって数多くのアジアの人々が財産や命を失い、あるいは多大の精神的な苦痛を受けたこともこれも歴史の事実であります。個々の行為についてもまた個々の理由があるんでしょうけれども、少なくとも、日本の国内でなしに、日本の軍隊が日本以外のアジアの国々で戦争に参加をしてそして数多くの命を傷つけたことも事実であります。そのことも歴史の事実として素直にやはり見つめなければならないのではないか。
 ですから、戦争全体が動機も含めて日本に非があったとは私は思いません。あの戦争の最後はソ連との関係で言うならば日本はむしろ被害者であります。だからエリツィン大統領もああいう形でおわびをしましたが、そういう側面もあったことも事実でありますし原爆の投下もありました。また、おっしゃるとおり東南アジア等々では白人の植民地支配からむしろそれぞれの民族を結果としては解放する役割を果たしたことも事実であります。その点は余り先生と見方は違わないと思いますが、ただやはり、多くの人たちに大変な苦しみや悲しみを与えた、そのこともしっかり見詰めることが大事ではないかというふうに私個人としては思っております。
#59
○板垣正君 戦争が人類にとって不幸なことであることは当然であるし、早く平和をという願いもまたこれ共通なものであろうと思うが、同時に人類の宿命といいますか、言ってみれば第一次大戦、第二次世界大戦に至るまではまだ世界はある意味での戦国時代と申しますか覇権を争う時代と申しますか、そういう中でその時代を生きざるを得ない、その中でみずから選択して生きる道を求めざるを得ない、そういう面もやはり十分配慮する必要があると思う。時代を特定しないでただとにかく戦争で外国に行ったんだからそれは侵略だ、悪いことをしたんだと。私は、そういう反省というものは非常に誤解を与えるし、もう少しきっちりした歴史観と申しますか認識というようなものを深めていく必要があるんじゃないのか。
 確かに今おっしゃったように、アジアに侵略侵略と言っていますがアジアはまさに解放されたわけです、あの植民地から。不幸なことであったけれども、あの大東亜戦争がもしなかったならばアジアが植民地から解放されていたでしょうか。インドネシアの独立運動で最高建国栄誉賞、ナラリヤ勲章というのを日本人で七名ほどの方が受けていますね。前に参議院におられた稲嶺一郎先生もそのお一人です。あるいはビルマでも独立義勇軍の最高勲章、建国栄誉勲章、こういう方々もおられるわけであります。そしてまたインドネシアのあの独立戦争に、戦争に敗れたけれども自分たちが一生懸命独立軍を訓練してきた、このままでは日本に戻るわけにいかないと一緒に部隊を離れて独立軍に入って三、四百名といわれる方々があそこで戦死している、戦後ですね。ジャカルタの英雄墓地に参りますと日本人も一緒に十何名か英雄としてあそこに祭られております。
 そういう歴史をあのトインビーという人がどういうふうな評価をしているか、トインビーはこう書いております。
 第二次大戦において日本人は偉大な歴史を残したと言わなければならない。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人間の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人は過去二百年間に考えられていたような不敗の半神ではないことを明らかに示した点にある。一九四一年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではないことを決定的に示した。この啓示でアジア人の士気に及ぼした恒久的な影響は明らかである。
 オーエン・ラティモアという比較的これは余り日本に好意を持ってなかった米人でございますけれども、日本が立派にやり遂げたことはアジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊したことだと。
 改めて言うまでもなく、何も戦争を賛美し肯定する立場で申し上げているんではないけれども、これがまさに歴史の事実として、真実として、こうしたもとで身を捧げた方々に対して感謝の気持ちを持ち、意を払い、何かこれでもかこれでもかと日本が悪いことをしてきた、おわびが足りない、こういうことに対してもうこの辺で真実の歴史を取り戻さなければ、歴史を失った民族は滅びる。
 そういう点で、ドイツの例がよく取り上げられます。ドイツは感心である、大変多く賠償もしているし、補償もしているし、ワイツゼッカーの演説も立派だと。それに比べて日本はおわびが足方ない、お金も足りない、これが今のマスコミの流儀であります。何かそういうようなことを言うと気のきいたことを言っているような風潮がございますけれども、どうでしょうか。ドイツと日本の場合の立場の違い、これは国際法的な問題もありますから、外務省どうでしょうか。
#60
○政府委員(丹波實君) 先生御指摘のとおり、第二次大戦へのかかわり方、その終結の仕方等、ドイツと日本とは非常に違っておるところがございますので、今の論点に関連してドイツと日本を同列に論じるということは必ずしも適当ではないというふうに考えておる次第でございます。
 いわゆる謝罪の問題につきましても、例えばよくワイツゼッカー大統領の一九八五年五月の発言が引用されます。これは戦後四十周年の機会にドイツの連邦議会で行った演説でございますけれども、ワイツゼッカー大統領はこの演説の中で、ヒトラーが行った行為に言及の上、過去の行為をドイツ史における誤りであると認め、過去に目を閉ざす者は現在にも盲目であるということを発言されたわけですが、主としてナチによりますところのユダヤ人の虐殺ということを念頭に置いたものであろうと考えます。
 いずれにいたしましても先ほど申し上げましたとおり、第二次大戦へのかかわり方、その終結の仕方、例えば平和条約というものが東西ドイツの分裂のために今日まで締結されていないというのも大きな違いでございますけれども、そういういろいろな点がございますので、同列に論じることは必ずしも適当でないということではないかというふうに考えます。
#61
○板垣正君 ワイツゼッカーは細川さんみたいなただ安易か謝罪みたいなことを言ってないんですね。それは決して言ってない。ただ一人一人がやはり事実に、歴史に向き合うべきだと、それは避けちゃいけないと。それから補償の問題も、あれはドイツ刑法でしょう、国内法で殺人罪を犯したという形で、それはいろいろやったわけですから、ナチスは。そういうものも日本はそれが足りないとか何とかという大変この辺が情報も認識もゆがんでいるんじゃないのか。
 それから、第一次大戦後ぐらいから世界は協調の時代に入ったのに日本は軍事力を使ってという見方があることも事実であります。しかし、第一次大戦後本当にそういう協調の時代に入ったのか、この辺もいろいろな見方は分かれると思いますけれども、あのワシントン条約によって、あるいは九カ国条約によって日本にいろんな制約が課せられたということもございます。
 一九二四年の七月一日、この日がどういう日であるか、官房長官御存じですか。一九二四年七月一日。
#62
○国務大臣(武村正義君) 存じません。
#63
○板垣正君 防衛庁長官。
#64
○国務大臣(中西啓介君) よくわかりません。
#65
○板垣正君 丹波さんどうですか。
#66
○政府委員(丹波實君) とっさのことでちょっと思い出しません。恐縮でございます。
#67
○板垣正君 私の誕生日ですが、同時にこれはアメリカにおける排日移民法案がいよいよ施行された日なんですよ。
 明治初めから移民が始まりましたね。いろいろないきさつがございましたけれども、この排日移民というものが、協調の時代と言われながら日本人がいかに差別をされ排撃をされ、あげくの果てはアメリカ国家のあの議会において日本人は受け入れられないと、こういう差別的な形で法案が可決され、それが実施されたのが大正十三年七月一日であります。だからこそ、当時の日本人はこの日をまさに屈辱の日と申しますかあるいは民族としての惨めさといいますか、こういう時代を背景にしながら、日米関係がいろいろな形で歴史を織りなしてきた。
 今の時代に置きかえて、こんな平和な波穏やかなときに、いきなり日本は野蛮にも満州に侵略していったんだとか中国に侵略したんだとか、こういう極めて安易な歴史観が、歴史観とも一言えない、まさに東京裁判史観がまかり通っておることの一つの反証例として、反撃としても、これはやはり日米関係の一つの大きなあれとして、大正十三年七月一日以来、その後日米が戦い、戦争が終わって講和条約、それまで日本人はついに移民は閉ざされていたんですよ。これは今さら改めてそういうことを言ってアメリカを非難攻撃する意味ではありません。これまた歴史の真実であり、その当時生きていた人たちにとっては、寝ても覚めても忘れることのできない、持って行き場のない、そして民族のエネルギーを大陸にと、これまた当然の流れではなかったでしょうか。
 午前中に論議がありましたけれども、マッカーサーが日本から帰って、アメリカの上院で、日本のあの戦争は侵略じゃないんだ、安全保障の戦争だったと彼が言ったという背景は、やっぱりあの御存じの朝鮮戦争が始まってさんざん苦労して、中共も入ってきて中国軍も入ってきて、彼は満州を爆撃する、原爆を落とすというところまでいったのでトルーマンから首を切られたわけですね。だからマッカーサーは、あの朝鮮半島の共産主義勢力、あるいはあの動乱の中における自分のそれこそあの体験を通じて、初めて歴史を学んだんじゃないでしょうか。つまりアジアにおける日本の存在が、つまり日本の国是であるアジア安定のために、明治時代は南下するロシア勢力の防波堤として、革命後はソビエトの共産主義勢力の浸透する、そういう勢力に対するまさに防波堤として、アジアのためにかけがえのない役割を果たしてきた。
 そういうことに初めてマッカーサーも気がついて、アメリカ上院に行って、日本という国は生糸ぐらいしかできない国で、経済的に遮断されれば千二百万から千三百万人の失業者が出る国だと、こういう国が今回のああいう中で戦争に赴いだということは、日本の自立、安全保障のためであるというようなことを言ったわけであります。
 やはり歴史というものをいろいろな角度から、是は是、非は非とすると申しますか、ありのままに史実として、日本人の歴史を日本人が粗末にし忘れてしまったらだれが受け継いでくれますか。そういう立場でアジアの、いろいろ申し上げましたけれども、帰するところがやっぱりきょうの中心テーマであります市ヶ谷一号館の問題。そういう立場で私どもは、また恐らく関心を持っておられる方々は、ただ古い建物を残しておこうとか、あるいは私もその片割れでありますが、旧軍関係者が単なるノスタルジアであれば残してほしいとか、そんな簡単なものではないわけであります。
 改めて防衛庁長官、きょう時間をかけましていろいろな角度から論議をしてまいりましたけれども、先ほどはこれは政府の立場において官房長官も深いお考えの一端を述べられましたけれども、しかし、何と申しましてもこの問題はやはり防衛庁、そして今その最高責任者であられる中西長官の双肩にまさにかかっておる。この問題についてもう一度御所見のほどを承りたい。
#68
○国務大臣(中西啓介君) 板垣先生の本当に歴史観、私どもはまだ本当に幼い、幼年時代であったわけでございます、東京裁判が行われていたころは。しかし、お話を承って、私は非常に先生のお気持ちはよくわかるような気がいたします。
 もう一度検討してみてくれというお話でございますから、防衛庁当局にもう一度私は検討を命じてはみたいと思います。しかし、私が今まで彼らからいろいろヒアリングをしてきた感じでは、なかなか結論は覆すことは容易ではないのかな、そんな今まだ印象を持っておりますけれども、なおぎりぎりのところまで検討してみたいと、それはこの場でそのようにお答えをさせていただきたいと、このように考えておるところでございます。
#69
○板垣正君 大変力強いと申し上げたいところでございますが、御信頼申し上げますので、どうぞまさにこのときにおける長官の存在というものはまことに大きなまた意義のあるものでありますから、誤りなきをひとつ期していただきたいのであります。
 外務省にもう一度伺いますが、第十一条のあれはやはり裁判と訳すよりは判決と訳すのが正解じゃないんですか、言葉の上で。
#70
○政府委員(丹波實君) この第十一条の、裁判を受諾しとございますが、そこでの英語はジャッジメントという言葉になっておるわけでございますけれども、ちなみにサンフランシスコ平和条約におきましては、第十七条におきましてもやはりジャッジメントという言葉がございますが、その二つとも日本語では裁判という文言を当ててある次第でございます。
 東京裁判の中身との関連で御説明申し上げさせていただきますと、裁判長はその判決のところで、これから自分は、ジャッジメントを読み上げるというところから始めておるわけでして、そのジャッジメントといいますのは三つから成っておりまして、裁判所の設立及び審理、それから法、侵略、太平洋戦争、起訴状の訴因についての認定、それから判定、それから刑の宣言というものをこのジャッジメントがすべてを包含しておりまして、そういう意味で一部の方がおっしゃっておられる刑の言い渡しだけを意味しておるはずだというふうにはとれないわけでございます。そういう意味で、結論的に申し上げまして、その裁判を受諾しという表現は、私たちとしてはやはり正しい表現ではないかというふうに考えておる次第でございます。
#71
○板垣正君 この問題はさらに検討を要する問題でございます。
 防衛庁に伺いますが、作業の進行を私どもはあくまで見直してもらいたい、こう申すわけでございますが、同時に防衛庁側は着々と既成事実を積んでいかれる。さっきお話もございましたが、既に千九百億を超す予算を計上された、これはどういう使われ方をしてきているわけですか。
#72
○政府委員(萩次郎君) 現在までの進捗状況をまず御説明申し上げますと、中央庁舎等の移転に絡みまして、当然現在市ヶ谷におります部隊、機関が他の駐屯地に移動をするということで、現在までのところ、六年間にわたって市ヶ谷のみならず、目黒、朝霞、大宮、霞ケ浦、十条、これらの六地区におきまして工事を進めてまいってきております。
 それぞれについて簡単に申し上げますと、市ヶ谷そのものは現在新庁舎のB、C棟の本体工事を実施しております。それから、目黒、朝霞、大宮、霞ケ浦、十条地区においても所要の工事を実施中でありまして、完成済みの建物もふえてきております。目黒地区には、現在一号館におります各自衛隊の幹部学校、それから統幕学校、これらが移動する予定になっておりますが、目黒地区は本年度中に建物がすべて完成をし、来年には一号館におります各幹部学校が移動する予定になっております。
 それから、一号館におります東部方面総監部、これは朝霞に移動する予定になっておりますが、ここの建物の完成も来年中には予想されておりまして、来年の秋には東部方面総監部も朝霞の方に移動をするということで、来年中には一号館に所在する部隊、機関、これらは全部移動を完了する、こういうことになっております。
#73
○板垣正君 そうすると、あそこの文化財ですか、文化遺跡の発掘問題、これはまた本格的に発掘調査をするということも伝えられていますが、現状はどうなんですか。
#74
○政府委員(萩次郎君) 文化財調査は、御存じのとおり、もう既に建設工事を始めた当初から逐次行っております。何せ広い場所でございますので、工事を始める場所から文化財調査を進めるということで、文化財調査が終わったところから逐次工事を進めるということになっておりますので、文化財調査が最終的に全部終わるのは、まだ三、四年かかろうかと思っております。
#75
○板垣正君 そうすると、あなた方の計画で、今お話しになりましたね、一号館から移動をしてあそこが空き家になるわけですか来年のいつごろですか。
#76
○政府委員(萩次郎君) 来年の秋ごろには全部他の場所に移るということで、一号館の解体工事は、予定どおりでありますれば、来年の秋には取りかかりたいというふうに思っております。
#77
○板垣正君 そうすると、あなた方は来年の秋から一号館の取り壊しをたくらんでおるわけですか。何年ぐらいかかるんですか。どのくらい、期間は。
#78
○政府委員(萩次郎君) たくらんでいるというか、予想の私どもの線表ではそうなっておるということでありますが、解体には半年ぐらいはかかろうかと思います。
#79
○板垣正君 説明があったとおり、もういよいよこの問題もまさに大詰めであります。政治改革も大詰めでございますけれども、この問題は先ほど来も申し上げたようにこれは簡単な問題じゃありません。これから恐らく真剣な再検討もお願いできると、これたけのこの場におけるかつてない訴えであったと思うし、お互い何とか打開の道をという立場に立つならば、まさに今からが大事だと思うんですね。
 それで、これは一案でありますけれども、あの六本木の建物、あの中央指揮所というものは、五十九年、六十年に動き出しておるわけでありますから、あの時点からいえばまだ六十五年間寿命があるわけですね。それから、現在あそこにある内局、統幕の使った建物は、これは二〇三四年まで寿命がある。中央指揮所が二〇四九年まで、施設庁も最近建てかえた、二〇四五年までもつ。
 そうであれば、市ヶ谷台がいろんな施設で狭いとかいうそんなはずはないと思うが、とにかく三倍のところに行って上を高くしようというわけでございますから、狭いということではないと思うが、しかし今申し上げたように、まだ三十年も四十年ももつ建物があるわけですから、六本木の全部あれを更地にして全部移るという構想を転換させて、五分の三くらいを撤去する、あと五分の二の地域に現在内局に使っているところ、中央指揮所に使っているところ、施設庁に使っているところ、この地域は引き続いてあそこに残して、しかるべき使い方、中央指揮所の場合にはこういうものはやっぱり予備のしかるべきそうした施設も必要だと思うんですね。そういう形で、まさに国有財産の有効利用であり、かつ市ヶ谷台に今問題になっているあの一号館を歴史的遺産として私はこれはぜひ歴史記念館に活用すべきであると思っております。
 こういう案についても、これはもう既定計画ですから変えられませんと言ってしまえば終わりであります。しかしぎりぎりであるからこそ、私どももあえてこういう具体案を提起させていただいて、ぜひ真剣に検討していただきたい。長官いかがですか。
#80
○国務大臣(中西啓介君) 板垣先輩の御高見は承りました。もう一度可能性にチャレンジをしてみたいと考えております。
#81
○板垣正君 防衛庁の方から、やはり市ヶ谷一号館を残すための検討を、さっき申し上げたように、当然その場にいた人たちが、次官を務めた人、そういう人たちが歴史的な意味合いについてはほとんど論じられなかったと現に言っているわけですよね。また、ほかからもいろいろ聞くわけでありますから、どうもその辺があいまいであります。
 一つお願いは、その辺の経緯についての資料をぜひいただきたい。さらに、これは委員長にお願いでありますけれども、当時の次官あるいは統幕議長、こういう方々をできれば参考人としてこの場に呼んでいただいて、その経緯というようなものについて当委員会としても解明をしていただくような御配慮をお願いいたしたい。
 以上、いろいろ申し上げてまいりましたけれども、思いは一つでありますので、この上ともの御協力を御理解をそして実行を重ね重ねお願い申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。
#82
○委員長(岡部三郎君) ただいまの板垣君の発言につきましては、理事会で検討させていただきます。
#83
○翫正敏君 社会党の翫正敏です。
 きょうの委員会に先立ちまして九月二十四日にこの市ヶ谷台一号館の保存をめぐって、市ヶ谷台一号館の保存を求める会世話人の郷田豊さんを初めとする三名の方々からのヒアリングの機会をつくっていただき、きょうはまたきょうでこうした委員会の機会をつくっていただいた岡部委員長に最初に心から御礼を申し上げたい、そのように思います。
 私の立場、基本的考え方といいますかそういうことをまず初めに申し上げておきたいと思いますが、私は戦後民主主義というもの、それから現在の日本国憲法というもの、こういうものをある意味では金科玉条のごとく大切にしておる立場であります。そういうことでは、先ほど質問をされました自民党の板垣議員とは随分と考え方などが違うわけでございます。そしてさらには、私は戦後生まれの人間でありますので、戦争中のことや戦後の東京裁判のことなどについてのことを直接見知っているわけではございません。歴史の書物によって知っているという程度のことであります。いずれにしても、この東京裁判の跡それから大本営の跡の地下ごう、こういうものを自分の目で見ましたときに何とか残したい、そういう気持ちになって今日まで至っているという、そういう私の気持ちと立場を最初に申し上げておきたいと思います。
 それから、政府の大臣の三人の方々にまず申し上げておきたいのは、従来から本委員会などにおいてこの市ヶ谷台一号館や地下ごうの保存の問題についてはいろいろと議論をされてきておるところでございます。そして政府からの答弁は出ているところでありますが、自由民主党政権から連立政権へと政権が交代して今回の国会を迎えているわけでありますから、そういう意味で、もちろんかつての政権からの政策を引き継ぐという面もありましょうけれども、責任ある変革というようなことが言われておりますから、責任ある変革ということで変えるということもあるはずでございますから、そういうことに立って御答弁をお願いしたい、このように要望しておきたいと思います。
 それで最初に、済みませんが、質問に入ります前に資料要求をさせていただきます。
 防衛庁長官に私の事務所の方から内容証明郵便ということで八月二十六日に、今件のこととは全然違うことで申しわけありませんが、防衛庁長官中西啓介殿ということで、陸自達、海自達、空自達、統幕達の各リストの一覧を資料として提出していただきたい、国政調査活動に絶対必要であるからということで提出してございます。中山前長官が在任中のときにも誠意ある回答は得られなかったわけですので、政権交代、新長官ということの立場でこの各達を提出していただけるかどうかお伺いしたいと思いますが、その前提として、内容証明郵便物として私の事務所から資料要求をしておりますことを、防衛庁長官あてになっておりますが御存じかどうかということ、それから出していただけるかどうか、この二点をまずお答えください。
#84
○国務大臣(中西啓介君) 内容証明をちょうだいしたのはもちろん存じております。その処置方については官房長に命じておりますので、官房長から。
#85
○政府委員(宝珠山昇君) いただきました資料要求につきましては可能な限り提出すべく努力をしているところでございます。しかし、先生からいただきました御要求というのは、今お触れになりましたように大変な件数に上っております。そのために、行政部内の手続などについての詳細なものでございますので、各幕などに分かれておるものでありますが、これを担当課を定めながら今精査をしているというところでございます。
 通常、国会議員の方からいただく資料要求というのは問題意識が限られておるのが通常でございまして、そういうものでございますと比較的スムーズに対応できるわけでありますが、このように多数、五百件近くになるわけでございますが、一度に要求をされますとスムーズにというわけにはまいらないという実情にございますので、この点、御理解を賜りたいと思います。
#86
○翫正敏君 五百件になると申されましても、リストの提出でありますから、いわゆる本で言えば目次に相当するものになるわけです。その資料を全部出してくれというふうに言っているわけじゃないんで、リストを見ましてこの中から私の事務所の方でさらに読みたい、見たいものがあればその内容をということで、まずリスト一覧の提出ですから、これはもう何カ月もたっておりますので、この場所で期限を切っていつまでには準備して出しますということでお願いできませんか。
#87
○政府委員(宝珠山昇君) リストは陸上自衛隊、海上自衛隊等々に分かれて、それぞれのところにはリストがないわけではございません。しかし、古いものになりますと必ずしもリストが整備されていない、できていないというものもあるわけでございまして、それをリストをつくって出せばいいじゃないかということではございますけれども、提出いたしますとそれに従いましていろいろと御質問を受けるということを私どもは予想するわけでございまして、これについての対応を含めてどこがどう対応するのかということを考えることになります。
 しかるところ、先生の御要求というのは、行政部内における、法律の委任に基づいて私ども行政をやっている者にかかわるものでありますので、問題意識が那辺にあるのかというのもなかなかつかみがたいという点もございます。なるべく早くということは申し上げられますが、今ここで期限を切ってというのはちょっと、期限を切るということもお答えできない状況でございます。
#88
○翫正敏君 大臣、出していただくということで、期限は早く整理をさせて提出させる、そういうことでよろしいですか。
#89
○国務大臣(中西啓介君) 可能な限り提出をできるように私からも促したいと思います。
#90
○翫正敏君 では、本案の保存の問題について質問をいたします。
 百二十六国会の会期中、つまり自民党政権の時代でございますけれども、このときに、日本社会党の翫正敏ほか、自由民主党、公明党やその他各政党の議員が衆参両方に紹介議員となって請願書を提出しております。
 それで請願の趣旨が、「防衛庁市ヶ谷駐屯地の「市ヶ谷台一号館」を保存するための必要な措置を採ること。」。請願の理由、「「市ヶ谷台一号館」には、さきの大戦においては、大本営、参謀本部、陸軍省等が置かれ、戦後はその大講堂において「極東国際軍事裁判」が行われた。我が国の歴史が刻み込まれた、この「市ヶ谷台一号館」は、重要な建造物として、保存すべきである。」、こういう内容の各党共通の請願書が百二十六国会に提出されているんですが、当時、今はもちろん知っておられるのは当たり前なんですけれども、当時この請願の内容を知っておられたかどうか、武村官房長官、石田総務庁長官、中西防衛庁長官、この順にひとつお答えいただきたいと思います。
#91
○国務大臣(武村正義君) 全然知りませんでした。
#92
○国務大臣(石田幸四郎君) 私も、今回の内閣委員会の審議ということでこの百二十六回に請願が提出されたことを知った次第でございます。
#93
○国務大臣(中西啓介君) 私も、当時は全く存じ上げませんでした。就任をして初めて知ったわけでございます。
#94
○翫正敏君 それはそれで仕方がないわけでありますけれども、かなり新聞などにも取り上げられ。たり、テレビで取り上げられたり、外国の新聞にも大きく当時載ったりしたわけなんであります。そういう大変重要な問題だと、私はそのように考えて今日まで来ておるところでありますけれども、今まで大臣になられるまで、それぞれこういう各党共通の請願が出ているということ、それさえも御存じなかったということについては残念に思う次第であります。知った以上は、この立場に立って前向きに当然御検討されるものというふうに思います。
 ところで、この市ヶ谷台一号館の外、中、それからその下にある地下ごう、このそれぞれについて、以前に自分の目で見られたことがない。中西長官は先ほど、きのう視察に行ってこられたと申されましたが、それは今回こういう質問が出ることになって慌てて行ってこられたんだと思いますから、ちょっとこれは置いておいて、それ以前にございますかどうですか。先ほど答えていただきました大臣の順にひとつお答えいただきたいと思います、今まで見られたことがあるかどうか。
#95
○国務大臣(武村正義君) ありません。
#96
○国務大臣(石田幸四郎君) 中の問題については、大分前だと思いますが、テレビでずっと地下ごう等を映したのを拝見したことはございます。
 私は、中学校の時代はこの総武線沿線に住んでいたものですから、昔からあそこに、ちょうど私たちの子供のころは、中学一年生、二年生のころはまさに戦争中でございましたから大本営があったこともよく承知をいたしておるわけでございます。また、戦後もその沿線の中でずっと大学まで通っていた関係もございますので、そこで極東裁判が行われたということ、あるいは三島氏があそこで割腹自殺をされたことなども、割とその当時のことはいまだに頭の中にほうふつとして浮かんでくるわけでございますので、一つの生活圏の中に現在の自衛隊の建物があることをよく承知いたしておったところでございます。
#97
○国務大臣(中西啓介君) 長官に就任してはや三カ月がたちます。その間、市ヶ谷には三、四回参りまして、地下ごうだけは見ておりませんでしたので、ぜひ一度改めて見せてもらいたいということを予告しておりまして、昨日地下ごうに行ってまいった、こういうことでございます。
#98
○翫正敏君 中西防衛庁長官にお聞きします。先ほども少し見られたときの感想を言われましたが、もう一度お聞きしますが、市ヶ谷台一号館の東京裁判の跡を見られ、そしてさらには大本営跡の地下ごうを見られたということでどのような感想をお持ちになられたか、お述べをいただきたいと思います。
#99
○国務大臣(中西啓介君) 地下ごうは夏も冬も温度はほとんど変わらないというような説明も聞きました。大体四メーターの厚さの地下ごうだそうでございまして、当時の緊迫した雰囲気がしのばれまして感無量なるものがございました。
 東京裁判の行われたあの講堂、これは自衛隊の毎年行われますいわゆる殉職者の慰霊祭、それらが行われる式場でございますが、先ほども申し上げましたように、勝者が敗者を裁くということが果たして正しいんだろうか。正しい人が間違っている人を裁くことすら時たま冤罪みたいなものもありまして、なかなか人間が人間を裁くこと自体が大変なことでもあるわけでございますが、そういうパール判事のこの裁判が間違っていたというふうな主張等も思い起こされまして、被告席に座られた当時の軍の大幹部たちがイヤホンをかけて、テレビニュースとかで何度か見た記憶がありますけれども、そういう光景をあの講堂でダブらせながら説明を聞きました。やはり、こういう戦争というような愚かなことは二度と繰り返してはならぬ、そんな気持ちも強く話を聞きながら感じた次第でございます。
#100
○翫正敏君 ちょっと申し上げたいんですけれども、午前中のときには、勝ては官軍負ければ賊軍という例えも出されて、今もまた勝者が敗者を裁いた東京裁判という、そういうことをおっしゃったんですけれども、これは中西防衛庁長官、大臣としての御所見と、こういうふうに承ってよろしいですか。
#101
○国務大臣(中西啓介君) ですから、午前中申し上げましたように、正義の戦争とか侵略戦争とかいろいろ使い分けられてきたわけでありますが、それを果たして分類すること自体が神様が見て全く正しいと言えるような定義というものができるんだろうかというような気持ちを私はかねがね抱き続けている一人でございます。そういう意味からしても、戦争の起こらないような行動を日本は率先してとっていくべきであるという気持ちも私は強く持っている人間の一人だと自覚しております。
 しかし、これも午前中に申し上げましたように、これだけの先人たちが本当に築き上げてくれた私たちのたった一つのかけがえのない祖国日本を、もし邪悪な心境といいますか目的を持って侵略的なそういう行為に及ぶような国があるとするならば、それには断固として立ち向かうべきである。そのためのいわゆる防衛政策、あるいはまた国民の方々にも深い理解等をいただきながら、また日本という国をやっぱり最終は自分たちの手で守らなければならないという気概というものも持っていただくべく我々もいろんな形でその努力をしていかなきゃならぬ、そんなふうに考えておるところでございます。
#102
○翫正敏君 防衛庁長官としての現在の仕事、それについてはどういう決意で臨んでおるのかということは今改めて伺いましたが、私が質問しましたのは、東京裁判というのは勝者が敗者を裁いた裁判であるという歴史認識は防衛庁長官としての御所見ですかと尋ねているので、その点についてお答えください。
#103
○国務大臣(中西啓介君) 防衛庁長官としてというよりも、それ以前に政治家中西啓介としての見解、所感であると言った方が正確かもしれません。
#104
○翫正敏君 大臣の所見というよりも個人の見解である、政治信条であると、こういうふうな受けとめ方でよろしいですか。
#105
○国務大臣(中西啓介君) 防衛庁長官になる以前からそのような考え方でございましたし、なった今もその考え方は変わっておりません。
#106
○翫正敏君 済みません、同じことを何遍も聞くのもまことに恐縮なんですけれども、防衛庁長官、政府を代表する大臣としての御所見か個人としての政治信念かということについて分けてもう一遍聞きますが、大臣としての御所見ですか。
#107
○国務大臣(中西啓介君) 連合国が戦争処理の一環として、国対国の関係において日本もそれを認めたという客観的事実は事実だと思うんですね、極東裁判は。それが正しかったのか正しくなかったのかということにつきましては、前段申し上げたとおりでございます。
#108
○翫正敏君 官房長官にちょっとお尋ねしますが、さっきそういう質問もなくてお答えもなかったんですが、東京裁判については勝者が敗者を裁いた裁判であるというそういうふうな所見でございますか、それとも別の御所見をお持ちですか。
#109
○国務大臣(武村正義君) 先ほどはそういう見方もある、そういう批判もあるということで紹介を申し上げたわけであります。
 私は十分勉強しておりませんが、何となく、私のこれは個人の認識ですが、パール判事なんかはどういう立場がよく知りませんが、大体戦勝国の代表が敗戦国の日本の軍人を裁いたというふうに私は記憶をいたしております。
#110
○翫正敏君 横に座っておられるので聞くというのは変な感じになって申しわけありませんが、石田総務庁長官も大臣としての御所見をちょっとお聞かせ願えますか。
#111
○国務大臣(石田幸四郎君) 私は、やはり戦争というものはまさに強者の論理の中に遂行される、そういう流れ、性格を持つものだと思います。そういった意味において、極東裁判というのはやはり勝者が敗者を裁判にかけて決着をつけたというその印象はぬぐい去れないものがあると存じます。
#112
○翫正敏君 じゃ次に、八月二十七日にある大きな新聞に載りました「直言」という欄をちょっと読ませていただきます。それについてそれぞれ三大臣の御所見、御感想、それを聞きたいと思いますので読ませていただきます。
 「みんなの広場」というところの投書欄に載った「自衛隊市ヶ谷一号館を戦争資料館に」という題で書いてございます。
  非自民系連立による細川政権の発足を機に、太平洋戦争での日本の戦争責任問題に新たな照明が当てられようとしている。細川首相は所信表明演説で、「日本の侵略行為や植民地支配への深い反省とお詫び」に言及するという明確な姿勢を示した。
 この問題で大切なのは、戦争への認識と体験を次の世代に継承することで、そのためには、戦争を記録し、展示する歴史資料館が欠かせない、現在、厚生省を中心に「戦没者追悼平和祈念館」の建設計画が進められているが、私は、その場所として、極東国際軍事裁判(東京裁判)の舞台となった東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地一号館を提案したい。
 すでに本紙で報じられているように、歴史的にきわめて重要なこの建物を、管理者である防衛庁は、六本木の庁舎移転計画に伴い来年夏以隆に取り壊し、高層の新庁舎をその場所に建設することにしている。
 太平洋戦争に関する歴史資料館は戦争に関するすべてを客観的に収集展示することを目的とすべきと思うが、その場所として、一号館ほど適切な場所があるだろうか。
 戦争以前は、大本営や陸軍省が置かれ、戦後は、東京裁判の法廷ならびに裁判所そのものとして使われた場所である。そこで裁かれた内容は、明治維新以降、近代国家としての日本がその発展の道を大陸に求め、西欧の列強に倣い、植民地経営へと走った過程そのものであった。あの建物は、太平洋戦争以前と以後を結ぶ象徴なのだ。
 歴史の伝承において、過去の本物の建物の持つ価値には比類のないものがある。新しく、美しくデザインされた新築の建物のなかで展示物を見ることと、過去の歴史の現場そのものであった場所で、史料を見ることの間には、その迫力、実感において決定的な差がある。
 広島の原爆ドーム、アウシュビッツのユダヤ。人強制収容所、真珠湾の戦艦アリゾナなど多数の遺構が保存されているのは、歴史の現場に立つことの重要性が認識されているからにほかならない。
 現在、歴史学者らを含めた民間による保存運動が起き、先の国会では、歴史に対する基本的な見方を異にする政党も、一号館の保存という点では一致した請願を出している。
 その中で、建物を資料館とするほか、法廷を復元し、周辺を記念公園とする案が提案されている。この案の実行は、これまでの行政上の常識からいえば簡単ではない。だが、長く続いた自民党政権に代わる連立政権のできた今こそ、歴史を視野に入れた大胆な変革を求めたい。
こういう内容ですが、厚生省が計画している今の戦争資料館ですね、戦没者追悼平和祈念館、このことについての問題は、厚生省に来てもらっておりませんし、ともかくといたしまして、それはちょっと除いて、全体に書かれていることについての、今読みましたことについて感想をお聞かせください。武村官房長官、石田総務庁長官、中西防衛庁長官の順にお願いいたします。
#113
○国務大臣(武村正義君) 今の提言は、拝聴いたしましてそれなりに意味のある鋭い御提案だと思いました。しかし、中西長官から先ほど来説明がされておりますように、防衛庁の本拠をここに移していこうという計画がございますから、そういった計画との関連が問題になってまいりますし、片方、御提案の戦没者追悼平和祈念館は、私が仄聞しております限りでは、九段周辺に平成五年からかかろうということで準備が着々進められているように思っております。
#114
○国務大臣(石田幸四郎君) 毎日新聞の「直言」、昨日私も読ませていただいたわけでございますけれども、かつての戦争に対する反省を踏まえて、世界及びアジアの平和の発展に大きく貢献をしなければならないという我が国の立場、そういったものを考え合わせて一つの見識ではあるというふうに存じます。
 ただ、私は思いまするに、やはり極東裁判が行われたということ、かつてあそこに大本営があったということ、この二つの問題を兼ね合わせてみたときに大変複雑な思いをいたしておるわけでございます。果たして、そういう形で戦争というものを見詰めるために祈念館としてそこに存続させることが本当にいいのかどうか。私はもっと数多くのいろんな考え方を持っている方々の意見も十分聞いてみなければならない問題であろうというふうに思うのでございます。
 これは我が国の憲法においても、まさに国権の発動としてのいわゆる戦争というものは絶対にこれをしないということを憲法の中に書いてあるわけでございますが、いわゆる戦争というものは、これが勝者であれあるいは敗者であれそれなりに私は人間のとうとい生命を大きく傷つけ、そして失わしめるものだというふうに思います。したがいまして、やはり戦争に対する私たちの心構えというのは、常に反省と自戒の念の上に立って考えていかなければならない問題だと、私は個人的にそういうふうに思っているわけでございます。
 それは単なる私の心境を申し述べたにすぎないかもしれませんが、ただ現実問題として、既に千九百億の予算が組まれて、そして自衛隊の中心部が移転をするというような計画が進んでおるわけでございますので、その問題も全く無視することはできない、こう思わざるを得ないわけであります。いろいろなそういった計画の中で、相当なそういった予算を使いながら途中でやめてしまった事例も他にないわけではございませんけれども、やはりこれだけの巨額の金を使って移転をさせようとしてきた今までの努力というものに対して、また行政の責任に対して国民の皆さんかどう判断をされるのかという問題も私はあるのではないかなというふうに思います。
 そういった意味におきまして、なお皆さん方の御議論をいただきながら担当部局として決定をすべき問題ではないのかな、こんなふうに存ずる次第でございます。
#115
○国務大臣(中西啓介君) この毎日新聞のコラムを読んで、やっぱり歴史の現場に立って過ぎ去りし歴史を振り返って、反省すべきは反省して今後の教訓にしていくべきであるという趣旨はまことにごもっともな趣旨であると思います。そのようにでき得れば最もベストであるわけでございますが、なかなかこういうとおりにできないことも間々あるわけでございます。
 例えば、これ先の話ですからどうなるかわかりませんが、とにかく首都移転のための委員会もできておりますし、国会をとこか東京以外のところへ移そう、あるいはそうなると総理官邸もどうなるかわからないわけでありますが、そういうときにも恐らく国会を残せ、国会をいろんな費用対効果の面から考えてやっぱり取っ払うべきだと、官邸もまあ両方の意見に分かれると思うんですね。そのときに、それは残せれば一番いいわけでありますが、これだけ広大な場所にしかも付加価値の高いところに残しておくという意見の方が多いのか、あるいは取り壊せという意見の方が多いのかそれも僕はよくわかりませんが、多分壊されるような結論になるんだろうかなと、こんなことを雑談で話をしたこともあるわけでございます。
 歴史を後世にきちっと伝えていくという視点から考えれば、努力をすれば十分その目的を達成していくすべもあるんではないかというふうには思っておりますが、先ほど板垣先輩の御質問の中で、私も防衛庁長官として、御意向は承りました、ぎりぎりまで可能性というものをもう一度追求してみますというお約束をいたしましたので、さらなる検討はしてまいりたいと思っておりますけれども、なかなか予想としては難しいのかなというような感じはいたしております。
#116
○翫正敏君 前内閣、自民党内閣のときの本委員会での質疑応答の中では、これを保存するということのために知恵を絞るという答弁を責任者として官房長官がされております。つまり、それは内閣全体の責任として保存できるかどうか、これを考えるという趣旨だったわけですが、先ほど自民党の板垣議員からの質疑に対する答弁を聞いておりますと、これは専ら防衛庁の移転計画であるので、防衛庁長官の責任において最終的に決断をするべきものであるということが官房長官及び防衛庁長官いずれの方からの答弁でも共通していたことでありますけれども、これは要するに前政権から見れば変わった、政権が交代したことによって変わった、こう受けとめてよいのかそれともそうでないのかということを聞きたいんです。
 その前にもう一つ、ある新聞に載りました文章をちょっと読みますので、これも保存をぜひすべきだということを書いた文章なんですが、これへの感想も、先ほどの感想と同じになろうかと思いますが、お述べいただくということで、これは官房長官と防衛庁長官とお二人ということでございますので、よろしくお願いしたいんです、読みますから。
 この感想と、今ほど言いましたその責任主体、責任者の問題ですね、内閣全体の責任として検討するのか、防衛庁長官をキャップにした防衛庁内の検討が、こういう問題でございますよ。
  戦時中の大本営の防空壕に入ってみた。外は暑いのに中はひんやりとしている。ずいぶん立派な地下壕である。地表から一四メートル、夏も冬も、ほぼ同じ温度だという。広さ千二百平方メートル余の、地中の本丸である。
 ここから様々な指令や発表文が出されたのか……。歴史的な場所に立つ時に特有の、独特の感慨を催す。厨房や貯水槽の跡が残っている。地下水を使ったのだろう。東京は市谷本村町の、いわゆる市ヶ谷台。その昔、尾張徳川家の上屋敷があった。いまは、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地である。
 一八七四年(明治七年)に、ここに陸軍士官学校が創設された。戦時中は三宅坂から移った陸軍省、大本営陸軍部、参謀本部などが置かれた。まさに軍の中枢部というべき場所だった。戦争遂行に重要な役割を果たした台地だ。
 建物の一つの中に、小さな「記念館」がある。様々な展示物の中には、戦争中の千人針もある。若い人は、見たことがないだろう。防空壕には、最大の建物、一号館の地下の廊下、売店の横から入る。
 この建物は一九三七年(昭和十二年)に陸軍士官学校本部として建てられた。戦時中に陸軍省などが入り、今は陸上自衛隊東部方面総監部などがある。三島由紀夫が自決した部屋もある。
 戦時中だけでなく戦後の出来事をも生々しく思い出させる建物である。極東軍事裁判の法廷となった講堂が残っている。裁判についての見方は様々だろうが、ベージュ色の三階建ての一号館を見ていると、これこそ本格的な戦争資料館として利用するにふさわしい、と思う。
 若い人々に現代史を知ってもらいたい。それには「現場」に立つのが最善だ。「平和祈念館」を新築するより、戦前、戦中、戦後の生き証人である一号館を役立てればよい。これを取り壊すとは、あまりにももったいない。再考し、内外の人々が学べる場所にしてはどうだろう。
これは、ことしの九月十六日のある大きい新聞に載った文章なんですけれども、これへの所感と、先ほどお聞きしましたこと、あわせてお答えください。
#117
○国務大臣(武村正義君) 所感は先ほど申し上げたことと同じでございます。
 河野官房長官が当時どういうことをおっしゃったかよくわかりませんが、恐らく政府の立場で質問をされてお答えをしたのではないか。この問題は官房長官が預かるとか、そんなことではなかったと私は思います。きょうも私は同じような立場で、政府全体といいますか、政府の広い視野で重ねて質問を受けていると思いながらお答えをいたしておりますが、所管はあくまでも防衛庁、所管といいますかそもそも敷地も建物も防衛庁の守備範囲でございますし、防衛庁の本拠を移すか移さないか、移す場合はどういう設計にするかその中にこの一号館の問題も存在しているわけでございますから、基本的にはやはり防衛庁の所管だというふうに認識をいたします。
 もちろん、この提案のように、例えば平和祈念館に活用するということを真剣に政府が取り上げるような場合は、これは厚生省のテーマでもございますから、もう少し防衛庁の枠から問題を広げて取り組んでいかなきゃならないことになるわけですが、今のところはその考えはありませんので、あくまでも防衛庁が主体的に御判断いただく問題だという認識であります。
#118
○国務大臣(中西啓介君) この記事も先ほどの記事と同じように一号館を残置して歴史を振り返る生き証人として役立たせるべきであるという趣旨であるわけです。ですから、私たちはこの趣旨に対して異論を唱えているものでは決してございません。できることならこのようにやれれば一番いいわけでございますけれども、過去もう六年ぐらいたつわけでありますが、いろんな経緯を聞いてみますと、一号館を残すということは大変難しいという結論に達したわけであります。ですから、歴史的な事実を伝えるための便法としては記念館、いろんな当時の資料等をもう一度整理してもっともっと見学者にも見てもらいやすいような環境づくりに全力を挙げていきたい、こういうふうな方向で今作業を進めているところでございます。
#119
○翫正敏君 防衛庁の方針というのは庁議決定ということで既にかなり前に決まっておりまして、それに従って着々と仕事が進んでいるということなわけですね。それに対して、例えば百二十六国会においては各党共通の請願書が出て、参議院の場合はこの内閣委員会で審査がされて継続審査になっているわけですけれども、そういう中でここで議論、質疑応答があったときに自民党の政府の官房長官がそれを検討するというふうにおっしゃったわけです。
 防衛庁としてはもう移転をするという計画を決め、それで工事を進め、お金も使い動いているわけです。それを再考するということになると内閣全体の責任で考えるということをしない限り、防衛庁はもう決まってしまっていることなんですから予算もついていることで、決定していることで進んでいっているわけですから再考するということになると、総理大臣がそれを補佐する官房長官、内閣全体の責任で考え直すということでないと、これは物の道理としてできないわけですよね。だから、そういうことでこの場所では官房長官の方から検討してみたい、考え直してみたい、何とか残せないか知恵を絞りたいと、そういう答弁があったわけです。これはつまり自民党政権のときの答弁なんですが、現在社会党も参加した連立政権になっておりますが、そういう中でこの方針が継承されているのか変わったのかということでお願いしたいんです。
 ぜひここは、やはり私はここは継承すべき点だと思うんです。ぜひ継承していただきたい。自民党政権からかわっても変わらずに継承していただきたい点だと思います。つまり、官房長官が内閣全体の責任で何とか残せないかということで考えるということですね。考えた結果だめであるかどうかということはまたそれはそれとして、考えるということは、防衛庁任せにしておくと、防衛庁はだってもう決まってしまっているんですから動いている。その決まってきた経過についてはこれから少し問題にしますけれども、ともかく決まっているという事実はあるわけですよね。再検討するという場合はもう一つ上へ上げないとできないはずですから、その点お願いします。
#120
○国務大臣(武村正義君) 河野前官房長官がどういう表現のお答えをされたか私も確認ができておりませんが、恐らく官房でこれは預かるというか官房長官がこの問題で采配するようなことはおっしゃっていないと私は思います。ただ、活用するとすれば当然防衛庁の枠を超える可能性もあるものですから、防衛庁の外の立場も含めて政府全体でひとつそれなりに考えましょうという、そういう発言であったでしょうか。
 そういう意味では、いろいろ恐らく今日までもそれはそれで防衛庁を中心にしながらも検討はされてきたのではないか。それが先ほど中西長官の発言のように、実際はなかなかいい知恵がない、あれを残して防衛庁の本体全部をあそこへ新築をする設計は成り立たない、そういう考え方が支配的でございまして、私どもも何となくそれを肯定的に聞いているわけですが、そうなればせめて何らかの形で記念館ぐらい残そうという方向になってきているんではないかと、それが政府全体の立場がなと、私は過去の政府の考え方を半ば想像しながら今申し上げているわけであります。
 それで、きょう現在からどうするかということは、先ほど中西長官もお答えいただいたように、両先生からもきょうは保存の強いお考えをこうして伺っているわけであります。実質はもう無理だろうと思っておりますが、それでもまだ少し最後の決断するまでに時間があるならもう一度長官に御苦労いただいて、本当にもうないかどうか、ほかに可能性がないかどうか、残す方法が本当に不可能かどうかということをもう一度見詰め直していただいて、それでもだめなら仕方がないと、こんな気持ちでお答えをいただいているし、私もそんな気持ちでここに座らせていただいております。
#121
○翫正敏君 それで、じゃその決定に至りますまでの経過、過去にさかのぼって少しお尋ねしたいと思います。
 まず最初に、九月二十四日に本内閣委員会としてのヒアリングがありましたときに、市ヶ谷台一号館の保存を求める会の世話人の郷田豊さんが意見を述べられました。それは意見でありますけれども、幾つかの点が防衛庁の担当者に対する質問という形になっておりました。ただ、その場所は質疑答弁の場ではなかったものですからもちろん回答はなかったわけですので、私がかわってと言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、そのときの印刷物もそのときもらいましたから、一応念のために、政府委員の方から答弁していただいて結構でございますから、当時の回答された方も担当の政府委員ですから、その後の部署につかれた防衛庁の政府委員の方から答弁いただきたいと思いますので、お願いします。
 まず、この郷田さんの発言のメモによりますと、参議院の内閣委員会において平成五年三月二十六日に責任者の政府委員が、もとより防衛庁としても一号館の保存を図りたいという意向は持っておったわけでございますと、こういうふうにこの計画当初から、つまり昭和六十年から六十一年ぐらいのときと思っていいと思いますが、このときからこの一号館は保存を図りたい意向を持っていたという答弁をしていたと。ところが、この同じ人が衆議院の安全保障委員会の方では、平成五年四月六日の日に、防衛庁は一号館について歴史的評価を下したり、歴史的価値を判断する立場にはないということを答弁しているということで、同一人の発言であるからますます理解しにくいと。
 つまり、前段で読みましたところでは保存を図りたいというふうに言っていると。保存を図りたいということならばなぜ図りたいのかという理由が当然出てくるわけで、それが古い太古以来の建物だから残そうと、そういうことでないことだけは明らかですからね。そういうことでないわけですから、歴史的に価値のある、歴史資料館であるとか歴史的な遺物であるとかという、そういう意味であることは明らかなんで、その歴史的評価を何らかの形で下さない限りこれを残そうという考えは出てこないはずであると。
 ところが、衆議院の方の安全保障委員会では歴史的評価を下す立場にない、防衛庁はないんだというふうに答えていて、そして参議院の方では、それより約二週間ぐらい前の当内閣委員会の答弁では、最初は少なくとも残す、保存したいという考えでおったと。これは矛盾しているじゃないかということを意見として述べられたんですがね。
 私、改めてこれ、こういうことは事実なのかどうか調べて聞いておるわけではありませんので、事実であるかどうかということをまずお確かめいただいて、それでその整合性についてのお答えをいただく、こういうことで担当政府委員からお願いします。
#122
○政府委員(萩次郎君) 御指摘のように、この一号館、できますれば残したいという気持ちは我々も持っておりますというお答えをしておることは事実でございます。それから、歴史的事実を評価したりその価値を判断する防衛庁としては立場にはないという御答弁をしていることもそのとおりでございます。
 これは私ども特に矛盾を感じておるわけではございませんで、この一号館が戦前、戦中、戦後、いろいろな歴史的な事柄にかかわってきた事実というその事実はあるわけでございまして、その事実からしても、歴史的な建物であるということで残せるものなら残したいという気持ちがあることはそのとおりでございます。
 ただ、防衛庁としてその歴史的判断、例えば極東軍事裁判をどう防衛庁として判断するかとか、それから戦前そういった陸軍省、大本営に使われたそのことの歴史的判断をどう持つんだという御質問があったものですから、そういう判断を防衛庁として下す立場にはありません。ただ、あの建物が歴史的な建物であるということは十分承知しております。こういうことを申し述べておるものでございます。
#123
○翫正敏君 簡単に言えば、歴史的評価を下したりする立場にないという意味は、東京裁判についてそれをどういうふうに評価するかとかというふうなことについて評価する立場は防衛庁にはない、歴史的な建物であるということは認識しているので残したいということで検討を始めた、しかし結果としては残さない、取り壊すということになって計画が出発した、こういうふうに理解をします。
 その取り壊しを含めた移転計画が決定をされましたけれども、その決定を防衛庁としてした時期を明らかにしていただき、そのときの防衛庁長官、それから総理大臣のお名前を明らかにしていただきたいと思います。
 その上で、この郷田さんが九月二十四日に意見としてお述べになった文書を見ますと、防衛庁の担当政府委員は衆議院の安全保障委員会で平成五年四月六日に、防衛庁は自主的に移転計画を決定したのであり、政治家の関与のような事実はありません、こう答弁している。しかし、実際にはそうでないのではないか、いろいろ政治家の関与があったのではないかということを発言しておられるわけですけれども、この点について私の方から質問ということでしますので、お答えいただきたいと思います。
#124
○政府委員(萩次郎君) 檜町から防衛庁の本部が移転をしたらどうかという話は、これはもう昭和四十年代ぐらいからございました。御存じのとおりに、ちょうど四十年代以降六本木が大変商業地化をして、あの近辺の方々からのちょっと似つかわしくないんじゃないかという話も私自身個人的にも耳にしておりました。そういったいわゆる底流があったということは事実でございます。それで、多分六十年度ごろの民活の話とのかかわりがあるんだろうと思いますが、それも一つの流れの要素になったことは事実であろうかと思いますが、そのような中で防衛庁としても六十一年から二年間にわたってその移転の方策について本格的な検討を始めたということでございます。そして、六十二年八月の庁議において基本計画を了承して、六十三年度から予算をつけて計画が開始されたということでございます。
 ただ、私どもいろいろ長い間関係者に聞いていますが、政治家が関与したというような事実は聞いておりませんし、そのような痕跡が残っているということもございません。
 それで、なお御質問がありましたこの当時の防衛庁長官は栗原防衛庁長官であり、総理大臣は中曽根総理であられました。
#125
○翫正敏君 次に、中西防衛庁長官に質問するわけですが、細かい点になりましたら政府委員の方からの答弁があっても結構でございます。
 結局、いろいろ検討して、六本木の防衛庁本庁の土地を更地にしましてこれを売却する、その売却したお金でもって市ヶ谷に防衛庁の本庁を移し、その建物をまた幾つかのところに玉突き移転をさせていって防衛施設を整備していく、こういう計画になったわけですけれども、それが決定するに至りますときに、昭和六十一年度に五百万円の調査費がついて調査をされております。昭和六十二年度には一千万円の予算で調査をしておられますが、こういう金額と年度が事実であるかどうかを確認していただいた上で、これは何にどのように使われたのか、なるたけ詳しく説明していただきたいと思います。
#126
○政府委員(萩次郎君) 御指摘のように、六十一年度に五百万、それから六十二年度は、一千万というのは私どもの要求でございましたが、結果的に六百万でございます。
 それで、具体的な調査の中身を申しますと、六十一年度五百万を用いてやりましたのは、建築基準法に基づきます種々の容積率、建ぺい率、それから日照権とか建設可能な最高の高さ、こういった非常に細かな調査を必要といたしますので、これをまず行いました。それから、午前中にも申しましたが、電波法に基づきます電波伝搬路といろものをこれはふさいではいけないということになっておりますので、どのような電波がどのあたりを通過しているか、こういう調査。それからそのほか、建物を建てますとテレビなんかに対する電波障害、こういうものが発生いたしますので、その調査を行っております。
 それから、昭和六十二年度六百万で行いましたものは交通量の調査。これは、その近辺の交通量に対してどのような効果があらわれるか、交通渋滞を起こさないようにするにはどうしたらいいか、こういったことで必要な交通量調査というものを一つやっております。それから、市ヶ谷でもし建てかえをいたしますと大量の廃棄物が発生をいたしますので、その廃棄物の発生量がどの程度のものになろうかあるいはこれらを処理できる可能性としてはどういうものがあるか等々の調査をしてございます。
#127
○翫正敏君 昭和六十一年、六十二年という二年で合計一千百万円ですね、その金額で二年間にわたって今おっしゃったことを調査した、そういう理解でよろしいですか。
#128
○政府委員(萩次郎君) さようでございます。
#129
○翫正敏君 そうしますと、この二年間の調査の内容では、具体的には市ヶ谷を中心にして、かつ市ヶ谷に本庁が移った後どういうことが想定されるかというこういうことが調査されたのでありまして、六本木の土地を更地にするということ、それでこれを売却するわけですけれども、そういうことについての調査、こういうものは今の中にありませんでしたが、全くしなかったのかどうかをお尋ねします。
 もし、しなかったのならばどうして、一番大もとのその六本木の土地を売却してそのお金で新しく建物をつくっていくという、私から言わせれば非常に不思議なこれは計画なんですけれども、こういう不思議な計画を実行するためには、まずもとのところを更地にして売らなきゃならないはずですから、ここの調査が一番最初になされてしかるべきだと私は思いますが、これが、今の説明では出てきませんでしたね。それをちょっと説明していただけますか。
#130
○政府委員(萩次郎君) この移転計画というのは、特定国有財産整備特別会計という国の制度に乗っかってやっておるものでございます。これは、先生御承知のように、国の施設、現存するものをその場所よりもほかの場所に移した方が妥当であるというふうに思われます場合は、その跡地の売却収入をもってその移転を実施する、こういう制度でございます。
 それで、手続的に申しますと、例えば防衛庁の土地であれば防衛庁の行政財産ということになるわけですが、こういうことで移転計画が策定されますと大蔵省に土地が返還されて大蔵省の普通財産になるわけでございます。最終的に更地にされた土地が大蔵省の、東京でございますと関東財務局の審議会、ここにおいて最終的に売却が図られる、こういうことになっておりまして、売却をするときには既に防衛庁の手から離れて一般の国有財産として同等に取り扱われ、この特待会計で処理される、こういう手順になっております。したがって、私どもとしてはそこの計画は行う立場にはない、こういうことでございます。
#131
○翫正敏君 じゃ昭和六十一年、昭和六十二年に一千百万円をかけて調査をしたとき及びその前後に、大蔵省の関東財務局の方に、更地にするということを前提にした相談、そういうものをして意見を聞くというようなことはありましたか、なかったですか。あればどういう意見を聴取しましたか、お述べください。
#132
○政府委員(萩次郎君) 意見を徴するとかということではございませんで、例えばいろんな省庁からこの特別会計で自分のところの建物をどこかに移したいということがありますと、大蔵省に相談をして、大蔵の方が御自分の方でいろいろ売却の見通しとかいうようなものを勘案されて、それはこの特待会計で十分処理ができるであろうという御判断があればそれが認められるということになろうかと思います。したがいまして、私どもの方でその檜町地区の処分見込み価格を算定するとか、そういうことは一切やっておらない、こういうことでございます。
#133
○翫正敏君 大蔵省関東財務局の責任で売却するという話はさっき聞きましたからわかりましたが、そうじゃなくて、最初に六十一年、六十二年に予算をつけて、五百万、六百万という予算で調査をしましたというその調査の最中及び前後に、大蔵省ないし関東財務局、いずれでもよろしいですけれども、そういうところに話を聞く、相談をするとか意見を聞くとか、そんなことがあったのですかということを聞いている。ないのならどうしてそれをしなかったのかということを聞いている。防衛庁が売る責任者ではないと、そんなことはわかっているわけですよ、さっき聞きましたから。
#134
○政府委員(萩次郎君) そのとおり、当然相談をしております。
#135
○翫正敏君 その結果を。
#136
○政府委員(萩次郎君) 六十一年、六十二年、こういう調査をやりますという相談はもちろんして、それは認められておるわけですし、それから具体的に、正規に工事が始まったのは六十三年度予算からでございますが、その前に、先ほどから申しておりますように、六十二年八月に庁議決定し、そして概算要求ということで大蔵省に要求をし、それが認められたがために六十三年度から予算がついた、こういう手順でありますので、当然大蔵省と十分に相談の上やっております。
#137
○翫正敏君 わかりました。
 この二カ年の間の調査をしたその内容の一つに、立地条件の不良等により早急に整備する必要がある、こういう調査結果も出ておるようなんですけれども、これは六本木の現在の防衛庁本庁の場所のことだと思われますが、そういう理解でいいかどうかということと、それからそうであるならば、立地条件の不良ということであるならば、市ヶ谷は立地条件は不良ではないのか。どこが違うのか、それはちょっと私にはよく理解できないんですね。説明いただけますか。
#138
○政府委員(萩次郎君) それはこのお金で調査をした方の話とは違っておりまして、当然大蔵省だけではなくて建設省なんかとも相談をするわけであります。そのとき建設省の参考意見として、六本木を跡地処分するときにはそういう立地条件、こういうことが重要な問題になりますという参考意見をもらっているということでございます。
#139
○翫正敏君 じゃ一千百万で二年間かけて調査をした内容及びその後の大蔵省からの意見その他の中で、そういうものの中では防衛庁本庁の立地条件として現在の六本木はよくないが市ヶ谷はよい、そういう調査結果というのは別に出ていないわけですか。
#140
○政府委員(萩次郎君) そういう意味の調査はしておりません。
#141
○翫正敏君 そうすると、またちょっと話が戻って恐縮なんですけれども、どうして移さなければならないのかということですね。
 それは、要するに推測を交えて今私が思いついたことを言いますと、国有地がある、売却すればお金が出てくる、このお金で新しい防衛庁をつく札ば、いわゆる防衛予算に計上しなくてもよい特待会計でできるじゃないか、そういうことを思いついてこの計画を進めだということになる以外には、ちょっと私の理解力では理解ができないんですけれども、そういうことでよいんですか。
 まず売ってお金をつくるということがあって、そして移転計画というのは進んでいった、こういうふうに考えてよろしいんですか。それとも、とにかく六本木は立地条件がよくない、立地条件でなくてもいいが何かがよくない、こういうことがよくない、だから市ヶ谷に移さなきゃならないんだという、そういうことがあってその計画が始まったんですか。どっちですか。説明してください。
#142
○政府委員(萩次郎君) 歴史的にどっちが先かということは必ずしもつまびらかにしませんが、どちらもそれぞれ絡んで進んできたのではないか。要するに、あそこの場所がいわゆる役所が存在する場所としてはだんだん不適格な場所になってきたということは長い間の歴史があるわけであります。他方、いわゆる国有地の有効活用という要請もございます。
 ということがありまして、役所が自分のところの国有地の中で移転するというときの予算の枠組みというのはこの特待会計でございますので、その中でお金をやりくりしてやりなさいということになっておるわけでございますから、実行する段階になれば当然その制度が活用される、こういうことでございます。
#143
○翫正敏君 今おっしゃっていることが、何か卵が先か鶏が先かの話を私が質問しているかのように答えておられるようですけれども、そういうことじゃなくて、本来は防衛施設を新しくつくるとかということはこれは防衛計画で行うことですね。新しく武器を購入したりするのもそうですし、施設をつくるのもそうなんですよね。それをこのたびのこの大計画については防衛予算の外でやっているわけですね。外でやるということができたのは、この六本木の土地を全部更地にして売るということがあって初めてできるわけですね。
 だから、特待会計ということが組まれて特別に今前倒しでどんどん予算を使っているが、このあいだ穴のところは後で土地を売ったら全部それが埋まって、もっとおつりが出てくるという、後からそれをちょっと聞きますが、おつりが出てくるんでしょう、そういうことがあってつくられた計画なんです。防衛計画ということならば防衛計画の中での話としてこれは別個の議論があるわけですよね。そうじゃないでしょう。土地を売ってということが前提なのではないか。
 だから、そんな卵が先か鶏が先かの話じゃなくて、当然に土地を更地にして売却するということがあって初めてこの計画は始まったんじゃないでしょうかということを聞いているわけです。そうではありませんか。
#144
○政府委員(萩次郎君) そのことのみについておっしゃれば、全くそのとおりでございます、それ以外に方法がないわけでございますので。
#145
○翫正敏君 わかりました。そういうことで結構なんです。
 それで、昭和六十二年八月二十八日に庁議決定がなされましたですね。その移転の庁議決定の概要を御説明いただきたいと思います。
#146
○政府委員(萩次郎君) 六十二年八月二十八日の庁議決定の概要は次のとおりでございます。
 一 防衛庁本庁等いわゆる防衛中枢の所在する檜町地区周辺の商業地化の進展を踏まえ、国土の有効利用等の観点から、防衛中枢を檜町地区から市ヶ谷地区に移転させる。これに伴い、首都及びその近郊の防衛施設の再配置を図る。
 二 本計画は、昭和六十三年度からとし、特定国有財産整備特別会計により実施する。
以上でございます。
#147
○翫正敏君 所要経費は幾らと見積もられましたか。
#148
○政府委員(萩次郎君) 必ずしもその時点において明確にしたわけではございませんが、この計画をつくる際の基本的な検討の過程において一つの目安としておおよそ三千億程度ではなかろうか、こういうことを申しております。
#149
○翫正敏君 それで、その三千億の内訳を概略説明していただきたいんです。つまり、新しく建物を建てることについては、市ヶ谷にまず建てて、それからまた各地へ分散して建てますね。そういうように分けて大体どれくらい、それから取り壊しなどや調査、そういう建物をつくるという以外のことにどれだけというふうにちょっと仕分けをして三千億の大体の内訳を説明してください。
#150
○政府委員(萩次郎君) 結論を先に申し上げますと、ちょっとそのことは御勘弁をいただきたいと思っております。
 理由を申し上げますと、これは細かい概算でございまして、これでもって毎年の大蔵省に対する概算要求の基本的なものになるわけでございますが、この辺の経費等は年々の変更もございますし、部内的な参考資料でもございますので、その積算内訳はちょっと御勘弁をいただきたいと思っております。
 なお、年々、翌年度どれだけのものをやるかというのはその特別会計に概算要求をいたしまして国会で御議論を受けていく、こういうことでございます。
#151
○翫正敏君 それはちょっとよろしくないことなんですが、じゃ六本木の方の土地を更地にして売却する、それが前提となってこの移転計画が始まっているわけですが、その売却の対象になっている国有地の面積、それから庁議決定がなされた昭和六十二年時点での売却見込み価格、これを説明していただきたいと思います。
#152
○政府委員(萩次郎君) 現在、防衛庁本庁庁舎が所在します檜町地区の敷地面積は約七・七ヘクタールでございます。
 この処分見込み価格でございますが、これは私ども計算しておりませんし、計算する立場にはございません。と申しますのは、この特待会計、更地にしてから将来売り払うわけでございますのでかなり先の話でございます。それから、土地価格は大変変動が激しいということもございます。いずれにしても、防衛庁としては計算をしたことはございません。
#153
○翫正敏君 防衛庁長官にちょっとお尋ねしたいんですが、今、政府委員の方からこのような説明を聞いているんですが、もともと出発点が更地にして売るというところにあって、それがあって初めてこの計画が動き出しているわけですね。そして、いわゆる防衛予算ではないわけです、特待会計なわけですから、もちろんそうなんですけれども。
 そうであってみれば、私が今質問をしているようなことは、やはりこれからこの計画について見直しをするとかそういうようなことをするかしないかを決めるとか、一号館を保存するとか地下ごうを保存するとかという場合には設計変更しなければなりませんね。そういうときにはどのように費用がかかるかとか、そんなことを考える上にも必要な数字だと思うんですね。七万七千平方。メートルの六本木の土地を売却するというのが前提で始まっていることですから、これが大体どれくらい。今現在の価格を言うということは業者に予断や予見を与えることになると思います、今の価格を言えばですよ。しかし、もう六年前ですね、計画した当時のことですから、これをおっしゃっていただかないと。
 それからもう一つは、三千億の中身、一つ一つの建物が幾らか、そんなことを聞いているわけじゃないので、取り壊しとか建てるとかいうふうなのに分けて概略どれくらいの費用だというふうなこと、そういうことがわからないと、これも保存するのには、また設計変更すると概略どれくらいの費用がプラスするかみたいなことも全然考えられないことになるので、もう一度事務方に指示をして、残せないものかどうかということを指示するということをさっきお答えになっておられる立場からいいましても、少なくともこの程度のことはこの場で数字として政府委員から答弁させていただかないと検討もできないんじゃないかと思うんですけれども、大臣、いかがでございましょうか。
#154
○政府委員(萩次郎君) 先ほど申しましたように、私どもは売る立場にないものですから、その処分見込み価格がどれだけかということは私どもで一切やっておりません。ただ、そういう話が出たときに、週刊誌とかうわさでは何千億だとか一兆何千億だとかいろんな話があったことは事実でありますが、私どもも計算しておりませんし、もちろんまだ売る時期ではございませんので、ほかのどの機関かが価格を見積もりしているということもなかろうかと思います。まあ単なるうわさはあったことは事実でございます。
 それから、三千億の中身でございますが、繰り返して申しわけありませんが、まあ予断を与えることによって今後の建物とかいろんなものの発注等に影響を与えますものですから、これは基本的に年々の概算要求で御検討いただくということで、当時の三千億の中身についてはちょっと御勘弁をいただきたいと思います。
#155
○翫正敏君 そういう金額の説明をなさらないというところを見ると、さっき自民党の板垣議員がいろいろと板垣議員の歴史観の立場からこれを保存すべきであるということを御指摘になった。そのことについて中西防衛庁長官からは、移転する、取り壊しするという決定はしているが、もう一度残せないものかを検討させてみたいというような趣旨の答弁があったというようなことも、こういう数字みたいなものが全部全く秘密にされ、この場所にも出していただけないということになると、決まったことはそのままとにかく推し進めていく、この一本やりだというように受けとめるしかないような感じがするんです。
 私はもちろん、一番最初に申し上げましたように、歴史観ということについては自民党の板垣議員とは随分と違う考えを持っておりますけれども、しかし後世にこの市ヶ谷台一号館と地下ごうはともに大切に保存して、そしてこれを歴史の現場に立つということで未来の人たちに見てもらいたい、考えてもらいたいと、そういうふうに思っているわけなんです。
 そういうことで、先ほどの答弁というようなものとの整合性もやや疑問に感ずるわけですけれども、もしどうしても出せないということであればそれで仕方がないとは思いますが、ぜひ大臣の方から、政府委員の説明はわかりましたが、大臣の方から、今は出せないが、例えば後刻出すかどうか検討するとか、それから残すかどうかということの検討をする場合は当然この金額がプラスされたりするわけですから、そういうようなことでもやっぱり金額というものは出てくるでしょう、必要になってくるわけですから。そういう指示の中でこれはこうするとか、そういうようなことを大臣の現在の考え方として、これから防衛庁の担当者に指示をしていくという場合の考え方というものを含めてお答えいただきたいと思うんですが、いかがですか。
#156
○政府委員(萩次郎君) ちょっとその前に事実関係。
 大臣の前に一つだけ事実関係ですが、今の一号館のあるところに一番高い建物を建てざるを得ないというのは、お金の問題もさることながら、前にも御答弁申し上げましたように、建築基準法上の問題、日照権の問題、電波法の問題、消防法の問題等々から一番真ん中に一番高い建物を建てないとそういった法的な規制をクリアできない、こういう問題がございます。
 それで、お金の面で、恐らく翫先生は例えばたくさんのお金をかければあのままの建物を保存できるということかもしれませんが、私が今申しましたように、お金の問題よりもそういった法的規制、そこをクリアする、これが大変大きな重要な要素になっておるということだけを御承知おきください。
 それから金額について、今まで一千九百億ほど使用しておりまして、来年度六百億余要求をしております。過去にどういうところにどういうお金を使ったのかということについてはもちろん資料をお出しすることはできますし、概算要求ですからこれまた変更する可能性があるんですが、それが政府案として決定されればもちろん資料としてお出しすることはやぶさかではございませんが、この六年前の三千億というのはかなり以前のかなりアバウトな数字でございまして、またこれがひとり歩きいたしますと私どもの作業にも大変支障を与えるものですから、この点はぜひとも御理解をいただきたい、こういうことでございます。
#157
○国務大臣(中西啓介君) 今、参事官がお答えをしてくれましたので重複を控えます。
 いずれにしても、六本木地域はもう時代の変遷とともに商業化が著しく進んできた、風俗化が激しい、いろんな面で国の防衛をつかさどる中枢組織としては少し環境は適さないねというふうなあたりから種々検討した結果、幸いなことに市ヶ谷を十分活用するだけの防衛庁の管轄の資産を有していた。それじゃ防衛庁はあそこへ移って、東京近郷のいろんなほかの施設もありますから、そういうものも整理統合といいますか見直しをして合理化を図ろうというような趣旨からスタートしたわけです。
 それで、当時はバブルといいますか六本木地区はかなり付加価値も高いだろうから、移転して相当整備された計画を実施するには十分賄うぐらいの資産価値はあるねというふうなあたりから大蔵省と相談したり建設省と相談したり、最終的に六十三年にオーケーという許可をもらって計画が具体的に動き出した、こういうことでございます。
 当時、見込みとして三千億ぐらい要るんですかねというような計画を立てた。その中身について出せと、こうおっしゃられたわけですが、当時の話でありますし、結構アバウトな部分もあるんだろうと思います。しかし、特待会計といえども、予算ですから、これはもう必ずいろんな形で詳細が公表されるわけでございます。ひとつそういう意味で御理解をいただければ幸いでございます。
#158
○翫正敏君 防衛施設の周辺が市街化されているということだ付に着目するならば、六本木の周辺も市街化されておりますけれども、市ヶ谷の周辺も東京のど真ん中であるということでは同じでありますから、これを理由にされるというのはどうもやっぱりおかしいのでありましす。
 それからもう一つは、高さとか云々というようなこと、そういうことも検討はされたとおっしゃいますけれども、建物を上に建てることばかりが能ではなくて、下につくるということももちろん考えられるわけですから、実際可能かどうかということはともかくとして、検討課題としては当然下の方にたくさん建物をつくるということもあり得るわけです。
 そういうことから考えましても、やっぱり当時の三千億というのはどういう、アバウトであったらアバウトな内訳であったのかということ、それからその前提として六本木を更地にして売るということがあって、これが大体どれくらいで売れることになっていたのかというようなこと、そういうことがあって、当時から差額があって売る金額の方がかなり、倍ぐらいなら倍ぐらい高いとか、一・五倍ぐらいなら一・五倍ぐらい高いというような見込みのもとに出発しているとかいうようなことがわかりませんと、この計画を一部見直してもらうとか全面的に見直してもらうとか、私は全面的に見直してもらいたいとは思うんですけれども、そうではなくてごく一部見直して何とか新しい建物の中にこの一号館を組み込んで残すというふうな、そういう方法をとるにしましても、いずれにしても設計変更でお金がかかる問題ですから、そうなってくると差額の余分があるのかどうか、特待会計の中にあるのかどうかというふうなことも知りたいわけです。
 そういう意味では、委員長、ぜひこれは資料として、きょうじゃなくていいですが、提出してもらって、そしてその上で検討するという課題ではないかと思うんですけれども、提出をすべきかどうかを理事会で検討していただくようなお取り計らいはしていただけませんでしょうか。
#159
○委員長(岡部三郎君) ただいまの翫君の発言の内容につきましては、後刻理事会で検討いたします。
#160
○翫正敏君 それで、六本木の方の現在建っております主な建物の完成年度、その建てたときの金額がどれくらいであったかということ、それからもう一つ、耐用年数、概略で結構ですが、それぞれお示し願いたい。西暦でお示し願いたいと思いますが、このまま使っていけば西暦で何年まで大体もっということになっておるのか、お願いします。
#161
○政府委員(萩次郎君) 六本木の現在の地区には主要な建物だけで十五棟ございます。そのうちの三棟を除きまして十二棟が昭和二十九年に米軍によって建設をされております。当時、病院として使用したと聞いております。したがいまして整備の経費というのはわかっておりません。
 それで、残りの内部部局、それから統合幕僚会議が入っております建物が昭和四十三年度に完成をしております。このときの整備計画というのは、台帳記載の取得価格によりますと四億円、それから中央指揮所、これが完成年度が五十八年度、整備経費は三十六億円、それから防衛施設庁の現在総務部等一部が入っております建物が五十四年度に完成をしておりまして、経費が十四億円でございます。
 それで、耐用年数でございますが、一応の目安として事務棟が六十五年ということになっておりますので、今から申し上げます別のものを除きますと六十五年間です。食堂、売店、これが五十年間でございます。この食堂、売店は昭和二十九年に米軍によってっくられたものでございます。それから、隊舎、こういった部隊の入っております建物もやはり昭和二十九年につくられたものですが、耐用年数は六十五年間が一応のめどということでございます。
#162
○翫正敏君 主な建物のうち、三つの建物についてはかなりこれから先まだ数十年以上使えるという、こういうことなんですけれども、金額の問題について、四億円と十四億円というのは、私、そうかどうか何ともわからないのでなるほどと承っておきます。
 中央指揮所につきましては三十六億円とお答えになりましたが、これ私が別の人から聞いた話なので正確かどうか何ともわかりませんが、八十六億円というふうに私は聞いたんですが、どうなんですか。
#163
○政府委員(萩次郎君) 建物の価格が三十六億円、そして四十九億円が機器類でございます。合わせて八十五・何億、八十六億、こういうことでございます。
#164
○翫正敏君 わかりました。
 それで、この中でも一番高価で、なおかつ一番最近つくられましたのが中央指揮所であります。これが耐用年数六十五年ということなんですけれども、これが六本木が更地になって売られていくということになれば、当然のことですが、あと数年後に壊されるわけであります。
 では、その中央指揮所を六本木につくった理由というもの、これを示していただきたいわけであります。
 さらには、これを取り壊すということになるわけですが、そういうことになりました経過の中で、どのような機関に諮っていくという中でこの建物が壊されることになったのか、これをお聞きしたいんです。
 それを聞くまたさらに前提としては、中央指揮所というものをこの場所につくるということに決まる経過というものがあるはずでありまして、ここに場所を決めてつくったときの決定の経過というもの、さらにそれを取り壊すということについてもやっぱり同じような経過で取り壊すことを決められたのかどうか、そういうふうに仕分けをしてお示しを願いたいと思います。
#165
○政府委員(村田直昭君) 中央指揮所の設置場所につきましては、当然のことながら指揮の関係、指揮、通信等の中枢でございますので、防衛庁長官及び関係補佐機関の使用の便を考慮して防衛庁本庁檜町庁舎内に設置するということで設定したものでございます。
 それで、このことについては過去にもるる御説明しておりますが、その経緯でございますが、我が庁内に中央指揮所整備委員会というものを設けまして検討いたしまして、その中央指揮所の設置場所について行った研究検討の内容と結論でございますが、昭和五十二年六月、中央指揮所整備委員会が設置され、中央指揮所整備のあり方等について審議を重ねてきた。中央指揮所の設置場所については防衛庁長官及び関係補佐機関の使用の便を考慮して防衛本庁檜町庁舎内とし、必要な施設を建設するものということが決定されたわけでございます。
 それで、これを壊すときにどういう手続をしたかということですが、これはその庁舎の移転に伴う結果としてこれも取り壊すということになっているわけでございまして、特段のこれについての壊すという決定はされておりません。
#166
○翫正敏君 九月二十四日にこの参議院内閣委員会の市ヶ谷台一号館保存に関するヒアリングがありましたときに藤井治夫さんが意見を述べられたんですが、これも先ほどの郷田さんが意見を述べられたことについての場合と同じなんです。本人は質問ということでしたかったんですけれども、そういう機会ではないということで政府の責任者からの回答がなかったんです。
 意見を述べられた藤井治夫さんは、こういう三つの主な建物すべてそうですけれども、わけても中央指揮所が一番新しい、そして一番高価な予算をかけている、こういうものをただ単に移転をするから取り壊すという、これだけの理由で取り壊すということであるならば、これは財政法に違反するのではないかという、こういう指摘をされたわけです。この点については、もちろんその場所が質疑答弁の場ではなかったのでお答えがなかったことは当然だと思いますが、きょう藤井さんにかわって私が質問しますので政府委員の方から確たる御答弁をお願いしたいと思います。
#167
○政府委員(萩次郎君) 市ヶ谷移転に至る経緯はるる述べたとおりでございますが、耐用年数が残っているものを取り壊すのは財政法に違反するのではないか、こういう御質問がと思います。その際、個々の建物の耐用年数をもって云々されるということは必ずしも妥当なものではないと考えております。先ほど申しましたように、檜町地区に所在しております建物の七〇%、これは昭和二十九年度に建設されて老朽化しているということで、庁舎の使用の効率的な配置を図るということで法律上の問題点はない、こういうふうに考えております。
#168
○翫正敏君 法律上に問題はないということで進めておるということなんでしょうけれども、九月二十四日にヒアリングをしましたら、その人は財政法に違反している疑いが非常に強いというふうに指摘をしておられたということを重ねて申し上げておきたいと思いますので、検討するときにはそういうことも考えてほしいなということなんです。
 それから、次に、六本木を更地にして売却して市ヶ谷に本庁を移転するという決定を六十二年八月二十八日に防衛庁で決定したわけなんですけれども、そのときに、これは前回私が質問したときの答弁で明らかになったことですが、安全保障会議というようなものにはかけていないわけなんですけれども、それに誇らなかった理由は那辺にあるのかということをこの機会にもう一度お尋ねしておきたいんです。当時の総理大臣、中曽根さんの最高意思なのか、それとも栗原防衛庁長官の意思なのかそういうようなことを含めて、安全保障会議にこういう重要な移転計画及び中央指揮所を取り壊すという、このことを語らなかった理由など、その意思決定の経過を御説明いただきたいと思います。
#169
○政府委員(萩次郎君) 防衛庁庁舎移転計画というのは、再々申し上げておりますように、国有財産の有効利用等の観点から機能を檜町から市ヶ谷に移転するというものでございまして、いわゆる防衛力の整備を目的とした事業とは次元を異にしたものでございます。
   〔委員長退席、理事板垣正君着席〕
したがいまして、本計画については安全保障会議に付議する必要はないという考えをとっておるものでございます。
#170
○翫正敏君 そういう重要な会議を経ずしてこういう計画をつくったから、逆に言うと重要な歴史的建物である市ヶ谷台一号館とか地下ごうを保存しようというような考えも浮かばないということになるし、今日に至ってはもう決まったことだから行け行けどんどんでやるしかない、こういうようなことになっておるということだと思うんです。やっぱりこの入り口のところでもっときちっと練って意思決定機関に語る、審議会をつくって審議をするとか安全保障会議にかけてもっと審議をする、さらにそれをどこか別のところへ委託をして審議をしてもらうとか、いろんなことをやって慎重に検討しておれば、当然そこから保存のことも含めた移転計画全体をもう少し考えるべきだというようなことが出てきたりして検討課題になったんだろうと思うんですが、これを防衛庁長官としてどのようにお考えか、この機会にお尋ねしておきたいと思うんです。
 あわせて、防衛予算の大要に全然この移転関係の予算が載っていないわけでありまして、特待会計ということで前倒しにお金を使っていく、後で更地にして売ってそこを穴埋めすればこれでいいという予算計画のもとに話がどんどん今日まで進められてきているわけです。
 これも防衛施設を整備するという、それも少々の整備ではない、ある意味で大計画ですから、この大計画をそもそも当初から防衛予算の大要というようなものを発表して国会の審議に付し、それを決定していくというような経過を経なかったということが今日に至ってぜひ計画の一部見直しをしてほしいというような声が国民の方からも出てきている、こうして議会でも何回も御議論しなければならない、このようになってきている原因の一つではないかというふうに思うわけですけれども、防衛庁長官としていかがでしょうか。
 そういう国会への予算の報告がトータルに当初なされていない形で特待会計で決まり、どんどん今日まで進められてきているというようなことについてどんなふうに思われるか。これをやっぱり見直して一号館を残したり地下ごうを残したりしていこうとすれば、その入り口のところからもう一度検討し直してみるということがないとなかなかうまくいかないんじゃないかというふうに思いますので、その辺の御見解を承っておきたいと思うんです。
#171
○国務大臣(中西啓介君) 先ほど参事官がお答えいたしましたように、防衛力の整備を目的とする一般会計予算とは性格が異なる予算である、ですからということで御説明を申し上げたとおりでございます。それと、特待会計といえども各年度国会で御審議をいただくわけでもございますし、あるいは資料も提出もいたしますし、また防衛白書等にも囲みで記載もさせていただいておりますから、全くつんぼ桟敷に置いているというようなニュアンスは全くないのではないかきちっとルールにのっとって処理をしておる、そういう認識でおるわけでございます。
#172
○翫正敏君 答弁の内容はともかくとして、今の御答弁の発言の中にちょっと身体の障害のある人が聞きづらい言葉もあったと思いますので、できれば議事録から削っておいてもらった方がよろしいんじゃないかと思います。
 それはともかくとして、やっぱりそういう大計画を当初から安全保障会議にかけて、そして十分審議をしていくという手続が省かれた理由が、更地にして売ってそのお金でこの防衛施設をつくっていくという、こういうことによっているわけですから、やっぱりそこのところをもとから少しほぐしていくということがないと、なかなかこの計画全体の中に込められている市ヶ谷台一号館の取り壊し、これを残そうじゃないかというようなことはなかなか難しい、このように思うわけであります。それは水かけ論というか押し問答にもなるかもしれませんから、何とか残していただくようにもう一度御検討いただくということでよろしくお願いすると、こういうことに尽きるんですけれども、もう一度ちょっとその辺の御所見をお願いします。
#173
○国務大臣(中西啓介君) 先ほど答弁の中でちょっと不適切な言葉がありましたので、お取り消しをお願いしたいと思います。おわびを申し上げます。
 板垣先輩にも申し上げましたように、御期待にこたえられるかどうかまだ何とも言えませんけれども、もう一度再検討はいたしてみたいと思っております。
#174
○翫正敏君 この移転計画、この工事をいろんな業者に請け負わせて仕事を進めてきているわけですけれども、その業者の中に最近いわゆるゼネコン疑惑企業というようなことでいろいろ調べられたりしておる企業がございます。難しいことを聞いているわけじゃなくて、仙台市長とか三和町長とか茨城県知事とか宮城県知事などがいろいろ調べられております。そこへ献金をしたとかというようなことで調べられておるいわゆるゼネコン疑惑企業というようなものが幾つもありますが、こういう関係の会社がこの防衛庁の移転工事に関して仕事をしているという事実はありますか。いかがでしょうか。どういう企業がどこの場所をどれくらいの金額を行っているか説明をしてください。
   〔理事板垣正君退席、委員長着席〕
#175
○政府委員(森本直孝君) お答えします。
 御指摘の企業は、株式会社間組、清水建設株式会社、西松建設株式会社、三井建設株式会社、鹿島建設株式会社、大成建設株式会社の六社と承知しております。
 防衛庁本庁庁舎等移転計画に係る建設工事では、この六社のうち、株式会社間組、清水建設株式会社、それから西松建設株式会社の三社の受注実績がございます。
 なお、株式会社間組は、朝霞地区の庁舎等の建設工事の一部を請け負っておりまして、契約総額は約五十五億円でございます。清水建設株式会社にあっては、市ヶ谷地区の庁舎等の建設工事の一部を請け負っておりまして、契約総額は約二十億円でございます。さらに、西松建設株式会社にあっては、大宮地区の庁舎等の建設工事の一部を請け負っておりまして、契約総額は約十二億円でございます。
 以上です。
#176
○翫正敏君 今説明されたのは平成五年の契約も含まれておると理解してよろしいですか。
#177
○政府委員(森本直孝君) お答えします。そのとおりでございます。
#178
○翫正敏君 じゃ五年、今年度の契約というものに限って言いますと、どの社が幾らということになりますか。どこを幾らということになりますか。
#179
○政府委員(森本直孝君) 今年度につきましては、計画がございますが、現時点では契約をしておりません。
#180
○翫正敏君 ちょっとよく意味がわからないんですが、もう少しわかりやすく説明してください。
#181
○政府委員(森本直孝君) 五年度は、先ほど組んでいると言いましたのは間違いでございまして、予定はございますが、現時点ではいまだ契約をしていないということでございます。
#182
○翫正敏君 その予定している企業と金額を説明してください。
#183
○政府委員(森本直孝君) お答えします。
 予定している企業はありません。
#184
○翫正敏君 どう聞いたら答えていただけるんですかね。
 平成五年についてはまだ契約をしていないということはわかりました。だから仕事もしていないということもわかりましたが、さっき言われた各企業は、全部もう既に工事を終わってしまって、お金の支払いが済んでいるかどうか別にして、工事が全部終わってしまっている企業とその金額を言われたんですか。違うでしょう。
#185
○政府委員(森本直孝君) 違います。
#186
○翫正敏君 違うでしょう。
 今年度分についてはまだ契約をしていない、だから当然お金も払っていない、こういうことなんですよね。それはそれでいいんです。ただ、どこの会社に幾らということの予定をされていますかというかどうなっているんですかということです。
#187
○政府委員(森本直孝君) 今年度の予算では約三百五十億を予定しておりますが、契約しておりませんのでどこの会社へ行くかわかりません。
#188
○翫正敏君 じゃ入札など今年度、平成五年度の予算は三百五十億円の使い道は決まっているけれども、どの建物を建てるとかは決まっているが、その会社についてはこれから決める、こういうことだと理解していいんですか。
#189
○政府委員(森本直孝君) それで結構でございます。
#190
○翫正敏君 それでは、先ほどいわゆるゼネコン疑惑企業ということでずっと名前を挙げられました企業、ここは今年度の契約からは外される、指名から外されるというふうに理解してよろしいんですか。
#191
○政府委員(森本直孝君) お答えします。
 御指摘の企業のように、役員等が逮捕された場合には、指名停止要領に基づきまして指名停止しております。指名停止期間中はこれらの企業への発注は行いません。
#192
○翫正敏君 防衛庁長官、ちょっと所感をお尋ねしたいんですが、かなりゼネコン疑惑関連企業がこの仕事を受注しているんですが、そういう事実について何か所感、お考えはございますか。
#193
○国務大臣(中西啓介君) 趣旨がちょっとよくのみ込めなかったんですが、もう少しわかりやすく教えていただければと思いますが。
#194
○翫正敏君 そういうゼネコン疑惑企業も、またもちろんそうでない企業もたくさん仕事をしていますからそうなんですけれども、そういう企業も今までこの防衛庁移転計画の工事をかなり請け負っているということが今政府委員から答弁がありましたが、そういうことを聞かれて、そういう事実を聞かれて、今どういうふうに思われますかと、そういう意味です。
#195
○国務大臣(中西啓介君) いずれにしても、ルールにのっとって公正かつ厳正に対応していくようにと指示をいたしております。
#196
○翫正敏君 次に、ちょっと違う視点からお尋ねしたいんです。
 実は、市ヶ谷台一号館保存に関する請願につきましては、先ほど質問しましたときには、各党共通の請願書が百二十六国会に提出され、本委員会で審議をして、継続ということになっているということを申しました。そのことについては官房長官も防衛庁長官も大臣になるまでは御存じなかったということなので次に聞くことはもちろん全然御存じないと思うんですけれども、もう一つ前の百二十五国会の話ですから全然御存じないと思うんですが、あえて聞きます。
 こういう請願書、これは私、翫正敏が紹介議員になって提案をしまして、そして扱いは保留ということになったものなんです。市ヶ谷台一号館保存に関する請願書。一、請願の趣旨、「一、防衛庁市ヶ谷駐屯地所在の市ヶ谷台一号館を保存するための必要な措置を採ること。」。二、請願の理由、「市ヶ谷台一号館は、戦時中は陸軍省、参謀本部として、戦後は東京裁判法廷として使用された我が国の歴史上重要な建造物である。よって、我が国の侵略戦争の責任を永遠に記憶する上でも、市ヶ谷台一号館を史跡として永久に保存すべきである。」、こういう内容で、署名をつけて百二十五国会に提出した経緯がございます。
 これは、先ほど読みました次の百二十六国会に提出をされました請願書の内容と、簡単に言うと侵略戦争という、こういう言葉といいますか歴史観といいますか、こういうものが入っているか入っていないかということが一番大きな違いになっておるわけなんですけれども、まずこういう請願が百二十五国会に出たことを一応聞いておきます。知っておられたかどうかということと、それからそれぞれ今私が読みましたこの請願書の文章については、今初めて聞いたのなら今初めて聞いたで結構ですが、どんなふうに思われるかを官房長官、防衛庁長官の順に、ひとつお答え願いたいと思います。
#197
○国務大臣(武村正義君) 今初めて聞きました。
#198
○国務大臣(中西啓介君) 今初めてではありません。就任してしばらくしてから知りました。
#199
○翫正敏君 そこで、我が国の侵略ないし侵略戦争とか侵略行為とか、こういうことがかなり問題になっているわけですね。さまざまなところで問題になっているわけですが、そういうことについて少しお聞きをしておきたいと思うんです。
 まず、さきの戦争、これにおける犠牲者の数について武村官房長官に政府の立場からお答え願いたいと思うんですけれども、犠牲者の数について、私、「高等学校 日本史」、これを国会図書館の方から取り寄せて読んでみました。
 それを少し紹介しておきたいと思いますが、まず株式会社清水書院というところが発行しております「高等学校 日本史」には、このように「太平洋戦争における死傷者」という小さな見出しのもとに書かれております。「中国では約一千万人、日本が戦域とした東南アジアでは、インドネシアで二百万、ベトナムで二百万、フィリピンで百万人が死亡したといわれ、地域全体で一千八百八十二万人が死亡したと推計されている。」、こういうふうに書いてございます。
 それから、同じく「高等学校 日本史」、実教出版株式会社のものによりますと、「十五年戦争を通じて、中国・東南アジアの諸民族・連合国の死者は少なくとも二千万人以上に達すると推定される。いっぽう日本の犠牲者数は軍人・軍属約二百三十万人、外地で死亡した民間人約三十万人、内地の戦災死亡者約五十万人、計約三百十万人と数えられる。」、このように書いてあります。
 また、同じ実教出版株式会社の「高等学校 日本史」の、別の教科書かちょっと正確でありませんが、別の教科書だと思います。「太平洋戦争による東アジア諸国の死者の数は、文献により異なるが、各種の文献を総合すると、@中国約一千万人、A朝鮮約二十万人、Bベトナム約二百万人一大部分は餓死といわれる)、Cインドネシア約二百万人、Dフィリピン約百万人、Eインド約三百五十万人(大部分はベンガルの餓死者)、Fシンガポール約八万人、Gビルマ約五万人、H日本約三百十万人と推定される。」、このように書いてあります。
 それから、株式会社自由書房というところの「高等学校 日本史」には、「日本の十五年戦争によって多大な犠牲をこうむった中国をはじめ、アジア諸民族の犠牲者数は、二千万人をこえるものと推定されている。」、このように書かれているんです。
 事前にこれは、官房長官の秘書官の方に資料として私の方から出しまして確認をお願いしてありますので見られたと思いますが、まずこんなふうに記述してあるということの確認をお願いします。
#200
○国務大臣(武村正義君) 御指摘のとおり、記述は事実でございます。
#201
○翫正敏君 そこで、この記述の問題が国会で取り上げられまして、それで赤松文部大臣の方から、これは新聞の記事なんですけれども、「先の戦争によるアジアの犠牲者を推定二千万人とする高校の日本史教科書があると自民党が国会で追及した問題で、赤松良子文相は十五日、「国会で白熱した議論もあったので、記述の是非や根拠などについて教科用図書検定調査審議会(文相の諮問機関)で議論を深めてもらう」と述べた。」、このように新聞で報道されていますのでこれも事実であるというふうに思われますが、これが先月、十月十五日の国会での文部大臣の答弁なんですけれども、私はこの教科書に書かれている戦争で亡くなった人の数字、こういうものを調査をするのは内閣全体の責任でなすべきことではないかというふうに思います。
 武村官房長官の責任で、あえて言えば総理府というところになるのかもしれませんが、あえて役所の名を挙げなくても、官房長官の責任でちゃんと調査をして数字をはっきりさせるということが必要で、教科書に書かれているから文部大臣だ、文部大臣の諮問機関で調べてという、そういう次元のこととはこれは違うんではないかというふうに思うんですね。教科書に書かれているということは事実ですけれども、この事柄自身というものは、日本と外国との外交関係とかさまざまなことにも大きな影響を今後与えるかもしれない、そういう問題だと思いますので、やはりきちっとやるべきだと思います。
 当面、私は日時を切って、この当該国に犠牲者数を問い合わすということがまず必要だというふうに思います。なぜかといいますと、我が国の約三百十万人の数については教科書の中にもかなり細かく内訳なども書かれております。内地で何人、戦争で行って何人と、こういうふうに正確になっていますが、他国の場合はそういう内訳は書いてございません。餓死者と思われるとか、そういうふうな記述はありますが、それがないということになりますと、まず当面すべきことは、それぞれ数字が挙げられている国にあなたのお国ではさきの戦争において亡くなられた人はどれだけなんですかということをまず問い合わせるということが当面必要なのではないか。
 その責任は文部大臣ではなくて官房長官だと私は思うんですが、それを日時を切ってちゃんとやらないと、このまま放置をして教科書の中身をどうかこうかということだけで済ますようなことではないんじゃないか、こういうふうに思うのでございます。そして調査した結果をこの国会に報告する、こういうことが当面大事じゃないか。
 そして、さらに言えば、その国々から我が国はどれだけですという数字が内訳を含めて出されてきたとしますと、その数字が正確かどうかということは、それはまたさらに検討する必要がある場合もあるでしょう。しかし、まずそれはその国、現在の国の政府、当時と現在と政府がいわゆる政権が交代して、日本みたいな政権交代じゃなくてもう全然国の名前も変わってしまったところもありますね。そういうような形の政権交代もしたところもあるわけですから、その数字そのものの精度みたいなものは、これから国会に報告をいただいた後にさらに政府の責任で明確にしていくという作業が必要で、これは時間がかかるかもしれないと思いますが、当面緊急にできることは、載っているそれぞれの関係国に外交ルートで問い合わせをして、まず数字を集める、そしてこれを報告するということがまずあって、その上でという、こういう順序になるんじゃないかと思いますが、官房長官のお考えをこの機会にお伺いしておきたいと思います。
#202
○国務大臣(武村正義君) 過般の参議院予算委員会でもこの論議がございました。半世紀前の戦争の犠牲者の数を今正確につかむということは、事実上不可能に近い話ではないかと私は思っております。
 そもそも各国に問い合わせをしましても、一体どういう基準で各国が数字をはじくのか、これも戦争の直接の死傷者もありましょうし、先ほどの御紹介のように。ベンガルの餓死者三百万人というふうな間接的な死傷者もたくさんあるでしょうし、そういうことを考えますと、この犠牲者の数を今、半世紀たった今の時期に、たとえ半世紀たってなくてもそうですが、客観的にみんなが納得できる数字をつかむということは大変難しい作業であるというふうに私は思います。
#203
○翫正敏君 お時間があるのでもう一回だけ答えていただいて退席していただいて結構ですけれども、要するに私が言っているのは、正確な数字という、正確ということの問題の以前に、まず関係各国に問い合わせをして、そして何人というふうに把握されていますかというのをまず集めて国会に報告していただくということが第一弾としてあって、その上でその数字の正確さを今後どういうふうに調査をしていくかということがあるんだという、こういう順番になると思うんです。
 だから、教科書にこう数字が載っていることのこの正確さを文部大臣が諮問機関で調べるというようなことではなくて、官房長官の責任で外務省を通じて指示をされて、まず各国の数字を集める、そして報告するというところから始めていただけませんかというふうに申し上げているんですが、それはそういうふうにすればいいんじゃないでしょうか。
#204
○国務大臣(武村正義君) 文部大臣でなしに官房長官がやれというお話でございますが、これは文部大臣がやりましても、あるいは外務省が、在外公館がやるにしましても、一体どういう基準で報告をしていただくか、各国にお願いをするか、そこから議論が始まると思うんです。でありませんと、恐らく集めた結果がまた物議を醸すことにもなりかねない、そういう心配を抱きます。
 いずれにしましても、あの戦争によって本当に多大の犠牲者を出したということは私どもも率直に認識をしなければなりませんし、その反省に立って私たちも生きていかなければいけないというふうに思っております。
#205
○翫正敏君 それで次に、大臣で残られたのは中西防衛庁長官だけになりましたので、あと二人の方おいでだったら一緒に聞きたかったんですけれども、一人だけ残られたのでお答えいただくということでお願いします。
 細川総理大臣が再三国会でおっしゃっていることですが、八月二十二日の本会議における所信表明演説が最初なんですけれども、「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」、こういうことを言われています。防衛庁の最高責任者ということで仕事をしておられる中西防衛庁長官は、この我が国の侵略ということについてどのような御所見をお持ちか、この機会にお述べをいただければありがたいと思います。
#206
○国務大臣(中西啓介君) 総理の本会議でのあの発言を聞いたときに、率直に私感じたことを申し上げますと、これはひょっとしたら大変誤解を招くかなという印象をまず受けました。赤紙一枚で、あるいは上官の命令以下とうとい生命をお国のためにささげて散っていった人々がたくさんおられたわけでありますから、また正義の戦いだと信じてまさに一億総国民、あの戦争に対処したわけでありますから、ひっくるめて侵略戦争であったというような結論はいささか短絡的過ぎるかなという意味で誤解は招くかなという心配を私はしたわけでございます。
 しかし、言葉足らずの面もあったのかなという気もいたしましたが、総理の言われた趣旨、心というものは、なかなか戦争というのは、侵略戦争という定義づけ、先ほども申し上げましたように正義のための、あるいは戦争というこの定義、づけ、それはなかなか主観的要素あるいは抽象的な感じとか、結構あいまいな感じもするわけです。なかなかびしっと定義づけることは難しい。例えば日本の場合だって、どこからどこまでを侵略戦争、どの国と戦ったときが侵略戦争で、あるいは侵略戦争ではない戦いであるというふうな言い方も、詳細に分類すればまたそれぞれの分析の結果というものも出てくるんでしょうけれども、ひっくるめてというのは少し荒っぼいかなという気はいたしました。
 しかし、結論は、結局戦争というものは人を殺りくしたり、あるいはその文化を破壊したり、多くの人々に大変な心の痛手、精神的な面あるいは肉体的にももちろんいろんな損傷を受けるわけでありますが、そういう悲惨な愚かなことは何としても今後もう繰り返すことのないような、要するに日本は言動を今後とっていきたいという私は並み並みならぬ総理の意思表示であった、そんなふうに受けとめております。
 そういう意味で、先ほど来の議論も、例の一号館を残せというのもそういう誤りを究極は繰り返してはならぬ、だから歴史的事実は若い人たちにやっぱり伝えていって平和を目指す一つのよすがにすべきではないか、そういう趣旨でおっしゃられているんだろうというふうに私は理解をさせていただいております。
#207
○翫正敏君 私のところの、私は仏教の寺院の住職をしておりまして、二十代目なんです、私事で恐縮ですけれども。私の父親も戦争に行きましたし、父親の次の弟は二十四歳で上海事変のときに、昭和十二年に戦死をしております。その次の弟は、かなり重傷を負いましたけれども帰ってまいりました。そういうこともございます。
 それから、お寺の仏具、しんちゅうでできた仏具は全部供出をするということがありました。これが強制だったのか、それとも進んでしたのか、そういう詳しいことまで私はわかりませんけれども、とにかく全部しんちゅうの仏具は出して黒いガラスの仏具にかわっていたということは子供心にも覚えております。それから、お寺のつり鐘はこれは青銅でできておる。これを何に使ったのか、大砲の弾に使ったのかわかりませんけれども供出をしまして、これは私が三歳ぐらいの子供のときに新しく戦後買った、こういうことがございました。
 そういう意味では、仏教の教えの立場からいいますと、なんじ殺すなかれ、殺さしむるなかれということで、不殺生ということが一番仏陀の教えの中心になっておるわけで、それをお寺の代々の御先祖の住職の方々が皆周りの人たちに教え広めてきたんだろうと思いますが、そういう寺の住職もその家族も皆そうして、ある者は赤紙で戦争に駆り出された。二番目の戦死した人はそうではなくて志願兵、自分で行った。今の自衛官みたいなものですが、志願兵ということでみずから行かれて、それで戦死をされたわけですけれども、そういうふうな歴史も私の家族の中にはあるわけです。
 そういうことでありますので、なおさらやはりこの戦争の問題、平和の問題ということについて関心が高くありまして、そういう中から、例えば広島における原爆ドームというふうなものがこれがある意味で戦争の悲惨なありさまを極めて象徴的にあらわしているというふうに、見てすぐだれでもわかるということであらわしているとするならば、やはり市ヶ谷台の一号館とか、またその地下ごうというふうなものは、戦争というものをそこが中心になって行ったところであり、最後にはそこで裁判が行われて日本の戦争指導者に対する断罪が行われたところであるという、そういう極めて重要な戦争に関係した歴史的な建造物であるものはぜひ後世に残して、そしてそこから私たちや、また私たちの未来の人たちが学んでいくべきさまざまな課題がある。
 やはり、ミニチュアであるとか、そこからかわら一枚という言葉は変ですけれども、何か柱一本取り出してきてここへ残しておけばというようなこととは全然違う。広島の原爆ドームで言うなら、原爆ドームの修理をしたり何やして壊れないようにずっと保存していく、そのものが持っている歴史的意義というものが大きいのでありまして、そういう意味では日本でただ一つの施設が市ヶ谷台の一号館であり、この地下ごうであると私は思うんです。かえられるものはほかにはないというふうに思います。
 ですから、これを取り壊すということは、私はそういう意味では本当に歴史に対する犯罪と言ってもいいくらい愚かな行為なのではないかというふうに思っている次第でございます。ぜひこれを取り壊すことなく残していただいて、後世の人たちにこの建物を見てこの中へ入って、そして歴史を学んでいただきたいということ、そういうことができるように防衛庁長官の方でぜひお取り計らいを願いたいということを切にお願いしたいというふうに思います。
 ところで、今後のスケジュールということで言いますと、先ほども少し話がございましたけれども、移転先の工事完了が来年の三月、それから移転完了が来年の六月、こういうようなことで取り壊しが来年の十二月ごろから始まる、大体このような考え方で今進められておるというふうに理解してよろしいでしょうか。
#208
○政府委員(萩次郎君) 正確に申し上げますと、今一号館に所在をしておりますのが東部方面総監部とそれから統幕学校、陸海空の幹部学校でございます。これらの部隊、機関が移動する先の建築が完成いたしますのが、学校関係につきましては目黒地区に来年の三月ごろ完成をいたします。それから、東部方面総監部が転出をする予定の朝霞の施設は来年の秋ごろ完成が予定をされております。したがって、学校関係は来年の四月になりますか五月になりますかそれぐらいに移動することになりましょう。それから東部方面総監部もその秋ごろ完成をいたしました建物に移動をいたしますので、あの中に所在する部隊、機関は来年の秋過ぎにはゼロになるということで、それを待って解体にかかるというのが現在のところの線表上の予定になっております。
#209
○翫正敏君 十条の方での工事がおくれているというようなことがあるんでしょうか。それから、市ヶ谷台の方の文化財の調査がおくれている、そういうふうなことがあるんでしょうか。その辺の現状と見通しについて説明してください。
#210
○政府委員(萩次郎君) まず、十条の方でございますが、十条もやはり埋蔵文化財の調査を行うということになりまして、この十一月から東京都と一緒になって作業に入っております。この十条には現在市ヶ谷におります補給統制の関係の部隊、機関、これが移ることになっておりますが、これらは一号館とは別の建物に現在所在をしております。
 それから市ヶ谷自体の文化財の調査でございますが、この文化財の調査等によって全体の計画が何年かはおくれぎみになっているということはそのとおりでございますが、なるべく建設計画に支障がないようにということで東京都埋蔵文化財センターとも相談の上、工事にかかる場所を優先的に発掘をしていくという方法をとることによっておくれを少な目にしたいということで、今相談をしているところでございます。
#211
○翫正敏君 もう一度防衛庁長官の方から、繰り返し同じようなことをお尋ねして恐縮でありますが、このようなスケジュールを一時凍結をしてでもこの市ヶ谷台一号館及びその地下ごうの保存ということについての諮問機関などをつくって、有識者の意見をさらに聴取しながらこの保存の可能性を探っていくというようなこと、こういう方針に、政権も交代したことでもあり、やはりこの機会に英断をもってそういう方針に方向を変えていくべきだと私、お願いをしたいわけですけれども、繰り返しになりますが、もう一度今後のことについての防衛庁長官としての御所見をお伺いしたいと思います。
#212
○国務大臣(中西啓介君) おっしゃられたことも含めて検討をいたしてみます。
#213
○翫正敏君 このことと違うことにつきまして少しお尋ねしておきたいと思うんですけれども、先日、政府の方から邦人の輸送のための自衛隊法の一部改正案第百条の八ということで閣議決定、国会提出ということになりました。その趣旨も衆議院の方では説明されたと聞いておりますけれども、さきの第百二十六回の国会において、この法案は自衛隊法百一条改正案として国会へ自民党政府から提案をされまして、それが審議をされ、本内閣委員会でもいろいろと審議されたわけであります。いろんな方が質問をされ、政府の答弁がさまざまにございました。そういうことを踏まえてかどうかわかりませんけれども、結論的には今回の政府提出の法案はこの条文が百一条改正から百条の八というふうに変わりましたこととともに、内容も一部修正または加筆されておるところであります。
 そこで、さきの百二十六国会で本内閣委員会においてさまざまな方が質問をされて政府の答弁がございましたが、さまざまな人のことはともかくとしまして、私、翫正敏が六月十日及び六月十一日の二日間にわたって質問をしました。そのことについて政府から答弁がございましたが、この政府答弁のうち、今回条文が変わったことはともかくとして、その内容に一部加筆とか修正がございましたので、そのことによって私が前回の六月十日及び十一日に質問しましたときの政府答弁が変わる、この話句修正によってこういう答弁をしたがこれはこう変わるんだというようなところがありましたら、具体的に指摘をしていただいてお示し願いたいと思います。
 政府委員の方からでもいいし、長官の方からお願いできるならばもちろんそれで結構だと思います。
#214
○国務大臣(中西啓介君) 百二十六回の国会で翫議員が御質問なさっておられるわけでございますが、いわゆる在外邦人の輸送に使用される機種、あるいはまた戦闘機による護衛が必要なのか必要でないのかというような部分、あるいはまた派遣先国の安全性の確認、そういうあり方等を御質問になったわけでございますが、基本的な考え方においては前回出した法案とは相違するものではありません。詳細については官房長からお答えさせたいと思います。
#215
○政府委員(宝珠山昇君) 前回の法案と異なりますのは、第一項におきまして防衛庁長官が外務大臣と協議して安全確認を行うということが入っておりますが、この点は国会で答弁したものを法文に落としたということでございますので、答弁が変わるということはございません。
 第二項につきましては新設でございますが、これは翫先生のときに機種を挙げて答弁されたかどうかはわかりませんが、いわゆる大型の政府専用機747、それが使えないような場合について、一例として挙げますならばC130、現にカンボジアなどに輸送活動を行ったわけでございますので、そういうこと、すなわち輸送機を念頭に置いておりますという答弁をしてございます。このことを第二項に法文として落とした、記述した、こういうことでございます。これも答弁の内容を変えるものではございません。
#216
○翫正敏君 わかりました。少なくとも私が質問したことについて、ないということでよろしいですね。ほかの人のは別としまして、私が質問したことについて答弁の内容を変更する点はないということでよろしいですね。
#217
○政府委員(宝珠山昇君) 結構でございます。
#218
○翫正敏君 ちょっと今議事録見ていましたが、すぐ見つからないので記憶で言いますけれども、海外に自衛隊の輸送機なら輸送機、政府専用機なら専用機が行きます。これは国際法上の軍用機に当たるということで、軍用機は国際法で特別な地位が与えられていて、そしてこれはある意味では国土が移動していくようなもの、大使館があるのと同じようなもので、ここへ武力の攻撃が外部から加えられた場合、これは自衛隊法の自衛権発動の対象に法律上なり得るんだという答弁がございましたね。これはちょっと記憶の範囲で言っているので正確ではないかもしれません。このことについても変更はないという理解でよろしいですね。
#219
○政府委員(村田直昭君) 先生の御質問は、たしか侵略の定義等について質問された復そういうような御質問があった。派遣先国で輸送機が攻撃されたら自衛権発動の対象となるかというような御質問だったと思うんですが、これについて、そのときお答えしたことを申し上げれば、百二十六回国会において当時の防衛局長が、組織的、計画的な武力攻撃を受けた場合、憲法上の論議として自衛権発動の対象となり得るという答弁をしたわけでございます。
 この点についても、この答弁は従来政府が答弁書等で述べてきた、仮に海外における武力行動で自衛権発動の三要件、我が国に対する急迫不正の侵害があること、この場合に他の適当な手段がないこと、及び必要最小限度の実力行使にとどまるべきことに該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としてはそのような行動をとることが許されないわけではないという純理論的な話を申し上げたものにとどまるものでして、現在提出予定の法案のように、相手国の同意を得て自衛隊機が海外に派遣されるというような場合には自衛権の発動といったことがおよそ考えられないということでございまして、その点についても過去の答弁に、この本件とは直接関係ありませんけれども、変わることはございません。
#220
○翫正敏君 事前に通告をしていないことなので申しわけないとは思うんですけれども、お答えしていただければお願いしたいということでお尋ねしますが、この法案で言うところの邦人の輸送ですね、邦人というものを定義していただけますか。
 もうちょっと親切にというか、もうちょっと言いますと、要するに海外にいるすべての日本国籍を持つ者というふうな定義になるのか、それとも日系人の人まで含むのかそんなこと。それからまた、さらに言うと、外国に活動中のPKO協力法に基づく自衛官とか、それから文民警察の人とか、その他文民の人とかおいでになりますね。そういう人も含むのか、そういうこと。
 この邦人という言葉は法律上の用語としては余りそう多くないように聞いておるわけですけれども、その辺で邦人の輸送というときの邦人というのは一体何を、どういう範囲があるのかということなんですけれども。
#221
○政府委員(宝珠山昇君) 正確に法文を持っておりませんが、外務省は旅券を発行いたしまして邦人を保護する義務を分担しているわけでございます。この中で言われる邦人ということで理解しておりますが、そういう意味で申しますと、先ほど先生おっしゃいましたように、日本国外務省が発給している旅券を持っている日本人ということ、日本国籍を持っている者ということになると思います。
#222
○翫正敏君 それで、これは前々回の国会のときに私が質問して答弁いただいたことの繰り返しで変わらないということでしたから変わらないんだともちろん思いますが、念のためにお伺いしておきます。
 邦人の救出のための輸送を自衛隊がするわけですけれども、その輸送機を飛ばすという場所ですね、騒乱地というところになっているんですが、そういうところへ飛ばす場所については限定がないと。つまり、当時の私の質問で言えば、多国籍軍がそこに展開しているところであっても、国連軍が展開しているところであっても、PKO部隊が展開しているところであっても、そういうこととは全く無関係に、どこかのA国とB国が紛争しているところであっても、そういうようなこととはこの法律は関係がないんだという、こういう答弁がございましたね。
 それは法律の要件として飛ばせる条件があるならばどこでも飛んでいくことができる、これも今回の法律の一部修正によっては変わらないという理解でよろしいですか。
#223
○政府委員(村田直昭君) 本法案の趣旨が緊急事態においてと、こういう生命の保護を要する在外邦人の輸送の件でございますので、それについてこの法律の要件を満たす地域であれば、国であれば、それはその地域的な限定はないということでございます。
#224
○翫正敏君 もう一点だけお伺いして終わりたいと思いますが、本法案が成立をいたしました後、成立するかどうかはもちろんわかりませんけれども、もし成立しました場合に、災害、騒乱その他緊急事態に際して自衛隊機により邦人の輸送をするわけでございますけれども、そうした場合に邦人を乗せた自衛隊機が武力による敵対行動を外部から受けるという場合がありましたときに、まあ万一ということですね、自衛隊というのはもともと万一の侵略に備えて訓練をしているわけですから、万一ということでお尋ねするわけですが、万一輸送中に、飛行場での場合とか上空を飛んでいる場合とかありましょうけれども、そういうときに万一武力による攻撃を受けたという場合、そして不幸にして事故になる、こういう場合、万一ということで想定をしますと、この場合に責任省庁は外務省になるのでしょうか防衛庁になるのでしょうかこれをお尋ねします。
 それからさらに、その場合の補償というのは国家賠償法というような法律に基づいて行われるのでしょうかどうでしょうか。
 その二点、これをお尋ねいたします。
#225
○政府委員(宝珠山昇君) この法律は、長官はこれこれを行うことができるということでございます。したがいまして、在外邦人の輸送あるいはこれに外国人を自衛隊機に搭乗させた場合で事故が生じた場合、当該人に死傷等の損害を与え、その事故の発生について自衛隊側に責任が認められるという場合には、国家賠償法などに基づきまして損害賠償を行うということになっております。
#226
○翫正敏君 自衛隊に責任があるという場合は、自衛隊の操縦士が操縦をミスして飛行機を墜落させたとか、そういう場合を想定しているんではないですか。
#227
○政府委員(宝珠山昇君) 自衛隊側に責任があるという場合の一つの例だと思います。
#228
○翫正敏君 私が指摘した場合はどうですか。先ほど質問として指摘した場合に限定してお答えください。
#229
○政府委員(宝珠山昇君) 御指摘のような事態、すなわち輸送に当たる航空機の安全が確認されない場合においては輸送を行わないということをしばしば御答弁申し上げておりますし、今回の法案の閣議決定に当たりまして、百条の八の運用方針としての閣議決定の中でもそのことを確認いたしておりますので、そういう場合はないというのが考え方でございますが、万一他国のものによって襲撃され得るというようなことがありますれば、それは自衛隊の側に責任があるということではないと理解しております。
#230
○翫正敏君 じゃその場合は要するにどうなるんですかという質問をしております。つまり、自衛隊のパイロットのミスなどで墜落して事故があったというような場合ではないわけですから、そういう万々一という場合には責任省庁はいずれになるのですか。そして、その補償については国家賠償法に基づくのですか、そうはならないのかというそれをお尋ねしております。
#231
○政府委員(宝珠山昇君) 操縦に当たっております自衛隊員に対しましては、防衛庁設置法及び自衛隊法、防衛庁職員給与法などの系列に基づきましてしかるべき補償が行われます。その他のものにつきましては国際法に従って処理されるということでありますが、その具体的なものについては承知いたしておりません。
#232
○翫正敏君 責任省庁は、私の条文の理解ではこれは外国人の保護の責任は外務省である、こういうふうに理解をしているんです。外務省の方から、ここに危険な、助けてくれと言うとる人がおるということが出まして、それを受けて防衛庁が輸送の任に当たる、そして輸送をするわけですから、飛行場なら飛行場へ飛行機をおろす、これは防衛庁がやります。そこへ困っておる人を、助け山さにゃいかぬ人を集めてくるか集まってもらうか、何かそういうことをせにゃいけませんね。保
 そういうようなことを含めて、すべてこれは在外邦人の救出作業というふうに名づけるならばこれは外務省の仕事であると。防衛庁は、外務省のそういう集めてきた人をその飛行場から我が国の方へ安全に輸送をするというそれだけの仕事である。少なくとも前回法案の審議をしましたときにはそういうふうに私は理解しておるわけで、その理解が正しいかどうかというようなことをお聞きしながら、そういうふうな前提に立つと、責任省庁は、私が想定したような万一の場合は、これは外務省の方になるのではないかというふうに想定されるわけですね。そういうふうなことでいいのかなということをもう一度聞きます。
 それから、わからないということならわからないでそのうち調べていただいて、今度法案審議になったらまたいろんな方が質問されるとは思いますから、それはそれでいいんですけれども、私質問通告を全然しておらないことなので申しわけないとは思いますが、やはり安全を確認して、そうでなかったら飛ばないんだ、安全なときだけ飛ぶんだ、こうおっしゃいますが、何せ法案の条文は安全とは書いてありますが、そのもっと前には災害、騒乱、こう書いてあるわけですね。騒乱の地が安全であるというのはこれはもともと概念の矛盾なわけですから、やっぱり危険なわけです。どれだけかは危険なわけです、少なくとも。
 そういう場合に、私が想定したような万々一の事態というものをすべて排除して計画を考えるというわけにはいかないわけですから、ここはどういう法律に基づいてどういうふうになるのかということは十分検討しておかなきゃならないと思いますが、そういう私が今るる幾つか申し上げたことを含めて総合的に一応答弁いただいて、これで終わりたいと思います。
#233
○政府委員(宝珠山昇君) 法律にございますように、緊急事態にある在外邦人ということでありますから、一般的にそれ以前の平時の状況と異なる危険な地域であるということは法案が前提としているところでございます。
 本法案において安全確認と申し上げておりますのは、飛行経路、それから派遣地の空港において航空機が安全に離発着てきるということとの差でございます。これは分けて御理解いただきたいと思います。そこまでに邦人などを安全に輸送してくるといいますか集めると申しますか、その任務というのは外務省の担当であるというふうに前国会などでもお答えしていると思いますが、今回も変わりません。その間において事故があった場合どうなのかということにつきましては、第一義的には外務省を窓口といたしまして当該国と折衝すべき問題であろうと考えます。
 それから、輸送の途中、先ほどの先生の御設問の万々一ということで理解しておりますが、あってはならないことでございますが、輸送機に積みました後においてということでございますと、これは自衛隊側に事故の原因がある場合とそうでない場合とに大きくは分けられると思いますが、前者については先ほど申し上げたとおりでございます。後者につきましては外務省を通じて当該関係国と協議をするということになるものと理解しております。
#234
○翫正敏君 終わります。
#235
○聴濤弘君 きょうの内閣委員会は、市ヶ谷一号館問題が一つのきっかけとなって行われておりますので、私のこの問題についての立場を最初に一言申し上げたいと思います。
 さきの戦争をどのように評価するか、また東京裁判をどういうふうに見るかというこの評価の問題は別といたしまして、この市ヶ谷一号館、これが日本の現代史において重要な意味を持つ歴史的な建造物であるということはだれも否定することのできない客観的な事実だと思います。
 したがって、国としてこういう歴史的な建造物を残すというのは、国の基本的政策、立場でなければならないというふうに私も考えております。このことを最初に一言申し上げておきたいと思います。その上で、別の当面しておりますいろいろな安全保障、防衛問題について、防衛庁長官に御質問をしたいと思います。
 私が中西防衛庁長官に最初にする質問でございますので、個々の問題に入る前に、一つ基本的な認識についてお伺いしたい。それは、現在の国際情勢とかそういった問題についての基本的な認識についてお伺いをしたいと思います。
 今、御承知のとおり、冷戦は終わった、ポスト冷戦の時代だ、冷戦後の世界に入ったというようなことが一般的によく言われておりますけれども、長官に伺いたいのは、長官も冷戦は終わったと、こういうふうに評価されますか。もしそのように評価されるとすれば、冷戦というのは一体何だったのかということについての長官の認識をお伺いしたいと思いますの
#236
○国務大臣(中西啓介君) 東西冷戦というのはおおむね四十年間続いてきた世界の軍事情勢のいわゆる基調になったにらみ合いなんです。米ソ合わせた核兵器で地球上の人類も含めた生物を数十回も殺りくできると言われるくらいの威力を背景にした恐怖のにらみ合いというような言い方もできるかと思いますが、そういう東西両陣営に、第三勢力というのももちろんありましたけれども、二分された対峙であったということでございます。とりあえずは、そのにらみ合いは終えんを告げて、正確には告げつつあると言った方がいいんでしょうか要するに世界じゅうを核戦争に巻き込むというような可能性は私は絶無になったとは思っておりません、相当可能性は遠のいていっている段階に今あると、そういう認識でございます。
#237
○聴濤弘君 冷戦というものを東西対決あるいは米ソ対決というふうに認識されておられる、その上での認識をお話しになったと思うんですが、私は冷戦というのは米ソ対決だけではないというふうに思っております。といいますのは、冷戦というのがいつの時代、何年から冷戦時代になったかというようなことを言うのはいろいろ議論があるところだと思いますが、しかし、アメリカが冷戦体制をしいたのは一九四七年のトルーマン・ドクトリンだったというふうに思います。
 そのトルーマン・ドクトリンによりますと、これはトルーマン・ドクトリン自身にそのことが書かれているんですけれども、アメリカの生活様式、これはトルーマンは自由の制度である、こういうふうに言っているわけですが、アメリカの生活様式を採択するか、それともテロと抑圧の体制を採択するか、ここの採択に世界の多くの国々が直面している、そして後者の体制を選ぼうとするものがあり、そしてそれに反対して自由を求めるものがあればそれをアメリカが支援する、これがトルーマン・ドクトリンだと、こういうふうに言っております。
 これはドクトリンですが、トルーマンがドクトリンを発表する二週間ほど前にトルーマン自身の演説で、全世界はアメリカ的な制度を採用すべきであり、アメリカ的な制度はそれが世界の制度になったときに初めてアメリカで生き延びることができるのであると、こういう演説もしております。非常に有名なフレミングという国際政治家が、これほど乱暴な発言はないとまで表明して、共産主義者の反乱が発生したならば、それはどこであろうとアメリカはこれは鎮圧するというのがトルーマン・ドクトリンだと、ここまでフレミングという人が言っております。
 そういうことで、決して米ソ対決あるいは東西対決だけではない、このトルーマン・ドクトリンは。そういう点がこの冷戦体制と言われたもののもう一つの側面だったんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
#238
○国務大臣(中西啓介君) 聴濤委員の今のお説は一つの見識だとは思います。
 アメリカに参りますと、ニューヨークの飛行場におりるときに自由の女神とかなんとか高々と立っていますよね。あたかも何か世界の自由の総本山みたいな何となく印象を受けるわけでありますが、御案内のとおりアメリカは共産党という、党というか、認めてないんですよね。そういう意味では日本はもう堂々と共産党も認めておりますし、今、聴濤先生もこの参議院という院で見識の高い御質問をなさっておられるわけですから、はるかに日本の方が私は自由の女神を立ててしかるべきかなという、そんな気持ちを持ってあの自由の女神というのを見たこともあります。
 ですから、それほど共産党ということに対しての何といいますか逆の価値観ですね、それに対するトルーマン大統領の考え方であったわけでありますから、それも一つのアメリカなりの価値観なのかなというように承らせていただきました。
#239
○聴濤弘君 私がトルーマン・ドクトリンまで議題に出しましたのは、実は現在のアメリカの戦略にとってこのトルーマン・ドクトリンというのが今日的な意味を持っていると私は思ったものですからトルーマン・ドクトリンを持ち出したわけなんです。
 といいますのは、この九月にアメリカの一連の、クリントン大統領も含めていろんな人が演説をしております。一つ御紹介しますと、オルブライト・アメリカ国連大使、これが九月二十三日に国防大学で演説をしている。その中で、クリントン大統領は今日の歴史的瞬間と第二次世界大戦直後のトルーマン政権の初期との類似性についてしばしば語っている、自分のクリントン政権というのはトルーマン政権の初期の時期と非常によく似ているということを我がクリントンはしばしば言っているというふうに指摘している。
 実際クリントンはどういうことを言っているかといいますと、これはクリントン大統領が九月二十七日に行った国連演説で次のように言っています。冷戦の終結によって多くの人々がアメリカは世界から撤退することを計画しているのか、それとも世界に積極的に関与し続けるのか、もし積極的に関与するのであればその目的は何かと尋ねていることを私は知っていると。こう設問して、そこでアメリカは引き続き関与し指導していくつもりである、世界から撤退しないと。世界に引き続き関与し、指導していくと。我々の最優先の目標は市場を基礎とした民主主義諸国の世界共同体を拡大し強化することでなければならない、この最優先の目標のために世界にとどまる、撤退しないということをクリントン大統領は述べております。
 そういうことで、私は何が言いたいかといいますと、トルーマン・ドクトリンというのはアメリカの生活様式、これを守りあるいは拡大するんだと。今のクリントン大統領も、今冷戦が終わったと言われながら世界から引かない、なぜならば市場を基礎とした民主主義諸国、これの拡大をしていかなければならない、だから残るんだと言っている。ここに非常に一種の共通性を見るわけで、ほかにいろんな同様な発言があるわけですけれども、それはもう時間の関係で省略いたしますが、そういうのが冷戦が終わったと言われるもとでのアメリカの基本的な考え方だということが国連演説でも出ている。
 そうしますと、先ほど長官が一部認められた、冷戦が単なる米ソ対決、東西対決ではない、もう一つの側面というものがあるということをお認めになったと思いますけれども、そうしますと、依然としてアメリカはトルーマン・ドクトリンのような精神というのを今でも持っていて、アメリカは冷戦体制、言葉は別といたしまして、アメリカは冷戦体制というのを今でも続けている、こういうふうに言わざるを得ないと私は思うんですが、長官はどのように認識されますか。
#240
○国務大臣(中西啓介君) いわゆる何といいますか、時間的にどういう単位で見るかということによっても若干見方が変わってくるんだろうというふうに思います。
 アメリカはとりあえず、今言われたようなクリントン演説、私も新聞で読んだり聞いたりして承知いたしております。しかし一方では、やっぱり国連へのかかわり方ということも懸命に模索していることも事実なんですね。日本に対する、アジアに対する軍事的コミットメントといいますかプレゼンスといいますか、それを今いきなりなくするということは決してアジアの平和、安定には貢献しない、こういうこともおっしゃっておられるわけですね。また私たちも、今いきなりアメリカが、アジアを含めて、日本も含めて、仮に撤退みたいな事態になると、やっぱり少なくとも秩序安定度という見地から考えても好ましくないのかなと。そういう意味でアメリカは、クリントン大統領は基本的なそういう姿勢を維持されようとしているんだろうと。
 特にソビエトに対しましては、確かに一九九一年十二月ソ連が解体いたしました。そういう意味では冷戦構造は終わったという見方はできるんだろうと思います。ソビエトがCISというあれは十二ですか、の国に分かれてしばらくは苦難の道を歩むんだろうと私も思っておりますが、要するに民主化への道を懸命に歩いていくというんであれば我々も友好国にも呼びかけて徹底的に支援していきましょうと、こういう姿勢も堅持しようとしているわけですから、私はだからそういう意味では非常に安定したやり方なのかなという意味で評価をいたしておるところでございます。
#241
○聴濤弘君 ちょっと哲学論争みたいになってきますので、あとこの問題では一つだけ質問して終わらせていただきますが、私の言いたいことは、米ソあるいは東西対決ということだけではない、冷戦が終わったというのはそれだけじゃなくて、アメリカのいろいろな戦略があった、もう繰り返しませんが、そういう部分というのは残っているという意味で冷戦体制というのはまだ続いている、アメリカの戦略として。そのことは事実としてはお認めになると思うんですが、いかがですか。
#242
○国務大臣(中西啓介君) 現象面だけ見ますと一部残っているという見方もできるかもしれませんが、動機的には私は相当アメリカも対応に変化が生じてきているんではないかそんなふうに思っております。
#243
○聴濤弘君 長官の御認識はわかりました。
 次に、そういう脈絡の中で具体的な問題といたしまして、今、朝鮮半島の問題が大きな問題になっておりますので質問をさせていただきます。
 総理は、つい先日韓国を訪問して韓国の金泳三大統領と会談をしまして、北朝鮮の核問題についても議論をし、まずは対話と協議を通じて解決を図っていくという立場で一致したというふうに発表されております。ところが、会談に先立ってアメリカのアスピン国防長官が来日し、総理、外相、それから中西防衛庁長官自身とお会いになって会談をした。
 新聞ではさまざまな報道があるんですが、私が質問したいのは、これは評価がどうというんじゃなくて事実の問題をお聞きしたいんですが、国連の制裁措置をとるかとらないか、要するに国連の制裁措置問題について話し合われたのかどうか、この点お聞きしたいと思うんですが。
#244
○国務大臣(中西啓介君) 過日、アスピン長官が来日された際に二度目の会談を行いました。当然朝鮮半島の情勢についての部分もテーマになりまして、いろんな語がなされたわけでございますけれども、とりあえずはもう徹底的に話し合い路線というものを続けていこう、また続けていっていただきたいという部分では完全に意見の一致を見ました。
 日本も北朝鮮とまるっきり話し合いのチャネルがなくなったとは言えませんけれども、しかし現実はなかなか機能していないわけですね。だから、今世界じゅうで一番話し合いのできる、機能している国というのはアメリカとのチャネルしかない。だから、もうあなたのところが頼りよみたいなことで話をいたしましたら、ベストを尽くすと。そういう部分でも合意は形成されたことは事実でございます。
 それで、仮に話し合いが不幸にして決裂をした場合、もう日本も全然話し合いができない、なおかつアメリカもできない、閉鎖的な国でもありますし、やっぱりかなり濃厚な核疑惑に包まれている、日本からは一衣帯水の近間にある国でもありますし、我々としても大変重大な関心を払わざるを得ないという間柄でもございますから、とにかく国連の場で話し合いが行われるようなことにならないような結果をひとつ生んでほしい、話し合いになったときはお互いに緊密に連絡はとり合いましょうという程度の話はございました。
#245
○聴濤弘君 今の話ですと、国防長官というよりもクリストファー国務長官と話した方がいいんじゃないかというような感想を持つんですが、新聞報道もいろいろありますが、新聞報道によりますと、アスピン国防長官は制裁措置をするかどうかは同盟国と協議して決めると。それで、外交的手段が失敗した場合は、代替的な選択として制裁があり得るということも述べた、その際には同盟国、日本、韓国と相談をするということを述べた。それから、北朝鮮に対する米国の防衛体制は強固なものがあり、いかなる不測の事態にも備えがあると言って、最悪の場合は軍事行動も念頭にあることを示唆したと新聞の報道で出ているんですが、そこまで話し合いが行われたのかということと、そういう軍事行動というようなことまで、国防長官が来ているわけですから、そういうことが話が出たのか。
 それからもう一つは、制裁ということは起こり得る、今の朝鮮の事態では制裁措置をとらざるを得ないという事態も起こり得るということは想定しておかなきゃならぬのだというような話も出たのか。最初の段階で対話と協議でもって外交手段で最善を尽くすというのはわかるんですが、実際の事態としてそういうことまで想定した議論が行われたのかどうか、お聞きしたいと思います。
#246
○国務大臣(中西啓介君) 確かに私も読みましたし、いろんな書き方をしている新聞がありました、テレビも含めてですね。だけれども、軍事的行動を示唆したというようなことは断じてありません。とにかく徹底的に話し合いでやろうという確認がもう圧倒的大部分であったわけでありますが、万々が一決裂した場合は国連で話し合われることになるねというあたりまではやりとりの中ではございました。それ以上のものはありません。
#247
○聴濤弘君 もう一つお聞きしたいのは、今万々が一ということでお話があったんですが、万々が一の国連のことということで長官の答弁があったんですが、私非常に危惧する問題が一つあるんです。これは予算委員会でもちょっと取り上げて、時間がなくなって終わってしまったんですけれども、新生党小沢一郎代表幹事が九月二十三日の韓国の朝鮮日報とのインタビューで、北が事を起こせば韓国は単独で状況を打開できない、韓国、アメリカ、日本が一つにならなければならない、日本は国連軍の一員として韓国問題の解決に協力することもできる、こういうインタビューが朝鮮日報に載っております。
 私、翻訳したものを今読んでいるんですが、国連軍は今でも韓国におりますし、これと協力できるということになったとすればこれは本当に大変なことで、憲法を改正しなきゃこんなことはできないだろうと思うんですが、そういうことを小沢代表幹事は述べておられる。長官はどうお考えになりますか、こういうインタビューについて。
#248
○国務大臣(中西啓介君) 小沢さんの九月二十二日の朝鮮日報とのやりとり、インタビューについては、直接話は私は聞いておりません。おりませんが、彼の今出している本が結構売れておりまして、もう七十万部ぐらいは超えているという話でございますが、あの本の中にも、憲法改正しなくても国際平和協力業務は日本はできる、要するに国連の御旗のもとにのみという前提条件であれば憲法違反ではないという趣旨のことも述べておられるわけですね。そういう意味で、彼は彼の持論を言われたんだろうと思います。
 きょうの新聞にも、三十八度線に北の勢力が大分集結しているみたいな記事も出ておりました。しかし、私どもが得ている情報では、きょうの新聞だとここ数日といいますか極めて近い間にかなり緊迫してきているような、ちょっとそんなニュアンスが新聞の行間から読み取れたわけでありますが、主として国境線にかなりの勢力を張りつけておることは事実ですが、それはかなり以前から張りつけておる状況でありますから、ここ直近になってわあっとというような感じではないという我々は理解をいたしております。
 しかし、不幸にして北と南が大変な状態になった、戦争みたいなことになったということになると、もう本当に隣の家が火事になって燃えているような感じになるわけでございますから、全く家でひっくり返って野球かサッカーを見ているというようなわけにはいかぬだろうなというような認識は持っております。
#249
○聴濤弘君 だから、何かの形で参加していくということになりますか。
#250
○国務大臣(中西啓介君) 隣が火事で類焼してくる可能性だってあるわけでございますから、消火器ぐらいはどこにあるか、あるいは燃え移ってきたらピンを外して、あれは発射するというんですか、そんなようなこととか、類焼してこないようなことにやっぱりまず心がける必要性は絶対あるだろう。あるいはまた、火事がおさまるような形で何かお手伝いでもできることがあれば、まさに隣近所の話ですから、もちろん憲法の許される範囲内ということに限定されるわけでありますが、何かあればやっぱりお手伝いはしなきゃいかぬのかな、私自身は今そんな気持ちでおります。
#251
○聴濤弘君 長官の認識、大変重大な認識だと私は思いますが、予算委員会でこのことについて、小沢氏の発言について質問した際に、羽田外務大臣が答弁に立たれて、これは小沢氏の個人的な見解だというふうに言われました。
 官房長官おいでになりましたので、武村官房長官にお聞きしたいんですが、やはり今の小沢氏の発言というのは、これは羽田外相が言われたように、長官もこれは個人的な見解だという、そういう認識でおられますか。
#252
○国務大臣(武村正義君) そう思います。
#253
○聴濤弘君 そうしますと、個人的な認識であってもやはり発言の内容自体は私は本当に重大な発言だと思うんですね。今防衛庁長官はそういう発言をされましたけれども、この小沢氏の発言そのものをとりますと、国連軍の一員として協力するというわけですから、憲法改正でもしなければできない、そういう発言が行われている。それを放置しておくというのは、これは日本の国民にとって非常に恐ろしいことだと思うんですよ。
 武村官房長官は、八月の中ごろでしたか、選挙制度の問題で、例の小選挙区比例代表並立制の投票の仕方として一票制がいいか二票制がいいかという問題があったときに、一票制は憲法違反の可能性があるということをテレビで発言された。そうしたら、これは八月二十三日の与党の代表者会議で、与党で議論もしていないことをテレビで言ってもらっちゃ困るということが小沢氏から言われ、そして武村官房長官は今後そういうことはしないと言って事実上謝られた。謝られたというふうに新聞にも出ております。一票制の問題でああいう発言をされたら武村官房長官は謝られた。これほど重大な問題を個人的な見解だということで放置をしておくということはこれはないと私は思うんですが、いかがですか。
#254
○国務大臣(武村正義君) あのときはたしかテレビの二票制発言が問題になったわけでありますが、官房長官として早々とああいう公器のテレビの前で、しかも堂々と発言をするのはどうかと思う、官房長官は政府のかなめだから、そういう意味で少し慎重にしてもらいたいというおしかりを受けたというふうに私は記憶をいたしております。その点は十分気をつけますというふうに、これは小沢さんに言ったというか、五人の代表との話ですから、五人の代表に申し上げたわけであります。あくまでも政府の立場であります。
 社会党の見解と政権の見解の違いとか、それでなくても前からそれは個人の考え方と政府の考え方、そんな意味では、別に使い分けるわけではありませんが、お互いにめいめいいろんな考えを持っています。場所は特に政府の閣僚でありますと非常に気をつけなけりゃいけませんが、そうでない限りはめいめい国会議員としての個人の意見は日本の場合は自由闊達にあちこちで表明ができるわけでございます。それが即、党の公的な見解であるとか、あるいは政府全体の見解であるとか、その点はやはりわかりやすい形で意思表示をしながら発言をしていくことが大事ではないかというふうに思っております。
#255
○聴濤弘君 政府の立場だったというふうにおっしゃられたんですけれども、小沢氏は連立与党の代表者会議に出席する、そしてそこで連立与党、連立内閣の事実上の政策が決まっていくという代表者会議、そこに新生党を代表して出席をすることのできるという立場にある人ですから、いわば事実上の公人だと私は思うんですよ。単なる個人的な発言だからというふうには済まされない問題だと私は思います。
 しかし、この問題はこちらへおきまして、防衛庁長官にもう一つ、これも事実関係の問題でございますが、時間がございません、最後に次の点を伺いたいと思います。
 アスピン国防長官との会談でTMD問題、戦域ミサイル構想、三つの条件といいますか提案が出されて、繰り返していると時間がなくなりますか皇二つと言いますが、三つの提案が出されて、それをどうするか。その三つのうちどれかを選択してくれという提案が出された。それに対してどういう対応をとられたかというのが一つと、それからもう一つは、アスピン国防長官との会談で物品役務相互融通協定、例の米軍が演習したり移動したりするときのガソリン代を日本が負担するとかいう式の、たしか八八年です、国会でも問題になった。思いやり予算とは違う問題ですが、物品役務相互融通協定の問題が話題になったかどうか。そして、そのことについてある具体的な、日程的なことも問題になったかどうか。この二点について最後に事実の問題としてお答えいただきたいというふうに思います。
#256
○国務大臣(中西啓介君) 戦域ミサイル防衛、TMDについての話も当然出ました。それで、三つのことも言われたわけでございますが、我々としてはその三つのどれを選択するか、あるいはトータル含めて選択しないかの判断をする材料というか資料は全くなきに等しいわけですから、要するに政策判断を行っていくための勉強をやりたい。
 そういうことで、この間アメリカへ行ったときにワーキンググループみたいなものをSSCの下に設けましょうということで合意をいたしましたわけですから、そのいわゆる合意事項の実践をとにかくまずやりましょうということで、韓国に行った帰り、アスピン以下のスタッフたちがまた日本に立ち寄りまして防衛当局と話をして、十二月中旬に第一回のいわゆる作業部会というか勉強会といいますか、それをやろうということを決めただけでございます。
 それから第二番目の質問、ACSAの問題でございますが、これは話題になりました。当然、有事に備えるためにはたゆまざる訓練といいますかも積んでおかなければなりません。そういうことで、日ごろから自衛隊員は訓練を積んだその結果、PKOに行ったときもその本領を発揮することができたし、災害のときにも役立っているというようなことで評価もいただいているわけでありますが、日米合同訓練もやはりそういう前提に立って行われているわけでございます。
 しかしながら、アメリカはNATO軍すべての国々とはそういう関係を結んでおります。また、それ以外にも韓国や、あるいはオーストラリア、ニュージーランドもそうかな、たしか四カ国ぐらいあったと思いますが、訓練のときに例えば一々油を持っていって、また補給してというような場面もあるわけですね。ところが、現場に日本の油を供給する能力がある、そういう場合でも日本の油をアメリカに供給することができない。役務の場合だってそうなんですね。だから、予算的には全然関係のない話なんでありますが、やっぱり役務とかそういう融通をし合うということは、訓練をする場合においては非常にむだが省けて合理的な効果があるからこそNATO軍ともそれぞれ結んでいるし、それ以外に韓国ともオーストラリアとも結んでいるという現実なんだろうと思うんです。
 ところが、日本の場合は自衛隊法の改正とか、あるいは物品管理法の改正、あるいは会計法の改正とかありとあらゆるでもありませんが、相当の法律を改正しなければそういう役務協定が結べない。物品管理法なんというのは、私から言わせれば日本が全くもうたたきのめされて、何にもないときの環境下でできた法律なんですね。要するに物をもらっている時代にできた法律。だけど、もうこれだけの経済的にも政治的にも大きく成長した国になったわけでありますから、そういう法律自体見直さないともうとてもじゃないねという感覚は私ずっと以前から持っておりました。
 そういう意味で、こういう法律の見直しというか、お金の要る話でもありませんし、極めて客観的に見ても合理的な話でありますから、こういう関係も結べるような状況になれば非常にいいですねというような所感を申し述べたことは事実でございます。
 いつからやろうかというような話は、なかなか日本は縦割り行政でもありますし、一つの法律を見直すというのは日本の場合はなかなかトライアル・アンド・エラーの極めて不得手な国民でございまして、一たん決めたことはもう金科玉条のごとく守るみたいなところがありまして、いい面もあるんですが副作用もある。そういう日本でありますから、いついつまでに改正して、いつからそれじゃそういう関係に入りましょうなんていうような話はできるわけもありませんので、いたしておりません。そういう話は出たことだけは事実でございます。
#257
○聴濤弘君 終わります。
#258
○委員長(岡部三郎君) 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#259
○委員長(岡部三郎君) 速記を起こしてください。
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時二分散会
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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