くにさくロゴ
1993/02/19 第126回国会 参議院 参議院会議録情報 第126回国会 国民生活に関する調査会 第2号
姉妹サイト
 
1993/02/19 第126回国会 参議院

参議院会議録情報 第126回国会 国民生活に関する調査会 第2号

#1
第126回国会 国民生活に関する調査会 第2号
平成五年二月十九日(金曜日)
   午前十時二分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 二月十五日
    辞任         補欠選任
     一井 淳治君     渕上 貞雄君
 二月十八日
    辞任         補欠選任
     千葉 景子君     大脇 雅子君
     山口 哲夫君     竹村 泰子君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    会 長         鈴木 省吾君
    理 事
                岡部 三郎君
                成瀬 守重君
                三重野栄子君
                浜四津敏子君
                鈴木 栄治君
                有働 正治君
                笹野 貞子君
    委 員
                遠藤  要君
                木宮 和彦君
                木暮 山人君
                清水嘉与子君
                竹山  裕君
                服部三男雄君
                藤江 弘一君
                吉川 芳男君
                大脇 雅子君
                川橋 幸子君
               日下部禧代子君
                栗原 君子君
                竹村 泰子君
                渕上 貞雄君
                前畑 幸子君
                中西 珠子君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        小林 正二君
   参考人
       国立医療・病院
       管理研究所施設
       計画研究部地域
       医療施設計画研
       究室長      外山  義君
       日本放送協会解
       説委員      行天 良雄君
       全国社会福祉協
       議会高年福祉部
       長        和田 敏明君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○国民生活に関する調査
 (本格的高齢社会への対応に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る十五日、一井淳治君が委員を辞任され、その補欠として渕上貞雄君が選任されました。
 また、昨十八日、山口哲夫君及び千葉景子君が委員を辞任され、その補欠として竹村泰子君及び大脇雅子君が選任されました。
#3
○会長(鈴木省吾君) 次に、参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国民生活に関する調査のため、本日、参考人として国立医療・病院管理研究所施設計画研究部地域医療施設計画研究室長外山義君、日本放送協会解説委員行天良雄君及び全国社会福祉協議会高年福祉部長和田敏明君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(鈴木省吾君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#5
○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり三名の方々に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。
 この際、外山参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見を拝聴し、調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 それでは、外山参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(外山義君) おはようございます。今御紹介いただきました厚生省国立医療・病院管理研究所で主に施設計画の研究を担当しております外山と申します。
 いただきました約三十分ぐらいの時間を用いさせていただきまして、きょうは特に私は住環境、高齢者の住環境の専門の立場から、高齢化社会あるいは長寿社会を迎えて私どもにどういう課題が、今取り組むべき課題としてあるのかということを私自身の私見を述べさせていただきたいと思います。
 日本に戻ってまいりまして八四年間今の研究所で職務をしておりますが、それ以前七年間、スウェーデンの王立工科大学というところで住環境の研究をしてまいりまして、ちょうど施設ケアから在宅ケアに大きく潮流が変わっていく中でのスウェーデンの変革の過程を研究するチャンスが与えられまして、きょうは前半のところでスウェーデンの取り組みとかさまざまな失敗とか、それをまた、どういう形で乗り越えようとしてきたかというプロセスを簡単にレビューさせていただいて、そして後半のところで私自身の私見として、どういった現状の見方とか、こういう取り組みの課題があるのではないかということを述べさせていただこうと思います。
 お手元のレジュメ、かなり広範にわたりまして的が絞り切れていないレジュメでございますが、残されました一時間半の質疑応答の時間の中で、前半のプレゼンテーションで触れ切れなかった部分についてのコメントをさせていただきたいと思います。
 それでは、早速ですが、まず私の基本的な立脚点として、すべての方がやはりできることなら在宅で人生を終えたいと思っていらっしゃるという、そこから出発したいと思います。しかし、さまざまな身体的あるいは家族の状況等によりまして、現在これは日本だけではないわけですけれども、医療施設、福祉施設、居住施設に生活の場所を移すことを余儀なくされている高齢者の方たちがいらっしゃるわけです。この生活拠点の移動というのはどうして起きてくるかということをまず最初に触れたいと思います。
 これは、住宅と住み手の関係が経年変化、時間の流れの中で変わっていくからだと思います。住宅は、器として老朽化はしていくものの基本的にとどまっているわけですけれども、人間自身が家族変化、社会の中での役割の変化、また加齢に伴う心身機能の低下等で、人間の側の住まいに対する要求がどんどん変わっていくわけです。したがいまして、そこでミスマッチが起こってくるわけです。
 住環境自身に、人間のニーズの要求の変化にどれだけ追随できるかというポテンシャルのやわらかさがあれば、かなりのところまで住居としてその住み手のニーズにこたえていくことができるわけですけれども、現状の日本での持ち家あるいは賃貸の住宅の状況をこの切り口で見てみますと、例えば持ち家について言えば、多くの方が住宅を計画し、建てるのは人生の四十代、五十代、最も心身が壮健でポジティブなバラ色の夢を描いておられる、一生に一遍のチャンスを生かしてやはり自己実現の形として住宅を建てようとしている。そういう時期に計画されるわけです。
 残念ながら、そういう方も六十歳、七十歳を超えていかれますと、やはり人生の終わりに向けてさまざまな終息の形が出てくるわけですけれども、それを予測することができない。建てるときの資本の投下の仕方をやや違うところにしてしまうというのが持ち家の場合の難しい点だと思います。
 また、賃貸の住宅、これは公的住宅、民間の住宅に限らずですけれども、多くの場合、やはり働き盛りの世代を前提としてプランが計画されています。例えば、よく見かけられる非常に奥行きの長いウナギの寝床という言い方をされますけれども、そういうタイプの住居の場合、入り口の側から入って扉を閉めますと一方向しか開口部がありません。したがいまして、その中で一日のお日様の流れを感じることがなかなか難しいわけです。
 一戸建ての住戸で長い間住んできた高齢者は、やはり朝太陽が上ってそして夕方沈んでいく。部屋の中を移りながらその一日の時間の流れを感じているわけですけれども、やはり賃貸の住宅の場合も、昼間は基本的に若い人たちはみんな外へ出て仕事をするなり学校に行くなりして、そして帰ってきて、夜寝床ですね、そういう場所としての器がやはり色濃く残っている。賃貸のプラン自身もかなりそういった働き盛りの世帯を前提にされているということが言えると思います。
 あと、それに加えて、都市環境も含めた段差の問題ですとか動きやすさとか、そういったものは、高齢期に向かって歩行能力が低下していったり、あるいは視力が低下していったり、あるいは視野が凶変化していったりとか、それから音もかなり高周波がとらえにくくなってくる。そういった中で、高齢期になった方たちが住みこなしていくには、ややそぐわない基準でつくられている面が多々あります。
 したがいまして、住環境がもう少しやわらかく、後々さまざまな手を加えながら住ニーズに追随していくことができるような器であれば、もう少し全体の住宅に居残れる割合がふえてくるということは、これは間違いなく言えることだと思います。
 そこで、前半の福祉政策の中の基盤として、住宅に力を入れてきた社会としてのスウェーデンの状態を簡単にレビューしてみたいと思います。(OHP映写)
 手書きで、ややごらんになりにくいかと思いますが、これは医療施設、それから福祉施設、並びに住宅政策、住宅ケアという四本の柱を立てまして、スウェーデンの高齢者ケアの政策史をまとめてみたものです。
 縦軸に時代を一九五〇年から今日に至るまでとっておりますが、なぜ一九五〇年から始めたかということにちょっと触れたいと思いますが、一九五〇年にスウェーデンは高齢者の人口比率が一〇%を突破しております。我が国では一九八四年。三十四年間、それとずれて一〇%を超えたわけですけれども、スウェーデンではちょうどこの一九五〇年のあたりでいわゆる老人問題が社会化した時期でもあります。
 それから、日本社会と非常に似ているところは、純農業社会から高度工業社会に非常に短期間に社会の構造転換が行われた。この点で、非常にスウェーデン社会と日本社会はある平行の変化のプロセスをとっております。その中で、核家族化が起こり、女性が社会に進出していくということがちょうどこのあたり盛んに起こっていったわけです。
 そうしますと、一〇%を超えてふえていく高齢者を社会の中でどういう形でケアしていくのかということが国民的な課題になってきたわけです。スウェーデンでは、今世紀の前半においては三世代住居とか、それから女性が住宅にとどまって高齢者のケアをする、そういうような形がごく一般的に見られたわけですけれども、このあたりで変革が起こり、それに対する福祉施設の受け皿、医療施設の受け皿が順次整備されていったという緯経をとっています。
 まず、福祉施設の歴史ですけれども、老人ホームが第一番目の受け皿として五〇年代、六〇年代に大変量的に整備されているわけですが、これに関しては、その前身として救貧院という社会的救護施設がございました。一九四七年に救貧院と、それから老人ホームは三〇年代から逐次できてはいたんですけれども、この時代あたりまでは、老人ホームの中にかなり救貧院に入っていると前提されている方たちが混在していたということがわかっております。すなわちアルコール依存症の方ですとか、さまざまな形で社会的な援護を受けるべき方たちが、若年でありながら老人ホームの中に混在していたわけです。
 一九四七年、八年、ちょうど第二次大戦が外で終了して、スウェーデン自身が国の経済がだんだん勢いよく立ち上がっていくプロセスの中で、福祉にお金を十分に投入できるようになってきた。そのあたりですけれども、ちょうど四七年、八年ごろに、例えば基礎年金の大幅な増額等がされております。例えば、六十七歳以上の高齢者に基礎年金が当時支給されていたわけですけれども、年間一千クローナの基礎年金が保障されるようになりました。これは、当時の一般的な生活費としてはそれで基本的に充当できる額だというふうに言われております。
 それから、高齢者の家賃手当てもこの時期に始まっております。したがいまして、社会的なフレームとして高齢者の経済的なサポートがこの時期に始まったことによって、それ以前の老人ホームの果たしていた救貧政策的な役割がここで一応終わったというふうに考えられております。
 したがいまして、それ以後、老人ホームは身体介護を必要とした、心身機能の弱化した方たちに対する居住施設、介護施設としての役割を強めていったというふうに言えると思います。以後、六〇年代、七〇年代、老人ホームが整備されていくわけですが、その中で、それと同時に老人ホームの個室化あるいは地域化というようなことが起こっていきます。
 それから一方、医療施設ですけれども、一九五九年に病院法の改正というのがスウェーデンで行われております。これは昨今、我が国で医療法の改正の中で盛り込まれました特定機能病院、それから長期療養型病床群、この二つの特化が行われたわけですけれども、ややこれと似た動きがこの当時展開されております。すなわち一九五九年以降、高齢者の長期療養のための病棟を一般の病院から特化して量的に整備するということが打ち出されたわけです。以後、六〇年代、七〇年代と、長期療養病棟がかなり量的に整備されております。
 しかしながら、やはりスウェーデンにおいても、今日私どもが議論しておりますと同じような問題に直面しておりまして、すなわちここで展開されていきました長期療養病棟の例えば病棟の形とか、中で展開されている医療の内容等は、旧世紀の医療で行われていたものと全く同じものを行っていたわけです。例えば、病棟も四床室主体で、ベッドの上が患者さんの日常の生活の場といった様相がありまして、医療の中身としても、疾病に注目してなかなか残されている能力ですとか健康な部分には目がいかない。日中治療を受けている以外の時間はほとんどアクティビティーのプログラムがなかったりとか、そういう状況だったわけです。そういった中で、七〇年代のこのあたりで、いわゆる寝たきり老人ですとか廃用性症候群と一般的に言われているような、非常に無気力化した高齢者の長期の患者さんが長期療養病棟の中を埋めていくというような状況が起こっております。
 そこで、一九七〇年代の半ばに高齢者のケアの改革というのが起こりまして、生活機能を重視していこうというような新しいタイプの長期療養病棟が提案されます。一九七九年にここに書いております、ローカルナーシングホームと書いておりますが、新しい長期療養の形として居住生活がある程度認められつつ、生活の中身、衣食住を大切にしていった長期療養の形が提案されております。そして今日、昨年一九九二年の一月一日以降、このローカルナーシングホームが医療を担当しております県の担当から、福祉、住宅を担当しております地方自治体に移管されることが決まっております。それで、その結果、いわゆる長期療養の場でありながら、それぞれ基本的に個室あるいは二人部屋を持った基本的な生活・療養空間が成立して、一つの居住の形態であるというような位置づけの転換がここでなされております。
 それから、先ほど老人ホームが五〇年代、六〇年代整備されてきたお話をいたしましたが、一九七四年に老人ホームの建設の融資がストップして、以後老人ホームの建設がストップしたわけです。これは、ちょうどそのころ各自治体でいわゆるケアつき住宅と呼ばれるサービスハウスが整備されていたことによりまして、老人ホームの建設をストップしてサービスハウスにつくりかえるための融資に転換されております。以後、ここで福祉施設の潮流であった老人ホームが住宅政策の中に位置づけられ直されて、ケアつき住宅としてここで住宅政策に一本化されております。
 このまとめで私がお話ししたかったのは、福祉施設の流れも医療施設の流れも基本的な住宅政策の一環の中に組み込まれてきている、この流れをお話ししたかったわけです。
 それから、全体にその柱になっております住宅政策ですが、これに関しては、一九三〇年代に政権が社会民主労働党という党が担ってから福祉の柱を住宅に据えるという方針が着々と整備されていく中で、住宅の整備がかなり国の施策の柱として展開されております。特に、一九六五年から七四年までの十年間に百万戸計画、当時人口八百万、約四百万世帯ぐらいだと思いますけれども、そういう小国で十年間に百万戸の住宅を計画するという計画を行いまして、実際に一九七五年時点で量的なストックは満ちたというふうに言われております。
 ちょうどその時期ですが、一九七五年に建築法が改正されまして、日本でも紹介されておりますが、いわゆる障壁除去住宅、バリアフリー住宅と言われますけれども、車いすで生活ができる住宅ということが義務づけられております。一九七七年七月一日にこの建築法が新しく施行されるわけですが、それ以降建てられる住宅が基本的に車いす生活を前提とすることということがうたわれております。それが四十二aというパラグラフなんですけれども、これにあと八十二aというパラグラフが附則としてついておりまして、それ以前に建てられた住宅のストックに関しましても建物の中に障害者が住んでいる場合には、その建物にこの四十二aを遡及適用するという附則がついております。その結果、現在、以後建てられた住宅のストック、それからそれ以前に建てられたストックの遡及適用によりまして、大体全国内の住宅の六割から七割がバリアフリーになっているというふうに言われております。
 今まで、スウェーデンの福祉についてはさまざまな形で紹介がなされているわけですけれども、私は、やはりこの車いすで基本的に動き回れる住宅、こちら側に住宅を書いておりますけれども、車いす生活可能な障壁除去住宅、これがベースにあってさまざまな在宅のケアが機能している。介護者が家庭に来たときにリフターを動き回すことができたり、それから高齢者の方御自身がいすに座ったままでもさまざまな生活行為を行うことができる。これができることによってかなり施設に移る、このタイミングをおくらすことができたりあるいは最後まで在宅で居残ることができたり、こういうことが可能になっていると思います。
 ここに書きましたのは、今お話ししてきましたようなことを全体まとめる図なんですけれども、住宅と、それに出前で供給されます家事援助サービスですとか、直接体に触れながらベッドから車いすへの移行をサポートします対人介護のサービス、あるいは医療スタッフによってインシュリンの注射を施したりリハビリテーションを行ったり、そういったものを在宅に看護婦さんが訪ねて行うケア、これがこの住宅に付加されることによって在宅での居住継続をサポートしているという図です。
 しかし、すべての人が在宅でいき切れるわけではない。これは冒頭にお話ししたわけでございますが、それに対応するものとして、いわゆる住居とソフトとしてのケアサービスが一対になった居住施設あるいは介護施設がこちらに、老人ホームあるいはサービスハウス、ローカルナーシングホーム、痴呆用のグループ住宅といった形で小規模に地域に展開されている、こういう組み合わせになっているというふうに言っていいと思います。
 したがいまして、住宅には継続して生活することができなくなっても、地域を離れることなく、その地域の中に点在するこうした施設に移って人間関係を保ちながら地域に残っていく、こういう図が整理できると思います。
 それでは、わずかに時間が残ったわけですけれども、現状の日本における問題について最後触れさせていただこうと思います。
 きょうの新聞に出ておりましたが、日本では一〇%から二〇%に二十二年間で最短で到達してしまうんですけれども、スウェーデンではその数値では六十六年間と出ていたような気がします。こういう高速な高齢化の中で今私たちが取り組まなければいけない課題、私自身は大きく三つあるのではないかなと思っています。一つ目はやはり住居、居住の安定の保障という問題、二つ目は施設を改善しつつ充足させていくという問題、それから、三つ目は在宅のケアサービスを推し進めていくこと、この三つだと思います。
 従来、在宅ケアでいくのか施設ケアでいくのかということが二者択一で議論されてきた嫌いがあるかと思いますが、例えばスウェーデンのこの歩みを見ていただいてある意味でおわかりかと思いますけれども、施設ケアの潮流と在宅の潮流というのは補完し合っている。よくこれも指摘されることですけれども、日本では六十五歳以上の人口に対する施設の充足度がまだまだ足りないというような表現もされています。今、福祉、医療合わせて大体四十三万人で三%ぐらいというふうに言われていると思いますけれども、例えばスウェーデンその他の高齢化先行社会では大体五%ぐらいと言われています。
 したがいまして、施設自身の量的な充足というのも、在宅ケアを進めていくことと相反する方向ではなくて、地域に良質な施設が展開されることによって在宅のケアが支えられていくんだ。ただ、その場合の施設が閉じられた施設ではなくて地域に開かれた利用施設として存在して、在宅の高齢者の方たちが利用したり、入所したり退所したり、それが自由にできるように、そういった施設として生きる場合に、この二つの在宅ケアと施設ケアがかみ合わされて、地域ケアというふうにそれを呼びたいと思いますけれども、そういう形で支えていくことができるのではないかということを大筋の一つの方向としては、私自身は認識しております。
 それからあと、もう少し技術的なハードの問題としてでありますけれども、「具体的取組課題」のところに五点ほど拾い上げておりますが、まず一番上の「高齢者対応から高齢期対応へ」、このことは、今現在は緊急対応的に都市部で立ち退き等でお困りになっていらっしゃる高齢者に対して借り上げ住宅を提供したり、それから家賃補助を行ったり、高齢者住宅の充足等を進めておりますけれども、やはり次のステップとしては、高齢者に特化した住宅をつくることから、あらかじめ高齢期になって改変を前提できる、そういう永住型の住宅ともいうべきものを持ち家、賃貸ともに備えていくということを同時に進めていく必要があるのではないかなと思います。
 特に、現在、持ち家を取得して人生を終えることができるというビジョンを、我々団塊の世代以降の者たちはなかなか持ちにくくなってきている状況も考え合わせますと、賃貸住宅での住宅改造の可能性の問題というのは一つの大きなテーマになるのではないかなと思います。
 それから、二番目のハード条件とソフト条件のルーズな組み合わせというのはどういうことかと申しますと、まず住宅と施設というのがやはり両側から歩み寄る。その具体的な形といたしましては、例えば住宅自身が住宅改造や訪問サービス、医療、在宅のサービス等によって、住宅でありながら弱化した方たちができるだけ居残れるように、これは前半でお話しさせていただいたわけです。
 それから施設自身も、施設側からの歩み寄りとして施設の療養環境を向上させていくとか、新しい中間的な施設として出たり入ったりができる施設を整備していくとか、あるいはそういう意味での中間的な存在、在宅側の中間的な存在として厚生省ではケアハウスに昨今力を入れようとしているわけですけれども、こういった中間的な存在を埋めていくことによってこの編み合わせをしていくというような方向が望まれると思います。
 特にケアハウスのポイントは、従来さまざまな福祉施設、医療施設においては、そこで提供されるケアサービスとその器というのが、比較的一対になってリジッドに組み合わされていたわけですけれども、ケアハウスにおいてはむしろできるだけホームヘルパーを活用するとか、老健施設ですとか特別養護老人ホームと併設することによって、そこからソフトは自由に提供すみという形でできるだけケアサービスと住居が一対にならないように、ルーズな組み合わせとして在宅に位置づけながらやっていこうというのが新しい方向としてケアハウスでは出てきていると思いますが、その辺に一つの可能性が今期待されているんだと思います。
 三点目の住宅改造についてですけれども、住宅改造は、今やはり一つの非常に重要な点として大きく進めていかなければいけないという認識を私たち持っているわけです。例えばまだまだおくれている領域としてはディテールの部品の開発、それからあと、せっかく技術的によい方法がわかっていても、それをメーカー側の協力がなかなかなくて実現する部品類が市販されないとか、あるいは建設省の認定のBLの制度の中に、やはりこういった住宅改造を前提としたチェックポイントがだんだん織り込まれていってほしいというようなことも期待されると思います。
 それから、住宅改造に関するマンパワーの養成の問題、これもやはり大事な問題だと思います。現在社会福祉・医療事業団において、各県の高齢者総合相談センターで住宅相談室の建築技術者に対して研修を行っております。しかし、建築行政側からの継続的な系統立った研修会、講習会等はまだまだほとんどなされていない状況だと思います。
 それから、住宅改造に関してもう一つ重要な点は、チームによる相談体制の確立ということだと思います。住宅改造をする場合に、住宅を改造できる建築側のノウハウを持った者と、それから高齢者自身の体のメカニズムや弱っている部分の体のことがわかる、そういう立場の方、それから法律的なサポートができる人たち、そういう相互の協力がないとなかなかうまい解決が得られませんし、お金のむだ遣いということが結果的に起こってしまうことがあるわけですけれども、それを乗り越えていくためにチームによる相談体制の確立というのが大事だと思います。
 それから、今福祉機器の導入が叫ばれておりますが、福祉機器を前提として、住宅を改造しなくても福祉機器を使うことによって住宅での居住継続ができるというケースがたくさんあります。そういった可能性をもっと積極的に考えていく必要があるんではないか。
 五番目には、費用に対する支援体制というのを強調する必要があるかと思います。改造にかかわる経費がどのぐらいかかるかということによって、それをまたサポートする制度があるかないかによって、必要性を十分に認識していてもなかなかこれが前進できないという点が今現在あると思います。
 最後に、情報の周知化。結局、住宅相談の窓口を設置したけれども、相談が余り来ないということがよく言われますが、これは相談がないのではなくて、住宅相談窓口があることを知らないというケースが多くあると思います。多くの高齢者の場合、生活の動作の不便とか不自由は、自分の身体機能が衰えてきたからだというふうに思っていらっしゃって、住宅改造でその不便や不自由が解決できるというふうに思っていらっしゃらないんだと思います。そういうあたり、住生活改善指導、昔食生活改善指導というのがあったと思いますけれども、それに似たような、保健婦さんや訪問看護婦によって住生活の改善指導を行う中で、そういった高齢者や家族の問題意識の掘り起こしというようなことも期待されるのではないかと思います。
 あと、日本の住宅の抱えている文化的な事情の違いというあたりを最後に触れて、お話を終えたいと思います。
 やはり我々が注文化の中で長い間持ってきた、床が高い。一般的な木造の住宅、大体五十五センチから八十センチぐらい床レベルが日本の場合上がっております。それが玄関での履きかえ、かまちの高さ、そういったものに出てきているわけです。
 それからあと、尺という和風建築の小さい伝統的なモジュールがありまして、壁しんで大体九十一センチのモジュールなんですけれども、大体そのモジュールでお家が木造の場合できています。そうするとドア幅はどんなに広くとっても七十センチから七十六センチです。それから、廊下の両側に手すりをつけたりしますと、手すりをつける前で大体七十二センチから八十センチぐらいですから、五十センチぐらいになってしまいます。したがいまして、日本の一般的な家屋で車いすで中を通るということがなかなか難しいのはそのあたりが原因だと思います。
 それからあと、入浴なんですけれども、私たちは深い浴槽に体を沈めて、それからあと浴槽から出て水を浴びる、お湯を浴びるという入浴の形をとってきていますけれども、これは入浴するときのまたぎ込みの深さ、これがなかなか高齢者になってくると危ない。住宅内事故のかなりの部分で溺死というのがあるわけですけれども、そのあたりの難しさ。それからあと、お湯をかぶりますと、どうしてもそこを一段下げて水が隣の部屋に行かないようにします。それが浴室の段差を生んでいるというふうにも言えると思います。
 しかし、現在これもクリアする方法がだんだん出てきておりまして、住宅改造等ではすのこを敷いて脱衣所と同じレベルに合わせるとか、それからあと、浴槽を半埋め込みにして、大体四十五センチぐらいの立ち上がりにしてやるとちょうどいすの高さとそろうことになりますので、そういう形での改造等が考えられると思います。
 それからあとは、大きな問題として就寝形態、布団の就寝の問題があります。
 これはやはり床に横になった状態から起き上がるときにかかる力、あるいはその状態を介護するときの労力と、ベッド上の高さになったときに立ち上がったり、あるいは介護するときの労力の差ということもありますし、また立ち上がったときの立ちくらみによる転倒というのが非常に住宅内事故で大きいです。それから、病院での院内の事故でもベッドから立ち上がった際のふらつきで転倒するケースが一番多いと思われますけれども、その場合もやはり床から立ち上がりますとなおさらその落差が大きいです。
 それからあと、和室で寝ますとどうしても中央に、昔からお侍さんが部屋の真ん中に寝て、そして多分壁を信頼していないんだと思いますけれども、寝込みを襲われても刀が頭のところにあって到達するまでに構えるという意味もあったかと思いますが、部屋の中心で寝るという文化的な伝統があったと思います。西洋では逆に、壁を信頼して壁にベッドがくっついていると思いますけれども、そういうわけで和室で就寝しますと、立ち上がってふらふらとしたときにすぐ支えるものが近くにありません。そして最後によろけたところにたんすがあったりして打ってしまうという、そういうことが多いと思います。
 あと、和室の場合には畳の上に物を置くというやはり文化がありますから、新聞、それから座布団、うちわ、お盆、そういったものに足を滑らせたりつまずいたりということもあるかと思います。
 そういう意味で、住宅内の事故という視点から見ると、洋室の住まい方の方がはるかに安全なんですけれども、このあたりは注文化の問題ですから、やはり時代の流れの中で長期的に取り組んでいくべき問題なのかなというふうに思っております。
 どうも十分ほど超過をしてしまいましたが、また先生方の御質問にお答えする中で補足させていただきたいと思います。
#7
○会長(鈴木省吾君) どうもありがとうございました。
 以上で外山参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#8
○服部三男雄君 外山先生の御指摘のとおりと拝聴させていただきましたのですが、特に御説明いただきました中で高齢化社会が日本では急速に進んでいるということで、しかもそれに対する公的な支援体制が、日本ではまだスウェーデンほど充実していない中でのいろんなアンバランスがあるという御指摘だったろうと思います。
 その中で、私が非常に感心いたしましたスウェーデンの実例としまして、バリアフリー住宅の実現のための建築法の改正というところに非常に興味を抱いたわけでございます。特に、人口八百万人の中で百万戸の住宅実現政策が二十年足らずの間に実現したという点でございますけれども、それは例えば公的な、要するにスウェーデン政府による住宅政策に対する公的な支援か何か、そういったもの、助成金とか補助金とか、そういったものはあったんでしょうか。それとも日本の建築基準法と同様の単なる家の構造とか等に関する一般的規制だけであったんでしょうか。その点についてお教え願えればありがたいのですが。
#9
○参考人(外山義君) 今の御質問について知る限りお答えしたいと思いますが、まず一つ目は、スウェーデンでは国庫から利子つき補助の住宅の融資をするという制度がございます。したがいまして、地方自治体が例えば住宅を供給しようとする場合に、その利子つきの補助を使って住宅をつくることができます。
 それから、自治体が住宅の建設会社というのを持っております。
 それからあと、一番多分大きいのは、これもやはり一九五〇年代にできた制度なんですけれども、地方自治体が住宅計画の五カ年計画というのを義務づけられておりまして、向こう五年間の住宅の建設計画を立ててそれを実行していくということが義務づけられております。
 その中には住んでおられる方たちの需要、ニーズを把握して、それから自治体内にある住宅のストックも両方押さえて、向こう五年間どういう変化が起こるか、例えばヤングファミリーが移入してきて、これから保育所の充当が必要であるとなれば住宅を保育所に転換していくというような計画がされておりますし、それからまた、高齢者がふえていくとなりますと、その住宅を組み合わせてサービスハウスをつくったり、痴呆性用のグループ住宅につくりかえたりというようなことをしております。
 量的に整備が非常に進んだもう一つの理由は技術的な理由でありまして、それはプリファブリケーティッド、ユニット化されたパネルを現場でノックダウンのように組み立てまして、量的に中層、高層住宅を供給するという技術が六〇年代、七〇年代大変進みました。先ほどお話ししました長期療養病棟、病院の建設にもこの手法は用いられまして、かなり短期的に量的な整備が行われたわけですけれども、そういった背景があったかと思います。
 ただし、住宅に関しましては、六〇年代に百万戸計画で建てられた住宅というのは、後に問題を生んでいくという緯経もございます。やはり、きめ細やかな近隣計画との整合性を配慮したり、時間をかけて設計されておりませんので、その後でさまざまな使いかえに対応できないとか、それからある低所得者階級がその住宅のあたりに集中してしまう、いわゆる社会的セグリゲーションの問題の土壌になるとか、そういうわけで後にそこら辺が随分つくりかえのためにお金がかかったりもしております。
#10
○服部三男雄君 そのために、今先生のおっしゃったような建築法による利子つき補助とか、あるいは地方自治体による公の住宅、そういったものに大体国の予算のどのくらいの割合を過去十年間投じてきたかというようなことはわかりますか。
#11
○参考人(外山義君) すぐさま数字ではお答えすることができません。
#12
○服部三男雄君 次に、先生御指摘の、老人の人生が家族とか生きがいを持たしてもらえるような形での、在宅で終わってもらうというのが理想だということはこれは確かにそうだろうと思うんですが、その前提としては、それを補完する老人ホームとかいろんな、特に身体障害者向けの、寝たきりの方、痴呆症の方に対する補完的機能はもちろん必要なんですが、いわゆるローカルナーシングというんですか、在宅ケアですね。ある程度のボランティアとかあるいはそれを組織的に行う機関とかが必要になるだろうと思うんです。
 よく巷間言われていることですけれども、スウェーデンであれば、キリスト教の国だとボランティアというもの、慈善という感覚が非常に進んでいるけれども、日本はどうもそういう宗教性が余りないというようなことで、そういった観点から、日本で今後どのようにしていくかという点についての具体的な指針というようなものはあるでしょうか。
#13
○参考人(外山義君) 特に、今の在宅ケアを展開していくためのマンパワーの問題についてなんですけれども、日本のことについての前に、まずスウェーデンの状況についてなんですが、確かにスウェーデンはルター派のプロテスタントの国教を持っておりまして、九五、六%でしょうかが、その国教に所属しているというふうに言われているわけですけれども、基本的に施設においても在宅においてもケアサービスを担っているのはボランティアではないんですね。地方自治体のスタッフ、公務員なんです。これに関しましてはこういうふうになっていった緯経がございます。
 初期のホームヘルプサービスですとかそれから施設は、赤十字とかあるいは今先生がおっしゃられました、キリスト教による慈善のグループとかによって担われていたという歴史的なステージもあったわけですけれども、特に六〇年代に身体障害者のノーマライゼーションのプロセスの中で、ボランティアの場合に、ボランティアを行う側と受ける側の問題という議論が起こりました。
 ボランティアをする側にとって意味があるということはどなたも否定される方はいらっしゃらないと思うんですけれども、受ける側の問題で、例えば私たちが生活していく上でのニーズを、これがなければ生活が成り立たないネセシティーのレベル、必要性のレベル、それからこれがあると快適であるというアメニティーのレベル、それからこれはぜいたくかなというラクジュアリーのレベル、この三段階ぐらいで考えていったとしますと、もし仮にボランティアの方との組み合わせではネセシティーレベルは要求できるだろう、これがなければ生きていけないわけですから。
 しかしながら、これがあると快適だとか便利だとか、そのあたりの要求を出しにくくなる。ましてやぜいたくというようなところはとても言葉に出せなくなる。しかしながら、ノーマライゼーションのプロセスで、そういった例えばアメニティーレベル、ラクジュアリーレベル、それもやはり人間として生きていく大切な中身ではないかという議論がされまして、これがきちんと保障されていくにはやっぱり対等な関係にならなければいけない。そのためには、公務員に対してきちっと税金なりケアサービスの費用を払うことによって対等になり得るんだということでそうなっております。
 それから、ただボランティアのムーブメントも非常に盛んでして、そういうのはむしろメンタルなサポート、電話をかけて交流を誘発したりとか、そういったことは盛んに行われております。
 日本に関してですけれども、やはりマンパワーの問題というのは、私自身はマンパワーとそれからあと器、居住環境というふうに分けていくと居住環境の方の専門なんですけれども、その担い手の問題というのは大変大きな問題だと思います。幾つか個人的に考えますことは、すそ野を広げていくという必要が恐らくあって、そういうことについてはもう少し、例えば公的な放送のチャンネルを使ってある資格が取れるようなすそ野を広げていくプログラムが展開されるベースがあって、そして一時期そういう家庭内に需要があるときに集中してそれを生かしたりして、それがまた終わったときに、その一つの資格を使ってきちっとした職業としてそれが展開できるようなベースというのができたら望ましいんではないかというふうに片方では考えます。
 それから、もう一つボランティアに関してですが、特に無償ボランティアということについて、直接体に触れて介護をしたり、かなり重たい部分を負担していく部分にボランティアを期待するのはやや無理があるのではないかなというふうに私自身は思っております。
 特に、地方に参りますと、ヘルパーさんになかなか家に入ってもらいたがらないという風土があります。これは非常に理解しやすいと思うんですけれども、片方ではお医者様の往診を断る人はいないわけですね。どうしてお医者様はどんどん来て診てほしいけれども、ヘルパーさんは来てほしくないか。これは専門性の問題だと思います。やはりきちっとした専門性のあるスタッフとして認知されていない。したがいまして、そういう専門を持った大事な職業なんだという基本的な位置づけとか、そういうものがあって多分その部分の在宅の展開というのができるのではないかなと個人的には思っております。
#14
○服部三男雄君 スウェーデンとの比較で、高齢化社会における住宅政策ということを中心としてお述べになっているんですが、日本とスウェーデンとの人口の問題、数ですね。それから、日本の高齢化社会は急激に進んできたという高齢者そのものの数の問題。それから、住宅の質というんでしょうかね、その違い、国情による違い等があるものですから、私個人としては急速に高齢化しかつ数が膨張化しつつありますから、その人たちを今の非常に狭隘な住宅の中で在宅ケアしていくというその問題が非常に難しいという日本の事情。
 それから、今先生御指摘の、自治体職員による在宅サービスというものが非常に人件費を伴うものであって、これから国民一般の生活の質の重視という、日本の国策の中で非常に固定費経費として財政圧迫要因になりかねないという問題等を考えますと、むしろ先生御指摘の住環境に非常によく配慮した中間的な高齢者用の医療施設、しかも療養中心ではなくて生活体験を感じさせるような、そういう施設の充実の方向に日本として向かっていく方がいいんではないかなというふうに思っておりますが、いかがでしょうか。
#15
○参考人(外山義君) 大筋において先生の御指摘、お考えと同じような考えです。
 ただ、日本の場合に幾つかの事柄を並行して行っていかなければいけなくて、このときにスウェーデンとの比較においては、今先生がおっしゃったように、中間的な、中間施設というのは例えば老人保健施設等ということもあるかと思いますし、また私自身はケアハウスがもう少しふえていってほしいなというふうにも思っております。日本ではそのあたりのことをかなり充足していかないと、ここの問題点の三番目に書いております住宅と施設の二極分解化というようなことが起こりかねないのではないかなというふうに思っております。
 また、大変スウェーデンとは人口も違いますし、住宅のベースも違うわけですけれども、スウェーデンの住宅の状況というのは、今世紀の初めごろではヨーロッパで一番貧しいと言われていたんです実は。そういう意味で、日本も何とか経済の今の状態が維持されているうちにストックが整備されていくことが非常に重要だなと思っております。
 マンパワーのお話とも絡みますけれども、今私四十二歳なんですけれども、私たちの世代が高齢期を迎えて六十、七十になっていくときに、きょうの新聞で出た高齢化率二七%というような大変な率になってくるわけですね。恐らく私たちは、家事ができないというような理由でヘルパーさんが来てくれないんじゃないかなというふうに思っているわけです。そういう意味で、まず支える部分のプロポーションが減っていき、支えられる部分がふえていくわけですから、答えは一つで、やはりできるだけ一人で何とかやっていけるという条件整備を今固めていくということが一番大事なのではないか。
 それは、一つは長い目で整備していく問題と、今しなければいけない問題を含めて住環境を整備する。できるだけ一人で最後までいけるように、そういう意味では、寝る場所とトイレを近接させるとか、幾らでも新しい今住宅がどんどんできているわけですねこうしている間にも、それがそういうことを前提にして建ててくれれば今後二十年、三十年たって全然違ってくる。それが介護次官の四時間、六時間、八時間にも違ってきますし、介護者がそれによって本当につらい思いをするかしないかということとも関係するわけです。
 そのあたりで住環境を、自立生活を促進できるようなストックとして整備していくというのが私が訴えたいことだとともに、あと施設環境がよくなっていきますと、中にいる高齢者の方たちが少し明るくなってくると思います。
 そうしますと、働く方たちが働きたくなる。本当に目を背けたくなるようなつらい職場ではやっぱりなかなか人が集まらないと思います。しかし、働きやすくて、やっていることに本当に意味を感じられるような状況が少しずつでも出てくれば、やっぱりマンパワーも集まってくるだろうと、そういう側面もあるかと思います。
#16
○服部三男雄君 終わります。
#17
○日下部禧代子君 きょうは外山先生本当にありがとうございました。限られたお時間にもかかわらず、大変きめ細かいそして示唆に富んだお話をいただきまして本当に感銘を受けております。特にお言葉の中で私印象的でございましたのは、いわゆるニーズに対応できる住宅の柔軟性、ポテンシャリティーという言葉と、住環境のやわらかさという言葉に非常に感銘を受けました。
 そしてまたもう一つ、先ほどのお答えの中にございましたが、いわゆるネセシティーの部分がボランティアで、そしてアメニティー、ラクジュアリティーの方がかえってこれはいわゆる公務員、パブリックなサービスの方から受けられるという、日本ではこれはちょっと逆さまのような感じで現状ございますが、この辺のところも大変感銘を受けました。私は、お話に基づきまして三点ほどお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。
 まず第一点でございますが、日本の住宅政策といわゆるスウェーデンの住宅政策の根本的な違い、これはどこからきたのかというふうなことでございます。お話を承っておりますと、かなり日本と同じような状況で非常に貧しい住環境から出発なさった。もちろん人口の高齢化の速度というのは日本の方が早うございます。スウェーデンの方が遅いんでございますが、そういう違いはございますけれども、かなりの相似性を持っているという点で、しかしながら結果的には現在日本の住宅政策というのは非常に貧しい。日本人が豊かさを満喫できない大きな理由の一つが、日本の住宅政策あるいは住環境の貧しさというふうに言われてから久しいわけでございます。
 聞き及んでおりますが、スウェーデンではいわゆる住宅手当というものが、公的基礎年金あるいは児童手当の補完をしているということでございます。いわゆる社会保障制度の中に、住宅手当あるいは住宅政策というのがきちんと位置づけられているということでございます。ところが、日本では住宅手当というのは生活保護だけにしかございません。こういう点も、私はかなり日本とスウェーデンとの住宅政策の大きな違いではないかなというふうに思っております。
 お話のように、障害を持った人あるいはお年寄りが住みなれた場所で、家族や友人そして地域から隔離されないで自律した人間らしい生活を全うする、これが理想だと私は思います。これは、スウェーデンも日本も変わりないと思います。ところが、日本の場合にはいわゆる居住権の保障といったものというものがいまだに確立されていない。そしてまた、生活空間の重要性というものの認識も余りないということを非常に残念だと思います。
 なぜ、スウェーデンではこの住政策がこのように社会保障制度の非常に重要な根幹となっていたのか、そしてまた、居住環境の整備ということが基本的な人権、そして生活の基盤あるいは福祉の基礎であるというふうなことになっていったのか。そしてまた、住宅政策というものが都市計画、そして医療、福祉政策と一体化して進んでいったのか。この辺のところを比較なさっていただきながら、そしてまた日本への提言をいただきたいというふうに思います。
 これ第一問でございます。よろしくお願いいたします。
#18
○参考人(外山義君) 大変大きな御質問をいただきまして、どこまでそれにお答えできるか自信がありませんが、私自身まず一番根本的な違いは、住宅法のある国とない国、住宅法のある社会とない社会との違いだというふうに認識しております。
 我が国では、社会的権利の中に、良質な医療を受けることとかそれから教育を受ける、そういった権利が保障されております。しかしながら、住宅の問題に関してはプライベートな領域の問題として、基本的に自助で、ある所得階層以降とか特別な助けを必要とする層に対して住宅をサポートするというスタンスをとってきたと思います。
 その点、これはスウェーデンだけに限ったわけではありませんけれども、基本的な人権の生活権の中に、居住権といいますか、屋根があってというだけではなくて、良質な住宅に居住できるという権利を保障するという法律の枠組みを持っている社会があるわけです。
 皆様御存じのように、日本でもこの住宅法、基本的には住宅法の性質を持つものを一度厚生省が立案いたしまして、それを政策にのせようとした緯経があるのを覚えていらっしゃる方も多いかと思います。結局そのときにビル管理法と一緒に提出したんですけれども、ビル管理法の方が通りまして住宅法の方はだめだったと思います。それ以後建設省が、当時厚生省と言ってなかったと思いますけれども、それ以後建設省が住宅の管轄といいますか、になってきたわけです。
 やはり住宅の問題は延べ床の住宅の面積、戸数、人口当たりの戸数、これも大事なことなんですけれども、住む人間の側の居住ニーズのスペックをつかんで、それを包んでいく住宅という考え方からいきますと、私自身は厚生省がやはりそれに対する基本的な重要なソフトを持っているんだと思います。
 そこのあたりで協力関係が、今ももう幾つかのプロジェクトで始まっているわけですけれども、シルバーハウジングですとか、それからあと公営住宅の中で福祉施設を立地させるための連携の施策ですとか、厚生省と建設省の協力が始まっておりますけれども、さらにそういう協力が進む中でそのあたりの枠組みが進んでくるといいなと個人的には思っております。
 それからあと、生活空間にあるいは居住空間についての認識のお話ですけれども、私は日本でもだんだん中学校、高等学校あたりのレベルで住まいについての教科書とか教科とか、そういうことについて勉強をしたりするような機会が与えられるということが、やはり必要になっているのではないかなというふうに個人的には思っております。
#19
○日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
 それでは第二点でございますが、施設の問題でございます。いわゆる施設ケアと、それから在宅ケアというのはおっしゃるとおり二者択一的なものではございません。両方が相呼応して車の両輪のようになっていかなければならない。ところが、日本ではまま二者択一的にとらえられているところが非常に多いわけでございます。
 施設ケアの方に関しましての御質問をさせていただきたいと思うんですが、御承知のように日本の老人ホーム、特に特別養護老人ホームというのは非常にまだ大部屋でございまして、個室あるいは日本で個室化というのは二人部屋化だということを聞きまして、私日本に帰ってきたとき、日本語って大変におもしろいなというふうに思いました、個室というのは一人だと思っておりましたら、個室化という日本語になりますと、それは二人部屋化なんだということで少しちょっとこんがらかった記憶がございますけれども、それほど日本の場合には特別養護老人ホームにおきましても、またいわゆる生活の場であると言われてから非常に久しいわけでございます。
 しかしながら、それにもかかわらずまだまだ収容的ないわゆる病院的な感じが否めない。それの一つには、やはりスウェーデンでは病院であっても次第にベッドとベッドの間は非常に広くするとか、いわゆる二人部屋、個室化を進めていらっしゃるというお話でございますが、日本の場合のこの施設のそういったアメニティーあるいは人間らしい生活の場であり得るために、これからなさねばならない点、それをスウェーデンと比較なさっていただきながら御提言いただければというふうに思います。
#20
○参考人(外山義君) これまた大変重い御質問で、私も日本に戻ってまいりましてから、日本の現状における特別養護老人ホームの調査ですとか老人病院の調査ですとか、それからさまざまな計画立案の委員会等に加わらせていただいて、実情を少しづつ分かってきた中で大変これは重たい問題だなと思っているわけです。
 ただ、やや個室化議論というのが昨今、特に特別養護老人ホームを中心としてあったんですが、今先生から二人部屋化というお話がありました。私自身、個室化というのはやはり個人スペースをいかに保障していくかというふうに理解しております。そういう意味で個室化の持っている二つの内容というのが実はあると思うんです。なりたいときに一人になれるというのが一点目なんですけれども、もう一つはやっぱり自分がほっとして安心できる空間を所有するということが二つ目だと思います。
 二つ目の内容としては、例えば部屋の外の音がうるさいと思う人と、それが活気があっていいと思う人、それから寒く感じる人とちょうどいいと思う人、かなり個人的なニーズが違う中でその辺を自分でコントロールできるような可能性ですとか、それは例えば四人部屋であっても一人一人が仮に個人の、自分の窓が持てたりとか、そういう工夫もあると思うんです。それからあと、暗さ明るさ、そういったものも自分でコントロールできるということがやっぱり大事ですし、自分の大事にしてきたものを少し持ち込めるようなスペースとか、それからあとは、一日の時間の運用の仕方でももう少し自分の自由な時間がふえてくるとか、一斉のプログラムだけではなくて、そういうようなことも個室化ということとは私は関係があると思います。
 もしその後段の部分の、自分の空間とか自分の時間というのを施設の中で成立するという視点がもし欠けてしまったらば、一人になれる個室というのは保護室ではないでしょうか。ですから、よくその議論なしに個室化を実際に展開していって、むしろ孤立して、高齢者が四人部屋とか二人部屋の方がいいと言っているというような調査があると思います。その調査はその辺の議論を抜きにしてやっているからだと思うんですね。そういう意味では私は、形態としては四人部屋であっても形としてある仕掛けをすれば自分の個人的なスペースが確保できるような形というのは建築的にできると思います。ですから、そういう意味では言葉の使い方としてもっといい表現の仕方を見つけ出して議論した方がいいのかなというのが、一点感じております。
 それから、施設規模の問題というのがやはりあると思います。特に、余り大きくない施設、三十人なり五十人なり六十人なりといった施設を地域に点在させていくということが望ましいわけですけれども、なかなかそれができない場合がございます。特にマンパワーを獲得するためにある単位が欲しくなってくるというようなことがございますが、そういうときにはできるだけ全体の中でグルーピングをして、一番小さな単位を、例えば八人、十六人、三十二人、六十四人というような形で、建築空間的に構成することによってかなりその辺のいい方向に向けていくことができると思います。
 そういう意味でもまだまだ日本の現状の施設というのは基本的には、今私どももマニュアルづくりの検討会に出ているわけですけれども、多くの場合、土地の取得と許可申請にすごく時間がかかってしまいまして、ゴーというのが出た段階で後実際に着工するまでの時間、わずかなすき間に余りこういう施設の経験のない人でも構わず、あっという間にその図面をつくって着工ということになることが大変多いんですね。そういう意味で建築的な知見がなかなか生かされないものがどんどんでき上がっていって、それがやはり何十年と使われていく。新しく建てられる場合にもそういった近隣の施設をごらんになってまた計画してしまうわけです。
 そういうわけで、きちっとした今までの研究集積をまとめたマニュアルづくりをしようではないかということで、今シルバーサービス振興会の窓口になって、私ども委員で今それにかかわっておりますけれども、もう少し、方法はかなりあるんですね、それが残念ながらでき上がっていくメカニズムの中で反映されていないという現状があるかと思います。そのあたりは期待したいと思いますし、頑張らなければいけないと思っております。
#21
○日下部禧代子君 もう一点お伺いいたします。
 その前に、今の施設の問題でございますが、やはり基本的には、まず日本の施設でお一人が専有できるスペースは少ないというふうにお考えでいらっしゃいますか。これも含めて後々お答えをいただきたいんですが、それで、三点目でございますが、これは最近我が国でも非常に問題になっておりますいわゆる負担の問題でございます。
 国民負担費というのはスウェーデンと日本を比べますと、スウェーデンはかなり高うございます。先日出ました社会保障制度審議会の中間報告でも、やはり国民の「相応の負担」ということが出てきておりますけれども、スウェーデンの場合そういったいわゆる高福祉高負担と言われるその負担の部分に関して、いわゆる政党の主張の問題もかなりございますと思いますが、政権をどちらがとるかということでかなり違うかもわかりませんが、その辺の問題についても最後に御示唆をいただければというふうに思います。
#22
○参考人(外山義君) 第三点目は、私の専門からいささか外れてしまうかなという感じもありますし、大変大きな問題なんですが、その前に二点目の個人的な施設におけるスペースの広さの問題についてですが、現状における平均として狭いということはこれはもう厚生省も認識を持っておりますし、それをどういうふうに実現していくか、あるいはこれについてはこのぐらいでいいけれどもここについてはもう少し広くしようという、今そういうプロセスを歩んでいるんだと思います。
 三点目の負担の問題ですが、ひとつオーバーヘッドプロジェクターを使いまして、スウェーデンにおける租税の負担と、それからあとそれがどういう形で公的援助として個人に返ってくるかということを、生まれてから亡くなるまでの人生の軸でどういうふうに変化していくのかというのをまとめたものがございますので、それをちょっと使わせていただいて、そのお答えにかえさせていただきたいと思います。よろしいでしょうか。
#23
○日下部禧代子君 はい。
#24
○参考人(外山義君) これは、(OHP映写)縦軸には、ここから年間の拠出額、あるいはそれに手元に戻ってくるさまざまなケアサービスを金額に置きかえたものを千クローナ単位で縦軸にとっておりまして、横軸には、ここが生まれた時点で、ずっといきまして、これが十五歳で育児援助費がストップする時期、それから六十五歳、年金、それから亡くなる、こういうのを横軸でとっております。
 ごらんのように、まず税金に関しましては、ここが水平線なんですけれども、十五歳過ぎて多くの場合、向こうでは親元を離れて自立したがるわけですけれども、そうしますとアルバイトをするような形で短期的な労働についていきます。そうしますと税金を払うようになります。親元のポケットから、お金から離れて、自分のお小遣いを持つ段階で間接税も自分のポケットから出ていくことになるわけです。
 それから、向こうでは働いたときに雇用主が税金を払うという形で社会保障費が払われていく。そういうこともありまして、このようにだんだん収入がふえていくに従って税金がふえていきます。
 それからあと、高齢者になって年金をもらうようになってからも、この税金というのは直接税、間接税、社会保障費を含めて継続して払い続ける、これが一つのポイントだと思います。
 それから、もう一方で、赤ちゃんとして生まれますと、直接的には親が、そういうサポートを受けることができる部分としては育児援助費等がございます。あと保育のプロセス、低学年、中学年、高学年、大学に至るまで教育費がただですから、その部分がこうございます。
 それから、医療費、病気手当等はずっと連続してございまして、特に高齢期になると医療費の部分が多くなってまいります。
 それから、先ほどお話ししました基礎年金、これは全員もらえるわけですけれども、あとここに付加年金というのがあります。これは一九六〇年に導入された制度でして働いている間の、数字をきちっと覚えていないんですけれども、最も収入の高かった多分五年間ないし十年間の平均の六〇%ぐらいがペイバックされるような形でして、六〇年にスタートしましたので、タイムラグがあって、実際それが有効性を帯びて手元に戻ってくるのが、一九九〇年ぐらいになってだんだん多くなってきて、それで少しこうなっているわけですね。
 この年齢の方たちは付加年金、その制度に余りあずかっていなかった方たちということになります。そういうわけで、基礎年金プラス付加年金、このあたりの方たちですとかなりの収入が保障されています。それからあと医療費が戻ってくる。
 こういう形で見ていただきますとおわかりのように、高所得者の方はそれなりに戻っできますし、それから低所得者の方ももちろん支えられるというわけで、強者が弱者に、あるいは富んだ人が貧しい人にというような構図とはやや違う、人生のライフサイクルの中で税金を拠出するんだけれども、それが先ほどお話の中にもありました社会保障費として戻ってくるという、そういう構造になっておりますので、税金という言葉でやりとりしながら議論するにはやや難しいといいますか、社会保障費というふうにとらえていただいた方がいいかなと思います。
 ですから、例えば私たち日本ではもちろん税を払っておりますけれども、それ以外にプライベートのインシュアランスカンパニーの生命保険に入っていらっしゃる方もおられると思いますし、国家公務員の場合には共済に入っていると思います。そういった支出を自分でちょっと足し合わせて見ますとかなり出しているということが自分でもわかりました。
 私は、王立工科大学で向こうの公務員として働いていたときに、大体四八%ぐらいの直接税と社会保障費を取られていたんです。あとそれにポケットから間接税をもちろん取られていたわけですけれども。日本に戻ってきて、現在さまざまな税金と、それからあと生命保険に入っている月額のお金と、それから共済の組合のお金とを足していきますと四〇%近くなったかと思います。
 結局、私たちが要は払っている、例えば生命保険に月額払ってストックされているお金というのがやはり社会全体としてあると思うんですけれども、それがどういう形で生きてくるかというのが一つ可能性として期待したい点だなと思うわけです。例えば生命保険会社がそれを内需拡大とか国内のストックを充実させていくためにそれがもし使われると、大分、形は違うけれども、日本でもやはり同じようなことがいろいろ展開できるのではないかなというような気が個人的にはしているんです。そのあたりがもっと違う形での負担の議論というのもあるかと思いますが、私自身は、そういった日本でも払っているお金が、どういう形かでこういう生活の質の向上にはね返ってくるようなチャンネルができていくような方法というのはないものかなというふうに素人として考えております。
#25
○日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
#26
○中西珠子君 本日は先生、大変お忙しいところをおいでいただきまして、示唆に富む非常に啓発的なお話を伺わせていただきましてありがとうございます。
 先ほどのお話の中で、スウェーデンにおける医療政策、福祉政策が住宅政策の方に重点が移り、しかも有機的な結合を行って、そしてハードの条件とソフトの条件とがルースな組み合わせをされているという非常に理想的な状況、もちろん国民負担率が大変高いのではございますけれども、国民負担率が高くても、そういう老後もちっとも心配のないスウェーデンにいたいということで、居住権を取得なすった日本の女性のたくさんの方々にもお目にかかったことがございます。そういった面で本当に国民負担率を高くする方がいいのか、それともやはり国民負担率は低くて、それぞれの個人個人の能力とか、それからそれぞれの関心というものに任せた方がいいのかというのは大きな問題だと思うんでございますけれども、私はとにかく日本におきましては、高齢者対策の中で住居が一番おくれていると思うわけでございます。
 例えば、最近東京都なんかでは、区によりましては入浴サービスなんかも始めましたし、それから高齢者のための住居改造の援助なども行っている区などもございますけれども、入浴サービスなどがやっと参りましても、木造アパートの二階建てなんかの二階の部屋なんかに住んでいる人は、絶対木造アパートの階段を入浴サービスの器具を持って登ることができない。結局来ても入浴サービスを受けられないという、そういう老人もあるという事実がございますんですが、スウェーデンにおきましては、基本的人権としての居住権の保障ということが本当に浸透していまして、住居の面で非常に高齢者が恵まれていると思うわけでございます。
 日本の場合とにかくケアつきのハウスをつくるとか、それから老人保健施設だって、東京都では少なくとも土地がなくてつくれないというふうな状況でございますし、とにかくもう少し何とかこの住居の面をしていきたいと思いましても、土地問題というのが大きく障害としてはばかっているわけでございまして、土地の価格は最近大分下がってきたとは言いますけれども、それにいたしましても、なかなか土地の取得というものが大きな障害となっているように感じられるわけでございます。
 スウェーデンにおきましては、先生のお話では自治体に対して五カ年計画をして、そして実施を義務づけたとか、それからいろいろの融資を無利子で行ったとかというお話でございましたけれども、土地対策についてお触れになりませんでしたけれども、土地の取得ということについてはどういうふうになっておりますでしょうか。
 例えば、地域に小規模のサービスハウスをつくるなんということはすばらしいことであると思うわけでございますけれども、そういうときに、もしそれが私有地であった場合どうするのかというふうな面につきましても、もしお教えいただければと存じます。
#27
○参考人(外山義君) スウェーデンにおける土地問題についての御質問ですが、数字をすぐ直ちにお話しすることはできませんが、私の一番知っておりますストックホルム近郊で大体九〇%ぐらいの土地が、公的な土地ですね、市とか国によって保有されております。ですから、そのあたりの事情の違いというのが大変大きいかと思います。
#28
○中西珠子君 私は、最近スウェーデンに行ったことがないんでございますけれども、二、三回参りまして、数年前に新しい動きだということで見せられた住宅がございます。それは高齢者のサービスハウスというものが一つの敷地の中で他世代との統合というものが大事だから、若い世代に対して集合の住宅を提供すると同時に、高齢者のサービスハウスも同じ敷地の中に置くと。それからいろいろの、図書館の設備だとか、それからレストランのようなものも若い人と高齢者がともに使うことができて、交流も図れるし、世代間の理解も促進できるというふうな、そういうところを見せられて帰ってきたわけでございますけれども、そういう試みは今でも続いておりますか。それからまたそれは大変成功しているんでしょうか。
#29
○参考人(外山義君) 多分先生がごらんになったのは一九八〇年代の前半、八二、三年ごろに建設されたサービスハウスだと思います。ヤングファミリーの集合住宅と、それから今お話しのような高齢者向けのサービスハウス、集合住宅とデイセンターが合築したものが同じ敷地につくられたタイプというのが幾つかございますが、そもそもサービスハウス、あれは大体百戸から百五十戸ぐらいの大きな規模の集合住宅だと思いますが、それは一九八五年以降余り積極的に建てられておりません。
 今のお話のコンテクストからお話ししますと、もう少し小さい規模で、高齢者と若い世代がまじり合うということを目指した方がいいのではないかというような方向に進んでいるというふうに言ってもいいかと思います。ですから、以後余りそういう形の大規模同士の合築というのは行われておりません。
 それから、もう一つ大きなサービスハウスで議論されていた向こうの失敗点といいますか、それは当初サービスハウスに入居される方は平均年齢三十二、三歳なんです。お入りになる理由としては御主人が亡くなられたとか、それから御本人が骨折をされて手術後もとの住宅が住みにくいとか、移動機能がやや低下したとか、そういう理由でお入りになるわけですけれども、結局そこに居住継続していく中で年をとっていくわけです。
 ですから、初期のサービスハウス、七〇年代の前半、中盤のものは、九〇年代に近くなって、もう十五年、二十年近く経年してまいりまして、中にいらっしゃる高齢者の方たち、八十歳、九十歳になっていくわけです。そうしますと、当初はサービスハウスという感じですが、だんだんやや老人ホーム的になって、ほとんどローカルナーシングホーム的な介護的なニーズが出てくるというようなことが起こってまいりました。
 特に、夜間のスタッフの対応がし切れないというような問題が出てきまして、そもそも高齢者の同じような状況の方たちをこれだけマスで集めてしまうこと自体に無理がある、間違っているんじゃないかという議論が八〇年代の半ばぐらいから随分されまして、その流れの中でさっきお話ししましたグループ住宅、八戸とか十戸とか二十戸とか、そういう小さい単位のものがかわりに出てきて、特にアルツハイマーの痴呆性の高齢者の方のケアの形として今盛んにつくられております。
#30
○中西珠子君 ケアのマンパワーを充足することが大変日本では難しゅうございまして、これの確保が本当に大問題なんでございますけれども、先生のおっしゃいましたボランティアよりもやはりプロフェッショナルとしてのホームヘルパーというふうなことになっていかなきゃいけないのではないかと思います。
 今ボランティアをやっている人にも有償ボランティアというものにしたいという要望が出まして、少なくとも交通費ぐらいの有償のボランティアというものをもっとふやしてくれないかというふうなお話もあるわけですけれども、有償ボランティアとなりますと、ボランティア対相手のサービスを受ける側のお話ばかりでなく、とにかくボランティア側に対してもほんの少しばかり、交通費なりなんなりお手当なりを出すとなると、非常にこれは低賃金労働になってしまうわけです。本当に、もっと高度なプロフェッショナルなものだという意識を持ち、またそういう労働条件、賃金の保障というものがないと、やっぱり介護のマンパワーというのは集まらないのではないかと思っているわけでございます。看護婦さんすらやはり賃金、労働条件をよくしないと集まらないという状況もあるわけでございますから。
 それで、スウェーデンにおいてのケアのマンパワーにつきまして、少し賃金とか労働条件の面をお話しいただけますでしょうか。
#31
○参考人(外山義君) 今の御質問は、高齢者のケアのマンパワー、特に向こうですとホームヘルパーさんとか、それからあと県の医療スタッフとか、直接高齢者のケアにかかわる人たちの給与それから充足状況、そういったことも含めての御質問かと思いますが、特に日本でよく報道されておりますストックホルムを中心とする都市部におけるホームヘルパー等のマンパワーの不足というのは、やはり相当不足しているという問題があったと思います。国全体としましては、ホームヘルパーさんの量的な数というのはふえ続けておりまして、特に向こうでよくパートタイムとそれから常勤というような報告のされ方をするんですが、やや日本で言われているパートと向こうでのデルティード、逐語的に訳すとパートタイムとなるんですけれども、その性格の違いがあるので、それに触れつつお話ししたいと思います。
 向こうでは、例えば週四十時間とか三十六時間とか決められた基本の労働時間を一〇〇%としまして、あと七五%、六〇%という労働の仕方が認められています。月あるいは週十何時間という量を超えますと、基本的に、二五%で働いても三〇%で働いても、夏季休暇ですとか、あと厚生的なさまざまな権利が一〇〇%と同等に出てくる、ただ、労働時間に対する報酬が量として違ってくるという差があります。そういう意味で、ヘルパーさんの常勤換算、一〇〇%換算した数というのが、スウェーデンではかなりふえてきています。
 地方の都市それから農村部においては、マンパワーの充足の状況というのは余り困っていません。どうして都市部において難しいかといいますと、特に若い世代にとって魅力的な職種が集まっていますので、福祉の領域の重たい仕事に入ってくるというよりも、もっと違う方に流れていってしまうという問題が一つはあるかなと思います。
 しかし、都市部におけるそういう回転の速さ、スタッフの回転の速さの問題というのは片方では非常に問題なんですけれども、もう一つの側面から見ますと、例えば先ほど十五歳で親元を離れて独立するというお話をしました。そういう意味では、大学に入ったりするのも、自分で生活費を責任を持ってひとり立ちするというような状況になるわけです。そうすると、向こうでは、教育ローンというのを借りながら生活して、主に住宅費に充てていくわけですけれども、住宅費、生活費をそれて賄いながらやっていく。夏の間、ヘルパーさんや看護助手をしてそれを返すという形をとります。また、そのヘルパーさんや看護助手をした期間が、お医者さんになっていったり、それからソーシャルワーカーになっていくときのメリットになっていきます。
 それから、看護婦さんがそのままカリキュラムでポイントを稼ぎますとお医者さんになれるシステムになっています。ですから、エックス線技師でも放射線技師でも看護婦さんでも、そのまま勉強し続けていきますとお医者さんになることができます。それも一つ、やはりこういう領域で働いていらっしゃる方の向上性とかあるインセンティブ、精神的なインセンティブの要素として大事な問題なのかなというような気がします。
 それから、総体的にやはりヘルパーさんの給与というのは看護婦さんよりも低く位置づけられてきていますから、そのことが向こうでも随分議論されまして、少しずつじわじわと上げられてはいますね。
#32
○中西珠子君 どうもありがとうございました。大変示唆に富むお答えでございまして、ありがとうございました。
#33
○鈴木栄治君 よろしくお願いします。
 諸先生方の御質問で私、もうほとんど勉強させていただいたんでございますが、一つだけ、大変現実的といいますか、お聞きしたいことがあるんでございますが、先生のお話を聞いて、私たち団塊の世代もこれからうちをつくるときも住宅、英語でケアでございますか、ケアということはこれは考えなきゃいけないなと思うんでございます。
 私なんか、やっぱりどちらかというと病気にならないと病気のことはよくわからない人間でございますから、その辺も勉強したいと思いましたが、実は私、今小さなうちに両親もいるんでございますが、母親もちょっと足も悪くなってきたんで、これはいろいろ先生のお話を聞いて改造しなきゃいけないかなと、そう思ったんでございますけれども、先生、一般的に車いすとか、さっきふろ場を何とかとおっしゃいましたが、どのぐらいかかるものでございますか。
#34
○参考人(外山義君) 今のが御質問の全容ですか。――そうですね、かなり程度によって違うと思います。おふる場を全部やり直すとかトイレもやり直すとか、段差を全部なくすとかスロープに変えるとか。それから、物理的に不可能な場合もあります。敷地が狭いとか、さっきお話ししましたように、そもそも段差をなくすようなことが非常に難しい場合もありますから、そうすると幾らお金をかけてもできないというようなそういう話から、かなり条件によって額が変わってきます。
 ただ、実際に江戸川区では住宅改造について全額支給という制度をもう始めているんですけれども、その実際に展開された額のおおよその分布で言えば、六十万とか百何十万とか、そのぐらいで多くの住宅改造がされているかと思います。
#35
○鈴木栄治君 そうしますと、皆さんが私のように思ってどんどんそういうことをやっていくとなると公的補助というのは大変でございますね。先ほど先生は、今この日本の経済がこういうときにやった方がいいとおっしゃっていましたけれども、今日本の経済もちょっとまずいということになっていますね。どうなんでございましょう、この辺の公的補助ということもそうでございますが、私たちもこれからは真剣にこういうことを考えていかなければならない。その辺ちょっとわかりやすくひとつ御提言といいますか、何かお考えがございましたら。
#36
○参考人(外山義君) 必ずしも御質問の意味がきちっとわかったかどうか、私自身自信がないんですが……
#37
○鈴木栄治君 私の言い方が悪いかもしれません。
#38
○参考人(外山義君) いえ。例えば江戸川区の例をとって話させていただきますと、江戸川区として一ケース六十万とか百何十万というのを上限なしで区が出しているわけですね。それは東京都からもサポートしているわけです。ただ、その場合にどういう計算のもとになされているかといいますと、それをすることによって特別養護老人ホームを建設する数を減らすことができるという計算が片方でされています。ですから、各区で特別養護老人ホームの待機者というのが今あるわけです。その待機していらっしゃる方の中で、非常に緊急度の高い方から新しく整備された特別養護老人ホームに入っていただくという形をとっていると思います。
 そのときにその中で、待機している方の中で調べてみますと、例えば住宅改造をここまですればこの方は在宅で居残れるというケースがかなりある。そういう方たちに対して住宅改造をすれば、その分の特別養護老人ホームの施設の整備をしなくてもよくなるわけです。それを対一人当たりにかかるお金で比べてみますと全然差があるんです。ですから、特別養護老人ホームに一人入所していただくためにかけるお金の一人当たりの類と、ワンケース住宅改造にかけていくケースではもう全然レベルが違うわけです。ですから、この方がたくさんの人を救えるじゃないかというそういう議論が片方であります。
#39
○鈴木栄治君 わかりました。どうもありがとうございました。
#40
○有働正治君 きょうはどうもありがとうございました。
 先生の著書が私の党本部の資料室にもありましたので拝見させていただきまして、実感いたしましたのは、非常に先生、もうこういう老人たちに対する接し方と申しましょうか、非常に温かい接し方をされて対応されてきたなあというのを第一印象として持ちました。
 「クリッパンの老人たち」というのを私読まさせていただきまして、その中である老人の方が、私もいろんな経験をしたけれども、こんな若くてハンサムな日本人がたびたびこうして家を訪ねてくれるとは思ってもみなかったと冗談を飛ばしながら先生と接しられたという話がありまして、非常に感銘を受けました。お話をお聞きいたしましても、国、それから先生お書きになっておられるいわゆるコミュニティー、市町村なりの対応、それからそういう仕事に携わっている方々、全体として非常に高齢者の方々に対して人間的温かみと申しましょうか、非常に人間性をいかに最後まで尊重して全うしていただくかということに貫かれているんではないかなという印象を持ったわけです。
 そういう点で、スウェーデンの場合に、高齢者への対応の根源といいますかバックボーンにあるのが、いわば一人一人の人間性の尊重と申しましょうか、そういうところに行政府を含めましてあるのではないかというふうに感じたわけですけれども、そこらあたりどのようにお考えでおられるのか、まずお尋ねしたいと思います。
#41
○参考人(外山義君) 御質問がやや広いといいますか、必ずしもどのあたりに絞ってお答えしたらいいかというのがわからないんですけれども、ただ、先ほどオーバーヘッドを用いて御説明させていただきましたが、スウェーデン自体、高齢化の初期のころの高齢者の置かれている立場というのは、やはり工業社会の生産部門から外された高齢者、用済み集団としての高齢者というような色彩があったと思います。
 そういう中で、老人ホームの批判というのが一九四九年に口火を切って起こったんですね。イーヴァル・ロー・ヨーハンソンというジャーナリストが、たまたま自分のお母さんが、ヨーハンソンさん結婚しなかったんですけれども、お母さんがだんだん年をとっていく中で、このまま一緒に住んでいると息子の仕事の足手まといになるんじゃないかというふうに御自分で判断されて老人ホームにお入りになったわけです。
 そういう形でヨーハンソンさんは老人ホームを訪問し始めるわけですけれども、そこで目の当たりにした老人ホームが、四人部屋、六人部屋はもちろんですが、当時の資料が手に入ったものですから、私最近読んで大変感動したといいますか驚いたんですけれども、個人の所持品の持ち込み一切禁止。あと軍隊モデルのベッドが一つと、床頭台一個、背もたれのないスツールが一脚、それからあと、たんつぼとコップと幾つかのものぐらいが所持品なんです。それが支給されて、あとは日中のアクティビティーのプログラムは全然ないんです。
 それから、当時、一九五〇年代の老人ホームでは強制入所という形もとられていたようです。そのあたりのことをヨーハンソンさんはびっくりして、スウェーデン社会は高齢者を、ソフィスティケートしているけれども、これは現代のうば捨て山じゃないかというふうに老人ホームを批判し始めたんです。
 それが口火になりまして、もちろん当初スウェーデンの公的官庁、社会保険庁もそのルポルタージュを逆ルポルタージュして、根拠がないとかいろいろ抑えにかかるわけですけれども、状況としては、先ほどお話ししましたように、高齢化率がだんだんふえていって女性が社会進出していって、高齢者のケアの問題というのは国民的な課題だということで対応が、今ずっと御説明したように進んでいくわけです。
 そういう中で、老人ホームの居住環境を改善していくとか、今まで町外れに、林の中にぽつんとあったのを町の真ん中に建てようとか、それから、地域に開かれた施設にしようと変えていったわけです。当時やはりそのプロセスの中でも絶えず世代間の、負担する側とそれを受ける側の問題とか、ずっと国民の間で議論があったわけです。
 ですから、そこには人間の生々しいドラマや議論や闘いがあって少しずつ進んできたわけで、もともと人間が違うとか思想が違うとか、信条が違うとか、やはりそういうものではないような気が私はしております。その中で基本的に大切にされていったものというのはやはりあると思いますけれども、状況はかなり厳しい状況から来ていたし、そういう意味では一面的に美化することはできないと私は思っています。
#42
○有働正治君 確かに歴史があるし、そういう状況があるのではないかと思います。
 もう一点ですけれども、いわゆる寝たきり老人という問題が問題になっています。スウェーデンの場合に、日本で言うような寝たきりというのはほとんど存在しないんではないかなと。私は実際行ったことありませんけれども。しかも、それはいろんな施策等によって克服されるということは言えると思うんです。日本の場合とスウェーデンの場合のこの問題のやはり落差といいましょうか、ここらあたりはなぜこういう落差が起きるのか、その克服の上で公共機関等の役割あたりも非常に大きいんではないかと思いますけれども、そこらあたりを中心にちょっと御説明いただければと思います。
#43
○参考人(外山義君) またお返事するのに、多分三十分から一時間ぐらいお時間をいただかないとお答えし切れないようなテーマをお出しになられてちょっと困ったなと思っていますが、まずスウェーデンに寝たきり老人はいないんではないかということについては、まず今まで私はスウェーデンに寝たきり老人がいないというふうに言ったことは一度もないんです。デンマークにもスウェーデンにも寝たきりの状態になっている方というのはいないはずはないわけです。そして、多くの場合、人生の最後の時期の数週間というのは、本当に起こすこともできないような状況になって亡くなられるわけです。要は、寝たきりの定義の問題というのが一番目にあると思います。
 これは厚生省で寝たきりゼロ作戦を始める前に、どうも寝たきりという概念のあいまいさも含めて少し整理をいたしました。そのときに、日本では寝たきり老人として数えられている数の内容というのは、末端で民生委員の方たちが、寝たきり介護手当を支給するために認定していらっしゃる数の集積というふうに一応理解されていると思いますけれども、その中には御自分で上体を寝床から起こすことができない、いわば寝かせきりといいますか、そういう状態の方ももちろんのこと、上半身を起こして車いすに移して生活できる方、それからあと、いわゆるこもりっきり、家からなかなか出てこられないという方まで含まれた数字としてあったわけです。
 これを欧米の数値と比較しようと思った場合に、ややその辺の操作をしませんと正確に比較できないんですけれども、我々はいわばベッドリドゥン、ベッドファストの状態と、それからあとベッドバウンドというふうにそのときは表現したんです。それから上半身を起こして車いすに移して日中それで過ごせればチェアバウンド、それからあと、こもりっきりをハウスバウンドというふうに三つの概念で一応分けて、一体日本の現状はどの辺がということをある程度出してみたんです。
 その辺で、例えばスウェーデンでの施設の中でのベッドバウンドの値とを突き合わせてみるということを行いました。スウェーデンでは、一九八五年に全国の施設の全数調査が行われているんですけれども、そのときのベッドバウンドの定義というのは、午後三時以前に寝かせた人をベッドバウンドと呼んでいるんです。午後三時以前に寝かせた人がベッドバウンドなんです、そのセクションの日の。だからそれも本当に難しいんですけれども。
 ただ、わかってきたのは、日本でも寝たきりというふうに施設や在宅でされている方たちが車いすに乗せかえるという部分を、いわばチェアバウンドの部分に対して、あるいは住環境とか人的なサポートが対応できれば、実際のベッドバウンドの部分というのは余り差がないということがある程度相対的にわかったんです。ですから、そのあたりを何とかしようというのが寝たきりゼロ作戦の背後の考え方にあったわけです。
 これからどういうふうにしていけばいいかということについては、とても時間がなくて余り丁寧にお話しすることができないんですけれども、私自身としては、先ほども繰り返し申しましたやはり住宅で、結局トイレと寝ている場所が違う階にあったりして、介護者が階段の上りおりを付き添いながらやることが本当に大変で、介護者自身も高齢化していく、そういう中で寝かせきりになってしまう、そういうケースが大変多いと思います。特に在宅の場合は非常に多いと思います。そういう意味で住環境の改善、住宅改造というのが在宅における寝たきりの中では大変強力に推進すべき点として一つあると思います。
 それからあと、日本の場合同居率が今六〇%から五〇%に移行してきています。その同居の介護者のサポートというのが大変力を発揮しているわけですけれども、反面それが寝たきりと多少関係があるというふうに私は思っております。それはどういうことかといいますと、例えば老人保健施設等でリハビリテーションを受けて生活の自立がある程度できて、もうそろそろ自宅に帰ってもいいんではないか、車いすに移ったぐらいの状態で帰ってもいいんではないかという形で自宅に戻ってこられて、戻ってこられた途端にまた寝たきりになってしまうというケースが大変多くあります。
 それはいろいろな要素があるんですけれども、一つはやはり住環境というのはもちろんあると思いますが、もう一つ、例えば老健では四人部屋におりまして、みんなスタッフの方も積極的にサポートしてくれますし、ある種の疑似競争関係があって頑張っているわけです。目標は、自宅に帰るという目標があるわけです。人間目標がありますと頑張りますから、それでうちに戻ってこられる。戻ってくると目標が消えてしまうんです。自宅に帰るという目標がまず消える。それから周囲を見ますと、どう見ても自分より元気で若くてぴんぴんしている人に囲まれているわけです。そうすると、幾らお嫁さんが、今お母さん寝たきりゼロ作戦で頑張って起きなきゃいけないんだと言っても、やっぱり一番弱くて世話をしてもらう存在なんです。結局周りの人がそれで優しくて親切で見てあげてしまう。そうすると、寝てた方が楽ですから寝てしまうことになるわけです。
 そういう意味では何とか同居している場合でも、介護者が日中五時間なり七時間なり、家をあけられるようにするということが介護者の人生選択の面での大きな解放になることもさることながら、その緊張の五時間なり六時間というのが大変高齢者にとっても意味があることだと思います。もちろん前提条件としてははってでもトイレに行けるような改造とか、何か起こったときに緊急に連絡できる安全のシステムをくっつけてあげなければいけませんけれども、それをした上で日中、同居であっても介護者が例えば自分の好きな活動をするとか、ある程度仕事ができるとか、そういう時間が持てるような組み合わせにしていくということと、寝たきりゼロというのは関係があると思っています。
#44
○笹野貞子君 先生、きょうは大変参考になるお話をありがとうございました。私に与えられている時間が大変少ないものですから、いろんなことをお聞きをしたいんですけれども、大ざっぱな質問になることをまずもってお許しいただきたいと思います。
 私も先生がお書きになりました、「海外社会保障情報」に載っております「スウェーデンにおける高齢者の住環境をめぐる近年の動向」という論文を拝読させていただきました。大変お説ごもっとも、もうそのとおりというふうに受けとめさせていただきました。そこで、本来でしたらもっと丁寧な質問をしなきゃいけないのですけれども、時間がありませんので、続けて三つ御質問をさせていただきたいと思います。
 日本の憲法には、健康で文化的な生活を国民はできるという、こういう非常に抽象的な理念の条文がありますけれども、私は、ここで健康と文化的というのは生活の中でなければいけないわけですから、この先生の論文やきょうのお話の中で健康というのはもちろん自分で維持する部門もありますけれども、それ以外で健康な生活を維持できる、例えば住生活の中で健康な生活というのは、先生は先ほど日本の住環境というのは四十代とか、そういうバラ色のときだけを対象にしているというふうにおっしゃいました。まさにそのとおりだと思います。そこで私は、老人というのはじゃ健康な生活というのは入らないのかという非常に疑問を持ってきます。
 そこで、スウェーデンの住生活の中では、健康に生活できる住生活というのは、一体どのような住生活をすることによって健康を維持できるというような、そういう理念があるのかということを一つお尋ねをしたいと思います。
 それからもう一つは、先生の書かれた中で、具体的にスウェーデンでは介護が必要になった人に対してはイブニングパトロール、ナイトパトロール制度があるというふうにお書きになっておりますけれども、これをちょっと具体的にどのようにしているのかということをお知らせいただけますでしょうか。
 それから三つ目ですけれども、先ほども負担のことで御質問がありました。これは私たち政治家にとってはいかに高い理念があろうとも、それを実現できなければ使命を果たせないものですから大変こういうことに興味を持つんですが、私は先ほどの税金と社会保障の負担、合わせた負担率と国民所得の対比のグラフをとってみました。先ほどの先生への御質問の御説明で非常によくわかりましたけれども、しかし大ざっぱに対比をしますと、日本はこの両方合わせますと三五・七%、先生は日本に帰ってきて四〇%ぐらいとおっしゃいましたけれども、ややそのぐらいになっております。
 これに対してスウェーデンでは七二・三%という数字になっております。この間をとってドイツは五二・四%、フランスは六一・三%というふうになっておりますが、先生は、この日本の生活の私たちが健康で文化的な生活を送るというこの理念を、世界の中でいろいろになっておりますこの社会保障の負担率をスウェーデンと日本を比較いたしまして、日本はどのぐらいまでが理想的か、そしてどのぐらいまでいったらスウェーデンに理想として追いつけるかというような御示唆がありましたらよろしく御指導ください。
 以上、三つお聞きいたします。
#45
○参考人(外山義君) 二点目が一番簡単そうなので二点目から先にお答えさせていただきます。
 イブニングパトロール、ナイトパトロールに関してですけれども、普通のヘルパーさんの訪問サービスというのは大体朝の八時から夕方の五時ぐらいまでなんです。ただ、高齢者の方の生活ニーズ、例えば夕御飯の支度とか夜寝るときのサポートとか必要ですから、それをカバーするものとして巡回のサービスがあります。
 これは大体ヘルパーさんと看護助手が二人一組になって車に乗りまして、そして管轄地域の高齢者を順々に回っていくものです。一般的には大体夕方五時から十時ぐらいのがイブニングパトロール、それから夜中の十時から翌朝の八時ぐらいまでがナイトパトロールというふうに二つに分けていまして、例えば、区域が夜間のナイトパトロールだと大きな区になっていく、イブニングですとそれが二つか三つに分かれていく、そういうような形をとっていますが、実際に行われているケアサービスは、その二つは余り変わりません。
 ポイントとしてさっきの在宅から施設に移るという話との関連で申しますと、向こうでの経験ではこのナイトパトロール、イブニングパトロールがあると一挙に在宅に残れる割合がふえるということがわかっています。日中のだけですとかなり歩どまりが低い。夜間のこのサービスがあって、そしてあとウィークエンドももちろん三百六十五日ですから組み込まれますから、それによって施設に入らないで済む人の数がすごくふえるというふうに言われています。
 それとイブニングパトロール、ナイトパトロールのもう一つの機能としては、腕時計型が向こうでは多いんですけれども、緊急対応用のボタンというのを持っている人がいます。それは、慢性の疾患で発作が起きる可能性があるとか、それから車いすから落っこっても自分で起き上がれないとかさまざまな理由で持っていますけれども、それを押しますと、それが地域のセンターに連結して、そこから直接アンテナが付いている車に連絡が行きまして直行して助けてくれる、そういう機能も持っています。
 一点目のスウェーデンにおける高齢者の健康な生活、健康な住生活の中身というのは一体どういうものなのかというお話で、これもまた大変難しい御質問で困ったなと思っていますが、まず、住宅の個のユニットの質に求められる性質というのが法律にかなり細かく規定されています、住宅の基準の中に。それは単に面積とかそういうことだけではなくて、一時間の空気の換気回数とかそれから採光の問題とか、それは日本の建築基準法でもうたっておりますけれども、住宅の中での結局生活していくフローで流れている空気の質とか、そういうものについての基準がかなり向こうではあります。
 それからあと、今の先生の御質問についてのコンテクストで大事がなと思うのは、住宅だけがよくても健康な住生活というのは送れませんで、やはり自分が行きたいときに行きたい場所に行けるという交通のサポートというのがないと、車いすを持っていても外に出られるような形が保障されていないと気持ちが健康でいられなくなりますよね。そういう意味で、向こうではトランスポーテーションサービスのシステムというのがございます。
 それから三点目の負担率、これはちょっと数字を私の口から何%というようなことを申し上げることはできませんし、また申し上げること自体ほとんど無意味なのではないかなという気もするんですけれども、まず、スウェーデンで七二・三%、それから日本だと三五%ということについてちょっと触れさせていただきたいんですけれども、向こうで例えば社会保障費とかそういう形で拠出しましても、さっきお話ししましたように使われていく、戻ってくるプロセスの中で、結局それが間接的に住民に戻ってくる部分というのがあります。それを慶応の田中先生という方がある名前をつけて概念化していらっしゃったと思いますけれども、その部分を差し引いてみないと構造的な比較ができないということを彼は言ってらっしゃったと思います。ですから、その辺を比べてみるとそんなに差はなくなるのではないかというのが一点。
 あと、個人の貯蓄のパーセンテージというのがやっぱりあって、向こうは社会に貯蓄している、お金を払って貯蓄しているというような意識でむしろおりまして、個人の貯蓄比が大変少のうございます。日本の場合は、数字は余りよく覚えておりませんが、一六%とか何%とか、やはり所得の中でかなりの部分を皆さんがかなり計画的に、あるいは不慮のことのための心理的な担保として貯蓄をしていらっしゃると思います。
 そのあたりというのは、自由に使えるという部分と使えないでとっておくという部分があって、とっておく部分については、やはりある意味での保障部分ですよね。ですから、なかなかそういう意味で比較するのが難しいというふうに思います。そういう意味で私は数だけで議論することもさることながら、私どもが払っている税金以外の部分がどういう形かで我々のインフラストラクチャーが向上していくために使われる方策はないのかとか、日本の枠組みの中で底上げをしていく方法というのが幾つか知恵を集められないのかなというのが私の個人的な感想です。
#46
○笹野貞子君 ありがとうございました。
#47
○会長(鈴木省吾君) 以上で外山参考人に対する質疑は終了いたしました。
 外山参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 午前の調査はこの程度にとどめ、午後一時まで休憩いたします。
   午後零時八分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時一分開会
#48
○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。
 この際、行天参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見を拝聴し、調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 それでは、行天参考人にお願いいたします。
#49
○参考人(行天良雄君) お招きいただきましてありがとうございます。
 自己紹介を兼ねてちょっと先生方に申し上げておきますが、私はたまたまそのコースを選んだのでございますが、約四十年間医療というものだけをずっと見てまいりましたので、ちょうど私自身の歩んでまいりました歴史が日本の高齢化の歩みと並行しておりましたし、また医療は御存じのとおり、医療保険制度それから医療制度そのほかが大きく変わる時期と全部仕事がマッチいたしまして、ある意味においては非常にラッキーでございましたのですけれども、文字どおり高齢化問題と医療問題だけをずっと中心にして今日まで来たような経緯で私自身が参りました。
 そして、たまたまメディアにおりましたので、一般の方々からの問い合わせとかあるいは投書というのが非常に多かったので、それらをもとにしながら、今一般の国民がどういう視点でこの問題をとらえているかというのをずっと見てきたわけでございまして、後でスライドの折にまた御説明させていただきますが、私自身はこの時期が最も激変と申しますか根本的に見直すべき時期にぶつかっているような感じがいたします。
 特に、言葉といたしますと二十一世紀あるいは来世紀は、例えばきのう日本医師会が委託いたしました日大の小川報告というのが発表されておりますけれども、大変な時代だというふうに言われておりますが、一般の人々にとりましては、この九〇年代の終わりまでが最大課題と言っていいような時期ではないかというふうに私は思っておりますので、大変一方的な、まさに私見になりますけれども、先生方にこの高齢化の現実というものをやはり知っていただきたいし、また見ていただきたいというふうに思っております。
 それから、会長ともちょっと御相談いたしましたけれども、先生方それぞれの御専門の分野が違っております関係で、私の話がある先生には非常に幼稚っぽい面が入ってくるかもしれませんが、その点はお許しいただきまして、全体像としての高齢問題に関してお話を進めさせていただきたいと思います。
 私は今ずっと見ておりまして、少なくとも私どもの分野から見ると、国民にとって重大な影響をもたらしておりますのはこの高齢化の加速の問題でございまして、単純な高齢化ではなくて大変なスピードというのが一つ問題になっております。それから、それらを裏づける形としては、当然ですけれども、国際関係の中での日本の経済の安定という問題が非常に大きくなっております。そして、医療面というのはいわゆる年金福祉関連と大きく並行しておりますので、その動きがこの後二、三年というのは大きな形で動いていくんではないかというふうに思っております。
 それから、私は余り細かい数字というのを申し上げないつもりでおりますのは、この数字の予測というのは毎年のように狂っております。日本の高齢化問題の最大課題というのは、厚生省にしましても例えばきのう出ました日本医師会の小川報告にいたしましても、ほとんどが狂います。狂う理由は前倒してございまして、大方の相当シビアな予測よりもなお速いスピードで日本の高齢化が動いてしまっているわけでございまして、その理由に関しても後ほどちょっと申し上げてみたいと思います。
 私が、こうやって顔で申し上げるよりもスライドを一応見ていただいた方がいいと思いますので、大変恐縮ですけれどもスライドを見ていただきたいと思います。(スライド映写)
 大もとの考え方ということで整理させていただきますと、私どもは生き物でございますので必ず死ななければなりません。これはもう私を含めまして、大変縁起でもないんですが、先生方御自身もやはりいつかは死というものをお考えにならなきゃならないんですが、これは仕方がないわけでございまして、生物はそのサイクルによって新しい命を生み、かつ育てていきながら文明と文化をつくり上げていったわけでございます。
 この死をもたらす要因というのは、当然ですが、最大のものは飢餓です。飢えこそが死に最も直結しておりまして、飢餓対策という問題があるからこそ領土であるとか、現実的には食糧であるとかあるいは食糧生産に従事する人の力であるとか、あるいは時代が変わりまして資源であるとか頭脳とか、そういったいろいろな問題に展開いたしましたけれども、要は飢えないため、そして不必要に早く死なないための飢餓対策で戦争が起こります。そこへ宗教であるとかそのほかの問題が絡んではおりますけれども、いずれにしましても飢餓と戦争は直結しながら動いてまいりました。
 御承知のように、現在地球人口は五十七億から六十億と言われておりますが、現時点でも国連などの発表では百カ所を超える箇所でこの時間に戦闘行為が行われております。そして、サラエボだけではございませんで、ソマリアにしましてもカンボジアにしましても、そしてモルディブそのほかいろんなところで考えられないくらいのトラブルが発生しております。そして、そこでは当然人間の体が、生物ですから、弱り目にたたり目という形で、生き物としては人間以外である病原体、ばい菌であるとかあるいはウイルスといったものが、感染症と言われております伝染病を起こしました。
 ところが、私どもはどうしても死ぬというと病気で死ぬということを考えてしまうパターンができておりますが、実は病気で死ぬどころではなくて飢餓で死ぬ方がはるかに重大でございまして、今国連の一つの働きとしてWHOと言われております世界保健機関、日本人の中嶋ドクターが事務局長を、今度再選されましたけれども、このWHOも表向きは一応疾病対策をうたってはおりますが、予算そのほかに関しては一にも二にも飢餓対策でございまして、それこそ三、四がなくて五で初めて結核であるとか寄生虫であるとか、あるいはそれに関連した病気の対策がとられております。
 ところが日本は、この死の問題、飢餓と戦争と伝染病というパターンが死をもたらしておりましたのが、ちょうど昭和で申しますと昭和三十年代の半ば、一九六〇年に入りましてから急激に転じました。そして見る間に、右側にございますように寿命に近い形で死がもたらされる唯一の国に変わりました。先進国では追いかけるように寿命による死が常識化しつつはございますけれども、日本では余りにも速いトラスチックな変化で、昭和三十年から四十年代の半ばにかけまして寿命による死に死のパターンが変わりました。となりますと、人々の関心は、寿命が神様仏様のおぼしめしであるという考え方は基本的にございますけれども、寿命目いっぱいまで若々しくありたいとか、可能な限り老けたくない、また寿命というものを漠然とですけれども長く持ち続けたいということで、老化というものに対する関心がぐっと上がってまいりました。
 と同時に、社会は寿命目いっぱいに近い形まで皆様が長生きなさいますために高齢化の動きを徐々に進めると同時に、これら社会要因は、大きな環境問題を含める南北問題として、地球全域の飢餓対策に向かって日本の責任が問われる形に変わっていったわけでございます。
 去年ございましたいわゆる南北問題の環境資源対策の国際会議、日本でも開かれましたしメキシコでも開かれましたが、ここでいわゆる俗に南と言われております開発途上の国々から先進国側に対して考えられないくらいの憎悪に近いような発言が繰り返されましたのは、挙げてこの先進国全体がカバーされております高齢化と安定した経済政策の中で、飢餓という問題とそれに裏づけされたいわゆる資源という問題に関するもうせっぱ詰まったような声がずっと上がったわけでございます。
 医療はさっき申しましたように主に伝染病、感染症対策が中心でございましたが、昭和十八年にイギリスで開発されましたペニシリン、これが見る間に抗生物質としていろんな薬に展開されました。そして感染症に対して具体的な手だてを私たち人間が持つことに成功いたしまして、見る間にずっと姿を消してまいりましたけれども、薬よりも何よりも大きな問題は、日本の経済復興であり豊かさであり生活の安定であり、そして平和に裏づけされたこの国独特の生活環境というものが感染症を見る間に減らしていってしまったわけです。
 そして今は老化でございますから、実は本人の問題、本人の考え方、生き方の問題ということが大きく問われ出しておりますのが今です。
 そして、病気の具体的な名前でごらんいただきますと、上が昭和二十二年、一九四七年ですが、日本の亡国病と言われました結核、肺病が圧倒的に第一位です。そして二番目に肺炎がございますけれども、これも今の肺炎と全く違っておりまして、そのころの子供とかそのころの年寄り、実は四十代、五十代でございますけれども、この人々を一瞬の間に奪いました。
 それから胃腸炎というのは消化器系の伝染病でして、赤痢、疫痢、コレラ、腸チフス、こういったような問題。そして四番目に卒中というのがございます。下の卒中と同じ卒中というカテゴリーになっておりますために同じ病気が残っているようにお考えになるかもしれませんが、実は上のころの卒中というのは、後ほども御説明させていただきますけれども、ほとんどが脳出血です。原因は若い人の重労働と低栄養です。そして五番目に老衰という、これは実はお医者さんにかかるお金がないために死亡診断書に老衰というものが多く書かれていた時期です。
 それががらっと変わりまして、九一年は一位ががんで二五%、それから心臓病――狭心症、心筋梗塞、そして三番に今申しました脳梗塞中心型の脳卒中、これら両方合わせますと全部で約七〇%近くなります。したがって今日本では死の原因のほとんどががん、それから心臓にくるか脳みそにくるかという違いだけであります動脈硬化ベースの問題、つまり病気では成人病と言っておりますが、国連の方ではこれらを老化現象というふうに見る見方が強くなっております。それから肺炎も上の肺炎と全く違っておりまして、寝たきりのために起こってくる、肺の働きが弱ってしまうという心肺機能の低下というのが主力でございます。
 このまま日本の経済環境が続くといたしますと、恐らく日本人は全体の八〇%近くがこの老化を原因とするがん、心臓、卒中、肺炎といったもので死んでいくことができるようになる。かつ事故という社会要因、これは交通事故だけではございませんで社会要因の事故。そして六位には自殺が入っております。
 これを逆の言い方をいたしますと、国民健康保険にヘルスパイオニアという一つの運動がございますが、ある町では「百まで生きてがんで死のう」というスローガンが採択されております。これはがんという問題に対する一般の人々の考え方が急速に変わっていることを示しておりまして、これは特に後ほど御説明させていただきます。
 厚生省は昭和十三年にスタートいたしまして、ねらいは富国強兵ということは言われておりますが、せっぱ詰まった具体策としては結核対策です。そのために内務省から分離したことは御存じのとおりでございますが、現在はそのときの人口の約倍になっております。
 問題は一番下の死亡でございまして、括弧の方は実数ですが、上の一七・七が六・七になり現在はおおむね七に近いというふうにお考えいただいていいんで、大体三分の一。そして、後で申し上げますが、日本のこれからの高齢化の最大課題は出生の激減でございまして、二七・二あったのが九・九になり現在の推測値は九・〇ぐらいになっております。そして、この結果、日本は高齢化という一つの形をもたらされたわけです。
 ちょっと素人っぽい説明でお許しいただきたいんですが、高齢化というのは日本語では前は老齢化と訳しておりましたが、今は高齢化に一応統一してございます。
 あそこに七と書いてございますのは、その土地、その国、その民族の中で総人口に対する六十五歳以上のお年寄りの数の割合を高齢化の率と言っております。あそこの七というのは七%です。じゃ、いつ日本がなったかと申しますと、一九七〇年ですから昭和四十五年、大阪万博の年に日本は高齢化社会に突入いたしました。そして、このままでまいりますと、上に参りまして一四と書いてございますのが一四%、これが高齢社会というふうに一応言っております。予測は一九九五年と横に書いてございます。
 しかし実際は、きのうの小川論文を見ますと九四年に間違いなく一四%を突破いたします。現在既に日本は一三%を超えております。そして、超高齢というのが二〇%でございまして、これがこの予測値では二〇二〇年ぐらいとなっておりますが、やはり小川論文では二〇〇七年から遅くとも二〇一〇年ぐらいに二〇%を突破いたします。ですから、いかに速いスピードであるかというのは、あの破線の部分まで入れても先生方御了解いただけると思うんですが、速いことがいいか悪いかというのが一つの問題でございます。
 例えばよその国を比較いたしますと、この高齢化社会に突入したのはみんな年次が違っておりますけれども、一応予想される高齢社会突入もしくは高齢社会になってしまった年代との間があの年代でございまして、フランスは百三十年かかってもなお高齢社会にならないだろうというふうに今予想されております。この高齢社会突入をおくらせることが政治的手腕であるかどうか、ここは難しいところでございますが、少なくともミッテラン大統領指揮のECをめぐります動きというのは、明らかに高齢化の抑制に大きな効果を上げていることは間違いないわけでございます。
 そして、スウェーデンは高福祉高負担ですが、この高負担のためにスウェーデンの前の内閣は一応政策転換をいたしまして、御存じのとおり現在は中負担で高福祉をやっております。
 ちょっと申し上げたいのは、スウェーデンの場合は高福祉を切れません。その理由は当然でございまして、高福祉を目標にして負担を負っていた年代の人々に対して高福祉を打ち切るということは大変な問題になります。したがって、スウェーデン自身はことしの秋、あるいは来年になりますけれども、中負担中福祉にどうやって軟着陸させるかということが政策の最大の目玉になっております。ところが一部の人は、スウェーデンは偉いもので依然として福祉はちっとも変わっていないというふうにおっしゃいますが、これは大間違いでございまして、変えることができない形にもうなってしまっているわけです。
 そしてアメリカは、御存じのとおりクリントン政権になりましてから、この高齢化に対する抑制を一層強めようとはしておりますけれども、ブッシュさんの最後のころ持っておりました移民に対する相当強いブレーキを今後ともクリントン政権は続けていきます。ということは、若年労働力のその国の人間としての移入をある程度ブレーキをかけますと高齢化は一気に上がってまいります。ここが非常に難しいところで、失業問題と絡みながらアメリカが一体どのような高齢化対策をとるかということは、実は奥さんのヒラリーをキャップに据えました、いわゆる日本でいうところの国民健康保険法の改正の委員会がございますが、その委員会の動きと相まって非常に難しい政治判断になっております。
 これに対しては、アメリカのロビイストたちがいろんな意見を言っておりますけれども、今のところ私どもが分析している限りでは七、三の割合で成功不可能というふうに見ております。やはり医療問題とか福祉問題とか、あるいは高齢問題というのは非常に大きな経済とのつながりを持っておりまして、福祉のために出し過ぎれば国の活性化が失われる、しかし活性化をある程度維持するためには相当の負担というものはほどほどのところで持たなければならないという難しい問題がございます。
 それからイギリスですが、御存じのとおり日本の医療制度、医療保険制度の原点であるナショナル・ヘルス・サービスをサッチャー政権がずっとつないでおりましたが、人頭別の税制の問題で結局失脚いたしました。ただし後を継ぎましたのがメージャー政権で、これは主力としてはサッチャー政権の後を継いております。ここでは、揺りかごから墓場までという考え方に全面的な改定の手を伸ばそうとしております。税問題と絡んでなかなか染められないところもございますが、ECの問題で大きな変動がイギリスを現在襲っていることは御承知のとおりです。特に、フランスとの間にドーバーのトンネルが完成いたしました。これはたかがトンネルということではなくて、非常に大きな経済交流というものが予想されますので、イギリスも恐らく経済交流は即人間の交流になります。
 間もなくかつての西ドイツのコールさんが日本に見えますけれども、日本で一番言いたいことは、旧ソビエトに対する、そして現在はロシアのエリツィン政権に対する支援であるということをきのう言っておりますけれども、何でロシアに支援をと言うかといえば、これはもうソビエトの崩壊によってこれら西ヨーロッパは大打撃を受けたわけでございます。つまり難民の流入です。この難民流入は、民族として受け入れれば高齢化に対する大きなブレーキになりますが、職を奪うという問題がございますと、東ドイツの一部でなおネオナチズムの運動が続いているように、非常に難しい民族問題を抱えてしまっております。そして、西ドイツはあのように高齢社会に入ったのですが、東ドイツという非常に貧困なグループを抱え入れたために、一二%から一二%半ぐらいのところを現在移動していると言われております。
 ちょっとよその国の動きを御説明し過ぎましたけれども、これらの国々がいずれも高齢社会突入にブレーキをかけているにもかかわらず、日本だけは、何でも一番はいいことだというような考え方があったせいもございますけれども、独特の日本の安定し切った経済環境、社会環境が、唯一の高齢加速を進めている国に日本を置いております。これだけ見ましても、いかに日本が国際的に孤立しているかということがはっきりいたしまして、この高齢化の加速自身は大変すばらしいこととして評価すべきなんですが、よその国のように他国の影響を全く受けないで日本だけが唯一高齢化の加速を続けているというところが、さっき初めに私が申しましたように、国際問題として一体どういう評価を受けるだろうかということにつながってまいります。
 日本が一九七〇年に七・一%という高齢化社会に突入いたしましたのが、さっき申しました大阪万博です。このころは万博の経済開発というものが非常に一般の人々のブームを呼んでおりましたために、高齢化社会突入というのは国民の多くの人々にインパクトを与えなかったのです。
 しかし、言葉は高齢化社会突入というふうになっておりますが、もうそのころのことはけろりとみんな忘れております。少なくとも日本民族が千年近くにわたって願い続けてきた不老長寿の国というのは、実は高齢化社会であったわけです。たかが高齢化社会、六十五歳以上が七%で何だというふうにおっしゃるのは、長い間抱き続けてきた日本人の夢というものを読み返していただければよくわかるわけでございまして、死は極めて身近なところで私どもに常に隣り合っておりました。それがあっと言う間に遠のいてしまって、ほとんどの人々に二十年から三十年の老後というものを間違いなく与えたのが高齢化社会です。
 なぜ高齢化社会にある日突然のように転じたかと言えば、下にございますように、昭和二十八年あたりから一応形を整えてまいりまして、昭和三十六年に新国民健康保険法の成立によって、いつでもどこでもだれでもが、極めてわずかな負担で繰り返してあるレベル以上の医療をほとんどただで受けることができるという、人類史上空前の皆保険制度が完成しております。そこへもってきて、昭和二十年に完全敗北であったにもかかわらず、第二次世界大戦後、日本というのは、よその国に国家の命令において一人の今も失っていないという、これもまた人類史上空前の平和、安定というものを持ちました。問題点は、この二つが日本だけというところに今国際的な指弾と批判を受けているわけです。
 当然生活は安定いたします。物があふれて、アメリカ流の言い方をすれば、ブッシュ政権の最後にアメリカが言ったのは、アメリカの若者の血によって日本が豊かさを持っているにもかかわらず何の感謝もないと言われた一番大きな問題。それから、いわゆる湾岸戦争のときの九十億ドルの負担で圧迫を受けましたときの言い分も全部そうでございまして、日本だけが国際社会に対する責任を余りはっきりさせないままに長い間の安定を持ってきたわけです。ですから、当然死亡率は低下の一途をたどりまして、特に乳児死亡は激減いたしました。そして、あっと言う間に日本は一九七〇年に高齢化社会に入ったわけです。
 そして、見ていただきますとおわかりのとおり、非常に目立っておりますのは出生の激減です。
 このブルーが余りの速さでおっこっております。そして、死亡は横ばいになっております。なお、この後九〇年代の最後の方をちょっと申し上げておきますと、九〇年代の最後あたりで徐々にあの赤い線の死亡は少し上向いてまいります。しかし出生の方は多くの人々の期待を裏切りましてなお落ち続けるだろうというのが現在の推測です。ですから、あのブルーはずっとさらに下がってまいりまして、赤だけが寿命の壁にぶつかりまして多少上がってまいります。
 当然、出生の激減は分母と分子の問題でございますから、高齢化を一層加速いたします。いわゆる出生率激減というのは社会構造の変化でして、お話し申し上げれば切りはございませんけれども、要するに若い女性たちが結婚を余り望まない、そして結婚しても子供をつくるということ、家庭というものをつくるということに対して意欲がないというような問題が直接の理由になっております。ただし、加藤シヅエ先生が、たしか衆議院がどちらかでやはり参考人としての御意見をお述べになったときに、女はみんな結婚したがっている、結婚しない最大の理由は結婚したいような男がいないことだから、女を責めるよりも結婚したくなるような男をつくる社会構造に変えろということで、学歴の問題、企業のあり方の問題、そのほかいろんなことをお述べになっておりますが、まさにそのとおりでございます。
 しかし、残念ながらこの事実はほとんど変わっておりませんで、今度いわゆる雅子さんブームということで、多くの人々が出生の回復、結婚の回復というものを三兆三千億ということで大きく期待したんですが、今のところ私どもの予想分析ではほとんど変化はございませんで、むしろまだ出生はさらに下がってしまうんではないか、やっぱりハーバードを出てなかったら結婚なんか考えない方がいいという形が強くなりますと、ぐっと落ちるんではないかというふうに懸念されております。また、小川レポートも、この出生の激減はなおとめることができないというふうに言っております。
 そこで、日本はお年寄りが一体どうなっているかという一番の見方は、病人が世界一多いんです。これはスライドがございませんけれども、日本の国民の健康度調査というのを厚生省が年に二回いたしますが、圧倒的にどの国よりも健康感あふれている国民が多い国です。それから、平均寿命も延びております。また高齢化も進んでおりまして、みんなが丈夫で長生きできる国になっているにもかかわらず、世界一病人が多いわけです。ここが実は日本の医療の最大の問題でございます。
 大体一日に八百四十万と御記憶いただきたいんですが、この中には歯科が入っております。これを除きますと、一番わかりやすいのはうそ八百万が入院・外来で一日の病人だというふうに御記憶いただきますと、いかに病人なのか、年寄りなのかというのが大きな問題です。
 そして、これは実はこの後の高齢化の大きな課題になってくるわけでございますけれども、そもそも病院とか医療というところは病人を対象にしてまいりました。それがかつての感染症時代の話ですが、現在ではお年寄りがほとんど主力に変わっております。七〇%以上がお年寄りです。それが社会入院だとか、年寄りが用もないのに病院に行っているのはけしからぬという話になりますけれども、これがけしからぬのか、あるいは日本独特の一つの医療とか福祉のあり方のパターンなのかというのをぜひ先生方にお決めいただく時代がいずれ来るだろうと思います。
 さっき申しましたように私どもにいろんな問い合わせがございます。一日に大体二百ぐらい参ります、これは全国の支社全部入れてですが。今までのところ一番多い、そして現在でもなお相当数まだ残っておりますのは、この三番目と四番目です。いい病院と名医を紹介してくれと。
 例えばテレビなんかで放送をなさいますと、その先生にすぐ紹介してくれとか、その先生にかかりたいという問い合わせがいっぱい参ります。これはやはり名医というものに対する信仰、それから何が何でもどうしても助かりたいという人間の欲望、これは当然でございますけれども、それが強かったのですが、昨今は上二つに変わりました。圧倒的と言っていいくらい上二つに変わったんですが、これが実は一年あるいは一年半前ぐらいから変わったわけです。
 まず、年寄りを受け入れる場所を教えろ、それから往診してくれるような親切なお医者さんが自分の住んでいる地域にいるだろうかどうだろうかという、その名前を教えろということです。これが大問題でございまして、この老人問題というのは実は高齢化の加速が現実の問題となって第一に私どものところに響いてまいりましたのが、あの上でございます。
 さっき申しましたような、社会入院という問題をある程度医療費の面からブレーキをかけるという形を国はとらざるを得ないわけでして、とりますと、当然何も病気でない、またこれ以上治す処置も何にも必要のない老人はやっぱり出ていただかなければならないということになりますが、出た後戻るべき家庭がないわけでございます。前あった部屋は子供の勉強部屋に変わるし、またいろいろと社会構造が変わっております。
 また、戻ったところでそのお世話をする人がいないという問題がございますと、結局、老人はおうちで一人で暮らすことができなくなる。世話をする、面倒を見るということで施設ということになってまいりますが、施設は場所によって大きな差がございますけれども、まず早くても三カ月、遅いところでは三年、二年というのはざらです。よい施設ほど二年、三年待たなければなりません。その間に肝心かなめの方が亡くなってしまうということもあるし、それ以前に家庭崩壊を招きます。
 また、二番目の往診の問題は、現在のままですと開業の先生方の平均年齢が六十五歳を超えております。往診する人が先にいってしまうんじゃないかということが心配されるくらいに年をとり過ぎております。そこで今、日本医師会にしましても厚生省にしましても、医療法改正の後に、結局この往診をいかにして推進するかということで、若いお医者さん方に往診する開業医になっていただきたいという施策をこれから打ち出そうとして診療報酬改定の作業が始まっております。しかし、まだそれまでには何年かの時間が必要で、現時点では、往診、往診と簡単に言いますけれども、往診すべきお医者さんが年をうんととっているという事実だけはぜひ御記憶いただきたいと思うんです。それでも結構行っていらっしゃるお医者さんがいますが、本当に危険な状態がだんだん起こってまいります。
 それから、一番下はリハビリをどうする、室料差額をどうする、付き添いをどうするという問題で、最大課題は後ほど申し上げますが、この付き添いの方に移っております。
 付き添いは実は世話の問題です。これは中高年四千人の大規模調査ですが、自分の親、夫の親ではなくて自分の親を自分や家族が見るというのが三〇%、施設に入れるが一〇%、外部サービスに依存せざるを得ないというのが半数を超えておりますが、他人の世話の場合は嫌だというのが八〇%を超えております。これを古い方が見ますと、けしからぬと、嫁のくせに、娘のくせに、子供のくせに親孝行を忘れたのかというふうにおっしゃいますけれども、今や介護の問題は実に深刻な問題でございます。
 ついでに申し上げておきますと、ボランティアの問題が出ますけれども、ボランティア問題の中で介護という問題のボランティアと、花であるとか本を持っていってあげるとか、いろんな意味における手伝いのボランティアとは全く異質です。特にこの介護問題の中ではおむつの取りかえという問題は最大課題でございまして、これをやるがやらないかということによって人間の考え方は全く変わってまいります。
 それから、御自分でよく親の面倒を見ているという方がいらっしゃいますが、現実に御自分が親の入浴という問題と、おむつの上げ下げという問題を毎日繰り返して半年以上続けられた方がいらっしゃるとすると、その方の介護というのは本物ですし、親の面倒を見ましたという言葉を私どもは無条件で信用しますが、そうでない場合はなかなか難しい問題が、余りにも差がございます。この点をちょっと頭に入れておいていただきたいと思います。
 ですから、老後の心配は何だというふうに国民の方に、生活センターであるとかあるいはリクルートであるとか、いろんなところが調査を繰り返しております。総務庁も調査をやっておりますが、大体答えはいつも変わりません。日本が特筆すべきことは、三番目にございます蓄えが十分でないという、老後のお金の問題があんなに少なくなっております。ところが、圧倒的に寝たきり、ぼけになったらということが心配だというのが多いわけです。それから、配偶者に先立たれることと最後の世話を頼める人の問題です。
 これを順番で見ていただきますと、トップの寝たきり、ぼけ、「ぼけ」という言葉が嫌なためにわざわざ抜かしてございますが、実は同じでございまして、寝たきり、ぼけです。なぜ男が六〇%しかなくて女の方が七六%も老後の心配があるかといいますと、日本はまだまだ現在の高齢者並びに若い人たちまでが、夫婦単位で、奥さんが面倒を見てくれるのが当たり前だと思っております。
 ですから、家庭介護の主力はみんな奥さんだと思われているので、男はそれを信用しておりますから大丈夫だというので、自分の老後に関してはどうせ女房が見てくれるという、心配がないという六〇%です。ところが、女の方の場合は小川推計でも出ておりますけれども、約七歳長生きいたします。そこへもってきて昨今は少し近づいてまいりましたけれども、結婚年齢が四、五歳離れておりますと、十年は統計の上では未亡人という形になります。したがって、十年間夫の世話で疲れ果ててお金も使い果たした人たちに来る老後というものは実は惨たんたるものでして、これが最後に響いてまいります。
 したがって、男の場合ですと話は全く逆で、奥さんに死なれたら大変だという不安は六三%もございますが、奥さんの方は、どうせ夫は先に死ぬと思っていますから三七%しか不安がないわけです。これは愛情とは全く違うということは、あらゆる調査がこれを裏づけております。
 しかし、最後に世話を頼める人がいないというのは、気の毒に日本の女の方がこれから担っていかなければならない最大課題でございまして、後ほどもまとめて先生方に申し上げたいんですが、今在宅介護を云々というふうに国が政策的に打ち出さざるを得なくなっておりますが、これを進めますと在宅によって嫁さん、なかんずく長男の嫁が大打撃を受けます。しかも経済的な問題は大変な支出です。だから、金と力と生活を全部犠牲にしながら、疲れ果てて、夫もしくは親の面倒を見終わった後に一体その女の人にどのような老後があるのかというのが実は非常に問題です。こういう問題はヨーロッパそのほかでは見られない形でございまして、親孝行理論と現実の高齢加速の中で日本が選択していかなければならない、これは政治問題ではなくて実は社会の判断の問題です。
 そして、医療そのものは、初めに見ていただいた表のように、飢餓が伝染病を生み、公衆衛生対応を中心にしましたので集団対応、これは今問題になっておりますワクチンの問題にしましても何もかも、ある数を対象にしてやりました開発途上型です。これがさっきお話ししましたように、昭和三十年の真ん中ぐらいから突如日本は先進国型のパターンに変わりましたのは、生活が安定し始めたためです。
 特に、四十五年の大阪万博は日本の経済の華やかな姿を世界じゅうにうたいましたが、その後オイルショックが二回続けてまいりましたけれども、何といっても朝鮮動乱とベトナム動乱という二つの特需によりまして日本は今日の生活安定、経済安定の基礎をつくってしまっております。そして、寿命、老化対応、これは全部個別になります。したがって、医療自身は急速に個別化に向かわざるを得なくなったわけでございまして、特に今、個別化の最たるものは人の寿命がわからないという問題にぶつかってまいります。
 これが、ちょっとごらんになりにくいかもしれませんが、左側にございますのが、簡単を言い方をしますと、百人生まれたと考えていただきたいんです。そして下の横が年齢でございます。すると、一番短いのが緑色の濃いのですが、あれは日本で言いますとちょうど戦国時代ぐらいに考えていただければいいんですが、生まれたばかりの赤ん坊が、見る間にこの二、三歳ぐらいのところで百人のうち四十人ぐらいが死んでしまいます。それからずっと死んでしまって、一番長生きしても五十まであたりが限度で急速に数を減らしていくという形になっておりますが、文明、文化が入ってまいりまして生活安定が始まると、見る間にこのもえぎ色の緑に変わりましてぐっと寿命が延びました。
 では今、日本がどんな線かといいますと、実は予想されております紫よりももっと上でございまして、理論的には考えられない理想曲線に、日本はさらにそれを食い込んでおります。例えば、生まれた赤ん坊は現在ほとんど死にません。これはNICUそのほかという先端医療が進んでおりまして生きてしまっております。そして、ずっと来ますと、交通事故だとかごく一部の特殊な病気以外には子供は死にません。そして五、六十まではほとんど死なないというパターンで参りまして、そこから先はいろんな病気そのほかで人が減ってまいりますが、実際はこの紫よりもむしろ理論的理想曲線に近い形でいっておりまして、六十、七十ぐらいまではほとんど日本の人は、大きな統計的な意味では死ぬというパターンをとりません。
 そして、その後ぐっとなりますけれども、実は百歳を超えた方が去年四千人、恐らくことしは一万人を超えるだろうというふうに予想されておりまして、息も絶え絶えで百を超えるのではなくて、きんさん、ぎんさんに象徴されるように、おととい、ぎんさんという方が白内障の手術を人工水晶体でなさいまして、食べている米粒の一粒一粒が見えて全く世界が広がったということを言っております。まさにこのとおりでございまして、よたよたやっと百というのではなくて、考えられない丈夫な高齢者層を抱え出しております。もちろんこれは全部ではございませんで、例外的な問題もありますが、とにかく人間が予想できないくらいの恐ろしい確実な長寿を日本が手にしております。
 そこで、一体老化というのはどうして起こるかといえば、まず八割は遺伝です。つまり、遺伝子によって私どもは決定しておりますけれども、俗に言われるように、あの人は二十の遺伝だ、こっちは百歳の遺伝だというほど大きな差はございません。何かといえば、遺伝子というのは、御存じのとおり万年とかあるいは十万年、二十万年という長い、まさにロングスパンによって淘汰を繰り返しておりますから、現在の日本人の持っております遺伝子は、おおむね八十、九十は生きるのが当然だという遺伝子になっております。そして、男女で不思議なことに多少違っております。女性がやっぱり延びますが、開発途上国では女性の方が早死にしております。
 それから年齢は、この暦の年齢がどうしてもある程度加速いたしますが、四十ぐらいを過ぎますと、今度は暦だけではございませんで遺伝子の方が強くなってまいりますので、環境因子とちょっと違ってまいります。それから、圧倒的な要因は、残った二〇%ないし三〇%をコントロールするのは環境と食べ物で、この環境、食べ物が今後の日本人の老化対策の主力になってまいります。
 そして、年齢調整死亡というのがございまして、長生きしているために病気の様相が変わっている。みんなが長生きすれば今までの病気とはちょっと違っているじゃないかというのが出てまいりますのですが、これが大きく変わってまいりますと、あそこで見ていただくようにがんはほとんど横ばいです。心臓も横ばい、脳卒中だけが大きく形を変えております。これはつまり、長生きのためにかかるようになった。さっき言った百まで生きてがんで死のうというのはここに出ているわけです。
 ちょっと急がせていただきます。
 これを見ますと、がんなんというのは今一番死ぬのが七十代の半ばで、やがて八十代に移ります。心臓もそうで、高齢化がどんどん横にいきますと、がん、心臓はまさに寿命の範疇に入り出しております。
 ここで終わらせていただきますが、やがて二〇一〇年あたりで超高齢に入りますと、最大課題は世代間調整、扶養と負担の問題をどうコントロールするかということで、クリントン演説でもごらんになりましたように、クリントン政権がこの扶養、負担問題をめぐりまして、アメリカの高齢化問題を経済政策の中でどうやっていくかという大事な課題を現在迎えているわけでございます。
 私はきょう伺わせていただきまして、先生方に非常な早足で御説明させていただいたのですけれども、やはり日本の人類史上空前の高齢加速という問題をどういうふうに思うか。これは、政策にしましても統計にしましても、全部後手に回ります、それはなっとらぬとかけしからぬということではなくて、余りの速さについていけない。私どもは、現実問題として一般の方々のリアクションを見ておりますので、高齢化の加速は一般の人々に実に重大な影響を与え始めております。なかんずく在宅で親の面倒を見ている家庭、全国で約五十万から六十万というふうに推測しておりますが、これは、惨たんたると申し上げていいような生活環境の中で、現在、親孝行理論と日本が持ってきたかつての家族制度の谷間で大変な苦労をしていらっしゃる唯一の方々だというふうに思っております。
 しかし、このまままいりますと、現在の四十代は相当シビアな老後が来ますし、現在の十代の特に女の方にとっては、これはとてもこのままでは考えられないくらいの惨めな老後しかないということを予言して、話を終わらせていただきます。
#50
○会長(鈴木省吾君) どうもありがとうございました。
 以上で行天参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#51
○岡部三郎君 行天先生、大変お忙しいところをきょうはこの調査会のためにおいでいただきまして、該博な知識をもっていろいろとレクチャーをしていただきまして本当にありがとうございました。
 私は、かつて行天さんとは机を並べて一緒に勉強した仲でございますが、あれから五十年たちますとこんなにも知識水準が違うものかと思って、実は惨たんたる思いをいたしたわけでございます。しかし究極的に考えていることは、失礼ながらそんなにも違わないんじゃないかなという、一面、感じがいたしましてはっとしたわけであります。
 確かに、病気で死ぬ時代から老化で死ぬ時代になってきた。こうなってきますと、医療のあり方というようなものも当然今までとは変わっていかなきゃいかぬ。そのことが大きな変わり目だと行天先生が指摘していることだろうと思うんです。いわゆる治療ということが中心の医療の時代から介護が中心の時代になってきたということでございますが、こうなってくると、行天先生も医者でありますけれども、医者の役割というのは一体どうなるのか。この辺を少しお話しいただきたいと思います。
#52
○参考人(行天良雄君) これはなかなか難しい問題がございます。ですけれども、第一に、日本の医療環境というのは三角形の頂点に医師を置くようになっております。例えば医療機関はお医者さんでないと、理事長は別でございますけれども、院長職が勤まらない。保健所もそうでございます。医師中心型の構造は恐らく今後とも続かざるを得ないだろう。教育課程にしましても、いろんな問題で余りにも違っているわけでございます。
 しかし今、岡部先生が御指摘になられたように、疾病構造変化と申しまして病気のあり方が全く変わっております。ですから、私はあえてそういう構造的な問題の難しさを除外しましても、医師中心型の構造を急速に変えないと日本は乗り切れないのではないかというふうに思っております。じゃ、何を中心にというときには、発想をすべて介護中心型に持っていかなければ、少なくとも九〇年代の終わりから来世紀の頭にかけては非常に難しい状況が起こるだろうというふうに思っております。
 ちなみに、現在、医師の数は二十三万から二十四万ぐらいでございまして、看護婦の数が四十七、八万、准看護婦と言われている人を入れますと七十万を超えております。そして介護者の数というのはほとんど表に出てまいりません。これは、特別の職種で介護福祉士とかそういった制度的なものは生まれてはおりますけれども、まだ社会には定着しておりませんので、うちで世話をする介護という仕事も含めますと、この介護要員の確保というのは最大の問題になってくるだろうと思いますが、どうも日本は人の世話をする、特に下の世話をするということに関しては下賤な仕事といって社会評価が低くなっております。きょうは清水先生いらっしゃるかどうか存じませんが、はっきり申しまして看護婦に対する評価というのが医師と比べて余りにも低かった最大の理由というのは、人の世話をするということを低く見る社会構造がずっと続いていたわけです。
 ですから、これが変わらないことには、ましてや無資格に近いような介護者に対する評価は変わらないと思いますので、私は、この意味では、メディアを通しまして全国民的な運動に何とかして展開したいと、そうしなければ惨たんたる老後しか多くの人々に来ない。特に今、高齢者問題が出ますと一般の方々の頭にくるのは現在の高齢者なんです。私を含めまして、会長先生も当然ですね。今ある年齢以上というふうに多くの方々がお考えになるんですが、実は、私どもはある意味ではもういいのでございます。年金もほどほどに間違いなくもらえますし、医療保険も自己負担が入ってもほどほどなんです。
 しかし、さっき申しましたように四十代の方々、クリントン世代の方々というのはこれから相当きついと思いますし、まして気の毒で目を覆いたくなるのは現在の十代だというふうに私は思っております。負担だけうんとさせられて、その人たちに明るい老後がないなんというのは国家が栄えない一番大きな理由だというふうに思っておりますので、ぜひ高齢者の視点を、これから高齢者になっていく人々に対してどういう明るさと夢と希望を与えていくのか。にもかかわらず、現在の高齢者層に対してはある程度の維持をやっていくという、この二律背反するような問題にうまいかじをとっていくというのが日本の選択すべき一番いい政治姿勢だろうというふうに思っております。
#53
○岡部三郎君 そうなりますと、その二十三万人の医者というのは、これは恐らく教育においてもまた今までのキャリアにおいても、いわゆるメディカルサイエンスというものを中心にやられてきた、そういうキャリアというものはこれから余り生かされない、人間がみんな寿命で死ぬという時代になってくると病気を治すという必要性は今までよりも少なくなってくるわけですから。そういうことで、これを急に介護の方に回せと言ってもそういう人たちは相当当惑するだろうと思うんですが、その辺はいかがですか。
#54
○参考人(行天良雄君) どうしても話はちょっと極端になってしまうと思うんですけれども、私は現在の医師が徐々にその役割というものを少しずつ変えていくと思いますので、医師そのものに急に介護の方だけやれと言う必要はないと思うんです。
 ただ、構造的にはやはり介護の主導者、介護の責任者として医療チーム全体を引きずっていく必要があるんではないかと思っておりますが、逆に介護者に対してももっと強い自覚と今まで医師が担ってきたものを、単純に社会的地位だけのことを言うんではなくて、自分たちの責任というものも強く考えていってもらわなければならない。医療職というのを広く広げて福祉、介護全部を含めましたもののすべてのプロだというふうに私は考えております。
#55
○岡部三郎君 私もそういう考え方に全く賛成なんで、実はこの間民放を見ておりましたら、伊丹十三さんという映画監督がいますね。その伊丹十三さんが、にっこり笑って死ぬための七つの法則というのを言ってたんです。これをちょっと読んでみますと、いい医者を選ぶ、妻の支えが必要、告知してもらう、痛みをとめてもらう、むだな延命治療はしない、思い切りじたばたするが許してもらう、これはちょっと別の問題ですが、それからできればうちへ帰って死ぬ。私はまさにこれはいいことだから、私が足腰立たなくなったらこれを見せてこのようにしてもらおうと思っておるんです。
 こういうことが究極的には必要になってくるんじゃないかなと思うんですが、そうすると、例えば今ある膨大な医療施設とかあるいは医療に関係する関連産業、そんなものは必要なくなったんだからなくなっても当然じゃないかという意見もあるかと思いますけれども、そういうものに対する社会的なショックというのは相当大きなものになると思うんですね。それからさらに、やっぱり国民的なそういったコンセンサスが備わってこないとなかなかそういうふうに誘導することが難しい、政策的にも誘導することが難しいと思うんですが、その辺はどういうふうにお考えでしょうか。
#56
○参考人(行天良雄君) 時間の問題というのが非常に大事だと思いますのは、これからしばらくの間は、今先生がおっしゃったように、伊丹さんが言ったような形は在宅でとれると私は思いますけれども、どのくらいというのは難しゅうございますが、数年後を全国的な視野で検討いたしますと今お述べになったような一生の幕引きはほとんど不可能だと思います。
 というのは、人間一人で死ねないわけでございまして、だれかがそばにいてくれないと死ねないという非常に難しい問題がございます。生まれる方は一人でも生まれますけれども、死ぬ方は一人で死ねないという苦痛がございますと、介護者なし、付添人なしで死ぬということは不可能なんですが、在宅をする場合に在宅の介護者はほとんど確保できないというふうに私は見ています。すると、少なくなった介護能力のあるヒューマンリソースをあるところに集中化して、全く嫌なことであり困ったことであり、人々の夢とは多少違いますけれども、私は、施設に収容してその施設の中で幕引きをまとめてせざるを得ないのが現実の姿だろうというふうに見ております。
 ちなみに、介護に要する経費というのは莫大でございまして、巷間言われているのと余りにも違い過ぎます。特に、施設の中でございますと四十万とか五十万ぐらいで一応済みますけれども、在宅でこれをやった場合には十倍の三百万から三百五十万ぐらいかかっております。
 これはやはりうちにいれば一杯の水、一枚のちり紙といえども、ティッシュペーパーといえども全部お金がかかりますので、こういう問題を無視して在宅、在宅と言うのは、私は在宅は人間の理想であり、夢であり、ぜひかなえるべきだと思うんですが、このままの形でいけば在宅というのは極めてぜいたくな願いになっていくだろうと思うので、先生の場合、御家族がもし御家族の犠牲においてそれをなさると言えばやってやれない年代ではないんですけれども、次の世代は無理だと思います。
#57
○岡部三郎君 最後に、日本はこれから世界最大の高齢化社会に突入をする、こういうことでこれをもたらしたのはまさに戦後の生活の安定、また皆保険という世界に例を見ない制度のおかげであるということは、大変にこれは喜ばしいことだと思うのですが、ただこれに対していろいろと国際的な批判を受けておるというお話がありましたけれども、それを避けるためにそれじゃ一体どういうふうな政策的な手段があるのか、そういうことについてもし御見解がありましたら教えていただきたいと思います。
#58
○参考人(行天良雄君) これは大変難しい、宮澤総理でもお答えできないような御質問をいただいたと実は思うわけでございますが、結局高齢化の問題だけは、難しいのですが、介護労働力という点では外国の人を日本に受け入れるという道を相当大規模に開いていかなければ、東南アジア、アジア地域に対してはなかなか向こうの気持ちとうまくマッチングできないだろうというふうにまず考えております。
 それからよその問題に関しては、日本の経済安定でございますから、これは全体の経済政策の問題で、結局は今のようなやり方であるとすれば、お金を出してある程度了解をしてもらう。あるいは国連にしてもWHOにしても、日本が相当のお金を負担するという形をとらざるを得ないんで非常に高度の政治判断になってくると思います。
 私どもが取材で、特にアメリカ東部それからヨーロッパの先進地区というのを見ておりますと、相当日本人に対する嫌悪感とはいかないんですが、何にもしないで偉そうな顔をしている成金という感じのイメージが大変強く感じられるというふうに、私だけではなくて関係の特派員そのほかが報告をよこしております。これくらいやはり有識者たちには何もしないでいい思いをしている国というイメージは強いと思いますので、これはやはり国民全体が冷静に考えて対応していくべき時期だろうというふうに思っております。
 私は何も卑屈になる必要はないと思うし、日本が富んだのは何も火事場泥棒的な問題だけではなくて、日本人の努力というものは高く評価すべきだと思っておりますので、胸を張っていいとは思いますけれども、それだけでなかったことは事実だと思いますので、やはりこのあたりは高度の政治判断を一般の国民の方々に了解を求めていく時期だというふうに思っております。
#59
○岡部三郎君 どうもありがとうございました。
#60
○三重野栄子君 本日は大変短い時間に、高齢化の現実を十分聞かせていただきましてありがとうございました。大変暗い思いをしながら、でも頑張らなくちゃならないというふうに思います。
 時間が短うございますから、二点ほどお伺いしたいと思います。
 先ほどから、世界に冠たる保険制度ということで教わりましたけれども、この医療保険制度と高齢化に関連をいたしまして、治す、治せる医療からお世話するあるいは介護する医療になった場合に、開業医の皆さんの経営の問題というものがあるのではないかと思うんです。
 一月だったか二月の初めでしたか、NHKで放送がございまして、倒産寸前の開業病院を再建するに当たりましていろんなことがあったのを御存じと思いますが、そういう状況で病院が、私どもは一方では医療費を減らさなくちゃならないと言いながら、病院の再建のためには老人を病院に入院させたりあるいは検査をしたりというようなことで再建をしていくという状況では、どこかゆがんだと言いましょうか、問題点があるのではなかろうかというふうに思いますので、そういう医療制度と開業医、基幹病院とかあるいは大学病院とか、そういう関係についてどのようにこれから改善をしていったらいいのだろうか。
 それに関連をいたしまして、保険と医療と福祉を一本化していくにはそういう病院の位置というのは大変大きいと思いますけれども、どのように進められるのかということを簡単で結構でございますからお伺いしたいと思います。
 もう一点は介護者の確保ということで、先ほど外人労働者というようなこともございましたんですけれども、午前中に伺いましたときも、お医者さんには往診してもらいたいと思うけれどもヘルパーさんは来てほしくないということをやはり思うわけでございまして、それはやはり専門家という、専門技術を持ったヘルパーさんあるいは看護婦さんが来てくだされば応じるのではないかということになりますと、まだ私どもの差別感があるのかどうかわかりませんけれども、外国人労働者がそういうヘルパーさんとしておいでになるということについて受け入れられるのだろうかということも含めまして、介護者の確保についてのお考えをお伺いしたいと思います。
#61
○参考人(行天良雄君) まず初めの方の医療の施設の問題でございますけれども、これは実はNHK云々ではなくて、私医療審議会の方に出させていただいているのでそちらでの私の個人的な見解を申し述べますと、現在日本には一万六十の病院というのがございまして、一般病院というのは九千ちょっとでございますけれども、それらを病院らしい病院、この言い方はなかなか難しいんですが、日本語的に解釈していただければいいと思うんですが、病院らしい病院群というのを一方できちっと押さえて、そこへ行けば今までと同じように病気を治すということに寄ってたかって全力集中してくれる。ただし、別に長くはいる必要がございませんから、だめなものはだめということになります。
   〔会長退席、理事岡部三郎君着席〕
しかし、これから激増してくるお世話を必要とする方々に対しては、少し昔の療養所にプラスをしたような形をとったらいいじゃないかというのが療養型病床群というので、一応厚生省はこの二つに大枠をつくりまして、診療報酬もそれを追いかけるような形で多少動き出しております。
 これがどうこれからなるかまではやっぱり時間がちょっと必要だと思いますんですが、私自身は、先ほど先生がNHKの放送で、検査あるいはそういうものをどんどんやればというふうに御指摘いただいたんですが、同じNHKで言うのはおかしいんですが、私はあの放送は非常におかしいと思っております。つまり不正をやればというのと全く同じでございまして、少なくとも現在日本にございます九千を超えている一般病院の、まあ武見先生的に言えば、六千を超える病院は死に物狂いになって医療の質ということと闘っているんです。ところが、あそこには質が全然出ていなくて収支決算だけが出てまいりましたから、あれを例に引かれて先生から御質問を受けましても私はちょっとお答えしにくい立場にございます。
 第三者として言えば、良心的に必死でやっている医療機関をつぶしてはならないし、また利用者の方で少し考えたらどうだろうかと思うような場面もずっと出てきております。これが第一の御質問の医療法絡みのお答えでございます。
 それから二番目の問題は、午前中のお話がどうだったかちょっと存じませんが、年次というのをさっき申し上げたんですが、一体いつを目安にお話をさせていただくかというんで、私はあと数年は極めて日本的な在宅ケアは可能だと思っております。ただし、そこでは長男の嫁がひどい目に遭います。これはもう避けることができないんですね。しかし、まだ日本の地域社会には親をやはり面倒見ようとか、またそれを必要だとし、かつ善だとする風潮はよい日本の風土の中に残っておりますから、これをそんなの無理だからやめろというふうにする必要はないと思うんです。ただ、そこで重圧の中でやられちゃ気の毒だというふうに思っております。
 しかし、その次の例えば十年後という時代を想定して話をさせていただければ、これはもう今のままでは絶対不可能です。そして、おっしゃるように確かに現在でしたらお医者さんとか保健婦、この人たちが来ますとおかしくないし、業務として見ていますから、プロですから入ってくることを多くの家庭では阻害いたしません。しかしヘルパーというのは隣近所のおばさんなんです、簡単に言いますと、今は。したがって、この人たちは無資格であるということのために、またうちの中に入ってきていろんなことを言われる、嫌だ、こういう問題があって受け入れるのを嫌がっている家庭が多いことは事実でございますが、これはまだせっぱ詰まっていないんです。私はあと数年以後はもうせっぱ詰まってそんなこと言っていられないと思います。
 例えばよその国の例でございますけれども、イギリスで、私が大分前ですが取材に行きましたときに、向こうでお年寄りが一生懸命でトルコ語を習っていらっしゃる、セミナーに出ていらっしゃる。どうして出るかといいますと、ヘルパーがほとんどトルコ系の人なんです。つまり日本にこれをもし置きかえたといたしますと、いずれ例えば中国の方が大勢来るんだからその人たちに日本語を習わせればいいだろうなんというのは随分甘い見通したと思います。こちらの年寄りが中国語をマスターしなければ、自分が痛いとか水をくれということが通じないくらいに厳しい状況が十分に考えられるんですが、どうもこの国は島国でみんながお互いに助け合ってなあなあできていますために、厳しいことを言いますと極端になってしまうんです。
 ただ、ここでもう一遍先生にお願いしておきたいのは、年度が違いますし、地域によって差がございます。先生のお住まいの方でしたらまだまだ相当程度介護力もカバーできますし、ヘルパーもずっとおります。また、老人施設なんかでも結構いい人材を集めているんですけれども、これが北陸の方に行ったり北海道の方に行ったりしますと、他産業がそれを拾ってしまうために相当の混乱が起こりまして、若年労働力の吸収というのは非常に難しい問題になってまいります。ですから、やはり地域差と時代差というのを前提に置いていただいて、今の二番目のヘルパー導入というのはお考えいただく以外にはないだろうと思っております。
#62
○三重野栄子君 終わります。ありがとうございました。
#63
○中西珠子君 本日は先生お忙しいところをありがとうございました。
 四十代、十代の人たちがひどい目に遭うであろうという在宅介護のお話を伺って、全くそのとおりだと思ったのでございますが、ただいまもやはり女性の社会進出が大分進んできまして、働く婦人が多くなって専業主婦が減っているわけでございます。そういう専業主婦に対する負担が非常に大きい、また在宅介護の方がコストが大変かかる、こういった問題のほかに、一種の戦争の犠牲者として独身で中高年で親を見ている、そして生活も見なきゃいけないから働かなきゃならないという女性が今たくさんいるんですね。そういう人たちがグループをつくって、いろんな面で自分たちは不当な待遇をされている、例えば住居の面でもそうですし、親の介護の面でもそうですし、いろんな面で非常に不利な待遇であるということで、細々たる運動を続けている人たちもいるのでございます。
 これがやっぱり会社などに勤めておりまして、そして在宅ではどうしても介護ができないからどこかの施設に入れたいと思っても、特養も満員で二年も三年も待たなくちゃいけない。また、今度はやっと病院に入れますと、老人の診療報酬が逓減制なものですから、初めは、入院時は非常にいろんな検査もあるし、いろいろあるんでしょうから高いというのはわかるんですけれども、これが余りにも急な逓減制で、二カ月たち三カ月目ぐらいになってくると病院の方が赤字になる。そうすると病院の方はもう退院してくださいということで、病院によってはちょっと一時出てまたすぐ入ってきてくれればいいからというふうなことを言ってくれる病院もあるそうでございます。でも、働いている婦人としては会社をまた休んであちこち病院を探したり大騒ぎをしてまた入院させるという、これはいわば社会的な入院なんですけれども、こういう状況がしょっちゅう私の身の回りにも起こっているわけでございます。
 独身でなくても、ハズバンドがいても共稼ぎの人というのはやはりそういう思いをしているわけでございますけれども、今度四月になりますと療養型の病床群というのができて、特定機能の病院というふうに分かれまして、今度は療養型の病床群ができますと少し長く置いてくれる、介護をしてそしてキュアでなくてケアの方に重点がいって老人も長く置いてくれるということになるのかどうか。
 それからまた、老人のための診療報酬というものも改定になって、これまでのような逓減という余りにも急速な形はやめてなだらかな逓減にするというふうなことを聞いているわけでございます。四人部屋でも少し大きくすると差額ベッドがとれるとかいろいろちまたでは言っているわけでございますけれども、これにつきましては先生少しは見通しが明るくなるとお思いになりますでしょうか。お伺いしたいと思います。
#64
○参考人(行天良雄君) これもまた難しい御質問をいただいたんですが、私さっきお話しさせていただきましたように、高齢化の加速が余りにもすご過ぎるので行政も法律も当然ながら全部後手だと思います。先取りなんて私はできないぐらい速いと思うんです。じゃ何にもしないでいいかというのでは困るので、もう後手だろうが何だろうがむちゃくちゃにやってもらいたいというのが私の気持ちでございます。
 したがって、今先生がおっしゃられたような療養型病床群で引っ張るとか、あるいはある便法を講じながら一たん退院した方がまた入るというのは、これは純法律的に言ったら抑えなければならない問題ですけれども、先生の房総の端の方はもうそういう施設がいっぱいできておりまして、東京圏の人たちをたくさん集めているわけですね。でもこれは、それがなければ東京圏の人たちは年をとったときにどうにもならないんです。表に出てくる数字は東京は常にまだ高齢化率が低いところになりますけれども、これが限界になりましたときにはもう高齢化の加速は大都会ほど物すごくなりますから、東京のあと何十年なんというのは無理でございまして、十何年後というのは物すごい高齢化になるわけです。
 それをやはり想定すると、どこでもひずみをどこかがしょっているわけでございますから、私としては、便法を講じながら一遍退院してまたやってくれるところを探しなさいというのはちょっとこういう大事な場所では言えませんけれども、私だったらそうします。もうそれ以外に方法がないと思います。
 それから、もう一つ先生に申し上げておきたいのは、私ずっといろんな方を見ておりますと、正直でしかももう必死になって家族だけ守って、今例に出していただいたような中高年の女の方が会社の方の仕事をやめるかやめないかの大きな迷いの中で必死になって親を見ていて、そしてそういう方がもうどうしてもしようがないといって福祉そのほかに相談に行きますと、給料が相当高いじゃないかとか、あるいは申し込んでも二年後だといって正直者が損をするという典型的なパターンが今老人施設にあるんです。
 だから、何でもない人がどんどん早く病院に入れて、ぐるぐる家族の中のたらい回しをやっている人たちが割合楽にのうのうとしている姿を見ておりますと、大変な憤りを正直言って感じます。私はやっぱり国の政治の中では、正直な人に少なくとも余りにもばかを見させないようなことだけは手を打っていただきたい。ただ、そのほかのことは余りタイトに締め過ぎましても、こういった激しい動きというのは無理だろうと思っております。ちょっとお答えになったかどうかわかりませんけれども、お許しいただきたいと思います。
#65
○中西珠子君 どうもありがとうございました。
 残りの時間は浜四津議員がいたしますので、よろしくお願いいたします。
#66
○浜四津敏子君 先生、本日は大変ありがとうございました。簡単に二点お伺いしたいと思います。
 先ほどのお話の中で、フランスは高齢化社会にならないだろうというふうに言われている、高齢化の抑制を図っているというふうなお話がございましたが、これは統計の上での分母をふやす、例えば若年の外国人労働者をふやすとか、そういう方法で抑制しているという意味なんでしょうか。それが第一点でございます。
 それから第二点は、今の四十代、そしてまた十代の老後は惨たんたるものだというお話を伺いまして、私自身四十代でして、また子供が十代ですので何か本当に先行きが暗い思いがいたします。
 実は、今の十代の子供たちの健康状態をずっと調べてまいりましたけれども、ある専門のお医者様に伺いましたところが、今の日本の子供たちは四十歳寿命説なんというのも唱えられております。先ほどの先生のお話の中に環境と食べ物、これも寿命に影響する、こういうお話があったかと思いますが、今環境の中で水も空気もかなり健康に悪いんじゃないかなというふうに思われるような状況がございまして、また食べ物も高カロリーあるいは添加物等がありまして、そうした種々の要因から十代の子供たちの寿命というのがそれほど高齢化社会、自分たちが高齢化になったときを心配できるだけの状況にあるんだろうかということを一つ別の面ですけれども心配しております。
 またもう一つは、現在の高齢者と言われている方々は、体の基本的な骨格をつくる年代のときに大変自然なものを食べ、大変健康的な生活を送ってこられた方がほとんどではないかというふうに思いますので、むしろ四十代の我々は、そういう意味では今の子供たちよりは多少健康的な生活をしていたかと思いますけれども、かなり危ないのではないかなという自覚を持っております。
 と申しますのは、ある老人ホームに伺いましたときに……
#67
○理事(岡部三郎君) 浜四津さん、簡単に。
#68
○浜四津敏子君 はい。
 今、四十代、五十代の要介護者が非常にふえている、痴呆症あるいは今高齢者の方が抱えている問題を四十代、五十代で抱える人がふえている、こんなお話を聞いたものですから、そのあたりに関しまして先生のお考えを伺わせていただければというふうに思います。
#69
○参考人(行天良雄君) 初めの問題でございますけれども、フランスはミッテランになってから、高齢化の加速に関するブレーキをかけていかなければならないということで、外人労働力の導入問題を議会に諮ったことがございますけれども、その前は御存じのとおりシラク政権との間のあつれきやなんかがございまして、結局農業国としてのフランスがEC圏の中核にいるためには、ある程度の人口バランスをということは毎回出てはおりますけれども、先生から今御下問いただいたように、国の政策として若年労働力を計画的に導入して、それでバランスをとるとかというのは私はとっていなかったように思います。
 ただ、出生回復に関しては相当ある時期力を入れたことは事実ですが、さっき私がスライドで見ていただきましたのは、結果的に高齢化の加速に関しては非常にうまくバランスをとりながら、しかも百年ぐらいと言われていたのがなお引っ張っておりまして、今度またECのあれでうまくいくと。すると、一体どこがどうなっているというのは、単なる若年労働力の導入だけではなくて、相当トータルの失業対策とか経済対策まで全部入れているだろうと思っているので、少し私の方も勉強さしていただきたいというふうに思っております。
 それから第二点の方でございますが、これは人口の予測とか未来予測というのは非常に難しい問題でございます。したがって、先生が御指摘のように、今の老人は生き残って生き抜いた人たちだからいいけれども、これからは長生きできないだろうという意見を言う方が西丸さんを初めとしていっぱいいますけれども、逆に今度は、今の人たちにはかっての人が考えられないような高度の栄養であるとか環境がある、だからもっと因子としては延びていくだろうといって長寿間違いなしという説をとる方と両方ございまして、年代によって自分に都合のいい方をとった方が有利だろうと思うんです。ですから、先生のように自分とお子さんとを含めて早死にするんじゃないかなんて心配なさる方は余りいらっしゃらないんじゃないかと思うんです。
 ただ、そこの十代のお子さんが健康状態で長生きできないという状態もございますけれども、少なくともそれまでの途中の負担というのは相当苛烈なものでございますから、病気で長生きできない、そこへもってきて税負担がうんと背中にあるといったら踏んだりけったりでございますので、この点は私は親子そろって相当深刻にお考えになってもいいんではないかと思うんです。ですから、問題は上にしょうものがちっとも変わらない、団塊世代が早くばっとみんなが消えていくなんということは考えられませんし、やはり二〇〇七年ぐらいまでは状況は無理じゃないかと思っております。
#70
○鈴木栄治君 よろしくお願いします。
 本当に看護というのは大変大事なことですし、また御苦労のあることだと思います。私も二回ばかり入院したことがございますが、本当に看護婦さんというのは大変だなと。それと同時に、もちろんお医者さんにも感謝していますが、何かのときの看護婦さんの優しい笑顔とか言葉遣いで、もっともっと看護婦さんをお医者さんと同じような地位に待遇してもいいんではないか、賃金等も考えなければならないんじゃないか、私もそう思っておりました。
 いろいろとお話を聞いているうちに、私も将来非常に不安なといいますか、頭の中でもいろいろ混乱しているのでございますが、私も四十三、団塊の世代でございます。おまけに長男でございます。それにうちの家内とは十三離れていますので、家内にも大変将来迷惑をかけるのじゃないかとは思っているのでございますが、ここで先生に大変幼稚な質問といいますか、アドバイスといいますか、私たち団塊の世代でございますね、ただ惨たんたるものだ、もう将来は暗いと言われているのでございますが、何かそれに対する心構えといいますか、何とか少しでも明るくしたいという気持ちを私は持っているので、その辺を、幼稚な質問でございますが、何かアドバイスだとかそういうのをお願いしたいと思うのでございますが、お願いします。
#71
○参考人(行天良雄君) 先生の今の御質問にお答えするというのは非常に広い範囲なんですが、その前に一つお断りしたいのは、団塊世代が暗い暗いというふうに私一貫して申し上げてきたのは、現状のままで何の手も打たれなかったという前提を抜かしておりましたので、御指摘をいただいたので、それだけを追加させていただきます。
 つまり、今の制度と今のあり方であればいわゆる団塊世代が第一の打撃を受けて、次に今お話が出ましたように、浜四津先生がおっしゃったような十代の人が大きな打撃を受けるというのは、単純な人口予測をもとにした扶養、負担の問題なんです。ですから、この後恐らく日本はこのままの形でいくということはできないと思うんです。やらないというんではなくてできないと思うんです、よその国とのバランスで。じゃ具体的に何かと言えば、私は経済生活をややダウンせざるを得ないと思っているんです。これが第一です。ということは、雇用関係が多少変わりますから、ある意味においては労働力のもう一遍の再配分が起こるのではないかと思っております。
 それから、もう一つはやはり外国の方を相当程度受け入れざるを得ない。これはもう覚悟しなきゃいけない問題だと思っているんです。今のように便利だとか三Kの職種だからやり手がないからというんではなくて、今度は別の意味において向こうのエリートたちとはやはり相互交流しなければならないというふうに私は思っております。
 特に医療面では、向こうの看護婦さんとかお医者さんが点々と日中の交流、そのほかで来ておりますが、これはもう向こうの国にとってはエリートなんです。その人たちを日本では何か単純労働みたいに一視同仁の形で見ておりますけれども、私はやっぱりよそのエリートというのは日本にどんどん来てもらってもいいと。そして、オーバーですけれども、大化の改新だとか平安遷都のころと全く同じように日本の構造を変える時代が来るので、最後の言葉として申し上げれば、団塊世代は今のままだったら大変ですけれども、そんなばかなことは日本ではあり得ないし、必ず生き残るだろうというふうに確信を持っております。具体的な方策というのは、世界の中での日本の流れという形で決めていくだろうというふうに見ているわけです。
#72
○鈴木栄治君 ちょっと浜四津先生と似ている部分もあると思うのでございますが、私たちのころはちょうど日本が高度成長期でございまして、そして小さいときはよくジュースなんかでも、ジュースのもとだとかチクロだとか、いろんなわけのわからないものを飲んだり食ったりしていたと思うんですが、それがその後いろいろと問題が起きて停止されたこともあると思うのでございます。私たちの小さいころ、栄養面においてそういうことがあったということは事実だと思うんですね。それが将来においての寿命との関係というのはあるのでございましょうか。
#73
○参考人(行天良雄君) それは寿命の方なんで、私は現在の医療の方から見ますと、それはやっぱり避けられないと思います。これは相当弱った状況がありますけれども、ただサポートしてカバーしているものは圧倒的に違っておりますから、昔だったら死んじゃっているのが、とにかくもうどうしようもない子供でも全部生かすことができますし、そういう形は十分とれますから、それがよたよたしながら生きるという形ではなくて、相当いい線までいくだけの技術は持っていますが、これは全部挙げて後ろに経費が必要になります。ですから、医療経済がどれだけ出ていくだろうか、また国民が同意するだろうかというのは非常に大きい問題でございまして、そこが一つのかぎになるだろうというふうに思っております。
 どちらかというと、今の子供が長生きできないということに対しては、私個人は反対の意見です。考えられないくらい長生きするんじゃないかと思いますね。
#74
○鈴木栄治君 ありがとうございました。
#75
○有働正治君 どうもきょうはありがとうございました。
 簡潔に二点お尋ねいたします。
 一つは、インフォームド・コンセントの問題です。これはやはり世界的にも大きな流れになっているんではないか、日本でも大きな新しい問題になっているのではないかと感ずるわけです。たしか、NHKでもこの問題が放送された番組を見た記憶がありますけれども、医療の主人公はやはり患者だという立場からいえば当然ではないかと、私自身は考えるわけであります。
 先生の講演の要旨として、昨年十二月一日付の「社会保険旬報」に載りました勤務医部会での講演、これはあくまでも要旨ですので、そういうものとして私も見たわけでありますけれども、その中でこの問題について言及なされておりまして、アメリカ的インフォームド・コンセントはとんでもない話だと思うと。がんにしても医師が医師たる指導性を発揮し、メディカルデシジョンに関してはもっと自信を持つべきだと。一般の国民も医師が医師の力で判断することを強く望んでいるという、これはあくまでも要約でありますけれども、確かに医師として確信を持った診断、そして相手に納得いただくという、そういう毅然たる対応というのが当然求められる。同時に、患者に対してもそのことを納得いって合意の上でやるというような方向も、ここは統一的に対応できるんではないかなと私自身は考えるわけですけれども、あくまでこれは要旨ですので、先生の真意はどこにあられるのかというのが一点です。
 それから、先ほどのお話の中で、開業医の往診すべき医者の問題、若干言及なされましたけれども、開業医の転廃業が大きな一つの問題になっていると思います。医療のひずみの一つだと考えますけれども、これが医療費の総額抑制の問題と無関係ではないんではないか。そういうもとでこの期間、診療報酬の事実上の凍結的な対応がやられてきたという問題ともかかわるだろうと思いますけれども、こういう今日の医療のひずみの問題と医療費抑制政策とのかかわりの問題、どう考えておられるのか、この二点についてお尋ねします。
#76
○参考人(行天良雄君) 第一点のインフォームド・コンセントの真意というのは、私は日本の場合は、まだまだお医者さんにすべてを任せるという傾向が圧倒的に強いように感じております、実際の取材で。表向き幾つか挙がってきますマスコミ的な素材は別といたしますと、例えば私は国立がんセンターなんかにしょっちゅう行っておりますけれども、患者さんのほとんどは、がんそのものを教えてくださいと言う方はふえています。しかし、その問題に関する細かいことはお医者さんに治療法やなんかは任せるというのが圧倒的に多いんで、そういう問題をだんだんお医者さんが嫌がって逃げていくという姿勢に関してはむしろ私は腹が立っているわけです。
 したがって、インフォームド・コンセントというアメリカ的な訴訟騒ぎの一環に便乗して、医師があのお医者さんがこうやったという責任から逃れることは許しがたいというのが私の真意です。したがって、全部任せられて、前は黙ってついてこいですが、今は必要があれば向こうにしゃべって、そして責任を持てというのが私の真意なんです。
 このインフォームド・コンセントというのは説明と同意というふうに訳している人が多いんですけれども、ケント・ギルバートさんという方が、私が対談させていただいたときに、モルモン教の弁護士さんですね、あの人が非常にいいことをおっしゃった。インフォームド・コンセントというのを説明と同意と訳すのはおかしい、なぜ日本的な英語で訳さないのか、これは思いやりだとおっしゃったんです。私も全くそうだと思いますね。もう基本的にこれがあれば、医師に全面的におんぶされても医師は全責任を負うべきだと思うんです。もし医師が医療行為に関して全責任を負わないんだったら、医師は何をする仕事かというのが、先生が見てくださった徳島の勤務医の部会で話さしていただいた論旨です。これが第一点でございます。
 それから第二点は、医療費の抑制というのを先生の場合もお使いになったんですが、世の中はもう何でもかんでもめちゃくちゃに出すわけにいかないんで、私みたいに四十数年間医療だけしか見ていない人間は、高齢化問題でも今お話しさしていただいたように、どうしてこれがわからないのか、先生方見てください、考えてくださいということを夢中になって申し上げるのと同じで、医療関係者というのは何でもかんでも自分たちが抑制されていると言うんですけれども、世の中全部抑制されているし、エレクトロニクスにしても自動車にしても倒産が相次いでいるわけです。
 そうすると、やっぱりほどほどということがあるんで、日本の医療保険制度に関してはほどほどという意味においては世界に冠たるものだと私は思っております。これは厚生官僚、大蔵官僚を褒めるというんじゃなくて、こんなすばらしい制度をベースに持っている国はないというふうに思っております。その証拠に、日本の原点であるナショナル・ヘルス・サービスを何度取材しましてももう惨たんたるものでございまして、あそこで病気になったらおしまいだというのはだれしも考えるわけです。
 ついでですけれども、例えばどこかの国に行っていい医療を受けた、看護婦さんはつきっきりでいたし、もうまるで帝国ホテルよりもいい待遇を受けましたとおっしゃるんですが、これは全部旅行者保険であるとかあるいは国の旅行者に対する海外対策なんです。やはり私、比較するんだったら、その国で普通に税金を払ってそして普通の暮らしをして、国家の人間として義務を負っている人間がどのような医療を基本的に受けているかというのが問題だと思います。
 ただ、やはりお断りするのは、だから今のが一番いいとか、これ以上はもう変える必要がないなんていうことは申しません。変えなきゃならない点は、もう矛盾だらけでいっぱいございますけれども、総平均で一億人以上が、三十年以上にわたってこの安定した医療供給を受けてきた制度というのは日本だけだというふうに私は信じています。
#77
○有働正治君 一つだけ。診療報酬の問題について、開業医の転廃業とのかかわりで、この問題への対応については検討する余地はあるのではないかと考えるわけですけれども、そこらあたり、一言。
#78
○参考人(行天良雄君) それは先生御指摘のとおり、今医療法の第三次改正が間もなく始まりまして、私もその末端でお手伝いをさせていただきますが、やはり開業の先生方に往診を中心にして思い切って診療報酬を大きくかけていく。それで、開業の先生方に、復権と言うとおかしいのですが、どうぞある程度の収入は確保しますからというので若い人たちが開業の場に入っていただくのを期待しないと、やはり今の方には気の毒です。
 私の友人、先輩がやっておりますけれども、これはもう見るに忍びないですね。真夜中に七十のお医者さんがとぼとぼと出ていく姿なんというのは、冬の雪の中ではもう常軌を逸していると思うんです。しかし、それをやっている方がいるということも先生、ぜひ頭に入れておいていただきたい。特に、先生のところの奥の方の島に私行きますと、やっぱり行っているドクターがうんといるんですね。この人たちはみんな七十を超えているんです。馬でこそ行きませんけれども、車なんか全然運転できませんからとぼとぼ自転車と歩いている方を何人か先々月もお会いしましたけれども、この方たちにやっぱり恵まれた医療を提供するのは診療報酬上当然だと思っておりますので、御指摘ありがとうございました。
#79
○有働正治君 どうもありがとうございました。
#80
○笹野貞子君 本日は大変ありがとうございました。
 先生はさすがNHKの御出身で大変流暢なお言葉でお話しいただきますので、先生のお話を理解するのについていくのに一生懸命になっておりました。
 そこで、私は幾つか御指導いただきたいんですが、私は先生の対談を拝見いたしまして、「21世紀の医療はどうなる」という対談の中で、まさにきょうお話しになった趣旨のことが書かれておりましたので、これを拝見して非常にこれからの医療のあり方というものに同感をいたしました。その中で、同感はしたんですけれども、ちょっと二、三わからないところがありますので御質問させていただきたいというふうに思います。
 この中で先生は、キュアからケアへということを非常に力説されております。これはまさに当然のことだと思います。そして、現在の医療のあり方、医師のあり方、特に医者のあり方を先生は大変憂い御批判をなさっていて、その中でこういう箇所があります。キュアはドクター、ケアはナースの専門と思っている医者がたくさんいる。こう思っている医者が多くなると、これからケアというものが医者の仕事だというふうに理解しないで、ケアの分野にいくと医者はやることがなくなってしまうというくだりがあります。
 そこで、確かに医者という面から見ると先生の御意見には非常に私は賛成です。しかし、先生はこの中で余り看護のことにはお触れになっていらっしゃらない。そして看護制度、看護婦さんというものに対しては、先生はお医者さんですから余り深くお話しになっていないのがちょっと私には不満に思えましたので、まず先生に、それでは医者がケアの部分に入っていくとすると看護婦さんは何の部分を担当するのか。それからもう一つ、先生はお医者さんですから、医学というものがあり、その医学を修めた人が医業という職業につく。そうすると、看護学という学問があるのか、そして看護業という業務があるのか。医者と看護というこの二つの分野を先生はどのようにお考えになっているのか、まずその一点。
 非常にこれから高齢化社会に入って看護というのが重大だというのはだれしもが言うんですが、日本の看護制度、そして看護婦さんの社会的ステータスあるいはその報酬、いろんな面で非常に粗末にされております。私の研究では、医者は文部省がすべてのことを担当し、予算づけもし、そして最後の試験のところだけは厚生省が担当しておりますけれども、看護婦さんの学校になりますと、その八割が厚生省が担当し文部省が担当しているのは非常にごくわずかです。そして、文部省が担当している看護学校と厚生省が担当している看護婦養成所の一人当たりの国家がかけている費用は非常に少ないですね。大体二百四十万対六十万ぐらいですから四分の一か五分の一という大変少ない予算のかけ方です。こういうあり方も私は大変批判的です。
 看護学と医学の違い、医業と看護業の違い、そしてそれに対する国家的な制度のあり方、教育のあり方というのを先生にお教えいただきたいんですが、私はそういう点ではまだ非常に不満があるというふうに思っております。
 時間がありませんので続けて質問をしますが、あとはオーバーになっても先生の責任ということで次にお話をさせていただきます。
 先ほど先生は、高齢化社会には幾つか原因があるんだけれども、女性が結婚しなくなった、そして結婚した女性は子供を産まなくなった。その原因は結婚したい男性がいないからで、結婚したい男性をつくるようにすればいいんだというお話を、御冗談を交えてお話しをされましたけれども、そこで先生にお尋ねしますが、女性が結婚したくなる男性像というのは先生はどのような男性像を言っていらっしゃるのか。これは大変私どもにとっては重要な問題ですし、またいろんな問題ではバランスというのが必要ですから、やはりそういう点では今の日本では、男性と女性というもののバランスが非常にある意味では欠けてきている現象がこのようになってきている。そういう意味ではこの高齢化社会というのは大いなる女性問題でもあるというふうに思っております。
 また、先ほど長男の嫁に大変負担がかかっていくということに対して、では先生に第三のお尋ねとして、これをカバーし、あるいはその負担を軽減するために具体的にどのような介護制度、あるいは介護者の制度をおつくりになったらいいのかという、あわせてこの三点をお尋ねいたします。
#81
○参考人(行天良雄君) 四十分で終わるというのは、あと二分三十秒でございますので。
 まず第一点で、私の対談を先生お読みいただいたんですが、あれは医者向けの雑誌の対談でございまして、看護婦さんの問題がないんで、私は看護婦さんをないがしろにしているどころか、全国の看護婦さんの足とも慕われている存在だということを、姉が清水先生ですから、ちょっと先にお断りしておきたいと思うんです。
 それくらい看護問題には私自身は相当のエネルギーを投じてまいりましたが、残念ながらもう矢尽き刀折れたというのが実感です。わずかに四年制大学の道が開け、大学院の道が開けましたけれども、これくらいおくれている国はないと思います。ですから、さっき私は医療保険制度に関しては世界に冠たると申し上げたんですが、その医療が形を変えているときに看護制度そのものがこんなにおくれている国はございません。恐らく世界最低だろうと思います。
 なぜかといえば、それはもう要するに、国民が介護だとか人の世話をするということに関する発想がないんです。それが実は家族というものに非常におんぶしていまして、うちで見るのが当たり前という、いい意味における日本の家族制度みたいなものがくっついているわけです。
 ですから、これらを少しずつ解きほぐしていかなきゃいけないんですが、それには時間がありませんので、とりあえず具体的にはといったら看護婦さんの給料をある程度上げる、それから看護婦さんの大学をどんどんつくる、そして看護婦さんの社会評価を高める。大学なんて本当は意味ないのでございますよ。でも、世の中は大学を出ていなきゃ、みんなが出てしまえば、ちょっと失言を許していただければ、犬猫のトリマーと言われている人もパーマネントも大学化しようとしている時代に、人間の命をあずかる職種である看護婦がたかが各種学校というのは許せない行為なんですね。それが平気でまかり通っていて、現在もまかり通っている国なんです。ですから、この発想を変えない限り私は無理だと思います。
 それから、医学と看護学がどう違うかという御下問ですけれども、これはもう私は、人文科学系を大規模に入れなければいけないんですが、看護というのは基本的に医学的なベースを持つ必要はございますけれども、根本はその人の人間性ですから人文科学を大規模に入れるべきだというふうに思って、医学、看護学というのを、特に今までのようなサイエンスの形で分けること自身がこれからは難しいんではないかというふうに今思っております。
 それから最後に、女の人がどういう男を望むかということですが、私は男なものですから望まれる方の立場しかないんですが、雅子さんの言葉をかりれば、誠実で生き方が積極的というのが一番いいんではないかというふうに思っております。
#82
○理事(岡部三郎君) 時間ですので。
#83
○笹野貞子君 ちょっと私の質問と違っておりまして、今の先生が言った日本の女性が結婚したくなる男性像というのは、雅子さんは女性の視点でしたけれども、男性の視点から先生はどのようにお考えになりますかという質問なんです。
#84
○参考人(行天良雄君) これはなかなか難しいんですけれども、私が例えば自分の子供の婿であってほしいという人を逆に選ぶとしますと、やっぱり仕事に全部を打ち込む人間ですね。
#85
○笹野貞子君 全部ですか。
#86
○参考人(行天良雄君) それはもちろんほどほどですけれども、大体全部仕事に打ち込んで全力を挙げて自分の生き方を求めて、当然責任者として家族というものを引っ張っていってくれて心配がない、そういう人間を期待します。これはまた男女の問題ですが。
 それから、一つ先生の御質問で長男の嫁に対する問題、これはもう問題があるに決まっておりますけれども、手当てを強化すること。そうするとまたもらい得が出ますけれども、私はもう基本的に日本はどんぶり勘定でいくべき国だと思っているんです。だから、悪い点だけが先に出てきますと、それをやったらやりもしない人間がもらうという考え方は間違いで、もういいかげんな人間がもらっても構わないから、やっている人にそのおこぼれがいく制度をとっていただきたいというのが第一なんです。
 それからもう一つは、基本問題につながりますが、民法改正をどうしても打ち出していかないとだめだ、こういうふうに思っておりまして、現在私どもは仕方がないので長男の嫁を養子縁組するということを積極的に法務省の人たちと話しています。これをしないと遺産が行かないんです。全部面倒見て長男の嫁はほうり出されてしまいますから、こういうおかしな制度を考えていかなきゃいけないんですね。
#87
○理事(岡部三郎君) 以上で行天参考人に対する質疑は終了いたしました。
 行天参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
    ―――――――――――――
#88
○理事(岡部三郎君) ただいまから和田参考人より御意見を伺いたいと存じます。
 この際、和田参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見を拝聴し、調査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人から三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 それでは、和田参考人にお願いいたします。
#89
○参考人(和田敏明君) 御紹介をいただきました和田でございます。
 私は、全国社会福祉協議会高年福祉部長をしておりますが、日常的には社会福祉施設、特に老人の施設の仕事と、それから在宅福祉関係のさまざまな仕事を担当しております。その中からきょうはお話を申し上げたいというふうに思います。
 最初に、在宅サービスの現状と課題ということでございますが、私どもで、老人保健福祉十カ年戦略の中に長寿社会福祉基金というものが設けられておりますが、ここからの助成で在宅介護者の集いというのを全国で行っております。毎年関係者を含めて一万人近くの方がお集まりになりますが、そこで介護していらっしゃる方々の現状がかなり明らかになっておりますので、最初にそれを申し上げたいと思います。
 ここにお集まりの方々は平均六十歳ですが、若い方からお年寄りの方までいらっしゃいまして、お嫁さんの立場にある方が四割、妻が二割五分、娘さんが一・五割、夫が一割というふうな方々でございまして、介護の期間というのは、そこにお集まりの方は大体三年から五年が二割強、それから一年から三年が二割、そして五年以上、十年以上も含めまして四割強という方々がお集まりになっていらっしゃいます。
 この方々が介護していらっしゃる、介護を受けていらっしゃる方々でございますが、体の状態でいきますと、全部介助を受けている人が約半分でございます。それから痴呆で困っていらっしゃる方が三割五分程度というふうな状況の人たちでございますが、この方々がどのような在宅サービスを利用していらっしゃるかということを見ますと、一番多いのは入浴サービスでございましてこれが三二・六%、その次にショートステイといいまして一週間程度特別養護老人ホームなどでお預かりする仕組みがございますが、これが二六・四%、デイサービスが二二・六%、ホームヘルプサービスが一七%程度を利用していらっしゃるという状況でございます。
 この方々の健康状態はどうか、特に介護をする方の健康状態はどうかということで見ますと、とてもよいというのが五%、まあよいというのが四八・六%で、合計しますと五三・六%程度の方がまあよいということになります。それから、やや悪いというのが三〇・七%、とても悪いが四・三%で、三五%ぐらいの方が悪いという状態にございます。
 この方々に介護する上で一番困っていることを聞きました。そうしますと、入浴で困っているというのが四七・二%でございました。それから二番目が排せつで二八・四%、三番目が歩行、これが一七・一%、四番目が話し相手一七%、五番目が食事で一三・九%、六番目がおむつで、シーツ交換、こういうものが一三・三%ございました。
 そして、今特に必要なサービスは何かということについて三つ選択をしていただきましたら、その結果一番多いのは入浴サービスが欲しい、二番目がショートステイ、それから三番目が医師の往診、四番目がデイサービス、五番目が理髪サービス、六番目が保健婦の訪問指導、七番目がホームヘルプサービス、八番目が送迎サービス、九番目が訪問による歯科診療、十番目が痴呆性老人のデイサービス、このような結果になったわけでございます。
 先ほど御紹介いたしましたように、ここにお集まりの方は大変介護期間も長い非常に重い人たちをお世話していらっしゃる方が多いわけですので、在宅サービスが本来はもっと高い割合で活用される必要があるということだと思いますけれども、現在はこういう家庭には在宅サービスが十分届いていないというのが現状だろうと思います。
 なぜ届いていないかという点でございますが、このお集まりになった方々にいろいろ御意見を伺いました。その結果、七点主な理由がございました。
 第一点は、いろんなサービスの名前を聞いてもわからない。二番目は、経験がなくて利用する気になれない。三番目は、手続が煩雑で利用する気になれない。例えば、手続の点で申し上げますと、普通のお店で何か買うという場合にはそれは非常に簡単なことですけれども、福祉サービスの場合は行政に申し込みをして、例えば収入はどうかというふうなことを調べられる、こういうことになるので非常に煩雑だということでございます。
 それから四番目は、今すぐ助けてほしいのに緊急対応してもらえない。五番目は、例えば痴呆性老人のような場合には特別それに対応するサービスがそろっていない、こういうニーズにサービスが合っていないということでございます。六番目は、自治体ごとに格差が大きくて、これがあるというふうに聞いて実際出かけてみてもそれがないという場合が非常に多い。七番目は、相談窓口が親身ではなくて受けとめてもらえないという、こういう悩みが出ておりまして、これらが利用者から見て在宅サービスが届いていない理由の主なものとして挙げられております。
 そういう理由でございますが、在宅サービスを必要とする人に本当に届かない理由というのは、私は四つあるのではないかというふうに思っております。
 その第一は、在宅サービスの必要なメニューというのが十分ではない。それから、量が余りにも少な過ぎる。三番目は、水準が低くて制限が多いということだろうと思います。できればこれらのサービスを医療と同じぐらいの水準にしていく必要があるのではないかというふうに思います。二一番目は、在宅サービスを必要とする人とサービスを結びつける仕組みがまだうまく動いていない。例えば、だれに相談していいのかわからないというふうなことになっております。従来、福祉事務所、民生委員制度などもございますが、これらの福祉サービスをだれでも利用する時代に入りつつございますので、それにふさわしい相談の窓口を身近にたくさんつくっていくということが必要になるのではないかと思います。
 三番目は、その人の状態をよく判断してアセスメントを行いまして、必要なサービスを調整していく、その人にぴったりしたサービスを調整する仕組みというのができていない、これが問題です。
 それから四番目は、福祉についての意識、態度というのが現状でも非常に大きな課題になっております。例えば、家の中を見られるのは嫌だとか恥だというふうな考え方がまだ多く残っておりますし、それから、福祉の専門家の側にも、特に介護者がいる家庭に対してどの程度のサービスをすべきかということについてまだはっきりした考え方が定まっていないのではないかというふうに思っております。
 今申し上げましたようなこと全体を考えますと、在宅サービスの課題としては、介護している家族をもっと徹底的に支援をするというふうな考え方に基づいてサービスを組み立てる必要があると思いますし、それから、一人暮らしの人でも生活が続けられるようなレベルのサービスを準備するということが必要だと思います。そして、必要な人はだれでも受けられる体制をつくっていくということが大事なことではないかと思います。
 次に福祉機器、住宅改造でございます。
 在宅福祉サービスは、自宅で受けるサービス、適所あるいはその施設を一時期利用するというふうなことまで入っていますけれども、自宅で考えてみますと、在宅サービスを受けるもとになっている住宅そのものがどういうふうになっているかということが非常に基本になりまして、そしてその上で機器がきちんと利用されることによって本人の自立がかなり可能になるし、あるいは家族の介護の力も随分楽になるという可能性がございますが、この点についてはまだ非常に課題が多いのではないかというふうに思っております。
 これにつきましては資料をごらんいただきたいと思いますけれども、私どもで平成四年二月に「高齢者用機器に関するニーズ調査研究」の報告を取りまとめたものをきょうお出ししておりますけれども、これで見ますと、排せつ用の機器で使っているのは、ポータブルトイレ、紙おむつ、布おむつ、しびん、差し込み便器等が使われている。それから、移乗・移動用の福祉機器は、つえ、ステッキ、普通の車いす、介助用の車いす、歩行器などが使われている。それから、入浴に関しては、手すり、入浴用の台、入浴用の滑りどめマットなどが主として使われている。それから、起床に関する機器としては、手動のキャッチベッド、ベッド周りの手すり、電動キャッチベッド、エアマットなどが使われているという現状が明らかになっております。
 そして、今後使ってみたい用具といたしましては、排せつ用ではポータブルトイレ、紙おむつ、手すり、温水温風の洗浄便座、防水シートなどが使ってみたいという用具になっております。それから、移動用の関連する機器では、電動車いす、段差解消機等々でございます。それから、入浴関係では、入浴用の手すり、滑りどめマット、入浴用のいす、シャワーチェア、こういうものを使ってみたいというふうになっております。
 それから、住宅に関してでございますが、その次の資料に出ておりますが、現在の住宅に関する不満というのでは、ふろ場が使いにくい、手すりがない、段差がある、トイレが使いにくい、車いすが使えない、間取りが悪い、こういうふうなものが多くなっております。
 そして、今後の改造希望箇所といたしましては、浴室、便所、玄関というふうに並んでおります。そして、その希望内容は、手すり、浴槽の変更、便所等の改造、階段をなくす、トイレの暖房設備等々というふうになっております。そして、これを行う場合の問題点といたしましては、経済的な問題と建物の構造上の問題、それから賃貸住宅であるということから改造が難しい、そして、どのようにしたらいいかわからないというふうなことが続いているというのが現状でございます。
 この福祉機器と住宅改造は、具体的な福祉サービスに合わせて行われることが非常に大事だと思いますけれども、これがまだ非常に進んでいないという理由でございますが、まず、これについての情報が非常に欠如しているということが基本的な問題というふうに思います。
 それから次に、普及のシステムというものが整備されていないということが、その次の問題であろうというふうに思います。それから、機器あるいは住宅改造についてのメンテナンス、トラブルや変化がいろいろ起こってきますので、それらに対応するような体制も現在十分とられていない。それから、基礎的な研究、例えばどのような状態の人にどの機器は有効なのか、あるいはどのような住宅改造が有効かというふうな判断をするマニュアル等の整備も含めて、これらの研究がまだ未整備になっているというふうなことであろうかと思います。
 それから、基盤的な問題としては、購入する場合に、使いやすさ、安全性、値段というのが利用者は大事だと考えるという結果が出ておりますが、特に費用がかなりかかるということについて改善が必要かと思います。例えば住宅改造につきまして、東京都の社会福祉協議会が相談を行っている例で見ますと、百万円から三百万、それから五百万から一千万というところに二つの山ができておりまして、この程度の費用が改造にはかかる。そうしますと、これを独自に行うのは大変難しいという問題があろうかと思います。
 今後どうしていくべきかということでございますが、一つは、情報相談をしっかりやる体制をつくる。家庭に赴いて実際に機器を持ち込んだり、あるいはどのような改造が必要かということが相談できるようにする。実際に出かけていき相談ができる体制をつくるということが一つだと思います。
 それから二番目は、機器と住宅改造につきまして、一本のサービスとする仕組みをつくる必要があるのではないかというふうに思います。例えば機器を使おうとしますと住宅の段差をなくさなきゃならないとか、おふる場を改造しなきゃいけないというふうに全部関連しておりますので、一本のサービスとしてつくる仕組みが必要かと思います。
 それから、先ほど申し上げましたが、費用負担の問題で、例えば保険でこれを支給するとかあるいは公的助成も含めた対応をしていくことが必要ではないかというふうに思われます。
 三番目に、適所サービスの現状と課題について申し上げます。
 適所サービスの代表的なものはデイサービスということになると思いますが、デイサービスは週に一、二回デイサービスセンターに通って、これは車で送り迎えをしておりますけれども、一日過ごしていただくというサービスでございます。御本人の方も友人ができて新しい世界が開ける、そして生活が非常に活性化するという効果がございますし、家族の方々もその時間解放されるということで、両方から大変高い評価を得ているサービスでございますが、現在何しろまだ数が足りませんで、週二、三回通えることが望ましいと思われますが、現状では週一回が難しい、月に何回かという状態になっております。
 それから、箇所数が少ないものですから、長い時間かけてそこに通うという状態が生まれております。本来は歩いて通うのに近い状態でそれが設置されれば非常に望ましいというふうに思われますが、そういう問題がございます。
 それから、日本のデイサービスの場合は寝たきりにしないのがねらいでございますが、実際には重度の寝たきりの方やかなり重い痴呆の方も対応しております。そのために、このプログラムとかあるいは体制の強化、職員の資質向上などが大きな課題になっているということがデイサービスの現状でございます。
 それから、移送サービスでございますが、日本の中ではまだほとんどなくて、これから大きな課題になっていくのではないかというふうに思っております。公共交通の仕組みの中でこれを利用しやすくするという取り組みと、それから独自の巡回運行システムをつくるという課題と、ドアからドアに移送をするというふうな仕組みをつくっていく必要があるのではないかというふうに思っております。
 それから、入所サービスの現状と課題でございますが、老人ホームは現在大きくさま変わりをしつつございます。一番大きな変化は、老人ホームは入所するところだけというイメージが随分ございましたけれども、現在は短期間利用するという機能と、それから今までずっと申し上げてまいりました在宅サービスの供給の拠点としての機能を持っておりまして、老人ホームは地域の高齢者サービスの拠点の機能を持つというふうに変わってきております。
 その中で、まずショートステイでございますが、これは一週間程度在宅で介護をしていらっしゃる家族の方が介護できなくなったときにお預かりするという仕組みでございますが、かつては非常に制限されていましたけれども、現在は介護疲れでも利用していいというふうになりました。これの結果、利用者が非常にふえている、大変好評でふえておりますが、残念ながら例えば、夏休みとかいろんな時期にたくさんの人が、希望者がふえるということで十分対応できないような状態が出ておりまして、介護していらっしゃる方を応援するという意味では、このショートスデイサービスのベッド数をもっともっとふやしていくということが必要かというふうに思います。
 それから、現在幾つかの県で実験的に行われておりますが、ミドルステイというふうな仕組みをこれから広げていく必要があるのではないかというふうに思います。ミドルステイといいますのは、長期に入所するということではなくて、数カ月、三カ月程度までは入所できる、利用できるということで、これがございますと、例えば介護者が病気になってそれが回復する期間とか、あるいは住宅を改造するような期間とか、いろんなことが考えられますが、そういう間の利用が可能になりますと、必ずしも長期に入所しなくても済むということになりますので、これらの仕組みをつくっていく必要があるのではないかというふうに思っております。
   〔理事岡部三郎君退席、会長着席〕
 それから、ケアハウスという新しい仕組みが生まれてきておりますけれども、これはひとり暮らしては非常に不安があるという方々、あるいは特養などに入っていらして、ある程度回復をしたというふうな方々が利用できる仕組みでございまして、食事と入浴サービスを提供する。あとは自分で自立した生活をする個室が用意されている、こういうふうなものでございますが、これは今後特別養護老人ホームと並んで大いに整備をしていく必要があるのではないかというふうに考えられます。
 これは、介護サービスは直接は提供されませんので、地域のホームヘルプサービスを初めとしたデイサービスなどを含めた在宅サービスのレベルが上がってくれば、ケアハウスでの生活はかなりの間可能になるということになるのではないかと思います。そして、これの整備が進みますと、在宅サービスと入所との間の連続的なサービス体系ができて、行ったり来たりすることができるということになるのではないかと思います。
 実験的に、今までの入所の特別養護老人ホームからケアハウスに移った方々がもう出てきておりますが、満足度が非常に高いという状態でございますし、自立性も高まるという結果が出ております。
 それから、ここではレジュメから抜けてしまいましたが、特別養護老人ホームの最近の動向でございますが、重度化が非常に進んできているというのが特徴でございます。これは、在宅サービスの整備が進めば進むほど、結果として重い人たちが入所するということになってきておりまして、痴呆の方や体の上での重度の方がふえて手がかかるという状態が生まれてきています。したがって、職員の方も精神的、肉体的な疲労がかなり起こってくる、こういう状態になってきております。
 疲労の場合の原因でどういうものが大きいかといいますと、やはり痴呆で動き回る人への対応と、最近は寝たきり老人ゼロ作戦が進められておりまして、できるだけ自立できるようにという援助をしておりますが、重い人でも寝たきりになってしまわないように、例えば車いすから移すとか、移乗させる、移動させるというようなところに一番のエネルギーがかかってくるというふうな状況がございまして、これらの重度化に対応した職員配置や、あるいはサービスの質の向上ということがこれから大きな課題になってきているというふうに考えております。
 次に、市町村でのサービスの供給体制の課題でございますが、第一は在宅サービスと施設サービスとの有機的な連携を思い切って進める必要があるというふうに思います。
 在宅サービスを徹底して、充実をして、そしてその上で必要な方は入所もサービスも利用するという仕組みをつくる。在宅サービスを全く受けないで入所にいきなりつながるというやり方を変えていく必要があるのではないか。出たり入ったりするという施設は、そういうことが通常できるような仕組みをつくるということが必要ではないかと思います。
 二番目に、それをつくるということになりますと、必要なのはネットワークとケースマネジメントということになろうかと思います。
 そのネットワークとケースマネジメントということでいいますと、第一は医療と保健と福祉の連携をもっとしっかりつくるということではないかと思います。例えば、お医者様の方から介護者の状態がこういう状態だからヘルパーの派遣が必要ではないかというふうなことがちゃんと受けとめられるような体制をつくるとか、お互いにここは協力し合う体制をしっかりつくる必要があるというふうに思います。
 二番目は、住宅を初めとして、交通やその他いろんな諸施策の中に福祉を全部組み込んでいただく、福祉をただ拡大させるというよりも、それぞれの分野の中に福祉の視点を入れていただいたやり方を広げていただくということが必要かというふうに思います。
 それから、ケースマネジメントということでございますが、これは一人一人にぴったりした福祉サービスを行っていく上ではどうしても必要なことだと思います。現在、制度上は高齢者サービス調整チームというのがございますが、これをもっと機能を充実させる必要がございますし、新しい施策として在宅介護支援センターが生まれておりますが、二十四時間体制で相談を受けて、手続代行もする。そして、保健、福祉、医療のサービスが調整できる機能を持っておりますが、これをしっかり地域の中に定着させていく、広げていくということが急がれるのではないかというふうに思います。
 それから、それに関連してでございますが、サービス利用決定と調整の問題です。福祉サービスを本当に利用しやすくするためには、例えば医療ですと、保険証を一枚持っていけばどこにでも行ってサービスを受けることができるわけですが、福祉サービスの場合は、先ほど申し上げましたように、行政に申し込んでそこでいろんなテストを受けなきゃならないということで非常に使いにくい。あるいは応能負担というふうな制度も一部のサービスには残っているというふうなことがございます。
 もっと利用しやすくするために、例えば利用対象者は行政で決めても、あとは福祉サービスの内容、量、いつどういうことをやるかというふうなことについては、全部もう現場に任せるというふうな仕組みに思い切って変えていく必要があるのではないか。そうすることによって、保健、福祉、医療との連携も、あるいは適切なサービスを適切に行うということもできるようになるのではないかというふうに思われます。この点については制度上の仕組みもいろいろ関連があるかと思いますが、そういうことが必要ではないかというふうに思います。
 最後に、高齢者福祉の全体の課題で一つだけ申し上げたいと思いますのは、やはり費用の問題について本格的に考える必要があるのではないかと思います。現在は本人、家族、ないしは公費ということで対応しているわけですが、今まで申し上げましたように、必要なときにいつでも気軽に利用できるような福祉の仕組みをしっかりつくっていく。しかも、それが本当に生活を支えられるようなレベルのサービスにしていくということになりますと、私は一番わかりやすいのは医療と同じ水準にしていくことではないかというふうに思うんです。
 そうなりますと、やはり社会的な費用の保険の仕組みというふうなものを導入してきて、だれでも利用できる仕組み、お互いに費用も分担をし合うというふうなことも入れていかないと、今後この福祉を大きく伸ばしていく、安定して伸ばしていくということは難しいのではないか。あるいは住民の方々の福祉に対する意識を変えるという点でもその点が非常に大事なのではないかというふうに考えております。
 以上、時間になりましたので、私のお話をこれで終わらせていただきます。
#90
○会長(鈴木省吾君) どうもありがとうございました。
 以上で和田参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#91
○木暮山人君 本日は、貴重なお話をちょうだいしましてまことにありがとうございました。また、お立場上大変いろんな福祉に関するキャリアをお持ちです。そこで、ひとつお伺いしたいと思うのでございます。
 まず第一に、日本の福祉でございますけれども、実際問題として時間が限られておりますから詳しいというまではまいりませんかもしれませんけれども、さわりのところだけ、また、ここにおいでになる委員の先生たち自体も推移というものを現場からどういうぐあいに見ているか、そこら辺もまだ理解されていない先生もおいでになるんじゃないか、そういう私も理解しておりませんもので、ひとつ質問させていただきたいと思うんです。
 まず、端的に言いますと、現在介護を必要とし、また福祉を必要とする対象者が大体四十万から六十万と言われておりますけれども、これにつきまして、現在はどれぐらいおりますか、それをまずひとつお聞きしたいと思います。
#92
○参考人(和田敏明君) 福祉の対象者についての御質問でございますけれども、寝たきり老人がどのくらいいるかということと、それから痴呆性の老人がどのくらいいるかということで、数字を今まで幾つか発表されたものがございますが、ところが現在、高齢者保健福祉の計画づくりが今進んでおりまして、これで新しく細かい基準でとるということになっておりますので、少し数字が将来変わるのではないかというふうに思っております。
 現在の状況では、在宅寝たきり老人が二十三万人、特別養護老人ホームの入所者が十二万人、それから長期入院者が推計で二十五万人で、寝たきり老人が大体六十万人というふうに言われているわけでございます。それから、痴呆性老人については全国的な調査がございませんで、推計値で六十五歳以上で四・数%ぐらいの出現率ということになっております。
 そういう状態でございまして、その中でさらに介護が必要だというふうに言われている……
#93
○木暮山人君 その程度でよろしゅうございます。
 そこで、これから何年ぐらい先に行きますとピークが来て、それで大体どれぐらいにこの対象者がふえる、俗に言いますと、厚生省の試算等々拝見させていただきますと、大体二十四、五年、そしてまた、百三十万人か四十万人というように推計されておりますけれども、それでピークを過ぎるとずっとまた低下していきまして、今の大体四十万人程度にまで三十年後ぐらいは落ちるのではないかという推計を統計的に見させてもらっておりますけれども、現場から見ますといかがなものでございますか。簡単にお願いします。
#94
○参考人(和田敏明君) 私どもで推計を独自にしたことがございませんので、国やあるいはいろんな調査機関で発表されている数字で私どもも認識しているという感じでございます。
#95
○木暮山人君 ありがとうございます。
 そういたしますと、今時間がございませんで申しわけないんでございますけれども、現場で読める数字でいきますと、大体厚生省のゴールドプラン等々から見ますと、今私が申し上げました数字というものはほぼ何か読めるんではないかと思うのでございます。
 これに対しまして特老とかいろんな施設に入っている人たち、これの月間かかる診療費と生活費両面から、やはり食べて治るという面から見まして、費用的に一人がどれぐらい、そしてまたそれがどのような保険制度の適用を受けてやられているものか。
 また、全然日本の国でそういうような恩典に浴さないで非常に困っている人がいるんだ、そしてまた、在宅にもそれを持ち込まれて暗たんたる生活をしているんだと。そのお話、きょうはお三方の先生に聞いておりますけれども、何か聞いていますと、日本の社会福祉制度というものは全回転していないんだとまでは言いませんけれども、もう少し必要だというのでありますが、その基準というのがまだはっきり明確に説明をちょうだいしておりませんもので、できれば現場から、今実際いろんな痴呆症の方とか病院にいる方とか、長期療養型のところにおいでになる方々が、どんな制度でどれくらいの費用で、そしてこれは最高と最低、そして全然日本の法律的な恩恵を受けられないんだというこの三点につきまして、御存じでしたら簡単にお話をちょうだいしたいと思います。
#96
○参考人(和田敏明君) 特別養護老人ホームの措置費というふうなことで一カ月当たりの月額が決まっておりますが、特高値、非常に高い、一番高いところでいきますと、五十人で二十七万百円、一人ですね、こういうことになっております。
 それから、このような費用がかかるわけでございますが、これは国と地方自治体とが分担をして、国が二分の一、それから現状では市が二分の一、それ以外のところは県が二分の一ということになっております。それ以外のものにつきましては、在宅サービスですと所得によって先ほど申し上げましたさまざまな応能負担がございまして、幾らかかるというのが違うわけでございますが、原則的に言いますと、余り高い費用ではございませんが、基本的には低所得の方以外は全部有料ということになっております。
 ですから、私どもの現場から見ていますと、施設は先ほどのように二十七万ですが、実際に負担している人は平均が恐らく三万以下だろうというふうに思いますので、在宅サービスの場合ですと労力とそれから費用のかなりのものが家族の負担になる。そして施設入所の場合ですと、先ほど申し上げましたような応能負担になっておりますけれども、額としてはかなり楽になりまして、医療の方はまた多少違いがございますけれども、現在では在宅でお世話をしていらっしゃる場合は費用と労力がほとんど自分持ちという現状にあって、大変私どもは不公平ではないかなというのが現場からの見た感じです。
#97
○木暮山人君 結構でございます。
 そこで、私はやはり幸せというもう一つ今度、限界でございますけれども、施設におきましてどのような手だてをするか、ABCランク、普通、快適それからぜいたく、これを三つに分けまして、我々は平均して苦しみを味わわない程度でございますとまあまあそれは普通だと思います。快適と普通の間ぐらいをとりまして、どの程度の介護とかどの程度の給付をしますと、される方の側はほぼ七五%満足するんだというのを現場で肌でお感じになられているんじゃないかと思うのでありますが、そこら辺を普通、快適、ぜいたくに分けまして、この感じ方というものをひとつお話し願えたらと思うのでございますけれども、これは現場じゃないとわかりませんから。
#98
○参考人(和田敏明君) 恐らく一番目指すべきことは、自宅で自分が中心になって生活するという状態を施設の中でも実現することが一番望ましいんじゃないか。そのことによって自立性も維持できると思うんですが、実は施設は集団での生活をしておりますので、それを実現するということになりますと一人一人にかなり注目して手がかかりますので、これが大変です。ですから、ぜいたくというよりも、そういう自立性をなるべく維持させるような援助の仕方をするのがなかなか大変だということになるのではないかと思います。
#99
○木暮山人君 どうもありがとうございます。
 大体その程度で私はいいと思うのでございますけれども、日本の保険制度、これは病気の面から今度見ますと、保険制度は言うならもうずっとさかのぼって見ますと、大宝律令のあたりから保険制度が出てくるわけですね。また、社会福祉といいますと悲田院とか施薬院とか、もうそれは大変に日本は進んだ社会福祉施設が昔からちゃんとあって、現在もそれが残っているところもあるわけです。
 しかし今の時代、戦後特に高齢化というものが急速に進んできて、その対応がおくれておりまして、対応し切れなかったというのじゃなくてしなかっただけの話であって、このやり方というのはいろいろある。それは家族制度が崩壊し、崩壊するのが当たり前だ、崩壊させちまえと言ってみんなで崩壊させたわけですから。しかし、自分たちでぶっ壊したものを今度は足りない、インフォームド・コンセント、これが足りないよなんて今ごろ言っているんです。しかし、これはみんな自分たちで壊したわけですよ、要らないと言って。それで平等にと言う。
 これは御存じだと思いますけれども、日本の医療制度というものは大正十一年に初めて法律的に施行されまして、震災があって、施行されたのは昭和二年です。それで、昭和十一年に日本の軍でこの保険制度を再構築しまして富国強兵のための制度をつくったわけです。それが今の保険制度の基本になっているわけですよ、医療保険制度の。というのは富国強兵なんですよね。ところが、戦後まだそのしっぽをずっと引っ張って、昭和二十三年に初めて戦後これじゃまずいのじゃないか、世界のために、それで手直ししたのが、インフォームド・コンセントをぶち壊してしまったわけです。
 それから今度、日本の皆保険、昭和三十四年。例えば昭和二十三年に基金法というものをつくって基金を集約した、それで国で補助金を出した。しかし、三十四年にその間強制的に日本の医療とか福祉という問題は強引にある方向に向けられた。それで昭和三十四年国民皆保険になった、三十六年にそれが施行され、そしてその間何かいろいろと変化したけれども、結局とどのつまりは追いつかない。
 今の時代は、既に先ほども同僚議員の皆様が質問しておいでになったのを私聞いているけれども、医療というものが実際の現状の疾患に対応し切れないですね。それでようやっと間に合った。日本は冠たる保険の先進国だと。その先進国でまだエイズがはびこっていたりB型肝炎が出てみたり、これは大変なことになっているんですよ。それでそういうことをだれも心配しない、もう安心の船に乗っちゃっているということなんです。時間がないのですけれども私はこう思うんです。先生、簡単に答えてもらいたい。
 これを日本の国だけのことで片づけるか、それとも地域社会的に有色人種全部でやるか、地球全部のグロースでこの問題を片づけるか、ここをまずどうとるべきか。国内だけでこちゃこちゃとやるか、それともグローバルでやるか、どんなお考えか。あと一分ぐらいしか時間がございませんが、そこら辺を。
#100
○参考人(和田敏明君) 昨年の暮れに社会保障担当大臣会議がございまして、そこの中でも議論がかなりあったようでございますけれども、エージング・イン・プレースという、地域の中で安心して年をとっていけるということはこれはもう共通の目標になってきているのではないかと思いますので、先生がおっしゃるようにもっと広い視点で協力し合っていく、そういう視点で進めていくということが必要ではないかなと思います。
#101
○木暮山人君 ありがとうございます。
 そうしますと、経済的な格差のある地域があります。それともう一つ、そこに行く運搬手段から計算しますと、今から三十年ぐらい前の運搬手段と今の運搬手段は相当違いますので、例えば日本の鹿児島から東京へ来る、汽車に乗って三十六時間かかって来た、今は地球を一つ回れるわけです。そうなりますと、風光明媚な、そしてまた人手がたくさんあっていろいろ学問的に至れり尽くせりの環境ですね。そういう環境の中で余生を送って一生を果ててしまう。
 それでもこの二十七万円の半分ぐらいでできるところがあって、そういう構築された中で一〇〇%安心して生涯を閉じられるようなことがもしできるとすれば、もう一つはそういう前提に立ってピークがあって、今百三十万まで行くけれども、また四十万、三十万まで戻ってくるのですからね。そのとき、約百万近い者をいわゆる手当てするための大施設は、その次の時代にはむだになるし介護者もむだになってしまってそのときの整理をどうするかということ、ここら辺も考えながら、やっぱり社会福祉だから。日本が使わなくなったら次の国でちゃんとそれをまた使えるようなグローバルな、それがまたODAで行くかもしれない。そういうようなやっぱり政治というのは必要になってきて、受益者側が本当に安心して看護婦さんにみとられながらここには行ける、そういうような時代。
 それをみんなで嫌々ながら、本当に明るくなどと言っていたって、どだい今の日本の生活環境でおじいちゃん、おばあちゃんのおむつを取りかえる女性はじゃ何人出てくるか。これはモラルの面から見ましても教育の面から見ましても、ぜいたくさの面から見ましても、わがままさの面から見ましてもなかなか安心して、ましてやそれを望むべくして望めないのじゃないか。しかし、それを今急にこの十年ぐらいで変えようとしてやっと変えたと思ったら、ピークが過ぎてしまってだんだんもとの員数に戻ってきた。これは国家の指標がそういう意味でまた、いろんな意味で私らは考えていかなきゃならない。
 時間がありませんものですから……いや本当にないんですよ、十五分でみんなしゃべれといったってしゃべれるものじゃない。だけれども、先生、これは理解していただけると思うのでございますけれども、やはり受ける側としては本当に安心立命して一生を果てなきゃだめなんですから、それが福祉の私は大眼目だと思いまして、ぜひとも今後ともまたいろんな面で御指導賜りたいと思います。
 大体ここら辺で終わらせていただきます。
#102
○前畑幸子君 きょうは大変貴重なお話ありがとうございます。
 きょうの先生のお話を聞くということでちょっと新聞を見ましたら、東京新聞に三十年後は超高齢化社会、六十五歳以上は三・六七人に一人というようなデータが出ていまして、ちょうど私の年齢に当てはまるので自分の最後は大変厳しいなと思ってこれ読みましたんですけれども、地域で老人を介護するネットワークをつくることが、これからの真剣に考えなきゃいけない問題ではないかというふうに書かれております。そして、今の四十代の専業主婦の二人に一人が介護に当たらなきゃいけない。先ほどもお聞きしましたけれども、嫁が一番その介護に当たる立場、それから妻、そしてまた中には娘さんが自分の婚期を犠牲にして親の面倒を見るという、たった一人の娘というような世の中になってきたわけですけれども、そういう中でこのネットワークづくりというものをこれからどんどん進めていただかなきゃいけないと思います。
 私の身近にいる例を申し上げたいんですけれども、立派な息子さんが三人もいまして、大学を卒業させて一軒一軒おうちもつくって家庭を持たせたんですけれども、今老夫婦七十五と七十二ぐらいだと思います。大変大きな体の御主人で、脳卒中で倒れられて、そして車いすで病院へ通うわけですけれども、奥さんがまた小柄な方でして、タクシーに乗せるまでに三十分の金時間がかかるんだそうです。それのために腰が痛くなってしまって、奥さんは病院から帰ってくると今度は自分が指圧に行かなきゃいけないというような状況なんだそうですけれども、大変な財産家なんです。
 それで私は、御自分のうちをきちっとして、そしてお金があるわけですから応分の負担をしてそういう施設に入られたらといつも勧めるんですけれども、戦前の教育を受けたお二人ですのでどうしてもうちにいたい、そして二人がともに生き延びたいという、こういう気持ちが物すごいんですね。
 ですから私は、これから六十定年退職された年代から、やはりわがままと言っては語弊がございますけれども、これだけ子供が少なくなってそして妻も働く時代になってきたんですから、そういう施設というものに対する気持ちの持ち方、物の考え方を若いうちからそこに行き着く前に教育をされていくというか、そういう潜在意識を多少教育されていく必要があるんではないかと思いますけれども、その辺に関しましてはいかがでしょうか。
#103
○参考人(和田敏明君) 大変大事な御指摘だと思いますが、私どもでことしというか昨年、老人ホームのイメージを変えていただくためのビデオを作製いたしました。
 そのつくった目的と趣旨ですが、今御指摘がありましたように、施設に入所するということについて大変抵抗感が強い。それについて私どもで調べてみましたら、デイサービスあるいはショートステイとかあるいはホームヘルプサービスを施設から派遣するようなサービスを利用されるようになった方々は、その利用体験を通じて施設に対するイメージを御家族も含めて非常に大きく変えられるということを体験いたしましたので、なかなか一般的にお話をしてもわかっていただけないんですが、その体験をしていただくというんでしょうか、そういうことで施設のサービス、福祉のサービスをわかっていただけるようなことも非常に大事なことかなというふうに考えております。
#104
○前畑幸子君 そういう体験もいいですけれども、できたら六十代からそういうことに関する偏見といいますか、物の考え方を若いうちから、頭の柔軟なうちからやはり考えていくこともこれから私たちには大変必要なことではないかと思います。
 それから、もう一つそこで、例えば御自分の持ち家を処理してそしてそういう費用に充てる場合に、やはりこれからどうしてもお金がかかるわけですから、国の負担ばかりを要求するわけにいきませんので、持っている者は自分の能力で対処していくという意味で、そういう財産を売ったときに対する税という問題も、軽減するということも提唱していきたいと思います。
 それから、もう一つそこで出ましたんですけれども、朝八時半から九時ぐらいに個人タクシーに電話がかかりますと、個人タクシーはなるべくとらないんだそうです。それはそういう高齢者の方たちが電話をされるので、大変お迎えに行っても距離も短い、御近所の病院だと。それから乗り降りに大変時間がかかる方も多いということで喜ばれない、敬遠をされるということでなかなかタクシーが呼びにくいんだそうでございます。
 ですから私は、それもやはりそういう方を乗せたならば、ある分戻しといいますとおかしいですけれども、チケットを出しておいていそういうのを市の方へ出せば、料金とは別に何か市の方から少し補助が出るようなシステムを考えていただけれたらと。例えばワンメーターですと六百円ですね。それが乗って五分のところであった、ところが乗り降りに三十分かかったということですと、やはりそうした面もありますので、そのことのお考えはいかがでしょうか。
#105
○参考人(和田敏明君) 移送サービスの部分で、今お話がありましたように、タクシーなどを活用しているところがございますが、あらかじめそういう福祉券のようなものを出しておりまして、そして一回利用しますとその券を使うという、こういう方式をとっているところがございます。
 ただ、それだけでもなかなか、例えばその人の体の状態に応じてもう少しきちんとした対応の仕方をしないと無理だという場合に、先ほど申し上げましたように、新しい移送サービスをつくらなきゃいけないんじゃないかというふうに思っております。移送サービス全体の問題はこれからの非常に大きな課題ではないか、御指摘のとおりだと思います。
#106
○前畑幸子君 それから、嫁、妻という人たちばかりに頼れない、こうした介護をしていただく方たちを大変これから求められるわけですけれども、やはり私もそういう施設を見させていただいて、本当にわがままほうだい、そして年をとっていきますと自分の思うようにならないので、そういう付き添いの方たちにわがままを言われている姿も見ますけれども、本当に頭の下がる思いがするほどに見ていただいているわけです。
 ああいう方たちが、もう少し社会的に尊敬されるように何がしかのそういう資格といいますか、今資格だけでできるわけじゃございませんけれども、やはり一つのそういう確固たる地位というものを与えて、尊敬されるような呼び方というんですか、そういうことも今後考えていただくことによってそういう職業につく、今若い女性でも本当に福祉に興味を持っていらっしゃる方も、興味というか非常に勉強される方もあるわけですので、今後の問題としてそういうところに大きなウエートを置いていただかないといけないんではないかなと思うんです。
 先ほどの講師の先生からもありましたが、そういうところに対する私たち全体の意識がまだまだ不足していると思いますけれども、社会全体でそういうところに、私たちがどうしても将来お世話にならなきゃならない立場の、そういう資格者をきちっとした確固たるものを持っていただくような考えもしていただきたいなと思いますが、そうしたことに対してはどうですか、お伺いします。
#107
○参考人(和田敏明君) 現在、介護福祉士という仕組みができておりまして、これで今高卒で二年間勉強してその資格を取るかあるいは国家試験を受けて取るという仕組みができておりますが、御指摘がありましたように、これを大きく育てていくということが非常に大事なのではないか。その仕組みができたために、若い方々が勉強して福祉の現場に入るという人たちがかなりの数出てきておりますし、それから今まで働いていた方の中でも、勉強してこの資格を取って、それによって自信を持って仕事をするという方がふえてまいっております。ですから、資格がございますが、これの中身をもっとよくしていくということがこれから大事なのかなというふうに思っております。
#108
○前畑幸子君 それは、現実に八十近い父親を見ていらっしゃる五十ぐらいの娘さんが、私が何回言っても言うことを聞かないけれども、二十五、六の孫のようなそういう方が見えて、おじいちゃんこうなんですよと言うと素直に聞くという面もあるようですので、大いにこれはやはり国民全体がそういう物の考え方をするように早くから教育をされていくということは、自分の老後にとっても安心してその人の言葉を信用できるということは、私たちにとっても幸せではないかなと思いますのでお願いをしたいと思います。
 それからもう一つ、きょうの新聞に鉄鋼五社も介護休業制というものを考えるということが出ております。これは育児休業法というのがございますけれども、これは産む方です。今度介護休業制という問題も、やはりこれから見れる限りは見たいという立場から言いますと、これも大いに広めていただきたい、頑張っていただきたい問題だと思います。
 そして、今どうしても特に都市は、お隣の人も知らない。そして、御近所のおつき合いもないという、そういう世の中ですけれども、私は名古屋の旧村が町になったところですから、先日も七十近い同窓の男の方二人が、たまたま一人はがんで奥様を亡くされて、一人は交通事故で奥様を亡くされてもう二年近くなるんですけれども、二人でお互いに誘い合って温泉に行ったりそれからおふろに行ったりしているというその言葉を聞きました。地域で、こうしてお互いにいたわり合えるということができるということは本当にいいことなんですけれども、今の社会ではなかなか難しいわけですので、やはり妻なり夫なりがそうした介護休業制が少しでもとれて、父親、母親の、多少一週間に一遍でもそういう機会を持てるということは大変いいことではないかと思うんですけれども、これからこういう道でも頑張っていただきたいと思います。
 これからの日本にとって一番厳しくて、そして一番大事なこの高齢化社会に向かっての福祉事業だと思いますけれども、一生懸命頑張っていただきたいと思います。お願いをいたします。
 ありがとうございました。
#109
○参考人(和田敏明君) ありがとうございました。
 大変心強い励ましをいただきまして、私どもとしてももっと介護の問題というのが限られた人の問題ではなくて、例えば企業の仕組みの中にも入ってくるというふうなことになりますと、大変広く広がってまいると思いますので、ぜひ期待をしたいというふうに考えております。
#110
○浜四津敏子君 本日は、現場からの貴重なお話を大変ありがとうございます。時間がありませんので、たくさんお伺いしたいことがあるんですが、時間の範囲内で伺ってまいります。
 今どこのホームを訪ねても、特に特養ホームでは、職員、働き手がどうしても集まらない共通の悩みを抱えております。人手を集めるためには条件整備が不可欠というふうに言われますけれども、今週休二日を目指す、千八百時間を目指す、これは現実には現場では大変難しい問題だろうというふうに思います。しかし、その条件整備をしなければまた人手が集まらない、しかしその条件を整備しますとサービスの内容を低下させざるを得ない、こんなジレンマの中で悩んでいると思いますけれども、これの具体的な解決策、何かお考えでしたらお教えいただきたいと思います。
#111
○参考人(和田敏明君) 御指摘がありましたように、介護で働いてくださる方々を、十カ年戦略なども含めて将来を見越して確保していこうとしますと、ほかの分野から移ってきていただかないと確保できないということになりますので、福祉での働く現場の条件というのがほかの分野に比べて遜色がないという状態をつくっていくということが、私どもとしては非常に大事なことではないかなというふうに考えております。
#112
○浜四津敏子君 今の続きですけれども、給与の面でも大変条件が悪い、なかおか公的な補助、補助単価と実勢単価とが非常にギャップが大きい、こんなことも一つの原因ではないかなというふうに思いますけれども、この実勢単価と補助単価を一致させる、実勢単価に見合う補助金ということで何とか実現させたいというふうに思っておりますけれども、なかなか遅々として進みません。一つには給与の面、それから配置基準の改善、そんなところから整えていかないと、今経営されている園長さん、主な仕事はどうやって借金を返すか、財政をいかに整えるか、こんなことが主な仕事になっているというふうに伺っていますので、こうした面も何とかともに改善していきたい、こんなふうに思っております。
 それから、先ほどのお話の中で、特養ホームが特に在宅ケアの拠点となるように、こういう方針が出されておりまして支援センターを併設する。この支援センターにつきましては国の基準では二十四時間体制で二人、こんなふうに決められておりますけれども、現場の声では二人ではとても賄い切れない、そういう声が圧倒的に多いかと思うんですが、その辺はいかがでしょうか。
#113
○参考人(和田敏明君) 現在の介護支援センター二人という体制で二十四時間は無理ではないかという御指摘でございますが、介護支援センターは母体組織、母体の施設があるところに併設することになっておりまして、それは二十四時間体制を持っている特別養護老人ホームなり、老健施設なり、病院ということになっておりますので、ここと組み合わせて実態は行っている。単独で独立しているという状態ではございませんので、そうなっております。
 それから、将来は箇所数が一万カ所を目指しておりますので、例えば同じ市町村内で、ちょうど今病院で、交代で何曜日はどこの病院が夜はやっているという状態になっていますけれども、そういうふうに切りかえてお互いにやるという体制をつくっていくということで、このことについては解決できるのではないかというふうに思っています。ただ、二人だけで十分かということになりますと、これは介護支援センターの仕事がふえてまいりますと、それに応じた体制をつくっていくということが必要ではないかと思います。
#114
○浜四津敏子君 現実には、例えば支援センターの方に夜突然緊急の電話がかかってきて、二人では、一人は運転する、一人は乗っていく、例えば介助が必要な場合に重い方だと二人ではとても運び切れない、こんな現場の声があるようですけれども、何とかこれについても十分に充実させる方向でこちらとしても取り組んでまいりたいというふうに思っております。
 それからまた、いろんなホームでは、特に近年若年の要介護者がふえているという声をよく聞くんです。本来は六十五歳以上が対象者なわけですけれども、それ以下の人で同じような介護を必要とするような状態になって、ホームでは見捨てることもできずに特別の事情だということで施設に入れている。こんな声もちらほら聞くんですけれども、四十代から六十代のこうした人たちの特別の施設が必要なんじゃないか、そういう現状にあるんじゃないかというふうに考えておりますけれども、いかがでしょうか。
#115
○参考人(和田敏明君) 現在、特別養護老人ホームの入所者の基準を少し変えまして、若年性痴呆の場合には年齢が少し若くても入所させていいというふうになっておりまして、そういう人たちが入ってきております。ただ、御指摘がありましたように、例えば四十歳代のような方々を入れるということになりますと、老人を中心にした生活になっておりますので、ぴったり合うかどうかということが問題になってこようかと思います。ですから、障害関係の施設の中で、年をとったり、あるいは非常に介護を要するようになった人たちをかなり受け入れる仕組みをつくっていくということをもっと広げていくということは必要ではないかと思います。
#116
○浜四津敏子君 それとまた、もう一つ最近の特色といたしまして、特養ホームの入居者の約六割が痴呆症、それも重度化している。先ほどお話にも出てまいりましたけれども、これが現在の特養ホームの実情では、なかなか現場でもう支え切れない状態になっているという声もかなり強いかと思うんです。これについてもいわゆる老人ホームとは別に痴呆症の方、痴呆症老人を対象とする特別の受け皿、これもまた必要ではないかなというのが実感なんですが、その辺はいかがでしょうか。
#117
○参考人(和田敏明君) 痴呆性老人にかなり老人ホームは入所していただいて、お世話をしてきましてかなりノウハウを私どもは持っているというふうに思っております。例えばおうちでは大変な状態だった方が、入所して一週間とか、長くても三カ月ぐらいすればかなり落ちつかれるというふうにする力は私ども持っていると思っております。
 ただ、お話がございましたように、非常に重度の方とか、よく動かれるようなタイプの人たちもふえてきておりますので、特別養護老人ホームの中でも混合処遇と言いますが、一緒に生活するだけではなくて、専用棟をつくったり、それから特別養護老人ホームの中に痴呆性老人だけをお預かりする専用特養などもつくってきておりまして、そのような形で対応していくということが必要ではないか。余り痴呆性老人だけの施設を特別につくるということが歓迎されるかどうか。あるいはお預けになる家族の側からしましても、全体の中に入っていた方がいいのかもしれないなという感じがいたしますし、このあたりは特養の側で、専用棟やそういう専用特養をつくるような体制をつくっていくということの方がいいのではないかと私は思っております。
#118
○浜四津敏子君 先ほども、そうしたお年寄りの方の面倒をむしろこれからは見る人が少なくなるんじゃないか、若い人は嫌がるんじゃないかというようなお話が出ましたけれども、さまざまな原因が考えられると思うんです。
 一つには、今の教育システムの中で子供たちが老人に触れるチャンスがない。教育の中で、例えば体験教育とかあるいは実習教育をむしろもう積極的に取り入れていかないと、老人にそもそも触れるのも嫌だと、こういう子供たちがふえていくんじゃないかと危惧しているんです。各地で少しずつこの体験学習、子供たちが実際に老人ホームに行って老人の方々のお世話をする、こんな試みもふえてきてはおりますけれども、これも本来教育のシステムの中に入れていきたいというふうに思っておりますが、この点についてもお考えを伺わせていただきたいと思います。
#119
○参考人(和田敏明君) 御指摘のとおりだというふうに思います。
 福祉教育あるいはボランティア活動に取り組む学校が相当今はふえてきておりまして、それは大きな成果を上げているというふうに思います。先ほど申しました介護福祉士の学校で聞きますと、半分くらい動機を持っている人たちが入ってきている。その中の動機を持っているのは、個人的な動機ではなくて、福祉教育やボランティア活動を通じてこういう仕事につこうというふうに思った人たちがかなりいらっしゃって、その人たちは卒業してもそちらに必ず入っていっていい仕事をされるという、大体そういうことがもう明らかになってきておりまして、別に経験をすればそれを全部やっていただくということではございませんが、そういう機会をだれでも体験するというふうな、あるいは勉強するというふうな仕組みをつくっていくことは非常に大きな課題ではないかと思っております。
#120
○浜四津敏子君 ありがとうございました。
#121
○鈴木栄治君 よろしくお願いします。ふだんの皆様の御努力に心から敬意を表します。
 重度の方はこれはもう別といたしましても、人間であるならばできるならば在宅し、そして自助努力で人様に迷惑のかからないようにと思うのは当たり前でございます。ましてや、今介護なさる方が、もちろん現実的に申して集めるのは大変難しいという段階において、これに私たち真剣に取り組まなければならない、それは教育の面でもそうだと思います。
 そこで、午前中和質問させていただいたんですが、特に必要なサービスの中で入浴サービスが一番多うございますね。その中では家族がいてひょっとすると何とか自分で入浴しようと思えばできる、例えばおふろ場を改造してできるんじゃないかとか、少しでもうちの中を車いすが通れるように改造したらできるんじゃないか、そういう方も私は意外と多いんではないか。それで費用のこととかそういうことをお伺いしたのでございますが、いや、それは特別老人ホームでその人を入れてやるよりはうちをそのように改造した方が費用は安いんだ、そのようにお聞きしたのでございます。
 今現実的に介護する人の御苦労等を考えると、そういう費用の面においても、またその介護される方のお気持ちも含めて、本当に必要な、重度の方は別としても、そういう面についてもどうでしょう、お考えになってはと思うのでございますが。
#122
○参考人(和田敏明君) 御指摘のとおりではないかと思います。改造すれば家族なり自力で入浴できるという人たちはかなりいらっしゃると思いますし、それで希望も高いのではないかと思います。
 それから、費用の点からの御指摘がございましたけれども、入浴ができないので入所させてしまうということになりますとおっしゃるとおりでございますが、例えばデイサービスセンターに特殊浴槽がございますので、自宅のおふろではおふろ場そのものの構造上入浴させられない方も、そこにお連れして入浴させるというふうなことも今デイサービスでやっておりますし、あるいは老人ホームの同じように特殊浴槽などを利用して適所で利用して帰るというふうな入浴サービスと、今お話がありましたような改造と、それから訪問型の、これはシャワー浴なんかで少しだれかがお手伝いすればできるというふうな方がございますので、そういうものを組み合わせてやっていくということが大事がなというふうに思っております。
#123
○鈴木栄治君 わかりました。ひとつよろしくお願いいたします。
 これで質問を終わりたいのでございますが、これは私大変蛇足で生意気事を言わせていただきますが、利用者の方が、各項目についてその内容がよくわからないんだとかいろいろトラブルがあると聞きましたが、私はその一つに言葉がみんな英語であるということに問題があるんじゃないか。ましてや老人、うちの父親なんかもう八十過ぎでございますが、若いころは英語を使うと非国民だと言われたような年代でございます。ですから、デイサービス、ショートステイとか、できたら短期滞在とかそういうサービスもいかがでございましょう。
#124
○参考人(和田敏明君) これはもう御指摘のとおりだというふうに思います。
#125
○鈴木栄治君 結構です。ありがとうございました。
#126
○有働正治君 どうもきょうはありがとうございました。
 私は、ゴールドプランとのかかわりで若干お尋ねしたいと思います。
 今各自治体で、この策定が九三年度中にということで進行していると聞いています。いろんな点で直接間接に体験なされている立場からお尋ねするわけでありますけれども、この進行状況なり、あるいは現場の市町村なりでどういう点で苦慮をされておられるのか、どのようにごらんになっておられるのかあたりをちょっとお聞かせいただければと思います。
#127
○参考人(和田敏明君) この計画づくりにつきましては、現在ほとんどの市町村でその前提になる調査が終了したという段階でございまして、これからサービスを中心にした計画づくりに着手していくということになっております。大変熱心に取り組んでいらっしゃるところとそれから外のコンサルタントの会社に委託しておやりになっているところとございまして、結果はそれぞれのものができてくると思いますけれども、つくる過程のところでいろんな違いが出てきているのではないかというふうに見ております。
#128
○有働正治君 例えばコンサルタント会社への発注その他とのかかわりでの違いあたりは、独自にやっておられる場合と、どういうようにごらんになっていますでしょうか。
#129
○参考人(和田敏明君) 結局今の調査も、例えば職員の方々とか担当する関連の方々が、実際に老人の方々の御自宅にお伺いして生で見たりいろんな体験をする、あるいはどういうふうにしていったらいいかをみんなで考えていく、関係者のいろんな意見を聞くというふうな過程がしっかりございますと、その後これは、保健、福祉、医療、いろんな関係者が一緒になってつくっておりますので、後の連携もうまくいくようになるのではないかと思います。ほかのところでつくっていただきますと、そういうところがそういう体験をいたしませんので、でき上がったときに数字は出てきても過程を通じてできたものというのができないということになりますと、果たしてうまくスムーズに連携が図れるかという点で不安があるということでございます。
#130
○有働正治君 これは自治体によって、県によっても違うと思いますけれども、そういうコンサルタントヘの委託という、なべて大体どれぐらいあるような感じがされておられますでしょうか。
#131
○参考人(和田敏明君) 私どもで調べているわけではございませんが、全面的に委託をしているところは非常に少ない、数%にもいかないのではないかと思います。調査などが、特に大きい市町村ですとなかなか手がかかるということで、一部を委託していらっしゃるところがかなりあるということではないかと思いますが、データは持っておりません。
#132
○有働正治君 それから、各地方自治体で計画を本格的に策定して、これを文字どおり実行していく段階でさまざまな政府への要望、あるいは施設、マンパワー確保等々でいろいろ苦労されると思いますけれども、共通して政府への要望と申しましょうか、そこらあたりはどういうのが出されているんでありましょうか。
#133
○参考人(和田敏明君) 現状ではまだ計画策定段階に入っておりませんで、平成五年度中につくるということになっておりますので、現状でどういうことが大きな課題になっているかわかりませんが、平成五年度中に市町村と都道府県ができあがりますと、全国的な数字を集計してみますと何が今後進めなきゃいけない課題なのか、ゴールドプランについての見直しも含めて課題になってくるのではないかというふうに思います。
#134
○有働正治君 和田さん自身が大体各自治体、その他もごらんになっておられると思うんですけれども、大体どこらあたりが、例えば先ほども若干出ましたけれども、施設の問題では超過負担の問題だとか等々いろいろあると思うんです。どこらあたりが問題になるだろうと、あるいは個人として文字どおりこれを実行していく場合に、どこらあたりが大きな課題かというあたりはどのようにお考えでいらっしゃいますか。
#135
○参考人(和田敏明君) 施設では、先ほど浜四津議員から御指摘もありましたように、建設をしていくということになりますと、建設の補助単価とそれから実際の実勢価格の差がかなり大きいということになりますと、建設する方の借金が大きくなるということになりますので、運営上いろんな問題が起こってくるということがあります。この点はこれから施設の整備をさらに進めるということになりますと課題になってくるのではないかというふうに思っております。
#136
○有働正治君 それから、先ほどのお話の中で、ミドルステイの問題がありましたけれども、そういうのですぐれた経験をお持ちの自治体というのは、例えばどういうところに、具体的にこの自治体でこういう経験があってどれくらいのそれが規模なのかあたり、概要がございましたらちょっとお示しいただければと思います。
#137
○参考人(和田敏明君) 一番身近なところでは、東京都がミドルステイを実施しておりまして、三カ月程度まではそれが利用できるということになっております。そのほかいろんな県で実施をしております。例えば茨城県では在宅老人中期保護事業というふうなことで二カ月間を限度にするというふうなことをやっておりますし、そのほか市町村段階でも若干実施をしていらっしゃるところがございます。今まではおおよそ三カ月以内、二カ月から三カ月というところが多いようでございます。
#138
○有働正治君 全体の規模というのは大体どれくらいの感じでしょうか、数は、収容の。
#139
○参考人(和田敏明君) 数はそんなに多くないというふうに思います。まだ使い方は大変限定されているというふうに思いますので、たくさんの人がこれを利用しているのではなくて、非常に事情を勘案して、どうしてもこの期間、一週間の短期保護事業では足りない、そういうときにどうしてもこのケースの場合は三カ月ぐらい、あるいは二カ月ぐらいお世話しましょうというふうになる。それも退所されることがある程度見通しがあるというんでしょうか、例えば住宅をつくり直すのでその期間だけとか、あるいは今介護者がこういう事情になったのでその期間だけという使い方になっておりますので、たくさんの方が利用されているというふうにはなってないと思います。
#140
○有働正治君 どうもありがとうございました。
#141
○笹野貞子君 きょうは大変ありがとうございました。日ごろから皆様方の福祉に対する御活動、そして熱意に対しては大変敬意を表したいと思います。今後ともどうぞ変わらぬ情熱を持ってこの仕事を達成していただきますことをお願いいたします。
 そこで、二、三御指導いただきたいというふうに思います。先ほどの御説明で現状のいろいろなことは理解できました。そこで、この現状の中でひとつ外国人の福祉の問題、そしてこの外国人、現状今日本にいる外国人の高齢化というものがどういうことになっているのか、それに対してどのように対処していらっしゃるのかということをまずお伺いいたしたいと思います。
 続きまして、私は全部五点ほど質問させていただきますのでよろしくお願いいたします。
 その次に、きょうお話をお聞きするに当たりまして、「福祉人材確保と老人保健福祉計画、企業の社会貢献活動についての研究が進展」という部長の論文を拝読させていただきました。この中で大変おもしろい点がありましたのでこれをお聞かせいただきたいんですが、この中で最も大きく書かれているのが「企業の社会貢献活動」についてというところで私も大変興味を持ちました。
 これを読みますと、企業が社会貢献を今非常に模索している。この社会貢献というのはどのようなものがあるかというと、寄附行為、寄附活動、財団を通じた貢献、施設の開放、地域行事への参加、ボランティア活動、文化・スポーツ・芸術活動の支援などがあると、こう書かれておりまして、企業がこの活動に対して、地域住民との交流が六四・四%と最も多く、心身障害者の支援が四二・四%、そして従業員のボランティア活動については支援はしないが検討中というのが三〇・九%。支援しているというのが八・八%という数字を挙げられています。
 そして、この論文の中で、こうした企業の社会貢献の取り組みを社会福祉側では十分受けとめ切れていないというふうにお書きになっていらっしゃって、企業のこれからの社会貢献に対してどういうところが、何が十分受けとめられないのかという、その問題点をお教えいただきたい。
 その次に、今度は企業じゃなくて個人的なボランティアを確保するために、何か今特別な手だてを講じているのかどうかをお教えいただきたい。
 その次に、このゴールドプランですが、これは平成十一年に達成されることになっておりますが、部長から見られまして、このゴールドプランが平成十一年に達した段階で、外国との比較において日本は福祉の面ではどの程度までいくかどうかということを予測でも構いません、例えばスウェーデンを例に出していただいても構いません。
 そして、最後ですけれども、大変毎日御活躍いただいておりますし、この福祉の面も、宮澤総理を初めとして生活大国というのを目指して快適な生活状況、この快適の中には高齢社会を安心して住めるということが入っていると思いますけれども、和田部長さんは国に何か御要望することがあるでしょうか。そして、私たち政治家に何をなすべきか、どうしたらいいのかという御要望がありましたら、最後にそれをお聞きいたしたいと思います。
#142
○参考人(和田敏明君) 外国人の福祉にはどういうふうに対処をしているかということでございますが、現在の段階でこれについて特別な対応の仕方をしておりませんが、例えば大阪で特別養護老人ホームで「故郷の家」というのがございまして、在日韓国人専用の、ほぼ専用になっている特養がございますが、このようなことがございます。
 それから二番目の、企業の社会貢献の問題でございますが、企業の方にも戸惑いがまだあるというふうに思っております。これは果たして本格的にやっていいんだろうか、公的責任との関係はどうだろうかとかいろいろ迷いもあると思いますが、実際にかなり福祉に参加しようという意欲をお持ちになるところがふえてきております。
 福祉の側でまだ戸惑いがあると申し上げますのは、一つは今まで例えばボランティア活動などに参加された方の多く、施設などに来られる方の多くが児童、生徒ないしは御婦人か老人の方が多かったんです。青壮年男子というのは余り来られなかったんですね。それは行事のような形では来られたかもしれませんが。
 そうしますと、そういう方々を受け入れるプログラムと申しましょうか、何をしていただいたらどういう可能性があるかということについては、まだお互いにそのあたりがはっきりしていないということが一つと、それからやはり信頼してお互いにうまくやっていくためにはうまく調整することが非常に重要だというふうに思うんです。それは企業の側にも必要ですし、施設側にも必要だと思いますが、その部分をもっとちゃんとしないといけないんじゃないか、そういう体制をつくる必要があるのではないかというふうに思っております。
 それから、個人ボランティアの手だてという点では、現在千二百カ所ぐらい社会福祉協議会でボランティアセンターを設置しておりまして、ここではいろんな相談に乗ったりあるいは期間中の事故などの保険の仕組みをつくったり、御相談に乗りながら進めておりますが、これをもっとふやしていかなきゃいけないんじゃないかというふうに思っております。
 それから、ゴールドプランができ上がったときにどこまで、どの水準までいくんであろうかというお話でございますが、外国と比べるというのはなかなか難しいことではないか、日本での仕組みとか文化的なものとかいろんなことがございます。ただ、私どもが見ておりますのは、このプランが立ちましたことによって今までのスピードとは比べられないくらいに、特に在宅サービスの拡充が進み始めたなという実感を持っております。
 ただ、それができ上がったら安心できるかというと、高齢化のスピードが大変速くて余り今とは変わらない状況がなというふうに思いますので、そのあたりはちょうど市町村で今計画をつくっているものが本当に発動して、動くようになって、その中でどのくらいのことが必要かというのが改めて課題になっていくのではないかというふうに思っております。
 何か要望があるかというお話でございますが、福祉ということについて私どもとして一番感じておりますのは、これはもう国民的な課題だというふうに名実ともになっていって、それにふさわしい社会の仕組みとして運営できるようにしていくということが非常に大事ではないかな、あらゆる施策の中にぜひ福祉を組み込んでいただきたい。さっき出ましたように、教育にもそうですし、建築の中にもそうですし、そういうふうになっていけばいいなというふうに思っております。ぜひそれをお進めいただければと思います。
#143
○笹野貞子君 終わります。
#144
○会長(鈴木省吾君) 以上で和田参考人に対する質疑は終了いたしました。
 和田参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。
 本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査の参考にさせていただきます。本調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後四時十八分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト