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1993/04/15 第126回国会 参議院 参議院会議録情報 第126回国会 文教委員会 第5号
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1993/04/15 第126回国会 参議院

参議院会議録情報 第126回国会 文教委員会 第5号

#1
第126回国会 文教委員会 第5号
平成五年四月十五日(木曜日)
   午前十時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 四月六日
    辞任         補欠選任
     高崎 裕子君     橋本  敦君
 四月十五日
    辞任         補欠選任
     乾  晴美君     萩野 浩基君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         松浦  功君
    理 事
                木宮 和彦君
                田沢 智治君
                森  暢子君
                山下 栄一君
    委 員
                井上  裕君
                小野 清子君
                清水嘉与子君
                世耕 政隆君
                柳川 覺治君
                上山 和人君
                國弘 正雄君
                肥田美代子君
                山本 正和君
                刈田 貞子君
                江本 孟紀君
                橋本  敦君
                萩野 浩基君
                小林  正君
   国務大臣  
       文 部 大 臣  森山 眞弓君
   政府委員
       文部大臣官房長  吉田  茂君
       文部大臣官房総  岡村  豊君
       務審議官
       文部省初等中等  野崎  弘君
       教育局長   
       文部省高等教育  遠山 敦子君
       局長
       文部省高等教育  中林 勝男君
       局私学部長
       文部省学術国際  長谷川善一君
       局長
   事務局側
       常任委員会専門  菊池  守君
       員
   説明員
       科学技術庁科学
       技術政策局計画  天野  徹君
       課長
       会計検査院事務
       総局第四局文部  藤田 正二君
       検査第二課長
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣
 提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(松浦功君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る六日、高崎裕子君が委員を辞任され、その補欠として橋本敦君が選任されました。    ―――――――――――――
#3
○委員長(松浦功君) 国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。森山文部大臣。
#4
○国務大臣(森山眞弓君) このたび、政府から提出いたしました国立学校設置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 この法律案は、国立大学の学部の設置及び短期大学部の廃止について規定するものであります。
 まず、第一は、学部の設置についてでございます。
 これは各大学における大学改革と教育研究体制整備の一環として、群馬大学の教養部を改組して社会情報学部を、名古屋大学の教養部を改組して情報文化学部を、奈良女子大学の家政学部を改組して生活環境学部をそれぞれ設置しようとするものであります。
 なお、これらの学部は本年十月一日に設置し、平成六年四月から学生を受け入れることとしております。
 第二は、短期大学部の廃止についてであります。
 これは昼夜開議制による教育体制の充実のため、滋賀大学、徳島大学及び琉球大学に併設されている夜間三年制の短期大学部を廃止してそれぞれの大学の関係学部に統合するとともに、看護等医療技術教育の充実等を図るため、大阪大学に併設されている医療技術短期大学部を廃止して同大学の医学部に統合しようとするものであります。
 なお、これらの短期大学部は平成六年度から学生募集を停止し、平成七年度限りで廃止することを予定しております。
 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願いいたします。
#5
○委員長(松浦功君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#6
○國弘正雄君 教育であれ何であれ、ある一つの状況を吟味してこれを把握しようとすれば、恐らく虫の目と、それから鳥の目の両方が必要だろうと思います。私はきょうは、虫の目はもう既にほかの方々が取り上げられておることでもありますので、主として鳥の目と申しますか大局的なといいますか俯瞰図と申しますか、そういったようなものからひとつ日本の高等教育を見てみたい、そしていろいろ御意見なりあるいは御見解を伺いたい、かように考えております。
 私自身大学の教師を国立の女子大あるいは私立の各大学、それから日本以外の外国の大学で教鞭をとるというようなことをしてまいりましたので、その二十数年間の体験に照らしてやや話がパーソナルに相わたることがあるかもしれない、その点はひとつあらかじめお許しをいただきたいと思います。
 大学教育について伺う前に、近ごろこの二、三日大変問題になっております一つの問題について意見だけを述べさせていただきます。
 それは、筑波大の附属高等学校の高島という先生が福沢諭吉の脱亜入欧論について記述をされた。ところが、これが言ってみれば文部省当局の入れるところとならなかったという事実がございます。家永裁判の判決もつい先日出たばかりでありますから、実は今はこの検定制度についてお尋ねをするいい機会であろうかとも思うんですけれども、時間の関係もございますのでそれは別の機会に譲らせていただくことにして、一つだけ伺いたいのは、鳩山文部大臣のときでございましたけれども、予算委員会での質疑で、教科書指導要領と、それから教科書指導書の記述の間に差異が残されているということに気づきました。
 これは、例の中国に対する侵略であるのかそれとも進出であるのかということについてでありまして、私は明らかにあれは中国大陸への侵略であると思いますし、とにかく一番ひどいときには百万の大軍を中国大陸に送った、一千二百万人になんなんとする中国人の命をあやめた。これが侵略でなくて何であろうか。これを進出などと呼ぶのは、これは全く道理にかなわないことだと思っておりますから、教科書指導要領でこれが進出じゃなくて「侵略」だというふうに戻されたことを私は多としたわけであります。
 ところが、教科書指導書の方においてはいまだに「進出」であるという言葉が残っているやに、これは鳩山文部大臣がおっしゃったわけでありまして、これを変える意図は毛頭ないとかなり強い言葉で仰せになった。このことは、中国やアジア大陸、アジア諸国への聞こえもいかがであろうか。つまり、日本は、あるいは日本政府は、まだ少なくとも教科書の指導書においてはあの明らかな侵略行為を「進出」などと言い逃れしようとしているのではないかと。これはもうアジア諸国、中国への聞こえがいかがであろうかということを私は懸念するものでありますし、外国への聞こえもさることながら世間や世界の常識に反して、しかも指導書と指導要領との間に記述上の食い違いがあるというのは、これは大変な問題ではないかというふうに考えるわけであります。
 そこで伺いたいのは、この食い違いがまだ本当にあるのかどうか、もしあるとすれば何ゆえであるのか、そのあたりひとつ御意見を承りたい、かように思います。どなたでも結構であります。
#7
○政府委員(野崎弘君) 今、先生、学習指導要領と指導書ということでお話があったわけでございますが、学習指導要領は教育課程の基準として国が定めておるわけでございます。この中では、「二つの世界大戦と日本」という項の中で、「昭和初期から第二次世界大戦の終結までの世界の動きと我が国の政治・外交の動き、中国などアジア諸国との関係を扱い、経済の混乱と社会問題の発生や軍部の台頭から戦争に至る経過を理解させるとともに、戦時下の国民の生活に着目させる。」、こういうことで学習指導要領は書いてあるわけでございまして、これを教科書検定の際の基準として教科書を検定しているわけです。
 今、先生お話しされました指導書というのは、この学習指導要領の趣旨なり要点等を解説したものでございまして、この部分の中で今の部分を解説いたしまして、「ここでは、世界の動きと我が国の国内の動きとが密接に関連しあっていることに留意しながら、昭和の前半期の国際政治・経済の動向、国内の経済混乱と社会問題、第二次世界大戦と我が国のかかわりなどを多角的に理解させるのがねらいである。」と学習指導要領のねらいを示した上で、「「我が国の政治・外交の動き」については、うちつづく恐慌と社会生活の不安、労働争議や小作争議の激化、財閥の成長、政党の無力化などに触れ、それらが背景となって軍部の台頭を招き、やがて大陸への進出につなかったことを理解させる。」、こういうことでございまして、これはあくまでも学習指導要領のつくられた趣旨、要点等を解説したものでございまして、ここの中で確かに、先生お話しございましたように、「進出」という言葉を使っていますけれども、これは今お話しいたしましたように、昭和初期から第二次世界大戦に至るまでの対中国投資の増大あるいは対中国貿易の拡大、南満州鉄道の拡充などの経済的な側面も含めまして幅広く取り扱うために「進出」という用語を用いているわけでございます。
 「侵略」と申しますのは、これは教科書の方の記述でございまして、御存じのように、昭和五十七年に韓国、中国等から我が国の歴史教科書の記述について意見が寄せられたわけでございまして、これらの意見に十分耳を傾けつつ検討を重ねた結果、歴史教科書についての官房長官談話を発表する。そういうふうな経過を経まして、文部省としましてはこの官房長官談話の趣旨を受けて教科用図書検定基準の改正を行いまして、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」という、こういう項目を設けまして、その後はこの基準に基づきまして教科書の検定を実施しておりまして、「侵略」という用語を使用することについては特に意見を付さないということで進んできておるわけでございます。
 したがいまして、現在例えば中学校の社会科教科書ではこの第二次世界大戦につきまして「侵略」という表現を用いて記述がなされているところでございます。
#8
○國弘正雄君 ただいまの御発言、一応承りましたけれども、疑問は残ります。
 一つは、指導要領も指導書もある意味では公的な文書であると思うんですね。その両者の間に明らかな食い違いがある。しかも、非常にセンシティブな、日本の国際関係を考える際に、特にアジア諸国との関係を考えていく際に非常に我々が細心の注意を払わなければならないような問題について明らかな記述上の違いがある。しかも、侵略か進出がということは既に大きな国際的なあるいは国内的な問題になった点である。にもかかわらず、この記述に違いがあるというのはどうかなという感じが否めません。
 それから、先ほど経済的な進出云々ということをおっしゃいました。それは進出という言葉で呼ばれ得るようなものだとは思いますが、その経済的な利権の拡大ということが、進出ということの結果が軍事侵略になったということはこれはもう歴史のれっきとした事実でありますから、その前半だけをとらえて「進出」でいいんだというふうにもしお考えであるとすれば、これは全く当を得ていないということをあえて申し上げたい。しかし、この問題についてはこれ以上申し上げることを差し控えます。
 そこで、もう一つでありますが、この歴史の記述ということに関してでございます。
 私、これは保利文部大臣のときに伺ったんですけれども、そうしたら保利さんが、一切それは構わないということを仰せになった。それはどういうことかというと、歴史の記述において、特に日本の歴史において倒叙法が採用できるかどうかということであります。倒叙法というのは、要するに今から昔に向かって歴史をさかのぼっていくというそういう記述の方法であり、この倒叙法は可能であるかどうかということを伺ったら、保利さんは結構ですと、倒叙法でつくった歴史に対しても文部省が検定の際に不利益な扱いをしないということをはっきり仰せになりました。
 なぜ私がこういうことを問題にするかというと、最近の日本の若い人々を見ておりますと、明治以降あるいは昭和以降、日本と国際社会との間にどういうかかわりがあったのか。これは多くの場合負のかかわり、マイナスのかかわりであったわけですけれども、そういう日本と国際社会との明治以降、昭和以降における負のかかわりについてほとんど何も知らないという状況があるからであります。
 これはもう笑い詰めくのでちょっと御紹介することさえはばかられるんですけれども、ある一流の東京の女子大学の学生がその歴史の先生に対していつかあるとき、日本とアメリカというのは昔本当に戦争をしたんですかと、こう尋ねたというんですね。この歴史家というのは私の親しい友人ですが、名前は挙げません。その人がびっくりして、この女子学生が何か自分を陥れようとして、自分の足を引っ張ろうとしてこんならちもない質問をするのかなと思ってその子供の顔をよく見てみたら、非常にまじめな、レポートもよく書くし成績もいいし出席率もいいという子供だったので、そこで物を知らない無知な学生に対して物を教えるのが大学の教師の一つの聖なる務めであると思い返して、いや実はこれこれしかじかだったということを教えたんだそうです。これは私、彼から直話で聞きました。そうしたら、その学生がその先生に、で一体日本とアメリカとどっちが勝ったんですかと、こう聞いたというんですね。もううそのような話であります。
 しかし、最近のように、円高でドル安だ、あるいはアメリカの経済は疲弊している、日本はそれに対して云々というような記述ばかりをニュースその他で聞かされている学生にしてみたら、あるいはそういうふうな思いを抱いたことがあるかもしれない。あるいは別の学生は、日本とアメリカとが一緒になって、例えば中国とあるいは当時のソ連と戦争をした。日米が同盟国であったというような認識を持っている学生すらいたと。
 これはもう、まさに驚くべきことでありまして、これから国際化時代とやらがやってまいりまして今の若い日本の学生が将来国際社会といろいろかかわりを持っていかなければならないというときに、近い過去において日本と特にアジアの諸国との間にどのような関係があったかということを全く知らないままに国際化時代とやらに船出をしていくというのは、これはろくな海図もなしに大海原に出かけていく、船出していくというようなことになりはしまいか。
 そういうことを考えますと、倒叙法という歴史記述のあり方というのは、これは大いにあっていいだろうと。つまり、現代から古代へと逆にさかのぼって歴史を記述していく。歴史の記述の半分ぐらいは古代から織豊政権ぐらいまで、それから残りの半分は、あるいは前の半分と言うべきかもしれませんが、織豊政権ぐらいから現代までというぐらいの区分けをして歴史を記述していく、現代史に力点を置いて歴史を記述していくというやり方がなされていいと思うのです。
 そこで伺いたいのは、保利さんは、そういうような教科書が出てきても、そのゆえに検定の際に差別をすることはしませんということを仰せになった。そういうふうに了解してよろしゅうございましょうか、いかがですか。
#9
○政府委員(野崎弘君) 教科書の記述の仕方でございますけれども、現在の学習指導要領におきましては、指導事項の順序につきましては特に示す場合を除きまして指導の順序というものを示していないわけでございまして、学校において適切な工夫を加えることができることになっているわけでございます。
 具体的な指導方法につきましては、倒叙法で指導することも含めまして、それが学習指導要領の目的、目標を実現する上でより効果的であるかなどの観点からそれぞれの学校において工夫される問題であると考えておるわけでございます。
 また、教科書のお話もあったわけでございますが、仮に現代から過去にさかのぼる教科書ができた場合、それが教育上適切なものであれば検定を経て教科書として資格を得ることができるものと考えておりまして、これは前にもお答えしたとおりでございますが、その後におきましてもそういう形の教科書検定の申請というのは出てきておりません。
#10
○國弘正雄君 そうすると、倒叙法は教科書記述のあり方としてそれ自体別に問題はないということでございますね。
 現に幾つかの、特に私立の高等学校などでは倒叙法形式に基づいて歴史を教えている学校がございます。私もそれを幾つか知っております。しかし、何しろ教科書がないものですから、昔の吉田東伍さんの書かれた古いものはありますけれども、これはもうどうも現代の役に立たない。そうなってくると、個々の担当の先生方が非常に苦労をして教科書めいたものを御自分で教材としておつくりにならなければならない。これは大変な御苦労があるというふうに思うので、私望むらくは、いつの日にかそういう堂々と倒叙法に基づいた教科書がどなたかの手によって書かれるということを期待いたしますし、ついでに申し上げますならば、歴史の教科書の記述に当たって、例えばドイツとポーランドとの間で行われているようなそういう相互乗り入れ的な歴史記述というものが、一部日本と韓国との間において最近行われていることを私承知しておりますけれども、もう少し広がっていかないかなということを望んでおくというふうに申し上げたいと思います。
 さて、日本の教育に対する関心というのが大変国際的に最近高まっております。例えば、徳川の中期に既に男子の間では少なくとも、女性であられる森山大臣には申しわけないんですが、女性の統計数字がそのころはなかったみたいでございますけれども、少なくとも四五%ぐらいの日本人男子が読み書き能力を持っておった、こういうようなことが二十年ぐらい前のイギリス人あるいはアメリカ人の研究によって明らかにされております。これは、やはり日本の教育に対する大変な関心のいわば端緒をなしたものだろうと思います。
 また、つい数年前は、アメリカの当時の教育長官でありましたベルという人が日本にやってまいりまして教育視察を行った結果、アメリカへ戻って報告書の中で、日本の塾制度及び予備校制度に非常に感銘を受けたというようなことを報告しております。私たちがこれはやっぱり日本の教育の問題だと思っている点が、あばたもえくぼというんでしょうか、彼らにとっては非常な感服というか感銘の種になったというようなことが言われています。
 しかし、私自分であちこちの大学の教師をしておりまして思うことは、どうも最近の日本の大学というのはレジャーランド化してきた、あるいは自動車の教習所化してきた。とにかく免許証を取ってしまえば、もう後はどうなろうと構わないというような式の風潮が非常に高まっているわけですね。
 そこで伺いたいんですけれども、あるアメリカ人の、日本におります比較教育学のこれは世界的な碩学と言っていいと思いますが、国際基督教大学で教鞭をとっているベンジャミン・デュークという人、この人はアメリカ人ですが、イギリスとソビエトで教育を受けたということ、したがって比較教育学の専門家としては非常にいい資質を持っておる。加えて、彼は三人のお嬢さんがいるんですけれども、この三人のお嬢さんをいずれも日本の公立学校に高等学校まで通わせた。したがって、PTAの一員として日本の学校教育を見るというような非常に希有な機会をも与えられた人なんです。
 このベンジャミン・デュークさんがかつて「ジャパニーズ・スクール」という本を書きまして、こういうようなことを言っておる。どうも日本の大学生というのは高等学校教育までのいわば非常な詰め込みに疲れ果てて、もう大学に入ったときには燃え尽き症候群を呈しておる、バーンアウトしておる。だから、学問とか小難しい本などというものはもう親のかたきみたいな感じで、全然勉強を本当にしようとしない。これは、恐らく日本社会に今悪夢のように燃え盛りつつある反主知主義、アンチインテレクチュアリズムの傾向の一環ではないかというようなことを言っておるわけです。
 そして、この燃え尽き症候群というものを何とか処理するためには、たとえいわゆる読み書きそろばんとか数学なんというようなことについては多少レベルがダウンしても、むしろ余力を持って大学に進学するということを可能ならしめるために高等学校レベルまでの教育内容とか教科のあり方というものに対してもう少しゆとりを持たせたらどうだと、あるいはもう少し、はっきり言えば易しくしたらどうだと。そうしないと、高等学校を終えて大学に到達するまでには息も絶え絶えみたいになっちゃって、それで勉強はろくすっぽしない、そういったような大学生ばかりがどんどん出てくるということになると、これからハイテク時代とか何とか時代というような時代を迎える日本の将来にとってこれはゆゆしいことだと思うと、ベンジャミン・デュークさんがそういうようなことをこの書物の中で書いておるわけなんです。
 そのあたり、できたら森山大臣、全体の御感想で結構ですから、どういうふうに私の今のデューク説の御紹介をお受けとめになるか例えたら幸いでございます。
#11
○国務大臣(森山眞弓君) 今、先生がお述べになりましたような現象が大学において、特に新しく
大学に入った一年生の中で顕著にあらわれているという説は私もたびたび聞いたことがございますし、まだかなり本当のことであろうという気がいたします。
 これは大学における教育のあり方もございましょうけれども、御指摘のように、特に中学や高校における受験を強く意識した教育の現状というのが影響を及ぼしているというのは私も同感でございますが、このような状況を改めますためには大学の入試の方法について一層の工夫をするということが当面一つの問題点だと思いますし、また初等中等教育におきましても、子供たちが自分自身の生き方や物の見方、考え方を持って自分自身の人生を切り開いていくことができるような力を育てるというようなことが大変大事だというふうに思います。
 このような教育を進めていきますためには、学力を単なる知識や技能の量の問題としてとらえるのではなくて、自分でみずから学ぶ意欲と思考力、判断力、表現力などの育成を重視する新しい学力観に立ちまして学習指導を進めることが重要であろうと思われます。また、生徒の日ごろの学習や活動の状況、能力、適性、興味、関心、将来の進路希望などを十分踏まえた進路指導の一層の充実を図ることが必要であると思う次第でございます。
 今回の学習指導要領の改訂におきましてもそのような考え方に立ちまして、教育内容の精選、選択の範囲の拡大などを行ったところでございます。
 選択の範囲の拡大と申しますのは、今先生が言われましたように、その学習によって修得する知識のレベルを必要によってはもう少し易しい基本的なところをしっかりとする、そして多少ゆとりを持って勉強ができるようにするということも含まれているわけでございますが、実際の教育の現場であります学校におきましてこの改訂の趣旨に沿ってぜひ教育指導を進めていただきたいというふうに思っているのでございますし、また文部省としてもこの方向でさらに指導していきたいと思うのでございますけれども、残念ながら学校の先生方やまた親御さんたちの意識の変化というものが必ずしもこれに伴っていないということが現実にございまして、できるだけ難しい高いレベルの勉強を教えてほしいと親たちは思い、また先生方もその要望に応じてそれにこたえていきがちであるということでございまして、なかなか私どもの考えております新しい学力観とか新しい教育の指導の仕方というものが実際に徹底されるまでには残念ながら今のところ十分行っておりませんので、これからさらにこのことに御理解をいただいて、学校現場の先生方はもちろんのこと、親御さんたちにもその考え方を理解し御支援をいただきたいというふうに考えているところでございます。
#12
○國弘正雄君 入学試験の問題というのは、ちょっと私予定していた質問の順序と変えてお尋ねをいたしますが、今大臣が新しい学力観とかあるいは選択の範囲の拡大というようなことをおっしゃいました。それに力を得てこのお尋ねをするわけであります。
 この入学試験の問題というのは、私は何も一文部省だけの管轄範囲内のごとではないと。日本社会のある種のあり方とか我々の価値観というようなものが濃厚に影を宿しているのが入学試験のあり方だと思うんです。
 元駐日大使でありましたライシャワーさんが、そのライフワークである「ザ・ジャパニーズ」という書物の中で、日本という社会は物すごく変化を恐れない社会だと、そして新しいことにどんどん手を出して実験していくことをいとわない社会であるのに、以下の二つの点においてだけは全く変化を恐れるというか変化を忌み嫌うという珍しい社会だというようなことを彼の主著に書いております。
 その二つの領域というのは、一つは、これは後でちょっと時間があれば御質問申し上げたいのでありますけれども、外国語教育。日本の外国語教育というのはどうしようもなく保守的だということを彼は言っておる。それからもう一つは、入学試験のあり方であると。この二つだけは、どうしてあんなに変化をいとわない日本人がここまで守旧的なんだかよくわからぬというようなことを述べております。
 何も私はアメリカの大学制度が一番すぐれているとかなんとかということを申し上げるつもりは毛頭ございませんけれども、例えばハーバード大学を一つの例として引きますと、入学を認めるか認めないかというときの能力判定の物差しが大変に複数あるわけですね。大変多様にわたるわけです。この指とまれというときに、この一本の指だけにとまらせるのでなくて、この指とまれというふうに例えば十本なら十本の選択肢を出して、そのどれか一つにとまってほしい、そうすればうちの学校に入れますよということをハーバードが実行する。イェールも同じような、しかし違った物差しを提供する。カリフォルニア大学もしかりシカゴ大学もしかりというようなことで、何かとにかくある種の能力というものがあるとすれば、その子は必ずどこかの大学に入学を果たすことができるというようなことなんですね。
 その一つの顕著な例ですが、あるアメリカの高校生がインディアンのチェロキーの部族に非常に関心を持って、そして休みや暇があればチェロキーの部落に入り込む。それでチェロキーの言葉を身につける。そして、彼は音楽の才能が非常にあるんですけれども、チェロキーの民族音楽をこれまた身につける。そして、自分でチェロキー語の詩をつくって、チェロキー民族音楽の符をつけて、そしてコンサートを開いて友達や知人を呼んでこのミニコンサードを成功させた、こういうケースがある。そのことを調べたあるいは聞きつけたハーバード大学は、この子をそのゆえに、つまりチェロキー音楽やチェロキー語を身につけたというそのことのゆえに、真っ先にうちにいらっしゃいといって入学を許したというようなケースがあるわけですね。
 果たして、例えばアイヌ音楽に、アイヌ語に強い関心を持ち、それなりの成果を上げた日本の高校生が、例を挙げて悪いかもしれませんけれども、北海道大学にそのような形でひとつ受け入れられるであろうかどうであろうかというと、恐らく答えはノーであろうというふうに思うんですね。
 ですから、さっき大臣が仰せになった選択の範囲の拡大というのは、高校の課程もそうでございますけれども、入学試験に当たっても各大学がいろいろ工夫発明をして、そしてできるだけ違ったさまざまな能力を持っているような子供たちを入れると。ただ単に一回こっきりのぺーパーテストの点数が高いか低いかということだけで判断をしないというような仕組みが持たれないと、これから価値の多様化とかなんとかというようなことを言っているわけでありますから、ちょっと日本の将来にも暗い影が投げられるのではないかなという気がするわけであります。
 このことは、何も文部大臣お一人あるいは文部省だけのお仕事だとは思いません。日本社会全体が人間の多様な能力というものに対してもっと温かい目を向けていくという姿勢が必要なわけでありますから、一文部省あるいは文部大臣のお仕事とは思いませんけれども、ひとつお考えの中のどこかに潜めておいていただきたいと思うんですね。
 それに関連するんですが、日本には非常に悪名高い指定校制度というのがございます。ある大企業に勤めようと思うと、ある特定の大学の卒業生でなければ全然試験も受けさせてもらえない、門前払いを食らうというような事情があるわけですね。
 それで、そういう指定校制度というようなものがありますと、どうしてもいわゆる有名大学に入らなくちゃどうしようもないということになって、そこで入学試験が激化をする。有名大学に入ろうと思うと有名高校に行かなくちゃいけない。有名高校に入らなくちゃならないということにな
ると、有名中学、有名小学校、有名幼稚園、ひいては有名保育園というような悪循環が出てくる。その悪循環の始まりは、私は企業側にあると思うんですね。つまり、企業というものは今や非常に大きな力を日本社会において持っているわけで、いわば生殺与奪の権を握っているようなところがございますから、企業がいつまでも指定校制度というようなものに固執いたしますと、非有名校の子供というのは全く希望が持てないということになる。
 私は、まあ私事にわたって申しわけないんですが、有名校で教えもいたしました。国立の女子大でありますが、超有名校で教えました。あるいは私立の大変有名な、最近人気の大学でも教えました。それから、いわゆる非有名校でも教えました。よく見ておりますと、有名校、非有名校の違いというのは本当に学生に関する限りそんなにないんですね。できるやつはできるんです。やるやつはやるんです。しかも、非有名校の子供というのは大学の名前で勝負ができないものですから自分自身を磨いていく、自分自身を研さんしていくことによって非有名校卒業生といういわばマイナスを何とか克服しようとして非常な努力をする。有名校でぶらぶらしているやつは学校の名前に寄りかかっていますから、大して勉強もしないというふうなことがある。これは社会的に見ても非常に不公平だと思うんです。
 そういったようなことがあるので、これは文部大臣に対するお願いですけれども、労働大臣あるいは労働省ともお話し合いをいただいて、指定校制度というものを一挙にやめるわけにはいきますまいけれども、徐々にその色彩を薄めるようにひとつ労働省もお考えいただく、文部省もお考えをいただく。そうしないと、この指定校制度が今までのような形で続く限り受験地獄というものは終わらないかもしれない。
 確かに、十八歳の子供が少なくなるという面はありますけれども、しかし理念として指定校制度というものはいかがであろうかというふうに思うんですが、文部大臣の御見解及び労働大臣とそういうことについて話してみようというふうなお考えがおありかどうかを伺いたいと思います。
#13
○国務大臣(森山眞弓君) 指定校制度といいますのは、先生お話しのとおり、大変一つの大きな問題だと私も考えております。やはり、学生が企業に就職いたしますときに就職の機会均等ということが保たれて、学生の多面的な能力が適正に評価されるということが最も重要だというふうに思います。
 実は、この問題につきましては数年前から、文部省といたしましても労働省と協力をいたしまして、いわゆる指定校制の是正について企業側にその自粛をたびたび要請しているところでございます。手元にあります記録だけでも、昭和六十年の九月に松永文部大臣と山口労働大臣と経済四団体代表との懇談が行われております、この問題につきまして。また、昭和六十二年には塩川文部大臣が鈴木日経連会長との懇談の中でこのことについて特に触れて要望をしておられます。また、大学側に対しましても、学生たちが本人の資質や能力に関係のない形式的な理由によって不利益な扱いを受けないように大学側が特に企業へ働きかけをしてもらうよう、文部省からも指導しているところでございます。
 その努力が多少あらわれたと申しましょうか、企業側におきましても最近は出身大学にとらわれないで個性ある人材を採用するという方向を打ち出すところも少しずつ出てきておりまして、一九九二年三月卒業予定者の採用活動に関する調査というのがございますが、この中で、企業に対して採用基準や選抜試験で近年重視する度合いが増加した項目というのを聞いておりますが、その中で、出身大学にとらわれないということを言っているところが五一・四%ございますし、そのほか行動的であることとか入社の熱意や意欲があるとか協調性がある、あるいは創造的である、その他、そういうことを挙げておりますが、その中で一番際立っているのが出身大学にとらわれないということを言うものが過半数を超えているということでございます。
 私どもが個別に見聞きしております中でも、採用試験に当たって最初から大学の名前を書かせないということに踏み切っていらっしゃるところもあると聞いておりますし、また最近はボランティア活動の実績を評価するように踏み切ったというところもございますし、それぞれの企業がいろいろと工夫をされて、その企業にとって有用な人材を多面的に試験して採用しようという努力が始まりつつあるというふうに考えておりまして、その点は評価しているところでございますが、これからもそのように各企業が心がけてくださいますよう、さらに文部省といたしましても労働省とも協力いたしまして努力を続けていきたいと思います。
#14
○國弘正雄君 ありがとうございました。御努力を感謝申し上げるものでございます。
 そこで思い出したんですけれども、あるこれは有名な企業グループなんですが、そこのある種のワンマン総帥が自分の企業での採用試験でぺーパーテストのいいやつは採らない、ぺーパーテストの結果の高い者は採らないというような、これはかなり乱暴といえば乱暴だと思いますけれども、ユニークな仕組みをとっておるところがございます。
 つまり、あの一律のぺーパーテストなどでよい成績をとるような受験者は余り頼もしくない若者だというのが彼のある種の偏見でございまして、しかしそれを彼は実行できる立場にあるものですから、そんなようなことをやってできるだけ多面的な才能を、そして才能というのは例えばわせ型もあればおくて型もあるとか全天候型もあれば一極集中型もあるというふうに、人間の才能ですからいろいろな違った面があるわけでありまして、人間に対してやはり親切であろうと思えばそういうことになるんじゃないかなと。これは企業のぺーパーテストもさることながら大学の入学試験のぺーパーテスト、これにも同じことが私は相当程度言えるのではないかなというふうな気がいたします。
 そこで、大学そのものについてお尋ねしたいんですが、私は日本の大学というのは、やはり内においてもまた外に対しても閉鎖的な側面が非常にあるというふうに思うんです。例えば、日本では大学生というと十八歳から二十何歳までとほとんど年齢的に決まっているわけですね。五十歳の人があるいは七十歳の人が何らかの形で大学の授業をとるというのは最近でこそ多少出てまいりましたけれども、まだ少数でしかないと。つまり、十八歳、二十何歳のある特定年齢に属する男女が大学生であるというのが常識なんですが、私は国際的に見ますとこの常識は非常に今崩れつつあるというふうに思いますし、日本においてもそのことが徐々に認識されつつあることは慶賀の至りでございます。
 あるいは、国立大学はほとんどいわゆる夜学を持っておりません。つまり、時間的に極めて閉鎖的であるということが言えると思うんですね。私立の大学あるいは公立大学の一部には勤労学生のため、あるいは時間のやりくりの難しい人たちのために夕方から夜にかけての課程を用意しておりますけれども、残念ながらそれは国立大学にはほとんど及んでいないということがございます。
 あるいは、一つの大学の中でも、例えば経済学部に入っちゃった学生が、おれはやっぱり失敗した、経済学部よりはむしろ例えば文学部に行くべきであったというようなことを仮に考えたとして、そして同一大学内で二年なら二年、三年なら三年になったときに学部を移転しようというふうに考えても、これまた例外がありますけれども、総じて非常に難しいというようなことがございます。
 それから、A大学とB大学の間の単位の互換制というようなことも最近若干ありますけれども、これも例外でしかない。ましてや外国大学ということになりますと、日本の学生が外国に留学をするときには日本の大学で獲得した単位は相当程度
まで認めてくれるわけですが、逆は必ずしも真ではない。いわば一方通行というか不公平な取り扱いが行われておるということも大臣御案内のとおりであります。
 私はその点でちょっと苦い経験を持っておりまして、アメリカから戻ってまいりまして、ある法律で有名な私立の大学の教師になりました。私はアングロサクソンの法体系というものについてほとんど無知でありましたから、この法律で有名な私立の大学へ行って教えるわけですから、ぜひ英米法の講座を受講させていただきたいと法学部長に願い出たわけでございます。
 というのは、アメリカやイギリスなんかの大学では、御案内のように、大先生が学部の授業に出るとかあるいは院の授業に出る、つまり受講生として出るというのは当たり前なことでありまして、何も不思議なことではない。そこで私も、自分の教える科目は文化人類学などというものでしたけれども、余りにも英米法に暗いものですから、英米法を知らなければどうしたってこれからアメリカとかイギリスとかとつき合っていく上に非常なマイナスになるだろう、自分の認識に非常に重大な欠陥があると思って、それで法学部長に願い出たんですね。そうしたら法学部長さんが、これは立派な方でしたけれども、とんでもない、先生が学生と一緒に授業を聞くなどということはこれはもう前代未聞だし、そんなことは絶対に好ましいことではないからひとつ御遠慮願いたいということで、けんもほろろの扱いを受けたわけです。
 ところが、私は昔アメリカの大学院を終わってから、私の大学院の論文を指導してくれた先生が、私がやっておりましたまことにつたない授業にずっと出てくれたというようなケースを経験しております。だから、日本の大学というのはどうしてこんなに閉鎖的なんだろうというふうに思ったわけです。
 そういう日本の大学の持つ閉鎖性というのは、これはいろいろな原因があると思います。例えば、ある種の伝統的な何というのか秘伝というような発想がどこかで絡んでいるというようなことがあるかもしれません。あるいは三尺下がって師の影を踏んではならないというような伝統もかかわり合っているかもしれません。いずれにしても、しかし先生が学生と一緒に授業に出ることなどはとんでもないという日本の大学の常識は、これは国際的に見たら全くおくれているというふうに言わざるを得ない。日本の大学の持つ閉鎖性のすさまじさを思うわけであります。
 そんなことから幾つかの例を挙げさせていただいたんですが、大学の持つ閉鎖性をぜひ今状況が大きく動きつつあるときだけに、森山大臣の御指導のもとに何か打ち破るような方向づけをやっていただけないかなと大変強く望むものであります。将来いつの日にか、例えば大学院というようなものがもっと開放されてきたときに、森山先生がどこかの大学院で何かを勉強されたいというようなお気持ちのときに、私もじゃ一緒にひとつ机を並べて勉強させていただくというようなことがあってもいいのではないか、そうしないと知的に開かれた日本と言えないのではないかという気がいたします。
 御感想ないしは御所見をお漏らしいただければ幸いでございます。
#15
○政府委員(遠山敦子君) 大臣から包括的なお話があります前に、ちょっと事実の点だけ御説明させていただきたいと存じますが、夜間に国立大学は門戸を開いていないのではないかというのが一点ございました。
 最近は夜間の学部ももちろん持っておりますし、主として夜間において授業を行うコースがかなり盛んになってまいっております。国立におきましても、二十一の大学におきまして夜間の学部等を持っている大学として数えられるわけでございまして、既に在学者も一万二千数百人を超えております。
 その他、夜間大学院につきましても、これは新しく制度を改正いたしまして、追ってまた御議論に出るかもしれませんけれども、今大学改革が進んでおります中で、大学院についても社会人を受け入れるというふうな方向の制度が整ってまいっておりまして、それに応じて夜間大学院を置いている国立大学も二校ございます。
 そのような形で、今夜間にあるいは土曜の午後とか、そういうこれまでの伝統的な考え方ではなかなか講義が行われなかったような時間帯にも講義が行われるような時代に入りつつございますという点を一点。
 それからもう一点、単位互換の関係でございますが、東京大学におきましては単位互換にかかわります規定を全学部、研究科において整備いたしておりまして、平成四年十二月現在で四十六の大学、国内四大学、国外四十二の大学と協定を締結いたしております。大学院レベルでも三つの研究科が十二の大学と単位互換を実施しているところでございます。
 ただ、先生たまたま御経験なさいました東京大学法学部におきましては、この規定はあるわけでございますけれども、まだ実績はないわけでございます。今後の努力を期待するところでございますが、実は東大の法学部につきましても最近修士課程を設けまして、ここで社会人を受け入れる、これはまた画期的なことでございますが、そういうコースもでき上がっておりまして、今年三月末にその卒業者が出ているわけでございます。その中には、社会人で現に職業を持ちながらそこで学んで極めて優秀な成績で卒業しているという実態もございまして、いろいろ今変化を見つつある状況でございますことだけお話しさせていただきます。
#16
○国務大臣(森山眞弓君) 先生が御指摘になりましたような大学の閉鎖性といいますか硬直性というものは確かに存在しておりましたし、現在もまだ相当程度そういう面が見られるわけでございますが、この点がやっぱり我が国の大学にとって大変重要な問題であるという認識もまた大変最近は高まってまいりまして、例えば平成三年二月の大学審議会の答申とか、また平成四年七月の生涯学習審議会の答申などにおきましてもこのことに触れております。
 先生がおっしゃいましたようなさまざまな点について改めて改善に努力していこうという気持ちが各大学にも最近非常に高まってまいりまして、それぞれの大学が自主的に自己点検とか評価などをなさるようになりましたし、教育の内容や方法についても充実の方向で努力をしているところでございます。
 生涯学習の観点からも、人生八十年時代、せっかくの立派な教育機関でありますので、それをわずかな年代の青年たちだけのものではなくて、すべての興味ある、意欲のある人たちのために開放していくという方向でいろんな努力をしていかなければいけないと思いますが、いずれにせよ各大学におきまして自主的にかつ積極的な取り組みが行われますように期待しているところでございます。
#17
○國弘正雄君 局長の御解説、大変興味深く伺いました。
 東京大学が夜学をつくれないかなと、実は私はそこを思っているわけで、現実的にはまだ大学関係者の意識の面からいってもちょっと無理かなと、その点は残念に思います。ただしかし、御指摘のような変化がかなり急激に見られるようになったということはお互いにとって喜ばしいことだというふうに考えます。そういう方向に向かっての、つまり大学の閉鎖性を解き放っていくという面における一層の御努力をぜひお願いしたい。
 それで、やっぱり外に向かって開かれた大学でないと、これから十八歳人口がどんどん減っていくという現状もあって、しかもハイテクというような技術的なことだけを申し上げるつもりはありませんけれども、日本がどうやって生きていくかということを考えるに当たってもやっぱり知識は力なりということがございますから、その中で果たす大学の役割は非常に大きいというふうに思い
ます。
 放送大学なんかも、最近大変私の友人でも受講している人が多かったりして、これまた開かれた大学の一つの側面だなと思うんですが、残念ながら波の分野が関東地方に限られておりまして、関西とか九州におる人はせっかくの恩恵に浴すことができないというような限界もございます。これは文部省の御管轄ではないかもしれませんけれども、郵政省あたりともこのあたりはぜひ話し合っていただいて、やっぱり波というのは均等でございますから、どこに住んでおろうと国民ひとしくその恩恵が均てんするということが必要ではないかという気がいたします。
 とにかく、大学の持つ閉鎖性打破のために今後とも一層の御努力を重ねてお願いしたいと思います。
 さあ、そこで、これは大学そのものというよりも日本の知的世界というか知的状況というかにかかわる点でございます。
 数学のノーベル賞と呼ばれているフィールズ賞という賞がございますが、日本から既に三人の受賞者を出しておるわけです。そのお一人で長老の数学者、東京大学の名誉教授であられます小平先生に昔お目にかかったときに、私、素人の憶面もない御質問を申し上げたことがあるんです。
 それは、小平先生、日本の数学というのは世界一流だ一流だということをよく伺いますけれども、そして先生は四年に一度しかない、ノーベル賞は毎年くれるわけですが、フィールズ賞は四年に一遍しかくれないものですから、ノーベル賞より四倍偉いフィールズ賞というものをお受けになった。先生、いかがですか、日本の数学というのは本当に世界でそんなに一流なんですかというふうに伺ったんです。そうしたら、その臆面もない私の質問に苦笑いをしながら小平先生が、与えられた問題を解くというか与えられた問題についての解法を探るという点においては世界一流です、しかし新しく問題をつくり出すという点においては決して一流とは言えませんという御発言がありました。
 私は、大変象徴的なことじゃないかなと思ったんですね。つまり、与えられた問題について答えを出すというのは、いわばある種の暗記とかそれから模範解答をいかに覚えるかというのは日本の知的風土によく見られる傾向の延長線上であると思うんですね、暗記重視とかあるいは問題の解法中心主義というか。これは、まあ恐らく儒教・漢字文明圏に共通な一つの特徴であろうというふうに考えられるわけで、創造性とか無から有を生ずるというようなことになってくると、どうもやっぱり日本人は弱いんじゃないかなという気がしてならないわけであります。
 その意味で、今度は科学技術庁の方にぜひ伺いたいのでありますけれども、このノーベル賞の受賞者の数その他、主要国に関して日本との対比においてひとつ御説明をいただきたい。
 私は、やっぱりノーベル賞というのは最近ではノーベルロビーなどというものもございまして、ある程度までやっぱりロビー運動、活動をやらないとなかなかノーベル賞が来ないというようなこともあります。言葉のハンディーというのも絶対的にあります。文学賞なんかの場合は特にそうですが、自然科学分野においても生物だあるいは医学だあるいは物理だ化学だという点においても、どうもやっぱり言葉のハンディーというのはかなり大きいようでございます。だから、そういうようなことがいろいろないまじって日本のノーベル賞受賞者の数が非常に少ないということはわかりますし、また私はノーベル賞がすべてであるなどと言うほどナイーブでもございませんけれども、しかし、これだけの経済大国でこれだけの教育大国でこれだけの技術大国で、そしてこれだけ世界で本当に一、二を争う存在になった日本にしては余りにもちょっと少な過ぎやしないのかという気はぬぐえません。
 ノーベル賞というのは見ていますと、やっぱり道なきところに道をつけないといけないんですね。だれかがつけた道をただ走ったというだけじゃノーベル賞にならぬ。あるいは荒ら地にくわを入れるというような言い方もあろうかと思いますが、やっぱり荒ら地にくわを入れる努力が実ったときにノーベル賞に輝くということになるんだろうと思う。だとすれば、要するに、ロビーがないから、言葉のハンディーがあるから、だから日本には来ないんだというような言い方は余り正鵠を射た言い方ではないのではないか。
 つまり、我々の知的営為というものの中に何か道なきところに道をつけようとする、あるいは荒ら地にくわを入れ込もうとする方向性というものが非常に欠けているのでないか。だから、日本の高等学校教育などというものも識字率の普及とか初等算術の計算能力の涵養という点においては見事だけれども、自分で物を自発的に考える、その結果人と違うかもしれないということにならないと、私はやっぱり国際的に評価されるような科学技術というようなものが生まれてこないのではないかと。
 英語のユニークという言葉は、これは人と違っているという意味でプラスの評価の言葉だと思うんですが、日本語化したユニークは、あの人はユニークだと言うと大体マイナスなんですね。風変わりだとかエクセントリックだとか協調性が低いとか、大体あの人はユニークだと日本語で言ったときには悪口なんですね。英語でユニークと言ったときは、これは褒め言葉なんですね。人と違っていなければならないという、そこに英語社会の、何といいましょうかあの種の欠陥というか騒々しさというか騒がしさを見る向きもありますけれども。
 だから、私は、ノーベル賞がすべてじゃないということは百も承知の上で、しかしそれにしてもこれだけの教育、技術、経済大国がたった自然科学分野で言えば五人だというようなのは寂しいな、こう思うんですけれども、そのあたり、自然科学分野に限ってで結構でありますから、ノーベル賞受賞の状況について、日本を含めて国際比較のようなものを科学技術庁の方にお願いしたいと思います。
#18
○説明員(天野徹君) お答え申し上げます。
 これまでの物理学賞、化学賞、医学・生理学賞、いわゆる自然科学系の三賞でございますが、それをこれまでの合計で見ますと、米国が百六十二名、イギリスが六十五名、ドイツが六十名、フランス二十四名ということになってございますが、これに対して日本は五名ということでございます。
 特に、最近十年間について見てみますと、米国が三十三人、ドイツが十一人ということで他の国を圧倒している、こういう状況にございます。
#19
○國弘正雄君 アメリカの百六十二人というのは、これはちょっと例外中の例外だと思うんですね。もうアメリカでは本当にある地域なんかに参りますと、例えばカリフォルニア大学のバークレー校周辺におりますと、石を投げればノーベル賞に当たるというぐらい本当にノーベル賞受賞者がたくさんいるわけです。スタンフォード大学とかいろいろありますからね。
 だから、これはアメリカとはちょっと比べない方がいいだろうと思うんですが、やはり英国、ドイツと比べて、もちろん学問の伝統が古い、それから日本がまだまだ国際社会に出入りできなかった時代に既に彼らは国際社会の有力な一員であったというようなことがありますから、イギリスの六十五と日本の五を比較して、だからどうだこうだというふうに結論づけるのは、これはちょっとどうかと私も思います。
 ただしかし、それにしても少ないなと。その少なさというのは、さっき申し上げたように、人と違うことを恐れる日本社会の風土、ユニークであるということはむしろ美徳ではなくて悪徳であるという日本社会の風土というようなものと無関係ではないだろう。それから、大学の中にしばしば見られる、特に有力著名大学の中にしばしば見られる権威主義、それから教授と教授以下の間のすさまじい、封建的とも言っていいような人間関係、医学部なんか特に顕著な例だと思いますけれ
ども、そういったようなことと無縁ではないだろう。だから、これはどうしたらいいとかこうしたらいいとか治療薬というかがあるわけではございませんけれども、そういう気がいたします。
 そして、科学技術庁の方に伺うのは失礼かもしれませんが、ノーベル経済学賞についてはいかがでございましょうか。日本はゼロですが、今までどれぐらいの人がどういう形で受賞しておりますか。
#20
○説明員(天野徹君) お答え申し上げます。
 経済学賞につきましては米国が二十三人、イギリスが五人、オランダ、スウェーデンがそれぞれ三人というところで、先生御指摘のとおり、日本は実績はございません。
#21
○國弘正雄君 経済学賞はさっぱりとらないのに日本経済は繁栄をきわめている。それに対して二十三名ものノーベル経済学賞受賞に輝きながらアメリカの経済はどうもちょっと最近までは問題を抱えてきたというのは、これはある種の皮肉だろうと思います。
 ある日本の有名な経済学者はこういうことをおっしゃっています。ノーベル経済学賞というのは最近は非常に小粒化したんだと。小粒化しておなべの底をひっかいて、それで受賞者を決めているんだというようなことをおっしゃって、ノーベル経済学賞というものに対して何か非常に否定的なことをのたもうているんですが、そんなことをのたまうなら、ひとつ御自分がとってほしいと私は思うんですね。そんなに小粒化したなら、それすらとれない日本の経済学者というのは何なんだということを逆に言いたくなるわけで、やがて日本も経済成長が鎮静化して経済が余り思わしくなくなったころにノーベル経済学賞受賞者というのは案外生まれるかもしれないというような皮肉な読みをする人もおります。
 繰り返し申し上げますけれども、私はノーベル賞自体がどうだこうだと言っているんじゃなくて、ノーベル賞受賞者の少なさに象徴される日本の教育を含む知的風土というか知的世界のあり方というものにこれから問題があるんじゃないだろうかと。そして、将来日本がこれからどんどん小さくなる国際社会の中で、しかも資源の問題、環境破壊の問題、その他その他がいろいろ考えられる中で、そしてジャパンバッシングも考えられる、あるいはいろいろな何といいましょうか、さわりがたくさん日本に対して出てくるだろうというときに、やはり我々は頭を使って生きていくよりしょうがないのではないかと。
 やはり、我々の知的営為というものが日本の一億三千万の人口を食べさせ、そして生かしていくことであろうと思いますので、その知的営為の一つの何といいますか物差しであるノーベル賞云々というのは、ただ単にノーベル賞をとったとらないというような単純な話ではないだろうと。もっと象徴的な意味があることだろうというふうに思い、科学技術庁やそれから文部省の方々のこの問題についての何といいますか御関心をぜひ仰ぎたいと、かように思うわけであります。
   〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕
 もう一つ、科学技術庁の方に伺いたいんですが、よく言われることですが、日本は基礎研究はどっちかというとおろそかだと、べーシックリサーチとかあるいは純粋研究という意味でピュアリサーチと英語では申しますけれども、そこら辺がどうもおろそかで、製品絡みの、製品関連の、いわゆる応用研究、アプライドリサーチというものはお得意の巻だと、こういうことが今まで言われてまいりました。
 科学技術庁の専門家のお立場で、確かにそういうふうに言われてもやむを得ない面があるなとおぼしめすかどうか、そのあたり御意見を伺いたいと思います。
#22
○説明員(天野徹君) データに沿ってお答えしたいと思います。
 基礎研究の投資、絶対額だけを見れば一九九一年度で一兆六千億強という状況でございまして、米国に次いで世界第二位の投資を行っております。
 しかしながら、研究費全体の中に占める基礎研究投資の割合という観点で見ますと、我が国は一二・九%ということで米国の一五・五%、それからドイツの一九・三%、フランスの二〇・四%というのに比較していまだに低い位置にある、こういうふうになっております。
#23
○國弘正雄君 お金ですね。つまり、投資の額の多寡、多い少ないというのは確かにその一つの社会なりあるいは政府なりがどの問題に対してどのような関心を持ち、重要性、プライオリティーをつけているかどうかということのあらわれだと思いますから、私は大変重要な今御指摘を賜ったと思います。
 それに関連して、私がちょっと最近恐れておりますのは、日米関係絡みなんですけれども、御存じのように、副大統領のゴアさんという人、これはクリントン・ゴア政権と私は呼んでいるぐらいでありまして、従来の冠婚葬祭用の副大統領とは全く違う、政策決定にもろにかむ実力副大統領であるというふうに考えて、ゴアさんを大変評価しているわけです。またゴアさんを選んだクリントン氏の何といいますか、目の高さというか人間を見る目の高さに敬意も払っております。
 ゴア氏というのは日本とはかなり関係が今まで深かった人で、特に環境問題においてはGLOBEインターナショナルというものの有力な一員として、私もそうでしたけれども、日本の議員、衆参両院の与野党の方々ともつき合いのある日本にもかなりの人脈を持った人でございます。その点は非常に結構なんですが、ただゴアさんのもう一つの専門は戦略ということですし、何よりも彼の一番大きな専門はハイテク技術ということなんですね。
 特に、彼が最近、これは上院議員のときからそうでありましたけれども、知的所有権ということをその中心の一人となって大変におっしゃるようになった。知的所有権の保護ということになってまいりますと、事は必ず基礎研究対応用研究と。そして、日本が基礎研究をいわばかなりおろそかにして、アメリカを含む諸外国で行われた基礎研究の成果を製品関連にすぐに応用する。それは、その意味において日本はただ乗りであると、「人の牛蒡で法事する」というような見方がゴアさん自身にもかなり強いんですね。
 基礎研究というのは大学がやる、あるいは政府の機関がやるわけですから税金で行われるわけです。アメリカ人が税金を使って営々として行ってきた基礎研究の成果を日本がちょっとしたロイヤルティーを払っていわば持っていって、後はもうアメリカの、これはアメリカに限らずヨーロッパについても多くのことが言えるわけですが、そういう基礎研究のようなものを自分ではろくすっぽやらないで人のあれで製品化し、それをまたごそっと我々のところに輸出してくる、貿易赤字はそれによって増大をする、こんなアンフェアな話はないではないかというような声がやっぱりゴアさん周辺にあるんですね。
 私は、これが将来の日米関係、近未来の日米関係にどういう影を宿すであろうかということを非常に懸念している一人でありますけれども、そのあたりのこともお考えになって、日本が基礎研究に余りにもお金のかけ方が足りない、そして人のゴボウで法事をしているというような批判が欧米で高まりつつある、ゴア副大統領はその先頭に立つかもしれないというようなことも含めて、もう一度このあたりについての御感想、御見解を科学技術庁の方にお願いしたいと思います。
#24
○説明員(天野徹君) 御指摘のとおり、これまでの我が国は欧米の科学技術の成果をベースにして、その後さらに積極的な研究開発を重ねた結果として今日の科学技術力というものを有するようになったということでございます。したがいまして、日本といたしましては、今後そういった培われた科学技術力をベースにしてやはり積極的に国際的な貢献を果たしていくべきであろうというふうに考えております。
 そのためには、やはり人類の共通の財産とも言うべき新しい知識というものを積極的に生み出し
ていくことが必要でございまして、そのためには研究者の創造的な活動あるいは自由な発想というものを十分にバックアップし、そういった発想を生かしていく、新しい知見を生んでいくということが重要であろうと考えております。
 そういう意味で、基礎研究に対する投資を今後とも大幅にふやしていくことが必要だというふうに考えておりまして、昨年四月に閣議決定をいたしました科学技術政策大綱におきましても、「時々の財政事情等を踏まえつつ、政府の研究開発投資額をできるだけ早期に倍増するように努める。」ということが書かれておりますが、私どもとしてもそういう観点に立って、重要な基礎研究の担い手であります大学、国研等の研究環境の改善、そういうものを通じて基礎研究の強化を図っていきたい、さように考えております。
#25
○國弘正雄君 大阪大学の工学部で大変悲惨な事件が先ごろ起きた。これを私も実は、見に行ったと言ってはおかしいんですが、友達の関係で出かけたんですが、やっぱりもう胸をつかれるほどの貧困な研究体制なんですね。ああいう事故が起きたとしても余り不思議ではないなと。
   〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕
 しかも、阪大というのは何といったって日本のある分野における自然科学の最先端をいく大学でありますから、あの大学においてこうだということを知ってもう本当に胸をつかれるような思いがしました。これは、やはり日本国民全体が私どもも含めて、将来の日本の生きていく道の重要な一つは科学技術の振興であるという立場に立って、予算面その他でもできるだけ外野の応援団として努力をしていかなくちゃいけないなと心に銘記しているところであります。
 もう一つ、最後に科学技術庁の方に伺いたいのは、国際貢献ということがよく言われるんですけれども、国際貢献というと何か非常に武張ったというか勇ましいというか血を流さなければ国際貢献ではないなどという、私をして言わしむれば謬見としか言いようのないような考え方が随分と広まっているわけですけれども、私は日本が行うことのできる国際貢献というのは、例えば科学技術分野でもたくさんあるというふうに考えています。
 例えば、ライシャワー駐日大使は、亡くなる五、六年ぐらい前から亡くなるそのときまで代替可能な太陽エネルギーの開発というようなことに大変に意を用いておられましたし、日本ができる最大の国際貢献の一つではないかというようなことを言い暮らしておられました。私も全く同感であります。
 そこで、科学技術庁の専門家のお立場から、日本が科学技術の面でできることというのも随分たくさんあると思う、国際貢献という意味では。どんなようなことがあり得るか、そしてその障害になるのは何か。予算だろうというふうにも思いますけれども、そのあたりについて御意見を承りたいと思います。
#26
○説明員(天野徹君) 科学技術の成果というのは、先ほども申しましたが、人類全体に利用される公共的な財産であろうと、こういうように考えられるわけでありまして、科学技術面からの国際貢献の基本はやはり人類共通の財産であるそういう知的な財産というものをふやすことであろう、こういうように考えております。
 このためには、まず第一に国内の問題がございまして、国内の基礎研究を強化してその創造的な成果を世界に発信できるようにすることであろうというふうに考えております。そのためには、研究開発基盤を整備して、そして優秀な研究者が集まるような場を形成し、そういったところからいい成果を発信していく、これがまず第一点であろうかと思います。
 それから第二点は、地球環境のような問題を初め、非常にグローバルに考えなければならないような科学技術問題、あるいは核融合のように非常に大型で国際協力によらなければ円滑で効率的な研究が推進できないようなもの、そういう国際的なプロジェクトに積極的に主体的に参加していくということが第二点にあろうかと、こういうように思います。
 それから、さらに開発途上国に対しては当然そこの途上国自身の自助努力ということが重要ではございますが、例えば人材の養成ですとかそういったところを中心に相手国の事情に応じたきめ細かな協力を行っていくということが重要かと、こんなふうに考えております。
 先ほどちょっと触れました科学技術政策大綱においてもそういうような観点から国際協力を積極的に推進しようということをうたっておりますが、私どもとしてもそういう点を踏まえ、今後とも積極的な国際協力を進めていきたいと考えております。
#27
○國弘正雄君 ぜひそういう方向を意識の上に置いて、これから施策をお願いしたい。科学技術というのは、私は日本にとって非常に平和裏に武張った形ではなく国際貢献を行っていく分野であろうと思いますし、そういうことを日本以外のところで期待する向きも非常に最近ふえているわけです。
 例えば、これはアリゾナ州のメサ・トリビューンという非常に小さなアメリカの新聞ですけれども、これが社説で、日本は余り国際社会に対して何もしてこなかった、しかし今後の日本に期待するところは非常に大きいと言って、日本がここ十年から二十年の間に電話、コンピューター、テレビ、ジェット旅行、宇宙飛行、ポリオワクチンに匹敵する発明をぜひ行ってほしいという期待感を述べています。また、マーシャル計画並みの対外協力をぜひ実行するような太っ腹さを持ち合わせてほしいとも言っております。本当に田舎の小さな新聞がこういうようなことを言う。もし、以下の四項目のうち二つを日本が完成し得たときには日本の昨今の尊大さ傲慢さにもあえて目をつぶる、こういう言い方をしておる。
 この四項目というのは何かというと、がんの治療法の開発、エイズの治療法の開発、実用可能な太陽エネルギーの開発、そして人口が毎年必ず一億ずつふえるという今の状況の中で世界飢餓の救済、そのために日本が国際的役割を果たしてほしい、それが日本のできる国際貢献ではないか、こういうことを言っているわけですね。全くそのとおりだと私は思うので、これはいずれも科学技術あるいは文部行政にかかわりが直接間接にあることばかりでありますから、あえてこの社説を御披露するものであります。軍事大国化だけはくわばらくわばらとこの新聞も言っているということもあえてつけ加えさせていただきます。
 そこで、最後になりますが、外国語教育の問題について文部省の方々にぜひ伺いたいと思います。
 さっきもちょっと触れましたように、ライシャワー元駐日大使は、日本みたいに変化を恐れない人々がなぜ入学試験の問題と、それから外国語教育についてばかりはかくも保守的であり変化をためらうのであろうかということを言っております。入学試験については既に触れましたから外国語教育について伺いたいのでありますが、英語教育だけということになると私はやっぱり問題があると思うので、最初に英語について、それから第二番目は非英語の、日本にとって非常に重要な外国語の一つであるチョソン語について伺いたいと思います。
 まず最初に英語ですが、最近文部省その他の肝いりでJETと呼ばれる、若い人々が英語の教育の助手として高等学校や中学校、全国津々浦々に配属をされているということがございます。私もその何人かを知っておりますけれども、大変いいことだなと思う。随分お金がかかるんだと思いますが、このJETの計画について予算規模とかあるいはどこの国の人が何人ぐらいどうやって来ているかというようなことをお教えいただきたいと思います。
#28
○政府委員(野崎弘君) 現在、JETプログラムによりまして来日中の外国青年は三千三百二十五人でございまして、そのうち外国語指導助手として来ておりますのが三千百八人、国際交流員とし
て来ておりますのが二百十七人でございます。
 この事業は、文部、外務、自治の三省、それと地方公共団体の協力のもとに実施をしておるわけでございまして、それぞれが必要な予算を計上しておるわけでございます。
 まず、文部省は外国語指導助手の学校教育に関します研修、指導、オリエンテーション、こういう事業を実施しておりまして、平成五年度予算におきましては約一億四千三百万円を計上しております。それから、外務省におきましては海外におきます募集選考を実施しておりまして、それに要する経費といたしまして約一億一千六百万円。それから、自治省におきましては招致計画の策定関係を担当しておりまして、それに要する経費を約八百万円計上しております。
 それから、外国青年の給与、旅費等に要する経費は地方公共団体が負担しているわけでございますが、これにつきましては地方交付税で措置をしておりまして、青年一人当たり五百六十九万円を基準として措置しておる、こういうことでございます。
 それから、国別の数字でございますが、これはJETプログラム全体でございますので、いわゆる国際交流員も含めての数字になります。平成四年度でアメリカが千七百十人、それからイギリスが五百九十六人、オーストラリアが百八十二人、ニュージーランドが百六十五人、カナダが五百八十六人、そのほかアイルランド、フランス、ドイツ、中国というような分布でございます。
#29
○國弘正雄君 私自身はこの計画というのは非常にいいと思うんです。つまり、生身の若い外国人、アイルランド人であったりカナダ人であったりニュージーランド人であったりが日本に来て、そして生身の日本の高校生ないしは中学生と異文化体験をお互いにしてくれるというのは大変にすばらしいことで、そういったようなことが広がっていくことにしか私は将来の希望はないだろうとすら思っているんです。
 ただ、一つ問題があるとすれば、現場のいわゆる先生方、中高の先生方の間ではこのJET計画というのは必ずしも一〇〇%好まれていないというか、むしろ荷厄介だとかお荷物だとかそんなようなことをおっしゃる方もおられる。
 毎日新聞から出ている「エコノミスト」にさる高名な専門家がそういう荷厄介お荷物説というのを展開されて、私などは大変腹を立てました。なぜそういう近視眼流なことを言うかというと、要するに外国語としての英語教育というものの専門家でないと。彼らが、つまり外国から来る人が。例えば、生物をやったり物理をやったり歴史をやったりした人たちで、外国語として英語を教えるということの専門家でない、だから荷厄介お荷物だというのは、私はもう全くこれは近視眼流の暴論だと思って反発して、また反論を書いたこともあるぐらいであります。その点は、これはもう退けてもいいと私は思うんです、そういう何というか見当外れな批判は。
 ただ、費用対効果ということを考えますと、一部の先生方はそれを大変強くおっしゃるんですが、日本人の英語教員の海外研修の費用になぜもっと充ててくれないんだろうということをおっしゃる。それから、下手に海外に研修に行くと、その期間いかんによってはもう帰ってきてもポストがないというような職場の保全の問題もなくはない、これはすべてそうだとは思いません。
 私はたまたまスコットランドのエジンバラ大学というところのフェローをしておりまして、夏にエジンバラに参りますとたくさんの中高の先生方が日本全国至るところからはるかイギリスまで見えて研修をしておいでになる。いろいろ伺ってみますと、大変なやっぱり経済的な負担なんです。これはすさまじい経済的な負担なんです。そして、例外的なケースではありますけれども、余り長期にわたりますと帰るべきポストを失ってしまう。これは県によったり地方によっても随分様子は違うようでありますから一般論はできませんし、文部省の御管轄以外だといえばそうかもしれませんけれども、とにかく財政的以外にも相当の負担をしょわなくちゃならない。
 だから、JETは結構だけれどもとおっしゃる先生方の中にも、JETにあれだけ力を入れるんだったらなぜ我々日本の英語教員の海外研修にもう少し配慮をしてくれないんだろうかという不満というか批判がなくはない。そのあたりどのようにお考えか、ぜひ承りたいと思います。
#30
○政府委員(野崎弘君) 今、先生御指摘ございましたように、やはりJETプログラム、これは全く外国の現地の言葉が聞かれるわけでございますから、私どもとしては大変これは教育におきまして大きな効果を上げている、このように思っているわけでございまして、また募集選考に当たりましても一定の要件をつくりまして選考を行っているわけでございまして、招致者の大部分は優秀で熱意にあふれた青年たちが来ているもの、こう思っているわけでございます。
 先生の御指摘ございましたように、日本人の英語の先生の資質の向上、これも大変大事なわけでございまして、文部省におきましても昭和五十四年から英語担当教員の海外研修事業を実施しているところでございます。
 数的に申しますと、これは二カ月、六カ月、十二カ月と、こうあるわけでございますけれども、発足当初は二カ月の研修だけがありまして、これが九十六人だったわけでございますが、平成五年度は、これは予定でございますが、二カ月が百九十人、六カ月が五十人、十二カ月が十八人というようなことで、トータル二百五十八人というようなことでございます。
 私どもとしましても、こういう関係の経費というものをさらに確保しながら充実していくことは大変大事なことだと思っているわけでございますが、さらに各県におきましてもそれぞれ独自の計画でこういうものを実施している県もあるわけでございまして、そういう事業のさらなる充実ということもまた指導してまいりたい、このように思っております。
#31
○國弘正雄君 時間がそろそろ参りましたから、これを最後の質問にさせていただきますが、外国語というと英語というふうにすぐイコールと考えるのは、これはまた我々の短見だろうというふうに思います。特に、アジアの諸言語というものが我々にとってやはり非常に重要な存在であるということは今さら申し上げるまでもありません。
 その一つの例として朝鮮語についてちょっと伺いたいんですが、私はこの朝鮮語の問題については非常に思い出がございまして、かつて、亡くなった桑原武夫先生やそれから中野好夫先生なんかの驥尾に付しまして、一万数千人の署名を集めてNHKに朝鮮語の講座を設けるという運動を行いました。御案内のように、今では朝鮮語の講座がテレビで持たれております。
 ただ、厄介だったんですね。北と南とどっちをあれするんだとか韓国語と呼ぶのはやっぱりおかしいとか、それじゃ朝鮮語と呼ぶとすると昔の好ましくないニュアンスが、侮べつ的なニュアンスが伴うとかというようなことがいろいろありまして、結果としてハングル語という言葉で呼ぶようになった。大学の中にはコリア語というような言葉で呼んでいる大学もありますし、それから原音でチョソン語というふうに呼んでいるところもある。朝鮮と言うとニュアンスが悪いけれども、チョソンと言ったらそれでいいじゃないかというようなことで、いろいろ便法を講じたわけであります。
 そこで、最後のお尋ねは、この朝鮮語の普及、つまり特に大学教育、一部の高等学校でそういうことを行っているところがあることは知っていますが、主として大学及び短期大学で大体どの程度までチョソン語が教授されているか。英語との対比というのは、これはちょっと意味がないと思いますけれども、数その他をお聞かせいただければ幸せですし、そういうチョソン語を教えることのできる十分な人材が私は在日の方々の中にたくさんおられると思いますが、その人材がどこからどのように供給されているかというようなこともあわせ教えていただければ幸いです。
#32
○政府委員(遠山敦子君) コリア語、朝鮮語と申すんでしょうか、これに関する授業科目を開設している大学数を申し上げますと、国立大学は平成四年度で二十三大学ございます。また、公立大学は十三大学、私立大学は六十九大学でございまして、合わせて百五大学においてこの科目が開設されております。これを平成元年度の状況に比べますと、平成元年度におきましては国立大学十二大学、公立大学九大学、私立大学五十五大学、合わせて七十六大学でございましたので、かなりこの科目はふえているというふうに見てよろしいかと思われます。
 この分野の言語のみならず、最近ではいろんな言語についての授業科目が開設されつつございますし、また教育のあり方についてもそれぞれの大学におきましてかなり力を入れて改善が進んでいるところでございます。
#33
○國弘正雄君 あれこれいろいろ伺いましたけれども、大変私としても勉強になりました。
 それでは、同僚の森暢子議員が関連の御質問を持っていらっしゃるので、森さんにバトンをタッチいたします。
 ありがとうございました。
#34
○森暢子君 平成四年の四月二十三日、百二十三回国会におきまして国立学校設置法及び国立学校特別会計法の一部を改正する法律案というのが可決されました。そのときにつけられました附帯決議などに関連いたしまして質問をしたいと思います。
 前回の大学の改組は、お茶の水女子大に生活科学部、それから京都大学に総合人間学部、神戸大学には国際文化学部と発達科学部をそれぞれ設置した。大変すてきな名前ばかりでございます。引き続き今回は群馬大学の教養部を改組して社会情報学部、名古屋大学の教養部を改組して情報文化学部、奈良女子大学の家政学部を改組して生活環境学部を設置するという法案の内容であります。また、短期大学を廃止して昼夜開議制にするとかいうことで教育体制の充実をするというふうな法案でございます。
 また、今後平成五年度においても国立学校設置法の一部改正措置を予定している学校もあると聞いておりますが、大学の改組が大変多いですね。これらの改組の動き、それからその背景、また文部省としての考え方は前回にもお聞きいたしましたけれども、改めてどのような考え方をなさっていらっしゃるかお聞きしたいと思います。
#35
○政府委員(遠山敦子君) 今、各大学におきまして、国立大学のみならず国公私立の大学を通じまして大学改革ということに真剣に取り組みが始まっているところでございますが、その背景にはやはり大学における教育、研究を充実しようということについてのコンセンサスというものがございまして、そういう背景を受けまして大学審議会におきまして、大学の個性化、多様化、活性化、高度化といった観点についての御議論がなされました。
 また、その結果、答申が行われまして、そしてその答申等を踏まえまして各大学が独自のカリキュラムを自由に設定して、それぞれの個性的で特色ある発展が図られるように平成三年七月に大学設置基準が改正されたところでございます。そして、最もわかりやすいその内容が一般教育と専門教育の区分が廃止されるというふうな制度の改変によりまして、その制度が大綱化されたということがございます。
 このような改正を受けまして、各大学におきましては今カリキュラムというものを本当に見直していくという動きが始まっているわけでございますが、その際に、これまで教養部において行ってきた教養教育の見直しを含めまして、一般教育と専門教育を体系的に見直して四年一貫のカリキュラムを組み直すというふうな考え方で改革が進められているところもかなりあるわけでございます。
 そのような改革の流れの中で、今先生がお話しくださいましたようないろんな動きがあるわけでございます。教養部改革は、御存じのように、もうその廃止が目的ということではございませんで、各大学におきますカリキュラムの充実ということが目的であるわけでございまして、教養部の改組もその検討の結果として生ずるものでございます。
 いずれにいたしましても、文部省といたしましては、今後におきます各大学の検討状況というものを十分踏まえまして、またその構想の熟度というものも検討いたしました上で必要な支援を行っていきたいというふうに考えているところでございます。
#36
○森暢子君 その趣旨はよくわかるんですが、ただ前回のときにいろいろとこの法案につきまして一つの課題について、そのときは鳩山文部大臣でしたけれども、話し合った中で、今言う一般教養の問題、リベラルアーツ・エデュケーションというのを一般教養というかどう訳すかよくわかりませんが、つまり広い意味の人間形成をする、一応の教養をつけるその部分と専門教育の区分がなくなるということに対する不安というもの、そういうものが語られました。
 前文部大臣も、やはり人間には幅の広さというのですかいろいろな体験が必要である、そういうことを考えると一般教養はとても大切だということをおっしゃっておられるわけです。各大学がそれをきちっと受けとめて、それで自由にそれらも生かしながらカリキュラムをつくっていくということは大変いいことなんですけれども、そういう点を大変心配いたします。
 つまり、小さいころから、今國弘委員がおっしゃいましたように、いい大学へ行きいいところに就職するという目標のもとに、本当に選ばれた保育園、幼稚園とずっと進んできて、はい勉強しなさい、はい学校へ行きなさい、そして部活動は適当にして帰ってすぐまた塾へ行きなさいというふうな中でずっと大きくなって、ようやく大学に入った。この大学生たちは本当に指示待ち族なんですね。指示を待って動く。指示がなければ自分で考え行動することができない。こういう若者が今できているということは御存じだと思うんですね。まだ、大学生になっても、ああしなさいこうしなさい、何々ちゃんこうしなさいああしなさい、この人と結婚しなさい、いやいいようにいかなかったとかそういうふうなことで、今いろんな社会の問題が起きている。
 そういう中で、やはりようやく大学へ入って、その中ですぐ専門に入るのではなくて一般教養的なそういう人間をつくっていく、そういうものにも大学の一つの大きな理念があるのではないかというふうなことを考えて大いに討論されたわけであります。
 そういうことにつきまして、新しく森山文部大臣をお迎えしましたので、この法案に関連してどのようなお考えがお聞きしたいと思います。
#37
○国務大臣(森山眞弓君) 先生御指摘のとおりというふうに私も多くの部分は共鳴させていただきます。
 しかし、この法案につきましては、先ほど局長が御説明申し上げましたように、教養部を廃止して、例えば群馬大学では社会情報学部、名古屋大学では情報文化学部、奈良女子大学では家政学部から生活環境学部というふうに変えるという結論として書いてございますけれども、そこに至るまでの検討の内容というのは、先生が御心配くださいましたような教養的な面について、それを教養部というところで勉強する、そしてその後は専門の方に移って今度は専門だけやるというような、ある意味で硬直的なものを外して四年間に教養として必要なものを専門の科目とあわせて柔軟に対応しながら勉強を続けることができるようにと、抽象的に申せばそのような考え方に基づいた改変である。考えようによっては、教養的な科目、教養の涵養ということをさらにやりやすく充実させたものにしたいという気持ちもあるわけでございまして、その点私は現在までのやり方よりもさらによくなることが期待できるのではないかというふうに思っております。
#38
○森暢子君 余り文部省があれやこれや大学の自
治に対して指導ということはできないと思うんですね。しかし、大学の自治とか自主性も重んじながら、ぜひ本当にこれからの社会に対応する人間をつくる大学の基礎的な学術というものは大変大切だと思いますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
 それに続いてたくさんの大学がそういうお気持ちを持っているようでございますが、何かその辺の情勢がわかりましたらお教え願いたいと思います。
#39
○政府委員(遠山敦子君) 今、全国的な大学の動きというものを端的に申し上げる資料もございませんし、また私どもも断片的にはいろいろ御希望も聞いているところでございますが、総体としてどれだけあるかと言われますとちょっとお答えしにくいわけでございます。
 カリキュラム改革といいますものは、その大学にとっては大変な出来事であるわけでございます。それぞれの専門の教員の方々がそれまで蓄積された自分の学問とか教育の方法というものを一たん見直して、そして再構築していくという作業でございますので、大学によりましてはかなり時間のかかるところもあるわけでございます。
 順次相整い、かつその構想自体が熟度を持っているようなときには私どもはサポートしていくということでございまして、まだ教養部という形で残している国立大学はかなりあるわけでございますが、その動きを見ながらサポートしていくということで、端的なお答えができなくて恐縮でございますが、そういう動きがあるということは確かでございます。
#40
○森暢子君 それでは次に、財務センターのことについて少しお尋ねしたいと思います。 これは前回の法案に関連いたしまして、文教予算の拡充は当委員会の委員全員の願いであるんですけれども、特に大学の施設設備の老朽化、狭隘化に対してどのように予算をとっていくかということは大変な仕事だと思います。その中で、財務センターというものの設置が可決されました。これは御存じだと思うんですが、国立大学の跡地を売却いたしまして、その資金を財務センターが管理して、そしていろいろな大学の施設設備の充実に充てる、こういうふうなものであったんですが、その財務センター設置が昨年の七月に実施されたのでしょうか、その後の状況を少しずつお聞きしたいと思います。
 何か千葉県の幕張の放送教育開発センターに間借りしているとかというふうなことをお聞きしておりますが、体制とか組織が整ったのでしょうかお聞きしたいと思います。
#41
○政府委員(遠山敦子君) 先生のお話のとおり、現在場所的には千葉県の幕張において事務が実施されつつあるわけでございます。
 組織について申し上げますと、平成四年度におきましては所長のほか研究部一名、管理部三名、合わせて五名の体制によりセンターを発足させたところでございますけれども、今年度は先般の予算でお認めいただきましたところによりまして、研究部一名、管理部五名、計六名の増員を図ることができまして、全体としては十一名体制に拡充いたしましてセンターの事業の積極的な推進を図ることとしているところでございます。
#42
○森暢子君 その際に、大阪大学医学部の跡地を処分するというふうなことが出ておりましたが、それがちゃんと処分されたのでしょうか。予定額とかそれから売却後どういうふうな用途を考えていらっしゃるかお聞きしたいと思います。
#43
○政府委員(遠山敦子君) この財務センターが国立大学の跡地処分をし、またそのことに伴う経費を資金として活用していくというプロセスについては御存じのとおりでありますが、そのプロセスの中で特定学校財産に指定するという作業が必要であるわけでございます。
 特定学校財産といたしましては、大阪市が市街地再開発事業によりまして平成三年九月に移転が完了いたしました大阪大学医学部跡地の一部に美術館と舞台芸術総合センターの設置を計画いたしておりまして、そのための用地につきまして平成五年度中の取得要望を持っておられるところから、平成四年十二月に所要の用地を指定したところでございます。
 全体の処分の予定額は大体一千億を超えるのではないかと考えておりますけれども、その処分につきましては今大阪市と協議しながら取り進めているところでございます。また、処分時期といたしましては今年度中を予定しているところでございます。
#44
○森暢子君 財務センターにはそのほかいろいろな業務があるというふうに前回いろいろとお聞きしましたが、一つの業務として民間からの寄附を集め、それを配分するというお仕事もあったように思いますし、また一つは国立大学の学生の納付金とか国立大学の授業料、それから高等教育にかかわる財政について専門的な研究をするというふうな仕事があったように思いますが、そういうことは今どの辺までいっているでしょうか。
#45
○政府委員(遠山敦子君) 国立学校財務センターにおきましては、昨年七月設立いたしまして後に、先ほど申し落としたけれども、評議委員会あるいは運営委員会を設置するなどいたしまして必要な体制を整えて業務を開始しているところでございます。
 その中に、先生御指摘のように、幾つかの業務が予定されているわけでございますけれども、先ほど申しましたような、昨年度におきましては五人体制であったというふうなこともございますし、いろいろ事業を発足させるにはさまざまな準備が必要であるということで、まず昨年度中は大阪大学医学部跡地等につきましての特定学校財産の指定関係の業務に専念をしてきたところでございます。
 お尋ねの奨学寄附金の受け入れについてもやるようになっていたのであるがその点についてはどうかというお話でございますけれども、確かに財務センターにおきましては寄附先の国立学校を特定しない奨学寄附金の受け入れを行うことを目的とする初めての機関として期待されているところでございますが、現時点では経済関係団体等と連絡をとりながら、その趣旨についての理解を求めるという活動を行っているところでございます。
 その他、お話がございました財政状況と申しますか国立大学にかかわります財政状況に関する調査研究でございますけれども、研究部の活動におきましては、平成四年度は研究部長一人だけであったというふうなこともございまして、まだ立ち上がりの段階にあると言っていいかと思うところでございます。平成五年度からは二人の体制になりますので、担当の人たちは大変張り切っております。
 今後とも、さらに充実が図られてまいるというふうに考えております。
#46
○森暢子君 そうですね。まだ本当に発足して七カ月か八カ月ですからこれからだと思うんですけれども、文教予算がいつも少なくて、この委員会としてはもうみんなで教育に対する予算を獲得しようという中で、苦肉の策として国立大学の所有地を売ったお金で、そしてそれを資金にしながら国立大学の設備を充実させていこうという、はっきり言えばタコが自分の足を食べているような本当に苦肉の策でございまして、頑張っていただくしかないと思うんです。
 しかし、前回の附帯決議の中で、二番に、
  国立学校財務センターが大学における教育・研究環境の整備充実を目的に設置されるものであることにかんがみ、その業務の遂行に当たっては、各大学の自主性を尊重するとともに、公正・適切な運営に努めること。また、跡地等の処分に当たっては、地域社会とも協調しつつ、公共的利用を優先するよう十分に配慮すること。
というふうなことで全会一致で決まっておりますので、こういうことをお考えいただき、今後とも頑張っていただきたい、このように思います。
 引き続き、四月十三日の新聞報道でございますけれども、政府・自民党の緊急総合景気対策というものが新聞紙上をにぎわしておりました。その
中で、緊急総合景気対策として過去最大の十三兆二千億円の補正予算案を五月の運休明けにも国会に提出して、そして今国会の会期中、六月二十日までの間に成立させる考えというふうなことで出ておりました。
 そして、そこをよく読んでおりをしたら、この中に、「国公立の研究機関整備や情報通信基盤整備などを「新社会資本整備」と位置付けて重視しているのが特徴」というふうに出ているわけですね。もっと読んでおりますと、その中に大変具体的なものが書いてあるんですね。「大学・研究所、医療・社会福祉施設の整備」、また大学の名前まで書いてあるのがございましたが、その辺について文部省はどのようにお考えなんでしょうか、お聞きしたいと思います。
#47
○政府委員(吉田茂君) 御指摘の総合経済対策でございますが、過日の閣議において了解をされました内容の大きなポイントの一つとして、公共投資等について十兆六千二百億円という数字が上がっておるわけでございます。
 その中身といたしまして、一般公共事業等四兆一千七百億円、それから国民生活基盤、研究開発基盤等の充実、これは従来はいわゆる、その他施設費と称していた分でございますが、これが四兆一千五百億円、そのほかに地方単独事業等その他事業合わせまして、今申し上げました十兆六千二百億円という数字、全体の大枠が閣議において了解をされたという段階でございます。
 具体的な事業の内容あるいはその金額につきましては、これから補正予算ということに向けて編成作業が始まるわけでございますが、現在その調整中でございまして、具体的に今の段階で先生御指摘のありましたような内容につきましては決まっておりませんし、これから関係省庁と鋭意調整をしていきたい、こう考えておるわけでございます。
#48
○森暢子君 昨年度、平成四年度も補正予算というものがありまして、その中で文部省もいろいろとやったと思うんですが、主にどういうことをなさいましたか。
#49
○政府委員(吉田茂君) 御指摘の平成四年度の補正予算でございますが、これもやはり総合経済対策として、文部省全体の総事業費が千九百五十五億円でございました。これが追加計上されたわけでございます。
 内容の主な項目を申し上げますと、公立学校施設が七百九十九億円、それから国立大学、私立大学等の施設の整備で七百五十四億円、それから国立大学、私立大学の教育・研究設備の整備で三百十二億円、社会教育、体育施設の整備で九十億円、合わせて千九百五十五億円が補正予算として追加計上されております。
#50
○森暢子君 今回の新社会資本整備と位置づけている中に、今まで経済対策では額も少なく目立たない存在であった文教、それから研究、福祉、そういう施設などを中心に一兆円ほど盛り込む方針ということなんですね。この機会をやはりとらえて、文部省としてもしっかり予算をもらわなきゃいけないと思うんです。
 それで、前回の平成四年度のを今お答えになりましたが、見ておりましたら、いろんな事業の一部補助に充てられているんですね。それが多いですね。
 今回、毎日新聞によりますと、「新社会資本整備として東大、阪大、東北大に新研究施設を建設するなど大学・研究所、医療・社会福祉施設の整備」「などを盛り込んだ。」とあるんですが、東大、阪大、東北大に新研究施設というのを文部省は御存じなんでしょうか。
#51
○政府委員(吉田茂君) 現在の状況では各国立大学におきまして、先ほど議論になっておりました特別施設整備事業などは今御指摘のような大学も含めて重点的な整備がなされておるわけでございます。ただ、今回の総合経済対策につきましては大枠が決まっただけでございまして、この後、体具体的にどういう項目を計上し、例えばどういう大学を対象にするということにつきましてはこれから鋭意詰めてまいりたいと、こう考えております。
#52
○森暢子君 やはりこういうときには文部省は積極的に、何といいますか内容とかそういうものをやっぱり言っていかなきゃ、よそからこういうものが新聞に先に出たりするようなことではいけないと思うんですね。もっときちっとしたものを出していって、じゃ文教に関係した社会資本とは何か、こういうことを考えると何か形が浮かんでこないですか。 ただ今までのいろんな文教予算の予定の中の一部補助にこれを充てるんではなくて、やはり本当にこれから生涯学習の時代になる中の文教としての社会資本となり得る施設とか企画、そういうものを積極的に出していって、そして文部省はいいことを言うな、ああこういうものがあるのかということでそういう予算をもらうというふうな積極的な姿勢をぜひお願いしたいんですね。
 私ども文教委員会は、それにもう応援いたします。文部大臣、応援いたしますので、ぜひそういう積極的な姿勢を政府に示していただきたいということをお願いいたしまして、文部大臣の御決意などをお聞きして、終わりたいと思います。
#53
○国務大臣(森山眞弓君) 大変心強いお言葉をいただきまして、ありがとうございます。
 御指摘いただくまでもなく、文部省といたしましては、かねて大変問題だと思っておりましたさまざまな文教施設や設備の問題につきまして、この際何とか改善のために突破口を開いていきたいというふうに思いますので、今までも鋭意各大学やあるいは財政当局とも具体的に相談をそろそろしているところでございますが、これからも積極的に私どもの意見を強く申しまして、できるだけ希望が実現しますように頑張っていきたいと思います。
 このような問題がクローズアップされてまいりましたのも、文教委員会の諸先生方がたびたび御指摘いただきまして御声援をいただいたおかげでございまして、これからもどうぞよろしくお願いしたいと存じます。
 ありがとうございました。
#54
○委員長(松浦功君) 午前の審査はこの程度とし、午後一時まで休憩いたします。
   午後零時三分休憩
     ――――◇―――――
   午後一時開会
#55
○委員長(松浦功君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#56
○刈田貞子君 午前中からいろいろと皆様の討議を聞かせていただいておりましたが、私も今回の一部改正にかかわって、一昨年来からスタートいたしました大学設置基準の改正にさかのぼってちょっとお伺いをしてみたいというふうに思います。
 まず、先ほど同僚委員の方からも出ておりましたけれども、大学設置基準の改正に当たって、平成三年七月施行だったと思いますけれども、設置基準の大綱化あるいは簡素化ということの一環としてカリキュラムの枠組みを変えていくことが出されておりまして、それに基づいて今回の群馬大学の社会情報学部あるいはまた名古屋大学情報文化学部等に教養部を改組するというようなお話が出ているわけです。
 そこで、私は、大変この大学設置基準の改正に当たって、この教養部あるいは一般教育が果たしてきた役割のようなものについて多くの論議があったことを会議録で勉強させていただきましたけれども、改めて、これまで教養部というものが果たしてきた役割あるいはまた一般教育というものがどんな役割をこれまで持ってきたのかというところから、まずお伺いをしてみたいと思います。
#57
○政府委員(遠山敦子君) 一般教育の理念と目標につきましては、「大学の教育が専門的な知識の修得だけにとどまることのないように、学生に学
問を通じ、広い知識を身に付けさせるとともに、ものを見る目や自主的・総合的に考える力を養うこと」とされているところでございます。これは平成三年二月の大学審議会答申における「大学教育の改善について」において書かれていることでございます。
 先生も十分御案内のとおり、大学教育におきます一般教育は、戦後、新制大学の発足時に導入されたものでございます。このときにも高い理念を持って一般教育というものが実施され始めたはずでございます。各大学におきましては、それぞれがそれぞれの考え方に従って学生に幅広い知識、教養を得させるということをねらいとしていろんな努力が重ねられてきたものと考えているところでございますけれども、ただその実態はかなりさまざまな状況になっていたわけでございます。
 そのことについて一概に評価するということは困難であるわけでございますがただその現状につきましてはかねがねその一般教育の高い理念、目標と実際の授業との間に乖離があるのではないかというような点が挙げられておりましたし、また専門教育との関係におきましても有機的な関連性が十分とられていないのではないかというふうな問題点の指摘もあったわけでございます。
 そのような指摘を踏まえまして、平成三年の七月に大学設置基準を改正いたしまして一般教育と専門教育の区分を廃止いたしまして、一般教育と専阿教育が有機的な関連性を持ってカリキュラムが組まれるようにということで必要な措置をとったところでございます。
#58
○刈田貞子君 この一般教育とか教養部のあり方というような問題は、これはもう古くて新しい課題で多くの論議があったことを私も存じておりますし、今でもやはりこの賛否が分かれているような状況にあるんだろうというふうに思うんです。
 例えば、今回の有機的な云々というふうなお話で専門課程と教養課程というものがいい関係でその枠が取り払われたことによって機能していく場合には大変有効な個性的な教育課程を編成することに寄与していくだろうというふうには思いますけれども、一方で大学、つまり高等教育機関が持ちますところの役割の一つとして、学生に対して自立した社会人として成長していく、教養豊かな市民として成長を遂げていくというようなことの上に必要な知識や能力を涵養させるというようなことが言われます。一般的かつ広範な知識が教授されることにとどまらず、こうした知識を応用する能力とか批判的視点あるいは分析する能力あるいは異なった価値観を総合して見る能力というようなものを培うということがこれまで一般教育の一つの目的の中にあったというふうに私は理解をいたしております。
 したがいまして、下手をするとといいますか、大変汚い言葉で言いますと、一般教養というものは、一般教育科目の履修は卒業要件にはもう入らないわけですからその課程は一つも履修しなくても卒業できるということで、聞くところによると、東北大学なんかは入学した新入生から実験室に入るというようなことが工学部でしたか、そんな話も私は読みましたけれども、そういう中でいわゆる専門ばかというような言葉があるわけですが、そんな者が出てきはしないのかという実は問題点も持って認識している人間の一人なんですけれども、もう一度そんな点についてお伺いしたと思います。
#59
○政府委員(遠山敦子君) 今回の大学設置基準の大綱化に伴いまして、これまで定められておりました一般教育と専門教育の授業科目の科目区分というものが取り払われまして、またそれぞれの科目区分ごとの最低修得単位数が廃止されたわけでございますが、これを契機としてカリキュラムの見直しというものが始まったわけでございます。
 しかし、そのことは決して教養教育の重要性ということについて、これを後退させるという考えではないわけでございます。そのことは極めて明確に大学設置基準の中に新たに条項を起こしまして規定が念のために行われているわけでございますが、その中には、「教育課程の編成に当たっては、大学は、学部等の専攻に係る専門の学芸を教授するとともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよう適切に配慮しなければならない。」、これは当然のことを念のために規定上明らかにしたわけでございます。
 その中には、先生が先ほどお触れになりましたようなさまざまな能力の涵養というふうなことが想定されていると思うわけでございます。一方で、そういう科目区分上の規制の廃止というふうなことを反映いたしまして、例えば専門科目を入学後の第一年次からやってみるという大学が出ていることも確かでございます。しかし、それはすべてのカリキュラムをごらんになりましたら、恐らく今まで教養教育として位置づけられていたようなものがより有機的な形で専門教育との中で関連づけられながら授業科目として設けられていると思います。
 その意味で、私どもとしましては、先ほども申しましたように、今までむしろ教養教育といいますか一般教育の極めて高い理念、ねらいにもかかわらず実際の授業のあり方、カリキュラムの組み方自体が必ずしもそのねらいと合っていなかったというふうなことの反省の上に立って、むしろ生きた形で専門教育との関連性も持たせながら体系化されたカリキュラムが組まれてきつつあるというふうに認識しているところでございます。
#60
○刈田貞子君 今、局長が言われました十九条二項にそういう配慮があることは私もよく存じておるところなんですけれども、現実としては、やはりこれからカリキュラムの編成に当たっては各大学が皆自由であるということの認識に立ってかなり思い切った改革をやろうというようなことも今後出てくるであろうというふうに思います。
 新聞等では、大学進学者数が大変少なくなってきている中で人気取りのためのカリキュラム編成とかいろいろ書き立てますよね。そんなことがあっては大学本来の目的をなくしていくことにもなりますので、そうした問題について、やはりこれからかなりいろいろ見ていっていただかなければならない課題だろうというふうに私は思っております。
 そうしたものを検証していくために、先回の設置基準の大幅改正の中の二条で、今度は自己診断、こういう問題が恐らく連動して出てくるんだろうというふうに思うんですけれども、それはその認識でよろしいんでしょうか。
#61
○政府委員(遠山敦子君) 自己診断とおっしゃいましたのは自己点検・評価のことであろうかと思いますけれども、これからの大学は十八歳人口が減少するという事柄だけではなくて、今後の日本のあり方あるいは世界への貢献ということを考えますにつけましても、やはり大学の役割というのは極めて大きくなってまいるわけでございます。
 そうした中で、大学が社会の期待にこたえてその役割を果たしていくということのためには、各大学におきます教育内容、方法の一層の改善充実がどうしても望まれるという段階であるわけでございます。
 そのようなことから、それぞれの大学の自主的な努力によって改革が実現されていくわけでございますけれども、それを行います際に、やはりその段階におけるそれぞれの大学の教育、研究の実態、活動の内容というものが一体どういう状況にあるかということを自己点検・評価されることによってその改革の基盤が形成されるというふうに言えるわけでございます。
 このようなことから、平成三年二月の大学審議会答申におきましても、「大学が、教育研究水準の向上や活性化に努めるとともに、その社会的責任を果たしていくためには、不断の自己点検・評価を行い、改善への努力を行っていくことが重要」とされたところでございます。
 もちろん、これまでもそれぞれの大学あるいは
学部によりましては、みずからの活動について点検したり評価したりあるいは研究業績についてまとめをとり行っておられたところもあるわけございますけれども、新たに大学設置基準におきまして、先生お触れいただきました条項が新たにつけ加わったわけでございます。
 これは、先ほどもお話ございましたように、柔大学で多様にみずからの理念と判断によって特色あるカリキュラム編成を可能とする一方で、静方でその大学がみずからの責任においてその教育、研究の不断の改善を図るということを促すため自己点検・評価システムということを導入したいう考え方でございます。
#62
○刈田貞子君 自己点検・評価遜題に入りますけれども、今二条一項をおっしゃられたわけでざいますが、自己点検・評価の意味とか意義というものが出ているんだと思います。
 私は、この自己点検・評価という問題についてはかなりこの改正がなされるときに論議があったのも幾つかの会議録で読ませていただいているわけですけれども、なかなか難しい課題がやっぱりあるのではないかというふうに思うんですね。
 一つは、言葉をやゆするようですけれども、自己評価という言葉、評価とはおよそ客観的に行われるはずのものが評価であるように思われるのが自己がなすということで、この自己評価というような課題も実は私も一つ意味が読み取れないところもあります。強いて言うならば、大学という学問の府にあっては他の介入をよしとしないという、そういう問題があろうかというふうに思うんです。
 もう一つは、この一項では「努めなければならない。」というふうに書いてございます。これはあくまでも努力義務であることには間違いないわけですよね。
#63
○政府委員(遠山敦子君) 努力義務を規定しているわけでございます。
#64
○刈田貞子君 そうすると、やらなくてもいいわけでありますけれども、最近のある記事で読みますと、五百二十四校の日本の大学で、この自己点検なるものをやった通称で白書などと言われるものを公表したものはまだ五十九校しかないというふうに文部省は言っておられるようで、五十九校しかないということは、これはもっとたくさんの学校が自己点検をし、これを公表せよということに聞こえるのでありますが、この自己点検あるいは評価というものをどうしろというふうにおっしゃるんでしょうか。
#65
○政府委員(遠山敦子君) 自己点検・評価の意義につきましては、先ほど申し上げましたように、大学改革のいわば基盤としてみずからの活動について点検・評価するということが第一に行われることが望ましいということで努力義務として書いたわけでございます。
 それはその絡みで申しますと、自己点検・評価の体制を整えているところということになりますと、国立大学につきましてはすべて自己点検・評価の仕組みをつくっております。自己点検・評価という中身はそれぞれ考え方によりまして深さもありますし項目にもよりますし、したがって、時間のかかるものもあるわけでございます。したがいまして、少なくとも点検・評価の体制ができましたところはこれから順次その評価なり点検が行われてまいるんだと思います。
 それは必ずしも公表しなければならないかとなりますと、この点につきましては大学審議会がこのように答申において述べているわけでございます。「大学に対する社会の期待に応える」ためにも、「できるかぎり点検・評価の結果を公表することが望ましい。」というふうに書かれているわけでございます。
 その意味といたしましては、やはり学外の意見も反映しながら大学の質を高めていくという点で、みずからの自己点検・評価の結果というものを公表するということは意見を聞くのに望ましいわけでございますし、また大学に対します社会の理解というものを得るという上でも大変有意義であるわけでございまして、そのような形で大学が社会に開かれた存在として今後成長、発展していくには、まずみずから自己点検・評価をし、かつできる限り公表していくという方向が望ましいというのが大学審議会の考え方でございまして、私どもが先ほどおっしゃいましたような調査をいたしましたのもそういう点に照らして調査をしたところでございます。
#66
○刈田貞子君 それから、先ほどの二条の二項目のところに、点検・評価を行うに当たってのいわゆる趣旨に即した項目を大学が随時妥当と思われるものを整えていくというようなことが書いてございますね。
 これは、つまり点検する項目等については大学が独自にその項目を設けて、そしてそれについて自己点検していくということだろうというふうに思うんですけれども、大学によって項目の立て方が違っていくことによって、これは大学ごとの比較ということもまたできないのではないかということになれば、この自己点検・評価というのは一体何を意味するのかもう一つまだわからないんですけれども、教えてください。
#67
○政府委員(遠山敦子君) 自己点検・評価、特に評価という言葉は外からのそういう評価というふうな行動について冠せられるべき言葉ではないかと先ほどおっしゃいました。しかし、るるお話ししておりますように、今回の自己点検・評価というのはそれぞれの大学が今後の大学教育なり研究の改善に向かって、まず第一にその現状を把握してその問題点をしっかり見きわめた上で将来に向けて改善を図っていくということの要素として取り上げているところでございます。
 大学の自己点検・評価といった場合にどんな項目があり得るかということについて、これはまさに大学の良識に基づいてみずからの学内に設けた組織の中で検討されるということが望ましいわけでございますが、大学審議会の答申の中にも大学の自己点検・評価の例といたしまして幾つか挙がっております。
 例えば、「教育理念・目標」、それぞれ若干詳しい項目が立っているわけでございます。あるいは「教育活動」については「学生の受け入れ」であるとか「カリキュラムの編成」であるとか「教育指導の在り方」でありますとか、さらに「研究活動」でありますとか「教員組織」、そういった項目が幾つか挙げられております。
 こういうものを参考にしながら自己点検・評価はおやりいただくものだと思いますし、さらには大学の集まりと申しますか財団法人の大学基準協会というのがございます。これは、大学がみずからの水準を高めていくということのために集まっている、そういう財団であるわけでございますが、この協会が「大学の自己点検・評価の手引き」というものをまとめて出されたわけでございます。
 これは各大学に大変有効利用、活用をされているように聞いているところでございまして、これもそれぞれの大学がこういうことについてやるべしということで強制的になりますとこれまた画一的なことになりますけれども、こういったものあるいは大学審議会の答申の中で例示されたようなもの、そういったものを参考にされながらそれぞれの大学の見識にのっとって自己点検・評価が行われていくものと考えております。
#68
○刈田貞子君 具体的に大学にお伺いして三つぐらいの大学でお話を聞いてきましたけれども、やっぱり基本的にはいろんな迷いがありますね。そして、まず評価委員会でしょうか、それから後、実施委員会に移していくんだというような過程があるようでございますけれども、どんな項目を設けるかということの示唆が出たとしても、今度その項目の基準をどういうふうに考えるかというような問題まで出てきまして、それについてどんな形に今度は記述をすればいいのかというような具体的な段階になると、やはり現場ではまだまだ検討段階だなという感じを受けます。
 システムとしては、どうも各学部ごとの評価・点検をやって、そして学部ごとにそれを持ち寄って大学総体のものを何か編み上げるというかつく
り上げるというような感じの作業を進めていくようでございますけれども、やはり何か基準が欲しいなというふうな話が実は出るわけですよ。だけれども、一方で、いや基準なんか出されちゃ困っちゃうんだ、そんな評価を押しつけられたのでは困るんだという自己矛盾の中でやはりこれを何とかやっていこうという段階にあるというふうに私は思うんです。
 特に、私学なんかはたしかまとめた大学がまだ八校だと思いますけれども、非常に少ないわけですね。これは、私学はまさに私学の独自性というものを今までずっと歴史の中で持ってきているはずのところでございますから、それがなかなか精査しにくいということがあるんだろうというふうに思うんです。点検・評価ですか、なかなか言うは易しいし、文部省もお出しにはなられたけれども、ここにどういうことを期待されるのかなという問題が大変私自身の問題意識としてもあるわけでございます。これはだんだん実績を積み上げながら一つのいい形ができ上がっていくのかなというふうに思うので、私も関心を持ちながらこれを見守らせていただきたいというところなんです。
 実は、幾つかの大学が既に白書と称して出されているものの中に、話題になりました東大理学部のいわゆる第三者評価の問題がございますが、これは大変にユニークで、そしていろいろな論議を呼ぶ評価表だろうというふうに思うんです。いわゆるアメリカのアクレディテーションシステムのような形に一歩近づいているものなんだろうというふうに思うんですが、この東大理学部物理学科の自己点検・評価、これはもう自己点検・評価というのでしょうか、この評価についてどのようにお考えでしょうか。
#69
○政府委員(遠山敦子君) 先般、報告が行われました東京大学理学部物理学教室の評価委員会の結果を拝見いたしまして、私どもといたしましては、これはまさに自己点検・評価を超えているわけでございまして、学外者による評価、しかもその評価をされた方々は世界的に著名な研究者であられるわけでして、ノーベル賞学者も含まれているわけでございます。そして、その評価のやり方も何日もかかってかなり精密な形で行われておりますし、そのレポートの中身も極めて充実した中身でございます。
 その意味で、このような形で行われるいわば自己点検・評価を超えた客観的評価というふうなものは、日本の大学の中に一石を投じる効果を生むものと考えているところでございます。
#70
○刈田貞子君 そういたしますと、先ほどからいろいろ自己点検・評価という課題なものだからいろいろ自己矛盾が現場でも起きているということの中にあって、将来的にはやはりこうした第三者機関ないしは客観的評価というような形に今後大学におけるいわゆる評価をお考えになられておるのでしょうか。
#71
○政府委員(遠山敦子君) まず、今回の大学改革の基盤の一つといたしまして自己点検・評価ということを各大学でやっていただくように努めていただくということを今お願いした段階でございます。この後にどのようにそれぞれの大学で実施されていきますか、これは余り短兵急でなくて見守っていくという姿勢が非常に大事ではなかろうかと思います。そういうものが積み上がっていった段階で今後どういうふうなことがさらに実効を上げるためにあり得るのかというようなことは、またその段階で考える必要があろうかと思います。
 一方で、先ほど御提示になりました東大理学部のような行き方もございますし、あるいは自己点検・評価をする際に学外者を既に、これほど大規模でなくても入れ込んでいくような方向でありますとかいろんな形の自己点検・評価のあり方があるわけでございます。またさらに、大学団体等が各大学の自己点検・評価の検証を行うというふうな形でその客観性を担保するというふうな方向もあるのかもしれません。
 いずれにいたしましても、今の段階で客観評価はどうあるべしというふうなことについて私どもが申し上げる段階ではないと思います。
#72
○刈田貞子君 名古屋大学の白書、大分厚かったんですけれども、熱心に読ませていただきました。あれはやはり一番最後に、今言われたように、いわゆる自己点検・評価のあり方の評価というのをやっておりまして、大変私は興味深くその箇所を読ませていただいたわけでございます。
 やはり、大学側もこうした点検・評価のあり方についての模索をまじめにしていることは確かでありまして、これが一つ今日大きな課題になっておりますところの大学教育の大きな改革に結びついていく実あるものとして私はやっぱり積み上がっていくべきであろうというふうに思いますので、文部省側におかれましても、またそうした温かい目でいろいろ御助言等をなさっていくことが必要かというふうに思います。
 一つだけ大変俗な質問なんですけれども、この点検・評価された中身は文部省がこれを受けて、今後大学の質とかあるいはまた助成金の対象の云々とかあるいはまたランクづけとか、そうしたものの参考にでもなさるのでしょうか。
#73
○政府委員(遠山敦子君) 今の御質問に対しましては、そのようなことは考えていないと申すべきだと存じます。
#74
○刈田貞子君 そうしますと、私も名古屋大学の白書を読ませていただいて、大変おもしろく読んだんです。それは、医学部から始まったあの大学の歴史やら全体像が非常によく見えまして、大変いい大学の案内書だなというふうに思いました。
 そうすると、自己点検・評価表というようなものは、これはただ単に大学の案内書に終わるのかどうなのか。そうだとしたならば、今書店で大学受験者のための、あれよりもっとソフトなものまで書き込んだ、こんな厚い受験案内書を各大学競って出しているわけですね。それとの違いは何なんでしょうか。
#75
○政府委員(中林勝男君) 先ほどの自己点検・評価の結果を大学の助成にどうかかわらしめるかということにつきまして、補足的にお答えさせていただきます。
 私立大学等経常費補助金の配分でございますけれども、補助金を受けようとするそれぞれの私立大学の御申請をいただきまして島その中身は客観的な指標に基づきまして配分をするという、そういう建前になってございます。この客観的な指標というのは、例えば学生数であるとか教員数とか職員数、あるいは定員に対しまして学生数がどうであるかという定員の超過状況、またその逆の意味での定員の欠員状況、さらには学生納付金を教育、研究条件にどのように還元しているか、こういったような内容に基づきまして配分をいたしているところでございます。
 したがいまして、おっしゃるような意味で大学の自己点検・評価の結果を私大の補助金の配分に反映させているということはしていないところでございます。
 この配分方法は今後とも維持する考えでございますけれども、一層効率的かつ重点的な配分を進める、こういう考え方でおるところでございます。
#76
○刈田貞子君 これは、私は三校ほど読んだんですけれども、名古屋大学もそうですし他の大学もそうですし、恐らく今提出されている大学のほとんどがそういう評価をなさったと思いますけれども、自分の学校の大学の施設設備についての老朽化が大変大きな悩みであるというふうに指摘いたしております。
 そうすると、こういう悩みは悩みとして聞いてあげるということだけで、立派な自己診断をなさったにもかかわらずそれには何ら配慮がないということだろうというふうに今の御答弁ですと思うんです。これは時間がございませんので、そういうふうに理解しておきます。
 大臣に御質問いたしますが、実はどこの大学も自己点検をしながら施設設備、研究費等の問題について大変貧困であるという話を出してみずから
指摘しているわけですね。こういう問題に対して、これはどこでも、今までこの委員会でも飽きるほど言われ尽くされてきたことですけれども、こうした白書でみずから出された問題を文部省がさらに吸い上げるということはぜひしていかなければ、自己点検していく意味がないんじゃないかというふうに私は思うんですけれども、いかがでしょうか。
#77
○国務大臣(森山眞弓君) 自己点検・評価といいますのは、その目的が先ほどから局長がるる御説明申し上げておりますように、大学のあり方、これからの自分の大学がいかにあるべきか、今までやってきたことでこういういいところもあったが、こういう弱点もあったと。いわば反省のようなものを記録していただいて、必要に応じてよそから見ていただいた意見も加えて、そして自分の大学がこれからいかにあるべきかという方向を探っていくための一つの作業だと思うのでございます。
 ですから、それの中に問題点として、例えば今おっしゃいました研究施設設備の老朽化、狭隘化というようなことが問題だということも出てくるのは、現実にそういう問題があれば当然のことでありまして、それを何とか改善する方法を講じたい、何とか応援もしてもらいたいというような意見も当然出てくると思います。
 私どもも、かねてその問題には先生方からも御指摘をいただいておりましたし、私自身も幾つかの学校を直接見まして、大変厳しい状態にあるということを具体的に感じておりました。それがまた、先生方の御協力や多くの方々のお力添えによりまして、最近世間でも問題だということを意識していただき、財政当局もいろんな工夫をしてくださいまして、従来に比べますと大変好意的な措置をしていただいている、していただこうとしていると言ったらよろしいでしょうか、大変そういう点でありがたいと思っているのでございますが、いつも申し上げておりますように、平成四年度の当初予算における特別施設整備資金、あるいは補正予算における従来に増してのかなりの額の施設費の増強等ございましたし、このたびの平成五年度の予算におきましても、施設費、設備費、教育・研究経費等の各般にわたりましてその充実について最大限の努力をいたしましたし、また多くの方に御協力をいただいたということが言えるかと思います。
 これは自己点検評価の成果、もちろん関係ないことはございませんけれども、それだけではなくて、やはり全国の多数の大学の実態を多くの方がごらんいただき、問題点を認識していただいての結果でございまして、各大学の報告書もその参考として大いに活用されているということが言えると存じます。
#78
○刈田貞子君 三月二十五日に日本学術会議がやはり緊急提言をして、「大学等における研究環境の改善について」ということで河野官房長官に書面を交付しているということで、私手元にその原文をもらってきましたけれども、やはり今の大学における研究環境というものがまことに劣悪であるということで、これは先ほどの東京大学工学部物理学科の自己点検の中にも外国の方たちがレビューをなさったメンバーには入っておられまして、外国の学者が大変指摘をしておられる。こんな研究施設の中でよくこれだけのレベルの高い研究成果を上げているということで、何かむしろ外国の学者がびっくりしているというようなのが物理学科のレビューの中に入っておりましたけれども、やはりこれはどこから見ても今の研究環境というものは劣悪であるということでこの学術会議の提言あるいは私手元に持っておりますのでは日本工学アカデミーの緊急提言というようなものがあって、私どもだけではなく周辺から、やはり日本の大学の施設設備は何とも言えぬという御提言がございます。
 そこで、先ほど同僚の委員の中からもお話ございました新社会資本の問題でございますけれども、こうした新社会資本という、新しい私は概念だろうと思うんですが、こうしたことが国を挙げて今浮上してきているときこそ、先ほどのお話のように、文部省もしっかりとこうしたところに学校の教育施設設備というものを位置づけて予算要求をしていかなければならないのではないかなというふうに思っておりまして、新社会資本の整備を歓迎する、そしてその継続的な予算要求をしていくというふうに一番最初のろしを上げたのは、これは森通産大臣だと書いてあるんです。
 あちらは予算を持っておられるんですから、やはり文部省が一番先にこうした施設設備のあり方について大歓迎である、我が方もまずは一番最初に手を挙げる、継続的予算要求をし続けますというようなことで私はぜひやっていくべきではないかというふうに思いますし、先ほど来お話ありましたように、地方単独事業の中でもあるいはまた財投の資金の中でも同じような趣旨に沿ってこれを進められるということが書いてありますので、今後こうした予算を獲得するには大変いい環境が生まれたのではないかというふうに思いますが、もう一度大臣の御答弁をお願いします。
#79
○国務大臣(森山眞弓君) 先ほどからお話しいただいておりますように、国立大学の施設の老朽化、狭隘化の窮状につきましては大変深刻なものがございまして、多くの方の関心を集めているところでございます。
 学術研究の推進と有為な人材育成の担い手であります大学の教育、研究条件の充実改善ということは、単に文教行政として大変重要だというだけではなくて、将来にわたる我が国の発展の上、全体から見ましても、また国際貢献というようなものも考えましても極めて重要な課題でございまして、これについて私、文部大臣以外のほかの大臣方が多大の関心をお持ちいただくのは大変結構なことであり、ありがたいことだと思っております。
 先日決定なされました新総合経済計画におきまして、大学・研究所等の老朽化した施設等の改善を推進するということが盛り込まれたところでございまして、もちろん私としてはこれは大歓迎でございまして、ぜひ今後とも財政事情等勘案しながら、教育、研究の発展充実に資するように、施設の整備充実に予算その他の面でも一層努力をいたしまして充実に努めてまいりたいというふうに考えております。
#80
○刈田貞子君 先ほどの官房長のお話ですと、まだ枠が決まっただけで中身は決めてないというお話でございますから、大いに主張いたしまして、我々も応援団に加わりますから、予算獲得をしたいと思います。
 それから、そうしたいわゆる施設設備の非常な貧困さの中で、従来から国立学校設置法に基づいたいわゆる大学共同利用機関というものがあるわけでございまして、研究資料を組織的、網羅的に収集調査する必要のある分野とか全国的に散在する多くの研究者による学際的、総合的共同研究を必要とする分野等々、条件を持たせて共同利用機関というものができているわけです。
 ただ、この共同利用機関を今まで私立大学の院生が使っていたというところのものを、この通達は平成四年二月二十八日付で出されているものですけれども、以降私大の学生は有料であるということで、授業料を徴収するようになったわけです。大体年額二十五万円ぐらいの授業料を納めなければ大学共同利用機関が使用できない、こういう状況になったわけですが、これは先般の私が受託研究の問題で官民格差がより大きくなってしまうのではないかということとあわせて、これも大変官民格差を生む問題としてやはり検討していかなければならないというふうに思っています。
 今、大学共同利用機関は十四機関、十六カ所あるわけでございますけれども、例えば神奈川の相模原にあります宇宙科学研究所なんかは私立の大学の院生がそこへ研究と称して行っていることによって、いわゆる天文観測衛星を二十四時間運用しているその仕事にかかわってもらっているためにこの研究が動いているという実態があって、授業料を払うのであればもうやめたというふうに引っ込まれた場合には、ここの研究機関や研究所
も困ってしまうという実態あるんですね。
 いろいろ申し上げたいんですけれども、こうした私大の生徒から授業料を徴収するということを指摘なさった会計検査院、私たくさん時間ないので、ちょっと簡単にその背景を御説明いただけますか。
#81
○説明員(藤田正二君) お答えいたします。
 たしか、平成三年一月の会計実地検査の際にある共同研究機構にお邪魔したところ、国立大学の大学院におきましては私大大学院生が研究生として来た場合には授業料を取るという規定がございますけれども、同じ国立学校の特別会計で運営されておりまして、また研究生を受け入れているという共同利用機関におきましてはそのような会計経理上の規定が不備でございましたので、その点につきまして私どもの方で講評の際に注意を喚起したことがございます。
 そういう事実でございます。
#82
○刈田貞子君 注意を喚起しただけなのに文部省は積極的にそれを受けて、そして四年二月二十八日の通知ということになったわけです。具体的には「大学共同利用機関における大学院生の受入れに係る費用の徴収について」ということなんですが、これは私は文部省としては法律があるのをわかっております。
 しかし、例えば、つくばの高エネルギー物理学研究所は昭和四十六年にできているんだし、それからこれは東京品川の国文学研究資料館、四十七年。ずっとこういうところが設置されてから以降、私大の生徒さん、院生さんたちは無料で共同研究に参加してきたわけですよね。それが昨年から有料になった。大体月に直すと二万幾らになると思いますけれども、院生なんかは私は大変だろうというふうに思います。
 それで、人数を調べてみますと、やはり私立大学と公立大学両方合わせて平成元年で大体千三百七十名ぐらいいるんですね。だから、少ないといえば少ないかもしれないけれども、やはりこれらの研究生が大変にこの授業料ということで苦慮する立場もあるのではないかというふうに思いますが、この辺文部省はどういう御見解でおられますか。
#83
○政府委員(長谷川善一君) 大学共同利用機関は、平成元年に国立学校設置法の改正が行われたときに名称を国立大学の共同利用機関から大学共同利用機関ということに改めまして、国立大学を中心とする利用の機関から広く大学の共同利用の機関ということにして研究の推進を図っていこうということにしたわけでございます。
 その後、私立大学の研究者の利用を促進するために、各大学の研究者の参加を得て実施しております共同研究に係る共同研究費、これは旅費と研究費でございますが、それの充実を格段に図る、それから客員研究部門を新設するなどの整備を図りまして、これにも公私立大学の研究者を客員教官として受け入れる枠を大幅に拡大いたしておるわけでございます。現在、共同研究員として来ております私立大学の関係者、平成三年度の合計では一千六十二人、これは共同研究員でございます。
 そういうことで、私立大学にもどんどんと利用が広がっておるわけでございますが、ただいま先生の御指摘の大学院生の件でございますけれども、院生の数は公私立大学を合わせましても平成四年度でも二十名でございます。
 こういった学生から授業料を徴収するに至りました経緯、ただいま会計検査院の方からもお話がございましたけれども、そもそも共同利用機関が院生を特別研究学生として受け入れて研究指導を行うというのは共同利用機関の設置の趣旨の一つでございますけれども、国の営造物でございます国立学校の使用にはその使用料の負担というのが必要でございまして、従来から国立大学あるいは国立大学の附置研究所等々に受け入れております特別研究学生については授業料を徴収してきておったわけでございます。
 大学共同利用機関についても本来授業料を徴収すべきであったわけではございますが、学生数が少なかったということもございますし、教育を受けるという形よりも研究を一緒にやるという形の方がかなり一般的であったということもございまして、各機関におけるそういった教育中心の学生に関する具体の規定の整備というのがおくれておったわけでございます。平成元年からこういった共同利用機関を母体に総合研究大学院大学というのもできまして、そこで正規の学生も受け入れるようになりました。
 そういう形で、共同利用機関も教育という面で相当きっちりした具体の規定の整備を行わなければならないというところから、平成四年度に規定を整備して徴収するということにいたしたわけでございます。
#84
○刈田貞子君 余りよくわからないんですけれども、やっぱり今対象者は二十人だとおっしゃいましたね。二十人だから徴収してもいいということには私はならないと思うんです。やはりこれは一つのルールだと今おっしゃいましたけれども、この辺のところ、例えば教育を受けながら、しかし共同研究にも参加するんでしょう。だから、そうした作業に対してひとつの報酬というような形のものを支払うことによって授業料を相殺するとか何か工夫する。
 国立大学は今おっしゃる四千二百六十名いるんですよね、私の持っているのは元年の資料ですけれども。そうすると、国立大学のこれは研究員ですかは大変にいつもメリットを受けていて、私立の例えば今二十名とおっしゃるその人たちからは月謝を徴収する、こういうことになっているわけでしょう。
#85
○政府委員(長谷川善一君) ただいま先生のおっしゃいました共同研究員というのは、これは平成三年度の統計でちょっと申し上げますと、全部で十六の研究所に国立大学の関係者四千二百一名、公立大学三百六十二名、私立大学千六十二名、外国その他から三千二百六十五名、合計八千八百九十名という共同研究員がおるわけでございます。この共同研究員に対する待遇というのは全く平等でございまして、費用の徴収というのは一切いたしていないわけでございます。
 私立大学からおいでになる場合、こういう共同研究ということでおいでになるならば、共同研究員として機関の側が受け入れを決めればいいわけでございます。その場合にはテーマを提出いたしまして、これは国公私立各機関から集まりました先生方がこのテーマはここでやるのにふさわしいということになりますと、その機関に集まって研究をやるわけでございます。その場合は全く平等でございます。
 ただ、大学の方から自分のところの大学院の正規の学生の教育を何カ月かあるいは長い場合でも一年というのがございますが、委託された場合というのとはこの共同研究の場合は全く話が違うわけです。
#86
○刈田貞子君 少しわかったような気がしますけれども、いずれにいたしましても、やはり先ほどから申し上げましたように、こうした研究機関が大変いずれの大学においてもプアであるというようなことから、こうした共同利用研究機関というものが果たす役割のようなものも大変大きいと私は思うんです。したがいまして、こうしたものが各大学ともに有効に活用できるよう格段の御配慮をなさっていただきたいということを要望いたします。
 なお、私は奈良女子大の問題も一つテーマとして掲げておりましたけれども、これはまた後日に譲るといたしまして、質問を終わらせていただきます。
#87
○江本孟紀君 今回の国立学校設置法の一部を改正する法律案やその提案理由に対しては、異議はございません。
 特に、この法案の根拠となりました平成三年二月の大学審議会答申や同年七月の大学設置基準の改正によって、社会の実情や学生のニーズと無縁のように行われてきた大学の運営に大きな刺激や新風を送り込み、創意工夫のある授業方法や魅力あるカリキュラムの改革が行われ始めたことは画
期的な改革でありまして、高く評価できると思います。
 こうしたことを踏まえまして、二、三質問をさせていただきます。
 大学は、高度な教育、研究の場として、また若い世代の人間形成の場として大いに社会から期待をされていると思います、実情はかなり違う面もあるとも思いますけれども。ただ机に向かっての知識の修得だけではなくて、学生生活を通じて個に応じた多様な形でスポーツ活動が行われております。いろんな意味で大学におけるスポーツ活動の意義は重要と考えますけれども、大臣の御見解はいかがでしょうか。
#88
○国務大臣(森山眞弓君) 大学におけるスポーツは、現在、授業科目の中でも、いわゆる同好会や運動部の活動としても幅広く多様な形で行われております。
 このような大学におけるスポーツは、学生の心身の調和のとれた成長を促すという側面、それから学生生活を豊かなものにするという側面、生涯スポーツの実践の基礎の形成に資するという側面、さらには大学生はオリンピック代表選手に数多く選ばれるなど、活動によって我が国の競技水準の向上にも大きな役割を果たしているということがあるわけでございまして、大変多様な効果があり、意義が深いものと考えております。
#89
○江本孟紀君 先ほど申し上げましたように、大学設置基準の大幅な自由化によりまして、これからの時代は大学における教育の方法や評価の仕方についてさまざまな創意工夫が行われてしかるべきだと思います。
 スポーツの分野を例にとってみますと、運動部や同好会のように、学生部や保健体育部の所管のもとに、部長、それから顧問、教職員を置き、OBやしかるべき指導者に指導され、そしてその連盟や競技団体を組み極めてハイレベルな活動が行われ、目覚ましい成果を上げているのが実情だと思います。
 しかし、今回の改正では体育が百二十四単位の中から外され、また選択というような形になっております。これはしかし、生涯スポーツを推進している流れとは逆行するんではないかというふうに思います。
 そこで、課外活動としてのスポーツについても適切な評価を与える見地に立って、一定の基準を設けて正規の単位に認定できるようにしてはどうかと思います。答申にうたわれました、正課教育以外の教育施設等に係る学習成果の単位認定を制度化することの精神につながることになると思いますけれども、文部省のお考えをお聞きしたいと思います。
#90
○政府委員(遠山敦子君) もちろん、大学教育におきましては授業によります単位の修得ももとよりではございますけれども、そのほかに運動部あるいは同好会での活動なども含めました大学内外での諸活動というものも大変重要な要素でございます。これらを通じて総合的に人格形成が図られていくということが望まれるところでございます。
 このような観点から、各大学におきましてもそれぞれの建学の精神やあるいは特色に照らしました種々の活動が奨励されているところでございまして、スポーツ活動の奨励も大変有意義であるわけでございます。
 大学のスポーツ活動の中にはもう大変ハイレベルのものもあるわけでございまして、種々の国際大会で活躍できるような選手を輩出するようなところもありますし、それぞれ大学として特色ある教育活動の展開が求められている今日、これを適切に評価したり、これを称揚したりするということは大変望ましいのではないかという委員の御指摘には大変傾聴すべきものがあると思います。
 基本的には各大学の判断によると考えますけれども、例えば運動部での活動の一部を授業科目の一環に組み込んで単位修得に結びつけるというふうな工夫はあり得るとは考えるのではございますが、ただ大学教育は単に単位の修得にのみあるのではなくて、自由な課外活動の果たす役割や意義と正規の教育課程上の単位の修得の位置づけとの関係につきましてはいろんな議論のあり得るところでございます。
 したがいまして、文部省として一律に指導する、基準を設けたりということではなくて各大学の良識ある対応にゆだねるべき事柄ではなかろうかと考えます。
#91
○江本孟紀君 その認定は非常に難しいと思いますけれども、いろんな範囲でいろんな考え方でぜひ単位の中に認定をしていただけるように努力していただきたいと思います。
 それから次の質問ですけれども、大学改革の一つとして入試のあり方が挙げられると思いますが、いわゆる学力偏重による入試の弊害が盛んに言われております。若い世代の人間形成にとって非常にゆゆしき問題であり、その選抜に当たっては、面接やスポーツを含む高校時代の日常活動の評価など総合的な評価によって多様な学生を選抜する方法を一層工夫すべきと思います。
 ということは、先ほど國弘先生もおっしゃっておりましたけれども、人と違う自分に誇りを持つべきだ。それから、人と違うということは日本の社会では変わり者だとか自分勝手とか変人とかと言われることで排斥されるというようなことを言われますが、私のことを言っているのかなと一瞬思いましたけれども、それがむしろ外国ではユニークな人材だと言われる。確かにそういう評価を受けていると思います。
 そういった、何といいますか一芸一能というか、そういった能力を持った人たちをもっと入試の対象にして工夫して中に入れるべきではないかというふうに思いますが、その辺の大臣の御見解を伺いたいと思います。
#92
○国務大臣(森山眞弓君) 全く先生の御意見に私も同感でございます。
 大学の入学試験というのは、学力検査ももちろん重要な要素であるということは言うまでもないと思いますけれども、これに偏ることなく評価尺度を多元化、複数化いたしまして、受験生の能力、適性等を多面的、総合的に判断するという方向で改善されていくことが望ましいというふうに考えております。
 このような点についてはかねてから大学に指導しているところでございまして、現に各大学におきましても、学力検査ばかりではなくて、高校から提出される調査書の内容、面接、実技検査などによりましてスポーツや文化などの各種の分野におけるいろんな活動を適切に評価するなどさまざまな工夫、努力がふえているというふうに考えております。また、一般選抜のほかに、推薦入学とか帰国した子供たちの扱いとかあるいは社会人などの特別選抜などを実施するなど個性的で多様な入学者選抜を行う大学もふえているところでございます。
 大学入学試験の改善というのは常に百点満点のものはないわけでございまして、よりよい方向を求めて不断の努力を続けていくべきだと考えておりますが、受験生の立場に立ちましてある程度の安定性ということも必要でございますので、このようなことをいろいろ勘案いたしまして、今後とも大学入学試験の改善につきましては各大学に対する適切な指導をしていきたいと考えております。
#93
○江本孟紀君 ぜひ、その一芸一能というような部分をお考えいただきまして、そういう入学試験なんかには特に採用していただきたいと思います。
 一芸一能を最近始めた大学で、たしかことしが第一期生の卒業ということになると思います。その人たちのいろんな話を聞いてみますと、大体成功していると思います。数も、最初に入った方は四十一人入学しまして中途退学は六人しかいない。亜細亜大学の例ですけれども、かなり成功している部分があると思いますので、ぜひその辺をどんどん推進していただければ非常にありがたいと思います。
 それから、教員も一芸に秀でた教員をというようなことが新聞なんかにも出ておりますので、幅
の広い採用の仕方をしていただきたいと思います。
 次の質問ですけれども、推薦入学を実施する大学が大変ふえておりますが、一部の大学においては一般選抜と同じ程度の学力試験を行うケースがあるそうです。それをやられると何の意味もないかなと。もともと勉強ができないのでほかのことをやるという子もいますので、それだと推薦入学の意味がほとんどないんじゃないかというようなことで、趣旨と異なるということで子供にも動揺を与えると思います。こういった状況は改善すべきだと思いますけれども、いかがでしょう。
#94
○政府委員(遠山敦子君) 推薦入学制度は、先生既に御案内のとおり、それぞれの大学がそれぞれの教育目的や専門分野の特性に応じて一般入試とは異なる尺度によって受験生の能力、適性等を多面的に判定して、学部、学科の目的にふさわしい学生を適切に選抜するためのものということでございまして、入学者選抜の多様化を図る観点から大変意義があると考えているところでございます。
 しかしながら、今先生が御指摘くださいましたように、最近推薦入学を実施する大学がふえてはいるのでございますけれども、その実態の中では、一部の大学におきまして一般選抜と同程度の学力試験を課して試験をするというふうなところもございますし、また非常に早い時期に実施しているケースがあります。あるいは募集要項に推薦入学の人数を明らかにしないで、入学定員の大半を推薦入学で占めてしまうというふうなケースもさまざまに指摘されているところでございます。
 こうした問題につきましては、すべての大学について一律の基準を設けるというのは大変難しい事柄ではございますけれども、それぞれの大学で推薦入学を実施する場合には、その結果が高等学校の教育にどのような影響を及ぼすかということにも十分留意していただいた上で適切に実施するよう指導をしているところでございます。特に、推薦入学の募集人員につきましては、それぞれの選抜方法の区分ごとにその人数を募集要項に最初から具体的に明記するよう指導しているところでございます。
 大学入試のあり方につきましては現在大学審議会に調査研究をお願いいたしておりまして、推薦入学についても御審議をいただいているところでございます。その審議の状況も踏まえまして、推薦入学が制度本来の趣旨に即して一層適切に実施されるよう今後とも指導に努めてまいる所存でございますが、先生の大変適切な御提言も十分参考にさせていただきたいと思います。
#95
○江本孟紀君 高校教育の一環として総合学科が設置されましたけれども、このことは大変期待される改革と思います。大学入試の面でもこのような制度改革に見合った適切な配慮が求められると思いますけれども、文部省としてはどう取り組むつもりでございましょうか。
#96
○政府委員(遠山敦子君) 高等学校にはこれまで普通科と専門学科が置かれていたわけでございますけれども、最近新たに総合学科の設置という道が開かれたわけでございます。
 そのねらいは、生徒の主体的な学習を促して個性を伸長させるということに置かれているというわけでございます。総合学科の設置は平成六年度からとされておりまして、その学科の卒業生が実際に大学を受験いたしますのは平成九年度の入学者選抜からになるわけでございます。
 大学入試は、基本的には各大学が自主的に決定すべきものであることは言うまでもないわけでございますけれども、今後総合学科の設置状況あるいは具体的な教育課程の編成状況等を踏まえまして、総合学科における教育が適切に評価されますように入学者選抜の工夫改善について必要に応じて各大学に指導してまいりたいと思います。
#97
○江本孟紀君 このことは急にというわけにいきませんけれども、高校の場合なんかは結構今非常にユニークな学校というのは多いんですね。
 自分のことで申しわけないんですけれども、息子が行っている学校は芸能科というのがありまして、大体その学校の名前を言うと、ああ何か芸能人の学校かと、こういうふうに人から言われるんですけれども、実はよく聞いてみると芸能人も高校程度の学力がなければいけないということで、来られないときは学校の先生が楽屋まで押しかけていって勉強を教えるという、そういう学校なんですね。非常にそういうユニークな学校もあるわけですから、大学なんかはもっと自由なユニークな学校があってもいいんじゃないかと、私はそういうふうに思います。
 最後の質問ですけれども、大学の教員には教育・研究活動というのに非常に力を発揮していただきたいんですが、それを支えるのはやはり充実した教育・研究環境だというふうに思います。
 東大の理学部で行われました学外者の評価では、施設設備の整備の必要性が指摘されたと聞いております。国立大学の施設設備がその研究や教育の内容を満たし、諸外国に比べて恥ずかしくないよう早急に充実すべきと思います。例えば、平成五年三月三十一日の産経新聞には「研究一流でも環境面は最悪」というふうに書いてあります。
 その辺につきまして、文部大臣にお伺いしたいと思います。
#98
○国務大臣(森山眞弓君) 研究施設設備の狭隘化、老朽化という問題が大変深刻な状況にあるということは先ほど来たびたびお話に出ておりますし、これは何回申し上げても足りないくらい非常に厳しい残念な状況でございます。私も二年ほど前に東大の理学部の研究室へ行きまして見せていただいて愕然といたしたようなわけでございまして、単に老朽化、狭隘化だけではなくて危険な状態でさえあるというふうに見てまいったところでございまして、大変心配いたしておりました。
 その問題が世の中から大分関心を持っていただくようになりまして、最近では例えば平成四年度の当初予算におきまして特別施設整備資金を国立学校特別会計に設置していただくということができましたし、施設の老朽化、狭隘化の解消を図るためにこれが幾らか役に立つのではないかと考えておりますし、補正予算におきましても施設費等の増強に特に意を用いてまいりました。
 また、先ごろ成立させていただきました平成五年度の予算におきましても、施設費は前年度創設した特別施設整備事業の継続のほかに文教施設費六十二億円増、設備費は研究設備費五十三億円増、教育・研究経費は科学研究費九十億円増などの各般にわたりまして、その充実について最大の努力をいたしたところでございます。
 またさらに、今回の新総合経済対策におきましても、施設などの改善を特に推進していきたいということで努力をいたす所存でございます。
 文部省といたしましては、今後とも、厳しい財政事情のもとではございますが、国立大学の研究、教育条件の一層の改善充実に努めてまいりたいと考えております。
#99
○江本孟紀君 終わります。
 ありがとうございました。
#100
○橋本敦君 まず最初に、この法案に即しての質問でありますけれども、名古屋大学の教養部改組についてちょっと経過を検討いたしまして気になりますので、念のための質問ではありますが、お尋ねをしておきたいと思います。
 名古屋大学では、この改組問題で当初は教養部を教養学部にしたいということで、そういう案が大学の合意でまとまりまして、八六年から九〇年までその立場で概算要求なども出されておったようであります。それが平成三年には科学文化学部ということで、平成四年には人間情報学部ということ、そして平成五年に至りまして情報文化学部ということで今回の改組ということになったようであります。
 この経過で一つ私が気になりますのは、いろんな経過はあるでしょうが、こういうプロセスの中で大学のそういった方針について文部省の側としては、それは今の情勢から見てこういう学部がいいのではないかとかあるいはまた大学審議会答申
に照らして見ればこれはどうだとかこういったことで介入、干渉とまでは言いませんが、ある程度大学の自主的な意向についていろいろ意見をおっしゃった経過があるんだろうか、あるいはそうではないんだろうか。ちょっとこの点が気になりますので、文部省の対応をこの問題に対する姿勢として伺っておきたいのですが、いかがでしょうか。
#101
○政府委員(遠山敦子君) 先ほど来何人かの先生方の御質問にお答えしておりますように、今回の大学改革のねらいはそれぞれの大学がみずからの自己点検・評価の上に立って、本当にいい教育、研究をどうやって展開したらいいかという角度でみずからの判断で構想を練っていただくというのが基本でございます。したがいまして、それぞれのお考えの途中で私どもが何かこういう方向がいいとか、そういうことでお話をするということはないわけでございます。
 ただ、助言を求められますれば、それはその限りで助言をするということはあるわけでございます。それは設置者としての必要な助言、指導ということはあり得るわけでございますが、例えば名古屋大学のいろんな変遷というふうな問題について直接文部省がというようなことは考えていないところでございます。
 ただ、それぞれの大学の目的、趣旨に合致してその構想が国民や学生の負託にこたえて社会的な責任を果たし得る構想となっているかどうか、あるいは従来からのいろんな問題点あるいは他大学の参考事例も視野に入れた幅広い検討がなされているか、あるいはその大学等の既存の組織との整合性はどうかといったような諸般の事情を勘案しながら助言を行って、その構想が実りあるものになるように検討していただくというふうな対応でやっているところでございます。
#102
○橋本敦君 基本的には了解をいたしましたが、基本的な姿勢としては大学の自主性は尊重するという立場は守っていただくということを確認できたと思いますね。
 そこで、その次の問題に質問を移してまいります。
 既に話も出たようでありますけれども、政府は十二日に新総合経済対策、これを決定したようでありまして、その中で新社会資本整備ということで大学の研究施設についてかなりの整備を進めるということを打ち出しておられるようであります。今日の大学の老朽化した研究施設等については当委員会でもかねがね議論のあるところでありますから、その問題について政府が力を入れられることは結構ですが、二点だけ伺っておきたいんです。
 その一つは、この施設整備費は理工系学部に限定されるのか、それともそれに限定しないで文部省としては広く研究施設の整備改善ということで検討を進めていくという方針なのがこの点はいかがでしょうか。大臣からよろしければ基本方針としてお伺いしたいと思います。
#103
○国務大臣(森山眞弓君) そういう内容についてはまだこれから具体的には詰めていくわけでございますが、何かに限ってというつもりはございませんで必要なところから、例えば私実際これも見たのですが、留学生の宿舎などについても大変ひどい状況のものがございます。あのようなものもこの機会に何とかできたらいいなというふうに私としては考えているところでございます。
#104
○橋本敦君 第二点は、今度は緊急不況対策ということで打ち出すということのようですが、不況対策にとどまらず恒久的な文教行政、教育政策の問題として今後とも広く研究施設の整備改善ということには大いに力を入れていただきたいということを、わかり切った問題ですけれども、あわせてお願いしておきたいと思いますが、いかがでしょうか。
#105
○国務大臣(森山眞弓君) おっしゃるとおりでございまして、景気のいかんのためにだけやるものではございません。当然、我が国のこれからの発展ということの基礎となります大事なことだと考えて、これからも努力を続けていくつもりでございます。
#106
○橋本敦君 そこで、次の問題でありますが、きょう私は我が国の研究あるいは文化の発展ということにかんがみまして、大学における研究活動を大いに高めていくという観点から、若手の研究者、大学院生の待遇の問題を取り上げてみたいと思うわけであります。
 近年、大学におきまして、基礎研究を担う、将来の有能な研究活動を支えていく、そういった若手研究者の不足が声高に言われておるようでございまして、例えば大学院に院生が残らないという問題も大学によっては深刻な問題になっているようであります。
 一つは、修士課程を卒業した院生が博士課程に進まないで民間企業に流れているということもその理由として言われているんですが、ここらあたりについて文部省はどのような現状認識をお持ちでしょうか。
#107
○政府委員(遠山敦子君) 大学院の充実ということが今回の大学改革の柱の大きな一つとして取り上げられているところでございまして、その中で若手の研究者が生き生きと研究、教育に携わっていただくということは大変重要であるわけでございます。
 大学院の入学定員に対する充足率をまず申し上げますと、分野によって事情が異なりますが、自然科学系の修士課程のように定員を上回っているところもございますし、博士課程につきましては定員を満たしていない状況もあるわけでございますけれども、次第にその充足率、在学者数は増加しているという段階でございます。
 大学院の博士課程を中心としまして、入学者数が必ずしも入学定員に満たないということにつきましてはいろんな理由が考えられるわけでございますけれども、一つには大学院教育を受けたことが社会的に必ずしも評価されていない面があるのではないかというのが一点ございます。これは理工系の分野は比較的評価がされているわけでございますが、そういう点が一点ございます。
 また、お話にもございましたように、民間企業の研究所等との間で研究条件あるいは処遇におきます格差が広がっておりまして、優秀な学生がなかなか残らないということも一つ原因でございます。
 また、三つ目には、大学院によりましては必ずしもそこにおきます教育、研究の展開の工夫が十分でございませんで、社会的な需要に適切にこたえる魅力ある活動というものが必ずしも行われていないというふうな例もあるということが挙げられるかと存じます。
 また、さらには社会人の再教育需要にこたえる履修形態等の工夫改善が十分でないというふうな例も考えられるところでございまして、かなり複合的な原因ではございますけれども、御指摘のような実態はあると考えております。
#108
○橋本敦君 今お答えいただきました複合的な原因というのを、私もそれはそうだろうというように理解しておるわけですが、その中でも基本的に大事な問題として教育・研究環境の整備、とりわけ院生の待遇、これを改善して安心して研究活動に従事できるという仕組みをどういうようにつくっていくかという問題が大事な課題としてあると思うんですね。
 そのために、大学院生の生活実態、研究活動実態というものを見てみるのも非常に一つは大事でありますが、この点について言うなら、既に文部省は「平成二年度学生生活調査報告」というのをおまとめになっておられまして、この中で大学昼間部及び大学院の学生の生活状況というのが書かれているわけであります。
 特に、大学院について言いますと、年間の平均学生生活費が修士課程では百五十一万八千円、学費がそのうち六十万余、生活費が九十一万ということで、学費もかなり高い率になっております。博士課程では百八十一万、学費が六十五万、こうなっていますが、こういった学生生活は、修士課程においては奨学金が二四・四%、家庭からの給付が五〇%、アルバイト収入が一九%。博士課程
になりますと、家庭からの給付が二一%、奨学金二九%、アルバイト収入三八%、こうなっておりまして、奨学金の占める率が高いということとアルバイトなしには生活も研究活動も維持できないという実態がこの文部省の調査からもうかがわれるわけです。
 こういう厳しい実態にあるということが明白だと思うんですが、この点についてはどのように認識されておられますか。
#109
○政府委員(遠山敦子君) ただいま先生の方から文部省で行っております学生生活調査の結果につきまして御披露がございましたけれども、それぞれの数値、御指摘のとおりでございまして、大学院生の生活実態はなかなかに困難なものがあるというふうに考えております。
#110
○橋本敦君 全国大学院生協議会というのが大学院生の生活実態調査というのを行っておりまして、これも私見ましたが、それとほぼ符合する深刻な生活実態状況が明らかになっておるわけでございます。
 この状況から、このような生活を院生はどう考えているかということについて、「現在の生活に経済的に満足していますか」という設問では、「楽である」と答えた学生はもうわずかに三%にすぎない。逆に、「苦しい」、「大変苦しい」と答えた院生は六四%に達しておりまして、圧倒的多数の院生が現在の生活に満足できていない。したがって、研究活動にも十分打ち込めないという状況になっているわけですね。
 ここから私は、二つの問題を検討する必要があると思うんです。
 一つは、学費が諸外国と比べて日本の場合どうなのか、これは極めて高いということが一つ。それからもう一つは、こういった院生に対する奨学制度が我が国はどうか外国はどうかということを比べて、我が国が極めて劣っているという状態があるならばこれを改善しなきゃならぬという、こういう問題が二つから演繹されてくると思うんですね。
 こういう問題を基本的に改善いたしませんと、我が国の研究活動の現在、将来ということが非常に心配になってくるわけでありまして、午前中も國弘委員の方からノーベル賞の受賞者の数が我が国は極めて貧困だというお話がございましたが、それを教育・研究活動の問題として提起されたその背景に私も今とらえて質問をしております研究条件の貧困さということがあるわけですから、これは基本的にはやっぱり重大な問題として考えていかなくちゃならぬ、そういう国際的視野に立っての課題でもあると思います。
 そこで、日本の大学の学費ということについて資料を見てみますと、全国私立大学教授会連合が報告書を出しておりますけれども、日本の国立大学の学費は米国の国公立の二倍に達しておる。OECDの教育委員会が一九七八年に実施した調査によりましても、先進十カ国中でほとんど高等教育に対する学費徴収を廃止している国がノルウェー、スウェーデン、西ドイツなどあるんですけれども、残る五カ国のうちでオランダ、イギリス、カナダの三国では大部分を公費で負担して、わずかの徴収額にしている。これに対してアメリカと日本が多いんですが、その中でも日本は、国立の学費がこの当時で六十万、七割に近い学生を擁するアメリカの公立の学費が二十九万ということですから、日本が二・一倍という、こういう数字になっているわけであります。
 生活実態調査でも学費の占める割合が大きい、こうなっておりますから、この問題については学費の値上げということは極力抑えて、この部分についての負担が過大にならないように文部省としても力を入れてこれに対応していただく必要がまずあると思うんですが、この点についての文部省のお考えはいかがでしょうか。
#111
○政府委員(遠山敦子君) 大学の授業料のあり方はそれぞれの国の大学の制度と関連をいたしまして、必ずしも単純な比較はできないところでございますけれども、今先生のおっしゃいましたデータを考えるにつきましても、やはり国立大学の授業料につきましては私どももいろいろ考慮すべき点が多いと考えております。
 授業料等の学生納付金のあり方といたしましては、高等教育全体の経費について公と個人の負担をどう考えるかという基本的な問題でございますし、教育投資がもたらす効果として個人に帰属するもののほかに国家社会に還元されるものも多いということなども勘案しなくてはならないと考えるところでございます。
 特に、国立大学の授業料の改定に当たりましては、従前から私立大学の授業料の水準、社会経済情勢の変化等を総合的に勘案しながらこれを実施してきているところでございます。また、人材育成や教育の機会均等の確保の観点から、家庭の経済力に余り影響されずに進学できるような水準を維持していくという必要性があるわけでございます。
 今後とも、国立大学の授業料につきましては、私立大学における状況やあるいは社会経済上の諸情勢を総合的に勘案しながら対処していきたいと考えております。
    ―――――――――――――
#112
○委員長(松浦功君) 委員の異動について御報告いたします。
 本日、乾晴美君が委員を辞任され、その補欠として萩野浩基君が選任されました。
    ―――――――――――――
#113
○橋本敦君 今の御答弁でありますけれども、私は、例えば国際人権規約のA規約第十二条二項の(c)で高等教育の無償化ということを定めて、国際的にもこういった方向を進めているのが世界の趨勢でありますから、いろいろな条件をおっしゃり、あるいはまた私学とのバランスも考えるということをおっしゃいましたけれども、基本的には高等教育の無償化という、こういった方向を我が国も国際国家の一員としてもっと積極的にとるべきだということを提言しているわけであります。
 第二番目に私が指摘した問題は、奨学制度の改善の問題もこれにあわせて極めて大事ではないかということであります。
 この点で、文部省の大臣官房調査統計企画課が平成四年版として「教育指標の国際比較」というようなものをお出しになっていらっしゃって私も拝見いたしましたが、政府機関等の奨学制度について主要先進国の状況が報告されております。これに関連をしてアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ等では、この奨学金の制度について言うならば、我が国と基本的に違って、我が国は貸与制度だけれども、こういった諸国では給与制度が基本である。あるいは貸与制度もあるけれども、給与制度と組み合わせて運用されて、我が国のように貸与制度一本というところは先進国ではないのではないかといただいた資料から見るんですが、いかがでしょうか。
#114
○政府委員(遠山敦子君) いずれの国でもすぐれた人材養成という角度から奨学金について力を入れているところでございますけれども、それぞれ時代あるいは財政上の状況等からいろんな変遷を見ているところでございます。欧米諸国におきます奨学金制度は従来は給費制が中心であったわけでございますけれども、近年では貸与制が導入されましたりあるいは拡充される傾向にございます。
 若干国別に申し上げますと、アメリカにつきましては、連邦政府の行う奨学金制度といたしましては従来から給費制の奨学金のほかに有利子の貸与奨学金制度があったわけでございますが、近年では全体のうち貸与奨学金の占める割合の方が多くなってまいっております。また、イギリスやフランスにおきましても従来の給費制の奨学金に加えまして、近年新たに有利子貸与奨学金制度が導入されているところでございます。ドイツにおきましては従来は全額給費制であったのでございますが、その後全額貸与と一たんなりました。さらに、一九九〇年から半額給費、半額貸与というふうになっているところでございます。
#115
○橋本敦君 諸外国もそれぞれ経済事情の逼迫等いろんな社会的マイナスファクターに直面しなが
ら苦労しておるということが今局長がおっしゃった一定の手直しの背景にあるように私も理解しておるんですが、私が局長に質問をした要点というのは、我が国のように貸与制だけというのは基本的にはない、貸与制だけというのは我が国だけではないかということが質問の一つなんですが、この点ははっきりしているんじゃないですか。
#116
○政府委員(遠山敦子君) 貸与だけとっているのは、現段階では日本だけでございます。
 先ほども申しましたように、ドイツは一たん貸与だけになったわけでございますが、後に修正されているという状況でございます。
#117
○橋本敦君 という状況ですから、我が国も改善に向かって、国際的な趨勢がいろいろ動いてはおりますけれども、我が国の状況としてはやっぱり国際的にはおくれているというのははっきりしていると、こういうことを私は指摘して改善を求めたいわけであります。 手元に「十大学理学部長による提言」というのがございまして、「基礎科学振興の為の理学教育・研究のあり方」ということで、東大、阪大、京大等のそれぞれの理学部長十名が提言をされておるんですが、この中で「大学院生の待遇改善について」ということで、「理学系の大学院、特にその博士課程の学生の多くは第一線の研究を行っており、大学における理学研究の重要な担い手である。しかるに現状ではそれら大学院生に対する待遇は極めて不十分である。」ということを言って現状分析した上で、今後の提言として「大学院生に対する奨学金を一部給費制にする。」、全部給費制にするとは言っておりません。「一部給費制にする。すなわち、博士課程の学生に対しては奨学金の貸与制を改めて、全員に対して少なくとも部分的(例えば五〇%)に給費制にする。」ということを援言されているのでありますが、私はこの提言はしっかりとやっぱり受けとめていく必要があると思うわけであります。
 手元に九二年三月十日号の「アエラ」という雑誌がありまして、「日本育英会の半世紀」という特集を組んでおるんですが、「奨学金で苦しむ学者の卵」として、「大学院では、学者の卵たちが数多く学んでいる。収入のない彼らには、奨学金は大きな味方だ。修士、博士と進むうち貸与額は膨らむ。大学院を出る時、借金は数百万円になっている。」、こう言ってこの問題についての改善を世論的にもアピールしている記事があるわけですが、私はこの大学理学部長の提言を受け入れるなど、改善する必要があると思うんです。
 ちなみに、現在貸与制としての貸与率の推移はどうなっているかということを聞きたいんですが、貸与率は下がってきているんじゃありませんか、傾向として。
#118
○政府委員(遠山敦子君) そこの貸与率の変遷についてお答えいたします前に、日本の奨学金制度で大学院関係につきましてちょっと申し忘れたところがございます。
 日本育英会の奨学金は貸与制ではございますけれども、現在卒業後教育職や研究職についた場合には奨学金の返還義務が免除されるわけでございまして、返還免除制度が設けられております。これはかなり活用されているところでございます。
 特に、大学院博士課程の学生は卒業後返還免除の対象となる職につく人が多いわけでございまして、約六割の人が返還を免除されているということでございまして、ある意味では六割については給付されているとも見ることができるわけでございます。したがいまして、育英奨学制度だけで見るということではなくて、総合的に考えていく必要があろうかと思います。
 御質問の点でございますけれども、貸与人員、貸与率の推移ということでございます。
 貸与率について申し上げますと、修士課程につきましては貸与率は確かに昭和五十九年には三五・三%でございましたけれども、平成三年度二八・四%、それから平成四年度二五・八%ということで若干の減を見ているところでございますが、この間には修士課程の学生数が急激に増を見ております。一・五倍ぐらいに伸びております。また、博士課程につきましても貸与率は昭和五十九年度六五・七%でございましたけれども、平成四年度で五六・六%ということでこれも一見減少でございますが、学生数はかなりふえているという実態でございます。
#119
○橋本敦君 ですから、学生数がふえる、そして貸与枠を広げないと貸与率は下がるわけですから、ふえた学生数に応じて貸与枠の拡大ということに一段の努力を私はぜひ文部省としても努めてほしいと思うわけであります。
 こういった貸与枠の拡大、それから私が指摘をした給費制の新しい導入、こういった問題も含めまして、文部省は一昨年の十一月に高等教育局長の諮問機関として育英奨学制度に関する調査研究会を設立しておられるわけで、この研究会を通じても私が指摘したこういった問題について今後抜本的な対応を積極的にどんどん議論して打ち出していっていただきたいということを強く希望し、大臣の所見をお伺いして、時間が参りましたので質問を終わりたいと思うんですが、いかがでしょうか。
#120
○国務大臣(森山眞弓君) 若手研究者の養成、確保、その生活の保障というようなこと、処遇というような面は大変重要なことだと思います。
 その問題を取り上げていただきまして、種々貴重な御指摘をいただきましたことは本当に感謝いたしますが、文部省といたしましてもいろいろ努力はいたしてまいりまして、従来からの育英奨学制度や日本学術振興会の特別研究員制度の充実のほか、平成四年度から新たにティーチングアシスタントという制度の導入をいたしまして、必要な経費を措置しているところでございます。
 これらの既に行っております措置をさらに充実してまいりますとともに、各方面の御意見を十分拝聴いたしまして、できる限りの努力をしていきたいと考えております。
#121
○小林正君 昔、私が大学に入ったころのことを振り返って考えてみますと、一般教養についてのオリエンテーションがありまして、そのときのことを思い出すわけですが、こういうことを教官から言われたのを覚えているわけです。
   〔委員長退席、理事田沢智治君着席〕
 今まで君たちが高等学校まで勉強してきたことは、これから大学でやる学問にとっては邪魔な知識である。全く新しい気持ちでこれからの学問をしてもらいたい。こういう言い方で、高等学校までは勉強で大学になると学問になるのかなと、そのとき思ったことがございました。
 それで、そのとき教官が、大学二年間の一般教養というのは、言ってみれば時代で言えばギリシャ時代のようなものだと。真理の探求ということで言えばまだ真善美一体で、しかも学問は未分化な状況、そういう状況の中でこれからどう発展していくかという可能性に満ちている時代、君たちの今いる時代はそういう時代なんだと。そして、非常に閉じられた問題ではなくて、民主的な国家や社会を形成していく、その推進者となる市民の立場に立ってこの一般教養というものを受講してもらいたい、こういうことを言われたのを覚えておるんです。
 そういう点で考えますと、まだ終戦後それほどたっていない時期でありますから、一般教養というのがかなり輝かしく、しかもそれなりの問題意識を持ってスタートしたということを今振り返って考えてみますと、担当の教官もそういう意欲に燃えていたということが言えるのではないかというふうに思います。
 また、昨今、日本では子供は勉強し過ぎ、若者は遊び過ぎ、中年は働き過ぎで、老人になると暇過ぎというようなことが言われておりまして、子供時代の勉強し過ぎというのはまさに受験戦争に追いまくられている状況で、一たん大学に入りますとほっと一息ついて、そして何か大学のキャンパスがレジャーランド化するというような状況が出てくるということでございまして、言ってみれば子供時代からの延長線上で、学者に言わせますとモラトリアムが非常に長くなったという言い
方、つまり成長して自己確立をして判断できる条件が整うまでの間が非常に長くなっているということも一方では言われているわけです。
 そうしますと、受験戦争でそれこそ断片的な知識を詰め込まれて、対策上いろんなことを機械的に覚え込まされてきて、そしてそれを基礎にして大学で学問という専門分野の研究あるいは学問を身につけていくというような条件を整えて大学の門に入るということは余りないわけです。ほとんどないんだろうと思うんですね。だから、オリエンテーションの段階で、今までやってきたのは学問の名に値しないというような言い方もされているんじゃないかなと、翻って考えるとそういうことだと思うんです。
   〔理事田沢智治君退席、委員長着席〕
 今や情報がはんらんしておりまして、その情報の断片をいかに積み上げても体系的な知識、知というものにはならないわけですから、そういう点で考えますと、今の学生の水準というものをどうとらえたらいいのかということも一般教養の問題の扱いをとらえる上では非常に重要な課題ではないかなということで、まず文部省にお伺いしたいのは、大学教育を受ける青年像というものをどういうふうにとらえておられるのか。これは質問事項に出していませんでしたから、今の私の言ったことを受けてお答えをいただきたいと思います。
#122
○政府委員(遠山敦子君) 現在の大学教育を受けている学生の青年像いかんということでございますけれども、確かに多く言われておりますのは、先生御指摘のとおりに、高校までの間はかなり受験勉強ということで一生懸命勉強するけれども、大学に入ってはある意味で開放的な気分になってというふうな御指摘もございます。大学に入ったときに受ける一般教養のあり方というのがいろんな角度から問題性が指摘されまして、それも一つの要因となって今回の大学改革での主要な柱で大学教育の充実ということが図られているわけでございますけれども、そのときの認識も若干そのような青年像が背景にあったのではないかと思われるわけでございます。
 しかしながら、学生の層も大変多様でございます。むしろ、中には極めて真摯に学問に取り組み、あるいは国際性も持ち、かつての青年たちが持たなかったようないい点を持っている学生もあるわけでございますし、一方では非常に大変豊かな社会になりまして、必ずしも一生懸命働いて一生懸命勉強してというふうな、社会自体がそういう価値観から変換を遂げている面もあって、そのことを反映しての学生像ということもあるわけでございます。
 その意味では、一義的にどのような青年像をとらえているかという御質問に対して明確にお答えできないのは大変恐縮でございます。
 しかし、我々としては、むしろこれから一体どうやっていくかというところに力点が置かれるべきではなかろうかと思うわけでございますが、最近来のいろんな各大学でのお取り組みはそういう多様な青年像のいろんなニーズにこたえて、大学もまた教育の場、学問の場としてふさわしい内実を備えるようにということで今努力が行われているというふうに考えているわけでございます。
#123
○小林正君 確かに、大学進学率を考えてみますと、戦前の大学と比べて戦後のいわゆる新制大学、駅弁大学などと言われて大学がたくさん出てきて、そして大衆化していったプロセスを考えてみますと、大学が過去に持っていたイメージと今日国民が大学に求めているものあるいは若者が大学に期待しているものとの間に大分大きな隔たりが出てきていることも事実ですが、教える側の教官の意識の中に過去の古きよき大学、象牙の塔といいますか、そういうものへの郷愁みたいなものも一方にありながら今を嘆いているという面もかなりあるのではないかという気がするわけです。
 したがって、教育というのは大体対象があって、その対象を見きわめてどういうアプローチをするかということがまず重要でありますから、そういう点からすればまず若者像をとらえて、それに対して有効な教育というものをどうつくり上げるかということが求められるんだろうと思います。
 指導要領というのは、本来そういうものとして位置づけるべきものだというふうに私は考えておりますし、カリキュラム編成というのはそういうふうになされることによって子供たちの中にあるものを引き出すことができてくるということではないかなというふうに思うわけで、まさに従来のパターンで言いますと、二年間一般教養をやって、あとの二年どうするか。卒論という目標を置いて、そこへ向かって専門教科でたたき上げていくというのが従来の形としてとられてきたわけですね。
 この内容については、それぞれ一般教養の理念、目標というものと専門分化した分野における研究というものとの関係、整合性があるようでありますけれども、実際問題としてはいろいろその関係が理念と実態の違いといいますかというものが指摘をされてきているんです。大学審答申がそうした経緯も踏まえながら一石を投じたというふうに私も思っております。
 その辺の関係について、文部省としてはどういう問題意識を一般教養と専門という関係の中でとらえてこられたのか、短くお答えをいただきたいと思います。
#124
○政府委員(遠山敦子君) 一般教育と専門教育との関連につきましては、かねがね問題点としてはその両者の間に乖離が、両者と申しますか一般教育の理念、目標と実際の授業との間に乖離が見られるということ、あるいは専門教育との関係でも有機的な関係が欠如をしているというふうなことが指摘されてまいったわけでございます。
 このようなことから大学設置基準の改正等が行われまして、現在各大学での大学改革についての取り組みが始まっているわけでございますけれども、やはり今後は各大学におきまして教養教育の理念、目標を踏まえた授業のあり方、専門教育との有機的な連携のあり方あるいは全学的な教養教育の実施体制のあり方などについて自主的な御検討をされた上で効果的な教育の展開というものを実現していただきたいと考えているところでございます。
#125
○小林正君 大学の現場で先生方の声をお聞きしますと、一般教養を担当している教官、これは一般の先生、それから専門課程については専門の先生、つまり一般の先生と専門の先生と、こういうような区分けがされ、それがかなり固定化しているということも指摘をされております。
 一般の先生と言われる教官の問題意識としては、一般教養で一生懸命教えて、そして専門課程に進むとそこに専門の先生がいて、その方と言ってみれば師弟関係、弟子という形になりますけれども、そういう形でかたく結ばれていくということで、卒業してからも結婚式やなんかで呼ばれるのはその仕上げの方をやった先生が呼ばれて一般の先生は疎外されるという、何か大学の中に一般の先生と専門の先生という格差みたいなものがおのずからできちゃっている、そこの間に壁があるということも指摘をされているんですが、そういう実態については文部省御存じでしょうか。
#126
○政府委員(遠山敦子君) それは個別の大学なりあるいは教員の意識によって違ってこようかと思いますが、そのようなことが言われてまいったことは事実でございます。
 そのようなことの原因の一つとして、一般教育と専門教育というものを授業科目として明確に区分していたということがあったと指摘されていたことを背景としまして先般大学設置基準が改正されまして、そういった壁というものを取っ払って、より有機的に関連をつけて、教養教育のあり方、専門教育のあり方をトータルに見直すという動きが始まったわけでございます。
 その結果、教養教育を担当していた教員の方も構想の進捗が早いところにおきましては、新しい学部ということで専門担当であった方と一般教育担当であった方が一緒に属するという方式もござ
いますし、また大学院の担当教員ということでともに大学院の重点化の方に所属を変えられていくという方向もございますし、また既存の学部の中に一般教育の担当の方々がそれぞれ配属されまして、今まであったような格差感というものがない形で今後教育が展開されていくという方向が見え始めているところでございます。
#127
○小林正君 今お答えいただいたんですけれども、この問題というのは、その一般と専門という教育内容の持つ整合性という問題が一点と、それからもう一つは、それを担う教官の意識の問題というのと位置づけの問題というのがやっぱり絡んでいる課題として、この大学審答申が基準の大綱化ということをうたって以降、ベルリンの壁ではありませんけれども、壁を取っ払うという作業が非常に難しい作業だということが現場ではかなり長い時間をかけてこの間議論もされてきているわけでございます。
 そういう意味で言いますと、縦型でやってきたところ、横型でやってきたところとそれぞれあって、今後どうするかという問題と、かつてあった大学紛争のようなものが全学に波及するんではないかといったような別の視点からの危機意識みたいなものが働いたりして、さまざまな議論が展開をされたというふうに聞いております。
 今御答弁ありましたが、いわゆる分属方式のような形と、それから全学を改組する形で教養部門を吸収していくという形、さらには新学部を設置して解決を図るというようなさまざまな形態がとられているわけです。この審議会の答申が出されて毎年国立学校設置法の改正問題が出てくるわけですが、文部省として、これは大学の自治の問題にもかかわるからなかなか御答弁いただけない場合もあり得るかとは思いますけれども、この答申を受けて大体大学の一般教養部門をこの三つの方式のどれかによってそれぞれの大学の主体性において解決を図っていく、そのめどなり時期といいますか、それをいつごろとお考えになっているのかお伺いしておきたいと思います。
#128
○政府委員(遠山敦子君) 今、先生からも御指摘がございましたように、この教養教育の充実のあり方についてはいろんな方策があるわけでございます。それぞれの大学の特色を発揮するという角度から、そのどれを選んでこれからの大学教育に備えるかということがまさに問われているわけでございます。
 そのようなことから、これらの改革はそれぞれの大学の教育理念、目標と非常に深くかかわっております。あるいはキャンパス事情でありますとかあるいは学部構成等のそれぞれの大学の事情に応じたものとする必要があるわけでございます。しかも、全学的に協力体制が組まれないと実現しないわけでございます。
 そのような意味で、既に御審議を経たものあるいは御審議中のもののように、かなり早い段階で構想が決定された大学もございますけれども、より時間をかけて検討が行われるところもあるわけでございまして、すべての教養部等の改組がいつまでかかるかということは一概に申し上げにくい段階でございます。
#129
○小林正君 これは、いわゆる筑波方式とか新構想大学の問題提起がされて筑波のような形のものができたり、いろんな大学の形態が出てきているわけです。
 そうした新しい大学についてはその大学の自治の問題と、それから大学審答申で言われている内容とのかかわりで今それぞれ検討中ということで時期の明示はなかったわけですけれども、特に文部省として、こういう形を指導するとかあるいはそのことが実現しない限りにおいては、例えばその大学への予算の配分上の問題とか、そういう点で何か圧力をかけるといったような実態というのはあるんでしょうか。
#130
○政府委員(遠山敦子君) 先ほど来御説明いたしておりますように、大学改革の推進主体は各大学でございます。それぞれの自主的な判断に基づいて最良の方式、まあベターというものであるかもしれませんけれども、そういう構想を練られて、その後に私どもとして次には全体の財政状況なりあるいは全体での整合性なりというふうなものを幅広く勘案した上でそれをサポートするという仕組みになってございまして、私どもの方でこういうふうであるべきでありますとか限られた方法を示唆して、そうでなくてはならぬというふうな方向で行政を進めているわけではございません。
#131
○小林正君 今の御答弁いただいて、これから大学が、かなり閉鎖的な社会だということが言われて、自治の名において閉鎖的になるという側面も語られてきたところもありますけれども、まずは日本の将来を担う青年をどう教育するかという教育の場としての任務と役割といいますか、今日的な情勢を踏まえた対応ができるようにしていかなきゃならないんじゃないかということを率直に思っているところでございます。
 最後に、例のきのう発表された大型補正の問題に絡めてお尋ねしたいと思うんですが、私はかねがね申し上げてまいりましたが、教育というのはやっぱり、今植樹祭のシーズンを迎えているんですけれども、木を植える仕事と大変よく似ているんじゃないかなという気がします。あしたどうするというようなことでは到底教育という長い営みというのはかなえられないわけでございまして、美林と言われるようなものが日本にもありますけれども、そういうところでも自分の代にその木材を切って、そして財貨にかえていくというような目先のことではなくて、二世代、三世代にわたって手入れをしていってようやく木材としてすぐれたものが生まれてくるということですね。
 したがって、教育の場合も一人の子供が成長して一人前になっていくそのプロセスというのは、人生八十年時代と言われていますけれども、その基礎教育の段階から大学に至るそこにどれだけ人の手が使われて手を加えられたかということが、やっぱり木材で言えば優秀な材質の木材をつくることになりますし人材においてもしかりだというふうに思うわけです。
 そういう点で考えると、景気対策として教育だというような形の問題提起だとすれば、先ほど来のお話を聞いているとそうではないということのようでありますけれども、発想自体がどうもそういうところになっているんじゃないのかという気がして仕方がないわけであります。
 私も、大阪大学の基礎工学部での例の爆発事故も二週間後に視察をしてまいりましたけれども、以降各大学も研究室を見て回りまして、実に老朽、狭隘という先ほど来のお言葉のとおりの状況でございました。
 ことしの二月の日本学術会議の化学研究連絡委員会というところの「大学の研究室における安全確保と実験環境の改善について」という報告が、これは民間の調査と連携して行われたようでありますけれども、出ているわけであります。
 その中で、狭隘な部分ということで見ますと、「研究室において研究者一人当たりの面積が、欧米各国の大学に比較して、実質的に三分の一から四分の一しかない」ことを指摘しているわけであります。たまたま名古屋大学の研究室を訪れましたら、イギリスとカナダの研究者が派遣されて研究をしておりました。その人たちに話を聞きますと、国へ帰れば自分の研究室はこの三倍だというようなことを、一人の研究室がこの三倍あるというようなことを言っておられたわけで、まさにこの調査とぴったり合っているのが実態であります。
 こういうような状況とか、それから危険な面について、「安全管理の面から見ると相当に深刻な状態にあり、災害に至る潜在的危険性が極めて高い。」、これは「企業では到底考えられない」実態だということですね。「設備、施設の貧困、運用予算の制約等から、やむを得ず日常的に、著しく安全性を欠いた状態で研究室を運営せざるをえない例が少なくない。」ということを指摘して、「「快適な教育、研究環境の形成」の第一の前提として、まず安全確保、そしてよりよい研究環境の設備は焦眉の課題であり、実現に向けて、できる
だけ速やかに、所管官庁や大学自身の実効ある対応・措置を強く望むものである。」ということを述べているわけであります。
 これは、今同僚議員からの質問に対して前年度予算との比較等でその増が語られていたわけでありますけれども、どうもこういう実態に対して前年度プラスアルファで幾らついたからよくなるというような段階では、なかなかこの実態から脱却することは難しいんじゃないかというふうに思うんですね。
 だから、やっぱり三年なら三年というふうに年次を限って、そして集中的にこうしたことをやっていかないと、大阪大学の基礎工学部の問題というのは非常に深刻で、私も行って指導教官とも皆さんと一緒にお会いしたんですけれども、下を向いちゃっているわけですね。つまり、自分の指導責任みたいなものが場合によっては刑事責任になる可能性もあるというようなことでうつむいておられました。極めて先端的な研究分野なんですけれども、そういう研究をして事故を起こして自分の弟子が死んでしまうというようなことは、働いて過労死する日本社会の状況と大変よく似ているような、ほかでは到底考えられないような状況ではないのかというふうに思うわけです。
 ですから、この問題については前年度プラスアルファ方式の、最近いろいろ言われるようになって政府もこの点についての配慮を幾らかしてくれたみたいな形でプラスアルファをつけて改善を徐々にやっていきます式ですと、この状況からの脱却は本当にできないんじゃないか。このことについてどうお考えなのか、これは文部大臣にまずお尋ねしておきたいと思います。
#132
○国務大臣(森山眞弓君) まさに先生がおっしゃってくださいましたように、この問題は景気対策のためということでやるわけではございません。そして、研究施設設備の老朽化、狭隘化、安全の確保というような問題は緊急のことでございまして、本当は財政状況のいかんにかかわらず、何にも増して優先的にやらなければならないと私は思っているのでございます。
 そうは申しましても、なかなか現実にはそう運んでいかないというのが悩みのところでございまして、この機会に、たまたま今回の総合経済対策におきましてこの問題が注目され、国立大学・研究所等の施設の改善、教育、研究の高度化、情報化の推進、また公立小中学校等の施設設備の情報化等多機能化の推進というような項目を特に挙げていただきまして、重点的に力を入れていこうという姿勢が示されたということは大変よい機会だと思っております。
 ですから、この際、今まで思いつつなかなかかないませんでしたさまざまな問題点をここで何とか打開していきたいという気持ちでございまして、これをきっかけに、この点についてさらに力を入れて努力を続けていきたいと思います。
#133
○小林正君 もう時間がありませんから一言だけ申し上げておきますが、ブッシュ政権との関係でいわゆる日米構造障壁の協議ということが行われて公共投資四百三十兆円の問題が出て、今度クリントン政権にかわって、それは前政権との国際公約、そして日米首脳会議も行われるわけですけれども、今後の課題として新たな視点で前政権との約束ごとは果たしていかなきゃならない課題もあるんだと思いますが、特にさっき言った木を植える仕事と教育ということとの関連で考えてみまして、公共投資四百一二十兆円ということであれば、やっぱり教育投資の十カ年戦略みたいなものを立てて、そして到達目標も策定して、そして国民的な合意形成の中でこの実態を脱却していくという大胆な問題提起のイニシアチブを文部省はとるべきではないかということを強く要請いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
#134
○萩野浩基君 もう午前中からずっと審議を続けられておられますので、委員の方々、そしてまた文部省の大臣初め皆様方大変お疲れと思いますが、私が最後でございますので、よろしくお願いいたします。
 本法案というのは、これはやはり時代的なニーズによって次代に即応しようとした大学改革、また教育・研究体制の整備、そういう面から見まして、私は本旨において、また基本におきましても賛成するものであります。
 せっかくの機会でありますから、今回対象とされた国立の各大学がこの法改正によって人材養成等研究の充実というのを図られることを大いに期待しております。
 そこで、これに関連いたしまして、国立、公立、私立の大学のこれからのあるべき姿というようなものに関しまして一、二質問させていただきたいと思います。
 まず第一にお伺いしたいんですが、現時点での国立大学の理科系、自然科学系とも言っておりますけれども、この理科系の在学者数、それからまた文系と言われております人文科学系の国立の在学者数をお知らせください。
#135
○政府委員(遠山敦子君) 国立大学の学部学生の約四十五万人のうち半数強が自然科学系でございます。そして、人文社会科学系は二割強でございまして、約十万人というところでございます。教育系も二割強でございまして、約十万人というのが全体像でございます。
#136
○萩野浩基君 今御報告いただいたように、大体大きく分けますと半々というような見方もされるわけなんです。
 きょう私お伺いしておりまして、ノーベル賞は五名じゃないかとか理科系の、そういうのも現に出ておりました。また、先ほど小林委員の方からも話が出ておりましたが、私は国立大学というのは特に理科系を重視しなきゃいけないんじゃないか。私、現に大学で教鞭をとった経験からしましても、私は文科系でありますけれども、そのように感じておるわけであります。
 私の宮城におけるあの仙台の中でも、医学部、工学部は大変有名でユニークな研究をしておりますが、アンフォーチュネトリーで、実際そこに行ってみますと、果たしてこれが大学の研究室かと。もうこれはくどくど申し上げません。これが実態でございます。
 これは、私も文科系でありますから、こう言うといろいろ語弊があるかもわかりませんが、極端に言えば黒板とチョークがあれば文科系の場合はある程度やっていける。これはちょっと極端でございます。もう今の新しい、私などがやっております分野ではコンピューターを使ったりいろんな統計をとったりしますから、果たしてどこまでが理科系か文科系かというのはオーバーラップする面はありますから一概には言えませんけれども、あえてコントラストをつけるならば私はそのように感じておるわけであります。
 また、これはフィナンシャルな財政面から見ましても、特に私立大学におきましては私の母校等にいたしましても、早稲田大学でもこれは大体文科系で月謝で稼いで、それを理工学部に費やす、これはもう実態でございます。私の現に経営しております大学におきましても理科系にお金がとってもかかるわけなんですね。これは現実には文科系の学生の月謝がそちらに流れでいっている。
 こういうような実態を見るときに、国立大学とは一体何かと、その点から考えるときにやはり私は理科系に重点を置いていくべきだ、これが基本方針であるべきだと、そのように考えておりますが、大臣ひとつ御答弁をお願いします。
#137
○政府委員(遠山敦子君) 大臣のお答えの前にちょっと御説明させていただきたいと思います。
 国立大学、数としましては全大学数の二割でございます。しかし、自然科学系の学生の割合が極めて高いというふうなことから今の御論議をいただいたと思いますけれども、国立大学の使命ということを考えますときに、やはり学問全体にわたっての研究の推進、それから研究者の養成、確保というふうな使命を帯びておりますし、また専門分野構成、地域配置等を考慮した大学の均衡ある発展というものも保たねばならないと思います。さらには、計画的な人材養成への安定的な寄与ということも大事でございますし、大学教育へ
の機会均等ということにも使命を果たすわけでございまして、こういった国立大学の負うべき使命を考えますときに、果たして理系だけでいいのかということが言えると思います。そもそも、学問の発展といいますときに、自然科学のみではなくてやはり人文科学、社会科学のバランスある発展というものはどうしても必要であると思うところでございます。
 国立大学といたしましては、さらに今後とも意義ある役割を果たすということが必要でございまして、特に理科系につきましてはこれまでもかなりの努力をして支援してまいったところでございます。
 ただ、理系につきましては施設設備にも大変な経費がかかるというふうなこともございます。そのようなことを財政上の理由から、では理系だけに限って国立というものを今後考えていっていいのではないかということにつきましては、もう少し深く考える必要があると思うわけでございます。
#138
○萩野浩基君 そう言っているんじゃないんですよ。比重の問題を言っている。
#139
○政府委員(遠山敦子君) 比重の問題ということであれば、現に財政上の配分におきましても理系に傾斜せざるを得ないわけでございますけれども、これからの人類社会が抱える諸問題というものを解決してまいりますにも、やはり自然科学の発達のみならず人文社会科学系の協力も得て学際的な分野でありますとか世界に貢献できるいろんな課題を乗り越えていく必要があるわけでございます。
 その意味では、余り理系のみに傾斜という御主張にはなかなかそのとおりと申し上げにくい点があるわけでございます。
 殊に、国際的な観点で見ましたときに、日本政府は国立大学については理系を重点に置いて人文社会系については少し軽視してもいいというふうなことが仮に報じられましたような場合にもいろんな問題が生ずるわけでございます。
 そのようにいろいろ考えてまいりますと、やはりバランスある発展ということが必要であると私どもは考えるところでございます。
#140
○萩野浩基君 大臣、簡単でいいですから。
#141
○国務大臣(森山眞弓君) 先生の、理科系について国が相当重点的に肩入れをするべきだという御意見は御指摘のとおりかと思います。しかし、今局長からるる申し上げましたように、国立大学に文化系が不必要とはちょっと言いにくいかと存じます。
#142
○萩野浩基君 私、言っていないですよ、そういうことは。
#143
○国務大臣(森山眞弓君) 全体的なバランスを保ちながら、学術研究と有為な人材を育成していくということが必要なのではないでしょうか。
#144
○萩野浩基君 どうも問題が勘違いしてとられているようで、ちょっと軌道修正いたしますが、私はやはりお金のかかる理科系という面に重点を置きなさいと、均衡という名のもとに不平等であったんでは日本の人材育成はできないわけです。だから、何もノーベル賞にこだわるわけじゃございませんけれども、私も科技特の方で委員をやっておりまして、大変この辺がおくれているというのを実感しているわけです。
 ですから、そういう意味で均衡均衡という名のもとにやるんでは、これはもう単なる決まり切った行政であって、やはり将来が明るい人材養成、そういうような面からそのときそのときの重点的なものを考えていっていただきたいということをまず申し上げておきます。よろしくお願いいたします。
 次に、国立または私立大学、こういうものを近年どんどん誘致したりして、特にまた第三セクターというような形で大学がつくられております。新設大学とか、また新しい学部、学科というようなものが増設されております。しかし、考えてみますと十八歳人口というのはもうピークに来まして、これからは御案内のとおりに減っていきます。
 そういうときに、特に地方ではこういうことも言われております用地方の大学はこれから実に危ないぞと。これははっきりした根拠あるデータではありませんけれども、約三〇%近い短大を含め大学がこれから先十年から十五年の間につぶれるんではないかというようなことを言っているのもあります。
 御案内のとおり、アメリカにおきましてはこの問題はもう社会的大問題になりました。大学経営の危機が叫ばれておりまして、日本等にもある意味では学生の募集というようなインチキなものも出回っておるというようなのが現状であります。アメリカの場合は先ほど申し上げましたとおりに何十もという大学が現につぶれておりますし、州立大学たりともその例外ではないというこの現状をやはり我々は一つの例として知っておかなきゃならないんじゃないか。特に、私立大学の場合、それは勝手に君たちがつくって経営しているんだからつぶれるのは仕方ないんだと、こう言ってしまえばそれまで。だけれども、これじゃやはりいけないんではないか。
 私は、私立大学においてはマネジメントとアドミニストレーションという、これが非常に重要ではないかと考えております。大学が生き延びるには、特に私立大学におきましても大学の独自性といいますか、ユニークという意味だという解説が先輩議員の方からありましたが、まさにそういうユニークさをもとに建学の精神といいますか、そういうものでもって教育、研究というものがなされていかなければならない。そのとき特に大きな問題となりますのが、私立大学におきましては教学部門と法人部門の関係が非常に重要になってまいります。
 まず私がそのときに考えますことは、教学部門のファンクション、機能と申しますかそれと法人部門のファンクションそれぞれがそれぞれの力を発揮することによって大学は健全に運営されていく、これは私の体験からしても重要なことだと考えております。それから、第二に大事なのは、教学部門と法人部門というのが勝手に働くのではなくて、対立てはなくて有機的にリンクしていく、やはりこういうことが大切かと思うんですね。
 そこで、教学部門と法人部門が有機的にリンクされることによって、先ほど申し上げましたとおりに私立の大学が私立大学としてその目的を発揮する、すなわち建学の精神が高揚されて教育、研究が充実していく、このように考えておりますけれども、いかがでございましょうか。
#145
○政府委員(遠山敦子君) 今のお話は抽象的なお話でございますので、今のお話を伺っておりましたところ、やはり私立大学につきましては大学としての使命、役割を十分に発揮するためにおのずから学校法人部門と教学部門がそれぞれに機能的にその力を発揮して、それぞれの大学の建学の精神に基づきながら円滑な運営と活発な教育、研究が行われるということが期待されているところでございまして、その点では先生のおっしゃるところは適切なお考えと思います。
#146
○萩野浩基君 はい、よくわかりました。私もそのように考えております。
 それから、このときどうしても大切なものとなりますのは、学校教育法の第五章の五十九条、この解釈に関してであります。
 そこには、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」と、このように明記されておるわけであります。この「重要な事項」ということの解釈をめぐって、ともすると教学部門と法人部門がぶつかったりトラブルを発生したり、これが大学の運営、発展を阻害しかねないという点が現に起こっております。高等学校の場合は、職員会議というのは校長の諮問機関だというある程度はっきりした定義づけが、また解釈もなされておりますが、大学の場合は実にこの点がファジーなんであります。
 そこで、私のこれまでの約二十年間にわたる経験からいたしまして、教学部門の大切なものとしての教授会というものの守備範囲はどの程度なの
かと。これはまだ最高裁の決定もありませんから大変難しいと思います。これはなかなか答弁が難しいと思いますが、私の体験、経験上から申し上げますと、例えば大学歴、いつに始まっていつに終わるとか、それから単位の認定、それから採用、人事の審査権ですね。人事を決定するのはこれは法人部門が財政的な裏づけがありますから、その採用、人事の審査、それから人事の昇格。降格はそんなにないと思いますけれども、昇格、降格、こうした三つが私は今一応我々の常識的判断として教授会の審議する重要事項と考えておるんですが、この点いかがでございましょうか。
#147
○政府委員(遠山敦子君) 学校教育法第五十九条には、「重要な事項を審議するため、」、大学には「教授会を置かねばならない。」と定められておりまして、その重要事項とは一体何かということでございますけれども、これはそれぞれの大学の考え方あるいは蓄積されてまいりました伝統、慣行によっても一様ではないわけでございますが、先生のおっしゃいましたような三つの事柄、例えば大学の教育・研究計画でありますとかあるいは学生にかかわる学位、卒業の認定あるいは教員の大事に関することといったようなものがその「重要な事項」の代表的、典型的な例であるということは言えると思います。
#148
○萩野浩基君 ありがとうございます。大体考えが一致したようなので安心いたしました。
 これは日本の私立大学の将来において非常に重要なことであろうと思うんですね。どのようにマネジメントしていくかアドミニストレーションしていくかは、やはりこの辺が非常に重要と思います。
 せっかくの機会でありますので、今回最初に申し上げましたとおりに、こういう国立大学におきましても時代のニーズといいますか、そういうものに対応して大きな改革を図ろうとする今回のこの法律案というのは私は非常にいいと思います。大学は私立大学も含めて学校教育法の中に入っているわけでございますから、ただつくるだけ変えるだけではなくて、文部省にはそのアフターケアもひとつよろしくお願いいたしたいと思います。
 以上をもって質問を終わります。
#149
○委員長(松浦功君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#150
○委員長(松浦功君) 御異議ないと認めます。
 それではこれより討論に入ります。  別に御意見もないようですから、これより直ちに採決に入ります。
 国立学校設置法の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
#151
○委員長(松浦功君) 全会一致と認めます。よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
 森君から発言を求められておりますので、これを許します。森君。
#152
○森暢子君 私は、ただいま可決されました法律案に対し、自由民主党、日本社会党・護憲民主連合、公明党・国民会議、民社党・スポーツ・国民連合、日本共産党、民主改革連合の各派及び会派に属しない議員小林正君の共同提案による附帯決議案を提出いたします。
 案文を朗読いたします。
    国立学校設置法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)
  政府及び関係者は、次の事項について特段に配慮すべきである。
 一 教養部改組等を含め、大学改革を進めるに当たっては、各大学の自主性を尊重し、個性内かつ大学の理念に沿った教育・研究の充実及びその円滑な実施が図られるよう十分に配慮すること。
 二 国立大学における教育・研究基盤の劣悪な現状にかんがみ、その改善を図るとともに、文教施設等の社会資本としての性格をも踏まえ、文教予算の充実に努めること。
 三 大学院博士課程の学生を若手研究者として処遇する途を拡充し、大学生・大学院生の奨学金の一層の充実に努めること。
 四 大学入学者選抜の在り方については、初等中等教育への影響や受験生の立場に配慮しつつ、一層の改善のために最大限の努力をすること。
 五 大学の生涯学習機関としての役割を高めるため、社会人の大学、大学院への積極的受入れに必要な諸条件の整備に努めること。
  右、決議する。
 以上でございます。
#153
○委員長(松浦功君) ただいま森君から提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。
 本附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
#154
○委員長(松浦功君) 全会一致と認めます。よって、森君提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。
 ただいまの決議に対し、森山文部大臣から発言を求められておりますので、これを許します。森山文部大臣。
#155
○国務大臣(森山眞弓君) ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意いたしまして対処してまいりたいと存じます。
#156
○委員長(松浦功君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#157
○委員長(松浦功君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十六分散会
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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