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1993/05/18 第126回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第126回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第3号
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1993/05/18 第126回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第126回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第3号

#1
第126回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第3号
平成五年五月十八日(火曜日)
    午前九時三十分開議
出席委員
  委員長 西田  司君
   理事 武村 正義君 理事 谷  洋一君
   理事 谷川 和穗君 理事 木間  章君
   理事 鳥居 一雄君
      井上 喜一君    遠藤 武彦君
      久間 章生君    塩谷  立君
      古屋 圭司君    沢藤礼次郎君
      武藤 山治君    山口 鶴男君
      渡辺 嘉藏君    平田 米男君
      金子 満広君
 出席政府委員
        国土庁大都市圏 内藤  勲君
        整備局長
 委員外の出席者
        参  考  人 フレデリッ
        在日オースト  ク・ロード
        ラリア特命全  ン・ダーリ
        権大使     ンプル  君
        通    訳  長井 鞠子君
        国会等の移転に
        関する特別委員 杉本 康人君
        会調査室長
    ―――――――――――――
委員の異動
五月十八日
 辞任         補欠選任
  佐藤 敬夫君     古屋 圭司君
  村山 富市君     渡辺 嘉藏君
同日
 辞任         補欠選任
  古屋 圭司君     佐藤 敬夫君
  渡辺 嘉藏君     村山 富市君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国会等の移転に関する件
     ――――◇―――――
#2
○西田委員長 これより会議を開きます。
 国会等の移転に関する件について調査を進めます。
 本件調査のため、参考人から御意見を聴取いたします。
 本日御出席願っております参考人は、在日オーストラリア特命全権大使フレデリック・ロードン・ダーリンプル君であります。
 この際、ダーリンプル参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、議事の順序でございますが、最初に二十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、長井鞠子君を通訳として御依頼申し上げておりますので、御了承をいただきたいと思います。
 それでは、ダーリンプル参考人、お願いいたします。
#3
○ダーリンプル参考人(通訳) 委員長、ありがとうございます。
 時間がかなりかかることになりますので、よろしければ委員長にお許しをいただきまして、座ったまま発言させていただきたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。
#4
○西田委員長 どうぞお座りください。
#5
○ダーリンプル参考人(通訳) 本日、この委員会に御招待をいただき、オーストラリアの首都設計、首都形成に関する経験をお話しする機会をいただきまして、ありがとうございます。
 御質問にお答えする前に、オーストラリアが直面した状況と、現在、貴委員会が検討中の件との重要な違いを指摘させていただきたいと思います。
 オーストラリアは、一九〇一年に六つの自治権を持つ植民地連邦として形成されました。それぞれの植民地、後に州になりましたが、その植民地にはそれぞれ中心地がありましたが、一九〇一年以前には国がありませんでしたので、もちろん国の首都はありませんでした。
 新しい連邦首都として大きな二つの植民地の中心地、すなわちシドニーとメルボルンの間には、どちらが連邦の中で優位に立つかということにつきまして大変な競争がありました。議論の末、オーストラリア憲法に守られた合意ができ上がりまして、政庁所在地はメルボルンとシドニーの間に新首都をつくり、ニューサウスウェールズ州内に位置するその土地は連邦政府に割譲するということになりました。
 以上がオーストラリアでの首都形成でありまして、これは何もないところから首都をつくるというものであり、皆様方が明治時代の初めになさったような、御検討中の首都機能の遷都とは状況が異なります。
 次に、首都遷都とその背景につきましてお答えいたします。
 この問いに対する私の答えは、私の前置きで一部お答えを既にしておりますけれども、シドニーとメルボルンの間にはライバル意識があったので、この両都市の間での首都争奪競争を解決する唯一の方法というのは、二つの都市の間に新しい場所を選択することでありました。新しい政庁所在地は、ニューサウスウェールズ州内でなければならず、シドニーから少なくとも三百キロメーター離れた場所でなければならないというものでした。
 次は、計画の開発過程はどういうものであったかについてお答えいたします。
 連邦成立後、十年間にわたりましていろいろな場所が調査されました。キャンベラは、一九一一年に公式に選ばれ、面積二千四百平方キロの土地は、連邦首都特別地域として連邦政府に譲渡されました。一九一二年には首都設計の国際コンペが行われ、アメリカの建築家であり都市設計者であるウォルター・バーレー・グリフィンが優勝しました。
 グリフィンは、自然に囲まれたキャンベラの首都設計を大いに喜び、雄大で美しい風景に調和し、その美しさを最大に取り入れるような計画を立てました。グリフィンの幾何学的なデザインの主な構成要素は、まず国の象徴的な中心であります国会議事堂です。この国会議事堂が三角形のいわゆる頂点をなしまして、それにつながります大通りが大きな三角形を構成する、そういう構成となっております。この三角形の頂点が国会議事堂、そして底辺部分、これは周りの丘の中でも際立っておりますブラックマウンテンにつながるグリフィン湖という湖、これは設計者バーレー・グリフィンに敬意を表して名づけられた湖なのですが、その湖の水辺が構成する水の軸、これが底辺を構成しております。そして、この三角形をちょうど二等分するのが陸の軸と呼ばれるものでありまして、周りの地形に溶け込んでいるわけであります。そして、この二等分する大きな陸の軸がアンザック・パレードやその他の記念式典が行われる場所となっております。
 グリフィンの計画は何年にもわたり修正されまして、ついに一九二五年、キャンベラ・レイアウト計画として議会に採択されました。憲法では、連邦特別地域の土地は連邦政府に属し、連邦議会が特別地域に関する法律を作成、施行いたします。
 計画開発推進の間、連邦議会はビクトリア州議会議事堂に間借りをいたしまして、最高裁判所はシドニーに本部を移し、行政府はこの二つの場所に分かれて存在をいたしました。仮の議事堂が一九二七年キャンベラに建設され、それから議事堂はキャンベラに定まりました。現在の国会議事堂は、新しく一九八八年の建国二百年祭に建てられたものであります。
 しかし、仮の議事堂建設後でもキャンベラの成長は遅く、全体的に計画実行はゆっくりとしたペースでありました。一九三〇年代の不景気、第二次世界大戦、そして戦後の復興で、開発は一九五〇年代までおくれました。戦争は、二、三の都市への行政分割というのは非効率であるということを証明し、初めの段階として、少なくとも国防にかかわるすべての省がキャンベラにあるべきだと決められました。
 移転が公務員に気持ちよく受け入れられるように、政府はキャンベラのさらなる開発、改善を考えまして、町の計画、開発、建設とキャンベラヘの省庁の移転計画達成のため、一九五八年首都開発委員会を設置しました。この首都開発委員会、NCDCは、グリフィンの計画の核を形成する議会を中心とする三角形の建設や、湖と主要道路の建設の適切な開発の遂行に取りかかりました。これらは、大体一九六五年までに完成するという計画でありました。
 しかし、首都開発委員会はグリフィンの計画した都市では小さ過ぎると考えまして、住宅地域は、現在のY計画と呼ばれる住宅区、商業区、事務区に分かれた幾つかの区域に修正されました。この第二段階は、メトロポリタン・キャンベラの開発と呼ばれております。
 次は、首都特別地域に関する現行の法的根拠についてお答えいたします。
 前にも述べましたように、憲法によって、首都特別地域の土地所有権はオーストラリア連邦政府に属することが定められ、連邦議会がこの地域とその土地利用に関する立法を行っております。
 連邦が土地の所有者ではありますが、一九八八年にオーストラリア首都特別地域(計画及び土地管理)法が国会を通過し、これによって、連邦またはその代理人によって使用される土地が国有地として宣言され、連邦政府行政サービス省と芸術・環境・特別地域省を通じて、直接連邦政府が管理をしております。
 国有地として指定された土地には、国会議事堂を頂点とする三角形地帯とその周辺、バーレー・グリフィン湖とその湖岸、主要国家機関、例えば最高裁判所、国立美術館などの特定の敷地、地域内の丘陵地帯、首都につながる主要道路などが含まれております。また、国防省などその他特定の国家機関は、その活動を行う土地を管理しております。
 特別地域のそれ以外の土地は、特別地域用地として指定され、連邦政府にかわって首都特別地域政府が管理しています。首都特別地域政府は、オーストラリア首都特別地域法、自治政府法によって一九八八年に設立されました。オーストラリア首都特別地域政府は、道路、水、教育などのインフラを供給しております。国有地内の諸施設の維持開発の一部は、オーストラリア首都特別地域政府によって行われておりますが、その経費は連邦政府から直接支給されております。
 計画と開発に関する政策と管理に二つのレベル、すなわち連邦レベルと地域レベルを導入するという決定が連邦政府によってなされましたが、その決定は、キャンベラが成長して、住民と連邦政府の利害関係が明白になったために、自然発生的に起こってきた決定であります。国家の首都を全オーストラリア人のために保持するためにも、この都市の特殊な必要性と目的を明らかにし、これらを急速に拡大しつつある大都市の持ついろいろなニーズ、必要性と矛盾することなく保っていく方法を見出していくこと、これこそが重要なわけであります。これを達成するためには、町全体としては一つではありますけれども、そこには平等な関心を払うべきである二つの側面、二面性があるということを考慮した新しい計画・管理技術が要求されております。
 次は、国家首都に対する国民の受け取り方についてであります。
 何事もそうであるように、国家首都としてのキャンベラにつきましても、肯定的と否定的な受け取り方とあります。例えば、政府部門、官公庁などが現実の社会から離れて計画された環境の中にあるということは、これは隔絶した存在であるというふうに批判している人々もおります。ですから、例えばキャンベラというのは退屈だとか、無味乾燥な場所だというような表現がよく聞かれます。また、キャンベラの住民はしばしば、ほかのオーストラリア人というのはキャンベラといえばすぐ激しい政治論争や不愉快な税金徴収あるいは増税などを連想しているとこぼしまして、そんなことをしているのは自分たちではなくて、外からやってきた政治家たちで、自分たち住民ではないということを指摘しております。
 しかし、肯定的な面では、最近の調査によりますと、七五%を超えるオーストラリア人が主要機関は国家の首都に存在することが重要であると信じており、また八〇%近くが国家は首都とその役割についての認識をもっと強めるべきであると思っております。八〇%以上の人々は国家の首都に誇りを持つべきであると信じており、はぼ六〇%の人々がキャンベラの開発促進を支持しております。
 もう一つ申し上げますと、多くのオーストラリア国民は首都見物に出かけるということであります。何十万という人々が観光客としてオーストラリアの首都を訪れておりまして、実際に首都を見て非常に関心を持ちましで、そして首都が好きになるという国民が大半であります。したがいまして、国家の首都にあります国家の誇りというものがどんどんふえているということは、疑いもないことであります。
 大部分の人々は、国家の首都に関連して知っていることとして、三つぐらいをすぐに挙げることができます。抜群によく知られておりますのが国会議事堂でありまして、そのほかとしては、戦争記念館、バーレー・グリフィン湖、国立美術館、政府各省守の建物、自転車専用道路などがあります。皆様方、先生方に対しては申しわけないのですけれども、残念ながら今回の調査で、首都に行ったら会ってみたいのは政治家であると言った人たちは、わずかに四%でありました。
 委員長、これをもちまして私の冒頭発言を終わらせていただきます。(拍手)
#6
○西田委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
#7
○西田委員長 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。塩谷立君。
#8
○塩谷委員 本日は、グーリンプル大使、本当に貴重な意見ありがとうございました。
 私も一九八五年に一度キャンベラへ伺ったことがありますが、きょうまた大使からその首都の形成について貴重な御意見をいただき、我々委員会としても大変参考になったと思います。
 冒頭の御説明で、キャンベラの首都形成においては、我々が今検討している形とは大分違うという御意見があったわけでございますが、それにつきましても、キャンベラを首都として形成したということの経緯等、かなりの部分で参考になる部分があると確信をしております。
 それで、最初に御質問をしたいと思いますが、キャンベラに決めた理由というものが、当時シドニーとメルボルン、二つの大きい都市の競争があって、その中で、大体その中間で新しいところを探そうということだと思いますが、まず一つはニューサウスウェールズ州内ということの理由、しかも三百キロ以上離れでいるということの中で、何でニューサウスウェールズ州の内部であっ
たか、あるいは三百キロ離れたところか。そういう中で、キャンベラという都市がどういった首都にふさわしい条件があったのか、その点を教えていただきたいと思います。
#9
○ダーリンプル参考人(通訳) 塩谷先生、御質問ありがとうございます。
 なぜニューサウスウェールズ州内に首都立地をしなければならなかったかといいますと、まず、ニューサウスウェールズ州というのは、ビクトリア州に比べまして何倍も大きい州であるということを言わなければなりません。したがいまして、新しく首都にする場所をニューサウスウェールズにするという規定がなかったならば、ビクトリア州内に首都を設けるということも可能であったわけですが、そうでありますれば、ニューサウスウェールズ州から非常に遠いところになったでありましょう。言いかえますと、メルボルンからニューサウスウェールズとの境界線に行く距離の方が、シドニーからニューサウスウェールスとビクトリアの境界線に行く距離に比べましてずっとずっと短いということが言えます。
 しかしながら、ニューサウスウェールズ州に首都を置くということは決めましたけれども、それが余りにもシドニーに近いところにあってはならないということを担保するために、もう一つの規定として、シドニーから少なくとも三百キロ離れたところでなければならないということになったのです。
 このように、今先生から御質問がありました、新首都はこのようなところに立地すべしという規定があるというのは、要するに、南のメルボルン、北のシドニーということで、どちらの大都市にも余りにも近くならないようにということを担保するために設けられた規定なわけです。必ずしも両都市から平等な距離のところにというわけではありませんけれども、明確に、二つの大都市からははっきりと離れたところに立地するのだということを担保するために設けられた規定であります。
#10
○塩谷委員 ありがとうございます。
 今質問を一つしたわけですが、その中で、キャンベラの今の地域というものがいろいろな条件の中で、例えば自然条件がよかったとか、立地の面でどういう優位性があったのか。
#11
○ダーリンプル参考人(通訳) この首都立地をいろいろと調査いたします委員会は、シドニー、メルボルン以外のどういうところが適切であろうかと、いろいろなところを調査いたしました。例えば、メルボルン、シドニー、両方とも港湾都市でありますので、海岸に面した海辺の土地はどうであろうかということも見ましたし、それ以外にも、例えば丘陵地帯はどうであるか、あるいは渓谷にある場合はどうかとか、いろいろな場所を調査したはずであります。
 キャンベラに関しましては、少なくともほかのところに比べまして三つ、際立った利点を持っていたと思います。まず第一といたしまして、キャンベラというのは広大な場所に立地していたということで、山に囲まれ、また丘もあり、自然環境としても非常にきれいであり、また、将来の拡張を可能にするような土地を潤沢に持っている場所であったという点が第一です。また、川が流れていたということで、適切な水の供給も確かにあるということを考えたはずです。また、道路建設や鉄道の建設をするためにも、大変よいアクセスを持っている場所であるという地域でありました。
 後知恵にはなりますけれども、委員会は大変よいところを選んだなと思われます。
#12
○塩谷委員 キャンベラの建設につきましては、二十世紀当初から大変長い期間を要しているわけでありますが、我々日本人の感覚でいきますと、いかにもちょっと長い時間がかかっているのじゃないかというような気がいたします。その理由として、世界恐慌とか戦争とか、さまざまな理由があったわけでございますが、例えば立法府と行政府が分かれていたり、行政府の中でも分かれて立地して、実際に政治、行政を行う上で大変な不便があっただろうし、いわゆる恐慌とか戦争とかという理由以外に何か、これだけ時間がかかっている大きな阻害要因といいますか、あるいはもともとそれだけ長い期間をかけてやるんだという計画なのかどうか、そこら辺をひとつお聞かせいただきたいと思います。
#13
○ダーリンプル参考人(通訳) 委員長、まず最初に申し上げなければならないのは、当時は、オーストラリアは極めて小さな国だったという点であります。もちろん、オーストラリアというのは地理的な国土面積からいえば巨大な国でありまして、一つの大陸を構成するぐらいでありますけれども、人口という観点からいいますと、当時は非常に小さい国でありました。国土面積は広いんですが、そのほとんどは砂漠でございまして、人口が集中している地域というのは、広い国土にばらばらに存在をしております。したがいまして、人口が少ないということは、収入を上げるためのベース、これも非常に小さいということを申し上げなければなりません。
 一九一一年当時、キャンベラが選定されましたその当時でありますが、正確な数字は覚えておりませんけれども、恐らくは、当時のオーストラリアの人口は四百万人ぐらいだったと思います。したがいまして、新首都を建設するということには当然経費がかかるわけでありまして、どれくらいのスピードで建設に当たるかということを決めるに当たりましても、やはり経費ということが相当大きな関心事であったろうと思われます。
 一九九三年という現時点から振り返ってみれば、また、世界で第二番目の経済大国の首都である、大変忙しい、パワーに満ちたこの首都から見れば、キャンベラの建設には随分長い時間がかかったなと思われるだろうということは私も理解できます。しかしながら、我々は歴史的な想像力を駆使いたしまして、少し振り返ってみたいと思います。
 一九一一年は、まさに新首都建設のためのプロセスが始まったその年だと思うんですけれども、その一九二年当時には、既に、いろいろな論議をしながら新首都の立地はどこにするかということを探すというプロセスを、もう十年もかけてやっていたわけであります。当時はオーストラリアというのは小さな国であり、しかも新しく生まれたばかりの国家と言えるような時点にあり、しかも人口もばらばらに存在しているというような事態、そのような国家が一九一四年に第一次世界大戦に見舞われることになったわけであります。当時、オーストラリアというのは英国と極めて近い関係を持っておりましたので、英独が宣戦を布告したことによりまして、自動的に第一次世界大戦に我が国も入ることになりました。
 次に、戦後の復興の時期が起こりまして、もちろん成長、繁栄の時代を我が国も迎えることになりました。そこでまた首都建設のプロセスが始まったわけでありますが、本当の意味で首都建設がまた再開されたというのは一九二七年ごろだったと思います。
 ところが、塩谷先生がいみじくもおっしゃいましたように、一九二七年にやっとプロセスを再開したところで世界の大不況が起こってしまいました。オーストラリアというのは一次産品の産出国でありますので、ほとんどのほかの国々よりも非常に大きな深刻な打撃を受けることになりました。ということで、主にこれは資金をどう配分するかという問題だったのでありますが、第二次世界大戦以前でもキャンベラを首都とするという作業は既に相当進捗をいたしました。
 しかしながら、キャンベラが首都として本当に成長し、しかもほかの国民からもキャンベラは確立した首都なのだということが受け入れられるようになったのは、やはり第二次世界大戦後のことでありました。
 どうしてかといいますと、そのころオーストラリア人は、自分たちが誇りを持てるような、しかもバイタリティーにあふれた効率性の高い都市を自分たちの首都として持つことは必要だということをはっきりコミットメントとして持つように
なったということが一つの理由。それから第二の理由といたしまして、そのころになりますと、オーストラリアも潤沢な資金と、それからまた人口ベースを持つことができるようになり、それでもって首都を本当に建設するための資金調達とかその他のことができるようになったからであります。
 ある意味では、これだけ長く時間がかかったということでかえって利点があった、我々にとって有益な面もあったと指摘することができると思います。キャンベラが迅速に発展をするようになった時代というのは、まさに科学技術が急速に進展をしたときと時を同じゅういたしました。それからまた、キャンベラの当初の計画時代には想像もすることができなかったような輸送制度の発達ということとも軌を一にいたしました。したがいまして、キャンベラの計画自身がまさに近代的な時代にマッチした形で発展をすることができるようになった、これが時間がかかったことの利点だと思います。
 したがいまして、オーストラリアの首都建設の経験といいますのは、本当に小さな国、しかも新しく生まれた国が首都をどうしようかということを考えた結果行ってまいりました経験でありますので、皆様方が日本において考えておられるような遷都の問題とは全く違う状況であると言わざるを得ません。
#14
○塩谷委員 時間もありませんので、最後にもう一つ質問をしたいと思うのです。
 長い時間の計画があったと思うのですが、そういう中で、キャンベラという都市を大体何万人ぐらいの都市にしようという計画だったか、そしてその計画が現在もう完成度として、人口だけじゃなくて、ほかのもろもろの都市的機能の完成度が今何%ぐらいになっておるのか、お伺いします。
#15
○ダーリンプル参考人(通訳) 前のお話でも言及いたしました国際コンペで優勝いたしましたグリフィンは、キャンベラが首都として完成した暁の人口規模としては三万人から四万人という人口規模を想定しておりました。前にも言いましたように、当初この計画が出てまいりました当時のオーストラリア全体の人口はそもそも非常に小さかった、せいぜい四百万ぐらいの人口を持っていた時代の話なわけです。現在のキャンベラの人口は三十万を超えております。
 私が前に申したことからも明白だと思いますけれども、第二次世界大戦後になりまして、ウォルター・バーレー・グリフィンが考えていたよりももっと大きな人口を擁するキャンベラの計画を始めなければならないということがわかってきたわけです。そのために、私の話の中でも言いましたY計画という新しいキャンベラの計画が生まれました。現在の予測によりますと、二〇一六年までにキャンベラの人口は五十万人になるというふうに想定されております。
#16
○塩谷委員 どうもありがとうございました。
#17
○西田委員長 渡辺嘉藏君。
#18
○渡辺(嘉)委員 日本社会党の渡辺嘉藏でございます。心からダーリンプル大使に敬意を表しながら、以下の諸点について御意見をお聞かせいただきたいと思います。
 まず一つは、ここでジェームズ・マードック先生の「日本の歴史」という本を私は知りました。夏目漱石さんや、日本の今の憲法を制定いたしました当時の幣原書童郎総理大臣等々の先生として教鞭をとられた有名な貴国の学者ですが、その方が著されたこの「日本の歴史」、これをおおよその皆さん方がお読みになったと聞いておりますが、大使もお読みになったと思いますけれども、そういう前提で聞かせていただきたいと思います。
 日本は、こういう長い歴史と狭い国土、それから東京は江戸幕府時代を含めまして三百八十年余り日本の政治権力の中枢都市であった。明治維新後は天皇家もここに移転せられて、以後、経済の主要機能もここに流入いたしまして、今日の一千万云々の人口を擁する過密都市東京ができ上がった。広い国土、そして歴史的には若い貴国と比較をするということは、いろいろな状況が違いますけれども、この際大使から、大使はもう赴任されて以来満四年を日本で勤務していらっしゃいますので、日本のことはいろいろな面で熟知しておられると思いますので、この機会に私ども日本も、歴史的な大事業である国会等首都機能の移転をするに当たりまして、大使の御所見、参考になることとして、まず一つは場所の問題、二つ目には規模の問題、三つ目には期間、それから四つ目には移すべき政府機関はどのようなものが妥当か、五つ目にはそれのスケジュール等、ひとつお聞かせいただければ幸いです。
#19
○ダーリンプル参考人(通訳) 渡辺先生、私の母校の出身でもありますシドニー大学出身のマードックはオーストラリアの学者でございまして、私もよく存じております。また、大使として、マードックの著作が日本におきまして高く評価されているということは非常にうれしいことでございます。
 また、マードック氏は、日本において影響力を持っているというだけではなくて、オーストラリアにおける日本研究の創設者と言われる地位を持っております。また、彼やその他の人たちが、十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけまして日本研究という基盤をつくったその上に、オーストラリアにおきましては日本研究が非常に盛んに行われるようになりました。今では十万以上の学生生徒が日本語を勉強し、日本の文化を勉強し、日本の歴史を勉強しております。また、人口比率からいいますと、日本語を母国語としておられる日本の国を除けば、日本語を勉強する人々の割合が一番高いのは我が国であります。
 私自身は日本語が話せなくて大変申しわけないのですけれども、大使館におります大使館員の若い人たちでも、私の隣にいる人のように、大変見事に日本語をこなす館員がふえております。
 私は外交官でありますので、個人的に東京の現状がどうなっているかということに関しましては注意深く物を言わなければならないと思っております。もちろん、人間が集中しておりますし、いろいろなことが集中して東京で行われているということは私も承知をしておりますが、それは、東京が日本の政府の所在地であるということとともに、東京というのは世界のビジネスのセンターであるというゆえんでありましょう。
 日本以外の外国の人たちはなかなか理解できないことなのですけれども、日本の場合は、東京以外の地方都市あるいは地域を見ましても、相当の経済活動が行われているのです。このことが外国の人にはなかなかわかってもらえません。例えば、名古屋を中心といたします中部経済圏、これはカナダよりも大きな経済規模を持っております。また、九州という経済圏をとってみますと、韓国を含めるアジアの地域のどの国の経済よりも大きな経済的な存在となっております。したがいまして、オーストラリアもその現状に合わせて我々の努力を分散させようとしておりまして、領事館を札幌、仙台、名古屋、大阪、神戸、福岡に開設をしております。
 今私が申し上げましたような日本の都市というのは、東京に比べれば小さい都市ではありますけれども、それ自身かなり大きな都市であります。したがいまして、首都機能をどこかに移転するという場合に、今言いましたような大きな都市のどこかに移転するということであれば、結局その移転先でまた過密の問題を起こしてしまうのではないかと私は思います。例えば、首都機能を大阪に移転するということになれば、今度は大阪の方に過密の問題が生まれるということになりましょう。
 外国人は、日本の地方経済の規模がどれぐらいであるかということがなかなかわからないということを申し上げました。しかしながら、私の目から見ますと、日本の方々も、日本というのは非常に小さな国なのだというような思い込みといいますか、強迫観念というようなものを持っておられるような気がいたします。事実としては、日本はそれほど小さい国ではありません。確かに人口密度は高い数字を持っておりますけれども、世界の
いろいろなところに比べて人口密度がそれほど高いというわけではありません。日本の国土の七〇%は山岳地帯あるいは森林地帯ということでありまして、余り手がつけられておりません。ということで、日本でもし首都を移転されるということであるならば、既に人口が多い大きな都市の一つにそれを移すということは余り意味がないように思われます。
 ということで、渡辺先生が御質問なさいました、立地は、それから規模はどうか、それから期間はどうかという質問に返ってまいります。
 私は、これまでの話の中で、二十世紀の初めに行ったオーストラリアの経験と今皆さん方が調査をしておられる件というのは、歴史的な状況も、また規模も全く違うということは皆さんの注意を喚起いたしましたし、私もそう言いました。そういう違いはありますけれども、やはり我々の経験から何か得ていただく、何か示唆を得るということは言えると思います。
 言いかえますと、例えば新しい首都の立地をどこにするか、これはやはり現在の非常に大きな都市から余り離れていないところということが示唆されます。簡単にアクセスができる、大都市にもすぐ行けるようなところであります。
 次に、規模の問題でありますが、最初に言いましたように、巨大都市からもう一つ大きな都市へ移転するということはどうも意味がないように思われます。ですから、既に大きくなり過ぎているようなところではないところに移転をすることが望ましいように思われます。
 次は、どれくらいの期間でということでありますが、オーストラリアの計画者が悩みました問題というのは資金難、資金が十分ないという問題でありましたが、日本の場合はそれに直面なさることはないでしょう。
 しかしながら、他方、我々が経験しなかった別の問題に皆さん方が直面なさる可能性もあるのではないかと考える次第であります。それは土地を取得するという問題であります。地域住民とどういう合意に到達することができるか、これが問題になり得るだろうと思います。例えば東京の中でさえ、土地を利用するということにつきましで皆様いろいろな経験をしておられます。そういう経験からしましても、あるいは成田にあります新東京国際空港においてどういう経験をなさったかということなどを考えてみますと、やはり新首都を建設する、あるいは首都機能を移転するといいましても、何か古いものを新しいものに建てかえるにせよ、あるいは全く何もないところに何かをつくるにせよ、十分土地を担保することができるだろうかというところに困難性があるのではないかと思われます。
 次に、渡辺先生は、どのような機能が移転にふさわしいかとお聞きになりました。それに対して私はコメントできる立場にはありませんけれども、私なりの考えでは、最低限やはり立法府と行政府の中心的な組織というのは移転しなければならないように思われます。やはりそれを達成するためには相当時間がかかるのではと思います。
 以上です。
#20
○渡辺(嘉)委員 ありがとうございました。
 じゃ、続いて第二問ですが、貴国は一九〇一年以来長い努力で今日首都キャンベラをほぼ完成されましたが、この間、日本の軍事的な脅威と侵害等で御迷惑をかけたことも含めて移転事業がおくれたことは申しわけなかったと思います。一九五八年、戦後、首都開発委員会を設置されて見直しの、新しい首都構想をおつくりになったのですが、この構想と現在でき上がりましたキャンベラ市とは何か異なった結果があったかどうか。いま一つは、移されました立法、行政、司法等の各機関のうちで一部がまだメルボルンその他の都市に残っておるとも聞いたのですが、そういうことがあるのかどうか。それから、政府の行政部門の中で、政策部門は移されたが現業部門は余り移されていないということも聞きましたが、どうか。また、外交、マスコミ関係は、中枢的なものはすべで移されたか。あわせて、民間の企業、会社、団体、日本で言うなら経団連、銀行協会等々、それから会社の本店、こういうものも移ったかどうか。以上についてお教えいただきたい。
#21
○ダーリンプル参考人(通訳) もちろん、一九五八年首都開発委員会ができました当時と今とでは状況に大きな違いがあります。五八年当時、オーストラリアはまだまだ小さな国でありまして、当時のオーストラリアの人口は八百万ぐらいで、今の人口の半分よりも少ないぐらいでありました。ということで、キャンベラも当然小さな町だったわけですが、今ではキャンベラは中規模都市と言えるぐらいの都市になりまして、人口は三十万となっております。それぐらいの都市になりますと、やはり大都市としての機能それ自体が、みずから大都市としての命が生まれてくる、大都市としての生活自体が生まれてくるということが言えましょう。キャンベラというのは、五八年当時にはただ国の首都であるというだけでありましたけれども、今は国の首都であると同時に一つの大きな都会にもなりつつある、それ自身の生活が生まれているというところ、そこが五八年当時と今とで一番違っているところだと思います。
 次に、国の機関はすべてキャンベラに移転したかという問いについてですけれども、先生が言われましたように、連邦政府の立法、行政、司法部、これは移転をしております。まず議会、それから議会に関連するいろいろな機関、これはキャンベラに移転をいたしました。ハイコート、これはオーストラリアの最高裁判所ですけれども、これもキャンベラに移転をいたしました。それから行政府も、各省庁の主なる部局、それから政策担当する部局、こういったものはすべでキャンベラにオフィスがあります。政府の省庁も全部キャンベラに移転をしておりまして、メルボルンに残っているというものはありません。ただ、現業といいましょうか、サービスを行うような部局、例えば社会福祉とか健康保険とか関税とか郵便、そういったものはいろいろな大都市に部局を置いたり、支部を置いたりしております。例えば、郵便局なんかの場合にはすぐおわかりいただけると思いますけれども、全国に郵便局に関する施設があるわけであります。しかしながら、そういった現業に関しましても、本部、それからまた政策を立案するような機能、そういったものはすべてキャンベラに置かれております。
 マスコミはキャンベラには移転をしてはまいりませんでした。しかしながら、オーストラリアの主要なマスメディアはすべてキャンベラに人を置いております。例えば、大都市で発行されております新聞社はほとんどが総支局をキャンベラに置いております。それからラジオ、テレビ局、そういったところも、議会やその他連邦政府に関連する事柄を取材するために相当の人数を置いております。
 民間企業は移転してまいりませんでした。キャンベラは決して商業的なセンターにはなっておりません。それから、日本であったら経団連に当たるような組織、そういったものはキャンベラには来ておりません。例えばビジネス・カウンシル・オブ・オーストラリアとか、それからオーストラリア労働組合総連盟、そういった組織は本部はメルボルンにあります。他方、全豪農民連盟、それからオーストラリア工業会議所、そういったところは本部をキャンベラに置いております。ですから、ロビー団体といいましょうか、利益団体としてキャンベラに本部を置くような動き、そういった趨勢は見られると思います。
#22
○渡辺(嘉)委員 では、一問だけ。
 発展される貴国の首都機能として、将来五十万を想定していらっしゃるわけですが、国の政府機関としての計画と開発、それとそこに住んでおる住民の自治、生活、文化、都市構想、それの計画と開発、これを調和するために、一九八八年に首都特別地域法を制定されたと聞いておりますが、その国の首都機能の計画、開発と住民のそれとが意見の食い違いを生じたときには、どのようにこれを調整いたすのか、今までもそういうことがあるのか、これを最後に一言お聞かせいただきたい
と思います。
#23
○ダーリンプル参考人(通訳) 今御質問があった点に関しましては、キャンベラに対するアプローチのやり方といたしまして大きな変化が生まれております。一九八八年まではキャンベラというのはいわば行政都市ということで、政府が直接に管轄をするという格好で運営されてまいりました。政府の一部局がキャンベラの運営に当たるという感じでありましたけれども、今ではキャンベラみずからがみずからの政府を持つようになりまして、また議会も首都地域議会というのが生まれるようになっております。主任大臣もおりますし、それ以外のいろいろな部局の大臣もいるようになってきております。ですから、自治権を持った特別地域、あるいは准州といいますか、テリトリーというふうにして扱われております。オーストラリアの北部准州と呼ばれておりますノーザンテリトリーというところがあるのですけれども、あそこと同じように自治権を持った准州、テリトリーとして存在するようになっております。
 渡辺先生がおっしゃいました質問に本質的にお答えをする観点から申し上げますと、すなわち、首都地域の開発計画とそれから地域住民との考えをいかに和解させていくか、いかにその間の調和を図っていくかということについてでありますが、一九八八年に生まれましたオーストラリア首都特別地域法によりまして一定の要件が課されております。その一定の要件といいますのは、国の首都計画とそれからキャンベラ、ACTというふうに呼ばれておりますが、キャンベラの計画当局が行いますキャンベラ地域の計画というものは決して矛盾があってはならない、国の首都計画とキャンベラの計画当局が行う計画というのは整合性を持っていなければならない、そういう要件が課されております。ということは、キャンベラの政府あるいはキャンベラの議会がみずからの計画に関して持っている機能というものには制限が加えられでいるということであります。
 それで、国の首都計画というのは国の連邦政府が定めまして、その定めた計画を連邦議会が支持するという格好でつくられるわけでありますけれども、こちらの連邦政府が行う、あるいは連邦議会が決定することの方がキャンベラに関しては優越権を持っているわけです。そして、国の計画の方が優越性を持ちまして、キャンベラが計画する権限を超えて存在するということですので、キャンベラの市当局あるいはキャンベラの議会が持つ権限というのには制限が課されているわけです。
#24
○渡辺(嘉)委員 ありがとうございました。
#25
○西田委員長 鳥居一雄君。
#26
○鳥居委員 ダーリンプル大使、大変に丁寧な、また率直に同僚委員の質問に対してお答えいただき、御説明があり、大変にありがとうございます。多少重複するかもしれませんけれども、引き続き御質問をさせていただきたいと思います。
 まず一つは、我が国の今さまざまな課題の中の一つが一極集中ということの理由の一つとして、明治以来の中央集権があり、そして現に行政府が持つ一万一千件に及ぶ許認可事項があり、いかにして地方自治の確立をしていくか、つまり権限の地方政府への委譲を強く進めていきたいという考え方に立って今さまざまな議論をしております。
 オーストラリアにおける地方自治を考えましたときに、これまでの御説明を伺っでおりまして、キャンベラの場合、首都ができ上がる過程の中で、キャンベラの住民と中央政府との間に利害関係が明白になってきた、そしてその中からキャンベラの地方自治が生まれたんだ、こういう御説明をいただきましたし、その事情はよくわかりました。豪州全体として、地方自治、それから中央政府の役割を考えましたときに、ぜひ我が国の地方自治確立の上で御意見をいただければ大変ありがたいと思います。
#27
○ダーリンプル参考人(通訳) 鳥居先生の御質問に関しては、先生も冒頭言われましたように、今までお答えした中で既にもうカバーされているような質問部分も含まれていたと思います。
 例えば、キャンベラを首都にするまでに長年時間がかかったということにつきましては、既にお答えをしていると思います。それから、どうやって首都の土地を取得したかということにつきましても、これはニューサウスウェールズ州が連邦政府に対して割譲した、移譲したという経緯であることもお答えをいたしました。
 この連邦政府に割譲されました土地のほとんどは、ニューサウスウェールズ州の州有地でございました。したがいまして、キャンベラを建設するということに当たりましても、土地所有権の移転の問題というのは、それほど難しい問題ではありませんでした。私の考えでは、この部分が日本の場合と我が国の場合とで一番対照的に大きな違いになるのではないかと思います。土地をどう取得して、どこからどういうふうに委譲してもらうか、割譲してもらうかという問題が皆様方にとっては一番大きな問題だろうと思います。
 次に、先生の御質問の中で非常に重要な地方自治の問題、あるいはもし利害関係が対立した場合にどうするか、あるいは地方政府と中央政府との役割いかん、あるいは中央政府からどのように役割を地方政府に対して委譲するかという問題、これに関しましては、オーストラリアと日本の状況が余りにも違いますので、何か結論的なことを申し上げることができるかどうか、私は確信を持てません。
 英国は、オーストラリア大陸に対して、それぞれ全く別に運営される、そして別々に構成されるような植民地を建設いたしました。この全く別々な経緯を持って、別々な内容を持って設立されました植民地が、またそれぞれに、別々に、ロンドンにあります英国政府から独立をから取っていったのです。
 そういったばらばらに存在しておりました植民地が一九〇一年にまとまりまして、オーストラリア連邦を形成することを決めたわけです。そのときに、それぞれが持っておりましたいろいろな権限を連邦政府、中央政府に移譲いたしました。もちろん、建国の当初から、どの権限は州政府が保持すべきであり、どの権限は連邦政府に渡すべきかということに関しましては、大変な議論が起こりました。それからまた、どの権限はどんなふうに行使をし、どの権限はどのように調整していかなければいけないか、これも議論の対象になりましたけれども、私は、これは恐らくオーストラリアという国が存続する限り続く議論だろうと思います。
 長年にわたりましてこの議論の中核をなした問題点、論点は何かといいますと、まず、州政府が歳入をふやすことができる権利をどの程度持つべきであろうか、あるいは徴税権、税金を集める権利というものを連邦政府がどの程度コントロールし、またどの程度行使すべきであろうかという点、それからまた、集めた税金を連邦政府から地方政府にどの程度交付するかという点、こういったところをめぐった論点が中心的な論点となっております。
 オーストラリアにおきましては、日本と同じように、集中なのか分散なのかという議論はずっと続いております。このお話をするところから、もう二つほど大きな私のテーマに導かれると思います。
#28
○鳥居委員 もう一つお尋ねをしたいと思います。
 まず、首都に勤務をする公務員がそこの任地を嫌がらないで着任をする工夫というのが、一九五八年に首都開発委員会が設置をされて、そしてさまざまな対策をとったと御説明をいただきました。公務員が新しいところに移転をする場合と、新しく建設中のところに新規に採用される場合と、これは大きな違いがあるんだろうと思うのですけれども、特に工夫を凝らして、公務員が嫌がらずに移転を受け入れる、こういう点の配慮をされた点につきましてぜひ伺いたいと思います。
#29
○ダーリンプル参考人(通訳) 一九五〇年代からキャンベラの開発がまた始まった、その当初から、やはりそういった点に関しましてはいろいろ
と難しい点がありましたので、公務員の方々に来ていただきやすくするためにインセンティブ、奨励策をいろいろと設けるということがなされました。例えば安価な、低価格の住宅を提供するとか、あるいは住宅ローンを組むにしても低利率で住宅ローンが組めるようにするとか、あるいは地域社会あるいは住民のニーズが何かということに注目をして都市行政を行うとか、新しい住宅地域を開発するにしても住民のニーズをよく反映したようなものをするとか、あるいは交通安全を図るために自転車専用道路をつくるとかあるいは陸橋をつくるとか、いろいろなそういった工夫がなされました。
 そういう工夫はなされましたけれども、しかし、やはり喜んでキャンベラに来るということを思わないという人もたくさんいたわけであります。つい最近になっても、そういうところには行きたくないというような人すら出ております。例えば、一九八〇年代になりまして国の警察庁それから労働省の部局がキャンベラに移転をいたしましたときには、中高年層の人たちはやはりキャンベラに移転するということを嫌いまして、例えばその仕事をやめたりしたという人たちがおりました。
#30
○鳥居委員 ありがとうございました。
#31
○西田委員長 金子満広君。
#32
○金子(満)委員 大使、貴重なスピーチありがとうございました。そのスピーチの上に立って、三点ほどお伺いしたいと思います。
 まず、キャンベラに首都建設を行った歴史的な経緯についてはよくわかりました。これは、日本における今のこの首都機能、国会移転等の問題が、人口の過密など、つまり都市機能の限界というところから起きているということとは違う、こういう点ははっきりしたわけです。そこで、オーストラリア、特にシドニーとかメルボルンでは、いわゆる都市問題、人口の過密とかあるいは地価の騰貴、そういうようないわゆる都市問題というのが深刻になっているのか、また深刻になっているとすれば、どのような方向で解決しようとするのか、そういうアプローチの問題について最初に伺いたいと思います。
#33
○ダーリンプル参考人(通訳) 過密の問題あるいは過度に集中をするという問題、これは東京などに比べまして、オーストラリアの大都市におきましてはそれほど深刻にはなっておりません。シドニーは人口が約四百万、メルボルンは三百万ぐらいでありまして、シドニーの場合には、大都市ということで、規模がだんだん大きくなってきたということからくる問題を経験し始めているのかなというような感覚であります。特に、都市スプロール現象が問題になっておりますし、また、中心部におきましては老朽化の問題ということも起こり始めております。しかしながら、交通状況の問題あるいは中心にあります商業地区に対するアクセスがどうであるかというようなことに関しましては、東京などに比べてシドニーの場合には問題はそれほど深刻ではありません。
 ただし、シドニーの場合に、これだけの規模になりますと、やはり都市が提供いたしますいろいろな施設に対する問題が起こってきております。例えば上下水道でありますとか、都市が持っております基本的な施設、そういったものに対する負担が過度にかかっているという問題が起こり始めております。ですから、それを是正するためには大変な資本投下が必要になってまいります。
 今このように大都市の規模を持つことによって、機能面でもまた圧力という面でも、だんだん問題がふえてきているということを申しました。それにかてて加えて、もしこのシドニーが国の首都であり、首都としての問題を抱えるということになったならば、シドニーという都会が抱えます問題は、これはもう相当大きな問題になっていたことでしょう。
#34
○金子(満)委員 二問目は、キャンベラの人口は、都市をデザインしたグリフィンの計画、つまり七万五千人を超えて急増したため、大使の話にも出てきましたが、首都開発委員会が作成したいわゆるY計画では、人口が五十万人程度が想定されていると言われました。
 そこでお伺いしたいのは、十分にオープンスペースをとった分散居住型の人口密度の低い都市とするのが基本になっている、それが実現していると私聞いておりますが、他方では、そのような都市計画による弊害もあると言われておるのではないか。中心地域では、子供が独立し別の地域に移るため、高齢化が進行しているとも聞いております。また、キャンベラの中心部では、主要な下水道能力は四〇%程度しか使われなくなっている、こういう話もあります。そこで、Y計画に基づく分散居住の非経済的な側面、こういう点が今指摘され、関心が集まっているということが言われていますが、現状はどうなのか。また、キャンベラには国際空港を置いていないのですが、なぜそういうことなのか、このことも伺いたいと思います。
#35
○ダーリンプル参考人(通訳) 確かに、一九五八年にキャンベラの計画が再び新しく構成されましたときには、オーストラリアのほかの都市と同じようにキャンベラも発展をしていくという概念でその計画が構築されておりまして、どの家族も土地を持って、そこに二戸建ての住宅を建設する、そういう格好で都市が発展していくという想定に基づいておりますので、横方向に、水平方向に広がる度合いが非常にふえたわけであります。
 それで、キャンベラの計画というのは大変思慮深く、注意深くなされているように私は思います。まず、大動脈的な非常に大きな幹線道路がありまして、それからそれぞれのコミュニティーのところに、買い物ができる、基本的なサービスがすべて受けられるような施設があるわけです。ですから、都会、キャンベラという町全体の中心部に一々行かなくても、すべてのサービスに対してアクセスを持つことができる、そういう開発計画になっております。
 それで、金子先生が言われましたように、このような分散型の都市開発をいたしますと、例えば中心地におきまして高齢化現象が起こるとか、そういったようなことは確かにあるかもしれませんけれども、しかしながら、それ自体は大きな問題であるとは思っておりません。例えば、もともとはキャンベラの中心地であったような古い住宅地域におきましては、住民の高齢化が進む、そういうことは確かに御指摘のとおりでありますけれども、それはあくまでも一時的な現象であるというふうに思っております。こういう高齢者の方々が、より小さな家に引っ越したり、あるいはだんだんお亡くなりになっていくということになりますと、彼らが住んでいたところには今度は若い人が入っていって、古い家を改築したりして、こういう新しい世代が入ってくるというプロセスがどんどん進んでいるわけです。人口構成というのは、常にそういった意味で回転をし、変わっていくわけでありますので、私は、この都心部の高齢化の問題というのは深刻なことだとは全く思っておりません。
 次に、キャンベラに国際空港がないということですけれども、そもそも都市入口が三十万でありますので、巨大な、本格的な国際空港を多額のコストをかけでつくるに値するだけの商業的な需要もないし、また商業的なベースもないからであります。しかも、シドニー、メルボルン、その他の国際空港がオーストラリアにありますけれども、そこに対してはキャンベラから便利なアクセスがありますので、キャンベラ自身に本格的な空港は要らないという発想です。
#36
○金子(満)委員 最後に、今お話に出ましたキャンベラ人口三十万というところで、その中でキャンベラの就業者の五四・六%が公務員ということを聞いております。そこに国会があるということで、国民と国会との関係がどうなっているのか、ちょっと薄くなるのではないかという懸念を私はしています。例えば日本では、人口が密集している地域に、東京に国会があるために、国会を訪れる国民は極めて多い。例えば先月、四月一カ月間で、議員会館の来訪者というのは七万三千人を超
えで、国会議員と接触している。また、国会の参観者は八万七千五百人、国会の議事を傍聴した国民は二千七百九十七名、これは四月のことです。このように国民は議員に請願し、陳情している。こういうことが気楽にやられているわけです。
 さてそういう点で、もちろん国の歴史、立地条件も違いますけれども、オーストラリアでは、例えば鉄道でキャンベラに行こうとするとどのぐらいかかるか、シドニーからはどうか、メルボルンからはどうかというと、シドニーから五時間、メルボルンから十時間かかるわけですね。こういうこととの関連で、国民が国会や行政機関を利用するという点で何か不便があるのではないかという気もするのですが、その点はどのようにお考えになっておりますか。
#37
○ダーリンプル参考人(通訳) 大変興味深く、また重要な質問が今なされたと思っております。
 キャンベラというのは、人工都市だとか、首都として人工的につくったというふうに言われておりますけれども、観光客として、普通のオーストラリア人が非常に大勢キャンベラを訪れます。残念ながら、最近の一カ月、オーストラリアの議事堂を何人の人が訪れたかということにつきまして正確な数字を持ち合わせておりませんので、大使館を通しましてその数字を得まして、それを委員会並びに金子先生に後ほどお渡ししたいと思います。しかし、正確な数字はありませんけれども、その数字を見れば、人口比率的に言えば、日本の方々が国会を訪れられるよりも多くのオーストラリア人がオーストラリアの議事堂を訪問していることを示すだろうと私は思います。
 次に、キャンベラに行く利便性の問題でありますけれども、鉄道でどれぐらい時間がかかるかということは余り関係がない話であります。なぜならば、オーストラリアでは、キャンベラに行くというときに乗客として鉄道を利用するということは余り行われないからです。オーストラリア人は自動車で、あるいは航空機でキャンベラを訪れるということが通常でありまして、自動車ですと、シドニーからキャンベラまでは三時間、メルボルンからキャンベラでありますと六時間から七時間であります。シドニーからキャンベラまで航空機であれば三十分、メルボルンからキャンベラまでは一時間弱で到達することができます。
 ということで、個人といいますか普通の市民というのは、そうそうキャンベラにやってきて国会議員の方にお会いするということはないかもしれませんけれども、しかし大事なのは、利益団体、これが経済団体であれ労働組合であれあるいは例えば環境団体、いろいろなところがありますけれども、そういった利益団体の人たちが国会議員に会いたいという場合のアクセスの利便性というのは非常にあるわけであります。キャンベラに来て議会の人と会ったり、あるいは委員会の人たちと会ったりというアクセスは非常に簡単に提供されます。普通の市民あるいは有権者は、それではどこで議員に会うかということになりますが、通常は選挙区に事務所を持っておりますので、皆さん方も同じだと思いますが、オーストラリアの政治家も選挙区の事務所によく顔を出しますので、市民、有権者はその選挙区に議員が帰ってきたときによく会っております。
#38
○金子(満)委員 ありがとうございました。
#39
○西田委員長 これにて質疑は終了いたしました。
 ダーリンプル参考人には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げる次第であります。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午前十一時二十七分散会
ソース: 国立国会図書館
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