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1993/04/21 第126回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第126回国会 文教委員会 第6号
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1993/04/21 第126回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第126回国会 文教委員会 第6号

#1
第126回国会 文教委員会 第6号
平成五年四月二十一日(水曜日)
    午前十時開議
出席委員
   委員長 渡辺 省一君
   理事 中山 成彬君 理事 原田 義昭君
   理事 真鍋 光広君 理事 松田 岩夫君
   理事 渡瀬 憲明君 理事 沢藤礼次郎君
   理事 吉田 正雄君 理事 鍛冶  清君
      井上 喜一君    岩屋  毅君
      狩野  勝君    河村 建夫君
      小坂 憲次君   小宮山重四郎君
      佐田玄一郎君    塩谷  立君
      西岡 武夫君    柳本 卓治君
      川崎 寛治君    輿石  東君
      佐藤 泰介君    嶋崎  譲君
      山元  勉君    山原健二郎君
 出席国務大臣
       文 部 大 臣 森山 眞弓君
 出席政府委員
       文部大臣官房長 吉田  茂君
       文部省生涯学習 前畑 安宏君
       局長
       文部省初等中等 野崎  弘君
       教育局長
       文部省教育助成 井上 孝美君
       局長
       文部省体育局長 奥田與志清君
       文化庁次長   佐藤 禎一君
 委員外の出席者
       大蔵省主計局主 福田  進君
       計官
       大蔵省主税局税 渡辺 裕泰君
       制第一課長
       厚生省社会・援
       護局監査指導課 佐々木典夫君
       長
       文教委員会調査 福田 昭昌君
       室長
    ―――――――――――――
委員の異動
四月二十一日
 辞任         補欠選任
  小坂 憲次君     柳本 卓治君
同日
 辞任         補欠選任
  柳本 卓治君     小坂 憲次君
    ―――――――――――――
四月十三日
 私学助成の拡充、学級規模の縮小、父母負担の
 軽減、障害児教育の充実に関する請願(金子満
 広君紹介)(第一三九〇号)
 同(鈴木喜久子君紹介)(第一四九四号)
 私学助成大幅増額、高校四十人以下学級の早期
 実現、障害児教育の充実に関する請願外一件
 (田口健二君紹介)(第一三九一号)
 同外一件(田口健二君紹介)(第一四九五号)
 幼稚園の学級定数の改善に関する請願(網岡雄
 君紹介)(第一四九一号)
 同(金子満広君紹介)(第一四九二号)
 小・中・高校三十五人学級早期実現と生徒急減
 期特別助成など私学助成の大幅増額に関する請
 願(目黒吉之助君紹介)(第一四九三号)
同月十六日
 幼稚園の学級定数の改善に関する請願(児玉健
 次君紹介)(第一五八五号)
 同(岩田順介君紹介)(第一七一二号)
 同(長谷百合子君紹介)(第一七一三号)
 私学助成の拡充、学級規模の縮小、父母負担の
 軽減、障害児教育の充実に関する請願(鈴木喜
 久子君紹介)(第一五八六号)
 同(斉藤一雄君紹介)(第一七一六号)
 私学助成大幅増額、高校四十人以下学級の早期
 実現、障害児教育の充実に関する請願外二件
 (田口健二君紹介)(第一五八七号)
 同外一件(田口健二君紹介)(第一七一八号)
 同外一件(田口健二君紹介)(第一七六三号)
 小・中・高校三十五人学級早期実現と生徒急減
 期特別助成など私学助成の大幅増額に関する請
 願(柳田稔君紹介)(第一六五二号)
 豊かな私学教育実現のための私学助成に関する
 請願(柳田稔君紹介)(第一六五三号)
 高校三十五人以下学級の早期実現、私学助成の
 抜本的拡充に関する請願(竹村幸雄君紹介)
 (第一七一四号)
 私学助成の大幅増額、三十五人学級の実現に関
 する請願(竹村幸雄君紹介)(第一七一五号)
 小・中・高校三十五人学級の早期実現と生徒急
 減期特別助成など私学助成切大幅増額に関する
 請願(関晴正君紹介)(第一七一七号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
四月十三日
 私立学校助成に関する陳情書外二件(東京都新
 宿区西新宿二の八の一東京都議会内小林莞爾外
 十八名)(第一二六号)
 義務教育費国庫負担金の補助率引き下げによる
 地方への負担転嫁反対に関する陳情書(東京都
 新宿区西新宿二の八の一東京都議会内小林莞爾
 外九名)(第一二七号)
 小・中・高校三十五人学級の早期実現、障害児
 教育の充実、私学助成の大幅増額等に関する陳
 情書(千葉県松戸市河原塚一六五の七九和田元
 彦外百十二名)(第一二八号)
 宇宙開発新時代と青少年への科学教育の充実に
 関する陳情書外一件(東京都新宿区西新宿二の
 八の一東京都議会内小林莞爾外十七名)(第一
 二九号)
 九州国立博物館の早期設置に関する陳情書(長
 崎市江戸町二の一三長崎県議会内宮内雪夫)
 (第一三〇号)
は本委員会に参考送付された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
#2
○渡辺委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。真鍋光広君。
#3
○真鍋委員 このところ少し教育のことをじっくり考えておりましたが、やはり教育の原点というのは家庭教育にあるんじゃないかなとつくづく思っておるわけでございます。
 冒頭からプラトンの言葉で恐縮なのですが、教育についてこういう言い方をしておるのですね。「教育は、良き習慣形成を通して、快、愛情、苦痛、憎悪といったもっとも原始的な感情をはぐくみ、理性があとになって子供の中に芽ばえてきたとき、自らそれらの感情が理性と和合するようにはからうことである。」まあ難しい言い方でございますけれども、いずれにしましても、まず最初に好悪の感情がはぐくまれて、それがベースになって、その上で次第に理性といいますか、知性といいますか、そういったものが入ってくる。えてして知性と感情とは相反することもあり得る。しかし、その感情の上に立って理性との和合を図る、こういう言い方をいたしておるわけでございます。まず感情をはぐくむ場、それから次に理性をはぐくむ場、こういうものがあるのだろうと思うわけでございます。
 学校というものが果たして感情まではぐくむ場としてやっていけるのかという話でございますけれども、学校の先生の場合は愛情を示すといっても、これは平等な愛情でなければえこひいきになるということでして、基本的には学校の場というものが感情をはぐくむ場として最初からそうした役割を持たされることは、学校に対して余りに重い期待であり、教師に対する過重な責任を負わせる、こういうことになるわけでございます。そういった意味合いでは、人間として豊かな感情をはぐくむ情操教育というものは、まず家庭、そしてまた家庭に近いその周辺であるということについては、異論はもうほとんどないと思うわけでございます。
 ところが、世の中でよく言われますように、そういった家庭教育の場といいますか、情操教育の場というものが全体として非常に荒れておるわけですね。常に言われておることでございますけれども、あえて再言をさせていただきますれば、まず子供にとっては、家庭というものが第一の自分中心の円でございます。その外に従来の伝統的な社会では本家、分家、新家というようなことがありますから、まあ親類、他人ではないけれども親でもない、おじさん、おばさんがおって、いとこたちがおる、親類の子がおる、こういう第三者との間の一つがあったわけですね。それから、一番外の枠として、伝統的な地域社会がありました。
 それで、順次に崩れていっておる過程を改めて申し上げますと、伝統的地域社会は、いわゆる隣近所でございましたけれども、これはもう、今子供の問題というのは田舎の問題じゃなくて都市の問題です。田舎の方は高齢化社会で困り切っているわけで、そういった意味合いでは、隣近所というのは都市化あるいは田舎であっても混住化の中で消えていっておる、また田舎であっても共同作業というのはどんどん消失していっておる、こういうことでございますから、隣近所というのが本当の意味での他人になりつつある。そしてまた、伝統的な地域社会にあった年の違う友達といいますか、遊び友達というものも、言うまでもなく都市では遊び場もなくなっておる、勉強は激化する、一人遊びのテレビゲームができる、こんなことで消えてしまう。家庭との間にある親類の関係は核家族化でほぼ消えてしまう。
 そしてまた、家庭の中でも、昔は三世代といいますか、おじいちゃん、おばあちゃんがおったのが、これはもうもちろん核家族化でなくなる。そしてまた、少子化の影響で兄弟、姉妹もほとんどいない家庭が多くなってきておる。あっても一人というふうなことだろうと思うわけでございます。
 そして、いよいよ子供本人と父親、母親ということなのですが、父親、母親の間も離婚家庭がどんどんふえております。また、飛んでいる女性は子供は私だけで育てるという方もおられる。それから、世の中日進月歩ですから、親が子供に対して、教育に関して大きなことが言えない。日進月歩の世界の中で、子供とそれだけちょっと教育の面では離れていく。
 父親という面に目を向けますと、働きバチで教育に時間をかけるだけのいとまはない。そしてまた、父親というものはほとんど都会での労働者として人に雇われる人間になっておって、農業をやったりあるいは職人、職人といいますか一人親方であったり、そういったことがなくなっておって、おれの背中さえ見ておけば世の中うまくやれるのだ、おれについできていれば大丈夫だ、世渡りできる、こういうことが背中で言えない時代になっている。その上に月給が振り込みになって、さっぱり家庭内で権威がなくなってしまった。
 お母さんを見てみますと、これがパートだ何だで労働力化しておる。それから、家事という意味合いではもう外食化し、そしてまた冷凍食品でチンといえば済む、こういうことでございまして、奥様がだんだん外様になっておる。こんなことで、いずれにしましても、子供が教育の面ではむき出しにほうり出されておるということをつくづくと改めで感ずるわけでございます。
 そしてまた、今問題になっています学校教育の場におきましても環境は悪化いたしておりまして、学校は親と教師と生徒で成り立つわけでございますけれども、いわゆるPTAからいいましたら、親からいいましたら、自分の背中を見て子供がついてくればいい、こういうわけには一人親方でないので言えませんので、結局自分と同じように雇われるのであればより条件がいいようにということで、子供に学歴がつくように、とにかく勉強することだけを期待する、こういう親になっていきます。
 教師の方はというと、親が高学歴化で権威が相対的に下がってくる。そしてまた、親が勉強、勉強と言うものですから、あるいは進学と言うものですから、学校教育の現場は管理化していく、こういうことであろうと思います。生徒同士では成績順位の競争、とにかくまことに寒々とした風景であります。
 しかし、これは私どもが、それぞれのセグメントにおいてはそれがいいんだ、核家族の方がうっとうしくなくていいんだ、子供も少ない方が教育がしっかりつけられるし、愛情もしっかり、たっぷりと注ぎ込める、一方ではそういう理想といいますか、希望を持ちながら今日の姿になっておるわけです。これはすべて総合して新しい教育というものを考えていかなければいかぬのじゃないか。狂瀾を既倒に戻せということはもう無理だろうと思うわけでございます。私どもは、常に前向きに今あることから何をつくり出すかというのが政治であり、そしてまた行政に期待された姿であろうと思うわけであります。
 そういった意味合いでは、家庭、学校、地域社会、そういったものを教育の場としてどうやって役割分担をつくり上げていくかということを国の方針として明確に打ち出していかなきゃいかぬ。一年、二年のことではございませんけれども、そこをきちんとやっていって、本気でやっていくという姿勢を見せていかなければ、びほう的な解決策では全体がどうしてもうまくいかない、こういうふうに思うわけでございます。
 例えば週休二日制、労働時間をどんどん短縮していこう、こういう動きがあるわけですから、お父さんに家庭教育の重要さというものをしっかり訴えて、そうした家庭教育への復帰というものを図る必要がある。そのためのテキストづくり、こういうのはどうなっておるか。これはどう思いますかということを御質問したいし、また学校五日制につきましても、この機会にそれぞれ自由に考えていただいて、創意工夫でやってほしい、こうなっておりますけれども、場合によりますれば、積極的に自然や動物との触れ合いであるとか友達との出会いを特につくるとか、そうした方針を打ち出してもいいんじゃないか、こんなふうにも思うわけでございますが、そのあたりについて大臣のお考えを、感想をちょっと聞かしていただきたいと思います。
#4
○森山国務大臣 家庭教育の大切さという点につきましては、今先生がるるお示しくださいましたようなことは、全くそのとおりだ、同感でございます。
 子供が成長していくに当たって、昔から三つ子の魂という言葉もございますし、児童心理学の先生の説の中には、基本的な人間形成は満一歳までが大事だとおっしゃる方もあるようでございまして、そういうことを考えますと、満一歳なり三歳までの間に接触する環境というのはもう圧倒的に家庭でございますから、その家庭のあり方というものが、その人間を将来どのように成長させるかという非常に重要な要素であるというふうに思いますし、もちろんその後学校に行くようになり、さらに大きくなってまいりましても、家庭でどのようにその子供が遇せられるか、どのように温かく包み込まれているか、そうでないかということが大変大きな影響があるというふうに思います。
 今おっしゃいましたようなさまざまな問題がございますので、今までは、近隣社会あるいは家族制度の中での大家族の接触というようなものは、特にその子供や親が意図しなくても、計画しなくても周辺に自然の姿であったわけでございますが、それらがみんな変化してしまいまして、先生御指摘のような大変大きな問題が発生しつつあるということを考えますと、子供の人格形成に必要な家庭というもののあり方について特に心を用いて努力をしなければならないというのが今の大変重要な課題だろうというふうに思うのでございます。
 そういうことを考えますと、一文部省だけの仕事ではなかなか十分ではないというふうに思いますが、教育という面から考えまして、家庭教育ということを預かっております文部省といたしましては、かねて父親、母親の家庭教育に関する学習機会の整備充実ということに心がけてまいりました。ことしの一月には、男性、女性の協力による新しい時代の家庭教育について考える機会ということで、フォーラム家庭教育というのを開催してみたりしたわけでございますが、これは大変盛況でございまして、こういうことが世の中から求められているのかなということを改めて確認したようなわけでございます。
 来年、平成六年は国際家族年ということで、国際的にもその重要性が強調されているわけでございまして、そのことを考えますと、日本だけではなくて世界の各国で同様の問題が意識されているのではないかと思うわけでございます。この国際家族年であることを特に留意いたしまして、今年度の予算におきましては、現代日本の家庭教育の特色や課題を明らかにするための家庭教育に関する国際比較調査ということをやってみたいと考えまして、その経費を計上いたしております。
 これからも、大変難しい問題でありますし、何をしたからこういう効果があるとか、このような予算をつけたからこういう効果が上がったとかいうような簡単なものではないと思いますけれども、家庭、学校、地域社会の連携に一層配慮しながら、心も件もたくましい子供の育成が図られますように、家庭教育の充実に向けて一層努力をしていきたいと考えております。
#5
○真鍋委員 家庭教育との関係でもう一つお願いしておきたいのは、国内で単身赴任するお父さん、四十かいわいになってくると、みんな単身赴任でやっています。私の選挙区も、支店経済ということで成り立っておると言われておるのですけれども、その分、飲み屋は面積当たり密度が全国一多いんだそうであります。そういう人たちには恨まれるかもわかりませんが、とにかく単身赴任は教育の場から父親を離すということにもなってくるわけでございます。
 単身赴任、それとの関係で一番問題なのは、転校でございます。高等学校くらいになりますと、中学校でもそうなのかもわかりませんけれども、名門校だなんだと言われると、外から来ると、余りできがよくないのにその人はあの学校にはいれて、中の地域の人ははいれぬ、こういう問題が出てきますから、自然に狭められるのですね。これが実際に家族を連れて赴任するということに対して非常に大きな問題になっておりますので、このあたりについては御一考いただきたいなという気持ちがいたすわけでございます。時間の都合がありますので、意見だけ述べさせていただきます。
 もう一つ意見として述べさせていただきたいのは、教育基本法第一条に「教育の目的」ということが書かれております。すなわち、一教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
 「平和的な国家及び社会の形成者としてこという言葉があるのですね。日本が太平洋戦争で世界じゅうを荒らしたという反省の上に立ては、これは確かにみずからが平和であれば、みずからの国家が平和であれば世界の平和が守れる、維持される、こういうことでございますが、今日の世界がそうでないということは、我々ひとしく知るところでございます。また同時に、世界の経済第一級の国として日本人が人間としても世界から尊敬されなければ世界の国々と仲よくやっていけないということを考えますれば、単に「平和的な国家及び社会の形成者としてこというだけではなくて、世界の平和、人類の福祉、こういったものに貢献できるような、そういった人格を持った人間になっていくんだ、つくり上げていくんだ、こんな国際的な視点もぜひひとつ入れていただきたいな、こう思うわけでございます。
 さて、なぜ中学生が荒れるのかということでございます。これは当然いろいろ意見があるわけでございまして、いずれにせよ十四、五歳前後、思春期でございますから、感情がそれだけ移ろいやすい、動きやすいところでございますから、問題が起こるのは当然な面もあるわけですが、ただ、それが普通以上に増幅されて出てくるので大変な問題が出てくるということでございますが、私は、その基底には、公教育中心の義務教育体制、その中にあるんじゃないかな、こんな気持ちがいたしております。民主主義は御承知のように自由と平等の上に成り立っておるわけでございますが、教育における自由と平等について少し論じてみたいと思うわけでございます。
 私もよく知らぬで生意気なことを言うのですが、本に書いてあったのは、教育における自由というのはジェファーソン的民主主義でして、最もすぐれたる者をして勝たしめよ、質を重んじる教育、エリート教育。それから、教育における平等というのはジャクソン的民主主義、機会の平等の保障、量を強調する教育、大衆教育。こうなっておるわけでございます。
 日本の義務教育ては、教育における平等が結果として強調され過ぎておるのではないかと私は思うわけでございます。つまり、公立学校の数が義務教育で大変多いわけですね。アメリカの教育は決してうまくいっていないことはよくわかっておるのですが、例えばアメリカでの公立、私立を見てみますと、小学校段階では、一九八〇、八一年度ですから十年ちょっと前になりますけれども、私立の小学校は一万六千八百、公立は六万一千、私立の比率が二一・六%になっております。これが、それから三十年前になりますか、一九四九、五〇年度であれば、私立が一万四百、公立が十二万八千二百ということであったわけで、そのときの私立の比率は七・五%ですが、年を追うて、経年で上がっておることは、資料で見て確認をいたしております。
 一方、中学校の方は、一九八〇、八一年度、同じ年でございますが、私立が五千七百、それから公立が二万四千四百ということでございまして、一八・九%の私立の比率になっております。これも、三十一年前ですか、一九四九年、五〇年度の数字で見ますと、私立が三千三百、公立が二万四千五百となっておりまして、私立の比率は一二・〇%、これも、ちょっと波はありますが、基本的には大体ふえていく方にある。
 一方で、日本の文部省の統計で見てみましたら、平成四年五月末現在か何かで、小学校だと私立が百七十校でございまして、全体の〇・六九%、アメリカは二一・六%ですが、日本の場合〇・六九%に当たります。それから、中学校でいきましたら、私立は、日本は同じ年が六百二十六校となっていまして、全体の中で五・五%、アメリカでは一八・九%に相当するのが五・五%となっておるわけでございます。私立も、少しずつは日本もふえてきておるとは思うのですけれども、ちょっと公立学校に偏しておるんじゃないか。
 といいますのは、結局もうそこに生徒は行かざるを得ない。親はそこへやらざるを得ないということですから、自然人質をとったようなもので、教えてやるとは言わぬまでも、やはりそういうことになるわけでございますし、一定年限で卒業させるということが一つの大きな問題になっておると思うのですね。一定年限で出させるから、心身の発達段階において落ちこぼれができる。落ちこぼれができるということは、学校の先生、絶対卒業させなければいかぬ先生にとっては、大変に重荷になる。重荷になるから一論理の話を申し上げておるんで、個別の先生がそれを理性で抑えていく、これはもう立派なことですけれども、論理の問題です。落ちこぼれができるのは先生にとって迷惑だから、何となく気持ちの底で迷惑だな、それをほかの生徒は感じる。またこいつのおかげでわかり切ったものに時間かけるのか、あいつがいつも邪魔だ、そうなるといじめも出てくるということにもなろう。落ちこぼれのもとは、そういう一定年限でどんどん上げていくことじゃないかというふうに思います。
 また、一校で落ちこぼれができましたら、もうほかになかなか回していけないんですよね。私らはこういう政治の仕事をしておりますから、一番難しい問題、困難な問題のときに頼まれ事をしょっちゅうするんですけれども、高等学校は私立が多いんで、割と落ちこぼれても、それじゃそっちへ頼む、それから私立同士のときでも相互に頼むわ、あとは内申書というか、送るときに悪口を余り書かないで、こんなことで何となくうまくいって、それはそれで皆さんうまくいくんですよ。
 ところが、義務教育の段階で公立一本ということになりましたら、非常にやりにくいというか、少なくとも僕らにとってはお手上げという状態でございまして、まことにかわいそうです。だから、万引きした女の子だったら、僕らが知恵つけて、それじゃお寺さんに入って、とにかく一月間こもって掃除をする、何をする、それで反省の弁を校長先生や担任の先生に三日に一回送りなさい、それで許してもらいなさい。許してもらったケースも、これは私立てすが、ありました。いずれにしましても、私立学校ができると、少しでもそうした転校もできやすいんじゃなかろうか、そんなことで落ちこぼれにするのほかわいそうじゃないか、こう思うわけでございます。
 そこで、現体制でいくのであれば落第を認めてほしい。落第といっては悪いですから、原級留置とか留年とか、いろいろなもっといい言葉ができると思うのですが、認めてほしい。これはフランスでもドイツでもスイスでも認めておる、ある制度です。さもなくばアメリカ式で、文部省ずっと努力はしていただいていますが、学習の個別化あるいは多様な学校、オルタナティブスクールですか、そういったものの方向にどんどん進まなきゃいかぬのじゃないか、私はこう思うわけでございます。
 これは物の本に書いてある話ですが、フランスあたりでは、小学校一年生の留年率は三三%、小学校五年間で一度も落第せずに卒業できた子供は二七%しかいなかった。本当かどうか知りません。立派な本に書いてありますからあれです。
 それから、スイスにも落第はありまして、日本に落第のないことを知ってスイスの先生が、そんな不親切な教育をしてもよいのかと不思議がったということでございます。
 それからドイツでは、小学校四年修了後に入る九年制の高校、ギムナジウムですか、ここでは毎年五%から一〇%の原級留置者、落第が出る。落第者を、上限の一〇%で九年間それを累計すると、約五〇%の生徒が落第する、こういうことになっておる。しかも、落第は同学年一回しか認められないから、二度目の原級留置が決まるとほかの学校、ギムナジウム以外の種類の学校に転校することになる、こういうことを言っておるわけでございます。
 そうでないアメリカ、アメリカの公立学校、これでも公立学校中心というんですよね、公立学校中心でいこうというアメリカでは、落第は教育の失敗だ、それならということで、学習の個別化、多様な学校ということを考えていって、学習の個別化が進めば落ちこぼれという概念はなくなる。落第があるのは一斉指導、集団指導の結果ということになる、こういうふうにその報告は書いてあるわけでございます。このあたりについてどう考えられるか、ひとつ文部省サイドから一言意見を。
#6
○野崎政府委員 まず私学の問題と、それから落第、留年の問題、二点があったわけでございます。
 先生も御指摘ございましたように、小中学校教育は義務教育であるということでございますから、就学すべき子供がいれば、その子供を受け入れる学校を当然つくらなければならないということで、我が国の場合は、それは国、地方公共団体が責任を持ってやるべきことであるということで、その区域内の学齢児童生徒の就学に必要な小中学校を設置する義務というのは市町村に課しておるわけでございまして、そういう意味で、我が国の場合には確かに公立の小中学校というものが多くを占めているわけでございます。
 ただ、私どもとしましては、私立の小中学校につきまして、いわゆる建学の精神に基づきまして特色のある教育を行う、これは大変意義のあることだということを考えておるわけでございまして、個性豊かな教育を推進していただきたい。もちろん公立の小中学校でもそういうことは心がけておるわけでございますけれども、一方、公立の小中学校を含めて小中学校教育につきましては、やはり義務教育として一定の教育水準を確保するということは、国民教育として当然望まれることなわけでございます。そういうことで、私立の小中学校をつくる場合におきましても、そういう個性豊かな教育の推進と同時に、義務教育としての教育水準の確保ということを両面考えていただきたい。
 実際の私立小中学校の設置認可というのは、地方公共団体が行うわけでございまして、文部省がこれをどうということじゃないわけでございます。これにつきましては、私立学校を設置しようとする者が申請をしまして、それの申請に基づいて、それぞれの県の実情を踏まえて地方公共団体が判断をする、こういうことになるわけでございます。先ほど先生お話ございました数もございましたが、若干ずつでもふえてはきておるわけでございまして、私どもといたしましても、やはりそれぞれの各県の実情の中でその辺のところの判断をしていただきたいと思います。同時に、公立の小中学校につきましても、いろいろな面でこの個人の個性なり適性を尊重した教育というものを実施することが大事だ、このように思っております。
 それから、落第、留年の問題でございます。
 制度的なことでお話しいたしますと、各学年の課程の修了または卒業を認めるに当たっては、校長が児童生徒の平素の成績を評価し、これを認定するということでございまして、その評価の結果、当該学年の課程の修了を認定しない、したがって原級留置ということもあり得るわけでございます。制度的にはそういうことでございまして、義務教育段階でも、病気による休学等特別な理由がある場合に、進級をさせないというような例もあるわけでございます。
 しかしこの辺は、制度としてはそうなっておるわけでございますけれども、国民感情と申しますか親御さんの気持ちなんかをいろいろ総合的に考えると、どうも日本の場合には、みんなが上級学年に進むのにうちの子供だけがそこの学年にとどまっていいのかというような、そのあたりの保護者の気持ちなんかもやはりあっで、実際上はいわゆる年齢主義的な運用がされておる、こういうような実情だ、このように思っております。
#7
○真鍋委員 文部省のお答えはわかりました。ただ、私立学校になればそういうこともできるのじゃないだろうか。義務教育は、公立学校であるとやはり責任があって、世間の目があるということですけれども、私立学校であればまたそういう人たちを大事にするということもできるのじゃないか。私ちょっと耳にしていますが、義務教育を出てから識字学校に通うといいますか、そういう教育をしないと字がわからぬという子たちがおるということは事実でございますからね、ある分野の方々については。
 時間が参りましたけれども、いずれにしましても、モーツァルトもべートーベンもルソーもニーチェもゴッホも社会の不適応児であったということで、「窓ぎわのトットちゃん」を取り上げるまでもないわけでございますが、人間の発達段階というのはいろいろありますので、文部省としてのお答えについてはそういう答えだろうと私も思っておりますし、これは政治の問題であると思いますので、最後に、簡単で結構でございますから大臣の御感想をお述べいただいて、私の質問を終わります。
#8
○森山国務大臣 大変貴重な御意見を聞かせていただきまして、まことにありがとうございました。
 今局長が申し上げましたように、今の教育が持っております課題は個性化、多様化ということで、いろいろな面で努力をしております。そのような方向へさらに努力を続けまして、多くの子供たちのそれぞれの個性に合う、そしてそれぞれが伸びていくような、そういう教育を進めるべく努力をしてまいりたいと存じます。ありがとうございました。
#9
○真鍋委員 終わります。
#10
○渡辺委員長 吉田正雄君。
#11
○吉田(正)委員 私も教員として昭和二十三年から四十九年まで勤めたわけでありますけれども、戦後の教科書検定制度についてはそれなりにいろいろな場面に遭遇をしてまいりました。きょうは、この教科書検定制度のあり方について具体的な問題を指摘しながら、文部省当局の見解をお聞きいたしたいというふうに思っております。
 御承知のように、去る三月十六日に最高裁第三小法廷は、いわゆる家永教科書裁判の第一次訴訟について、家永氏側の請求をすべて棄却した二審判決というものを支持をし、上告を棄却いたしました。
 家永教科書裁判は、御承知のように第一次、第二次、第三次とあり、これらの訴訟は家永三郎元東京教育大教授が、みずから執筆した高等学校社会科日本史教科書「新日本史」の検定をめぐり国を相手取って起こしたものであります。
 第一次訴訟は、検定申請した「新日本史」が一九六二年度検定で不合格となり、また六三年度検定で条件つき合格となったものです。このため、表現の自由や学問の自由等を侵害されたとして、国を相手として損害賠償を求める民事訴訟を提起したものです。
 一審の東京地裁判決は家永氏の一部勝訴、二審の東京高裁判決は家永氏側の全面敗訴、そして今回の最高裁判決となったものであります。
 第二次訴訟は、六三年度に条件つき合格となった「新日本史」の教科書について、六六年に改訂検定申請を行ったが不合格処分となったものです。このため、文部大臣を相手としてこの検定処分の取り消しを求める行政訴訟を起こしたわけです。
 七〇年七月十七日の一審の東京地裁判決、いわゆる杉本判決と呼ばれておりますけれども、この要旨は、
 一、憲法第二十六条は子どもの教育を受ける権利を保障したもので、国の教育権を認めたものではない。
 二、学問研究の成果を発表する自由は憲法第二十一条によって保障されている。教科書執筆等の自由も同様である。
 三、検定は、執筆者の思想審査にわならない限り、検閲には当たらない。検定は誤記、誤植等の審査にとどめるべきで、教科書の記述内容の当否にまで及ぶべきでない。現行の検定制度はそれ自体違憲とはいえない。
 四、本件不合格処分は、検閲の禁止を定めた憲法第二十一条第二項及び教育行政の在り方を定めた教育基本法第十条に違反するので取り消しを免れない。
 五、教育の自由は、国民の教育の自由と公教育における教師の自由とに分けられる。教師の教育の自由は憲法第二十三条(学問の自由)によって保障されており、国が教師に一方的に教科書の使用を義務づけたりするのは妥当でない。
というもので、家永氏側の勝訴になっているわけです。
 七五年十二月二十日の二審の東京高裁判決の要旨は、
 一、本件不合格処分は、行政の裁量の範囲を超えた違法なものであるから取り消しを免れない。
 二、杉本判決が不合格処分を違憲とする主張について審理判断したことは失当であるが、不合格処分は違法であるから、本件控訴は棄却する。
というもので、一審同様家永側の勝訴になっております。
 国の控訴によって最高裁判決は、学習指導要領が改正された場合には、旧検定基準で合格した教科書は新審査基準による改訂検定はできないので訴えの利益はないという門前払いで、高裁に差し戻したわけです。高裁は一審判決を取り消し、請求を却下ということで、家永氏側はこれに対しては控訴をしなかったわけです。
 第三次訴訟は、八四年一月十九日に提訴をされました。これは、八〇年度新規検定、いわゆる条件つき合格の際の検定意見、八二年度正誤訂正の不受理、八三年度改訂検定、いわゆる条件つき合格の際の検定意見により精神的苦痛をこうむったとして、国を相手に損害賠償を求めた民事訴訟であります。
 一審の東京地裁判決は家永氏側の一部勝訴で、家永氏側が控訴中であります。
 このような経過の中で第一次訴訟に対する最高裁判決が出されたわけでありますけれども、この判決に対する評価はいろいろあります。しかし、全部紹介しておる時間もありませんし、文部省側でもそういういろいろな評価については既に御承知のことと思いますので、私はここに代表的な意見として、茨城大学教授大江志乃夫さんの三月二十四日付山梨日日新聞に掲載された論文の一部を御紹介いたしたいと思うわけです。
 これは、一口に言って「時代逆行の最高裁判断」と批判をいたしております。主要なところをちょっと御紹介申し上げますと、「教育内容への国家の介入にかかわる最高裁判決に、一九七六年五月の旭川学テ(全国一斉学力テスト)事件判決がある。今回の最高裁判決もこの学テ判決をよりどころとし、「教育内容への国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請され」と学テ判決を判決要旨に引用しているが、実際は無制限にひとしい介入を容認している。」「家永氏が教科書訴訟を起こして以来、裁判の過程で当時の検定制度が密室検定であり、いかに教科書調査官らによる恣意的な検定を可能にしているかが明らかにされ、特に判決や世論の影響をうけて検定制度のある程度の改善が図られてきた。今回の判決はこれらの成果を無視し、過去の制度をそのまま容認した時代逆行の判決である。」「このような判決になった原因は、「本件検定における審査、判断は、…学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量にゆだねられる」という、逆立ちした論理にあるといえよう。人間の内面の問題に属する「学術的、教育的な専門技術的判断」に関しては専門家である教科書執筆者の良心と良識を最大限に尊重し、行政の裁量権の行使についてはできるだけ「抑制的」であらねばならないという立場にたてば、今回のような判決は生まれなかったであろう。」こういうふうに大江先生は述べておいでになるわけです。
 私は、戦後の教科書検定制度の変遷の歴史を見たとき、それは米ソの冷戦の激化を敏感に反映し、アメリカの世界戦略の変化と密接に関連し、解釈改憲と符節を合わせるように二人三脚で歩んできたと指摘せざるを得ないのであります。そして、教科書を初め各種教育裁判は、一連の判決が示しておりますように、自民党の一党支配が長期化し、それにつれて司法の独立が侵害され、国を相手とする裁判は上級審ほど政治的影響力を強く受けていると言わざるを得ないのであります。これは水害、水俣病など他の公害裁判にも見られるものであります。今回の家永訴訟最高裁判決は、後に述べますように、検定制度の現実の実態を十分に把握せず、行政追随の姿勢から出されたものではないかと私は判断いたしております。
 ここで、今ちょっと抽象的でありましたけれども、これから具体的な問題について御質問をいたしますので、大臣、ひとつ十分聞いていただきたいというふうに思っております。
 とりあえずお尋ねいたしますけれども、判決は、教育内容への国の介入はできるだけ抑制的であることが要請され、殊に子供が自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような介入は許されないと述べでおります。文部省はこれをどう受けとめておるのか。また、これを今後の教科書検定制度にどのように生かそうとするおつもりなのか、お聞かせ願いたいと思います。
#12
○野崎政府委員 先生今御指摘があったわけでございますが、昭和五十一年の最高裁大法廷判決につきましてもお話があったわけでございますけれども、私どもの理解といたしましては、今回の最高裁判決というのは、昭和五十一年の最高裁大法廷判決と同じく、国の必要かつ相当な範囲内での教育内容決定権を認めつつ、御指摘のような判示も行っているわけでございまして、教科書の検定におきましては、教科書の中立、公正、正確性の確保を図るため、これらを内容とする教科書検定基準を定めるなど、制度的な整備を図っているところでございまして、私どもとしましては、最高裁の判決という趣旨で今も検定行政をやっている、このように認識をしている次第でございます。
#13
○吉田(正)委員 私の質問とちょっとずれた答弁なのですけれども、それはいいです。具体的なあれではなかったわけですから、若干抽象的にならざるを得ないと思うのですけれども。また、この判決の中では、教科用図書検定調査審議会の判断の過程に、原稿の記述内容または欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過しがたい過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は裁量権の範囲を逸脱したものとして国家賠償法上違法となると解するのが相当である、こういうふうに述べておるわけであります。これはもちろん家永判決については適用していないのですが、もしそうであるならばということでこういうことを述べているわけです。
 そこで、お尋ねいたしますけれども、いわゆる白表紙本を提出し、調査官との接触がいろいろあるでしょうし、検定審議会を経た段階で検定意見が出され、やむなくそれに従ったけれどもそれに看過しがたい過誤があった場合にはどのようにされますか。これが明確になった場合です。今一般論で聞いております。
#14
○野崎政府委員 今先生御指摘ございましたように、一般的な議論ということでなかなかお答えしづらいわけでございますけれども、検定意見を付する場合におきましては、その当時におきますいろいろな見解なり、そういうものを根拠にいたしまして検定意見を付しておるわけでございまして、私どもとしましては、その検定意見自体はその時点におきます判断、このように考えておるわけでございます。
#15
○吉田(正)委員 私の質問に答えていないのですよ。いいですか。私が言っているのは、旧検定基準に違反するとの評価等に看過しがたい過誤があって、これは旧基準でも新基準でもいいと思うのですが、要するに事実認識とか学説、いろいろな教育状況等の認識、こういう評価等に看過しがたい過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してなされたと認められる場合には、右判断は裁量権の範囲を逸脱している、こう言っているわけです。明らかに間違いだということがはっきりした場合にどうするか。例えば、そういうことで検定審議会で判断をして、教科書のそこを書き直せとか、検定は認められないということで不合格に仮にしたという場合、それが後になって明らかに間違いであった、甚だしい看過しがたい過誤があったという場合にはどうされますかと聞いているのです。客観的にそういうものがはっきりした場合です。
#16
○野崎政府委員 なかなか一般的な議論ということでお答えするのは難しいのですけれども、私どもとしてはそういうことがないように、まさに教科書調査官もいろいろな学説等を研究し、また教科用図書検定調査審議会の判断もいただいておるわけでございまして、先生のようなことがあった場合にどうかというお答えは、なかなか私どもは難しいわけでございますけれども、しかし最高裁がこういう判決を出されておるわけでございますから、こういう最高裁の判決というものは私どもとしては十分尊重してやっていかなきゃならぬ、こういうふうに考えておるわけでございます。
#17
○吉田(正)委員 いわゆる判決の文書に沿っての質問ですから、具体例がないと、その場合どうかということはちょっと答えづらいかと思われます。
 そういうことで、それはまた後ほど具体的な問題としてお聞きいたしますが、厚生省お見えになっておりますでしょうか。それでは、厚生省の方にお尋ねをいたします。
 実は、もう五、六年前の事柄ですので、現在それにタッチされた方がおいでになるかどうかちょっとわかりませんけれども、そういうこともありますから、当時の状況について、私の方で若干どんな状況だったのかということを申し述べましてから質問をやっていきたいと思うのです。
 一九八○年末、新聞、テレビが一斉に、暴力団員が生活保護を受給していると報道をいたしました。実際に調査をした関係者の人たちの話によりますと、被差別問題とか地域の中でなかなか仕事がないとか、やむを得ず暴力団周辺の人たちが受給した。しかし、その実態や事実は正しく報道されず、暴力団員までが生活保護を受けていたということに国民はショックを受けたのですね。私もあの報道を見たときにはいささかびっくりしたのです。福祉事務所のあり方に対する批判というものがこの報道によってずっとわき起こったということで、そういうずさんな保護はやるべきでないという風潮のもとに、生活保護に対する引き締め、そういう世論というものが強まったことは間違いないわけなのですね。そして、それがちょうど翌年三月の第二臨調発足の直前であったものですから、これはマスコミを通じての世論操作ではなかったのかというまた批判もその当時出たのです。
 第二臨調発足以降、福祉抑制の必要が叫ばれ、生活保護行政についても厳しい適正化という引き締めが求められ、八一年十一月十七日に厚生省は各都道府県、指定都市の主管部長あてに第一二三号通知というものを出したのですね。これは表題が「生活保護の適正実施の推進について」というものなのです。この内容は、生活保護の申請段階で、従来よりチェックを厳しくするような指導を行えという内容なのですね。
 その一二三号通達後の顕著な実態というものがどうなったのかということを若干御説明申し上げますと、従来は、現場担当者に対する指導検査は生活保護法第一条から第三条の精神に沿ったもので、保護に該当する者が漏れていないかどうか、また当然計上すべきものが漏れていないかなどの指摘が相当あったのです。ところが、この通達以降は、厚生省の監査に入る前の事前提出資料が膨大で、監査一カ月くらい前から残業に追いやられる。それよりも何よりも、通常業務が監査に向けての業務となり、監査時期が近づくと書類の点検にばかり目が行き、どうしたら監査をパスできるかという話ばかりが現場で行われて殺伐とした雰囲気になる。これは全国各自治体、福祉事務所の関係者のいろいろな報告によって非常にはっきりしている事実なのですね。
 その理由というのは一体何なのかということなのですけれども、厚生省には監査による返還請求権がある。仮に不適切な支給があったとされた場合、自治体の責任で保護し、支給したのだから、生活保護費の七割の国庫負担分を五年間さかのぼって返還させる命令が出せるということが一つ。これが自治体にとって大きな財政負担となり、それを認定した職員の責任問題も問われることになるため、厚生省の指導に従わざるを得ないというのが当時の実情であったわけなんですね。また、八五年から国の負担割合が八割から七割に減額され、自治体の負担が増大するので、福祉事務所もできる限り引き締めようとする。
 また、監査は国の示す方針に従って行われるが、余りにも細か過ぎ、現場としては面倒になっては困るということで結果的に窓口段階でうまく追い返す、いわゆる水際作戦をとることになったわけですね。申請を受理すれば行政処分の対象になるが、窓口で不受理にすれば行政ベースに乗らず、不服申し立てもできないまま放置することができる。こういう事例が全国で非常にふえたわけなんですね。もう荒川等ではわずか五年間に生活保護の辞退をさせられる人で半分ぐらいになっちゃった、減ったんですね。大変な状況が出てきたんです。
 そんなことが本当に可能なのかなというふうに皆さんお考えになるか知りませんが、例えば生活保護の申請をするのに三回以上福祉事務所を訪れなければ受理しないとか、申請時点で生活保護法第四条に基づく「扶養義務者の扶養」の問題、例えばあなたのところには親子、兄弟とか親戚とかそういう人はいませんかということをしつこく聞く。そして、なかなかそれは探しがたいと言っても、探すまでその申請は受け付けられないというふうなことまで言うということですし、それから、利用し得る資産の活用などについては、預貯金の有無について強制的な調査、あるいは生命保険の一定額以上の解約の指導、あるいは自立を名目とする病人に対する就労指導、これも幾つか事例が載っかっております。これは東京とか荒川区の調べた資料によりましても、本当に病弱で足が不自由な人、そういう人についても、あなたは働けるから働きなさいというふうな非常に強い指導をやるというふうな報告もなされておるわけです。
 そういうことで、法本来の精神を軽視をし、心理的に追い込まれている状態にある要保護者に精神的圧迫を加えることによって当然保障されなければならない権利を行使できないように放棄をさせる、こういう事例、これが本当に全国的に多かったのですが、特に荒川においてはすさまじいものがあったということなんですね。
 これは、文部省の方もよく聞いておいてくださいよ。そのような引き締めの中で、八七年十月に起きたのが荒川区の七十八歳の婦人の自殺なんですね。この問題については当時新聞、テレビでも大々的に報道され、国会においても、八八年二月六日の衆院予算委員会で正森委員が、また同年十一月五日の衆議院税制問題等に関する調査特別委員会で工藤委員が質問をいたしております。この十一月五日の工藤委員の質問の内容は、「荒川区で八七年十月に起きた、七十八歳の婦人が、生活保護の辞退屈という形で無理やり打ち切られて、そして福祉事務所に対して抗議の遺書を残して自殺された事件こというふうに述べておるわけなんです。これに対して厚生省の小林政府委員、当時局長だったと思いますが、この小林政府委員が、「東京都の監察医務院の死体検案書を読みますと、これは自殺ではなくて、直接の死因は冠状動脈硬化症による病死というふうに推定されております。」云々と答弁をいたしております。
 そこで質問をいたしますが、この答弁の中で、「病死というふうに推定されております。」その後に「それはそれといたしまして、確かに遺書も四通残されておりました。」こう述べておるのです。この遺書四通残されておりというのは、だれあてのものなのか。これは当然わかると思うのですね、四通とおっしゃっておるわけですから。これはだれあてのものなんですか。
#18
○佐々木説明員 お答えいたします。
 私どもが承知しております遺書は、あて先が福祉事務所の係長あて、それから福祉事務所の係長及び担当のワーカーあてのものが一通、それから家主さんあてのものが一通という三通を承知しております。
#19
○吉田(正)委員 この調査については皆さん方としては責任を持って答弁をされたと思うのですね。それで、四通だけれども、その後の答弁の中で、「確かに遺書も四通残されておりました。今先生がおっしゃったのは、恐らく共産党の区会議員に対する遺書ではなかったかと思いますが、それは我々存じません。」と、つまり中身はわからない、こういう言い方なんですね。「あと三通ございましてここうなっておるのですね。そうすると、今答弁の中で、あとの三通というのは福祉事務所の係長と担当ケースワーカー、それと家主、こういうことになるわけなんですね。間違いないですね。
#20
○佐々木説明員 間違いございません。
#21
○吉田(正)委員 「それにつきまして見てみますと、いずれも迷惑をかけたことへのおわびとお世話になったことに対する謝意ということに尽きておりまして、決して福祉事務所に対する非難めいたものは一切ございませんでした。これは事実でございます。」こう言って明確に答弁しているのですね。皆さんは、そうすると、福祉事務所の係長あてのもの、それからケースワーカーあてのもの、これをごらんになりましたか。あるいは区会議員に対するものもごらんになりましたか。
#22
○佐々木説明員 私どもの方といたしましては、かなり期日もたっておることもございますので、東京都を通じていろいろと確かめさせていただきまして、ただいまお話のありました区議あての遺書についても承知しております。
#23
○吉田(正)委員 時間がたとうと何をしようと国会における答弁なんですよ。ですから、二、三年前ですから時効にかかったようにもう忘れましたとかわかりませんなんてことにはならないわけなんですね。
 そこで、三通が全部感謝の手紙だなんて、こんなでたらめな答弁はないですよ。いいですか。皆さんの方ではちゃんと調べて、これはわかって言っているわけなんですね。ところが、全然そんなものではないということなんです。いいですか。大家さんに対してはどういう内容かというと、全く一般的なことしか書いてない。それから、地区の福祉事務所の係長あての手紙の内容というのは、実はこの人はだんなさんが早く亡くなって、そしてまた別の男性の方と、年は相当の年だったのですが、別の男性と同棲もしておった、その男性が実は亡くなった御主人の年金の金、これを銀行から何百万か、正確な金額はわかりませんが、持ち逃げしてどこかへ逃げちゃったということで、その男を捜してくれ、そういう手紙の内容なんですね。
 そして、皆さんが感謝の手紙だけだということをおっしゃっていますが、読みましょうか。これは区会議員あてのものですよ。これは皆さんわからぬわけないのですよね。「福祉が人を殺すとき」という、寺久保光良さんというのでしょうか、日本福祉大学を卒業された方で、和光市のソーシャルワーカーをやっておいでになった方。これは六万部も売れているのですよ。当時物すごく評判になった本なんだ。だから、厚生省がこの本も読んでないようじゃ、逆に言ったら厚生省というのは社会保障だとか生活保護とかそういうものについて一体どこに目をやっておったかということもまず言えるのだ。この中にその遺書が皆載っかっているのですよ。私のところにもこの写しがあります。この区会議員に対するもの、これは川口という区会議員なんですね。ここではどう書いてあるかというと、皆さんの場合には都合が悪いからそれは知りませんと言っているのですね。ほかの皆さんの手紙はわかっておってこの川口さんあての手紙だけはわかりませんなんて、こんなずさんな調査もないわけですよ。わからないとおっしゃるのですから、ここで読んでみますよ。
 「書き残しのこと 川口先生様」、最初の字が去年というのか昨年というのかちょっとわからないのですが、どちらでも同じですから、去年なら去年でいいと思うのですが、「去年来より口に出せぬ程の恩をこうむり、足をお運びくだされし事、死んでも忘れは致しませぬ。」これは字はちょっとなかなかあれですし、抜けているところもあるようなんですが、そのまま読んでみます。「最後のお知らせと申します。此のまま目をつぶることは私にはできませぬ。生と死の岐路に立ちましたが、二度生きて福祉を受けたくありません。そんな惨めな生活は私にはできません。こうした結果は町田区長にも責任が有ると思います。部下の横柄な態度、この中に添え書きを入れてあります。一度目を通してください。真実を」、ここのところがちょっと字がわからないのですがね。「真実を書いてあり、先生に其の事だけ、好き大官様」、というのは水戸黄門あたりに出てくるあの代官という意味だろうと思うのですが、「好き大官様として死ぬまで信じて参ります。もっともっと書きたいのですが、最早目がくらくなりました。奥様に宣しくお伝えの程、どうぞお許し下さいませ。
 川口先生様 十月二十六日一時記す」もうわかっていますから、新聞報道されていますから、井原ふく恵という方なんですね、この七十八歳の女性の方は。
 それから、
  先生、泥棒にも三分の理と申します。福祉の係長がこんなひどいことを言いました。年金をどうしで借りて使ったんだ。どうして、年金は亡き主人が私の財産として残してくだされたお金、どうして使おう、借りようと私の勝手でしょうが、銀行に電話をかけたり、お金がどのくらい残っていますかとか、本人の方にしか申されませんと銀行では答えてくれましたが、こちらは福祉課の者ですとか、私の四十年の夫の銀行として今まで世話になり、亡き夫の「キャリア」がありしため、まるっきり私の「プライド」もめちゃめちゃ。今後私がどうして銀行に行けますか。福祉は人を助けるのでしょうか。苦しめるためのところでしょうか。生き抜く瀬も何もなくなりました。
まだあと書いてあるのですけれども、これが感謝の内容ですか。
 それからケースワーカーあてのもの、これは皆さんわからぬなんということは言えるわけないのですよ。いいですか。このケースワーカーというのは恨まれた人なんです。もう一人のケースワーカーが、実はこの井原さんという人は十月二十二日に体のぐあいが悪くなって福祉事務所に訴えて、年も年だし、これは入院をさせなければいかぬだろうということで、地区の病院に入院をさせるということを決めて、そして二十六日かな、入院するだろうと思って待っていたのですが見えなかったということで、二日後の二十八日に今度は恨まれたワーカーでない別のワーカーの方が電話をしたのですよ。ところが、出ないものですから、そこで家主さんに、出ませんから家へ行って見てくれませんかと言って、行って、そこでこの婦人が亡くなっていることがわかったのです。そこで大家さんはびっくり仰天して警察に電話をしたということで、警察でこれらの遺書というものを全部一たん持っていったわけなんです。だから、区役所の方もそれから厚生省だってこれはわからぬなんということになりませんよ。いいですか。わからないなんて言ったら何を調査しておったのか。こんなに断定的なことをさっき答えておるのですからね。
 これを読みますよ。いいですか。これももうここまで来たから、まだ現存されて勤めておいでになるかどうかちょっとわかりませんから、ケースワーカーの方は名前だけは言えませんが、
  福祉の○○さん、貴女の言われた通り、死んでもかまわないと申された通り死を選びました。満足でしょう。女は女同士いたわりが欲しかったのです。自分のお金でもくださるように、福祉を断るなら今すぐ断りなさい。福祉は人を助けるのですか、殺すのですか。忘れられませんでした。
                   井原
  
  ○○さん
  ○○さんに渡してください。
こういう手紙なんですね。これを警察の方が持っていって、そして御本人のところへ渡ったと思うのですね。
 いいですか。だから、皆さんわからぬわけないのですよ。だから感謝なんて、感謝の手紙あったら言ってくださいよ。三通の感謝の手紙ってどれですか。これははっきり言っているでしょう、局長言っているわけですね。「確かに遺書も四通残されておりました。」「あと三通ございまして、それにつきまして見てみますと、いずれも迷惑をかけたことへのおわびとお世話になったことに対する謝意ということに尽きておりまして、決して福祉事務所に対する非難めいたものは一切ございませんでした。これは事実でございます。」事実じゃないじゃないですか。全然違っている。反対じゃないですか。どういうことなんですか、これは。感謝のあれがあったら見せてくださいよ。
#24
○佐々木説明員 先ほど遺書を申し上げましたが、私どもが承知しておりますのは三通の遺書でございまして、福祉事務所の係長さんあて、それから福祉事務所の係長さんとワーカーあてのもの、それから家主さんあてのものという三通でございまして、それ以外に一通、先生お話しのとおり荒川区会議員あての遺書がありまして、その遺書の中に今お話しのワーカーあての文言が入っているというふうに理解しておりまして、その意味では、私どもが小林前局長が申し上げたのは前の三通についてのものを申し上げているわけでございまして、その中では、迷惑をかけることのおわびと感謝の意味を込めた文章が入っております。
#25
○吉田(正)委員 事実だけもうちょっと確認しますけれども、もう一回聞きますと、皆さんがおっしゃっている三通というのは大家さんと福祉事務所の係長、それからそのワーカーというのはどのワーカーですか。
#26
○佐々木説明員 名前を申し上げるのは差し控えさせていただきますが、担当のワーカーということでございます。
#27
○吉田(正)委員 違っていますよ。担当のケースワーカーというのが、今言ったこの恨みの手紙ですよ、私は今名前を言いませんでしたけれども。だから、感謝の手紙というのはだれにあてたのですか。
#28
○佐々木説明員 福祉事務所の係長とそのケースワーカーの連名にあてた遺書の中にございます。
#29
○吉田(正)委員 そんなこと、あなた言っていいのですか。そんなものないじゃないですか。あったら出してくださいよ。いいですか。もうわかったっていいでしょう。これだけ新聞で報道されて、国会でも、直接担当のケースワーカーというのは押山さんという人なんですよ。この人のところへ出しているのですよ。これが恨みの手紙でしょう。
 それから、もう一つは、他の課の長田さんという女性にあてているんですよ。だから、皆さんのおっしゃっている三通が全部感謝の手紙で、恨みの、そんな手紙はないといって断定されてるけれども、これだけあるじゃないですか。直接担当の押山さんあての手紙、それから区会議員、この人も随分面倒を見た、この人に対する手紙。みんな言っているじゃないですか。しかも、区議会の中で区当局はどういうふうに答弁していますか、これに対して。それは御存じですか。
#30
○佐々木説明員 区議会の答弁内容については承知しておりません。
#31
○吉田(正)委員 るるさっきから状況を述べてきたんですよ、荒川区をめぐる情勢について。そして、今言ったとおり皆さんの方から出てこないじゃないですか、現実に。感謝の手紙が出てこない。しかも共産党の区会議員のものは見たことがないからわからない、だけれどもあとの三通は全部感謝の手紙だと言う。全然違っているでしょう。そうでしょう。しかも、あなたが言っている担当のケースワー力ーの人だって、これだけ恨まれているんじゃないですかね。何が感謝の手紙です。一人の人間が死を迎えているというのに、皆さんの調査自体は――それこそ一二三通達の精神が人命まで軽視をするというところまでいっているのですよ。しかも一人じゃないでしょう、自殺は。まだほかにもあるんですよ。あの通達が出た後、北海道はどうでした。三人の子供を残して婦人が餓死しで死んだんじゃないですか。生活保護費はもらえない、打ち切られる。こんな状況というのは全国に出てきたでしょう。そんな資料なんというのはここに腐るほどありますよ。それにもかかわらず、そうやってうそがはっきりしているのに、答えられないじゃないですか、具体的な証拠でもってもうだんだん困っていくのじゃないですか。
#32
○佐々木説明員 私どもが先ほどから申し上げております三通の遺書の中の一通の、福祉事務所の係長及びケースワーカーあての手紙の中には、前回厚生省の局長が答弁したとおり、いわゆる迷惑をかけることのおわびと感謝の意を込めた文面が確かに記されております。
#33
○吉田(正)委員 あなた今ケースワーカー、ケースワーカーと盛んに言っているのですけれども、ケースワーカーとしてはこの押山さんだけなのですよ。ほかにいないですよ。だれですか、そのケースワーカーというのは。担当のケースワーカー、ほかに感謝の手紙をもらったという人は。何という人です。
#34
○佐々木説明員 ここで名前を申し上げることは差し控えさせていただきたいと思います。
#35
○吉田(正)委員 そんなことないでしょう。控えるも何もないじゃないですか。区議会でも論議になっている。事実、皆さんの方では出せないからでしょう。違っているんですからね。ケースワーカー、ケースワーカーと言ったって、ほかのケースワーカーなんかいませんよ。そんな手紙ありません、はっきり言って。あるのは、他の課の長田さんという人に出しているんですよ。これはケースワーカーじゃないですよ、他の訳なんですよ。大体これだけはっきりと、恨みつらみと言ったらいいでしょうか、怨嗟の手紙が何通もあるじゃないですか。皆さん、それは否定しているけれども、現にあるでしょう、これ。あなた当時の人でないから、ここでは答えられないのはわかりますよ。わかるけれども、現実には皆さん方の、小林局長答弁というのは、全く事実に合ってない。これはうそですよ、この答弁は。はっきり言ってうそだ。これは責任は大きいですよ。しかも、そのうそをあくまでも押し通そうなんという、とんでもない話。これは文部省もよく聞いていてくださいよ。具体的に答えられないんだ。答えられないというより、うそじゃないですか。見たことないですか、今のこの恨みつらみの手紙というのは。
#36
○佐々木説明員 私どもも国会の質疑なり、それから図書などで承知いたしております。
#37
○吉田(正)委員 わかっているでしょう。区議会の中でもこの問題は出ているわけですよ。だから、感謝の手紙だけですなんということじゃないわけです。だから、局長答弁が間違っていると言っているんですよ。事実に基づかない。それは区議会の中の担当課長の証言でも、みんなそうなっているでしょう。皆さんは何を調査しておったんですか。もうこれだけ事実がはっきりしているんですから、もうあなたにこれ以上答弁せいと言っても無理でしょう。これは一たん打ち切ります。
 もう一つは、「病死というふうに推定されております。」こういうことなんですね。
 そこでお尋ねいたしますが、死因なんですけれども、この局長答弁の中ではどういうことを言っておるかというと、今も言いましたように「東京都の監察医務院の死体検案書を読みますと、これは自殺ではなくて、直接の死因は冠状動脈硬化症による病死というふうに推定されております。」こういうふうになっているわけです。厚生省の方としてはこういうことを御存じですか。東京では行政検視、解剖を監察医が行うということになっているんですね。これは解剖を行ったんですか、行わなかったんですか、どっちですか。
#38
○佐々木説明員 解剖を行った結果だというふうに聞いております。
#39
○吉田(正)委員 待ってください。私が聞いたのは、解剖したかしないかということを聞いたんであって、今のあなたの答弁だと、解剖を行った結果だと思いますというのは、あれですか、解剖の結果が病死だというふうに推定される、こういう答弁なんですか。
#40
○佐々木説明員 死体検案書を作成された中でいわゆる解剖所見というものがその中にありますので、解剖した結果の所見が述べられているというふうに考えられます。
#41
○吉田(正)委員 これはまたおもしろいことを聞きますね。死体検案書の中に解剖所見というのが書かれておりますか。今あなたはそうおっしゃったよね。本当ですか。
#42
○佐々木説明員 死体検案書の中に、解剖を行った場合には解剖の所見が書き込まれるということになっております。
#43
○吉田(正)委員 またこれも、あなたどこの話をしているのか知らないですけれども、私は今これを聞いているのですよ。いいですか。
 それでは、解剖所見というものが本当にそこに、死体検案書に書かれておりますか。
#44
○佐々木説明員 私どもが東京都を通じてこうした事実を調べた結果、死体検案書の中に解剖所見というものが記されておるというふうに確認しております。
#45
○吉田(正)委員 またこれも、そういう答弁やっていいのでしょうか。
 いいですか、新聞、テレビ報道に対して荒川の区長が驚いて、周章ろうばいして、区報、区民報にいろいろなことを書いて、新聞とかテレビの報道はけしからぬとか、あれは誤りだとかなんとかと書いた。今度は監査請求が出たのですよ、そんなでたらめなあれがあるかということで。そういうことなんですよね。
 この中で、東京都監察医務院の検案書、これは八九年二月七日、この人たちが行って広報課長に会った。課長は死体検案書は見ていない、それを見た者の言葉ということですから、区長が見たのか、だれが見たのかわかりません。その中で――それじゃ皆さん今そこまで、ちょっと想像外の答弁なのでもうびっくりしているのですが、死体検案書の中に解剖の所見がそこに書かれているなんて、こんなことは聞いたことないですよ、私は。検案書というものの中身、御存じですか。これはもうはっきりしているのですよ。あなた厚生省でしょうが。そんないいかげんなこと言っていいのですか。死体検案書の中に書き込まれる項目というのは決まっていますよ。どの法医学のあれを見たってみんな同じですよ。そんないいかげんな……。
 そこまであなたがおっしゃるなら聞きますわ。じゃ、解剖所見はごらんになっていないですね、それは。今あなた、そこの検案書の中へ解剖所見が書いてあるとか写してあるとか言うのは、それじゃ見たと同じことですよね。そうすると。同じですよね。そうですか。そうしたら、検案書の中の「死亡の種類」の第一項である「病死および自然死」の項にどういうふうに記されているのか。
#46
○佐々木説明員 死亡の種類の欄につきましては、「その他および不詳」という事項に丸が付されているというふうに聞いております。
#47
○吉田(正)委員 まあいいや。
 そうしたら、同じ検案書の第二項からずっと第六項まであるわけですよね。「外因死」の場合、「二、不慮の中毒死」「三、その他の災害死」「四、自殺」「五、他殺」「六、その他および不詳」となっているわけですね、「外因死」のところは。そうでしょう。ここのところには何かどこかに書いてあるのですか、何も書いてないのですか、どうなのですか。
#48
○佐々木説明員 「外因死」のところには何も書かれておりませんで、「七、その他および不詳」というところに丸がついているというふうに聞いております。
#49
○吉田(正)委員 「七」のところに印がついておったということでしょう。そういうことですね。
 それじゃあなた、今、解剖所見がそこに写されて書いてあるとおっしゃいましたから、それじゃその内容を御存じですよね、解剖所見の内容は。
#50
○佐々木説明員 解剖後の死体検案書に書かれております、死亡の原因についてのいわゆる解剖の所見でございますが、冠状動脈硬化症等となっております。
#51
○吉田(正)委員 おかしいんじゃないですか、それ。幾らあなたが説明されたって、これは法医学者に聞かせたら全くおかしいということになるんじゃないですか。全然別物ですもの。だから、どういうことかというと、あなたも専門家でおいでになるかもわからないのですけれども、しかしこれは一般的に、常識的な線がありますからね。いいですか。
 東京都の監察医務院での剖検の結果についてずっと出ている資料があるんですよね。検案書と、それから――いいですか、普通こうなっている、普通はこうですよね。病死か外因死か不明の死亡、「東京都監察医務院で一九七三年〜一九七七年に剖検した八千八百十一例の検屍時推定死因と解剖後の確定死因を比較したところ、検屍時病死と推定した五千八百四十九例のうち二百三十八例(四・一%)が確定死因で外因死とされ、検屍時外因死と推定した八百九十四例のうち三十四例(三・八%)が確定死因で病死とされ、検屍時不詳とされた二千六十八例を加えると、約三分の一は診断を誤るか、またはまったく診断がつかなかったことに」なっておるんですね。これは発表ですから間違いないことですね。そういうことになっておりますし、またデンマーク等の例によりますと、このときには、検視による推定死因と剖検診断の関係を見ると、大体一致率が六五%前後になっているんですね。六十五%前後なんですよ。
 だから、今あなたの説明でどうしても納得できないというのは、普通死体検案書とかそれから死亡診断書、これはどっちか出る。これは火葬する場合に、それから事後の生命保険や何かのためにとっておかなければならないことになっているんですよね、検案書にしろ、それから解剖所見たって。これはみんなそうですけれども。それが一緒になって書かれているなんて、私きょう初めて聞いたんですけれども、どこでもそんなことやっているんですか。聞かしてください。
#52
○佐々木説明員 私どもが東京都なりを通じて確認した結果、解剖後に書かれた死体検案書には解剖の所見というものが様式の中に記入されておるというふうに聞いております。
#53
○吉田(正)委員 それはあなた自身あれですか。だれが見たんですか、それは。
#54
○佐々木説明員 私どもも確かめております。
#55
○吉田(正)委員 それではそこのところは、あなたそうやって言い張っておいでになるわけですからそれはそれでいい、しょうがないでしょう、幾ら言っても、これは。
 そこで、自殺というのはあれですか、皆さんどういうふうに定義されますか。いいですか、いきなりですが。これは私が言うんでなくて、法医学界の定義になっているわけですよ。だから、皆さんの方で違うというなら違うと言ってください。自殺の定義というのは、「死者自身によってなされた積極的消極的行為から、直接間接に生ずる死の場合で、しかも、死者がこの結果を生ずべきことを知っていた死の場合をすべて自殺と呼ぶ」ということですね。死ぬ意図があり、死ぬことを目的とした行為であることが自殺の条件である。死ぬ意図があり、不摂生が死ぬことを目的としていたのであれば、それは自殺と言えるということなんですよね。だから、今の井原さんの場合には、まさにこの自殺の定義にぴったりなんですね。皆さんのところで病死だという、これはあくまでも推定でしょう。
 もうちょっと言いますと、有名な医科大学の医学部長、病院長、何人もの方が、この件については解剖所見を見なければ、死体検案書だけでは判断できませんと皆さん全部おっしゃっているのですよ。あなただけですよ、そんな確定的なことを言っているのは。しかも、今言った客観的な状況、経過から、手紙からするならば、だれが考えたってこれは自殺ですよ。自殺でないなんて言っているのは厚生省のこの間のこの局長答弁ぐらいなものですよ。あと皆さん、新聞であろうが地元であろうが、それからこの井原さんの面倒をずっと見た関係者の皆さん、みんなこれは自殺と言っているのですよ。厚生省だけですよ、そうでないなんて言っているのは。あくまでも皆さんそう言い張るのですから、それはあれですけれども。
 今のこの自殺の条件に、皆さん、合っていると思いますか、合っていないと思いますか。どこが違いますか。
#56
○佐々木説明員 前回、小林社会局長が本件につきましてお答えしたのは、東京都の監察医務院の死体検案書から見て直接の死因を冠状動脈硬化症による病死というふうにお答えしているわけでございまして、あくまで直接の死因を死体検案書上のものから求めているというふうに考えております。
#57
○吉田(正)委員 いいですか。それはあなたはそう言い張っていますけれども、十二月十九日の都の保護課交渉の中で、死因は不詳と認識をしておりますと明確に言っているのですよ。これは区の広報課長もそういうことをはっきり言っているのですよ。だから、いずれにしても、死因が不詳ですから、解剖所見を見なければ病死なのか自然死なのか、あるいは外因死であるかの判断というのはわからないということで、専門家の医学部長だの病院長が死体解剖の所見を見なければわからないのだ、死体検案書ではだめだと言っているんですよ。だから、あくまで推定でしょう。そこの死体検案書の中の死亡の種別の欄の第一項である「病死および自然死」の項には印はないし、それから第二から六までもいずれも書いてないんですよね。そのところでしょう、あなたがさっき言ったように。しかもそれは括弧で、括弧というか、病死というきちっとした書き方でなくて、その項の下のところに病死と推定、こういう書き方なんじゃないですか。
#58
○佐々木説明員 死亡の種類については、先生おっしゃるとおり「七、その他および不詳」というところに丸がついておりますが、死亡の原因につきましては、直接死因は「冠状動脈硬化症(推定)」というふうになっております。
#59
○吉田(正)委員 だから、私がさっき自殺の定義を言ったでしょう。衰弱死だってあるでしょう。あるけれども、それは自殺の意思を持って不養生する。物を食べない。しかも、この人は、入院する前行ってみたら、冷蔵庫の中には何にもなかったのですよ。もう決意の、覚悟のあれだということは、客観的情勢から見たって全部わかっているわけなんですね。今あなた言ったじゃないですか。そこのところにはそう書いてないけれどもとおっしゃっているのですよ。これが病死だなんて、だからあくまでも推定とおっしゃっているのですがね。どっちが強いかといったら、どちらが客観的かといえば、また医学的かといえば、どなたが見たって、これは自殺、覚悟の自殺と見るのが普通ですよ。自然なんですね。むしろ医学的な見方なんですよ。
 そういう点で、さっきの手紙の件にしろ今の死因にしろ、だれがあれしても今の皆さん方の答弁で納得する人なんかいないですよ。私どもが聞いた専門家が全部そう言っているんですしね。特に、手紙なんてはっきりしていますよ。ただ、解剖所見については、普通これは外へは出さないということになっているから、私も直接はコピーはもらっておりません。しかし、客観的ないろいろな状況からして、これがもう自殺であるということは、周囲の皆さんが全部そうおっしゃっていますね。
 そういうことで、これ以上言ってみても、皆さんの答弁なんて、今の手紙だって全然納得できる答弁じゃないですよ。しかし、今あなた、大事なことをおっしゃっていますから、もうちょっとこちらでも調べて、またそれがはっきりしたら、この問題は終わらせませんから、そういうことで厚生省の方ももうちょっときちっと答えられる準備をしておいてくださいよ。厚生省、それで終わります。
 大臣もそれから局長も、教科書担当の皆さんも、今のお話お聞きになっていてわかったと思うのですよ。そこで、お聞きしますが、その前に、日本書籍の中学三年公民の教科書の九三年度版の申請本、これは、現在はこの四月一日から埼玉大学の名誉教授ですか、暉峻淑子先生の著された「豊かさとは何か」という一九八九年発行の岩波新書からの一部引用があったのだけれども、文部省がそれを教材として不適切としたので、他の文章に差しかえられた、これは事実ですね。
#60
○野崎政府委員 申請段階で暉峻淑子さんの「豊かさとは何か」より「あなたが死ねと言ったから」と題するコラムが記述されているということは事実でございます。
#61
○吉田(正)委員 その不適切であるという理由が、今もちょっとおっしゃったのですが、文部省がその後記者会見の際に配付した資料の中で、検定意見の趣旨として「重要な事実関係において誤りがあると見られ、また、生活保護行政について一面的な記述があり、教材としては不適切である」というふうに配付された文書の中には述べてありますね。
 私もこの本を読ませていただきました。私は非常にすばらしい本だと思うのですよ。ほかの方にも、社会保障等の関係者何人かに闘いでみたのですけれども、非常にすばらしい本だということで、皆さんおっしゃっているのですよ。
 そこで、お尋ねしますけれども、この検定意見の具体的内容、つまり誤った事実関係というのは何を指しますか。
#62
○野崎政府委員 今申し上げましたこのコラムの中で、老女がいろいろありましで自殺した、こういうふうに断定した記述がされているわけでございます。この点につきましては、今先生の御質疑がございましたけれども、厚生省当局が国会におきまして、自殺ではなく病死というふうに推定されております、こういう旨明らかにしておりますので、内容に重要な事実関係において誤りがあると見られるという指摘をしたわけでございます。
#63
○吉田(正)委員 いいですか、教科書を検定するのは文部省なんですよ。そうすると、皆さんとしては、事実に誤りがあるかどうかということについでは、他人の言った伝間であるとか、国会の答弁なんかだって幾らでも修正だの変更なんというのはあるのですよ。それを調査されたのですか、皆さん独自の立場で。事実であったかどうか、間違いであったかどうか。
#64
○野崎政府委員 文部省におきましては、検定に当たりましで、信頼に足る資料に基づきまして、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定意見を付しておるわけでございます。
 今回のこの死因に係る事実関係につきましては、本件当時におきまして公的な資料で通常の方法で入手し得るものをもとに確認を行っておるところでございます。
#65
○吉田(正)委員 今のやりとり聞いておいでになったと思うのですけれども、これはもう、関係者それから専門の法医学者みんな、病死じゃなくて自殺と見るのがむしろ客観的な観点からも正しいと言っているのですよ。今の答弁を聞いたってわかるじゃないですか。何も客観的な、医学的な明確な根拠なんかないでしょう。死体検案書にちょっと、きちっとした欄の中に書いてあるんじゃなくで、その下のところへちょいと今言った病名をあれして、推定されるとしか書いてないのですよ。そんないいかげんなものをもとにして、皆さんの方は事実誤認だとか間違っておるとかという判断をされる二と自体全然問題にならぬと思うのです。これが今日の教科書検定の実態じゃないか。先ほど述べましたように、最高裁だってそういう実態がわからないからああいう判決も下しているんだろうというふうに私は思うのですよ。
 これは、大臣はどう思われますか。国会のやりとりの中で、ほかの省庁の局長が客観的なあれもなく、手紙だってさっきお聞きになって御存じのとおりですよ。全然答えられないじゃないですか。それでただ、私はそう思う、そういうふうに推定するというだけの話なんですよね。そういうものを根拠にして、一番肝心な責任官庁である文部省が、みずからの調査でなくしでそういう伝聞とか、必ずしも信用できないそういうものに基づいて、それが誤りであるなんという断定をする、判定をする、ここに私は今日の教科書検定の大きな問題点があると思っておるのです。この点について、ちょっと大臣の所見を聞かせてください。
#66
○森山国務大臣 先生が問題として取り上げられましたのは、その亡くなった女性の死が広い意味で自殺に当たるかどうかという解釈の問題ではなくて、事実の問題なんではないかというふうに思います。また、国会という公の場で政府委員が行っている答弁というのは責任を持って答えられたことであると考えておりますし、また東京都の監察医務院の死体検案書に基づくものでもあるということで、文部省といたしましては、医学的な専門の立場というわけでもございませんし、先ほど局長がお話しいたしましたように、入手し得る公に公表された資料、文書というものを手がかりといたしまして判断していかざるを得ないわけでございますので、当時の検定の意見というのは十分理解できるのではないかというふうに思います。
#67
○吉田(正)委員 その死体検案書にみんな解剖所見まで書いてあると言うから、私はそんなもの見たためしがないのですがね。文部省としてはその点、調査されましたか、ごらんになりましたか。
#68
○野崎政府委員 文部省としてはそういうものを入手する権限もないわけでございます。
#69
○吉田(正)委員 皆さんの判断能力というのはその程度なんですか。今のやりとりを聞いておって、だれが考えたって、手紙が感謝の手紙であるとか、それから死亡が自殺でなくて病死だなんという、そんな推定なんか出てくるわけないのですね。だから、そういう点で私は、文部省当局があくまでもそうだとおっしゃるのなら、これは調査能力と言ったらいいのか判断能力と言ったらいいのか、全然お話にならぬのじゃないかと思うのですよ。
#70
○野崎政府委員 今の先生の御指摘の点は、事実関係の問題と、それから先ほど先生のお話にございましたように、生活保護行政について一面的な記述があるということで教材としては不適切であるということを私どもは述べたわけでございまして、それにつきましては先ほどの、当時入手し得る資料に基づいてそういう判断をした、こういうことでございます。
#71
○吉田(正)委員 またほかの用件もあるのですけれども、不適切だという判定がどうして出るのですか。片方では、むしろ客観的にはそちらの方が、関係者全部が自殺だというふうに判断している方が圧倒的に多いのですよ。言っているのは厚生省の局長とそれをうのみにした文部省だけじゃないですか。検定官だか調査官ですか。こういうのは客観的ではないし、非科学的と言うのですよ、非論理的と言うのですね。そんな程度で教科書検定の基準にされていったんでは、これはだれも信用しなくなりますよ。何が間違いですか。私どももみんな自殺だと思っているのですよ。周囲の皆さんみんなそう思っている。
#72
○野崎政府委員 先生の御指摘はいろいろあるわけでございますけれども、やはり私どもとしては、先ほど大臣が答弁していましたように、国会という公の場で政府委員が答弁を行ったことでございます。また、その責任ある当局でございます東京都の監察医務院の死体検案書に基づいて行ったということで、私どもとしては、この信頼することのできる資料に基づいて今回の検定意見を付した、このように考えているわけでございます。
#73
○吉田(正)委員 今の死体検案書の価値判断というのか、それも先ほどの答弁でもはっきりしていないでしょう。これは死因のところで病死などと明確に書いていないのです。あくまでもそれは死因不詳なのです。それで、下の方に、ただ推定として何とかとしか書いていない。それは客観的でも何でもないのです。どういうことなのですか。
#74
○野崎政府委員 これは先ほどもちょっとお答えいたしましたが、検定申請の段階におきますコラムの中では、老女は自殺したと断定した記述がなされているわけでございまして、それに対しまして国会という公の場で政府委員が答弁したことがあるわけでございますので、その両者を考えたときに先ほど申し上げたような検定意見を付した、こういうことでございます。
#75
○吉田(正)委員 両者を比較した場合に片方が誤りだという断定はどうしてできますか。それだったら科学的、客観的な資料を出しなさい。今の死体検案書にしろ、解剖所見なんというのは一緒にはくっついていませんよ。そんなうそをついている、局長が。今度は課長ですか。笑い物ですよ、そんなことを平気で国会で答弁していたなんて。だから、時間が来てあれですから一たん一時まで休憩してその後で続けますけれども、だれもが納得することを答えてください。片方だけのあれをして、それも客観的でも科学的でもないものだけ取り上げて、国会で言ったのだからこれは正しいなどといって、そんなことを言ったら国会で言ったことが全部正しいことになりますか。そうならぬでしょう。それでもって片方が間違いですなんという、誤りがありましたなんという断定を下しているのだから問題だと言っている。しかも、独自調査を何もやっていないではないですか。
 では、これで午前中は終わります。
#76
○渡辺委員長 午後一時から委員会を開会することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時二分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時開議
#77
○渡辺委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。吉田正雄君。
#78
○吉田(正)委員 午前中の厚生省との質疑の中で、文部省としても御理解がいただけたというか、事実を認識していただいたのじゃないかと思いますのは、手紙の件については、とうとう厚生省側からは感謝の手紙であるということが何ら具体的にはっきりしなかったということですね。この点はもう確認できるのじゃないかなと思います。
 けさのやりとりで、文部省側としては、厚生省の方が感謝の手紙だ、感謝の手紙だというのが三通あるのだということをおっしゃっているのですが、けさの話の中でそれがわかりましたか。出してくれと言ったのですが、とうとう何も出てこなかったのですがね。どうですか、その点は。
#79
○野崎政府委員 ちょっと、私どもも別に、何といいますか、証拠と申しますか、そういうものを持っているわけではございませんので、先生と厚生省とのやりとりを聞かせていただいたということでございます。
#80
○吉田(正)委員 しかし、おわかりだったと思うのですね。とうとう厚生省側からは感謝の手紙だというものを何ら名前なり具体的な内容が明らかにされなかったということで、私の方からはそうでない手紙を二通、明確に読み上げたということであります。だから、手紙ははっきりしておると思うのですね。
 それから、死因についても、これは厚生省の方もああいうことをおっしゃって、後でまた非常に困るのじゃないかなと私は思っているのですけれども、もうちょっと言いますと、さっき時間もなかったから言わなかったのですが、解剖所見を検案書にこれがまた書かれておるなんていうことをおっしゃっているのですよね。そうであれば、それは写すなんというものじゃなくて完全にそれはコピーなんですから、それは別のものでコピーをとっておくべきなんで、検案書に解剖所見を書き込んでおくなんて、こんなもの聞いたことも見たことも私はないのですよ。したがって、聞いても答えられなかったと思うのですが、そうであるならば、身長、体重から、いわゆる解剖所見の項目についで私は聞こうと思ったが、聞いたって答えられなかっただろうというふうに思うわけです。
 それから、さっきも言ったように、自殺という客観的な条件というものを私どもは科学的に、それから客観的に事実をずっと幾つか挙げていったわけですね。遺書ははっきりそういうふうに死にますと書いてあるのですからね。それから、その前に自殺未遂を起こしております。これは区議会の答弁の中で課長が明確に言っております。それから、死ぬ前に、ワーカーが自宅を訪問した際も、先ほども言ったように、冷蔵庫をあけたけれども何も入っていなかった、あるいは死ぬ前にこのワーカーに電話をして死にたいということを何回も言っているのですよね。それから、さつきのように、病院にも入院すると言ったのだけれども、その日になって行かなかった。それは本当に死ぬ二、三日前ということですから、これはもう死を覚悟しておった、また本人は周囲にもう死にたいのだということを言っていたということですし、まだ幾つかずっとあるのですけれども、ここで全部言ってみたってしょうがないので、これらの客観的な事実から、だれが考えてもこれは自殺であるということがはっきりするだろう。少なくとも厚生省の局長の推定だとか、思われるなんていう何ら根拠のない、ただそれだけの言い方とどちらに重みがあるかといえば、私の方で言っていることに重みがあるだろうということは、これは聞いておいでになる方から御理解いただけるのだというふうに思うのです。
 それからもう一つ。
 したがって、私は、せめて百歩譲っても、自殺のところで、もう手紙ははっきりしていますからね、こっちで証拠を持ってこうやって出しているから。自殺のところでも局長がそう言っているから、それは一方的に断定できないのじゃないかなとか、そう皆さんがおっしゃるのならわかるのですけれども、事実関係において誤りがあるという先ほどの局長答弁の、あいまいなそういうものについて誤りがあるというふうに皆さんおっしゃっているのですよね。そうじゃないですか。さっき私が言ったように、記者会見の中で、資料の中で出された、配付された中には事実関係においで重要な誤りがある、その重要な事実関係の誤りというのは何かと言えば、手紙の問題とそれから今の自殺の問題だろうと思うのですよね。だから、誤りであるかどうかなんて、あんな局長の推定の発言と、こちらの方から言っておるところの今の自殺のいろいろな客観的な状況、そういうものから見たら誤りだなんて断定できないでしょう。そういう点は皆さんの認定というのか判断というのは、私はそれこそ大きな誤りを犯しているのじゃないかというふうに思うわけです。
 それからもう一つ。
 生活保護行政について一面的な記述がありというところがあるのですけれども、これは何を根拠にそういうふうに判断をされたのですか。
#81
○野崎政府委員 これは申請図書の段階でいろいろ書いてあるわけでございますが、「厚生省の厳しい監査があるため、福祉事務所の職員が生活保護の相談に来る住民に違法と言えるほど多くの提出資料を求めたり、身辺の調査をしたりする。あきらめさせるための手だて(水際作戦)の一つだ。」こういうような記述があるわけでございまして、生活保護を受けるにつきましては、いろいろな資料というのは当然要求されるわけでございますので、やはりこういうことだけを取り上げて書くということにつきましては一面的な記述ではないかということで、生活保護行政について一面的な記述がありという指摘をしたところでございます。
#82
○吉田(正)委員 いいですか、厚生省の第一二三通達というのが出ましたよね。これがすごい内容だということは先ほど来から私言って、もうそれに基づく事例というのは、先ほども幾つか挙げましたけれども、それでは、これに対する日本弁護士会の厚生大臣に対する要望書というのをごらんになりましたか――見ておいでにならない。全国的にこの一二三通達に基づく生活保護行政がどうなったか、各地に自殺が続出する、もう大変な事態がこれによって起きた、こういう事実を踏まえて、日本弁護士連合会が厚生大臣について、この通達について申し入れをやっているのですよ。だから、皆さんが今おっしゃるように、一方的な記述だとか、何が一面的なんですか。客観的な弁護士連合会がそうやって申し入れをしているじゃないですか。
 それから、何か皆さんの方で客観的、どこでどういうあれがあるのです、一面的な記述だというのは。何かきちっとしたものがあったら言ってください、それ。
#83
○野崎政府委員 一面的な記述と申し上げたのは、先ほどのような水際作戦とかそういうことだけを取り上げているところはどうか、こういうことで一面的な記述というお話をしたわけでございます。
#84
○吉田(正)委員 それは答弁にならぬじゃないですか。生活保護行政について一面的な記述がある。客観的に弁護士連合会がきちっと指摘をしているのですよ。もっと言ったならば、東京都の福祉局、これがどういうことを言っていますか。これだけ膨大に指摘をしているのですよ。皆さんには具体的なそういうものは何もないじゃないですか。そして、ただ、一方的だとかそういう言い方でしょう。だから、全然問題にならないのですよ。
 例えばこういう指摘もしているのですよ。都の福祉局の方から荒川区の生活保護行政についての指導がずっと行われている。その指導の結果、こういう内容のものがまとめられているのですよ。いいですか。その中でどう言っているか。もう本当に読み上げたらきりがないのですよ。ほとんどこれだけの項目がだあっとついているのですからね。皆さんはそういう具体的なもの何にも知っていないでしょう。さっきは弁護士連合会のもわからぬとおっしゃったのですから。何を根拠にして言っているのですか。何にも根拠がない。それを一方的に一方的な記述だと決めつけているのが、そういうものを一方的と言うのですよ。だから、これからまたいろいろ調べてもらえばだんだんわかってくると思いますが、そういう点で、その一面的だなんというのは何ら根拠がない。具体的な指摘もない。こういうことで決めつけておるという点で極めて残念だと思うのですよね。
 皆さん、事由としては国会においで厚生省の局長が言ったんだからそれが正しいんだという言い方なんですよね。こちらは客観的、手紙の問題にしろ、自殺の問題にしろ、それから今のこの生活保護行政のあり方にしろ、こちらの指摘しているのは全部客観的な事実に基づいて指摘をしている。しかも、それが一人、二人の調査ではない、弁護士連合会という日本全体の状況を把握したものが厚生大臣に対する要望書を出しておるわけですよね。そこでずっと指摘がされているわけですよ。それもごらんにならぬで、それで一方的な記述だなんて言うのはとんでもない。そういう判断はだめだ。
 国会で言ったんだから正しいなんて、これも変な話でして、それは政府のあれでしょう、国会で、一つの法案についてとか事実について国会が認定したというなら、これは最高の機関ですから、これはそれなりの権威がある。ところが、先ほど来の論議でわかるように全く客観的な事実もない、単なる推定に基づいて、手紙の問題から自殺の問題から、それからこの生活保護行政の問題から、一方的だとか事実誤認がある。事実誤認があったら指摘してくださいよと言っても何もないでしょう。単なる推定でしょう、それは。
 一番いい例が、ちょっとこの例にふさわしくないかもしれませんが、今盛んに従軍慰安婦の問題が国際的になっていますけれども、日本政府は当初どう言っていました。そういう事実はないと言っていたでしょうが。事実がないところか、調べれば調べるほど事実がどんどん出てきているじゃないですか。だから、政府の答弁だからこれが絶対正しいとかそんなことになりませんよ。それは事実に基づいたときに初めて言えることであって、単なる推測で、調べもしないでそういう事実がないなんで言ったって、従軍慰安婦問題なんかはもう典型的な例でしょう。これは私は、今の教科書の問題についても当てはまるんじゃないかなというふうに思っておるのです。
 その問題でやる気はないのですけれども、そこで、そういう皆さんの方からの指摘があって、そしてここが書きかえられた。書きかえられたことについて、出版社の方からは暉峻先生には連絡がなくて、あるテレビ局からの知らせでもってそこが書きかえられたということがわかったということなんですね。暉峻先生は電話で、どういうことなのかと言ったり、それでは会ってくれということでもって申し入れもしたらしいのですけれども、皆さんの方では、会う必要がないということで拒否をされたということなんですが、それは事実ですか。どうなんですか。そしてまた、その拒否の理由は。
#85
○野崎政府委員 暉峻先生とのお話し合いの件かと思うわけでございますけれども、昨年の七月に暉峻先生が教科書課に来られたので課長がお話を伺ったということはございます。
#86
○吉田(正)委員 その前の七月三日に申し入れしたけれども、そのときには断られたんですね。そしてそれは七月の二十何日じゃなくて、多分七月の十三日ぐらいだろうと思うのですがね。そのときにはあれですか――だからさっき言った会わないという理由。電話と、直接行かれたこともある。そのとき、会う必要はないということで、二回門前払いということで、その後七月の十三日というふうに思われるのですが、このときに文部省としては会っていると思う。だれとだれがどういうふうに会われて、どういう内容で話をされたのですか。
#87
○野崎政府委員 昨年の七月に暉峻先生が教科書課に来られましたので、教科書課長が話を伺ったということでございます。その際、暉峻先生からは、この女性の死亡に関し、本件検定意見が論拠といたしました国会の議事録に関しまして、この手紙の問題あるいは死因について暉峻先生の見解と異なっているとの趣旨の発言があったわけでございます。
 それに対しまして、私どもとしましては、検定意見の趣旨、そしてそれが国会答弁を論拠としている旨を説明をしたということでございます。
#88
○吉田(正)委員 ちょっと答弁になっていないのですが、また繰り返しになるのですが、その際、大分長時間にわたっていろいろ話が行われた。課長に課長補佐ですか、それから暉峻先生の方は、暉峻先生ともう一人の方がおいでになって話をしているわけですね。だから、これは勝手なことを言ったって、お互いにそれは四人でその場でいろいろ話をされているということなんですが、先ほども言ったように、今いろいろ言われているのですけれども、要するに保護行政が一面的だという記述については、先ほどから繰り返し言っておりますように、日本弁護士連合会が、これは後で見てくださいよ、八六年三月三十一日に、生活保護の適正化実施通達についての厚生大臣への要望ということで、それは大臣にも出すとともに各県にもずっと弁護士連合会を通じて行っているわけですよ。これを見れば、記述がまさに実態を正しく把握して、一面的でないということがこれはもうはっきりしているのですよ。首ひねっているけれども、あなた、それ見てないとさっき言ったでしょう。そんなもの見たことないと。みんな厚生省の局長の答弁だけで全部判断したとおっしゃっているんだから。こういうのを一面的行政と言うのですよ。
 だから、そういうことで、これは何も弁護士会だけじゃないですよ。新聞、テレビであれだけ報道されたでしょう。もうほとんどの新聞、テレビが報道しているじゃないですか。そして区役所の方が、そんなのは違うと言って、逆に監査請求まで出て、そんなでたらめな区報を書いたのはけしからぬ、事実に反していると言って、また監査までやられているのですよ。その監査の中でまた明らかになったのが、さっき言ったように、それは病死というのじゃなくて、死因不明だ、不詳となっている。いいですか。それはもう都の方も言っているし、区の方も正式な会議できちんとそう言って答えているのですよね。そういうことも皆さんは何も調べなかったということなんです。
 それから、もう一点お聞きしたいのは、そこまで皆さんは客観的な事実を把握してやったんでなくて、あくまでも国会における厚生省一局長の推定に基づく答弁、これを唯一のよりどころとし、それが唯一正しいというふうなことでこの書きかえということなのですが、幾ら皆さんの立場に立ったって、決定的にこれが間違いだったとかどうとかという客観的な事実がないならば、教科書会社の編集担当者とそれから皆さんの調査官の間で、全面的なんというんじゃなくて、断定的と思われるんだったら、そこはそれじゃ断定的でないような表現に変えるとかなんとかという話し合い、指導というのが普通だったらあれじゃないですか。まるっきり、全面変えなきゃそれは認められないというふうなことになれば、教科書会社としては、これはもうそこでもって一部部分的に書きかえでやるとかなんとかといっても、時間的にも間に合わないでしょう。
 その調査官と書籍会社の間でどういうやりとりが行われたのかということもわかっているのですよ。それは課長か補佐があるいは局長御存じだか知らないのですが、そこでどういうことが言われたのか。調査官の名前も言いましょうか。それが出版社の編集担当者に向かってどういうことを言ったか、それは課長御存じですか。
#89
○野崎政府委員 具体にどういうやりとりがあったかということは私としては承知しておりませんけれども、少なくともこの記述につきましては、先ほど申し上げたような検定意見をつけたわけでございまして、その検定意見に対しましてどのような形でこたえてくるかというのは出版社の方で判断する話でございまして、それが現在あります見本本と申しますか、そういう形の記述に差しかえてきたということでございます。
#90
○吉田(正)委員 局長、あなたは今、審査会の意見を出版社に伝えたらそれは出版社が判断すればいいことだ、こう簡単におっしゃっていますけれども、そんなものじゃないでしょう。その審査意見が間違っている場合だってあるじゃないですか。今言ったような一連の動きの中では審査意見の方が逆に間違いですよ。何ら客観性がないんだから。
 そうしたら、出版社側としては、それに対して、それは間違っていますとか、これは私どもの方が正しい、そういう意見を申し出る機会もあるのですよ。それじゃすぐ直ちに全面的に入れかえるとか、一方的に意見に従って内容を変えるなんということにならぬ。それにいくまでにどちらが正しいのかという話し合い、論議というのが当然あるわけでしょう。そうじゃないんですか。
#91
○野崎政府委員 ちょっと私も間を省いて申し上げて、大変失礼いたしました。
 検定意見が出されますと、制度といたしましては、これに不服がある場合には意見を申し立てることができるわけでございまして、それによって検定意見を取り下げるというようなことも制度的にはあるわけでございますが、本件につきましては、執筆者、発行者から意見の申し立てはなされなかった、こういうことでございます。
#92
○吉田(正)委員 今、あなたちょっとおっしゃったことなんですよね。その意見書に対して出版社側から何ら申し立てがなかった。申し立てができないのですよ、それは。何でかわかりますか。局長、実態知らぬでしょうね、案外課長だって知らないんじゃないですか、調査官と出版社の間のやりとりとか。
 だから、どういうことを言いましたか、そのとき。やりとり知らぬと言ったって、極めて重大なことがそこに含まれているから聞いているのですよ。そうでなきゃすっと、何らの異論も余り申し立てないで――これだけ大事な誤りがあるなんて、著者にとってはまさに名誉棄損であり、信頼性の問題ですよ、この人の学問なりその著述に対する。一方的にそれは誤りがあるなんて言って、そんなものが全部ばっさり削られてほかのものに変えられるなんということになったら大変な話でしょう、それは。そうじゃないですか。しかも、著者に一言の相談もなくて、それは出版社と皆さんの間でそういう結果になったというのだけれども、著者にすれば大変な話。だから、そのやりとりとかその内容というのは御存じですかと聞いているのですよ。
#93
○野崎政府委員 それは文書で渡すわけではございませんので、いろいろな検定意見と申しますか、意見をつける部分はたくさんございますから、向こうと相対で、話の中でやるわけでございますので、いろいろな言い回しの仕方があるかと思いますけれども、文部省の検定意見というのは、先ほど申し上げたことが検定意見として相手に伝わっている、このようなことでございます。
#94
○吉田(正)委員 時間がありませんので、実はもうちょっとこの検定制度の実態についていろいろお聞きを――現状では各出版社は大変だ、編集担当者から、また意見に沿ってこれを修正をしていくということになると著者を含めて、膨大な時間と労力を要するのですよ。したがって、調査官から言われたからといってそんなに簡単に四十日間でやれるとかどうとか、そんなものではない。時間的に不可能だ。
 これは具体的に理科教育の問題で、理科の本で不合格本が随分出ているでしょう、ことしは。何で不合格本が随分出ているかということになれば、物理的にもやれないような状況に追い込まれているということなんですよ。もう病人は出るわ、大変なんだ。このときに調査官どう言ったと思いますか。時間的に間に合わないんですが、それよりも何よりも、この調査官というのが一部字句の修正ではなく全文削除しなければ通さないという物すごい強い態度だった。
 いいですか、だれが考えたって、意見自身が今言ったように一方的な、厚生省の一局長の、客観性もなければ具体的な証拠も何もない、単なる推測。こちら側の申し立ての方がよほど事実で客観性がある、証拠がある。そういう中でこんなことがまかり通っていくということですから、私は検定制度全体をこれからももっと根本的に見直していく必要があるだろう。これは皆さんのところにもいろいろな出版会社から大変だということで言っているんじゃないですか。
 ついこの間もいろいろな教科書の出版担当者の会議というのがあっちこっちで開かれたり、また著者も何人か集まっていろいろ現状について相談もしたりされているらしいのですけれども、とてもこのままでは大変だ、とてももうやりきれなくなる。逆に言うならば不合格本がどんどん出て、そして出版社というものが絞られていくんじゃないか、国定教科書にますます近づく状況というのが出てくるんじゃないかということが本当に話し合われているんですよ。だから、最高裁判決じゃないですけれども、仮に検定が、それは違憲でない、合憲だとしても、その検定のあるべき内容というものについては、私が当初最高裁の判決が幾つかの部分を引用して申し上げましたように、こんな事務的なことや一調査官の判断でそういう重大な事実というものがねじ曲げられ、削られということになったら大変だと思うんです。
 いずれまた時間がありましたらこの問題についても当委員会でやってまいりたいと思うんですが、今までのやりとり、ちょっとまだ突っ込みが足りなくて、大臣もどこまでどうなっているのか十分御理解いただけなかったかと思うのです。しかし、少なくとも何かちょっとおかしいなくらいの印象はお持ちになったんじゃないかと思うのです。
 そういうことで、教科書検定の今後のあり方についてはいろいろあるんですね。物理的な問題から、意見書のつけ方の問題から、そういうことについて、私どもは改善すべきだ。個人的に責任どうこうということよりも、基本的に教育行政、教科書検定行政のあり方についてやるべきだということで、最後にひとつ大臣のそれこそ所見をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
#95
○森山国務大臣 大変貴重な御意見を聞かせていただきました。
 おっしゃるまでもなく、教科書というのは小中高等学校などにおきます教科の主たる教材といたしまして、基本的な、中核的な役割を果たしているものでございます。
 したがいまして、全国的な教育水準の維持向上、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保などのためには、それにふさわしい適切な教科書であることが極めて重要であると思います。このため教科書の検定制度というのがあるわけでございまして、著作者の創意工夫を生かしながら、教科書記述が客観的かつ公正で、適切な教育的配慮がなされたものとなりますように、厳正かつ公正に検定を実施してまいったところでございます。
 今後とも、各方面の御意見に十分耳を傾けながら、教科書検定制度の適切な運用、実施に努めてまいりたいと考えます。
#96
○吉田(正)委員 どうもありがとうございました。
#97
○渡辺委員長 輿石東君。
#98
○輿石委員 きょう私に与えられました時間、八十分という時間の中で、私は指導要録の開示問題を中心に質問をさせていただきたいと思っているわけであります。
 ただいまの吉田委員の方からの質疑のやりとりをお聞きして、とりわけ主たる教材としての教科書検定をめぐる中で、真実を教える、物事の真実を知るという権利は国民の中にあるわけですけれども、そのための情報の扱いというのが大変難しい問題であるなということを改めて認識したような感じがいたします。とりわけ医者の診断書とか教育における情報公開のあり方というのは、大変大きな課題もあろうというふうに思うわけであります。そうした中での情報、単に指導要録の開示がよいか悪いか、是か非かというような問題にとどまらないと私は認識しているわけであります。情報公開と学校教育、あるいは学校における情報公開のあり方について、先刻の川崎市の指導要録全面開示の問題は我々に一石を投じた、そう思うわけであります。
 現行の指導要録は開示を前提にしていないので、その開示については慎重を期していかなければならないというような文部省の見解は既に前回、本委員会でもお聞きをしているところであります。その辺は確認はできておりますけれども、まず最初に、改めて文部大臣の方からこの指導要録の開示についての基本的な考え方をお聞きしておいて、そして論議に入りたい、こう思います。
#99
○森山国務大臣 前回もお答え申し上げましたとおり、指導要録というのは従来から、在学中、卒業後にかかわらず、本人への開示を前提としない取り扱いとされております。これは指導要録を本人に開示することといたしました場合、評価の公正さとか客観性の確保、本人に対する教育上の影響などの面で問題が生じることが心配されるということによるものでございます。ですから、これを開示することについては慎重に対応すべき問題であると考えております。
 また、これからの取り扱いにつきましては、調査書、いわゆる内申書でございますが、その調査書や生徒指導に関する資料などのさまざまな教育にかかわる個人情報の取り扱いとも深くかかわる問題でございますし、慎重な検討を要する事柄であると考えております。したがいまして、現時点では従前どおり慎重に取り扱うことが必要だと思っております。
 なお、私の感じといいますか、印象といたしましては、指導要録の開示問題の背景には保護者の学校や教師に対する不信感があるのではないかというふうに考えられます。したがいまして、学校や先生は子供の側に立って指導と評価のあり方を見直していただいて、保護者の不信感をなくすように日常的な取り組みに努力をしていただきたいと考えております。
#100
○輿石委員 現時点では慎重を期さなければならない。その理由も、事の性格上、公正さ、客観性を求めるものであり、教育上の配慮もある。そのとおりだろうと私も思います。今後のこれに取り組む文部省としての考え方についても若干触れられたわけでありますが、その中で、この問題がなぜ起こってきたかというその背景の一つに、親と教師の間の不信感、あるいは教師と子供の間の不信感もその要因の一つであろうということを今大臣言われたわけであります。その問題については、順にいろいろな事例の中からきょうの論議の中で深めてまいりたい、こう思うわけであります。
 今回の川崎市の指導要録の全面開示に至る背景や経過、その背景の一つに学校あるいは教師への不信感があるんだという指摘をされております。川崎市では、今回の開示の前に九〇年、平成二年十一月にも既に全国に先駆けて要録の一部開示という形でなされて、踏み切っでいるわけでありますが、また、これ以外にも大阪府では九一年の三月に高槻市で内申書問題、それから翌九二年、平成四年の六月には箕面市で要録の開示問題を認めてきている、こう思うわけであります。
 そこで、九〇年の川崎市の一部開示問題に始まったこれら一連の問題について、今日まで文部省はそれぞれその事例に、四つばかりあるわけですが、どのように考えられ、どのような対応をされてきたのか、その経過について触れていただきたいというふうに思います。
#101
○野崎政府委員 指導要録の開示問題についての我々の対応は、先ほど文部大臣がお答えしたようなことでございまして、私どもとしては、今お話のございましたそれぞれの市におきます開示問題につきましても、その動向を見守ってきたというところでございます。
 川崎市におきます開示問題、今先生お話ございましたが、平成二年の十一月に保護者が体罰の問題などをきっかけに指導要録の開示を請求をしたわけでございまして、それに対しまして、同じ十一月の二十一日に教育委員会の方は、指導要録の一部を開示する。と申しますのは、各教科の学習の記録、それから行動及び生活の記録の所見欄、そして標準検査の記録の欄は控えるという形をとったわけでございます。それに対しまして、平成三年になりまして保護者の不服申し立てがあり、教育委員会はこれを受けて、個人情報保護条例に基づきまして個人情報保護審査会に諮問をしたということでございます。それが平成四年十月に審査会の答申があって、平成五年二月に川崎市教育委員会が答申の趣旨に沿って開示を決定した。決定の内容は、学校卒業後は本人に全部開示をする、それから平成六年度以降、在学中の者につきましては、平成五年度以降の記載部分について請求があった場合に本人に全部開示をするという決定をしたわけでございます。
 それから箕面市の方は、これは平成三年二月でございますけれども、大学生が勉強の一助にしたいということなどの動機から自分の指導要録の開示を請求した。これに対しまして教育委員会の方は、指導要録の学籍に関する記録は開示したわけでございますけれども、指導に関する記録は控えるとしたということでございまして、それに対して請求者から異議申し立てがあり、個人情報保護審査会に諮問したところ、審査会は全面開示が適当と答申をしまして、平成四年六月に市の教育委員会として答申どおり全面開示を決定した、こういうことでございます。
 高槻市の方は、これはごく最近でございます。指導要録の開示の問題でございますが、先生の御指摘のお話は内申書の開示請求の話でございまして、これは平成三年一月に本人から市に内申書の開示の請求があったということでございます。これはいろいろ経過をたどっておりますけれども、最終的には平成三年六月二十日に非開示処分の取り消しを求めて大阪地裁に訴訟の提起がされまして、現在訴訟で争われているというのが経緯でございます。
 それぞれのところにおきます経過は以上のようなことでございまして、私どものその都度都度におきます指導は、開示することについては慎重に対応すべきものであるということで、それぞれ指導を行ってきたところでございます。
#102
○輿石委員 今三つの例についてそれぞれ文部省の対応や考え方についてお聞きをしたわけですが、ひとつ箕面市の例の中で、今局長が言われたとおりの経過だと思うわけですけれども、当時の近藤小学校課長ですか、たしか小学校課長は近藤課長だというふうに記憶をしているわけですけれども、平成四年六月十二日にこの箕面市の開示問題が公にされまして、その翌日、その近藤課長は緊急記者会見をやっておられますね。その中身については文部省御承知だと思いますが、その中身について触れていただければ、こう思います。
#103
○野崎政府委員 これは口頭でなされたものですから、正確なところは私どもも把握をしていないわけでございますけれども、指導要録は評価の公正さを損なわないよう従来から開示を前提としない取り扱いをしてきている、したがって、一律に開示することについては慎重に対応してほしいということを述べたわけでございまして、そのほか総務庁との関係なりあるいは諸外国の例などについても話をしておりますが、基本の部分は慎重に対応してほしいというのが当時の談話、このように承知しております。
#104
○輿石委員 私が得た資料でもそのようになっているわけですけれども、そこで、近藤課長はやはり開示には慎重な対応が必要だ、これを言い続けできたわけでありますが、当時この決定を箕面市でするためには箕面市でもそれなりの、教育情報の開示ということですから大変苦悩された、そして文部省にもどうしたらいいのかという問い合わせもあり、近藤課長の発言にもなったというふうに理解できるわけであります。
 そこで、近藤課長のコメントされた中身の中で、今局長も言われたように、総務庁とのかかわりもあり、情報公開については今後国としても検討していかなければならないという意味の内容も発表されておりますし、加えて、諸外国の事例等を取り寄せてこの問題は検討していきたいとも答えたわけであります。平成四年、ことしは五年ですからもう一年くらいたってきたわけですから、この間その諸外国の事例等を取り寄せて文部省は研究をされたかどうか、されたとしたらどんな点を検討してきたのか、その点についてお聞かせをいただきたいと思います。
#105
○野崎政府委員 諸外国の例なども研究をしているというようなことでございまして、私どもも諸外国の例を当たっているわけでございます。その中で、この指導要録に相当する表簿の取り扱いなどにつきまして、これを本人や保護者に開示している国があることは承知をしているところでございます。しかし、やはりそれぞれの国によって制度とか状況が異なっているわけでございまして、一概に我が国と外国とを比較することはできない、このように考えております。
 また、総務庁の関係でございますけれども、これも必ずしも趣旨が明確ではないわけでございますが、恐らく、総務庁でそういう個人情報の取り扱いについて検討するような動きがあれば、やはりそういうものも見ていかなければならないだろうという趣旨で話をしたのではないか、このように思っておるわけでございまして、現時点におきましては、先ほどお答えいたしましたとおり慎重に取り扱うことが適当である、私どもはこのように考えておりまして、特に総務庁との間で調整等を行っているというわけではございません。
#106
○輿石委員 総務庁とのかかわりはわかりましたけれども、諸外国の例、アメリカとかイギリスにもそういう開示をしている例があるわけですね。それを取り寄せられて、これは国情も違うし教育条件も違う、その中で単によその国と比較するということは、それはそのとおりだと私も思います。しかし検討に値する課題であろうし、いよいよ待望久しかった、政府の方では児童の権利条約という呼び方をして、我々は子供の権利条約と呼びたい、そんなあれもあったわけですが、あしたはいよいよ批准に向けて本会議で上程をされる、森山文部大臣も多分答弁に立たれるだろう、こう思うわけであります。そんな背景の中で、やはり外国の例を倣い、日本に適応できるかどうか、そういう検討もすべきではないか、私はこう思うわけですが、その点についで、もう一度確認をする意味でお願いをしたいというふうに思います。
#107
○野崎政府委員 先ほどお答えしたようなことで、そういう例があることは承知しているわけでございますが、やはりそのことだけを調べてみてもなかなか参考にならないわけでございます。その国全体としての制度の仕組みなり状況なりというものを全体的によく把握する必要があるだろう、こう思っておるわけでございまして、そういう意味で、これは物に書いてあるもので調べるとかいうわけにもなかなかいきませんので、少し時間をかけて調べていかなければならぬだろう、このように思っているわけでございます。
#108
○輿石委員 局長の言われるのもわからないわけではないですけれども、そのものだけを調べてみてもという、その言葉じりをとるわけではないですけれども、指導要録だけを、教育情報だけを調べて云々せよ、こう言っているわけでなくて、その国情に合った情報公開のあり方ということで、イギリスやアメリカではきちんと情報は公開していくという原則を尊重しているという国の根本的な考え方があるわけですね。その辺について、教育情報、指導要録に限ったということでなくて情報公開という視点からこの問題もとらえていくべきだろう。その中で、しかし教育情報はまた特別に考えていかなければならない課題もあるんだということならばわかるわけですけれども、研究に値するということ、その事例を研究してきたかどうかという、私はそこをお願いしているわけですが、やってあるのですか。
#109
○野崎政府委員 諸外国の事情を調べるということは、私ども大変大事なことだと思っておるわけでございまして、そういう意味で現在研究を続けているというような状況でございます。
#110
○輿石委員 それでは、具体的にアメリカやイギリスではどのようにこの情報公開問題をされているか、その辺は研究してあるでしょうか。
#111
○野崎政府委員 必ずしも十分なものでございませんので、あるいは調べた範囲内の話でございますから不正確かと思いますが、私どもの把握している状況によりますと、一九七四年の家族の教育上の権利とプライバシーに関する法律というのがございまして、これにより公共教育機関に対してその教育機関が有する児童生徒に関する公式記録の開示等が認められているというように聞いております。具体的に、それではそれをどうしておるのかというあたりにつきましては、十分な把握がまだできておりません。今の例はアメリカ合衆国の例でございます。
 それからイギリスの例では、一九八九年に学校記録規則、これはどうも省令レベルのようでございますが、それによりまして親や生徒本人からの学習記録等の開示を認める、このようなことになっているように承知をしております。
#112
○輿石委員 そこで、やはり学校教育制度それ自体がイギリスにしてもアメリカにしても我が国とは違うわけですから、それを単に同じように比較するということは大変危険だし、これはあってはならないことだ、私はこう思います。しかし、この開示制度というのは、今局長が言われましたように、アメリカではもう七〇年代に取り入れられて、教育上の記録というものは、原則的に本人、保護者の閲覧権とか不適当なところの訂正要求権というようなものを認めておりますね。
 またイギリスに至っては制度自体が大きく変わっているわけであります。子供の通う学校を親が選択できるというシステムですから、我が国とは大きな違いですからこのまま比較はできないことはそのとおりでしょう。しかし、学校選択のために親がどこの学校はどういう状況にあるのかということを知らなければならない、そういう意味からこの情報公開がイギリスではなされているというふうに理解できるわけであります。そして一九八〇年に教育法を改めで、今局長が言われたような八九年に教育規則が制定をされ、要録の公開実現というのが制定をされた。これによって公開の義務が、イギリスでは地方教育局というような呼び方をしているようですが、そこで義務づけられた、こういうのがイギリスの形だと思うわけであります。
 この権利についてはまだ条件があって、ガイドライン、基準があるわけですね。子供が十六歳未満の場合には親にだけ開示をする、十六歳から十七歳には親と子供両方に開示をする、十八歳以上になると子供自身にだけ認めていくという形であります。十六歳になれば自分の教育記録を閲覧できるということになるわけですし、十八歳以上になれば親にも見せない。もう一個の人間として、プライバシーという面からして同じ開示の仕方でもこんなふうに変えていくわけですね。
 私が言いたいのは、これから子どもの権利条約も入ってくる、そして情報公開、知る権利を保障してほしいという国民の願い、そういう大きな流れの中で、単に教育情報だから、それはなかなか課題がありますから慎重に対処しなければならないということだけで乗り切っていけるかどうか。しかも、文部省も教育現場もこの問題については、簡単に開示はいいではないかと言われては大変混乱を起こすし、自信をなくすという面も既に指摘をされているところであります。しかし、ある程度のガイドラインなり条件を見つけて、こういう場合には開示をしてもよかろうというような研究も一方ではしていかないと大変なことになるのではないかと私自身思うわけですけれども、その点についでいかがでしょう。
#113
○野崎政府委員 先生の御指摘があったわけでございますが、外国の例なんかも研究が大事なわけでございますけれども、その中で、これは断定的なことは言えないわけでございますが、例えばアメリカにおきまして学習の記録などを開示いたしましたところ、教育関係者から記録の中身が骨と皮ばかりになってしまったというような声が寄せられたというようなことを書いた書物などもございまして、やはり開示ということになりますと、今後の教師の指導の資料にしていこうという指導要録の本来の役割、そのあたりとのそごが出てくるのじゃないかと思うわけでございます。先生のお話が何らかのガイドラインということでございますけれども、私どもはまだそこまでも行ってない、全体的に慎重に対応していくというのが現時点の適切な判断ではないか、こう思っておるわけでございます。
#114
○輿石委員 今局長は、指導要録というものの機能や役割、それを踏まえて現時点では開示には慎重を期さなければならない、こう言われたわけですね。
 そこで私は、それでは指導要録の機能というものを文部省はどうとらえられているのか、その点についてお尋ねをいたします。
#115
○野崎政府委員 指導要録は、学校教育法の施行規則によりまして学校に備えるべき表簿として定められておるわけでございまして、学籍あるいは各教科の学習の状況あるいは行動などにつきまして記録をするわけでございます。そしてその後の指導とか外部に対する証明等に役立たせるための原簿となるものでございます。この指導要録自体は教育委員会で様式等を定めることにしておるわけでございますけれども、全国的にある程度の同一性を確保する、こういうことで文部省では従来から指導要録の様式等の参考例を示しておるわけでございますが、あくまでもこの性格というのは将来の指導のため、あるいは証明等に役立たせるための原簿、こういうことでございます。
 そういうようなことで、指導と一体的になされるものでございますので、指導要録につきましては、学習指導要領の改訂のたびにその趣旨あるいは指導要録を書いてきた実地の経験、そういうものを踏まえて改善を図っているところでございまして、指導要録というものを、将来ともやはりそういうような性格のものとして私どもは考えていかなきゃならない、こう思っておるわけでございます。
#116
○輿石委員 局長の言われる指導要録の性格、機能、一つは学籍関係で、外への証明という役割がある、もう一つは指導をするための資料としてという二つの側面がある。そのことは十分承知をしているわけですけれども、この指導要録の歴史というのは、明治三十三年に学籍という形で出てきたということで、学校教育の始まりからずっと続いているということも承知をしているわけでありますが、昭和二十四年に指導要録という名前に改称してきたという歴史もあるわけであります。
 そして、外への証明という性格からこの保存期間を二十年間というふうに義務づける、学校教育法施行規則でもそううたっているわけですけれども、今回この指導要録を指導要領が変わったということから改訂をしていますね。この改訂をした趣旨。また、指導の部面については保存期間も二十年間から五年間というふうに切ってきたわけですね。その辺の背景とそれからその改訂の理由、改訂の中身等について触れていただけますか。
#117
○野崎政府委員 指導要録の改訂の趣旨につきましては、若干抽象的になりますが、新学習指導要領が目指します学力観に立った教育の実践に役立つようにしたい、そういうことが一つと、それから児童生徒一人一人の可能性を積極的に評価して豊かな自己実現に役立つようにしたい。そしてまた、指導要録に記録する内容の精選をするとか保存期間の短縮を行うということで、指導要録の保存管理の方法等の整備を図るということを大きなねらいにしておるわけでございまして、特に学籍の部分とそれからいわゆる指導の部分というものを、様式1と様式2に分けまして様式を定める。特に、この指導の部分につきましては、観点別学習状況というのを前面に出しまして、そういうあたりを子供を指導する際の先生の大きなメルクマールにしてほしいというようなことで、今回改訂を行ったところでございます。
#118
○輿石委員 改訂の趣旨もお答えをいただいたわけですけれども、もう一つ、指導の部面については保存期間を二十年から五年というふうにしましたね、その理由について。
#119
○野崎政府委員 先生お話ございましたように、学籍に関する記録の保存につきましては、現行どおり二十年ということで、これは変えていないわけでございますが、指導に関する記録につきましては、プライバシー保護の観点から利用の実態などを考慮いたしまして、その保存期間を短縮するということにしたわけでございます。その保存期間につきましては、他の公簿の保存期間との均衡なども考えまして五年間とする、こういうふうな措置をとった次第でございます。
#120
○輿石委員 今まで二十年間であったものが様式も変えて二つにして、そして指導の面については五年間で、その理由はプライバシー保護という観点からだ、こう言われましたね。このことが指導要録の公開や情報公開にも大きくかかわる問題だろうと思うわけです。片っ方では国民の知る権利、見せてほしいという要求にこたえなければならない。しかし、もう一方では、プライバシー保護とか、そして見せた、開示をした後の結果がどうなるのかという視点も忘れてはならないと思うわけであります。教育現場の悩みや文部省が言われる慎重であるべきだという根拠もその逆にあると思うわけですけれども、そうだとすれば、絶対に教育情報というものは公開をできないんだということも言い切れないし、そう言う必要もない、こう思うわけでありますね。
 その辺の兼ね合いが難しいわけでありますけれども、五年に指導の部面を切っていった、それと関連をしまして、今作業中だと思いますけれども、今度高校の指導要録の改訂に入っているのではないか、こう思うわけであります。これから調査研究協力者会議でやっていくことだから文部省の口出しする権限はないと言われてしまえばそうでしょうけれども、今後の見通しとして、来年度から新しい指導要録で高校も入っていく、こう思うわけであります。この二十年、五年というのは、高校の指導要録についてもそのようにするのかどうか、その辺の見通しも含めて。
#121
○野崎政府委員 高等学校学習指導要領が平成六年から動き出すわけでございますので、それに合わせまして、高等学校の生徒指導要録も改訂をしていかなきゃならぬということで現在検討中でございますけれども、学習指導要領の趣旨は小中高通しで同じ趣旨をねらいとしているわけでございますので、現在その趣旨に沿って指導要録をどのように改訂していったらいいのかということを研究している、こういう段階でございます。
#122
○輿石委員 そこで、私は、危惧するというか心配する点が一つあるわけであります。
 指導要録、法律的には調査書という言い方をしていますが、私どもは内申書という呼び方もしているわけですが、要録と内申書、調査書とは表裏一体のものだろう、こう考えられるわけであります。イコールではないけれども表裏一体の関係にある、こう思われます。中学の要録が高校入試の選択の一つの重要な資料として、また高校の要録が大学入試の調査資料の一部として大きな比重を占めている。
 そういう観点からすれば、五年に区切っていくということになると、これから我が国の高等教育を考えるときに、学校中心の我が国の教育制度、いつでも、どこでも、だれでもが学べるという生涯学習への体系に移行していこうというのが日本の教育政策の大きな柱だと思われるわけです。一度リタイアした子供にも教育を受ける権利を保障してやるという観点からも、一度就職した子供が再び高等教育なり高校教育を受けたい、それを保障していくというのが生涯学習の大きな柱でもありますし、そういう施策を文部省もここ四、五年打ち出してきているわけであります。そうすると、外部への証明、調査書の重要な資料だとすれば、五年間でそれはなくなっていくとしたら調査書としての要録の機能というものは失われる、こう理解できるわけですが、その点についてはいかがですか。
#123
○野崎政府委員 調査書、いわゆる内申書とも言われているわけでございますが、これは学力検査と並びまして、高等学校入学者選抜の重要な資料となっておるわけでございます。その内容につきましては各都道府県の教育委員会で定めておるわけでございますが、少なくとも高等学校在籍中のいろいろなものにつきましては、五年という範囲内の話でございますから、それで内申書が、あるいは調査書が書けなくなるとか、そういうようなことは起きない、私どもこう思っておるわけでございます。
 ただ、高等学校につきまして御存じのように、単位制と申しますか、単位を取る形になっておるものですが、そこは小中学校と違いまして、高等学校でどういう科目を修得したかというあたりの記録は、五年間で切れてしまうということになりますと、先生御指摘のような心配もあるわけでございますので、その辺のところは考えなきゃいかぬと思いますけれども、果たしていろいろな成績まで残す必要があるのかどうか、そのあたりはやはり小中学校との均衡とか、そういうものも十分考えていかなければいかぬだろう、こう思っております。
#124
○輿石委員 この問題は、それを論議していくと入試制度にかかわってきまして、文部省も、入試のあり方、調査書に比重を置くとか調査書も必要としない入試も考えてみようとか、学校、学科、またはコース別にいろいろな入試制度を模索していこうという時期ですから、ここで私が断定的に、そのことだけをとって入試制度の論議に入るということは大変危険ですから、後へ譲りたいと思いますが、そういう危惧される面もあるということを言っておきたい、こう思うわけであります。加えて、高校の指導要録のあり方は、これから作業に入っていくでしょうけれども……。
 そこで、先ほど局長の方からも、今回の指導要録の改訂は、新指導要領にのっとって改訂をされた、その新学習指導要領の学力観に裏打ちされた指導要録だ、そのために変えたんだ、こういうお話がありました。そこでお尋ねをしたいわけですが、新しい学力観とは一体どういうものなのだろうか、どう定義をされているか、お話をいただきたいと思います。
#125
○野崎政府委員 これまでの学校教育というのは、えてして知識の修得を重視するあるいはぺーパーテストによって知識の量や理解の程度を見る評価というものが中心になるというか、そっちの方にどうしても傾きがちであった。やはりこれからの学校教育につきましては、児童生徒がみずから考え、主体的に判断する、そして行動できる資質や能力の育成を重視する必要があるというふうに考えているわけでございまして、学力の内容につきましても、みずから学ぶ意欲あるいは思考力、判断力、表現力、創造力などを重視する必要がある、このように思っておるわけでございまして、私どもとしましては、新しい学力観というのは、単にぺーパーテストによって知識の量を見るというだけではなしに、そういう子供たちが本来持つべき、学ぶ意欲とか思考力、判断力、こういうものなども評価できるようにしていくことが大事である、このように思っておるわけでございます。
#126
○輿石委員 その新しい学力観の一つの考え方として、今局長言われますように、学ぶ意欲だとか思考力、判断力、創造力というようなもの、そういうものを総合して――今までの学力観というのは、ややもすると知識の量とか技能とか学習の結果として出てきたもので、そこへ偏差値という一本の物差しを当てて、できる子、できない子という振り分けをしてきた。それが業者テスト追放の発端にもなったというような理解もできるわけですね。そうだとすれば、この新しい学力観というのは、学習をする入り口でとらえていける。興味、関心、意欲、態度というものは、学習のプロセスとして言えば入り口だ、こう言われておるわけですね。そして、学習の過程、プロセスの中で会得されるのが、今局長言われた思考力や判断力や創造性というようなものだ。そして、最後の出口として知識、技能というものがあるというふうな置き方をし、それを総合的に抱え込んで、それが新しい学力観だというふうに、いろいろな学者も、また文部省の方でもそう言われているわけです。そこで、新しい学力観にのっとった新しい評価のあり方ということもまた重要になってくる。
 そこで、お尋ねしたいのは、こういう新しい学力観に対してどういう評価の基準といいますか、評価観を持って臨めばいいのか、新しい評価観というようなものについても触れていただきたい、こう思います。
#127
○野崎政府委員 先ほど、学習指導要録の指導に関する記録の中で観点別学習状況というものを今回は大変前面に打ち出したということをお話ししたわけでございますが、従来、どちらかといいますと知識、理解、技能というあたりをまず第一にとらえまして、その能力がどうであるかということを問うたわけでございますが、今回は柱を逆にいたしまして、関心、意欲、態度というものをまず見る。それからいろいろな表現の能力とか、そういうものを見る。その中には患者力あるいは判断力というようなものも入ってくるわけでございます。そして最後に、先ほど申しました知識、理解、技能という、先生お話ございました出口と申しますか、本来子供たちが身につけたものというよりも、むしろどうやって将来にわたって子供たちが学んでいくかというあたりをそういう形で重視していこうということが一つでございます。
 それからもう一つは、所見の欄というあたりで、特に児童生徒の長所を記入するようにしてほしいということをはっきり打ち出したということでございまして、指導の参考にするということでいろいろなことがそこに書かれるわけでございますけれども、私どもは、児童生徒のいい面を伸ばしていくということが大事なことだ、このように今回の指導要録では考えているわけでございます。
#128
○輿石委員 新学習指導要領も新しい学力観というもので裏打ちされている。それの関連として要録もまたその新しい学力観に見合った要録に改訂をしていった。それには新しい評価観も必要だ。その新しい評価観についても触れていただきました。
 そこで、要録の開示問題、ここは新しい評価観と大きくかかわるわけであります。今局長言われましたように、子供の欠点ではなくて子供を支援する評価という面からしても、長所を伸ばして励みになるような書き方をしていこう、そうすると、要録の様式もそのように変わってきているはずであります。だとすればますます、そういう知識、理解というのは一枚のぺーパーテストで数量的に割合あらわれやすい問題であります、ところが創造性、判断力、思考力というようなものは、それを評価するのは大変時間もかかるし、その方法も大変だろうと思うわけであります。現場の先生方は、これからそういう指導要録にのっとって子供一人一人の個性を大事にできる教育はどうあるか、そのための評価はどうあるべきかという視点から評価をしていかなければならない、大変困難な作業だ、こう思うわけであります。
 指導要録は客観性、公正さを重んじた資料でなければということから、開示へ踏み切れない一つの根拠もそこにあったわけであります。そうすると、その客観性、公正さという面からすれば、今度の新しい学力観の評価というのは大変評価の仕方が難しいと思うわけですけれども、その辺は文部省としてどう認識されておりますか。
#129
○野崎政府委員 今の観点別学習状況の評価のところは、絶対評価と申しますか、学習指導要領が定めましたねらいから見てどうかということで、ABCという形で評価をしようということなわけでございます。「十分満足できると判断される」こういうものをA、「おおむね満足できると判断されるもの」をB、「努力を要すると判断されるもの」をCということで評価をするわけでございまして、他の子供がどうだからBになってしまうとかそういうことではないわけでございますが、しかし、先生がおっしゃるとおり、学習指導要領のねらいとの関係、あるいは各教科の目標との関係でこれをどう判断するかということは先生方の努力を要する問題、このように私どもも考えております。
#130
○輿石委員 それだけ難しい評価を与えられた、そしてその子供のために、指導のためにということで、現場の教師は子供一人一人のためにその願いをかけて評価をしていく。その記録が指導要録の一部でもあるわけだ。これを開示した。本人または親に開示をした。この評価に対してクレームがつく。または不信感が生まれる。そして幾つか、川崎市や大阪府のような事件にも発展をしていく。その根っこには、文部大臣、冒頭言われましたように、教師や子供、親との不信感、信頼関係というものが希薄になっているからではないかという根拠を言われたわけであります。そういう一面もあろうかと思います。だとすれば、一回もつれた人間関係や感情的にもなった信頼関係、不信感が、要録を見せたからすっきりして信頼関係が戻るとか、そんな単純なものではないというところに指導要録の全面開示を無条件でやることの危険というものがあるんだというふうに私はとらえたい。その点、文部省いかがですか。
#131
○野崎政府委員 私ども、この指導要録を開示する問題点としましては、先生のお話と重複するかもしれませんが、やはり本人への開示というものを前提とした場合に公正な評価が困難となるのではないか、そういうことから指導等のための信頼できる資料とならなくなる可能性があるのではないかということを一点心配しております。
 それから、本人に対する教育上の影響ということで、マイナス面の評価がある場合などに本人の意欲や向上心を阻害する、あるいは自尊心を傷つけるなど教育上好ましくない影響を及ぼす可能性があるのではないか。
 さらに、この評価につきまして、学校側と本人や保護者との認識にギャップがある場合にトラブルの発生が予想されるわけでございまして、学校側と本人や保護者との信頼関係を損なう可能性もある。
 また、指導要録の形骸化ということも心配でございまして、例えば特記事項なしなどのゴム印を押すような形で、結局子供の個性を十分把握できない、まさに形式的な指導要録がつくられてしまうというような心配、開示をした場合にはそういうことが想定される、こう思っておるわけでございます。
#132
○輿石委員 その辺では認識が一致をしたというふうに思いますけれども、私はただ、だとすれば指導要録は絶対に開示できませんよということだけで、先ほど冒頭から言い続けています情報公開制度、時代の要請、そういうような面から、こういう理由ですから指導要録の開示はまかりなりませんとかたくなに言い続けただけでは納得もしないでありましょうし、クリアできる問題ではないと思いますので、これはお互いに教育現場も行政に携わる方々も我々も一致して、これからどうしていくかということに焦点を合わせて論議をすべきだし、そういう研究をしていくべきだと私は思うのであります。
 しかし、あしたは子供の権利条約を上程されるということから、この子供の権利条約から見た情報公開ということになりますと、やはりこれは知る権利を保障するとか児童の最善の利益を保障していくという精神がこの条約にはあるということですから、前回の文教委員会の質疑の中で大臣は、この問題については発展途上国の恵まれない子供たちに教育の機会を保障してやる、この子供の権利条約はこういうものが趣旨であるので、直接指導要録とはかかわらない問題でしょう、こういうふうに答弁をされたわけですが、文部大臣、あすいよいよこの児童の権利条約で答弁に立つわけですから、それだけを言っていてこの条約の趣旨が生かされますか、こういう反論にはどうお答えになりますか、それも含めて子供の権利条約について。
#133
○森山国務大臣 この前も申し上げましたように、児童の権利条約そのものの目的は、世界すべての国々を対象としているわけでございますので、その世界じゅうの国の大半を占めている、いわゆる発展途上国の中における子供の問題ということを見てみますと、教育に関しましては、学校の数が足りない、子供たちを教えてくださる先生もなかなか十分でない、教科書もない、また親たちの認識も十分でない。また、国の政府自身も、貧しさということから少しでも早く脱却したいという願いからではございましょうが、経済開発ということに重点が行って、児童の権利とか福祉とかいうことに十分な配慮をするゆとりがないといいましょうか、それが現実であるということを考えますと、そういう厳しい情勢ではあろうけれども、児童の権利というものを守り、福祉を向上していくことが大切だということを全部の世界じゅうの国の責任者、関係者に思い起こしてもらって、そういう状況を少しでも改善していこうというのが基本的な目的だと私は解釈しているわけでございます。
 しかし、児童の権利条約という以上は、途上国だけではなくて、そうでない国々も当然留意すべきことでございまして、その内容を見てみますと、その第二十八条に「すべての児童に対し、教育及び職業に関する情報及び指導が利用可能であり、かつ、これらを利用する機会が与えられるものとする。」という言葉がございます。その文句というか字句をごらんになりまして、それが指導要録の公開その他にかかわるのではないかという御指摘ではなかろうかと思うのですけれども、この条文も、先ほど申し上げましたような基本的な条約の目的ということを頭に置きますと、児童の教育を受ける権利を確保するということ、そして児童が進学や就職に必要な案内やガイダンスを得る機会を保障するということ、そういうことが内容の大部分ではないだろうかと思います。
 したがって、今話題になっておりますような指導要録を本人へ開示することを義務づけるという趣旨ではないのではないかというふうに私は解釈している次第でございます。
#134
○輿石委員 私も大臣の言うように、子供の権利条約が批准されたら指導要録を開示をしなければならないという義務づけが発生をするなどと、そんな単純に考えて質問をしているわけではないわけであります。
 前回のこの委員会で嶋崎委員の方から、この川崎の指導要録の開示問題と子供の権利条約の趣旨、精神は、根本において連動しているのではないか、こういう質問も既にあったわけです。私もその点をお尋ねもし、そういう確認もしたいという意味で質問させていただいたわけでありますが、今大臣言われましたように、二十八条に、すべての子供が教育上の情報及び助言を利用し、かつアクセスできる権利を有するというふうに書いてありますが、そして十二条でも、親の教育要求と一緒に子供自身の意見表明、自分がいろいろな場所で意見を言えるというものを保障していこうとか、そういうものが裏打ちされている条約でありまして、子供の権利条約に流れている根本理念というのは、今までの我々の、世界共通の子供というもののとらえ方を、どちらかといえば保護をするもの、守ってやるものという保護の対象から、一個の人間として認めていくという、権利行使の主体というふうに、この条約の趣旨は子供観を大きく変えでいくものだ、こう思うわけですが、その点についてはいかがですか。
#135
○森山国務大臣 確かに子供たちというのは、幼く、また成長を十分していないわけですので守ってやらなければいけない、守るべき対象であるということは変わらないと思うのでございます。しかし、その一人一人が人権というものを持っているということもまた事実でございまして、その人権に十分配慮いたしまして、一人一人を大切にした教育や福祉が行われなければいけないというのは当然のことだと思います。
#136
○輿石委員 それで、文部省の方にお尋ねをいたしますが、だとすると、この子供の権利条約、児童の権利条約が日本の子供たちのために一体どのような意義を持っているとお考えになりますか。
#137
○野崎政府委員 この児童の権利条約で言われておりますことは、基本的人権の尊重を基本理念といたします日本国憲法あるいは国際人権規約と軌を一にするものでございまして、そういう意味で新しい要素が加わったものとは思っていないわけでございますけれども、この条約というものが批准されました段階におきまして、やはり児童生徒の人権が十分に尊重され一人一人を大切にした教育が行われなければならない、こういうことは当然でございましで、この条約の締結を契機といたしまして適切な教育指導、学校運営が行われるように努めていくことが必要である、このように思っております。
#138
○輿石委員 先ほど大臣の方から、これは発展途上国の経済的に恵まれない子供にも世界共通に、すべての世界の子供たちに教育の機会を保障してやる、そういう精神で貫かれている条約であるというふうなお答えもあったわけであります。
 今の我が国の教育は、経済的には確かに恵まれているでしょう。その経済的に恵まれているがゆえに、逆に言えば心の病にかかっているという現状ではないか。その心の問題が、体罰をつくり出し、登校拒否などという言葉も生み出し、教育荒廃という言葉を聞いて久しいわけであります。その大きな要因の一つに入試制度があるのではないか。そして業者テストの問題が起こり、入試制度の改革に向けてみんなで頭を悩ましている実態だろう。そうした経済的に恵まれていても、豊かな時代の教育ほど難しいものはないということを言われているわけであります。
 そうした観点から、学校へ来られない不登校の子供たちの、民間に適性教室とかいろいろあるわけですが、ある一定の条件を満たしたと校長が判断した場合には、指導要録に民間施設で学んだ日数というものも出席日数にカウントできるというふうに昨年の九月の条例改正で決めたわけですね。そうすると、一方ではますますこの指導要録の記録の中に、どこで学んだ、どこの施設で何日登校拒否を起こしたということも書かなければならないという実態もあるわけです。プライバシーの保護という立場からすれば、そんなものを開示してどうなるんだということもあるわけです。そういう論理からいうと、果たして指導要録というものが本当に必要なのかどうなのか。これは内申書の原簿である、調査書の原簿だから、なくすわけにはいかないということもあるでしょう。そういうものも含めて今後検討していかなければならない課題だと思うわけですが、その中で、指導要録のその出席扱いについての記入についてはやはり明記をしていくという方向ですね。
#139
○野崎政府委員 今の出席扱いということで昨年通知を出させていただいたわけでございます。この出席扱いにつきましては、様式2の「指導に関する記録」の出席の記録の欄がございまして、そこの「備考」に日数や施設名を記入することになっているわけでございまして、やはり私どもは、これは外に開示をするということではございませんで、その子供をとらえ、その子供の将来の指導ということを考えた場合には、やはりそういうものが指導要録の中に書かれているということは大切なことであるということで、そのような指導をしているところでございます。
#140
○輿石委員 最初に戻りますが、指導要録の役割、機能は、外への証明という面以上に教師間の指導の重要な資料の一つとしての位置づけもあるわけであります。そうすると、どこで学んだ、登校拒否とか学校へ行けなかった時代がこんなにあるとかないとかというようなものをへあからさまにその事実をつかんで指導をすべきであるし、それは教師の間だけでやりとりをしている。そこを川崎の市教育委は、子供や親に隠した信頼関係とか指導というのは不条理であるというような断定までしているわけですね。そういう言い方もしているわけですけれども、それに対しては、文部省はどうお答えするつもりですか。
#141
○野崎政府委員 子供あるいは親との連絡の関係につきましては、先生御存じのように通信簿と申しましょうか、いろいろな言い方がされておりますけれども、あるいは学校通信とかいうようないろいろなものがあると思うわけでございまして、やはりこの指導要録というのは一年間の学習指導の過程とか成果などを要約して記録するものでございまして、学校と保護者との連絡に用いる通信簿にそのままこの指導要録の内容を転用するということは適切でないわけでございまして、学校におきましては、そういう指導要録におきます各教科等の評価の考え方、そういうものを根底に置きながら通信簿の記載内容あるいは方法、様式等について工夫改善をしていただきまして、そういう面で保護者との関係の緊密な連携を図る、あるいは親子のいろいろな面談をするとか、先ほど大臣のお答えがございましたように、相互の信頼関係というものをどのような形で確保していくか、そういう工夫というものがこれからますます求められてくる、このように私ども思っております。
#142
○輿石委員 新しい学習指導要領によって、先生方は、新しい学力観、新しい評価の観点という大変に難しい問題に取り組んでいますし、評価の仕方も、以前よりももっときめ細かく、日常の観察も含めた、その累積での評価というものが重要視されてくるわけであります。そこに親や子供との信頼関係も生まれてくると思うのです。そうした苦悩をぜひ理解していただきたいし、時間もなくなりましたので、私はここで現場での大変貴重な、涙ぐましい事例を二つだけ御紹介したいと思うわけです。
 中学や高校の入試にかかわる、その悲鳴とも思える、子供たちを救うために、福岡県の筑豊地区、直転地区という場所があるそうですが、そこの十校の高校は毎年、年に二回、五月と八月の夏休みに、中学校から送り出した元担任の教師、そして高校の今の受け持ちと生徒指導、それぞれ三、四人集まって、自分が送った子供は今現在どういう状況だろうか、または私はこういう評価をしていた、この評価が当たっているかどうか、また現場の高校の先生方は、先生の見方はこうだったけれども、今はこうなんだというやりとりをしている。だから、そこの地域の親や子供は決してそんな、指導要録を見せろ、内申を見せるという答えは出てこない。こういう状況が出てくる背景をもう少し綿密に分析してくれ、どこにそういう背景があるのか、そういう訴えをしているという事実があるわけです。だから、無責任に送り出してしまえばそれでいい、また、受け入れた方は、そうではない実態もあることをまず知っておいていただきたい。
 もう一つは、神奈川県の湘北教組という教職員組合の養護教諭部会の先生方が、保健室登校という問題について大変、二年もかけてそのデータを分析し、この子たちをどうしたらいいのか。しかし、保健室登校としてやってくる子供たちの扱いで、今までは、局長も御承知のように、養護教諭というのは児童の養護をつかさどるということですから、その子供のカウンセリングとか学習指導まで義務づけられてはいないわけですね。しかし、保健室登校も授業日数の中へ入れるという文部省の方針になってきているわけですから、そこへの手だてや、養護教諭は各学校一人ですから、カウンセリングとか児童心理学を学びたい、研修の機会や、そういうことも与えなければいけない、その人たちが研修に出たときの代替教員の措置もしなければならないだろう、こう思うわけです。
 そこで、最後になろうかと思いますが、保健室登校の実態について文部省は調べられているかどうか。調べられていたら、どのような状況なのか。そして、それに対する考え方も含めて、お答えをいただきたいというふうに思います。
#143
○奥田政府委員 近年、表面的には頭痛あるいは不快感などの身体的な症状を訴えながら、そして内面的には心の問題を持って保健室を訪れる児童生徒がふえてきておりますのは、先生御指摘のとおりでございまして、そういう意味からも、そういう子供たちを温かく迎えて適切な指導をする養護教諭の職務の重要性ということは大きくなりつつあると考えております。
 事実関係でございますけれども、平成二年に行いました実態調査、ちょっと御紹介をさせていただきますと、いわゆる保健室登校者のいる学校は、小学校では全体の七・一%、中学校では二三・二%、高等学校では八・一%ございまして、それぞれの学校で平均すれば一人ないし二人そういう子供がいるという状況でございます。
 なお、関連でございますけれども、この調査におきまして、一日一校当たり保健室へ来る子供、もちろんこの中にはけがをしたからと言って訪れる子供もおります。そういう子供がどれぐらいいるのかということも調べましたところ、一校平均三十人程度おります。
 そこで、私どもとしましては、先ほど申し上げましたような子供に適切な指導をしたいということから、一つは、現在、日本学校保健会にお願いをいたしまして、保健室における養護教諭の相談活動のための実践の手引、これを今作成を急いでいただいております。それから、いわゆる保健室登校者への対応につきましてですけれども、これは養護教諭の先生方が中心になっていただくことも大事でございますけれども、養護教諭の先生だけに任せておくのではなくて、もう先生は御存じだと思いますけれども、学級担任はもとより、保健主事であるとかいうふうな方々とも十分連絡をとって学校全体として取り組むということが必要ではないかと考えておりまして、今作成中のこの手引書におきましても、この点はぜひ強調したいというふうに考えております。
 さらに、養護教諭の実技講習といったようなことなど、各種の講習会を、養護教諭の相談能力を高めるために今実施をいたしているところでございます。
 さらに、先般先生方のお力添えをいただきまして成立を見ました新しい教職員配置改善計画、今年度から年次計画で進みますけれども、この中におきましても、特に養護教諭の業務の内容が非常にふえてきているということもございましで、新たに大規模校におきましては複数配置を行うというふうなことになっているわけでございまして、これらの諸施策を総合的に適切な施策として実施してまいりたいと考えております。
#144
○輿石委員 終わりの方で、定数配置の方にも触れていただきましたけれども、私は、やはり今回の定数法でも文部省も強調していました、単に児童数、生徒数を割っていった、それで何人というやり方ではなくて、そこにどういう課題があるのか、そういうことで重点配分をしていった。今のお答えの中に、その養護教諭の複数配置も、単に大規模校から配置をしていくということでなくて、要するに、文部省でよく言われる教育混乱校、そういうようなところからという配慮も一つは必要だろう、そうつくづく思います。
 なお、今お答えを聞きながら、小学校で保健室登校は七・一、中学で二三・何%とか、こう言われましたね、高校が八・一。これを、今数字をお聞きをして、中学校では、簡単に言えば四校に一校は保健室登校の実態だ。ここをやはり国民の皆さん、父母の皆さん、我々教育に携わるすべての者が大きく注視をしていかなければならない問題だろう。そして、よく保健室が学校のオアシスだとか駆け込み寺だ、そんな言葉は一日も早くなくしたい、こう思うわけであります。そして、小中高、七・一、二三・何、八・一、その数字を聞いたときに、私は、自分が教育現場にいたときに、子供たちを、評価にかかわりますけれども、分配曲線などといって五段階に、一と五は七%、四が二四%、三の子供を三八%などと決めつける。すべて四に値する学力があったら全部四であってもよかったのに、そういう、ある面では罪を犯してきたのかな、そういう子供の評価をしてきてしまったのかな。これは教師自身が一個の教師として自分が悪いと反省すれば済むということではなくて、日本の教育行政のあり方も問われている問題だろう、だからこそ新しい学力観などという言葉を使って個性尊重の教育をという大きな国の政策も出てきた、こう理解をするわけであります。
 重ねて申し上げたいのは、医者の診断書と教育にまつわる教育情報は、単に機械的に情報公開の原則にのっとって開示をしていけばそれですべでのことが片がつき、また信頼関係も回復するなどということはだれも考えておらないと思うわけでありますが、何としても、時代の要請もありますし、いろいろな知る権利というものも保障していくという大きな時代の流れもあるわけですから、この問題については、今後文部省として慎重に、しかも大胆に検討をしていただきたいということを最後に申し上げ、文部大臣にその辺の決意について語っていただければありがたい、こう思います。
#145
○森山国務大臣 教育というものは基本的に信頼関係が大切であるということは、先生のお言葉からも、また私どもの考え方も共通の点であろうというふうに思います。いろいろな努力を重ねまして、信頼関係が確立され、子供たちがそれぞれに能力を伸ばし、特性を生かして、よい教育がきめ細かく行われていきますよう努力をしてまいりたいと存じます。ありがとうございました。
#146
○輿石委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。
#147
○渡辺委員長 鍛冶清君。
#148
○鍛冶委員 公明党・国民会議を代表いたしまして一般質問をさせていただきます。
 きょうは大蔵省からおいでをいただきました。大変ありがとうございます。実は、大蔵省に対する質問が若干長くなりますが、御容赦をいただきたい。
 実は、今回の予算委員会の第三分科会のときに、教育予算について質問をさせていただこうということで用意をしておりましたら、国会のああいう流れの中で、第三分科会、大幅に短縮されまして、大体期の古い者は遠慮してほしいというようなことで、残念ながらとうとう質問ができませんでした。その分をきょう時間をとらせていただいて質問させていただくということで来ていただきました。ふだんのときよりも長く席に着いていただいてお答えをいただくということになりますが、御容赦をいただきたい。最初にお願いをいたしておきます。
 まず、文教関係予算の充実ということでございますが、私が申し上げるまでもなく、我が国が創造的で活力のある文化国家として発展して、世界に貢献していくためには、教育というのは非常に重要な役割を果たしているわけです。特にまた、心豊かなたくましい国民の育成のためには、文教関係予算を格段に充実しなきゃならぬ。従来から我が党は、これはほかの省庁の予算と違って別枠にしてやるべきだということも申し上げてまいりました。
 しかし、平成五年度の主要経費別予算を見ましても、公共事業関係費が六・三%の伸びとなっているのに対しまして、文教及び科学技術振興費の伸び率は二・四%にとどまったというようなことでございまして、さらに、文部省予算というのは、もう私が申し上げるまでもなく、御承知のように人件費の割合が七七・二%、四分の三強を占めているわけで、残りの二二・七%が物件費、こういうことになっているわけですね。ですから、我が党の中でも、委員会をいろいろと各議員が交代しながら担当するわけですけれども、文教委員会に入ってまいりますと、文教予算を見て、これは何じゃということがよく出てくるんですね。ほとんど人件費だ。したがって、事業するにも何するにも、これだけ大切な文教・教育関係の予算が充実しなければならぬのに、こんなに少ないのかということをよく言われるわけです。それほどとにかく文教予算というものは必要経費が確保できにくいという状況が現実であろうと思います。
 そこで、ひとつお尋ねをするわけですけれども、五十七年度以来続いている一律マイナスシーリング制度をもう見直す時期に来ているのではないか。ぜひ見直して、文教予算については、場合によれば別枠にして考えるぐらいのひとつ確とした予算確保をお願いしたい、こういうふうに思うわけですが、財政当局のお考えをお尋ねいたしたいと思います。
 また、さらにもう一つ、平成五年度予算から生活・学術研究関係の新たなニーズに臨時、特別に対応するものとして、政府全体で一千百億円の生活・学術研究臨時特別措置枠が新たに設けられたわけでございますけれども、これは私は大変意義のあることであるというふうに思っております。そういう意味で、これをさらに充実、増額をする。本年だけでなくて来年、再来年どこの特別枠というものを確保して、むしろ増額をしながら、国のいろいろな発展のための基盤形成をするためにこれを使っていくという方向は考えられないのか、また考えていただきたい。
 また、この特別枠の各省庁への配分というのは、一律枠の配分というふうに私は闘いでいるわけですけれども、この基準も見直しをしていただいて、文部省関係省庁には重点配分をする、こういう方向でぜひとも行っていただきたいし、二十一世紀を考えましたときに、その二十一世紀を担う子供たちの教育を預かる大切な教育予算でもございますので、ぜひそういう形でお願いしたい、こう思いますが、以上二点についてお尋ねをいたします。
#149
○福田説明員 大変難しい御質問でございますが、先生申されましたシーリング、いわゆる概算要求基準につきましては、これは機械的、技術的な手法によりまして、各省庁の要求のいわば基準を示したものでございます。各省庁はその枠内で各施策の緊要性等を考慮いたしまして、優先度の選択を行う、優先度の高いものから要求を行っていただくということで、効率的な要求をこれまで行ってきていただいているところでございまして、私どもといたしましては、現下の厳しい財政事情のもとで、この概算要求基準は引き続き重要な役割を担うものと考えております。
 五年度の予算につきましては、今御指摘のように、生活・学術研究臨時特別措置が講じられましたことを踏まえまして、教育、研究基盤の整備充実を特に重点的に図ったところでございます。
 五年度の文教予算についで申し上げますと、教育の重要性にかんがみまして、各種施策の効率化、重点化に努める中で、第六次の教職員配置改善計画の策定であるとか科学研究費の充実など、高等教育、学術研究の整備充実、公立文教施設の整備等、真に緊要な文教施策の推進を図ることといたしまして、対前年度の一千七十億円増の五兆四千二百六十五億円、これは文部省の予算ベースでございますが、計上しているところございます。
 さっき申し上げました教育、研究基盤の整備充実につきましては、具体的には、例えば国公私立大学を通じる施策といたしましては、いわゆる科学研究費の補助金の拡充、前年度九十億円増、一三・九%の増でございますとか、育英奨学事業の貸与月額の引き上げでございますとか、大学院に係る貸与人員の増でございますとか、また独創的な学術研究の推進を担うすぐれた若手研究者を養成、確保するための特別研究員、フェローシップの採用人員の拡充、研究奨励金の引き上げ等々を図ることとしております。
 また、国立学校関係につきましては、施設設備の老朽化、狭隘化が特に著しい大学につきまして、教育、研究の実績等を勘案し、その施設等の整備改善を重点的、計画的に推進することとして、教育研究環境特別重点整備費二百億円といったものも計上させていただいております。
 以上申し上げましたように、五年度におきましては、高等教育、学術研究関係の予算の充実を特に重点的に図ることとしておりますが、先生御指摘の六年度予算で具体的にどのような概算要求基準を設けるかにつきましては、現時点で何らかのことを申し上げる状況にはまだないことをぜひ御理解賜りたいと思います。
#150
○鍛冶委員 いろいろ文教に配慮なさっておるということで、今お伺いはしたわけですけれども、やはり新しく制度をつくったり、いろいろな考え、試みをやるために新規に予算をつくりながら、文部省としてもいろいろ努力をされているようですし、それは私も承知はしているのですけれども、その反面、後からちょっとお尋ねもするようにしておりますが、私学助成なんかは減っていっているというようなこともあるのですね。だから、どこかでやはり無理をして、片一方減らしながら、片一方はふえたけれどもまた新規でどうしてもやらなければいかぬところというのはある。だから、これはもう取り組む。ところが、その反面にシーリングで抑えられていますから、別なところは削らざるを得ないとか、減らさなければしょうがないというような事情が、やりくりが非常にあるようです。
 そういったことを私たちは承知をしておりまして、そういう形で一国の教育というものをやるというのは、やはり考え方の基本がおかしいのではないかということで、あえて申し上げておるわけでございまして、これは私だけではなくて、各議員の皆さんがもう口をそろえて言っている問題でもございますし、また総理自身もそういうお考えを一時はっきりおっしゃったこともあるわけですから、ひとつそれを踏まえて、今後文教予算については格段に配慮していただきたい、この御要望を申し上げておきます。
 そこで、教育費負担についてお尋ねをしたいのです。
 私どもが地元に帰りましても、私自身も子育てという形での教育というものは一応は終わって、社会にみんな子供は出ましたけれども、自分自身の体験からいってみても、教育費というのは本当に大変なのですね。特に教育費の家計におけるパーセントというのは非常にふえてきておって、毎年毎年ふえてきておりまして、もう本当に各家庭にとりましては限界に来ておるというふうに言っていいのではないか。あるいは無理をして、そのために借金をして子供を大学にやるとか学校にやるというようなこともしばしば耳にするわけですね。
 総務庁の家計調査によりましたら、家計における消費支出に占める教育関係の割合というのは七・一%というふうに出ておりますけれども、これは平均のことですから、実際に子供を通わせている家庭の負担というのは、これはもうすごい負担になっておるのだというように思うのですね。皆さん方もお子さんをお持ちだと思いますので、痛切に感じていると思いますが、私も一時はもう、中学に上がる、高校に上がる、大学に上がると三人一緒のときがありまして、相当収入があっても、これはもうしびれ上がって、どうしたらいいのだというようなことで、家内と思案投げ首でやったことがあるのですが、私どものように税金から、皆さんから割いて、多少出しでいただいておる私どもでさえそうですから、普通の御家庭ですと、これはもう本当に大変だろうというふうに、私が申し上げるまでもございませんが、実感をいたしております。
 こういう状況を踏まえて、教育費負担の問題に対する大蔵省の基本的な考えというものをまずひとつお伺いをしておきたいと思います。
#151
○福田説明員 従来から政府といたしましては、お父様方、お母様方の教育費負担軽減の観点も踏まえまして、育英奨学事業でございますとか、今御指摘のございました私学助成等々、さまざまな措置を講じてきているというところでございます。
 平成五年度予算について申し上げますと、例えば育英奨学事業について見ますと、貸与月額の引き上げ、これは大学・大学院につきましては三千円、高校につきましては千円といった引き上げを行いますとともに、貸与人員の増、修士課程につきましては七百人、博士課程は五百人といった人員増を図ることとしているところでございます。
 今後とも文教予算の編成に当たりまして、私どもといたしましては、厳しい財政事情とともに父母の教育費負担軽減の観点も踏まえまして、適切に対処してまいる所存でございます。
#152
○鍛冶委員 大枠、お考えをお答えいただきました。
 今度は具体的に、二、三の敬育費の減ということにつながる問題についてちょっとお尋ねをいたします。
 まず、教育減税です。私どもはこれまで、現在の十万円から二十万円、十六歳から二十二歳の子供さんを持つ親に対する特定扶養控除ですね、これを引き上げるべきだというふうに主張してきたのですが、今回それを一部といいますか、半分ですかね、認めるというような形で、補正予算の中で五万円プラスということで引き上げがなされるというふうに伺っております。これは非常に配慮をしていただいたなと私は思いますが、これもひとつ我が党が申し上げているように、もう一息これは二十万という、十万を上乗せするというところまで、今回はそういうことで上がっているわけですが、近い将来にそういう考え方を持って教育減税もしていただきたいなということが一つございます。
 それからもう一つ、教育減税というものを考えるについて、出生率というものが低下を続けていますね。この一つの理由というのは、核家族化になったということもありましょうけれども、やはり子育ての費用の負担が大きいということがあるのですね。
 ある大学の先生が何か試算をされておりましたのを、ちょっと細かいことは私は忘れたのですが、一度読ませていただいたことがあるのですけれども、とにかく子供二人ですか、一人育てる分にはいいのかな。両親がずっと収入がある、それに見合って子育てをしていきますと、たしか二人になると、要するに一生を比べてみますと、六十何万円か赤字になるのですね、あれは。一人だとまあまあかっかっだけれども、二人になると、金収入と子供さんにかかる費用を一切合財入れ込んでいきますと、赤字になるという計算をなさっている先生がいらっしゃったのですよ。私は興味深く見たのです。
 そういう意味で、確かに子育てについてはお金がかかりますし、これは当然のことでありましょうけれども、費用が大き過ぎるために子供を産まないという家庭が今相当にある。これはもしそういうのが大きな原因になっているとすると、日本の将来を考えると、これは非常に厳しい状況が出てくるなというふうにも思うのですね。そういった対応という意味も含めて教育減税というものはやっていただきたいなというふうに思います。
 したがって、今申し上げた五万円の引き上げというものをしていただくようになったわけですけれども、さらに別途、特に就学前のお子さん、これは三歳から五歳までの幼稚園に通っている子供さんを持つ親をこの控除の対象に入れるという考え方も持っていただいていいのではないか、また持つべきではないか、こういうふうに私は思うのですが、この点についてお尋ねをいたします。
#153
○渡辺説明員 特定扶養控除につきまして二つ御質問をいただきました。
 まず第一点が、金額の話でございます。
 特定扶養控除の金額につきましては、先ほど先生からも御指摘ございますように、今般の総合的な経済対策の中におきまして、与野党間の不況対策に関する各党協議会での了解事項を踏まえまして、特定扶養控除を四十五万円から五十万円に五万円引き上げて、平成五年分以後の所得税から適用するということにさせていただいたわけでございます。
 これをさらに引き上げよというお話でございますが、所得税の控除の中にいろいろな控除がございます。この特定扶養控除の引き上げにつきましては、他の控除とのバランスが崩れるのではないかということで非常に問題がございましたが、与野党協議を踏まえまして、思い切って五万円引き上げたというものでございますので、さらに引き上げるという点につきましては、御容赦をいただきたいと存ずる次第でございます。
 それから、第二点目でございますが、特定扶養控除の対象となる児童の年齢をさらに拡充すべきではないかという御指摘がございました。
 特定扶養控除制度は、先生よく御存じのとおり、ライフサイクルから見まして、四十歳代の後半から五十歳代前半の方々、これらの方々は、働き盛りで収入は比較的多いものの種々の支出がかさんで生活にゆとりのない階層でございますので、こうしたいわば中堅層の方々の税負担の一層の軽減を図るという趣旨から、これらの方々の子女の年齢に着目いたしまして、十六歳から二十二歳までの扶養親族がある場合には、扶養控除を加算するということにしているものでございます。この制度の対象となります方は年齢が十六歳から二十二歳までの扶養親族を有する場合でございますが、その扶養親族が学校に行っておられるか否かにかかわらず適用される制度でございます。これは先ほど申し上げましたように、ライフサイクルから見まして、こうした年齢の扶養親族を有する中堅層の世代の税負担軽減を一層図るという趣旨のものでございまして、具体的に教育費だけに着目したものではございません。
 したがいまして、ライフサイクルから見まして一般的にこういう方々とは違った事情にある世代、例えばお説のような就学前の児童を持つような世代まで適用いたしますことは、この制度の趣旨から見て適当ではないというふうに考えております。
#154
○鍛冶委員 教育減税については一人一人に的確に減税というものがなりますので、これはひとつ先々将来にわたってしっかりお考えいただく中で御配慮をお願いしたいと御要望申し上げておきます。
 次に、先ほどちょっとお答えにも出ましたけれども、育英奨学事業の充実ということでお尋ねをしたいのです。これは私が改めて申し上げるような形になるかもわかりませんが、文部省の調査によりますと、大学生の学生生活費というものは国公私立大学で平均でいいますと、平成二年度で百六十四万円にも上っておる。昭和六十三年度の前回の調査に比べますと七・九%も上昇してきておるというデータが出ております。また、家庭の仕送り額については百三十一万円にもなる。家庭の年間収入に対する仕送りの額の割合も前回調査の一四・九%から一五・四%にも上昇しておる。学生本人にとっても家庭にとっても、これが大きな負担になってきているわけですね。
 それで、人材の育成ということは、これは必要不可欠でもございますし、特に日本は、これからは日本の国内だけではなくて世界というものに目を向けていかなければならない人材をどんどん育てなきゃならぬという状況のときでもございますから、教育費の負担軽減、それが人材育成を図るということにつながりますし、育英奨学事業の一層の充実が必要であるというふうに考えるわけですけれども、財政を担当される立場として、この点についての考えと、ひとつ充実を一層やっていただきたい。さらには、入学金等もこういった対象にして考えていくというような方向もぜひとっていただきたいと思うのでございますが、この点についてのお考えを伺いたいと思います。
#155
○福田説明員 育英奨学事業につきましては、昭和五十九年度に資金運用部資金借入金を原資といたします有利子の貸与制度の創設等の改善を行ったところでございまして、逐年事業の充実に努めてきているところでございます。具体的には、貸与月額につきましては、従来から学生の生活の実態、経済情勢等を総合的に勘案しながら改定してきたところでございまして、平成五年度予算におきましては、先生今御指摘の、大学・大学院の場合で、先ほど申し上げましたように三千円の貸与月額の増額を図ることとしているところでございます。また、貸与人員につきましても、大学院修士課程で七百人、博士課程で五百人、合計千二百人の増員を図ることとしております。
 入学金を対象といたしました貸与制度の創設についての御提言でございますが、今後の育英奨学制度につきましては、現在文部省におきまして学識経験者等による調査研究協力者会議を設け、時代の進展に対応した育英奨学制度のあり方について調査をいただいているところでございます。
 なお、高校や大学の入学金につきましては、現在国民金融公庫等により入学時や在学中にかかる費用を対象に教育ローンが実施されていると承知しております。また、今申し上げました入学金を対象とした貸与制度の創設につきましては、調査研究が行われているところでございますので、私どもといたしましては、いずれにしてもこういった御検討の結果を待ちたいと考えております。
 育英奨学事業につきましては、今後とも、厳しい財政事情、それから修学援助を必要とする学生の実態等を踏まえつつ、適切に対処してまいりたいと考えております。
#156
○鍛冶委員 ぜひひとつ前向きにお取り組みをいただきたい。お願いいたしておきます。
 次に、さっきもちょっと申し上げました私学助成の充実です。これはもう文句なしに私立学校振興助成法が制定されました前の昭和四十七年ごろの水準にまで今落ち込んでいるわけですね。これも私が申し上げるまでもありませんで、大学生の八割近くが私立大学に在学をしておりますし、また、私立大学の卒業生というものは、我が国の社会のあらゆるところで活躍をして、我が国にとって非常に重要な人材ともなって活躍しているわけです。そういう我が国が、世界への貢献、また我が国自体の発展といったことを考えたときに、こういう私学の重要性というものを再確認しながら、私学助成については、そのパーセントが落ちていくというようなことではなくて、本当に法に制定された、半分まで助成ができることを目指して、これは大蔵省においてひとつ力を入れていただきたいというふうに実は思うのです。
 特に、十八歳人口が減少期になっておりますから、今私立の学校というのはこれはもうとにかく生き残りをかけて大変な取り組みをやっているわけです。これは確かに自助努力というものがあるし、建学の精神に照らして私学がやらなきゃならぬことでもありましょうけれども、やはり経費というものは人材を養成するには随分かかるわけでございまして、その中でやはり国である程度援助をしていくという考え方に立たないと、私学がいい形で今後十八歳人口減少期に伸びていくことはできないんじゃないか。
 まあ一説には、悪いところはつぶれてもいいやと簡単に言う人がおりますけれども、つぶれたとしたら、学生が入っているわけですから、そういう人たちは一体どうするのかというようなことになりますと、私たちはやはりそれはできるだけ避けなければいかぬだろう、させてはいかぬというふうにも思います。そういう意見合いかもも私学助成というものはひとつ力を入れて重点的にやっていただきたい、こういうふうに思うのでございますが、財政当局のお考えをお伺いいたします。
#157
○福田説明員 私学助成につきましては、昭和五十六年に臨調第一次答申がございます。緊急提言でございましたが、私立大学等助成費については、「総額を前年度と同額以下に抑制する。」「運営あるいは経営に問題のある大学等に対する補助金の減額、不交付措置を強化する。」こういう緊急提言をいただいております。
 また、五十七年のいわゆる臨調の第三次答申、基本答申におきましても、「私学助成については、当面総額を抑制し、その配分に当たっては、」「適切な教育・研究プロジェクトについての助成を重視する等の改善を図る。」こういう答申をいただいております。
 また、五十八年には第五次答申、最終答申でございますが、私学に対する助成については、当分の間「総額を抑制する。」「一般補助について、教育研究条件の向上、経営努力等を考慮して、傾斜配分を強化する。」「特別補助の助成総額に占める割合を高める。」「補助金の不正受給等に対する制裁措置を強化する。」こういった御答申をいただいております。
 その後、五十九年、六十年、六十一年と、臨調から行革審と名前は変わりましたが、同様の趣旨の御答申をいただいているわけでございます。
 また、教育改革に関する臨時教育審議会の第三次答申におきましても、「私学助成の充実に当たっては、経常費補助を基本的に維持・充実しつつ、大学院の整備、外国人教員・留学生の受入れなど今後比重を加えるであろう分野に配慮し、また特色ある教育研究プロジェクトに対する補助の大幅な拡充を実現することが望まれる。」等々の答申をいただいているわけでございます。なお、私どもの財政制度審議会におきましても、同趣旨の答申をいただいております。私どもといたしましては、今申し上げましたような臨調、行革審答申、財政審の報告等を踏まえまして、私学助成の重点化、効率化に努めてきたところでございます。
 平成五年度予算におきましては、極めて厳しい財政事情のもとではございましたが、私立大学等経常費補助金につきましては対前年度五十四億円増、私立高等学校等経常費助成費補助金につきましては対前年度二十四億円増、私立大学・大学院等教育研究装置施設整備費補助金にあっては一億円増、私立大学研究設備整備費等補助金につきましては同じく一億円増を計上させていただくなど、私どもとしては精いっぱい意を用いたところでございます。今後とも私学助成につきましては、厳しい財政事情、先ほど申し上げました臨調、行革審答申等の御指摘、私学の果たしております役割等を総合的に勘案しつつ、適切に対処してまいりたい、かように考えております。
#158
○鍛冶委員 「適切な対処」が大変お答えで多いわけですが、ひとつ、適切に二重丸をつけていただいて、対応をお願いいたしたいと思います。
 教育に関することはそれで終わりまして、次に、大学の教育、研究条件の改善等についてお尋ねをしたいと思います。
 最初に、科学研究費補助金とか、研究者が非常に期待を持っておりますし、学術研究推進のためにはすぐれた、独創的、先駆的な学術研究を格段に発展させるということが必要でもございますので、今申し上げた科学研究費補助金の拡充とか将来の学術研究を担う若手研究者の養成、確保を目指した特別研究員制度の充実、それから教育、研究施設設備の改善、こういったものは最重点の課題と思っておるのですが、平成五年度でも相応な対応はしていただいておるようですけれども、これは長い将来を見て大変必要な、大切な部門であると思いますし、ぜひお取り組みをいただきたい。この点についてのお考えをお聞かせいただきたい。
 もう一つは、最近研究費の不足や教育、研究施設の老朽化によって、大学における教育、研究環境というものが非常に危機的な状況になっておると言ってもいいと思います。私も幾つか大学に行ってまいりました。東大も、行ってみるともう寂しい限りですよ、あれは。また、我が国の最高峰と言いますけれども、これはとんでもない。大阪大学とかその他いろいろ行ってまいりましたけれども、校舎そのものも、また研究施設も含めて、本当に老朽化が進んでおる。これについては、この悪化しているという実情は大蔵省も御認識はいただいて、取り組みはいただいておるようですけれども、私たち現場を見て、想像以上に悪いという状況がございました。それで、今後国立大学の教育、研究環境については一層抜本的な充実を図る必要がある、こういうふうに考えておるわけですが、これに対するひとつ大蔵省のお取り組み、お考えをお伺いいたしたいと思います。
#159
○福田説明員 何度も申し上げておりますけれども、我が国の財政を取り巻く状況は依然として非常に厳しいものがございます。ただ、学術研究の推進と、先生御指摘のように有為な人材養成の担い手でございます大学の研究、教育環境の改善充実は、将来にわたって我が国の繁栄を継続、発展させていく上で極めて重要な課題と認識しております。
 今御指摘のように、五年度予算におきましても、こういう認識に立ちまして、例えば科学研究費補助金につきましては九十億円、一三・九%の増であります。七百三十六億円ということで、思い切った増額とさせていただいております。その他特別研究員の増員、基幹的な教育、研究経費の増額等々、政策的に重要な施策については重点的に予算額の確保を図ったところでございます。
 今、国立大学の老朽化、狭隘化の御指摘がございました。実は私も、個人的な話で恐縮でございますが、幾つかの大学を拝見させていただきましてその実態をつぶさに見せていただいたわけでございます。四年度の補正予算におきましても、また今年度当初予算におきましても、それから、やや先走った言い方になるかもわかりませんが、今準備を進めております五年度の補正予算におきましてもそれなりの対応をさせていただきたいこういうふうに考えております。
 いずれにいたしましても、今後とも、ときどきの財政事情等を勘案しなければいけませんけれども、その中で最大限努力しでまいりたいと思います。
#160
○鍛冶委員 本当に今度は、補正等では御配慮いただいておるというようには伺っております。全国に散らばっているからやはりそれには年月かけるのはやむを得ないのかもわかりませんが、資金との関係もございましょうが、財政事情もございましょうけれども、なるべく短期間のうちに建てかえをするとか施設を充実するとかいう方向が一番望ましいのだろうと思います。そういう意味合いで、限られた財政とは思いますが、これも精力的にぜひひとつ御配慮をお願いいたしたいというふうに思います。
 それから、留学生の交流の件についてお尋ねをいたします。
 政府が十万人留学生受け入れということで計画を立てて今まで来ているわけですが、最近発表されました調査では、平成四年五月現在で、我が国の大学で学ぶ留学生が四万八千五百六十一人になったということで、当初予定数よりも非常に多くの留学生の方が来ているのかな、こういうふうにも思うのですが、しかし、最近二年間の伸び率というものは多少鈍化傾向にあるようです。見通しを立ててきちっとするためにも、留学生の増加に対応した対策だけではなくて、留学生の受け入れを促進するような奨学金や宿舎などの基盤整備、こういったものについてはさらに努力が必要じゃないか。
 留学生の人も何人か知っておりますけれども、生活とか大学に行く費用自体も大変な方がやはり多いです。国から派遣されたり国費を受けている方はいいのですけれども、そうでない方が多数いらっしゃるわけで、これは本当に大変なことだというふうにも思います。またさらに、私の実感として、諸外国を回ったときにつくづく思うのですけれども、最近は多少は変わってきたかもわかりませんが、優秀な留学生というのはどうしてもアメリカやヨーロッパあたり、イギリスとかに行っているわけですね。そして、そういう人たちが自国に帰ってきていろいろな、中枢で国を動かす、そういう立場にだんだんなっていくということなんです。日本には残念ながら大体、そう言うとしかられるかもわかりませんが、若干落ちる方が来られているというふうにも伺っております。そういうことを考えると、やはりこれは目先だけの問題ではございませんで、留学生という方をしっかりと受け入れ、しかもいろいろな形で日本の国で配慮し、本当に日本に来てよかった、勉強してよかったという、優秀な人材が来るように財政的にもこれは配慮をしていただきたいし、そうすることが日本が世界に役立つし、また友達をつくり、各国政府の中枢にそういう人たちが将来いい形で残っていきますと、我が国としてもまた非常にプラスになるというふうにも思うわけですね。
 そういう意味で、留学生関係の予算については、ODAの活用も含め、ひとつ抜本的な拡充が必要である、こういうふうに考えているわけですが、この点について財政当局の考え方をお伺いしたいと思います。
#161
○福田説明員 先生御指摘のように、過去五年間の対前年度の伸び率を見ますと、確かにここ一、二年、留学生の数の伸びの鈍化が見られます。ただ、内容を詳細に検討させていただきますと、六十三年から平成二年にかけて急激な伸びがあるわけでございますが、これは主に専修学校における受け入れ急増の影響であったと言えるのではないか、その増が落ちついて、いわばその以前の伸び率に戻っているのではないかと思われます。その背景といたしましては、いろいろ考えられるでしょうが、一つには、元年十二月十五日に公布され、それで二年の六月から施行されました出入国管理法改正法、これが原因ではないかと思います。すなわち、ビザの取得がそれ以降困難になるとの心理的な要因から法律施行前に駆け込み的に専修学校に入学した学生が過去多かったものが、法の施行に伴って落ちつきが見られてきたのじゃないか、こういうふうに考えられるわけでございます。
 いずれにいたしましても、留学生交流の促進が非常に重要だということは私ども認識しておりまして、その促進策として、一つには、今お話がございましたように、国費外国人留学生の計画的な整備、私費の外国人留学生への援助の充実、留学生宿舎の安定的確保等、留学生を受け入れる体制の整備充実を図っているところでございまして、五年度予算におきましても、奨学金制度の充実のために国費留学生の給与の改善等を行っております。
 一つ例を挙げて申し上げますと、国費留学生につきましては、総数で五百五十人の増、単価につきましては学部等、研究等について各一千円の増を行っております。また、私費留学生に対する奨学金でございますが、学習奨励費の拡充、これにつきましても人員増八百人、それから学部、大学院の学習奨励費の単価増一千円等々を行っているところでございます。また、宿舎の整備につきましても、国立大学等の留学生宿舎等の整備等を行っているところでございます。
 何度も申し上げて恐縮でございますが、厳しい財政事情のもとでございますけれども、今後ともこの留学生交流の促進には適切に対処してまいりたいと存じます。
#162
○鍛冶委員 大蔵省には最後ですが、文化予算の拡充、これは教育予算の中の一つではありますけれども、特にこの文化予算についてあえてお尋ねをしておきたいと思うのですね。
 文化行政も、文化庁発足して二十五周年のようですね。ちょうどそれを、二十五周年ということであったのだと思いますが、先日の毎日新聞の社説に「芸術振興に積極的な行動を」ということで出ておりました。ちょっと読ませていただきますと、
  わが国の文化行政を担ってきた文化庁が今年発足二十五周年を迎える。文化庁は一九六八年六月に文部省文化局と文化財保護委員会が統合して誕生した。この四半世紀、同庁が日本を文化国家に押し上げる牽引車としての役割を十分果たしてきたかとなると、残念ながら力不足だったと言わざるを得ない。
力不足であります。それから、
  発足時からの文化庁の予算をみると六八年度の五十億円から始まり、初めの十年余りは順調に増え続けた。しかし、八〇年度の四百億円をピークに、その後は歳出削減の影響を受けて減り続け三百六十億円台まで落ち込んだこともあった。
  最近六年間は増加傾向にあるが、文化庁予算が国の一般会計に占める割合はここ十年連続〇・〇七%台、過去最高でも〇・一%を超えたことがない。九三年度は五百二十九億円で前年度比八・七%の増。国の一般会計の伸びが〇・二%だから優遇されてはいるが、これでも文部省所管の五兆四千億円の一%にも満たない。
  国が芸術・文化を支えているヨーロッパ各国の文化関係予算が国の歳出に対し、フランス〇・八%、イタリア〇・七%、ドイツ〇・三%などと比べても、いかに日本の芸術・文化が軽視されているかがわかる。
軽視しているというのは、文部省、文化庁もそうでしょうが、大蔵省、財政を預かる当局としてこれは責任が大きいのじゃないかと私は思っておりますが、ふえてきたけれども五百億を超えたぐらいですね。これは大蔵省の皆さんはすぐ教科書の無償を有償にしろということをおっしゃるのですけれども、我々は反対していますが、あの教科書の無償化の費用はたしか四百何十億かかったですね。だから、前はその費用と一緒ぐらいのときがありましたよ、文化庁予算が。考えてみると、おかしな話ですね。一国の文化ですよ。しかも、政治の世界を含めて文化の薫り高い人間がもういなくなった、大変もうどうなんだという話があるわけでありまして、たったこれだけの予算で、一国の、しかも全世界に貢献を考えなきゃならぬ日本の立場で、こんな予算でいいのか。これは教育予算もさることながら、これから教育、文化というものを真剣に考えていかなきゃならぬときにこんな状況でいいのかという、私はむしろ非常に腹の底から憤りを感ずるぐらいの思いが実はするわけです。そういう意味で、ひとつこの実情を踏まえた上で、大蔵も思い切った意識革命をしていただいて、文化予算をせめて国の一般会計の〇・一%まではふやす、我が党はもう一%ぐらいに文化予算をすべきだと言ってはおるのですが、それはそうはいってもなかなかいかぬでしょうけれども、せめてそこまではふやす考えはないのか、お尋ねをいたしたいと思います。
#163
○福田説明員 先生御指摘のように、今日、芸術文化に対する国民の関心が高まっております。そういう状況を踏まえまして、政府といたしましても我が国の文化予算の充実に努力を払っているところでございます。
 特に、私が所管しております文化庁予算につきましては、厳しい財政事情下ではございましたが、平成五年度予算では対前年度八・七%増の五百三十八億九千七百万円を計上して、重点的に配したところでございます。ちなみに、一般歳出の伸び率は三・一%でございました。また、今申し上げました五年度の一般会計予算のほかに、芸術文化振興基金がございます。政府出資五百億円、民間拠出金約百億円、合計六百億円程度のものでございますが、芸術文化振興基金がございます。この運用益によりまして芸術文化の多彩な活動に幅広く助成することとしております。
 いずれにいたしましても、今後とも文化予算の充実につきましては引き続き努力を払ってまいりたいと考えております。
#164
○鍛冶委員 これはひとつ本気にお取り組みを願いたいと思います。芸術文化振興基金も、これは文部省にも後でお尋ねをしますけれども、これだけ利息が下がってきますと、もう使う金なんというのは目減りも甚だしいところだと思うのですね。そういうことで、当初はあれは三千億とか四千億を基金にするというようなかけ声が上がっていたのですけれども、これは大蔵省が反対なさったのか余剰金が出なかったのかわりませんけれども、今おっしゃったような金額におさまっちゃった。私たちは、これは、将来のために思い切って基金にはひとつ大蔵省で腹を据えて拠出するといった形を、国の予算から出していただきたいということを御要望申し上げて、大蔵省の皆さんには本当に長い時間ありがとうございました。ぜひひとつ教育予算、文化予算に対する御配慮を重ねて要望申し上げて、大蔵省の皆さんに対する質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。どうぞお引き取りいただいて結構でございます。
 それで、大臣には、また今の文化予算について、きょうはあと文化関係のことについてお尋ねをいたします。
 一つは、フランスとかイタリアというのは、これも毎日の社説に書いてありましたけれども、こういうふうにありました。
  文化財の継承・保存に比べ、音楽、演劇、映画、舞踏、美術など現代芸術の創造活動への支援は予算のうえで冷遇されている。
  昨年来日したドイツのケルン歌劇場総裁は「私たちの歌劇場の総予算の七〇%近くは公的助成で賄われている。国は文化を道路建設と同じように生活に欠かせないものとみていますから」と述べ、日本のオペラ関係者をうらやましがらせた。
これはちょっと大蔵省の人に帰ってもらうのは早かったかな。これは確かに、道路と文化と比べるというのもおかしなものですけれども、考え方としては私はすごいなと思うのですね。だから、これは本当に日本の将来を考えると、文化予算については大臣も、文化庁長官はいらっしゃらないけど次長がいらっしゃいますから、ひとつ大蔵省に突っ張って突っ張って突っ張り上げて予算を獲得してきて頑張る、こういう決意が必要だと思いますが、ひとつ大臣のお考えを、御決意のほどをお聞かせいただきたい。
#165
○森山国務大臣 我が文部省の予算の中で特に重点的な問題について御指摘をいただきまして、財政当局にも質問をしていただき、改めて認識をしてもらったのではないかと、御声援のほどありがたく心から感謝申し上げます。
 文部省の予算は、御指摘のとおり大変難しい問題がたくさんございますけれども、しかしまた一方において最近各方面の御理解も深まり、また広がってまいっておりますので、何とか精いっぱいの努力をいたしまして、御指摘のさまざまな問題点について、特に文化の問題について今後とも努力をしていきたいというふうに思います。
#166
○鍛冶委員 具体的な問題で二、三お尋ねをいたします。
 最初に、私的録音・録画問題でありますが、昨年の十二月の著作権法の一部改正によって制度的には対応が図られているわけですけれども、これの円滑な導入に向けて現在までの進捗状況、それから今後の取り組み方針、こういったものをまずお尋ねをいたしたいと思います。
#167
○佐藤(禎)政府委員 お話がございましたように、昨年の末に著作権法の一部を改正をしていただきまして、私的録音・録画の補償金制度が制度的に整ったわけでございますが、この法律の施行日については政令にゆだねられておりまして、先日政令を公布いたしまして、本年六月一日からこの改正法を実施するということを定めているわけでございます。そしてこの間、この制度につきまして円滑な実施に向け幾つかの準備を進めでございます。
 具体的に申しますと、まず録音について、権利者によって構成される団体といたしまして社団法人私的録音補償金管理協会というものが設立をされました。同協会を文化庁長官が権利者の権利を集中して行使をする指定管理団体として指定をいたしてございます。
 続きまして、録音にかかる補償金の額につきまして、同管理協会からの申請を受け、かつ著作権審議会の議を経まして文化庁長官が認可をいたしてございます。これは法案の御審議のときに御答弁申し上げましたように、機器については平成五年度、六年度は卸売価格の一%、七年度は二%、記録媒体は五年度、六年度は卸売価格の一%、七年度は三%、こういった予定どおりの価格で認可をしているわけでございます。
 また、補償金の支払いが課される機器、記録媒体につきまして、録音につき、いわゆるDAT,DCC,MDといったような予定をされた機器を指定をしているわけでございます。
 さらに、補償金のうち共通目的事業に支出すべき割合につきましては、著作権審議会の議を経まして、法律にゆだねられております一番高い額二割というふうに規定をいたしているわけでございます。
 このような制度の整備が進んでおるわけでございますけれども、同時にこれまでテレビ、ラジオ、新聞、雑誌等の媒体にこの制度の広報活動を進めでございます。私どももまた権利者の団体もそのような活動を引き続き強めてまいりたい、こういうふうに考えでございます。
 なお、録画につきましては、現状では民生用のディジタル機器がまだないということもございまして、関係者間において準備が進められている、こういう状況にあるわけでございます。
#168
○鍛冶委員 著作権の問題が出ましたので次にちょっとお尋ねしたいのですが、映画に関する実演家、監督、メーンスタッフの権利の見直しという意味で、映画の二次的利用に関する問題が今浮かび上がってきて論議もされていると伺っておりますけれども、確かにこの点はひとつ見直す必要があるのではないか。
 私のところも炭鉱鉱害というのがあるのですが、あそこは実は鉱害が最初に出て、そしてその補償を受けた。もうそれで補償は終わりましたから、後は補償金をもらう権利はないんです。ところが、長年たちましたら、そのおさまっておったと思った鉱害が二次鉱害ということでまた出てきているわけですね。そしてそれをどうするかということになりましたら、もう最初に補償金をもらっているから二次補償というのは考えられないということだったんですけれども、やはり皆さんの声が強くて、そしてまた確かに目に見える鉱害が出てきているものですから、これは再度当局も検討しまして、二次鉱害に対する対応というものもやられるようになってきたのです。
 ちょうどこの映画の二次利用というのも、似たようなところがあるような気が僕はするんです。ビデオが発達したりテレビが発達したりというのはこの著作権法ができたときにはなかったわけですから、今日のようなことは想定してなかったと思いますけれども、こうなってきて、あちこちで二次利用というものがされてみると、やはりその権利というものは見直しを真剣に考えてあげなければいけないのではないか、こういうふうに思っておりますが、この点についてお尋ねいたします。
#169
○佐藤(禎)政府委員 御指摘のように、現行制度におきましては、映画に出演を許諾いたしました場合には、実演家につきましては、その映画を二次的利用をする場合には、当然には法律上の権利が発生しないことになってございます。また、映画監督、撮影、美術等の映画の著作物の著作者については、映画の製作に参加したときは、法第二十九条によりまして映画の製作者に著作権が帰属をするということになるわけでございまして、現行制度上は御指摘どおり、実演家、映画監督等がその後の映画の二次的利用において利益の配分を受けようといたしますと、出演契約ないしは参加契約を結ぶ際にこの点について契約を結んで、権利、利益を確保することが必要でございます。このことはおおむね諸外国でも同じような状況にあるというふうに言われているわけでございます。
 しかしながら、ただいまは鉱害補償の例をとってお話がございましたように、映画の世界を眺めてみますと、近年の技術の発達によりましてビデオ、衛星放送あるいはCATV、こういったものが予想外に発達してまいりまして、当初考えられていなかった二次的利用の形態が生じているわけでございます。そして、なおかつ実演家においては、映画の二次的利用に関して契約がほとんど結ばれていないというような実態にもあるということもございます。したがって、関係者間でこのような権利の獲得を目指していろいろな御意見が出てきているということは事実でございます。
 こういった状況を受けまして、平成四年、昨年の三月に公表されました著作権審議会の第一小委員会の審議のまとめを踏まえましで、文化庁におきましては、映画の二次的利用に伴う実演家、映画監督等と映画製作者との関係のあり方の問題を検討するために、昨年の五月に調査研究協議会を発足させでございます。この協議会の中で、まずは関係者間において共通の理解を得ることが大切でございますので、これまで七回を数えでございますが、多くの関係の方々からヒアリングを行いまして、実態を把握し、さらには諸外国の法制等についても研究を進めるといったようなことで、関係者間の適切な関係というものが形成されるような努力を私どもとしても促してまいっているわけでございます。
#170
○鍛冶委員 その方はひとつ精力的にお進めいただきたいと思います。
 次に移りまして、第二国立劇場についてお尋ねをいたします。
 第二国立劇場、これは仮称ですが、欧米並みのすぐれた劇場機能、舞台設備と、開かれた運営形態を持つ現代舞台芸術センターとして、一日も早く完成してほしいと望んでおるわけですけれども、現在の建設の新捗状況、それから開かれた運営を行うための配慮をどういうふうになされておるのか、お尋ねをいたします。
#171
○佐藤(禎)政府委員 仮称第二国立劇場は、ただいまお話しをいただきましたように現代舞台芸術の公演、実演家等の研修、それから調査研究、こういったことを行うことを目的としまして、そのことにより、芸術文化の振興普及を図ろう、こういうことを目指しているわけでございます。
 御案内のとおり、この劇場につきましても、ハード面で申しますと、昨年の八月に建物の着工にかかってございます。現在のところ、予定どおり本格的な建設計画が着々と進んでおりまして、工期としては約四年半ということでございますので、平成九年の二月には完成をするのではないかということを期待いたしてございます。この面での取り組みにつきましては、私ども今後とも着実にこれを進めさしていただきたい、こういうふうに考えているわけでございます。
 一方、その運営でございますけれども、第二国立劇場設立準備協議会でかねて御提言をいただいております。これは芸術家等の総意による弾力的な運営によりまして活力ある現代舞台芸術の創造を確保する、それから民間等からの資金導入も容易にする、こういったことから、特殊法人日本芸術文化振興会、これは設置者でございますけれども、この振興会から財団法人にその管理運営を包括的に委託をするというふうに御建言をいただき、その提言を受けまして、先ほど財団法人第二国立劇場運営財団が設立をされたところでございます。
 今後、私ども文化庁とそれから設置者であります振興会、それから管理運営の委託を受けます財団、この三者の間で緊密な連携をとりながら、ソフト面についても詰めを行ってまいりたい、このように考えている次第でございます。
#172
○鍛冶委員 そういうふうに形としては今進んでいると思いますけれども、この第二国立劇場については、いろいろ言われているわけですね。特に大蔵省なんかは、毎日新聞の社説を見ていましても書いていますが、どうもハードはやるけれどもソフトはやらない、金を出さない、こういうことがもう通説になっているというようなことが出たりしているわけです。
 特に私も芸能関係の人に時々お会いしてお話を聞くことがあるのですが、将来期待はしているのだけれども、いよいよ建つ段階になってきて、ハード面でも予算が何か難しいような感じなので、十分なものができるのかどうか。早く言えば客席なんかも、当初は二千を超すものを言っていたのがいつの間にか千八百に縮まったり、大劇場の方ですか、これは一つの例ですが、そんな形で行っている。さらにまた、でき上がったときにソフト面で非常に心配になるし、やはりつまるところはお金ということになるのかもわかりませんけれども、非常に運営でも赤字、赤字でなっていくのではないか。しかし、これはやはりぜひやってほしい。その中で国の肩入れというものを本当に期待するというような声があるわけですね。
 これも毎日新聞の四月十九日付の朝刊の社説の中にこういうふうにありました。「文化庁の試算では開場時の年間経費は管理費約五十億円、公演費も約五十億円とみており、管理費は国費で賄うとしても、五十億円の公演費は入場料収入などで稼がねばならない。しかし、オペラなどの制作費がかさみ、入場料収入だけでは初年度から公演費の半分の約二十五億円は赤字として残ることが確実祖されている。」こういうふうにこの社説には出ているわけですね。
 また、なるほどそうかなと思うのは、最近またお話を聞きましたら、ことし、何かメトロポリタンオペラが日本に来るというふうに伺っているのですが、これが何かスペシャル席、これはどこでやるのかな、文化会館ですか、NHKホールでやるんでしょうか、スペシャルの席の費用が五万円という話なんですね。客席の数からいっても千八百、文化会館は二千二百、NHKホールが四千というふうに聞いておりますが、そうだとしますと、もし第二国立劇場ができて公演したときには、これはスペシャル席ですけれども、入場料もまずとてもとても五万円ということにはならないだろう、場合によったら倍近く取らなければいかぬというようなことになるのじゃないかな、そういう心配があるのですね。
 オペラを見に行きたいという好きな人が、私のところに来て話しておるときにやはりしみじみそれを言っておりました。そうなると、第二国立劇場を早くつくってもらいたいけれども、こういう状況から考えたら、果たしてこれはもうだれのための第二国立劇場なのかな、一般の国民の皆さん、庶民の皆さんが、やはり本当に好きな人が行けるということにはなりにくいのじゃないかな、こういったこともあわせて、期待と心配というものが第二国立劇場では渦巻いておるというような感覚で、私は実は感じております。
 そういういろいろなことを含めて、この毎日新聞の社説も読み上げましたけれども、こういったところが非常に心配になるわけですが、こういった点についで、どういうふうに対応をなさっていかれるおつもりなのか、お尋ねをいたしたいと思います。
#173
○佐藤(禎)政府委員 この第二国立劇場の運営等について、具体的にどういう経費がかかり、また、その負担をどうするかということについては、目下のところ鋭意検討中止しか申し上げようがございません。しかし、いずれにいたしましても、この第二国立劇場が現代芸術の振興普及を図るというような、この目的を十分に達成することができるようにすることが肝心だと思っております。先ほど御紹介をいたしました準備協議会の報告の中では、公的資金を含め、多元的な資金の導入を図るように、こういう御提言がなされておりまして、私ども、先ほどお話ございましたけれども、お話のようなことが通説であるとは考えておりません。この準備協議会の報告に即して、今後あらゆる知恵と工夫を総動員をしてまいりたい、こういうふうに考える次第でございます。
 なお、料金のことについてお触れになったわけでございますけれども、この第二国立劇場が我が国の現代舞台芸術の振興普及を図るということを設置目的としているということを考えますと、その料金の設定に当たっては、充実した公演を確保しながらも、なお国民ができるだけ鑑賞できる機会を多く持てるようにというような観点も大切にしなければならないというふうに考えているわけでございます。
 現在の国立劇場の中でも、例えば通常の定例公演のほかに、青少年等を対象にいたしまして比較的低料金の普及公演というようなことも行っております。こういった設定の例、その他多くの例を参考にしながら今後詰めを行わせていただきたい、このように考えております。
#174
○鍛冶委員 時間がなくなりましたので、第二国立劇場の件につきましては、まだいろいろお尋ねしたいこともありますがまたの機会に譲るといたしまして、最後に、外国人音楽家の来日の件でお尋ねをしたいと思います。
 外国人音楽家の来日というものが、私ども見ておりましても、非常にたくさん来ているな、まあいろいろ資料を見ても、年々増加をしてきているようにあります。日本人音楽家自体に対する影響というものはどういうふうにあるのかなというので、いい面もあるし、心配な面もあるわけですけれども、この点についてどういう受けとめ方をしておられるのか。また、国際交流の推進という観点からいきますと、日本人音楽家の公演を支援する施策を講じる必要があるのではないかというふうにも思うわけですが、この点についてひとつお尋ねをいたしたいと思います。
#175
○佐藤(禎)政府委員 私どもが手元に持っております資料は社団法人日本演奏連盟の調査でございますけれども、この調査によりますれば、近年来日をいたします外国人演奏家の演奏の回数の増加は確かに見られております。しかし、一方で日本人の演奏家の演奏回数も増加をいたしておりまして、トータルとしての比率を見てみますと、年によって変動はございますけれども、おおむね日本人が七割ないし八割、外国人が二割ないし三割というような格好で推移をいたしております。つまり、相対的に見ますと、外国人がふえるのは、日本人の分が減って外国人がふえるのではなくて、どちらもふえているというような状況にあるようでございます。本来、芸術活動は自由に行われて活発な創造活動に結びつくということが大切でございますので、内外の優れた芸術家が相互に交流し合うということも大切なことではないかと私どもなりには考えているわけでございます。
 しかし一方、文化庁におきましては、我が国の芸術文化の質的な向上を図り、国際的レベルの芸術家、芸術団体を育てますために、在外研修制度を充実するというようなことをいたしますほか、特別推進事業あるいは日米の舞台芸術の交流事業といったようなものを今後とも充実をしていきたい、このように考える次第でございます。
#176
○鍛冶委員 いよいよ時間が参りました。大臣、いろいろときょうお尋ねをいたしましたが、総括として、一言最後にお願いをいたします。
#177
○森山国務大臣 大変貴重な御意見を承らせていただきました。文部省あるいは文化について御造詣の深い先生からいろいろと御示唆をいただきまして、先生の御意見を参考にさせていただきながら、これから一層努力をしていきたいと思っております。ありがとうございました。
#178
○鍛冶委員 以上で質問を終わります。ありがとうございました。
#179
○渡辺委員長 次に、山原健二郎君。
#180
○山原委員 教科書検定、これはもういろいろ問題を持っています。予算委員会でも私は指摘したのですが、例えば米の問題。国会の決議は全会一致で三回行われていますが、これは米の自給率を高めて、そして自由化には反対というのが国会の決議なんです。国是とも言われるほど決議がなされているのですが、この記述が変わりましたね。教科書で変わりました。この教科書の変わり方というのは、米の自由化を容認する思想で書かれています。
 それから、もう一つ申し上げたいのですが、例えば中学公民の中に、今国会で論議の真っ最中であります選挙区制度につきまして、中選挙区制はお金がかかり、そして政権交代がない。これはいまだ国会でも決議していない、現に行われているのは中選挙区制ですね。今論議は真っ最中でありますけれども、まだ確定したものではないにもかかわらず、早くも、言うならば政権党の一部の考え方を教科書の中に記述するというようなことが行われておりまして、教科書検定問題は非常に重大な問題。これは宗像誠也さんがかつて、日本の教育をゆがめるものに三つある、一つは教科書検定、一つは勤評、一つは学テだ、こう言ったことがありますけれども、大分前のことでありますが、しかし私はこの言葉をやはり一つの至言として聞くべきだと思っております。
 きょう吉田正雄議員が時間をかけまして、しかも綿密に資料に基づいて質問をされました。これは「豊かさとは何か」という暉峻淑子先生の教科書の変更の問題でございますが、重複をなるべく避けたいのですけれども、そうもいきません。時間も少ないのではしょりながら質問をいたしたいと思います。
 この引用部分が、重要な事実関係において誤りがあると見られる、また、生活保護行政について一面的記述があり、教材として不適切、こういう検定意見が断定的につけられまして変わるわけですが、その当時、文部省としては、これは国会の議事録という公式な資料に照らして検定意見をつけたまでのことだ、こういうふうに言いまして、きょうの吉田委員の質問に対してもそれをお認めになりました。
 その答弁というのは何かといいますと、一九八八年の十一月五日の税制問題等に関する調査特別委員会における我が党の議員でありました工藤発議員に対する厚生省社会局長の答弁でありました。これもきょうお認めになりましたから、これは質問をいたしません。ただ、文部省がこの答弁を根拠に検定意見を付したとするならば、これは重大な問題をはらんでおると言わなければなりません。それは、政府答弁を根拠に検定意見を付すというやり方が通用することになりますと、政府答弁がもとで検定意見の押しつけが可能となりましで、教科書が政府の意見を一方的に押しつける政府広報誌となりかねないという問題であります。また、誤った答弁も正式見解となり、真理、真実のみに忠実でなければならない教科書に誤った見解を押しつけるという重大な問題が生まれてまいります。
 小林社会局長答弁とは、これもきょう出ましたから読み上げるだけにしますけれども、「東京都の監察医務院の死体検案書を読みますと、これは自殺ではなくて、直接の死因は冠状動脈硬化症による病死というふうに推定されております。」「確かに遺書も四通残されておりました。」「あと三通ございましで、」「いずれも迷惑をかけたことへのおわびとお世話になったことに対する謝意ということに尽きておりまして、決しで福祉事務所に対する非難めいたものは一切ございませんでした。」というものでございます。検定意見をこの答弁に求めた以上、この小林答弁が正確であったのかどうか。これはどのように検討されましたか。まずお伺いしておきます。
#181
○野崎政府委員 これは先ほども答弁させでいただいたわけでございますけれども、私どもとしては、当時入手し得る資料ということで、国会におきます、公の場におきまして政府委員が答弁を行ったということで、それを信頼することができる資料ということで考えたわけでございます。
 今先生、国会での答弁がすべて教科書検定をする際の考え方のもとになってしまうのではないか、こういうことでございますが、今回のこの問題につきましては事実関係がどうであったか、こういうことなわけでございまして、その事実関係につきまして、国会という公の場で政府委員が答弁を行った、そういうものを信頼することができる資料ということで考えた次第でございます。
#182
○山原委員 要するに、局長答弁だけですよね、判断、断定の基準は。
#183
○野崎政府委員 政府委員が答弁を行ったわけでございますが、その答弁につきましては、責任ある当局でございます東京都の監察医務院の死体検案書に基づくもの、このように承知をしているわけでございまして、そういう意味で信頼することのできる資料、このように考えているところでございます。
#184
○山原委員 これは憲法第二十五条、国民はひとしく健康で文化的な最低生活を送る権利があるという問題、あるいは生活保護法の精神、それが侵害されようとすることに対して、事実に基づいてその精神に向かっていこうとする国民の願望、あるいは事実に基づいた記述ということが問題になるわけでして、暉峻先生の場合は、それを綿密に調査されて記述をしているわけでしょう。ところが、国会における一局長の答弁そのものがすべてだという、これが誤りであるとかあるいは不適切であるとかいう断定を下すならば、その局長の背後にある事実関係をなぜ明らかにしなかったかということですね。そこまでやらなければ、真理、真実を求める教科書の検定としてはそれこそ極めて不適切、その点どうお考えですか。
#185
○野崎政府委員 私どもとしては、事実関係について捜査をしたり、そういうことができないわけでございまして、一般に利用することが可能な資料に基づいてこれを行うということでございまして、今回、公的な資料で、通常の方法で入手し得るものをもとに行ったということでございます。
#186
○山原委員 公的な資料というのは局長答弁ですよね。その局長答弁には、東京都からもらった報告その他があるかもしれぬけれども、要するに、局長答弁が公的な資料とあなたはおっしゃっでおられるんじゃないですか。
#187
○野崎政府委員 先ほどから答弁を行っているように、政府委員が答弁を行った、その答弁が東京都のこの監察医務院の死体検案書に基づくもの、こういうことで申し上げでいるわけでございます。
#188
○山原委員 東京都の場合は、これは監察仄聞ですよ。問題は、小林局長の答弁がこの判定、断定の基準になっている、それだけじゃないですか。
#189
○野崎政府委員 今までお答えしたとおりでございます。
#190
○山原委員 この答弁では、確かに遺書も四通残されていたというふうに答弁しでおられます。遺書とは死に臨んで書くものでありますから、遺書が四通あったということは、よほど死を予測していたということではないでしょうか。遺書のうち、これは日本共産党の川口さんという区会議員に対する遺書以外に、これはもう恐らく御承知だと思いますけれども、本当に恨みつらみの文書が、お手紙が残されているわけですけれども、この遺書以外に非難めいたことがなかったと言うが、それら三通を文部省としてごらんになったのですか、確認されたのですか、これを聞いておきたい。
#191
○野崎政府委員 これは、先ほどから答弁を申し上げておりますとおり、これにつきましての事実関係がどうであったかということにつきましては、やはりそれぞれの担当の部局があるわけでございまして、今回の場合に、国会でも政府委員がこういう形で答弁をしているということで、私どもはそれを信頼することができる資料、こういうことで基礎に置いたわけでございまして、文部省が全部そういう事実関係を調べるということになりますとこれは大変な作業を要することで、事実上不可能なことでございますので、やはり責任ある当局においてどういう形でその事実を確認したか、そういうことが私どもの判断の資料になるもの、このように思っているわけでございます。
#192
○山原委員 そういうおっしゃり方をしますけれども、私はこの間、予算委員会の総括質問で宮澤首相に、あの十五年戦争は侵略戦争ではなかったですかと聞きますと、侵略戦争とは認めません、こうお答えになったんですよ。これは宮澤総理の、総理の言葉ですよ。ほんのこの間のことですね。この言葉が、国会における答弁、それがもし教科書の中に使われるとすると、これは国際的に大問題になるんですよ。前の侵略、侵攻の問題であれだけ大騒ぎになりましたね。だから、一つの教科書の正誤、あるいは誤り、不適切という判断をするためには、それだけの材料を集めるとか慎重な態度でやるとか、あるいは真理を探求するとかいうことが文部省に必要なんですよ。なぜなら、当時あれが大問題になったわけでしょう。御承知と思いますけれども、これは、資料を持ってくればよかったのですが、例えばアエラの場合は、これは自殺とちゃんと書いてありますよ。読売新聞も自殺ですよ。それから産経新聞、日本テレビ、すべてのマスコミがあの問題を取り上げているんですよ。しかも、きょう吉田議員がおっしゃったように、大半が自殺という状況が出ているわけです。そういう状況の中で、教科書に対して、それを緻密に検討されて出されたものを不適切、誤り、こうおっしゃるんだったら、それだけの根拠を持たずしてこれが教科書検定と言えますか、その点を伺っておきます。
#193
○野崎政府委員 繰り返しの答弁で申しわけないと思うわけでございますけれども、こういう事実関係の問題につきましては、やはり責任ある当局の方でどういう事実を把握したか、そういうことに基づいてやりませんと、少なくとも、あらゆる世の中の事実を証拠に基づいて私どもの方で調査をし切るということはできないわけでございますので、その辺のところは御了解をいただきたいと思います。
#194
○山原委員 遺書の中にはケースワーカーの方に出した遺書があるわけですが、これもお話しになりましたけれども、「福祉の○○さん、あなたのいわれた通り、死んでも構わないともうされた通り死を選びました。満足でしょう。女は女とうしいたわりが欲しかったのです。福祉は人をたすけるのですか。殺すのですか。忘れられませんでした。」これが謝意であり、非難めいたものはないと言えないでしょう。
 それから、このケースワーカーに対する遺書は、五年前の二月の予算委員会で我が党の正森議員が取り上げました。これも先ほどお話がありましたけれども、そのとき竹下首相、当時の首相ですが、竹下首相も正森議員に対して「きちんと承らしていただきました。」というふうに答弁しているのですよ。だから、あの当時のホットな中でその問題が指摘された、そして総理は、それに対して「きちんと承らしていただきました。」こういうふうに答えているのであって、文部省式な方式で言えばこれが確定ですよ、むしろ総理の発言が。しかも、一番ホットなときの、竹下総理の発言というのは承らしていただきますという、これがむしろ確定的な返事なんです。そうすると、当時のこの小林局長は、その後の国会における答弁はうそになるということさえ言い得るのです。だから、その辺はやはり正確にすべきだと思います。
 それからもう一つ、同じく小林局長は、死体検案書を見ると、これは自殺でなく、直接の死因は冠状動脈硬化症による病死と推定されていると答えているわけですが、文部省は、この死体検案書及び行政解剖の所見をごらんになったのでしょうか。一言でいいから、お答えください。
#195
○野崎政府委員 私どもの方でそういう死体検案書なりを見るというような、またそれを見せてもらうように請求するような権限というのはございません。
#196
○山原委員 それも見ないで、それをうのみにして断定を下すということは、それは軽率だけじゃ済まされない問題だと思います。死体検案書には死因不詳となっていたのではありませんか。厚生省にお伺いしたいのです。
#197
○佐々木説明員 私どもが東京都を通じまして死因につきまして事実調査をいたしましたところによりますと、死体検案書には、死亡の原因、直接の死因は冠状動脈硬化症ということでございます。
#198
○山原委員 これは、区議会における正式答弁と違いますね。区議会における答弁は死因不詳というふうに報告されています。その点は確認されましたか。
#199
○佐々木説明員 私どもの方で確認しておりますのは、死体を解剖した後の死体検案書でもって確認しております。
#200
○山原委員 その検案書と解剖所見を提出をしていただきたいのですが、いかがでしょうか。
#201
○佐々木説明員 死体検案書につきましては、いわゆる厚生省として文書の作成当事者でもございませんし、またもう一つ、プライバシーの問題がございますので、私どもの方でお出しすることはできないというふうに考えております。
#202
○山原委員 真実を究明するためにそれは努力していただきたいと思うのですが、プライベートということになりますと、単なる病死ならプライベートというような問題はそれほど大きな問題にはなりません。ただ問題は、自殺という問題があり得るという情勢ですから、あり得るよりもむしろその方が当時の客観的情勢としては正鵠を得ているという問題があるわけですから、プライベートという問題が出てくるのではないですか。
#203
○佐々木説明員 死体検案書につきましては、一般にいわゆる公開されるものでもございませんし、基本的には遺族等極めて限られた方々にお渡しするということになっているようでございますので、私どもの方でお出しするということはできないというふうに思います。
#204
○山原委員 時間が少ないものですから、小林答弁では直接の死因は冠状動脈硬化症、推定となっております。あくまでも推定であり、断定しているわけではないのですね。ここにもまた問題があるわけでして、先ほど吉田委員の方から法医診断学の自殺の定義というのが出されましたが、厚生省は専門家ですから、これをごらんになっても自殺の条件というのはもう十分おわかりのことと思います。しかもこの方は、その前にも自殺未遂をしておられる方なのです。それから、先ほど冷蔵庫の話が出ました。冷蔵庫の中には何もなかったというふうなことが出されているわけですが、食事をとらないとか緩慢的な自殺の道を選んでおった、そういう推測もなされるわけでございますし、また、死のまくら元に三味線ぱちと謡の本をそろえて、自分と一緒に葬ってほしい、そういう遺書があったわけですから、これはもう自殺と見ても全くおかしくない情勢ではなかろうかと思います。
 こうした事実も確かめないで、政府答弁を絶対視して検定意見を付すということは、私は、これはもう言語道断だと思わざるを得ません。また、保護行政について一面的記述があるといいますけれども、当時の荒川区の保護行政の冷酷さについては国会で再三取り上げており、私の党だけでもこれで四回取り上げておりまして、他のマスコミもしばしば取り上げている客観的事実があるわけでございます。こうした現実に目を向けて、教科書という教育に関する問題ですから、真理、真実はどこまでも追求していくという、判断を下し、あるいは断定をするならばそういう態度をやはりとられるべきだと思います。
 これは文部省に伺いますけれども、そういう意味で、私は検定意見をやはり撤回すべきだと思うのですが、その点について御答弁をいただきたいのです。
#205
○野崎政府委員 これは先ほど来お答えしていますように、事実関係あるいは一面的記述という二点につきまして、しかも事実関係についての必要な調査を行う、あるいは教科用図書検定調査審議会の議を経て、中学校用の教科書の記述として適切か否かという観点から考えたものでございまして、そういう観点からの検定意見を付したわけでございまして、検定において誤りがあった、このようには考えていないわけでございまして、訂正の必要もない、このように考えているわけでございます。
#206
○山原委員 時間がありませんが、けさから長時間にわたってやりとりが行われたのです。
 大臣にお伺いしたいのですけれども、やはり教科書検定という子供たちに与える一番重要な教育の資料でありますから、そういう意味では、真実を究明することに対しては文部省としてもやぶさかではないと私は思っているわけです。少なくとも、重要な事実に誤りがあるとかあるいは一面的記述で不適切であるとか、そういう断定は、教育、教科書検定の中立性の問題からいっても簡単にとるべき態度ではないと私は思っておりますので、この点について、大臣としてこの経過をどういうふうにお考えになるか伺っておきたいのです。
#207
○森山国務大臣 御指摘のとおり、教科書は小中高等学校におきます教科の主たる教材といたしまして大変重要な役割を果たすものでございます。したがいまして、全国的な教育水準の維持向上とか適正な教育内容の維持、また教育の中立性の確保などのためには、それにふさわしい適切な教科書であるということが極めて重要だと考えます。
 このため、教科書検定制度を設けまして、著作者の創意工夫を生かしながら、教科書記述が客観的かつ公正で適切な教育的配慮がなされたものとなるように厳正かつ公正に検定を実施してきているところでございまして、今後ともそのような方針で実施をしてまいりたいと考えております。
#208
○山原委員 この問題は、今国会法案が少なくて、時間的余裕がないとは言えないと思いますから、本当に真実を究明するという意味で、場合によっては委員会で特別に参考人を呼ぶとかあるいは何らかの手だてをとりまして、やはり真相を明らかにするという必要があると思うのです。
 これは、ぜひ委員長におかれましてもこの問題について御検討いただきたいと思いますので、よろしくお願いします。いかがでしょうか。
#209
○渡辺委員長 今御指摘で、いろいろ論議をされておりましたけれども、厳正に、しかも厳格に判断をしなければならぬ委員会でございますから、なお精力的に各会派の意見も尊重しながら善処してまいりたい、そう思っています。
#210
○山原委員 時間が余りありませんので、次に、学校現業職員の方たちの問題ですが、この学校現業職員のお仕事というのは非常に多岐にわたっていまして、校舎内外の清掃であるとか、花壇や植木の手入れ、あるいは施設設備の営繕、暖房、電気、水道などの設備の維持管理、外勤、あるいは学校の警備、寒冷地の冬季には除雪作業、それから農業高校などにおきましては作物の手入れ、あるいは家畜の世話、ビニールハウスの整備なんという随分たくさんの問題があります。大臣はこの方たちの業務実態についてよく認識しておられると思いますが、その点どうでしょうか。
#211
○森山国務大臣 私も、私の子供たちが学校に行っておりましたときのことを考えましても、また、最近各種の学校を実際に見せていただいていろいろ勉強しておりますが、そういう現場におきましても大変重要な役割を果たしておられるということを承知しております。
#212
○山原委員 この方たちの待遇が極めて劣悪な状態に置かれていまして、給与水準で見ますと、五十歳代で三十万円に満たない事例が珍しくありません。三十歳代とかおくれて採用されるケースも多くあります。そういう点もありますが、非常に低水準に置かれているのが実態でございます。この点についてやはり文部省としても、人事院に働きかけるなど努力をすべきではないかというのが一つです。これにお答えいただきたいと思います。
 それからもう一つは配置基準でございます。ちょっと確認したいのですが、これは三年前の基準ですけれども、全日制普通科、商業科、家庭科では六百七十五人、十五学級で四名、農業科などでは六百名に対して四人、こういうふうにずっと配置基準というのがあります。これはもう確認するまでもありませんね、そういうようになっております。そして、これを調べてみますとそれがだんだん低劣になってまいりまして、基準値に対する配置の数の比でいいますと、全国平均で四二%、最も低いところは、例えば岐阜県などの場合二七%、八割以上は大分の九八%と青森の八〇%の二県しかない。こうした実態がずっと続いておりまして、それがだんだん低下する状態にあるわけでございますが、これは何とか改善をできないのか。極端な配置削減の状態は改善せよという声が非常に強いわけでございます。
 それから三つ目は、必要な財政措置をとっているわけでございますが、この現業職員配置のための予算確保を各地方公共団体に対して指導すべきではないかという声が非常に高いわけです。現に、教材費が義務教育国庫負担制度から外されまして一般財源化されたときに、文部省は各都道府県教育委員会にあてて教材費の確保に努めることを要請する通知を出しております。通知の二項目で、「各地方公共団体においては、学校教育における教材の重要性にかんがみ、従来と同様に各地域や学校の実態に応じて所要の教材費を確保し、教材の整備を進めるとともに、学校に備える教材の経費について保護者負担に転嫁することのないよう引き続き努力されたい」、こういうふうに述べておりまして、一般財源だからといって地方自治体任せにせず、適切な指導はすべきだという声がありますが、こういう意味で、学校現業職員の場合も、予算確保のためにそのような指導が文部省としてできないのかという意見があるわけでございますが、この三点についてお伺いします。
#213
○井上(孝)政府委員 お答え申し上げます。
 まず、学校用務員や警備員等の学校の現業職員につきましては、学校教育法の五十条の「技術職員その他必要な職員を置くことができる。」という規定に基づきまして、学校の設置者でございます地方公共団体の判断によりまして実情に応じて設置されているものでありまして、私どもとしては学校運営上重要な役割を果たしている職員であると考えているわけでございます。
 そこでまず第一点の、現業職員の給与改善について文部省としてどのように対応しているかというお尋ねでございますが、現業職員の給与につきましては、その職務の内容と責任において定められているところでございまして、国家公務員の場合には行政職俸給表目が適用されることとなっているところでございます。地方公務員の場合もこれに準じて適切に給与が定められているものと考えているところでございます。文部省といたしましては、現業職員の給与は地方公共団体の判断によりましてそれぞれの実態に応じて適切に措置されているものと考えておりまして、現時点におきましては、人事院に対して学校にかかわる現業職員の給与改善を特別に要望することは考えていないところでございます。
 次に、学校における現業職員の配置基準についてのお尋ねでございますが、地方交付税の単位費用の積算基礎におきまして高等学校の用務員、警備員などの現業職員は、標準的な規模であります普通科十五学級の学校で四人となっているわけでございまして、これらの配置基準と現実の配置数との格差があるのではないかというお尋ねでございます。その点につきましては、文部省としては、現業職員の配置につきましては、学校の設置者である地方公共団体において判断すべき事柄であると考えているわけでございますので、そういう点から、特段それについて指導するということは現在は考えていないところでございます。
 以上、お尋ねについてお答えしました。
#214
○山原委員 この学校現業職員は、学校運営に欠かせない存在であるというのは大臣もおっしゃいましたし、今局長もおっしゃったわけですが、学校教育法では「その他必要な職員を置くことができる。」という位置づけなんですね。やはり定数法に位置づけをしたとしましても、財源措置は必要でないという問題がありますから、ぜひそのことは検討していただきたいと思いますが、最後の質問で、お答えいただきたいのです。
#215
○井上(孝)政府委員 お答えいたします。
 標準法では、学校教育法等で学校において特別の事情がある場合を除き必ず置くこととされております基幹的職員につきまして、各都道府県に置くべき教職員定数の標準を定めているものであります。したがって、学校用務員のように必ず置くこととはされていない職種の職員につきましては、各都道府県における定数の標準を定める必要がないことから、標準法において定められていないものでございます。しかし、先ほども申し上げましたように、その配置基準等に基づきまして地方交付税によって財政措置は講じられているところでございまして、地方公共団体において学校の実態等に応じてその職員を適切に配置していただくことを私どもとしては期待しているところでございます。
#216
○山原委員 終わります。
#217
○渡辺委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時三十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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