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1992/12/07 第125回国会 参議院 参議院会議録情報 第125回国会 予算委員会 第4号
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1992/12/07 第125回国会 参議院

参議院会議録情報 第125回国会 予算委員会 第4号

#1
第125回国会 予算委員会 第4号
平成四年十二月七日(月曜日)
   午前十時五分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 十二月四日
    辞任         補欠選任
     穐山  篤君     北村 哲男君
     肥田美代子君     会田 長栄君
     吉田 之久君     長谷川 清君
     聴濤  弘君     上田耕一郎君
     吉川 春子君     高崎 裕子君
     磯村  修君     笹野 貞子君
     乾  晴美君     池田  治君
     青島 幸男君     下村  泰君
 十二月七日
    辞任         補欠選任
     喜岡  淳君     篠崎 年子君
     國弘 正雄君     清水 澄子君
     高崎 裕子君     吉川 春子君
     笹野 貞子君     磯村  修君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         遠藤  要君
    理 事
                井上  裕君
                石川  弘君
                上杉 光弘君
                柳川 覺治君
                角田 義一君
                村沢  牧君
                山本 正和君
                白浜 一良君
                寺崎 昭久君
    委 員
                井上 章平君
                石井 道子君
               大河原太一郎君
                北  修二君
                志村 哲良君
                下稲葉耕吉君
                須藤良太郎君
                野間  赳君
                野村 五男君
                服部三男雄君
                林田悠紀夫君
                星野 朋市君
                前田 勲男君
                松浦 孝治君
                会田 長栄君
                及川 一夫君
                北村 哲男君
                久保田真苗君
                小林  正君
                櫻井 規順君
                清水 澄子君
                篠崎 年子君
                種田  誠君
                堂本 暁子君
                三重野栄子君
                荒木 清寛君
                猪熊 重二君
                矢原 秀男君
                長谷川 清君
                上田耕一郎君
                吉川 春子君
                池田  治君
                磯村  修君
                下村  泰君
                武田邦太郎君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        宮下 忠安君
   証  人
                竹下  登君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○平成四年度一般会計補正予算(第l号)(内閣
 提出、衆議院送付)
○平成四年度特別会計補正予算(特第1号)(内
 閣提出、衆議院送付)
○平成四年度政府関係機関補正予算(機第1号)
 (内閣提出、衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(遠藤要君) ただいまから予算委員会を開会いたします。
 平成四年度一般会計補正予算、平成四年度特別会計補正予算、平成四年度政府関係機関補正予算、以上三案を一括して議題といたします。
 東京佐川問題について、証人の証言を求めることにいたします。
 まず、委員長から確認させていただきます。
 あなたは竹下登君御本人ですか。
#3
○証人(竹下登君) はい、竹下登であります。
#4
○委員長(遠藤要君) この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ御出席をいただきまことにありがとうございました。
 当委員会におきましては、目下平成四年度補正予算に関する審査を進めておりますが、本日は特に証人の方から東京佐川問題について御証言をいただくことになった次第でございます。
 証言を求めるに先立ち、証人に申し上げます。
 議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人には、証言を求める前に宣誓をしていただくことになっております。
 宣誓または証言を拒むことができるのは、次の場合に限られております。
 自己または自己の配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または自己とこれらの親族関係があった者及び自己の後見人、後見監督人または保佐人並びに自己を後見人、後見監督人または保佐人とする者が刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときは宣誓または証言を拒むことができます。また、医師、歯科医師、助産婦、看護婦、外国法事務弁護士を含む弁護士、弁理士、公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者が業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについて証言を求められたときも宣誓または証言を拒むことができますが、本人が承諾した場合はこの限りではありません。
 正当の理由がなくて証人が宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられます。
 また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。
 なお、今回の証人喚問についての当理事会の決定事項については、証人には既に文書をもってお知らせしたとおりでありますが、この際、その主要な点について申し上げておきます。
 まず第一点は、資料についてであります。
 証人は、既に通知したとおり、証言を行うに際し、あらかじめ当委員会に提出された資料を用いることは差し支えありませんが、委員長の許可が必要であります。
 その第二点は、証人のメモ、筆記が尋問の項目程度に限られていることであります。
 以上の点を十分御承知願います。
 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。
 全員御起立願います。
   〔総員起立〕
#5
○委員長(遠藤要君) 議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第五条の三の規定により、これより竹下登君の証言が終了するまで撮影は中止してください。
 竹下登君、宣誓書を朗読してください。
   〔証人は次のように宣誓を行った〕
   宣 誓 書
 良心に従って真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
              証人 竹下 登
#6
○委員長(遠藤要君) 全員御着席を願います。
 証人は、宣誓書に署名捺印してください。
   〔証人、宣誓書に署名捺印〕
#7
○委員長(遠藤要君) これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言なさるようお願いいたします。
 なお、尋問を受けているときは御着席のままで結構でございますが、お答えの際には起立して御発言を願います。
 また、委員の尋問時間が限られておりますので、答弁は要点を的確に簡潔にお願いいたします。
 この際、委員各位に申し上げます。
 本日は、法律に基づき申し合わせの時間内で証言を求めるものでございますから、不規則発言等により、議事の進行を妨げたり証人に対して不適切な言動が及ぶことのないよう特に御協力をお願い申し上げます。
 それでは、まず委員長から竹下証人にお尋ねいたします。
 まず最初に、委員長から申し上げます。
 御存じのとおり、私は経世会のメンバーの一人であります。実は、委員長であることが、公正公平な議会運営に疑念を持たれるのではないかと考え、自分の進退を理事の皆さん方に御相談申し上げました。しかし、皆さんからその必要はないとのお話で、この席を汚しております。お引き受けした以上、私は政治不信を払拭するため真相究明に渾身の努力を払う決意でございます。
 竹下証人の招致は、私が委員長一任を受け決めさせていただきました。証人喚問したのは、竹下証人が国会を通じお話を申し上げたいと申されておりましたので、衆参両院で証言していただくことが二院制の上からも、また証人が常に言われている議会の子の立場からも大事と考えて決定させていただいたことを申し上げ、証人は各委員の質問に御存じの事実を真摯にお述べください。
 昭和六十二年の自民党総裁選挙に出馬した際、右翼団体の日本皇民党がいわゆる褒め殺しの街頭宣伝活動を行ったことについて、皇民党のそのような活動に対し、当時、あなたはどのような心境でしたか。褒め殺しに相当の経費をかけ、行動を起こされた遠因、理由等に思い当たる節はございませんか。
 報道によると、皇民党攻撃に証人がおびえたなどといろいろと言われておりますが、おびえる理由があったのでしょうか。
 さらに、皇民党問題と自民党総裁選出や竹下政権誕生が関係あるやに取りざたされておりますが、当時の後藤田官房長官はそうしたことは考えられないと再三述べていますが、証人の見解はいかがですか。
#8
○証人(竹下登君) 証言をいたします。
 まず、私の当時の心境でございますが、率直に申しまして、街頭宣伝等で私を総裁にすべきだという街頭宣伝がありました。で、これがいかなる遠因があるだろうかということに全く関心がなかったわけではございませんけれども、言論の自由ということからいたしまして、それについて深くせんさくするという立場にはございませんでした。
 二番目の、何かおびえたことがなかったかという御尋問でございます。
 この点につきましては、私が仮に当時、何かおびえるようなことがあったとしたら、公党の総裁に立候補するだけの決意は恐らく持ち合わせなかっただろうと、このように思います。何もおびえるようなことはありませんでした。
 その次の、総裁選出、また首班指名といわゆる政治団体の街頭宣伝活動との関係でございますが、私はまず総裁公選規程に基づいて粛々と選挙の準備を行い、そして立候補をいたしました。したがって、この総裁選挙そのものと、ひいては本院でも首班に指名していただいた結果になるわけでございますが、それといわゆる一政治結社の街頭宣伝活動というものについては全く関係のないことであると、このように思っております。
#9
○委員長(遠藤要君) 東京佐川急便株式会社渡邊元社長から稲川会の石井前会長に皇民党の活動中止を依頼し、皇民党はあなたが田中角栄邸に総裁立候補のあいさつに行くことを示唆したと言われています。そして、あなたが田中邸を訪問した後に皇民党の活動もおさまりました。世上、田中邸訪問が皇民党行動中止の条件であったと言われていることに関し、創政会の議員もぜひ田中先生のところにあいさつに行ってほしいと勧めていたことを知っておりますが、証人もまた人の道として田中邸を訪問されたのではないかと思われます。
 さらに、六十二年十月五日の夜、渡邊氏から田中邸に行ってほしいと言われたとき、証人は心の中に葛藤があったと衆議院で証言されましたが、これはどのような気持ちを表現されたものですか。田中邸訪問の一連の経緯と真意を述べてください。
 皇民党の騒ぎをとめなければあなたは総裁になれないとの懸念をお持ちでしたか。皇民党に総裁選の選挙権があるわけではないので、総裁当選に何らの心配はなかったのではないか。また、当時の自民党の選挙情勢からも、創政会が推す竹下さんの当選間違いなしが大勢であったと判断しておりましたけれども、当時の証人の判断を述べてください。
#10
○証人(竹下登君) まず、田中邸訪問、そして葛藤という表現についてお答えを申し上げます。証言をいたします。
 この田中邸訪問というものは、今委員長からも申せられましたように、私自身、内閣官房長官としてお仕えしたのが田中角栄先生、幹事長としてあるいは大蔵大臣としてお仕えしたのが中曽根康弘先生、今現存していらっしゃる方、私がそういう立場で仕えた方はお二人でございますしたがって、私は少なくとも決意表明までにはごあいさつをすべきだということを考えておりました。多くの同志の皆さん方も、今委員長から申されたように、その意見に同感でございました。したがって、私は必ず田中先生を訪問し、ごあいさつすべきであるという心で、心の中に決しておりました。
 そして、私が葛藤という言葉を使いましたのは、十月六日、失礼、五日の夕刻、渡邊さんとお会いいたしましたとき、非常に丁寧なお話で私に、田中先生のところへごあいさつに、同郷のよしみもあったかもしれません、その中に街頭演説中止の条件ではないかという印象を持ったことも既に証言申し上げましたように事実でございます。
 葛藤ということは、字引で引いてみましたら、これはまさに相反する二つの意見が譲ることなく対立する状態と、こう書いてありますので、いささか文学的表現であったかなという反省もありますが、行くべきだ、行かなきゃならない、それをどういう日程に設定するかというまず第一義的なものにそれが条件ととられる誤解を生じやしないかなという付随したものが私の葛藤という言葉になったと、こういうことであります。したがって、葛藤という言葉は必ずしも文学的には適切でなかったというふうに思います。
 そして、懸念を持っておったかということにつきましては、最初お答えいたしましたとおり、もし私がこのような懸念というものがあれば総裁選
挙に厚かましく立候補するようなことはしなかったということの事実が懸念がなかったということになりはしないかと、このように思います。
#11
○委員長(遠藤要君) 重複するようでございますけれども、衆議院での証言とも関連して、浦田参議院議員の発言が取りざたされました。当時、田中派と創政会の中間にいた小沢辰男さんや長谷川信さん、お亡くなりになった、及び創政会の議員の方々から進言もあったと、証人自身御承知のとおり。ただいまの御発言にもございましたが、田中内閣の官房長官でもあったわけで、総裁選立候補のあいさつは人の道と考えて伺ったと思っていますが、改めてどうですか。
 その当時に田中さんを守る趣旨の文書がつくられていたとの浦田発言も、実は当時の情勢を的確に思い出してほしいという浦田氏の気持ちであのような発言になったのではないかなと思っています。証人はそういうふうにしてもろもろの人の田中さんに対するあいさつ、そういうような点がどうも今、世上、皇民党の、そして渡邊佐川元社長の、東京社長の丁寧なごあいさつがあったために竹下証人がお伺いしたんだというような印象を多分にとっておりますので、重ねてその点をいま一度お答え願いたいと思います。
#12
○証人(竹下登君) 今、御氏名を申されました浦田さん、また長谷川信さん、また衆議院議員である小沢辰男さん、この方々はかねてそのようなことを申しておられたことは事実でございます。それは十月五日よりはかなり前の段階であったかと思いますが、いや、私もそのような考えを持っておるから、適当な、一番適当な時期、私が考えておったのは、五日の日に決意表明をしましたのでその前にという気持ちがあったことは事実でございます。お二人の方にはごあいさつに伺う考えたということを申しておって、浦田さん、皆様方もそれを確信していただいておったというふうに私は思っております。
 ただ、衆議院でいきなりこれはあなたの筆跡かという文書の提示がございまして、私の字と違いますということを申し上げたことも事実でございますが、その背景にありましたのは、私があいさつに行くことが至当である、自分もそう思っておるという共通した認識がその底辺にあったではなかろうかと、これは推測をいたします。
#13
○委員長(遠藤要君) 衆議院における証人の証言に関して、六十二年十月二十九日の会合を十一月中旬と発言され、後日、思い違いということで修正されたように伺っていますが、御説明を願いたいと思います。
 また、この会合が偶然の出会いであったやの趣旨の証言でしたが、先日の新聞報道では、竹下事務所が予約し、費用も負担していたとのことでございますけれども、御説明を願いたいと思います。
#14
○証人(竹下登君) 十月二十九日というのは私のこの思い違いであったと、日にちそのものが。このようなことでございます。
 それはなぜならば、十月二十九日は私はそのとき、十月三十、自由民主党党大会前日と誤解をしておりました。したがって前日は、私が総裁に初めて就任するわけでございますから、まあ私なりに立派なあいさつもしなきゃならぬし、とてもそういう時間がないということを断定してしまったところに間違いがございました。しかし、正確に調べますと、党大会は三十一日でございますから、前日とは三十日でございます。二十九日にはさようしからば日程があるはずだと言って調べましたところ、確かに言われる料亭へ参っております。
 その当時は総裁にはなっておらぬわけですから総裁予定者になっておるわけでございますが、新聞紙上等では私の動静が書かれておりました。したがって、二十九日のいわば六時三十分から帰宅八時四十何分でございましたか、という日程がありましたので、そのときにその会合があり得る可能性があると思いますが、それを中旬であってどっちであったかということを確定するだけの自信がございませんでしたので、その可能性、その会合自身は認めたわけですから、可能性に対してはあるという前提のもとにこの訂正の表現をいたしました。
 五日の分につきましては、これは飛び込みだという表現をいたしました。確かに私の関係者が部屋を用意したといたしましても、事前に私の日程にはない、言ってみれば我々がよく言います飛び込み的という意味で申し上げたわけでございます。
#15
○委員長(遠藤要君) ありがとうございました。
 委員長からお尋ねすることは以上でございますけれども、証人に重ねてお願い申し上げたいと思います。
 各委員は政治に対する不信感を払拭するためにこの佐川問題に対して解明したいということでございますので、証人を責めるという気持ちではなく、事件解明ということの趣旨であるということを御理解願って、ひとつ証人として承知のことはすべて御証言をいただきたいということをお願い申し上げておきたいと思います。
 ありがとうございました。
 それでは、竹下証人に対し質疑のある方は順次御発言を願います。
#16
○井上裕君 自民党の井上裕です。
 本日は大変御苦労さまでございます。
 竹下元総理には、総理として在任中は誠実な実行の政治を目指して、外に向かっては世界に貢献する日本、内にあってはふるさと創生、行財政改革、特に現行消費税の創設等数々の実績を上げましたことは、これを評価いたすものであります。不幸にしてリクルート問題によりその政治責任をとられ引退されましたが、その当時党議決定した政治改革大綱は、今日我々が目指す政治浄化のための政治改革の基本憲章として大きな主張であり、意義を持っております。
 今回、東京佐川急便事件の真相を解明して政治に対する国民の信頼を回復するため、本院としても衆議院に引き続いて再度の喚問となったわけであります。この点御理解をいただきたいと思います。
 まず最初は、政治に対する国民の信頼確保、政治浄化の問題であります。
 世界が何百年に一回という激動の転換期にあり、また国内的にはバブルの崩壊によって景気が落ち込み、先行き明るさが感じられない、速やかに景気回復のてこ入れとしての補正予算を成立させねばならないという重大な時期に、東京佐川急便事件に関する証人喚問の問題で会期の多くが空費される事態は、国民の負託を受けた国会の使命に照らしてまことに遺憾であります。
 そこで、竹下元総理には今回の件を顧みて、政治に対する国民の信頼の確保、政治の浄化についていかなる所見をお持ちでありますか、お伺いをいたしたいと思います。
#17
○証人(竹下登君) 今申されたことはそれぞれ私もうなずけるものでございます。私自身は、私の側から見れば誤解であり風間であり憶測であるという点がもとよりないわけではございません。しかし、今それらが政治不信というものの大きな理由になっておるということを前提に置きますならば、まずは誤解を解き、そして真相を解明していく、その努力が私自身に課せられた使命であると、このように思います。
 二番目には、これは言論の自由とともに人権というものは民主主義社会において大切なことでありますので、それらの問題が守られるようにそうした風土、政治社会をつくっていくための努力を長期的にはしなきゃならぬ課題だと、このように問題意識を整理いたしております。
#18
○井上裕君 私は、去る十一月二十六日、衆議院予算委員会における竹下元総理に対する証人喚問の状況を現場でこの目でこの耳で傍聴いたしておりましたが、当日の質疑により大方事実関係の究明はかなり進んだものと受けとめております。すなわち、竹下内閣成立時において暴力団絡みの者が介在したということはない、当時は中曽根総理の厳正にして公正な指名により誕生したものであると思っているわけであります。
 竹下証人として衆議院の喚問における証言について何か意を尽くせぬものがあったかどうか、忌憚なくお述べをいただきたいと思います。
#19
○証人(竹下登君) 私は、その際も申し上げましたが、いわゆる世に言われる皇民党問題とそして私の総裁選任との問題については、何らかかわりのない問題であるということを繰り返し繰り返し申し上げて今日に至っております。
#20
○井上裕君 次に、先ほどの予算委員長の冒頭質問により、竹下元総理は衆議院予算委員会における発言を訂正いたしましたが、これに関連してお伺いをいたしたいと思います。
 報道によりますと、昭和六十二年十月五日の東京プリンスホテル及び同年十月二十九日の「吉兆」の予約及び代金支払いが竹下事務所によって行われているとのことでございますが、この点はっきりと明快な御説明をいただきたいと思いま
す。
#21
○証人(竹下登君) 先ほど申しましたように「吉兆」の日にち、失礼、東プリの日にちの十月五日、この日にち自身は訂正いたしておりません。「吉兆」における十月二十九日、この問題は訂正をいた促しております。申し上げたとおりでございます。私の党大会の日取りを間違えた大きなこれはミスでございます。
 そしてこの予約、代金支払い、私は常日ごろ、会費制度の場合は別としまして、飲み食いに関するものは可能な限り支払うようにということを事務所にも申しております。したがって、そういうことはあり得ることでございます。
 また、予約につきましては、五日の日のにつきましては、それは十分可能性は私はあると思います。パーティーの席上、次の会場をすぐ予約したらと、これはあり得ると思います。
 そして、二十九日につきましては、私が定例の後援会のお方にお礼を申し上げるという状態の会合でありまして、その下で金丸さんと渡邊さんが飯を食っておられるのでおりてきたらどうだということでございますから、当然このことも私はあり得ることであろうと。しかし、何分五年前の話でございますので、そういう証拠書類が残っておりませんので、それを断定的で、断定して、また再び修正願を出すなんというのは、これは体裁の悪いことでもございますので、したがって断定こそいたしておりませんが、そういう可能性のある旨と、それから二十九日はないということは間違っておったということは訂正願を出して、今委員長の手元にあると、このようなことでございます。
#22
○井上裕君 次に、検察庁が取り調べた渡邊氏の検事調書に関連してお伺いをいたしたいと思います。
 渡邊調書によれば、金丸前副総裁が渡邊氏に対して、心配事がある、皇民党に激しく褒め殺しをやられると中曽根さんによる竹下指名がなくなるかもしれないと言ったということになっているようです。そして、これが発展して、昭和六十二年十月六日の竹下元総理の田中邸訪問ということになっている。マスコミ等はこの渡邊供述を重要視したりしておりますが、この渡邊供述について私が大変疑問に思いますのは、昭和六十二年十月一日から五日ごろの当時は、総裁予備選になるか、あるいはまた本選挙になるかはともかく、総裁選出は選挙で決することになる、こういう状況のころであって、中曽根総裁による後継者指名の状況が出るのはもっと後の十月十八日ごろであったと思うからであります。十月五日ごろに総裁指名で後継者決定という状況ではなかったのです。したがって、金丸先生が皇民党の行動によって中曽根総裁による竹下指名がなくなることを非常に心配したという渡邊供述には疑問が残ると思います。
 そこで、念のため竹下元総理にお伺いいたしますが、昭和六十二年十月一日から五日ごろまでの状況は、予備選か本選挙かはともかく、総裁選出は選挙によって決するという状況にあって、中曽根総裁の指名による後継総裁選出という状況にはなかったと私は思いますが、いかがでしょうか。
#23
○証人(竹下登君) 自由民主党の総裁公選規程に基づきまして、私ども三人が立候補し、そして締め切られたのは十月八日の日でありますしたがって、十月八日の締め切りによって予備選挙がなくなり、そして国会議員による選挙が行われるという状態が確定をいたしました。
 指名をいただこうということにいたしましたのは、たしかその後三者会談等をたびたび行いました。また、当時の政調会長であられました伊東正義さんを中心としてのいわば話し合い選出の議論が行われました。当時の総裁、中曽根康弘総裁に選考を一任しようと、選任を一任しようということがまとまったのは十九日でございますしたがって、二十日の午前零時何分でございますか、中曽根先生から、内外の諸改革、内政上の諸改革、国際国家としての充実した外交の展開、熟慮の上、私は指名するという文書をちょうだいをいたしましたので、おっしゃるとおり、その当時はまたいわゆる現総裁一任というような環境には全くございませんでした。
#24
○井上裕君 よくそこのところはわかりました。
 次にお伺いいたしますが、過日の金丸前副総裁の病院における証言では、後継総裁が中曽根総裁の指名によって決定される状況になったときでも、金丸前副総裁は「私は中曽根さんと以心伝心、私の勘で必ず竹下が総理大臣に指名されると
いう判断を私がしている」、こう言っておられ、また褒め殺しがとまるについて金丸前議員の尽力があったと思うかとの質問には、「全然ない。」と答えております。皇民党の行動と総裁選との関連について重要視しておられるようにも思えません。
 竹下元総理としても、そのような状況のもとでも総理大臣に必ず指名されるものとお考えで、昭和六十二年十月五日ごろの御心境としては、皇民党の行動に対してじっと我慢しておればよいと思っておられたのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
#25
○証人(竹下登君) もとより立候補いたしますときには、どなたも必勝の信念でお立ちになると。私も必勝の信念でおったと思います。
 五日という日は私が決意表明をいたした日でございますので、平素自分を高揚させないようにすることを常としておりますが、幾らか高揚しておったと思います。したがいまして、一層総裁に選ばれるであろうという確信を強くしながらおった時期ではなかったかというふうに思うわけでございます。
 ただ、私自身、先ほど来申しますように、本当に私自身に困るようなことがあれば私は総裁に立候補していなかったであろうし、総裁選挙に立候補していなかったであろうし、また、あの政治結社の街頭宣伝活動、多くの国民の皆さん方に騒音とかあるいは交通渋滞とか迷惑をかけました。中には追い越したための暴行傷害事件もございました。しかし、私はそのことと自由民主党総裁選挙というものとは全く無関係のものである、このことを何度でもこの席でも申させていただきたいという心境でいっぱいでございます。
#26
○井上裕君 さらに、過日の金丸前副総裁の証言によれば、昭和六十二年十月五日当時、褒め殺し対策に稲川会の石井氏が関与していることは金丸前副総裁は御存じなかったのであり、また、褒め殺し対策については、死んだ人間の名前を持ち出すのは非礼だと思うかと断りつつ、中尾宏氏と青木氏の氏名が出ておりますが、これについていかなる認識をしておられますか。
 また、したがって、国政万般についての最高責任者として内政、外交、いろいろな重要な問題に取り組んでおられた竹下元総理が、この褒め殺し対策に暴力団が関与していることを正確に承知されたのが昭和六十二年十二月以降であったというのも当然だろうと思っております。
 そこで、竹下元総理にお伺いいたしますが、昭和六十二年十月五日当時、青木秘書から褒め殺し対策のことについて何か聞かれたことがおありでしょうか。
#27
○証人(竹下登君) まず、金丸さんの証言で出てきた中尾さん、青木さん、この二人についてでご
ざいますが、青木氏は昭和三十三年以来五十一年まで私の公設秘書または官房長官秘書官二回、建設大臣秘書官、そしてその後は竹下事務所の責任者という立場にありましたので、私自身の人生観とでも申しますか、これはみずから体の中にもうしみ込んでおったと思います。
 したがって、私がかねて学生時代聞いた言葉でございますけれども、体制側にある者は言論の自由に対していかなる批判にもこれに耐えていかなければならない、そして、報道とはという後段の方は別にいたしまして、したがって、人様に迷惑をかけてはいけない、大概のことは自分で耐え忍べばよろしいという私の生きざまは彼にしみ込んでおったと思います。
 しかし、事務所の責任者でありましただけに、いろいろな、やかましくて困るとかあるいは暴行傷害事件があったとか、そういうことのアドバイスなり忠告なり受ける立場にあったことは事実でございますが、いわゆる街頭宣伝活動を中止させるための方法等について私に相談したことは一回もございません。相談する心境にもなかったのであろう、確かめることもできない今でございますが、私はそのように思います。
 中尾さんは元衆議院議員であります。私は、元議員の方がおいでになりますと可能な限り時間を割いてお会いすることに努めておりますしかし、中尾さんの場合は東京にお住まいでございますから、自分で意識して努める時間をつくらないでも容易に会い得る、会うことのできる立場にあられたと思いますが、この中尾さんといわゆる皇民党運動についてのかかわり合いというのは、私は全く存じていないところであります。
 それから、十二月二十三日という日が石井さんと金丸さんとお会いになった日だというふうに衆議院で言われておりますが、私はその当時は、二十三日は本院で名誉ある内閣総理大臣兼大蔵大臣竹下登君を問責するという決議をいただいた日でございまして、私はその当時の政治情勢からいたしまして詳しくそのような事情を聞くことはなかったと。したがって、その後知ったというのが正しかろうというふうに申し上げておるところでございます。
#28
○井上裕君 昭和六十三年十二月以降におきまして、竹下元総理は皇民党の褒め殺し活動解消について稲川会の石井前会長の介在があったことを承知されたと伺っておりますが、皇民党のこのような人権侵害行動に国家が無力であることは全く私はおかしいと、このように思います。たまたま今回の人権侵害の被害者が竹下元総理でありましたため世論の注目を浴びておられますが、これが無名の一市民であれば世論は注目しないでしょう。しかしながら、人権の重さにおいては、総理大臣であろうと政治家であろうと一市民であろうと同じ人権の重さであります。皇民党のあのような行動は、肉体的に対して有形力を行使する暴力ではありませんか。精神的暴力であり、人の社会的評価を失わせようとする声の暴力であることは間違いありません。
 今現在の立場において、人権侵害の被害者としての観点から竹下元総理の御意見をお伺いいたしたい。
#29
○証人(竹下登君) 人権についての御意見につきましては、全く思いをひとしくいたしております。
 ただ、被害者というお言葉がございましたが、私、当時を振り返ってみますと、確かに被害者は暴騒音にさいなまされた国民の皆さん方であり、交通渋滞をもたらされた国民の皆様方であり、私は褒められてばっかりおるわけでございますから被害者であるということが断定できるかなと、当時それなりに考えたことがございます。
 しかし、そのことが、ある人が竹下登という人間の品性をイメージダウンさせたとしたら被害者だと、こういうことしか言えないのかなと、こんな自問自答をしたことはございます。
 しかし私は、言論の自由とともに、やはりこの人権というものは民主主義のまさに根幹でございます。したがってこそ、この暴騒音の問題一つにいたしましても、それから一年たちました昭和六十三年の十二月でございます、本院議員立法で国会等周辺並びに在外公館等周辺の静穏、の暴騒音、いわゆる制限、規制する法律が出されたわけです。そして、いま一つは東京都条例でございます。初めて音の暴力という言葉が使って、これはことしてございます。そういうものはやっぱり国会で対応されてきておると思います。
 人権というものを大事にするために、そしていま一つは昨年六月のいわゆる暴対法の成立てございます。それまで、暴力団というものが歴史的に社会的に現存しておる、発生し現存しておる、しかしこれの定義というものも明確にはない。そこで、いわゆるその構成員が集団的にまたは直接的に暴力行為を行うことを助長するおそれのある団体、こういう定義ができたわけでございますが、その定義以前の問題として私は人権というもの、そして暴力というものは排除され人権が大切にされる一そこに初めて民主主義というものが成り立つものであるというふうな問題意識を持っておるものであります。
#30
○井上裕君 最後に、竹下元総理が暴力団と一切関係ないことは、これまでの至言をお聞きして明らかになりました。
 皇民党問題に対する暴力団の介在をたとえ後で知ったとしても、総現在任中に知ったことは重大であり、政治的な責任をとるべきなどの声があることは私たちも承知いたしております。しかし、去る四日のこの参議院予算委員会で、宮澤首相は検察の冒頭陳述を引用された上で、明確に竹下元総理の政治的責任はないと否定されました。また宮澤首相は、日本は法治国家なので気に食わないからやめさせてしまえとはいかない。最近の風潮に苦言を呈しておられます。
 この点について証人の所見をお聞かせいただき、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
#31
○証人(竹下登君) 私に対するただいまの御発言にもありましたように、言ってみれば政治は結果責任というものではないか、したがってあなたはその責任をとるべきだと、具体的な責任のとり方としては議員を辞職すべきだと、こういう報道等、御意見等は私もあることは十分承知しておるところでございます。
 しかし、私自身、今本当に責任はいかにしてとるべきかということを自問自答をいたしました。
まず、暴力団によって政権ができたと、このことは国内外、なかんずく国際的にもこの疑念をまず払拭することが必要だと思います。したがって、国会でもこのようにして真相究明なすっております。決して最初の委員長のお話にもありましたように、犯人捜しというようなお気持ちでないことは十分私も承知しております。だから、国会の真相解明の私も一助となり、そして私自身も誤解をなくし、そして真相究明というものに努力をして、そして日本の政治はそんな暴力団の介入によって政権ができるようなものではないということを世界に証明していくことが私に課せられた使命であると、このように考えております。
#32
○井上裕君 終わります。
#33
○委員長(遠藤要君) 井上君の尋問は終了いたしました。
 それでは、角田義一君。
#34
○角田義一君 社会党の角田義一でございます。
 先ほど証人が、問題になっております十月二十九日の日付の問題でございますけれども、証人の思い違いであったと、こういうふうにおっしゃいましたが、同じ証言の中で証人は、大変自分でよく調査をした結果この十月二十九日という日ではないというふうに言っておられるんでございますが、証人がそれだけ調査をした結果十月二十九日ではないというふうに否定をされておるわけでございますので、そうしますと、大変御無礼でございますけれども、その調査そのものがずさんであったというふうなことをお認めになるんでございましょうか。
#35
○証人(竹下登君) ずさんであったというよりも、私の大変な思い違いがその前の前提にあった
ので、これはもういかなる批判を受けてもごめんなさいと言うしかございません。
#36
○角田義一君 この会合は、先ほどから飛び込みだったというふうにまだ今日でもおっしゃっておるわけでございますが、事前に青木秘書の方から証人に対してこういう会合があるという連絡があってしかるべきだというふうに思うんでございますが、いかがでございますか。
#37
○証人(竹下登君) 今、飛び込みと申しましたのは、十月五日の分は非常に飛び込み的印象を受けておると。それで、今、角田先生おっしゃいました二十九日の分につきましては、私が定例のある会合の方々に対してお礼をしておりますしたがって、そのような日に金丸先生が飯を食われるということがわかれば、私に対して、私に下へおりてくださいと言ったのは青木君であったかどうかは記憶しておりませんが、飯を食っておられますから下にいらっしゃいと言われましたので参りましたという点については、十分可能性のあることだと。しかし、きょうはかくかくしかじかの会合がありますということは、私のこの今の段階の調査では書いたものがございません。
 総理大臣になってからの調査の日程は保管しております。それから大蔵大臣中もあります。幹事長のときだけが、どっちかといえば両方へ、私的事務所と幹事長室と両方へ分かれておりますので、比較的日程等は記憶しておる方でございますけれども、少なくとも二十九日は全く私の間違いであったということであります。そんな日にそんなことあるわけないじゃないかと、おれが総裁の演説原稿を書いておった日だというような前提で私が断定してしまったから、これは何と申されてもいかん弁解のしょうがない。それで、青木君からその前に、きょうこういう会合とこういう会合と二つありますよという話は聞いていないから、案内を受けて下へおりたということではなかろうかと。可能な限り記憶を呼び戻してお答えする努力はいたしますので、修正願いのことはいかようにもこれは弁解の余地はございません。
#38
○角田義一君 実はこの十月三十、失礼しました、二十九日には六時半から「吉兆」で財界人との懇談があるということは、もう既に竹下さんの一日という日程で新聞ではっきりわかっております。
 私がお尋ね申し上げたいのは、実はその渡邊さんあるいは金丸先生等々が証人を招いてお礼のごあいさつをするという、その会食の予定は事前に私はできておったんじゃないかというふうに思うんでございます。
 なぜかといいますと、財界人との懇談はこれは表に出して差し支えないことであろうと思いますが、やはりその金丸さん、それから渡邊さん、そして証人がお会いになるということは、やはり当時世間に出すのはやっぱりはばかったところがあるのじゃないかと。したがって、表向きの財界人との会談というものはセットされてあり、しかも今言った三者の会談というのはセットされておるけれども、それはたまたま表に出せないだけであって、やはり当初から青木さんがきちっとセットされたものではないかと。そこで、証人にちゃんとここに行ってほしいということが事前に私は御連絡があったというふうに感ぜざるを得ないんでございますけれども、いかがでございますか。
#39
○証人(竹下登君) 今の論理構成について、それがけしかるとかけしからぬとか申し上げる気持ちは全くございません。
 ただ、私の記憶では、飯食っていらっしゃいますから、下の部屋で、いらっしゃったら、いらっしゃってくださいとのことでございますというふうな伝言で、約一時間、四、五十分もおるわけでございますから、その席へおりていったと。その前に、きょうはこういう二つの会合があって趣旨はどうでこうでという考えも聞いたことはございませんし、それから渡邊さんも、の会合が外へ出るとか出ないとか、やっぱり立派な財界人という認識の上に立っておりますから、ちょっとその、そこまでは思い過ぎるほどの私に知能指数がなかったんじゃないかなと、こう思います。
#40
○角田義一君 証人はそうおっしゃいますけれども、私どもいろいろ承っておるところによりますと、この大変高い地位にある総理総裁の方は、やはり表向きお会いになる立場と、やはりそう表に出せないいろいろ寄り合いもある、会合もある。そういうときには同じ料理屋さんなら料理屋さんで二カ所同時に会合を設定をして、今私が申し上げたようなことをよくやるんだというふうに聞いておるんでございますけれども、そういう例は全くないんでございますか。
#41
○証人(竹下登君) 同じ、今先生おっしゃいますのは、同じ会でここではまあ他会派の人と会い、ここでも他会派の人と会うと、しかしその場合、違った、他会派じゃございません、違った用件の人と同時にしておって、同じ料理屋の中で二つの会合をこなすということはあり得ることでございます。
 しかし、ちょっと二十九日の会合はそういう趣旨とはちょっと違うんではないかなという感じがします。この会合に出ておること、この会合と関係はあるがまあお互いに余り知らない立場の方がよろしいとかいうような配慮をしたことは私も幾度か経験をしております。
#42
○角田義一君 先ほど証人は、十一月の半ばだったら日がとれたというようなことをおっしゃっておるわけでありますが、実は十一月半ばにはやはり大変重大な会合があったんではないかというふうに私ども疑問に思っておるんでございますが、十一月の中ごろ「やま彌」という料理屋さんで、金丸さん、そして証人の秘書の青木さん、そして東京佐川の渡邊さん、稲川会の石井さん、この四人の方が会食をされておるというようなことも承っておるんでございますけれども、そういう事実は証人は聞いておられませんでしょうか。
#43
○証人(竹下登君) 私が十月中旬と言っておりましたのは、たしか、十一月の十三日に「吉兆」へ行ったのはこれは総理大臣になってからでございますから、日程を見ましたからあり得ることかなというふうに申し上げたわけでございます。
 それから、「やま禰」というところで、「やま禰」というところ、まあ承知しておりますが、そこでお会いしたという事実はございません。石井さんというお方さんには本当に一回もお会いしたことございません。
#44
○角田義一君 青木秘書からその十一月の中ごろ、今私が申し上げましたような方々と会食をしだというような御報告は証人のところにございましたでしょうか。
#45
○証人(竹下登君) 全くございません。
#46
○角田義一君 私は、証人がその十一月の石井さんとの会合というものを気になさっておって、はしなくも十一月というお言葉が出たんじゃないかというふうに思うんでございますが、いかがでございますか。
#47
○証人(竹下登君) 確かに十一月の十三日に、十三日、またもし違っておるとまた訂正願を出さなきゃいけませんが、その中旬、そのときに「吉兆」に行ったという事実は私は確認の上であのような日にちを答弁したわけでございますから、今先生のおっしゃった架空の問題との関連性というのは私の頭では回ってこないことでございます。
#48
○角田義一君 じゃ、ちょっと別に話題を変えますが、金丸証人は一九八七年の九月末に、日商岩井ビル十九階の「クレールド赤坂」で、金丸、渡邊、青木、中尾の四者会談が開かれたと。その褒め殺し中止工作については、石井会長についての依頼については中尾前代議士とそれから故人になられました青木君との間で決まっておったのではないかと、こういう証言をなさっておるのであります。極めて重大な私は証言だというふうに受けとめておるわけでございますが、この四者の会合の模様について、当然私は証人の分身である青木伊平秘書から御報告があったというふうに理解するのが筋だと思うのでございますけれども、いかがでございますか。
#49
○証人(竹下登君) 昭和六十二年の九月下旬という、私もそれらの問題を知り得たのは実は最近の報道により、そういうことがあったのかな、記憶
を呼び戻してみようと思ったぐらいでございますから、少なくとも青木氏からその報告を聞いたことはございません。
#50
○角田義一君 証人の分身である青木伊平秘書は、この皇民党褒め殺しについて、私は当然分身として御心配になっていただろうと思うんでございます。この皇民党褒め殺しをやめさせるということのいろいろ工作といいましょうか、交渉といいましょうか、そういう衝にこの青木秘書は当たっておられたんじゃないでしょうか、いかがでございますか。
#51
○証人(竹下登君) 先ほど申し上げましたが、分身と申しましょうか、どっちが分身かは別といたしまして、長らく一緒におりました。今確認すべき手段もないことは残念でございますが、私は、青木君は、私がいわば体制側にある者は言論等についてはみずから耐え忍ぶことによって体制側の真価もあるという、私なりの哲学にございました。それを分身という言葉を使わしていただくならば、分身であるだけに承知しておったというふうに私は思います。また、そう信じたいと思っております。
 ただ、いろいろな、やめさせたらどうだとか、中には私がやらしていると思った人もおったわけだそうでございますから、何とかならぬかねとか、あるいは仮処分はできぬかねとか、いろんなアドバイスなり忠告なりを受ける立場におったとは思います。しかし、彼がこのことを、先生のお言葉をおかりしますならば工作とでも申しましょうか、そうしたことにタッチしておるというようなことは確認するすべもございませんが、私には信じられないことでございます。
#52
○角田義一君 私は、証人にお言葉を返すようでございますけれども、やはり証人が総裁になられるかどうかということは大変大きな問題でございますし、長いこと分身としてやってこられた青木さんのお立場にしてみれば、くどいようでございますけれども、やはり一番心配をなさっておったと思うのでございます。とすれば、証人にそういうことを全く報告もしないとかそういうことはあり得ないんじゃないか。世間様はそれじゃちょっとわからぬ、理解できないんじゃないかというふうに思うんでございますけれども、くどいようでございますが、いかがでございますか。
#53
○証人(竹下登君) これは、先生の重ねての尋問でございますが、私は、私の生きざまを知っておる彼はそういう工作等に頭を突っ込むようなことはないと信じております。これは、あるいはそういう疑念と私の信じておることとが平行いたしたといたしましても、私はそう信じてきております。
#54
○角田義一君 証人は大変気配り目配りのきくお方だというふうに承っておりますが、例えば証人はお立場上いろいろ同僚の議員さんなりに選挙の陣中見舞い等をお配りになるというようなことも私はあろうかと思いますが、そういうときには青木さんと一緒になりまして先様から簡単な名刺の裏にお名前を書いていただくというようなこともやっておられるような節も聞いておるのでございますが、そのくらい証人と一体になっているこの青木秘書が全くこの皇民党対策についてタッチしていない、それはどうしても信じられないんでございますけれども、もう一度重ねてお尋ねいたします。
#55
○証人(竹下登君) 今、陣中見舞い、名刺の裏のメモというような話もございましたが、実は政治資金規正法を私も存じないわけじゃございませんが、これはすべて青木氏に任じておったことは事実でございます。これは御案内のとおり、この報告までの間にいろいろ処理しなければならない問題がありますから、あるいは名刺等をちょうだいしたこともあるかもしれませんが、それは決してこの相手様に迷惑をかけるようなことはしていないだろうと思っておるわけでございます。
 そして、実は私は財布を持たないことにしております。それは青木君との、青木氏との話の中で、やっぱりあなたは志を立てたらもう財布も持って歩くなというような感じで今日まで、亡くなるまできておりましたので、これせっかくの先生の重ねての御尋問でございますけれども、私は青木氏を信じておるということを証言を続けていくと、これしか私には方法はないと、これはそれなりの御理解をいただきたいと思います。
#56
○角田義一君 じゃ、次の質問に入らせていただきますけれども、十月二日にいわば皇民党の街宣が実はぴたっとやんでおるのでございます。この客観的な事実でございますが、証人はこの皇民党の街頭宣伝がやんだと、なぜやんだかということについてどのように理解を、どのような認識を持っておられたでしょうか。
#57
○証人(竹下登君) その二日にぴたっとやんだという認識は実は私にはございません。とにかく全国十八都道府県でございますか、九カ月にわたっていろいろな文句が言ってきたことがございますけれども、少なくとも総裁選挙に正式に決意表明し立候補いたしました後は街頭宣伝活動はなかったと。他の問題は、拳銃、空薬きょうが送ってきたとかあるいは模擬爆弾が送ってきたとか、そういう事実は、これは別の問題としてありましたが、あれがとまった、いつを起点にとまったという強烈な印象は私はございません。当時なかったという印象はございます。なくなっておったという印象はございます。
#58
○角田義一君 ございません。
#59
○証人(竹下登君) ございます。
#60
○角田義一君 ございます。
 じゃ、なぜそれがとまったということについてお考えにならなかったんでございますか。
#61
○証人(竹下登君) この原因、結果については、当時考えるいとまは、精神的余裕はございませんでした。
#62
○角田義一君 証人、それは私どもちょっと解せないのでございますけれども、大変心配をなさっておった皇民党の街宣がとまったと、ありがたいことだと私は思います、あなたの立場に立ってみればですね。そのことについてせんさくする余裕がなかったというようなことで、果たして皆さん納得するのでございましょうか。いかがです。
#63
○証人(竹下登君) これはお互い選挙という経験もしてきておりますが、総裁選挙を戦っておるさなかでございますので、そのことをせんさくする余裕は私にはございませんでした。それだけ私がまあ能力がなかったということであるかもしれません。
#64
○角田義一君 時間の関係もありますからちょっとはしょりますけれども、先ほど証人が委員長の御質問に対しまして例の葛藤の問題について御証言がございましたが、ちょっと気になることが一つございますのでお尋ねしますけれども、何か誤解を与えてはならぬ云々というようなちょっと御証言がございました、葛藤の問題につきましてですわ。だれが何を誤解をされるということを証人は考えたんでございましょうか。
#65
○証人(竹下登君) それもワーディングの問題、言葉の問題でございますから、適切な言葉であったかどうか。要するに、葛藤という言葉を使いまして、ある人から葛藤という言葉を使ったねと言われたから字引引いてみたんです。そうすると、ちょっと適切でなかったかなあとまあ思いました、相反する二つの意見が譲ることなく存在する状況を葛藤というと書いてありましたから。
 したがって、遠藤委員長さんの尋問に答えて私なりに素直に申しました。行くべきだ、当然行くことだと、ただ日程の問題はあるにいたしましても。が、その心の中で表現すれば、条件としたら嫌だなあという気持ちがあって、またある第三者が、あいつは何か条件があって行ったんじゃないかと言われるというのを誤解というような言葉で先ほど使ったんじゃないかなと思いますが、適切な文言を今直ちに整理整とんして申し上げることはちょっと難しいような表現であったかと思います。
#66
○角田義一君 お世話になった田中さんのところに単純に純粋にごあいさつに行くというだけの問題であれば、私は、私は行くんだというふうにおっしゃっていただければそれでいいんじゃない
かと思うんでございますよ。それが葛藤があると、あるいは条件だということは、証人がみずからもう十月のその五日の晩にこのことが条件になっておる、要するに褒め殺しを中止するために行かなきゃならぬと、その条件になっているということを認識なさっているからこそそういうお言葉が出るんじゃないんでございますか。
#67
○証人(竹下登君) それは、重ねて申し上げるようでございますが、本当に丁寧な言葉でお話しになりましたから、事ほどさように、田中先生のところへごあいさつに行かれたらいかがでしょうかとか、その丁寧であればあるほど何かこれがあるのかなという幾らかの疑念を持ったという意味で素直に申し上げておるわけでございます。ああ条件だなと、条件なら嫌だとかいうような、というような割り切ったものでなかった。そこのところでも私がぐずだと言われれば、確かに明快に割り切ったという心境でなく、ではないかというある種の懸念を感じておったことは事実として申し上げたわけでございますから、したがって、しかし堂々と行きたいというのが本当の気持ちでございますから、だから葛藤というと少し、相反する二つの意見が譲ることなく存在する状態を葛藤というということとはちょっと違うなと思ったわけでございます。
#68
○角田義一君 証人ね、私お尋ねしますけれども、本当に純粋に田中邸に御訪問なさるというだけのことであれば、金丸さんあるいは小沢さん、そしてわざわざ渡邊さんお見えになって、そして証人も入れてそこで話をするなんということはないんじゃないでしょうか。やはり私、先ほどから証人が条件条件ということにこだわっておられるのは、まさに文字どおりそこでやはり皇民党の褒め殺し問題についてその条件云々が協議されたというふうに理解するのが私自然だと思いますけれども、いかがでございますか。
#69
○証人(竹下登君) これは金丸先生の証言も私読ませていただきましたが、金丸先生は余り関心をお持ちになっていなかったような感じもいたします。が、そこで皇民党対策をいかにするかというようなお話はしませんでした。ただ、時間が結構あるじゃないかと言われます点につきましては、私なりに思い出してみますと、やはり立候補声明したその日でございますから、自分を抑えることを常としておりますが、幾らか高揚してこんな話したというようなことを私は得々として言った愚かさが私にもあったんじゃないかなと、こんなに思っております。
#70
○角田義一君 渡邊廣康さんの証言を見ますと、この十月五日のくだりにつきましては皇民党に関係することなので証言を拒否する、こう言っておられるんです。まさにこれは語るに落ちるということで、まさにその十月五日に皇民党の問題が議題になったというように私どもは理解をするわけでございますが、証人はこの十月五日の会合で本当に皇民党の皇の字も出なかったというふうに断言するのでございますか。
#71
○証人(竹下登君) 私も渡邊さんの証言も読みました。ただ、角田さんのように専門的知識ないままに読んだわけでございますけれども、これは読みました。が、そもそも渡邊検事調書とかいうのが出てきたりすることは、私は報道によるいわゆる検事調書というものを私は読ましていただいておりますが、あの証言は確かに私は読ましていただきましたが、絶対に私はそこで皇民党問題というものが議題として中心課題で話されたというふうには思っておりません。
#72
○角田義一君 証人は、先ほど石井前会長がこの問題に介在されたのを承知したのは次の年の十二月の過ぎたときだというようなことを言っておりましたですけれども、どなたから具体的にどういうふうなお話を承って石井さんの介在を知るようになったんでございましょうか。
#73
○証人(竹下登君) これは金丸証言をこの間読ませていただいて、石井さんと会ったときの模様がお話しされておりましたが、あのような、あれと同じようなお話があっておりました。したがって、そのときに石井さんという人がおられたんだなということを私なりに察知することができたわけでございます。
#74
○角田義一君 ちょっと具体的にお答えいただきたいと思うんです。
 金丸さんから石井さんの問題をお聞きになったんでしょうか、それとも青木秘書からお聞きになったんでしょうか。どなたからそのことをお聞きになったんでございますか。
#75
○証人(竹下登君) 石井さんと会ったときの状態を金丸先生からお聞きしまして、そのとき私が察知したというのが正確ではないかと思います。
#76
○角田義一君 極めてこれは重大なことを金丸先生が証人にお伝えしたということになろうかと思います、そうしますと。そうしますと、証人は当時総理でおられたわけでございますから、この暴力団が介在したということについてどういうふうなお立場でこの調査をする、事実関係をきわめてみようと、こういうお立場はとられませんでしたか。どうでしょうか。
#77
○証人(竹下登君) 確かに私が今察知したというような表現で申しましたが、当時、昭和から平成という時代のさなかにありました。しかし、私は金丸先生には、ああそこまで、済まぬことだなという素朴なそんな感じでございました、あのお方の人生観も長い間に私も承知しておりますから。しかし、私は、具体的にそれがどうであったかというようなことは、最近の報道を聞きながら、なるほどなと思っております。しかし、そのとき、今、角田先生おっしゃいますように、それについては直ちに時の内閣総理大臣として調査を命じ、それを明らかにすべきだというところへ私の思いが至らなかったことは、これは事実でございます。それは私の不敏と申しましょうか、と言われても、そのときに直ちに調査を命ずるというような心境になかったということだけは、これは事実だから申し上げなきゃならぬと思います。
#78
○角田義一君 ちょっと同僚の北村委員から若干お尋ねをさせていただきます。
#79
○北村哲男君 北村でございます。
 先日の衆議院での証言において、証人は東京佐川急便から政治資金の提供はないという証言をされました。実際に本当にないんだろうかという疑問を感じるんですけれども、そこで、証人自身が東京佐川急便から政治資金の提供はなかったことはわかるとしましても、証人の周辺の方々、すなわち秘書あるいは家族、あるいは証人の政治団体、あるいは指定団体、あるいは後援会、これらの団体及び証人と一体として政治活動をしている方々も東京佐川急便から一切の政治資金の提供は受けていなかったのか、その点についてお伺いをしたいと思います。
#80
○証人(竹下登君) 先般、衆議院で御質問を受けましたのは、今、北村先生がおっしゃるとおり、東京佐川急便からという前提のお尋ねでございまして、ありませんと申しました。が、家族に何か盆暮れ来たかとか、そういうことについては、実はきょうその質問を予定しておりませんでしたので調べておりません。ただ、私なりにきょうまでに調べたかったのは、一つございますのは、私は全国に三千数百の一口月一万円の後援団体がございます。その中で七十二カ月間にわたって月一の一口をいただいておる会社が二つ、その県のいわば佐川関連の会社ではないかということを今調査しておるところでございます。
#81
○北村哲男君 その調査の結果はいずれこの当委員会に出していただくことはできるでしょうか。
#82
○証人(竹下登君) これは委員会で何か出せと言われれば、国会の子でございますからそれは当たり前だと思いますが、ただ、仮にもしお中元とかお歳暮の品物なんというのまで、これは違っておったから偽証だと言われるような状態でない形で御寛容をいただけたらと思っております。
#83
○北村哲男君 資料提出は別にしまして、今、受けた側、証人周辺の方々のことを言ったんですが、今度は出した側なんですが、衆議院の証言では、出した側は東京佐川急便だけに限って証言をされておりますけれども、東京佐川急便だけではなくて、渡邊廣康個人とか、あるいは親会社の佐
川急便、あるいは佐川清個人、あるいは傘下の佐川グループ関連企業から、細かいお中元とかそれは別にしまして、多くの政治資金あるいは個人的寄附、あるいは会費、目立つ会費ですね、あるいはパーティー券の購入、そういうものをそういうグループから証人の周辺の方々が受けたということはありませんか。
#84
○証人(竹下登君) 先ほど申しましたように、各県の佐川関連の運送会社二社から七十一カ月と七十二カ月とか、それはあると思います。きょう調べてまいりませんでした、何年何月から何日までと。その他のことについては、私はないと思っておりますが、先ほどお約束しましたように、調査しろということについては素直にそうしますと、こう答えておるわけでございます。
#85
○北村哲男君 私の手元に、産経新聞の十一月七日の新聞がございます。これは御存じと思いますけれども、「竹下元首相側に二億円」と。一回目は平成元年七月、二回目は平成二年六月という記載がございます。そして、そのコメントとしましても、青木文雄さんという秘書の方が現実に渡邊さんが何度か事務所に見えだということも認めておられますし、あるいはこの報道によりますと、渡違廣康さんが二回にわたってみずから運び、二回目は竹下元首相もそこに立ち会われたということまで詳細な報道がありますけれども、これについては事実かどうかということと、これがもし事実でないとするとかなり重大な問題だと思いますので、どういうふうにこれについて対処をされるのかという点について御証言をお願いしたいと思います。
#86
○証人(竹下登君) 事実ではないということをまず申し上げます。
 それから、重大な問題の中に、いわゆる新聞の誤報問題ということになりはしないか、あるいは名誉棄損の問題にもつながりはしないかという問題があろうかと思いますが、それをお書きになる前に、こういうことをどうも書いたようでございますといってうちの事務所へ連絡があったようでございますから、まあいつもあることでございますけれども、記事はこんなであっても訂正記事はこんなでございますし、私はそれについての対応はしていないということが事実でございます。
#87
○北村哲男君 別の質問に移りますが、証人は地元島根県の右翼団体尊皇塾仁義社というものを知っておられますでしょうか。あるいはそこの代表者の安藤三蔵という方を知っておられますでしょうか。
#88
○証人(竹下登君) 安藤三蔵さんは亡くなられた方でございますが、北方四島、特に島根県は竹島問題がございますので、それのキャンペーンをたびたびやっておられた団体であり、そしてその要望書を一日内閣のときか何かに、私から渡してもらえぬかというようなお話があったことを覚えております。
#89
○北村哲男君 もう一点ですが、その安藤さんの団体に対して竹下事務所から相当の援助がなされておった、あるいは会費、協賛金のようなものが出されておった、あるいはその安藤さんの一家に対して酒屋の免許を与えるとかという便宜を図られたとか、そういう親しい関係、あるいは逆に、安藤さんは竹下親衛隊と言われたぐらい竹下さんの立場をお守りになっておった右翼団体であるというふうなことを御存じでしょうか。
#90
○証人(竹下登君) 安藤さん、仁義社というのは、私は、右翼団体という言葉が適切であるかどうか別といたしまして、国家主義、民主主義を標榜する政治結社の一つであるという認識はあります。が、それに対して私が特別な援助をするとかいう立場にはなかったというふうに思います。
#91
○角田義一君 最後に、証人にお尋ねいたします。
 私は、率直に申し上げまして、今日、証人が国会議員をおやめになる、なってほしい、なるべきだというのは、やはり私は民の声だと思っております。民の声は天の声だということもございます。私は、やはり深く、この際証人がみずからの道義的、政治的責任を鮮明にするためにも議員をおやめになってしかるべきだというふうに思っておりますが、いかがでございますか。
#92
○証人(竹下登君) その一点だけがいわゆる先生と私の基本的に違うところでございます。私は、そのような誤解とかいわゆる憶測とかに基づいて今体系づけられている一つの論理が生きていくということが、これは国内外の信用を失うことであり、これを誤解を解き、真実を解明することによってみずからの責めを果たしたい。これは平行線であっても私はそう言い続けることしかないと、このように思います。
#93
○角田義一君 時間でございますから、終わります。
#94
○猪熊重二君 私は、一番初めに昭和六十二年十月五日の東京プリンスの会合についてお伺いします。
 この会合に関しては、金丸前議員が、竹下、小沢、死んだ青木、死んだ中尾、それと渡遷廣康という方がおられたと、こう言っておりますが、間違いありませんか。
#95
○証人(竹下登君) 私が、衆議院でお尋ねいただいて、金丸さん、小沢さん、それから渡違さんがいたねと言われましたから、そう申しました。
 それから、青木君がいたかというお尋ねでございますが、おったと思います。
 中尾さんにつきましては、実は私は、おられたかおられなかったかということが正確な今まだ記憶はございません。
#96
○猪熊重二君 先ほどの証言によると、この会合を竹下事務所が予約し、また代金も負担したということについて、五日の夕刊各紙に報道がありますが、はっきりしないというような御返事でしたが、これは今からでも調べてみればはっきりすることでしょうか。
#97
○証人(竹下登君) 公式なことを言うわけじゃございませんが、保存義務が政治資金団体の場合は三年でございますから、したがって、その証拠書類を正確に、猪熊先生こうですよと言ってお出しすることはお約束はしかねるということでございます。
#98
○猪熊重二君 ところで、このときに、この夜の会合で街宣中止の問題が出たか出ないかということについていろいろお話があるわけですが、証人は衆議院の予算委員会における証言で、私はそのお話の中でこの問題が街宣活動中止につながっておるんではないかという印象を持ったというふうに述べておられるわけです。だれのどういう話から街宣活動につながっているのかなという印象をお持ちになったんでしょうか。
#99
○証人(竹下登君) それは私が、失礼でございますが、同じ言葉を繰り返すようでございますけれども、渡邊さんの丁寧な丁寧な何かお話の中に私はそんなしたがって印象を受けたと申しまして、それがきょうの委員長の葛藤発言にまで至っておるわけでございますが、印象を受けたのは渡違さんの丁寧な丁寧なお話の中でそんな印象を受けたというふうに思っております。
#100
○猪熊重二君 幾ら丁寧な言葉で田中邸を訪問されたらどうでしょうかと言ったとしても、そこからは皇民党だとか街宣活動だとかこれの停止だとか、いわんやそれとの田中邸訪問がつながりがあるなんという問題はどこを押したって出てこないんじゃありませんか。だれのどういう言葉から、これは街宣活動中止の条件なんだなとお考えになったのか。失礼ですけれども、今の証人のお話じゃ、そんな話はどこからも出てこない。もう一度お伺いします。
#101
○証人(竹下登君) 失礼では決してございません。が、私自身今申し上げたとおりでございます。丁寧であればあるほど、私はそういうことがあるんじゃないかという印象を受けたと。それは実際かくかくしかじかでかくあるという三段論法的な話は、恐らく私になさる心境ではあられなかったんじゃないかと思います。
#102
○猪熊重二君 いずれにせよ、証人のお話によると、一時間ぐらいの時間があって結局田中邸訪問ということが決まったと、こういうお話ですが、先ほどから証人はおっしゃっているように、どう
いうことがあろうと田中先生のところへはあいさつに行こうということはもう思っておられたというんですから、何もこれだけの大勢の方が集まって一時間かかって行くの行かないのじゃなくて、行くなんていうことをなぜ決める必要があるのか。
 それから、当時の状況についてお伺いしますが、金丸さんの証人尋問における証言によると、「中尾宏と青木君が非常にこの問題について心配をした」、こう言われでいるんです。「この問題」というのは皇民党街宣活動の問題です。それから、「ああいうもの」という、この「ああいうもの」というのは右翼まで使って総理大臣になったといううわさ、「ああいうものは周りがだんだんだんだん競ってくるものですから、その競りがだんだんだんだん我が経世会の派閥の中にも高じてきた。」、あるいはまた金丸さんは「皆さんがいろいろ、我が経世会の先生方が慌てた」と、こういうふうな証言をしておられるんです。
 ですから、街宣活動中止というのはその当時において経世会においては重大な問題だった。しかも、青木秘書がそれの中核的になっていろいろ働いておられた。だから、青木秘書はこの十月五日にも十月二十九日にも顔を出しているわけです。青木秘書がこういう街宣活動中止のためにいろいろ活動していた、活躍していたということを証人は御存じないんでしょうか。金丸議員が知っていてあなたが知らないというのはむしろ話は逆だと思います。どうです。
#103
○証人(竹下登君) 二十九日に行くか行かぬかという議論でなく、行くことは私は心に決しておりました。ただ、私は当時のことを思い出すと、要するに中曽根先生と少なくとも同じ日でないといかぬなとかいろんな礼儀とか、そういうことも考えておりましたので、行くことは決めておりましたが、ということをまず一つ申し上げます。
 それから、このいわゆる金丸証言でございますが、私も読みましたが、ちょっと正確な表現でないところもございますけれども、右翼を使ってなったというようなことはちょっと私もどういう意味がわかりません。中にはあのとき私が意を通じて大宣伝活動をやらしておるんじゃないかと言う人もいらっしゃいましたから、それとこれとは私も今ちょっと正確には理解できません。
 青木君という秘書は、それは確かに今申し上げましたように、昭和三十三年以来私と一緒に仕事をしてまいりました、その立場は別としまして。しかし、大臣であるとき、総理であるとき、大蔵大臣であるとき、それらの会合には出ない。幹事長であるとき、幹事長室の会合には出ない。とにかく竹下事務所プロパーの問題にしか自分は出てはいけないと、この節度は非常にきちんとしておりました。
 したがって、そうして私の人生観というものは知り過ぎるほど知ってくれておったと思いますので、彼がいわゆるこの工作の中へ入っていくということは、私には確認するすべもございませんが、信じられないことでございます。
#104
○猪熊重二君 次の問題に移ります。
 先ほどの角田委員の質問にもあったんですが、証人が衆議院において「石井さんというお方がこの問題」、「この問題」というのは皇民党街宣活動中止問題です。「この問題に介在しておられたという事実は、昭和六十三年の十二月以降に承知をいたしました。」と、こうおっしゃっておられるんです。で、先ほどのお話で金丸さんから伺ったということですが、どの範囲のことをお伺いされたんでしょうか。
#105
○証人(竹下登君) したがって、先ほどのお答えにも申しましたわけでございますが、あの金丸証言に出ております石井さんと会ったという事実のお話がございました。したがって、石井さんという人がいわばの存在というのを私はそのとき知ったわけでございますが、具体的にどのようなということはそのときお話もございませんでしたし、そしてどちらかといえば最近の報道等で私が知っておる域を出ていないということでございます。
#106
○猪熊重二君 そうすると、金丸さんから聞いたときに、青木秘書及び渡邊廣康東京佐川急便元社長がどのような関係を持っていたかということについては、どう伺ったでしょうか。
#107
○証人(竹下登君) この青木君との関係については、私は何も聞きませんでした。
#108
○猪熊重二君 いやいや、渡邊。
#109
○証人(竹下登君) 渡遷さんが同席しておられたという話は聞いておりますから、御関係がある方であろうというふうに思います。
#110
○猪熊重二君 もう少し具体的に言うと、結局、渡違元社長が石井進前会長に頼んで、で、石井さんの介在によって中止になったんだということはお聞きになったんでしょうか。
#111
○証人(竹下登君) 重ねて申し上げますようですが、具体的にそうした話はありませんでした。ただ、お会いしたときの模様等のお話がございましたから、私が先ほど言葉を選んで察知したと申し上げたわけでございます。
#112
○猪熊重二君 ただ、石井さんという方は、日本の暴力団、一番目か二番目かという暴力団の会長さんでしょう。そういう方が介在したということを聞いたならば、だれがどういうことを言って、どういうふうに関与して、その結果こういう街宣活動中止というようなことができたんだということを聞くのは当然だと思うんですが、もう少し渡邊廣康社長の介在の面、どのように伺ったか、もう少しはっきり述べてください。
#113
○証人(竹下登君) 今、猪熊先生はそういうふうに聞くのが当然だという、その当然であるとすれば、私は当然の域にまで至っていなかったということを言わざるを得ないと思うんです。決して非礼な言葉だと思って言っているわけじゃございません。正真正銘私が具体的なことを問いただす環境にはなかったというふうに御理解をいただきたいと思います。
#114
○猪熊重二君 渡邊さんがこの件に関与していたということは、先ほどあなたもお認めになったわけです。そこで私は聞きたいんです。こういうふうに日本一、二の暴力団とつき合っているようなそういう渡邊廣康という人間に対して、あなたはその後どのようにおつき合いをされましたか。私はその点が一番重要だと思っている。
 まずその話を聞いたときに、とんでもない、こういう暴力団とつき合うような渡邊廣康という人間はもうおつき合いするところの話じゃないというのが政治家としての務めであるはずです。
 ところが、あなたは、時間がありませんから飛びますけれども、平成三年六月十三日、十六日に、二日間にわたってこの渡違廣康という人の東京佐川再建問題について話をしている。この点をどう責任をとってお考えになりますか。
#115
○証人(竹下登君) 私の渡邊さんに対する認識は、これは先生と異にするかもしれません。いわば当時は善意の第三者であったというふうに私は思います。そして、私はどなた様のお話でも会社の再建というと、それほど再建能力があるわけでは私にございませんけれども、それは与野党を問わず丁寧に話を聞いて丁寧にお答えするという習性を私は持っておりますし、この男はだれとつき合っているからけしからぬというようなところまでもこれは思いが及ばなかったというふうに御理解をいただきたいと思います。
#116
○猪熊重二君 私が暴力団を否定するのは、一般市民が否定する以上に政治家は暴力団を否定しなければならないと私は思うんです。なぜかといえば、我々は国民から代表者として、国民主権に基づいて、国民の権利に基づいて国会議員として証人も私も来ているわけなんです。それに対して、この国民主権原理に基づく法の支配に対して別口の暴力による支配というものを認めるようだったら国会議員としてありようがない。そこのところを証人はどのようにお考えになっているか、一言最後にお伺いします。
#117
○証人(竹下登君) 先ほど来、いわゆる暴力団対策法による暴力団の定義とかというようなことも申しましたが、その定義以前の問題として、私はこれに対する民主主義の基盤からして全く意を同
じくするものでございます。そういう姿勢で臨むべきであるということに対しては何ら異論を挟むものではございません。
#118
○猪熊重二君 終わります。
#119
○長谷川清君 民社党の長谷川でございます。
 早速今までの話の流れを継ぎながらお尋ねをしたいと思うんです。
 特に十月五日の件につきまして、これまで背景事実としておよそ考えられますのは、六人のメンバーであったことはこれは間違いありませんか。
#120
○証人(竹下登君) その中尾君の、中尾さんのことに対しては正確に私の記憶にございません。が、なかったと否定するわけではございません。
#121
○長谷川清君 金丸証言によりますとこれは入っておりますから、特にメンバーを特定しますると、竹下さん、あなたと金丸さんと、そして小沢さんと渡邊元社長と、それに中尾さんに青木さん、こうなると思います。このメンバーで共通しておりますのは、本件に関する、この皇民党に対する対策メンバーで共通していると思うんです。
 いま一つは、きょうもはっきりいたしましたけれども、これは金丸事務所において設定されましたね。いわゆる場所の設定、支払い、これが行われておることも事実だとわかりました。
 また、この金丸証言の中で、特にこういう皇民党の対策の問題については、わしは余り知らぬのだと、特に二人が知恵を絞ったと、知恵を出しているというふうに言っております。その二人が加わっておりますね。
 こういう状況から見まするというと、特にまたその状況では十月の二日にはもう中止されておりました。いま一つの要素である田中訪問が残されておりました。言うならば、この十月五日というのは本当に緊急を要する一だからこそ立候補表明のその夜でありながら、財界との約束も一時間繰り上げながら、そういう状況の中で早くこれをしないとまた褒め殺し再発が起こってこれが総裁選の致命傷になる、こういう危機感があったればこそ、いわゆる飛び込みと言いましたか、急速そこに予定を入れた、このように私どもは想定せざるを得ないのでありますが、いかがでしょうか。
#122
○証人(竹下登君) 今、対策メンバー、それと金丸証言は、余り関心がなかった、すると金丸先生をあなたもメンバーだったという言い方は私にはできないかと思います。それから、経費の支払いは金丸事務所とおっしゃいましたが、竹下事務所であった可能性があるということを申しておるわけでございます。
 それから、いわゆる褒め殺し問題というのが、私は、何か握られておびえておるから総裁選挙に不利だということならば総裁選挙に立候補していないと思うのであります。したがって、あの五日に私は緊急要務として皇民党対策というのを議論する立場、環境にはなかったというお答えをせざるを得ないと思います。
#123
○長谷川清君 支払いは竹下事務所でございました。これからそうしますると、今もおっしゃるように、金丸さんは恐らく当日はお酒でも飲んでゆっくりされていたと御本人も言っております。当日の主人公はやはり竹下さんであったと想定できるんですね。渡邊さんは渡邊さんの立場からこの問題を取り次いでいった。その立場から経緯の説明があり、そして約束があったことに対する重要性、またお二人はお二人でそういうものに対する説得を竹下さんにしたのではないかと想定できるんですけれども、要するに、この段階においてこの日は渡邊さんはどういう話をされていたんでしょうか。
#124
○証人(竹下登君) 先ほど来申しておりますが、渡邊さんとそれまでの間、おまえ、おれというつき合いにはございませんでした。したがって、その前に会ったことがあるといたしましても、そんな席でお話しするようなことは初めてのような印象が私にはあります。それだけに、向こうさんにもありますので、大変な丁寧な言葉でこのお話があったということだけは私覚えておりますが、そのいわば人の道として、田中先生のところへ、それも総裁選挙立候補のごあいさつにいらしたらというような言葉であったことだけは覚えておりますが、具体的な一問一答とかそういうものは私は覚えておりません。
#125
○長谷川清君 時間がございませんので。ここで私は、恐らく秘書であった青木さんなり中尾さんからそのいきさつのすべてを聞いて知っていらっしゃったんではないか、だからこそ翌日の六日の日に心の葛藤が起こっていると。私は、日にちをずっと見まするというと、そういう必然性というものがここではっきりしているのではないかなと、こう想定せざるを得ないわけであります。
 時間の関係で先に進みますけれども、証言の訂正をされましたが、これはさきのあなたの証言によりますと、相当自信を持って十一月の中旬であると、こう言われておりますが、これはどうだったのでしょうか。
#126
○証人(竹下登君) 先ほどもお話しいたしましたが、確かに私の間違いです。私が総理大臣になってからは総理官邸が予定表を管理します、そして幹事長であったときは幹事長室が管理いたしますが、私の事務所とどっちかといえば管理責任の所在が明瞭にない点がございますが、二十九日はそれ以上に新聞各社の私の動静、総裁予定者でございましたからもう既に出ておりました。にもかかわらず私が日にちを間違えて、そんなに、党大会の前日そんなことがあるわけないじゃないかと言ったことが間違いであった。元来慎重な私、慎重というのは私自身が思っていることでございますけれども、思っている私の間違いであったということでございますから、これは弁解の余地はございません。
#127
○長谷川清君 他の証言に対しては信憑性ありと考えていいんでしょうか。
#128
○証人(竹下登君) あの証言は信憑性を認識していただけるという前提で私は証言を申し上げております。
#129
○長谷川清君 私は、今のこういう状況というものは国際社会から見まするというと、ああこのレベルかと、このように見ていると思うんです。こういう状況をさらにずっと続けてまいりますと、私は、先生がおっしゃっておりますような国際信用をさらに失っていくのではないか。政治に大いなる輝きがここにできるかできないかは、やはり私は一つ一つの行動をもって示していく以外ないんだと思います。そういう点において、ここまでいろいろの意味においての背景的な事実というものが出てきておりますだけに、どうかひとつ、みずからの的確なる御判断を我々に与えていただきたい、こう切にお願いしておきます。
 以上です。
#130
○上田耕一郎君 まず、政治献金についてお伺いします。
 八五年の創政会結成、八七年の経世会設立の際、佐川急便から何らかの資金提供はありませんでしたか。
#131
○証人(竹下登君) その結成の際という限定でございますが、私は今調査しておりませんけども、恐らくないだろうと思います。
#132
○上田耕一郎君 恐らくというと、あり得る可能性もありますか。
#133
○証人(竹下登君) 先ほど申しました、七十二カ月にわたって関係団体から一万円ずつの献金がありますのが、その時期にそういう表現であるものがあったとしたら、うそをついたことになると思いますので、慎重にお答えしたわけでございます。
#134
○上田耕一郎君 それ以外に、佐川急便からは政治献金全くありませんか。
#135
○証人(竹下登君) ございません。
#136
○上田耕一郎君 竹下さんは褒め殺し問題も全く影響なかったかのような冷静な証言をきょうされております。
 しかし、金丸さんは衆議院で、何しろ子供が橋の上からおっこって川に流されてあっぷあっぷしながら、助けてくれた、後で聞けばそれが暴力団だと、そう言っているんですけれども、なぜ金丸さんはあなたをおぼれかけた子供に例えたんですか。
#137
○証人(竹下登君) 上田先生と久しぶりにやり合うわけでございますが、やり合うという気持ちは全くございませんから、きょうは。
 今おっしゃいましたことでございますが、六十八歳が子供であるかどうかは別といたしまして、私は金丸さんの人生観の中に、要するに、人は困ったとき助けてくれた者にはどなたであれお礼を申し上げるべきだと、困ったとき相談を受けたときはどなたであれ相談に応ずべきだというような、人生観の例えとしては私も聞いたことあります、このおぼれた子供の話を。が、どんずばり私がそのとき橋の上から落ちた、おぽれんとしておる子供であるという認識での証言ではないじゃないかと、推察することは失礼でございますけれども、私は思っております。
#138
○上田耕一郎君 しかし、この金丸証言は、褒め殺し問題が竹下さんの政治生命にかかわる重大事だったことを、それを石井稲川会会長が助けたという事実を証言しておるんですね。
 あなたは、田中邸訪問が街宣活動中止の条件という印象を、心に葛藤を持ったと証言されました。この条件は、十月二日赤坂プリンスホテルでの石井進・稲本虎翁会談で決まったものなんですね。
 あなた、さっきから丁寧に丁寧にと言うんだけれども、丁寧な渡邊さんの話の中には、この石井さんの名前、十月二日の石井・稲本会談、このことは出ませんでしたか。
#139
○証人(竹下登君) 全く出ておりません。
#140
○上田耕一郎君 しかし、あなたは衆議院での証言で、十月五日夜の会談で石井会長の名は出なかったかという問いに対して、記憶がないと答えた。否定じゃないんです。
 渡邊調書によれば、「私から三先生に」、竹下、金丸、小沢三氏のことです、「石井会長からの話を伝えた」とはっきりなっている。記憶がないという言い方は、石井会長の名をそのとき聞いたこともあり得るということになりますか。
#141
○証人(竹下登君) 実際、今難しい質問、尋問でございまして、記憶にないという言葉が議院証言法が昭和二十二年の十二月できまして以来クローズアップしましたのは、このロッキード事件のときにクローズアップして、記憶にないというのは、その事実があったこともなかったことも含めてあるのかないのかという議論を何回もしたことがございますので、適当な言葉であるかどうか私も疑問に思いますが、この間は、覚えてないということは記憶にないということかというようなお尋ねでありましたので、記憶にないという言葉を、イメージとしては余り使いたくない言葉でございますが、使ったわけでございます。
 したがって、今の、上田さんと私が、記憶にないとは何ぞやという問題を尋問者と証言、証人という立場でなく議論すれば、これまた一つの論点になりますが、これについて今そういう立場にきょうはあるわけでございませんので、非常に難しいことだと、表現は、ということをお互いが認識したら一番いいなと思います。
#142
○上田耕一郎君 いや、あなたの証言は、あの異常な六日朝の漫画のような訪問、田中邸訪問、説明することは全くできない。だから、偽証の疑いが強いと思う。
 一体、六日朝のあの訪問、いつ決めたんですか。五日の夜の会談で決めたのか、それとも六日の午前二時の長谷川信さんの電話で決めたんですか。どうですか。
#143
○証人(竹下登君) 私が決断をしましたのは、長谷川信先輩のお電話でございます。
#144
○上田耕一郎君 極めて異常なことなんですね。恐らく寝てからかな、午前二時か三時の真夜中の電話で心の葛藤を解決して決めて、六日の朝、ああいう訪問の仕方したんでしょう。余りに異常なんです。
 衆議院でも問題出ているんだが、三日、あなたは一回、田中邸へ訪問しようとしたんじゃありませんか。十月三日の読売朝刊「竹下氏きょう田中邸訪問」という自民党筋からの予告記事があり、夕刊には訪問延期の記事が載っているんですが。
#145
○証人(竹下登君) 三日にそうしたことは記憶に、これこそ記憶にございません。が、読売新聞のスクープだとかいうような評価がありましたが、そのいわゆるニュースペーパーの記事に対して論評を加える立場には今日はないというふうに思います。
 ただ、異常ではないかとおっしゃいましたが、あのとき立候補したその日でございまして、夜遅くまでたくさんの人がうちへ来ておりました。そして、六日の九時に中曽根先生にごあいさつするというアポイントは既にとれておったわけです。したがって、その後あちこちへ出かけますから、少し先になり過ぎるなという懸念があったんです。そうしたら、あした八時ということを長谷川先輩からお電話いただいて、よし、前後するけども、同じ日に行けばまあ私の心の中にある儀礼も説明できると、私の心に対して説明ができると思って決断したわけでございますから、異常であったという感じは、あの当時の総裁選挙に立候補したという異常な状態のときには、」異常であったという感じは私はしなかったということでございます。
#146
○上田耕一郎君 その異常さが、橋から落ちておぼれた子供が暴力団に助けられた異常さなんですよ。しかし、あなたはすべてを故青木秘書、故中尾氏たちにかぶせようとしている。二度も青木さんに、亡くなった人にかぶせようとしているんですか。私は、そういうことは政治家として許せないと思うということを述べて、質問を終わります。
#147
○証人(竹下登君) かぶせると、この考えはないということだけは、あえてお許しを得て申し上げたかったわけであります。
#148
○池田治君 青木秘書の関与について、続いてお尋ねをいたします。
 証言を聞いておりますと、十月五日の夜、プリンスホテルの十六階の部屋も竹下事務所がセットしたかもしれない、また、十月二十九日夜の銀座の「吉兆」も竹下事務所がセットしたかもしれない、こう証言なさいます。また、金丸さんは、皇民党の街宣中止要請も中尾前代議士並びに青木秘書が話し合って知恵を出し合って渡邊さんに頼んだんではないか、こういう証言をなさっております。
 そういうことを聞きますと、これ全部秘書さんがやっていて、証人は秘書さんからは何の報告もなく秘書と相談したこともない、こういうことになって、秘書任せということになってしまうようでございますが、実際に分身のような立派な青木秘書であったとしても、証人が何も知らないで、何の報告もしないで、そして証人は言われるまま人形のようにあちこち歩き回ったということはちょっと不自然でございますけれども、実際はどうであったか、正直にお答え願います。
#149
○証人(竹下登君) 青木君とは、私は、昭和三十年以来五十一年までは公設秘書として、あるいは官房長官、二度にわたる官房長官、建設大臣の秘書官として私を助けてくれました。その後は公設秘書ではなく、竹下事務所の総括責任者として私を助けてくれました。したがって、私はすべての責任を青木君に転嫁しようなどということは毛頭考えておりません。なかんずく今、亡き彼でございますだけに、それはより慎まなきゃならぬことだと思っております。
 ただ、青木君が、私が申し上げたいのは、私の生きざまをそれこそよく知っておったと思います。したがって、私が重ねて申しますように、言論の自由に対してはいかなる批判に対しても体制側に立つ者は耐えていかなければならぬと、それを何回もこの言っておりますから、私は、彼はそういう私の体質をみずからの体質にしておってくれると思い出すだけに、この皇民党対策としてこれに彼が介入するというようなことは私には信じられないことでございます。
#150
○池田治君 信じられないそうですが、金丸さんはやったんではないかと、こういう表現をなさっております。
 仮に青木秘書が名秘書であって分身のように動
いたとしても、これはあなたに何の報告もない、事前の報告もない、中間の報告もない、事後の報告もない、勝手な行動をしてあなたを呼んでいたとすれば、秘書としては私は秘書の義務違反だと思うんですが、いかが考えられますか。
#151
○証人(竹下登君) これは池田先生も国会のことはよく御存じであるということは私も承知しております。
#152
○池田治君 私は知りません。
#153
○証人(竹下登君) いや、今まで高橋英吉先生の関係もよく存じております。お久しぶりですと言いたい気持ちでございますが、先生、そこのところは、ことほどさように青木君を私が信頼しておったわけでございますから、そのように御理解をいただきたいものだと思います。
#154
○池田治君 それはそれだったかもしれませんが、あとは追及しません。
 次に、証人は、暴力団の関与と総裁、首班指名とは全く関係ないので一緒にしてくれるなという御答弁でございます。確かに、首班指名そのものは中曽根総理から竹下総理への指名があったわけですから、これには暴力団の関与する余地はございません。しかし指名に当たっては、指名する側も竹下さんの周辺はこの首班指名に値するかどうかということは考えられるし、また、指名を受ける側も総理としての環境整備をなさっておかなければ首班指名は受けられない、こういうことはあったかと思っております。
 そうすると、指名そのものと指名をするについての周辺的な事実と、まあ竹下さんの好きな言葉で言えば、中核とその周辺という言葉で言いましょうか、周辺的なものには皇民党は関与し、暴力団は関与したと、これは論理的に言えるんじゃございませんか。
#155
○証人(竹下登君) 周辺的なものと中核的なものということをどう整理していいか、今ちょっと考えておりますが、総裁公選規程に基づいて粛々と行われた総裁公選、総裁選挙、それが一任になって指名になって結果として私が指名されたと、これと皇民党活動は結びつかないというふうに私は申し上げております。
 そこで、皇民党活動になぜおびえたかというと、何かおまえは握られてならないこと、そんなものがあったらそもそも立候補自体をしておりませんから、指名の対象にもなっていないだろうと。だから、やっぱり中曽根先生は内外の諸改
革、充実した国際外交の展開を念頭に置いて熟慮の上、竹下登君を、いや私を指名していただいたということを厳粛に受けとめるというのが私の立場ではなかろうかと思います。
#156
○池田治君 また、暴力団が関与して内閣の首班指名をやったんだということは世界の恥であるから、日本の信用を傷つけないためにも議員辞職はやらないと、こうおっしゃっておりますが、もう既に世界のマスコミは報道しておりますね、このスキャンダルは。それになお執着してこれを打ち消そうとしても、なかなか世界じゅうにそのスキャンダルはうそだったと言うことは不可能だと思うんです。むしろそれよりも、さっぱり責任をとる方が外国のマスコミの受けがよくて日本の信頼を築くもとじゃないかと私は思いますが、いかがですか。
#157
○証人(竹下登君) これは私が申しておりますのは、そういう信頼を、誤解に基づく不信感を取り除くことに私の生涯をかけるべきじゃないかと思います。安易に辞任という立場でそれが立証されるものではないというように私は思っておるわけでございます。たとえつじ立ちなりしてでもということは、これは消費税のときに申しましたが、別に世界じゅうへつじ立ちして歩くわけじゃございませんが、そのような気持ちで私は対応すべきだと思っております。
#158
○池田治君 気持ちはよくわかりますけれども、客観的事実というものもございまして、マスコミの報道そしてその他国民の信頼、そしてまた疑われても仕方がないような態度が証人そのものよりも青木秘書その他周辺の人たちの言動からうかがわれるわけです。それについて疑いを消すということは、既に故人となっておる方もたくさんおられましてなかなか難しいんじゃないか、こう思っております。
 それで、竹下証人そのものがどうして誤解を解かれるのか。国会に行って言うというんですが、国会の二時間ぐらいでは本当のことは言えないと思います。そこで、今からどうして誤解を解いていかれる自信があるんですか。
#159
○証人(竹下登君) これは国会で証人に立つということも一つの私は、これはまあ法律に課せられた私は義務としてきょう来ておるわけですが、私自身は国会でまず申し上げる前は言わないというのが国会議員としての立場だと思ってそれ貫いてきましたが、あるいは私なりの発言の中でこれを解明していく努力は、たとえ小さい存在であっても私はそれに全力を尽くしていくことだと思っております。
 具体的にこういう方法とこういう方法がありますとかいうことを今準備して申し上げる自信はございません。
#160
○池田治君 時間ですから切り上げますが、それじゃ後でまた、どういう方法でやられるのか聞きに行きますので教えてください。
 終わります。
#161
○下村泰君 私はきょう非常にやるせない悲しい気持ちなんです。恐らく竹下さん自身も情けないお気持ちじゃないかなと思うんです。本来ならばこういうお話をこういうところでやるべきような内容じゃないことをやらなきゃならないということに関しまして、大変私は寂しくも悲しい思いをしております。
 例えば、暴力団新法というのができまして、「ミンボーの女」という映画をつくった伊丹十三さんが暴漢に襲われて、しかも負傷した。警察の方はこれは法に対する挑戦状だというので必死になって捜索の結果、五人の被疑者が逮捕されました。それと、国民全部が何とかしてこの暴力団に対抗しなければならないというときにこういう事件が起きて、しかも総理が誕生するときに、あってはならないような暴力団がこれに関与したという、これはうわさだけでも私はゆゆしき問題ではないかと思います。
 恐れ入りますが、過去を振り返りまして元総理の御心境をいろいろただしたのがあるんです、ここに。例えば、税制問題等に関する特別委員会のときに私はこういうお尋ねをしました。「何が動機で政治家を志したのか、」、そのお答えが、 政治家に、動機と申されますと、私は学徒動員の一番最後の帝国陸軍最末期の陸軍少尉でございます。したがって、復員して帰ります道すがら、今後の自分の行くべき人生というものを、私は山の中の育ちでございますから、荒れ果てたそういうところを見ながらやはりみずからの生きる道は政治家だというような決意をした思い出はございます。それほど肩怒らして言うほどの話じゃございませんが、素朴にそういう感じはございます。
 そして、総理大臣になろうなどと思ってはおりませんでした。今日たまたまこうなっておるということでございます。
そこで私が、
 ただ漠然として政治家になろうと思ったんじゃないと私は思うんです。やはり総理は総理なりに何かお考えがあって、日本という国をこうしたいんだ、ああしたいんだという夢とか希望とかというものはあったと思います。
 そこで、その若き情熱と今と、そのときに持っていた政治に対する情熱と今とどのくらい変化がありましょうか。変化があったらどういうところに変化があったのでしょうか。
それに対して竹下さんは、
 難しい質問でございますが、やはりその当時は肌でもって国民大衆と接触しておったということが一番今に比べて。重要なポイントではなかろうか、だんだん長ずるに及びまして、そのことを意識しつつもやはり乖離が生じておるんじゃないかなというふうに思います。
こうお答えになりました。
 そこで私が、「政治家というのは国民の目から厳しく問われるのでしょうか。それをお伺いしたい」、こうお尋ねしますと、
 難しく言えば、憲法のもと、国権の最高機関の一人である、国民の選挙という洗礼を受けてその地位を獲得した者である。したがって、国民がみずからの代表であると同時に、ある種の自分の描く理想像をそこに求める。それと乖離が生ずれば大変な批判を受けるだろうというふうに私は感じております。
こういうお言葉なんです。これが、昭和六十三年十二月二日の委員会のお言葉です。
 そうしまして、今度はリクルートでいろいろ問題がございました。
 平成元年三月七日の予算委員会で私がこうお尋ねしました。「政治家をやめようと思ったことがありますか。あればどんなことでしょうか。」。そのときの竹下さんのお答えは、
 これは、倫理綱領ができましたときに、果たして自分がその倫理綱領の中へ埋没、どっぷりつかっているだけの自信があるかと自問自答したときに、やっぱりバッジを外すべきかな、別の職業を選ぶべきかなと、こういう感じを持ったことはございます。
これが私と竹下さんの今までの一連の流れの中のお話の内容なんです。
 この最後のお言葉の中に今の御心境はどういうふうにあるのか、お答え願えますか。
#162
○証人(竹下登君) 今、二つの先生との問答をお読みいただきまして私も思い出しました。確かに、政治家になってその経験を積めば積むほどいわば選挙区あるいは大衆との一つの乖離が生ずると、そういう反省をしたことを申し上げました。それからいま一つは、今申し上げたとおり、倫理綱領ができたときに素朴に申しました。こんなことを、おれはこれが守れるほど立派なんだろうかということを申しました。率直に申しました。
 で、今思いますのは、私がこのような立場で、誤解に基づくものもありましょう、私の方から言えば。それから、本当にむちゃくちゃな問題もあると思います。ありもしないことがいろんなことが言われておりますが、それを思うにつけ、そういうやっぱり言論の自由といわば人権というものを守る社会を、私が最後の頑張りをするならばそれに自分を燃やし尽くすことじゃないかなと、これが偽らざる私の今の心境でございます。
#163
○下村泰君 時間ですが、一つ聞かせてください。
 本当に悲しい思いだと思いますよ、今の元総理の竹下さんのお気持ちは。それで、今バッジを外すお覚悟がありますか、お気持ちがありますか。
#164
○証人(竹下登君) 私は、議員を辞職することなく、その立場に立って事実解明のために私の生涯をささげるべきであると、このように思っております。
#165
○下村泰君 終わります。
#166
○武田邦太郎君 私は、かねて竹下さんとは地球環境の問題についてぜひ懇談願いたい気持ちを持っておりましたが、きょうこのような形で対談することは私の心から悲しみとするところであります。
 そこで、きょうお尋ねしたいのは、多数の国民が、偉い政治家というものは高級料理屋にたびたび出入りをして、そこで事業家と話し合って企業利益を図ったり政治資金を得たりするものだという印象を持っておるわけでありますが、そしてこれは少なくとも今日の国民の政治不信の重大な原因の一部をなしているように思いますしかるに、このたびの事件を通じて国民の気持ちが一段と深刻になったんではないかと、こういうふうに思いますが、証人はただいまのお考えで、それは国民の側の受けとめ方の間違いであるとお考えでしようか、それともそれは真実であるとお考えでしょうか、お伺いします。
#167
○証人(竹下登君) これは私は、武田先生の生きざまは私なりに勉強さしていただいております。で、今の御指摘について、表現の問題は別として、私は国民がそういう考えを持っておることそのものが政治不信だと、それを何とかして直さなきゃいかぬというのが我々の務めだというふうに思っております。
#168
○武田邦太郎君 これは竹下さん個人のことを言っているんじゃなくて、政治全体に対するあるいは政治家全体に対する国民の考え方をお話しして、それについてこれから先もこういう状況を続けていいと思っておられるのか、それではいけないと、これは考え方の問題以上に行動を問題にしているわけであります。それをお考え願いたい。
#169
○証人(竹下登君) それが個人の問題でなく政治家全体、今、与野党を通じて政治改革が必要だという機運が盛り上がっておることそのものを進めていくことが一番今大事なことではないかなと思います。
#170
○武田邦太郎君 それでは、これから先、政治の先輩としてまだこれからも活動なさるようでありますけれども、ともに歩むといいますか、後から来るといいますか、政治家の人たちに対して余り高級料理屋に出入りするなと、ごちそう食べるのはもちろんいいけれども、そこで政治資金の問題とか企業利益の問題だけはくれぐれも話すなど、こういうお考えでしょうか。
#171
○証人(竹下登君) 一つの営業行動について私がとやかく言うべきことではないと思いますが、先生の思想は私も同じだというふうに思います。
#172
○武田邦太郎君 今のお言葉を証人の最後の証言として、全国民に機会あるごとに訴えたいと思います。
 終わります。
#173
○委員長(遠藤要君) これをもって竹下登証人に対する証言の聴取は終了いたしました。
 証人には、長時間にわたり御証言をいただきまことにありがとうございました。
 御退席くださって結構でございます。
#174
○委員長(遠藤要君) この際、委員長より申し上げます。
 平成四年度補正予算三案に関し、東京佐川問題について、来る八日に証人として出頭を求めておりました佐川清君から、原議長あてに、医師の診断書を添えて書面をもって病気のため出頭できない旨の申し出があり、議長から当委員長に通知がございました。
 証人佐川清君不出頭の件につきましては、後刻理事会において協議することといたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時二十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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