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1992/06/02 第123回国会 参議院 参議院会議録情報 第123回国会 厚生委員会 第13号
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1992/06/02 第123回国会 参議院

参議院会議録情報 第123回国会 厚生委員会 第13号

#1
第123回国会 厚生委員会 第13号
平成四年六月二日(火曜日)
   午後一時開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 五月二十九日
    辞任         補欠選任
     針生 雄吉君     木庭健太郎君
 六月一日
    辞任         補欠選任
     藤井 孝男君     谷川 寛三君
     高桑 栄松君     針生 雄吉君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         田渕 勲二君
    理 事
                西田 吉宏君
                前島英三郎君
                竹村 泰子君
    委 員
                石井 道子君
                小野 清子君
                木暮 山人君
                清水嘉与子君
                田中 正巳君
                宮崎 秀樹君
                菅野  壽君
               日下部禧代子君
                針生 雄吉君
                沓脱タケ子君
                勝木 健司君
   政府委員
       厚生大臣官房審
       議官       山口 剛彦君
       厚生省健康政策
       局長       古市 圭治君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        滝澤  朗君
   参考人
       日本医師会副会
       長        坪井 栄孝君
       ジャーナリスト  大熊 一夫君
       北海道医師会副
       会長       中野  修君
       宮城厚生協会坂
       総合病院院長   村口  至君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○医療法の一部を改正する法律案(第百十八回国
 会内閣提出、第百二十三回国会衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(田渕勲二君) ただいまから厚生委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告をいたします。
 去る五月二十九日、針生雄吉君が委員を辞任され、その補欠として木庭健太郎君が選任されました。
 また、昨日、藤井孝男君及び高桑栄松君が委員を辞任され、その補欠として谷川寛三石及び針生雄吉君が選任されました。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(田渕勲二君) 医療法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、お手元に配付いたしております名簿の参考人の方々に御出席をいただいております。
 参考人の方々に一言あいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ、当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。
 医療法の一部を改正する法律案につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと考えております。
 これより参考人の皆様方に順次御意見をお述べいただくわけでございますが、議事の進行上、お一人十五分以内で御意見をお述べいただきたいと存じます。すべての方々の御意見を拝聴いたしましたところで委員の質疑にお答え願いたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。
 それでは、これより参考人の方々に順次御意見をお述べいただきます。
 まず、坪井栄孝参考人からお願いをいたします。坪井参考人。
#4
○参考人(坪井栄孝君) 坪井でございます。
 本日は、参議院厚生委員会にお呼びいただきまして、医療法改正についての参考人として発言させていただきます機会をいただきましたことを感謝申し上げます。
 名簿にもございますように、現在、日本医師会の副会長職にございますので、一医師の意見等含めまして、日本医師会の立場も中に加味してお話ししたいというふうに思いますので、御了承いただきたいというふうに思います。
 まず、日本医師会といたしまして、また私、一医師といたしまして、今回政府から提出されております、そして過日衆議院において修正議決されました医療法の一部改正法律案に対しましては、原則的に賛成でございます。
 以下、その理由を述べさせていただきます。
 御承知のごとく、医療法は昭和二十三年に公布されたものでございまして、その間一部小範囲な改正はありましたけれども、基本的な改正というものは現在までなかったわけでございます。しかし、我が国の医療は、急激な高齢化社会の到来とそれに伴う疾病構造の変化というふうなもの、あるいはまた医療技術の高度化というふうなものによりまして非常に多様な対応が必要になり、医療のあり方を規定するべき医療法が、医療の供給側にとりましても、医療を受ける側にとりましても、必ずしも好都合な部分だけではないということが出てまいりました。
 例を挙げて申し上げますと、そのような社会背景に伴いまして、例えば地域における老人年齢層の増加というふうなことからしまして、地域の医療のニーズが非常に多様化してきて複雑化してきた。そして、それに伴いまして、それらに対応するためにいろんな機能を持った医療機関あるいは医療施設というふうなもの在準備しなければいけなくなってきた。現行法のように単一のくくりの中で医療提供側のあり方というふうなものがなかなか決めにくくなったといいますか、対応しにくくなったというのが現状だろうというふうに思います。
 したがって、今回の改正によりましてそのような部分に必要に応じたきめの細かい施策が施されるということがあるならば、国民がより受けやすい、わかりやすい医療が受けられるようになる、準備されるようになるというふうに思います。また、医療機関にとりましても、地域において医療機関の機能を分担して質のいい医療を提供することによって国民との信頼関係が生まれることになり、国民医療費に対する国民的なコンセンサスが得られるということになり、ひいては医療機関の経営の安定化にもつながるというふうに考えるからであります。
 以上のような理由から、本法律案に対しまして、さらに政省令によって十分に整備されることを条件として、公布されることに賛意を示すというわけでございます。
 以下、少し具体的に法案についての発言をさせていただきます。
 まず、総則についてでございますが、従来施設基準が主でございました医療法に、今回理念が非常に多く入ってきているということに関しましては、我々医療を担当する者にとって大変好ましいことでございます。すなわち、質のいい医療をわかりやすく国民に提供するという意味からしますと、医療がいかにあるべきかという理念をしっかり持っているということは絶対必要条件でございまして、医療法の中の総則でまずそれがうたわれているというふうなことについては大変評価に値するというふうに思っております。
 時間の関係上、少し前に進ませていただきます。
 次に、具体的に病院のくくりが出ておりますが、いわゆる特定機能病院というふうなものがございます。
 これはこの法案を拝見する限り、あるいはまたその目的を見る限り、高度の医療をその地区において提供するという医療機関でございます。従来までもそれらの機関が全くなかったわけではございません。日本の医療そのものはそれほど他の国に比して質の悪いものではございませんから、現在までも十分にそういう準備はあったと思いますが、しかしそれらのものについても、さらに先ほど申し上げました地域における医療機関の機能分担というものをこれから整理をしていく上で、まず高度機能を有する病院のところからその準備を始めていくということに関しては賛成でございます。ただし、高度医療機能を発揮する病院そのものが今後政省令でどのように決められていくかというものについては、私どもの立場からも慎重に意見を申し上げていきたいというふうに思っておりますので、ひとつよろしくお願いしたいというふうに思います。
 次に、療養型病床群という言葉が出てまいります。
 療養型病床群というのは、すべての長期疾患、慢性疾患を対象にはしておりますが、今後日本において最も重要である、最もその需要が多くなるであろうと思われる老人医療に対するかなり具体的な対応であるというふうに私どもは評価しております。さらに具体的に言うならば、現在までの老人に対する処遇の中で、老人の医療施設あるいは介護施設というふうなものが一般病院の中にできるということは、非常に住民の身近にそういうものが準備されるということでございますから、そういう点からしましても、二十一世紀を目指した医療政策としては私は十分に進展させるべきものであるというふうに考えております。
 ただ、一般病院の中にそういうものを準備するということになりますと、医療施設の規定あるいは人員基準の規定というふうなものが当然その後をフォローして出てくるわけでございますが、これらについては、先ほど申し上げましたが、地域のニーズの多様化というところを踏まえた上で十分に政省令の中で検討されるべきものであろうというふうに思います。さらに言葉を重ねさせていただきますならば、法律ができて政省令で整備されているものが動かない、それが活用されないという部分があったのではしっかりした医療の提供というのはできないというふうに私は思いますので、その辺のところを現場の実情をよく勘案されて政省令の中で検討されることを強くお願いするというわけでございます。
 次に、広告規制の緩和という部分がございます。この部分について少し触れたいと思います。
 国民がわかりやすい医療というふうに申し上げましたが、現在の広告規制あるいは院内表示というものは、私どもから見ましても、必ずしもそれが開かれているものである、十分なものであるとは考えておりません。特に院内表示に関しましては、受けられる患者さんたちがこの病院で何がしてもらえるか、どういうものが受けられるかということに関しましては、かなり具体的にそれがわかるというふうな方法を我々は積極的に提示したいと思っているくらいでございますから、その辺のことについては、地域の医療団体等と御相談の上、ぜひこれも患者さんのためにわかりやすい、そういう規定、規則をつくっていただきたいというふうに思います。
 院外の表示、院外の広報に関しましては、医療の特殊性、公共性から考えまして、必ずしも他企業と同じようなレベルでというわけにはいかないということは確かでございます。したがって、これらについてもその地区における特性を踏まえた上で医療団体、学術団体との御協議の上、その特性を踏まえた上でのくくりというものをしていただきたいというふうに思っております。これらについても政省令の中で細かく検討されるべきものであるというふうに理解しておりますので、その辺のところをよろしくお願いしたいというふうに思います。
 そのほか細かいことはございますが、一応私の発言の大要をこれで終わりまして、最後にお願い申し上げます。お願い申し上げますというよりも、私の感じていることを申し上げるわけでございます。
 現行の医療法をなぜ変えなければいけなかったかということは当初に申し上げました。しかし、当初に申し上げました理由のほかに、現行の医療法が必ずしも医療機関によってその法とおりに守られていないという現実、これらのものはあくまでも医療機関側の責任だけであろうかというふうなことを私どもは常に考えているわけでございます。法がある以上、その法が守られることによって地域の医療が円滑に提供されるというところに視点があるべきであろう。
 したがって、先ほども申し上げましたが、地域における医療機関が画一的に規制されるということでなくて、その地域におけるニーズの多様化に沿った段階的な法の決め方というふうなことも、あるいはまた種類による機能分化と言ってもいいかもしれませんが、そういうふうなものをきめ細かく決めていく。そして、とにかく動く法律にするということを念頭に置くべきではないかというふうに私自信は考えております。
 以上申し上げましたが、あとのことに関しましては、御質問にお答えしながら意見を述べさせていただきたいというふうに思います。失礼しました。
#5
○委員長(田渕勲二君) どうもありがとうございました。
 次に、大熊一夫参考人にお願いいたします。大熊参考人。
#6
○参考人(大熊一夫君) 本日は貴重な発言の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。
 私は、これまでの取材体験に基づいたものを土台にいたしまして、皆様のもしかしたら参考にしていただけるのではないかというお話をさせていただこうかと思っております。
 医療法というのは、日本社会が国民に対してどんなレベルの医療を用意するのかという大枠を示す法律であります。それは、私たちが病に倒れたときに、この日本社会が私たちにどんな救いの手を差し伸べてくれるかということを教えてくれる法律と言いかえてもよろしいかと思います。
 私のことをちょっと申し上げますけれども、私は一九七〇年に、当時は朝日新聞の記者をやっていたわけですが、都内のある精神病院に患者として潜入いたしまして、「ルポ精神病棟」という連載記事を朝日新聞紙上に発表したことがございます。それ以来、主に日本の精神科医療と老人科医療に強い関心を持ち続けております。精神科と老人科というのは、いわば慢性化した患者さん一を大勢抱えておるわけでございまして、今回の法改正の目玉の一つと言われております療養型病床群というのはまさにこんな入院者の集まるところではなかろうかと想像できますので、私の取材体験は大いに参考にしていただけるのではないかと思っております。
 一九七〇年以来今日までの二十二年間の取材で出会った問題点を思いつくままに述べさせていただきます。
 日本の慢性患者を対象といたします医療の現実を一言で表現すれば、安かろう悪かろうとでも申しましょうか、とにかく看護や介護の人手を十分にかけていないことに特色があるように私には思えます。その結果、現実は惨たんたるものであります。
 例えば、まず精神病院のことを申し上げますが、日本の多くの精神病院で作業療法め名のもとに、本来は病院職員がするべき仕事を入院者たちに極端に安い報酬で肩がわりさせてきたという事実がございます。これを否定する人はもはや少ないだろうと思います。作業療法というのであれば、患者さんが働く、働かないに関係なく病院機能は維持できるように本物の職員が配置されていなければおかしいのですが、現実には患者が働かなければ病院機能が滞ってしまうような事態は幾らでも見られるわけであります。こうした現実は減少傾向にあるとはいえ、恐らく今日でもまだ残っていることだと思っております。
 ここで問題点ははっきりしております。厚生省が決めました職員配置の基準が余りに低過ぎるわけであります。低過ぎて、病院がその基準をもし守ったとしても、十分な精神科医療はできないというわけです。一部の良心的な精神病院なんですが、その低い水準の職員さんで歯を食いしばって頑張っているという現実は確かにございます。しかし、そうした頑張りは労多くして報われるものが少ないわけでありますから、決して普遍化はいたしません。日本の精神病院が国際的に見て開放率が大変低いとか、まだまだ収容所臭さを大いに残しているとかいうのも、もとはといえばここに最大の原因があると私は思っております。また志の低い経営者が安心して怠慢経営に励めるというのも、こうした医療環境全体のレベルの低さが何となく容認されているからではないか、そういうふうにも私は思っております。
 日本の精神病院というのは、過去二、三十年の間にしばしば暴力事件を起こしております。ここでいう暴力というのは、何年か前に国際的にも問題になりました宇都宮病院事件に象徴されるような、つまり病院職員が入院者を殴るとか殺すとかいった暴力のことでございます。これも職員の少なさと無関係ではないと私は思います。不十分な人手で入院者を管理しようというのであれば、どうしてもかぎや鉄格子が必要になるわけでありまして、幽閉される立場からいたしますと、不安感とか不快感は行動であらわすということになりまして、それを抑えるには職員の側も強い姿勢をとらざるを得ない、つまりどうしても暴力が必要になるという、そういう必然性がそこにあるわけであります。
 このような事件が起きましたとき、いつも一部のふらちな病院が例外的な問題を起こしたんだといって片づけられる傾向にございますけれども、本当は日本の医療体制が構造的に病んでいるのだ、そういうふうに考えないと解決の光明は見出せないのではないか、私はそういうふうに思うわけでございます。
 この日本社会では、精神病の患者さんが不幸な事件を起こしたときに、患者さんを危険視する声のみが突出しからでありますけれども、実は事件の背後にもこうした極端に貧弱な精神科医療体制があって、精神科医療を信用できない気の毒な病人が世の中にたくさん出てしまう、医療の網からこぼれ落ちてしまうような人が大勢出てしまう、そういう事実を私たちはもっと知るべきではないか、そういうふうに思うわけでございます。
 このような不幸な事件を減らす道は二つあると私は思います。
 一つは、患者を片っ端から捕らえて閉鎖空間に徹底的に閉じ込めることであります。この野蛮な方法は何世紀も昔から今日までずっと続いてきたわけでありまして、それが精神病院の歴史そのものと言っても間違いではないと思います。しかし、この方法をとり続けたのでは暴力的な雰囲気とは縁が切れないということでもありますし、それから患者さんも医療を信用しませんし、そうなりますと病院や医師に患者さんが近づかないということにもなります。そうなりますとさらに今度は状態の悪くなった人が孤独のふちに沈んでしまって最悪の事態を招く、そういうことが十分に想像できるわけであります。それから、拘禁状態が精神病の治療にとって大変なマイナスであるということは、もう今や世界じゅうの専門家の認めるところであります。それから拘禁が絶大なる人権侵害であるということはもう言うに及ばないことであります。しかし、患者の人権が叫ばれますと、決まって不幸な事件の被害者の人権はどうしてくれるのかという御意見がよく出てきます。しかし、被害者の人権を大切にするというのは加害者を懲らしめるということではありませんで、それは不幸な事件を未然に防ぐことによって被害者を減らすということにならなければ、文明国家としてはちょっと恥ずかしいのではないかと思うわけであります。
 不幸な事件を減らす、なおかつ患者の人権も守るとなれば、それはもう一つの道、第二の道、つまり患者に対してやさしい医療体制、患者から頼られるような医療体制をつくり上げることであります。それこそが事件の起きにくい医療環境というわけでありまして、それはイギリスやカナダやイタリアやスウェーデンなどの地方自治体でその手本を見つけることは幾らでもできると思います。患者から信用される医療体制には今よりはるかに多くの人手が必要であります。現在の精神医療の人手は患者を拘禁するのにも十分とは申せませんけれども、とにかく開放的な雰囲気の中で本格的な治療を目指すとなれば、お話にならない少なさと言うべきであります。これはこの日本で患者によかれと努力している開放型のまじめな精神病院がたくさん、たくさんとは言わないまでもございますけれども、そういう病院を一度でもごらんいただけますと、だれでも納得いくことではないかと思います。
 今回の医療法の改正で精神科の根本的な改善に関する話が余り聞かれないというのは、正直言って私は大変がっかりしているところであります。
 次に、今度は日本の高齢者医療の現実に触れることにいたします。
 日本の高齢者医療の特色というのは、これは一言で言えば社会的入院が異常に多いということであります。高齢者のことですから、一人で三つや四つの病気は持っております。それは主に慢性病でありますから、つまり高血圧だの糖尿病だの痴呆だのという、病院にいたからといって根治することはまずない病気であります。本人は家に帰りたいと申すでしょう。良心的な医師なら、この人は家にいた方が幸福だから帰したいと当然考えるはずです。にもかかわらず、家には帰れない、つまり家では家族が面倒を見切れない、それで帰る先がないという理由で結局病院に長くとどめ置かれる、それが社会的入院と呼ばれるわけであります。
 本当は、このような人々の実態は、きちんとした公的な調査で明らかにされてしかるべきだと思います。その調査結果が施策や法改正の基礎資料として使われるということになるのが本来は話の筋ではないかと私は思っております。とにかくこの社会的入院というのは無視できるような数字ではございません。例えば、病院統計をひもときますと、六十五歳以上の人が半年以上入院しっ放し、そういうケースを拾いますと大体三十万入前後になるはずであります。高齢者が半年以上入院しっ放しというのは、何となく社会的入院を暗示させるものであります。
 こうした現実を前にして、今直ちに取り組むべき政策としますと、社会的入院をいかに減らすかということではなかろうかと思うわけであります。社会的入院を生み出す構造というのははっきりしております。ハンディを負ったお年寄りの多くはまずは家族に面倒を見てもらっております。しかし、家族の介護力というのは明らかな限界があります。日本でよく家族がお年寄りの世話をするという麗しい風習があるように言われております。外国からもこれは大変うらやましい目で見られております。厚生大臣を初めとして日本の政界の有力者の皆さんも家族が身内のお年寄りの面倒を見ることを奨励するような発言をなさっております。たしか山下さんもさきの大臣就任の記者会見でそのようなことをおっしゃったと私はテレビで拝見したような記憶がございます。
 しかし、一現実には日本の家族というのは、身内のお年寄りの面倒を見切れないわけであります。もちろん必死に頑張っている御家族は大勢いらっしゃるわけですけれども、しかしハンディの度合いが重くなれば家族だけでは絶対に支え切れない、これはもう明らかであります。この日本に介護疲れによる無理心中とか肉親殺人が異様に多い、これは本当にほかの国に比べて圧倒的に多いわけですが、まさに介護の大変さの証明、そこでの悲劇が証明をしているんだというふうに私は思えてなりません。しかも、現代は女性も社会進出が当たり前でありまして、要介護老人がふえる一方で、日本家庭の介護力は落ちる一方であります。その結果、普通は無理心中といった極端な方法はとることはありませんで、家族はお年寄りをどこかへ預ける、預けて家庭崩壊のピンチをしのぐ、そういう道を選ぶわけであります。そのお年寄りの預け先が一般病院であり、特例許可老人病院であり、老人保健施設であり、精神病院であるというわけであります。
 日本には困った家族をお助けする医療施設ばかりがたくさんある、そういうふうに私には思えるわけであります。そこがお年寄りが進んで入りたくなるようなものというなら、これは話はわかるんですけれども、どうも私にはそういうふうに思えないわけであります。とても皆さんがそこで人生の最期を送りたいと思うような環境ではないと思います。うそだとお思いでしたらば、東京周辺にはお年寄り専門の施設が、病院がたくさんございますから、無作為に抽出して、予告なしに訪問なさる、そういうことをすればもう一遍で事態はわかっていただけるんじゃないか。特に夜の病棟風景などをごらんいただいたら一番よろしいかと私は思うわけであります。きっとベッドに縛りつけられた人、かぎのかかった部屋に閉じ込められている人、向精神薬で行動を抑制されている人、こういう方が大勢見つかるはずであります。人間としての尊厳をはぎ取られた状態、そういう方が余りに大勢いるので、恐らく皆さんびっくりなさると思うわけです。そこまでの仕打ちは受けないまでも、この日本には寝巻き姿で寝床に放置されているというような、いわゆる寝たきり老人と言われる人が大変な数で存在するわけであります。
 これは、一九八八年の厚生科学研究特別事業として行われました「寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究」、こういう特別研究によりますと、施設やベッドに一日じゅういる老人、これはスウェーデンが四%、アメリカが七%、日本の特別養護老人ホーム、実に四八%、日本の老人病院、さらに驚くことにこれは六四%、もう大変な数で寝たきり老人が日本にだけやたらにたくさんいるという事実がここでもはっきりしております。
 こうした不幸な社会的な入院を減らすには何をするべきかといえば、これは家族がお年寄りを医療機関に捨てずに済むような、そういう仕組みを社会につくることだと思います。つまり、ハンディを持ったお年寄りも自宅で生活できるように、それから家族が介護疲れで病気になったり、あるいは女性が介護のために勤めをやめなきゃならないとか、そういったことがなくて済むような仕組みをつくり上げなければいけない、それこそが高齢者福祉と言われるものではなかろうかと思います。それは、具体的に申し上げれば、その福祉の一端を担うのはホームヘルパーであり、訪問看護婦というわけであります。
 では、日本の高齢者福祉というのはどのくらい貧弱なのか、その一端も申し上げておかないといけないと思います。例えば、在宅福祉の中心はホームヘルパーでございますが、その数が、これは単位人口で比較いたしまして、日本のそれはデンマークの十五分の一以下であります。日本には家事援助型といいまして軽い仕事のヘルパーが多いわけですから、仕事をこなす実力を考えましたら恐らくこれはデンマークの数十分の一ではなかろうか、こんな現実では当然日本に社会的入院がふえて当たり前というわけであります。
 じゃ、どうしたら社会的入院が減らせるのか。方法は一つでありまして、高齢者福祉を充実させなければだめなわけであります。福祉の充実といいますと、日本の国民は高福祉高負担を好まない、だから日本に福祉はなじまないとか、日本社会に高福祉は要らないとかおっしゃる方が大変多いんですけれども、しかし仮にデンマークの三分の一程度にまでホームヘルパーをふやしたといたしましても、まだまだ私は高福祉国の名には値するものではないんじゃないか、そういうふうに思います。とにもかくにも、それでやっと文明国の仲間入りができるかどうか、その程度のものではないかと思っております。つまり、今の高齢者福祉というのは余りにお粗末に過ぎて話にならない、そういうことを政治家の皆さんに認識していただきたいと私は思うわけであります。
 以上くどくどと申し上げましたけれども、とどのつまり、慢性病患者を大勢抱えることになるであろう療養型病院、こういうものをつくろうというのであれば、それは高齢者福祉とリンケージされていなければナンセンスであります。高齢者福祉は高齢者医療とワンセットで語るべきもの、そうでなければとにかく体の不自由なお年寄りが救われることはないだろう、これはもう断言できるわけであります。
 もう一つ認識を深めていただきたいのは、社会的入院をさせられている人々の身の上であります。先ほどもちょっと申し上げましたが、縛られたり、閉じ込められたり、薬でよれよれにされたり、寝かせきりで放置されたり、こうした仕打ちは病院によってかなりでこぼこがあることは事実でありますけれども、とにかくそれが介護者や看護者の質の問題であると同時に量の問題でもある、ここを外してはいけないと思います。老人病院も精神病院同様、お世話の人手は全く足りないというのが現実であります。人手の足りない分、縛られたり閉じ込められたり、人手を惜しむほどにお年寄りの尊厳が損なわれている、そういう関係にあるということはもう明白であります。
 どのくらいの人手をかけたらどんな内容の介護や看護ができるのか、これは世界の国々を見ればすぐわかることであります。例えば、私はデンマークにたびたび行きますけれども、この国の病院や老人ホームのベッドでお年寄りが縛りつけられているような風景に一度も出会ったことがありません。これだけ情報が国際化している時代でありますから、そのつもりになれば幾らでも情報は手に入るはずです。よその国が何をやっているかを正しく認識しようとしないで一国の医療・福祉政策を遂行するというのは、私は政治家として、行政官として実に無責任なことではないかというふうに考えております。
 最低限、イギリスとかフランスとかドイツ、デンマーク、スウェーデン、アメリカ、そのくらいの国々の実態は正確に把握して、それを国民に開示して、日本の国にふさわしい政策というのはどういうものか、そういう順番で練り上げてこなければ、これはかなり不親切な医療行政と非難されて仕方がないと思います。
#7
○委員長(田渕勲二君) 大熊参考人、時間が参りましたので、失礼ですが急いでください。
#8
○参考人(大熊一夫君) 最後に、日本の老人病院がいかに人手を惜しんでいるかということを知っていただこうと思いまして、私はスウユーデンの老人病院の職員数のことをゆうべスウエーデンに電話をしまして調べてもらいましたので、これは後でもし質問がございましたらば詳しくお話を申し上げることにいたしますのでは、とりあえず終わります。
#9
○委員長(田渕勲二君) どうもありがとうございました。
 次に、中野修参考人にお願いいたします。中野参考人。
#10
○参考人(中野修君) 本日、こういう立派な会議の席にお呼びいただきまして、発言の機会を与えていただきましたことを厚くお礼申し上げます。微力でありますからどの程度ふだん考えている意見を御披露申し上げることができるか甚だ自信のないところでありますが、与えられた時間の中で努力したいと思います。
 今回のいわゆる第二次医療法改正案でありますけれども、医療提供の理念が規定されまして、医療施設機能の体系化、それから医療に関する情報提供の拡大、医療関連業務委託の水準確保、それから医療法人の業務範囲の一部拡大というようなことが盛り込まれております。以下、各項目ごとに意見を述べます。
 まず第一に、医療提供の理念規定でございますが、今後の医療の目指すべき方向、これは生命の尊重、個人の尊厳の保持、医療の担い手と患者の信頼関係に基づいて、患者の病状に応じた適切な包括的医療を医療施設や患者の居宅において効率的に提供することとされております。これは当然のことでありまして、医師会の目標とするところもここにありますから賛成でございます。
 衆議院において、医師と患者の信頼関係がインフォームド・コンセントによって形成される、そういったことを明確にすることというような議論がありまして、「政府は、医師、歯科医師、薬剤師、看護婦その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係をより促進するため、医療の担い手が、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう配慮することに関し検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」、こういう附則になったわけでございます。
 そこで、インフォームド・コンセントが医療現場で大切なことは当然であります。しかし、インフォームド・コンセントだけが医師と患者の信頼関係を形成するものではございません。インフォームド・コンセントは、医師が患者との相互信頼関係を維持しながら医療の目的を達成するために主体性を持って生涯努力すべき医療行為の一端であります。法制化によって他から強制される筋合いのものではない、かように思うわけです。附則にあります、検討の結果措置を講ずるとすれば、医学教育のカリキュラム及び医師会における生涯教育制度の中に盛り込むなどして、医師が自主的に促進すべき問題だと考えております。
 二番目の医療施設機能の体系化について申し上げます。
 人口の高齢化、疾病構造の変化、医学医術の進歩、医療機能の専門、細分化、国民の医療ニーズの多様化、これらに対応しまして地域医療計画を推進するためには、医療機関の機能分化と相互連係のシステム化が必要であります。北海道医師会においても、二次医療圏ごとに各病院の医療機能を検討する調査を行っておりますが、総合的に病院の医療機能を評価するための指標の選択が極めて難しいことがわかってきました。医療施設機能の区分をどのように再編成して体系化するかということは、今後十分慎重に進めるべきであろうと思います。しかし、今回その第一段階として、高度な医療を提供する特定機能病院と、病状安定後も長期入院を要する患者のための療養型病床群を規定することには反対いたしません。
 なお、特定機能病院の特性を生かし、一般外来患者の集中傾向を改善するためには、外来は基本的に紹介外来制にするのが望ましく、これも急激な改変は不可能でございましょうから、徐々に段階的に変えていくべきだと思います。また、外来患者でも高度の医療を必要として長期の経過観察を要する場合も結構多いというようなことも考慮すべきでございます。
 一方、療養型病床群は、高齢化社会に対応した病院機能を考えますと、一般病院の中に高齢者のための病床があるということは高齢者の医療の質を高める、そういう意味合いもございまして必要な施策であり、療養型病床群への患者の転床につきましては入院日数などで規定せず、主治医の判断に任せるべきであります。また、高齢者は合併症が多く、容体が急変したときは主治医の判断によりまして速やかに一般病棟で治療が受けられるようにすべきだと思います。
 三番目に、医療に関する情報の提供について申し上げます。
 現在の広告規制を緩和し、医療機関の機能を住民に正確かつわかりやすく情報提供する必要があります。しかし、情報のどこまでを義務づけ、広告的部分についてはどこまでを規制するか、これについては日本医師会など関連団体の意見を十分に聞くとともに、都道府県と都道府県医師会の話し合いで決められる余地をぜひ残していただきたいと、その必要があると思います。
 また、従来法律で規定されていた標榜診療科名でありますが、医学医術に関する学術団体及び医道審議会の意見を聞いて政令で定めるということは、医学、医療の進歩に対応する柔軟性を示したという評価はできますが、各学会での専門医、認定医の基準、その後の生涯研修につきましてもさまざまでございます。日本医師会を中心に各学会の方針の統一ができるまでは、診療科の選択認定には問題がありますので、政令での決定は今なお慎重に行っていただきたいと、かように思います。
 四番目に、業務委託の水準の確保のことについて申し上げます。
 医療の周辺には種々雑多な医療関連ビジネスが増大し、病院、診療所の業務の外部委託が進行しております。非営利を規定された医療に営利を目的とする企業が参入するためには、適切なチェックが必要であり、滅菌、消毒、給食等重要なものは政省令で規定することは当然であります、厚生省、日本医師会、各種企業の参画した医療関連サービス振興会と協調して、医療関連ビジネスの水準確保と健全育成に当たることを期待いたします。
 五番目に、医療法人の業務範囲の拡大について申し上げます。医療法人の附帯業務に疾病予防のための施設の設置を認める今回の改正案には賛成いたします。ただし、医療法人の業務はあくまで良質で安定的、継続性のある医療の提供を第一義とするものであり、今後健全な医業経営を行う上で悪影響を及ぼすような事業は認めてほしくないと、かように思います。
 終わりに、まとめとして付言させていただきます。
 今回の医療法改正案について、基本的に賛成しますけれども、政省令にゆだねられた事項など細部につきましては、日本医師会等医療団体の意見を十分に反映していただくことを強く期待いたします。
 なお、病院の質をマンパワーで表現することは一つの要素ではありますが、マンパワーだけが質をあらわすものではありません。標欠の問題は単にマンパワーの数だけで病院の質を評価しております。北海道医師会の調査でも医師数、看護婦数、老人収容率は病院の機能評価の要素になっておりますが、最終的には診療内容が考慮されなければ質の評価はできません。マンパワー、ベッド数、老人収容率等によって診療報酬から病院機能をランクづけしているのでありますが、病院の機能から診療報酬を設定すべきであります。
 今回の医療法改正は、もなかに例えますと皮の部分であります。あんこの部分の一般病院は関係ないという安易な考え方がありますけれども、今回は突破口であります。病院機能、医療機能の総合的な判断をいかなる指標によって決定するかの方法論をクリアした上で、一般病院を含めた将来構想を示すべきであります。
 以上で、簡単でありますけれども、意見の陳述を終わります。ありがとうございました。
#11
○委員長(田渕勲二君) どうもありがとうございました。
 次に、村口至参考人にお願いいたします。村口参考人。
#12
○参考人(村口至君) 本日は、私のような第一線の医療に働いている者にこのようなまたとない機会を与えていただきまして、感謝いたします。私は、東北の一地方都市の中規模病院の管理者であります。医療法の一部を改正する法律案につきまして、第一線の病院で働く者の立場から、反対の立場で意見陳述を試みたいと思います。なお、私は日本医師会の会員でありますし、また私の病院は日本病院会及び全日本民主医療機関連合会に加盟している病院であります。
 私は、今回の改正案を、一九八二年の老人保健法に、そしてそれに引き続く厚生省国民医療総合対策本部中間報告、さきの地域医療計画の医療法改定という、一連の動向の中でとらえたいと思います。この流れに貫かれている発想は、お年寄りの医療差別であり、医師の裁量権の圧縮にあり、それはとりもなおさず公的医療費を抑え込む政策に帰着すると考えます。今年四月一日に行われました診療報酬の改定は、今後第三弾、第四弾と続けられると予告されている医療法改定の方向性を明確に示すものとなったと思います。
 私の病院が加盟しております全日本民主医療機関連合会の民間病院のアンケート、皆さんのお手元に資料を添えてありますけれども、要約してあります、御参考にしてください、これに見るごとく、圧倒的な医療機関は、厚生省関係者の言う八〇年代十年間の診療報酬改定幅に相当する改定などという言葉を信じてはいないことを示しております。戦後建築された多くの病院が耐用年数に今日至っているだけに、医療の現場を担う者にとっては今や試練の世紀末というとらえ方をせざるを得ません。戦前の国民不在の医療から、戦後民主憲法下「いつでも、どこでも、だれでも良質の医療を差別なく」を求めてきた先輩たちの努力を、効率性が悪いとの一方的な評価で、国民医療要求の多様化の名のもとに差別を合理化しようとするのが今回の医療法の改定ではないかと私は思います。
 改正案に関する私の基本的見解は資料に添えてありますので、時間の関係から、本改正案の中心的なテーマであります病院機能の分化、体系化に関して、特にその中でも療養型病床群について一歩踏み込んで述べたいと思います。
 衆参両院の質疑から明らかになりました点では、この療養型病床群は、一、対象患者は現在の一般病院入院中の患者の約四割、四十三万人を考えていること。二、対象疾患は、脳卒中後遺症、リューマチ、筋骨格系疾患、骨折等であること。三、病棟は看護単位一単位五十床ごとにすること。四、医師は百床当たり三人、看護婦十七人、無資格者助手十七人とし、五、現老人病院を吸収していくということが述べられていること。六、診療報酬は定額制を中心とし、部分的に出来高払いを併用する、というものであります。
 医療は対人サービスであるゆえ、その内容はマンパワーと費用で決定されます。この低いマンパワーの配置と定額制はまさに現行の老人病院の内容そのものであり、ここで明らかなことは、一般病院約百万床のうち四割の四十万床を年令制限を解除した老人病院化するということではないかと私は思います。
 現在、一般病院は約九千あります。仮に各病院が一病棟五十床の療養型病棟を持つとしますと、四十五万床となります。この数は、先ほど政府当局が述べられている四割に該当する数であります。五十床未満の二千の病院は、丸ごと療養型病院となるのは言うまでもありません。一般病院の八六%を占める二百九十九床以下の病院は、この療養型病院の比重が二分の一から六分の一となり、この比重の高い病院から急速に一般病院としての機能が失われていくことになると予想されます。急性期から慢性期まで一般病院としてバランスよく扱う規模として仮に四百床以上の病院としますと、現在七百病院あるわけですから、四十三万床を配分しますと一病院当たり六百床となり、これは法案にあります特定機能病院を含めて丸ごと療養型となってもまだ不足ということになります。これくらい大きな問題をこの療養型病院について期待しているということになります。
 政府委員は、この間、どの型の病院を選ぶかは自由選択であり、強制しないことを再三述べてきました。しかし、昨今の医療経営の実情は、診療報酬改定に対応しているうちに自由選択の余地がなくなっていくことを示しております。このような形で日本の地域医療を支えてきた一般病院が消滅させられていくことが、良質な医療を、いうところの効率よく提供することを約束することになるか甚だ疑問であります。
 第二に、一般病棟から療養型病棟に強制的に患者を移すことにならないかどうかが議論されております。それに対し黒木局長は、医師の良心とか医師のヒューマニズムに期待することを述べております。今日の病院経営は医師のヒューマニズムをしばしば圧殺しなければ成り立たないところに悲劇があり、また、さきのアンケートの結果としてその危機感があらわれていると私は考えます。療養型病棟の患者が重症化したため特三類をとっている一般病棟に移すと、直ちに在院日数がはね上がり、特三の資格を失うことになります。この際、在院日数の縛りや診療報酬の入院の逓減制を撤廃する意思が当局にあるでしょうか。重症化した長期入院者は在宅へと追いやられることにならないか心配です。医師のヒユーマニズムを物質的に支える経営構造こそ行政が保障すべきで、一時のヒロイズムに頼ることで国の責任を果たしたことにするのはいかにも無策としか言いようがありません。
 第三に、次にマンパワーについて述べます。
 一般病院の老人病院化により、看護婦は二万四千人が浮くと試算されています。看護婦不足への対策がとれないでいることで、無資格者導入で水増しした形で看護の質を低下させることは国民の決して喜ぶところではないはずです。また、専門職としての医療人の生きがいにも悪い影響を及ぼすに違いありません。また、医師の配置も少なくし、いうところの医師過剰時代をさらに激化させることにならないでしょうか。マンパワーについては、現在の一般病院の医療法施行規則基準以下にならないようにすべきだろうと思います。果たしてこの配置で国民が望む心の通い合う医療、今回議論されているところの十分なインフォームド・コンセントを約束できる物質的条件をつくれるというのでしょうか。療養型病棟入院患者はそれが不要とでもいうことになるのでしょうか。マンパワーを低い基準にし、その上物価スライド制も約束されない定額制で医療活動を抑制した環境下で、医療人の生きがいやモラールが低下することが最も心配です。杞憂にすぎないということでしょうか。
 第四に、ここで地域の一般病院について述べてみたいと思います。
 仮に、中小規模病院を二百九十九床以下としますと全病院の八六%に当たり、またその病院が全病院病床の六三%、病院外来通院者の五八%を扱っております。また、救急告示病院の五六%、救急車時間外搬入入院の三六%、入院主要疾患では循環器の六九%、損傷、中毒の六五%、消化器疾患の六一%、悪性新生物の三二%を取り扱っております。これらのデータは一九八七年から九〇年にかけてのデータです。中小病院が地域医療の二次的部分を支えていることを示しているデータでもあります。法案でいうところの良質の医療を適正に効率よくということを真剣に考えるならば、まさにこれら地域医療を圧倒的に支えている病院群こそかぎを握っていると言えないでしょうか。この病院群の多くは民間病院と地方小都市の自治体病院で成り立っております。これらの病院が、今日経営的にも、医師、看護婦などのマンパワー獲得にも困難な立場に置かれていることは厚生省当局者が知らないはずはないと思います。
 第五に、私は医療機関の役割分担、連係について一般論として否定するものではありません。国民の幸福と安心を中心に考えるとすれば、地域医療をまず量的に担っている中小病院が、二十一世紀に向かって質的に強化されることこそ中心的テーマとして進められなければならないと考えます。現実をリアルに見るならば、これこそ法案提出の趣旨にいうところの量から質の時代への核心的課題ではなかろうかと思います。この視点から見たとき、本法案はそのアプローチの方法として逆転していると言わざるを得ません。機能分担と連係は、医療経営にも、医師を初め職員の労働にも人間的ゆとりがあって初めて進むものと考えます。今日の激しい市場競争のつくられた環境の中で、必死に医療の非営利性を守ろうとしている圧倒的部分の中小医療機関に対し、営利性への道を誘導しながら老人病院化を迫る今日の法改正案は、日本の医療の将来に大きな禍根を残すことを私は断言したいと思います。
 第六に、なお医療法改定の動きの中でいま一つ懸念されるのは、学会専門医の法制化問題であります。
 今改定が医療機関のランクづけとなるおそれがあるように、専門医法制化も医師層の中にランクづけを持ち込むことになり、第一線医療の現場に大きな混乱をもたらすだけでなく、アメリカ合衆国に見られるごとく過度の専門分化が不合理性を生み出した前車の轍を踏むべきではないと考えます。
 最後に、山下厚生大臣は、本法案が医療費抑制を考えていないと答弁しておりますが、本案の主課題である病院機能分化の第一弾として出された療養型病床群の以上のごとき分析では、医療費の伸びを国民所得の伸びの程度、範囲内に抑える政策目標がやはり貫徹していると言わざるを得ません。衆議院での修正も附帯決議もこの本質を変えるものとなっていないことは残念なことであります。
 昭和二十三年制定の医療法を今日の状況で変えることは必要になっていると私も考えます。そこで必要な改定は、第一に、同施行規則第十九条にあります医師、看護婦を初めとする職員定数規定の欧米諸国並みの引き上げと、それを可能とする診療報酬体系による経営的裏づけてあります。そして第二には、今日の病院の極めて劣悪と言われる環境整備の抜本的な改善のための諸施策を行政としても各病院に援助するということが求められることではないかと思います。
 以上をもって私の参考人としての意見陳述を終わります。ありがとうございました。
#13
○委員長(田渕勲二君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの御意見の聴取は終わりました。
 これより参考人の方々に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#14
○宮崎秀樹君 自由民主党の宮崎秀樹でございます。
 き上うはお忙しい中、四人の参考人の方にはそれぞれのお立場から貴重な御意見を賜りましてありがとうございました。三人の医師の方とそれから大熊さんには大変御自分の経験に基づく精神医療の面、それから高齢者医療、そしてさらに福祉の面まで言及していただきまして大変参考になったわけでございます。
 そこで、最初に坪井参考人、それから大熊参考人、村口参考人にお尋ねいたします。
 今回の医療法で理念規定が入りました。特にその中で私が一番関心を持っておりますのは、やはり医療の本質であります。「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師」この後に衆議院で実は修正が入りまして、「薬剤師、看護婦その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づきこと、ここで「信頼関係」が入りました。と同時に、医師に関しましては医師法の第二十三条にこういうことが書かれております。「医師は、診療をしたときは、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導をしなければならない。」、これはもう医師法にきちっと書かれております。
 そこで、今度衆議院で附則がついたわけでございますが、インフォームド・コンセントの問題でございます。このインフォームド・コンセントに関しましてはいろいろなケースがございまして、私は実は外科の医師でございまして救急医療をやっております。例えば、意識がない方が搬入される、それから患者さん、患者さんの保護者にお話をできない余裕で即処置をしないと助からない場合がある、またある宗教団体の方々は輸血を拒否される、そういういろんな場面がございます。医療というものは商法とかそれとは違うものでございまして、契約をしていいか悪いかそこで初めて行動を起こす、こういうものじゃございません。このインフォームド・コンセントに関しましては、それだからこそ医師は責任が重い、それだけのことを任されている、こういうことでございます。
 その辺のところを今お話がなかったんでお尋ねしたいんですが、中野先生からはこれに関してはコメントがございました。お三方からこの辺のところをどういうふうにお考えか、お伺いしたいと思います。
#15
○参考人(坪井栄孝君) 宮崎先生のただいまのインフォームド・コンセントということに関してのお尋ねに私の意見を申し上げます。
 先生も御指摘になられましたように、今回の改正の第一条の二に倫理規定として医師と患者の「信頼関係に基づきこという字が入りましたことも含めまして、しかも医師法の中で、宮崎先生が御指摘なされましたように、我々には既にそれらについての義務といいますか、ものがございます。その中で現在まで多少いろんな問題点があったにしても今まで行われてきたわけでございまして、さらに新しく法の中にインフォームド・コンセントを挿入して、そして法でその規定をつくるということになりますと、かなり各方面といいますか各部分で障害が出てくる部分があると私どもは体験的に感じております。ただいま宮崎先生がお話しになられました外科手術の問題も一つの例でございます。
 それともう一つは、これは私見でございますが、いわゆるインフォームド・コンセントと横文字で呼ぶよりは、説明と理解あるいは説明と同意というふうに日本語でお互いに討論した方がわかりやすいんではないかと思っているわけでございます。本当の意味での説明ができる場合、本当の意味で患者さんに理解がしていただけるというのは、あくまでも医師と患者の信頼関係が先行するということであるというふうに私は考えております。もちろん説明と同意があって初めて医師と患者の信頼関係が成り立つという意見も正論ではございますが、さらに本当の意味での説明と理解というものは医師と患者の信頼関係があって初めて正しくできるというふうに考えておりますので、我々の倫理規定の中でこういう問題は解決させていただきたいというのが私の意見でございます。
 終わります。
#16
○参考人(大熊一夫君) 患者の立場からの私ということでこの問題を考えてみますと、とにかく現在まで余り私は医療にかかったときにきちんと説明をしていただいたりとかそういう機会がなくて、また説明してもらいたいなと思いながらどうも口ごもってうまく言えなかったりとか、そういう場面に何度も遭遇しております。そういう点からいたしますと、とにかくまずこういうものをきちんと法律の中に明記していただくというのは物すごく大きな意味を持つものではないかというふうに私自身は考えております。
 それからもう一つ、この説明と同意の問題は言葉だけの問題ではありませんで、こういうものがきちんと生きるというにはそれなりの背景が必要になるわけであります。つまり、きちんと説明していろんなことを患者さんにわからせてしまった医師はその後アフターケアもすごく大変なわけでありますから、そういうことも含めますと、例えば職員配置の問題とかそういうものと全く切り離しては考えられないようなものではないか、つまりそのバックグラウンドとしてのハードウェアとか人の配置とか、そういうものが充実しないとこれはきちんと生きるものではないのではないかということをいつも痛感しております。
 以上です。
#17
○参考人(村口至君) 宮崎先生の御質問にお答えしたいと思いますけれども、私も大変難しいテーマだと思っております。これは医療の現場サイドに近づけば近づくほど抽象論は通用しない、しかも一例一例具体的であって、一例一例の対応が違ってくるものであるというふうに思います。
 今回、医療法の改正を通してこのインフォームド・コンセントが議論されたということは、私はそれなりに社会的な関心をこのテーマで呼んだということと、それから私たち自身、医療人もこういう問題を社会の議論の中で考えるという点では大変いい機会を与えていただいたと思っております。ただ私自身、医療法が本来施設法であるという立場からしますと、施設法の中に医療の基本的な理念、医療の基本的な人権にかかわるような理念を部分的に入れてくるというのは将来いろんな混乱を招くんではないかと思います。
 そういう意味では、憲法の第十条以降にあります国民の権利と義務というあの立場から、患者の権利法的なものを医療基本法的なものとしてきちんと考えていくということが大事ではないか、そしてそういうことを通して医療人と国民の方々のコンセンサスを広げていくということが必要ではないかとまず思います。そういう点では、附則に回されておりますけれども、医療施設法としては切り離して本来は出すべきではないかと思っております。
 それから第二に、現場サイドのことから考えますと、インフォームド・コンセントといいますのは私は二つの問題があると思っております。
 それは、日常的にほとんど三分診療みたいな形をとらなければ経営が成り立たないという立場に私たちが置かれている中で、しかもお年寄りが多いこの医療現場の中で、耳の聞こえない、よくも理解できない、一々紙に書いて、紙に書いても見えないというそういう方々も多い中でとても時間はとれない。ですから、これは健保連が八三年に行ったアンケートでありますけれども、第一の患者さんの要求は、患者の話を聞いてくれる医者がよい医者だ、第二は懇切丁寧に診察してくれる医者がよい医者だと、それぞれ五〇%を超えております。第三に病気や薬などについてよく説明してくれる医者が欲しいんだ、これが四七%という形でありまして、こういう極めてプリミティブなことが現場の医者ができないでいるということを、果たしてこれは医者の倫理観とか道徳観とか人格が低下したからだというふうに見るのか、そういう条件をつくらないでいるからだと見るのか、この辺がこのインフォームド・コンセントが国民的な議論を呼んでいるときに、医療のどうしようもない現場との関係でひとつぜひここにいらっしゃる先生たちは考えていただきたいというのが一つです。つまり、整理していかなければいけないだろう。
 それからもう一つは、インフォームド・コンセントを本当にやるとしますと、例えば危険度の高い手術をやる、その説得をします。この説得のときには、本当に相手が理解を十分したかどうかを確かめるためには、主治医が話した内容を第三者が患者を呼んで家族を呼んでどういうことを話したかを聞くということ、どれくらい理解されたか聞くということが作業として介在しなければいけない。それから主治医が話すときにやはり主治医側と患者側の第三者が入って、きちんとそういう内容を第三者も含めて合意するということが本来的なきちんとしたインフォームド・コンセントの究極のあり方ではないかと私は思います。
 そういうような条件を果たして皆さん方は十分頭に入れて議論されているのかどうか、そういうことが医療の現場でできるのかどうかということも、このインフォームド・コンセントを単に理念的な、道徳的な問題にしないためには、医療の中にきっちりと根づくためにはそういうことも必要なんだ、そのための条件をどうつくるかが大事なんだということを、ぜひ同時に御検討いただきたいというふうに思います。
 以上です。
#18
○宮崎秀樹君 それでは、特定機能病院について、ちょっとこれは専門的な話になりますので、坪井参考人と中野参考人にお尋ねします。
 特定機能病院というのは、厚生省から今出ている考え方としては、外科とか内科とか小児科とか、従来ある科目のうち十科目以上、こういうような考え方でありますが、私はこういう特定機能の高度の医療をやる病院には病理の機能がなくてはこれはもう機能しない、やはりそういう検証をきちっとやった中での高度医療というものが必要であるので、こういうものを一つ私は取り入れていかなきゃいけないんじゃないかと思うんですが、それについてどういうふうにお考えでございましょうか。
#19
○参考人(坪井栄孝君) 高度の医療を行うことを目的としております特定機能病院でございますから、宮崎先生がおっしゃられるように、病気の最終的な診断に多くかかわる病理科があるということに関しては必要なことであろうかというふうに思います。
 ただ、その診療科がどうかこうかというふうな問題については、全般的な影響ということもございますから、この法の改正の中の後段にありますような、診療科目に関しては審議会を設けてこれを検討するというふうな項目に関してむしろ整備していただいて、その中でまた御討議いただく、あるいはまた政省令の討議のときにそういうものを持ち出していただくということをしていただいた方がいいかなというふうに思っております。
 病理科に関する価値に関しましては、先生と全く同意見でございます。
#20
○参考人(中野修君) 一般論的に高度の医療、患者さんあるいは紹介、当然紹介制なんというのを部分的に、段階的に導入される形をとらないと地域医療のネットワークが、患者の流れがうまくいかないという事情も別の面でありますから、そういうふうなことになりますと、病理的な機能を持っていないと特定の病院だなんてとてもおこがましいことを言えないんじゃないか、余りにも当然のことであると思います。
 ただ、それが内科とか外科とかという一般の診療専門科と同列に並ぶものなのかというような、細かいことについてはちょっと今避けますけれども、臨床病理機能を持っていなかったらやっていけないだろうし、それは住民の要望にこたえ得るものではない。紹介した先生に対しても当然やるべき責任として、そういった施設は備えないといけないというふうに私は思います。
#21
○宮崎秀樹君 特定機能病院でございますけれども、今度の医療法改正の中で、三時間待って三分診療の解消、こういうことを考えていることは事実でございます。大学病院、それからナショナルセンター、国立の循環器病センターだとかがんセンターだとか、そんなことを想定している、こういうお話でございます。
 大学病院の外来患者さんというのは、千人を超える患者さんが殺到する。ある大学では三千人という一日の外来患者、こういうことでございます。仮に三分間、これを説明と同意を含めてきちっとやりますと、最低一人三十分かかりますね。そうしますと、十分の一に患者さんを減らさなきゃならないわけですね。これは大変私は至難のわざだと思うわけです。そこで、診療報酬等もぎちっとそれに見合うだけのものをやらないと成り立っていかない。それは健康保険法で恐らくこれから討議されることでありましょう。
 紹介外来率に関しましても、最初は五〇%といったけれども、地域によってそれぞれ異なるから、最初は余り紹介率は考えないんだ、こう言っておるわけでございます。先ほどいろいろなところでお話が出ました、裏づけと申しますのは社会保険診療報酬だと思うわけでございます。
 そこで、私ちょっとお尋ねしたいのは、医療費の問題でございますが、今約二十兆円という国民医療費でございます。これの多い少ないに関しましては、それはいろいろ個人のお考えもあろうかと思います。また公費負担に関しましても、日本の一般歳出は七十兆円を超える予算の中で三十八兆円しかない。その中で社会保障費は十二兆円とっている。そのうちの五兆数千億がこちらの方へ回ってきている。総枠の中での考えで、将来平成十二年度に厚生省が出した推計では四十三兆円に医療費はなるだろう。そのうちの十五兆六千億は老人医療費と、こう言っておるわけでございます。
 そういう中での今度の法案でございます。私は実際的に働いたときに、医療費を今ある中で単なる分割をしていくと、これは問題が起きると思うんですが、上乗せをそこにしていかなきゃならない。その原資の問題等をこれから我々考えなければいけないのでございますが、そういうことで、実際大変これは医療法はいったけれども、実際それを受けて動くのはお金が要る、こういうことでございます。
 先生方、皆さんそれぞれのお立場でこの医療費の問題に関しまして、まあ外国の比較ではいろいろあります。日本人が一回行くのに医療費は平均六千七百円、こう言っております。アメリカは一回行くと五万円かかる。スウェーデンは一回行くと九万円かかる。じゃ平均何回行っているかというと、スウェーデンは三回、アメリカは五回、日本は二十一回、こういうようなデータもございます。トータルでは日本は二十一回行っているけれども、十四万以下、アメリカは二十五万、スウェーデンは二十七万、こんなようなデータもあるわけでございます。
 私は、そこでお尋ねいしたいのは、日本の国民医療費の枠の中で、そういう特定機能病院なり、高度な医療をやる。それで新しい技術が今度入ってくる。現在の枠というものをあくまでも死守した中で、これはでき得ないと思うんですが、その辺のところは皆さんはどういう感覚でこれをとらえているか、これは皆さんに、時間が私二十八分で終わりますので、簡単に一言ずっコメントをお願いいたします。
#22
○参考人(坪井栄孝君) 特定機能病院というものがよくまだ読めておりませんが、大学病院の本院が中心になるというふうなことも聞いております。そうしますと、その中における研究あるいは教育というふうな問題も当然入ってくるわけでございますから、そこに流れる医療費のあり方というのは当然検討されるべきものであるというふうに私は考えております。
 それから、前段で先生がお話しになられました三時間、三分のお話でございますが、これは大学病院に外来の患者が集まるというそのビヘービアを変えなければいけないというための法改正も恐らく根底にはあるんだろうというふうに私考えておりますので、紹介率の問題とか、その辺のところは政省令で十分に考えながら、医療費の流れというふうなものの検討を加えていっていただきたいというふうに思っております。
#23
○参考人(大熊一夫君) 私の立場からいたしますと、日本人はもうちょっと福祉や医療に金を使ってもよろしいのではないかというふうに思っております。日本の経済の力からいいまして、もうちょっとハンディを負った人々あるいは病人に対して人間的な生活を送っていただいて何ら不都合なことはないというふうに思っております。ですから、まず福祉のパイは余りに小さ過ぎるのでもっと大きくする。
 それからもう一つ、この福祉との連携で医療費のことを申し上げますと、今は福祉が余りにお粗末で、医療費の中に本来は福祉に行くべきお金がすごく使われているという現実があるわけであります。ここを差し引きますと、やはりどう考えても日本の医療費というのはそんなに高いものではないので、私はもうちょっときちんと国民は負担すべきことではないかというふうに思っております。
#24
○参考人(中野修君) 臨調の政策提言以来、とにかく医療費の抑制策というのがほぼ十年ぐらい確実に続いてきている、これはおわかりのとおりであります。厚生省は、国民所得の伸び率の枠内に医療費を抑え込みたいという方針をはっきり明言した上で、細かい診療報酬の改定の都度あるいはその他の関連の、医療法の改正としてでなくともいわゆる医療法的、そういうようないろんな側面で着実にそれを実施してきた成果でしょうね。
 厚生省の政策目標が達成されてから、それは厚生省に言わせれば成果でしょうけれども、見事に枠組みの中に抑え込まれた結果、政管健保、組合健保も大変な黒字を残す状況になっておる。昔を思いますと本当に夢のような話です。昔は政管健保の赤字が毎年毎年非常に国会の中で、要求する側とそれをそうはいかぬのだという側との間で激しくやられたものでありますけれども、今ここ何年かは組合の財政も黒字である。年金の方は、これは確実に毎年決まった数の国民が年金を受ける年齢に達するということから、これは抑えることができないわけです。今、社会保障費の中の話に移っているわけですけれども。ところが、医療費の方は非常に流動的な要素が多い、不確定要素が多いために、うまく細かい政策を組み立てますと抑え込むことができるという形でやられていることには大変不満ですし、果たしてこんなことを続けていっていいのかなと。例えばGNP対比で国民医療費が五、六%というのは国際的に見て余りにも貧困ではないでしょうか。
 そして、先ほど来大熊先生からも、とにかく看護要員等病院におけるマンパワーの配置ということが非常に大事なんだ、そういうことによって質のよしあしか決まってくるんだよというようなお話もありました、精神科とか老人医療に絡んで。すべて財源によってそういった政策を裏づけしていただかなければ人なんか一人もふやすことができないのが現状でございます。
 でありますから、医療の価値観、医療がいかに大切なものであるかという価値観をほかの分野とよく冷静に比較検討して、将来確かに高齢化は進みますけれども、高齢化になるから医療費はぐんぐんこのまま抑え続けるんだということが果たして国民が望む将来を目指したいい政策であるのか、それとも暴論であるのか、極端に言えば、そういったことでオプチマムでちょうどいいところはどうあるべきだというような議論に持っていっていただきたい。国会の先生方にもぜひお願いしておきたいと思います。
#25
○参考人(村口至君) 私は幾つか問題があると思いますが、まず第一に治療偏重の医学教育、これまでの日本の医療のあり方という問題はいずれ近い将来解決されていかなければならないし、最近は予知の医学等が発展してきておりまして、そういう期待は持てるであろうと思います。
 それから第二には、構造的な問題としまして、ME産業とか製薬会社が原価を公表しないまま、私から見ますと暴利を持っていっているという感じはします。例えて言いますと、今回四月一日の診療報酬の改定、四月分を私たちの病院で見ますと、外来では大幅にダウンしまして、入院で何とか外来分を取り戻しましたけれども、しかし入院で取り戻した分といいますのは、ちょうどその額だけが医療材料費それから薬剤費が伸びた分に相当しまして、私たちの手元に残る、つまり看護料が上がったと言いながら看護婦さんにプラスアルファをするような原資は何も残らなかったという関係になっております。
 つまり、医療費を高くしている構造の内的な要因を徹底して明らかにしてほしい、そういう作業が極めておくれている。しかも、ME産業とか製薬産業のことになりますと、まずその辺の原価公表も含めてなされていないということが非常に残念だと思います。このことに手をつけなければ、医療費が高騰していく重要なファクターに手をつけないまま進んでいくということになると思います。それが第二点です。
 それから第三点には、国民に対して何のためにどれだけの金をどこに注ぐのかということをもっときちんと議論をしてほしい。果たして防衛費にこれだけ使っていいのか、果たして海外協力費にこれだけ使っていいのかということとの関係で、国民にもっと正しく判断するような場をつくるべきではないかと思います。それなくして、臨調行革路線でこれ以上医療、福祉に金をやらないというのではとても国民は納得できない。圧倒的に他先進国に比べて少ない金しか回していないという現状を棚に上げて、医療費はこれ以上になると国が危なくなるという議論は私はためにする議論ではないかというふうに思います。
 そういう点で、内的な要因、それから医療費をどう考えるかという国民のコンセンサスを正しく得る作業を大いに進めていただきたいというふうに思います。
 以上です。
#26
○宮崎秀樹君 あと一分ありますので、大熊先生に一つお尋ねしたいと思います。
 国民負担率の問題ですけれども、スウェーデンがもう七〇%を超えておりますね。日本が今回〇%を切っております。これは五〇%程度にとどめるべきだという話もございますが、先生のお考えですと、日本の福祉ということを考えたときに、大体どの程度まで国民にコンセンサスが得られるのかなというような、感じとしてで結構でございますから、一言。
#27
○参考人(大熊一夫君) それは明快なお答えはちょっと難しいと思います。
 ただ、私は日本がすぐそんな北欧並みになるなんて全く思っていませんし、例えば大づかみに申し上げるなら、せいぜい半分ぐらいまでいったら随分すごい変わり方をするだろう。そのぐらいまでいってもまだ日本は福祉国なんて言えないレベルだろうとは思いますけれども、そのぐらいにいかないと格好がつかないんではないかというふうには思っています。
#28
○宮崎秀樹君 どうもありがとうございました。
#29
○日下部禧代子君 日本社会党の日下部でございます。
 きょうは、四人の参考人の皆様、大変お忙しい中をおいでいただきまして、そして大変貴重な御意見を拝聴させていただきまして本当にありがとうございました。
 さて、最初にお伺いしたいことがございますが、まず、先ほど宮崎委員の御質問にもございましたが、いわゆるインフォームド・コンセント、あるいは説明と理解、説明と同意と言われていることでございますが、これは坪井参考人、中野参考人、村口参考人、お三方ともいわば否定的な、ネガティブなお答えであったというふうに思います。つまり、いわゆる倫理的な指針としては認めるけれども、法律上の理念というふうに規定されるのはなじまないのではないかという御意見というふうに私承っておりましたけれども、特に坪井参考人はさまざまな問題も出てくるのではないかというふうにおっしゃっておりましたが、そのさまざまな問題というのをもう少し具体的に御説明いただけますでございましょうか。
#30
○参考人(坪井栄孝君) 具体的なさまざまな問題点についてお話しする前に、今御質問にございましたインフォームド・コンセントに関しまして否定的というお言葉でございますが、もちろん先生御理解なさっているんだろうと思いますけれども、インフォームド・コンセントといいますか、説明と同意というのが我々医療人が医療を行う場合において絶対条件であり必要条件であるということは、これは間違いないことでございますし、それがあって初めて我々は質のいい医療、あるいはまた受ける方々は質のいい医療を受けられるということが成り立つということでございます。
 さまざまな条件ということを一つの例としてとりますと、例えばがんの患者さんの場合の告知の問題がございます。これは我々がそれを積極的に誘導しているというのではなくて、実際に世の中の流れとして現在告知という問題が日本においては、非常に告知が行われているところですら、例えば国立がんセンターとかそういうふうな専門のところであっても五〇%、よくても六〇%ぐらいの患者さんに告知が行われているという現状がございます。
 これは告知を行うことによって治療そのものに障害を及ぼす。障害を及ぼすというのは治療を拒否するといいますか、それからまた治療の効果を上げるのに、例えば非常に注射そのものについて恐怖感を持つとか、そういうふうなことがあったりなんかしまして、言うなれば片方から言えばそれは勝手な医者のパターナリズムということで片づけられてしまうかもしれませんが、逆に言いますと、そういう極限の患者さんに対して我々医療人がある意味でのパターナリズムを持たざるを得ないような社会情勢に現在ある、それは告知というものが日本においてはまだ常識化されていないということでございます。
 したがって、例えばインフォームド・コンセントが法的にある形の中で規制されて、それをしない場合には極端に言うと罰則規定が出てきてしまうというようなことになりますと、先ほどのいい意味でのパターナリズムなんてことは医者の念頭からは消えてしまって、ただ型どおりにすべてに告知をしてしまう。要するに、我々は患者に医療を施すときに、施すと言うとちょっと言葉が悪いですけれども、医療を提供するときに、患者さんと一緒に一番いいことをしたいと思う心には変わりないわけでございますから、その辺のところの制約になるということは確かでございます。
 それから、先ほど宮崎先生のお話にもありましたが、私どもがインフォームしても患者さんにコンセントしていただけない場合も当然医療の中ではあるわけでございます用意識のない患者さんあるいはそのほか自己決定の不可能な状況のとき、そういうような場合には、これは第三者なりなんなりにそういうものが移譲される、その権利が移譲されるということになるんだろうと思いますが、そういうようなものは患者さん一人一人について違うわけでございますので、画一的にそれが規制化されるということになりますと、非常に我々の医療に関する行動が狭められる。要するに、医療そのものの質の低下というと言い過ぎかもしれませんが、制限になりかねないだろうという危惧を私は個人的に持っているわけでございます。したがって、先ほどの公述のときに、さまざまな状況があるのでというふうに申し上げたわけでございます。
#31
○日下部禧代子君 御意見を拝聴いたしましたお三方、坪井参考人、中野参考人、村口参考人、お三方ともお医者様でいらっしゃいます。大熊さんは患者の立場から御発言なさっていたように思いますけれども、今の御説明は納得いくわけでございますが、私も患者の一人になる可能性のある立場の人間といたしまして、私どもが今の医療サービスを利用させていただくときに、どうしてもお医者様との意思が完全に信頼関係を保つまできちんとお話し合いができるというふうな機会は本当に少ないような気がするわけでございます。
 そうした現状も考えまして、一体どのような条件が整えば医師と患者との信頼関係を結ぶであろういわゆる説明と同意というものが実現されていくというふうにお考えでいらっしゃいますでしょうか。これは坪井参考人、中野参考人、村口参考人、お三方のお医者様にお尋ねしたいと思います。
#32
○参考人(坪井栄孝君) 説明と同意が成り立つ条件ということになりますと、これは先ほどもちょっと申し上げましたが、やはり医師の説明が信頼を持って患者さんに受け入れていただけるということが私は前提になると思いますので、要するに医療法という法の中でそれを規制して信頼関係をつくるということも一方法論としてはあるからこういう意見が出るのかなというふうに思っているわけでございます。
 私どもは現在、それはまあさまざまではございますが、患者さん一人一人について一生懸命理解していただけるような説明の仕方をしているわけでございますが、先ほどどなたかのお話の中にもありましたように、受け入れる側の患者さんのバリエーションといいますか、お一人お一人の生活史の中でといいますか、生まれて生きてこられた生活史の中での問題も絡んでなかなか一様ではないということでございます。ですから、非常に時間がかかる場合もありますし、かからない場合もありますし、また理解をしていただいたと思っても違う意味での理解があったというようなことが
ございますので、そういう点からいきますといろんな状況といいますか、多様な状況の中で画一的な方法論をつくるということ自体、私は現在具体案は持っておりません。
 ただ、言えますことは、私たちが医師としての倫理観というふうなものを教育され、そして患者さんを見る基本としてそういうものを持って今まで生きてきたわけでございますから、その中で醸成される患者との信頼関係、それがインフォームド・コンセントの具体的なといいますか、成立するとすれば基本的な具体的な方法論にならざるを得ないのではないかというふうに思っております。
 お答えにならないかもしれませんが、私はそう考えております。
#33
○参考人(中野修君) 私、先ほどの意見の陳述で申し上げたんですけれども、インフォームド・コンセント、私はネガティブではありません。非常に大事な、むしろ医師としてやらなければならない医療行為の中の非常に重要な部分であるというふうに理解しております。
 ただ、医師と患者の相互信頼関係、これはもう医療というのは医学を基盤に、そして医師と患者の相互信頼関係という非常にヒューマニティー、人間愛といいますか、この両方の側面でそれを基盤にして成り立っているのが医療なんですよ。その中で当然できるだけ患者さんに病気の状況について、病名も含めて物を言ってお伝えして協力、医師と患者の信頼関係と同時に、共同して病気を治していかないと、医者だけで治せないわけですね。これはもう当然だと思います。家族も時には一緒になっていろんな側面で協力しなければならない。それで初めて病気と闘ったり、病気を克服することができるという当たり前のことがあるわけですね。
 そうすれば、なるべく教える方が効果が上がるんであれば教えなければいけないでしょうし、医師側からすれば医療行為の中に入るわけです。これをいわゆる努力義務として法制化するということは、私はネガティブなんです。そういうことをすべきでない。私からすれば非常に哲学的で大事な部分でありますから、法律の規制なんか受けたくないわけです。人間とはそういうものでないでしょうか。
 これはちょっとうまい例えでないかもしれませんけれども、夫婦愛、夫婦の愛が大事だと言いますね。だから夫婦の愛、信頼関係を高めるために夫婦の努力義務を法的に裏づけて愛を高めていこうというようなことを、もし御夫婦の間で議論なさったらどういうことになるかなというような、ぴったり同じでないかもしれないけれども、本質的にそれと似たようなものを医師としては持っているわけですね。ですから法制化しなくてもやっていけると思います。
 ただ、どういう条件がそろえばということは、診療報酬だとか、私なんかは吹けば飛ぶような無床診療所を札幌でやっておりますけれども、それでも一人一人の患者さんに私が心で思うほどいろんなことをお伝えしたり、そんな暇はありません。いわんや高度の医療をやって忙しい状況の中ではたばた働いている医師側がすべての患者さんに十分な説明をするなんということはもう不可能です。そういった条件をどうやって整えるかというのは、国民側も考えていかなければいけないし、国会の先生方も、じゃ医療費の財源はどういうふうに手当てするかとか、それからマンパワーはどのくらい必要であるかとか、医者にインフォームド・コンセントをやらせる時間的余裕を与えるにはどういう条件を整えればいいかとか、医者が考えるよりも先生方の方がお考えになっていただきたいなと思います。
#34
○参考人(村口至君) 日下部先生にお答えしますと言うほどのしっかりとしたことは申し上げられませんけれども、私もちょっと先ほどの発言を誤解されたのではないかと思いますが、私は医療法が施設法であるという限りにおいて、そういう性格においてこのインフォームド・コンセントというものをおさめるということはなじまないであろうというふうに発言したつもりです。
 それから、今回これを機会にこれだけ社会的にも関心を呼び、私たち自身も実はそういうことをまともに病院の中で議論しなければいけないという自覚を持たされたという意味では、今回の先生たちの御議論というのは大きな意味があったと思っております。積極的に受けとめております。その上でありますけれども、今、参考人の先生たちがそれを成り立たせる物質的な条件というものが絶対的に必要なんだということを述べております。これは、私も最初の宮崎先生の御質問に答えたつもりでありますけれども、やはりそこのところはどうしても知ってほしいというふうに思います。
 ただ、今日このことがこれほど問題になる社会的な背景のもう一つには、人間相互関係の非常に希薄さが一般的にある、これは患者と医者との関係にかかわらず、社会一般にその関係があるということは重視していただきたい。私の病院では、一日夜間に、時間外に四十数名の患者さんが来ます。若い研修医たちは、地域に根差せ根差せと院長は言うけれども、自分たちは当直をして、翌日当直明けもとれずに働いている、夜来る患者さんたちは本当にコンビニエンスストアみたいに私の病院のことを考えているんじゃないだろうか、医師との信頼関係を患者さんがしっかりつくって、自分の健康を守ろうなんという自覚を果たして持っているんだろうかということで、よく突き上げられます。
 私も、そういうことに対して何ら返答する言葉もないわけでありますけれども、そういう一般的な社会の現象の中で、インフォームド・コンセントということが逆に浮き彫りになっている、そういうとらえ方も必要ではないか。それだけに、単に法律をつくったということだけでそれが医師に対する倫理的な、道徳的なものとして迫っても、決して解決するものではないんではないか、そういう性格のものではないかと思います。
 それからもう一つ、もうちょっと現場のことをお話ししますと、実は私のところで最近ある内臓の重大な手術をすることになりました。患者さんは患者さん自身の信条で輸血を拒否します。しかし、だんなさんは絶対してほしいと言うという関係になりました。私の病院では、そういうことではとても手術に踏み切れないので、ぜひそういう方でも受け入れる病院に行ってほしいと言いました。東北地方の片田舎ですから、それほど選択肢はありません。放置しておきますと病気は進行する。そういう状況の中で私も含めて外科医、主治医、外科部長、そして病棟婦長が、この患者さんを手術に持っていくために合計二十数時間家族と話し、患者と話し、やっております。これはとにかく、病棟回診も時間内にできないような忙しい医師の労働の中で、このことをやって手術に持っていく。幸い手術も、輸血せずに成功させることができたわけでありますけれどもいそういう条件をつくっていくことがどれだけ大変なことかということを、ぜひここにいらっしゃる先生は医療の現場をぜひ見学されて、じかにつかんでいただきたい。
 決して医師は、自分たちが何か法律で規制されることだけが嫌だということで逃げ回っているんではありません。そういう条件、関係は必要であろうと思っております。必要だけれども、そういう毎日の生活の中で、とてもじゃないけれどもできない、これ以上院長は何をやれと言うのかというぐらいに私は言われながら、そのことを求めております。それは決して長続きのする、しかも普遍化する条件下ではないというふうに思いながら、しかし頑張らせようということでやっておりますけれども、ぜひこの辺の医療の仕組みに踏み込んだ御検討をいただきたいというふうに思います。
#35
○日下部禧代子君 ありがとうございました。
 私の御質問のときに、少し言葉が足りなかったように思いますので、つけ加えさせていただきますけれども、お三方がインフォームド・コンセントの概念そのものについてネガティブであるというふうに私申し上げたのではなくて、概念としては賛成だけれども、法律上の理念として規定されることに対してはネガティブであるというふうに私は御質問したつもりでございます。私の日本語がおかしくて申しわけございませんでした。
 次に、大熊参考人にお尋ねしたいのでございますが、先ほど御自身の取材体験に基づいた御意見をお述べいただきまして大変感銘を受けたわけでございますが、その中で、特にマンパワーの問題については、日本のマンパワーの貧困さということをおっしゃっていたと思います。
 現在、医療法でございますと、看護職員の配置基準というのは、一般病床は四対一、そして精神病院などでは六対一というふうになっておりますが、一般的に他の先進国に比べて低い水準であるということを前提にして、一般病床と精神病院の格差でございますね、これはどうすべきだとお思いでしょうか。
 それからもう一つ、先ほどの昨晩お電話でお問い合わせくださいましたという、スウェーデンにおける実際の配置基準というものをお話しいただければと思います。
#36
○参考人(大熊一夫君) では、昨日のスウェーデンからもらった情報を素直に申し上げます。
 これは、スウェーデンのストックホルムの市内にありますファースタというごくごく平凡な老人病院であります。スウェーデンですぐれた医療をやっているとか、そんなものではありません。
 そこで、具体的にちょっと数字を申し上げますと、お年寄りが百五十八人入院しております。そのうち三十人が痴呆性老人ということで、三十人はまた十五人ずつの小さな病棟を二つというふうに分けてありまして、そのほかのお年寄りは三十二人病棟が四つ。つまり、先ほど何か日本のは五十人で一病棟というふうにおっしゃっていましたけれども、それよりもさらに小さく、きめ細かくということがここで見られます。
 それで、具体的な看護婦の数でありますけれども、看護婦が四十三人、それから副看護婦が二十六人、これは日本の准看に当たると思います。それからほかに、看護助手が百四十六人、これは日本の介護職に当たると思いますが、向こうでは二十週間の教育でこの資格が得られるようになっています。これは全部フルタイム労働に換算した数であります。
 これを単純に、例えば先ほどの療養型病院の厚生省案と比較いたしますと、お年寄り六人に対して看護者一、介護者一というのが療養型病院でありますから、これに比べてスウェーデンの長期療養病院というのはざっと四倍近くのお世話の人手をかけているということがはっきりします。これにさらに作業療法上回・二五人、作業療法士助手二人、理学療法上回・五人、理学療法士助手二人、言語療法士〇・五人、心理療法士〇・五人、ソーシャルワーカー一人、これが加わるわけですから大変な布陣でやっているんですね。スウェーデンの長期療養病院というのはまさに日本がこれからつくろうとしている療養型病床群そのものであります。
 ついでに申し上げますと、実はこの長期療養病院というのはことしの一月一日から老人ホームに看板を塗りかえまして、つまり県立病院から市立の老人ホームに変えてしまいました。その中で具体的には今度は個室を全部百五十八人分、全部トイレつきの個室、そういう形に変えたんですね。つまり、これがいかに医療と福祉を連携して考えなきゃいけないかということの一つの見本みたいなものであります。こういう問題をはらんだ療養養型病床群であるというふうに御理解いただくと、わかっていただけるのじゃないかと思います。
#37
○日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
 そういたしますと、今の療養型病床群、これは精神病院や結核病院などと同じような看護職員の配置基準になりますけれども、これとそれから一般病床との四対一という格差についてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。
#38
○参考人(大熊一夫君) もちろんこれは仕方がないといったらある意味で仕方がないですね。スウェーデンはスウェーデンなりに一般病床とこういう長期療養型あるいは精神病院との格差はつけていまして、スウェーデンのそういう精神医療の関係者とか老人病院の関係者は、それはちょっと不当であるという意見もないではありません。そういう意味では、恐らくこれは世界じゅう同じ問題ではなかろうかと思います。
 私自身は不当かどうかちょっと、現状がもう余りにレベルが低すぎて一般病床との比較を論じる気力もないような状況であります。
#39
○日下部禧代子君 今のお言葉の中にいろいろな大熊さんの思いがこもっているように理解いたしました。
 ところで、いわゆる社会的入院というのが日本では大変に問題になっておりますけれども、社会的入院というものをだんだん少なくしていくためにも地域医療というものを非常に重視しなければならないというふうに思います。つまり、社会的入院生活から退院が可能になるためには受け皿というものがどうしても必要になってくるだろうというふうに思うわけでございます。これからますます地域医療というものの重要性というのは、どのくらい言われても言い過ぎるということはないというふうに思います。しかしながら、地域医療だけではなく、受け皿というのは地域福祉ということ、つまり地域における医療と福祉というものの有機的な連携というものがこれから非常に重要になってくると思います。
 その地域医療、地域福祉を含めましたいわゆる患者の退院後の、特に慢性療養型の病院からの退院後の方々がどのようにして安心して地域でお暮らしになれるのかというふうなことの観点から、地域医療、地域福祉を含めた総合的な有機的な受け入れ体制のネットワークというものがこれからどのようにあるべきなのか。特に坪井参考人、中野参考人、村口参考人には、その中でかかりつけ医の存在というのはこれから非常に重要になってくると思うんです。その辺のところも含めまして、四人の参考人の方々に御意見を承りたいと思います。
#40
○参考人(坪井栄孝君) かかりつけ医という問題に関しましては、先生御存じのように、日本医師会としましても非常に大きな力を費やしておりまして、即かかりつけ医というわけにはいかないかもしれませんが、いわゆる居宅の医療といいますか、在宅の医療という面に関しましては、従来の入院医療あるいは外来医療と同じようなウエートで、同じような柱の太さで居宅医療、在宅医療というものを考えているわけでございます。
 その在宅医療の推進のためには、当然かかりつけ医という先生方の力が最も必要なわけでございますので、今後もそういうふうなものについては広い視野で、地域医療と先生おっしゃいましたが、地域医療全体の中でそういうものをとらえるという努力を現在までもしておりますし、これからもするつもりでおります。
 特に、今回の医療法の一部改正という案の中でも、総則の中で先ほどの理念が入った、「居宅」における云々という字が入っているということに関しましても、私どもは今言ったようなことで非常に方向づけが出てきているという評価をしているわけでございます。
 それから、さらに先生が言われるように、具体的に地域医療の中でそういうものをどういうふうに整理していくかというふうなことに関しましては、今回高機能である特定機能病院という柱と、それから長期の慢性疾患を診るべき療養型病床群という柱が立ったわけでございます。その間の部分に関して、これからきめの細かい、しかも受けやすい医療というものを準備されるということに努力をすべきであろうと思いますし、今回の医療法改正を契機にしまして、今後かなり早い時期に次の改定というふうなことを計画的にやっていただかなければいけないだろう。
 その中で先生が言われるような地域医療の整備というものができていくであろうというふうに考えております。言葉をかえれば、よく言われます地域における医療機関の機能分化ということになるのかというふうに思っております。
#41
○参考人(大熊一夫君) かかりつけ医の問題でありますけれども、今回の医療法の改正で私も一つ不満なのは、機能分化といいながら実は一番肝心のかかりつけ医の部分がきちんとしていないことであります。
 これは、私がささやかなる外国の取材での感じですけれども、例えばデンマークなどは家庭医という制度もありますね。家庭医は隣のスウェーデンにはありませんけれども、スウェーデンもどうもその方式がいいんで、近々導入しようという話があるそうです。それから、ヨーロッパ大陸の幾つかはそういう方法をとっております。
 具体的にデンマークの家庭医のことを申し上げますと、一人の家庭医がざっと住民千五百人ぐらいを受け持っております。住民側からは、そのドクターが気に食わなければ二年に一回別のドクターを選ぶことができる。そういうような形で国土全部が一つのかかりつけ医のネットワークで網羅されていまして、それは老人ホームにいるお年寄りも、それから町の中に住む若者も全く同等に一人の家庭医を持っている。そういう形で、かなりこれはかかりつけ医のシステムとしては私は完成度の高いものではないかというふうにかねがね見ております。それからドクターの待遇も、大体大病院の部長クラスの金銭的な待遇あるいは社会的な地位が得られているというふうに聞いております。
 こういうものがなぜきちんとした参考にならなかったのか、私はちょっと残念に思っているぐらいなんです。
#42
○参考人(中野修君) 先生おっしゃるとおりに、社会的入院を解消するといっても、社会的入院が発生したのは、何も医師側、医療提供側の方に原因があるんじゃなくて、患者さん、家族側の方に理由があるわけなんです。
 北海道なんかは医療費が高いということでよく突き上げられてみたり、議論の俎上に乗せられたり、あるいはペナルティーをかけられたりいろいろありますけれども、北海道でなぜそういう現象が起きたかということを調べましたら、家族構成で核家族化、開拓が始まってとにかく近代化に一世紀ちょっとしかまだたっていない。非常に歴史的に未熟な状況でいきなり都市化現象のような動きを北海道はとったんですね。そうすると、核家族のようなのが随分できてしまって、例えば田舎で農家をやっているような御夫婦二人に年寄りがついているというような家庭を一つ想定しますと、借金して農業やっています、もう機械化もみんな借金ですから。そうすると、二人で働かないと借金を返していけない。それが農業経営の実態であるというところに、年寄りが病気でということになったら、うちに置いておきようがないわけですね。病院にお願いする。それで、よくなったら退院させて、戻ってくるときに受け入れられるかというと、なかなかそう簡単にいかない。
 これは非常に単純な例を一つ申し上げたけれども、大体そんなようなことが社会的入院の動機になり、そういう状況があるということなんです。入院してよくなった、病状も安定した、家庭で今度はやろうよ、どうも政府もそういったことを進めているようだしといっても、先生おっしゃるように、地域福祉の体制というものができてないわけです。
 私、北海道ですから、道の方の予算を見ますと、福祉分野に本当にいろんなところで随分金が、予算がつけられています。ところが、細切れにあっちにもこっちにも、これは僕に言わせると、こういうことをここでこれ以上余り言わない方がいいかもしれませんけれども、何というか、お金を出してないんでなくて、出しているんだけれども非常に行政の縦割り機構が災いしているんだと思いますが、隣の分野の出している金とこっちの方で出している金が連携とれないのが仕組みになっていますね。そうするとばらばら。
 住民が求めるのは、今おふろに入れたい、そういうことをやってもらいたいとか、食べ物を運んでもらいたいんだとか、具体的にニードがあるわけですよね。ああ、そうしたら、ここのボタンを押せばちゃんと役所の方と連携をとってこういう出前の食べ物も運ばれますよ、週に一回はおふろも運んできて入れてくれるよとか、そういったものが目に見えて、どこかのボタンを押せばぱっと出てくる。それで、仮に負担がかかるものであればそれには何ぼ何ぼの自己負担も必要だとか、そういうようなすぐ利用できる形ができてないものですから、口ではわっと言うほど役に立ってないわけですね。お金も結構予算づけがされているけれども、まとまって住民が活用できるような体制をつくるところまでいってない。そういうことがありますから、ぜひ地域福祉の具体化ということは急ぐ必要があると思います。
 それから、医療と福祉ですから、医療もネットワークができてないんですよ。これは個人の努力で、例えば僕の患者さんをこの病院に紹介する方がよりいい、またしなければならないと、紹介しますね。これは個人の努力で、そこのお医者さんと僕との人間関係で個別のネットができているわけですね。医者が苦労してそういうものを個人の努力でみんなつくっているわけです。そして、うちの大事な患者さんが何かあったらこのネットに乗っていく、もちろんインフォームド・コンセントも当然そのときはきちっとやりますよ。患者さんも結構満足してくれるケースが多いです。
 そういうようなことで、医療の方もネットつくらないといけない、福祉もつくる。そしてこれがうまく網の目のように、ネットワークというんですから細かく現場で組み込まれるような、入り込むような形をとれなければできない。
 それから、かかりつけ医というのは法的にはないかもしれないけれども、かなり現実はもう昔からの流れとして、開業医なんというのはかかりつけ医にならなかったらやっていけないんですから。それでもって医業経営成り立っているようなものですからね。これは目に見えない形でありますし、何代にわたってその御家庭の御家族を診させていただいている。何か起きたら個人のネットワークで病院に頼むとか、入院したり、帰ってきてまた面倒見るとかやっているんです。全然やってないわけでないんです。この辺を政策的に、何というか行政的に身分の規定だとか、いろんなそんなことを含めてちゃんとやる、そういう意味での家庭医とかあるいはそういうものはどうかなと。ちょっとそっちの方にも私はいきなり、ああ、それはいいと言うわけにいかない。そちらがそういう制度化するときの問題というのはあるんです。
 そういうようなことで、かかりつけ医も必要だし、かなり実態としてあるし、それから今の福祉と医療のネットワークづくり、それはもうぜひしなければいけないし、行政の予算の配分をもっと縦割りでなくて総合的にお金を、スゲールメリットになりますからね、集中してお金を、はい、この問題、地域福祉といって配分するような、そんな乱暴なこと一挙にできるとは思いませんけれども、例えばねらい、方向としてはそういう方向をとって早く現実のものにしていただきたい。
 そこで、今度はかかりつけのドクターがいた場合に、福祉と医療に、大熊先生のお話ですと、福祉に配分すべき金を医療の方に持っていったから福祉がさっぱり寂しいんだとおっしゃいますけれども、そういうことをして、仮にそれが正しいとして持ってきたとしたって、医療だって非常に寂しい状況なんですよね。ですから、寂しい者同士で分捕り合戦やったってこれはどうにもならないんで、やっぱり財源の問題がまた絡んできます。だけとおっしゃっている、ねらっているねらいは私と同じです。早くそうしたいと思います。
#43
○参考人(村口至君) 大変大きなテーマでありまして、一口で答えられないという感じがしておりますけれども。
 まず、社会的入院の問題は今お話されたとおりだと私も思っております。私の病院ではこの十数年来訪問看護をやっておりまして、約九十数名フォローしておりますけれども、そういう訪問看護をやっている中でも、こんな貧しい家を見られちゃ嫌だとか、それから訪問看護を受けるためには、訪問したときにだれか家の人がいなければいけないためにかえって負担だとか、そういう苦情もあります。なかなか長期入院者を家庭に引き取っていただく、そして家庭の中で、地域の中で患者さんの療養を支えていくということもそう簡単ではないという場面に日々ぶつかっております。
 それからもう一つ、私は先生の御指摘、地域医療の重視という点で今回の医療法の改正案を見ますと、私、先ほど冒頭に述べましたように、地域にある百床とか百五十床とかという非常に比率の高い病院が、もし例えば百床の病院が五十床療養型病棟になりますと、一般病院としての機能は五十床になってしまうわけですね。この五十床でもって夜の救急を受け入れたり、一般的な一次から二次にかかわる医療を展開するということが果たして可能であろうか。僕は不可能だろうと思うわけです。そういう意味で、先生のおっしゃる地域医療の重視という点から、この医療法をぜひ見直していただきたいというふうに思います。決してそういう地域病院が療養型病棟をたくさんつくることが、むしろ社会的な入院をふやすことはあったにしても、地域の全体的な医療をバランスとって進めていくということにはならないんではないかという非常に大きな問題として私は感じております。
 それからネットワークの問題でありますが、この問題はとにかく、さっきの先生がおっしゃいましたように、医師と医師の人間関係でもって辛うじて地域のネットワークが保たれているというのが現状であります。第三者、全く知らない人間同士になりますと、患者さんも不安であるし、大体あの医者に紹介してこの患者さんはどうなっちゃうんだろうかなんて思っちゃうと、とてもそういうネットワークにならないという点では、日常的な医師同士の交流とか相互の乗り入れとかそういうことが必要です。
 日本医師会の各地域の医師会がありまして、私のところの医師会も月に四、五回の勉強会があります。こういうところに出て情報交換をしながらもやるわけでありますけれども、私は時間がもっと欲しい。時間があれば、私は一時やりましたけれども、私の病院で、紹介された患者の心臓カテーテルをやりましてビデオを撮る。そのビデオを持って昼休みに開業医の先生のところに行って上映したりしてディスカッションをするということをやりました。しかしこれは三回で終わりまして長続きができませんでした。こういうことが、つまり情報を共有しながらということが、そして人間関係をつくっていくことが、ネットワークをしっかりとしたものに広げていくんだという部分をどうしてもつくりにくいという状況に置かれていることもぜひ御理解いただきたいと思います。
 それから、かかりつけ医の問題につきましては、私は現在の医学教育の問題を一度ぜひその視点から、地域医療を担う医学教育になっているのかどうかという視点から御検討いただきたいと思います。
 私の卒業しました東北大学では、卒後研修の問題で三者協議会というのがあります。インターン闘争以来二十数年間続いておりますけれども、先日ここでカリキュラムの大改定が行われるということに対して私が学部長と病院長に質問しました。今の医学生に地域医療のことを語ってもさっぱり耳を傾けてくれない、訪問看護に連れていってもさっぱり何とも感動もしない、今の医学教育は何をやっているんだろうかという質問をしました。
 そうしましたら学部長と病院長も、おまえの指摘することはそのとおりである、私自身だって死ぬときには大学病院で死なないだろうと、こう言っていました。きっとおまえのような地域医療の病院で死ぬだろうと言っていました。
 そういうことが一つ大きな問題として、つまり先ほど出ましたけれども、専門医志向の中で医学は細分化していく、教育も細分化していく、そういう中で若い医師たちはほとんど地域医療に興味を示さないという、そういう医師をつくっている。ここも一つ大きな問題として検討していかなければいけない部分ではないかと思います。
 舌足らずでありますけれども、以上です。
#44
○日下部禧代子君 どうもありがとうございました。
#45
○針生雄吉君 公明党の針生でございます。
 きょう参考人としておいでいただいた四人の先生方に、公明党・国民会議を代表いたしまして、お忙しいところ、また遠路おいでくださったことに対しまして心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 私は、最初中野先生に三つ四つの質問をさせていただきまして、次いで各先生方にも御質問をという形で進めさせていただきたいと思います。
 最初に中野先生に、先ほど来論議されておりますけれども、インフォームド・コンセントに関連しまして、中野先生は、相互信頼関係が大切であるしほかから強制されるべきではない、医師が自主的に推進すべき問題であるというふうにおっしゃったわけであります。しかし歴史的には、かつてこういうことを言った医師会長もおられたわけです。国民がわからなくても結構である、私は国民の家庭教師ではないというふうにおっしゃった医師会長も歴史上はおられるわけで、そういうふうな考え方が、いわゆる家父長権威主義的な考え方といいますか、そういう危惧があるからこそ衆議院の方でも修正ということになったんだと思います。
 そこで、実際、先ほども中野先生の方からお忙しい医療現場でのお話がありましたけれども、医療の現場ではインフォームド・コンセントがどのような状況になっているのかお教えいただきたいと思いますし、またインフォームド・コンセントを普及させるための方策について先生のお考えをお伺いいたしたいと思います。
#46
○参考人(中野修君) 先ほどからお話し申し上げたことに補足するような形でお答えすればそれでいいんではないかなと思います。お許しを願いたいと思います。
 インフォームド・コンセントが国際的に見て発生したプロセスですけれども、具体的にはっきり出てきたのがアメリカで、これは医事紛争、裁判で法律用語として出てきた言葉なんですよね。これは医者がきちっと説明をしていなかったことによって追及されるということから問題が起きてまいりまして、やはりきちっと説明すべきは説明をし、患者さんに伝えるだけでなくて納得をしてもらう、その上で合意。説明、納得、合意というようなこと、それをきちっと記録に残す、そうしないと裁判で大変なことになりますよという形です。
 ところが、それが国際的に世界医師会等でも早くから取り上げられて議論されておりますが、日本では裁判の方で法律用語として出てきたのではなくて、いわゆる古来からある東洋的な思想なんでしょうか、中国でも、中国の古代生命哲学を源流とするわざと心とか、わざと道とか、要するに技術に走り過ぎると心も技術的、機械的になって非常に残酷になってまずい結果になるということから、絶えず心とか道とかということに心がけなければいけない。だから、この二つを兼ね合わせて医療につきましてもやらないとだめだという思想はずっとあるわけです。そういう医師と患者の相互信頼関係、そういうような側面からこの言葉が問題になってきたという歴史的な発生の違いがあります。
 アメリカのような発生の仕方をとりますと、どうしても防衛医療になります。何かまずいことが起きるのは何なんだという御質問がありましたけれども、そのまずいことの一つに防衛医療というような形が起きてくるんですね。面倒な難しい病名をさっさと告知して、それできちっと文章に整えて記録に残して、いつ裁判にかけられても、少なくとも私はきちっと説明しました、これが証拠ですというものを整えておけばよろしいと。
 要するに、医師が自分を防衛しなければならないという非常に厳しい状況も人権意識が高まるにつれて起きてきているという、それが医事紛争とか裁判とかという場面で展開されるというのが現実で、アメリカも大変なこれが大きな問題になって、生命保険会社も医者の損害賠償はもう請け負えないというぐらい激しいものがあるというふうに聞いております。そういうような側面があってのことなんです。
 そうしますと、日本でもしも急いで、医者として当然生涯努力目標としていい医療をやっていく上で必要な医療の部分であるという基本的なことを忘れて、法制化されたそっちの方の影響だけを受けてやっていくと本末転倒になるなど。防衛医療なんということは患者にとって非常に不幸なことです。やはり医療というのは絶えずチャレンジしていかなければ、患者さんのいろいろのニードに、需要に対応していけないはずでありますし、そういう形で進歩していきます。そういうこともありますので気をつけなければいけないと思うわけです。
 現場では結構それぞれの医療機関、医療機関といっても、病院とか診療所とか一口に言いますけれども、患者さんの方にインディビジュアリティー、個別性があるように、医療機関の状況も非常に内容が違います。さまざまであります。さまざまの状況の中でかなり努力をして、先ほど最近の若いお医者さんはというお話がありましたが、確かにそういうこともあって、年をとればお医者さんの気持ちも変わるだろうと私は必ずしも悲観しておりませんけれども、かなりの年配、少なくとも私ぐらいの年配の医者はかなり患者さんに気を使い、患者さんに喜ばれるようにと絶えず心がけて、信頼関係を守りながらいい医療をやっていくように努力している。そういう中でインフォームド・コンセントもやれる範囲でやっていると思います。もっともっとやれるように余裕を持てればいいなというのは、お忙しい、施設の整った、はやっている大病院なんかの先生方にはあるだろうと思いますけれども、状況さえできればみんなやりますよ。そういうことです。
#47
○針生雄吉君 ありがとうございました。
 二番目に、医療法は施設法であるという批判がございます。それに関連することでございますけれども、医療法ないしは医療法施行規則なんかでは標準人員というのがありまして、その標準人員基準を満たしているか満たしてないかによって診療報酬の減額ということが行われるわけであります。今回の四月一日の診療報酬の改定によりまして、医療法で規定されている標準人員基準の七割以下についての診療報酬の減額が八割以下に引き上げられたわけです。
 その措置で現場では対応に非常に苦慮していると聞いております。例えば、地方の自治体病院では赤字に転落するというところがあると聞いておりますけれども、この状況について北海道の状況なども含めてお願いいたします。
#48
○参考人(中野修君) 四月一日の診療報酬の改定で、理想論、一般論からいったら、医療法で標準人員基準というものが決められているんだから、絶えずその基準を満たすだけのマンパワーを確保しておかなければいけない、これは当然のことなんですけれども、したくないのではなくて、やれないで標準を下回るというような状況も現実なんです。
 それで、大幅に基準以下である場合にはペナルティーをかけますよということは既にその前から決められてありまして、それが標準人員の七割以下であった場合ということで、これは自主的に医療費のかなりの部分を減額して請求する、自主的にやることになっております。それを一月ぐらいいいだろうなんかといってたかをくくっていると、監査で指摘を受けて三年さかのぼって莫大な金を返還を求められる、そういうようなことがあります。ですから、自主的にきちっと減額して申請をしております。北海道で三十数件そういう医療機関があります。
 今度の四月一日の改定で八割以下というふうに引き上げられたわけです。これは十月一日からの実施で、半年の猶予期間はあるにいたしましても、なぜそういうような状況が生まれているかというと、看護婦さんの実数が現実に足りないわけなんですよ。絶対量が足りないわけです。そして都市と都市以外のところと比較しますと、どっちかというと都市の方は四苦八苦すれば何とか最小限度確保できるけれども、地方にいくほど大変であるという状況のもとでそういうことが起きているところへ、いきなり半年以内に人員を探して確保しなさい、そうでないとペナルティーですよと。これはいかにも酸といいますか、少し急ぎ過ぎでないか。これは医師側からすれば、守らないんではなくて守れないというのが現実であるということから発生しているということを考えますと、少なくとも一年ぐらいの猶予を持って、その間に何とか画策、頑張って人集めをしろと。しかし絶対数が足りない中でお互いに奪い合いやるわけですから、簡単にはいきません。大きな設備の整った病院ほど比較的楽に集まります。そういうようなことがあるわけですね。
 ですから、人材確保法なんというのが通りましたけれども、ここらあたりとも非常に矛盾したことが四月一日の点数改定で実施された。しかも、十月一日には、間違いなく違反していたら、八割以下であればペナルティーがかけられて、診療報酬は上げるどころかがっぽり下がって、それだから地方の自治体病院なんかは赤字に転落するところがかなり出てくる。これが北海道の事情です。北海道ではそういうことが起きることを大変憂慮しております。
#49
○針生雄吉君 三番目に、看護医療職員の確保についての御意見をお伺いしたいんですけれども、一般病院、特に各種のリハビリ医療に多くのマンパワーを必要とする整形外科とか、また密度の高い介護を必要とする精神科などの人員確保が困難で、特に都会よりは地方で看護婦さんやPT、OTなどの看護医療職員の確保が難しいと聞いております。現状とこれについての御意見をお伺いいたします。
#50
○参考人(中野修君) これは大熊先生にしかられるかもしれませんけれども、大熊先生は精神科の、先ほど日下部先生もおっしゃっておりましたけれども、鶏が先か卵が先かということなんですが、一般病院が四対一なのに精神病院は六対一でこれでいいのか、これはどう思うんだというようなお話です。
 これは、精神病院だって四、一にでも何でも、人をもうたくさん、要員を確保して経営が成り立つのであればそうしますよ。だけれども、六対一でも維持、経営やっていくというのは今非常に大変な状況にあるという現実も見てやっていただきたいと思います。
 そして、大変な矛盾があるんですが、厚生省が医療法で人員基準を決めたり、ペナルティーをかけたりいろいろやります。それから四月一日の今度の改定でも、基準の程度が高いものには、もちろん人員が医者の数も看護婦の数も、それから准看護婦の数も患者対比で多いわけです。そういうところには医療費がどっと流れるようになっています。医者の数と看護婦の数の多いところにお金が流れるようにつくってあるわけです。ところが、一般の病院、さっき言ったもなかの、今回は特定機能病院と療養型病床群ですから、これはもなかの皮、中のあんこが一般の町に多くある中小病院を含めた一般病院、そういうところでは大変なんです。そういう人員を確保して対応していくということはなかなか大変です。
 ですから、実態としては正君を集めたくても、いい官公立の大きな施設の整った、内容、労働時間とか身分保障とか処遇とか、そういったこともきちっとやられているということがもちろん条件の中に入っていると思います、そういうところには募集するとわあっと行くんです。ところが、普通の一般病院ではなかなか募集しても集まらない。新聞の広告に絶えず病院の「看護婦求む」が出ているのをごらんになっていると思いますけれども、集めるのが大変なんです。そういう状況にある。
 看護婦の絶対数が足りないということは、必要数の約一〇%不足であるということは、もう国の全体のレベルでもそうですが、北海道におきましても、北海道医師会も調査しましたし、それから行政も、道も調査いたしまして、全く数字が似たところで、実数でもって五、六千人看護婦が足りない、絶対数が足りないという状況、それが必要数に対して一〇%という大きな数字である。そういう背景のもとで看護婦の争奪戦が始まるわけです。
 厚生省の方針は、資格者だけでもって基準を決めて診療報酬も配分しようとする。これは将来を展望した場合に、若年の看護婦さんのなり手になる女子の数がどういうふうに推移しているかということなんですけれども、看護婦の新規養成数というのは大体今五万五千人程度であります。しかし、平成元年の女子の出生児は約六十二万人なんです。これは過去十五年にどんどんどんどん需給見直しというのを二回、三回とやってきましたので、そういう政策効果も上がって養成の数は十五年の間に倍にふえております。今も非常に看護婦養成ということが力説されておりまして、政策、予算づけもされましたから、また養成の数はこれからもふえていくと思います。それを抜きにして、今のままの五万五千人という養成数を固定させておいても、平成元年の女子の出生児は六十二万なんです。そうすると将来は、これらの人が看護婦になるときは女子の一〇%、一割は看護婦に回らなければいけない。そうでないと需給のバランスがとれないというのが見通しなんです。
 もし養成の数をふやしていけばもっとそのパーセントは大きくなる。そんなことが現実に可能なのかということを考えますと、資格を持っている職員だけで看護の体制を考えるとか、それが不足であるからペナルティーをかけるとか、そういう議論で果たしていいのかなと。先ほどスウェーデンとデンマークのお話で、看護補助者の機能というものを実際に現実面で活用して全体の看護、介護のシステムをつくっている、そういう体制になっていて全体の数がこんなに多いというお話を大熊さんから聞かせていただきましたが、私はそうあるべきで、資格者だけじゃなくて看護補助者というのが結構北海道では医療機能されております。
 後ほど言おうと思っていましたけれども、実態調査をやったわけです。悉皆調査で会員の病院全部、全道をやりました。そうしたら八〇%に近い回収率で明らかになったんですけれども、行政ではそういう調査はやっておりません。行政は看護職員といえば看護婦と准看護婦、まあ保健婦とかの方は入りますけれども、看護補助者なんというのは資格がないから調査しません。ところが、道医はやりました。そうしたら、実態として看護要員の四分の一は看護補助者が支えております。それが立派に働いて立派に看護機能というものを支えております。スウェーデンだってデンマークだってそういう補助者がちゃんと上の人の指導のもとでやっていると思いますけれども、やって全体で機能をつくり支えている。そういうふうな発想を導入しなければこれから先の看護体制は確保できない。
 そこで、精神科の場合、男で無資格者ですけれども、看護要員で何と言うんですか、男の補助者がいるわけですね。そういうようなのは全然マンパワーの評価の対象になっておりませんし、整形外科の方ではOT、PTの確保が難しいことは当然でありますが、日常の外来の診療の中でマッサージ師が随分活用されております。何人もいて、ほとんどリハビリとか理学療法を求めて外来に通っている患者さんが多いですから、実質的に医療の対応としては患者さん方に対応するマッサージ師を何人も置くわけですね。ところが、いわゆる看護要員の評価には一人も見てくれておりません。
 そういうようなことでいいのか、資格を持った看護婦と准看護婦だけで基準がどうだとか数がどうだとか、多いところにはお金が行きますよ、おまえのところはだめだからペナルティーだよ、これでずっといって大丈夫なのかなと。何年も後になると、看護婦さんのなり牛そのものが足りない中で一〇%も看護婦の方に回ってもらわなければならない。もし養成がふえればもっとパーセントが大きくなる。そういうところで医療体制、看護体制、介護体制が一つのシステムになってどうあるべきか、それを考えてほしいということでございます。
#51
○針生雄吉君 中野先生は北海道の医師会の副会長であられますので、この機会に北海道における看護職員の需要供給状況について何かつけ加えたいことがあればお教え願います。
#52
○参考人(中野修君) 今もちょっと触れましたけれども、昨年実態調査をやりました。三千件余りの医療機関、これは病院だけです、看護基準とか何かあるのは病院だけですから。七七・六%という高い回答率。これはいかに会員が、医師が、病院がこの問題に関心を持っているかという証左にもなろうかと思います。
 それで見たところが、有資格者の不足数でありますけれども、これは回答率を考慮して全道値を推定いたしますと、看護婦の方は二千百二十九人不足、それから准看護婦の方は千八百二十二人不足、合計すると三千九百五十一人の不足という結果が出ました。道の方では無資格者の調査はしております。
 それから、全部言ってしまいますと、看護助手やパート勤務の方のデータでありますが、この調査から、看護助手は二四・一%を占めている、それからパート勤務者は一一・八%を占めている。それぞれ看護業務の重要な担い手として機能しております。こういったことを評価していかなければこれからの看護体制は維持していけないだろうということであります。
 それからわかったことは、地域間の偏在、それから施設問の偏在。親方日の丸のところは看護婦がよく集まって、そして資格の高い看護婦が非常に多い。ところが、非常に地域的、施設的格差があるということが明らかになりました。施設間の偏在ということで、特に私的医療機関において思うように充足できないのが現状であるということがはっきりしております。
 そういうところで、今度の四月一日の点数改定があった。先ほどもちょっと申し上げましたけれども、そういうことでどうなのかなと。この機会に触れておきますけれども、官公立病院とか公立、公的病院はこういうふうに人材確保法が出て、はいわかりました、こうしますよ、週休二日制、はい、勤務体制はこうです、処遇もよくしましょう、全部やります。それで仮に赤字が出ても税金でちゃんと横から流れてそれを補完するといいますか、補助するとか、そういう財源の出場所があります。しかし、私的医療機関は診療報酬以外に一銭も財源は期待できません。そういった格差があった上で、ああいう格差づけをして、どういうような流れが起きてきて、それでいいのかなということであります。
 それから、道の方でも並行的に調査をいたしました。そっちの方で明らかになったことは、平成三年の不足数は約五千四百四十人。北海道医師会の方は会員医療機関ということで、道の方が全道の全部の医療機関で調査いたしますので実数が高く出てきます。不足数は五千四百四十人、必要数の一〇・二%。これは医師会の調査と同じです。平成四年から数年間は五千人から六千人という著しい不足数が続く見通しが明らかであります。今すぐふえるわけでないんです。この需給のバランスが一応保てるようになるのは十年後、平成十二年に需給のバランスがとれるということがデータではっきりしております。
 そういたしますと、人材確保法が通ったけれども、一体ここら辺とどういうふうに整合を持って、どういう財源の配分をして適応していかなければならないかという財政上の問題はぜひ国会の先生方に真剣にお考えいただいて、地域の医療を助けていただきたいと思います。
 以上です。
#53
○針生雄吉君 時間もなくなりましたので、最後に大熊先生に一つだけ御感想といいますか、お考えをお聞きしたいのでございますけれども、老人病院、老人病棟がさながら収容所のような様相を呈しているというお話がありまして、私宅ぜひ見学しろと言われまして、何カ所か特例許可病院というところを見学いたしました。十人ぐらいの部屋に、うつろな目をしたその八割の方が痴呆症だということでございましたけれども、さながら連合軍が解放したときのアウシュビッツのあの状況がとっさに頭にひらめきました。非常に悲惨な状況であるということは確かでございますが、いろいろ対策仰せになりました。寝たきりにしないということも含めまして、老人の痴呆化を防ぐという予防のための基本的な対策について何か、諸外国の例なども詳しい先生でございますので、お考えがあればお述べいただきたいと思いますが。
#54
○参考人(大熊一夫君) 痴呆を防ぐという意味ですか。
#55
○針生雄吉君 そういう悲惨な、収容所みたいなということも含めまして、何か外国の例のみならず先生のお考えとして。
#56
○参考人(大熊一夫君) 先ほどから何度も申し上げているとおり、決定的に人手のかけ方が足りないということははっきりしていますね。
 今おっしゃった痴呆の問題ですけれども、最近スウェーデンなんかで言われているのは、きちんと人間的な接触をして、人間的な環境の中で生活していただけば痴呆の進み方は明らかに少ないとか、そういう研究ももうはっきりしております。日本のいわゆる痴呆老人の専門の精神科医がスウェーデンに最近勉強に二、三人行っておられるんですけれども、そういう方々が向こうに行きまして気がつくのは、日本より明らかに痴呆性老人の重い人が少ないという印象を受けるんですね。これは専門家がそういうふうに印象を受けるんですが、それは医療環境、福祉の環境と非常に深いかかわりがあるんではないかと皆さんはおっしゃっておられます。
 ですから、いろいろな細かい要因はあるにしても、一つの最大の条件はこのマンパワーの問題ではないかというふうに私は思います。もちろんそれは量も大事ですが、質はもっと大事でありますけれども、きょうは余り質のことは申し上げませんでした。
#57
○針生雄吉君 ありがとうございました。
#58
○沓脱タケ子君 日本共産党の沓脱でございます。
 四人の参考人の先生方、大変御苦労さまでございます。大分たくさんの御意見を拝聴できまして、私ども大変よく勉強させていただく結果になりました。短い時間でございますので、最初に村口先生にお伺いをいたしたいと思っております。
 御案内のように、今度の医療法改正の中身といいますのは、医療機関の機能分化といいまして、特定機能病院とそれから療養型病床群という新しい制度ができることになるわけでございます。これはいろいろと言われておりますけれども、私ども一般病院をよく知っている者にとりまして、これが実際にやられますとどういう姿が現場に引き起こされるのかなという点では非常に不安を感じでおりますと同時に、実態がつかみかねるんですね。どんなことになるんだろうかというふうに思いますので、現場で御苦労いただいております村口先生からその点についてお話を伺いたいと思います。
 とりわけ、この問題を通じて中小病院つぶしであるとか、あるいは医療水準の低下を招くだとかいう問題が言われておりますし、同時に、高齢の重症患者が結果としては今の老人病院で起こっておりますように、家庭に追いやられていくのではないかという心配も非常に広がっております。そういった点についてまずお伺いをしたいと思います。
#59
○参考人(村口至君) 沓脱先生にお答えします。
 ただいまの、本改正案の中心的なテーマであります医療機関の機能分化のことにつきましては、私も全く同感でありまして、療養型病床群というものが日本の医療機関に新しい問題を、全く根本的に質の違った問題を提起するんではないかというふうに私も認識しております。個々のことにつきましては最初の陳述でもってるる述べましたので繰り返しはしませんけれども、重要なことは、百万床ある一般ベッドの四十万床が対象とされているということであります。
 そして、これはもう否定しょうがないことだと思いますけれども、初期の重症とか急性疾患の部分は救急車が大規模な病院に連れていく、そして救命した、あるいは残念ながら植物的な状態になったという状態になりますと、より規模の小さい、そして患者さんの地元に移されていくというのが今日の患者さんの流れであります。
 そういうことからしますと、地域にたくさん分布しています中小規模の病院にこういう患者さんが、現在でも集中してきているのに、さらに療養型病床群をつくることによって、合法的にというのはおかしいんでありますけれども、よりそれを促進させるということになるだろうと思います。その結果として、先ほど申しましたような地域医療のかなり骨格的な部分を担っている中小零細と言っちゃいけないですけれども、中小規模病院の一般病院としての機能がほとんど後退していきかねないというところを私は一番問題としなければいけないと思います。
 そして、一般病院の大体のモデルを百床の病院と考えますと、これはたしか衆議院の委員会でも政府委員の方でちょっとそういうことを申しておりました。百床病院を考えますと、ワンフロア、一看護単位五十床が療養型病棟になります。そうしますと、一般病院は五十床一単位、一フロアということになります。
 一般病院ですから、循環器の急性期の病気から、狭心症から、たまには心筋梗塞から、あるいは吐血、下血の潰瘍とかいうものから、いろいろと入ってきます。また受け入れるのが地域の一般病院の役割でありますけれども、それだけの機能を果たすために今ですら多くの百床レベルの病院は四苦八苦している。ベッド回転で四苦八苦しているというところに、それが五十床になったときにどういうことになるかということは、もう想像しただけでもパニックの状態になるんではな小か。恐らく地域の救急車が運び込む患者さんは半分ぐらいしか受け入れられないという状況が発生するであろうということが一つです。
 それからもう一つは、一病棟の五十床が療養型病院になる。政府当局のお話では、その対象は三カ月以上の長期入院者であり、脳卒中後遺症であり、リューマチであり、筋骨格系の整形外科的な病気であり、あと骨折だということになっておりますけれども、そういう患者さんは決してすべて男であるとかすべて女であるとかということではありませんで、男女いろんな比率であるわけです。そして同時に、現在医師の方が一定の専門分化が進んでおるわけでありまして、その病棟は完全な混合病棟になる。たまには恐らくネフローゼ症候群のような小児の患者さんも入るであろう。もう大人と子供が混在、混然として、おまえは長期療養者だからといってそこに押し込まれるという状況が起こると思います。これが果たして良質な医療を提供するということになるのかという問題が一つあります。
 それから看護の体制でありますけれども、看護婦一に助手一という完全に一対一の関係を提起しております。百床で十七人ということになりますと大体八人ということになりますけれども、準夜、深夜一人ずつそれぞれ一対一で入る。そうしますと日勤は大体七人から八人ということになります。これは週休二日をやらないときの数になるわけでありまして、そうしますと日勤の八人の看護婦が五十のベッドを看護する。助手はカルテを書けないわけでありますから基本的な看護は看護婦がやらなきゃいけない。これはたとえ重症でなくても大変な労働になるであろう。ましてや準夜、深夜という夜間帯、看護婦と助手が一対一という状況では大変な負担が看護婦に回っていくだろうと思います。
 それからもう一つ考えなければいけませんのは、看護婦の平均年齢と助手の平均年齢は明らかに助手が高く出てくる。これは現状でもそうであります。それからかつて厚生省の諮問機関が看護のことについて諮問しておりますけれども、そこでは、大いに助手を入れるべきである、なぜならば大体助手は子育てが終わり、自分の親をみとってそういうノウハウを持った家庭の主婦であるので、そういう人たちは医療の現場に入っても若い看護婦よりもはるかに使い道があるというような答申をしておりますけれども、それはそれとしてノウハウは大事なことでありますが、若い看護婦よりも年配の助手が同じ比重で存在したときに、そして夜はほとんど助手の方が年配者であるということになったときに、果たして近代的な、科学的な看護がそこで定着するものかどうかという問題も起こり得ます。
 現にある老人病院の実態を私は聞いておりますけれども、ほとんど若い看護婦は定着しない。看護ができないといいますか、やっている看護が点滴する一部の限られた患者さんだけ見ていて、あとは助手の方が全部お世話しているということになってしまうということをおっしゃっておりました。先ほど大熊参考人がおっしゃるように、収容所化していいのかという問題が、つまり一部限られていた老人病院から四十万床という一般病院も含めて収容所化していいのかという問題を深刻に考えなければいけないのではないかと思います。それが一つです。
 それから中小病院つぶしというのは、明らかにこれは一般病院としての機能を奪っていくという点ではもう繰り返し申し述べることは必要ないかと思います。
 そこで、医療水準の問題でありますけれども、先ほど宮崎先生から病理のことの御質問がされておりましたが、私は今回の医療法の改定で先ほど二点を申しましたけれども、さらにつけ加えるとしますと、近代的な病院、組織的な医療をやる病院を今日日本はつくり上げているかどうかという問題があると思います。そこで必要なのは医療の水準を上げる科としては病理、これは医療をフィードバックして監査する立場にあります。それから麻酔科、これは外科の手術の水準を維持する、管理するという特殊な立場にあります。そして救急医療の水準を上げるという立場にありまして、この二つは近代的な病院をつくる上では非常に重要な科であるというふうにされております。
 さらにつけ加えますと、情報管理、カルテ管理、質のよいカルテをきちんと管理するという意味で診療録管理があります。これらがきちんと今度の医療法の中で十分議論されて、法案にたとえ盛り込まれなくてもそういうことの重要さを、病院の近代化をする、医療水準を上げる上で大事なんだということをぜひ御議論していただきたい。そういうことが今度の中小規模病院をも含めた全体的な日本の病院の質を向上させるということに一つの保証としてなっていくんではないかというふうに思っております。
 それから、ちょっと戻ることになりますけれども、高齢者、重症者が家庭に追いやられないかということでありますが、これは先ほども冒頭で述べましたけれども、病棟が二つ出た場合、長期入院者が重症になる、そしてそれを一般に移します。例えば特三をとっていたとします。そうしますと、一般病棟は二十五日の在院日数の縛りがあります。長期入院者、例えば一年とか一年半とかという方が一日たりとも一般病棟に入りますと、途端に平均在院日数が上がりまして特三の資格は剥奪されることになります。こういう状況を今の医療の経営状況はそう許容できる状況にはありません。
 ですから、当然そういう療養型病棟で重症化した患者さんは定額医療の中で手抜きをされるか、そして命を早めることになるか、あるいはそれが現実の労働のマンパワーから見ますと計量的な医療しかできませんから、そうしますとほかの病院に回すか、あるいは家庭に追いやるか、もう死期が近いから在宅医療だとか、そういう流れが確実に出てしまうであろうということを非常に私としては危惧しております。
 以上です。
#60
○沓脱タケ子君 ありがとうございました。
 それでは、今度の法案改正の中で特に気になっておりますもう一つの問題は、病院は入院、それから外来は診療所という機能分化が、機能分担ですか、役割分担というふうなことが規定をされて、しかも役割を単に規定するというだけではなしに、それを促進させるということを背景にいたしました診療報酬のあり方がそのことを促進させようという内容になっておると思うわけでございます。
 私は中小病院、特に町場の中小病院が入院一本で外来は一切やらずにというのは、あるいは外来が多過ぎると入院のペナルティーまでつけるという実にけしからぬ内容になっておりますが、そういう点での町の中における中小病院の果たしている役割でございますね、こんなものを機械的に分けるというようなことが妥当なのかどうか。私は無理だなと率直に思っておるんですが、その点についての御意見を、これは村口先生からお伺いいたしたい。
#61
○参考人(村口至君) お答えいたします。
 実は私も、今沓脱先生の御指摘は非常に重要な問題だと思っております。といいますのは、四月十七日の衆議院の厚生委員会だと思いますけれども、古市局長がこのように申しております。病院が一律に外来をやるのはよいのだろうか、これこそ機能分化への改革の第一歩であるというような趣旨のことを発言されております。まさに病院の外来機能を否定する発言であるという意味で私は極めて重大な発言ではないかと思っております。
 ちなみに、WHOの組織委員会が病院に対してこういう定義をしております。「病院とは、医療組織と社会組織の統合されたものであり、その機能は全住民に治療および予防の完全なヘルス・ケアを提供するもので、さらに各種医療従事者や生物学的、社会学的研究者の養成訓練センターでもある」というふうに非常に高く病院の社会的な医療組織としての役割を位置づけております。
 私は、病院というものは外来の機能があってこそ地域から遊離しないというふうに思っております。そしてまた、比較的高度の医療をやるマンパワーが病院の中にいて、そして外来なしに病院の中だけで生活したときに果たして地域が見えるだろうか、患者さんたちが地域の中でどういう状況に置かれているかということが見えるだろうかという問題も含めて、病院の外来機能をこのように否定することは極めて病院の社会における本質的なあり方を否定するものとして、私は非常に何といいますか、厚生省のお役人として許せない発言じゃないかぐらいに思っております。
 同時にこの間、先ほど申されましたように、診療報酬改定でもって病院における慢性疾患管理指導料は完全に廃止された。そして特定疾患管理指導料もほとんど廃止されたに等しいという状況になっております。この間、病院は特に先ほどから問題になっておりますインフォームド・コンセント、患者さんに十分医学的な情報を与え、教育をする組織をつくり、そしてマンパワーを配置してやってきました。それは糖尿病患者教室であり、高血圧患者教室であり、心臓病患者会であり、私の病院ではそういう患者会が合わせて十九あります。そして慢性疾患管理外来が合わせて十五あります。こういう形をとってきました。そこには栄養士が配置され、保健婦が配置され、ケースワーカーも配置される。そういうような形をとって、ある意味では機械、医療器械ではありませんけれども、高度な外来医療をつくり上げてきたつもりであります。これが慢性疾患管理指導料が完全に廃止されたことによって、私の病院では一カ月外来で二千万円完全にマイナスになっております。
 つまり、外来機能というものをどう考えるのか、患者さんを教育し、患者さんをいろんなマンパワーの集団の中でトータルとして、しかも生涯管理をするという体制をつくっていくということ
が、病院機能の蓄積されたノウハウも含めた水準を組織していく上では非常に大事になっていると思います。これは私の病院だけではありませんで、多くの病院がそういう外来医療をつくり上げてきております。これをなぜ否定するんであろうか、果たしてその機能を古市局長は知っての上で、なお否定されたのかというふうに私は非常に怒りを抑え切れないでおります。
 そういう点で、もちろん開業医の先生たちと地域医療の中で外来機能の中で連係を強めていくというテーマはもっと私たちも真剣に取り組まなければいけないと思っております用地域全体が通院でもって健康管理されるというようなシステム、高いシステムをつくっていくという上ではまだまだ努力が必要だと思いますが、このような病院の外来機能、病院は入院をやればいいというような機能分担は医療機関にも受け入れられないし、国民にも受け入れられるものではないということは、十分この委員会としても調査され、御検討いただきたいというふうに思います。
 以上です。
#62
○沓脱タケ子君 時間ですから終わります。
 ありがとうございました。
#63
○勝木健司君 民社党・スポーツ・国民連合の勝木でございます。
 四参考人の皆さん、本当に御苦労さまでございます。あとしばらくですので、御協力いただきたいというふうに思います。
 そこで、坪井参考人と大熊参考人に御意見をお伺いしたいというふうに思いますが、今回いわゆる中間施設であります老人保健施設を医療法の中に医療施設として位置づけられることとなるわけであります。このことによって、老人保健施設の本来の趣旨であります医療ケア、そして日常生活サービスを提供する目的から逸脱することがあってはいけないわけでありますし、また、もちろんむだな医療が行われたりすることがあっては困るわけでありまして、そういうことのないように、通過型施設としての位置づけを明確にしておく必要があるんじゃないかというふうに思います。
 また、他の医療機関との機能の役割分担も必要じゃないかというふうに思うわけでありますが、この点について御意見をそれぞれお伺いしたいというふうに思います。
#64
○参考人(坪井栄孝君) 勝木先生の今の、老人保健施設が通過施設である、その機能を失うべきではないという意見は私どもも全くそのとおりというふうに考えております。
 今回、医療法の中に新たにという感じで入っておりますが、私どもは当初から老人保健施設は医療法でいろいろと整理していただきたいという主張をしてきたわけでございますので、今回入ったことに関しましては、大変評価しているわけでございます。
 なぜ医療法の中で老人保健施設を取り扱わなければいけないという意見を持っているかということに関しましては、もう勝木先生も御存じのとおりだろうと思いますけれども、要するに病院から家庭への一つの中間地点である、あくまでもこれは完全な健康人ではない、老人でございますから健康人ではない。これから家庭に帰ってどういうふうな医療行為を受けなければいけないか、あるいはまた介護の方法がどういうことであるかというふうなことのいろんな教育をそこで受けなければいけない。医療が中間施設の中で携わってくる部分が非常に多いわけでございます。
 したがって、医師がそこにかかわっていくということでございまして、これはまさに医療と福祉の接点といいますか、整合したところであるという近代的な施設であるというふうに私どもは感じているわけでございます。したがって、今後その中間施設を通ることによって、非常に円滑な質の高い家庭での在宅医療が受けられるということの準備をそこでなさるということのために、中間施設というものの価値はますます高くなってくるだろうというふうに思います。
 ただ、今後老人が非常にふえた場合に、中間施設がえてして収容施設化してくるのではないかというふうな疑問、心配は各所にあるわけでございますので、その辺のところを今回の医療法の改正の中の療養型病床群というふうなものとの間の整合、あるいはまたその他の老人施設との整合の中で、必ずしも在宅の中間施設という格好だけでは今後しのぎ切れない部分も出てくるのかなというようなことを私的には考えております。
 以上でございます。
#65
○参考人(大熊一夫君) 老健施設が通過型のものであるという理屈は私はわかるんですけれども、実は、ちょっと通過型になるかどうかは話は別だと思っております。当初から私はそういうふうに思い続けております。
 そもそもこれはもうきょう何度も申し上げたとおりなんですけれども、家庭で支え切れなくなっていわゆる医療施設にお年寄りが流れている、こういうもう一つの構造ができているわけでありまして、これをまたどこかリハビリでいじったらばうまいこと家庭に帰れるというほどに事は簡単ではないんで、つまり受け皿のところをいじらないで何か中間施設とか通過型施設が出てきたというのは、私は大変いぶかしく思っておりまして、当初からこれはそもそも健康保険の財源を当てにした老人ホームではないかというふうに私は思ったんですが、今もそういう思いは変わらないわけであります。
 確かに頑張っているところはあります。通過型で一生懸命頑張っているところがないわけじゃないけれども、かなり老人ホーム的、老人病院的に機能してしまっている病院があるというのも事実だろうと思います。
#66
○勝木健司君 坪井参考人にお伺いいたします。
 療養型病床群を制度化することとなっておるわけでありますが、地域によりましては、小さい病院に慢性患者が入院している場合も多いと思われます。何十床という大きな単位で足切りをしてしまいますとなかなか普及をしていかないわけでありますし、また逆に五床や六床では介護体制も実務面で対応できないとも思われるわけであります。少なくともナースステーション単位、いわゆる看護単位を基準として設定することが一番現実的じゃないかというふうに思うわけでありますけれども、これについての参考人の御意見をお伺いしたいというふうに思います。
#67
○参考人(坪井栄孝君) この問題に関しましては、少し私見を申し上げることをお許しいただきたいと思いますが、私は先ほどの公述のときにも申し上げましたが、これからふえる老人、特に寝たきり老人の処遇に関して、非常に家族の近い場所で、例えば市中にある一般病院の中で、必ずしも一病棟単位でなくても、ベッドが少数であっても、そういうところで収容できるようなそういう一つの仕掛けというふうなものがあった方が対応が非常にスムーズにいくんではないか。むしろそういうものの方がある部門では望まれるんではないか。これは老人処遇全体の視野から考えて、そういうことを私は考えております。
 したがって、本来、私見としては、療養型病床というのはそれほどまとめた数でなくてもつくれる、機能し得るという形の方が、私の考え方からすればむしろなじむんだというふうに考えているわけでございますが、ただ、それが病棟というくくりでやらざるを得なくなるというのは、これは現在の健康保険法の一つの決まりがあるということが影響しているだろうというふうに私は考えております。したがって、病棟単位でそれを行った場合に、もっと小規模の病院、むしろ勝木先生の頭の中に今おありになるのは、有床診療所のようなことがおありになるだろうというふうに勝手に私は考えるわけでございますが、有床診療所のようなベッドを今後老人の処遇の中にどう生かしていくかということも十分に考えていかなければいけない。
 したがって、先ほど申し上げましたが、現在立っている二つの柱の中間、問にあるもの、そこのものについては今のお話のようなことを含めてかなり早い時期に検討されていくべきである、医療法の中の機能分担ということを早い時期に検討されていくべきであるというふうに申し上げたゆえんがあるわけでございます。
 以上でございます。
#68
○勝木健司君 次に、中野参考人にお伺いをしたいというふうに思います。
 意見の陳述の中でもお伺いをいたしたわけでありますが、医療機関の機能別類型化を図ることは、当然それに見合った診療報酬体系の構築を図ることが必要になってくるんじゃないかというふうに思われるわけでありますけれども、そこで、どのような点に配慮すべきかも含めて御意見をお伺いしたいというふうに思います。
#69
○参考人(中野修君) 非常に難しい問題で、私が意見の中で申し上げましたように、今の診療報酬の点数の中でやられるときもそうだし、医療法の中で考えるときもそうなんですけれども、医療法というのは従来施設基準と、それではいかぬ、少し機能性を持たせようということから、国会の議論の中でかなりはっきりと施設、そしてマンパワーをどうするか、そして国、地方自治体の責任というようなことまで踏み込んで議論がされてまとまってきたというようなことがありますけれども、それにしても私は施設基準の延長のような感じがしております。
 本当を言えば、診療報酬というのはああいうマンパワーの基準、代表的なものは医師、看護婦、そういったもので、それが多いから診療報酬も多くする、それも一つの考え方なんでしょうけれども、機能別に類型化するということになりますと、病院機能とは何ぞや、医療機能とは何ぞやという基本をきちっと議論しておかないといけない。
 それを人の数だけで決めてそれでいいのか、医療の質、医療の中身というのは一体何が問われていて、どう住民のニーズにこたえていかなければいけないかというところで、実際調査をしてみますと、医師の数とか看護婦の数とかあるいは老人の収容率だとか、こういったものは非常に数字でとらえやすい、簡単に出る。先端技術の器械があるかないかということもある程度わかる。しかしその器械がどういうふうに機能しているかということになりますと少し難しくなります。簡単にはいきません。というようなことがありまして、医療機能とか病院機能とは一体何なのだろうか。少々人が不足であって器械も不足であっても、結構住民に対応している地方の病院があるのではないかという疑問を素朴に持っていただきたいなと思います。
 そのときに、その基準、指標を数量化するときに何でとらえるかというのが非常に難しい。どのくらい人間が親切であるかとかというのははかりがたいんですね。個別にあなたの病院の先生はどうだい、いや親切でいいわ、何でも教えてくれるしいいわ、こういう会話では何も難しくないんですね。ところが、個々の病院のそういう全体の機能はどうなんだというのを調べるとなると難しい。ほとんど不可能に近いぐらい数量化できない。ところが、その部分に医療の大事なところがあるということです。
 ですから、そういうことも考えて、これからもなかのあんこの部分の類型化にまで踏み込んでいこうということであれば、病院機能とは何ぞや、医療機能とは何ぞや、この原点をいかに浮き彫りにしていくかというノウハウ、どういう方法論によってそれを出していくか。幾つかの要素をはめ込んでいって、そこから浮き上がってくるもので評価できるのではないかとか、これを我々は真剣に工学部のシステム工学の専門家、教授を入れて調査をやりましたけれども、難しいんですね。いろいろやってみたけれども、なかなかうまく浮き上がってこない。そういう問題が非常に大事であるということを申し上げておきます。
#70
○勝木健司君 最後に、大熊参考人にお伺いしたいというふうに思いますが、私は、今後の医療のあり方につきましては、参加する医療へという観点に立ちまして、いわゆるインフォームド・コンセントを推進していく必要があるんじゃないかと思うわけでございます。
 今後、予防医療も含めて医者と患者が連携をとり合いながら、みずからの健康管理をみずからが行っていけるような、そのため、患者が自己の生命とか身体とか、あるいは健康等にかかわるいろんな医療情報に接近をして知ることができる体制を当然のこととして整備すべきではないかというふうに考えるわけでありますが、その場合、具体的にどういう点に留意すべきかも含めて御意見を簡単にお伺いしたいというふうに思います。
#71
○参考人(大熊一夫君) インフォームド・コンセントに関してですか。
#72
○勝木健司君 インフォームド・コンセントの問題です。
#73
○参考人(大熊一夫君) とにかく私はインフォームド・コンセントは大変好ましいことだし、できればどこか法律の中に入っていた方が心強いなという立場であります。
 これは確かにドクターのお立場からすると大変な心のかせになってしまうというのは、これもまた非常によくわかるんですけれども、とにかく今、例えば患者の側の欠陥といいますか欠点というものも非常に私は感じておりまして、日本は明らかに余りのお任せ主義なんですね。お任せ主義がちょっと度が過ぎるんじゃないかという感じもいたしておりまして、そういうことを何か是正していく一つのはずみになるようなものとして、これはやはりあった方が何か今後のためにいいのではないかというふうに私は思っております。
#74
○勝木健司君 ありがとうございました。
#75
○委員長(田渕勲二君) 以上で参考人の方々に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言御礼申し上げます
 本日は、大変長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。
 委員会を代表いたしまして、ここに厚くお礼を申し上げます。
#76
○参考人(大熊一夫君) 委員長、できますれば三十秒ちょっとお時間をいただけないでしょうか。僕は先ほど宮崎先生の最後の御質問にきちんとお答えしないで座ってしまったような気がするんですけれども、よろしいでしょうか。
#77
○委員長(田渕勲二君) はい、いいでしょう。
#78
○参考人(大熊一夫君) つまり、日本国民がこれ以上の負担を賛成するような、そういうコンセンサスが得られるかどうかというお話だったと思うんです。得られるんじゃないかなというのが私の意見です。
 根拠を二つ申し上げます。一つは、去年NHKの大型番組で二日間にわたって高齢者福祉のことを取り上げたかなり大きな番組があったと思います。その中の電話の世論調査で、安心して老ゆるような条件をつくれるならば、今以上に負担してもいいという賛成者がたしか七割か八割ぐらいあったんではないかと思うんですね。私自身がほほうと思った経験がございます。
 それからもう一つは、最近私は高齢者の問題で人前で話をする機会が非常に多いんですけれども、日本の実態をきちんとお話しして、それでこういう方法がもしかしたらあるんだということを申し上げた後で、皆さんの御意見を伺うと大体八割から九割はやはり賛成してくださるということも体験的にございます。
 ですから、これはきちんとした議論をしていけばコンセンサスの得られるものではないかなというのが私の意見であります。
 済みません。どうもありがとうございました。
#79
○委員長(田渕勲二君) どうもありがとうございました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十分散会
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ソース: 国立国会図書館
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