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1991/10/01 第121回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第121回国会 本会議 第13号
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1991/10/01 第121回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第121回国会 本会議 第13号

#1
第121回国会 本会議 第13号
平成三年十月一日(火曜日)
    ―――――――――――――
  平成三年十月一日
    午後零時三十分 本会議
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 永年在職の議員山下元利君、塩川正十郎君、内
  海英男君、坂本三十次君、井上普方君、加藤
  六月君、武藤嘉文君、浅井美幸君、伏木和雄
  君、阿部昭吾君、葉梨信行君、渡部一郎君、
  矢野絢也君、藤波孝生君、河野洋平君及び山
  口敏夫君に対し、院議をもって功労を表彰す
  ることとし、表彰文は議長に一任するの件
  (議長発議)
    午後零時三十四分開議
#2
○議長(櫻内義雄君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 永年在職議員の表彰の件
#3
○議長(櫻内義雄君) お諮りいたします。
 本院議員として在職二十五年に達せられました山下元利君、塩川正十郎君、内海英男君、坂本三十次君、井上普方君、加藤六月君、武藤嘉文君、浅井美幸君、伏木和雄君、阿部昭吾君、葉梨信行君、渡部一郎君、矢野絢也君、藤波孝生君、河野洋平君及び山口敏夫君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○議長(櫻内義雄君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
 これより表彰文を順次朗読いたします。
 議員山下元利君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員塩川正十郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員内海英男君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員坂本三十次君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員井上普方君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員加藤六月君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員武藤嘉文君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員浅井美幸君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員伏木和雄君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員阿部昭吾君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員葉梨信行君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員渡部一郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員矢野絢也君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員藤波孝生君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員河野洋平君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
    …………………………………
 議員山口敏夫君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
 よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
    〔拍手〕
 この贈呈方は議長において取り計らいます。
    ―――――――――――――
#5
○議長(櫻内義雄君) この際、ただいま表彰を受けられました議員諸君の登壇を求めます。
    〔被表彰議員登壇、拍手〕
#6
○議長(櫻内義雄君) 表彰を受けられました議員諸君を代表して、山下元利君から発言を求められております。これを許します。山下元利君。
#7
○山下元利君 ただいま、私ども十六名に対し、本院永年在職議員として、院議をもって御丁重な表彰の御決議を賜りました。議会人として、また政党人としてまことに身に余る光栄でありまして、感謝にたえない次第であります。
 ここに、年長のゆえをもちまして、表彰をいただいた一同を代表して衷心からお礼の言葉を申し上げたいと存じます。(拍手)
 私たちが二十五年の長きにわたって国政に参画し、今日このような栄誉に浴することができましたのは、ひとえに先輩、同僚議員の皆さんの御厚情と、郷土の皆さんの多年にわたる温かい御支援のたまものでありまして、この機会に心から深くお礼を申し上げる次第でございます。(拍手)
 顧みますと、私どもが本院に議席を得ましたのは、昭和四十二年一月の第三十一回総選挙のときでありました。この選挙には二つの特徴がありました。第一は、大都市部の人口増に応じ議員定数が十九名ふえ、四百八十六名となったことであります。もう一つは、野党の多党化時代を迎えたことであります。
 昨年から今年にかけてのドイツの統一、湾岸戦争、ソ連の大変革等、世界は未曾有の変革期に際会しております。世界の一員としての我が国も大いなる試練に直面しております。こうした世界、国家の重大な転機に臨み、私は、碩学故安岡正篤先生の言葉を思い起こします。すなわち「凡そ国家の敗は私より起こる。一体の志、社稷にあれば、私ありというとも亡びず。一体の志、私にあり、飾るに社稷を以てすれば敗る」であります。今後とも、常に国家国民を考え、精進を重ねたいと念願しております。
 今日の議会制民主主義は、あまたの先人、諸先輩の御努力により、幾多の変遷を経て改革され、今日に至っております。議会人として我が身に課された責務の大きさを胸に刻みながら、十年後という指呼の間に迫った二十一世紀に向かう新しい出発点にしたいと決意しているところでございます。
 最後に、本日の栄誉を機に、心を新たにして、国民の負託にこたえ、国政、憲政発展のためなお一層微力をささげてまいる所存であります。何とぞ、今後とも皆様の旧に倍する御指導と御鞭撻を賜りますようお願い申し上げまして、お礼の言葉といたします。(拍手)
#8
○議長(櫻内義雄君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。
    ―――――――――――――
    塩川正十郎君のあいさつ
  この度、永年在職議員として院議をもって表彰のご決議を賜りました。誠に光栄であり、感謝に堪えません。これもひとえに先輩同僚議員のご指導、ご鞭撻、郷土大阪府、特に大阪第四区の皆様方のご理解、ご支援によるものでありまして、ここに心から御礼申し上げます。
  私が初当選しましたのは昭和四十二年一月で第三十一回総選挙であります。この時期は、わが国は高度成長期がようやく軌道に乗ったときでありましたが、政治には弾みが出てきたときであります。即ち、選挙の直前に国有地払い下げ問題や政府系資金の不正融資をめぐる共和製糖事件等、いわゆる黒い霧が政界を覆い、その
 浄化と倫理の確立が叫ばれ政治家の清潔さが問われた選挙でありました。
  また、その時代は米ソ対立が極限にまで達し、米国は過日北ベトナム軍がハノイに対し空爆を強行して代理戦争は本格的な世界戦争に発展するかと心配されたときであります。しかしながら、一方では佐藤総理が沖縄返還に執念を燃やし、その道筋がようやくみえてきたときでありました。
  あれから二十五年、わが国の政治はその間一年が十年に相当する程、激しい変化であり、国家民族の将来に重大な影響を与えるものばかりでありました。しかも我々が関与した、これら重大な時代の変化は政治、経済、文化の制度改正を通じて実行されてきたもので、その決定に我々が関与できたことは大きな誇りであります。しかも、それらの政治活動が昨日のように記憶が鮮明であることから、問題の解決と未解決、実行と不実行が交錯し、たえず問題提起に追い立てられていることも事実であります。その一例が初当選時から問題となっている政治浄化、政治改革であります。初心忘れること無くこの問題に対する、国民の信頼を得るよう努力いたします。
  今、ソビエト連邦を始め東側諸国は、過去堅持したイデオロギーをもってしては国民を豊かにすることは不可能であることを知って政治の誤謬を認め、自由主義諸国に対する抗争と反目を捨てて世界融和に努めようとしています。国境の垣根は確かに低くなりました。しかしながら、それに相応する世界の新秩序は未だ輪郭が明らかでありません。わが国は今こそ世界の新秩序確立と新しい経済繁栄をもたらすため協力をいたさなければならぬと思います。
  また、わが国に対する米国及びEC等の非難と偏見は不安な政治問題として淀んでいます。今後わが国が世界諸国とどのようにかかわりを持つかが、わが国の政治に求められる最大の課題であります。内外の情勢は厳しく激しいものであります。場当たり的、対症療法を繰り返しては犠牲が益々大きく膨らむのみであります。
  今こそ我々は、二十五年の議会政治で体得した経験と識見を持って将来に明るい見透しのある政治を創造しようと覚悟を新たにするものであります。今後とも変わらざるご指導ご鞭撻をお願い申し上げ、お礼の言葉といたします。
    …………………………………
    内海英男君のあいさつ
  本日、衆議院在職二十五年の故をもって院議にて表彰の御決議を賜わり、誠に光栄であり感激に堪えません。
  四半世紀の永きに亘り、本院に在職、政治活動が出来ましたのも、私の人生に於いて巡り会った多くの先輩、そして友人、同志の皆様方の御指導と御協力、とり分け私の郷里宮城県の多くの方々の力強い御支援の賜ものであり、この栄誉に浴するに当り、心から感謝と御礼を申し上げる次第であります。
  私が本院に議席を得ましたのは、政界をめぐる黒い霧が相次いで表面化した昭和四十二年の所謂黒い霧解散の時であり、この二十五年間政治改革と政治倫理の確立のために、同志の皆様と努力して参りましたが、道筋未だ半ばの感強く、今後とも国民の信頼に応える清潔で公正な政治の確立に努力して参らなければと決意を新たにするものであります。
  顧みれば、我が国の高度経済成長政策による、国民所得の驚異的増大、消費が美徳と云はれる世相、その反面公害問題が深刻化し、自然環境に対するいたわりの心を忘れかけた時期、華美になりすぎた社会への警鐘でありましょうか、その直後のドルショック、二度に亘るオイルショックに見舞われて、エネルギー政策の見直しを迫られ、高度経済成長から安定経済成長へ、軌道修正を図ったのであります。このような社会経済の変遷の過程の中でも、高度な技術革新、設備投資の拡大等、国民の英知と努力により幾多の試練を乗り越え、世界のどの国よりも豊かで、平和な国家を建設する事が出来ました。
  政治、経済の変動期に国民の皆様の舵取り役として国政の場に参画出来ました事、望外の喜びであり、その責任の重さを自覚し、誠実な行動を旨として政治活動をつづけて参りました。
  来るべき二十一世紀の新しい時代を迎えるに当り、我が国を取りまく世界情勢は歴史的変革の厳しさに直面し、国民の要望も多様化し、物質的な豊かさのみならず、心の豊かさを求めております。また高齢化社会への対応、更に国際社会に於ける日本の責務の遂行など、過去に我が国が経験したことのない、多くの課題が山積
 しており、厳しい環境の中で自からの力で、この難局打開のために全力を傾注しなければなりません。
  私は、今回の栄誉を契機にこの感激を忘れず、初心にかえって永い政治経験を生かしながら、国家と国民、ふる里の発展のために、情熱と誠実さを堅持し、更に努力してまいる事をお誓い申し上げ、感謝の御挨拶といたします。
    …………………………………
    坂本三十次君のあいさつ
  本日、議員在職二十五年の故を以って表彰を賜りましたことは、議会政治家として、これに優る栄誉はありません。これ一重に、郷里石川の選挙区の皆様のご支援と、先輩友人のご指導の賜と心からお礼申し上げます。
  私の国政を志した初心或は原点は三つありました。その一つは平和国家の建設でありました。第二次大戦で学徒兵として参戦した体験からも、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。平和外交と軍縮、特に核軍縮とシビリアンコントロールを徹底させたい。その二は、郷土能登半島のように、いわゆる土地貧乏から来る人々の生活の格差を是正したい。陽の当たらぬ所に光を当てたい。国土の均衡ある発展を政治の力で出来るだけ実現したいとの念願でありました。その三は、国民の政治への信頼こそ議会政治の原点であるとの教訓であります。時あたかも、いわゆる「黒い霧解散」で大量の新人が初当選して来ました。私もその一人でありました。
 現在叫ばれている政治の信頼回復のための政治改革は、私の出発点からの宿命的な課題であります。以上三つの初心を今後共大切にして行きたいと念願しております。
  この二十五年の間の特に印象的な思い出としては日中国交回復の実現でありました。私は松村謙三先生から「自分の生きている中には日中国交回復は難しい。君は若いからお国の為に私の志を継いでもらいたい。」と若輩の私に威儀を正されてのお話がありました。
  其後一九七一年訪中の時に、周恩来総理から「……日本国民は敗戦で大被害をうけた。中国は日本に対し一円の賠償も要求しません。ただ望むらくは子々孫々に至る中日の友好親善だけである……。」この発言を聞いて私共は大変な感動にうたれ、国交回復に全力をあげるべく、その場で決意を固めたことを今懐かしく思い出します。
  我国は世界の中で協調した時は成功し、世界と対決した時は失敗したのが近代に於ける歴史の教訓であります。今や冷戦構造は音をたてて崩壊し、世界は激動の真っ只中にあります。我国は経済大国として、世界に対し一段と協調と貢献を求められております。かつてない歴史的試練に堪えられる様な我国の適確な政策決定が
 迫られております。対ソ連もPKOもその第一歩であります。議会人として責任を痛感するのは今日より大なるはありません。
  二十五年の歳月は決して短いものではありません。その間お国の為に報いることの余りにも少なかった事は残念でなりませんが、「人生の本舞台は常に将来に在り」との尾崎咢堂先生の教えに自らを励まして微力をつくす覚悟であることを申し上げ、表彰に際しての謝辞と致します。
    …………………………………
    井上普方君のあいさつ
  衆議院議員として在職すること二十五年の故をもって、ただいま、院の決議で表彰の栄に浴しました。政党議会人として、誠に身にあまる光栄であり、感激の極みであります。
  二十五年の永い間、政治家としてご指導、ご鞭撻をいただきました先輩同僚の皆様に心からお礼を申し上げます。
  連続して九回の選挙に当選させていただいた選挙区徳島の方々の変わらぬご支援、ご厚情に対し何とお礼を申し上げて良いか言葉もありません。本当にありがとうございます。
  私が本院に初めて議席を得させていただきましたのは、当時、政界を揺るがしたいわゆる黒い霧解散の後、つまり一九六七年の第三十一回総選挙でありました。当時、国内での最大の政治課題は、政界の浄化であり、また国際的には、ベトナム戦争が拡大の一途をたどるといった状況であり、反戦平和を声高に叫ばねばならない時期でもありました。
  四分の一世紀を経た今日、世界の相貌は全く異なっております。今世紀最大の出来事は、社会主義国家ソ連邦の出現でありましたが、そのソ連邦さえも今や大変貌を遂げようとしています。人類の不幸を作ってきた米ソによる東西の冷戦構造はやっと終結し、いま世界は新しい国際秩序の構築に向けて急速に動きつつあります。同時に人類の悲願である核兵器の廃絶についても長年の努力が現実のものとなりつつあり、心から歓迎し、喜びにたえません。
  これから、二十一世紀にかけて、世界は多元化し、人々の価値観も多様化する中で、人類は新しい展開を求めようとするでありましょう。このような中で、我々には、二十年後、八十億人に達する世界の人口問題、地球の環境問題などに積極的に取り組むという課題が待ち受けております。
  一方、国内に眼を向けると、今度の証券金融不祥事にみられるように利益追求至上主義、金権主義によって政治をますます腐敗させています。黒い霧事件、ロッキード事件、リクルート事件、さらには今回の事件へと続いています。依然として政界・官界・経済界の構造汚職事件の続発に対して、いまなお政治が有効な対応をなし得ないでいることに、私は、自らの力不足を反省するとともに、憤りを強くするところであります。政治家と国民との間に結ばれた信頼関係の崩壊は、民主政治の根幹を危うくすることをいま実感するのであります。政治の浄化を実現することに一刻の猶予もあろうなど考えてはなりません。
  私は、このような激動の時期に、表彰を受けることができたことに改めて感謝を申し上げるとともに、これら山積する課題に渾身の努力をしてまいる決意を申し上げ、謹んでお礼のご挨拶といたします。ありがとうございました。
    …………………………………
    加藤六月君のあいさつ
  この度、永年在職議員として表彰のご決議をいただきました。誠に身に余る光栄であり、感謝に絶えません。
  昭和四十二年一月の第三十一回総選挙に初当選以来、連続九回、二十五年の永い間、本院議員として在職し、今回の表彰の栄誉に浴することができましたのは、ひとえに郷土岡山の皆様の暖かいご支援のお陰であり、同時に、先輩、同僚議員のご指導ご鞭撻の賜物と心から厚く御礼申し上げます。その中には今は亡き方々も沢
 山ございます。そのお一人お一人に深甚なる感謝を捧げます。
  私が日本国に仕えた二十五年間、二十一世紀を目前にした今世紀最後の四半期に歴史は激動し、世界も、日本国も大きく構造的変化を遂げました。昭和四十二年当時、想像もできなかった冷戦構造が解消されました。即ちベルリンの壁が壊され東西ドイツが統合され、東欧諸国が共産主義、社会主義の表現を国名や憲法から除
 去しました。ソ連邦という超大国が共和国連合に大きく変貌しつつあり、第二次大戦関連で併合したバルト三国の独立を認めるまでになりました。
  歴史はマルクス主義、共産主義そして社会主義の敗北と、自由と民主主義、市場経済の原理の勝利を証明したのです。そして世界は、国連中心の新しい秩序作りに向かっています。まさに大激動の二十五年です。一方我が国も、ドルショック、二度に渡るオイルショックを克服し、先進七か国の中枢として、世界よりその経済力に見合う国際的役割を大いに期待されております。半世紀前戦後の瓦礫の中から立ち上がった日本国も、百四十か国に百億ドルの援助を行う経済大国になりました。
  一方我が愛する郷里岡山県も大きく変わりました。昭和六十三年、「夢のかけ橋」といわれた瀬戸大橋が開通し、その橋を恩師星島二郎先生の銅像が見下ろしています。先生の遺志を継いで力一杯ふるさと発展のために頑張ってきた私にとり橋の開通は感無量でありました。また空の玄関口、新岡山空港も同年開港し、今年夏より大韓航空の定期便も飛来するようになりました。
  私は今回の表彰を契機とし、更に大きく飛躍発展する郷里岡山のために力一杯尽くし、その体力、精神力、そして気力の及ぶ限り、郷里の皆さんへの感謝の気持ちを胸に日本国の繁栄と世界平和のために、私自身の政治家としての人生を捧げる覚悟でございます。
  有り難う御座いました。
    …………………………………
    武藤嘉文君のあいさつ
  衆議院議員として在職すること二十五年の故をもって、院議をもってご丁重な表彰のご決議を賜りました。誠に光栄の至りであります。
  顧みますれば、昭和三十九年十二月の補欠選挙に、政治家としての心構えも十分出来てないにも拘らず、おだてられて立候補し、見事に落選致しました。その際、「おめでとう」と云われた正眼寺住職(のちに妙心寺管長になられた)梶浦逸外老師の真意を二、三ケ月後にわからせていただいて以来、日本の国の現状並びに将来を洞察させていただき、又、郷土岐阜県の発展のためになすべきことを認識させていただき、お蔭でその成果が二年後の昭和四十二年一月の総選挙に現われ、予期せぬ好成果で見事初当選を果させていただきました。
  その二年間の間にご協力賜りました多くの方々の暖かい友情とご支援は、永久に忘れることがございません。
  その後も連続九回の当選に引続き暖かいご支援をいただき、何と御礼を申上げてよいのか、その言葉もありません。本当に長い間、有難うございました。
  そして今日の表彰は、この長い間、常に暖かく私をご支援していただいた皆様方に対する表彰でもあると存じ、この栄誉を皆様と共に分かち合いたいという気持で一杯であります。
  この二十五年の議員生活の間、私は常に「国民と共に歩む政治家」を目指し、公正で平等な政治の実現のために、特に弱い立場の皆様に少しでも強くなっていただこうと懸命の努力を致して参ったと自負して居ります。
  中小企業の振興、農業の基盤強化、身体障害者、精薄者等の社会における立場の向上、老人対策の充実、遺族会、傷痍軍人会など、戦争犠牲者の皆様の地位の向上等、弱者の立場にたって政策の立案、遂行に努力をして参りました。
  又、平和国家日本として世界の恒久的平和と繁栄のために、先進諸国との協調、開発途上国への支援等に力をつくして参りました。いよいよ、あと十年足らずで二十一世紀を迎えます。
  東西冷戦構造の終結によって新しい世界秩序を作りあげてゆかなければなりません。南北の問題は、依然として深刻であります。又、地球環境の保全と世界経済の成長を如何に両立させてゆくかも、これからの大きな課題であります。
  国内的には、高齢社会を迎え、老人の皆様に、生きがいを感じ、いつ迄も健康で天寿を全うしていただけるための施策を考えてゆかねばなりません。
  又、生産重視から消費者重視に産業政策を転換し、国民に心身ともに「ゆとり」と「豊かさ」を実感していただける社会を作りあげなければなりません。
  今日の栄誉と感激を深く肝に銘じ、新たな決意と覚悟をもってこれ等の問題の解決に向って全力をつくすことをお誓いし、皆様の一層のご指導、ご鞭撻を賜りますことをお願い申上げて、御礼のご挨拶と致します。
    …………………………………
    浅井美幸君のあいさつ
  このたび、院議をもって永年在職議員表彰のご決議を賜り、光栄これに過ぎるものはございません。今後この名誉を汚す事のないよう、一層精進する決意であります。
  このような栄誉を受けることができましたのも、陰に陽に私を支えて下さいました関係各位、わけても地元大阪の皆さまの、暖かいご支援の賜物であり、心から厚く御礼申し上げます。
  顧みますれば、私が本院にはじめて議席を得ました第三十一回総選挙は黒い霧解散と言われ、公明党が中道政治を標榜し、政界浄化、大衆福祉の実現を目指して本院に初挑戦した時であり、わが党が二十五議席を獲得し、今日の多党化時代をもたらした時であります。
  特に記憶に残るのは、初当選の年に追求したLPガス税法をめぐるタクシー汚職や、木曾ヒノキの入札をめぐる営林幹部と業者の癒着を追及した事件などでありますが、二十五年の歳月が流れた現在、今もなお政治倫理の確立が、声高に叫ばれていることは残念でなりません。今国会で、政治改革が審議されていますが、国民の信頼を回復するためには速やかな改革が必要と考えています。
  沖縄返還に際しては「非核三原則」を国是とする、歴史的な国会決議の趣旨説明を行い、その実現に微力を傾けたことや、公明党第一次訪中団の一員として初めて訪中し、日中国交回復への五原則を明示した。わが党との共同声明の調印も脳裏から離れません。あれから二十年の佳節を迎えようとしていますが、今は亡き周恩来総理との出会いは、誠に印象的でありました。
 また、沖縄・北方領土問題特別委員長の際、全会一致の北方領土返還決議が議決され、ソ連を訪問し領土の返還を強く要請したことも、今日の情勢を鑑みますと感慨もひとしおであります。
  さて、東西冷戦の終結を契機に、日本の国際社会の中で果たすべき役割、その責任はますます重くなっています。それとともに国内では、生活者のための政治に原点をおき、一人ひとりの個性や生き方、価値観、人生観を最大限に生かし、豊かさを感じることのできる社会の構築を目指さねばならないと思います。
  浅学非才の私が、ひたむきに走り続けきたこの二十五年間を振り返りますと、自責の念で一杯であります。今回の栄誉を契機に一層心を引き締め、初心に戻り、国家国民のために報いる人生でありたいと願っております。
  今後とも、皆さまの一層のご指導、ご鞭撻を心からお願い申し上げ、御礼のご挨拶と致します。
    …………………………………
    伏木和雄君のあいさつ
  ただいま、院議をもって、永年在職議員の御丁重なる表彰の決議を賜りました。議会人としてまことに光栄であり、感謝にたえません。これもひとえに、先輩同僚議員の御厚情と、同志ならびに郷土の皆様の長年にわたる暖かい御支援のたまものと、心から御礼申し上げます。
  私が本院に初めて議席を与えられましたのは、政界の粛正が問われた、いわゆる黒い霧解散後の第三十一回総選挙でございました。この時、わが公明党も「清潔な政治」を標望して、本院に初進出いたしました。
  以来二十五年、ふり返ってみますと、大学紛争、公害問題、沖縄返還の実現や日中の国交正常化、政財界を揺るがしたロッキード事件など、さまざまなことがございました。
  さらに、経済の面では、二度にわたるオイルショックなどの苦難を乗り越え、世界有数の経済大国となりました。
  一方、世界は、瞬時にして砕かれたベルリンの壁をはじめとして、ソ連、東欧の劇的な変化、まさに滄桑の変を見る思いがいたします。
 この間、私も、微力ながら、立ち遅れた福祉の充実、住みよい都市づくりと均衡ある国土の発展などに尽くすとともに、民主政治の原点ともいうべき選挙制度の改革などに務めてまいりました。
  このような中で、今日わが国は、国際社会において政治・経済の分野に限らず、大きな地位を占めるとともに、国連を中心とした新たな国際秩序の構築に向けて、大いなる貢献をしなければならなくなっております。
  また、国内的には、解決しなければならない諸問題、とりわけ政治改革が今日ほど強く叫ばれたことはございません。初めて議席を与えられました時のことをふり返り、不思議なめぐりあわせを感じないわけにまいりません。
  時は得難く失い易しと申します。今こそ、政治改革に真剣に取り組み、民主政治の確固たる基盤を作らなければならないと存じます。
  二十一世紀を目前にひかえ、次の世代に胸を張って引き継げるよう、なお一層精進してまいる所存でございます。
  今後とも、皆様の御指導、御鞭撻を心からお願い申し上げまして、御礼の言葉とさせていただきます。
    …………………………………
    阿部昭吾君のあいさつ
  ただいま議員在職二十五年ということで、本院の決議をもちまして御丁重な表彰をいただき、誠に感謝の至り、心から御礼を申し上げる次第でございます。
  本日、この栄誉に浴することが出来ましたのは、ひとえに私の郷里山形県の皆様の絶大なるご支援のお陰であり、よき師、よき先輩、よき友に恵まれた私は感謝感激でいっぱいでございます。また皆様のお許しを得まして、苦労を共にしてまいりました吾が妻に対しましても、感謝の気持ちを捧げたいと思います。
  ふりかえってみまするに、私は、敗戦後の廃墟と瓦礫と飢餓の中、若冠十九才の貧乏な一学生の当時、日本社会党に入党いたしました。以来四十四年間、一貫して農民運動、草の根民主主義運動に身を投じてまいりました。草莽の中に育ちました私が、選挙区の皆様の厚い友情に支えられ、県会議員二期八年、衆議院総選挙を九期連続当選をさせていただいてきましたが、誠に身に余る光栄と深く感謝いたしております。
  現在折しもソ連の激動、世界史的な大転換でありますが、三十五年前、若かった私は日本海を渡ってナホトカに上陸しシベリア鉄道で九日間かかってスターリン死後のモスクワを訪問いたしました。そこにおきまして私は、官僚と共産党員が特権階級と化し、市場の原理を否定した統制経済と一党独裁政治の実態を鋭く見聞い
 たしました。以来、私は草の根の民主主義こそが近代社会の根幹であり、一党独裁は民主主義とは相容れない、政党間政権交代の実現こそが民主政治の基本であると、確信するに至ったのであります。
  三年前、わが楢崎弥之助代議士は、同じ永年在職議員表彰への謝辞の壇上で、日本の政治と議会制民主主義活性化のためには、自民党一党支配に代わり得る新しい政治勢力をつくる以外にない、そのために現代の坂本竜馬たらんとして自らの使命を最後まで果たしてまいりたい、と申しました。私も全く同じ気持ちでございます。それが国会における吾が恩師、江田三郎の最後の願いでもあります。
  古いイデオロギー主義を克服し、野党結集、連合新党、政界再編、政権交代の実現に、私は全精力を傾けてまいりたいと決意いたしております。同僚議員各位の御指導と御協力を心からお願い申し上げます。
  本日十月一日は、私の長年の念願でありましたが、郷里におきましては、庄内空港の開港式の日でもあります。私の感激は頂点に達しておる思いであります。本日は誠にありがとうございました。
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    葉梨信行君のあいさつ
  院議により此度勤続二十五年の表彰の栄に浴しましたことは、私にとりましてこの上ない喜びであります。昭和四十二年一月初めて当選し、衆議院の委員会室に掲げられた先輩の肖像画を尊敬の念を以って見上げたことが思い出されます。私の様な浅学非才の身でこの様な御処置に与り、身の置き所もない思いが致します。
 二十五年の永きにわたり心のこもったご支持とご鞭撻を賜りました郷里茨城の皆々様を始め先輩同僚の方々に衷心より御礼申し上げます。
  一昨平成元年秋のベルリンの壁崩壊、昨年七月の東西ドイツの平和的統一、そして本年八月のソ連共産党の解体、そして米国による核兵器の大幅削減等世界状勢は大きく転換を遂げつつあります。米国に次ぐ経済大国となった我が日本は、その持てる力を世界の新たなる平和と繁栄、我が国内政の更なる進展に捧げなければなりません。今程政治の真の力が期待されている時はありません。
  私は、歴史に学び先輩の苦悩と勇気に思いを致し、十年後に迫った二十一世紀を目指して議員としての光栄ある負託にこたえて行くことをお誓い申し上げ、御礼の言葉と致します。
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    渡部一郎君のあいさつ
  このたび、院議をもって永年在職議員表彰のご決議を賜りました。謹んで御礼申し上げます。
  このような栄誉を受けることができましたのも、不肖の私を二十五年もの長きにわたって、陰に陽に支えて下さいました先輩、同僚議員の皆様、地元神戸の皆様、全国の党員、支持者、同志、有権者の皆様の熱烈なる、また暖かなご支援の賜物であり、心より感謝申し上げます。
  私が、幼年時代を中国で送り、引揚げ者として日本に足を踏み入れ、最初に目にしたのは原爆投下後の広島の惨状でありました。その胸の傷みのままに、これまでひたすら世界平和を目的に走り抜いてまいりました。
  顧みますと、私が三十七歳の若輩で、本院に初めて議席を得ました第三十一回総選挙は、公明党が中道政治を掲げ、政界浄化、大衆福祉の実現を目指して初挑戦、二十五議席を獲得し、世の中がまさに多党化時代の幕開けとなったときであります。
  我が党は、立党精神を“大衆と共に語り、大衆と共に戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入り切って、大衆の中に死んでいく”と掲げ、スタートいたしました。
  その精神を誇りとして、私は微力ながら、神戸・兵庫の活性化のために、又、沖縄返還、日中国交回復、公害対策等、全力で取り組ませていただきました。中でも、食品添加物規制、有害農薬使用禁止、PCB追放に力を入れ、難病であるネフローゼ問題を初めて国会で取り上げました。また、外交委員としては、海外子女教育対策や国連外交へも積極的に取組み、国連に遠いといわれた日本の国会議員を国連に近づける役割も果たしてまいりました。米ソ対決の幕は下り、一国平和主義の時代は終り、世界各地で国連中心主義が叫ばれる今日の情勢を鑑みますと、感慨もひとしおであります。
  ひたむきに走り続けてきたこの二十五年間ではございますが、まだまだ私が思い描く世界平和にはほど遠く、自責の念で一杯であります。
 今や時代はボーダーレスの時代をむかえ、またハードからソフトの時代へと移行しつつあります。民主と平和と人権と友好と繁栄は、他者の不幸の上に築くものではなく、自ら創造し、自ら努力し、人類に遺すべきものと信じます。それが人類の常識となることを願ってやみません。
  私は、意義あるこの時に表彰されましたことを誇りに思い、一層心を引き締め、初心に戻り、今後とも、二十一世紀を展望し、世界の大衆と共に、世界の大衆のために、世界の大衆の中に入り切って、さらに前進してゆきたい所存でおります。
  今後とも、皆様の一層のご指導、ご鞭撻を心からお願い申し上げ、御礼のご挨拶といたします。
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    矢野絢也君のあいさつ
  このたび、院議をもって永年在職議員として表彰いただき、誠に光栄に存じます。
  これも、ひとえに今日までご支持を頂いたわが党支持者、創価学会の会員各位、とりわけ郷土大阪四区の皆様のご熱誠、ご厚情の賜で深く御礼申し上げます。
  私は初当選直後、三十四歳の若輩でありましたが、院において科学技術特別委員長、党において二十二年余にわたり、党書記長、委員長の重任を拝命し、微力、不敏の身でありますが、自他政党の先輩、同僚議員、わが党員諸氏に暖かく支えられてまいりました。誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
  思えば、この二十五年間は、国民各位のご努力により日本の国運が隆昌し、それとあいまち、石油危機、狂乱物価、公害、土地高騰、貿易摩擦など、変化と進歩にともなう軋みの続発した波瀾の四半世紀でありました。
  この間、私は十八回にわたり衆議院予算委員会の総括トップ質問の機会を与えて頂き、その時々の国家的課題、国民の関心事につき、平和、民主、人権を原点として庶民の声を代弁すべく、さまざまな論点について政府見解を追究、変更させることができました。
  また、四十六年、沖縄返還国会の大混乱において、今や国是ともいえる非核三原則の国会決議を実現させ、沖縄が返還されたこと、また、昭和五十三年、覇権条項で難航していた日中平和条約を締結させることにいささか貢献をなしえました。
  これらは先輩、同僚議員のご協力の賜であります。心より感謝申し上げます。
  さらに、昭和五十四年十二月公民、昭和五十五年一月社公連合政権構想合意の成立、第十五回参議院選挙比例区での候補者名簿の野党一本化の提唱など、政権担当能力のある野党勢力の結集、政界再編成のため、同志諸氏とさまざまに努力いたしましたが、自らの不徳、非力のため、また、時の至らざる故か、その志を未だ達
 成していません。しかし、僭越乍らこれは、先輩、先覚者より残された私の政治使命であると受け止め、今後とも百折不撓の決意で取り組んでまいります。
  内外ともに、誠に時局多端な折柄、国政の担う責任は益々重要であります。回天の思いを「吹きおこる 秋風 鶴を 歩ましむ」(波郷)の一句に籠め、新たなる思いで微力乍ら全力を尽くしてまいります。
  引き続き、ご指導、ご叱正を心よりお願いし、御礼のご挨拶といたします。
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    藤波孝生君のあいさつ
  この度、院議をもって永年勤続議員として表彰を賜りましたことは、まことに身に余る光栄であり感謝にたえません。二十五年の永きにわたり本院に在職し、本日この栄誉に浴することが出来ましたのも、ひとえに神仏の御加護の下、諸先輩、同僚議員各位の御指導と御鞭撻、郷土三重県第二区の選挙民の皆様及び全国の後援者のあたたかい御支援のおかげであり、ここに心から厚く御礼を申し上げます。
  私は郷里で青年運動を進めました後、昭和三十八年四月に三十歳で三重県議会議員となり、浜地文平先生御勇退の後をうけて昭和四十二年一月、第三十一回総選挙に立候補し衆議院議員に初当選、今日まで九期連続して当選させて頂きました。永い歳月の間には順調に政治街道を進む日ばかりではなく、時に寒風吹き荒ぶ逆境
 の日もありましたが、大勢の皆様が終始変らぬ御理解をお寄せ下さり、私に大きな力をお与え下さいました。今日の日を迎えて感謝と感激でいっぱいであります。
  初当選を致しました当時は佐藤内閣の初期であり、経済成長の道を進むなかで公害問題や大学紛争が深刻な影を投げかけ、このままでは国が亡んで了うという思いでその対策に打ち込みました。以来、時代はいろいろ変遷をとげて来ましたが、その時その時の課題に真剣に取り組み今日に至りました。国政の中枢で働く機会を与えられ、市場開放や行財政改革などに微力をつくしました。又、三重県の発展を願って渾身の努力を重ねて参りました。しかしその成果について過ぎ来し方を振り返り、どれだけの足跡を残し得たか、至らざることはなかったかと反省致します時、まことに忸怩たるものがあります。
  今日、世界は大きな転換期を迎えており、平和の維持、環境の保全など沢山の課題をかかえ、その解決が急がれています。近年経済大国として重きをなすことになった日本が世界の中でどのように進んで行くべきか、国の未来を冷静に見つめ国家百年の大計を確立すべき秋であると信じます。
  これを機に初心を忘れず更に気分を引きしめ「至誠一貫」をモットーに全力を挙げて働いて行く決意であります。どうぞこれからも一層の御指導を賜わりますよう伏してお願い申し上げます。本日はまことに有難うございました。
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    河野洋平君のあいさつ
  本日は、院の決議をもちまして、永年在職議員としての表彰を賜り、感激のきわみでございます。
  初当選以来、今日までを顧みますれば、思うことのみ多く、実りの少ない二十五年であったと、唯々反省するばかりでございます。
  いまこの節目に当たり、私の至らざる政治活動に温かいご声援をお送り下さいました多くの方々を始め、ご心配を煩わしました先輩同僚の皆様にお許しを乞い、感謝し、何にもまして、いつも揺るぎないご支持を賜りました神奈川県地元選挙区の皆様に厚く御礼を申し上げます。
  私が初めて国会に議席を頂戴致しましたのは、昭和四十二年一月でございました。
  この総選挙は、議員の権力乱用、公私の混同、業界との癒着等が、きびしく問われた。いわゆる「黒い霧解散」と呼ばれるものでした。
  二十九歳でのこの経験は、常に国民の心を心とする政治を目指す私の初心として、忘れられないものであります。
  昭和五十一年、政権政党を離れて新自由クラブを結成した私は、保守政治に新しい息吹を与えようと努力致しました。
  この活動は十年目にして挫折の止むなきに至りましたが、私の四半世紀に及ぶ政治活動の中で貴重な体験となりました。
  その際提唱致しました腐敗との訣別、新しい自由主義の確立、硬直した政治からの脱却などは、今なお政治の大きな課題となっており、さらに一段の努力を自らに課して参る覚悟でございます。
  そして、来るべき二十一世紀に向かい、誤りなき日本の進路を開拓すべく、精励精進することをお誓い申し上げ、御礼の言葉にかえさせて頂きたいと存じます。
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    山口敏夫君のあいさつ
  このたび、永年在職議員として、院議をもって表彰の決議を賜りましたこと、誠に身に余る光栄であり、謹んで感謝申し上げます。
  二十五年の永きにわたり、議員として在職し、今日議会人としての栄誉に浴することができましたのは、諸先輩、同僚議員のご指導、ご鞭撻はもちろんのこと、郷土埼玉県の皆様からの変わらぬご支援、ご厚情をいただいた賜物であり、ここに衷心より厚く御礼申し上げます。
  思えば私の学生時代は、六十年安保の熱い政治の季節であり、東西が激しく対峙する渦中にございました。アジア諸風でも、欧米の植民地主義からの解放を叫ぶ狼煙が燃え盛る中、単身アジア十数カ国を旅し、戦乱のインドシナ半島の過酷な惨状に大きな衝撃を受けました。
  米ソ両超大国の狭間にあえぎ、国民が飢餓と欠乏に苦しんでいる姿に、私は政治の果たす責任の重さを痛感し、政治家は傍観者ではなく、歴史の創造者でなければならないという、私の政治理念の原点となったのであります。
  それから二十五年、歳月を経て日本と世界は大きな変貌を遂げました。我が国は、今や世界一の債権国、世界第二の国民総生産を誇る経済大国となり、国際社会でその動向を注視されるようになるまでに至りました。
  私自身の政治生活も、これまで決して平坦なものではありませんでしたが、道なき道を拓く決意で取り組んでまいりました。新自由クラブとして保守政治の活性化に挑み、伯仲国会の中で保・保連立政権を成立させ、また労働大臣在任時は、人生一世紀時代を視野に入れた。「定年制の延長」「男女雇用機会均等法」「労働時間短縮」「五月四日の休日化」などを実現させ、新しい時代にふさわしい政治を目指し、努力を続けてまいりましたことを、私は大きな誇りとしております。
  そして今や、二十一世紀を目前にした。この世界史の激流の中で、我が国も政治・経済・社会全般にわたるダイナミックなシステムの変革を迫られています。これまで、日米安全保障体制、ガット―IMF体制の受益者であった我が国は、今後は世界の繁栄と成長に先駆的な役割を果たしていかなければなりません。この歴史の転換期に、政治家が果たすべき役割は、かつてないほどの重みを増加させています。
  世界が新秩序を模索し「道標」なき時代に立つ時、私は日ソ関係の改善、南北朝鮮の緊張緩和等、日本のおかれている立場を再認識し、世界の平和と安定と繁栄、そして、我が国にあっては活力ある自由主義社会の構築、ゆとりと豊かさに満ちた生活大国の実現を目指し、その重大な使命と責任を果たしていくことをお誓いし、御礼の言葉とさせていただきます。
     ――――◇―――――
#9
○議長(櫻内義雄君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後零時五十一分散会
ソース: 国立国会図書館
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