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#1
第120回国会 予算委員会公聴会 第1号
平成三年四月二日(火曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月一日
    辞任         補欠選任
     合馬  敬君     平野  清君
     本岡 昭次君     村田 誠醇君
     針生 雄吉君     白浜 一良君
 四月二日
    辞任         補欠選任
     小川 仁一君     堀  利和君
     高崎 裕子君     神谷信之助君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         平井 卓志君
    理 事
                坂野 重信君
                野沢 太三君
                藤井 孝男君
                宮澤  弘君
                佐藤 三吾君
                角田 義一君
                安恒 良一君
                及川 順郎君
                吉岡 吉典君
    委 員
                井上 章平君
                石井 道子君
                石原健太郎君
                遠藤  要君
                大島 友治君
                片山虎之助君
                北  修二君
                斎藤 文夫君
                須藤良太郎君
                関口 恵造君
                田中 正巳君
                谷川 寛三君
                西田 吉宏君
                平野  清君
                星野 朋市君
                國弘 正雄君
                瀬谷 英行君
                竹村 泰子君
                堂本 暁子君
                細谷 昭雄君
                堀  利和君
                村田 誠醇君
                森  暢子君
                吉田 達男君
                片上 公人君
                白浜 一良君
                中西 珠子君
                神谷信之助君
                粟森  喬君
                池田  治君
                寺崎 昭久君
                今泉 隆雄君
   政府委員
       大蔵政務次官   上杉 光弘君
       大蔵省主計局次
       長        藤井  威君
       大蔵省主計局次
       長        小村  武君
       大蔵省主計局次
       長        田波 耕治君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        宮下 忠安君
   公述人
       立教大学教授   北岡 伸一君
       ジャーナリスト  前田 哲男君
       国際金融情報セ
       ンター理事長   大場 智満君
       名古屋市立大学
       教授       牛嶋  正君
       東洋大学教授   古川 孝順君
       日本自治体労働
       組合総連合副委
       員長       佐藤 光雄君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○平成三年度一般会計予算(内閣提出、衆議院送付)
○平成三年度特別会計予算(内閣提出、衆議院送付)
○平成三年度政府関係機関予算(内閣提出、衆議院送付)
    ─────────────
#2
○委員長(平井卓志君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
 本日は、平成三年度一般会計予算、平成三年度特別会計予算及び平成三年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人の方々から項目別に御意見を伺います。
 まず、午前は二名の公述人にお願いいたします。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本日は、平成三年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、湾岸戦争後の国際問題につきまして順次御意見をお述べ願います。
 まず、北岡公述人からお願いいたします。北岡公述人。
#3
○公述人(北岡伸一君) 北岡でございます。
 湾岸戦争後の国際問題ということにつきまして二十分間お話しせよということでございます。
 湾岸戦争後の国際問題についてお話しするためには、これを考えるためには、その湾岸戦争が持つ歴史上の意義ということをやはりよく理解する必要があるというふうに考えております。したがって、若干振り返って歴史の中に考察を進めたいと思うわけでございます。
 改めて言うまでもございませんが、昨年八月のイラクによるクウェート併合というのは、近来例を見ない大変暴挙でございました。近来というのはどれくらい近来かと申しますと、第二次大戦後こういう事態はなかったわけでございます。両国間に国境紛争があったことは事実でございますけれども、しかし、国交を持っておりまして、そして大使館を設置しておりましたこういう国をいきなり併合したということでありますから。
 世界の国々で国境紛争をおよそ抱えないという国は余りないわけでございます。いずれも多少とも抱えている国が多いわけでありまして、それからまた国境線の不自然という点もございますけれども、歴史的に不自然な国境線を持っている国というのもこれまたたくさんあるわけでございます。どの国にも国際紛争はあり、かつ領土問題と
いうのはかなりの国が持っている。我が国も例外ではございません。これをいきなり自力救済、自分の力で解決するということがまかり通りますと、これは一種の弱肉強食の世界というのが出現するわけでございまして、これは中小国にとっては大変耐えがたい事態ということになるわけでございます。
 このような国際紛争というものを、何とか力ではなくて、力以外の方法で解決する手段はないのかということは長い人類の悲願でございました。何とかそういう方法がないものか。
 例えば今世紀の初頭には仲裁裁判条約、国境紛争は仲裁裁判に付すという試みが行われました。しかし、これは十分な効果を上げないまま第一次大戦という悲劇を見たわけでございます。その後、第一次大戦後にその反省から生まれたのが言うまでもなく国際連盟でございます。国際連盟で、国際社会の共同の力、努力、協力によって紛争を阻止しようということでございます。この延長上にできましたのが、一九二八年に締結されましたケロッグ・ブリアン・パクト、ケロッグ・ブリアン条約、いわゆる不戦条約でございます。国際紛争を力では解決しないということを誓ったわけでございます。
 しかし、それも効果を上げませんでした。よく知られておりますように、我々が改めて言うまでもないように、こうした国際社会の共同の努力によって実力による紛争解決は避けようという努力に、最初にこれに対して破壊的な衝撃を与えたのは日本の満州事変でございました。三一年の満州事変、そして三三年の日本の国際連盟脱退でございました。
 今回の湾岸紛争との類比で似たようなケースといいますと、これはその次に起こりましたイタリア・エチオピア紛争がこれに似ているのではないかと私は考えるわけでございます。すなわち、イタリアとエチオピアの間に起こりました紛争、これは一九三五年に武力紛争に発展する。そしてイタリアはエチオピアを一九三六年に併合してしまったわけでございます。
 このとき国際連盟理事会は、イタリアが侵略国である、イタリアの行動は侵略であるということを認定いたしまして、経済制裁を実施いたしました。しかしながら、このとき経済制裁の中に重要な物資が抜けていた。例えば石油のようなものを含んでいなかった。また、フランス、イギリスという主要国がこの経済制裁に必ずしも積極的に取り組まなかったということで、結局この制裁は効果を上げませんで、そしてエチオピアはイタリアに併合されてしまったわけでございます。
 このことは、国際連盟による集団的安全保障、国際社会が力を合わせて秩序を維持しようという努力に対して致命的な打撃でございました。エチオピアは国際連盟の正当なる一員でありまして、そのメンバー国が他の国に併合されることを連盟は阻止できなかったわけであります。そうしますと、どうしても中小国は不安になる。そうすると大国の意に逆らえない。また逆に侵略者は大胆になる。国際連盟の制裁など怖くない、大胆になるということであります。こうした延長上に第二次世界大戦というもう一つの悲劇が起こったわけでございます。
 今回の紛争にこういうところまでさかのぼりましたのは、こうした歴史の歩みの中で、人類が失敗を繰り返してきた中でこういう問題を考えることがやはり重要だと思うからでございます。
 今回は、イラクのクウェート併合が起こりまして、これに対してこれを侵略と認定し経済制裁を行い、やむなくこれから武力制裁、、武力行使ということに移ったわけでございます。こうした国際社会の中で正当性を積み重ねてこういう行動に移っていった、それが何とか成功した。軍事行動というのは誤りも多いものでありますし、行き過ぎも多いものでありますが、一応何とかこの国連決議の枠のぎりぎりの中で戦闘がおさまったということでございます。国と国が紛争を一方的に解決するのではなくて、こうした国際社会の合意と支持、それを積み重ねて紛争を解決してきたということが大変重要なことであろうと思うわけでございます。
 このことは、実は今回の多国籍軍の中心になりましたアメリカ合衆国にとっても大変リスクの伴う行動でございました。といいますのは、アメリカというのは元来孤立主義の強い国柄でございます。また、今日はユニラテラリズム、一方主義という行動が大変目につくわけでございますが、この一方主義というのも実は孤立主義の裏返しでございまして、他の国と平等の、対等の資格で協議をして物事を決めていくということに余り熱心でない国柄でございます。一方的な行動ということを盛んにやる。したがって、これまでアメリカは紛争解決において、パナマとかグレナダとか、こういうところで一方的な行動によってこれを解決するということをしばしば行った。
 これが一応国際連合という場に訴えて、その合意を取りつけて行動するという行動をとった。したがって、アメリカは今後、従来しばしばアメリカ南北両大陸で行ったような、それ以外の地域でも行いましたような一方的な行動はとりにくくなるであろうというふうに考えるわけでございます。そういうリスクを冒してやったということでございます。
 さて、今後の湾岸以後の世界の問題を以上の延長上に考えますと、こうした国際社会の共同の努力による秩序維持行動というものをさらに強化していくことというのが極めて重要であろうというふうに考えるわけでございます。といいますのも、こうした、今度ほどドラスチックではないかもしれませんが、地域紛争が今後とも世界に簡単になくなるとは思えないからでございます。
 なぜ湾岸紛争が起こったか。多くの理由がございます。間接的な理由でございますが、これは八九年の末に非常に明白になりました冷戦の終えんということと密接な関係がございます。つまり、それまでは軍事衝突が起こればこれは米ソの間の極めて危険な対立にエスカレートする、そういうおそれがあるということが自制を促すということがありました。
 それからまた、共産主義イデオロギーというものは、ソ連という国家において、またそれを越える地域において、それ以外のイデオロギーや民族主義や宗教というものによる対立を抑え込む機能を果たしていたということがございます。ですから、そうした共産主義イデオロギーがアピールを失ったことで、それによる統合というものを困難にする、かえって生の民族主義が噴き出す、地域紛争が起こるということは十分予測可能なところでございました。そうした事態は今も変わっておりません。
 もう一つ、冷戦の終えんと関係がございましたのは軍縮の進展でございます。超大国で軍縮が進展する、そうすると、余剰な武器がその他の国に比較的安い値段で流れるということがございました。今後とも世界の軍縮を進めていくということは私大変必要なことだと思っておりますが、それが進めばそうした武器がその他の地域に流れていくということが起こる。これまた湾岸以後においても生じるであろう事態であるというふうに思われます。
 もう一つ、ポスト冷戦とは関係ございませんが、一般的に重要なのは、今日武器というものが持っている殺傷能力、それから移動能力、行動能力というものが大変巨大なものになっているということでございます。盾と矛という例ではございませんが、一国が仮に自分の国の安全を自分の国だけで守るということになりますと、どうしても自衛の力というのは他国をも脅威するということになるわけであります。仮に日本のような経済的それから地理的にも脆弱な国が、自分の国一国だけであらゆる侵略から自分を守るということを決意したとすれば、これはその経済的、技術的能力からして大変巨大な軍事力になるおそれを秘めておるわけでございます。
 したがいまして、そうした先ほど来のポスト冷戦の二つの点、それから今の基本的な軍事技術の発展ということから考えまして、今後とも世界の
秩序を維持するということは、国際社会の共同の努力としてこれに取り組んでいくということが極めて重要であるというふうに私は考えるわけでございます。
 その意味で、今回の国連を中心とした国際秩序の回復ということが機能したということは、その間、早期にイラク側の撤退がなされなかったために多大な犠牲者が出たことはまことに遺憾でありますが、その秩序維持が機能したということについては、これは大変評価すべきことだというふうに考えております。
 ただ、日本がこの中で十分な役割を果たすことができたかというとそれは別問題でございまして、先ほどのイタリア・エチオピア紛争のときに主要国が余り熱心でなかったということを申しました。日本は現在世界のGNPの一四、五%を占める、世界の経済力の七分の一というものを占めている国でございまして、こうした国が積極的な秩序維持活動に加わらなければ、次々にそういうことに倣う国が出れば、これは容易に秩序維持はできないわけでございます。
 少し急ぎたいと思いますが、以上のような観点、国連を中心とする国際社会の共同秩序維持行動機能を強化するということは重要でございます。ただし、国連は無論万能ではございません。今回、たまたま極めて好条件がそろいまして、五大国の一致ということがございました。しかし、常任理事国の一国が拒否権を行使すれば、まあ簡単な例を挙げれば、シェワルナゼ外相がまだ在任中でございましたが、既に辞任していたとすれば十一月の武力行使容認決議案が通ったかどうかというのはいささか疑問な面もあるわけでございます。こうした常任理事国が切実な利害を感じるところで紛争が起こったときに本当に国連が機能し得るかというのはまことに疑問な面がある。これが国連中心主義というものに対する一つの留保でございます。
 もう一つは、国連中心主義というのは私は基本的に支持するものでございますが、国連の決定を待ってそれから行動するというものではないということでございます。日本が国際社会の諸現象、諸問題について何が正しいと考えるかということをみずから判断し、その方向に国連をリードしていくというのが大国の責務というものでございます。主要な先進産業諸国と協調し、なかんずく我が国と密接な関係のあるアメリカ合衆国と共同して国連をその方向に動かしていく、これが国連中心主義の前提であろうというふうに考えるわけでございます。
 さて次に、今も触れましたアメリカ合衆国との関係について触れておきたいと思います。
 今回、さまざまな世論調査に出ておりますように、日本の行動には失望したという人がアメリカで少なくないわけでございます。アメリカの日本に対する態度にはおよそ二通りあったと考えられます。
 その一つは、日本というのはしょせんアメリカとは異質な国である、外圧をかければ動くではないかという立場の、日本に対する非常にシニカルな、またネガティブな評価をする人たちであります。こうした人たちは、自然今回の日本の行動に対しても、日本というのはしょせんそういう国である、日本はたたけばたたくだけお金が出てくる国であるというので別に驚きもしなかった。これに対して、これまで不当な日本批判に対して日本を擁護してきたような、日本を尊敬すべき対等のパートナーとして遇すべきだとして行動してきた人たちが日本に対して深い失望を表明しているということであります。日本は多くの重要な友人を失ったというふうに考えるわけでございます。
 アメリカについてもう一つ重要な点は次の点でございます。先ほど申しましたとおり、アメリカというのは孤立主義の根の深い国でありまして、また一方的な行動をしばしば行う国でございます。言いかえますと、アメリカの中には国際主義の動き、世界で共通のルールをつくり、やっていこうという動きと、いや、そんな遠くのことにアメリカの若者の血を流すべきでないという意見に代表されるようなむしろ後ろ向きの姿勢と両方があるということでございます。
 アメリカが仮に孤立主義になればどうなるかといいますと、アメリカも決していいことはないと思います。アメリカにとってはこれは不利益だろうと思いますが、日本のこうむる不利益はそれどころではないと思います。アメリカというのは巨大な国でありまして、孤立主義になっても、まあ多少困るでしょうが、深刻に困るという国ではございません。これに対して日本は通商国家であり、なかなか苦しい状況に追い込まれる。
 のみならず、アメリカが仮に孤立主義になって、世界の遠くの国のことは知らないという態度になったら世界じゅうが困るという面がございます。そうしますと、世界のさまざまな地域で地域大国がばっこする、弱肉強食の世界が出現するおそれがかなりある。イラクのような国は世界に一つだけというわけではございません。それが一つでございます。
 それからもう一つ、アメリカが引っ込んでくるといいますと、これは世界に地域主義、国際主義に対して地域主義が台頭することを促すということだろうと思います。実はこの地域主義というのは、世界が抱えている共通のさまざまな問題を解決することのできないものでございます。例えば地域環境問題というような問題、そして南北問題というものが地域主義で解決できるかといいますと、これはできないわけであります。南の国が結束して、例えば地域主義でアフリカ諸国が団結して一体何ができるか。やはり世界の南北問題というのは、世界共通の視野の共通の取り組みの中から解決していかなくてはならないというふうに考えるわけでございます。
 アメリカというのは、露骨な利害を振り回すこともございますが、一方で理念を高く掲げる国でございまして、こうした日本とアメリカの間に今かなり難しい問題が生じている。深刻なことだろうと思います。昨年のサミット、このあたりまではグローバルパートナーシップというのがかなり機能していたのが、一挙に数年分後退したという印象を私は持っております。これを回復していく。世界第一の経済力と第二の経済力であります。この二つが相互にいがみ合っているかあるいは協力して世界の問題に取り組むか、どちらがお互いのために、世界のためにいいかというのは、これはもう自明のことでございまして、両国が対立していいことはないわけでございます。
 日本の中に、アメリカに言われてばかりではないかという批判がございまして、対米追随反対という意見が強いわけでございます。しかし、アメリカに言われたからやるということと、アメリカと同じことをする、あるいはアメリカが期待していることをするというのは別問題でありまして、アメリカと同じ、あるいはアメリカが期待していることをやるということを日本は避けるべきではないと思います。
 時間になってしまいまして、最後に一言締めくくりをしたいと思いますが、私が申し上げたいのは次のことでございます。
 よく日本外交には理念がない、日本外交は理念を持てということを申します。しかし、理念というのは、どこかにあるものをいきなり何でも持ってくることができると、そういうものではございません。理念というのは既に我々の内にあるものであります。我々が現実に持っているさまざまな大切にしている価値というものがあるわけであります。例えばそれは日本については平和であり、自由であり、そして繁栄であるということであります。そうした理念は、別に日本独自の理念というわけではないわけでございます。日本は独自の理念を持てということをよくおっしゃる方があります。しかし、これは人類普遍の理念ではないでしょうか。そう考えるわけでございます。
 日本に欠けているのはそうした理念――まあ価値は持っている、それを有効に表現する言葉と政策が欠けているというふうに考えるわけでございます。それをつくり出していくこと、そしてまた、それが人類共通、普遍的なものであるという
ことを認識し、そして国際主義の方向に進む。単独主義でも一国主義でも地域主義でもなくて、国際主義の方向に進むということが今後の日本外交の基本ではないかというふうに考えます。
 時間の関係でやや理念論に傾斜いたしましたが、以上で私の陳述を終わらせていただきます。(拍手)
#4
○委員長(平井卓志君) ありがとうございました。
 次に、前田公述人にお願いいたします。前田公述人。
#5
○公述人(前田哲男君) 前田でございます。
 私は、湾岸戦争後の国際問題について、主として日本の役割を中心に陳述いたしたく存じます。
 実は私、一月十七日、湾岸危機が戦争に転化したちょうどその瞬間、船に乗ってペルシャ湾の沖におりました。以後、紅海、スエズ運河、地中海にかけておびただしいアメリカを中心とする多国籍軍の艦船、航空機が海と空に蝟集し、力を行使するありさまを見ながら、この戦争は一体何なのであろうかということを考え続けてまいりました。また、アジア、アラビアの多くの港に寄港いたしましたので、そこにいる人たちとこの問題に関して、あるいは日本の役割に関して話す機会もありました。そうした経験を踏まえながらお話ししてみたいというふうに思うんです。
 湾岸戦争を振り返って、私、あの戦争は目的と手段との均衡を著しく欠いた不必要かつ過剰な力の行使であって、正義とか国際的な新秩序確立という名分によって正当化し得ないのではないか、そういうふうに考えております。
 なるほどクウェートは解放されました。しかし、正確に言うならば軍事的に奪回されたにすぎません。平和が戻ってきたわけではありません。平和が戻る条件が今クウェートの大地にあると信じる人はほとんどいないだろうと思います。四十万になんなんとする米軍がなお無期限の状態で駐屯せざるを得ないだろうと思われます。そのような解放を果たしてクウェートの国民が望んでいたかどうか、甚だ疑問です。
 環境の問題もあります。クウェートが侵攻以前に生産していた原油の倍の量に当たるおびただしい油井が今も炎上し続けています。ペルシャ湾に流れ出した原油の勢いもまだとどまるところを知りません。局地的な環境異変が起こっています。これほど地球環境の破壊が叫ばれている今日、あのような軍事力の行使が必要であったかということを考えざるを得ない。ここにも目的と手段との間に果たして正当的な整合性が存在するのだろうかという疑問がわいてさます。
 また、この問題によって転化された感のあるパレスチナの問題に関しても、あれほど危機から戦争にかけてリンケージという言葉によって重要性が論議されていたのですが、しかし軍事作戦以後、ほとんどこのリンケージという問題は表面から消えてしまったように思われます。ここにも南の、あるいはアラブの間にこういった力の行使に対する不信が今後深まっていくのではないかという懸念が生じます。
 こう考えてまいりますと、私はこの軍事行動は目的と手段との均衡から逸脱した不必要かつ過剰な力の行使であったというふうに言わざるを得ない。したがって、今後の日本の役割、国際的な共同行動に対する役割を考える場合に、このケースを下敷きにしてはならない、これを前提にしてはならないだろうというふうに思うわけです。
 私たちがこの湾岸危機を契機に日本の国際的な貢献のあり方を考える場合、まず直視し解きほぐしていくべきジレンマが二つあると思います。
 一つは、言うまでもなく憲法の要請と国際的共同行動の間のジレンマであります。
 憲法の平和主義に籍口して我々が何もしないということになれば、それは国際的な非難を浴びてもいたし方ないでしょう。我々は、憲法の規定、理念を何かしないための口実にではなしに、もっと積極的に打ち出していくべきであろうと思います。しかし、国際的な共同行動をそのままの形でできるかどうかは別の問題であります。そこにやはりジレンマがあることを私たちは直視し、それを解きほぐす努力をしていかなければならないと思うんです。
 もう一つのジレンマは、西側の一員という日本の立場とアジアの一員という日本の立場から生じるジレンマだと思います。
 日本は、経済力において、先端技術において西側の一員あるいは北側の一員としての先進国の立場、理念を享有している。これは申すまでもありません。しかし同時に、地理的、文化的、歴史的においてアジアの一員たることも、これも疑問の余地のないところであろうと思います。しかも、日本はこのアジアにおいて、過去半世紀、二十世紀の前半、大きな被害を与えた、侵略をしたという事実をアジアの人たちが忘れていないということも事実なんです。
 先ほど申しました今回の旅行の中で、アジアの人たちと話し合って一番印象が強かったのは、我々が西側の一員としての応分の負担をしようとしているという形で九十億ドルの問題でありますとか国連の平和協力法の問題を幾ら説明しても、しかしアジアの人たちにとってそれ以上に、日本の公式の謝罪がなかった、いまだない、あの戦争の記憶の方が強いという、このことはいかんともしがたい。つまり、アジアに対して忠たらんと欲すれば西側に対して孝たり得ない、西側の協力を中心に忠たらんと欲すればアジアに対して若干孝たり得ないという、このジレンマがあるということを直視しなければならないと思うんです。このジレンマを、かつてのアレクサンドロスがゴルディオンの結び目を解いた故事に倣って一刀両断するという手法もあり得ましょう。しかし、それでは真の解決にはならない。迂遠であれ面倒であれ、しかし丹念に解きほぐす。その中から、解きほぐすことを含めて、日本の国際的な貢献とみなして示していくということが必要であろう。まずジレンマを直視し、それを解きほぐす努力から我々は湾岸戦争後の国際問題、日本の責務を考えていかなければならないのではないだろうかと思うんです。
 もう一つ、国際貢献をするに当たって、今盛んに議論されております、昨秋以来国連平和協力法における協力のあり方が論じられました。そこで論じられていることは大変重要なものではあるんですが、むしろ私はそれ以前に、我々は何をするのか、原則の確立あるいはガイドラインの提示の方が先行すべきではないのかというふうに考えます。つまり、自衛隊を出すのか出さないのか。ある勢力にとっては自衛隊を出すということがあたかも国際的協力の中心になるように、そういうふうに映る議論がなされます。また、逆の立場からは、自衛隊を出さない、自衛隊抜きの組織をつくることこそ目的であるかのごとき議論が聞かれる。ともに不毛であるというふうに思います。自衛隊を出すか出さないかではなしに、日本が何をするのかという大きな原則をまず確立する、そこから議論を始めるべきであろうと思うんです。
 原則確立のために何が必要なのか、私なりの意見を申し述べてみますと、まず第一に日本の役割、こういった国際共同行動に関する役割に関して原則として立てるべきは、日本の場合、危機対処より危機回避に重点を置いた貢献がまず必要なのではないかということであります。短期に即応するタイプの貢献であるより、長期に何か誘導していくような、そういった貢献を日本の国際貢献の柱として位置づけることこそ必要なのではないかというふうに思います。例えて言いますと、ODAによる援助を効果的に使うことによって紛争要因を未然に防ぐ。危機前対処と申しますが、危機対処の前の段階における役割を重視する。あるいは海外青年協力隊のような既存の組織を使うことも、この危機前管理対処に非常に役に立つのではないかと思います。こういった短期即応型より中長期にわたる大きな国際的な貢献、協力のあり方を日本の役割にしていくという原則がまず必要なのではないか。
 しかしながら、今回のイラクによるクウェートのような突発的な事態も起こり得るわけでありま
すし、紛争要因は事前にいろんな政策的な要因で芽を摘むという単純なものではありません。いろんな形での突発的な短期即応型の協力もまた完全に無視、日本の役割の外に除外することもできないと思います。
 その際、日本はこれまでのような避け方をしてはならない。より積極的にみずからの使命と役割を見出してそこへ参加していくべきであろうと思います。その際は、先ほど北岡公述人の意見にもありましたように、国連中心主義という原則がやはり大きな柱になろうと思います。国連に、たとえある組織に自衛隊を参加させる、退職自衛官を参加させるということができたとしても、それを国連の主権あるいは国連の指揮のもとに差し出し部隊として提供するということになりますれば、国民の反応、アジアの反応は大きく変わってくると思います。
 まず、国際共同行動は国連中心主義において行うという原則を立て、そこに提供さるべき組織は日本の統帥権、指揮権の外に置くという決定をなすべきであろうと思います。そうしますならば、自衛隊の問題もほとんど解決するのではないでしょうか。
 同時にもう一つ、アジアの日本に対する懸念を払拭する意味から、国連に提供される組織は、アジアの旧戦場ないし旧植民地に出動する場合に限って、その際には身に寸鉄を帯びざる状態で出ていくという原則を立てることだと思います。今回のような、あるいはアフガニスタンのような場合は違います。アフリカにおいて、中南米においても違い得るでしょう。しかし、アジアの旧戦場ないし日本が植民地として支配した国々に対する国連主権のもとの共同行動であっても、その際は日本は身に寸鉄を帯びざる状態でしか行動しないということを原則として掲げる、そのことによってアジアの不安と西側の一員としての義務の間のジレンマは解消することが考えられる。そのような原則を立てることがこの際必要なのではないか。
 そのような原則を立てた上で、組織の問題、自衛隊は現役たるべきか予備自衛官なのか、あるいは出向すべきか、火器の携帯の範囲という具体的な問題が出てくるわけで、私は、昨秋以来の議論はその大きな原則を欠いた細かな問題が先に出てきた結果、自衛隊を出すのか出さないのか、一方で初めに自衛隊ありき、他方で自衛隊外しが目的というような議論になっていってしまったのではないか、残念でならない思いがするわけです。
 これから新しい環境を得て日本の国際的な役割が論じられるに当たり、まず原則を立ててガイドラインを提示して、それを世界からはっきり見えるような形で提示しつつ、その中で日本の役割を具体的に詰めていくという作業がとりわけ必要であろうと思います。
 もう一つ大きな原則の中に含まれるべきは、軍縮、紛争防止に対する日本の貢献、協力の手続を確立していくことだと思います。御承知のように、今回の湾岸戦争の中でも化学兵器の拡散の問題が大きく取り上げられました。あるいは核兵器の拡散の危機に関しても論じられました。武器の輸出はとどまるところを知らず、東西の冷戦解消が逆に南北間における武器輸出の拡大につながるという非常におかしな事態さえ生まれてきている。この状態において、私たち日本は核兵器をつくる能力を持ちながらつくらないという自制の政策を堅持した国として、先端兵器をその気になれば大量生産する能力を持ちながら、しかし輸出はしないという原則を堅持した国として、世界に対して核と武器管理に関する具体的な提言をしていく。そうなりますれば、道義的な説得力を持った強い外交的な主導権を発揮し得るのではないか。これを国際貢献の一つの柱に立てるべきであろうと思います。
 武器輸出の規制に関しては、もう既にさまざまな提言がなされておりますが、しかし一方、湾岸危機直後の現地の情勢を見ておりましても、アメリカを初めフランス、もう既に戦火がおさまったばかりの湾岸地帯に新たな武器を輸出しようとしている、輸出しているという状態があるわけであります。戦火はおさまったけれども平和が回復しないという原因の一つに、武器輸出の問題があろうかと思います。
 さらに、核の拡散もかなり深刻です。化学兵器の拡散に関しても憂慮すべき状態が広がっている。こういったことに関して、日本は核も化学兵器も武器輸出も一切手を染めないという立場をもっと積極的に軍縮提案の形で打ち出していく。それは地域軍縮に関する貢献にもなると思います。
 さらに、軍縮面での貢献のもう一つの要因として、アメリカとソビエトとの間で結ばれた東西間で進んでいる軍縮に関して、日本がもっとその軍縮を監視したり検証、査察する、技術的な面で貢献し得る余地が大いにあると思うんです。軍縮産業と呼んでいいほど、これから東西間で進んでいく核軍縮あるいは化学兵器軍縮を実質的に進めるに当たって必要なさまざまな手続、とりわけ技術的な検証の中では、大きな先端技術と地球的なネットワークが必要になってくる。もう間違いないことだと思います。そして軍縮が効果的にお互いの信頼の中で進んでいくには、そうした検証手段が張りめぐらされ、効果的にかつ中立的に動いているということが前提であること、これまた言うまでもありません。そうした役割をなすに当たり、日本の持っている政治的な立場あるいは技術的な力量は大いに役立つと思うんです。
 これまでの軍縮、ヨーロッパで行われましたINF条約に関しては、米ソの技術的な蓄積によって可能でした。しかし、今後、ただいま延びておりますが、米ソの間で戦略兵器半減条約ということになりますと、これは十二の技術的な検証の手続が要求され、七年間にわたって、しかし半分は残し半分は廃絶するという極めて技術的に困難な軍縮がスタートする。さらに、フランスのパリで開かれて原則的な合意を得ました化学兵器の廃絶という条約がもし合意され条約として動き出すとしますれば、化学兵器は農薬と医薬品の境目の極めて困難な領域にまたがっている関係上、しかも核兵器以上に多くの国々によって生産されている以上、これを廃絶する手続、監視というのは大変膨大な、かつ先端技術をもってしか可能でないような領域にわたります。こういったところにこそ、日本の平和主義、先端技術の蓄積が貢献さるべきではないかというふうに考えるわけです。
 こうした軍縮でありますとか地域的な武器の拡散に対する防止策に日本が資金と技術と道義的な説得力をもって対応する、そのような原則を立てますれば、日本の国際的貢献が足りないとかいうような意見は払拭されるのではないか、そのように私は考えます。
 したがって、今後の日本の国際的な貢献のあり方、区々の問題で日本の役割を分担することより、まず大きな原則を立てて、その原則の立て方を世界から見えるような形でぜひ御審議願いたいということ。その中で具体的な貢献策を詰めていけば、日米関係においても、そのような破局的な将来を予測する必要はないのではないかというふうに思います。
 以上で陳述を終わります。ありがとうございました。(拍手)
#6
○委員長(平井卓志君) ありがとうございました。
 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#7
○斎藤文夫君 自民党の斎藤文夫でございます。
 前田先生、北岡先生、両公述人に対しまして、短い時間でございますが、今のお話を承りましてお尋ねを申し上げたいと思います。
 実は、今前田先生のお話を承っておりましたが、その前に、先生が今月の「世界」にお書きになっております「米「謀略外交」に惑わされるな」、ちょっとこれを昨日読ませていただきました。
 この冒頭で、先生も今お話しがございました
が、戦争中の状況下、アラビア半島へいらっしゃった印象が書かれておりました。フセインの暴挙は許せないにしても、イラクの国民のフセインに対する強烈なイメージをたたえておられるし、あわせましてまた、日本に向けてアラブ民衆のまなざしが変わってきた。日本の援助によってなぜアラブの国民を殺すのか、こういうようなことが冒頭お書きになっておられるところでございます。
 私は、戦後のイラクのあの内乱状態、ましてやその前に、宗教的な立場とはいいながら、クルド族に対して毒ガスまで使って自国民を凶殺する、こういうようないわゆるフセインのやり方、これは言うならば、もう全く独裁者のもとなるがゆえのイラク国民の悲劇である、このように実は見ておるわけです。独裁者の末路は、チャウシェスクのあの姿をもってしても、最近の歴史が明確に示しておるところでございますし、特にこういうような印象をお持ちになられたとおっしゃいますけれども、むしろ独裁者のもとにおける民衆の悲劇だと、このようにはお考えにならないでしょうか。
#8
○公述人(前田哲男君) 今おっしゃられました論文「米「謀略外交」に惑わされるな」、題名は私の題名ではありませんで、本文は全文私のものでありますが、私がそこで書きましたことは、お読みになればわかるように、私の意見というより、こういうことをアデンで聞いた、イエメンの人たちが言っていたというようなことであろうと思います。日本に対する見解の違い、日本はアラブの友人ではなかったのか、それをどうして態度を変えるのかというような声をアデンで聞きましたし、エジプトでも聞きました。そういう声を紹介したわけであります。フセイン大統領のもとで呻吟するイラクの国民に関して私が同調したりという気持ちは全く持っておりません。
 イラン・イラク戦争が始まったときから私の立場は不変であります。正確に申しますと、イラン・イラク戦争の中でフセイン大統領のイラク軍がクルド族に対して化学兵器の攻撃を加え始めた以降不変でありまして、もうそのときから私は、フセイン大統領のイラクに対して一片の同情心も同調心も持っておりません。そのことも明記してあるはずであります。
 ただ、そのころアメリカがどういう態度をフセイン大統領のイラクにとっていたか、そこでは書いておりませんが、しかしそれも公平のために明記すべきであろうと思います。
#9
○斎藤文夫君 したがいまして、今、前田先生のこのお書きになったこと、あるいはお話しになったことをいろいろ総合してみまして、特に日本の中東政策が今回の問題をもって、多国籍軍に援助したから変わったというようなとらえ方をどうもされておられるようでありますが、私はそうは実は考えておりませんで、あくまでも今回のこの問題は、国際秩序を武力で侵す独裁者への断固たる姿勢を示す、そこにやはり平和回復の一つの手だてがあった。残念ながら、だれしも武力行使は望むところではございませんが、国連決議の中で武力容認まで、拒否権なくですね、国連という、先ほど先生もお述べになられた日本の国連中心主義というのが一つのこれからの日本外交の、まあ今までもそうですけれども、行くべき姿だと。
 その点全く同感ですが、そういうようなときに、一方国連であれだけ数多くの決議をしてフセインに反省を求めたにもかかわらず、言を左右にして応じなかったからこそ戦争にならざるを得なかった。これについて、先生のお話を聞いておりますと、どうも結局アメリカが少しやり過ぎたんじゃないかと、そういうような御意見の陳述がございましたけれども、その辺はいかがお考えになられますか。
#10
○公述人(前田哲男君) 冒頭に申し上げましたように、目的がよければ手段がすべて正当化されるというものではなくて、今回の場合、目的と手段の間に均衡を欠いていたというふうに私は思います。イラクの行為に対する私の意見に関してはもう申し上げましたので繰り返しませんけれども、イラクに対する国際制裁をあのような方法によってのみしか達成し得なかったかどうか疑問を持つわけであります。
 振り返ってみますと、八月二日に侵攻が起こりまして、その日のうちに国連安保理事会は、賛成十四、議決不参加一、したがって反対ゼロという極めてもう疑問の余地なき形でイラクの行為を非難いたしました。さらに八月六日には、その非難を形のあるもの、つまり経済制裁という形で、十三対ゼロですが、出しました。(「だから認めるべきじゃないですかね」と呼ぶ者あり)経済制裁をどうして軍事制裁にエスカレートする必要があったのか、私には全くわからないわけであります。
 これは、例えばアメリカの上院の公聴会の中で出た意見を調べてみましても、歴代国防長官歴任者九人のうち八人までが、経済制裁の継続を主張して慎重な軍事行動への転換の意見を述べておりました。アメリカの国内においても、あるいは前の統合参謀本部議長、元の統合参謀本部議長も経済制裁でした。ジョーンズ前統合参謀本部議長、クロウ元統合参謀本部議長も経済制裁の継続を主張しておりました。決して経済制裁を続けることが……(「そんなのではだめなんだ」「公述人にやじるなと注意しているんだよ」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)
#11
○委員長(平井卓志君) 御静粛に願います。御静粛に願います。(発言する者あり)御静粛に願います。
#12
○斎藤文夫君 ありがとうございました。
 もう一つ前田先生にお尋ねをさせていただきます。
 先ほどのお話の中で、ODA等の援助、これは要するに危機対応よりも危機回避だと、長期的にですね。そういう誘導が特に今回の教訓から得た日本の今後の役割ではないかと。私も大変、なるほどそういうお考えで世の中がうまくおさまればいいなと、こう考えておるわけでありますが、それは先生のその次のお話で、ODAの援助等紛争の危機前対策で何とか解決ができたんじゃないかと。これは一つの見識とは思いますけれども、結局あのフセインという独裁者を、あの暴挙をですね、ODA等の援助で抑えることができただろうか、私はこれはもう非常に大きな疑問に思うわけであります。金だけで紛争がすべて解決できるんだ、あるいはまた、それは確かに世界各国貧富の格差があるところに紛争がある、こういうことにもなるかもしれませんが、やはり世界の現実というものに立脚しますと、ODAとかあるいはその他の金を出したことですべてが解決するとは思いません。
 そこで、昨日外務大臣がここで御答弁をされた中に、簡単に申し上げますと、日本外交の基軸は五本の柱で、国際社会の平和秩序、途上国への経済援助、国際紛争は異文化の衝突だから防止のために文化交流促進、地球環境の保全、累積債務国の再建築への協力、こういうようなことを今日日本の外交の中心的な柱として努力をしていると。私なども理解をしておるところでございます。
 しかし、一歩考えてみますと、結局これは日本が経済大国で黒字国であるからできることでございまして、日本が今度の湾岸対応というような中で欧米諸国から極めて冷たい見方をされた。これは要するに、こんな九十億ドルも、また前の四十億ドル昨年秋に出している等々を考え合わせますと、いかにも残念なことでございますけれども、もしも日本が世界的に孤立化していく、こういうことになりますと、自由貿易体制の中で今日の経済大国たり得た日本が、ODAその他世界一だと今は自慢はできますけれども、結局懐勘定が悪くなれば経済的な支援体制というものもできなくなる。日本の一つの力かなと思っているその経済援助にも大変大きな影響が出てくる。
 そこで、日米のいわゆるパートナーシップというものが今回のこの湾岸問題に対応する日本の姿勢というもので相当ぎくしゃくをしてきたのではないか。もう既にアメリカでは、今後日本との経済問題、これは先ほども北岡先生からお話がござましたが、たたく、日本なら何か出てくるか。
あるいはまた、日本擁護派を失望させたと、こういうような現状の御説明もございましたけれども、貿易立国日本が最も主要相手国であるアメリカとの経済関係悪化というようなことは、これはもう極めて先生が御指摘になった海外への積極的な援助がだんだん乏しくなっていく、こういうことになりはしないでしょうか。
 特に、社会党が独自の平和論を展開されまして、まあこれは新聞で拝見をいたしましたが、田邊副委員長が国際孤立も場合によってはやむを得ないよと、そういうようなことも言われたということを見て私びっくりしたわけですが、本当にそういう意味で世界の孤児になって、日本の一国平和主義、そういうような主張の中でやっていったとしたときに、貿易収支が万一、今日大分黒字が下がってきて、ひところ千億ドルから今の見通しは三百六、七十億ドルと言われているんですけれども、今後援助が続けていかれなくなるのじゃないか。したがいまして、日本の世界各国への平和貢献、ODA援助、こういうものが非常に細くなる。日本の今後の外交の一つの切り札であるパワーがなくなってくる。こういうジレンマがございませんでしょうか、いかがでしょう。
#13
○公述人(前田哲男君) 私、ODAが万能であるというふうには考えておりませんし、またODAによって今回のような事態を防ぎ得たのではないかと主張しているわけでもありません。これからの日本の国際的な役割のあり方の柱の一つに、例えばODAなどによる危機の、あるいは紛争の要因の事前の除去ということが必要なのではないか、そういうことを日本の領域にすべきではないのかということでありまして、それが万能である、それさえやっていればよろしいということを主張しているものではありません。国際的な共同行動に関する組織の形成に当たっても、決して一概に否定しているわけではございませんし、それに関する具体的な私の考え方についても先ほど述べさせていただきました。
 こういったことを誠実にやっていけば、アメリカとの間に危機的な関係の悪化を招くとは私は思わないわけであります。日本が西側の一員としての関係を持っている、保っていくということに関しては、別にそこから離れろとか、それを否定しようということを言っているわけではありませんし、大きな日米関係がそこで壊れていくことはないと思います。
 確かに、短期的に、あるいは小さなところからいいますと、日米の関係が一致しなかったことによってアメリカから日本に対する不満が来ている。これは言うまでもない。今回も痛いほど感じました。それは、一つにはODAとかなんとかというより、日本が具体的な原則を立てず、具体的な方策を打ち出し得ないことに対するいら立ちであって、日本がガイドラインをきちっと提示し、そこでできることを誠実に実行していくならばアメリカとの間が破局に陥るということはないのではないか、そこまで心配する必要は私はないというふうに思います。
#14
○斎藤文夫君 時間もございますので、最後に前田先生にもう一つお尋ねをさせていただきますが、今回、湾岸はお金だけの協力でございました。我々はもう少し何か日本人がみずから自分の手でできる方法はないのかなと。特に、戦争が終結して、先ほどまだまだとてもそんな状態じゃないという御指摘がございましたけれども、やはりクウェートを含めたそれぞれ周辺諸国の復興というようなもの、あるいはまたペルシャ湾その他油井炎上による大気汚染等々のお手伝い、日本のすばらしい公害技術をもって積極的に協力する。
 あるいはまたペルシャ湾、既にもう日本のタンカーが十五隻入っておるわけでありますし、七〇%のエネルギー源をちょうだいしている地域でありますから、そこに機雷がまだ千何百個浮いている。これらに日本の世界に誇る自衛隊の掃海技術を、平和利用、航行安全、こういう立場から、ただかたくなにすぐ海外派兵だ、アジアがエキサイトするよ、警戒心を高めるよということではございますけれども、そういうことこそもっとしっかりと御認識をいただければ、しかも自国防衛の、軍事大国ではなくて集団安全保障体制の中でやってきた日本でありますから、十分アジア諸国にもその協力については御理解がいただけるだろうと。
 既にインドネシアその他等々、一部の政治家の方が伺ってお話をしておれば十分理解をしておる、こういうことを聞いておるわけでありますが、とりわけペルシャ湾内の機雷の掃海をする場合の協力についての御私見を、簡単で結構ですが、お述べをいただきたい。
#15
○公述人(前田哲男君) 二つ前提がございまして、私はその前提が満たされるならば掃海艇の派遣は認められるべきであろうと思います。
 先ほど申しましたように、アジアの国々による日本に対する不信、過去の戦争責任に対する視線にどう具体的な、実態的な、それが繰り返されないんだという保障を与えていくのかということの原則の確立であります。もう一つは、言うまでもなく自衛隊法を改正する、法的なきちっとした整備を行う。この二つの前提がまず必要であろうと思います。
#16
○斎藤文夫君 ありがとうございました。
 それでは、北岡先生に引き続きお尋ねをさせていただきたいと思います。
 先ほど来いろいろお話を拝聴させていただきましたが、特に歴史的な経過の中で幾多の国際紛争を御指摘いただきました。結局、無法な侵略者に対しては好むと好まざるとにかかわらず今回のような武力制裁が必要であった、またそうしなければ早い秩序回復はなかったと。私もこれは一つの教訓であると受けとめておるところでございます。
 特に、国際的に正当化され、国連決議に基づく軍事行動でございましたけれども、残念ながら日本の国内ではいろいろな議論がなされて、結局証文の出しおくれみたいな形で、多国籍軍にやっと三月、九十億ドルを支出することができた。言うなら、一番必要なときに打てば響く対応が残念ながらできなかった。これは今後世界の日本に対する信頼、あるいはパートナーシップとしての、先ほど御指摘いただきましたが、アメリカ等の日本に対する見方が残念ながら非常に変わってきたのじゃないか。
 ところが、それを強調すると、一部の方はすぐ対米追随、極めて短絡的に物事をおっしゃる向きがあるんです。御承知のように、今度の湾岸問題についての協力でも、戦争か平和か、このような置きかえ方で論議をされる一部の方がおられるわけでありますが、我々はやはり世界の現実を直視した打てば響く対応というものができるような日本にしていかなければならない、このように思っておるわけであります。
 大変難しい話でありまして、政治家でもなかなかその対応が困難でありますが、北岡先生はその辺についてどうごらんになっておられますでしょうか。
#17
○公述人(北岡伸一君) 打てば響くということは、つまり機動的なタイミングのいい外交、これを世の中で求められる方は大変多いわけでございます。その一方で、じっくりコンセンサスをつくれという議論が大変あるわけでございまして、この二つはちょっと容易に両立できないものでございます。ですから、基本的な国策についてじっくりコンセンサスをつくっていくという努力は、これはもちろん継続しなくてはいけませんが、危機に当たっては政府首脳が勇断を振るって課題を提起し行動していく、そしてそれは失敗すれば責任をとる。これに反対の場合は対案を出されるあるいは不信任案を出されるというのがやはり議会制度の基本的な仕組みではないかというふうに思っております。
 それから、対米追随という点でございますが、実は歴史、政治、地理的さまざまな側面から見て、日本という国は世界の中でアメリカの圧力が一番かかりやすい国でございます。アメリカの潜在的に最も強力な脅威でありますソ連のすぐわきにある。それから、周囲にはヨーロッパ諸国のよ
うな比較的均質な友邦がないということであります。それから、アメリカとの経済関係は極めて密接であります。したがって圧力が非常にかかりやすい。これが第一にあります。
 しかも、アメリカというのは世界の中で最も顕著なトップダウン型の、大統領がこれだと言って行動する国でございます。日本は下から積み上げて、これは会計法上大丈夫かとか、あるいは先例に合致するかということを全部パスしてから、じゃ何億ドル出そうということを決めるわけであります。したがって、両側が仮に同じ政策を決定しても、必ずアメリカが先に決定することになります。したがって、出てくるとアメリカが先に、日本が後からやったという外観を呈するのは、これはもう不可避であります。したがって、アメリカが先に言い、日本が同じことを後で言ったということだけで追随と批判するのは酷であろうというふうに思います。
 日本も可能な限り機動的に速やかに行動する体質をつくっていく。そのためには、やはりこういう問題があるのではないかというようなことで政府を批判される、これは与党内においてもあるいは野党においても。こういう政府案に対して批判的な方も、疑問を出されるだけではなくて、前田先生のような方々も御専門家でいらっしゃるわけですから、こうではなかったかというのじゃなくてこういう手があるということを具体的におっしゃっていただければ、政治というのはやはり可能なものの中からどれが一番ましかを選んでいく作業でございますから、それがなくて実質的なものの決定が政府・与党の中枢部だけでなされる、それ以外では対案が出てこないということではなかなか難しかろうというふうに思うわけでございます。
 もう一点、アメリカとの関係でつけ加えておきますと、やはり戦争、軍隊を出す軍事行動というのはだれしもしたくはない。兵士を出す家族はこれを涙で送り出すわけであります。したがって、仮に自分の近親者、親しい人が亡くなったというようなことがあったときに、幾らお金を出しているからといって、そういう隣人を仲間だとか味方だとかというのはなかなかないのではないでしょうか。したがって、軍事行動に立つときに、日本は憲法上みずから軍事力を行使して解決に乗り出すというわけにはいきませんけれども、少なくとも一緒に危険を負う、そしてアメリカなり多国籍軍のそうした行動を物心両面で支持するということがなければ、やはりそれが基本で、お金はそのかわりにはならないというふうに思っております。
#18
○斎藤文夫君 最後に、もう四分ですからもう一問お尋ねをさせていただきます。
 先ほどお触れになられましたが、武器輸出問題でございます。
 本当に日本の平和憲法というのは理念としては世界に冠たるものだ、私もそのように思っておりますし、加えて武器輸出の三原則、これまたこれだけの工業国で経済国でありながら、世界に胸を張って自慢のできる対応を遂げてきたことを私たちもまことにうれしく思っておるところであります。このように胸の張れる状況の実践を、今後とも世界各国、特に軍縮をしていく国々、今までの軍事大国は日本を手本とすべきところだと自負をいたしておるところでございます。
 したがいまして、日本はこれからは外交手段あるいは通商手段を通じて世界の武器の流通を管理する、あるいは縮減する、同時に一方で軍縮を進めていく、こういうような分野のリーダーシップは、先ほど来両先生の御指摘にもございますが、日本のこれからの分野ではないか。私も全く同感でございます。
 一方、米ソの対話、協調時代から大国間でまずヨーロッパの軍縮が行われた。核兵器を中心とし、そしてやがては我々アジア地域の軍縮、通常兵器とかあるいは海軍とか、こういう軍縮が期待されているところでございます。武器輸出の問題と軍事大国の軍縮、あるいはまた武器輸出の管理、それを先にまずきちんとやってくれという意見もございますが、なかなか言うはやすく行うはかたいというのが世界の現状であろう、このように思っております。
 その中で、もう時間がございませんが、世界の武器輸出管理に対する日本のとるべき方策というのはさらに積極的にどうしたらいいか、一分でお答えをいただきたい。
#19
○公述人(北岡伸一君) これはできるところからやっていくということであろうと思います。国連の中に、あるいは独立でもいいと思いますが、世界の武器貿易を把握するための機関をつくる。それを日本がリーダーシップをとり、お金を出してやっていく。それはいわば貿易におけるガットのようなものに将来なればいいと思いますけれども、そういうものをやっていく。超大国が踏み切らないからやらないというのではなくて、やっぱりできるところからやっていくということだと思います。
#20
○斎藤文夫君 もう時間がございませんので、両先生ありがとうございました。
#21
○佐藤三吾君 早朝からお招きして、両公述人の先生には大変失礼なことをして、同僚としてもおわびを申し上げたいと思います。委員長からまたごあいさつがあると思います。
 そこで、前田先生からさっきお話がございましたが、ちょうど湾岸戦争の当時に現地を回られておったということで、先ほど貴重なお話をいただいたんですが、例えば十月段階で国連平和協力法案をめぐって日本の世論というのがございました。今度は後半になって、ことしの一月に入ってからいわゆる戦争が勃発して、そしてまた世論がございました。どうも日本のマスコミの動向が何か一方的な宣伝を思わすようで、そういう感じがしてならなかったんです。言うならアメリカ寄りというか、そういうような感じを強く受けたわけです。幸い先生は現地をずっと回っておられたわけですけれども、そこら辺の戦争に対する反応というんですか、日本の貢献策に対して現地の人たちはどんな感想を持っておったのか、こういった点もひとつできれば詳しく伺いたい、こう思います。
#22
○公述人(前田哲男君) 私は、申し上げましたように、湾岸危機が湾岸戦争に転化するその前後、船に乗って回っておりましたので、主として海の上であります。ずっと湾岸地帯を取材していたということではありませんので、見聞は極めて限られております。たまさか寄港するところでそこの人の話を聞いたという程度にすぎませんので、そのことは私その後帰ってきて書いた文章の中にも明記した上で意見を述べておりますが、海から湾岸戦争を見たというそういう印象記の中でお話しすることをお許しいただきたいと思います。
 二つあります。一つは、アジアの国々の人たちが日本に対して向けるまなざしとアラブの人たちが日本に対して向けるまなざしであるわけです。アジアの人たちは、スリランカ、フィリピンがそうでありますが、大変多くの人たちを湾岸地帯に出稼ぎとして送っていて、その人たちが危機以後帰ってきて、ただでさえ沈滞している国内の経済に重荷をかけているという状態の中で私たち話し合う機会を持って、民間で参りましたので政府関係者ではなくてごく普通の人たち、主に若い人たちとの交流が主でありましたけれども、そういう人たちが日本を見る目は、やはりアジアの一員として何か問題解決に当たってほしいという期待、これは出稼ぎが大量に帰ってきてもう国内経済ががたがたになっている、それを何とかしてほしいというそういう期待が一つであります。
 もう一つは、当時は国連平和協力法がまだ行われていた。日本では廃案になっておりましたが、現地の印象ではまだ国連平和協力法に対する印象が非常に強い時期でありましたので、自衛隊が海外に出ていくということに関して危惧の念が強かった。特にシンガポールとフィリピンで強かったのが印象に残っております。しかし、ここではサダム・フセイン大統領に対する支持でありますとかアラブに対する共感、共鳴という声はほとんどなかったように思います。むしろそばづえを
食って大変迷惑をしているというそういう印象でありました。
 しかし、イエメンでありますとかエジプトに参りますと、政府の立場と民衆の間に今回の戦争に対して少し差があるな、私たち日本でニュースを見聞きしている中ではなかなか入ってきにくい、その国の政府とその国の民衆との間のサダム・フセイン観の違い、亀裂のようなものを感じました。一言で言うならば、いわばこういう言葉を使いますが、彼はアラブの大義のために戦っているのであるというそういう受けとめ方であります。したがって、あの戦いはアメリカと南側のアラブの戦いである、そういう受けとめ方であの戦争を見ている。これが正しいか正しくないかということに関して議論はありますし、私自身も意見を持っておりますが、それ以上に、やはりそういう人たちがたくさんいるということは我々認識しておかなければならないのではないか。
 事実でありますし、そういう情報がなかなか入ってきにくい我々のメディア状況の中にあるとすれば、そういったことも我々は積極的に見ていかなければならないのではないか、そういう印象を強くして戻ってきたわけであります。
#23
○佐藤三吾君 私も、戦時中は中学生で、学徒動員で行って戦争の体験を持っておるわけですけれども、その当時の日本は率直に言って神州不滅ということで、日本が負けることなど絶対あり得ないということで、今で考えれば思い上がったというか、そういうものを日本国民全体が持っておったと私は思うんですね。それが一つは戦争遂行のばねになっておったと言っていいと思います。
 そこで、さっき北岡先生のお話を聞いてふとそう感じたんですが、アメリカの一方主義というんですか、先生はそういう言い方をしたんですが、そういうことで、なかなか各国との間に相談をして云々ということができずにさっとやっちゃう、グレナダにしてもパナマにしてもと、こういうお話がございました。考えてみるとその根底の中には、今アメリカだけですね、戦災を受けていない超大国というのは。そういうものが私はあるんじゃないかというふうな感じがするんです。
 ですから、そういう国の国民感情から見れば、ちょうど戦前の日本と同じように、今の世界全体の中ではまさに異質じゃないかと私は思うんです、その感情は。そこら辺がやっぱりとらえ方その他において違いが出てくる、こういうような感じがするんですけれどもね。これは北岡先生、あなたのおっしゃったさっきの一方主義というんですか、そういうものと関連して、私の認識が違いますか、いかがでしょうか。
#24
○公述人(北岡伸一君) 一方主義と仮に申しましたが、ユニラテラリズム、一方主義と訳すこともございますし、単独主義と訳すこともございます。
 アメリカは世界の他の国々と非常に異なった特色を持っているということは、それは御指摘のとおりでございます。それがいいか悪いかというのはまた別問題だろうと思います。
#25
○佐藤三吾君 そういうアメリカが、今度の際には私は一つ感心した点があるんですよ。さっき斎藤さんがおっしゃったように、独裁者を倒すためには経済封鎖だけじゃだめなんだ、こういう説がございました。ところが、今度の戦争は独裁者を倒すための戦争ではないわけですからね。言うならば国連決議というのはクウェートの解放であって、それ以上でもなければそれ以下でもない。そこら辺を最後にブッシュさんがきちっと、行き過ぎた分はありますけれども、独裁者打倒までという発想に陥らずに自制したということは、私は一つの良識だと思っておるんです。
 それをまた許さなかったいわゆる多国籍軍の中における国々の皆さんの、例えばソビエトであるとか中国であるとかいろんな反応もあったと思いますが、独裁者を倒すのはそれはその国の国民であって、よその国が倒すとか国連が倒すとかそういう類のものではない。ここら辺がどうもやっぱり日本の国内でも混同されておる云々という議論があるんですけれども、この辺は私はやはり北岡先生も同感じゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
#26
○公述人(北岡伸一君) その国の秩序をつくるのは基本的にその国の国民であるというのはおっしゃるとおりでございます。それがどういうふうに混同されているのかはちょっとよくわかりませんが、また御案内いただければと思います。
#27
○佐藤三吾君 そこで、私は今度の湾岸戦争を通じて考えましたのは、日本がいざ何か事を起こす、もしくは決める、こういうときに一番大事にし注意していかなきゃならぬのは、隣国のアジアの諸国の皆さんの動向というか信頼関係というか、それが戦後四十五年たってもまだできていないという事実、そこに一体何があるのかという点が私は今度の湾岸戦争を通じて痛切に思い知らされたことじゃないかというような感じがするんです。
 そこで、さっきお話がございましたが、欧州安全保障協力会議というのが欧州にはできておりますけれども、アジアにはそれがない。それがないために、一体日本の果たす役割としてどういう役割が今後必要なのか、こういった面で両先生の御意見をお聞きしたいと思うんです。
#28
○公述人(前田哲男君) おっしゃるとおり、ヨーロッパにおいては新しい安全保障の枠組み、CSCE、全欧安保協力会議の条約が昨年湾岸危機のさなかに成立したわけでありますけれども、そのような新たな枠組みをアジア、日本の周辺に見出すことはできない。欧州におけるCSCEの画期性は、それまで第二次大戦後ずっと二つの軍事ブロックに分かれて分断と対立を続けてきた欧州が、一つの共通の屋根の下に三十五の国が入るという、いわば国連が標榜している集団安全保障体制の地域版を確立したということにあろうかと思います。
 したがって、これが全世界、全地球を覆うようになれば、国連の憲章が示しているとおり、まさに国連のもとにおける集団安全保障が確立するわけでありまして、日本の国防の基本方針も、日米安保条約の有効性を国連のかかる安全保障が確立するまでの間の限定的な施策として容認しているわけですから、こういった欧州型CSCEが全地球にあるいは全アジアに確立することになれば、日米安保条約もおのずとその必要性を失っていく。これは日米お互いに祝福し合いながら日米安保条約を終わりにする、そういうことになるわけですね。安保条約の条文の中にもそのような規定を記しております。
 ですから、欧州におけるかかる安全保障の枠組みの成立は、我々にとって極めて勇気づけられることでありますし、国連中心主義という日本外交の立場からいっても、これをアジアにおける枠組みに広げていくという努力が今後なされるべきであろうと思います。すなわち、CSCEのEはヨーロッパでありますが、CSCA、アジア・太平洋という形に拡大していく。あるいはヨーロッパにおける通常軍縮条約をCFEと申しますが、これをアジア・太平洋、CFAの形に拡大していく努力が長期的な日本の外交の中心になっていくべきだろうと思います。
 ヨーロッパにおいてもこのCSCEはにわかにできたものではございませんで、御承知のことと思いますが、一九七三年に交渉が始まりまして、一九七五年にヘルシンキ宣言という形でこの全欧安保に向けた話し合いがなされて、これには経済協力、軍縮、人権という三つのバスケットがありまして、当初ソビエトは人権というバスケットを全欧安保の枠内で討議することをかたくなに拒否しました。一時ほとんど進展が見られない時期もありました。しかし、そのような時期を乗り越えて一九九〇年CSCEが成就した。
 この長い努力を顧みますならば、我々は今から、アジアにおいてそういう条件がないとか均質性を欠くとかいう違いに着目するのではなしに、こういった共通性とか長い努力に着目して、CSCAないしCFAの達成に邁進すべき時期であろうというふうに考えます。
#29
○佐藤三吾君 どうもありがとうございました。
#30
○公述人(北岡伸一君) お尋ねの点のアジア諸国における日本への不信、不安というものでございますが、この根本にあるのは、私はやはり巨大な経済力格差であろうというふうに思います。
 もちろん、日本が戦争中それからそれ以前の幾つかの国の植民地支配について十分目に見える形の反省をしていない、あるいはそれが十分伝わっていないということは事実でありまして、それを解消すべき努力はなお継続すべきだと。この意味で、先般の総理大臣のパゴダ公園訪問というような行為は私は大変評価さるべきものだと思います。
 しかし、それでなくなるかというと、この巨大な経済力格差がある限り容易になくならない。ですから、それを完全になくする、それがなくならなければというような形の課題というのはちょっと無理ではないかというふうに思っております。
 それから、アジア諸国の今回の反応でありますが、先ほど前田先生、それから佐藤先生もちょっとお触れになりましたが、確かに当初危惧はありましたが、その後アジア諸国の反応は割合変わってきたという気がいたします。私先ほど申しましたように、集団的に安全を守っていかなくてはいけないということは、先ほども出ましたが、シンガポールのような国にとって実は重要なことでありまして、その後、リー・クアンユー首相の退かれた後そういう意見が出てきているわけでございます。
 今日、アジア諸国の中で大変厳しい反応を示される国はもちろんあります。それは韓国、北朝鮮、それから中国でありますが、韓国の方は少し穏やかになってきたと思います。現に医療チームも派遣されたわけであります。それから中国はなかなか厳しいのですが、これには幾つか事情がありまして、個人の表現の自由のない国でございますのでなかなかうかがい知れないわけでありますが、一つの理由は、中国というのは非常に縦深性のある国であります。奥深い国でありますから、一国を一国で守るということがある程度可能な国であります。ですから、集団的安全保障というものに対する理解が比較的浅いのではないかというふうに私は思っております。
 CSCEのアジア版ということにつきましては、これはアジアはいろいろ難しい条件が幾つかございます。それは、国の均質性に乏しい、それから現実にかなり危険な問題を抱えている、それから紛争がまだおさまっていない問題がいろいろあるというような問題がありまして、直ちにこれを進めていくというのは困難でありますが、しかしアジア全体として、安全、それから共通の自由と民主主義という価値に向かって努力するのは当然であります。
 この場合に、やはり共通の価値というようなのは非常に大事だと思うのです。人間が自分の意見を自由に表明することのできる政治体制、それがやっぱり基本になって、単に紛争を静めるだけではなく、両面、安全と自由という問題を進めていくということが必要であろうと思います。
#31
○佐藤三吾君 どうもありがとうございました。
 私も、先ほど斎藤さんの方からお話がございましたいわゆる軍縮に向けての日本の役割ということで先生方からのお話に共鳴をするわけでございますが、問題は国連ですね。国連中心主義と言うのですが、例えばデクエヤル事務総長が言っているように、何で日本は突然PKO、PKOと言い始めたのか、びっくりしたと、こう言っているように、PKOなどというのはもうずっと前からある。ところが、日本政府はそれに無関心であり続けてきた。これが急に最近になったらどうだこうだと言っておるわけですが、しかし国連中心主義という中でも、例えば旧敵国条項がいまだに残っておったり、それからさっきお話がございましたように安全保障理事会に拒否権を持つ国と持たない国というのがあったり、総会の権限の問題と安保理の権限の問題であるとか、いろいろ問題点を多分に抱えておるわけです、国連というところは。
 ここをやはり公正、公平というか、戦後の現実に立った国連に変えていく作業というか、そういうものが伴っていかないと、私は国連中心と言ってみても、例えば国連で拒否権を持っておる理事国がイラクのように侵略した場合にはどうしようもない。こういうところもあるわけでございますから、そこら辺はやはり何とかうまくいけないものかなという感じはいつもしておるんですけれども、国連の民主化というんですか、国連の改善というんですか、そういった問題について何か先生方でいいお知恵があるならぜひひとつおかりしたいなと、こう思っているんですが、いかがでしょうか。
#32
○公述人(北岡伸一君) 特に名案があるわけではございませんが、先ほど私申しましたように、国連中心主義、中心主義と言うとちょっと言い過ぎかもしれません、国連を重視していくというのは日本にとって大変重要なことであると思いますが、しかしそれについては、先生もしかしてまだおいでになっていなかったかもしれませんが、日本が主体的に判断して国連をリードしていくという姿勢がまず大前提である。それから国連重視だけですべてが解決するわけではない、その他の重層的な国際協力関係を積み重ねていくことが重要だということを申し上げたわけでございます。
 なお、国連にはさまざまな欠点がございまして、敵国条項などはさほど遠からずなくなるのではないかと思いますが、まあ問題は抱えておりますが、しかし人間のつくったあらゆる制度というのは不完全なものでございまして、その中でせいぜいそれをよく利用し、改善の努力をしていく。こういう欠点があるから参加しない、協力しないということを事前に言うべきものではなかろうというふうに思っております。
#33
○公述人(前田哲男君) 国連を改革していくに当たって、二つの側面があると思います。制度的な改革であり、もう一つは実質的に変えていくという二つの要件であります。
 制度的といいますのは、これは条文の改正でありまして、国連憲章は冒頭に「われら連合国の人民は、」という言葉で始まるがごとく、まさに交戦中に起草された文章が歴然としておりまして、そのために我々日本、ドイツは旧敵国条項のもとに今もまだ置かれているということがあるわけであります。これは、北岡公述人もおっしゃったように、変え得る問題だろうと思います。
 ただ、拒否権の問題、常任理事国が持っている拒否権になりますと、これは国連制度の根幹にかかわってきますので、そう簡単に制度的な条文上の改変が行われるとはとても思えない。ただ、問題点として、五つの常任理事国が同時に核の保有国であり、同時に武器輸出のナンバーワンからナンバーファイブまでであるというこの事実は、これはもうどうしようもないことでありまして、これに関しては常任理事国みずから反省し、これを変えていく努力をともかくやってもらわなければ困るわけであります。このような状態が続いていく限り、国連のもとに国際社会が結束するという団結が保たれにくくなることは明らかでありますので、拒否権の問題を制度上改変しようとしますとここで拒否権が使われるということになってしまいますのでちょっと難しいんですが、やはり大国の自覚を求める、そのための役割を日本が担うことが必要であろうと。
 もう一つは、PKOに見られる、実質的なところで新しい任務をつくっていくということ。PKOは国連憲章には全く規定のない任務、それを国連事務局あるいは国連総会、知恵を絞り合ってつくっていったわけでありますから、こういった分野をもっと拡大していくことによって安全保障理事会の偏重主義を実質的に崩していくことができる。この面においては、日本は先生さっきおっしゃったようにこれまでPKOに関してほとんど関心を示さなかった、PKOから要請があったときにも消極的な反応しかしなかったという実績があるわけでありまして、そうでなしに、PKOをもっと、我が国のような経済力はあるけれども政治的な力を持っていない、軍事的な力を持っていない国の領域として活用していくことが必要だろ
うと思います。
 短くつけ加えますと、私今回の旅行でキプロスに上陸する機会があったんですが、そこでオーストラリアの警察官がPKOで働いている現場を見ました。民間人に当たるときには軍人じゃなくて警察官がいいという判断のもとに、我が国は警察官を国連のPKOに派遣しているんだと。ポリスマンというふうに表示のある人がPKO、この人たちが我々のような民間人が通る出口の警備に当たるわけですね。トルコとの境界に接しているところは軍人の領域です、イギリスの軍人がおりましたが。こういった領域もあるということを確認してまいりました。
 PKOには、どんどんつけ加え、新しい分野を拡大していく余地があるというふうに思います。
#34
○佐藤三吾君 どうもありがとうございました。終わります。
#35
○中西珠子君 両先生、きょうはどうもありがとうございました。私の持ち時間は大変限られておりますので、北岡、前田両先生への質問を今先に述べさせていただきまして、それぞれお答え願いたいと思います。
 北岡先生は、日本が国連をリードし動かしていくことが必要だとおっしゃいました。私も国連に対する日本の影響力の増大というものを心から願っているものでございますが、今、日本は国連の安保理の非常任理事国でもないわけですね。近い将来にたとえ非常任理事国として選出されましても、国連の進路というものは国連安保理の中で拒否権を持つ五つの常任理事国の力関係で左右されるように思います。
 今もお話が出まして、拒否権をすぐ奪うことは大変難しいであろうということでございましたけれども、ただいま国連加盟国は百五十九でございますが、安保理のメンバー国は五つの常任理事国を入れましても十五ですね。これは余りにも少な過ぎるのではないか。もう少し国連加盟国の意思が安保理に反映されるようにするには、やはりメンバー国をふやす必要があるのではないかと思うわけです。現在の安保理の構成、それから機能、意思決定の手続、採決方法ですね、それをこのままにしておいては日本の国連における影響力の増大というものは望めないような気がいたしますが、いかがでございましょうか。
 それから、前田先生にお伺いいたします。
 危機を回避するためにODAを効果的に使うということが非常に重要なことだとおっしゃいましたが、具体的に言いますとどのような例がございますでしょうか。また、どのように効果的に危機を回避するためにODAが使えるのでしょうか。先生のお考えをお伺いいたします。
#36
○公述人(北岡伸一君) 実は、日本は今回理事国でございませんでよかったという意見もあるのでございます。それは、いたら一体何ができただろうかという、武力容認決議案などが出てきたら一体日本はどうしたんだろうかという声があるくらいでございまして、日本がそうした主体的に世界の国際問題に右か左か判断していく能力があるのかどうかというところが問われているわけでございます。
 日本でもそうでありますから、やはり世界百五十数カ国がありまして全体の意思を決めていくということでも、中心になって物事をリードしていくというのは比較的少数でありまして、これはいかなる集団においてもそうであります。ですから、数をふやすことは解決への近道とは別に思っておりません。
 それから拒否権は、じゃ日本もパーマネントシートが欲しいかというと、やっぱり私は、長期的には拒否権なしでいいですから常任理事団となって、そこでいろんな判断をしていくべきだろう。リードすると私が申しましたのは、日本が主体的に判断し働きかけるという意味で、リードするというのはちょっと違うんですが、そういう意味でございます。サミットでも国の数は限られておりまして、少数の国が積極的に働きかけるのが最初であるということは、これはやむを得ない。
 拒否権なるものはできれば余り好ましいものではない。一国が反対すれば何も動かなくなる、これがこれまでの基本的な現実でありました。ですから、日本がこれを要求するというよりは、むしろそういうものはなくしていく、もし可能ならばですね、というのが方向であるというふうに考えます。
#37
○中西珠子君 北岡先生にもう一度。
 常任理事国に日本が長期的にはなるべきだとおっしゃいましたね。ただ、かつての第二次世界大戦の戦勝国であるただいまの五大国、この常任理事国が日本に席を譲るとは思えませんね。そうすると常任理事国の数をふやすということになりますが、いかがでしょうか。結局安保理のメンバーの数をふやすということになると思うんですが、どういうことをお考えになっていらっしゃいましょうか。
#38
○公述人(北岡伸一君) ふえると思います。長期的にはそういう方向に動くだろうと思います。
 私は中西先生の御質問は、十五を二十、三十というふうにふやすのかと思ったものですから、そうではないということを申し上げたわけで、日本は長期的にそういう責任を果たしていくべきであろうということで、直ちには難しいでしょうが、そういう方向を考えて、仮にパーマネントシートはなくても、日本の世界における力に見合った役割を果たしていくことが必要であるということを申し上げたかったわけでございます。
#39
○公述人(前田哲男君) ODAを使うことによって、危機を回避する、紛争を防止する具体的な方策があるのかというお尋ねでありますが、具体的な知恵があって申したわけではないので非常に困るんですが、こういう今回のような事態、危機管理の用語で分類していきますと、危機前に危機を回避するための措置がとられたか否か、可能であるか否かという危機前管理という段階がございます。それから、昨年の八月二日以降に関しては、危機に対処する、損害を限定する、拡大を防止するということを含めた危機管理、危機対処という段階があります。さらに、地上戦が終わって停戦協定が結ばれた後の今日の状態に即しますならば、再発防止、戦後復興へ向けた危機管理の第三段階があるわけで、これは今後起こり得べき国際紛争に関しても同じような把握の仕方ができるに違いない。
 我が国は、第二段階の危機対処に関してはかなり制約されざるを得ないわけでありまして、そこで今回の多国籍軍がとったような貢献が今後もできるとは思えないわけですね。また、やるべきでもないと私は考えます。だからといって、そのことで憲法の要請によって我々が何もしないということにはならないわけです。したがって、そこに何を求めるか。危機に対して、まず危機前に、回避するための努力に我が国の目標、努力を最大傾注すべきでないのかということで例えばODAによってということを申し上げたわけで、具体的にODAを使ってどういうふうに危機を回避できるのか、これは専門の方々にぜひ私もお聞きして勉強したいんですが。
 そこで、日本の国家的な活動の場を見つけていく努力を履行していくべきではないのか。例えば、飢えという非常に普遍的な問題を我々は抱えていて、今日の科学技術をもっても全く解消できない。しかし、それはどうやって、どういう施策によって解決さるべきかに関してはもう自明の答えが用意されておるわけでありまして解決することは可能なわけなんですが、それを妨げているいろんな要因によって現実に解決できていない。日本のような国がそれに一番近い位置にいるのではないか。先ほどの御質問との関連で述べますならば、日本がそういうことに努力することによってアメリカとの関係が悪くなるということは、どう考えても私には腑に落ちない。むしろそこに日本の大きな長期的なスタンスを決めてODAを活用していくというようなことが必要なのではないか。
 具体的なということに対するお答えに全くなりませんが、そのように考えます。
#40
○中西珠子君 ODAというものは、人道的な見
地から南北問題を解決していくための努力をしていくということばかりではなく、やはり非常に戦略的な援助という分野にももっともっと日本が入っていかなければならないのではないかということでございましょうか。
#41
○公述人(前田哲男君) そのとおりでございます。ODA自体、運用に関して大変問題があることも承知しておりますし、そういう戦略的なODAの活用の仕方が実はアメリカの持っている世界戦略そのままではないのかという批判を受けることも承知しておりますが、そういうことを十分承知しながらも、しかし、これまでのような形とは違った日本の国際貢献という大きな目標から抽出されたODAの活用こそ望まれるというふうに考えます。
#42
○中西珠子君 ありがとうございました。
#43
○吉岡吉典君 前田公述人にお伺いします。
 湾岸戦争から学び取るべき教訓は非常に多くの問題があると思いますが、私は第一点として、クウェートからのイラクの撤退が武力行使、戦争という形で実現されたことから、軍事的解決優先論、力の論理というものが内外で力を得ているというふうに思います。こういう結論をこの湾岸戦争の教訓として引き出すならば、これは今後の世界政治にとって重大な錯誤になるというふうに思いますが、先生はどうお考えになるかという点が第一点。
 第二点として、国連の役割を重視するということは私も非常に必要であり、国連中心の解決というためにもその国連の役割が一層強められる必要があると思います。しかし、その上で重要だと思いますのは、この間の湾岸問題に関連しての国連決議六百七十八号の問題です。これは多国籍軍に全権を委任してしまいました。したがって、安保理事国の指揮監督下にない武力行使ということになり、これは国連憲章の精神、規定からいえば全く例のないものというふうに思います。今後国連の役割を強化する上でこういうことが前例にならないようにする必要があると思いますけれども、六百七十八号についてはどのようにお考えになっているか。
#44
○公述人(前田哲男君) 今回の多国籍軍がとった行動を力の論理であるという御指摘、私は賛同いたします。そのとおりだと思います。このようなことが今後紛争解決の常套手段になってはならないと思います。
 先ほど申しましたように、今回の国連のとった行動は、八月二日、八月六日、極めて明白に経済制裁によってクウェートからのイラクの撤退を要請するということを打ち出したんだと思います。これに対して、八月七日、アメリカはサウジアラビア防衛を名分として兵の派遣を決め、やがてそれがクウェート解放となり、ついにイラク領内まで入っていくという戦争目的の拡大に至ったわけですが、今回のような国連の行動を経済制裁によって貫徹するという、これこそ今後の冷戦後の国際社会に求められる新しいルールであろうというふうに思うわけです。その意味で、やはり力の論理に頼ったものとみなさざるを得ない。
 先ほど申しました集団的安全保障という国連の理想が地球的に実現されていない段階におけるこういった行動、すなわち自衛権が認められ、集団的自衛権がなお残っている段階でこういったことが定着してしまいますと、国連の目標とも背馳するようなことになりかねないと思うんです。その意味で国連決議六七八は、朝鮮国連軍と通称されます朝鮮戦争に国連軍が名称と旗を用いたのと似たような形の国連憲章によらざる、条文によらざる軍事力の行使に当たる。ですから、何度も申しますように、これを前例としてはならないし、日本の国際的協力の下敷きにしてはならないというふうに思います。
#45
○池田治君 両先生にお尋ねいたします。
 まず、北岡先生、日本外交の理念は平和、自由、繁栄で、こういうことを目標としてやれば立派なものである、こう言われました。確かにこれは人類普遍の理念でありまして、私も結構な理念だと思っております。しかしながら、これを分析していきますと、例えば今度の湾岸戦争でも、武力の行使によるクウェートの解放は平和の回復であって自由の回復である、こういう立場から見ますれば自由、平和の戦いであった、こうも読めると思います。しかし、また一面から見ますと、これは武力による力の行使であったという立場から見ますと戦争を肯定した論理になってまいります。
 そこで、単純に自由、平和という言葉の概念によってこの外交の理念というのは違ってくるのではなかろうかと思いますが、いかがでございましょうか。
#46
○公述人(北岡伸一君) 先ほど来出ておりますが、基本的に経済制裁でいくべきだったということでございますが、経済制裁でいければよかったんですが、本当にどちらがよかったかというのは、実は情報が完全にあいて、後世の歴史家らによってしか判断できないと思います。
 ただし、経済制裁を続けている間もクウェートに現に残って住んでいる人はイラクの圧制に苦しんでいるわけでありまして、経済制裁でじっくりやればいいというのは、それはちょっと気楽な議論としては言えないだろうというように思います。それだけで撤退してくれればよかったんですけれども、これは真にもうやむを得ない、まことに残念ながらこうなったということだと私は理解しております。
#47
○池田治君 それでは、前田先生にお尋ねいたします。
 日本のジレンマということを申されましたが、これは一つは、日本憲法が定めております平和主義の理念と国際協調主義の理念の妥当点をどこに求めるか、こういう問題に尽きるのじゃなかろうかと思っております。
 そこで、具体的に言いますと、これは平和が大原則でございまして、武器輸出の拡大禁止とか、ハイテク武器の拡大を防止するとか、化学兵器、核拡散の拡大防止、こういう具体的な問題を通じて日本は平和外交に努めるべきであるということもよくわかるわけでございますが、長期的な見通しでいけば言えますが、具体的に湾岸戦争のようなものが突発的にまた起こったとしますと、なかなかこれだけでは解決できない問題が出てくると思います。
 そこで、日本における自衛隊の海外派遣というのは、これは憲法に反している、自衛隊にかわる新たな組織をもって小火器でも持たしていつでも地域戦争には出られる、こういうようなものを考えられないこともないわけですが、これについては、前田先生、いかがな御見解でございましょうか。
#48
○公述人(前田哲男君) 先ほどガイドラインを立てるべきだという私の意見の二番目で申しましたように、そのような組織を設けることに関して私は否定するわけではないんですが、その場合、統帥権をまず放棄する必要があるのではないかということです。完全に国連事務局あるいは国連に設けられる軍事参謀委員会に差し出し部隊として差し出してしまう。一般的な管理権、給与の支払い義務ということは我々引き受けるわけですが、それ以外の権限はすべて提供してしまう差し出し部隊にするという位置づけが必要なのではないかということが第一点。もう一つは、それでもアジアの旧戦場、植民地地帯に関しては武器を携行せずに入るという原則を貫く。この二点さえガイドラインとして原則として確立されるならば、私は小火器を持とうがあるいは自衛隊員が入ろうが、それは小さなあるいはもっと細かな問題になっていく。その大きな原則、ガイドラインの確立こそがまず必要であるということを考えております。
#49
○寺崎昭久君 北岡先生にお伺いします。
 先ほど先生は、地域紛争は今後も容易になくならないであろう、また国連は万能ではない、国連というのは加盟国が主体的な判断のもとに各国に働きかけたり調整する場である、政治の場であるという御認識を示されましたが、私も全く同感でございます。こういう認識のもとで今後の日本を
考える場合に、日本が国連中心主義をとる以上、国連平和維持軍への参加というのは加盟国として最低の義務ではないかと思うんですが、これについての御見解を伺いたい。
 もう一点は、一国だけで自国を守るには強大な軍備が必要になる、それを避けるためには共同して国際秩序の維持に当たることが必要だというお話もございました。私もそのとおりだと思うんですが、その認識に立ちますと、あるいは今回の湾岸戦争のてんまつを考えても、日本は集団的自衛権の議論を避けて通れない時期に来ているのではないか、私はそう思うんですが、あわせて御見解を承りたいと思います。
#50
○公述人(北岡伸一君) 最初の国連平和維持軍に参加の問題、これは現行の憲法、法制度のもとで可能か不可能かという問題は限られた時間ですのでちょっと省略いたしまして、そういうことは必要であるか、必要だと思います。
 第二点の、簡単にお答えして申しわけございませんが、共同秩序維持行動のために集団的自衛権の議論をすることは必要である、これも同感でございます。
 ただし、集団的自衛権というのはちょっとややこしい難しい概念であるということでございまして、私は個別的自衛権とそれから集団的安全保障という問題を議論する必要があるとは思いますけれども、集団的自衛権というものがそれと並ぶほど大きく積極的な概念であるかどうかについては若干の疑問を持っております。しかし、こういう自分の国だけを守るという議論を超えた世界の安全を守るための議論、日本がそのためにいかなる権利義務を持っているかということを正面から議論することは非常に必要なことだと考えております。
#51
○寺崎昭久君 前田先生にお伺いします。
 先ほど、国連の指揮のもとであれば自衛隊を参加させることは差し支えないという趣旨の御意見だったと思いますが、それは国連軍を意味されているんでしょうか、お伺いします。
#52
○公述人(前田哲男君) 必ずしもそうではありません。PKOのような活動でも、私申しました二つの条件さえ満たされるならば活動できるというふうに私は思っています。もちろん国連軍が条文どおり編成されたことはいまだかつてないんですが、そうなれば、もちろんそこにも参加できるだろうと思います。
#53
○今泉隆雄君 時間が二分しかないので、一つだけ前田先生にお伺いしたいと思いますが、今度の湾岸戦争で、アラブを守るという大義があったにしろ、過去の歴史から見て、現在までやはりイギリス及びアメリカに潜在的にでもアラブ支配という意思があるのではないかというふうに思っていますが、どうお考えになりますか。
#54
○公述人(前田哲男君) アラブを守るというより、私は石油資源を守るという意思の方が強いのではないかという印象を受けるんですが、今回少なくとも建前上そういう言葉はあらわれませんでしたし、これからもあらわれることはないでしょうが、しかしあそこでなしにアフリカで同じようなことが起こったとしたらば、あれだけの大軍を催して同じようなことをやったかどうかということを考えてみるのはいいことではないか。やはり石油戦略、資源戦略、それにかかわってきた西側の世界、イギリス、フランスも含めてのこれまでの権益を抜きに今回の湾岸戦争は起こり得なかったという、建前ではない部分に関しても若干考えてみる必要はあると私は思っています。
#55
○今泉隆雄君 ありがとうございました。
#56
○委員長(平井卓志君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。
 本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 午後一時まで公聴会を休憩いたします。
   午後零時四分休憩
     ─────・─────
   午後一時一分開会
#57
○委員長(平井卓志君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。
 平成三年度一般会計予算、平成三年度特別会計予算及び平成三年度政府関係機関予算につきまして、休憩前に引き続き、四名の公述人の方々から項目別に御意見を伺います。
 まず初めに、二名の公述人にお願いいたします。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本日は、平成三年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、まず経済・金融につきまして大場公述人からお願いいたします。大場公述人。
#58
○公述人(大場智満君) 大場でございます。
 きょうは、このような機会を与えていただきまして大変光栄に存じております。
 私は、いただいているテーマが大変広範でございますが、主としてアメリカ経済と日本経済の問題、それからヨーロッパの最近の進展の状況、それらについてお話しした後、世界の資金の需給の問題、資金不足が想定されておりますが、金額での資金のフロー、あるいは需給の問題についてお話し申し上げたいと思います。その後、日本の対応について若干私見を述べさせていただきたい、このように考えております。
 まず、世界経済の中で日本経済とアメリカ経済のお話を申し上げたいのですけれども、私はかねがね、アメリカという国は世界最大の債務国でありながら世界最強の軍事力を持っている国と位置づけております。したがって、アメリカの問題というのはこの点から発生しているというふうに言っても過言ではないと思います。
 昨年末のアメリカの債務超過、アメリカの対外資産と対外負債とを比べまして、当然借金の方が多いわけですけれども、対外負債の超過は恐らく七千六百億ドルに達しているのではないかと推計されます。七千六百億ドルという規模は、今問題になっておりますブラジルとかメキシコの債務が大体千百億ドルでございますから、その十倍の規模だと思います。ただ、アメリカのGNPが大きいわけですから、GNP対比で考えますと大体一四%ぐらいということで、債務累積国とは違うということは言えるかもしれませんが、やはり七千六百億ドルの負債超過、しかもここ二、三年のうちにアメリカが今の経済政策を続けていますと一兆ドルに達するわけですので、この点は私の心配の種であります。
 ところで、このアメリカの問題というのは、したがってもし世界最強の軍事力を持ち続けたい、保持したいということであれば、どうしても世界最大の債務国から脱却しなければいけないということだと思います。そのためには経常収支の赤字を減らすことが一番大事なことです。経常収支の赤字の分だけアメリカの対外負債超過がふえるわけですから、経常収支の赤字を減らすことがアメリカにとってもあるいは世界にとっても大変大事なことだと思っております。
 この経常収支の赤字を減らすためにはどうしたらいいかということでございますけれども、これは貯蓄をふやすかあるいは投資を抑えるか、いずれかしかないわけでして、もし貯蓄をふやすことが困難であるとすれば、特に民間貯蓄をふやすことが困難であるとすれば、財政の赤字を減らす以外にアメリカのとり得べき道はないのではないか
というふうに見ております。そういう意味で、世界経済の運営を考えた場合に、アメリカ経済の行方というのが大変私は気になっております。
 現在アメリカの経済はリセッションの状況にあると思います。ただ、ブッシュ政権の見通しはかなり楽観的なわけですけれども、湾岸問題で勝利を得たわけですから、アメリカ経済もビクトリーのV、V字型に回復するであろう、かなり急速によくなっていくというのがアメリカの政権の一部にある考え方だと思います。しかし、私は、V字型の回復というのは無理ではないかなと見ております。アメリカですから、ユナイテッドステーツですから、やはりU字型の回復ではないかなという感じがしております。
 実は、アメリカの財務省とか中央銀行の首脳とお話をしたときに私は、U字型のUに落ちつくまでにL型ではないかとか、あるいは逆J、太平洋の向こう側ですから逆Jということです。要するに回復してもそれほど昔のようには回復しないのじゃないかとか、いろいろな意見を言ってみたわけですけれども、コンセンサスは一応U字型の回復ということであったわけです。なぜV字型でなしにU字型の回復か、要するに回復がちょっと時間がかかるのかということなんですけれども、私は、景気を回復させるための政策手段がアメリカにはないのではないかという心配をしております。ということはどういうことかといえば、自律的な回復にまつ以外にはないのではないだろうかということです。
 政策手段と申しますと、景気を浮揚させるための有力な政策手段というのは、もちろん財政政策、金融政策だと思います。財政政策につきましては、ことしのアメリカの財政の赤字は、政府見通しでも三千二百億ドルになっております。私のアメリカの友人たちは四千億ドルになるだろうと言っておりますけれども、政府の見通しで三千二百億ドルです。来年度の財政の赤字は二千八百億ドルという見通しが既にアメリカ政府から出ております。二千八百億ドルというのは大変覚えやすい数字でして、一日千億円ずつ借金するとちょうど二千八百億ドルになる、要するに三十六兆五千億円ということになるはずですから、かなりの規模の財政の赤字だということが言えるかと思います。このような財政状況のもとで、財政政策で景気を浮揚させるということはできないと思います。これが第一の理由なんです。
 それから第二に、金融政策ですけれども、アメリカの政権も、それからフェデラルリザーブ、つまり連邦準備制度理事会も、機会があれば金利を引き下げたいとは思っているわけですが、私は、金利をたとえ引き下げたとしても市場がこれに追随しない状況に現在なってきているのではないかと考えております。
 どういうことかと申しますと、一年前まではアメリカへの資金の流入というのはかなり筋のいいお金であったわけです。例えば日本の生命保険会社を中心とする機関投資家、あるいはロンドンとかフランクフルトの機関投資家ということで、筋のいいお金がアメリカに流れていったわけです。アメリカは経常収支の赤字千億ドルですから、したがって千億ドルは外から資金を入れなきゃいけないわけです。これが比較的筋のいいお金でファイナンスされていた。ところが、最近はこの筋のいいお金が、いろんな試算がありますけれども、千億ドルのうち大体四分の一とか五分の一に減っておりまして、それ以外のお金というのは出所が余りはっきりしないお金になっているわけです。筋が悪いという言葉はちょっと困るのかもしれませんが、資本投資が中心だろうと思うわけです。あるいは脱税資金とかそういうお金によってファイナンスされている。
 ということは、当然一年前までの筋のいいお金が中長期の投資であったのに対して、ごく短期の投資だということになるわけです。ですから、金利が下がってまいりますといとも簡単に流出する可能性のあるお金だということになります。となりますと、アメリカの金融政策というのは非常に難しい状況に差しかかっていると私は考えているわけで、景気浮揚のために金融政策を使うということがかなり難しいのではないかと考えているわけです。
 それから三番目に、仮にアメリカ経済の景気回復が始まったとして、設備投資をだれが供給するかという問題があります。御承知のように、アメリカの銀行はかなり弱っております。一つの銀行を除いて、大銀行の不良資産の総資産に占める比率というのは四%を超えております。日本の銀行は大体一%ちょっとぐらいだと思います。このような状況でアメリカの銀行が設備投資資金を円滑に供給できるかどうか、若干疑問ではないかというふうに見ております。これがアメリカが急速に経済を回復できないのではないだろうかという私の心配の根拠になっております。
 なお、現在アメリカは三大不況産業という産業を抱えております。三大不況産業と申しますのは、建設業、不動産業、金融業であります。あるいはこの三月、四月の自動車の売れ行き次第では四番目の不況産業として自動車製造業というのを加えていくということになっていくのかもしれませんが、この三月から四月の初めというのは割と新車の販売が高い時期ですので、もうしばらく販売の実績の数字を見ないと自動車製造業についての的確な判断は下せないのではないかという感じを持っております。
 次に、ヨーロッパについて簡単に触れてみたいと思います。
 私は一昨年の十二月までは、一九九〇年代はアジアの時代とかあるいはアジア・太平洋の時代と言っておりましたけれども、昨年の二月から、一九九〇年代はヨーロッパの時代と考えるようになりました。そのとき、このヨーロッパの時代を支えるものは三つあるというふうに考えたわけです。一つは一九九二年以降のECの統合の問題です。それから二番目には東西両ドイツの統一。それから三番目にソ連、東欧で現在行われている改革の動きであります。残念ながらこの一年間に最後の点につきましては、むしろ一九九〇年代はヨーロッパの時代ということの足を引っ張る要因になりかかっております。しかし、まだ私は、ドイツもいろんな事情は抱えておりますけれども、一九九〇年代はヨーロッパの時代というこの旗はおろさなくていいのではないかなという感じを持っております。
 ドイツにつきましては、やはり旧東ドイツを抱えまして資金負担がかなりふえてきております。財政政策はどうしても緩みますし、したがって金融政策はきつくなるというのがドイツの経済政策、ミクロの、ミクロといいますか、ポリシーミックスの現在の姿ではないかなと考えております。
 それで、為替市場も、最初はきつめの金融政策による金利が高騰したということをとらえてマルクを買っていた向きもありますが、最近は金利を上げざるを得なくなった背景を見るようになってきております。例えば旧東ドイツの国民が自分たちがつくった工業製品を買わなくなっているとか、そのために社会保障費が非常にふえている。失業者は現在完全失業者で大体八十万人ぐらい、不完全失業者というのはおかしな言い方ですけれども、操短労働者が大体百八十万人ぐらいのようですからかなりの方々が仕事を失っているわけでして、こういった旧東ドイツに対する社会保障費の増額あるいはインフラストラクチャーに対する支出の増大というのは、ドイツの財政に対して大きな重荷となっていると考えております。
 このような状況でドイツの金利が上がっているわけでして、本来ならここでこの金利が上がったことが他国への波及を心配しなければいけないんですけれども、幸いにして他通貨が比較的堅調に推移しております。特にスペイン・ペセタが強いというような状況でして、イギリスもスペインも金利を下げられるという、大変いまだかつてなかった現象が起きております。ドイツが金利を上げますときには他国は必ず金利を上げなきゃいけないんですけれども、逆にドイツが金利を上げていっても他国は金利を下げることができる。そこ
までマルクが現在弱くなっているという状況であります。
 ところで、世界の資金需給の問題ですけれども、私はことし、一九九一年の資金の需要は非常に大きいと見ております。需要と申しましても潜在需要と申し上げた方がいいかもしれませんが、おおむね二千九百億ドルと考えております。それで、二千九百億ドルのうち二千億ドルは、実は先進工業国の資金の需要であります。また、その二千億ドルのうち千億ドルはアメリカの資金需要であります。ですから、開発途上国の資金の需要は大体九百億ドルというふうに見ております。ところが、資金供給面で必ずしも二千九百億ドルすべてがファイナンスできないという状況が現在出ております。
 資金供給の方は、例えば我々黒字国はその黒字額のすべてをファイナンスできるという仮定で計算するわけですけれども、先進諸国で大体協力できる額といいますか、これは経常収支の黒字の総計になりますが、大体八百億ドル。それから開発途上国ではおおむね四百億ドル、例えばベネズエラのような国とかあるいは台湾とか黒字の大きく出る国がありますので、大体四百億ドルぐらいの資金協力ができる。それから、国際金融機関ですけれども、ネットでといいますか、貸し出し増加額ですが、おおむね二百億ドルぐらいではないだろうか。そうしますと、総計で千四百億ドルの資金供給が予測される。
 従来から、統計上の問題として誤差脱漏が約千億ドルぐらいあります。この誤差脱漏は武器輸入に関連するものもありますけれども、先ほど申し上げたキャピタルフライト、資本の逃避等々によるものもあるわけでして、ですから誤差脱漏なんですけれども、誤差脱漏でファイナンスされる部分というのが千億ドルぐらいある。そうしますと、本当に潜在的な資金の需要に対して足りない部分は五百億ドルぐらいかなと。
 この五百億ドルぐらいが、これは金利によってですけれども、金利が高くなりますとあるいはどこからか出てくるかということも考えられますし、あるいはブラジルとかアルゼンチン等が例えば金利の支払いをやめるとか、現在も停止しているんですけれども、そういう形で調整するというようなことも考えられないわけではないわけでして、もしそういうことが行われますと、ことしの世界の資金の需要と供給は二千五百億ドル前後で調和するのかなというようなふうに見ております。
 日本の対応でございますけれども、従来と違ったことが日本の資金の問題で起きております。例えば一九八九年度は、五百億ドルの経常収支の黒字のときにネットの長期資本の流出額は千億ドルであったわけです。この差額というのは、主として日本の金融機関が短い金を借りて長期に金を貸す、ボローイングショート・レンディングロングということで賄ったわけですけれども、最近はBIS規制等によって日本の金融機関の力が弱くなっております。資金の還流能力というのが低下している状況にあります。ですから、昨年の四月からことしの二月までの数字を見ますと、経常収支の黒字がちょうど三百億ドルです。三百億ドルのときにネットの長期資本の流出額は二百四十億ドルになっております。つまり、経常収支の黒字が我が国のネットの資金の流出額にほぼ等しいという状況があらわれてきているわけであります。
 このことは、日本の貯蓄超過が減っていきますと、つまり経常収支の黒字が減っていきますと日本の外国への長期の資金協力が減っていく、こういうことを物語っているのではないか。ですから、私は、日本の貯蓄超過というのを大事にしていかなければいけないのではないかなと、このように考えております。
 以上、取り急ぎ申し述べさせていただきましたが、御質問がございましたら補足させていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)
#59
○委員長(平井卓志君) ありがとうございました。
 次に、財政・税制につきまして牛嶋公述人にお願いいたします。牛嶋公述人。
#60
○公述人(牛嶋正君) 最初に、こういう陳述の機会をいただきましたことを深く感謝いたします。
 私は、平成三年度総予算につきまして、主として財政、とりわけ財政運営と税制に焦点を合わせまして私の意見を述べさせていただきたいと思います。
 一九九〇年代という二十世紀の最後の十年でございますが、この十年間を二十一世紀に本格的な高齢社会を迎えるための準備期間と位置づけるといたしますと、この十年間の経済及び財政運営の方向づけは非常に重要な意味を持ってくるのではないかと思います。もしその方向を誤るときには、国民のすべてが望んでおります豊かで活力ある高齢社会を実現することは到底不可能であります。そのためには、九〇年代の進めるべき財政運営の基本方針を明確に打ち立て、資源の効率的利用、所得、富の適正な分配及び安定成長の持続など、財政が本来担うべき機能、役割を十分に発揮していかなければならないかと思います。
 しかし、平成三年度の予算編成を振り返ってみますと、一九八〇年代における行政改革及び税制改革の最大の課題でありました財政再建になお多少のこだわりを残した形で予算編成が行われたのではないか、こういうふうに思われます。その分だけ、豊かで活力ある高齢社会の実現のために整えていかなければならない諸条件に対して平成三年度予算がどの程度積極的に取り組んできたか、国民の側から見ますとちょっと不明な点がそこに見られるわけであります。
 八〇年代を通して一貫して財政運営の第一の課題として掲げられてまいりました財政再建というのは、私は、財政が常に目指すべき第一の目標ではなくて、財政が本来担うべき資源の効率的利用の実現といった役割が十分に発揮されるための状況を整える、そういうところに財政再建の目標があるというふうに考えられるからであります。したがって、これまで財政再建の第一段階の目標としてきた赤字国債依存体質の脱却を平成二年度に実現したのでありますから、平成三年度の予算編成に当たりましては、財政の本来の役割が盛り込まれるように、九〇年代の財政運営の基本方針を少しずつ明確にすべきではなかったかというふうに思うわけであります。それにもかかわらず財政再建になお重点を置く形となってしまったのが、私にとりましては若干残念でございます。
 ただ、八〇年代を通しまして一貫してとり続けてまいりました財政再建至上主義は、財政運営に幾つかのひずみをもたらしてきたことは確かでありまして、このひずみが、九〇年代において本来の役割を財政が果たしていく上で障害になるのではないかと懸念されます。私は、これらのひずみの中から四つの問題を取り出して、それにコメントを加える形で平成三年度予算に対する私の評価を行ってまいりたいと思います。
 第一の点は、租税負担率の問題でございます。
 これまで進められてきた財政再建は、基本的には増税なき財政再建に沿ったものでありました。すなわち、財政支出をできるだけ抑制しながら税の自然増収を待ち、そして歳入歳出のギャップをできるだけ埋めていこうとする方策であったわけであります。そのため、増税は行われませんでしたけれども、また減税も行われなかったわけでありまして、税制改革におきましても増減税同額というような大枠がはめられたわけでございます。
 一方、我が国の税制は、御承知のように、所得税、法人税の直接税中心の税体系であります。そのために税収弾性値が一より大きいわけであります。税収弾性値が一より大きい場合には、減税が行われない場合、国民所得の増大に伴いまして必然的に租税負担率が上昇していくことになります。
 今その状態を過去のデータで振り返ってみますと、昭和五十五年の租税負担率は二二・二%でございました。それが昭和六十三年の租税負担率を取り上げてみますと二八・二%にも達しているわけでありまして、八年間で何と六%の大幅な上昇
になっているわけでございます。平成三年度の税収入は平成二年度の当初予算比で六・五%増が見込まれているわけでありますが、これによりまして租税負担率は、私の計算では〇・三%さらに引き上げられるというふうに計算されます。このままでいきますと、二、三年のうちに租税負担率は三〇%の大台に乗ることは明らかでございます。したがって、租税負担率に社会保険負担率を加えた国民負担率は四一%に近づくということになります。
 一方、豊かで活力のある高齢社会を実現していくためには、高齢化率がピークに達します二〇二〇年において国民負担率を五〇%よりやや下回る水準にとどめなければならないと言われているわけであります。したがって、九〇年代におきましては国民負担率は少なくとも四五%前後にとどめておく必要があるわけでありますが、このことを考えますと、これから積極的な財政運営を展開していくに当たりまして、現在の四一%に近い租税負担率というのは大きな障害になるのではないかと思われます。
 第二の問題点は、これまで予算編成で用いられてまいりましたシーリング方式についてでございます。
 増税なき財政再建に沿った財政運営を推進するため、予算編成におきまして長くゼロシーリングとかマイナスシーリングと呼ばれる方式が用いられてまいりました。平成三年度の予算編成におきましても、基本的にはこの方式に従ったというふうに考えられます。概算要求枠設定方式と呼ばれておりますこの方式は、予算規模を極力抑えていく必要のあるときには確かに有効であります。そしてまた、各省庁に対して一律にゼロシーリングとかマイナスシーリングが提示されるわけでありますから、各省庁とも痛みを分かち合うという気持ちがありまして受け入れやすい予算編成方式であったことも確かであります。
 しかし、一方では、資源の効率的利用の実現という財政本来の役割を遂行するためには予算の重点的配分を進めていかなければならないわけでありますが、本質的に増し分主義と変わらないシーリング方式は、このことに対しまして余り効果的ではないというふうに言えます。とりわけ、シーリング方式では新規の事業の予算化は難しいとされております。したがって、財政再建至上主義のもとで八〇年代を通して続けられてきたシーリング方式も、また九〇年代における財政運営にとりましては少なからず障害となっているというふうに考えられるわけであります。
 この意味では、平成三年度予算の目玉とされてきた公共投資の生活関連枠二千億円の設定はこれまでのシーリング方式の欠陥を補うものとして受けとめられるわけでございますが、この枠の行き先を見てまいりますと、やはり基本的にシーリング方式の枠組みを超えるものではなかったのじゃないかというふうに思っております。
 第三番目の問題点は、東京一極集中の問題でございます。
 これまでの財政運営と直接関係ございませんけれども、財政再建と密接に関連する東京一極集中がもたらした問題、これも九〇年代の財政運営にとってもう一つの障害となるものではないかと思われます。情報を媒介にして今なお進行しております東京一極集中は社会経済構造に非常に大きな影響を与えてまいりましたが、その中でも集積のメリットがもたらした我が国経済の効率化、活性化は、景気の上昇が五十七カ月続いたイザナギ景気に匹敵する景気上昇過程をもたらし、大幅な税の自然増収によりまして一気に財政の赤字幅を縮小させてきたわけであります。そういう意味で、財政再建と東京一極集中とは密接に関係があったというふうに私は思います。
 しかし、一方で、東京一極集中は非常に大きな集中のデメリットをもたらしてまいりました。その中でも最も大きなデメリットは、私は地域間格差の拡大ではなかったかと思います。そして、その結果として地価の高騰がもたらされたわけであります。そして、その地価高騰は東京圏を初め大都市において住居水準の相対的な低下をもたらしてきたため、豊かで活力ある高齢社会の実現のために整えねばならない第一の条件とされております住居水準の向上及び住環境の改善は、むしろそれによって後退してしまったというふうにみなされるわけであります。ここでも九〇年代の財政運営の展開に当たりまして厳しい状況が今つくられている、もたらされているというふうに解釈されます。
 四番目の問題点は、税制についてでございます。
 昭和六十年九月から始まりました今回の税制改革は、平成元年四月の消費税の導入によって完了しておりますけれども、それに要した時間から見ますと余りにも多くの問題点を今の税制は抱えているのではないかと思われます。ここでも財政再建至上主義が税制改革を進める上で大きな制約となり、多くの問題が残されたのではないかと思われます。
 今回の税制改革は、初めに幾つかの基本的課題が設定されておりました。そして、その実現に向けて税制改革が進められてきたわけでありますが、その基本的課題の中で最も重要な課題として、高齢社会にふさわしい税制の確立というのが掲げられてきたと思います。そして、所得課税、消費課税、資産課税の間のバランスを保ちながら、特に消費課税の拡充を通して広く薄い課税の実現がその課題であったわけでありまして、このことについても皆さん御承知のとおりだと思います。
 しかし、この課題を目指して抜本的改革が進められてきたわけでありますが、ここでもやはり財政再建が大きな制約となりました。先ほど申しましたように、増減税同額という厳しい枠組みがはめられたために、今回の税制改革も中途半端なものに終わってしまったわけでありまして、多くの問題を残してしまったというふうに考えられます。
 例えば、平成三年度予算で所得税、法人税及び消費税の税収構成比を見てみますと、所得税が四一・七%、それから法人税が三一・二%、消費税が八・〇%になっております。この数字に基づきまして直間比率を算出いたしますと、直接税が七六・二%、間接税が二三・八%ということで、むしろ改革前の状態に逆戻りしているわけでありまして、改革前よりももう少し直接税の比率が高まっているというふうに見られるわけであります。これでは今回の税制改革が第一の課題に掲げてきた高齢社会にふさわしい税制の確立からほど遠いものと言わざるを得ないわけでございます。しかも、税収の極めて不安定な法人税が依然として三〇%を超える構成比を占めていることから考えますと、今後の財政運営は、財政構造の健全化という観点からも非常に難しい問題を残してしまったというふうに考えざるを得ません。
 以上、八〇年代の財政再建至上主義がもたらしてきた財政運営上のひずみの中から四つの問題を取り上げて検討してまいりましたが、これらはいずれも九〇年代において積極的な財政運営を展開していくに当たりまして障害となるものであるというふうに考えられます。特に、租税負担率の高い水準、それから直接税に偏った税体系などは財政構造の健全化を図っていく上でも難しい問題というふうにみなされるわけであります。
 ともかく、二十一世紀に豊かで活力のある高齢社会の実現を目指して本来の財政の役割を発揮されるような財政運営を展開していくためには、まずこれらの障害を取り除いていかなければならないかと思います。しかし、平成三年度の予算及び予算編成を振り返ってみて、その兆しが明確にあらわれているとは言いがたいわけでございます。それだけに、両院協議会での消費税の見直しが早々に再開されることを切に望むとともに、できれば法人税、資産課税等も含めてもう一度高齢社会にふさわしい税制の確立を目指した抜本的税制改革が行われることを希望いたしまして、私の意見とさせていただきます。(拍手)
#61
○委員長(平井卓志君) ありがとうございまし
た。
 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#62
○星野朋市君 自民党の星野でございます。
 きょうは両先生に貴重な御意見を賜りまして、まことにありがとうございました。私は主として大場先生にお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。
 まず最初に、為替の件でございますが、きょうの午前の東京市場の終値は百三十八円九十銭、昨日に比しまして一円七十銭高でございました。それで、理由といたしましては、ドイツの利上げが近いとか、それからアメリカの雇用統計率がもう少し悪くなるのではないかという解説がなされておりました。昨日のニューヨーク市場の終値が百三十九円三十銭、これはもっと端的でございまして、要するに投機筋のドルの買い上げに対する戻しだ、こういうふうに言われておるわけです。
 為替というのはそもそもどういうふうにして決まるのか。非常にプリミティブでございますけれども、この面では、要するにファンダメンタルズが重要なのか、そのときにおける各国間における金利差の問題であるのか。まあ、そのほかに有事に強いドルであるとかそういうようなことが言われておりますけれども、大場先生、この点では、為替というのはそもそも一体何によって決まるのかということをお伺いしたいと思います。
 実は、この質問の意味は、いわゆる一%とか〇・五%とかいう金利差の問題で為替はそう動くものではないのではないかという意味がございます。現にドイツは非常に金利を高く引き上げましたけれども、ドイツマルクはドルに対しまして最高値から二〇%ぐらい下落しておるわけでございまして、そういう意味を含めて、為替というものがどうあって、金利のごくわずかな差だったならば影響がないのではないかということをお伺いしたいと思います。
#63
○公述人(大場智満君) 私は、為替相場が何によって決まるかと長い間随分勉強しまして、最後には神のみぞ知るなどと言っておったわけでございます。
 しかし、最初私が注目しましたのは購買力平価説でございました。やはりある時点からの日本とアメリカのインフレ率をとりまして、アメリカの方がインフレ率が高ければその差額だけ円が強くなってドルが弱くなるということですね。そういうような購買力平価説をとったこともありますが、最近では、やはり資本移動だけが為替相場を決めるのではないか。
 というのは、貿易よりも資本の動きの方が大きいわけでございますから、資本の移動によって為替の相場が形成されると考えていきますと、今御指摘になりました金利格差というのは一つの大きな要因だと思います。また、成長率というようなことも、どちらかというと成長率の高い国の方が将来性があるわけですから、やはり成長率の低い方から成長率の高い方に流れるというようなこともあるわけでございまして、資本移動の原因になる事象、条件はすべて反映されていくというふうに考えているわけでございます。
 ただ、最近の事情についてお話しになりましたけれども、私は最近のドルの強さというのは錯覚に基づくところが非常に大きいと思います、円に対しての関係では。マルクとドルの関係は、これはそれなりにファンダメンタルズから説明できるんですけれども、円とドルの関係はある程度錯覚に基づいているのではないか。というのは、我々はテレビを通じてアメリカ軍の強さというのを十分見たわけでございまして、このアメリカ軍の強さがドルも強いという錯覚を現在生んでいるだけであります。
 ただ、この錯覚というのは大変必要なものでして、早くて一、二カ月、長ければ二年にわたって続くおそれもあるわけでして、何か大きな機会がないとこの錯覚というのは変わらないというのが現状だと思います。アメリカがやはり世界最大の債務国なんだということを市場がもう一度見直すまではこの錯覚は続いていくのかなというふうに考えております。アメリカ軍の強さというのがプレイディ財務長官やベーカー国務長官の托鉢によって成り立ったということを市場がはっきりと想起しますと、ちょっと変わってくるのではないかなという気がしているわけであります。
 それからマルクにつきましては、これは今御指摘になりましたように、最初はマルクの金利高の方を注目したわけですが、それがなぜ金利を高くしなければいけないか。それは、東ドイツを抱えて大変だなと、財政も緩んでいるし、それから将来のインフレの懸念も増大している。そちらの金利を上げざるを得ない状況を市場が見ていきますと、これはマルクが弱くなるわけであります。そういう意味で、私は、マルクとドルとの関係はある程度ファンダメンタルズによっているのかな、円とドルとの関係はやや心理的なものかなと、こういうふうに見ております。
#64
○星野朋市君 それでは、ちょっと日本経済の問題についてお伺いしたいと思います。
 いわゆるディフュージョンインデックスでございますが、これはここのところ四カ月、先行指数が割れております。それから一致指数も二カ月連続割れて、それでまだ経済企画庁は、日本の経済はやや後退期には入ったけれども転換期には入っていない、いわゆる信号でいえば青信号が点滅している段階だと、こういう言い方をしているわけです。私は、青信号が点滅を終わったら赤信号じゃないかと、こういうことなんですがね。
 そもそもディフュージョンインデックスを日本が導入したときは、これは景気の転換点をどこでつかまえるかということで導入したはずでございまして、そのときアメリカの経済が大体年率四%ぐらいの成長、非常に転換点をつかみやすい状態でディフュージョンインデックスを導入した。ところが、日本はそのとき高度経済成長の真っただ中にありましたから、大体ディフュージョンインデックスの指数がトレンドの中に隠されてしまって実は転換点がなかなかつかみ切れない、日本の金融政策は後手後手に回っておった傾向があるわけです。私は、今も日本の金融政策はやや後手に回っているというふうに感じております。
 それで、もう一つは、これは経済企画庁からいわゆる国民所得統計が出まして、今公にされているのは十月―十二月、この指数でございますけれども、これで日本のGNPの成長率が第三・四半期は〇・五%である。年率にして二・一%とやや後退した、こういうふうに言われておるんですが、実は内容にいろいろ問題がございまして、その中で注目すべきは内需がマイナスになっておるわけです。
 これは調べてみますと、八六年の一―三月期以来実に五年ぶりのマイナス。それで、そのほかに十―十二月は民間の在庫が〇・三%減、それから公的在庫が〇・二在庫減。これは特殊な要因でございまして、民間在庫は主として石油及び石油化学製品の在庫減であった。それから公的な在庫減は、実は米の買い入れが非常に少なくて、政府の保有米の在庫が非常に減じたということ。もしこれが通常の状態であったならば、要するにGNPは〇・五ではなくて一に近い数字であったということが言えると思うんです。
 ところが、これは当然のごとく、この一―三月期にはもとに戻ります。民間在庫は戻りますし、それから米は昨年産米が千五十万トン、そして今日本の総需要が九百八十万トンでございますから、他用米の五十万トンというのを差し引いても、当然のごとく政府買い入れ米がふえる傾向にあるわけです。特に自主流通米がことしは余ってしまって、これは政府買い入れ米になって在庫がふえる。そうすると、今経済企画庁が公にしているのでは、一―三月期に〇・九%の成長を見込めば平成二年度の経済成長率は五・二になる、だから大体大丈夫なんだ。来年度は三・八であるから今は巡航速度に移りつつあるんだ、こういう言い方をしているわけです。
 それで、もう経済の転換点に来ているのであっ
て、実ははっきり言えば金融政策、公定歩合を一%ぐらい下げてもいいんじゃないかというのに対して、まだ有効求人倍率は非常に高い、それから為替はひょっとするともう少し円安になる、そうすると消費者物価にはね返る、そういう心配があるということです。それからもう一つは、金融緩和をすると地価をもう一段押し上げるのではないかという心配のために、それはまだ政策として難しいと。これは公的な立場でそうおっしゃるのはわかるんですが、有効求人倍率はもう構造的に、八六年以降完全に非常に高い数字になっているわけです。これはいつまでも、それだから金融政策の転換をとらないという根拠にはなりませんし、先ほどおっしゃったようなことで為替の問題もさほど影響がないのではないか。こういう視点で、私はもう金融政策の変更をすべき時期に来ているのではないか。
 今金利が非常に高いですから、これによって被害を受けているところはどこかというと、住宅ローン、特に変動型の金利を抱えているサラリーマン、それから、非常に金融政策がおくれたために九段階に金利を引き上げましたから、こういうことで中小企業に与える影響が大きい。これは数字で出てくるよりも現場の人たちは非常にその点では苦しんでおるわけです。それから、金利が高いものですからまた貯蓄率が上がってしまって、今一八%ぐらいになっているんです。日本の金融資産というのは一年間でほぼ国家予算に匹敵するぐらいふえていく。こういうふえ方が望ましいのかどうか。それから、市中金利が非常に高いものですから、株式市場に金が回らないで起債が起こらない、こういう弊害も起こっていると思うんです。
 そういうことも含めて、私はもうここで少し早目に金利を下げて、それでいわゆる来年度の景気、あるいは秋ごろに失速するかもしれないというのを予防すべきだと思うのでございますが、先生の御意見はいかがでございますか。
#65
○公述人(大場智満君) 金融政策につきましては、私は現在比較的自由な立場ですので伸び伸びとお話ししてもよろしいのかなと思って今立ったわけですけれども、基本的に、金融政策の特に金利政策というのは、一政策目標一政策手段ということを考えますと、物価の安定という政策目標に対して金利政策というのがこの一政策目標一政策手段として一番大事なのではないかなという気がしております。その意味で、土地対策という観点は金利の問題というよりは総量規制の問題ではないかなと。ですから、土地価格という政策目標があってもし金融というものを使おうとすれば、それは総量規制のカテゴリーではないだろうか。
 しかし、金利政策の主たる政策目標というのはやはり物価ということで対応すべきではないか。ですから、物価の安定にめどがつくとしますと、金融政策のルーム・フォー・マヌーバーといいますか、裁量の余地は広がるというふうに考えております。いずれにしましても、現在日本は主要先進国の中で成長率は一番高い、それからインフレ率は一番低いわけですから、最も金融政策の裁量の余地が広い国であるというふうに私は考えております。
 もう一つ、他国から見まして、政策協調という観点から考えてみますと、我が国に対する期待というのはおのずからはっきりしているわけでございます。金融政策というのはそれぞれの国の中央銀行が責任を持っているわけですから、他国のことについては余り言わないということになっておりますけれども、日本に対する期待というのは若干あるのではないかというふうに考えております。
 なお、私は公定歩合というものに重きを置く必要は余りないという考えでございまして、市場の状況が今星野委員御指摘のような状況ですと、むしろ市中金利の方が動いてきてしかるべきではないだろうかというような気がいたします。長期金利につきましては、昨年の十月以降一%以上低下してきております。これに対して短期金利の低下というのはわずかでございますけれども、今星野委員御指摘のような条件が進んでいるというふうに考えますと、市中金利の方が先に下がるというようなことが考えられるのかなと私は思っております。
#66
○星野朋市君 今の先生の御意見に若干意見を申させていただきますと、確かに、いわゆる金融政策の面で物価の面が重要だという御指摘がございましたけれども、卸売物価はここのところ全く横ばいで推移しているわけです。消費者物価が若干高いのは、これは生鮮食料品の価格が高いのと化学製品が若干上がっているからで、生鮮食料品のうちの野菜問題は非常に季節的な問題がございましてこれはもう少したたないと落ちつかないと思うんですが、一番問題になるのは卸売物価でございまして、これはここのところ落ちついております。
 それから、市中金利の面でこれがおのずから反映されるというお話でございますけれども、今金融機関の資金調達コストが非常に高いわけです。そうすると、なかなか金利が下げにくいという状況にあるのも事実だと思うのでございます。
 次に、時間がございませんので、対外債務の件について御専門の大場先生にお伺いしたいと思うんです。
 先ほどアメリカの対外債務が約七千六百億ドルというお話がございました。そのほかの国の対外債務が大体六千億ドルから六千五百億ドルぐらいだと思います。そのうち、実は東欧の問題が出まして、南米の債務国の問題が比較的忘れられているんです。これは上から数えますと、ブラジル、それからメキシコ、アルゼンチン、四番目にポーランドが入りますか、五番目にベネズエラが入って六番目がフィリピンだと思うんです。何とこの六カ国中四カ国が中南米にあるわけです。
 それで、実は私は大場先生と多少意見を異にしておりまして、まだ一九九〇年代は環太平洋地域が一番発展する地域ではないかという考えを持っておるわけです。その中で牽引車になるのは、日本、それからアメリカ、それから成長率の高いいわゆるフォードラゴンズ、それからASEAN。ところが、残念ながら環太平洋といったときに南米諸国がこれに含まれないわけでございまして、メキシコとかベネズエラのような産油国が非常に好調なときにうまく経済政策をやればよかったんですが、産油国でありながら両国とも非常にマイナスになってしまう。それで、実は中南米が経済発展を遂げますとアメリカの輸出が非常にいい格好に向かうんだと思うんですが、この中南米が非常に低迷しておるためにアメリカの輸出がなかなかふえないという面もございます。
 それで、東ヨーロッパにつきましては私はかなり難しいと思っておるわけです。というのは、今まで東ヨーロッパはワルシャワ条約機構の中でソ連から相当安い原油を供給されておった。ところが、ソ連の産油が非常に減りまして、ここのところへきて非常に石油代金にハードカレンシーを求めているわけですね。彼らは激変緩和を考えて、私の聞いているところでは、約半分を今までどおり、半分をハードカレンシー。ということになりますと、今東ヨーロッパには輸出するものがございませんから、東ヨーロッパはここのところ非常に経済的に大問題が起こると見ているわけです。
 それで中南米は、逆に今度はその債務について果たして金利を支払えるのかどうか。きょうの新聞によりますと、ブラジルは一部債券にして払うというふうなことがございますけれども、もともと彼らは元金をもう払うつもりはないんじゃないか、徳政令を待っているんじゃないかと私は思うわけでございますが、この中南米の債務というものがこれからの世界経済の、特に金融市場における大きな問題になると思われますけれども、御意見はいかがでございましょうか。
#67
○公述人(大場智満君) その前に、ソ連、東欧についての星野委員の御指摘については全く同感でございます。
 中南米の累積債務の問題ですけれども、現在民間銀行は、ほとんどすべてと言っていいかと思いますが、新規の融資を手控えております。した
がって、今御指摘になりましたブラジルにつきましても、現在民間銀行とブラジル政府との間で非常にハードな交渉が行われているわけですが、民間銀行の方は、昨年の十二月までにたまりにたまった金利八十億ドルの三分の一をまず払え、そうしたら交渉のテーブルに着くと。これに対してブラジル政府は、まず交渉のテーブルに着け、その後でその金利の支払いの問題を考えようと。まあこういう状況にあったわけですが、最近若干歩み寄ってまいりまして、恐らく昨年末までたまった八十億ドルの金利のうち二五%前後をブラジルが支払うということで動き出すのではないかというふうに見ております。
 いずれにしましても、ブラジルにつきましては、昨年の貿易収支の黒字百十億ドル、一昨年は百六十億ドル、三年前百九十億ドルの黒字でございまして、あるいは世界三番目の黒字大国と言えないわけではないんです。まあそういう言い方をしますとブラジルの政府首脳は大変怒るんですけれども、そのような国が対外債務の支払いという点に重点を置かないで国内投資に重点を置くという政策は、やはり私は長い将来を考えると余り適当ではないのではないかというふうに考えておりますが、どうもあそこの大蔵大臣で、金を借りたのは前政権の大蔵大臣だというようなことをおっしゃった方もおりますし、つまり我々には責任はないんだということをおっしゃった方もおりますので、大変苦慮して私も心配しているわけであります。
 いずれにしましても、中南米諸国の債務累積の問題の解決というのは、私は直接投資だと思います。我々先進諸国の方は、民間銀行が今までは主役だったわけですけれども、これからは民間企業が我々サイドでは主役になっていかなければならないのではないか。ですから、直接投資の増加というそれだけが中南米諸国をよみがえらせるのではないかなと私は考えております。そのためには、一番大きな努力はやはり中南米諸国からなされなければいけないので、規制の緩和とか民営化とか、あるいは資本市場の整備、さらに何よりも工業、製造業のためのインフラストラクチャーの整備、それから適切なマクロ経済政策というようなこと、そういうハードな努力をまず中南米諸国にとっていただかなければいけないのじゃないかなと、そのように考えております。
#68
○星野朋市君 時間がございませんので最後に。
 大場先生は前から黒字有用論というのをお唱えになっておられます。先ほどのお話でも、いわゆるこの一年間における世界の資金需要、こういうものを考えますと日本の果たす役割もかなり大きいと思うんですが、日本の経常収支の黒字は平成二年度で約三百二十億ドル、来年度の見通しが約三百億ドルというようなことでございますけれども、これで非常に問題なのは対米輸出の自動車が相当減るのではないかということで、ひょっとすると三百億ドルも下回るのじゃないか、こういうような懸念もされておるわけですが、この黒字有用論について最後にお聞かせ願いたいと思います。
#69
○公述人(大場智満君) 黒字有用論という一言で新聞等に扱われて実はちょっと私も心外だったのでございますが、私が強調いたしておりましたのは、貯蓄超過が大事だという点にあるわけでございます。もちろん貯蓄超過イコール経常収支の黒字でございますから、貯蓄超過が大事であると申し上げますとそれは黒字が大事なんだと、したがって黒字有用論という言葉になった。ただ、黒字有用論という響きは、輸入をそんなに進めなくてもいいのじゃないか、あるいは輸出を伸ばしたらどうかというように受け取られがちでございますので、私は貯蓄超過が大事だという言い方をできるだけしているわけでございます。
 今星野委員御指摘のように、経常収支の黒字というのは来年度三百億ドルぐらいという御指摘について私も同じような数字を描いておりますが、今後の日本における投資の増加あるいは貯蓄の減少傾向ということを考えますと、貯蓄マイナス投資といいますか、そちらの国内経済の方を考えても、経常収支の黒字というのは減少することはあってもふえていくことはないのではないかなという気がしているわけでございます。
 それから片方、国際収支面からとらえてみますと、今御指摘の自動車の問題、つまり海外への企業進出といいますか直接投資。当初はアメリカに企業進出しますとその部品とか原材料は日本から輸出したわけですけれども、次第に現地でこれが調達されるようになっておりますし、さらに自動車産業に例をとりますと、アメリカにおいて生産した車が逆に日本向けに向けられるということになりますと、その輸出入への影響は非常に大きいわけでございまして、直接投資を取り上げてみましても、つまり水際で国際収支面からとらえましても、経常収支の黒字というのがふえるというよりも、現状かあるいは現状よりも低下していくというふうに考える方が自然ではないかなと私は考えております。
 そうなりますと、この貯蓄超過というのは日本にとって大変大事なものでございまして、ですから私は、この貯蓄超過を内で使うか外で使うか、十分に考えていかなければいけないのじゃないか。内で使うということは公共投資だと思いますし、外で使うというのは援助を主体とする開発途上国への資金協力だと思うんです。ですから、その選択に今我々は直面しているのではないだろうかという気がしております。
#70
○星野朋市君 終わります。
#71
○安恒良一君 大場先生、牛嶋先生、大変御苦労さまでございます。お二人の先生に質問したいと思いますが、二十八分しかありませんので、簡単にお答えを願いたいと思います。
 まず、今も同僚の星野さんから言われましたように、これは大場先生にお聞きをしたいんですが、今の景気の動向をどう見るかというのは私は極めて大切なことだと思うんです。特に最近の減速過程をどう判断すべきかということだと思いますが、御承知のように、この予算委員会を通じて今星野さんが挙げられたようなあらゆる経済指標をつくって論争したんですが、どうも政府側はまだなだらかな拡大局面を続けていると、こういうふうに見ています。
 私は、やはり今挙げました民間設備投資、個人消費動向、経企庁の経済動向指数、日銀の短観等々あらゆる経済指標を見まして、どうも景気が後退局面に入ったのじゃないかなと、こういう見方をしているんですが、なかなかコンセンサスができません。しかし、私は、日本経済は大きな特徴を持っておりまして、景気がよくなるときは一挙によくなる、悪くなるときは一挙に悪くなる、それゆえにできるだけ事前に的確な判断と政策を間違えないようにしないと大変なことになる。その一番いい例が、今回の景気拡大局面において金融政策をやはり誤ったことは間違いないわけですから、そんな観点から、最近のこの減速過程をどう判断するのかということをまず一つお聞きしたいんです。
 それから、続けて質問させていただきますので一緒にお答えをお願いしたいんですが、湾岸後のドル高円安の原因をどう見るかということに、先生は一言で錯覚だと、まあわかりやすく言うとドルと円の関係は錯覚だと、こういうふうに今お答えになったと思います。しかし、私は、円安というのが日本経済の運営にいろんな困難な課題を投げかけるわけでありまして、この影響はいろいろ今後出てくると思いますから、やはりただ単に錯覚だということに原因を見ておっていいんだろうかというところは少し疑問なのであります。
 御承知のように、これは物価高に結びつきますし、輸出の安易化に結びつきますし、それから金融政策では国内外にやはり分裂をもたらすもの等になりますので、ここのところをいま少し大場先生から御説明を願えればというのが第二点であります。
 それから第三点目は、アメリカ経済について今先生は、V字型じゃないんだ、これはU字型になるだろうと、現在はリセッションで先行きはU字型に直ると、こういうことで御説明があったんで
す。ところが、最近のアメリカの新聞等をいろいろ見ますと、どうもU字型じゃなくて景気は短期的に直るんだと、こういう報道がかなり多いような感じがしますが、それが特に、今先生もおっしゃられましたように湾岸戦争後に強まっていますが、この点をどう見るのか。今いろいろ先生説明されましたから、これに対する答えはほぼ出ていると思いますけれども、さらに何かつけ足すことがあれば、ひとつこの点について聞かせていただきたい。
 それからいま一つは、ドイツの経済変調及びヨーロッパの経済の先行きをどう判断するかということについては御説明が若干ございましたし、いわゆるスペインの通貨の問題なりいろんなことがございましたが、私はやっぱり東独との合併がドイツ経済の困難をかなり増幅させていることは間違いないと思いますから、そうしますと、さらにこのドイツ経済というものを今後どう見ていくのか、先生がおっしゃったことからさらに少し突っ込んで御意見があれば聞かせていただきたい。
 以上、まず大場先生に御質問いたします。
#72
○公述人(大場智満君) 四点の御指摘をいただきました。
 最初に景気の動向の点でございますけれども、私は、政府見通しのうち設備投資ですが、政府の見通しですと七・九%になっておりますが、やや低下していくのではないかなという感じを持っております。
 ただ、この点は非常に難しい問題でして、例えば、私もいろんな方にお聞きするんですけれども、企業のトップにお伺いした場合には割と慎重といいますか悲観的なんですが、部長、課長に御質問申し上げますと大変強気でございます。ということは、部長、課長の段階ではまずは受注とかいろいろのお話があるわけで、この機会に設備を拡張して他社との競争をしていきたいという感じが強いわけです。ところが、会長、社長の方は国際情勢その他もろもろのことを考えてやや慎重なスタンスをとっている。ですから、各社の中で恐らく三月までかなり上と下との相克があったのではないかという気がいたしますが、私はそのように設備投資については意見が分かれているところだと思うんですが、私はどちらかといいますと、設備投資は政府の見通しよりも減る方向になっていくのではないかなという気がしております。
 それからもう一つ、海外の影響ですけれども、例えば今アメリカの御指摘がございましたが、アメリカの経済のリセッションがいつまで続くか、あるいはもうあしたからよくなるかというようなことともつながってくるわけですけれども、アメリカに対する輸出に依存している国がアジアに多いわけでございまして、台湾のように総輸出の四〇%近くはアメリカ向け輸出で賄っている国もありますし、またアジア諸国、ASEANの中で低い国でもその総輸出のうち一五%ぐらいはアメリカ向け輸出であるわけです。
 そうしますと、アジアのアメリカ向け輸出が落ちてくるわけでございます。ところが、そのアジア諸国のアメリカ向け輸出というのは実は日本のこれらの国向けの輸出につながってくるわけでございますので、そういった影響も考えておかなければいけないのかなということで、私はもともと大変楽観主義者なんですけれども、ちょっとこの景気の問題については、悲観的というほどじゃないんですが、少し慎重なスタンスをとっていった方がいいのではないかなと、こういうふうに考えております。
 円とドルの問題でございますけれども、ちょっと私も短い時間で舌足らずで恐縮でございましたが、基本的に有事に強いドルというようなことはなくなっているわけであります。有事に強いドルというのは、まあアメリカが避難港という役割を占めるわけですけれども、それは政治的に強い、軍事的に強いということが大事なことなんですが、経済力もないとなかなか避難港としての役割というのは果たせないのではないかと思います。そこが崩れてしまっているわけです。ですから、有事に強いドルというのが起きる地盤はなくなってきているわけです。
 それから、アメリカの最大の問題というのは、世界最大の借金国である、七千六百億ドルの債務超過の国であるということでして、もし市場がそちらの方に着目すれば、私はドルというのは強くなる要因がないというふうに見ていくのじゃないかと思うんです。つまり、アメリカの最大の問題が世界最大の債務国ということであるのならば、それを続けていけば必ずドルは崩壊するわけですから、あるいはドルの体制すら壊れかねないわけですから、そこに今向かっていっているわけです。
 それを防ぐ手だてというのは一つあるわけでして、それはアメリカが財政の赤字を減らすことなんですけれども、その財政の赤字の削減が、そう言っては怒られるかもしれませんが、ちょっと見込みが立たなくなってきたわけです。これまではダーマン予算局長官の手腕に期待して、アメリカの財政政策、つまり財政の赤字の削減を期待していたんですが、最近の情勢を見ますとどうもこれが期待できなくなってきているという気がいたしまして、それがドルが強さを維持できない理由の一つでございます。
 それから三番目に、U字型の問題ですが、先ほど申し上げましたけれども、もしV字型の回復、これはアメリカの株式市場などはV字型に乗って動いているようでございますが、V字型の回復がありますと必ずもう一つV字型、つまりWになるおそれがあるわけでして、私はなだらかな回復というのがアメリカにとっても世界経済にとってもいいのではないかなという気がしております。ですけれども、これはあくまで自律的な回復というか、自律的な経済の動きですから、私どもは見ているほかないのかなと思ったりもしているわけでございます。
 それから四番目に、ドイツ経済の将来でございますが、ドイツというのは短期的に、いや、これは一年前には短期的にも長期的にも強いと申してまいりました。昨年の三、四月ぐらいから中期的に何にも発言していないということに気がつきまして、ドイツは中期的には弱いということをつけさせていただいて、最近のマルクが弱くなったときに余り怒られないでいるわけでございます。
 ジョークにもございますように、大変恐縮でございますけれども、強いドイツというジョークがたくさんございます。例えば、余りジョークというのはまずいんでございましょうか、これはよく使われていることですけれども、強いドイツというジョークは、ゴルバチョフ大統領とブッシュ大統領のジョークがございます。二人がたまたま重い病にかかっていて、その特効薬、治る薬が二十年たたないと開発されないということで二十年間冬眠してしまうんですけれども、冬眠から覚めて最初にゴルバチョフ大統領が、ブッシュさん、あなたの国は大変なことになっております、二十年前は一ドルが一マルク六十ペニヒだったのが、きょうの相場はその十分の一で一ドルが十六ペニヒになっておりますという、そういうことを言うわけです。これに対してブッシュ大統領がゴルバチョフ大統領に、そういうあなたの国も大変なことになっております、今ドイツは東の国境で国境紛争を起こしております、相手がどこか知っておりますか、相手は中国だと聞いておりますという、こういうジョークがございます。
 私は、ドイツはやはり長い将来で考えてみますと強い国ではないかという気がいたしております。ですから、現在の財政金融政策の困難というのはいずれ乗り越えていくのではないかなというふうに見ております。
#73
○安恒良一君 次は、牛嶋先生に三点ぐらいお伺いをしたいんですが、まず一つは、我が国の財政のあり方について先生からいろんな御指摘をいただきまして、私もかなり同感でありますが、その中で、二十一世紀に向けて豊かさをつくっていく一つの財政のあり方として生活関連の公共投資問題があるわけです。それで、ことしは特別枠二千億をつくりまして、下水道とか住宅とか公園整備
にかなりそれは重点的配分される。しかし、一般会計の公共事業費総額六兆五千八百九十七億に比べますと、これは三%前後にしかすぎないんですね。本体の公共事業費の配分比率はもう全然と言っていいぐらい固定化されています。そこで、来年度また特別枠をつくるのかと聞いたんです。もしくは金額を増加するのかと聞いたんですが、これもはっきりしませんでした。
 そこで、私はぜひ先生に教えていただきたいんですが、国民的な豊かさを実現するための公共投資を変える方法、なかんずく配分比率を改める具体的な政策について、お考えがございましたらぜひひとつ聞かせていただきたい、これが一つであります。
 それから第二点目は、国税と地方税を含めまして我が国の税制のあり方について、研究を重ねられております先生ですから、少しその点についてお聞きしたいんですが、戦後我が国の地方税のあり方は、国が決めました地方税法の基準、課税対象、課税率等の範囲で行われています。一方、地方自治体が独自に自主的に決めて税金を徴収するというやり方は現在は認められていないのであります。この中央の指導過多とも言うべき地方税のあり方について、先生はどんな見解をお持ちでしょうか。自治体の課税権の強化が必要だと私は思いますが、その点について御意見を伺いたいと思います。
 それから、その次ですが、これらの点については先生から御意見が出ると思います。私は、自治体の拡大強化という点、課税のあり方というのは、私自身はもっともっと自治体に任せるべきだと考えています。しかし、いろんな問題が大変山積みをしているんです。例えば、富裕団体である東京都が大幅な個人住民税の減税を行うとか法人住民税の減税をやろうとしてもなかなか容易でないというふうに私は聞いています。こうした点で、牛嶋先生の御研究で、実行するとしたら自治体の決断でできるものかどうか、この点をお教え願いたい。
 さらにまた、この減税と地方債の起債許可が絡んでいるというふうに私は聞きますが、この点も私は、起債を中央政府の許可、認可としていることの是非について先生の御意見をお聞かせ願えればと思います。
 それから、もう時間がございませんから、今度の地価税制についてですが、私は土地の保有税と言うべきであったと思うんですが、地価税になったことは非常に残念であります。しかも、課税対象なり基礎控除なり税率等から見ますと、これでは本当に地価抑制になるのかどうかなと。これは一つの例でありますが、日経連の鈴木会長ですら、地価の税率は〇・五ないし一%にしないと土地の問題は解決しないと、こういう批評が経営者側からも出ているのでありますが、これらの地価税制について先生の御見解を聞かせていただきたい。
 以上でございます。
#74
○公述人(牛嶋正君) 非常に難しい問題ばかりでございまして、十分先生の意に沿うようなお答えができるかどうか心配でございますが、まず第一点の公共投資の配分についてでございます。
 従来のシーリング方式では一応固定的な配分比率になっているわけでございます。先ほども私、意見を述べさせていただきました中で申し上げましたように、これがシーリング方式の非常に大きな欠点であるわけです。各省庁はそれぞれ自分に与えられた概算要求枠の中で、恐らく各省庁の中では一応事業について優先順位をつけてそして概算要求をしてくると思いますけれども、納税者の側から見ますと、例えば建設省が概算要求をしてまいりました事業の中でランクが一番最後のランクと、それから一方、厚生省が概算要求をしてまいりました一番最後の事業の両者を比較した場合に、その枠の中で事業を設定するために、枠外に落ちた事業の方が国民の側から見ればいいと、むしろ建設省の一番最後のやつを落としてでも厚生省の方を採用してほしいというふうな意見があっても、今のシーリング方式ではそれができないわけであります。
 いわば財政政策にとりまして一番重要な限られた財源をいかにうまく配分するかという点がこのシーリング方式によって結局消されてしまっているということで、私はこのシーリング方式をやはり是正しなければ、今御指摘のような重点的な配分はなかなかできないのではないかというふうに思います。その一つの方法といたしましては、一律に一定のシーリングを各省庁に設定するのじゃなくて、むしろそのシーリングを設定するときに、今御指摘のように、生活関連の公共投資を充てんさせるということであれば若干各省庁の間のシーリング設定に差をつけると、こういうことが導入されればそれについてある程度重点的な財源配分ができるのではないかというふうに思っております。
 それから、もう一つ申し上げたいことは、生活関連事業というのは、結局は地方公共団体が最終的には事業を進めていくわけでございます。したがって、その地域の実情に合った公共投資をしていかなければ限られた財源というのは有効には使えません。したがって、予算の編成に当たりまして、先ほど申しました各省庁のシーリングの設定のときに、できるだけ地域の、あるいは地方公共団体側からの要望といいますか、そういったものをくみ上げていくような、そういう仕組みも今後は必要になってくるのではないか、こんなふうに思っております。
 それから、二番目の地方税における課税権の問題でございます。
 御指摘のとおり、今地方税法によりましては超過課税とそれから法定外普通税の二つの課税権が与えられております。行政改革のときに、地方公共団体がもっと積極的にこの課税権を活用すべきだというふうな意見もございましたけれども、むしろ課税権の適用というのは狭まっているような気がいたします。課税権が非常に限られている。したがって、全国いずれの地方公共団体も、いわば地方税法で定められた税制に基づいて課税を行っているわけです。そのために、経済活動が行われるときに、地方公共団体間の税の垣根というのはほとんど日本には見られないわけでございます。ですから、経済活動の面から申しますと、今のようにある程度国が一律に決定して、それに従って課税を行っていくというふうな課税権を非常に限定した形の方がいいのではないかと思いますけれども、今度は逆に言いますと、地方税というのは基本的には応益原則に基づいているわけです。
 今申しましたように、いずれの地方公共団体に住居を設定いたしましても、所得が同じであればほとんど税負担は同じということですけれども、一方、地方公共団体から受けるサービスというのはかなり違っているのじゃないか。東京になぜ人が集まるのか、あるいは事業が集まるのか。それは、税負担は一定ですけれども、受けるサービスがやはり東京圏の方が手厚いということで人口が東京に集まるというふうなことを考えますと、もう一歩進めて、その受益に応じた税負担ということになりますと、私は大都市圏に新たな大都市圏税みたいなものを設けてもいいのではないかというふうに思っております。
 それからもう一つは、地方自治を前進させていくためにもう少し国税から地方税の方へ税源を移してはどうかというお話でございますけれども、今地方財政における自主財源比率と申しますか、歳入総額の中で地方税が占めている部分を見てみますと四〇%を超えておりまして、だんだんこの比率が高まってまいりました。一時は三〇%前後でございましたが、その当時三割自治と言われていたことから申しますと、四割自治のところまで成長したのではないかというふうに思います。それでも国と地方の間の税源配分で見ますと、国の方はなかなか地方の方へ税源を移してはいません。ほとんど三五、六%のところで推移をしておりまして、三五、六%が地方税で、残りは国税でということになっているわけであります。
 それじゃ、そういう税源の方の配分は変わらな
いのになぜ自主財源比率が高まってきているのかということですが、これは国からの国庫支出金とかあるいは地方交付税が相対的に低下してきて、そして比率でございますので、構成比でございますので、それで地方税の方が押し上げられているということになっているわけであります。
 私は、税源を移すという場合に、それだけの税源を得て十分にそれを住民のために効率的に使い得るのかということになりますと、もう一つ地方自治で考えなきゃいけないのは、個々の地方公共団体の行政能力ではないかというふうに思っております。私はこの行政能力は、五十年代の地方財政もやはり国と同じように大変でございまして、その過程で各自治体とも非常に自助努力をしてまいりましたので、大分高まってきているというふうに思っております。そういうことから申しますと、もう少し国から地方へ税源を移してもいいのではないか。今回の税制改革ではほとんどその比率は変わっておりませんので、先ほど私が意見の中で、もう一度抜本的な税制改革をと申し上げたわけですが、そのところでは国と地方の、国税と地方税のあり方もその改革の中の一つの中心的な問題としてもう一度御議論をしていただきたい、こんなふうに思っております。
 それから、地価税のことでございますけれども、私は地価税というのは、今地方税、市町村税の中であります特別土地保有税、これをうまく活用すればこの地価税を入れる必要はなかったのではないかなというふうに思っているわけです。この地方における特別土地保有税が導入されたときはかなりの効果を上げたわけですが、御承知のように昭和五十三年に改正が行われましてちょっと骨抜きになっているわけでございます。すなわち、恒久的な利用をする場合にはこの特別土地保有税は免税になる、免除されるということで、私の住んでおる名古屋市でも、それによりまして遊んでいる土地がみんな駐車場に変わってしまったわけです。
 ですから、もう一度この特別土地保有税を導入されたときの姿に戻せば、私はわざわざ地価税を入れる必要はなかったのではないか、こんなふうに思っておりまして、そういう意味では、地価税が今持っております先生が御指摘になった点につきましても私は同感でございます。
#75
○及川順郎君 大場先生、牛嶋先生、きょうはありがとうございます。持ち時間九分でございますので、お二方の先生にまとめて質問をさせていただきますのでお願いしたいと思います。
 大場先生に対しましては、先ほどアメリカ、ヨーロッパの経済を主軸としてお話をされまして、世界の資金需給に対する日本の対応という流れでお話をちょうだいいたしましたが、非常に興味がありますのは、東欧の動きとあわせてソ連の動向です。それから中国を含めた日本、アジアの経済ブロック、こういうものを含めて世界の経済の交流と支援のあり方をどのようにとらえておられるのかという点が一つでございます。
 それからもう一つは、金融自由化に対してメリット、デメリット、両面から見られると思いますけれども、特に国民生活への影響という点に視点を絞りまして見た場合にどのようにとらえておられるか、この二点をお伺いしたいと思います。
 それから、牛嶋先生でございますが、先ほど財政の健全化、財政再建の問題で、財政の基本に戻るというお話をなさいました。豊かな高齢化社会に向けて財政の基本というのが、今までの私たち政府とのやりとりの中で出ております基本と同じ発想に立っておられるのか、もし別な視点でこの基本を考えておられるならば、それをお示しいただきたいというのが一点でございます。
 それからもう一つは、国民所得に対する租税負担率についてでございますが、これがなかなか私たちには、特に社会保障とのかかわりも含めまして非常に難しい。政府との質疑のやりとりの中で、社会保障を充実していくという観点から考えますと、どうしてもある一定の枠が定められるという状況がございます。こういう状況の中で適切なあるべき関係ですね、それをどのような点でどの線ぐらいのところで描いておられるか、もし御自身のお考えがございましたらお示しいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
#76
○公述人(大場智満君) 最初の御質問のソ連、東欧の問題でございますが、時間が短いものですから結論だけ申し上げさせていただきますが、私はソ連、東欧の改革を三つのグループに分けて見ております。
 第一のグループは、いまだにプランドエコノミーといいますか、中央指令経済を捨て切れない国でございまして、これがソ連と中国だと見ております。それから二番目に、ステップ・バイ・ステップといいますか、漸進主義で市場経済に向かおうとしている国々でございまして、これがチェコスロバキア、ハンガリー、ブルガリア。ただ、今チェコスロバキアはちょっと急速な動きに移行する過程にあるかもしれません。それから三番目に、一挙に市場経済に飛び込もうとしている国でして、これをショックセラピー、ショック療法の国と言っておりますが、これがポーランドとユーゴスラビアだと思います。両国の混乱については御承知のとおりでございます。
 ソ連につきましては、私は政治的には一番の問題は、連邦と共和国との権限、責任がはっきりしないということだと思っております。経済的に見ますと、あの国の中央指令経済は崩壊したわけですけれども、解体されていないという点が問題であると思います。つまり、ある勢力がその解体されていない仕組みを使おうとすれば使えるというそういう状況にあるということでしょうか。ですから、崩壊したけれども解体されていないというところに問題があるのではないかと思っております。いずれにしましても、ソ連、東欧は今後数年、あるいはもっと長い間資金需要国としてかなりの規模の取り入れ国になり得ると思っております。ことしは全体を通じて二、三百億ドルの資金需要国かなと私ども思っておりますけれども、なかなかこの点は難しい点でございます。
 それから、中国を含めたアジアでございますけれども、私は先ほど星野委員の御質問のときに、一九九〇年代はヨーロッパの時代だと申し上げましたが、実は二十一世紀は日本の時代あるいはアジア・太平洋の時代とい前提で考えて、一九九〇年代だけはヨーロッパかな、こういう考えでいるわけでございますが、現在の地域主義の進展、ECの統合、それからアメリカを中心としましてアメリカ、カナダ、メキシコ三カ国の自由貿易地域の動きがかなり活発になってまいりました。このような二つの地域主義ということを考えますと、日本はやはりアジア地域、場合によってはアジア・太平洋地域でもいいんですけれども、その協力関係を強めていくべきではないかなという感じを持っております。
 それから、金融の自由化でございますが、時間の関係で短く答えさせていただきますが、国民の視点から見ますと金利の自由化というのは大事でございますけれども、やはりこれもステップ・バイ・ステップといいますか、若干時間がかかることはやむを得ないと思います。アメリカの言うように半年とか一年というのは無理ではないのかな。それからもう一つ、国民の視点から考えますと、金融機関が多様な金融商品を供与するということが必要でございますけれども、新しい金融商品というのは証券、金融の両知識が必要とされる、場合によっては為替の知識が必要とされる、そういうことで、私は金融機関の垣根ができるだけ低くなるということが大事だろうというふうに考えております。
#77
○公述人(牛嶋正君) これまで経済学では、それぞれの各個人の生活水準と申しますか、あるいは厚生水準と申しますか、これはほとんどその人の所得によって決まるというふうにみなされてまいりました。しかし、私たちの生活というのは、生活時間だけじゃなくて生活空間があるわけで、一定の生活空間の中で毎日、二十四時間を送っているわけでございます。そういたしますと、時間だけじゃなくて空間、スペースもやはり私たちの生活水準を決める大きな決め手になる。ですから、
最近の経済学の生活水準を決める要因として、所得水準だけじゃなくて自由時間、それからもう一つ生活空間がどうであるか。その生活空間はさらに分けるといたしますと、住居水準とそれから住環境に分けることができます。
 政府の財政の役割というのは、私は、今申しました生活水準を決めている各要因を少しずつかさ上げして、そして国民全体の生活水準を高めていくことではないかというふうに思います。このうち所得水準に関しましては、これはフィスカルポリシー、財政政策が直接関連するわけですけれども、重要なのは先ほどから議論が出ております生活関連投資でございまして、これは私は住環境を改善するということではないかと思っております。
 もう一つつけ加えるならば、全体の所得の分配、それから富の分配をできるだけ公正にする、これがもう一つ財政の役割として加わってくると思います。先ほど私が申し上げました財政の基本的な役割というのはそういうことを指しているわけでございます。これまでの財政再建至上主義ではどうもそこが次でありまして、むしろ財政構造の健全化ということに重点を置かれてきたわけで、これはいわば今申しました基本的な役割を展開していくための条件づくりでございますから、これがいつまでも財政運営の第一の課題になるものではないということでございます。
 それからもう一つは、租税負担率の問題でございます。これは非常に難しい問題でございますが、今我々の平均寿命が延びまして人生八十年時代を迎えたわけですけれども、もう少し我々としてはこの長寿社会を希望を持って受け入れてもいいんですが、そこになかなかいかない。なぜかということですが、結局長くなった老後に対してやっぱり不安があるわけですね。健康上の不安もあるでしょう。それからまた生活保障というふうな点からも不安があると思います。こういう不安を取り除いていこうとすれば必然的に社会保険負担率が増大いたしまして、そして租税負担率と合わせて国民負担率が相当な水準になるわけであります。
 しかし、一方、活力のある高齢社会を維持していこうとすれば、今我々が持っている労働インセンティブを持続させていかなければなりません。そのためには、租税負担率を初めとし社会保険負担率もできるだけ抑えていくと。私先ほど申しましたように、我が国では自助努力の面をもう少し活用して、そして労働インセンティブを維持しながら高齢社会を迎えるというふうな点から申しますと、やはり国民負担率は五〇%以下、できるだけ四五%に近い水準で維持していく必要があるのではないかと、これは私の個人的な意見でございますけれども持っております。
#78
○吉岡吉典君 牛嶋先生に税制にかかわる問題で二点お伺いします。
 一つは、先ほどのお話の中で、消費税の導入で税制改革が一応完了したというお話でした。その場合、その税制改革が増減税同額ということにも触れてお話しになりましたけれども、そうすると、その税制改革の結果増税になったのはだれであり減税になったのはだれか、階層的にもしおわかりでしたら説明願いたい点が第一です。
 それから第二点の問題は、多国籍軍への九十億ドル支援が問題になったときに、財界から一斉に、国際平和維持活動への財源は間接税、消費税でという声が出ました。関西経済連合会の意見書というのを私ここに持っておりますが、これによると、国際平和維持活動のためのコストは広く国民が負担するという観点から間接税の増税によることが望ましいとし、消費税についても検討しておくべきであると、こういうふうに述べられております。
 消費税というのは高齢化社会に備えてだということで導入されたわけですが、早くもこういう議論が出ていますので、これについてはどういうふうにお考えになるか。
#79
○公述人(牛嶋正君) 私、消費税の導入におきましては、ずっと消費税の導入に反対してきたわけでございます。それは幾つかの理由があったわけですが、今導入された消費税を見てみますと、よく言われておりますように、益税とか運用益とか、そういうふうなことで非常に欠陥の多い消費税だというふうに言われておりまして、そういう意味では消費税見直しを早く両院の協議会でお始めになっていただきたいと、こんなふうに思っているわけであります。
 そのときのもう一つの反対理由といたしましては、税を考える場合に一つは、先ほども申しました全体として国民がどれだけ税を負担するか、すなわち租税負担率の問題があります。これは全体の話なんですが、税は課税をする場合に課税の公平というのが非常に重要であります。全体として租税負担率分だけ負担するわけですが、これをどういうふうにみんなが負担するかということですね。その場合に何を基準にして公平を考えるかということですが、今国税の場合は、私は能力説と申しますか、それぞれ国民が持っている担税力に応じて税負担を負うということではないかと思います。
 そういう意味では、消費税というのは広く薄く課税するわけですけれども、今の担税力で申しますとやはり逆進課税になっているわけでございます。ですから、所得税の方で一応各所得階層一律に減税をしたといたしましてもこの消費税の逆進性というものがそのまま残るわけでございまして、どこで残ってくるかといいますと、所得水準が平均所得水準以下のところで残ってまいります。私はいろいろな計算をしておりますけれども、大体年収五百万以下のところで逆進性が出ているのではないか、こういうふうに思っているわけであります。
 それからもう一点は、ちょっと済みません、もう一点の方を。
#80
○吉岡吉典君 国際平和維持活動の財源を消費税でと。
#81
○公述人(牛嶋正君) 消費税につきまして今問題になっておりますのは、恐らくそういった課税上の不公正の問題が第一でございますけれども、先ほども平成三年度の予算の税収構成比を申し上げましたように、消費税は八%なんですね。これでは、高齢社会を迎えるに当たって高齢社会にふさわしい税制、今回の税制改革の第一の課題に置かれていた課題というのは満たされていないと思います。そうして、この構成比を上げるということになりますと、結局は税率を上げざるを得ないわけであります。ですから、財界からそういう意見が出たのは、恐らくこれをきっかけにこの税率を上げようというふうなところがあるわけでありまして、私はそれに対しましては、むしろ今の消費税が持っております課税上の不公正をまず手直しをしていくことが先決ではないかというふうに思っておりまして、消費税の税率引き上げに関しましては反対でございます。
#82
○池田治君 大場先生にまずお尋ねいたします。
 金融政策の問題で、アメリカの資金流入は一年前までは筋が非常によかったが、最近は筋がよくなくなってきた、こういうお話でございました。一昨年あたりは日本からの資本投資も郵貯、簡保と合わせて八兆円ですか、また損保や生保も十五、六兆と、こういう膨大な数字がアメリカ国債の購入資金に充てられたと伺っておりますが、これは筋のいい投資というものは現在は減ってきているわけでございますか。これが第一点。
 もし減ったとするならば、その金が、アメリカの投資が減りますので国内資金がだぶついてくるのではないか、こういう考えもいたします。そしてまた、アメリカ経済はますます財政難に陥るのではなかろうか、こういう気持ちでおりますが、この点についてもう少し詳しいお話を伺えませんか。
#83
○公述人(大場智満君) 第一点の、日本の機関投資家の国債の取得が減っているのではないか、あるいは横ばいかという趣旨の御質問でございますが、おおむねこの一年間は、生命保険会社を中心とする機関投資家はアメリカの国債への投資を減らしてきております。中には少し引き揚げ超過に
なっている機関投資家もございます。
 それから、そのためにアメリカ経済のファイナンスがどうかという点でございますが、まあことしに関する限り、千億ドルの経常収支の赤字のうち五百億ドルは、我が国の九十億ドルを含めた各国の協力によって半分ぐらいは埋められると思いますが、基本的には、あるいは潜在的には、千億ドルの経常収支の赤字は千億ドルの資金を必要としております。先ほどもちょっと触れましたけれども、その資金が日本とかあるいはロンドン、フランクフルト、チューリヒ等からの機関投資家による投資であればかなり安定性を持つと思うんですけれども、それが脱税資本とかあるいは資本逃避等の金ですと性格はどうしても短期的になりますので、私は非常に動きが速いお金でファイナンスがなされるということは、アメリカの経済にとってはマイナスだなという気がしております。
 長期資金というのはやはり大事でございますから、そういう観点で、最近の変化については若干心配しております。先ほどは金融政策が発動しにくくなったという観点からこの資金の性格が変わったという問題を取り上げましたけれども、私はそれ以外のことを考えても、アメリカへの流入の資金の性格が動いてきておるということについては心配しております。
#84
○池田治君 次に、牛嶋先生にお願いします。
 シーリング方式で概算要求が抑えられてきて新たな政策的なものが予算に組み入れてない、平成三年度予算は大体豊かさと活力ある住環境や高齢化社会をつくるためにはちょっとブレーキがかかり過ぎているのではないかと、こういうお話でございましたが、その背後には、日本の予算には百六十七兆という、赤字国債を脱却したとはいえまだ赤字が残っているわけでございまして、これをイザナギ景気よりももっと景気がいいという現在において解消しておかなければ将来日本の財政は困ったことになるのではなかろうか、こういう考えもいたしますが、先生の御見解をおっしゃってください。
#85
○公述人(牛嶋正君) 御指摘のとおりでございまして、その百八十兆円の国債が大変な国債費の増額をもたらしているわけで、国債の重荷というのはだんだん重くなっていくわけでございますけれども、しかしその国債費が今の日本の経済に対してどれだけ影響を与えているかということを考えますと、私はむしろその前に、国債の累積額はこのぐらいで一応抑えておいて、先ほどから言っておりますように、十年間引き延ばされてきた本来の財政運営をまず平成三年度から行うべきではなかったか、こんなふうに思っております。
 それで、この国債の累積額を解消しようとすれば、先ほども申しましたように、一方では租税負担率が増高してまいります。ですから、国債の累積額の減額というものをやはりその租税負担率の伸びをある程度抑えながらということになりますと、国債累積を解消するためにはかなり時間をかけるべきではないかと、こんなふうに思っております。
#86
○寺崎昭久君 牛嶋先生にお伺いします。
 先ほど地方自治とシーリング設定の関係とか、自主財源のあり方について御見解を承りましたけれども、この点に関して民社党は、ひもつきでない第二交付税を設定すべしということをかねてから主張しております。実態として市町村に限らず県の単位でも過疎過密が進んでいる現状ですから、どのように配分するのかという難しい問題はあると思いますが、憲法でうたわれているような団体自治だとか市民自治を実現する、少しでもそれに近づけるというためには、やはりひもつきじゃない第二交付税的なものが必要じゃないかと思いますので、これに対する御見解が一点。
 もう一点は、先ほど特別土地保有税を活用すれば地価税は必要ではないという御趣旨のお話がございましたが、私は全く同感なんです。現状導入するのは問題がある、そのように考えているわけですが、その理由というのは、この地価税を導入してもサラリーマンのマイホームの夢は実現できないと思っているからです。先生にお伺いしたいのは、この地価税によって、もちろん土地対策というのはこれだけでやれるわけじゃありませんが、地価税の導入によって宅地の供給がふえると期待できるのか、地価が下がるのか、抑制できるのか、その辺について御見解を承れればありがたいと思います。
#87
○公述人(牛嶋正君) 第一点の第二地方交付税のお話ですけれども、先ほど私、もう少し国から地方へ税源を移してもいいのじゃないかと申し上げましたが、国の方の立場から申しますとそれに対しては、それをやると地域間の財政力の格差が拡大するということが反対の一つの理由に挙げられているわけです。それはそうなんですけれども、地域間の財政力の格差、この財政力を何ではかるかが問題ですが、今仮に住民一人当たりの税収額ではかるといたしますと、もう少し細かく税目で見ていきますとそんなに格差をもたらさない税もあるわけですね。それは個人住民税がそうなんです。大きな格差をもたらすのは固定資産税とかあるいは法人住民税であるわけです。
 ですから、国から地方へ税源を移す場合に、所得税を減らして、余り格差をもたらさない個人住民税をふやしていくというふうなやり方であれば、私はむしろ地域間の財政力の格差は縮小する形ででも、税源の国から地方への移譲は行い得るというふうに思っております。そういう意味では、第二交付税はむしろその次の問題ではないかというのが私の意見でございます。
 それからもう一つ、特別土地保有税に関連いたしまして、今地価税を導入した場合に、サラリーマンの立場から、家を持つことの希望がそれによってわいてくるのかというお話ですけれども、私は余り期待できないのではないかというふうに思っております。と申しますのは、この地価税が国税で徴収されますけれども、もし譲与税として地方にこれが譲与されるといたしますと、それでもってある程度土地供給のためのいろいろな施策を展開することができます。したがって、この地価税が、イギリスのこの前の地方税の改正と同じように地方譲与税になれば、私は若干効果が期待できるのではないかと思いますが、これが国税のままで、国税の財源になっていくということになれば、余り期待できないのではないかというふうに思います。
#88
○委員長(平井卓志君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。
 本日は長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)
 ちょっと速記をとめて。
   〔速記中止〕
#89
○委員長(平井卓志君) 速記を起こしてください。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本日は、平成三年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まずお一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後で委員の質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、まず高齢化社会につきまして古川公述人からお願いいたします。古川公述人。
#90
○公述人(古川孝順君) 御紹介をいただきました古川でございます。
 それでは、許された時間、高齢化問題を中心に最近の社会福祉、特に福祉サービスということでございますけれども、その動向、及び、関連していろいろな課題が出てきているように思われます
ので、そうしたことについて話をさせていただきたいと思います。
 御承知のように、ちょうど一九八〇年代の十年間でございますけれども、社会福祉の世界では揺れに揺れたと言っていいかと思います。非常に大きな制度の改革が行われましたし、その中で、あるいはその前提として、いろいろな考え方の変化も出てきたわけでございます。それがどういうものであったかということにつきましては、いろいろの整理の仕方ができるであろうというふうに思います。
 幾つかを取り上げてみますと、例えば社会福祉の普遍化と呼ばれているような現象がございます。それから社会福祉の地域化といったような側面もあるように思われますし、関連はしておりますけれども、地方分権化といったようなこともあったように思われるわけでございます。また、社会福祉の計画化を進めなければならないといったようなことも言われてまいりまして、また、そのことが部分的には制度的にも実現をする方向にあるわけでございます。そしてまた、そうした新しい社会福祉のあり方を支えるためのマンパワーをどのように調達するかといったようなことが話題になっておりますし、またその一環としては、社会福祉の専門職化、専門的な資格をつくろうではないかといったようなことで、これは既に実現をしているわけでございますけれども、そういったようなことがここのところ大きな話題であったのではないかというふうに思われるわけでございます。
 こうした変化の中には、もちろん、特に六〇年代以降の我が国の社会の変化ということがあるわけでございます。経済社会の変化から始まりまして、人口構造の変化もありましたし、また生活構造の変化、あるいは生活の単位として考えれば家族の変化といったようなものも非常に大きな意味を持ってきたように思われるわけでございます。
 そうした中で、変化の方向は先ほど簡単に要約をしたようなことでございますけれども、全体として言いますと、その普遍化という言葉に関連をさせて申し上げますと、従来のいわゆる貧困階層なりあるいは低所得階層なりを対象にした社会福祉が、この六〇年代以降の大きな流れの中で、特に八〇年代を通じて、低所得階層、さらには一般階層という言い方がございますけれども、そこまで利用者の範囲を広げるというような変化が出てまいりました。これは簡単に申し上げますと、社会福祉というのは貧困者のためというふうに考えられてきたわけでございますが、今日では貧困者のためだけではなくもっと一般の人が利用できるようなそういうものとして理解をされるべきであるし、そういう方向で整理をされてしかるべきだという、そういう方向をとってきているように思われるわけでございます。
 ただ、その過程で、一般の人が気楽に福祉サービスを利用できるということは、例えば高齢化といったようなことを考えてみますと当然の方向であろうかというふうに思われますが、しかし一般化する過程におきましては、これは何と言ったらいいのでしょうか、従来の福祉サービスを利用してきた人たちの問題がやや取り残されてしまうというか、関心がちょっと一般化する方向にありますものですから、低所得者、貧困者の方々に対する関心がやや後退してしまったところもあるのではないかといったようなことが気にかかるところでございます。今後のことを考えますと、そうした部分についても十分に配慮をしながら広げていくという方向が必要ではないかというふうに思われます。
 続きまして、その普遍化ということの具体的な中身にかかわってでございますけれども、御承知のように、施設に生活の場を移す、従来収容施設などという余りイメージのよくない言葉で言われておりましたけれども、そういうタイプから、このところ在宅で援助をするという方向が今後の方向としては望ましい、そうあるべきだという議論がございまして、その方向をとってきております。
 ただ、その場合の内容が若干気がかりなところがございまして、在宅サービスという場合に二つの考え方があって、一つは、家庭に介護をしてくれる家族がいるということを前提にして在宅サービスという言葉が使われていることがあります。それからもう一つの考え方としましては、そういう介護をしてくれる人が全くいない、そういう状態で在宅サービスという言葉を、そういうサービスのあり方を考えてみなきゃならないというような考え方があるわけでございます。ここのところの動きを見ておりますと、出発点はどうもやはり家族を前提にした、家族による介護、支援を前提にした在宅サービスという形で始まったように思われますけれども、その必要といいましょうか、その状況は今日もまだあるわけです。
 これから将来を展望するとすれば、むしろ家族の支援を期待できないような、例えば単身で生活をしている老人の方々であるとか、そういう方々のための在宅サービスというのはやや従来とは違ったものとして考えていかなきゃならない。あるいは、在宅サービスの本来のあり方というのが、そういう介護を期待できないような場合にでも地域の中で自立していけるような、そういうサービスを提供するということではなかろうかというふうな気がいたします。
 さらに、そうした在宅でのサービスということは、当然地域社会の中でサービスをするということでございますので、そういう方向での改革も行われてきたわけでございます。特に、地域化をしていくという場合には、福祉ニーズというふうに呼ばれるものはそれぞれ地域によって多様性がある、したがってその多様性なるものに注目をして、そこに留意してサービスを広げるということでなければならない。したがって、国民の生活に一番近い場所で計画を立てサービスをつくり出し提供するという、そういう作業をしていくのが望ましいことではなかろうかといったような考え方をとってきております。
 そうした観点からいいますと、地域によってそれぞれ違ったサービスを提供するということが期待されるところでございまして、またそれに対応する行政というものも、地方公共団体、なかんずく市町村を中心に展開をしていくのが望ましいということで、例えば機関委任事務を団体委任事務に改めるとか、老人福祉、身障者福祉については市町村に大幅に権限を移譲するといったようなことがなされてきたわけでございます。そうした方向は、これは先ほど申し上げましたような福祉ニーズの状況を考えてみますと、大変いい方向をとっているというふうに考えることができるわけでございます。
 ただ、関連してなかなか難しい問題もそこには出てくるわけでございます。といいますのは、地域のそれぞれの特殊性、特異性に応じたサービスをするということになりますと、そこに地域によってのサービスの違いが出てくるという問題があるわけでございます。このサービスの違いが出てくるというのは、積極的にはニーズに対応して特異なといいましょうか多様なサービスを提供するということですから、そういう意味での地域間の格差というのはある意味では積極的に評価をされてしかるべきでありますけれども、しかし別の側面で考えてみますと、そうした格差というものが逆に国民にとってあるいは利用者にとってマイナスに出てくるという可能性がないわけではございません。
 特に、こうした分権化という方向が、御承知のように行財政改革とのかかわりも若干はあったように思われますので、地方自治体に対して費用の負担の増加を求めるというそういう改革と背中合わせで進められてきたということがございますので、財政的に負担能力がないところでは、なかなか意図されたとおりにその地域の福祉ニーズの特殊性に応じて、何といいましょうか、積極的にそれに合った福祉サービスを展開するという方向をとるのではなくて、むしろ場合によってはサービスを抑制するという側に地域間格差が出てきてしまうというような面がなきにしもあらずのように
思われるわけでございます。
 そうなりますと、同じ社会福祉でも生活保護につきましては従来と同じで機関委任事務のままに残されておりまして、これは生活保護というのは憲法に基づいて国が最終的に最低限度の生活の保障をする、つまりナショナルミニマムを維持していくというそういう観点で機関委任事務として残して、それに対して福祉サービスというのは、むしろその地域間のそれぞれの多様性といいましょうか、福祉ニーズの多様性、特異性といいますか、そういうものに対応するために機関委任事務を団体委任事務に外し、さらに地方自治体でも市町村レベルまでおろすということで進められてきたように思うわけでありますけれども、そうすると結果的には、福祉サービスについてはそのナショナルミニマムに当たるものがどういうふうにして確保されるのかという、そういう問題が出てくるやに思われるわけでございます。
 確かに、最低生活のミニマムを設定するという課題に比べますと、例えば高齢者に対する福祉サービスはどの程度がナショナルミニマムであるかということを追求するということは、なかなかそう簡単ではないように思われるわけです。しかしながら、やはり同じ国民としてどの地域社会に住んでおりましても基本的には共通の基礎的なサービスが受けられるというそういう状態があって、その上にそれぞれの地域の福祉ニーズの特殊性に応じたサービスが積み重ねられていくという、そういう方向がとられることが望ましいのではなかろうかというふうに思われるわけでございますが、どこまでがその基礎的な部分でどこからが地域の特殊性に応じることになるのかという、その部分が今のところ余りはっきりしていないかなというような印象を持っているわけでございます。
 その基礎的な部分というのは当然どの地域社会に住んでおりましても共通に受けられるということでございますから、その部分については、それぞれどの地域社会でも、どの市町村でも共通に提供し得るだけの財政的なあるいは人的な整備というものがまず行われる必要があるのではなかろうかという気がいたします。その上に立った地域の多様性の尊重でありたいというふうに思っているところでございます。
 ところで、そうした地域社会における、しかも在宅を中心にしたサービスを提供するということになりますとどういうマンパワーがそこで求められるかということで、特に、御承知のように高齢者の保健福祉十カ年戦略等々をごらんいただければわかりますように、ホームヘルパーの確保ということが非常に大きな課題になっているわけでございます。ホームヘルパーをふやしていくということ自体は大変結構なことだというふうに思われますけれども、ホームヘルパーになり得る人たちの、何といいましょうか、選出母体と言ったらいいんでしょうか供給母体、これは大体中高年の女性を期待して、しかもハウスワイフ、主婦を期待しているわけでございますが、だんだん就労をする人たちが多くなってきているということもございますし、長期的にいえば人口減ということも考えなきゃならないだろうと思うんです。そうしますと、これまでのような形でのホームヘルパーの充足というのはなかなか将来的には難しい面があるのではなかろうか。
 そうなりますと、一つには、ヘルパーになっていただく方々の年齢がずっと高くなってくるということをある程度想定しなきゃならないということもあろうかと思います。女性が退職をした後、ですから六十前後ぐらいから七十、場合によっては七十四、五ぐらいまではヘルパーとしてお働きいただいて、しかる後に今度はサービスを受ける側に回っていただくといったようなことも必要になってくるのではないかという気がいたしますし、我々はとても期待をされましてもできるかどうかわかりませんが、男性もヘルパーとして登場していただくというようなことが必要になってくるのではないか。現にそういう例もちらほらあるように聞いているわけでございますけれども、そうしたことを少し考えていかないといけないのじゃないか。
 それからもう一つは、ヘルパーの労働条件といいましょうか、これはヘルパーにもいろいろなタイプがありまして、フルタイムの公務員であることもあるし、全くのボランティアであることもあるわけでございますけれども、全体として見ますと、必要とされるヘルパーの全員を公務員として雇用するといったようなことにはなかなかなりにくいだろうというふうに思われるわけでございます。
 しかし、一方、いわゆるボランティアというものに多くを期待するということも、これはそういう言い方をしますと実際にお骨折りをいただいている方々に申しわけないところがあるんですが、例えば時間にちゃんと来ていただけないとか、あるいは家庭の事情等におきまして約束を守っていただけないとかというようなことがあって、実際にヘルパーさんたちに働いてもらう現場ではなかなか苦労が絶えないようでございます。
 やはりある程度はきちんとした条件を整えて、そしてヘルパーになっていただく。そこまでやれるのかという問題もあるかもしれませんが、北欧等でやっておりますように、早朝起こしに行くヘルパーさんであるとか、夜寝る前に出かけていって寝巻きに着がえさせて、ついでにナイトキャップを一杯提供して、そこで仕事が終わるといったようなそういうヘルパーさんであるとか、あるいは非常に重介護で医療器具をある程度身につけながら自宅におられるような方もありますので、そうした方々の介護といったようなことまで考えますと、やはりいわゆるボランティアを期待するということではなかなか今後済まないのではないかというような気がいたします。
 どういう方向がよろしいかということについてはいろいろあり得るかと思いますけれども、例えばパートタイム労働者として位置づけるのであれば、そのようなものとして制度的にもちゃんと確立をしていく必要があるのではないかというような気がしているところでございます。
 それからさらに、専門職の問題でございますが、これは御承知のようにことしで三回目の試験がございましたけれども、社会福祉士及び介護福祉士法というものが制定をされまして、これは私ども関連のある者にとっては念願の課題であったわけですが、ようやく達成をさせていただきました。ただ、内容的に見ますと、介護福祉士あるいは社会福祉士という名称を使うことについては独占を認めていただいたことになっておりますが、つまり、そうでない人がその名称を名のることができない形になっておりますが、業務につきましては特にその資格を持っていなくても業務につけるという形になっております。これは、専門職としての成長の段階からいえばやむを得ないところもあろうかというような気がするわけでございますが、しかしせっかく制度をつくっていただいたわけですから、将来的にはやはりその資格のある者をその仕事につけるという方向にぜひ持っていっていただけるように期待をしているところでございます。
 今回の八法改正の中でも、少しは資格制度と八法改正の中身が関連づけられているのではないかという期待を持っておりましたけれども、残念ながら全く関連がないままになっておりまして、例えば社会福祉主事であるとか身体障害者福祉司等の任用資格というのが決まっておりますが、できればその任用資格の一つに社会福祉士の資格を有する者といったようなものを入れていただくというぐらいのところまではぜひ早急に実現をしていただければ、そういうものがきっかけになって専門職化が進んでいくのではないかというふうに思われます。
 最後に、社会福祉の仕事といいますのは、もちろんお金も必要でございますけれども、最終的には人を得られるかどうかということにかかっているわけでございまして、特に市町村に仕事の多くがおろされるということになりますと、その市町村のレベルで社会福祉について計画を立て、そし
てそれに基づいて資金の調達をし、人の手当てをし、運用し、結果を評価する。先ほどのことで申し上げますと、ヘルパーさん等について、十分にヘルパーさんを生かしていけるようなそういう能力を持った人が市町村に一人でもいてくださらないと、地域福祉を中心にした社会福祉というのは実現が不可能ではないかというふうに思っておるわけでございます。
 新しい方向が始まったばかりですので注文はいろいろございますけれども、最終的にはどこまでそれが実現されるかということにかかっているような気がいたします。そのことを最後に申し上げまして、与えられた時間ちょうどでございますので、終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。(拍手)
#91
○委員長(平井卓志君) ありがとうございました。
 次に、生活関連社会資本整備につきまして、佐藤公述人にお願いいたします。佐藤公述人。
#92
○公述人(佐藤光雄君) 全国の都道府県、市区町村役場に働く自治体労働者などで組織する全労連・日本自治体労働組合総連合、略称は自治労連といいますが、その副中央執行委員長をやっております佐藤と申します。
 平成三年度、一九九一年度総予算の中で、生活関連社会資本整備についての意見を述べさせていただきます。
 まず、大きな一番目ですが、日米構造協議実行の初年度予算案についてであります。
 九一年度予算は、昨年六月の日米構造協議実行の初年度予算と位置づけることができると思います。第一に、十年間に四百三十兆円をつぎ込む公共事業の初年度でありますが、この金額は過去十年間の一・六倍の規模になります。第二に、大型店の出店自由化を図る大型店舗法の改悪が予定されており、それに伴う中小企業関連の支出が計上されているからであります。そのこととの関連で、引き続く福祉と国民生活への攻撃が予算案の特徴になっています。老人医療費自己負担の大幅引き上げ、児童手当の支給期間の短縮、生活保護費の連続大幅削減などメジロ押しです。地方交付税交付金の大規模な減額も国民の暮らしを直撃することになります。
 アメリカは日本国内の公共事業のあり方についてまるで属国のように干渉し、日本政府がこれに合意したわけですが、国家予算案の内容が国会で審議される前にアメリカの圧力によってアウトラインが決められていく、しかも向こう十年間にもわたってです。日本の主権に対する侵害だと言わざるを得ません。今日の米輸入自由化のアメリカの理不尽な圧力も同じことであります。
 私は、公共事業を考える前提として、四百三十兆円の成果を日本とアメリカの大企業に吸収させるのではなくて、中小企業にできるだけ仕事を回して、大量の公営住宅建設など国民の切実な要求を最優先すべきだと思います。予算書では、下水道や公園整備などは六、七%増ですが、公営住宅建設戸数は当年度と同じ数の四万八千戸にとどまっています。また、道路についても、高速道路や産業道路優先ではなく、日常の住民生活に密着した市町村道の安全と快適を優先すべきだと思います。しかし、現在の計画は、羽田沖合の展開だとか成田、関西国際空港などの大型プロジェクトが中心になっています。まずこのことを指摘したいと思います。
 九一年度予算案の一般公共事業費は、NTT資金分を含んで五・〇%の伸びとなっています。政府は、これに地方単独事業の一〇%増、財政投融資などを加えた事業費ベースの伸びで対米公約の六・三%を達成できるとしています。新たに生活関連枠二千億円が設けられたことによって生活重視型との宣伝が行われ、地方公共事業に対する国庫補助率の復元が強調されていますが、軍事費、ODA費の伸びと比較して住民向け経費の増加分は余りにも少ないと言えます。肝心の生活関連の下水道の場合、先進国中で最低の四四%の普及率ですが、新たに策定される第七次計画の目標は五カ年で到達点五五%にすぎず、立ちおくれを克服する目標にはほど遠いものであります。
 政令市の中で下水道整備が最もおくれている広島市は、政令市平均普及率八七%に対し九〇年三月現在で五四%です。四百三十兆円の最終年度に当たる十年後の二〇〇〇年に、市街化区域の普及率一〇〇%、人口普及率九五%になるよう整備する計画ですが、整備と維持管理に必要な財源、人員の積極的な手だてが必要です。ところが、実際の財源内訳は、過去三年間、平均八〇%前後の企業債に対し国庫補助金はわずかに約一五%という実態です。昨年の七月、指定都市として下水道の整備促進に関する要望を行い、地方債計画においては必要額を確保し、政府資金及び国庫資金の枠の拡大、償還期限の延長、貸し付け条件の改善や、地方負担の軽減のため補助対象率を改善して経費負担区分の見直しを図り、国において必要な財源措置を講ずること、一般会計からの繰り出し金の累増に対し地方交付税等の十分な措置を要望していますが、政府は早急にこたえるべきであります。
 今、国、地方などで実施している公共投資額はおおよそ三十二兆円前後と見られますが、十年間で四百三十兆円の公共投資とすれば年平均で四十三兆円です。七%ずつ伸ばせば十年間で二倍ですから、毎年五ないし六%くらいは公共投資を伸ばす必要が生まれます。この点からいっても、生活関連公共投資枠二千億円はいかにも少ないのです。
 ところで、日米構造協議の最終報告は、生活関連投資を過去十年間の五〇%台前半から計画期間中六〇%程度を目途に増額させるとしています。しかし、一年前に出された経済白書一九八九年版は、同じ生活関連投資を三五・五%としています。三五・五%が一年にしてどうして五〇%前半に化けることになったのか理解に苦しみます。経済企画庁の説明で言う、公共事業を所管している各省庁から生活環境、文化関係投資に該当すると思われるものを挙げて集計をしたら五〇%台前半になるとの理屈づけはこじつけも甚だしく、初めにごまかしありきと言えるものです。
 大きな二番目には、公共投資を担う地方自治体と財政問題について述べます。
 四百三十兆円の公共投資のうち国と地方でどう分担し合うのか内訳は示されていませんが、公共投資を実質的に担っていくのは地方自治体と考えられます。公共投資がどのように実施されてきたかを見てみますと、補助金が大幅にカットされた八〇年代後半から事業主体と経費負担別の内訳は、国費の落ち込みはより顕著になり地方の負担割合が上昇しています。八八年度を見ると、総額三十一兆六千億円の行政投資のうち地方自治体によるものは、事業主体で八割、経費負担では七割余りとなっています。ここから四百三十兆円の公共投資の事業主体を単純に推計すると、最大は市町村の百八十七兆円であり、次いで都道府県の百五十兆円、国の九十二兆円という分担関係になります。地方自治体、地方財政に多大の影響を及ぼしかねません。
 これまでの行政投資実績から見ても公共投資の実質的担い手は地方自治体であると言えますが、その傾向は日米構造協議で常に強調された生活関連の事業ほど著しく、環境衛生や文教施設、下水道などのウエートがとりわけ高い。一方では、道路、港湾といった産業基盤投資のウエートはその半分であり、市町村にかわって国あるいは都道府県が大きな役割を果たしています。四百三十兆円公共投資は、市町村を初めとした地方自治体が長期間にわたって巨額の財政負担に対応していけるかどうかが大問題であります。
 最近の地方財政は、好景気のもとでの税収の伸びに支えられて財政構造の健全化が進んだかに見えます。基金と名のつく積立金が激増して、自治体の各種積立金の総額は十七兆円に上っています。四百三十兆円公共投資にも十分に対応していけるかに見えます。しかし、実際は、九〇年度末の借入金残高は六十七兆円を上回り、公債費負担率が一五%以上の団体が全体の五割を占めるなど、決して楽観できるものではありません。余裕
どころか、危機ラインの公債費負担率二〇%以上の団体も二割近くあるのです。地方財源の余裕といっても、五兆円近い税収を上げる東京都などを含めまして、全国三千三百の自治体をならした数字にほかならないと思います。
 十七兆円の各種積立金というのは、臨調行革で福祉、教育の切り捨てが強行され、その犠牲が地方自治体に押しつけられ、やるべきことをやらなかったために余ったお金です。それは臨調行革のこの十年間の予算、財政構造の変化を見れば一目瞭然であります。八〇年度と九一年度を比較すると、軍事費が九六・七%増、経済協力費が一二一・一%増と急膨張したのに対して、社会保障関係費は高齢化社会だというのに四八・七%、文教費はたったの一七・一%という低い伸びであります。中小企業、食糧管理費に至っては、それぞれ一九・一%、六〇・九%のマイナスです。公営住宅の建設は九〇年度と同数四万八千戸であり、世界的大問題の環境問題についても、環境庁予算総額でも本年度の軍事費の増加分の四分の一にも満たず、ごみのリサイクル促進の予算もたったの一億五千万円です。
 地方自治体へのしわ寄せも、地方交付税交付金の一兆八百億円もの削減、補助金カットも、公共事業の補助金が一部復元したものの、福祉、教育はそのままであり、八五年度から九一年度までの補助金カットの総額は実に七兆八千五百三十億円にも達しているのです。
 政府の指導による臨調行革と地方行革で住民から搾り取ってため込んだ十七兆円の積立金は、地方自治の精神からも、豪華庁舎を建設するなどというのではなくて、住民の要求に基づき住民福祉にこそ活用すべきだと主張いたします。
 ところで、四百三十兆円公共投資を地方自治体はどのように評価しているのか。北海道新聞が昨年秋に道内二百十二市町村に対して行ったアンケートでは、公共投資の拡充に全体の約九割の市町村が期待をし、内容として生活基盤の整備や町の活性化を挙げています。また、優先して充実させたい分野としては、下水道を六割近くが挙げ、次いで道路、公園、住宅の順です。
 一方、財源については、半数を超える自治体が地元の財政負担増加を心配し、三割強が都市部と地方間の格差の広がりを危惧しています。こうした不安を反映して、現行の制度では事業をふやせないので補助率アップや起債枠の拡大など有利な制度の実現を求める声が強くなっています。税収よりも借金返済の方が多いという自治体もたくさんあります。
 岩手県大船渡市は、県南東部の気仙地方の中心都市で、津波の常襲地としても有名な人口三万八千八百人の町です。リゾート整備のほかマリンタウンプロジェクトなどの努力を行い、労働組合も、住民本位の地域づくりと地域経済の民主的振興を図る立場から大船渡地域経済大学などを創設して頑張っています。
 大船渡市の昭和六十三年度の決算カードでは、総予算の九十億三千万円のうち、歳入の地方税は三十二億円、地方交付税は二十二億円ですが、公債費負担比率は一九・四%に上り一般財源比率七三・八%の三分の一強に迫り、危機ラインすれすれです。下水道普及率はゼロで、計画はあるものの地元の財政負担の見通しは立てるのが困難だということです。大船渡市は一般都市の中では比較的よい財政事情にランクされているのですから、仮に公共投資といっても、地元の財政負担増に強い不安があるのはいずれの自治体にも共通していると思います。
 大きな三番目として、私は自治体労働者の実態について述べさせていただきます。
 公共投資をよりよいものにするためには、自治体現場に十分な人員の配置が必要です。自治体労働者は地域住民の皆さんに奉仕をする職務を担っており、私たちは住民の繁栄なくして自治体労働者の幸せはないという精神で、住民本位の行政確立、仕事の改善などの研究と実践を進めています。しかし、自治体職場の実態は、地方行革による定員削減、大規模開発やリゾート開発など事業費の増加に見合わない人員配置などにより、過酷な長時間労働が状態化しています。年次休暇、生理休暇など権利取得の低下を招き、精神疾患の増加と在職死亡者を激増させています。この状態を改善しなければ、住民サービスにも重大な支障を生み出すことになると思います。
 例えば、広島市の本庁舎では、二千百人の職場で毎日午後八時の残業者数は平均七百人、十二時になっても平均六十人が帰れず、下水道職場は、約四百人のうち二十時九十四人、二十一時八十三人、二十三時二十人、二十四時七人という状態です。技師協議会のアンケートによると、常時疲労を感じている職員が五九・五%、そのうち六割が過労死の不安を感じています。
 東京都国立市の残業時間は、全職員の年平均八五年度二百十時間、八六年度二百五十七時間、八七年度二百九十八時間、八八年度三百九十一時間とウナギ登りに上り、最高は年間七百時間です。
 同じように、名古屋市の建築関係職場では、八九年九月から九〇年八月の一人当たり平均残業時間が、総務で四百二十二時間、住民との折衝に当たる職場では四百七十二時間という状況です。最高の人は年間千時間以上も残業しています。
 三月十四日、広島市内の橋げた落下事故で死者が十四人、重軽傷者九人。このような事故が相次ぎました。直接の原因はそれぞれ解明されるわけですが、大都市の建設工事は空間的にも時間的にも過密状態のもとで企業の論理とスケジュールで行われており、いつ大惨事が起きるかというふうに思います。
 政令指定都市の給料、調整手当に対する時間外勤務手当支給の状況を市町村別決算状況調で見ると、平成元年度で、自治省の六%枠指導基準に対して札幌九・七六%、広島九・六三%、横浜八・五四%など、ほとんどの都市で基準を上回っています。これでは、政府の閣議決定である九二年度千八百時間、週休二日制は絵にかいたもちであり、国際的な非難の的となっている日本の働き過ぎを解消することはとてもできないと思います。
 せんだって三月二十九日、人事院が超過勤務の規制に関する指針を出しましたけれども、これは人をふやさないで業務体制の見直しだけを求めるものになっています。
 最後に、真に生活関連の社会資本の整備のためについてです。
 生活関連の社会資本整備を進め生活の質を実質的に高めていくには、第一に、国と地方の財政関係を初めとして現行のシステムを改革していく必要があります。八五年度から一年限りの措置、三年間の暫定措置として強行された国庫負担金、補助金カットが、九一年度には一部復元されます。しかし、問題なのは、公共事業は復元されたというものの、なお今年度も六千億円余りのカットが少なくとも三年は続くのです。公共事業の補助率を復元したのは、対米公約の十カ年間四百三十兆円の公共事業のためには地方財政の大動員が不可欠であるからだと推察できます。公共事業の補助金復元と福祉、教育などのカットの恒久化の組み合わせは、地方自治体が福祉、教育にさらに消極的になり、公共事業により積極的に誘導していこうという政府の意図を見ることができると思います。
 なお、公共投資基本計画には、「地方公共団体が地域の実情に応じ、必要な施策を総合的に講じられるよう留意する。」と指摘されていますが、問題はその具体的な中身であり手順だと思います。地域に根差した生活関連の公共投資については、地方自治体が十分にその機能を発揮できるように権限と財政を地方に移譲していくことが求められます。
 第二に、地方自治体の側でも、真に地域や住民ニーズを反映したものになっているか、その供給構造を再点検していく必要があります。例えば、一極集中をさらに加速させる東京都の臨海部再開発などは見直すべきだと考えます。公共住宅、医療・福祉関係の諸施設などにこそ力を入れるべきだと思います。この際、民活路線に沿った大企業こそが主人公のプロジェクトのメジロ押しについ
て警鐘したいと思います。千葉幕張で百億円の巨額を投じた県立幕張東、西、北の三つの高校は、駅から四百メートルの新都市にありながら、八八年に開通したJR京葉線海浜幕張駅を中心に多国籍大企業のオフィスが林立したことから、千葉県当局はこれを移転統合する計画だと言われています。四十人学級で行き届いた教育のために高校が必要なとき到底考えられないことで、子供や父母に背を向けた行政の典型と言えるものでしょう。
 最後に、東京国立市職労が九〇年十一月に行った市民アンケートの結果を紹介したいと思います。駅前再開発は、賛成四七%に対し反対三四%、ワンルームマンションの規制は、賛成五七%に対して反対二四%、南部地域に四十階建てビルの建設計画は、賛成二二%に対し反対六〇%、固定資産税評価替えの中止は、賛成四三%に対して反対一九%です。住民にとって身近な開発には賛成の声が多いが、乱開発につながる危険のある施策には圧倒的な住民の皆さんが反対の意思表示をしているということであります。このような民意を反映する施策の充実を訴えまして、私の意見表明を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。(拍手)
#93
○委員長(平井卓志君) ありがとうございました。
 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#94
○石井道子君 自民党の石井道子でございます。
 本日は、古川公述人、佐藤公述人、お忙しい中をおいでくださいまして貴重な御意見を賜りまして、心から感謝申し上げる次第でございます。
 我が国の大変なスピードで参ります本格的な高齢化社会の到来に対しまして、特に古川公述人におかれましては福祉の問題についての御意見を賜ったわけでございまして、まず古川公述人にお伺いをしたいと思います。
 特に、御意見の中で福祉サービスの問題についてのお話がございました。既に高齢者保健福祉推進十カ年戦略を実施しておりまして、ことしは第二年目になっているわけでございます。このいわゆるゴールドプランというものについての評価をどのようになさいますでしょうか、それをまず一点伺いたいと思います。
 そして、その中にあります福祉の担い手ということでマンパワーの問題についてのさまざまな御心配のお話がありまして、そのことについて、このマンパワーを確保するにはどのような点でいろいろと対策を講じるべきなんでしょうか。今非常に景気がよいものですから人手不足ということで、特に若い方々の確保というものが大変難しくなってまいりました。ですから、若い方々が魅力ある職場としてこのような仕事をするにはどのようにしたらよろしいでしょうかということをお伺いしたいと思います。
 それからまた、この福祉サービスの直接の担い手として市町村が行うということになっているわけでございまして、これは既に老人保健法の改正あるいは身障者福祉法の改正によりまして、与野党が全会一致で賛成をして成立した法案でございまして、これはやはりきめ細かな行き届いた福祉サービスを行うには身近な市町村でやった方が効果的であるということを踏まえていると思いますけれども、このいろんな手続を市町村で行うには、いろいろと交付金とかそのような手当ても必要であると思います。さらに、先ほど公述人がおっしゃいましたような心配といいますか、そのようなことを払拭するために国がなすべき援助対策、これはどのようなことが必要かということでございます。
 それからもう一つ、先ほどはそのような働く方々、マンパワーの方々、ホームヘルパーの方々の処遇の問題についてお話がありました。これについては、必ず労働条件なりその点をきちんとして、中途半端な働き方はまずいというふうなお話もあったわけでございまして、もちろん専門職の方々についてはそのようなことは絶対に必要であると思いますけれども、しかし、これだけ福祉に対しましての国民の理解とか支援とか、そういう機運が高まっている中でございますから、やはりボランティアを行うための環境づくりも必要ではないかというふうに思うわけでございます。そのような方々の力もかりながら行政とよくタイアップをして行った方が福祉を担う方々の層が厚くなるというふうに感ずるわけでございますし、またその必要性も高いのではないかと思います。そういう点で、今度福祉人材バンク事業などということも平成三年度の予算に計上されているわけでございまして、そういう環境づくりを進めることも必要かと思います。
 このことについては、その一つとしていわゆる大手企業の中でこういうボランティア休暇制度というものをつくりまして推進をしているところも出てまいりました。アメリカなどではボランティア精神が旺盛でありまして、一般の方々が進んでそのようなことに臨んでいくというような体制も既にできているというふうに聞いているわけでございますけれども、その点についてのお考えを伺いたいと思います。
#95
○公述人(古川孝順君) 四点ほどのお尋ねかと思いますが、お答えを申し上げます。
 第一点のゴールドプランについての評価をせよということでございますけれども、これは評価を現時点でというのはなかなか難しいような気がいたします。方向といたしましては、私はやはり地域福祉型の社会福祉が将来確立されることを期待したいと思っておりますので、このプランがそういう方向に向かって第一歩を踏み出したということについては評価をしたいと思っております。
 ただ、その中の個々の事項につきましてはそれぞれに検討しなきゃならないことが多いだろうと思いますので、ここでちょっとそのことについて全体を取り上げるということは難しいように思いますし、それから先ほど申し上げましたように、プランはあくまでもプランでございますので、そのプランがどこまで実現できるかということに私はむしろ注目をしたいというふうに思っているところでございます。
 それから、二つ目のマンパワーの問題でございますが、これは私も社会福祉の教育に携わっておる者でございますけれども、なかなか難しい。率直に言って、最近の若い人たちは社会福祉に余り関心を持ってくれないという思いが時々しておりまして、これは教育の不十分ということもあろうかと思いますが、しかし全体に、何といいましょうか、三Kという言葉が世の中にはあるそうでございますけれども、社会福祉関係の仕事はどうも最近では三Kの中に入ってきておるのではないかといったようなことが言われたりしているわけです。そうした点は、教育の側も含めまして改善の必要はもちろんあるわけでございます。
 しかし、もう少し客観的に見てみますと、職場として見たときに果たして魅力があるかどうかということ、そちらの側もやっぱり見てみる必要があるわけでありまして、残念ながら最近の若者の嗜好からいたしますと、例えば二十四時間拘束をされるような労働であるとか、最近は比較的住み込みという仕方は少なくなってきているわけでございますけれども、それでも朝九時から五時までという仕事に比べればはるかにそういう宿直その他の必要がございますので、そうした点ではなかなか彼らの好みに合わないという面もございます。
 それから賃金も、例えば民間の場合でも東京都の場合には東京都が補てんをして公務員並みになっておりますので、そうしたところではかなり改善をされておりますけれども、しかし相変わらずかなり低賃金で、しかも民間の法人などの場合には小規模ですとかなり賃金にしわ寄せがきているという面もあるようでございますので、なかなか積極的な誘因にはなっていないような気がいたします。
 それからもう一つは、求人の時期が遅いということもあるんですけれども、もうちょっと施設の側でも、特に民間の場合には個々の施設が人を探
すというやり方をしておりますが、もうちょっと、例えば都道府県単位で法人が横に手を結んで求人をするシステムをつくるなり、それからまた、先ほど民間では大変規模の小さいところが多いというふうに申し上げましたけれども、やはり同じところに十年、二十年あるいは三十年というふうに勤めるのはなかなかしんどい面があるわけです。しかも、率直に申し上げまして家族的な経営をしているようなところも結構ございますので、そうしたことを考えますと、もうちょっと人事配置、転勤ができるような、職場をかえることができるようなというようなことまで含めて、求人側の職場の方の体制を整えていただくといったようなことが必要ではないかというふうな気がいたします。
 そうしたような環境整備が整えられていけば、決して社会福祉を目指して勉強する学生の数が減っているわけではございませんので、そうした青年諸君を社会福祉の現場に送り出していくことができるようになるのではないかというふうに思っております。
 第二点については以上でございます。
 それから第三点で、市町村のレベルにだんだんおりてきたということは、これは大変結構なことだというふうに評価をしているわけでございますけれども、しかし率直に言いまして、先ほども申し上げましたように規模が随分違うところがあるわけでありまして、特に町村におきましては、従来福祉事務所を設置する町村というのはごくわずかでございますから、一部の仕事を除けば全く新しい仕事をこれからしていくことになるわけです。また、費用の負担もそれなりに上がってきていることは事実でございますので、そうしたことが地域間の格差につながらないようなそういう手だてをぜひしていただきたいということでございます。
 具体的にというのはなかなか、私は財政学者ではございませんので、どういう措置が最も望ましいのか、そのあたりは専門家に御検討いただいた方がいいような気がいたしますけれども、できるだけ市町村の仕事の個々について補助金をちゃんと出すといったような、現在ほとんどそうなっているかとは思うんですが、何かブロック形式でつかみでお金を渡してそれで自治体に仕事をさせるというやり方、これは本来は自治の原則からいうとその方がいいような面もあるんですけれども、過去の経験からしますと、社会福祉の仕事というのは優先度がどうも低くなって、目に見える橋をかけたり道路をつくったりする方にお金が流れるようなところもあるやに思いますので、かなり仕事の中身に見合う形でその仕事がなされているということを前提に補助金が支出されるように、もちろん補助金の額を引き上げていただくというのは当然のことだと思いますけれども、そういうふうなことをちょっと考えたりしております。
 あるいはまた、全国的な基金をつくって、そこから町村の場合には資金を融資する等々の措置も可能ではなかろうかと思いますけれども、先ほど申し上げましたように、これは私の専門ではございませんので、この程度で控えさせていただきたいというふうに思います。
 関連をして、先ほど市町村にも専門職の人を配置していただきたいといったようなことを申し上げましたけれども、これなんかは、例えば有資格者を配置した場合には人件費の一部を国が負担をするといったようなことがあれば、それが呼び水になっていくということも考えられるのではなかろうかというような気がしております。ぜひ市町村、特に町村の社会福祉主事等につきましては有資格者を配置していただくということが必要で、しかも、その他前号に準ずる者という形ではなくてちゃんと資格を持った者を配置していただけるように、そうした措置がとられればありがたいというふうに思っております。
 それから、ボランティアにつきましては、これは私も御指摘の点は十分に理解できることであって、できるだけいろんな形でのマンパワーが必要でございますので、基幹的な職員についてはフルタイムで手当てをし、それを前提にしながら文字どおりのボランティアということもあっていいのではないかというふうには考えております。その一環として、大企業等でボランティアに休暇を出していただくというようなことで、これは大変結構だというふうに思います。
 ただ、若干懸念をしておりますのは、大企業の休暇制度に限らずでありますけれども、全体に最近、何といったらいいでしょうか、プロジェクトとしては魅力的だけれども余り国としてはお金のかからないといったような、そういうプロジェクトが何か多いような気がいたしまして、ボランティアとして層を広げていくということには大賛成でございますが、一方ではそれに頼るということではなくて、そういう意味ではないだろうとは思うんですけれども、実質的に必要な範囲のマンパワーについては確保できるようなそういう手だてを講じていただいた上で、さらに大企業を含めてマンパワーのボランティアの輪を広げていただけるようなことが可能であれば大変ありがたいというふうに思っております。
 以上でございます。
#96
○石井道子君 ありがとうございました。
 高齢化社会においては、何としても社会保障制度の充実ということが何より重要なことでございます。そのことと同時に、負担のあり方の問題を抜きにして考えることはできないのではないかというふうに思うのでございまして、その点についてちょっとお伺いしたいと思います。
 現在の平成三年度の国民の負担率三八・七%ということでございまして、これが大体上昇機運にあるということでございます。平成三年度の予算の厚生省の社会保障費が約十二兆二千百二十二億円余りでございまして、一般歳出の中で占める割合が一七・四%でございます。このような枠の中でかなり高額な枠をとっているわけでございますけれども、この社会保障の財源というものについては経済成長のパイの上に成り立っているというふうに思います。日本経済も一時の高度成長から低成長の時代になり、そして一時は大変な不景気になったんですけれども、現在は四年以上続く好景気に支えられているということになっております。
 しかし、国の財政事情が百六十七兆円の赤字を抱えているというような状態を踏まえまして、やはり社会の活力を失わない程度の負担のあり方を考えるべきではないかと思います。それは現在の時点で考えることも大切でございますけれども、今後将来にわたって、かなり先を見てそのような計画を立てて社会保障の水準を確保するための対策を考えるべきであると思いますが、その負担の目標として今五〇%以下、ピーク時ですね、三十年後の高齢化のピーク時でも五〇%以下にしようというふうなことが言われているわけでございます。その辺の水準についての御見解についてお伺いをしたいと思います。
#97
○公述人(古川孝順君) なかなか難しい問題でございますけれども、要点は、その数字というふうに最後におっしゃっておりましたが、私も負担ということにつきましては、当然負担すべきは負担すべきというところであろうと思うんですね。ただ、その負担のさせ方をどうするかということについては若干議論があってもいいのではないかという気がしておりまして、これは社会的に負担するというやり方もございますし、場合によってはその御本人がといいましょうか、利益を受ける者が負担をするべきだという考え方もあろうかと思います。全体としては、社会的に負担をすべきということよりも、どっちかというと利益を受ける人本人の負担がもっとあってもいいのじゃないかというような方向に向いてきているように思います。
 その点に関して言いますと、私は全体としてはもうちょっと社会的に負担をするという方向があっていいのじゃないかなという気がしておりまして、その五〇%、全体ならして五〇%が適切であるかどうかということについて、適切であるともないとも言う基準はこれはないわけでございま
す。結局、これは国民全体がどの程度で合意するかというところにかかっているわけで、たまたま外国の場合には日本より高いところがあると。そこでは合意が成り立っていて、しかも日本より高いところが社会的に活力がなくなっているかというと必ずしもそうでもないようでございますので、活力のあり方をどう考えるかということもあろうかというような気がいたします。
 ですから、数字だけで判断をするということは大変難しいような気がいたしますけれども、ちなみに申し上げますと、五〇%を超えてもいいのではないかというふうには思うんですが、これはそういう合意がどういうふうにして国民の中にでき上がるか、どういうふうにしてつくり上げるかということとの対の問題でございますので、単に数字だけというわけにはいかないのじゃないかというふうに思っております。
 余りお答えにならないお答えで申しわけございませんけれども、以上でございます。
#98
○石井道子君 それから、ちょっとお話が出ておりませんでしたけれども、現在出生率が大変下がっております。それで、このままほっておきますと百年後には今の人口の半分になってしまうのではないかと大変心配をされているわけでございます。高齢化が進行するということはそれだけ子供の数が減っていく、若い方の数が減っていくということになるわけでございますから、今のうちにやはりこの点について何か手を打つ必要があるのではないかというふうに思います。今まで国会の方でも政府の方でもいろいろ考えまして、育児休業制度とか保育所の対策、児童手当の引き上げとか、あるいはさまざまな対策に取り組んできているわけでございますけれども、福祉制度の安定した確立が高齢化社会を担う若い方々の問題として重要ではないかと思います。その点についてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
#99
○公述人(古川孝順君) 一・五七ショックとかという言葉すら出てきているようでございますけれども、確かに出生率が減ってきておりますので、比率からいいますと将来大変なことになるということだろうと思うんです。
 ただ、私は子供の問題にも関心があるんですが、何か高齢化社会との引き合いで子供の問題を出されるということについては私はちょっと腑に落ちない点も若干ありまして、将来の高齢化社会を支えるための子供というような発想というのは私は余りしたくないというふうに思っておりますが、もしそういう形で子供の数をふやさなければならないということで何らかの施策がつくられていっても、これは私が産むわけではありませので私がどうのこうの言うような問題でもないかもしれませんが、そう簡単には子供を産んでくれないんじゃないかなというような気がするんですね。
 児童手当が果たして出生率を引き上げることに効果があるかどうかといったようなこともいろいろ議論があるわけですけれども、ただ、何といいましょうか、子供を産めるような環境整備をもうちょっとやらなきゃならないという面があるんじゃないかと思うんですね。それはもちろん育児休業も結構でございますが、できればその際、賃金をカットするとかなんとかということではなくて、もうちょっと賃金を出してもらえるような形で育児休業制度を具体化していただくとか、何かもう少し安心して子供が産めるような、そういう状況をつくっていくということが必要じゃないかなという気がいたします。
 そして、これは私にとっても大変切実な問題ではありますけれども、児童手当の関連で申し上げますと、確かに三歳まで大変だという面もあるわけです。しかし、三歳過ぎてからの方がはるかに大変でありまして、高校教育、大学教育ということになりますと大変な負担を強いられるわけですね。やはりそのあたりまで見通して考えていただくということが必要じゃないかという気がするわけです。
 そこまで考えますと、子供を産まない症候群とかいろいろあるようでございますけれども、そうなりますと、やっぱり子供を産む人たちと、それから子供を産まないというか産みたくないという人たちとの間の、何といいましょうか、負担のバランスをどうするかといったようなことも考えなきゃならない。子供を持たないで社会に貢献するというそういうあり方ももちろんあるわけだろうと思いますので、その場合には、しかし子供を持っている人にはそれ相当の負担を引き受けるということを前提にそういう道を選んでいただくということが必要じゃないかと思いますので、そうした多様な利害集団のバランスをならしていく、その中で子供の問題も考えていくということが必要ではないか。しかも、それは将来の高齢化社会を担うための素材としてというのじゃなくて、子供自身のために、結果的には子供が担うわけですけれども、子供自身のためにそうであってほしいというふうに思っております。
 以上でございます。
#100
○石井道子君 どうもありがとうございました。
 それでは、佐藤公述人にお伺いしたいと思いますが、生活関連の社会資本整備の問題ということでございまして、今回平成三年度の予算編成におきまして、公共事業費につきまして新たに生活関連重点化枠として二千億円が設けられたわけでございます。これは公共事業の十カ年計画の中の一部にすぎない、四百三十兆円の一部にすぎないわけでございますけれども、このような予算の配分がされたということは初めてでございますから、画期的なことではないかと思うわけでございます。
 今後、高齢化社会の到来を間近に控えております我が国でございますから社会資本は急務とも言えますし、その中でも国民生活に関連の深い生活関連の整備ということはますます充実していかなければならないと思っております。このような重点化枠をさらに拡大して国民の期待に一層こたえていくことが必要であると思うわけでございます。
 この配分の方法とか、またこの配分の仕方を都市と地方とどのように配分をすべきでしょうか。これは今一極集中の是正とか多極分散型国土形成というようなことが言われておりまして、やはり地方もある程度都市部と並んで格差が是正できるような社会資本整備のあり方が重要ではないかと思っております。そのようなことについて御意見を承りたいと思います。
#101
○公述人(佐藤光雄君) 第一番目は、おっしゃられたように、二千億円というのが初めて設けられたことは大変国民の皆さんにとってもいいことだと思います。また、二千億円のうち下水道とごみ処理で約千三百億円、これが厚生省また建設省につけられたということも、国民生活の実態の要求の政策順位としては私は当然だと思います。しかし、四百三十兆円、向こう十年間向かっていくわけですが、その公共投資の額に比しまして初年度二千億円というのはいかにも少な過ぎるのではないかという印象は先ほど申し上げたとおりです。
 それから、格差の問題についても、おっしゃるとおり一極集中があってはならないと思いますし、先ほど北海道新聞の世論調査の実態も一部お話し申し上げましたが、一極集中が大変心配だというのは地方自治体関係者のすべからく危惧している点でありまして、地域のニーズにこたえた、過疎過密が進行しないようなそういう公平な配分がされるように、そのためには地方交付税や補助率の改定も、地域の切実な要求にマッチしたそういう配分がされるような御努力がこれからされるべきではないかと思います。
#102
○石井道子君 ありがとうございました。
 以上でございます。
#103
○堂本暁子君 きょうは本当にお忙しい中、古川公述人、それから佐藤公述人、ありがとうございました。
 私は、まず福祉の問題から伺いたいのですけれども、きょう最初に古川公述人が言われました普遍化の中で、救貧的な福祉からだれでもが受けられるようなそういう福祉への軌道の変化と申しますか、時代にマッチした福祉への転換、そういった中で、ややもすると、今まで厚く福祉のサービ
スを受けていたと申しますか、むしろ福祉を一番必要とした低所得層、今でも私は、その低所得層が可能な限り早く、しかも厚く、そして必要な福祉を速やかに受けられるべきだろうと思うんです。やはり福祉を一番必要としているのは所得の少ない層だろうと思っています。
 そういった今回の高齢者福祉のあり方の変化の中で、こういった低所得層が置き去りにされると申しますか、ないがしろにされるということ、これは私どもが一番おそれもし、危惧も持ち、そして実際に一年たってそういった実例も聞くわけなんですけれども、こういった弊害と申しますか、こういった盲点と申しますか、そういったものを取り除くためには具体的にどのような改善の方法が必要だとお考えでしょうか。
#104
○公述人(古川孝順君) これまたなかなか難しい問題でございますけれども、全体としていえば、先ほども申し上げましたように、高齢者の問題あるいは障害者、子供もそうだと思いますけれども、経済的な理由のいかんにかかわらず必要なサービスを受けられるようなそういう仕組みをつくっていく必要があろうかというふうに前提としては思っているわけでございます。ただ、その過程で、普遍化していけばいくだけ従来の貧困層あるいは低所得層がどうしてもなおざりになるような結果になってしまっているということ、これは何とか対応策を考えなきゃならないことではないかと思っております。
 ただ、ここで詳しいデータを持っているわけではございませんけれども、全体として言いますと、ここのところ我が国の社会では、所得の上の方と下の方の分布を調べてみるとどうもだんだんと下の方が多くなってきているという、決して貧困は少なくなっていないのじゃないかという両極分化があるのじゃないかという指摘がなされているわけでございます。福祉サービスが所得の多い少ないにかかわりなしに提供されるという仕組みになっていきますとそういう問題がまず忘れ去られてしまう可能性があるということで、しかしその点をどういうふうにするかということになりますと、これは基本的には所得の再分配をどうするか、そういう問題を取り上げざるを得ないということになろうかと思うんです。
 それを前提にしながら、もう一つの問題としては、その普遍化をするということになりますと、これも議論のあるところでございますけれども、やはり受益者には受益に見合う負担をさせるということが必要になってきているわけでございます。もしそういう方式でやるとすれば、やはり低所得階層の人たちに負担能力をどういうふうにしてつけていくかという、これは先ほどの所得の再分配の問題につながるわけでございますけれども、そういうようなやり方が一つ考えられると思います。これは税制上の問題としてやることもできるでしょうし、あるいは場合によっては福祉サービスに保険的な仕組みを持ち込むというような案もあるようではございますけれども、いろいろと方法は考えられるだろうと思うんです。
 もう一つは、より具体的には、いわゆる低所得層と言われている人たちの部分について費用の負担の軽減を図るということが必要ではないかという気がいたします。同じ金額であっても低所得の人ほどその負担感というのがどうしても大きいわけで、またある程度は逆進性があることも事実であるわけです。負担能力のある人から見るとそれほどの額でないようであっても、しかし、生活保護を受けるほどではないけれどもその日の生活に追われているという人たちにとってはかなりの負担になるということがあるわけでございます。
 ですから、そのあたりの部分をどの辺で線引きをするかという問題がまた別にございますけれども、やはり低所得層くらいまでは費用の負担を可能な限り引き下げる、そのあとは負担能力のある人にはある程度負担をしていただく、また負担を自分の問題として考えてもいくべきではないか、そのことを通じて制度全体を生かしていくという、そういう考え方が必要ではなかろうかというふうに思っております。
 以上です。
#105
○堂本暁子君 次に、先ほどおっしゃいました施設収容型から在宅というのが今の高齢化社会への日本の対応であるというお話の中で、家族のいる場合とそれから家族のいない場合、日本の場合には家族がいる場合の介護が前提になっているのではないかと。いずれは介護者がいない――核家族が非常に多いわけなんですけれども、そういった核家族の一人が欠けた場合単身になっていく高齢者が非常にふえておりますが、そういった中で家族を前提としない福祉のあり方がやはり必要なのではないかというお話がございました。この中で二つのことを伺いたいと思うんです。
 今大変に要求されているホームヘルパー、十年間で十万人、そしてことしは五千人という数が具体的に出ていますけれども、そのホームヘルパーがマンパワーとして足りない。それだけではなくて、そこにもう一つ問題があるのではないかという気がいたします。臨時雇用という、そういった身分保障がない、それが一つ問題なのではないか。やはり本当に在宅で高齢者福祉をやるのであれば、そういったマンパワーの、働く人の側の条件はどうあるべきなのかということが一つ伺いたいことです。
 それからもう一つは、先日スカンジナビアに行ったときに思ったんですけれども、在宅といっても在宅のためのあらゆる多様な要件がそろっているような気がするんです。例えば住宅でも車いすで自由に出入りできる。それから給食のサービスがある。どこかに出かけたければ交通の便もすぐに世話ができる。緊急のベルはついている。ですから、在宅の場合に、直接の福祉じゃないんですけれども、そういったいろいろな福祉の周辺の領域が非常に整っている。だからこそ、先ほど負担率が五〇%云々というお話がありましたけれども、それだけの税を納めても、どんなに貧しくてもどんなに富んでいても一〇〇%きちんと福祉を受けられる保証があるということがやはりとても大きいと思うんです。
 それに引きかえ、先ほどの地域福祉への転換の中で、もしかしたらこれは、例えば臨調行革なんかの中で公務員をふやさないというようなことがあるがゆえにほとんど臨時雇用。そういたしますと、一方では確かに地域福祉の方が収容よりはいいのかもしれないんですけれども、それのための十分な要件と申しますか、後ろ盾がそろっていない。人的にも、それから住宅、食べること、あらゆる意味で、例えば医療の問題なんかもありますが、そういったいろんな周辺事情がそろっていない。この辺はやはり高齢者福祉の場合にはないがしろにできないところではないかと思いますけれども、先生はいかがお考えでしょうか。
#106
○公述人(古川孝順君) まず最初の、臨時雇用という言葉をお使いになりましたけれども、これはどういうふうに理解をすればいいかという気がいたしますが、私流にお答えをさせていただきたいと思いますけれども、ヘルパーさんは確かに足りなくて、場所によっては、ヘルパーサービスを請け負っている社会福祉協議会の職員が団地の郵便ポストに一週間一回、何といいましょうか、求人票を配って歩くという、そういうふうにしなければ集まらない。そういうふうにして集めて登録をしても、実際には仕事をしていただけるかというと必ずしもなかなかそうではないといったようなことがございまして、ヘルパーサービスに対する期待は非常に大きくて、かなり活用され始めております。され始めているだけに、マンパワーをどういうふうに確保するかということは大変困難な、大きな課題になってきているということでございます。
 しかし、ヘルパーも、先ほどもちょっと触れましたけれどもいろんな人たちがいて、いわゆるフルタイムの公務員の方もおられるし、それこそ臨時で登録をしておいてやるという方もあるし、中間的な方もおられるでしょうし、というようなことでございます。ただ、必要とされるであろうと思われるヘルパーの全体を例えばフルタイムの公務員で埋めるということは、これはもちろん一方
においては公務員をふやさないという方針がとられていて実際にそんなことを期待してもだめだという面もありますけれども、しかしそのことはおくにしても、やっぱり全体を公務員として確保するということは、これはなかなか難しいであろうと思われます。
 また、勤務の態様からしましても、九時から五時までという形でのヘルパーでは余り意味がないという部分もございまして、どうしてもそれ以外の時間、これからは恐らくそれ以外の時間の方が需要がふえてくるといったようなことも考えられます。そうすると、公務員という形をとるにしても、九時から五時までの公務員ではなくちょっと違った勤務形態を認めるということをやるという、そういう方向をとらざるを得ないのではないかというように思っております。そういうものを臨時雇用というのであれば、これはそうした方向もあり得るのではないかというふうに思っているわけです。
 ただ、これは、もちろん賃金ということもございますけれども、社会保険の適用の仕方をどうするといったようなこともありますので、なかなか難しい問題があろうかという気はします。しかし、ホームヘルプの仕事を安定させてやっていくためには、臨時雇用が公務員であるか、あるいはもっと違う形も、第三セクター的なこともあり得るだろうとは思うんですが、そちらの方で臨時雇用するにしても、やはり身分的な安定ということについては十分な配慮が必要ではないかというような気がいたします。
 それからもう一つ、ちょっと外れるかもわかりませんけれども、ヘルパーさんなどのお話を伺っておりますと、もちろん賃金が低いということもあるわけですが、もう一つは、仕事をしていく上で非常に困難な立場に置かれることが多いわけであります。
 といいますのは、仕事をしている場所が他人の家庭の中であって第三者の目が届かないところであります。しかも、そこでサービスを期待している人にもまたいろいろな人がおられるわけで、何か期待と違った、ヘルパーさんも期待しているところと違う仕事になってみたりするということもあるし、逆にサービスを受ける側がとんでもない誤解をしているというようなこともなきにしもあらずでありまして、むしろそういうサービスを受ける人たちとヘルパーさんとの間のトラブルであるとか、あるいはまた、他人の家庭に入っていっていろんなことを見聞きするわけで、しかもそれは守秘義務ということが強く求められているわけですね。そうすると、だんだんたまっていくという面もあるわけです。そういうものをどこで処理するかという、そういう仕組みが全然ないんです。
 もちろん、ヘルパーの派遣を希望する人は役場なりあるいは福祉事務所なりあるいは社会福祉協議会なりに申請をして、そしてそこで一定の審査をして派遣がなされるわけですけれども、その派遣をする側にいる人たちが、ヘルパーさんたちの仕事の上の悩みといいますか、そういうものまでちゃんと受けとめて、そして利用者とヘルパーとの間をうまく取り持っていくその能力があるかというと、残念ながら、まだ全体に経験が浅いということももちろんあろうかと思いますけれども、現状ではなかなか難しい。そうすると、もう二度目は嫌だというようなことにもなってくるわけです。
 したがって、単に労働条件ということだけではなくて、仕事の、ヘルプサービスの全体の供給の仕方をもうちょっと考えていく必要がある。そして、そこにはかなり手なれた手だれの人を配置する。単に事務的な仕事ができればいいということではない。ヘルパーのカウンセリングをやるというようなことすら場合によっては必要になってくるわけですね。そういう人たちを十分に配置し得るかどうかということが大変重要ではないかというふうに思っております。
 それから、在宅でサービスをやるということについては福祉の領域だけで足りるということではない、御指摘のとおりであります。そのことにつきましては、今回の八法改正の中でも医療、特に保健との連携ということはかなり具体化をされるように、そういう改正が行われてきているわけですね。保健計画と福祉計画をうまくドッキングさせて全体の計画をつくるようにといったような指摘がなされているわけですけれども、ただ、連携というふうに考えますと、もうちょっと外の、特に先ほど御指摘の住宅の問題は大変重要なことではないかという気がいたします。
 特に、日本の場合には車いすで家の中を自由に動けるというようなつくりには初めからなっていないわけですね。寝たきりが多いというのはそういうこともあるいはかかわりがあるのじゃないかという気がいたします。ベッドからよいしょというふうに立ち上がるのと座っている状態から立ち上がるのでは相当エネルギーも違いますし、それから、何といいましょうか、立ち上がり方もいろいろと違ってくるのではないかという気がします。
 そういうふうに考えますと、住宅を、単に数があればいいということだけではなくて、もちろん最近は老人がアパートを借りるときには大変難しいということもありますから数も必要だと思うんですが、そのことに加えて、車いす等で利用できるようなそういう構造の住宅をつくっていくということがやっぱり必要ではないかという気がいたします。特殊浴槽などを入れて利用しようとすると、鉄パイプを部屋の中に組み立てて、そこに滑車を取りつけてといったような大改造をしなきゃならないということがありますので、そうしたことも我が国にとっては在宅福祉を難しくしている要因の一つではないかというふうに思われます。もちろん道路等も含めてそうした環境的な整備が一方で行われていくという必要があろうかと思われます。
 以上でございます。
#107
○堂本暁子君 今先生からヘルパーのカウンセラーも必要ではないかというようなお話がございました。これも北欧のことになってしまいますけれども、例えば、医師と看護婦とへルパーさんとそれからカウンセリング専門の方と四人か五人でチームを組んで最初に訪ねていって、そこの一人の老人に対しての福祉計画というようなものを立てる。こうこうこういうことをしなさい、医師は週に一回行くとか二週間に一回行くとか、それから看護婦さんは週に一回行くとか、ヘルパーさんは朝何時に行っていつどういうふうにしなさいというふうな計画をまず立てるということを聞いたんですね。
 私は、その個人個人、老人にとってのそういう固有な在宅での福祉のあり方もそうですし、それから一つの自治体にとってそういった、それじゃヘルパーさんと看護婦さんとそれからどこどこのドクターにどう頼むというような福祉全体の行政立案能力みたいなもの、それがこういうふうに地方に分権、移譲された場合にどうしても必要だと思うんです。先生は長いこと福祉の教育に携わってこられて、果たしてそういう福祉行政の立案というような専門分野が実際にどんどん教育されているのかどうかということを一つ伺いたいんです。
 それからもう一つは、先ほど在宅介護のあり方の中で、共通のサービスとか基礎のサービス、いわゆるナショナルミニマムが確保された上にその地域の多様性が必要なんだということをおっしゃいました。どうも今、むしろ地方格差、地域格差が生じていてこのナショナルミニマムが保障されない危惧を感じるんですが、もしかしたらそのナショナルミニマムをきちんと確保するためにもそういった福祉行政というようなことが必要だと思うんですね。その場合には市町村のレベルでどういうようなことが行政の内容として必要なのかという、その二点を伺わせていただきたいんですが。
#108
○公述人(古川孝順君) 第一点は、私も教師の一人で何かお答えをしにくいようなところがございますが、現在のところ、先ほどおっしゃったような、何か最近の言葉で言いますとコーディネー
ターとかというような言葉で表現をしているようでございますけれども、そのことを意図して社会福祉教育の全体が組み立てられているかどうかということであれば、まだ残念ながらそこまではいっていないと思います。むしろ、従来の社会福祉の職種を前提にして教育が行われてきたというところだろうと思うんですね。
 ただ、先ほども触れたところでございますけれども、社会福祉士の資格ができましたので、その社会福祉士の業務として想定されているところは、そのコーディネーターといいましょうか、そういうもののようでありますので、それをいかにして具体化していくかというその取り組みをこれから始めなければならないのじゃないかというふうに思っております。
 ただ、これは実態でそういう仕事が現に行われている、それを十分に観察するなり調査するなりして分析をして、そしてまたそれを教育に組み立て直すという作業がございますので、なかなか御指摘のようなところに一挙にいけるかどうかわかりませんけれども、我々としては、研究の面でも教育の面でもその方向を目指して取り組みたいというふうに考えているところでございます。何かいい案がありましたら、あるいはいい実践をなさっているようなところがあればお教えをいただければというふうに思っております。
 それから、後の問題、これはちょっと私はとてもお答えできるようなところではございませんけれども、確かに共通する部分あるいは基礎的な部分、それをどういう形で設定するかというのは、サービスのメニューとしてやるというやり方もあります。それも一つの方法ですが、それと同時に、御指摘のようにむしろそこに専門家をちゃんと得て、そして地域の自治体における行政がちゃんと福祉サービスの目的に沿った形で動かせるようになっていくかどうか、そこでミニマムを設定するというそういうやり方も確かにあろうかというふうに思います。
 一番効果的で、しかもその方向に一歩踏み出す、地域福祉型の社会福祉の実現に踏み出すという意味では、まさに市町村のレベルにそういう意味での専門家をぜひ置いていただきたい。それは行政的な能力ももちろん必要でございますし、場合によっては、何といいましょうか、財政がわかるということも必要であろうかと思うんですね。
 ですから、いわゆる社会福祉の狭い意味での専門家をそこにすべて配置してそこから動かさないというやり方がいいかどうかということについては若干検討の余地があって、私はオリエンテーションとしては、そういう教育を受けた人、そしてまた生涯それでやってもいいという人を入れていくのが望ましい。ただし、入れた後は少しあっちこっち回して、行政のいろんな側面について理解し得るようなそういう経験を同時に持たせていくというやや長期的な展望を持ちながら、専門職として設置をしていただける。しかも、医学的な部分ですね、保健等についてある程度わかるという大変欲張りな設定でございますけれども、何かそうしたものをぜひ実現させていただければというふうに思っているところです。
 余りお答えになりませんけれども、以上でございます。
#109
○堂本暁子君 外国を見ますと、やはり在宅福祉というのは非常にお金がかかると申しますか、一カ所で収容しているいわゆる特養のようなところに比べるとはるかにお金がかかる。食事を一つ運ぶにしても、それから入浴のサービスにしても、どこかまでお連れするというようなこととか朝起こしに行くとかいろいろで、事によったらむしろ地域福祉の方が好ましいとは思うんですけれども、やはり財政的には大変に経費のかかることだろうと思うんです。
 それが今の家族の介護を前提にしてヘルパーさんが週に二回行くとかそういうことですと、十食分、三日分つくって帰ってくるというような、そういうことを今やっているわけですが、そういうようなことだと本当の意味の福祉ではなくなってしまうのではないか。そういう意味で今いささか安上がり福祉というようなことも言われていますけれども、そういった財政面で地域福祉という問題をお考えいただくと、福祉の専門家、制度の専門家からはどう見ていらっしゃるか、それをお伺いいたします。
#110
○公述人(古川孝順君) 私の率直なところを申し上げさせていただきますと、在宅サービスの方向へ大きくかじ取りがなされる段階では、多分そちらの方が安上がりだという発想がいろんなところにあったのではないかというふうに私は思っております。
 ただ、在宅福祉というのはそれじゃそれだけの意味でその方向がとられたかというと、やはりそうではなくて、それ以前の段階から、特にコミュニティーの問題等が出てきた日本で言いますと四十年代半ば以降そういう方向が徐々にあって、それがオイルショック以後の経済的な混乱の中で、どうも安上がりではないかという方向に傾斜してしまったのじゃないか。あえて言えば、さらに日本型福祉社会論などというものと結びついてしまって、いかにも安上がりというような話になってしまったのではないかという気がするわけでございますけれども、恐らく実際には、本当に在宅サービスを実現しようと思えば施設に収容するよりははるかにお金がかかる。
 施設の建物をつくるのはお金がかかりますけれども、一度つくればある程度はもつわけでございます。在宅サービスというのは皆これは人間が支えるわけで文字どおりマンパワーですから、一番お金がかかるところだろうと思うんですね。
 もちろん、先ほどから何度も申し上げておりますように、そのお金をどういうふうに負担するかということについてはいろんな考え方があって、それは議論の余地があるだろうと思いますけれども、ただやっぱり福祉サービスを在宅でやろうと思えば金がかかるということは改めて認識をしていただいた方がよろしいし、その上でその方向を目指す。そのときに、どういうふうに費用を負担するかという問題提起をしていただければというふうに思っております。
 ここ数年間は、単に安上がりということではなくて、やはりもうちょっと違った福祉の論理といいましょうか、新しい福祉の理念といいましょうか、そういうものを意図しながら改めて地域福祉型で考えていこうというそういう機運が若干出てきているように思いますので、これをぜひ育てていただきたいというふうに思っているわけでございます。
 以上です。
#111
○堂本暁子君 それから最後に、実際に窓口でいろいろな福祉を受けようと思う人がちゅうちょしてしまう。それがやはり今おっしゃった本当の意味での地域福祉、そういった市町村に措置権が移った今の状況の中で、何というんでしょうか、市町村は近いんだから分権がいいんだということですけれども、近くへ足を運んで、おばあちゃん大丈夫なの、おじいちゃん大丈夫なの、何か必要なんじゃないのと言わなきゃいけないのが、逆にむしろそこで言えないで福祉を受けられないという状況があるような気もいたします。その点を最後に伺わせていただきます。
#112
○公述人(古川孝順君) 御指摘のようなところがなきにしもあらずのようでございます。これは特に窓口に座っている人たちだけの問題ではなくて我々全体がそうでございますけれども、福祉サービスが特に生活保護と結びついて発展をしてきたということもございまして、やっぱり貧しい人たちとか特別にサービスが必要な社会的な不利益を持っている人たちに対するある種の偏見みたいなものがあるように思うんですね。
 そういうものが例えば財政的にある程度引き締めなきゃといったような課題と結びつくと、窓口での対応がかなり抑制的になってしまうという。生活保護でも本来は申請があれば受け付けるべきところを、申請を受け付ける前の段階で面接をして、その段階でお引き取りをいただくというようなことが実態的には行われている。そうした面については、福祉サービスの窓口についても類似の
ことが言えるのじゃないかと思いますので、これはぜひ改めていくべきところではなかろうかというふうに思っております。
#113
○堂本暁子君 佐藤さんにもいろいろ伺いたいことがあったんですが、時間が来てしまいました。きょうおいでいただいたことを感謝して、終わらせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#114
○片上公人君 古川先生にお伺いいたしますが、現在高齢者の福祉につきましては、政府の方は在宅福祉を中心に進めておるように思うわけですね。先ほどから話もございますように、最近では、女性の職場への進出ですか、そういうことも含めまして世帯の構造が変化しておる。なるほど、家庭の介護といいましても相当これは限界があるんじゃないか。まして政府の政策では、在宅福祉の前提とも言えますところの住宅政策というものがないわけですね。このような状況では、在宅福祉よりもむしろ国、自治体の責任による公的な介護を進める必要がある、こう考えるわけでございますが、先生の御意見を伺いたいと思います。
 そして、あわせまして、高齢者、障害者のための公的住宅の役割についてどのように考えていらっしゃるか、伺いたいと思います。
#115
○公述人(古川孝順君) 住宅の問題は先ほどちょっと取り上げさせていただいたわけでございますけれども、住宅が整備されているということはこれはもう在宅福祉でいく場合にはその大前提でありまして、その部分がちゃんとしていなければ、場合によってはアメリカなんかで一部見られるように、病院からは解放されたけれども行くところがなくて路上で寝泊まりをするといったようなことが、日本ではまだそういうような状況は見られないようですけれども、そういうことにもなりかねない。
 これはぜひ住宅を、特に先ほどちょっと触れたところですけれども、お年寄りがアパートを借りるということになるとなかなか貸してくれないというふうな問題がありますので、これは一歩間違えれば路上で生活をする人たちをつくりかねないというところがございますので、御指摘のようにこれはぜひ住宅の確保をしなきゃならぬ。しかも、この住宅というのは言ってみれば形を変えた所得でありますので、そういう意味では大変重要だというふうに思っているわけでございます。
 それから、公的な介護が必要だということは私もそのとおりだというふうに思いますけれども、ただ、その公的な介護をする場合にどういう仕組みでやるかということについては、若干いろいろと議論の余地があるのではないかという気がしております。公的な介護ということの意味を公設公営でフルタイムの公務員を使ってすべての介護をやるというふうに設定をしてしまいますと、これはなかなか難しいのではないかというように思っております。私は必ずしもそういうシステムでなくても、公的な責任を確立をしていくというそういうあり方があるのではないかというふうに考えているわけでございます。
 単に第三セクターが安上がりだからとか、あるいは生協や農協にやっていただくと利用する方も利用しやすいというような声もありますけれども、そういうものももちろん必要でございますが、そういうものの全体を通じて必要なサービスがちゃんと手に入るようなシステムを、それこそ公の責任、さらに言えば行政の責任においてつくるということが私は行政にとっての重要な課題ではないかというふうに思っているわけでございます。
#116
○片上公人君 先ほど来のお話を聞いておって思ったんですが、マンパワーの問題、これは大変な問題でございますし、三K、五Kの問題もございましたけれども、学校の教育ですね。例えば普通高校で、いわゆる特殊に云々じゃなしに、普通の教育の中にそういう福祉のことを入れて既にやっている学校も二、三あるみたいに聞いていますが、実習とか何かそういう形を取り入れまして、子供の非行化の対策のためだけじゃないですけれども、そういうことも含めて、どうせ普遍化しなきゃいかぬ問題ですから、そういう基盤をつくるために教育に早目のうちから福祉の問題を取り入れるというふうな考えについてはどうでしょうか。
#117
○公述人(古川孝順君) 私も同意見でございまして、ぜひそういう方向をとっていただきたいと思っております。
 さらにつけ加えますと、最近兄弟の数が少ないものですから子供の面倒を見たことがないとか、そういう青少年がたくさんいるのですね。極端なことを言うと、自分で子供を産んで初めて赤ん坊に接したなんというお母さんがいたりするわけです。そういうふうな人たちにとっては、例えばこれは実際に行われた例があるようでございますけれども、乳児院等に実習というよりもまあ遊びにいらっしゃいという形で始まったようでございますが、そういう場所へ出入りさせて、そこで実際に赤ん坊を自分で抱いて、そして場合によってはおむつの交換をさせるとか、あるいは障害児等についてもそうですけれども、何かそういうようなことが、単に福祉に対する理解を深めるということ以上に、それも深めさせながら同時にそういう体験を持たせていくということですね。
 逆にお年寄りの施設については、これは今核家族化がだんだんと進んでまいりましたのでお年寄りのいる家庭がだんだん少なくなってまいりました。お年寄りのそばへ行くと、やれにおいがするとかいろいろ言う子供がいるわけでございますね。そういう場合にもやっぱりそうした経験、老人ホーム等へ単に慰問に行くということではなくて、もうちょっと中身のある接し方ができるようになれば、ひいては全体の社会福祉といいましょうか福祉社会というのでしょうか、そういうものをつくり上げていく大変重要な第一歩になるのではなかろうかというふうに思っております。
#118
○片上公人君 ありがとうございました。
 佐藤公述人にちょっとお伺いいたしますが、この生活関連の社会資本整備ということですけれども、当然それを利用する生活者のニーズを把握することは不可欠だと思うわけですが、生活者といいましても男性も女性もお年寄りもおるし、また住む人もおれば働いておる人といったふうに立場はさまざまでございます。その要望をひとつ取り入れまして、本当に生活のしやすくなるような社会資本の整備というものは何なのか。ということは何が必要なのかということですね、まずこの基本的な考え方を承りたいと思います。
#119
○公述人(佐藤光雄君) 教育や福祉、暮らし、これが実際に保障される、地域で生活が保障される、そこにあくまでも基本を置くべきだと思います。そのためにはあくまでも住民の皆さん方の要求を正確に把握すること、その方法はさまざまあると思いますけれども、地方自治体で、また住民団体でそれぞれが積極的にそういう取り組みを行うことによって、その世論の反映としてこれが予算の中に具現化をされていく、そういうこと。つまり、地方自治体にそういう形が真に保障されるということが大前提ではないかと思うわけです。
 したがって、私、最初公述のときに強調させていただきましたように、大規模プロジェクト、これも必要でありますが、しかし今こそ復元をしなくてはならないのは、暮らしや福祉にかかわる、今では恒久化されようとしている生活や福祉の復元だとか、先ほどホームヘルパーの話がございましたが、これだとて国が三分の一、県が三分の一、そして市町村が三分の一というふうな補助対象になっていますが、市町村はお金がありませんで三分の一の負担が大変だから、自治体として県に、国に要求はしにくいというのもまた実態であります。
 そういった意味では、そのような制度そのものを根本的に変えていく。つまり日常の生活にかかわる、密着をした、そこにこそ私は予算をつけるべきではないかというふうに考えています。
#120
○片上公人君 ありがとうございました。終わります。
#121
○吉岡吉典君 佐藤公述人にお伺いします。
 今お話しになりましたように、自治体による福祉犠牲のため込み主義が大きな問題になっている一方、それらのお金などを使って民間活力型の開発が進められ、その結果、自治体が民間大企業の下請化され、生活関連の事業のおくれや環境問題、地価高騰などの問題が生じています。こういう民活型の公共事業の弊害について佐藤公述人はどのようにお考えになっているか、お伺いします。
#122
○公述人(佐藤光雄君) 臨調が開始されてからちょうど十年目になります。特に中曽根内閣以降、都市再開発や公共事業分野での民間活力政策が政府の経済政策の中心的な柱として推進をされてきたと考えます。それは、自立自助の名のもとに福祉や教育、医療などを切り下げ、国民に犠牲と負担を押しつけたことによって積立金をため込んだ一方で、適切な規制のもとでせっかく計画的に進められるべき都市整備、地域開発を大企業の手にゆだね、都市の健全な発展を著しく阻害した。その結果は、地価は全国的に急騰し、東京への一極集中、全国の過密過疎がさらに進行して、地域社会と自然、生活環境を深刻なものにしてきたと考えます。
 民活の名で野放しにされた大企業の土地買い占めが生み出した地価暴騰は東京都心部から全国に拡大をして、住宅地はこの五年間で全国平均で一・七倍、東京二十三区平均で二・七倍に急騰しています。東京都の調査では都内の新築マンションの平均価格は都民の平均年収の十一倍で、勤労者のマイホームの夢は砕かれ、都心から五十キロ圏に三・六%の世帯が住宅取得をしていますが、通勤が一時間二十分で、二二・二%が通勤地獄を味わっているのです。これは都民を対象とした調査であって、実際には栃木や静岡、山梨からの通勤者もあり、事業所単位で通勤時間を調べてみると、二〇%以上の労働者が二時間以上もかけて通勤しているわけです。
 私は、民活といっても一定の定義があるとは考えられないのですが、自治体の職場では民活を履き違えて、保育園、学校給食、清掃や下水道を民間委託したことから住民サービスが低下をし、清掃などの場合には直営時代の倍近い支出を余儀なくされている都市も生まれたり、下水道事業の設計の仕事は全部を民間に委託したために行政の責任主体があいまいになっている。例は枚挙にいとまがありません。自治体での労働条件の低さも相まって技術者の応募が少なくなっています。
 今日の民活プロジェクトの代表的なものには関西新空港、東京湾横断道路や各地のリゾート開発があり、地方の民活プロジェクトでは第三セクター方式が乱立していますが、プロジェクトの予算だとか決算、事業計画、人事など重点事項が議会の関与から外されて結局参加事業者の利益保障が最重点にされるとか、地元中小企業ではなく東京に本社のある大企業に仕事が集中する例が山ほどあります。これは決して住民本位ではなくて、リスクだけが自治体住民に負わされる仕組みです。
 私は、住民主体の町づくり、村おこし、地域と地球の環境問題に取り組めるような国や地方自治体にするためには、地域住民の参加、公開、民主主義がいかに保障されるかにかかっているのではないか、こういうふうに考えています。
 以上です。
#123
○池田治君 佐藤公述人にお尋ねします。
 先ほどのお話で、福祉行政の一部は国や県から市町村に権限が移譲されるということでございます。確かに中央集権から地方分権という民主主義の原理からいえば結構な話でありますし、住宅、福祉サービスも行政単位が小さいほど細やかな配慮ができるかと思って喜んでいる次第ですが、そのために労働条件が悪化されるということはこれまた困ったものだと思っています。特に、大型プロジェクト等も加わったりして、市町村の労働条件、賃夫されている方の労働条件が悪化するということは当然考えられるわけでございます。
 そこで、定員増加は今のところないのか。そして、労働条件は国家公務員と比べれば地方公務員はいいと聞いておりましたが、その対比の問題はどうか。そして、定員増加に見合う必要な給料その他の財源は、国家予算ということも重要でございますけれども、また市町村に各種基金を積み立てておりますので、あの十七兆という基金の利息でもっても補える程度のものじゃないかと思っておりますが、これらの点について公述人の御意見をお聞かせください。
#124
○公述人(佐藤光雄君) 原則的には、国の機関委任事務が地方自治体に移管をされ団体事務化されることは住民生活に直結する部分に仕事が移るということで、そのこと自体は大変歓迎をすべきことです。ただし、今行われている機関委任事務化、つまり社会福祉事業はすべてそうですが、結局国という機関が地方自治体に仕事を移管するその前提は、機関委任事務として国庫負担金、つまり保育園でいえば、かつては国が八割見ていました。これが五割になってしまっています。ですから、機関委任と言えないで地方自治体に責任を転嫁したんだというふうに私は言わざるを得ないと思うのです。生活保護費はかつては八割を国が見ていました。今は七割五分です。
 子供たち三人が見守る中で遺書を残して三十八歳のお母さんが亡くなりました。仕事は意欲があるが自分は疲れたと。札幌で起きた事件ですが、こういう飽食の時代にこのようなことがあっていいのでしょうか。結局、国の負担割合をここに規制したところからこういう実態が起きて、悪名高い厚生省の百二十三号通達というふうなことをもって地方自治体の福祉行政にしわ寄せが行ったというふうに私は言わざるを得ないのです。
 また、増員の問題でありますが、今地方自治体の中には、正規職員がふえないがために、先ほど不夜城のような勤務実態だというお話は申し上げましたが、臨時職員、パートの激増であります。三分の一近い人たちが臨時職員という実態は多くの地方自治体で生まれています。地方公務員法では十七条雇用は恒久的な仕事だが、二十二条の臨時的な雇用の職員だとかということが蔓延をしております。二十二条雇用の人はボーナスだって一銭も出るわけではありません。ですから、切実な問題は、正規職員を見合うだけふやすということです。先ほども六%の地方自治体の超勤枠という自治省の指導に対して実態は九%以上やっているということは、文字どおり超勤のその数だけを人数の頭割りで八時間でやってみても必要な数が出るのですが、政府がいわゆる定員抑制ということで地方自治体に対しても定数条例の増員をさせておらないということであります。
 今、議員さんがおっしゃったように、その利息だけでも人件費に回せるということになると、それは大変歓迎をすべきことだと思うのですが、申し上げたように、積立金も大きな都道府県ということで、一般的な市町村の場合にはそんな積立金はございません。
 また、賃金のお話もございましたが、三千三百ある地方自治体の中で実に七割の市町村は、国を一〇〇にいたしましてラスパイレス指数は一〇〇以下であります。したがって、決して言われているように地方自治体の賃金が高いということではありません。また、国を一〇〇にいたしましても、大都市の場合には、特に東京都の場合には、人事院すら認めていますように、こういう大変な地価高騰と住宅難、交通地獄の中でむしろ大都市手当こそ必要だというふうな状態とも言われているような中でありますから、したがって、地方自治体が一般的に国家公務員より賃金が高いというのは実態にそぐわない、そういうふうな数字の配置になっているということをこの際申し上げておきたいと思うのです。
 以上です。
#125
○寺崎昭久君 古川公述人にお尋ねいたします。
 先ほど福祉における基礎的サービスとかナショナルミニマムというお話がございましたけれども、それが一体どのような状況、状態を想定されているのかなかなか伝わってこないわけです。福祉は、施設だとか設備だとかマンパワーだとか、そういったハードの面でレベルを、水準を云々す
ることはできないと私も思いますけれども、しかし政策としてこの問題をとらえる場合には、どうしても定量的、定性的にとらえることが必要だと思います。
 そこで、例えば高齢者の基礎的サービスについて定量的、定性的にとらえるならばどの程度の水準にあるか。そういう中で何を優先して政策課題として進めるべきか、そのハードな面からちょっと御見解をお伺いしたいと思うんです。
#126
○公述人(古川孝順君) 先ほどからうまく表現ができなくて大変申しわけないんですが、何といいましょうか、ミニマムをどういうふうに理解するかということについての議論が必ずしも十分にまとまっておりませんのでなかなかそこのところは難しいわけでありますけれども、私が基礎的云々というふうに申し上げましたことは、個々のメニューの中身としてではなくて、普通一般に一定の年齢の高齢者であれば当然満たされていていい、そのレベルのニーズについて充当するということが基礎的なという範疇でとらえられるのじゃないかというふうに思っております。
 その上で、例えば痴呆があるとか、その他病気をしているとか、あるいは障害があるとかというようなことになりますと、それはやや、何といいましょうか、特殊なニーズということになりましょうか、言葉はちょっとうまく選べませんけれども、そういうものについてはその基礎的なニーズの上に積み上げていくというそういうやり方が必要ではないかというふうに思っているわけです。
 具体的に現在の状況の評価をしろというふうな御指摘でございますけれども、そこまでちょっと至りませんので、これぐらいで勘弁をしていただきたいんです。
#127
○寺崎昭久君 ありがとうございました。
#128
○委員長(平井卓志君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。
 本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 明日は午前十時に委員会を開会することとし、これをもって公聴会を散会いたします。
   午後五時十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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