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1990/04/18 第118回国会 参議院 参議院会議録情報 第118回国会 産業・資源エネルギーに関する調査会 第2号
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1990/04/18 第118回国会 参議院

参議院会議録情報 第118回国会 産業・資源エネルギーに関する調査会 第2号

#1
第118回国会 産業・資源エネルギーに関する調査会 第2号
平成二年四月十八日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月二十六日
    辞任         補欠選任
     野末 陳平君     星野 朋市君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         小山 一平君
    理 事
                大木  浩君
                中曽根弘文君
                及川 一夫君
                白浜 一良君
                高崎 裕子君
                古川太三郎君
                足立 良平君
    委 員
                合馬  敬君
                狩野 明男君
                川原新次郎君
                鈴木 省吾君
                田辺 哲夫君
                永田 良雄君
                向山 一人君
                対馬 孝且君
                角田 義一君
                西岡瑠璃子君
                浜本 万三君
                中野 鉄造君
                神谷信之助君
                星野 朋市君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        大平 芳弘君
   参考人
       社団法人流通問
       題研究協会専務
       理事       三浦  功君
       専修大学経済学
       部教授      鶴田 俊正君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○産業・資源エネルギーに関する調査
 (我が国流通構造の直面する課題と対応に関する件)
    ─────────────
#2
○会長(小山一平君) ただいまから産業・資源エネルギーに関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る三月二十六日、野末陳平君が委員を辞任され、その補欠として星野朋市君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(小山一平君) 産業・資源エネルギーに関する調査を議題とし、我が国流通構造の直面する課題と対応に関する件について、参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、社団法人流通問題研究協会専務理事三浦功君並びに専修大学経済学部教授鶴田俊正君に御出席いただいております。
 初めに三浦参考人から、我が国流通構造の直面する課題について意見を聴取し、続いて鶴田参考人から、流通分野に係る規制緩和について意見を聴取いたします。
 この際、両参考人に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。両参考人から、我が国流通構造の直面する課題と対応について忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 議事の進め方といたしましては、両参考人からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 それでは、三浦参考人からお願いいたします。
#4
○参考人(三浦功君) 三浦でございます。
 二十分間という限られた時間でございますから、前置きを省いて、お手元にありますレジュメに沿ってまず御報告したいと思います。
 私、通産省の所管の社団法人流通問題研究協会の専務理事をしておりますが、この研究所ができたのがちょうど二十三年前でございまして、いわゆる流通革命というような言葉が日本で飛び交い始めたころでございます。以来ずっとこの仕事をやっております関係上、どのように流通問題が変わってきておるかということについて、やや証人的な意味合いでお話をしてみたい、こう思っております。
 ただ、お預かりしたテーマが「我が国流通構造の直面する課題と対応」という大変大きいテーマでございますから、一体どこから話をしていいのか、ある意味ではちょっと苦労をいたしました。その中で、特に私自身の仕事とのかかわりの中で、「流通問題の今日的なポイント」というところにポイントを置いてレジュメをつくりましたので、冒頭ではほぼこれに沿って話をします。後でこの関連等の中でもまたいろいろな御質問があろうかと思いますが、知っている範囲で、わかる範囲でお答えしたいと思っております。
 まず冒頭、「流通問題とは」というところでございますが、社会問題とかあるいは都市問題とか、何々問題というふうにつく問題というのは、大体答えが出ない問題を扱うとき何々問題と、こういうふうに言い続けるわけでございまして、この流通問題というのも全くある意味ではエンドレスといいましょうか、そういう形でずっと問題が続いていくテーマのように受けとめております。
 その中で、しかしどういうことがいつも問題という中で焦点になってくるかと考えますと、多くの場合、強者と弱者、これは国際的な場合もあろうし、国内における地域の問題もあろうし、企業の大小もございましょうが、ほぼ間違いなく、強者と弱者のバランスというのを一体どうとっていくのがいいか、そしてトータルとして国の成長あるいは地域の成長にどういうふうに落ちつかすかといった問題が何々問題ということのように私自身は理解をして取り組んでおります。
 今回、今日の流通問題の焦点というのは、そういう意味合いでアメリカという国から日本に対してあれだけ大きなテーマがぶつけられてきたわけでありますが、本来あのような問題を日本の国内で整理をし切っておれなかったところにある意味では最も流通問題があるんじゃないのかというふうにさえ思うわけでありますが、それを意識して主としてこの問題の今日的な整理をしておきたいと思っております。
 私どもの研究所ができたころ、思い起こしますと昭和三十八年から三十九年ごろでございましたが、そのころの流通問題の焦点といいますのは、いわゆるインフレ対策、こういう問題が非常に大きゅうございましたし、また高度経済成長のための労働力をいかに商業、こういう方面から工業の方に回すか、こういうふうなことが大きゅうございました。また、国際自由化が進んでいくということでございますから、流通のパワーアップをどうやって図って国際競争力をつけるかということが課題でございましたが、今日の流通問題の焦点は全くすべてその三つの流通問題とひっくり返っております。いかに需要開発を流通も一緒にやっていくのかというふうな課題が課題になっておりますし、中高年齢の労働力というのをじゃ一体どう考えればいいかということでございますし、国際問題の中で考えたならばいかに輸入を拡大するかということでございまして、ちょうど二十二、三年前とは本当に全く逆転というような課題が今の流通問題になっているというふうに思います。
 流通問題の中に含まれる領域といいますのは、物価とか雇用とか、あるいは中小零細流通業者のいわゆる雇用機会の確保とか、あるいは取引習慣の問題であるとかというように、主として流通経済上の問題が長年流通問題としてとらえられてまいりました。しかし、最近の流通問題の焦点といいますのは、流通経済的という言葉を使うならば、むしろ流通社会的といいましょうか、そういう言葉に代表されるようなポイントが多くなってきたような感じがいたします。例えば、交通問題というのは一体どう考えていくかとか、シルバー社会ということの中での買い物行動というのを一体どういうふうに考えていかなきゃならないかとか、あるいは都市におけるいわゆる非行の問題とか風紀の問題と流通というのは関係ないかとかというように、今まで流通経済論として考えたときには扱わなくて済んだ問題が、今日では流通問題の課題として扱わざるを得なくなってきておるというふうに私などはとらえております。
 二番目の、ではそのようなことの中における「流通問題の今日的な課題」ということでございますけれども、今ここで大きくいって五つほどの項目を出しておきました。
 第一には、今回の焦点である流通構造の問題でありますが、流通構造ということは、最も素直に考えますと、小売業が一体どういうふうな形で増減が進み内容が変わるかということでございますし、卸がそうでございますし、またサービス業等がそうなるわけでございます。
 今実は、大店法の問題とかあるいはアメリカとの協議の問題と全く無関係に、むしろ現在の日本の流通構造は、特に小売業の減少という形で大激変の期間に立ち至っております。その変化が数字としてあらわれたのは昭和五十七年でございます。昭和五十七年以来、日本の小売業者は、それまで非常に増加でございましたけれども一転して減少ということが進み、六十三年の通産省の調査においてもまだ減少が続いておるのが実態でございます。
 その内容を見ますと、従業員二人以下、いわゆる生業的といいましょうか、中小というよりも零細小売業、これの大幅な減少が進んでおるのが大きな特徴でございます。しかし、それは減少というだけで考えるのではちょっと片手落ちでございまして、この間に非常に多くの中小小売業が生まれ、非常に多くの中小小売業がリタイアして、差し引き五十七年―六十年では九万三千の小売業が減った、こういうふうな数字になっているというところのポイントをちょっと大事にしていただきたいと思っております。今、大店法の規制という問題やいろんな問題があったといたしましても、すさまじい勢いで現在流通というのは新陳代謝を繰り返してリフレッシュをし続けておるということ、これは事実大変重要なところじゃないのかなというふうに思って見ております。
 二つ目の問題といたしまして、日本的日常生活に根ざした買物便宜性の低下という、ちょっと大げさな表現でございますが、こんなことを書いておきました。
 日本の消費者の、特にいわゆる最寄り品の日用品の購買行動といいますのは、大変日常生活に根差した形、例えば刺身の食生活みたいなところに代表されるような食生活等が土台にございますから、それに合った小売機能が必要なわけでございますけれども、今数字を見ますと、魚屋さんとか八百屋さんとか、そういう主として中小零細ないわゆる生鮮食料品店等が非常に大きく減少しております。それはとりもなおさず消費者の便宜性ということに対してもマイナスの面もまた出しておるのではないかというふうに見ます。のではないかといいますよりも、むしろこれからのシルバー社会等を考えましたときには大変大きな問題となるはずだというふうに考えております。
 三つ目に、こういった中小商店の減少ということが、人間味のあるコミュニティライフづくりへの貢献力の低下という言葉を出しておきましたが、いわゆる商店街というのは、それぞれの地域地域の政といいましょうか、イベントといいましょうか、こういうようなものをいろいろと主催していく機能をこれまで持ってまいったわけであります。これが沈下していくことによっていわゆる各地の朝市でありますとか夜市でありますとか、そういうふうな人間的触れ合いの場の機能、これが低下しているのは、これ実証例がたくさんございます。そのようなところにむしろ流通問題のまた一つの新しい芽が出てき始めたということも考えなくちゃいけないかと思います。
 その次の問題は大店法適用緩和による影響、これからの課題でございますが、この問題が流通問題の焦点だと思っております。
 本来ならば、私は大店法という法律はもう数年前にその役割を終えて次の時代の法律に変わっていてほしかったという気持ちを強く持つわけでありますが、今日までこれは継続しているわけでございます。その中において一体どういう環境がまた生じているかといいますと、著しい地価の上昇でございます。この著しい地価の上昇というふうなことがまた中小店をリタイアさせていくというふうなことが既に実証されているわけでございますけれども、これに大店法緩和によるいわゆる大型店の新設、あるいはまたプランドショッピングセンター、計画型のショッピングセンター、これはPSCというふうに略称で書いておきまして失礼申し上げました。そのようないわゆるショッピングセンターのラッシュ、これは大変な数字がございます。そういうふうなことが続いたときに、上で挙げたような機能を持っておる商店街がさらに落ち込んでいくということは、これは十分に想像がつくわけであります。そういうふうに商店街が落ち込むということは、商店街に張りついている中小小売店がまた落ち込むということでございますから、中小小売業を中心とした店舗数の減少というのはまだ今後数年間は続いていくだろうというふうに私は想像いたします。
 そういうふうになったといたしましても、その分だけ大型小売業者が伸びていくわけでございますから、大型小売業者同士の競争が有効な競争成果を上げて消費者利益に貢献していけばいいじゃないか、こういう理屈がある意味であります。私もそれは大いに期待しますし、そのとおりの形にはかなりなるだろうと思います。だけれども、経済的成果という形の中でそれは進んでいくかもしれませんが、逆に、上に挙げましたような地域社会生活的な問題、こういうようなことを考えたときには、やはりまたマイナスの側面も出てくる可能性があるだろうというふうに考えます。
 また、競争の問題というのは、大型店と大型店の競争の方が中小零細小売業者間あるいは中小零細小売業者と大型店の間の競争以上に激しいものだというふうなことも十分想像できますが、しかし、今から大型店が展開していく活動は大変固定コストを多く伴う競争でございます。土地の手当てでございますとかお店のリフレッシュでございますとか、大変固定コストを大きく伴う競争でございますから、それが一体どういう形ではね返ってくるかというようなことなども考えておかなきゃいけない今後の警戒ポイントというふうに思っております。
 今三つ目のところをちょっと申し上げましたが、二つ目のところで中堅流通業者の再編グループ化と上位集中度の上昇、これはもう十分想像できます。今大型店の売り上げシェアというのは、ある数字によりますと二七%、ある大学の先生の推定では四〇%とかなり分散しておりますが、いずれにいたしましても三割から四割ぐらいのところは本当に一握りの大型小売業で握っているというのが日本での姿であり、これは国際的水準であります。
 こういうふうなことを考えるとき、中小零細小売業者に影響がいくというだけでなくて、むしろこのような集中度の中で、地域のいわゆる中堅チェーンストアとか地域の中堅規模の小売業者というところに一番早い競争影響というのはいき、いわゆる再編成が進み、それがまた売り上げ集中度を高めるというサイクルに入っていくのではないかというふうに思って見ております。
 そのようなことは、小売業の中での問題として出しましたけれども、同時に、小売業における上位集中度が高まっていくということは、今度は垂直的な取引関係からくる競争というものについて大変大きな影響を与えるはずであります。具体的には、力を強く持った小売業者が卸売業者あるいはメーカー、これに対する発言力を増す。その結果、いい競争成果が上がっていくということは結構でございますけれども、逆に、それがやや行き過ぎのハイイングパワーというふうなこと等になってきましたときにはやっぱり問題として起こってくる。決してこの大店法の問題というのは中小小売業者対大型小売業の問題だけではない、むしろ卸の問題あるいは零細メーカーの問題、こんな問題を持っておるということであります。
 その次の物価への影響でありますけれども、物価の問題といいますのを流通にすべて主因がある、こういうふうに考える考え方も一部にありますけれども、そういった考え方というのは日本人の生活行動等から考えてちょっと無理があると思っております。しかし、現在はインフレーションでございませんから、そういう意味合いで大きな問題にはなっておりませんけれども、流通問題の焦点の一つはこの物価でございます。
 今後、その意味では、開発輸入とか並行輸入とかそういうふうな道がどんどん進んでいくとき、そういう方面でのまた流通の革新が行われていくとき、物価に対してむしろプラスの影響、これは大いに期待され、それを加速化させていくような誘導ということは必要なことだというふうにとらえております。
 また、そこの三つ目ですが、大店法の緩和によって競争への期待というのは非常に大きい。しかし、先ほど言いましたように、逆に大型店の出店が、地価の上昇とかあるいは人件費のさらにアップとかいうふうなことから、大型店の経営自身の損益分岐点を高めていく。その結果、いわゆるコストプッシュというのがどうしても売価にはね返る可能性というのはなきにしもあらずという意味合いで、またこれは警戒課題、こういうふうに考えなきゃなるまいというふうに思います。
 その次の雇用機会と流通というところでございますけれども、今圧倒的に日本では都市部を中心として人手不足でございます。卸、小売とも人手不足倒産とか廃業というのが大きい、こう言っても構いません。そういうふうなことの中で、今流通問題であり流通構造上の課題は、この人手不足を一体どういう形で解決していく流通革新があり得るかということが大きな課題だというふうに考えておかなきゃなりません。そのためには流通ロボットでございますとか、あるいは自動販売機でございますとか、いろんな手段も考えられますけれども、私は、むしろ取引の仕組み、例えば一日に三回配送とか四回配送とか、超激しい納品活動みたいなものに対して目を向けなくちゃいけないのもこれからの課題じゃないかと思っております。
 その次のポイントは雇用機会でございますけれども、いわゆるシルバーといいますか、中高年齢の雇用機会には流通が大変大きな役割を果たす、この問題についてやはり目配りをしておかなければいけないのではないかというのが四番のところの三つ目でございます。
 その次の五番目のところは、商業集積の郊外移動と都市中心地の空洞化ということでございますが、中心地は地価がアップして、そこで商売をしていくのにもう住民もいなくなるというふうなことの中から、都市中心地の空洞化ということが今起こりつつございます。こういうふうなことが影響して地域の中でもう中小店も商売をしていくことができないというような環境になっていくことは、都市機能的な面からいっても非常に損なことでないのかというふうな面からも見なくちゃいけないというのがこの二つ目のところでございます。
 その次、じゃ中心地では商売できないから、今度郊外のショッピングセンター等に出店をしていこうかということでございますが、中小零細であり、またさまざまの経営ノーハウ等についても経験を持っていない中小業者にそのようなことをリードしたとしても果たして即効性があるんだろうか。そういったことに対する振興策というのはもう少し時間をかけなければ、かえって固定的な経営をさせることになりはせぬかということが心配であったわけであります。
 その次、最後の「対応」というところでございますが、そういうことの中で一体どのような対応が必要かということでございます。
 私自身も、先ほど申し上げましたように、大店法という法律はその役割を数年前に終わり、むしろ今日では都市政策型のいわゆる調整法といいましょうか、そういうふうなものが必要になってきている時代だと、こういうふうに考えております。また、大店法という法律は、もう一つ中小小売商業振興法という法律がございまして、その二つの法律を合わせて初めて一本の法律として私どもは受けとめました。昭和四十八年であります。
 ところが、残念なことに、それ以後の環境変化等とのかかわり合いの中でむしろ規制というところに大幅なウエートがいって、振興というところについての実はウエートが非常に少なかったということも事実だというふうに思っております。今後、いわゆる都市機能をどういうふうに内容あるものにしていくかということの中で、この大型店を取り込み、また振興法を使いながらどのように中小小売業の体力をアップさしていくかということについての本当に本音といいましょうか、実態に即した政策が必要であり、それが一番求められていることではないかというふうに三番目のところで述べたわけです。
 そのようなことの中でむしろ非常に大事なことは、中小小売業あるいは中小卸売業者というのは、まあミドルクラスといいましょうか、社会における新しい中堅階層といいましょうか、そういう役割を本来的に担わなきゃいけない役割を持っているわけです。そのような新しい地域を代表する中堅階層としての中小流通業というのをどう育てていくのかという課題は、消費者利益という議論とともに非常に重要な尺度でないかというふうに考え、それに対する配慮もぜひ先生方にお願い申し上げたいと思っているところであります。
 しかし、それらをずっと通してたどり着くところは、地価問題というのが最大の課題であって、地価の問題が安定し、そこで消費者が生活できるならば、むしろそこでまた中小の小売業にとっても十分なチャンスがある、少々の振興策以上に。私は、そこで住民が生活し続けることができる地価であり都市生活環境づくりというのがイコール中小小売業対策ではないかというふうに考えている次第であります。
 ちょっと時間を超えまして、失礼申し上げました。以上で報告を終わります。
#5
○会長(小山一平君) どうもありがとうございました。
 次に、鶴田参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(鶴田俊正君) 専修大学の鶴田でございます。
 きょう、参議院の調査会で意見を述べる機会を与えていただきまして、大変ありがとうございました。ただ、私、仕事柄自由に物を言う癖がございますので、やや挑戦的なことを申し上げるかもしれませんけれども、そのときはお許しをいただきたいというふうに思います。
 私は、きょうは規制と流通の問題についてお話し申し上げたいと思いますけれども、私の認識では、日本社会というのは消費者の利益が確保されない社会だというふうに思っています。どちらかというと生産者なり供給者の利益が非常に優先されていて、消費者の利益が保護されないという社会だろうと思います。先般、公正取引委員会で政府規制等と競争政策に関する研究会がございまして、私はその座長を務めておりました。ぎょうせいから「政府規制の緩和と競争政策」という出版物も出ておりますけれども、その仕事を通して実感したことが、日本は全く生産者優先社会だなというふうに思うわけであります。というのは、非常に広い分野で政府の規制が入っているわけですね。この場合の政府の規制といった場合には、経済的規制と社会的規制の両面がございますけれども、主として私が申し上げるのは経済的規制の方であります。
 社会的規制と申しますと、例えば安全対策とかあるいは公害のための環境基準とか、こういうのは社会的規制に入りますけれども、私がこれから申し上げます規制というのは経済的規制であって、例えば一般トラック運送事業とか、倉庫業とか、酒類販売業とか、バス事業とか、タクシー事業とか、あるいは航空運送事業とか、銀行業とか、証券業、保険業、あるいは農業、流通業等々において、そのビジネスに入ろうと思った場合に著しい参入規制がある。参入障壁が法律で決まっている。また、その価格を決める場合も政府の認可を受けなければいけない。そういう経済的な規制の分野が日本のGNPの約四〇%強に上っているわけであります。したがいまして、現在のGNPが三百七、八十兆円でございますから、百数十兆円の領域が政府によって保護されている産業だと言ってもいいと思います。つまり、経済的な規制があるということは、政府に保護されているというふうにお考えいただいていいと思います。
 端的な例として、この政府規制制度というのが既に過去のものであって現在の時代にそぐわないケースがたくさんございます。流通と離れますけれども、例えば保険業法というのがございますが、これは五十年前にできた法律であって、参入の形式要件は三千万円以上であることというふうになっております。三千万円以上であれば非常に多くの人が保険業を営むことができますけれども、現実には限りのある業者しか入ってない。これもやはり既存の業者を保護しております。
 例えば我々のすぐそばに酒類販売業というのがございますけれども、これも規制されているわけですね。免許がなければお酒を売ることができない。しかし、それではなぜこの酒類販売業に対する免許制が導入されたかといいますと、今から五十年前の昭和十三年に戦費調達のためにできた法律が酒類販売業に対する免許制でありまして、その前の年に日中戦争が起こりまして、その戦費調達のために導入したわけです。自来五十年余り、この免許制が現在の日本社会に入り込んでいるということは、言うまでもなく酒類販売業者を保護しようという観点からであります。そういう意味で、政府規制制度というのは供給者ないしは生産者の利益を優先する仕組みであるということであります。
 現在、世界で政府規制制度の緩和が一つの大きな潮流になっておりますけれども、日本の場合には、御存じのように明治以降、政府が産業化の先導役を果たしてまいりましたから、政府が産業活動に殊のほか介入している。そういう国であって、そういう意味で日本の生活者なり消費者の利益がそれだけ働いてないということになります。農業の問題もそういう視点からアプローチする必要はあると思いますけれども、残念ながらここにいる先生方は農業保護の方に賛成のようでございますので、私とはかなり議論が違ってくるかもしれませんけれども、流通業もまた同じような視点から考える必要があると思います。
 今般、構造協議が日米間で行われておりますけれども、前回の衆議院の選挙を通じて私が実感したことは、内向きの選挙しか日本人はどうしてしないんだろう、どうして国際社会における問題を選挙の議題にしないんだろうかということを痛切に感じたわけであります。そのときもやっぱり農業なり流通に関しては規制強化を訴える先生方が多かったという印象があるんですが、やはりそれでは消費者の利益なり生活者の利益というものが守られない、確保できないということを私はここであえて強調しておきたいと思います。
 きょう一緒に参考人として来られました三浦先生というのは非常に親しい友人でございますが、多少意見を異にしておりますけれども、きょうはこの場でございますので言いたいことだけは言わせていただきたいと思います。
 まず流通において、大店法の前には百貨店法がございまして、百貨店の新増設については許可制が採用されておりました。大店法においては届け出制があります。強い規制が入っておりますけれども、なぜ流通業で規制されなきゃならないのか、この一点をお考えいただきたいと思うんです。例えばあるお店が店舗を出すということは、そのお店の将来の成長可能性を追求する一つの手段として新しいお店を出すんだということですね。この新しいお店を出すということは、一般の産業に敷衍して考えますと、例えばトヨタ自動車が成長するために新しい工場をつくるというのと全くその性質においては変わってないはずですね。しかし、トヨタ自動車なり本田技研が新しい工場をつくるときにどこから規制を受けるか。つまり、彼らは自由にみずからの経営資源に基づいて投資をすることができるわけです。
 ところが流通においては、ダイエーなり伊勢丹なりが店を出そうとする場合どうして規制されなきゃならないか、この一点が、後で先生方にお伺いしたいと思うんでありますけれども、解けないところであります。なぜ流通業は規制されなきゃいけないのか。そういう意味では、そもそもの企業戦略の一環としての投資活動という点からこの規制、大店法の問題をアプローチすることが必要であろうと思います。
 つまり、まず第一のクエスチョンは、流通業の投資活動はなぜ規制されなきゃならないのかということであります。そして第二点目、そういう私的企業の投資行為、つまり将来の成長戦略と結びついた投資行動が規制されるがゆえに、その規制の仕方はまた非常に大きな問題を含んでおります。結論から言いますと、利害関係者がなぜ調整の当事者になるのかという問題があります。
 皆さん方にこのグラフ、チャートが行き渡ったでございましょうか。後で触れさせていただきますけれども、現在の大規模小売店舗法というのは、一応制度の枠組みというのは政府がつくっております。制度の枠組みは政府がつくっておりますけれども、しかし調整の表舞台には政府は出てこない仕組みですね。現在、商調協というところで調整されますけれども、調整の表舞台には政府は出てこない。ここが大店法の最大のポイントであります。したがって、政府が出てこない、利害関係者だけで調整するということであるがゆえに大店法システムがもめる、紛糾することになります。このことは既に一九七〇年代にヨーロッパ、アメリカを調査したリポートをある出版社から出版しておりますけれども、そのときにも書いておきましたが、いずれにしても利害関係者が調整の担当者になること、ここに最大のポイントがあり、この点を改善しない限り日本のシステムは安定しないということであります。
 そのことを申し上げますと、大店法においては、ほとんどすべての案件がと言ってもいいと思いますが、地元の商工会議所に設置されております商業活動調整協議会、商調協という場で調整することになっております。そこに登場する人物は学識経験者であり、消費者代表であり、商業者代表でありますが、通常商業者が中心になって調整するわけです。この場合には地元の中小小売業者と大規模小売業者の両方を含む場合があります。ということは、やや比喩的に申し上げますと、トヨタ自動車の設備投資を日産自動車とマツダと本田とで調整するようなものなんですね。つまり、自分たちの利害に関係ある人たちがこの町に新しくエントリーしていいかどうかということを決めようとするわけですから、これはもめるのは当たり前なんです。こんなことをやっていたら流通システムが安定しないのは当たり前であります。
 後でも御紹介申し上げますが、こういうばかなことをやっているのは恐らく日本だけだと思います。したがって、新潟県にアメリカのある玩具メーカーが初めて日本に参入しようとしましたけれども、この大店法ができて初めてのケースでございますが、ここでもしもめるようなことがあったら、この大店法というのは国際的なスキャンダラスなイシューになっていくだろうという気さえ持っております。
 そういう意味で、いかにも日本的な調整の仕組みであって、しかもこの大店法が制度形骸化の歴史であって規制強化の歴史であるということを考えますと、これは実は先生方の問題にも返ってくるんですね。なぜかというと、法制度はきっちりできております。しかし、法制度以外にインフォーマルな仕組みがごてごてできたり、あるいはローカルルールができてくる。一体日本は法治国家なのかどうかということが実は問われてくるんですね。これは石油業法もすべてそうでございますけれども、日本というのは、一度法律をつくると、法律の範囲を超えてどんどん行政指導によって規制を強化するという風潮があります。これはやはり議会制民主主義という立場から見れば、あるいは三権分立という点から見れば、先生方はもっと頑張って法制度の枠の中で調整を行うようなことを考えていただかなければいかぬだろうという気がいたします。
 そこで、制度形骸化と規制強化の歴史という三番目のポイントに入らせていただきますけれども、ここでチャートがございましたらちょっとごらんいただきたいと思いますが、行きましたでしょうか。
 大店法というのは、釈迦に説法で申しわけございませんが、非常にシンプルな法律であります。一九七四年にできたときは、まさかこんなにもめるだろうとは思われなかった制度だと思います。
 お店を出そうとする方は、まず三条届け出と五条届け出というのがございますけれども、三条届け出というのは、建物の設置者が都道府県知事ないしは通産大臣に届け出ることになります。これはどういうことかといいますと、一つの建物の中で集合的にお店を出す場合に、小売業者は全体がどのくらいの面積か知る余地がない。したがって、建物を建てる人がまず三条で届け出るわけですね。届け出るときは、一応建物の見やすいところにここで小売業が営まれるということを表示しなさいと書いてあります。決して更地とは法律に書いてないんです。建物の見やすいところに表示しなさいと書いてあります。受理した役所はそれを速やかに公示しなければなりません。ここで流通業が営まれますよということを公示しなければならないんですね。そして、建物の設置者は三条届け出を終えてから七カ月をたたなければ営業することはできないと書いてあります。つまり、まともにいけば七カ月後には開業できますよということだと思うんですね。
 それから五条届け出というのがあります。五条届け出というのは流通業者が今度は届け出るわけでございますけれども、これは届け出るときに開店日とか営業日数とかあるいは店舗面積とか、そういうものを届け出るわけでございますけれども、これも届け出てから五カ月をたたなければ営業できない。つまり、逆に言えば五カ月の範囲内でできるわけですね。
 法律はそこから調整に入ることになりまして、そこでいわゆる正式商調協というのが開かれて、そこで調整されることになります。これは法律に関連した文書に載っておりますけれども、この商調協というのは三週間というふうに限定されているわけです。そこで問題があった場合には、通産大臣ないし都道府県知事が勧告することができますけれども、その勧告というのは三条届け出を受理してから四カ月以内というふうになっております。そういう意味で、この大店法というのは非常に法律がシンプルなものになっている。これがフォーマルな仕組みなんですよ。
 ところが、皆様方お手元にあるチャートをごらんいただきたいんですけれども、この三条届け出と五条届け出の間にいろんなものが入っております。これはインフォーマルな仕組みでありまして、事前商調協と言われるものですね。ここでは主としてだれがどういうふうに調整しているのかさっぱりわかりませんけれども、いずれにしても法律以外の仕組みがここにできてしまった。最初からもうこういうものがビルトインしております。これを追認していくのが通産省の行政指導であったわけですね。ここは歯どめがかかっておりませんから、非常にエンドレスに議論されていく。したがって五年も六年もかかるケースがあるし、場合によっては十年もかかるケースもございました。そして、通産省は五条届け出から一番最後まで一年三カ月というふうに歯どめを行政指導でかけた経緯がございます。これは七九年です。
 そうすると、今度はどこにいってしまうかというと、事前説明が調整の場になるわけですね。事前説明というのは、出店しようとする業者が地元に行って小売業者等々に説明する。ところが、現実にはここが調整の場になっている。ここで地元との同意書なり協定書がなければ今度はお役所が受理しない、三条届け出を受理しないというふうになります。
 さて、ここで何が一体協定されているのか。町の中で私はこんなことがあってはいけないと思うのでありますけれども、要するに正規の調整四項目というのがあります。店舗面積とか開店日とかそういうものがございますけれども、これ以外に、一体どういう品目を取り扱うのか、それから対面販売はどうしたらいいかとか、チラシ販売の日数はどうするかとか、こういうことがどんどん規制されてくるわけですね。いわゆる横出し規制と言われております。こういうものが入れられて、そして大規模店は地元へ出店するわけでありますが、これは自由主義経済の原則から著しく逸脱しているということになるかと思うんですね。
 さらに、地元に行くとローカルルールというのがあります。ひどいところは静岡県でございまして、静岡市ですか、有名な話ですけれども、市外資本であれば一平方メートルから規制する、こういうローカルルールをつくっているわけですね。何のための規制かということになります。こういう反対運動のきついところは、松山とか静岡とか仙台とかそうでございますけれども、大規模店の支持人口が非常に多いんですね。つまり、逆に言えば中小店の多いところなんですよ。概してパターン化しますと、ベッドタウンは古い町がございませんから、ここは消費者の利益を考えて大規模店は出店しやすい環境にあります。しかし、古い町は昔からの商店がありますからほとんど出店できない。したがいまして、統計を見れば明らかでございますけれども、大規模店の支持人口は松山とか仙台とか静岡とかこういうところでは非常に大きくなります。また、地方都市になればなるほど大きくなってくる。
 そういう意味で、この大規模小売店舗法というのは、消費者の利益とか小売業者対大企業という以前に、現在の民主主義の問題であって、あるいは自由主義経済の根幹にかかわる問題であるし、なお国際化社会という点を考えれば、こういうルールは我が国が持っちゃいけないルールなんですね。なぜならば、外から見たら全く透明性に欠けているルールでありますから、やはり制度ということを考えました場合に透明度が高くなければいけない。とりわけ今日のようにボーダーレスエコノミーの時代には、海外から日本の企業に参入する自由があります。日本の企業が海外に出てビジネスをする自由があります。その場合には、主権国家でございますから独自の制度を持つ自由はありますけれども、しかしその制度を持ったらあくまでも透明度が高くなければいけない。そういう透明性から考えて、この大規模小売店舗法というのは基本的にあってはならない法律だというふうに思うのであります。
 そういう意味で、この大店法はどういう問題を持っているかといいますと、三つございますけれども、一つは、大店法が規制強化になってきた結果として参入障壁を高めている。その結果として地域の商業の停滞と所得分配上のゆがみをもたらしているということであります。よくテレビ等々を見ますと、大規模店舗が入ってくるとお店の売り上げが三割減る、場合によっては淘汰されるんだということが言われますけれども、そういうことは何か業者自身が大規模店よりも悪いサービスを高い価格で消費者に売っているということをみずから言っているということなんですね。被害があるということはそういうことなんですよ。そうじゃなくて、彼らはいいサービスをリーズナブルで売っているんだったら大規模店が来ても怖くないはずです。そういうことを平気で言う社会というのは、まさに生産者ないし供給者の利益を大事に守ろう、つまり自分らの既得権益を守ろうということなんです。
 最近では、中小業者だけじゃありません。大規模店もその上に安住しているわけですね。そんな中で安住している。したがって、大規模店は本来であれば中小店よりもより低いコストで商品を仕入れて販売できるにもかかわらず、比較的高い価格で売るというふうになってしまっている。そういう意味ではやはり大規模店の利益も保護しているというふうになります。
 さらに、二番目で言えば、当然のことながら消費者利益が確保されないという問題であります。大規模小売店舗法の場合には、当初消費者利益を確保しようという点から商調協委員には消費者代表を送り込んでいるわけでありますけれども、しかし事前商調協とかあるいは事前説明の段階でほとんど調整が終わるわけですから、消費者の出番がないんですね。中小小売業者だけで調整してしまう。したがって、町にとって一体消費者利益とは何か、消費者利益という点から出店をどうしたらいいか、町づくりをどうしたらいいかということが議論できないのですね。あくまでも供給者ないし生産者の論理が優先されている。そういう意味では、生産者優先社会から消費者優先社会へ転換するということば、新しい商業の枠組みをつくらなきゃだめだということであります。
 そして第三番目が、先ほども触れましたけれども、この制度は著しく不透明だということです。主権国家である以上、どんな制度も持つことの自由はありますけれども、しかし国際社会から見て透明性の高い制度でなければならない。したがいまして、いずれの観点から見ても大店法を擁護する余地は全くないだろうと思います。
 しからば、商業において全く政府が介入しないでいいのかという点からいえば、ここからはもう三浦先生と全く意見は一致します。都市政策という観点から物を考えていかなければならないということでありますが、日本の場合にはこの都市政策が全く貧困であります。商業だけに限定して申し上げると、日本では一度つくった住宅を他の用途に転用する、つまり住宅地の中で焼き鳥屋をやるとかバーを開く自由が完全に確保されているんですね。ですから、ばかなことに東京都みたいにカラオケ条例をつくらなきゃいけないのですよ。カラオケ条例をつくるということは、住宅街のしじまが破壊されるから、したがって夜十一時半なら十一時半でカラオケはやめましょうということでしょう。これは何かというと、住宅地のところにそういう商業が入り込んでくる、あるいは飲食店が入り込んでくるから騒然としてくるわけですね。
 そういう意味で、日本の社会というのは一度できた住宅を他用途に転用することは全く自由なんです。これが都市の環境を破壊していくんですね。例えば有名な竹下通りがあります。あそこの町は東京オリンピックが始まるまでは非常に静かな住宅街だったわけです。あれが一夜のうちにああいう通りになっちゃう。これは商店の繁栄にとってはいいという議論もありますけれども、しかしもう一つ家並みだとか町並みを大事にするという点からいえば、余りにも都市の空間を乱暴に使い過ぎているというのが印象です。
 時間が参りましたからこれ以上申し上げませんけれども、諸外国の例を引きながら日本の商業環境を整備するのであれば、やはり都市政策を根幹に据えた政策をつくっていかなければいけない。その視点が全く欠けてばかげた制度をつくっているのが日本の大店法システムだということを申し上げさせていただきます。
#7
○会長(小山一平君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#8
○及川一夫君 やわらかな雰囲気の中で少し問題を詰めさせていただくという点で、私と同様に先生方の方もお座りになってお答えをしていただいてよろしゅうございますから、ひとつお願いします。
 まず、鶴田先生にお伺いしておきたいんですが、両先生のお話は非常にもっともな話でありまして、我々もかなり共感を覚えるものがあるわけです。ただ、一面だけを強調すると、とことんこれが正しいということでいけるんですけれども、やっぱり議題となっているもの自体が生きた人間社会の問題ですし、またお互いに生きていかなければいけないし、そのための糧も得なければいけない。さらには、やはり我が国の歴史も長い歴史があって流通というものがつくられてきたのだろうと思うんですね。そういう観点に立って、お互いに成り立つことを考えながらどうしてもこの論議をしていかないといけないというふうに私は思っているんです。
 そうしますと、今、日米構造協議で流通も一つの課題になっていますけれども、アメリカ社会にある流通と我が国における流通というものに現実の問題として違いがあると思うんですね。その違いのある中で我が国の流通問題というのは、結論から先に言うと、やっぱり共存共栄という立場に立った発想法が、古い歴史はともかくとして、弱肉強食であったかもしれませんけれども、社会が進歩し文化が発展をしてきますと、かなり流通問題もそれぞれが共存共栄できるような立場ということが陰に陽に意識をされて私は法律やなんかもそれぞれつくられてきたように思うんです。
 ただ、私はこれを全部肯定しようという気持ちはない。なぜかというと、明治、大正時代の交通機関を含め輸送機関というものが、人力車から始まって荷車、馬車でやる時代と、今じゃもう新幹線から始まって、飛行機から始まって、いろんな大変スピードの速い交通体系が成り立っているし、しかもテレビというものを通してそれぞれの地域の文化が紹介されるような状況ですから、これまでの流通機構をそのまま存続していくという立場には私も立ちません。
 ただ、アメリカとの関係でこの問題を論ずるときに、日本はそれとなく共存共栄ということを意識されてきたのではないかという前提に立って考えますと、アメリカの社会発展と流通というものをどう位置づけてきたのだろうかという違いもかなり、これはどちらがいいとか悪いとかの問題じゃなしにあるように思うんですね。その点は鶴田先生、この問題を論ずるときにどんなふうに考えられておられるでしょうか。
#9
○会長(小山一平君) どうぞ座ったままで結構です。
#10
○参考人(鶴田俊正君) ありがとうございます。
 私は、職業が経済学を研究している者でございますので、余りあっちこっちをいろいろ考えておりますと自分の職業が成り立たない立場に立ってしまいますから、そういう意味である一面からというふうな御批判を承るかもしれません。
 私どもが住む社会というのはいわゆる競争社会だと思うんです。お互いに肩寄り添って生きる社会ではないんですね。切磋琢磨しながら生きる社会であって、そういう意味ではこの日本というのは競争が激しい社会だとも一面では言えると思います。ただ、これは半面の真理であって、逆に言えば協調する社会でもある。その協調を支えているのは、僕は先ほど申し上げた政府規制制度等々であると思います。法律によって保護されているところだと思うんですね。
 ただ、やはり原則としてはいいサービスをリーズナブルな価格で消費者に提供していく、これが基本だと思うんですね。そういういいサービスをリーズナブルなプライスで提供できる企業であれば、大企業であろうと中小企業であろうと共存共栄していくことができるわけですね。そうでないのはやはりある程度、誤解を招くおそれがありますけれどもあえて申し上げると、経済構造が変わっていく過程で淘汰されていく企業が出てくるのはやむを得ないことなんですね。明治以降の長い歴史の流れはまさにそうであって、皆さん方は産業構造の転換とか産業構造の変化なんてことをよく言いますけれども、これはある人が言った名文句ですが、産業構造の変化とは、例えば繊維のマシンを見て、ううん、ともに長く生きたけれども、君はもう役に立たなくなる世界だな、そういうことを感じさせる世界なんですね。
 やはり、いいサービス、すぐれた技術を持ったところが生き残るのが企業であるし、おくれた技術しか持たないところというのは時代から取り残されていく。それは原則としてやっぱり我々としてはきっちり認めなければいけないと思うんです、出発点として。その中でいかに共存共栄を図るか、あるいはその中で淘汰される人々に対してどういうふうに福祉の領域でその人たちを保護していくか、これはやっぱりきっちり分けるべきだと思うんですね。
 私も生身の人間でございますから切れば血が出ます。したがって、人が食べることのできない状態が放置されていいとは思いません。むしろ現代の社会というのは、特に一九四二年のビバリッジ報告以来、福祉国家をつくることが我々西側諸国にとって一つの大きな課題であった。また日本も高齢化社会に移行することを考えれば、日本型の福祉社会をつくっていかなければならない。そういう福祉の領域で新しい競争から脱落したいわゆる経済的な弱者を保護していかなければならないのは言うまでもありませんけれども、しかし経済の土壌において社会政策的なものを持ち込んではやはり経済の発展がスポイルされるだろうというふうに私は思います。
 ですから、共存共栄というのは先生のおっしゃるとおり私も全く賛成でございますけれども、しかしそれは、消費者ないし生活者に対していいサービスをリーズナブルで提供できる企業が大企業であろうと中小企業であろうと共存共栄できるんだということです。
#11
○及川一夫君 三浦先生にもお伺いしたいんですが、お二人の先生は常に対話されているそうですから少し遠慮なく聞かしていただきますと、先ほど鶴田先生が多少三浦先生とは違う点もありますがと、こう紹介されましたので、今のお答えとの関連を受けましてどんなふうにお考えになっているかということをちょっとお伺いしたいと思います。
#12
○参考人(三浦功君) 私、ほんのわずかというか大分というか、大分違いますね。
 先生は今経済学のスペシャリストでいらっしゃって、その立場からという前置きをおっしゃいましたから、それに対して何ら異論を挟むところはないわけでございますけれども、私は冒頭に流通問題というのはどういう問題だろうかということをちょっとお話し申し上げました。その流通問題というのは、今から二十年ぐらい前には多分に流通経済問題という形のウエートが強かった。ところが最近ではむしろ流通社会問題といいましょうか、そういう問題が非常に強くなってきているように思うんです。こういう流通問題のとらえ方というところで少し違ってくるんだろうなというふうに思っておるわけです。
 こういうふうな点から考えましたときには、間違いなく競争があって、強いやつが伸びていって弱いやつが落っこっていくということは、これはもう大きなトレンドとしては当然なことだというふうに私は認めますけれども、それに対して例えば大型店、流通大資本が競争条件が整備されていないような地域に例えばの話集中出店といいましょうか豪雨型出店といいましょうか、そういう形のもので来て、その結果要するに意欲もあり努力もありという人たちにも商売がやっていけないという事態というのは、先ほど鶴田先生そういうことはほとんどないというふうに経済学的にお述べになりましたけれども、私はそういう事態はあると思うわけです。そういうふうなことに対しては、やっぱり地域に密着した行政といいましょうか、そこのところが目配りが要るんじゃないのか。長い時間の中では本当に競争成果をきちんともたらしていかなきゃならないけれども、ソフトランディングというか、ある時間をかけたいわゆるソフトランディングをどうさせていくかということが大事なことだと。
 先生の冒頭のところの柱でもあったわけですけれども、それじゃなぜそうなのかというふうに考えましたら、この流通のセクターというのは小売業者、サービス業者、卸売業者を含めて農業のセクターを超えてはるかに大きな分野でございます。私は、この分野を福祉というかそういう財政でカバーしていくというよりも、働けるところまでは七十になろうと八十になろうと働いてもらった方がいいんじゃないかというような感覚を持つものでございますから、そういうような人たちに対して何かそれなりの機会もまた持たせながら競争成果を上げていく方法というのはないかなという意味合いで、ちょっと違うというふうに思っておるわけです。
#13
○及川一夫君 両先生にお伺いしたいんですが、アメリカでの中小企業という実態というのは、我が国の中小あるいは零細企業と比較して、こういったものがかなり存在するんでしょうか。それとも日本の実態とは違う実態があって、それを小規模企業経営者とかあるいは中小企業経営者とかというふうに呼ばれているんでしょうか。その辺の実態をもし両先生御存じでしたら教えていただきたいと思うんです。
#14
○参考人(三浦功君) 鶴田先生から、私からということでございますので。
 アメリカにおいても、例えば従業員二人以下の規模のいわゆる小売業者等は存在いたします。また、アメリカの商業統計などを見てみますと、一年じゅうは開いてない、あるシーズンだけしか開いてない、こういうふうな小売業者等も存在いたします。そういう意味合いで、中小小売業者はアメリカにはどうかと言われましたら、十分そこにありますということは言えます。また、アメリカは御存じのとおり大変多民族国家でございますから、そういう意味合いで、ある種のゾーンはそういう人たちで町づくりをされておるというようなところもあり、そこには中小零細な小売業者等でむしろほとんど占められているというようなところもございます。そういう意味合いで、これは存在するかしないかと言われたら、十分存在する。
 しかし、日本との違いというふうな点で考えましたら、少なくともアメリカの中小の小売業者というのは、その多くが組織傘下という形の性格を持っておると思いますね。例えば、それがいわゆるボランタリーチェーンという組織であったりあるいはフランチャイズチェーンという組織であったりというふうなことの中から、組織傘下ということの中でいわゆる近代的な経営武装ということについては私は日本よりも率直に言って進んでいるのではないかなというふうに思っております。
 そういう点は、日本の方はじゃそれをどうやってカバーしているかというと、多分に長年のスキルでございますとか、自分自身が職人的というか人間的につくり上げてきたスキルでありますとか、あるいは卸売業者が施すさまざまな丹念なサービスでございますとか、そういう社会的な分業あるいは歴史的な腕、こういうふうなもので日本はそっちの方をカバーしているところが違うという感じがいたしますけれども、アメリカにも中小の小売業は十分に存在しております。
#15
○及川一夫君 三浦先生のレジュメの中で、一つには「中堅流通業者」という言葉が使われ、「大規模流通業者」という言葉もあり、「中小店」あるいは「上位小売業者」という言葉も使われているわけですね。これは何か、こういうものをもって中堅業者というというような定義的なというか、一定の説がこれはある言葉なんでしょうか。もしあるとすれば、その実態というのはどういうものをもってこういう呼び方になるかということを教えていただきたいと思います。
#16
○参考人(三浦功君) その中で、大規模小売業というのはいわゆる大店法、こういうような法律、あるいは百貨店の場合は昔の百貨店法によって扱われた定義、こういうふうな定義がございまして、それによっていわゆる大規模店と中小店というかそれ以下というふうな区分、これはできます。あくまでもそれは法の定義ということからくるいわゆる大型小売業ということでございます。
 また、今度は中小店という形については、これはちょっとその定義を中小企業基本法あたりにもし頼ったとするならば四十九人以下という形になる。四十九人以下の中小小売業というのは物すごく大きい存在ですから、こういうふうなものはちょっと使えないということになって、ここのところは中小というところを私どもは非常に経験的に、二人以下のところは零細、逆に言うと三人から九人規模ぐらいのところをいわゆる中小というような形で考えておりますが、それが市民権を持った整理であるかどうかということについては何とも申し上げられません。
 それからまた、中堅小売業というのをここであえて申し上げましたのは、主として地方の市場に根差して、そこでいわゆるチェーンオペレーションをやり、年間売上高百億円以上ぐらいの商売をなさっておられるような企業、このあたりのことはいわゆる中堅小売業であり、それを対象にしてまた同様以上の商売をしておられる卸売業者等は中堅卸売業者、こういうような形で考えておるわけでありまして、余りその辺は厳密な法的定義というのはございません。
#17
○及川一夫君 日米構造協議でさまざまな論議が我が国に紹介される中で、国内的にもさまざまな意見が出ていることは先生方も御承知のとおりだと思うんです。私も幾つか本を読んだり新聞紙上を注視はしているんですけれども、いずれにしても私たち自身も結論を出さなきゃならぬ問題なんですが、総じて我が国の議論というものを見詰めてみますと、五〇対五〇、つまり半々に分かれている。とりわけ流通に関連をして大店法という問題の廃止ないしは規制緩和といういろんな言い方はされておりますけれども、おおむね半々に分かれているというふうに私自身感ずるんですけれども、両先生は今国内の議論というものをどういうふうに受けとめられているでしょうか。
#18
○参考人(鶴田俊正君) ある新聞社のアンケート調査によれば、確かに日米構造協議について半分支持して半分支持しないというのがございましたし、またどういう層を対象にするかによってかなり変わってくると思いますけれども、確かに議論の分かれているということは否定しがたいと思うんです。ただ、議論が分かれているから、したがってその両方に顔を向けながら政策を考えなきゃならないというふうには私は考えないので、やはり日本の社会をどういうふうに変えていくのかという一つの目標なりあるいは経済社会をつくる理念みたいなものをきっちりお持ちになっていただいて、その中で理念に則してやはり先生方にある種の方向性のある解決策をとっていただきたいなというふうに思うわけであります。
 ただ私は、今度のアメリカ側の要求を見て、細目にわたると非常に何百というふうになりますけれども、大きな枠組みですと六つあったわけですね。アメリカが言ったその六つの枠組みというのは、私はほとんどすべてポイントをついているなという気がするわけです。やはり日本の社会がアメリカに言われる前に本質的に取り組んでいかなければならないテーマが向こうから指摘されているという印象を私は持っております。とりわけ日本の戦後の歴史を考えますと、大きな制度改革というのは大体外圧によっているわけですね。貿易自由化もそうだし資本自由化もそうです。為替レートの引き上げもそうです。これは私は当時も国会の先生方にいろいろ御説明に上がったこともございますけれども、いずれにしても大きな制度改革というのは国内から出てこない。やはり我々の社会があすをにらみながらどういうふうに制度を工夫していったらいいか、この知恵がなかったことは残念ながら認めざるを得ないだろうという気がするんですね。そういうものの一環として流通の仕組みをやはり近代化していく必要はあるだろうというふうに思うわけであります。
 そこで、先ほどの先生の御質問に関連したことについて若干意見を述べてよろしゅうございましょうか。
 三浦さんとの議論とも関係がありますが、競争のイメージが三浦さんと僕とで大分違うと思うんですね。競争となると弱肉強食という感じがありますけれども、僕はそうじゃなくてやっぱり知恵比べだろうという気がするんです。日本では伝統的に強者が弱者を圧倒していくのが競争社会だというイメージがあり、とりわけ流通に限らず大資本がその場合の経済的強者であって、中小企業が経済的弱者だというイメージでおとりになっている傾向が強いわけですけれども、これはもう抜きがたい風潮だという気がするんですね。しかし、実態を見ればそうなっているかというと、そうじゃないんですね。
 例えばダイエーさんが今流通業で言えば日本最高の流通企業であるけれども、あの企業ほどこから生まれたのか。昭和三十三年に主婦の店ダイエーとして小さな店からスタートしたんですよ。当時、大丸とかそういう大資本があったわけですね。しかしダイエーはその中で成長している。イトーヨーカ堂もそうでしょう、前垂れ商人から出ているわけですね。そういう企業は幾らでもあるわけですよ。例えば本田技研にしても、第二次世界大戦ごろは本当に小さな町工場です。当時、大きなオートバイメーカーがありました。しかし、本田さんの知恵が今日の本田技研をつくっているわけですね。
 アメリカでもそうです。アメリカ百年の流通革命の過程を見れば、エスタブリッシュメントから新しいイノベーターは出てこないんです。その周辺から出てくるんですね。一介の商人からイノベーターが出てきます。チェーンストアもそうですし、スーパーマーケットもそうですし、ディスカウントストアも全部そうです。そういう意味では、大規模が強者であって中小企業は弱者だという、こういうイメージで経済社会をごらんになってほしくないんだと。
 むしろ、一九七〇年に入って、日本社会は多様化の社会と言われます。いわゆる専門的企業が伸びる時代なんですね。専門的企業というのは必ずしも大企業じゃありません。小さいながらも非常に専門的能力を持っている企業が群生しているのが日本の社会でしょう。特に製造業を見ますと、ベンチャービジネス、ベンチャーキャピタルとか言われる企業が群生しています。流通業でも同じなんですね。私のある友人がやっているチェーン店がございますけれども、これは婦人服専門と子供服の専門店でございますが、十年前はたった数店しかなかったお店なんです。それが今では百何十店舗持っています。そういうふうに知恵を働かせることによって成長できるのが現在の日本社会であって、それだけ多様化しているわけですね。
 そういう意味では大と小という、大が経済的強者であって小が経済的弱者だ、こういうとらえ方を私はしてほしくないと思うんであります。むしろ、流通業においても、専門的能力があれば規模は小さくても立派に生存できるし成長もできるのが日本社会だというふうにお考えいただきたいというふうな気がします。
#19
○参考人(三浦功君) 今の鶴田先生の特に後段の話については全く同感なんですよ。私もつい先般、私の仲間と一緒に「出色店の条件」という本を出したばかりなんでございますけれども、中小零細であったとしても本当に知恵を出し工夫をして、しかも人間的魅力を打ち出していくことによって成り立っていっている小売業がたくさんございます。またそういうふうなことを、自分でやれるのはその範囲だよというところを大いにある意味じゃ気合いを入れているのが、各地で青年部活動などでやっているところなんでございます。
 ただ、それはそのとおりなんでございますけれども、いわゆる町が崩れていくとか集積が壊れていくとかというふうなことについてはいかんともしがたいというケースもまた事実としてあるものでございますから、そういう意味合いでちょっと、何といいましょうか、やはり調整というのは必要なんだというふうに考えたいわけです。
#20
○参考人(鶴田俊正君) 今の論点というのは、三浦さん、それは確かにそのとおりなんですけれども、町をどういうふうにするかということは都市政策の観点なんですよ。それは中小企業保護政策とか中小企業育成政策という観点じゃないんですね。
 ですから、その事実は私も認めます。例えば町並みの中で地上げしちゃって銀行が出てくる。そうするとやっぱり町が何となく活気がなくなるんですね。夜早く門を閉めちゃう。例えば、先ほど転用に対して日本は自由過ぎるということを申し上げました。ヨーロッパに行くと、店を出す場合に、例えば住宅地を商業に転用しようと思ったら許可を得なきゃいけないんですが、大体ノーですよ。だめになるんですね。そうすると、新しく商業に入ろうとした場合には既存の権利を買わなきゃいけない。ということは、既存の商店の権利が売り出されますから、それを買うわけですね。買おうとするわけです。それで、買えた場合には新しい商業が営めるか、あるいは郊外に新しくデベロッパーが開発したところに出るか、どちらかになってくる。その場合に、家並みをつぶして下を銀行にしようなんでいったらこれはだめだということもある。ですから、商店は商店のまま、ずっと町並みも大事にして、オフィスは二階以上を使いなさい、こういう規制をするわけですね。
 日本の場合、そういう都市計画、町づくりの発想が全然ないからこの議論を紛糾させちゃっている。恐らく冷静に議論すれば三浦さんと僕はほとんど一致しちゃうんですけれども、その議論の途中に町が壊れるじゃないかというのが入ってくるからややこしくなるんであって、その点は全く一致しちゃうんですよ。
#21
○参考人(三浦功君) いや、私もそう思うんですよ。大店法の問題というのは、行き着くところはむしろ経済問題というよりも地域問題であり、また都市づくりの問題であるというふうに、流通問題の焦点はそっちにあるよという形で話しますものですからちょっと違うように見えますが、むしろそこのところは多分に一致しているんだろうと受けとめていただいた方がいいと思いますね。その中で、個々の中小店は中小店なりに生きざまというのはまたあるよということは、もう本当にたくさん例がございます。
 先ほど及川先生の御指摘の中でもう一つ御指摘がございましたのは、アメリカとの間の関係を、フィフティー・フィフティーであろうけれども、どう見るかということでございました。私は、率直に言って、本当にどうしてこういうふうなことがアメリカから、しかも各論にわたって言われなきゃいけないのかなということ自身が流通問題だというふうに冒頭申し上げたわけでございますけれども、むしろアメリカさんから言われていることをどんどんやっていくことによって、日本は改めて活力のある流通社会、流通システム、これをつくることになるんだろうなというふうに私自身は思っています。
 ただ、裏を返しますと、アメリカさんがそういうふうな形までおっしゃってくださったことを日本がそのとおり一生懸命頑張ってやりましたら、逆に日本のパワーはもっと強くなって、場合によりましたら強さという参入障壁がまたできてきて、逆に言うと、アメリカが本当に日本に対して要望されておられる本音の部分かどうかわかりませんけれども、国際収支とかそういう問題については、日本に対する輸出という問題はこっちのバリアが高くなるというようなえらい皮肉な話も起こるかもしれない。それはもういいんだ、日本にはフェアネスを求めているんだからその話は別だというふうなことで考えれば大変よくわかってくることなのでありますけれども、直接的な国際収支との関係ということで考えていったときには、私は、一体どういうことを具体的には願っておられるのかなということについてちょっと頭をひねるというところがございます。
#22
○及川一夫君 お聞きしていてかなり共通点もありますから、単に対立という意味では受けとめておりません。
 非常に参考になるのですが、ただ、私も何回か訪米はしていて、この調査会でも問題にしたことをちょっと思い出しているのですけれども、寄附という行為がある。我が国のアメリカに行った企業ももちろん寄附は求められます。その場合に、そういうことがあるから何とか税の対象外にしてもらいたいという意見が出たことがあるんです。寄附というのは、税の対象にする、しない一定の限度があって、税法上も一応配慮はしているけれども、要するに全額という言葉が実は出たんですね。これは日本の我々からいうと、何でそんなことせにゃいかぬのや、そうでなくてさえいろんな特例法があるじゃないかと、こう思いました。
 ところが、アメリカに行って寄附というものは一体どういうものかというと、わかりやすく単位で言いますと、五万とか十万とか五十万なんという単位じゃないんですね。もうそれこそ三けたと言ってもよろしいんじゃないでしょうか、一千万単位で寄附をしなければ寄附をしたことにならない。ところが我が国の企業は、本社との関係では、どんなに多くても二十万と一般的には言われているわけですね。だからそれを超えるということは本社の了解をもらわにゃいかぬ。しかも了解をもらうときに、二十万を五十万にした程度じゃアメリカじゃ通用しない。特に収益の上がっている企業はやっぱり一千万単位、そういう前提でとにかく寄附を言葉には出ないけれども求められる。したがって、トヨタならトヨタの自動車工場がもうかっているということを前提にすると、じゃこういうパーティーで出すことにしましょうと寄附に行ったら、マスコミがわっと行くのだそうですね。その中で渡したのが二十万とか五十万というので翌日の記事は大変な記事だったという話も聞くわけであります。やっぱり一千万、二千万あるいは三千万という単位になってくると、税制上の問題ということを言う気持ちはわかってくるんですね。
 なぜアメリカ社会はそういうふうになるのかということを私なりにいろいろ研究というか議論をしてみますと、やっぱりアメリカ社会というのは金持ちが尊敬をされる社会、こうも実は言われているわけですね。問題は、金持ちが金を持ったままでじっとしていればそれは糾弾されるわけだけれども、金持ちは金持ちらしく社会に奉仕をする、あるいはボランティアに協力していく、多額の献金あるいは寄附をする、こういう社会だというわけですね。だから、他人があるいは企業が金もうけをすることについては抵抗感が全然ないという社会なんです。ところが我が国は、先ほども言ったような共存共栄みたいな話になるものですから、そこの違いかなということを感じたことが実際問題としてあるんですね。
 ですから、鶴田先生がおっしゃられることも、私はやっぱり政治を展開していくからには一つの理念というものがあってやっていかなきゃいけませんから、そこを踏まえてやっていこうとするんですが、しかし、きょうとあすとの関係でころっと変わるというわけには、実態があるし生きた人間がいるわけですからなかなかそういかない。そうすると、時間をかけなきゃいかぬという話はどうしてもこれは前提にしないといかぬということになるんです。
 そういう意味合いを含めて、今度の日米協議の中でアメリカ社会と日本社会との違いというものを先生方は、違わなきゃ違わないでいいんですが、違いがあるとすればどんなふうにお感じかなということを最後にお尋ねして、終わりたいと思います。
#23
○参考人(鶴田俊正君) それは、国が違うわけですから、仕組みも違うのは当然ですが、アメリカと日本の共通点というのは、大きなところでは一致していると思うんですね。例えば議会制民主主義を大事にする、それから市場システムを大事にする、この二つではもう完全に一致しているわけです。ただ、この何年間かいろいろな研究会ないしは自分でも研究、勉強してみてつくづく感ずることは、やっぱりアメリカはキリスト教文化の国なんです。日本は東洋文化ですね。ここはもう越えがたいほどやっぱり違うといえば違うんです。
 しかし、現在の国際システムというのは、そういう異文化が交わる時代なんですね。例えば、ついこの間まではヨーロッパとアメリカが世界経済の中心であったわけです。これを大きくくくってしまえばキリスト教文化圏だけで経済が行われていたと言っていいでしょう。最近日本がその中にエントリーし、アジアNIESが急速に成長しました。ASEANまで含めたら、輸入規模ではかればアメリカにほぼ匹敵するほど大きな経済圏ができ上がっているわけですね。ECとも、域外取引だけ見れば、それだけ大きな国ができ上がっている。つまり、キリスト教文化圏のところに東洋文化が急速に台頭して、そこで経済的交流をやっているわけですね。もう一つは、石油危機以降、イスラム文化圏というものも非常に世界に対して影響力を持ってきたわけです。
 そういう意味では、前のキリスト教文化だけで経済を営んでいた時代から、東洋文化が入り、イスラム文化が入ってくる。そういう違う文化が交流し合う中で経済的交流を行っているのが現在の世界だということです。これはイデオロギーの違い以上にもっと現実的な問題を含んでいるわけです。その中でやっぱり同じ経済的営みを行うわけですから、極力制度を同じ方向に持っていきましょうと。異なった制度の中で競争をやっているとぎくしゃくしてしようがない。ですから、今の世界の流れというのはそういう制度の統合化に向かっていると思うんですね。例えば、ECが一九九二年に統合します。あの統合の議論を何年前から始めているのか。一九五七年に要するにECをつくったわけですね。当時はEECです。それから今日に至るまで、政治的な統合まで含めてもう既に何十年たっているわけですよ。そういう遅々とした歩みでやっと一九九二年に統合化しようというわけです。
 私は、日米の関係においても、今日ドルではかったら、アメリカが五兆ドルちょっとで、日本が三兆ドルちょっとで、八兆ドル強あるわけですね。世界のGNPの半分以上を占めるんじゃないでしょうか。その国の制度がぎくしゃくして、余りにもあっち向いてこっち向いて違っていたら世界経済は安定しない。そういう意味では、可能な限り制度の統合化を図っていこうというのが今度の日米構造協議だろうと。ですから僕は、これはファーストステップであって、後セカンドステップ、サードステップがあると思っています。そういう流れの中でこの大店法を位置づける必要があるんじゃないかというのが私の意見です。
#24
○参考人(三浦功君) 私も同感です。
 全くそういう意味合いでは、我々は足元から鳥が立つようにこの二月以降こういう問題について大慌てに慌てているわけでありますけれども、まあ進んだと言いましょうか、アメリカまたはヨーロッパ、もともとは近い国でございますから、そういう国の中では非常に長い時間をかけてつくり上げてきた関係というのが向こうさんにはある。我々の中にはそれがまだ存在しない。これは一番大きい問題だというふうに考えておかなきゃいけないし、本当の要求されている焦点というのは、そういう社会、風土といいましょうか、それをならしていくことだというふうに思いたいと思っております。
 それからもう一つ、むしろ違いということをもう少し身近な話で考えるとき、どこに違いがあるかということは発言しなきゃいかぬだろうと思います。
 どこに違いがあるだろうかと考えたとき、ふっと思い出します。昭和三十年代の後半から四十年代にかけて、先ほど申しましたように流通なんていう言葉が出てきたときに、アメリカ人の食生活というのはどういう食生活をしているのかな、非常に合理的らしい。どう合理的らしいかと考えたら、向こうは冷凍庫が非常に普及しておって、肉でも何でも安いところから大量に買っておいて、それを食べたいものだけこつこつと冷凍庫から冷蔵庫に移して食べていくような合理性があるのだ、日本もむしろこれからはそういうような食生活等にいかなきゃいけないのじゃないか、またそれが方向じゃないかというふうな議論がございました。また、そのためには冷凍庫が普及していくのじゃないか、こういう議論もございました。
 そういうふうなことをずっと議論し続けながら実態を見てまいりましたとき、今どうなってきているかという食生活を考えますと、ますますもって我々は鮮度といいましょうか、刺身ならさまざまな種類の食材を合わせて刺身として食べたい、こういう形になっておりますし、すき焼きの肉のどこの部位がいいかというようなことについて非常にうるさく吟味してまいります。というようなことで、やっぱり日本人の食生活というのはある意味ではよりデイリーといいましょうか、アメリカさんがもし一カ月に二回ということならば、日本の方は二日に一回とかそういう統計もございますけれども、そういう方向へむしろかえって加速化しているのじゃないかというように思うわけです。
 そういうようなことは、やっぱり日本の食生活の歴史的な文化、また日本人がいろんなものを食べてみて比較してみてたどりついている、グルメといいましょうか、その感覚というようなものがそこへたどりついているのであって、私は、アメリカの食生活というふうなものが進んでいて日本がおくれているなんて、全くそこの意味ではない、逆だとさえ思うわけです。大きなトレンドという点から考えて、本当に先生おっしゃったとおりだと思います。
 ただ、具体的な場面につきましては、食べ物の問題、畳の上で寝る生活の問題、さまざまなものとして違う、そこをはっきり言って、流通で受け皿にしていくというようなことがなければこれはいけないのじゃないかなというように思っているわけです。
#25
○及川一夫君 ありがとうございました。
#26
○大木浩君 自民党の大木浩でございます。
 両参考人から大変に総合的なお話を伺わせていただきまして、ありがとうございました。
 私どもこの調査会で流通問題を取り上げておりますのは、もちろん私どもの自分自身の問題としてこれからどうするのだという立場から考えるわけですけれども、たまたま御存じのように日米構造協議というようなものも進んでおりますから、やはりジャーナリズムなどではそういった観点からの取り上げ方が非常に大きいということでございますので、きょう余り日米問題の各論をやり出しますとそれだけで自分自身の問題の時間がなくなりますから、総論的に一つだけお伺いするわけですけれども、先ほどからのお話で、例えば鶴田先生は、向こう側から言っておる六項目は全部それぞれにやっぱり日本の問題としても取り上げて考えていくべき問題だというふうにおっしゃいましたが、三浦さんも大体同じことをお考えになっているのか、まずその点からお伺いしたいと思います。六項目それぞれやっぱり日本自身の問題としてこれから進めていかなければならない問題とお考えかどうか。
#27
○参考人(三浦功君) そのとおりです。アメリカから指摘されている項目は、流通というところを超えて取引慣習の問題やあるいは独禁法の問題等まで含めて我々が先に扱っていなきゃいけなかったし、腹を決めておかなきゃいけなかった問題ばかりだという意味合いでは同感でございます。
#28
○大木浩君 そこで、先ほどから日本とアメリカの社会というもののとらえ方で、競争の意味というようなことがお話に出ておりました。現在のアメリカの経済、社会問題いろいろあるわけですけれども、アメリカの経済というふうにできるだけ絞って考えてもいろんな問題があって、むしろ日本は非常に好調であり、アメリカがいろんな問題を抱えておるというような側面もあるように考えるわけですが、特に競争というもののイメージとも絡んで言いますと、アメリカにもいろいろ問題があって、例えば最近は非常に敵対的な買収だとかLBOだとかいろいろな話がありまして、何か本当の意味でこれから長期的にアメリカの経済というものが順調に育っていく社会的な環境というのはきちっと整っているんだろうかというようなところに多少疑問を感ずるわけですけれども、この点どうでしょうか、鶴田先生、三浦先生、それぞれ一言。
#29
○参考人(鶴田俊正君) 先生おっしゃるように、アメリカにおいて非常に大きな問題があるというのは私もそのとおり認識しております。ただ、現在のアメリカが一体国家として衰退に向かっているのかどうかという点については、私は必ずしもそうは認識しておりません。
 例えば経済の仕組みについても、アメリカと日本というのはかなり異同点があるということはそのとおりでございますし、それから一般の勤労者の経営に対する参加の仕組みとか、あるいは全体的な意思決定の仕組み等々含めて全部日本とかなり異なっている点があり、そういうものが日米間の競争力格差を生み出しているということはおっしゃるとおりだろうという気がするんですね。ただ、経済というのは相互浸透のメカニズムが働き、現にアメリカでも日本的な長所を随分取り入れているはずであります。
 例えばその一つの象徴的なケースが、GMとトヨタが提携したNUMMIという企業がございます。従来のアメリカでは、あの世界一位のGMと世界二位のトヨタが合弁会社をつくるということは反トラスト法上認めがたい事件だったと思うんですね。非常に異例なものとしてあの資本提携が認められているわけです、これは一九八三年でありますけれども。従来であれば反トラスト法の規制にかかったはずであります。ところが、あれで一体何をねらったかといいますと、GMは要するにトヨタのつくり方を習得しているわけですね。逆に言えば、日本からアメリカに技術移転が起こっていて、アメリカはそこで技術導入をしているわけです。つまり、同じ自動車をつくるといっても、トヨタ式生産方式というのはフォードシステムと基本的に違っておりますし、あるいはGMの仕組みと基本的に違っていて、これは大野耐一さんというトヨタの副社長であられた方の本を読んでいただければわかりますけれども、日本のそのつくり方が非常に進んでいるわけです。そういうものを向こうが取り入れていくプロセスでございますから、アメリカがいろいろな問題があるにしても、日本と交流することによって日本のいい点を取り入れているというふうに理解すべきだし、またそれがアメリカ経済の再生につながってくる可能性があるという気がいたします。
 それから、もう一つ大きな枠組みで言えば、やはり米ソの緊張緩和が進むことによってアメリカの財政負担が非常に軽くなると思うんですね。これはやはりアメリカの財政赤字を削減するという意味では非常に大きな出来事であって、もしアメリカの財政赤字が削減できたときには、従来のアメリカとは違ったアメリカというものがまた再生される可能性はあるだろうというふうに思います。
#30
○参考人(三浦功君) 私も、アメリカが弱かったのは現在完了の問題であって、これからは強くなっていくんじゃないのかなというふうに本当に思っておりますし、そうすることが望ましいことだというふうにまた期待も持っております。
 そういう競争行動の違いというふうなことの中で、特に流通等の中で比較して考えてみますと、アメリカの流通業の強さというのは、新しいタイプの小売業、新しい業態の小売業をどんどんつくり出していくバイタリティーというのはアメリカは大変強いというふうに私は思っております。今話題になっておりますトイザラスというお店が日本に入ってくる、こういうふうなもの等についても、日本にはちょっとこれまで存在していない小売業態でございますし、またホームセンターとかDIYというふうな業態においてもそうでございましたし、あるいは小商圏ではディスカウンターというのは存在しない、こういうふうな形で言われてきた中に、アメリカのウォル・マートという組織は大変大きな成果をおさめておりますし、こういう意味合いでやっぱり新しは販売の仕組み、新しいお店のタイプ、こんなものをつくり上げていくバイタリティーというのは決してアメリカは今弱いとは思えない、こう思います。
 ただ、非常に投資効率といいましょうか、これを早く計算する社会になってしまっておりますね。投資回収期間を非常に早く要求される。年に四回の決算というのが当たり前になっておるというふうなことから、むしろ投資の回収期間が、青田刈りといいましょうか、早過ぎるというところに問題が非常に大きいのじゃないかというふうに私は流通の側面では見ております。
 しかし、たまたまアメリカへ先般行きましたときに、太平洋側にカーメルという町がございますが、そこの郊外のショッピングセンターへ行ったときに、そのデベロッパーの社長は長年日本に住んでおられた公認会計士の方でいらっしゃったんですが、その方はそこのところに一番焦点を当てて、二十一世紀におけるアメリカのショッピングセンターというのは日本のショッピングセンターとか日本の商店街、むしろこれを参考にしてつくられていくんじゃないのか、そういうつもりでつくったのがこのショッピングセンターだとして御案内いただいたんであります。それはバーンヤードというショッピングセンターでございますけれども、これは二十棟ほどが全部木造でございまして、平家ないし二階建てでございまして、一棟平均が約百坪というぐらいの面積で、その間をお客さんは縫って歩き、楽しんで歩いて、随所にコーヒーショップがあって、そこで楽しめてというふうなお店でございましたが、本当に日本の商店街をむしろ楽しくさせたということになったときこのような店ができるのだなということを見せてもらいました。
 そういうふうに、先ほど鶴田先生おっしゃいましたように、むしろ彼ら自身も日本のよさとかあるいは人間とは何かというふうなところにおりた新しいものをつくるハイタリティーというのは非常にあるし、それがまた先ほどの財政赤字の削減、体力の身軽さみたいなものとぶつかりてきたときには、非常に強い存在にもう一回なってくる可能性を持っているのではないかというふうに思って見ております。
#31
○大木浩君 実は先般、私どもの方の視察団として中国地方の岡山、広島の方へ行きましたが、人口十万ぐらいではなかなか新しいアイデアが出てこないというんですね。三十万か五十万か、その辺はいろいろと人によって判断が違うわけですが、その辺ぐらいになってくると新しいこれからの地域社会というもの、しかもこういった新しい時代に即応した計画ができるんだけれどもということを言っておりました。
 今三浦さんおっしゃいました日本型というのは、どういう型を想定しているのか必ずしもよくわかりませんけれども、どうなんでしょう、その辺のところで何か具体的に、日本型とおっしゃいましたことについてのもうちょっとコメントをいただけるとありがたいと思います。
#32
○参考人(三浦功君) これは、本当にまだこれが答えというふうなイメージというのはこれからのことではないのかなというふうに思うわけでありますけれども、小さい町、例えば人口四万とか五万という町も随分私歩きます。そういうふうなところへ行ったときの、将来の町のあり方であり商業集積のあり方というのは、私は分散を排するべきだと思っております。いわゆる商業機能の核というものを分散をさせていくということになりますと、非常に特徴が失われてきて、おもしろくない町、商店街になり集積になっていくということを感じます。むしろそうしたことによって弱小ないわゆる小さいショッピングセンター等がたくさんできた結果、同質競争になって、結果的には共倒れになっているなんというケースが数多くございますけれども、そういうことはよくない。むしろ人口四万、五万というところでは集中的な、いわゆる集積のつくりというのがこれから研究されなければいけない課題ではないかと思って見ております。
 それで、少なくとも十万というふうな単位になりましたときには、伝統的、歴史的な中で中心地を占めてきたいわゆる繁華街と、それから郊外のショッピングセンター、新しくこれからできてくる車社会対応の大型駐車場を持ったいわゆる集積、これとが機能、役割を住み分けていく、こういうことが大きく期待されなければいけなくなってくるわけで、その単位が、五万都市にはちょっと無理だけれども、七万でボーダーラインか八万でボーダーラインかあたりは事情事情で違うかもわかりませんが、十万都市ぐらいになってきたときには住み分けということが計算できていくのではないのかなというふうに見ております。
#33
○大木浩君 先ほど両参考人、鶴田先生の方は三浦さんとちょこっと違うとおっしゃいましたし、三浦さんの方はかなり違うのだとおっしゃいまして、その御説明として流通経済問題、それから流通社会問題ということをおっしゃいましたですね。
 鶴田先生、先生の方でもいろいろと流通問題をお考えになる場合に、流通社会問題というのは当然お考えの中にあると思うんですが、今分けてお話があったところで、例えば先ほどから都市政策型のいろんな対策というのを考えるというようなことを言っておられるので、その辺になってまいりますとどこまでが流通経済問題でどこからが社会問題なのかよくわからないのですけれども、その辺で鶴田先生の方は、いやいや自分もちゃんと社会問題も考えておられるということかどうか、ちょっとコメントいただきたいと思うんです。
#34
○参考人(鶴田俊正君) 日本の人が議論する場合によく使う言葉として、危機という言葉をよく使うんですね。危機という言葉を好きこのんで使うのですけれども、その場合危機と言ってしまうと問題の焦点がわからないから、むしろ問題という言葉を使えというふうになったのが何年か前からでしょうか。問題というのは、この問題のとらえ方が僕は三浦さんと基本的に違っておりまして、どこで違うかというと、問題と言った以上何が問題かがはっきりしているわけであって、その問題の所在がはっきりしていれば答えはおのずから出てくるのですね。ですから、漠然と社会問題とかというふうな問いかけ方というのは私たち議論するときに非常に不得手でございまして、要するに問題の焦点は何かということをきっちり言っていただくのが本当は正しいんだろうというふうに思うわけであります。
 ただ、先生のおっしゃったことを私なりに理解して申し上げますと、それは先ほど及川先生の議論のときにも申し上げましたけれども、やはり経済の仕組みを考えるときには経済政策で対応できる対応の仕方をするのが望ましい。そうじゃなくて、いわゆる社会問題に関する問題であるならば社会政策で対応するのが望ましいだろうというふうに私は申し上げたのです。ですから、私が社会政策で対応しろと言う場合の中には福祉問題も全部含みますけれども、先ほど競争のイメージが違うというふうに私が三浦さんに申し上げたのは、彼の場合ですと、何か大規模店がどんどん進出して中小店はどんどん淘汰されるというイメージで地域社会をとらえていらっしゃるのですね。僕はそうは思わないんです。
 それは、なぜ思わないか。例えば大規模店の場合には、やはり経営資源においても限界があります。ですからどんどん出ようにしても、年間何百億とか使っていくそのお金が自由にできるかどうか。例えば西友にしても一兆円ないんですよ、売り上げが。あの企業においてどの程度年間投資できるか。一つのお店をつくるのにやはり相当お金がかかる。金だけじゃありません、やはり人的資源が、人間能力というものがなければ外へ出ていけない。そういうものを十分に蓄積しているかどうかということが一つの問題であって、こういうものの制約を外して、単に何とかラッシュというふうな形で大型店が地方に出ていくというふうなイメージでとらえること自身が僕は間違いだろうと思うんですね。
 なぜかといえば、それは逆に言えば中小企業でさえも相当な対抗力を持っているからだということなんですね。つまり専門的能力があれば大企業に対して十分対応できる。ですから、そういう専門的能力と補完し合うような形でしか大企業は進出できないはずなんです。そこに新しい現代における社会的分業のあり方があると思います。
 先生方、コバンザメ商法というのを御存じでいらっしゃいましょうか。コバンザメというのは要するに大きな魚にくっついて、自分は楽してざあっと泳いでいくわけですね。そういう中小企業でさえも数多くあって、私の家の近所ですが、これはもう出世物語になっていますけれども、本当の道端で売っていた八百屋さんが、そのうちベンツ乗り回して、最近では私の家のすぐそばに大きな店を構えて商売していらっしゃる方がいる。そういうふうに、日本社会というのは高密度社会でございますからいろんなチャンスがあるんですね。
 そういう意味では大きなのと中小というのは補完し合える関係にあって、そういう可能性がある限りにおいては、先ほど彼は福祉政策ですべての人を面倒を見るというのは間違いであって、流通の中で働いたらいい、年とっても働いたらいいと。僕もそう思いますよ。僕のイメージが違うのは、そういうふうにすべてが淘汰されるというふうに思ってないから、経済的な政策で対応できる。経済政策とは何か。まず、この大店法を外しちゃって、その後要するに市場機構の中で企業が成長できるようなそういう枠組みをつくってやる。ただし都市との問題がありますから、都市政策の観点からある種の介入は必要ですけれども、これはさておいて。
 したがって、社会問題を認識しているかというふうにお尋ねでございますけれども、私はそういう社会政策で対応しなきゃならない問題は十分に認識した上で経済政策はこうあるべきだということを申し上げているわけです。
#35
○大木浩君 私どももよく使う言葉ですし、先ほど三浦さんもお使いになったと思いますけれども、地域に密着した行政とか地域に密着した政治というのは、これは抽象的には非常にいい言葉でみんないつも演説のときに必ず使うわけでありますが、現実にそれじゃどうだろう。例えば今の大店舗法の実際の適用とかそれをめぐってのいろいろな議論というときに、地域に密着した行政ということについて、三浦さんもちょっとお使いになりましたので、言葉じりをとらえるわけじゃないんですが、現実にこういった今の流通問題について地域に密着した行政とか政治ということを、もうちょっと具体的に御説明いただけるとありがたいと思います。
#36
○参考人(鶴田俊正君) 後でこの問題で私にも発言させていただけますでしょうか。
#37
○大木浩君 はい。
#38
○参考人(三浦功君) 地域に密着した行政ということは一体どういうこと――行政ですか。
#39
○大木浩君 私どもは政治とも言いますけれども、行政であれ政治であれ、あるいは物によってはいろいろと両者が一緒になったものとか、主体が第三セクターでいろいろなことをやる等、いろいろなものを全部含めてですから、そこのところは政治行政ととらえていただいて結構です。
#40
○参考人(三浦功君) 地域に密着した行政あるいはその政策というのはどういうふうなものであろうかというふうに考えましたならば、むしろ一番土台になってきますのは、地域住民等が最も住みやすくというか、豊かな生活を送りやすいような環境をどうつくっていくかという目的のために地域内部で極力活動をし合っていく。それで、それがさらに力不足というところについては、要するに中央であり外国でありというふうなことから大いにまた力もかりてこれるというふうなことまで含めた地域生活に対するいわゆる貢献度、貢献の活動というのが地域密着の活動というふうに考えたいと思っています。
 また、これが例えばマーケティングとかあるいは一つの店の経営の問題という形になりましたならばまたちょっと言葉遣いが違ってまいりまして、商圏半径五百メーターとか六百メーターとか一キロとか、そういうふうなお客様に対して、極力そのお客様たちの生活の内容をよく知っていて、それに対して固有名詞といいましょうか、個別のいわゆる対応をしていく活動、こういうようなものが今度は地域密着の経営というふうなことでないのかというふうに考えています。
 だから、地域密着ということを考えたとき、地域密着のいわゆる商店経営とかいうのはどうするかといったときは後段のような理解で考えますし、地域密着の例えば行政とか政策というふうな形を考えてみましたときには、その地域の住民のアメニティー等をいかに豊かにしていくかということに対してまず地元が一生懸命努力する。それでもって、当然欠けている部分が多うございますから、それに対しては積極的に中央ないし外国までのパワーもかりてきながら地域をよくしていくというぐらいのことが地域密着であって、いわゆる地域モンローといいましょうか、地域の中で全部抱え込んでしまうというふうな意味合いで考えているつもりはございません。
#41
○参考人(鶴田俊正君) この地域密着型の政治ということを、例えば先生方が選挙地盤でお話しになるときの地域に密着したというのと、こういう調査会なり研究会の場で使う言葉と、私はかなり識別して使うべきだというふうに思うんです。選挙の場合ですとやっぱりエモーショナルな部分がございますから、私は先生方が御自由にそれを使っていただくのは結構だと思うんですけれども、ただ、大店法とか具体的な経済政策がどういうふうにあるべきかというときに、地域に密着したという言葉を使うと非常に危なっかしいと思います。
 彼の議論を聞いていて僕は危ないなと思っていたら、見事に危なくなってきた。何か危なくなるかというと、今の大店法の調整システムを全部認めちゃうんですよ。例えば市外資本は一平方メートルたりとも認めない。それを決めているのは、地域の人たち、商業者たちが決めているわけですよ。地域を代表しているかどうか知りませんけれども、地域の人たちが決めていることなんですね。これはとことんまで行くと、もうリージョナリズムの極致になりますね。
 現在、大店法で起こっていることはまさにリージョナリズム、地域主義ですね。地域主義というと日本のは何か新しい革新的なイメージがあるのかもしれませんけれども、イギリスに行くとあれは割拠主義というふうになって、要するに自分のエゴイズムだけを守るようなものになってしまう。大店法の場合はまさにそうであって、地域エゴ、自分たちの利益だけを守ることにきゅうきゅうとしているわけでしょう。それがやっぱり地域密着型というふうな表現で言われているんだと思うんですね。
 例えば、こんなことも地域密着型になってしまうんですね。スーパーのある企業ですけれども、これは地元との協定書なんですが、例えば特売回数は月三回とし一回は三日以内とするとか、特売の宣伝はチラシのみとするとか、こんな協定を結んでいるのが今の大店法の横出し規制なんですね。そういう意味で、現在の大店法というのはまさに地域密着型の、あるいは地元民主主義という美名の中でああいう情けない仕組みをつくっているわけですよ。
 ですから、エモーショナルな言葉で経済政策を議論するのは一番危なっかしいんで、やっぱりそこらの点はフランスなんかはまだまだ知恵があると思うんですね。大店法ができたのは一九七四年ですけれども、フランスでツール市の市長のロワイエさんが、あの人は日本で言うと通産大臣だったんですが、そのときにつくったロワイエ法というのがあります。これは大店法に似て非なる法律でありまして、これは同じ商業調整をするのでも、やはりフランスは長い間の民主主義の蓄積がありますから、さすがにいろいろ考え抜いているなという気がするんですが、御紹介してよろしゅうございましょうか。
#42
○会長(小山一平君) お願いします。
#43
○参考人(鶴田俊正君) フランスのロワイエ法というのは大店法とどこが違うかといいますと、まず商業都市県委員会とか、要するに都市問題との関連で商業を考える、この基本的な視点が違うんですね。ですから、商業都市県委員会とか商業都市中央委員会とか、そういう「商業都市」というのが必ずつきます。そういう都市政策の観点からまず決めるということです。
 二番目は、リージョナリズムを排するために、日本で言えば県単位で調整の仕組みをつくっています。日本は町とか市でしょう。要するにどこそこのたれべえさんとわかるような人が商業者の代表で出てくるわけです。フランスの場合はそうじゃありません。フランスのある地域、例えば神奈川県なら神奈川県の商業調整をする場合には、藤沢市なりあるいは鎌倉市なりあるいは川崎市なりのそういう商業者の代表なりあるいは地域代表が出て、そしてディスカッションをするからリージョナリズムがかなり薄められます。これが二点目です。
 三点目は、確かに日本と同じように地方自治体の職員と消費者代表、商業者代表が入りますが、これは全部で二十人なんですね。議長は県知事がやります。したがってこの委員会は公的性格を持つんですね。日本の商調協というのは全く私的性格でしょう。ですから、近代協などが反対運動をしても、道路交通法違反でしか取り締まれないんですよ。あるいは金銭の授受があっても贈収賄で問われないんですね。この委員たちに公的な性格を与えてしまえば、調整のときに実弾が飛ぶということはあり得ない。フランスではその知恵を働かせているわけです。そういう意味では、フランスでは県の委員会として広域調整をする。しかもこれは公的な性格を与えている。そして、採決をする場合に採決結果を公表するんですよ。あるいは議論するプロセスにおいてその地域の経済指標を集めて、そして調整するようなことを考えているわけです。
 なおかつもう一つの知恵は、二段階調整システムをとっているということです。二段階調整というのは、例えば地域の県委員会の中で、あるデベロッパーが開発をしたい。そうすると推進する人と反対する人がいます。最終的に表決をするわけですけれども、推進派から見てこれはノーとなったらデベロッパーは不満を持ちますし、反対の人はこれが通ってしまうと不満を持つ。その場合、国にもう一度調停を求めることができるんです。中央の商業都市中央委員会というところで改めてフランス国民経済という観点からこの大きなプロジェクトが行われるべきかやめるべきかという議論をして、そして最終的にイエスかノーかと決めていく仕組みなんですね。
 これは、ある意味では、経済の問題について政治が介入しようとするならば、やはり個別業者の利害、損得によってごちゃごちゃ決めるんじゃなくて、やっぱり政治の場ですから民主主義のルールに則して公的な機関がきっちりやるというのがフランスの仕組みなんです。このフランスの仕組みでも僕はいろいろ問題があると思いますけれども、要するに地元密着型とか地元民主主義だとかあいまいもこなことでこういう重要な案件を議論してはいけないんだということの一つの参考として申し上げておきたいと思います。
#44
○大木浩君 先ほどからお二人とも、流通問題は結局は都市政策的なこともちゃんと考えなければだめだというお話がございましたので、余り時間がございませんが三浦さんからお伺いしたいと思うんですけれども、鶴田先生のお話にも出ておりましたと思いますが、具体的に例えばゾーニングの問題ですね。要するに、これはどういう地域だということの規定というのは日本は非常にルースというか、戦後大変にいろんなものが一緒にでき上がってしまったものですから、今からとても難しいと思いますけれども、現実にこういうことをやったらできるんじゃないかというようなことで何か御示唆があればお伺いしたいと思うんです。
 確かに、私どもアメリカへ行ってもヨーロッパへ行っても、町の中心部はこれはどういう地域だということがきちっとしていますよね。だから、先ほどの、住宅地から商業地にしちゃいかぬというようなことだけじゃなくて、同じ住宅だって何階にしろとか非常にきつい規制がかかっておりますし、それにみんなが従っているというようなことが現実だと思うのですが、三浦参考人、その辺の都市政策的なことについて若干お話を伺いたいと思います。
#45
○参考人(三浦功君) 日本においてゾーニングというのを今からやっていくということは非常に難しい課題だとまず思います。ただ、ゾーニングをしていかなければならないということは、特にこれからの地方都市においては必要なことではないかというふうに思います。特に土地の値段というものが非常に今は高く上がってしまっておりますから、これを前提にしてこの地域は商業地域である、この地域はどこどこ地域であるということを再確定するということは大変な困難なことではあるけれども、思い切って地価とのかかわり合いの中でそれを進めていかなければいわゆる都市問題のところには入っていけないだろうなということは思っております。
 しかも、それをかなりの長期間、少なくとも三十年とかそれぐらいの長い期間をかけてそれを見ていく必要があるし、いち早くそういうようなことを、先ほど先生からはあしきリージョナリズムという指摘がございましたけれども、地域のことについては地域のまたそれぞれの役割を持った人たちが中心となってその地域の将来像をつくり上げていく、それに向かって三十年、四十年という時間をかけて商業機能等もつくり上げていくようなシステムに持っていく課題は非常に大事なことじゃなかろうかというふうに思います。
 それからまた、先ほど鶴田先生から御指摘ございましたけれども、決して地域エゴというのが地域密着だということを申し上げたつもりではございません。例えばつい先般、長野県の飯田というところに大型店が三店郊外ショッピングセンターを出す。一店は二万九千平方メーター、二店目が二万六千平方メーター、三番目のところが二万三千平方メーター、これが中心部から一・二、三キロ離れたところにある意味じゃ集中出店、こういう計画が出されているというふうなことがあるわけです。こういうふうなことに対して一体どういうことを考えればいいかということについても、地元の識者といいましょうか、地元の多くの人たちの手にもちょっと余るんです。
 そういう意味合いでは、一体この町をどうしていくのかということについては、むしろ公的なというかかなり権限を持った立場の人が、例えば中央なりあるいはほかの地域から出かけていって、それに対してこういうふうな方向であるべきだということについて発言をすることは、これは非常に望ましいことであり、そうじゃなかったら解決せぬのじゃなかろうかと思っておりますので、決して地域の中へ地域が全部閉じこもって、それでもってエゴを発揮するというふうなことを申し上げているつもりじゃございません。そういう意味合いで、地域密着という言葉がちょっと何といいましょうか、イメージ的な言葉であるということは事実でございますから、おっしゃるとおり、この言葉の使い方というのは少し考えておかなきゃいけないということは同感です。
#46
○大木浩君 鶴田先生、もう時間がありませんけれども、あと二、三分ぐらいで今のお話について何か先生の方のコメントがありましたら、それをお伺いして終わりにしたいと思います。
#47
○参考人(鶴田俊正君) 今の都市計画に関してのことでございますけれども、きょう毎日新聞の「記者の目」というのを見ておりましたら、要するに警察庁が今度車庫規制をいたしますですね。これに関連して書いてあって、なるほどなと思ったのは、日本には本当に都市計画思想というのは全くないなというふうに実感したわけでありますが、例えばいろんなビルとかあるいは公共のいろんな娯楽場とか、百貨店にしてもそうかもしれませんけれども、どのくらいのスペースの駐車場をつくるか、これは昭和三十年代にできた法律があるんだそうです、規制があるんだそうです、基準が。当時は車社会じゃございませんけれども、それから三十年近くたっても昔のままの基準で建設行政が行われている、こういうことが書いてあるんです。それを見て僕は愕然としたんですけれども、これはある意味では日本の縦割り社会の弊害、難点をずばっと言っているんだと思うんですが、やはりそのことも、こういう都市計画の中で車をどうするかということはいろんな官庁が考えなければいけないんですが、日本の場合にはどうしても縦割りでございますから、横のことを考えない。自分のところだけで何か完結させようということがあって、それが今のような乱雑な、車を放置するような社会をつくり出しているんだろうという気がするんです。
 それで、私はアメリカに留学したことがございますけれども、例えばアメリカの地方都市の場合には車を自由に駐車することができますが、ワシントンDCとかというような、ああいう大都市になれば非常に規制がきつくて、例えばマンションの前の駐車場からちょっと車体が二十センチぐらい歩道に出ているだけでも何十ドルという罰金を取られるんです。車道にじゃなくて歩道にですよ。そういう意味で、僕は日本では規制が緩過ぎるんじゃないかなと思っておりました。確かにそれはそのとおりでございますけれども、それ以上に大事なのは、都市をどういうふうにつくるかということを一体だれが総合的に考えているんだろう。そこのところは日本の社会では考えるところが全くないんじゃないかという気がするんです。
 そういう意味では、この商業問題についても、日本は縦割り官庁でございますから、横のことを考えながら総合的にビジョンをつくっていくのは僕は立法府だろうという気がするんですね、やっぱり。参議院であり衆議院であり、そういうところで日本の縦割り官庁の弊害を鋭く問題をつきながら、都市というのはこういうものだと。だったらば車庫規制はこうあるべきだし、駐車場はこのくらいの規模だったらこのくらいつくらなければいけないとか、そういうものをぜひ総合的にお考えいただいて、その中で商業はどうあったらいいかということを御議論いただけたらなというふうに私の方から希望をさしていただきたいと思います。
#48
○大木浩君 ありがとうございました。
#49
○会長(小山一平君) 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
#50
○会長(小山一平君) 速記を起こしてください。
#51
○中野鉄造君 先ほどからいろいろ両先生のお話を聞いておりましたけれども、先ほどの大木委員の質問の中にもありましたように、いわゆる地域密着型の行政というものは言うべくしてなかなか難しいし、ややともすると地域主義的な方向に陥りやすいという面がある。私もそれはうなずけるわけです。
 そこで、鶴田参考人にお尋ねいたしますけれども、地域に密着した流通行政というものはどういう姿であるべきものなのか。いかがでしょうか。
#52
○参考人(鶴田俊正君) 私が申し上げたのは、地域に密着した流通行政はあり得ないということを申し上げたんですね。ということはどういうことかと申しますと、流通産業の競争形態を考えていただけばわかるんですが、例えば普通トヨタと日産が競争する場合、自動車、製品の競争をいたしますね。それから企業の総合力で競争いたしますけれども、そういう要素は流通産業でも同じようにあるわけです。
 例えば伊勢丹さんの業態とダイエーさんが競争し合うということ、あるいは中小小売業とも、どんな商品を販売するかという点で、あるいはどういう価格づけをするかという点で競争することはありますけれども、もう一つ決定的なポイントは、流通産業は空間と空間とで競争し合うんです。スペーシャルコンペティションと言っていますけれども、例えば新宿のお店同士で競争しているんじゃなくて、新宿と池袋で競争したり、新宿と銀座で競争したり、あるいは銀座と浅草で競争したり、あるいは神奈川県ですと藤沢市と鎌倉と競争したり、そういうスペースとスペースとの競争が入ってくるわけですね。
 そうすると、例えば地域に密着して、私は非常にリージョナリズムの危険性があるということを申し上げましたけれども、例えば地域は中小店が多うございますから、これを保護しようとした場合には町の流通の効率性、つまり消費者にとっての利便性といいますか、それが低下することは間違いないんですね。となると、他の都市にこの町からどんどんお客さんが行ってしまうんです。現にこの周辺ですと藤沢市がそうなっています。藤沢市は大型店が随分出て、一時みんな立ち行かなくなるのじゃないかと言われましたけれども、遠くからお客さんが来ていますから結構繁盛しちゃうんですね。
 そういうふうに、流通産業というのは空間と空間とが競争し合うところですから、過度に地域に密着しちゃうとむしろその都市を衰退させちゃうという問題がある。私どもが都市政策の観点を入れた流通政策と言うのはまさにそこであって、保護するだけじゃだめなんですね。やっぱり他の地域に対して競争力のある商業をつくらなきゃいけない。その競争力ある商業をつくるためにはどうしたらいいかというと、市場経済の中で個々の流通業者が創意工夫を凝らして、そして成長することを考えていかなきゃいけない、これが大事だということを私は申し上げているわけです。
#53
○中野鉄造君 そこで、先ほどから日米の構造摩擦についてアメリカと日本とのいろいろな違い、お話がありましたけれども、どうも行き着くところはカルチャー論議になるような面もありましてね。例えば今回日米構造摩擦のハードルを一つ越えたとしても、次にはECとのなにがありますし、そういうようなことを考えるときに、これは先のことですけれども、日米構造とECとの構造、これはどのように違うとお考えになっているのか、両参考人にお尋ねしたいと思います。
#54
○参考人(鶴田俊正君) 大変難しい質問でございまして、今度の日米構造協議の構造の意味でございますけれども、私はいろいろなところに書きもしておりますが、いわゆる法制度の制度と、一般的に流通構造とか産業構造とかと言われる意味の構造と、それから日本の慣行と言われるものがございますね、要するにトラディショナルな意味を持っておりますけれども。そういう制度、構造、慣行の三つが含まれているのが日米間で今話題になっている構造という意味だろうというふうに思うんですね。そういう非常に広い意味で使っていると思うんです。
 ECが統合化される場合に、各国の税制とかあるいは規格とかそういうところまですり合わせて、要するになるべく共通のルールで経済を営みましょうというふうになっているわけでございまして、そういう意味では、日本とアメリカの関係が将来どうなるかということはいろいろな選択肢がございますけれども、やはり制度というものはなるべく共通化していこうというふうな方向に進んでいることは間違いないと思いますね。
 その中で、例えば構造をめぐって、今の日米構造協議の一つの焦点になっている独禁政策なんかでも、例えば同じようなレギュレートの仕方をしようという方向に向かっていることは間違いないと思います。今まで日本は、法制度について言えば、冒頭に申し上げました規制制度が非常に多うございましたし、また独禁法にしましても、アメリカと日本ではかなり運用基準が違っている。ましてや取引慣行について言えば、日本では系列という発想がございますけれども、向こうではそれは薄いとか、そういう意味では非常に日本とアメリカの経済の仕組みが違っている面があって、それを時間をかけてできるだけ同じような仕組みに、あるいは同じようなルールを前提とした経済にしようというふうに動いているんじゃないかなというのが私の認識なんです。
 ですから、そのときにでき上がったものがECとどう違うかというのはよくわかりません。それはまたECと今度は日米とでお互いに制度面をすり合わすということがあるのかもしれませんけれども、ただガットとかOECDとかという場でもって、OECDだったら資本取引のルールをつくるとか、ガットだったら貿易のルールをつくるとか、そういう意味ではグローバル化しているわけですね、すべてのものが。そういうものの一環として私はとらえているというふうに申し上げておきたいと思います。
#55
○参考人(三浦功君) 私もこの問題については、これが答えとかなんということはとても言えそうもないという感じがするんですけれども、アメリカとの関係で事流通、特にまた小売流通等に寄せて考えてみたときには、日本とアメリカとの間で非常に違うのはやはりあの巨大な国土、広さというものが圧倒的に違うと思いますね。あれだけ広い中に、人口は日本の五割増しぐらいの数がいるわけですけれども、そのような人たちが小売流通を利用しあるいは営んでいるというときは、例えばスクラップ・アンド・ビルドみたいな考え方が非常にある意味では生き生きして、生きていきますね。どんどん新しいショッピングセンターなんかつくって、それでもってそれがだめだったら、極端な言い方をすればゴーストタウンにしたっていいみたいな形のことができますね。ところが、日本の場合には、このような狭い中でそういうことをやったならば、例えばの話、それにくっついて出店していった小さなお店とかそういうようなものなんか、むしろたまったものじゃございませんですね。
 そういうような大地の広さというふうなものというのは、いろんな民族、多民族国家がもたらす問題等も持っているかもしれないけれども、これまた流通の中で一番大きい問題、違いじゃないかと思って見ています。それを超えて、何といいますか、フェアネスというか共通の価値基準、これをどうやってつくろうかということを迫られているわけなんで、これはしなきゃいけない。つまり、時間がかかるにしてもしなきゃいけない。そこのところは全く先生おっしゃったとおりなんだけれども、その違いということだけはアメリカとの間ではよく見ておかなきゃいけない。
 そうしたらヨーロッパはどうかというふうに考えましたら、ヨーロッパというのはもう本当に日本に近いというか、日本よりもさらに高密度だと言われるところもあるわけでございまして、そういう点から考えて、私もヨーロッパの流通をずっと見て歩いたこともありますが、事小売について何らかの規制措置をとっていない国というのはほとんどなかったような気がします。オランダにももちろんございますし、ドイツにもございますし、フランスには先ほどおっしゃったような非常に厳しいものがあります。日本と同じではございませんけれども、この土地利用ということからくるところの規制というのはヨーロッパは非常に多いんですね。これはやっぱり狭い土地というものをどうやって条件よく生かしていこうかということからきているんだろうと思いますので、ここはアメリカとは大分違うという感じを受けます。
 しかし、そこでもやはり共通のこと、お互い同士の取引がもうどんどんオーバーラップしてくるわけでございますから、これは共通化しなければいけない。共通の言葉や共通のルールは持たなきゃいけないけれども、それぞれの国が持っている土地の広さとか、あるいは歴史の違いとか、あるいは先ほどの食生活その他の生活の違いとかいうふうなことは認めた上で要求するものは要求していくというふうなことが必要なのではないかなということぐらいであって、この問題、今の御質問について、先生が御指摘になっている、本当にここが聞きたいところについて明瞭なお答えはちょっとしにくいという感じがしております。
#56
○中野鉄造君 三浦参考人がお書きになった「九〇年代流通ビジョンと中小流通業の課題」というのを読ましていただきましたけれども、この中で、先ほどからいろいろ論議されているように、こういう目まぐるしい時代の流れの中にあって、やはり産業構造の変化の中で成長に乗り損なったり乗りおくれたあるいは落ちこぼれつつある流通関係者、その人たちの中にはもう本当に、この著書の中でおっしゃっているように高齢人口の仲間入りをしつつあるというような人たちもだんだん出てくるかと思うんです。その人たちに対するいわゆる救済措置と申しましょうか、この著書の中ではそういう人たちを社会保障でカバーしよう、そういうような考え方があるけれども、それも賛成できない。あるいはまた長期的、育成的な考えもないままに助成金で解決を図ろうというような、これも余り賛成できるものではないというようなことをおっしゃって、そしてその結びの中でワールド・ショッピング・システムだとかあるいはハイテクを用いての個人参加、そういったようなものもあるんじゃないかというようなことをおっしゃっているわけです。
 しかし、果たしてそういう、これ弱肉強食じゃなくて知恵の出し比べだということを先ほど鶴田先生もおっしゃったんですけれども、それにも乗りおくれる、あるいは落ちこぼれる人は当然出てくると思うんです。また、長年やってきたそういう高齢化に入ったような人たちがこうした近代ハイテクを用いてのどうだとかこうだとか、そういったようなものが果たしてやれるだろうかというような危惧をするわけなんですけれども、こういう人たちに対する救済措置というか、どういうことを考えられますか。
#57
○参考人(三浦功君) 私が書いたものについて読んでいただき、またコピーを私が配付したのじゃないのに見ていただきまして、どうもありがとうございます。
 私は、先ほどもちょっとこれは触れたところでございますけれども社会福祉、先ほど先生、社会福祉と経済問題とを分けて、それは福祉の問題であるという御指摘がございましたけれども、極端な言い方をすると、だんだん高齢化していったということは、元気な年寄りといいましょうか、これも随分ふえているわけでございまして、元気な年寄りたちに就業の機会というのをつくっていくことの方がまさに社会福祉財政の対策の面からいっても有効なはずだと、こういうふうに考えますし、またそのような仕事のチャンスをそこで得るという意味合いでも、地元の住宅地等に密接した近いところの商店街、こういうようなものは大いに残っていくべきだし、ということで考えます。また、それが非常に鋭い近代的経営というふうなことからは若干距離がある商店街であったとしても、そういうような存在があることによって今度はその地域の高齢者というか、そういう人たちに便宜を与えていくことができるならば、それは僕は存在理由があるんじゃないかと、こういうふうに思うわけです。
 そういったようなこととともに、それは今むしろ働く側の方の立場で考えたわけですけれども、もう一つ今度はショッピングする場合の消費者の立場で考えましたときには、先ほど鶴田先生もおっしゃったように、たとえこれが自由になったとしても大型店ばかりの社会が来るわけじゃないよというふうな御指摘は、僕も全面的にそれがノーというわけじゃございませんけれども、地域によりましては、要するに大型店が中心となってそこへの集中度が非常に高まることによって住民にとってショッピングの不便をもたらす、こういうふうな地域も十分考えられる。そういうようなことが考えられるところに対しては便利さを提供していくような手段、これは政策的にも講じられていいんじゃないか、こう思っております。
 また、一体それが国際的ないわゆるニューメディアみたいなものを使って年寄りたちが買えるかどうかというのは、年寄りたちがニューメディアを使って買い物ができるというような形で書いたつもりはないのでございます。そうではございませんで、むしろそういったことは、先ほど鶴田先生がおっしゃったように商店街対商店街の競争だけでなくて、通信販売とかそういうふうな手段を持った流通というのも広がっていくということも競争の中で流通は考えなきゃいけない分野なんだと。そういったことを上手に活用した新しい一種の販売業態等をつくっていくことが、今度は中小の小売業者が地元になくなったときにもそういうふうなことを工夫していくことによって年寄りたちがショッピングしていけるチャンスを確保できることをあわせて考えなきゃいけないということを補完的にそこに書いている部分だと私は思っております。そういう意味合いで、むしろ高齢者問題といわゆる中小小売業のもたらすショッピングコンビニエンスといいましょうか、便利さというふうなこととの関係というのは非常に重視しなくちゃいけないわけではなかろうかという意味合いで多分書いている話だと思っております。
#58
○中野鉄造君 同じなんで申しわけございませんけれども、鶴田参考人、大店法なんというのは要らないと言うとなんですが、そういうふうなことになると、今言ったような乗りおくれた人たちもかなり出てくると思うんですけれども、いかがでしょうか。
#59
○参考人(鶴田俊正君) 今先生の御質問を受けてこれから申し上げることはまた三浦さんと論争しなきゃならないわけでして、仲のいい友人とここで論争しているとこんなことが契機になって仲が悪くなっちゃうと困るなと思っているんですが、それはそれとしまして、先ほど僕非常に気になったのはアメリカと日本の違いを強調されたんですね。違いを強調して何が意味があるかということなんです。要するに日本とアメリカの違いということは皮膚の色を見ればわかるんであって、殊さら今さら違いを言っても何も始まらないと思うんです。
 日本でもダイナミックに商業というのは変わっているんです。つまり新陳代謝の非常に激しい社会です。少なくとも現在存在している企業は、卸売業と小売業を含めて、どうでしょうか、全体の六割ぐらいは一九七〇年代に開業したお店じゃないでしょうか、若干記憶が薄れていますけれども。要するに開業率と廃業率、これが非常に高いんですね。そういう意味では日本社会というのは非常に変転目まぐるしい社会であって、確かにダイナミックに展開するがゆえに商業者もそれに対応できなければどんどん脱落していくんです。その過程が少なくとも高度成長の過程であり石油危機以降の多様化の時代であって、そういう意味では日本社会というのは非常に新陳代謝の激しい社会だということをまず正確に申し上げておきたいと思うんです。アメリカだけがスクラップ・アンド・ビルドをしているんじゃなくて、日本はお店ごとに全部スクラップしてまた新しいものをつくっていく、そういうダイナミックな社会だということをまず申し上げておきたい、これが第一点です。
 第二点は、大型店と小売店の協業ないし分業の問題でございますけれども、私はしばしば買い物を自分でするんであります。先生方も多分されることもあると思うんですが、私はどういうショッピングパターンをとるかというと、例えば生鮮三品とっても、スーパーで買うものはこれ、八百屋で買うものはこれ、肉屋で買うものはこれとか、ちゃんと決めてあるんです。スーパーというのは全部安いというのは大間違いなんです。野菜なんか見れば、要するに形がいいキュウリが並んでいるでしょう。トマトにしたって形がよくてあんなパッキングしてあれば高くなるに決まっています。だからコバンザメ商法がはやるんです。キュウリなんか曲がってたっていいんですよね。どんどん切ってしまえば曲がっていようが真っすぐだろうが関係ないし、トマトだってこぶがあろうがなかろうがちゃんと切ってやればうまいものがあるんです。
 肉に関して言えば、あれは規模の経済性が働きますからスーパーは多少安いようですけれども、しかしそれでもやっぱり選ぶところは選んだ方がいいです。個人店でもいいお肉を売っているところがあります。
 それから魚について言えば、私が住んでいるところは杉並でございますけれども、わざわざ吉祥寺まで買いに行くんですよ。吉祥寺には古い市場があって、そこで新しい魚を安く売っているわけです。ですから、百十円かけて買いに行って、移動のコストはかかりますけれどもそこで買ってくる。スーパーじゃ買わない。スーパーの魚を見ていると何か死んだような魚であってあれを食うと中毒になるんじゃないか。済みません、大型店でしたら悪口言いまして。そういうふうに、どこでショッピングするかということを考えて、それはもう消費者はそういうふうにやっていらっしゃるんですね。ですから、近所の、大型店がある周辺の小売屋さんでも結構繁盛するんです。
 つまり、大型店が商業集積の外れにつくられちゃ困る。町の中心的な機能の外れにつくられちゃ困る。例えば、裁判ざたになりましたけれども、東北地方に北上という町があって、五万人の都市がありますが、そこから外れたところの江釣子村、そこにジャスコが出店したんです。これはもめにもめて裁判ざたになった。これはある意味でもめるのは当たり前なんですね。要するに北上市という人口五万人以上の都市の商業を大事にしようと思ったら、それは離れたところにでかいものをつくっちゃいけない。これはやっぱり規制されなきゃだめなんですね。こういうものを規制しているのは西ドイツなんですよ。
 ですから、都市の中で商業の集積を図りつつやっていけば、大と小というのは完全に分業化できるんです。しかも、生鮮三品じゃなくて衣料品まで含めて、こんなに多様化している社会ですよ。大規模店だけがすべてのノーハウ、ソフトを持っているとは考えにくいんです。中小店であるがゆえにそういうソフトがあるはずなんですよ。それを僕は信頼していますから、そういう中小業者を信頼していますから、したがって大店法は要らぬと言っているんです。こういう大と中の調整的な法律は要らない。もちろん都市政策との観点から言えば何らかの対応は必要ですけれども、それはまあ別に置いておいて。そういう問題がある。これが二点目です。
 それから、三番目に高齢者の問題でございますけれども、実はこれ、私が三浦さん以上に発言力を持っているのは、私の女房の里で年老いた母親が商売をやっています。商売をやっていて、なるほどおっしゃるように、年寄りにも仕事の場があれば、これは孫に対して小遣いもくれるし大変ありがたいと僕は感謝しています。彼女が商売をやれる源泉は何かといったら、実は酒屋なんです。免許制の恩恵をこうむっているんですね。免許制で競争が制限されているからこの母親が商売できて、そして孫たちは夏になれば田舎に遊びに行って海で遊び山で遊ぶという、そういう恩恵をこうむっています。
 しかし、私は経済学者ですから、そういう私的な利益だけで満足しているわけにはいかないわけで、やはり現在の社会では、そういう高いコストをだれが払っているかというと消費者なんですね。消費者がやっぱり、悪いサービスの悪い商品とは言いませんけれども、高い価格でアルコール類を買っているわけです。消費者がコストを負担しているわけですね。しかもそれを、もう七十超していますから年金もあると思うんですね。そういう意味では、この基礎年金の部分というのは、納税者として多くの人が負担している部分があるわけです。
 したがって、高齢者の雇用機会をつくるのは、これは確かに重要でございますけれども、しかし消費者の利益をスポイルし、あるいは納税者のコストをうんと高めるような、そういう政策はおとりになるべきではないだろう。むしろ、やっぱり経済問題は経済問題として、いいサービスをリーズナブルな価格で提供できるような仕組みをつくり、なおかつ高齢者であって働けなかったら年金でゆっくり食えるような、そういう福祉社会をつくったらどうか。これは恐らく公明党さんの福祉プランの基本だろうと僕は思うんですけれども、そういうふうに私は思っております。
#60
○中野鉄造君 ありがとうございました。
#61
○神谷信之助君 共産党の神谷です。時間が余りありませんので、三点お伺いしたいと思います。それで、全部申し上げて後でお話をいただくというようにしたいと思います。
 まず第一点は、鶴田参考人は大店法は要らないというようにおっしゃるわけですが、その理由は、先ほどおっしゃいましたいわゆるインフォーマルなものやらがずっとあったり、それから競争原理は働かないし、言うならばなぜ営業の自由が制限されるのかということにもなろうかと思います。ただ、現実に大型店が出店をしてその地域の小売業者が廃業せざるを得ない、そういう状態というのが現実起こってきていますわね。もちろんトータルとしては、日本の中小企業の特徴だと思いますけれども、減っても必ずまた新しいものが出てくる新陳代謝がずっと続いてきていますから、全体トータルとして見ればそう大きな変化はないように見えるけれども、しかしその町自身、これは三浦参考人もおっしゃっていましたが、その商店街なら商店街というものが壊されてしまう、そういう実例も現実にある。
 この段階、インフォーマルないろいろなやつが出てくるというのも、大店法が許可制から届け出制に変わった条件のもとでの、ある意味で言ったら小売業者の自衛手段といいますか、そういうものが必然的に生まれざるを得なかった側面もあろうかと思います。したがって、私どもは大店法自身が完全なものとは思っていません、我が党はこれに反対をしてきましたから、我が党のみでしたけれども。そういう不十分さを持っている。しかし、今日我々はそれなりにその中で小売業者の生死にかかわる問題をとりあえずカバーできる、ある程度それに対応できる条件もつくっていく、そういう状況も生んでいることは事実なんですね。
 ここで、構造協議の中間報告で、とりあえずまず規制緩和をやって、次期の通常国会ですから来年ですね、来年に法改正をやって、さらに法改正後二年後に見直しをやるということをアメリカに約束をした。これ自身私どもはけしからぬ話だと思います。国会の議論も何もやらないでどんどん勝手な約束するなということになろうかと思うんですけれども、こういうことになってきますと、もう既に出店申請をしているところもずっと各地方都市でも出てきていますし、やっぱり先着の効果というのがありますから、そういう点では一時的な現象かもしれぬけれども、大型店の出店ラッシュというのは避けられない。また、そのことによって町壊しを引き出す可能性が極めて強いんではないか。そういう点では、この大店法そのものに、両先生ともおっしゃっているように、都市政策の視点といいますか、町の視点といいますか、あるいは地域住民の視点というのが抜けているというところに最大の問題があるかと思いますが、いずれにしても、そういう状態が起こるだろう。そのときに、そういった今まで果たしてきた商店業者あるいは商工業者の役割というものを無視をしてはいけないんではないか、この点を考えなきゃならぬだろう。
 中小小売業を中心にして歴史的につくられてきた商圏というものが地域の中小製造業、それから農林漁業、これの生産と地域住民の購買力とのつり合いのとれた形で発展をしてきている、そして今日形づくられてきているという歴史があります。そして、その中小企業が地域住民の雇用や就業を今まで保障してきた側面もある。そういう状況があるところに大手の流通資本が突如として乗り込んでくるということになりますと、そういった地域経済のつり合いのとれた発展の条件というものが崩れていく。地域住民の購買力は大手の流通資本を通じて地方の大資本に吸い上げられていくし、地域の経済には還流しませんわね。そういう状況も生まれてくる。
 この点は、先ほどの及川さんの話ですけれども、アメリカでは多額の寄附を取るとかという、いろいろな社会還元の方法をある意味ではやっていると言えるのかもしれませんけれども、日本にはそういう慣習はない。そういう点では、地域の製造業も卸売業も取引先の中小小売業の衰退とともに全体として衰退せざるを得ないというのが今日まで各地で起こっている現象ではないかと思うんです。
 だから、そういう点ではそれぞれの流通機構、ある意味で言うと制度の統一化、こういう方向に流れとしては向かっているというように鶴田参考人もおっしゃっていたんだけれども、しかし、とりわけ流通機構の問題はそれぞれの国の資本主義の発展の特殊性に規定された独特の性格と内容を持って歴史的に発展をしてきている、つくられてきているということが言えるんじゃないかと思いますね。
 日本の場合、日本の独占資本の資本蓄積過程の特殊性を反映して半失業的な停滞人口が都市に流れ込んできて、そして小規模自営の小売業者として生活せざるを得ない経済的社会的条件に対応して形成されてきた歴史がある。同時に、そのことがそういった小規模自営の小売業者の勤労に支えられて消費者の利便にこたえる我が国独特の小売商業形態というものをつくり出して、そして消費者のニーズにこたえてきた、こういう状況ですし、そういう中小の小売業者自身が、三浦先生もおっしゃっていましたけれども、いわゆる商業集積する町並みをつくり出し、あるいは住民とともに都市環境を形成していく。そして、みずからも地域住民ですから、いろんな町内会や消防団や婦人会なんかに参加をして、そして地域社会を支える役割も果たしてきているし、あるいは買い物に来る子供たちには社会生活の常識を教える教育者でもある。
 そういった中小小売業者が地域社会において果たしてきた役割が、何というか野方図なといいますか、無制限な大手流通資本の進出によって破壊をされてしまうということは、これは避けなきゃならぬ。単なる利潤追求の企業活動からは、今言ったような地域社会において中小の小売業者が果たしてきた役割をかわって果たすということはできない状況が現に日本には存在しているわけです。この辺がひとつ我々踏まえていかなきゃならぬ問題ではないかという点が第一点でございます。
 第二の問題ですけれども、もちろん今申し上げた点で現状を維持すればそれでよいというものではないわけで、お二人の先生がおっしゃっているように流通機構は消費者のニーズにこたえるものであるわけですから、消費者の社会生活の変化とともに当然変化するのは当たり前なんで、それにこたえなきゃならぬということだと思いますが、問題はその変化に対応する主たるリーダーは一体だれかという問題だと思うんです。それが大資本の利潤追求の力であったり、あるいは外国の帝国主義的圧力であれば、それはそれぞれの国民が歴史的に形成してきた流通機構を国民や地域住民の意思いかんにかかわらず上から力による強制で打ち壊すということになってしまう、これは問題ではないのかというのが第二点です。したがって、この大店法の改廃問題もそのことが問われているのではないだろうかというように思います。
 今回の日米構造協議の問題ですけれども、アメリカの意図に基づいて日本経済の改造を求める、そのためには純粋な内政問題についてまで干渉する、こういう日米協議という問題は、主権の面から言いましても、それから議会制民主主義という点から見ても私は許せない問題だと思います。先ほどお話の中で、しかしそうは言っても今まで日本の大きな改革というものは外圧によって進められているではないかということもございましたけれども、しかし日本の問題は我々国民自身が主権者ですから、考えなきゃならぬ問題だというように思うんです。
 そういう意味で、この点で鶴田先生は弱肉強食ではなしに知恵比べということでダイエーなどの例を出しておっしゃいましたけれども、これはそういう力のある人はそうなりますが、すべての小売業者がそうなるわけではなく、またなりっこないわけで、それを脱落した者は福祉政策でやればよいという問題、それもあります。しかし、それだけでは政治としては済まない問題ではないのか。だから、小売業者の人も働く意思があり、まじめに働けば生きていけるというような社会システムをつくっていく、これが政治の責任ではないのか。
 そういう意味では今日の日本の流通機構も、専門店の中小小売店や品ぞろえの豊富なデパートとか、日常消費物資のワンストップショッピングのできるスーパーとか、それから共同購入方式を中心に取扱商品について消費者の信頼の高い生協方式とか、いろいろな形態がありますわね。問題はこれらが、先ほども出ていた共栄できる条件というもの、こういうものをつくらないと、一方的な資本の力でどんどん追い込んでいくというようなそういう野放しということは許されないのではないのか。先ほどの問題にもありますが、そういう点が第二点です。
 第三点は、もう簡単に言いますが、都市問題の視点が抜けている。都市問題の視点抜きにはこの問題は真の意味の解決といいますか、それはできないという趣旨のお話もあったかと思うんですが、今度の中間報告の中で自治体の規制、これを抑制をするという問題がありますね。これはその点では逆行するもので本末転倒だろうと。本来、その地域の住民自身がどういう町をつくるかという意思の統一の中で解決される問題。だから、そういう立場から言うと、こういった自治体の規制を抑制をするというようなことは自治に対する侵害、自治の破壊だというように思うんですが、この点はいかがですか。
 以上三点でございます。
#62
○参考人(鶴田俊正君) いろいろと先生のお話を拝聴さしていただきまして、ありがとうございます。
 ただ、残念ながら私、先生と経済学を異にしておりますので全く理解できないことがしばしば用語に入っているものでございますから、例えば日本が今帝国主義的、帝国主義勢力の圧力の中で云云とおっしゃいましたが、全然僕理解できないし、資本の力と言うけれども、資本の力って一体何なのかということで全く理解できないし、町づくりの自治の破壊だと言うけれども、一体自治というのをどういうふうに理解されているのか僕は全く学問的にわからないから、これ以上お答えできません。
#63
○参考人(三浦功君) 今鶴田先生のような答えはちょっとしにくうございますから、若干それぞれについて私の方が少しそれじゃ話をしてみたい、こう思います。
 第一点のいわゆる大型店の影響というのは、これが五月になるのかまたその次の一年先になるか、それはともかくも、大店法が自由化されて、適用が緩和されてそのごく初期というものを想定したならば、それがもう超ラッシュになるか集中豪雨になるかはともかくも、今私なんかがつかんでいる限りの数字で考えたならば、今までに比べたら、たまったものがはき出されてくるというような形で非常に大きな出店がここで出てくるなということだけは想像つきます。その結果それがまた、もう残されている有望立地というのはそうはございませんから、そういう中において大きな直下影響をもたらすというふうなことも想像つきます。
 そういうふうなことに対して一体どういうことを今手当てしておけばいいのかというのが今度は振興法の課題であり、今役所のまた配慮しなきゃいけない課題なので、一体そこにどんなことがされてくるのかなということを僕なんかは見守りたいという感じを持って見ております。しかも、それは具体的にどの地域なのかなんてことも含めて具体策としてそれが出てこなければ、この問題について答えを行政的に出したことにならないような気がします。
 それから第二番目の問題ということについては、流通変化のリーダーは一体だれなのかということでございますけれども、これは先ほども話がいろいろ出てきておりますように、大型店だけがリーダーであるというふうなことは言えないし、最近は大型店の中にもいわゆる積極派と消極派とこういうふうに二つに分かれておって、もう本当にダラ幹になっている大型店もたくさんございますから、それがリーダーになるなんてことはちょっと想像できない。大型店自身がいわゆるリーダーであるというふうな言い方はこれはちょっとできないなというふうに私は思いますが、むしろその中で、私も先ほどから一連の話をしてきているように、たとえ大きな売上高、大きな商売はできないまでも、地域の中で特にシルバー社会等に貢献していけるような、そういう商店街等を何らかの意味合いで存立せしめていけるような手当て、これは大店法を存続させたから存続できるというんじゃないですが、そういうような形で存続させていけるような方法というのは何か工夫しなくちゃいけないというのも、これはまた政治課題としてあってほしいというのは先ほど述べたとおりです。
 それからもう一つ、自治体に任せるのがどうかということの問題でございますけれども、先ほど地域主義といいますか、地域密着の話の中からも出ましたが、地域というのをどのぐらいのところでとるのか。昔に比べたら地域が非常に広域化しているというようなことは十分あって構わないわけですけれども、やはりこの種のものというのは地方自治体等がかなりの部分中心となって計画をしていくべきものだというふうに私は思っています。
 ただそのときに、僕たち自身がいろいろな経験をしていますから、その経験の中で思うと、地域社会の中にいて一体どういうふうにこの町があるべきかとか商業があるべきかということについて経験を持っている人たちが少ないというふうなことは非常に大きな問題であって、この辺についてのこれまた手当て、これも行政上の手当ての課題でなかろうか、そういうふうに思っております。中央の力を大いに使っていくということは決して地域密着と相反するものではないというようなことは、先ほど申し上げたとおりでございます。
 大変すれ違った話かと思いますけれども、そんな受け取り方をいたしました。
#64
○古川太三郎君 連合参議院の古川でございます。
 今までのお話を伺っておりますと、大店法の問題については、一つの規制でございますから、本来ならば自由であるべきものが規制されている。なぜ規制するかという問題なんですけれども、これが社会的な規制ならば、先ほどから言われております都市計画とかいうような観点からの規制ならばわかるとしても、経済的な形での規制、これはどこからどこまでが経済的な規制かというのが本当にわかりにくくなっているわけなんです。今までの話を聞いていても、また各地方での商店街の大店法に対する、要するに大きな店が来ることについての反発は、ある点では経済問題を言いながら、鶴田先生が今おっしゃったような理論で明快にいきますと、今度は文化だとかそういったところに逃げられる可能性もあったり、あるいは地域性とかいうようなことにならぬとも限らないわけなんです。
 だから、社会的規制と経済的規制の分け方なんですけれども、非常に難しいところで、今まで私も考えたんですけれども何ともわからないところなので、そこら辺をいま少しわかりやすくおっしゃっていただきたい、こう思うんです。
#65
○参考人(鶴田俊正君) そのことについてはこういうふうに御理解いただければいいと思うんです。
 商業というのは立地産業なわけです。しかも、都市の重要な機能を担っているのは商業だというふうに理解できるわけです。したがいまして、その場合に都市の中の土地をどういうふうに使っていくかという問題と密接不可分になっているわけです。実は、先ほどからの都市計画の視点、都市政策の視点というのはそこのところでございまして、例えば住宅街の中に商店ができちゃうとか飲食店ができる、そういうことになりますと私どもの静かな生活が壊されてくるわけです。したがって、住宅地というのはやっぱり静かであることが望ましいわけです。
 つまり、土地の利用の仕方というのは、自分が住んでいる家の隣がどういうふうに使われるかによって私の生活の心地よさといいましょうか、経済学の言葉で言いますとウェルフェア、効用とも言いますけれども、それが非常に影響を受けるんです。公害なんかの問題を考えていただければよくわかるのですが、自分の家のそばで大きな鉄工所が煙を出している。これを吸って健康を害しちゃうわけですね。
 そういう意味で、土地というのは経済学の言葉で言いますと外部性を持っていると言うんです。その場合に、外部性というのはどういうのかと申しますと、Aという人の経済的な活動がマーケット、市場を通さないで直接Bという経済主体の生産性とかあるいは効用とか、そういうものに影響を与えるのを外部性と言っているわけです。したがって、公害の問題でしたら、新日鉄が出すばい煙を吸っちゃうから、経済主体Bである私は直接被害を受ける。これはマイナス、負の外部性と言っています。都市における土地もまさにそうでございまして、隣が飲食店であって夜中までカラオケをやられちゃうと私の生活の豊かさが破壊されますから、したがってやっぱり隣も住宅地であってほしい、こう思うわけです。
 ということは、土地の使い方として、あるところは住宅地、あるところは商業地域、ある地域は文教地域と、こういうふうに截然と分かれて使われるのが本来の土地の使われ方だということでございます。その点からいって、先生もしばしば外国の方にお出かけになると思いますけれども、一番うまく都市政策をやっているのはドイツだと思うんですね。ドイツというのは都市計画百年の歴史がございますから、非常に町並みを大事にして住宅環境を十分保全するような土地の利用の仕方をしているわけです。じゃ、ドイツにおいて商業が発達していないかというと、そうじゃなくて商業地域は非常に活況を呈しているわけです。
 そういうふうに土地の使い方を、ここは商業地域だよ、ここは住宅地域だよというふうに決めていくのはいわゆるゾーニング規制というやつですね、用途別規制。先ほど三浦さんは今からじゃ遅いと言いましたが、決してそんなことはないんで、それをやることが大先決なんです。これは、ある意味ではゾーニング規制でございますから社会的規制とむしろ言った方がいいと思います。
 経済的規制というのはどういうのかと申しますと、そういうのと関係なく、企業がある産業に参入しようとする、そうすると参入障壁を高くして例えば官庁が免許制をとるとかということ、これは参入障壁になりますね。例えばタクシーなんかでも、三十五歳でなければ白ナンバーを取れない。しかし、三十五歳になって取れるかというと、そうじゃなくてタクシー業界の需給を考えて参入を制限しちゃうわけですね。ですから、もし参入障壁が低ければ、日本では法人タクシーよりも個人タクシーがもっと活況を呈するのかもしれません、これは将来のことですからわかりませんけれども。参入に対してそういうバリアをつくっちゃう、これは一つの経済規制です。それから、価格についても自由な価格設定ができなくしてしまう、これもやっぱり経済的規制なんですね。そういう意味では、流通業における立地という問題は本当の経済的な行為でありますから、その面について言えば参入は自由であるべきだと。しかし、どこに参入するか、空間上でのどこに参入するかといった場合には、やはりこういうゾーニングの中のこの範囲で商業活動を営みなさい、こういう規制をするのが必要だろうということなんですね。
 ところが、日本の場合ですと、先ほどお話し申しましたように、住宅を他用途に転用するというのは全く自由でございますから、みずから住宅地をどんどん破壊させていくわけです。そういう意味で、東京というのは商業が非常に発達しておりますけれども、商業が発達していったということは反面で住宅地をどんどん破壊していった歴史なんですね、この戦後の歴史というのは。私は東京生まれの東京育ちでございますけれども、戦前からの東京というのは、非常に静かな住宅があったところがあっという間に変わってしまう、先ほど原宿の例を申しましたが。そういう意味では、本来あるべき規制をきっちりやらないで必要のない規制をしているのがこの大店法だというのが私の主張なんです。
 その本来の規制をきっちりやっている国はどこかといいますと西ドイツです。西ドイツは、商業地域をきっちりとつくりまして、この中に関する投資活動は全く自由になっています。この中で新増設しようと全く自由なんです。つまり、都市における商業機能を大事にしていこう、この思想があり、これをきっちり守っているわけです。その中の競争は自由にしている。また、西ドイツが規制をする場合には、都市の商業機能を壊すような、例えば郊外に大きなショッピングセンターをつくってしまう。そうすると、これはこちらの都市の商業の非常に強い競争相手になって都市の商業機能は壊れるなとなったら、これは規制します。こういう特別地域をつくっているところは幾つかあります。
 ですから、そういうふうに、本来土地の利用の仕方はどうあるべきかという議論と、それから商業活動はどうあるべきかという議論は截然と分けて考えるべきだということです。
#66
○古川太三郎君 この問題は、国の制度の問題とローカルの問題とありますけれども、大店法を廃止した場合に地方で、地方自治団体が独自に規制するというようなことも往々にしてあるかもしれない。その場合には都市計画の観点での規制というものでなければおかしいと、こうお考えなんですか。
#67
○参考人(鶴田俊正君) そうですね、もし地方自治体がやるとするならば都市計画、ゾーニング規制ですね。ゾーニングですから、この範囲の立地ならよろしい。ただしその場合に、何平米以上であったらだめだとか、そういうことは関係ない。現実に、あるゾーニングの中でしたら大型店と中小店は完全に共存共栄できるんですよ、むしろそこに客を引っ張ってくるわけですから。したがって、現在地方都市が求めているのは、大型店来てくれないか、開発してくれ、そうすることによって地域が活性化するという地域がたくさんあるんですね。ところが、ある企業はそれをやるにしても経営資源の限界がございます。人の問題ですね、能力の問題がありますので、その要請を受け切れない企業があることはあるんです。そういう意味で何というか、規制といってもゾーニング規制の範囲内のことであって、大型店だから、あるいは市外資本だからとか、そういうことはぐあいが悪いんじゃないかと思います。
#68
○古川太三郎君 そういう意味で日本の大店法の運用の実態が非常にローカルな、まあ看板としてはいいんですけれども、実態は非常に醜い部分もございます。そういったことはわかるんです。そしてまた消費者といいますか、そこの住民もいつの間にできたんだろうとか、そういう情報の公開がないような状態で突然ある日できるとかいうようなことは非常に不愉快に思われる人がたくさんいらっしゃると思うんです。法律で記載されている内容と運用の実態とがどうしてこう乖離していくのか。そこら辺は、逆に行政指導なんかされると余計におかしな形になってしまう部分もあって、非常にこの辺は直さなきゃならぬなと思う部分もあるんですけれども、時間がないのですが、どういうふうにその辺はお考えか。
#69
○参考人(鶴田俊正君) 冒頭に申し上げましたように、大店法でもめる原因は利害関係者が調整の当事者になるということ、しかもこれは私的な性格で参加して調整するから、したがってもめるわけです。今度通産省が一年半以内に調整しなさいという通達を示しましたけれども、あれの基本的な問題は、そこの仕組みを何にもいじらないで行政指導でやろうとしていることが果たしてできるかどうか。つまり、今まではできないので行政指導でやってきたわけでしょう。その行政指導でできないでどんどん延びてくるわけですね。それをやろうとしているところが通産省の悲しいさがだというふうに私は思っておりますけれども。
 したがって、新しい法律をつくる場合も、調整の仕組みを残すのであるなら、参考になるのはやっぱりフランスのロワイエ法だろうと思いますね。広域調整であって調整の主体も公的な性格を持たせるとか、それからきっちり政治のルールに乗っけるんだったらば事後的に議事録を公開するとか、情報を開示していくことですね。そういう議論を積み重ねることによって調整の学習が積み重なっていくわけです。今の場合、全く密室でしょう。しかも中でどういう実弾が飛んでいるかわからないんだけれども、実弾が飛んでいるという話だけはあるわけです。結局そういう本来あってはいけないことが地元民主主義という美名に隠れて行われているのはおかしいし、そのことを放置している通産省も僕はおかしいと思うんです。そんな実感を持っています。
#70
○古川太三郎君 よくわかりました。
#71
○足立良平君 民社党の足立でございます。時間も余りないようでございますから端的にお教えを願いたい、このように思います。
 これは鶴田先生にお聞きをいたしたいと思うんですが、先生お読みになったかどうかわかりませんが、四月の十日くらいだったと思いますが、日経新聞が大店法の、これは廃止になるのか改正になるのかを含めましてそういう変化を予測をいたしまして、一応大きな業者に対して今後の投資の動向といいますか、マインド調査を行った結果が出ております。
 それを見ておりますと、出店の件数というか店そのものはそんなに変わらないんですけれども、いわゆるスクラップ・アンド・ビルドといいますか、市街地の中における中規模店を廃止をして、そして面積の大きな大規模店に転換をしていこう、こういう傾向がまず一つ言えるだろう。それから二つ目に、先ほど都市計画との関係が出ているわけでございますけれども、地方の中核都市の近郊、いわゆる都市の中心とか都市の中の店、中規模店を廃止をして都市の近郊にそれを全部移していこう、こういう傾向が約七六%くらい実は出てきているわけですね。それから大都市近郊、これは六八%。近郊にひとつ大規模に面積を広げてつくっていこう、こういうことでございまして、例えば大都市の中心部では将来これはもうゼロだと。先ほど地価の問題とかいろんな問題が提起されましたけれども、まさにコストアップの要因としてだめだと。それから地方のいわゆる中核都市の中心というのはわずか四%程度しか実は計画をしていない、こういうふうないろんな傾向がございます。
 そうしますと、先ほど来お話をお聞きをいたしておりますと、どんどん郊外に移ってまいりますと、それぞれの都市というものは相当構造が変化していく、あるいは機能が崩壊をしていくというふうに思うわけでございまして、そういう面で鶴田先生はもう全面的に大店法廃止という考え方なんですが、ただ、お聞きいたしておりますと、都市計画というものをきちんとした上でという前提があるように、そんな気がいたすわけですね。
 ところが、残念ながら、先ほど大木先生の質問の中で、現実的に日本の土地の問題なりあるいは都市計画というものはなかなか難しいですよということを三浦先生がおっしゃっておりまして、ですから一つの都市計画がきちんと行われるという前提に立って、例えば大店法は全くフリーにやったらよろしいという大前提が日本の場合になかなか現実的に対応しにくいということになりますと、そういう前提を考えた場合に、この点をどのように考えていけばいいのだろうかというふうに実は疑問を持ちますので、その点ちょっとお聞きしたいと思います。
#72
○参考人(鶴田俊正君) 幾つか問題がございましたけれども、一つは器の問題でございます。これは都市計画法をやっぱり今の時点でもう一度考え直していくということが必要だろうと思いますね。市街化区域と市街化調整区域、それからその他の都市計画区域とあって、市街化区域の中は一応商業地とか住宅地とかそういうふうなゾーニング規制がありますが、まずこれをきっちり守ることが第一点だと思うんです。二点目は、住宅の転用に対して制限を課すというのが僕は現実的な考え方だろうと思います。第三点目は、市街化調整区域の中というのは大規模店がつくりにくいと思うんですが、その他の都市計画区域のところにつくられちゃう、これは自由ですから。これに対してやっぱりある程度の歯どめをかけておくということが必要だろうと思うんです。その意味で都市計画法とか国土利用計画法というものをもう少し見直して日本社会に合うような、しかもフィージビリティーを持つような形に再検討していくというのが一つのやり方だろうという気がするわけです。
 それから二番目は、今度は企業の方にやはりある種の行動基準みたいなものを求めることが必要だろうと想うんですが、私は大店法が残したメッセージは何だろうかということを考えて、すべての企業には当てはまりませんけれども、ある種の幾つかの企業にはやっぱりその地方の文化とか歴史を考えて出店しなければだめだという意識を定着さしたことだろうと思うんです。現にそういうことを考えて出店している企業があるんですね。
 一つは西武セゾングループがそうですけれども、長浜楽市というのが米原から外れたところにありまして、あそこは要するに長浜という古い町の外れにショッピングセンターをつくったわけですね。ここは堤さんがプランを二十回か三十回ぐらい何度も練り直さして、やっぱり地域の中にいかに密着するかという、この場合は密着というのはいい意味でですが、そういう発想から、彼は長浜楽市をデザインしたんです。これは要するにショッピングセンターで、近郊からお客を呼ぶ能力を持っている。それができるときに、長浜の旧市街、これは秀吉が城を構えたところで古い町があるわけです。彼らはもう楽市ができたらだめだろうと思ったわけですけれども、しかし楽市と共存できる仕組みを楽市の方で考え出したわけですね。つまり、歴史的な遺跡にここに来られたお客様をバスでお送りして、市を巡回してまた楽市へ戻ってくる、こういう楽市と古い市街との循環構造をつくり出してきたわけです。ですから今共存共栄ができているんですね。あの古い長浜の商業街が今再興しているわけです。彼らはビルド・アンド・スクラップもあきらめていたところ、西武さんが来てくれたので結構お客様が来よるというのでピルドしているわけですね。
 これはある意味では、企業が地域にいかに密着して地域の文化を生かしながら、歴史を生かしながら自分が商売するかという観点に立っている。そういう地域密着型の経営をしないとこれからの流通業は成り立たないというメッセージを私は次世代に伝えることにこの大店法の意味があったんだろうと思うんですね。このことをやっぱり我々としては企業経営者に対して強く求めていくことが必要だろうと思います。どんな制度的な枠組みがあろうと、やはり経営者の方が地域経済を大事にするという視点を持たなかったら結局だめなんですね。ですから、この視点を用いるかどうかということがこれからの非常に大きな勝負になると思います。やらずぶったくり型で出ればいいだろうというような形じゃ、これはぐあいが悪い。
 そういう意味であしきパターンが過去あることはあるんですね。一番もめるのは中心商店街の駅、の裏側につくっちゃう。これはどうしてももめますね、古い都市を破壊しますから、空間と空間との競争になりますから。こういうものに対してはやっぱり遠慮していただく。あるいは江釣子村みたいに、北上市があってこの都市商業を壊す可能性のある出店をするわけです。これはドイツでも規制されておるんです。そういう何か都市商業の商業集積を大事にするような出店を促すようなことは僕はできるんだろうと思うんです。
 ですから、法制度をつくることと、企業者が地域経済を大事にするという視点を持っていけば、またそれを持たないとどんな枠組みの中だってもう出店できませんから。そういうソフトが何か企業の中に蓄積されつつあるんだなと僕は思うんです。そういう意味では西友の高丘会長がもう大店法はたそがれだというふうにおっしゃっているというのは非常によくわかるし、西友についていえば、いろんなところからもう少し開発してくれと言われても、むしろ西友側の経営資源の制限があってお手伝いできないという面があるわけです。
#73
○足立良平君 三浦先生にお考えをお聞きいたしたいというふうに思うんです。
 それは何かと申しますと、これ先生の方で統計をお持ちかどうか、ちょっとお聞きしたいのは、先生のお話の中で小売業の減少といいますか、これは相当実数としては減少してきているけれども、実態的には相当スクラップ・アンド・ビルドといいますか、転廃業というものがどんどん行われているというふうに当初御指摘になっていたわけでございますが、実際的に先生の方で、零細企業といいますか零細業者という、二人以下ですかね、これは全国で統計的にほどのくらいの数になっているんでしょうか。
#74
○参考人(三浦功君) 手元に商業統計をたまたま持ち合わせをしておらないんで、間違っていたら恐縮なんでございますけれども、従業員二人以下というのは、今日本の小売業は、六十三年度ベースの統計で議論していますけれども、昭和六十三年度で百六十三万が日本のいわゆる物品小売業なんですよ。私うっかり間違えましたら後で正確にはお調べいただきたいんでございますけれども、そのうちの約九十万から百万ぐらいですかは従業員二人以下というぐらいの膨大な数というふうなことじゃないかと。ちょっと間違っていたら失礼、四人以下かもしれません。そこのところちょっと。
#75
○足立良平君 はい、わかりました。
 そうしますと、約百六十万、二百万弱の業者のうち約百万がある面でいったらこの零細というのは、言葉をかえて言いますと、これは私の想像が間違っていれば御訂正願いたいと思うんですが、いわゆる高齢者を中心にした業者というふうに大体なってくるんではなかろうかと、こんな感じがいたすわけですね。
 そうしますと、これから例えば大きな店がどんどん郊外に移っていって、それでまあ先ほどの議論のようにコバンザメ商法というんでしょうか、確かに新たな力のある小さな業者、これもまた郊外に移っていく。そうすると、約百万くらいの、まあ意欲がないと言ったら言葉が悪いかもしれませんけれども、今までの慣習に基づいて商売をずっと行っている人たちというのは、結果としてはその仕事として成り立っていく基盤というものは失っていくわけですね。
 したがって、そういう点からすると、これからの地域社会で、こういう全国で言うと約百万、ひょっとするとそれにつながる人が若干いるのかもしれませんけれども、そういう地域社会との関係でこれから一体どういう考え方をしていけばいいんだろうか。単にそれは社会保障として生活をできるようにちゃんといたしましょう、仕事はやめてもよろしいですよというだけで一体済むんだろうか。豊かな社会というのは、ある意味においては能力に応じて働きながら、そしてきちんと社会的な責務というものを達成をしていく、そしてそれがある程度調和を保っていくということがこれからの一般的な高齢化社会を迎えている日本の状況の中では必要なのではなかろうか、こんな感じを持ったりするんですけれども、その点につきまして三浦先生のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
#76
○参考人(三浦功君) それは先ほどから私がずっとお話をしてきているポイントでもあるわけでございますけれども、百万という数字が二人以下だったか四人以下だったかということについては正確なことが言えないんでちょっとやりにくいんでございますけれども、いずれにしても数十万から百万の本当に膨大な数がそこに存在しているわけでございまして、じゃその大部分が高齢者かといったら、それはちょっとまた別は別だと思います。
 ちなみに、昭和五十七年には百七十二万小売業があったんです。それで、昭和六十年までの間に十二万新しい参入があったんですね。その同じ時期に二十一万今度は逆に言ってリタイアがあったんです。それで差し引き先ほど申し上げました百六十三万という小売業に六十年度なっている。入れかわりが起こっているわけです。
 新しく入ってきている連中というのは、これは私の仮説ですが、かなり以上はやっぱり若い人というか、まあどのぐらいの人を若い人と言うかわかりませんけれども、まだまだばりばりやれる若い人だろうと思っておりますので、今新陳代謝がその中でもかなり激しく動き始めているということは、年寄りもかなり多いかもしれないけれども、まだばりばりやれる若い連中というのもその零細なところにかなりいるよという言い方はできると思うんです。
 だから、そこのところあたりをちょっと区分して考えながら、そういう人たちがでは一体どういう方向へ行けばいいのかということを考えるときに、いわゆる郊外のショッピングセンター的なところがこれからのブームだから、そこへ乗っていきゃいいじゃないかというのも一つでしょうし、今までの商店街をひとつしっかり成り立つものにしていくべきだというのも一つの方向でしょうが、気持ちからいったらこれまでのところでしっかりやってもらって、これまでの住民たちにも一緒に落ちついた生活をしてもらえるように機能してもらいたいというような方向を期待するわけです。
 それから、じゃ郊外の方に移ったら全部それがオールマイティーうまくいくのかと、こういう想像でございますけれども、それは先ほど私申し上げましたように、ノーハウもそれほど余りない者が高い固定コストを持って郊外へ出ていってほかでもってうまくいくかということを考えたら、私は非常にそれは不安だと、こう思っております。そういう意味合いで、郊外へ商業集積が出ていくというのも一つのチョイスではあるけれども、それはかなり経営的にもリスキーだというふうに考えてみるとき、これまでの在来型の商店街というものをいかに今日的に役に立つものに、余り派手なものである必要はございませんが、そのようにし続けていく必要はあるんじゃないのかなと思っているわけです。
 先ほど鶴田先生のお話をずっと伺っていて、結局、郊外へショッピングセンター等が出ていって、いわゆる都市機能、これまで長年培ってきた都市機能を分散させてしまうことはよくない問題だという御指摘がありました。私もそれは非常にそう思うんです。だから、先ほどお話し申しましたように、人口の小さい中小都市等においてはそういうことは僕はいかぬと思うんです。だけれども、チョイスの幅が非常に大きい、要するに大都市というか、それが十万なのか十五万なのかわかりませんけれども、そういうところになってきたときには、郊外立地というところにまた新しいチョイスを求めていくことは可能性があると思いますけれども、それが中小小売業を何か全部救っていく道だというふうな形で考えるわけにはちょっといきそうもないなという感じで受けとめております。
#77
○足立良平君 終わります。
#78
○星野朋市君 税金党の星野でございます。
 実は、私は議員になって一月ばかりでございますが、民間におりましたときにはまさしくこの大店法の建物設置業者の地位におりまして、実は工場跡地の再開発ということで約四年かかりまして、ちょうど一カ月半ほど前に決着したんです。したがいまして、この大店法の調整問題については、基本的には鶴田先生の御意見に全く賛成なのでございますが、その中で一つだけ私の方から参考に申し上げますけれども、実際問題として三条申請の前の段階で非常に時間がかかるということでございます。私どもは土地の再利用ということですから、土地の問題に関してはほとんど問題がなかったわけでございますけれども、それでも四年かかった。土地の問題を絡めると確かに五年、六年、十年ぐらいかかるというのが実情でございまして、これは大店法が撤廃されても、地元における地域行政の面では依然としてこの問題が残ってしまう、こういうおそれは今まで指摘されたとおりだと思います。そこら辺をどう解決するかというのが実際のこれからの運用上の問題になると思います。
 そのときに、いわゆる消費者調査というのをしますと、消費者の最大の関心事というのは、やっぱりワンストップショッピングだと。価格の問題じゃないんです、ワンストップショッピング。それから駐輪駐車場のスペースがある。それから三番目が大体豊富な品ぞろえであるということなんですね。最後の決め手はどういうことでやったかといいますと、その調査に基づきまして、それではその大店の中にコミュニティーホールをつくろうじゃないか、それから一つのプラザを設けようじゃないか、こういう形で最終的に決着をしたわけです。ここら辺は、当然その反面として地元商店街にそういうものを持っていないということの裏返しがあるわけでございます。だから、これから中小の商店街に対する補助というような形は、単に金銭的な補助じゃなくてそういう一種のソフト、これを入れて指導といいますか町づくりをしていくべきだ、こういうふうに私は思っておるわけです。
 それで、大店法の問題につきましては、あしたもございますのでそれまでにいたしますけれども、今までに触れておられなかった問題が一つあると思います。それは、流通というのは何も小売だけの問題ではございませんので、これはアメリカから指摘されている問題も、日本の流通機構が複雑過ぎるというところに大きな視点があると思うんです。それで、これはメーカーから消費者に届く流通機構だけでなくて、メーカーへ原料が入る段階でも非常に複雑な流通機構が随分残されておる。この問題をどう先生方お考えになっておられるのか、その点についてちょっとお伺いしたいと思います。
#79
○参考人(鶴田俊正君) 日本の流通機構が本当に複雑なのかどうかということをやっぱり考えてみる必要があると思います。例えば、近代産業と言うと語弊がありますけれども、耐久消費財の場合ですと非常にシンプルな流通構造になっておる。自動車はメーカーとディーラーがつながっている。それから家電等ですと、メーカーから販社と渡って小売業にいく、こういうふうに二段階ないし三段階で消費者に財サービスが届けられるケースがかなりあるわけです。伝統的ないわゆる繊維製品でも最近では、DCブランド等々になりますと、消費者がお店で発注して、それがオンラインで生産者のところに情報が伝達されて、そして何日か後に消費者にデリバリーされるとか、そういう意味でかなり簡素化されているところがあるだろうと思うんです。実は、そういうかなり簡素化されている面がある反面、しばしば言われているのが多段階性というものでありまして、卸が幾つもあるんだと。これも確かにそういう面がないではないと思うんですけれども、しかしすべての流通経路がそうなっているかどうかということは、やや慎重に議論する必要があるんじゃないかなという気がいたします。
 そういう意味で、日本の流通機構は複雑だということがアメリカの方の参入障壁だというふうなイメージで議論されておりますけれども、むしろそうじゃなくて、日本における流通機構をよく知っているパートナーもあるわけですから、そことうまくジョイントしながら参入すれば、僕はその問題は参入障壁の問題としては大して重要じゃないなという気がするんです。これが一点です。
 もう一つ、もし卸売業者が幾つか介在することがあるとするなら、これは仕組みというよりは消費者行動と僕は密接に関連しているだろうという気がするんです。つまり、アメリカあたりですと、一週間に一度ぐらい車に乗って買い物に行って、一週間分買って車に乗って帰ってきちゃうということになりますが、日本の消費者というのはやはり多頻度小口購買、毎日ショッピングに出かけて少しずつ買ってこられる、こういう購買行動が一般化しておりますし、最近女性の社会参加の問題を含めてこれが崩れつつあることはありますけれども、なおかつまだ強いですね。そうなりますと、小さなお店で少し買う、つまり規模の経済性が働きにくい。そうなると、小回りのきいた卸売店の存在というものが必要になってくるわけです。そういう意味では、流通経路の中で卸業者がアメリカなんかと比べるとやや数多く存在するのは否定しがたいと思うけれども、どうもこれは消費者行動と関連していそうだという気がいたします。
 三番目は、最近は情報ネットワークといいましてコンピューターで受発注するような仕組みができてまいりまして、それが完成度が高くなればなるほど、今度はお店の方も小口発注するわけです。例えばコンビニエンスストアですと、しょうゆを三本持ってこいとか、あるいはワンカートンじゃなくて小口の注文を出して、それに対して卸業者が対応しなきゃならない。これもやっぱり小回りを求めているところでございまして、そういう意味では、日本の流通機構というのがアメリカなり西ドイツなりと違った側面を持つのは、それはそのとおりでございますけれども、ただ、それがすべて参入障壁だというふうにからげて議論することは私はちょっと問題があるなという印象を持っております。
#80
○参考人(三浦功君) 鶴田先生が今おっしゃったこととほとんど全部共通するわけですけれども、ちなみに先ほど先生がおっしゃったW/Rというのはどういうことかというと、卸売業の売上高に対して小売業の売上高が一体どんな割合を占めているか、こういうことなわけです。それでもって、この数字は卸売業の売上高の方が累積計算しますから当然大きくなるわけですけれども、この数字がアメリカは一に対して日本は、通産省の調査では二・二一、こういうふうな数字であって、かなり多段階性というのはあります。多段階性というのはありますけれども、しかし流通マージンというのは、これは全部を代表しているかどうかわかりませんけれども、調べてみますとむしろ日本の方が流通マージンは少なくて済んでおる、こういうふうな数字もまた通産省の発表のデータの中にございます。
#81
○星野朋市君 高いというのもありますよ。
#82
○参考人(三浦功君) 高いというのも、商品によって違いますけれども、これはトータルで低くなっていますから。
 というような形を見ますと、むしろ日本というのは、いわゆる数多くの流通段階がそれぞれ余り大きくない流通マージンで分業し合って存在しているという歴史があるんじゃないかと思うんです。そういうふうなのは、一朝一夕にちょっと変わらない。
 ですから、そこのところをよく見詰めて取引をしているアメリカの会社、ヨーロッパの会社というのはたくさんございます。例えば、もう戦前からずっと日本に出てきてトップシェアを持っているネッスルという会社は、この辺について大変丹念なことをやって大きな成功をしておりますし、アメリカの会社でジョンソンという会社は、日本では小さい会社でございますけれども、丹念なことをやって成功しております。やはりみんなこのような流通構造のことをよくわかって商売しておる方がうまくやっているというようなことで、ここのところは決して障壁とかおくれとかいうふうな議論ではないというふうに、私も同感です。
 それからもう一つの、先ほども先生も御指摘になりましたけれども、消費者行動がこれを大変ある意味ではわかりにくくさしているよということ、これは一番大事じゃないかと思います。私、先ほど小口多頻度購入というのを申しましたが、コンビニエンスストアみたいな新しい業態が出てきますと、もう本当にそれに一日四回ぐらい業者の方が商品運んでいって、消費者はその鮮度を買っていくというふうな購買行動が連結しておりますから、そこまでやっていることに対して、じゃ外資というか外国の企業がそこまでできるかというようになってきたときには、かなり大変だというふうに想像します。
 そういう意味合いで、これは何というか、参入障壁というのか、競争が非常に激しいからそうなってきているんだけれども、それを乗り越えろと突っ放していいのか、こういうことなんでございますけれども、まあしかしそれは競争をやってるんだからおまえさんも同じことをやってくださいよと、こういうことに尽きるんでしょうな。というような感じで見ておりますので、日本の流通ということは、じっくり実態を見てもらったらよくわかりますということではないのかなというふうに、全く同感です。
#83
○星野朋市君 今、日米の関係で主としてお答えになったんですけれども、消費者の問題、非常に大事だと思うんですが、いわゆるかんばん方式であるとか、今言ったコンビニエンスストアの多配送、こういう問題については実は社会アクセスの問題を考えますと、相当コストをそれに取られているんじゃないか。これは日本の消費者に問題がある。これ、流通の面で運送コストというのが非常に大きな部分を占めているわけですから。ここら辺どうお考えなのか。
#84
○参考人(三浦功君) それは私、冒頭二十分の話の中でちょっと触れさしていただきましたけれども、確かに私なんかが見ててもちょっと行き過ぎているぐらいの、いわゆるハイサービスといいますか、これを私なんかは実感として持っておりますね。特にコンビニエンスストア、これは新しい業態で、大変ある意味じゃ我々にとって役に立っている小売業態でありますけれども、ここのところに対して本当にお総菜関係を一日四回これで行く、あるいはPOSという新しいシステムを使うことによって、小売店頭の商品しか在庫がないものをいわゆる卸売業者等が迅速に、逆にそこへジャスト・イン・タイムで納入しなきゃならない。こういうふうな関係というのは、できる範囲はよろしいんでございましょうけれども、交通渋滞が進み、人手不足が進んでいったときにはちょっと難しくなってくるというふうなことは十分想像できると思います。
 また、それがコストを非常に押し上げてますから、これは固有名詞出しませんけれども、日本を代表する某食品卸売業者は、また日本を代表するコンビニエンスストアとの取引をその理由で今度やめたというようなことも起こっておりますから、それは私、事実だと思います。それは、バーチカルな競争、垂直的な競争の結果やめた、どうしたということが起こっていることでありますから、これは有効にやっぱり競争というのは働いているんじゃないのかなというふうに思っておりますけれども、問題点は問題点ですね。
#85
○星野朋市君 日本には、いわゆる商権を大事にする、事実上のトンネル会社というのがたくさんあるわけでございますね。今度、消費税を導入されたことによって、こういうトンネル会社、要するに流通経路はそれだけ短縮されるわけですけれども、その点についてどうお考えですか。どちらからでも。
#86
○参考人(鶴田俊正君) トンネル会社というのは、あれですか、AとBというのが直接取引しているけれども、Cというところが介在して、伝票をそこを通すという仕組みでございますね。
#87
○星野朋市君 そうですね。
#88
○参考人(鶴田俊正君) タックスヘーブンというのは、国際社会の中ではいろいろあって、国と国との税制が違うとかということで、そのタックスヘーブンで税を払わないで済むような仕組みをいろいろ考えるのは国際社会では常識でございまして、特に船ですとそういうのがあるようでございますけれども、国の中でも税逃れというのはいろいろな形であるんだろうと思います、多分。そのやっぱり仕組みをどういうふうにつくっていくかというのは、税体系をどういうふうにしたらいいかというものと密接につながっているわけでございますね。
 特に消費税についていえば、今の消費税は私は非常に不満足でございます。今消費税の議論じゃございませんから申し上げませんけれども、やっぱり税体系全般の中で、どうやったら税負担を公正化できるかとかいうような観点から広くアプローチしていかざるを得ないんじゃないかなという気はしております。
#89
○星野朋市君 そこは私、意見が違いまして、消費税を導入することによってそういう中間的な業者が排除される、流通の問題が短縮される、それはいいことだと思っておるんです。そこは意見がちょっと違いますね。
#90
○参考人(鶴田俊正君) 私もそう思っていますよ。ただし、今の消費税ではまだまだそこまで十分ではない。つまり、インボイス方式がきっちり入れば、先生のおっしゃるとおりに、トンネル会社は排除されてかなりすっきりした流通機構ができるだろうというふうに思っています。その点では全く意見は同じです。ただ、今のはインボイスが入っていませんから、その点不十分だということでございますね。
#91
○会長(小山一平君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 三浦参考人並びに鶴田参考人に一言お礼を申し上げます。
 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。本調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)
 なお、本日、鶴田参考人から提出いただきました参考資料のうち、発言内容把握のため必要と思われるものにつきましては本日の会議録の末尾に掲載させていただきたいと存じますので、御了承をいただきたいと存じます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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