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1988/02/08 第114回国会 参議院 参議院会議録情報 第114回国会 国民生活に関する調査会 第2号
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1988/02/08 第114回国会 参議院

参議院会議録情報 第114回国会 国民生活に関する調査会 第2号

#1
第114回国会 国民生活に関する調査会 第2号
平成元年二月八日(水曜日)
   午前十時三分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    会 長         長田 裕二君
    理 事
                岩本 政光君
                大塚清次郎君
                斎藤栄三郎君
                丸谷 金保君
                高木健太郎君
                近藤 忠孝君
                三治 重信君
    委 員
                井上 吉夫君
                大島 友治君
                斎藤 文夫君
                高橋 清孝君
                中曽根弘文君
                水谷  力君
                吉川 芳男君
                大木 正吾君
                山本 正和君
                刈田 貞子君
                吉川 春子君
                平野  清君
   事務局側
       第二特別調査室  菊池  守君
       長
   参考人
       大阪大学教授
       劇  作  家  山崎 正和君
       全日本民間労働
       組合連合会調査
       ・法制局長    加藤 敏幸君
       全国中小企業団
       体中央会常務理
       事        錦織  璋君
       統一戦線促進労
       働組合懇談会事
       務局長      春山  明君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○国民生活に関する調査
 (労働と余暇に関する件)
    ―――――――――――――
#2
○会長(長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。
 国民生活に関する調査を議題とし、労働と余暇について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり四名の方々に御出席をいただき、順次御意見を承ることとなっております。
 まず、大阪大学教授、劇作家山崎正和君及び全日本民間労働組合連合会調査・法制局長加藤敏幸君から意見を聴取いたします。
 この際、御両人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございます。
 本日は、労働と余暇について忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 議事の進め方といたしましては、最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 それでは、山崎参考人にお願いいたします。
#3
○参考人(山崎正和君) おはようございます。山崎でございます。
 ごく最近の新聞に報じられておりますことですが、労働省の試算では、日本人が完全週休二日制をきちっととりまして、その上二十日間の年休をとりますと、一人当たりの年間総労働時間は昭和六十二年現在の二千百十一時間から千八百時間程度に減少するであろう、そうしますと人々は当然余暇を楽しむことになって、そのための支出が増大する。人々が落とすお金は四兆五千六百億円に上り、それがさらに全産業に波及すると内需拡大という結果になりまして、八兆三千億円分の生産増が見込めるという試算が出ております。多分そういうことなのであろうと思いますが、御承知のように千八百時間に日本人の労働時間が減ってもなお現在のアメリカ程度でありまして、決して世界に誇れるような数字ではないのであります。
 今、余暇ということが話題になりますと、とかくこの労働省のお考えのような側面から議論が進められるのが普通であります。余暇をとるとその結果日本の経済が潤うであろうというような議論でありまして、一言で言えば余暇というものが何の役に立つかという考え方に立っております。
 実は、そういう余暇の効用ということも決して無意味ではございませんが、本来、余暇というものを考えるためには、この効用主義といいますか、何のために役に立つかという考え方を若干修正しなければならないのではないかと思っております。というよりも、現代の文明の大きな変化というものは人間がひたすらに何の役に立つかと物事を考えてきたのに対して、かなり大きな修正を施す、何の役に立つかという観点からいえば、いわば急がば回れをしなければならない時代ではなかろうかと思います。そして、そのことが実は本当の意味で人間の幸福、あるいは広い意味での人間の生産性というものの増大につながっていくということであろうかと思うのであります。
 なかなかこの辺の考えの転換というのは難しゅうございます。私自身にとっても決してそれは楽なことではないのでありまして、特に生活の感覚に結びついたような部分では時代の変化というものになかなかついてまいれません。多くの勤労国民も休暇というのは半分うれしい反面、いささか不安になるというような側面も持っているものだろうと思うのであります。休暇というものを目の前にしてただ喜んでいるというのはいささか単純な人たちでありまして、不安になってこそ実は本当の休暇に対する心構えというものが生まれるのであろうと思っております。
 ごく簡単に休暇というものの歴史を振り返ってまいります。
 御承知のように、近代産業というものが生まれる前、人々が農業とそれからいわゆる職人仕事というもので経済を支えていた時代には、余暇という考え方はございませんでした。一年のうちに一日とかあるいは二日とか、現在の物差しで言えば余暇に似たものがございました。これは大抵宗教的な行事に結びついておりまして、日常とは違ったごちそうを食べ、日常とは違った生活の仕方をする。民俗学者の用語によりますと、普通の生活のことを褻の生活、お祭り騒ぎの一日を晴れの生活と呼んでおります。私どもも日常語でも晴れ着とか晴れの舞台などと申しますが、その晴れでございます。一年じゅういわば褻の生活が続いていて、一日か二日羽目を外します。この日は日ごろ決してしてはいけないようなことをする。時には無礼講というような形で社会の秩序をも一時的にひっくり返すというようなことを世界の各民族がやっておりました。これが余暇であったわけであります。
 そのころ、実は人間には労働というものはございませんでした。つまり、私どもが今知っているような意味での労働というものはなくて、何があったかといいますと、仕事がございました。
 一体仕事とは何であるかといいますと、これは
物をつくる場合に何をつくるかということを、つくる本人、仮に職人と呼んでもよろしゅうございますが、その職人が自分で考えます。もとより、茶わんを焼くとかお盆を彫るとか刀を打つとか、そういう大まかな目的は与えられておりますが、一本ずつの刀をどういう形に打ち上げるか、一つずつの茶わんをどういうふうに細部までつくり上げるかということは職人に任されております。そして、職人は仕事をしながら自分の目的を少しずつ修正しながら、言いかえれば仕事の中で形を発見しながらつくってまいります。これは今でも、いわゆる工芸作家とかあるいは芸術家というような人たちがやっている仕事でございます。つまり、企画というものを外から与えられてそれを忠実に実行するという働き方ではございません。同時に、物をつくり上げていく技術というものが人間の体についておりまして、何がつくれるかということは腕の中に秘密があるわけであります。
 こういう仕事というものはどういう形で報酬を支払われるかというと、いわば出来高払いであります。でき上がったものがどんなものであるかということについて消費者がお金を払ったわけであります。働く人たちはいい仕事をしたいと思って働いたわけでありまして、いい仕事をすることには喜びも含まれておりました。もちろんこの仕事はつらいことでありますから、一年に一遍晴れの日を迎えて仕事をなげうちたいという気持ちにもなりましたが、しかし同時に、仕事というのはいい仕事をするという喜びを含んだ営みでもございました。
 実は、産業化の時代に入りますと、世界の各国で仕事自体に大きな変化が生じたわけであります。一言で言いますと、労働が生まれたわけであります。労働とは何かといいますと、これは働く人たちがつくる目的といいますか、何をつくるかということを他人から与えられるようになります。ごく一部の経営者とそれから高級技術者が何をつくるかを細部まで決めてくれます。そして、それをつくり上げる仕掛け、すなわち機械や工場というものも与えてくれます。働く人は、ただそこへ行って与えられた目的に向かって効率的に体を動かせばいいのであり、どういうふうに効率的に体を動かすかということも経営者やあるいは工場管理者が決めてくれます。最後の段階は、御承知のように、例のチャップリンの「モダン・タイムス」という映画にあらわれておりますが、コンベヤーの横に立つ流れ作業であります。
 こうなりますと、多くの労働者は何をつくるかを考えないでただ働くということになってまいりますし、体についていた技術というものは昔ほどは必要でなくなります。もちろん近代工場で働くにも労働者の技術というものはなくてはなりませんが、昔ほどではなくなります。その分、機械の方に技術は移ってしまったわけであります。こうなると、だんだんいい仕事をするという喜びはなくなってまいります。労働はつらいもの、純粋に嫌なものになってまいります。
 この場合、労働報酬はどうして支払われるかというと、純粋に時間の分量であります。今でも労働組合と企業が交渉をする場合に、一時間当たりの給料をどうするか、一年当たりの労働時間をどうするかということで議論が進められます。つまり、時間という大変均質な物差しといいますか升目で人間の労働がすべてはかれるようになりました。
 ちなみに申しますと、現代の我々の常識は同一労働同一賃金ということであります。これはしかし近代の労働についてのみ言えることでありまして、産業社会以前の仕事については当てはまらない考えであります。なぜならば、職人にとって同一労働というものはなかったからであります。一人ずつ違った仕事をするのでありますから、その商品ができてみなければ値段は決まらない、そういうものであります。
 他方、産業化社会になりますと、従来の褻と晴れというものがだんだんとなくなってまいります。つまり三百六十五日まじめな生活が続いて、一日だけ大騒ぎをするというような生活習慣がだんだんなくなります。これは実は人間の働く時間というものが工場の作業時間によって限定されます。昔、非常にひどい労働条件のもとでもとにかく二十四時間労働者を縛る工場というものはなかったわけでありまして、働く時間と暇な時間、人に売ってしまった時間と自分が残りを持っている時間、これははっきり区別がついたわけであります。こういうことは産業化以後になって起こったことで、農民や職人にとってはそういう区別はありません。二十四時間いつでも必要があったら働くということになるわけで、区別がないわけであります。
 同時に、近代産業というのは労働者を都市に集めました。この都市というのは不思議なものでありまして、いわば四六時中褻と晴れの中間のようなものを提供してくれます。これがいわゆる盛り場とか遊園地とか、あるいはさまざまな娯楽施設でありまして、昔の農村なら一年に一遍しか開かれなかったような娯楽施設というものが年じゅう開いております。そのかわりもちろん一日のうちの一定の時間しか労働者は利用できませんけれども、ともかく褻と晴れの中間のようなものがあふれてまいります。
 もう一つ参考までに申し上げますと、労働というものが余暇と切り離されます。つまり仕事から労働に移る、その結果余暇というものが独立したころに、ということは西洋では大体十八世紀の終わりから十九世紀でありますが、そのころに実は教育というものが、国民的な教育というものも自立したのであります。もちろん教育の芽は非常に古くからございます。ギリシャ時代からございますが、社会全部に教育を広げていこう、均てんさせようという運動は十九世紀のものであります。これも昔は、教育などというのは労働と区別していなかったわけで、仕事の中で子供は育ったわけであります。小さいときから親の手伝いをして、そこで自然に教育を受け、同時に労働もしていましたから、教育と労働の区別がなかった。それが産業化社会になりますと、労働はとにかく工場ですること、それまでに工場で働けるように労働者を育てておくというのが教育の仕事になります。ここで教育というものが分かれてまいります。
 大変おもしろいことですけれども、これと同じ時期に実はスポーツという概念も生まれたわけであります。それまでスポーツというものはございません。農村で子供が山野を駆けめぐって、ウサギを追ったりフナを釣ったりしているときにスポーツという考え方はなかったわけで、子供がとってきたウサギでウサギ汁をつくれば結構これは労働であります。その中で体も自然に鍛えられると、そういうものでありましたが、産業化で人々が都市に集まるようになりますと、スポーツというのを別に立てて、子供を一定の場所に押し込めて、いわば運動場というところに押し込めてそこでスポーツをさせるようになってまいります。
 有名なラグビーというゲームがございますが、これはラグビー学校というところで生まれたわけであります。このラグビー学校の校長、アーノルドという人は子供に二つことを教えました。それは生徒の自治という観念、つまり子供たちがみずから治めて学校というものに秩序を与える。それと、いわば激しいけれども紳士的なスポーツであるラグビー。これは大変象徴的なことで、学校教育というものとそれからスポーツというものは実は産業化社会の産物であります。そして、そのときに余暇というものの観念も生まれてきたわけです。
 さて、歴史の話ばかりになりましたけれども、現代というのはそれが実は変わってきた時代なのであります。今をどう呼ぶかということについて社会学者の間でいろいろ議論がございますが、中には非常に強い言葉で、つまり脱産業化社会などというふうに申しております。そういうふうに言わないまでも、産業社会が高度化したという点に関してはだれもが認めております。これは一言で言えばどういうことかといえば、従来工場で行っていた極めて単純な繰り返しの労働を次第に機械
がやるようになる。言いかえればロボットが、自動制御のついた生産設備が単純繰り返しの労働はだんだんと肩がわりするようになる。すると人間は何をするようになるかというと、もっと創造的な仕事をすることになる。もちろんすべての人が経営者になったり発明家になったりするわけではありません。
 しかし、工場の中でもより何といいましょうか、自発性を含んだ仕事、機敏な才覚というようなものを必要とする、例えば危機管理というような仕事をやる、工場の外で次第にセールスマンをやるようになる、これがサービス化であります。あるいはデザイン、発明というようなことが大切な仕事になってまいります。こういう仕事、こういう作業というものは実は近代産業の労働という物差しでははかれないものでありまして、実は仕事の復活なのであります。
 仕事というのは、先ほど申し上げましたように何をつくるか自分で考えるし、そして働く営みであります。これはいわゆる狭義のサービス産業、例えばウェーターさんがお客のもてなしをする、これだって実は自分で才覚を働かし何をするかということを積極的に考えなければできない仕事であります。一体どうしたらお客が満足するかということをあらかじめマニュアルをつくって渡すわけにはいかないのであります。あるいは発明やデザインということになればこれはもちろんのことで、何をつくるかを考えるのが発明でありデザインであります。そういうふうに労働が変わってきた中で、今我々は休暇あるいは余暇というものを考えているのであります。
 かたがた、大変おもしろいことでありますが、教育の概念が今急速に変わりつつあります。先生方の方がお詳しいと思いますが、文部省では生涯学習局というものをつくって、これまでの学校教育一点張りから生涯教育重視というところへ移っております。私がかつて中央教育審議会の委員を務めておりましたときに理解していた考え方では、生涯教育というのは決して昔の社会教育ではないのであります。むしろ教育、学習というのは人間が生涯やるものだという基本的な考え方に立って、その中に、つまり生涯教育の範囲の中に学校教育も含まれるものだと、今までの観念を逆転させております。こうなってきますと、教育が労働のための準備であるという産業化社会の考えは変えなければなりません。
 実は、私たちはそういう時代に立ちながら今余暇というものを考えているわけでありまして、その観点から申しますと、余暇という言葉は甚だもって誤解を招きやすいのであります。余暇という字は呼んで字のごとく、上は余りでありまして、下は暇であります。これは昔の考え方で、労働というものがあって、その残り、余り、そしてこの余りは何のためにあるかといえば、十分休んで次の労働をするための準備であったわけであります。
 世の中の争い事というのも、片っ方はよく働けと言い、片っ方はもっと怠けさせろと言う、そういう争いの時代がかなり長く続きました。西洋人の評論家の中には、ひところでありますが、「怠ける権利」という本を書いた人がおります。人間働かされているのはだれか他人のためである、それを拒否して自分は怠ける。しかし、そういうつまり勤勉と怠惰あるいは労働と余暇という対立の観念といいますか、区別そのものが現代では見直されなければならないわけであります。
 簡単に言いますと、私たちが何かいい知恵を出す。これからは知恵を出さなければならない時代であります。先ほどから脱高度産業化などと申しておりますが、それは要するに人間が知恵を出し、よい趣味をつくり出し、それで経済を活発にしていこうということであります。それで、一体いい知恵というのはどこで出てくるか、せかせかど与えられた目的に向かって走っているときにはいい知恵は出てまいりません。
 俗に日本では、昔から知恵の出る場所は三カ所あると言っております。面上、枕上、鞍上と申します。馬のくらの上で揺られているか、朝まだきまくらの上でうとうとしているときか、あるいはかわやにまたがって何かはかのことをしているときに知恵が出るというのであります。知恵というのは大変不思議なものでありまして、馬車馬のように一定の方向に向かって走ったところで出てくるものではないのであります。それどころか、うっかりすると馬車馬のように走っているということはある種の自己満足になりまして、何かを考えないための逃げ場所にもなります。いろいろくよくよ考えるのは嫌だから働くというような人間の心の働きもまたあるのであります。こういうのを俗に貧乏性と申します。貧乏性というのはある意味では楽なのでありまして、難しいことを考えないで済むのであります。しかし、残念ながら日本は貧乏でなくなりまして、貧乏性の思想ではやっていけなくなります。これからいかにしてゆったり考えるか、考えるための余暇というものが必要になってまいります。
 ですから、余暇というのは何のためになるか、これを過ごすと次どういう元気がわいてくるかというふうに考えるのではなくて、余暇そのものの中に創造性があるんだ、そこで人間がいろんなことを考え、いろんなことを感じるということが新しい産業の発展にも結果としてつながるのだというふうに御理解いただければ幸せであります。したがいまして、余暇の問題というのは単に休日をふやして工場から労働者を解放するということではないのでありまして、創造的な余暇をいかに国民に過ごしてもらうかというその仕掛けをつくることを含んでおります。
 仕掛けといいますと大層なように聞こえますが、従来国家が大変なお金をかけて支えてきた学校教育、これは本当に産業化社会の役に立ちました。もちろん今後も役に立ちます。しかし、これからの社会を運営するには学校教育だけでは役に立たない。むしろ従来はおもちゃのように見えていたさまざまなもの、簡単に言えば文化施設であります。劇場から音楽会からスポーツ設備、公園あるいは都市の散歩道それ自体を美しくしていくこと、これはやはり現在では国家の仕事と考えられている。この部分を充実していくこと。さらには、従来優秀な産業戦士をつくるために使ってきた奨学金、そういうようなものをもっと別の仕事をする人にも使わせる。これが文化庁その他がお使いになっている文化投資でありますが、こういうものを飛躍的に増大するということが実は本当の余暇の創造なのでありまして、これが新しい国家の一つの責務になっていると私は考えております。
 後ほど補足させていただく機会があるかと思いますが、とかく文化の問題あるいは休暇の問題になりますとこれは国家の仕事ではないという先入観がございます。あるいはむしろ国家がそういうところに口を出すのはよくないという考え方もございますが、これは大変間違った考えでありまして、現に国家は学校教育を充実し、あるいは産業設備の基盤をつくるという形で現実に文化に関与しているのであります。これはある意味で言えば、これからの時代の流れからいえばマイナス方向かもしれませんが、とにかくこれまで関与してきたのでありますから、国家が真水のように文化に対して中立の立場をとるなどということはあり得ないことであります。
 言葉足らずでございますが、休暇それ自体を創造的な休暇にしていくということがこれからの私たちの課題ではないかということだけを申し上げて、時間が参りましたので終わらせていただきます。
#4
○会長(長田裕二君) 有意義な御意見をありがとうございました。
 以上で山崎参考人からの意見聴取は終わりました。
 次に、加藤参考人にお願いいたします。
#5
○参考人(加藤敏幸君) 連合の加藤でございます。
 私は、労働組合の現に仕事に携わっている立場から、労働と余暇に関する考え方を申し述べたいと思います。
 お手元に資料として何ページかお配りをしております。一つは、「一、八〇〇時間は可能だ=vということの資料でございまして、ここに書いてい
る内容と申しますのは、世界の先進国の労働時間等と比較しながら我が国の労働時間を少し説明をさせていただいたということであり、その趣旨は業種あるいは企業規模によって大変大きな開きがあるということでございます。
 なお、連合あるいは労働団体が当面どの程度の労働時間を目標にみずからの運動を進めているかということにつきましては、一言で申しますと一九九三年度には総実労働時間を一千八百時間にしたい、こういうことでありまして、それに向けて完全週休二日制でありますとか、年次有給休暇あるいは時間外労働、そのような項目ごとにいろいろな目標を定めているということでございます。
 歴史的に我が国の労働時間がどのように変遷してきたかと申しますのは、二ページの左の隅にそのグラフがございます。これは労働省が作成をしたグラフでございまして、昭和三十五年から昭和五十年までの間に約四百時間近い総実労働時間の短縮に成功いたしました。高度経済成長の波に乗り、十五年間で約三百八十時間程度の短縮を実現したということでございます。御存じのとおり、昭和五十年以降二度の石油ショック並びに円高等により我が国の経済界は労使ともそれらに対する対応策に全力を尽くし、今日の世界に誇るべき経済大国を成し遂げたということでございます。
 ただ、それを労働時間の変遷ということの観点から見ますと、そこにございます表のごとく昭和五十年から昭和六十二年、そして昨年の昭和六十三年、十三年間労働時間は減少しておりません。むしろ微増の傾向にあるという指摘が正しいかと思います。すなわち、昭和三十五年から十五年間はマッターホーンを下るがごとくすばらしい労働時間の短縮を成し遂げながら、昭和五十年以降は微増である、つまりアメリカ大平原のような状況にあったと申せるわけでございます。ただ、この間日本経済が沈滞であったかと申しますと、その間のGNPの伸び率というのは世界の歴史においても驚異的な内容であった、このように理解しております。
 そういう立場で労働組合から申すならば、この十三年間はまさしく労働時間に対する生産性の成果配分においては見るべきものがなかった、むしろ停滞の十三年間であった、こういう認識でありました。したがって、一九九三年度一千八百時間という目標は、五年間で三百五十時間の短縮目標を掲げたわけでありまして、この目標に関しましては、労働組合の活動家あるいは職場を抱えたリーダーたちの間からも極めて非現実的な目標ではないかという指摘をたくさんいただきました。しかし、過去の十三年間、我々が労働時間短縮に見るべき成果がなかった現実を考えるならば、あるいはその間の我が日本経済あるいは企業の体力の増強に比べるならば、いわば十八年間で三百五十時間の労働時間の短縮をする、このことが歴史的な経過で言えば正しいのではないか、またそういう努力をすることが欧米との公平な労働基準を確立するという意味でも正しい方向ではないか、このような主張をしておるということでございます。
 三ページ目から「連合時短「中期(五カ年)取り組み方針」(案)」という形でございまして、これは部分的には来る二月十六日に追加提案をされて組織の中では確立した方針になるわけでございます。この連合の基本的な労働時間短縮の方針というのは、主に活動領域を三つに分けて考えております。
 一つは「対企業交渉を中心とした取り組み」ということでございまして、これはおのおのの企業の社長に対して、企業の経営責任者に対して、それぞれが労使交渉の場において要求し確立をしていく、こういうふうな分野でございます。この考え方の中心は、やはり運輸・交通部門と例えば電機・製造部門とでは業種の実態、また企業の状況等、大変差があるということから、連合に加盟している五百五十万の組合を六つの部門に分類いたしました。それぞれ部門ごとに五カ年間の短縮目標を項目ごとに設定いたしまして、それらをお互いの約束事として、今度は自動車総連あるいは電機労連という産業別労働組合がこのガイドラインにのっとってみずからの五カ年計画を確立していく、こういうふうな考え方でやっておるということでございます。これは主に対企業交渉中心の内容であるということであります。
 二つ目の領域は「対政府交渉を中心とした取り組み」ということでございまして、これは政府あるいは国会に対し要求をしていく内容でございます。どういうふうな項目を我々が考えておるかという内容につきましては、その資料のページ数で申しますと、五ページから「対政府交渉を中心とした取り組み」ということで「時短に関する政策・制度課題」ということでまとめられております。
 我々の基本的な考え方は、完全週休二日制を社会的に定着させていくんだということから、金融機関の土曜閉店あるいは公務部門も含めました完全週休二日制の実施を掲げていきたい、また学校における土曜休日制も計画的に実施をしていきたい、あるいは審議密度の向上による国会及び地方議会の週二日審議休日制の確立等、こういうことも社会的全般に及ぼす影響等を踏まえながら考えていきたい、これが一つの項目でございます。組織内の議論の中には、市民サービスが本当に保障されるのか、あるいは学校の教育としていかがなものであるとか、いろいろな議論があることは事実であります。しかし、我々としては、完全週休二日制を社会的に定着させるためには、それらの議論を乗り越えて、やはり端的に言えば割り切ることの必要性を組織的に確認してこういう要求を掲げてきた、こういうことでございます。
 二点目は、労働時間短縮を進めるに当たって、大変厳しい状況にある中小企業等の産業に働く労働者の時短をどう促進していくかということでございます。そのために労働時間に関する労使協定の地域拡張適用という既に労組法の決まりがございますけれども、その他時短促進援助を図る促進法というものを制定していくことが必要ではないか。また、下請事業所への発注方法の改善、規制に関する行政指導あるいは我々大企業の労働組合自身がみずからの企業に対してそのようなことを要請していこう、こういうふうなことを考えております。
 大手企業が三時に納品せよと、こういう命令を出しますと、下請企業としてはそれを守らなければならない。従前は一週間分をまとめて納品しておったわけでございますけれども、それが毎日の配送に変わり、最終的には時間指定になるということが下請関連業者の労働時間の過重化につながっておる。あるいは皆様方御利用されるかもわかりませんけれども、ゴルフの宅急便が大変普及いたしました。土曜日にあるゴルフ場で使い、それを月曜日にはまた福島から九州に転送するということのニーズが、結果的に運送業者をして日曜日ほとんど一日運送の業務をやらざるを得ない、こういう問題も発生しておるということも我々は大変留意していかなければならないということでございます。また自動車運転者等交通運輸労働者の内容、労働時間の長さというのは世界共通事項でございまして、これらについて抜本的な改革案ということも考えていかなければならない。こういう内容が労働時間短縮を進めるのに大変苦労する産業に対する対応策ということでまとめている内容であります。
 三つ目が、豊かでゆとりある国民生活を醸成するということから、長期連続休暇でありますとか、あるいは五月一日の国民祝日化を含めた太陽と緑の週の制定でありますとか、あるいは余暇情報のネットワーク化など余暇・自由時間を有効活用するためのシステム、ソフトウエアの開発、あるいは勤労者が安価で利用できる長期滞在型の余暇・レジャー施設の拡充、そういう内容をまとめております。この国民生活を豊かでゆとりあるということにいかなる方法で持っていくのかというのは、新しく結成されました連合という労働運動の推進体といたしましても大変重要な課題でありまして、このことに新しい提案をしていくことが大変我々喫緊の課題である、このように感じております。この件につきましては後ほどもう少し触れ
させていただきます。
 次に、労働基準法の関連の改正でございますけれども、これは省略いたします。
 最後に、地方、中央一体となった取り組みということから、労働時間短縮政策会議の地方版をつくるとか、そういうふうな内容の提案であり、また労働時間、休日休暇に関するILO条約の批准が我が国の場合に一つもされていないということでございます。これはILO条約の批准に関する考え方が日本の場合は大変厳しい批准の考え方を持っておりまして、完璧でないと批准をしないというような状況にございますけれども、しかし、我が国がいまだ労働時間に関するILO条約の批准がされていないということ自体が一体いかなる内容のものであるのか、この件についても我々としては改善、前進をしたいということでございます。
 「国民運動を中心とした取り組み」と申しますのは、単に対政府交渉あるいは対企業交渉のみならず、国全体としてこの労働時間の問題あるいは自由時間の問題をどのように考えていくかという、言ってみれば国民が持っておる価値観自体の大幅な変更ということも考えていかなければならない、そういう観点から国民運動あるいはキャンペーン等に取り組んでいきたいということでございます。この内容は、お手元には白紙になっておりますけれども、既に今組織内で原案が出されております。例えばゆとりコンサートというようなものを開いたりあるいは全国の議会においてゆとり宣言を採択していただくとか、国際的なシンポジウムをしていくとか、そういうふうなことをもって世の中にそういう機運を醸成していくという内容でございます。
 以上が連合が今取り組んでおる労働時間短縮のいろいろな方策でございます。
 さて、視点を少し変えさせていただきまして、なぜ労働組合が労働時間短縮に取り組むのか、極めて当然のテーマでございますけれども、多少の所感を述べさせていただきたいと思います。
 第一点目は私たちの労働の価値の向上を図りたいということでございます。
 最近、土地が急激な値上がりをいたしました。土地資産を持つ者と持たざる者との間に財産上の格差が拡大をしたということでございます。土地がこのように暴騰し、一生かかっても土地つきの住宅が購入できないという事実は、私たちの立場から申しますと労働の価値が相対的に低下した、こういうことに尽きると思います。金融資産を持つ人たちの資産価値は向上し、汗を流しながら働く私たちの労働価値が低下した、そういうふうな観点から本質的に労働組合として労働の価値の向上を図りたい。これは相対的な経済価値だけではなくて労働の中身そのものの絶対的な価値の向上を図りたい。これは百年前の労働者がつくっておった生産量あるいはその製品の質、両方あわせて私たちはよりいい物をよりよく提供していく、そういうことを含めた考え方であります。
 二つ目は、豊かな生活を築く上で時間というのは必要な他にかえがたい生活資源であるという観点でございます。
 お金があっても時間がなければ豊かにはならない、この厳然たる事実を私たちは見据えていきたい。かつて時間よりも賃金という志向が大変強うございました。しかし、そうやってためたお金で一体どういう豊かな生活が実現したのか、このことを振り返りますと、私たち自身もまず時間資源を確保する、そういうことをやらなければ生活の真の豊かさということは獲得できないのではないか、こういうふうに労働組合に働く私たちも考え方が急速に変わりつつある、こういうことでございます。
 三点目は、労働能力への再投資のためにも時間が必要であるということでございます。
 私たちの労働に対する打ち込み方というのは、私は労働組合の役員であるから言うのではございませんけれども、しかし大変すばらしい伝統があるというふうに考えております。ヨーロッパに行きますとヨーロッパの経営者が、我々ヨーロッパの経営者に日本の労働組合があれば決して日本の経済に負けることはないんだというようなことを何回も言うそうでございますけれども、私たち自身としても労働ということに関してやはり積極的に打ち込んでいきたい、そういうふうな意味で、労働の人間化を図るということからも労働能力を高めるということ、そのためには時間が必要だと。
 四点目は、生きる意味ということをやはり我々も考えていっているということでございます。
 個人的な話でありますけれども、私ももうすぐ四十歳を迎えましていろいろ日々悩むことが多くなってきました。今まではこういう運動の中で本当に前ばかりを見て走ってきたのでありますけれども、ここ一年、何のためにこんなに日々働いているのかということを考えることが多くなったということであります。その意味で、先ほど山崎先生のお話がありましたように、生涯学習というふうなものを単に知的な知識を獲得するという場だけではなくて、もっともっと広い意味で、一人一人私たちがどうやってよりよく生きていくのか、こういうことを労働者、働く者自身も日々考え出してきた、またそういう時代になったのではないかというふうに思います。
 連合の運動方針は、「十人十色の幸せ探し」ということを言っております。十人十色でございます。すべての人が画一的に生涯学習に打ち込むということではございません。ごろ寝でもいい、またそれも一つの時間の過ごし方である、そういうふうな意味で、一人一人が自分はなぜ生きているのか、どのように生きていくのか、そしていかにすればよりよく生きていけるのか、こういうことを考える時間がそういうふうな意味でも必要である。
 五つ目は社会システムの再構築でございます。
 一つの例を示しますと、高齢化社会が近づいております。それに対するいろいろな方策が国会においても考えられておる、そのように承っております。この高齢化社会に対する対応策というのはいろいろございます。しかし、介護の問題あるいは老人の生きがいの問題、そういうことを考えた場合に社会システム全体が少し構造を変えていかなければ対応できないのではないか。例えば、もう引退をしてもらって、隠居生活でどうそのんびりと暮らしてくださいということが老人の方々にとっていいことなのか。私は、私の経験からいろいろ聞いておりますとそうではないというふうに感じます。すべての人が社会に対して一定の役割とつながりを持って生きてこそ生きがいというものがあるのではないか。そういうふうな意味でワークシェアリングというような概念を導入し、すべての人が自分の力で社会に貢献していく、そういうシステムをつくっていく必要があるのではないか。
 また、一人一人のヘルスケアを行う意味でも、現在のように、労働人口、例えば二十から六十歳までの人が集中的にわき目も振らず働くというシステムではなくて、一人一人がゆとりと余裕を持ちつつ労働に参加していく、そういうふうなシステムも必要ではないか。いろいろなことを考えていきますと、社会システムを少し変えていかなければ二十一世紀に対する日本の社会というものが対応できない。そういう観点から、一つは時間のあり方というものをもう少し考え直す。もっと言えば、生涯の労働時間の分布の仕方も改善をしていく。年々の労働時間というものを千八百時間程度にしまして、そのかわり生涯労働に参加する期間を、一人一人の都合にもよりますけれども、押しなべて平たく延ばしていく、そういうふうなことも必要でありますし、また健康に対するケアの問題、あるいは老人に対するケアの時間を確保していく、こういうことも必要だというふうに思います。
 私たちは、みずからの両親の老後をやはり家族がみとっていく、家族が世話をしていく、そういう社会を目指したい、このように考えております。もちろんそれができないという人のためのことも考えることが必要でありますけれども、大きく言えば、やはり金さえ出せば後は外国人労働者の導入ででも老後を面倒見ればいいんじゃないか、そ
ういう考え方は持ちたくない。やはり真心を込めた対応が必要ではないか、そういうふうな意味で考えていきたい。そういうふうなことをいろいろ考えますと、職場における労働慣行というもの自体も私は変更していきたい、またそういう努力を連合としてしなければならないというふうに考えております。
 卑近な例でありますけれども、私はある大手電機会社の社員でもありますが、その職場で、今度の金曜日に休暇をとりたい、こういうふうに例えば課長に申し上げたといたします。休暇の取得目的はこれは問う必要はないわけでありますけれども、今の日本の労働慣行で言えば必ず問いかけます、何でとるんだと。そうすると私が、いや実は今度の金曜日家内の誕生日なので、コンサートなりあるいは演劇でも鑑賞し、夜は食事でもとりたい、そういうことで休暇をとるのですと。こういうことを申しますと、今の日本の大手企業の課長の頭脳は恐らく二、三分は思考を停止するのではないか、こういうふうに感じるわけであります。また、周りにおる同僚あるいは部下も恐らく、またいい格好してというのか、あるいは唖然とするのではないでしょうか。そのぐらい日本の職場は、そういう家庭の幸せということを前面に打ち出す、そういうことを潔しとしない、そういう規範が確立をしております。
 これは世界の職場においては大変異質なものであります。しかし、日本の経済がそういうことを許さない職場のノルマがあるがゆえに世界で最高の競争力を持つとするならば、これは私たちの家庭を犠牲にした上での競争力である、このように言わざるを得ないのではないか、このように思うわけであります。
 私は、職場にあっても一人一人の家庭の事情、そしてまた一人一人が家庭の幸せを確立するということを大いに認め合う、援助し合うということを目指さなければ、何のために世界最高の競争力を獲得したのかという根源的な問いかけが職場で起こってくるし、また戦後生まれの新人類と言われている方々、あるいは私の家内を初め戦後に育った者が持つ価値観というものは急速に変化をしておるわけでありますから、社会を健全に発展させるためにもそういう新しい価値観を獲得していくということも必要ではないか、このように考えておるわけであります。労働組合が担う責任も大変大きいわけでありますけれども、また一方、労働組合としての限界もあるわけでありまして、やり過ぎますとまた少し問題が起こります。そういうことを考えながら、労働組合としての労働時間短縮ということの取り組みを強化していきたい、このように考えておるわけであります。
 とりあえずの私の意見の陳述を以上で終わりたいと思います。ありがとうございました。
#6
○会長(長田裕二君) 有意義な御意見をありがとうございました。
 以上で両参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより両参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
#7
○山本正和君 大変貴重な御意見を承りまして感謝申し上げます。
 私も実は長い間教育に関係をしておりまして、高等学校で化学の教員もしておったものですから、私ども自身が抱えておる人間の生きざまといいましょうか、価値観といいましょうか、そういうものが今二十一世紀を迎えようとして大変私どもも含めて混乱している感じが否めないわけでございます。
 今、山崎先生のお話を承っておりまして、二十一世紀といいましょうか、そういう別に時間的な切り目をつけなくても、新しい大変な時代に遭遇して、人間が一体生きているということはどういう意味なんだということから考え直さなきゃいけない問題としてこの労働と余暇という概念があるんじゃないか。特に加藤参考人から現実に労働組合をいろいろ指導されている立場からのお話もございましたけれども、そういうことも含めまして、お二人にお伺いしたいと思います。
 今の日本人が子供のときからいろんな教育を受けてまいります。それは家庭教育もございますし、学校教育もございます。そういうものが日本人の今のこの社会に対して与えているしっかり働けということが、これは大変すばらしい徳目、それは否定できない部分もあるわけでございますけれども、と同時に、ゆとりとか余暇とかいうことが罪悪であるというふうな流れが、特に戦後の学校教育、何としても日本の国が貧しい国から豊かな国になっていくための大変厳しい競争社会、あるいは昭和二十年代の後半から三十年代にかけて特に先進企業といいましょうか、企業が繊維企業等を中心にして大変な合理化、厳しい国際競争に耐えるというふうなことでの今度は労働者自身の生き方といいましょうか、そういうものの中から余暇というものに対して社会的な通念として何かいびつな気持ちをずっと持ってきておるのではないかという気が私はしてならないわけでございます。
 そういう意味で、我が国の学校教育が、では余暇という問題をどう取り扱ってきたんだろうか。それからまた、学校の中であるいは家庭教育の中で余暇というものをどういうふうに扱わなきゃいけないんだろうかというふうな問題。先ほど山崎参考人からちょっとお話があったように思うのでございますけれども、その辺をもう少し御意見をいただけたらと思います。
 それから、加藤参考人の方からも、できましたらそういう家庭教育、社会教育、学校教育という教育の分野で何か御提言がないか、こう思うのでございますけれども、その辺をもう少し承りたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
#8
○参考人(山崎正和君) 御指摘のように、教育というものについての基本的な考え方が今変わりつつあるし、また変えなければならない時代であろうと思います。
 先ほど来申し上げましたように、これまでの教育というのは常に何かのための準備として与えられておりました。その何かというのは、社会に出て有意義な人間になるということでありますが、有意義な人間というものの中身は、今加藤参考人もおっしゃったように、よく働く人間、この場合の働くというのは、一定の課題が与えられてそれをいかに達成するかという意味で働く人間であります。自分で課題を発見したり発明したりすることはその中に余り含まれていなかったわけであります。ですから、実は学校の教育自体もそういう形をしておりまして、一定の課題を与えられてこれを解くということが生徒のいわば成績として評価されております。ですから、教育というものはいわば何かのための手段なのでありまして、教育自体が目的というふうにとらえられたことはございません。
 ところが、今、日本の社会が話題にして文部省を含めてお考えになっているのは、学習というのは結局生涯それ自体の中身なのである。人間というのは生きております。人間が生きているということは、単に生理的な欲望を満足させるということではないので、何かの発見なり、新鮮な感動なりということを日々することを含んでおります。実はそれが学習なのです。その学習ということの中には、したがって従来の数学や国語をどうするということではなくて、文学から芸術までを含んだ人間のつくり出したさまざまな価値を味わうということを含んでおります。実は学習が生涯のものになるということは本当に革命的な考え方なのでありまして、準備ではないんだと、こっちの方が実は目的なのであるということであります。
 そうなりますと、結局休暇というものの考え方も逆転しなければいけないので、従来のように遊んでそれから働くというのではなくて、むしろ私から言えば余暇と労働の境目がなくなって人間がみんな仕事をする時代になってくる。そういうことを言うと何か余暇の思想に反するようでありますけれども、実はその余暇というのは人間が課題を探すためのゆとりを持つ時間、ただのゆとりではないのであります。課題探しということは何も大げさなことではありません。自分が本当に何を
おいしいと思うか、何を美しいと思うかということも課題の発見であり、国民一人一人がそれをよく考えて物を消費するようになりますと、国民の消費に対する要求が高まってまいります。それが結局産業に反映してより高い商品が生まれるようになって、そのより高い商品が多分世界の市場でまた歓迎されることになるでありましょう。
 これは結果なのであります。決してそれを目的としておしりをたたいても国民の趣味や教養は高まるわけではないのでありまして、これにはいわば急がば回れの時間と、それからそれに刺激を与えるような創造的な施策、設備というものを提供する。言ってみれば社会全体を巨大な一つの学校にするということかもしれません。その分だけ従来の学校というものは大いに改革していただかなければならないし、学校というものが余りにも、言ってみれば自分の役割を大きく見るということはこれからの社会ではひょっとすると害があるかもしれないというふうに考えております。
#9
○参考人(加藤敏幸君) いびつな気持ちを持っているのではないかと、こういう山本先生の御指摘は、私は全く同感だというふうに思います。
 本当に今、私個人も含めて何となく戸惑いというんですか、少しううんと考え込んでしまうような状況にあるということでありまして、それはやはりゆとりだとか余暇、自由時間というものを目の前に与えられたときに不安を感じるんです。山崎先生が不安を感じることがスタートなんだと、こう言われてなるほどと私も思ったんですけれども、教育ということから私は少し個人的な――個人的というか、もともと個人的な意見しか言わないんですが、個人的な考え方を申させていただきますと、学校と家庭と社会、あるいは社会を職場と置きかえたときに、私はこの三つがもう少しバランスをとった形で教育ということを考えていくべきではないかなというふうに感じております。というのは、少し学校教育というものに何かおぶさり過ぎているというんですか、荷物をかけ過ぎているという現実が見えてくるんですね。
 私も日教組の組合の役員さんに時々呼ばれていろいろ話をするんですけれども、話をするときの一言は余りにも皆さん方肩に力が入り過ぎて、物事、問題を背負い過ぎて、これじゃ私はいい影響を人には与えられないんじゃないか。もう少しリラックスをして、世の中の問題全部をおれたちが抱えている、そういう考え方自体が余りいいことないんじゃないですかと、こう言うわけであります。
 また、学校の先生方ともPTAを初めいろいろ面接しております。いろんな方がおられますし、一人一人情熱を持って対応されている方も多いというのも事実であります。ただ、あわよくば私は、学校の教師というものは幅の広い社会経験というんですか、世の中にはいろいろな職業あるいは仕事がある、そういうことを肌で感じたそういう経験をやはり持たれた方が私は人にいい影響を与えていくというふうに考えるわけであります。学校の教師としての専門課程だけの、多少の実習が入るわけですけれども、子供相手の仕事だけでいい教育ができるだろうか。いい教育者というのはむしろ大人に対しても影響力を与え得る経験なり本人の価値を持った者こそ子供に対してもよりいい影響を与えていくことができるのではないかなと、このように考えておるのであります。
 家庭について、私個人的にも三人の子供を抱えておるわけでありますから、親が持つ教育責任というものを私はこれは取り返していくべきだ、そのためには我々により多くの時間を返してほしい、こういうふうに感じるわけであります。
 あと、日本の教育というものは非常に効率的であったというふうにも私は評価をいたします。ただ、多少選別的過ぎたんではないか、非常に早い段階に選別するという機能を中心的にやったことが必ずしも本当にいい芽を上手に選び切れなかったという部分もあるのではないか、このように考えております。すべての子供に平等に教育をするということについては、私は必ずしも賛成ではないのであります。私は音楽は苦手でありまして、私に何億のお金をかけても私は北島三郎のようには歌えないのであって、これは国家的なむだであるし、本人にとっては苦痛であります。だから、その辺のところを私は、選別ということはもう少し社会も余裕を持った選別をしてあげる必要がある。そして、選別されるということが人間の価値観、あれはいい人間、悪い人間という烙印を押すということと少し切り離したことをしていかなきゃならぬのではないかというふうに思います。
 最後に、効率、エフィシェンシーを求めることがいいという価値観から、私はやはりむだというんですか、そういう価値観も教育の場に導入することが大変必要ではないか、このように感じております。
 以上でございます。
#10
○山本正和君 実は、私どもの世代のいろんな仕事をしている連中と会って話をしておりますと、二宮金次郎じゃありませんけれども、どうしてもよく働いてと、手本は二宮金次郎というふうな、それがやっぱり私どもの世代にはずっとあるわけですね。
 ところが、もう少し前の、こういうことを申し上げますと語弊がありますけれども、私どもよりもう十年ぐらい前に生まれておられる世代の方と話をしておりますと、例えばわびとかさびとか、いわゆる今おっしゃった遊びですね、人生というものに対するもっと違ったゆとりというものが随分おありになる。それを学校教育をずっと含めて考えてみますと、明治時代に学校教育を受けられた方と大正、昭和の時代、特に昭和も戦後学校教育を受けられた方と随分違ってくるわけです。かなり文学とかあるいは哲学とかそういう部門の影響が随分まだ明治時代に生まれた方にはあったんじゃないかという感じがするわけですね。ところが、大正の後期から昭和の一けたに生まれた世代というのは何かひたすら走り回ってきりきり舞いして、大日本帝国と、こういうふうな格好できているような気がするわけなんです。
 結局、今の中小企業が恐らく日本の経済社会を支えているわけですけれども、中小企業のリーダーの方の心の中には、やっぱり私どもと同じような二宮金次郎的な発想がどうしても強く残っている。しかし、それでは我が国はもう対応し得ない、これからの新しい時代に。むしろ明治時代にお育ちになった方のわびとかさびとか、また本当に我が国に昔からあるさまざまな伝統といいましょうか、そういうものを見直さなきゃいけないような要素があるような気がしてならないわけなんです。
 そういう意味からいいますと、この余暇の問題に本気になって取り組むのに必要なことは、これは大変語弊がございますけれども、やっぱり千八百時間という労働時間、これを制度としてやろうとする場合には国民の多数の意見を聞かなきゃいけませんけれども、多数の意見によって、やっぱりこれから労働というものに対してはとにかく千八百時間なら千八百時間と、こういう一つの規制をこれは国としてしなければなかなか踏ん切りがつかないし、と同時に今度は教育の部門ですね、その部門で人生とは何か、あるいは遊びとかわびとかさびとかいう昔の我々日本人が考えたのは何なのか、そんなことをもっと教えていかなきゃいけない。
 というのは、戦後の学校教育で六三三制が始まった当初は、例えばアソシエーションとかクラブとか、そういうものを一週間のうちに何時間か、四時間ぐらい保障しておったわけです。ところが、だんだん競争が激しくなって、今加藤参考人がおっしゃいましたけれども、選別のための学校教育という場になってしまう。だから、一定の点数をとらなければどうにもぐあい悪いということで、もうはっきり競争社会といいますか、学校の中でですね、競争社会というのは必要なんですけれども、教育の分野に余りにも効率というものを持ち込み過ぎたところにさまざまな弊害が生まれてきているというような気が私はしてならないわけなんです。
 ですから、本当は労働組合のいろんな今までの運動の中で、労働組合から自分たちの子供の教育
に対して提言されるという部分が大変少なかったんじゃないだろうか、そんなことを思いまして、連合の運動方針の中で今後またそういう教育の問題なんかについての提言等もお出しになることができないだろうか、こんなことを思います。
 それから山崎先生には、何とかもう少しそういう意味で、ちょうど中教審とかさまざまな教育課程審議の場がございますけれども、大学人の立場からそういう格好での御提言をいただくようなことをしていただけないか、こんなことを私思うものでございますが、その辺につきましてもう少し何か御指導をいただけましたらと思うのでございます。
#11
○参考人(山崎正和君) お説のとおりだと思います。ただ、明治の方々が大正あるいは昭和の人間よりもゆとりをお持ちになっていたというのは、その場合、明治の人たちはごく限られた人ではなかったかと思うのであります。つまり、御承知のように日本は大正の中ごろ、七、八年ごろに高等教育の大改革をいたしまして、そのときに、要するに高等学校及び大学の教育を受ける人が非常にふえました。それ以来一貫して戦後まで、戦争という不幸な体験を経ながらも、日本は教育の大衆化ということを進めてまいりました。これはやはり否定しがたい大きな功績であったと思います。
 ところが、その過程で何が行われたかといいますと、かつてはほんの一握りあるいは一つまみのエリートを教えていたわけですから、教える側にも習う側にもゆとりがあり得たわけですけれども、教育の大衆化を進める過程でだんだんと手とり足とり何もかも面倒を見なければいけないという思想が同時に広がってまいりました。ですから、教育時間もどんどん延びてまいります。それで戦後になりましても、教育時間あるいは義務教育の時間というものは延びる方がよいのであるという思想がずっと続いておりました。
 現在でもまだ教育界の一部には、例えば高等学校を義務化した方がいいとか、現在の高等学校ですね、それから幼稚園もついでに義務化したらいいというようなお考えもあるようでありますが、これは明治以来の国民に教育を与え、高度大衆化社会、大衆知識人の社会をつくるという思想の延長としてはうなずけるのでありますけれども、時代はやっぱり変わったわけであります。というのは、相当に国民の知的水準が社会全体として上がってきた。それから、学校以外にさまざまな知識や情報を与える設備がふえたわけであります。早い話が、今の教育テレビをごらんになれば、なまじっかな大学教師が教えるよりもはるかに立派な教育をやっている部分もございます。新聞も書籍も非常にふえております。国民の識字率はもうほとんど一〇〇%でありますから、それを受け取ることは十分できるわけです。そうなってもなおかつ学校が手とり足とり何もかも教えなきゃならないのか。これが我々の直面している大変大きな問題でございます。
 それから、やはり学校は、これは単に文部省の方々がというよりは学校の教育の場所におられる先生方も含めてですが、しかもお考えの政治的なお立場を超えて、とにかく学校で何もかも管理しなければならないという考えが相当お強いのであります。文部省がゆとりの時間というのをつくりますと、そのゆとりの時間をどう管理するかという大変皮肉なこっけいな問題が起こってまいります。
 私などは、ゆとりの時間を学校の中につくる必要はない、もしそういうことをするのであれば、要するに下校時間を早くしてしまえばいいのであります。こうしますと、しかし、御承知のように今親も反対いたします、先生方も反対する。先生方の反対の一部にはひょっとすると職場の数が減るのではないだろうかということになりますし、親の方は家へ帰ってくると世話しなきゃいけない。今、加藤参考人のような立派な親ばかりだといいのでありますけれども、なるべく楽をしたいという人も多いわけであります。私は、みんな楽をすればいいのだと思っています。「親はなくとも子は育つ」という日本のことわざがあります。これは乱暴ですけれども、もう少し子供を学校からも親からも解放してやって大丈夫である。日本の社会にはそれだけの教育機能というものが社会それ自体の中にあると私は信じております。
 それからもう一つ、今の若者は暇を与えると不善をなすであろうというお考えがどこかにあるとすれば、私はむしろそうではないということを申し上げたい。つまり、私は大学教師のかたがた演劇というようなことに携わっておりますけれども、今、演劇というような場所で、ちっともお金にもならず相変わらず苦しい生活を強いられる状況の中で、若者は非常にけなげにやっております。
 別の例を申し上げますと、兵庫県の宝塚に宝塚北高校というこれは県立のちゃんとした高等学校であります。ここに初めて演劇科というものをつくってみました。そこに集まった生徒たちというのは、中学校で登校拒否をやったとかあるいはいろんな精神障害上の問題があったような人たちも来るのでありますが、それがみんな生き生きしてまいります。それは何かというと、先ほど来申し上げておりますが、ここでは課題探しという、課題を解くのではなくて自分で課題を発見するということがもう自動的に行われるわけですね。ですから、私はそういうふうな急がば回れということの具体的なことでありますけれども、場所をいろいろつくらせる、人間が創造的であり得る場所をいろいろつくっておくことによって十分日本人は将来の社会を担っていくだろうと信じております。
#12
○参考人(加藤敏幸君) 二つ御質問の趣旨があったと思いますけれども、前半の方は、私は今の日本の世の中、私なりに思う一つのポイントは、貧乏とか窮乏に対する不安感が必要以上に強いのではないか、これが社会全般的な強迫観念を形成し過ぎているところにちょっと私は今の日本の社会の問題点があるのではないか、こう思っているわけなんですね。
 例えば、ロレックスの時計だとかダンヒルの時計をして電車に乗っている若者はたくさんおるわけですね。それはそれですばらしいことですけれども、でも別に時計はロレックスじゃなくても、二千円でも時計は時計なんだと。だから、別に貧乏が怖くはない、何かあったときに、二千年間日本はほとんど貧乏な国だったんですから、それで別に幸せになれないということはないんだよと、豊かな方がいいけどね。でも、一方窮乏であっても、物がなくたって親子何人幸せはいつどうでもつくっていけるんだと。そういう気持ちも一方でないと、お金がなくなるともう全部だめになるんではないかという何か強迫観念がいびつなものをつくっている一つの原因ではないか。そういう分析もできると思うんです。ここは参議院ですから、多少長期的な考え方で申し上げますとそうです。
 それから、教育に対する労働組合の提言ということにつきましては、連合が政策・制度要求で持っていない項目は幾つかありますけれども、その一つが教育に関する項目なんです。あとは外交、国防に関して私たちは提言をあえてこれは項目から外しております。なかなか教育の問題が言いづらいのは、十人十色と言っておりまして、十人十色の教育論がございまして、労働組合の立場からまとめていくということが、人生の価値観とか個人の価値観に直結する部分がありまして非常に難しい部分もあるのではないかということがございます。
 ただ、教育の中身はともかく、教育システムのあり方ということは少し我々の立場から言えるかもわからない。これは、今のようにお金のかかるような大学入試に向けての画一的な教育ということについて制度面から、システム的な方面から少し提言はできるかもわからない。二点目は、生涯学習という観点を含めまして、例えば職業能力開発という、文部省マターではなくて労働省マターという観点からのこういう教育の問題に関しては、労働組合としてはこれは大いに提言し得るのではないか。そういうことで現在もなお事務局レベルでは非常にここは議論をしておりまして、我々労働組合としてどういうものが提言できるか
ということは研究もしようではないかという段階であります。
 以上です。
#13
○山本正和君 どうもありがとうございました。
#14
○大塚清次郎君 両参考人にお伺いいたしますが、先ほどは山崎先生からは非常にユニークな御意見がございました。この労働と余暇の問題を私どもが議論いたしまして初めてこういうことが出たわけですが、そういう意味では余暇の歴史的な考察ですか、考証といいますか、そういうものを中心に質的にゆとりある余暇をうんと持っていく方向でいくべきだということに帰結すると思います。
 それからさらにまた、ただいま加藤さんからは勤労者の立場といいますか、それをにじませて、そうしてまずゆとりある余暇、質的にもあるいは量的にもゆとりあるものを達成するためには、ここで国の一つの政策として誘導していくことを急ぐべきだというようなことであったと思いますが、帰結するところはやっぱりこれからの国際化あるいは老齢化あるいは情報化の時代に適応できる質的な量的な新しい余暇の創出ということに両方帰結すると思います。
 そこで、そういうことを踏まえまして山崎先生にちょっとお尋ねいたしたいのは、これからのあるべき休暇、創造的余暇をつくっていく手段としてどういうものがあるのか、その方向性ですね、これをもう少し具体的に、先生の私的なお考えでもいいですからひとつお教えいただきたい。私どもは学校教育とかいうようなことにつきましては非常に卑近なことですからよくわかっておりますが、文化、芸術面も取り入れたそういう余暇の創出について――今ございます国の政策の中にいろいろと行われておりますものがレジャー的な面に非常に走っておるということですね。そういう点からある程度そういうものを総合的に、バランスのとれたゆとりある余暇の創出、創造という方向でこれは考えていかなきゃならぬなということからの御意見を伺いたい、こう思います。
 それからもう一つ、加藤先生には、いろいろと御意見を述べられた最終の一つの考えとして、これから労働の価値を高めていく、そういう方向で考えるべきだということ、それから労働能力を高めるためにもやっぱり時間のゆとりが必要だ、だから余暇を広げるべきだ。それから次には、生涯学習に向けての時間のゆとりをつくっていくべきだ。それから社会システムの再構築、特に老齢化社会を取り上げておられましたが、その中でもひとつ余暇というものを広げていくべきだといったような点を出されました。
 まことに私もそうだと思いますけれども、試行錯誤してそこになかなか行こうとしないということには、やっぱり一つは皆さん方が望まれる分配の問題があると思うんですが、もう一つは歴史的な勤労と余暇に対する価値観ということについてのもっと意識革命が全体に必要じゃないか。それがこびりついているもんだからなかなかそこに行こうとしない、ブレーキになっておるということを思わざるを得ぬわけです。これは管理者もいわゆる管理される勤労者も含めて私はそういう意識革命が必要なんじゃないか、このように思うわけでございます。
 そういう点についてのひとつお考えをお聞かせいただきますとともに、その一つの根っこにあるものをよく考えてみますと、例えばちょうだいいたしました資料で、労働時間の実態、こういうことについて実態をここで要約してもらっておりますが、これは非常に職種によってあるいは企業の経営の大小、規模の大小によって大きな労働時間の乖離があるわけですね。これが日本の余暇、ゆとりある余暇をつくる上においてこういうアンバラがあっていいものかどうかということ。しかし、それをさらに深く淵源をたどってみますと、日本のやっぱり産業構造に問題があるんじゃないか。それを改めないことにはこの格差是正はなかなかできないんじゃないか。
 今、日本の産業構造が国際化の中で外から責められて徐々に変わっておりますが、もっとやっぱり日本それ自体として産業構造、これはなかなか難しい問題だと、特に流通段階での今の二重構造というのはそう簡単なものじゃないというまつわりついた問題がございますので、そういう点もやっぱり根っこにあっていろいろなネックが出ておるんじゃないか、私はこういう見方をしております。この問題にある程度の方向性を与えないと容易じゃないと思っておりますが、その点について御意見を加藤さんにもお伺いいたしたいと思います。
#15
○参考人(山崎正和君) 私への御質問は、質的に高い余暇をどういうふうにしてつくり出していくか、そのために政治あるいは行政は何ができるかということであろうかと思われます。
 これは大変大きな問題でございまして、いろいろな側面もございます。ただ、基本的な認識を申し上げますと、日本人というのは小人閑居して不善をなさない国民でございまして、どうも先進諸国の中でも暇があると勉強するという不思議な国民でございます。おけいこごととか、これは若い人もそうでありますが、お年寄りが趣味で何かを習うというのは昔から定着しております。そういう意味で、例えばこの社会教育というようなものでも大変需要が高いのでございまして、それも東京だけではなくてむしろ地方の都市、いろいろなところで非常にその要求が高いわけでございます。
 ですから、実は社会教育に関してはいろいろ議論がございまして、諸外国ではそういうところに政府が投資をすると逆に一部の人だけが得をするのではないか、つまりエリートだけがまた勉強をする、一般の人たちは恩典に浴さないというような議論もあるのですが、これは日本には当てはまらないのでありまして、階層を越えて日本人の勉強熱というのは高いわけであります。ですから、まずそういう意味での広い生涯教育の設備を充実するということは直ちに考えられることであります。
 じゃどうすればいいか。例えば従来の学校をかなり大幅に用途変更をすればよいということで、現在も学校開放ということは行われておりますし、大学レベルでは開放講座等々も行われておりますけれども、思い切ってこれを教育機関の目的の半分ぐらいにしてしまってもいいのじゃないか。ところが、これはいろいろ日本特有の困難もございます。これは管理の問題でございまして、日本国民は一方では政府に対して批判的な面もございますが、ひどくお上に頼るという面があります。例えば学校の運動場で放課後にだれかがけがをすると校長さんの責任になる。これではどこの学校も学校開放を渋ります。それにはやはり何らかの、これは実はもう文部省の中教審では議論したことでありますけれども、管理主体を別に考えなきゃいけないだろう、つまり三時以後の学校は別の人が管理をする、そしてそこで生涯教育のためのさまざまなサービスを提供する。
 もう一つ、これは日本の問題として非常に大切なことは、休暇をとりますと、何といいましょうか、都市の施設が余りうまく利用されないのです。それは簡単に言いますと、日ごろ忙しく働いている人たちにゴールデンウイークだといってどんとお休みを与えますと、みんな争って郊外のどこか遊び場へ出かけるわけですね。そちらは大混乱をいたします。大混雑で息もつけない。休暇だか労働だかわからなくなってしまう。かたがた、都市内部の図書館から美術館から劇場からさまざまな投資が行われております。その辺の喫茶店だって十分これは社会の投資でありますが、これががらがらになるわけです。もう少しこれを上手に利用するような休暇の設計というものがあるのではなかろうか。いろいろ難しいことではありますけれども、国民がそれこそ十人十色で多様な休暇の使い方ができるような休暇時間の設定というのが考えるべきことだろうと思います。
 最後に申し上げたいことは、やはり我が国のいわゆる文化投資が余りにも情けないということ。きょう、正確な統計を持っておりませんのですけれども、我が国の文化投資、政府の投資を諸外国と比べますと、大体十分の一以下です。それも、過
去の投資の分量を含めて考えますと、もう比較にも何もならない状態です。今、竹下総理が国際文化交流ということに大変御熱心であります。それは大いにしなければいけません。国際交流の費用もこれは諸外国に比べると十分の一以下なんです。ところが、さて交流してみようということになると中身がない、びっくりするわけです。で、中身からつくらなければならぬというのが日本の今の現状であります。
 もう一つ、やはり今、東京集中ということが話題になっております。地域の社会の若者がどんどん東京に出てくる理由は何なんだ。これはいろいろ研究したあげく、別にここに政府があるからでもない、大官庁があるからでもなくて、東京にはいろんな文化機会がある、文化に接触する機会が非常に多い、これが若者にとっての大きな吸引力なんです。ですから、そういうものを地域分散していくということが本当のふるさと創生だろうということになるわけでありまして、今後はいわゆるふるさと創生にしても、新産都市的な考え方、ただ工場を分散すればよろしいというのではいかないだろう。やはり全国的に、東京で言えば第二国立劇場がようやく着工するようでありますけれども、これだって諸外国に比べれば百年以上おくれております。そういった文化投資一般をふやすこと、それから特に地域社会への投資をもう少し一もっと平たく言ってしまえは東京以外の地方でありますが、そういうところへの投資も十分に考えなければならない。
 これは決してむだにはならないのでありまして、私は効率主義を否定しながらむだな話をしておりますけれども、急がば回れで、むだは必ず成果を生みます。やはり西洋の近代にあれだけの科学技術が生まれてきたことの背景には文化的充実というものがございました。ルネッサンスという時代にいろいろな産業の技術のもとが出てきましたけれども、それはやはり演劇から音楽から美術に至る全体的な文化の水準が上がった時代であります。こういうことをお考えいただければ、むだは決してむだではないのでありまして、やはり相当大幅な、もう思想を転換するような大幅な投資というものが今後必要ではなかろうかというふうに考えております。
#16
○参考人(加藤敏幸君) 大塚先生の御質問で、まず第一点は意識改革の必要性があるということについては全く同感でありまして、自動車総連の得本会長も、自動車産業としての反省も込めながら、やはり働く者の立場からも労働時間というものの考え方を、価値観を変えていく、そういうふうなことを非常に強く述べられておりましたので、そういうことはございます。
 ただ、先生方に御理解をぜひお願いしたいのは、非常に問題範囲が広うございまして、また働く者の置かれている立場も非常に幅の広いというか、開きがございます。一つの事例は、言われますように働く者が、管理者も労働組合ももう休めと言うのに、無理に出てきて働いてやっておるというところもございます。しかし一方、労働基準法を守れない経営者、管理者も相当数おられることもこれは事実なんです。
 私はパートタイムの専門家会議に出ておりまして、これは経営者の代表の委員さん方からもよく出るのですけれども、社長というのは資格があってやっておるんじゃない、自分で社長と言えば社長なんだと。だから非常にいろんな人間がおる。それらがすべて労働法規をよく理解した上で社長をやっているわけじゃない。誤解もある、わかっていて無理をしている部分もある。そういうふうな観点から、私はすべてが勤労者の意識というところに求められるのではなくて、ある部分はやはり経営者の考え方、それから管理をしていくシステムの中にもこの労働時間の問題というのは大きな分野があることは事実であります。また、特に交通・運輸の労働者の労働時間の実態は、そう私は安穏としておれるような状況にはない、命に直結する部分もやっぱりあるのではないか、このように考えております。
 それから、意識改革をどう展開するかということで言いますと、我々も労働組合の持っているそういうメディアはすべて使って、やはり一人一人の考え方を少し労働時間の方に向くようにこれは徹底してやっていきたい、このように考えております。
 それから、生涯学習の観点で例えば申しますと、CAI、コンピューター・エーディド・インストラクションというシステムがあります。これはコンピューターのパソコンレベルのものを使って一人一人の職業能力の獲得を個人ベースでやっているわけです。中高年になりますと、みんなが集まって勉強させられるということに非常に抵抗があるわけです。個人差が多うございますから、非常に自分がおくれてくるとついていけないという感じから参加できなくなる。そういうのを個人ベースでコンピューターの端末を使ってやるとかあるいは衛星通信を使ってやるとか、これはアメリカでは既に二十年以上の歴史がありまして、大変進んでおるわけでありますけれども、日本の場合には全然進んでいない。こういうふうな観点から、職業能力を高めるということでコンピューター・エーディド・インストラクションなんかの活用方法を含めて、私はハードウエアの提供だとかソフトウエアの提供の部面でも社会のシステムあるいは行政の支援ということが非常に必要ではないか、こんなふうに考えております。
 それからもう一点。私も放送大学を試しに一年間聴講生で受講しました。そのときに学長のお話で非常に印象に残っているのは、生涯学習を考える上で注意すべき点というのは、高学歴者ほど生涯学習に志向する、したがって低学歴者ということをイメージしますと、そういう方々というのは生涯学習に参加する動機なりそういう意欲というものを持たれていないんだと。そういうふうな意味で、放送大学の場合も大学院卒業生が非常に参加して顕著な成果を上げている、そういうことも見られる。したがって、国民全般に生涯学習ということを展開する場合には、やはり個々が持っておる学習に対する好き嫌いも含めて、あるいは近寄りやすいとかそういうことも含めた配慮ということもやっていく必要があるのではないか。これは、特に働く者の立場から、生涯学習と一言言われましてもなかなか取っつきにくい生涯学習では難しい。そういう意味で、働く者の生涯学習とは一体何なんだというあたりに非常に大きな課題があるのではないかというふうに思います。
 職種、業種あるいは規模によって労働時間の差が大変大きいということの御指摘はそのとおりでございます。連合という労働組合の団体が持っております運動方針あるいは政策・制度要求は大変多岐にわたっております。産業構造の問題と指摘されておりますように、これで特に言われているのは中小と大規模との企業規模による格差の問題、これに対する対応策というのは、労働時間に限らず賃金あるいは福利厚生、そういうふうな諸労働条件において大変大きな差があるということも我々はとらえております。年金の問題一つにいたしましても、標準年金以上が支払われる対象者というのは三割以内ではないか、こういうふうな認識を持っておりまして、この辺のところについては総合的な政策として対応する必要があるのではないか。御指摘のとおりでございまして、特に産業構造問題については雇用を将来どのように確保していくかということを含めまして大変間口の広い問題である。この場でお話を始めますととても終わりませんけれども、そういう認識を持っておるということはあります。
 それから最後に一言。特にこれはECが統合されるに当たって、よく連合にもEC関係のお客さんがたくさん来られます。その皆さん方の言われることは、ECはEC域内としての公正労働基準として、その一つのスケールとして賃金よりも労働時間を求めているわけです。賃金の格差というのはいろいろな要因があって、それはやむを得ない場合もある。しかし、労働時間というスケールは為替レートの影響も受けないし、これは世界共通のスケールではないか。そういうふうな意味で、公正労働基準としての第一スケールというのは労
働時間である、こういう考え方をECの中ではまとめつつある、こういうことでございます。
#17
○大塚清次郎君 もう時間がございませんが、有益なお話、まことにありがとうございました。
 特に加藤先生に私が言いたかったのは、一番最後に触れました労使、いわゆる経営者側も労働者側も、そういうことで今顕在しておる問題点というその根っこに産業構造の問題があると。これはやっぱりそれ以前の問題だから労使の中ではなかなか解決できない問題。ですから、そういう点を労使が協調しまして、そういう産業構造の潜在的な問題に手を染めないと顕在した問題の解決にならないんじゃないかということを言いたかったわけでございます。
#18
○参考人(加藤敏幸君) 一点補足させていただきますと、今言われました点につきましては、日経連が労働問題研究委員会報告の中で、大企業が関連中小に対して分配率の面でも配慮すべきであるという、これは一言だけですが去年から出てきまして、それで世の中が変わるわけではないんですけれども、一つの指摘としてはそういう指摘が今芽生えつつありますし、今先生の言われたことを、きれいごとではなくてやっぱりどうやっていくのかということが非常に大きな課題であるというふうには我々も感じております。
#19
○大塚清次郎君 ありがとうございました。終わります。
#20
○高木健太郎君 ただいま山崎先生と加藤先生には大変ためになるお話をお伺いしました。山崎先生には労働というものあるいは余暇というものの本当の意味をいろいろとわかりやすくお話をいただいたわけでございますので、山崎先生の方には、私が雑然と考えておりますようなことを申し上げて先生の御意見を後でお伺いしたいと思いますし、加藤先生の方には、これは労働の現場におられるものですから、そちらのことで少しお伺いいたしたいと思います。
 生涯教育というようなものは、実は学校教育と並列しているものではなくて、学校教育というものは生涯教育の中に含まれているとか、あるいはまた教育というのは労働の準備のためにあるわけではないとか、そういう非常にユニークなお話を伺いまして目が開かれる思いがするわけでございます。確かにそういうところはあると思うわけです。
 ただ、ここで問題にしております労働と余暇ということなんですけれども、人間の生活といいますか、人生というようなものが労働と余暇というものに二つに割れるものだろうかどうだろうか、その中途のところはないだろうか、あるいはそれから外れたところのものはないだろうかということですね。すなわち、労働の中にも余暇が含まれているということはあり得ないだろうか、あるいは余暇の中にも労働が含まれているというようなことも考えられないことはない。労働が非常に好きだという人がありまして、例えばそれがもっと昔の仕事のように、自分の意思から出たものではなくて強いられた人間の精神的及び肉体的の働きでありましても、その中に自分自身の活動というものがやはり含まれているのではないだろうか、その点については先生はどのようにお考えでしょうか。もし分けるとすれはどのように分けるのがいいだろうか、あるいは分けられるものではないとお考えでしょうかということです。
 それから、日本は非常に豊かになってきまして、対外貿易の黒字が大きくなる、非常に大きな債権国になった、こういうことがいわゆるジャパン・バッシングになりまして労働時間の短縮ということに追いやられているというそういう外部的の、外力による強制が今度の問題を起こしてきた一番大きな原因ではないかなというふうに思うわけでございまして、日本人自体の中から余暇をふやそうというそういう気持ちが起こってきた要因ももちろんあるでしょうけれども、外力の方が大きいのではないだろうかというふうに思うわけです。だから、外力がやめばまた日本人特有な、先ほど小人閑居してということがありましたが、やはり働き癖が出てくるのではないか。こういうように豊かになったときこそ、本当は日本人自体が人生とはどうあるべきであるかということをじっくり考えるときに来ているのではないか。先生は、教育も非常に大きな変革を遂げつつあるときであるというお話がございましたから、多分そういうこともお考えだと思いますが、さて、そうしたらはどのようにすることが日本人にとって最もいいことであるか、そしてまたどのように人生というものは考えるべきであるだろうかということなんです。
 ついこの間までは健康が最大の目的のように考えられておりました。しかし、健康は何のためにそれじゃ必要なのかということは余り考えないで、ただ健康健康ということで、健康産業というふうなものが非常に盛んになったわけで、いざ健康になってみますとすることがないというような健康のように私には見受ける、そんな感じもするわけなんでして、余暇余暇といって余暇を求めたら、お金もたまった、余暇ができた、さて何をするかという最終的なものがどこにもなかったんだ。そして戦争中に外国人がびっくりしたような、いわゆる自爆というのがございましたけれども、それと同じようにお金をもうけることだけにまっしぐらに突進している、そういうふうに外国には見えるのではないか。日本がそれ以外に外国に対して文化なり文明で影響を与えるものがないのではないか。そういう意味でここで考える必要があるんじゃないかなと思うわけです。
 いわゆる金もうけも同じことでありまして、お金をもうけるのは何のためであるのかということを忘れて動いているように見える。ある人が病気になった、そのときにそのお金を使うんでしようというお話がございますが、私はそうではなくて、お金をもうけることに夢中になっている人は、自分がお金をかければ治る病気もお金をかけないで死ぬと、そういう間違った方にいく可能性さえあるのではないかというふうに思うわけです。
 それで結局は、私はがんだとかそういうことで亡くなる方が、このごろがんの闘病記なり、あるいは人間のあり方なりを記録に残しておられる方が随分あるわけです。御存じのように最高検の伊藤榮樹さんとかあるいはニューヨークのレポーターだった千葉さんなんかも闘病記で書いて、人間はどうあるべきだ、人間のアイデンティティーとは何だ、人間のアイデンティティーをあらわすことが最終の目的ではないかというようなことを言っておられるんで、この労働と余暇というふうな問題も結局のところはそういうところに今差しかかっている。いわゆるゆとりができて、そういうところをみんなで考えようとしている、そういう問題ではないかと思うわけでございます。こういう点につきまして、大変雑駁な質問で失礼でございますけれどもお尋ねをいたしたい、こう思うわけです。
 また、加藤先生にちょっとお伺いいたしたいんですけれども、労働の価値というものが今問われている、余暇の価値も問われると同時に労働の価値とは何だということが問われている時代だと思います。労働の価値というのは、それで生産された品物の質と量、あるいは情報であればその情報の量ということ、あるいは質も問われるわけですが、そういうものをひっくるめて生産高としますというと、その一定の生産高を上げるに要した人間の数と、それからそれの時間とを掛けたもの、いわゆる労働全体の総時間ということになるでしょうが、それで割ったものが効率ということになるわけなんです。
 私は労働が専門ではございませんので、勝手にこうやって考えたわけですけれども、そうすると、たとえ余暇と言われましても、企業主あるいは経営者としましてはできるだけその効率を上げたいと思うわけでしょう。とすると、労働時間を短くするということは労働の密度を高くするというふうに対応していくんじゃないかな思います。そうしますと、無理ということじゃありませんけれども、何らかの労働時間を減らすということは、どこかに負荷がかかっていくのではないかなと、どこにその負荷がかかっていくのだろうかなという
気がするわけですが、それはどのように解決をされようとしているのか、お気づきの点がありましたらお尋ねいたしたいと思います。
 それから週休二日制というふうなことがとられようとしていて、千八百時間になるわけですけれども、その移行時期について今すぐそれを千八百時間にして週休二日にするということは企業側にとっては非常に大きな痛手でありましょうし、また労働者側にとってもそれはなかなか対応できない。そういうことで変形的な労働をせざるを得ないんじゃないかと思うわけです。いわゆる変形労働時間に移行せざるを得ない。そうすると、朝八時から五時までというのをいきなり普通の日に一時間延ばしていくということはできませんから、まあ十五分程度平日を延ばす。それによって幾らか減った労働時間をカバーしようというように企業側は考えていく。
 このわずか一日に十五分か二十分というものを加えることは、男性にあるいはある人にとっては大したことではないでしょうけれども、子持ちの婦人であるとか保育を要する子供を抱えているとか、家族に何か病人があるとか、そういう個々の状況にある人にとりましては極めて大きな負担になってくる。朝十五分だけ早く出てこようと思うのには、電車の方から見るとラッシュにちょうどかかって十五分が一時間に相当するというふうなこともあるわけなんですね。だから、そういう移行期間のときにはいきなり今までどおりの平日の時間ではなくて、少し延ばしつつだんだんそれを縮めていくというふうな方法をとる場合にもこういう問題が起こってくるだろうと思うわけです。そういう変形労働時間というものを今後どのように導入していけば千八百時間になり、いわゆる本当の意味の週休二日ということになり得るかどうか。そういうことについては何か連合の方なんかでお考えかどうか、そういうことをお聞きしたいと思います。
 大変雑な質問で恐縮でございますが、お答え願えれば大変ありがたいと思います。
#21
○参考人(山崎正和君) お説のとおり、労働と余暇というのは先ほど来申し上げられましたように、産業社会のある特殊な状況でのみ分けられたものでありまして、本来の人間というのは仕事という複雑なものをやってまいりました。仕事の中にはつらさもございますが、いい仕事をする楽しみというものも含まれておりまして、仕事というふうに考えますと実は分けられない。その分けられないものが大切になってきたのが現代でありまして、まさに中途とおっしゃいましたが、その中途の部分をどうしてつくり出していくかというのが現代の課題だろうと思うのであります。
 平たく申しますと、例えばかつての営業マンというのは物をいかにたくさん売るかということを考えておりました。そのために読むべき本というのは多分商業関係、経済学関係の本で済んだでありましょう。しかし現代、例えばマーケティングというふうなことをしている人はどういう商品をつくり出せばいいかを考えなきゃいけません。そうなると、読むべき本はうっかりすると音楽から美術に及ぶわけなんです。教養万般にわたります。一体この部分は労働なのか仕事なのか余暇なのかということになりまして、その区別がつかなくなっているのが現代なんですね。
 また、御承知のように日本人はかつて工場労働の中ですら仕事を楽しみのようにやってまいりました。今もその気味がありまして、諸外国の人はワーカホリックと言うわけであります。私はそれ自体が不健全であったとは思っておりません。仕事を楽しみのようにやるということは人間の一つの美徳であります。ただし、従来の楽しみのような仕事というのはどこで行われていたか。一定の企業の一定の組織の中の場所、そこで目的を与えられた中でのお話だったわけです。ですから、この人たちがある日突然退職いたしますと、もう人生の生きがいがなくなってしまうわけです。仕事が楽しみであったけれども、その仕事は自分で発明したものではなかったからです。逆に、これからは楽しみを仕事のようにしなければならない、大変厳しい時代だということになるかもしれません。
 サラリーマンであろうがあるいは自営業者であろうが、自分の本来の仕事をするためにたくさんの教養を身につけなければならない。その教養というのは、かつてのように一定の目的に向かってあらかじめ絞られていないわけであります。スポーツをすることから趣味をたしなむことまでが自分の仕事にどう間接的に結びついてくるかわからない。それが現代なんです。そういう場所としてあるものが余暇なのでありまして、かつて余暇というと、とにかく福祉、いわばお恵みとして与えていたものですけれども一命や福祉というのは、社会全体の活性化あるいは社会全体の広い意味の生産力を高める主たる場所になってきている。ここが現代の難しい問題だろうと思うのです。
 もう一つ、外国の圧力で日本人は余暇について考え出したという歴史的経緯はお説のとおりでありますが、私の見るところ、その外国の圧力なるものは決してなくならないと思います。というのは、これが歴史の流れだからであります。先進産業諸国というものは、とにかくこれから知恵とそれから趣味によって生きていかなければなりません。ですから、それは産業そのものの要請している流れでありますから、外国の圧力も変わりませんし、日本内部の圧力も変わらないと思います。
 最後に、国家というものは世界の中で品格を持って尊敬されなければならないだろうと思います。その品格というものは、やはりゆとりの中からつくり出されるものであって、人間はもちろん労働によって自分を磨いていくという側面は十分ございますけれども、ただ、がつがつしているということでは決して品格にはならないのでありまして、その面からいいましても創造的な余暇というものは大変大切なものになると思います。
 何度も申し上げますが、どうも余暇という言葉は困るのでありまして、別の言葉をだれかが考えてくれるとよいと考えております。
#22
○参考人(加藤敏幸君) 労働の密度が高まっていくと、どのようにこの負荷を吸収していくかということの方策、非常に重要な問題指摘だと思います。
 私が労働の価値と申し上げましたのは、先生が御指摘になられた部分と、それからもう一つは労働の質というんですか、働くこと自体が本人にどれだけの達成感とかやりがいを与えるかという意味の部分も多少含めた考え方で申しておりますので、ジョブエンリッチメントだとかエンラージメントだとかいう概念も多少参考にさせていただいているということであります。ストレートに申しますと、仮に労働の密度を高めるといたしますと、その吸収策としては、一つは機械化ということがございます。これにつきましては、現場労働者における千八百時間の展望については、労使で既に話し合いが始まっておるところでは比較的解決策はやりやすいという方向に生産関係のエンジニアも言っております。これはそのくらい機械化投資も今までやってきましたし、方策としても比較的経験のあるところです。
 ところが、ホワイトカラーの分野につきまして密度を高めるということにつきましては、非常に過去その経験を持っていない。そういうふうな意味で、このホワイトカラーと言われている方々のいわゆる労働の密度を高めるというのもあれなんですけれども、労働時間短縮を進めていくということの方策についてはまだ緒についたばかりで、これについては確たる成功に向けての確信は持っておりません。私も技術管理という仕事をやっておりました関係上、エンジニアの仕事の仕方ということについていろいろあるわけですけれども、これは仕事の仕方ということで大変大きな課題がある、このように考えております。
 三点目は、一つは大企業が中小関連企業に労働時間短縮の内容をしわ寄せしてしまうということの問題指摘があります。これにつきましては、これをやりますと、そうでなくても格差のあるところがなおその格差が倍加されるという現象になってくるわけでありまして、この辺については我々
自身の方策の中でもいかにそこを阻止するか、また、企業規模間による格差是正についてはやはり政労使の話し合いの場を設けようではないかというようなことを日経連に対しましても労働省に対しましても今要請をしておりまして、それでストップがかかるとは思いませんでしたけれども、社会全体の監視の中でやはりそういうふうなしわ寄せのシステムについてはストップをかけていく必要もあるし、我々自身も努力すべきではないかと思っております。
 二点目の問題で申しますと、私どもが出しております五カ年計画を見ていただきますと、完全週休二日制でないところは隔週にし、四週三日にし、そして週休二日制にして、そういうプロセスを上りましょう、それから年次有給休暇は日数の獲得をふやし、かつ消化率を上げましょう。時間外労働については目標を持って削減していきましょうと、こういうふうなことであります。それで千八百時間にならない場合には、一日の労働時間を短くしましょう、八時間を七時間三十分にしましょうと、こういうふうなガイドラインを提案しております。
 したがって、一日の労働時間を長くして、それによっていわゆる労働時間を全体として移行していくというモデルは我々としては提案しておりません。それについては先生御指摘のとおりの問題が余りにも多いし、一日の労働時間八時間を超えるということは法規上も我々は絶対だめだし、阻止をしたいというふうに考えております。
#23
○高木健太郎君 ありがとうございました。
 終わります。
#24
○近藤忠孝君 まず、山崎参考人にお願いします。
 先ほどのお話の中で労働と余暇についての歴史的なお話もございました。それから先生の著書の中でも、生産的人間から消費的人間への変化という御指摘もございます。ただ、社会の中では生産に関する人間と人間の関係、これがやっぱり社会の基本だと思うんです。となりますと、そういう中で生産的人間から消費的人間への変化という、これがどう位置づけられるのかということが一つです。
 それからまた、全く別な角度から見まして、これは先ほど来の労働から仕事へと、余暇との区別がだんだんなくなるということともあるいは関係するのかもしれませんが、人間として自分の労働力の質的向上を図るというこういう要求もあるわけだと思います。となりますと、そのことを、先ほど言われた先生の生産的人間から消費的人間への変化というこの関係でどう位置づけられるのか、この点をお伺いしたいと思うんです。
#25
○参考人(山崎正和君) 私の消費的人間という言葉は、本の中では詳しく定義してございますので、通常世の中で言われている、物を浪費して遊んでいる人間という意味ではございません。これはお読みいただいたと思います。
 ですから、従来の生産という考え方は非常に狭いものであって、それはいわゆる産業社会といいますか、工業社会というものの時代の産物にすぎない。そういう狭い方の生産の関係で人間関係が決まり、社会の構造が決まるということは、ある時代の限定された現象であるというのが私の認識でございます。私が消費的人間という言葉で申し上げておりますことは、今申し上げた言葉に置きかえますと、課題を探しながら生きるということでございますから、広い意味では本当の意味のクリエーション、本当の意味の生産であるかもしれません。
 ですから、そういうものが基盤になってきた社会というのは、人間関係はおのずからその新しい方の意味での生産関係で決まってくることでありまして、私の定義する消費的人間が社会の主流になってまいりますと、やはりそういう人間の営みに従って人間関係もまた決まってくるであろう。早い話が、お互いある一握りの人間が創造的であって、あとの人たちはその指令に従って義務を果たしているという関係はこれからの社会の基本構造ではなくなるというのが私の認識でございます。つまり創造的な人間同士のつき合いになる。そのつき合いの部分が私の申し上げる社交というものでありまして、組織から社交の時代へというふうに本の中では述べております。お答えになりましたでしょうか。
#26
○近藤忠孝君 次に、加藤参考人ですが、千八百時間というのがありましたが、労働組合ですから実現可能な具体的な目標だと思うんです。ただ、日本の現在の到達した生産力、ある意味では社会全体としての労働力の質的な高さ、これから見まして、もっと目標が別にあってしかるべきだろうと思うんですが、その辺についての考えがあればひとつ。
 それからもう一つは、余暇の場合に、時間と同様にやはり賃金の方も大事な要素なんです。今まで余り賃金のお話がなかったので、労働時間と賃金の関係、まさしく低賃金、長時間労働と言われてきたんですが、この辺の問題です。
 それからもう一つは、千八百時間にしても、この実現を阻んでいる要素というのは随分あると思うんです。先ほどのお話では、例えば職制、課長の意識の問題とか労働者全体の意識の問題という話もあったけれども、私はやっぱり資本の論理が基本的にこれを阻んでいるんではないかと思うんです。これから労使交渉でやっていかれるということでありましても、これは相当な障害があるし、相当実現を阻む要素があるし、現に加藤参考人の指摘の中でも、時間外労働を除外すれば良好な水準だと。まさに時間外労働の現状、こういったものをどう克服していかれるのかという点についてお答えいただきたいと思います。
#27
○参考人(加藤敏幸君) 一千八百時間の目標というのは、一九九三年度一千八百時間を連合としての中期時短の目標にしようということでございまして、その後の問題というのはまたそのときまでに状況を見ながら、目標ということについては組織内で討議をしていきたい、こういうふうに考えております。
 それから、賃金と労働時間の問題でありますけれども、一言で言えば、今の我々の労働条件を言えば、おおむね賃金も時短もこれを要求せざるを得ない、このように考えております。
 賃金につきましては、為替レートの結果世界で最高の賃金水準に我が国も達したという指摘はございますけれども、しかしこれは為替レートによる換算でありまして、国内購買力という指摘、特に一万円でどれだけのサービスを含めたものを購買することができるかということで指摘すれば非常に大きな欧米とのギャップがあり過ぎる。したがって、我々としては、なお賃金についても水準は十分ではない、これは賃上げのみならず物価の構造の問題だとか、そういう諸施策を含めて我々は対処すべきである、このように考えております。
 それから、三つ目の御指摘でございますけれども、特に時間外労働の問題というのは先端技術を抱える大企業において時間外労働が多いという現状にあります。これは中小よりもむしろひどい、こういう実態を現に我々も把握しております。このことは、一つは企業間の過当な競争がそういう先端分野に対して非常に厳しい労働を強いているという現実も我々は把握しておりまして、それらは例えば自動車であり、電機であり、精密機械であり、そういう分野において特に時間外労働は大問題になっておる。また、時間外労働を選択するというのは、雇用者を増大させずにいわゆる労働力を安易に獲得し得る、これは二五%の勤務手当を支払えば獲得できるというコストの面からも安易にし得るという部分も一つの選択の要因としてあることも事実であります。しかし、過重な時間外労働が、その当該労働者はもちろんその家族に非常に甚大な影響を与えることも事実でありますから、我々としてはこの時間外労働を、特に過重な部分については重点的に解消に努力をしたい。一九九〇年の年間の時短の特別テーマとして時間外労働の削減というところをやっていきたい。
 そういうふうな意味で、今回労働省の年間の目安が四百五十時間以下というふうに個人レベルで決められたことは、水準についてなお不満ではありますけれども、今までのように青天井の三六協
定を許してきたという状況からいえば多少一歩前進であった。ただ、三六協定の締結者である我々労働組合自身が企業間競争の枠を乗り越えて、やはり労働者一人一人の生活を守るためにそういう過重な時間外労働の協定に応じないというそういう行動もとるべき必要があるんではないか。そのことについては、八九年春季時短闘争の指針の中で、三六協定に対して加盟組織への対応の強化について訴えている内容を次の中央委員会では提案したい、このように考えております。
 以上です。
#28
○平野清君 本日はどうもいろいろ貴重な御意見ありがとうございます。
 まず、山崎先生にお尋ねしたいんですけれども、先生先ほど、ちょっと怒りを込めて国家の文化的政策の貧困さということを強調されたんですが、一番日本のそういう政策の中で欠けている理念というのはどういうことなのか。
 それからもう一つ、日本は高齢化社会なんといいますと、すぐ高齢化社会の医療産業というものが出てきますね。それから余暇というと、レジャー産業に一気にあらゆる産業が手を出してくる。生涯教育というと、今カルチャーセンター全盛時代。すべての産業がそういうものに向かってすぐ金もうけに走ってくるんです。カルチャーセンターの方も、例えばほとんどがデパートとかマスコミが中心のようですけれども、そういうお金で買う生涯教育といいますか、そういうものに対して先生たちはどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか、二点お伺いしたい。
 加藤参考人には、週休二日制が今大変論議されていますけれども、先日の世論調査で、資本金一千万円以下の社長に聞いたところ、六〇%以上が私の社では当分考えていない、考えてもできないというような答えをしているわけです。一生懸命連合や何かが週休二日、週休二日とやっても、現実的に中小企業の方、特に零細企業の方ができないということと、大企業との差がどんどん開いてしまうということのお考えをひとつお聞かせいただきたい。
 それから、今度金融機関が週休二日制を始めましたら、これもマスコミで知ったんですけれども、かえって毎日の残業がふえてしまって土曜日の分を全部押しつけられてしまう。特に女性なんかは帰りが遅くなってしまって、保育所の閉まる時間に間に合わないと言って悲鳴を上げている女性も多いというようなことも書いてありました。それからもう一つは、週休二日制の土曜日の分を有給休暇に振り向けるという、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、有給休暇の消化率を週休二日制にしてやった土曜日の分で充てろという経営者もいるというふうに聞いています。その意味だと週休二日制は何も意味がなくなってしまうので、そういうことに対するお考えはどうか。
 それから、今、加藤参考人は連合で相当有数な立場にいらっしゃるので、相当過酷な条件のもとでお仕事をされていると思うんですが、御自身は大概、僕が考えているのは恐らく帰りが九時か十時になっちゃうんじゃないかと思うんですね。どこの会社でも、ひとつ偉くなろうとか、一生懸命やって何とか出世をしようと思ったら、定時の五時でぽっと帰ってしまったら置いてきぼりにされちゃうような日本社会だと思うんですね。だから、上にいる者が全部十時、十一時までいたら下の者はなかなか帰りにくいし、エリート、出世をあきらめざるを得ないかもしれない。そういう矛盾といいますか、そういうことに対してどういうふうにお考えになっていらっしゃるか、ちょっとお聞きしたいんです。
#29
○参考人(山崎正和君) よく申し上げているんですが、我が国の文教予算というものがございまして、文部省のお仕事というのは教育、学術、文化ということの三本柱になっております。この柱の太さを物に例えますと、教育というのは東大寺大仏殿の柱ぐらいでありまして、学術というのは文化住宅のアパートの柱ぐらいで、文化というのはようじぐらいです。今、文化庁が現実の生きている芸術家あるいは文化人の活動の援助のために使っているお金は、これは計算の仕方がいろいろ厄介なのでありますが、多目に見て日本全部で一年間で三十数億円であります。日本で一番小さな国立大学の一年間の予算が五十億で、国立大学が幾つあって私立大学が幾つあるか、今ちょっと数字をつまびらかにいたしませんけれども、その程度の予算でやっている。全体量がいかにも少ない。
 その中で、わけても、いわゆる今のはやりの言葉で言いますと、ハードではなくてソフトの部分に出されるお金が非常に少ないのです。これは自治体も同様でありまして、いわゆる文化ホールというのを、あるいは美術館というのをお建てになることは大変熱心なんでありますが、その中に何が入っているかということになりますと空っぽである場合が多い。これは確かにお役所のお金の出し方になじまない面もございます。ソフトに金を出すと人員をふやさなければならない。しかし、これは実は考え方を変えればいいことでありまして、民間活力を利用なさればいいんですが、なかなかそういうふうに観念が変わっていかない。民間というと、どうもお金をくすねて不正に使うというふうな先入観があるようであります。しかし、この面への投資というのがこれから非常に大切なことになると思います。
 それから生涯教育でございますけれども、確かに生涯教育が現在商業化いたしていることは事実でございます。しかし、商業化でやれる生涯教育というのはある程度限界がございます。というのは、要するに非常に安い講師料で現在の大学の教師をしているような人たちを呼んできまして、言ってみれば片手間にやってもらっているという状況であります。
 しかし、実は生涯教育というのはまじめに取り組みますと、それ自体の中に研究機能を含んだような組織というものがあり得るわけです。世界でこれの最高の例がフランスのコレージュ・ド・フランスであります。コレージュ・ド・フランスというのはフランスでも最高の学者たちが集まる学校でありますけれども、学生は一人もいないのです。講義は一般に開議される、単位もなければ卒業もございません。これは非常に理想的なケースですけれども、やはり生涯教育に向けたプログラム、要するに大学教師がアルバイトにやるのではなくて、仮にアルバイトにするにしても、もう少しまじめに取り組めるような仕掛けというものがぜひ必要なのではないかというふうに今考えております。
#30
○参考人(加藤敏幸君) 時間の関係で簡単にお答えをさせていただきます。
 そういう社長さん方には、私はそういうことでは人が集まらないですよと、それが結局経営基盤を台なしにするんではないかと。そういう意味では、ベンツに乗る暇があったら努力をしてほしい。
 それから二つ目は、金融機関の問題ですけれども、そのために労働組合が存在し、日々の仕事があるのではないか。したがって、そういうことで問題だと思われる銀行に勤める方々は、今こそ労働組合に結集してそのことに私は対応すべきだ。それは個々の労働組合と組合員自身がみずからやるべき問題ではないか。
 三点目は、私自身も含めて、タクシーメーターを背負って仕事をする時代は私は去ったと思うんです。そういう時間の長さを競うよりも仕事の中身で勝負という時代に既に変わってきました。そういう意味で、企業の人に対する評価の方法もやはり内容中心のやり方、忠誠心も大事ですけれでども、そういうふうに変革すべきであるし、それが世界に誇るべき企業としての矜持ではないか、このように思っております。
#31
○平野清君 ありがとうございました。
#32
○会長(長田裕二君) 以上で両参考人に対する質疑は終わりました。
 山崎参考人、加藤参考人にはお忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査の参考にさせていただきます。お二人の参考人に対しまして調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
(拍手)
 午前の調査はこの程度にとどめ、分まで休憩いたします。
   午後零時二十四分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時三十一分開会
#33
○会長(長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を再開いたします。
 国民生活に関する調査を議題とし、労働と余暇について参考人から意見を聴取いたします。
 まず、全国中小企業団体中央会常務理事錦織璋君及び統一戦線促進労働組合懇談会事務局長春山明君から意見を聴取いたします。
 この際、御両人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。
 本日は、労働と余暇について忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 議事の進め方といたしましては、最初に三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。
 それでは、錦織参考人にお願いいたします。
#34
○参考人(錦織璋君) 御紹介をいただきました全国中小企業団体中央会の錦織でございます。
 私は、中小企業における労働時間短縮問題を中心にお話を申し上げたいと思います。
 初めにお断りをしておかなければならないことがございますが、それは、中小企業といいましても、これを一つの領域として表現することは大変難しいということでございます。そもそも中小企業とは大企業との相対的概念でございまして、資本額、従業員数、経済上の支配力などによって定義づけられております。
 この中小企業の定義は、中小企業基本法によると、工業、鉱業、運送業などは資本金一億円以下または常時使用する従業員数三百人以下、卸売業では資本金三千万円以下または従業員数百人以下、小売業またはサービス業は資本金一千万円以下または従業員数五十人以下となっております。したがって、若干の例外を除きまして中小企業関係法律もおおむねこの範囲に従っております。
 ここに述べた中小企業の範囲、定義は、政府施策の対象となる中小規模の企業を指すものでございますが、学問上などではまた別の定義が存在するのは言うまでもございません。
 私がこれから述べようとする中小企業の範囲はおおむねこの中小企業基本法に準じておりますが、この中小企業の層は大変膨大かつ複雑でございます。
 昭和六十一年の事業所統計によりますと、非農林民営事業所の総数は六百四十九万ほどございますが、そのうち従業員数による中小企業の定義によれば、その九九・三%、事業所の従業者数四千八百九十九万人のうち八〇・六%の多さを占めております。これらの中小企業は日本産業のあらゆる分野に広範かつ重層的構造で存在をいたしておりまして、伝統的地場産業から革新的国際産業に至るまで分布いたしております。特に、九九・三%を占める中小企業の約八〇%はいわゆる小規模企業で構成されております。例えば、六十一年の事業所統計によると、製造業の従業者十九人以下で八六・六%、卸売では九人以下で七五・六%、小売業では四人以下で七九・八%、サービス業では四人以下で七二・六%に及んでおります。
 以上のように、中小企業の量的な多さに比べて規模的には小規模企業が圧倒的に多いということから、これを一口で中小企業という表現で説明することの難しさを御理解いただきたいというふうに存じております。
 それでは、まず第一は、労働時間の現状と規模別格差についてごく簡単に申し上げたいと思います。
 六十一年の毎勤統計によりますと、週の所定労働時間は、一人から二十九人が四十五時間二十分、三十人から九十九人が四十四時間十四分、百人から二百九十九人が四十二時間四十七分、三百人以上で三十九時間五十分。大企業は週四十時間を切っております。しかし、小企業は四十五時間二十分でございますので、その格差は週で五時間三十分にも及ぶわけでございます。
 これを六十二年の年間実労働時間で見ますと、お手元にお配りしてございます第一表のとおり、平均年二千百十一時間、うち百七十八時間が所定外労働時間となっております。規模別では、五百人以上で二千八十七時間、百人から四百九十九人で二千百七時間、三十人から九十九人で二千百三十二時間、五人から二十九人で二千百七十三時間、一人から四人で二千二百十六時間となっております。
 これを昭和四十五年と比較すると、大企業及び中企業で年間百三十時間前後、小零細企業で百七十八時間から三百五十時間という大幅な時間短縮が行われていることがわかります。
 そこで、中小企業における労働時間の特徴を見てまいりますと、一つは、中小企業では所定労働時間は長いけれども、残業など所定外労働時間は大企業よりも短いということが言えます。例えば、ごく最近の労働省調査でも、最長時間外労働者だけの時間分布を見てまいりますと、二十九人以下規模で月間二十時間以下のいわば所定外労働者は五四・六%にすぎませんが、三百人以上規模では七七・六%が二十時間以上ということになっております。二つは、中小企業と大企業との時間格差の主因は週休日の多寡によると考えます。また第三は、週休日以外の休日では大企業と中小企業ではそれほどの格差はないと言えます。
 なお、労働省の統計で一人から四人以下の数字は、七月の実労働時間を十二倍したものでございますので、お盆休み等を考えますと、実際上はこの統計よりももう少し大企業との格差はあるというふうに考えております。
 次に、第二の中小企業における労働時間短縮の現状と問題点について申し上げたいと思います。
 (一)は、中小企業における労働時間短縮の特徴でございますが、既に述べましたように大企業との労働時間格差の主因は週休日の多寡によるものと考えております。
 労働省調査の第二表、第三表で見ますように、月一回の二日制導入を含めてその普及状況は企業数で千人以上九三・三%、三十人から九十九人で四一・七%と倍以上の格差が認められております。第五表は我々中央会の調査でございますが、一人から九人で十三・九%、十人から二十九人で二二・二%、三十人から九十九人で三四・九%一百人から三百人で五〇・一%となっております。我々中央会の調査は、中小企業特に小規模企業を多く調査対象といたしておりますので、やや結果に偏りがあることをお断りしておきたいと思います。しかし、この調査においても食料品、木材・木製品、窯業・土石、こういった伝統的産業や建設、運輸などはおくれが目立っており、産業によって差があることがわかります。
 特に指摘したいのは第六表で、東京、神奈川、愛知、京都、大阪などの大都市では五〇%前後の中小企業に何らかの週休二日制が普及をいたしておるのに対しまして、東北、九州、四国では一〇%台の普及にすぎません。この理由は、労働組合の組織率の低さあるいは近代産業の少なさなど、あるいは小規模企業が多いということも理由にあるというふうに考えております。
 次の特徴といたしまして、週休日以外の休日を見てまいりますと、労働省の第四表のとおり、三十人以上の規模では九五%以上が週休日以外の休日を採用しておりまして、第七表、八表の中央会調査でも、一人以上の規模でも八八・五%となっております。このことに関する限り大企業と中小企業の間に大きな格差はないということが言えるわけでございますが、特に中小企業の方が年末年始の休日、盆・夏季休日は、わずかではございますが多くなっております。
 (二)に、中小企業における労働時間短縮の実施状況と今後の予定を見ますと、図一で見ますように、
昭和六十三年七月を起点に過去一年以内に時間短縮を行った中小企業は十三・一%となっております。今後三年以内に「予定がある」、「わからない」、「予定はない」が大ざっぱに言えばそれぞれ三分の一ずっと言えます。この数字は今後の時短の動きによって大きく変わると思います。小企業では横並び意識が強いので経営者の独自の判断で実施することは難しいと思います。私の経験で言えば、普及の高い企業は独自の製品や販路を持つ独立企業に多く、下請企業や受注産業は低いということが言えると思います。また、既に進んだ二日制を導入している経営者は独自の経営哲学や経営方式を展開している経営者に多いと言えます。
 ところで、最近東京などの理髪店や酒屋などで、若手経営者の中では週一回の休日はもとより、月一回は週休二日制をとっている店がふえつつあります。これは新しい傾向として注目されるところでございます。
 (三)は、中小企業での労働時間短縮推進上の困難な理由を考えてみたいと思います。
 第一は、取引先、顧客との関係がございます。特に下請企業では、工程の細分化及び重層化により高度な分業関係をネットワークとして形成しております。このため、かんばん方式なる納入システムが広く普及し、一層の効率化を求めております。また、受注産業でも多品種少量発注によって市場変化への対応を図っており、労働時間短縮への条件がますます厳しくなってきております。加えて、百貨店、大スーパー等では営業時間の延長や休日の削減が進んでおります。これも交代制の困難な中小企業では時間短縮への環境を厳しくしている要因になっております。
 第二の困難な理由は、中小企業経営の脆弱性からくるもので、コストの吸収、売り上げの減少という切実な問題がございます。小零細企業では、労働時間の長短は生産性に直結するだけに、生産性向上の成果配分を時短に振り向けるという方式は成立しないことが多いと思います。しかも、下請企業の最大の悩みは下請単価で、国内だけではなくNIESとの競争もございまして、時短との取り組みに苦聞いたしております。加えて、近時は人手不足が経営上の隘路となっておりまして、時間短縮によってさらに労働力確保が困難になることが予想されております。
 なお、少数意見として、従業員が希望しないという意見もございますが、これは労働時間の短縮によって、日給など労働時間に比例して賃金を得る労働者にとって時短に伴う賃金の保障がないと生活に影響することを懸念しているものと思われます。これは雇用機会の少ない地方では切実な問題になると言えます。
 ちなみに、本会の六十一年の調査では、中小企業に働く労働者の要望を見てまいりますと、賃金を上げてほしいというのが六〇・四%、休日をふやしてほしいが三三・九%と、中小企業では賃金優先の傾向が認められます。
 四に、行政庁の土曜閉庁等の波及について考えてみたいと思います。
 国の行政機関の土曜閉庁が本年一月より月二回実施され、また金融機関も二月より完全週休二日制に移行されました。さらに地方公共団体も国の行政機関に準じて月二回の土曜閉庁が行われることになりましたが、条例等によって定められるため四月以降実施するところが続出するものと予想されます。三千三百十五の地方公共団体が全国で土曜閉庁を実施すれば、地域社会に及ぼす波及効果は極めて大きいと思います。
 人事院の調査によりますと、昭和五十八年八月に金融機関が月一回の週休二日制を実施したところ、何らかの週休二日制が対前年比三・九ポイント増加し、六十一年八月の月二回週休二日制では一・一ポイント増加した旨報告されております。中小企業への大きな刺激を与え、我が国の労働時間短縮はこれによって前進するであろうというふうに予測をいたしております。
 最後に、中小企業における労働時間短縮への課題・提言を申し上げたいと存じます。
 本年は、行政機関、地方公共団体の土曜閉庁、金融機関の完全週休制移行あるいは労働基準法改正の普及などによって中小企業の労働時間短縮は大きく前進することが予想されます。そこで次のような意見を述べ、要望をいたしたいと思います。
 一つは改正労働基準法とその運用についてでございます。
 今回四十年ぶりの抜本改正によりまして、週四十八時間労働から週四十時間労働へ改正されましたが、我が国の労働時間の動向等を配慮し、段階的に短縮されることになりました。その最初のステップとして昨年四月一日より週四十六時間制がスタートいたしました。同時に、経過措置として業種、規模において法施行後三年間猶予措置が講じられております。この措置は特に中小企業の実情から見て大変適切なものであると考えております。
 我が国の労働時間法制は工場労働を想定したもので、第三次産業の占める割合が増大しております今日実情に合わないところがございまして、このたびの改正によりまして、労使で工夫することによって労働時間の合理的な配分を行えば全体として労働時間短縮が可能であります。さらに、本年四月より、所定外労働時間の適正化目安が三カ月百五十時間から百四十時間に、二カ月間百時間から九十五時間に、そして新たに一年間四百五十時間が設定されることになりました。
 このように労働時間法制は整備されましたが、次のステップとして、法文上は明記されておりませんが、労働基準法改正の際の国会論議において政府から改正法施行後三年を目途にできるだけ速やかに週四十四時間とする、また一九九〇年代前半の半ばまでに四十時間制移行に努力する旨の答弁が行われております。私は、法定労働時間は最低基準であってこれを上回ることを制約しているものではないということから、法定労働時間を引き上げるときには労働時間の実情や小零細企業での実効性を十分勘案して行うべきであると考えております。西ドイツでは法定週四十八時間制でありながらも、おおむね四十時間が社会的実態として定着していることからも、今後の推移を十分見守って対応すべきものであると考えます。
 なお、現在十人未満の特定業種に特例が設けられておりますが、小企業の経営実態などから今後も特段の配慮を行うよう希望いたしておきたいと思います一先進国の労働法制の中にも業種や職種によって特例が認められておる例もあることを申し添えておきたいと思います。
 二つは、親会社など取引先への指導をぜひ実施していただきたいと存じます。
 既に述べましたように、製造業ではその六五%が下請企業でございまして、下請分業システムは大きな規模から小さい規模に連続的に重層的構造を形成している特色を持っております。また、流通関係においても取引に従属性が強いので、中小企業が独自に労働時間短縮を進める環境に乏しい状況にございます。したがって、親会社など取引先に、発注方法、納入方法等に関して下請企業、納入業者へ配慮するよう特段の指導方をお願いしたいと存じております。
 第三は、労働時間短縮への国民的コンセンサスの形成については調和あるものとするべきであると考えております。
 これまでの政府PRでは、ゆとりとか週休二日制の普及、有給休暇取得など、どちらかといえば労働者向けのものが多かったと思います。充実した勤労を行うために休日が勤労意欲を高め、あすへの活力となるものでなければなりませんが、それには余暇を生かす心が大切であると考えます。この面でのPRが欠けている印象を受けております。また、労働時間短縮が広く社会に行き渡っていけば、これまでのようにいつでも自由に買い物やサービスを受けることは困難となってまいります。消費者へのコンセンサスも大変重要と考えております。
 第四は、小企業者、家族従業者への福祉を確保するための施策を講じていただきたいということでございます。労働者の労働時間短縮によって、小企業者や家族従業者の労働時間は長くならざる
を得ない現実がございます。
 ヨーロッパでは御承知のように、イギリスの商店法に代表されるように、日曜・祝祭日は営業が禁止されており、通常は十八時以降、週一回に限り十九時半以降の営業は禁止されております。平日でも週一回十三時以降の営業は禁止されております。無論地方、地区、業種によって例外・除外規定がございますけれども、違反には科料が科せられております。この点で小企業経営者や家族従業者の福祉は確保されているものと考えます。
 しかし、近年、婦人の社会的進出、就業形態の変化などもございまして、これらの改善の検討が各国で行われておりますが、古い伝統文化から社会的に定着しただけに改正は進んでおりません。日本でもかかる法律は小企業者等の福祉確保に非常に有効と考えますけれども、恐らく中小企業者の賛成は得られないものと考えます。そこで、小企業者等の福祉確保には経営者自身の意識改革や決断とともに、健康、労働時間、収入といった社会的環境を総合的に整備することが重要と考えております。
 そもそも中小企業者は、世界各国でも働き者であり、英米の中小企業団体でよく見かける標語に、「スモールビジネス イズ インディペンデント ゼイ ドント ウォント チャリティー」、つまり中小企業は独立自営の職業で、慈善に甘えない人々とでも訳すべきかと思います。要は、中小企業者は社会的に健全な階層であり、その育成振興は大事だということでありましょう。また、一九八五年のアメリカ労働省統計でも、週休二日以上の休日をとっている者は、雇用者では八七・一%、自営業者では五三・八%となっております。週休二日未満では雇用者は一二・九%、自営業者は四六・二%となっております。自営業者の約二分の一近くは週休一日という厳しい状況がありますが、これは働けば成功するというアメリカンドリームの社会的背景もあり、勤労意欲は大変旺盛だというふうに考えております。
 私は、ここ十五年間、中小企業国際会議に出席をいたしておりますが、今日、中小企業は国の将来の経済繁栄と雇用機会創出に不可欠の存在であるということが今や国際的な共通認識となっております。我が国の経済に果たしている中小企業の重要性からも、中小企業の労働時間短縮を議論するには、労働時間法制の面からだけではなく、中小企業の近代化、体質改善という中小企業対策もあわせて展開することが不可欠であるということを申し添えまして私の意見を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。
#35
○会長(長田裕二君) 有意義な御意見をありがとうございました。
 以上で錦織参考人からの意見聴取は終わりました。
 次に、春山参考人にお願いいたします。
#36
○参考人(春山明君) 私は、百八十万人労働者の参加する統一労組懇の事務局長の立場で、労働者、主として総数の七割を占める賃金月額二十五万円以下の約三千万人労働者の余暇と労働にかかわる諸問題について述べます。短く貧しく余暇、低賃金、長時間労働を是正して、日本経済と社会進歩に見合った余暇、賃金・労働条件改善の早期実現を強く訴えるものです。
 最初に余暇の現状について述べます。
 人間らしい生活を進める上で余暇は必要不可欠です。労働者にとって余暇とは単なる暇や余った時間ではありません。労働で失った労働力を再生し活力を回復するのに必要な睡眠、食事、休養時間や掃除、洗濯などの家事、育児あるいは親戚、知人、友人の冠婚葬祭出席など、生活していく上で最低必要な時間があり、そのあとに初めて趣味、教養、社交、スポーツ、学習あるいは社会的活動などの文化的生活時間、余暇と言える時間が持てます。余暇を私は大まかに、労働者が仕事から解放されて自分自身や家族の心身の発達あるいは社会的活動に参加するために自由に使える時間というふうにとらえます。
 大まかに見て、今の労働者の余暇時間は大変短いものです。その余暇時間は資料一にもございますが、政府統計で見ますと、年間総時間八千七百六十時間から労働時間、通勤時間、生活必需時間、家事時間の半分を差し引いて自由時間というとらえ方をしていますけれども、それでは日本では千八百五十八時間、西ドイツ二千六百九十六時間、フランス二千七百十二時間などで、日本の労働者の自由時間は、例えばフランスの労働者よりも年間八百五十四時間も短く、ここでは最低の水準になっています。
 日本の労働者の自由時間千八百五十八時間を年間総日数で割りますと、日曜、休日分を含んで一日当たり約五時間です。これは資料の二で出しております総務庁八六年の生活基本調査報告で言う国民一人一日当たり平均余暇時間五時間四十七分にほぼ見合います。この総務庁の報告は、その約五時間をさらに分類しています。そのうち十五歳以上の国民が学習、趣味、スポーツなどに費やす一日平均の時間はわずか五十三分前後で、全体の一五%にすぎないと言っております。しかも、低所得層ではこの時間すらも前年対比で低下傾向にあるようです。積極的余暇ということで資料三でその内容に触れています。
 余暇を活用する上で費用の問題があります。ただいまの総務庁の調査結果にもそれが出ております。それは、一世帯の一カ月の教養娯楽費などが消費支出の平均九%前後にすぎないという指摘です。金額にしますと、一人当たり月六千五百円前後、一日当たり二、三百円程度です。これでは趣味や娯楽、スポーツなどを楽しみたいと思っても、必要な費用が、金が足らないということになると思います。また、最近のさまざまな政策のもとで労働者の生活が苦しさを増しており、そのとき真っ先に縮減の対象になるのはこの余暇であります。私どもの統一労組懇がことしの一月、二十一万人の労働者のアンケートを集約いたしました。生活が苦しくなっているという六九%の労働者が、家計のやりくりや我慢の中でまず縮減をしているのは、一位が趣味やレジャーを控えるということで、約四七%の者がそういう答えを出しています。昨年は四一%でしたから、生活困難が昨年よりも増しているという事情もここではうかがえます。
 短い貧しい余暇は、我が国労働者の賃金、労働時間、休日、休憩などの現状と無関係ではありません。
 今我が国の労働者の賃金は、一部では名目賃金で世界一などと言われていますが、その賃金で賄える生活の実質、すなわち消費購買力対比で先進工業諸国と比較をしますと、資料の六にございますように第二十位という著しく低い水準であることはよく知られています。労働省統計でも、日本の労働者の賃金水準は、消費購買力対比で、アメリカの労働者の賃金水準の五五%、西ドイツの労働者の六六%、残業を含む年間総賃金対比でやっと六一%、八六%、資料七にございますが、そこまでいっているという状況です。製造業労働者の一時間当たり賃金での比較では、アメリカや西ドイツの労働者の半分であるという数字もございます。
 賃金が低いだけではありません。労働時間も、資料の八にありますように、欧米諸国の労働者と比べて年間三百時間から五百時間も長いという実情がございます。欧米諸国との対比で、日本は西ドイツよりも四百九十五時間、フランスよりも五百七時間長くなっています。資料の八でその表を出しております。全体が長いというだけではなく、業種ごとの格差、企業規模別の格差も大きく、とりわけ小規模企業労働者ほど長時間労働の傾向があります。
 例えば、八七年の七月に愛知で調査をした実績でも、調査企業平均では二千百六十二時間ですが、大企業千人以上規模企業の労働者は千九百八十五時間で、十人から二百九十九人までの小規模企業の労働者では二千百九十一時間と、大企業の労働者より二百時間長くなっています。賃金が低いため、残業代を生活費に組み込まなければ生活費を確保できないということもあります。しかも、労
働時間そのものは、最近は実働で見るならば短縮ではなく増加しております。資料の九にその表を出しております。
 週休日及びその他の休日を他の国々の労働者の休日と比較をしますと、日本では年間十日ほど少ないようです。これとは別に、年次有給休暇は労働基準法で六日から二十日が保障されていますが、実際の消化率は、資料十にございますように七日から十日程度、平均して九日という実情です。西ドイツでは二十九日、労働協約では四週間、フランスは法律で三週間、実際に二十六日程度、アメリカは十九日程度、いずれも日本の二倍から三倍の日数がとられています。しかも、日本では年休取得率は、資料の十にございますように低下しております。
 加えて、労働密度、労働強化の問題も重要です。人減らし合理化で、一定の時間内の労働量を少ない人数で処理することから来る労働強化は心身に大きな悪影響を与えます。例えば自動車産業で、自動車組み立てラインの仕事で、十八秒で二十動作をこなすなどの例がそれです。機械化の進展で労働者を機械の従属物として、形式的な時短と引きかえに一定労働時間内の労働をぎりぎりまで増大させ、それまで以上の労働強化を押しつけるという実情は改められるべきです。
 また、民間の規模三十人以上企業では、二割以上のところで交代制勤務が行われています。二直交代、三直交代などのこのような勤務形態は初めから残業を予定する勤務形態が多く、長時間労働になっています。また、労務管理上の時間管理のやり過ぎもふえています。始業時を現場に到着したときにとらえる、休憩時間を切り詰める、標準作業時間を設定する、欠勤への厳し過ぎる懲戒、あるいは休日や休暇をとったことを理由にしたさまざまな不利益扱い、余暇管理と称する休日の出勤強要、会社主催の文化、体育、教育、研修活動などへの参加の強要、それらを断った場合の不利益扱いなど、職場で自由と民主主義が損なわれている事例も増加し、それが労働者の余暇管理、健康などにも悪影響を与えています。
 このような長時間、過密労働、休日減少などの当然の結果として、睡眠、休養、自由時間などの減少傾向が資料の十一にありますように出ており、健康不安もそれに伴って増加をしています。資料の十六にもございますように、労働者は半数以上が疲れ、健康不安を訴えています。調査対象者の六七%がふだんの仕事で体が疲れる、七二%が神経の疲れを訴えています。半分は翌朝に疲れを持ち越す。また、仕事の質、量、職場の人間関係、適性、昇進、昇格などで強い不安、悩み、ストレスを持っています。比較的高水準の賃金労働者であっても、ある雑誌が調査した結果を引用していますが、生まれ変わってもまたサラリーマンになりたいというのはわずか三・六%という低い水準だということも言われています。
 長時間労働と労働強化は、労働による疲労をその日のうちに回復できなくしています。つまり疲労の蓄積を慢性化させ、健康障害や労災、職業病につながり、あるいは精神的な圧迫、ストレスを増大させ、わずかの休養では体力が回復できないという状況がふえています。働いて、食べて、寝るだけという非人間的な生活がふえることは、精神の荒廃とともに、労働力の唯一の源泉である健康と生命を次第に破壊していくでしょう。余暇や、労働者の人間らしい暮らしを保障するためにも、健康と生命維持にとっての重大な問題があります。
 社会的にあるいは国際的に、日本の労働者や国民について、ウサギ小屋と言われる狭い住宅に住み、余暇は短く貧しく、休日は「一ゴロ、二テレ、三パチ」などと言われています。一がごろ寝、二がテレビを見る、三がパチンコをするという意味のようです。日本に対する先進国にあるまじき実情という国際非難も以上のような実態に根差しています。是正すべきときです。
 趣味、教養、娯楽、スポーツ時間など、余暇への関心は今高まっています。資料の中にもございますが、生活の中心をレジャーや余暇生活に向ける傾向は三二%にふえています。その関心の高まりに沿って、余暇、文化的時間の拡大と充実を妨げている労働諸条件の是正、改善をこそ図るべきときであります。
 改善のための基本問題は、低賃金、長時間労働の是正、改善です。問題の基本の最も大きな一つは、日本の労働者の著しい低賃金を改善することです。また労働時間短縮は、賃上げとともに労働者の生活改善のための基本的課題です。最初に申し上げた総務庁の調査結果からするならば、政府が資料四に載せておりますように、完全週休二日制、時間短縮で内需が八兆円ふえるなどと試算をしていることも容易にはうなずけません。労働者が余暇をゆとりを持って活用するために必要なのは、労働者の生活水準を向上させる大幅な賃金の引き上げとあわせての大胆な労働時間の短縮を実現することであります。
 消費税や年金掛金の引き上げはその妨げになります。将来国民所得の四〇%に達すると見込まれている重税、社会保険料や医療などでの高負担も問題です。WHOあるいはユニセフなどが共催をした国際会議でも、八〇年代に先進十カ国の国民に共通している願いである軍事費を削って、暮らし、健康、社会保障の充実をと言っています。私たちもそれらの実現を目指すべきだと考えています。
 次に、それらは実現可能かという問題です。私は可能だと思っています。
 日本経済は好調です。ほぼ全産業を通じて、大企業各社は、ことし八九年三月期には過去最高を記録した昨年の八八年実績をさらに二〇%も大幅に上回る経常利益を既に見込んでいます。内部留保や海外純資産額はかつてない巨額に達しています。一人当たり国民総生産額は米、英、仏をしのぎ世界第二位となっています、ちなみに第一位はスイスですが。これは日本の労働者が働いて生み出したものです。
 日本の労働者は世界一と言われる技術、熟練度を持ち、長時間働いています。一方、車でも家電製品でも、工作機械や半導体でも、優秀な製品をつくり出してきました。日本の労働者が優秀であるなら、アメリカや西ドイツやフランスの労働者と同水準あるいはそれ以上の賃金を受け取るのは当たり前のことです。消費購買力対比で実質半分しか賃金が受け取れないという事態は当然改善されるべきです。一生働いても住宅一つ手に入れることができない低賃金を押しつけられていて、余暇ということにはまだ遠く、生活の中で不合理が広がっています。
 経済的には、我が国で大企業に専ら富が集中する仕組みを正す必要があります。日本経済をゆがめアンバランスを広げているのもそのためだと思います。大企業の優遇税制や公共料金での優遇制度も是正をすべきだと思います。
 加えて、我が国での社会的な不公正の問題も重要です。リクルート疑惑という絵にかいたような不公正がまかり通っています。これも一面では大企業だけが得をする仕組みが政治をゆがめているということです。国民の圧倒的多数を占める労働者の余暇と労働、生活全体の向上を進めることが必要だし、最近よく国際化という言葉が使われますが、日本の労働者の低賃金、長時間労働に対しては不公正な国際競争だという非難が強まっています。その不公正な国際競争を是正しなければ世界経済の均衡は保たれないし、その責任を問われることは免れないでしょう。
 この後触れるつもりでおりましたけれども、国際水準対比での日本の著しいおくれをここで指摘しておきたいと思います。
 ごく最近労働省が発表した資料十九、外国の人々が日本に対して持っているイメージは、働く時間が長い割に収入が少なく、住宅が狭いと言われているようです。事実この七十年間、大正九年以来国際労働機関のILO条約のうち、労働時間関連条約は十二、深夜業や婦人関連の労働時間関連まで含めますと三十一ございますが、我が国はこのILO条約を一つも批准しておりません。八六年のILOの報告書を読みましたが、そこには、
一九八一年、日本という国は平均労働者が一年当たり二千時間以上働いている唯一のOECD加盟国であるという指摘もございました。このILOの中の百十六号の勧告では、労働時間の短縮に当たって労働者の賃金を減少させることなく当該労働時間の短縮を行い、週四十時間を保障すべきであるというような指摘もございます。これらの国際的な水準を採用することが、批准をすることが国際化という言葉のもとで我が国の果たすべき責務の重要な一つであると思います。
 具体的な改善に当たって、国内での幾つかの問題にも触れたいと思います。
 人間としての発達、社会的、文化的な諸活動の時間を保障することは、積極的な余暇の時間を保障することは民主主義国家の最低の義務でもあります。現行法規上の問題の是正についても幾つかございます。最も効果的かつ中心的な問題は、ILO勧告でもうたわれている、先ほど申し上げた賃下げなしの労働時間短縮を国の法律によって直ちに実施することです。文字だけ連ねるのではなくて、すべての経営者すべての労働者にそれを保障するということが必要だと思います。また、諸外国水準でその二分の一という低さにある現行の地域包括最低賃金水準の是正ということも、余暇の活用と結びついて重要であります。
 現行法規にかかわる改善では幾つかを列挙させていただきます。
 賃下げなしの当面週四十時間労働制の即時実現。それも休憩、休息、手待ち時間を含む拘束労働時間として実現を目指すべきです。また、時間外労働は禁止を原則として厳格に適用すべきだと思います。週休完全確保とも連動させる必要があります。時間外労働や休日、深夜労働の割り増し賃金率を今の倍以上に引き上げることも重要です。公益事業や生産技術上やむを得ないもの以外は深夜作業や交代制勤務の規制も必要だと思います。年次有給休暇日数の拡大と権利の確立も必要であります。ILOで有給休暇の三連続週確立をうたわれたとき日本代表は賛成をしたはずですが、今もってその条約の批准は行われておりません。
 また最近、労働省が行政通達で時間外労働適正化指針を出しているようですが、実際の効力には疑問があります。守ってもいい、守らなくても処罰されないでは、結果的には守られない。やはり法律での強い規制が割り増し賃金率の引き上げとともに必要だと思います。特に労働基準法の労働時間、残業などについての空洞化、形骸化は直ちに是正されるべきです。とりわけ不払い残業の放置は労働者の労働力を盗むものであり、しかもそれが目に余る状況にあることを見るならば、直ちに全国的なレベルで是正を図るべきだと思います。
 最近、私どもに参加しているある金融関係の労働組合が、労働者千百六十九人についてその不払い残業の実情を調べました。残業した時間のうち割り増し賃金が労働基準法に従って支払われているのは二〇%しかない、残りの八〇%は不払いのまま残業をさせられているという実情も明らかです。これは単に労使の関係ということだけに終わるのではなく、政府の労働行政の怠慢の反映という指摘もできるのではないかと思います。この不払い残業やあるいは一般的にふろしき残業と言われますが、仕事が終わったときふろしきに仕事を包んでうちへ帰って仕事をやる、そういう実情が放置されていることからいっても、フレックスタイム制の採用などはまだ早過ぎると思っています。
 最近の新しい傾向は、国際非難の高まりのもとで、政府が形だけでもと労働時間短縮のポーズをとり始めていることです。労働時間の弾力化は労働者の生活設計を妨げます。
 私たちは低賃金と長時間労働の悪循環を断ち切り、大幅賃上げと時短の実現を目指すことが労働者の豊かな余暇と労働条件の改善につながると思いますし、よその資本主義諸国でそれらが実現をしていることからするならば、世界一の成長を遂げている我が国でも実現をする条件は十分にあると言わなければならないと思っています。その実現を妨げてきた最大の責任は、我が国大企業の飽くなき利潤追求政策であると思います。公正であるべき国際労働基準を無視して極度に低い賃金と長時間労働を結合して、低コストで製品を輸出し、世界の市場を荒らし回ってきた大企業に最も大きな責任がありますし、それに対する国際非難は決して弱まっておりません。労働者の人間としての発達にとって必要なすべてまでをも支配し、職場の自由と民主主義を圧殺するような政策は改めるべきだと思います。
 委員各位の英知によって労働者の豊かな生活の実現を図られることを、余暇と労働というテーマにつけて改めて要請をして、私の発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。
#37
○会長(長田裕二君) 有意義な御意見をありがとうございました。
 以上で両参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより両参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
#38
○丸谷金保君 お二方ともに詳しい数字を挙げられて丁寧に御説明いただいたので、御説明いただいた限りにおいてはまことにそのとおりで、これはどうだというふうな御質問を申し上げるような点も余りないので、いかにももっともだという感じがします。
 ただ、そういう数字で分析してみても実は当委員会としては結論にならないので、そういう数字を踏まえて、ではその現況でどうするかということが実は大変必要なので、その点で多少お二方の御意見の違いもございますのでそれぞれにお伺いしたいと思います。
 まず、これはお二人にお伺いしたいんですけれども、実はこういう余暇というふうな問題を考えるときに、私たち自身が非常にジレンマに陥る問題があるんです。これ率直にきょうはお二人にお聞きしたいんですが、実は国会の問題なんです。ヨーロッパをよく対象にしますし、アメリカも対象になるんですが、例えば八月にヨーロッパで政治家に会うということはほとんど不可能です。この時期はプライベートなレジャーあるいはバカンスだということでほとんどこれは不可能に近い。そういう点からいうと、我々自身まずこうした労働と余暇の以前の問題として、国権の最高機関である国会がまずもっとそういう点で自分たち自身もゆとりのある生活のできるような環境をつくらなきゃならぬのではないかと実は常日ごろ思っておるんですが、このことについてのお二方の御意見をお伺いいたしたいと思いますが、いかがでしょうか。
#39
○参考人(錦織璋君) 突然の御質問で若干戸惑いますが、やはり我々中小企業というのはどうしても横並び意識が大変強い部分もございますが、これは中小企業という問題を離れましても、国会はしかるべき期間にはお休みになればよろしいんではないかというふうに考えます。土曜日もお休みになって、私はそれによってちっとも国政が障害といいましょうか、支障を来すということはないと思います。ただ、それなら平日それなりの密度の濃い仕事をなさるということが前提ならば、むしろ日本の労働時間にはそういう意味では大変いい影響を与えるのかなというふうに私は考えております。
#40
○参考人(春山明君) 国会のあり方全体の中でこれは検討されることで、余暇あるいは八月の時期の問題だけでどうこう言うのは適切ではないかと思いますが、御質問の趣旨に沿って一言でお答えすれば、社会的に国民、労働者が休みを多くとるようになれば、やはり公務員の場合も国会の場合もそれに準じていくことに当然なるのではないだろうかと思います。先憂後楽という言葉が適切かどうかわかりませんけれども、社会一般の生活状況と切り離してその点を考えることはできないのではないだろうかと思っております。
#41
○丸谷金保君 それじゃまず錦織参考人の方からお伺いいたしたいと思います。
 実は中小企業の問題で私は今御説明を聞いてい
ても、例えばサービス業の問題というのは非常に難しい、こういうお話を承っておったんですが、それは一つは料金にあるんじゃないか。例えば理髪の料金一つとってみましても欧米に比べると非常に安いんです。それで、そうしますとどうしてもこういう低料金であれば競争も激しくなるし、休みもそうとれない。これは具体的にこの問題一つ取り上げましたけれども、サービス業全体について言えること。
 それから、土日が休みになりまして、都心、都会を中心にしてオフィス街のレストランとかそういうところはもう全く休まなきゃならなくなって、今度は、しかしそうかといって今のような状態ではそのままでもおけないから、むしろファミリーレストランのような方向へ転換していかなきゃならぬ、こういうことについて、これは余暇の問題が逆にあらわれてくるということになるわけなんです。
 その反面、土曜、日曜になれば郊外あるいは観光地だけが忙しくなってくる、これらの問題はちょっと私たち一体どうしたらいいんだという余暇との関連で大変難しい問題が現在起こりつつあると思うんですが、諸外国なんか見ますと割とうまくいっているようにも思うんですけれども、やはりこれはサービス業というふうな形のないものに対する日本人の価値観といいますか、こういうものが低いところにもあるのかなと思うんですが、ここら辺についての御意見をもう少し突っ込んでお伺いいたしたいと思います。
 それから、親会社が指導をもう少しやればいい、やってほしいというような中小企業の立場でのお話もございましたけれども、これは親会社が消費者教育までやるといっても相当その間にはすき間があり過ぎますので、どうしてもやはり現場の消費者と直結しているような業態が消費者教育をやらなきゃならないんではないか。この消費者教育をどのような形でやったらいいというふうにお考えになっているか、具体的な御提案があればお聞かせ願いたい。その二点についてひとつ……。
#42
○参考人(錦織璋君) 確かに日本人は大変平等意識が高い国民でございますので、同じような待遇、処遇を受けないとややもすると気が済まないというところがあるわけでございますが、やはりこれもだんだん二日制が浸透してまいりますれば、土日で働く者、それ以外で休む者、特にサービス業等についてはそういうような慣行がだんだん成立をしてくるのではないか、いましばらくの時間でだんだん変わってくるのではないのかというふうに私は最初の質問については思っております。したがって、これは時間の問題と二日制の浸透に伴う社会の変化というものへの対応であろうというふうに考えております。
 また、先ほども特に理髪の料金の問題が出たわけでございますが、それは要するに安いというよりも、あの業界は最近大変公正取引委員会がやかましくなりましてカルテルが御案内のようにしにくい状況にございますが、そういう条件があれば非常に休日をとりやすいという条件は多分でき上がるだろうというふうには思っております。これはちょっと余計なことかもわかりません。
 それから次に、親会社への指導というのは、特に私がお願いを申し上げたのは下請でございまして、特に最近はかんばん方式というのが大変普及してまいりまして、時間で納入をする。昔はその週の期間で納めるというのが最近では日になりまして、日から時間に移行するような傾向がございまして、それがさらに、昔は自動車会社だけであったのがほかの業種にも広がってきているということで、そうなりますと二日制、労働時間短縮には下請企業では人数等の関係もございまして大変難しいということでございます。
 それから、たまたま消費者教育ということをちょっと申し上げましたのは、先般テレビで、NHKでございましたけれども、行政庁が土曜閉庁になることについて若干意見を求められておりましたときに、ある消費者団体のリーダーの方が、大体休むのはけしからぬ、買い物ができないという苦情をおっしゃっておりましたので、やはりそういうものもだんだん二日制が浸透すればするほどサービスもあるいは買い物等も不自由になってくるということも知ってもらわなければこの問題は解決をしていかないんだということを申し上げたかったわけでございます。
#43
○丸谷金保君 それじゃ、春山参考人にお伺いいたしたいと思うんですが、実はこの余暇の問題で非常に今困った相談を私一つ受けていましてね。土日が休みになるということで、監督さんがいないから土日は当然日雇い労働者も休まなきゃならなくなってきている、これは低賃金を高くすればいいということだけで解決する問題ではなくて、余暇という立場からいいますとこれは本来喜ぶべき現象で、そのときは日雇い労働者の人たちも休めるわけですから。ところが、日給の場合にはこれはもう完全にもらえないので逆に非常に困った、その間休めと言ったってそれは休むのはいいけれども賃金が下がることになるんだというので、週休二日制によって非常に困っている階層も出てきているんです。
 それは賃金を余計にもらえばいいというだけではどうにも答えにならないんで、こういうことに対する今のお話を伺っていて、この袋小路をどうしていったらいいか。要するに賃金が少ない、そして労働時間が長い、これは一連のこういうことを解決していけばというふうなお説は承りましたけれども、問題は、現況はそうなんだということの中で、私たちはこの現況の中で余暇の活用、労働との関連どうするかということを考えていかなきゃならぬ場合に、ただそれだけで割り切ってしまえないものがあるんですよ。何かひとつそういうことに対する具体的ないい知恵がありましたらお教えいただきたいと思うんですが。
#44
○参考人(春山明君) おっしゃっておられますように、日雇い労働者あるいは臨時、パートの人たち、それから季節的な労働者、こういう方々の一時間当たりあるいは一日当たりの賃金というのは我が国の場合大変低いわけです。
 先ほど最低賃金水準でアメリカやヨーロッパよりもはるかに劣ると申し上げましたが、もう少し具体的に申し上げますと、その国の労働者の平均賃金の半分を最低賃金としているのが欧米諸国では多いのに、日本の場合はその国の労働者の平均賃金の四分の一以下が最低賃金になっております。したがって、その最低賃金の上に年功序列型の賃金体系という日本独自の賃金体系を乗せるものですから格差が大変開きます。そういうときに日雇い労働者の場合、雨が降ったら休み、病気になったら休み、休日は働きたいけれども仕事がないというそういうような状況が出てきていることは私どもよく承知をしておりますが、現状を固定化したままで打開策をという御注文は私はないというふうにはっきり申し上げていいのではないかと思うんです。
 つまり、年間三百六十五日のうち日曜日が五十二日ぐらいございまして、週休二日制になればその倍ですし、また祝日が十三日ぐらいございます。社会一般の休みの日に同じように休みたいという意欲は、日雇い労働者でもあるいは派遣労働者、臨時、日雇い皆同じように持っているわけですから、そういう休日の活用、余暇の利用に見合うような賃金を保障するということがやはり必要であって、経済的には日本を下回るほかの国々で実現できていることがなぜ日本でできないのか、この問題の解決が要ると思います。
 それからもう一つは、資料の二のところで幾つか総務庁の統計を出しておりますけれども、お金のかからない余暇の文化的な活用という部分で、やはり日本の社会資本の充用はおくれているというふうにも思います。緑地、公園あるいは無料の図書館、スポーツ施設、こういうものを年間一般会計でたしか六兆円、特別会計で五兆円もある公共事業予算から支出をして、国民向けの生活向上のための余暇活用の場をつくるということもあわせて必要なのではないだろうかと思っています。
 いずれにしましても、私の認識では基本的な問題は絶対的な低賃金の改善がまず先というふうに言わざるを得ないと思います。
#45
○丸谷金保君 まだちょっと時間があるので、実は私自身の経験なんですけれど、フランスにボーヌという町がありまして、こことそれから私が町長をやっておりました池田町とが、大体消防ポンプの数まで同じくらいなんです、職員の年間の所得から。片っ方は一カ月バカンスできるんですよ、同じくらいの給与で。月に十分の一ずつ積んでそれで一年間。食うのはどこへ行って食っても同じなんだから、ちょっと部屋を借りたりそういうのだけあれば十分できるんだ、こう言うんです。
 それで町へ帰りまして話をして、みんな十分に休暇をとろうじゃないか、それはできない。今おっしゃったように行くところがないと言うんですね。安く行くところがないじゃないかと。それから共済組合の理事をやっていたので、そこで町村職員が安く泊まれるように北海道で十ほどこしらえたんです。そこへ十日ほど家族連れで行けば、自分たちで御飯を炊いて、寝巻きもみんな持っていってやれば大変安く上がるから今の給料の中でもやれるじゃないか、こういう理論で十ほどつくったんです。ところが、そこへ職員が行きますと、飯は出せ、丹前もないのか、こういうふうなことで極めて評判が悪くて、自分たちが余暇を利用して家族連れで楽しんで、お金をかけないでフランス人のように上手に休むということにならないで、結局はそこでは食事も出す、敷布も用意するというふうなことに、普通のやつになってしまったんです。それは、ですから低賃金を解消するということはもちろん必要なんですが、同じような賃金のレベルでも余暇のとり方の下手さというか、それを実は痛感したんですよ。
 そういう国民の今の余暇のとり方に対するものが何かやっぱり、いろんな今お二方から御説明のあったような数字以前のものも労働と余暇の中には私はあるんじゃないかということ、これは私の経験から実は痛感したことがあるんで、いつもそれは問題意識として持っていたんですが、何かそれについてのお考えがありましたらひとつお述べいただきたいと思います。
#46
○参考人(錦織璋君) 数字以外というお話でございましたが、どうも日本の余暇の過ごし方を考えてまいりますと、どうしても観光地に遊びに行くとかあるいはレジャーで外の方に出ていくということが何か中心になるように思います。
 一応余り大した経験はございませんが、海外旅行等を通じまして我々が見聞きしているところでは、個人の趣味、例えば絵をかくとか、あるいは別な、自分の個人の生きがいを求めて何かをしようとすることに日本人の余暇の過ごし方は少し足りないのではなかろうか。私は余暇を生かす心ということで先ほどちょっと申し上げましたのは、実はそういう意味でございまして、表へ行って酒を飲むとかあるいは食べるとか、そういうことが余暇の過ごし方ではなくて、もっと自分自身の生きがいを求める活動というものに力点が置かれませんと、真の意味の余暇を楽しむということに外れるのではなかろうかというふうに考えております。
#47
○丸谷金保君 これみんな観光地につくったんです。
#48
○参考人(錦織璋君) 例えばの話でございます。
#49
○参考人(春山明君) 私も年なものですから古い言い方をしますけれども、生まれたときから二宮金次郎思想で鍛えられてきていて、暇、遊ぶ、それを余暇とすりかえて考えている世代の一人なものですから、なかなか同じようなことがあるんじゃないかなという感じで先ほどの話を伺いました。
 しかし先ほどから総務庁の調査結果などで触れておりますように、文化的な生活として使える施設やあるいは場が少ない。それから使う費用、お金もない、いわば無理な状況で余暇を活用するという状況に置かれていると思うんです。それが逆に出ますと、つい二、三日前もテレビで何かのときにちょっと見ましたけれども、余暇不安症候群というのが最近はやり言葉であるんだそうですね。時間が余る、余り過ぎている。お金がない。仕事に行こうにもきょうは休みだと。余暇をどう過ごしていいかわからない、気持ちの中に不安が高まってくる。エアポケットノイローゼという言葉もあるそうですけれども、それはやはり日本の労働者が一日の総時間のうちで自分の心身の発達のために時間を活用することになれていないことからくる、こう簡単に言えるかどうかわかりませんけれども、過渡的な状況であり、その社会的な影響は大変今の時点では幾つも問題が起きているように思います。
 しかし、先ほどから繰り返しているようですけれども、私もフランスの労働組合との交流で強く感じさせられました。フランスの場合は、私が行ったのは大分前ですけれども、賃金の額で名目で日本の労働者と同じような水準でしたが、物価が違いました。安いんですね。ですから日本人と為替換算では同じような賃金額をもらっているけれども、その使いでで言うならばフランスの方がはるかに有効に使えるという状況がございました。
 それからまた、これは余暇と労働に直接の関係ではないので何を言うのかとおしかりを受けるかもしれませんけれども、労働者が自分の労働条件や賃金を引き上げるためにいろいろ活動をすることについて、やはり産業革命といいますか、いろいろな歴史を経てきた国だけあって、フランスの場合は日本と大分違うように思いました。例えば警察官が団結権を持っておって、自分たちの賃金の引き上げを非番のときに制服で駅でビラをまくなどという状況もございます。日本では考えられないような実態です。一面では中央集権警察国家という性格をフランスが持っているというふうに言っておられた方もありますけれども、労働組合活動の水準からいけば日本よりはいい面も幾つも持っていて、それがそういうバカンスの活用というところにも結果的にはつながっているように思えます。直接の御質問とちょっとずれるお答えかもしれませんけれども、私の率直な感じを申し上げさせていただきました。
#50
○斎藤文夫君 自民党の斎藤文夫でございます。
 先ほど来お二人の大変参考になるお話を拝聴させていただきまして、まことに得るところ大でございました。
 それでは、まず錦織参考人にお尋ねを一、二させていただきます。
 我々地域におきましても、中央会が中小零細企業の指導、育成、とりわけ例えば業種的に見ればそれを縦糸とすれば業種別の組合を結成させる、あるいは地域それを横糸とすれば商店街とかそういう地域の組合化を組織して皆さんが大きな力に対抗できる、また共同の利益のために協力をしていく、こういう御指導をいただいておりますことに日ごろ大変敬意を表しているところでございます。
 そこで、先ほどいろいろお話を拝聴させていただきましたが、いろいろきょうも午前中から資料をちょうだいして勉強させていただきました。私は労働時間の短縮は大企業が進んでおって、最も導入しにくい中小企業、零細企業、とりわけサービス業、こういうようなものがおくれているんじゃないか、ちょっとそう考えて資料を拝見いたしますと、さにあらで、実際時短の現実的な数字で進んでおりますのはむしろ中小企業やサービス業の方だということを先ほど見たわけであります。これはいっときのことかもしれません。現実にもしも今後欧米並みのまだ五百時間時短を進めていくというようなことになれば、その可能性は大企業に十分あるわけでありますから、果たして中小企業が欧米並みの時短に耐え得る体質なり基盤なりがあるかということになりますと、これは残念ながら今の時点では大変なことだな、存亡にかかわるなと、私ども中小企業をよく知る者として心配をいたすところでございます。
 そこで、時短しやすい産業、製造業とか、先ほど錦織参考人はそれを独立企業と、こういうようなお言葉でもおっしゃいましたが、言うならば大企業。実際しにくい産業というのは小売商とか飲食店、それからもろもろのサービス業、そして下請中小零細企業と、こういうことになる。言うなら
ば非独立的なんですね、自主的に労働時間の管理ができない業種というか企業と、こういうことになると思うんです。
 そこで、先ほどしにくい理由を幾つかいろいろお述べになられたわけでございますけれども、現実に今先ほどお話ししましたように、大企業は所定外労働時間の方が長くてグランドトータルだと中小企業やサービス業よりも労働時間が長い。こういう結果が表の上で出ておりまして、この辺の現状というものをどうおとらえになられるのか、それから現実にこれをさらに欧米並みに進めていくには中小企業としてとてものこと、先ほどお述べになられた状況の中で実現が大変なことになるわけでありますけれども、しかし一方集団的な取り組みを今後中小企業はしていくべきではないか。これはごく最近出た労働時間短縮政策会議の提言にもあるところでございますので、その辺をあわせまして中小企業の困難な時短について具体的に今後中央会としてどうお取り組みになっていく方針か、お聞かせいただきたい。
#51
○参考人(錦織璋君) 大変中小企業に御理解をいただいておりますことを感謝申し上げます。
 今も申し上げましたように、中小企業の場合では所定外労働時間は比較的短いわけでございますが、所定労働時間はどうしてもそのために長くなる、そういう傾向があるわけでございます。特に、要するに取引先とかあるいは顧客のニーズにこたえるために営業をやっております関係もありまして、どうしても時間的には長くなるケースが多いというのは、ある面では私は中小企業の存立条件の一つでもあるのではないか。みんなが休んでいるときにそこに注文があって、その注文にこたえることによって中小企業というのは存在価値があるわけでございますし、また多少値段が高くてもそれは許される範囲内であろうというふうに思うわけでございまして、そこいら辺が大変難しいわけでございます。
 ただ、問題は労働者までそれに巻き込むかどうか、経営者だけでそれが対応できれば問題はないわけでございますので、私はこれからがまさに経営者の知恵の出しどころではないかと。幸いにいたしまして今回の改正によりましてフレックスタイムとかあるいは労働時間の弾力化がかなりできるような余地が開けたわけでございますので、したがってそういうものを駆使しながら、労使で工夫をいたしながら労働時間の短縮を全体として縮めていくということに今後は一生懸命やらざるを得ないだろうというふうに思います。
 ただ、そういう工夫のできるのは問題がないわけでございますが、かなり小規模の大多数の中小企業といいますと、どうしてもそこら辺に知恵が回りかねるといいましょうか、経営力の幅が狭いということが多いわけでございますので、我々はできるだけ中小企業者が協同組合とかあるいは商店街の組合とか、そういうものを通じまして集団的に労働時間が短縮できるようなそういう措置を講じていただきたいということでいろいろと研究を現在進めている最中でございます。
 かなり前になりますが、労働省で商店街を単位に一斉休日あるいは閉店というような運動を起こしたことがございます。ところが、これが大スーパーが進出といいましょうか、かなり各地に店舗を設けることによりまして休日なしの営業というような形が出てまいりましたために、その一斉閉店休日というのが実は壊れてしまったわけでございます。むしろそういうことよりも顧客のサービスを向上する、お客様のニーズにどうこたえるかというふうに対応が変わってまいりましたがために、商店街の一斉閉店休日というのは今日行っているところは大変少なくなってしまったという現実がございます。
 したがいまして、今後さらに小零細企業のために欧米並みにあるいは労働時間を短縮するのは、帰着するところ経営者の決断にもよるわけでございますけれども、日本的な対応といたしましてはなるべく集団で一斉に横並びで休日をとる、あるいは時間を決めていく。もちろん当然業種、業態によって例外がございますけれども、そういう形をとるのが一番適当なのではなかろうかというふうに考えております。
#52
○斎藤文夫君 もう一つお尋ねいたします。
 ヨーロッパ等々に行きますと、土曜、日曜小売店はクローズしている。随分買い物客から見れば不便だなと。ましてや旅行客から見ればまことに土曜、日曜は史跡めぐり以外にない、こういう経験を皆さんよくされると思うんです。日本で土曜、日曜は小売商人は書き入れどきよ、休みなんてとんでもありません、こういうようなお声が我々の身近ではね返ってくるんですけれども、これは国民生活習慣あるいは商習慣、いろいろなものでそういうふうになっているんですけれども、日本でも商店が週休二日制導入と。ちょうど金融機関や官公庁等々どんどん進んでいくわけですから、何かそういうようなことができる可能性というのはどうなんでしょうかね。
#53
○参考人(錦織璋君) 私は、実は日本ではかなりの部分大変難しいんではなかろうかというふうに思っております。ヨーロッパの場合とアメリカを中心、北米とでも申しましょうか、かなり違いがあるように思います。
 ヨーロッパでは御指摘のように、かなりもう今から恐らく千五、六百年ぐらい前からそういうような法律なり規定というものがございまして、日曜日のお休みというのはもう定着をしているわけでございますが、日本はどちらかというとアメリカタイプに属するように思います。やはり特に最近の婦人の社会的進出等によって欧米でも日曜日営業というのはかなりの部分で実はやっているわけでございまして、いつも私もその労働省の基準審議会等で労働側の方といろいろ御議論をするので、なるたけ欧米でもそういうような例外規定がないかいろいろ探して歩いているわけでございますが、やはりアメリカへ行けば徹夜で二十四時間営業のスーパーはたくさんございますし、またセブンイレブンもいわばコンビニエンスストアも十一時ごろまでやっているわけでございまして、それはやはり消費者ニーズにどうこたえていくかというところにあろうかと思います。
 それと関連なしに実は営業の方も成り立たないわけでございますので、世の中の社会の変化に応じてそういう営業時間も当然変わってこざるを得なくなる。ただ問題は、労働者の労働時間を規定どおりどういうふうに確保するかという、そこに問題が帰着するわけでございますので、そこをうまいローテーションを組みながらやっていけば、営業自身は私はかなりの部分でオープンで開くんではなかろうかというふうに考えております。
#54
○斎藤文夫君 ヨーロッパはもっとも宗教的に日曜日働くのは罪悪というところから始まっていますから、大分日本とは歴史的に違うものですからよくわかります。
 そこで、春山参考人にお尋ねをいたしたいと思っております。
 先ほど来欧米との格差でもう我々もうなっておるところでございます。これはやっぱり欧米と日本の今日の労働時間、労働条件、条件というのは難しいですが、労働時間、とりわけきょうはその問題ですから、相違をしたのはやはり産業、それから労働に対する物の考え方等々の歴史的な過程が日本とは大分違う。そういうようなことから、例えばこれは私見でありますけれども、雇用制度一つをとってみても日本は終身制度、そうしてしかも包括的な労働契約、完全なレイオフ制度というものは日本じゃなかなかこれはできない。こんなような問題もあるし、また今までの、先ほどお話がありました二宮金次郎的な勤労観というんでしょうか、働きバチを日本人は特に戦後復興発展という命題の中で努めてきたわけでありまして、どうも労働に対する価値観というものが戦前、戦中、戦後のいっときを通じて今の中年以上の人には既定の価値観があるけれども、若い人たちは新しい時代にふさわしくまた違った価値観がここで出てきて、将来はどう変わっていくかわかりませんけれども、やはり欧米とは大分違う。
 例えば私がジュッセルドルフで実際に経験をした話ですけれども、西ドイツでは夏、冷房装置が
ビルにほとんどない。そういう中で、二十七度になりますとドイツ人労働者は働く環境にはない、こう言って執務時間だろうと何だろうとみんなどんどんうちへ帰っちゃう。この現実を日本のいわゆるサラリーマンは、もう何とも形容しがたいと、企業に対する帰属観念もなければ、いかにも自己本位だというような見方をつい我々日本人はしてしまうというような話も見聞しましたけれども、あるいはまたその他有給休暇の先ほどありましたような取得状況とか、いろんな理由があって今日欧米との大きな格差があるんじゃないだろうかな。
 しかしながら一方、今度社会主義の労働者というのは国が相当労働問題に号令をかけても決してそれでは今の日本の労働者と対比をして恵まれた環境にあるかということになれば、これはもうおのずと答えはノーと言わざるを得ない状況に置かれている。こんなようなことを考えてまいりますと、一体日本は世界一、先ほど来お言葉がありましたが、高額所得者はスイスに次いでと、こういうことにもなってまいりましたが、実感としての生活のゆとりというものがない。そこにいろいろまた問題もありますけれども、欧米との格差を例えば西ドイツと比べれば五百時間労働時間が違うよ、これをどんどんなくして高賃金短労働時間でやれるんだと、先ほどもやるんだと、やっていくんだということになるわけでありますが、果たして今の、いやこれからの日本人の感覚あるいは日本経済の歩み方から見て可能なんだろうかなと素朴な実は疑問を持ちました。
 そこで、長くなりますが、この賃金カットのない時短というのを実現するにはどうしたらいいんだろう。私も高賃金、短労働時間大賛成なんです。そうさせたい。それはしかし今企業が好調だから、今までのやり方と同じように生産性向上による成果配分で必ずこういう条件は労働者がかち取れるんだ、こうおっしゃいますけれども、例えば西ドイツが今日世界一の短い労働時間を誇りながら経済活力というものは大変ここ低下をしている、あるいは経済成長等も低いし景気も低迷している。それよりもっと問題なのは、外国人労働者の影響もあるかもしれませんけれども、西ドイツの持っている失業率の減少が実現できない。これはもう私どもにとってみれば、日本の失業率が二%台、世界に誇る失業率を今示しておりますけれども、西ドイツの一〇%前後、七%、こういう数字と比較をしてみまして、いかにも西ドイツの時短の成果を一方では思いながらも、また一方では西ドイツのこういう現状というものを我々はどう注意深く見守ったらいいんだろうかなと。
 とかく時短をすればコストアップにつながる、こういう考え方は企業のあり方として当然だと思っています。しかし、コストアップをさせないで時短を進めていくには、どうしたって省力化してより効率化、合理化、こういうことを進めていかなきゃいけないし、そうなれば、先ほど前段にチャップリンの話が出たんですけれども、まさに機械に使われる人間というようなそういう形のものも考えられなきゃならない。こういうようなことを思いますと、一体時短を実現するにはどういうような現実的な対応というものが考えられるんだろうか、ひとつ御教示をいただきたい。
#55
○参考人(春山明君) 私どもも、大変大事な問題ですし、単に私どもの要求がそうだからということだけで申し上げているわけではございませんで、社会的、経済的なさまざまな基盤といいますか、条件といいますか、そういうものも踏まえて可能であろうというふうに思っているわけでございます。
 最初の問題ですけれども、これは申すまでもなくもう釈迦に説法と存じますけれども、日本人の場合は、雇われたというときに全人格的に従属をするということが伴っているというふうに一般的に考えられがちです。外国の場合はそうではなくて、労働力と賃金とを交換する債権債務関係なんだと、契約関係なんだというふうに割り切る。そのタイムラグといいますか、歴史上の時間的な格差がありまして、日本の場合にはいわば終戦後にやっとそういうことが例えば労働基準法の第二条あたりでうたわれるということになってきまして、その契約自由の原則を修正して、一定の水準以上に労働条件を高め、また労働条件の決定というのは労使の対等、平等決定原則というものが持ち込まれてきたわけですけれども、やっぱり戦後四十年たちましてもまだその辺は全体のものにはなっておりません。
 恐らくこれからの若い諸君は、義務教育の中で労働契約というものの本質を学んでおりますから、債権債務の交換という立場で働く仕事と賃金あるいは雇用のことを考えるようになるのではないだろうかと思っています。私は、そういう合理的な、近代的な労使関係というものが生まれることがいいというふうに思っておりますので、まずそれを最初に申し上げておきたいと思うんです。
 それから次に、労働条件の改善に当たってなんですけれども、先ほど西ドイツの例として、二十七度を超えると仕事をしないという状況をおっしゃられました。実は私どももその点について諸外国の法制を調べたことがございました。それは坑内事故の多発のときでした。坑内に炭じんがたまっていて、それが加熱をする条件のもとで爆発につながると、危険な状況を一番知っているのは現場の労働者ですから、このままいったら炭じん爆発が起きるんじゃないかというときに、その現場から退いて就労を拒否する権利というのを当然法制上も持てるようにすべきではないかというようなことで、いろいろ調べたりしたんです。ですから、二十七度でいいというふうには今思いませんけれども、一般的に危険な、あるいは衛生上害のある職場、作業、原料取り扱いでは就労禁止ということをうたうことが必要ですし、我が国の労働安全衛生法の中にも部分的にはございますけれども極めて不十分ですので、もっとその余地を広げたらと思っているんです。
 例えば労働省がやっている労働衛生週間の資料の中に、終戦後我が国に持ち込まれた有害な原材料物質というのは数万件あるという記述がございました。その数万件の有害材料物質、原材料を労働者が扱っているわけですが、規制の対象になっているのは一千もないと、八百幾つかだったと思うんですけれども、そういうふうに大変危険な状況に労働者の労働がさらされているという中での就労禁止権利といいますか、逆に言えばそういう危険な状況はつくらないという使用者側の義務といいますか、そういうものは大事だというふうに思っているところです。
 それからもう一つの問題なんですけれども、賃下げなしの時間短縮ということですが、余り話は長くできないと思うんですけれども、例えば公正取引委員会が、私が持っております資料ですと、一九八〇年代に入ってすぐ発表した資料ですが、日本にある法人企業百四十万社の中で一年間に利益が幾ら上がるが、その計算をやった上で、次にわずか百八十の大企業がその利益の四分の一から三分の一を手にしているという数字を見たことがございます。これは日本経済が大企業本位にゆがんでいる、アンバランスがひどいという事例でして、私はこれをよその国で同じようなことがあるのかどうか調べたことがあるんですけれども、長い間継続して日本の大企業のように膨大な黒字を積み上げているという実例には少ししかぶつかることができませんでした。つまり、我が国の四千四百万人労働者がつくり上げた富が大変偏った状態になっているということだと思うんです。
 過日、愛知県に参りまして、愛知県の主要企業の財政分析をやっている愛知県経済部でしたか、統計を拝見しましたらば、一人当たり幾らの利益を愛知の中の主要な企業が上げているのかで拝見しましたところ、年間二百十六万という平均の数字が出ておりました。もちろん低いところも高いところもありましたけれども。それは一年間の中でいろいろな租税であるとか必要な費用であるとかを除いての純利益での数字なんですね。一人当たり二百十六万であるならば、例えばその何分の一かを労働者の賃上げということで還元してもまだまだ内部留保は減りもしないし、当期の利益で
も賄えると思うんです。
 ですから、景気のいいときには賃上げをする、景気が悪くなったときにはそれこそ労使の対等交渉という状況がつくられていいと思いますし、経済の土台ということで申し上げるならば、我が国の場合、大企業が中小企業の下請条件をもっとよくするということとあわせて見ていくなら十分に可能な条件を持っているというふうに幾つかのところから考えております。
 なお、失業率なんでございますけれども、西ドイツの失業率の計算の方式と我が国の失業率の計算の方式が大分違っておりまして、御存じだと思うんですけれども、もし我が国の失業率を西ドイツの計算方式で数字を拾い直しますと、私が数年前にその点をたしかここの衆議院の予算委員会でも申し上げたことがあるんでございますけれども、十三%を超える状況なんです、日本の失業率は。つまり分子と分母のとり方が違っております。ですから、失業についての考え方が違うという国民的な状況のもとでのことですので、私は、むしろ労働時間の短縮で賃上げをやることによって、例えば先ほどの第三次産業、商売をやっていらっしゃるところにもお金が回りますし、雇用を拡大するという条件が将来的にはつくれるのではないかと思っているんです。今は賃金をゆとりの方に回すような条件がまだまだないという中では、余暇とそういう内需の拡大というのを結びつけることには無理があるというふうに思っておりますけれども、将来的には失業率を下げていく上でも労働時間の短縮の上でも、賃金の引き上げと内需の拡大というのは相乗的な効果を持つようにしていけるというふうに日本経済全体の仕組みとの関連では思っております。
#56
○斎藤文夫君 ありがとうございました。
 もう時間がありませんので、ただ一つ訂正を。私の西ドイツの二十七度、暑くなったらというのは、実は事務所の出来事でございまして、ちょっとまたいずれか御調査をしていただければありがたいと思います。
 大変ありがとうございました。
#57
○刈田貞子君 公明党の刈田でございます。きょうは貴重な御意見をありがとうございました。
 私、まず錦織参考人にお伺いをしたいんですけれども、いろいろお話がもう出ておりますし、午前中からも重なる質問が多々あるわけですが、確認をさせていただく意味でぜひ教えていただきたいんです。
 この二月一日から金融機関を中心にした土日完全週休二日制がスタートしているわけですけれども、既に新聞等でもいろいろと勤務時間の延長とか、あるいは就業時間システムの切りかえの問題等いろいろ出てきております。これは午前中にも話が出たのでございますけれども、先ほど参考人は、土日閉庁の波及効果は今後ますますいろいろな形で出てくるであろうというふうにおっしゃっておられましたけれども、どんな形で出てくるのかということも一つ含めて、例えば今銀行労働研究会なんかの調べで出ておりますところの始業時間をいつもの時間よりも十分早くスタートさせるとか、あるいは就業時間を三十分延長させるとかいう形で、結局一日の勤労時間を何らかの形で延長させているというような実態があるわけでございますが、これをどういうふうに考えていけばいいのか。
 さらに言えば、本来金融機関等では残業がかなり恒常化しているものであったものが、そしてそれが所得の中に取り込まれて自分たちの家計の一部に加えられていたはずのものが、時間延長になることによってそれが正規の就業としてみなされて、いわゆる時間外手当も入らなくなるというようないろいろな影響が出ているというふうに思うのでございますけれども、こういう現象が今後どういう形の波及効果として中小企業等にも影響していくのかどうなのか。これは私は今のうちにきちっと見定めておかなければいけないのではないかというふうに思っておりますので、教えていただきたいというふうに思います。
 一方で、いわゆる今後時短という問題を考えていった場合に、私は自分の考え方としては、大手の企業とそれから中小企業との開きというものはもっと大きくなっていくのではないかというふうに思うのでございますけれども、ここでいただいた資料によりますと、先ほど来からお話がありますように、全体としての時短を考えていくより仕方がないというお話がございまして、ここでは所定労働時間の短縮方法ではやはり年末年始の休日をふやすとか、お盆休暇の休日をふやすというところに九十九人ぐらいまでの企業では一番集中してありますですね。そうすると、こういうふうな形態しか生まれてこないのだろうかどうなんだろうか。先ほど来からのお話を聞けば何となくここら辺に落ち着いちゃうような気がするんですけれども、その辺を含めて、だから結局大手の企業との差が非常に出てくるというふうに私は思いますけれども、これをどう考えればよろしいのか、教えていただきたいと思います。
 それから、国民的コンセンサスが必要だということも先ほど来から出ておりますけれども、その場合の国民的コンセンサスというのは、さっきお話がありましたように、消費者にだから理解をしていただきたいということになるのかどうなのか。
 それからあと春山参考人にお伺いいたしますのは、資料の四で労働省の資料をお出しになっていらっしゃいますけれども、私は大変これ自分自身でも興味あったものですから、労働省から資料をとりましていろいろ調べてみました。先ほど斎藤委員にも一部お答えになっておられましたけれども、労働時間短縮が内需拡大に及ぼす影響の問題を私も大変にいろいろと考えてみましたが、労働省の資料では、例えば余暇開発センターの資料を使って、いわゆる「余暇需要に関する調査研究」六十三年三月分を使って、結局余暇には観光、娯楽というようなところで六六・七%の時間を過ごすような形に構成されていて計算されているんです。
 ですけれども、先ほど来からのお話によりますと、所得をゆとりに回すようなゆとりはないというふうなお話がたくさんあるわけでございますが、そういたしますと、ここで出ておりますところの労働時間短縮によって勤労者が娯楽、観光にお金を落とす、それが八兆円の内需拡大につながるという試算はかなりバラ色の試算であって、こういうことは現実には考えられないのではないかというふうに私は思うわけですけれども、その辺のところをどのようにお考えになるか。先ほど来お話が出ております文化、趣味等のことに余暇の時間を充てるということについては、労働省では十二・七%のウエートで構成比をつくっているわけでございますけれども、こういう問題もあわせてお教えいただければというふうに思っています。
 もう一つは雇用の創出の問題ですけれども、これも見てみますと大変バラ色に計算されておりますんですね。それで完全週休二日制をとり、そしてなおかつ年間二十日間の有給休暇をクリアした場合の第三の例というようなところを見ますと、製造業で十四万五十五人の雇用を創出するというようなことが書いてありますし、比較的中小企業でかかわりのある商業なんかでも五万一千三百六十一人の雇用を生み出すというようなことが書いてあります。私は大変これも考えられないというふうに思うのでございます。
 錦織参考人からいただいてある資料を見てみますと、時間短縮を進めにくい理由の中に、時間短縮に伴う必要人員の確保が非常に困難であるというところにかなりのウエートがございますんですね。ですからこういうところを見ても雇用の創出ができるということは私は考えにくいんですけれども、勉強不足かもしれませんのでわかりやすく教えていただきたいというふうに思います。以上です。
#58
○参考人(錦織璋君) 最初の御質問が時短の方法についての御質問だと思います。
 労働時間短縮は所定労働時間を短くするというのと、実労働時間を短くするというのと大きく分
けて二つあるわけでございます。
 私は、特に中小企業の場合では所定労働時間が長くて、実労働時間も長いことは長いわけですけれども、いわば所定外労働時間が少ないという点を考えるならば、むしろ所定労働時間をいかに短くしていくかということが中小企業においては一つの課題であろうというふうに考えているわけでございます。そういう意味では、日で一日の時間を短くするかあるいは週で短くをするのか、月で短くをするのか、要するにトータルとして労働時間が短くなるように我々は考える必要があるのではないかというふうに考えるわけでございまして、そういう意味では、ここでは、この調査等にもございますように盆・夏の休日をふやしていく、あるいは年末年始の休日をふやしていくのも一つの方法であろうというふうに考えておりまして、問題はそういういろいろな対応で労働時間全体を短くしていくことが当面中小企業では必要なのではなかろうか。
 私は個人的には、今なるべく週休日をふやしていく、要するに、できれば土曜日でもいいわけですが、土曜日以外の日でもいいんではございますが、一週間の労働時間をなるたけ休みをふやしていくという方法が一番現実的なのではなかろうかなというふうに考えているわけでございます。しかし、業種業態によりまして対応はいろいろあろうと思いますので、この調査結果等もそういうことを反映しているのではなかろうかというように思っております。
 それから第二点は、大手と中小の開きが今後も大きくなるのではないかと、こういう御指摘でございますが、長期的に考えるならば、私はむしろ縮小する傾向に行くのではないかというふうに考えております。格差はなくなるかというと、私はこれはなくならないというふうにも考えております。
 私の個人的な経験で申しわけないんでございますけれども、西ドイツが大変労働時間では短いというお話なので、西ドイツの経営者に労働時間を聞いたことが数年前にございます。西ドイツでは御案内のように四十時間を既にメタル等では切っているという話もあるので、中小企業ではどういうような労働時間の対応をしているのか。あそこは労働の法律では四十八時間でございますが、一般的には四十時間というのがかなりの意味では大企業は定着をしている、それからメタルみたいに三十八時間台なんというのは、これはもう雲の上の話であって、我々中小企業は大体四十二時間だ、これが大体西ドイツにおける中小企業の労働の実態であると、こういうお話を承ったことがございます。
 アメリカでも公正労働基準法というのは州際産業がとりあえず対象でございまして、あとは州の法律に適用されるわけでございまして、それぞれいろいろな対応の仕方はあるのではないかというふうに私は考えております。
 それから国民的コンセンサスの問題でございます。なお何か私が、労働者のコストだとかあるいは時々テレビ等でPRが行われているわけでございますが、ただゆとりを持つとかあるいは週休二日制を普及しようとか有給休暇を取得しようということのPRが非常に前面に出ておるわけでございます。そのこと自身は別に私は非難しているわけでも何でもないのでありますが、同時にこういう休みをそれでは休む際に何か大事なものが欠けているんではないか。日本の余暇ということを考えた場合に何かちょっとお金を使うことが大事であるみたいな風潮があることは否定できないわけでございます。
 本当の意味の余暇を費やすということは、外部へ出てお金を使うことが余暇では私はないのではないかというふうに考えておりまして、もっと自分自身を高めることとか、あるいは自分の生きがいをどうやって見つけていくか、そういうことにもっと使われるべきではないかということを感じておりまして、これは春山参考人とはちょっと意見が違っておりまして、お金がないから余暇が使えないんだというのはちょっとこれは私は論外ではないかというふうに考えております。
#59
○参考人(春山明君) 時間短縮と内需拡大の関連についてでございますけれども、最近余暇についての関心が高まり、需要がふえて三・五次産業という呼び名まで出ておりまして、その三・五次産業の企業の方々がどのくらいの需要があるのかというのを見込むのは自由なんですけれども、労働省という政府の一部局がこの試算をしたことに対しては私はやや疑問視しているわけでございます。
 それはどういう点かと申し上げますと、賃下げなしの時間短縮をと私どもは先ほども申し上げました。この労働省の発想は、仕事を分かち合うと同時にその分賃金を減らして、減らした賃金で失業者を雇えという日経連の考え方と同じ立場に立っているのではないかと思えるからなんです。そうしますと、一人の労働者の片腕を切り落として、部分部分を切り落としたのを寄せ集めて一人雇用できるではないかというこういう生活水準を押し下げるような発想でこの計算がされているとすれば、根本的なところに問題があると思っております。
 それから、労働時間の短縮と内需拡大というのはそれでは全く結びつかないのかといえば、私はそうではないと思うんです。つまり先ほどから私が申し上げておりますように、もっと賃金水準を上げることが日本経済の実情から見れば可能なんだ、そのもとで労働時間の短縮をすることもできる、その両方を行うときに雇用の拡大に結びつくような条件というのがつくれる。これは理論的には私はそれを否定するものではありません、数字の中身ではいろいろ問題がありますけれども。
 それから最近の労働者の生活で、私どもがとりわけこれはどういうことになるのかなということで調査をしたり若い人たちの意見を聞いたりしておるのは、プラスチックマネーと言われておるカードによる借金ですね。お金の先取りをするといいますか、どんどんカードで例えばレジャーをする、車を買う、あるいはいろいろな趣味に使う。何カ月も、車なんかの場合は何年もかかってそれを支払っていく。そうすると家計が圧迫されますからまた新しいプラスチックマネー依存という状況が出てくる。この悪循環の増大をどこかで断ち切らないと、これは将来的には大変な問題になるだろうと思うんですね。
 調べてみましたら、かつては住宅を買うということに一つの目標、目的意識があった。ところが今や地価の高騰でもう住宅は買えない。そうするとそれよりももっと安い、しかし見ばえのいい耐久消費財の一つとも言われている車を買う。一回車を買いますと、車を売っている方はもうそろそろ買いかえの季節じゃないでしょうかということで次から次と車の新しいものを勧める、借金が延びる。しかし労働者の方はその車でレジャーに行く。本当に形だけのことだと思いますけれども、何かゆとりを感じるというこの問題が起きているということの方を重要視しているわけです。
 それじゃ雇用の創出についてどういう基本的な立場に立つかということで、これは労働省の資料でございますから労働省なり建設省なりの立場で考えるときに、私はやはり産業活動を通じて雇用創出効果を高めるということが一つはあっていいし、それから国民生活向上とつなげる雇用の創出というのを考えてもいい。
 例えば下水道をもっと普及させるということだとか、それからさらに大企業本位に使われております公共事業投資をもっと中小企業を前面に出して全体の公共投資の五〇%以上、できれば三分の二ぐらいを建設関係中小企業に出させて、そのことを通じて製造業の活力を中小企業分野でもふやしてそこに労働者を雇用していく、国民生活の向上につながるというそういう基本のところがあいまいなまま労働省は時勢に便乗してといいますか、日経連のことしの一月に出されました労働問題研究委員会報告と同じ立場で、労働者の利益優先ではなくて、どうも企業の立場優先で、賃金・時短パッケージ論なんというのもあるんですけれども、考えているように思いまして、この労働省の
調査結果については相当突っ込んだ分析が要るのではないだろうかと思っております。労働省内にこれと全く相反する計算や考え方が七四年の石油ショックの後にありましたことを私知っておりますだけにちょっと問題があるなと思っておるんです。
 中央職業安定審議会の委員をやっておりますときにそれに関連する資料をいただきまして、それと内容的には違うなという感じを持っておりまして、これはやはり時間短縮を、ワークシェアリングというきれいな言葉があるんですけれども、働きを分かち合う、同時に賃金も分かち合う、それで失業者を雇うというそういう発想に立っているとするならばこれはもう間違った考え方だし、試算そのものも根本的に改められるべきではないだろうかというふうに私は見ております。
#60
○吉川春子君 私は日本共産党の吉川です。
 きょうはお二人の参考人におかれましてはお忙しいところお出かけくださいまして本当にありがとうございました。時間の制約がありますので、まず最初に私質問を申し上げたいと思います。
 まず、春山参考人にお伺いいたしますが、週休二日制は労働時間の短縮とその結果としての労働者の余暇時間の増加に本来結びつくものだと考えます。銀行が二月より一斉に週休二日制を実施しておりますけれども、毎週土曜日が営業は休みになってもそれが労働者の労働時間の短縮にはつながっていない、こういう問題があるわけです。
 私、全銀総連と地銀連の共同編集による春闘資料をいただいていますが、これによりますと、例えば土曜日を休むかわりに月末、それから月初、週の初め、二十五日など、銀行が非常に忙しい日を特定日として勤務時間の延長が行われるということです。月に七日か八日、例えば現在五時に終わっているところを五時四十五分とか、ある大手の銀行では六時までとか勤務時間を延長するわけですけれども、そういうふうにいたしますと、実際には、計算しますと労働時間の短縮という効果は月に一時間ぐらいにしかならないという計算がここに出ているんです。
 それから、勤務時間が延長されるわけですから、したがって残業時間が減ります。時間外手当の単価一分間四十円で計算しますと年間十五万三千六百円の減収になる、これも非常に大きいと思うんです。
 それから、婦人労働者の立場から言いますと、保育所の保育時間が延長されずに勤務時間だけ延長されますと、今度はまた二重保育あるいはその他の方法を考えなければならない、こういうような問題がいろいろ出てきますので、私はこの資料を見て大変問題が大きいなというふうに思いますし、本当にこれでは労働者のための週休二日制じゃないということを痛切に感じました。
 それで、お伺いしたいんですけれども、この実態についてどういうふうにお考えになるか、それから本当に労働時間の短縮になるように週休二日制が実施されるためにはどうすればいいかという問題とか、あるいはこれは労働基準法と照らして問題はないんだろうか、私はこういう疑問も禁じ得ないわけです。政府、企業、労働組合等の対応その他について参考人のお考えを伺いたいと思います。
 それから、錦織参考人にお伺いいたしますが、先ほど小規模企業の経営者、家族の福祉という点から、イギリスの例を出されて、祝祭日の営業の禁止とかあるいは営業時間を法律で決めるようにと、こういうお話をされまして、私もロンドンなどへ行っても、観光地ででも日曜日お店が休み、それで決して不便には思っていないという反応も聞いているんですけれども、先ほどこれを日本に導入するにはなかなか難しいだろうということもお答えになっておられましたが、こういう問題について政府の強力な政策実現、そういうものを望むという意味なんでしょうか。
 それからもう一つは、これは錦織、春山両参考人に伺いたいんですが、かんばん方式の問題で、今は自動車産業以外にも広がっていて、週休二日制あるいは時間短縮の非常な妨げになっているというお話でした。春山参考人のお話の中にも、労働密度の強化の問題の中で自動車組み立てのラインの仕事で十八秒に二十動作をこなす、これ私も実際に見てきて本当にびっくりしたんですけれども、これもやはりかんばん方式と結びついて労働強化も進んでいるというふうに私思うんですけれども、大企業の労働者も中小企業の労働者も人間らしい生活を送る上でかんばん方式というのは本当に問題だなと思ったんですが、これをなくしていくといいますか、こういうことをやめさせていくためにどういう方法があるか、もし国や国会に対する要望があれば聞かせていただきたいと思います。
 以上、お伺いいたしました。
#61
○参考人(春山明君) 私どもの団体で一週一回の機関紙を出しておりますけれども、最近号の中に銀行の労働者が投稿をしてくれました。それは銀行の週休二日制実現で労働者の労働時間が本当に短縮されたのかというテーマでした。読みましてこれはもう実情をもっと詳しく調べてみる必要がある大きな問題だというふうに感じました。
 それは、銀行は労働者の完全週休二日制とは考えていないで、要するに週二日閉店をするというふうにとらえておる。だから、労働者の場合は労働時間の短縮になる見せかけの時間が一日当たりに直すと四分、四分でも時間短縮になればいいと思うんですけれども。ところが、それより大きなことは、先ほどの忙しい時期、毎週月曜日であるとか月末の前日、月初めというような営業日のうち、一カ月に六営業日から八営業日を組み合わせて四十五分の労働時間延長を、それまでは払っていた時間外手当なしでただ働きさせるようにシステムが変えられてしまった。
 試みにこの人は、今、金融機関に働く労働者六十五万人、証券、保険、農協は除いて銀行と信用金庫、信用組合などの労働者なんですが、六十五万人いますけれども、今申し上げましたように、今まで払っていた時間外手当を払わないで四十五分の労働時間の延長というシステムがとられたことによって年間労働者が幾ら損をするのかという簡単な計算をやったんですが、月四十五億円、年間五百四十億円、これが事実上の企業の側の利益で残るという計算なんですね。そうしますと、労働時間の短縮をと言い、週休二日制とあわせてと言い、世間的には銀行が新しい時代に踏み込んだという認識を与えておきながら、実際にはそこで新しいもうけをつくり出しているという、同時に労働者には犠牲を強いているという実情があることがこの投稿の中で具体的にされておるわけでございます。
 ですから、先ほどの私の発言の中でも、金融関係の労働者が時間外労働をやって割り増し賃金は八〇%分は払われていない、二割分しか払われていないというのも、実はこの投稿した労働者の所属する労働組合が全国的に実態調査を深夜にかけてやって、多くの労働者の証言に基づいてやっていることなんでして、そういう点では銀行が、金融資本が我が国を相当程度支配しているという中で労働者へのしわ寄せが一方では深まっているというふうにこれとらえております。ですから、銀行さらには私どもの傘下組合で申し上げますと証券会社、保険会社で労働者も基本的な権利が脅かされ、時間短縮という名目で実際はそれ以上の犠牲がしわ寄せになっているというそういう疑いを現在強く持っているところでございます。
 それから、週休二日制にしても、銀行の忙しいときに長く働かせるというのも一見もっともなようでありますけれども、一日八時間、一週四十時間、週休二日、この基本で労働者の生活設計を考えることが今や世界の趨勢でして、その四十時間を三十八時間、三十六時間というふうに短縮をする傾向があるわけです。ですから、所定労働時間外の残業というのをやらせても当然という発想をはなから改めていかないと、これからの新しい時代に対応する労働者の人間らしい生活保障ということにはつながらないというふうにそこは強く思っております。
 それから大企業と中小企業の関係ですけれど
も、これも通産省や中小企業庁あるいは公正取引委員会の資料で見ますと、我が国の場合下請関係、親企業であるとか背景資本とかいう言葉もございますけれども、中小零細企業が下請関係を持っている場合が大変多うございまして、平均して六割から七割、家電産業では九割と言われております。その下請の支配従属関係の中で中小企業の単価であるとか工期であるとか、あるいは納入条件、支払い手形というものでのいろいろな問題がございます。
 ですから、私どもは中小企業の方々とはむしろ共通して取り組める課題が今我が国には相当あるという認識に立っております。一人一人の労働者の場合よりも、日本経済をマクロ的にとらえた場合、そういう中小企業の健全な育成、発展のためにも、私はそこで働いている企業主の方も労働者の大もともにこの週休二日制で豊かな生活が賄える条件を確保するということが必要だし、基本的には、先ほど繰り返して申し上げましたけれども、大企業に偏在をしている富を全体に、これはヨーロッパ並み、アメリカ並みというふうに言いかえてもいいと思うんですけれども、せめてそのぐらいにまでするということで余暇と労働の問題を考えたいと思っていますし、労働密度についてはこれはもう殺人的です。
 先ほどの十八秒間に二十の工程をというのを、私もこれは文字で見て実際に仕事をやっている人に電話で聞いたんですけれども、相当緊張、集中してやっておりますので肉体の疲労度が強い、精神的なストレスが強い、こういう工程での仕事が、先ほどかんばん方式という言葉が出ておりますけれども、自動車産業だけではなくて家電関係にもございますし、いろいろなところで労働者の労働条件を押し下げる状況になっています。
 その労働密度について、日本の労働法は全くと言ってもいいほど触れていないという致命的な問題が一つございます。そこのところは労働法制上も技術的にも若干困難があるとは思うんですけれども、労働密度の規制というその点を私どもも考える必要があるし、そうでないと疲れをとるために寝ているので精いっぱい、文化的な活動にまで手が出ないという状況ですと、これはむしろ、ちょっとオーバーかもしれませんけれども、民族的な課題と言ってもいい状況になりはしないでしょうか、ワーカホリックという言葉が既に出ておりますようにですね。そんなふうに思っております。
#62
○参考人(錦織璋君) 第一の政府の強力な支援というお話がございましたが、私も、中小企業というのは三百人から、仮に一人二人程度の幅がございますが、零細な業者に時間短縮をするために補助金を出すという考え方は賛成はできないわけでございまして、やはり事業でございますので、自己の経営才覚の中でそういう世の中のニーズにこたえていくという努力がやはり経営者としては必要なのではなかろうかというふうに思います。
 そこで、そういうものが立ち行くような環境づくり、非常に抽象的で恐縮でございますが、環境づくりをするための中小企業対策というものが総合的に行われることが大変大事ではないかということを申し上げているわけでございまして、特に時間短縮を果たすためにこれという考え方は現在持ち合わせてはおりませんけれども、やはりそういうものが成立するような経済的な環境といいましょうか、あるいは社会的な体制の整備ということが大変重要であるということを申し上げたかったわけでございます。
 それから、かんばん方式につきましてもいろいろ御意見があるわけでございますし、我々も余り過度な納入方式というのは結果的には労働者の少ない中小企業にとっては非常に負担になるということを申し上げたわけでございます。しかし、実は先般もECの方から日本にサブコントラクティングミッションというのが下請の勉強に参りまして、私も一時間ばかりお話しする機会がございまして、大変ヨーロッパ――アメリカでもそうてこざいますけれども、今やかんばん方式という日本語が外国でも通用するような状況でございます。
 これは、一つの企業の納入システムについては非常に合理的といいましょうか、効率性を求めているものであるということになっているわけでございまして、逆に言えば欧米がそれをまねをし、日本がそれに対してどういう対応をするのかというのは大変興味のあることでございますが、いずれにいたしましても、やはり社会の国際化が大変進んでおりますと、日本もこれを今後後ろの方向に向くということは恐らく国際競争力の問題からいっても不可能であろうというふうに思います。
 問題はその程度をどうするかというところにあるわけでございまして、一日のうちに何回も搬入をするというようなことはなるべく避けて、ある程度中小企業の時短ができるようなそういう納入方式に変えていくということが大変重要なのではないのかなというふうに思っております。
 お答え以外のことで恐縮でございますけれども、最近では大変社会主義国家でも中小企業がその経済に果たしている役割といいましょうか、非常に中小企業の持つ小回り性に着目をいたしまして、特に日本の中小企業を勉強するというようなそういうことが大変多くなりつつありますことだけを申し上げまして、お答えにしたいと思います。
#63
○吉川春子君 ありがとうございました。
#64
○平野清君 本日は本当にお忙しいところ、ありがとうございました。
 午前中も午後も、二、三回二宮金次郎の話が出てきたんですけれども、何かちょっと皆さん二宮金次郎を誤解されているようなんで、日本の協同組合の発案者だし、旅は好きだし、仕事が嫌になれば成田山にこもっちゃうし、尊徳仕法と言って、かんがいや合理的な農法を発明して、むしろ中小企業の人は晩年の尊徳を学んだ方がいいんじゃないかと思っているんですが。質問時間がないのに余計なことを言っていると時間がなくなっちゃいますので、一問ずつ質問をさしていただきます。
 錦織先生には、親会社の指導とおっしゃいましたけれども、具体的にどういうことをお望みになっているのか。例えば、どうしても低賃金だから少しコストを上げてくれというようなことを執拗にやれば恐らくその会社は切られてしまうでしょうし、それから納期の問題が盛んに出ましたけれども、納期がおくれればあの会社はだめだというようなことで切られてしまうような気がしますね。それから、受注量が一生懸命ふえてもコストを下げられて利益の方が余り上がらないというような問題が出てくると思います。その親会社の指導ということを要望されるのに、具体的にどういう方法があるのかということです。
 それから春山参考人には、今私たちこの調査会で、これから余暇問題が非常に大きな国民的テーマになるというんで一生懸命勉強していたところに、お話を聞いていまして何かちょっと冷や水をかけられたような相当な、余暇どころじゃないよと、我々がつかんでいる労働者の生活というものは実態はこうだということで、そういう点では大変いい勉強になったんですが、よく予算委なんかでも質問したりしますと、賃金の問題とか労働契約の問題、これはすべて労働者と雇用者の両方の関係であって、政治はそれほど介入すべき問題ではないというような答えが時々返ってくるんです。労働基準法はありますけれども、春山参考人としてはもっと罰則的な意味で国家が規制すべきだとお考えになっているのか、時代の趨勢で徐々にそういうものは改まってくるから、早急なそういう罰則制度はとらない方がいいとお考えになっているか。
 それぞれ一問ずつお答えいただければありがたいと思います。
#65
○参考人(錦織璋君) 中小企業にも大変いろいろございまして、独自の技術あるいは分野で卓越したものを持っておりますれば、親会社に対しましてもかなり強いことが言えるわけでございますし、その要求も通るわけでございます。しかし、かなり多くの部門ではそれなりの技術レベルは持っておりますけれども、どうしても納期コストについてはいつでも不満があるわけでございまして、我々も定期的に下請けの方々と会合を持ってその
要望を承っているわけでございますけれども、いつでもこの納期コストというのが皆さんの要望の中に出てくる問題でございます。
 したがって、このかんばん方式と称する納入方式については、それはそれなりの今日の納入システムということで是認はいたしますとしても、一日のうちに何回も時間決めで納入をさせるというようなことは、逆に言えば大変中小企業にはコストも余計かかってまいりますし、かつまた時間短縮をする幅がその分だけ少なくなってくるわけでございます。極端なことを言えば、トラックの中に荷物を置いておいて、時間に納入して、その工場の近所でコーヒーを飲んで待っているというようなことさえ話を承ることがあるわけでございますので、そういうような仕組みではなくて、ある程度常識的に考えて納入というものは行われるのが当然ではないだろうか。そういう意味で、当局、政府の御指導があれば、中小企業の時間短縮というのはそれなりに前進が期待できるのではなかろうか。こういうことでございます。
#66
○参考人(春山明君) 私は、基本的な考えとしては法三章がいいというふうに理念的には思っております。殺さず、盗まず、犯さずという程度のことでですね。しかし、今日の複雑な社会のもとで、契約自由の原則というのがございまして、契約の当事者が決めたことに公的な機関は介入するなということが言われていたその時代はもう大分前の時代と思っております。今世紀に入ってからは、契約自由の原則を修正することがむしろ労働者の人間的な発達、社会の健全な均衡のとれた発達の上で必要だという立場に立って、例えば労働者保護法であるとか社会保険法というものが充実をされてきたと思っております。
 したがって、それらの法律につきましても、最低規制条件は厳格に守らせるということが私は大事なんだと思っておるんです。例えば、今親企業と下請企業のことが出ましたけれども、下請代金支払遅延等防止法というのがございますけれども、台風手形、お産手形などというのが野放しになるようなことはやっぱり下請業者にとっては是正をしてもらいたいと思いますし、また労働条件で申し上げれば、長時間の残業労働に対する賃金が一銭も払われない、嫌ならやめてよそへ行ったらいいじゃないか、こういう労働基準法違反の実態などは本当に厳しく取り締まられるべきだと思います。基準法上は二倍の時間外手当を払ってもいいという規定まであるんですから。
 それから、最低賃金の規定がございまして、地域包括最賃が決まっておりますけれども、それは普通の労働者が生活できる基準よりはるか下でございます、私ども体験事例というのを幾つも持っておりますけれども。その低い最低賃金すら守られていない労働者が、労働省の統計ですと百八十万人我が国におるのでございます。そういうのを放置しておくということはこれは不適切だと考えます。また雇用保険、失業保険は今全面適用ということになっておりますけれども、私どもがいろいろな政府統計を子細に検討したところ、数百万人がまだ未適用という状況があります。これは失業した場合、生活の当てがなくなるわけです。ですから、そういう最低労働条件、生活に深刻な影響を及ぼす問題については、現にある制度を厳しく適用するということが当然のことと思っております。
 人の労働力をただ働きさせるというのは、言ってみれば泥棒です。泥棒は百円だろうが千円だろうが泥棒に変わりありません。そういう厳しい感覚を私は労働関係でも社会的に持つ必要があるし、その面で最低規制条件という点で、政府は私どもから言わせれば怠慢である。それは人が足らないとか予算が足りないとか、それをつくっておるのは国会だとかという政府の逃げ道もあると思いますけれども、それは基本的にはもうと為政者の行うべきことがやられてしかるべきだというふうに考えております。
#67
○平野清君 どうもありがとうございました。
#68
○会長(長田裕二君) 以上で両参考人に対する質疑は終わりました。
 錦織参考人、春山参考人にはお忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等は今後の調査の参考にさせていただきます。お二人の参考人に対しまして調査会を代表して厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時六分散会
ソース: 国立国会図書館
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