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1985/03/20 第104回国会 参議院 参議院会議録情報 第104回国会 予算委員会公聴会 第1号
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1985/03/20 第104回国会 参議院

参議院会議録情報 第104回国会 予算委員会公聴会 第1号

#1
第104回国会 予算委員会公聴会 第1号
昭和六十一年三月二十日(木曜日)
   午前十時三分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 三月十九日
   辞任          補欠選任
    松岡満寿男君      村上 正邦君
    宇都宮徳馬君      田  英夫君
 三月二十日
   辞任          補欠選任
    坂元 親男君      石井 一二君
    倉田 寛之君      宮島  滉君
    吉川 芳男君      長田 裕二君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
   委員長          安田 隆明君
   理 事
                遠藤 政夫君
                志村 哲良君
                桧垣徳太郎君
                降矢 敬義君
                水谷  力君
                和田 静夫君
                太田 淳夫君
                佐藤 昭夫君
                井上  計君
   委 員
                岩動 道行君
                石井 一二君
                石井 道子君
                石本  茂君
                岩本 政光君
                海江田鶴造君
                梶木 又三君
                金丸 三郎君
                関口 恵造君
                田中 正巳君
                林 健太郎君
                宮澤  弘君
                宮島  滉君
                稲村 稔夫君
                久保田真苗君
                佐藤 三吾君
                高杉 廸忠君
                安恒 良一君
                大川 清幸君
                高桑 栄松君
                中野  明君
                中野 鉄造君
                橋本  敦君
                抜山 映子君
                田  英夫君
                青島 幸男君
   政府委員
       大蔵政務次官   梶原  清君
       大蔵省主計局次
       長        小粥 正巳君
       大蔵省主計局次
       長        角谷 正彦君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        桐澤  猛君
   公述人
       日本労働組合総
       評議会議長    黒川  武君
       帝京大学教授   江見 康一君
       法政大学教授   佐藤昌一郎君
       早稲田大学総長  西原 春夫君
       全国青色申告会
       総連合会副会長  播  久夫君
       海外経済協力基
       金総裁      細見  卓君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○昭和六十一年度一般会計予算(内閣提出、衆議
 院送付)
○昭和六十一年度特別会計予算(内閣提出、衆議
 院送付)
○昭和六十一年度政府関係機関予算(内閣提出、
 衆議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(安田隆明君) 予算委員会公聴会を開会いたします。
 昭和六十一年度一般会計予算、昭和六十一年度特別会計予算、昭和六十一年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。
 本日は、昭和六十一年度総予算三案について、お手元の名簿の八人の公述人の方からそれぞれの項目について御意見を拝聴いたします。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 黒川公述人、江見公述人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。委員会を代表して心から厚くお礼を申し上げます。
 本日は、忌憚のない御意見を承りまして今後の審査の参考にいたしてまいりたいと存じますので、どうかよろしくお願いを申し上げます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 それでは、順次御意見を承りたいと存じます。
 まず、経済・景気動向につきまして黒川公述人にお願いを申し上げます。日本労働組合総評議会議長黒川武君。
#3
○公述人(黒川武君) おはようございます。御紹介いただきました日本労働組合総評議会の黒川でございます。
 私は、せっかくの機会でございますから、当面する経済や景気の動向に関連いたしまして、特に時期が時期でございますので、春闘の問題を絡めましてこれらを中心に意見を申し述べたいと存じます。
 ことしの春闘の特徴は、対外経済摩擦やアメリカとの貿易収支問題とも相まちまして、内需型経済への転換を図るための節目に立っているというところに私はやはり特徴があると思っています。それだけに賃上げや労働時間の短縮が、ただ単に労使間だけの問題ではなくて、国際的にもあるいは政策的にも注目されているゆえんだと思っているところでございます。私たちは、その意味におきましても今、日経連が出しておりますような生産性基準原理によって賃上げを抑制して個人消費をこれ以上冷やしてしまうのか、それとも八%以上の賃上げによって個人消費を拡大して内需主導型経済へと誘導するのか、日本経済の置かれた現状を考えればその結論は明らかであると思いますし、私ども積極的な経済運営を既に昨年の暮れ政府に要求をいたしたところでございます。
 次に、私どもの生活の実態について参考までに申し上げたいと存じます。
 政府、これは厚生省でございますけれども、昨年九月に実施いたしました国民生活実態調査によりますと、一九八〇年から八四年までの五年間に、年平均でございますけれどもGNPは三・八%ずつ伸びたわけでありますが、これに対しまして私どもの実質賃金は一・五%平均しか伸びませんでした。これはこれまでに経験したことのない最悪のものとなっているわけでございます。このことは経済成長に見合った公正な成果配分がなされなかったためでございますし、労働分配率の低下となってあらわれているわけであります。もちろん、このことには私ども労働組合の力不足もあったということは当然認めていかなければならないわけでありますが、勤労国民の消費は伸びませんで、その生活は大変重苦しいものになっておるわけでございます。
 また、これも国民生活実態調査によりますと、一世帯当たりの平均所得は大体税込みで四百七十二万七千円となっておりますけれども、これから税金とかあるいは社会保険料が約六十万円差し引かれ、いわゆる可処分所得というのは大体四百十二万円ということになるのでございます。これを年代的に一番大変な四十歳代の平均で見てみますと、可処分所得は約四百四十五万円、こういうことになってまいります。
 そこで問題は、支出はどうなるかということでありますけれども、特に大きなものに、この年代の人たちにとっては教育費と住宅ローンがあるわけでございます。文部省の調査によりましても、大学生を一人持つと年間の費用は、自宅から通学をしている学生でも、学費を含めまして大体一人百九万円必要である。これが東京に下宿をさせて私立の大学に入学した場合の費用は百七十九万円、高校生の場合でも私立ては約五十万円が必要だと報告されているわけでございます。住宅ローンにつきましては、金融公庫利用者の一カ月の平均返済額は七万一千円といわれておりますし、これまた家計を大きく圧迫するものとなっているわけでございます。
 私ども労働組合がナショナルセンターの枠を超えまして全民労協、正式には全日本民間労働組合協議会、こう申しますが、全民労協という組織をつくっているわけでございますけれども、ここで出した資料の合い言葉に「あと一部屋と九万円」というのがございます。これは具体的に申し上げますと四十・六歳、四人家族、これで一カ月の総収入が大体現在時間外等を含めまして約三十四万円にすぎません。そこで、幾らかゆとりのある生活をするには七万円から九万円欲しい、こういったささやかな生活像が「あと一部屋と九万円」、こういう実は合い言葉になっておるわけでございます。
 御存じのように、我が国の高学歴社会といったものはこのような苦しい負担の中から実現しているのでございますし、そのことが高度に発達した工業化を支えていることを考えますと、その成果というものは当然労働者にも正当に分配されるべきであると考えておるわけでございます。
 次に申し上げたいと思いますのは、このところの急激な円高の問題についてでございます。
 G5以降の政策的な協調介入によりまして、円高はかつて経験したことのないようなスピードで百七十円台に相なりました。この影響を強く受けることになった経営基盤の弱い中小企業では受注ストップとかあるいは単価の引き下げなどといった状況が既に出てきています。政府もそれなりの対策は打ち出しておるのでありますけれども、融資などの救済策が中心でありまして、どちらかというと後追い的なものになっておると思います。もっと中小企業の場合には、あっぷあっぷしているわけでありますから、積極的な保護や規制とあわせて雇用対策の強化をぜひ政府に要求を申したい。雇用対策こそ強化されるべきではないかと思っておるところでございます。
 そして、国民生活の面から考えますと、円安の場合とは対照的に、諸対策が円高の場合にはちょっと遅いというふうに思われるのでございます。私どもの生活実感からいたしますと、円安になりますと直ちに輸入関連は価格にはね返ってまいりますし生活を直撃しているわけでありますが、円高の場合にはそのメリットはなかなか目に見えて出てこないという実態がございます。この際、内需拡大策とも関連いたしまして円高に対する差益還元のルールを確立すべきであると考えます。
 次に、賃上げとも関連いたしまして減税や税制の問題について申し上げたいと存じます。
 衆議院の予算委員会におきましても大きな問題となった減税の問題は、残念ながらことしは実現しそうもございません。しかし、税金に対する国民の関心は非常に強いわけでございまして、不公平の是正やあるいは減税を求める声は非常に大きなものとなっているわけであります。新聞報道によりますと、勤労者の八五%が現在の税制に不満を持っていることが判明をいたしました。先ほど申し上げましたように、私どもでこしらえております全民労協の試算によりましても、賃金が一%上がりますと税金は二・五%はね上がるようになっているわけでございます。このことを見ましてもいかに税負担が重いものであるか、同時に減税がどれほど必要であり、いかに切実な要求であるかがおわかりいただけるものと存じます。
 御承知のように、内需拡大との関連で政府の二つの諮問機関による報告が出されておるわけでございます。つまり、総理大臣の諮問機関であります経済審議会は、いわゆるリボルビングにおきまして、経済成長の成果を賃金や労働時間の短縮に適切に配分すべきである、こういったことを明確に求めておるわけでございますし、通産大臣の諮問機関であります産業構造審議会は、日本の賃金上昇率は労働生産性の上昇に比べて相対的に低い水準にとどまっていると指摘をして、これと同時に、年間総労働時間は千九百時間以内にまで引き下げる必要がある、こう述べまして、完全週休二日制が実施されるならば三兆円の消費拡大の効果があると、こう指摘しているのでございます。これはまさしく総理大臣や通産大臣の諮問機関の報告でございます。政府はもっと積極的に賃上げ問題や労働時間短縮問題に取り組むべきではないかと思うところでございます。
 五月の先進国首脳会議を前にいたしまして、四月には労働サミットが行われるわけでありますし、その際にはホスト国の総理大臣である中曽根総理と各国の労働代表が会談をすることになっておるわけでありますけれども、今私の手元に入ってきておりますOECDのTUAC、これは労働問題諮問委員会でございますが、このまとめによりますと、ここに私きょう持参いたしましたけれども、何と十一カ所にわたりまして日本の働き過ぎであるとかあるいは労働条件の悪い面、低賃金、こういった点に言及いたしまして、最後には、どこでどういうふうに伝えられたのか知りませんが、中曽根総理の言といたしまして、自分だけがいつもゲームで勝ち続けていれば、いつかはだれも一緒に遊んでくれなくなるのでありますと、こういうふうに実は報告書が結んでいるのでございます。
 確かにここ数年、少しずつではあったにいたしましても、名目賃金が上昇したことは事実でございます。しかし、一九七九年から五年間の一世帯当たりの実質消費支出の伸びは〇・二%にすぎません。ほぼゼロと言えるものでございます。しかも、この間のGNPは年率にいたしまして三・五%のペースで伸びたのでございます。そして、さらに政府は財政再建の名のもとに福祉や教育予算を一律に削減をする、あるいは公共事業や補助金もカットするなど、内需型経済への転換とはおよそ違った財政経済政策をとってきたと私どもは考えておるところでございます。子供の教育費と住宅ローンに追いかけられております国民の生活というのは、新聞報道でも出されておりますように、エンゲル係数が三〇%を割った、もう節約の限界に来ておるわけでございますが、勤労者は老後の生活の安定を求めて、生命保険を初め各種保険の掛金が年間二十万円にも達する現状になっておるわけでございます。このことは政府の政策にもなお問題なしとは言えないと思うのでございます。
 五月に行われる先進国首脳会議では、当然国際協調の立場から日本は内需主体への経済の転換を余儀なくされるだろうと思います。そして、そのためには何をおいてもGNPの六〇%を占める個人消費を拡大することが先決だと思います。私どもが常々その意味で不満に思っておりますのは、ことしの場合には内需拡大と言いながら、政府の責任であります公務員関係の給与改善費を計上しなかったこと、また毎年のように人事院勧告や仲裁裁定を政争の具にするようなことはこれから一切やめてほしいというふうに希望する次第でございます。むしろ当然必要な人件費こそ防衛費よりも優先されてしかるべきだと考えます。
 勤労者の生活向上なくして社会経済の発展はあり得ないと思います。私たちの賃金闘争や労働時間の短縮闘争といったものは、直接的には労働者の生活改善を目指すものではございますが、同時に日本経済にとっても大きな役割を果たさなければならないものであること、そして特にことしはそのことが重要な意味を持っていることをここに強調しておきたいと存じます。
 御清聴大変ありがとうございました。
#4
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 それでは次に、社会保障につきまして江見公述人にお願いを申し上げます。帝京大学教授江見康一君。
#5
○公述人(江見康一君) ただいま御紹介いただきました江見でございます。
 私は、福祉予算ないしは社会保障予算の考え方ということにつきまして意見を述べたいと思います。
 ここ数年来、財政再建・行革路線というものが一方にございまして、他方、高齢化社会の進行に伴う財政需要の増大テンポ、こういうのがあるわけでございます。この両者をいかにうまく調和してその福祉需要を充足するか、これが基本的な命題になっていると思います。そのようなことに対してこの政策意図を数字の上であらわしたものが予算でございますが、六十一年度予算を見てみますというと、従来の概算要求基準に基づくシーリング方式というものがもはや限界に来ているのではなかろうか、そういうことを感じさせられるわけでございます。
 財政は、言うまでもなく歳入と歳出の関係で決まるわけでございますが、福祉予算につきましては、これまでの実績に基づきまして制度の面からある一定の大きさが決められているわけでございますが、特に福祉の場合、例えば年金などを例にとりますというと、六十五歳から国民年金をもらえるということになりますというと、その六十五歳になった方がふえれば当然その分が出ていくわけでございます。つまり、その適用対象の年齢に到達いたしますと当然にそれがふえていく、そういうことでございますので、当然増ないしは自然増と、こう呼ばれているわけでございます。
 それから、やはり生活を取り巻くいろんな環境条件あるいはまた技術の進歩、こういうものがございますので、それに加えて新規増というものも考えなければならないと思います。例えば寝たきり老人がふえる、そういう方々をどうするかというようなことで、デイケアであるとかショートステイであるとかといったようなことで何とかこういう方々に対応しよう、こういうことがございますから、この当然増と新規増をいかにこなしていくかということが命題であるわけでございますけれども、歳入の規模が、つまり予算規模がいわゆるシーリング方式で決められておりますというと、その両者をあわせるのに大変な無理をしなければならない、こういうことになろうかと思います。
 そこで、どういう無理をしなければならないか、あるいはしているかということでございます。
 まず支出の面では、よく言えば効率化あるいはまたむだを省くといったような形で支出の面の抑制をする。例えば給付の削減というようなことで、健保の本人一割負担といったようなことは給付の削減になるわけでございます。それ以外に、運用方法を何とか工夫するとかあるいは遊休しているものをできるだけ活用するとか等々、いろんな形でもって節減をするということが一方にある。
 それから収入面では、収入をふやすことはできませんので、何とかそれを分散させるという肩がわり、どこかに肩がわりしてもらおう。例えば国の負担を減らす、地方へ機関委任事務の権限を移譲する、そして補助金を減らす、こういうようなやり方、あるいはまた制度の統合一元化といったようなことで制度面を効率化させることによって財源を捻出しよう、こういうような方法。さらに受益者負担を導入して、例えば先ほどの健保本人一割負担もそうですが、今回の老健法の改正に伴う入院、外来の患者負担というものがあるわけでございます、等々いろいろな収入面、支出面におけるやりくり算段をいたしまして何とか数字上つじつまを合わせだというのが今回の予算ではなかろうか。
 問題は、そのようなつじつまを合わせたことがどこかに無理を生じていないかどうか。その無理と申しますのは、それが福祉の後退ということにつながっていないだろうかどうだろうか、あるいは事の手順に不十分な点はなかったであろうかということでございますが、ここで福祉の後退と申しますのは、負担感とか圧迫感といったようなものがあって、それが通常の支払い能力を超えるものでなかったかどうか、あるいは給付が基礎需要を満たしてくれないというようなことがなかったかどうか、あるいはまたそのことによって早期の受診が妨げられるというようなおそれはないだろうか、そういうことを十分確かめた上で初めてこの予算の評価ができるわけでございます。
 それと、やはり両者のつじつまを合わせるために、例えば厚生年金あるいは政管健保からも借金をするといったような形になっておるわけでございます。そういうようなやりくり算段を見ておりますというと、やはり根本的には福祉予算における単年度主義とそれから福祉の長期継続性というものとの間にどうも無理があるのではなかろうかというような感じがいたします。
 歳入の中心は租税であります。租税の中心は直接税であります。直接税の中心は所得税と法人税であるわけでございますが、そのような税のGNPに対する弾力性というものがございます。GNPが何%伸びれば税収が何%伸びるという弾力性というものがございますけれども、法人税、所得税を考えてみればわかりますように、景気の上がり下がりで非常に影響を受けるわけでございます。つまり、景気がよくなれば税収はふえるけれども、景気が悪くなると税収は減る、景気の動向によって税収が大きく動くという性格がございます。
 ところが、出ていく方は景気の上がり下がりで動くものではございません。景気がよくなると病気がふえるとか、景気が悪くなると減るとかといったようなものでなくて、そういう景気の変動によって伸び縮みすること一なく、これは人口がふえ、制度の下支えによって年々じりじりふえていくのが福祉予算の性格であろう、このように思います。
 したがって、収入を規定している要因と、それから安定的に伸びていかざるを得ない支出面の福祉の性格とがどうもかみ合ってない。そのことがいろんなところで無理を強いることになるのではなかろうか、こういうふうに思うわけでございます。したがって、支出の方が着実に安定的にふえていくのであれば、それに見合う安定した形で入ってくる財源というものは一体どういう形の財源が望ましいのであろうかということについて本格的に考えなければならない時点に来たのではなかろうかというふうに思うわけでございます。
 世上、社会保障特別会計ということについての意見が出始めておるようでございますけれども、この問題につきましては、財源を何にするのかあるいは今の社会保障予算のどこまでをカバーするのか、例えば年金だけにするのかあるいは老人保健と年金をカバーするのか、あるいは社会保障全体をカバーするのかというようなことによって財源の手当ての仕方も変わってくる。
 そこで、そういう社会保障特別会計といったようなものをどう考えるのかという問題に一つぶつかっておるということが第一点でございますが、この機会にやはり国と地方との福祉における機能分担、これを考えるべきではなかろうか。国はやはりナショナルミニマム、国民全体についてそろえる国民としての最低のレベルを確保しなければならないという要請がございますので、例えば年金のように同じにしなければならない。例えば基礎年金というのは日本国民だれしも同じである、それから生活保護のようなものはこれはもうやはり国の義務としてそれを支えなければならない、こういうものは当然国の分担だろうと思うんです。
 ところが、老人福祉とか児童福祉といったようなものはそれぞれ地域地域で特性があって、あるいはその土地のいわゆる伝統的な風土あるいはまた慣習、あるいは地方のローカルカラーと申しますか、そういったようなものがありますので、国の方で一律にこうしなさいというのではなくて、それぞれの地域が自分の地域に一番適した方法はどういう方法であろうかということを自主的に考えるというのがいいのではなかろうか。例えば在宅とそれから入所ケアといったようなものの組み合わせは我が町ではこの方がいいんだ、あるいは我が村ではこちらの方がよろしいといったような選択があるのがいいのではなかろうか。つまり、この点について地方自治体の創意工夫をお互いに競い合うということがよろしいのではないかと思うわけでございます。
 医療はちょうどその中間に私は考えておるのでございますが、いわゆる国全体で考える面とそれから地域特性に基づいて考える面と両方あると思いますので、もしその中間だとしますというとやや広域圏、府県単位ぐらいで問題を考えるというのがよろしいのではなかろうか。要するに国と地方との機能分担をこの機会に真剣に考えるべきではなかろうかと思うわけでございます。
 それから、やはり人生八十年時代に入っておりますので、我々のライフサイクルが非常に変わってきております。福祉にしろ社会保障にしろ我々の変わったライフサイクルに合うような形にもう一度再編成、再組織しなければならない。こういうふうに思うわけでございます。
 事柄を老齢保障に限って申しますというと、やはり最初は雇用だと思うんです。定年後まだ元気で働ける、そういう段階の保障というのはやっぱり雇用保障、働きたい方に働く場を確保するという段階が第一段階である。それからやがて年金の方に比重が移っていく。さらに年をとれば保健医療、つまりヘルスの方の保健医療、それから福祉というふうに重点が移っていく。だから、老齢保障というのは年齢の進みに従って、そのときそのときの年齢に最も必要な保障内容は何であるかということを考えながらこれを上手に組み合わせていく、これが老齢保障というものではなかろうかというふうに思うわけでございます。
 それから、社会保障と私的保障との関係をどう認識するかということがございます。
 昨今よく社会保障にもやはり民活導入といったようなことが言われておるわけでございますけれども、果たしてその民活導入というのが社会保障とどうなじむのかといったような、社会保障の守備範囲というものをどう考えたらいいのかという問題が当然議論されなければならないと思います。
 最後に、結論的に申しますというと、やはり社会保障あるいはまた福祉というのはそのときそのときの都合でもって決めてはいけない。やはり長期的な展望というものが必要であろうかと思います。つまり、二十一世紀の日本の福祉のイメージは、あるいは福祉社会のイメージはどういうものであるのかということを遠景に眺めながら、今打つ手がそのような福祉社会へのあるべき姿に一歩一歩近づいている布石なのかあるいはそうではなくて逆の布石なのか、その点を十分確かめなければならない。要するに、高齢化社会を福祉社会に転ずるということが福祉予算の基本的な理念でなければならないと思います。
 それで、二十一世紀まであと十四年でございます。だから、そのときに老年者として六十五歳を迎える方は今五十歳の方、あるいは二〇一〇年に六十五歳を迎える方は今四十歳の方というふうに考えますというと、いわゆる今の老齢者あるいはまた高年者に対する保障の考え方と二十一世紀に高齢者になられる方のニーズとはおのずから違うだろうと思いますので、その辺のことも配慮して長期的な計画を立てなければならない。そして、その長期的な計画の一環としてその年度その年度の福祉予算が位置づけられるであろう、こういうふうに考えるわけでございます。
 以上です。
#6
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 それでは、これより質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#7
○石井道子君 石井道子でございます。
 きょうは、公述人の皆様方、大変お忙しいところをわざわざ公聴会のためにお出かけをいただきまして心から感謝を申し上げる次第でございます。また大変有意義なお話も伺わせていただきまして心から感謝を申し上げる次第でございます。
 我が国が非常に高齢化社会を迎えたということになりまして、また財政再建の厳しい時代の中でさまざまな行財政改革が行われているわけでございますけれども、特に厚生省の予算につきましては非常にその点の苦労が要るわけでございます。
 まず、江見公述人にお伺いをしたいと思うのでございますけれども、予算のゼロシーリングが始まりましたのが昭和五十七年でございます。それ以来毎年当然増、自然増、新規増とか、そのようなことで五十七年には約七千億、それかう五十八年には八千億、五十九年には九千億、六十年には六千五百億、そして六十一年には一兆五千億の当然増が生じたわけでございまして、これを何とかゼロシーリングあるいは概算要求基準に合わせるための努力が続けられてきたわけでございまして、私もそのような予算編成の過程に携わらせていただきまして、大変に厚生省といたしましても涙ぐましい努力をしてきていたのではないかと、そんなふうに受けとめているわけでございます。
 その予算を切り込むための合理化、効率化ということの中で、また制度改正がいろいろ行われております。五十九年には健康保険法の改正がございまして、本人の一割負担ということが行われましたし、また六十年には年金の改正が行われ、そして補助金の一割カットということも行われたわけでございます。そして六十一年度には、やはり引き続き補助金のカットということと、また厚生年金の国庫負担の繰り延べということも行われようとしておりますし、また老健法の見直しも行われるわけでございまして、非常にさまざまな多くの制度改正をしながら努力してきていると思うわけでございますけれども、押し寄せてまいります高齢化の波を前にいたしましては焼け石に水のような感じがするわけでございまして、ここら辺で、先ほど江見公述人がおっしゃっていらっしゃいましたように、新しい二十一世紀を展望した制度を根本的に見直す必要が出てきたのではないか、そんなふうに思うわけでございます。
 そのような中で、厚生省が行ってまいりましたこのような制度改正というものに対して、江見公述人はどのように評価をされますでしょうか。
 それから、このまま何年も続けていきますと、社会保障予算の編成というものが極めて困難でございますし、社会保障の実質的な水準の低下を招くことにもなりかねないと思うわけでございます。そんなようなことでございますので、この長寿社会に備えまして、福祉の水準を維持し、そして国民すべての生活の安定が図れるようにするために、来年度の予算を組む場合に社会保障予算の練成に対してどのような手法をお考えになりますでしょうか。そのことをまずお伺いをしたいと思うわけでございます。
#8
○公述人(江見康一君) 先ほども申し上げましたように、やりくり算段と申しますか、つじつま合わせというものの予算は昭和六十一年度の予算編成で限界に来たのではなかろうか。ですから、今までのようなやり方でこの六十二年度の予算はなかなか困難である。例えば借金で厚生年金から借りるとか政管健保から借りるとか、そういったようなことがいつまでも続けられるというわけのものではないわけです。
 そこで、前増岡厚生大臣が御退任間際に社会保障特別会計というものを真剣に考えてくれないか、こういうことがあったわけです。つまり、社会保障関係の予算を別枠にすることによって、シーリング方式からの抑えと申しますか、切り込みから脱却する、こういうことで社会保障特別会計というものが提案されているわけです。
 だから、この小さなところを幾らいじくっても、今おっしゃったように迫りくる高齢化社会の波にはなかなか十分な対応ができない、ここは制度の抜本的な見直しをしなければならない、そこまで事態は来ている。その一つが社会保障特別会計の設置でありあるいは制度それ自体の抜本的な見直し、年金の方の統合一元化あるいは医療保険の方の統合一元化という、制度それ自体を抜本的に見直す、あるいは先ほど申しましたように、国と地方との機能分担を明らかにする、そういうような基本的なところに手をつけないと、もう社会保障予算の組み方が非常に無理が出てきておる。
 だから、ことしかなり無理をしたわけでございますけれども、来年度はさらに無理をしなければならない。そこで、ことしはぎりぎり福祉の後退と言われないようにいろんなところで配慮はされておると思いますけれども、来年度の予算編成においては福祉の後退にならざるを得ないような羽目が出てくるのではなかろうか、このように心配するわけでございます。
 それで、具体的にどういうふうに予算を組むのかということについての具体案は持ち合わせておりませんけれども、基本的に申しますというと、いわゆる収入面、支出面でのそれぞれの合理化は限度に来ていると思われるので、制度そのものを抜本的に見直すという段階が来ているのではなかろうかという大まかな答えになろうかと思います。
#9
○石井道子君 ありがとうございます。
 そのようなことで非常に難しいときにあるわけでございますけれども、社会保障の中で特別会計を設置した方がよいというお話も出ておりました。このことも前厚生大臣の増岡先生が唱えられまして、そして非常に適切な御意見ではないかと思うわけでございまして、特別会計をつくる場合の財源的なもの、そしてそこに入るいろいろ社会保障の区分けがございますけれども、福祉、年金、医療、そのようなものをどのような形で扱った方がよろしいのか、その点についてお伺いをしたいと思うのでございます。
#10
○公述人(江見康一君) ただいまの御質問は、社会保障特別会計というものの具体的な姿というものについての御質問だろうと思います。
 これにつきましては、そういうような名称が出てきたばかりでございますし、なお厚生省当局でもあるいは大蔵省当局でも今後その問題についていろいろ議論をなさるかと思うわけでございますが、先ほど申し上げましたように、社会保障の給付が、あるいは福祉が安定的に確保できるようにするということが大限目でございますので、それについてシーリング方式からその部分だけを切り離して別建てにして、そして福祉に被害がないようにしなければならない。問題は財源との組み合わせだろうと思うんです。
 そこで、直接税よりは間接税の方が景気への弾力性というものが小さいから相対的には安定して収入が確保できる。問題は、間接税の中のどの部分を社会保障特別会計の給付に見合う財源と考えるのかということでございまして、かつて出ましたような付加価値税、それも所得型とか消費型とかいろいろあるようでございますけれども、そのどれにするか、それぞれのメリット、デメリットといったようなものを十分検討していただかなければならないのではなかろうか。
 それで、今の社会保険型の日本の社会保障が、いわゆる租税による、付加価値税による財源によって賄うという形に移行するのがいいのかどうかといったような問題もございまして、今の社会保険料方式のメリットというものも捨てがたいものがあるわけですね。それが租税にかわるという場合に、やはりメリットとデメリットというのは両方あると思いますので、その辺も十分踏まえた上で議論しなければならない。要するに、社会保障特別会計というのは財源との見合いあるいは絡みでその是非が論じられるであろうというふうに思うわけでございます。
#11
○石井道子君 社会保障の中で、年金の場合には年金改正が行われまして基礎年金ということで一元化をされました。その年金の積立金なども非常に運用をされているわけでございますが、この積立金を運用する場合に、厚生省では一部自主運用をしたいということで大蔵省に申し入れたわけでございますけれども、それがちょっと許されなかったわけでございます。今までの厚生年金の積立金累積額というのが六十一年で約五十四兆円にもなるというような数字でございますし、ことし六十一年度も国庫負担の繰り延べということで三千四十億円を繰り延べているというような状況でございますから、毎年四兆円ぐらいの積立金の残があるということで、その辺ぐらいを運用することによって、またこれも有利にできるだけ運用することによって六千億、七千億の収入が得られるのではないかということで、この方法についてのお考えを伺いたいと思うわけでございます。
 それからもう一つ、年金と同時に医療の問題が大変重要な社会保障の役割を果たすわけでございますが、この医療の問題につきましても医療費適正化ということで非常に毎年厳しい財政運営が強いられているわけでございまして、この医療費適正化のために健康保険法の改正を行いましたり、あるいは薬価基準の大幅引き下げを行いましたし、また医療法の改正とか老健法の見直しも行われるわけでございますけれども、このようなことによってある程度成果が上げられている部分と、依然として老人に対する医療費というものは上昇しているわけでございますから、なかなかこれといった決め手にならないというふうな感じがするわけでございます。国保の財政というものが依然として大変厳しゅうございまして、それを救うために政管健保それから組合健保の黒字から財政調整で運用をしているわけでございますけれども、この国保の赤字体質というものを再建する財政再建の方法についてお伺いをしたいと思うわけでございます。
 それからまた、医療保険制度というものが今たくさんに分かれておりまして八種類ばかりございますけれども、それぞれの保険の制度で保険料とか国庫負担、また給付とか、いろんな制度で全部違うわけでございますけれども、本来の医療保障、社会保障という立場で考えてみれば、やはり医療保険の統合一元化ということも必要になってくるのではないかというふうに思うわけでございます。しかし、この保険の規模が、組合の規模が大きくなりますとなかなか管理が不十分でありましたり経営努力が行われなかったり行き届かないというふうな面がありまして、デメリットもあるような気もいたしますけれども、財政的な見地と、それからそのような効率性というふうな面から考えての医療保険の統合の問題についてお伺いをしたいと思います。
#12
○公述人(江見康一君) お答えします。
 最初の問題でございますけれども、いわゆる年金の原資として集められた積立金というものがあるわけでございます。もともと社会保障ということのために集められたお金でございますから、今のようなこういう財源が通過するという事情のもとでは、なおさらこのような有利な運用ということについて大蔵省の御理解を得なければならないというふうに思います。
 それから、医療の適正化でございますけれども、今まではどちらかというと需要を適正化するということで需要面に重点があったと思います。医療保険の改正、つまり健保法の本人一割負担というものは医療需要を抑えるという形のものであったかと思いますが、同時に医療は需要と供給とのバランスで成り立つものでございますから、次は供給面というものの効率化というものを考えなければならないと思います。そういう方向の中で医療法の改正というものも予定されているのではないかというふうに思うわけでございます。
 それから、老人医療の場合、ヘルスの方の保健とそれから医療そのものとそれから福祉というものと三つが一緒になっているわけでございます。今まではどちらかというと、医療という受け皿の中にヘルスもそれから福祉も全部背負っていたという感じがいたしますので、それを福祉は福祉、本当の治療に関する医療とそれから日ごろの健康管理の方の保健と、それをそれぞれ機能分担をしながら、同時にその三つを総合的に運用するという工夫がこれから特に必要になるのではなかろうかというふうに思います。
 それから、国民健康保険につきましては、国民健康保険の財政を救済するためにいわゆる老人保健法における加入者案分率というものを引き上げていくという形になるわけでございますけれども、それは当然社会保障の所得再分配という点から考えて、そういう方向は基本的な方向であろう。したがって、そういうことの中から医療保険の統合一元化あるいは統合一本化というものが出てくるということは、大きな流れとしては是認できるというふうに思います。
 問題は、いわゆる健康管理ということとそれから所得の再分配というこの二つの機能を医療保険が持っているわけでございます。健康管理というのはその単位が狭ければ狭いほど目が届く。つまり、保険の単位が狭ければ狭いほど目が届く。しかし、財政的な安定ということからいえば、できるだけそれは広い方がお互いの資金を融通し合う形になりますので、広い方がよろしい。そういうことでございますので、この健康管理とそれから財政の安定というものを突き合わせた場合、将来の医療保険の単位としてどれぐらいの規模がいいのかということがおのずから出てくるのではなかろうかと思うわけでございますが、国民健康保険の場合市町村が単位になっておりますから、非常に高齢化の進んでいる市町村とそうでない市町村とがございますので、どうも市町村単位で国民健康保険事業をやるというのはやや狭過ぎるのではなかろうか。もう少し広域化して国民健康保険の財政が安定できるような形の財政基盤というものをつくる必要があるのではなかろうかというふうに考えますと、将来は府県単位ぐらいのことも国民健康保険については考えられるのではなかろうかというふうに思う次第でございます。
 以上でございます。
#13
○石井道子君 それから、もう一つお伺いしたいのでございますけれども、今財政が厳しいので、税制の特典で、優遇である程度処置しようというふうな考え方も出ております。それで、ここで税制の見直しが行われるわけでございますけれども、社会保障関係、特に年金所得に対して給与所得の控除が行われておりますので、年金に対する課税問題とか、あるいは民間活力を生かすという形で企業年金とか個人の民間保険の育成のための税制の優遇措置が必要ではないかというふうに思いますけれども、社会保障に関する税制の問題について御意見を伺わしていただきたいと思います。
#14
○公述人(江見康一君) お答えします。
 今までは社会保険料というものと税金というものとが必ずしも総合的な形で見られていなかったと思うのですね。したがって、社会保険料と租税とがどのように複合効果を持つのか、場合によっては在職老齢年金のように租税と保険料とが相重なるためにかえって水準が下がるといったようなこともあるやに聞いておるわけでございますが、これから社会保険料とそれから租税との総合調整ということをやる必要があるのではなかろうか、こういうふうに思います。あくまでもやはり年金というのは老後の生活保障の基盤でございますので、できるだけ実質価値が受け取れるような形にしなければなりませんので、税制もその面からの配慮が必要であろう、その場合にやはり世代間の公平ということがございますので、現役世代で働いている方の納めている税金と、それから年金を受け取る段階の方々の負担と、その両者の間に世代間の公平が維持できるような形の税の控除あるいはまた税の負担でなければならないというふうに思います。だんだん賦課方式になりますと、若い方のお払いいただいた保険料でもって年金の方にそれが回るということでございますので、若い方が喜んで納めていただけるような形のものでなければなりませんので、あくまでも世代間の公平という観点から税の問題も考えなければならないのではなかろうか。
 それから、いわゆる社会保障というものと私的保障というものとの機能分担ということを先ほど申し上げましたけれども、だんだんナショナルミニマムというものが充足されたという認識が一般的に広まりますと、もうこれから新たにふえるニーズについては、これは社会保障の守備範囲というよりは私的な保障という形で手当てした方がいいのではないか、こういう考え方が出てくる。一つは財源が窮迫しておるということが直接のきっかけだと思いますけれども、民活導入という名前で生命保険会社が老人介護保険であるとかあるいは成人病保険であるとか、いろいろさまざまの商品を開発いたしましてそれを売る段階にまいっておるわけでございます。しかし、そういうような民間保険というものが従来の社会保険に取ってかわるものなのか、あるいはそうではなくて社会保険の一部分を肩がわりするのか、その社会保険と民間保険とのドッキングの仕方、これについて十分慎重に検討しなければならない。やはり民間保険が導入されたことによって、それに幻惑されてかえって社会保険の本来の守るべき守備範囲というものが手薄になったのでは本末転倒であろうと思います。特に医療の場合はやはり公的保険というものがあくまでも基本というふうに考えておりまして、それの足らざるところを民間保険で補完する、補うという形の組み合わせ、これがよろしいのではないかというふうに思います。
#15
○石井道子君 どうもありがとうございました。
#16
○安恒良一君 黒川議長、江見先生、お忙しいところ大変ありがとうございました。私の持ち時間が二十四分しかございませんので、失礼でございますが、質問は二人の先生に一緒にさしていただいて、お答えを別々にお願いをしたいと思います。
 まず黒川議長から今あと一部屋と九万円と、大変ユニークな、大変私は興味深く聞かしていただいたのですが、いま一つ「二十一世紀へ向けて生活改善のために我慢は世界で孤立、日本はライフスタイルを変えてみませんか」、こういう白書を出されているようでありますが、きょうの黒川公述人の御見解は主としてやや今年度の問題だったと思います。それらを含めまして少しライフスタイルを二十一世紀へ向けて変えていくということについてのお考えをお聞かせ願えれば幸いだと思います。
 それから江見先生につきましては、先生が最近いろいろお書きくださいました「医療保険の展望と課題」とか「医療費問題を新しく見る眼」、いろいろ御評論を書かれています。そういうこともちょっと読ましていただきましたし、今同僚委員の御質問も聞かしていただきました中で、少しお聞きをしたいのですが、社会保障特別会計について江見先生のお考えはある程度わかったのでありますが、私はやはり国民の最低限度の生活を守る社会保障、福祉というものが景気の変動の影響を受ける、国の予算の規模によって、そのときそのときにされるということの問題があるということの御指摘、そのとおりだと思います。そういうことで少しここを聞きたいのですが、ただその場合に、今も御議論ございましたように、財源をどうするのかという問題が一つあるだろうと思う。そのほかに社会保障費というのは国家予算の三〇%を占めています。これを特別会計にすることそのものがいいのかどうか、国家予算の編成が大きくそこで特別会計になるわけですから、このデメリットもあるのではないかと思います。こういう点とか、そこで問題になりますのは、社会保障の長期給付である例えば先生がおっしゃいましたような基礎年金の部分だけを、もしくは年金の部分だけを特別会計にしたらどうだろうかと、こんな社会保障特別会計については三者三様の意見があると思いますので、いま少し先生のお考えをこの点について具体的にお聞かせ願えればと思います。これが一つであります。
 それから第二番目には、これも先生が社会保障のあり方に今いろいろ触れられましたが、どうも私は戦後昔年金、皆保険ということで、いわば我が国の社会保障は憲法に基づきまして揺りかごから墓場までという形で今日まできたと思います。ところが、先生も御指摘されましたように、最近の動向は民活の導入などという言葉でどうも社会保障の本質から離れて、社会保障、福祉というのはごく一部の貧困者のみを救済すればいいんだという制度に我が国の施策は変わりつつあるんじゃないかという心配をします。
 例えば医療保障制度でも、あのアメリカのメディケートは、先生御承知のように約二〇%の国民、五千万人しかこれは医療保障制度としてアメリカではやっておりません。あとはみな民間保険ですね。日本の場合もどうもまさか厚生省はそこまで考えていないと思うのですが、最近次から次に打ち出される制度を見ますと、中曽根内閣のやり方はややアメリカ型に変わりつつあるんじゃないかなという心配を私はします。ここら辺の点について先生の御感想をお聞かせを願いたいと思います。
 それから、その次は先生が医療保険の統合について今石井先生の質問について触れられました。ですから、そういう先生のお考えの中で、今回の老人保健制度の見直しによる案分比率の改定ですね、八〇から一〇〇にする、こういうことが妥当なのかどうかということ。それはなぜかといいますと、社会保険という名による所得に比例した保険料によって、退職者医療制度もまた公費部分を除いた老人医療費も負担していくことになるのでありますが、今後先生がおっしゃった高齢化社会に、そうすると国庫の負担割合はどんどん減っていくわけです。それが全部加入者案分比ということで将来は一〇〇になるということが本当に公平なのかどうかということを私は疑問に思いますが、この点について先生のお考えをお聞かせ願いたい。
 それから、先生が国保のあり方として現行どおり単位は市町村単位とするが、財政の単位は都道府県単位にした方がいいじゃないか、こういうことをお書きくださっておりまして、きょうもそれに近い御意見の開陳がございました。
 そこでお聞きしたいのは、現在の都道府県による格差をその場合どう考えればいいのか。かなりの格差がございますから、都道府県単位にこれをやった場合、格差の解消についてはどういうふうに先生はお考えなのでしょうか。国保の場合についてお伺いをしたい。
 それから最後でございますが、健康保険の本人の自己負担一割が導入されまして、医療費が本人で一割減少したことは事実であります。それは先生の御判断として、過剰と見られる受診行動が抑制できたとお考えくださるのか、それとも早期受診、最期診断を妨げているというふうに先生はお考えなのか。あるいは診療側の投薬、検査の態度が適正化されたというふうに先生は御判断をなさるのか。
 以上の点についてお聞かせをいただければ幸いだと思います。
#17
○公述人(黒川武君) お答え申し上げます。
 とかく労働組合の使っている言葉というのは難し過ぎる、もう少し口語体でわかりやすくというふうな批判がたくさん出ておりますし、実は二、三日前にタレントのタモリさんと対談をいたしたときも、もう少し平常の言葉を使えませんかと。政治もパロディー化してきたけれども、労働運動もパロディー化されたら困るというふうな実は皮肉も出た次第でございまして、言葉の使い方もできるだけ平易にやわらかくわかりやすいように使わなければいけないだろうという意味で、例えば「ライフスタイルを変えてみませんか」という副題をつけたんだろうと思います。このことの意味は、やはり日本経済にとっても私どもの生活にとっても、今のままだんだん景気が冷え込んでしまう、そして賃金も上がらない、あるいは福祉関係の方もどんどん予算が縮こまっていくということになると、日本経済というのは袋小路に入ってしまって窒息してしまうんじゃないか。逆に言えば、政府はやはり実質経済成長率四%で予算を組んでおるわけでありますから、輸出がだめならば国内でそれをさばいていかないと日本経済というのは窒息してしまう、こういう観点からいったら、私どもの生活の流れもあるいは国の経済の流れも積極的な形に変えていかなければいけないんではないか。それはやはり内需主導型の経済であるし福祉優先型の経済に、よい循環の方に変えていかなければいけないのではないかというのが私どもの基本的な考え方でございます。
 先ほど申し上げましたように、過去十年間日本の大企業の場合には歴史的な成長を遂げたというふうに私どもは思っておりますし、太ったことは間違いないわけであります。私の記憶に間違いかなければ、十年前はたしか自己資本比率は一五%程度だったろうと思います。しかし、現在はもう三〇%ほどにいっておるんではないでしょうか、自己資本比率は。そして、新聞報道やその他の報道を読ましていただきましても、日本経済は今や十九世紀をリードしてきたイギリスを完全に凌駕したというふうに思いますし、二十世紀のアメリカといろんな意味で比較されるような状況になってきていると思います。アメリカのGNPが世界の大体四分の一、二五%、こう言いますし、日本の場合には大体一一%ぐらい、こういうふうに実は言われておりますが、しかし実質的には最近の円高も手伝いまして、大体七、玉とか六、四ぐらいにまでやはりこの差というのは縮まってきているんではないかというふうに思います。
 私たち一般的に、俗に話をし合っていることは、私たちの力が弱かったということも事実なんです。労組の力が弱かったということも事実なんですが、一生懸命働いた結果、外貨がたまった。そしてこのたまった外貨が、例えば労働時間とか賃上げの方に公正に回ったならいいけれども、たまったまま労働時間や賃金の方へ行かずに、いつの間にか春の淡雪のように円高になって消えていってしまったのではたまらないというのが実は私どもの今の実感でございます。
 そして、先ほど触れましたように、やはり気がついてみたら、総理が言うマージャンのひとり勝ちは許されない、世界じゅうからやはり五百億ドルが怨嗟の的にされておる、こういう状況が実は出てきておるわけであります。つまり、私どもが言いたかった我慢の路線というのは、帰結するところが日本の内需不足と外需依存型成長を招いてきたのだと。円高と成長原則に帰結して、今国内的にも国際的にもその意味で孤立しているのだ。だからそういうことじゃなくて、やはり経済の循環をいい方に向けていかなければならないのだという趣旨で「ライフスタイルを変えてみませんか」と、そういう表現を使ったということでございます。
#18
○公述人(江見康一君) ただいまの安恒委員にお答えいたします。
 最初は、社会保障特別会計の問題を考える場合に、既に三〇%あるものを別建てにすることによって別のデメリットというものが起こるのではないかという御指摘でございます。その場合完全に社会保障関係のものを全部まとめて別建てにしちゃうのか、あるいはその中の基礎年金だけ、あるいはまたそれに老人保健を加えて、とにかく社会保障のいわば国家の約束であるその基本的な部分だけを考えるのかということによって考え方は違うと思いますけれども、もし社会保障特別会計をつくるといたしましても、社会保障全部を包括するというようなことになりますと、ほかの面で逆に財政硬直化ということになるおそれも出てくるというふうに私は考えます。
 したがいまして、どの範囲を包括するかということについては御指摘のようなメリット、デメリットを十分考えた上で範囲を考えなければならない。社会保障特別会計という形をとらないで、社会保障勘定という形で、一般会計とのリンクを残した形の考え方というものも代案として考えられるのではないかというふうに思うわけでございます。御指摘のような心配は当然あるというふうにお答えいたします。
 それから国民皆保険、皆年金ということで一通りそれが国民全体に普及した段階で、最近の財政の窮迫化の中で民活導入ということがうたわれておるけれども、だんだんそれが進んでいくというと、社会保障というのは貧困者のみを扱うものに縮小してしまうのではないか、こういう御指摘でございました。
 私は、医療というのは老若男女を問わず、貧富貴賤を問わず国民のニーズを満たすということが医療の本質だと思います。したがって、その本質部分については、これは公的保険がやらなければならない。年金よりは医療の方が民活には相対的になじみにくいというふうに私は思うわけでございます。したがって、民活によって肩がわりし得る部分というのは、例えば付添看護とか差額ベッドなどの差額徴収の部分とか、あるいはまた先端医療についての部分であるとか、あるいは自己負担部分であるとか、あるいは病院に通う交通費であるとかそのほかの周辺の費用であるとかといったようなものは医療の本質というものからは一応区別できるものと考えますというと、仮に民間保険でかわり得るというのはそういう部分であろう。だから、本質部分はあくまでも公的保険でやらなければ医療保障の水準は下がる、こういうふうに私は理解しております。
 それから第三番目の御質問の、老健法の改正に伴う加入者案分率を四四・七から八〇にさらに一〇〇%にということについては、多少疑問があるという御指摘であったと思います。それで、制度を変えないで、財政調整で老人保健の問題は各制度が共同で支えるんだという形でそのような案分率の考え方が生み出されたと思いますが、私は一〇〇%にするということについては少し速過ぎるというのか、四四・七からいきなり八〇にして、さらに一〇〇%にするというこのスピードがちょっと速過ぎるという点と、それから一〇〇%にするのがいいのかどうか、多少いわゆる健保組合の経営努力というものを若干は残しておいた方がいいのではなかろうかというふうに考えますので、つまり何%になるのかということはともかくとして、そういう余地を若干残しておいた方が全く一〇〇%にしてしまうよりはいいのではなかろうか。しかし、将来を展望しますと、一〇〇%にだんだん近づくということは時の勢いだと思いますけれども、今すぐにそのように急がなければならないのかどうか、その点についてのコメントがあるわけでございます。
 それから第四番目の御質問といたしまして、国民健康保険を都道府県単位でやるといった場合に、都道府県格差をどうするのかということがございました。御指摘のように各府県によって高齢化率がかなり違う。例えば島根県とか高知県とか鹿児島県というのは六十五歳以上の割合は既に十年後の日本の姿になっておりますし、埼玉県、神奈川県、千葉県などはまだ十年前の日本の老年人口比率にとどまっております。したがって、府県によって収入と支出とのバランスがかなり違うのではないか、こういうふうに考えられるわけでございますが。現在の市町村単位でやるよりは府県でやった方がベターである。つまり、同じ府県の中でまた市町村で格差がございますから、それを府県単位でやる。国の方でその場合にも当然調整する必要があると思いますけれども、府県単位で調整するよりはその調整の度合いは相対的に軽くて済むであろうという考えでおるわけでございます。
 それから、健保の一割負担というものの効果についてでございますけれども、その効果によって過剰が抑制されたと見るべきかどうか。現に政管健保が黒字に転換したということで、これは今までむだがあったのでそれが抑制された反映であるというような見方があるわけでございます。確かにいわゆるむだと言われるものはあったと思うんですね。したがって、その健保本人一割負担というものによって支出が抑制され黒字がもたらされたということの中には、従来のむだが抑制されたという面もある。しかし、全部が全部そうかというとそうではなくて、その中には本来の例えば早期受診といったようなものが妨げられたという点もある。両方がまじっている。しかし、どちらかというと前者の方が一割負担までは大きかったんじゃないか。これがこれ以上になりますと、過剰の抑制というよりはむしろ受診の抑制ということになるおそれがあるのではないかというふうに思うわけでございます。
 したがいまして問題は、一律に一割負担といった場合に、いわゆるむだが省かれる面と、そうではなくて本来の受診が妨げられる面というものがございますので、その妨げられた方々に対する手当てをどういう形で補完するか。つまり行政としてやりやすいのは一律一斉にやるのが一番いいわけでございますけれども、そういう平均の姿から、それの枠外にある本当に給付をしなければならない方々のデメリットの部分をどう救うかということが同時にセットされればよろしいのではないかと思うんです。これは大変難しいと思いますけれども、今までのところは一割負担の中にはかなりむだの部分が削除されたというふうに私は理解しております。
#19
○安恒良一君 もうあとわずかしかありませんから。
 そこで先生、先生の御論文の中で、小集団における管理メリットを重視すれば、そのメリットを生かしながら、制度間の高齢化率による負担の差を財政調整方式を基本として是正していく、こういうふうにお書きくださっている。その点から考えますと、どうも私は小集団としての管理メリットを生かすという意味で言うと、老人保健制度の案分率をどんどん変えていくということは大変問題があるんじゃないか。その点だけいま一遍ちょっとお聞きします。
#20
○公述人(江見康一君) 今の御質問、もう一度ちょっとおっしゃっていただきたいと思います。
#21
○安恒良一君 先生が医療保険の統合について、小集団における管理メリットを重視する、こういうことをいろいろお書きくださっている。そうすると、そのメリットを生かしながら制度間の高齢化率による負担の差を財政調整したらどうかというふうにお書きくださっているわけですね。そのことと、今回の老人保健法の案分比率を先生も一遍には多過ぎると言われましたが、四五から八〇にしたり一〇〇にすることの問題点、矛盾性についてお聞かせおきを願いたいと思います。
#22
○公述人(江見康一君) そこのところで今の一〇〇%にいたしますと小集団における管理努力ですね、そこがいわば経営努力の余地となるわけでございます。小集団のメリットを生かすということは、同時に一〇〇%ということになりますとその部分が希薄になるのではないかということを考えておりますので、つまり一〇〇%に丸々することのデメリットということと今、安恒委員がおっしゃいましたこととが結びつくわけでございます。
#23
○中野鉄造君 私は江見先生にお尋ねしたいと思いますが、先生の論文の「医療費問題を新しく見る眼」というレポートの中にお述べになっている、GNPの動きとMすなわち国民医療費の動きは連動性が全くないことはないが、しかしこのMの伸び率をGNPの伸び率の範囲内におさめようとする場合、それを単年度の数字によって対応させることは難しい、こういうことをお述べになっております。
 さらにまた、政府予算というものは単年度で収支バランスを考えるけれども、医療そのものは長期的な保健効果を目指すものであるが、医療保険が短期保険となっているのは財政収支バランスの視点からは理解できるけれども、その中にやはり長期的対応性を取り込むことができないだろうか検討の余地がある、こういうようにおっしゃっておりまして、全くこの点については私も同感ですけれども、先生のお考えとして、例えば「長期的対応性を取り込む」ということについていま少し具体的にお考えをお聞かせいただきたい、これが一点。
 近年、国民の間に中流意識というものがかなり定着しつつありますけれども、この中流意識と老人の意識とは切り離して考えてみましても、老い先短いお年寄りの意識の中には、とかく物だとか金でもって事を解決しようとする若い人たちの考えはなじまないということが、先般行われたNHKの、どう生きる長い老後というドキュメンタリーの中でも結論づけられておるようですが、すなわち、お年寄りたちはお金よりも物よりも心を許してお話ができる人のぬくもりとちょっとした思いやり、そういうものをより欲しがっているというようなことになっておりますけれども、そういうところから言えば、従来の高齢者に対する保障の姿勢ないしはフィロソフィーそのものを見直すべきだというようなことになりますけれども、この点についてのお考え、これが第二点。
 先ほど先生の公述の中で、現代における高齢者の対策あるいは高齢者というものと、その二十一世紀の初頭の時代における高齢者あるいはその対策というものはかなりお年寄りの人たちのニーズの面においても違ってくるというお話がございましたけれども、その点について非常に興味深く伺ったわけですが、この二十一世紀の老人のニーズといいますか、そういったようなものについて先生はどのような御想定をなされているのか。
 この三点についてお伺いします。
#24
○公述人(江見康一君) お答えいたします。
 最初の問題は、国民医療費とそれからGNPないしは国民所得との関係でございます。国民医療費は、そのときそのときの医療ニーズに従って、必要なものは必要だという考え方で国民医療費ができ上がっておるわけでございます。これに対しまして、国民所得ないしはGNPは、いわば国全体の支払い能力の最終的な大きさを示す。したがいまして、この必要な医療ニーズと最終的な支払い能力との間を、長い目で見て安定的に調和を保つためにはどうしたらよろしいかということになろうと思うんでございます。
 GNPの対前年増加率というのは、言ってみれば景気指標でございます。景気がいいか悪いかというようなことをマクロ的に見る場合に、GNPの対前年増加率で見るわけでございます。したがって、長い目で見ると両者は連動しておるわけでございますけれども、刻々の変化に対して、ことしはGNPの対前年増加率の伸びが低いから医療費はここで抑えるというような短期的な脈絡をつけてはならないというふうに思うわけであります。したがって、例えば対GNP前年増加率の過去五年間なら五年間の平均をとりまして、つまりローリングシステムで五年ごとにオーバーラップさせながら移動平均をとっていく。その移動平均に沿って、つまり国民医療費をどの程度におさめたらいいかというめどをつけるということが必要ではないか。少なくとも単年度で対応させるというのは、医療の本質から見て難しいのではなかろうかというのが第一点のお答えでございます。
 それに加えまして、医療の効果あるいはまたヘルスの効果というのは教育と同じですけれども、ことし投資をしたから、ことし金を使ったからすぐにその効果がその年のうちに出てくるというものではなくて、我々の健康などにつきましても、若いときに健康管理に十分注意したのでこうして健やかな老後が迎えられるというぐあいに、五年たち十年たちしてようやく効果が出てくるというものがあるわけでございます。したがいまして、保健の、ヘルスの効果を短期的に考えてはいけない。
 ところが、年金は長期保険で、医療は短期保険で、その年にもし病気にならなければ自分の掛けた保険料は掛け捨てになる。いわば火災保険と同じような形の財政収支のバランスが考えられている。しかし、このように高齢化が進むと昔のような、いわゆる働き盛りの人を中心にした短期の考え方でいいだろうか。年金と同じように、医療保険の中にも長期的な要素というものを考慮すべきではなかろうか。だから、我々が毎年、現役のときに払っている医療の保険料の中には、自分の老後の医療に対する財源も一部含まれているんだという考え方に立って、すべてをその単年度で処理するということでなくて、何かそういう長期的な要素を組み込む工夫はないだろうかというのが、恐らくそのときに私の書いた真意であろうというふうに思います。
 それから、第二番日の中流意識の問題でございますけれども、老後の問題は、やはり何といっても健康と経済と生きがいだと思います。この健康と経済と生きがいをいかにうまく組み合わせるかということでございますが、特にその中で生きがいということが最終的な我々の価値理念になるわけでございます。
 結局、人生八十年時代と申しましても、本当に長生きしてよかった、生きていてよかったといったことが思えるような社会でなければならない。その基礎は、やはり人と人との関係、人間関係というものが一番大事であろうというふうに思います。現役の時代は、物とか金とかというものに優先度があると思いますけれども、老後になりますとある程度住む家はある、身の回りのものが調っている、何がしかの年金ももらえる、がしかし、足りないものがある。それはやはり人の心であるということになろうかと思います。
 したがって、例えば田舎のおやじを息子が東京に呼び寄せてデラックスなマンションの中に住んでもらっても、老人は決して喜ばない。むしろ長年住みなれた我が家の近所の雰囲気、環境、それとともに老人の生きがいというものがあるわけで、だから、例えば垣根越しに隣の人に声をかける、あるいは道を歩いていて近所の人にあいさつをする、そういったような日常茶飯事の毎日毎日の生活があって初めて老人の生きがい、支えというものがある。だから、それと切り離して、物と金だけ与えましても本当の保障にはならないのではないかというふうに思いますので、今の御指摘は、大変私どもにも重要な御示唆を与えていただいたというふうに思うわけでございます。つまり生きている以上、自分は社会のどこかにつながっているんだというのが心の支えになる。それが今おっしゃった心の問題であろうというふうに思います。
 それから第三番目は、現在の老人と、それから二十一世紀の老人とでは違う。それに対してどういうふうに見通しを持っておるのかというお話でございました。人間というのは、生まれ落ちてからのそれぞれのヒストリーを持っておるわけでございます。どういうときに生まれ、どういう時代に青春時代を過ごし、そして年老いて今に至ったか、こういうみんなそれぞれの違った歴史を持っております。したがって、今の御老人に対する保障のあり方が、二十一世紀に老後を迎えられる方々にそっくりそのまま適用できるかどうかということについてはかなり疑問があろう。
 まず、人口も変わりますし、人口の年齢構成も違う。つまり六十五歳以上が五%で、真ん中が六〇%で、子供が三五%であったという時代と、年寄りが二二%で、それから子供が一七%で、真ん中が六一%というような社会とではまるで違うわけですね。ですからそういう福祉社会になったときに、どういうイメージの社会が到来するのかということを考えながら、その中で年寄りをどう位置づけるかということについて今から準備をしなければならない。
 それと同時に、疾病構造が変わると思うんですね。今いろいろ人間の死亡率を高めているような疾病も、医学、医術の進歩によって今世紀末に解決できるかもしれない。しかし二十一世紀になりますと、また新たな国民病、例えば慢性肝炎といったような病気がはやるという予測もございます。そうしますと、それに対処して医療の供給構造なり社会保障の供給構造を変えていかなければならない。
 価値観も違う。例えば団塊の世代の方々は今三十七歳から三十九歳になっておりますけれども、その方々が年金をもらい始めるのは二〇一二年から二〇一四年にかけてでございます。その年に一斉に六十五歳を迎える。そのときに果たして年金制度が十分老後の保障にこたえることができるかどうか、そういったようなこともございます。あらゆる意味で、今の老齢保障に対する考え方がそっくりそのまま二十一世紀に通用するというものではないという認識だけは持って長期的なプランを立てていただかなければならないのではないか、このように思うわけでございます。
#25
○中野鉄造君 ありがとうございました。
#26
○橋本敦君 私は、まず黒川議長に御意見をお伺いしたいと思うのであります。
 今年の春闘の特徴がまさに日本経済の内需型への転換の節目にあるというそういう状況の中で、賃上げ、時短は我が国の問題だけでなく、国際的な意味を持つ状況になっているというお話がございましたが、私も全くそう思うわけであります。本当の内需型への経済の転換ということになりますと、議長も指摘をされた産業構造審議会の報告でもありますように、思い切った一つは時短、そしてまた賃上げを含む個人消費の拡大、これがキーポイントになるはずだと思うんですね、ところが、賃上げを多少取っても、そっくり税金で持っていかれますとこれまた意味がございませんから、減税要求と賃上げというのはまさにつながっている根幹の要求だと思うんです。
 この問題について、さてそれでは政府との関係で、政治の場でどのように内需型転換をそういった個人消費支出の伸びを基本にして進めていくか、こうなりますと、政府の方は減税はことしはやらないということですから、これは残念ながら、その点は政府のかたくななそういう態度がある。それじゃ賃上げはと、こうなりますと、政府の見解は、時短問題ではある程度の手がかりを進めておるようですが、賃金問題は労使間の自主的に決定することだから政府はなるべく介入したくないという態度が私ども国会で論議をしても見えるんですね。そうすると、政府は減税はやらぬ、それで賃上げの問題は自主的に決定してもらいたいということで積極的に手をつけない。手をつけないところか、議長がおっしゃったように、今年度は公務員の賃上げに見合う給与改善費も出していないという状況ですから、こういう政治姿勢は、まさに今の時点で考えますと大変問題があると私は思うんですね。
 そこで、春闘はこういう情勢の中で力いっぱい労働組合としては奮闘されるんでありましょうが、賃上げをどう進めるか、個人消費の伸びをどう進めるかということについて政府はどうあるべきか、どういう施策を今とるべきであるかということについて御見解をいただければと思うんですが、いかがでしょうか。
#27
○公述人(黒川武君) 賃上げの問題と減税の問題と時短の問題についてお尋ねがございました。
 私、やっぱり今一番心配しておりますのは、ことしの賃上げが思うようにいかなかったということになりますと、五月のサミットで労働組合の力が不足で春闘も思うようにいかなかった、したがって内需拡大ができなかったと、こういうような言い回しがされるということを実は一番懸念しているわけでございます。ですから、このことについてはせっかく経済審議会のリボルビングも出ておりますし、産構審の答申も出ておりますし、経済企画庁のいろんな考え方等も報告されておるわけでありますから、徹底的にこれを実施してほしいという要求をこれから突きつけてまいりたい、こんなふうに考えております。言葉が適切かどうかわかりませんけれども、そういう意味で言いますと、応援団はことしの場合はある意味ではあるわけでありますし、賃上げについて非常な理解もいただいておるわけです。したがって、肝心かなめの選手がどうもリングに上がらないとか第一ラウンドから倒れてしまうというようなことでは何にもならないわけでありますから、私どももそういう意味で十分ひとつこれから闘ってまいりたいと思います。
 それから、減税についての不満は、一つはやっぱり二百三十五万七千円の課税最低限が上がらないということ、それから所得の捕捉率がもうきちっとされてしまうということですね。それと一〇・五%から七〇%までの税額表といいますか税率表といいますか、これがちょっと上がることによって二階級も三階級もぽんぽん税金が上がってしまうわけですから、こういうことについての問題点もあるわけですね。ただ、御存じのように、昨年度だったと思いますが、私どもがあれほど執拗に減税を要求したにもかかわらず、中曽根総理はこれをにべもなく実は減税はできませんと断ったわけです。ところが、都議会議員選挙の前になったら減税を実施すると言明したわけですね。今回も政府税調を招集して秋までには法案をつくりたい、こう言っています。四百万から六百万の特に子持ちのサラリーマンについて減税の対象にして検討したい、こう言っているわけです。しかし、六月には参議院選挙があるわけでありますから、それまでにはいろんな甘いことを言われておって、さあ参議院選挙が終わったら、秋になったら大型間接税のおつりがきた、こんなことのないように国会の中できちっとチェックしておいてほしいと思います。
 それからもう一つは労働時間の短縮の問題でございます。これも特に非常に重要な問題でございまして、特に中小の場合は非常に難しい問題があると私は思います。今、先生からお話がありましたように、政府はどちらかというと労使が対等で話し合ってほしい、こう言って実は労使の問題だということにしたいわけですね。ところが、中小の場合だったらとてもじゃないがこれは労使だけで話し合いができません。二つの企業があって、片方は労働時間の短縮をして片方は短縮しない。短縮した方はつぶれてしまうわけでありますから、もし今の学校の先生方の、あるいは大学の先生方の議論としてあるとすれば、労働時間を短縮するような企業についてはいわゆる時短減税をするとか、あるいは補助金を出すとか、そういう方法で考えていただかなければこれはとてもじゃないが特に中小の場合にはできないだろう。私たちはやっぱりことしはとにかく五月一日のメーデーがメーデーができて百年と、こう言われておりますから、何としても正月の三が日とそれからメーデー、これを中心にした五月の連休、それと夏休みの大型化、これを何としてもねらっていきたい。
 特にここで私申し上げたいのは、野球じゃありませんけれども、いろんな議論が出てくるんです。プロ野球が、この間も産労懇で議論になりまして、大学の先生も言っておりました。プロ野球のストライクゾーンが変わる、ストライクゾーンが変わるということはピッチャーにとっては低くなるんだから有利かもしれませんけれども、バッターにとっては打ちづらくなるわけだから非常に不利だろう。そうすると、労使の関係というのはバッターとピッチャーの関係だから、お互いにいい方と憩い方と両方あるわけでございまして、審判がきちっとそこのところは明快な判断をしてくれませんとぐあいが悪いわけでございます。
 だから、そういう面でむしろ政府が指導をしていく、あるいは今四十五時間とかいろんな労働基準法研究会の答申が出ておりますけれども、四十八時間で四十年近くやってきたわけですから、今度は四十五時間でまた四十年いくのか、こんなことは何を今さらといった気持ちを率直に私ども持っておるわけでございまして、この段階に来るならばきちっと四十時間労働、それでこそ本当の意味の先進国、そしていわゆる内需型経済への転換、こういうことになるのではないかと思いますから、今先生から御指摘がありましたように、賃金もそれから時短もそれから減税も、みんな同一の機軸の問題としてこの春闘の中で取り上げたい、私はこう思っておるところでございます。
#28
○抜山映子君 江見先生にお伺いしたいと思います。
 社会保障と私的保障ということを言われましたんですけれども、社会保障の方は、先般来国会でたくさんの法案が通りまして、大変にレベルダウンをいたしました。一方、私的保障の方はそれなりの対応がなされるべきであるのに放置されていると思うのでございます。諸外国におきましては、公的保障の柱のほかに企業年金とそして個人の自助自立、こういうように言われておりますけれども、日本において社会保障のほかに私的保障としてどういう政策をとるべきであるか、この点をお伺いしたいと思います。
#29
○公述人(江見康一君) ただいまの御質問は、やはり国のナショナルミニマムというものに対しては社会保障が当然それを受け持たなければならない。それで、通常の保障サービスを超える部分について企業の互助あるいは個人の自助というものを考えなければならない。我々の福祉というものの一番基盤は公助でもって賄う、その上に積み重ねる部分として互助の部分と自助の部分とがある。年金でいいますと、公的年金が一番基礎にあって、その上に企業年金というものが考えられ、さらに個人がめいめい自分の好みとか家庭の事情によって積み重ねる個人年金というものがある。したがって、この三つをトータルして福祉というものを追求する。それぞれ公の受け持つ部分とそれから企業の受け持つ部分と個人が受け持つ部分とはみんな差があるだろう。結局それを全部積み重ねて我々の福祉を求めようではないかという考え方が私自身もあるわけでございます。
 今までは公助中心で、あるいは社会保障中心でやってきまして、ここのところへ来て急に民活導入ということが言いはやされて、特に自助部分について民間の生命保険会社などがどんどん商品を開発してそれを売るような形、体制が整いかけた。問題は、自助部分を個人個人が自分の自主的な努力でやればいいんだ、だから政府はそれに関与しないんだというような姿勢でいいのか。あるいはそれも公助を補完するものであるから土俵づくりだけは、そういう環境だけは整えなければならない。そういう土俵づくりは政府の役割である。あるいは自助部分がかなり広まった場合に、民間の生命保険などが開発する医療保険によって果たして医療の質が確保できるのかどうか、維持できるのかどうかといったようなことについては、財源だけを自助部分という形で任せるのではなくて、そういう面についても国民の最低限の健康と文化的なサービスを維持できるような形のいろんな歯どめ措置が同時に行われるべきであろう、そういうことについては今のところ御指摘のようにほとんどなされていないのではないかという感じがいたします。
 したがいまして、民活導入とかあるいは自助とか、言葉はよろしいわけですけれども、それが社会保障という分野の中で考えた場合にどういう意味を持つのか、あるいはまた、どういう点で政府の役割が自助部分について考えられるのかということについて早速議論が始められなければなりませんし、その対応策が立てられなければならないというふうに思います。
#30
○抜山映子君 ありがとうございました。
#31
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 以上で経済・景気動向及び社会保障に関する意見聴取は終了いたしました。
 一言お礼を申し上げます。
 黒川公述人、江見公述人お二人には、それぞれのお立場から貴重な御意見を拝聴させていただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 午後一時から公聴会を再開することとし、これにて休憩いたします。
   午前十一時五十六分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時二分開会
#32
○委員長(安田隆明君) 予算委員会公聴会を再開いたします。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 佐藤公述人、西原公述人のお二人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして、心から厚くお礼を申し上げます。
 本日は、忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 それでは、順次御意見を承りたいと存じます。
 まず、外交・防衛につきまして佐藤公述人にお願いいたします。法政大学教授佐藤昌一郎君。
#33
○公述人(佐藤昌一郎君) ただいま御紹介いただきました佐藤昌一郎です。初めにおわびをしておきたいのは、どうもきのうから風邪を引いてしまいまして、それでお聞き苦しい点があるのじゃないか、その点はおわびいたしたいと思います。それから時間が限られておりますので、幾つか問題を絞ってお話ししたいと思いますが、不十分な点は後で質疑のときに御質問いただいて、さらに議論を深めるというふうにしたいと思います。
 それでは、まず第一に私がきょう取り上げたい点は、来年度の予算の中で軍事費が大変突出した予算案になっているという点であります。今年度と比べて一般会計全体として予算が三%増でありますが、このうちいわゆる一般歳出は絶対額でマイナスであります。議員の皆様方にこういうことを申し上げるのは釈迦に説法になるかもしれませんけれども、一応計数を見てみますと、軍事費、日本では防衛関係費と言っておりますが、これが六・五八%アップ、それから経済協力費が六・三%アップ、エネルギー対策費は〇・一%アップで、昨年と比べると伸び率は低下して、おりますが、これは恐らく現在の石油事情とのかかわりがあるのではないか。この中で一般会計の中の一般歳出を見てみますと、これは伸び率がゼロでありまして、先ほど挙げました軍事費等三費目で二千四百四十二億の増になっている。一般会計の中で国債費が最もふえているわけですけれども、これは過去の財政運営のツケでありまして、地方交付税については御承知の国税三税の増徴に伴う増加分であります。したがって、全体として予算編成を見ていきますと、政策的なプライオリティーとして軍事費、経済協力費が選ばれているということは明白であります。しかも、軍事費についてはいろんな財政的な操作を行った上での数値であるということを我々はつかんでおかなければいけないと思います。
 それで、しばしば日本では軍事費が少ない、GNP一%以下であるということで、軍事費がいかに少ないかという議論が行われる傾向が多分にあるわけですけれども、昨年この公聴会で軍事費のNATO基準が論議され、これによって日本の軍事費をNATOの基準で算出すればGNPの一・五ないし一・六になるということが明らかにされ、最近では専門家は言うまでもなく、アメリカのマンスフィールド大使もそれを認めているという状況があるわけです。
 先生方恐らく御承知と思いますが、これに若干つけ加えておきたい点は、アメリカのU・S・アームズ・コントロール・アンド・ディスアーマメント・エージェンシーという政府機関が出している「ワールド・ミリタリー・エクスペンディチャーズ・アンド・アームズ・トランスファーズ」という本があります。ここに持ってきたのはその一九八三年の版であります。これを見ますと、NATO定義に関して、クレジットによる軍事装備の購入はNATO諸国では支払い年ではなくて債務の発生した年の軍事費に含まれる、こういうふうに明記してございます。恐らく日本で言いますれば国庫債務負担行為や継続費の一部も含まれるであろうと思います。この基準で日本の場合に幾ら軍事費がふえるかという算定まではしておりませんけれども、国際比較で考える場合に重要な点であろうと思います。
 それからもう一つ、イギリスの軍事問題の研究家であり経済学者であるダン・スミスとロン・スミス――アダム・スミスではありませんが、この二人のスミスさんの共著に「ジ・エコノミックス・オブ・ミリタリズム」(軍国主義の経済学)という書物があります。この本の中で、イギリスの軍事費について次のように述べております。イギリスでは軍事費について三つの主要な計数がある。公共支出白書、国民所得・支出計算あるいはNATOのどれを使うかで定義が異なるからである。政府は対外的には、その同盟国に共同防衛のために本来的に貢献していることを納得させ、敵対諸国には断固たるイメージを伝えるために高額な数値を使う傾向がある。他方国内では、投票者に軍事支出で浪費も過度の支出も全くしていないことを納得させるために、あるいは軍事支出が相対的に低いからそれを増額する必要のあることを納得させるために低額の数値が使われるのである。
 以上のような指摘をしておりますが、我が国では対外的にも対内的にも軍事費を最も狭い範囲に限定して、しかも防衛関係費として計上している。つまり、こういう基準では国際比較をする場合に正確な比較は不可能であろうという点であります。これが第一点であります。
 それからもう一つ、国際比較をする場合の問題点として、ドルが使われるとしますと、その結果、ドルと各国通貨とのレートによって非常に奇妙な傾向が出てまいります。一例を挙げますと、西ドイツの場合、一九七八年のNATOの軍事費増加決定に従って西ドイツでは七九年度にNATO基準の軍事費を五・五七%もふやしました。そして、例年増加傾向をたどっているんですけれども、今二つの時点で比べてみますと、例えばこういう数値が出てまいります。七九年度で四百五十四億マルクの支出で、八二年度には五百四十二億マルクになっております。ところが、これをミリタリーバランスによるドルに置きかえますと、七九年度は二百四十七億ドル、八二年度は二百二十三億ドルという、こういう計数が出てまいりまして、ドルではかえって軍事費の表示額が大幅に減るという、こういう数値が出てまいります。それから、スウェーデンのSIPRIで毎年出しております統計を使ってみますと、これは八〇年のコンスタント価格とレートで比較しておるわけですが、七九年度も八二年度もコンスタント価格で表示をすると余り数値が変わらないというような、こういう結果が出てまいりまして、どの基準で比較をするかによって非常に大きな数字の変化が出てまいります。
 日本の場合でも、七九年度と八二年度を比べてみますと、例えば日本円では四千九百十六億円軍事費がこの間ふえたわけですが、レートでドルに置きかえますと、七九年度平均と八二年度平均で八二年度の方が円安が大幅に進みますので、奇妙なことに、ドルで置きかえますとたった八億ドルの増加にすぎないような結果になってくる。したがって、最近のように円高が大幅に進んでまいりますと、今度はドル表示の軍事費がぐんとふえるということになってくるわけです。したがって、ドル表示で見た場合には大変問題が多いわけであります。
 日本の防衛庁でもしばしばミリタリーバランスの数字を防衛白書等々に計上いたしますけれども、この数値は必ずしも実態を示していないのではないか、そういう疑問を持つわけであります。したがって、日本の軍事費を論ずる場合、特に国際比較をする場合には、以上の点をさらにNATO基準に加えて、今挙げたような点も考慮に入れて正確な比較をする必要がある。そうしませんと、多いか少ないか、どういう傾向をたどっているかということが必ずしも正確に軍事費の面からつかまえることができないということになるからであります。
 しかし、日本の軍事費は御承知のとおり伸び率では世界でもトップクラスであって、絶対額で見ても、先ほど言いました非常に限られた狭い範囲の計上であるにもかかわらず、ベストテンの常連になっている。日本国憲法のもとですらこういう事態が現実に生じてきていて、こういう傾向が今後進むならば、財政破綻の中で国民生活あるいは国民のさまざまな仕事の上でも重大な障害を生み出してくる可能性があると言わなければいけないと思います。
 そして、最近の軍事費の傾向を見ていきますと、何といっても、私に言わせれば、憲法の基本原則を歪曲して、安保条約における対米誓約を土台にして軍事力の強化を図ってきているというのが大きな特徴であろう。そのために他の経費が削減されると言っても過言ではないような財政運営が行われてきております。そして、こういう過程はとりもなおさず安保条約に関する政府の従来の見解すらも次々と変えてきている過程である、これは極めて重大な問題であると私は考えております。安保条約というのは一行も、二言も六〇年の締結時から変わっておりません。しかし、それを土台にした政府の解釈、それから運用が次から次へと大きく転換してきております。
 その特徴を若干提起をいたしますと、一口で言ってしまえば、日米のミリタリーコンプレックスの急展開とその深まりであろうかと思います。それから第二番目に、ずっと政策の決定過程を見ていきますと、軍事の政策論理がそれ自体として貫徹する傾向が顕著に見られるのではないかと思います。
 前者のミリタリーコンプレックスの急展開、深化について申し上げますと、しばしば最近日米統合軍化というような表現もされておりますように、日米での共同作戦体制が急速に深められてきて、しかもそれが従来の解釈と違って、公海、西太平洋から東太平洋、さらにグローバルな規模にまで広がりつつある。これは従来の解釈から見て重大な変更であると言わなければいけないと思います。この背後にアメリカの軍事戦略があることは紛れもない事実であります。
 後者の点は、もちろん前者と密接に結びついているわけですけれども、とりわけ七八年の日米防衛協力の指針、いわゆるガイドラインの決定以降、それに対応する国内体制をつくっていくさまざまな試みが行われてきている。例えば、非常に断定的にといいますか、大胆な問題提起をいたしますと、日米共同作戦に伴う戦時国家体制づくりと言えるような傾向ですね、それが大変強まってきている。−つまり、軍事の政策論理といいますと、軍事の論理と政治の論理を全く切り離して言うわけにはいかないわけですけれども、軍事はやっぱり軍事の論理があります。そうすると、戦争の場合にどういう体制をとるか、その戦争を有効に戦い抜くためにはどうするかというような観点がどうしても前面に出てこざるを得ない。したがって、こういう点から有事立法、さらに国家機密法、さらに今国会に出される安全保障会議の法、これは全体としてやはり軍事体制といいますか、軍事の論理を貫徹させていく方法での政策決定ではないか。さらに、武器輸出三原則を対米軍事技術供与によって風穴をあけていくという傾向が見られておりますし、この中に中期防衛計画が入ってくるわけですけれども、明らかに全体として憲法原理に反する政策が露骨にやっぱり拡大をしてきているのではないか。それでこのことが国民の生活や権利の問題と密接にかかわり合いを持ってこざるを得ないという点です。
 時間がなくなってきましたので急ぎますが、こういう政策論理の根底にあるのは、均衡と抑止という考え方ではないだろうか。それで、今国会だけではなくて国会での議論をいろいろ聞いたり調べたりしてきますと、中曽根総理大臣に典型的にあらわれている均衡と抑止が平和を守っていくという、こういう議論が前面に出てきております。ところが、正確に申し上げますと、この均衡と抑止というのは必ずしもイコールの概念ではないわけで、核の問題に関してとりわけこの均衡と抑止の議論がされておりますけれども、一つだけこの点についてアメリカの国会での議論を紹介しておきますと、いわゆる相互確証破壊という形でマクナマラ国防長官の時代に定式化されたと言われる論理があります。
 ところが、アメリカの軍部の統合参謀本部長の発言によると、アメリカの軍部は、そういういわば相互確証破壊というような政策を採用したことは一度もない、なぜかというと、軍の論理では危険きわまりない論理であるからだ、したがってそういう政策はとらないという発言がありますが、アメリカの場合には、いろいろ調べてみますと、均衡と抑止はイコールではもちろんなくて、均衡では抑止力にならないという考え方なんですね。常に相手よりも優位を保つことが抑止力になるという、こういう議論を展開しておりますから、当然これは相手の力と比べて、それよりもより強い力を持つという政策論理にならざるを得ない。
 したがって、いつも抑止と均衡という考え方は裏側では軍事強化の論理になる。それで、先ほど言いましたように、軍事費の評価やそれぞれの国の軍事力を総体として評価するというのは大変難しい問題が絡んできますから、どうしてもそこで疑心暗鬼になり、不正確なさまざまな情報に基づく軍事力強化が遂行される。したがってソ連の側では、これは公式に言っていることでは、要するにそのパリティを達成することが目的だという言い方をしておりまして、優位は求めないということを公式に言っております。
 ただ本音は、どこまで本音がはわかりませんけれども、そういう論理をとった場合、どうしてもアメリカが軍事力を強化していけばそれに追いつこうとする。追いつこうとすれば当然アメリカはそれよりも優位を求めるという形で、軍拡の悪循環がやっぱり起こってこざるを得ない。特に核兵器の場合には、こういう形でいわば核が三発から五万発を超えるような状況になってきているわけですから、これを断も切っていかなければ本当の核廃絶はできないし核軍縮もできないということになってまいります。
 したがって、そういう論理に固執する限りは、核兵器をなくしていく日本国民あるいは世界の国民の悲願を実現していくことは大変困難である。そのために被爆国として日本は何をなすべきか。真っ先にこういう論理を捨てて、国際政治の面で国内政治の面で、核をなくしていく政策を徹底的にやっぱり追求していくということがなければいけない。
 それで、これに対して一言お願いをしておきたいのは、今、中曽根総理も核兵器廃絶に賛成だと言っておられますので、特にお願いをしておきたいんですが、核戦争の生き証人というのは日本国民であります。それで、今被爆者の方々が核の脅威を各国を行脚して諸国民に訴えております。こういう行動を積極的に推し進めていくために、政府は何らかの援助をすべきではなかろうか。
#34
○委員長(安田隆明君) 佐藤先生、恐縮でございますが……。
#35
○公述人(佐藤昌一郎君) はい、済みません。時間がなくなったので結論だけ急ぎます。
 それで、まだ論点が幾つか残っておりますが、時間がなくなりましたので、最後に一言お願いをしておきたいのは、やっぱり日本の均衡と抑止に基づく理論では、日本の政治や国民が世界で名誉ある地位を占めていくことはできないわけでありまして、あらゆる面で世界の平和と安定に寄与でき、世界の諸国民から信頼され、かつ国民の生活向上に役立つような政策を全面的にやっぱりとっていく必要があるだろう。そのために、この外交、防衛に関して言いますれば、従来の経済協力あるいは対外援助のあり方の見直しとともに、やはり軍事費を大幅に削っていって、日本の国民が世界の平和をリードしていくという、モラリッシュな面でも具体的な政策の面でも世界政治をリードできるような、そういう政策方向に進んでいくべきではないか。そうすることによって日本の権威があらゆる面で高まり、国際的な信頼を一層強めていくことができるのではないかと思っております。
 時間が超過してしまいまして、最後の方がしり切れトンボになってしまいましたけれども、後の議論で不足分は補わさしていただきます。
 御清聴どうもありがとうございました。
#36
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 次に、教育につきまして西原公述人にお願いいたします。早稲田大学総長西原春夫君。
#37
○公述人(西原春夫君) 御紹介をいただきました早稲田大学の西原でございます。
 ただいま御審議中の昭和六十一年度予算に関連をいたしまして、私の立場上、特に文教予算を手がかりとしながら、高等教育、特に私立大学の財政基盤などについて日ごろ考えているところを申し上げさしていただきたいと思います。
 まず、予算案の中における文教予算の点でありますが、これについて全体的にどういう感想を持つかという点から始めてみますと、私は日本の私立大学の九十四校が加盟している日本私立大学連盟の私学助成の担当理事をいたしております関係上、六十一年度の予算編成につきましては、昨年夏の概算要求の決定過程から年末の復活折衝の過程までずっと見続けてまいりました。言うまでもなく、現在日本の国家財政は大変厳しいわけでございまして、その厳しい財政的な状況を前提とし、また現在の教育制度あるいは教育体制というものを前提にして見る限りにおいては、このたびの文教予算はかなり配慮されたものであるというふうな印象を受けております。
 それで、私学助成につきましても、私立大学に対する経常費補助金、これは概算要求基準の外にはなっておりませんので、したがって一律一〇%削減の対象になるべきところでございますけれども、昨年度並みという取り扱いにしていただきましたし、また大学に対する研究装置等の補助金あるいは私立の高等学校に対する補助金も若干でありますけれども上乗せがあった、こういうことがございまして、これは苦しい国家財政の中でも教育の重要性ということをよく理解をしていただきまして、かなり無理をしていただいたことの成果ではないかということで、関係者の御努力に対しては敬意を表しているところでございます。しかし、このことは決して私学助成が十分であるということを申し上げているわけではございません。むしろ私学の財政は再び次第に危機的な状況に陥り始めたと言うことができるように思うわけでございます。
 御承知のように、私立学校振興助成法は、昭和五十年に私立学校の経常的経費の二分の一補助を目標といたしまして制定をされました。その当時、私立学校の経常的経費の中に占める国庫助成の割合は二〇・六%でございました。その後、その割合はおかげさまでだんだんとふえてまいりまして、そのために私立学校は教育研究の条件を整備することができましたし、またその間に学費の改定というものをできる限り抑制することもできたということが言えるわけでございます。そして、その割合が最高水準に達したのが昭和五十五年でございまして、そのときは経常的経費のうち国庫助成の割合は二九・五%まで到達をいたしました。ところがその後、国家財政が悪化をいたしまして、その割合は再び低下をいたしました。昭和五十九年度に至りますと、これが二〇・三%にまで落ち込んでしまいまして、結局、私学振興助成法が制定される以前の状態にまで逆戻りをしてしまった。つまり、法律があってもその法律が効果を発揮していないという状況にまで立ち入ってしまったわけでございます。昭和六十年度につきましては、まだ決算が出ておりませんのでその割合は不明でございますけれども、二〇%を割ることは確実というふうに見られておるわけでございます。
 それで、その間私立大学はどのようにしてこのような状態に対処したかと申しますと、五十六年度から五十九年度ぐらいにかけましては私立学校はいずれも厳しい緊縮財政政策をとりました。できるだけ経常的経費の節減に努めました。ところが、それが五十九年度あたりになりますともうそれが限界に達しまして、四月からということでございますけれども、六十年度におきましても、六十一年度におきましても私立大学の約七割が学費改定をせざるを得ないというふうな状況に陥ったわけでございます。
 しかし他方、最近の新聞でもごらんのように、一般家庭の家計の中で教育費の占める割合というものが非常にふえてまいりました。教育費負担というものが家計を著しく脅かすというふうな状況になったわけでございます。それが一つの社会問題と化しつつあるというふうに言ってもいいかと思うわけでございます。したがいまして、私ども私立学校の立場からしますと、この学費についてはそう大幅な値上げはできない、こういうようなことになるわけでございます。それが私どもに与えられた条件になるわけでございます。
 それで、国庫助成が実質的に削減になる、学費は余り大幅に上げられない、節減できるものはぎりぎりのところまで節減してきたということになりますと、この私立学校の財政の悪化というのは教育研究条件の低下に連なってくるということになるわけでございます。現在、私立大学は日本の大学生の約七五%を教育いたしております。確かに私立大学にもいろいろな水準のものがございますけれども、それぞれがそれぞれの特色を持った人材を社会の各層に送って、日本の政治、経済、文化をそれぞれの仕方で担ってきたということは言うまでもなかろうと思うわけでございます。研究という面から見ましても、私立大学が日本の文化の向上に寄与しているパーセンテージというものはかなりのものがあるのではないかと思うわけでございます。そういうふうに見ますと、私立大学の教育研究の水準が低下するということは、日本の将来にとってゆゆしい問題と言わなければならないわけでございます。
 それで、議員の皆様はそういった私立大学の状況をよく御理解のことと存じますけれども、あるいは皆様の中には、現在は物価が余り上がっていないんだから大学の経費も余り上がらないだろう、したがって経費を節減し、また昨年度並みの国庫助成と若干の学費改定とでもってやっていけるのではないかというふうに思っていらっしゃる方もおられるかと思うわけでございます。また例えば、財政当局も最近臨時教育審議会に文書を提出いたしまして、私立大学は自立自助の精神でいけという考え方を示しまして、私学助成の削減を示唆いたしております。ところが、現在は大学の教育研究経費というものが以前に比べて非常に高いものになってきて、しかもそれが学生の学費から賄うのが必ずしも適当でない、そういうものがふえてきたということを強調いたしたいと思うわけでございます。
 それは、とりもなおさず社会生活の変化に由来するものでございまして、例えば出版される本の点数にしても、これは著しくふえてまいりました。また主として自然科学部門における研究用の施設設備、機械器具というものが非常に高くなり、しかも日進月歩ですぐに買いかえねばならないというふうな状況になってきたということもございます。さらには、最近では身体に障害を持った学生をかなり受け入れるようになりましたが、その身体障害学生に対してはいろいろな費用がかかるようになってまいりました。さらには、国際交流というものを強化しなければならないのが日本の責務でございますけれども、この国際交流の拡大というのはこれは大変費用のかかることでございます。さらには、社会生活が変化をしてまいりまして、学問のあり方に対する社会の要請も変わってまいりました。したがって、新しい時代の要請に適応するところの新しい教育研究組織制度あるいは学部などをつくるということの準備もしなければならないというふうな状況になってまいったわけでございます。
 そこで、良心的な私立大学は、乏しい財政を何とかやりくりして懸命になってそれらの要請に応じようというふうにいたしておりますけれども、しかしとても応じ切れるものではないというふうな側面が出てまいったわけで、私が先ほど私学の危機ということを言ったのはそのような意味でございまして、それは単に私学のみならず、日本の大学の一つの危機的状況が訪れてきているということが言えるのではないかと思うわけでございます。
 そういう観点で現在の文教予算のあり方を見てみますと、これは六十一年度の予算というのではなくて、将来の課題になると思いますけれども、そこに幾つかの問題を指摘せざるを得ないように思うわけでございます。
 第一は、文教予算の中で六十一年度予算では人件費が七四・六%を占めているということでございまして、これは比喩的に申しますと、例えば企業とか組合とか財団とか学校とか、そういう何らかの社会的活動をしなければならない人的集団で人件費が七〇%を超える集団というのは、これは経営の下手な集団だというふうに言われておりますが、それがここにも当てはまるのではないかと思うのが第一点でございます。
 それから第二点として、文教予算の中で義務教育への配分が余りに大き過ぎるのではないかという印象を持つわけでございます。六十一年度の予算案の中で義務、養護教育国庫負担金は全文教予算の五三・五%を占めております。もちろん義務教育につきましてもお金をたくさんつぎ込んだ方がいいことは疑いがございません。しかし問題は、厳しい国家財政の中で文教予算が非常に窮屈になっている状況の中でその配分をいかにするかということには問題があるのではないだろうか。そのような観点から見ますと、義務教育への国庫負担が多いということの反射的効果として、高等教育への国庫負担が余りに少ないという状況がございます。
 日本の教育費全体に対する国庫支出は確かに国際的な水準にございます。アメリカ、イギリス、西ドイツなどとほぼ並ぶ線にいっております。これは国民総所得の中で教育費全体に対する公財政支出が日本の場合七・二%、これはほぼ国際的な水準にいっておりますが、ところが大学を中心とする高等教育に対する公財政支出の割合はぐんと低くなっておりまして、アメリカは一・五%、イギリスは一・九%、西ドイツは一・八%であるのに対して日本は〇・九%、主要先進国の半分というような状況があるわけでございます。これは、明治時代のような近代国家を形成する途上においては、確かに初等教育の普及充実ということが先決問題であったと思うわけでございますけれども、現在のように日本の学問が部分的に世界の最先端をいくようになってきた。近い将来、日本の学問の発達いかんが世界の人類全体の幸福を左右するというふうな時期も近づいております。そのような時代には高等教育に大きな費用をかけなければならないというのが現状ではないだろうかと思うわけでございまして、そのような観点からすると、現在の文教予算の配分には問題があるというふうに私は考えております。
 第三といたしまして、高等教育に対する公財政支出の中で、国立大学に対する支出と私立大学に対する支出のバランスはこれでいいのだろうかというような問題を私ども私立大学にいる者としては感ぜざるを得ません。これは学生数という点でいいますと、全大学生の七五%を受け持つ私立大学に対しまして国の高等教育費はその二五%しか支出をされていない。これに対して、全大学生の二五%しか受け持っていない国立大学に対して七五%が支出されているという状況をどのように考えたらいいのかということでございます。
 これを例えば学生の立場から見ますと、ほとんど同じ内容の教育を受けているのに、国立大学の学生は一人当たり私立大学の学生の約十倍の金額を国全体の税金から支払われているという現状はこれでいいのだろうかということを感じるわけでございまして、これは必ずしも直ちに国立大学の授業料を値上げせよとかあるいは国立大学の経費を節減せよということではなくて、日本の研究教育体制全体を財政との関係で考えるときにこの問題は必ず出てくる問題である、こういうことを指摘したいと思うわけでございます。
 今までお話ししたような私学の危機、ひいては大学の危機を回避するためには、私どもといたしましては、私学も含めた高等教育にもっと公財政支出ができるようにしていただきたいというふうに思うわけでございまして、文教予算全体を増していただければそれにこしたことはございませんけれども、それが不可能であるならば、文教予算の範囲内で高等教育への支出の割合をふやす工夫をしていただく必要があるのではないか。その過程で私学助成をふやしていただきたいと思うわけでございますけれども、私個人の考え方によりますと、経常費補助はともかくといたしまして、次の三つのことに対する支出にもっと強い傾斜配分をつけるという形で私学への援助をしていただけたらと、こう考えております。
 その第一は、研究助成でございます。例えば研究教育用の大型の設備、施設、機械器具等への財政援助、あるいは教育研究の現実の実績のある大学院あるいは研究所における教育研究活動への助成ということでございます。
 それから第二は、特殊な教育研究、例えばある地方の大学ではその地方の特性に見合った特殊な研究を資金を投入して行っている、そのような特色がある研究教育であるとか、あるいは先ほど申したような身体障害者に対する教育というようなことについて御配慮をいただく必要がある。
 そして第三に、国際交流、このことについてはもっと時間をかけてお話ししたいこともたくさんございますけれども、やはり国際交流を今後強化していかなければならないのが日本の責務であるというふうに考えますと、これへの支出援助というものが必要になってくるだろう。
 このような研究助成、特殊な研究教育への援助、国際交流というような分野への費用というのは必ずしも一般学生の納める学費から支出するには余りにも忍びないもののように思われるわけでございますし、これがまさに国家目的に沿った特色ある、活気ある教育研究活動をなすというふうに思われますので、そのような点に強い傾斜配分をつけるという形で私学助成を強化をしていただきたい、このように希望をいたしまして、お願いを含めて私の考えを申し上げさしていただきました。
#38
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 それでは、これより質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#39
○林健太郎君 西原先生に対して質問をいたします。私の質問は西原先生だけでございます。本日は、お忙しいところお運びいただきまして、大変貴重な御意見をお聞かせいただきましてまことにありがとうございました。
 ただいまのお話、全部まことにごもっともと思うこと、あるいは大変賛成と思うことばかりでございますので、反論とかあるいは批判とかいうようなことはございません。私は長い間、国立大学に関係しておりましたわけですけれども、日本の高等教育における私立大学の役割というものの重要性は大変大きなものだと常々感じておったところでございます。
 そこで、私学助成ということが昭和四十五年からですか始まりまして、年々ふえてまいりましたのが、昭和五十五年をピークにしてまたちょっと減り始めたということで、現在この財政状況のもとで、マイナスシーリングの中で辛うじて去年と同額ということになりましたというようなことで、これはある意味では大変残念であるとともに、またある意味ではやむを得ないということでございますが、その中で特に、きょうのお話で私がまことにもっともだと思いまして、実を言いますと、私が今まで考えておりましたことと非常に合致することがございましたので、ちょっとそのことについて私の考えを申しまして、御質問いたしたいと思います。
 それは、この私学助成の中でもって傾斜配分をしたらよかろうという御意見でございます。これは、一つが研究助成、二が特殊な教育、地方的な特殊な教育とかあるいは身体障害者の教育、第三が国際交流ということでございますが、私このいずれもごもっともと思います。殊に第三番目の国際交流ということにつきましていろいろ感じていることがございます。
 国立大学は、私立大学と比べて財政的には大変に恵まれているわけですが、しかし一方から申しますと非常に不自由なこともありまして、これは私の経験ですけれども、私が東京大学におりましたころに、よく外国から国際交流の申し込みがあるわけです。教授の交換をしたいとかあるいは学生を大量におたくの大学へ送りたいとかそういうような、あるいはものによりましては、オランダの大学から日蘭関係について特別な研究所をつくりたいので、こちらではもう予算も用意したからそっちも頼むなんて、そんなことを言われたこともありました。ところが、そういうようなことを言われますと、国立大学というのは非常に不自由なわけです。学者が外国へ行くといいましても、これはすべて文部省の在外研究員とか、学生でしたら呼ぶ場合には国費留学生とかという枠へ申し込んで、その枠の中で処理してもらう以外ないわけでして、大学自身の予算というのは全くないわけです。そこへいきますと私立大学の方は、これは全般的には非常に財政は苦しいわけですけれども、とにかく自由にいろいろなお仕事がなされるという例を見ておりまして、それでうらやましいと思ったこともあるわけでございます。
 ところで今、国際交流ということですけれども、私拝見しておりまして、早稲田大学は国際交流について非常に努力をしておられまして、しかもそのためのいろいろ有効な施設なり何なり、また事業をやっておられるところだというふうに見ておりました。何か早稲田大学には国際部というところがありまして、それから外国人の留学生用のいろんな仕事とかいろいろやっていらっしゃるようでありますので、ちょっとそのことについて、早稲田大学が現在国際交流についてやっていらっしゃるその事業の内容について私お尋ねいたしたいと思います。
#40
○公述人(西原春夫君) 私の申し上げたことについて基本的な御賛成をいただきまして大変心強く存ずる次第でございます。
 ただいまの御質問は、私どもの大学における国際交流の現状ということでございますが、詳細な資料を持ち合わせておりませんが、これは幾つかのパターンに分かれておりまして、スタッフの交流も含めた研究者の交流と、それから一般の学部、大学院への外国人の留学、それから国際部における特殊な教育という三つに、少なくとも外国人の受け入れという点ではその三つに分かれると思います。
 ただいま国際部の御質問がございましたのでこれを御説明申し上げますと、これは約二十年前に発足をいたしまして、アメリカ人というのは大変せっかちでありますので、日本語を習ってそれから日本の文化、学問を研究するというのはとても間に合わない。英語で日本のいろいろなことを知りたいというようなことで、アメリカのかなりの数の大学グループと早稲田大学とが協定をいたしまして、現在では年間百人のアメリカの学部の学生が国際部に留学をいたしまして、国際部ではすべて英語で日本の歴史、日本の文化、日本の政治、日本の経済といったようなことの講義をいたします。そして他方において、在学中に日本語教育などもさせるというふうにいたします。
 そして、大変特色がありますのは、この国際部の学生、アメリカ人百人はすべてホームステイで、民間の日本人の家庭に住まわせております。これは、毎年百人のホームステイのボランティアを確保するというのは大変難しゅうございますけれども、このホームステイが大変効果を発揮しておりまして、あのドライなアメリカ人が一年後アメリカへ帰るという成田空港で日本人の家族と抱き合って涙を流すというようなことがあって、これこそ国際交流の成果ではないか、このように考えておるわけでございます。そのような国際部の学生も含めて現在外国人留学生は年間五百五十人ほどおりまして、恐らく私立大学の中では一番数が多いというふうに思いますが、その中で一番数が多いのは韓国と台湾でございまして、最近はインドネシア、マレーシア、フィリピンあるいは中国などの他のアジアの留学生がだんだんふえてきた、こういう実情でございます。
 私どもといたしましては――よろしゅうございますか、あと一、二分。
#41
○委員長(安田隆明君) はい。
#42
○公述人(西原春夫君) 一つの問題は、宿舎をどうするかということでございまして、学部の学生についてはできるだけそういう民間の家庭に住まわせるというのがむしろ国際交流にとって意義があるというふうに考えておりますが、研究者あるいは夫婦で来ているかなり年のいった大学院学生というような者については外国人用の宿舎を用意しなければなりませんので、それを順次拡充しつつあるというようなのが現状でございます。
 とりあえずそれだけお答えいたします。
#43
○林健太郎君 どうもありがとうございました。
 私、国際部の存在は知っておりましたんですが、具体的な内容を知りませんでしたので、ただいま御説明いただきまして大変感銘を受けました、それだけのお仕事をしていらっしゃるということで。
 それで現在、私学振興財団、あそこから配分をいたします場合にどういう基準で配分するのか、私余りよく知りませんけれども、学生数とか教授の数とかそんなものに比例するのだと思いますが、それ以外に現在ではどうなんですか、そういう今の国際部のようなお仕事に対する傾斜配分というものは少しはあるわけですか。
#44
○公述人(西原春夫君) 詳細な数はここに手持ちの資料ございませんけれども、傾斜配分がございます。やはり現実の国際交流、あるいは専任教員のいる研究所、大学院、あるいは助手というようなものについては、一般の経常経費補助以外の傾斜配分がございまして、最近はその傾斜配分が少しずつ強くなってきたというふうに感じております。ただ、現在のところ、やはり私学助成の基本というのが経常費の二分の一を目標とする経常費補助が中心であるというふうな考え方をとっておりますので、恐らくこの傾斜配分にもある程度の限度があるのではないかというふうに考えるわけでございますが、現在のところもある程度の傾斜配分はございます。
#45
○林健太郎君 まだいろいろこのことで伺いたいこともございますけれども、この件はこれだけにいたしまして、先ほどのお話で、またやはり傾斜配分のことですが、新しい研究助成ということでもって、新しい時代の進展に応じてまた新しい学問なんかが起こってくるので、そういうものに対するやっぱり傾斜配分も必要だということをおっしゃいましたが、早稲田大学は創立百周年をおやりになりまして、実は大変早稲田大学うらやましいと思いましたのは、早稲田大学はOBの方の愛校心が大変強うございまして、実は東大も少し前に百年になりましたので、百年記念事業をやろうと思って百億円の募金事業をやりましたら、卒業生がどうも一向愛校心がないものですからちっとも集まりませんで、四十億しか集まらなかったんですが、早稲田大学は何かその後で二百億ですか。
#46
○公述人(西原春夫君) 目標は二百億です。
#47
○林健太郎君 そうですか。短時日の間に非常にたくさんお集めになりまして、これはまことにうらやましいと思った次第でございますが、そのうらやましいことはそれでよろしいんですが、それによって例の所沢ですかにおつくりになるということで、これは今までなかった何か新しい研究機関をおつくりになるということでありましたけれども、ちょっとそれについても伺いたいと思います。
#48
○公述人(西原春夫君) 募金につきましては、なお募金継続中でございまして、ここにも私どもの卒業の議員の方いらっしゃいまして、御協力をいただいてありがとうございました。現在百三十二億五千万のお申し込みをいただいておりますが、新しい学部の名称は人間総合科学部というふうに申しまして、三つの学科から成り立っております。その一つは、中心をなすのが人間基礎科学科、それから第二が健康科学科、第三がスポーツ科学科という三つの学科でございますが、それだけでは内容が十分御理解いただけないと思います。
 なぜそういう学部を考えたかと申しますと、二十一世紀にはますます科学技術が発達をするであろう、いわゆる物質文明がさらに発展をするであろう。科学技術や物質文明というのは人間を幸福にする側面もあるけれども、逆に人間を不幸にする側面もあるのではないか。とりわけ人間の精神的な健康、肉体的な健康というものが物質文明の発展によって損なわれるという側面がある。したがって、そういう時代であればあるほど人間の尊厳あるいは人間の健康、人間の存在というものを大いに強調をしなければならない。その場合に、やはり人間をトータルにとらえる学問というものが必要ではないか。
 現在、人間を研究する学問というのはそれぞれ細かい分野に分かれて非常に深くなっている。生物学、医学、心理学、社会学、余りにも深く狭くなり過ぎているために相互の連関が薄れている側面があるということから、従来の学問の垣根を少し低くして、そこに生命科学であるとか人間工学であるというような新しい学問分野をくっつけて、そして人間をトータルにとらえよう、そういう学問を発達をさせようというのが人間基礎科学であります。
 また第二の、健康科学科と申しますのは、これは早稲田の場合には医学部がございませんけれども、病気になってからそれを治療するのは医学部とか医学の任務であるけれども、むしろこれからは病気にならないようにするということが大いに問題になってきて、その学問はまだ必ずしも確立をされていない。したがって、人間が持つ、病気になったりあるいは早死にをする負因というものを発見して除去する、そういう科学を発達をさせたい、これが健康科学。
 したがって、そういう病気にならないようにする、あるいは病後のリハビリ、社会復帰というようなことが目標になりますので、その手段としては当然これからスポーツ科学ということが大いに問題になるということから実践的な学問と人材養成を目標としてスポーツ科学科というのを設けた。そういうトータルなものとして、科学技術の発達もさることながら、その圧迫から人間を守ろうという、そういう大理想を掲げた、そのような学部でございます。
#49
○林健太郎君 私の時間は二時十三分までだと言われておりますので、まだちょっと質問を続けます。
 いろいろとお話を有益に伺っておりますが、余り早稲田大学のお話ばかり伺ってもちょっとまずいものですから、といって、きょうのお話と離れますけれども、現在臨教審でいろいろと教育改革のことをやっておりまして、その中で高等教育、大学の改革ということも論じられております。これにつきまして、きょうの御発言と少し外れるかもしれませんが、先生も大学の総長でいらっしゃるところからしまして、大学改革のことにつきましてのお考え、それをちょっと伺いたいと思います。
 今臨教審でいろいろ言われておりますことは、大変いいことを言われているわけなんですけれども、どうもちょっと抜けていることもあるんじゃないかと私は思うんです。といいますのは、大学の年限のことです。私は大学の年限のことでもっと大胆に変える必要があるのじゃないかと思っていることがあるのですけれども、これは臨教審では一向問題になりません。なぜそれを言うかと申しますと、今の大学で一番問題になっておりますのは、教養課程とそれから専門課程の問題だと思います。要するに、四年め大学の中で、大学によっていろいろ違うと思いますが、一応前の二年が一般教養課程で後の二年が専門ということになって、これが非常にむだがあるので、教養課程をどうするかということで非常に問題になっております。早稲田は戦前の高等学院というのが教養課程になっておられるわけでしょうか。また違うわけですか。
 時間もありませんしあれですから、私は大胆不適に結論だけ申します。
 ここで余り改革論議してもしようがありませんですが、早稲田でもって教養と専門をどういうふうにやっていらっしゃるかというふうなことをちょっと伺います。
 私は、教養課程というものは大学になくしてしまって、そのかわり専門課程だけにしてよろしい。それで、そのかわり高等学校を一年延ばしまして今の三年を四年やらして、そこで一般教養のことをもっとみっちりやって、大学はもう専門課程だけ化して、そのかわり三年でいいという考えを一つ持っているわけです。こんなところで気炎を上げたってしようがないんですけれども、私こういうことを言っているんですが、だれも聞いてくれない。
 それから、大学院の博士コースと修士コースの区別というのをなくしてしまって一本にしたらどうかというふうな考えを持っているのですけれども、そんなことについて先生のお考えをちょっと。
 私の質問はこれでおしまいにいたします。
#50
○公述人(西原春夫君) 大学の修業年限との関係で、高等学校と大学との接続の問題についての御意見でございますけれども、私も、今おっしゃったように大学の学部はやはり専門教育中心にするというのは一つの考え方であるけれども、やはり一般教育科目も必要で、とりわけ自然科学系統のものについて文化科学部門の知識や考え方というものがないと非常に危険であるというふうに思うわけで、そういう意味で大学の学部を専門化する場合には、高等学校の一般教育を強化するということになる。それが今の高等学校が三年で十分であるかどうかというと確かに問題があるわけで、そういう点からいうと六・三・三・四というのを六・三・四・三にというのも一つの考え方であろうかというふうに思うわけでございます。
 私ども、戦前の高等学院はそのまま高等学校にいたしまして、一種の附属の高等学校になっております。卒業生の全員が入れるというふうなことになっておりますので、私どもももう少し高校と大学の一貫教育化、つまり高等学校と大学をあわせて七年で教育するというせっかくの附属高校のよさというものをもっと発揮をするようにできればというふうに考えておるわけでございますが、まだ具体的には考えておりませんけれどもそういう検討もしたい、こういうふうに思っております。
 また、修業年限との関係では、やはり大学の修業年限というものをあるいは三年にしたり、あるいは例えば十年かかって卒業するというような、そういう大学教育というようなものも考えていく必要があるし、またそのようなことが必要な時期が来始めているというふうな気がいたしまして、年限の自由化ということも、これは各大学で自由にできるようにしたらどうであろうか、このように考えております。
#51
○林健太郎君 どうもありがとうございました。私の質問、これで終わります。
#52
○久保田真苗君 久保田でございます。
 私、先に西原先生に三、四問お伺いしたいと思います。
 まず、父母の学費負担がもう限界だということについて全く同感なんです。社会党でも私学の経常経費の二分の一助成というのはもう当然のことと考えまして、ずっと国会でもそのように対処してまいりました。ただ、甚だ残念なんですけれども、次々と不明朗な経営実態が出てまいりまして、これだと本当に国民の支援も受けにくいという状態でございます。もし私学連の代表者とされてコメントがおありでしたらお聞かせください。
#53
○公述人(西原春夫君) 数年前に私立大学の財政上のいろいろな不祥事などが表に出まして、これは私学人としては大変残念で、遺憾に思うわけでございまして、私どももこれは国庫助成をいただかなくても襟を正していかなければならないものだというふうに考えておりますが、とりわけ国民の税金をつぎ込んでいただいている以上は、少なくとも経理的な側面においてはっきりしなければならないことは言うまでもございません。
 私どもの私立大学連盟は、加盟校九十四校ですけれども、その私立大学連盟はすべて財政を明らかにしております。しかし、私立大学には、ほかになお二つの団体がございます。最近一つの団体が解散をいたしましたので全部で三つになったわけですが、残りの二つの団体は必ずしも経理公開ということではないというふうなことでございます。それにはそれ相応のいろいろな理由があるわけでございますが、やはり全体として私立大学が襟を正さなければならないということについては皆さん一致をいたしておりまして、二年前に、その三つの団体の上部に日本私立大学団体連合会というのを結成をいたしまして、今まで以上に意思疎通を図る、全大学の経理公開というところまではいきなりはできないと思いますけれども、おいおいとそういうような方向で自己規制あるいは自己評価というものをやっていきたい、こういうふうに考えており、またそれは私個人の考えではなくて、団体の考えがそのようなところにあるということを御報告申し上げます。
#54
○久保田真苗君 高等教育への国庫支出が少ないという御指摘、全くそのとおりだと思うんです。ただ、義務教育への傾斜配分が強過ぎるというお考えをおっしゃいましたけれども、そうだとしますと、必ずしも賛成いたしかねる。なぜかと申しますと、やっぱりマンモス校の実態ですとか、あるいはいろいろな意味で日本は、ただ数量的に外国とパーセントを比べてみるという以上に、学校施設へのストックとしての社会資本の形成が未成熟なんじゃなかろうか、そんな気もいたしますし、内容についても同様だと思うんです。
 それで、恐縮ですが、初中教育費との関連につきましてもう少しお考えを伺えますか。
#55
○公述人(西原春夫君) ただいまの御意見の中にあらわれております初等中等教育についてもなおいろいろな不備な点があるということはよく存じておるわけでございます。しかし他方、大学の方の立場から見ますと、少なくとも、これまでのように外国のものを学んでそれをそしゃくして日本流に直していくということではやっていけない時期になってまいりますと、それ相応の施設設備、機械器具というようなものもその他の支出も非常に多くなってまいるわけでございまして、そこでいわば必要性、緊急性の競合、こういうことになってくるのではないかというふうに思うわけでございます。
 現在、例えば給食費などについても問題があるわけでございますけれども、確かに給食にはそれ相応の意義があり、伝統もあったというふうに思うわけでございます。しかし他面、昭和二十年代あたりと比べると、その必要性という点からするとかなり低くなってきているんではないか。もちろん、例えば給食が出ないで、みんな弁当をつくってこいということになると弁当屋がはびこるというふうな問題があるということも伺っておりますけれども、なおその辺に見当の余地はないであろうかというようなことも考えております。
#56
○久保田真苗君 私、学校について素人なんですけれども、私大では大変もうかっていると言っちゃおかしいんですが、黒字経営のところがございますね。それから、幾らやっても過疎地といいますか、人口問題とか交通問題とかでどうしても赤字になってしまうところがある。それからまた、乱脈経営というのがございます。いろいろさまざまなんですけれども、先生のお考えでは、私学助成の配分はどのようにあるべきかと、そういう何かお考えがございますでしょうか。
#57
○公述人(西原春夫君) これはまた、私大人の中にもいろいろ違った考え方があるわけでございますけれども、例えば私がもうかる大学をつくろうと思えば、もうかる大学ができるという実態はあるわけで、例えば大学院とか研究所とかそういうことはもう余り考えない、大学設置基準が満たされたものだけでやる。それで、どちらかというと多人数の授業ができるような学部だけをつくっていく、そうすると、ほどほどな学費でもってちゃんとやっていけるというふうな実態があるわけです。現にそういう大学もあるわけです。
 そういうふうに考えてみますと、果たしてすべて一律に経常費の二分の一補助という理念が実態に合っているのかどうかという点については問題があるように思うわけでございます。しかし、今これは要らぬということは言いたくはないわけで、したがってやはり一種のシビルミニマムとしての経常費補助プラス先ほど申したような研究あるいは特殊な研究教育あるいは国際交流などのプラスエックスについて傾斜配分を非常に強めた、そういう形の私学助成というのが考えられないであろうか。そうであれば、社会からの批判というものもかなり緩和することができるのじゃないか、このようにも考えております。しかし、これはまだ団体としてそのような結論を出したわけでございませんで、私の漠然たる考えでございます。
#58
○久保田真苗君 今、共通テストの問題が大変関心を浴びております。それで、これは任意になるわけでございますね。大学としてこういうものを採用するかしないか、この辺についてどんなお見通しをお持ちでしょうか。
#59
○公述人(西原春夫君) 共通テストにつきましては、現在、内容をどうするかについて文部省の大学入試改革協議会で検討をしているというふうに伺っておるわけでございまして、聞くところによると、少なくとも参加する大学がすべて一律に例えば五教科五科目というふうな試験科目を受けるというのではなくて、ある学部がある科目について選ぶことができるというような制度である、こういうふうに伺っておるわけでございます。
 早稲田大学としては、もし共通テストというのが現在の共通一次の延長のようなものであれば、これを利用する可能性はもう絶無だろうというふうに考えておるわけでございますけれども、協議会で検討した結果、早稲田大学としてこれを利用するのが非常に意義があるというふうに考えられる、そのような制度ができ上がりました場合にはこれを利用する可能性はあるだろう。したがいまして、その内容いかんが問題だというふうに考えておりますので、現段階で乗るか乗らないかということは全く言うことができません。
 大学の立場から見ますと、今任意テストというのを大学が選べるのか受験生が選べるのかということが大変問題になっておりますけれども、やはり共通テストを入試の一環としてやるという以上は、大学として、自分の学部を受ける受験生は全部少なくともその科目を受けなさいということでないと、それの利用ということは余り意味がなくなってくるのじゃないだろうかというふうに考えております。
 よろしゅうございましょうか。
#60
○久保田真苗君 ありがとうございました。
 私どもとしましては、先生のお考えのうち、一つの枠の中から初等中等教育のものを削って大学に持っていく、これは大変つらいことでございまして、ぜひ、教育費が非常に抑えられているところを何とか御一緒に努力してまいりたい、こう思います。
 佐藤先生にお伺いいたします。
 初めにちょっと大きいのを一つお願いしまして、あと時間がございましたら一つ二つ追加させていただきたいと思います。
 一つは、きょうの先生のお話に加えて座談会の記録を読ませていただいたのですが、この中で先生が御指摘になっていらっしゃる日本やその周辺での限定核戦争の可能性、危険性、こういったものなんですが、先生は、限定核戦争の体勢づくりが進められている、これを今の時点に引き直しますと、まさにそうなのかとお思いだと思うんですけれども、私も、自衛隊だけでなく米軍の増強ということが非常に顕著な傾向だと思います。もちろん三沢にもF16の配備、それから米軍人もふやす、こういう状態でございますし、嘉手納、横田、上瀬谷、刈谷など戦略的な基地化、これも非常に活発でございます。それから逗子とか三宅島とかいったところへの米軍の増強という要求もございます。
 それから、日本周辺でそれじゃ日本自身はどうなのかと見ますと、このあたりには世界でも珍しく地域的な軍縮努力が何にもないところだろうと思うんです。もちろんヨーロッパは言うに及ばずですけれども、それぞれに者やっている。非核、軍縮地帯の共同努力があると思うんです。そういう意味では日本政府は何にもしていないし、こういう状態ですとここが世界じゅうの核の掃きだめになるんじゃないか、そんな気もいたします。もちろん、平和研究も非常に貧弱な状態でございます。
 ただ、アメリカにとっては恐らくくみしやすい政府だろうと思います。思いやり予算なんということでいろいろ歓迎をしているという状態なんですね。そこへもってきて、貿易摩擦なんかでやはり、ソ連人と日本人がいなくなればとてもせいせいするであろうというような物騒な声が海外から聞こえてくる。じゃ、この周辺のアジアの地域はどうかといったら、ここも常に軍事大国では警戒の目を光らせている。こういう、非常に地域そのものが世界の軍縮努力から取り残され、その中でも日本がまた孤立したこの姿というのは、私はどうも心配でならないんです。
 先生は、限定核戦争というようなものが実際にどのくらいの危険性があるとお思いになるのか。今のこの状態から、なかなかお答えにくいことかもわかりませんが、ひとつ状況の分析をお願いいたします。
#61
○公述人(佐藤昌一郎君) 大変たくさんの問題点が出されたわけで、先生のおっしゃりたいことは痛いほどよくわかります。
 今、限定核戦争がアジアで起こり得るか。起こり得るか得ないかというのはこれは断定的に申し上げることは大変困難であります。ただ、どういう条件のもとで限定核戦争を考えているかという考え方は、アメリカ側からはかなり明確に出されてきていると思うのですね。
 それで、いろんな考え方がございますけれども、限定核戦争というのは全面的な核戦争につながる、だから限定核戦争というのは起こり得ないんだと言う方もいらっしゃいます。ところが、この発想の根源というのは、先ほど言いましたように、アメリカの軍事戦略の中から出てきておりまして、グローバルな核戦争にならないいわば地域での核戦争がどうやったら可能か。それで、アメリカでは戦域という概念を使いまして、グローバルな地域を幾つかのシアターに分けまして、そのシアターの範囲内でどういう戦争が可能かという考え方です。
 それでも最近は、「核の冬」が起きる、今持っている核の何%かを撃ち合えば起きるという見解が各国の学者の中で大変有力になってきております。しかし、にもかかわらず、そういう事態に対処するという形での軍事力の配備がやっぱり進められてきている。その一つのあらわれというのは、実際に使える核兵器の開発という形で進んできましたし、今、日本にも頻繁に入り込んでいるのではないかという疑惑を持たれているトマホークは、文字どおり限定核戦争を対象に開発されたと言われているものですね。
 したがって、今どういう事態で起こり得るかということは、先ほども言いましたように、断定は大変困難ですけれども、アメリカの国防報告その他関連のものを読みますと、大体アメリカでは、戦争が起き得る可能性のある地域としてヨーロッパ、中東、アジアの三つの地域を想定しております。そして、その地域で場合によっては同時多発的に起きる可能性もある。それで、日本の自衛隊のOBの方々がそういうものをいろいろ検討なさっていろんな発言をしておりますけれども、その三つの地域で起きる、アジアで起きれば当然日本は戦場になり得るわけです。
 これは、今までの政府答弁等々を検討しても明らかになる事実だと思いますが、安保条約のもとで日本からアメリカ軍が出撃をする、あるいは日本から直接出動をするというような事態が起きれば、紛れもなく日本は巻き込まれるわけでして、最近はそういうレベルだけじゃなくて、日米共同で例えばソ連軍を封じ込めようという、そういう軍事演習まで行われているわけですから、そこで一たん戦端が起きれば、もう明らかに日本は相手国から敵国として見られるということは紛れもない事実であろうと思います。
 戦争というのはいろんなファクターで起きてくるわけですから、その要因をどうやって除去するかということとあわせて検討しなきゃいけないわけですけれども、軍人というのは、一般的に最悪の事態を想定して軍事戦略を立てる傾向があるわけですね。したがって、核が使われないで済むとか、そういう想定をほとんどしていない。
 今の状況のもとでは、これは大変有名な文献になっておりますが、アメリカのオルドリッジという技術者が書いた「先制第一撃」という本がありますけれども、それから最近アメリカの軍事評論家もいろんな核戦略に関する文献を出しておりますが、やっぱり先制第一撃で相手を壊滅的にたたく、そういう力を常にやはり保有して、実際にはそれを行使するという姿勢を示すのがアメリカの戦略だという大変物騒なことが書かれております。
 それで、日本には御承知のとおり今、核兵器が直接持ち込まれているかどうかはもちろんわかりませんけれども、核兵器を積んだ潜水艦や艦船や飛行機がとにかく日本に立ち寄っている可能性は極めて大きい。それで、そういう中でそれとあわせて、核弾頭だけではなくて核兵器体系というふうに最近言われておりますけれども、核攻撃をする場合あるいは核戦争の場合にフルに使う各種の施設が日本じゅう、北から南まで張りめぐらされている。これは核戦争が起きた場合に真っ先に標的になるというしとはもう周知の事実でありまして、そういう意味で日本列島が全体としてやはり核列島化されているというふうに私は考えざるを得ない。なぜかというと、核兵器、核弾頭だけひとり歩きするわけじゃありませんし、それを使う、つまり運搬手段、指令手段、そういうものが不可欠だからであります。だから、それを全部切り離して考えるのは現代ではもう当てはまらなくなってきているという点です。
 それから、日本を含めてアジア周辺では軍縮の努力が大変少ないというお話ですけれども、実態を見ていきますと確かにそうです。ただ、日本の軍事費がアジアの諸国全部を集めて、中国を除いて、各国の軍事費の全額よりも日本の軍事費の方が多いというような実態があるわけですから、日本がどう出るかということが文字どおり中心的な課題になってくるだろうと思うんです。
 それで、外国では平和研究も非常に盛んに行われておりますし、例えばイギリスにはブラッドフォード大学というところに平和学部という学部があって、そこで平和問題の教育、研究が行われている。それで、ブラッドフォード大学でいろんなリサーチペーパーを出し始めておりまして、科学がどうして平和に寄与できるかという非常に大きな観点から取り組みが行われている。ところが、唯一の被爆国であり日本国憲法を持つ日本では、残念ながらまだそういう学部はないし、しかも大変失礼な言い方をしますと、そういう学部をつくったらすぐ色目で見られるような、そういう風潮がまだまだ強くあるように思われます。
 それから、思いやり予算も最近本当に内容が変わってきました。それで、出発点でこれも一度そういうものが制度化されてつくり出されると、どんどん内容が変わっていくということの一つのあらわれではないか。例えば思いやり予算の出発点として問題になったのは横田基地への住宅の移設、住宅だけじゃありません、関東地方のいろんな基地を横田に移す、それで集中するというそのための費用という形で、これは地位協定で義務づけられたものでもないものでありますが、日本側が提供して移ってもらうのだからそういうことは当然ではないかという形で始まったのが、最近はどんどんそれが広がってきて、それで法的根拠もないのに支出され、さらに今、上瀬谷で問題になっているような艦隊司令部の通信施設のセンターまでそれに提供しようという動きとなってあらわれてきている。したがって、こういうものというのは一たんでき上がりますと、そのときのいわば説明がどんどんほごにされて、それで現状追随という形で自己増殖をしていく、そういう傾向を持っていて、それに対して歯どめがかからないというのは大変これは問題でありまして、あらゆる観点から見て正当性を持たないのではないか。
 先ほど私が申し上げましたのは、日本が率先して核兵器の廃絶と軍縮のためのイニシアをとるべきである。イニシアをとるためには言葉だけではなくて具体的な行動を伴わなければいけない。例えば私はソ連を弁護するつもりはさらさらないんですが、ソ連が常に極東地域の軍事力強化の口実として使うのは日本、アメリカ、それから韓国を含めたミリタリーコンプレックスの状況なんですね。それで、そういうものを封じ込めていくためにも、それから日本が道徳的な優位性を維持して正々堂々とどんな国にも明確な意思表示をして世界の平和をリードしていくという、そういういわば立場、これをとらない限り相手は納得はしない。そうしますと、どうしても安保条約の問題とぶつからざるを得ないと、こういう問題が出てまいります。
 よろしいでしょうか。
#62
○久保田真苗君 はい、ありがとうございました。
#63
○太田淳夫君 最初に西原先生にお伺いしたいと思いますけれども、文部省の大学設置審議会これの大学設置計画分科会が出しました高等教育の計画的整備についての報告がございますが、これを見ますと、六十七年に十八歳人口がピークを迎えるため八万六千人の大学定員増が必要だ、このように報告をしているわけですけれども、そのうちの八割の約七万人を私立大学に受け入れてもらう計画だと、このようにちょっと記憶しているわけでございますけれども、そうなりますと、かなり私大依存の計画ということになるわけでございますが、その一方で、先ほどお話がございましたように、私学助成金は年々これが厳しくされてきているわけですね。先ほどのお話の中にありましたけれども、私立大学等経常費補助金というのは本来五〇%助成というのでスタートしておりましたのが、六十一年度の予算、これではことしの推計では二〇%を切るのではないかと、こういうお話も先ほどお聞きしたわけでございますけれども、こうなりますと、大学の定員はふやしなさい、その一方でいろいろと助成はふやせないというのが現在の文教行政の実態ということになっているんではないかと思うんです。
 そこで私ども心配しますのは、いわゆる計画どおり定員がふえてきました、一方では助成金の比率が減ってくる、こうなりますと、教育の質というものが本当に確保されてくるのだろうか、このままの状態でまいりますとまたこの計画そのものが成り立たないじゃないか、こういう感じがするわけでございまして、その点についての大学側の御意見をお伺いしたい、これが第一点でございます。
 第二点は、大学の入試の点でございますけれども、この私立の小・中・高校の中には早くから教育改革を考えられて幾つかの実験的な教育が行われている学校があるわけでございますが、例えば子供たちを点数で序列化しない、そういう方針の学校もあります。またそうした学校の最大のネックというのはやはり大学の受験ということになっているわけです。幾らユニークな教育方針を掲げていましても、大学までそれが続いておりませんとやっぱり受験勉強をしなければならない。あるいは父兄の方々も大学受験に合わせた教育というのも望みます。そのために画一された教育というのになってしまうことになります。こうした例が非常に多いわけでございますけれども、もちろん大学へ入学するためには一定の学力というのが要求されるでしょうし、あるいは大学側でも要求をしてくる面もございます。そういった点を考えますと、いろんな点で大学の入試制度の多様化ということもこれから考えていく必要があるのではないかと思うんですが、例えば国立大学の例ですけれども、信州大学ではユニークな選抜方法をされているわけでございますが、こういった点に対する評価はどのようにお考えなのか、その点をお伺いさしていただきたいと思います。
 それから、時間ございませんので佐藤先生にお伺いいたしますが、先ほどから防衛問題でお話をいろいろと聞かしていただきました。私どもも防衛費の問題につきましては、一%の枠を厳守すべきだということで言っておりますが、最近官民共同でSDIの調査団が、第二次調査団ですか、これがまた渡米するわけでございますけれども、先生にこのSDIの本質というものはどういうものであるか、あるいはこれは将来どういうような国際的な影響を及ぼすものであるか、もしもお考えがあれば伺わさしていただきたいと思います。私どもは、これは慎重に対処すべきだと、このように考えております。ある面ではアメリカの核戦略と結びつくものであるということもございますし、あるいは専守防衛という立場からこれはすべきである。いろんなこれは議論が分かれているところでございますが、先生のお考えをお伺いしたいと思うんです。
#64
○公述人(西原春夫君) ただいま御質問の第一点でございますが、確かに六十七年までは十八歳人口がふえるので、したがって八万六千人の収容ということ、増員ということを考えなければいけない。それもやはり六十八年からまた激減をいたしますので、なかなか全体を恒常的に定員増というわけにいかないので、恒常的定員増と臨時的定員増を半々にするというふうな考え方であったわけですが、確かに臨時的定員増の場合には文部省、大学設置審議会で審査をする際に、著しく教育条件を低下させるような場合はそもそも臨時的定員増を認めないというふうになっておりますけれども、これは著しくということなので、若干でも低下するということは少なくとも数の上から言ったら不可避になるわけで、したがって、やはりその辺の心配というのは若干なきにしもあらずであろう、こういうふうに思うわけであります。
 ただ、現段階では新しい大学及び短期大学の設置の申請が非常に出てきてまいりまして、それでもってかなりの程度賄えるということになると、既存の大学あるいは学部の教育条件はそう低下しないというふうな予測もございます。しかし、全くないということではないわけで、したがって、私どもとしては一般的な言い方としては六十七年までやはりかなりの部分の増員を私立大学が受け持つというからには、やはりそれ相応の措置はとっていただきたい、このように考えているということでございます。
 それから、第二点の大学入試でございますが、やはりこれは教育改革の一つの大きな柱であろうというふうに考えるわけで、現在のように大学教育が大衆化して非常に多くの受験生の中から選ばなければならないというふうな状況になりますと、例えばペーパーテストはすべてなしというわけにはやっぱりいかない。ペーパーテストをかなりの程度やっていかなければならないだろうというふうな気がいたします。しかし、先ほど言われたように中等教育を大学入試がゆがめているという側面は確かにあるわけで、したがって大学としては一方においてペーパーテストは維持しながら、ペーパーテストの範囲内でも、例えば信州大学が試みたような、一芸に秀でた者をピックアップするというふうな方法をとることは可能でありますし、またペーパーテストのわきで多様な入試方法を考える余地はあるであろう、こういうふうに考えております。
 この点についても臨教審の第一次答申は、必ずしも多様な入試の具体的方策とモデルというようなものが出ておりません。本来ならばそういうものがもっと出て、それのそれぞれの長短というようなものを示した上で、そしてとりわけ入試について自由な私立大学が何らかの形で多様な入試をやらなければ日本の将来が危ないというようなことを訴えるべきであったんじゃないか、そのような感想は持っております。
 私どもの大学の方でも、ベーパーテストのわきでどういう多様な入試ができるかについて現在委員会で検討をいたしております。
#65
○公述人(佐藤昌一郎君) 私は技術的なことは余り詳しくないんですけれども、ただ結論的に申し上げますと、アメリカ初め各国で核兵器廃絶の運動が非常に高まってきて、そういう背景の中でレーガン大統領も核をなくそうということを言わざるを得なくなってきた。しかし、どれだけのプログラムを持っていたかわかりませんけれども、この核を無力化するというスローガンのもとにSDIの研究を始めた。ところが、今まで出されたいろんな研究を読んでみますと、SDIのそのロケットを打ち上げるために核エネルギーを使うという、そういう内容が含まれている。つまり、核を全くなくすのではなくて、核を使って核を撃ち落とす、こういう形ですから、これは明らかに核を無力にする性格のものにはなり得ないという点です。
 それから第二点は、これは膨大な費用がかかる。アメリカ自身もそれを認めております。それから、実際にそれが有効性を持ち得るものかどうか。今新聞報道などによりますと、研究開発が順調に進んでいてもう部分的に利用ができるような、そういうことが報じられておりますけれども、まだ海のものとも山のものともわからない。それで、各国の政府や研究者を動員して、かつてのマンハッタン計画に匹敵するようなそういう体制づくりをしていく。これは明らかに科学の軍事利用でありまして、核兵器をなくすことにはならない。それよりも、核兵器の廃絶を先行させればこんなむだは必要じゃなくなるわけです。それを他の費用に使い、科学技術の開発に使えばさらにもっともっと有効な発展が期待できる。ですから、こういうものに日本が参加をするというのはあらゆる観点から見て、従来の科学技術行政、原子力基本法から見ても重大なやっぱり疑惑があると言わざるを得ないと、私はそう考えております。
#66
○太田淳夫君 それでは、西原総長さん、かつては陸の王者早稲田と言われたんですが、最近それが余り見られませんので、ちょっと寂しい思いをしているわけです。私、卒業生でも何でもありませんけれども、昔から早慶戦が大好きでありまして、早慶戦だけは欠かさず行っておりました。
 先ほど、一芸に秀でた方々についての入学の方法についていろいろと考えておみえになるとおっしゃっておりましたけれども、スポーツの振興というのは、これは国際交流あるいは平和的な交流というものにとりましても非常に大事な地位を占めるのじゃないかと思うんですが、そういった面を考えまして、陸の王者早稲田の復活ではございませんけれども、そういう方々のいろいろな選抜方法についても、やはりこれは私学の自主性もあるわけでございますから、いろんなところに縛られることなく大いに幅広く考えていただきたい、こう思うんですが、その点どうでしょうか。
#67
○公述人(西原春夫君) おっしゃることは私個人も大変痛感をいたしておりまして、現在、先ほど御説明を申し上げた新しい人間総合科学部の中のスポーツ科学科というのがございますが、現在教育学部の中に特別選抜制度というのがありまして、これは大変珍しいんですが、自薦制度です。高校からの推薦ではなくて、個人で自分はこれだけの成績を修めたという証拠書類とともに自薦をさせて、それで採用するというのが三十二人ありますけれども、これを拡大をして新しい学部に吸収するというふうに考えておりますので、これが一つの強化策になります。
 それから第二は、やはり学部で、ペーパーテストのすぐれた偏差値的秀才もさることながら、やはり何らかのことで大変すぐれてしかもそれを命がけでやってきたような学生が何%かいるということが学生層の多様化という点からも活性化という点からも必要であろう。これは単にスポーツだけではなくて、例えばスピーチコンテストであるとか文芸コンクールであるとかというようなものの優勝者というのでもいいので、そのような証拠書類を持った者を一定限度採っていくことを各学部で検討をお願いしたいということで検討しておるところでございまして、私どもとしては単にスポーツを強くするということではなくて早稲田全体の活性化とかあるいは活動分野の多様化ということが目標でございますので、おっしゃることについても実現をいたしたい、こう考えております。
 応援ありがとうございました。
#68
○佐藤昭夫君 佐藤先生にお尋ねをいたしたいと思いますが、今三宅島や逗子などで米軍基地建設の問題が重大化をしておると思いますが、先生の著書「地方自治体と軍事基地」なども拝見をしておりますが、憲法の地方自治の立場から基地問題をどう考えるべきか、政治のあり方について何か御所見がありましたらお話を伺いたいと思います。
#69
○公述人(佐藤昌一郎君) 今まで日本に設置されている軍事基地というのは、かなりの部分が旧日本軍が根拠地にしていたところをアメリカが全面占領のときに受け継いだ、あるいはその時期に新設されたものが圧倒的であります。そういう点で戦前の土地収用の経緯なども各地で調べてみますと、文字どおりサーベルと場合によると憲兵がやってきて有無を言わさず土地の強制売買に応じさせられたという実態があるわけですね。それで戦後は、今度は安保条約に基づいてそれがアメリカ軍に提供され、したがって、それから一部は自衛隊に移管されるというような形をとったために自治体がそれに対していろんな意思表示をすることがほとんど不可能であったわけです。
 それで、戦後地方自治法ができて、地方自治がある意味では日本では初めて法制化されたと言っていい内容を持っているわけです。この地方自治法の中に自治体の基本的な重要な任務として、住民及び滞在者の福祉及び安全を図ることというのが地方自治の基本原則として掲げられてきているわけです。それで自治体はそういう目的のために施策を行う。そうしますと、現代で住民の安全を守り福祉を向上させていくという一つの大きな柱に、地域の軍事化を拒否していくことが地域の安全にとって極めて重要だという論点が出てまいります。特に現在のような核の時代の場合には、その核を地域に置かないということで自治体としての責務を果たす、こういう運動が非核宣言運動となって世界じゅうに今広がっているわけですね。
 こういう観点で逗子や三宅の現状を見ていきますと、安保条約を盾にとって国と国との約束だから自治体も住民もそれに従うのは当然であるという、非常に一方的な論理で自治体や住民に基地の設置を押しつけているというのが実情でありまして、地方自治の中には団体自治と住民自治があるというのは周知の事実でありますが、こういう地域の住民の意思を強権的に押しつぶしていこうという施策は、憲法の重要な一つの基本原則である地方自治を政府自身がやっぱり否定するものと言わざるを得ないわけであります。
 それで、政府の論理を見ますと、どこかで引き受けてくれなきゃ困る、こういう言い方をしておりますが、実はこの問題を考える上で大変私は重要だと思っているのは、逗子の住宅建設の問題というのは、アメリカの第七艦隊、とりわけ横須賀の基地機能の強化と一体化したものである。それから三宅の場合にはミッドウェー艦載機の夜間訓練場ということでねらわれているわけでありますが、ミッドウェーというのは核積載の艦船であるというのは世界周知の事実であります。こういう意味で非核三原則に抵触すると同時に、核空母であるミッドウェーの強化に手をかすというのは、先ほども言いました非核三原則にも反するだけじゃなくて、地方自治の精神に全く反するものである。とりわけ三宅の場合には、圧倒的多数の住民が地域の農業や漁業を破壊されるのは嫌だということを根底にして反対運動をしているわけですから、政府がそれを尊重するのが実は憲法原則を尊重するということになるのだと私は理解しております。
#70
○佐藤昭夫君 もう一つお尋ねをしますが、きょうも冒頭強調されておりました軍事費突出の問題と表裏の関係として、今我が国で政治の反動化、新しいファシズムの危険が台頭していると思いますが、そのあらわれとして国家機密法いわゆるスパイ防止法案、昨年の臨時国会で廃案になりながら再提出の動きがある。また安全保障会議設置法案なるものがこの国会にも提出をされているわけでありますが、これらの問題についての御見解があればお述べいただきたいということと、新しいファシズムの動きと結びついて、天皇在位六十年キャンペーン、これが盛んであります。いわば戦前と戦後を一体のものとして天皇六十年を賛美しようというその意図、計画には極めて危険なものがあるのじゃないかというふうに思うのでありますが、以上あわせてお答えいただきたいと思います。
#71
○公述人(佐藤昌一郎君) 全部大変大きな問題なので十分お答えができないかもしれませんけれども、国家機密法についてはこれはもう初めから非常に危険なものであり、日本国憲法のもとではあり得ないものである。しかし、にもかかわらず、こういうものが登場してくるということは国民の基本的人権を制限しようという意図の一環ではないかと私は思っております。初め有事立法が国家機密法と恐らく裏腹の関係にあるのじゃないか。この有事立法の方は着々と今水面下で法案化が進められてきているわけで、大変重要なこれも問題だと思うんですけれども、やっぱり国家機密法の一番大きな問題は、国家機密とは何かということを必ずしも明確にしないで国民の知る権利を一方的に罰するという、あらゆる国民の知る権利の上に国家を置く、こういう発想がある。今出されるとしたら、この前は失敗したから今度は手直しをして軍事機密に限定をして出そうというふうに新聞で報道されておりますけれども、軍事機密の内容それ自体がやっぱり問題でありまして、こういうものは国会に提出すべきものではないと思います。
 それから、それとのかかわりで、やっぱり安全保障会議法案が既に国会に提出されております。これも読むと、非常に短い案文で非常に簡潔に書いてあるようですけれども、私が読んだ印象では、まず第一にこれはアメリカの国家安全保障法をモデルにしたなという点。アメリカの場合には大統領制をとっておりまして大統領の権限が大変強いわけですけれども、日本の場合には議院内閣制をとっているわけで、特定の個人に権力を全面的に集中するようなやり方をとれば大変危険な事態が生じてくるのではないか。
 もう一つ問題は、あの法案ではまだ何ら具体性がないんですね。重大な緊急事態というような表現をしておりますけれども、これが一体何かということについては何ら触れられていない。ただいろいろ検討していくと、有事立法の第一類、第二類に入らない、第三の部類をここで取り上げていくということが考えられているのではないかと思われます。
 それで、これも全体としてやっぱり国民の基本的人権を拡大するという方向ではなくて、特定の個人に権力を集中して、それで議会の上に執行権を置こうという意図がありありと見える。そういう意味で議会制民主主義と日本国憲法の精神に反する内容を持っていると私は言わざるを得ないわけであります。
 それから最後の、天皇在位六十年の問題ですけれども、実は私も、戦前と戦後を区別しないで一緒くたに考えるやり方にはもう絶対反対であります。なぜかと言うと私もまだ小さかったですけれども、軍国教育を受けて、特攻隊を志願して、本当に死ぬ覚悟をした時期がありました。幸い予科練の適齢期の前に敗戦になりましたので免れたわけですけれども、天皇のために死ぬということが国民の当然の義務であるという教育を一貫して教えられてきて、そういういわば価値観をずっと持たされてきたわけです。戦後、天皇制が象徴になって変わってきて、戦前と戦後はそういう意味で本来つながらないはずであります。これをつなげて考えるということになりますと、戦後改革の意義を全面的に否定することになりかねないというふうに私は思っております。
 それからもう一つ、最近出ました芦田元総理の日記がございます。あれを読んでいましたら、戦後、かの憲政の神様と言われた尾崎咢堂氏が芦田さんに、天皇は戦争の責任をとって辞めるのが妥当であると思うと。それで、憲法の記念式典に出てくれという要請に芦田さんがたしか行ったときに、その問題が片づかないうちは私はとても出る気持ちにはなれないと言って尾崎咢堂氏が断った、後になって出てくれるということにはなったわけだけれども。あの戦前のいわば議会の中で民主主義者として高い評価を得ていた尾崎咢堂氏すらそういう言葉を残していたということは、この問題を考える場合の一つの重要な論点になるのではないかというふうに思います。
 以上です。
#72
○抜山映子君 西原先生にお願いいたします。
 早稲田大学における外国人留学生の私費と公費のパーセンテージを教えていただくとともに、外国人留学生の公費留学の費用なんですが、確かにサラリーマンの初任給程度の額には達しているんですけれども、外国人であるがために余分な費用がかかることを考えれば、もう少し上げて、そして日本における学校生活をエンジョイさせて、満足して日本を好きになって帰ってもらわなくちゃいけないと私かねがね思うんですが、実情は大変に苦しくて、日本に反感を持って帰るという例が多いように聞いております。この点について先生の御見解をお願いいたします。
#73
○公述人(西原春夫君) 公費留学生と私費留学生のパーセンテージ、正確な数字は手元にございませんが、早稲田大学の場合には八〇%以上私費留学生で、公費留学生は非常に少のうございます。それは、現在国費留学生については授業料を国で負担するという建前になっていますので、私立大学の場合には授業料が高いということが根拠になっていると思いますが、例外はあるようですけれども、原則として国立大学に行っているというふうに聞いております。そういうことから私立大学への公費留学生の派遣は少ない、こういうふうに聞いておりますが、そのことそのものについても一つやはり問題があって、国立大学にも非常に留学生の扱いの上手な大学もあれば、しかしまだ受け入れ条件が整ってない大学もあるわけで、例えば中国からの留学生が国費留学生が非常に多いんですけれども、非常に不満を持って帰るというような事例があることも私、直接に聞いておるわけです。
 したがって、今の御質問とちょっとずれますけれども、国費留学生については、今おっしゃったような額の点についてもやはり若干問題があって、外国人として生活できる額というものをもう少し調査して決めていく必要があるだろうというふうに考えると同時に、国費留学生を原則として国立大学に派遣ということが一つの問題になっているというふうに思います。
 したがいまして、もし私立大学を希望する留学生がいた場合には、その差額負担というのは、つまり私立大学の学費も負担するというようなことでないと、今後問題がもっと大きくなるんじゃないだろうか、このように考えておるわけでございます。
 私どもの方でもまだ外国人留学生に対する奨学金を現実に支給するところまでいっておりませんけれども、やはりそういった問題があることを痛感をいたしておりますので、例えば国費留学生が早稲田大学に留学した場合には授業料負担が、差額はないわけですので、その差額をせめて大学の方で一部なりとも負担できるようなこと、さらには国によって生活が日本で非常にその額ではしにくいというようなものに対する奨学金を独自でやらなければならないんではないか、このように考えまして、これは一般学生の学費からすぐ出すという性格のものではありませんので、従来、二十年ほどかかって国際交流の基金を積んでまいりましたので、その基金を上積みすることによって、その利子の中から外国人留学生へ支出できるような奨学金を考えていきたいと現在検討をいたしております。
#74
○抜山映子君 ありがとうございました。
#75
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 以上で外交・防衛及び教育に関する意見聴取は終了いたしました。
 一言お礼を申し上げます。
 佐藤公述人、西原公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 速記をとめて。
   〔速記中止〕
#76
○委員長(安田隆明君) 速記を起こして。
    ―――――――――――――
#77
○委員長(安田隆明君) 一言ごあいさつを申し上げます。
 播公述人、細見公述人お二人におかれましては、御多用中にもかかわりませず、本委員会のために御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして、心から厚くお礼を申し上げます。
 本日は、忌憚のない御意見を承りまして、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度の御意見を順次お述べいただきまして、その後で委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 それでは、順次御意見を承りたいと存じます。
 まず、財政・税制につきまして播公述人にお願いいたします。全国青色申告会総連合副会長播久夫君。
#78
○公述人(播久夫君) お招きをいただきました私が全国青色申告会総連合の播でございます。よろしくお願いいたします。
 お手元に簡単なメモをお届けいたしたかと思いますが、まだ行っておりませんか……。
 それでは、まず第一点は、私ども青色申告というものは帳面を基礎にしておるものですから、国の会計制度を複式簿記にやっていただけないんだろうかということでございます。と申しますことは、青色申告者には損益計算書と貸借対照表が常に前提になっておりますが、国の予算書を見まするというと、租税収入でありますとか、専売納付金とか、あるいはまた官業益金収入、雑収入と並んで公債金収入というものが出ておるわけでございます。これを見ておりますと、この租税収入というものは、商売人で言えば売り上げに当たるわけでございまして、損益計算書に計上すべきものでございます。ところが、公債金は借入金でございますから、当然貸借対照表に出るべきでございます。これがどういう慣行なのか、昔から損益計算書、貸借対照表が一本になったような、はっきり言えばどんぶり勘定みたいなことになっておるのではなかろうか。これが実は、私は今日の財政再建というものを呼び起こした会計的な基本ではなかろうかとかねがね思っておるものですから、この意味におきまして、ぜひ企業会計的な発想をお取り上げ願いたいと思います。
 と申しますことは、率直に言えば、税収、売り上げが上がらないというと、すぐ公債という借入金に頼ってきたということについてどうも解しかねるわけでございます。企業的に言えば、まずは足りないときには見合った経費の節約を先に考えるべきところでありますけれども、そしてこのいわゆる借入金に相当する公債金というもの、貸借対照表にあるべきものでありますが、これに見合って、負債に見合った資産の内容をまだ私どもは拝見したことが余りないと思います。今話題になっておりますように大小会社区分立法でも監査が一番問題になるそうでありますけれども、御案内のとおり会社はすべて貸借対照表を公開するという意味におきまして、願わくは負債、借入金に見合った土地、建物という固定資産というのか、財産内容がわかりやすいような表示の仕方があって、そしてお互い財政再建を考えますときには貸借対照表の内容あるいは損益計算の内容からいろいろと批判、改善をすることが企業経営の基本になっておるところから、国、地方を通じましてこの会計制度につきましての複式簿記的、企業会計的な発想の転換をぜひともお願いいたしたいと思います。これが第一点でございます。
 それから、第二点におきましては財政再建に関連する基本的な考え方でございます。かねがね私どもは臨調答申、土光先生の臨調のお考え方、増税なき財政再建を支持いたしてきたところでありますけれども、今後におきましても次のような観点をお取り上げいただくと大変ありがたいと思います。第一は国、地方も遠慮をする、第二には国民も辛抱をする、第三点にその上でどのように納税者が協力するか、下世話で言えば三万損の考え方をとっていただければと思っておる次第でございます。
   〔委員長退席、理事降矢敬義君着席〕
 まず第一の国、地方におきましては、やはり財政再建のための行政改革を貫徹願いたい。特に、率直に言って恐縮ですけれども、まだ地方の行革がなまぬるいという感じを深くいたすわけでございます。と申しますことは、新聞紙上伝えられますように、給与水準が余りにも国家公務員と離れておるという問題でございます。率直に言えば、国家公務員は辞令一つでかなりな転勤があるわけでございます。また大会社のサラリーマンも今日単身赴任減税を求めたように、いわばこの転勤の問題が大変切実であろうと思います。ところが、地方公務員は多くは地元採用でございます。具体的には差し控えますけれども、田舎におきまして役場のお方が国家公務員を上回る給与水準になっておることは解しかねるのであります。田舎の役場はほとんど地元採用で転勤のおそれがないと聞いております。また事実だと思います。
 かような点で、国家公務員を上回るところの給与、特に退職金が今日問題であろうと思います。ということは、退職金が突出して高いところがあるわけでございましょう。このことは新聞で刻々伝えられている話題でございます。いわば納税者、税金を払ったお方よりはるかに高いというこの高額退職金にメスを入れるべきだと思います。自治省もこの是正にかなりなお骨折りがあるやに聞いておりますけれども、指導という域になりますと、なかなか強制力を持たないとか漏れ聞いておるわけであります。この意味で、できれば、むしろ地方交付税を出しますようなときに国家公務員を上回っておりますような退職金とか高給のところには自動的に交付税がカットできるような法的措置がとれないものだろうかと素人ながらに考えておるわけでございます。
 そして次には、お役人の方も損をするというか、遠慮した次には、国民もやはりあれをやれこれをやれということを慎んでみてはいかがであろうか。具体的になって恐縮ですけれども、年金を上げろとかあるいは医療給付をよくしろとか、教科書無償配付しろとか、あれをやれこれをやれということは、金のあるときは結構であったかと思うんですけれども、今日の財政危機のときにはいささか遠慮してもやむを得ぬのではなかろうかと思います。ということを言いますと、福祉の後退というおしかりがあるかもわかりませんけれども、私はやはりこの際、重点的に本当に困ったお方にはもっと手厚くする面もあってしかるべきだと思いますけれども、一律平等的なことについてはこれは一考すべきことではなかろうかという、第二は、そういったことを申し上げておるのでございます。そのようにお役所の向きも行政改革をやる、国民も遠慮した上におきましては、しからばまだそれで金が足りないというせっぱ詰まるときにおきましては、納税者も協力を惜しまないと思います。
 かようなときに、今いろいろと論議になっておる税制論議でありますけれども、後ほど申し上げたいんですが、大型間接税というのか、付加価値税的な構想につきましてはこれは賛成しかやるわけでございまして、そのような問題の前にやるべきことが多々あるのではなかろうか。現行税制の見直しの中におきまして、最近特にマル優論議というものが出ておることは新聞報道で伺っております。といたしましたときに、利子課税だけを問題にすることは私は片手落ちではなかろうかと思うのであります。やはり利子課税に並行いたしまして、配当課税というものをもっと議論すべきではなかろうかと思います。例えば法人関係には受取配当益金不算入の制度でありますとか、あるいは税率において配当軽課方式でありますとか、いわゆる大法人優遇と言われるようなものについては、この辺にメスを入れていただきたいと思うわけでございます。
 続きまして、今日的話題はアメリカの提案されておりまするいわゆる大統領提言なるもの、改正案なるものが大変我が国におきましても話題になっておるところでございます。その場合、どうも所得税、法人税率を下げるというのか、そういう所得税、法人税減税の中で、特に所得税率を、御案内のとおりに従来の十四段階と申しますか、これを圧縮いたしまして一五、二五、三五、あるいは今度三八がつけ加わるやに聞いておりますけれども、こういう税率がアメリカで下がるんだから、日本もまずは所得税率を下げるべきであるという議論のみが先行し過ぎておるんではなかろうかと私は思います。
 そしていわく、日本の最高税率七〇%はひどいじゃないか、高いとおっしゃるのが欠きぐ取り上げられておりますけれども、率直に言ってこの七〇%適用者は所得八千万円でございます。伺いますと、大会社の社長さんでも年収三千万円どまりと伺っております。先生方の歳費のことは私よくわかりませんが。そういう意味において、そして全体、八千万円以上のお方が日本の納税者人口のどれぐらいあるであろうか、取るに足らぬ数ではなかろうかと思うときに、実はこの税率が高いと勤労意欲を阻害すると言われるんですけれども、もうそういうお方は勤労によるところの所得ではなくして、あるいは利子、配当、譲渡といったようないわゆる資産所得による所得がほとんどではないでしょうか。かような意味において、私は同じ税率に調整を加えるならば、言われておりますように所得一千万円程度というのか、中堅サラリーマンの立場に立った調整は必要だと思いますけれども、最高税率云々のことにつきましてはいささか解しかねるのでございます。
 このような中で特にアメリカにおきましては、税率も調整するけれども、思い切った人的控除を倍増するということが案外日本では取り上げられていないと思います。と申しますことは、今まで一千ドル程度でありましたか、これを倍増するというアフリカの考え方、日本の場合はどうもこのごろあべこべで、課税は広く求めるべきであるというので、逆に控除を下げたらどうだ、こういう御意見も漏れ聞くのであります。
 けれども、率直に言って、ここで大いにお取り上げいただきたいことは、生活扶助基準との関連において問題があるのではなかろうかと思います。お届けいただきましたこの予算の説明書の中におきまして私は拝見いたしますというと、いわゆる生活扶助基準、今までは四人家族で書かれておりましたけれども、ことしの予算説明でいくと三人家族になっております。これはお手元の予算説明の十四ページに書かれております。これは一級地というと東京初め大都市地域におきましては、三人世帯で十二万六千九百七十七円と相なっているはずでございます。となりますと、年間に延ばしますと、十二カ月で百五十二万円でございます。去年は四人家族で出ておりまじた。千代田区役所の税務課の方の免税点ははるかに低いと思います。けれども、病気です、困ったですというと、年間三人で百五十二万くれる。けれども、所得税というものの今基礎、配偶、扶養控除は一人三十三万円でございます。延べで三人で九十九万円で一応課税最低限である。ところが、新聞に書かれておりますことは、給与所得者に対する給与所得控除との比較においてほどほどのところだと言われておりますけれども、そうでないお方に対しましてのいわゆる九十九万円では余りに開きが大き過ぎる。
   〔理事降矢敬義君退席、委員長着席〕
 住民税に至っては、基礎、配偶、扶養控除は二十六万円でございます。三人家族になりますと、幾らでございましょうか、もうお話にならぬ額であります。しかも住民税は生活扶助者には課税しないと断ってある。ならば、制度的にもう毎年のようにそれとのバランスで住民税を小手先のちょぼちょぼ直しておるようでありますけれども、やはりこの際改めて免税点とは何であるか、そしてそれが妥当であるかといえば、生活扶助基準と比べて余りに低過ぎるというところに御一考をいただければ幸いであります。アメリカは人的控除を倍増すると言っておる。この辺に私は学ぶべき点があると思います。
 と同時に、さて、ばんと大幅に上げるかわりにアメリカは雑控除を整理したいと言っておるようでありますが、この点もまた参考にすべきではなかろうか。例えば具体的に言えば、損害保険料控除が基本的に三千円でございます。もう今の当節、漫画ではないかと私は思うのでございます。かような意味で、基礎、配偶、扶養控除を思い切って上げた機会に、そういう損害保険料の三千円であるとか、ちょぼちょぼしたものは、雑控除は整理してみてはいかがであろうか。あるいはまた医療費控除、これが今日的話題になりますけれども、ぐんと大幅に倍増というのか、五割増し上げたようなときに、この医療費控除も今まで五万円という線があったかと思うんですけれども、思い切って上げる。そして長期入院療養費のようなものを考えてあげるというようなことをやれば、実は確定申告中の税務署の窓口の繁忙が半分解消するんではなかろうか。客減らしをやってもらいたい。ところが、論者の中にはかえってこれを下げるということを聞くことはまことに遺憾でございます。
 続きまして、法人税の問題に触れてみたいと思います。法人税を減税しろという声が財界筋というか大企業法人に多いと思いますけれども、私は本当に法人税が重いのかどうか疑問を持っておるのでございます。なぜならば、今株価が高い。そして終戦後は法人株主が三割で個人が七割であったと聞いております。ところが、今では法人株主が七割で個人が三割になっておる。何でこれだけに伸びたかといえば、私は恐らく法人の受取配当益金は課税されないという長所というのか、その利点を利用して株の持ち合いがあるということではなかろうかと思うのでございます。しかもその上に、今では株を法人筋が七割持って、金余り現象という見方もあるようですけれども、さらに都心を中心といたしまして土地の買いあさりが出ておる。要するに、株の次には土地を買えば、会社は借入金をして無理して土地を買えば、その支払いの利息は損金に落ちるという意味で、その所得を圧縮する知恵も出ておるやに見ておるわけでございます。かようなときに税金が重いというならば、そんな株買いの余裕もなければ土地買いあさりの余裕もないわけで、願わくは大企業法人に御協力をいただいてみてはいかがであろうかと思います。
 と同時に、実はそういうものを整理すると同時に、法人税を、同じ引き下げを議論するならば超過累進税率構造をとっていただいて、現在の最高の四三・三、下はたしか二三が一番低い場面があると思いますけれども、その中において刻みはどうか知りませんけれども、現在の税率の中での調整をやってもおもしろいんではなかろうか、かように私は思います。あるいはまた、私ども仲間から言われますことは、社団、財団の税金が安いということは民業圧迫の嫌いがあるわけでございまして、かような意味において、超過累進税率をとった中において社団、財団も、もうけ、収益事業に関する限りはこれは公平な会社並みの税率をやってもらいたいということが申し上げる点でございます。
 次は、地価上昇と税制に関連する問題でございます。と申しますことは、先ほど申しましたように都心を中心とし都会の地価がべらぼうに上がっていることは御案内のとおりでございましょうが、そのことが第一に固定資産税にはね返っておるという事実でございます。かような意味合いで、実は私ども商売人はそれを売って商売をやめる、移るということはなかなか困難でありますが、またサラリーマン諸君も固定資産税が上がることによって実は生活を圧迫されておる。こういう事実から見れば、三年目ごとに評価がえをやるわけでありますけれども、これは御案内のとおりに大変迷惑をいたしておるところでございます。かような意味合いで評価がえをやるときには、その上がる率に即して税率を自動的に引き下げるように御配慮をいただきたいと思っておる次第でございます。
 そのことは、またさらには相続税にも関係を持つわけでございまして、御案内のとおりに相続税の基礎控除はこの十年来据え置かれておりますので、改めて根本的に見直しをお願いしたい。と同時にまた、中小企業仲間は承継税制ということについてかねがね要望いたしておるわけでございます。時間もございませんので、また御質問等あれば述べたいと思います。
 最後には、みなし法人課税、これこそ実は私どもの一番お願いすべき点でございますが、今日的話題でございます。しかし私は、やはり働く者はサラリーマンであろうと、同族会社であろうと、個人業者であろうと、この支払い給与を認めることは当然のことであると考えております。この点もまた御質問あれば詳細を申し上げたいと思います。
 最後に、大型間接税になりますと今日的ないろいろな論議を呼んでおりますけれども、先ほど申し上げましたように売り上げの都度かけるということは、流通業者、小売やサービス業者にとって甚大なる影響を持っております。かような点で慎重に対応すべきであろうと思います。率直に言って、これにかわるべき代案も持っておりますけれども、今メモをちょうだいいたしまして、もう時間が参ったよということですから、また御質問があればお答えをすることにいたしまして、ちょうどお時間なのか延びたのか存じませんけれども、御清聴まことにありがとうございました。
#79
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 それでは次に、国際経済・金融につきまして細見公述人にお願いいたします。海外経済協力基金総裁細見卓君。
#80
○公述人(細見卓君) ついこの間までは国際経済というようなことは何か疎遠なことで、ちょっと西洋かぶれしたやつがしゃべっておればいいことだということであったわけでありますが、最近におきましてはやれ油が下がる、やれ円が高くなったというようなことでそれがもう即国内経済といいますか、外と内とが区別できない、別々のものとして処理できないというようなことになっておりますので、その意味で私などは、もう今や外のことと内のこととを区別して施策を講ずるといいますか、政策を考える時代は終わったのではないかというような感じがいたすわけであります。
 ついこの間まで世界で厄介な問題と申しますと、一つはアメリカが財政の大赤字、あるいは貿易の上で大赤字を出しておって、しかもそれが高金利につながり、その高金利がドル資金に金を呼び込んでドルが高くなり過ぎる、そういうことで日本や周りの国は一方でお金がみんなアメリカへ行ってしまうというので困ったわけでありますし、またアメリカ自体はそういうことでドルが高くなって産業が空洞化するというようなことになって困ったわけであります。そういうアメリカの二つの赤字とか双子の赤字とか言われるものが一つあります。
 それから、ヨーロッパは御承知のようにここのところ大分よくはなってきましたけれども、失業問題がなかなか片づかない、経済が停滞の域から脱し切れない、しかも社会が古くなっておりますので、いろいろな因習があってそれを思い切って乗り越えるというのがなかなか難しいというのがヨーロッパでありました。
 また、いわゆる発展途上国と言われる国におきましては、一次産品が軒並みに値下がりしておる、すすとかゴムとかいうものについての国際市場が成り立たなくなってしまったというようなことについては、もう既に皆さんも御存じのことでありますが、ただ唯一の例外は、コーヒーだけが不作のために多少高いというようなことでありますけれども、ついにその一次産品の値下がりというのは油にまで及びまして、石油の値下がりというのはどこまで行くのだろうというようなことが言われるようなことで、発展途上国といいますか、単一の生産物に経済が頼っておるようないわゆるモノカルチャーと言われる国は非常に困っておる。
 最後に我が日本が残るわけでありますが、日本の膨大な貿易の黒字というものがどうもほかの我々の仲間の国々にとってはとても耐えられない、日本だけがそんなにお金をため込んだんでは我々はやっていけないという声が非常に高くなり、そのために貿易の面におきまして保護貿易主義というようなものがアメリカで大変強くなったことは皆さん御存じのとおりであります。
 ところが、その保護貿易主義ということもそうでありますけれども、我々よく考えなきゃならないことは、保護貿易主義というようなことをやってみても、結果的には弱い産業を保護し国全体としてはマイナスになるんだというのは理屈の上で出てくるわけで、ところがその理屈というのがなかなか通らないというのが昨今の世界の政治経済の情勢で、例えば今の日本に例をとってみましても、円が高くなるということは端的に申し上げれば少し輸出してたくさんの物が買える、だから我々にとって、国全体としては大変有利になるわけです。ですけれども、少ししか物を出せなくなることによって打撃をこうむる人の声の方が、今までと同じ金でたくさん物が買えてそのために生活が豊かになるはずの人のところへいわば恩恵が及んでくるのには時間がかかるとか、あるいは日本の場合でありますといろいろ規制料金があってそういう値下がりというものが出てこない。
 省らに根本的には、入ってくるものが主として原料とか材料とか燃料とかいうものでありますから、安い物が入ってきてもそれが製品になるのには半年とか一年とかかかるわけでして、一体円が高くなってだれも得をしないじゃないか、損をするじゃないかというような、あるいは中小企業の仁の苦労に耳をかさないのかというような声が専ら出てくるわけでありますけれども、もともと貿易と申しますものは、為替レートというものを変えますとよくなる人が半分で悪くなる人が半分ということでありますし、円が高くなりますということは、先ほども申しましたように、少し物を売ってたくさんの物を見返りに買えるということですから、交易条件がよくなるわけですから本来はよくなるはずなんですが、そのよくなるまでに出ていくのになかなか時間がかかる。
 その逆に、アメリカのように貿易に直接さらされておるものが、耐久消費財だとか自動車だとかいうようなものになりますと、ドルが安くなりますと買う物がすぐ高くなる、だから、なぜ日本の自動車を買わないんだという話に一方ではなってもっと自由貿易をとるべきだという考えになりますし、一方では、日本からの自動車だとか鉄とかの輸入で工場がつぶれてしまった、だから保護貿易をとるべきだという話になるわけです。ですから、自由貿易か、あるいはドル高がいいかドル安がいいかというようなことについて割合早く国論が双方に分かれて引き合う格好で沸騰するわけでありまして、ですから皆さん御存じの、アメリカでたくさんの保護法案が出ておりましても国論が沸騰するわけでなかなか通らない。円が安くてどんどん安い物が入ってきてアメリカ人は楽しておるじゃないかという人が一方ではある。一方では、いやそのために我が選挙区の何とかという工場はつぶれた、何としてくれると言う人が一方ではおられる。なかなかそれが全体の世論にならないというのがアメリカの今までのあり方であったわけです。
 そういうことで、保護貿易主義というのが非常に出てきて世界を困らしておるわけでありますけれども、その結果、日本はどうしてくれるんだ、何とか黒字を減らしてくれないかという話になったわけですけれども、我々日本人としては、五百億ドルというような黒字を日本が稼いだといったってそれは一体だれが持っておるんだ、どこへ行っちゃったんだという話になるわけで、今のようにそのメリットというのがずっと拡散するといいますか散らばってしまって、だれが本当にメリットを得たのかわからないというシステムになっておる。それはなぜかと申しますと、どちらかといえば製品を輸出して原料を輸入する国なものですから、製品が輸出しにくくなるデメリットというのはまず出てくる。安い原料や燃料が買えてそれで安い物ができて、安いいろんな物が買えて、我々の生活が同じ金で、同じ一万円なら一万円で豊かになるというメリットというのは後でしか出てこないと。
 これが、日本で円の切り上げとかあるいは為替レートが動くときにいつも起こってくる問題であります。しかも、その金額が五百億というような大きな金額になりますと、これは皆さん御記憶のOPECがかつて石油の値段を上げて世界じゅうを撹乱したというときに、OPECに集まってきた金と言われるのが大体五百億ドルなんです。日本の今の金と同じことなんですね。だから俗にアジペック、アジアのペック、あるいはジャペックというのもあります、日本のペックという意味で、とにかくそういうことで、あのサウジアラビアにお金がたまるということでもう世界はひっくり返るといったときの同じことを日本が今やっておるわけですね。しかも、やっておって、自分たちがそういうことをしておるということに余り意識はないし、ましてや自分たちがそのために豊かになったとか金持ちになったとかいう意識が出ないというのが、日本の国際問題に対する対応の仕方が非常におくれるゆえんでございます。
 私の説と申しますよりも、外国人がどういうことを言うかと申しますと、確かに日本は非常にいい物をつくって黒字がたまってしっかりやっておる。その結果、アメリカが今までありますように千億とかあるいは年に千数百億とかいうような金をここ二、三年のうちに日本から借金するというような事態に仮になったといたしますと、そういう事態というのはどういうことか日本人は本当に考えておるんだろうかと。なぜかと申しますと、千億ドルというような金を借りたといたしますと、大体利息を払うだけで百億ドルぐらいの金を返さなきゃいかぬわけです。アメリカがもし日本を踏み倒さないとすれば、日本に百五十億ドル黒字を稼がなきゃ返せないわけですね。もし日本がアメリカに百五十億ドルも赤字をつくって一体日本はどこから油を買う金を探してくるんだ、そういう経済というのは世界にあり得るかということはだれが考えたってわかる。どうして日本人だけがわからぬのだと。それで五百億ドルが何でたまるんだろう、あるいは六百億ドルが何でたまるんだろう、これで輸出ができなくなったらどうするんだろうといって日本人はなぜひとり騒いでおるんだというのが、我々じゃない外国の人間が考えておることで、我々はそうじゃなくて大変なことだ、政治的に大問題であるといってやっておるわけでありますが、その辺の食い違いというのは、やはり何といいますか、全体を見れる皆さんのようなお立場の方がお考えになる問題です。
 とにかく、こういう格好でやっていったのでは日本が世界じゅうの金を吸い上げてしまうという格好でも世界が困ってしまうわけでしょうし、またそれを貸した、それで返してもらうというようなことになりますと、これは日本はアメリカに対して年に百億ドルとか百五十億ドルとかいう赤字をつくってあげない限りアメリカは払えないという事態になるわけで、もしアメリカが昔の前田侯が銭屋五兵衛をいじめたようなことをしなければ、返さなきゃならぬわけですね。前田侯は銭屋五兵衛をつぶしてしまったわけですね。ですから、どっちをとるかというのは日本人はちゃんと知っていていいじゃないかというのが外国の人たちが考える考え方であるわけで、ところがこっち側では、いや輸出ができなくなって大変だ大変だ、どうしてくれるんだと、こうなるわけでありますが、もし全部輸出ができれば黒字は減らないわけで、ましてや油が年に百億ドルぐらい減るわけですからこれは大変な黒字になるわけで、その辺をどうするかというのはひとつ皆さんにぜひお考えおき願いたいことだと思います。
 もう一つは、円の値上がりに絡みまして、私は今のレートがいいのかあるいはどれぐらいのレートがいいのかそれはわかりませんけれども、こういうことは一つ言えるんだと思うのですね。アメリカは御承知のように、ニクソンのときにアメリカのドルが高過ぎてどうにもならぬ、だから何とかドルを安くしようということで切り下げましたですね。それがずっと続いてカーター政権のところまで来たわけですけれども、そこでわかったことは、ドルが安過ぎるということはアメリカがインフレになってしまう、輸入品が高くなってアメリカの経済がやっていけなくなるということで、カーター政権の中ごろからドルを強いドルということでずっとやってきたわけですね。強いドルは強いアメリカのシンボルだというようなことで、強ければ強いほどいいんだと言わんばかりの政策をとったわけでありますが、その結果は、御承知のように、アメリカの産業が空洞化するとか輸出力が落ちるとかあるいは貿易赤字が非常に大きくなるとかいうことになりまして、これじゃいかぬ、やっぱり安過ぎるドルもいかぬ、高過ぎるドルもいかぬと、そういう意味で為替レートというようなものは自由に変動さしておけばいいんだ、何とかなるんだということでやってきた。
 アメリカとかあるいはそのほかの国々の考え方も、ヨーロッパは初めから通貨というのは多少安定してなきゃいかぬというので皆さん御承知のEMSというのをつくっておるわけですが、アメリカと日本というのが比較的変動相場制というのはそのままでいいや、それぞれの国が自分の国で一番適しているやらなきゃならぬ政策をやって、その結果多少インフレになったりデフレになったりした結果は国境で、為替レートで調整すればいいじゃないかというのが今までの考え方であったわけですが、アメリカもそうでありますし、やはり日本もそうであります。余り高過ぎるドルというのはアメリカにとってもよくない、余り安過ぎる円というのも結局めちゃくちゃに黒字がたまってよくないということがわかってきたわけで、それが何円かというのがわかればいいわけでありますが、やはりどっかで適正なレートというのはあるはずだし、そういうものを大事にして政策を運用しなきゃならぬという感じがわかってきたというのが、いわゆる五カ国蔵相会議での話し合いの背景であります。
 そういうことで、そこまで来たんだから、それじゃもう固定平価にしたらいいじゃないかとか、あるいはよく言われるターゲットといいますか目標圏だとか、いろいろな話がありますけれども、例えば日本円一つとってみましても、アメリカのヤイター通商代表は百七十五円がいいとか、あるいはバーグステンという前の財務次官は百六十円がいいとかいうようなことを言うわけでありますし、日本の方ではまあ二百円ぐらいはなきゃ困るというわけですから、そこでもう三、四十円違っておるわけですね。これを違いを埋めるということができないのと、それからどっちが正しいんだということをだれもが決められない。百六十五円がいいのか百八十円がいいのか百九十円がいいのか、どうやって決めるんですかということが、私が幾らだと思ったとしましても、日本側が幾らだと思ったとしましても、アメリカがそれは嫌だと言えばレートというのはできないわけですね。アメリカもそうと思い、日本もそうと思うところでレートというのは決まるわけですから、そのアメリカもそう思い日本もそう思うというのがまたなかなか決まらない。日本の中でも非常に競争力の強い産業の人は、いや百八十円でもいいとおっしゃるでしょうし、それほど競争力の強くない人は百九十円でなきゃ困るとおっしゃるわけでしょうから、国内でも決まらない、外でも決まらない、それをやれないところが、ここまで来てもう一歩という感じはするわけですけれども、何だか通貨というのはふわふわしたものだとお思いになるかもしれませんが、それが現状で、今日の混乱といいますか、市場任せというような動きになっておるわけであります。
 そういうわけで、これからの経済の運営の仕方というのは、やはり国際的なものを背景に置いてといいますか、念頭に置いてやらないとうまくいかない。アメリカのような大きな国ですら、為替レートというのはもう本当にどうでもいいんだ、もともと資源の豊かな国で何だって自給自足ができるんだからそういうものはそんなに気にしなくてもいいんだというので、国内に対する影響を無視してニクソンとかあるいはレーガン大統領とかいう人がやった結果というのが今日のようにしっぺ返しを受けて、やはり何かきちっとした軸というものとして為替レートというのを考えておかなきゃいかぬ。と申しますのは、日本にしましてもアメリカにしましてもヨーロッパにしましても、あるいは第三世界にしましても、国際的な仕組みの中に相互依存度を非常に色濃くしてきておりますから、別々の行動というのはやはりとれない。その意味で、先般公定歩合というものを、もともとでありますと公定歩合というのはすぐれて主権の問題だということで、人様と相談して、よその国と相談して公定歩合なんというのはとんでもないと言われておったことが、今日はもうそういうものはごく当たり前のことだ、むしろなぜ今までやれなかったかというような感じが今になってするぐらい、国際経済の何といいますかまざり合いの度合いというのはだんだんと深くなってきておるというのが、私の国際経済について申し上げることのすべてでございます。
 どうもありがとうございました。
#81
○委員長(安田隆明君) どうもありがとうございました。
 それでは、これより質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
#82
○宮島滉君 播副会長さんにお尋ねをいたしたいと思います。播副会長さんには青色申告の普及のために大変平素御尽瘁になっておりますことを心から敬意を表したいと存じます。ただいまお伺いいたしておりますと、大変うんちくを傾けた見識でございまして、私ごときが大変浅い知識で御質問をいたしますのはいささかじくじたる思いもいたすところでございますが、二、三点お伺いをいたしたいと思います。
 まず、六十年度の確定申告が終わったわけでございますが、その所感もお持ちであろうと、かように存じます。先ほどから伺っておりますと、たまたま当委員会におきまして地方公聴会を昨年度いたしたわけでございますが、その折に公述人から重税感の訴えがございました。ただいま副会長さんからお伺いいたしますと、その重税感というのは、いわゆる累進課税が七〇%、それからまた地方税所得割、いわゆる所得税区分に対します標準税率、これが二・五%から一四%に十三段階に相なっておりますが、これを超えますと約八四%と極めて高い税率に相なるわけでございます。それについて少なくとも減税策はとれないのか、そのような御意見でございました。
 残念ながら、六十一年度予算編成に当たりましては税制の改正並びに減税策は見送られたわけでございます。したがいまして、六十二年度の予算編成に当たって恐らく抜本的税制の改正なりあるいはまた減税策がとられる、かように存ずるところでございますけれども、そのような中で、今お伺いいたしますと、やや重税感というのは、副会長さんからの御意見によりますと、いわゆる意識すること自体が極めて問題ではないのか、中身というものを十分知り尽くせば、少なくとも八千万からの高額所得というのはごく限られた人であって通常は三千万程度ではないか、そのようなことであるようでございます。したがいまして、いわゆるサラリーマン減税を積極的に進めることがやはり極めてベターではないか、そのようなことでございますけれども、現在やはり国民のすべてが、やや累進税率も含めながら重圧感を感じている、このようなことでございますが、改めてその点についてお伺いをいたしたい、かように思います。
 それからもう一点は、青色申告をいたす場合に、いわゆる総収入に対します所得税の計算はできるわけでございます。したがいまして、それによって納税額が決定いたします。しかし残念ながら、その税額がさらに地方自治体にいわゆる回付されまして、そうして地方税がそこによって計算がなされ後日通告がなされる、こういうことでございます。したがいまして地方税、いわゆる住民税の課税については、標準課税がどこでなされたのかということについては納税者そのものは実は後でもって知る、そのようなことに相なっておるわけでございます。したがいまして、先ほど副会長さんおっしゃいますように、もう少し行革も地方自治体もすべきではないか、このような御意見でございます。
 したがいまして、その点からいたしますと、青色申告時点で地方税すなわち住民税まで計算ができるわけでございますから、そうしてまた、青色申告をする納税者というのが少なくともそのように住民税までどの程度になっているかということを知ることも私は極めて有意義ではないか、そのように思うわけでございますが、あわせてその点についてどのようなお考えでいらっしゃるのか、お尋ねをしたいと思います。
 お答えを伺った後、時間がございますれば重ねて御質問させていただきたいと思います。
#83
○公述人(播久夫君) 大変貴重な御意見だと思います。
 まず第一点、私どもはサラリーマンの立場も配慮したいと思っております。ということは、体が働くという意味におきましては、私の仲間ももう、おやじ、女房、家族一同の働きであることはサラリーマンに負けない点でございますから、その意味において、巷間残念ながらどうもサラリーマンと商売人を仲たがいするような論議がありますけれども、私どもはあえてさようなとり方はしておりません。
 したがって、先ほど申し上げたのは、アメリカの方の税率、確かに思い切った、三段階、四段階に下げるわけですから、という意味だけが誇張されてしまって、しかも言っておられるお方は、最高税率は世界に類がないと言うけれども、八千万円を超えたというのか、これは数字的にちょっとわかりかねますけれども、少なくとも五千万円超はまだ今、日本では二万人あるかなしと二、三年前に聞きました。となると、全体の納税者の数から見るとコンマ以下でございまして、今何百万人あるのかとしたときには〇・三ぐらいでなかったかと私ども前ごろ見たわけでございますが、この大勢は余り変わらないと思うんですけれども、特に今の資産所得重点ですから、そういうお方は。となれば、勤労性所得というならば、やはり今の話題になって、先生もさようなお気持ちだと思うんですけれども、一千万円ぐらいまではお互いさまでございますからよくわかるわけですが、ということを申し上げて、したがって、税率調整はやらぬでいいということの意味は申し上げていないつもりでございます。相なるべくはそこに重点をかけてやっていただければという感じは持っております。
 それと同時に、これは全体的に言えば控除の方こそが問題でありまして、控除はだれかれなくやっぱり最低生活費は免除してやりたい。やはりよく学者先生方の、今の基礎・配偶・扶養控除の本質論ということになりますと、今まで私が理解するところは最低生活に課税せずというように教わったと思います。と同時に、先ほど申しましたように、この生活扶助基準、これこそは、最低生活ぎりぎりは保障してやろうという趣旨だと思うんです。何か書いてありますね、生活保護の条文に。憲法で保障するとか、大きく書いてありますが、という意味が今の免税点では保障されていないんではないか。
 かねがね私、主税局のお方と主計局のお方両方に聞いてみるんです。どっちが高いか、安いか議論があると思いますよ。いやしくも主税局の方じゃ一人三十三万円が最低生活費と思うのか、あるいは主計局の方は今の扶助基準が妥当と思うのか、その辺綱引きがあるのかないのか、これは先生方の御判断も必要だと思うんです。という意味を見たときに、私お願いしたいのは、少なくともまじめに税金を払うために、ごまかさなくてもいい税制を与えてやってもらいたい。そうした上で悪いやつは罰してもうっても結構だ。ちょうど子供の教育と一緒だと思うんです。悪い悪いと言う前に子供の環境整備をやっていかないといい子供はできないように、よく今クロヨンと言われますけれども、そういう環境整備もまずやっていただきたいという意味で控除の方に重点を置いたつもりでございます。
 それからもう一点は、例の所得税と住民税の関係、実はこれは私大変あれですけれども、昔私が税制調査会の専門委員をやっておりますときによく言われたのは、所得税の申告書を書いたらまた住民税を書いて、そして事業税というのがうちの仲間にあるわけですから、同じ申告を三通書かなきゃならないという手間暇があったわけです。それがたまたま川崎市長金刺さんのときに、川向こうでは所得税を申告したお方には住民税要らないよということを我々キャッチしたものですから、それを特にお願いしましたものが今三税申告の一本になりましたから、所得税を申告すれば住民税要らぬ、わけて事業税も要らぬ、このことはサラリーマンのお方にも簡単になっておるという簡素化の意味においてよろしかろうと思います。
 その意味で、私どももっと期待したのは、地方税の事務当局がかなり人手間が要らぬからちとおつりでもくるかと、ならば国税の方に応援でもできるかというと、これは国と地方、別々ですから必ずしもそうなっていないという見方でございます。大方の業者の希望は、むしろもう一歩進んで、国税、地方税を一緒に納められるようにしてくれというのがかなり大きい希望でございます。ところが残念ながら、ここにまた先生方、専門家もいらっしゃるかもわかりませんが、それは地方自治の独立の精神に反すると言われるんですけれども、やはりいろいろな意味の行政改革、簡素化から見れば、一本申告、一本納税ができれば業者としては法人、個人とも手間が楽になると思います。あと納めたものが配分されてどう使うかを議論するのも地方自治だと思うんですけれども、何かその辺は通りません。ということで御期待に沿えたかどうかということでございます。
#84
○宮島滉君 続いて播副会長さんにお尋ねをいたしたいと思いますが、副会長さん、お時間がなくて大型間接税につきましての御説明が少し足りなかった感じもいたすわけでございますが、そのことについてお尋ねをいたしたいと思います。
 総理はしばしば、多段階、包括的、網羅的、普遍的大規模な消費税は考えていないが、EC型付加価値税は多段階的なものであるのですべての消費税の導入については否定しないと、このような発言をなさっておるところでございます。そうなりますと、そのすべての消費税の導入については否定しないがということでございますが、じゃ、ほかにどのようないわゆる消費税の導入の仕方があるのか、その点ひとつお考えがございましたら伺わせていただきたい、かように思います。
#85
○公述人(播久夫君) 私、必ずしもそういう意味の学者的専門家でございませんけれども、私も実は今から十何年前になりますか、ヨーロッパのEC型付加価値税を日本租税研究協会のメンバーとしてヨーロッパを見てまいりました。という中で今うわさになっておるものは、EC型の付加価値税、付加価値税と言われておるということに対しましての私どもの仲間の気持ちは、少なくとも小売・サービス業にそのことが大変迷惑であるという気持ちでございます。といたしますと、具体的に言いますと、学者はいろいろこれを採用すべきだという論文もございます。また業界人は反対と言っておるんですが、よく言われますのは、業者が取引の都度かけるインボイス方式というのか、これをやられるということによって売り上げのごまかしがわかるから反対ではないかという学者論文を見ましたときには、私ども青色申告者はもう今既に帳面をつけていますから、所得はまじめに申告しようとしてやっておるわけですから、何もごまかすから反対だというんじゃなくてあべこべだと思うんです。
 ということは、一番問題なのは転嫁ができないということ。学者はよくお客様からいただけるだろうという前提に立っておりますけれども、率直に言えば私ども仲間の小売屋は値切られるということです。これはもっと税率が大きくてちゃんとわかるならまだしも、例えば千円というものに五%というと五十円なんです。となると、とにかくまけておきなさいよと。いや、私どもは青色でございますからもうちゃんといただいて納めなきゃならぬと言ったときには、いいですよ、なら隣へ行ってくると言われますと、残念ながらまだ白がかなり残っておるものですから、白というのは売り上げの方は残念ながらあいまいかと思うんです。としたときに、結構です、お客様お望みどおりまけますよと言わないと、青色のお客が白に逃げてしまうということ。と同時に一番心配なのは、スーパーあたりは今千円の物が千円で売れない、九百八十円政策があるわけですから、というときに乱売競争が始まると。下手したらスーパーの広告に、新税、付加価値税、当店で持ちますなんてやられたら、スーパー自体も競争激化になるし、百貨店が巻き添えを食うという意味において流通業界が困ると言っておると思うんです。
 それからもう一つ。学者のお方には、サービス業にも課税したい、もう今じゃ物からサービスの時代だとおっしゃるんですけれども、実は私ども仲間で一番困っておるのは、サービス業こそ青色申告が一番難しいと言われておるんです。ということは、もっと具体的に言いますと、料理飲食等消費税といいますか料飲税、あれは残念ながら現実的には割り当て課税が今なお多いそうでございます。ということは、これまた業者が悪いのじゃなくてお客様が憩いことをしむけてくる、一杯飲み屋に。ホテル、料亭はしっかりやるでしょうけれども、一杯飲み屋に行くと、おかみさん、受け取り要らぬからうまくやっておいてよというようなことであいまいになってくる。実はこのような末端サービス業界が果たして的確にいくのかどうか。
 事を結論的に申し上げれば、大型間接税、庫出税、いろいろありますと、何かカナダにもあるとか漏れ聞くし、アメリカじゃ小売課税が州税でよくやっているじゃないかと言われるんですけれども、いろんなことを御検討いただくのはいいんですけれども、お願いしたいのは、理論上制度的には理屈はいいかもわからぬけれども、税務執行がたえられないものはやるべきでない。わけてアメリカ大統領のことをまた言えば、向こうの財務省が付加価値税導入を検討はしたけれども、連邦税務職員を二万人新規採用するし金がかかる。と同時に納税事務コスト、徴税コストもかかればまた納税者も事務負担が大変多いので、両々相まってやらないといったことに、今後お互い参考とすべきではないか。
 そのとき、私の代案と申しますのは、うちの青色申告仲間には酒屋さんが多いんです、昔から。間税の御親戚づき合い。醸造家もおれば小売屋もいる。その酒屋さんがおっしゃることは、元で一遍だけ取るように考えてくれ、ピールみたいにしてくれ。ということは、ビールは四社で数千億円いただけで完全転嫁が効いておるから、そういう大企業の御協力をいただいて元で一遍だけ取るような制度ならばお互い協力ができるじゃないかという知恵を前に出したんですけれども、余りそんなことを今から言うなよという御意見も漏れ聞くものですから、まあしかし何かあるか、知恵はと。先ほど私は代案もありますというのは、元で一遍だけ、しかもそれも町工場にかけるんじゃなくて日本の数社で全部つくっているような品目があると思います。かようなものを、庫出課税の御検討は最後の最後です、これも。初めは行革精神、そして国民も遠慮して後ならばこれまた一考に値すると私は考えております。お答えになったかどうか。
#86
○宮島滉君 ありがとうございました。
 細見総裁に一点だけお伺いしたいわけでございますが、総裁は総理の経済ブレーンとして大変御活躍の御様子でございますが、その御労苦に対しまして深甚なる敬意を表したいと存じます。
 昨年対外経済摩擦解消のために円安調整協議、すなわちG5がなされまして、今日円高、その効果があらわれているわけでございます。総裁もその折に大変御苦労されたと伺っておるところでございますが、総裁には今日の急激な円高に至ることについてはどのようにお考えになっていらっしゃったのかはかり知れないわけでございますけれども、今日の円高についてもろもろ対策がとられているところでございます。一つは既に二次にわたります公定歩合引き下げがなされましたし、また聞き及びますと第三次公定歩合が大幅に引き下げられると、そのように伺っておるような次第でございます。
 先ほどから総裁の公述を伺っておりますと、いわゆる円高は日本経済にとってマクロ的に見るならば非常に国益になるんだと、そのような御意見でございます。確かにそのように存ずるわけでございますけれども、目下の当面の問題は、いわゆる中小企業におきましてはこの円高対策は極めて喫緊な課題に相なっていることは言うまでもないわけでございます。したがいまして、円高によるいわゆる公定歩合の引き下げ、それぞれ企業におきましても私はその効果は多分にあるであろう、このように存ずるわけでございますけれども、公定歩合が即為替レートの歯どめになるのかどうかということについて総裁の御見解をひとつお伺いしたい、かように思うわけでございます。
 それからまた、公述の中で伺っておりますと、為替レートの市場変動は市場に任せるべきだという御意見にも伺ったところでございます。しかしながら、過般の新聞報道によりますと日銀が市場介入をしたんだ、そうして円安にしむけていることが掲載されていたわけでございます。そういたしますと、総裁の先ほどの公述とはやや矛盾するんではないかという感じを持つわけでございますが、そこらあたり総裁はどのように御見解をお持ちになっておるか、お伺いをいたしたいと思います。
 以上でございます。
#87
○公述人(細見卓君) お答えを申し上げます。
 金利の引き下げと申しますものは、もう皆さん百も御承知のように割合効果が緩やかなものなわけでございますね。金利を引き上げて引き締めるというのは非常に速効的なものですけれども、引き下げというのは、だれも金利が五分安くなったからそれじゃ借金しようかというわけにはいかぬ。新しい仕事をやる環境ができてきたということはありますけれども、今まで金利負担があった方が金利が下がった分だけ楽になるということはありましても、いやそのために今度新しい設備でもやってみようかというところまではなかなかいかない。いわばそういう意味で非常に遅効的と申しますか、ゆっくり効果が出てくるわけで、刺激策としてはやはりもう少し大胆な施策というのがいろいろ要るんじゃなかろうか。
 それはもう端的に申し上げますれば、中期的に、やはり外国に輸出しなくても、とにかくたくさん多くの物が輸入できるようになった、あるいは安く輸入できるようになった、そのうまみを使って今までと違ったような産業を興していくとか、あるいは今までできなかった例えば住宅のようなものをこの機会につくるとか、それは余り海外から木材が入ってきちゃまた別の問題が起ころうと思いますけれども、少なくとも外材などはうんと安く買えるようになるわけですから、この機会にもし税制とかあるいは金融の面で援助をすればかなりのことができる。
 そういう体質を変えて、つまり為替レートというのは、端的に申し上げますと、体温のようなものなんですね。ですから、そういう意味におきまして経済の体質を直さないと、体温だけ、昔体温計をこすったりなんかしたことはありますけれども、それじゃ、やっぱり直らないので、そういう意味でレートにふさわしいような体質に一日も早く合わせていくというのが第一だろうと思います。
 それから、おまえは市場に仕しておくよりしようがないじゃないかと言いながら、日本銀行はこの間介入したじゃないか、効果があったじゃないかと。おっしゃるとおりでございまして、短期的に、つまり政府とか日本銀行とかいうところが何を考えているかわからない、市場では、丸橋忠弥じゃございませんけれども、ちょっとやってみた、そうしたら浅かったか深かったかというようなことになるときに、君は行き過ぎているよというサインを出す効果はございますけれども、日本銀行の外貨準備を全部足しましても百数十億ドルでございます、使えるものは。それに対して一日にニューヨーク市場で取引される金だけでも五百億ドルとか六百億ドルということになりますから、真正面から立ち向かうということになれば蟷螂のおのになるわけで、その意味で、ただしかし、丸橋忠弥のような人が来たらこつんと当たるということは、大いにそれなりに効果があるんだと、かように思います。
#88
○宮島滉君 ありがとうございました。
#89
○稲村稔夫君 播副会長さんには大変ユニークな視点を含めてのいろいろと御提案をいただき、また御意見を聞かせていただいて大変参考になりました。また、細見総裁には大変今国際化の中で我々がどう考えなきゃならないかという一つの視点をいろいろとお話をいただきまして、これもまた大変参考になったわけでありまして、どうもありがとうございました。
 私の持ち時間といいますのは余り長くございませんので、そこで大変恐縮でございますけれども、私の方でお二人にそれぞれ伺って、お答えをいただいて、また時間があればというような形にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 そこで、まず播副会長さんにお伺いをしたいんでありますが、私は副会長さんの御意見の中で、それこそなるほどというふうに、私もこれから勉強しなきゃならないなと反省をさせられた部分もございます。同時にまた、必ずしも賛成もし切れないという問題もそれぞれございます。そういう点を議論をするというつもりで申し上げるのではございませんので、そこのところはひとつ率直に御見解だけあとお聞かせをいただければ大変ありがたいというふうに思っております。
 その第一は、現行の税制の中で努力できることはいろいろとあるじゃないか、私もそのとおりだと思うんです。ただ、そういう中で、いろいろと例示として挙げられたものの中に、例えば地方自治体の職員の問題なども挙げられました。私はその面を全面的に否定することでもないんですが、しかし同時にまた、全国の地方自治体の中にはかなり水準の低いところも随分いっぱいあって、それこそ自治体というのは千差万別です。それだけに、平均化してどう見るかということにはいろいろと議論があるじゃないでしょうかというようなこともございます。しかし、ともかく現行税制のそういういろいろな調整で一定のことができるではないか、こういうふうにおっしゃった。その後で、最後のところで大型間接税については慎重にというお言葉を使われながら、ほぼ反対をしておられるように受け取られる御意見だったわけでありますが、その対案というようなことも若干お話がありました。なるほどと思って伺いましたが、そうする過程の中で、やはり新しい税制の展開ということになっていくんではないだろうか。そうすると、現行の手直しというところとかかわりはどうなるのだろうか、こういうことが一つございます。
 それから次に、せっかく青色申告会ということでいろいろと日ごろ御活躍をいただいているわけでありますので、俗にいろいろと言われていることについての御見解もひとつ伺っておきたいと思うんであります。それはいわゆるクロヨンとかトーゴーサンとかいうようなことが言われておりまして、所得捕捉格差というのでしょうか、それが所得種類の間に生じている。とりわけその中で、サラリーマンを中心として重税感があるとかなんとかということがいろいろと言われています。しかし、その実態ということになってきますと、当然のことなんでありますけれども立場の違いで、例えば事業者の立場とか農業所得者の立場とかというものからは必ずしも巷間伝えられるような格差は存在するものではない、こういうふうに言われるわけです。私もそういう意味でいけば、何というのでしょうか、感覚的にはうまくあれはできないけれども、何かいろいろな面で差はある、こう感ずるんです。だが言われるような深刻なものがあるかどうか、この辺のところはやはり私も疑問になるわけでありますが、ただそういう中で、例えば納税方式の相違から出てくる所得の分散とかなんとかという形でいろいろと合法的にできる方法というものが一方には申告納税の方にありますし、サラリーマンの方にはそういうものがない。こういうようなことがやっぱり大きな問題の一つではないだろうか、こんなふうにも思っているわけでありますけれども、その辺ひとつお考えを聞かせていただければ大変ありがたい、そんなふうに思います。
 次に、赤字法人の欠損金繰越控除の一部停止策というのが今度の六十一年の税制改正においてその中に織り込まれている。こういうことで、これは申し上げるまでもないわけでありますけれども、企業が継続体として維持されていく、そういうために過去五年間の欠損のあれをずっと見ていくという形のものになるわけでありますけれども、今回の停止措置というものはこれは私どもは特にその影響は中小企業などに大きいのではないだろうか、そういう観点もございますし、それからまた、今申し上げたような精神からすれば、一時停止というものはこれは政策的にもよくないことだということで、実は、これは野党は共同で反対し修正案の中でも撤回を求める、そういう形になっているわけでありますけれども、こういう問題についてどのようにお考えになっているか、これをお聞かせをいただきたいと思います。
 それからさらに、みなし法人税のお話の中で、特にサラリーマンと共通の立場で二分二乗方式ということ、これは本当に時間の関係もおありになったようでたださっと触れられただけでございましたけれども、サラリーマンと同じようにということで、もう少し詳しくお聞かせをいただければ大変ありがたい、このように思っております。
 次に、細見総裁にお願いしたいと存じます。
 確かに、いろいろとおっしゃられる点わからぬわけではない面もあるわけでありますが、しかし今の円高についてさかのほっていろいろな要因があるというふうにも思うわけでありますが、特につい先日の当委員会でも私は大蔵大臣にお伺いをしたのは、九月のG5以降四カ月の円高のスピードと、それから一月の例の百九十円やむを得ないかと受け取られるような御発言のあった以降の一カ月間のスピードとこれはかなりの兼がある。スピードが非常に速い、こういうふうに感ずるわけです。それはやはり、かなり今のような状況の中では人為的な思惑とかそういうものがいろいろと働いていくと、こういうことになると思うんです。だが、さっき総裁もおっしゃいましたけれども、そうすると、どのレートが正しいのだということ、これはなかなか決めかねる、こうおっしゃいましたのですが、私もそうだと思うんですが、しかしその原因がかつて基軸通貨でありましたアメリカのドルが、アメリカの経済力と相まって基軸通貨としての大きな役割を果たしてきました。しかし、それがドル危機の中で兌換をしなくなるというそういうあれの中で、かつては金という金属の目盛りではかることができたものがそれがなくなって以降、ちょうどゴムひもに目盛りを打って、それでおれはこのくらいだと思う、このくらいだと、力の入れ方でもって目盛りの大きさがみんな変わってくると、そういう状況になって、かつて経験をしたことがないそういう状況になってきているのではないかと私は思うんです。だが、そういう中でも、現在まだドルが基軸通貨なわけでありますが、なぜドルが基軸通貨としての役割を果たして、そういう中でも、先ほど言われた、赤字だとかいろいろな問題を抱えながらなっているのか、こういう問題が一つございます。
 それから第二点目は、ここのところ我が国がいろいろな貿易摩擦や何かを解消していくという面からも海外への直接投資が非常に必要だと、こういう御意見がいろいろと出てきているわけであります。しかし現実に、海外に投資をされているものを見ていきますと、間接投資の方がずっと高い比重ですね。直接投資はまだ少ないわけであります。しかし間接投資ということになりますと、これは基軸通貨国であるアメリカが海外に投資をする場合、これは基軸通貨ですからまた戻ってまいりますからあれですけれども、我が国の円の場合はそういう間接投資をすることによってそのまま資本の流出ということになっていくのではないでしょうか。それは我が国の経済にとっても非常に重要な意味を持つようになるんじゃないだろうかというふうに思うわけでありますが、これがドル高という傾向の中でどんなふうな動きをしていきますでしょうか、この辺のところもひとつお教えをいただければありがたいと、こんなふうに思っております。
 それから次に、そういうことで海外の直接投資をふやしていきますと、これをふやしていくことによって、これは一つはアメリカだとか欧州だとかいう先進国への投資と、それから途上国あるいは新興工業国と違うわけでありますけれども、そういうところの投資というものとの違いがいろいろとありますけれども、それはとにかく我が国の経済の底を支えてきた中小企業、この経済二重構造に非常に大きな影響が出てくるんではないだろうか、経済二重構造というものが将来なくなるということになるんでしょうか、その辺のところをどういうふうにお考えになっているか、この辺をお伺いしたいと思います。
#90
○公述人(播久夫君) お答えいたします。大変数多くの問題を御指摘いただいて、お互いの時間がちょっと不足の感ですから簡単に申します。
 地方職員のことにつきましては、それぞれ立場立場がございますから見方が違うんだと思うんですけれども、よく目につくことを申し上げたわけでございます。
 それから次に、やるべき第一段階は、現行税制ではまずは手直しをやってみる。そして同時に、最後に言ったことはちょっと矛盾があるんではないかという意味合いなのか、大型間接税に触れたわけですが、率直に言って、当年度というのか身近な問題と、それから今一番心配しますのは、百何十兆円できた借金をどうするかということ、あるいは高齢化社会をどうするかということについてはわからぬではない。という中から勢い大型間接税論が出るんですけれども、という中においては、私どもとしては末端の小売やサービス業種が迷惑するようなやり方だけは勘弁してくれ、そのかわりこんなことも考えられるということをたまたま申し上げたわけでございまして、この点はまたいろいろと深い御議論をいただければありがたいと思います。
 それから、いわゆるこのごろ流行語になってきたクロヨン、トーゴーサン、ひどいのはトーゴーサンピンまで言っておるわけです。まことに失礼であると思います。まじめな者が聞いたら怒るんではないでしょうか。という意味においてかなりな誤解がある。その中の一番大きい誤解は、よく言われるのがサラリーマンの給与所得の税金が伸びて、そしてどうも申告納税が横ばいではないかという議論については、私は税務統計をもう一遍直してもらいたいと思っております。と申しますことは、給与所得者、サラリーマンの中に官公庁あるいは大企業という純粋のサラリーマン、それから御案内のとおり今、大小会社区分立法の話題の二百万社、同族会社できちゃったんです。社長が二百万人いる、家族重役が何百万人といるもののグループが一つ。それから、幸か不幸か、私どもも青色になりなさいと言えば、これは事業主報酬もできてきた、古くは専従者給与、このグループがある。したがって、申告納税は、会社になったりこういうことになれば減ることは事実なんです。したがって、こちらが横ばいで給与所得が伸びているという中には、そのような見方のひとつ御理解をいただかなければならない。そして、今度実態的にどうかといいますと。私ども青色でございますから、さようなことはないと言いたいところでございます。ただし、まだ残念ながら今三百何十万青色ができましても、普及割合がまだ半分なんですね、五一、二。残念ながら白がまだ半分残っておるというところに、青白突っくるみで見られることはまことに残念であるというようなことで、いろいろ反論もございますけれども、時間もございません。
 次に、実は所得分散、これは先ほどもちょっと申しましたように、同族会社の社長であろうと家族であろうと、個人のおやじであろうと、もっと極論すれば、個人と変わらない会社がたくさんあることも事実。しかし、働いておる限りはこれは月給を認めるのが、ちょうどサラリーマンの奥さんがパートでいこうとアルバイトでいこうと、もらってくるんです。ところが、我々仲間が店で働いたら月給取るのはけしからぬということは、憲法の基本人権から見て許されない暴論だと考えております。しかし、取り方の額については、これは税務署において否認をする権利を持っておるんですから、かような問題は税務行政の問題、執行面、詳しくは申しませんが。
 という意味において、お互いは立場立場で御理解をしようじゃないか。そして、先ほどございましたように、私どもは所得分散けしからぬと言われるならば、実は二分二乗をやって差し上げればどうかと、諸外国にあるわけです。この間も御議論が税調であったように新聞に出ております。配偶者控除も、我が青色申告会がお願いをしてできたという故事来歴もございます、大変生意気ですけれども。常に働く人たち、そして同時に専業主婦というものを大事にすることが私は教育の基本だと思っているんです。今制度的に教育をどうするということがありますが、幾ら制度をよくしても、やはり本来除くべきは、子供の小さいうちは母親が面倒を見るようにしてあげるという意味においては専業主婦をやはり配慮すべきである、かような意味で二分二乗やるとああだこうだと言われるようですが、やはりお考えを願いたい。
 それから、赤字法人の問題になりますと、私は友人の学者の意見も聞きますけれども、緊急的に出てきたというのか唐突として出てきたのが、この赤字法人の繰り越しストップということは、まことに税法専門学者の友人と議論しても、今の法人税は所得課税であるという基本原理になじまないというのが私の友人の言う学問的理屈でございます。私も同感でございます。
 最後はみなし法人その他、大体これは申し上げておいたから、私の受け持ちはこの辺でないと、後時間もありますから。
#91
○公述人(細見卓君) お答えを申し上げます。
 ドルがこんなに弱くなっておるのになぜ基軸通貨がとおっしゃることは二つの面があるんだと思います。一つは、いわゆる国際商品と申しますか、石油だとかあるいは穀物というようなものがほとんどドル建てになっておる、したがってドルで取引するのが便利だということが一つございます。それから、それなのになぜドルがそんなによく使われるのかといいますのは、いずれこの後御審議願うことになっておる東京オフショアマーケットというようなことにも関係ありますように、円が使うのに不自由な通貨である、だから、うっかり円を持っておりますと、例えば百億円の円をドルにかえようと思うと、なかなかうまいこといかない。あるいは百億円三日間余っているからそれをちょっと東京市場で運用しておこうと思ったら証券の値段が上がったり下がったりする。百億円も入ってきたら一遍に下がり、買うと言ったら上がり、売ると言えば下がる、そういうことで不便な通貨である。だから避けるためには、何としても日本の円が便利な通貨であってだれもが使えるような通貨になれば、円がドルと並んで立派な通貨としてやがて出てくる時代が近づくんだろうと思います。
 それから、二番目の直接投資の問題でございますが、確かにそれは資本流出でございますが、出ていきますと、一方円をドルにかえなきゃいけませんから、円がだぶつくわけですね。ですから、だんだん円が下がってきまして、海外へ投資するうまみが減ってくるという格好で市場のメカニズムが建前としては調整が効くことになっておるんだろうと思います。ただ、むしろこの点で心配なのは、日本の輸出というのは御承知のように特定のものに集中するものですから、それが非常に競争力の強いものだと、それが貿易摩擦を起こして海外へ出ていきますと今の先生のお話の逆さまになって、日本には弱い企業だけ残って強い企業はみんな出ていってしまうという格好になるわけですから、そこのところをどうするかというのは大変大きな問題だと思います。特に途上国との関係で申しますと、日本の中小企業が傷むじゃないかと、おっしゃるとおりでございますが、これだけ円が高くなってまいりますと手間賃がかかる。安いと言いますと語弊がありますけれども、労働集約的な部品は、例えば途上国でつくってきて、日本ではもう一段上のアセンブルメーカーになるとかあるいは特別な技術を加工するとかいう格好で、それ自体やはり円の強さに応じた産業の高度化をやっていかないと、そういう安い賃金の人と、日本が比較的今度円が高くなれば自分たちはそう思わなくても相対的には高い賃金になるわけですから、そういう弱いのと強いのというのはかつて日本の繊維産業がイギリスの繊維産業を追い抜いてしまったような事態になるわけですから、やはりイギリスがやったようなああいうランカシャーにしがみつかないで、もっと今であれば、例えばよりデザインの集中したようなものへ高度化していくとか、そういう工夫が要るんだろうと思います。
 どうもありがとうございました。
#92
○稲村稔夫君 それでは時間がちょっとあるようですから、最後に一つだけ細見総裁にお伺いしたいと思います。
 それにいたしましても、二重構造の下を支えている部分というのは簡単になかなか転換などでき得るような状態ではない。ところが、これが九八%も事業所の従業員の中でも占めているという、こういう日本経済の構造になっています。それにどう対応したらいいか、これは何か案をお持ちでしたらお聞かせいただきたい。
#93
○公述人(細見卓君) そんな案があるのでしたら私も政治家になっておったと思いますが、実はなかなかそういう案がございません。ですから、やはり時間をかけて、政府とか公で措置できることは、金融的なお手伝いをするとかあるいは立地条件をよくするようないろんなそういう設備を考えるとかいうようなことで援助をし、共同化をしたりあるいは技術センターというようなものをつくって、いわゆる再教育と申しますか、そういうようなことしか、地道なことしか残ってないように思います。そういう意味でなかなか難しい問題だと思います。
 一方、日本の先端産業の方はどんどん先へ行ってしまう。先端が先端へ行きますし、おくれた方はもともとおくれているからテンポが遅い。テンポの遅い人が目立って開いていくというのは日本の社会の抱えている難しい問題だということは私もわかりますが、答えはなかなかわかりません。
#94
○稲村稔夫君 ありがとうございました。
#95
○大川清幸君 幾つか重複した問題もありますので、時間もないですから、それを避けまして幾つかお伺いをいたしますが、両公述人に時間もないのでまとめてお伺いをしますので、別々にお答え願えれば大変ありがたいと思います。
 初めに、播公述人にまず第一にお伺いしたいことは、今、国家財政は御承知のとおりでございますが、そうした土俵の中で現行の税制、それは法人税あるいは所得税やそれぞれの費目を挙げていただいて、現行制度の中での幾つかの調整をしてみてはどうかという御意見、貴重な御意見だと思いますが、今申し上げたような全体的な立場で言うと、それらの先生がおっしゃったことを実施した上で、なお最後でちょっと補足説明のときにビールのお話も出ましたのですが、庫出税みたいに一本で何か別の間接税を考えたらいいんではないか、それらのものを全体でセットにして、今の租税制度の公平化とそれから財政再建というか、財政改革等を何とかこの体制でやっていけるではないかという御所見なのかどうか、この辺の真意をひとつ御確認したいこと。
 第二番目は、細かい問題で恐縮でございますが、地方公務員の給与、これはいろいろ論議があるんですが、歴史的な経過をよく御承知だと思いますが、昔はなかなか公務員の人材が集まらないということで、自治省側の方も多少の地方公務員との差は認めていた時代が過去にはあったわけですが、今日になりますとそれが逆転現象ということになっておりますが、私はやはり地方自治の自主性という観点からいうと、国家公務員の給与を中心にして、物差しはいろいろありますけれども、一般的に言われているのは例のラスパイレス指数ですが、その辺で多少の上下が、地方自治体の経済力あるいは租税負担力、そういうものを含めて、上下多少の幅を認めた体制で運営した方がいいんではないか。その上で、大変高いものはこれは住民が今日承知しませんから、これは反省をしていただき、また是正していただくという体制でどうだろうか、この点に対する御所見。
 それから、第三番目は固定資産税と相続税の問題ですが、実は固定資産税というのは、いろいろな税金のある中で私も非常に不思議な税金だと思っておるわけでございまして、三年に一遍評価がえをして、自動的に上がってしまって納税者の方は取られてしまう。果実は実際には発生していない、売買の時点を除いては。こういう点で大変奇妙な税金だと思っているんですが、租税制度という立場で考えますと、政府側の方は全国共通の制度として考えざるを得ない。一つこれは大変困った問題があるわけですが、今日の状況を考えますと、戦後四十年の社会経済の変化の中で、とりわけ東京、大阪など大都市部分では追い出し税的な性格も持っている。銀座あたりの坪一億なんていうのは話は別ですが、サラリーマンが実生活に必要な拠点として持っている土地家屋については、どうも固定資産税についてはもう限界へ来ているんじゃないか。これはひとつ何とかうまい方法で考えられないものかということですね。地域性を税制の中で扱うのは非常に難しいと思うんですけれども、その点と、それから相続税も同じことでございまして、特殊な地域は別ですが、このごろ東京でも、練馬とか世田谷とか周辺で大分追い出されて、親が死んで生活拠点を売り払わないと納税ができないというようなこと、この辺については将来十分考えて対応した方がよいのではないかという点で、御所見があれば伺いたいと思います。
 次に細見公述人に、大分質問が重なりましたので絞ってお聞きをいたしたいと思っておりますが、一つは、円高で今いろいろ問題になっておりますが、通貨制度でございまして、高い安いは別として、やっぱり安定した体制がとれれば一番これはよろしいのではないかという感じがいたしますが、論文ではなくて何かの会談でもちょっとお話になっておりますが、いわゆるアメリカあたりは確かに、例のブレトンウッズ協定なんかの今深刻な反省をしていて、何かうまい方法はないかというようなことが論議になっているようですけれど、複数通貨制度については、円が今大変不便だというお話があったんですが、この辺の改良も含めて、通貨制度の上で何か新機軸はないものだろうかということが一つでございます。
 もう一つは、やはり企業というのはもうからなきゃつぶれちゃうので、大変深刻な問題で、資本流出といいますか、やっぱり高利をねらった資本の活用みたいなものがなかなかとまらないわけでございますけれど、制度的にこの辺を複数通貨制度なんかの中で措置をする方法があるのかどうかということが一つです。
 それからもう一つは、産業の体質改善のことでもちょっと御意見があったんですが、もう少し具体的に拡大してお話を例えれば大変ありがたいのでございまして、例の貿易摩擦等でこのごろ国内でも盛んに論議されておりますし、専門家の中でも意見が出ておりますが、体質改善というか、あるいは外需依存型を内需依存型に転換するについてもそういうような議論があるわけですが、これは国際市場を考えた場合に、先進五カ国とかあるいは自由経済圏の中で、時間はかかるかもしれませんが、まあ企業が進出することも結構ですが、ある意味での話し合いによる分業制度みたいなところまで将来は整備していくような考え方でやることについてはいかがなものだろうか。
 以上の点について御意見が例えればありがたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
#96
○公述人(播久夫君) お答えさせていただきます。
 一つは、行革の中においての考え方は、冒頭申しましたように三方損的考えでございまして、これですべてだということはないと思います。そのときの順番は、やはり総額予算、国、地方ともべらぼうに大きくなっているときですから、この辺に思い切った節約を願って、その次は、我々自身の方もあれをやれこれをやれと余り言わないということを申し上げたわけで、最後の税になりますと、例えば所得税減税は、所得税の中での先に整理をしてみたらどうだというときに、伺いますと、利子課税にメスを入れることによってかなりな金が出る。これもしかし計算するお方によってなかなか違うようでございます。といたしましたときに、私は、具体的に今出ておるマル優論議でありますけれども、これはやはり乱用することは困るし整理すべきだと思います。ただしかし、余りこれをやり過ぎまして、弱い者いじめと新聞投書欄にもよく出ておりますが、やっぱりマル優にメスを入れるときには、高齢化社会と言われる老人の問題、やはり自助努力をして積み立ててきた自分の、定年退職者というのはこれからのときに、今既に利子も御案内のとおり下がり始めておるわけですが、こういう中で、この間も新聞投書を見ると、やはり同じ整理するときでもやり方を考えて、老人のためには何らかの措置を残すべきである、こう思います。それからもう一つは、先ほど申した利子もさることながら、配当に徹底したメスを入れていただきたい、こう思います。
 それから法人税につきましては、今の配当の問題もさることながら、やはり業種別的な租税特別措置というのか、こういったものにはやはりメスを入れるべきである。この点はアメリカにも見習うべき点がある。税率の問題と同時に、向こうはかえって法人税は増税になるような、全体トータルでそうでございますが、やはり租税特別措置には抜本的メスを入れる、かように私は考えます。
 それから最後の、大型間接税になりますと私が申しましたのは、まだ具体的に申し上げるのは今度いかがかと思いますけれども、メーカーサイドで日本の数社でかなりやっておるところが幾つかあるわけでございますから、こういったものは。これはしかし最後の最後でないと、余り初めからこれが出てしまうと行革が鈍るんではないかという心配の方が現段階では先に立つわけでございます。
 それから、もう一つは地方公務員の給与。これも先ほどもどなたかおっしゃいましたけれども、とにかく目に余るものが今話題になっておるので、ああいうものでありますけれども、しかし案外身近にある問題はやはりお互い反省を願わなければならない。というのは、これは立場立場の違いかもわかりません。私も古く東京市におりましたから、昔ですよ。戦争中におりました。今日東京都が高いというのは、昔の東京市の流れが残っておると私自身は見ております。時間もありませんが、やはり大方の世論はひどいじゃないかということは無視できないと思います。
 それから、固定資産税になりますとまことに同感と申し上げたい中に、実は本当の地方自治を言うならば、免税点とかあるいは控除だとか、そういうものが地方税法の中で一律一本に決めておること自体に問題があるんではなかろうか。もう少し、先ほどどなたかもおっしゃいましたけれども、地方によっての裁量権を認めて、例えば具体的に言うと、この間もある人と議論したときに言われたんですが、ビフテキを食べる場合、料理、飲食でも東京の一品と地方の一品では値段が違うではないか、けれども料飲税の免税点、控除が一律であるのはこれは地方自治から見るとおかしいんではないかと。固定資産税についても、今先生既に御指摘のような配慮があっていいんではないか。都市の割高な、割高というよりは高い都会地と田舎が同じ免税点ではいかがであろうかと思います。それから、サラリーマンにも二百平米なのか三百平米なのか、居住用については、やはり事業者と同じ考えで対応してあげてもらいたいと思います。
 最後は、相続税についても同様でございまして、今日私ども一番困っておるのが、実は跡取りの問題でございます。同じように、サラリーマンもテレビドラマでございませんけれども親孝行した者が損をする、一番お気の毒なのは兄嫁さんで、本人が亡くなって義理の御両親を世話したけれども自分のものになるんでしょうかというのが新聞投書欄にもよく出るわけでございまして、こういった面から生前贈与の特例はむしろ親孝行なんて言うと、やっぱりおまえ年だなと言われるかもわかりませんが、親孝行の観点からそういう生前贈与特例は、事業用あわせサラリーマンにも御配慮いただくべきではないかというのが私のお答えでございます。
 以上。
#97
○公述人(細見卓君) いずれも大変難しい御質問をいただいたわけなんですが、新しい通貨制度と申しますのはある意味でもう始まっておる。去年の九月にいわゆる五カ国蔵相会議が行われまして、当時の先進国の間の為替レートというのはどうもおかしいという話ができて、しかし幾らがいいということは言えないんで、みんなで今のはおかしいということを市場にわからせようということになったわけで、そのために関係の主要国が協力しなきゃいかぬ。これができたということは、私は新しい制度へ大きく一歩を踏み出したんだろうと思います。ですから、公定歩合を一緒に下げようというようなことまでできるところへ来たわけです。
 ただ、そうは申しましても、先ほどもちょっと申しましたように、為替レートというのはいわば経済の体温のようなものですから、病気の人とか疲労度が強い方、あるいはインフレ的な経済というものとそうでない健全な経済というのはだんだん体温が違ってくるわけで、そこをどう合わせるかということになりますと、これはそれぞれの国に議会もあり政治家もおられ、そういう違った政策をやられちゃ困る、我が国では失業者の問題が一番大事だ、我が国では農業の問題が一番大事なんだという話が出ますので、そこのところへなかなか踏み込めないというのが現状でございますが、しかし五カ国が一緒にやらなければいかぬのだ、そして五カ国でやればうまくいくんだというところへ来たというのは、私はもう新制度だと申し上げられると思います。
 資本流出の問題は、やっぱり日本の国内に投資の機会がない。先ほども申しましたように、五百億ドルも余っておってもどこへも使いようがないから外へ出てしまう。しかし民間のお金ですから、これは播さんの話じゃありませんが政府のお金じゃありませんから、民間のお金というのはもう端的に申せばもうからないことはやらないわけですから、なぜ今動かないかということについて政府なり金融機関なりが呼び水を出して、そのもうからぬ分を少し手助けするというのが今要る制度なのかもわかりません。これはもうかなり高度の政治的判断にわたることですから、私の仮の意見として申し上げるわけでございます。
 産業の問題は、体質改善をやりまして、日本はこれだけ教育程度も進んでおりますし技術も非常に進んだ国ですから、やはり全体としては高度の産業の方へ移っていって、そして言葉は別に軽べつする意味じゃないんですけれども、それほどの技術が要らない肉体労働というようなものはだんだんそういうことに達した段階の国に譲っていく、産業は全体として上の技術の進んだ、より知識の入った、ソフトが入った産業の方へ移っていくというのが日本にとってとるべき道だと私は思います。
#98
○井上計君 両先生にはありがとうございました。私の持ち時間はお答えを入れて九分でありますから、端的に一問ずつ両先生にお伺いしたいと思います。
 播副会長にまずお伺いしたいのは、先ほどお話の中に青色申告会の加盟者といいますか、青色申告者が全体のまだ五一%程度である、したがってほぼ同じ程度の白がある、こういうお話でありました。私どもよく聞いておりますのは、青色をやっても実は事実上プラスにならぬ、逆に白の方が得をするから青をやらぬというふうな人もあるかに聞いておりますが、現実に白が依然として多い理由をどのようなことにあるかとお考えでありましょうか、これをひとつお伺いをいたします。
 それから細見先生にお伺いいたしますが、先ほどのお話の中にはなかったわけでありますが、先生が昨年エコノミストの十二月の何日でありますか、その号にお書きになっております「世界的デフレ時代に備えを」という細見先生の論文を拝見いたしました。その中に、金融政策の二元化になるけれどもというふうなことで、国債の管理運営という面についてのお話が載っております。私、実はこれを大変興味を持ってと言うと失礼ですが、拝見をしたわけでありますけれども、この国債の運用、すなわち国庫金の運用等について先生のお説を実現することは、財政再建のためにも、また国の歳出を節減するためにも大変なプラスになるんではないか、こんなふうに感じておるんですが、それがなぜできないのか、大蔵省御出身の細見先生がなぜもっと強く主張されないのか、この辺のところをひとつお伺いをいたしたいと思います。
 以上、お願いをいたします。
#99
○公述人(播久夫君) お答えいたします。
 先ほど申し上げましたように、私どもお互い役所と協力し合いながら三十五年たって、昨年の数字が三百七、八十万人の青色になったんですが、普及が相変わらず五一、二だと。なぜかと聞かれれば、やっぱり現実的に言えば白で話し合った方が楽だという感じがございます。そういう中から、既に国会を通過し去年から実施しましたように記帳義務制度、私どもはやはり本来企業、商売をやっていれば帳面をつけるのが当たり前、こういう考え方でございまして、極力これをお勧めをし、どうせ青色になるならば具体的に言えば損か得かというものですから、やはり特典があるということ、しかしまた私どもは特典ではなくて、帳面つけ、企業的なら当然専従者、働く家族の月給を取れるし、また同族会社並みにおやじの月給を取れるんだ、また取るべきであるということを理論的に言っております。
 ところが、既に御案内のとおり、かなり前から青申控除十万円ができておりますから、これは本来やはり記帳奨励策ということで理論的には必ずしも成り立たぬと思います。しかし、現段階ではたとえ十万円でもやっぱりメリットであると、かように言われております。という意味において、きょうは時間もございませんで訴える時間もございませんでしたが、専従者給与、事業主報酬は十分理論的なるものですから、先生方の一層の御理解を得ておきたいと思います。
 と同時に、やはり課税を厳格にやっていく、白との話し合いに対しましても厳格な執行面、また恐らく現場もだんだんそうなってきておると思いますけれども、両々相まって、やはり同じ帳面をつけるなら青色でといってこの間も確定申告でPRをいたしましたが、ことしかなり伸びてくるんではなかろうか。特に芸能人というのか、このごろは案外、今の個人企業の中には事業者はかなり青色になりましたけれども、これからはいわゆる庶業と当局は言っていますけれども、一匹オオカミ的な方、芸能人であるとか、こういう人も案外なってくれるようにことしも聞きました。こんな意味で一層の努力をし、そのかわり今の制度がやはり安定しておるようにお願いをしなければならない。さっきのサラリーマン論を聞きますと、この専給とかみなしがなくなるんではないかというような、新聞報道ではうそをついたことになりますので、一層の正しい御理解をお願いしたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#100
○公述人(細見卓君) 大変難しい御質問なんでございますが、一言で考え方を申し上げますと、今の国の財政というのはどちらかと申せば家計のような単式簿記、いわゆる大福帳というような格好になっておるわけで、戦後を考えてみましても、何が一番値上がりをしたかといえば土地でございます。だれが一番買ったかといえば国と地方団体が一番買っているわけで、その一番買った国が一番貧乏だ、百兆も借金しておるというのはどこかおかしいというふうに考えるのがごく自然だろうと思います。そういうことを察しておる財政法とか会計法とかのあり方と、それから企業ですら今や財テクと申しまして、金利がこんなに激動をするときに、高いときに借りたむだな金をいつまでも後生大事に借りるようなことをしないで借りかえたりなんかやっているわけで、せめて国は家計よりも企業に近い財政制度というのがあるべきだというわけなんですけれども、先生御承知のように財政法、会計法というのは非常に技術的でございまして、何か言おうとすると、おまえのような素人が何わかるかと言われるので今までへこんでおったわけでございます。
#101
○委員長(安田隆明君) 以上で財政・税制及び国際経済・金融に関する意見聴取は終了いたしました。
 一言お礼を申し上げます。
 播公述人、細見公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして衷心から厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 次回は、明後二十二日午前十時に委員会を開会することとし、これにて予算委員会公聴会を終了いたします。
   午後五時三分散会
ソース: 国立国会図書館
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