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1984/04/19 第102回国会 参議院 参議院会議録情報 第102回国会 国民生活・経済に関する調査特別委員会生活条件整備検討小委員会 第2号
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1984/04/19 第102回国会 参議院

参議院会議録情報 第102回国会 国民生活・経済に関する調査特別委員会生活条件整備検討小委員会 第2号

#1
第102回国会 国民生活・経済に関する調査特別委員会生活条件整備検討小委員会 第2号
昭和六十年四月十九日(金曜日)
   午後一時二分開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    小委員長        亀長 友義君
    小委員
                杉山 令肇君
                水谷  力君
                最上  進君
                竹田 四郎君
                刈田 貞子君
   参考人
       東京大学教養学
       部教授      大森  彌君
       財団法人日本不
       動産研究所研究
       員        前川 俊一君
       多摩美術大学講
       師        漆原美代子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○生活条件整備に関する件
 (まちづくりと住民参加、海外事情及び景観・文化について)
    ─────────────
#2
○小委員長(亀長友義君) ただいまから国民生活・経済に関する調査特別委員会生活条件整備検討小委員会を開会いたします。
 生活条件整備に関する件を議題とし、まちづくりと住民参加、海外事情及び景観・文化について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、三名の方々に御出席をいただいております。
 まず、東京大学教養学部教授大森彌君から意見を聴取いたします。
 この際、大森参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。本日は、まちづくりと住民参加につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、まず三十分程度御意見をお述べいただき、その後三十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。
 それでは、大森参考人にお願いをいたしたいと存じます。大森参考人。
#3
○参考人(大森彌君) 初めまして大森でございます。
 政治や行政を勉強している者にとりましては、こういう場でお話しするのは初めてでありまして、比較的人前でしゃべることになれているんですけれども、国会では私初めてのものですから、少し上がりぎみになるかもしれませんけれども、お許しをいただきたいと思っています。今、お時間が三十分私からお話しいたしまして、忌憚のない御質問なり御意見をむしろ私の方が伺いたいということでございまして、よろしくお願いいたしたいと思っています。
 きょうのテーマで、ごく簡単なメモがございますけれども、とりあえず二つの視点からこの問題についてお話をしてみたいと思っております。
 一つは、いわば自治という観点から見てどういうことが言い得るだろうかということであります。もう一つは、いわゆるまちづくりという視点でございますけれども、この視点から見ましてきょうのテーマでどういうことが言い得るだろうかということを考えて、両方をつなげるというふうにさせていただきたいと思っています。
 最初に、自治の視点の方でございますけれども、このところアメリカ、ヨーロッパの研究者たち及び東南アジアの研究者たちと私どもは地方自治の比較研究をやっていまして、もうかれこれ五年ぐらいになるのでございますけれども、向こうへ行きまして実は英語でディスカッションをいたしますときに、向こうの人たちは平気でセントラルガバメントとかローカルガバメントと言うんでございますけれども、どうも私ども日本語で言っている地方自治という言葉と、向こうの人たちが言っている言葉の間にずれがあるということをしばしば感じるわけでございます。そこで、私どもが外国へ行ってディスカッションするときには、一番確実な資料、確実な最も重要な文献は言うまでもなく日本国憲法でございますが、日本国憲法には実は英語版がございます。これは先にできていて翻訳をされたのか、翻訳を英語にしたのか、この辺が憲法制定過程では微妙なところでございますけれども、間違いなく日本国憲法には英語版がございます。この英語版を見ますと、実にいろんなことに気がつくのでございます。その気がついたところからちょっとお話しして、最初に自治の観点をお話ししてみたいと思っています。
 日本の社会が全体として国際化していくための最も重要な資料というのは憲法でありますし、それで憲法の英語版ということになるんだろうと私は思っています。そこで、実は皆さん方も御存じのことでございますけれども、憲法は地方自治を保障しているんですが、憲法第八章にタイトルがついていまして、このタイトルが実は日本語では「地方自治」でありますけれども、英語版はローカル・セルフガバメントでございます。意外と英語の表記については世間では知られていないようでございます。ローカル・セルフガバメントというこの言い方といいますのは、このとおり訳しますと地方の自己統治でございます。したがって外国で言えばセントラルガバメント、つまり中央政府に対して地方政府という言葉遣いでございます。まずそれが一つであります。
 もう一つ、憲法には「地方自治」という言葉が出てきますけれども、これは憲法第九十二条でございます。憲法九十二条はこういう文言でございます。「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」ということになります。これは言うまでもなく日本の地方自治のさまざまな仕組み、組織、運用につきましては国権の最高機関たる国会が定める法律によって制約し得る、そういう条項でございますけれども、したがって、この限りで言えば国会が制定する法律というのが上回るという、そういう趣旨でございますけれども、その際、国が法律を決める場合には地方自治を尊重しなさいという条文であります。
 この「地方自治の本旨」の「地方自治」に当たる言葉は、英語版では実はローカルオートノミーでございます。ローカルオートノミーといいますのは、それ自体を訳しますと、地方の自己決定権を意味します。つまり自律性ということを意味していまして、一定の地域社会における諸問題は自分たちの判断と責任で解決をしていく、そういう主体として実は地方公共団体があるということになります。憲法のこの言い方を素直に解釈しますと、日本国憲法はあらかじめ二種類の政府を予定しています。一つは国・中央政府、もう一つは地方公共団体と呼ばれる地方政府でございます。実は、私どもが外国で議論するときそういうふうに言うととてもよくわかっていただけるのですけれども、しかし実際の運用実態は必ずしもそうでございませんで、世間では、政府と言えば中央政府一つしかないと思っておられますけれども、憲法の解釈で言えば、表記の仕方から考えれば、セルフガバメントといい、ローカルオートノミーといい、これは一定の地域に限って言えば、一つの政府を予定しているというふうにとりあえず考える
ことができるように思うわけでございます。
 なぜそのことが大切であるかと言えば、実は国と自治体の政治形態が違っていまして、国の場合は国会でございますけれども、自治体の場合は首長さんと議員さんが両方とも公選でございます。公選をしているというのは何を意味するかといえば、住民が自治体の意思決定のポジションにつく方々をみずから選び出しているわけでございますものですから、したがって住民が主人公であるということが出発点になっています。メモに書いてございますように、「住民の」という言い方は、少しかたい表現をとれば住民主権ということになります。ちょうど国民主権に対応することになりますし、それから、「住民による」というのがきょうのテーマでございます「参加」ということになります。それから、しばしば首長さん、議員さん方もお使いになりますけども、住民本位の市政とか、住民本位の県政という場合には、この「住民のための」という言い方になるわけでございます。実はこれは三点セットになっていまして、どちらから読んでも同じことでございますけども、一定の地域の住民のためになる施策は住民が参加をして決めます。その心はといいますか、その根拠は、住民が主人公であるから、上から読んでも同じでして、住民が主人公であれば役所の意思決定過程に住民が参加するのは当然であり、その結果としてその施策は住民のためになる、そういう論理構造なんでございます。しかし、この考え方は昭和四十年代から四十年代の半ばに至るまで自治体レベルでは常識でございませんで、実は住民参加ということが言われ始めますのは大体昭和四十年から四十五年であります、一九七〇年代に入ってから本格的に言われ始めます。今日では自治体レベルでは住民参加は当然でございます。これは「保守」「革新」を問いませんで、どこの自治体の基本構想、基本計画を読んでみましても、必ずやどこかに住民参加ないし市民参加という表現がとられていることは、地方自治体レベルではこの考え方がほぼ定着したというふうに考えていいと私は考えています。
 ところで、この考え方からすれば、自治体は一定地域の問題については自分たちの責任で決定をし、処理をしていくということになりますから、自律する、みずから律していくという、そういう考え方が成り立つわけであります。理論的に言えばこれが住民参加の根拠でございます。私は、少なくとも憲法を素直に解釈する限りこれ以外の根拠はないだろうというふうに考えています。
 ところで、もう少し実態に即したお話をいたしますと、ちょうど昭和四十年―四十五年ぐらいから自治体レベルでいろんな動きが出たんでございますけども、その動きの中できょうのテーマでございます「まちづくり」に接続していく動きといいますのは、世論調査をながめてみますと、大体四十年から四十五年にかけまして、意識調査の項目風に言えば人々がこういうふうに思い始めるんでございます。どうやら日本人はお金や品物に心を奪われて人間らしい気持ちを失い始めたんではないかというような、そういう意識が少し出てまいる時期でございます。そしてこの意識は、実は自分たちの生活の周辺を見る目が自分たちの暮らしの周辺に向かうことになりました。そして自分たちの暮らしの周辺に目が向き始めますと、その暮らしに最も身近な仕事をしている自治体、つまり市町村や都道府県へ目が向くということになり、それが広い意味では自治体の役割というものを高めていく、そういう背景になったと私は考えています。
 ところで、この種の動きがずっと今日に至るまで続いているというふうにほぼ大体理解することができますが、一つの節目といいますのは昭和五十三年でございました。昭和五十三年は、有名でございますけれども、地方の時代のシンポジウムが開かれた年でございます。この年の翌年、つまり五十四年が地方統一選挙でございまして、五十四年の地方統一選挙というのは政治学的に見ますと非常に大きな切れ目になった年でございます。この年、少なくとも知事選、市長選挙では、「保守」「中道」の連合が猛烈な強みを発揮いたしましてさま変わりが訪れた時期でございます。といいますのは、それまでありました「革新」が明確な形で衰退したということが選挙にあらわれた年でございます。この年はまだ大平総理がおられまして、大平総理も実は地方の時代ということを先駆けて言ってくださったお一人でございます。その後の首相の方々が余り地方の時代を強調していただけませんものですから、何となく雰囲気とすれば地方の時代が遠のいた印象がございますけども、ほぼ大体この時期から地方の時代とか地域であるとかということが強調され始めるんでございます。
 それで、私ども政治行政を勉強しまして、一番先に私どもの仲間内でこういうまちづくりについてのシンポジウムを開きましたのは北海道池田町でございました。ことし十周年記念をやる予定でございますけども、それ以来十年の間に全国至るところでまちづくり関係のいろんな催し物が行われるようになりました。先般中曽根首相が訪れました湯布院でございますが、一村一品運動を先駆けました湯布院につきましても、かなり早い時期に私どもはあそこでまちづくりのシンポジウムを開いているんでございます。そして第一回目のまちづくりのシンポジウムを開きましたときに掲げましたスローガンは、「地域における生活と文化の再生」というテーマでございました。これが実はそれ以降、別に私どもだけがやったわけでございませんけれども、「地域における生活と文化の再生」というこの「生活と文化」というテーマこそ、今日におけるまちづくりということを考える上での重要な要素がここに込められていたというふうに言うことができるように思います。
 少し「まちづくりの視点」の方へ動かして幾つか考え方をお話ししてみたいと思うわけでございます。
 実は、「まちづくり」と、これを平仮名で書いているところは意外と私は大切なことを含んでいると思っています。今日でも自治体に行きますと、「まち」という字を「街」と書く方がおいででございます。あの方々のイメージには、「まち」というのは市街地であるとお考えになっている節が見られます。もう一つは、「町」を書く方がおいででありますけれども、これはもう言葉の貧困そのものであると私なんかは考えています、ちょっと口が悪くて恐縮でございますけれども。「まち」というのは、実は物だけではありませんで、物、自然、人、さまざまな出来事というものが結び合って全体として「まち」がっくり上げられていると、そういうイメージでございますから、「まち」というふうに平仮名で書いた方がずっとふくよかではないかと私は思っています、若干言葉についての好みかもしれませんけれども。
 そこで現在、大体昭和四十年代の半ば以降今日に至るまで、まちづくりということが自治体レベルでは非常に強調されているんでございますけれども、まちづくりという場合にどういう考え方が比較的強いかということを少し取りまとめてお話ししてみたいと思うわけです。
 まず第一番目に、まちづくりと言っていますので、これはほっておくという話ではありませんで、つくっていくという、そういう意思とか願いというものが縫い込められているという、そういう言葉遣いでございます。それは、実は「まち」が野放図に、あるいはそこに暮らす人間たちがたれ流して生きる限り「まち」はいいものに決してなれないという、そういう含みがこのまちづくりという言い方の中に託されているわけでございます。
 ところで、まちづくりということが言われ始めましてから大きな流れとしましての一つが地域振興、少し前は地域開発と言っていたんでございますけれども、最近、地域開発という言い方よりも地域振興という言い方がございます。私は言葉としてはほぼ同じ内容だと思っていますが、これは産業興し、地域になじむ、地域に目を向けてくださるような産業というものを地域社会の中で生み出していくかどうかということ、そういう視点で
議論されているような問題群がございます、地域振興でございます。
 それからもう一つは、単に御飯を食べることだけでございませんで、御飯の食べ方に当たる文化振興がございます。ここで文化と一般的に言っていますのは、実は文化というのはある形からしかわからないわけでございますけれども、人々が地域社会でどういう暮らし方をしたいかということが、人々の活動であるとか表情であるとか「まち並み」であるとか緑のあり方であるとかさまざまな施設のつくり方、そういう形の中ににじみ出てくる、そういう人々の心のあらわれだというふうに仮に文化を考えます。そして、今日まちづくりにおける文化振興ということを一言で言えといえば、それは快適環境づくりでございます。快適環境づくりといいますのは、単に安全で利便であるだけでございませんで、個性豊かで美しい、そういう「まち」のイメージでございます。それが今日言われる快適環境づくりという、そういう発想でございます。
 さて、この観点から見まして、自治体レベルでまちづくりから見まして少し問題だなと見えるような幾つかの施策がございます。たくさんの事例を挙げることができませんので、少し偏見があるかもしれませんけれども、二つほど自治体レベルで反省が行われ、二度と再びそういう施策はとるまいと思っているような事例がございますので、わかりやすい事例を二つ挙げて御説明いたします。
 一つは、皆さん方ももしかしたらお気づきかもしれませんけども、横断歩道橋というのがございます。横断歩道橋は、モータライゼーションとともに自動車が走る道路というものをつくり、したがって、当初は私はあの施策をつくった人たちは善意だったと思うんですね、危のうございますから、人を横断歩道橋を通らせるためにつくったんでございますけれども、あの横断歩道橋をつくった人たちの意識の中には、横断歩道橋を渡りにくい人、渡ることが困難な人のイメージがございませんでしたし、それから横断歩道橋というのはどこでもそうでございますけれども、なかなか人が渡らないのでございます。どうなったかといいますと、結局自動車の合間を見まして無断で渡るようになりまして、そうすると警察もほうっておけませんので、そこで横断歩道橋の下にシグナルをつけたり、近くにシグナルをつけて横断歩道を敷設してしまうということになりますから、ますます横断歩道橋は使われないということになりました。今日、あの鉄の固まりというのは無残な姿であります。あのタイプの施策は二度と再び自治体のまちづくりではとらないということでございます。そういう反省がございまして、一番無残なのは、人に使われなくなった横断歩道橋が汚くなるものですから、あれのペンキの塗りかえをするのであります。こういうのが私はむだであると考えまして、いいまちづくりをすれば、今日地方行革ということを強調されなくても、きちんとむだのないいい「まち」ができるという施策の一つの事例であると考えています。
 もう一つ環境問題でいえば、環境問題の一つで水路や河川がございまして、実は自治体の方々、特にこういう河川改修とか河川の制御を担当している方々は、国の考え方もございまして、川が汚れてきたりはんらんいたしますと、どういう発想に立っているかというと、埋め立ててしまえ、ないしふたをしてしまえ、あるいはコンクリート三面張りの都市下水路に変えてしまえという発想に立ちやすいのでございます。こういう施策を仮に川にとりますと何が失われるかといいますと、川とつき合う住民の暮らしが失われるのでございます。そして住民は、その意味でいえば全く役所の管理にありますから、楽になるんですけれども、しかし、地域の全体の景観や人々の暮らしに潤いをもたらすようなお水から地域の人々の暮らしが遠ざけられてしまう、そういう施策がございます。今日、いろんな自治体でお水とか緑というものを強調していますのも、実は快適環境という視点から見れば不可欠な素材でありまして、この素材をどうやって生かすかということがまちづくりにおいては非常に大切な課題になっているというふうに思うからでございます。
 いろんな自治体でいろんなことが行われておりますけれども、一つだけ有名な事例といいますのは、九州に柳川という市がございますけれども、柳川の水路というのは、今お話ししたような視点に立たずに、見事なほど水路を生かし切った「まち」であります。ちなみに、あそこの水路というのは縦横に走って、有明海に即している「まち」でございますけれども、あそこの水路といいますのは、行ってごらんくださいますとわかるのでございますけれども、あの水路は川下りの観光資源に使っているのでございます。一時期水路が汚くなったものですからお客さんが来なかったんですが、私の聞き知っている限り、昨年度のトータルで百万の観光客がございます。実は観光という字は、あれは光を見せると書きまして、これは中国語に出典がございますけれども、光を見せるのでございまして、どこで光るとお客さんが来るかといえば、外のお客さんにおもねるようなのは観光ではないのでありまして、観光というのは地域の人たちの暮らしにきちんと根づいて、それが地域の暮らしを豊かにしているものがつくられることによって人々が来るんでございます。柳川のケースは、水路を人々の暮らしの中に取り戻す、再生させることによって初めてたくさんの人間が来まして、したがってまちづくりはもうかるのでございます。広い意味で、トータルの意味でもうからないまちづくりなんてございませんで、しかしそれはもうからない、地域の暮らし全体として豊かにしなかったのは、まちづくりの考え方のどこかに問題があったからだと私は考えております。
 全国で、例えば青年会議所の若いグループたちが一生懸命社会開発ということを今やっていますけれども、私も少しおつき合いがございまして、そういう若い連中と話すときにも、観光というのは大切なまちづくりの一環であって、観光というのをどういうふうに考えることによって地域はよくなるかということを一緒にやろうではないかというふうに言っていることも、実はそういう考え方でございます。
 そこで最後に、こういうふうな視点でまちづくりを考える場合に、どういうことが結論的に言い得るかということでございます。それがまちづくりと参加ということをつなげる考え方ということになります。
 私どもも、あるいは自治体の当局の方々も、今日においては「まち」というのは役所のものではない、まちづくりというのは役所と住民の共同の作品であると考えています。共同の作品であるという考え方は、「まち」をつくっていくエネルギーというのは役所や行政だけにあるんではなくて、住民の理解や協力や参加なしにはいい「まち」はできない。つまり、住民の持っている潜在的な可能性や、広い意味での能力というものを引き出すことなくいい「まち」をつくるということはできないという、そういう趣旨でございます。
 したがって、最初にお話しいたしました自治の観点プラスまちづくりを現実に展開していくためにも参加が不可欠になっているのでございます。ですから参加という概念は、何も苦情を言ったり批判するだけでございませんで、むしろ住民が主体的に自分たちの住み、活動するそういう場をつくっていくという、そういうエネルギーのあらわれ方のことを参加ととらえていくというふうに今日では意義づけられていると私は理解しています。そのことによって広く住民の持っている可能性というものがまちづくりのさまざまな活動の中にあらわれてくる、そういうイメージでございます。
 そういう観点から考えますと、そもそも地域開発とか地域振興というのは、もともとの原義、意味というのは、今お話ししましたような意味での地域の潜在的な可能性が引き出されてくるという意味でありまして、だれかが何かをやってくれるという話ではありません。私は、一般的に補助金を全部否定していませんけれども、国から何かを
取ってくればいい「まち」ができるということだけではございませんで、自分たちの手で「まち」を開いていくという発想に立っています。そのことを「まち」に住む人間について言えば、もともと私は、この考え方こそ教育の原義だと考えています。
 現在、臨教審で教育の談義が比較的にぎやかでございますけれども、教育のエデュケーションのエデュースという原義は、人間の潜在的可能性を引き出すと、もともとはそういう意味でありまして、何か先生がいて子供をトレーニングするという意味ではありませんで、自分が自分の潜在的な可能性というものを引き出していくという趣旨だと私どもは理解しています。これが教育の原義でありまして、この原義こそ実は私はまちづくりにおける大切な観点と一致すると思っています。
 まちづくりにおける広い意味での住民の学習とか社会教育ということが強調されますのも、実は、そこに暮らす人間たちが自分たちのよさや自分たちの能力というものをいかにして発揮し得るかということにかかわっていくというふうに考えます。そして、地域の潜在的可能性を自分たちの手で引き出すという事柄は、前の自治のみずから律するに対してはみずから立っていく、自立していくという、そういう道筋ではないかと考えています。
 今日、地方行革でいろんな課題が自治体にはございますけれども、長期的に見れば、こうやって自治体が、あるいは住民たちが自分たちの手で「まち」をつくっていくエネルギーでありますが、このエネルギーが私は地方の時代というものをみずからの手で引き寄せることができる。地方の時代というのは国がやってくれることではなくて、実は住民が、自治体が自分たちの手で招き寄せる課題ではないかと思っています。その課題は依然として引き続いているんではないかというのが私の考え方でございます。
 以上、早口で恐縮でございますが、ほぼ大体私に与えられている時間、三十分でございますものですから、以上をもちまして最初の問題提起にさしていただければというふうに思っています。
 どうもありがとうございました。
#4
○小委員長(亀長友義君) どうもありがとうございました。
 以上で大森参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
#5
○竹田四郎君 座ったままで失礼いたしますけれども、大変短いお時間にたくさんの内容を盛り込まれたお話のような気がいたします。
 事前に事務局から、先生の「コミュニティーの社会設計」という大部にわたる参考資料を読まして――読ましていただくというより斜めに読んだという程度でございまして、必ずしも正確に理解はしていないだろうと思うんですけれども、今の先生のお話で、「まち」というのは役所と住民との共同作品であるし、みずからが潜在性を引き出してつくっていく快適な生活環境、それは精神的な意味もあるでしょうし、また物理的な意味もあるだろうと思うんです。
 私は、横浜に住んでいるということが、先生のお話の理解をあるいは妨げている面があるかもしれないと思うんですけれども、何といっても最近の都市という、地方自治体という一つの行政単位でありますけれども、こういうのが私は大き過ぎるんじゃないだろうかと。いろいろな参加といっても、参加するにはその他域のいろいろな問題というのがわからなければ参加できないだろうし、その前には自分の周りというものがよくわからなければ意見も出せないわけであります。東京の区にしても同じでありますけれども、余りにも自分たちの行政単位が大き過ぎるんじゃないだろうか。私が住んでいるのは横浜市の港北区というところでありますけれども、ここでも今人口は二十万を超えているわけでありますから、当初自治法などが予定をしていた市というのは、十万内外の市というのが大体標準的な一つの自治体というふうに予想をしていたと思うんですけれども、今はそういう点では行政区でも二十万、三十万ということでありますから、その中で情報というのは、最近、新聞、テレビでもかなり地域の情報というのを知らせるようにはなってきていると思うんですけれども、それでもまだまだ地域の情報というのは非常に少ないわけですね。こういう中ではなかなかおっしゃるような参加への意欲というのは、町内で少しの話は出ると思うんですけれども、なかなかそれから先へ行くというのはかなり難しいんじゃないだろうか。もう少し市町村の単位というのを、まあ財政的に見れば大きい方が能率的だと言えるのかもしれませんけれども、少し大き過ぎるんじゃないのか、もう少し小さくしたらどうだろうか。町村合併の問題なんかも最近若干また言われてきている点もありますけれども、町村合併なんか、財政的な観点も考えなくちゃならないのかもしれませんけれども、新しいまちづくりということになると、余りそういうことをしてしまうとむしろそういうものは壊れてしまうんじゃないだろうか。こんなことを私、先生のお話を聞きながら考えているわけであります。
 特に、最近の都市のマンションというものですね、これはまさに大変な集団を個に分割してしまうようなものだというふうな気がしてしようがないわけであります。
 先ほども雑談で、私ども選挙をやるわけですから、票を集める手段というのは当然いろいろ考えられるわけでありますけれども、農村はちょうど池に石をほうり込むような感じがするんです。石を一つほうり込めば岸辺にまでさざ波がずっと行きまして、例えば農協の幹部に会っても、竹田四郎というのがきのうだかおととい来たようだよというのは案外末端までその情報というのは行くわけですね。ところが、都市は私は砂漠に石を投げるみたいだとよく選挙のときに言うわけです。会った人しか竹田四郎が来たということはわからないわけで、隣の人は全然わからないというようなことを特に感ずるわけであります。そういう意味では、特にマンション的な建て方、運営もあるだろうと思いますけれども、何か砂漠に住んでいる人間だというような気がしてしょうがないわけでありますが、そういう点、確かに一戸建ちのところの方が何か町も快適なような気がいたしますし、潤いがあるような気がするんです。
 私はいつか、先生御承知だと思いますけれども、川崎の工場跡地に河原町団地というのができまして、当時これは建設省も逆Yの字形の建物ということで大変建物としては評価されたわけでありますけれども、あそこの団地というのは、二つの逆Yの字の建物のワンフロアに大体百世帯ぐらいあるわけでありまして、それが十二、三階ぐらいまで積み上がっているという住宅でありますが、ここでかつてこういう事件が起きました。上だか下だかわかりませんけれども、何か猫か犬を飼っていたと。そしたら隣の上か下の階の人が、やかましいということでその猫か犬を上の方からほうっちゃったわけですね。そしたら当然そのペットは死ぬわけです。そのことを根に持って殺人事件が起きたところでありますけれども、それはそこの河原町の団地だけに限らないで、ほかの団地でも、これも十年くらい前でありますけれども、ピアノの音がやかましいというのでこれも殺人事件が、これは平塚でありますけれども、そういう事件が起きているというような点で、どうも能率性ということで高いマンションが、しかも余裕なく建てられていると、くっつけて建てられていると。そこには全く人間関係のない砂漠みたいなあり方なんですが、そういうことも含めまして、どうも私は大きな都市にはなかなかそういうものは生まれないんじゃないか、もう少し分割した方がいいんじゃないかと、こう思いますが、その辺は先生どうお考えですか。
#6
○参考人(大森彌君) 大変幾つかいろんなことが含まれていますものですから、いろんな角度からお話しすることができますけれども、一つは、都市が大きいとか小さいとかっていうのは何を基準
にして言うのかということがございまして、多分住民が参加しやすいという規模でいえば、恐らくは今の御指摘のようにできるだけ小さい単位の方が参加しやすいということがわかりますから、したがって国より都道府県、都道府県より市町村の方が身近であると、参加しやすいということになりますので、その意味でいえば、そういう参加の容易さという尺度をとれば小さい単位の方がやりやすいということは私は言えると思うんですけれども、実は、都市といいますか、私どもの日本人の暮らしが全面的に都市型社会に入ったものですから、農業をやっている人たちも都市型の暮らしを始めていますので、したがって私は、従来の都市と農村という区別はかなりの程度まで意味を失い始めたと思っていまして、人々の暮らし方は都市型に変わったんですね。
 それで、都市型の社会になったときに参加のことを考えて一番難しいのは、この社会といいますのは人と物と情報というものの流出入が非常に激しい。つまり動いている社会でありまして、ですから閉じた社会を考えて、そこで自治を運営するというのはもう非現実的でございまして、人々の暮らしが非常に流動的なんでございます。流動いたしますといろんな御都合が出てまいりまして、余り小さい単位にしておきますと、そういう新しい都市化という状態に応じ得るようないろんな手だてが非常に難しいということがございます。
 それから、もう少し違った観点を入れますと、これも御承知のことだと思うんですが、間もなく本格的な高齢化社会がやってきますけれども、今国土庁の推計で、もう既に自治体の中で全人口に占める六十五歳以上の比率が三割、四割実際に出てきまして、これから二十年の間には六割ぐらいの自治体が出てきます、小規模で。そうすると、この単位が幾ら小さくても自治体としてやっていかれませんで、やっぱりある程度の規模を今度はそちらの方は考えなきゃなりません。
 ですから、私は、自治体の規模の話というのは、余り巨大になったところは御指摘のとおり少し割っていくという発想がいいでしょうし、やっぱり余り小さいところは少し合わせまして、いろんなことができるようなそういう規模に変えていくということになりますから、恐らく自治体の規模論というのは、その双方から見るというふうにいたしませんとなかなか実際の改革は進みにくいんではないか、ややそういうことを考えています。
 それから、御指摘の中でこういうことがございまして、実は私どもも都市というのをきちんと勉強しなきゃいけないということになっていまして、恐らく政治家の皆さん方で言えば特に都市、いわゆる「都市」を基盤にしている方々は選挙がやりにくいということはよくわかるんですけれども、ちょっと口幅ったいことを言わせていただければ、それは選挙のやり方が合ってないんでありまして、都市に生まれ、都市を呼吸して、都市に生きている人間たちの感覚に合うような選挙が行われていないから人々は選挙にやってこないんです。ですから、選挙で成功している候補者も私はいると思うんですが、その方々のセンスは間違いなく都市型社会の方へ適応をつくっているわけでして、ですから、従来の選挙のスタイルを少し変えていただければ意外と都市というのは見えてくるはずではないかと私なんかは思っております。ちょっとこれは何か反論しているようでありますけれども、そういうことは意外と大切なんですね。都市に生まれて、都市を呼吸して、都市で生きていく人間たちがたくさん出ている。東京なんか特にそうですから、その人たちの感覚やその人たちの持っている文化にうまく合えば私は票の組織化というのは可能ではないかというふうにちょっと考えています。
 御指摘の中で最後にちょっと大切なことだと私も思いますのは、実はこれは地域で暮らしていましていろんな近隣紛争というのがばかにならなくございます。法務省がとっている人権侵犯事件の今でも三割近くは近隣紛争でございまして、御指摘のように、いろいろピアノの音がうるさいという例の殺人事件がございますし、それから最近はゲートボールの殺人事件が起こっていまして、これも容易ならざる事態ではないかと私なんかは思っています。
 こういうことではないかと思うんですけれども、古い地域の暮らしの文化の中には、お引っ越ししてきた人が御近所にあいさつして回るという風習がございました。ところが、この風習は急速に廃れました、特にいわゆる都市化を激しく遂げてきたところで。私どものところでは、むしろ住んでいる人たちが新しく入ってきた人たちをお呼びするのはどうか、自分たちの町はこういうことをやっていて、こういうよさがあるということを、お呼びしないとなかなか入ってきた人たちは地域になじみにくい。私は町内会の方々とお話ししますけれども、町内会のようなところも少し工夫をすれば、意外と最初は赤の他人であっても、なじみやすいような工夫がとり得る。それを従来のままのやり方で、入ってきた人間たちがそっぽを向いているというだけでは、地域社会における人間関係というのはなかなかうまく結びつきにくいんではないか。
 もともと、これは少し私の偏見かもしれませんけれども、日本人の持っている他人観というのがございますね。他人というのは三通りある説でありまして、一つは、同じ他人でも近隣における他人というのは比較的近しゅうございます。遠い親戚よりも近い他人、人様と呼ぶ場合の他人ではありますけれども。しかし、それは比較的おつき合いを地域社会で始めればいろんな工夫をいたしますから、地域の問題をいろんな意味で議論し合うわけですし、必要があれば役所とのつながりもやりやすいんでありますけれども、ぽっとどこかから入ってきて住みついたり、先ほどのようにマンションに住みつきますと、その人たちは同じ他人でも赤の他人でして、どこの馬の骨かわからない、心も通じない。そのままでいきますと、事実上地域の暮らしで関係を持たなきゃいけない場合は非常にぎしぎしするんでございます。大体トラブルが起こっていますのが軒を接して暮らして、事実上共同生活をしなければならないにもかかわらず結びつきができていない場合なんですね。
 ですから私は、やっぱりお互いが違いながら他人同士が結び合える工夫をしていくということになりますね。その単位はそれこそこの本に書きましたようにコミュニティーの単位だと思いますね。自治体の単位だと大きいわけで、ですから本当の地域の暮らしの現場の話を考えれば、やっぱり住民が自主的につくり上げるようなそういう近隣社会のあり方が入りませんと、今御指摘のようないろんなトラブルというのは解決しにくいんでございまして、トラブルが解決しないとどうするかというと、あとは警察と役所へ持ち込むわけです。最近はもう警察が民事関係の相談をしてパンク寸前でありますし、それから役所にはありとあらゆる問題の相談が参りまして、ですから、もう少しそのレベルで住民がいろんな意味で自分たちの問題を解決することで、余り役所の方へ持ち込まないという工夫がいろんなことでされる必要がございます。
 ですから、御指摘のとおり規模の話を考える場合には、一番身近なところから次に少し広いところへというふうに積み重ねるような格好で参加の仕組みを考えていきませんと、どっと大きな何十万という都市に個々の住民が参加しなさいなんて言ったって、それは私は無理だと思いますので、やっぱり積み重ねられるような仕組みを自治体がつくり得るかどうかが非常に大切でして、参加で比較的成功している自治体は、みんなそういう積み重ねられるような仕組みをつくっているところなんでありまして、その仕組みなしには参加は御指摘のとおり運ばないのでございますというふうにとりあえず考えられるんではないかなというのが私の考え方でございます。ちょっと言い過ぎたかもしれませんけれども、一応はそれで私の答えにさしていただければと思います。
#7
○竹田四郎君 もう一、二点。
 そこで、参加の問題で積み重ねていくというよ
うなことでは、市の広報なんかの配布問題というのがすぐ問題になってくるわけです。これも、地域の一つの情報交換というよりも、市の地域的な情報をもらう、市全体の情報をもらうという意味では協力をするということになるわけでありますけれども、そうすると、現実にはそんなものは日通に配らしたらどうだとか、そんなものは新聞に入れて配ったらどうだとかいうような形が一部に出てくる。そこで、どうしても市はそれをうまくやるということで、広報の配達費というのは各町内会にやる、そのうちには、今度は地域でゲートボールをやるからそれもひとつ老人福祉対策費として出そうじゃないかとかということになります。そうなってくると、あそこは余分にもらったとか、あそこは組織がどうなっているからこうだとかというような形で、金の問題というのは必ず出てきます。ゆうべ会った人なんかにも聞きますと、ある会長さんは年に市から電話料を十万円取っている、一体こんなものは取るべきであるのか取るべきでないのかということで議論があったり、あるいは町内会の範囲には小学校の一つぐらいは大抵あるわけですね。そうすると、卒業式あるいは入学式に町内会長が参加をする、そのときにはある程度金が要るじゃないかということで、今度は町内会長さんの交際費というのを市の方から幾ら出せ、こういうようなことが起きているのは私は割合ありふれた町内会だと思います。そういうものが逆に、何だあの町内会の会長は、少し町内会長をやっていてうまいことしているんじゃないかというような話も実は出てくるわけでして、それに対応して、市が市の広報をうまく配らしてもらうには、その上へ積み上げていくのはやっぱり金ということに現実にはなっているわけですね。先生のこれを読ましていただくと、本当のコミュニティーというのは重荷を担い合う諸活動だというふうに御規定になっているわけでありますが、まさにそのとおりだとは思うんですが、なかなかそこまでの理解というのはいかなくて、むしろそれは行政側が金によって解決できるものは金によって解決しよう、こういう動きというのはどうも私はまだ強いような気がする。
 先ほど先生は、参加の時代というのはどんどん進んでいるんだと、こういうふうにおっしゃられるんですが、確かにそういう地域も私はあると思うんですね。あると思うんですけれども、しかし最近は、私は特に自分のところにいて感ずることは、なかなか参加させてくれないんですね、率直に言いまして。特に新しい都市づくりをやるということになりますと、そんなこと一々やっていたら調和ある都市にはならないんだとかというようなこともあります。私はこういうことを経験しまして実はびっくりしたんですが、これは伊勢崎町の通りでありますが、今あの付近はずっとカラー舗装というのが行われて、全体にある一定のカラーで舗装をしようという計画が進んでいるわけであります。あるビルの持ち主が、小さなビルでありますけれども、自分のビルの入り口がちょうど飲食店街の近くにありまして、朝になりますと飲食店のごみがその付近に集められてしまう。不幸にして細い通りでありまして、そこだけが私の友人のビルの入り口になっている。そこでごみはたまる、あるいは汚いいろいろなことがそこで起きるわけでありますから、きれいにしようというので、自費でひとつ同じ形で舗装しようということで、関係のそこの地域の土木事務所へ話ししたんですね。私も一緒に行って話ししましたんですがね、やっぱりこういうのはだめだと言うんですね。これはその土木所長の個人的な意思によってそういうことをおっしゃっているのかどうかは知りませんが、そういうようなまちづくりの専門家と市民との争いというのはほかでもそういう問題は最近起きているわけですけれども、何か絵にかいたまちづくりというのを役所の方から強制してくる、そういうことがありまして、どうも最近はそういう点で役所というのがちょっと出過ぎているんじゃないかな、もっと参加を受けるという、話を聞いてみるという姿勢ですね、こういうのが、どうも大都市であるからそんな細かいことに一々かかわり合っていたら幾ら時間があってもだめだからということなのかどうかわかりませんけれどもね。ですから、大変失礼だけれども、先生のはむしろ大都市中心じゃなくて、少し中小都市的なお話ではないかな、自分の体験からそんなふうに思いまして、最近の大都市ではむしろ参加を拒否し始めている傾向がある、こんなふうに思うんですが、どうでしょうか。
#8
○参考人(大森彌君) 参加ということを考える場合に、幾つかきょうお話ししなかったことで大切なことがございまして、一番広く考えれば、参加といいますのは、ここで言えば役所の意思決定に対して事実上いろんな影響を及ぼし得るような住民の活動は全部参加だととらえることができますので、参加の形というのはさまざまな形が考えられるわけです。特定の形だけが参加ではございませんで、ですから、古い伝統的なやり方でいえば、町内会連合会が文書をつくっていって一種陳情スタイルでやるのも一つの参加の形でありますけれども、それ以外にもさまざまな、例えばある特定の事業が出てきたときにその周辺の住民がグループをつくって役所と交渉するというのも一種の参加ということになりますし、それから、各種の審議会がございますものですから、そこへ出て御発言されるのも一種の参加でありますので、参加の形はたくさんあるんですけれども、参加ということを考える場合に実はこういうことになるんであります。それが実はなりにくいんであります。それが、参加が言葉として定着しながらなかなか実現が難しいということを理解するということにつながるんですが、まず第一に、物事を決めるわけですから、物事を決める手続がございます。この手続の変更を伴うんですね、新しい参加といいますのは。そうするとどうなるかというと、従来の手続過程であったならば入れなかった人たちが入って消えますので、次には参加者の顔ぶれが変わるんでございます。ですから、新しい参加の仕組みをとれば必ずある種の緊張といいますか、従来自分たちがある手続の中で物事を決め得た人たちは新しい参加者は嫌ですから、したがって新しい参加の形をとろうとすれば必ずどこかで少し問題が出てくる。それを突破できるかどうかということが、自治体が参加を推し進めようとする熱意があるかどうかの一つの目安になるんですね。最後に、手続と参加者の顔ぶれが変わりますと、従来のような施策ではない新しい施策が出てき得る、論理的に言えば。ですから、手続と参加者の関係と施策というものにある変化をつくっていくことに実は新しい参加の意味がございましたし、その意味でいえば、参加ということが言われ始めましたのは、やっぱり従来ではない例えば公聴という新しい手続を仕込むことによって、従来はなかなか物の言いにくかった住民が物が言いやすくなるというのは、手続と参加者が変わって、そのためになかなか従来であっては役所がやらなかったような施策をやり始めれば、それは参加が意味を持つ、参加が効果を発揮するということになるんだと思うんです。
 ですから、問題になりますのは、今御指摘のとおり、実は日本では自治体の数三千三百ぐらいございまして、大きなところ小さなところとございますから、同じ市でも、今、先生がお住みの横浜とか川崎とか政令指定都市と五万とか五万を切っているような都市を私は同じように議論するのはちょっと無理だとやっぱり思うんです、その意味でいえば。政令指定都市になりますと何百万でございますから、恐らく行政区がございまして、行政区だと先ほど御指摘のとおりに十万とか二十万でございますから、問題はしたがって行政区の中でどれほど行政区単位、もっと言えばもう少し小さい単位でさまざまな参加の仕組みがとれているかどうかだと私は思うんです。
 それで、実は今の御指摘のことは、恐らくは自治体が参加ということを取り組んでいくときの工夫であるとか熱意にかかわる話なんでして、ですから、私先ほど申し上げましたように、参加ということはもう当たり前のことにはなっているんですけれども、当たり前のことになったというの
は、参加が進んだということとはちょっと違いまして、依然として参加を実効あらしめるような努力がやや不足している自治体があることは私は間違いないことだと思っていますけれども、ただ、参加というのはいろんなやり方があり得るので、いろんな地域でいろんな工夫があっていい。ですから、政令指定都市には政令指定都市のやり方があっていいなと。私も、横浜はちょっとこういう議論で行って役所の人たちには随分話しているんですけれども、なかなか役所の人たちの意識の中には、うるさい住民なんていうのは嫌だと、私の講義を聞いてくださるときはうなずいておられますけれども、夕方一杯入ると、先生は言っているけれども本音はおれは嫌なんだ、参加はうるさくて手間取るし仕事は運ばないから本当は嫌だと言うんですけれども、やっぱりその試練をくぐって初めて自治体というのはいいものになるわけですから、自治体のお役人の人たちの頭も切りかえられませんと御指摘のとおり参加はなかなか進まない。特に大都市では困難な条件が多うございますので、より一層努力がございませんと参加は実効あるものになりにくいというのは私もそういうふうに実は感じ取っています。
#9
○竹田四郎君 ありがとうございました。
#10
○刈田貞子君 時間の制約がございますので、ちょっとくくって御質問さしていただきます。
 先ほど先生が歩道橋の問題と川の問題をお取り上げになりましたけれども、私、くしくもその歩道橋問題で反対運動をやりました国立の歩道橋要らない反対運動の地元でございますので、そのことはよくわかっておりますんでございますが、水の問題については小樽の問題にも少し助言いたしましたので、大変先生のお話を興味深く伺っておりましたわけですけれども、つい最近は、私、中央高速道路の高井戸インターの問題についても取り上げまして、実は大変私自身そういう問題に失望を感じておる者の一人でございます。まちづくりというのは役所と住民の共同参加によるということにはなるんですけれども、住民の意思が反映されにくいシステムがたくさんあるために、最終的には私の町なんかではぶざまな歩道橋がそこにできてしまったというような実態がございます。
 そこでお伺いしたいことは、結局、やっぱり補助金の関係とかあるいはいろいろ助成金の関係でまちづくりにかかわる問題では、行政サイドが持っている一つのパターンがあるわけですね。それを破ってソフトな住民の意思、つまり、あれはもう全く政治などには反映されないようなぶざまであるというような美意識を主張したところに私どもの歩道橋要らない運動があるわけでございますけれども、その美意識のようなものなんかがまちづくりの中に反映される余地は今私はないのではないかという失望感を持っておる者の一人でございますので、この点を行政サイドがどういうふうに今後吸い上げていくべきかという点を一点お伺いしたい。
 それからもう一つは、行政サイドに働きかける前の住民同士のコンセンサスづくりの問題で私自身一つ疑問を持っていることは、つまり、画一被害意識を持っている人たちのコンセンサスは非常につくられやすい、しかし、生活感覚と価値観と自分たちの中でユニークな生活意識を持っている者のコンセンサスはなかなかつくりにくいという問題について私は非常に悩みを持っておる者の一人でございますけれども、こういったことへの御助言がいただければ大変幸いでございます。
#11
○参考人(大森彌君) 私も日ごろから感じ取っていることをおっしゃってくださったと思うんですけれども、最初の問題といいますのは、自治体の現在の改革問題でいいますと、行政と文化でございまして、実はこの言葉は五十一年に私があるところで書いてから普及し始めた言葉なんですが、行政の文化化というのがございまして、これはいろいろな自治体で取り上げられるようになったんですが、まさに今御指摘のとおり、役所で仕事を計画したり事業をやっている人たちの感覚なんですね。今の美意識の話ですけれども、自分たちがつくっている行政がやることで「まち」を汚くしているという感覚がどうやら非常に希薄だったんです。そのことに着目しまして、自治体の改革問題では、行政そのものを文化化していく、やっぱりその種の地域の美しい「まち」という感覚を役所のいろいろな施策に反映し得るようなことをやらないと、いつまでたっても役所のやることが「まち」をだめにしているということは十分ながらあるわけで、そのことに気がついてほしいということが行政の文化化という課題でありまして、これはかなりの程度まで取り上げられ始めたと私は思っています。自治体でもそのことに気がつき始めました。
 それから二番目のお話というのは、本格的に日本人が都市化を遂げた後、どうやって地域のレベルで新しい質の政治ができるかということだと思うんですね、基本的に言えば。私どもも政治学を勉強していましてなかなかそういう理論はつくりにくいんでございますけれども、私どもが持ってきた政治の質というのはやっぱり村モデルなんですね、村モデルの政治運営の方式をずっと持ってまいりました。私は、口幅ったいようですが、国会もややその気味が強いと思っていまして、派閥のことを村、村と呼んでいるのはその証拠でございます。都市というのはもともと異質の人間が、物事の考え方の違う人間たちが寄り集まって共同生活を営むということを前提にしていますので、そうすれば特段に折り合って暮らすためのルールとか暮らし方をつくることでございますね、それが私、政治だと思っていまして、ですから、住民のレベルで都市型にした社会の中の新しい質の政治というのをつくり出さない限り、なかなかにいろいろな問題の解決が難しゅうございまして、結局自治体の中で困っている問題を調べていくと、何かというと、役所と住民との対立関係もないわけではありませんけれども、たどっていくと住民同士の利害の対立や意見の対立なんです。そこをどうやって解きほぐして解決できるかということを今度は役所の方も考えなきゃいけませんし、住民の方も、同じような考え方を持っている者同士が集まりやすいのは当たり前でして、違う人間がどうやって折り合って暮らせるかということを考えることになっていくことだろうと思うんですね。その意味で私は、本格的にやっぱり都市型の政治の必要が今起こっているんだと、そのことが全体としては自治体レベルの政治の質みたいなものを変えていかれる、議員さんの方もそれに合わせていただくということも必要とすると。例えば選挙のときにも、私は、お願いしますというのをやめてほしいんです、本当に。皆さん方の判断で入れてほしいという選挙をやってくださいますと、中にはおれを男にしろという選挙をやりますので、あれは伝統的な村モデルの政治の様式なんです。もう少し政治の様式を変えていただくことで住民の方も新しい政治があり得るという、そういう何か機運をどうしても私はつくっていきたい。
 そのために一つだけ提言がございまして、地方議会は半分ぐらい女性が望ましゅうございます、生活の感覚を持っている女性たちが。今まで全国では知事と市長さんがまだ一人もございません。町村長にはございますけれども、市長さんに女性がいつ登場するだろうか。万般、別に私、全部女性の味方でございません、ひどい女性たちもいますので。しかし、女性たちの持っている生活感覚がもうちょっと市政に反映することで少し政治も変わり得るんじゃないかという、幾つかの可能性の一つはそういうところにあると。しかも、今は地域の諸活動の中核部隊はほとんど主婦ですから、主婦たちが参加の非常に大切な担い手になっていまして、その意味でいえばもう少しいろいろな政治の試みみたいなものがあってもいいなというのが私の実感でございます、余り理論的ではないんでございますけれども。
#12
○小委員長(亀長友義君) 以上で大森参考人に対する質疑は終わりました。
 大森参考人には、お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等に
つきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
    ─────────────
#13
○小委員長(亀長友義君) 次に、財団法人日本不動産研究所研究員前川俊一君から意見を聴取いたします。
 この際、前川参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。本日は、まちづくりの海外事情につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、まず三十分程度御意見をお述べいただき、その後三十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。
 それでは、前川参考人にお願いいたしたいと存じます。前川参考人。
#14
○参考人(前川俊一君) 財団法人日本不動産研究所の前川です。
 一応、きょうお話しするのはイギリスの土地政策を中心にお話しするわけですけれども、まずお話しするところの位置づけを明確にするために、お手元に一枚紙のレジュメをお配りしましたので、その中でこれからどこをお話しするかということを明確にしたいと思います。
 まず、政策目標があって、その政策目標に従って地域開発などの開発計画が設定されると。開発計画を実現する手段には財政支出を伴うような積極的な手法と規制によるような間接的な手法があります。
 財政支出を伴うような積極的な手法の中には、公的主体が直接的に地域開発をするとか、民間開発に対する助成を行って、それで民間開発を刺激していく。その民間開発を刺激する方策として、一つには土地整備等を公的開発で行って、例えばアメリカで行われているようなライトダウン方式、公的主体が開発した土地等を低廉な価額で民間に譲渡する、そういう方法と、それからインフラストラクチャーとか、公共、公益施設等を整備することによってその地域の開発を刺激する。それから民間開発を助成する意味で資金の助成を行う。それから減税を行う、免税を行うという手法で民間開発を助成する。
 規制による間接的な手法は、開発規制は、基本的に本来の機能というものは、異なった用途に供するために生ずる隣接者間の対立の排除、これは経済の言葉で外部性の排除ということですけれども、及び環境保全等を通じての財産の保全、これが一応本来の目的であるわけです。ところが、開発規制を強化したり緩和することによって地域の開発をコントロールすることができます。例えばアメリカで行われているようなフィスカルゾーニングと言われているようなものがその一つで、その場合は、低所得者層なりの参入を防ぐために財政的な目的でその区画を大きくしたりとか、そういう形でとるという方法ですけれども、一応そういった強化したり緩和することによって地域の開発をコントロールしていく。
 各国どのような形で行われているかといいますと、開発計画についてはアメリカは総合計画、コンプリヘンシブプランまたはマスタープランとか、そういう形で地域計画、必ずしも設定していない場合がありますけれども、こういった計画を持っている。イギリスの場合は、これから御説明しますけれども、ストラクチャープランとローカルプランの二層プランになっている。日本の場合は、御存じのとおり全国計画、都道府県計画、市町村計画。土地利用計画等もあります。
 それから、公的主体による積極的投資ですけれども、特にインフラストラクチャーの整備のところまでですが、これに関して、これは直接的な投資に伴って資金的な支出をするわけですけれども、間接的な資金の回収として考えられるものは、財産価値の増価に伴う土地保有税の増額とか未現実キャピタルゲイン税、これは実施している国はありませんけれども、による回収。例えばアメリカでは、土地を整備してそこを民間に開発させるという場合に、その土地を整備するお金について税増収債を発行すると。税増収債というものは、将来の債券の償還について税の増収分によって償還すると。ですから、将来の税の増収を担保にして債券を発行するという方法です。
 それからもう一つ、直接的な資金回収として考えられるものは開発利益の吸収制度である。イギリスでは、これから説明いたしますけれども、開発用地税がある。用途変更に伴う価値の増加分を税の形で一定割合吸収する形をとっております。西ドイツとか日本は開発負担金制度があります。特定の地域だけに限っていますが、イギリスはそういった特定の開発地域だけじゃないわけです。これは後で説明いたします。
 資金の助成については、アメリカでは都市開発事業補助金、アーバン・デベロップメント・アクション・グラントと言われていますけれども、そういった制度と地域開発一括補助金。前者の方は特定の開発に対して支給されるのに対して、後者の方は、いわゆる地方自治体に助成をして、その地方自治体がどう使おうが、チェックはいたしますけれども、一括して補助金として交付して地方自治体がそれを地域開発に役立てると。イギリスの場合はアメリカの都市開発事業補助金と似たような制度がありまして、これは都市開発補助金というものがあります。
 それから、最近イギリス、アメリカで話題になっているのはエンタープライズゾーンと言われているものです。これは事業地域と訳す人と企業地域と訳す人がいますけれども、一応ここではエンタープライズゾーンと英語のままであれしました。イギリスでは一九八〇年法により成立したものですが、これも後に説明いたしますけれども、ある特定の地域をエンタープライズゾーンとして指定して、規制の緩和とか税の減免を行うということによってそのゾーンの開発を促進するという手法です。アメリカでは一九八三年の四月までに十六の州がエンタープライズゾーンを立法化しております。それから、連邦レベルのものは現在法案として検討中です。アメリカの連邦レベルの法案は、イギリスよりも範囲が狭くて、税の減免を中心としております。
 それから、開発規制の手法です。イギリスの場合を説明いたしますけれども、個々の計画許可申請書を個別に審査することを通じて規制いたします。この場合、先ほどの土地政策の手段として使うときには、審査のときに裁量によって開発をコントロールすることができるという長所があります。ただ、イギリスの場合は日本ほど開発が行われておりませんので、もし日本で導入するとしたらかなりのコストがかかるんじゃないかと思います。アメリカの場合はゾーニング制です。日本と同じですけれども、日本に比べて規制の内容は細かくて厳格です。しかしリゾーニング制度、リゾーニングというのはいわゆるゾーニングの変更という意味です。これは私人からリゾーニング、ここのゾーニングを変更してくれという申請もできますし、地方自治体がゾーニングを変更することももちろんできます。あとボーナス制度。日本では総合設計制度がありますけれども、ボーナス制度等により比較的ゾーニングを柔軟に運用できるようなシステムになっております。日本の場合は地域地区制で、規制は緩いけれども比較的硬直的な運用をしていると。どちらかといえばイギリスと日本の真ん中にアメリカがあるという感じですけれども、どれを採用するかについては行政コストとの関係、日本の場合の方がいわゆる審査の手間は比較的ないんで一番コストがかからないと思うんですけれども、行政コストの関係での政策の選択になると思います。
 それでは、イギリスについて開発計画と開発規制、それから最近の動きとしてエンタープライズゾーンを中心としてのお話と、開発用地税についてお話ししたいと思います。
 まず、開発計画ですけれども、現在のイギリス
の開発計画制度は一九六八年の都市農村計画法によって確立したものです。六八年以前はデベロップメントプランと言われる一層のプランでしたけれども、問題点として、計画作成、確認のプロセスが非常に長かったということ、それから土地利用のガイドとなるほど詳細でない一方で、社会とか経済の変化に対応できるほど弾力的でなかったということから、二層のプランが考えられたわけです。
 ストラクチャープランの内容ですけれども、まず地方自治制度を説明しなければなりません。イギリスの場合カウンティーとディストリクトがあります。日本で言う県ですけれども、カウンティーは五十三あります。それから、メトロポリタンカウンティーと言われるものが六つあります。ディストリクトはそのカウンティーの中に、日本で言う市町村ですけれども、全国で三百六十九あります。メトロポリタンディストリクトと言われるものは三十六あります。そのほかにグレーターロンドン、大ロンドンと言われているものがあるわけです。大ロンドンの中にはロンドンバラというのが、特別区ですけれども、三十二あります。ストラクチャープランは、カウンティーとか大ロンドンといった行政レベルで作成される計画です。
 それから、ここに盛られている目的としては、計画区域における地方計画庁の開発、その他土地利用に関する政策、それからローカルプランのための基本的な枠組みを提供するものだと。どういうような内容を含ませているかというと、雇用の配置と規模、住宅の立地と規模、交通システム、地域の特徴の保全、レクリエーション及び観光のための用地提供の範囲、ショッピングセンターの立地と規模、それから土地改良といった種類のものです。計画の適用期間は一般に十五年です。
 それから、ストラクチャープランは全般的な長期的プランと言えるわけです。例えば大ロンドンのストラクチャープラン、大ロンドンの場合かなり雇用と人口の減少ということに直面しているわけですけれども、雇用問題では雇用機会の増加、住宅問題では住宅問題地域を設定して老朽化の住宅の改善、方策として再開発と修復といったものが挙げられています。最近は、ヨーロッパの傾向では再開発よりも修復という形の手法がとられているようです。
 ローカルプランは、ディストリクト、市町村レベルの地方計画庁により作成される計画です。三つのローカルプランがありまして、一つはディストリクトプラン、これが一般的なものですけれども、アクションエリアを除く地域全体に関する土地利用に関する政策提案を定めたものです。アクションエリアプランというのは、ストラクチャープランで指定されたアクションエリア、日本で言えば事業地域とでも言うんでしょうか、アクションエリアについて作成される計画で、内容はディストリクトプランに比べるとより具体的です。あとサブジェクトプラン、これは特定の道路とか施設等のテーマごとに作成される計画です。例として大ロンドンの中のハリンゲーでは、例えば大ロンドンにおける住宅問題地域の指定を受けて、その地域の中から住宅投資地域を設定しています。その住宅投資地域を設定して、ここにおいて重点的に投資を行う。投資計画については住宅投資計画を設定、これは五年計画なんですけれども、ローリング計画と言われていて、五年計画だけれども毎年改定して作成する計画です。
 ロンドンの場合、人口は減少しているんですけれども、低所得者層が大分ロンドンの中に残っていること等で住宅不足が依然として残っている。人口が減少しているんだけれども住宅不足が残っているということ。それに対する政策としては、空き屋になった規模の大きな住宅を小規模住宅に改造するという手法で対応しようというあれです。それから雇用に関しては、中小工場の減少を阻止しよう、規制を緩めて工場の開発を有利にしようという政策も盛られています。
 この開発計画に関する最近の動きですけれども、現在、保守党政権のもとで、小さな政府を目指して地方制度の改正の方向に動いています。一九八三年の十月に環境省の白書で地方制度の合理化を公表しています。内容は、一九七二年につくられた大ロンドン及び六つの都市圏カウンティーの制度の見直しということです。一九八四年に地方行政暫定条項法が制定されました。これによりますと、一九八六年四月に大ロンドンが廃止される予定だと。これは今まで大ロンドンとバラという形で二層のプランをつくっていたんですけれども、このストラクチャープランとローカルプランといった制度にも何らかの影響を与えるものだと思います。
 それから開発規制ですけれども、イギリスの場合は個別審査であるわけです。まず、開発を行う場合には計画許可申請書を提出いたします。計画許可申請書を開発規制担当官が受け取ると、地域住民とか地域団体とか関連行政庁等と協議をいたします。それが開発計画に合っているか、さっきのローカルプランに合致しているかを調べるわけです。それから、その敷地に関する調査と申請者との討議を行います。敷地に関する調査というのは、申請されている開発が環境に適するのか否か、以前に当該敷地についてどのような計画許可申請がなされたか、及びそれが許可されたか否かといった旨を調査いたします。それから、開発規制担当官という人がいるわけですけれども、まずその人が、いわゆる開発許可に関する原案というべき申請に関する報告書を作成します。その報告書作成時に考慮することは、開発計画はもちろんですけれども、区の政策または明文化されていない方針、当該敷地に過去どのような計画許可申請がなされたのか、他の部局との調整の意味での調整。軽微な開発については、区計画室というところでその開発規制担当官の提出したものを審議して決定いたしますけれども、一般の開発については開発規制小委員会というものを設けて、そこの地区の議員が審査して、その開発を許可するかどうかを決定いたします。定期的に開発規制小委員会が行われるわけですけれども、そこでは一応開発規制担当官が作成した原案をチェックするとともに、時にはバスなどで実際に現地に赴いてするということで、かなりのペースで処理するわけです。ですから、開発規制担当官の裁量というものはかなり強く作用するわけです。開発規制担当官が許可する方向でいけば、大体そのとおりに認められるという形のようです。ですから、裁量の作用する部分がかなり多いということです。
 それから、最近の都市開発政策の動きです。先ほどのエンタープライズゾーンの話ですけれども、イギリスでは、先ほど申しましたように一九八〇年の地方行政、都市計画及び土地法によって制定されました。エンタープライズゾーンの発想はフリーポート、自由港ということの発想です。非規制、低税負担、低行政サービス。とにかく規制も税もかけなくて、民間に任せて、そこに自由の港をつくって活発化させるというものがエンタープライズゾーンの発想です。その発想はハールという学者ですけれども、事業及び資本流入の奨励とか、特定地域において国内取引の開放とか、関税規制の廃止とか、外国資本及び企業の進出の奨励、それから税並びに社会サービス及び工場等に対する規制からの自由ということを一応うたっております。
 イギリスのエンタープライズゾーンで、具体的にはどういうふうに法制化されているかというと、まず規制の緩和としては、事業地域の指定命令は開発計画許可の付与の効力を持ち、地域内の一定開発に計画許可を要しない。ですから、先ほどの開発規制のルートを通らなくてもいいということと、それから税制面での優遇、それは十年間にわたって地方税を免除する。それから、次に説明いたしますけれども、開発用地税の適用を免除するということです。
 それから、エンタープライズゾーンの制度と並行して重要なのが都市開発公社の制度です。
 説明がちょっと前後しましたけれども、イギリスは以前は、非常に都市の過密ということでニュータウン政策をとってきたわけです。イギリスのニュータウン政策は、ベッドタウン型ニュータウ
ン政策じゃなくて、人も産業もあるような、いわゆる自己完結都市をつくるということで、ここにおいてニュータウン公社をつくって、その地域に新しい企業をどんどん導入していたわけですけれども、最近は逆に、ある程度のニュータウン政策は成功したわけですけれども、逆に都市の荒廃問題が非常に強くなった。それで大都市圏の人口はかなり減少しているわけです。例えば一九七一年から八一年まで、大ロンドンの人口は一〇%減少しております。大ロンドンを除く大都市圏においても四%程度減少しております。特に中心部の人口減少は激しく、大ロンドンのインナーロンドンと言われているところは一五%から二〇%、ほかの大都市圏でも中心部と言われているところは二〇%近く減少しております。そういうことで一応エンタープライズゾーンの発想が出てきたわけですけれども、それによって都市内にエンタープライズゾーンを設けて都市を活性化させようということです。
 それから、もう一つの都市開発公社、エンタープライズゾーンとともに都市開発公社を設立する。都市開発公社には地方自治体と同じような権限を与える。例えばどういうような権限が与えられるかというと、土地その他の資産取得、保有、管理、埋め立て及び処分。建築その他の執行。水道、電気、ガス、下水その他サービス提供の確保要求の権限が与えられています。特に土地取得に関して、土地を強制または任意に取得できる土地収用権が与えられています。これはかなりニュータウン公社よりも強い権利が与えられているわけです。
 現在、どのような施行状況かと申しますと、エンタープライズゾーンは十一カ所指定されています。それから都市開発公社はロンドンのドックランドとリバプールのマージーサイドドックスに二カ所設定されています。例えばドックランドでは都市開発公社、これはロンドンドックランド開発公社というんですけれども、これは一九八一年に設立いたしました。ドックランドですから、いわゆる造船所跡地ですけれども、そこにおける再開発計画、工場とか倉庫とかオフィスビル、住宅、レジャー及びショッピングセンターの建築計画がされているわけです。事業地域は約二キロ平米。
 次に、開発利益の制度ですけれども、開発利益、基本的な理念というものはどういうことかといいますと、いわゆる公共支出、例えば公共、公益施設を整えることによってその利用者の土地の価値は上がるわけです。ですから、そういった利益というものを吸収しようという制度です。どういう形で吸収するかと申しますと、イギリスの開発用地税では、実現された開発価値、例えばそこが今まで住宅としてしか利用できない土地であった、ところが、周辺の開発、鉄道がそこに通ったとか、そういった公的な開発によってそこには店舗等を建てることができることになった、そうしますと、住宅としての開発許可を受けているわけですけれども、そのときに店舗、商業的な用途の開発申請をするわけです。そうすると、従前住宅としてしか利用できなかった土地が商業用地として利用できることになるわけですから、それによって土地の価値は増大するわけです。そうした増大部分について開発用地税をかけようというのが開発利益の吸収制度の意図です。それは日本ではキャピタルゲインの一部なんですが、そうしたキャピタルゲインのうち、開発利益として認定されるキャピタルゲインと、あと住宅として利用したとしても価値は上がっている、例えばインフレとか土地の希少性等によって上がっているような価値、これは開発利益でなくて一般のキャピタルゲインだと。ですから、この一般のキャピタルゲインに対してはキャピタルゲイン税が課されます。開発利益に関しては開発用地税がかかります。これは一九四七年の都市農村計画法で初めてこういった開発利益の吸収制度が舞台に上ったわけですけれども、これは労働党の手によってつくられたものです。当時はかなりきついもので、開発利益の一〇〇%課税ということでしたが、労働党と保守党の政権交代のたびにそれが廃止されたり復活したり、税率が変わったりという形で変更されていたわけです。
 それから、現在の開発用地税は、そういった変遷を通して労働党政権のもとで一九七六年に制定されたものです。同法は、一九七五年の開発用地公有化法というものと同時に制定されたわけですけれども、一九七九年、保守党政権になってから開発用地公有化法は廃案になりました。実質的に開発用地公有化法はほとんど適用されていなかったわけですけれども、保守党政権になったんですけれども、開発用地税法に関しては税率を下げて残ったという形です。一九七六年当時は八〇%でしたが、保守党になってからは六〇%になったということです。
 以上が一応の説明です。
#15
○小委員長(亀長友義君) どうもありがとうございました。
 以上で前川参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
#16
○竹田四郎君 非常にロンドンの開発について興味のあるお話を承りまして本当にありがとうございます。
 私は神奈川県の選出なんですが、首都圏でもそういう内部ではどんどん人口が減る、あるいは工業がだめになって盛んに周辺に出ていってしまうというようなことがあるんですが、比較的中産階級というんですか、サラリーマンの中堅どころというのは全部外へ行って、外の方で今度は地価を引き上げる役割を果たして、内部は非常に寂れてくるというのは、ロンドンでも日本でも何か同じような気がするんですが、日本の場合、特に首都圏では東京とか横浜、川崎などは土地利用の制限三法というのが実があるわけですね。ですから、現実問題としてはなかなか工場の生産設備というものが近代化していくのにかなりの制限が加わってしまっている。だから、むしろこの中で新しい工場をつくるよりも、それはずっと離れてあっちこっち外へ出た方がいいというような感じがするわけですし、私が活動しているところの神奈川県の川崎あたりの臨海部というのは、まさに工場はどんどん減ってしまっている。人口もその地域は減ってしまって実に活気のない町になってしまってきている。同じ川崎でも、今度は北の方へ行けばマンションばかりぼんぼん建っておる、人口はそこへ移ってしまっている。したがって、古い町のいろいろなインフラストラクチャーというのはもう十分な効果を発揮していないというようなことで、町の中が本当に夜なんか寂れてしまって、昼間でももちろん寂れているわけであります。
 ロンドンあたりでは、そういう点で非常に雇用の機会を与えると、こういうふうにおっしゃっていらっしゃるわけですが、雇用の機会を与えるというのは、そこに何らかの事業場というものができなければ雇用の機会は与えられないわけでありますけれども、それは具体的にどんなふうな奨励といいますか、補助金なんかを出すのか、どういう形でそういう事業場を奨励しているかということですね。
#17
○参考人(前川俊一君) 一つは規制に関してですけれども、やはり日本と同じように、以前、工場開発許可証とか事務所開発許可証というものがなければいけなかったんですけれども、一九七八年の都心地域法ですか、それによってそれが廃止されまして、やはりそういうものがあってはだめだと、ロンドンの場合は日本以上に工場が出ていくというのはかなり深刻でして、やはりそういった許可証が必要だということをなくしているわけです。
 それからもう一つは、先ほど言ったエンタープライズゾーンみたいなものを設定して、そこに工場などを呼び込もうと、かなり税的な、地方税の免除とか、先ほど説明した開発用地税はかけないとか、そういう呼び水で何とか都心に引き戻そうということをしているわけですね。
 特に雇用の減少に関して見ますと、事務所に関
してはさほどではないんですけれども、製造業が一九五九年から七九年まで大ロンドンでは一三%減っているんですね。サービス業が二%ふえてますから、ロンドンにおける都市の荒廃問題というのはかなり深刻じゃないかと思うんです。日本の場合は、東京周辺の工場地については違うかもしれませんけれども、まだかなり東京志向というか、人口は減っているけれども東京への企業の集中傾向とか、最近の商業地の高騰に見られるような形で、まだ日本とロンドンとを全く同列で並べることはできないけれども、日本の東京圏とか大都市圏も深刻なそういう問題を迎えないとも限らないと。先ほど言われた周辺の工場地域は特にそういった面で深刻じゃないかと思うんですけれども。
#18
○竹田四郎君 ロンドンの場合にはそういう点で現在はかなり雇用増とかあるいは……
#19
○参考人(前川俊一君) いえ、まだそこまで効果は出てないんです。
#20
○竹田四郎君 効果は出てないんですか。
#21
○参考人(前川俊一君) はい。一応これは一九八〇年法で特にそういうふうになったわけですけれども、まだエンタープライズゾーンにしてもロンドンに一カ所しかできておりませんし、何とか都市の荒廃をあれしようと、特に製造業ですけれども。
#22
○竹田四郎君 ありがとうございました。
 もう一つお聞きしたいのは、開発利益をどう吸収するかというのは、これは日本でも大変大きな問題になっているわけですね。それで、日本では革新市長時代というんですかね、開発要綱というのをつくりまして、どれだけの土地を開発するにはどれだけの土地を出せというようなことをやってきたんですが、最近はそれに対する一つの反省というのか、そういうものがありまして、現物ではないんですけれども、しかし、いずれにしても市町村の中には人口が急増する、急増するということになれば、それは大体宅地が物すごく上がってくるということで、地主の人とかあるいはそこをうまく利用するというのは大体今まではもうけていたわけですよね。しかし、それをやると、結局今度は住宅を買う人は、その開発の負担金というのが全部かけられてかなり高いものを買うということになりまして、最近では住宅投資にもそんなものがある程度関連が出始めたんじゃないだろうかと、こういうふうに思うんですが、その辺今お話しいただきまして、ある面では開発用地税とか開発利益税とか、そういうものを吸収しているという話なんですが、日本なんかではどうなんですか、そういうものの適用はうまくいくもんですか、どうですかね。
#23
○参考人(前川俊一君) イギリスについてちょっと説明が不足していたんですけれども、実は開発用地税がどれほど施行されているかと。税収で見ますとかなり少ないんですね。だからかなり抜け道が多くて、どういうような特例があるかというと、五万ポンドまで無税ということ。それで住宅にかかるものはこれも無税です、主たる住宅ですけれども。それから、取得して三年以内に開発したものとか、デベロッパー向けにもちゃんとした抜け道を与えていますから、理念としてはかなりすばらしいんですけれども、実際どの程度運用されているかというと、税収で見る限りやはり余り運用されてないんじゃないかというのがちょっと実感なんですけれども。
 日本で適用できるかということですけれども、日本の場合はほかの諸外国に比べるとキャピタルゲイン税が高いですね。ですから、それが一つの土地供給を阻害している要因だと思うんですけれども、日本の場合は、諸外国に比べると土地保有税が低くて、それからキャピタルゲイン税が高いと、だから土地が供給促進されないんだという議論はありますけれども、税制の議論をするときは、やはり一番重要なのが、先ほど先生が言われたように住宅問題だと思うんですね。ですから、やっぱり効率的な土地利用をするという問題と公平問題というものをいつも考えなきゃいけないと思うんですね。開発用地税というものをあれするに当たっても、だれにでもそういうものをかけるものがいいかというと、やはり違うと思うんですね。その点は、ただ住んで、そこから実際の金銭的な利益を得ていない人に対しても同じような税制を課していくのがいいのかどうかという問題をやはりかなり検討しなければいけない問題だと思うんですけれども。
 それから、実効性についてですけれども、やはり感情的には、自分が努力せずに取った利益というものはそれを吸収する制度が必要じゃないかということは思いますけれども、非常に今、制度的に難しいかなとは思うんですけれども、個人的にはそう思っています。ただ、先ほど言ったキャピタルゲイン税が大きいと、だから、土地の利用を阻害するような形で開発用地税がかかってしまったら、今度また土地供給がなくなってしまうと。これはイギリスの場合でも、開発利益は実現した時点で取るということですから、売ったとか、自分が例えば何か新たに建てたときも対象になりますけれども、ですから、日本でそういった制度を導入した場合、やはり土地供給がどうなるかと、現在でもキャピタルゲイン税が強くて供給されていない事情にありますので、そこら辺はかなり検討しなければならないんじゃないかと思います。
#24
○竹田四郎君 それからもう一つお伺いしたいのは、これほど日本で土地が高くなってきて、なかなか自分の持ち家というのを得にくくなっているし、それを得るということになりますと、三十坪ぐらいのところに結構大きな家を建てて、もう庭も何もないというような最近の住宅というのは、住宅として私はかなり質的には金はかかっても悪いと、こういうふうに思わざるを得ないんですが、そういう意味で、土地を含めた持ち家制度というのはどうなんでしょうか、やっぱり世界的に見直されてきているわけですか、あるいは日本の独得な持ち家という制度なんですか、その辺はどうなんでしょうか。
#25
○参考人(前川俊一君) イギリスでも最近は比較的持ち家率はずっと上がっているんですね、前に比べると。イギリスの場合は、日本に比べるとかなり公共住宅が充実しているんですが、持ち家率は徐々に上がっているような感じですね。ですから、持ち家志向は日本だけではないとは思うんですけれども、ただ日本の場合の都市圏の地価高を考えますと、やはり大都市圏に新規に参入してくる人がかなり過重になっているということは言えると思うんです。ちょっと的確な答えができませんで、申しわけないんですけれども。
#26
○竹田四郎君 ありがとうございました。
#27
○刈田貞子君 住宅投資というものの中に占める増築とか改築とかいう問題はどういうウエートを持つのか、どういう考え方をすればいいのかという問題が一つ。
 それからもう一つは、アメニティー資源確保のためのイギリスの政策は何か、具体的にお持ちでしたら教えていただきたい。その二点です。
#28
○参考人(前川俊一君) 二つとも的確に答えられないと思うんですけれども、日本の場合は増築とか……、申しわけない、ちょっと的確に答えられないんですけれども。
 アメニティー資源に関しては、イギリスの場合はグリーンベルト政策というものをやっていますけれども、インナーロンドンがありまして、その周辺を取り巻くようにグリーンベルトを設定しています。まあほかに具体的にちょっとお答えできないんですけれども。
#29
○刈田貞子君 政策的にはあることはあるわけですね。
#30
○参考人(前川俊一君) ええ、あります。
#31
○刈田貞子君 それから日本の場合、いわゆる公庫資金なんかにしても、家を新築するというときにはしかとした手だてがあるわけですけれども、増改築に関しての政策というのは非常に薄いわけですね。だから、そういう意味でどういうふうに考えればいいかということもお伺いしたい。いわゆる住宅投資という意味からいくと、要するに増築とか改築とかいうものは余りウエートがないから、だから手だてがないんだろうなというふうに
思うんですけれども、そういう意味です。
#32
○参考人(前川俊一君) 例えばアメリカの場合だと、公庫のような低利融資をするところはないんですけれども、ローン利子控除というのがあるんですね。ですから、ローンで払った利息を所得から控除してくれる。日本のように公庫から借り入れるのに所得制限とか、それから三年間の住宅取得税額控除とか、そういう所得制限はありませんけれども、一応アメリカの場合はそういったローン利子控除、ですから住宅で借り入れた部分は控除されるわけですね。例えば利率が十何%くらいだとしまして、タックスブラケットが大体五〇%ぐらいの人だと実質負担率が五%になるわけですね。新築であれ中古であれ、特に諸外国の場合は新築のウエートより中古のウエートがすごい多いわけですね。つまり日本の場合は、住宅の耐用年数も短いということもありますし、中古市場がそれほど整備されていないということもありますから、そういった中古を買うときとか増築するとか、そういう場合の特典が受けられないというのはやっぱりかなりきついことだと思うんです。今後はやはり住宅が充足されてくるから、日本の場合も、住宅の耐用年数がほかの諸外国より短いにしても、中古住宅または増改築してより長くもたせようとするための政策はぜひ必要だと思います。
#33
○水谷力君 前川参考人、大変御苦労さまでございます。
 ざっとお聞きしておると、まずお話の最初の部分に、ロンドンの人口が減少をしている、したがって住宅政策をどしどしやりながら雇用を促進するために、いわば僕らが聞いておる範囲では住宅と工場と混住しているような感じである、こう考えるんです。まず人口が減っていくから住宅地域をつくって住宅投資を促そう、それには五年間のローリング計画をする、ただしそれはある意味においては毎年改定されるかもしれない、こういうお話なんですが、僕らが聞いておると、毎年改定されるということは、住宅計画ないしは住宅を建てようとする人たちから見ると、日本で言うと朝令暮改というような被害というものは出てこないですか。
#34
○参考人(前川俊一君) 一応これはそういうのはないと思うんです。何年間で何をつくるか、着手したものについては継続的に行うでしょうから、直接そういった害というものはないとは思うんです。
#35
○水谷力君 それじゃ、新築をする人、その人がたまたま一九八三年であったとか八二年とかによって多少は規制が変わるんですか。
#36
○参考人(前川俊一君) そういうことは財政的なことで変わる可能性はあると思うんです。毎年設定されますから、その住宅支出に対して何をどれだけ支出するかとか、何のために支出するかという計画を毎年やっていかなきゃいけないわけですから。
#37
○水谷力君 そうすると、今度は人口が減っていかないようにするために住宅政策を進めようと、こういうことですね。
#38
○参考人(前川俊一君) 特に住宅政策の中心は、人口減少よりむしろ老朽化した住宅を改良していこうということなんです。人口問題に関しては、雇用の場をつくろうということが中心で、外への流出を防ごうということだと思うんです。
 それから、先ほど言ったように、人口が減少しているのだけれども、いわゆる中高所得者層は外に逃げていくけれども、低所得者層が残っていて、依然として住宅不足の現象が生じている。例えば大きな住宅でそのまま空き家になっているとか、そういうのはあるのだけれども、低所得者層が入るような住宅じゃないわけです。一応政策の中では大きな住宅を改造して多家族用の住宅をつくって、そこに住宅不足に悩んでいる人を入れていこうと。それから、特に都市で特徴的なのは、ロンドンとか大都市で公共住宅の建築がほかに比べてすごく多いんですね。公共住宅というのは比較的低所得者層が住むということを考えれば、かなりそういった低所得者層関係の住宅問題というのはやはり残っているということだと思うんです。
#39
○水谷力君 そうすると、僕らロンドンなんかへ行くと、例えばアパートがあって、荷物の上げおろしは、窓からフックをつけておいて滑車で上げるとか、いろいろそういうのを見て、いわゆる日本のアパートとは観念が違うのだとよく言われるんですが、そういうことを今のお話で想像はできます。
 そこで、今おっしゃる低所得者層はかなり居ついて、いわゆる高所得者層は外へ出ていくといいますか、そういうことの話のようです。そこで、今申し上げたように、工場なんかをそこへ持ってくるというお話ですが、そうすると、快適な住宅とか工場等との、今おっしゃられたように、製造業はいわゆる外へ出ていく傾向がある、サービス業は二割ばかりふえておるというお話ですが、そこらは快適な住宅街あるいは住宅という意味で、日本のようなむしろ規制というのはないんですか。
#40
○参考人(前川俊一君) それはやはり工場を建てるときに、用途を変更するだけでも許可申請を出さなければいけませんから、そうしたときには開発規制小委員会ですか、そこで一応環境がどうかという環境アセスメントみたいな調査をするわけです。それで、余りそれがひどいようであればやはり許可がおりないということだと思うんです。ただ、確かに家内工業的なものをなるべくあれしていこうというような政策はあるんですけれども、環境の阻害ということに関してはかなり神経質にやっていると思うんです。
#41
○水谷力君 そこで開発の問題で、開発規制担当官というお話が出ました。これは大きな開発と小さな開発があるようで、開発規制担当官というのは日本で言うとどういう人に当たるんですか。
#42
○参考人(前川俊一君) 日本の場合はどちらかというと、確認申請をあれして、それをチェックする感じですね。許可要件に合っているかどうかを書面でチェックしていくというだけですけれども、イギリスの場合は、もうちょっと政策とかそういうものを考慮しながらチェックする。ゾーニングみたいなものもありませんから、法的には反した決定をしても、別に開発計画は法的な強制力を持っていませんから、だからそういう意味では、もちろん考慮しなければいけない事項ではあるけれども、日本とかアメリカのゾーニング制みたいに、絶対ここは何々はだめだということはないわけです。だから、かなり実質的な審査はその人に握られているわけです。そういう意味ではかなりコストがかかるのじゃないかなとは思うんです。
#43
○水谷力君 そうすると、今おっしゃられた中に、小さな開発では担当官が作成したもの、あるいは開発規制担当官の裁量でかなりチェックされるところが多いと。
#44
○参考人(前川俊一君) かなり開発規制担当官のつくった原案がそのまま開発規制小委員会とか、区の開発規制室ですか、計画室みたいなところでは、原案がひっくり返されるケースというのはやっぱりレアケースみたいな感じで、だから、ある意味で開発規制担当官がかなりの権限を、権限というか、決定をしているということなんでございます。
#45
○水谷力君 終わります。
#46
○小委員長(亀長友義君) 以上で前川参考人に対する質疑は終わりました。
 前川参考人には、お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 速記とめて。
   〔速記中止〕
#47
○小委員長(亀長友義君) 速記を始めて。
 次に、多摩美術大学講師漆原美代子君から意見を聴取いたします。
 この際、漆原参考人に一言ごあいさつを申し上
げます。
 本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。本日は、まちづくりと景観・文化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、まず三十分程度御意見をお述べいただき、その後三十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。
 それでは、漆原参考人にお願いいたしたいと存じます。漆原参考人。
#48
○参考人(漆原美代子君) こういう経験は生まれて初めてでございますので、緊張しております。
 ところで、この「まちづくりと住民参加、海外事情及び景観・文化について」というタイトルでございますが、まず、最近自治体などでも景観の問題を取り上げられておりまして、文化行政ということで私などもいろいろと意見を申し上げさせていただいておりますので、それでは、大変素朴な設問からちょっと申し上げさせていただきたいと思います。
 今、なぜ景観が問題なのかということをよくいろいろなところで聞かれることがございます。景観という問題は、住みよいまちづくりとか、快適、アメニティ、汎都市化時代によりよい環境をつくっていくために、美しい町並みとか景観という言葉が語られるようになったのは日本では数年前ぐらいからのことではないかと思います。先生方もそういうふうにお感じになっていらっしゃるんじゃないかと思うんです。なぜ今景観ということが特に声を大きくして言われなければならないかと申しますと、私が考えますには、一口に申しますと、それは生活の構造というものが、例えば戦前、戦後と大まかに分けますと、大変違ってきているからだと、まず一言で申しますとそういうことが言えると思います。
 何が変わったかといいますと、生活の構造といいますのは、産業化が進む前、物がこういうふうに豊かになって、都市化、近代化が進みます前の時代には農耕型社会で、各地域というものがそれぞれの秩序を持っていて、その秩序というのはどういう形でつくられていたかと今改めて考えてみますと、まずそれぞれの個人が、例えば美などということを意識していたとは思われません。また、貧しかったわけですから、貧しい環境の中ではそういう余裕がなかったということが一つありますし、封建制度の中でのいろいろ制約ということもあります。ですけれども、とにかく個人個人は私的空間の中で限られたいろいろな条件の中で、自分の例えば什器とか家財でも何でも必要なものを求めて整える、そういう市民感覚といいますか考え方で成り立っていて、そして各地域というものは、例えば自然環境というものも言うまでもないことですけれども、美的観点から田園の情景、今の感覚で言いますと田園のエレガンスというふうに言ってもいいような、そういう趣というものが、何も日本だけではございませんけれども、日本でもそういうものがつくられていったのは生産の目的であって、田んぼがあればあぜ道とかそういうものもつくられますし、それから林などがあるとしましたら、それは美的観点というよりは、それは台風とか寒風とか、そういう自然の厳しい状況を調節するためとかという、そういう目的で自然というものが秩序立てられていて、特別に美ということを意識する余裕もないしまた必要もなくて、ただ恵まれた一つの層といいますか、いわゆる封建時代のエリートの世界では、まちづくりとも結びついている世界では、東京にしましても、富士山なら富士山の眺めを楽しむことができるようにとか、そういう快適さというようなものも考えられたまちづくりというものがつくられていた事例というものは幾らでも記録に残っておりますが、全体的に申しますと、一般には景観ということは問題にする必要もなかったと思うんです。
 そして、一足飛びに現代という状況を考えてみますと、今度は各個人が自分のことだけを、自分の私有財産と言ってもいいと思いますけれども、お金を支払って自分の空間を求める。そうしましたら、各自が自由に何でもしてもいいという、財産権とか私有地にかかわる自由ということが許されているわけですけれども、そういう感覚には限界があるということも今だんだん多くの人々が感じてきた。
 それはどういうことかと申しますと、都市化されますと、人々が密集して生活することですから、そうしますと、個々人がただ好きと嫌いということでぎりぎりまで自由を主張するという感覚でまいりますと、具体的には公というのは道空間であり、とにかく私が外側に面している部分のところについてどういうセンスというか、生活観というものを添わせたならばより広い町並みの質というものがもっと高められるか、要するに、昔は外のことまで各個人が気にしなくてもよかったかもしれませんけれども、今は公との接点で私の見え方というものが、好き嫌いだけでなくて、自分にもいいけれども、それが同時により多くの他に対しても、他に対してもというよりは、お互いにともに高め合うような普遍的なデザイン、考え方というものをどういうふうにしたらつくり出せるか、そういうセンス、生活観というものをまず人々が持たなければいけないような時代になった。これは教育の問題の方にやはり関連すると思いますけれども、教育に幾らでもそれを、小学生から大学なら大学の教育カリキュラムの中にも、欧米なんかの事例に照らしましても、それは当然調節できることだと思いますが、ここでは官民一体となってと申しますか、自治体の方であるいは政治的な政策の面でどういうふうに指導していけるか。指導といいましても、私どもが感じますのは、法律のようなものを改正して押しつけるといいますか、制度化してとか条例化してというようなことを考えます前に、それの現実性ということを考えます前に、やはり先生方に今の状況というものに対する問題意識を持っていただきますと、法律でも何でも結局は民度のあらわれということが言われますけれども、循環することになるとも言えますので、景観とか各地域に合った文化、文化行政ということの内容をまずよくつかみまして、そして実際の政策の上に反映さしていただきたいと私どもは願っているわけで、そのために今なぜ景観がということを考えなければいけないかということ。
 もう一つ大筋においてやはりはっきりと認めなければならないなと思いますことは、古いタイプの産業中心主義、経済効率中心主義というようなことで動かされてきた町並みの風景、それも限界にきたということが、それも目に見えていると言ってもよろしいと思いますけれども、これもどういうことかといいますと、昔は、農耕型社会のときには素朴な生産性とか経済効率中心でよかったんだと私たちは考えるわけです。それが今のように物が豊かになりますと、そこに文化とか美の観念、それがまちづくりの上で町並みの快適性とかということになりますと景観ということになるんですけれども、効率というところになぜ美の観念を添わせなければいけないか。昔は、さっきちょっと申し上げましたように、自然なら自然というものを対象にして考えまして、自然をお米とか何か農作物をつくるための場として利用していて、そしてそれがそのまま各地域に似合った自然的風景もつくっていた。ところが、今では美観という概念でコントロールしませんと、例えば今、春で杉花粉病の方がふえているとかなんとかということがよく言われておりますね。あれも戦後の進歩とか経済発展とか、効率中心の考え方の結果の症状だと言えると思いますね。それはやはり短い期間に山なら山というものを、美とかなんとかの観念ではなくて、生産性という観点からとにかく同じように成長する杉とかヒノキとか、それは建築材料としても有効性が高いからとかという、考えてみますと、昔から変わらない古いタイプの生産中心主義、効率中心主義で、経済大国のこの状況の中でそういうやり方をしてきた。それに対して
しかしいろいろな問題が出てきました。
 この間も九州の宮崎県の綾町なんという小さな町へ参りまして、そういうところでもまちづくりとかいろいろなことを、その地域の綾町なら綾町の文化ということで一生懸命皆様考え始めていらっしゃるんですけれども、そこでは照葉樹林にするという見直しが始められております。それは話をよく聞いておりましたら、やはり効率だけではなくて、その方が自然的にも見えるし、何といっても土の質が損なわれない、土の健康ということも考えるんだと。そのため昔のように、昔といいましょうか、戦後の古い形の効率主義で、山を人工的につくるやり方で土砂崩れとかそういうこともあるわけですし、それに対する反省と景観というのが重なっているというのは、単なる余裕の産物という以上に私は、都市型の社会では一つの規範と重なるというふうに言ってもいいんじゃないかと思うんです。
 そこで、文化行政ということが最近よく言われますが、例えば何が文化的かということをその当事者の方でもお気づきになっていらっしゃらない場合もございます。ですけれども、例えば今までちょっと自然のことが話に出ましたけれども、自然というものもそのまま置いておけば密林状態といいますか、人工的なものでミニ開発や何か、がらくた風景などと言われますけれども、がらくた的な自然風景ということもほうっておけばもうそうなってしまうということは、最近の都市、農村関係なくそういう状況も見られているわけですので、やはり文化の質というのはどういうところではかられるかといいますと、各地域に似合った植生一つとりましても、風の吹きぐあいとか温度とかいろいろあるわけですので、それに似合ったような植生を選んで、そのための維持管理とか、そういうシステムもちゃんと考えていくと。自然の保存の仕方とか修景であるとか新しくつくるその方法がその地域に似合っているときに、自然にその地域の個性というものも出てきて、そこで文化の質というものもはかられる。
 それから、美というものがなぜ今いろいろな、まちづくりとは限らないと思いますけれども、国土利用の方にも今私は関係させていただいておりますけれども、国土利用の場合にも美の観念を入れるようにしなければいけない。それは、美の観念というのがただ一ついろいろなそこにふさわしくない状況とか、ふつり合いなものとか、不自然であるというものを、不自然な情景というのは醜いというふうに言ってもいいと思いますけれども、その地域に美しいものを選択して美しくないものをコントロールするという、そういう人間活動というのは唯一抑制の力というものを持つもので、そういう感覚というのは、特に日本が経済摩擦なども起こすぐらいに、経済摩擦の大きな部分は感情的な部分もあると思いますけれども、やはり日本がこれぐらい国際社会で注目されるようになりますと、足元の都市化されたいろいろの住環境なども、家の内部のインテリアのちょっとしゃれたものは手に入るかもしれませんけれども、何となく町並みの雰囲気であるとか、道路を一つとりましても、道空間一つでもこれまでのつくり方というのは、車がとにかく速く走ればいいと、通り過ぎられればいいというふうな感じで、歩道、車道、空間、そこにはできるだけ自然を添わせて、日本などは非常に夏は暑いところですから、太陽が当たると木漏れ日がぱっと道路に散るような雰囲気、そういう快適な道空間、それが各個人の家と公とのまた接点のところでもあって、個人の責任においては、例えば外側に面しているベランダのようなところとか、外側に対する見え方ですね。とてもわかりやすい具体例としましては、コンクリートブロックか生け垣かなどということが言われますが、コンクリートブロックにはそのままよりはやはりツタなどで仕上げた方がいいというふうな言われ方もします。それは単に趣味の問題を超えていて、都市型の普遍的な美質をチェックする目と重なると思うんです。好き嫌いなどというのは、まあ男女の間ぐらいでしたら趣味でもって好き嫌いで、それで好きだったら幸福な結婚をしてという、それでハッピーエンドでよろしいかもしれませんけれども、都市というものを対象にして考えますときには、常に普遍的な美ということを考える目が必要です。ですから、それは政策の立場にある人間であっても一般市民でありましても、結局期待される問題意識というのは一つ、公と私との接点でお互いに高め合えるような表現を選ぶ。私がたまたま今おりますのはガーデンヒルズというところで、大企業が開発したところでございますけれども、ベランダは外に面しておりますので、景観の一部となりますので、自由に好き勝手に物干しざおなどを出してはいけないというふうなことも、内部規制という形でされております。
 そういうわけで、海外の事情とかいろいろありますけれども、住民参加という問題も、あと一分ぐらいで私の話は一応終わらせていただきたいと思いますけれども、住民参加というのはやはり強制してというよりは、最近の動きを見ておりましても、自分の住んでいる町並みをよくするために何とかしなきゃならないという感情がだんだんと高まっております。七、八年前では日本では例えばボランティアなんていいましても、これは先生方御存じのとおり、欧米ではノーブレスオブリジェという感覚が今でも綿々と生きておりまして、恵まれた立場にある者は上流階級であるとか、人よりもより勉強する機会が与えられたとか、そういうようなソサエティーに属している人々は何かの形で社会還元ということをすることを半ば期待されているというところがございまして、それは日本のただブルジョア的な感覚というのでは根づかないんではないかと言われていましたけれども、そうでもなくて、ボランティア活動というのも大都市周辺だけでなくていろいろなところで動きが見えておりまして、つい私二週間前も新潟県の長岡というところに生まれて初めて参りましたけれども、そこではいわゆる有閑マダムと言われている方、長岡大学の先生の夫人であるとかそういう方がたまたまミズの会などというものの会長をやっていらして、そこで皆様方がやっていらっしゃるのは、やはりよりよいまちづくり、それからちょっとおしゃれっぽい感じのインテリア、室内のまとめ方とか、そんなことの勉強会などもしていらっしゃいましたけれども、それは内部からだんだんと育っているような気がいたします。ですから、あとは行政の方の指導とそれから教育、それをもっと上手にシステム化いたしましたら、今までの日本の過去の歴史が物語るように、軍国主義なんといいましたらぱっと広まったんですから、今度は本当に文化の戦略ということは、これもその気になったらとても短い期間で、何も二十一世紀まで待たなくても、それこそビジュアルに目に見えてよくできるのではないか。そして、足元をよりよくするということは、国際的にも私は有効な戦略につながるというふうに思います。外でビジネスマンでも何でもぱっと上等の衣服をお召しになって、それでいろいろな経済的な面での交渉をしたりなんかされる、そして向こうの人も日本にどんどん見えるようになっている。ところが、ミドルクラスと自分でも考えている日本の一般市民が住んでいる生活環境の質というのが、今のような状況ですと非常に不自然でアンバランスであって、何かと損な部分もありまして、私が海外に出て感じますのは、大変なエネルギーを強いられるなというふうに感じることもございますね。
 ですから、これからは景観、美の観念をずっと引き寄せまして、今までの経済効率中心という感覚をコントロールしてまちづくりを進めましたら、それは国内的それから国際的によりよい状況をつくることにつながると思っております。
 一応そういうことでございますけれども。
#49
○小委員長(亀長友義君) どうもありがとうございました。
 以上で漆原参考人からの意見聴取は終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御
発言を願います。
#50
○竹田四郎君 大変いいお話を聞かせていただきましてありがとうございました。
 確かに日本の都市というのは、自分の囲いの中は、植木屋さんを入れたりして大変庭にしてもきれいにするんですけれども、一歩自分のところを離れてしまいますと、ごみはなるべく外へ出すという極端な動きすら私は今ある、こう思っておりますけれども、やっぱりその一つの中心は、今、学校というもののつくり方にもっと美的なものを入れる必要が私はあるんじゃないかと思っております。
 私は都市の出身なものですから、都市の話ばっかりして申しわけないんですけれども、都市の小学校と比較的地方都市の学校のつくりというのはまるっきり違っているように私は思うんですよ。というのは、都市というのは非常に人口急増地域で、幾ら学校をつくっても間に合わないというようなことがありました。私神奈川県ですけれども、神奈川県などもこの十年間に高校百校計画などといって、十五の春を泣かせないとかなんとかいうようなことで高等学校をうんとつくったわけですね。一つの高等学校をつくるのにやっぱり二、三十億、多いところでは五十億ぐらいかかるわけですね。そうしますと、どっかで費用をカットしなくちゃならないという問題が出てきますと、そこで一番先にカットされるのが、子供は平等なんだから、教育は平等性が必要なんだから、同じような設計でとにかく学校をつくっていこうということなんですね。そういう意味では、まさにどの学校も学校的なまず特色がない。これは文部省の問題も私はあると思うんですけれども、余分なものは一切つくらせない、必要最小限度で何でもつくらしていくというのが今の公立義務教育施設の一応の基準のようになっているわけです。ですから、子供に対して、私、どこの学校もほとんど見たところ同じだと。それで、一番シンプルといえばシンプルかもしれませんけれども、余り美的感覚を訴えるようなものになっていない。
 そこで、これは神奈川県知事の長洲さんが考えたことは、建設費の一%、わずかなものでございますね、そのわずかなものはその学校で好き勝手なものをつくってよろしいと、これはその学校の特色を出すようにということで、学校の玄関の入り口がどうであったり、あるいは門構えがどうであったりというようなところにわずかに余裕のところをつくらして、そこに美的感覚を、美的感覚になるかどうかわかりませんけれども、それを一生懸命盛り込もうというはかない努力をしているのが神奈川県あるいは大都市のほぼ現状だと思うんですけれども、もっとこの辺から直していかないと、もう一つは公共道徳といいますか、そういうものの関連もなかなか直っていかないんじゃないだろうか。
 本当に町並みを美しくするのには、ヨーロッパあたりですと非常に公共のものを大事にしていますけれども、日本はむしろ公共のものは余り大事にしないという国民の長い間の習慣というものだろうと私は思いますけれども、そういうものを直していかないと本当に町並みがきれいになっていかないんじゃないだろうかと。大分直ってきたと私は思いますけれども、自分のうちの庭がよくなれば公共のものもちょっと失敬して自分の家に持ってきてしまうというようなこともないわけではないと思うんですね。大きなものではできませんけれども小さなものではやっていると、こういうことでありますから、かなりこの問題は、確かに教育によっては早くできるとは思うんですけれども、やっぱりその辺から直していかないと本当に美しい町並みというのはできないんじゃないだろうか、こんなことを一つ考えております。その点についてどういうふうにお考えいただけるか。
 それからもう一つは、美しさもあるんですけれども、都市の建物のあり方、これはやっぱり都市の景観に非常に関係があると思うんですけれども、どうも日本の都市の建物というのも、外はどうでもいい、自分だけよければいいというような建物の建て方を非常にしているように思います。それで建物が非常に平面的に私はなり過ぎていると思うんですね。したがって、非常に騒音を町にまき散らしているということがあると思うんです。現実に私、会館の北側に住んでおるんですけれども、この間に道路がありまして、時々右翼が来て高い音でスピーカーを鳴らす、あのときは実にたまらないということがありまして、私はこの参議院の別館をつくるときに、管理部長にはあの建物の壁をもう少し平面でなくて立体的にしろということを要求したんですが、既に遅かったわけでありますけれども。ですから、美観の中にはそういう音の問題ですね、特に道路その他の町の音によって生活を脅かされないような、音の問題ももう一つやっぱり取り上げていただく必要があるんではないだろうか、それは美の問題にも関連するんではないだろうか。そんなことを毎日毎日自分の部屋で仕事をしながら、右翼のラッパが来ると頭がその騒音でいらいらしてくるというのが実態でありますけれども、そういう点で音の問題もひとつ漆原先生に美の問題と関連してお考えをいただけないだろうか、こんなふうに思いますが、いかがでしょうか。
#51
○参考人(漆原美代子君) それはもう今先生おっしゃったことはすべてそのとおりだと思います。
 まず、学校の建物につきましては、大体がそういうパターンで今までの日本の都市化の姿というのはつくられてきていると思いますけれども、例えば国鉄の新幹線駅は間違った平等の幻想だと思いますね。子供だって一人一人個性があって、それが生かせるというのが理想ですけれども、なかなかそれを生かせるような教育というのは難しいという今の現状ですけれども、みんな私、根は一つのように見えまして、日本はアメリカの後をどんどん追いかけてきている。アメリカ文化が日本に入ってきているといいましてもとても皮相的な部分で、考え方の部分はそれぞれよくも悪くも日本は日本、何から何までよいとか悪いとかという問題ではございませんけれども。地域の個性と関係して、学校建築などもやはり一つ一つ学校が建てられる地域によって、それが例えば地形的なものであってもよろしいですね、それが丘陵地帯にあるのか平地にあるのか市街地の中にあるのか、あるいは田園の中にあるのか、そういう細かい状況によりましてもそれぞれに個性的なものというのが考えられる方が本当の意味での文化の多様性につながるということにもなりますし、例えばニューヨークなんかの都市問題といいますと、私たちはいつも新聞を通して見ますから、そうしますと、犯罪の記事とかなんとか極端なことがやはり記事になりますので目立ちますけれども、じゃ都市型の感覚とかそういうことを見ておりますと、学校一つにしましても、都心からちょっと離れましたら非常に新しい建物なんかもそれぞれに工夫が凝らされていまして、できるだけ緑を寄り添わせるとか、日本の場合は町の道路のつくり方でも何でもそうでございましたけれども、アスファルトで何でもつぶしてしまうという感じですね。それも今やっと反省期に入っていますから、反省した以上は一生懸命考えてよい方に回さなければいけないと思います。
 要するに、平等ということで、そして新しく見えるということで引っ張られてきた部分、例えば井戸なら井戸の水の問題でもいろいろ目に見えない、騒音の問題もそうですけれども、地下水の問題とか下水道の問題、そういうお化粧風の美と違うもっと見えない部分のものがございますね。そういうところで、例えば井戸はもう古いからというので地下水が出るところでもみんなつぶしてしまって、ひねればすぐに出る水道に切りかえてしまうという方式の感覚、そういう感覚というのは、それは学校建築でも国鉄の駅でもどこでもやはりあらわれたことです。例えば、私なんかこの間ドイツのアウトバーンを運転していまして、ちょっと林に休憩地帯がございまして、昔からあるカラマツ林のところにきれいに手を入れて、その中を見ましたら井戸がございました。その井戸というのは中世以来ずっとそこに井戸があって、今はポンプ式で、昔は馬と人とが使っていたものを
今は車に乗ったアウトバーンを走る人がそれを使えるんですね。それは水道式ではなくて井戸式のバリエーションでございましたけれども、そういうようなものもみんな一律になくしてしまったということは、私は学校建築でも同じことだと思いますので、それはやはりこれからの問題で、そういうことを文化行政の側からも、それから一般の識者といいますか、言われれば一般でもそういうことに気がつくことだと思いますから、だんだん直っていくと思います。
 それと、芸術的というか美的なことに、神奈川県がちょっと何%とおっしゃいましたか、一%でなくて。
#52
○竹田四郎君 一%。
#53
○参考人(漆原美代子君) 一%。問題意識を刺激するのにはまずそういうところから有効性というのはあると思いますね。そして、それでは具体的にどうしたらいいかということで、ただ芸術作品を、彫刻を置けばということではなくて、もっとより広い意味であるいは深い意味でもって見えない部分でも、騒音のことというのも、それは例えば家庭的なスケールでしたら、ピアノの騒音とかテレビでもラジオでも十時以降でもつける人はつける、それは自由でしょうというような感覚というのは都市型のオリエンテーションができていないからで、それは犯罪がどうのこうのと言われますアメリカあたりの普通の日常生活の舞台では、ちょうど日本の昔、暗黙の了解としてあったようなルールというのはちゃんと生きておりますので、ミドルクラス以上でしたら、やはり騒音の問題というのは自己規制ということでなっておりますから、今の日本の自称ミドルクラスという場合には、それ相応の意識というのは都市型ではないみたいな気がします。昔のような熊さん、八つぁんとかというふうな雰囲気でしたらそれはまた別の楽しさというものがあって、そしてそういう場では、しかしそれでも暗黙の了解はあったと思いますけれども、今はそれが非常に何となくそういう昔のものも破算されて、それではそれにかわる普遍的なルールというものもまだはっきりと位置づけられていないという感じで、例えば私の同年配ぐらいの人々と話していましても、子供にしつけるなんといっても子供にやり返されますからなかなかうまくいってないような気もいたします。
 ですから、やはり小さい子供でもよりよい環境の中に置いて、そして都市型の感覚というものを、自分でも言われればわかると思いますし、外国のことを例に出すとわかりやすいためにちょっと引き合いに出しますと、例えばイギリスならイギリスのエリート教育というのは今まだ残っておりますね。私はそれの長所短所はあると思いますけれども、ケンブリッジとかオックスフォードとかという大学の生活を見ておりますと、そういうエリート校の学生には、例えば自然とのつき合い方で人命救助の手法みたいなものを教え込む。それが日本のカリキュラムに直しますと体育であるとか社会学とか、そういうことかもしれませんけれども、そういうものの一部に自然とのつき合い方を教え込むような、教え込むというよりは身につけるというものを、さっきちょっと申し上げさせていただいたノブレスオブリージというようなものと重なってやっておりますね。それから、今のように日本の場合は都市問題というのは農村問題と一緒になっているという状況は、やはり公共の部分に対しての維持の仕方というのが、もう老若男女関係なくちょっとそこが手抜きになっておりまして、そういうところはヨーロッパなんかにもっと見習うことがあるんじゃないかという気もいたしますね。
 ですから、教師と反面教師にはまだまだ事欠かなくて、日本はもうお手本にする国がなくなったなどとマスコミで読むと、何だか楽しくなるような活字も見えますけれども、私は日本の昔からもあるいは外国からも教師と反面教師には事欠かなくて、本当にまちづくりということでしたらこれからではないかと思いますから、全くおっしゃるとおりだと思います。
 最後に、公共福祉という言い方、公共福祉という言葉を普通私たちの周りで使われますと、それは非常に極限状態で、私たちなんかもいつ交通事故に遭うかどうかわかりませんけれども、そういう弱い立場になったときにアプライされるような言葉といいますか、雰囲気を持った表現になっておりますけれども、しかし私は、都市づくり、まちづくりの中心で公共福祉の中枢に実の観念、広い意味での美というのは本当に人間的に思いやりがあってとか、例えば感じよく歩けるとか、これから高齢化社会に入りますので、私は足が少々不自由であるとかいろいろなことがあっても、何となく快適に通過できるような道空間というのは、そうじゃない人々にとってもより高い普遍性があるわけですし、公共福祉の観点からまち並みをよくする、感じよくする、美しくするということは大切なんだという意識というのを、政策の中枢にいる方も、それからそれこそ小さい幼稚園児から、みんなそういうものをまず分かち持つということ、それがもうとても大切なことだというふうに思います。
 御存じのように今の憲法では、公共福祉の観点からそれが不快である場合に何かを調節するということができるんですね。ですから、騒音が不快であるということであれば、とにかく日本は騒音大国でもありますので、新幹線の中でも不必要なぐらいにいろいろ言われるのは気になるぐらいでございますから、そこにやはり美の観念を入れませんとこの憲法は生きてこないというふうに感じます。
#54
○竹田四郎君 ありがとうございました。
#55
○刈田貞子君 二点お伺いをいたします。
 一点は、先ほど先生のお話の中で、文化の質をどうはかったらいいかと、こういうお話がございまして、実はこれもかねがね私自身も考えていることでございまして、大変共感を覚えたわけでございますが、私は一つの考え方として、社会指標という考え方がありますでしょう。例えば、一つ橋をつくるというときに、去年もその町の橋が一つで、ことしもまた一つしかかけられなかったら、予算的にいくと昨年並みでゼロシーリングというような感じになるわけですね。ところが、そのできた橋が、去年はなかったけれども、ことしできた橋には例えば歩道がついていた、あるいはそこに点字ブロックが植わっていたというようなことになりますと、福祉的価値からいったらこの橋の価値というものは物すごく高い価値になっていくわけですね。ただ川を渡るという橋ではないわけでしょう。私はそれに一つのウエートをつくっておいて、福祉的ウエートが八なら八、あるいは教育的ウエートが五なら五という、そういうウエートをつくっておいて、そして社会をそういう側面からはかるという社会指標という物の考え方が今発達しつつあるというふうに私聞き及んでおります。例えば、その橋を今度美的な観念から、景観という立場からはかる場合にはその社会指標ではかったならばこれが十二であったとすると、去年橋一つ、ことしも橋一つ、行政から見ると成果が上がってないという考え方になるわけですね。だけど、この橋の文化的価値というのは物すごく私は高いと思うんですね。これからはそういう物の考え方、はかり方、とにかく行政というのは数字にあらわれてきませんとなかなか成果と申しませんので、文化のはかり方という言葉を先ほどおっしゃったんで、実は私自身もテーマとして持っていることなので、このことをもう一度ちょっと教えていただきたいということが一点。
 それから、先ほどのお話の中にインテリアの話が出てきましたけれども、日本にエクステリア産業が発達しない事情というのがあろうかと思うんですが、インテリアとエクステリアという考え方をあわせ持ったときに、ヨーロッパで先ほどお話が具体的に出ていますように、町並みをきれいにしていくと。日本では自分の家の前だけ掃くけど、あと残った木の葉は隣の塀に寄せておくという観念があるわけですね。それでどうしても、いわゆるオープンスペースを公という形でなかなか自分の中に取り入れて考えないという日本人的発想が私はあると思うんです。
 昨年「縮み志向の日本人」という本を読んで、私ははたと思ったんですけれども、日本人の志向というのは内へ内へと小さく思いが入っていくという、そういう一つの発想が私はあると思うんですね。小さな文化をつくっていくのはまことに得意であるという第三国からの御指摘の本なんでございます。私は大変感激して読んだんですけれども、そういう日本人的発想の中で一つのオープンスペースのようなものを自分たちの一つの生活空間として取り込んで、そしてそこをやはり共有と考えていくようなことが根づいていくのかいかないのかという物の考え方が一つ心配としてあるのでお伺いをしたい。
 この二点をお伺いいたします。
#56
○参考人(漆原美代子君) 最後の方のオープンスペースの問題でございますか、私は、それはやはり一つには非常に現実的によりよくしていくためには、例えば東大あたりの都市工の先生なんかがおっしゃいますのは、個人のスペースでありましても、道路側に面しているところを生け垣にするとか木を添わせるというふうなことをいたしますと、だれが見ても何となく感じがいいと、ある種の普遍的な美みたいなものが添ってくるわけでございますね。それを、ただそうしなさい、そうしたらいいですよと言ってもやらないんじゃないか、そういうことをやることによって資産価値が上がるというふうに言ったならばいいだろうと、そういうおっしゃり方をされた方があるんですけれども、それはやはり限界があるというふうに私は感じました。個人で努力をすれば個人の資産が上がるというお金の感覚でこう言っていきますと、それの限界というのもやはりあると思いますので、そこでやはり美的な一つの様式、どういうふうな考えがこれから必要かというのをより多くの人に一日も早く広めるということが大切だというふうに考えるんですね。いわゆる美醜ということですと、あら、あの花きれいだわ、私はユリはきれいだと思うけれども、バラはどうかしらと、そういう好き嫌いということはちょっとこの際問題にならなくて、都市型で、ある程度行政、政策面からも指導して、そしてそれを現実の目に見える形で実際に有効な形でのせられる方式、景観ともかかわり合いを持っている方式というのはやはり恐らく一つじゃないかと思っております。その一つといいますのは、やはり税制の優遇処置なんかによってのやり方をプロモートしていくことができるとも思いますけれども、まず各個人が、それが商店街とかそういう場合には、それを新しく建てるときとか改造します場合に、一階部分で道路に面しておりますところを、特に日本の今までの道のつくり方の欠点としまして、歩道に当たるオープンスペースというものが決定的に不足しておりますので、一階部分はちょっとヨーロッパのポルチコとか回廊式の感覚でございますね、屋根がついているようなもので。それで一階部分の一部が歩道的な感じで公に提供できるような感じにいたしまして。しかし、ヨーロッパ方式と違いますのは、ヨーロッパの中世の町は石畳であるとか、ああいう雰囲気ですので、緑がそれほど添ってなくてもそれなりの雰囲気がございまして、それぞれの町の特殊性というものが出ておりますけれども、日本の場合はそういうふうになっておりませんので、そこにつくられたオープンスペースにふさわしいような、育ちやすいような植物を添わせるとか、そういうふうに都市空間の質もよくするように、今までの欠点を補充して、ですから私の部分に公共性を持たせたような表現で、それを有効なオープンスペースとして提供してもらうと。そういうやり方が、真っすぐの線で、あるストリートでぱっとするのは大変大きな都市計画的なスケールでなければできにくいと思いますけれども、そうじゃなくてできるところからで、でこぼこになっていてもよろしいと思うんですね。そういうところが少しずつでもふえていくと。例えばそういうところに対してはそれこそ表彰すると。学生でしたら表彰されるというようなこととかございますね、その町の文化度の質というものをある程度認めるような、そして、それこそここで初めて今までのような学校の建て方とか駅のつくり方というのではなくて、それぞれにふさわしいような、何か似合ったものをつくっていくと、それがほかの県にない、ほかの町にない、自分の町だからこそある美点なんだということで、それこそ郷土愛にもつながりますし、それぞれの多様な文化の花というものが開いていくというふうに考えますので、あくまでも私はいろいろなものをはかりますときに、美についてのお点をつけるというのは大変難しいことだと思います。先生御指摘のとおり、橋の問題をさっきおっしゃられた。ああいうようなことでしたらわかりやすいんですけれども、美的に、芸術的な面で点数をつけるというのは難しいと思いますから、それはやはり空間の質というふうな、道路との接点についてどういうふうに考えていくか、その考え方が目に見えた形にあらわれたときに、なるほどと思うようなときに、それによいお点を与えるということはできると思いますね。そういう意味で、その地域の総合点とか序列というものは、そこで初めて今までのような東京がトップにあって、あとだんだん東京の場末的な感じになっていくというような雰囲気でなくて、それぞれの地域ならではの文化というものが図られて、文化行政の成果というのもそこに収れんされていくことではないかと思いますけれども。
 それから、エクステリアとインテリアのことでございますか、それじゃ短く一言。
 それは、エクステリアとインテリアというのは世界じゅうどこにもある、外と内ということでございますから、問題を特に取り上げて、日本ではエクステリアに対する感覚がないというふうには言えないと思うんですね、すべて外と内がございますので。ただ、こういうふうに言えると思います。昔は、産業化される以前の日本の場合は悪趣味なものは見えなかったと。それは草ぶきの屋根で、土からはい出たキノコのような感じのもので、貧富の差だけがあって、そして大体似たような感じでも醜い目立ち方というのはございませんでしたから、それなりに田園の様式美みたいなものもできていたと。ところが、戦後の町のつくり方というのは、美に対する意識というのは担当の建築家とか業者がやはり一生懸命芸術的なことは考えていたと思います。それはしかし狭い視野で、非常に象徴的に細かいものをつくるのは日本のとても得意とするところで、それがテクノロジー、そういう技術の一部でも超一流の成果として結びついたと思いますが、都市的なスケールの場合には非常に古いタイプのままできましたものですから、建築家であってもセンスのいい人とそうでない人がおりますけれども、それぞれが、ただ自分が請け負った建築の設計だけ一生懸命考えて、隣との映りがどうかとか、その建物が建てられることによって、それがちょうど周りにいい影響を与えていくような、ごみだめの中にぱっと宝石的なものがあっても何もならないけれども、例えばごみだめのようなぐちゃぐちゃしたようなところでも豊かな、何百年、何十年の大樹がぱっとありましたら、その目立ち方というのは普遍性があるというふうに私たちは考えるわけで、ですから、今の自然は素朴な昔の時代の田園、農耕型時代の自然とは違って、都市の装置となっているというのはそういうことで、やはりそういう樹木的な目立ち方をしますと、それが周りにいい影響を与えていくということはございますね。これからは、先生もちょっとおっしゃいましたけれども、ばらばらの建物に対しては、これはちょっと格好がいいんじゃないかしらとか、住宅の場合でも、これは新しくできたタイルですから、これを玄関のあたりにちょっと張るとしゃれているとか、そういうふうな感覚ではなくて、群としてとらえる。これは看板の問題で、東京都で私なんかもお手伝いをさせていただいておりますけれども、看板の規制の問題が初めて取り上げられましたが、それは個々の芸術性ということだけでなくて、群としてとらえまして、少なくともぱっと一つの町並み、ストリートを通しまして、何となく色でも何でも黒と白とプラスアルファ何かと、あと一色
というぐらいに。それで、何か制限をしますと、それは押さえられるというのではなくて、制限を加えることによって個性的な美が出てくるというふうなことがだんだん皆さんにもわかってきつつある、そういう何か雰囲気はございます。
 ですから、環境庁でも文化庁でも建設省でも、皆さんやはり視点は一つで、とにかく縦割りになっているようでございますから、そういう問題意識を横割りに少なくともぱっと通しまして、そしてその後協力し合っていただければありがたいなと思います。
#57
○小委員長(亀長友義君) 以上で漆原参考人に対する質疑は終わりました。
 漆原参考人には、お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 なお、本日参考人の方々から御提出いただきました参考資料等につきましては、その取り扱いを小委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#58
○小委員長(亀長友義君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後四時十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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