くにさくロゴ
1984/02/22 第102回国会 参議院 参議院会議録情報 第102回国会 国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会 第1号
姉妹サイト
 
1984/02/22 第102回国会 参議院

参議院会議録情報 第102回国会 国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会 第1号

#1
第102回国会 国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会 第1号
昭和六十年二月二十二日(金曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
昭和五十九年十二月一日国民生活・経済に関する
調査特別委員長において本小委員を左のとおり指
名した。
                岩上 二郎君
                大島 友治君
                岡部 三郎君
                坂野 重信君
                沢田 一精君
                松岡満寿男君
                赤桐  操君
                糸久八重子君
                太田 淳夫君
                橋本  敦君
                抜山 映子君
                青木  茂君
同日国民生活・経済に関する調査特別委員長は左
の者を小委員長に指名した。
                糸久八重子君
    ─────────────
   小委員の異動
 十二月四日
    辞任          赤桐  操君
 十二月五日
    補欠選任        高杉 廸忠君
 十二月二十一日
    辞任          太田 淳夫君
 一月二十三日
    補欠選任        高木健太郎君
 二月二十日
    辞任         補欠選任
     高木健太郎君     矢原 秀男君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    小委員長        糸久八重子君
    小委員
                岩上 二郎君
                大島 友治君
                岡部 三郎君
                坂野 重信君
                沢田 一精君
                松岡滿壽男君
                高杉 廸忠君
                矢原 秀男君
                橋本  敦君
                抜山 映子君
                青木  茂君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        桐澤  猛君
   参考人
       聖マリアンナ医
       科大学教授    長谷川和夫君
       法政大学助教授  高橋 紘士君
       社会保障制度審
       議会会長     隅谷三喜男君
       大阪府企画部企
       画室長      伴  恭二君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○高齢化社会に関する件
 (高齢者福祉について)
    ─────────────
#2
○小委員長(糸久八重子君) ただいまから国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小委員会を開会いたします。
 参考人の出席要求に関する件についてお諮りをいたします。
 高齢化社会に関する件の調査のため、必要に応じ参考人から意見を聴取してまいりたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#3
○小委員長(糸久八重子君) 御異議ないと認めます。
 なお、その人選等は、これを小委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○小委員長(糸久八重子君) 御異議ないと認め、さよう取り計らいます。
    ─────────────
#5
○小委員長(糸久八重子君) 高齢化社会に関する件を議題とし、高齢者福祉について参考人から意見を聴取いたします。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、四名の方々に御出席をいただいております。
 まず、聖マリアンナ医科大学教授長谷川和夫君から意見を聴取いたします。
 この際、長谷川参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとう存じます。本日は、高齢者福祉のうち知能の老化と老年痴呆につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、まず三十分程度御意見をお述べいただき、その後三十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いを申し上げます。
 それでは、長谷川参考人にお願いをいたしたいと存じます。
#6
○参考人(長谷川和夫君) 御紹介いただきました長谷川でございますが、本日はこの高齢化社会検討小委員会にお招きいただきまして光栄に存じます。
 私は、聖マリアンナ医科大学の神経精神科、まあ精神科でございますが、そこの主任教授をしておりまして、私の専門分野は老年精神医学であります。きょうは、知能の老化、それが、高齢化社会の時代になって、知能の老化あるいはその障害がどういう意味を持つかというようなことをお話し申し上げたいと存じます。
 まあ、多くの方が長生きできるようになって、非常に健康なお年寄りもふえてきたわけですが、ここで問題になりますのは、体の老化はともかくとして、寿命が長くなったら、一体果たして精神の寿命というのが体の寿命に追いつくかどうかということが問題になってきたんですね。現に、ぼけのお年寄りというのが非常に問題になっておりますが、これはまさに精神の寿命が体の寿命に追いつかなかった方々ではなかろうか。寝たきり老人というのは体が寝たきりになったわけですが、今度は体ではなくて心が寝たきりになったと、そういう状態が実はぼけの老人ではないかと思うんですね。
 御存じのように、体の老化現象というのは、例えばしらがになってきたり、顔にしわがふえてきたり、あるいは動脈硬化が起きたり、疲れやすくなったり、血圧が高くなったり、脳卒中を起こしやすくなったり、心筋硬塞を起こしやすくなったり、まあ病気にかかりやすくなるわけですが、心の老化というのはそんなに著明に起こってこないんです。殊に、今までよく研究されているのは知能なんですが、知能の老化というのはそれほど著明に起こらないんですね、健康な場合は。よく知的機能――知能といいますか、これは判断力なんですね。右へ行ったらいいか、左へ行ったらいいかを決める能力、あるいはその社会、自分の生活環境の中で適応していく力、あるいは非常に難しい言葉で言いますと問題解決能力、ある状況にほかり込まれたときに、その問題を解決していく力が知能だと。年をとると確かに物忘れはひどくなってまいりますが、これは記憶の問題でございまして、これは知能とはちょっと別個なんですね。
 それから知識という言葉がございますが、これは知識を蓄積していませんと、少なくとも人間の社会生活はできないようになっています。未開の原始人であればともかくとして、人間というのは非常に長い、いわゆる準備期間みたいなのがありまして、いわゆる教育ですが、そしてその知識を蓄積していないと社会生活はできない。ですから、記憶の力と知識と、この二つは知能に欠かせない。だけど知能そのものではない。右へ行ったり左へ行ったりする能力というのはもう一つ別にある、こう考えなくちゃならないんですね。健康な人の場合には、確かに物忘れはひどくなりますけれども、物事を判断する力、問題解決能力というのは全然影響を受けない。年をとってもその力は影響を受けない。
 いろんな研究者がございますが、従来、一九〇〇年代の初期のころの研究では、知能というのは二十から二十五ぐらいがピークであって、それからだんだんだんだん低下していくと、こう思っておったんですが、その後のいろんな研究で、そんなことではなさそうだと。むしろ知能というのは、二十代、二十五ぐらいである一つのところまで達します。学校教育とかいろいろなことで達します。そうしたらその知能というのは、知識も含めてですね、ずっとむしろよくなっていく。還暦のころ、つまり六十歳ぐらいまで知能は発展する。六十歳を過ぎると少しずつ低下をし始める。そうして、七十歳代の後半になると目立った衰退が起こってくる。七十歳の後半、それから八十歳になると非常に衰退してくると、こういうふうに考えられているんですね。ですから、物忘れはひどくなるけれども、判断力はそんなにちょっとやそっとでは年のせいでは起こってこないと、そういうことが今知られているわけであります。ところが、高齢になってから、あるいは五十歳代、六十歳代になってからこの判断力が急に弱くなりまして、いわゆる知能の衰退が起こってくる状態があるんですね。それを痴呆と言うんです。
 痴呆を厳密に定義いたしますと、大人になってから起こってくる知能障害で、しかもその知能障害の程度が、毎日の生活に差しさわりを来す程度のものというのが痴呆の定義なんですね。ほかにもいろいろな附帯事項が随分つきますけれども、本質は、まず第一に知能障害だということと、その障害の程度が毎日の生活に支障を来す程度になったということが条件なんであります。これは年のせいでは起こらない。どうしても起こらない。疾病で起こってくると、こういうことなんですね。
 じゃ、どんな疾病で起こるかというと、脳の疾病で起こってくる。しかも脳の神経細胞がかなり広範に、つまり広い範囲にわたって持続的な障害を受けないと痴呆にはならない。ですから、決して老人特有のものではない。高齢者特有のものではなくて、若い人にも起こってくる。つまり、神経細胞がもし広範に障害を受けるような病的な状態が若い人でも起こってきたら痴呆になるわけです。
 例えば、交通外傷で脳の神経細胞が広範に破壊される。そうすると、意識を失って昏睡状態になる。担ぎ込まれる。救命処置で命は助かった。だけど、その後ぼけたような状態になって使いものにならないというような状態が起こる。これは頭部外傷後遺症による痴呆、こういうことなんです。それから脳炎でも起こります。日本脳炎の後遺症で痴呆が起こる。それから進行麻痺という梅毒性の疾患でも起こる。これは梅毒に感染してから、潜伏期がありまして、十五年ぐらいたってから神経細胞にスピロヘーターが入っていって神経細胞を広範にやっつける。そうすると進行麻痺という病気が起こるわけですが、そういう場合に痴呆というのが起こる。それから、脳の神経細胞は血液から栄養を受けないとだめですから、酸素と栄養を受けないといけませんので、血管の病気が起こったり、それから血液それ自体に病気が起こっても痴呆が起こる。例えば悪性貧血なんかの場合に、血液の組成が悪いから酸素が十分含まれていない血液が体じゅうをめぐることになりますから、脳の神経細胞は血液から十分な酸素を受けることができません。ですから、痴呆になる。栄養障害でなりますし、アルコール性痴呆というものがございますし、それから今申しました脳血管障害による痴呆というのが起こってくる。
 ですから、痴呆というのはもう、一口に言って痴呆ですけれども、これは一つの状態像を示す名前なんですね。例えば発熱とかけいれんとか脱水とか、そういう一つの状態を示す名前なんです、痴呆、ぼけ。その背景に疾患名がつかなきゃならない。つまり、原因になる疾患名があるわけですね。例えば脳炎後遺症、頭部外傷後遺症、それから高齢者では脳血管障害による痴呆。
 それから、もう一つ困った病気があるんです。それがアルツハイマー型老年痴呆という病気なんですね、老年痴呆と略して言っています。これは従来から言われたいわゆる老人ぼけに当たる。だけど学問的には老年痴呆と言うのが正しい。シーナイルデメンシアと言うんですが、これは五十歳代に起こってくるそういう痴呆の病気があるんですね。これはアルツハイマー病と言ったんです、アルツハイマー病。これはもう五十歳代で起こるんですよ。ですから、私どもの外来にも五十歳代で起こってくる痴呆の人がいます。これはもう現役ですね、会社員でも現役で課長クラスとか部長クラスの方、それから弁護士さんとかお医者さんとか家庭の主婦とか五十歳代で痴呆が起こってきてぼけてしまう。
 そういう方のを解剖してみると脳が著明に萎縮しているんですね。普通脳の重さというのは千三百五十グラムぐらいなんです。ところが、高齢になりますと百グラムぐらい減ると言われているんですね。だけれども、この病気にかかりますともっと減るんですね。さらに百グラムぐらい減りますので、時には千を切っちゃう。つまり九百五十グラムとかという、そういう軽い脳になってしまう。顕微鏡で見ると脳の神経細胞が広範に萎縮して消えてなくなっているんですね。そして、老人斑とかアルツハイマー原線維変化とかそういう特殊な構造物が見られる。そういう所見を呈する病気のことをアルツハイマー病と言ったんですね。
 ところが、実は老年痴呆も同じ剖検所見を呈するんです。ですから、老人ぼけである老年痴呆と五十歳代で起こってくるアルツハイマー病というのも同じ病気だと言われて、今よく学者が言っておりますのは、アルツハイマー型老年痴呆と呼びましょうということが言われているんです。つまり五十歳代から起こってきているのも、六十歳でも八十歳でも九十歳でも起こるんだけれども、それは同じ病気だったということですね。初めは、私どもが教育を受けたころの教科書は、初老期の痴呆と言いまして、これは五十歳代に起こってくるやつ、これはアルツハイマー病、それから七十、八十で起こるのは老年痴呆と言って、この二つは別のものだと思われてきたんですが、どうもそれは一つの病気らしい、こういうふうに言われてもいるんですね。しかし、まだこれは意見ははっきりいたしませんけれども、いずれにしてもこの病気の場合は脳の神経細胞が広範にわたって消失して萎縮してなくなっていってしまう。脳の重さは随分軽くなってしまう。そのために著明な知能障害が起こってくる。
 困ったことには、これが非常に問題になっておりますのは、原因がはっきりしないんですね、原因がはっきりしない。ほかの病気は全部原因がはっきりしている。脳血管障害あるいは高血圧、その背景には高血圧がある、その背景には動脈硬化がある、それから脳血管障害が起こるわけですが、つまり脳の血管が詰まったり、出血したりして起こってくる病気を脳血管障害と言うわけですが、この場合はもうはっきりしている。それからあとの進行麻痺にしても、頭部外傷後遺症にしても、アルコール性の痴呆にしても、それはもうみんな犯人がわかつているわけですが、このアルツハイマー型老年痴呆に限ってまだ犯人がはっきりしていないんです。
 どういう状態になりますかというと、最初物忘れが起こってくるんですが、それがだんだんひどくなってくるんです。最初の症状というのがこれがもうはっきりしないんですね。さっきの血管性の痴呆というのは割合に始まりがはっきりしているんです。例えば多くの場合高血圧がまずある。それから脳梗塞の発作が起こるんですね。例えば、ある晩ちょっとお酒を飲んで寝た。そうしたら、翌日の朝目が覚めたら右手足がきかない。それでお医者さんを呼んできてびっくりしてというふうな状態、これは脳梗塞だ。で、リハビリテーションをしたら回復した。それが何回も繰り返すというようなことが起こるわけですが、これは、家族に聞きますと病気の始まりがはっきりしている。一昨年の夏の八月の十三日にあの発作があって、それから物忘れがだんだんひどくなりました、こう言うわけです。
 ところが、この老年痴呆の患者さんの家族を呼んで病気の始まりはいつごろだったろうかと聞くと、これがはっきりしないんですよ。ある人は昨年の春ごろから、だけどもしかしたら一昨年の冬の暮れにもやっぱりえらい物忘れがひどくて、久しぶりに訪ねてきたいとこの顔がわからなかったようなことがあったというようなこと。ああ、じゃそのときは物忘れがひどかったんだろうかねというようなことになるんですね。いつとはなしに起こってくるんですね。ですから、始まりがわからないということがひとつ非常に難しい。
 よく起こってくる症状というのは何回も同じことを聞く。きょうは何月何日だろうかと家族に聞く。きょうは例えば三月十日だと教える。五分たったら、またきょうは何日だろうか。また教える。また五分たったら、また教える、こういう状態。それを何回も聞くものだから、これはおかしいんじゃないかというふうに家族は思うわけですね。
 そのうちにだんだん物忘れがひどくなってくるんですが、その物忘れは特徴がありまして、全体的な物忘れというものが起こる。全体的な物忘れというのはどういうことかというと、例えば昼御飯を食べた。昼御飯を食べたら昼御飯を食べたことそれ自体を全部忘れるわけですね。普通の人の物忘れは、昼御飯を食べた、そのときに何を食べたかというのを全部思い出せないとか、そのとき一緒に会食した人の名前、ちゃんと紹介し合った、だけどあの人とあの人はいたけれども、あの人は何という名前だったかな、ちょっと思い出せない。そういうように体験の一部分を思い出せないというのが普通の人の物忘れなんですが、老年痴呆の物忘れというのはそうじゃなくて、自分の体験したことをすっかり忘れる。次々に忘れていくわけですね。ですから、これは日常の生活に非常に支障を来すことになります。例えば朝御飯を食べさせたのにまだ朝御飯は食べないというようなことを言ったりするというふうなことになりまして、これは非常な深刻な状況が起こってくる。
 単純に物忘れだけならいいんですけれども、どんどんひどくなりますと、今度はいわゆる判断障害ができてくるんですね。認知することができなくなるというようなこと。例えば、自分のうちにいても自分のうちでないと思ってしまったり、自分の親しい家族の顔を認知できない、認めることができない。それから時間がごちゃごちゃになってしまう。ちょっと暗くなるともう夕暮れだと思って、これは夜の支度をしなくちゃならない、こういうことになる。それからその次、一番高度になってきますと場所がわからなくなる。初めのうちはなれないところの場所がわからない。例えばいつも行くデパートへ行った。ところが、そのデパートから帰ってこれなくなる。道がわからない。その次は、もっとひどくなりますと自分の自宅からちょっとたばこを買いに行ったらもう帰れない、迷っちゃう。その次は、もっとひどくなると自分のうちにあるトイレの場所がわからなくなるというようなことが起こってくる。トイレの場所がわからないから普通のお部屋でおしっこしたりするということが起こってくる。そういう場所の失見当になりますと、これは高度の痴呆ということになるわけですね。
 ですから、これは人によってさまざまですけれども、つまり物忘れ、先ほどお話ししましたりピートして、何回も繰り返して聞くというような物忘れから今の場所までわからなくなるというのは、数年の経過で進行する場合もあるし、本当に一年半ぐらいの経過で進行する場合もあるし、あるいは十五年ぐらいたって進行するものもある、さまざまなんですけれども、いずれにしてもそういうぐあいに進行していく。その間にいろいろなことが起こる。例えば判断がつかなくなりますから、夜中に騒ぐわけですね。夜中にぱっと起きたときに寝ぼけたような症状になりまして、例えば電気スタンドが人間の頭に見えたり、だれか男が入ってきて自分のすぐそばに寝ているとか、そうしてもう大騒ぎする。いわゆる幻覚体験があって、意識障害が起きてというような状態が起こってくる。そういうようなのは譫妄状態というふうに言いますけれども、家庭でのケアは非常にこれは困難になる。それから、先ほども申しましたように、場所がわからなくなりますから外へ出たら帰ってこれなくなる。
 実はちょっと前のことですけれども、一月ぐらい前に私どもの外来であったことですけれども、外来で痴呆のお年寄りを診ている。そうしたら、痴呆のお年寄りがお手洗いへ行った。家族はじゃ行ってらっしゃいと。そして外来のすぐそばにお手洗いがあるんですけれども、家族はちょっと新聞を読んでいた。そうしたら、お手洗いへ行って、ひょっとその痴呆の老人は出てきたと思うんですが、自分のもとの席へ帰ってこれなくなっちゃった、つまりどこかへ行っちゃったんです。朝の十時ごろそういうことが起きて、お年寄りがいなくなったというので大騒ぎをして捜したけれども、病院内のどこにもいない。それで、しようがないというので捜索願いを出しました。そうしたら、夜中の十二時に私のところに連絡がありまして、近くの多摩警察署ですか、四キロか五キロぐらい離れたところの警察署で保護された。そこまで歩いていっちゃったわけですね。そういうようにごくごく単純な、要するに場所の見当がわからなくなってしまうというようなことが起こってくる。ですから、ある家族はあっいなくなった、もう三日間行方不明ですなんということが起こってくる。そういう事態になるので非常にこれは問題だということになるわけです。
 例えば脳血管障害による痴呆というような場合は、血管障害ですから右の麻痺とか、麻痺が起こってくるものですから運動障害を伴うので、多くの場合は車いす的になるんです。ちょっと歩けない。つえをつかないと歩けないとか、あるいは車いす的になったり、あるいは寝たきりになる。この場合は、そう言ってはあれですけれども、痴呆になったとしても介護がしやすいんです、寝ていてくれますからね。ですから、特別養護老人ホームでも普通の老人病院でもそのケアをしてくれるんですが、この老年痴呆の人だけは、歩き回るんです、行ってしまう。そういう状態なものですから家庭の介護が非常に難しいし、そういう収容施設、普通の特別養護老人ホームとか、それから老人病院ではとても責任が持てない、こういうことになる。
 ですから、そういうこの老年痴呆の問題は、実は非常に大きな問題で、いわゆる先進国というのは大体老人問題に苦しむわけですが、その中で一番の問題は、実はこのアルツハイマー型老年痴呆、これがもう終局の問題になる。ガンとともに人類の医学の上での最も大きな敵であろう、こういうことになっているわけです。じゃその原因はどうなんだ、どの程度まで研究が進んでいるんだろうか。これはもう基礎的な研究が盛んに進められつつある。殊にこの五年ぐらいの間は世界各国で基礎的な研究が盛んに行われているんです。いろんな研究が行われておりますが、今一つの学説といいますか、まだ臨床的に応用はできませんけれども、一つ治療に結びついた学説といいますか、研究結果というのが一応出てきたんですね。
 それはどういうのかというと、このアルツハイマー型の老年痴呆の人の脳をよく調べてみると、アセチルコリンという神経伝達物質がすごく少なくなっている。ほかの神経伝達物質というのがございまして、これが神経の興奮をいろいろ伝達しているわけですが、そのいろんなほかの、何種類もあるんですが、それは老年痴呆の人もやっぱり減っていることは減っている。だけれども、二〇%から三〇%ぐらいの減少にすぎない。ところが記憶をつかさどっているアセチルコリンというやつは九〇%ぐらい減少している。だから老年痴呆の人には、アセチルコリンが足りなくなっているんだからアセチルコリンを補充してやればいいんじゃないか、これは当然そういう説が生まれてくるわけですが、実際そういう試みが行われた。アセチルコリンそのものは投与することができません、副作用が強かったり、すぐ体の中で破壊されてしまうものですから。ですから、アセチルコリンの前段階の物質であるレシチンとか、あるいはアセチルコリンをつかさどっている神経を強めるようなフィゾスチグミンという薬があるんですが、そういうのを投与したり、あるいは両方やってみたんです。レシチンというのはいわゆる普通の食品の中にも含まれている。例えば大豆製品とか、納豆とか、豆腐とか、きな粉なんかに含まれているわけです。だから、そういうのをたくさん食べていれば老年痴呆にならないんじゃないかとか、老年痴呆は治るんじゃないかという、そういう学説でやってみたんだけれども効果がないんです。
 似たような病気がございまして、パーキンソン氏病というのは、やはり神経伝達物質でドーパミンというのが少なくなるんですね。そのドーパミンを補うような治療をいたしますと確かによくなる。だからそのでんで、アセチルコリンが少ないんだからアセチルコリンを補充したらいいだろうというような伝方で治療法を開発したんですが、それは効果がなかったんです。とてもそんな単純なものではないということがわかってきた。
 しかし、いずれにしても非常に基礎的な研究がアメリカでも我が国でも盛んに行われるようになりまして、やがてはそういう解決というようなものも我々臨床家が手にする時代もそんなに遠くはなかろうとは思いますけれども、しかしいずれにしても、現在そういう痴呆の人がどんどんふえている現状でございますから、当面の問題として、今ぼけのお年寄りにどういう対応をしていったらいいかということが大問題です、世界各国の大問題です。
 現在時点でどういうことをしたらいいかということですが、これは病気だから、病気を治すということなんですけれども、困ったことには神経細胞は一度やられますと、もうそれは回復しないんです。やられたらやられっ放しなんですね。そういうやられっ放しの神経細胞がどんどんふえていきますと、これはもう治療するということができなくなる。だから介護が主体になるんです。介護とそれから対症療法。その場その場で、例えば興奮症状があったらおさめる。幻覚体験があったり、精神病的な興奮症状が起こったら鎮静するということしかほかにないんです。
 ただその場合、やられた神経細胞、障害を受けた神経細胞のほかにまだかなりたくさんの健康な神経細胞が残っておりまして、それが肩がわりをしているんです。一つの神経細胞のお隣りの神経細胞というのは実は十万個あるというんです。それがネットワークをつくっているわけです。ですから、そういう肩がわりをするような、代償を強めるといいますか、肩がわりを強化するような治療法というのが今なされているのが現状なんです。これにはもちろん限界がございますし、介護もやっぱりそういう肩がわりを強めるような介護の仕方をするよりしようがない。
 例えば、なじみの環境をつくってやる、なじみの人が介護をするというようなことが原則になるとか、あるいはお薬で脳代謝賦活薬とか循環改善薬なんというのがございますが、そのお薬も、やられた神経細胞を治すというのじゃなくて、まだ残った神経細胞を強めて肩がわり作用をしてあげようというようなことが原則なんです。ですから、非常に保存的な、原因療法ではないわけです。
 一つの問題は、ぼけのお年寄りでもいろいろな段階があるわけです。先ほども申し上げましたように進行いたしますので、ほとんど正常の物忘れと区別がつかないような軽度の物忘れの状態から、場所までわからなくなる、それから自分の名前もわからなくなる、やがては寝たきりになるわけですが、そういう非常に幅の広い段階があるということが一つです。ですから、ある痴呆の老人は自宅で十分やっていけるだろうということも考えられるし、ある痴呆の老人は、従来あります特別養護老人ホールでケアをしていくということも可能だと思います。ですけれども、また脳卒中を起こしたり、あるいは骨折を起こしたり、あるいは心筋梗塞を起こしたという場合には、やはり老人病院に収容して、そこで治療しなくちゃならないということが起こるだろうと思うんですね。
 それから、先ほどのように、幻覚妄想状態があって興奮状態になるとか、あるいは俳回して落ちつかないというようなときには、あるいは精神科の専門施設、精神病棟に収容する。精神科医がケアをする、治療をするということが必要になってくるかもしれない。それからさらに重度の介護を要する状態というのが起こってくるわけです。例えば不潔行為といって、便をこねくり回すとか、それからぐるぐるぐるぐるもう動き回ってしようがない。精神科医のお薬だけではもうとても受けつけない。ただぐるぐるぐるぐる歩き回る、そして飛び出してしまう。そういうような精神医学的な治療の限界を超えてしまった、介護が非常に大変だというような状態になる。
 ですから、今ざっと申し上げましただけでもいろいろな段階があり、そして上乗せした症状が起こってまいります。例えばただ普通のぼけだけ、それから身体症状を合併したやつ、これは老人病院。それから精神症状があって著明な人、これは精神病院。それから重度の介護を要する人、これは特殊の介護施設というのが必要だろう、こういうことになる。ざっと挙げただけでも四種類ぐらいの施設が地域の中に要るということが必要です。
 問題は今現在四・五から四・六%といういわゆる出現率、六十五歳以上のお年寄りの四・五%ぐらいがそうだ。あるいは四・六%ぐらいがそうだということです。ですから、百人のうちの四、五人が痴呆老人ということになります。ですから、全国推定およそ五十万から六十万と言われているこういう人たちを全部施設に収容するということは到底不可能でございますし、今後ふえていくことはもう明らかでございますが、これを施設で収容するということは、これはもう医療経済がパンクすることになりますので、どうしても在宅でケアをするということを考えなきゃならぬ。
 その場合の一つの方法として、保健婦が訪問するとか、在宅ケアというのはお医者さんが訪問するとかいろいろなことがございますけれども、一つはショートステイ、短期収容ということですね。例えば、一週間か二週間、その間ちょっと収容してあげて家族に休息を与える、これ積極的な家族の援助になります。例えば、特別養護老人ホームにもし五床あったと、そういうショートステイのところが五床あったと、こういたしますと、普通それをばっと押さえる。ばっと一人の老人が五床押さえれば一年間五床しか利用できません。ところが、もし二週間だったら一べットは二十四人の人を収容することができますから、五ベットであれば百二十人利用することができる、あるいは百二十回。ですから、効率がいいということのためにもそういうショートステイということが考えられなければならないだろう。
 それからもう一つは、デイケアとか、デイサービスと言われているものですね。これは私ども聖マリアンナ医大の私どもの精神科でも痴呆老人のデイケアというものをやっておりますが、これは朝、例えば十時から三時まで痴呆のお年寄りを家族に連れてきてもらって、そこで五時間なり面倒を見てあげる。その間にグループワークといいますか、例えば昔話をお互いにしたり、あるいはリズムに合わせて体操をしたり、音楽を聞いたり、お昼御飯をみんなで一緒に食べるということをやるわけです。それで、三時になって帰るわけです。その五時間の間家族はどこかへ行ってもいいし、あるいは相談ですね、こういう場合になったら、こういうことをどういうふうに言ったらいいでしょうかとか、介護の仕方を相談することができる。
 外来で私どもは痴呆のお年寄りを見ていますけれども、外来で時間が割けるのは、せいぜい十分か十五分くらい、とにかく午前中に三十人ぐらいの患者さんを見なけりゃなりませんから、せいぜい割いてもそれくらいの時間しか割くことができませんけれども、これは五時間割くことができるわけですね。どんな相談でもしてあげましょう、何でも言ってください、五時間。もう非常に家族は喜ぶんですね。ですから、在宅ケアといいますけれども、これは痴呆老人の在宅ケアというのですけれども、これは痴呆老人そのものをケアするために行くというのではなくて、在宅ケアをしている家族を具体的に援助するということが真剣に考えられないといけない。その具体的な対策としてデイケアというのは家族にとって非常に喜ばれる、もう非常に喜ばれる。
 私どもの病院は大学病院ですけれども、地域病院なんですね。普通の地域病院で、川崎地区とか東京都の西の方の世田谷区とか町田とか、そういうところから来る患者さんが多いんですが、家族の大部分は自分のうちでやっていきたいという人がまだ多いんです。すぐ入院させてほしい、もうどうしようもないからすぐ入院してほしいという人は十人のうちに一人か二人なんですね。ですから、まだまだ在宅ケアを推進していくということは非常に必要なんですが、このデイケアというのは一つの有効な対策。ですから、デイケアとそれからもう一つショートステイ、短期収容ですね、そういうことがひとつ本当に考えられなくちゃならない。収容施設だけをどんどんふやしていくのには必ず限界がある、そういうふうに私は印象を持っております。ですから、在宅看護というのも一つはそのぼけのお年寄りを介護することを援助するんですが、家族の負担を軽くするために具体的な援助対策をとるということが非常に大切だと思います。
 それから、在宅ケアをやればもう施設ケアは要らないのか。決してそうじゃなくて、在宅ケアが十分にやれるためには、充実するためにはそういう施設が地域に配置されているということが必要だと思うんですね。私どもはデイケアと言いますけれども、デイケアといって、一番心強く私どもが感じるのは、私たちはスタッフですから、私たちの総合病院があるということです、何か悪かったらすぐ入院させることができますから。そういうちゃんとした医療施設が背景にあるということが、デイケアをやるにしても、ショートステイをやるにしても、いずれにしても必要なんですが、要するに痴呆老人のケアは在宅ケアとそれから施設ケアと両方要るということだと思うんです。
 ちょっと長くなりました。これで終わらせていただきます。
#7
○小委員長(糸久八重子君) どうもありがとうございました。
 以上で長谷川参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
#8
○高杉廸忠君 ありがとうございました。
 今、先生から、知能の老化と老年痴呆についてのお話で、その関係や現状はある程度ただいまの御説明でわかったんですが、さてこの問題を、予防といいますか、先生の、この医学会新聞でも述べておられますように、「望まれる病因の早期解明」というようなことの中で、「全体像をとらえる広範な学問の研究体制、これが必要だ」というようなことで、そうなりますと、もう少しその辺をちょっと具体的に、御所見も含め伺いたいと思います。
 それからもう一つ、ついででありますが、この際でありますから、研究体制を行政に具体的に要望することがたくさんあると思いますけれども、そういうものもあわせまして、せっかくの機会でありますから、この研究体制を進めていく上の行政に対する御要望を具体的にお聞かせいただければありがたい。この二点についてまず伺いたいと思います。
#9
○参考人(長谷川和夫君) この予防の問題ですが、これも非常に重要な問題だと思いますが、いわゆるアルツハイマー型老年痴呆というのは、今その病因といいますか、エチオロジーというか、原因それ自体がわかりませんので、これをどうやって予防するかという具体的な対策が立てられないというのが現状ですね。ただ、頻度から申しますと、不幸中の幸いといいますか、日本人の高齢者の痴呆の診断別の分布を見ますと、脳血管障害による痴呆というのが半数近いんですね。四六%とか、いろいろな数字が出ておりますけれども、老年痴呆というのが大体二割から三割なんです。二〇から三〇%ぐらい。老年痴呆というのが比較的少ないんですね。そのアルツハイマー型老年痴呆、原因がよくわからないというのが比較的少ないんです。あとは、その他とか、両方持っているんじゃないかというのもあるわけですけれども、欧米は逆で、老年痴呆が大部分。老人の痴呆といったらもうアルツハイマー型痴呆を指すぐらい、大部分なんですね。これがまあまあ、脳血管障害が日本は非常に多いものですから、そういうことが起こっているんだろうと思いますが。
 ですから、大ざっぱに、高齢になってからぼけないようにするためにはどうしたらいいかという御質問であれば、この脳血管障害の予防というのが第一に挙げられていい。ですから、成人病の予防に通じるわけですね。例えば、減塩食であるとか、高血圧をコントロールしろとか、肥満を防いで運動しなさいとか、そういういろんなことがございますが、あるいは喫煙はだめだとか、そういうようなことが対策としてこれは十分非常に大切だと思うんですね。
 それから、高齢になってからの話ではありますけれども、なるべく高齢になったら生活のプランニングが、なじみの環境から動かない方がいい。物忘れがひどくなって、今度は心が崩れていくというのが痴呆だと思うんですが、要するに建物が崩れると接着剤が必要なわけですが、そういう接着剤の役割をしているのがなじみの場所ではないかということですね。つまり、物忘れがひどくなっている老人が、だんだん精神的に参って、能力が低くなっていくときに、なじみの場所にいればいろんなことを取っかかりにして自分をオリエントすることができるけれども、見知らぬところへ行くと非常にきつい。だから、よくありますよね。引っ越した後ぼけがひどくなる。例えば、田舎から年老いた両親が、二人でいらっしゃるときはそこでよかったんだけれども、片っ方が亡くなると、長男の方がじゃ町へ連れてくるよりしょうがないなといって田舎から連れてくると、しばらくするとぼけがくるという。そういうなじみの場所から離れると、これは当然なことですが、新しい事柄に適応していかなければならないというそういう状況が続きますので、そのことが老人に負担をかける。やっぱり老化してくると、神経細胞がそれだけ少なくなるわけですから、どうしてもそういうことが、何でもないことがストレスになる。
 それから、慢性の身体病にかかって寝たきりになるといけないんですね。寝たきりになるということをやっぱり一つ防ぐ。だから、骨折とか、それからうつ病なんかになってくると、憂うつになって食欲がなくなって食べなくなるんですね。そうすると、やっぱり寝たきりになるんですね、結局は。ですから、うつ病であるとか、そういうのもなるべく慢性にならないように、早目早目に手当てをしていくとか、そういう一般的な身体健康とか精神健康に配慮するというようなことが大切だろうと思うんですが。
 それから、非常に常識的なことですけれども、頭を使う習慣というんですかね、なるべく自分の許容範囲の刺激は受けていた方がいい。いろいろなデータで、環境性の痴呆といいますか、過疎地なんかではむしろ刺激が少ないために知能の老化が促進されるのではないかという、そういうデータもございますので、そういうことも必要じゃないかと思うんです。
 じゃあ頭を使うようにしていたらぼけないかというと、そうはいかないんですね。例えば大学の先生でも、頭を使ったと思われる弁護士の方でも、やっぱり病気というのにかかったらこれはアウトですから、ただ一つのことを守っていればいいというわけにはいかないけれども、しかし少なくともそういう幾つかの事柄が理想的な状況、好ましい習慣とか、今まで申し上げましたような生活習慣を守っていることはいいことだろうと思うんですね。ただ、その時に老年痴呆というえたいの知れない病気が高齢になってから襲ってきたら、これはまたどうしようもないんですけれども。しかし、知識の蓄積のある人、頭を使う習慣のある人ほど痴呆になってもその痴呆の程度は軽いことは言えますね。ですから、いずれにしても予防の個人個人の対策としてはそういうことをPRしていく、老人保健法もそういう意味合いでつくられているんじゃないかと思いますが、そういうことが大切だと思うんです。
 それから、研究体制を国家的な規模あるいは行政の規模でどういうことが考えられるだろうかということですが、これは研究費というのは膨大な予算を食うんですね。ですから、研究者の組織というようなのがつくられて、そしてそこへ研究費として予算を組んでもらうということに尽きるのではないかと思うんですが、例えば老年痴呆なんかで、ポジトロンなんかで脳を映像化するようになってきたわけですけれども、そういうようなことが見られれば、今申し上げました早期の診断、つまり物忘れがほんのちょっとの軽い事態のときにポジトロンCTみたいなものでやれば随分早期診断ができるんじゃないかというようなことが考えられるわけです。ポジトロンCTなんていうのは、私もよく知りませんけれども、一台機械据えつけると、これが二億とか三億とかと考えられる。一つの病院施設ではとても持てない。ですから、県単位、地方自治体単位でそういうセンターみたいなのがつくられていて、そういうのを各大学あるいは病院が、一病院とか一大学ではなくて、そういうセンターをつくるとか、そういうことが考えられていいと思うんです。
 米国なんか国立老化研究所というところがありまして、私もよく知りませんけれども、それはもう膨大な予算が組まれている。そしてさらに米国では、それと別に全国五カ所にアルツハイマー病のセンターというのがつくられたというんですね。私はそういうことを昨年の十二月、アメリカから来た学者に、ある会議がございまして聞きましたら、そういうのが五カ所ぐらい各大学に委託されたような形で設置された。じゃあそれは、アルツハイマー病だから、それは老年痴呆の人のことなんですが、老年痴呆の相談所とかそういう収容施設かと聞いたら、いやそうじゃない、もう純粋に研究機関だと、それくらい力を入れてやっているわけなんですが、日本では、最近厚生省がそういう老年痴呆の問題について、今までで一番大きいことだと思うんですけれども、五千万、国立武蔵療養所の研究班長に一応委託しているようですけれども、それが今最初ですね。そういうことが今後も活発になされるということが必要だろうと思うんです。
#10
○松岡満寿男君 痴呆の問題については、やはり今高杉先生聞かれたように、予防の問題と、できてしまったそういう状態の患者にどう対応していくか、この二つだと思うんです。
 最初の予防の問題は今いろいろお話伺ってある程度わかったんですけれども、例えばこういう細胞を保全していくために、今ちょっとお話の中ではスポーツの問題、余り運動の問題お触れにならなかったんですけれども、これとはどういう関連があるのか。
 それと、精神的なものもかなり影響をしておるようですから、同居している場合、三世代同居とかそういう場合の状況はどうなのか、影響が。実際にそういう状態になった方々を在宅ケアをしていくということ、これは非常に大事なことだと思うんですけれども、今までの世代の中では、ある面ではそういう対応の仕方も可能だと思うんですけれども、在宅ケアというものが、実際に今のような家族環境の中で、あるいは親子の精神的な連帯という現状の中で、次の世代になったときに一体どうなるんだろうか、そのときにはどういう対応を我々政治の面でしていったらいいんだろうかと非常に不安になる部分があるんです。そういう点につきましての御意見を、できましたらちょっとお伺いしてみたいと思うんです。
#11
○参考人(長谷川和夫君) 運動の問題。運動して肥満を防ぐということで、要するに成人病の予防に通ずるということで、脳血管障害による痴呆に対しては効果があるんですね、運動の場合。アルツハイマー型老年痴呆に関しては何とも言えない。つまり、一生懸命運動して、スポーツしている人が本当に老年痴呆は免疫になるかというと、そういうことはちょっと言えないんですね。
 ですから予防の場合、アルツハイマー型老年痴呆の予防の一番いい決め手は何かというと、今のところ基礎的な研究を推進して病因を解明する以外にない。原因がはっきりわかれば、それはもうたちどころにいろんな対策ができるわけです。例えば、脊髄液をとったらたんぱくの組成に変化が起こっていた。その変化が病気に特異的なものであることがわかっていたら、病気の診断に役に立つ、あるいは病因が明確になれば対応ができますね。例えば、成人以降になったらこういう食事に気をつけようというような具体的なことが出るわけですが、どうもそういう単純なものではないんですね。これは恐らく、先ほど老年痴呆というのは病気だと。これは確かに病気なんですが、病気でも一癖ありまして、加齢とともに出現率がふえてくるんです。ですから、人間の老化、つまり死に向かう過程とどっかで関係がある病気ですよね。
 よく不老長寿という言葉がございますけれども、長寿はいいけれども、不老ということは防げないですね。長生きはできるけれども、不老はできない。長寿は獲得することはできるけれども、不老はできないですね、不老の予防なんというようなことは、ちょっとこれはね。やはり生体というのは必ず死に向かう過程ですから、ある限界はありますね。ですから、そういう難しい点があるということが一つですね。
 それから、今私が申し上げました病院の実情で、現在は少なくとも家族がやっていこうという人が多い。だけど本当に、おっしゃるように、次の世代になったらどういうことになるか、これはわからないですね。社会学者は、今の三世代家族の同居もだんだん減少していると、それでひとり暮らしの老人が少しずつふえていると。多分六〇%から七〇%くらいの近い率のところで安定して、向こう十年間はこのままいくだろう、だけどその先はわからぬと、こう言う。そういう話を聞きますと、本当に、これはやがては家族家族とも言っていられない時代が来るかもしれませんね。
 ですから、そうなったら欧米型のように近づいていくだろうと思いますけれども、一つは、つまり理想を言えば、こういうことが本当に、行政の面でどういうふうに出るかわかりませんけれども、ひとり暮らしになっても対応ができるような在宅ケアは何だろうかということは、やはり専門家同士の間でも考えなくちゃいかぬだろうと思うんです。家族があるから在宅ケアというのじゃなくて、ひとり暮らしになっても在宅ケアができるんではないかということを、欧米はそういうことを考えているんじゃないでしょうか、だってひとり暮らしが七割から八割なんですから。ですから、欧米の在宅ケアというのは、ひとり暮らしの在宅ケアを考えているんだと思うんですね。ですから、ミールズ・オン・ホイールズといって食事まで運ぶわけでしょう。そこで、一食運んでくるんですね、一食運ぶと、お昼御飯にそれをちょっと食べて、あと残りを冷蔵庫に入れて、また夕方オーブンに入れて、ちょっと自分で買い足しをすれば晩飯は何とかなると。そういうミールズ・オン・ホイールズというのがあるそうですけれども、日本食が果たしてそういうことができるかどうかが問題なんですけれども、温かいおみそ汁とお漬物とかお刺身なんというのがミールズ・オン・ホイールズができるかどうかわかりませんけれども、しかしそういうことがやはり今後は考えられなくちゃいけないかなと思いますね。
 しかし、今の現状では、これは希望的なことになりますけれども、一つは老人の高齢化社会の問題で、設備であるとかいろんなハードの面も非常に大切ですけれども、ソフトの面でやはり教育ということがどうしても考えられないといけないですね。例えば老人ホームであるとかお医者さんであるとか、医者自体もそうですけれども、それから老人ホームであるとか、それからいろんなヘルパーであるとか、そういう人たちに教育をする。それから、広く公共的な広い意味の一般の方々にもいろんなことを知っていただいて、やっぱり自分の番になるんだから、家族が自分の両親、高齢者を見なくちゃいけないんだ、一緒に住んでいなくても。そういうことをPRしていくということをやっぱり考えていかなくちゃこれは大変だと思うんです。もうこれは非常に大変なことになると思うんです。余りお答えになりませんでしたけれども、この問題に関しては非常に難しいですね。
#12
○松岡満寿男君 ありがとうございました。
#13
○矢原秀男君 どうも御苦労様でございます。
 先生のお話伺っておりまして、知能の老化と老年痴呆というものが、非常に大変な一つの大きな課題であることを本当に恐ろしいような気持ちで伺ったわけでございます。
 やはり先ほども先生、厚生省五千万のという予算の数字を挙げられましたけれども、医学的に基礎的な研究、これは長谷川先生が日本の一番のトップだと思うわけですが、重複すると思うんですけれども、もう少し具体的に基礎的な研究、これと行政と、行政がもちろんバックアップしていかなくちゃいけないんですけれども、基礎的な研究をもう一歩ちょっと詳しく教えていただきたいことが一つでございます。
#14
○参考人(長谷川和夫君) これはもう非常に多面な研究が広がっておりまして、例えばある人は、脳の病理学的な所見でございますが、老人斑というしみみたいなものがたくさんあるんですね。それが出てくる。そのしみみたいなものを、これが老年痴呆の、要するにこれを突きとめていけばきっと犯人がぶつかるだろうというわけで、一生懸命それを蛍光顕微鏡をやったり、組織化学的ないろんな技法を駆使してやっているんですが、一つはここの中に免疫反応を起こす物質がたくさんあるということを発見し始めたんですね。
 これは要するに外から何か来るんじゃないか、免疫反応を起こしたわけですから。そういう可能性があるということで、ある研究者は、これは別の病気ですから老年痴呆じゃありませんけれども、やっぱり進行性に痴呆が非常にひどい病気で、ヤコブクロイツエルト病だとかそういう病気があるんですけれども、それは感染する可能性があるんですね、うつる。そのうつる犯人というのはビールスよりももう一つ小さいものだというんですね。プリオンというんですね、プリオン。これはもう生物と無生物との境界にあるようなものだというんですね。生物の性質というのは、もうほとんどあるなあと思うのは感染する、つまりほかの人に伝染するというところが生物の性質を備えているんではないかぐらいしかわからないんですが、そういうものが犯人ではなかろうかというんですね。
 だけれども、それは老年痴呆ではなくて、感染する特殊な痴呆にそういうことが言われているんですが、そういう免疫反応を示すものが見つかりますと、全く別のものでも痴呆になるんですが、やっぱり何か関係があるんじゃないかなということになるんですね。だけれども、これは決して、あの人のことを一生懸命ケアをしていたらああうつっちゃったというそういうものではない。そういうものじゃなくて、人間だれでもそれは持っている。全部の人がそのプリオンとかという感染物質を持っている。もう生まれたときにもらっちゃった。ところが老化していくと、だんだん免疫反応が弱くなってくる。ある素質を持った人はそういうプリオンというのがアクティブになって、そしてそれが本当の病気のもとになるようないたずらをして、そして例えばもっと分子レベルの構造の、分子レベルの段階で神経系にいたずらをして、そして老年痴呆になるというような非常に難しいことになりますけれども、しかしある研究者はそいつをつつこうというんですね。
 それから別の研究者はやっぱり形態学的に見ますと、アルツハイマー原線維変化というのがあるんです。これは神経細胞の中を特殊な染色をしますと細かい繊維が走っているんですね。それがたごまっちゃっているような形になっている。それを一生懸命分析してみると、どうも水に溶けないたんぱくがふえているというんですね。水に溶けないたんぱくがふえているんだから、これは物質の伝導とか情報の伝達を阻止されるのは当たり前だ。これこそ、なぜそういう水に溶けないたんぱくができて、それをアルツハイマー原線維変化ができてくるんだろうかという研究をしているんです。
 ある人は実験で、実験動物ですけれども、そのアルツハイマー原線維変化と同じような構造物の出たのを、アルミニウムを脳に移植したらできた。これは要するにアルミニウムが一つ原因ではないか、実際アルミニウムは元素ですけれども、アルツハイマー病の脳を調べてみるとそれが多いというんですね。一時はアルミニウムの食器を使っているとそれがだんだんと体の中に入ってきて悪くなるんじゃないか、これは否定された。これは否定されました。そんなことはありませんけどね。そういう学説が生まれるくらい、そういう実験的なこともやっているんですが、しかし電子顕微鏡でよく調べてみたら、アルミニウムでつくったアルツハイマー原線維変化というのは、実は老年痴呆の原線維変化とは随分似ているけれども違うというんですね。これではないというふうになった。そういういろんな研究が行われております。
 ですから、現在でも厚生省班会議というのが一つの小さなグループで、私もその班員の一人になってやらせていただいておりますけれども、いろんな研究班でそういういろんな多面的な発表がなされていまして、二年ぐらい前にWHOが老年痴呆に対して、一九八一年ですか、ジュネーブの会議でやっぱりアルツハイマー型老年痴呆は人類の終局的な健康を脅かすものだ、これを本格的にやらなきゃいけないというんで、その翌年の八二年にパリで老年痴呆の科学者会議というのを開いたんです。それに私も日本の代表で選ばれてそこへ行ってまいりましたけれども、いろんな研究者が今お話ししたようなことを言ったり、それから疫学的な調査をしたり、それからおっしゃいますように、今現在困っている人をどうしたらいいかとか、もう各国困っているわけです。
 そのときにある研究者の一人が、あと十年ないし十五年したら、今の研究のスピードでいけば老年痴呆の原因は解明されるだろうと、こう言っております。ですから、私もひそかに、あと十年か十五年は、どうしたらいいかわからぬけれども、とにかく老年痴呆にだけはならないようにしなくちゃいけない、こう思ったことですけれども、そういう分子レベルの研究になりつつあるんですね。
#15
○橋本敦君 どうもありがとうございます。
 厚生省がやっと腰を上げて、今先生がおっしゃった研究班を組織して、研究体制をつくり始めたというのは一ついいことですが、同時に新聞で見ますと、先生などが中心になって、ぼけのお年寄りに対する処遇基準をつくるということも御尽力いただいているようでございますが、先生のお話にありましたこういう研究の前進、それから直接はやはり介護の問題で、デイケア、ショートステイの充実ということで非常に大事だということもお話しいただいたんですが、時間がないので簡単で結構ですが、専門的な先生の立場から我々国会ないし行政が今後どういうように、どの面に力点を置いて手を差し伸べていくようにすればよいのか、さしあたりどういうことをお考えいただいておりますか、お話いただけたら参考になると思います。
#16
○参考人(長谷川和夫君) そうでございますね、大変難しいんですが、一つは今まで、医者もそうですけれども、行政側の厚生省などもそうだと思いますが、病気は病気なんですけれども、ちょっと違った病気で、介護といいますか、リハビリといいますか、ちょうど片麻痺の人にはつえが要りますよね。それから片麻痺の人には車いすが要りますけれども、ぼけの人にはつえとか車いすにかわるものを準備してやらないといけないですね、介護の面も全部そうなんですが。
 一つは家族がどうやっていいかわからぬのですね。これは施設でもそうですけれども、どうやっていいかわからない。ぼけてくると、しかったり注意して、何とか一生懸命になって自分たちの方へ連れ戻そう、連れ戻そうとするわけですよ。きょうは何月何日だ、わからないよとか、お手洗いそんなところにしちゃいかぬとか、ここできめられているじゃないか、そういうんじゃなくて、痴呆の老人に合わせるような態度をとるというのが、かえってぼけの進行を非常に抑制するんじゃないかと思うのですね。
 でも、これは一口に言って大変ですけれども、いろいろ家族から手紙が来ていまして、それをときどき読むんですけれども、うまくやろうという家族はそこに気がつくんですよ。そこに気がつくんです。それに気がつかしてもらうために、一つは家族も本当に一生懸命やっているんですけれども、もう疲れ果てちゃうんですね。それをちょっと援助してやりますと大変な力づけを得るんですね。ですから、ぼけ老人それ自体の対策は結局、ぼけ老人はわからなくなっちゃうわけですからね。だから、ぼけ老人を介護する家族を援助するというのがポイントですね。これはもう何といってもポイントですね。
#17
○橋本敦君 わかりました。どうもありがとうございます。
#18
○小委員長(糸久八重子君) 以上で長谷川参考人に対する質疑は終わりました。
 長谷川参考人には、大変お忙しい中を本小委員会に御出席いただきまして本当にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(拍手)
    ─────────────
#19
○小委員長(糸久八重子君) 次に、法政大学助教授高橋紘士君から意見を聴取いたします。
 この際、高橋参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多用のところ、本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。本日は、高齢者福祉のうち武蔵野方式(有償在宅サービス事業)に関する評価研究委員会の報告につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、まず三十分程度御意見をお述べいただきまして、その後三十分程度小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いをいたします。
 それでは、高橋参考人にお願いいたしたいと存じます。
#20
○参考人(高橋紘士君) ただいま御紹介いただきました法政大学の高橋でございます。
 きょうは、今お手元に資料をお配りいただいておりますが、武蔵野市の福祉公社を中心に、最近、さまざまな形態でございますが、新しい社会福祉サービスの提供組織というものがいろいろな形で出てきておりますので、その御紹介をしながら、その中で武蔵野市の試みを位置づけてみようという、そういうことで参上いたしました。
 初めに個人的なことを申し上げますと、実は私は一九四四年生まれでございまして、ということは私が六十五になりますのは二〇一〇年ということでございますので、まさに日本の社会が高齢化のピークを迎えるときに老人になる、そういう世代の者でございます。そういう意味で言えば高齢化社会の問題というのは自分のために仕事をしているというのが正直のところでございます。そういうことで、そういう視点を多少交えながらお話ができればというふうに思っております。
 といいますのは、実はある統計を見ておりまして、二点ほど申し上げたいと思いますが、御案内のとおり、同じ世代に生まれた人たちが何%ぐらい老人に到達するかという生残率というデータがございます。これは五十九年の厚生白書に出ておりましたけれども、明治時代、大正時代は長らく一〇%を割っておったわけですね。九%、一〇%程度の数字。今は正確な数字は忘れましたけれども六、七割、七、八割という数字でございましょう。要するに、同じ年にギャーと生まれた赤ん坊が六十五歳に到達するのが、百人いたとすればしばらくは五、六人しか年寄りになれなかったという意味で言えば、正直な、こういう言い方をしまして妥当かどうか知りませんが、今ないし過去のお年寄りはエリートであったと。今のお年寄りは子供のときに肺炎に打ちかち、青年時代の結核に打ちかち、それから戦争がもたらした飢餓状態に打ちかってお年寄りになられた、そういう方々だというふうに私は思っております。
 ところが、これからのお年寄りというか、これから老人になるということは、私どもも含めまして、今長谷川先生から多分お話があったぼけの問題を含めまして、言ってみればそういう淘汰の機会をなしに六十なり七十になるというそういう時代、これは私たちはひそかに大衆老人化社会というふうに言っておりますが、今までのお年寄りは五、六%しかお年寄りになれなかった。それはエリートだったわけであります。ところが、これから老人になる我々を含めては、あらゆる者が老人になれるという、そういうことである。これはともすれば忘れられがちでございますが、非常に重要な事実だというふうに私は思っております。
 それからもう一つは、ライフサイクルのデータが、同じ厚生省のデータが出ておりまして、長男が結婚して、女性の場合ですと、おばあさんが亡くなるまでの期間が大正時代は大体十年でございました。現在は大体二十年ちょっと。言ってみれば嫁、しゅうとめの関係が昔は十年で済んだわけでございます。今は嫁、しゅうとめの関係は二十年以上。これは老人の介護の問題を考える場合に、これも、うっかりすると忘れられがちな、しかし非常に重要な事実。要するに嫁、しゅうとめ期間が二倍になっているという、これ意外と気がつかれませんが、大事な問題ではないか、家族のあり方ということを考える場合に重要な事実だというふうに私は思っております。これは多少時間をいただきまして、前置きのような話でございます。
 今お手元にお配りしたレジュメに従ってお話を申し上げますが、大体昭和五十年代からさまざまな形で地域社会を基盤といたします新しい、私どもはサービス提供組織というふうに呼んでおりますが、そういうものがいろいろな形で出てきております。既に地域社会の重要な社会福祉の担い手といいますのは、御案内のとおり、去年社会事業法の改正がございまして、法律の中にその形を位置づけられました市町村の社会福祉協議会というのがございます。この社会福祉協議会は、在宅福祉サービスの担い手としてさまざまな形の活動をしております。
 非常に有名な例をちょっと挙げますれば、三食完全な食事サービスをしているので有名な福岡県の春日市社会福祉協議会でございますけれども、これも最近新しい試みとして老人下宿というのを始めました。これは多分後ほど隅谷先生からお話があるシェルタードハウジングの私は日本的な先駆の事業だと思っておりますが、そういうものが全国にございましてさまざまな活動をしておりましたが、それに加えまして特徴的な在宅福祉サービスを主として提供することをねらった新しいタイプの組織というものが出てきております。
 これはお手元に資料を、私どもの研究チームが日本社会事業大学の三浦教授を中心とする研究チームで東京都の委託を受けてやった調査の中から、「先行的供給組織の概要一覧」として幾つかまとめましたものをお手元にお配りをいたしましたので、後ほど参考にしていただければと思いますが、それぞれ、例えば主として有料のサービスを行うとか、それからさまざまな家事援助のサービスを行う。非常に私は注目をしておりますのは、その中にはもちろん武蔵野市の福祉公社もございますが、これからのいろいろな動きを考える上でかなりおもしろいと私がひそかに思っておりますのは、賀川豊彦先生が始められました灘神戸生協が、暮らしの助け合い活動ということで生協活動の中に社会福祉の相互扶助の活動を繰り込んだような活動を昭和五十八年から始めております。
 あるいはボランティア性の高いものとして私は非常に高く評価しています神戸のライフ・ケアー協会、これはクリスチャンユースセンターというキリスト教の地域センターがございまして、そこの土井さんという牧師さんが中心になられて、地域の家庭の主婦の方を担い手といたしましてボランティア活動としてさまざまな障害を持ったお年寄りのお世話をするという活動、これを有料で行うという活動をやっております。これは神戸市の市民福祉振興協会からの援助というものが入っておりますが、そういう形で公的な助成を受けて活動をしております。しかし、本質はボランティア活動でございます。あるいは、大阪にございます大阪家族福祉協会あるいは上福岡市における福祉バンクというような活動、あるいは東京の練馬に本部がありますくらしのお手伝い協会という、これは非常にそれぞれの発想で展開をしている在宅福祉サービス事業の試みということでございます。
 このリストをちょっとごらんになってお気づきだと思いますが、このような新しいサービスの提供の組織というのは、大都市及びその近郊都市に多いというのは、これはしかも昭和五十年代からそういう活動が動き出していることが非常に注目すべき事実でございます。
 これはいろんな理由が考えられますが、私は三点ほどその理由を考えておりますが、一つはやはり都市が高齢化しつつあるということでございます。これは都市型高齢社会というふうに私は呼んでおります。現在からここ数年は、やはり過疎地域での高齢化というのは大変深刻になるのは御案内のとおりでございますけれども、それと同時に都市で高齢化が本番を迎えてきている。これは御承知のように、都市で高齢化というのはどういうことかというと、昭和三十年代にいわば都市に流入をして、そしていわばマイホームを築かれた人たちが、そろそろ高齢化をし始めているということでございます。それで、そういう方々は、言ってみればもうふるさとと縁がない、もうそろそろお父さん、お母さんは亡くなっておりますから、故郷にいるのは兄弟だけだ。となりますと、帰りにくいという、そういう意味で言えば都市に定着をし始めている。そして、自分たちの老後をやっぱり考え始めてきているということが一つの条件でございます。
 それからもう一つは、都市において社会福祉サービスが非常に手薄でございます。これは老人ホーム一つとりましても、御案内のとおり東京都の山手線の中には老人ホームは一つもございません。どうやら東京都がことしから二十三区に特別養護老人ホームをつくってもらうという方針転換をいたしまして、お願いをしておりますけれども、それからあるいはホームヘルパーさん、これが公的なサービスの在宅福祉サービスの基礎でございますが、それが老人一人当たりに換算をいたしますと、東京都、横浜、大阪、神戸、いずれも非常に低い充足率でございます。お年寄り一万人当たりのホームヘルパーさんの数というようなものを計算をしてみますと、大都市地域というのは軒並み低位でございます。そういう事実がございます。
 それから、もちろんすぐ御想像いただけますように、都市の場合は、家族というものが、非常に家族の扶養機能が、これは事実問題として弱体化しているわけでございます。そういう意味で言えば、これらの地域でサービスのニードは増大しつつあるけれども、サービスの供給の絶対量が非常に不足している。しかも、これも後ほど申し上げますが、従来のような、もちろん家庭奉仕員は制度改正が行われましたし、また養護老人ホームもそうでございますが、費用負担を導入しながら、その利用者を拡大をしてきているという、そういう考え方で、いわゆる今までの低所得者層に社会福祉サービスを限定するという、そういうあり方は変わってはおりますけれども、しかしながらまだ不十分と言うほかはございません。そういう中で、やはりサービスを必要としてきている方々が非常にふえてきているということがございます。
 それから、都市の中で、先ほど定着した市民が単に公的なサービスに依存するだけではだめだと、地域づくりをするためには、自分たちで活動しなければだめだという、そういう感覚をお持ちになってきておりまして、それを私どもは参加型のサービス組織というふうに呼んでおりますが、そういう形でボランティア活動というか、そういう形であれ、在宅福祉サービスの直接提供であれ、そういう形で市民、殊に家庭の主婦が主力ではございますが、つぶさに見てまいりますと、非常に興味がございます。厚生年金を受け取られた会社勤めの方とか、労働組合活動のOBの方とか、そういう方が地域に出ていこうじゃないかというようなことで非常におもしろい活動をしておられる。主婦だけではございません。高齢者の元気なリタイアした方々も非常に興味を持って、地域活動を始めようかとか、し始めているという、そういう状況がございます。
 それは、実は4に挙げましたように、「誰でもがニードに応じて必要なサービスを地域社会で利用する」、そういう社会福祉へ変えていかなければならない。これを私は普遍的社会福祉と呼んでおります。普遍的というのは、要するに、従来のように社会福祉が低所得者層を中心にサービスを提供するというあり方を改めて、必要なニードがあればだれにでもサービスを提供していくんだという、そういう考え方への転換でございます。そのニードは恐らくこの後の参考人である隅谷教授からお話があるかと思いますが、重度のお年寄りであってもいいわけ、重度というそれに着目するわけですね。所得ではなくて重度なニード、介護の状態がどうなっているかということに関してニードそのものに着目するという、そういう意味での普遍的なということであります。
 従来経済的な要件で限定するという、選別主義というふうに私ども呼んでおりますが、そういうものではなくて、ニードがあれば、これは当然だれでもが老人になる、だれでもが寝たきりになる、そういう確率をあらゆる我々自身も含めて共有しているという、そういう認識、これは実は障害の問題でもそうでございますね。ノーマリゼーションという言葉はまさにそういう状況を反映した表現であると思いますが、そういうだれでもがニードに応じて必要なサービスを地域社会で利用するための社会システム、これは適正な費用負担、それから在宅福祉と施設福祉の統合、そしてさまざまなタイプのサービスを今度は組み立てて利用していく。
 というのはどういうことかといいますと、もし家族の中に介護者がいれば、それを支援するようなサービスを導入して、そして組み立てていく。従来の施設福祉というのは、そういうものを根こそぎ、言ってみれば施設に措置をして、そしてお世話をする。そうではなくて、そのニードの状態を適切に判断しながら、どういうサービスがこの人には必要かということを念頭に置きながら在宅でサービスを組み立てていく、施設もそういう専門的な機能を持ったものの一環として考えるという、そういう考え方、これが社会福祉のこれからの大きな転換の方向だと思いますし、その線に沿って制度改革が必要になってきているというふうに私ども考えております。
 これはちょっと時間を超過しておるようでございますが、前置きでございますが、そういう中に武蔵野市の福祉公社のサービスを位置づけるとどうなるかということがきょうお話しをしたいことでございます。
 武蔵野市の福祉公社で注目すべき点として、レジュメに書きましたけれども、第一にサービスのメニューが非常に多様であるということでございます。御承知のように基本サービスというサービスがございます。これは月額一万円をお払いいただいて、そのかわりに、これは一定の、定期的にワーカーが訪れてさまざまな相談に乗るという、しかしそれ自身はサービスではないのであります。ただ、そういう公社と利用者を結びつける役割を果たす。これがまず基本サービスでございます。
 その上に必要に応じて家事援助サービスあるいは食事サービス、緊急通報サービスあるいは病院へ通うときに介護する通院の援助サービス、あるいは必要ならばナイトケアといいます夜中まで泊まり込んでお世話をするというような、さまざまなサービスメニューが用意されておりまして、それを第二の点でございますが、利用者のニードに応じてソーシャルワーカーが行きまして、そしてあなたのところにはこういうサービスが必要でしょうというのを相談しながらその必要なサービスを選ぶ。当然その中では経済的な事情とかそういうものを含めながら、どういうサービスをするのがいいか。
 あるいは逆に言いますと、これは大変武蔵野の公社の特徴といいますか、サービスをしないこともサービスなんですね。というのは、こういう自立の状態を確立するためには、むしろサービスはしないで、ここは自力でおやりなさい、そういうことを基本サービスの中で見守ってはあげるけれども、自力でおやりなさい。そうすれば、まだ残った自立心みたいなものが涵養できるというような、頼めば何でもやってくれるというわけではございません。そこにはここに書きましたような、ニードとサービスの調整機能を持ちますソーシャルワーカーが配置されておりまして、そしてさまざまなサービス設計を行う、その上で必要なら看護婦さんを派遣したり、あるいは協力員、これはその多くが家庭の主婦の方々でございます。これは地域に、武蔵野市に住んでおられる家庭の主婦の皆様ですが、そういう方が実際に家事援助を担うというそういう分業の関係が成り立っております。もちろん必要な場合には、夜何かあったらいけませんので、常に事務局長さんなり事務局のスタッフの方々はいつでも連絡に対応される、そういう意味では二十四時間勤務をしておられますけれども、そういう形で分業ができている。
 それからもう一つは、余りにも有名になりました不動産の担保による福祉資金貸付制度でございます。これに関しては非常にいろんな形で関心がおありのようでございますけれども、現実を見ますと、きょうお手元にお配りをいたしました、グラフを二枚ほどおつけをいたしましたけれども、その下の方の「支払別」ということで書きましたように、現実に福祉資金貸し付けを利用しておられる方は五十九年末で全部で百三十四人の利用者のうち三十人程度でございます。
 これは御承知のように、資産の担保ということによって、言ってみればフローで、まあ非常に卑俗な表現をすれば死に金になっている不動産の価値を自分の老後生活のために有効に使うというそういうシステムでございますが、そういうものを導入している。これは言ってみれば、お年寄りの自立を尊重した制度というふうに私は考えます。要するに、頑張れるところは頑張るんだという、そしてその上で有効に自分の持っている資産を活用して、そして利用する。それは、そういうことによって、言ってみれば、これは消費者主権という不思議な言葉を使いましたが、社会福祉でこの言葉がなじむかどうかは別といたしまして、消費者のイニシアチブ、利用者のイニシアチブでサービスを使っていくという、そういうものとして非常に重要な制度でございます。ただ、これはいろいろな問題があるのは承知をしております。資産を使い切ったときにどうするかというような、これは後ほど私の考え方を申し上げたいと思います。
 それからもう一つは、先ほどサービスの担い手が、協力員という家庭の主婦が要るということを申しました。これはこの組織が、言ってみれば、地域に開かれた市民の参加を予定している組織であるということでございます。もちろん福祉公社の場合は参加型というには多少、例えば先ほど挙げました他の組織とは若干様相を異にしているというふうに私は思いますが、それにしても、地域住民で支えるんだということがこれに入っております。これは武蔵野市の福祉公社を考える場合、あるいは新しい社会福祉の供給組織を考える場合に非常に重要な事実でございます。これは少しずつ始まりつつあります営利的な社会福祉類似のサービスとは違う、地域住民の連帯というものを基礎に、その上に有料のサービスを組み立てていくという、そういう考え方でございます。
 それは当然のことながら第五の点の市の従来の委託の方式と異なった組織形態、要するに民間委託という表現がございます、それとは違うわけでございます。それから措置委託、社会福祉でよく行われます措置費を決めて措置をして委託をするということとは違う、行政そのものではないけれども、こういう社会性を持ったといいますか、公的な性格を持った新しい意味での組織、これは第三セクターという言葉が、その営利企業とそれから行政の間でさまざまな組織がつくられるのを第三セクターと呼ぶならば、これは神戸市の高寄昇三さんの表現をおかりすれば、地域社会と行政が協力してつくった第四セクターとも言うべきそういう組織、要するに地域連帯というか、地域の地域連帯と行政の力を合わせて考えたそういう複合的な組織、それは単に民間ではなくて、社会的な性格、公的な性格を持ったそういう組織であるというふうに私は解釈をしております。
 そういうようなことで、福祉公社の利用者の実態でございますけれども、先ほど申しましたように、現金払いが結構多うございます。
 それから最後に、ちょっと表をお出ししましたように、資料3に家族の形態と健康状態クロスした表をちょっとお載せいたしましたけれども、一人暮らしあるいは夫婦の世帯が多い。これは当然これからの都市社会における高齢化の中で、しかも子供の数が少なくなっているという状況の中で、夫婦及び一人暮らし世帯が結構多いということ。それからもちろん結婚経験のない、例えば長らく女医さんをやっておられた方が、同じ女医さんの歯医者さんでしたかの仲間と一緒に共同生活をしながら武蔵野の福祉公社を利用なすっているとか、それからあるいは戦争で結婚する機会のなかった女性の方とか、いいなずけに亡くなられたというような、そういう方がいらっしゃいますけれども、そういう意味で、あるいはお子さんがいらしても子供の数が少ないという中で、例えばニューヨークに駐在をしているとか、大阪に転勤をしているということで、子供は物理的に扶養が不可能である。しかも従来の家庭奉仕員のサービスでは、所得から言ってどうしても利用に該当しないというような方々が非常に多い。
 それから階層的に見ますと、よく優良福祉は金持ち福祉だというふうに御批判をちょうだいするのでありますけれども、事実として生活状態を見ますと、フローのレベルで言いますと、これは判定をケースワーカーにしてもらったのでありますが、これはボーダーラインあるいは生活扶助を受給してもおかしくないぐらいの生活の程度であるというふうに判断をされる方が結構いらっしゃいます、もちろん高額の方もいらっしゃいますけれども。
 そして逆に言いますと、こういう例がございますね、生活程度をそのレベルまで落としても、サービスが必要だから十万とか二十万そのサービスを優良サービスとして利用するという、そういう利用のなさり方をしている。そういう意味で言えば、金持ち福祉という批判は私はこのケースでは当たらない。むしろお金ではというか、市場的にさまざまなサービスを購入する、そもそも市場的に整えられていないわけでございますから、あるいはそもそもそういうものがそういう形で市場的に売り買いの関係で提供するのは不適切な領域のサービスでございますから、むしろ必要ならばお金を幾らでも出して利用したいという形で利用しておられる。それはそういう生活の基本的な部分を支えるものだというふうに考えておられるということでございます。
 お年寄りの皆さんに会いますと、何よりも安心だとおっしゃるわけですね。今までの自分の長い人生の中で、武蔵野の公社のサービスを利用するようになって初めて安心して夜休めると。いつでも来てくれる。これは言ってみれば、安心の意味というのは、孤立からそのお年寄りを解消する、あるいは社会とのつながり、定期的にケースワーカーが派遣される、それからお年寄りに相互に集まる機会を基本サービスの中につくっておられる、そういう社会性を確保する。それから万が一のときの予防機能、そういうものの複合としてこれは異口同音に安心だという言葉が返ってまいります。
 そういうような論点がございますが、福祉公社というのは、そういう意味で言えば、利用者を指向したサービス、従来の社会福祉サービスというのは措置というシステムでございますから、ある尺度、物差しを当てはめまして、その上でこれは措置要件に該当するかしないか、それから家庭奉仕員のサービスとして上限何時間、十八時間でございましたか、限定がございます。しかし、ここではニードの状況に応じて、必要ならもっとサービスを派遣するという考え方、このことは、逆に言いますと、公的なサービスの質、量の不足というものを逆に武蔵野の福祉公社の実践が明らかにしているという、そういう問題でございます。
 私は幾つかのケースをつぶさに拝見しておりまして、やはり公的なサービスとして対応しなければならない部分は、こういう新しいサービス供給組織がやっぱり担わざるを得ないという側面が随分あるのではないか。これは従来の社会福祉の措置の仕組みというものが非常に硬直化して弾力性を失っているということなのではないかというふうに思っております。
 それからもう一つは、「ケースマネジメント」と書きました。先ほど言いましたようなサービスとニードを調整する機能を持っている、これは多分これからあらわれます営利的な企業と性格を分かつ社会福祉の専門性ということと関係をいたしました機能でございます。今紹介をいたしました幾つかの組織の中でも、そういうケースマネジメントの機能を随分いろいろな形で持っております。灘の神戸生協もそうでございますし、ホームヘルプ協会もそうでございますが、そういうものでございます。
 ただ、「課題」としてここに挙げましたとおり、今のところは武蔵野市の福祉公社は権利能力なき社団でございます。御承知のように、財団法人の申請をいたしましたが、これは公益性がないということで東京都から却下されております。あるいは社会福祉法人の申請をいたしましても、多分武蔵野市福祉公社は該当しないということで却下されることになります。ただ、社会福祉法人は、社会福祉協議会と施設が社会福祉法人格を取得できる、中央共同募金会もそうでございますが、そろそろ在宅福祉サービス型社会福祉法人というのを考えたらどうだろうかという意見を私は持っております。
 実は、横浜市で横浜ホームヘルプ協会というものが、従来ありました組織を市のイニシアチブで換骨奪胎をいたしましてこの十二月に発足をいたしまして、そのときに、先ほど御紹介いたした三浦教授、あるいは日本女子大の佐藤進教授などと一緒にいろいろな面で法律的な検討をしたことがございますけれども、どう見ても、逆に言えば今の社会と新しい社会福祉組織というものが合わないのであります。これは、しかし、公益性というか、戦略的な重要性を考えますと、やはり法人格というものをきちんと与えて、公的、社会的な責任を果たしていただけるような、そういう制度上の整備が私は必要であろうというふうに考えております。
 それは実は、ここで「基金の設定」と書きましたが、例の老後保障基金の構想の中でも、担保にいたしまして使い残した場合に、それを寄附をいただいて基金として積み立てて有効に活用するとか、それから、あるいは市民の拠金を求めてファンドをつくっていくとかというようなことを構想をいたしますと、権利能力なき社団では不可能でございます。御承知のように贈与税の対象にもなりますし、実質上それは不可能でございます。今は社会福祉法人が言ってみれば寄附の独占をしている。寄附というか、そういう民間の自発的な拠金が常に最も必要な先端的な仕事が、実は民間の自発的な支えができない制度的な仕組みになっております。
 御承知のように、寄附というものを大蔵省は非常に限定的に考えておりまして、社会福祉法人以外は寄附しちゃいかぬ、それから試験研究法人以外には損金扱いはできないとかという幾つかの制度の壁がございます。もう一つ重要なのは、公益信託が私は使えるのではないかというふうに考えておりますが、これも税制上の恩典は何らございません。そういう意味で言えば、民間の自発性と言いながら、民間の自発性を発揮していただくための制度的な措置ということに、社会福祉を含めて日本の従来の公的な仕組みというものがそういうものをむしろ無視をしてきたというふうに私は思います。それは逆に、措置委託という仕組みの中で公的な社会福祉として取り込んで、言ってみれば、がんじがらめにしてきたという、多少きつい表現でございますが、私はそういうふうに考えております。
 それと同時に、実は在宅サービスは、その活動をしてまいりますと、その拠点施設が必要になってまいります。特に都市の場合ですと、さまざまな、デイケアという日常の援助をする、あるいは一時預かりというショートステイ、あるいは食事サービスの拠点、そういうものが必要でございますが、あるいは最近の小規模の老人ホーム、まあシェルタードハウジングとか、そういうものが、これは実は現在の法体系とか施設体系では排徐されております。これは公的なサポートを何ら認可をされない。ということは、持ち出しで、自前でつくらなければいけない。そうではない、もう少しそういう試行錯誤を十分認めるような仕組みというものをぜひ考えなければいけないのではないかと。
 時間をちょっとオーバーしておりますのではしょりますが、そういうことで、こういう武蔵野の福祉公社の三年、まあ四年目に入りますが、そういうその他のさまざまな実践の中で、新しい社会福祉の方向、制度改革の方向が私は見えてきたというふうに思っております。ここに書きました「分権型」、国が基準を設けてがんじがらめにして社会福祉をやるという時代はもう私は終わったというふうに思っております。
 しかしながら、制度は御承知のように八割、まあ七割になりましたが、そうではない、新しい国、自治体の関与の仕方のルールというものを決める必要がある時代。それは民間活力という言葉を、市場的、営利的なものだけではない、先ほども言いました地域連帯に基づく参加型福祉システムと言いましょうか、そういうものを可能にするような形で民間のエネルギーを考えるべきではないか。そういう意味で、民間社会福祉の意義というものを私は考え直さなければいけないし、そのための制度づくりが非常に重要であるというふうに考えております。これは、実は地域のさまざまな試行的な実践を踏まえた制度改革がこれから必要になってまいります。従来のような、国に予算をつけて、そしてそこから変えていくという、そういう仕組みではない制度改革が必要だろうというふうに私は思っております。
 ただ所得保障は、これは逆でありまして、むしろ国ベースでのさまざまな努力が必要でございますが、社会福祉サービスは、そのニードというものが個別性を持っております。それから在宅処遇原則という言葉がございますが、その地域の中でその問題を解決していく。そういう動きを、やはり行政、それは地方自治体、市町村、県、国が支えていくというそのためのシステムをどうつくっていったらいいか。これは現実問題として、七十五歳以上人口を中心とします重度に介護を必要とする人口がふえるのは必定でございます。予測をいたしますと、ある新興住宅地で、これは実は川崎市で私は計算をいたしましたけれども、百合丘でありますとか多摩区でありますとかという近年非常に急速に高齢化したところでは、七十五歳以上人口の伸びは、実は紀元二〇〇〇年で試算いたしますと三倍になります、絶対数が。そういう事態の中で新しい福祉実践が必要であろうと思います。
 私は今、都市を念頭に申しましたが、それは実は過疎地域のことを考えますと今度は逆でありまして、福祉として自立してサービスをすることが実際問題非常に困難になる事態がこれから生じる。そうなりますと、今度はそういう場面では逆に、私は、例えば農業協同組合とか漁業協同組合とかという生産組織とそれから社会福祉協議会のような福祉組織が融合したような新しい発想のサービス提供組織を考えなければならないだろうと。そういう意味で言えば、福祉というか高齢化社会を支えます社会福祉サービスというものが、もうそろそろ厚生行政とか福祉行政の枠だけで考えていたら話が済まない時代にどうもなりつつあるのではないか。もう恐らく、そういう線に沿ってどういう形で社会福祉制度を考え直すかという時期に来ているのではないか、そういうことをこの武蔵野の実践が私たちに教えてくれるのではないか。
 多少時間がオーバーしてしまいましたが、一応私の話はこれで終わらせていただきます。
#21
○小委員長(糸久八重子君) どうもありがとうございました。
 以上で高橋参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
#22
○抜山映子君 不動産を担保に養護を受けるとか、こういうふうに簡単に書いているんでございますけれども、もうちょっと具体的に、例えばその不動産の評価はだれがしてとか、それから担保といっても実際には抵当権の設定なのか、それから代物弁済の予約の仮登記とか、そういうことをやるのか。最後にその借りたお金をどういうように清算してやるのか、子供が後を引き継いでどうやるのかとか、ちょっとそこを具体的に……。
#23
○参考人(高橋紘士君) 私は法律の詳しいことはわかりませんが、抵当権の設定は、評価は専門家というか、きちんとした第三者の厳正な評価をやるようでございます。これは、むしろそういう意味で言えば、非常に厳正な取り扱いをしているようでございます。
 それで、ただ問題は、やはり資産の評価、マンションであるとかそういったことでいろんな問題があるようでございますが、老後保障基金というのは、これは今のところ市の制度でございますので、そういうことで、ルールにのっとって法的な手続は、何か今の仕組みに従ってきちんとやっているようでございます。
 それで、たしか三例、お亡くなりになって老後保障基金の、何といいますか、清算をした例があるようでございますけれども、その場合は、その契約に従いまして、今まで利用したものを処分をして、返済をして、残りを相続人に渡すという、そういう形でおやりになったようでございます。ちょっと詳しいことは、私、法律は素人でございますのでその程度でございますが、きちんとしたルールにのっとって、これは福祉公社の検討の過程で、弁護士、不動産関係の法律それから相続税の専門家を含めて法律的なあらゆる万全の措置をして制度が運営されておりますので、問題がないように、やっぱり公の市の運営する制度でございますのできちんとしておるようでございます。
 ちょっとその程度で、私も必ずしも専門の領域ではございませんので……。
#24
○抜山映子君 それから、ちょっと雑誌で読んだので、それは誤解の記載だろうと思うんですけれども、長く生きたら得をする、短かく生きたら、まあ言えば、そのまま市に帰属して損をするんだけれども、それはいいんだというようなことをどこかで読んだような気がしたんですが、それは誤解ですね。
#25
○参考人(高橋紘士君) それは誤解だと思います。
#26
○抜山映子君 わかりました。
#27
○高杉廸忠君 高橋先生いろいろありがとうございました。「武蔵野方式三年間の足跡」というのを読ませていただきまして、もっと具体的なお話があるかなと思ったんですが。
 時間の関係がありますから、端的にちょっと伺いたいんですが、これを見ますと、武蔵野市の貸し付けですね、もう既に一億円を突破する、一億五千万に達すると、こういう見通しで書かれています。そこで、この全体の市の予算の割合がどのぐらいかというのが一つありますね。それを一つ教えていただきたいんです。
 それと、一般会計で捻出をしていくと、特定の目的についての借り入れをしている、こういうことになるわけですね。そうすると、これは将来、そういう財政の硬直の非常に悪い例になるんじゃないかという心配が一つあるんです。そこで、自治体がそういう財源を求めていく方途にもっと的確なものはないかというのが一つ。これは知恵です。
 それから基本的には、先生の普遍的社会福祉への転換、言うならば、私どもはちょっと違う立場で考えますと、やはり福祉というものは公的サービスを拡充していくと、時代なり地域なりそのニーズに応じて。今の社会福祉事業法がすべてこれで万全だとは思っておりませんから、これはやっぱり時代とともに地域のニーズに合うような法制度の改正や改善をしていく、これは当然それを求めなければなりません。
 そこで一つは、せっかくやられていることが法人格にならない。いわゆる今の事業法の欠陥といいますか、欠落があるわけですから、これは法制度上の一つの方向として今後国の法律制度の改善の方向でいくということと同時に、やっぱり公的サービスを拡充していくことによって地域や、それはもちろん地域の人の参加も求めていくような事業内容に拡充していく方向へ、私はやっぱり国の制度なり法律体系のその辺を時代に即応するものにしていかなければならぬという、基本的にはそういう考えを持っているわけなんですね。その辺に対してどういうふうにお考えなのか。幾つか申し上げました点について。
#28
○参考人(高橋紘士君) その第一点の方は、実は武蔵野市で今プロジェクトチームを組んでおりまして検討しているようでございます。やはり基本的には、基金制度をつくって、少なくとも事務費に関してはその基金で運営したいと。
 それから、先ほどの例の一億の貸し付けの問題も、その市の中で硬直化ということもおっしゃるとおりの指摘が内部であって、それをどういうふうにするかということの検討が今進んでいる。ちょっと私、その程度に控えさせていただきますが、十分それを意識して検討しているということだけ申し上げたいと思います。
 それからもう一つ、公的サービスの問題でございますが、私は基本的におっしゃるとおりだと思っております。ただ、それが、従来のような公設公営型であるとか、公務員がすべて丸抱えにするとかというタイプではない、国、市町村の関与の仕方が変わってくるのではないかということに力点を置いて私は申し上げたかったのであります。もう黙っていても家庭奉仕員は、はっきり言えば、今みたいな程度では済まないのでありまして、多分、その五倍とか六倍あるいは十倍のオーダーでふやさなきゃならないわけです。これは公的な側の責任としてやっておかないと、こういう新しい試みが生きてこないのですね。
 これは御承知のように、今の場合は、財政上から見ますと、施設措置には二十数万出るけれども、在宅サービスの持ち出しはそういう形にはなっていないとか、そういうことで言えば、在宅サービスが伸びにくい制度構造がございますし、それから、弾力的な公的サービスという場合に、やはり公的なサービスが非常に制限的、限定的なそういう色彩を払拭できないような制度の仕組みになっていて、今、その量として伸ばすためにも組織、仕組みをいろいろな形で検討して変えていかなければならない時期ではないか、そういう刺激として先導的なこういうものが果たすであろうと。ただし、それが、よく言われます公的な責任を私的なものに転嫁するという形の文脈でそれが語られてはならないということが私どもの立場でございます。
 お答えになりましたかどうか……。
#29
○坂野重信君 ちょっと今の議論に関連することですけれども、国の財政力というのは限度があるわけです。そこで、さっき民活方式というのが言われました。それから、生産組織とも結びついているわけでございますね、それはどういうことでしょうか、もうちょっとそれを詳しくお伺いしたいと思います。
#30
○参考人(高橋紘士君) 要するに、申しましたように、それぞれの試行をごらんいただきましても、従来の社会福祉の枠で考えられました措置委託とか、それから施設収容でやっておりますような、社会福祉法人が措置委託を受けて七割なり八割なりでやるという、そういう仕組みとは違ったタイプの、しかし現実の社会福祉サービスとして提供されている、しかもそれは、先ほどちょっと申し上げましたように、ケースマネジメントというか、社会福祉の専門性の観点からニードを調整しながらサービスを提供するという意味で、これは営利企業の場合は、ニードがあれば、それは支払い能力に応じてそれに払うというのが建前ですから、それとはまた違う意味での社会福祉の供給が現実問題として行われつつあると、そういうものの芽をもっと伸ばしていく必要があるだろう。
 その場合に、先ほど、公的責任等の関係で言えば、よく行なわれております、バンダリズムという言葉がございますが、一定の契約を自治体とそういう組織が結びまして、必要な場合に利用者には減免をして提供し、サービスを買うという方式、これはいろいろな意味で、これは多分、隅谷先生の方の制度審の建議にもその旨が触れられておりましたけれども、そういう方式を導入するなんという形で、民間性といいましょうか、そういうものを生かす方途があり得る。それは社会福祉的な営利企業を伸ばすということではない。先ほども私がるる申し上げましたような社会福祉性というか、社会福祉の専門性を生かすような、そういうものを民間社会福祉として伸ばす、そういう道があるのではないかと、そういう意味でございます。
 お答えになりましたかどうかわかりませんが、一応そういうことでございます。
#31
○矢原秀男君 一点だけお伺いいたします。
 新しい社会福祉サービスの中で、外国へ行きまして私もこの面を非常に強く感じるわけでございますけれども、それはもう行政からもそうでございますけれども、やはりボランティアの活動に対するお願いというか、強化するか組織するか参加していただく、そういう面で先生が希望、お気づきございましたらお伺いしたいと思います。
#32
○参考人(高橋紘士君) 非常に難しい、それだけで多分時間をちょうだいしなければならない大きな課題だと思いますが、総理府が最近ボランティア活動に関する調査をしたり、私どももいろいろな調査をしております。そうしますと、こういう活動をやってみたい、私どもはそれを一五%ラインというふうに呼んでおるのです。つまりいろんな条件を設定して、意識調査でございますから多少ぶれはあるといたしましても、相当な割合、一〇%から一五%の数字がボランティア活動をやりたいという、そういう希望がございますですね。
 そうしますと、現実にはそれと非常なギャップがある。とすると、やっぱり何かそこにそういうものを活性化する、顕在化させるための条件づくりが何かあってしかるべきではないだろうかという、そういう知恵が我々にちょっと今まで欠けていたのではないかということをよく反省をいたします。これはどういうものがあるかという決め手はございませんが、現実にこういう供給サービスで、サービスを担っている女性の方とかいろいろな方とお話し合いをしても、やっぱりこれは確実に新しい――今までは日本ではボランティアは育たない育たないと言われていたけれども、どうやらちょっと違うのではないかという手ごたえ、ちょっとうまい形で表現できませんけれども、私は手ごたえを持っております。
 そういう層を従来の、言ってみれば恵まれないかわいそうな人々のための社会福祉という、そういうキャッチフレーズに代表されるような社会福祉観では、そういうエネルギーは多分くみ尽くせないのではないか。基本的にはイギリスのシーボームレポートという社会福祉改革の有名なレポートの中にありますけれども、やはりコミュニティーが社会福祉サービスの受給者でもあり担い手でもある、言ってみれば市民が社会福祉サービスの利用者であり、かつ市民がそれを支える支え手であるという、そういう関係が現代の社会福祉の特徴であるということを書いたものがございますけれども、そういうセンス、そういうものをやっぱりもうそろそろ、恵まれないかわいそうな人々への愛の手をという標語をもう一歩超えた、そういう社会福祉観をどうやって定着させるかということが、ちょっと迂遠なお答えで恐縮でございますが、そういうものをどうやって身につけていくかということではないかというふうに思います。
 決して私は悲観をしておりません。日本のやはり伝統的な思考様式の中に、私は確実に、ボランティア活動というか、そういうものはキリスト教文明だけではないというふうに思っておりますので悲観はしておりませんけれども、何か手だてというものが、従来の育成とか助成とかというのとはちょっと違う感覚をどうやってつくるか。それ以上のことは、私も大変難しい、悩んでいる課題でございますので、そういうふうに考えております。
#33
○橋本敦君 一点だけお伺いしたいと思うのですが、資産担保による福祉資金の貸し付けというのは、なるほどユニークな制度だということなんでしょうが、武蔵野方式の実態を見ましても、物によりますとやっぱり約六割の方が、年収百万以下の低所得の方がサービスの提供を申し出ていらっしゃるという実態があるようですね。
 そういう点で考えますと、年収百万以下ということになりますとかなり厳しい生活ラインでございまして、これはやっぱり高齢化、そしてひとり暮らし、だんだんこうなりますと所得が減っていくという傾向は避けられないわけですから、そういう意味ではこの問題を突き詰めていきますと、やっぱりこの低所得者対策という社会福祉的側面は、これはやっぱりぬぐい切れないのじゃないか、こういう状況が一つと、今後、この間の厚生省の統計でも高齢家庭ほど所得が減っていくという傾向は避けられないというのがございますけれども、将来展望をこういうように考えていきますと、有料サービスということでどこまで普遍的なニーズにこたえられるか、やっぱり基本問題残るのではないかということを心配するのですが、この点はいかがでしょうか。
#34
○参考人(高橋紘士君) 私はやはり、逆に言いますと所得保障対策としてきちんとした対策をやらなければいけないのではないか。それと社会福祉が対応いたします個別的な、私どもは非貨幣的ニードというような言葉を使っておりますが、身辺介護であるとか自立とかというのは、そういうものとひとまず分けて、そして社会福祉は社会福祉のサービスの独自の領域としてきちんと位置づけた制度体系をつくる必要がある。
 当然私は今、生活保護制度と直接絡むと思いますけれども、あるいは年金の最低保障と絡むと思いますけれども、そこの水準は所得保障の対策としてやはりこれはきちんとやらないといけないし、これは平均値で物を見てはいけないのでありまして、所得保障がどういうふうに行き渡っているか、分布の問題があるわけですね。そうしますと、おっしゃるとおりの問題は常に残されていくので、そこをきちんとする。ただ、それを社会福祉サービスの中に紛れ込ましてしまいますと、それは所得保障とサービス保障のやり方、システムが違いますので問題があるという、私はそういう意見でございます。お答えになりましたかどうか……。
#35
○松岡満寿男君 利用者の特徴で、ひとり暮らしの人とか結婚経験のない、あるいは子供のいないお年寄りが少なくないと思いますけれども、ある面では我が国の過去のいろんな施策の中で、税制面もそうですけれども、ひとり者に対しては必ずしもいろんな面での配慮というものはあったわけじゃないですね。
 そういう面では、今までの総合的な施策で欠落している部分がこの武蔵野市の中で、逃げ込んじゃったのかどうかわかりませんけれども、出てきているという部分がないことはないんじゃないかという感じがするんですけれども、これからますますある面では結婚しない人とか、そういうひとり者というものはふえていく可能性が私はあるだろうと思います。そういう方々が実際に国の施策に求めておられるものはどういうものだろうか、またそれに対してどのような対応を今後我々がしていったらいいだろうか。こういうささやかな、まだ三年か四年の実験ですから、そういう中での意見というのはなかなか難しいでしょうけれども、先生の方でお気づきの部分があればちょっとおっしゃていただければと思います。
#36
○参考人(高橋紘士君) 私も、面接をして歩いておりましての実感でございますけれども、おひとりで暮らしておられる方とかお子様のない方というのは、やっぱりそれなりに一生懸命蓄積をしておられるわけですね。やっぱり老後生活、途端にそういう問題が起こるわけですから。
 ところが、その蓄積を、要するにサービスとして利用するのは今のところ武蔵野しかないわけというか、それで例の転入問題というのが起こるのはそういうことなわけですね。一生懸命ためたんだけれども、それを有効に自分の老後生活の設計に使えないじゃないかという、それに武蔵野がこたえたということ、これは重要なことだと思います。これは要するにお金ではかえがたい、しかし老後生活には必要なサービス領域というのがあって、それはマーケットメカニズムというか、営利的な企業では供給し切れない、しかも従来の公的なサービスでも不十分、不足。それは特別のお金持ちではないわけですから、そういうなけなしのお金を持っていて、しかも生きたお金として使えないという、それを武蔵野福祉公社のシステムができることによって生きて使えるようになったということ、これは非常に重要な事実だというふうに私は思っております。お答えになりましたかどうか……。
#37
○抜山映子君 先ほど評価額を超えてのあれをまた後で触れられるということでお触れにならなかったように思うんですが……。
#38
○参考人(高橋紘士君) はい、ごめんなさい。
 これもそういう意味で言えば一番武蔵野の当事者が頭を悩ましている問題ではございますが、私は逆に言うと、そこで公的サービスの水準が逆に問われるというふうに思っておるのであります。
 今の場合にそれがなくなりまして、そうなりますと老人家庭奉仕員十八時間限度しかないものしか使えない。食事サービス、毎日なんて持ってきてくれない。そうなりますと、やはり公的サービスが、要するにマキシマムな領域は多分有料サービスでやっていただかなければなりません。それからミニマムというか、適正なレベルというものを公的サービスでどれだけ準備するかということが実は武蔵野の担保切れの問題というのは問われているわけですね。だから、我々が利用できる、要するにはっきり言えばお金が払えなくなったときに、利用したときに有効に働く公的サービスの支えがあって、逆に言うとこういうシステムが生きるという、そういう逆説が私はあると思っております。それは逆に言うと、従来のような措置とか補助金のシステムで公務員が全部やるとか、そうじゃない国なり公的サービスの設計の仕方があるだろうという、それが多分逆に問われるという意味で、今ははっきり言ってそういう知恵がないのであります。
 ただ、当然そのケースマネジングというのをやりながら、その資産の残りぐあいを見ながらどういうふうにしていったらいいかということを、そういうことで調整をすることになるわけでございますが、そしたらその時点で、逆に言うと、これだけ自立して頑張ってきておられた方にきちんと公的なサービスで責任を持つというようなだけの層の厚さがどうも逆に問われているという形でこの問題を考えますと、解き方が非常に出てくるのではないかというふうに私は考えております。
#39
○小委員長(糸久八重子君) それでは、時間が参りましたので……
#40
○抜山映子君 すみません、もう一つだけ。
 細かいことを聞くようですが、ローンとおっしゃいましたので、手数料とか金利とかはどうなっているんでしたっけ。
#41
○参考人(高橋紘士君) ごめんなさい、私資料をちょっと――五%だったと思います、金利は。それで、延滞金が一四%。これはちょっと恐縮ですが、むしろ直接事務局の方に調べていただければ……。五・五だったというふうに記憶をしております、利率が。
 逆に言いますと、将来信託銀行がそれをやってもいいと言っているんだそうですね。そうしますと、今度は公的な機関が利子補給で対応するということは多分可能だろうというか、いろんな仕組みがこれからできてくると思います。それをうまくサポートするシステムをどうつくるかにかかわりますが。
#42
○抜山映子君 ありがとうございました。
#43
○小委員長(糸久八重子君) それでは、以上で高橋参考人に対する質疑は終わりました。
 高橋参考人には、大変お忙しい中を本小委員会に御出席いただきまして、本当にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、本小委員会で今後の調査の参考にいたしたいと存ずるわけでございます。小委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
    ─────────────
#44
○小委員長(糸久八重子君) それでは、連続ですが、次に、社会保障審議会会長隅谷三喜男君から意見を聴取いたします。
 この際、隅谷参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多用中のところ、本小委員会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。本日は、高齢者福祉のうち社会保障制度審議会の建議につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、まず三十分程度御意見をお述べいただき、その後三十分程度小委員の質疑にお答えいただくという方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いをいたします。
 それでは、隅谷参考人、お願いいたします。
#45
○参考人(隅谷三喜男君) 社会保障制度審議会の会長をいたしております隅谷であります。
 皆さんのお手元に、一月二十四日付で総理大臣に提出をいたしました「老人福祉の在り方について」という書類が行っておられますね。これをもとにしながらお話をいたしたいと思います。
 この建議の最初のページ、一ページにも書いてありますように、社会保障制度審議会は、昭和五十年の十二月――その前に厚生大臣の方から、高齢化社会を迎えるについて社会保障全体についていろいろ問題があるので、社会保障制度審議会の方でこの問題を包括的に検討してみてくれというような御諮問がありまして、そういうことに対応して、五十年の十二月に、「今後の老齢化社会に対応すべき社会保障の在り方について」というかなり包括的な建議を行いました。
 それは総論でありますので、その後、各論について研究をし討議をいたしまして建議をしようということで、五十二年の十二月には年金制度の問題、これは今日議会などでいろいろ御審議になっておられます基礎年金その他を含んだような新しい年金の考え方を建議いたしたわけです。それから五十四年の十月には、高齢者といっても、最近はだんだん高齢化に伴って高齢者になっても皆さんなお健康であり、六十歳代前半層の三分の二は何らかの意味において就労をしているというような実態を踏まえまして、「高齢者の就業と社会保険年金」関係のことなどについてどうしたらいいか。これはその前からそうでありますが、年金は六十五歳を支給開始年齢にしたらよいのではないかというようなのが大体の審議会の意向でありますが、就業問題について主として議論をいたしまして、それの建議をいたしました。さらに、五十五年の十二月に老人に対する保健医療対策のことについて特に取りまとめまして建議をいたしました。
 そうしますと、残りましたところは老人福祉でありまして、その後かなりの年月、満四年もかかりましてこの老人福祉のことを議論をしてまいりまして、この一月に「老人福祉の在り方について」という建議をいたしたわけであります。そういう老人の生活をめぐる諸問題の包括的な検討、それに対するいろいろな社会保障制度の対応の仕方というようなものの最後の問題として老人福祉の問題が出てきたと、こういうように全体の構想を御理解願いたいと思います。
 一々ページを繰って御説明するのは、お読みいただいてもあるかと思いますので、それは省略いたしまして、むしろ三ページのところに目次がございます。この目次で全体のことをお話をした方が、私たちが何を言わんとしておるかということを御理解願えるのではないかと思いますので、この目次を追いながら少し立ち入った説明をいたしたいと思います。
 第一の「老人福祉の社会的背景」につきましては、これはまあ皆さんそれぞれ御専門で関心をお持ちのことと思いますので、それほど立ち入る必要はないと思いますので、ごくごく簡単に申し上げますが、高齢化社会が急速に進展をしておる。そういうような状況の中で、私たちが老人というふうに申し上げるときは、老人といってもいや自分は若いとか、主観的にはいろいろお考えの方あるし、現に一人前以上に活動しておられる方もあるわけですが、社会的に見るときは一応六十五歳以上というように考えようということであります。
 その六十五歳以上について見ましても、非常な勢いでその比率が増大をしているということは御承知のとおりでありまして、そういう六十五歳以上の人たちを扶養すると申しますか、支えるためには、若い人たちとそういう六十五歳以上の人たちとの比率というものを考えてみましても、昭和七十五年には十五歳――六十四歳という生産年齢人口の人たち一人当たりで老人をどれだけ支えるかというときに、四・三人で一人の老人の生活を支えなきゃならないというふうなことになっていく。
 さらに、七十五歳以上が今から二十年後には大体七百五十万というふうに考えて、これはそのときの人口の恐らく六%を超えるくらいというように高齢化が非常な勢いで進んでいき、そういう中で、どうしても老人になりますといろいろ身体上あるいは精神上といいますか、心理的にもいろいろな障害を起こし、あるいは生活上の困難に陥る人たちも出てくるというようなことに対して、今日老人福祉に対する対応がおくれているのではないか、今後このことに対しては相当の決意を持って対応の方策を考えていかなければならないだろうと。これは後で申し上げます介護施設なども、まあ今日既に非常に不足しておりますので、今後ますます不足していく、こういう状況に対して我々としてはどう考えなきゃならないかということについて以下申し上げようというわけであります。
 そこで、この老人福祉の対象とすべき方々として、目次の第2というところで「要援護老人のための対策」と書いてありますが、これが老人福祉が対象にすべき老人全体を「要援護老人」、こういうふうに呼びまして、その中を大きくは二つに分けまして、その1に重介護を要する老人、これは寝たきり老人とか、そういうような特に介護を要する老人、それからもう一つは、それほどの重介護は要しないけれども、しかし何らかの意味で面倒を見てあげなきゃならない、それが2で、一般の要援護老人というふうに書いてございますのはそういう意味であります。ですから、まず重介護のことについて議論をし、それからそれほどの重介護は必要としないけれども養護を要する援護老人という構成になっておるわけであります。
 もちろん、最初に申しましたように、この老人の中には健康でそういう若い人たちなどの援護を必要としない方々もあるわけで、それは先ほど申しましたように、労働市場における働き手というような側面で我々は既に別のところで検討をしたわけでありますが、これは今回の建議は専ら援護を要する老人についてということで建議を取りまとめてあるわけであります。
 そういう中で、この重介護を要する老人というのはその必要性が量的にも質的にも次第に増大をしている、こういうような状況も皆さん既によく御存じであると思いますので、それ以上のことは申しません。これは一般的な状況でありますから、むしろここでお話ししなきゃならないのは、それに対してどうしたらよいかということであります。
 そこで(1)の「介護施設の整備」ということでありますが、介護施設が、質的なこともありますが、量的に非常に立ちおくれているということは、既に皆さんがいろいろなところで直接見聞きをされて痛感をされている点ではないかと思いますが、この介護施設については具体的に何を論議したかと申しますと、養護老人施設、特別養護老人施設もございますが、それと老人病院との関係で、今日この養護老人ホームが超満員の状況で、入所希望者が多数いるにもかかわらず入所できない。その一方で、そういうやむを得ざる事情もあり老人病院に入っておられる方もあるわけですが、そうでなくて、みずから進んでもちろん老人病院の方を選ばれる方もあるわけです。
 しかし、そういうふうな二つの施設の設立の条件その他がいろいろ異なることもあって、皆さんこれも御承知のように、今度老人病院の方は病院でありますからいろいろ施薬、投薬あるいはいろいろな検査をするというようなことが中心になって、老人としての一般的な生活面のことはどうしても手が回らない。それに対して養護老人ホームの方は、そういう老人に対する特別な施設としてのケアはいろいろされますけれども、診療の方については多小手薄になるというような問題がございますので、ここではこの中間施設、養護老人ホームと老人病院の中間施設、まあ実際の機能においてこの二つはかなり重なっておるわけですが、制度的には違った設立の根拠を持っておりますが、それを中間的な施設をつくっていくことの方が望ましいであろうということを中心にここでは建議をいたしております。
 けさの新聞などで、多少そういうことを厚生省の方が具体的に考えておるというようなニュースが出ていて、皆さんもお読みになったかもしれませんが、あれはあれで厚生省の方が具体的に考えられたことでありまして、私たちの方はもう少し一般的な建議として申し上げているわけです。
 それからもう一つは、重介護を要するものとしては、痴呆性の老人の比率が非常に高くなっていく。特に七十五歳以上になりますと、どうしてもかなり痴呆性の症状を呈する方々が多くなっていく。それに対して十分な介護施設がない。これはひどい場合には精神病院のようなところに入れられるわけですが、それは必ずしも適切だとは言えないような状況にある。
 それで、これはがんに対しては政府は非常に力を入れてがんの研究その他やっておるわけですが、同じような意味において、痴呆性の問題についても政府は本腰を入れて研究もしてもらいたいし、その施設のことも考えてもらいたいと、こういうことを書いてございます。論じてあるわけであります。
 それから次が、一般の要援護は、重介護というほどの介護は必要としないけれども、やはり老齢の中で援護を必要とする、これは経済的にも健康的にも援護を必要とする人たちがおるということは言うまでもないわけです。これは今日重介護を要する人たちが養護施設その他に入り切れないでおりますから、ましてや一般の要援護老人は、軽費の老人ホームのようなところに入ったりするとかいうようなことはございますが、かなりの部分が在宅サービスとなっている。
 それで、この在宅ということは、ある意味で言えば大変大切だと思いますが、同時に、この在宅サービスにおける家族の負担というものが非常に大きくなってきている。そういうようなものも含めて、今後、高齢化が進むにつれて在宅サービス、在宅の要援護老人というものがかなりふえていくだろう。そして、これをケアする人たち自身も高齢化したり、家族構成の変化などからいろいろ難しい問題が起こってくるだろう。この問題も大変今後重要な問題だということを考えているわけです。
 しかし一部は、何らかの意味の施設に入れていただくということも一つですが、やはり基本的には在宅サービスのことをかなり本格的に正面切ってこれを検討していく、その対策を考えるということが大切だろうということで、高齢化して多少痴呆的な状況になったり、あるいは健康を損ねたりするというようなことでそれを特殊な扱いをするのでなくて、これが人間として見れば、高齢化というものから必然的に結果する一つのノーマルな状況だと、こういうふうに考えて、生活諸条件の中にもそれを一つのごく一般的な、しかしケアを必要とするけれどもノーマルな状態というふうに考えて、ここではノーマライゼーションという概念をこの中に入れておりますが、そういうような理念で、一般の要援護老人のことを社会の中に積極的に受け入れていくといった考え方が必要だろう。
 それを受け入れるためにはまたそれなりの条件が必要でありまして、そこで(2)の方に住宅対策のこと、あるいは環境の整備ということが書いてございますが、この住宅と老人ホームの中間施設のようなものをつくっていく。これは外国などでかなりやられておりますシェルタードハウジングとかそういうようなもの、老人向きの集合住宅をつくる。しかも、それを息子夫婦なり子供夫婦なりが住んでいる近くにそういうものをつくって、スープの冷めない距離に住むとか、そういうような条件を考えながら、住宅対策の方も今後かなり本腰を入れて考えていかなければなるまいというのがその(2)であります。
 それで第3は、そういうように重介護、あるいは一般の要援護の老人というものに対する対策をいろいろ論じてきたわけでありますが、これをどこが引き受けるかというときに、私たちは、これは三つの領域があるだろうと。この1のところで「役割分担の基本的考え方」ということを書いてございますが、その役割分担というのは大きく分けて三つある。それが2、3、4と書いてございますのがその三つでありまして、「公的部門」と「インフォーマル部門」と書いてありますものと「民間企業」。それぞれに援護を要する具体的な内容なり、症状に応じて役割を分担することを考えていかなければならないだろう。そして、公的部門は公的部門で次に申しますが、引き受ける分野、インフォーマルな部門がどこを引き受けるかというようなことについて、そういうことをかなり明確に規定をして、それぞれの領域において機能を充実していくということが必要だろう。そういうことによって全体として血の通ったサービスをしていくということをここでは論じております。
 公的部門というのは、一般的に申しますと、基礎的あるいは一律的に、重介護なり一般の援護なりを要する人たちを一律にあるいは基本的なところで必要な分野は公的部門が受け持つことがよいだろう。これは、従来社会福祉の中で国が関与していた部門は大体そういう分野だと言ってもよいと思いますが、もっともそう申しましても、この中で論じておりますが、国と市町村とではまた違うだろう。国は、今申しました基礎的、一律的というようなところに重点が置かれる。ところが、そうしますと血の通ったところがどうしても欠ける。市町村の場合には、同じ市町村でありますからもう少し個々住民一人一人に対して細かく目が届くだろう。ですから、国と市町村とではかなりこの役割の分担を異にする。ですから、先ほど申しました重介護と一般要援護と申しますと、在宅サービスのようなものは主として市町村が担当するというようになって、方向としてはそういうふうになっていくというようなことが適切ではないかと考えておるわけであります。そういう公的部門はきちっと押さえてもらわなきゃならぬ。
 従来、公的に社会福祉、老人福祉のことが論ぜられる場合には、公的部門の役割のことが主として議論されてきたと言ってよいのではないかと思いますが、今後のこの高齢化社会のことを考えていきますと、次に述べますインフォーマル部門というのが実は非常に重要だというふうに我々は考えているわけでありまして、このインフォーマル部門というのは、地域社会、地域共同体と申しますか、住んでいる土地土地、その地域地域での共同体関係というものでその中における老人に対する援護をする。これは、戦前というか、明治、あるいはそれよりもっと前から日本の社会の中では比較的そういう共同体の中で相互に面倒を見合っていくという関係があったわけですが、御承知のように、戦後そういう地域共同体というのが急速に崩壊をしていまして、その点が大変弱くなっていますが、この点はヨーロッパ、アメリカに比べましても、日本のそういう地域共同体というのが崩壊がひどいわけですね。その点でもう少しこの点もきちっと見直して、言うべき、要望すべきことは要望していきたいということが一つ。
 それから、インフォーマル部門の第二は、ボランティア活動でありまして、このボランティア活動は戦後実際かなり活発になりまして、ボランティアの組織があるんですけれども、そういうボランティアの組織とそのボランティアの活動対策となるべき要援護の人々の個人なり組織なりとのつながりがうまくいかないというようなこともありまして、ですからこの点はもう少し、これもまた地方自治体なり何なりが力を入れて強化をしていくべきものだろうというように考えております。
 それから、このインフォーマル部門の三番目は、非営利団体、昔で申します慈善団体と申しますか、そういうような非営利的な団体もある程度あるわけでして、こういうような組織を今後積極的に形成し、その活動にある程度ゆだねていってよい分野があるのではないか。これも、欧米と比べまして日本は大変立ちおくれておる部門でありますが、一般的に申しましてインフォーマル部門は外国に比べて立ちおくれであります。したがって、これは財政的な支出でどうするというよりも、ある意味で申しますと教育の問題とかあるいは社会的な啓蒙の問題とかそういうような要素を含んでおると思いますが、そうした部門をもう少し強化していくべきではないか、そういうふうに国民の中にそういう運動を展開していくということでないと、老人福祉の問題は末端に行って血が通わないというような問題が出てくるのではないかということを恐れているわけであります。
 それから4の「民間企業の活動」と書いてありますが、これは分担で申しますと三番目のものですけれども、民間企業の中でもいろいろと近年、福祉、老人福祉も含めまして入浴に対するサービスとかそういうようなものなど既にかなり一般化しておりますが、そういう形で出てくる。公的な部門がやるよりも民間企業でやった方が効率的でしかもかなり、血が通ったというのはどうかわかりませんが、細かいことまで気をつけるような活動の分野というものがかなりあるように思われるわけです。そこで民間企業の活用のことも同時に考えていかなきゃならないだろう。ただ民間企業の場合にはいろいろ問題も出てくるおそれがありますので、それに対する規制のことも考えようというわけであります。
 そうして、最後といいますか、5のところで「費用負担」のことを論じたわけでありまして、これは私から申し上げるまでもないわけですが、昨今の財政的な困難の中で社会保障の伸びもかなり抑えられてしまっている。しかし高齢化社会の進展の中では、これはどうしてもそういう社会保障的な経費というものが増大せざるを得ないんだということは、一方で私たちはきちっと押さえなきゃならないと思っておりますが、しかし、と同時にすべてのことを公的な負担でやるということが必ずしも適切ではない。個人的、老人個人の負担あるいは家族がある程度負担をするというような可能性もあるわけですし、さらにそういうインフォーマルな部門の場合には、ほとんどそういう経費的な負担なしに行われていくというような分野もあるわけでありまして、そういう意味である部門について個人的な負担というものも合理的に考えられる限りにおいては考えていかなければなるまいということを一方で押さえながら、しかし全体としては高齢化社会の中でどうしても重介護に対する施設その他から始めまして、かなりの立ちおくれがあるというように考えておるわけです。
 そうして最後に、「おわりに」と書きましたところは、一言で申しますと、こういうようなことをいろいろな介護の手段を整備いたしまして、日本人は、今や世界一の長寿国に日本はなったわけですが、長生きしたけれども、長生きして苦労ばかり多かったというのでは長生きする意味が何にもないわけですから、日本が長寿国になりましたとき、長生きしてよかったというような社会を形成していかなければなるまい。そのためのいろいろな方策というものを多面的に今後とも考えていくべきだということをもってこの建議といたしておるわけであります。一応私たちそう考えております。
 ちょうど三十分たちましたので、一応私の方からの建議の御説明は以上にいたしまして、あと皆さんの方から御議論いただきたい。どうも失礼しました。
#46
○小委員長(糸久八重子君) どうもありがとうございました。
 以上で隅谷参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
#47
○青木茂君 お伺い申し上げます。
 今回の建議の中には入っていなかったわけなんですけれども、老後の経済問題ですね、経済問題の中で、これは高齢化社会の問題をあえて老人問題と老後問題、つまり老人問題というのは現在のお年寄りに関する問題、老後問題というのは今の働き盛りが老人になったときの問題というふうに分けて考えますと、どうも諸般の問題が現在のお年寄りの問題に少しアクセントが置かれ過ぎていて、今の働き盛りの者が老後になったときの諸問題について、もちろんあるんですけれどもややアクセントが低いという感じがして仕方がないわけなんですね。
 その問題に絡んで民間企業の参入、特に個人年金なんかの問題に対して民間の参入を考えてみますと、公的年金が必ずしも水準不十分ではないと、しかし上がりそうもないと、そうすると民間企業がどんどんどんどん出てくるわけですね、特に生命保険会社あたりが。これが何かおびえの商品化というのか、少しあふりまくって、高齢化社会大変だ大変だと、さあ個人年金入りなさいと、あふりまくって非常に多種多様な、実態は同じなんだけれども、非常に化粧のどぎついものを相次いで各社出しているわけです。
 それに対して我々の方としては、取捨選択の、比較のインフォメーションと申しますか、比較情報が全然ないわけなんですね。それで比較情報を出せというと出さないわけなんですよ。そうすると選択に迷ってしまうわけですね。数少ない資金だからできるだけ有利なものを選択したいというのは人情ですね。その比較情報的なものを社会的立場で公の機関が出せないかどうかということを常々考えているんですけれども、余り営利企業の営利性でこの問題を解釈されると老後は困るんじゃないかという気がして仕方がないんですけれども、この点に対して先生のお考えはいかがでございましょうか。
#48
○参考人(隅谷三喜男君) ただいまの御質問は、ある意味でいうと、今後だんだんと深刻になっていくだろうということを私も考えます。ただいま政府が国の経済的な活動よりも民間活力を活用せよというように言われておるわけで、一面では確かにそうでありますが、しかしそういう民間の活力を使っていく場合には非常にプラスの面とマイナスの面が出てくるんですね。ですから、今おっしゃられましたようなマイナスの面をどのように、規制するというのはなかなか難しいですけれども、それを管理していくかということは確かに今後の非常に大きい問題じゃないでしょうか。
 実を申しますときょう申し上げた福祉の問題とはちょっとずれるのですけれども、福祉の中でも民間の活力をもうちょっと使ったらいいというように言っていますが、その民間活力を使うについてはやはり問題も出てくるので、この点はきちっと管理してもらいたいということを言っておるわけで、確かに今まで福祉国家として生活のいろいろな面を国が面倒見る、しかし国が面倒見るのにはある限界があるのだというふうになったときに、その限界の外のところで民間のいろいろな活動が行われる。それに対する規制をどうしたらよいかということは、今のところまだ余りはっきりしたものが出てきていないと思うんですね。ですから、こういう問題、民間活力、この福祉の問題でも、具体化するときにはそのことはよく念頭に置いて規定をしていかなければならないというふうに思っております。
#49
○青木茂君 ありがとうございました。
#50
○高杉廸忠君 会長、大変御苦労されて建議されましたことに敬意を表する次第であります。私もその審議会委員の一人で、こうしたことをお聞きすることはどうかという予盾を感じながら、御質問をあえてさしていただきたいと思うんですが、お許しをいただきたいと思うんです。
 建議が基本的な考えとして、本人や家族が何よりもまず自立自助の精神に基づいて対応する、それでも対応できないときに公的部門と地域社会、ボランティア、いわゆる非公的部門が対応する、その場合でもできるだけ非公的部門を活性化する、こういうふうに言っておられるんです。
 そこで、インフォーマル部門だとか、段階的なもので考えられたことについてちょっと私も予盾を感じながらいるんですけれども、だからこそもとへ戻ればこの「当面緊急に対処すべき事項を重点的に取りあげ、」、こういうふうに述べているわけでして、国の財政難のもとで非常に福祉の切り込みが厳しいだけに、私はやっぱり基本的にはしからば老人福祉における公的責任とは何だという基本理念をきちんと確立していかなきゃいけないんじゃないかなというふうに、そういう背景の中からくれば逆に公的責任は何だという、この理念といいますか、これはやっぱり確立をしていかなきゃならぬじゃないかというふうに私は思います。
 そこで、ひとつ大変恐縮でありますが、その辺についての御所見をいただければありがたい、こう思っているわけです。
#51
○参考人(隅谷三喜男君) 私たちも、基本的には今の高杉委員のお考えと同じ、まあここに書かれた書き方に多少その辺、自立のことをかなり強調し、それからインフォーマル部門のことなどが非常に立ちおくれていると考えましたので、そういうことに対してかなりスペースを割いたこともありまして、公的な責任の範囲というものについて、これは極端に言えば従来公的な負担だけでやったような領域が多いものですから、余り確かに触れなかった――触れなかったというよりきちっと規定している点が少し弱いということは確かでありまして、その点は今後これを処理していく場合に気をつけていきたいと思うんです。
 御質問からちょっとはみ出すかもしれませんが、自立というようなことも確かにこの中で強調をいたしました。それは、一方ではノーマライゼーションとも関係するわけですけれども、老人を何か非常に差別化するということに対してはよくない、老人も一人の人格として存在している。だから、そういう自立性というものを尊重していこうというふうに我々は考えているということは、これと公的な負担、責任とどういうふうに関係するかということにもなりますが、その点は私たちの何といいますか、強調しようと思った点がそういう点でありましたので、そういうものが表面に出てきているということは確かであります。
 それで、これも御指摘ございましたように、この老人福祉の問題、高齢化していろいろな障害が起こったりしますことは非常に多面的に出てくるものですから、一つの方式でこうしたらいいというふうに必ずしも答えが出ないケースがある。ですから、重要な点について、大筋のことをここでは議論したというふうに御了解を願いたいと思うわけであります。
 そこで、重ねて申しますが、この公的な責任のことについては、これよく読んでいただければ、公的な役割分担のところでそうした公的な部門の役割が何かということは書いてございますので、そこのところを中心に読んでいただければ公的部門、さっきもちょっと一言で私申し上げたので、あるいは多少説明不足であったかもしれませんが、基礎的な分野、国民全体一律的に適用すべき分野、一律的というのは、つまり老人の福祉としてこれ以下に下げることはできないというところは国がきちっとやりなさいということは言っておるつもりであります。
#52
○松岡満寿男君 自立自助の精神で本人や家族がまず対応していく、これは当然のことでありますし、御提言の趣旨というものは全くそのとおりだと思いますし、しかも老人病院といわゆる特養と中間的なものをつくったらどうかとか、あるいは痴呆性老人の問題に対する対応も早くしなければいけないとか、非常に具体的な建議だと思うんです。非常に御努力なさったことに敬意を表するわけですけれども、それぞれまた分担を公的部門とかあるいはインフォーマル部門に分けてあって、そういう点はそれぞれの責任を明確にしていこうということで非常にいいことだと思うんですけれども、この十七ページのところで「基礎的、普遍的で全国一律的に対応すべきニーズについては、国の責任において対応すべきであり、重介護を要する老人のための対策はこれに該当する。他方、地域や個人の事情を考慮してきめ細かに対応することが望ましいニーズについては、その実情に精通している地方自治体、とりわけ市町村の責任において自主的に対応できるようにすべきである。」。これは全くおっしゃるとおりですね。
 御承知のように、国と地方との関係の中で、そういう福祉施策は、今度も一〇%カットの問題出ておりますけれども、従来国と地方というのは八対二の比率で大体持っていた、それから教育関係は大体半々ぐらいで国と地方で責任を分担してきている、それからまた生活環境関係は国が三分の一で、地方が、地方にそれぞれの施策ができておれば三分の二持っている。それが今回ああいう形で問題化してきているんですね、財政的な面から。
 そうした場合にやはり国がやるべき仕事と地方がやるべき福祉の施策、基本的なものに今回ちょっと触れようとして、しかし財政的には何とか市町村に迷惑かけないように対応しておるわけですけれども、今後こういう公的部門の責任において福祉を進めていく場合に、諸外国いろいろなそれぞれ国と地方との分担のあり方があるだろうと思うんですけれども、こういう問題について今後老人福祉いろいろな面でますます、痴呆性老人とかそういう問題も出てくるわけですね。そうしたときに国と地方との本当の分担の仕方、こういう問題について社会保障制度審議会の中で、時たまたまそういう予算の時期に差しかかっておったわけですから、何らかのそういう問題についての意見の交換というものがあったのか、あるいは今回一年限りの措置ということでやっておるわけですけれども、来年以降の問題についてそういう国と地方との福祉施策についての費用の分担、責任の分担ということについての御見解があればちょっと承ってみたいと思うんです。
#53
○参考人(隅谷三喜男君) この建議では、老人福祉のあり方をどうすべきかということを中心に議論をしてまいりましたので、そして大枠として財政的な状況から、何と申しますか、老人福祉としてもうぜひこれもやってもらいたい、あれもやってもらいたいという形で言うことはできないだろうということも一応頭に置きまして、しかし総体としてはやっぱり高齢化社会の中で負担は増大せざるを得ませんということを申しましたが、それを国の財政でどこまで持ち、地方財政でどこまで持つのが適切かとかということは、審議会の審議事項かどうかですね。それはむしろ、やはり議会なり何なりで御審議を願う方が適切であろうと。これはもうもちろん年金なら年金とか、そういう厚生自体の予算の中にかかわってきて、その予算の使い方とかいうようなことになれば、社会保障制度審議会としてはいろいろ申し上げることございますけれども、全体の大枠をどうするかというようなことは余り審議会の審議にはなじまないんですが。
#54
○岩上二郎君 隅谷さんの御提言されております「老人福祉の在り方について」、こういう角度からも御検討をお願いしたいといったような気持ちがあるのですけれども、お聞きいただけましょうか。
 福祉関係、非常に将来の高齢人口に対応して進度が進んでいくことは当然でありますが、全然別個なサイドで、お年寄りになりますと、何か一般的には安らぎを求めるという考え方は持っているだろうと思うんですね、親切とか愛情とか。そういう世話する側での教育、そういう面での教育というものをもっと充実させる方向というものをお考えになる必要があるんじゃないか。いわゆる福祉は、財政的にもあるいは社会的にもいろいろな段階を通していろいろと変化をしながら充実させるような方向に向かうと同じように、精神構造もおのずから変化を遂げてくるであろうと、こういうふうに思うんですね。
 特に民族構造というか、そういうふうな伝統的な日本の社会の中に、新しい憲法によって個の発見というか、そういうものが出てきたときに、家庭というものが一体これでいいんだろうか。核家族が進んでいく過程の中で、非常にそこには、普通の健全な家庭の中でもいろんな問題が起きる、そういう中でだんだんと高齢化していくお年寄りに対してどうアプローチしたらいいのかという問題の詰めというものを、やはりある程度精神構造の角度の中で十分に御検討おき願う必要があるんではないだろうか。これは相当の時間がかかるであろう、こういうふうに思います。
 現象的に、私がかつて知事時代に公立と私立の老人福祉施設をタッチしてみて、公立の場合には何となく冷たい、私立の場合には何となく温かい、この雰囲気にしばしば触れたことがあるんです。それは一体どこから来ているんだろうか。お世話してやってやるんだ、あるいは事務的に配転をされてそこへ行っているんだと、こういうふうな考え方が、あるいは一定の枠組みの中でやるんだというようなことで、その施設を支えてあげる基本的な理念というものは一体何かというようなものの訓練をさせなかったところに問題があったのではないかということを、自分自身自己批判をしたことがありまして、何回か話をしたことがあるんです。
 ところが、民間にいきますと、その設立者の使命感というか、そういうようなものがはっきりと出てきて、そしてそれが職員にも伝わり、そして日夜やはり祈りをささげるとか、いろんなことの中でお年寄りに接するという、そういうふうな絶えざる努力というものが一日の日程の中に取り込まれている、こういうふうなことからくるものなのか、どうなんだろうか。玄関に入った途端にそれがふっと肌で感ずるような、大変表面はきちんとしているようで、案外それが入ってみると寒々としているという、これは一体何なんだろうかということもあわせ、中に収容されているお年寄りの気持ち、いたわりというふうなものがやはりどうなんだろうかということが、非常に多くの今の現代の社会の弱点というか、そういうふうなものが非常に各所にあらわれている。教育問題の中においてもそういうことが言われているわけですけれども、そういう問題と兼ね合わせて、精神構造の変化の問題というものもあわせ御研究いただいて建言をされるといいのではないだろうかという感じを持ったんですが、別に御意見は要りません。
#55
○参考人(隅谷三喜男君) ただいまの御意見も大変大切な点だと思います。
 私が最後に、長生きしてよかったというような社会でなければ長生きする意味がないだろうというふうに申し上げたこととも関係するわけですが、そういう意味で、この答申の骨組みから申しますと、在宅サービス、やっぱり家の中でいろいろと面倒が見られるというような在宅サービスのことをもう少しきちっと見直して、その重要性、それに対する市町村なり何なりの援助すべきものがあれば援助していく。ですから要援護になったからといって、何でも施設に入れてしまうというようなことは必ずしもよくないというのが第一の立場です。
 それから、今おっしゃられましたように、インフォーマルな組織の持っておる老人ホームのようなところの温かさのようなものがあるわけでして、そこでインフォーマル部門というものをもっと重視すべきだということも、先ほど御説明したような意味でここでは重要視したんですが、もう一つここをちょっとごらんいただきたいんですが、この報告書の十九ページの下から四行目のところにこう書いてございます。「ノーマライゼーションの理念に沿って身近な住宅地に介護施設をつくろうとしても、地域住民から反対されるようでは問題にならない。地域の人々に老人の問題を自分自身の問題として受け止める気持ちがなければ、老人福祉の向上もあり得ないことを強調しておきたい。」、ですから、日本社会が全体としてそういう老人の問題をやっぱり自分たちの問題として温かい目で見てもらいたい。「そのためには、子供のころからこうした問題について教育し、啓発することが大切であると思われる。」というので、この建議は、ただ狭い意味で厚生省の社会保障の一翼としてその老人福祉、老人福祉法の関係とかそういうようなことだけでは処理できませんと。
 先ほど申しましたように住宅政策の問題、これは建設省と関係するでしょうから、もっといろいろな広い視野で、したがってここで申しましたような教育、今岩上委員おっしゃられましたような教育の問題も含めてこの問題と取り組んでもらいたいということは一応心得ておるつもりですが、ただいまの御意見は大変大切なことだと思いますので、私たちも十分頭に入れてやっていきたいと、こう思います。
#56
○矢原秀男君 介護施設の整備の件ですけれども、老人専門病院と特別養護老人ホームの統合化ですね。これは医療と福祉の問題になるわけですけれども、そこで問題点、注意をしなくちゃいけない問題、そういうようなことがどういう面で質疑の中で出たか、ちょっとお伺いしたいと思います。
#57
○参考人(隅谷三喜男君) それは、ですから実際は、その老人御当人は同じ人間というか、大体同じような問題を持った方なんですね。それがたまたま病院の方に入れられますと、これは病人としてしか対処できない。ですから、さっき言いましたノーマライゼーションといいますか、一人の人間としての面というものがどうしても病人として見られてしまう。片方、特に特養の場合ですと、これも私先ほど申しませんでしたが、やはり経済的な問題というようなものが非常に大きく出てくる。そこで、とにかく施設に入れてあげるというようなことが中心になって、それに対する老人の持っているいろいろな問題、症状などに対する手当てが十分できない点が出てくる。そこで、この考え方全体は、今後は老人問題を考える場合に、特養的な貧困と申しますか、経済的な問題だけでなく、経済的な問題がない人は入れないというようなことでなくて、老人一般の問題としてこの問題を考えていくべきだろう。
 そこで一つは、病院と養護施設というものとを重ねて、そして入ってきた人の経済的な条件によって、ある人に対しては従来の特養的な対策を講じ、ある人たちに対してはある種の経費をもらいながら何らかの援護を要する老人として見ていってあげようというように考えている。従来の両者にそれぞれ少しずつ問題があるんじゃないかというふうに考えております。
#58
○矢原秀男君 はい、ありがとうございました。
#59
○小委員長(糸久八重子君) 以上で隅谷参考人に対する質疑は終わりました。
 隅谷参考人には、大変お忙しい中を本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、本小委員会の今後の調査活動の参考にさせていただきたいと思います。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
#60
○参考人(隅谷三喜男君) 社会保障制度いろいろ申し上げますけれども、ひとつよろしく御支援をお願いしたいと思います。
#61
○小委員長(糸久八重子君) ありがとうございました。
    ─────────────
#62
○小委員長(糸久八重子君) 次に、大阪府企画部企画室長伴恭二君から意見を聴取いたします。
 この際、伴参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。本日は、高齢者福祉のうち地方自治体における高齢者事業につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。
 また、議事の進め方といたしましては、三十分程度御意見をいただきまして、あと残りの三十分は委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
 それでは、伴参考人にお願いいたしたいと存じます。
#63
○参考人(伴恭二君) 一言ごあいさつ申し上げます。
 私、大阪府企画室の伴と申します。本日は、大阪府の高齢化対策の問題につきましてお聞き取りをいただく、こういう機会を与えていただきましてどうも大変ありがとうございました。それでは、座って説明をさせていただきたいと思います。
 大阪府の高齢化対策の問題につきましては、お手元にお配りされているかと思いますが、「大阪府高齢化白書」という形で私どもといたしまして取りまとめをいたしております。こういった高齢化白書という形で取りまとめたのは、地方団体としては大阪府が初めてではないかというふうに思っております。
 この高齢化問題につきましては、私どもこれからの社会の進展というものが、国民の寿命の長さがだんだん長くなっていく、こういう過程の中で、だんだん社会全体が高齢化をしていく。しかし、現在までの社会のいろいろなシステムというのが必ずしもそういった現在人生八十年時代と言われるような仕組みには至っていない。これから二十一世紀に向けての期間の中で、現在はまだ高齢化率はやや低いわけでございますけれども、二十一世紀を見通すと、西欧諸国よりはむしろ上回るぐらいの高齢化率に達する、こういうことになるであろう。その場合のこれからの二十一世紀にかけての十五年ないし二十年というものはそのための準備の段階として非常に貴重な時間である、こういう認識のもとにおきまして高齢化問題に取り組みを始めたわけでございます。
 私ども昭和五十七年に大阪府の総合計画というものを策定いたしましたが、その中におきましても高齢化問題というものを位置づけまして、それの取り組みを推進すべきである、こういう立場をとったわけでございます。
 それでは、この白書の内容につきまして別途「要旨」ということでお手元に資料をお配りいたしておりますので、それに基づきまして御説明をさしていただきたいと思います。
 この白書でございますが、一ページをお開きいただきますと、この白書の「構成」といたしまして、第一部と第二部に分けまして、第一部は「高齢化社会の到来」ということで、これからの高齢化社会というものがどういった問題をはらんでいくのかということを中心に記述をいたしまして、その中で大阪府というのは大都市地域を含む地域でございますので、そういった大阪府という立場から見た人口高齢化の課題というものにメスを入れてみた。第二部といたしましては、そういった状況の中で今後私どもとしてどういうふうに対処していくべきかということを考えまして、現在私どもがとっております諸施策について一応整理をさしていただいた、こういうふうな構成になっております。
 それでは説明に入りますが、まず二ページでございますが、二ページに「高齢化社会の到来」ということで、左端の方に「世界人口の動向」というのが書いてございます。これは今さら申すまでもないことでございますので、説明は簡単にさしていただきますが、現在一九八〇年から二〇二五年、これは昭和で考えれば昭和百年ということでございますが、現在世界全体の高齢化率が五・九%である。それが現在の見通しからいきますと九・三%程度に上がっていく。中でも特に先進地域の高齢化率が高まっていくであろうということを記述をいたしております。
 そういう状況の中で、真ん中でございますが、「わが国の人口動向」から見ますと、現在、一九八三年、昭和五十八年で九・八%の高齢化率が、二〇二〇年、昭和九十五年に当たるわけでございますが、そのときには二一・八%という高い高齢化率を示すであろうという見通しがございます。
 そういう状況の中で一番右端でございますが、「大阪府の人口動向」から見てそれはどういうふうになるかということでございます。現在大阪府の総人口は五十七年の統計で八百五十五万人ということになっておりますが、一定の前提を置いた推計によりますと、二〇一五年、昭和九十年には九百二十五万人程度に膨れ上がるであろうというふうに予測をいたしております。その場合、六十五歳以上の人口でございますが、現在の六十五万人から百九十五万人程度にそれが上がっていく、そういたしますと高齢化率が現在の七・七%、一九八〇年の国調では七・二%であったわけでございますが、八二年の七・七%から昭和九十年には二一・一%、これは先ほど申し上げました国の高齢化率とほぼ同じような比率に高まっていくであろうということでございます。
 現在のところ大阪府は全国で四番目に若い県ということになっておりまして、高齢化率が現在一番低いのは、昭和五十五年の国調で見ますと、埼玉、神奈川、千葉。埼玉、神奈川が六%台、千葉が七%、それに次いで大阪府ということになっておりまして、全国で四番目に現在のところ若い県であるということでございます。逆に現在一番高い、高齢化が進んでおりますのは島根県ということになっておりまして、一三・七%ということになってございます。それらの各府県ごとの状況につきましては、この本の方の百五十二ページに全国の表を記載をさしていただいております。
 こういう非常に若いわけでございますが、その高齢化のスピード、これが一つの予測といたしまして、大阪では一四%を超えるのに、七%から一四%、まあ一四%を超えますと相当に高齢化率が高いということでございますが、それに要する期間が二十二年で到達する。西欧諸国の非常に長い期間かかってだんだん高齢化していったという状況を見ますと、非常に高齢化のスピードが高いという状況がございます。もともと大阪が今まで非常に四番目と言われるほどに低かったのは、高度成長期に大量の若年の労働力が大阪に流入をしたためであるというふうに判断をいたしておりますが、今後これらの世代がだんだん年をとっていく、そういうことにつれてだんだん急速に人口の高齢化が進んでいくというふうに判断をいたしております。二〇%の高齢化率ということになりますと五人に一人、しかも今申し上げましたように、百九十五万ということは、二百万人近い高齢者が一府県の中に存在をするということになりますと、いろいろ社会的に問題を引き起こしてくるんではないかという感じがいたしております。
 そこで次のページでございますが、こういった全体の人口動向の中でどういった課題が出てくるかというものを示しておるわけでございますが、これを三つの視点からとらえております。一つは「社会的負担の高まり」という点、二番目が「大都市における高齢化問題」という点、それから三番目が「高齢化社会と女性」という視点、この三つの視点から私ども問題を分析をしてみたわけでございます。
 まず「社会的負担の高まり」の点でございますが、通常よく用いられておりますのは、老年人口指数というのがよく用いられております。これは既に先生方御案内のとおり、生産年齢人口に対する六十五歳以上の老人人口の割合でございますが、現在一九八〇年で一〇・六%、これが先ほどの人口推計をもとにいたしますと三四・五%に引き上がるということでございます。これは一定の推計でございます。それからもう一つは、その老年人口に加えてゼロ歳から十四歳までの年少人口、これを加えたものを生産年齢人口を分母にしまして計算をいたしますと、一九八〇年の四六・四%から六三・七%、こういうことに引き上がっていくということでございます。
 これをもって今まで社会的負担が高まるという指標として用いられておるわけでございますが、これは単に人口を年齢階層ごとに区分したというにすぎませんので、この生産年齢人口の中には主婦でありますとか学生などの非労働力人口も含まれております。それから逆に、分子の方の六十五歳以上の人口にはまだ働いている人が加わっておるということでございますので、必ずしも社会的負担を的確にあらわす指標ということにはなりにくいんではないかということで、私ども別途新しい指標ということで一つの試案として考えてみたのが、社会的扶養負担コストというものを一定の推計のもとに計算をしてみたわけでございます。
 この内容につきましては、この本の方の二十五ページから三十ページにかけまして記述をさせていただいておりますが、それぞれの被扶養者、扶養されている層のそれぞれの年齢階層区分ごとの負担コスト、これを一定の推計のもとに出しまして、それらをそれぞれ乗じた総費用から働く者一人当たり、それがどの程度の社会的負担になるかということを試算をしてみたわけでございます。
 幾つかのケースにわたって試算をしてみましたが、これによりますと、社会的扶養負担コストが現在の七十六万五千円、これが二〇一五年には二百一万、これは五十五年の価格で評価しておりますけれども、二百一万円程度になる。要するに二・六倍程度に引き上がるのではないかということでございます。そういたしますと、先ほどの人口構造から見た老年人口指数あるいは従属人口指数、これのやや中間的な位置になってくるんではないか、こういう一定の試算もいたしております。そういうふうに社会的負担というものが高まってくるのではないかという点が第一点でございます。
 それから第二点は、「大都市における高齢化問題」ということでございまして、大都市には特に雇用者比率が高いという現実がございます。いわゆるサラリーマンの割合が全国平均よりも高いということでございます。その比率は、ちょっとこの数字が小さくてまことに恐縮でございますが、見にくいわけでございますが、この「大阪の高齢化問題にからむ要因」ということで全国と大阪というものを対比して出しておりますが、雇用者比率というのが、全国が七一・二%に対しまして大阪は七六・四%というふうに雇用者比率が高い。こういうことが、企業の定年制あるいは雇用調整等によってサラリーマンというのは左右されるわけでございますから、そうした方々の定年後の働く場の確保の問題でありますとか、生きがいの問題が特に大都市では重要になってくるのではないかということが一点ございます。
 それから核家族化の進行ということで、この現象が顕著に進んでおります。この表で三番目に核家族世帯の割合が書いてございますが、全国では七九・一%に対しまして大阪では八七・二%ということで、かなり顕著に核家族化が進行しておるという状況がございます。特に高齢者のみの世帯あるいは一人暮らし老人の増加という現象が年々高まっておるという点がございます。その上に狭小過密な住宅という問題が大都市に特有な問題としてございます。一住宅当たりの延べ面積を見ますと、全国では約八十平米に対しまして大阪では六十平米ということで格段に差がございます。
 こういういろいろな大都市における高齢化に伴う問題がございますが、そうした中で、高齢者が長年培った知識なり経験を発揮して一定の役割を社会の中に果たしていくというためにはどういうことをせねばならないか、あるいは地域社会がその受け血としてどうした機能を充実していくかということが一つの問題となろうかと思います。
 それから一番右端でございますが、「高齢化社会と女性」という問題がございます。特に女性のライフサイクルというのが非常に変化をしておりまして、一つは寿命の伸びと同時に出生数の減少ということがございます。その結果、このグラフでちょっとおわかりにくいかと思いますが、女性のライフサイクルの変化ということで、子供の義務教育終了の期間が、昭和五年あるいは昭和三十七年のころには子供さんが四、五人は通常おられたわけでございますので、大体五十歳で子供の義務教育から解放されるというのが、最近は子供の数が少なくなっておりますので、四十五・八歳、約四十五歳で義務教育から解放される。一方、夫の死亡というのが、昭和五年程度ですと五十八・七歳が平均でございまして、女性の方が亡くなるのが六十三・六歳、約五年程度がひとりの状況になるということでございましたが、それが今は寿命がさらに伸びまして、一般的には夫が死亡する時期が七十二・五歳ということにいたしますと、女性の場合が八十・四歳ということでざいますので、約八年ということで、夫が死亡してからの期間が従来の五年から八年という形で伸びております。
 そういたしますと、子育てを終わってから夫とお二人の生活、それから夫が死亡してからの女性ひとりの期間、こういうものが非常に長くなってまいりますので、そのような状況にどういうふうに対応していく必要があるのかということが一つございます。特に女性の社会進出の問題、あるいは勤労意欲が増大しておるというふうな問題もございます。そういった点での女性としての経済的自立意識の高まりに対してどう対処していくのかという一つの問題。
 それからもう一つは、現在寝たきり老人あるいは痴呆性老人の介護の問題が社会的に非常に問題になっておるわけでございますが、それらの介護をされている方の六割というのが女性がされておる。しかもその介護者の九割以上が妻、嫁、娘というふうな形でされておりまして、その点での女性の問題というのが特に今後我々として重要な問題として取り上げていかなければいけないのではないかという感じがいたしております。
 そこで、今後の高齢化対策の視点の問題でございますが、この白書の方の六十ページをちょっと参考までにお聞きいただきたいと思うわけでございますが、私ども、六十ページにちょっと書いておりますが、これからの社会というものは人生八十年システムへの転換として今後考えていかなきゃいけない。これは延長した老後生活期間だけの対策ではなくて、青壮年期を含む各ライフステージを通じて考えながら、現在の社会システム、人生五十年のシステムというものを人生八十年時代という、そういうものにふさわしいシステムにいかに移行さしていくかということがこれから非常に重要な問題になってくる。特に高齢者を、従来は福祉サービスを受ける側としてある程度固定的に考える向きもあったかと思いますが、今後はそれをより円熟した世代として社会の中に積極的にとらえていく、こういう視点が必要ではないかということが、私どもとしてこれからの社会に対する対応の基本的な視点とせねばならぬと思っております。
 そういう中で、一つは役割分担のシステムあるいは相互連携のシステム、結局、高齢化社会の進展に伴いまして、年金、雇用、生きがい、介護あるいは働く世代の負担の問題、こういったさまざまな課題がもたらされます。それに対して的確な対応を図ってまいりますためには、行政だけでなしに個人・家庭、地域社会、企業、そういった社会を構成するすべての主体が、それぞれの立場で一定の役割を担いながら相互に連携するシステムを今後はつくり上げていかなきゃいけない、こういうことで役割分担と相互連携システムを確立していく必要がある。
 それから、もう一方といたしましては、多選択肢システム、人々の価値観なりが非常に多様化をしてまいっております。そのために、例えば現在就業による所得とそれから年金による所得、こういうものが、高齢者についてはほぼ同等ぐらいになっておりますが、どちらかといいますとだんだん年金の方が高まりつつあるというのが現状だろうと思いますが、そういった年金と就業との相互選択はどういうふうになっていくのか、あるいは福祉サービスの問題にいたしましても、在宅サービスと施設サービスといったものをどういうふうな振り分けで考えていくのか、それから居住傾向の中で同居志向と別居志向、こういった点をどのように考えていくのか、こういったこれからの人々の価値観というものが非常に多様化してまいりますので、そういった中での選択肢を持ったシステムをどうつくり上げていくかという視点がもう一つの視点として必要ではないかと考えております。
 そういうふうな人生八十年システムへの転換を、今申し上げましたような視点をとらえつつ、五つの分野に分けまして、現在私どもがやっております高齢化対策を整理してみたわけでございます。それを四ページ以降に掲げさしていただいております。
 その五つの視点と申しますのは、一番目に「健康の保持・増進」、二番目に「地域福祉の推進」、三番目に「経済生活の安定」、四番目に「生活環境の整備」、五番目に「社会参加の促進」、こういう五つの点からまとめてみたわけでございます。
 まず、四ページでございますが、「健康の保持・増進」ということで、現在国民の有病率というのが七・九人に一人が何らかの病気を持っておられる。特に七十五歳以上の方ではその比率がほぼ五割に近いという状況になってございます。この下のグラフがそれを示しておるわけでございますが、主要な死亡原因が三大成人病と言われておりますが、そういうふうな死亡原因の推移が見られる、あるいは医療費が非常にかさんできておる。一方、大都市におきましては、児童・生徒の体格というものが、国民平均に比べまして、都会型の方は体重、胸囲が全国平均より若干下回っておる、それから基礎体力、筋力とか敏捷性、持久力、こういったものが全国平均よりも都会は少し欠けると、こういうふうなことが言われております。今申し上げましたのは……
#64
○小委員長(糸久八重子君) 参考人、ちょっと恐れ入りますが、発言の時間が余りございませんので、自治体としての内容についてお話しいただきたいと思います。
#65
○参考人(伴恭二君) はい、わかりました。
 それでは、そういうふうなことで、特に私どもといたしましては、施策といたしましては、乳児期から老年期までの各世代に応じた健康管理システムをどのように確立するかという問題が自治体の対策としては非常に重要ではないかということ。それから医療体制の問題につきましては、特に国の制度による分野が多うございますが、在宅療養体制を基本的にどういうふうに進めていくかという問題がございます。そのほかに府民スポーツ、スポーツによって若いときから体を健全につくり上げるということが非常に重要ではないかということでございます。
 それから、では次のページ、五ページでございますが、「地域福祉の増進」という観点でございますが、寝たきり老人、こういったものが、大阪府下の一定の推計でございますが、約二万四千人程度あると、そのうち約八〇%が在宅であるというような状況がございます。あるいは痴呆性老人の状況につきましても、一定の推計でございますが、府下で約二万八千人ということで、八十歳以上の出現率は一六・二%と、こういうふうな非常に高まっていくという状況がございますので、施策といたしまして、在宅福祉サービスというものを――全部施設に収容してということは非常に問題でございますので、在宅福祉サービスというものを基本的にどういう形で進めていくかということが今後の重点になってくるんではないかということで、特にショートステイあるいはデイサービスというものを今後強化をしていかなきゃいけないであろうというふうに思っております。
 それからまた、一番下に「地域福祉活動の振興」ということで、これからはそういった福祉の問題については、コミュニティーがそういうものをカバーしていくという努力を続けていかなきゃいけないんではないかということをここで示しておるわけでございます。
 それから次に、六ページでございますが、「経済生活の安定」という問題でございますが、これは結局所得保障の問題と高齢者の就業意欲をどういうふうに充足をしていくかという問題がございます。そのために、施策といたしましては、雇用機会を拡大するために、一つは定年制の延長について、現在六十歳の定年になるようにということで、各企業に対して働きかけをいたしております。それからまた、高齢者に対する職業紹介が有機的に行われますように、高年齢者職業情報総合システムというものを、安定所でありますとか高齢者職業相談室、こういったものを全部テレファックスでつなぎまして有機的な職業紹介ができる、そういうふうなシステムを現在運用を行っております。そのほかに、生涯職業訓練の充実ということで、中高年の転職者向けの職業訓練コースを開発していく、能力再開発のためのコースを開発していくと、こういうふうな努力もいたしておりますし、企業内の職業訓練につきましても、中高年齢者を引き受けられるように整備をしていただきたいというお願いもいたしております。
 次に、七ページでございますが、「生活環境の整備」の面でございますが、ここでは、特に今まで都市というのは、主として経済活動が活発になるということで、経済効率性なり若い人たちの活動というものを中心に整備をしてきたという面があるんではないか。これからは高齢者がそれだけたくさん住まわれることになりますので、例えば大阪なんかですと非常に地下街が多い、どういう形でそういうふうなところに行けるようにできるか、あるいは歩道の段差の問題でありますとか、いろんな建物への入り口の問題等を含めまして、これからは高齢者も含めた快適な都市生活ができるように都市整備自体を変えていかなきゃいけない、こういう面があるということを私どもとしては施策の上で重要視をしていかなければいけない、このように考えております。
 それから最後でございますが、「社会参加の促進」ということで、結局高齢者というのが就業から離れた時間というのが非常に長くなってくるわけでございますから、こうした高齢者の知識なり能力というものが地域社会の中で十分生かされるようにしていく。今までは企業に従属しておったと、そういう状況でございましたが、後半の部分というのは地域社会に帰属をしていくと、そういうことでございますので、コミュニティー活動なりそういったものをどういう形で推進していくかというのがこれからの重要な課題になってくるということでございます。
 かいつまんで申し上げたわけでございますが、私どもといたしまして、今後、高齢化に向けまして特に政策上お願いしたい点は、一つは高年齢者の就業の場をどういうふうに確保していくかという問題があると思います。これは私ども地方団体としてもいろいろ考えていかなきゃならないと思いますが、国におきましても、そういった就業の場の確保の問題についていろいろ御努力をお願いをいたしたいと思います。
 それからもう一点は、痴呆性老人対策という、福祉と医療の谷間に置かれているこういう人たちがだんだんふえてまいっております。こういう対策について、そういうことにならないような予防対策も重要ですし、それからその後の、なった場合の対策、こういったものを基本的にどういうふうに考えていくかという点での研究体制を深めていただく、こういうことが特に重要ではないかというふうに思っております。
 時間の関係ございましたので、初めの方の説明がちょっと長くなりまして、あとはしょらしていただきましたけれども、そういうことでございましたのでよろしくお願いいたします。
#66
○小委員長(糸久八重子君) どうもありがとうございました。
 以上で伴参考人からの意見聴取は終わりました。
 時間の制約がございまして、十分意を尽くせなかった部分があったかと思いますけれども、質問の中でお答えいただきたいと存じます。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言をお願いいたします。
#67
○橋本敦君 具体的に一つお伺いしたいのは、ショートステイですね、それからデイケア、これが非常に大事だというお話がきょうも出ておるんですが、大阪の方ではショートステイ、これを特別養護老人ホームの方で部屋をふやしまして、できるだけ多くという方向でやっていらっしゃると、こういうことですが、具体的に、現在ショートステイで、例えば昨年度どれくらい利用して、申し込みに対して利用率がどのくらいであるか、展望として将来どれくらいふやそうということでニーズにこたえようとしていらっしゃるのか、この点ひとつわかりましたら具体的な問題としてお教えいただきたいと、こういうことです。
 それからもう一つ、地方自治体の単独事業としておやりになるこれからの事業が、一年限りということですが、今年度の問題になっております地方への負担の一割カットという問題が出てまいりまして、これで大阪府としていろいろと御苦労がまた出てくるんじゃないかと、こう思うんですが、それに加えて機関委任事務の費用がかなりあるとか、超過負担がかなりあるとかいう地方自治体の悩みがあろうかと思うんですね。そういった実情との関係で、国への御要望があればこの際お伺いしておきたいという二点でございます。
#68
○参考人(伴恭二君) 二点のお尋ねがございましたが、まず第一点のショートステイについての問題でございますが、現在、この白書の方で九十三ページに大阪での現況について書いてございますが、五十八年時点で申しますと、実施市町村が四十、私どものほとんどの市町村で実施をいたしておりますが、施設箇所数といたしましては四十一カ所現在ございます。それに対する利用者の状況というのが五百十一人ということになってございます。
 私ども特にこういった点がこれから重要になるということで、この表のちょっと上に書いてございますが、五十九年度から、寝たきりの中でも特に痴呆性老人の短期保護事業、これが非常に重要になってくるであろうということで、特別養護老人ホームの中に専用の居室整備というものができるようにということで、その施設整備費に対しまして助成制度を五十九年度から創設をしたということでございます。これの要望は非常にたくさんございますので、今後民間の施設を含めて、こういった助成制度を通じてどれだけそういった機能がふやしていけるか、具体的な推計としてはまだ私ども持っておりませんけれども、今後、一般のそういった面での対応も高まってまいっておりますので、こういった点での整備は進んでまいるというふうに考えておりますが、しかしこれによってすべてのこういう方々のニーズが充足されるというにはなかなかほど遠い状況がございます。
 それから、二点目の一割カット、それから機関委任事務による超過負担の問題、二点の話がございましたが、確かに今回の国の予算におきまして、一割カットということが地方財政にとって大きな影響を与えるものであるということは私どもも認識いたしておりまして、具体的な推計ということはできていないんでございますが、いろいろ直接、間接の効果を含めまして、一割カットによる影響というのは、すべての事業を通じまして百億に近い影響があるんではないかというふうに想定をいたしておりますが、これは私ども現在の財政状況の中におきましては、何とか行政執行のあり方を改善する中で解消していく努力をしてまいりたいというふうに考えております。
 それから、機関委任事務の問題につきましては、これは長らく言われておる問題でございまして、できればそういった事務は当然振り分けをして、本来自治体がやった方が適当なものというのは、もう機関委任というような考え方をなくして、地方に委譲してきちっと財源措置をして、地方が固有の事業としてやっていく、あるいは国がやるべきものは国が責任を持ってやる、あるいはその実行段階で地方団体を使った方がいいという問題については、例えば委託というふうな、非常に明確な区分をして、その事務事業の性格に従って対処されるべきだという私どもは考え方を持っておりますが、これは古くて現在もある問題でございますので、こういった点について是正されることを私どもとしては大いに期待をしておるわけでございます。よろしくお願いいたします。
#69
○青木茂君 大変よくできた白書で感心したんですけども、お願いは、これを白書として終わらしてしまわずに、行政に生かしていただかなければいけない。そして、特にこの老人問題に対する精神を末端の行政のところまで私は持っていってほしいんですよ。
 これは質問というよりお願いで、非常に細かいことを言うようで恐縮なんですけれども、前にも言ったんですけど、高齢化社会を食い物にする企業というのかな、そういうのの参入が最近非常に目に余るわけです。この白書の中にも消費者センターの苦情処理というのがございましたね。この消費者センターの苦情処理も、ある老人が非常に詐欺まがいの商法に遭った。消費者センターへ行くわけですよ。行くと、消費者センターがその企業とお年寄りを呼んで、中へ入って解決させる。それで終わっちゃうんですよ。だからつまり示談屋だ、これは。でなしに、こういう悪徳企業があったということをやっぱりみんなに知らせるところまで行政はやっていただかないと、僕は食い物にされるお年寄りが非常にふえてくるんじゃないかと思います。
 それから、これは大変失礼な言い方ですけれども、老人にとって医療が大変必要である、大切である。ところが、よく言われているように、西高東低ですか、どうも関西の医療費は高い。高い原因というのはどこにあるのか。NHKというのは大体関西でしょう。Nは中野、阪和と川合ですか、どうも関西の医療費がばかに高い。これは何かあるんじゃないか。それだけ国民負担というのか、老人負担が大きくなっているんですから、だからそこら辺まで、もちろんあなた方の分野と逸脱しますけども、白書の精神はそこまでいってほしい、そこまで末端まで浸透させていただきたいということを、これは御質問というよりお願いとして申し上げておきます。
#70
○大島友治君 大変立派な分析をされて、ここまで具体的に分析されるということになると、これに対する対策というのは大変なことじゃないかと思いますね。
 現実の問題として、第二の「高齢化社会への対応」ということで、「地域福祉の推進」ということで、五ページに具体的に今の基本方向として在宅なりを重点にやっておりますが、実際に今当面の計画として、老人の福祉施設の整備として五十六年から六十年度の計画目標もここに四千人で大体実現するんじゃなかろうかと、現実には三千六百三十六人ですか、施設としてね、五ページで。そうしますと、現状でも寝たきり老人が大変おるわけですよ、これ二万四千人も。それに二万八千人という痴呆性の老人の状況というものを加えるというと大変なことになる。そういうことを考えて、さらにまた将来を見通し、二〇一五年なり二〇年なり見てやるというと、これはもう発生率からいって非常に増加率が高いというわけですね。そういうものを踏まえたときに、確かにこれは具体性を持つためにはもう大変な研究が必要じゃないかと思いますがね。
 そこで、できることならば、やはりこの基本的な方向として在宅の方を重点ということになるんでしょうが、反面、今世帯の構成、いわゆる核家族がどうしても増加の傾向にある。しかも、先ほどの高度経済成長で若い人が入ってきて核家族が中心になってくる。その中から今度は老人が出てくるわけです、こういう該当者が出てくるわけですね。そういうときに、二世代なり三世代で住むというような基本的な理念というか、社会生活構造というのがないというと、重点的に在宅を主体にしてこれをやろうとしてもなかなかそこへマッチしないと思う。じゃ、施設の方でということになるとこれは大変な計画になると思うんですが、その辺について、将来の見方というか考え方というものは、この統計の結果から見てどんなふうに考えられておるのか、ちょっとありましたら御参考に……。
#71
○参考人(伴恭二君) ただいま大島先生の方から御指摘をいただきました点は、私どもとして将来を考える場合に非常に憂慮すべき問題だというふうに考えております。しかし、そういうことで、今までの福祉というのは、どちらかというと施設にお年寄りを収容するというような形で進んできましたけれども、これではもうにっちもさっちもいかないと、将来を推計するとますますそれではにっちもさっちもいかないと。こういう状況の中で、在宅、それから個人の家庭、それからコミュニティー、こういったもの全体がそういうお年寄りを支えていく、そういうシステムをどういう形でつくり得るのかと。そのためには今お話にありましたように、ただ単に在宅サービスをすればいいんだということだけでは済まないと思います。現実に住宅の問題が出てまいります。住宅の問題、それからそれを支える例えば家庭奉仕員の問題あるいは医療ヘルパーの問題、いろいろな方々が経済的なべースだけでそういう問題を支えるんではなしに、コミュニティーのボランティア活動的なものを含めてそういうものを支えていくというシステムをつくっていかないと、これは最終的にはにっちもさっちもいかなくなるんではないかという感じを私どもいたしておるわけでございます。
 そういうことで、この地域福祉の問題につきましては、特に地域福祉計画というものを別途に五十八年に私ども大阪府では策定をいたしておりまして、その中で在宅福祉を中心にどういうふうな制度を広めていくことが望ましいのかと、ホームヘルパーの制度もその一つでございますし、それから先ほどお話の出ましたショートステイあるいはデイサービスを強化する、それからもう一つは、住宅も三世代あるいは老人同居の住宅を、例えば公営住宅の中でふやしていくとか、それから新しく住宅を建てかえる場合には、そういった将来の社会のあり方を念頭に置きながら組みかえを行っていくと、こういうようなことを総合的に考える地域福祉計画というものを別途つくりまして、そういう角度で現在検討を、事業の推進を図っていこうと、こういう段階に至っておりまして、まさに問題はこれからだということでございます。
 それから、先ほど青木先生から御要望をいただきましたけれども、二点お話がございましたが、私どももその御意見につきましては十分念頭に置きながら進めさしていただきたいと思います。
 特に最後の方の医療費の問題につきましては、この前新聞で、国の方で報告されておりますけれども、西日本の医療費の低下率が東に比べて、一割負担が導入されたことによって非常に落ち方が大きいと、これが将来どういうふうに落ちついていくのか、今後少し見守ってまいりたいと、このように考えております。
#72
○高杉廸忠君 時間がありませんから簡潔に御質問したいと思いますけれども、まず大変立派な白書を作成されて、お話を聞きまして、高齢化社会への対応について多岐にわたって施策をされておりますことに敬意を表する次第であります。
 先ほど御要望として、雇用についての高齢者就業対策、それからまた痴呆性老人の対策について御要望がありました。
 そこで、具体的に私、今社会保障制度審議会が建議をされました中間施設ですね、介護施設等については、大阪府としてはどういうふうにお考えになるのかというのが第一点であります。
 それから二つ目として、労働雇用そして厚生、医療の面での御要望でありましたから、具体的に高齢化へ向けての課題として、国の規模で特に検討、研究すべき課題としては、大阪府としてはどういうものをお考えになるか、あるいは御要望があるかというのが二つ目。
 そういうことで、第一問に申し上げました社会保障制度審議会の建議をされた事項についてどう対応をされるかということもあわせ、この際伺えればありがたいと、こう思っております。
#73
○参考人(伴恭二君) 今二点御質問があって、大阪府としてどのような考え方かという御質問でございましたが、実はまだ、社会保障制度審議会の建議につきまして、担当部局の方で今具体的に就業の問題とそれから厚生、医療の問題につきまして検討をしていただいておる段階でございまして、私どもそういう各部での検討結果をもとにお答えをせざるを得ない立場でございますので、せっかくの御質問でございますが、その点についてはもう少し検討の上、また改めて私どもの考え方を別途申し述べさしていただきたいと、このように考えております。
#74
○高杉廸忠君 そうすると、具体的にはシルバー人材でこうやっていますわね。そしてそれに対しては補助金みたいな関係というのは必ず関係が出てくるわけでしょう。その辺何か具体的に国に対して、課題として雇用の面でも高齢者就業の面でもないのかという、具体的に言うと。
#75
○参考人(伴恭二君) 例えば現在シルバー人材センターというようなものが高齢者の就業ないしは生きがいを込めたものとして、現在十万人以上の都市についてそういう制度が実施されておりますけれども、これに対する要望というのは、十万以上の都市だけが要望があるということではなしに、すべての市町村を通じましてそれは要望が出ております。そういうものについて、国の制度につきましてもその枠を外して、全市町村がそういうものに耐え得るように、あるいはある程度町村であれば広域化した形でもそれは構わないと思いますけれども、全市町村にそういった助成制度が広がるようには私どもとしては当然期待をいたしております。
 さらに、そういう中で、先ほどもちょっと申し上げたわけでございますが、就業でやると、これは非常に就業というものが本格的な就業とはちょっと違うわけでございますが、生きがいを込めたそういう場の提供ということでございますので、私どもとして、これは地域としていろいろ工夫をしなきゃいけないなということで、これもおいおいだんだん領域が広がってまいっております。そういうこともございますので、特にそういった生きがいを込めた老人の方々が働く場というものを拡大するような方策について、ただそのシルバー人材センターを拡充するというだけではなしに、もう少し別の角度の考え方も今後必要になるのではないか、そういうことを含めて現在関係部局の方で検討をお願いしておる、こういうことでございます。
#76
○矢原秀男君 一点だけ、最後で申しわけございません。
 「高齢化社会と女性」の欄を見さしていただいておりまして、やはり痴呆性老人の約五五%が女性という形も出ているんですけれども、午前中もちょっと痴呆性老人の問題出まして、大阪府では医学的な立場で痴呆性老人のそういう何か施策をやっていらっしゃればお伺いをしたいと思います。簡単で結構です。
#77
○参考人(伴恭二君) 痴呆性老人対策として医学上というよりは、むしろまず痴呆性老人が家庭でそういう状況になりますと、どこに相談をしていいやらわからないというのが一番の出発点だろうと思います。そういうことで、現在そういう痴呆性老人に対する相談、どうしたらいいかという相談から、それを最終的にどういう形で、例えば一定の施設に収容しましょうとか、そういうふうな処遇に至るまで、総合的一体的に進められるようなシステムづくりをしようではないかということで、そういう計画を去年の十一月からことしにかけまして、そういったネットワークをつくり上げる推進事業というものを始めたところでございます。で、それは一遍に全部広げるわけにまいりませんので、私どもの中の松原市と茨木市という特定の市を一つのモデルにしまして、どういう形のシステムがいいのかということをパイロット事業的に現在着手をしたところでございます。
 それから、医学的な分野につきましては、それぞれ、むしろ国の方でそういった医学的な分野についてはいろいろ御研究をお願いをしたいという気持ち、私どもの研究機関を通じても研究をいたしますけれども、そういう面については国において基本的な研究をむしろお願いをしたい、こういう感じがいたしております。
 あと痴呆性老人につきましては、先ほど申し上げましたようなショートステイでありますとか、そういうふうな意味での事業は私どもとしてやらざるを得ないということで、現在推進を図っているところでございます。
#78
○矢原秀男君 どうもありがとうございました。
#79
○小委員長(糸久八重子君) それでは、以上で伴参考人に対する質疑は終了いたしました。
 伴参考人には、大変お忙しい中を本小委員会に御出席いただきまして本当にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 なお、本日参考人の方々から御提出いただきました参考資料等につきましては、その取り扱いを小委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#80
○小委員長(糸久八重子君) 御異議ないものと認め、さよう取り計らいます。
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時三分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト