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1947/10/08 第1回国会 参議院 参議院会議録情報 第001回国会 決算委員会第三分科会 第2号
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1947/10/08 第1回国会 参議院

参議院会議録情報 第001回国会 決算委員会第三分科会 第2号

#1
第001回国会 決算委員会第三分科会 第2号
  付託事件
○昭和二十年度歳入歳出總決算
○昭和二十年度特別會計歳入歳出決算
  ―――――――――――――
昭和二十二年十月八日(水曜日)
   午前十時二十二分開會
  ―――――――――――――
  本日の會議に付した事件
○昭和二十年度歳入歳出總決算
○昭和二十年度特別會計歳入歳出決算
  ―――――――――――――
#2
○主査(太田敏兄君) それではこれより決算委員會の第三分科會を開きます。本分科會の所管は、外務省、商工省、第一復員省、第二復員省でございます。
 先ず昭和二十年度歳入歳出總決算竝びに昭和二十年度特別會計歳入歳出決算中、外務省所管の部につきまして、外務省政府委員より御説明を願います。
#3
○政府委員(下田武三君) それでは昭和二十年度外務省所管の經費の決算につきまして大要を御説明申上げたいと存じます。
 御承知のように、昭和二十年度におきまして、終戰後大東亞省が解體せられましたので、外務省所管といたしましては、本來の外務省の經費と解體せられました大東亞省の經費とを併せて御説明申上げなければならない地位にあるわけでございます。大東亞省所管の經費も又二つに分かれまして、外務省に引繼がれて使用せられた部分と、もう一つは、大東亞省限りの經費でありまして、外務省に引繼がれなかつた經費と、そう分けてお考えを願いたいと存じます。そうしまして全體を二つの部分に分けまして、本來外務省で計上せられまして、外務省が使用することになつておりました經費と、大東亞省から引繼がれて外務省が使用しません經費と、それを第一のカテゴリーといたしまして第二に、大東亞省限りで外務省には引繼がれなかつた、これは殘務處理定額と申しておりますが、これが第二のカテゴリー、そうお考え願いたいと思います。
 先ず外務省の使用定額の分、即ち外務省本來の經費と、元大東亞省所管經費中、外務省に移管せられまして使用せられました分について申し述べたいと存じます。
 この昭和二十年度外務省所管使用定額分の豫算額は五億六千六百三十七萬千餘圓でありましたが、豫算現額は六億六千二百五十萬五千餘圓と相成つております。即ち豫算額に比して九千六百十三萬三千餘圓を増加いたしております次第であります。このように増加いたしましたのは、第一に前年度からの繰越額が百十三萬餘圓ございましたのと、第二に餘備金支出三千三萬三千餘圓がございましたのと、第三に豫備金外臨時支出六千百九十五萬圓がございましたためでもあります。
 今その豫備金支出の内容を簡單に申しますと、第一豫備金といたしましては、元大東亞省所管のもので外務省に移管使用せられました分で、特定給與の豫算不足のために補いましたもの、刑務收容費の豫算不足のために補いましたもの、退去處分者送還費及び現役及び優遇職員給補填金の豫算不足のため、主としてこれらの人件費の不足のために第一豫備金全部で二十五萬九千餘圓を計上いたしました、
 それから第二豫備金からは、これも澤山ございますので主なものだけにつきまして御説明申しますと、赤十字國際委員會特別寄附金として九月九十七萬五千圓、終戰連絡事務諸費といたしまして六百六十六萬四千餘圓、在外邦人應急救護諸費といたしまして五百萬圓、これらが主なものでございますが、その外に大日本興亞會補助、外務本省その他の機構整備費、地域事務應急處理費、各種団體清算善後費、フイリツピン大統領の來訪諸費等でございますが、第二豫備金を通じまして總計三千二百七十九萬四千餘圓を支出いたしました。
 以上が豫備金支出でございまするが、第三のカテゴリーといたしまして、豫備金外支出におきましては、先ず國庫剩豫金から、地域事務應急處理費、政府職員臨時給與といたしまして総計二十八萬圓を、又緊急財政處分によりまして、地域事務應急處理費といたしまして六千百五十五萬圓、政府職員臨時給與といたしまして十二萬圓、結局豫備金外の支出総計六千百六十七萬円を支出いたしておるような次第でございます。
 先程申上げましたように、豫算現額は當初の豫算額よりも遥かに殖えまして六億幾らという數字になつておるのでありまするが、二十年度におきまして、實際支出濟額は三億五千九百六十六萬八千餘圓でございまして、豫算現額に比しますと三億二百八十三萬七千餘圓の減少となつたのでございます。而してこの減少額は全く使わずに不用となつた次第でございます。
 以上が外務省本來の使用定額と大東亞省から引繼ぎました使用定額を併せました外務省が使つていいという經費の分でございます。
 第二に、元大東亞省所管の經費で、大東亞省限りの經費、殘務處理定額で外務省に移管しなかつた分でございまするが、これについて申述べますと、同年度の元大東亞省所管經費、殘務處理定額の分の豫算額といたしましては八千七百二十二萬二千餘圓でございましたが、その中現實に支出濟となりました額は六千七十二萬七千餘圓でございまして、豫算現額に比しまして二千六百四十九萬四千餘圓を減少いたしております。この減少額も先と同樣に全く使わなかつた不用額となつたものでございます。
 以上が昭和二十年度の外務省所管經費決算の大要でございまするが、ここに附加えまして御説明申上げたいと思う一つのことがございます。
 それは外務省が引繼ぎました元大東亞省所管の經費の中で歳出臨時部第一款一般費第八項臨時補助金と申します項目の中に、会計檢査院におかれまして批難事項として檢査報告に掲載せられました案件がございます。この案件につきまして簡單に御説明申上げたいと存じます。
 その案件と申しますのは、社團法人東亞經濟懇談會というのがございました。今日はございませんが、その東亞經濟懇談會に對しまして、昭和二十年度に事業補助金といたしまして、二十年八月に二十五萬圓を大東亞省から補助をいたしたのでございます。ところが、終戰後御承知のような情勢の急變に伴いまして東亞經濟懇談會の事業遂行が困難となりましたので、同會は解散の巳むを得ない事情に立至つたのでございます。そこで同會の經理の状況を調査いたしまして、曩に交付いたしました二十五萬圓の補助金の中金五萬圓を同年の十二月に至りまして返納させたのでございます。ところが、會計檢査院におかれましては、東亞經濟懇談會が二十年の六月頃には事業も殆ど休止の状態であつた。且つ又二十年の十月同会が解散した際には、殘餘財産四十七萬千餘圓という財産を保有しておつたではないか、その財産を日本商工經濟會に移讓しておるにも拘わらず、二十五萬圓の補助金の中僅かに五萬圓しか返納を命じなかつたのは妥当の措置ではないとお認めになつたわけでございます。
 そこでこの點につきまして簡單に御説明申上げたいと思うのでございまするが、東亞經濟懇談會の二十年度の決算を見ますと、二十年度の同會の收入額は、現實に同會の手に入りました二十五萬圓の補助金を加えまして合計五十五萬一千餘圓という同会の收入額になつておりまするが、この收入額に對しまして支出額は四十二萬一千餘圓でございまして、結局二十年度という年度を捉えて見ますと、剩餘金が十三萬圓あることになつておるのであります。ところが、この十三萬圓の剩餘金と申しますのは、同會の清算をすつかり完了してしまつて、そこで別途に殘りました剩餘金ではないのでございます。即ち同會といたしましては、終戰後のどさくさでまだ人間も現地から歸つておりません。書類も整いません。處置を要する事項が澤山殘つておりましたのでありまするが、當時の見地からいたしまして、實際問題として同會の仕事ができないにも拘わらず、そういう殘務整理が殘つておるというだけの理由で同會の人員を保持し、事務費を空費さして置くのはこれは結局無駄なことである、一應仕事がなし得なくなつたならば、清算自體は後に持越しても一應同會は解散すべきである、大東亞省當局者はそういう見解をとりましたのでございます。そうして結局人件費、事務費を空費するのを避けます意味で一應清算を打切らしたのでございます。そうして先程申しましたように、この大東亞經濟懇談會というのは、元々設立當時日本商工經濟會から分れた人的物的に繋がりのありました團體でございますので、解散後結局殘餘財産と職員三十五名、それから一切の殘務整理事務を日本商工經濟會に又移讓した、そういうことを最も實際的の解決策と認めまして採つたわけであります。從いまして、當時職員中には、日本商工經濟會に引繼がれました三十五人の職員の外にも、まだ支那から歸つて參りません未復員者が十三名、その他債権申立の事件もございますし、これらの人間、案件を未解法のまま引繼ぎましたばかりでなく、日本商工經濟會に引繼ぎました引繼財産の中にも、建物燒失による火災保險金が十六萬圓程でございますが、これは同會としては特殊預金になつておりますので、何ら使う方法がない金額を含んでおつたわけであります。こういうような事情からいたしまして大東亞省當局者が五萬圓の返還を命ずるに止まりしたのは誠に已むを得ない措置であつたと私共も存ずる次第でございます。
 とにかく監督官廳と外廓團體との關係からいたしまして、この終戰で悲慘なる状況に陷りました外廓團體に對して、落目になつてどうしていいか分らないというものに對して補助金の返還を命ずるということは、監督官廳としてはなかなか勇氣の要ることだと思うのでございますが、當時の大東亞省當局者はこれらの申述べましたいろいろの事情を考慮いたしまして五萬圓をとにかく返せという命令を出しましたのは、公平に見まして私共も妥當の措置であつたと存ずる次第でございます。
 以上實情を率直に御説明いたしまして、皆樣の公平な御判斷を仰ぎたいと存ずる次第でございます。
#4
○主査(太田敏兄君) 次に第一復員省所管の部について復員廳の政府委員の方から御説明を願います。
#5
○政府委員(遠藤武勝君) 第一復員局の經理部長でございます。提案されております第一復員省關係の決算について御説明申上げます。
 出ております決算は、昭和二十年度の第一復員省所管の一般會計の決算一つと特別會計の決算と二つでございます。
 一般會計の方は歳入歳出總決算の二十八ページにございますが、御承知のように二十年度の第一復員省の所管をしております決算は、丁度二十年の八月を以ちまして終戰になりまして、陸軍省が十一月末一ぱい續きまして、十二月から第一復員省となつたわけでございますが、この二十年度の陸軍省が、第一復員省におきましても初めの頃におきましては、臨時軍事費の豫算を使つておつたのでございます。そうしまして、昭和二十一年度二月末を以て臨時軍事費が打切られましたので、その後の二十一年の三月分の經費と、それからいわゆる二十年度の中で、臨時軍事費でなく使用しておりました主として陸軍本省關係の經費だけが、一般會計の決算をして上つて來ておるわけであります。從いまして、言い換えますと、決算に出ておりますのは、陸軍省がありますときの陸軍本省費と、それから第一復員省がそれを引繼ぎまして、復員本省に要する經費と、それから臨時軍事費が打切られまして、二十一年の三月分の復員省關係の隷下各廠、竝びに外地から復員して參ります者に對します諸給與金というものが、この決算になつておるわけであります。
 その内容につきましては、非常に簡單でございますが、決算書に明瞭に出てございますので、概要を申上げますと、初めの歳出豫算額は六十七萬七千八百五十三圓でございましたが、先程申上げました二十一年度の三月分の臨時軍事費が打切らてから後の一月分の所要經費をこれに加えましたので、豫備金外臨時支出としまして三億七千三百萬圓を加えまして、豫算現額は三億七千三百六十七萬七千八百五十三圓となるのであります。
 これに對しまして支出濟となりました總額は二億七千四百三十萬二千五百三十三圓餘でございまして、この豫算現額に比べますと、九千九百二十八萬四千三百十九圓餘の支出減となつておるのであります。これは豫定しました外地の復員の速度が實際は豫定より少なかつたために、これに對します諸經費、給與の金が不要となつたのがその大部分を占めている金額であります。
 次に特別會計の關係の決算について説明いたします。これは二十年度特別會計決定計算書の百七十三ページにございます。これは元陸軍省で持つておりました陸軍造兵廠と陸軍製絨廠作業、二つの特別會計の決算でございます。
 初めに陸軍造兵廠作業特別會計の決算について申上げます。昭和二十年度の特別會計の收入の合計額は百六億三千三百六十九萬七千五百二十四圓餘でありまして、その支出の合計額は百六億三百四萬九千二百四十二圓餘でございます。それで差引三千六十四萬八千二百八十一圓餘の殘餘を生じたわけでございます。この殘餘金を以ちまして前年度、これは昭和十九年度から繰越しました缺損の金でございますが、それが千九百二十三萬三千五百五十三圓餘でございますので、この缺損に對しまして、二十年度の殘餘金を以て補填をしまして、その殘餘が千四十一萬四千七百二十八圓餘になります。これを陸軍造兵廠作業の益金としまして、二十年度の一般會計の歳入に納付しまして、その年度の決算を結了したわけでございます。これで明治二十三年以來設定して參りました陸軍造兵廠の特別會計は、一番最後の結末を告げたわけでございます。
 次は陸軍製絨廠作業特別會計の決算でございます。二十年度における特別會計の收入の合計額は三千二百四十二萬八千四百三十七圓餘でございまして、その支出の合計額は三千八十二萬一千五百四十九圓餘でございまして、差引百六十萬六千八百八十八圓餘の殘餘を生じました。そこへ前の年から持越しました缺損額が七十九萬七千四百二十七圓餘ございますが、これを差引きいたしまして八十萬九千四百六十一圓餘が本年度の殘金となつたわけでございます。その中三十二萬四圓というものが收入未濟金となりましたので、それを差引きまして、四十八萬九千四百五十六圓餘というものを結局益金としまして、一般會計の歳入に納入しまして、決算を結了した次第でございます。これも明治二十三年以來續いておりました作業特別會計の最後の結了をしたわけでございます。
 以上で第一復員省所管として提出されております決算の概要の説明を終ります。
 尚これに對しまして會計檢査院から批難事項の報告がございます。それは會計檢査院の二十年度歳入歳出決算檢査報告の二十九ページに出ておりますが、二件ございます。二件とも陸軍造兵廠特別會計に關する案件でございまして、その一つは大阪の造兵廠で、支出しました二百萬圓、これは四國の高松の傍にございます香川造船造機株式會社というのに、戰爭中四式小型輸送船でございますが、それを二十隻註文をしておつたのでございます。その中百萬圓は七月の二十日頃概算拂いとして前金を拂つておつて、殘額の後の百萬圓は終戰後八月の末に精算をして拂つたのでございます。これは會計檢査院で大阪造兵廠を實地檢査されました結果摘發された事件でございますが、契約の時期その他から考えて見て、これだけの二十隻というものが全部でき上つたということはどうかという檢査でございまして、その結果調べましたところは結局實際の一應二百萬圓拂いましたのは二十隻全部できたような恰好をして拂つておつたのでございますが、後で檢査しました結果、實際できましたのは二隻四分でありまして、それ以外に若干契約上のいろいろなものがございますので、それを加えて見ますと二百萬圓拂うのがいいのではなくて、實は六十萬六千六十三圓を拂うのが正當であるということとなつたのでございます。從いまして百三十九萬三千九百三十六圓という差額のものは速かに返納させるということになつたのでございます。こういう事態を生じたのは適當でない、怪しからんという批難でございます。これは批難される通りでございまして、誠にやり方として適當でなかつたと思います。ただこういうことになりました當時の事情を若干説明、これはまあ政府としての辯明という程のものではございませんが、一應當時の事情を一つ申上げて置きたいと思いますが、この會社は先に申上げましたように四國の高松の傍にあるのでございます。そうしてこの契約につきましては、大體二十年の當初大阪の陸軍造兵廠で香川造船造機株式會社と、正式の契約書は渡しておりませんが、まあ當時内示といつておりましたが、そういうような方法で仕事に著手さしたのでございます。ところが大阪の南の和歌山縣の白濱という所がございますが、尚白濱は大阪陸軍造兵廠の下の一つの機關としまして白濱製造所というものを作つたのでございます。これができましたのは十九年末か二十年の初め頃でございますが、本當の仕事を開始しましたの終戰の前の七月頃でございます。ところで、この香川造船に對します契約を大阪造兵廠の本省の方でやつておつたのを、これを白濱製造所の方に契約を移したのでございます。終戰前の七月頃移したのでございます。ところが白濱製造所はできましてからまだ半年も經つか經たんかというときにこの契約を移されまして、そうして八月の十五日終戰になりまして、實はその契約の内容その他をはつきり白濱製造所として掴んておらんときに、これを急速に整理しなければならんという状態に立ち至つたのであります。從いまして、白濱製造所が金を支拂つたのでございますが、その契約の内容について、一應書類上形式的に大阪造兵廠會計課からその契約は移されておりましたけれども、契約の内容は知らない。從つて現場の關係につきましても、白濱製造所では餘り、詳しくなかつた、そういう三巴の關係が非常にまだはつきりしないというときに、終戰になりました混亂というものが加わりまして、餘りはつきりしないままでこの支拂いの仕事をやつたということが、こういうふうな支拂いに對しまして間違つた支拂いをしました一つの原因であるようでございます。
 この事後の過拂いとなりましたお金の取扱い方につきましては、一度百三十九萬餘圓の内二十五萬圓は昨年の八日頃納入して貰いましたが、あとについては爾後少しの納入もないのでございます。それで直接の處置は大阪の殘務整理機關でやつておりましたが、私の方で本社の人々に來て貰いまして、いろいろ話をして貰つておりますけれども、會社としましては結局全額に對しましては六十萬圓餘しか貰い分がないということを、一應その時には承知しておつたわけでございますけれども、非常に不十分であるという意向を持つておるのでございます。尚その上に會社その後の經營状態が非常に惡うございまして、將來の辯濟計畫というものが全く良心的に立てるわけにいかないような状況でございますので、結局その後の支拂いにつきましては現在折衝中でございますけれども、どうすべきかということは會社との間にまだはつきり話合いが付いていないのであります。
 それからもう一つ、名古屋造兵廠の支出しました二十七萬圓餘の金額についてでございますが、これは川崎鐵工業株式會社、川崎にございますが、この川崎鐵工業株式會社に請負わせました藥莢か何かの洗淨機でございますが、その修理の代價五十四萬二千六十四圓に對しまして、終戰後その出來高の八〇%に相當する四十三萬三千なにがしというものを支拂つたのであります。ところが、終戰前にその仕事の前金としまして二十七萬千三十二圓を前金拂いしておるのでございます。それを差引かずに全部支拂つたということのために、二十七萬圓というものが過拂いとなつたという事案でございます。これは全く當時の事務取締者の單純なる過失でございます。結局前金拂の方の整理をしておつた人間と、その時分金を拂いに當つた人との間の連絡が、これに關しましてうまくつかなかつた。勿論うまくつかなかつたという理由には、いろいろ書類の燒失等があつて、うまく行かなかつた點もございますけれども、要するにそれは調べれば分ることであつたのでありますが、結局不注意のためにこれだけの過拂いを生じたという、事案としては非常に單純なる事件だと思いますが、これは全く當局者の取扱いの誤りでございます。これにつきましては事後の處理としましては、この會社も終戰後非常に困つておる會社でございまして、終戰後一度も勿論利益を擧げたこともございませんし、所得税等の支拂いをやり得るような状態に至つていない會社でございます。併し何とかしてやつて行きたいというので、社員、工員等一生懸命になつておるという状態でございまして、現在は「グレーン」というようなものを作つておるようでございますが、直ぐ樣この金を支拂うという力は全然ないようでございますので、いろいろ話合いました末に、この年の七月の二十七日に四萬一千四百九十一圓二十五錢を納付して貰いまして、あとの二十二萬九千圓、約二十三萬圓を毎年半期ごとに、毎年二囘大體五萬圓ずつ、或いは後になりますと四萬圓でありますが、正確に申しますと、今年の十月の末に五萬圓、それから來年の四月の末に五萬圓、それから十月の末に四萬圓、それから再來年二十四年四月末に四萬圓、それから十月にその殘額四萬九千何がしであります、約五萬圓でございますが、そういうふうな返濟計畫、つまり役所の方の關係でいいますと、こういうような返濟計畫を持つ定期貸しのような方に編入することに、それぞれ上司の決裁を經ましてそういうふうに取計つております。會社等の責任者等にも來て頂きまして、いろいろ話しました上で、こう決めたのでありまして、恐らくこれは非常に大きな變動がない限り、これで辨濟できることと思つております。以上概略御説明いたしました。
#6
○主査(太田敏兄君) 次に第二復員省所管の分につきまして、同じく復員局の政府委員より御説明を願います。
#7
○政府委員(初見盈五郎君) 第二復員局經理部長でございます。二十年度の第二復員省所管經費決算について御説明申上げます。二十年度第二復員省所管經費につきまして、詳細はお手許に差上げてあります書類で御覽を願うことにいたしまして、私から概要を御説明申上げます。
 最初に一般會計歳入歳出總決算、二十八頁竝びに四十一頁と二ヶ所にございますが、昭和二十年度第二復員省、所管一般會計の歳出豫算額は三億三千六百十六萬三百五十圓でありまして、支出濟額は三億三千五百九十七萬六千七百七十五圓餘であります。これを豫算額に比較いたしますと、十八萬三千五百七十四圓餘減少いたしておるのであります。この減少額は全く不用となつた金額であります。
 次に特別會計について申上げます。特別會計決定計算書百九十七頁、工廠資金と火藥廠特別會計、燃料廠特別會計と三つございます。
 第一は海軍工廠資金會計でありまして、その收入の合計は二十億三百六十七萬八千二百二十三圓餘であり、支出の合計は三十一億九千九百三十三萬一千百二十二圓餘であります。差引一億九千五百六十五萬二千八百九十九圓餘の不足を生じました。この不足金は海軍工廠資金の缺額として本年度の決算を結了いたしました。
 第二は海軍火藥廠作業會計でありまして、その收入の合計は二億五百三十九萬九千九百九十五餘であり、支出の合計は二億四千九百八十五萬九千四百五十二圓餘であります。差引四千四百四十五萬九千四百五十七圓餘の不足を生じました。この不足金は据置運轉資本の缺額として本年度の決算を結了いたしました。
 第三は海軍燃料廠作業會計でありまして、その收入の合計は二億七千七百十五萬八千八百六十圓餘であり、支出の合計は二億九千六百四十萬八百九圓餘であります。差引一千九百二十四萬一千九百四十五圓餘の不足を生じました。この不足金は据置運轉資本の缺額として本年度の決算を結了したのであります。
 以上三つの特別會計は、いずれも昭和二十一年法律第二十一號によりまして昭和二十一年三月限り廢止せられました。そうしてその廢止の際、その會計に屬する缺額等は、同法の附則第十三條によつていずれも一般に歸屬させたのであります。
 以上の決算に對しまする會計檢査院の檢査報告に違背の事項として批難されたものが一件ございます。檢査報告の三十二頁に載つております。即ち海軍燃料廠作業會計に屬する第三海軍燃料廠、これは山口縣の徳山市にあります燃料廠であります。第三海軍燃料廠で支出した過拂額十九萬九千九百八十九圓餘であります。會計檢査院の批難は、昭和二十年四月、第三海軍燃料廠が東洋曹達工業株式會社と構入契約した二臭化エチレン七百トン、價格四百七十九萬二千九百圓に對する概算拂金二百萬圓を、終戰後二十年八月精算するに當つて、実際納入されたのは二臭化エチレン十八萬八千八百三十キロ、代價百二十九萬二千九百十九圓、中間製品、これは臭素でありますが、九千八百九十三キロ、四萬七千八百二圓、合計百三十四萬七百二十一圓で、返納額は六十五萬九千二百七十八圓が正當であるのに、會社がこの品物の製造に多大の功績があつたという理由として、二臭化エチレン二十二萬五千二十キロ、代價百五十四萬七百十一圓の納入があつたように書類を作爲しまして、四十五萬九千二百八十八圓だけの返納に止めため、前に申しましたように十九萬九千九百八十九圓過拂いとなつたというのであります。
 本件は會計檢査院の批難の通りでありまして、誠に遺憾とするところであります。本件は事件發覺と共に昭和二十年十一月二十日に正當額に對する修正をした納入告知書を発しまして、過拂額の十九萬九千九百八十九圓は昭和二十一年、昨年の八月七日日本銀行徳山代理店に納入濟でございます。尚責任者は昭和二十一年七月十六日山口地方裁判所で處斷をされたのであります。
 以上を以ちまして昭和二十年度第二復員省所管經費決算の大要を御説明申上げました。何率十分御審議の上御承認あらんことをお願いいたします。
#8
○主査(太田敏兄君) 次に商工省所管の部につきまして政府委員の御説明を願います。
#9
○政府委員(細井富太郎君) 昭和二十年度商工省所管一般會計經費決算報告書の御説明を申上げます。
 先ず豫算決定後増加額について申上げますと、昭和二十年度商工省所管經費の豫算現額は、豫算額、經常部六十九萬八千五百八十七圓、臨時部八億四百九十二萬千百九十五圓、計八億五百六十一萬九千七百八十二圓でありまして、豫算決定後増加額は、臨時部十一億八千二百六十六萬八千四百七十八圓であります。この豫算額と豫算決定後増加額と合計いたしますると、經常部十九萬八千五百八十七圓、臨時部十九億八千七百五十八萬九千六百七十三圓、計十九億八千八百二十八萬九千二百六十圓となるのであります。
 右の豫算決定後増加を生じましたのは、前年度から繰越しました金額が一億九千百九十三萬四千五百二十五圓、豫備金におきまして第一預備金支出百十萬四千三百八十圓、緊急對策費第一豫備金支出二百四十一萬七千圓、第二豫備金支出九千二百八十七萬三千五百七十三圓、計九千九百三十九萬四千九百五十三圓、又豫備金外臨時支出におきまして、國庫剩餘金支出二百六十萬圓、緊急財務處分支出八億八千八百七十三萬九千圓、計八億九千百三十三萬九千圓、これらを合計いたしますると十一億八千二百六十六萬八千四百七十八圓があつたからであります。
 今ここに右の第一豫備金より支出いたしました重要な經費を擧げますと、臨時諸支出金でありまして、第二豫備金より支出いたしました重要なる經費は、商工行政費、日本發送電株式会會社配當補給金補足、特殊物資緊急増産對策費等であります。
 尚國庫剩餘金支出による重要な經費は、政府職員臨時給與及び商工行政諸費でありまして、緊急財政處分支出による重要な經費は價格調整補給金、日本發送電株式會社事業損失補助等であります。
 次に支出濟額、翌年度繰越額及び不用額について御説明申上げます。昭和二十年度商工省所管使用定額の支出濟額は、經常部五十八萬二千六百十一圓餘、臨時部十四億千五百六十二萬千二百六圓餘、計十四億千六百二十萬三千八百十八圓餘でありまして、これを豫算現額に比較いたしますると、經常部十一萬五千九百七十五圓餘、臨時部五億七千百九十六萬八千四百六十六圓餘、計五億七千二百八萬四千四百四十一圓餘を減少いたしておるのであります。この減少額の中翌年度へ繰越しました金額は、會計法第二十七條の規定によりまして臨時部九十五萬二百十圓でありまして、全く不用となつた金額は五億七千百十三萬四千二百三十一圓餘であります。この不用額を生じました理由は、經費を節減いたしました結果と、豫定の費額を必要としなかつたためでございます。
 次に元軍需省所管殘務處理の分について御説明申上げますと、昭和二十年度元軍需省所管殘務處理分經費の豫算現額は、豫算額經常部千百五十六萬四千七百三十三圓、臨時部二十四億四千七百四十八萬九千百一圓、計二十四億五千九百五萬三千八百三十四圓でありまして、この外に前年度より繰越しました金額五千五百二十三萬二千九百九十二圓餘を合計いたしますると、二十五億千四百二十八萬六千八百二十六圓餘であります。
 次に支出濟額及び不用額について申述べますと、昭和二十年度元軍需省所管殘務處理分經費の支出濟額は、經常部四百六十五萬九千九百十七圓餘、臨時部二十四億四百八十三萬二百六十六圓餘、計二十四億九百四十九萬百八十三圓餘でありまして、これを豫算現額に比較いたしますると、經常部六百九十萬四千八百十五圓餘、臨時部九千七百八十九萬千八百二十七圓餘、計一億四百七十九萬六千六百四十二圓餘を減少いたしておるのであります。この減少を生じますた理由は、經費を節減いたしました結果と、豫定の費額を必要としなかつたためでありまして、全く不用となりました金額でございます。
 以上で大體の説明を終りますが、元軍需省所管殘務處理分につきまして會計檢査院より批難を受けました事項が一件ございますのは誠に遺憾に存ずるところでございます。この点につきましては後で簡單に批難事項の御説明を申上げたいと思います。
 次に昭和二十年度商工省所管燃料局特別會計歳入歳出決算の大要を御説明申上げます。
 先ず歳入について申上げますと、歳入の收入濟額は三億九千八百五十四萬七千餘圓、本年度におきまして收入未濟となりました金額は二千四百七十五萬二千餘圓、前年度支出未濟となり本年度に繰越されました金額は千四百五十四萬九千餘圓、賣拂代價の翌年度納付許可額は六千二十九萬千餘圓、これに翌年度に繰越しました物品の價格千百十八萬餘圓を加算いたしますと收入の合計は五億九百三十一萬九千餘圓となります。
 次に歳出について申上げますと、歳出の支出濟額は四億五十八萬五千餘圓、本年度において支出未濟となりました金額は四百三十一萬一千餘圓、前年度收入未濟となり本年度に繰越されました金額は三千九百九十一萬六千餘圓、前年度賣拂代價の本年度納付許可額は一億一千九百四十四萬六千餘圓、これに前年度より繰越しました物品の價格二千百八十二萬五千餘圓を加算いたしますと、支出会計は五億八千六百八萬四千餘圓となりますから、收入、支出の差引におきまして七千六百七十六萬五千餘圓の缺損を生じました。この缺損は二十一年度に繰越し整理することとして本年度の決算を結了いたしました。
 尚前年度の事業益金で本年度の一般の歳入に納付いたすこととなつておりました千四百十五萬四千餘圓はすでに納付を終了いたしました。
 以上で商工省所管の一般會計竝に特別會計歳入歳出決算の大要を御説明申上げた次第でございます。何率よろしく御審議の程お願い申上げます。
 尚先程申し上げました批難事項一件ございましたのでその點につきまして簡單に御説明申上げたいと思います。會計檢査院の檢査報告書の第二十二頁に指摘されております。
 本件は商工省で支出いたしました四十五萬圓は、昭和二十一年度四月、鑛石配給統制株式會社に對して交付したマンガン鑛増産奬勵金でございますが、これが實際に補助の對象として整理いたしましたのが、三十萬五千三百餘圓でありましたので、十四萬四千六百餘圓を過拂いした計算になるのであります。この點を指摘されておりますのでありますが、簡單に經緯を御説明申上げます。
 マンガン鑛増産を奬勵金交付の制度は昭和十七年海外マンガン鑛の輸入杜絶に鑑みまして需給状況が極めて逼迫しておりましたために、國内の増産を推進いたします目的を以て昭和十八年より設けられたものであります。昭和二十年度分の奨勵金交付基準につきましては、昭和二十年度マンガン鑛増産奬勵金交付要綱を事務取扱機關でありまする鑛石配給統制株式會社に通牒いたしまして、同會社にこれに基きましてマンガン鑛増産奬勵金交付規程を制定したのでありまして、交付の手續はすべてこれに準據してなされたのでございます。
 會社が奬勵金を交付いたします經路は、まず山元から需要工場へ送鑛されましたマンガン鑛石は、受入れの際、工場に常駐しておりまする鑛石配給會社の檢收員かその受入數量、品位等を檢收し、その數量、品位を支所へ報告する、この檢收數量及び品位が奬勵金の對象となるものでございます。支所においてはこれらの報告と別途山元の日本通運から報告のありまする送鑛數量を照會いたしまして、これを取纒めて四ケ月毎に本社へ報告いたします。本省は支所の報告によつて交付類を決定して、當該期間分を取纒めて一括政府へ申請するのでありますが、昭和十八年に申請洩れがありまして止むを得ず十九年度に追加交付した經驗もありましたので、それから後は審査未了の分を豫想いたしまして準備保留金を認めることを例として來たのであります。
 而して本奬勵金は、八月終戰に伴いましてこの制度を打切ることなつたのでありますが、その該当期間内における増産奬勵金交付に關しまして、鑛石配給統制會社から、翌年四月九日に申請がなされたのであります。終戰後、翌年四月に至るまで八ケ月を經過して、鑛石配給統制株式會社が右奬勵金の交付を申請して參りまして、而もその中において未審査引當分相當多數を占めておりますことに關しましては、事務極めて緩慢と思われますので、本省といたしましても嚴重に督促をしていたのでありますが、當時といたしましてはいろいろの事情がございましてなかなか簡單に行かなかつたようであります。即ち昭和二十年四月鑛石配給統制株式會社大阪支所、更に七月には岐阜支所及び高知支所が空襲のために罹災いたしまして、從つて檢收員よりの報告の記録等を燒失したのでございますが、大阪支所、岐阜支所、高知支所の管轄區域は東海、北陸、近畿、中國、四國でありまして、我が國におけるマンガン鑛の最も有力なる需要地でございましたが、燒失のためにこの部分につきましては受入數量の確認を初めからやり直しをしなければならないというような状況であります。これに加えまして、鑛石配給本社及び支社を通じまして昭和二十年九月に起つた爭議の結果大量の退職者を生じました。それがために本社支社を通じて事務が一般に停滯いたしまして燒失記録の再調整等の事務は困難になつたのであります。昭和二十年初めから終戰に至る間及び終戰後半年以上は戰時中の空襲による通信、交通系統の極端な破壞混亂によりまして、各工場鑛山と支所又は本社の連絡は殆ど杜絶にも等しいような慘たる状態でありまして、山元生産、山元出荷、工場受入等の實體が極めて把握困難な状況であつたのであります。
 昭和二十年度本奬勵金交付申請は、すでに審査確定いたしました三十萬五千三百餘圓の外に前に述べました準備保留金十四萬四千六百餘圓を含むものでございしますが、この準備保留金を適當と認めました理由は次のような基礎に基くものでございます。
 當時の輸送状況におきましては、山元から受入工場まで全國平均三ケ月の日數を要する實情にございましたので、昭和二十年一月から八月までの受入れ數量は、昭和十九年十月から昭和二十年五月までの間の山元出納量に該當するわけでございまして、この期間の山元出荷量は、生産量二十四萬トンの八五%、この八五%という數字は、例年の出荷量九〇%よりは落して考えております。即ち二十萬四千トンと推定されまして、その中本奬勵金交付の對象となる鑛山からの受入れ數量は、その五〇%の十萬二千トンと認めたのであります。そうしてこれと昭和十八年一月から八月までの出荷量八萬三千トンと比較いたしまして、本奬勵金交付の基準となる數量は差引一萬九千トンと豫定したのであります。當時といたしましては、三五%くらいの品位が普通でありましたので、交付規程による奬勵金トン當り平均二十五圓といたしまして、結局四十七萬圓くらいとなるというような見込を立てたのであります。この數字はたまたま鑛石配給統制株式會社が提出して參りました申請書の中の四十五萬圓とほぼ一致するので、そのときの確定分一萬トンの殘りの九千トンは、それから後追加して申請して來る可能性がありましたので、これを認めた次第であります。この點は、すでに確定いたしました鑛山の數が七十六鑛山でありまして、前年度交付鑛山は百五十鑛山でありましたから、これから遥かに少ない數字が出て參りましたので、從つて追加申請があるというふうな推定を下したのであります。
 然るに實際その審査に合格して追加交付いたしましたのが、會計檢査院の御指摘の通り、僅か一件、三千二百餘圓に止まりましたのでありますが、この事情は、當時の輸送状況が極度の混亂に陷りまして、山元から、出荷したものが受入れ工場に到著しないで、途中で戰災、沈沒等に遭つたのが相當あつたと思われますが、その外に八月打切りまでの到著に間に合わなかつたものも相當あつたためでございまして、輸送状況が豫想以上に惡化していたのに基ずくものと考えられる次第であります。併しながらかくのごとき實情を十分に考慮に入れて、準備保留金を査定すべきであつたと考えられるのであります。この點やや愼重を缺く憾みがございまして、過拂いとなつたことは、會計檢査院から御指摘された通りでありまして、誠に遺憾と存ずるところであります。
 尚準備保留金十四萬四千六百九圓中、追加交付額三千二百八十圓を差引きました殘額十四萬一千三百二十九圓につきましては、返還命令を出したのでございますが、たまたまこの會社が同年八月緊急措令置の公布に伴いまして、特別經理會社となりましたために、支拂いを凍結されておる状況でございます。從いましてこの返還金は、いずれ會社の企業整備計畫が決定いたしました後に返還を期待される外はないという實情でございます。
 以上批難事項につきまして御説明を申上げました次第であります。
#10
○委員長(太田敏兄君) 續きまして本分科會所管の決算檢査報告につきまして、會計檢査院の方から御説明願いたいと思います。
○會計檢査院事務總長(東谷傳次郎君)
 私會計檢査院の事務總長でございます。只今外務省、商工省、第一復員省、第二復員省の政府委員の方から、それぞれ御所管の決算事項につきまして詳細なる御説明があつたのでございまして、決算に關しては、私から重ねて申上げることはないのでございます。
 外務省の歳出決算額は一般會計におきまして先程御説明がございましたように四億一千餘萬圓に上つておるのであります。會計檢査院におきましては、外務省からそれぞれ證據書類の提出を願いまして、會計の書類上の檢査をいたしました。更に實地に臨みまして、書類上の檢査の補足をいたしたのでございまして、かようにいたしまして四億一千餘萬圓の檢査の濟ましたのでありまして、四億一千餘萬圓に對しましては、檢査の濟んでいないもの、即ち會計檢査院では未確定という言葉を使つておりますが、檢査上の未確定に屬する事項は、外務省關係においては少しもなかつたのでございます。
 ただ御承知の如く、戰爭のために書類の燒失ということが建物その他の燒失に伴いまして、相當各方面にあつたのでございますが、御承知のごとく外務省も戰災の厄に遭われたのでありまして、戰災のために證明が會計檢査院にできなかつた額が先程四億一千餘萬圓と申上げましたが、その中の約半分に相當する一億九千四百餘萬圓というものは會計檢査院への證明ができなかつた額に相當するのでございます。これは會計檢査院の昭和二十年度歳入歳出決算檢査報告の册子の第五頁にございます通りであります。丁度二十年度は御案内のごとく前半は最も苛烈なる戰爭の下にあつたわけでありますし、後半は終戰後の非常にごたごたしたときに當つておつたのでございまして、會計檢査院ではこの檢査は、各官廳から參りますると、戰爭中と雖も證明なり檢査をやつておつたのでございまするが、實地檢査はとかく空襲その他のことによりまして、思うに任せなかつた點はあるのでありますが、この一億九千四百萬圓の證明不能という點に關しましては、先ず外務省の十九年度までの會計檢査院における檢査の成績、檢査上の心證及び二十一年度におきまする提出書類によつての檢査の實情から類推し、更に外務本省につき或いは出先官憲により實地につきまして、御説明なりを受けまして、本體證明不能ではありまするけれども、心證を得まして、ここに一億九千四百萬圓の檢査を濟ませたのでございます。その點御了承を願いたいと思うのでございます。
 ただ外務省におかれましては、いろいろ帳簿、證據書類が燒けたのでございまするが、決算を締め括らるるに必要なる書類はお出しになつたのでありまして、從いまして戰災によりまする款項目の不明、款も分らない、項も分らない、目も分らないといつたような決算はなかつたのでございます。
 さようなわけでありまして、決算上取立てて申上げる點が餘りないのでございまするが、先程も政府委員の方から詳細に御説明になりましたごとく、外務省關係におきまして一件、會計檢査院で不當事項として檢査報告に掲げたものがあるのでございます。これは檢査報告の十六頁から十七頁、十八頁に互つて記載されておる通りでありまして、この點についてはいろいろと御詳細なる御説明があつたのでございまするが、極く簡單に申上げますると、東亞經濟懇談會に事業の補助、事業をする補助金といたしまして二十五萬圓を終戰後の八月十七日に出されたわけであります。ところが、その後いろいろ御調査になりまして、二十五萬圓はやり過ぎであつたというので、先程詳細御説明がございましたように五萬圓を返納させるという擧に出られたのでございます。併し會計檢査院で調べて見ますると、二十五萬圓の内五萬圓を返納さしたのではまだ返納が足らない。本件は先程申しましたように事業を遂行するための補助なのでございまするし、終戰直後に支出はしておられまするが、その約二ケ月前、六月に東亞經濟懇談會に對しまして補助をするということを決定されたのであります。されたのでありまするが、御承知のごとく六月頃は戰局最も苛烈なる時でございまして、東亞經濟懇談會の目的でありまするところの、基本問題の研究であるとか、或いは懇談會であるとか、或いは協議會の開催であるとか、會報の發行というようなことはなかなか思うに委せなかつた實情にあることは先程も御説明があつた通りであります。そういたしまして、この經濟懇談會の會計の實情を見ますると、これは二十年の九月に解散をいたしたのでございまして、十月にその清算を結了されておるのでありまするが、この解散を命せられました時の状況を見ますると、ここにも掲げてございますように、四十七萬圓という財産があるのでありまするが、その内現金關係で見ましても、現金になり得るものといたしまして、當座預金が七萬圓、特別當座が八萬六千圓、定期十三萬四千餘圓というようなものもありまするし、かたがた終戰後に支拂われる場合におきましては、我々は思うだに戰慄するような敗戰の痛手を負つておるのでありまして、敗戰財政ということを我々は考えなくちやならないのでありまして、事業遂行のための補助ではありまするが、事業は假に細々として非常に少い事業をやつたといたしまして、事業補助をなさるのは幾らかなさるということはよろしいといたしましても、必要最少限度にするということは當然ではなかろうかというふうに考えらるるのでありまして、かたがた九月に解散したのでありまするが、二十年度の收支の状況を見ますると、十八頁に掲げてありまするが、十三萬餘圓の剩餘が生じておりまして、而もこの十八頁の支出之部にございまする、本部人件費の決算額は二十六萬八千餘圓、これは上の豫算額の二十九萬六千餘圓に對照して頂きますると、やはり豫算額に近い、上の收入之部で御覺を願いますると、會員の會費その他のものはすべて收入豫算から非常に減つておるのに、支出之部におきましては、豫算に大體人件費が來ておるということになつております。これはどういうことかと申しますると、この二十六萬八千餘圓の中に十五萬八千餘圓という解散手當というものがすでに支給されておるのであります。支給されておるに拘わらず、尚十三萬圓という剩餘金、これは純剩餘金ではないとおつしやるのでありますが、剩餘金がある状態に鑑みましても、終戰後ああいう場合に五萬圓を返納さしたということは、非常に思い切つた處分であるとおつしやるのでありまするが、尚それでは足らんのでありまして、これを極く計算的に申上げまするならば、二十萬圓の中から更に十三萬何がしを引きました先ず七萬圓くらいを向うの手取りとして、十二、三萬圓というものを更に返納せしむべきであつた、こういうふうに會計檢査院では考えておるのであります。非常に冷かな考えであるという御批判があるかと思うのでありますが、補助に關しましては、會計檢査院では全般的に、終戰前後を問わず相當に手固くやるべきものではないかというふうに考えまして、かような事案を提出いたしておるようなわけでございます。御事情の點縷々御説明に相成りまして、その點よく了承はいたすのでありまするが、本件の批難の骨子というところはさようなところにあるのでございます。
 次に商工省所管の決算に關しまする檢査報告事項を御説明申上げたいと存じます。
 商工省におかれましても、この一般會計及び特別會計におきまして、二十年度に關しては檢査が未了であつて未確定にしておるというものはないのでございます。先程外務省のところで申しましたように、戰災關係で證明不能というものは多少あるのでございまして、これは先ず五頁にございまする通り、一般會計の歳出の部におきまして八十八萬二百五十四圓というものが證明不能となつております。更に七頁に商工省所管の特別會計の燃料局でございますが、燃料局におきまして、歳出上三千四百八十五萬餘圓というものが證明不能と相成つておるのでございます。更に戰災關係で款項目不明のものも商工省にはあるのでございます。八頁に商工省の關係が掲げてございますが歳出で目不明なのは、極く僅かございますが、十一萬二千圓、これは一般會計でございます。特別會計の燃料局におきまして支出二千三百三十三萬餘圓というものが目不明ということになつておるのでございます。
 これで決算に關する檢査報告としての御説明を終りまして、更に不當事項が一件ございますので、この點を簡單に御説明申上げて置きたいと存じます。
 二十二頁から二十三、二十四頁とこう續いてあるのでございます。これも非常に詳細に先程御説明に相成つたのでございまするが、極く簡單に申上げますと、これは鑛石配給統制會社に對しましてマンガン鑛増産奬勵金として四十五萬圓を交付いたされたのであります。これは終戰後の二十一年の四月になりまして支出を決定されたのであります。四月になりました事情は先程縷々御説明になつた通りであります。ただ檢査院で檢査報告に掛けましたのはマンガン鑛の奬勵金の今までの實績を見ますると、十八年度は奬勵金を支拂つたのに調査漏れがあるのは僅か四件、四千圓ばかり追加支出をしておられる。十九年度では追加支拂いがあるかも分らんというので、これは相當大きく餘裕をもつて支給されております。これは僅か十五萬なにがし、約十六萬圓を餘裕をもつて支給されておつたのであります。その後調査をされましたところ、一件だけは三千餘圓調査漏れということが判明いたしまして、あとの十五萬五千圓につきまして返納を命ぜられたような關係もあるのでありまして、かように十八年度分と十九年度分について見ますると、間違いましても餘り澤山の間違いはなかつたのであります。さようなわけでございまするので、二十年度の奬勵金の支出におきまして、而も相當經過した二十一年の四月二十日の整理期間に入つての支出でありまして、それらの事態はお分りになつておるのでありますから、先ずぎりぎり支出され後から追加支出をする、或いは見るとしてはほんの僅かの掴み金でよかつたのではないか。現に一件しかそれはなかつたのでありまして、十四萬三千圓の過拂いになつておるような次第でありまして、御事情の點はいろいろ御事情がおありでありまするが、そういうような譯合いと、更に本會社はこの檢査報告の二十四頁に掲げて置きましたように、二十一年の二月には解散して清算中でありまして、解散した清算中の四月にやるのでありますから、これは奬勵金の支出上愼重を期さなければならん。普通の會社が續いておつてもそうでありまするが、清算中の會社でありますから尚念入りに土俵を切るということが好ましいような氣がするのであります。さようなわけで本件は不當である。こういうふうに檢査院は考えておる次第でございます。
 次に第一復員省の關係でございまするが、第一復員省關係におきましても、先程御説明になりましたように、一般會計におきましては合計二億七千三百餘萬圓の決算であつたのでございまするが、未確定はございません。特別會計も造兵廠その他、これも未確定はございません。戰災によりまする證明不能というのがやはり第一復員省にもあるのでありまして、六頁に掲げてございまする通り、陸軍造兵廠の關係におまして歳出が一億八千百萬圓というものが證明不能になつておるのでございます。更に款項目不明の點でありますが、八頁に記載いたしておりまする通り、やはり陸軍造兵廠におきまして目不明といたしまして一億五千八百餘萬圓があるのでございます。
 決算につきましての御説明をこれで終りまして、更に不當事項として掲げました檢査報告事項を、二件ございまするので、簡單に御説明申上げて見たいと思います。
 最初二十九頁でございます。これらにつきましても詳細に政府委員の方から御説明がありました通りでありまして、これはさして意見の相違もなかつたようにお聽きしたしたのであります。大阪陸軍造兵廠で支出されました二百萬圓の件であります。極く簡單に申上げまするが、二十年の七月に香川造船所に四式小型輸送艇という、ボートのようなものでありまするが、それを二十隻注文されたのであります。そういたしまして、これは七月五日でありまして、八月の十五日には終戰に相成つたのでありまするから、最早これは契約が解除されたといいますか、そういう段取になるのでありまして、會計檢査院で實地檢査に行つて見ますると、これは全部できたというので總額の二百萬圓を支拂つておられる。どうも工程日にちの關係、その他これと同じ型のものを外の會社にも注文しておられるのでありまするが、それらと比較して見まして、どうもこれは全部できたように思えないというので再調を煩わしますと、最後の三十一頁の二行目あたりに書いてございまするが、終戰當時に加工に著手しておりましたのは僅かに二十隻の中六隻でございます。而もこれを完成品に換算いたしますと二隻四分、即ち總體的に二隻二分くらいができておつたということに相成つておるようなわけでございまして、結局百三十九萬三千餘圓の過拂いとなつたのであります。ただ事後の處理としまして二十五萬圓は昨年の八月に納入濟になつておりまするが、爾餘の金額百十四萬何がしというものが、その後入つてないような状況でございまして、いろいろ會社あたりの經理状況を想像いたしますると、誠に苦しい状態だろうということは想像ができるのでありまするが、やはり跡始末としてはさようになつておるようであります。
 第二は名古屋造兵廠で支出いたしましたもので、過拂いになつておる金額は三十一頁に書いてありまする通り、二十七萬千餘圓あるのでありまして、これは前金拂いのあるということを失念といいまするか、お調べにならないでおやりになつたのでありまして、先程お話のありました通り過失に基く過拂いになるわけでありまして、それだけの説明で、本件は面白くない事案であるということは御了承願えると思うのであります。これで第一復員省の關係の説明を終ります。
 次は第二復員省の關係を御説明申上げたいと思います。第二復員省におかれましては、一般會計では先程の御説明の通り經常、臨時合計いたしまして三億三千五百餘萬圓が決算に相成つておるのでございまして、その中第二復員省の經理局の關係におきまして、四千七百九十五萬餘圓が未確定であるということに相成つておりまして、只今檢査を續行しておるような次第でございます。第二復員省の特別會計では、決算の未確定はございません。
 尚戰災による證明不能というのはやはり第二復員省でもあるのでございまして、第五頁を御覽願いますると、第二復員省で歳入といたしまして二十六萬餘圓、歳出といたしまして極く小さく八萬九千餘圓、更に六頁にございまするが、特別會計ではあるけれども、大きな金でありまして、海軍工廠資金特別會計におきまして、歳入が六千二百萬餘圓、歳出が一億餘圓、海軍火樂廠で歳出におきまして四千七百萬餘圓、海軍燃料廠におきまして歳入が二千九百萬餘圓、歳出が四千七百餘萬圓ということに相成つておるのでございます。
 更に款項目不明の點では七頁にございまする通り、歳入の關係におきまして款項目不明二十四萬餘圓がございます。更に九頁に海軍工廠資金特別會計におきまして、歳入關係で項と目の不明のが五百萬餘圓、目不明が歳出におきまして八百餘萬圓、海軍燃料廠におきまして項と目の不明、歳入一千萬餘圓、歳出千二百萬餘圓、目不明が歳出におきまして、百五十萬餘圓と相成つております。
 更に會計檢査院では政府の決算額と日本銀行からの現金、政府が支出いたしますと、御承知の如く日本銀行で小切手によりまして現金が出て行くのでありますが、日本銀行の現金關係の證明額と對照して見るわけでありまするが、その對照において不符合の點がございます。十一頁にございまするが、それは海軍工廠資金の歳入におきまして、日本銀行の決算よりも、日本銀行の證明額が三百五十萬圓少いのでございます。これは外地關係の分で終戰によりまして、不符合の事由が不明なものであります。歳出におきましては同じ日本銀行の證明額は、五百五十九萬餘圓少いことになつております。その不符合の事由は同樣でございます。
 海軍燃廠におきまして、歳入關係では日本銀行の證明額が千四百餘萬圓少いことになつております。これも不符合の事由は同樣なことでございます。燃料廠の歳出におきまして、やはり日本銀行の證明額が千六百萬圓少いことになつております。これは先程御説明いたしました通り、外地關係の分で終戰のために不符合の事由が分らないというものでございます。
 これで決算關係の概括説明を終りまして、不當事項が一件でございますので、この點を御説明申上げてみたいと存じます。
 檢査報告の三十二頁にございます。先程政府委員の方から御説明をされました件でありまするが、徳山燃料廠の支出されました十九萬九千餘圓であります。これは支出前に二百萬圓拂つておられたものを、終戰後に精算して、本當に出來高によつて精算するという場合に、本當の出來高でありますれば百三十四萬圓だけ精算して一定額渡すといいますか、精算いたしまして、六十五萬圓をこちらに返せばよかつたわけでありまするが、會社が臭化エチレンの製造に非常な功績があつた、それに報じるという意味合で、約二十萬圓を囘收いたしまして六十五萬圓を四十五萬圓だけ返えさしたということなのでありまして、この點は政府委員の御説明の通り非常によろしくない事項でございまして、檢査報告に揚げた次第でございます。この四省關係の決算檢査報告に關する私の説明はこれで終りたいと思います。
#11
○主査(太田敏兄君) それでは質疑なり御意見がございますれば、この際お願いいたしたいと思います。
#12
○平野善治郎君 第一復員省の香川造船の指摘されておる問題でありまするが、これは今までの政府委員の説明の外に、先程私の聞いておるのが誤りであるかどうか分りませんが、出來高に對しまして造船所は最初は承認しておつたのでありますが、その後におきまして、會計檢査院から指摘をしていることよりも別の考えをもつておられるようにも聞きましたが、その點はどうかということと。香川造船に對して最後の交渉をされた時はいつでありましたか。昨年の八月に二十五萬圓の金額を出してから、又會社と交渉とし具體的な話が進んでいるのか、或いはそのままになつているのか。その點をお聞きしたいと思います。
#13
○政府委員(遠藤武勝君) 香川造船について會計檢査院の實は現地調査の結果摘發がございまして、現地へ香川造船所の人にも來て貰いまして、大阪で關係者が寄りましてそれぞれ協議しました結果が、今檢査院の批難に對する答辯として書いている本三十萬餘圓の過拂いということになつたのであります。ただその後の交渉につきまして、私の方で香川造船の方といろいろ話をして見ますと、當時は一應そういうことにはなつているけれども、香川造船としてはあの決定には不服であるという異議が私の方には來ているのであります。ただそれが、それでは具體的になんぼであるかという向うの異議の具體的な話はまだはつきりしていないのでありまして、とにかく合計六十何萬圓で決められているというのは造船所としては不服であるということで、今日まで來ているという實情であります。そういうようなわけで、具體的にどうであるか、又どういう方法でその金額をもう一遍再調査するかということは未決定である。交渉しましたのは昨年の八月の二十五萬圓納められました時分の交渉で、一應その債權金額、債務金額の決定としては、役所の方としましては、それで濟んだものとして、あとの二十五萬圓、そのあとの金の納入方を逐次督捉しておつたのでありますが、なかなか埓が明きませんので、私の方で本年の七月頃と思いますが、會社の關係者の方々に來て貰いまして、いろいろ話をしました結果、その當時の會議の模樣竝びにその金額について、會社としてはまだ不服であるというようなこと。それから會社の經營状態というものが非常に惡いので、爾後の納金は實際問題として今日できない状態であるというお話でございまして、最後に會いましたのはつい一週間、或いは一週間餘になると思いますが、話をして來ておるのであります。
#14
○平野善治郎君 そうすると具體的な工程については何ら持つていない、ただ不服だということなんですね。
#15
○政府委員(遠藤武勝君) 具體的な資料竝びに金額についてはまだ出ておりません。
#16
○平野善治郎君 外務省の東亞經濟懇談會に出した補助金のことですが、先程の説明を承つておりますと、日本商工經濟會に殘餘の豫算を引繼いだということでありましたが、その引き繼いだ場合の財産の内容が若しお分りになつておれば伺いたい。
#17
○政府委員(下田武三君) 東亞經濟懇談會から日本商工經濟會に引繼いだ財産の内容でありますが、大部分は預金になつております。細かい數字が澤山ありますが、カテゴリーに分けますと、預金口続が當座預金、特別當座預金、定期預金等三つの種類の預金がありまして、帝國銀行、三菱銀行、住友銀行、安田銀行、それらの銀行に分割して預金してあるのがあります。先程ちよつと申上げました戰災保險金の十六萬幾らが特殊預金となつております。それも帝國銀行、三菱銀行に三口の預金になつて對鎖されておるわけであります。その外に郵便の振替貯金が僅かですが千三百圓程あります。現金としては千四十八圓という額になつております。有価證券がこれも極く僅か八百圓程ございます。その外評價九千四百四十圓という什器類が引繼がれております。大體そういうものであります。
#18
○委員長(太田敏兄君) それでは私から外務省の委員の方に申上げたいと思いますが、東亞經濟懇談會に二十年度の補助金を與え、又それを返還させることに關係されました政府の責任者のお名前を本委員會に報告をして頂きたいと思います。
#19
○政府委員(下田武三君) 只今委員長から責任者の名前につきまして御質問がございましたのですが、外務省といたしましては、責任者と申しますか、その仕事に擔當しておりましたという意味での責任者の名前は申上げられるのでありまするが、この案件が不當であるという意味におきましての、不當なことをなした者という意味では、實は會計檢査院の見解と多少違う見解を持つておるわけでありまして、從つて恰も犯罪も犯した當事者という意味での責任者は申上げられないわけなのであります。と申しますのは、外の省の批難事項におきましては、それぞれ不當事項が出すべからざるものを出したとか、或いは過拂いをして多く出したものを返還させるとか、そういう處置ができたのでありまするが、外務省の關係しておりまする案件は、この對象となつております社團法人東亞經濟懇談會というものはすでに消滅してないものであります。從いまして金錢的或いは對象の團體に對する措置というものは、たとえ不當なりとしましても取れないことになりまして、結局いかなる措置が取られるかということになりますると、當時の官廳の事務擔當者が責を取るということなのでございます。それがなし得る唯一の措置なのでございます。ところが、その當時の責任者に責を負わせるためには、案件が明白に不當なりという結論が先ず前提として出なければならないのであります。外務省といたしましては、實は會計檢査院におかれます御意見に必ずしも全部贊成できませんので、これは實は國會の御判斷にお委せしたいと思つておるのであります。從いまして國會で以て不當なりという御判斷ができましたらそれはいたし方ないと思います。それで豫め國會がどういう御判斷をなさいますか分りませんが、この事務に關係しておりました人間という意味においての、關係者という意味で名前を申上げたいと思うのでありまするが、次官は河相達夫氏であります。局長は森重千夫氏であります。部長は第一部長山中徳二氏であります。擔任の課長は第一課長長岡伊八氏であります。尚念のために申添えまするが、この四氏はそれぞれ或いは追放に該當せられ、或いは行政整理、或いは自發的退職の結果、現在すべて退官しておられる方のみであります。
#20
○委員長(太田敏兄君) それでは本日はこの程度で散會いたしたいと思います。
   午後零時二十五分散會
 出席者は左の通り。
   主査      太田 敏兄君
   委員
           岩崎正三郎君
           平野善治郎君
           鈴木 憲一君
  政府委員
   復員事務官
   (第一復員局經
   理部長)    遠藤 武勝君
   復員事務官
   (第二復員局經
   理部長)    初見盈五郎君
   外務事務官
   (外務大臣官房
   會計課長)   下田 武三君
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   會計檢査院事務
   總長      東谷傳次郎君
ソース: 国立国会図書館
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