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1984/04/10 第102回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第102回国会 文教委員会 第5号
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1984/04/10 第102回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第102回国会 文教委員会 第5号

#1
第102回国会 文教委員会 第5号
昭和六十年四月十日(水曜日)委員長の指名で、
次のとおり小委員及び小委員長を選任した。
 義務教育諸学校等における育児休業に関する小
 委員
      稻葉  修君    臼井日出男君
      榎本 和平君    北川 正恭君
      白川 勝彦君    二階 俊博君
      町村 信孝君    渡辺 栄一君
      木島喜兵衞君    佐藤  誼君
      馬場  昇君    池田 克也君
      伏屋 修治君    滝沢 幸助君
      藤木 洋子君
 義務教育諸学校等における育児休業に関する小
 委員長
                白川 勝彦君
―――――――――――――――――――――
昭和六十年四月十日(水曜日)
    午前十一時七分開議
出席委員
  委員長 阿部 文男君
   理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
   理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君
   理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君
   理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君
      赤城 宗徳君    稻葉  修君
      臼井日出男君    榎本 和平君
      北川 正恭君    田川 誠一君
      中村  靖君    町村 信孝君
      木島喜兵衞君    佐藤 徳雄君
      田中 克彦君    中西 績介君
      有島 重武君    伏屋 修治君
      藤木 洋子君    山原健二郎君
      江田 五月君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 松永  光君
 出席政府委員
        臨時教育審議会
        事務局次長   齋藤 諦淳君
        文部大臣官房審
        議官      菱村 幸彦君
        文部省初等中等
        教育局長    高石 邦男君
        文部省教育助成
        局長      阿部 充夫君
        文部省高等教育
        局長      宮地 貫一君
        文部省体育局長 古村 澄一君
        文化庁次長   加戸 守行君
 委員外の出席者
        外務省国際連合
        局女子差別撤廃
        条約批准準備室
        長       高木南海雄君
        大蔵省理財局国
        有財産審査課長 山口 厚生君
        厚生省生活衛生
        局食品保健課長 玉木  武君
        厚生省社会局老
        人福祉課長   阿部 正俊君
        厚生省年金局企
        画課長     渡辺  修君
        厚生省援護局業
        務第一課長   石井  清君
        農林水産省食品
        流通局野菜振興
        課長      木村 春夫君
        通商産業大臣官
        房企画室長   坂本 春生君
        通商産業省機械
        情報産業局総務
        課企画官    越智 謙二君
        特許庁総務部総
        務課長     高瀬 和夫君
        労働省職業安定
        局業務指導課長 矢田貝寛文君
        建設省都市局都
        市計画課長   鈴木 政徳君
        文教委員会調査
        室長      高木 高明君
    ―――――――――――――
四月四日
 義務教育教職員の給与等に関する請願(浦井洋
 君紹介)(第二五七八号)
 中学校英語の授業時数上限週三時間の強制反対
 に関する請願(中野寛成君紹介)(第二六一四
 号)
 同(藤木洋子君紹介)(第二六一五号)
 同(山原健二郎君紹介)(第二六一六号)
 私学の授業料助成の実現等に関する請願(小川
 国彦君紹介)(第二六一七号)
 教育の民主化等に関する請願(木間章君紹介)
 (第二六四六号)
 私学助成削減反対等に関する請願外九件(河上
 民雄君紹介)(第二六四七号)
 養護教諭の配置等に関する請願(天野等君紹介
 )(第二七一〇号)
 同(川崎寛治君紹介)(第二七一一号)
 同(河野正君紹介)(第二七一二号)
 同(小林進君紹介)(第二七一三号)
 同(辻一彦君紹介)(第二七一四号)
同月十日
 公立幼稚園の学級編制及び教職員定数の標準に
 関する法律制定に関する請願(阿部未喜男君紹
 介)(第二七四二号)
 同外一件(池端清一君紹介)(第二七四三号)
 同外一件(小川仁一君紹介)(第二七四四号)
 同外一件(川崎寛治君紹介)(第二七四五号)
 同(河野正君紹介)(第二七四六号)
 同外一件(小林進君紹介)(第二七四七号)
 同(佐藤徳雄君紹介)(第二七四八号)
 同(田中克彦君紹介)(第二七四九号)
 同(野間友一君紹介)(第二七五〇号)
 同(松沢俊昭君紹介)(第二七五一号)
 同(矢山有作君紹介)(第二七五二号)
 同(渡部行雄君紹介)(第二七五三号)
 同外四件(網岡雄君紹介)(第二八〇九号)
 同(木島喜兵衞君紹介)(第二八一〇号)
 同(左近正男君紹介)(第二八一一号)
 同(田中克彦君紹介)(第二八一二号)
 同外一件(辻一彦君紹介)(第二八一三号)
 同(井上普方君紹介)(第二八四六号)
 同(上原康助君紹介)(第二八四七号)
 同(関山信之君紹介)(第二八四八号)
 同(辻一彦君紹介)(第二八四九号)
 同(村山富市君紹介)(第二八五〇号)
 四十人学級実現、私学助成の増額等に関する請
 願(梅田勝君紹介)(第二七五四号)
 養護教諭の配置等に関する請願外二件(阿部未
 喜男君紹介)(第二七五五号)
 同外二件(小川仁一君紹介)(第二七五六号)
 同(川俣健二郎君紹介)(第二七五七号)
 同(佐藤徳雄君紹介)(第二七五八号)
 同(鈴木強君紹介)(第二七五九号)
 同(関山信之君紹介)(第二七六〇号)
 同(戸田菊雄君紹介)(第二七六一号)
 同(松沢俊昭君紹介)(第二七六二号)
 同(村山喜一君紹介)(第二七六三号)
 同(渡部行雄君紹介)(第二七六四号)
 同(網岡雄君紹介)(第二八〇〇号)
 同(木島喜兵衞君紹介)(第二八〇一号)
 同(木下敬之助君紹介)(第二八〇二号)
 同(小林恒人君紹介)(第二八〇三号)
 同外一件(辻一彦君紹介)(第二八〇四号)
 同(横手文雄君紹介)(第二八〇五号)
 同(佐藤敬治君紹介)(第二八三四号)
 同(佐藤誼君紹介)(第二八三五号)
 同(辻一彦君紹介)(第二八三六号)
 同(横江金夫君紹介)(第二八三七号)
 教育・研究予算の増額等に関する請願(中西績
 介君紹介)(第二八〇六号)
 私学助成削減反対等に関する請願外四件(中西
 績介君紹介)(第二八〇七号)
 同(渡辺嘉藏君紹介)(第二八〇八号)
 義務教育の教材費補助廃止反対等に関する請願
 (岡崎万寿秀君紹介)(第二八三八号)
 同(工藤晃君紹介)(第二八三九号)
 同(中林佳子君紹介)(第二八四〇号)
 障害児教育の充実等に関する請願(池田克也君
 紹介)(第二八四一号)
 同(木島喜兵衞君紹介)(第二八四二号)
 同(田中克彦君紹介)(第二八四三号)
 同(馬場昇君紹介)(第二八四四号)
 中学校英語の授業時数上限週三時間の強制反対
 に関する請願外一件(佐藤誼君紹介)(第二八
 四五号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
#2
○阿部委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。藤木洋子君。
#3
○藤木委員 私はきょう、教育改革に関する三つの問題、教育自由化論、大学入試のあり方、九月入学問題と学校給食問題について質問をいたします。
 中曽根首相は予算委員会などの答弁で、教育改革と行政改革とは質的に違うという旨、繰り返し述べていられますが、文部大臣も同じお考えに立っておられるかどうか、お答えをいただきたいと思います。
#4
○松永国務大臣 私も、教育改革と行政改革とは質的に違うというふうに思っております。と申しますのは、行政改革は、適正かつ合理的な行政の実現を目指すものでありまして、主としてその内容となるものは行政の効率化あるいは簡素化、こういったことがそこから出てくるのだろうと思います。しかし、教育改革は、特に今回の教育改革は、二十一世紀の我が国を担うにふさわしい青少年を目指すためにいかなる教育の制度やあるいは教育のやり方をすべきかということを総合的に検討を進めていくのでございまして、おのずから行政改革とは観点も異なっておりますし、審議の視点、検討の課題も異にしているわけでありまして、その意味で質的に異なるものであるというふうに認識をいたして乗ります。
#5
○藤木委員 ところが、臨教審で論議をされている内容を見ますと、およそ教育的発想に立っているとは言いがたいと思うのです。その典型が教育自由化論ではないかと思います。この教育自由化論の源流は、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンらの理論であると思うのですけれども、どうでしょうか。大臣、いかがお考えですか。
#6
○松永国務大臣 臨時教育審議会でいわゆる教育の自由化論というのが論議されたということは私も承知しておりますが、しかし、それはどういうことから自由化論が出てきたかというと、私の承知しているところでは、今の教育は余りにも画一的過ぎる、あるいは硬直している、そういった画一性とか硬直性を打破するためのインパクトとすべく自由化論というのが出てきたというふうに私は承知しておるわけでありまして、画一性、硬直性についてそれを打破するということは、必ずしも妥当性を欠くようなことではないと思うのでありまして、一つの考え方かな。しかしながら、何をどういうふうにどの程度に自由化するのか、こういったことについては論者によってさまざまでありまして、まだはっきりした定説が出てきておるわけでもありませんので、いずれにせよ臨時教育審議会でそれらの点については審議が深まっていくもの、すなわち、画一性、硬直性をどの程度どういう手段方法で打開するのか、これはこれから論議が進められていくものと思っております。
 なお、フリードマンの自由化論などということにつきましては、私は詳細承知しておりませんので、必要がありますれば専門家から答弁をさせたい、こういうふうに思っております。
#7
○菱村政府委員 フリードマンの考え方は、私も余り詳しくはないのでございますが、今先生御指摘のように、アメリカの経済学者で、シカゴで教授をされている方のようでありますが、この人の「資本主義と自由」ないしは「選択の自由」とか、いろいろな著書がございます。そういうものを少し見てみますと、フリードマンの考え方の中心は、親の学校選択の自由を認めようといいますか、確立しよう。そしてもう一つの要請として、学校教育とりわけ初等中等教育の教育財政制度の効率化と申しますか合理化、そういう二つの要請の上に立った考え方のようでございます。要するに、教育行政当局が親に、学校教育に要します経費、それに見合いますクーポンを渡す。それで、親は自分の選択した学校にそのクーポンを持っていって提出しますと、提出されましたクーポンの枚数に見合う財源を学校が得て、それで学校を経営していく。親は私立学校、公立学校を問わず、また、自分の学区内であれ学区外であれ、学校を選択した方がいいんじゃないかという考え方のようでございます。そういうふうにして学校を選択していくと、それによって各学校、公立間ないしは私立間の競争が行われて、よりよい教育が実現できるのではないか、そういう考え方に立った御意見のように私はこれらの本を見て感じたわけでございます。
#8
○藤木委員 確かに、今おっしゃいましたように、その理論が今回も当てはめられようとしているというふうに思うわけですが、そもそもフリードマンの理論は、いわゆる新自由主義と呼ばれる経済理論なんですね。アメリカの行政改革の理論的支柱にもなっていることは御存じのとおりです。この教育分野での適用が教育自由化論だと私は思いますけれども、今の御説明を伺っていましたら、やはりそういった方向で臨教審が御論議をしているということが明らかになってくるのではないかと思うわけです。臨教審のメンバーの中の自由化論者もこの思想を踏襲しているにすぎないわけで、その点では行革の発想だと思うのですよ。教育的発想では決してないということを申し上げておきたいと思うわけです。もっと言いますなら、資本主義の経済原理である自由競争の原理、これを学校教育に持ち込むことがこの思想の中心だということです。ですから、こういった思想から、規制の緩和だとか学校選択の自由等の要求が出てくるのは当然なんですね。
 そこで、お伺いをいたしますけれども、この自由競争の原理とは学校教育になじむものかどうか、どんなふうにお考えか、伺っておきたいと思います。
#9
○松永国務大臣 臨時教育審議会におけるいわゆる自由化論なるものを展開された方がフリードマンの自由化論と同じ思想の持ち主であるかどうか、それは私にはわかりませんし、また思想はあくまでも自由でありますから、それをどういうふうにとらえるか、藤木委員の御自由、御勝手なんでございますけれども、いずれにせよ、臨時教育審議会の議論というものは、委員の方々が自由濶達に論議をしていただくということになっておりますので、今後とも自由な論議を展開されて、そして議論が深められていくことを私どもは見守っていく、こういう姿勢を今後ともとり続けるつもりでございます。
 なお、私の承知していることでは、学校の活性化、あるいは教育に当たっていただいておる先生方が意欲を奮い立たせていただいて、そして教育をやっていただくということが大切であろう、そういった視点からの、例えば教育に、小学校、中学校等について、学校の選択について現在は自由が全くないわけであります。教育委員会の指定どおりの学校に行かなければならぬわけでありますけれども、それの枠を少し拡大することができないか。その議論のもとになるのは、学校の活性化、教師の意欲をより一層盛り上げていただく、そういうための一つの考え方として出てきたものというふうに私は受けとめておるわけでありますけれども、それぞれどういうふうに受けとめるかは各人の自由でありますから、それ以上は申し上げません。
 ただ、今も先生の申されました競争原理の問題でございますが、それぞれの学校で、自分の学校をよりよい学校にしたい、あそこの学校よりも一学校というのは知育、徳育、体育でございますから、その三つの分野を総合して、自分の学校をより一層活気のある、内容の充実したそういう学校にしたいという意欲を持って、そして教育関係者が努力をされる。よその学校よりも知育、徳育、体育三分野総合的なものとしていい学校にしていきたい、こういう意欲を持って努力をしていくというのも、ある意味の、よりよいものにしていこうという意欲というものは、やはりそこには競争的な意味もあるような感じが私はするわけであります。
 ただ、教育というのは、特に初等中等教育というのは、発達段階にある少年の人間形成という問題なんでありますから、物を生産する工業生産などとはおのずから異なるものがある。その意味では、工業生産と同じような考え方での自由競争というのは、おのずから教育の場合には取り入れにくいものがある、その点は違うというふうに私は理解をいたしておるわけでございます。
#10
○藤木委員 私も、競争一般を否定しているわけではございません。今大臣は、発達段階の人間、人格形成の発達途上にある人間に対する教育は、経済とはおのずから違うというふうにおっしゃったわけですけれども、しかし、今論じられている自由化論、この原理を見てみますと、やはり資本の論理であり、経営の論理に立っていると思うのです。これでいきますと、弱肉強食、排他的競争にならざるを得ないのは明らかなんです。排他的競争というのは、結局、教育の場で差別し選別することにつながるというふうに思うわけで、今大臣がおっしゃった望ましい競争にはなり得ないと思うのですけれども、その点はいかがでございますか。
#11
○菱村政府委員 フリードマンの考え方は、私の方から申し上げるまでもないと思いますが、アメリカの経済状況ないしは教育状況、そういうものを背景にした議論であるわけでございまして、御承知のように、教育財政のあり方も日本とは違いまして、各学校ごとに教育財政権を確立するとか、したがいまして、地区によりましては教育財政の充実度が非常にアンバランスがあるとか、さらには、日本にはない人種の問題があって、地区ごとに居住地区が違ってそれがまた学校に影響しているとか、いろいろな状況を踏まえた上での議論でありますので、直ちにフリードマンの考え方から日本の教育を論ずるということには、直接的には難しい問題があるんじゃないかというふうに考えております。
#12
○藤木委員 私がここではっきりさせておきたいのは、教育における競争というのは一体どういうものなのかという点です。これは優勝劣敗では決してなくて、子供同士、教師同士、お互いに助け合って、励まし合って、能力を引き出し合う、つまり成長し合うという意味での競争だというふうに考えるのですが、大臣、その点はどのようにお考えでしょうか。
#13
○松永国務大臣 助け合っていくということ、あるいは励まし合っていくということ、これは大事なことであると私は思います。しかし、同時に、教育の場におきましても、例えば体育、スポーツ等の場合には、野球で言えばこの人よりも私の方がよりよく打てる打者になりたい、打率を上げるそういう打者になりたいという意欲を持ってお互いに競争し合うという点も、これまたその人の体位向上あるいは能力を上げていく上において必要なことなんでありまして、教育の場だから競争があってはいかぬということはないわけで、望ましい競争であるならばそれは認められるべきであるし、むしろ望ましいことである。問題は、その競争を通じて人間性が悪くなるといいますか、人間らしい心が失われるという事態があってはいかぬわけでありまして、その点は十分気をつけていかなければならぬ問題だというふうに考えておるわけでございます。
#14
○藤木委員 大臣も競争は弱い者を決して切り捨てたりするものではないという点を強調されたと思います。ですから、学校教育を商品市場のように取り扱う考え方というのは、言語道断といいますか、これは持ち込むべきではないと思うわけですね。こういう考えはきっぱりと拒否なさるかどうか。今の立場にお立ちでしたら、臨教審が仮にフリードマンの理論でこの教育改革をやろう、教育の自由化を進めようということではっきりと表明したときには、大臣として、それは教育には向かないんだ、そんなことを持ち込んでもらったら困るんだというふうにおっしゃるかどうか、その辺、伺っておきたいと思います。
#15
○松永国務大臣 私は、臨時教育審議会で教育の場に商品生産と同じような意味合いでの自由競争を持ち込むことを前提にした議論がなされておるとは思ってないわけです。したがって、そういう考え方での答申があろうとは思っておりません。
 一般的に言えば、臨時教育審議会で審議が深められまして、意見がまとまりまして、そして答申なり意見の申し出なりがあった場合には、政府はこれを尊重する義務がありますから、これは臨教審設置法にちゃんと書いてあるわけでありますから、その臨教審設置法の規定に基づいて尊重し、そしてまた実現していくというその責務が私にはあるわけであります。前段に申し上げましたように、教育の場に商品生産と同じような意味での自由競争を持ち込もうという議論がなされておるとは私は思っておりませんし、そういった理論に基づくあるいは議論に基づく答申がなされるとも思っておりませんから、心配してないわけでございます。
#16
○藤木委員 文部大臣は心配してないというふうにおっしゃいました。そのとおりであれば結構です。しかし、意に反するような事態が生まれたときには、文部大臣として何が一番大事か。臨教審の答申、これは確かに尊重しなければならない。しかし、文部大臣としては日本の子供たちの教育に責任を負うというのが最も大切な責務ではなかろうかというふうに私思います。
 そこで、ちょっと私、ほかの例も引いて幾つかお聞きしたいと思うのですが、教育の自由化論の元祖とも言えるこのフリードマン理論が既にアメリカで何回が試みられているわけです。その教育バウチャー制、先ほどクーポン制ということで御説明があったんですけれども、このバウチャー制度の実施は成功しているかどうか、お聞かせをいただきたいと思うのです。
#17
○松永国務大臣 私はクーポン制あるいはバウチャー制というものは成功しなかったというふうに聞いておるわけであります。なぜだろうか。それは、教育というのは、知育、徳育、体育、それぞれの分野で個人の能力を伸ばし、そして人格の完成を目指すという特殊な分野でありますから、したがって、商品生産の場でうまくいったものが教育の場でうまくいくとは思われないというふうに実は思うわけでありまして、うまく成功しなかったなというふうに私は認識をいたしております。
#18
○藤木委員 公教育制度を否定して教育の機会均等などの原理を無視するような自由化論は破綻せざるを得ないということが実証済みになっているわけですね。それはまた、教育の条理を無視して乱暴に経済原理を導入しようとすることがどんなに無理か、誤りかということをも証明したものだと思うわけです。私が最初に伺ったように、教育改革と行政改革との違いを指摘いたしましたのは、臨教審の論議が、自由化論に見られるように臨調行革を前提として、あるいはその範囲の中でのものにすぎない、いかに予算を使わずに改革を図るかということを主眼にしているという問題があるからなんです。教育改革というのであれば、憲法と教育基本法に基づいて国民の納得と合意を得ながら慎重に進めることが本道だと思うのですけれども、その点はいかがですか。
#19
○松永国務大臣 臨時教育審議会の審議は、実は今藤木先生が申されたような理論とかあるいはそういう考え方で審議されておるとは思いません。それは先生の方の誤解が相当あると思います。現在までのところ、臨時教育審議会の審議というものは、臨教審設置法にありますように、教育基本法の精神にのっとって我が国の教育のあらゆる分野における改革を進めるための議論をしていただいておるわけでありまして、しかも、その議論の進め方、審議の進め方がいまだかつてないような精力的にやっていただいている姿に私は頭の下がる思いで実はおるわけでございまして、先生がおっしゃっているようなことはございません。先生の方の誤解でございますので、できれば誤解を解いてもらいたいというふうに私ども思っております。
#20
○藤木委員 大臣、そんなふうにおっしゃらない方がよろしいと思います。国民はそれでは納得いたしません。臨教審が生まれた経緯を知っている者なら、大臣のその御答弁はだれをも納得させることができないということを私申し上げておきたいと思います。
 そこで、もしそうであるならば、大臣、今おっしゃったことが本心であるならば、教育改革を行政改革とは同列に見ない、行革と同じ対応は絶対にしないとここでお約束をしていただきたいと思います。
#21
○松永国務大臣 一番最初に申し上げましたとおり、総理も私も、教育改革と行政改革とは質的に違うのだ、こういうふうに申し上げておるわけでありまして、今臨教審で審議されておるのも行政改革と同じような立場や同じような考え方で審議されているものじゃないんです。二十一世紀を担う青少年をどういうやり方で教育すれば立派な青少年として育成することができるかという視点から論議をしていただいておるわけでございますから、先生のおっしゃっていることは誤解に基づくことが大分あるような気がいたすわけでありまして、私は心配をいたしておりません。
#22
○藤木委員 私は、臨教審の考え方を伺ったのではなくて、大臣のお考えを伺ったわけでございまして、大臣は行政改革と教育改革とは違うんだという態度を表明されたものとして、次の質問に移りたいと思います。
 次に、大学入試のあり方について質問をいたしますが、臨教審第一次答申の柱は何が予定されているか、あるいは第四部会でどんな答申のテーマを考えているかなど、お答えをいただきたいと思うのです。
#23
○齋藤(諦)政府委員 大学入試に関連いたしましては、第四部会が高等教育の関連を審議しておりまして、そこで検討されておるわけでございます。現在、中等教育と高等教育の接続という大きな基本問題を考えながらも、しかし非常に国民的要請の強い大学入試のあり方について鋭意検討を進めておられるところでございます。
 それで、内容といたしましては、現在の共通一次テストのあり方について、その功罪をいろいろ検討しながら、私立大学も加われるようなそういう共通テストにして、それは私立大学が加わるという意味ではなしに、必要に応じてお互いに利用をするという、そういう共通テストにできないであろうか、そういうことが検討されております。
 それから、もう一つは、特に国立大学でございますが、入試の機会はただいま原則として一回限りになっているわけでありますけれども、これの受験機会の複数化というものを検討できないだろうか、そういうことが議論されておるわけでございます。
 なお、これらに関連いたしまして、大学入試センターのあり方についても検討がなされているという、こういう状況でございます。
#24
○藤木委員 今おっしゃったのはアラカルト方式という方法のことかと思いますが、具体的にはどういう内容でしょうか。新聞などの報道によりますと、一科目あるいは二科目を利用することも可能となっていますけれども、共通テストは一、二科目だけの利用でもよいということでしょうか。
#25
○齋藤(諦)政府委員 共通テストの中身を具体的にいかがにするかというところまではまだ議論が及んでおりませんけれども、それは国立大学がどのように利用されるか、あるいは私立大学がどのように利用されるかという、そういう立場で種々検討がなされているわけでございます。その際に、例えば国立大学が全体として国立大学協会で取りまとめて、その共通テストをどう利用するか、そのほかに私立大学が個々にいかがに利用するかという、そういう多様な利用の仕方があるのではないか、そういうことでございまして、必ずしもアラカルト一本という、そういうわけではありませんで、その対応自体が非常に多様なあり方があるのではないか、このような方向で検討されている状況でございます。
#26
○藤木委員 その入試のあり方、非常に多様なあり方が、高校教育にどんな影響を与えるかということは審議していらっしゃるでしょうか。私は高校教育の現場に混乱を起こすのではないかと思いますけれども、その点はいかがですか。
#27
○齋藤(諦)政府委員 審議の過程におきましては、高等学校関係者、特に普通科だけではなしに職業教育等の関係者、並びに校長だけではなしに一般の現場の先生方であるとか、そういう方々からも再三事情聴取をし、勉強をしているところでございます。そういう審議を通じながら、当然、中等教育と高等教育の接続でありますので、大きなそういう教育のあり方というものを十分考えなければならない。そのことを前提にしながら、しかし他方また、余りにも入学試験が画一的に行われている、そこにもやはり問題があるのではないか、そこをどう調和するかというそのあり方も含めて、いろいろ審議されているわけでございます。
#28
○藤木委員 むしろ、私は、高校教育をゆがめることになると思いますね。審議中だ、考え中だということを再度おっしゃるわけですけれども、しかし、部会の報告はこの四月の二十四日にもまとまろうとしているんじゃありませんか。これまでに国会にただの一度も報告がなかったと思うのですけれども、そうじゃありませんか。
 参議院の附帯決議でも、「この入試制度の改善措置については、その実施結果を踏まえた見直しのため、適当な時期に国会に報告すること。」というふうになっています。衆議院では、昭和五十二年の三月二十三日から五十四年の二月九日まで、実に二年がかりで入試に関する小委員会を設けまして検討してきたところであります。現行の共通一次制度については国会が深くかかわってきているんですね。それが、一度も国会に報告されることもなくてこの重大な変更が臨教審という場でなされようとしている。しかも、本当にこの数カ月の審議で答申が出されようとしているわけです。これは国会軽視ではありませんか。私は言語道断だと思います。そのことについてお伺いします。いかがですか。
#29
○松永国務大臣 臨時教育審議会の審議の進めぐあいあるいは答申を出す方法等につきましては、先生も相当御承知と思いますけれども、各部会に分かれて、各部会ごとに検討課題をお決めになって、そして密度の濃い審議をしていただいておる。そして社会的関心度の高いもの等を中心にして、まず第一次の答申を取りまとめようということで審議が進んでいるようでありますが、そして、四月二十四日をめどに総会でそれまでの各部会の審議を取りまとめて、「審議経過の概要(その二)」というのを公表なさるというふうに聞いております。
 そして、その公表なさるのは、臨教審で審議をしてこられたことを国民の前に明らかにするという意味が一つ。もう一つは、公表したことに基づきまして各方面でいろいろな議論がなされるでしょう。その議論を参考にしながら、六月に総会としての――議論を踏まえながらさらに議論を深めていただいて、そして六月に第一次答申を総会で決定をして出していただく、こういうスケジュールになっておるのでございます。
 そしてまた、各部会ごとに御審議をされた場合には、その審議の検討事項、問題点等につきまして、部会長さんが報道機関に発表しておられるわけでありまして、決して密室の中で議論しているわけじゃありません。
 そしてまた、四月二十四日をめどに出される「審議経過の概要(その二)」というものは、まさしく臨教審で御審議をなさったその審議経過の概要、そして考え方等を国民の皆さん方の前に明らかにする、こういう意味で発表がなされるわけであります。そして、その発表なされた事柄につきまして、国民の各界各層、各方面からいろいろな意見が出されるでしょう、いろいろな議論が出されるでしょう。それを参考にしてさらに審議を深めて第一次答申、こういう手順になっておるわけなんでありまして、その意味では、国民にわかるような形で明らかにしながら審議は進められつつあるというふうに私は理解をしておるわけでございます。
#30
○藤木委員 臨教審につきましては、その設置法案をめぐって私たち日本共産党も百一国会で論議をしてきたところなんです。しかし、そのことを私は今問題にしているのではなくて、この共通一次が決定した経過があるわけですよ。国会の場で二年がかりでやってきた、その決議したことが覆されるあるいは変えられるときに、国会を無視していいのかどうかという問題を申し上げたわけです。
 次、国立大学協会は共通一次についてどんな検討をしているか、ちょっとお答えをいただきたいと思うのです。
#31
○宮地政府委員 国立大学協会での検討についてのお尋ねでございますけれども、従来から入試改善の特別委員会を中心といたしまして共通一次試験の改善方策について検討をしてきておるわけでございます。国立大学協会の二月末の理事会で、共通一次試験を五教科五科目について実施するということ、これは受験生が受験すべき教科、科目数、さらにそれらについては各大学の決定にゆだねるということにするという点が一点。それから、国立大学の受験機会の複数化ということを図るために、第二次試験の実施期間に一定の幅を持たせまして、その間のどこに試験期日を設定するかは各大学の主体的な選択にゆだねるというようなことを原案とすることを決めまして、現在、アンケート調査によりまして、各大学の意向を確かめている段階でございます。国立大学協会では、今後、各大学の意向を踏まえながら、本年六月の総会で改善案の決定をするというぐあいに私ども承知をいたしております。
 文部省としては、国立大学協会の改善の方向は、共通一次試験のこの仕組みについて言われております、従来五教科七科目が受験生にとって負担過重であるというような点、それから、国立大学を受験する機会が原則的に一回しかないというような点について、問題点が指摘をされておったわけでございまして、それらの問題点の改善に資するものというぐあいに考えておりまして、その考え方を私どもとしても、積極的に評価すべきもの、かように考えております。そして、国大協の結論を待ちまして、実現に必要な措置をとるというぐあいに考えております。
#32
○藤木委員 局長はそんなふうにおっしゃいますけれども、並行しまして臨教審の方でも大学入試のあり方というのは今検討されているわけですね。そうしますと、国大協の案と臨教審の実との関係、これはどんなふうになりますか。
#33
○松永国務大臣 一般論から申し上げますと、大学で大学入学者をどういう方法で選抜し、そしてだれを入学させるかというのは、大学が自主的に判断なさることが一般論ではあるわけです。しかし、そのやり方にいたしましても、先ほどから先生御指摘のように、高等学校の教育とのかかわりがありますから、その点の配慮はしなければなりません。それからまた、余りにも受験生に過酷なといいましょうか、難問奇問を出すような、そういうことでも実は教育的な配慮としては十分でない。こういったことから、先生もよく御承知のような経過で共通一次試験というのが国立大学で始まったわけですね。やってみましたところ、幾つかの点での改善は今までに比べればなされたわけですね。難問奇問がなくなるとか、そういった点は解消されてきたわけであります。一方、国民の間に、五教科七科目を課するというのは受験生に対してちょっと過重負担じゃないかという批判が相当出てきていることも先生御承知のことと思います。高等学校の卒業者というのが大学入学資格者でありますから、高等学校できちっとした教育がなされておるならば、そんなにたくさんの科目についてもう一回テストする必要はないじゃないかという意見も相当あることも事実であります。そういったいろんな方面の意見を参考にされながら、国大協でも、また臨時教育審議会の方でも、改善策についての検討がなされておるというふうに私は理解いたしております。
 なお、国大協の方の考え方と臨教審の考えとが全く食い違った場合には、これは実際問題としては非常に困るわけでありますが、それはそれ、立派な人たちがやっていらっしゃることでありますから、事実問題としてはすり合わせその他がなされて、根本的に食い違うような結論にはならぬものだというふうに、これまた私は心配してないのです。
#34
○藤木委員 極めて楽観論なお返事でございますけれども、しかし、私大連はこれに加わることに消極的でございましょう。私どもも、共通一次について見直しが必要じゃない、こんなことは言っていないわけです。当然見直しは必要だというふうに考えておりまして、共通一次試験から二次試験までの期間の問題であるとか、大学間格差の是正を手がけてこなかった問題だとか、共通一次が大学進学に必要な学力に到達しているかどうかという判定を行う当初の目的、機能とは異なった手段に使われている問題など、問題があるというふうに思っているわけです。これらは総合的に実態を分析して、さらにさまざまな意見を取り入れて合意を得て進めるべきだ、こんなふうに考えております。
 ここで委員長に申し上げたいのですけれども、共通一次をめぐりまして教育現場に非常な混乱が持ち込まれていることは、今の議論をお聞きになってもおわかりのとおりなんですよ。私は、この委員会の席上に、岡本臨教審会長、そして飯島第四部会長、さらには入試センターの所長、そして国大協及び私大連、この各代表を参考人として招致して、ぜひここで徹底した審議を行うことを要望させていただきたいのですが、いかがでしょうか。
#35
○阿部委員長 参考人の出席につきましては、今後理事会でこれを検討して善処させていただきます。
#36
○藤木委員 よろしくお願いをいたします。
 次に、九月入学問題につきましてお伺いをいたします。
 大臣は、大学の入試時期を九月にすることについて肯定的な発言を、これは記者会見の発言ですが、していらっしゃるのですが、現在もそういうお立場がどうか、伺わせてください。
#37
○松永国務大臣 私は、大学入試時期を九月にということについての発言をしたことはありません。入試時期については発言をしたことはありません。
#38
○藤木委員 入学時期が九月でいいという御発言でした。大学入学です。
#39
○松永国務大臣 臨時教育審議会の第四部会でございましたか、大学の入学時期について九月という意見の議論がなされたということは私は承知をいたしました。そういたしますと、入学試験を実施する時期は現在のように一月、二月じゃなくして別の時期になろうかと思うのであります。
 現在の大学入学が四月入学である。それからさかのぼって今度は入学試験の時期が一月、二月である。現在の大学入学試験の時期が一月、二月という短い期間に、しかも日本で一番気候の悪い時期になされるという問題が実はあるわけでありまして、そこらの点は、入学試験の時期が一月、二月じゃなくしてもう少し暖かくなった時期になされるならば幾つかのメリットがあるかな。関東地区から西の方、南の方は一月でも二月でも余り心配はありませんけれども、しかし、関東地区でも間々そういう例がありますが、一月、二月というのは日本で一番気候の悪い時期でありまして、大雪でも降った日には試験場に行けないなどという問題もあります。現にそういう苦労をなさった人もいるようであります。そういたしますと、入学試験の時期が今の一月、二月じゃなくして、もう少し後の時期になれば、三月末とか四月とか五月という時期になれば、そういう問題点は解消されるかな。あるいは、大学入学試験の時期が一月、二月という時期でありますので、高等学校の少なくとも三年生の教育が、三学期はほとんどないと言っちゃ言い過ぎかもしれぬけれども、ないに等しいような非常に不完全な状態で三学期の授業がなされておるのが現実のようでありますね。それを少しずらすことができればそういう問題点は解消されるかな。そういう意味で検討に値する課題として議論がなされておる、その議論がなされておることは大変意味のあることだ、こういう認識を私は持っておりまして、その認識を申し上げたわけであります。
#40
○藤木委員 季節の問題だとか、三学期に教科をしっかり学ぶことができるというようなことでメリットがあるというふうなお答えだったんですが、そうしますと、大学だけではメリットは余りないというような感じがするわけですね。小中高も含めて九月入学が望ましいというふうにお考えですか。
#41
○松永国務大臣 大学の入学を九月にして、そして高等学校以下の卒業時期を三月のままだといたしますと、いろいろな問題が出てくると思うのであります。いずれにせよ、今申したようなわけで、九月入学というのは、試験の時期が今のような時期でなくなる。それから、先ほど言いませんでしたけれども、入学者の選抜ももう少しゆとりを持ってやれるというメリットもあるでしょう。あるいは外国と同じような時期になりますので、そういう面もメリットとして考えられるでしょう。しかしながら、同時に、高等学校以下をどうするかという問題もありますし、別々になればこれまた別の問題も起こってくるでしょう。
 したがって、そういう問題について十分検討していただいて、さしたる弊害がないならばいいことだな、こういうふうに思っておるわけであります。どういう弊害があるか、どの程度の弊害があるか、そういう弊害はどういう仕組みを考え出せば解消できるか、いずれにせよ一つの検討に値する問題だという認識をいたしておるわけでありまして、これから先にさらに臨教審においていろいろな議論を深められていくことを見守っている、こういう状態でございます。
#42
○藤木委員 それでは、大学に九月入学を取り入れられた場合に、学生の就職問題についてどんな影響が考えられるか。これは労働省からお答えをいただきたいと思うのです。
#43
○矢田貝説明員 先生御案内のとおり、我が国におきましては、新規の学校卒業者を四月に一斉に採用しまして、企業内でいろいろと教育訓練をしていくというような慣行が一般にございます。したがいまして、仮に今お話がございましたような入学なり卒業の時期がずれてくるということになりますと、そういった企業の採用なりあるいは退職者の計画等々との調整の問題が生じてくるのではなかろうか、かように考えております。
#44
○藤木委員 新卒者を受け入れる側にはどのような影響が考えられるか、とりわけ中小企業について九月入学はどうなるか、これは通産省からお答えをいただきたいと思います。
#45
○坂本説明員 九月入学について受け入れ側でどういう影響があるかといいますと、今労働省からお答えがありましたとおり、採用活動、採用の時期、採用者の訓練時期、こういうものすべてが変更されることになると思います。その結果、当然のことではございますが、企業全体の人事異動、企業全体の人事政策にも時期の変更が出てくると思います。
 しかしながら、こういう変更は、大企業、中小企業にかかわらず、一時的な混乱を生じることはありましても、もし九月入学自体が全般的に考えて必要なことだということで決断されましたときには、そういう混乱があったとしてもそれは基本的な混乱ではない、そういうふうに考えます。
#46
○藤木委員 しかし、中小企業にとってこのことがメリットがある、プラスになるということではないようですね、一時的な混乱というふうにおっしゃいましたが。
 特に問題になりますのは、高校卒業が三月、大学入学が九月とした場合に、高校卒業後大学入学までの間、進学希望者は出身高校が面倒を見ることになるのか。こういうことになりますと、大半が塾や予備校に通うことになるわけですが、そうなりますと父母の経済負担はさらに重くなるわけです。逆に、それでは経済的に大学進学をあきらめざるを得ない人も出てくるというふうに思うわけです。これは大変な問題じゃなかろうかと私は思うわけです。いずれにしましても、現在よりも受験競争が激化するのではないか、こういうことを非常に危惧しております。
 特に私立大学への影響が大きいと思うわけですけれども、九月入学に伴って授業料などの欠損はどのくらいというふうに見込んでおられるか、お答えをいただきとうございます。
#47
○宮地政府委員 お尋ねの、私立大学の場合の入学金その他の歳入の問題に影響が出てくるということは確かにあるわけでございます。私どもとしては、現在の時点では、仮定の問題でございますので、非常にラフな形で計算をいたしておるわけでございますけれども、全体として約二千五百億程度の影響が出るのではないか、かような試算をいたしております。
#48
○藤木委員 そうしますと、その財政負担は国が責任を持たなければならないと思うわけですけれども、これは見通しがあるのですか。
#49
○松永国務大臣 今の先生の御議論は、大学入学は九月、高校卒業は三月という仮定を置いての御議論ですから、私が先ほどから申し上げているのは、今先生のおっしゃるようなことになるとすれば相当の混乱がある、これを混乱ないようにするためにはどうすべきかということになってくるわけですね。したがって、これもすべて仮定の話でございまして、そこらの混乱、財政の問題等々も含めて総合的にこれから論議を深めていただいて、そして、望ましいならば、入学時期が現在の四月から九月になるのかその手前になるのか知りませんけれども、動かすこともメリットがあるならやることが望ましい。しかし、混乱が大きいということであるならば、これまたそういうことであるからということで別の結論になるでしょう。
 いずれにせよ、仮定のことに立ってここで論議をしても、先生の御指摘のような問題があることは私も承知しておるわけであって、だから高校卒の時期と大学入学の時期とが余りにも時間があれば、先ほど受験戦争の激化とかあるいは父兄の負担の問題、あるいは高校卒業した後、入学するまでの間の問題、あるいは実際入学できなかったからその際また就職したいと思ってもなかなか難しいとかという問題もいろいろあるでしょう。あるでしょうが、そういった点をあらゆる分野で総合的に判断をしていただかなければならぬ問題だな。そういう混乱がないような状態で、現在よりももう少しずれた時期に入学試験が行われれば、先ほど私が申し上げたような、日本で一番気候の悪いときに、大雪でも降ったら大混乱が起こるなどという状態がない時期に入学試験が行われることは望ましいことでありますし、それから三週間か四週間の間に実際全国で大学の入学試験が終わってしまうということでありますから、それはもう少し期間があれば大学の入学試験を受ける機会も今よりもふえるかもしれませんし、あるいは試験をする側もじっくり見ることもできるでしょうし、等々のメリットもあるわけであります。
 いずれにせよ、それほどの混乱は起こらぬという状態を考えて私は議論は深められていくものだと考えておるわけでありまして、仮定の上に立って進めていくことはちょっといかがかな、こう思うわけであります。
#50
○藤木委員 仮定とおっしゃいますけれども、審議というのはそういうものだと思うのですよ。考えられるあらゆる可能性がどうなるのかといったあたりを洗いざらい出して、それにどういう対応ができるかといったことまで考え尽くしてやらなければならない。大臣のお話を伺っておりますと、非常に楽観的に受けとられるのですけれども、私は、入学時期さえずらせば国際化であるとか大学入試の改善の問題が片づくというふうな単純な問題ではないと思って、幾つかの問題提起をさせていただいたわけですよ。ですから、この問題は、無用の混乱を教育現場に持ち込むあるいは企業に持ち込むというようなことで深刻な影響をもたらすようなことがないように、慎重に検討をしていただきたいということを強く要望させていただきまして、最後に、学校給食の問題で質問をさせていただきたいと思います。
 学校給食はこの一年の間に随分重大な動きがございました。行革審の意見書も出ましたし、総務庁の勧告も出されましたけれども、いずれも行政支出の削減の立場から学校給食業務の効率化、合理化を迫っております。これに対して文部省は、ことし一月みずから合理化通知を出して、全国の学校給食業務の合理化推進の先頭に立とうとするまでになっているわけです。文部省は学校給食を教育の一環と強調してこられましたけれども、それはどういうことでしょうか。お答えください。
#51
○松永国務大臣 学校給食は教育の一環として定着をしておると私は認識しております。教育の一環というのは、まず第一に、学校給食で専門的な栄養士の人が献立をつくって栄養のバランスのとれたお昼御飯を生徒の皆さんが食べることによって生徒の健康の増進、これが一つ。二番目は、学校給食を生徒と先生が一緒にとる、その時間帯に生徒と教師の間の触れ合いがより一層深まる。一般社会でも、心のつながり、触れ合いをより一層深めようとしていく場合には飯でも食おうかという話がありますように、日本人の習慣として、食事をともにするというのは触れ合いを深めることになるわけでありますから、学校給食の時間を通じて教師と生徒の間の触れ合いが深まる、同時にまた生徒同士も触れ合いが深まる、これが二番目だと思います。三番目は、給食は生徒が昼御飯をそれぞれのところに運んでいくという一つの勤労作業といいますか、仕事をするわけでありますが、そういったことを通じて勤労体験をするという点も実はあるわけであります。そういったことを含めまして総合的な教育効果が上がるということで教育の一環として行われており、それがまた定着をしておると私は認識をしておるわけでございます。
#52
○藤木委員 学校給食法ができまして三十年経過するわけですけれども、三十年経過した今日、学校給食について国民の中にさまざまな議論があるわけですね。今のような飽食の時代に給食なんか必要なのか、子供の昼食は父母の自由にしてほしい、弁当を持たせるべきだという学校給食不要論に近い意見もあるわけです。生活水準が上がった飽食時代に学校給食を実施する意味は何ですか。
#53
○松永国務大臣 先生御指摘のように、豊かになって飽食の時代になったのだから学校給食はもうやめるべきではないのか、むしろ、お母さんが弁当をつくって子供に持たせてあけることによって、子供は母親の愛情を肌身で感ずる、そのことが子供の心の面での健全な発達を図るためにはプラスではないのか、こういう相当広範囲の意見があることを私も承知しております。
 ただ、飽食の時代になりましたけれども、ある意味では飽食の時代になったから、かえって子供の栄養のバランスが崩れているという面も実はいろいろ指摘されております。早い話が、私どもの時代に比べれば、今の子供ははるかに骨が小さくて壊れやすい体になっているように思われます。私どもは貧しい中で育ちましたから、魚と言えば、マグロとかそういった骨のない食べ物はほとんど私たちも食べていなかった。食べるものは何かと言えば、イワシとか小魚とか、目刺しとかつくだ点とか、そういったものを食べておりましたから、知らず知らずのうちに十分なカルシウムを実は吸収しておったわけです。最近の子供はそういうものを食べていないようであります。そこで心ある母親は、無理してでも小学校の時代から煮干しをフライパンでいって食べさせる。そういったことで、カルシウムを計画的にというが食べさせることをやっている母もいるようでありますけれども、一般的にはどうも骨のない魚ばかり食べる。その結果が、飽食の時代になったけれども、カルシウムの不足とかビタミンの不足とか、そういう栄養のバランスがむしろ昔よりもある意味では壊れているという分野もあるという指摘もあります。学校給食では専門の栄養士が献立をつくるわけでありますから、カルシウムとかビタミンとか、そういうバランスを考えた食べ物を子供に食べさせるということになるわけでありますから、私は、飽食の時代になったけれどもやはり学校給食は子供の心身の健全な発達のために必要だと認識しておるわけであります。
 ただしかし、問題は、昭和二十九年でしたか学校給食法ができて、そして小学校で九九%、中学校で八二%普及してきた。これはなぜ普及したのだろうか。やはり国民の理解と支持があったからだと思うのです。学校給食法がスタートした当時はまだ貧しかった、したがって、子供には平等に昼食の時間に昼食が食べられる状態にすることが望ましいということで、学校給食に対する国民の支持が圧倒的にあったと思うのです。それが背景にあったから、九九%、八二%という普及になったと思うのであります。したがって、国民の理解と支持のない制度はいずれはうまくいかなくなるということを我々は考えなければならぬと思っているわけであります。
 今、国民は学校給食に何を期待しているのか。今言ったような栄養のバランスのあるものを食べさせることができるのだということはわかるとしても、ならば、経費についてはむだは省いてもらいたい、効率的な運用をしてもらいたいというのがやはり国民の多くの意見だと思う。その意見にこたえて文部省としては、体育局長名で、学校給食の目的を十分達しながら同時に経費の合理化、効率化を図るべしという通達を出した、こういういきさつなんでございます。
#54
○藤木委員 大変御丁寧に御答弁をいただくのは私も望むところなんです。そういう論議を深めたいと思うのですけれども、残念ながら時間が限られておりますので、今の大臣の指摘にもございましたように、私どもの地元の灘神戸生協の組合が行いました五年生の食生活調査アンケート、それから子供の食生活を考えるシンポジウムでも、家族そろって夕食をとるのはわずか三七%です。父親不在の夕食が六七・四%、一人だけの食事が五%。また栄養面で朝食の合格率はたった一九。一%、夕食でさえも半分は落第と報告されております。給食不要論に対しましては、飽食の時代に存在する食生活の貧困が子供たちの心身に与える影響がどんなに深刻かということを科学的に解明することが第一だと思うのです。同時に、教育としての学校給食がいかに子供たちの心身の健全な発達に役立っているのかということを実証することではなかろうかと思うわけです。今の御説明では私は不十分だと思うわけです。
 そこで、私はきょう小学校三年生の方の書いた給食に関する作文を持ってきたのですが、大臣にこれをひとつお読みいただきたいと思うのです。委員長、よろしゅうございますか。――短いものですから私ちょっと読み上げさせていただきたいと思うのですが、「わたしたちの給食」、今治市立鳥生小学校三年、塩見由香さんの作文です。
  「お母さん、給食のとり肉おいしいんよ。それに、野さいもくだものも味がいいんよ。どうしてかわかる。有機農業でつくったのをとり入れてるからなんよ。」
 わたしは、お母さんにおいしい給食のひみつを教えてあげました。わたしたちの学校では、二年前から給食センターではなくて、学校で給食を作っています。そして、有機農業で作った野さいや肉を、食べています。
 わたしが、びっくりしたことは、味がとてもよくなったことです。とり肉などは、かむとこしこしと歯ごたえがあります。なぜかというと、ろうやのようにとじこめられた所でかっているにわとりではないからです。すきな場所にたまごをうむことができたり、自由にえさをさがすことができたりする、けんこうなにわとりを食べているからです。おいもは、ほっこりとあまいです。土の力でわらや草をくさらせて、自ぜんのひりょうにしているからです。薬でおいもにつく虫を、ころしたり、工場で作ったひりょうをふりかけている病気のおいもではありません。
 この間、クラスでじけんがありました。給食のふかしいもにちょっぴり土がついていたのです。みんなは
 「土がついているよ。きたないなあ。」
と、わいわい言っていました。すると先生が、
 「土は手でのければ、なくなるでしょう。薬がしみこんだおいもから、薬はのけられないし、その薬が体にしみこんでたまっていったら、たいへんでしょう。」
と、はっきり言ったので、みんな、ほっとしたようでした。わたしは、大きくいきをすって、おいもをかぶっとかじりました。歯にねっとりと、おいもがつきました。思わず、
 「わあ、このおいもの色はお日さまと同じ金色だあ。」
と、言ってしまいました。
 また、この前、ピーマンを食べることができない友たちがいました。わたしがこの給食のひみつをくわしく教えてあげると、少しずつですが食べることができ始めました。すききらいしないから、ねつが出ても一日でなおってしまうことが多いようです。
 またこの土と太陽の給食は、わたしにゆうきをむくむく、おこさせます。というのは、わたしは、土と太陽の力でできた給食を、毎日むしゃむしゃ食べて『元気』がつくからです。そのエネルギーで、わたしは、はだしで運動場を走り回っています。足のうらから土の力がずんずんしみこんでくるようです。それでまた、
 「わはははは、わはははは。」
と、わたしは、『えがお』いっぱいなのです。大きな口を開けると、空気がどんどん口の中に入ってすっきりとします。すると、わたしの耳や口や日は、いつも本当のことは何か、くじけないで考えるゆうきが出てくるのです。けんこうであればあるほど、『ゆうき』が、出てくるのです。
 土と太陽の給食さん。ありがとう。
という作文なんです。大臣の御感想を伺いたいと思います。
#55
○松永国務大臣 日本は広うございまして、種々さまざまな条件で学校は運営され、かつそこに暮らしている人も種々さまざまな条件で生活をしておるわけですね。私も実は、今はいかにも都会育ちみたいな顔に見えるかもしれませんが、本当は小学校五年までは九州の山村におりました。その当時の経験から言えば、みんなはだしでした。ところが、今東京の学校は、あるいは浦和の学校もほとんどそうなりましたが、土のままだというと周囲から非常にやかましいんですよ、ほこりが立つからということで。ほとんどの学校が、一番進んでいるのは東京だと思いますけれども、何とか舗装となったんです。セメントの舗装のもありますが、何とか舗装というんです。したがって、ほこりが出なくなった。そのかわり、はだしで走り回ることが難しい状況になった。
 もちろんその前から、東京その他都会の学校ははだしで走り回らずに運動靴を履いて走り回るということが普通になっているようでありますけれども、その意味では、小学校などの段階にはやはりはだしで走り回ることがいかにも健康的でいいんじゃないかな、それが子供の体を強くするために非常にいいことだというふうに思いました。
 そしてまた、もう一つは、物をつくることでありますが、私も小学校のとき芋をつくった記憶もありますけれども、土と太陽とやはり肥料なんですよ。肥料なしには物はできないのです。これはわかってもらわなければいかぬわけです。その肥料も、日本の社会生活が変わってまいりまして、化学肥料になっておるのです、昔から。そういうことでありまして、やはり一番大切なことは子供の健康、これが一番だと思います。
 そしてまた、先ほどちょっと先生もおっしゃいましたけれども、私は実は数年前までは、先生の指摘されたように、もう豊かになったのだから弁当はお母さんがつくってあげた方がいいんじゃないかという考え方を持っておったのですけれども、三、四年前にこういうことを私は聞いたんです。これはある会合でしたが、青少年育成会という会合でしたが、学校の先生が子供に、君たちは給食の時間は行儀よく食べているね、ところで朝御飯はどういうふうにして食べているんだ、それを絵にかいて持ってこい、こういうふうに言ったら、三十人から四十人の生徒の中で何名かが、自分が一人で食べている、お母さんは寝ている絵が出ておったというのです。その話を聞きまして、ああこれはいかぬな、お母さんが寝ている状態で、それは病気じゃないです、まだ恐らくお目覚めでなかったのでしょうけれども、そういう状態で子供が朝食を食べてくるならば、これはバランスのある朝食を食べてないな、そういう状態では弁当をつくることも無理かもしれぬな、ならばやはり学校給食は必要だなというふうに私は考えたわけであります。そしてまた最近でも、朝御飯を食べないで学校に来る子供が何割かという程度までおるそうでありまして、そういうことを考えると、やはり学校給食は大切なんだなというふうに思います。そしてまた、栄養のバランスのとれた学校給食をすべきである。
 ただしかし、国民の理解と支持を得るためには、むだな経費は節減をして、効率的、合理的な学校給食の運営がなされなければならぬ、そういう努力を今後とも続けていかなければならぬというふうに考える次第でございます。
#56
○藤木委員 率直な御感想だけ伺おうと思ったのですが、かなり理念にわたってお答えをいただきかかわらず、一方的に今回のような合理化通知を出して、教育としての学校給食を損なうようなことがあってはいけない、私はこれは認めることはできないというふうに思うわけです。このすぐれた学校給食の実践が生きるような教育としての学校給食、これを守る見地を貫いていただけるかどうか、この点だけ御確認をさせていただきたいと思うのです。
#57
○古村政府委員 今回出しました通達の趣旨は、学校給食の運営をより一層合理化してくれということでございまして、その中にもつけ加えておきましたが、そのことによって学校給食の質の低下を来すことがないように配慮してほしいということでございます。したがいまして、今お示しになりましたような地元でとれたものを使うということについては、それはまさに物資調達の方法として幾らもやれることであり、私の方でお示ししております運営の合理化の三つの方法、共同調理場方式、あるいはパート職員の活用、あるいは民間委託という三つの方式は、その地域の実情に応じてよく勘案しながら検討してくれという通知でございますので、御指摘の内容は十分中に盛り込んだ運営ができるものというふうに思っております。
#58
○藤木委員 合理化してくれということがあったと言いますけれども、これは決して父母や子供たちがお願いしたわけではありませんね。その点を私ははっきりさせておきたいと思います。
 そこで、農水省にお尋ねをいたしますけれども、従来アメリカの余剰農産物や国内の余剰農産物のはけ口として学校給食が利用された経過がございます。もっと積極的に、農産物に限らず地場の産物が学校給食に供給できるような、契約栽培の方法を取り入れるなどして、日本の農業、漁業を守るとともに教育的効果にもつながることをぜひ検討していただきたいと思うのですけれども、いかがでしょうか。
#59
○木村説明員 野菜を中心にして申し上げたいと思いますけれども、野菜につきましては、摂取量が全体を通じて見ますと国民一人当たり一日四百グラムが望ましいと言われておりますけれども、厚生省の調査によりますと、まだ三百二十グラムということで少ない。それが特に若い層に非常に少ないということが指摘されております。それから、昨年秋、国立がんセンター研究所の平山疫学部長の調査結果によりますと、毎日の緑黄色野菜はがんの発生防止に非常に卓効があるというような報告もございました。そういうようなことから、若い時代から野菜をもっと食べていただく方法がいいんじゃないだろうかというふうに考えておりまして、こういうことにつきましては、学校給食に地場の野菜を十分利用されていただくことが非常に望ましいわけでございますし、それはまた地域の農業振興にもつながるというふうに考えております。それで、今先生がおっしゃいましたような事例が、関係者の努力によりましてもっと輪が広がっていきますように実は期待をいたしておるわけでございます。
#60
○藤木委員 非常に積極的な御見解を示していただきましたので、期待をさせていただきたいと思います。
 以下、この通知についてお尋ねをしますけれども、随分時間がございませんので、私がなり問題点を続けて指摘をさせていただきたいと思うのです。
 第一に、民間委託の問題ですが、私は昨年十二月、給食センターの民間委託をしております東京小平市の方式を見せていただきました。ここは中学八校分六千八百食つくっておりますね。業者はグリーンハウス、文部省食堂にも入っている業者ですから信頼のあるところなのかもしれませんが、外観は一見近代化されております。ところが、生徒の評価はさっぱりなんですね。学校生活の中での不満のトップが、学校給食がまずい、これでございます。年間実施の回数を見ましても百三十三回、全国平均を大きく下回っております。
 なぜこのようなことになるのか。第一に、味つけが概して不評なことにも示されておりますように、栄養管理が行き届いておりません。一回に千リットルの撹拌能力のあるプロペラを使用するかまが使われているということも確かにございます。けれども、本質的には、センターの栄養士が配置されているのに、味つげや盛りつけなどその場での指導助言が必要なときに、民間の調理員に対して指導助言ができない、こういうことになっているのです。あえてこれをやりますと、職安法四十四条に違反することになるわけです。ですから、意思伝達はセンターの所長から業者側の責任者に、業者側の責任者から調理員へというルートになって、これは時間に追われている現場ではとても不可能なことですね。市当局は、栄養士が配置されているんだから栄養管理は大丈夫だ、こう言っているわけですが、現場の栄養士は支障を来しているというふうに述べているわけです。文部省はこういうことが民間委託で栄養管理の行き届いたやり方なんだというふうにまさかお考えではないと思うのですが、それも後に聞かしていただきたいと思います。
 また、今回の通知では、「設置者が必要と認めた場合、受託者に対して資料の提出を求めたり立入検査をする等、運営改善のための措置がとれるよう」という留意事項が示されておりますね。今後このような点は、果たして住民の代表である議会などで要求があったときには明らかにするように指導するおつもりがあるのかどうか、これも後で聞かせていただきたいと思います。
 実際にはそうはなっていないのですよ。明朗な財政運営ができていないというのが実態です。小平の場合は初年度委託費九千百六十万円とされておりましたけれども、その中身は人件費と管理費、こういうことになっています。ところが、年々これが高くなりまして、三年日には一億一千五百万円と膨らんでいるのです。大臣は安く支給をしてほしいというのが国民の願いだと言いましたが、これは民間委託になって高くなっているわけですよ。わずか二年間に二五%もふえているわけで、公務員はこの間どうかといいますと、人事院の勧告も完全に実施されないでいるわけですね。何を根拠にこんなに民間委託の給食費がふえるのかと議会で尋ねましても、教育委員会は明確に答えられてはおりません。
 私が参りましたときに、しまのユニホームを着た配送員を見ました。しかし実は、調理員が白衣を脱いで着がえただけの兼務なんですね。企業は利益をふやそうとこのような試みをやっております。市当局は、言われたとおりにしてくれれば、余剰金をどう生み出そうと関知しない、こう言っております。業者側が上げた利益は企業秘密として公表されていないわけです。これを議会ではっきりと発表する、明らかにする、そういう義務まで指導するということになれば並み大抵のことではないと思いますけれども、それだけの御決意があるかどうか、伺わせていただきたいと思います。
#61
○古村政府委員 ただいまの通知で、民間委託で子供たちの栄養管理はどうなんだというお話でございますが、先ほど申し上げましたように、今回の通知におきましても、学校給食の質の低下を招くことがないということを十分に前提にいたしておるわけでございます。したがって、設置者が民間委託を行う場合には、まず基本として、その設置者の意思が民間受託者に対して十分通り得る形にしたいということから、一つは、献立の作成というのは設置者が直接責任を持って実施すべきものであって、委託の対象にしないことということを掲げ、第二といたしましては、物資の購入あるいは調理業務等における安全、衛生の確保につきましては、設置者の意向を十分に反映できるような管理体制を設けるということを御指導申し上げておるわけでございます。
 なお、この場合に、先ほど職安法四十四条との関係を御指摘いただきましたが、確かに職安法四十四条の関係では、現場の学校栄養士が派遣された受託者側の調理員に対して直接指揮命令というのはできないことになっております。したがいまして、そこのところはまさに契約の取り交わし方をきめ細かにやっておくということがまず非常に重要なことであるということで、設置者側が民間委託に取り組む場合には、受託者側との間で十分きめ細かな契約を交わしておいてほしいということを御指導申し上げておるわけでございます。また、資料提出あるいは立入検査ができるようにして、そういった点で設置者側の責任が十分全うできる体制をとって初めて民間委託をしてほしいということを御指導申し上げているわけでございます。
 先ほど小平市の例を御指摘になりましたが、私どもで若干調べた感じでは、小平市の委託費が急増した原因は、五十七年度と五十八年度におきます給食の食数が急激にふえている、給食の食数が一六・八%の増を示しております。それに対応した委託費の増であるのではないかというふうに私の方は推測しておりますが、これは小平市の話でございますので、一応そういうふうに考えておりまして、基本は、とにかく学校の設置者が民間委託をするその場合においても、設置者側の意思というものが十分貫けていくような体制を整えてほしいということを前提にして通達は組み上がっているというふうに思っております。
#62
○藤木委員 きちんと御指導いただけるかどうかということを伺ったわけでございます。あなた、そんなことをおっしゃいますけれども、この通知で随分無理な注文をしていらっしゃるのですよ。だって、給食会社の業界団体である日本給食サービス協会の幹部の方が、調理部門の委託は労務提供だけではメリットが少ない、企業が利益を得るのは人件費より食材の方だ、こんなふうに語っております。食材がもうけの対象になるということは、父母が負担する給食費の一部が業者の利益になるということですね。業者が利益を増大させれば、それだけ給食は質の低下を招きますけれども、こういったことが今回の通知の趣旨なんですか。まさかそんなことを思って出されたわけではないと思いますけれども、しかし、実際はこうなるんですよ。そのことを私は特に強調して、物資の購入は絶対に委託にしてはならない、このことを申し上げておきたいというふうに思います。
 今回の通知の特に五項目目の真意、これは、今後は施設設置、労働力とむ委託する全面委託のケースも可能との趣旨にとれるわけですけれども、間違いないでしょうか。また、全面委託をした場合にどんな問題があるか、お答えをいただきたいと思います。
#63
○古村政府委員 今回の通達の第五項目目といいますのは、昭和四十六年の体育局長の通知の「学校給食の食事内容について」という部分についての注釈を加えた点だと思いますが、この趣旨は、いわゆる学校給食法におきまして、施設設備の経費負担というのはこれは設置者側であるというふうに明記いたしております。そういったところから書かれた通知でございますので、そういう原則、学校給食の調理の原則を示したものであるということでございますので、学校給食業務の民間委託といいますか、委託方式も幾つもありますが、私の方は、現在の学校給食施設設備が整備されている現状においては、民間委託をするにしても、いわゆる派遣方式というのが一番いいとは思いますが、しかしながら、それ以外でいわゆる全面民間委託と申しますか、そういったことまでもこの通達でもって禁じたものではないというふうに思っております。
#64
○藤木委員 ですから、全面民間委託もできるということを示唆していらっしゃる、そのようにとれるのですけれども、そうなんですか。
#65
○古村政府委員 派遣方式がいいとは思いますが、全面委託方式でもこの通達でもって禁じたものではないというふうに考えております。
#66
○藤木委員 万全の管理体制などと先ほどからお答えになっていらっしゃるわけですけれども、そんな次元の問題ではないわけですね。これは学校給食からの公的責任の放棄といったことになる、私はそう言っても決して言い過ぎではないと思います。
 学校給食法第四条で、市町村に対して「実施されるように努めなければならない。」第五条で、「国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。」とし、さらに第六条で、経費の負担区分を決めて、施設設備と運営の経費は市町村の負担で、国は施設設備に対して補助できるとしていますね。施設設備もつくらないで――全面委託ということはそういうことになるわけですからね。つくらないで、国はその負っている責務をどうして果たしたことになるのですか。とんでもないことじゃありませんか。全面委託をするということはこんな大きな問題があるんですよ。あなた、やはり今おっしゃったことは撤回していただきたいと思いますね。そして、五項目目の学校給食法に抵触するこの項は撤回していただきたいと強く要望いたします。どうですか。
#67
○古村政府委員 先ほどから申し上げましたように、いわゆる学校給食法におきます経費区分というのは今お話しになりましたとおりでございますので、その経費区分を超えてやることは学校給食法違反でございますが、その中で全面委託ということが行われても、これは法律違反なり通達違反というふうな事態は生じないと思います。
#68
○藤木委員 先ほどから原則ということを、あなたは原則だというふうにおっしゃいました。確かに通知でも原則というふうにお出しになっているわけですけれども、しかし、原則だということが学校給食法で述べられていますか。これを原則とすると、私つぶさに拝見させていただきましたけれども、どこにも書かれておりませんよ。今回初めて使った言葉じゃありませんか。とんでもない、こんなこと原則だなんて書いてません。そんな法律を歪曲するような通知は取り下げていただきたいと思います。
 そして、今回出されたのは通知ですよね。これは局長の通知であって通達ではございません。ですから、お知らせとかお願い的な性格のものであって、合理化を図るよう望んでいるわけでしょう。希望していらっしゃるんじゃありませんか。そうですね。最終的にはいかなる形態が実施されても実施するかという判断は各設置者だ、そうですね。間違いありませんね。お答えいただきたいと思います。
#69
○古村政府委員 おっしゃるとおりいかなる形態でやるかは学校の設置者の判断でございます、ただ、その場合に合理化ということも頭に入れてやってほしいということを御指導申し上げたわけでございます。
#70
○藤木委員 私は、各設置者が実情に応じてどのような方法を選択したとしましても、国としてはこれに介入をするべきではない、そして補助をすべきだ、このことを強く申し上げておきます。
 あなたのお答えそうですよ。設置者に任されているんですからね。ですから、これに反して指導する――原則なんだから例外もあるんだというような指導はしない、そんなふうに受けとめてよろしいですね。もう一回確認しておきます。
#71
○古村政府委員 いかなる形態をとるかというのは学校の設置者が判断をしてやることでございますが、国としては、臨時行政調査会あるいは臨時行政改革推進審議会等の答申を受けて、これについて、地方行革といいますか、地方の経費の効率化ということからそういった答申もいただいておりますので、これについて合理化を図るような御指導を申し上げているというのが現状でございます。
#72
○藤木委員 どうもはっきりしませんね。それでは不安が募るばかりです。私は大変不満だという態度を表明させていただいて、次の質問をさせていただきます。
 学校給食に企業秘密が持ち込まれ、不明朗な部分ができてしまう、これが民間方式なんですよ。ある企業の幹部は、今私どもは学校給食のノーハウを勉強中だ、いみじくもこう言っております。これは、学校給食現場で生み出された豊かな調理の経験が、研修や交流を通じて全国の学校給食現場に生かされるのではなくて、一企業の利益のためにのみ活用されるということです。民間委託方式は学校給食の発展普及を阻害する懸念さえあるということを私は申し上げておきたいと思います。
 次に、共同調理場方式についてお伺いいたしますが、近年学校給食が原因とされる食中毒が多発していると聞きますけれども、厚生省、現状はどうなっておりますか。
#73
○玉木説明員 お答えいたします。
 過去三年の寄宿舎を除く学校を原因施設とする食中毒の発生状況は、昭和五十六年では発生件数二十四件、患者数四千百七十五人、昭和五十七年では発生件数が三十一件、患者数三千五百九十三人、昭和五十八年では発生件数が三十四件、患者数では七千六百三十七名になっております。
 以上でございます。
#74
○藤木委員 今三年だけおっしゃいましたけれども、その前年に随分たくさんの被害が出ているように伺っているんですが、間違いございませんか。五十五年度です。
#75
○玉木説明員 それ以前の数字は手元にございませんが、この程度はあろうかと考えております。
#76
○藤木委員 そこで、私ちょっと資料を提示させていただきたいと思うのですが、どこにその原因があるのか、私も文部省からいただいた資料を検討してみて、一つのことに気がついたわけですね。この表を見ていただいたらいいんですけれども、これは昭和五十一年から五十八年までの間の調理方式別の食中毒発生率です。さっきの厚生省の説明ではございませんでしたけれども、この昭和五十五年には特別に突出して中毒件数が出ておりますが、しかし、これを例外といたしますと、この下の点線の方が共同調理場方式です。この実線で結んでありますのが自校でやっております調理方式なんです。これで一つの傾向が出ているというふうに思うのですが、厚生省はこれをごらんになりましてどんなふうに思われますか。
#77
○玉木説明員 統計学的に有意差があるかどうかにつきましてはこのグラフから見る限りにおきましては判断はできませんが、過去五カ年の十万人当たりの患者数は共同方式の方が多いことを示しておる、このように考えます。
#78
○藤木委員 私がお示ししましたのは、調理方式別食中毒発生状況ということで、共同調理場方式とそして自校方式とを対比して、分けて表にあらわしたものでございます。今もおっしゃいましたように、確かに、この表で見る限り自校方式よりは共同調理場方式の方が発生件数がふえていく傾向にある。むしろ自校方式は下降傾向にあるということを示しているというふうに思うわけです。
 そこで、共同調理場方式は衛生管理がすぐれていると文部省は言っているわけですけれども、思わぬ落とし穴があるのではないか。大量で行き届かないといったこともそうですし、調理後の長時間保管など、センター固有の要因を徹底的に調べていただきたいと思うのですが、この際、調査していただけませんでしょうか。
#79
○古村政府委員 今調査のお話がありましたが、共同調理場におきましても欠点もありますし利点もございます。そういった点は十分私の方も把握しているつもりでございますが、そういった点で、どういった角度で調査をというお話でございますか、ちょっと私つかみかねております。
#80
○藤木委員 つかみかねているから調査をお願いしているわけです。ぜひ実態をしっかりとデータで握る、実態はどうなのかということをぜひやっていただきたいと思うのですよ。調査をしていただくことは御検討くださいますか。
#81
○古村政府委員 各共同調理場におきます。ある程度の実態というものについては私たちの方も把握いたしておりますが、そういったことについて今後検討してみたいというふうに思います。
#82
○藤木委員 よろしくお願いします。
 時間も押しておりますが、最後に、調理員問題について伺います。
 年間の学校給食実施が百九十日程度で、一日の業務も特定の時間に集中していることを理由に、必ずしもすべて常勤職員を充てる必要がないというのが、臨調、総務庁、そして文部省の見解です。しかし、パート化を推進する以前にやることがあると思うのですね。これは現場の声をお聞きになったかどうかという点です。腰痛や指曲がり症が多発している劣悪な労働環境の改善こそ先決だと思っております。
 そこで、労働省にお尋ねしますが、お見えになっていますか。――何か労働省、今お見えになっていらっしゃらないそうなんで、これはそれでは省かせていただいて、締めくくります。
 学校給食の質の低下をもたらすような運営は断じてやめていただきたい。民間委託についても、先ほど私が御要望申し上げましたように、文部省の指導だということでそれぞれの設置者の意向を無視するようなことが断じてないように、重ねてお願いをさせていただきまして、質問を終わらせていただきます。
#83
○阿部委員長 江田五月君。
#84
○江田委員 大臣の所信に対する質疑が随分切れ切れになってしまって、これまでの質疑も忘れちゃったかもしれないのですが、まだ所信に対する一巡の質疑が続いておりますので、よろしくお願いいたします。
 春になって入学、進学の時期になりますと、どうも毎年痛ましい事件が起こるようで、ことしも、これは入学、進学にちょっと先立ってですが、やはり痛ましい事件が幾つか起きました。
 去る二月十六日の午後、これは横浜市立並木第三小学校で、五年生の杉本治君(十一歳)が自殺をした。直前には随分迷いもあって、そして落書き風の遺書があって、教師に対する恨みつらみといいますか、言葉が書かれていたというような事件がありました。
 この原因というのは、これは探ればいろいろ心理学風の原因もあろうし、教育学風の探り方もあろうし、いろいろあると思いますが、この事件をひとつ素材といいますか、取り上げて、文部大臣と、一体教育というのは何なんだろうかということを考えてみたいと思うのです。
 この事件、いろいろな見解がありまして、どうもしかり方がよくなかったんだとか、もっと命のとうとさとか強く生きることを教えなければいけないんだとか、さまざまな議論があったようですが、文部大臣、まず、どういう御感想をお持ちであったか伺います。
#85
○松永国務大臣 大変痛ましい事件だという私の受けとめ方でございます。小学校五年生の男の子、本人にとってもまた御両親にとっても、大変な痛ましい、打撃的なことではなかったかなというふうに思います。
 私は、なぜこうなったんだろう、なぜこういう事件が起こったんだろう、いろいろ私なりに考えるわけでありますが、この子供さんはどういう家庭環境であったのかな、それからその周辺の社会環境はどうだったのかな、もしこの子が帰ってきたときに、何か不満というか、うっせきしたものがあるわけですね、もしお母さんがおって、そしてお母さんに何か対話ができておったならばあるいは防げたのじゃなかろうかな、こういうことを思ってみたり、あるいは学校において、この子とそれから担任の先生との間に心の通うものがあって、そしてまた、まあしかったそうでありますが、しかった後の措置を、もう少し心と心が通い合うような形で処理がなされて、そしてその子がうちに帰ったのであるならばあるいは未然に防げたのじゃなかろうかな、そういうふうにも思ったりするわけでありまして、要するに、その子の現在の家庭環境、育ってきたその家庭における育てられ方、あるいは学校における生徒と教師との関係、あるいはまた、この間実は別の委員会で専門的な人が、最近の子供は、子供が生まれること、人が死ぬこと、そういったことに直面していない、そういったことから、生命のとうとさあるいは命というものをどう考えるべきかということが基本的に身についていないのではないかという指摘をしていただいた参議院の文教委員の先生もいらっしゃいましたが、いろいろなものが複雑に絡み合って、そして今度の痛ましい事件になったのだというふうに私は受けとめておるわけでありまして、それぞれの分野で考えて、こういった痛ましい事態が二度と起こらないようにしていかなければならぬというふうに思っておる次第でございます。
#86
○江田委員 大臣が心を痛められておることには大いに敬服をいたしますが、しかし、よくよく反省をして二度とこういうことが起こらないようにと言っても、私はそうはいかないと思うのですね。これはやはり、何といいますか、今の日本あるいは今の世界の、世の中のあり方なり大きな動きなりというものを一種反映をしている象徴的な出来事ではないか、そういう感じがするのです。どうも子供のことになりますと、大人の方はでき上がった人間であって、大人社会は完成した社会であって、子供はまだ未完成の、これからだんだん成長する、いわばいろいろつくり上げられていく客体である、そういう感じがあって、そして、この子がうまく育たなかったのはあそこが悪い、ここが悪い、こうなるわけですが、それだけではないものがこの事件に含まれておるのではないかという気がして仕方がない。
 この事件についてはいろいろな議論がありまして、臨教審の中でも議論が行われたと新聞でも報道されておりますね。一つの議論としては、これは新聞の報道ですが、俵孝太郎専門委員というのが、「ああいう感受性の鋭い子の自殺を、制度の問題とか、教師や親の指導が悪いからだというのは間違っている。感受性の鋭すぎる子を持った親の不幸であり、そんな子を担任させられた先生の不幸と考えるしかない。逆に子どもにとっても、子どもの心を理解できぬ親や教師を持っためぐりあわせの悪さであり、世の中の葉の問題だ」、こう言っている。こういう見方も、それは一つの見方。
 しかし、もっとさらに進んで、業で片づけられてはやはりかなわぬ、私は必ずしも学習院大学の香山先生のすべての意見に賛成するわけではありませんが、この香山先生が文芸春秋にお書きの見方、これは「「個性を殺す」画一主義的学校教育の悲しい犠牲者の一人だ」。おもしろいと言うと悪いのですが、この治承という子供、大変に感受性が鋭い子であった。いろいろな詩とか作文とかがありまして、あるいは推理小説が非常に好きで、推理小説に読みふけって、自分でも推理小説を、まあどの程度のできか知りませんが、書いていたりした。しかられた後の作文では、「「学校へ行ってしあわせになれるかだ。一段ずつ上の学校に行かなければならない。一番の会社に行って社長になってどうなるのだ」、「金を多くもっていたってひまなだけだ。昔は学校がなかった。その時、人は自由にくらせたんだ」、(世の中の進歩のために学校が必要というが)「これくらいで進歩をとめた方がいいと思う」」そんなようなことを書いている。香山先生の見方ですと、こういう非常に感性の豊かな、ある意味で「子供たちは教師や親の世代よりも遙かに肉体的、精神的に早熟化傾向を強めているし、遥かに個性化し、多様化している」、これを自覚しなければならぬ。そして、この自覚が実は今ないんだ。「幼い治君の文章には、二十一世紀への文明の転換の鋭い予感がある。だが、十九世紀流の画一的、硬直的な教育を受けて育った教師たちの多くには、こうした幼い二十一世紀人の感覚も発想も理解できなかったのであろう。子供たちの方が教師や親たちよりも遙かに進んでしまっているときに、遅れている古い世代が、自分たちよりも遥かに進んでいる若い世代を、そのことに無自覚なまま、古い鋳型に無理矢理に押し込もうとして必死になっているという悲喜劇的アナクロニズム。」と、いかにも学者風な言い方ですが、そんな指摘がありました。
 恐らくいろいろな意味で香山先生と見解を異にされるであろうと予想される東大教養学部の見田宗介教授が、この点については、これは朝日新聞ですが、この判断は、まあ全体ではありませんが、「引用部分に関するかぎり正しいと思う。」問題は、香山教授は競争社会への鋭い抗議というこの治君の行動のもう一つの側面を見ていないと言って批判をしているわけです。
 いずれにしても、そういう十九世紀人が二十一世紀人に対して集団的にリンチを加えているのだ、二十一世紀からの留学生というのを私たちは理解できないくせに、二十一世紀あるいは十九世紀の観念に押し込もうとして一生懸命やっている、そういうことが実は大変に激動していく今の時代に悲劇を生んでいるのじゃないかという、これは特に治君を神格化したり英雄化したりするのではなくて、そういう側面がある。つまり、教育というのはそういうものを持っているので、子供たちというのは、できのいい悪いにかかわらず本質的に二十一世紀からの留学生なのだ、我々のこの二十世紀に送られた留学生で、これをどうやって大事に育てて二十一世紀を担う次の国民をつくっていくかということが教育なのだ。しかし、二十一世紀からの留学生というのは我々のわからないものも持っている。この大変な変化の時代に、例えば私もそうですし、恐らく文部大臣もそうだと思いますが、コンピューターのプログラムなんかなかなか自分で組んだりはできないですね。コンピューターゲームなんて子供があんなに熱中している。それは僕らはなかなかついていけない。そういうものを持った子供たちだという、そういう点が教育にはあるんじゃないか。いかがですか。
#87
○松永国務大臣 この問題につきましては、すなわち杉本君の自殺という問題につきましては、いろいろな方が、いろいろな考え方で、いろいろな意見を述べていらっしゃいます。それだけにいろいろな方面にショックを与えた事件だと思います。
 私は、次のように考えるわけです。
 その一つは、人間というのは、現在生まれてくる子供も、五十年前に生まれた人も、百年前に生まれた人も、生まれたときにはそう変わらない人間として生まれてきたものだと私は思いますが、その後の環境、それから育てられ方、教育の仕方、それによって五十年前の人や百年前の人とは違った能力を持ちあるいは特性を持ったそういう人間に育っていくんじゃなかろうか、こういうふうに思います。
 そこで、この子の場合のことでございますが、まず、これは江田先生の場合もあると思ったのですけれども、私どもの場合には小さいときから兄弟がおり、そしておじいちゃん、おばあちゃんがいるという環境で幼年期、少年期は過ごしました。そしてまた、弟や妹があれば、その子供の生命を通じて自分自身の生命の神秘さというものも、理屈の上では別といたしまして。ある程度わかりながら育っていくのじゃないか。それからまた、親や近い身内の死にも子供のときから直面したこともありますが、そういったことを通じて生命の神秘さというものを、言葉の上では生命の神秘さというわからないような言葉になりますけれども、子供にとってはやはり何らかのそういう事態に遭うことによって人間として大きくなっていくのじゃないか。
 今の子供は、まず兄弟がいない子が多い、おじいちゃん、おばあちゃんもいない子が多い。それから、かぎっ子というような状態の子供も多い。そこらが、今までの子供とは違った環境のもとで子供が育っていくという問題が一つあろうかと思います。
 それからもう一つは、社会の環境も随分変わってきておりまして、学校から自分のうちに帰ってくれば、その付近で全く屈託なく遊べる友達がおって、幼児期から少年期から遊んでおったわけでありまして、現在ではそういう環境がなくなっておるという地域が出てきております。
 この子供の場合も、学校から帰ってきて遊ぶべき友達はいなかったように受け取られるわけでありまして、そこも今まで私どもが子供を考える場合と違った条件下で生活していたんだな。そういった問題もあるわけでありまして、学校にもいろいろな問題もあろうかと思いますが、家庭及びその環境、その子を育てる地域とその環境、こういったものの影響で、いろいろなことがその子供の今回の行動に影響しているのじゃなかろうかというふうに思うわけであります。そしてまた、今のコンピューターゲームの問題も、生まれてから後のいろいろな条件があるものですから、私どもではできないことがあの子供たちにはできる。やはり環境が及ぼす影響は大きいものだなというふうに私は思っておるわけでございます。
#88
○江田委員 環境が大きく変わっていって、その中で人間も時代時代でだんだん変わっていく。そうなんですが、ただそれだけではなくて、やはり我々は環境の変化に後からついていく。何とか自分がついていけるようにと努力をしたり、時には努力を放棄したり。しかし、子供たちというのは既にその環境変化の先に進んでいるというようなところがあるのじゃないかということなんですね。どうも教育がこれまでは、こういうものを理想とする、これに向けてとにかくできるだけ能率よく子供を鋳型にはめ込んでいってという傾向が強かったけれども、今そういう画一主義といいますか、これがどうもうまくいかなくなってきておる。
 例えば、この治君の場合に、推理小説を読みふける。そんなに推理小説ばかり読んで空想に閉じこもらずにとかいって先生に怒られる。先生の側の持っている個性とまるで違う個性がここにあるわけですね。それが一体教育なんだろうか。この子供は推理小説ばかり読んで、だんだん空想の世界に閉じこもっていって、ひねくれていっているからというように見ることが本当に教育のあり方なんだろうか。学校を破産させてやるとか言った、子供らしくない。あるいは「典子は、今」というのを見て、大人から見ると余り芳しくない作文を書いた。おぼれるのを僕なら助けてやらないとか書いたとかいうのでしたかね。子供らしくないとかあるとか、大人が、子供というのはこういうものでこう考えてこう行動すべきものだというのを決めて、それに押し込んでいくところが、子供たちはどうも大人が決めた子供らしさと違うものが今たくさんできてきて、そしてまたおもしろい本があって、学校が子供たちを捨て始めているというようなテーマで登校拒否をとらえているような本にも私出会いましたけれども、子供たちが学校というところでもとてもいたたまれなくなって飛び出していく。しかし、それでは社会的にいろいろなあつれきがある。親ともいろいろ摩擦が起こる。何とかしなければというんで自分を押し殺して、そしておもしろくもない学校へ行って適当に、先生はこう考えたら多分喜ぶだろう、親はこういうふうに行動したら多分うれしがるだろうというのでやっておれば、それでいい子だね、本当に元気を出せば学校へも行けるじゃないのとみんなが喜んでくれる。子供の方は完全に白け切っている。子供に対してはもうちょっと厳しく、あるいは余り理解理解じゃなくてきつく当たらなければならぬという、それも教育の一つの面ですが、私は、今それだけでは済まないところへ来ている、子供というものの見方を今までと大きく軌道修正をしなければいかぬところに世の中全体が来ているんだということを、自分で高校、中学、小学校の子育てをし、子育ての失敗をいろいろ味わいながら感じているのですが、文部大臣どうですか。
#89
○松永国務大臣 子育ての段階で、時代が変わろうともあるいは二十世紀が二十一世紀になっても変わらないものも幾つかあると思います、それは人間の社会で人間が生きていく以上。しかし、今先生の御指摘のように、教師あるいは親が自分の一定の思想、一定の観念を持っておいてそれに当てはめるというふうな行き方、やり方、育て方あるいは教育の仕方というものはいかがなものであろうかな、それは私もそう思います。
 例えば、この子が大変推理小説が好きであった。それはそれで私はとがめ立てすべきことではないと思うのです。その他の面で特別、推理小説が好きだということによって他に迷惑を及ぼすとかあるいはほかの科目の勉強などは全くほったらかしているとか、そういった特段のことがない限り、これは推理小説好きならば好きで読むことも一向差し支えないわけでありまして、また作文も、小学校五年生の作文として、その先生は自分の物の考え方からすれば特異な作文に見たかもしれませんが、しかし、教師というものは、その子の表現力その他をやはり見てやる、そういうことも大切なことではないかなというふうに思うわけであります。いずれにせよ、戦前のような枠にはめ込んでそして教育をするということの反省から本来ならば戦後の教育はスタートしたのじゃないかな、こう思うのでありますけれども、いつの間にかまた別な形の画一的な教育という弊害も出てきているのじゃなかろうかというふうに思うわけでありまして、改むべき点はやはり早急に改めることが望ましいというふうに思います。
#90
○江田委員 どうもいま一という感じがするのですね。推理小説ばかり読み過ぎてほかの科目をやらない、それはもう特段な事情だから、そうなると推理小説の方はちょっと遠慮させなければならぬ、それでいいのかな。そこらが大きく反省をしなければならぬところじゃないのか。サッカーばかりやる、ほかのことをやらない。サッカーはやめてほかの勉強をしなさい、こう言われて自殺をした子がそのすぐ後いましたね。これも、それは大人から見たら確かに心配なことですよ。
    〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
これからの受験競争をどうやって勝ち残っていってくれるだろうか。だけれども、大人がこれからの受験競争を子供が勝ち残っていくことにその子の幸せを見ても、その子が本当にそれで幸せかどうかわからない時代が今来ているわけで、そこをもう一つ踏み越えなければいけないんじゃないか。また、それどころじゃなくて、実は今の学校、例えば知識の伝達というようなことを見ても、本来知らないことに出会ってそのことがわかる、これは大変な喜びであり、興奮を覚えることのはずです。ところが、今みたいに山ほど宿題はあり、山ほど覚えることはあって、知らないことに出会うことは苦しみであり、知らないことを覚えることは耐えがたい苦痛以外の何物でもないという状態に、これでもかこれでもかとしながら、その苦しみと苦痛とを乗り越えて初めて、ちゃんと受験競争に勝っていけるというようなあり方が本当にいいのか。大変に知識の伝達という教育の一番の基本でさえ、今本来の教育と違ったものになってしまっているという感じがして仕方がない。
 また、子供の進歩といいますか発達といいますか、ペースというのもさまざまですね。ゆっくり行く子もおれば、割に速い子供もおるので、ゆっくり行く子が一体いけないのか。ペースの個性化というようなこともあるだろうと思うのですね。飛び級というようなことも今盛んに議論がありますけれども、飛び級の方じゃなくて、もうちょっとゆっくりしたっていいじゃないか。試験の五十分なら五十分の間に、試験の問題を全部解答できるという、それはそれにこしたことはないかもしらぬけれども、しかし、子供によっては、ゆっくり考えて、じっくり考えて、いろいろな周りのことも全部気になって、五十分ではとてもあるテストの問題をもてあますという子供もいる。その子供はそれじゃ社会的に能力が劣るんだろうか。それはペースがゆっくりしているという一つの個性だというふうになぜ考えられないんだろうかということなんですね。
 さっきも給食の話が出ておりましたが、給食で、例えば給食の時間にずっと音楽が鳴っている。音楽が終わるまでに食べなければならぬ。その音楽が終わったら、食べ終わっていようが終わっていまいが、もう片づけられて、はい給食はこれで終わり、そういうような教育をやっておる学校もあるようですが、そんなことをどうお感じですか。
#91
○松永国務大臣 今の教育のあり方あるいは人間を育てる育て方について、いろいろな意見もありますし、また、子供の個性を伸ばしていくためにどういうやり方が妥当なんだろうか、いろいろな意見があろうかと思います。そういうふうなことでありますが、しかし、どうも義務教育というのは、人間社会を支える構成員を立派に育てるという使命がありますし、また、社会生活をしていく上で必要な生活習慣その他を身につけさせるという面もあるがために、今先生のおっしゃったようなことも起こってきていると思うのです。現在の人間社会におきましては、まさか昼食の時間を二時間かけてやらなければ食べられないというのでは、どうも社会生活にうまく対応していけない。そこで、三十分なりあるいは四十分なりという時間帯で昼食は済ませるというのが、今の社会生活の常識なものですから、それに合って生きていけるような生活習慣を身につけさせるという点から、ある時間内に終わりなさいというふうになっているんだろうと思うのですけれども、義務教育段階では、ある程度そういう点も教え込んで、あるいはなれさせるという点もあるんじゃなかろうかなと思うのでありまして、いろいろな考え方、いろいろな意見はあろうと思いますけれども、現在の社会生活の実態を考えると、やはり社会の中で対応していけるような生活習慣を身につけさせるという実は大切な面もあるわけでありまして、そういうことから来ているんじゃなかろうかなというふうに思うわけでございます。
#92
○江田委員 実は、学校で三十分も四十分も給食に時間をかけていないんですね。もっと短いんですよ。それは本当にもう大変なんですよ。それは文部大臣のおっしゃることもわかりますけれども、しかし、これからは食事を楽しむというようなことも、これは人間の大切な素養になってくる。それは、日本人が一番困るのは、外国へ行ってゆっくりと二時間もかける食事にもう退屈して退屈して――これからの国際社会に生きていこうと思うとこれじゃ困るわけですね。困るからゆっくり食べる方法を覚えろというんじゃなくて、もっと何かゆとりがなければいかぬ。ところが、今ゆとりなんというと、さあゆとりですから、みんな一生懸命頑張ってゆとりを持ちましょうという、ゆとりの持ち方の競争なんという、そんなむちゃなことにどうしてもなってしまうような現実がある。世の中全体にやはり遊びがない。どうもまじめの持つ害悪といいますか、そういうことを僕らはもう少し理解をしなければいけないんじゃないか。
 治君の先生の場合に、何かマージャンをやられていた。生徒の前では、何ですか、学校を破産させると言ったら、それでもうとても許せないという大変に生まじめな聖人君子で、一方自分の私生活に戻ったら、マージャンが別に聖人君子に反するわけでも何でもないと思いますけれども、何かそういうゆとりは全部自分の私生活の方に持っていってしまって、子供と対するときにはまじめ一方という、そういう何というか教育、これは教育なんだろうか。あの先生方を、そういうふうに先生方に対してもまた一つの鋳型をつくってそれにはめ込んで、教師はかくあるべしと大変に管理をしていくという傾向がちょっと行き過ぎているんじゃないかという面もあると思うのです。
 千葉県で中学の教師が、子供から高校受験の志願の用紙を預かって、これを出し忘れた。ところが、この子供に対しては特別に受験の機会を与えることなく、結局子供は受験できなくて、二十日間もあるのに救済は何もされなかった。後にこの忘れた教師には処分が下された、こういう例がありますが、この事件なども、どうですか、子供に対して教師と教育委員会が共謀して加害者になっているというふうに言えないでしょうかね。教師を幾ら処分してみても、この子供は救えないんですね。ところが教育委員会の方は、いや、それはそういうことがあると、これを一つ例外を認めると、全体の秩序が乱れるから、こう言うんでしょうが、しかし、教育というのは一人一人の人間との営みですね。全体をということよりも、もっと一人一人の人間をどういうふうにしていくのかということを考えないと、それを忘れた教育というのはないと思うのですが、この千葉県の事例はいかがお考えですか。
#93
○松永国務大臣 中学校で先生が生徒の入学願書をまとめて提出する、これもまたそれなりのメリットがあってなさっていることだと思いますし、一部またある学校では、入学願書を自分で持っていくことによって、これまた自分で持っていくということにいい点もあるんだ、いろいろ意見もあるわけでありまして、それはそれぞれのやり方があってよろしい、こう思うのであります。
 本件の場合でありますが、千葉県教育委員会がなさったことについて今私があれこれ言うのは適当でないと思いますけれども、子供には何の落ち度もないし、また何のうそもない。専ら学校の先生の一〇〇%ミスであった。また、これを仮に救ったからといって弊害も起こらない。競争率か何かのパーセンテージの出し方がどうとかという程度の話だったようでございますが、それは決して大して問題じゃないわけでございますから、ならば、この子を救うという措置はとれたのじゃなかろうかなというふうな感じは私は持っておるわけであります。
 しかし、私がこの立場で、千葉県の教育委員会の処置は妥当であった、不適当であったというように言うわけにはまいりませんが、個人的な気持ちからすれば、救えただろうにな。先生御指摘のように、手落ちを犯した教師も非難をしたりあるいは処分をしたからといって、将来はそういうミスを起こさぬようにより一層慎むでしょうから、それはそれなりに意味があるでしょうけれども、この子供の問題としては意味のないことなんでありまして、この子のその取り扱いについてはほかの、救ってあげるということも可能であったのになというのが、私の個人的な感じでございます。
#94
○江田委員 今のようなお答えですと、千葉県の教育委員会がとった措置は妥当でないと言ったも等しいと思いますけれども、本当に困ると思うのです。全体のことももちろん大切ですが、競争率が明らかになった後に志願を認めるとそれがみんなに広がってえらいことになるとか、何か大げさに考え過ぎて、具体的妥当性というのをもうちょっと大切にしなければ教育なんて成り立たない。芋の子を洗ってというのじゃないので、教育というのは本質的に一人一人個性を持った子供をどうするかということなんですから。
 さて、こういう教育論議ばかりやっていてもどうも切りがないのですが、これからの学校教育、いろいろなことを考えていかなければならぬと思います。今までのような知育偏重、そして競争競争とやっていってどんどん人を選別していくという形の教育がもうそろそろ壁に突き当たっているぞというそういう反省がいろいろなところから出ておりまして、そういう反省の所産の一つとして、私はやはり家庭科の問題があると思うのです。
 これまでこの委員会で私が何度も質問もし提案もしてまいりました家庭科というものをひとつ大いに見直して、単に調理、被服というだけでなくて、人間の生活の根本をしっかりと身につけさせていく。調理、被服ももちろんありますが、住居の問題、家庭経済の問題、親と子の問題、夫と妻の問題、セックスの問題あるいは自然とのつき合いの問題、さまざまなそういう生活に関する学問と家庭科を位置づけ直して、そして男の子、女の子両方ともそうしたことが大切なんだということでしっかり教えていく。男は外で仕事、女は家庭を守るということだけがいいという時代ではもうないわけで、男も家庭生活について応分の責任も持ち負担もしていく、女性もまたどんどん社会に進出していく、そういう時代が来ているわけで、家庭科を見直して男女共学にしてはどうかということを申し上げてまいりました。これは検討会議で検討される、そして新しい方向を出していくというお話でしたが、その後どうなっているかを実はまだ本委員会で報告いただいていないと思うので、その報告をいただきたいと思うのです。
#95
○高石政府委員 その後の経過を御報告申し上げます。
 昭和五十九年六月に家庭科教育に関する検討会議を開設いたしまして、同年十二月に報告をいただいたわけでございます。
 その報告の内容は、一つは、中学校における教育につきましては、男女とも共通に履修させる領域と生徒の興味、関心等に応じて履修させる領域を設けて、男女とも選択できるようにしていく。それから、高等学校については、家庭一般を男女とも選択必修することができるような従来の家庭科の領域を広げた科目に設定を検討した上で選択必修ができるようにする、こういう骨子でございます。
 いずれにいたしましても、この内容は中学校、高等学校の教育課程全体に影響がありますので、この具体的な改定は教育課程審議会においてその方向で最終的な結論を出し実施に移してほしい、こういう趣旨の内容が検討会議の結果でございます。
#96
○江田委員 そういう検討会議の結果が出されて、それでもう女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約の批准の国内の条件整備は整ったと考えられるのでしょうか。これは外務省お答えください。
#97
○高木説明員 お答えいたします。
 昨年暮れの家庭科教育に関する検討会議の報告は、高等学校家庭一般における女子のみ必修などの家庭科教育における男女異なる取り扱いを改めていくことを明らかにしております。
 他方、文部省はかねてより家庭科に関し条約の批准の妨げとならないようにしていく方針と承知しております。したがって、次期教育課程審議会における学習指導要領の見直しを通じ、合理的一定期間内には教育課程についての機会は男女同一となると判断されますので、教育分野について本条約批准の上での問題は基本的には解消したものと考えております。
#98
○江田委員 家庭科についての教育課程というのは男女同一の条件になる、こう判断できるから、こういうことなんですが、その判断が狂うとこれは大変なことですね。文部省の方は、文部大臣いかがですか、そういう外務省の判断を狂わせないようにしていくということをお約束いただけるでしょうか。
#99
○松永国務大臣 そのようにいたしてまいります。
 なお、国内的な法律の定める手続に基づいてこれが実現に向けてこれから手続を済ましていくわけでありますから、そのことも含めて条約批准の妨げにはならないというように承知いたしておりますし、その措置をこれから手続を踏んで実行していく所存でございます。
#100
○江田委員 ところで、家庭科をいろいろつくりかえていくという議論の中で、男子向き家庭科と女子向き家庭科というふうに分けて教育課程をつくってみようというような意見もあるやに伺うのですが、おかしいですね。男子向き家庭科、女子向き家庭科なんというのはないので、家庭科は家庭科。女子差別撤廃条約の中でも「すべての段階及びあらゆる形態の教育における男女の役割についての定型化された概念の撤廃。」家庭科というのが男子はこう、女子はこう、そういう定型化された性の違いによって役割を分担させるという概念を撤廃しなければならぬというのがこの条約ですが、この男子向き家庭科なんという議論はどうなるのですか。
#101
○高石政府委員 そういうことではございませんで、この検討会議の中で述べておりますのは、「現行の「家庭一般」のほかに、例えば、衣・食・住及び保育などの内容のいずれかに重点を置いたり、家庭生活に必要な知識・技術に重点を置いたりした新しいタイプの家庭に関する科目をいくつか設け、その組合せの中からいずれかの科目を選択必修させる方法。」ということでございます。したがいまして、従来家庭一般で取り扱った領域では狭い、もう少しこれを広げていってその中から男女とも選択できるようにしていこうというのが一の考え方でございます。
 もう一つは、「「家庭一般」と他教科の科目を組合せ、その中からいずれかの科目を選択必修させる」というわけですから、これは男女とも一定の幅の中で平等に選択して必修にさせるということでございますから、男子向き、女子向きということを想定しているわけではないわけでございます。
#102
○江田委員 その前者の方ですね。これがカリキュラムの組み方などが、男子はこれこれこういう科目しかとれない、女子はこれこれこういう科目しかとれない、そんなカリキュラムというのもどうも大変難しくて、そういうことにならないようにお願いをしたい。
 それから、二つ目の方ですが、他教科というのは例えば英語とか数学とかというのも含めてということになるのでしょうか。もし、例えば英語と家庭一般とどっちでも男女ともに好きなようにとれというようなことをやると、学校によっては、うちは家庭一般はもうとらさなくてみんな英語をとりなさいというようなことになっていくのが目に見えているような気がするのですが、いかがですか。
#103
○高石政府委員 この他教科の内容については教育課程審議会で議論を詰めて具体的なことを論議しているわけでございますが、今例示されましたような英語とか数学とかそういうようなものじゃなくして、もう少し家庭科に類似するような教科ということになろうか。と思います。
#104
○江田委員 ところで、外務省にもう一つ伺いますが、婦人差別撤廃条約、正式には女子差別撤廃条約というのですか、これは法律用語でああだこうだという議論がいろいろあるのでしょうが、言葉に対するセンスの問題として、一体女子差別というのはどういうセンスなのか、そこらの経緯をちょっと伺います。
#105
○高木説明員 我が国の法令用語としての使い方におきましては、「婦人」という言葉は通常一定年齢以上の女子を指す場合に用いられておりますが、この一定年齢以上の女子のみならず広くすべての女子を対象としているというようなことで、「婦人」を「女子」に改めるのが適当ではないかという判断に至ったものでございます。
#106
○江田委員 そうすると「女子」となるのですかね。私も法律家ですが、どうも「女子」よりも「女性」の方がいいのじゃないかと思うのですけれども。まあこれは押し問答になりますが、そこらにもどうも行政というもののセンスの悪さが出ているような気がして仕方ありませんが、大臣どうですか。
#107
○松永国務大臣 女子、女性、婦人、いろいろございまして、どれが一番妥当なのか私にもよくわかりかねるわけでありまして、専門家の御意見と御判断を待ちたい、こういうふうに思っております。
#108
○江田委員 どうもおもしろくないですね。中学もこうなったらもう技術と家庭とを一つにひっくくっておく必然性はないのじゃないかと思うのです。家庭というものをひとつ技術から独立をさせてはいかがかと思いますが、どうですか。
#109
○高石政府委員 これも次期の教育課程審議会で論議していかなければならないと思いますが、一方においていろいろな教科を独立させて授業時間数をふやしていくということについての問題もございますので、そういうことを総合的に判断した上で次期教育課程審議会で論議をしていただきたいと思います。
#110
○江田委員 ところで、いろいろな問題がまだまだあるのですが、これからの教育、今家庭科も一つですが、大きくこれから教育が取り組んでいかなければならぬ科目といいますか教育の中身として、年金の問題とかあるいは特許とか著作権とかいう知的財産権の問題とか、こういう問題があると思うのです。これから高齢化社会、世の中のあり方が大きく変わってくる、こういう時代に年金というのがいろいろ議論をされているわけですが、今までのように生活に困ったお年寄りに援助の手を差し伸べるという年金とは性格を異にしてくるのじゃないかと思うのです。人間の生活のサイクルが、幼いころは親によって扶養されて、働く時期に大いに働いて、そして熟年期になると年金ということで財政的、経済的基礎が支えられる、そういう一つのライフサイクルが次第にできてくる。したがって、そうしたライフサイクルについての、そして年金についての社会的コンセンサスをどういうふうにつくっていくかというのがこれからの教育で大変に大切なことになっていくと思いますが、厚生省はそういう年金についての国民的な理解をつくっていくことについてどんなお考えをお持ちですか。
#111
○渡辺説明員 先生御指摘のとおり、これから急速に高齢化社会がやってくる、こういう中でたくさんのお年寄りの生活保障をどうしていくかというのは大きな問題でございます。基本的に、お年寄りがふえるということは、寿命が長くなる、余命が長くなるということは大変結構なことでございますけれども、その老後の生活保障をきちんとするということはこれまた大変大事なことだろうと思います。その老後の生活保障の中心になりますのは公的な年金制度だろう。公的な年金制度は、私的なものと違いまして、隠退をされましたお年寄りの世代を現役の働く若い世代が順々に支えていくという世代間の扶養システム、先生おっしゃったとおりのものでございまして、それであるからこそ、社会経済情勢の変動に対応して年金の実質価値も維持できる。したがって、老後の生活の大きな柱になり得るわけでございます。
 そういうことを考えますと、将来制度を支えることになる若い方々に年金制度についての正しい理解を深めていただく必要がある、私どもは基本的にそう考えております。
#112
○江田委員 例えば、二十になりますとたばこが吸える、酒が飲める、ちょっと気のきいた者は選挙権ができる。しかし、二十になったら年金に入ることができる、入らなければならぬというのはまだ、一部にはあるかもしれませんが、まあ見えてこないですね、そういうような意識が国民にあるということは。学校教育、教科書の中なんかでもそういう意味での年金というものの理解をもっと深めるような記述がなければいけないと私は思うのですが、どうですか。
#113
○松永国務大臣 年金というのは社会保障制度の中核的な仕組みであると思うのでありまして、そうした仕組みについて学校教育で子供に教えていくということは適当なことである、そうすべき事柄であるというふうに思います。
 問題は、子供の発達段階からいってどの段階で教えるべきかという問題であろうかと思うのでございまして、小学校ではちょっとわかりにくいのじゃなかろうかな、中学の後の段階あるいは高等学校等ですべき事柄じゃなかろうかな。いずれにせよ、子供の発達段階を考えながら適当な時期に教えるべき事柄であるというふうに思います。
 なお、実際には教科書でもそうしたことについての記述はあるようでございます。
#114
○江田委員 教科書の記述が、たしか去年の暮れごろでしたか伺いましたら、困ったお年寄りの生活を支えるという意味で年金というものがある、そういう記述はあるようですが、しかし、まだまだそれじゃ足りませんね。ヨーロッパなどではペンションというのは全く普通の言葉ですからね。自分のすぐ近所にいるお年寄りが年金で生活をしているということの知識ぐらいは小さな子供が持っていてもおかしくない時代がこれから来なければいけない。
 それから、特許とか著作権とか、とりわけ特許ですが、これはこれからの日本、技術立国の日本が知的な創意工夫というものに依拠しなければならぬ度合いというものはますます強まっていくと思うのです。今発明とか工夫とか、これは発明工夫展があるとか、あるいは技術革新については教科書の中でいろいろと触れられておる。ロボットの問題にしてもいろいろ触れられておる。しかし、そういう知的創造性の産物が物になったときにどうなるかということはいろいろ書いてあるけれども、そういう知的生産性自体の権利性、これはちょっと、どういうふうに説明をすれば子供たちにうまくわかるように説明できるのか難しいですが、そうしたことをこれからやはり大切にしていかなければいかぬ時期が来ていると思うのです。世の中、腕力ででき上がっている部分もあるけれども、それはだんだん割合が少なくなってきましたね。腕力の延長である武器というのも、これはだんだん役割が少なくなってきたし、これからますます少なくしなければならぬ。あるいは人間の生産活動によってでき上がった物とか金とか、この役割というのも、これも非常に大きくて無視はできないけれども、しかし、そういう物とか金よりさらに進んで、そういうハード面から次第にソフト面に世の中移っていかなければならぬという時代だと思うのですね。
 そこで、特許権とかあるいは工業所有権、無体財産権、そしてさらに著作権、実用新案、意匠、商号、こういうものはどう扱うか。これはいろいろ検討しなければならぬけれども、学校教育の中なんかでももうそろそろ扱わなければならぬ時代が来ていると思うのですね。特許については、私も何冊か教科書を当たってみましたけれども、記述がないですね。また、今の学習指導要領の中でも、特許などを一体どこで教えるかというのが、まことにうまくすぽっと入る場所がないのですよ。これはもう既にこの委員会でも、昭和五十七年でしょうか、河野洋平さんが委員として質疑をされて、取り組むという答弁をいただいているようで、それからも大分時間も経過をしておりますが、どういう取り組みで、これから特許権などについてどう考えていかれるのか、お答えください。
#115
○高石政府委員 先ほど大臣が御答弁申し上げましたように、発達段階に応じてどの段階で教えたらいいか、どういう教科で教えたらいいかという問題があるわけでございます。今御指摘になりました事項につきましては、例えば高等学校段階の商業法規それから工業経営、こういう教科書ではかなり具体的に記述されておりまして、無体財産権について総論的に、またそれぞれの工業所有権、商標権、著作権、こういうことについても記述をしているわけでございます。そういうことで、現在のところはそうした高等学校段階における商業、工業、そういう教育の場でこの内容を教えるという段階まで来ているわけでございます。
#116
○江田委員 特許庁お見えだと思いますが、この特許権について社会の理解を大いに深めていく、とりわけ未来を背負う若い人たち、学校教育の中などでも特許についての理解を深めていくようにしていくということについて、特許庁、どうお考えで、どういうことをされていますか。
#117
○高瀬説明員 ただいま先生御指摘の、特許等の工業所有権制度の普及啓発の問題でございますが、この工業所有権制度が明治十八年にできまして、ちょうどことしで百年目に当たります。この一世紀の間の産業技術の発達は非常に目覚ましいものがあるわけでございます。それを支えてきたのが工業所有権制度でございます。いわば今日の高度産業技術社会というのが、工業所有権制度の土台あるいは基礎の上に成り立っておるということも言えようかと思います。ただ、こういう非常に重要な役割を果たしてきた制度であるにもかかわりませず、その制度自体が大変技術的かつ専門的な性格を持っておりまして、なかなか広く国民各層一般に理解されがたいという面がございます。
 そこで、特許庁といたしましては、特許庁自身の仕事として、あるいは社団法人で発明協会という団体がございますが、そこの各種事業を通じ、また政府の広報予算等の活用をしていただきながら、広く一般の理解を求めておるところでございます。また、今申し上げましたように、ことしが工業所有権制度ができまして百年目に当たるということで、いろいろな記念行事、事業等を企画しておるところでございますが、こういった記念事業でも、広く一般にこの制度の重要性をPRしていこうということで今やっておるところでございます。
 例えば、その一端を紹介いたしますと、小中学生を対象にいたしました作文コンクールを行いまして、これはもう既に表彰式も終わっておりますが、できるだけ小学生、中学生の皆さんにもこの制度自体についての認識を深めてもらうという意味で、テーマとしてはやや難しいという懸念もあったわけでございますが、特許を考えるというようなテーマで募集をいたしましたところ、千数百件の応募がございました。しかも、非常に中身の充実した立派な作品が数多く寄せられまして、我々としてはこの企てが成功をおさめたものというふうに評価をしておるわけでございます。そのほか、中学生あるいは高校生を対象にいたしましたパンフレットをつくる、記念映画をつくるとか、その他いろいろな形でPRに努めております。
 特許庁といたしましては、これからもいろいろな機会をとらえて、広く国民各層の理解を得るべく努力をいたしたいと思っておりますが、やはり今後の新しい技術社会を迎えまして、この制度の重要性というのはますます高まる一方であると思いますので、できるだけ関係者、関係各方面の協力も得ながら一層のPRに努めたいというふうに考えております。
#118
○江田委員 特許庁の方もそういう御希望、熱意をお持ちでいろいろやられているようだし、それから、特許に関する民間の特許の事務に携わる弁理士会の皆さん方も、文部省に、教科書でひとつ特許のことをぜひ取り上げてくれというような陳情もされているようなので、文部省の方でひとつ大いに理解を深めて、この皆さんの御希望にこたえるようにしていただきたい。これは私も陳情を申し上げておきます。
 それから、年金のことをちょっと申しましたが、これから高齢化社会、例えば寝たきり老人とか痴呆性老人とかだんだんふえてくる時代です。この寝たきりとか痴呆性老人を抱えた家庭の個々の家庭にかかってくる負担というのが実に大変なことになってくるわけですが、こういう老人を介護するということが高齢化社会の一つの大きな課題になると言われておるわけです。そこで、老人の介護の技術といいますか、ノーハウといいますか、これがやはり社会的に広くすそ野を広げた一つの厚い層になってこないと、高齢化社会というものに我々耐えられなくなっていくのじゃないか、そういう心配があります。
 そこで、これは一つ提案ですが、こういうお年寄りの介護というものを一つの資格にしてみてはどうだろう。老人弁護士といいますか、そういう資格制度をつくって、そして例えば自分のところで寝たきり老人をみとった、その大変な苦労というものが、個人的な経験に終わるのではなくて、社会的にひとつ意味あるような形にする必要があるのじゃないか。そういう老人の介護についての技術、経験というものが社会的にきちんと存在をしていくようなチャネルをつくる必要があるのではないかと思うのです。これは厚生省いかがですか。
#119
○阿部説明員 お答え申し上げます。
 先生御指摘のように、これからの高齢社会を考えますときに、特に寝たきり老人、痴呆性老人といったふうな方々、国民みんなでお世話しなければならぬ方々が大変多くなるということでございますし、そういう意味で介護というものをもう少し、一部の方々の何か特定の技術ということじゃなくて、幅広くそのノーハウ等を国民全体の共有財産という形で残していくといいましょうか、もっと普及させていくということはぜひ必要なことだろうというふうに認識しております。
 ただ、具体的に一つの資格制度といいましょうか、そういうことになじむものなのかどうか、その辺、もう少し検討が必要なんじゃないかなと思っております。といいますのは、やはり介護といいましても、身の回りのお世話、お食事のお世話、衣服の着脱、お下のお世話等もございますし、あるいは広い意味でいいますと相談相手になるというようなこともその要素の一つでございますので、特に一つの施設等においては寮母ということでやっておりますし、片や私どもの制度的なものとしてはホームヘルパーという制度もございますけれども、基本的にはやはり御家庭での介護機能というものとかなり類似性を持ったものでございますので、確かに専門的な横断的な資格制度というものになじむのかどうか、その辺はちょっとこれから研究させていただきたいと思います。ただ、どっちにしろ、これからの高齢社会を考えますときに、介護という問題が、ある意味での国民全体の一つの素養といいましょうか、そういうことになるように、普及ということも十分考えていかなければいかぬ問題だというふうに考えております。
#120
○江田委員 確かに、何でも全部資格にしてしまえばいいんだということでもない、それよりもむしろ実態の方が大切だということもあると思うんですね。ただ、今のお答えにもありましたように、個人的体験で終わらせてしまうのではなくて、それが社会的に一つの存在になっていくということでないと、いろいろな施設で老人介護のための人を雇って、雇った後にその人を養成をして老人介護の専門家をつくっていくということもあるけれども、やめてしまえばそれっきりということになるのではまた困るので、資格制度がいいのか、あるいはもっと何かいいやり方があるのか考えていただきたいと思うのですが、文部省も、そういう老人介護の専門家を養成をいていくといった機能を持った専修学校といいますか、そういうものをもっともっとつくっていくというような問題意識をお持ちになる必要があるんじゃないか。ひとつ厚生省と文部省とで、これからの高齢化社会に向けての介護のための人材のあり方、あるいは介護する人の養成のあり方といったものを大いに検討していただきたいと思うのですが、いかがですか。
#121
○松永国務大臣 高齢化社会の到来を考えますと、老人介護についての知識を若者が持っておくということは非常に大事なことだと思います。そうした知識は、従来は、家庭の中で母が、親が祖父母の介護をしておる、それを手伝ったりそれを見ながらしておのずから身につける、そういう事態が多かったろうと思うのです。お年寄りを介護する技術とか知識というものは大体そういうものであったろうと思うのです。しかし今日では、そういう経験がなかなか得にくい、そういう事態に遭遇する例も少ないということから、残念ながらお年寄りを介護する知識なり技術なりを持っている人が日本の社会で少なくなってきているような感じがいたします。しかし、実際にはいろいろな経験をして知識や技術を持っていらっしゃる方がいるわけでありますから、そうした知識や技術が的確に伝承されていくことが望ましいことだというふうに私は思います。
 ただ、先ほどから問題になっておる職業的な資格の問題でございますが、これは厚生省の方で御判断なさることでございまして、もしその資格があることが望ましいことだということで厚生省が御判断なさいましたならば、文部省としては、厚生省と協議をしながらその資格を持った人の養成につきましては適切に対処していくようにしたい、こういうように考える次第でございます。
#122
○江田委員 話はちょっと変わるのですが、文部省、文化とか芸術とかといったものも文部省の役割の一つだろうと思いますが、余り文部省が、やれ日本文化はこうでなければならぬ、日本の芸術はこうあるべしとやられるのもまたどうも困ったもので――そうやっているという意味じゃなくて、やられると困ったもので、そうあってもいけませんが、しかし、やはり文化や芸術のあり方について一つの見識を持ち、一つの方向性を示していくというようなことも大切なことではあろうかと思います。
 そういうバランスの上に今度の文化庁の三浦長官の人事というものも生まれたのかと思いますが、どうもこれまで文化だ芸術だというと、すぐにやれ建物をつくって、劇場だ、コンサートだ、展覧会だというハード面に偏る気味があって、余りソフトについて文部省が口出しをするのもよくはないと思いますが、しかしハードのあり方も今大きく変わろうとしているときが来ているのではないか。特に、大都市の中で都市政策として一体どういう文化や芸術が必要なのか。大体今もう建築の設計などをなさる皆さんでも、建物をつくるというのが設計思想だという時代がそろそろ終わって、建物の中にどれだけ建物でない部分、空間部分ができるのかとか、あるいは一つ一つの建物じゃなくて町全体を、一体どういうふうに建物を配置し、どういう空間を配置し、どう緑を配置しという、そこまでいかないと建物をつくることもできない、すばらしいものをつくることができない、そういう時代が来ておると思いますが、緑とか広場とか空間とか太陽とか、こういうものが、特に都市の中では災害の際の安全ということとも関連をしてくるわけですが、こうしたことは文部省とは縁のないことだろうか、それとも大いに縁のあることでしょうか。どうでしょう。
#123
○加戸政府委員 文化施設等の建設が各地で行われているわけでございますけれども、もとより文化ホールあるいはそういう劇場のような形で施設が設けられました場合に、中の活用の面から考えることも当然でございますが、と同時に、芸術、文化を享受するという観点からいきますれば、当然にその環境等がそれぞれ文化活動に適した場であることが必要でございますし、そういった緑その他の空間等が当然備わっておるということは望ましいものと考えております。
#124
○江田委員 ヨーロッパの古い町並みなどで大変に緑があふれておる、いろいろなところに公園があるし広場がたくさんある、こういうものが単にそういう町の構造になっているというだけじゃなくて、一つのその人間のコミュニティーの文化水準をあらわすということもあると思うのですね。そういうことまでこれから考えていっていただきたいと思うのです。
 建設省に伺いますが、建設省はこういう点で、建設省と言えばとにかく物をつくるということにどうも傾きがちのように見られておるかもしれませんが、恐らくそうでもないんだろう、建設省の問題意識というのは最近もっと違ったものがあるんじゃないかと思いますが、いかがですか。
#125
○鈴木説明員 建設省におきましては、ただいま先生の御指摘のございましたように、終戦直後の単に物をつくる時代というものから、国民意識の変化あるいは社会情勢の変化等を踏まえまして、新しい時代に対応できるよういろいろ勉強しているところでございます。
 まず、昨年秋に結論を出しておりますが、建設大臣の諮問機関と申しますか、懇談会をつくりまして、美しい国土を建設するための懇談会というものをつくりまして、そこで各界の代表にお集まりいただきまして一応結論を出しております。さらに、現在、これは都市局でございますけれども、都市をどうやったら美しくできるかという観点から、都市景観懇談会というものをつくりまして、これも各界の代表の方にお集まりいただきまして、いろいろ意見を出していただいているところでございます。もちろん基本的には、私ども町づくりにタッチしております者としまして、道路をいかに余裕のある、ゆとりのある美しいものにするか、あるいは緑や公園をどのように確保するか、さらに水というものを美しくするために下水道をどのように整備していくかということが基本になるかと思いますけれども、町は単にそうした公共施設だけからできているものではございません。民間の建物も含めてできておりますので、トータルとして美しい町をどのようにつくっていくかということを現在勉強しているところでございます。
#126
○江田委員 時間を縮めたいと思うのでちょっとスピードを上げますが、豊島区に学芸大学の跡地がありまして、そこを都に払い下げて、そして都で芸術文化会館をつくるという計画があります。かなり広い場所で、今はまだ何もできていない、運動場とか緑とかということになっているわけですが、この場所をこういう芸術文化会館という建物にしてしまうのではなくて、ああいう人口調密地域、密集地域ですので、防災の観点からも、あるいは今のよりよい都市空間をつくっていくという観点からも、ここを公園にしろ、こういう要望もあります。今はこの会館をつくるという方向で事が進んでいるようですが、さて、本当に会館をつくることがいいのかどうか、あるいは一部の皆さんのおっしゃっているように、ここを緑と広場、防災という観点からも役に立つという、そういう場所にしておくことがいいのか、これはこれからの議論だと思いますが、そういう議論の中で、どうもアングラ風に、建設反対運動に打撃を与えようというのかどうか、これを建てるという条件で大蔵省、国から都が払い下げを受けているのだから、建てなかったらまた国に召し上げられて、今度は国がまたどうせそこに何か建ててしまうぞ、そんなことでは困るから早く建てよう、そういう声があるようですが、これは今も文部省やら建設省やらに伺ったように、物を建てるばかりが芸術や文化じゃないぞ、そういう時代が来ているわけで、大いにそういう妙なアングラ放送で建設促進といくんじゃなくて、これは国有財産法二十九条の関係のことかと思いますが、計画の変更も、そうした緑や太陽や広場というようなことも、普通財産の運用として大いに結構なことだというそんな観点から、大いにひとつ、やれ国が取り上げるとかいうことじゃなくて、議論を盛んに自由にできるようにしてほしいと思うのですが、大蔵省、お願いします。
#127
○山口説明員 本件につきましては、東京都におきまして、現在、芸術文化会館の建物を設計中でございます。大体六十一年度には工事着工の予定と聞いておりまして、大蔵省としても、売り払い等を行ったそのときの目的どおりの利用ができるだけ早期に実現することを期待しております。したがいまして、芸術文化会館が建設されないのではないか、そういうふうな危惧される事態とは認識しておりませんけれども、そういうことで、現時点におきましては、用途指定の変更についてコメントをさらに加えることは差し控えさせていただきたいと存じます。
 ただ、もし先生の御質問の御趣旨が、一般論ではどうかということでございますれば、契約上やむを得ない事由により用途指定の変更をする必要がある場合には、相手方は詳細な事由を付した書面によって国に申請をしなければいけない、こういう約定となっておりますので、用途指定の変更を承認するか、または承認せずにこの契約を解除するかということにつきましては、まず第一に、その指定用途に供することができないやむを得ない事由、それがどういうものであるのか、その内容、二番目に、変更後の用途の妥当性あるいは必要性、これらを総合勘案してケース・バイ・ケースで処理することになります。ただ、従来の芸術文化会館から防災空地というふうなことですと、その用途が本質的に変更されるというふうな感じもございますけれども、一般論で言いますと、そういうふうな本質的に変更されるというケースにつきましては、そのときの検討はより慎重でなければいけないのではないかという感じがいたします。
#128
○江田委員 ある土地を国が地方自治体に払い下げる場合に、そこを芸術とか文化とかの振興のために大いに役立ててほしい、そういう気持ちで払い下げるとしますね。それで、これは芸術とか文化とかを大いに振興させていくということが大きな意味での目的であって、まさか建物を建てて、そのために業者をもうけさせるとか、あるいは新しい施設をつくってそこに人を天下りさせるとかということが目的であるはずがないわけですね。したがって、事情の変化によって、建物を建てることが芸術文化の振興につながるのか、あるいはいろいろな議論が起こって、建物を建てるのでなくて、もっと芸術文化の振興に役立つ土地の利用方法があるんだということになれば、建物を建てないということであっても、目的の根本的な変更ということにはならないというふうに考える余地はないのか。これは抽象論、一般論ですが、お答えくださいませんか、大蔵省。
#129
○山口説明員 大蔵省としましては、この場合は普通財産の処分でございますが、その場合の用途指定の目的、これについての解釈の問題でございますので、あるいは文化概念とかあるいは防災概念とかいうことにつきましては、むしろ所管省の方でお答えいただいた方が適当かと存じますので、御了承いただきたいと思います。
#130
○松永国務大臣 学芸大の跡地、先生御承知のとおり、芸術文化施設の用地という用途指定のもとに払い下げがなされて、都の所有となったものであります。したがいまして、その払い下げを受けられたときの目的に従って、東京都が関係の人たちと円満に話し合いをして、そして目的に従った利用がなされることが望ましいというふうに私は思います。そうでなかった場合にどうなるかということは、先ほど大蔵省の関係者が述べたとおりでありますが、一般論として言えば、防災公園というのが即文化施設の用地に当たるかどうか甚だ疑問だという感じはいたします。いずれにせよ、東京都で関係者と円満に協議をされて、その目的に従って利用されていくことが望ましいと思っておる次第でございます。
#131
○江田委員 借地法なんかは建物所有目的なんというものがありますけれども、どうも行政というものはそんなんじゃないので、もっと大きなことですからね。よく検討していただければと思います。
 話は変わりますが、国立近代美術館のフィルムセンター、火事が起きて、随分貴重なフィルムがたくさんあったようで、「外人部隊」とか「未完成交響曲」とか、かなり貴重な洋画のフィルムが焼けてしまった。復旧について何とかならないのか。どうも文部省の方としては、二、三億のお金だということですが、五、六年かけて民間ボランティアを当てにして何とかもとへ戻そう、やろうとしているという話なんですが、このくらいの予算何とかならぬのですかね。こういう非常に文化的な価値の高いフィルムが焼失してしまって、それがなかなか復旧、もとに返すことができないというほどの弱い経済力の日本ではないと思うのですが。
#132
○加戸政府委員 昨年九月のフィルムセンターの火災によりまして貴重な外国フィルムを焼失したことにつきましては、大変申しわけなく存じております。
 焼失したフィルムが三百五十三本でございまして、所蔵本数約七千本近くのうちの外国映画につきましては相当部分でございます。現在のところ、こういった焼失したフィルムにつきまして、原プリントがどの機関にあるのか、諸外国の機関等いろいろ調査をしておりまして、そういったプリントの復元というのがどの程度どういう方法で可能なのかを検討している段階でございます。
 とりあえず六十年度の対応措置といたしましては、当近代美術館にございます、計上されておりますフィルムの既定購入費並びに一部美術品購入費等を流用いたしまして、緊急性の高いものについての復元を図っていきたい。その後は、先ほど申し上げたそういった調査結果等に基づきます年次計画によって対応したいと考えている次第でございます。
 なお、現在、民間の段階におきましても、そういったボランティア活動によります基金等が集められている状況でございまして、こういったフィルムの復元のための一助になるものと大変感謝している次第でございます。
#133
○江田委員 きょうは後の予定がどうも詰まっているようで、まだ著作権法のこととか臨教審のこととか聞きたいことがあるんですが、これを飛ばしまして、通産省、せっかくお見えくださったのに申しわけありませんが、また次の機会に聞かしていただきたいと思います。
 最後に、文部大臣、教育というのは、やはり虚心坦懐にいろんな人が今の教育の現状について悩みを打ち明け、大いに含むところなく話し合いをしていくということが一番肝心なことじゃないかと思うのです。そこで、いろいろなお話し合いがあると思うのですが、私はやはり、どうも文部省と日教組が対決している姿というのは、これは悲しいことだと思うのです。好む好まざるにかかわらず、日教組というのは、我が国の教育に携わっている教師の大きな集団ですので、そのやり方についてそれはいろいろ批判もあるかもしれません、私どもも別に日教組全部よろしいと言っているわけでもない。しかし、やはり我が国の教育を考えていこうとすると、文部大臣と日教組の委員長とがいつもにらみ合っているという状態はよくないので、これはどちらからということなしに、文部大臣の方からひとつ日教組委員長と腹を割っていろいろ、肝胆相照らすかどうかわからぬけれども、話をしてみよう、そういうことをやられてはどうかと思いますが、いかがですか。
#134
○松永国務大臣 私は、文教行政を推進していく上で、建設的な御意見のおありの方とはいつでもまたどういう場所でもお会いすることにやぶさかではないという態度をとっております。日教組も会ってはどうかというふうな御指摘でございますが、まだ日教組の方から会って話し合いをしたいという申し入れもないようでございますし、もしあったならば、その時点で慎重に検討したいというふうに考えます。
 ただ、一、二申し上げますれば、臨教審の設置に反対をされるなど国の文教施策について反対運動が絶えないという状況が一つございます。それからまた、毎年のようにストライキがなされるなどという状態もありますので、これは困ったことだなという感じを持っていることも事実でございます。
#135
○江田委員 もう時間が参りましたが、教育行政について建設的な意見を述べているというのは、大臣から見て建設的でなければ建設的でないということもないのです。いろいろな立場があるのですね。ですから、そこをひとつざっくばらんに、そしてまた、日教組の方から言ってこないからというんじゃなくて、日本のこの教育をどうするかという大変な責任を負っている大臣なんですから、ひとつ余りメンツとかなんとかを考えずに、大いにだれとでも所信をぶつけ合って話をしていく、今の教育の危機を打開していく、そういう決意と情熱でこの教育の大変な難関に当たっていただきたいと思います。
 以上で私の質問を終わります。
#136
○船田委員長代理 午後三時に再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後二時十六分休憩
     ――――◇―――――
    午後三時六分開議
#137
○阿部委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。佐藤徳雄君。
#138
○佐藤(徳)委員 私は、中国の残留孤児の皆さんが帰国をされて、永住帰国をしてきている方がたくさんいらっしゃるわけでありますが、特にその子供たちの問題につきまして主としてお尋ねをしたいと思います。
 昨年の第百一回特別国会で中曽根総理が、三つの改革を行うことが戦後政治の総決算だと言い切りましたけれども、しかし、これは大臣も御承知のとおり、現在残留孤児と言われる方々がたくさん中国にいらっしゃるわけであります。そして一日も早く帰国をしたい、そういう願いが訴えられておりますし、あるいはまた、先般第七次の肉親捜してたくさんの方が来られました。テレビの前にくぎづけにされまして、痛々しいその訴えを国民が皆実は見ているわけであります。私は、この問題が解決をしない限り戦後政治の総決算にはならない、こういう考え方を持っているわけであります。特に中国に残されている残留孤児の皆さんは、御承知のとおり、当時国策によりまして送られていった開拓農民がたくさんいらっしゃるわけであります。その意味からいいますと、まさに戦争責任であると言わざるを得ません。大臣の御見解をお尋ねいたします。
#139
○松永国務大臣 中国にいわゆる残留孤児がまだたくさんいらっしゃるということは事実でございまして、この人たちが日本への帰国を希望しておるということでございまして、できるだけその子供たちが、今では子供でなくて大人になっていらっしゃるわけでありますけれども、帰国できるような措置をすることが極めて大切なことであると思います。
 先生御指摘のように、この人たちは国の政策に基づいていわゆる満蒙開拓団という形で中国に渡っていかれた、その人の子供たちがその多くのようでございまして、その意味では戦争の被害者である。こういう人たちに対して、できる限りの措置をするのが我々の務めであるというふうに思っております。
#140
○佐藤(徳)委員 具体的な問題については後ほど幾つかお尋ねをいたしますが、実は私は、一九四五年八月十五日、つまり昭和二十年の敗戦になったときでありますが、そのときは中国、今の東北の黒竜江省チチハル市に私はおりました。それだけに、日がたつにつれまして山の中の開拓農民の人たちがぼろぼろの姿になって私のいる町に入ってきたことを、まざまざと実は今思い浮かべるわけであります。それだけに人ごとではないなという実感を持って、この中国残留孤児の問題の解決について、幾つかの整理を実はしてみました。
 昨年でありましたが、黒竜江省のハルビン市に黒竜江大学というのがあります。この黒竜江大学の中に日本語学校が開設をされました。これはボランティアの団体が行ったものであります。私の県から一人派遣をされて、元小学校の先生をやった女の方でありますが、一年間限定されて、今ハルビンで頑張っているわけであります。ついこの前、旧正月で帰ってまいりまして、いろいろ向こうの現状、そして残留弧児の状態、気持ち、そういうものをつぶさに聞かせていただきました。そして彼女はハルビンにまた戻ったわけでありますが、間もなくして私のところに、五人の日本語学校で学んでいる中国の人たちから、たどたどしい日本語で手紙をよこしてくれました。これは後でお見せをいたしますが、この五人の人たちが共通しているのは、早く自分の祖国に帰りたい、こういう願いが、短い文章でありますが実は書かれているわけであります。こういう人たちの気持ちに立ちながら、単にこれはボランティアの活動だけに任せていいものか、こう実は私は疑問に思っているわけであります。やはり戦争責任であるし、そして戦後の重大な処理であるだけに、政府がこれに乗り出して一日でも早くその解決をしなければいけない、こう実は思っているところであります。
 昨年の十月二十日に日本弁護士連合会が、中国残留邦人の帰還に関する決議をされました。この資料をいただきましてずっと中を読ましていただいたわけでありますが、まさにこの問題は人権にかかわる問題であるとさえ指摘をしているわけであります。つまり、憲法第十一条には明確に基本的人権がうたわれておりますし、何人もこれを侵すことができないわけであります。異国の地にあっても、日本人である限り、この憲法第十一条は当然保障されなければならない、こう思っているわけであります。
 そこで、お尋ねいたしますのは、昭和二十八年三月十三日、多分これは次官通達と呼ばれていると思いますが、文部省の初等中等局が発しました第百四十四号、これが通達が出ているわけであります。そして、かなり当時の古い言葉を使っているわけでありますが、「中共地域引揚邦人児童生徒転学及び受入要領」、こういう表題であります。この中を見ましたら、「転学要領」の中に、一は小学校、中学校の場合、第二に高等学校の場合、それぞれ具体的に実は記載されております。あるいはまた、そのBの「受入要領」の項には、市町村教育委員会の対応についても、これまたきめ細かに触れられているわけであります。通達の要点について御説明をいただきます・
#141
○阿部政府委員 お答えを申し上げます。
 ただいまの先生御指摘がございました通達、昭和二十八年の事務次官名の通達でございますが、当時、御案内のように昭和二十八年という時期でございますので、戦争直後の引揚者の時期というようなこともございまして、現在の時点から見ますと、用語等がなり古い用語が使われておるわけでございます。
 主な内容でございますけれども、小中学校の入学に関しましては、小中学校の学齢に相当する児童生徒については、原則として年齢相当学年に編入をする。しかしながら、必要に応じ、学校の生活に適応するまでその子供の実態等を見て下級の学年に編入をするというようなことも弾力的に考えてはどうかということが一点でございます。
 それから、第二点目は、公立の高等学校への入学でございますけれども、公立の高等学校につきましては、まず設置者である教育委員会に御相談をいただいた上で、各該当する高校で学力の認定を受け、相当の学年に編入をする。この場合に、公立高校の場合には時期、定員にかかわらず転学を認めるようにすべきだ。
 それから、第三点といたしまして、受け入れに際してのいろいろな注意のようなものがあるわけでございますけれども、例えば特に言語が不自由で、学年へ編入するということが困難な場合につきましては、一定期間特設の学級を設けて収容するというようなことが望ましい。それから、学習指導、生活指導全般にわたり特に個別指導に配慮する必要がある。その他、校長、教職員、児童生徒まで全校を挙げて心からの理解を持って温かく接するようにというような点がございますが、概要そのような趣旨の通達でございます。
#142
○佐藤(徳)委員 私も手元に事務次官通達のコピーを持っているわけでありますが、今御説明がありましたとおり、大変配慮をされている内容というのがたくさん盛られています。ところが、現実は一体どうなのかということになりますと、後ほど具体的な事例を出してお尋ねはいたしますが、かなりかけ離れているのじゃないか。恐らくこの後に通達は出してないと思うのでありますが、そうすると、現在はかなり古い通達であってもこれが生かされている、こういうふうに理解してよろしいですか。
#143
○阿部政府委員 昭和二十八年の先ほど御説明を申し上げました通達以後の新しい通達というのは出しておりませんので、現在はあの通達、若干言葉の古い点等もございますけれども、あの趣旨を体してやってほしいということで、各都道府県、市町村に指導しておるところでございます。
#144
○佐藤(徳)委員 それでは、その後通達を出しておらない。そしてかなり古いものであっても、この通達に基づいてそれぞれ行政指導をなされている、こういうお答えであります。
 それでは、中国帰国者のうち、現在小中学校に入学をして在籍をしている児童生徒数は何人でしょうか。
#145
○阿部政府委員 私ども持っております数字、毎年その年度に引き揚げてまいりまして小中学校等に入学をした者の数字というものを持っておるわけでございますので、それが累積して小学校で言えば六年間にどれだけの子供がたまっているかということは調査をいたしておりませんが、毎年帰ってきた者の数から、あるいは転出等があるかもしれませんけれども、一応推計ということで推計をしておるわけでございます。それによりますと、小中学校に在籍をしております者が約九百名、それから高等学校に在籍をしております者が約二百名、かような数字になっております。
#146
○佐藤(徳)委員 これは全国にまたがっての数字だと思いますけれども、特に集中している都道府県はどこですか。
#147
○阿部政府委員  小中学校の場合の数字で申し上げますと、全体数に対しまして一番多いのは東京都、全体を一〇〇といたしますと、約三〇%が東京都でございます。それ以下はぐんと落ちまして、大阪府に八・九%、長野県に八%、広島に五・八、山形四・九、以下、千葉、青森、埼玉、高知、福岡云々というように非常に多数の県にまたがっておりますが、三割が東京都ということでございます。
#148
○佐藤(徳)委員 御承知だと思いますけれども、この帰国者の中には、政府のルートで帰国をした人たちと自費で帰国をした人がいるわけであります。そのトータルは、あるいは政府ルートは何人、それから自費で帰国した者は何人。
#149
○阿部政府委員 恐縮でございますけれども、先生御指摘になりましたような政府ルート、自費という分類の調査をいたしておりませんので、現在のところ把握をいたしておりません。
#150
○佐藤(徳)委員 私は、実態をまず正確につかんで、そしてこれに対応していく、こういう状況というのはどうしてもつくらなければならないんじゃないかと思っているわけであります。調査をしてないというのはしようがないのですけれども、これは基礎的な資料になりますから、そういう意味では調査を検討する用意がありますか、ありませんか。
#151
○阿部政府委員 遅いとおしかりを受けるかもしれませんけれども、実は今年度に実態の把握に努めてみたいということで部内で検討いたしておったところでございまして、ただいま先生から御指摘いただきましたようなことも大変いい分類だと思いますので、そういうたぐいの分類でございますとか、あるいはそのほか高校への入学状況でございますとか、いろいろな点についてできるだけ実態を把握するように努めたいと考えております。
#152
○佐藤(徳)委員 特設学級、つまり帰国をしてきた子供たちに対して日本語学級方式をとっている学級数はどのくらいありますか。
#153
○阿部政府委員 帰国しました中国帰国者の子女は、各地の学校にばらばらにそれぞれつてをたどって落ちつき先を見つけ、各地のその地域の小中学校にばらばらに入ってくるということでございますので、大変散らばって存在をするわけでございます。そうした小中学校におきまして、具体に先生御指摘のような特設学級という形で教育が行われているケースもございますし、それから、原則としてそれぞれの学級に配属をいたしまして、授業の内容によりまして、日本語教育でございますとか、普通の国語でございますとか、あるいは数学とか、そういうようなときに、帰国した、引き揚げた児童生徒を特に集めて別クラスをそのためにつくって教育をするというような、いろいろなやり方があるわけでございますけれども、純粋にと申しますか、かなりはっきりとした形での特設学級というものは、江戸川区の葛西小学校及び葛西中学校で、小学校に一学級、中学校に二学級置かれている、これがはっきりした形のものでございます。他は一応それぞれの学級に配属させて教育が行われている、こういう状況でございます。
#154
○佐藤(徳)委員 私の調査でも、今お答えになりました二つの学校しかないようであります。この問題については、後ほど私も自分の意見を申し上げながら説明をしたいと思っておりますが、この二つの学校に文部省が視察に行った経験がありますか、ありませんか。
#155
○阿部政府委員 私としては視察の経験を持っておりません。また、現在担当室長にも聞きましたけれども、視察したことがないということのようでございます。
#156
○佐藤(徳)委員 お忙しい中ですからなかなか行けないだろうとは思いますけれども、私はやはり、我が国の中で特設学級が二つきりない、しかも、九州や北海道にあるわけではありませんからすぐ近くなんであります。一度ごらんになって、そして、子供たちの勉強している実態、あるいは親たちの悩み、学校の先生方の苦労、そういうものをぜひつかんでいただきたいな、こう思っているのでございますが、今後視察する用意がありますか、ありませんか。
#157
○阿部政府委員 先ほども全国のいろいろな実態について把握に努めたいと申し上げたわけでございますけれども、そういう中の一環として、私が行けるかどうかはわかりませんけれども、何らかの形で文部省の人間が現地を見るようなことは考えたい、こう思います。
#158
○佐藤(徳)委員 それでは、特設学級のない学校に在籍をしている子供たちはどのような形態で授業をされておりますか。そしてまた、その成果及び問題点は何だとおつかみになっていますか。
#159
○阿部政府委員 それぞれの学校へ入りました子女につきましては、これは日本語が極めて不自由であるということから、日本語指導を中心にしながら教科の指導を実施するというようなことで努力が行われておるわけでございまして、具体に今どういうふうに指導するかということにつきましては、各学校が種々工夫を行っているということで、先ほども申し上げましたけれども、一般の学級に在籍をしながら国語というような科目につきましては特別学級で指導をする、あるいは個々一人一人別々に指導するというようなことでございますとか、あるいは正課が終了いたしました後に特別指導をするというようなたぐいのことが行われておるというふうに考えております。
 なお、研究協力校等においていろいろ研究が行われているという点もございますので、そういった学校の研究の成果等につきましては、全国の研究協議会のようなものを毎年催しておりますので、これは中国帰国ばかりではございませんで、海外諸国から帰国した者全体を集めた研究協議会でございますけれども、一週間ぐらい詰めての協議会等をやっておりますので、そういったところを通じてそれぞれの学校の勉強の成果がお互いに流れるようにというような努力もいたしておるわけでございます。
 私ども聞いておりますところによりますと、何と申しましても、中国から帰国いたしました児童生徒につきましては、やはり一番の問題は日本語についての知識能力が十分でないということでございますけれども、それに加えまして、中国においては地域によって学校教育が十分でないような地域もあるようでございますので、学力が劣っているというようなケースも多いようでございます。また、生活環境がかなり違う、生活習慣が違うというようなこともございますので、そういった面での指導というようなことも大変苦労している種であるというふうに聞いておるところでございます。
#160
○佐藤(徳)委員 実は、私の地元、福島県の郡山でございますが、ある小学校に帰国をされた子供たちが三名入りました。原級は六年生と四年生と二年生なんであります。ところが、御承知のように日本語が全然できないということから、学校が配慮をして全部一年生に入れました。その三人の子供たちとも会いましていろいろお話も聞きましたし、担任をされている先生からも悩みや意見も十分に承ってまいりました。もうどうにもならないですね。これじゃこの子供たちは一体これから先どうなっていくのだろうか。それは単に本人や親たちだけでなくて、社会全体の責任として解決をしてやらなければならない問題だというふうに私は理解をしてきたわけであります。
 ですから、日本語学級あるいは学校、いわゆる特設の学級で学ぶ子供と、それから、今私が出しました例やあるいはお答えの中にあったとおり、一般普通学級に大級をさせる、これは明らかに違いがあるというばかりではなくて、日本語を教えるあるいは学力を向上させるというのにはかなりのハンディが実は出てくるわけなのであります。ですから、特設学級を設けて教育をする、そういう方向が望ましいと判断するわけですが、大臣のお考えを聞かせてください。
#161
○松永国務大臣 中国から帰ってきた子供の教育の問題でございますが、中国にその子がいるときの教育状態がどうなっておるか、このことによって随分いろいろなケースがあろうかと思います。そしてまた、日本に帰ってきた場合の受け入れ態勢につきましてもいろいろまたやり方があろうかと思うのでありますが、要は、日本語の習得がなかなかはかどらないという問題がまず第一にあろうかと思うので、日本語の習得が速やかになされるようなことをやっていくことがまず第一に大事なことではなかろうか。二番目には、その子が中国におった当時の状態にはいろいろばらつきがあろうかと思いますので、それを見ながらいろいろな対応の仕方があろうかと思いますけれども、先生が今御指摘のようなことも含めまして、より一層充実するように努力をしていかなければならぬ、こういうふうに思うわけでございます。
#162
○佐藤(徳)委員 研究指定校は全国でたしか十二校だと思うのでありますが、間違いありませんか。
#163
○阿部政府委員 この分野での研究指定校は、御指摘ございましたように小中学校段階で十二校でございます。
#164
○佐藤(徳)委員 調べてみましたら、その研究指定校の十二校とも江戸川区の葛西小学校や中学校のような授業の形態とは違うのですね。
 それで、「引き揚げ子女教育研究協力校にかかる研究報告書」というのを、大臣の地元であります埼玉県岩槻市立の東岩槻小学校から出された、この報告書をいただきました。これをずっと読ましていただいたわけでありますが、「はじめに」という題で校長先生が文章を掲げております。大変立派な内容であります。例えば「引き揚げ児童が将来「日中平和友好」に働ける人間に育って欲しい、そのためには日本語を覚え日本人の生活習慣を身につけることはもとより、中国語をわすれずに、さらに中国の研究を深めることが重要であると考え、特に日本語教室では、日本語と中国語が話せる子を教育方針として努力しております。」大変立派な考え方を載せられているわけであります。しかし、悩みもかなり多いということも指摘をされております。
 そこで、全職員が一丸となってこの研究体制に取り組んでいるのでありますが、この中身を少し調べてみましたら、この報告書の中にも明確に書かれているわけでありますけれども、岩槻市に在住していた帰国者は一人もいない、みんなよそから来て、幸い埼玉県では県営住宅を割り当てて入れさしてくれたようでありますが、その理由をもってこの小学校に入っている、こういう状況ですね。そしていろいろ見ましたら、例えば新潟県の柏崎市とか兵庫県の神戸とか長野県とか、こういうところからみんな来ているのですね。つまりそのことは、普通学級に日本語を全然知らない子供を入れるよりはこういう協力的な学校に入れたい、そして、子供の将来のためになる、こういう親の判断から実は集中してきているわけなのであります。
 ところが、昨年の十二月十二日の日付で学校長名による岩槻市教育委員会教育長あてに実は要望書が提出をされておるわけであります。それは非常に重要であり、簡単な問題なのでありますが、「特別配置をお願いしたい教員について 中国語がわかり、下記対象児童の実態に即して指導していただける教員を本校の教員定数枠外で特別配置を早期にお願いしたい。」こういう要望書が実は昨年の暮れに出されているわけであります。本気になって取り組んでいる学校でさえも専任教師が欲しい、専任教師が認められればもっと子供たちの言葉をよりよく教えることができるし、学力も向上させることができる、こういう願いを込めて実は出されたのだと思うのです。御見解を承ります。
#165
○阿部政府委員 この問題につきまして、私ども行政側の悩みといたしまして一番大きいのは、やはり子供たちがそれぞれつてをたどって日本全国の各地に散らばって存在するということでございます。これについて、散らばっている子供たちにどう対応していくかというのはなかなか難しい問題でございますので、それだけに各都道府県、市町村で現場の実態に即したきめの細かい措置を講じてほしいと思っておるわけでございますが、それにいたしましても、国の方針といたしましては、先ほど来申し上げております研究協力校というものをいわば拠点検のごときものとしてその地域につくるということによって、そこの拠点校におきまして積極的に受け入れる。同時に、近辺の学校で受け入れた学校に対するいわば指導といいますか、助言と申しますか、そういう立場にも立っていただくというようなことをねらいとしておるわけでございまして、まだ十二校という状況でございますけれども、先生御指摘の今の岩槻の学校もその一つに入っているわけでございます。
 これらにつきましては、教員の加配の問題でございますけれども、従来ある程度の規模以上の、規模と申しますか、子供の数がある数以上にならないと加配はしなかったわけでございますけれども、今年度、六十年度から、研究協力校につきましては全校教員の加配をするという方向で各都道府県に連絡をいたしておりますので、いずれ実現をするものと思っておるわけでございます。
 なお、このほかにも各都道府県に対します文部省の定数の配置は、一定の基準ではじいてはきますけれども、最終的には県段階として一本で運用ができるという弾力的な仕組みにもなっておりますので、それぞれの県等におきまして具体の状況に照らし合わせて適切に配慮していただくことをこれまた期待をいたしておるわけでございます。
#166
○佐藤(徳)委員 ちょっと具体的な問題についてお尋ねをいたします。
 中国からの帰国子女のうち公私立を問わず高校に受験をした生徒数は何人でしょうか。そのうち、公立、私立別に合格者数は何人でしょうか。
#167
○阿部政府委員 引揚者子女の高等学校進学状況についてでございますけれども、先ほども申し上げましたように、詳細な調査を持っておらないわけでございますけれども、日本語の理解のおくれ等の問題から高校への進学が必ずしも容易な状況にはないということは承知をいたしておるわけでございまして、昨年都道府県の教育委員会に対しまして、中国帰国子女を含めて帰国子女の高校入試につきましては、その経てきた教育事情の違いなどに照らして可能な限り弾力的な措置が講じられるようにという検討を求めたところでございます。
 そういうことでございまして、全国的な数字は持っておりませんけれども、本年度の東京都における中卒者の進路ということだけは承知をいたしておりますが、東京都の場合、五十九年度の卒業者四十九名でございましたけれども、そのうちで、全日制の公立高等学校へ進学した者が三十七名、定時制の公立高校へ進学した者が二名、それから私立の高等学校へ進学した者が六名、計四十五名が合格をいたして進学をしております。
#168
○佐藤(徳)委員 東京都以外は承知していますか、していませんか。
#169
○阿部政府委員 遺憾ながら、他のケースについてはまだ把握をいたしておりません。
#170
○佐藤(徳)委員 私はそこが問題だと思います。冒頭の大臣の答弁と現在文部省が取り組んでいる状態というのは全く反していると言わざるを得ません。さらに全国的にこの問題を調査する用意がありますか、ありませんか。
#171
○阿部政府委員 冒頭のときにも申し上げましたように、今年度に実態把握のための調査等をやりたいということで、現在検討している最中でございます。
#172
○佐藤(徳)委員 その検討を早期に結論を出していただいて、調査をした結果をぜひお知らせいただきたい、こう思いますが、よろしゅうございますね。
#173
○阿部政府委員 できるだけ早い時点になるべく詳しい実態をつかまえたいと思っておりますので、その状況につきましては適時また先生のところへも御報告させていただきたいと思います。
#174
○佐藤(徳)委員 東京都の場合は先ほどお話しされた数字が明らかになったわけでありますが、初めから全部合格したわけじゃないんですね。東京都の教育委員会あるいは都そのものの配慮によって二次試験を受ける機会を与えてくれたのですね。これは単に東京都だけではなくて、日本語学級を考える会という非常に熱心な団体があります。この団体が中心になって都の議会を動かしたことは新聞でも実は明らかになっているところなんであります。第一次に合格した子供、不合格になった子供もいたわけです。不合格になったと思われる要因は何だとお考えですか。
#175
○阿部政府委員 個々の実態につきましては、個々の生徒の学力を承知しているわけではございませんので、お答えのいたしようがないわけでございますけれども、一般的に見れば、やはり九四%まで高等学校に進学をしているという現在時点の中で、かなり多数の引揚者の子供が落ちたということは、やはり日本語のおくれということが一番の原因ではなかろうか、私はそう理解をいたしております。
#176
○佐藤(徳)委員 幾つかの要因があることは事実であります。しかし、これは非常に善意的、好意的に東京都が取り組んでくれたおかげで全員入ることができた、非常に喜ばしいことだと思います。ただ、これが東京都だけであってはならないと思うのであります、例えば、第二次試験を受けさせる機会を与えたその内容は、試験をする時間を延長させたり、あるいは漢字に仮名を振ったり、あるいはわからないときには中国語で答えてやるような人を配置したり、いろいろな配慮がなされたようであります。これは子供たちの将来のためにも極めて重要な問題でありますから、全国的にこの東京都のような例を拡大させていく、そういう前向きの行政指導なり姿勢があるのかどうか、大臣ひとつお答えをいただきたいと思います。
#177
○松永国務大臣 先ほども申し上げましたように、日本語を早く習得してもらうようなそういう努力が必要だと思います。そして、できるだけ早い機会に日本語の習得不十分による、何といいましょうかね、不利な点、それを解消していくというのが第一。そして、もう一つは、それぞれの教育委員会が実情に応じた配慮をしてくれるようなことも実際問題としては親切な方法だと思いますので、既にそういう配慮をするようにという通知は出しておるようでありますけれども、さらにそういう点について落ち度がないようにしてもらうように指導してまいりたい、こういうように考えます。その両方面から帰国子女につきましての措置が不親切にならないように今後とも努力していきたい、こう考えるわけでございます。
#178
○佐藤(徳)委員 私は、東京都が配慮をしてくれたやり方というのは、今小学校、中学校で勉強している子供たちに非常に大きな励ましを与えたな、こんな強い感じを持っているわけであります。ぜひ今の大臣の答弁が早急に実現されますよう期待をいたします。
 そこで、局長にちょっとお尋ねいたしますが、東京都の場合で結構です、受験科目は何教科でしょうか。
#179
○阿部政府委員 東京都の場合を具体的に覚えておりませんけれども、高等学校、五教科でやっているのが普通だと思います。
#180
○佐藤(徳)委員 それでは、中国帰国者以外の子女、すなわち海外駐在員などの子女の受け入れ実態はどういうふうになっておりますか。
#181
○阿部政府委員 中国以外からの帰国子女でございますけれども、昭和五十八年度の数字で申し上げますと、小学校で六千三百四、中学校二千二百五十八、高等学校千二百二十四、合わせて九千七百八十六、一万名弱というものが帰国をいたしまして、それぞれ小中高等学校に入学をいたしておるわけでございます。
 この受け入れの態勢といたしましては、一つは、国立大学の附属学校に御案内のように帰国子女教育学級といった実験学級のようなものを設けておることもございます。そのほか、国、公、私の学校につきまして、先ほど中国で申し上げましたと同じような帰国子女教育研究協力校というようなものを指定して、そこで積極的に受け入れをいただいている等々の形で受け入れておるものでございます。
#182
○佐藤(徳)委員 三月二日の読売の朝刊でありますが、この問題について掲載をされております。新聞によりますと、「都教委では、五十二年の都立三田高校を皮切りに、竹早、南多摩各校に「海外帰国生徒学級」(定員計百五十人)を設け、受験科目を英語、国語の二科目とするほか、一般都立高と両方受験できるようにするなどの配慮をしている。」と報道しておりますけれども、これは新聞のとおりでありますか。
#183
○阿部政府委員 そのとおりでございます。
#184
○佐藤(徳)委員 そういたしますと、受験科目を英語、国語の二科目としている。中国から帰ってきた子供たちは五教科である。明らかに差別じゃありませんか。どうしてこういうちぐはぐな状況が出るんですか。答えてください。
#185
○阿部政府委員 私も詳しい事情を突然のお尋ねで承知をいたしておりませんけれども、この三つの高等学校につきましては、海外から帰国した子女ということで、中国を除くという規定にはなっておりませんので、中国帰国者も受験をしても構わないというような仕組みのものでございます。先ほどお話がございました、ことしの話題になっております、中学卒業者で都立の普通の高等学校を受けた場合これについて普通の高等学校としての試験が行われた、これにつきまして、なお問題がありということで、途中で試験の方法について二次募集については新しい工夫が加えられた、こういうことのようでございます。
#186
○佐藤(徳)委員 いま少し実態を文部省の方でも把握をしてください。そうすると、改善しなければならない点や配慮しなくてはいけない点がたくさん出てくると私は思います。十分検討いたしますか。
#187
○阿部政府委員 できるだけ実態を把握して、それに対応して少しきめの細かい検討をしてみたいと思っております。
#188
○佐藤(徳)委員 期待をしておりますから、ぜひひとつ本腰を入れてやっていただきたいと思います。
 さて、その次は、特設学級の問題でありますが、江戸川区立葛西小学校、中学校にあります日本語学級、これは文部省は認定をしておりますか、おりませんか。
#189
○阿部政府委員 認定という御質問の趣旨がよくつかみかねておるわけでございますけれども、研究協力校というような形ということでございますれば、申請がございませんので研究協力校としての指定はいたしておりません。
#190
○佐藤(徳)委員 私はそういうことを聞いているのじゃないのですよ。現に、先ほどあなたがお答えになったように、全国にたった二つきりないのですね、日本語学級という特設学級が。これはあなたのお答えの中からもはっきりしているわけですよ。だから、当然認定してしかるべきだと私は思いますけれども、私の調べによりますと、これは都教委独自で行っている、つまり国庫負担に該当しない、こういうふうに理解をされるわけであります。これに認定する用意があるのですか、ないのですか。
#191
○阿部政府委員 学級の編制というのは各市町村の教育委員会、都の場合は区でございますけれども、これが学級編制をするわけでございます。それにつきましては、都道府県の教育委員会が認可をするという仕組みになっておりますので、文部省が個々の学校の認定等を行うという仕組みではないわけでございます。
#192
○佐藤(徳)委員 特設学級が二つある、この存在については認めますね、現にあるわけですから。そうすると、勝手に都道府県教委やりなさい、こういうことに理解していいのですか。
    〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
#193
○阿部政府委員 学級の編制そのものは、繰り返しになりますけれども、東京都江戸川区の場合は江戸川区が学級編制を決めるわけでございますので、それの認可は都道府県、東京都の教育委員会が認可をするという形でございますから、そのこと自体はそれで行われて構わないわけでございます。
 なお、教職員定数のはじき方につきましては、いわゆる標準法に規定がございまして、それに準じて各学級ごとの子供の数ではじくという形をとっておりますので、そういう場合に、この部分が別学級になっているから特別だという仕組みのはじき方にはならない。各地域で、どういうクラス編制をしているかということと、それから学級編制の標準法によりまして教職員の定数をはじく場合のはじき方は必ずしも一致をしないということがあるわけでございます。
 しかしながら、それにいたしましても、教職員定数自体は総数として、東京都の場合は東京都の小中学校全体の総数として何万人という形で算定をいたしまして東京都にお渡しをするという格好になりますので、それを具体にそういう問題に即してどういうふうに使っていくかということは、それぞれでやっていただくということになるわけでございます。
#194
○佐藤(徳)委員 そういう手続を聞いているのじゃないのです。しかし、後で触れますから質問は別にいたします。
 ちょっと角度を変えてお尋ねしたいのは、それでは、こういう特設学級、日本語学級が存在をするというのは、帰国した子供たちのためになる、非常に有効である、望ましい方向である、こういうふうに理解をされていませんか。どうですか。
#195
○阿部政府委員 具体に帰国をした子供たちの教育をどういう形でやるのがいいかというのは、それぞれの子供の実態や、現に入ってきた子供の数でございますとか、いろいろの点に応じて弾力的に扱っていいと思っておるわけでございまして、一つ一つどういう形でなければいけないというようなことを申し上げるつもりはないわけでございます。ただ、東京都のこのケースのような場合に、独立して日本語学級という形でつくっていくことも有益なことであろう、そういう意味では評価をいたしておるつもりでございます、
#196
○佐藤(徳)委員 厚生省の方、来ていらっしゃいますか。――肉親捜しに来日した、第一次から第七次までありますね、その総数は何人でしょうか。そして、そのうち判明をした数あるいはその判明率、それから身元判明者のうち帰国した者の数はどのくらいですか。
#197
○石井説明員 お答えいたします。
 第一回は昭和五十六年三月に始まったわけでございますが、第七回までやりまして、第七回は六十年の二月から三月にかけてやったわけでございます。訪日いたしました孤児の数は四百四十二名でございます。そのうち身元が判明した孤児でございますが、これは二百四十人となっております。率といたしましては、全体を見まして五四・三%ということになっております。
 身元が判明した孤児のうちでございますが、そのうち永住帰国した人は四十五人、それから一時帰国した人は三十九人となっております。
#198
○佐藤(徳)委員 それでは、現在中国にいる残留孤児の数はどのくらいなんでしょうか。
#199
○石井説明員 御承知のとおり、厚生省といたしましては、中国に残留する日本人孤児からの肉親調査の申し出に基づいて孤児の肉親捜しを行っているわけでございます。六十年三月三十一日現在で、中国の残留孤児から厚生省に対しまして肉親捜しの依頼がありました方は、千六百二十六人となっております。
 つけ加えますと、なお、中国側では日本人孤児は二千人と言明いたしておりますが、本年七月ごろまでにはその名簿を日本側に下さるということで努力していただいております。この名簿を受領しました後は、日本側の資料と突合いたしまして。その実態を明らかにしたい、こういうふうに考えております。
#200
○佐藤(徳)委員 正確な人数を把握するというのはかなり難しいのかな、こうは思いますけれども、中国側が二千名と言っておる。そして厚生省の調べが千六百二十六人、端数までついているわけですね。これはどういう調査をされてこういう人数がはじき出されたのでしょうか。
#201
○石井説明員 千六百二十六といいますのは、先ほど申し上げましたとおり、中国に残留するという日本人孤児から私どもの方に肉親を捜してほしいという依頼のあったものでございます。それで千六百二十六という端数まで出ているわけでございます。
#202
○佐藤(徳)委員 そういたしますと、七月に中国から名簿が提出をされる、すり合わせをいたしますね、そうすると大体正確な人数が出るわけですか。
#203
○石井説明員 お答えいたします。
 名簿をいただきまして私どものと突合しますが、その段階においては今よりもう少し詳しく数字が出ると思います。
#204
○佐藤(徳)委員 かなり大勢の方が依頼をされている実態が明らかになりました。それで、今度日本に来て肉親捜しを行う、かなりの数になるだろうと思いますが、今後の受け入れ計画は一体どうなっておりますか。例えば旅費の問題であるとか血液鑑定の問題であるとか、お金が絡む問題が大分あるわけでありますが、その点を含めましてお答えをいただきたいと思います。
#205
○石井説明員 今後の肉親捜しの計画といたしましては、早期に解決を図るのが大前提でございまして、六十年度におきましては、訪日孤児の数を五十九年度の百八十人から四百人に増員いたしまして、年三回に分けて実施するということを考えております。また一方、中国側の協力を得まして、厚生省の職員等を中国に派遣いたしまして、孤児から事情聴取、あるいはビデオの撮影を行いまして、六十一年までには何とか孤児の大体の概了のめどをつけたい、こういう計画でございます。
 なお、今お話のございました引揚者に対する旅費等の問題でございますが、帰る場合においては、当然国費負担で族費あるいは一時的な帰還手当、それらの措置は講じてございます。また、血液鑑定につきましても、必要に応じまして血液鑑定をする用意はいたしております。
#206
○佐藤(徳)委員 肉親を見つけ出した方は、とりわけその後に永住帰国を恐らく希望されるのじゃないかという推定をしているわけでありますが、厚生省の取り組みについては評価はいたしますけれども、永住帰国者に対する受け入れの具体的方策をひとつ聞かせてください。
#207
○石井説明員 お答えします。
 中国から帰国する孤児、そしてその同伴家族につきましては、中国帰国孤児定着促進センター、これは所沢にございますが、ここに帰国後四カ月入所していただき、日常生活に必要な日本語の研修であるとか、あるいは生活習慣等の指導を行いまして、日本社会に定着するための基礎づくりをした上で、肉親等の身元引受人のもとに定着させるという援護施策を講じているところでございます。また、センター退所後におきましては、孤児世帯に対しまして引揚者生活指導員を派遣するほか、関係省庁等におきましても、公営住宅への優先入居の措置であるとか、あるいは日本語習得のための話学教材の支給、あるいは引揚子女教育の研究協力校の指定ですか、それから就職あっせん、中国引揚者を雇い入れる事業主に対する賃金の補助等、各種の定着対策を一応考えております。
#208
○佐藤(徳)委員 従来にもまして六十一年度までは相当数の永住帰国者を受け入れることになるかもしれません。その場合に、今お話がありましたように、生活や就職それから住宅等の問題はもちろんでありますけれども、日本語教育の問題が最大の課題になってくるのかなと思っているわけであります。とりわけ小中高の児童生徒の受け入れ学校、学級、今までお答えをいただいたわけでありますが、これも実は大きな課題になってくることは間違いないと思っているわけであります。これは単に厚生省だけの問題ではありません。文部省も本腰を入れなければいけない段階に来ているわけですから、今お答えがあったように大変な皆さんがお帰りになることを想定されるわけですので、小中高等学校の児童生徒の受け入れに対する課題、これに対してどういう展望をお持ちになるのか、大臣からお聞かせいただきたいと思います。
#209
○松永国務大臣 先ほどから申し上げましたように、文部省は今までも帰国子女教育研究協力校、それから日本語の指導のためのいろいろな指導書等の配付等々をやっておりますけれども、まだまだ不十分であることは事実でございます。それにまた、帰ってくる子供だけの問題ではなくして、大人自身も日本の社会に順応して生きていくためには、一番困る問題は日本語の問題と生活習慣の問題だろうと思います。そういったことも含めますと、やはり一番大事なのは日本語教育の問題だと思いますので、それに重点を置きながら、先ほど先生御指摘のような学校の問題あるいは高校進学の問題等々、これから大いに研究をして、適切な対策を樹立して実行していかなければならぬと思う次第でございます。
#210
○佐藤(徳)委員 実は、私は先般、先ほどお答えになっておられました日本語学級を開設しております東京江戸川区立の葛西小学校と中学校を訪問いたしましてその実態の調査をしてまいりました。昨日は、この子供たちが住んでおります、近くに常磐寮という寮があるわけでありますが、そこにお邪魔をいたしまして、たくさんの方々といろいろお話をする機会がありました。身につまされるようなお話をいっぱい実は伺ってきたわけであります。
 特に、授業参観をさせていただいたのでありますが、私が中学校にお邪魔をしたときには、第二次試験を行うという発表がまだされる以前でありました。したがいまして、実は合格者、不合格者がいたわけであります。それだけに、高校の合格者と不合格者の子供たちの心の暗さや心配や不安というものが折り重なっているなという空気を入った瞬間察知することができたのであります。ところが、小学校に行ってみましたら、これはまた非常に明るいですね。授業風景そのものも、そして子供たちも非常に明るさを持って日本語を勉強している、そして先生と一体となって真剣になって取り組んでおられる、こういう状況を実は拝見させてもらったわけであります。学校の校長先生あるいは学級担任の先生から、従来までの経過や実情というものをたくさん聞いてきたわけであります。特に、校長先生が言っているのは、永住の条件は社会参加ができるようになることであると何回も繰り返して私に聞かせてくださいました。そうだと思います。だから、社会参加ができるようになるために、この子供たちを野放しにするのではなくて、もっと政治が温かい手を差し伸べて、財政的にも行政的にもきちんとしてやる、こういう状況をぜひつくってもらいたい、実はこう思っているわけであります。
 それで、ほとんどの親が思っておりますのは、きのうも聞かされてまいりましたけれども、子供に教育をさせたい、そしてこういう悲劇は自分一代でたくさんだ、みんな子供に望みをかけているわけであります。
 日本語学級を考える会の方々がまとめ上げられました幾つかの資料があります。例えば入学拒否をしている事例、学校のたらい回し、学習のおくれ、いじめによる学校嫌い、こういうものがまとめられているわけであります。ぜひ一度目を通していただきたいと思いますが、とりわけ、日本語ができない、受け入れ態勢がないという理由で入学を拒否されるというのが実はあるわけであります。どこかで日本語を学習してから来てほしいということである。一年後に再度入学を申し込む予定であるが、今度は年齢で断られるのではないかという不安を持っているという実態も実は報告されているわけであります。さらに、この日中出版社が出しました「血が呼んだ祖国」、この本の中には非常に詳しいことも書いてあります。そしてまた、残留孤児の人たちが短い文章でつづったわけでありますけれども、「一九四五年慟哭の満州」という、こういう本が発行されておりまして、これも全部目を通しました。まさに大変な状況であり、いかに祖国に帰ってきたいかという気持ちがにじみ出ておりましたね。もし暇でもあれば大臣もひとつこういう本を読んで、これからの対応をしていただきたい、こう要請をしているところであります。
 さて、そこで私は、葛西小学校でちょうど給食の時間でありましたから、誘いを受けまして給食をともにしながら子供たちといろいろ話し合う機会がありました。若干中国語を知っているものですから、子供たちに聞きました。皆さんは中国人ですか、日本人ですか。私の質問に対して、全員が中国人ですと答えるのです。日本人ですと答えた子供は一人もいません。しかも、その子供たちの中に朝鮮系中国人がいるんですね。だから、親が朝鮮語をしゃべる、中国語もしゃべる、そして今日本語を勉強している。こんな小さな子供たちが、中国語も知っているし、朝鮮語も知っているし、日本語も知っている。これは大変な遺産ですよ。こういう子供たちを将来、岩槻小学校の校長先生が文章でつづってあるように、日中の文化交流のかけ橋の役に立てるような、こういう人間に私は育てていきたい、こう思っているのであります。
 それで、少し紹介をいたしますが、そのときに私は作文をいただいてまいりました。「ぼくのふるさと」、一人はこういう題であります。
  ぼくのふるさと内蒙古です
  ぼくのふるさとはうつくしいです
  内蒙古の大きな地方
  とてもうつくしいです
  ぼくと友だちいっしょに山とあそびます
  おもしろかったです
  ぼくのがっこうのせいと八百人です
  ぼくとともだちいっしょに馬にのりました
  ぼくのうちいぬありました
  いぬがとてもおもしろかったです
たどたどしい文章ですよ、しかし、心の中では本当に中国がふるさとだな、周囲の条件が全く違ってまいりましたから、余計こういうふうな文章を作文にぶつけるのだろう、私はこう思っているわけであります。
 あるいは「わたしの未来」というので書いた生徒でありますが、
  わたしのおとうさんは日本人です
  おかあさんは中国人です
  わたしのきぼうは
  将来中国にいきたいです
これを作文で訴えているわけであります。
 あるいはまた、ある子供は「わたしのふるさと」という題で、
   わたしのふるさとは中国の小さな村です
   この村はとてもすばらしく
   私はこの故郷を愛しています
   そこは勤勉で善良な人々でいっぱいです
   私の故郷は
   また美しい自然にとりかこまれています
   山茶花や菊花など
   美しい月記梅の花があります
   故郷は人をうっとりさせるものがあります
   故郷の風景がとびぬけて美しいことを
   私はいつまでも忘れることができません
   私はいつまでも故郷を愛しています
たくさんあるわけであります。
 特に、私どもも考えなければいけないなと訴えられた文章がありました。こういうことであります。
  いじめられたこと
  なんでぼくをいじめるですか
  それは中国と日本 せんそうしました
  日本まけた
  中国かった
  だからおまえのせいだといいました
  ぼくはこたえました
  なんでぼくのせいですか
  ぼくはせんそうをしりませんです
  ぼくのせいじゃない
  ぼくはせんそうがはじまりのとき
  ぼくはうまれていませんでした
いじめられた子供です。
 まさに深刻じゃありませんか。こういう子供たちの気持ちに立って、しかも、冒頭申し上げましたように、大臣の答弁にもありましたように、戦争の犠牲者であり、その後遺症が孫の代まで続いているということなんであります。これはまさに人権問題であり、人道問題であります。こういう実態を文部省がきちんと把握して、そして対応していくということが今日一番望まれているのだと私は思います。
 先ほど大臣にもお見せをいたしましたが、五人の中国にいる人たちが書いてよこしたたどたどしいこの文章、何とかしてやらなくてはいけないな。ボランティア活動、一生懸命やっておられる人があります。その人たちだけに任しておいていいのだろうか。まさに私は、戦後政治の総決算をするならば、金もこれにつき込んで温かい政治というものを世界の人々に、中国の人たちに知らせてやるべきだ、こう思っているのでありますが、大臣の所見を伺います。
#211
○松永国務大臣 まず、日本に中国から来た子供たちが、僕のふるさとは内蒙古といいましたか、というふるさとの話でございますが、どこに生まれ育った人間でも、やはり自分が生まれて育ったところをふるさとと考える、これはどこにおる人も同じ考え方なのかなというふうに私は思いました。
 その子供たちの場合は、お父さんが中国の人でお母さんが日本の人の場合、あるいは逆に、お父さんが日本の人でお母さんが中国の人の場合、いろいろあろうかと思いますが、中国の国籍の定めがどうなっているか知りませんけれども、その子供たちにつきましてはやはり、もし中国の国籍であるならば、その本人の意思とそれから中国側の対応を考えながらしなければならぬ問題もあろうかと思いますけれども、いずれにせよ、日本に住み日本で生きていきたいという人であるならば、それなりの処遇を日本の方ですべきである。特に日本語教育あるいは日本の習慣を身につけさせるという問題等々があろうかと思います。そしてまた、日本人である人が祖国に帰りたいということで帰ってこられる、その人と一緒に子供たちがついてきたというような場合においては、先ほど来申し上げているような、学校の問題につきましては、今までの措置ではまだまだ不十分であると思いますので、できる限りの措置をしなければならぬ、こういうふうに思うわけであります。
 いずれにせよ、その子供たち、その人たち、大きな意味での戦争の被害者、犠牲者でもあるわけでありますから、これに対する措置というものは誠心誠意、これをもって当たらなければならぬ、こういうふうに思う次第でございます。
#212
○佐藤(徳)委員 先ほど申し上げましたように、昨日常磐寮に行きましていろいろ対話をしてきたわけでありますが、私は聞いてみたのです。皆さんが今一番困っているのは何ですかと聞きましたら、全員、言葉ですと答えました。そうだと思います。そして、言葉がわからないと日本語が怖くなる。これは、子供たちもその親たちも共通しています、この点については。
 そして、きのうお集まりいただいた人に年齢を全部聞きました。大体四十五歳から五十歳の間ですね。
    〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
その子供たちが今学校に上がっているわけでございます。そうすると、あの常磐寮に住んでいる四十五歳から五十歳ぐらいの間の人たちは、ほとんど学校を出てないんですね、あの終戦の混乱で。そして中国人に育ててもらった。だから、せめて自分の子供だけは教育したい。これはきのう集まった人全部が同じ答えを私に出してくださいました。
 同時に、これは大臣も御承知のとおり、今日の日本の雇用状況というものは、高校卒業をしなければ企業就職というのは非常に困難である。企業の募集広告を見ても、高校以上とか全部書かれていますね。一昔、二昔前には中学生が大変喜ばれた時代がありましたけれども、高校進学率が九四ないしは五%にまでいっている。そういう実態から考えて、当然企業側も、高校卒以上というふうに限定してくるわけであります。みんな知っているわけであります。したがって、高校卒業をしなければ働く場所がないんだな。だから、高校卒でなければいわば社会参加ができないという実態にあるだろう、こう考えざるを得ません。それだけに高校進学は、生活を維持していくためあるいは生存していくための絶対的な条件であると考えられるかもしれません。その意味では、何としてもやはり早く日本語を覚えてもらって、そして学力を向上してもらって、そして高校に入ってもらいたい、これは私一人の願いではないと思います。
 それで、先ほど高校のいろいろな問題を私が事例として出したのはそういうわけでありますから、ひとつ十分御理解をいただいて、そして単に東京都だけではなくて、全国的に散らばっているこの小学校や中学校の生徒たちに対して、高等学校へ入学できる条件の整備を文部省もひとつぜひ力を注いでほしい、こう思うのでありますが、大臣の見解をお尋ねいたします。
#213
○松永国務大臣 先生の貴重な御意見を参考にさしていただきまして、これから適切な行政を進めてまいりたい、こういうふうに考える次第でございます。
#214
○佐藤(徳)委員 もうそろそろ時間が迫ってまいりました。締めくくりの意味で、残された幾つかの問題をお尋ねしたいと思っています。
 何遍も言うようでありますが、この子供たちを受け入れる学級が全国的にあればいいな、こう思うのであります。つまり、ここ二、三年後を展望した場合に、厚生省の答弁の中でも明らかになりましたが、私は永住帰国を希望する人がかなり帰ってくるのじゃないか、こう思うのであります。それには、今からその準備を整えて受け入れ態勢というものを万全にしておかなければいかぬ、こう思うのですけれども、その受け入れる学級の例えば増設ですね、特設学級のような、江戸川区の葛西小学校や中学校で行っているようなああいう増設をやってほしい、計画してほしい、こう思うのです。財政も絡むわけでありますが、大臣のお考えを聞かせてください。
#215
○阿部政府委員 先ほど来の答弁の繰り返しになるわけでございますけれども、各学校での受け入れの仕方というのはいろいろな仕方があるだろうと思うわけでございますので、特設学級が必ずしも唯一の方式ではないと考えております。ただ、それにいたしましても、その地域の実態、受け入れた児童生徒の実態によって、特設学級をつくるのが望ましいというケースもあるだろうと思います。今年度から新たにその中国引き揚げ子女の研究協力校には教員定数の加配もすることにしたわけでございますので、その定員をどういうふうに使うかというのは、特設学級として独立学級をつくって使うかという使い方もございますし、それぞれの学級に全部子供を配属しておきまして、その先生が別途教育に当たるというようなやり方もいろいろあるだろうと思うわけでございます。その辺はそれぞれの地区の判断に任せたいと思うわけでございますが、そのような措置も講じつつあるということを御報告させていただくわけでございます。
#216
○佐藤(徳)委員 ちょっとその答弁の内容については不満であります。私も、それぞれの帰国した人たちの生活条件なり置かれておる環境もありますから一概には言えないかもしれませんけれども、しかし、少なくとも前段私が事例を出したように、埼玉県の岩槻の学校のように、結局全国から集まってくるわけでしょう。その理由は先ほど述べたとおりなのであります。だから、そういう実態があるんだということを知っておいてもらわないと困るのですね。だから、単に文書だけで点検するのじゃなくて、実際に文部省が現地に行って実態を確かめてくる、そしてどうしなければいけないのかという問題点をつかんでくる、私はこれをぜひやってもらいたいと思うのであります。
 四十人学級の問題については、去年の国会で随分議論がありまして、ようやくその凍結解除になったわけでありますが、ぜひひとつこの点に関連してお尋ねしたいのは、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律というのがありますね。第十五条第一号、「当該学校の存する地域の社会的条件が教育上特別の配慮を必要とすることその他の政令で定める特別の事情がある場合」、こう第一号は規定をされています。これを適用してもらえば非常に教育効果が上がる、こう思っているわけでありますが、いかがでしょうか。
#217
○阿部政府委員 私も、今法令の規定を十分記憶しているわけではございませんけれども、現在行っております。その中国引き揚げ子女の研究協力校に対する加配というのも、そういうような趣旨で行っておるものでございます。
#218
○佐藤(徳)委員 それに関連いたしまして、子供たちを教えるための専任教師の養成あるいは配置、きょうの読売新聞には、また東京都が新しい試みをいたしまして、二人の専任の先生をつくった。「中国帰国子女に助っ人=vこういう表題できょうの読売は報道しているわけであります。非常に歓迎すべきことなんでありますが、こういう実態をぜひ知っていただいて、これは単に東京都がやったんだというのじゃなくて、国の施策としてこれを広めていく、こういうことをぜひやっていただきたいと思うのであります。それで、すっかり中国語をマスターすれば一番いいわけでありますが、しかし、私が授業参観した限りの感想で言いますと、やはりある程度中国語を知っている先生に教わった方が子供たちが日本語を覚えるのに理解が早い、こういうように判断をしてきたのです。そのためには、どうしてもそういう専任教師の養成というものがぜひ今迫られているなという感じを強く持ってきたわけでありますが、その点についてどうお考えですか。
#219
○阿部政府委員 先ほど来お答え申し上げておりますような形での加配教員などについて、例えば先生お話しのように、中国語がわかるそういうような方に具体に専任をしていただくということは大変望ましいことだと思っておるわけでございます。しかしながら、地域の実態から実情それぞれあろうかと思いますけれども、けさの新聞の状況なども、東京都というかなり広い範囲から人材が選べたということであろうかという感じもいたすわけでございます。そういった点から、なかなか人材が得にくい面があろうかと思います。特にこの場合には、正規の教員として採用するということに相なりますと、単に中国語ができるというだけではなくて、一般の教科等の指導もできる、それだけの能力がある方でなければいけない。両方兼ね備えた方という大変厳しい条件になってくるわけでございますので、そういう点でなかなか難しい面があるわけでございます。
 また一方、大学でこれから教員を養成するかというようなことにつきましても、これもなかなか難しい問題を多々抱えておるわけでございまして、中国帰国子女の問題に限る問題ではございませんけれども、現在、東京学芸大学などで日本語教育の教員を養成するコースをつくろうかということで具体に検討をしておるというような状況にあるわけでございますが、それにしても相当時間のかかる話になろうかと思うわけでございます。
 いずれにいたしましても、当面の課題といたしましては、何といっても、帰国子女を受け入れた学校の先生方の研修というような格好でできるだけ体制を整えていくというようなことが一つ重要なことではなかろうか。先ほど申し上げました、これは年に一回筑波で一週間の研究協議会というような格好の研修会も催しておりますが、さらにそのほかに何かいい研修の手だてがないかというようなことは現在検討しておるわけでございます。
 なお、それとさらに加えまして、現在研究協力校に対しましては、非常勤講師といたしまして中国話のわかる人を受け入れてはどうかというようなことで、そういうための経費も、これはわずかではございますけれどもお配りをするということで、いわば呼び水的な効果も果たしたい。そういうような幾つかの道をあわせ検討し、あるいは可能なものについて実施をしていくということで、さらに今後努力をいたしたいと思うわけでございます。
#220
○佐藤(徳)委員 冒頭紹介いたしましたように、昨年の十月二十日に日本弁護士連合会がこの決議をいたしました。これをずっと見ますと、まさに専門的立場から解明をして文章化してあるわけでありますが、特に「帰還者とその家族に、対しては、自立を促進する特別の生活保障をするなどの特別立法を含む諸措置を速やかに講ずること。」こういう文章が実は載せられているわけであります。まさにそのとおりだと思いますし、私はこの決議に対して全面的に支持するものでありますが、これは単に文部省だけの問題ではない、政府全体の問題になるわけであります。いずれこの問題は立法措置として検討しなければならない段階に来ているんだと私は思っているわけでありますけれども、大臣、こういう特別立法を、時限立法でもいいですから、つくることをひとつ検討いただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
#221
○松永国務大臣 帰国された方の、日本の社会へ溶け込んでいただいて、そして社会参加をしていただいて立派に生きていただく、そういうための施策につきましては、厚生省が中心になられて検討すべき課題だというふうに思います。
 なお、帰国子女の問題につきましては、先ほど来御質問があり、お答え申し上げましたとおり、実態の調査もいたしまして、そして足らざる点はこれを補い、またそれぞれの実態に応じたきめの細かい親切な行政がなされるように今後とも努力をしていきたい、こう考える次第でございます。
#222
○佐藤(徳)委員 大変いろいろな答えを出していただきましてありがとうございました。ぜひひとつ、文部大臣を先頭にいたしましてこの問題が前進するように期待もいたしますし、私どもも一生懸命努力をしてまいりたい、こう思っておるわけであります。
 最後でありますが、ここに、私の手元に一冊の本があります。「ほんとはネ いじめっ子じゃないよ」という本であります。これは葛西小学校の実際に日本語学級を担当されている善元という先生がお書きになった本であります。老化現象が進んでも読めるような大きな字であります。これを大臣に進呈いたしますから、ぜひ十分読んでいただいて次の条件整備に役立てていただきたい、こう思っております。
 あと二分残りましたが、これ以上やりますとまた延びてしまいますので、教育問題についてはいずれ次の機会に、いろいろ大臣の所見を伺いたい、こう思います。
 私の質問を終わります。
#223
○阿部委員長 次回は、来る十二日午前十時理事会、午前十時三十分から委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時三十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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