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1984/06/27 第102回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第102回国会 文教委員会 第21号
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1984/06/27 第102回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第102回国会 文教委員会 第21号

#1
第102回国会 文教委員会 第21号
昭和六十年六月二十七日(木曜日)
    午前九時開議
出席委員
  委員長 阿部 文男君
   理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
   理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君
   理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君
   理事 池田 克也君
      青木 正久君    臼井日出男君
      榎本 和平君    中村  靖君
      木島喜兵衞君    佐藤 徳雄君
      田中 克彦君    中西 績介君
      有島 重武君    伏屋 修治君
      滝沢 幸助君    藤木 洋子君
      山原健二郎君    江田 五月君
 委員外の出席者
       臨時教育審議会
       事務局次長    齋藤 諦淳君
       文部大臣官房長  西崎 清久君
       参  考  人
       (臨時教育審議
       会会長)     岡本 道雄君
       参  考  人
       (臨時教育審議
       会会長代理)   石川 忠雄君
       参  考  人
       (臨時教育審議
       会第一部会長)  天谷 直弘君
       文教委員会調査
       室長       高木 高明君
    ―――――――――――――
六月二十五日
 一、日本体育・学校健康センター法案(内閣提
 出第一八号)
 二、私立学校教職員共済組合法等の一部を改正
  する法律案(内閣提出第八二号)
 三、学校教育法の一部を改正する法律案(佐藤
  誼君外二名提出、衆法第三号)
 四、学校教育法等の一部を改正する法律案(中
  西績介君外二名提出、衆法第四号)
 五、公立幼稚園の学級編制及び教職員定数の標
  準に関する法律案(中西績介君外二名提出、
  衆法第五号)
 六、公立の障害児教育諸学校の学級編制及び教
  職員定数の標準等に関する法律案(馬場昇君
  外二名提出、衆法第六号)
 七、児童生徒急増地域に係る公立の小学校、中
  学校及び高等学校の施設の整備に関する特別
  措置法案(木島喜兵衞君外二名提出、衆法第
  八号)
 八、義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を
  改正する法律案(木島喜兵衞君外二名提出、
  衆法第九号)
 九、文教行政の基本施策に関する件
 一〇、学校教育に関する件
 一一、社会教育に関する件
 一二、体育に関する件
 一三、学術研究及び宗教に関する件
 一四、国際文化交流に関する件
 一五、文化財保護に関する件
の閉会中審査を本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件(臨時教育審議
 会の教育改革に関する第一次答申に関する問
題)
     ――――◇―――――
#2
○阿部委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 本日は、昨二十六日行われました臨時教育審議会の教育改革に関する第一次答申に関する問題について参考人から意見を聴取いたしたいと存じます。
 御出席の参考人は、臨時教育審議会会長岡本道雄君、臨時教育審議会会長代理石川忠雄君及び臨時教育審議会第一部会長天谷直弘君であります。
 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 昨日答申を行われたばかりの本日、大変御多用中にもかかわらず本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 議事の順序といたしましては、まず、岡本会長から教育改革に関する第一次答申の大要について御説明をいただきました後、委員からの質疑に対して忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存じます。
 それでは、岡本参考人にお願いいたします。
#3
○岡本参考人 おはようございます。私が臨時教育審議会の会長をいたしております岡本でございます。
 きょうは、文教委員会に出席いたしましてごあいさつを申し上げまして、きのうこの審議会が決定いたしました教育改革に関する第一次答申について御報告を申し上げる機会を与えていただきまして、まことにどうもありがとうございました。
 先生方におかれましては、教育改革の諸問題につきまして常に大所高所から御熱心な御審議をいただいておりまして、過般来いろいろ私どもに対しても深い御意見をいただいたわけでございますが、この点、第一次答申を終わるに当たりまして、審議会の会長といたしましても心から深く敬意と御礼を申し上げる次第でございます。
 簡単にひとつ教育改革に関する第一次答申のその概要を御説明申し上げますと、本答申は、大きく分けて三部に分かれておりますが、第一部は「教育改革の基本方向」ということでございます。これは「教育の現状」「教育改革の意義」「本審議会の役割」それから「改革の基本的考え方」というものを明示したものでございます。改革についてのいろいろ方向をはっきりしたものである。第二部が、本審議会全体にわたりましてどういうことをやろうかと思っておるということで、「本審議会の主要課題」、全体にわたりまして第一部で示しました改革の基本的方向、これを基礎にして今後三年間にわたって本審議会で検討すべき課題、こういうものをやるということを明らかにしております。また、第三部は「当面の具体的改革提言」ということにいたしましたが、第二部で申しました主要課題のうちで、結論の得られたものであって同時に改革の突破口となるもの、しかもそれがただいま言われております教育の大きな問題の背景をなしておるというようなものを提言として出しております。
 その概要をさらに御説明申し上げますと、第一部でございますが、「教育の現状」におきましては、我が国の教育がこれまでの日本の国家社会の発展の原動力となってきたということを評価しておりまして、このことは、諸外国に比しても初等中等教育の水準が高いこと、こういうことは国際的にも評価されておるというふうに認識いたしておりますが、一方、国際化への対応がおくれておるというような問題もございますし、また、今までの文化に追いつこうとしてきたところから画一性とか硬直性というようなものによる弊害も生じてまいっておりまして、受験戦争やいじめ等のいわゆる教育の荒廃が憂慮すべき事態となっておる、こういうことを強く指摘いたしまして、その背景、要因を例示しておるわけでございます。そういう個々の要因というものは明らかにしておりますけれども、さらに、その背後といいますか根底に、近代科学技術文明の発展によりまして、物質至上といいますか物質中心主義となりまして、人間の心というものがおろそかになっておるということ、それから実証することのできるものとか数量化の可能なものを偏重して、いわゆる浅い意味の学問、学科というのでしょうか、数量化可能なものを偏重して、さらに崇高なものがあるというようなことへの畏敬の念が欠けておる、それから、近代文明の欠点として、自然との触れ合いが大変希薄化しておる、生命を尊重する心などが十分でない、そういう問題が起こっておるということを強く指摘しておるわけでございます。
 それで、このたびの「教育改革の意義」といたしましては、明治以降の我が国の近代教育を全面的に見直しまして、最前述べたように、その成果も大きなものがございますので、その成果は継承発展させるとともに、その欠点、短所、限界というようなものを克服することが緊急な課題であるといたしておるのであります。
 次に、時代は二十一世紀に向かっておる、二十一世紀直前でございますので、今後真の国際化への転換、それから、文明としましては情報中心の文明への転換があるということ、それから、高齢化社会と言われますように、これまで五十年の人生であったものが八十年型の社会へ転換する時期になっておる、こういうときに改めて人間の生き方を問い直して、人間性を回復するということが強く求められておるわけでありまして、教育もこのときにこのような時代の要請にこたえる必要があるということを、この改革の意義と考えております。また、今や教育の世界に、今後の青少年が生き生きと伸びるために、活力と創造性といいますか、それから豊かな人間性を回復すること、学校に本来の学校らしさを取り戻すというようなこと、これが国民が大変熱望しておることでございまして、こういうことをしっかり念頭に置いて、新たな観点から必要な改革を大胆に、改革でございますから、やらなければならぬですが、しかし、現実というものには極めて細心に進めなければならぬ、教育の本質上細心でなくてはならぬというようなことを考えております。
 それで、「本審議会の役割」でございますが、二十一世紀に向けて、最前申しました創造的で活力のある社会を築いていくための教育のあり方を示すということが本審議会の役割として基本的なものでございますが、そういう方向で「改革の基本的考え方」というものを設定しておりますが、その中で個性の重視の原則というものを挙げておる、さらに基礎・基本の重視、創造性・考える力・表現力の育成、選択の機会の拡大というふうなことを八つ今次教育改革の基本的な考え方として示しておりますけれども、このうち個性重視の原則というのは他のすべてに通ずる基本的原則として最も重視されねばならないものといたしております。また、教育改革推進に当たっては常に教育、研究の質的充実を図ること、国家財政全般との関連において適切な財政措置を講ずることが必要であるとしております。
 次に、第二部「本審議会の主要課題」についてであります。
 ここでは、第一部に示しました「改革の基本的考え方」を基礎に、三年間にわたる本審議会の審議において検討すべき主要課題として、「二十一世紀に向けての教育の基本的な在り方」「生涯学習の組織化・体系化と学歴社会の弊害の是正」「高等教育の高度化・個性化」「初等中等教育の充実・多様化」「教員の資質向上」「国際化への対応」「情報化への対応」「教育行財政の見直し」の八項目を挙げております。
 それから、第三部は「当面の具体的改革提言」でございます。
 これは、第二部の主要課題のうちで、結論が得られたもの、改革の突破口となるもの、国民の要請の強いもの、そういうものを取りまとめまして、具体的には、第一に、学歴社会の弊害の是正のために、学校教育を改革することはもとより、企業、官公庁においても、多様な能力の評価を行う観点から採用人事や人事管理の改善について一層の積極的な努力をいただきたいという希望をいたしております。
 第二に、大学入学者選抜制度の改革に関しましては、各大学が入試改善に取り組むべきであること、現行の国公立大学共通一次試験にかえて、新しく国公私立を通じて各大学が自由に利用できる共通テストを創設し、あわせて、国立大学の受験機会の複数化、高等学校職業科卒業生への配慮などについても提言しております。
 第三に、機会の多様化、進路の拡大という観点から、一つは、高等教育の門は可能な限り多様で幅広くすべきとの基本的認識のもとに、修業年限三年以上の高等専修学校の卒業者などに対しまして大学入学資格を付与することについて具体的な方途を検討すべきであるということ、一つは、現行の中学校教育と高等学校教育を統合しまして、生徒の個性の伸長を継続的、発展的に図ることを目指す新しい学校として、地方公共団体や学校法人などの判断によって六年制中等学校を設置できるようにすること、一つは、個別的に教科・科目の単位の取得の認定を行うとともに、取った単位の累積加算により卒業できるという新しいタイプの高等学校、単位制高等学校を設置できるようにする、以上の三点を提言しております。
 以上が本答申の概要でございますが、本委員会の委員の諸先生におかれましても、何とぞ御理解の上、今後とも御支援、御協力をいただきますように、ここでよろしくお願い申し上げる次第でございます。
 どうもありがとうございました。
#4
○阿部委員長 どうもありがとうございました。
#5
○阿部委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。榎本和平君。
#6
○榎本委員 自由民主党の榎本和平でございます。
 時間もございませんので、早速質問に入らせていただきたいと思います。
 私は、今回の第一次答申の内容をずらっと全部読ましていただきまして、教育の現状の御認識、またその認識に基づいてのこれからの方向づけ、そういう一貫したもので貫かれているように思われまして、私もこれは評価を申し上げている一人でございます。そういう立場で先生方に御質問を申し上げたいと思います。
 第一番目に、第一部会で大変御議論になりました教育の自由化、そしてこの答申の内容に盛られておりますところの「個性重視の原則」、これはこの答申に貫かれている最も基本的な一つの原則であろうと思っておるわけでありますが、これはこれまでの審議の経過の中で、ことしの四月に出されました臨教審の「審議経過の概要」の中を見ますと、「個性主義」という表現で述べられておるわけであります。しかし、今回の答申の内容には「個性主義」という表現は一つも出てまいらないわけでございまして、あくまで今申し上げましたような「個性重視の原則」という表現で貫いておられるわけであります。この点に関しまして、御議論があった経緯と、今回答申なさった内容にいささかの変化があったものかどうか、これを第一部会長でございます天谷先生からお聞きをいたしたい。
#7
○天谷参考人 お答え申し上げます。
 「個性重視の原則」と、第一部会の審議メモそれから「審議経過の概要(その2)」に書いてございます「個性主義」とは、中身は同一でございます。ただ、「個性主義」という名前に関しましては、どうも余り国民になじみがない、聞きなれない言葉である等々の意見が委員の中に多くございまして、総会でいろいろ名前を検討いたしました結果、「個性主義」ではなくて「個性重視の原則」にしよう、こういうことになったわけでございます。
#8
○榎本委員 そういたしますと、これは全く同じだ、こういう解釈をいたしてよろしいと思うのでありますが、さらに天谷先生にこの件に関しましてお尋ねをいたします。
 改革の基本的考え方を幾つか述べられておるわけでございますが、それらの個々の問題と個性重視の原則というもののかかわりあいについてお答えをいただきたいと思います。
#9
○天谷参考人 個性に関しましては、教育基本法の前文及び第一条に、個性への言及、あるいは人格の完成ということが日本の教育の中心的、中核的な目標であるとして言及をなされております。ところが、戦後の社会情勢その他いろいろな情勢がございまして、現実の学校教育を見ますと、必ずしも個性が重視されていないような状況が存在しておる。そこで、もう一度教育基本法に書いてあるところの個性の重視ということを徹底すべきであるというような考え方で個性重視の原則を大原則だと言っているわけでございます。そのほかに「基礎・基本の重視」とか「選択の機会の拡大」「教育環境の人間化」等々幾つも書いてございますけれども、これは教育基本法に直接言及してあるような事項ではございません。しかしながら、今日の教育の状況を考えてみまして、特にこういうような項目について今後大いに留意をしていく必要があるという意味で強調をしているわけでございます。
#10
○榎本委員 次に、岡本会長にお尋ねをいたしたいと思います。
 答申の二十四ページの第一節「学歴社会の弊害の是正のために」という項目がございます。私もこれを読んでみたわけであります。しかし、この中から私が感じます点は、これは主といたしまして大学卒業生、それから割に規模の大きい企業といいますか、または官公庁といいますか、そういうふうな割に規模の大きい、またそれと大学卒業生とのかかわり合い、それを天に据えてお述べになっているような受けとめ方を私はいたしたわけであります。しかし、考えてみますと、私どもの社会全体というのは、まあそれも一部ではありますけれども、中学卒とか高校卒とか、それから私どもの選挙区に参りますと、そんな大企業はございませんで中小企業、そういうものとのかかわり合いを、「学歴社会の弊害」云々という面には触れておらないような感じを受けるのでございますが、その点について、ひとつ会長の御所見を伺いたいと思います。
#11
○岡本参考人 御指摘の点は極めて大事なことでございまして、臨教審の内部でも決してそのことをないがしろにいたしておりませんので、この二十六ページの下の第三というところに、「企業・官公庁においては、採用、評価などの人事管理において多様な能力が評価されるよう、次の諸点にわたり、」注意してもらいたいということがございますが、これはお互いのこともございますけれども、多様な学校からの採用に関連しましては、三つ目のところの「専修学校や職業訓練機関などを通してこそういう資格を取った者も新規卒業者と同じように採用を弾力化せよということ、その次のCに「高卒者と大卒者に区分された固定的な採用方法や評価についての検討」、こういうことも申しておりまして、この精神全体は、いかなる学校を経ましても、その最初に獲得した学歴というようなものに固定してその後の進路を規定することなく、途中にでも獲得したような専門的訓練技能というようなものは直ちに社会の方でもこれを評価して、それに対する対応、あらゆるものをアクティブに考えろというようなことを申しておりまして、その点、先生のおっしゃいますように、これは単に大学の卒業者だけでございませんので、あらゆる面に向かって目を注いだつもりでおります。
#12
○榎本委員 これも岡本先生にお伺いをいたしたいと思うのでありますが、二十九ページになりますけれども、これももうけさの新聞等で大変大きく報道されておるわけでありますが、第二節の「受験競争過熱の是正のために」という項目の中に、共通テストの問題が示されておるわけであります。さきの「臨教審だより」の「審議経過の概容(その2)」を見ますと、これは四十四ページになりますけれども、この中に、「現在国公立大学が実施している共通一次試験を改めこそして「「共通テスト」(仮称)を創設する。」という表現があるわけでありますが、答申では、先ほども会長が御説明なされましたように、共通一次にかえて新しく共通テストを創設するんだ、こういうような御説明であるわけでありますが、この点の関連をひとつ御説明をいただきたいと思うのであります。これが第一点であります。
 それから、これは国民が非常に関心の高い問題でございまして、この今回の第一次答申によりますと、今までありました共通一次の試験というものがなくなるのだ、こういうふうに解釈をしてもいいのかどうか、この二点を会長にお伺いを申し上げたいと思います。
#13
○岡本参考人 第一の「共通一次試験を改め」というのを「代えて」といたしましたのは、今まで共通一次試験というものはいろいろな弊害が指摘されておりまして、それから事実としては、私学が関係しておらないというところもございます。それで、共通一次の続きということでは、そういうものを採用するということにいろいろ問題がございますので、このたび「代えて」としましたのは、もうそれとは別にという意味を強調して、新たに「創設する」ということでございます。これは、共通一次の続きではないですよということを強調したいつもりでおります。
 それで、この共通テストというものと共通一次の内容でございますけれども、共通一次というのは、二次がございましてそれが一次であって、一つのきちんと規定したものでございますけれども、共通テストというものは、別個のものであって、それが国立に限らずあらゆる国公私立がこれを自由に利用しようと思ったときには利用しなさいというものでございます。それは、いわゆる試験問題を極めて精選して衆知を集めてああいうものをやっておりますから、それでそのものを利用するだけにおいてはこれはやはりすぐれたものを利用することになるのです。ですけれども、このたびの入試の改革は、基本的には各個の大学が入試はそもそも自由に自分の考えでやるべきものだということを主張しておりますので、そういうものはあるけれども、これを使いますのは、各大学が自由に使おうと思ったことを使おうと思う方法でお使いなさい、そういうものでございます。これは御存じのとおり、アメリカでもどこでもあるものでございますから、ただ使用にはアメリカなんかは自由になっております。その点、このたびの共通テストというものは、国立が今までやっております共通一次に二次がある、そういうものとは全く別個のものである。どうぞひとつ自由にこういうものがあるから活用してもらいたい、そういう趣旨でございます。
#14
○榎本委員 これも岡本先生にお伺いいたしますが、これは字句をとらえて申し上げるようで甚だ恐縮なんでありますが、九ページの中段からちょっと下に下ったところでありますが、「教育改革の推進に当たっては、常に教育・研究の質的充実が図られなければならないし、また、国家財政全般との関連において、適切な財政措置が講じられなければならない。」こういうふうな表現がございますが、このような表現は、みずから教育改革というものに枠をはめるような結果にならぬかどうかという、これは言葉じりをとらえるようで恐縮ですが、そういう感じを抱くのでありますけれども、この点につきまして岡本会長から、これはごく簡単にお答えをいただきたいと思います。
#15
○岡本参考人 「国家財政全般との関連において、適切な財政措置が講じられなければならない。」その前半は「常に教育・研究の質的充実」、これは、今まで改革をするのには、目的は教育、研究の質的充実だ、それを推進するためには財政というものを無視してというわけにはいかないので、当然改革の成否を決定する重要なファクターとして適当な財政措置を講ずるようということ、それから、国家財政との関連においてというのは、教育改革には費用が要るわけですが、この経費等はやはり国家財政全般の中で教育が占める位置づけを考えながら確保されなければならないという、これは極めて当然と申しますか、常識的なことを述べたものでございまして、これによってもちろん教育に関する経費などのむだがあればそれは省かなければならないのですが、必要なものは十分措置を講ずるのは当然でございまして、この字句が、特に自分から教育改革に対して財政面から枠をはめる、そういうふうには考えておらないわけでございます。
#16
○榎本委員 最後に、もう一点、これは答申と直接関係があるのかどうか私もちょっとわからないのですが、一番初めに質問申し上げましたいわゆる個性尊重といいますか、そういうもので貫かれておるわけでありますが、こういう今回の答申の内容はまことに非常に結構な内容だ、私はこういうふうな評価をしておるわけでありますが、こういう精神面といいますか、心の面といいますか、そういう面が教育の中でそれなりの効果を持つということは、単に教育の範疇でだけそういう効果が出るものではなかろうと私は思っておるわけであります。特に、私どもは政治の場におきまして常に票をもらわなければ上がってこれないわけでありますが、そういう立場の者といたしましては、地域社会との密着というものは、連日非常な自分の選挙区との連携があるわけでありまして、そういうことから、これからの地域社会のあり方というものは、私どもは念頭に置かない日はないわけであります。私は、やはり教育のこういう個性尊重にいたしましても、お述べになっているそういう非常に人間の基本に根差したそういう改革というものは、やはり国家、それから私どもの地域社会、そういうものも同じもので統一されないと、なかなか教育の実というものは上がらないものだろう、そういうふうに思っておるわけであります。
 もっと具体的に申し上げますならば、やはりこれは私の私見になりますけれども、今の私どものふるさとなどというものは逆に個性を失う、逆に画一化されている、同じことをどこに行っても国に要望をするというそういう姿、そういうものから基本的に変わってまいらないと、教育の、これも第一次答申で述べられているこのような実というものは上がらないのじゃなかろうかと私は考えておる一人であります。多分そういう意味で、この八ページの中段からちょっと下の「文部省をはじめ各省庁、各地方公共団体にわたる制度や施策を上記との整合性を考えながら見直し、」云々というふうなことを盛られたものだろうと思うのでありますが、この点につきまして石川先生のお考えをひとつお聞きいたしたいと思うわけであります。
#17
○石川参考人 今先生からお話がありましたことも、実はこの「役割」の第五の中に十分入っておりますので、特に我々は地方の教育行政の組織、機能といったようなものをもっとしっかりしたものにする、そういうことについては非常に大きな関心を持っておりますので十分検討したい、そういうふうに考えております。
#18
○榎本委員 終わります。ありがとうございました。
#19
○阿部委員長 佐藤誼君。
#20
○佐藤(誼)委員 それでは、時間が限られておりますから端的に質問をしてまいります。
 会長に質問いたします。
 ことしの二月の読売新聞の世論調査、また五月の朝日新聞の世論調査を見ても、臨教審に対する国民の反応は、私に言わせれば甚だ芳しくない結果が出ているわけであります。このたびの第一次答申に対しても、国民はほぼ同じような反応を示しているんじゃないかなというふうに私は見るわけです。例えば「具体的改革提言」の六年制中等学校の設置について、これなどを見ますと、例えばきのうもNHKの九時のニュースで流しておりますけれども、これに積極的な反応を示したのは東京都ぐらいなものでありまして、その他の道府県は消極的また批判的な態度をとっているわけですね。先ほどの岡本会長の説明ですと、具体的提言は、結論の出たものでしかも教育改革の具体的な突破口にしたいと考えているんだということで、極めて重要な提言になっているわけですね、しかも具体的。これから考えますと、これが現場の直接の教育長がこのような反応を示していることは極めて憂慮すべきことじゃないか。したがって、このような答申、とりわけ今申し上げた具体的な改革の提言、幾つかありますけれども、スムーズに実施されていくと思うのかどうか。また、このたびの答申などは依然として国民の意識とかなり乖離があるのじゃないか。また、それら批判の中には、教育百年の大計と言われるのになぜこんなに拙速主義で答申を出さなければならぬのか、日程が決まって逆順にやっているのじゃないか、こういう批判もございます。したがって、以上の点についてまずお尋ねしたいと思います。今の質問よろしいですね。
 それから、時間を節約する関係上、もう一点を質問いたします。
 次は、教育改革の理念または基本的考え方を見ると、先ほども質問がありましたが、「自由化」から「個性主義」、そしてこのたびの答申では「個性重視の原則」というふうに流れております。つまり、理念、原則が経過の報告、答申と発表のたびごとに変わっているわけです。言葉変われば内容変わると私たち思うのですけれども、先ほどの天谷第一部会長の答弁によりますと、「個性主義」と「個性重視の原則」は、言葉は違うが内容は変わらぬという趣旨のことを言われた。これでは国民の受けとめ方として戸惑うのは私は当然だと思う。しかも、理念、原則であるがゆえにこのことは極めて重要視すべきことではないかというふうに思います。また、これは新聞の報道の限りでありますが、臨教審内部でもこの続いた自由化論争が依然として整理し切っていないというふうに言われているわけです。
 こういうことを考えますと、原則、理念、基本的考え方が不安定な状況のままで答申を出す、具体的改革の提言を含めた答申を出していくという、つまり各論部分ですね、実施段階の部分、これは私は不適切な対応ではないのかなというふうに思うのですが、どうですか。
#21
○岡本参考人 第一の点でございますが、提案いたしましたものが実行されるかどうかという現時点における批判というものでございます。これはほかの部分についても言えることでございまして、この六年制一貫については、その内容を述べ、同時にその欠点と長所があるわけでございまして、よく自覚しておりますが、これはその欠点と言われるものは今後十分それを除去するように工夫するということが、ここにもその採用についてはいろいろ方法を考えるということが詳しく書いてございますので、これは各地方団体それから学校法人が適当であると思えば実行することになっておりますので、そのとき十分その欠点と言われるものを除去されるならば実行されていくと思います。これは共通テストについても同じでございまして、私、最前ちょっと強調しましたけれども、共通一次と共通テストが混同されておりまして、その理解がまだ十分でございませんので、あれも変わっていくと私は思っております。
 その点、なぜ急ぐかということ、特に急ぐということではございませんので、やはり基本的には国民の教育に対する関心を考えまして急ぐということもございますけれども、できたものといいますか、これは決して今新しいものでなく、かつて中教審などでも検討されておって実行されなかったようなものも含まれておりまして、その点、今時点で出し得たものということでございます。
 それから、自由化論が個性主義に変わったり個性重視に変わったりするということです。これについては、今後もひとつ御理解願いたいのは、この審議会は前代未聞に開かれております。もう議論のなにが最初から全部外に出ておるわけです。この点は御理解願えると思うのですが、これぐらい議論の経過を外に出しておるものはない。もしこれを密室でやっておりましたら、これはまさに審議を深めておる段階でございまして、今あれを、自由主義ということではいろいろ問題がある、それを考えに考えて個性主義――個性主義では言葉が十分でない、それは個性尊重、それは普通の言葉じゃないか、いろいろなことを審議しましてここに行っておるので、決してふらふらして変わっておるのではない。これは石川さんが絶えずベクトルはいつでも同じ方向だとおっしゃっておるのと同じでありまして、変わってはおらない。ただ、開かれておるためにそういう印象を受けられていることについては、ひとつ今後ともに御理解をお願いしたいと思います。
#22
○佐藤(誼)委員 果たしてスムーズに実施されるかということについてはいろいろ問題があるが、それらを除去し、実施採用の段階ではいろいろ工夫したい、こういうことを言われますけれども、それは何事もそういうことはあると思うのですけれども、しかし、私は、もう結論が出たものであって、改革の突破口にするといううたい文句で、しかも具体的に中身を出しているのが、いまだに国民にそういう、しかも最前線の具体的な担当者から声が出るようでは、今のような会長の説明だけではどうかなというふうに国民は思うと思うんですね、時間がありませんからきょうはこれはその程度にとどめておきますが。
 それから、その都度理念なり原則が変わる、このことについて、これは前代未聞に臨教審が開かれているから、こういう趣旨のことなんですが、しかし、これは開かれているというふうにおっしゃいますけれども、臨教審の中でテーブルに着いている間では開かれているかもしらぬけれども、国民の側からいえば必ずしも開かれているというふうには見ないのではないかと私は思うんですね。特に、開かれているからいろいろと変わるのだということを言われますけれども、それはちょっと困るのでありまして、教育の原則なり基本的改革の方向が常にぐらぐら動くようでは、国民の側から何を柱にして各論を見ればいいかわからぬということになってしまう。また、そういうものを出すこと自体がちょっと無責任ではないかと私は思うのですが、重ねてどうですか。石川さん、どうですか。
#23
○石川参考人 今基本的な考え方がぐらぐら揺れているというお話ですが、少なくとも、私の理解するところでは、「自由化」が「個性主義」に変わったというような過程は臨教審全体としてはないと私は思うんですね。と申しますのは、自由化論というのは確かにありましたけれども、それはその自由化論を合宿で深めているときの議論の一つでありまして、一体我々が教育改革の基本的な価値としてどういうものを実現していったらいいのかということを考えたときに、その自由化を主張している人もそうでない人も、やはり個人の尊厳とか個性の尊重とか、自由とか自律とか自己責任というような価値を実現したい、そういうところで一致をして、それならばそれをどういう名前で呼ぶかということを考えたときに、第一部会としては「個性主義」という名前がよろしかろう、こういうことでその名前が出てきた。しかし、総会で議論をしたときに、それでは非常にわかりにくい、もっとわかるような形の名前はないかということでいろいろと苦労をして名前を探したのですけれども、とうとう適切な名前がないから、したがって、名前そのものは国民の多くの方々にわかりやすい名前、つまり「個性重視」ということにして、その内容には先ほど申しましたような「個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任」という内容をそこにちゃんと書いておこう、そうすれば内容がわかるではないかということで、私は考え方がくらくらしたという感じは持っておりません。
#24
○佐藤(誼)委員 言葉というのはいろいろありまして、ぐらぐらしたという言い方をすると、いや、それは違うと言う、こういうふうになると思うのですけれども、ただ、国民の受けとめ方としては、単なる国民にわかりやすい名前探しに終始した、中身は変わっていないのだ、論争の終結は皆同じだということには受けとめていないと私は思うのです。これは論争いたしますと長くなりますからその辺にとどめておきます。
 そこで、次は、六ページに戦前戦後の教育の反省の部分があります。その記述の中で第二節「教育改革の意義」のずっと下の方に行きまして、上から三行目ぐらいですか、「とくに、極端な国家主義的な教育の傾向が強まった時期もあったが、その基本的考え方は、おおむね、個人の自立・発展を通じて、国家と産業社会」云々、こういうふうになっております。果たして戦前の教育を「個人の自立・発展を通じてこというふうに評価できるのかどうか、私はここは問題があると思う。また、このような記述になったのはなぜなのかということをひとつ説明していただきたい。
 それから、同じページの上から五行目ですか、「戦後教育改革の際にも、個性の尊重や自由の理念が強調されながら、様々な社会的状況のなかで十分に定着するには至らなかった。」こうあります。これは戦後教育のことですが、「様々な社会的状況」というのは何を指しているのか。この二点について、会長。
#25
○岡本参考人 「おおむね、個人の自立・発展を通じて、国家と産業社会」、この表現は、明治の教育、まず五年の学制発布から教育を推進するということで、勉強しなければだめだぞ、自分がしっかり勉強することが富国強兵ですから国のためにもなるという言い方で、あれは一番最初は個人に呼びかけて勉強せよということを主張したものなんです。それが自立・発展を通じて国家、社会の発展、こういうようになっておりまして、私はあの最初の教育の奨励をそういうふうに意識しておりますので、こういうものだと思っております。
 それから、いろいろななにによりまして、第二次の改革は、人格の完成、個性の尊重、機会の均等ということを第一にしておったのでございますけれども、これがやはり追いつき型の近代化という点では明治のなにと同じように延長上にあったものですから、画一主義というようなことになっていきまして、また、教育の高度化とか内容が多くなるとか、したがって受験戦争が過熱化するというようなことで、その最初の意図にもかかわらず個人というものが十分尊重されてこなかったというこの実態を述べたものでございます。
#26
○佐藤(誼)委員 どうも質問に適切に答えていただけないようでございますが、どうも時間が気になるものですから……。
 戦前教育の評価の観点ですが、私は、明治以降の教育が欧米先進諸国に追いつけという近代化政策の任務を担っておったということは否定しないと思う。ただしかし、これは昭和の初期から始まりまして、例の富国強兵のスローガンとともに国家主義、軍国主義に基づく戦争遂行のための国民教化の教育であったという側面も私は否定し切れないと思うのです。ところが、この表現によりますと、追いつき追い越せという部分だけが強調されているのではないかというふうに私は言わざるを得ないわけです。したがって、戦前教育の総括的な反省としては不適切である、反省が間違っておればその改革の方向も間違ってくる、そういう点で私はこの点を重視しているわけであります。
 それから、もう一つは、この追いつき追い越せということから均質性、平等主義、このことによって一定の政策目的は達成したが、しかしその結果、画一化、硬直化という問題が出てきた。したがって、そこから自由化、個性重視という、私が見るとこれが大体臨教審の手法だろうと思うのです。ですから、その際に、今申し上げた教育基本法の原点になった国家主義、軍国主義、国民教化の教育であったという没個性の部分が総括としては非常にスポイルされている、この点が後の改革の方向にいろいろな問題を波及させてきているのではないか、私はこのことを指摘しておきたいと思います。
 それから、戦後の教育について個性の尊重や自由の理念が強調されながら、さまざまな社会状況の中で十分定着てきなかった、さまざまな社会状況の中で簡単に言えば教育基本法の骨である個性の尊重や自由なあれができなかった、こういうことだと思うのです。皆さんの考え方を十分聞く余裕がありませんけれども、あえてこのところは、さまざまな理由というのならば私は三つの理由があると思うのです。
 一つは、分権と住民自治の上に立ったところの教育委員会の公選制が任命制に変わることによって教育の中央集権化が行われていった、このことを私はどうしても言わざるを得ない。第二点は、指導要領の法的規制、教科書の検定等含めて教育内容の国家統制が強まっていった。三番目は、勤評なり主任制に至る教育のあるいは学校の管理体制が強化されてきた。そのことによって、あのアメリカの第一次教育使節団が来たときに、戦後教育の改革の原点にしたのが、学校に何よりも自由を与えることだ、これが政策の最優先すべき課題であると言ったことが、逆に管理体制が強化された。このことがここで言うさまざまな社会的状況の中での重要なファクターではないかと私は言わざるを得ません。
 以上、私の見解を述べておいて、次の質問に入ります。
 次は、九ページ、第四節の「改革の基本的考え方」の中で、冒頭から、「今次教育改革は、教育基本法の精神にのっとって進められるものである。」以下云々、ずっとあります。これは私も賛成であります。ただ、この中で、「本審議会は、この趣旨に従い、個人の尊厳を重んじ、」以下ずっといきまして「伝統文化を継承し、」以下ずっといきまして「を目標とした。」こうあります。私は、教育基本法は御承知のとおりの内容になっております。その中で、この個人の尊厳、個性豊かな文化の創造という個性の側面は確かに結構だと思うのです。ただ、重要な観点としてなぜ「人格の完成」ということを挙げてこないのか。大きな視点としての欠落ではないか。これが一点。それから、なぜこの中で伝統文化の継承というのをとりわけ取り上げたのか。この二点、会長、どうですか。
#27
○岡本参考人 教育基本法の精神の根本というか、全体の基本になるものは人格の完成であります。したがって、ここでまず「人格の完成」という言葉を入れませんで、ただ、基本法の内容で大事なものを網羅するといいますか、「個人の尊厳を重んじ、個性豊かな文化の創造」というようなことを申しておりますので、その意味でここで「人格の完成」というのを申しておらないわけでございますけれども、決して特に意図を持っておるわけではございません。そういう内容、これは人格の完成の個々のものです。
 それから、「伝統文化を継承し、日本人としての自覚に立って国際社会に」云々、日本が今一番変わりましたのは国際社会に出ることでございます。それで、絶えず念頭にありますのは、今経済の力で国際社会には出ましたけれども、これから尊敬される人間、国民となって国際社会に出るのには、本当に自国の伝統文化をよく認識し、そういう認識があってこそ他国の文化も尊重し得るというので、国際社会に貢献するというこれに関しましては大変大事なことだと思っておりますのでこういうものを入れました。
#28
○佐藤(誼)委員 一々突き合わせの質問ができないのは残念でありますが、私がそのことを取り上げた理由も若干述べながら申し上げておきたいと思うのです。
 人格の完成ということを特に私が指摘したのは、答申の三ページに教育荒廃の要因、背景が書いてあります。このこととかかわっているので、なぜ人格の完成を挙げなかったかと私は言っているわけです。大体、教育荒廃の要因、背景、これは国民の最も関心のあるところですが、この記述を見ると、網羅的で構造的な分析になっていないと言わざるを得ないわけですね。
 特にこの中で指摘をしたいのは、幾つかずっとありますが、@のところに「我が国の著しい経済発展は、教育の量的拡大をもたらすとともに、学歴偏重の社会的風潮」、以下ずっといきまして、偏差値や知育偏重、こうつながっていくわけですね、つまり教育荒廃の要因、背景ということで。ところがこのくだりは、著しい経済発展がずっと導き出している、こういう記述になっているわけです、経済発展がもたらしたんだと。私は、これはおかしいし違うと思うのです。経済発展がなしたのではなくて、経済発展のために教育が人的能力を開発する任務を課せられた、マンパワーポリシーですね、ここが出発点だと思うのです。経済発展がじゃなくて、経済発展のために教育が人的能力開発の手段として位置づけられていった、このことが出発点でなければならぬので、このことはちょっと問題があるというふうに私は言わざるを得ないわけであります。人的能力の開発とは何かと言えば、知育偏重であり、やがて選別と開発の中で大学の格差が生まれ、学歴偏重を生み、受験競争の激化、偏差値輪切りというふうに進んでいくのだと私は思う。つまりそれは何かと言えば、今日の教育荒廃とのかかわりで言えば、教育が、経済発展に役立つ人間の知的側面のみが強調されてきたところに問題があると私は思うのです。人間の知的側面のみが強調されてきたところに問題がある。したがって、教育改革は、人間の全面発達を願う、教育基本法で言う人格の完成を基本に据えたものに軸足を動かしていかなきゃならぬと私は思うのですね。このことが基本的に欠落していると思います。そういう意味では、人格の完成、つまり人間復権の改革ということがなければならぬと私は思いますが、残念ながらこの答申の中にはその部分が欠けていると言わざるを得ないのです。
 それから、もう一つ、伝統文化の継承というやや当たり前のことを私が取り上げたのは、私の杞憂かもしれませんけれども、教育基本法では前文の中段に「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」云々とある。つまり、個性豊かな伝統文化の継承、これも個性主義から出た発想だと思うのですが、教育基本法ではその「個性ゆたか」云々の前に「普遍的」とあるのですよ。このことが抜けていることが私は気になって仕方がない。つまり、なぜそういうことを言うかと言えば、戦前の教育が伝統文化、愛国心をうたって、そして国粋主義、国家主義、そして戦争遂行の教育となったことは、我々体験しているとおりです。したがって、ここにそのことから普遍性、国際性、平和主義というものが出てきたと思うのです。この部分がまず出てくるべきだと私は思うのですね。その後に個性豊かな文化ということで日本の伝統文化、日本人としての自覚という、こういう位置づけにならなければならぬと私は思います。このところが、私は、うがった見方かもしれませんけれども、極めて原則的な点でありますから、これからいろいろな改革とか出てきますから、このことを指摘せざるを得ないと思うのです。
 最後に、私はそのことに関連して教育の理念についてもう一つお尋ねします。
 個性重視というならば、その具体化として、まず教育の現場から言えば、ゆとりのある一人一人に行き届いた教育が大切だと思うのですね。そのためには、マンモス校の解消であるとか、四十人学級早期完結であるとか、三十五人学級に移行するとか、それから教職員定数の充実であるとか、そういう教育諸条件の整備なしに、幾ら個性の尊厳とか尊重とか重視とか言ったってできないと思う、このことをどう考えておるのかというのが先決だと私は思う。どなたでも結構ですから、お答えいただきたいと思います。簡単にお願いします。
#29
○石川参考人 おっしゃるとおり、個性重視の考え方というのはいろいろのところに実現されてこなければならぬ。今の先生のおっしゃるような意味で、教育条件のところにもそれは当然これからの主要課題として挙げておりますけれども、その中でそういう方向で検討されるということが大事だと私は思っております。
#30
○佐藤(誼)委員 これはどなたに伺っても当然だと思いますので、それは並行して議論していかなければならぬということを指摘します。
 それから、次に、具体的な提言の中で一、二質問しておきますが、例の六年制中等学校ですね。これは改革の重要な目玉として出しているわけですが、先ほども触れたように、臨教審の意気込みといいましょうか、期待からいうと、国民の側は具体的な実践レベルではなかなかそうはいかないぞというような受けとめ方をしていると私は思うのですね。特にこのくだりの中に、三十四ページでしたか、「普通科を設置する場合には、大学受験の準備教育に偏しないようにする必要がある。」云々ということが書いてある。これは皆さんの、答申を出された側にも、現行制度を残したまま複線的にそういう制度をつくっていけば、教育の、学校制度の複線化、ひいては、これはやり方によってはエリート校、つまりそれに殺到する、受験競争の激化、輪切りによる選別が早期選別につながる、いろいろな弊害を生んでいくのではないかということを懸念した言葉だろうと思うのですね。この言葉を書いただけで皆さんの憂慮すべき事柄が解消されていくのだろうか、この辺のところが皆さんが非常に心配されていることだと私は思うのですね。
 時間が来ましたので、もう一点だけ質問しておきます。それは共通テストの問題です。先ほどいろいろ答弁がありましたが、共通一次試験のいろいろな弊害がございました。この弊害が私立学校も含めて出てくるのじゃないか。学校の格差、さらに一層の受験競争の激化ですね。
 それから、もう一点だけ、教育財政についてでありますが、この中に「教育に関する経費負担、財政に関し、官民分担のあるべき姿、各種補助金、父母の教育費負担などについて検討する。」云々とあります。これは臨調が言う国の各種補助金の見直し、地方への財政負担の肩がわり、国民の自助努力、父母、国民の受益者負担の増、こういう発想につながるのではないかというふうに心配しているのですけれども、この辺はどうなんでしょう。時間になりましたので、以上二点だけ質問します。
#31
○岡本参考人 教育財政の問題は、私が最初から申しておりますように、臨調と臨教審の立場は全く違うので、前回申しましたように、必要なものは背伸びしてもというようなことを申しておりますが、きょうも最前申しましたように、そういう臨調の立場には立っておらない、枠をはめるものではないというふうに思います。
 それから、六年制のことですね。こういう弊害の可能性があるということは、私立学校はそういう例がございますものですから、そういうものに陥らないように、またしかし、国民が望んでおるところとも一致しておるから、多くが希望する場合にはそれを除去してということをわざわざここに明記して注意をしておる。恐らく、地方自治体及び学校法人がこれを設置しようとしたときには、このときにはこういうものをしっかり注意してやるということをわざわざ注意しておるものでございます。
#32
○佐藤(誼)委員 それじゃ、時間が来ましたので、十分尽くせませんが、最後に、私はこの答申内容はいろいろ検討してみたけれども、にわかに賛成しがたいし、国民とかなりの隔たりがあるということを言わざるを得ないということを申し添えて、私の質問を終わります。
#33
○阿部委員長 馬場昇君。
#34
○馬場委員 参考人の先生方、御苦労でございます。
 私は、臨時教育審議会に課せられた教育改革の任務は二つあると思うのです。第一は、教育荒廃の現状をどう是正するかということです。第二は、二十一世紀に向けて創造的で活力のある社会を築くため新しい教育のあり方を探すことだと思うのです。
 臨教審は、国民的要求が強くて、かつ緊急を要するものから答申をするんだ、こういう方針を決めて議論されたわけでございますが、昨日第一次答申が出ました。ところが、私は質問に予定していなかったのですけれども、けさの各紙の新聞の朝刊を見たのです。それによりますと、「政治に追われ見切り発車」「臨教審答申 内部から異論や不満」「内容に責任持てぬ」これが見出しですよ。そして、臨教審の内部の委員の方々あるいは専門委員の方々の言葉として「こんなお粗末な審議会は初めて」「答申に責任は負えない」「政治スケジュールに追いかけられた、つじつま合わせの答申」「中曽根首相はオードブルを注文したのに、カラの枝豆しか出さなかった」、こういうことが書いてありますね。会長、これはどういうことなんですか。こういうことが新聞に報道されて、これで国民の信頼を臨教審は受けると思われますか、どうですか。まず答えてください。
#35
○岡本参考人 この臨教審の使命でございますけれども、これは仰せのとおり、現在の教育の抱えておる大きな問題、国民が渇くような気持ちで解決を望んでおる問題です。それと二十一世紀の教育とは、こういうことですね。そういう目的でやっておりますので、この第一次答申というものもそれに沿った答申でございます。ところが、この性格上、内容が直接現在の荒廃に対して頓服のような対策でない。それに対してこういうふうな批評がありますのは、臨教審の本旨をよく理解されておらないからである。それから、現在出しましたことも、最前説明しておりますように、それにこたえたいからというので急いでおります。内部に異論があるということは、異論がなかったら議論でないのです。当然なことですし、それから、お粗末かどうかはおのおのとる人のなにによります。その点、開かれた審議会でございますから、こういう発言を一々、あらゆる言葉を自由にもらって、しかもしっかりしたものをそれにめげないでつくらなければいかぬ、そういうように思っております。
#36
○馬場委員 臨教審というのは、二十五人の委員が議論をして合意をして出すわけでしょう。それにこんなでたらめな発言があるということ、これを会長として許す、こういうような審議会はでたらめ審議会です。これは国民が信頼しないです、あなた方がひとりよがりでそういうことを言ったって。これは絶対に許すことはできないと思うのです。
 それから、今会長が言われましたが、私もこの会長の言葉はよく読んで聞いております。岡本会長は、教育荒廃への国民の渇くような要求があるのだから、それにこたえる答申をすべきだということを常々言っておられます。そこで、第一次答申がきのう出たのですが、この答申を実行すれば教育の荒廃はなくなるのですか。
#37
○岡本参考人 最前申しましたように、これが特効薬や応急対策ではなく、この方向を行けば基本的な根本治療としてこれが教育の荒廃を治すものである、そういうように信じております。
#38
○馬場委員 信じておられてよくなるとは思わないのですが、では具体的に聞きますと、今日の教育の荒廃も言わずもがなですけれども、学習のつまずきで悩んでいる子供がおりますね。偏差値輪切り教育による受験戦争がありますね。そして陰湿ないじめもある。登校拒否がある。非行、暴力がある。子供の人権が抑圧されておるし、体罰等もありますね。こういうことについて、臨教審の委員の皆さん方が直接現場に行って生徒に直接接して御調査になりましたか。
#39
○岡本参考人 御指摘の、現場の状況をしっかり把握するということが一番大事でございまして、その点は、私自身もできるだけ現場を訪問して実態を見せてもらっておりますし、それから、第三部会というのは現実に初中教育でございますから、これは一番インテンシブに現場を訪問してそこから知識を得て深刻に物を考えておる、そう思っております。
#40
○馬場委員 全然国民はそう考えていないですよ。あの新聞の投書欄に、私よく注意して読むのですけれども、ほとんどの国民が、臨教審の委員の先生方よ現場に立ってください、こういうような新聞投書が非常に多い。事実臨教審の委員の方が、現場の苦悩だとか現状認識というのが今度の答申には欠けておるということを批判されておることも新聞に報道されておるわけです。私はあの第一次答申を読ませていただいて、本当に調査ができていないということをまず感じました。というのは、あの答申の中に子供とか青年の姿というのが全然見えていないのです。本当に子供や青年が今どういら立っておるのかということ、どう悩んでおるのかということ、そしてその苦しみがどこから来たのかということ、問題行動をしながらこの子供が何を訴えて何を求めておるか、子供の姿、青年の姿、そういうことが全然この答申には出ていない。そういう点非常に問題だと思いますし、今現場を調べたとおっしゃいましたが、答申を見てみましても、受験教育、今の教育内容、教育の方法、教育制度とか学校の運営だとか、あるいは教職員のあり方とか、教育行財政のあり方、教育政策、あるいは社会の構造、産業社会、金とか物とかが万能の生き方、これらと絡み合わせて、この教育荒廃をどうやってなくしていくか、こういう道筋がこの答申には一つも明らかにされていないと私は思うわけでございます。ただこの答申の中ではそういうものを画一性だ、硬直性だ、そういう言葉で片づけてある。こういうことで、今会長が言われましたように本当に国民が渇くように要求しておるこの教育の荒廃をなくする、こういうことに第一次答申は全然こたえていない。それが一番緊急を要する問題だと私は思うわけでございまして、そういう点についてまず申し上げておきたいと思います。
 次に、個性の重視の問題は先ほどから議論されておりますから私は余り議論はいたしませんけれども、結論だけお聞きしますけれども、この個性重視の原則ということの答申で自由化の論議は決着をしたのですか、まだ残っているのですか、どちらですか。
#41
○岡本参考人 自由化と個性主義、こういう言葉の論争はもうこれでやめますということは申し合わせているのです。そして、具体的な問題を挙げまして、それについて二十五人で、もちろん専門委員も入りますけれども、しっかり議論する、そういうことは申し合わせておりまして、こういう言葉の論争は今後やりません。
#42
○馬場委員 そこで、少し中身にかかわって自由化論でお尋ねしておきたいのですが、私どもが心配しておりましたのは、自由化論の中で――社会共同の事業としての公教育が今あるわけですからね。この公教育を自由化論はゆがめるのじゃないかと私たちは非常に心配しておったわけです。その中身については、例えば経済的理論が優先して、いわゆる教育の産業化あるいは教育の商品化、こういうものを心配しておったのですが、こういうことはもう出てこない、こう理解していいのですか。
#43
○岡本参考人 最前の方のお話もございまして、私は、さらに大きく今次の問題を、教育だけでない、あらゆる問題、日本だけでないという意味で近代科学文明に取り上げておりますので、これを経済の延長で教育を考えるとかそういうことを――もっと深いところに立っております。同時に、経済の議論でこれをやるということについては、私がもう体質的にもそういう気持ちは持っておりませんから。
#44
○馬場委員 そこで、これは佐藤委員からも御質問があったのですが、これはもう国民の率直な意見だと思いますから改めて聞いておきたいのですが、個性の重視ということは大切なことですよね。ところが、個性を教育で重視するということは、だれが考えてみても一番最初にやらなければならぬのは、行き届いた教育を一人一人の子供にするということが大切だと思うのです。そうすると、行き届いた教育をするためには、教育条件としては、現在行われております四十人学級なんかはもう直ちにやりなさい、あるいは三十五人学級、三十人学級にしなさい、そうして行き届いた教育をすることが個性重視の教育の原則に沿うのだ、こう出てくるのは当たり前だと私は思うのです。そういう意味におきまして、四十人学級とか三十人学級だとか、あるいは教職員の定数がふえれば、専科教員が出れば行き届いた教育もできるわけです。大規模校で非行が出るのは当たり前ですけれども、それが答申に出ていないのは非常に私は残念に思うのです。疑問に思うのです。そこで、臨教審委員の一人もこういうことをおっしゃいますね。これも報道されておるのですけれども、四十人学級も実現できないのに幾ら立派なことを言ったって学校現場の教師ははなもひっかけない、こういう言葉を使って臨教審委員が発言されているということがきょうの新聞に載っている。私はしかしこれは国民の意見だと思うのです。そういう意味で、やはり個性重視の原則、行き届いた教育をするというので学級定数を小さくするとか、あるいは先生を多くするとか、そういうことがなぜこれに出ていないのですか。
#45
○岡本参考人 ここにも書いてありますように、学級定員の問題、編成の問題、これは大変重要な問題である。しかし、今もおっしゃいましたように、関係するところが極めて多いのですね。ですから、これは大事な問題ですが慎重に検討するということでございます。しかし、これは審議の内容になりますけれども、第一部会の中でも、何も四十人でなくても三十五人という線もあるしというような話も出ておりまして、その点十分に認識いたしております。
#46
○馬場委員 岡本会長の御意見を聞いておりますと、最初言いましたように、やはり国民はなかなかこの答申について理解もできないし、納得もできないし、物足りないという感じを持っておるのじゃないかと私は思うのです。
 そこで、次に移りますけれども、まず教育基本法の問題について、教育基本法の理念についての正しい認識を確立すると述べておられますが、これはどういうことかということで、抽象的なお答えをいただいてもしようがありませんので、さらに今言った質問に関連するのですけれども、その別のところに「戦後教育」を云々と書いて「全面的に見直し」云々と書いてあるのですよ。こういうことを連係させて考えますと、教育基本法の理念についての正しい認識を確立する、そして「戦後教育」を「全面的に見直し」云々、こう書いてありますものですから、時々言われておりました、何か教育基本法は変えないけれども教育憲章というようなものをつくるという考え方があるのではないか、このことはあなた方は多分教育基本法をわかりやすく説明するんだ、解釈するんだということをおっしゃるかもしれませんが、私はそのことでやはり教育基本法の精神というのを歪曲化して形骸化されはしないか、これが言う中曽根総理の戦後教育の総決算というのの目的がその辺にあるのではないかということを心配するものですから、この教育基本法の理念の正しい認識というのと教育憲章というものの考え方があるのかないのか聞いておきたいと思います。
#47
○岡本参考人 「教育の目標」というところに、「教育基本法の精神が、今後の我が国の教育に生かされるよう、その正しい認識」、これは教育基本法の内容をしっかり、今までもこういう改革方向をつくりますときにはこれについて十分審議をいたしておりまして、それに沿ったものという意味で個性主義というものが出たのでございますけれども、今度、本答申のときには、さらにこれを掘り下げて歴史、現状の分析から未来展望までを本格的に精緻にするといいますか、そういう作業をやるということにいたしております。
 それから、戦後教育の見直しについても、今申しましたように、個性尊重が言われながら実行されておらない、そういうことについての反省をということでございます。
#48
○馬場委員 教育憲章というようなものをつくられる気があるのかどうかということです。
#49
○岡本参考人 これは前回にも申しておりますとおり、審議会ではそういう議論も出ておりますけれども、そういうことをするというところには決まっておりません。
#50
○馬場委員 もう一つ、この教育基本法の理念というものにかかわって、私が物足りないというか遺憾に思いますのは、国民主権あるいは基本的人権の尊重、平和主義、こういうものが憲法の三大原則と言われておるのですが、もちろん教育基本法の前文にも「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」とあり、第一条に「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」子供と青年の育成を目指すと書いてありますけれども、この答申を見てみましても、どこにも平和という言葉が私には余り見当たらなかったのですね。さらに私が言いたいのは、平和のための教育ということが原則の中にも入っていない、「二十一世紀に向けての教育の基本的な在り方」、そういうところにも平和のための教育とか平和教育というのが入っていないのは何だろうか。本当に二十一世紀に向けてのあの教育改革を皆さん道を探っておられるわけですが、二十一世紀は高度情報社会だとかあるいは高度技術社会だとか言われますけれども、平和なくしては教育もないわけですから、日本もないわけですから、あるいは人類もないわけですから、今のような状況の中ではすべての基盤に平和を置かなければならない、こういうぐあいに思いますし、高度技術社会になっていったら、あるいは高度情報社会になっていったら、民主主義というものが確立していなければ人間は機械の奴隷になってしまう、こういうことだってあるのです。本当に基本の基本に平和のための教育というのを一番据えなければならないと思うのですが、これが欠落しておるのはどういうことですか。
#51
○岡本参考人 この思いやりの心とか、生命を尊重する心、自己抑制の力とか、そういうものがやはり平和の根源でありまして、この点、平和という言葉が特にないという御指摘はそのとおりでございますけれども、結局その背後にあるもの、そういうものは全部指摘しておりまして、こういうものが大変大事なものだという認識をしております。
#52
○馬場委員 全然中身がなくて物すごくなんですけれども、やはり会長、いやしくも二十一世紀を目指して教育の第三の改革をやろうという責任者のお答えとしてはもういただきかねるのです。そう申し上げておきます。
 それから、次に、先ほどもちょっと出ました教育財政の問題についてお聞きしておきたいと思うのですが、この臨教審を見ておりますと、教育の自由化の論議は非常に花盛りでございました。国民もだれもそう思っております。ところが片一方、本当に生活を切り詰めて、今教育費の地獄に泣いている、教育費貧乏と言われる、こう泣いている国民の生活の実態というものはほとんど議論されなかったのじゃないか。我々の耳には入ってこなかった。そして、この答申を見てみますと、素案に「教育改革推進に当たっては、必要な財政措置が考慮されなければならない。」とあったのが、どこからか、首相サイドか官邸サイドか知らぬけれども何か文句がついて、「国家財政全般との関連においてこういうのをまくらの方につけると言われて、これをつけた答申になっておる。
 そこで、お聞きしたいのは、今中曽根総理は行政改革をやっておりますね。この行政改革は教育費削減をやっているのですよ。だから、この教育費削減の中曽根臨調行革路線の中で、その枠内でこの教育改革をやろうと考えておられるのか、どうですか。
#53
○岡本参考人 これにつきましては、繰り返し申しておりますように、行革審と臨教審とは違うということでございます。
 それで、最前の教育費負担のことですけれども、決して申しておらないということもございませんし、これから大きな問題として二十二ページに、「教育費・教育財政の在り方」として官民分担、父母の教育費負担というもの、これは大変深刻なものとして議論をされておりますので、今後も述べるつもりでおります。
 それから、教育の、あそこのところを政府に言われてということではございませんので、これは大変常識的な記述ではございますけれども、やはり質を高めるのには金が要る。それで、それに対しては、やはり国家財政を無視するわけではないけれども、必要なものは講じてもらわなければならぬ、そういうことを申したわけでございます。
#54
○馬場委員 それではお尋ねしますけれども、例えば、国の一般会計に対して文部省所管の教育費の占める割合、比率は昭和四十年に一三・三%だった。五十一年に一一・四%だった。それから五十一年からずっと下がり続けましてついにことしは八・五%ですよ。十年間で二・九%下がりました。額で言いますと一兆五千億円なんです。この教育予算をやはり一〇%以上ぐらいにしなさいよと、これを回復することが教育改革の大前提だと私は思うのです。そういうことを議論し、そういうことをなぜ答申に書かないのか。
 さらに、関連して言いますけれども、日本の公教育のGNPに占める比率は、これは一九八四年の総理府の調べですけれども、大体外国は、スウェーデンが九・五%、ノルウェーが九・〇%、カナダが七・七%、ソ連が七・〇%、米国が六・九%、何と日本は五・八%なんですよ。一番低い。経済大国日本が七%ぐらい、各国並みを出せないはずはないので、これが低いというのは、私は、これはもう経済の負担の問題ではなしに、本当に日本の政府が公教育に対してどう認識を持っておるか、そこに由来してくるのだと思うのです。臨教審がそこに気づいて、やはり外国並みのGNPの七%ぐらいは教育予算に使うべきだ、そういうことを議論し提言すべきだ、私はこう思うのです。
 さらに、もう一つ父母の実態を見てみますと、これは五十八年の文部省の調べですけれども、何と公教育に保護者が負担した金というのは、幼稚園でいって、公立の幼稚園は十六万九百円、私立の幼稚園が三十万一千六百円、小学校が十六万五千二百円、中学校が十九万九千七百円、公立高等学校が二十五万九千七百円、私立高校が五十四万二千五百円です。大学に至りましては何と四年間で一千万時代は先生方が一番御存じだと思うのです。それから、医学部などは入学するときに一千万円ぐらい要る、二千万円時代だ、特に私立学校はもう二千万円時代になっているのじゃないかと言われておりますが、現在の実態というのは、本人がどんなに資質があってもあるいは意欲があっても親の経済力によって学校に行けない、こういう状況に今なっているわけですから、本当に臨教審が取り組むべきは、そういう過重な教育費地獄を解消して、教育費貧乏をなくして、豊かな家庭の生活と本当に国民の切実な要求である教育の機会均等というものを拡充する、そういうことが臨教審の任務じゃないかと私は思うのですが、こういう教育の問題についてのお考え、今後いろいろ議論されると思うのですけれども、今私が言ったようなことを議論されますかどうか。
#55
○岡本参考人 教育の財政の国際比較、これは大変大事なことで、やはり改革を論じるときに十分認識しておらんならぬことでございますので、今までもそういうものを比較してはおりますけれども、今後そういうものを十分検討せんならぬと思っております。
 それから、今おっしゃいました公私の問題で、本当に父兄の負担がということについては私は特に関心を持っておりまして、最前申しましたように、現場を視察するときにも、私立のいい学校の教育とそれから公立の学校の教育、この苦労ですね、片一方は入学試験をしてある程度のものを入れておりますが、それにはやはりお金が要るわけですね。そこに根本的に違いがあるということについては十分意識しておりまして、この点が大事な問題だと意識しておりますから、今後十分頑張っていきたいと思っております。
#56
○馬場委員 憲法の十四条で、法のもとに平等ということで、すべての国民は能力に応じて教育を受ける権利を有する、教育基本法第三条でも、経済的理由によってその修学の機会に差別があってはならぬとなっておるわけですから、ぜひやっていただきたいと思います。
 非常に時間がないので、最後に、要望がたがた申し上げておきたいのは、具体的な改革提言に対してですけれども、「学歴社会の弊害の是正」が出ておりますけれども、私はあれを見てみて、答申は実効性は上がらぬと思います。とにかく大企業とか官庁とか、そういうところの学閥にかかわる人事というものについては社会的な規制を加えなければいかぬ、私はこういうぐあいに思います。
 それから、入学試験の制度の改革についても、共通テスト導入ということがございますが、今のようなあの学校では、私は高校教育が一層混乱するだけだと思うのです。本当に今もう日本の教育の問題は、日本ほど社会のあり方、大学の教育が、高等学校、中学校、小学校、幼稚園までゆがめておる国はよそにはないですね。日本が一番ですね。そこのところにやっぱり目を向けなければいけない、こういうぐあいに思います。特に六年制中等学校の問題でも、これの部分的導入というのは、会長、これはもう論外ですよ。これは教育荒廃を一層増すだけ、何の取り柄もない。ほとんどの教育長も反対しているでしょう。そして、これを見て、欠点は予想されますけれども、利点というものは何も私は予想することができないわけでございまして、ましていわんや学校の多様化とか、差別選別偏差値教育をさらに進めて受験戦争を小学校まで落としてくる、こういうこともあるわけですから、これはもう何にも利益はない。
 さらに、今後検討する課題として、教員の資質の向上というようなことが書いてありますけれども、これはこういうことを念頭に置いていただきたいと思いますが、今の教員がいろいろ言われますが、いろいろ問題があることはあるのですけれども、何といってもやはり教員を採用するときの密室性とかあの不公平、この問題とか、教員の自主性とか自律性に対する問題、管理統制の問題、教育内容の国家統制の問題、そういういろいろなことを十分総合的に検討しなければ、ただ免許制度がどうだこうだ、こういうことでは片づけられないものが教員の資質の向上であるということを申し上げておきたいと思います。
 時間が来てしまいましたけれども、最後に申し上げておきます。
 教育というのは子供と青年に希望を与えることでしょう。人間の尊厳と平和の確立に寄与する国民をつくるということが教育だと私は思うわけでございまして、我が党は、この前会長さんたちと我が党の代表がお会いしましたときに、私たちはもともと臨教審の設置に反対してきたのですけれども、この答申というのはやめるべきだ、こういうぐあいに言ったわけですが、この答申を見てみましてもその感を私は今非常に強くいたしております。こう言っては言い過ぎかもしれませんが、報道機関にも出ておりますけれども、やはり臨教審の思い上がりがあるのじゃないかというような発言を聞いてみて、独善性もありますよ。大体、謙虚さと誠実さがないですよ。そういうことを、この答申を見ていよいよその感じを深くしたわけでございます。そして、この答申を見てみますと、答申の日時を先に決めておいて粗製乱造、粗雑にこの答申をやった。生煮えですよ。深みがありません。そしてわかりにくいですよ。それで本当に子供や青年の姿が見えなくて、国民の教育要求にこたえておらない、私は、これでは国民の合意は得られない、こういうぐあいに思います。
 それから、もう一つなんですけれども、やはり憲法とか教育基本法がゆがめられつつある、そういう方向が答申の中にあるということ、あるいは中曽根さんの行革路線あるいは政権政党の政策へのすり寄り、これもないとは言えない、こういうぐあいに思いまして、何としてもこの答申を引っ込めて、これはたたき台だ、国民が自由に議論してください、そういうぐあいにした方がいいのじゃないか。とにかくこの答申は撤回されんことを心から願っておるものでございます。もちろん私たちも教育改革の必要性は認めておるわけですから、本当に父母あるいは国民と一緒になりまして、そして緊急に解決すべきものはあるからそれはやらなければならぬということはわかっております。憲法や教育基本法に基づいて教育改革というものを一生懸命進めようという気持ちは我々もあるわけでございますので、ぜひ今言ったようなことを頭に入れられて撤回されますことを強く要望して、時間が来ましたので私の質問を終わります。
 以上です。
#57
○阿部委員長 有島重武君。
#58
○有島委員 去年九月五日の総理大臣の諮問、これを受けましての臨時教育審議会の第一次の答申ということで、昨日発表のこの冊子をいただきました。短期間に一つの形にまとめられるということは大変な御苦労であったのだろう、そう思います。その御苦労に対しては敬意を表したいと思います。
 この答申に対しての私たちの批判といいますか、感想といいますか、これは文教部会長の池田克也君から七項目にわたっての談話を出しましたので、これをひとつ見ていただきたい、検討をしていただきたいと思います。これは党内にもいろいろな意見があるわけでございまして、率直に申しまして、ややこれは頼りないなという感じがするわけなんですよ。ですから、この七項目も、期待したい、これも期待したい、こういう文言が多いのでございまして、ここから先のことをさらに期待したい、と申すことはこの答申にややいろいろな疑念もあるわけです。
 そこで、これの全体的な御計画からこの答申の位置づけということを最初に承っておきたいと思うのですけれども、去年の九月に臨教審が発足をした。それでことし今六月である。来年本答申を出されるわけでございますか。その間にはもう答申と言われるようなものはない、本答申を来年出してしまえばそれでおしまい、こうなるわけですかぬ。あと、臨教審として法律上でもって三年間の期間があるわけでございますけれども、この全体のスケジュールですね。このスケジュールの中におけるこの第一次答申、この位置づけ、こういったことについて御説明をいただきたいと思います。
#59
○岡本参考人 全体のスケジュールに関しましては、総会で決めておりますのは、この一次答申を出すということに関連しまして、全体としては三年間のうち最終答申を出すまでに二、三カ月の余裕は要るだろう。その前に一次答申、二次答申、三次答申ぐらいが出せるのじゃないか。それで、一次答申は今の六月ごろ、二次答申はほぼ五月ごろになるのじゃないかというようなこと、そしてその次にそれを補うものとして三次答申を出そう、こういう漠然としたことを決めております。しかし、これは第一次答申の経験上もう少しはっきりしませんと、逆算して期日を決めるとか課題を決めるということをいたしませんと十分でありませんので、これは今から運営委員会を開きましてもう少しはっきりしたものにしようということにしております。今のところは、今申しましたようなのが審議会として決まっておる、そんなことでございます。(有島委員「決まってないということですか」と呼ぶ)今言ったような大体のことが、審議会の期限が終わる二、三カ月前までに三次までくらい出せるのじゃないか、そういうことでございます。
#60
○有島委員 そうすると、伝えられております来年五月の本答申ということは、必ずしもそうではない……。
#61
○岡本参考人 そして、三つの答申くらいは出すけれども、来年の五月ごろに出すのを基本答申と申しますか、本答申にしよう、そういうことは申しております。
#62
○有島委員 この答申というものの性格でございますけれども、これは経過報告とは違うわけでございますね。それですから、これはこれなりに一種の決定稿である、そのように受け取ってよろしいわけでございましょうか。これは第一部、第二部、第三部に分けて、「教育改革の基本方向」とありますね。それから「本審議会の主要課題」というのが第二部にございますね。こうしたことについては、これはもうこれで決定稿であるということになって、そして第二次、第三次というのは、ここに書いてある、いろいろ指摘をしてあるその点がさらに具体化されて出てくるであろう、こういうことを我々は期待しておればよろしいのか。あるいは、ここの「基本方向」ないし「基本的考え方」そのものにも、これからの審議によっていろいろな変化といいますか、先ほどからの議論を聞いておりますと深められたというようなことを言っておりますけれども、そういうような変化があり得るのか。いかがでございましょうか。
#63
○石川参考人 答申のうちの一部と二部の問題、これは一つには現状分析、そういった問題というのはもっと理論を深めて、それで精緻なものをつくりたい、そういう気持ちは非常にあります。
 それから、基本的な考え方というような問題についても、私どもはそれが変わるとは思えませんけれども、よりしっかりした土台を精緻に組み立てるということはやりたい、そう思っております。
 それから、「主要課題」につきましても、あそこをごらんいただくとわかりますけれども、現在の段階で、三年間にわたる審議の主要課題というのは、審議に当たってこう決めたというふうには書いてありますけれども、しかしまだ追加すべきものが出てくる可能性はもちろんないわけではない。しかし、第三部の答申の部分、具体的な提言の部分、これは変わらない、これは完結性を持ったものだ、そういうふうに御理解いただければ結構だというふうに思います。
#64
○有島委員 そういたしますと、第一部、第二部の部分というのは、これは必ずしも決定稿というわけではなくて、こうした大筋のところでもってこれからの議論もさらに発展させていきたい。ですから、第二次、第三次はこの第一次答申の上にがっちり積み上げられていくものであるというような性格と、それから、ドラフトというのかあるいはたたき台というのかそういうような性格と、これが交差しておるものである、そういうふうに受け取った方がよろしいのか。
#65
○石川参考人 今回の第一次答申の完結的な部分というのは、これは第三部に書かれているわけですね。しかし、この審議会がどういうような現状分析に立って、どんな役割を果たして、どんなことを考えて、どんな主要課題についてこれからやっていくのかということをそこで明らかにしないで、いきなり第三部の具体的な提案に入るというわけにはもちろんまいらないわけでありまして、そういう意味で第一部は存在しているわけであります。しかし、恐らく基本答申の段階でも、この「主要課題」の中にありますように、こういった議論をより精緻なものにしてやはりしっかりしたものを書きたいという気持ちはございますので、それをやってまいりたい、そう思っております。
#66
○有島委員 先ほどと同じようなお答えになってしまって、だからこれを、今石川先生がお答えになったように、したがって、これは答申という完結したものではなく、何か報告というかたたき台というか、あるいは一つの方向性を示したもの、不確定なものというふうにこれを受け取るべきである、その辺を明らかにしませんと議論も批評もやりにくいわけです。
#67
○石川参考人 私が申し上げたのは不確定ということを申し上げたわけではないのでありまして、そこに書かれているものは臨教審の二十五人の委員の中で合意されているわけでありますから、したがって、その基本的な考え方は変わらないと思いますけれども、それをより精緻なものにしたい、こういうことでありまして、不確定とはちょっと違うというふうに私は思っております。
#68
○有島委員 それでは、大体気持ちとしてはわかります、より精緻なものにするということは、これは表現上の問題である、その骨子については変わらない、だから、これでもって議論をしてもらって結構、こういうことでよろしいですか。
#69
○石川参考人 ええ。
#70
○有島委員 それでは入ります。
 これも新聞の評でございますけれども、これはいろいろ書いてある、あれも大切、これも大切とあるけれども、どこから手をつけていいのかそういったところが余りよくわかっておらぬ。確かにここに第三部というのもあるけれども、これの位置づけもはっきりしておらぬ。したがって、それの一つ一つにわたって当事者から、現場からいろいろな危惧というようなものも起こっておる。そういうふうに報道もされておりますし、「概要」の時点で既にそういったことがあったと認識をいたしております。
 そこで、私どもは、この基本的な考え方、いわゆる理念といいますか、こういったものを改革を進めていくためにやはりまず最初にしっかり定めておく。その次に大切なことは、制度の問題と教育の内容の問題とございます。これの制度の問題については、教育をやっていく入り口のところから出口のところとあるといたしますと、出口のところから改革を進めていかなければならないだろう。その手順でございますね。では、今の体系からいけば就職というところがありますでしょう。あるいは大学院、大学というものがある。その大学の卒業資格認定というようなもの、そういうようなところがしっかりしている。それから今度はそこにおけるいろいろな教育の制度、その次にそこに入るための入試の問題、そしてあと高校ないしは中等教育、初等教育あるいは幼児教育、こういった体制が考えられてくる。そこの改革をしていくようになったらば、どこから手をつけるかという場合にはそういった配慮をしなければならない。もう一つ、内容的な問題は下の方からでよろしい。基礎の方からやっていかなければならないだろう。こういうようなことを申し上げているわけであります。
 そうした点の手順というものが示されていないというか、太い線でもって示されていないわけです。よくよく読んでみるとそうもとれないところもないわけでもないというような頼りなさを感じます。そういったことははっきりと明示なさるべきではないだろうかと思います。この点いかがでしょう。
#71
○岡本参考人 今よく整理しておっしゃっていただきまして、制度と内容については区別して、整理して出せということでございます。
 制度につきまして、先生のおっしゃいましたようにやはり一番最後のところですね、そこを改めなければ後の方にずっと連鎖的に問題があるのですからということで、やはり学歴偏重の社会ということを第一に取り上げたのはそういう意味でございます。
 それと、次は、本当は自分たちがやれることはまず大学じゃないかという意見もございまして、そこに対しては第四部会が一生懸命にやっておるところでございますが、同時にまた、今問題点が一番多いのは中等教育の部分だというようなことで、急いで中等教育の部分にかかりました。
 先生のおっしゃっていただきましたようなことは、制度に関しましては本当に私たちも同感でございます。そういうふうに考えております。ただ、このたびはそういう考えでこういうものを取り上げたということでございます。
 それから、内容につきましては、本当にやはり初中の基礎、基本のところからずっと積み上げて最後までということも考えておりますが、今後そういうことにしっかりした内容を積み上げていきたいと思っておりますので、どうもありがとうございました。
#72
○有島委員 私の申し上げましたことは、そうした手順で進んでいきますよということを明示なさった方が、いろいろな提案をなさってくる場合に受け取る方の側は安心してこれを、当を得た議論もできるし、一つの実践に踏み出すこともやりやすいのじゃないだろうか。大体こういった手順でこういうふうに動いていくのだからこうやるのだ、そういった手順を明示されるべきではありませんか、こう申し上げているわけです。
#73
○岡本参考人 この点はおっしゃるとおりでございまして、最前石川さんから、この方針は、基本方向はほぼ変わらない、これを精緻にするということはあのとおりでございまして、その点で精緻にするということの中に、今度教育の目標とか、それから箇条書きにして書いておりますところ、そういうものを精緻にして全体をなにしようという、そのときにはやはりそういう考え方、そういうものをしっかり入れたいと思っておりますので、ひとつ……
#74
○有島委員 次に行きます。
 第一部の第二節に「教育改革の意義」というところがございますけれども、明治維新を第一の教育改革、それから戦後の教育改革、これが第二の教育改革、こうなりますね。今、臨時教育審議会がここに提示されておるのは、これは第三の教育改革なんですか。
#75
○岡本参考人 第一の教育改革を明治、それから終戦のを第二ととりまして、これを第三と考えるかどうかでございますけれども、これを、第一の改革は国家が中心であった、それから第二は個人が尊重される、その上に立って、それのバランスと申しますか、そういうところはまた第三であるというようなことも言えますけれども、これはそういう観点に立つか、国内的にはこの教育の荒廃というものは、第一、第二を通じて、個性化というようなものから一貫してこういう事態が起こっておるというとり方をすると初めてでございますし、文明の問題が教育だけでなしにあらゆる問題があるということであれば、それは第一という意味にもなりますし、この点、第三であるというようなことを明示しておるわけではございませんけれども、ただ慣例によって第一は明治、第二は……、そういうふうに申しておるわけでございます。(有島委員「こちらは」と呼ぶ)これは、そういう意味で第一、第二のバランスだけという意味であれば第三でありますけれども、第一、第二を通じて問題があったのを現在改革する、それから文明の問題もしっかりやろうということであれば第一、第二、その次の第三であるとも簡単には言えない、特に第三というのを書いておらないのはそういうことでございます。
#76
○有島委員 心のうちはわかります。
 そうなりますと、明治ないしは終戦、それらをひっくるめて一つの流れであった、ここに行う改革は第二の改革である、こういうふうにおっしゃりたいわけですか。
#77
○岡本参考人 それは明治を第一ととって第二でございますが、その意味では、第一と申しますか、初めてこれはひとつしっかり今までの流れを考えようということでございますし、特に近代科学技術文明に対して人間がここまで来たということに対して、これは教育の問題だけではなしにあらゆる問題、日本だけでない世界の問題だという意味ではこれは第何というようなことはなしに、このたびの改革の意義というものをそういうところに置くということでございます。
#78
○有島委員 ここのところの明治以来の「極端な国家主義的な教育の傾向が強まった時期もあった」「おおむね、個人の自立・発展を通じて、国家と産業社会の発展、」「近代化を推し進めようとするものであった」とうたって、ある時期確かに大正デモクラシーというようなものがあった。しかし、これはいろいろな議論があり得ると思うのですね。有名な森有禮文部大臣の、小学校を興すということについてはこれは生徒その人のためにあらずだ、国家のためであるというようなことを明示されて、教育勅語でもってずっと一貫してきた。こういったような認識を持っておるのが大体普通なんじゃないかと思うのです。この表現は非常に誤解を生みやすい表現であって、これはさっき石川会長代理がおっしゃいましたけれども、これは精緻になさらないと大変議論を生むし、何か信用のできないような感じがいたします。
 それからまた、この結論としては、「明治以降の我が国近代教育ならびに戦後教育の功罪をバランスのとれた視点で全面的に見直」そう、こういうことになっているわけですね。これが臨教審のお立場なんでしょうけれども、何かちょっとあいまいといいますか、えたいの知れぬという感じがせざるを得ません。
 それから、個性重視という考え方でありますけれども、これは教育基本法の前文の「個人の尊厳を重んじ、」「個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」、こういうふうに言っているわけであります。これを、個性豊かな教育、文化の創造を目指す教育、こういうふうに二段構えというか連立てそういうふうに読み分けて、そして教育基本法を今後も見ていこうではないか。したがって、教育全般をこの読み分け方で持っていこうではないか、こういうふうな御提唱と解釈してよろしいのでしょうか。
#79
○天谷参考人 教育基本法に「個人の尊厳」とか「個性ゆたかな」ということが書いてございますけれども、この個人とか個性とかということの解釈、これは必ずしもはっきりしていなかったのではないかというような気がしております。教育基本法ができました経緯から考えまして、それがアメリカにおける個人主義とか民主主義、そういう思想の影響を強く受けていることは明らかではないかというふうに思っております。その場合に、それでは西欧の個人主義をそのまま月本に持ってくる、全くそのままアメリカにおける個人主義と同じように考えていいのであろうかということは、かなり問題のあるところではなかろうかというふうに考えます。なぜかと言えば、アメリカないしヨーロッパの個人主義はやはりキリスト教の存在というものを無視することは到底できないと思うのでございますが、日本の場合にはそういう伝統がございません。そこで、日本の場合には、個人とか個性の尊重という場合に、個人、個性が神様に対して責任を負うということではなくて、ただ放縦、自由、無責任に走ってしまった場合には非常に大きな問題を生ずることになるのではなかろうか、そういうことが心配であります。したがいまして、個性の尊重という場合に、それは自分の個性を尊重するだけではなくて、他者の個性も同時に尊重するのである。自分を生かし、他人を生かす、この二つのバランスをよく考える。そういう社会の中の個性だということを日本の場合には特に強調する必要があるのではないかと考えた次第でございます。
#80
○有島委員 次に行きます。
 私たち、国民合意の形成ということについては非常にやかましく考えている。形式的な合意形成ということではなしに、本当に教育改革ということについてみんなが納得して自発的に動き出す、そういう方向にしなければいけない、そのためにいかなる努力もしなければいけない、そういうように言い続けてきたわけでありますが、この初めの前文のところにもそういったことが述べられておりますけれども、それについても、教育にかかわってくる社会的ないろいろな力がある。ここで挙げておりますのは教育行政である、教員である、親である、そういったものがありますけれども、そのおのおのがいろいろな特性を示しているというか、それこそ個性を示している。教師の人たちというものは、教育、子供たちを育てていきたい、こういう基本的なものと、それから生活を本当に保障されなかったらいい仕事ができない、こういうような主張もあるわけですね。それから、行政官というものは、公平無私にいかなければならない、しかしどうしても自分の仕事は減らしたくない、こういうような傾向はいつでも持つわけです。あるいは、教育の現場というか機関というものは、事故を起こさないで管理がうまくできるようにしたい、こういうものがあるわけです。それから、学者の皆さん方は、何か今までと違った新しいことを言わぬと気が済まぬ、こういうところもあるわけですね。新聞社の方々あるいは評論家という方々も、それぞれにやはりセンセーショナルに扱わなければいかぬということもあるわけです。これは、教育そのものをめぐってつまり引っ張り合いがあるわけだ。それも折り合わせていく。政治家には政治家の、そちらから見れば独善的、こちらは自信があるというか、いろいろあるわけですね。そういったものを本当にうまく調整していくのが、それは臨教審の仕事ではありませんから政治家の皆さん方あるいは行政の方にお任せします、こういうふうに言われてしまうのか、あるいは、責任を持って改革をやっていく上には、そういうような教育をめぐる社会的な諸力そのものを相当いろいろ考えてそこを配慮していくという御用意があるのかどうか、これを伺いたい。
 それで、この前申し上げたのは二点あったわけです。その一つは、教育産業であります。教育産業については、ここに一行ほどコメントが出ていて、これからやっていく、こういうことでございました。それからもう一つは、さっき会長からも言われましたけれども、学歴偏重社会というものの背後に、明治以来の日本の教育の中に学校主義というようなこともあるのではないか。学校主義、教育と言えば学校、そういう発想がある。その学校主義を支えていたのは、学校主義によって非常に潤っておる、それによって助かっているという力、勢力があるのじゃないでしょうかということを私は申し上げたい。
 きょうは時間がありませんから議論はしませんけれども、そういうようなことをしっかり分析しないと、これは表面的なことになって、財政的な裏づけとかなんとかということも、ただ、後は行政に任せますよということではなしに、そちらで相当しっかり組み上げておかないと、いろいろいいことを言っても、それは結局そのときの政治、そのときの政府の何か都合のいいつまみ食いにされてしまう、食い逃げをされてしまう、国民の本当に望んでいる方向にはいかない、そういうようなおそれがあるのではないか。したがって、教育をめぐる社会的な諸力、この分析を十分なさって、そしてそこに国民合意の形成をしていかなければならぬ。これはお答えは要りませんが、そのことを申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
#81
○阿部委員長 滝沢幸助君。
#82
○滝沢委員 会長先生初め参考人の皆さん、まことに御苦労さまです。
 さて、この臨教審という制度また作業は、私たちはこれを是としまして、ぜひともおやりなさいと政府を鞭撻した立場に立っている者でありますから、したがって、今回の答申もこれに期待をしたのであります。また、一読しましてそれなりに評価もいたしまするけれども、初めに、これはいかがな質問かとは思いますけれども、この制度ができまするときに、まず委員の任命については、これを国会の同意を得るものにしなさい、答申につきましては、これは国会に直ちに報告をするようにしなさいということの議論を幾多いたしまして、結局はそのような運びになったことでございます。しかるに、これは今回の作業日程が何らの他意なくそうなったのでありましょうけれども、国会がおととい終わりましてきのう出てくる、この答申の作業日程を見ますと、国会が終わるのを待っていたのかというような話もありまして、この姿勢はいかがなものか。つきましては、今後臨教審の作業は、国会とのかかわりをどのように御認識あそばすであろうか。きょうの質問等も、これはどのようなことでこの時間が設定されたか知りませんけれども、非常に短過ぎる。いわゆる開かれた審議会というものは、国会に対してもっと積極的に説明をするという立場が必要かと思うのですが、いかがなものでしょうか。
#83
○岡本参考人 このたびの一次答申が、ほぼ六月の末を見越してやりますということについては、これは臨教審の総会の日が、ずっと予定をしておりませんと、あれだけ二十五人の者、なかなか集まりませんので、随分古いときから決まっておりまして、予定どおりやったということでございまして、ほかに他意はございませんのですが……。
#84
○滝沢委員 要望しておきます。国会がおとといまで延びたということは、もう五月の段階で明らかなことでありますから、そういうときは努めて国会に積極的に御説明をいただくというような姿勢をひとつ今後堅持してちょうだいするようにお願いしたいと思います。
 さて、時間がなにでありますからはしょっていきまするけれども、今ほどもいろいろと各先生からの議論を通じまして、今度のこの答申というものの位置づけがはっきりいたしません。これは長い報告書のうちの三分の一なのか、それとも、これは一つのたたき台として一応こういうのを出すけれども、五月に何か二次を出してくださる、それがいわば基本答申だというふうに今おっしゃった。ような感じでありますけれども、それにしても、そのときにこれは全部また書き直されるものなのか、そこのところがどうもはっきりしませんで、今次の答申というものの位置づけをきちんとはっきりとおっしゃっていただけませんか。
    〔委員長退席、船田委員長代理着席〕
#85
○岡本参考人 最前石川参考人からも説明がございましたように、このたびの教育改革の基本方向というものは変わらないといいますか、この方向で今度の改革をやることは変わりません。したがって、全体の位置づけとしましては、ここに、二部に書いてありますような全部をやるわけでございますが、もし基本答申というものが出ますと、改革の基本方向に至るその前に、教育の目標とかその辺もきちっと整然として出てまいります。そして、改革の方向というものは、再録するかどうかはなにしまして、このとおりのものでございます。そして具体的なものは、ここに六つ出ておりますものに加えて新しいものが加わるということでございますが、それが全体の構成で、恐らく基本答申、本答申というものは、具体的なものは変わらない、それから改革の基本方針は変わらない、そういうものは再録しても全体を整然としたものにするということだと今は考えております。
#86
○滝沢委員 そうしますと、再録はしましょうけれども、今次ちょうだいしましたものは変わらぬというふうに認識をしてよろしゅうございますね。(岡本参考人「そうですね」と呼ぶ)
 そういうような認識の上に立って二、三申し上げさせていただきまするけれども、この答申の初めに「教育基本法の精神にのっとり」、こう申されている。議会答弁でもそのようになっておりまするけれども、この答申を拝見しておりまして、私の率直な感想でございますが、見てみまして、なるほどごもっともなことがいろいろ書いてあるけれども、要するに何かはっきりしないというような感じなんですよね。教育基本法というものは、それこそ完全無欠なものと思っておいでなのか、いささか不満はあるけれども、とりあえずこれを尊重することが政治的な配慮でよろしいという視点なのか、どうなんでしょう。そして、もしもこれが揺るぎないものであるならばそれでよろしいし、そうでないならば改正するか補完する文章を用意することが必要だと思うのですが、その点ははっきりどうですか。
#87
○岡本参考人 最前、変わらないと申しましたのは、一部と三部でございまして、二部の分は、最前話にありましたような内容です。
 それで、今の話でございますが、教育基本法の精神を外しということでございますが、これは教育基本法で、あれで十分であるという意識ております。ただ、議論の中でありましたのは、理解が必ずしも十分でないものがあるので、それに対しては今度目標のときにしっかりこれを審議してそれを現代に生かそう、そういう意識でございます。
#88
○滝沢委員 先ほど、自由化論等を含めましていろいろと意見が内部にある、これは当然であります。今日の我が国の社会は、いわば多様化社会といいまするか、何事につきましてもそのように簡単に一枚の原稿用紙にまとまるような社会ではございません。今、米価審議会を目の前にしていろいろ議論しておりますが、この米価審議会のごときは、毎年両論併記ですね。そのような意味で、この審議会は、この答申につきましても、白熱の議論をした結果生み出されるものならば、私は玉虫色にまとめるのではなくて両論併記のような形をもっても正直な各委員の意見が反映することが望ましいのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。
#89
○岡本参考人 今日、第一次答申の経験によりますと、論議が白熱いたしましたといいますか、本当に賛否両論がございます。しかし、それは素直に全部決めまして、中にはいろいろ意見がございまして、いつまでもやり過ぎるというのもございますけれども、私はできるだけ時間をかけて、そして投票などに頼らなければならぬということのない状態でほぼ一致を取りつけたものがこの第一次答申でございます。その意味で、最後にこういうことに皆さんの意見をまとめてこれにしましたというときには、全く異論はございませんでした。
#90
○滝沢委員 私が申し上げたいことは、無理に玉虫色にまとめるのではなくて、率直におっしゃっていただく各委員の意見というものを、大体二つないしは三つの系列に整理できるものならば、両論あるいは三論、四論であってもよろしいけれども、いわゆる併記をするような形で、教育に対する国民各層の御意見というものを反映した方がよろしいのではないか、こう申し上げているわけであります。いかがなものでしょうか。
#91
○岡本参考人 最初の運営のあり方というところで、なかなか議論のまとまらないものは最後に会長の裁断によって四分の玉とかいうところまで決めておりますのは、何といっても、この時期に出しますこの臨時教育審議会の答申が、具体的に一つの方向を示して改革をしたいというので、できることなら一つのものにまとめていきたい、それは納得のいくまで審議をしようというのが基本でございますけれども、できることなら一本にしたいということで、両論併記というようなことはまだ決めてはおりません。
#92
○滝沢委員 集まっていらっしゃる方々が特に学者の皆さんが多いわけでありますから、学問の世界というものはそのように妥協できるものじゃありませんから、私は重ねて御要望申し上げますが、二論であろうと三論であろうと、やはりこういう意見があったということをおっしゃってちょうだいするような、いわばそれが開かれた審議会だというふうに私は思いまして、これをひとつ要望申し上げておきます。
 次に、教育の自由化ということが大変議論になったのでありますが、自由化とは何か、これがひとつはっきりしているようでしていない、まことにはっきりしない。そして、もう一つは、さっき六年制の中学校の話もありましたけれども、いずれにしても、このような自由化のごとき改革が行われるならば、一つの戸惑いと混乱が生ずることが多くて、これに対応することができない状況というのが国内に生まれてくるのではないか、これを恐れるのでありますが、このことについてはいかがお考えでございますか。
#93
○石川参考人 自由化の議論というのを普通聞きますと、例えばよく言われることですが、第一部会は自由化の考え方で、第三部会は弾力化の考え方であるというふうに対比されますけれども、実際に自由化論というのはございました。しかし、それは第一部会の中でも、実はそういうような極端な自由化論に賛成するという人がそんなにいたわけではない、やはり反対の人もおられたわけです。それで、今度はそれが総会に来たときに、先ほど会長も言われましたように、言葉の議論はもうやめて、具体的な問題のところで一体どういうふうにするかというような議論をしたい、そういうことになってまいりますと、第一部会が全部自由化論でというような考え方は実は誤解なのでありまして、ただ、問題が少しシンボリックにとらえられ過ぎたというところがあると思います。もしこのことが非常に大きく報道されてそれで皆さんに心配をかけたということになれば、それはまことに残念なことでありますが、しかし、実態は必ずしもそうでないということを御理解いただきたいと思います。
#94
○滝沢委員 この答申等を拝見いたしておりまして、欠けたものが二つあるのではないか。一つは、理想的な教師像、教師とはいかなるものであるぞや、このことをまず議論せずして――これは当面忙しいものを先に出したとおっしゃるんだけれども、一番忙しいものをおっしゃっていないのではないか、それは考えてはいらっしゃるでしょうけれども。そして、教科書のことでございます。どのような教科書を――既に来年の四月にまた新しい教科書が入ってくるわけです。このことに触れずして教育の改革はなかろう、こう私は思うのであります。なかんずく、いかなる教師像を求めて、それをいかなる作業によって養成していくか、いかなる教科書を理想として、いかなるシステムのもとにこの教科書がつくられていくか。具体的に言えば教科書検定をめぐる数々の課題でありましょう。このようなことについて、いつ、いかに議論される予定であるか、伺いたいと思います。
#95
○石川参考人 先ほど来お話が出ておりますように、来年、今から一年以内ぐらいのところで基本答申を出したい、こう考えております。それで、「主要課題」の中にやはり先生の問題というのは上がっております。それから、教科書の問題も上がっておりますし、学習指導要領の問題も上がっておりまして、そういう問題を討議しなければならないということにはなっております。
 そこで、基本答申でありますから、当然その問題が、教育の荒廃現象その他に波及効果といいますか、それを一番強く持つような問題を基本答申の段階では取り上げて、そして審議会としての意見を取りまとめたい、そういう考えておりますので、そのような予定であると御理解願いたいと思います。
#96
○滝沢委員 御要望申し上げますが、難しいことを避けて、どなたも御反対ないような、きょうの答申に出てきたようないわゆる玉虫色の作文づくりの作業ではなくて、いわゆる難しいものに挑戦して激論を交わす、決してそれは一緒にならないようなことだろうと思いまして、両論併記も仕方がないのではないか、むしろそうあるべきだと先ほどから申し上げているゆえんであります。どうぞひとつ、この教師の問題、教科書の問題、ないしは文部省はいかにあるべきかぐらいのところまで議論をひとつしていただきまして、大胆に答申してちょうだいするように要望申し上げたいと思います。
 最後に、学歴社会ということは、この二十四ページにも日本は学歴社会であるというふうにおっしゃっているんだけれども、学歴社会というものを見る視点がいささか違うのではないか、こう私は思うのであります。私はむしろ、学歴社会、したがって入学競争、試験地獄ということについての決めつけ方が、試験がいけないのではない、学校制度がいけないのではなくて、それに応ずる児童生徒ないしは父母、父兄の立場がひとつ反省をするものがある、こういう視点に立つものでありますけれども、いかがなものでありましょうか。
 加えて、私の子供が幸いにしてことしから高校の教師にさしていただきました。教師三カ月の感想はどうかと、こう聞きましたところ、五分の一ぐらいの生徒につきまして、どうしてこういう子供が学校に入らなければならないのだろうと思う。そこで聞いてみたら、お母さんが行けと言うから仕方なしに来ている、こう答えたと言うのです。つまり、勉強したくない子をどうして学校に入れなければならないのか。高等学校ぐらい出さなければうちの体面が立たぬということだけでしょう。しかし、この子を仮に技術面で生かしたならば、はさみを持ったら、包丁を持ったら、ハンドル持ったら、大変な素質と天分のある子供ではないだろうか。そういう意味では、学歴社会というよりは学校偏重の、学校でなくちゃだめだという雰囲気。これに対して、いわゆる挫折に対する教育、挫折を通じて、人生というものはしょせん挫折なんだ、そしてしょせん激しい競争社会なんだ、これが自然社会であり人間社会なんだ、しかし、敗れてもそこに人生があり、そこに生きる道がある、希望もあれば夢もある、可能性もあるということを私はしっかりと子供に持たせておく教育、これが必要だと思いますが、会長先生、いかがなものでしょう。
#97
○岡本参考人 先生がおっしゃいました挫折に耐えるということに関しましては、私が一番考えておることでありまして、本当に負けるということの意味をしっかり教えるということが人生に大変大事なことであると思っております。
    〔船田委員長代理退席、委員長着席〕
 それで、最前の、学校即学科に編しまして、学力、それだけがすべての価値のように思っておりまして、学校の内容もそれから採用のときもすべてそれに集中しておったというところが問題なので、それを、人間の価値というものは学科だけじゃないのだから多様な価値をしっかり見ようということで学歴偏重というものを取り上げていますけれども、これは決してそちらの方だけ言うのでなしに、やはりこちらの方も、学習の多様な学校と、それから機会の多様、生涯教育というもの、それから学校の教育の内容も、学科だけでなしにしっかり人間というものも教えてやる。採用する方も、人間の多角的な多様な価値をしっかり認めてこれを採用する、そういうことが大事だということを申しておるわけでございます。
#98
○滝沢委員 そうしますと、例えば高等学校等において、運転科、料理科というようなことで、数学も英語もほどほどにする科目をつくるということでありましょうか。つまりは、英語の単語は全然覚えないけれども、ほかに手先の器用な子供というものが、どうして英語の時間に退屈をして他の生徒の邪魔になっていなくてはならぬのか、そして非行に走るかということが問題なわけでありますから、学歴社会の議論というものは即学校制度の具体的な提言にならなくてはならぬと思いますので、その点についてもきめ細かい議論と、ひとつ次期の答申に反映してちょうだいできるようにお願いしたいと思います。
 ありがとうございました。
#99
○阿部委員長 山原健二郎君。
#100
○山原委員 最初に、教育基本法の目的、これを巧妙に変更したのではないかという質問です。
 御承知のように、教育基本法は前文に「真理と平和を希求する人間の育成」、そして、第一条の「目的」の項で、「真理と正義を愛し、」「平和的な国家及び社会の形成者」を育成する、こうなっておりますが、今回の答申の中にはこの「真理」あるいは「正義」「平和」というものがほとんど欠落をしております。「正義」「真理」については全く見ることができません。「平和」という言葉も全くありません。そして、その目標が伝統文化の継承、そして日本人としての自覚、これが強調されまして、そして、国際社会への貢献を目標とし、「個性重視」を最も重視する。「個性重視」というのは、これは先ほどからの御説明でも、いわゆる自由化論の一環をなすものでありますが、この「個性重視」、これをすべてを通じて基本的原理とする、こういうふうに書かれております。さすれば、教育基本法の目標、目的が巧妙に変更されまして、いわゆる「個性重視」という言葉で表現される自由化論がすべてを通じて基本的原理となる。こうなりますと、教育基本法の精神にのっとりとはおっしゃりますけれども、実際はこれを変更した立場をとられておるのではないか。この点についてお伺いいたします。
#101
○石川参考人 答申をごらんいただけるとよくおわかりいただけると思いますが、教育基本法の精神にのっとり、その趣旨に従い、こういう言葉が入っております。これは教育基本法の中に書かれている、今先生の言われた幾つかの問題、その問題の趣旨に従って我々はやるのだということを書いてありまして、そして、これは改革の基本的な考え方でありますから、現在の教育の改革を考えるときに個性の尊重ということが非常に大切なんだということを言っているわけであります。ですから、私どもは、つまり教育基本法の精神をごまかしてどうこうするというような気持ちは全くございません。
 それからもう一つ、「個人の尊厳」「個性重視」その他の「自由・自律」云々というようなことは、これは自由化論を唱えた人もあるいはそうでない人もみな臨教審の中で合意した原則でありまして、決して自由化論だけの原則ではない、そういうふうにお考えいただきたいと思います。
#102
○山原委員 いろいろ御説明はあると思います。しかし、臨教審そのものが二十一世紀へ向かっての教育改革でしょう。随分長期にわたって、しかも臨教審、任期三年間ですからあと二年以上残っているわけですが、その間における他のすべてを通ずる基本的な原則、これが個性の重視だということになりますと、これは教育基本法の重要な部分の欠落と、そしてそれにかわる「個性重視」という言葉がこれから長期にわたって改革の中心になるということになってまいりますと、これは故意ではないかもしれぬかもしれませんけれども、実に巧妙な教育基本法の目的あるいは目標の変更につながる可能性があるということを私は非常に心配をいたしております。そのことを指摘をいたしたいと思います。
 二つ目の問題は、財政措置の問題でございますが、答申の中には「国家財政全般との関連においてこという言葉が入ってまいりました。今、中曽根内閣が特に重視をしておるのは行政改革路線であります。そうしますと、「国家財政全般との関連」というのは、まさに行革の枠の中に教育財政を押しとどめるごとに屈従をしたのではないかということを考えざるを得ません。一様に自由化論者が教育予算削減論者であることを考えますと、これはまさに教育財政に対しては最も不熱心な立場をとり、行革の枠の中に教育改革を押しとどめようとしておるのではないかという心配が出てくるわけですが、その点はいかがでしょうか。
#103
○岡本参考人 これは繰り返し申しておりますように、財政というものも無視しないけれども、必要な改革には十分金は出してもらうべきだ、行革審と臨時教育審議会の内容は違う、そういうことを繰り返し申しておるとおりでございます。
#104
○山原委員 必要なものにはお金を出すとか、あるいは先ほどおっしゃった四十人学級とか三十五人学級などという、そういう生易しいものではないという認識が私は必要だと思うのですよね。今、教育のひずみを解消するためにはこれが必要だということに対して、何の遠慮もなしに大胆にそれを強調し、それを要求していくのがいわば臨教審の性格ではないかと思うのですけれども、その辺が実にあいまいになっておるという点を私は非常に残念に思いますけれども、私の質問はこれで終わりまして、藤木議員にかわりたいと思います。
#105
○阿部委員長 藤木洋子君。
#106
○藤木委員 今回の第一次答申を拝見いたします限り、非行やいじめ、学力のおくれなど、教育荒廃をどう解決するかという点が見られません。これにこたえる方策が示されていないのはどうしてかという点でございますが、二十一世紀に向けての教育改革、こうおっしゃっているわけですが、先ほど来の御答弁を伺っておりますと、これらの方策はどうも先送り先送りにされる、そういうようにうかがえて仕方がないわけです。ですから、臨教審としては何も手がけられないもののように見受けられますが、非常に残念だと思います。
 現在起こっております教育荒廃を解決するために、四十人学級の実施やマンモス校の解消が必要だということは、これは国民的合意となっていますけれども、その点について何一つ触れられていないのはどうしてでしょうか。もっともこれには財政的な裏づけを必要としますけれども、お金をかけずに教育改革ができるというふうにお考えなのでしょうか。
#107
○石川参考人 現在ある教育荒廃現象というものは、非常にいろいろな原因によって構成されていると私は思います。今の日本の社会は非常に複雑になっておりまして、一つの現象でも、一つの原因でそれが成り立っているということはまことに少ない。むしろそうではなくて、さまざまな要因がお互いにリンケージし合ってその現象をつくり出しているという側面が非常に多いわけであります。これは高度工業化社会の特徴だと私は思います。そういうことから考えれば、解決策は、例えば風邪にはペニシリンを使えば一遍に片づくというようなことではなくて、さまざまな複雑な要因を一つ一つ解きほぐしていきながらそういうような問題に対処するということが、私は根治療法としては大切なことであるというふうに考えます。今度の答申の中にありますことも、実はそういった意味での要因を一つずつ解きほぐしていこう、そういう考え方の上に立っているものであって、決してこれは先延ばししたものでもないし、我々がそういう現象を軽視しているということでもない。また、お話のありましたさまざまな教育条件の問題というのは、これはこの次の基本答申のところで当然触れられるだろう、私はそう思っております。
#108
○藤木委員 時間がございませんのでその問題で議論はできませんけれども、問題を絞ってお尋ねをしたいと思います。
 答申の具体的改革提言について伺いますが、「受験競争過熱の是正」ということを掲げていらっしゃいますが、それならばなぜ大学間格差の問題にお触れになっていらっしゃらないのか、その点はいかがですか。
#109
○岡本参考人 大学間格差というものは、これは長い伝統でできたものでございますけれども、これもやはり価値の多様化といいますか、人間を学科だけではかってそういうものだと――これは今後各大学が固有のものを、個性を出さなければいかぬというところでその格差というものも是正できる。この大学はこういう特徴があるんだ、これはこういう特徴があるんだということで格差が是正される、そういう視点に立っております。
#110
○藤木委員 六年制中等学校について伺います。
 いわばこの答申の目玉商品ということでありますけれども、これについては各高校や中学校の関係団体などから非常に厳しい批判や疑問が出されておりますね。六年制中等学校がエリート進学校化しない、これはエリート化と進学校化とは違うというような議論もあるようですけれども、エリート化しないという理解でよろしゅうございますか。
#111
○石川参考人 これは私の私見でございますけれども、エリートが必要でないということはないんですね。ですから、日本の中にもいろいろな意味で職能の違い、あるいはエリートがそこで生まれてくるということも、これは私は否定することではない、そう思います。
 ただ問題は、六年生中等学校がつくられることによって、いわゆる知育偏重のエリートが出てくるということは大変困る、こういうことを言っているわけでありまして、知識偏重のエリートが生まれないあるいはそういう意味で非常に弊害が出てくるようなことは避けたいということは答申の中にもうたってあるはずでございます。したがって、こういった六年制中等学校ができるのについては、どういう領域でどんな考え方でやることが望ましいかということもうたってある、そう思っております。
#112
○藤木委員 そういたしますと、有田第三部会長が、早い段階からのエリート教育は必要だとして、英才教育のない日本の未来はない、エリート校でいいじゃないか、腹の中はそれでいきましょうともおっしゃっておられますけれども、それが臨教審の合意された内容でございますか。
#113
○石川参考人 それは別に臨教審の合意された内容ではございません。
#114
○藤木委員 私には、この六年制中等学校が出てきた背景、これが理解できないわけでございます。国民の世論は否定的でございますので、どうして出てきたのかと大変不思議に思うところです。
 聞くところによりますと、六年制中等学校と単位制高校ということについては、そういう御論議が随分交わされて内容が煮詰まった結果出てきたものではなくて、この際、何か目玉が必要だということで、いわば一種の投票のようなやり方を委員の間でやられて出てきたもののようでございます。会長は先ほど、投票など望ましくないので徹底論議を尽くすと言われましたけれども、論議が煮詰まってもいないのに答申にされるということは、これはおかしいんじゃございませんか。
#115
○岡本参考人 私は今までそういう投票というようなものは取り入れたことはないということでございますが、この六年制中等学校と単位制高校につきましても、これが投票でというようなことはございません。ただ、これは必ずしも新しいものでないということはあると思うのですね。今まで別のところで審議され、相当審議されても実行されておらない。しかも、これに対する批判は、賛成の者も多かったというようなものでございますので、その点は投票で決めたというようなことはないと私は思っております。
#116
○藤木委員 六年制中等学校に向けまして、これを行いますと、小学校の段階から進路であるとか能力について選別を行うことになりますけれども、それが適当だというふうにお考えになっていらっしゃるわけですか。
#117
○石川参考人 六年制中等学校と申しましても、前半三年は当然義務教育に属します。したがって、義務教育の問題はそこで無視されないわけであります。したがって、むしろ義務教育を三年終わったところでまた進路の変更を考えるという可能性は十分に残っております。ただ、そこに書いてございますさまざまな領域では、むしろ入学試験とかそういうことの問題なしに、そこで伸び伸びと自分の才能を伸ばすことができるという意味においては、六年制中等学校というのは非常に意味があるだろう、そういうことであります。したがって、必ずしも選別年齢が下に下がるというようなことにはならないと私は思います。
#118
○藤木委員 私の質問にまともにお答えになっていらっしゃらないように思うのですね。そして、もしも今お答えになったことが本当に議論されてそんなふうにお考えになったのだとしたら、もう一度議論し直していただきたいと私は思うのです、なぜ小学校のときから選別にならないかと。個性のある六年制中等学校に入るために、この子供に能力があるのかないのかということを、親も教師も小学校の間からその子供に対して評価をしなければならないのは当然考えられる道理ではありませんか。そういった本当に国民や父母たちが抱いているような疑問に対してきちんと答えられるように審議がされていなければならないというふうに私は思うのですが、それがいささかもされていないということがはっきりしたように思います。
 時間もございませんので、最後に、共通テストの問題でお聞きをしたいと思います。
 共通テストを利用するのは各大学の自主判断にゆだねられておりまして、一科目の利用も可となっております。私大は、共通一次にも不参加ですけれども、この共通テストにも反発をしておられるわけです。実際上、共通一次ではなくてテストとなっていますけれども、全く違うものなのだという先ほどからの御答弁がございましたけれども、一体どのくらい利用されるかというのは全く不明だと思います。共通一次の改善などにはならないことは明らかですし、それだけではなくて、少数科目だけ利用する大学については、その特定科目だけ追求する高校教育が行われることになりますから、高校教育のゆがみを生じることになると考えます。これは教育改革どころか、教育の荒廃をさらに深刻にする重大な問題だと考えますけれども、いかがですか。
#119
○岡本参考人 最前申しましたように、共通一次というものは二次を予想した、決まった今までのあれでございますが、それとは全く違うという意味は、共通テストというのは、高校の教育を大変よく考えて無理のない精選された問題をつくって、こういうものがあるから、各大学が自主的にこの学科の力を調べようと思えばお使いになってもいい、そういうことなんです。問題をつくるということが、いい問題をつくるのがどれぐらい苦労だということを御存じないものですから、共通一次、幾らでもテストの問題があるように思っておられますが、あれは大変評価がされておるわけですね。ですから、それを使おうと思えばお使いなさい、その余力で各大学が自分固有の焦点を絞った入試をおやりなさい、そういうところに焦点がございます。どこまでも各大学の自主性。ところが、高校の教育というものがございますから、多様性にたえられないということではいけないわけですね。この点は、共通一次のときには各高校の教育というものを大変重視したのですけれども、それに障害のないように十分注意していかなければならぬと思っております。
#120
○藤木委員 時間が来ましたから終わりますけれども、今の御答弁を伺っておりましても、それでは共通テストはあってもなくてもよい、共通一次をなくすだけのことだというように思えて仕方がないですね。今のお話を伺っている限りでは、これが国民の望む教育改革ではないと思わざるを得ないことを非常に残念に思うということを意思表明させていただいて、質問を終わらせていただきます。
#121
○阿部委員長 江田五月君。
#122
○江田委員 お忙しいところ、お三方には当委員会のためにお時間をお割きくださいまして、ありがとうございます。十二時までというお約束を当委員会としてやっておるのだと思いますけれども、私の時間が本当にわずかになりましたが、お許しください。
 前に「審議経過の概要(その2)」の発表のあった日に、やはり当委員会に会長、会長代理がお見えくださいまして、質疑をさせていただきましたが、その際、私は、ひとつ衆参の文教委員と、こういう形でなくてお茶とお菓子ぐらいでいろいろ議論ができたらいいがなということを注文しました。その後、文教委員ではありませんが、政党単位でいろいろなお話を、非公式ですか、聞いていただきまして、また聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 しかし、それにもかかわらず、十分に国民の議論を起こし、国民の声に耳を傾けて第一次答申に至ったという感じがどうもしない。拙速であって、答申の日を決めてとにかくそれに間に合わせた、そういう感じがぬぐえなくて、これはまことに遺憾であります。そして、同時に、これを読ませていただきましたが、そういう手順が十分でないことが恐らく反映をしておるのだと思いますが、今の教育の現状についての認識がどうも浅いような気がして仕方がない。さらさらっと過ぎるのですね。教育の現状に本当に悩んでいる親も教師もあるいは社会も、国民みんなの心に何か響くものがないのは単に表現力の乏しさだけではないような気がしまして、拙速主義に対する反省を求めたいと思うのです。
 それでも、私は、中身が全部悪いと言っているわけじゃありませんで、第一部、第二部ともに、項目も妥当であって、また、個性重視の原則ということも必要なことだと思いますし、目指す方向は基本的に了解できる。改革の提言も、やや散発的にあれこれちょろちょろと出てきたという感じはありますが、そしてまた、同時に、六年制の中等学校にしても、単位制教育にしても、それぞれ落とし穴もあるかと思いますが、一つ提言ではあろうと思います。しかし、どういう方法で教育改革をやろうとされておるのか、その方法論について、私はどうも問題があるような気がして仕方がないのです。
 例えば、今の個性重視の原則。個性主義ということで議論をされた。そして皆さんが集まって、それはちょっと言葉が適当でない、個性尊重、いやいや、というので、個性重視の原則に落ちついたということですが、そうやって、お集まりの皆さんはそれぞれに教育について深い見識をお持ちの方々で、経験もある、だから、これが集まって議論をすればそれで必ずいい答えが書けるのだと、そういうおつもりなのか。それとも、そうじゃなくて、今の教育の改革というのは、まさに「はじめに」というところでお書きですね。「今次教育改革の成否は、第一に政府の対応いかんによるがこその後「ひとりひとりの教師、ひとりひとりの親、すべての教育機関および学ぶ者自身を含めて教育に関係する者と全国民の改革への意志、子どもや孫たちへの愛情と責任感にまつところが大きい。二十一世紀を目指す教育改革の成功のため国民各位の深い御理解と御協力を訴えたい。」こうお書きの、この「全国民の改革への意志、子どもや孫たちへの愛情と責任感」というのは一体どうつくり出していくのかという方法がなければ、単に集まって答えを書きました、さあ後はという、それでは教育改革はできないのだという感じがして仕方がないのですが、この点はどうお考えでしょうか。
#123
○岡本参考人 先生の言葉のとおり、私は、この臨教審の初めから、教育の改革というものは現場から出て現場へ帰る、現場をしっかり認識して、しっかり審議して、現場で実行されなかったら意味がないのだからという意味で、あの臨教審のメンバーにも、できるだけどこへでも行って自分の考えをしっかり述べて、そして信頼されるようにしてもらいたいというようなことを申しております。その意味で、おっしゃるとおり、十分現場の意見を聞き、現場へ帰って定着するように努力を重ねたいと思っております。
 それから、こうして御意見をお聞きすることでございますけれども、これは決して私がいい格好をして物を言っているのではございませんので、どこでも申しておりますことは、こういうところへ出ましてお話をお聞きすることも大変有益でございまして、このものについては全部整理しまして、事務局で、今度の答申のどこの部分にどうこたえたのだということは整理させております。それから、このことは各団体からの意見もございますし、公聴会の意見も同じように全部箇条書きで整理いたしまして、それにこたえるような努力はいたしておるつもりでございます。
#124
○江田委員 例えば個性重視の原則ですが、個性とは一体何か。いろいろお書きです。恐らくその答案としてはこういう答案なんでしょう。だけれども、今実はそう簡単に答案が書ける状態にないというのが今の教育の現状なんじゃありませんか。私は政治家になる前に裁判官というちょっと僭越な仕事をやっておりまして、そのときにつくづく感じたのですが、紛争があって、判決を書いたらそれは紛争の解決なんですが、しかし、判決を書いて解決するような人間の紛争というのは実に少ないのですね。判決を書いたらそれでますます紛争がこじれるなんていうのはいっぱいあるわけで、そのときに解決を目指す者は一体何をするかというと、やはり当事者と一緒になって悩んだり論じたり祈ったり一緒に歩んでいく、そういうことが必要なんで、個性というものの答えをこうして文章でお書きになる前に、なぜ一体具体的な事例に即し、具体的な問題に即し、例えばいじめの問題でも、あるいは非行の問題でも、落ちこぼれの問題でも、先ほどのエリートの問題でも、個性ということは一体何だろうかということをもっともっと国民みんなで掘り下げていくような、そして具体的事例に即して一緒に悩んでいくような――いじめの問題なんか個性とぶつかって大変な悩みがあるわけですね。そういう手順というのが、そういう方法が臨教審でもしとられれば、これは随分いろいろなことができるのだと思うのです。答えを書くことが大切なんじゃないのだ、一緒に悩んだり一緒に祈ったりすることが大切なんだという気がして仕方がないのですが、いかがでしょう。
#125
○岡本参考人 おっしゃいますように、こういう提言の内容を実行するということが大事でございますので、それは極めて現場に即したデテールなことが要るわけですね。ですから、どの問題、提言のどれに対しましても、直ちにそれに対して議論をしてもらう機関を早急につくるように、これは共通テストに対してもどれに対しても、そういうことを希望しております。したがってまた、それと同時に、やはりここで議論しておりますようなことが広く国民の間に議論されまして、そういうものに国民が大きな関心を持って、その方向に全体に動いていくというような効果も意識しております。
#126
○江田委員 いろいろな方法があると思いますが、一つ、二つ具体的に伺いますと、国民の中にある各種の団体や有志の教育改革論議がいろいろあります。それは学校長の会というようなこともあるでしょうが、同時に、教職員の団体も議論をしておりますね。それから、そうじゃなくて有志の皆さんの、例えば都留重人先生を中心とするお集まりであるとか、あるいは俵萌子さんを中心とするお集まりであるとか、そういうようないろいろな議論がありますが、そういう皆さんと立場を超えてひとつ臨教審は大いに議論をされるようなおつもりがありますか。
#127
○岡本参考人 各種教育団体につきましては、既に御承知のとおりヒアリングをやってまいりまして、できるだけ御意見を伺うようにしております。最近もぜひアンケートに答えてもらいたいというようなこともございまして、できるだけそういうものには答えるように努力してまいるつもりです。
#128
○江田委員 ああいう皆さんのいろいろな意見をヒアリングで集めるということをもう少し超えて、何か運動的に国民の教育改革の論議と運動とをいろいろなところでたくさんたくさん起こしていって、それがぶつぶつぶつぶつと煮えたぎっていく、そういうものをお考え願いたいということをひとつお願いをして、質問を終わります。
#129
○阿部委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人に一言お礼を申し上げます、
 本日は、御多用中のところ当委員会に御出席をいただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後零時五分散会
ソース: 国立国会図書館
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